ゼロリオン ~何かを奪う使い魔~ (ランタンポップス)
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TABITHA BIZARRE ADVENTURE
Dragons dream in slumber.Prologue


『吸血鬼』。

 人となり、人に紛れ、人血を啜る夜の狩り人。

 性格は冷酷かつ残忍、更には狡猾で知恵の働く最悪の妖魔である。

 人間として人と共に生活し、信頼を勝ち得た上でその血を吸い尽くす、情無き悪魔。村人たちを助けて歩く強い青年だろうが、子供たちをあやす優しき少女だろうが、『吸血鬼』という存在であるのなら決して、人間に対しての情など毛頭も無い事をまず申しておこう。

 全ては上っ面の、仮初めの表情だ。決してこちらも、一切の慈愛の情を移してはならない。

 

 

 奴らにあるのはただ一つ、たった一つの思想。『馴染み込み、破滅させる』、ただそれだけだ。

 現に吸血鬼は血を吸うその瞬間まで、牙を隠している。つまりは、外見で人とそれとを見分ける術なぞは存在し得る訳がないのが通説である。まさに馴染み込み、内側に混じりて人々を蹂躙する極悪非道の生物だ。

 陽に弱い、蝙蝠に化ける、処女の血を好む…………真相か迷信か分からない吸血鬼像が多数存在するが、明確でないと言う事は、良く知られていない証拠でもある。だが、誰も吸血鬼の生態など詳細に分かる訳がない。

 何故、分かる訳がないと断言的なのか。

 

 

 

 

 理由は簡単だ、『気付いた頃には皆殺し』であるからだ。

 

 

「W.D.エイレンド著『吸血鬼に関した切言』より抜粋。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗い暗い、森の中。そこにある村はひっそりと、まるで死んでしまっているような不気味な静けさに覆われていた。

 空からの月明かりがあるとは言え、街路は視認も難いほどに真っ暗闇である。家々は窓を固く閉じ、中には木の板を貼り付けて完全に塞いでしまっているような所もある。

 だが、ゴーストタウンではない。何処からか咽び泣く、女性の声が聞こえて来る。

 

「ぁ……あぁ……そんなぁ……!!」

 

 閉め切られた家の中、母親はベッドに横たわる我が娘を必死に揺すっていた。涙は止まらず、嗚咽混じりの泣き声は半狂乱じみた金切声に近い。

 

「起きとくれ……起きとくれよ、シャロン……!!」

 

 上半身を持ち上げ、我が子を胸の中に抱く。

 

 

 その体は既に冷たく、肌は栄養失調の者のようなドス黒い色に染まっており、皮膚は老人のように皺だらけで萎んでいた。見開かれた目は恐怖を写しており、痩けた頰には滴っていたであろう涙が跡となっていた。

 

「あ、ぁぁあ……あああああ……ッ!!」

 

 

 幼気な少女シャロンは、見るも無惨な姿で息絶えていた。

 

 

 

「ああああああああああーーッ!!!!」

 

 母親の狂ったような声が村中へ木霊し、暫くすれば聞き付けた村人が彼女の元にやって来る。そして、幼き子供の命を奪ったこの凄惨で悲しき事件に対して唇を噛み、泣き狂う母親の前で立ち竦む事しか出来なくなるのだ。

 夜はまだまだ続く。村は生き返るように起き出し、悲しみの涙に包まれるであろう。

 

 

 

 

『全く、ヒドいヤツだゼ! オレは中立ダケドよぉ、コレには黙っテいられネェ!……ッテなもんヨッ!』

 

 何処からか、場にそぐわぬ陽気な声が聞こえて来たが、誰の耳にも入らなかったようだ。

 

 

 

 

 

 

『TABITHA BIZARRE ADVENTURE : EPISODE 1. Dragons dream in slumber』

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここは【トリステイン魔法学院】。貴族の子息及び、息女たちが一人前の魔法使いを目指し、日々勉学と訓練に励む巨大な学校である。

 中心の大きな塔から、それを取り囲む五つの塔を繋げさせ、丁度五角の形で形成されている。そして背景には美しき山々が連なり、春の花が一様に咲き乱れた平原の中心と言う素晴らしい立地にある所はやはり、貴族に相応しいと言える造りであると言えようか。

 

 

「まさかルイズったら、平民を召喚するなんて! あの子はやっぱり一味違うわねぇ」

 

 学生寮のとある一部屋、上機嫌に窓から空を見上げ、楽しげに話をする紅い髪をした少女が一人。

 褐色の肌にグラマラスなスタイルは、男の目を集中させてしまうほどにある種のフェロモンを撒き散らしているようだ。そうだと納得してしまうほどに、妖艶な雰囲気ははち切れないばかりに醸し出されている。

 言うのはその、露出の高い服装。それがまたフェロモン放出に拍車をかけ、大きな胸が惜しみなく晒されている服装を見てグラリと来ない男性はいやしないのではないか。

 

 

 彼女の名前は、『キュルケ』。本名は『キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー』。アウグスタとは『威厳者』を意味する言葉なのだが、威厳と言うよりかはフランクな感じのする、溌剌とした女性だ。

 

「比べてあたし達は良い使い魔に恵まれたわね。サラマンダーと、ウィンドドラゴン……なかなかお目にかかれるものじゃないわ」

「…………」

「ね、『タバサ』!」

 

 

 そんな少女が面白がった話を進めている彼女の後ろで、椅子の上で本を読んでいる蒼い髪の少女が一人。

 色白な肌とこじんまりとした体型に、仮面を貼り付けたような無表情の顔。何処となく『人形』を思わせるような、少し冷たい印象を与えてしまうのは可愛らしい顔とのギャップによるものだろうか。

 かけている眼鏡のレンズの向こうでは、活字をなぞる目が右から左へと流れて行く。彼女から伺える挙動と言うのはそれが精一杯で、それ以外はまるで時間を停止しているかのようにピタリと、止まっていた。

 

 

 キュルケが名を呼んだ通り、彼女の名前は『タバサ』。

 全てにおいてキュルケと対照的な少女であるのだが、どう言う訳なのか二人は親友なのだ。今いる部屋はタバサの部屋なのだが、この部屋に入れるだけでキュルケは特別である程に、気心知れた間柄との事。

 

 

 だが、端から見てみれば無口な彼女に対し、キュルケがペラペラと話題の上乗せをして行くような、普通なら舌打ち一つかまして良い程の一方的会話。

 言えど、話題の関心が使い魔であるキュルケと、本であるタバサとでは会話が釣り合う訳がなかろう。しかしそんなタバサをキュルケは好きであるし、偶に反応してくれる所も愛嬌があるとも思っている。

 対するタバサが何を考えているかは分からないものの、他とは一目置いたような態度を見れば、彼女もキュルケに好感を持っている証となるのだろうか……奇妙な親友関係である。

 

 

「それにぴったりじゃない? あたし達に」

「…………」

「情熱を讃える紅の炎、蒼き冷静な風……やっぱり使い魔はこうでないと!」

「……冷静……」

 

 キュルケの言う、タバサの使い魔に対するイメージに何か物申しかけたのだが、ポツリと、誰の耳にも聞こえない声量で呟くとそのまま読書へと戻った。

 

「でも、ルイズの使い魔……あの変わった服の平民。ちょっと良い男じゃない?」

「…………」

「鼻も高いし、色白で細いけど虚弱的じゃないし、唇もセクシーだったわぁ。あーあ、もう少しだけ近付いて見たら良かったか、も」

「…………」

「ねぇ、タバサはどう思った?」

「…………?」

 

 話を振られ、本から目を一旦離した。

 キュルケは相変わらず、窓から外を眺めている。召喚したての使い魔の動向を気にしているようでもあり、物思いに耽っているようでもあり。その様子を見てタバサは「またか」と察している、彼女の節操なき恋の病を知っているからであろうか。

 

 

 それは兎も角として、タバサは頭の中で『ルイズの使い魔』の顔を思い出した。

 

「どう思った……?」

「そうそう。彼に何か、シンパシーを感じたとか!」

「…………」

 

 シンパシーは感じなかったが、彼女は彼女なりでその『ルイズの使い魔』に思った事があるようだ。

 

 

「……空っぽ」

「え? 何て?」

 

 小声な上に、少し風が強まったのもあってかキュルケは、彼女の言葉をつい聞き逃してしまった。

 

 

 再度、タバサは口を開いたのだが、太陽の位置を確認した彼女は発するべき言葉を別に置換した。

 

 

 

 

「……そろそろお暇する」

「タバサ?」

「用事を思い出した」

「よ、用事? 何かあったの?」

「鍵は閉めて退室願う」

 

 

 それだけ言うと、振り返ったキュルケを通り過ぎて彼女は窓から飛び降りた。

 

「ちょ、ちょっと、タバサぁ!? 急過ぎるわよ!」

 

 止めようとするキュルケの声も虚しく、彼女は庭に止まらせていた自身の使い魔『ウィンドドラゴン』を空へ飛ばし、その背に跨って遥か大空へと消えて行ってしまった。

 

「……早速使いこなしているわね……流石のタバサちゃんって訳か……」

 

 太陽はやや西下がり、お出かけするにはちょっと遅いと思う時間帯だろうか。そんな時間に何処へ行くのかと気になるキュルケだが、彼女でさえもタバサの考えは完全に読めやしない。

 

「でもあのタバサが……デートかしら?」

 

 その予測を自ら「ないか」と苦笑いで否定する。キュルケは例外として、彼女が他者に興味を示す事はそれこそ、道端で二百エキュー金貨を拾うくらいの奇跡に近い。

 しかし三度の飯より読書が好きな彼女が出かける程だ、何か妙な気を感じるのだが触れないでおくのも、友情の一つとも言う。

 

 

「じゃ、あたしもフレイムと散歩でもしましょ」

 

 ない事を考えるのは、自分の性分に合わない。そう考え、彼女は部屋の出入り口へと歩き出したのだった。

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 ふと、タバサの座っていた椅子を見てみれば、先程彼女が読んでいた本が置かれていた。読破したので置いていったのだろうか。

 さてさて、どんな本を読んでいたのかと、気になる彼女はその椅子へ近付き、表紙に並ぶタイトルへ視線を落とした。

 

 

「……『吸血鬼に関した切言』? 妖魔学者の本ね」

 

 すると彼女はその本を手に取り、適当なページを開いて内容を読んでみる。

 

 

 

 

 吸血鬼について、ある事例を挙げてその特徴を教授しよう。

 前述の通り吸血鬼は、ハルケギニアに存在する数多の妖魔達を比較に挙げても、最も人間に姿形が酷似している妖魔と言えよう。

 匂い、目の色、顔立ち、立ち振る舞い、髪質、表情……通常時で吸血鬼のそれを見分ける事は、私であっても不可能だ。奴の本性は、『食事』の時のみ顕現せしめない。

 

 しかしそんな見た目であれど、恐るべき『先住魔法』を使用する。熟練のメイジでさえも、手を煩わせるだろう。

 

 

 その内の一つとして、特に悍ましく、注意せねばならないのが『屍鬼(グール)化吸血』である。

 吸血鬼は血を吸う際に、交換として上記の魔法を加えた、自身の『血』を混じらせる。

 この血を得た人間は、そこで『人間としての人生』は終焉し、『屍鬼』として吸血鬼に使役される存在として生き返るのだ。

 屍鬼と化した人間に人間としての思考はない、吸血鬼の手駒として動かされる『マリオネット』となる。つまりは『生きる屍』と言う事だ。これほど恐ろしき先住の魔法は他にあるのだろうか。

 だが、恐ろしいのは人間から屍鬼になる事ではなく、吸血鬼操る屍鬼の存在自体が恐ろしい。

 

 

 吸血鬼は一体だけ、屍鬼を自由に使役出来る。一体で手一杯なのか、二体以上の屍鬼を操った例は見ない。

 しかし、「たかが一体」と侮る事は戒するべきである。屍鬼は元が人間であるだけに、見分けは吸血鬼以上に困難である事を明示しておこう。

 最も、元の人間が知らぬ間に屍鬼となるのだから、見分ける見分けないの問題ではないのだが。誰が、隣人が屍鬼になったのかと思う物か。

 現に、その屍鬼によって住民は疑心暗鬼に陥り、互いを恨み、協調を忘れ、夜な夜な吸血鬼に根刮ぎ食われる事となる。吸血鬼が屍鬼を巧みに操り、街一つを壊滅させた事例も存在している程だ。

 

 

『屍鬼』と『吸血鬼』、二つの存在が我々の中へ紛れ込み、我々の寝首を狙っている。

 この恐るべき『狩り人(マン・イーター)』による不意打ちを対処出来るメイジは稀であろう。吸血鬼による事件が発生した場合、著者は早急な退去を勧める。

 正面衝突ならメイジにも分があるかも知れないが、それであれども強力な先住魔法の前に倒れた者は数知れず。並以下のメイジは挑む事を考えない方が身の為だ。

 この吸血鬼を倒す能力は、熟練された魔法と、細やかな動向一つを見抜く洞察力、僅かな証拠で吸血鬼を捉える推理力が必要となるだろう。知恵には知恵、力には力で対抗する臨機応変の思考を巡らす事が重要となろう。

 

 

 

 

 本書が読者ないし吸血鬼狩りを控えたメイジに対し、吸血鬼への深い注意喚起となる事を期待する。

 

 

 

 

「タバサ、こんなの読むのね」

 

 キュルケはぱたりと、本を閉じた。

 

 

 TO BE CONTINUED……




こちらゼロの使い魔外伝、『タバサの冒険』を元にした物語であります。
立ち位置としましては、『ゼロリオン』の番外編として読んで貰えると幸いです。

『タバサと吸血鬼』から入りますが、この話の原作での時系列はギーシュ戦後となっております。しかし今回は都合としまして、『タバサと翼竜人』を吹き飛ばした分時系列を前倒しにし、使い魔儀式後にしました。こちらはコミック版の方を遵守し、参考とさせて貰います。
また、タバサの冒険全編を書くつもりはなく、面白そうな話にジョジョを足して行く形となりますので、部数で言えば五部程度を予定しています。
原作ファンの方には納得行かない仕様とは思いますが、善処願います。

投稿頻度として、本編の方がある程度進んだなと判断したら書いて行く形を取ります。どうぞ、ご愛読下さりますよう宜しくどうも。


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Dragons dream in slumber.Part 1

 ガリア王国【ヴェルサルテイル宮殿】。

 この豪華な宮殿は一体どんな所かと問われれば、何を隠そうとも王国の行政を担う中心的な建物であると答えられる。

 

 

 だが驚くべきはその規模であろうか。

 ガリア王国はハルケギニア最大の国家である。だけに、宮殿の規模は尋常ではなく、蒼を強調させた巨大な城を中心として中庭が広い。その中庭に、貯蔵庫やら兵舎やらが乱立し、全てを見て回るだけでも一日はかかるのではないかと思われる程広大なのだ。

 しかしこれだけ浩渺たる宮殿でありながらも、近辺の森を切り開いてはまだ拡大工事を続けている。今日もまた、何処からか招集された建築家や庭師が新たなる計画を思案し、それに明け暮れている頃だろう。

 

 

 

 さて、そんな数ある宮殿内の建造物の一つ。ガリア王国の王女が住まう【プチ・トロワ】と呼ばれる城がある。

 先述の通り王女専用の城として造られた場所であるが、王女の性格もあり、宮殿に仕える者達にとっては虎穴とも称されるとか何とやら。今日もまた、王女の発言に対して召使い達の悲痛に暮れる声が聞こえてくるのだ。

 

 

「さぁて、あの人形娘はまだ来ないのかい? 今頃、ガクガクに震えながら私の元に向かっているハズよ!」

 

 長く蒼き髪と白い肌、そして着衣している蒼のドレスが彼女の気品を讃えているようだ。

 頭に乗る王冠は正しく王女としての証。顔は端正で、溜め息吐いてしまいかねない程の愛らしさを放っている。確かに王女としての品と美貌を持った人物だと言えようか。

 

 

「何てったって、あいつの今度の相手は『吸血鬼』なんだから! 騎士団でさえ手に余る奴を、あいつ一人で討伐させるの! あっははは!」

 

 ……とは言ったが、あくまで外見としたら王女に相応しいと説明したまで。

『外見は』、である。その性格は先に言った通り、召使い達に恐れられる程に傲慢かつ短気で、言葉遣いもキンキンとした高々しい声で上品さの欠片も見受けられない始末。

 特に笑い方に関しては、口を開けて表情筋を歪ませたような下品な物。折角の美貌も、何処吹く風と言わんばかりに持ち腐れとなっている。

 

 

 今、彼女の話相手となっているのは、玉座と出入り口を繋ぐカーペットの傍らにズラリと並んだ、侍女達である。些細な事ですぐに怒鳴り、最悪は何かしらの処罰を与えかねない王女に対し恐れを持って仕えている訳で、この会話でさえも心臓が破裂せんばかりの思いである。

 

 

 さて、この王女……名前は『イザベラ』である。

 イザベラが話をしている内容とは、『吸血鬼の討伐』に関した事である。吸血鬼と言えば、『エルフ』には劣るとは言えど、人間に化けて暗躍し、人血を啜る最悪の妖魔と言われている。

 名前さえ聞けば震え上がらずにはいられない、夜の狩り人。イザベラがその名を口にした瞬間、侍女達の間で小さな悲鳴によるどよめきが立った。

 

「きゅ、吸血鬼……ですか……!?」

 

 一人の侍女がイザベラに再確認するように聞く。

 恐怖に歪んだ彼女の声に気を良くしたのかイザベラは、また楽しげに言葉を続けるのであった。

 

「そう! あの吸血鬼よ! 指令書の代わりに吸血鬼の専門書まで送ってねぇ! 読んだは読んだでもっともっと怖くなるでしょうに、かわいそうな奴!」

 

 手に持っている扇子を扇ぎながら、イザベラは体を震わし玉座の上で大笑いする。

 彼女の笑い声が木霊する横で、あまりの心痛により思わず侍女の一人が声として胸の内を明かしてしまう。

 

「あぁ……『シャルロット様』、お可哀想に……!!」

 

 

 瞬間、イザベラの笑い声が、驟雨が如く突然止んだ。

 

 

「……今、あの人形娘の事、何て?」

 

 イザベラの低く冷たく突き刺さるような声に、先程の侍女が肩を震わし、嘔吐でもしかねない程の恐怖面で王女を見た。

 

「え、あ……あの、その……!」

「何て?」

「あ、あの……つい……しゃ、『シャルロット様』……と……?」

 

 狼狽える彼女に対しイザベラは、玉座から立ち上がり爆発するかのように怒鳴りつけたのだ。

 

 

「あいつの事は『操り人形』と呼べって、言っているじゃないの!? あいつは王族でもなんでもない! それにまず、あいつは北花壇騎士だから『人形七号』で十分だって言っているじゃない!?」

「も、申し訳ありません! イザベラ様!」

「もう一度聞くわ、私は何と呼べって!?」

「な……『七号』……様……です……!!」

「……ふんッ! 次、名前で言ったりしたら承知しないわよ!」

 

 平伏し、必死に謝罪する侍女を睨み付け、イザベラはまた玉座に腰掛けた。

 さっきまで愉快そうに笑っていた様子から一転、頬杖をついて不機嫌そうに歯を食いしばっている。足を組み、憎たらしげに目を細めて怒りを表現した。

 

(チィッ!……まだ人形娘を『王族の娘』って見てる奴がいるのか……今の王女は、私のハズなのに……!!)

 

 

 募る怒りを何処にぶつければ良いか、赤く染まる脳内でカッカッと考えていると、出入り口が開き兵士の声が響き渡った。

 

 

「シャル……『人形七号様』がお見えになりました!」

「……チッ」

「し、失礼しました」

 

 またしても『シャルロット』と言いかける者がいたので、イザベラは心の中でしかしなかった舌打ちを、公にして放つ。この舌打ちだけで、侍女も兵士もビクリと震える。

 どうやらここにいる者はイザベラの言う『人形七号』呼びを躊躇し、『シャルロット』と呼んでしまう者が多いようだ。それにはどうやら、この『人形七号(基、シャルロット)』が元は王族のようで、人形呼びに対し釈然としない思いを抱える従者がいる、と捉えられるか。

 

 

 面白くないのはこのイザベラ。自身がこのガリアの王女だと言うのに、従者の敬意の対象が自分より『シャルロット』へと向けられているのが納得いかないのだ。

 

 

 まぁ良い。とりあえずはその、『シャルロット』が怯え、震える姿さえ見ちまえば気分も晴れるもんだ。

 そう思い直し、イザベラは早速、目通りの許可を入れたのだった。

 

「通して」

「は、はい。畏まりました!」

 

 二人の兵士がそれぞれ、出入り口の扉を開放し、『シャルロット』を玉座の間へと促した。

 イザベラの前へ出て来た『シャルロット』は、自分の相手が吸血鬼とだけあって恐怖にのたまう子羊が如くの、泣きっ面を見せて扉を潜るのである。

 

 

 

 

「……は?」

 

 と、思われたが、現れた本人の表情は至って普通。

 泣きもしていないし、笑ってもいない。動揺もないし、怯えもない。そこにはポツリと興味なさげな、とも言える仮面のような無表情をイザベラへと向けているのだ。

 

 

『人形七号』であり『シャルロット』であり、その人物は誰かと思えばなんと『タバサ』であった。

 

「…………」

「…………」

 

 想像していたものと全く違っており、イザベラは拍子抜けからポカンとタバサの顔を眺めていた。

 だがそれも一瞬、行き場なくした怒りのエネルギーが徐々に表面化して行き、彼女の表情を怒りで歪めて行くのだ。

 

「…………一応確認するけど、今回の相手は誰だったっけ?」

 

 タバサは臆する事なくさらりと応答する。

 

「吸血鬼」

 

 本当にその目には、恐怖の念が滲みすらしていなかった。

 吸血鬼は誰もが恐れる、最悪の妖魔。そんな存在とタバサは命を懸け、やり合う事となるのだ。もしかしたら明日の自分はいないかもしれない、そんな強力な相手であるのだが、表情は「全然平気です」と言わんばかりの無表情。

 

 

 全く、面白くない。全く、不愉快だ。イザベラは奥歯を噛んだ。

 

(何でこんな、平気な顔してるのよ……ッ! とうとうイカれて、本当に人形でもなったつもりか……!?)

 

 こんな事を思う程に、戦慄せんばかりの無表情。

 だが、その戦慄をひた隠す為、敢えてイザベラは静かに言うのだった。

 

「……ふんッ! 場所はここから南東へ五百リーグ。山の中にあるサビエラ村……田舎の村よ。鬱蒼とした森に囲まれた所だって聞いているわ」

「…………」

「報告は一ヶ月前、わざわざ死ぬ思いして村民が討伐を申して来た所で受理したのが発端」

 

 任務の場所と詳細を語るイザベラだが、そこでニヤリと悪い笑みを見せる。

 

 

「……あんたの前に騎士が討伐に向かったそうだけど、殺られたそうよぉ?」

「…………」

 

 ねっとりとした彼女の声。タバサの表情は変わらない。

 するとイザベラは玉座から立ち上がり、タバサの前へ出ると持っている扇子を畳み、彼女の喉へ側面を当てた。

 

 

 囁くように、喋る。

 

「その余裕綽々な無表情も見納めかもね? まっ、せいぜい無事を祈っておくわ」

「…………」

「『シャルロット』……ふふふっ!」

 

 当てた扇子を、彼女の喉を掻っ切るように素早く横へ引いた。

 タバサは何も、喋らない。

 

 

 

 

 

 

 

 イザベラから授かった地図を眺めながら、タバサは己が使い魔『シルフィード』に指示を出した。

 

「その先、ニリーグ地点に河原。着地して」

 

 風に翼を乗らせ、馬よりも早いスピードで空を抜けて行く。肌寒く、風に斬られるようだが慣れたものだ。

 彼女の指示に対し、シルフィードは可愛げに「キュイ!」と鳴いて応答するだろう。そう思われていた。

 

 

 

 

「まだ村まで少し遠いけど? そこで良いの?」

 

 

 喋った。

 精神的に強いであろう常勝ギャンブラーでさえ思わず、ゲドゲドの恐怖面で椅子から転げ落ちてしまう程の衝撃と、非常識。喋る訳がないであろうウィンドドラゴンが普通に人語を喋ったのだ。

 声は幼げな女性のもの、だがそれはちゃんとシルフィードの口から発せられた言葉である。まず、この上空には鳥とタバサとシルフィードしかいない。

 

「そこで良い」

 

 しかしタバサはとっくに知っているようで、平然と指示を飛ばした。

 聞いたシルフィードは「分かったのね」と呟くと、滑空を始めて河原の側へと悠々に着地する。

 

 

 

 

 先にタバサへの認識を、『ただの無口な生徒』と言う認識を変えたように、シルフィードかただのウィンドドラゴン……即ち、『ただの風竜である』と言う認識を変えるべきだ。

 シルフィードの種族は、確かに見た通りは風竜であり、疑う余地のない事実となるのだが、それでも風竜とは一線を成す存在である。第一、風竜は喋らない。

 

 

 伝説の竜種として、『風韻竜』と呼ばれる存在がいる。

 風韻竜は人語を解する程の知能を持ち、物によっては人間を凌駕する知能を持つと言われているそうな。

 そしてその高い知能が故か、言語能力も備わっており、喋る事も可能である。

 もっと言えば、その上に強力な『先住魔法』を操る力を持ち、隼よりも遥かに早いスピードで空を舞う。もう至り尽くせりとも言える、まさに『伝説の竜』であるのだ。

 

 

 そしてその『伝説の竜』こそ、タバサが午前に召喚したシルフィードである。

 この事は親友のキュルケはおろか、イザベラも誰も知らないタバサだけの秘密である。

 

 

 

 

「はぁー! お腹すいたのー!」

「うるさい」

 

 だが悲しいかな、シルフィードは人間より長く生きているとは言え、精神年齢は幼かった。召喚時よりタバサに懐いているものの、ワガママで自分勝手な性格なのだ。

 言えど、妖魔などに関しては教授よりも物知りな上に『先住魔法』は扱える程、人間にとったら恐ろしい存在なのだが。侮ってはならない。

 

「だってお姉さま、シルフィは召喚されてまず初日なのね! 何も食べてない!」

 

『お姉さま』と言うのは、懐いたシルフィードがタバサを勝手にこう呼んでいる。強制と言う訳ではない。

 

「任務遂行中」

「だとしてもお腹ペコペコで動かすのはヒドいのね! ヒドいヒドいヒドぉーい!」

「…………」

 

 あの時タバサが、「冷静を讃える碧」と形容したキュルケのイメージに何か言いかけたのは、こう言う事情である。

 幼い故に喧しい、鬱陶しい。

 前足をバタバタとさせてワガママ唱えるシルフィードに溜め息一つ出さないのは、流石のタバサと言った所か。

 

「……着いたら何か食べさせて貰える。だから、黙って」

「うぅ……お姉さま、冷たい……」

 

 ショボンと、落ち込むように首を下げたシルフィード。

 そんなシルフィードに興味を示さず、タバサは竜の背中から河原に飛び降りた。

 

 

「でもお姉さま、目的地まではまだ少し遠いね。どうしたの?」

「……吸血鬼が相手。慎重に挑まなければならない」

「それはそうだけど……村に入る前からどうしたのって事」

 

 するとタバサは、シルフィードのその質問を待っていましたと言わんばかりに、指差して新たな指示を出した。

 

 

「吸血鬼が潜む村。あまり極度に目立ちたくない」

「成る程成る程」

「だから化けて」

「成る程なる……はうっ!?」

 

 シルフィードはビクリと、全身を飛び上がらせた。

 彼女からの指令は「化けろ」。どう言う事なのか分からないが、シルフィードはこの指令を恐れているとも嫌がっているとも、と言う反応を見せている。

 

「い……いやなのっ!!」

 

 流石に大好きな我が主人、タバサの命令とは言え、受け入れたくない程に嫌なようである。

 穏やかなシルフィードの表情が、威嚇をする犬の如く険しいものとなり、「グルルルル」と喉を鳴らしている。ここまで嫌なのかと、逆に気になってくる所ではあるが。

 

「化けて」

 

 しかしタバサは譲らない。無表情の、見透かしたような目でシルフィードを見つめて差し迫る。

 

 

「いやいや! 化けるのだけはホントォ〜に勘弁なのねっ!!」

「化けて」

「いやなのっ!!」

「化けて」

「や……やっ、なの……!!」

「『やっ』じゃない。化けて」

「うううう……いやぁ……」

「早く、化けて、早く」

 

 唸るシルフィードだが、タバサの短い言葉の追い立てにより、精神的なプレッシャーがかかって行く。

 

 

 これ以上ごねても、絶対に妥協しないから。そう言わんばかりのタバサの目と圧力に屈し、シルフィードは負け惜しみのように話すのだった。

 

 

「グルル……あぁもうっ! 終わったらお肉、沢山食べさせて貰うからねっ!」

「善処」

 

 根負けしたシルフィードは川の水に入り込み、不機嫌そうな表情のまま『先住魔法』を行使するのだ。

 

 

 

 

「……『我を纏いし風よ』」

 

 シルフィードはそう呟いた言葉、呪文のようだ。

 しかしタバサなどのメイジ達が発するような、ルーン文字の読唱ではない。それは詩の朗読のような、人語である。これこそが、『先住魔法の呪文』であったのだ。

 

 

 まず一節を言ったシルフィードの周りに、輝く風が纏い出した。それだけではない、周りの川の水が草を伸ばすように細く伸び始めた。まるで重力を逆転させたかのように空へ空へと伸びて行く。

 これはまだ、途中の儀式に過ぎない。シルフィードは呪文を完成させる、次の一節を唱えるのだった。

 

 

「……『我の姿を変えよ』」

 

 伸びた水が纏わり付き、蒼き風と共にシルフィードを包んだ。

 丁度それは、渦のように螺旋して広がり、強風を巻き起こした。

 

 

 そしてそれが分散するが様に消え去ると、跡地に残ったのは先程の大きなドラゴンではなかった。

 

 

 

「……ふぅ」

 

 青く、長い髪をなびかせ気怠げに息を吐く、端正な顔立ちをした若い裸体の女性が立っていた。

 主人であるタバサより大人な姿で、年代は二十代かそこらのだろう。更にスタイルも良く、女神の誕生のような神的美貌が煌めき弾けているかのような錯覚を受けた。

 

 

 これこそが『先住魔法』の一つ、姿形を全く変えてしまう『変化』と呼ばれる呪文であった。

 目の前にいるこの、先程のドラゴンとは体長も何もが全く似つかない彼女は、間違いなくシルフィードである。

 

 

 一歩、二歩と歩き、川から彼女(竜ではあるが、今の見た目が人間である為『彼女』と呼ぶ)は上がった。

 

 

 

 

「…………」

「…………」

「……ううう! やっぱりこの体、苦手ぇっ!!」

 

 登場シーンはとても落ち着きがあり、美貌を感じたのだが、次の瞬間に裸体のまま駄々こねる様を見せたのなら全て、無かった事になるだろうに。

 シルフィードは体をグラグラとしたり、手足をばたつかせたり、幼子のワガママのように叫び散らしたりと不快感を全身で表現していた。勿論、裸のまま。

 

「人間って、何で二本足で歩けるのぉ!? 揺れるし腰も痛いし、何より歩きにくい! きゅいきゅい!!」

「しっかり準備運動」

「分かっている! もう!」

 

 伸びたり屈伸したりアキレス腱を伸ばしたりと、水泳を行う前のような準備運動を彼女は始めた。慣れない人間の姿だ、体を解さないと動き辛い訳である。これは人間だってそうだし、全く体型が違う生物に変身したのなら尚更だ。

 ただ、裸でこれらをやると言うのは些か、はしたないとは思うが、元は竜なのだからナンセンスな指摘かも知れない。

 

 

「じゃ、これ」

「うん?……うわぁ……」

 

 準備運動をする彼女に向かい、タバサはかけていたバッグより、服を取り出した。

 しかも今のシルフィードと同サイズの服。さては彼女、最初からさせるつもりだったのか。

 

「服はいや! ザラザラしてるし、余計歩きにくくなるし、気持ち悪い! 本当、人間って何でこうなのぉ〜!?」

「人間は服を着る。格言にもある、郷に入りては郷に従え」

「だとしてもイヤっ!」

 

 サッと服を押し付けるタバサから逃げるように木の後ろに隠れ、イヤイヤとごねるシルフィード。

 

 

 するとタバサの目がジトリと半目になり、シルフィードから目を逸らして『弱味』を呟くのだ。

 

「……別に良い。だけど、お肉は無し……」

「!?!?!?」

「……独り言」

 

 独り言とは言うが、こうも明らさまに宣告する者はいようものか。絶対わざと、聞かせたに違いない。

 シルフィードは涙目で耐え忍ぶような表情になり、「ううう」と呻きながら渋々タバサから服を手に取った。

 

「卑怯なのね……鬼なのね……」

「……お肉」

「分かった、分かったから、言う事聞くってばぁ!!」

 

 彼女はとうとう、服を身に纏った。

 

 

 

「うぅー……やっぱゴワゴワしてるぅ……草木の中にいるみたい……」

 

 服は、貴族の着る上等な代物である。ウールを含み、人間にとっては生地が気持ち良い服だとは思うのだが、それは服を着慣れた人間の話。着た事ない種族に着せて喜んで貰えるかと言われれば、それは傲慢だろう。ただただ不快と言わんばかりに、裾を引っ張ったりと嫌々な風を見せている。

 またスカートと一体化した服であり、スウェットのお陰で歩きにくさは軽減するだろう。タバサ唯一の気の利かせ。

 

「これなら、あの桃色の子が召喚した、平民の服の方が気持ち良さそうだったぁ! あの帽子被ってみたい!」

「駄々こねない」

「だってだって……うん? お姉さま、何しているの?」

 

 

 その上に、タバサはメイジの象徴とも言えるマントを脱ぎ、シルフィードに着せた。更には杖さえも渡すのだ。

 マントは兎も角、杖も抜いてしまえばメイジは魔法が使えないだろう。象徴であるマントも抜いてしまえば、ブラウスとスカートだけのタバサは『平民』と言われても納得してしまう風貌となってしまうだろうに。

 

「ちょ、ちょっとちょっと、お姉さま!? マントも杖もシルフィに……どうしちゃったの!?」

 

 メイジと杖の事を知っているシルフィードは驚き、彼女に返上しようとするがタバサは応じない。

 

「あなたが持つ」

「シルフィが持つって……この状態じゃ魔法使えないし、お姉さまも杖がないと魔法が使えないじゃない!?」

 

 彼女の質問に対し、タバサは答えた。

 

 

「私、従者」

「……へ?」

「あなた、騎士」

「…………」

「……理解した?」

 

 さも当たり前、と言わんばかりのタバサの声。

 

 

 

 

「えええええええ!?!?」

 

 閑散とした森に、シルフィードの驚き声が木霊したのはワンクッションの後であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな二人の様子を見つめる、一つの存在がある。

 木々と木々の間に体を仕込ませ、森の影な身を落としたばかりに、タバサとシルフィードの感知を逃れていた。

 存在は、二人を見て笑っているかのようにカタカタ揺れた。

 

『コリャまた凄いのがキタぜェ! アイツら、オレが見えるかナ?』

 

 そう言うと、霧に消えるように姿を消したのだった。

 

 

 

 

「……?」

 

 タバサが、森の方に目を向けた。

 何もいない、ただ風が木々を揺らすのみ。

 

「お姉さま? どうしたの?」

 

 二人は村への道を歩いていた。唐突に振り向いたタバサが気になり、先導するシルフィードが様子を伺った。

 

 

「……気のせいだった」

「……きゅい?」

 

 こうして二人はやっとの事、村へと到着するのであった。入り口には、老人と思われる人物が立っている。




どちらかと言えば、コミック版の要素が色濃いかと。
と言うかジョジョ分少ない……少なくない?

6/20→イザベラを『女王』としていましたが、『王女』の間違いでした。と言うか、高機能執筆フォームの『文字列置換』便利過ぎて、スタンドかと思いました。


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Dragons dream in slumber.Part 2

 村の入り口を意味する簡素な門の下にいたのは、優しげな人相の老夫。小さなベレー帽を被り、白い髪と髭を伸ばした人物で、村の前まで来たタバサとシルヴィードを見ると帽子を取って丁寧にお辞儀をした。

 

「お待ちしておりました、騎士様で御座いますか?」

 

 シルヴィードは質問をする。

 

「良く分かったね……」

「いえ、お二人が向かって来るのを村の者が見ましてね……お召し物からして騎士様ではないかと予測したままでです」

「あぁ、そうなの」

 

 改めて自分の服を見てみる。確かにこの服装はガリアの女性騎士専用のもので、且つ今はタバサのロッドを手に持っており、騎士と思われるのは違和感ないか。

 繰り返し言うが、今はシルフィードが騎士と言う事となっており、背後で鞄持ちをしているタバサはお付きと言う事になっている。そしてそう言う体で吸血鬼捜索・退治を遂行しようとしているのだ。

 なので、今のシルフィードは王族が遣わした騎士である。

 

「それはそれとしまして……はい。えぇ、私はこの村の村長をしております、『ロンパート』です。御用の際は、私の名前を呼んで貰えればと……」

「はいはい」

「…………」

「…………え?」

 

 自己紹介を終え、顔を上げた村長のロンパートは黙り込み、ジッとシルフィードの顔を見るのみ。なので、何の事か分からない彼女はキョトンと小首を傾げた。

 

「どうしたの? 顔に何か付いてる?」

「え? あぁ、これは失礼を」

「え? なにを?」

「え?」

「え?」

 

 話が噛み合わなくなり、何処と無く空気が悪くなる前にタバサがシルフィードに、「やれやれ」と言わんばかりに助け船を出した。

 

「……名前」

 

 彼女の呟きにハッと気付けたシルフィードは「成る程!」と言いながら飛び跳ねた後、村長に向かって偉そうに胸を張りつつ、自身の名を名乗ったのだった。

 

 

「遅れたのね! ガリア花壇騎士、シルフィード! ここに見参!」

「へ?」

「【風】の使い手なの、宜しくね!」

「え?」

 

 キチンと自分の名前を名乗ったシルフィードだが、名乗ったは名乗ったでロンパートは困惑の表情となってしまっている。

 何か変な事言ったかしらと、またしてもキョトンとなるシルフィードだが、後ろのタバサは無表情でそっぽを向いた。

 

 

 名乗れとは言ったが、ここでタバサは「名前」とだけ言った事を少々後悔する。

 何て言えどシルフィードは『風の妖精』と言う意味の名前であり、言うなら人間の名前に付けるようなものではなく、ペットや使い魔に付けるようなファンタジーでメルヘンな名前である。

 なので、タバサの真意としては「人にありそうな偽名を使って名乗れ」であり、シルフィードがそんな器用な事を出来る訳がないだろうと後悔していたのだ。

 

「シルフィード……様……で、御座いますか?」

「うん」

「シルフィード……」

 

 怪訝な表情になって行くロンパートに、段々不安となってタバサへと捨てられた子犬が如き目を向ける。勿論タバサは視線を逸らし続け、一切目線を合わせてくれないのだが。

 

 

 何言われるかと思い、無意識に縮み込むシルフィードであるが、次に聞こえて来たのはロンパートの感嘆する声であった。

 

 

「成る程! その名は世を忍ぶ、仮のお名前でありますな!?」

「……へ?」

 

 話が掴めず、ぽかんとロンパートの顔を見やった。

 彼は続ける。

 

「いやぁ、『風の妖精(シルフィード)』! 何とも趣味のよろしい名であらせられる事で!」

「え? え?」

「良く良く考えてみれば、ガリア花壇騎士のお方が、たかが一平民に名乗るハズもないでしょうに……いやはや、失礼をば致しました!」

「え、あ〜……い、いやぁ! そうでしょ? シルフィもお気に入りなの!」

 

 良く分かってはいないが、自分の名前が褒められているのだなと解釈し、シルフィードは頬に手を当てて喜んだ。

 

「…………」

「イタタタ!?」

 

 しかし、浮かれる彼女をタバサは背中を思いっ切り抓って戻って来させ、振り向くシルフィードに口パクの合図で要件を話せと伝える。何だかんだで、時間が差し迫っているのだ。

 

「あ、そうだったそうだった……それで、吸血鬼退治の件なんだけど……」

「はい……詳細は、立ち話も何ですから私の家でどうでしょうか?」

「うん、お願い」

「畏まりました。ささ、こちらへ」

 

 ロンパートがやや腰を曲げて先導し、シルフィードとタバサはその後を付いて行く。

 ふと、タバサは歩きながらも辺りを観察した。

 

 

 緑に囲まれ、青い空が広がり鳥が鳴く、誠に平穏な田舎の村と言った感じだ。何処にでもありそうな、長閑な雰囲気だ。

 しかし異常な程、人の気がない。まるで村長のロンパートと、騎士(体としてだが)のシルフィードと自分以外は誰もいないような、本当にそう思わんばかりの閑散さが目立っている。

 

 

「……人は、いる」

 

 人の気はないが、こっちに集中する視線を感じた。

 カーテンのかけられた窓々の奥から流れ込む、好奇とも邪険とも失望とも捉えられる、不特定多数の視線である。

 それらの視線を感じ取ったタバサは、困ったように呟くのだ。

 

「……けど協力者は、得られない」

 

 吐きたくなる溜め息を押さえ、至って無表情な騎士のお付きを演じる事に専念する。

 暫くすれば村長の家へと辿り着き、扉を開けて中へ誘導するロンパートに従い、シルフィードは軽快にお邪魔するのだった。

 タバサは最後まで感じた視線から、まず『期待』はされていないと分析しつつ、入り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今度の騎士様は女性か……」

「何だぁありゃ? 子供連れかぁ?」

「こないだの騎士様は三日でお葬式……今回は二日かねぇ」

「こいつは全然、ロックじゃねぇ! 前の騎士の方がイカしていたぜ!」

「もう国は頼りになんねぇ。なぁ? 俺達の村は俺達で守るんだ」

「怪しいのはやはり、あの占い師の婆さんか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロンパートの家へ上がり込み、ソファにタバサとシルフィードは並んで座る。

 少し経つと、ロンパートは紅茶を持って来て手前に置く。そしてすぐに彼女らと向かい合いで椅子に腰掛ける。優しげな顔が一変し、深刻な面持ちとなった。

 この表情の移り変わりを見たシルフィードも、何処と無く表情が引き締まり、ゆったりとした口調で話を促した。

 

「……では、詳しくお話を」

「はい、畏まりました……」

 

 ロンパートはやや言い辛そうな、嚙み締めるような語り口で吸血鬼による被害の詳細を順を追って説明して行くのだった。

 

 

「最初の犠牲者は……僅か、十二の少女……ルーシーちゃんと言う子です。かわいそうに、木苺狩りの帰りに突然襲われ、あまりに惨憺な姿で息絶えておりました……」

「…………!」

「……血を、吸い尽くされていたのです」

 

 残酷な話にシルフィードは、怒りからか悲哀からか、下唇を噛む仕草を取った。

 

「それから二ヶ月の間に八人もの女性が同様に血を吸われて殺され、一ヶ月前に必死の思いで宮殿へ要請しました。そして王室はすぐに腕利きの騎士様を遣わして下さいましたが……三日後、九人目として……」

「騎士でも手に負えないなんて……」

「かなり狡猾です。騎士様を欺くとは……あ、いや、シルフィード様の力量を疑っている訳ではありませんが」

「大丈夫大丈夫……続けて」

 

 これはイザベラに聞いた通りだなと、タバサは黙って熟考していた。

 花壇騎士はシルフィードが驚く通り、腕利きのメイジよって編成されている……が、同じ騎士であるタバサの目線からすれば非常に微妙だったりする。言うのは、親の威光を受けて入ったようなボンクラがポツポツと存在している。

 騎士隊とは言えど、個々人の実力が上向かい下向かいと一定になっていない側面があるのだ。

 

「吸血鬼は確かに、情無き妖魔です。特に少女の血を好むとあるじゃないですか……最年少の子でも、十にも満たないシャロンちゃんが……子供達も怯え、夜も眠れない日々を過ごしておりました」

「ひ、酷い……!」

「えぇ、極悪非道です……」

 

 心を抉られるような、非常に冷酷で残忍な吸血鬼の悪行。許すまじと、感受性高いシルフィードは膝の上で握る拳の力を強めて行く。

 対してタバサは無表情を崩さなかった。恐らく彼女の視点は、村人を守ると言うより吸血鬼を残滅させる事に置かれていると見えるだろう。良くも悪くも、主たるイザベラの命令に忠実なのだ。

 

「吸血鬼の騒動となってからは夜間出歩く者はいやしなくなりまして……これ幸いと忌々しい吸血鬼め、夜分遅くこっそり家に忍び込み、人血を吸うのです。そして家族は……変わり果てた娘や母の姿を見る事になるのです」

「…………」

「陽に弱い吸血鬼ですので、昼間は森に潜んでいるのでしょう……なので森に入る者もいなくなりまして……宮殿に向かう時も、かなり決死の覚悟でした……しかし……」

 

 ロンパートはやや躊躇ったような風になり、一呼吸置いてから言葉を続けた。

 

 

「……騎士様が亡くなり、すっかり絶望した人々が村を捨ててしまいまして……このままでは、私の曽祖父より続くこのサビエラの村が消失してしまいます。私としましては一致団結すべきだと思っておりますが、如何せん『屍人鬼(グール)』の存在がそれを……」

 

『屍人鬼』のワードに反応したタバサが、やっと締めていた口を開き質問をした。

 

「……グールを、ご存知で?」

「えぇ……この騒動となってからは、嫌が故でも吸血鬼の事を知らねばならなくなりましてね。吸血鬼はグールを一人、使役出来るそうではありませんか。なので村人同士、誰がグールなりやと疑心暗鬼に陥っている始末でして……あぁ、これこそが吸血鬼の思惑と言うのに……!」

「グールなら、その傷があるハズ!」

 

 横からシルフィードが提案するが、ロンパートは力無く首を振る。

 

「ここは森の中の村であります。蛭に虫にと、要因が多いのです。私らもグールを探そうと実施致しましたが、思わしき傷がある者だけで七、八人もいまして……」

 

 予想していた通りとあまり変わらないなと、タバサは冷ややかに思いつつ、これからどう行動するかを頭の中で組み立てている。

 

 

 

 

「あぁ、そう言えば……最近、子供達の間で妙な噂がありまして……これも吸血鬼と関連あるのかと、お聞きしたいのですが」

 

 ふとロンパートは思い出したかのように、話を出した。

 これ以上、新鮮な情報は出ないだろうと思っていたタバサは興味を示し、目を細めて静聴に徹する。話して良いかと彼はシルフィードを見たので、肯定の意も込めて聞き返した。

 

「噂?」

「はい。単なる噂ですが、この噂が子供達に些か光を取り戻させている節があるので、もしかしたら怖がらせたくない一心で誰かが広めたものかもしれませんが……偶然か、この噂が出た頃から幼い子の被害者が出ていないものでして」

「それは、どのような?」

 

 先を促すシルフィードに従い、ロンパートは「はい」と言った後、噂の内容をそのまま話した。

 

 

「……『小さな小さなドラゴンさんが、守ってくれる』」

 

『ドラゴン』に過剰反応したのは、今の姿は人であれど同族たるシルフィードであり、目を見開き驚き声で聞き返した。

 

「え?ど、『ドラゴン』!?」

 

 

 いきなりの大声と過剰反応にロンパートはピクリと背筋を伸ばし、愕然とした表情で彼女を見やっている。

 すぐさまシルフィードは「ごめんなさい……」と謝罪し、半目で睨むタバサの視線に怖がりつつも話を続けさせた。

 

「ま、まぁ……私も今までここに住んでいましたが、ドラゴンなんて見た事ありませんし、まずドラゴンが出没するような地形でもありませんので、いないとは思うのですが……火の無い所に煙は立たない訳でして、どうも何処から出た話かが検討出来ないのです。子供達は口々にその『ドラゴンさん』を呼び親しみ、中には吸血鬼なんか怖くないと、我々以上に気丈な子もいまして」

「吸血鬼が油断させる為に放ったんじゃ……」

「しかし、先程のシャロンちゃん……三人目でしたが……彼女を最後に、幼い被害者がいなくなった事もありまして。実は夜中に出歩き、生きて帰って来た子もいましてね? とても偶然じゃないような気がしてならないのです」

「…………」

 

 

 奇妙な『ドラゴンさん』の噂に、タバサは考えうるだけの可能性と当て嵌めてみた。

 吸血鬼が油断させる為に放った噂、と言うのが一番有力な説だ。その噂を流し、実際に子供は襲わない事で信憑性を持たせて油断させる、と言う事も考えられるだろう。

 

 

 しかし、それは一回限り。油断した子供に一人でも手を出してしまえば、噂は瞬く間に意味を失う。『ドラゴンさん』がいないと言う証明となり、また警戒させる事になろう。

 狡猾な吸血鬼がする作戦にしては、単発的であまり賢いものではない。もっと言えば、子供でなくともそれから六人も殺しており、その一人はメイジだ。力量からすれば、そんな噂を流して油断させる程度の作戦を行使せずとも、問題はないハズなのだが。

 

 

 ならやはり、子供達を案じた村人による根も葉もない作り話か。だが、子供が襲われないと言う実績があり、これもまた妙である。

 人間が新鮮な食物を好むように、吸血鬼もまた新鮮な女性の血を好む。特に若く瑞々しい少女の血は吸血鬼にとってご馳走であり、騒動が起きれば真っ先に少女が狙われると統計されている。しかし今回は二人目のシャロンを日切りにピタリと止めている。

 悠長な話だが、吸血鬼が子供よりも美味い血を持つ年齢層を探し当て、味に目覚めたのだろうか。

 

 

「馬鹿馬鹿しい」とタバサは首を振った。そんなグルメな吸血鬼なぞいてたまるか。

 

 

 

 

「…………」

 

 だが非常に奇妙な噂だ。

 何かが、子供達を吸血鬼から守っているのだろうか。それも吸血鬼に悟られず、見つからず、その上で吸血鬼を出し抜く事もまんまと行って。

 

 

 ……正直そんな奇跡のような存在、信じられるハズがないが。

 だが理由が付かない。不整合でもやもやとするが、一先ずその『ドラゴンさん』が確認出来ないのなら置いておこう。そうタバサは考え、俯けていた頭を上げた。

 

 

 

 

「…………?」

 

 視線を上げたその先に、タバサは誰かを発見した。

 ロンパートの背後にある扉を少し開けてこちらを覗く、小さな人影を見つけたのだ。

 

「……あっ……」

 

 タバサと視線が合い、驚いたのか声を出す。

 その声にロンパートとシルフィードが反応し、二人共にそちらへ視線を向けるのだった。

 

「ん? 誰かいるの?」

「あぁ、『エルザ』かい? ほれ、お入り」

 

 ロンパートが優しい声と手招きで『エルザ』と呼ばれる人物を呼ぶと、ゆっくり扉が開き、部屋へ入って来た。

 

 

 

 

「お、おじいちゃん…………」

 

 怯えた様子で入って来たのは、幼い女の子である。

 ふわりとした金髪で、淡雪が如く白い肌に蒼い瞳がくりくりとした、小動物を思わせる可愛らしい子供だ。

 目に映った瞬間、シルフィードが満面の笑みで立ち上がった。

 

「きゃあ! とっても可愛い!」

「すいません、人見知りをする子でして……大丈夫だよエルザ、この方々は騎士様だ。さっ、ご挨拶しなさい?」

 

 するとエルザは行儀正しくスカートの裾を持ち上げ、硬いながらも恭しくお辞儀をし、挨拶をした。

 

 

「え、エルザ……です……その……よ、宜しくお願いします……」

 

 

 擁護欲掻き立てられる困り顔と、おどおどとした様子。更には人形を思わせる愛くるしい顔立ちと容姿が相まってダイヤモンド砕く破壊力を放っている。

 

 

「いやああああああん!!」

 

 シルフィードはその月まで吹っ飛ぶ衝撃で一発ノックアウトを食らい、脇目もふらずエルザを抱こうと飛び付いたのだった。

 

「もぉぉう! 何て可愛いのぉぉ!!」

「…………?」

「食べちゃいたい! キュイキュイ!!」

「ひぅ!?」

 

 突然迫るシルフィードに、涙目でロンパートの座る椅子の後ろへエルザは隠れてしまった。

 言うより、「キュイキュイ」と本性晒して完全に暴走する彼女を、流石に見過ごせないと踏んだタバサがシルフィードの耳を引っ張り引き戻す。

 

「……シルフィード様」

「ひぃぃぃ!?」

「……少し、お戯れが過ぎるかと……」

「イタイイタイイタイ!? わ、分かった、分かったぁ!!」

 

 そんな二人の様子を呆然とロンパートが見つめる前で、タバサはシルフィードを引き寄せ、耳元で囁く。

 

 

「うぅ……酷い……ん?」

「…………」

「え? あ、あの子も?」

「…………」

「……うん」

 

 タバサからの提示を了承したシルフィードは、少し言い辛そうな表情でロンパートとエルザへ目線を向けた。

 

 

「あの……一応、お二人の体を確認したいの。誰がグールか、調査の前にまずあなた達二人を調べさせて欲しい」

 

 シルフィードはタバサからの命令を、そのまま二人に言い渡す。

 それを聞いたロンパートはギョッとした顔となり、自分の後ろに隠れるエルザをあやすように、背中を優しく叩きながらシルフィードに物申した。

 

「わ、私は構いません! しかし……しかし、この子だけは……エルザだけは勘弁して下さりませんか!?」

 

 今までとはまるで見なかった、とても慌てた様子。

 椅子から立ち、エルザの前で立ち塞がるようにしての懇願。シルフィードに従っていた先程までの彼が唯一断りを入れる程で、ただ単に孫娘を溺愛しているだけではなく、まだ何か別の理由がありそうだなとタバサは見抜いていた。

 

「そ、そうね。エルザちゃんは特べ……」

「…………」

「イタタダダダダ!?」

 

 甘やかそうとするシルフィードに、甘えさせないタバサが見えないように大腿部を抓った。

 怖い我が主人の気迫と体罰に怯え、渋々と言われた事を実行する事にする。

 

「うぅ……れ、例外は認められないの……」

「認められない」

「でも、でも! 本当は勘弁してあげたいの!」

「…………服を脱いで下さい」

 

 これは駄目だと踏んだタバサは、主導権を一時握り、身体検査を実行させた。

 ロンパートは騎士からの命令で、もう物言いは不可だと悟り、悲しげな表情でエルザと視線を合わせる。

 

「うぅ……!」

「……エルザ……」

 

 人見知り、と言うには余りにも異常な怯え様。いつ倒れてしまってもおかしくない程震え、目に涙を溢れんばかりに溜め、化け物でも見るかのような表情でシルフィードを見ていたのだ。

 この様子を見たロンパートは心痛するのだが、少しでも彼女の苦痛を和らげてやろうとシルフィードに条件を付けた。

 

 

「……良いですが、この子の検査は……その、お付きの方にさせて下さい。私は、シルフィード様から受けます」

「え?」

 

 提示された条件を飲むか飲まないかと、タバサを一瞥したシルフィード。

 タバサはコクリと頷き、許可を与えた。

 

「……良いけど、どうしたの?」

「えぇ……いや、その……」

 

 口籠るロンパートだが、待てないタバサはエルザの前に立ち、言った。

 

「……私は『メイジじゃない』。私が検査する」

「……うぅぅ……」

「何処か部屋を借ります……こっち」

 

 タバサがエルザの手を掴むと、怯える様子はそのままだが、ロンパートか離れて廊下まで付いて来てくれた。

 その背後で、ロンパートの心配そうな視線を受けながらも扉を閉めて、遮断させる。

 

 

「…………」

「ご、ごめんね……え、えと、あの子も女の子だし、エルザちゃんには悪い事しないだろうし……」

 

「悪い事しないだろう」と言ったが、相手がタバサである事を思い出し、小さく「多分……」を付け加えた。正直タバサが余計に泣かせるような事を言ったりしないと言う保証がない為、使い魔の身でありながらも猛烈に不安である。

 しかしシルフィードへ向き直ったロンパートは、やはり心配そうではあれど何処か、ホッとしたような表情をしていた。

 

「いえ、ご無礼を……お許し下され」

「い、いいのいいの! こっちもデリカシー……? が、無かったと思うの!」

「有り難う御座います……」

「…………」

 

 だが、あまり察しの良いとは言えない彼女であるが、思い返す限りのエルザの怯え方が、些か常軌を逸していたと言う事は気付いていた。

 気になったシルフィードは、意を決してロンパートに質問する。

 

「あの……エルザちゃん、とても怯えていたの。でも、ちょっとあれは……」

「……えぇ、変に見えたでしょう」

「言い方は悪いけど……かなりおかしいのね」

 

 彼女の質問を受け、ロンパートは少し躊躇する素振りを見せた後、仕方がないと言い聞かせるかのようにエルザの身の上話を始めた。

 

「あのお付きの方も気付いておられのようでしたし、隠すのも悪いですからな……エルザは、メイジが怖いのです」

「メイジが怖い?」

「……実はあの子は、私とは血の繋がりのない、関係上は『養子』であります……」

「え? お孫さんじゃなくて?」

 

 一瞬だけ口を閉めて、黙ろうとしたが、何とかこじ開けるようにして続けた。

 

 

 

 

「……あの子の……エルザの実の両親は……『メイジに殺されて』おりまして」

「…………!」

 

 シルフィードは、絶句してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 別室への廊下を進む最中、タバサは自分の手に引かれるエルザに向かって質問を始めた。

 

「……一つだけ質問する」

「ひっ!……な、なんです……か?」

 

 か細く、消え入りそうな儚い声で何とかエルザは返答に応じてくれた。

 シルフィードよりは幾分か態度が軟化しているので、タバサの思った通り、メイジを恐れていたのだなと確信に至る。

 それは兎も角として、タバサは気になっていた事を彼女に投げ掛けた。

 

「……『ドラゴンさん』って、知っている?」

 

 それを聞いたエルザは、頭をぴょこんと動かし、分かりやすく反応してくれた。

 ロンパートの言った通り、子供達の間で浸透し、信じられている噂らしい。だがタバサにとってこの噂が気になって仕方が無かったのだ。

 

「……どんなの?」

「え、えと……『ドラゴンさん』……『ドラゴンさん』……」

 

 エルザはモジモジとしながら、話してくれた。

 

 

「……私は……見た事ないけど……村の子達がみんな言っていて……」

「…………」

「……『フースイ』で、『吸血鬼から助けてくれる』……って……」

「……『フースイ』?」

 

 余計に分からなくなったタバサ。

『フースイ』……広い知識を持つタバサでさえも、聞いた事のない言葉だった。何かの魔法か、方法か生物か事象か……と、辿ってみれども、やはり聞いた事がなかった。文字通り、何にも当て嵌まらない単語である。

 当て嵌まらないと言えば、彼女が通う魔法学院の秘宝にも、何にも当て嵌まらない単語が書かれていたなと思い出す。恐らくは、何かの言葉が拗れて広まったのか、元々からの無意味語なのかとどちらかだろう。

 

「『フースイ』って?」

「わ、分からない……です……」

 

 彼女は『ドラゴンさん』を聞いてしかいないのだ、知らないのは当たり前かと考えた。

 質問を変える。

 

「……誰から聞いたの?」

「誰から……じゃなく……みんな、言っています……えと、見たって子もいて……」

「……その子の名前は?」

「……『エミリー』……」

 

 それだけ聞くとタバサは「有り難う」と無感情的に言い、会話を切った。

 単なる子供達の噂だ。しかし何か、タバサの勘が「注意深く観察しろ」と言っているのだ。この『ドラゴンさん』が実在するかしないかは別として、何かしら意味を持っているように思えた。

 

 

 村民を襲う吸血鬼と、そこから子供だけを守る『ドラゴンさん』……二つの相反する話と、これからの調査方法を頭の中で練りながら、タバサはエルザの身体検査をする為、適当な部屋へ入ろうとした。

 

 

 

 

 窓の奥に、視線を感じた。

 扉の前で立ち止まり、廊下の奥にある窓を見るのだが、何もいなかった。

 気のせいかと割り切るが、同様の事が村に向かう道すがらで感じた事を思い出す。裾を引く違和感に首を傾げながらも、彼女とエルザは部屋の中へ入って行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ホォ〜。どうやら、オレが見えソウダナ! ファーストコンタクトは、どのタイミングで行うベキか?』

 

 何もいなかった窓の外に、球体のような影が現れ、そう呟くとまたしても消えるのだった。




村長の名前の『ロンパート』は、本作オリジナルです。原作は『村長』だけでしたが、私の趣味で名付けました。気にするなッ!(ジュラル魔王並の封殺)
夜分遅くの投稿、失礼しました。
寝る時は戸締りをしっかりし、吸血鬼に合わぬようにお気を付け下さいませ。
吸血鬼に出会った時は、波紋の呼吸をしてくれ。以上ッ!!


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Dragons dream in slumber.Part 3

 ロンパートとエルザの身体検査は終了した。タバサ自身も分かっていた事だが、二人は吸血鬼でもグールでも無かった。言うのは彼は村長であり、それもかなりの古株。彼の顔を忘れる者など村の中でいる訳があるまいし、グールにするにしては村内で目立ち過ぎる立場であるからだ。彼に一番近い養子のエルザも、その内に入るだろう。

 

 

 

 

 タバサとシルフィードは、村を散策していた。村長から現状を聴取し終えたのであれば、早速動かねばならない。言うのは今はもう昼下がり、あと六時間もすれば夕刻を迎えて、吸血鬼の動く夜に差し掛かる。ちんたらしていては、吸血鬼の初動に追い付けまい。

 

 

「………………」

 

 

 さっきからシルフィードの表情が浮かない。

 一応彼女は今、騎士である。こんな自信の無さそうな表情を他人に見られては沽券に関わる。それに村中には不信と疑心が蔓延っている……一気に信用はアンダーランドまで落ちるだろうに。

 

 

「……そんな表情されては困る」

 

 

 辺りに人がいない事を確認し、ぽつっと短く小さく注意する。

 

 

「あ……ご、ごめんなのね」

 

「目尻を上げる、眉間に力を込める、口角を引き締める。実行しないとお肉……」

 

「わ、わ、分かったから分かったから!!」

 

 

 細かい注文を飛ばすタバサを宥め、シルフィードは溜め息を吐いた。そもそも、肉に自分が呪縛されているのが何とも恨めしいのだが……空腹には勝てない。

 

 

「と言うか、何か食べさせて貰えるって聞いたのね! まだ何も食べてない!」

 

「晩餐まで時間あり」

 

「はぁぁぁ……何で人間って、食事に時間を決めているの? 食べたい時に食べたら良いのに!」

 

 

 うだうだ文句を垂れるシルフィードに目くじらを立てつつも、タバサは彼女に質問をした。

 

 

 

 

「……それで? 何か聞いた?」

 

 

 シルフィードの浮かない表情の原因は十中八九、あのエルザにあるだろう。エルザの身の上話でもロンパートから聞かされたのだろうか。

 一度チラリとタバサを見てから、何故か今にも泣きそうな顔で話し出す。

 

 

「あのエルザって子……両親をメイジに殺されたそうなのね……盗賊になっていたメイジに」

 

「………………」

 

「この村まで逃げて来て、村長さんが保護したそうだけど……そんな悲しい過去から誰にも心を開かなくって、村長さんも笑顔を見た事が無いんだって」

 

 

 タバサが身体検査をしている時、彼女はずっとビクビクと身体を震わしていた。それこそ卒倒せんばかりの怯え様で。

 そんな様子を見るならば、ロンパートから話を聞くまでも無く、昔メイジ基、人間に何かされたのではと想像するのも易し。シルフィードの語ったエルザの過去は、賢明なタバサは予想済みであったので驚きはしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………お姉さまも、笑わないのね」

 

 

 思わず口をついた、シルフィードの言葉。

 タバサはその言葉を聞かなかった振りをし、相も変わらない仮面の表情で真っ直ぐ道を見据えている。

 

 

(私は人形、私は人形)

 

 

 先導するシルフィードの背中を見ながら、彼女は自分に言い聞かせるように、そのワードを復唱した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、二人がまず向かったのは、三人目の犠牲者で、そして子どもの犠牲者としては最後となったシャロンの家である。彼女は家の中で血を吸い尽くされ、殺されていたそうだ。

 

 

「すいません……今回の件で、すっかり姉は寝込んでいまして」

 

 

 応対したのは、シャロンの叔父である。

 シャロンの父親は数年前に他界しており、残った母子の世話を、母親の弟である彼が見ていたそうだ。

 

 

 しかし、唯一の血の繋がった娘が吸血鬼に殺され、母親は酷いショックから病気がちになった。そんな重い経歴を聞いて、シルフィードの気分はまた落ち込んでしまう、と共に吸血鬼への怒りも増して行くのだ。

 

 

「気にしなくていいの……吸血鬼は必ずやっつけるわ」

 

「……えぇ」

 

 

 叔父の様子から、あまり期待しているようには見えない。それはやはり、前の騎士がやられた事による失望があるのだろう。

 彼は幾分、弁えてはいるが、その内心は王家への失望と共に悲しみもあるだろうに。

 

 

「兎に角、家の中を調べさせて貰うから……えぇと」

 

「………………」

 

「うっ…………ほ、ほら! 私の命令ですわ、調べなさい!」

 

 

 ギクシャクとした言葉で、威圧的にタバサに命令を下す。村民に対し、タバサが従者であると言う印象を与える為にわざとそうした口調で言い付けるのだ。

 ただその内心は、「ごめんなさいなのね!」の連打だろう。

 

 

 

 

「当時の状況を教えて欲しいの。辛いでしょうけど、こちらも手立てを見つけたいし」

 

「はい……えぇと、窓を見て貰えたら分かりますが……」

 

 

 窓には二重三重と、木の板が打ち付けられている。板と板の隙間でさえも、子ども所か雀一匹も入らない程に厳重だ。

 

 

「あの通り、厳重に窓は全て閉鎖していました。シャロンが安心して眠れるように、寝ずに見張りをしていたのですが……急に、記憶が……」

 

「それは『眠り』の先住魔法ね。【風】の先住魔法としては初歩だけど、威力はワイバーンさえ眠らせる程なの」

 

「あぁ、やはり私は術に嵌っていたのですか……そんな魔法を使う化け物に、勝算はハナから無かった訳か……」

 

 

 彼のその言葉は、本心であろう。もう彼には守る者が無くなったのだ、肩を落として項垂れる様はまだ若い彼を随分と老けさせている。

 

 

 

 

「しかし……ドアも窓も全て、封鎖していたのですよ。何処から入り込んだのでしょうかね」

 

 

 曰く、封鎖した箇所には破壊の跡は無く、まるで壁からすり抜けて入って来たかのように、形跡を残す事なく侵入したとの事。

 

 

「うーん……それは奇妙ね……吸血鬼はそこまで高等な魔法は使えないし……」

 

「そうなんですか?……じゃあ、俗に聞く蝙蝠になって……と、言うのは……?」

 

「迷信よ。何かに化ける先住魔法なんて、使える生物はそうそういないわ」

 

 

 まぁ、貴方の目の前にいるんですけどもと、シルフィードは胸を張って自慢げな表情となる。叔父は何の事か分からず、ぽかんと彼女を見ていた。

 

 

 

 

 さて、タバサは何をしているかと思えば______

 

 

「…………」

 

「………………」

 

「……何、しているの?」

 

 

______煙突と直結している暖炉に、頭を突っ込んでいた。服は煤に塗れ、何か探しているかのように煙突内部を覗き込んでいるようだ。何でなのかは分からないが。

 

 

「…………お、おほん! タバサ、何で暖炉なんか調べているの!?」

 

「……煙突から侵入したのではと、考えたものでして」

 

「そんな細い所から入る訳ないじゃないの!? 汚いからやめなさい!」

 

 

 汚れた主人を哀れに思ったシルフィードに叱られ、タバサは渋々と暖炉から頭を抜き、服を叩く。

 

 

「兎に角、吸血鬼だって肉体はあるんだから、何の形跡無しに入り込むなんて不可能よ。何かしらの跡があるハズ……」

 

「では、別の部屋を見ますか? こことは別に、物置がありますので」

 

「是非とも、案内して欲しいの」

 

 

 叔父が先導し、シルフィードは居間を後にしようとする。チラリとタバサへ目配りさせ、部屋から出る事を催促させる。

 服から煤を落とした彼女は、暖炉に背を向けて、シルフィードに続こうと足早に去ろうとした。

 

 

 

 

 その時、外から怒号が響く。それも一人や二人では無く、十人以上の罵倒。

 気になったタバサは、木の板を打ち付けられた窓から、声の先を目で追った。彼女の聴覚は、とても機敏である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空はもう、夕方に落ちて行く。橙色が村を染め上げて行く綺麗な黄昏時だが、今の吸血鬼騒動の最中では地獄の前触れとなりすっかり恐れられてしまった。

 

 

 夜へ近付くほどに不安の種が強まる村人たちは、自棄でも起こしたのか、松明を手に取りとある家を包囲している。村の少し外れにある、乾燥した暗色な木の家だ。

 

 

「やい! てめぇが吸血鬼なんだろ!? 出てきやがれッ!!」

 

「夜な夜な女を襲うたぁ、ロックじゃねぇ!! 夜まであと数十分、必死になるよォ〜〜ォ!!」

 

「吸血鬼を倒すと心の中で思ったなら! その時既に包囲は終わっているんだッ!!」

 

「いるのは分かってんだ!! 正体を現せ!!」

 

 

 半暴徒と化した村民たちは、石を投げ付け窓ガラスを割る。彼らの目には殺意と憎悪しか無く、それらが一点に集中した家からは一人の男性が飛び出して来た。

 

 

「誰が吸血鬼だッ!! 辞めやがれ、この野郎どもッ!!」

 

 

 男は精悍な顔立ちをした、大柄の中年。村人たちを止めようと出て来たようだが、更に罵言は強まるばかり。

 

 

「出たな、グール!! 分かってんだ、おめぇのババァが吸血鬼だろ!?」

 

「何の根拠があってそう決め付けてんだ!? おっかぁは吸血鬼じゃないぞ!!」

 

「そうか、なら何で昼間にゃ姿見せねぇんだ!?」

 

「病気なんだ! ずっと言って来ただろうが!!」

 

 

 どんなに男が説明しても、村民たちの押し問答は続けられる。

 

 

「誰の言い分で俺らを疑うんだ!?」

 

 

 

 

 怒れる彼らを割って、一人の青年が姿を現した。

 

 

「よぉ、『アレキサンドル』……観念するんだな」

 

 

 青年はグールの疑いを掛けられている中年男性、アレキサンドルに話し掛けた。

 彼を見たアレキサンドルは確執があるか、納得したかのように青年の名前を呟く。

 

 

「…………薬草師の『レオン』……またてめぇか……!」

 

「お前らは数ヶ月前に来た『余所者』……そして、お前らの来たタイミングでのこの騒動だ。疑わねぇ訳ねぇだろ?」

 

「何回言わせる!? おっかぁの療養だと、何度も何度もなぁ……!!」

 

 

 冤罪を主張するアレキサンドルだが、一向に場は鎮まらない。村民全てが、このレオンの言い分を信じ、彼の母親を吸血鬼と疑っているのだ。

 

 

「なぁにが、療養だ」

 

 

 レオンは呆れた様子で語る。

 

 

「太陽光で皮膚が焼けちまうからだろ? 日中出てこねぇのはよぉ!!」

 

「……い、言いやがった、な……て、テメェェ!!」

 

 

 あくまで吸血鬼扱いをするレオンに、アレキサンドルの堪忍袋がはち切れた。軒先の壇上から飛び掛かり、レオンを殴り付けようとする。

 

 

 

 

「おいおい、そんな生っちょろい飛び掛かりじゃあ、笑ったモノか欠伸しかモノか!」

 

「このマンモーニがッ!!」

 

 

 その彼を取り押さえたのは、二人の男性だ。飛び掛かった彼に突撃し、身体の大きいアレキサンドルとは言え二人の男性を押し切れずに地面に伏せられる。

 

 

「……ッ! ち、畜生どもめッ!! 呪われろッ!!」

 

「呪われるのはお前らの方だろ?」

 

 

 レオンは押さえられたアレキサンドルの元へ近付き、彼の襟を引っ張った。

 

 

「みんな見ろ!! こいつの首筋を!! 牙の痕がある、グールの証拠だッ!!」

 

 

 彼の言う通り、確かにアレキサンドルの首筋には二つの小さな穴傷がある。何かに噛まれたような傷だ。

 

 

「アホか!! これは山ヒルに噛まれた痕だと…………!」

 

「そうかも知れねぇが、お前らには要因が多過ぎる。白状するんだな!!」

 

 

 誰も彼の言い分を信じない。取り押さえられ、悲観に暮れるアレキサンドルはただただ怨恨の篭った視線でレオンを睨み付けるばかり。

 

 

 

 

 アレキサンドルを伏させ、気分でも乗ったのか、レオンは玄関先を蹴飛ばしてドアを開いた。

 

 

「今から証明に入ろうか! オラァ、吸血鬼出てこいッ!!」

 

「辞めろよ!! おっかぁは朝から具合が悪いんだ!?」

 

 

 言い分など聞き入れない。レオンは数人ばかりを連れて、ズカズカと家の中へと突入する。その手には桑や鉈が握られ、彼の母親に何をしでかすか分からない物々しさがある。

 アレキサンドルは不甲斐なさからか、悔しさからか、涙を流した。もう彼の口からは雄叫びしか放たれない。

 

 

 

 

「い、いい加減にしなさぁぁぁぁいッ!!!!」

 

 

 そんな最中に響いたのは、女性の甲高い声。声の主はシルフィードである。タバサはいない。

 雄々しい声たちの中で彼女の声は一際目立ち、レオンらの足を止めた。

 

 

「何をしているの!? 喧嘩は許さないのね!」

 

 

 村民は彼女の身なりを見て、すぐに吸血鬼退治に来た騎士だと合点が付いた。

 

 

 

 

 合点は付いたのだが、その表情は訝しげ。

 

 

「……本当に騎士か?」

 

「なんちゅーか……威厳がねぇって言うか……」

 

 

「!?!?」

 

 

 彼らの言葉に、軽くショック。例えるなら、信じていた恋人に裏切られて冤罪を着せられたようなショッキング。いや、それは流石に重過ぎる、せいぜいトイレの便器から豚が顔を出した様を見た時のショックだろうか。

 

 

 それは兎も角とし、シルフィードは『風韻竜』としてのプライドから、「威厳がない」に徹底的に対抗した。

 

 

「ちょ、ちょっとそれは聞き捨てならないのね!! これでも、名の知れたメイジなの!!」

 

「話し方がもう、なぁ……」

 

「!?!?!?」

 

 

 再びショックを受ける彼女を他所に、騒ぎを聞きつけたレオンがシルフィードに話し掛ける。

 

 

「丁度良い! 騎士様、この家を調査してください! この家に住んでる『マゼンダ』ってババァが吸血鬼なんだ!!」

 

「だから違うって言っているだろうが、分からず屋め!!」

 

 

 レオンの訴えとアレキサンドルの叫びを同時に聞いた彼女は、この騒動の第三者として中立的な視点から話を聞けれた事は幸いであろう。二人の言い分を聞き、少し事態を整理してからシルフィードは場を鎮める為に集結者全員へ言い渡す。

 

 

「兎に角、後は私が調べるから! 仮にその家に住んでいるお婆さんが吸血鬼なら、家の中に入るのは危険なの!」

 

「ん……確かに……」

 

 

 シルフィードの言い付けに納得したレオンたちは、早々と家から出る。その様子を見て一先ず、シルフィードは一息。

 

 

「ほら、その男の人を離しなさい! 出ないと、魔法を使っちゃうわよ!」

 

 

 そう言い、シルフィードは杖を向けるものの、取り押さえている二人は呆れ顔。

 

 

 

 

「……なんか、本当に魔法使えんのかぁ? 全然ロックを感じねぇぞ!」

 

「メイジってのは、一々魔法を使うなんて言葉は使った事ねぇと聞く。何故なら、それを心ん中で思った時には魔法を使うからな」

 

 

(え、そうなの!?)

 

 

 一方の言い分に、シルフィードはギクリと身体を震わせた。

 メイジは杖を持っていなければ魔法は使えないと同様、シルフィードも人間に化けている間は魔法が使えないと言う制約が課せられているのだ。つまり、今の彼女は平民同然であり、ここで「魔法を使ってみろ」と言われたら何も出来ないのだ。

 

 

(ひ、ヒィィィ!! お、お姉さまは何処なのぉぉ!? きゅいきゅい!!)

 

 

 いつの間にかどっかへ行ってしまったタバサを心の中で求めながら、彼らの意思を死刑宣告のように待つ。

 

 

 

 

「まっ! 疑わしきは罰せずと言うし、オレはロックに従うぜ!」

 

(……ロックって何だろう)

 

 

 厭にハイテンションな村民と、兄貴的風格を持つ村民の二人に少し困惑したものの、シルフィードの見ている前でアレキサンドルは解放された。

 どうやら、「私が調査する」と言う彼女の申告だけで満足を得られたようだ。誰にも気付かれないように、ホッと一息。

 

 

「これで吸血鬼も終わりだな」

 

「いや、あんな騎士に任せて良いのか? 明日にゃ葬式だろ」

 

「ともあれ何かあるなら、今夜起こるだろ……起こって欲しくねぇが」

 

「オレたちザビエラ村の村民は、反省すると強いぜ?」

 

「成長しろ。成長しなきゃあ、俺たちはこの悲劇を跳ね返せねぇ」

 

 

 口々にぼやきを入れながら村民たちは、ゾロゾロと家路へ向かう。気が付けば、月が昇り始めていた頃であった。

 

 

 

 

「ケッ……絶対に吸血鬼のハズなんだ」

 

 

 彼らの中心的人物であった薬草師のレオンも、そう吐き捨て、去って行く。ものの一分もしない内に、村外れのこの場所から人はガラリといなくなり、静寂が場を支配する。

 流れて行った人々の背中を見つめるのは、シルフィードとアレキサンドルだけ。

 

 

「大丈夫? 結構強く地面に押し付けられていたけど」

 

「だ、大丈夫……です。有り難う御座います、騎士様」

 

 

 アレキサンドルは涙を拭いながら、のっそりと立ち上がる。立ち上がると、溜め息が溢れた。

 

 

「……あのレオンって奴が、おっかぁが吸血鬼だって皆に吹聴したんです。俺らは余所者で、おっかぁは病で外に出ないって事だけを見て、決め付けやがったんだ」

 

 

 彼はギリッと奥歯を噛んだ。

 シルフィードはまさかと思い、その時のアレキサンドルの口内を見やったが、吸血鬼らしい牙は見受けられなかった。

 

 

「そうだったのね……狡猾な吸血鬼はまず、人間の疑心暗鬼を起こさせる事を楽しむの、アレじゃ思う壺なのに」

 

「…………えぇ」

 

 

 大男、アレキサンドルの背丈が妙に小さく見えた。それは吸血鬼と疑われ、糾弾されて来た心労から背中を曲げていたからだった。そんな彼の姿を見ていると、シルフィードはまた居た堪れない気持ちとなる。

 

 

 

 

 

 

「騒がしいねぇ……どうしたの、お客さんかい?」

 

 

 すると、家の玄関から嗄れた老婆の声が聞こえて来た。

 杖を突き、覚束ない足取りで玄関先から顔を出した彼女は、蹴飛ばされて破壊された扉や、石を投げ付けられて割れたガラスを見て驚いた顔をしている。

 

 

「あぁ、アレキサンドル……また、なのかい?」

 

「……おっかぁ……」

 

「……困ったものだね」

 

 

 この老婆が、アレキサンドルの母親であり、村民から吸血鬼の疑いをかけられているマゼンダだ。マゼンダはアレキサンドルに目を向けた後、彼の隣にいるシルフィードに気が付き会釈する。

 

 

「見慣れない方ね……こんにちは」

 

「おっかぁ、もう夜だよ」

 

「あ、もう夜かい……ずっと家に篭っていては駄目だね……ケホケホ」

 

 

 マゼンダは咳をする。病気持ちと言うのは本当らしく、とても弱々しい。

 

 

「それで……その方は?」

 

「あぁ……この村に吸血鬼退治に来た、騎士よ」

 

「あらま、騎士様で。これはこれは、失礼をば致しました……私は占い師をやっています、マゼンダと言う者です」

 

「ご丁寧にどうもなのね」

 

 

 シルフィードも彼女に挨拶を交わした後に、早々に言う。

 

 

「お婆さんも分かっている通り、村の人たちから吸血鬼だと疑われているの」

 

「……存じております」

 

「だからその……取り敢えず、お話だけでも聞かせて欲しいわ」

 

 

 マゼンダは一度、息子のアレキサンドルを見やる。

 

 

「……おっかぁ、騎士様の話は聞いていた方が良い……もしかしたら、疑いが晴れるかもしれないしな」

 

「えぇ、お前が言うなら、そうするよ……あぁ騎士様、こんなボロ屋ですが、立ち話もなんです、お入りになすってくださいな」

 

 

 先へ促す彼女を合図に、シルフィードはおずおずと家の中へ入って行く。

 ドアは留め具が壊れ、蓋のようになってしまっている。屋内に入った時に、アレキサンドルが疲れた表情でそれの修理に入ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シルフィードが吸血鬼の疑いのあるマゼンダ宅へ行っている最中、タバサは近辺の家々を見て回っていた。

 こう言った田舎の村の家と言うのは特別、大小なりの差異以外にはどれも似たような造りの家ばかりだ。どの家にも煙突があり、木の板の打ち付けられた窓にと、統一されていた。これでは一度、侵入出来る方法が割れてしまえば、どの家にも吸血鬼が入ってしまいかねない。

 

 

「………………」

 

 

 村はもう、寝静まったかのようだ。夕刻少し過ぎと言うのに、もう誰もいない。

 タバサがここを出歩く前に騒動を聞き付けていたが、敢えて行かなかった。あぁ言う暴徒には、何を言っても無駄だと知っていたからだ。

 

 

 

 

 代わりとして、彼女は村の全体図や特徴を記憶しに入る。小さな村であるので、地理は大方頭には入ったのだが。

 

 

 

「さぁ夜だ、家族を守らねぇとな……」

 

「こんな時に言うのは不謹慎かもだが……またぐっすり眠りたいよ」

 

「あ〜、またロックが聞きてぇなぁ……この村は全然ロックを感じねぇ」

 

「ここまで歩くと、沢山息をする……カロリーを消費するから、体温が上がるな」

 

 

 ふと、タバサの後方にゾロゾロと家路につく集団の姿。タバサには、あの時にいた暴徒たちだと分かった。

 彼女は夜になり根気が折れたのかと程度にか思っていなかったが、まさか自分の使い魔が場を納めてくれたとは思うまいに。

 

 

 

 

 疲れた顔の集団が家々へと消え去った時、甲高い笑い声が飛び込んで来た。そちらへ目を向けると、こんな時間だと言うのに子供たちが五人ばかり、外で遊んでいた。しかも吸血鬼が好みとする、少女が一人。

 

 

「こ、こら! 家の中に入りなさい!! 吸血鬼が来るわ!!」

 

 

 すると母親たちが、子供たちに忠告をする。少し前までは時間を守らせる為の子供騙しも、今では現実味を帯びていた。

 恐怖に歪んだ表情のまま、母親たちは子供たちをそれぞれの家へと連れ込んで行く。

 

 

 

 

 しかし手を引かれる少女は、イヤイヤと拒絶した。

 

 

「やだやだ! まだ遊ぶの!」

 

「馬鹿言わないで!! さぁ、早く!! 今、吸血鬼がいるって、説明したでしょ!? 血を吸われて死んじゃうのよ!?」

 

「もう大丈夫だよ、吸血鬼なんて怖くないよ!!」

 

 

 無理やり家へと引っ張られるその少女は、声高々に訴える。

 

 

 

 

「だって、『ドラゴンさん』が守ってくれるもん!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 マゼンダの家に入ったシルフィードは、彼女の妙な様子に気が付き、声をかけた。

 彼女は時折、締め切られたカーテンを少し開き、誰かを待っているかのように外を覗いては、祈るかのように手を組むのだ。アレキサンドルのいる軒先とは真逆なので、彼を待っているとは思えない。

 

 

「?……お婆さん、息子さんの他に誰か待っているの?」

 

 

 シルフィードの問い掛けに、マゼンダは微笑みながら頷いた。

 

 

 

 

「えぇ……と言っても、騎士様に信じてくださるか……実は、数ヶ月前から、『精霊のお友達』が出来まして……」

 

「……え?」

 

 

 呆然とするシルフィードに、マゼンダはその『精霊』の名前を言う。

 

 

 

 

「……『龍の夢(ドラゴンズ・ドリーム)』と言う、名前なんですがね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『龍の夢(ドラゴンズ・ドリーム)』が守ってくれるんだもん!!」

 

 

 タバサは少女の言ったその名に、強く反応する。

 

 

 

 

 何処からか、嬉しそうに笑うような声が聞こえたような、気がした。



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zerolion
プロローグ:杜の街の探求者、来る。その1


「運命」。

 

 それは神の意思か、偶然の産物か。ともあれ人の一生とは、物語のように決められたものなのかも知れない。

 盤上のゲームの勝敗も、殺人鬼との遭遇も、はたまた手の上に乗った林檎でさえも…………全てはプログラム通りに組まれ、ただ時期が来ただけで起こった巧妙なストーリーなのかもしれない。

 避けられる事のない、絶対的な神の手。軍人将棋のように、見えない何かが駒を動かして行くだけ。その様を人は、流れの中で生きて行くだけなのだ。

 

 

 しかし、そんな物はただの後付けだ。

 見えもしない「運命」を、何故決められた事象として認めなくてはならないのか。誰が決めたのか。

「人生」とは決定の連続である。その決定の結果を「運命」として納得させるのであれば、それは心が死んではいないか。

 

 良い事も悪い事も、「運命」で片付ければそこまでだ。誰もその先の、「運命の先へ」は考えないからだ。

 終点を「運命」と位置づけ、満足してはならない。完結の理由として「運命」を引き出しにしてはならない。

 

「運命」と感じた時、それは「始まり」である。「運命」とは、「これからの事象を認めて突き進む、覚悟と使命の心」である。本来的な意味とは違ってしまうが、少なくともここではそう、定義しよう。

 

 

 

 これは、そんな「奇妙な運命」を背負わされし、とある青年の『呪いを解く物語』でもあり、とある少女の『意味を探す物語』でもある。

 定められし運命に助けあれ、祝福あれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 春の訪れは、陽気を注ぐ太陽の温度と、爽やかに吹き抜ける春風が知らせてくる。それらをたっぷりと浴びて上機嫌に揺れる彩り豊かな花々は、春を一層感じさせる良き脇役として成立していた。

 空は高く、壮大なスカイブルー。白い雲は、広い空の良いアクセントにもなっているように、形綺麗に流れていた。

 

 

「サラマンダーを召喚したようだね…………コントラクト・サーヴァントも成功のようだ、お見事! ミス・ツェルプストー!」

 

 そんな春の中、嬉しげに感嘆する男の声があがった。

 青々と茂る草原は風に触れられ規則正しく揺れる中、黒いマントを羽織った少年少女が輪になって整列していた。その輪の中心には、彼らの監督役と思われる、頭髪の乏しい眼鏡をかけた中年男性と、紅い髪を靡かせた背の高い美少女が立っている。

 少女の前方には、紅い、巨大なトカゲのような生物が佇んでいる。しかし、獰猛そうな見た目に反して、まるで主人になつく猫のように喉を鳴らして、少女に頬を擦り付けている。

 

「流石はキュルケだ!サラマンダーを召喚するとはなかなか出来ないぜ!」

「オイオイオイオイオイ……ありゃあひょっとすると、火竜山脈の種類じゃあないか? …………なら高値がつくぞ…………」

「凄いなぁ……俺もあれほどのものを召喚したかったよ…………」

「分かっていたけど、これで彼女の属性は【火】と判明したね」

 

 ギャラリーである周りの者たちは、一斉に賞賛の声で彼女を持て囃した。それに気を良くしたのか、得意気に微笑みながら手を振り、サラマンダーを従えて輪の中心から離脱した。

 彼女がギャラリー側になっても暫く、彼女の両側にいた少年少女たちからの賞賛は止まなかった。少しざわめいた空気を、監督役の男は咳払いで静める。

 

「えー、次は…………モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ!」

「は、はい!」

 

 紅い髪の少女と入れ替わりに中心へ向かうのは、金髪の少女。やや緊張しているような、固い表情だ。

 

「それでは、召喚を行いなさい」

「…………はい!」

 

 息を吸い込み、吐き出した頃には、意を決したようにキッとした、凛々しい表情になっている。そして杖を構えると、一言一言の呪文を唇から紡ぎ出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 鼻血の出ている鼻腔を塞ぎ、彼は何かから必死に逃げていた。

 いや、逃走を含めた上で、誰かを探しているようにも見える。車の往来する車道脇を、全力で走っていた。

 

(危なかった……! 東方(ひがしかた)常敏(じょうびん)、侮れない…………!)

 

 呼吸が苦しくなって来て、鼻血が止まった事を確認した上で指を離す。そして、つい先程までの事を思い出しては、ゾッと背筋が冷たくなる。

 

(熱を与えるスタンド……まだ謎は多いが、これに気付いて良かった…………でないと、スプリンクラーを動かせられなかったからな…………)

 

 流石に呼吸の苦しさが限界に到達し、一度彼は速度を緩めた。しかし、足は止めない。彼には探し人がいる。

 

(恐らく、オレたちの目的は常敏に悟られた……つるぎちゃんに万が一の事があったら…………!)

 

 満足に呼吸を戻す前に、彼は再び走り出した。

 

 

 

 

 しかし、呼吸を戻す際に視線を下げたのが失敗だったか。目の前にある「光」に気付く事はなかった。

 

「んっ!?」

 

 五芒星を中心に張り付けて空中に浮かぶ『光の壁』に、彼は片足は突っ込ませていた。唐突の出来事に思考が回らず、一瞬面食らった。その一瞬が、全てを決めた事になるとは、彼は最後まで気付かない。

 

「うお、うおおおおおおお!?」

 

『光の壁』に入った片足は、とてつもない力で引っ張られ、体はズブズブと「光の壁」の中へと吸収されて行く。踏ん張って引き抜こうとするも、『光の壁』に入った体は一体化してしまったように、全く微動だにしなくなっていた。

 

「す、スタンド攻撃か!?」

 

 すぐさま辺りを見渡すも、人が歩いていない。この場には自分一人だけだ。

 

「本体は何処だ!?」

 

 体はまだまだ『光の壁』に吸収されて行く。とうとう、左半身が壁の中に入ってしまっている、一刻の猶予はない。

 

 

「『ソフト&…………!?」

 

 何かを言い切る前に、彼は一気に『光の壁』の中へと完全に取り込まれてしまったのだった。

 

「うあああああぁぁぁぁぉ!!??」

 

 同時に意識は、久遠の闇へ落ちるようにシャットダウンする。

 最後に残ったのは、自分の為に色々と良くしてくれた、ある女性の顔……………………

 

 

康穂(やすほ)…………!!」

 

 

 

 

 

 

 軽い音と共に、何もない空中で煙が現れる。

 その煙の中から、一匹の蛙が顔を出した。

 

「ミス・モンモランシも無事に成功だ。…………よし、これで君の属性は【水】に決まった」

「はい!」

 

 召喚の儀式に成功し、緊張に固まっていた表情は安堵で緩んだ。息を吐き出し、彼女もまたギャラリー側へと戻って行く。

 

「やったねー! 愛しのモンモランシー!!」

 

 一人の少年の呼び声に反応し、恥ずかしそうにしながらも手を短く振った。蛙は彼女にすっかりなつき、肩に乗って頬擦りをしている。

 

 

「さて、次で最後か…………」

 

 そう言うと、一旦は静かになっていた場が、ヒソヒソと再びざわつき出した。小馬鹿にしたニヤニヤと、嘲笑するような顔をしながら、『最後の一人』に注目する。

 

「あーあ……またどうせ失敗するっての…………」

「オイオイオイオイオイオイオイオイ…………後回し後回しになって何回目なんだ? あの子は」

「出来るのかしらぁ?」

「ま、どうなるか見物(みもの)だな」

 

 空気は今までの人たちよりも、随分とアウェイな雰囲気になっている。そして、誰しもが『最後の一人』に対して憐れやら見下しの類いに当たる言葉を口に出す。

 

 

 そんな幾分、淀んだ空気の中で、『最後の一人』が輪の中心へと一歩、進み出したのだった。

 

 

「…………ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール!」

 

 監督役が何度も言った、『最後の一人』の名前を読み上げる。すると、桃色の髪を靡かせた、小さな少女が高らかに返事をする。

 

 

「はいッ!!」

 

 表情は、先にやったモンモラシと呼ばれる少女よりも凛々しい顔付きとなっていたが、可愛らしい顔立ちとはややミスマッチしているように見え、キツそうな印象を受ける。

 緊張しているようで、杖を握る手に力が一段とこもる。

 

「……ミス・ヴァリエール、もし、疲労があるのであれば、また後日でも良いが…………」

 

 ここまで何度も失敗しているらしい、彼女に気遣いの言葉をかけるが、杖を構えて深呼吸している本人は、更々降りるつもりなんかないらしい。

 

「お気遣い感謝いたします、ミスタ・コルベール…………大丈夫です……!」

 

 それだけ言えば、目を瞑り、精神の統一に入る。

 これ以上の気遣いは野暮だと分かり、監督役の男性は静かに、少女の成功を祈る事にしたのだった。

 

 

 深く吸い込み、深く吐き出した。

 緊張状態の精神は鳴りを潜め、段々と落ち着いて来る。心拍数も、ゆったりとしたものと変わって行った事を感覚として、実感した。周りの声など、もう聞こえないし気にしない。

 

(…………良し、いける…………!)

 

 何度も失敗して恥をかいてしまえば、開き直って逆に落ち着いてくるものだ。今この瞬間、儀式を執り行うには最高の、ベストコンディションの状態に彼女はなっている。

 

 数秒の沈黙の後、とうとう何度も唱えた召喚の呪文を言い出した。

 

 

「…………我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール…………」

 

 偶然だろうか、風が止まった。

 

 

「五つの力を司るペンタゴン…………」

 

 偶然だろうか、白い鳩が三羽、頭上を飛んだ。

 

 

「我の運命(さだめ)に従いし…………!」

 

 詠唱が終わりに近付けば、語気に力が宿って行く。この時彼女には、ある種の「確信」が心に芽生えていたのだった。

 

 

 

 

「使い魔を召喚せよッ!!」

 

 一瞬の閃光の後、巨大な爆発が発生した。

 

「うわっ!?」

 

 唐突の爆音と爆風に、その場にいる者全てが悲鳴をあげた。それを火切りにしたのか、止んだ風はまた吹き出し、鳩は全力で遥か大空へと逃げていった。

 

(ど、どう!? 成功したでしょ!?)

 

 巻き上げた粉塵を服の袖で防ぎつつも、ギロリと飢えた獣が如く爆心地は凝視する。

 爆風で吹っ飛んだ雑草の下の、赤茶色い土が露出している。そして次第に次第に、煙は晴れて中心部が姿を現し出したのだった。

 

(こ、ここまでは通過点よッ…………! さぁ、今に見てるといいわ……きっと物凄いのが……!!)

 

 更に凝視してみれば、中心部に何か影が見えた。

 石だとか、そんな物質じゃない、ずんぐりとした丸い何かが煙の中に存在しているのを彼女は確認。

 

 

「来たぁ!!」

 

 全身が歓喜に打ち震えた。失敗続きの彼女はとうとう、召喚の成功を激しく確信した。

 あまりの嬉しさに、晴れ切っていない煙の中へ突入し、影へと向かって走り出した。

 

 同時に春風が強めに吹いて、煙は晴れていった。

 

 

 

 

 

 

 

「…………は?」

 

 爆発で出来たクレーターの中で、くの字で倒れるその正体を見て、少女は間抜けな声をあげた。

 ドラゴンか、グリフォンか、意気揚々と近付いてみればその姿は非常に奇妙な存在。まず、全身が真っ白い服に纏われ、黒髪の頭には水兵帽が乗っかっていたのか、ポロリと寂しく地面に落ちていた。

 奇妙な服には奇妙な事態、彼女が召喚したのはドラゴンのような高位なものでも、蛙のような下位なものでもなんでもない。

 

 

 

 クレーターの真ん中で気絶している、その白い存在はもれなく彼女と同種、「人間の男」であった。

 

 

「う…………うぅ…………」

 

 小さな呻き声をあげた後、その青年であろう、若い男はゆっくりと瞼を上げた。黒い瞳が彼女を捉えると、ぼうっとした表情でゆっくりゆっくりと上半身を上げた。

 

「…………」

「…………」

 

 暫く見つめ合ったのち、少女の方から口火を切った。

 

 

 

 

「…………あんた……誰?」




人生で一度やりたかった、『ゼロ魔』と『ジョジョ』のクロスですよクロスですよ。
私をクロスSSに引き摺り込んだ『ゼロ魔』と、私の聖書(バイブル)である『ジョジョ』ですんで、書く側からしても楽しみです(笑)
『ゼロ魔』の電子書籍を購入しようと、Googleの癖に間違えてiPhoneのプリペイドを買って六千円水に流すなどのアクシデントを越えて、ここにいまするんでね、宜しくどうも。


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プロローグ:杜の街の探求者、来る。その2

創作意欲がある内に、書いて行くスタイルとやらです。
弟とオラオラ無駄無駄しとりました。


 少女は困惑していた。

 それもそのはず、ありのまま起こった事を説明すれば、『動物などの人間以外の生物』を召喚する魔法で、『人間の男』を召喚したのだから。人間以外を召喚出来る魔法なのに人間を召喚するとは、何を言っているのか分からないとは思うだろう。つまり、そう言う事なのだ。

 

 

「……………………」

 

「あんた誰?」と、彼女の問い掛けに丸っきり無視をする青年。いや、完全に無視を決めている訳ではなく、黙ったままジィッと、少女を見つめていた。

 

「ちょっと!? 質問に答えなさいよ!!」

 

 ともあれ、問い掛けに答えない所は『無視』と捉えたので、少女は歓喜から一転、怒りが込み上げて来た。つい、彼女は怒鳴り付けてしまう。

 

 

「……………………」

 

 青年はダンマリを決め込む。

 珍しいものを見るような好奇の目でも、鬱陶し気な冷めた目でも、下心のある色目でもない。この通り、『目は口ほどに物を言う』とのことわざを表すが如く、目に関係した言葉は色々とある。

 

 しかし、少女を見る、やや下がり目な瞳には、何の感情を抱かせていないのだ。もちろん、彼女を見つめているのだが、彼女を透かして後ろの空でも見ているような、焦点の合わない目をしていた。

 怒りに燃え尽きるほどヒートした彼女だが、この何とも言えない目で見つめる彼に対して、不気味に思う感情が顔を出している事に気が付いた。

 

「な、何なのよあんた…………わ、私の顔になんか付いてるの?」

 

 不気味と言う感情は、別に言えば恐怖している事にもなる。プライドの高い性格なのだろうか、その感情を悟らせたくないが為に、反動形勢的に強気な態度で話す。

 だが、お陰で頭も慎重な思考になり、幾分かクールになった。怒鳴り散らして喉を痛めるなんて事にはならなかった。

 

 とは言え、彼女の一方的な語りかけのみで、何も言わない男にまた腹立ちが出てくるのだが、次の瞬間それは別の方へと矛先が変わる事になる。

 

 

 

 

「…………ぷふっ」

 

 誰かが吹き出したのを発破に、ドドドっと笑い声があがった。

 

「ぷははははははは!! 何あれ、平民じゃん!? はははは!!」

「みんな見ろよー!『ゼロのルイズ』が平民を召喚したぞー!」

「ぎゃははは! 流石は『ゼロのルイズ』だ、は、は、は!!」

「ナアナアナアナアナアナアナアナア…………どうやったら平民を召喚出来るんだい? 寧ろ尊敬したいよ……ダサいねぇ!」

 

 彼女を囲う少年少女が皆、口々に彼女と青年を笑い飛ばし、指さしで揶揄し、馬鹿にし始めた。渦中にある少女は、恥ずかしさからか顔を真っ赤にさせて、ワナワナと震えていた。

 

「こ、こんなのが私の使い魔な訳がないじゃない!? し、し、失敗したのよ! ちょっとだけ!!」

 

 前に言った通り、怒りの矛先は周りを囲むギャラリーたちに向けられたのだった。相当、侮辱された事に腹が立ったのか、声を荒げて怒号を飛ばす。

 

「失敗失敗って、いつもルイズはこうじゃないかしら?」

「うっさい、色狂い!」

 

 サラマンダーを召喚した紅い髪の少女に対して、かなり激しく食い付く。ガルルッと狼が如く睨み付け、恐らく今日一番の大声で怒鳴っただろう。

 本人はもちろん、手をヒラヒラとさせて簡単に受け流すばかり。それがまた、逆鱗に触れるような事になるのだが、それよりも彼女は『コルベール』と呼ばれる監督役の男性に向き合い、申し立てを行った。

 

「ミスタ・コルベール! これは何かの間違いです! もう一度召喚をやらせて下さい!!」

「お前の間違いはいったい、何回すれば気が済むんだよ!」

「うるさいわね!? 外野は黙ってて!!」

 

 止まらない笑い声と揶揄にまた怒鳴る彼女だが、この状況に痺れを切らしたのか監督役は、手を大きく叩いて静粛させる。

 

「みんな静かに! 静かにしなさい!…………ミス・ヴァリエール」

「は、はい」

 

 少女は一縷の望みを、監督役へと向けるのだが、彼は口元をピッチリ閉めたまま、無慈悲に首を横に振った。

 

 

「気持ちは分かりますが、この召喚の儀式は神聖なもの。やり直しとは言語両断であり、認められない」

「そ、そんなぁ……!」

「呼び出した以上は、彼が君の使い魔だ」

 

 冷酷、残忍。

 監督役の言葉は、彼女にとってその二言葉に感じられた。この宣告に、だいぶ堪えたのか目に見えて落ち込んでしまったようだ。

 

 

 しかし、彼も彼でこの言葉を言うには辛い節があるのだ。この馬鹿にされている所を見れば分かる通り、少女は所謂(いわゆる)、『落ちこぼれ』のレッテルを張られている。

 だが彼は、少女がめげずに勉学に励み、努力し、座学ではトップの成績である事を知っており、彼女には大いなる期待を寄せているのだ。

 それだけに、『成功後の儀式のやり直し』は認めないつもりだ。人間を召喚したとは言え、『召喚に成功した事』には変わりない訳だ。

 重ねて言えば、この召喚の儀式は、学年の昇格試験も兼ねている、安易にやり直しを認められるものではないのである。ここまで失敗続きで何度もチャンスを与えられた彼女は寧ろ、恵まれていた方だ。

 成功した今、心を鬼にする。

 

 

「さあ、諦めてコントラクト・サーヴァントに移りなさい」

「うぅ…………」

 

 腑に落ちない様子の少女だが、こうもピシャリと言い放されてしまっては反論は出来ようもない。相手は自分の先生である、真面目な性格の彼女は頭が上げられない。

 渋々と言った具合に、次の段階へ移るべく、再び視線を青年へと戻す。

 

 

 

 見つめ合いの睨み合いから、怒鳴って申し立てて却下されるまでの数分間が経過しているが、青年だけが時を止めているようだ。最初の時と変わらない、上半身だけを上げて座っている状態のままボンヤリと見つめているのだ。

 忘れていた、この男に対する不気味な気持ちが、再び振り返した。

 

(何で私が、こんな変な服着た平民なんかと…………それにジーッとしたまんまで何考えているか分からないし…………ほんと、何なのよコイツぅ!)

 

 男への不平不満をブツブツ言いながら、一歩、また一歩と男の方へ足を進めるのだった。その行程が、首吊り台までの階段を登る気分になる。

 

 

 

 近付いてみれば、顔は端正である事が伺える。

 しかし、その顔にさえ、何故だか少女は、気味の悪さを感じていた。何と言うか、合致しない違和感が男の顔にはあるのだ。それがまた、不気味に感じる。

 

 

 

 

「……あぁ、オレは…………」

 

 

 ここで初めて、男が声を出した。鼻に抜けるような、フワフワとした声だ。

 いきなりの事なので、少女は少し面食らう。

 

「あんた、喋れるじゃない…………」

「喋れる……喋れるんだが…………」

「まぁいいわ平民…………じっとしてなさい」

「何をするんだ? ここは何処だ?」

「喋り出したら(やかま)しいわね、全く…………有り難く思いなさいよ、平民のあんたに……こんな事…………一生ないんだから」

 

 少女は、広げられた男の足の間へ跪くと、顔をぐいっと男へ近付けた。

 そして深く長い、深呼吸の後に、覚悟を決めたのか一気に真面目な表情になる。

 

 

「…………五つの力を司るペンタゴン」

 

 杖を構え、男の額に先っぽを当てる。ここでとうとう、形容出来ないあの無我な目に、好奇の光が宿った。男は訝しげに杖と成り行きを見ていた。

 

「この者に祝福を与え…………」

 

 額から杖が離されると、近かった少女の顔は、更に近付けられた。その顔は何を恥ずかしがっているのか、真っ赤に染まっていた。

 青年はただ黙って、成り行きを見ているだけ。

 

 

 

 

「…………我が、使い魔となせ…………」

 

 次に感じた触感は、唇に当たる柔らかく、温かいものであった。

 

 

 少女は静かに、男の唇に己の唇を軽く短く重ね…………つまりはキスをしたのだ。

 

「…………ハァ、何で平民とキスしなきゃいけないのよ…………!」

 

 本人はぽかーんと、軽く驚いたような目で、彼女を見つめていたのだが、予想に反しての反応の薄さに少しだけ少女はショックを感じたのも事実。

 色んな感情が混ざる中で、服を叩きながら彼女は再び立ち上がった。

 

 

 

 …………と、次の瞬間。

 

 

「いったい何をし…………うおおッ!?」

 

 左手に炸裂した激しい痛み。まるで熱した鉄板を押し付けられたような火傷の痛みがドジュゥゥッと、いきなり現れた。

 これには、ここまで表情の乏しかった青年も流石に苦痛で顔を歪めたのだった。

 

「あつっ…………イッタ!?」

 

 左手をブンブンと振り回し、痛みを軽減しようと努めたが、痛むものは痛む。なかなか引かない。

 

「おー!『ゼロのルイズ』が契約したぞー!」

「これくらい、私にも出来るわよ! 馬鹿にしないで!!」

 

 そんな彼を差し置いて彼女は、また自分を揶揄する者に怒鳴り声を上げていたのだった。

 

「うむ、コントラクト・サーヴァントは無事に成功したようだね」

 

 後ろから様子を見ていた監督役の先生が、嬉しそうな声で話しかける。しかし、成功したのはしたのだが、少女はやっぱり腑に落ちないと言わんばかりに、眉間に皺を寄せて苦しむ男を見ていた。

 

「な、何なんだよこれは…………お前、オレに何をしたんだ…………!?」

「コントラクト・サーヴァントよ、使い魔との契約の儀式。ほら、もう終わるわよ」

 

 すると、左手から脳を支配していた焼ける痛みは引き始め、一目見れるほどの余裕が出来るほどまで来ていた。

 

 左手の甲に、煙がプスプスと上っていたが、その左手甲に妙なマークが烙印されていたのだ。それに気付いた青年は、じっとそのマークを凝視する。

 

「……文字か? 何て書いてある?」

「使い魔のルーン文字だけど、私にも読めないわ」

 

 その会話を聞きつけ、「どれどれ」と先生が眼鏡を持ち上げつつ、手の甲に現れた『ルーン文字』を見始めた。

 何人もの使い魔の儀式に立ち会っただけあって、どんなルーン文字かは分かるようだが、今回は眉をハの字にしながら物珍しげに「ほう」と声をあげた。

 

「随分と珍しいルーンだな……いやはや、見た事がないよ。どれ、失礼ですが少し、スケッチを取らせて貰えませんか?」

「……………………」

 

 聞いた青年は、黙って左手を差し出した。それを許可されたと認識した彼は一礼の後、懐に入れていたメモ用紙を取り出してパッパッと写し始めた。スケッチは、ものの一分少しで終わる。

 

 

「有り難う。少し、どんな物かをこっちで調べてみるよ」

 

 そう言うと彼は、手を大きく叩いて、終了の号令を出した。

 

「では、儀式はこれで終了とする。各自、寮に戻って使い魔との親睦を深めるように。では、解散!」

 

 それを合図に、先生を含めた少年少女らがフワリと、宙に浮き始めたのだった。

 

 

「じゃあな!『ゼロのルイズ』!」

「お前はフライトもレビテーションも使えないから、平民と一緒に仲良く歩いて来いよ!」

「ナアナアナアナアナアナアナアナア……飛べないってのは、どんな感じなんだ?」

 

 二人に対して囃し立てながら、黒マントをはためかせて次々に皆は空へ飛んで行ってしまった。

 全員が向かっている場所は、奥の方に見える大きな建物。あそこが、この場にいる全員の学舎なのだろうか。

 

 

「すげー、空飛べるのかー」

 

 感心したように声をあげたのは、ずっと黙っていたクセにいきなり饒舌になり出したこの、白い服の青年であった。飛んで行った者に対して褒めた事を言ったのが癪に触ったのか、キッと睨み付けられる。

 

「さ、私たちも帰るわよ。ほら、いつまで座ってんのよ、立ちなさい」

 

 少女に催促され、青年は黙ってゆっくりと立ち上がった。

 

 

 立ってみれば、かなりの高身長に驚かされた。恐らく、あの場にいた誰よりも背が高いのではと、思ってしまう。それに、細身だが立った姿を見てみればそれなりに逞しい体をしており、スタイルは良い方だろうか。

 

 

 それにしてもやはり目に行くのは服装だろう。ハッキリ言って、斬新過ぎる。

 上着の丈は短く、ベルトもヘソも丸見えになっているし、両胸には右に船の錨を、左に太陽をあしらったワッペンが付いていた。ただ、全体的にキッチリとした、清潔な見た目になっているので、さしずめ何処かの軍服のような印象を、少女は受けた。

 

「まぁ、服は兎も角、私の護衛係には丁度良いかもね」 

「護衛?」

「そのまんまの意味よ…………あとその帽子、あんたのじゃないの? 拾わないの?」

 

 少女が指差した先の自身の足元に、白い海兵帽を見つけた彼は、腰を折り曲げて帽子を拾う。二、三度払って砂を落とした後、やっと頭に被ったのだった。

 

「妙な着こなしね…………ある意味で個性なのかしら?…………ハァ、変な奴召喚したなぁ…………」

 

 こめかみを押さえて、溜め息を吐く。

 一方で男は、脚部や尻を叩いて、服に付着した土を払っている。服が白いだけに、汚れが目立ちそうだ。

 

 

 ある程度、男が出発の準備に立った所で、少女は思い出したかのように「あ、そうだ」と呟いた。

 

「そう言えばあんた、名前は?」

「名前? オレの?」

「あんたしかいないでしょうが…………不本意だけど、私の使い魔なんだし、名前の把握ぐらいしとかないと」

「使い魔? なんだそれ?」

「まずはあんたの名前からッ!!」

 

 質問ばかりの青年に、とうとう怒鳴りつけた。

 気圧されたように彼は上半身を少しだけ反らした後、男は口元を押さえて考え込んだ。

 

 

「…………何で自分の名前で考えるのよ……」

 

 何から何までを不可解なこの青年に、苛立ちが込み上げてばかりだ。

 

(それに『使い魔』を知らないなんて、とんだ田舎者ね…………ハァー……)

 

 そう考え、もう色々と憂鬱になってくる。目の前にいるこの男に、不気味だとかの感情がまた出てきたが、それよりも自分とリズムにテンポも合わない感じに虫酸が走る。

 

 

 

 

「…………『ジョースケ』」

「ん?」

 

 物思いにふけていた上に、またいきなり話されたので、聞き逃してしまった。

 しかし、こちらから言う前に、男はもう一度自分を名乗った。

 

 

「……『東方(ひがしかた)定助(じょうすけ)』、オレの…………名前?」

「何で疑問形なのよ…………と言うか、『ヒガシカタ・ジョースケ』ぇ? 変な名前ね、言いにくいし…………特にヒガシカタって所…………」

 

 少女が呆れた声で聞けば、青年…………『定助』は何だか、真剣な顔付きになっている事に気が付いた。

 

「どうしたのよ? そんな深刻そうな顔して」

「いや、そう言う名前なんだが……合っていて、違うような…………奇妙だ」

 

 その含みのある言い回しに、「そりゃ、こっちの方が奇妙だと言いたいわよ!」と、少女は心で突っ込んだ。あまりにおかしいので、声にするのを忘れてしまったりする。自分の名前が合っていて違うとは、何言っているのか? この状況で気が狂ったのか?……と、正気を疑われても仕方ないほどおかしな事を言っているのだから。

 適当に流しておしまいにしようかとも思ったが、ついつい質問してしまうのは、白黒つけたい彼女の性格から出てきたものだろうか。

 

「どういう意味よ? まさか偽名使っているの?」

「いや、偽名じゃなしに…………その、何と言うか…………オレの名前だが、そうでもないような…………オレの名前だって、実感はあるんだ。だけど、心の奥では違うような…………」

 

 もう何言っても無駄無駄だと思ったのか、返答の代わりに溜め息ついて、黙って定助に背を向けて歩き出した。相手にするのも面倒だと感じ、このまま何も言わず道を行くつもりである。

 

 

 

 

 

 

「…………教えてくれ、オレはいったい…………『何者なんだ?』」

 

 その言葉に、思わず彼女は振り返った。




定助の見た目は、良く単行本の表紙で見る、白いセーラー服の、超像可動シリーズの色彩で行きます。セーラー服つったら白だろ(極論)
また、ボイスはASB・Eohの担当声優の真殿さんボイスでイメージお願いします。
宜しくどうも。


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使い魔として、一夜は双子の満月と。

 試験を行ったあの草原から少女の寮まで、それなりに距離があった。辿り着いた頃には、もう太陽は西日に差し掛かっていた。

 

「あー疲れた…………えっと、鍵は……あったあった…………」

 

 ポケットから鍵を取り出すと、それを定助にポイっと投げ渡した。反射神経は良い方なのか、モタモタとまごつく事なくスムーズに彼は鍵を受け取る。

 

「鍵?」

「ほら、あんたが開けるの」

「…………オレェ?」

 

 自分の顔を指差しながら、間抜けな声と顔で訪ねる。

 

「オレが開けるのか?」

「当たり前じゃない。なに使い魔の分際で、主人に扉を開けて貰おうとしてんのよ」

 

 小馬鹿にするように鼻で笑いながら「さっさとしろ」と、言わんばかりに扉を一瞥する。これはもう避けられないと察したのか、定助は鍵を片手に渋々と扉のロックを外しにかかった。

 

 

 ガチャリと、鍵穴に差し込んで左に回せば、気持ち良いぐらいに音を立てて解錠した。

 

「よし、開いた」

「ちょっと、なに自分から先に入ろうとしてんのよ!」

 

 扉を開けて部屋の中へ入ろうとすると、案の定とも言えるが、少女に服を掴まれながら早速叱られた。

 

「あんたは私より下ッ! 記憶がないらしいけど、一般常識を覚えている以上は妥協しないわよ!! 普通、主人で部屋主の私を先に入れるでしょうが!! 忘れていたなら覚えてなさい!」

 

 一通り怒鳴った後、疲れたように息を吐き出しながら、定助の脇を通り抜けて部屋の中へ入って行く。キツい物言いに疲れたのは定助の方も同じで、「やれやれだぜ」と意思表示するように、首を振りつつ溜め息をもらした。

 

 

 

 

 

 時間を少し巻き戻し、寮までの道中を歩いていた頃にまで戻る。

 少女は、「自分には記憶がない」と言う定助に、唖然としていた。

 

「え? あんた……どういう事よそれ」

「そのまんまの意味だ…………自分が何者か分からない…………さっぱり、全く……」

「き、『記憶喪失』って事なの……!?」

 

 コクりと、定助は無表情で頷いた。

 

 

『記憶喪失』……記憶の欠落(けつらく)、思い出の忘却(ぼうきゃく)…………少女は人生で始めてだろうか、『記憶喪失』の人間に遭遇していた。目の前の男に感じていた只ならぬ雰囲気とは、空虚に苛まれる彼の、無知から来ていたのだろうか。

 

「なぁ、キミは……オレの事を知らないのか?」

 

 定助は少女に向かって、自分について訪ね出したが、分かる訳がない。なんて言ったって、彼女と彼は、互いに初対面のハズなのだから。

 

「…………残念だけど、あんたの事は知らない。『ヒガシカタ・ジョースケ』なんて珍しい名前、聞いたとしたら忘れてないと思うわ。だから、私とあんたは完全に初対面って訳ね」

「そうか……残念だ…………すまない」

 

 すると、まだ何か聞きたいようで、「あっ、じゃあこれだけ」と一つ質問した。

 

「ここは何処なんだ?そして、オレは何でこの場で気絶していて、キミと…………」

「『キミ』って、何様なのよ…………」

 

 不機嫌そうに歪めた顔で、髪の毛を少しかきあげながら、彼女は彼の質問を一旦遮った。

 

 

「平民が二人称で私を呼ぶんじゃあないわよ。私の名前はルイズ、『ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール』。『ミス・ヴァリエール』或いは、『御主人様』と呼びなさい」

 

 彼女の名前を聞いて、困惑した表情を浮かべるのは定助。『御主人様』呼びを強制して来た上に、名前が長いので半分も覚えていない。

 

「る、ルイズ……ふらんそわず、るー…………もう一回言ってくれ」

「主人の名前覚え切れないなんて失礼ね!? もう、『御主人様』で良いわよッ!!」

 

 何度目になるだろうか、この桃髪の小柄な少女……『ルイズ』との出会いは怒鳴られてばかりのイガイガとした関係で始まった。一々名前の事で叱ってくるとは、この先が思いやられるばかりである。タクシーの運転手に、荷物全てを盗られて逃げられたような途方に暮れる絶望が、定助には現れていた。

 

 

(ん?『タクシー』……?)

 

 ふと、そんな単語が頭に流れたと同時に、周囲をキョロキョロと忙しなく見渡しはじめた。

 視界に写るのは、モミの木と思われる針葉樹の木々と、広い草原に、奥には険しい山々が広がっている。そして離れた所に、巨大な人工物の建物が存在しているのが見て取れた。

 しかし、彼が探しているのはそれらではない。いきなり何かを探し始めた定助に対し、ルイズは訝しげに見ていた。

 

「なに? その帽子以外に無くし物でもあるの?」

「なぁ、『車道』は何処だ? タクシーを使った方が早く帰れるだろ」

「しゃどー? たくしー?」

「車だよ。オレは持ってないけど、一般車でもヒッチハイクで捕まえたら、乗せて貰えるだろ」

 

 ルイズはもう追い付けなくなった。そして、この奇妙な彼の言動は、『記憶喪失で記憶が混濁し、動転している』事が理由だと一人合点し、頭を痛めた。

 

 

「はぁ…………まさか、召喚が原因じゃないわよね…………まぁ、そうだとしても私は悪くないわよ?選んだ訳じゃないし」

「何の話をしているんだ?」

「こっちの台詞よ!! 何、訳分からない事言っているのよ!?」

 

 怒鳴り疲れて、そろそろ喉が痛んで来た。少しだけ咳込んだ後、定助の言動を振り返った。

 

 

 彼は『記憶喪失』とは言うものの、言葉遣いは(丁寧とは言えないが)しっかりとしている。それに、「すまない」と言えた辺りは、常識程度の礼儀は(わきま)えている事も伺える。

 

「あんた、忘れているのは何処までよ?」

 

 今度はルイズから質問をした。

 この質問に対しての返答に、ほんの十秒だけ唸りつつも思考していた彼だが、名前に関してよりかはハッキリと言った。

 

「どうやら『自分の事まで』だ…………過去も、本当の名前も、出身地も…………それ以外なら覚えている。外から帰れば手を洗え、カツアゲには会うな、物を買うにはお金が必要、水は冷たい、排泄はトイレで…………常識はちゃんと弁えているつもりだし、生活の仕方も覚えている」

「……………………」

 

 それを聞いて、ルイズはまた不可解な気分になる。

 

 

(『自分の事だけを忘れた』…………? そんな限定的な記憶喪失って、あるのかしら? でも、嘘を言っているようには見えないし…………いったい、何者なのよこいつ…………)

 

 人間として、定助を気の毒と思う所はあるのだが、妙な『記憶の失い方』をしている彼に、やっぱり不気味な印象がある事は否めないだろう。

 

(……ま、生活に不自由しないくらいは常識を知っているようだし、雑用はさせられるわね)

 

 兎に角、自分の利を重視した上で、肩の荷を下ろそうとした。完全に記憶喪失となっている者を従えるよりかは、だいぶ気が楽になるだろう。

 それに、記憶喪失とは一時的な物が多い。時が来たらある日突然、全て思い出すなんて事が来るだろう。気にはなっているが、定助の正体なんて、探してやるのを協力する程の興味はないのだから。

 

 

「兎に角、常識を覚えているならそれで良いわ。最悪、私に仕える事には不便はないって事よね」

「そうだが……………………ん?」

 

 

 彼女の話に、違和感が出てくる。

 

「は? 仕える? オレが?」

 

 目を見開いて、口を半開きにしている、面白いほどの間抜け面。

 

「ここから説明しなきゃなんないのぉ?……ハァ、先が思いやられるわ…………そもそも平民を召喚なんて、人生最悪の日よ今日は!!」

 

 そう言うと、定助に背を向けて、ツカツカと歩き出した。かなり不機嫌なのか、唖然とする定助をほったらかして先先に早歩きで進んでいる。

 ハッと我に返った定助が、大急ぎでルイズの背中を追った。

 

「ちょっと待ってくれ!? オレが、キミに仕えるのか!? それマジぃー?」

「また『キミ』って言ったわね!?『御主人様』と言いなさい!! 本当に常識、弁えてるの!?」

「それと、オレの質問に答えてないだろ! オレは何で気絶して……それと、この左手の文字はなんだ!?」  

「あぁもう喧しいッ!! 鬱陶しいわこの平民ッ!!!!」

 

 ギスギスとした空気の中で、質問してされてのまま、ルイズを先導にして定助は彼女の寮へと辿り着いたのだった。

 

 

 

 

 

…………そう言った経緯で、いつの間にやら自分の記憶を失った青年は、高慢ちきで生意気な主人、ルイズとの奇妙な主従関係を築いていたのだった。

 

「うわぁ、すっごいな…………」

 

 今は彼女の生活空間である、寮内の一室に入っている。

 

 

 ハッキリ言って、『寮』とは言うものの豪華絢爛とした部屋になっていた。クローゼットは大きく、ピカピカに磨かれており、ベッドはクイーンサイズの上に天蓋付き。テーブルに置いてあるランプでさえ、高級品と分かるような装飾がなされており、床には真っ赤で綺麗な絨毯が。まるで、何処かの城の女王部屋のような、入っただけで畏縮してしまうほどオーラを放つ豪華さだった。定助は素直に関心した。

 

「うおっ! このテーブル、もしかして大理石製か!?」

「勝手に触らないでよ!! 全く、子供かっての…………」

 

 ピシャリと手を叩いてやり、テーブルから手を離させる。しかし、定助の好奇心は既に様々な所へ張り巡らされており、油断するとまた何か勝手に触りそうだ。もう、最初の頃の不気味な印象は吹っ飛んでしまった。

 ギロリと睨み付け、目を離さないようにするルイズ。

 

 

「感謝しなさい、平民なんかが一生入る事のない場所なのよ」

 

 息を吐きながら、ドカリと椅子に座り込んだ。定助も習って、椅子に座ろうとするのだが、またしてもルイズに咎められたのは言うまでもないだろう。

 

「平民が貴族の椅子に座るんじゃあないわよ!!」

「じゃあ、あのベッドの上は使っていい……」

「もっと駄目に決まっているじゃない!! ほんと何様なのよ!? あんたは床! 床よ、床に座りなさいッ!!」

 

 怒濤の叱責にまた押され、仕方なく定助は床の上であぐらをかいた。また何か言われそうなので、敢えて絨毯の上は避けて木の床の上に座り込んだ。お陰でまた雷を食らう事は免れた。

 

 

「さてと…………」

 

 興奮気味だったルイズは深呼吸の後に、いきなり落ち着き払った声で、上から目線だが定助を見やり、話を切り出した。

 

「で、質問はあるかしら? 道中散々と言っていたけど、少しだけなら答えてあげるわ」

 

 そう言いながら、彼女は足を組み、指をパチンと鳴らした。するとどうした事か、テーブルの上に置いてあるランプが明るく点灯し始めたではないか。また定助の注目がそっちに向かったが、ルイズは咳払いで注意をこっちに向けさせた。

 

 

「あー…………まず、一番聞きたかった事なんだが…………」

「なに?」

「オレはどういった経緯で、あの場で気絶していたんだ?ここは何処なんだ?」

 

 その質問に対し、ルイズは「簡単よ」と一言つけて答えた。

 

「あんたは『召喚』されて、ここ『トリステイン魔法学院』に来たのよ。この私によって、何処か遠い場所から。何処から来たかは、忘れてしまっているようだけど」

 

 まず、『トリステイン魔法学院』に引っ掛かったのだが、それよりも気になった事があったので、質問を別にした。

 

「『召喚』? 召喚って、なんだ?」

 

 ルイズから溜め息が溢れた。「そこからぁ?」と、面倒臭そうに呟いてから、髪の毛を少しポリポリとかいた。

 

「『召喚』も知らないなんて、何処の田舎よ…………『召喚』は、さっき言った通り、遠い場所から自分の(しもべ)となる生物を呼び出す魔法の事よ。この生物の種類によって、魔法の系統が決まるから、私たちにとっては一番大事な儀式なの」

「ちょっと待て、『魔法』ってなんだ?」

「…………あんた、本当に無くした記憶は自分の事だけなの?」

 

 質問を質問で返すようだが、ルイズの問いに定助はコクコクと頷いて肯定する。しかし言えど、この世界の常識中の常識である『魔法』を知らないなんて、にわかには信じられない。

 

「ハァ…………『魔法』と言うのは……当たり前過ぎて説明が難しいわね…………殆ど全員の『貴族』のみが使える、能力の事よ。そして、私を含めて魔法を使える人の事を『メイジ』と総称するわ」

「具体的に、どんな能力なんだ?」

「そうね、火を操ったり、傷を癒したり…………まず、魔法は全部で五種類存在していて、【火】・【水】・【土】・【風】の四つと、失われし系統の【虚無】の五つ。まぁ、最後の【虚無】に関しては誰も見たことがないから、基本は最初の四つが主流になるわ。使い方によれば、何だって出来ちゃうわよ」

 

 ルイズの説明を聞いて「なるほど」と頷く定助。頭は回る方なのか、理解が早い事が何よりもの助けになっていると、ルイズは少しだけ定助に関心を抱いた。

 

 

「じゃあ、あの後、人が空を飛んだのは【風】の魔法なんだな」

「まぁ、そうなるわね。このように、全ての魔法が私たちの生活に密接に関わっているのよ」

 

 ここまで授業のようだが、魔法についてはある程度掴めた定助のようだ。時間もそろそろ頃合いになった所で質問は打ち止めとなった。窓の外は、もう暗い。

 

「ふぁぁ~…………今日は疲れたわ、ねむーい…………本当に無知なんだから、もう質問責めは勘弁してよね」

「……………………」

 

 さっきまで喋っていた定助が、ピタリと黙っている事に気付き、あくびをした後で彼を見た。

 

 

 ボンヤリと、窓の外を眺めているようだ。目線からして、空を見ている。

 

「主人を無視するなんて、懲罰ものよ全く……どうしたのよ、何か飛んでいるの?」

「……………………」

 

 星でも見ているのか、そう思ったのも束の間、定助はスクッと立ち上がり、窓辺へと近付いて窓を開けた。夜風が開いた窓より、部屋に流れ込んでくる。

 その夜風に服を靡かしつつ、定助はただ一点、空のとある一点だけから目を離さなかった。

 

「だから無視するなって! なに? 何かあるの?」

「……………………」

 

 ルイズも気になって定助の隣から顔を出し、空を眺めてみたのだが、綺麗な星空と輝く月、当たり前でいつも通りの夜空である。

 

 

 

 

「月…………」 

「え?」

 

 

「月が…………『二つ』だ……………………」

 

 定助は、空に浮かぶ、赤と青の二つの満月を、眺めてそう呟いた。

 彼の頭には、黄色く輝く一つの満月が浮かんでいたのだった。

 

「なぁ、最後の質問だけど…………」

「へ? なに?」

 

 行動の読めない定助に対し、怠そうな声で応対する。しかし定助は気に留めるまでもなく、最後の質問をするのだった。

 

  

 

「月って…………『一つ』……だよな?」




今までなかったほどに、伸びているんで気が動転中です。
やっぱ……『ジョジョ』と『ゼロ魔』を…………最高やな。意見は随時、受付中でさ。

1.15→定助の二人称を「キミ」に変更しました。


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全ての決意と洗濯カゴ。その1

 まだ朝陽は完全に登っておらず、朝ぼらけの空が起き抜けに見た外の光景だろうか。

 

「さっぱり眠れない…………」

 

 広くて豪華な部屋の隅っこ、床の上で毛布をかけて眠っていた男、定助は眠れない夜を過ごしていた。目を閉じてもいつの間にか冴えてしまっており、外が薄明るくなった頃を見計らって、とうとう起き上がったのだ。

 

「落ち着けないなぁ…………なんだろ、何かしないと眠れない気がする。オレの就寝に、何かが足りない…………」

 

 ともあれ、もう目は脳みそから覚めてしまっているので、諦めて『この世界での最初の朝』を迎えたのだった。

 

 

 ここで、『この世界での』との表記を見て、「この『場所』の間違いじゃあないのか」と、頭がパープリンだとかド低脳だとか思われている頃だろうか。終いには『大人は嘘つき』だとも思われている頃だろう。もちろん、このような言葉を使ったのには、ちゃんとした理由がある。

 その結果に至った理由と、彼の寝床のすぐ横に置かれたルイズの服や下着の事も含めて、吹き飛ばす事なく見て行こうと思う。

 

 

 

 

 

 時は、前日の夜、月を見ていた時まで巻き戻る。

 

「…………あんた、ほんとーに、無くした記憶は自分の事だけなの?」

 

 ルイズの冷淡とした目が、真面目な顔の定助に突き刺さっていた。

 それもそうだ、いきなり「月は一つだろう」と質問して来たのだから、記憶の欠如を疑うのも無理はないだろう。言えど、この事象は正直『魔法』だとか『召喚』だとかよりももっともっと原始的で、当たり前の事だからだ。

 月は二つ、のこの世界で、「月は一つのハズ」と豪語するとは、流石に田舎者だとかで軽蔑する以前の問題だろう。それはもう、人として疑うほどに。

 

「何が『自分の事だけ』なのよ…………全然飛んじゃってるじゃない…………いい? 月は『二つ』! これは絶対に変わる事のない事実よ。ねぇ、本当に大丈夫なの?」

「確かに月は二つだ、絶対的な事実だ…………でも、オレの記憶にある月は『黄色で、一つだけの月』だからさぁ」

 

 またしても頭痛がルイズを襲った。もう色々と面倒になって来ている。

 

(月が一つで、尚且つ黄色ぉ?……はちゃめちゃな記憶の混濁ね…………もう私にはどうにもならないかもしれないわ…………ハァ、やれやれって感じね…………)

 

 これ以上はなに言っても無駄だと感じたのか、定助への返答は重い溜め息のみで、ヨタヨタとベッドの方へ向かい出した。

 背後の定助は、何か熟考しているように、頭を片手で押さえて唸っている。

 

「そう言えば、ここは日本なのか?」

 

 再び話を切り出したが、これまた奇妙な質問が飛び出した。

 

「ニホン? なによそれ」

「オレの住んでいた国の名前だ、それは覚えている。でも、日本の何処で生まれ、暮らしていたのかが分からない」

 

 それを聞いて、ルイズはまたしても冷たい目で定助を見た。

 

「あのねぇ……【ハルケギニア】の地理をがっつり勉強した私が言うけど、そんな国家なんてないし、地名もないわよ。ここは【トリステイン王国】の【トリステイン魔法学院】! ニホンなんて国、聞いた事ないわよ!」

「【ハルケギニア】?【トリステイン】?…………オレはそっちが初耳だ」

「やっぱり自分以外の事も忘れてるじゃないのッ!!」

 

 それだけ言うと、もう嫌気さして来たのか、定助から目線を逸らしてブツブツと文句を言い出した。一方で定助も、口火切ったように質問の嵐を浴びせた。

 

「飛行機は飛んでいないのか? そう言えば、車が見当たらないし、星が凄い綺麗だなぁ…………風呂場もないし、そう言えば電気も通ってないのか? 水道は何処……」

「だああああああああ!!!! うるさいうるさいうるさいうるさぁぁぁぁいッ!!」

 

 キレっぱなしのルイズが、臨界にでも達したのかとうとう爆発した。いきなりの怒号にはそろそろ慣れて来たハズなのだが、これは流石に驚いた定助である。

 

 

「もうハッキリ言うわよ、よぉぉく聞いてなさい!! ヒコーキ? クルマ? デンキ? 水道はあるけど、全部聞いた事ない物よ! いい? あんたは自分の事だけ記憶がないと自称しているけど、実は色々と忘れてんのッ! 月は一つだってのも、ニホンって国から来たとも、全ては無い記憶が生み出した幻想なのよッ!! 現実は私ッ! あんたじゃないッ! 分かった!?」

「おぉ…………」

「返事ぃッ!!」

「は、はい」

 

 高速で捲し立てるルイズの迫力と凄味に圧倒され、とうとう定助は押し黙ってしまった。ゼェゼェと荒くなった息を整えつつ、乱れた髪の毛をかき上げたりして、落ち着きを取り戻そうとしていた。

 定助はそっと、ルイズが落ち着くのを黙って待っていた。目に見えて、困惑している。

 

「…………フゥ、分かった? これが全てなの。って、何で私がこんな当たり前の事言うのに息切らさなきゃなんないのよ…………ハァー…………」

 

 ルイズは解決したつもりのようだ。

 

 

 しかし、定助は内心で納得まで行っていない。

 

(違う……何か違う…………これはオレの幻想なんかじゃない……確固たる自信があるんだ。どういう事だ……? オレの記憶と、現実が食い違っているのか…………?)

 

 記憶の喪失が、様々な所で実は起こっており、それらを補おうと無意識に無い常識を組み立てている……ルイズの言い分は説得力がある。それは、現実がルイズの言った通りだからこその『事実』である事だ。この『事実』には、誰も敵わないのだ。

 

 

 しかし、確かにそれらは『事実』だが、認める事は出来ない。それは決して、現実逃避だとかの思考停止なんかではない。無い記憶の補いとは言うが、「では、この組み立てられた記憶のルーツは何処からなのか」と考えた。全くの無から新たに出てくる訳がない、記憶喪失で消えてしまったのなら尚更だ。

 彼は、『納得したい』のだ。自分の事も、記憶と現実の食い違いも、何もかもを。

 

(オレは何者なんだ? ここは何処なんだ?…………オレは全てに納得したい。『オレの事実に到達』したい……)

 

 彼の中では、強い意志が構築されつつあった。

 自分のルーツを知りたい、この場所……いや、『この世界』を知りたい。そんな欲求が沸き起こっていた。

 

(ここは学校のようだが…………丁度良い、この場所なら学べる事も知れる事も多いハズだ……)

 

 決意を固めた定助は、何とも清々しい気分になっていた。そして、何だろうか、この清々しさは久し振りに実感したような気がする。

 きっと、記憶を失う前も自分は、何かを探していたのだろうか。決意を新たに定助は、いつの間にか俯けていた顔を上げた。

 

 

 

「何をしてるんだぁぁぁッ!!??」

 

 目の前の光景に定助は、月までブッ飛ぶ衝撃に揺さぶられた。

 

 

 ありのまま今の光景を、起承転結に分割して説明する。

 ルイズが、ベッドの上で、服を、脱いでいた。

 

「わ、何よ? いきなり大声出して…………」

「何で脱いでいるんだ!?」

「何でって、寝るからよ」

「いや、別に寝るから脱ぐのは良いんだが…………男のオレがいるんだぞ、もう少し恥じらえよ……!」

 

 それを聞いたルイズはキョトンと、目を真ん丸にしていた。「何言ってんだコイツ」と言わんばかりだ。

 

「ふーん、男としての感情は覚えてるのね。でも、今この状況下で、男なんて何処にもいないわ」

「何を言ってんだ、ここにいるだろ」

「あんた、『使い魔』で『平民』でしょ? 何で平民なんかに恥じらわないといけないのよ」

 

 もう定助は、いきなりやっていけないのではないか、と失念が心に吹いた感覚がして、頭の中で本気で困惑している。忘れていた格差の違いを思い知った瞬間だ。

 着ていた制服はすっかり脱がれ、ネグリジェ姿になっている。

 

「あと、言葉遣いってのを考えた方が良いわよ、口の聞き方にも気を付ける事ね。基本は『です・ます』で話す事、二人称で馴れ馴れしくしない事」

 

 服を脱ぎ散らかしながら、主従についての基本を話すルイズだが、聞かせている定助は目のやりどころに困っているようで、そっぽ向いたり、窓の外を見たりしていた。

 

「ちょっと! 主人が話しているのよ、目を見て聞きなさい!」

「うっ…………!」

 

 そう怒られたなら仕方ないと決め込み、目線をルイズの方へ向けた。

 

 

 ベッドの上で足を持ち上げている。人形のような白い肌と、クッションのように柔そうな太股が露となっている。そうすると自然にお尻が上がって…………

 

「お、おい、まさか……し、下着もかぁ!?」

「ギャーギャーうるさいわね…………当たり前じゃない、同じ下着なんて着れないわよ」

 

 もう限界と言わんばかりに、全力でそっぽ向いた。

 

 

「あと、大事な事が一つだけ…………」

「おいおい、うおっ!?」

 

 帽子の上に何かが掛かった。それをキッカケとして、自分の目の前に布のようなものが投げつけられた。

 

「主人の命令は絶対よ。私が右と言えば、右って事よ、分かった?」

 

 投げ渡されたのは、彼女が脱いだばかりのブラウスやらスカートなどの服。帽子に乗っかっていた物に関しては、十秒前まで彼女が穿いていた下着であった。

 

「じゃ、それ、朝までに洗濯しといて」

「オレは何処で寝たら…………うわ」

 

 またしても何かを投げつけられた。次は分かる、これは毛布だ。

 

「…………まさか」

「そう、床」

 

 案の定であった。しかも指差された場所は、部屋の隅っこであった。寝床の指定をした後で、もう一言付け足した。

 

「ランプは指を鳴らせば、あんたでも消せるから。寝る時まで付けさせてあげるわ、消灯しといて」

 

 それだけ言うと、「じゃ、あとはお願い」とだけ告げて、ベッドの中へ潜り込んで行った。

 

 

「…………これ、洗濯…………オレが?」

 

 服を両手に、下着を頭にかけた青年の前で、ワガママなご主人様はもう寝息を立てていた。




1.16→『シャツ』と言う表現は相応しくないので、『ブラウス』に変更しました


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全ての決意と洗濯カゴ。その2

 …………と言う流れが、ここまでの全てである。

 定助は、『自分の常識』と合致しない現状に、疑問を持っている。「何故、自分の残っている記憶がこうも食い違うのか」。ルイズは、『記憶の混濁』だとしているが、彼の持つ常識と言うのは「そうだ」と理由付けられないほどに、リアリティを帯びていた。

 例えば、「飛行機の中で電波を飛ばすと、計測機器に異常をきたすので飛ばすな」と言う常識を持っている。しかし、飛行機は存在しないと、ルイズが言った。

 では何故、こんな常識が頭の中に残っているのか。

 

 まだある、「電車の座席は老人に譲れ」「横断歩道は右見て左見てもう一度右」。まず、常識を施行する環境である「電車」も「横断歩道(車がない)」も存在しないのなら、こんな事はどう頑張っても考える訳がないのだ。

 つまりは、舞台も状況も細かく確立している常識を、果たして「『記憶の混濁』とだけで片付けて良いのか、と疑問になったと言う訳だ。

 

 

 彼は『納得』を求めたい。何で有りもしない状況に対する常識が、頭にあるのか。

 そして、何で自分は【トリステイン】などの諸国を知らないのか。何故、存在しない【日本】を生まれた国としているのか。それを遡って行けば、【ハルケギニア】とは…………つまり、「この世界は何なのか」と途方もない疑問へと到達する。

 自分は何者か、この世界は何なのか、自分の常識と現実は何故食い違っているのか……全てを含めて、彼は『納得』したいのだ。

 そんな疑問を抱いた象徴として、彼はこの世界を「全く知らない世界」と定義、『この世界での最初の朝』としたのだった。

 

 

 

「…………」

 

 そして、彼の隣で積まれたルイズの服とは、洗濯を命令されて押し付けられたものである。彼にとって現在の最優先事項は、コレの洗濯だろう。ルイズが起床するまでに出来ていなければ、朝っぱらから大目玉を食らう事は予想出来る。

 

「…………そうだな、どうせ眠れないし、この場所の構造に慣れておきたいからなぁ」

 

 同じく部屋の隅に置かれていた。立ち上がると大きなカゴの中に洗濯物を詰め込み、定助はさっそくルイズの部屋から出る事にした。

 

「おっとおっと…………しぃー……」

 

 音を立てないように、ゆっくりと抜き足差し足で歩き、扉もゆっくりと開けて出ていく。ルイズはまだ熟睡中なのか、気付く事はなかった。

 ふと、ルイズがときたま寝言を口にしていた事を思い出した。何かを美味しそうに食べる夢だのようだ。

 

「クックベリーパイか…………食べてみたいな」

 

 開閉音に気遣いつつも、扉を閉めた。やはり良い扉を使っているようだ、軋む音がかなり最小限に抑えられている。

 

 

 主人を起こす事なく部屋を出たのは良かったのだが、燭台の灯りだけの薄暗い廊下へ出た時に「あっ」と小さく声を出した。何処で洗濯するのか分からないではないか。

 

「んー? 洗濯機は…………どうせないんだろうなぁ…………でも何処か、洗濯場があるハズだ」

 

 戻ってルイズを起こす訳にもいかないし、完全に自力での捜索となる。が、まだ人々が起きる時間までは十分にあるので、パタパタと慌てる必要はないだろう。 

 それに、この学校の造りを把握しておかないと、ひょんな事で迷子になってしまえば、ルイズの説教へと移行してしまう。うろ覚えでもいいので、何処に何があるかを知っておきたかった。

 

「えーっと、下へ降りる階段はこっちだっけ…………」

 

 寮の入り口からルイズの部屋までの道のりなら、昨日の内に覚えた。洗濯カゴを抱えて、定助は一階を目指して階段を降りて行く。薄暗い上に、大きなカゴを抱えているので視界が狭い、階段から足を踏み外さぬように慎重に降りた。

 

 

 

「よっと」

 

 階段を降りきり、彼は外へと出た。

 空はダークブルーで、鶏も鳴かない早朝。推定だが、午前四時ぐらいだろうか。

 

「あ」

 

 一羽の鳥が頭上を飛んだ。黒い鳥だ、かなり高位置にいるので、一目で見ればカラスだと思うだろう。誰だってそう思う。しかし、定助は違った。

 

「あの鳥は知っているぞ。『クロウタドリ』だ。二十七.三cm…………高さは九m二十五.五cmか。綺麗な鳴き声らしいけど、聞いてみたいな……鳴かないかな」

 

 鳥の種類から体長、更には自分からどの高さを飛んでいるのかまでをピタリと当てた。『クロウタドリ』は寮の二階の窓辺に止まった。

 美声で有名な『クロウタドリ』の鳴き声を聞いてみようと少し待ってみるが、結局、二分待っても鳴かなかったので諦めた。

 

 

 見渡す限り、まるで神殿のような彫刻された建物だらけ。真ん中の巨大な塔を中心に、様々な施設が緻密な建築技術の元に建てられ、グルリとそれらを守るように高い壁が囲っている。その壁にも一体化している形で、五つの塔が高々と見えた。

 

「そこだ、あそこの(ねじ)曲がった所が良いなぁー。あっちとあっちで左右対称だから綺麗に見える」

 

 圧巻、本当にド肝を抜かれる壮大なスケールである。

 

「完成に何年かかったんだろうなぁ、おー」

 

 スペインのサグラダ・ファミリアは百年経った今も未完成だし、ドイツのケルン大聖堂なんかは六百年かかって完成している。それだけに、こんな建物が五年とか十年で出来たとは思えない。

 しかし『魔法』があるから、案外一年か二年で完成したかも知れない。

 

 

「おぉぉっ!」

 定助は何かを見付けた。

 

 

 

 

 

 この学院で奉仕する者の朝は早い。

 料理人は朝食のしこみをしなくてはいけないし、その他の使用人やメイドは清掃と洗濯を行わなければならない。よって、学院の朝はまだ早い段階から忙しない。

 モップを持った者が右往左往していれば、清掃物を大量に抱えた者も縦横無尽に駆けている。それ以外にも仕事は山積みであるが、これが彼らにとって当たり前の朝である。

 

「じゃあ、また後で」

「はーい」

 

 洗濯物をカゴに抱えた二人のメイドが、一旦別れた。その一方、定助のような黒い髪をしたメイドは廊下を経由し、外へ出ると井戸の方へと歩いた。

 カゴには溢れんばかりの洗濯物が、絶妙なバランスを保ちつつメイドに運ばれている。平気な顔をしている所を見れば、それなりにベテランらしい。

 

「ほ、っと……」

 

 グラグラ揺れる洗濯カゴを、上手く左右に動かして落とさないようにする。素晴らしき黄金奉仕の精神だ。

 

「今日も多いなぁ…………早くやらなきゃ」

 

 トコトコと早歩き、時間が来るまで体力とスピードの勝負。まさに事態は『GO AHEAD!』なのである。

 

「えーっと、ここはどの辺かな?」

 

 洗濯物で防がれている正面の視界を、左右に回して立ち位置を確認する。左の方に、三つのベッドが置いてあるのを見たが、これは「軋む音がする」との理由で廃棄となり、運び出されて粗大ゴミとして放置されている代物である。

 大きく豪華なベッドだが、全然まだまだ使える物なので、少し勿体無いなとメイドは感じた。

 

「ハァ……私もあのベッドで寝られたら、どんなに幸せかしら…………」

 

 ついつい溜め息が出てしまう。彼女にとって、あのベッドで寝られる事だけが遥か上空の夢だった。豪華に彫刻された、キングサイズベッドを眺めるだけが、その夢を埋める唯一出来る事。

 マットも乗っかったままだが、そのまま捨てるつもりなのだろうな。「勿体無いなぁ」と思うメイドである。

 

 

「さて、仕事しないと」

 

 夢を見るのはおしまい。

 早く気を切り替えて、目的地である井戸へと歩を進めた。

 

 

「うん?」

 

 五歩進んだ所で、目線の隅っこに何かが写る。ベッドの足下に、少量の……一人分だけワンセットの洗濯物が入ったカゴがポツンと置かれていた。

 仕事に入らないといけない彼女であるのだが、服がこんな所に放置されているのを無視出来る訳がないだろう。寧ろ、見付けてギュウっと心臓を握られたような気分がした。

 

「わぁ!? だ、誰がこんな事したの!?」

 

 持っていた洗濯カゴを下ろし、足早に洗濯カゴへと近付いた。周りを素早く見渡し、誰かいないか確認をする。結果として人影は全く見当たらなかったが、それは、犯人がいないと言う事も含めて、咎める目撃者もいないと言う事だ。まずはほっと、胸を撫で下ろした。

 

「よ、良かった…………貴族に見られたらどうなっていたか…………!」

 

 安心と、「誰が仕事を放棄した」と怒りも沸いていた。

 

「誰が置いたのかな…………もう! 杜撰(ずぼら)な事して!」

 

 誰かに見られる前に、腰を曲げて洗濯カゴに手をかけた。

 

 

 

 

「あぁ、誰か分からないけど、置いといてくれないかな」

「ひゃああぁ!?!?」

 

 いきなり聞こえた男の声に、悲鳴をあげて後ろへ下がるメイド。再度キョロキョロと辺りを見渡したのだが、やっぱり人影が見当たらない。

 

(き、気のせい?)

 

 ……な訳がないだろう。キッチリ耳に聞こえたし、イントネーションも声色も全部瞬間的に耳にこびりついていた。誰かが自分に対して話しかけた事は紛れもない事実だと明白だった。

 

「ど、どなたかいらっしゃるのですか?」

「あぁ、こっち」

 

 メイドの呼び掛けに対し、返答はすぐに返って来た。それも、自分よりも下の方。

 

 

 

 

「やぁ……」

 

 すぐ側にあったベッドのマットの下から、男の首が出ていた。定助である。

 

 

「きゃあああああ!!??」

 

 メイドの本格的な悲鳴が轟いた。それもそのハズ、マット下から見たこともない男が首を出していたら驚くだろう。

 

「だ、だ、誰ですか!? なななななな何してるのですか!? 貴族様のベッドですよ!?」

「何って、丁度良さそうなベッドを見付けたから休憩していたんだ……寝不足だったし、短時間でも睡眠は必要だと思ったから…………よっと」

「うわわっ!」

 

 腰を抜かさんばかりに驚く彼女を余所に、定助はマットの下からズルズルと這い出して来た。ギシギシとベッドの軋む音が甲高く聞こえる。

 その光景を、呆然と見ている事しかメイドは出来なかった。

 

「…………でも全然駄目だな、特にマット。フカフカし過ぎで、圧迫感が足りないんだよなぁ…………」

「えぇぇ…………」

 

 ベッドから這い出ると、奇妙な男、定助はスラリと立ち上がった。微かにずれていた帽子を正し、乱れた服を戻している。

 

「眠っていらっしゃったのですか…………いや、それよりも、どなた様でしょうか……?」

 

 意を決して、再度、身元を彼に尋ねるメイド。

 

「ん? オレェ? オレは東方定助…………多分」

「た、多分って…………うん?」

 

 曖昧な自己紹介に困惑するメイドだが、よくよく彼の姿を見てみれば、何か思い当たる所があるらしい。白くて、変わった服装と、水兵さんの帽子を見てピンと思い出したようだ。

 

 

「あ! もしかして、ミス・ヴァリエールの使い魔さんじゃないですか!?」

「ミス・ヴァリエ…………あぁ、そう言えばそんな風に呼べって言っていたっけ……うん、そうだけど、知っているのか?」

「はい!! ミス・ヴァリエールが平民を使い魔にしたって、私たちの間で噂が持ちきりでしたよ! 白い服を着て、水兵さんの帽子を被った不思議な人と聞いていたので、もしかしたらと…………」

 

 もうそんなに噂が回っているのか、と驚いた定助。そう噂が立つほど、人間が使い魔になるのは珍しい事なのだろうか、とも考えた。

 

 

 ともあれ、相手が自分の事を知っている(勿論、自分の正体を知っていそうではないが)ようなので、一から説明する手間が省けたのだった。

 

「それにしても、あの……失礼ですが、何でベッドの……マットの下で寝ていたのですか?」

「キミもマットの上で寝るのか? 体を圧迫させないと、落ち着けないんだ。何故かご主人も、マットの上で寝るんだけど」

 

 それを聞いて「そ、そうですか」と困惑気味な返事をするメイド。それよりも、定助はルイズに言われた通りに『ご主人』と呼んでいるのが、妙な気がする。

 

「でも、貴族の方が見ていなかったから良かったですけど……もうここのベッドで寝たら駄目ですよ!」

 

 それを聞いて、キョトンとしたのは定助だった。

 

「どうして? 野晒しにされているんだから、多分ゴミなんだろ? ゴミじゃなかったのか?」

「ゴミですけど……そ、そう言う問題ではなくてですね、貴族に何か言われたらおしまいなんですよ?」

「貴族?」

「そう! 貴族ですよ! 今後も気を付けて下さいね?」

 

 そう言えばルイズも、『平民』と『貴族』とで境界線を引いているような気がしていた。確か、魔法を使える人間は殆ど全員貴族だー、と言う感じだったのを思い出した。

 

(つまり、ご主人のオレに対する態度を見れば、『貴族は平民より格上』と言う位置つけになっていると言う事か……)

 

 そして、そんな説明をするこのメイドも間違いなく、定助と同じ『平民』である事も察する事が出来た。

 

「えっと、お名前はジョースケさん、で良いですよね?」

「うん、ジョースケで良いよ。えっと、キミの名前は?」

「申し遅れました、私の名前は『シエスタ』と申し上げます、そのままお呼び下さい。ここでメイドとして、ご奉仕させて頂いております」

 

 メイド……『シエスタ』は、少しそばかすが見える、黒い髪をした少女であった。ニッコリと微笑む姿が何とも可愛らしい。定助も頭をペコリと下げて、会釈をした。

 

「じゃあ……シエスタ…………ちゃん? と呼んでいいかな」

「ちゃ、ちゃん付けですか…………少し恥ずかしい気もしますがー……はい、大丈夫です」

 

 少々、頬を赤らめて、恥ずかしそうに笑う。そりゃ、初対面の男性からいきなり「ちゃん付け」で呼ばれたら恥ずかしいだろう。しかし定助自身、何故かこのシエスタに対して、ちゃん付け呼びがしっくり来るような感覚がするのだ。

 

 

「じゃあシエスタちゃん、すまないけど、ちょっと聞きたい事がある」

「はい、何でもお聞き下さい」

 

 そう言うと定助は、足下にあった洗濯カゴを指差した。

 

「…………洗濯は、何処ですれば良いかな? ご主人に頼まれたんだ、私が起きる前にやっといてって……」

「あ、そうだったのですか。奇遇ですね、私も洗濯をする所なんです! 付いてきて下さい、そこの井戸ですよ!」

 

 シエスタは自分の洗濯カゴを手に持つと、軽快な足取りで井戸の方へと定助を案内するのだった。




シエスタを康穂ちゃんポジションにすると言う名案を考えた時は、圧迫睡眠法を試してみたんですがね、寝苦しくて無理でした


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メイドと井戸端世界事情。

3000UA突破、恐縮です。


「す、すいません……お手を煩わせてしまいました」

「構わないって、こっちが助かったし」

 

 井戸への道すがら、定助はシエスタが抱えていた山のような服が積まれた洗濯カゴを、ルイズの服が入った洗濯カゴと交換する形で、運んでやっていた。

 しかし運んでいて思ったのだが、持ってみればなかなかの重量である。これをシエスタの細い腕が、良くもまぁ持てたものだなと、定助は関心した。

 

(これはオレより大変そうだなぁ)

 

 そんな事を思いながら、先導するシエスタの後ろを付いて行くのだった。

 

「そう言えばジョースケさん、変わった服を着ていますよね……噂の通りです、何処で買えたのですか?」

 

 やはりシエスタも女の子だろうか、服が気になるお年頃と見た。

「その胸の飾りが、良いですよね! 錨と太陽ですか? それに凄い凝ったデザインですよね! 水兵さんみたいでカッコイイですよ!」

 

 彼女の目はキラキラ輝いている、恐らくここまでの言葉は本心だろう。とても正直で率直な、人懐っこい性格と見て取れた。定助自身も、気兼ねなく話せる。

 

「んー……何処でとかは忘れたかな?……そんなに変わってる? これ?」

「はい。見たことない服ですよねー、高かったでしょうに」

 

 残念ながら、ここへ来た時から違和感なく着ていた服だ。恐らくこの服を着たまま記憶を失ったとは思うのだが、だからこの服の事を知ると言う事は自分の事を知れる、と言う事に繋がるのだと思われる。

 

「……まぁ、どうだったかなぁー。高かったような、安かったような……わぁーすれちゃったン」

「あはは! 何ですかその言い方! ジョースケさんって、面白い人ですね!」

 

 そう言われ、「そう? そう?」と嬉しそうに話す定助だった。

 本当は記憶がないのだが、あまり「オレには記憶がない」と言って気遣われるのが嫌なので、ルイズ以外には必要以上に打ち明けない事にした。これによって壁を作りかねないし、ただでさえシエスタには親しくして貰っているのだし。

 

 

「おっととと……」

 

 浮かれていると、洗濯物が揺れて落としそうになった、かなり集中力を使う。

 

「これ、毎朝運んでいるの?」

「はい! 毎日がその量、と言う訳ではありませんけどね? 最初は大変だったのですが、今ではもう慣れたものです!」

 

 明るい笑顔で話すシエスタに、一点の曇りも見えない気がした。この辛い作業に彼女は信念を持っており、誇りにしているのだと、定助は感じ取った。

 大変ながらも楽しい作業、少しだけ彼女が羨ましくなった。

 

「いや、本当に凄いな…………オレ、こんなの始めてだし」

「あ……」

 

 定助の「始めてだ」と言う言葉を聞いて、思い出したようにシエスタは思った。

 

(そう言えばこの人、何の前触れもなくここに連れて来られたのだったっけ……なのにいきなり貴族に使われて…………あぁ、とても気の毒な人…………)

 

 人間を召喚した、その噂のインパクトが大きくて忘れかけていたが、彼は普通の生活から引き摺り出された『被害者』なのだと、シエスタは思う。ベッドに寝たりと、暢気しているように見えていたが、何か心に傷を付けているのではないか。そう思うと、定助がかわいそうで仕方がない。

 

 

「シエスタちゃん、井戸って、あれかな?」

「え? あ、は、はい! あそこで到着です!」

 

 物思いに耽っている間に、体は自然と井戸へ到着していた。やはり、日頃のルーチン的な生活が癖として、体を井戸へと向かわせていたのだろうか。殆ど、自動的だった。

 

「それでは、あの井戸の傍に置きましょうか。お疲れでしょう? もう少しです」

「よし」

 

 スタスタと歩き、井戸へと到着。

 ゆっくりとカゴを下ろすと、疲労からの解放により、息を吐いた。

 

「有り難う御座います、助かりました! ジョースケさん!」

「いやこっちこそ。それでご主人に怒られなくて済む」

 

 またそんな事を言うのだから、シエスタに『気の毒な人』と思われるのだろう。彼女にまた余計な気遣いをさせてしまった。

 

 

 井戸の傍には、何かギザギザの付いた木製の板が置いてある。

 

「これは?」

「洗濯板ですよ、どうかしました?」

 

 シエスタの「何か問題でも?」と言いたげなニュアンスから察するに、洗濯機は存在せずこれで洗濯するのが普通のようだ。定助は全くやった事がないので、素直に焦った。

 

「すまないけど、オレ、洗濯はあまりやらないのだけど……」

 

 言葉を選んだ。「やった事がない」と言ってしまったら、シエスタに養豚所の豚を見るような目をされそうだったので、見栄を張って「あまりやらない」と言った。

 

「あ、それなら私がやりましょうか?」

「いやいや悪いよそれは……これからもやらされるのだろうし、オレがやろう」

「そうですか……では、勝手ながら指南しますね!」

「有り難う、シエスタちゃん」

 

 一人のメイドと、一人の使い魔。奇妙な井戸端談話が始まりそうだ。

 

 

 

 

「それにしても、大変ですよね……いきなり使い魔にされて、こんな事させられているのですから」

 

 ざっくり数分後、洗濯の仕方の指南が終わり、彼女は定助への質問へと入る。

 シエスタは井戸から水を引き上げて、その水と石鹸と洗濯板を使って一枚一枚洗濯物を片付けていた。慣れた手つきで、山を作っていた洗濯物は次々と洗われて行く。

 

「大変と言えば大変だけど、オレは案外楽しそうとも思っているよ」

「え? それはどうして……って、ジョースケさん!? 下着はそんなに擦っては駄目ですッ!!」

 

 一方で洗濯板初体験の定助は、教えられたとは言え慣れない物は慣れず、シエスタが五枚を洗濯し終えた時点でまだルイズのスカートしか洗えていないと言う状況であった。

 今、洗濯しているのはルイズの下着。それを親指で押し付けるようにして、強い力で洗っていた。

 

「あれ、駄目だったの?」

「下着は生地が薄いのですよ!? そんな力で擦っては、生地が痛んで最悪破れかねません!! 貴族の物ですから、丁寧に洗って下さい!」

 

 シエスタに注意された定助は、謝罪するようにペコリと頭を下げる。しかし、

 

 

「わあぁぁ!! ジョースケさん、どうしてですか!? さっきよりも強く洗ってますよ!?」

「あヤバい、ついうっかり……」

「貸して下さい!私が洗いますから!」

 

…………また強い力で下着を洗おうとしていた為に、見るに見かねたシエスタが定助の代わりに洗濯してくれる事になった。流石にこれは申し訳なく思い、「ごめんなさい……」と静かに丁寧に謝る定助だった。

 

(やった事ないからなぁ…………やっぱり難しい)

 

 ある記憶を引き摺りだしても、井戸端で水溜めて洗濯板を使用して服を洗う…………と言う経験もないもありはしないし、洗濯物は洗濯機にと、常識が頭に居座っている。破産した漫画家か何かが、強引に友人の家へ転がり込むほどの図々しさで、その常識がドンと構えてある。これのお陰で、洗濯板での洗濯に抵抗感が少なからずあるのだ。

 

 

「あの、すいませんジョースケさん……大きな声まで出してしまいまして……」

 

 声を張って定助に注意を放っていた彼女から謝罪が来た。さっきの事は丸きり仕方ないだろう、彼女とて必死だったし、至らない定助を気にかけてくれていたのだから負い目を感じる箇所はないハズ。

 

「いや、シエスタちゃんは謝る事はないよ……」

「い、いえ! ジョースケさんの方も、その…………!」

 

 作業の手を止めて、ワタワタし出すシエスタ。

 

「もう止め止め!! どっちが悪いかとか止めにしよう!」

 

 このままだと、険悪と言うか気まずい雰囲気になりかねないので、定助が手をバタバタとさせて話を切り上げさせた。それに応じてシエスタも「そ、そうですね!」とやや引っ張られ気味に同意をした。再度、ルイズの服を洗い出した。

 

 

「それじゃあ、最初の話に戻しますが…………」

「どうぞ」

「無理矢理に使い魔にされてしまったのに、どうして仕えるのが楽しいのか……と、疑問に思いまして」

 

 その理由について、定助は答えを言おうとしたが、その前に少しだけ彼女から質問の補足が続けて入った。

 

「あのぅ、言ってはなんですが…………ジョースケさん、普通の暮らしの中から…………どういった生活をしていたか分かりませんが…………元々住んでいた場所から、使い魔として貴族に使われる生活になってしまったのですよ? ご友人とかご家族とかも置いて来てしまって無理矢理…………寂しくはないのですか?」

「…………」

 

 彼女が最初に思っていた、定助への「気の毒だ」と言う思いから、こんな質問をしているのだろう。「気の毒だ、大変そうだ」と同情の念が、本人は「楽しそう」と話すのだから矛盾を生んでしまったのだ。

 だからこそ、これだけは聞いておきたいと、まずは質問したのだ。

 

 

「シエスタちゃん、貴族が嫌いなのか?」

「へ?」

 

 すっとんきょうな声をあげたのは、シエスタの方だった。定助が質問を質問で返したのだからだ。殺人鬼には怒鳴られ、保安官にはアホ扱いされそうなほどの礼儀知らずな返しだ。

 しかし、定助の方も、気にはなり始めていたし、ルイズの自分に対する態度で薄々分かっていた事なのだが、聞いておきたかったのだ。「この世界の『平民』にとっての『貴族』」を。

 

「あ、あの……嫌いと言いますか…………恐ろしいと言いますか…………」

 

 周りをキョロキョロと見渡し、声もボソボソとした小声になっている。『貴族』に聞かれたら不味い内容だったのかも知れない。

 

「常識ですが、『メイジ』は、由緒ある『貴族』の家系にしか生まれません……故に、教育も立派になされて、幼い頃から貴族としてのプライドを叩き込まれるでしょう? それだけに、魔法の使えない…………力も身分もない我々『平民』は絶対に敵いませんもの……」

 

 シエスタの説明を聞いて、定助は昨日のルイズの話を思い出していた。「魔法は貴族の殆ど全員が使える」「平民なんかが」…………この世界の『貴族』とは、恐らく財力・地位と共に『魔法』を会得している者を指すのだろう。そして、それ以外は全て『平民』に併合され、貴族とは比べ物にならないほどの冷遇がされているのだろうか。

 

 

 そう言えば、シエスタはまだ若そうだ、見積りで十代だろうか。平民は貴族ほど、選択肢が少ない事が伺える、『使われるだけの仕事』だらけなのか。

 

「もし、貴族を本気で怒らせてしまったら…………私たち平民はどうする事も出来ません…………恐ろしいに決まっているじゃないですか…………」

 

 彼女は本気で怯えている。いや、彼女に限らず殆どの平民がこうなのだろうか。どんな人間も、『平民』として生まれたのなら『貴族』の顔色を伺って一生涯を全うする運命にあるのだろうか。

 

 

 

 

 運命…………定助は、安易に「運命」と言う言葉を使いたくない思いに駆られた。それを言い訳にするような使用法に対し、嫌な気分を覚えた。

 

「……当たり前の事を聞いたようだね」

「では、ジョースケさんは……どうなのですか?」

 

 再び、シエスタの質問が回って来た。

 

「ジョースケさん、『仕えるのが楽しそう』と言っていましたが、それは私にも分かる所があります。でも、無理矢理連れて来られて、言いたいように使われて……私とは状況が違います、寧ろ過酷です」

「うん」

「なのにさっきの質問……まるで、『貴族が怖くない』とも言いたげな話し方でした。なので、疑問に思って…………すいません、軽率でした……」

 

 少し言い過ぎた所があったと、思ったのだろう。頭を下げて、また謝罪をするシエスタ。

 

 

 定助は考える素振りを見せず、話した。

 

「貴族が怖いかどうかは、よく分からない。けど、自分は現状に満足している」

 

 その返答に、シエスタはパッとしないのか、小首を傾げている。

 

「どういう……ことでしょうか?」

「何て事はないってことだな。どうにかなる」

「……ふふ、それって、私の質問の答えなんですか?」

 

 定助はこめかみに指を立てて考え込む素振りを見せたが、「どうかなぁ」と曖昧に言って終わった。シエスタにも、微かだが笑顔が表れている。

 

「強いのですね、ジョースケさんって……羨ましいです」

 

 何だか空気がしんみりし始めたので、定助は慌てて話題を変えた。

 

 

「今、何時か分かる?」

「え? 今ですか?…………そろそろ生徒たちの起床時間になるのではないでしょうか?」

「おっとと、それじゃ戻らないと……」

 

 言い終えた頃には、彼女はルイズの服を洗濯し終えていた。ブクブクと泡のたった桶の中から、白いブラウスが現れた。

 

「これは、私が干しておきますね! 乾きましたら、私がミス・ヴァリエールのお部屋へ運びますよ」

「何から何まで有り難う、シエスタちゃん」

 

 しかし、ここまで世話になりっぱなしでは定助の気が収まらない。甘えてばかりではいられないだろう。

 

「あー、オレからも何かお礼したいな…………」

 

 何が出来るか考え込む定助だが、シエスタは「別にいいですよ」と辞退を申すのだが、それで気が済まないのは定助の意地にも似たものなのだろうか。

 

「じゃあこうしよう。シエスタちゃんが困った事があったら、何であろうと絶対に助ける! これでどう?」

 

 何としてでも恩を返したい定助は、断る彼女を押しきって『出来る事』を取り付けた。流石にここまでの人の気持ちを無下にする事は失礼だと、シエスタは思ったのか、それを受け入れる事にした。

 

「……分かりました。私も何かありましたら、ジョースケさんを頼りますからね! ふふっ、有り難う御座います」

「こっちが感謝したいほどだよ……」

 

 それだけ言えば、定助は立ち上がった。

 

 

 同時に、やや強い風が吹いて、桶から溢れそうになっていた石鹸の泡が、少しだけフワリと舞い上がり、シャボン玉となった。

 

「…………あ」

 

 目の前を飛ぶシャボン玉。

 定助は、何か忘れているような気になり、それをじっと見つめていた。

 

「ジョースケさん?」

 

 それも、シエスタによって呼び戻される。ハッと気付けば、シャボン玉はパチンと弾けて消えた。

 

「どうかしました?」

「いや……あぁ、じゃあ、また」

 

 気を取り直して手を振りつつ、咄嗟に作った笑みを浮かべながらシエスタと別れた。彼女は微笑みながら、静かに手を振って見送ってくれた。

 

 

 寮までの道はキチンと覚えている。寄り道する事なく、彼はルイズの眠る寮へ戻ったのだった。時刻は七時前、そろそろみんなの目が覚める。




シエスタとは、スペイン語で『昼寝』でありまさ。
僕もシエスタしとったら次の日の朝を迎えた時とかありますね、はい。

ジョジョリオンを再度読み込んだので、定助の人物像が掴めて来ましたが、妙な箇所があれば指摘を。失礼しました


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朝食を食べに行こう。その1

お気に入り登録者数40人突破、恐縮です。


 太陽はすっかり昇り、東から燦々(さんさん)と朝陽が窓より絶えず、流れ込んでくる。鳥が囀り、何処からか風が吹く音が聞こえる、穏やかで何て事もない、気持ちの良い朝だ。

 

 

 定助はやっとの事でルイズの部屋へと帰って()れた。

 

「寮とは真逆の方へ行っていたのか……」

 

 シエスタと別れた後、記憶を頼りに進んでいたのだが、良く良く考えてみれば学院探索の半分以上をベッドでの睡眠に費やしていた人間が、広大で複雑な道を覚えきれる訳がなかった。

 

「今度……暇な時はゆっくり散歩しよう。地図とかご主人に貰えないかな」

 

 迷路のようなスークに、初見で挑めば普通に迷子にもなる。逆に詳しくあれば、追っ手から逃れられる事も出来よう、地理を掴んでいて不便になる事ない。ここの作りと道ぐらいはゆっくりでも良いので、覚えていた方が良い。これから長い間、お世話になるのだから。

 

「……腹へった」

 

 朝早くに起きたのに、何も口にしていないので、彼の空腹は限界の一歩手前まで来ていた。さっさとルイズを起こし、朝食を頼まなければ。

 

 

 

 

「さて、ご主人はー…………」

 

 ベッドの上の光景は、時間が止まったようにそのままだ。

 

「くぅ…………」

 

 朝陽が顔に直撃しているのにも関わらず、ルイズは幸せそうな顔で寝息を立てて、丸まった胎児型の姿勢で眠っていた。寝言で喋っていた通り、クックベリーパイを食べている夢でもまだ見ているのだろう。涎が枕を濡らしている。

 

「…………まだ寝ているかぁ。そろそろ起こさないと遅刻するよなぁ?」

 

 外からザワザワと、人の声が聞こえて来た。窓から覗いてみれば、この学院の制服を来た人たちがぞろぞろと学舎へ向かって歩いている。起床時間に到達したようだ。

 

「おーい、ご主じーん、朝だぞー起きろー」

「んぅ」

 

 肩を掴んで揺すってみた。強さで言うならば、サラリとした彼女の桃色の髪が滑らかに揺れるほど。

……だのに、彼女は小さい声で(うめ)いただけで、また元の寝息に戻った。

 

「……おーい、おいおいおーい、新しい朝が来たぞー」

「ふぁ……」

 

 再度、揺すってみるのだが、空気の抜けるような声を出したと思えばまた寝出した。一瞬、起きたかと思ったほどだ。

 

「…………おいおい、遅刻するぞー、希望の朝だぞー」

 

 更に強く揺すって、全身が左右に大きくぶれるほどの強さにした。

 

 

 

 

「ふにゅ……はぁ、このクックベリーパイおいし~い…………えへへ……すぅ……」

 

 そこまでしても寝言を喋るほど、彼女は熟睡している。

 

「……マジィ? どんだけ寝付き良いんだよ…………」

 

 一度寝たら二千年は絶対目覚めない闇の一族が如く、彼女の睡眠は地底奥深くまで意識を落としている。そこまでの寝坊助なルイズに、最早(もはや)尊敬の念すら現れるのは錯乱ではないだろう。

 

「もう知らないからな、ちょっと手荒くなるからな」

 

 揺すっては起きないと踏んだ定助は、やり方を変更させる事にした。彼女の体を包む白い絹のシーツを掴んだのなら、

 

「すぅぅ……」

 

息を大きく吸い込み、

 

 

 

 

「おはようございまぁぁぁすッ!!」

 

大きな挨拶と一緒に、一気にシーツを剥ぎ取った。

 

「きゃあぁぁぁぁ!!??」

 

 大きな声とシーツを取られて急速に落ちた体温に驚き、流石の彼女の頭も緊急信号を点灯させ、意識を空高く持ち上げた。起きたとは思えない大袈裟(おおげさ)な悲鳴が、部屋いっぱいに響いた。

 

「ななななななに!? 何事なの!?」

「おはようございます、ご主人」

「あんた誰よ!?」

「……………………」

 

 まだ寝惚けているのか、寝るまでにたくさん怒鳴りつけていた自分の使い魔の存在を忘れている。あまりの寝起きの悪さは、わざとやっているのではと思うほど。それに開口一番「あんた誰」と言われた定助は一瞬、誰の事を言っているのか分からなかった。

 

「………………オレェ?」

「そう! あんたよあんた!」

 

 間の抜けた自分の主人を見て、定助は溜め息を()きそうになった。

 

「オレは昨日、キミの使い魔になった、東方定助だろう。忘れてどうする?」

「ヒガシカタ…………あぁ……」

 

 使い魔と、定助の名前を聞いて記憶が甦ったのか、寝惚け眼のジト目で定助を一瞥すれば、納得したように声を出した。そして、暢気(のんき)に大きなあくびを一つ。

 

 

「ふぁぁ……そう言えば昨日、召喚した使い魔がいたんだっけ…………」

「本当に忘れていたのか……ギャグかと思った…………」

 

 昨日の大きな出来事をさっぱり忘れ去るとは、正直頭から記憶を円盤にでもされて抜かれたのかと思うだろう。まぁ、そんな事は記憶のない定助が考えてしまえば、自身への皮肉になり得ないのだが。

 

「相変わらず失礼ねぇ、あんた……平民の顔なんか、いちいち覚えないわよ」

 

 今朝、シエスタとの会話を思い出した。この世界のパワーバランスについてだがなるほど、貴族はトコトン平民を見下すスタイルなんだろう。キツい毒舌だ。

 しかし、その毒舌の内容が昨日と繋げたものなので、彼女の記憶は元に戻ったと安心した。

 

 

「…………で? あんた、なにボーッとしてんのよ」

「え? オレェ?」

「あんたしかいないでしょうが…………」

 

 早速、ルイズから動くように言われるのだが、まだ彼女に対して何をすれば良いのか把握しきれていない定助は、ポカンとルイズを見るだけだった。

 すると、彼女はクローゼットを指差した。

 

「早く、私の制服と下着を取りなさいよ。このままじゃ朝食に遅れちゃうじゃない」

「あぁ、そう言う事か……」

 

 頼まれ事を理解した定助は、せっせとクローゼットの方へと向かった。後ろでルイズが「言わなくても出来るようにしてよ……」と悪態付いていたので、「貴族にとってこれは当たり前の事なんだな」と思い、覚えておく事にした。

 

「どの棚に何があるのか、聞いていなかった」

「右上の引き出しにブラウスと制服で、その隣がスカート。下の引き出しには靴下と下着よ、覚えておいて」

 

 言われた通りに、引き出しから一式を取り出す。それを丁寧に重ねて、ルイズの手前まで持ってきた。

 

「はい」

 

 ちゃんと取りやすいように、腰を曲げて差し出す。

 

「あら、気が利くじゃない。昨日より成長したんじゃないかしら?」

 

 そう言いながら下着だけを取れば、定助の前で何の恥ずかしげもなくスルスルと穿くのであった。しかし定助は直視するのは失礼だと思い、そっと目線を逸らす。当たり前の反応だ。

 下着を穿き終えれば、次は制服だろう。彼女が手にするまで、岩にでもなったようにじっと制止しておく。

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………え、着せるの?」

「当たり前じゃない」

 

 何もしないのと、意味深な沈黙が、定助に察させた。しかし、下着を取るまでだったら妥協出来たが、流石に着せるのは抵抗が出来るだろう、正直やりたくない。

 

「それぐらい自分では無理なのか?」

「知らないのなら教えてあげるけど、貴族は目の前に下僕(げぼく)がいる時、自分で服は着たりしないものよ!」

 

 これほどまでの格差だとは、と思った以上に両極端的なパワーバランスに定助も参ってしまう。

 

「…………やらなきゃ駄目なの?」

「別にしなくてもいいけど、主人の言う事を聞かない生意気な使い魔には『オシオキ』ね! んー、そうねぇ……例えば朝食抜きにしたりぃー……」

「分かった! やる、今すぐやるッ!!」

 

 空腹が限界まで来ていた定助は、脅しに似た(寧ろ脅し以外の言葉はない)ルイズの『オシオキ提案』を聞いて有無を言わさずルイズの着替えをする事に決めた。

 

「ふふん、早くしなさい」

 

 したり顔のルイズだがこの時定助は、シエスタが貴族を恐れている理由が分かったような気がした。

 

 

「じゃあまず、上着から……」

「ちょっと!? なに寝間着の上から着せようとしてんのよ!!」

「寝間着だったのか、それ……」

「見てわからな…………あぁ、記憶喪失なんだっけ」

 

 記憶喪失のせいかは知らないが、始めてなら下着に見えかねないネグリジェを、彼は知らなかったので間違えるのは仕方がない。とりあえず、まずはネグリジェを脱がしてやるのが先だろうか。

 

「手を上げて」

「ん」

 

 ネグリジェを脱がしてみれば、彼女の白い肌の露出が大きくなる。これもまた気恥ずかしい。人によっては役得(やくとく)と思う者がいるとは思うのだが、定助にはシンプルに拷問だった。

 

 さっさとネグリジェを脱がして次は、ブラウスを着せに入った。人に服を着せるのは全くやった事ないので、少しもたつくが、ルイズから何か言われる前に腕を通させて、キチンと羽織らせる。

 

「じゃあ、次はスカートに……」

「まだボタンが留まってないのだけどー?」

「…………」

 

 黙ってブラウスのボタンを一つ一つ留めに入る。ただ、留めれば留めるほど、露出がなくなって行くので、視線の向ける先と言うのが楽になるようになった。女性の下着姿は目に毒、という訳ではないがキツい。

 

 

「これで…………よし」

 

 最後にスカートと靴下を着せてやれば、昨日見た彼女の姿になった。これが、この学院の制服であり、いつもの姿なのだろうか。定助は、この作業だけでドッと疲れたように感じた。

 

(今日一日を乗り切れるのだろうか……)

 

 そんな事まで考えたのは、空腹である事を相乗してだろう。

 

「はぁ……まだまだ遅いわねぇ。もっとちゃっちゃと行動しなさいよ」

「…………以後、気を付けます」

「よろしい!」

 

 朝食をエサにしているのだが、昨日よりか従順な定助に対して機嫌が上行くルイズ。一方で定助は、どんどん疲れが溜まって行くばかりである。

 

 

 ルイズは鏡で髪の毛をセットしたり、ちゃんと服を正したり、マントを羽織ったりして今日一日の準備を済まして行く。そしてマントの懐に『魔法の杖』をしまうのだった。

 

「なぁ、それが、魔法を使う為の杖なのか?」

「うん? そうだけど?」

 

 定助の目には、ルイズの部屋に入った時の好奇心が宿っていた。

 

 

「ちょっとで良いんだ、貸して欲しい」

「貸して欲しい、じゃないわよ!? よく平民が貴族にそんな事頼めるわねぇ!?」

 

 予想していた事だが、貸してもくれなかった上に怒鳴られた。でも、定助は沸き上がった好奇心が抑えられなかっただけであった。

 

「良い? 杖は、メイジが魔法を使う際に必要になってくる、ある意味で『必需品』なの。そりゃ、あんたたち平民にとってはただの棒キレになるだろうけど、これの価値はあんたが思っているよりも高いのよ!」

「杖を持ったからって、オレは魔法を使えないのか?」

「当たり前じゃない!? 平民は魔法を使えない! 常識中の常識よ…………って、あぁ……あんた、忘れてるのよね……はぁー、面倒臭い……」

 

 つまり、『平民』は根本から魔法を使う能力を持ち合わせておらず、杖を持とうが貴族の服を着ようが、魔法を行使出来るのはその才能を持っている『貴族』のみと言う訳だ。段々と掴めて来た『平民と貴族の境界線』である。

 

(力のある者が、力無き者を支配する……うん、よくある構図だな)

 

 そう思いながら、一人納得した定助だった。

 

 

「んー、まぁ……ちょっとなら良いわよ?」

 

 しかしどういう風の吹き回しか、なんとルイズから杖の使用を許可されたではないか。考え事していた定助は、バッとルイズに向き直る。

 

「えぇ!? い~のぉ~!?」

「特別よ、有り難く思いなさい…………壊したら承知しないわよ」

「うん、うん、うん」

 

 ルイズから杖を手に取った。なるほど、ただの棒キレかと思えばスベスベとしており、触り心地が良い。確かに高そうな感じがする。

 

「どうするの? やっぱ、呪文を唱えるのか?」

「そうよ。じゃあ、『ファイア・ボール』と唱えてみて。あぁ、万が一があるから、窓を開けて、そこから外に向かってやりなさい」

 

 そう言われ、さっさと窓を開けて準備に入る。かなりテキパキとしていた為に、「その手際の良さを私に回しなさいよ……」と呆れられた事は内緒だ。

 

「杖を構えるんだよな?」

「えぇ、真っ直ぐに構えてから、唱えるの」

 

 窓は開けたし、前方に障害物なし。どうやら、何かを飛ばす魔法だと分かった。

 

「それじゃあ、やってみなさい」

「よぉぉし!」

 

 そして定助はルイズの許可を受けると、待ってましたとばかりに杖を持つ手に力を込め、

 

 

「『ファイア・ボール』ッ!!」

呪文を唱えたのだった。

 

 

 

 

 結果、何も起こらないし、何も出てこなかった。

 

「…………」

 

 定助は、ブン、ブンと杖を振るのだが、それでも何が起こると言う訳でもない。そしてもう一度呪文を唱えたりするが、結果は依然、変わらず。

 

「ふーん、やっぱあんた、『平民』ね」

 背後から手を伸ばし、定助から杖を取り上げた。

 

「分かった? あんたは『平民』なの。貴族なら始めてでも、杖から火がちょびっと出る程度は兆候が出るわ」

 

 ここでようやく、ルイズが定助に杖を使わせた理由が分かった。彼を『平民か貴族か』見極める為だったのだ。その意図に気付き、「試されただけか……」とガックリ肩を落とした。

 

「ほら、満足したなら窓を閉めて。早く朝ごはんを食べに行くわよ」

「…………うん」

 

 自分が開けた窓を閉めて、身仕度の済んだルイズに催促されて、さっさと定助は彼女の為に扉を開けた。




ジョジョ特有の『間』を意識する事にしました。そしてライトノベル特有の『台詞の多さ』も意識する事にしました。
『間』を取る、『台詞』も増やす、両方やらなくちゃあいけないってのが作者の辛い所だな。覚悟は出来ているか、俺はそんなに出来ていない(爆弾発言)


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朝食を食べに行こう。その2

感想をジョジョネタで書かれましたらジョジョネタで返信します。それが流儀ィィィィ!!


 扉を開けて、ルイズを先に行かせる為に横へずれる。それを確認した彼女が、扉から廊下へ出た。だが、すると「ゲッ」と嫌な相手にでも会ったような、濁った声をあげた。

 何事か、と思い定助も廊下に出れば、扉の右手の方でルイズの前に立つ人影の姿があった。

 

 

「おはよう、ルイズ」

「…………おはよう、『キュルケ』……」

 

 ルイズから人間嫌いの漫画家が、その中で最も大嫌いな奴に出会った時のような、「早くどっか行けよ」と言っている嫌味なオーラを感じる。それが「おはよう」の挨拶の中でも、一言一言の抑揚の中で露骨になっている、明らかに暗めの声だ。

 

「あら、今日は早く起きれたのね、意外」

「あんたは一言多いのよ! 起きれるわよ、そんくらい!」

 

 顔を合わせてすぐの、二人の突っ掛かり様を見れば、仲はそんなに良くない関係である事が伺える。と言っても、相手がルイズを怒らせて、面白がっているようにも見える。

 

「『起きれるわよ、そんくらい』ねぇ、昨日は誰のお陰で遅刻せずに済んだっけ?」

「うっさい! 昨日は……その、た、たまたまよ! お、遅くまで勉強していたからね! ふ、ふーん!!」

 

 これは完全に遊ばれている、素人目でも分かる。ルイズを怒らして、アワアワとさせるのが好きなのだろうか。そしてルイズは分かりやす過ぎる。

 

 

「フフ、そう言う事にしてあげるわ…………って、あら?」

「あ」

 

 相手が扉の前に立つ定助の存在に気付き、目線が合った。顔を見てみれば、定助は見た事ある顔だったので、思い出していた。

 

(確か……オレが召喚された時にいた子だ…………)

 

 燃えるような紅い髪に、高身長の美人。そうだ、あの時もルイズに突っ掛かっていたのを思い出した。

 

(…………知ってはいるんだけどなぁ…………)

 

 あの時はあまり印象に深くなかったが、間近で見てみればそのインパクトで脳裏に焼き付いた。

 

 

 肌は(あで)やかな褐色、それに一番驚いたのは胸元のボタンが開けられており、豊満な胸部による谷間が惜しげもなく空気に晒されていた。更に漂う、品の良い香水の匂い。足がグンバツだとか(確かにグンバツだが)そんな次元ではなく、頭の先から爪先まで輝かしいほどの美人。そして、場をスッポリ覆ってしまうほどの(なまめ)かしい色気、これだけの要因が重なったのに印象に残らない訳がないだろう。

 なんだか、人を惹き付け離さない魅力を持っている。この人、磁力でも持っているのではないかと思うほどだ。

 

「あなたがルイズの使い魔のー……えーっと、お名前をお聞かせ願える?」

「え? あ、オレェ?」

 

 存在感に圧倒されて、少し頭が動いていなかった。

 

「名前は一応……東方定助」

「『一応』って曖昧ねぇ…………」

 

 何だか、自分の名前であると頭にはインプットされているが、「本当の名前ではない」ような気がしてしまう。だからここまでずっと、この『東方定助』と言う名前に自信が持てなかった。

 

(だからって、『記憶喪失なんだ』って言いたくないけどなぁ…………)

 

 こう言う事はそう、易々と教えるものではないのだが、この名前に関しても尾を引いているのが、無くなった自分の事なのだろう。この事を伝えた上で『東方定助』を名乗るか、凄く悩む所だ。

 

 

「だって、記憶がないんだし」

 

 そう悩んでいた時にルイズが普通に暴露した。

 

「おいおい、言うなよそれを…………」

「別にいいじゃないの? 現にあんた、曖昧に言ったせいで、何でかについての言い訳考えてないでしょ?」

 

 バレていた。

 

「それに、記憶がないって善処させておけば、頓珍漢(とんちんかん)な事言っても理解してくれるでしょ?」 

 

 そうやって気を使わすのが嫌だから黙っていようとしたのに。しかし一理あるのだから言い訳しようものがないし、言ったって「隠したいのなら『一応』なんて付けずに言えば良かったのよ」なんて言われたら論破される。諦めて、溜め息吐くだけにしておいた。

 

 

「え、それ、本当なの?」

 

 記憶喪失だと聞いた紅い髪の少女は、懐疑的にマジマジと定助を眺める。それについて自分から言うよりも、ルイズが勝手に補足をした。

 

「嘘な訳ないじゃない。だから自分の名前が本当か分かっていないんだし、貴族であるあんたに対しても頭が高いのよ」

「あ、そう言う事。でも、記憶喪失にしてはルイズと話せていたじゃない?」

「忘れた事が限定的なのよ。ある程度の知識と常識は覚えているけどね、自分の事とか魔法とかこの国の事とか、まるっきり忘れているわ」

 

 要約されて説明されると、本人である定助が不可解に思ってしまう。確かにこんな限定的な記憶喪失は、ちょっとおかしい。

 

「まぁ、仕えさせるのだったら支障はあまりないんだけどね」

「へぇぇ……そんな事があるのねぇ…………」

 

 彼女の目に、懐疑から好奇が宿った。何か、面白いおもちゃとかを見付けた時のような、子供っぽい好奇心の視線。そこに、ねっとりとした大人の視線が入れば、ドキリとするのは仕方がないだろう。

 

 

「それにしても災難ね、ルイズのせいで記憶喪失になって」

「私のせいじゃあないわよ!?」

 

 意外とこの少女は、彼が記憶喪失だと知っても平常運転だ。だけど分かる、こう言った女性は、自分と他人をまずは分けるタイプだろう。そうやって、問題などを置いといて懐に入り込むのだろうか。

 

「ともあれルイズ、凄いじゃない! 本当に平民を召喚するなんて! 流石は『ゼロのルイズ』!」

「うるさい! 私だって、好きで平民を召喚したんじゃあないわよ!」

 

 ギャーギャー喚くルイズは、さっきの寝坊助とは到底思えず、完全に覚醒している事が分かる。寝起きは悪いくせに、目覚めは早いとは、良いのか悪いのか判断つけられない性質だ。

 

(……『ゼロのルイズ』?)

 

 彼女が言った、ルイズの呼び名だが、とても妙な感じだ。ルイズの渾名か何かとは思うが、見当つけられなかった。

 

 

 その時、いきなり熱を感じた。

 

「うん? 何かこの廊下、暑くないか?」

「ふふふ、後ろ」

 

 紅い髪の少女に背後を指差されて、クルリと振り返ってみれば、そこには真っ赤な体色の大きなトカゲが座っていた。

 

「うわぁ!? なんだこの生き物!?」

「あら、『サラマンダー』が分からない? 本当に記憶喪失のようね……」

 

 理由はともあれ、納得してもらったようだが、その『サラマンダー』を前にして飛び退く定助に、彼女の声は聞こえていないだろう。

 

「あー……そう言えばそれ、あんたが召喚したのよね……」

 

 羨ましいのか、義望の眼差しでサラマンダーを見ている。ルイズの様子からして、こっちの方が平民より上等な『使い魔』と言うものだろう。

 

「あたしは、誰かさんとは違って一発で召喚したのよ?」

「…………ふん、言ってなさいよ……」

 

 事ある毎にルイズの神経を逆撫でするこの少女に、定助はある意味で、敬意に似たようなものを感じた。

 

「紹介するわ、あたしの使い魔の『フレイム』よ。この鮮やかな火にこの巨体……ふふふ、まさにあたしにピッタリの使い魔ね!」

「あんた、【火】属性だものね」

「ふふふ……『微熱』のあたしにぴったりね」

 

 クスクスと笑いながら、少女は自慢気に胸を張る。定助は、フレイムの尻尾を灯す火が気になって仕方なかった。

 

「よれば、あの『火竜山脈』に生息している種類だそうよ? 血統書が取れるわ。それに曰く、好事家(こうずか)に見せたら値段は付けられないほどらしいとか……」

 

 そして、チラリとルイズを見やると、ニッコリ笑いながら、

 

「どうせなら、こんな素晴らしい使い魔を召喚したいわよね?」

「ふぎぎ……!!」

 

またルイズを怒らせる事を言った。堪えるように呻くルイズだが、ここで持ちこたえていなければ間違いなく、「ぶっ殺す」と言うまでもなく飛びかかっていただろうか。

 

 

「見てみろよこいつ! 煙を吐いているぞ!」

「楽しんでんじゃあないわよッ!! さっさと離れなさいッ!!」

 

 とばっちりにも似たルイズの叱責に、渋々とフレイムから手を離した定助であった。

 

「あらあら、ルイズ? 使い魔に当たっちゃ駄目よ?」

「いちいちうるさいのよあんた! 気が済んだのならとっとといなくなりなさいよ!」

「で? えーっと、ヒガシカタ・ジョースケで良いのよね?」

 

 ルイズを無視して、少しダンマリ気味の定助に絡み出した。横で「無視をするなぁ!」と叫ぶルイズだが、もちろん無視だ。定助は定助で、名前を呼ばれてちょっとだけびっくり。

 

「……ええ、東方定助で…………」

「ふぅん、ちょっと変わったお名前だけど、『一応』は名前なのね、覚えておくわ」

 

 変わった名前……そう言えば、この世界に『漢字』と言う概念はあるのだろうか。ルイズもシエスタも、聞いてみればとても漢字には変換出来ない、カタカナの名前である。

 そんな事をふと考えたのだが、少女は胸に手を当てて、自己紹介に入ったので思考を吹き飛ばした。

 

 

「あたしはキュルケ、『キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー』。以後宜しく」

「………………………………」

「どうしたの?」

「…………いや、よろしく」

 

 長い。どうしてこの世界の人間は、こんなに名前が長いんだろうか。定助は、最初の『キュルケ』と、最後の『アルハンツツェルプストー』ぐらいしか聞き取れなかった。

 

「フルネームを言わなくてもいいわよ、どうせ聞き取れきれてないだろうし、あんたの家柄がどんなのとか覚えてないだろうし」

 

 そんな定助の気持ちの大半を、ルイズが代弁してくれた。そう言えば、ルイズのフルネームはスッカリ忘れてしまっている。

 

「それはあなたも同じじゃない?」

「これからみっちり叩き込むわ」

 

 何だか於曾(おぞ)ましい事を聞いたような気がした、義理の兄弟が父親を毒殺しようとしているのを知った時のような戦慄と同等かもしれない、そんな冷えた空気を感じた。定助は聞かない事にする。

 

 

「まぁでも、記憶を無くした男…………んふっ! 何だかミステリアスね!」

 

 また最初の時の、子供の好奇心に大人の眼差しが合成したような、あのちぐはぐな視線で彼女……キュルケは定助を見た。それに、やけにズイッと近付かれているので、定助は無意識に体を反らして逃がした。

 

「全く忘れちゃったの?」

「そうね、聞いた限りだと、生まれ故郷も忘れたそうね」

「ルイズ、あたしはこの人に聞いているのだけど?」

 

 代わりに代弁したルイズに、注意を入れた。そしてわざとだろうか(恐らくわざとだが)、ルイズは聞こえるように大きく、憎々しげに舌打ちをした。キュルケは反応せず、続ける。

 

「それで? あなたの口から説明して」

「…………まず、自分の事を言えないほどには忘れてしまっている。生い立ちから、どんな生活をして、どんな夢を持って、どんな奴と人間関係を築いていたのか……それこそ、『自分は何者なのか』と深く考えるほど、全く残っていない」

「へぇ、全く?」

「何も分からない」

 

 キュルケの目に宿る好奇心が、更に光を強めたような。いや、これはもう、ターゲットを定めた(はやぶさ)のような眼光にも思えた。

 だからこそなのだろうか、彼女の満たすような魅力と相まって、定助は逆らえないような気がしていた。

 

 

 

 

「……でも良く見れば、良い男じゃない? さぞかし、異性からモテていたでしょうね」

「は?」

 

 かなり理解不能な彼女の言葉に、素で「は?」と言ってしまったが、キュルケは咎める事はないようだ、お構い無し。

 

「細身だけど、筋肉はそれなりにありそうだし、顔の作りも整っているわ、ちょっと肌は色白気味だけれど。間違いなく、美男子の内に入っているわよ!」

「そ、そお? オレェ?」

「えぇ! 平民なのが惜しいほど!」

 

 どんだけ平民は損をしているんだと、突っ込みかけたが引っ込めた。あまりそんな風な雰囲気はしていなかったのだが、彼女も『貴族』なのだ。しかし彼女からは『貴族』と言うより、『女王』のような風格を感じてしまうのは何故だろうか。

 

 

 ともあれ嬉しそうな定助だったのだが、それを見ていたルイズの注意が入った。

 

「なに良い気になってんのよあんたは! ちょっとキュルケ、あまりそいつを持ち上げるんじゃないわよ!」

「あら? あたしは率直な印象を述べただけなのだけどー?」

「それが駄目だっての!」

 

 文句を言うルイズをまたほったらかしに、キュルケは更にズイッと定助へと顔を近付けた。

 

 

「ねぇ、あなたって、『自分の中の(けもの)』は覚えてらっしゃる?」

「へ?」

 

 その質問に、ルイズがとうとうプッツンした。

 

「あ、あんた!? なに、人の使い魔たぶらかそうとしてんのよッ!?」

「何もそんなつもりはなかったけどねぇー」

「もういい! あんたが去んないなら、こっちから去るわッ!…………ほら! こっち来なさいっての!」

 

 呆然とする定助を引っ張り、キュルケの元から離れる。「おいおい」と言う定助だったが、手を振って見送るキュルケに合わせて手を振る余裕はあった。突き当たりの道に曲がれば、キュルケもフレイムも見えなくなり、途端に空気が冷たくなった。

 

 

「全く…………! いい!? 今後ともツェルプストーと接触するのは禁止よ! 会話も許さないわ!」

「なぁ……なんでそう、あの子を目の敵にしてんだ? 友達なんだろ?」

「あんた、あのやり取り見てよく友達だと思ったわね!?」

 

 何だろうか、『喧嘩するほど仲が良い』なんて格言が浮かんでいた。何だか、二人は憎まれ口を叩き合う仲だとは思うのだが、何処か良く気があっているような節を感じたからだ。

 まぁ、当の本人が否定したのだから、勘違いなんだろうが。

 

「ツェルプストー家と、私たちヴァリエール家はずっとずっとライバル関係なのよ! 昔からしょっちゅう戦って来た、因縁の関係なの!」

「そらまた何でそーなるの?」

「……………………」

 

 少し黙り込んでから、ルイズは嫌々ながらも語りだした。

 

 

「…………私たちとツェルプストーは領地が接していて、何かといざこざがあったのよ。それに…………」

「それに?」

「…………ヴァリエール家は代々、ツェルプストーに恋人を寝取られているわ」

 

 定助は思わず吹き出しかけた。しかし、ここで笑ってはルイズに(しめ)られかねないので、何とか抑えた。

 なるほど、領地を取り合う敵であり、恋のライバルでもあるのだなと、定助は認識した。特に色恋沙汰関係からもたらされる因縁やらは深く、複雑だ。

 

「お父様からも『ツェルプストーにだけは負けるな』と教えられているほどよ!…………あぁもうムシャクシャするぅ!! 何であたしは平民を召喚したのよぉぉ!!」

「オレは知らんぞ」 

「いいや関係ないねッ!! このアホ犬ッ!!」

 

 とうとう『犬よばわり』にされて、滑稽なのやら悔しいのやら……複雑に折られた感情に悩まされながらも、定助はルイズに引っ張られ、寮から出たのだった。

 

 

 寮の扉を抜けて、ルイズから解放されれば、思い出したように質問をした。

 

「そう言えばキュルケちゃんが言っていたけど……」

「なにその『ちゃん付け呼び』!? あんたたちそんな親しくないし、まずキュルケはあんな成りだけど一応、貴族だからね!? 身の程知りなさいよそろそろ!」

「まぁまぁ……」

「…………で? キュルケがなんて?」

 

 ライバル関係の彼女が言った、なんて言えば気になって仕方がないのもライバルの止められない(さが)なのだろうか。ともあれ、ルイズが聞く耳持ったのを見計らって、質問を言った。

 

 

「キミの事、『ゼロのルイズ』って言っていたけど、何か意味ある?」

 

 その質問を聞いた瞬間、ピクリとルイズの体が揺れた。「あ、これは怒られる」と思い、待ち構える。

 

 

 

 

「…………あんたなんかが、知らなくてもいい事よ」

(あれ?)

 

 しかし反応は、薄いもの。

 いや、薄いのではない。彼女は『静かにキレている』。あの、激昂(げっこう)するタイプのルイズが、静かにキレているのだ。

 

(…………この言葉は言わない方が良いか……)

 

 そんなただならぬ雰囲気を察知し、定助は黙ってルイズの後を付いて行くのだった。




細かい色彩設定としては、服装は『ジョジョリオン 四巻』の色合いで、肌の色は『ジョジョリオン 十巻』の方と、設定付けておきます。失礼しました


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朝食を食べに行こう。その3

出来る訳がない!出来る訳がない!出来る訳がない!出来る訳がない!
ほら、四回言ったぞ!早く『黄金超大作』の書き方を俺に教えろ!!


『アルヴィーズの食堂』は学院のほぼ中心部、本塔内に位置する、巨大な食堂である。しかし『食堂』とは言うものの、その面積はオペラ座の劇場か何かかと錯覚するほどの、広さと豪勢さが融合した施設であった。大多数の生徒が席に着き、食事の挨拶が来るまで待つ様を見ていれば、朝食と言うより特別な日の晩餐会のような雰囲気だろう。

 

 

「うおおー、凄いなぁー!」

 

 三列並んだ長テーブルは果てまで続き、引かれたテーブルクロスの上には朝食とは思えないボリュームの料理が(ひし)めいていた。空腹の定助は、それらに釘付けである。

 

「こーんな華やかな所で、毎日朝食食べるのかー!」

「あまり大きな声出さないでよ! 恥ずかしいじゃない!」

 

 興奮する定助の腕を引っ張って注意する。それでいてもこの尊厳な雰囲気を出す食堂が、彼に強烈な好奇心を与えるのだった。

 

「ここは魔法の勉強だけじゃあなくて、貴族としての(たしな)みや立ち振る舞いとかも学ぶのよ。『貴族は魔法を以て精神となす』……食堂も、貴族に相応しいものじゃないと」

 

 つまり学院が後押しして、生徒らに帝王学やらを、魔法のついでに教えるのだろうか。ルイズのプライドの高さを見ても、その教育は浸透している。

 

「へぇ、花嫁修業も兼ねているのか。やっぱ家庭科の授業とかあるんだよな?」

「…………家庭科は知らないけど……まぁ、大体合ってるわ」

 

 そりゃ貴族は料理を作らないか、と定助は思い直した。

 

「あの……あの変な小さい石像はなんだ?」

 

 定助の指差す先には、壁際に点々と並ぶ小人の像がある。良くみればかなりリアルに、精巧(せいこう)に作られている為、いつ動き出しても驚かないほど最高にハイクオリティーってやつだ。

 

「あれが、この食堂の名前の元になっている、小人の石像『アルヴィー』よ。たくさんいるから、複数形にして『アルヴィーズ』ね」

「動き出しそうだなぁ」

「夜になれば踊るのよ」

「動くのぉぉ~?」

 

 ここに来て、やっとこの世界は「なんでもありだな」と実感するに至る。それよりも夜中に踊り出すとは、これは夜な夜なここに入って見てやるしかないなと、変な使命感を抱いていた。

 

 

「あと、本当はこの食堂、あんたみたいな平民は絶対に入る事も出来ない場所なのよ」

「…………え、マジ?」

 

 少し、ヒヤリと背筋が冷たくなった。堂々と正面から入ったが、咎められるのか。

 

「全然普通に入っちゃったけど、問題ない…………」

「…………」

「…………よな?」

「大問題よ」

 

 そうルイズに言われ、ギクリと体が震えた。貴族と平民の関係を掴んだだけに、貴族たちから睨まれてないか、周りを見渡してしまう。その時に上の階の存在に気付いた、ロフト席だろうか。

 そんな中で、慌てる定助のその様子を、ニヤニヤとして見ていたルイズ。

 

 

「…………普通はね? あんた使い魔だけど人間だし、特別に入れるように手配していたわ。だから今回は大丈夫よ」

 

 定助はルイズにからかわれていた訳だ。変に気を張った自分が馬鹿に見えて、ドッと息が漏れた。

 

「驚かすなよ…………」

「ご主人様からの(いき)(はか)らいよ、感謝しなさい」

「有り難う御座います」

 

 これは素直に感謝する。こんな豪勢な料理を、朝からありつけるなんて黄金体験だ、ファンタジーだ、メルヘンだ。

 

「上の階もあるんだ」

「あそこは先生たちの席よ。私たちでさえ行けないわ……っと、ほら」

 

 椅子の前まで来れば、ジッと定助を一瞥し、立ったまま静止している。何の事か分からないので「なんだろうか」とキョロキョロする定助だったが、その様子でルイズは溜め息吐いて、何かを諦めたようだ。

 

「もう……記憶がないのなら覚えておきなさい。椅子を引いて、私を座らせるの」

 

 そう言う事かと納得し、すぐさま椅子を引いてルイズを座らせる。ここでやっと、何かあればご主人より率先してやるんだなと学んだ定助である。

 

 

「オレは隣でいいかな」

「なに言ってんの? あんた?」

「えっ」

 

 椅子に座ろうとする定助を、ギロリと睨むルイズの視線を感じた。それでルイズに目線を合わせれば、やっぱり睨んでいた。神父と相対した不良少女の鋭い目だ、こいつこんな目も出来るのか。

 

「昨日の夜の事、思い出しなさいよ。あんた、椅子に座ろうとしたわよね?」

「…………」

「…………」

 

 定助の視線が、足元へとゆっくり落ちる。

 

 

 

 

「…………床ぁ?」

「その通り」

 

 頭が痛くなる。このやり取り、何だか昨日のリプレイのようだ。

 

「まぁ……いいか」

 

 椅子に座れないと言う不満を消せば、あとは何も粉微塵に残らないのだから、甘んじる。こんな豪勢な料理を頂けるのだから不平不満は無しにしよう。 

 

「床からいちいち立って取るの面倒だから、ここで幾つか料理をストックしていい?」

「…………あんた、椅子が駄目なら料理も駄目って気付かないかしら?」

 

 指がちょんちょんと、下へ向けられた。それをすーっと目で追えば、何かが見えた。いや、見たくなかった。

 

「……………………」

「平民が、貴族と同じ食事なんて食べられる訳ないじゃない。この食堂の、この床で、その食事。普通だったら外で使い魔たちと一緒だったのよ? あんたは特別」

 

 これまであった全ての事を、一気にひっくるめて撤回する。床には見るからに固そうな黒パンと、少量の冷たそうなスープが置いてある。

 

「……………………」

「ほら、さっさと床に座りなさいよ。お祈りが始まるわ」

「……………………」

 

 何だか、自分の中の大事な物を色々と踏みにじられたような気分になり、彼女に対して異議申し立てをする気力もわかなかった。

 

(あー……『入れるように手配した』とは言っていたが、『食べられるように手配した』とは言っていなかった…………)

 

 目の前の食事にありつけると、勝手にぬか喜びしていた自分が恥ずかしくて仕方なくなって来たが、「勘違いは仕方ない」と思い直し、屈辱感と羞恥から逃れる。

 

 

 

 

 ふと気付けば、食堂はシィンと静寂に浸っており、ルイズも含めて全ての生徒が両手を組んで、祈るように黙祷(もくとう)をしていた。

 

「偉大なる『始祖ブリミル』と女王陛下よ。今朝もささやかな(かて)を我に与えたもうた事を感謝いたします」

 

 一人の人物(恐らく教師だろう)の号令の後に、全生徒がその祈りの言葉を口々に唱えた。何の事か分からない定助は、その様子を眺めているだけ。

 

(…………『始祖ブリミル』?)

 

 人物名であろうその言葉が何故か心を離さなかった。貴族の人間がみんな揃えて祈っている所を見れば、かなりの信仰を集めている人物なのだろうか。

 

 

(…………にしても、『ささやかな糧』か……貴族たちよりもオレの方が状況に合っているんじゃあないか…………)

 

 空腹にグッタリとしながらも、自分の目の前に置かれている『ささやかな糧』を見て何とも言えない気分になった。祈りが終わると、一斉に食器の鳴る音と話し声が響いた。

 

 

 

 

「朝食はやっぱり、焼きたてのクックベリーパイに限るわよねぇ」

 

 幸せそうな満面の笑みで、パイを頬張るルイズ。そこだけならとても可愛らしい少女なのだが、すぐ下の床に座り、質素な料理を食べる定助と一緒に見れば、この世界のパワーバランスを象徴しているようで物凄い光景だ。ギャングでも一緒の席に座れるのだが。

 

「……なぁ、一生に一度の願い事なんだ、何か一つ食べさせてくれ」

「あら、食べ終わったの?」

 

 黒パン二つに少量のスープ、さっさと空の胃にいれたが中途半端に満たされたので、余計に欲しがって足らなくなっていた。当たり前だが。

 

「じゃあ、私が食べ終わるまで待ってなさい」

「…………そのパイの一キレで良いんだが」

「何気に贅沢なもの頼むわねあんた……早く平民である事を自覚しなさいよ…………」

「分かった、だったらそのマスカット一粒なら……?」

 

 図々しいなと眉をしかめながらも、「まぁ、マスカットぐらいなら」と思い、皿に盛り付けられた一房のマスカットから一粒を取り、定助にポイっと投げ渡した。

 

「ほら。それで満足しなさいよ」

「おぉ」

 

 満足はしないと思うが、美味いものが食べられるだろう。これで空腹感を誤魔化せたらいいのだが。

 

「いただきます」

 

 やはり貴族が食べるだけあって、厳選して出しているマスカットなのだろう。瑞々しく膨らんだ、なかなか上質の大きな一粒だ。食欲が沸き起こり、堪らず口の中に入れた。

 そしてそのまま『前歯』で挟むと、一気に噛む。

 

 

 ブシュゥゥゥゥ。定助の口からマスカットの果汁が勢い良く発射された。

 

「キャアァァァァァ!!??」

 

 ルイズの甲高い悲鳴が響く。それはそうだろう、マスカットを噛んだ定助が口からテッポウウオのように果汁を飛ばしているのだから。そしてそれは、彼女の目の前を掠めたのだから驚かない要素が全くない。

 

 

「ンマイなぁぁあぁぁぁッ!!」

「何やってんのよあんたぁぁぁぁ!!??」

 

 定助の歓喜とルイズの怒号、周りの全員の視線が一気に集中した。

 

「なに!? 私に(うら)みでもあるの!?」

「やっぱ貴族の食べるものは何でも一流なんだな! マスカット一粒でもスッキリした気分になる!」

「私の話を聞けぇぇぇッ!!」

 

 ふっと、大口開けて喋る定助の口内が見えた。チラリと前歯が見えたのだが、上前歯がちょうど真ん中ですきっ歯になっていた。その状態で挟んで噛んだ為に、細い隙間からマスカットの果汁がホースのように発射された。これにより、奇跡的飛距離で果汁を放ったのだ。

 

「あんたすきっ歯じゃない!? それでマスカット食べるの下手って、色々終わっているわよ!?」

「前歯で噛むのが癖なのかな」

「奥歯、奥歯を使いなさいよッ!」

「挑戦してみよう、もう一粒だけ」

 

 何処までもマイペースな自分の使い魔に、髪を貶された不良のように激しくプッツンするルイズ。

 

 

「さっさと出ていきなさぁぁいッ!!」

 

 貴族の振る舞いだとか、そんなものを無視したような鬼の形相の彼女を見て、「何だか知らんがヤバイ」と本能で察知し、食堂の出入り口目掛けて全力で逃げ出した、戦おうだとか弁解しようだとか考えもしなかった。言うのも、彼女は懐から杖を取り出していたのだ。

 

「ゼェ……ゼェ……あんの…………バカ犬……!!」

 

 息をきらしながら、食堂からトンズラした定助を確認すると、気持ちも落ち着いて来た。

 

 

 落ち着いてくると、クスクスとした嘲笑と、周りの声も聞こえた。

 

「おい見ろよ……『ゼロのルイズ』は平民さえも手懐けられてないぞ」

「凄い剣幕だったなぁ……朝から暇しないぜ……く、く、く!」

「あの平民、果汁をかけようとしていたぞ」

「まぁまぁ……『ゼロのルイズ』だしな! 大目に見よう!」

 

 その様子に気付き、ボッと顔が真っ赤になり、とりあえず黙って席に座り平静を装った。

 

(く、くぅぅ!! あのバカのせいで、楽しいハズの朝食が台無しじゃない!!)

 

 イライラと羞恥心が混ざりあい、まさに混沌とした感情を募らせながら、周りの興味が薄れて来た時を見計らってナイフとフォークを再び手に取った。

 

(絶対に許さないわ……! 三日間…………いや、一週間ご飯抜きにしてやる! 貴族の恐ろしさってのを身を以て味わらせてやるッ!!)

 

 怒りのピークを越して、この混沌の感情を怒りにして定助にぶつける事にした。まるで脳に微弱な電気でも流されて闘争本能が暴走しているようだ。

 こんな事になった理由を定助のせいにして呪いつつ、冷めかけのクックベリーパイを口にした。

 

 

「…………雑味?」

 

 食べなれたクックベリーパイの中に違和感あり。何だか、ベリー以外の妙な酸味を感じた。そして一気に、さっきの光景がガンッ! と、フラッシュバックした。

 

「…………マスカット…………」

 

 どうやら、定助の放ったマスカットの果汁が、ピンポイントでパイに直撃したようなのだ。フォークとナイフを持つ手が怒りで震え出す。

 

 

 

 

「…………絶対に……目にもの見せてやるんだから…………!!」

 

 この時放った彼女のオーラは、近くを通った貴族も平民もビクビクとさせたとの事だった。




やりたかった「ンマイなぁぁあぁぁぁッ!!」でした(笑)
あたしもやりたいんですがね?すきっ歯じゃないので……はい(はいじゃあらへんがな)。


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使い魔と戯れ、自分を知る。

合間の話のようなもんですので、少し短めです。
更新が早いので大丈夫かって?大丈夫、僕は毎日が虚無の日だと思っていますから。


 食堂の扉を開け、まだ全開ではないのに隙間へ滑り込んでそこから逃げた。ルイズが杖を出した時、強い殺意を感じたので、定助は逃走に至った。

 階段を駆け下り、本塔からの脱出まで生きた心地がしなかった。

 

「ゼェ……ゼェ……しゃ、洒落にならなかったか…………」

 

 ほんの一分間、それだけの時間なのに汗が出て止まらない。この一分間だけで、彼の中では色々と規則を立てる事にした。

 

「前歯で噛むな、ご主人を本気で怒らすな…………と言っても、怒りのツボが今一分からないんだよなぁ……」

 

 しかし、何かしらのトリガーが多いとあっては、貴族は本当に平民を見下し、性格的にも気難しくなるのだなと分かった。あぁ、なるほど、シエスタちゃんが怖がる理由が分かったと、一人納得していた。

 

 

「…………おぉ?」

 

 心拍数も落ち着いて来たので、視界もクリアになる。すると目の前には、塔の前の原っぱには様々な生き物たちが、まるでエデンの(その)のように展開しているではないか。恐らく、ルイズ以外の貴族たちが召喚した、『使い魔』たちだろう。

 

「すげぇー!」

 

 様々な生物たちが、エサを食べたり、眠ったり、じゃれたり等して主人の帰りを待っている。それらの中には、知っている動物だとか、見た事のない生物だとかが入り交じっている。

 

「カラス、フクロウ、犬、猫…………は分かるが、コイツはなんだ?」

 

 空中にフヨフヨ浮かぶまっくろくろすけに近付いた。その黒い煤のようなものの真ん中には、キョロリキョロリと一つだけ目がくっついていたのだ。

 

「へぇ、見た事ない生物だぁ…………触感も見ておこう」

 

 その(すす)おばけに触ろうとした定助だったが、手の間をスルリと抜けて、まだフヨフヨと浮いている。

 

 

「あ、おい」

 

 また触ろうと手を広げたが、まるで軌道を予測するかのように逃げる。

 

 

「こ、こいつ……」

 

 最終的に躍起になり、何度も掴もうと試みるのだが、銃弾を中継する能力を持った帽子みたいに、スルリスルリと腕を抜けて、終いには腕の届かない高い所まで逃げて行ってしまった。

 

「あぁ…………マシュマロみたいな感じかな……」

 

 もう無理だと諦めて、どんな触感か予想するだけに終わった。煤おばけは上昇後、ゆっくりと滑空して木の上で居場所を落ち着けさせた。

 もちろん、追い掛ける気力はもうない。

 

「同じ使い魔のよしみなのに」

 

 そうは言うものの、この動物たちのサファリパークの中を見渡してみても、自分以外に『人間』は使い魔たちの中にいかなかった。確かに噂の的になるほどの珍しさなのだろうが、勝手ながら疎外感を持ってしまう。

 

「本当に珍しい事なんだなぁ」

 

 この場に理解者はいるのだろうか。ふとそんな事を考える。

 

 

「……………………」

 

 テチテチと足元を、猫が歩いた来た。人間に慣れているのか、警戒している素振りがない。

 

「こいつは……『サイベリアン』だな…………」

 

 長い毛が特徴的な、ブラウンの小さな猫だ。春の陽気に当てられたのか、眠たそうにアクビを一つ、かまして丸まった。

 ゆっくり、定助は腰を落として、サイベリアンに手を伸ばす。逃げる様子はない。

 

「……………………」

 

 とろりと微睡(まどろ)むサイベリアンの顎を、優しく撫でてみた。

 

 

「…………よぉーしよしよしよし…………」

 

 相当、人懐っこいのか、抵抗する事もなく身を預けて、ゴロゴロと、不気味な音を喉から気持ち良さそうな顔で鳴らしている。

 

「…………なぁ、キミにも親はいたんだろうか……目一杯、甘えていたんだろ…………」

 

 サイベリアンは何も答えない。ただ、定助の愛撫(あいぶ)に身を預けているだけだ。

 

「オレはオレが分からない。誰も知らない。そして、教えてもくれない」

 

 小さく「にゃあ」と鳴いた。サイベリアンの閉じかけの目がパチリと開いた。

 

 

 

 

「オレは何者なんだ…………家族はいるのだろうか…………」

 

 ポツリ、寂しげに呟いた。

 すると目を開けたサイベリアンは定助に飽きたようで、パッと離れてどっかへ行ってしまった。猫は気紛れである。

 そこで、サイベリアンに触れていたハズの手は、空中で宙ぶらりんになった。神経にくっついたふわふわとした触感が溶けて行く。

 

「…………オレは、『この世界』で生きて行けるのだろうか…………」

 

 アンニュイな気分になるも、頭を軽く振ってそれらを払拭する。思い出せない自分への煩わしさと、むず痒さ。そこに、知らない常識の世界が重なれば、定助で言えど気も落ちて来るだろう。

 

「止めた止めた」

 

 暗い考えを、ストップさせる。

 

「向かって行けば、いずれ辿り着けるハズだ」

 

 腰を上げて、立ち上がった。空は相変わらず高く、春風がそよそよと定助、原っぱの使い魔たち、そして草木に安息を与えた。

 

「よし」

 

 決意したハズの思いを固めて、彼は使い魔たちに絡んでやり、良く観察しよう前に出た。

 

 

「うわぁ!?」

 

 そしたら何かに躓いた。定助は盛大にスッ転ぶ。

 

「イテテ……な、何に(つまず)いたぁ?」

 

 上半身を起こし、何かぶつかった辺りを見てみれば、何かがぽつんと地面にどんと置かれていた。かなり大きく、自分の胸いっぱいに抱けるようなもの。こんな物、さっきはなかった。

 

「…………なんだこれ?」

 

 ちょっと触ってみれば、モフモフしている。それに、その物体の周りに土が隆起している所を見れば、置いてあるのではなく地中から生えていると見た。そう言えばなんだか土臭い。

 ツクシか何かの、植物の(たぐ)いだろうか、この世界は何でもありだから感覚が麻痺してくる。気になって両手で掴んでみようとした瞬間、それはクルリと回転し、

 

「どべっ!?」

 

何か、長くて柔い感触のものが顔にぶつかったのだった。

 

「イッタイッタ……な、な、なんなんだこれ!?」

 

 ぶつかって痛む箇所を押さえながら、その何かをキッと睨む。

 

 

 

 

「……………………」

「……………………」

 

 目の前には(つぶ)らな瞳。

 

「…………モゲッ?」

「…………うぉう」

 

 植物か何かかと思っていたら、意外、それは生物。見た目としては、ヒヨコのようにふわふわした、デカイ土竜(もぐら)と表現出来る。

 

「こいつも……誰かの使い魔か?」

 

 顔からみょんっと、長い鼻が伸びている。恐らくこれが、定助の顔面にヒットしたものの正体だろうか。何かをかぎ分けているように、フガフガと動かしている。

 

「それにしてもデカイ土竜だなぁー…………やっぱ、ミミズとか好きなんかな」

「モッ、モッ」

 

 じぃっと定助を見つめながら、鳴き声と一緒に鼻を動かしている。土竜は、地中の生物なので弱視だと聞く、これで対象の匂いを嗅いで、状況を把握しているのだろうか。

 

「モゲッ、モゲッ」

 

 すると土竜は、長い鼻をひくつかせながら、定助の腰辺りにくっ付けてくる。

 

「おぉ……さっきのサイベリアンより積極的だな…………」

「モッモッ!」

「あ、こら、土が付いたまんまじゃあないか! 服が汚れるだろ!」

「モッモッモッモッ!!」

 

 甘えて来ているのか、グイグイと鼻先を腰に押し当ててくる。しかも、土竜の大きさが大きさなだけに、その力は強く、踏ん張っていないと押し倒されてしまいそうだ。

 

「おい! 止めるんだ! おいおいおいおい!?」

 

 押し返そうとしても、完全に力負けしてしまっているようだ。

 

 

 しかし、甘えてじゃれているだけにしては、何か違和感がある。

 

「…………ん?」

「モゲッモゲッ!」

「……何か、気になるのか?」

 

 ずっと一点だけに鼻を付けてくる。定助から見て、右手の大きく弛んだポケットの所。ここをずっと、擦っている。

 

「ポケット? ポケットの中?」

「モゲッ!」

 

 そう言えば、ここまで一回もポケットに手を突っ込んでいない、色々な事が一気にあったから。そして、そのポケットに、この土竜が何かを嗅ぎ取っている訳だ。「どれどれ」と、定助は取っ付く土竜を片手で押さえながらポケットに手を突っ込んだ。

 

 

「いてっ」

 

 何かが指に当たった。尖ったもののようで、軽い痛覚がする。大きさは手のひらサイズ程度。

 

「………………ん……」

 

 人差し指と親指で摘まんだ何かは、ポケットから顔を出した。

 

 

 

 

「…………クワガタ?」

 

 額に星のシールが貼られた、頭部だけのクワガタの死体が入っていた。体はあるのかと、ポケットを更にまさぐってみても、あるのはもう、それだけのようだ。

 

「モゲぇ…………」

「あ、何処行く…………」

 

 土竜の方は、クワガタに興味ないのか、匂いの正体を確認すると、さっさと穴を掘って地中に潜ってしまった。

 

「…………なんだったんだ、あの土竜……にしても…………」

 

 指で摘まんだクワガタの頭部を見る。残念ながら、クワガタには詳しくないので、どんな種類かは分からないのだが、平たい頭と、大きな顎をしている。

 

「これはハサミ? 口? どの部位だっけ……あぁ、確か顎だ、顎だった」

 

 くるくると回して更に見てみるが、星のシールと体がない事以外は変わった所のない、普通のクワガタのようだった。この頭の大きさなら、全長はなかなかのものだったろう。

 

「何でクワガタなんて、入ってんだ?」

 

 朝からの出来事を思い出すも、クワガタに関係した出来事は起こっていなかった。それに誰かの嫌がらせにしても、地味なものだし、誰がやったのか。

 ルイズか? キュルケか? いや、あの二人はこんな事する(たち)じゃない。そもそも、何故、頭だけなのか。

 

「…………とりあえず、捨てずに持っておこうか…………」

 

 定助は、頭だけのクワガタをポケットに直した。

 

 

「あ」

 

 同時に、鐘の音が高々と響けば、多くの雑踏が聞こえた。食堂への扉が開かれ、ぞろぞろと朝食を終えた貴族たちが出てきたのだった。これから授業だろうか。

 

 

「…………おぅっと……」

 

 その中で一人、桃色の髪を見つけた時は戦慄した。何と言うか、纏っているオーラが負に満ち満ちていたのだ。その状態で近付いてくる際の存在感は、最早恐怖の帝王の到来である。

 

「……………………」

「あ、えっと……ち、朝食は終わりですか? これから、授業ぉー…………」

「……………………」

「…………ですよね」

 

 近付くにつれて、その表情が見えて来た。あぁ、あの時の鬼の形相そのままだ。その状態のままズンズンと、吸血鬼との一騎討ちに入る紳士のような、ある意味で迷いなき堂々とした足取りで来られては、無意識的に後退りするだろう。

 

 

 そして目の前まで一気に迫られると、

 

「…………あんたッ!!」

「はい!」

 

指を勢い良く差され、非情な事を宣告される。

 

 

「今から一週間ご飯抜きッ! 絶対ッ! 何が、あってもッ!!!!」

「はぁ!? 嘘だよなぁ!?」

「返事ぃぃッ!!!!」

「はいぃ!」

 

 貴族を怒らせると怖い。それを今、体験したのだった。




毎日が虚無の日って、やだ、かっこいい。
次回も、どうぞ宜しく。


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魔法の授業を受けよう。その1

六部が好きと言ったら、異端に見られる風潮止めて欲しい。私は六部が大好きだ。
それよりも、お気に入り登録者数が100人超えかつ、調節平均の所に赤いラインが付いていました。どちらも始めての事なので、激しく動揺しております。
前置きにて、感謝を申します。ハッピーうれぴーよろぴくねー!!


 教室への移動中、定助は気が気でなかった。隣で歩くルイズが、殺しにかかって来ないか心配だからだ。

 一方のルイズは、ブツブツと不満げに文句を呟いているようで、聞こえた内容では「朝食が台無し」や「この腐れ脳みそが」とか言っている。立ち止まって長い説教に入らないのは、授業の時間が差し迫っており、急いでいるからだと思われる。

 

「えーっとぉ…………」

「…………なによ?」

 

 何か言わなくては、と思って口を開いたのだが、殺気を感じるルイズの視線がモロに直撃し、言いたい事が頭から飛びかけた。

 

「…………」

「なんで黙るのよ…………」

「あぁごめん、喋る喋る!」

「手短にして」

 

 彼女、どうやら怒りの頂点を突破すると冷淡になるタイプとみた。あの激情家の彼女が突然、無口気味になるのだがそれが一番恐ろしい。

 

「本当にすいませんでした…………」

「どうして謝るのか」

「え」

 

 ゾッとした。あぁ、何から何まで追求する気なんだなと、ルイズの黒い所に(おのの)きながら、言葉を起こす。

 

 

「……その、朝食の件については非常に申し訳ないと思っている…………なんせ、あんな広い所で食事したから…………ちょっと浮かれていたよ」

「なら以後気を付けて」

「すいません……」

 

 今、彼女の自分への好感度はアンダーランドもビックリの地の底へ落ちている。何言っても機械的に淡々と返しているので、定助の方も会話をどう繋げようか大変なのだ。

 

 

「広い所で浮かれたって…………馬鹿の象徴じゃないの…………」

「本当にすいません」

 

 しかも毒吐けば、かなり切れ味のある鋭い言い方。自分の口から刃物が出てくるかと思った。

 

「……………………」

「……………………」

 

 そこからまた暫く、押し黙ってしまった。

 

「……………………」

「……………………」

 

 ルイズはずっと前方を見て、こっちを見向きもしない。最早、定助を透明人間か何かだと扱っているのだろうか。だとすれば血で染まってでも存在を示したいのだが。

 

「……………………」

「……………………ごほん……」

 

 咳き込むだけでもかなりの覚悟。この行為だけでも、輝く朝陽よりも美しい覚悟ではないか。少なくとも今はそう思わせて欲しい。

 

 

「……………………」

(き、気まずい…………!)

 

 超重力の重い空気の中、早速彼は潰されてしまいそうだった。潰されてそのまま、隣の世界にでも行けたらどれほど楽だろうか。

 

 

 沈黙は恐怖。黙れば終わる。いや、終わりなんてない、この緊張は最後に到達する事は決してないだろう。自分への鎮魂歌(レクイエム)でも歌いたいほどだ。

 

「あ、あのさぁ!」

 

 覚悟を決めて、会話を作ってみる。声が少し震えた。

 

「まだ喋るの? 今度はなにぃ?」

 

 今思えば、この状況で会話を繋げると言う発想自体が狂っていたようだ。二回目ともなると、ルイズの機械的な口調に棘が出てくるようになった。

 

「これから授業なんだろ?」

「それは分かりきった事じゃない……平民は知っても損な魔法の授業よ」

「あぁいや、魔法の授業ってのは分かるんだけど……ほら、授業と言っても色々あるじゃあないか…………歴史とか、国語とか」

 

 ここでやっと、ルイズが…………ギロリとした鋭いものなのだが、視線を定助に当ててくれた。だからと言えど、状況は変わっていないのだが。

 

「なんで平民のあんたが興味を…………あぁ、忘れているのよね」

「知らない事はなんでも吸収したいと思っている」

 

 それを聞くとルイズは、教えてやりたい欲望でも出てきたのか「えーと」と言いながら、今からの行われる授業を思い出す。

 

 

「四大系統の授業よ。確か……今からあるのは【土】の授業ね」

「あ、キミが昨日、話してくれた……【火】【水】【土】【風】だったかな……」

「良く覚えているじゃない」

 

 少し空気が柔らかくなった気がする。勉学に真面目な彼女に、勉学についての話をして和ますと言う作戦は成功だったかもしれない。

 

「ちょっと好奇心が沸くな……【土】の魔法ってのは、どんな感じかな? 粘土でもこねるの?」

「そんな稚拙(ちせつ)なものじゃないわよ…………」

 

 相変わらず頓珍漢な定助に、溜め息が出てくるルイズ。しかし、やっぱり教えてくれるようだ。

 

「まず、【土】の系統の中心的な基本魔法は『錬金(れんきん)』よ」

「なに? レンコン?」

「レンコンって何なのよ……『錬金』!」

 

 訂正する時の声色が強いものになっている。ツッコミをいれる時の、ルイズの声色に戻っている。とりあえず、最低の状態からは引き揚げられただろうか、まるで百年ぶりに復活したような気分だ。

 

 貴族のプライドはダイヤモンドよりも固い。

 しかし、逆に考えるのだ。対抗するのではなく、そのプライドを良質的に発揮させてやろうと考えるのだ。この場合、勉学の話をして質問をする、そして無知な定助に自らの知識を教えてやりたいと言う、ある意味で彼女の自己顕示欲を煽ってやる。こうすれば、貴族のプライドを「教えてあげる」と言う良質的な結果に反映させるのだ。

 良い気分と言うのは、悪い気分よりも優先される。過剰に褒めて()(へつら)うよりかは、自然な『流れ』になるだろう。

 

 

「…………『流れ』?」

「だから錬金だって!」

「え? あ、あぁこれは違う…………これはつい…………錬金だったな」

 

 何だろうか、『流れ』と言う言葉に強い引っ掛かりを覚えた…………が、今はルイズのご機嫌取りだ。

 

「錬金って言うのは、元の物質を別の物質に変化させる魔法の事よ」

「なんだそれは、凄いなぁ…………」

「【土】の錬金を極めたメイジなら、そこの石ころを金にする事だって可能だわ。それでも簡単には出来ないけど」

「うお、金属加工の夜明けだなそりゃ」

 

 ご機嫌取り、とは言ったが、素直に定助自身も楽しんで聞いている。元より知的好奇心が強いタイプだったのか、興味深くルイズの説明を聞く。

 

「その他にも【土】のメイジは様々な事に役立っているわよ。例えば石を切り出して建物を建設したり、農作物の収穫に貢献したり、色々と汎用(はんよう)性が高い魔法なの」

「へぇ、【土】を会得したら一生食っていけるな」

「いや、メイジは貴族だからよっぽどの事がないと破産する事はないけど…………それに、他の系統もなかなか汎用性が高いわよ」

 

 こうやって聞いて行くと、魔法が使用出来る貴族が平民より優位に立てる事は、当たり前だけれども納得のいくように思える。強いプライドと、平民を落として見る慢心さえなければ一生仕えても良いのだが。

 

 

「さてと……そんなに興味があるなら、授業を聞いていれば良いわ。先生方が実践してくれるし、口頭(こうとう)で教えるより頭に入りやすいわ」

 

 ルイズは、ある一室の扉の前で立ち止まった。どうやらここが教室のようである。

 

「入り口も立派だなぁ」

「先に言っておくけど、中は貴族たちだけ」

 

 出入り口の扉に関心を示す定助に、ルイズは注意を促した。

 

「人によっては、キュルケみたいに甘いのもいるけど…………兎に角、貴族としてのプライドが高過ぎる奴だっているわ、威張り散らしているような。そんなやつに今みたいな態度取ってみなさいよ」

「……………………」

「平民のあんたは、四肢(しし)を使い物にされなくされても『文句言えない』し、最悪殺されても『悪人になるのはあんたの方』よ」

 

 ここに来て、把握していたハズの貴族と平民のパワーバランスに、強い『疑問』と『戦慄』が生まれた。なるほど、貴族にとって平民の命とはそんな程度に見られているのか。

 しかし、プライドと言うものは貴族の物だけではない、と定助は思っている。その定助の『プライド』が、『疑問』を抱かせたのであった。『同じ人間である平民を、どうしてそこまで踏みつけられるのか』。

 

 

 この『疑問』さえも、心の内に隠していなくてはいけないのか。何て言えど定助は、『力なき者』であるから。

 

「それじゃ、粗相(そそう)のないようにしてよね。私に恥かかせるのはもう、これっきりにして」

「大丈夫、大人しくしているよ…………」

「あぁそれともう一つ……」

 

 ルイズの為に開けてやる為、扉に手をかけた定助に、その彼女が一言つけた。

 

 

「勉強を私に教えて貰って、機嫌を取ろうなんてしないでよね。どんな事があろうと、あんたは『一週間ご飯抜き』なんだから」

「……………………」

「……………………」

「……………………バレてた?」

 

 流石は我がご主人と言った所か、思惑は勘づかれていたのだった。しかし、定助の本質的な思いとしては、あの沈黙した重い空気からの脱出であり、別に罰の回避は考えていない。

 

 

……まぁ、弁解する気はないのだが。

 

「えぇ、すぐに分かるわ。分かりやす過ぎるのよあんた!」

 

 したり顔のルイズを見た。

 機嫌は良くなったようだ、キミも本当に分かりやすい少女だなと、定助は何だかおかしくなった。そして、教室の扉を開いてやる。

 

 

 

 

 場面は変わって、ここは学院内の大図書館。今は殆どの学生が授業であるので、非番の教師や、授業が休講の少数の生徒がここを利用している。

 やはり、国を代表する名門学院とだけあって、図書館の広さも本のバリエーションも膨大なもの。恐らく、生きている内にここらの本を読破する事は不可能かと思われるほどの、超大型図書館だ。それもそうだ、他国からの生徒も多いこの学院であるからこそ、様々な国の書物がここに集結している訳である。

 

 その図書館の中、ルーン文字解読書中心の書物が並べられている本棚の前で、これじゃないあれじゃないと、本を選んでいる男が一人。背表紙を見て、本を選び、「これじゃない」とキチンと戻す作業をずっと繰り返している。

 

 我々はこの男を知っている。寂しく毛髪が抜け落ちたこの頭を知っている。そう、召喚儀式の際に生徒たちの監督役を担っていた先生であった。

 

「うーん…………ここの本棚でもないのか……」

 

 眼鏡を少し上げて、高い高い本棚を見上げる。先生の右手には、小さな紙が握られていた。

 

「あの青年の左手に刻まれたルーン……何処かで見た覚えがあるんだが…………どの書物だったかな」

 持っている紙とは、あの時にスケッチした定助の左手のルーン。

 

 

 

 

 この教師…………『ジャン・コルベール』は、気になって仕方なかった。言うのは、彼が教師として年数を重ね、たくさんの生徒の使い魔召喚にも立ち会っている。しかし、それまでに『人間を使い魔にする』なんて事には遭遇した事はなかったし、そんな話は他でも聞いた事がない。更に、彼でさえも見た事のないルーン文字が表れたとあっては、気になって気になって仕方がないのだ。

 それに、彼が大いに期待を寄せるルイズの使い魔であるだけあって、調べて教えてやりたいと言う思いもある。召喚された使い魔で、本人の得意系統が分かる事は常識だ。これが判明したら、彼女の得意分野もおのずと分かるかもしれない。

 

「見た事ないけど、見覚えはあるのだがなぁ…………」

 

 奇妙な違和感に苛まれつつも、その見覚えを頼りに昨日からこの本棚の前で調べものをしているのだが、全く合致した情報は得られなかった。

 

「うーむ……ルーン文字の解読書じゃあないのか?」

 

 何年も使い魔召喚に立ち会っただけあり、ここらの解読書は穴が開くほど読んだ。その中で見覚えがあるのだと思っていたのだが、いざ読んでみても違うものだらけ。

 

「はてさて…………何処で見たか……ふーむ…………」

 

 スケッチした定助のルーンとにらめっこし、記憶を掘り起こそうと繰り返して繰り返して熟考する。その際にじっとしていられない性格だろうか、うろうろと書庫内を歩き出している。

 

 

「うーん…………ん?」

 

 コツンと、爪先に何かが当たった。目線を下げてみれば、一冊の本が落ちていた。それを見たコルベールは、溜め息を吐く。

 

「はぁ…………誰だ、本をキチンと本棚に戻さない人は……読み終わった本は本棚に戻す、誰だってするし、私だってする。常識がなっていない」

 

 ブツブツと言いながら本を拾い上げ、一番近くの本棚を見る。すると、自分の目線の高さの位置に、ぽっかりと空洞が出来ていた。恐らく、ここに挟まっていた本であろう。

 

「ここは…………伝承書物か…………」

 

 持っている本も、トリステインの地方伝承について纏められた本である。この本棚の本だと、コルベールは落ちていた本をゆっくりと、隙間に入れてやった。

 

 

「…………ふむ」

 その本の隣の本に、コルベールの目が行った。『始祖ブリミルの使い魔たち』と言うタイトルであった。

 

「……………………」

 

 ずっと使い魔のルーンについて調べていたので、『使い魔』と言う単語に反応してしまうのは仕方のない事だ。コルベールは何気なしに、その書物を手に取って読んでみた。

 

 

「『ヴィンダールヴ』…………神の右手…………」

 

 更に、次の項目へページを進める。

 

 

「『ミョズニトニルン』…………神の頭脳…………」

 

 そして、次の項目へ。

 

 

「『ガンダールヴ』…………神のひだ……あっ!?」

 

 

 コルベールの時間が止まった、衝撃が下された鉄槌のように全身を震わせたのだった。コルベールの読んでいるこの伝承の本に、『彼の探していた事の答え』が載っていたからだ。

 思い出した、見覚えと言うのは、前にこの本を読んだ事があるからだった。コルベールは自身のスケッチと、本の内容を食い入るように見比べ、そして、一つの結論へと辿り着いてしまった。

 

「まさか…………そんな…………ッ!!」

 

 本を持つ手が震える、脳内は様々な感情で氾濫状態。我も忘れてコルベールは、叫ぶのだった。

 

 

 

 

「なんだってェーーーーーッ!!??」

 

 まるで、護衛対象の少女が物入れの中へ吸い込まれて行くのを見た、ギャングのチームリーダーのような驚き様で、彼は静寂な大図書館の真ん中で叫んだのだった。

 

 その後、報告に行きたい彼を、司書の無慈悲な説教で足止めされる事は、言わずとも分かる事だ。




評価も批評も、感想も提案も、何もかも受け付けております。
声を聞いてみたいのです、気軽にどうぞ。失礼しました。


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魔法の授業を受けよう。その2

あれよあれよで好評です、ご愛読感謝です!
どうでも良いんですが、『アイズオブヘブン』での使い手は『東方常秀』です。どぉぉぉだぁぉぁ?


 扉を開けて、ルイズの後ろに付いて教室内へ。

 

「うわぁ、やっぱ凄いな……」

 

 石造りの教室は、黒板と教卓を生徒用の席が段々畑のように囲んでいる。見た目は、有名大学のようだ。

 しかし、細かい所を見ていても、貴族の教室なんだなと感じた。黒板は新品同様に輝いており、教卓も座席も床も全て、曇り一つないほどの煌めきを放っているようだった。清掃が徹底している事が分かる。

 

「これ、触ったら指紋がベットリ見えてしまいそうだなぁ……」

 

 かなり清潔過ぎるので、汚す事に罪悪感が出そうだ。それほどまでに綺麗にされた教室は荘厳(そうごん)な雰囲気を放っている。定助は、教室の机を触ってみている。

 

「おお、スベスベ……」

「なにやってんのよあんた……」

 

 真横では早速、呆れた顔をしたルイズが立っている。

 

「ほんとぉーに、恥だけはかかせないでよね!」

「あぁ、ごめん、つい。席に座ろう」

「あんたが指図しないでよ……」

 

 大学形式の席の為、生徒一人一人に決まった席はないとは思うのだが、やはり勤勉家のルイズらしく、最前列の席を選んだ。

 

「あんたは……」

「床だろ?」

「ふぅ、学習したわね」

 

 ここまで二回言われたが、流石に三回目まで言われる訳にはいかないし、それこそアホだと思われる。仏の顔も三度までなのか、三度目の正直か。満足げなルイズの傍で、床にゆっくりと腰を下ろそうとした。

 

 

「あ」

 

 そっと目線を横にした時、ふと目に写ったのは大勢の人だかり。その中心にはキュルケが座っており、周りにいる人だかりは男ばかりだ。なるほど、男を(はべ)らすその風格とは、彼女は本当に『女王』なんだなと思った。

 

「それでぇ…………あら?」

 

 雑談途中のキュルケと目が合った。雰囲気はともあれ、彼女も貴族であるから失礼のないように、ペコリと軽く会釈した。すると、周りの男たちも、キュルケの視線の先が気になったのか、一斉にこっちを向いた。

 

「………………どうも」

 

 その人たちに向かってもキチンと会釈をするのだが、明らかに目の中に軽蔑が含まれ、殆ど全員が薄ら笑いを浮かべながらヒソヒソと話している。恐らくは、自分の事と、自分の召喚主であるルイズの事だろうか。チラリと見てくるのだが、誰一人として定助を見続けていないし、会釈も返さなかった。

 

 

 ただ、キュルケだけは微笑みつつ、ヒラヒラと手を振ってくれた。

 

(返すべきかな?)

 

 定助も手を持ち上げて、返答代わりに振ろうかと思ったが、後頭部をパシンと叩かれて、それを中断した。ルイズが教科書で定助を叩いたのだった。

 

「今朝、私はなんて言ったっけ?」

「挨拶だけでもいいじゃあないか…………」

「駄目、禁止」

 

 ルイズの間髪(かんはつ)入れない『ツェルプストー接触禁止令』を行使され、渋々床に腰を下ろした。キュルケは元通り、また男子たちと雑談をしていた。彼女は、食堂前にいた『サイベリアン』に似ている気がした。

 

「彼女、人気者なんだ」

「…………ふん、男はみんな獣よ!」

「おいおい……」

 

 不貞腐(ふてくさ)れたのか、ルイズは書き物をして予習をしていた。流石に勉強の邪魔だけはしたくなかったし、集中していたので、定助は黙って授業開始までを待つ事にした。

 

 

 教室には人間だけではなく、使い魔たちもいた。蛇に兎に、あの煤おばけもいた。そして窓の外には、体が大きい為に教室へ入れない使い魔たちが、主人を窓から見守っていた。キュルケのフレイムも、窓際にいるのが見受けられた。

 

(やっぱ、人はいないんだな)

 

 分かっていた事だが、ここにいる人は生徒ばかり。みんな制服を着ている。

 そして使い魔たちも、やっぱり人外の生き物ばかりで、純粋な人間なんていない。自分はどうやら特別のようだ。

 

(あ…………あのサイベリアン…………)

 

 庭で撫でてやったサイベリアンを見付けた。日向の当たる後ろの方にある窓辺の席で、ご主人様である女の子に撫でられながらアクビをしている。女の子はサイベリアンを撫でながら楽しそうに友達と雑談していた。

 するとパッチリ、サイベリアンと定助の目が合うのだが、興味なさげに二度寝をされた。

 

(やっぱり、似ているなぁ……)

 

 そう思い、苦笑いした後に、あのデカイ土竜も誰かの使い魔なのかと思い、キョロキョロと見渡してみた。

 

 

 

 

「どいて欲しい」

「え?」

 

 そんな事して教室の後方ばかりを見ていた為に、前方の方への注意を(おこた)っていた。今、定助が座っている場所はルイズの隣……つまり、中央にある前方から後方へ続く通路を陣取っている事になる。確かにこれは邪魔だ。

 

「あ、あぁ……ごめん、気付かなかった……すぐにどくよ」

「……………………」

 

 定助に退去を命じたこの人物は、眼鏡をかけた、青い短髪の小柄な少女である。左手に分厚い本を持ち、もう片方は自身の身長よりも高い杖を携えている。小さな体と大きな杖とのアンバランスさが、この少女の異様さを醸し出している。変に無口な所も不気味だ。

 

「………はい」

「……………………」

 

 道を譲ると、少女は杖をカツカツと規則正しく鳴らしながら、黙って定助を通り過ぎて行った。無感情的で、無口……定助が平民であるから冷遇(れいぐう)しているのかもしれないが、人形のようで冷たい印象しか感じなかった。

 

 

「……なぁ、今のは誰だ?」

「へ? 誰の事?」

 

 妙に気になったので、ついつい勉強中のルイズに聞いてしまった。「しまった」と、また何か言われるかなと思ったが、彼女は一段落ついたのか、軽い感じで返事をしてくれた。

 

「ほら、あの…………眼鏡かけて大きな杖を持っている子」

 

 本の活字に目を落とし、前を見ていないのに軽快な足取りで席へと向かっている。何処かに第三の目でもあるんじゃないかとも思ったし、もしかしたらあの杖で音を探知して周りを把握しているのか、とまで思ってしまった辺りは不気味な印象が強いのだろう。

 

「ん?…………『タバサ』がどうかしたの?」

 あの少女の名前はどうやら『タバサ』と判明した。

 

「どうかしたと言う訳じゃないけど…………」

「……………………」

「……………………」

「…………まぁ、あんたの言いたい事は分かるわ。ちょっと不気味だとでも思っているでしょ?」

 

 図星である。あまりに的中していたので、ルイズに予知能力でも額についているんじゃないかと思った。いや、逆に言えば的中させられるほど、みんながあの少女に対する印象が一致しているとも考えられる。

 

「実は私も良く分からないわ。(かろ)うじて『ガリア王国』からの留学生くらいしか知らないわね…………」

「『ガリア王国』?……別の国から来たのか…………」

 

 ここが『トリステイン』と言う事は、昨日ルイズが言っていた。『ガリア王国』は良く分からないが、『王国』と付いているからとりあえず他国と言うだけは分かった。ここは彼女の説明を優先される為に、聞かない事にした。

 

「まぁ、それは別に珍しい事じゃないわ。キュルケだって隣の『ゲルマニア』からだし…………そう言えばあの子、キュルケと仲が良いのよね」

「へぇ……性格が正反対そうなのに…………」

「それは私もずっと思っているわよ」

 

 兎に角、謎の多い生徒だと言う事は分かったし、今キュルケと仲が良い事も分かった。少女……タバサが座った席はキュルケの真後ろで、気付いたキュルケが親しげに挨拶を交わし、彼女もそれに応じている。

 

 

「……あの子のフルネームも聞いた事がないわね」

「え? クラスメイトなのに?」

「だからどこの家の子か分からない……と言っても、ここで勉強しているのだからそれなりの貴族だとは思うわ」

 

 しかしまぁ、比較的外向的な性格の者が多い貴族の中で、かなり大人しい彼女は妙な魅力を感じる。周りとは少し違うような、湖畔(こはん)に浮かぶように咲く蓮の花のように儚げなような。

 

 

(まぁ……気にしても仕方ないか)

 

 そこまで正体知らずであるのなら気にはなってくるのだが、自分とは全く関係のない事柄。彼女について考えるのはこれっきりに決めた。

 

 

 

 

 

 鐘が鳴る。すると教室内で立ち話をしていた生徒たちが、早々に切り上げて席に着き出した。どうやら『魔法の授業』が始まるようだ。

 

「ほら、始まるわよ! 静かにしてなさい」

「分かった」

 

 ルイズの忠告が終わると、狙ったようなタイミングで、教師と思われる中年の女性が入室してきた。大きなトンガリ帽子が、まさに『魔法使い』と言う感じである。しかしふくよかな体型なので、優しそうな印象を受ける。 

 

「おはよう御座います」

 

 挨拶と一緒に一礼すると、合わせて生徒たちも頭を下げる。便乗して、定助も下げておく。

 

「さて、春の使い魔召喚は成功のようですね! まずはおめでとう御座います! 皆さんの使い魔を見れられる、この時期に授業をするのは楽しみでした。私としましても、一人前のメイジとしての一歩を踏み出された皆さんを、大変誇りに思います」

 

 そのまま全員の使い魔を拝見しようと、教室全部をグルリと見渡す教師。

 

 

 するとやはり目についた、教室の真ん中の通路に座る、定助の存在。

 

「…………あら、噂の平民の使い魔とはあなたの事ですね?…………ええと、なかなか個性的な使い魔を召喚しましたね、ミス・ヴァリエール」

 

 この教師も見たことないのか、人間の使い魔を。やや困惑したような声で、ルイズに問い掛けた。

 

 

 すると待っていましたとばかりにドッと笑いが沸き起こり、野次が弾丸のように飛び散った。

 

「おい『ゼロのルイズ』! 召喚出来なかったからって、そこらの平民を連れて来たんじゃあないのか?」

「は、はぁ!? ちゃんと私が召喚したわよッ!! と言うか、見てたでしょあんたッ!?」

「さぁどうだかー!」

 

 囃し立てる声と、またも聞こえた謎の渾名(あだな)『ゼロのルイズ』。ルイズが嫌がっている所を見ればどうやら、悪口のようだ。カチンと来たルイズは席から立ち上がって野次を飛ばした生徒と真っ向から対立している。

 

「あんた、その大きなネズミが使い魔だったわね! まさに『大口叩き(ビッグマウス)』じゃない!! お似合いよ!」

「あっ!? なんだと『ゼロのルイズ』の癖に!? お前、朝食の時そこの平民に叫ばされたそうじゃないか!」

「なっ……くぅ…………! そ、それはそれよ!!」

 

 あの事に関した噂がもう広がっていた。みんなが集まっていた食堂での事だから仕方ないが、これが中傷としてルイズに飛んだのなら、「悪い事したなぁ」と反省する定助である。ルイズも一瞬、定助をギロリと睨んだ。

 

「平民も従えられないとは、流石は『ゼロのルイズ』だな!!」

「み、み、ミス・シュヴルーズ!! 中傷されました!」

「はぁ!?『ゼロのルイズ』と朝食の事は事実だろう!?」

 

 その言葉が飛べば、またギャハハハハと愉快そうな笑い声が響く。

 

 

 と思いきや、それらは一気に静まった。

 

「…………あなたたちはその格好で授業しなさい。貴族に相応しくない、下品な笑い方ですよ」

 

 何だ何だと、定助は腰を伸ばして後方を見てみたら、口の中に粘土を突っ込まれた男子生徒が数人、見受けられた。

 

「どうなってんだあれ……?」

 

 どうやって口の中に粘土が詰まれたのか、凄く気になる定助。その瞬間を見てみたいと思ったのだが、もう見られないだろうか。

 

「そしてミス・ヴァリエールもミスタ・コルビュジュも…………特にミスタ・コルビュジュ、あなたが先に始めた事ですよ? まずは謝罪しなさい」

「え!? し、しかし『ゼロ』は……」

「今は私があなたに『謝罪しなさい』と言っているのです。それとも口に粘土を押し込まれたいのですか?」

「……………………すいませんでした」

 

 あの優しそうな先生が、一気に厳しい表情と口調で「口に粘土押し込む」なんて言えば、誰だって怖がる。ルイズに野次を飛ばした先駆けのコルビュジュと呼ばれる生徒は、憎々しげな表情で席に座った。

 

「ミス・ヴァリエール」

「は、はい!」

「あなたもあなたです。貴族たるもの、紳士淑女であるべき。あのような大声で(ののし)り合うとは何事ですか! はしたないですよ」

「……………………以後、気を付けます」

 

 静かながらも格調(かくちょう)ある物言いは、流石はこの学院の教師と言った所か。ルイズも納得行かないと言った表情で、席に座る。

 

 

 教室内が静かになった所で、教師……シュヴルーズは気を取り直して授業を再開させた。

 

「さて、少し授業が止まってしまいましたが、始めて行きましょう」

「……………………やっとだ……」

 

 聞こえないようにポツリと呟く定助だが、本当に本当にここまで長い遠回りだった。一時間目がやっと終わったような体感時間であるが、授業は今から始まるのだ。

 

 

(ともあれ…………これから『魔法』について知れるぞー! よし!)

 

 こうして定助にとって、本当に『始めて』の魔法の授業が開始された。




ちょっと展開に困った所が出来て、部分的に三回手直ししました。ちょっと話の中で食い違いがあったかも知れないが……堪えてくれ。
あとオリジナルモブ君のコルビュジュですが、もう出ません(非情)。
失礼しました


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魔法の授業を受けよう。その3

感想にて『五部語録』を使う方が多かったので、五部を見直したんですがピッツァが食べたくなりました。
ので、ピッツァの専門店に飛んで、食べました。『プロシュット エ クァットロ フォルマッジョ』を食べました。
「おぉ!兄貴とホルマジオだ!」
だなんて思いながら食べました。すっげー爽やかな気分だぜー!


「それでは、まずは基本的な事をおさらいしましょう。魔法の四大系統とはなんでしたか?……ではミスタ・グランドプレ!」

 

 シュヴルーズが指命したと同時に、口から粘土を剥がされた太った生徒が、シュヴルーズから受けた質問に答える。

 

「ぷはッ……! え、えーっと、【ケーン】【ラグース】【ハガラース】【ジエーラ】です!」

「へ?」

 

 定助が間抜けな声を出す。出したと言っても、比較的小さな声なので、ルイズ以外には聞こえていない。

 それもそうだ、『四大系統』はルイズに言われた通り、【火】【水】【風】【土】のハズである。これは一体、なんなのか。

 

「どうしたのよ? 変な声出して」

 

 間抜けな声に気付いた唯一の人、ルイズが気になって小声で定助に聞いた。

 

「なぁ、『四大系統』ってのは、【火】とかじゃないのか?」

「合っているわよ」

「今の【ケーン】ってのは…………」

 

 するとルイズは、「聞いていれば分かるわ」とだけ言って、また前に注目してしまった。寧ろ、授業だから前を向くのは当たり前の事なのだが。

 

 

 太った生徒の答えを聞いて、シュヴルーズは「お見事です」と、正解を認めた。

 

「ミスタ・グランドプレが言ったのは、難しい『四大系統』の別名の方でした、その通り!【火】【水】【風】【土】が『四大系統』です。【(ケーン)】【(ラグース)】【(ハガラース)】【(ジエーラ)】ですね」

 

 そう言う事かと、定助は納得した。それにしたってあの太った生徒、別に格好付けて難しい方じゃなくて、普通に言えばいいのにと、少し思った定助。しかしここで、定助には困った事が出来ていたのだった。

 

(…………さっぱりだ)

 

 黒板にシュヴルーズが書いた、図と文字なのだが、図は良いとして『文字』が全く読めない。と言うか、自分の知っている『日本語』ではない。

 

 

 ここが日本では無いことは分かっていたし、ルイズたちの顔立ちを見ても外国人の顔をしているので、ここが日本だとは思っていない。

 では、だとしたら、何故彼女たちの言葉が『日本語』として認知されているのか。また、日本は存在しないと言われたのなら、『何故、日本語なんて概念が自分にあるのか』と、派生して考えている。

 

(そんな事より……いや、この事も重要なんだが! それよりも字が! 全く読めない!)

 

 兎に角自分は、この世界の『文字』が読めない事が非常事態であった。

 

(…………あとでご主人に教わろうかな……恐らく、公用文字はこの……変な文字なんだろ、読めないと不味いよなぁ……)

 

 黒板の文字をまじまじ見ながら、分かる事がないかと考察する。何だか、これで論文書けばセンセーショナルを起こせそうだ。

 

 

 そんな定助の事情なんか分からないシュヴルーズは、授業を進めて行く。

 

「そしてこの『四大系統』に、失われた系統『虚無』を入れて、全部で五つの魔法が存在します」

「ふーん……『虚無』かぁ……」

 

 魔法の系統の事はルイズより学習済みだが、疑問に思う。『失われた』とあるのに、『存在する』とは妙な言葉だ。それに『虚無』と言う言葉自体も「(うつ)ろに無くなる」と書くのに、それでもって『ある』と言うのだから、人によってはぶちギレて自分の車を壊しかねない。

 

(これも後でご主人に聞こう)

 

 

 こう言った疑問を探せる所も、楽しいものだが。

 

「さて、この授業では【土】の系統について講義して行こうと思います」

(お、授業っぽくなって来たぞ)

 

 進行して行く授業の中で、定助はハイヴォルテージになって行く自分の好奇心を実感していた。

 

「【土】は、『四大系統』の中でも万物の組成(そせい)(つかさど)る、大変重要な魔法です」

 

 確かそんな事を、移動中にルイズが語っていた。いや、言っていたのは【土】の属性についてだが、なかなか汎用性高い魔法だと言う事は聞いた。

 

「ではどなたか、【土】の基本魔法について説明出来る方はいませんか?」

 

 シュヴルーズの質問に対し、教室内の生徒がマチマチと挙手をしている。もちろん、真面目なルイズも挙手している。逆に意欲がないのか、キュルケにタバサなどは挙手をしていない。きちっと(くし)で髪の毛をセットしている者もいる。

 口に粘土押し込まれ組は、グランドプレのように状況から脱却する為、全員が挙手をしていた。

 

「そうですねぇ……」

 

 誰を指命しようかと、シュヴルーズは教室中を見渡した。

 

「それではここはミス…………え?」

 

 彼女の視線が一点に止まった。更に呆気に取られたような声を出したので、生徒たちは「なんだなんだ」と視線の先を追った。

 視線の中心はルイズの隣。

 

「まさか……」

 

 それで察したルイズは、恐る恐る顔を横に向けた。

 

 

 

 

 定助が、細く長い腕を伸ばして、『挙手』していた。

 

「えーっと…………」

 

 困惑するシュヴルーズ。それもそのハズ、平民が貴族の授業に参加しようとしているなんて、前代未聞だからだ。

 

「……………………」

「……………………」

「…………それは、手を上げているのですか?」

「はい」

 

 さも、「依然、問題はなし」と言った堂々たる風格で、挙手を肯定した。

 

 

「あ、あんた!? なにやってんの!?」

 

 面食らったが、思わず声の出るルイズ。しかし、定助は挙手したまんまキョトンとしている。

 

「この質問の答えは知っているし、説明も出来る」

「だ、だからってねぇ…………」

「知っていて挙手しないなんて、授業に対して怠惰(たいだ)な証拠だよ」

 

 その言葉に「うっ」と呻く数名の生徒。どうやら、定助の言った通りの生徒が間抜けにも見つかったようだ。

 

「でもあんた、使い魔でしょ!? 生徒じゃあない!」

「大丈夫、恥は晒さないから」

「恥知らずなだけでしょあんたはッ!!」

 

 周りから定助への軽蔑の視線が飛ぶ。しかしやはり、平民が挙手をして答えられる意思を表示している事に対して、好奇の目で見ている生徒も並々にいる。例えばキュルケやタバサなど。

 

 

「…………説明出来るのですね?」

 

 シュヴルーズがルイズを手で制し、改めて定助に聞いた。

 

「はい。こちらから頼んでご主人の…………ミス・ヴァリエールから教示(きょうじ)は受けています」

 

 ひやひやとしたが、定助が丁寧な言葉遣いで話した為、一先(ひとま)ずほっとするルイズ。しかし、このシュヴルーズの質問の意図を察し、またひやひやが止まらなくなった。蛇に睨まれた蛙と言うより、隼に狙われた犬の気分だ。いや、この表現はちょっとおかしい。

 

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

 

 沈黙。定助はそのままの態度で、シュヴルーズは少し考えているような風《ふう》だ。

 

 

 

「………………………………では、ミス・ヴァリエールの使い魔さん、説明しなさい」

「はい」

 

 やっぱり思った通り、『答えさせる為』に出来るか聞いたのだった。分かりきった結果だが、教室中がざわついた。

 

「平民に答えさせるのですか!?」

 

 挙手をしていた一人の生徒が抗議したのだが、シュヴルーズは静かに(さと)す。

 

「彼は『ミス・ヴァリエールから教示して貰った』と言っております。つまり言い換えるのなら、『彼からミス・ヴァリエールの言葉が出る』と言う事です。なので、『ミス・ヴァリエールの代弁』と思えば、堪えて下さいますか?」

「は、はぁ、そ、そですか…………」

 

 生徒はポトンと席に座った。やっぱり、納得いかない顔をしている。

 

「……………………」

「へぇ…………」

 

 タバサも本から視線を上げて、キュルケも関心深そうに見ていた。ルイズは諦めて、運を天に任す事にする。

 

「それではどうぞ」

 

 シュヴルーズの合図を受けて、定助は立ち上がった。

 

「えー、【土】の基本魔法は『錬金』です。これにより、ある物質を他の物質へ変化させたり、建物を建てる際の石材を切り出したり、土壌を操作して農作物の収穫を行ったりなどが可能です。ミス・シュヴルーズが言った通り、『万物を司る』だけあって、その汎用性は高く、『四大系統』の中でも特に人の生活に密接した系統だとも言えます」

(殆ど私のトレースじゃない!!)

 

 とは言うものの、所々にアレンジは入っているし、別にこれは『ルイズの代弁』と言う事なので、問題はない…………ハズ。それにシュヴルーズの言葉も引用しているし、授業はしっかり聞いている事が伺える。

 

 

「お見事です!!」

 

 定助の答えを聞き、上機嫌に賞賛する。ルイズもほっとした、犬が隼を倒したのだった。

 

「流石はミス・ヴァリエールの使い魔ですね、彼女の教育の賜物(たまもの)です! この点数は、ミス・ヴァリエールに付けておきますね」

(…………仕方ないか)

 

 やっぱり使い魔は使い魔で、平民は平民。何であれど、自分の手元には何も残らないようだ。しかし、ルイズに渡っただけ満足とした。

 定助はキチンと一礼した後、床に座った。隣にいるルイズの顔は、やっぱり不機嫌だ。

 

「…………大人しくしてなさいって言ったのに…………」

「…………やっぱり、マズかった?」

「……はぁ…………まぁ、今回は私に利があったし、お咎め無しにしてあげるわ」

 

 良く見たら、口元が(ほころ)んでいるように見える。彼女は彼女で嬉しかったのかもしれない。やって良かった。

 

 

「でも、主人よりでしゃばったから、ご飯抜きは撤回しないわよ」

 前言を撤回する。しなきゃ良かった。

 

 

「先程彼が答えた通り、【土】の基本魔法は『錬金』であります。これによって【土】の系統は、様々な物質操作が可能なのです」

 

 するとシュヴルーズは、横に置いてあった鞄を開き、中ぐらいの石を取り出した。それを教卓の上に置くと、杖を懐から出した。

 

「それでは、この、ただの石に今から私が『錬金』を実践してみます」

 

 そう言いながら、杖の先端部を石にくっ付けた。

 魔法の実践とあって、生徒たちは席から乗りだしながら注目していた。口に粘土押し込まれ組も、最早口の粘土の事なんか忘れて注目していたのだが、そろそろ解除してやっても良いような気がする。

 

「よくご覧なさい」

 

 シュヴルーズは、杖を石に付けたまま、何やら短くブツブツと唱えた。

 

 

 

 

「おおおお!!」

 

 するとどうだろうか、何の変哲(へんてつ)も光沢もないグレーの石が、一瞬だけ光ったと思えば、何と黄金の石になっていたではないか。これにはルイズら生徒たちも、もちろん定助も驚きの声を隠せなかった。

 

「凄い! 一瞬で変わったぞ!」

「うわぁ、綺麗ー!」

「オイオイオイオイオイオイ……石が変化だと? だから気に入った!」

「わぁ……ステキぃ……」

 

 口々に出てくる賛美と驚きの言葉の中から、一際大きな声の質問が飛んだ。

 

「も、もしかしてゴールドですか!?」

 

 それは、さっきまで興味なさげに聞いていたキュルケであった。立ち上がって、身を乗り出している。やっぱり彼女、綺麗な物に目がないのだろう、イメージ通りだ。

 対照的にタバサは全然興味なさげだ、『錬金』の実践時まで本に夢中だった。

 

 

「いいや違うね。ありゃ『真鍮(しんちゅう)』だ…………ゴールドは臭わないが、真鍮は臭う」

 

 一人の生徒が、まるでカモメとウミネコの違いを話すように、真鍮とゴールドとの違いを話した。臭いで見分けたらしいが、定助の位置から臭わない上に彼は後ろの方の席だ。なのに嗅ぎ分けるとか、嗅覚が化物レベルじゃないのか。人間のアドレナリンの匂いも嗅げるのではないか。

 

「え、えぇ……その通り…………」

 

 その男子生徒にややドン引き気味のシュヴルーズ。優しい彼女でも、遠くから臭いを嗅ぎ分ける少年はある種で恐怖を感じるだろう。

 

「……………………」

 

 近くにいた女子生徒が彼から離れた。どうしたのだろうか。

 

 

「…………確かにこれは、銅と亜鉛の合金……真鍮です」

 

 気を取り直して、説明に入るシュヴルーズ。

 

「黄金錬金が出来るのは、『スクウェアクラス』になります。私は『トライアングルクラス』ですので、出来ません」

「なーんだ…………」

 

 キュルケはまた、興味なさげに席に座った。

 

 

「『スクウェアクラス』?『トライアングルクラス』?」

「分からないの?」

 

 またも聞き慣れない単語が出てきた。しかし定助の反復を聞いたルイズが、説明してくれた。こう言った知識系統の話だったら、彼女は優しい気がする。

 

「メイジの強さを表す、レベル付けのような物よ」

「どうやって決まるんだ、それって? やっぱ熟練度?」

「それもあるけど……」

 

 ルイズは説明しようと、言葉を頭で組み立てた。

 

 

「メイジの強さは『組み合わせられる系統の数』で決まるの。一つだけなら『ドット(点)』、二つなら『ライン(線)』で…………」

「三つなら『トライアングル(三角形)』で、四つなら『スクウェア(正方形)』と言う事か」

「…………飲み込みが早いのが助けね……記憶失う前はまともな人間だったわね、あんた」

 

 関心したような、色々と哀れむような、とりあえず定助のこの長所は認めた。

 

「ついでに言っておくけど、強さ…………とは言ったけど、これは『パワー』って意味じゃないの。あくまで『使える系統の数』」

「ミス・ヴァリエール」 

「だから、『ドット』だからと言っても弱いって訳じゃないのよ。『ドット』が『スクウェア』を圧倒する実力者だっているし、称号だって凄いもの貰っている人もいる……」

「ミス・ヴァリエール!!」

「はい!?」

 

 説明に夢中になっていたせいで、シュヴルーズの声が届いていなかった。気付いたルイズは、バッと背筋を伸ばして裏返った声で返事した。

 

「…………教育熱心である事は嬉しいですし、予習もしている事は関心します」

「ど、どうも」

「しかし、今は私の授業ですので、静聴(せいちょう)願いたいのですが?」

 

 笑いが沸き起こり、ルイズは顔を真っ赤にさせている。その状態で睨まれたが、「これはオレは悪くない」と訴える目で応対した。

 

 

 

 

「そうですね…………そこまで熱心でしたら、ミス・ヴァリエールに『錬金』してもらいましょうか!」

 

 

 笑いが止まり、場が固まった。月並みな表現だが、時間が止まったようだ。

 

「……………………ミス・シュヴルーズ、今……なんて?」

 

 一人の生徒が、シュヴルーズに質問した。その声の中には、「嘘であってくれ」と懇願(こんがん)するような意思も含まれていた。

 

「ん? ですから、ミス・ヴァリエールに『錬金』をしてもらおうと…………」

 

 

 ワンテンポ置いて、生徒たちから定助の時の倍の抗議が叫ばれた。

 

「ミス・シュヴルーズよ、『ゼロのルイズ』の実践は、死ぬことより恐ろしい…………」

「なんのことだ?なにを言っているッ!?」

「う~~~…………ううう…………あんまりだ……」

「嘘だろミス・シュヴルーズ!?」

 

 諭す者、動揺する者、泣く者、驚愕する者……様々な感情を晒しながらもシュヴルーズにルイズの『錬金実践』を止めようとする事は一致している。

 あまりのオーバーリアクションに、定助は困惑していた。

 

「なんだあいつら? どうなってんだ?……ご主人?」

「……………………」

 

 ルイズは黙ったまま、俯いている。何か過去にしでかした事でもあるのか。

 

 

「先生……ルイズにやらせるのは止めた方が…………」

 

 その中でキュルケが申し出た。彼女でさえも、動揺しているようだ。

 

「あら? どうしてですか? ミス・ツェルプストーまで……」

「危険です」

 

 危険、さっきの『錬金』に危険な所はないような気がするが、ルイズがやる事に関しての拒絶のような気がする。定助は黙って成り行きを見る事にした。

 

「大丈夫ですよ。『ゼロ』と呼ばれる彼女であれど、このくらいは出来るでしょう? 真鍮にするくらいなら、『ドット』でも可能です」

「しかし…………」

「それに彼女は、召喚に成功しています! このままの勢いで、失敗を怖れずに挑戦させてみましょう!」

 

 シュヴルーズを止める事は無理だと諦めたキュルケは、ルイズの説得にシフトした。わざわざルイズの傍まで近付いて行くほどだ。

 

「ね、ねぇ? ルイズ……別に無理をする事はないわよ? その……あれだったらあたしが代わりにしてあげるわ」

「……………………」

「…………ルイズ?」

「やります」

 

 キュルケの説得も(むな)しく、ルイズは席を立った。杖を取り出し、やる気は十分。目も覚悟しているような、凛々しい目をしていた。その目を見てかキュルケは、ひきつった笑みをしながら座り込んだ。

 

「もう…………あたしはどうなっても知らないわよ…………」

 

 諦めたようだ。頭に手を当てて、椅子に体を預けている。そのキュルケの諦めを悟り、最後の(かなめ)が壊されたとあって一気に生徒たちに絶望が支配した。

 

 

「これは……夢だ…………『ゼロのルイズ』が魔法の実践なんて…………きっと……これは夢だ…………」

「突っ切るしかねぇ!! 真の覚悟はここからだ!!」

「『ゼロのルイズ』に実践させたらとにかく困るんだ……どっちだね? 君の最優先は? 成績か? それとも『ゼロのルイズ』を止める事が先かね?」

「おぉ……ミス・シュヴルーズよ……あなたはやらせる生徒を間違えた…………」

「おしまいよ……やってしまったわね……あなたは『ゼロのルイズ』にやらせた…………やってはいけないことを……」

 

 かなり大袈裟な物言いなので、これはただ事ではないと、ルイズの代わりに隣に座る、キュルケに疑問をぶつけてみた。

 

「…………なぁ?」

「うん?」

「どうしてみんな、こんなに怯えているんだ?……それと…………」

 

 続けて、一番知りたかった質問を重ねた。

 

 

「キミや…………他のみんなが言っているけど……『ゼロ』って、なんなんだ? 意味が分からない」

 

 それを聞くとキュルケは、意味深に微笑んでみせた。そして何故か、机の下に潜り、床に座る定助と同じ目線にまでなった。

 周りを見れば、誰もいない……いや、いないのではなく、みんな机の下に潜っているのだ。

 

「その答えは…………どちらも今から分かるわ」

「え? それは何で……」

「兎に角今は、隠れて…………通路の方にいたら危険よ、こっちに」

 

 キュルケに引っ張られて、何の事か分からずに机の下へと定助は隠れた。

 

 

「みなさん、失礼ですよ! 全く…………それではミス・ヴァリエール、お願いします」

「は、はい!」

 緊張しているのか、深呼吸をしきりに繰り返している。吸って吐いてを一回、二回、三回、四回はしない。そして、目を開いたら、杖を石にくっ付けた。

 

 

 

 

 次に聞こえたのはルイズの唱えた呪文と、爆音だった。




区切り所が見つからなかったので、一気に進めました。
四大系統の別名(?)については、漫画版を参考にしてます。それと、いつもながら以上にジョジョ色強いので、ご注意を(あとがき)

1/22→キュルケの本名『ツェルプストー』を『シェルプトー』と間違えていましたので、訂正しました。横文字大嫌い(爆弾発言)


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吹き飛ばされた先のゼロ。その1

お気に入り登録者数が200人突破致しました、恐縮です。


 この場にいる人物は二人。

 

 一人は定助。彼は、(ほうき)を片手に、教室中に飛び散った木屑やら石片やらガラスやらを掃いていた。一ヶ所に集められたゴミ類はすっかり山のようになっている。

 

「…………ふぅ」

 

 疲れを追い出すように息を吐き出す。

 

「……いったぁ」

 

 何かぶつけでもしたか、腰やら脇腹を押さえながら顔を歪める。白い服が、少しボロボロだ。

 

「……………………」

 

 教室中を見渡してみる。

 

 

 それは入って来た時とは似ても似付かないほど、荒廃した教室だった。椅子は吹き飛び、黒板はひび割れて壁から外れ、窓ガラスは全て破壊、教卓は四散(しさん)している等々……何か暴動でも起きたかのような、凄まじい状況になっている。綺麗だった床も机も、傷か埃か何かで濁り、これはもう箒で掃いたってどうしようもならない。

 立派で荘厳なあの教室は、目も当てられないほだに凄惨な風景へと様変わりしている。

 

「……………………」

 

 もう一人の人物はルイズ。彼女に至っては、机の上に座っており、箒は持っているのだがぼんやりとしていた。清掃をやる気は全くないらしい。

 

「……………………」

「……………………」

「…………ご主人?」

「……………………なによ」

 

 拗ねたような口調。足をブラブラとさせながら、不機嫌そうに膨れている。

 

「その…………ここの清掃を命じられたのは、オレとご主人だから……手伝ってくれると有り難いんだけど…………」

「私の勝手よ…………ほら、そこ。そこちゃんと掃いてよ」

「もうそこは、幾ら掃いたって拭いたって無理だ……完全に傷()っているよ」

「…………そう、なら取り換えね」

 

 決闘者ならぶちギレているであろう、受け身の会話。どうやらこの教室の状態を作り出したのは、どちらか一方のようで、責任を取る形で清掃をしていると言った形だろうか。

 

 

 しかしやる気以前に、ルイズに元気がない。清掃を定助に殆ど任せっきりで、机に座ったまんま。

 

「……あぁ、ゴミを一旦集めたいから、袋取ってくれよ…………そう、足下のそれ…………」

 

 ルイズの真下に落ちてある、布製の袋を指差した。これの中にゴミを詰めて、指定の場所に持って行く訳だ。

 されど、ルイズはやっぱり怒る。

 

「はぁ? このくらい、自分で取りなさいよ!」

「いやぁ、近いから…………」

「自分で取りなさいってッ!!」

 

 ここまで久方(ひさかた)ぶりに聞いたような、ルイズの怒鳴り声。気が立っている状態なので、定助は頼み事するのを止めた。

 

 

「………はぁ、何で私がこんな事しなくちゃならないのよー…………水浴びたーい」

「……………………」

 

 定助(みずか)らが袋を取りに近寄る。ボコボコになった床を、歩き辛そうに進みながら、袋を手に取った。

 

「…………なぁ、ご主人……」

「…………なに?」

「……その、なんと言うか…………凄かったよ……うん」

「……止めないとぶっ飛ばすわよ…………触れないでよさっきの事に……」

 

 苛立ち気味に呟けば、またブツブツ言いながら終いに静かになった。

 

 

 

 

 こうなってしまったのには理由があるのだが、それを知るには時間を少し前に巻き戻さなくてはならない。場面は、ルイズが錬金を使う所まで遡る。

 

「……………………」

「さぁ、ミス・ヴァリエール。失敗を怖れず、やってみて下さい!」

 

 微笑ましい授業風景と、戦場のように緊迫した空気の、噛み合わない光景。この状態に挟み撃ちの形となった定助はただただ困惑の極みに達していただけ。

 

 

「…………えー……つぇ、てるぷすとーさん?」

「ツェルプストー。あぁ、言いにくいのならキュルケで良いわ」

 

 正直、ツェルプストーより言いやすいので、この許しは助かる。

 それにしても、傲慢でプライドの強い性格が多そうな、貴族の中でも彼女はやっぱり異質な存在だ。誰にでも分け隔てする事なく対話してくれる、取っ付きやすいタイプだ。

 ただ、定助の考えでは『サイベリアン』…………猫と似ていると思っている。なついているけど、依存しない。そんな感じがする故に、あまり馴れ馴れしくしない方が良いかもしれない。引っ掻かれそうだ。

 

「これから分かる、とは言っているけど、こんな厳戒態勢で怯える理由だけでも言ってくれないか?」

「…………やっぱ、気になるわよね?」

「今のオレたちの状況を見ても、ならない方がおかしい」

「それもそうね……ふふっ」

 

 机の下に隠れて隣同士に語らう二人、このみょうちきりんな状態であるから、自然と失笑してしまうだろう。

 

「何でこんなに怯える必要があるのか……答えは呆気ないほど簡単よ」

 

 彼女はそう言いながら、両手の人差し指を耳の中に突っ込むような仕草をした。どうやら、大きな音が出るらしい。

 

「簡単?」

「えぇ、とても単純。ただの失敗ならこんな事にならないわ」

「…………?」

 

 

 机から顔を少しだけ出して、ルイズの様子を見ている。定助も習って、隣から顔を出した。実践を行うルイズは杖を石にくっ付けたまま、緊張を解す為か、目を閉じて深呼吸をしていた。

 

「緊張している……オレはこのまま見守りたいけどなぁ」

「別にいいけど、何かあったら自己責任ね?」

「…………重い含ませ方だな」

「えぇ、重いですもの」

 

 

 キュルケの説明が入ると同時に、吸っては吐いてをゆっくり一回目。

 

「隠れているのは、『身を守る為』」

 

 

 二回目の深呼吸。

 

「怯えているのは、『とても危険な為』」

 

 

 三回目の深呼吸。ルイズは目を開いた。

 

 

 

 

「そして、忠告しているのは、何も知らないあなたに『痛い目に遭わせたくない為』」

「……………………」

 

 ここまでの説明で分かった事……いや、この状況を見て薄々気付いていた事だが、とてつもない事をルイズはしようとしているようなのだ。

 

「…………ヤバいのか?」

「かなり…………ね」

 

 震えるような、差し迫った重苦しい空気。それらがまとわり付くようにして、静寂(しじま)から服を掴んでくるような謎の危機感。全てを作り出している、この場の異様さを、理解に至らない定助であれど『感覚』として本能に察知出来たのは、キュルケの説明のお陰か感覚の目なのか。

 

 

 ルイズが、呪文の詠唱を始めた。

 

「…………『情報を与え(アンサス カー)……………………」

 

 何人か、顔を出していた生徒が、土竜叩きのように一斉に顔を引っ込めた。ルイズの詠唱は、シュヴルーズの時と違い、一言一言確かめるように、大きくハッキリと言っている。

 この状況、隠れていないのは、ルイズの後ろでにこやかに微笑むシュヴルーズと、

 

 

「…………ご主人様への忠誠心が強いのね」

「……………………」

「……………………あたしは言ったわよ?『自己責任』って」

「……大丈夫、誰も怨まない。オレが勝手にしている」

 

…………定助だった。定助は床から立ち、ルイズの魔法を真っ正面からお手並み拝見と言った感じだ。しかし、定助が立ち上がっている事は、集中しているルイズには気付かれていないのだが。

 

「『無知』って、恐ろしいわ。何だって出来る」

「キミは含ませてばかりだ」

「あら? でも気付いているんでしょ? 危険だって」

「……………………」

 

 キュルケは、直接的に『何が危険か』を教えてくれない。でも、普通は『何も知らないから』こそ『危険』を察知すれば、人は本能的に警戒するものだ。彼女の含ませ方は、十分な材料のハズ。実際、定助の本能は警笛を鳴らしている。

 しかし定助は、敢えて立つ事にしたのだった。その『危険』を、自分の目で刮目したい。

 

「まさか、それすらも記憶にないとか?」

 

 キュルケの問いに、定助は自分へ語るように、答えるのだった。

 

「この、何も知らない世界で、今の自分に信じられるものは『経験』だと思っているよ」

「……………………そう。ふふふ、応援するわ」

 

 

 ルイズの呪文が、最終段階へ移る。

 

停止して守れ(イーサ エワーズ)…………」

 

 呼吸を目一杯吸い込む彼女を見て、限界を悟ったキュルケは、頭を机の下に引っ込めた。

 そして定助には強い使命感がある。『主人の魔法を見る』と言う使命がある。

 

「…………じゃあ、ルイズの『危険』を教えてあげるわ」

「え? それは?」

 

 呪文は、最後の行へと来た時、キュルケは秘密を開封した。

 

 

変化、変性せよ(ベルカナー べオーク)

「それはね……」

 

 ルイズの目が、キッと引き締まった。呪文のラストワードが言われる。

 

 

 キュルケが合わせて、ゆっくり呟いた。

 

「…………『爆発』よ」

土よ(ジエーラ)』ッ!!」

 

 定助の反応を待たず、ルイズが『錬金』した石が、シュヴルーズの倍の閃光を放った。

 

 

 

 

 次に聞こえたのは、爆音だった。

 

「なぁッ!?」

 

 定助の驚く声は掻き消された。音だけじゃない、風も威力も、全てが定助に真っ向から直撃する。

 強烈な爆風が、定助の体を後方へと持ち上げて…………全てが吹っ飛んだ。

 

 

 

 黒煙が腕を広げるように伸びて、包まれたルイズがどうなったのかが見えなくなった。安否確認をしたいが、今の自分は前から襲い来る圧力とエネルギーによって、体を重力から離した空間の中を漂うだけである。

 

 

 

 

「……………………」

 

 音が聞こえなくなり、時がゆっくり動いているように感じる、感覚が暴走でもしているのか。そのゆっくりと進む時の中で、破壊された物の破片や椅子が並列して飛んでいるのが確認出来た。

 

 

 しかし、定助よりも倍のスピードで物は飛んで行く。掠める物もあれば、直撃して行く軌道に乗った物もある。このまま行けば、肉に食い込み、大怪我をするのだろう。

 

 特に眼前に、ゆっくりゆっくりと迫ってくる「石の破片」。それは鋭利な先端をこちらに向けて、定助の顔へ顔へ、真っ直ぐに真っ直ぐに、どんどんと、どんどんと…………

 

 定助の本能は、防御態勢を無意識的に構築させたのだが、こんな物は気休めだと理性は気が付いている。重力、本能、理性……全てが全て、定助に突き刺さるように感じられたのだった。

 どうにも出来ないが為に危険だと察知し、目を、薄く閉じた。

 

 

 

 

 

「……………………」

 

 しかし、彼は確かに見た。石の破片が、自分の手前で、有り得ない挙動でピタリと『停止』した。石の破片はスピードを止めて、離れて行く。

 

 これは一体なんなんだ。定助の目にはうっすらと見えた。

 

 

「……………………」

 

 腕、誰かの右腕。何処から伸びているのだろうか。その腕が、ガッシリと、手のひら全てを使って石の破片を掴んでいる、半透明な腕。

 

 

 腕が消えた、石の破片は、スピードを失って下へ落ちて行く。

 

 それを確認した瞬間、時間は我を取り戻したように速まった。

 

「ぐぇっ!?」

 

 机にぶつかったが、勢い止まらずもう一発後ろの机へ突っ込んだ。

 

「うぉあ!? 平民!?」

「うぐっ……!」

 

 太った生徒の隣へと落っこちた。この生徒はグランドプレと言う名前だった。傍にいる(ふくろう)が使い魔なのだろうか、怯えて机の下で畏縮している。

 

「おい! お前の主人の『ゼロ』はどうなってんだ!? 何であぁなんだよ!」

 

 ルイズへの怒りが、彼女の使い魔である定助へとぶつけられる。その怒りっぷりは、算数をなかなか覚えないチンピラにぶちギレるインテリギャングのようだ。

 

「いっつ…………今日は痛い目にあってばかりだ……………………」

「こっちを向けぇぇ!『クヴァーシル』が怯えてしまったじゃあないかぁぁぁ!!」

「オレに言うな」

 

 キッパリと言った後、恐る恐る机から顔を出す。腰やら体中がズキズキと痛むのだが、ルイズの安否を確認しなければ。グランドプレは、『クヴァーシル』と言う名の梟を慰めていた。

 

 

「大丈夫かぁ、ご主人!」

 

 黒煙はボソボソと晴れて行く。すぐにでも向かいたいのだが、痛む体が定助を(いばら)で縛るよう動かさない。

 

「うっぐぅ……! いてぇー…………」

 自分の居場所を確認すれば、最前列の席から五列分飛んだようだ。あの吹っ飛んだ感覚と言うのはまるで、瞬間移動のようだった。しかし、そんな勢いで体をぶつければ痛んで痛んで仕方がない。

 

 

 煙が晴れればボロボロの服で、煤だらけになった桃色髪の少女の姿が見えた。この事態の原因である、ルイズであった。見る限り無事なようだ。

 

「…………けほっ」

 

 軽い咳き込みが、静止の世界と変わった教室に一つ響いた。

 

 

「…………嘘だろ……」

 

 あれだけの衝撃で、座り込むだけとは、どんな防御態勢をしたのだろうか。定助は呆然とするばかり、信じられない。

 その彼女の近くで、ぐったり倒れるシュヴルーズがいたのだが、目を回して気絶しているだけだった所を見て一先ず安心だ。 

 

「………………えーっと……」

 

 荒れ果てた教室を見渡し、ルイズは何を言おうか迷っている様子だが、顔を出している生徒たちの怒りの目が集中している。何か言ったって何の意味もないとは思うのだが、ルイズはニッコリ笑いながら言うのだった。

 

 

「…………ちょーっと……失敗しちゃったみたい…………ね?」

 

 その言葉に、教室中の生徒たちがプッツンした。

 

「どぉぉぉぉッこが『ちょっと』だボゲッ!?」

「いい加減にしやがれ!? お前はお前はお前はぁぁぁ!!」

「オイオイオイオイオイオイ…………どうしてくれんだ?」

「あああ!! 俺の使い魔が食われたぁぁぁ!?」

「この便所に吐き捨てられたタンカスがぁぁぁ!!」

 

 一斉に批難がルイズに浴びせられる。わぁわぁ叫ぶ教室内では、誰が何を言っているのか分からないほどだ。もう貴族は紳士にとか何とかを無視して、口汚く罵っている者もいる。

 

 

「まぁ……ミス・シュヴルーズも失敗を怖れずにって、言っていたし…………」

 

 そのルイズの言葉でさえも、火に油注ぐ結果となった。更に批難は激しくなるのは、当たり前か。

 

「何が『失敗を怖れず』だお前ぇぇ!! てめぇ、今日まで『成功率ゼロ』だろうがぁ!?」

「どぉぉっやったらこーなんの!?『ゼロのルイズ』がぁ!」

「このっ、『魔法の才能ゼロのルイズ』!!」

「この『ゼロカス』がぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 批難が殺到する中、呆然としている定助の隣へ、キュルケがやって来た。そちらに視線を向けた時、彼女は乱れた髪を整えていた。

 

「大丈夫?」

「大丈夫……とは言えないかな? 体が痛いな…………」

「ほほほ…………頑丈ねぇ?」

 

 キュルケは軽く笑った。体の痛みは少しマシになったが、打撲にはなっているだろうか。

 

「ふふ、貴族の授業で発言と言い、ルイズの爆発を真っ向から受けると言い…………あなた、一味違うわね」

「…………まさか、『ゼロ』ってのは…………」

 

 定助には、キュルケの言いたい事も『ゼロのルイズ』の意味も分かっていた。

 

 

「だから言ったでしょ? 全部分かるって」

 

 察したようにキュルケは微笑みながら、何かを差し出した。定助の帽子である。

 

「……………………」

「『ゼロ』の意味は、あなたが身を以て知ったでしょ? あの子の使い魔であるなら、覚えていた方が良いわ」

 

 帽子を受け取り、頭に被り直す。そしてルイズの方へと、向き直った。

 自嘲気味に笑っていたのだが、スカートを握る手がフルフルと揺れている。本気で、悔しがっているのだろうか。

 

 

(………………あの腕は……)

 

 定助は右手を見た。あの状態の時に現れた、『半透明の右腕』。それは、今思い出してみれば間違いなく、自分の背後より伸びていた。自分の後ろに、誰かいた。

 

「……………………」

 

 振り返れば、ぶちギレる生徒と、ボロボロの机。もちろん、誰もいない。

 

 

 

 

 その後、騒ぎを聞き付けた他の教師たちがやって来て、シュヴルーズを医務室へ運んだ後、問題の発端であるルイズが掃除を命じられた。そして、『主人の失態は使い魔の失態』として、定助もとばっちりを食らう形で清掃に従事している。そして時間は、最初へと戻るのだ。




所で、スタンドの色……超像可動シリーズの綺麗な白金色にすべきか、良く見る金色にすべきか……迷うなぁぁ。


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吹き飛ばされた先のゼロ。その2

なぁなぁで書いてやすが、シリアス書くとなると凄い圧力感じるな。
これか……DIOに出会った時の気持ちとは……た、魂までは売らねぇ!


「…………よし……いてて」

 

 受けた打撲を労りながら、汚れた机を拭き取った。ざっと、二時間ずっと掃いては拭いて、運んで集めて捨ててを繰り返している。だが、その殆どの作業をやっているのは定助のみ。ルイズはぼんやり、机の上に座っていた。

 

 

 だいぶ片付いたか。あと、一時間程度やってれば、教師に「終了」は言えるだろう。

 

「ふぅぅぅ…………ちょっと休憩休憩…………」

 

 ここまで掃除三昧(ざんまい)であった定助は、ベッタリ座り込んだ。椅子にも机にも座らない辺りは、律儀に『平民としての弁え』を守っているのだろう。

 

 

 それにしてもハードな一日だ。ルイズの使い魔として初日であるハズなのに、色々と起こり過ぎている。洗濯して、サラマンダーを見て、質素な食事をして、殺意を受けて、デカイ土竜に会って、授業に参加した後、爆発で打撲…………

 一週間でギャングのボスに就任した中学生と言った感じだろうか、今日の話だけでも小説の一つや二つ書けそうだ。

 

「……………………」

 

 それはそれとして、この隙間のないような一日の中で、最も奇妙な事を思い出す。奇妙な事とは、ルイズの放った爆発の衝撃空間の中で見た、『半透明の腕』だ。

 

 

(アレは……けして幻覚じゃない…………)

 

 あの空間の中、飛び散った石の破片が定助に突き刺さろうとしていた。覚悟を決めて、目を薄く閉じた。

 

 

 しかし、その石の破片は、定助の眉間(みけん)へあと十cmの所で運動エネルギーをピタリ、停止させた。そしてその石の破片を包み込む、『半透明の腕』が定助にはしっかりと見えていたのだ。

 この瞬間的時間の中でも、その光景は網膜に焼き付いている。あの腕は間違いなく、『起こった事実』であり、『確かに存在していた』のだ。

 

(誰かが傍にいた? オレの後ろから…………オレを守ってくれた……?)

 

 爆発後、呆然とする中でも、『傍にいた者』の正体を探した。だが、吹っ飛んで着地した時の太った生徒の反応や、周りの反応を見る限りは、誰もこれを見ていなかったようだ……まぁ、あの状況だ、仕方ない事なのかもしれないが。

 

(一体、何者だ?…………どうしてオレの後ろから現れた、どうしてオレを助けたんだ…………)

 

 答えのない事を考え込んでしまえば、なかなか戻って来られない。ただこれは、自分の中に『懐かしい』と言う感情が、心にあった為だ。久しぶりに故郷へ帰って来たような、ノスタルジックな感情…………この矛盾が、彼の中で納得出来ないのだ。

 

 

(この気持ちはなんだ…………オレは、アレを知っているのか?)

 

 そう考えた所で、「アホらしい」と小さく呟いた。

 

(オレはアレを知らない)

 

 そこで考えに見切りをつけて、頭を現実へと引き上げた。

 

(今は…………こっちか)

 

 

 

 

 机の上に座っている、ルイズに視線を向けた。心、ここにあらずと言った風に、荒れた教室を眺めて箒を回している。浮いた足をブラブラさせて、息を小さく吐くばかり。

 

「ふぅ……」

「……………………」

 

 彼女を表す渾名だった『ゼロのルイズ』……まさかこの名前が、ここまで重大なものだとは分からなかった。プライドの強いルイズには、さぞや屈辱的で不名誉な渾名だろう。

 

「……………………」

「……………………」 

「………………なに?」

 

 かける言葉を探していたら、見つめながらも沈黙する彼に痺れを切らしたのか、向こうから話をかけて来た。

 

「あ…………いや…………」

 

 かける言葉が見付からないのだから、返す言葉も見付からなかっただろう。突然話しかけられて、困惑したのは定助だった。

 

「……………………」

 

 言葉は見付からないがしかし、『触れまい』と思っていた事に、『触れる』時が来たのかもしれない。主人への気遣いより、主人への理解を優先させる。

 

「…………あの……ご主人…………」

「……………………」

「……『ゼロ』…………と言うのは、あぁ言う事だったんだな」

 

 定助に質問に、ルイズの表情に変わりはない。

 利口な彼女だ、定助が聞きたがっている事に気付いていたのだろう。

 

 

「……えぇ、あいつらが言う『ゼロのルイズ』の『ゼロ』って言うのは、『成功率ゼロ』だとか『素質ゼロ』だとか…………全く私は持っていないって事を表しているものよ」

 

 まるで他人事のように、フワフワと浮わついた声で言っている。

 

「昔から……私が魔法を使おうとすると、さっきみたいにドカーン…………って、何故か爆発ばかり。成功した事は一回もないわね」

「……………………」

「……………………」

 

 自分の事を話すルイズだが、やはり辛い所があるのか、黙ってしまった。

 

 

 しかし、定助はむやみに話しかけたりしない。彼女は話す事を拒否しているのではなく、言葉を探していると思っているからだ。定助は、ルイズの話が終わるまで、絶対的な『聞き手』に回る事にした。

 

「……………………」

「……………………だから……お父様も、お母様も…………厳しかったわね……流石にあの時は挫けそうになったわ」

「…………でもキミは、挫けなかった。努力したから、この学院にいるんだろ?」

 

 定助の質問に、少し戸惑うように俯いてから、再び顔を上げて「そうね」と肯定する。

 

自惚(うぬぼ)れじゃないけど、他人の倍は努力したわね。魔法学なら【火】も【土】も全て勉強したし、どの系統がどの系統と合わせたら、どんな魔法が出来るかだって、知っているわよ」

「凄いじゃないか」

「でも…………」

「……………………」

 

 

 ルイズはまた少し黙った。定助は静かに待った。

 次の言葉が出てくるまで、一分だけ経過した。

 

「…………増えて行くのは『知識』だけ。自分がどの系統が分からないほど失敗しているから、全部の系統を勉強したってのに…………何一つ、私には使えなかった」

「…………そうか……」

「大きくなって、必死に勉強したら使えると思っていた。座学はトップだし、杖の構え方まで一挙動一挙動覚えているわよ。でもどうよ、この有り様……」

 

 右手を上に突き上げて、荒廃の中にいる自分をアピールしているようだ。彼女は今も昔も苦しんでいたのだ。

 

 

「学院に入って、家から離れてからも猛烈に努力したわ。教科書はもう、穴が空くほど見た。ぶっ倒れるくらいの練習量で、魔法を試した。でも変わらない」

「……………………」

「そう言えばいたわね、私が学院に入れたのは『金があったから』だとか、『まぐれの奇勝(きしょう)』だとか言っていたやつが…………確かにヴァリエール家はトリステインを代表する名門貴族……財力は持っているわ。だけど、絶対に不祥事はしない。貴族として、『誇り高き一族』なの。そんな事、冗談でも言われるなんて事はあってはならないわ」

「…………それだけに、プレッシャーも強いんじゃあなかったのか?」

 

 ここでやっと、何もかも見透かしたようなルイズの表情に歪みが生じる。定助が今、彼女の感情を見透かしたからである。

 

 

「…………本当に察しが良いわね、あんた……何者よ」

「…………それが知りたいんだけど」

「あぁ…………記憶喪失だったわね……普通にしているから忘れそうになるわよ」

「くくくっ」

 

 ルイズが定助に軽口叩き、定助が堪えるように笑った。少し、彼に心を許したのではないか。

 

「…………まだ話しても良い?」

 

 証拠に、彼女から話の続きを申し出たほどだ。

 

「どうぞ」

「…………そうね、物凄いプレッシャーだったわ。私の上にお姉様が二人いるんだけど……姉妹としての順番じゃなくて、ヴァリエール家の者として…………さっき言った通り、厳しくされたわね」

「ほお…………」

「有名な家庭教師を何人も付けられたほど…………みんなに匙を投げられたけどね。私なんかは…………」

 

 そこで彼女はとうとう、沈黙してしまった。「私なんか」から次の言葉を模索しているようなのだが、口は開かれるのに、何を言おうか分かっていない。

 

「……………………」

「……………………」

 

 何度か思い付いた言葉を言おうと、口を開いたのだが、それでも出てこない。そして、最後には諦めたように口を閉じ、俯くのだった。

 

 

「キミは、『ゼロ』じゃあない」

 

 定助の言葉に、ルイズは目線を合わさざるを得なかった。驚いた顔のルイズの目には、真剣な顔の定助が座っていた。

 

「こうしてここに、オレがいるんだ。これは(れっき)とした魔法だ…………キミは少なくとも、魔法は使える」

「…………それに浮かれた結果がこうでしょ」

「キミは誰よりも努力をし続けた」

「実らない努力なんて、ただの骨折り損よ……話すんじゃなかったわね…………もういい、言わないで」

 

 彼女の心に何かが生まれたハズだ。なのに、彼女の心はそれを拒絶している。拒絶しているから、この話をなかった事にするつもりだ。

 

 

 ここで止まれば、彼女の心は『死んでしまう』。定助は食い下がらない。

 

「家のプレッシャーに潰されそうになっても、キミははね除けてきた」

「もう会わす顔さえないわ……話はおしまい」

「そうであっても…………キミは信じて、戦い続けて来たんだろ」

「おしまいって言っているでしょ? 命令よ」

 ルイズの声が震えた。

「キミは認められる為に、この学院の中、一人だけの戦いを生き抜いて来た」

「止めなさいって…………」

「そんなキミを、オレは『ゼロ』なんて言わない」

「止めて……」

「キミは間違いなく、『誇り高き一族』の意思と誇りを受け継いでいる」

「黙りなさいってッ!!」

 

 

 ルイズの叫びが、教室に木霊(こだま)した。その声が一撃となって、波紋を消したように思えた。

 息を荒く吸い込む彼女の目には、食堂の時に感じた殺気のようなものを感じる。定助は、静寂に身を預ける事にする。

 

「あんたねぇ……平民の癖に、貴族の何が分かるってのよ……! 私の何が分かるってのよ!? 自分の事も、分かってない癖に!」

「……………………」

「召喚に成功したのは、ただのお情けよ…………『ゼロ』としての一生が……私の『運命』なのよッ!!」

「…………なるほど」

 

 今度は定助が俯いた。とうとう彼も、諦めてしまったのか、こうなる事も『運命』だったのだろうか。

 

 

「……『運命』…………そう決めるのなら、今までを捨てるんだ」

 

 再び彼はルイズを見た…………いや、睨んでいる。

 

「…………ッ!」

 

 暢気で、頓珍漢な平民の使い魔……だと思っていた彼から、『気高い精神』を感じた。ルイズは思わず、押し黙った。

 

「『運命』で片付けるのなら、これまでの努力も、支えも……全部否定するんだ。そして、キミの『一族』も否定するんだ」

「そんな事出来る訳ないじゃない……!?」

「キミは『運命』の延長線上として、自分の能力を否定した。そして、これまでの一生を否定した…………自分の事なんか、『運命の一部に過ぎない』なんて考えるのなら、筋道通りの事柄に(こだわ)りなんていらない。全部否定するんだ」

「あ、あんたって……あんたって…………ッ!」

 

 頭に血が昇ったルイズは、箒を投げるとなんと、杖を定助に構えた。定助に一族を侮辱されたと、思ったからだ。あの爆発を間近で食らえば、定助はまず無事で済む訳がないだろう。

 

「だ、だ、だ…………黙らないと…………黙らないと…………!」

 

 しかしルイズの……涙で潤んだ目と、震える手を見れば、迷いがある事は明白。

 

 

「…………なら、それでオレを『殺せばいい』」

「は、はぁ!?」

 

 これで怖じ気付くと思っていた。

 しかし、定助は絶対に食い下がらない。

 

「なに言ってんのよ!? 正気じゃあないわ!!」

「キミこそ何言っている。しようとしているのはキミだ。オレは決められない」

「でも、あんたは……」

「どうせ昨日会ったばかりの、顔見知りの平民だろ? 未練はないハズ」

 

 定助の瞳に、曇りはなかった。後悔もなかった。何処までも本気の『覚悟』が瞳の奥に輝いていた。

 

「否定するんだ、オレを殺すんだ」

「や、止めなさいって、言ったわよね……?」

「丁度良い。『運命』の中で生きて行くのなら拘りは捨てなければな」

「や、や、止めて…………!!」

 

 どよめく彼女の心に向けるように、最後に定助は言い放った。

 

 

「選ぶんだ。キミはどっちだ? 落ちこぼれの『ゼロのルイズ』か、誇り高き『ヴァリエール家のルイズ』か」

「…………!!……!」

 

 

 

 

 ルイズは、杖を、

 

「……………………」

「……………………」

 

…………静かに懐へと閉まった。そのつもりはないだろうと思うが、魔法は定助に向かって、発動しなかった。

 目からボロボロと涙が落ちる。あの、気丈な彼女から想像出来ない一面だった。

 

「…………捨てられる訳ないじゃない…………」

 

 ぽつり、ルイズは呟く。

 

「ここまで……いつか魔法が使えるって…………頑張って来たのに…………」

「……………………」

「…………捨てるなんて、無駄じゃない………………あんただって……」

 

 一呼吸置く、興奮し過ぎたせいか、少しクラクラと頭が回っている。眉間を指で押さえながら、ルイズは『とうとう言った』。

 

 

 

 

「……あんただって、『始めて魔法で召喚した』んだし…………」

 

 

 それを聞いた定助は、歯を見せてニコッと笑った。あの変なすきっ歯が丸見えだ。

 

「認めたじゃあないかぁ! キミは、『ゼロ』じゃあないって!」

 

 さっきまでの真剣な顔から一転、(ほが)らかで間抜けっぽい『いつもの定助』へと早変わり。その変わり様と言えば、記憶を取り戻した無口な囚人が如く。ルイズはポカーンと、涙を拭くのも忘れて定助を眺めた。

 

「キミは間違いなく、魔法を使える。ならばこの召喚だって、絶対に成功しないものだった」

「え、えぇ…………」

「だけどオレがこうして、キミの使い魔として存在している。これは、どんなに『ゼロ』と罵られようとが、絶対に覆せない事実。それにほら、この…………手の文字の奴」

 

 定助は、左手のルーン文字を見せた。これは間違いなく、ルイズ自身が行った『魔法の一つ』であるし、彼を使い魔として認めた絶対的な証なのだ。

 

「これは成功の証。キミに才能が無いなんて、そんな事はないんだ。人一倍頑張った人間が、人一倍下に見られてはいけないんだ……恐らくキミの魔法には、『何かがある』んだと思う」

「……『何か』?」

「そう、『何か』」

 

 定助の含ませた言い方に、興味をもったルイズは、質問する。

 

「じゃあ……その『何か』って、なんなのよ?」

 

 それについて定助は、自信満々気にこう言うのだった。

 

 

「さぁ?」

「……はぁぁ!?」

「だってオレは、『魔法』が使えないし、魔法学も知らないんだぞ~……逆に知っていたら怖いだろ?」

 

 確かにそうかと、ルイズは溜め息吐いた。あまりにも分かったような事を言っていたので、無意識に平民へ期待した自分が恥ずかしくなった。

 

 

「だけど、キミはこれから『その意味』を探さなくてはいけない」

 

 しかし、定助は続けた。

 

「…………『意味』?」

「そう、『意味』だよ。考えた事はないのか?『何で魔法が使えないのか』を。素質とか、そんなのは省け」

 

 それは何千回も考えた事柄だ。しかし、今の頭で考えてみると、少し違和感があるような気がする。

 

「…………そう言えば……」

「『何か』がキミの中にあるんだよ。その『何か』の存在と『意味』を探して行く…………これがキミの使命であり、オレの使命でもある」

 

 それを聞いたルイズは、ピクッと反応する。

 

「…………あんただって……記憶を取り戻したいのでしょ?」

 

 本当にある時、ポンと忘れてしまうのだが、定助は記憶がないのだ。自分にまつわる事全て、生い立ちや家族も。

 

「確かに、自分が何者か知りたい」

 

 その後に定助は「だけど」と付け加えた。ルイズは黙って聞いている。

 

 

「……オレはキミの『使い魔』だ。主人のキミの為に働いて、何か不愉快でもあるか?」

「…………あんたって、変わっているわ、ほんと」

 

 涙を袖口でサッと拭くと、ルイズはやっと、机から飛び降りて、投げ落とした箒を手に取った。表情は、さっきまでのボンヤリとした顔をしていない。まとわりついた物を落としたような、吹っ切れたような、とてもスッキリとした顔だ。

 

「…………さっさと終わらせないとねぇ…………お昼ご飯に間に合わないわ」

「えぇ? 掃除出来るのぉ?」

「出来るわよ!? 私を誰だと思っているのよ!」

 

 彼女は胸に手を当て、誇らしげに言うのだった。

 

 

 

 

「私はあの、ヴァリエール家の三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ! 掃除ぐらい、なんて事ないわ!」

 

 それを聞いて、定助は微笑んだ後にゆっくりと腰を上げた。教室は、予定より早く片付きそうだ。

 

 

 

 

「でもあんた」

「ん?」

「ツェルプストーと何かしてたでしょ?」

「え」

 

 ルイズの爆発が起こる前に、彼女と話していた事がバレていた。それを見ていたのなら、信じて立っていた事を見てくれと、少し思う。

 

 

「…………いや、あれだよ……キミの事について…………」

「ジョースケ」

「はい…………ん?」

「…………ご飯抜きは昼食までにしといてあげるわ、感謝しなさい」

 

 一週間から減らされたのだが、安心したような複雑なような……一先ず苦笑いをしておく定助だった。

 そして、ルイズの口から「ジョースケ」と聞けた事には、純粋な嬉しさを実感するのだった。




私の名前はランタンポップスだ!レンタンでもノンタンでもない!

んー、名言にしたいなぁー!だよな?オービー君?

1/26→台詞を一部、加筆しました。


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変調する世界と、同調する間。

閑話みたいなもんでさ。ジョジョ色強めと、もしかしたらキャラ崩壊注意報発令。
中庭には行くな。


 トリステイン魔法学院には、もちろん、学院長がいる。太陽が東から昇るように当たり前の事だが、学院長はいる。

 学院の真ん中にある本塔の最上階、そこが学院長が業務を行う魔法学院長室が設置されている。自分のやりたくない事は人にやらせるように、当たり前の事だが。

 

 

「先程の爆発騒ぎは、ミス・シュヴルーズが行っていた【土】の授業の際、『錬金』の実践学習をしていた所、生徒が実践魔法で失敗した為に起きたものです」

「…………あーもう良い……誰が何をしたかは分かった分かった…………」

 

 学院長室にて、秘書と思われる緑色の髪を靡かせた女性が、前方に座って面倒そうに聞く、立派な髭を蓄えた老人に報告をしていた。

 老人はとことん面倒そうに、鼻毛を抜きながら聞いていると言う始末なのだが。

 

「こんな事態を起こすのはあの子じゃろ?……ヴァリエール家の末っ子の…………えーとぉ…………」

「……………………」

「…………あぁ、ルイズじゃ、ルイズじゃろ。そうじゃろ?」

 

 名前を思い出すまで少しプランクがあったが、ルイズの失敗魔法は最早、この学院で有名な事なのだ。そして爆発が起きて教室の備品が破壊されたりすれば、報告は毎度毎度ここへ届いて来る。ので、彼自身『実践』と『爆発』と『失敗』さえ聞いたら、誰が起こしたらものかすぐに検討付ける所まで来ていたのだ。

 

「……えぇ、その通り、ミス・ヴァリエールです」

「むぅ……これで何回目かのぅ…………」

 

 老人はインク壺と羽ペンを取り出すと、秘書に渡された書類にサインをする。

 

「こちら、サインを」

「…………こらまた派手にしよって……うわ、パーティー開ける額じゃぞこりゃ…………」

「取り替える備品としましては、黒板が一つ、椅子が三十六脚、机が五つと教卓が…………」

「あぁ言うな言うな! 頭が痛くなるわい! うひー……」

 

 さっさと書類に自分の署名を書き入れた後、ペンを放り出して椅子から立ち上がった。

 

「全く……あまり国庫から請求しようものなら、いつか調査団が来おるぞ……」

「別に(やま)しい目的で請求している訳じゃないんですから」

「いや、対応が面倒」

「……………………」

 

 見るからに職務を「面倒」だとか、色々と問題のあるこの老人。

 

 

 

 

 この老人こそ、見た目と風格は兎も角、このトリステイン魔法学院を治める学院長、『オールド・オスマン』である。今、ルイズが破壊したものの被害額とを計算し、それを国に請求する書類を書いている。しかしこの学院長、こう言ったデスクワークが大嫌いである。

 なので、ある程度の書類作業を秘書に任せて、自分の著名が必要な重要書類だけにサインすると言う事をしている。それでも面倒面倒言うのだが。

 

「はぁぁ……どうしたものかのぅ、あの子は…………一度や二度なら兎も角、これで何度目じゃろうか…………」

「まだ修行中の生徒です。大目に見てあげましょうよ」

「そう言えば『平民』を召喚したと聞いたが……本当に話題の絶えない子じゃわい」

 

 窓から学院を見下ろす。そろそろお昼時だろうか、下には大勢の生徒が食堂のあるこの本塔へと集結している様が分かる。どっかの狂気な医者なら大笑いで喜ぶ光景だが、オスマンは自分の生徒たちを我が子のような、慈愛の目で眺めている。

 

「そろそろお昼時かの?」

「えぇ、そうですね」

「ほほほ! 生徒たちが集まって来とるわ。可愛いらしいのぅ」

 

 ザワザワと集まる生徒たちを見て、にこやかな表情となるその姿は、孫を見守る好好爺(こうこうや)が如し。人当たり良く、優しそうだ。

 

「ふぅ……これを眺められると、嫌な仕事の事は忘れられるのぅ」

「……………………」

「そう思わぬか? ミス」

「オールド・オスマン」

「あぁっ!?」

 

 窓を眺めていたオスマンがいきなり、クリア間近のゲームをゲームオーバーにされた不良のような驚愕の声をあげた。それと同じタイミングで、秘書は白いネズミを捕まえていた。

 

「…………窓を眺めるフリをして、使い魔を使って私のスカートを覗こうなんてしないで下さい」

「……………………」

「…………バレていますよ」

「…………ふぉ、ほほほ……」

 

 動揺しているオスマンから見るに、使い魔に何かをして、秘書のスカート下を見ようとしていたようだ。何をしたのかは分からないが、色々と無駄遣いな事をしている気がする。

 ここでさっきのオスマンの台詞全てを、生徒たちではなくて秘書のスカート下にすげ替えて見て貰おう。かなりドン引き。

 

「な、何がなにやらさっぱりですじゃ」

「白々しいですよ」

「…………今日は平和じゃのう」

「話は終わっていませんよ」

「こう、ピクニックにでも行きたいような」

「蹴り殺しますよ」

「誠に申し訳ありませんでしたッ!!」

 

 蹴り殺すという言葉に怖じ気付き、謝罪しながら秘書の足元にザザーッと土下座して近付いたオスマン。秘書に敷かれる学院長とは、威厳も何も、そこには暗黒空間に飲まれたように何もないだろう。

 

「白状しましたね…………」

「いや、ほんの出来心! たまたま『モートソグニル』がミスの足元まで来とったから、どうせならと思って……」

「『どうせ』でこんな事しないで下さい」

 

 捕まえた『モートソグニル』と言う名前の、オスマンの使い魔ネズミを解放してやる。モートソグニルは一気に秘書から間合いを離すと、怯えて物入れと物入れとの隙間に逃げ込んでしまった。

 

 

 その様子を確認すると、秘書は呆れたような声で話す。

 

「全く……あまり酷いようですと、王室に報告しますよ?」

「それだけは止めてくれんか!?」

 

 すがり付くように、秘書の近くへ膝だけで近寄ると、必死に許しを懇願する。

 

「年寄りのちょっとしたお茶目じゃろう!? こんな年寄りに酷な事は止めとくれんかのぅ!?」

「…………許して欲しいのですね?」

「とてもッ!!」

「ならその右手、引っ込めましょうか?」

 

 何と抜け目のないジジイ。何と言うエロへの挑戦。

 

 

 土下座して弁解を求める姿はしているのだが、近寄った時に死角を狙って、気付かれないように右手を秘書の尻へ伸ばしていたのだ。もちろんそれを、看破(かんぱ)されて終わったのだが。

 

「え、あ、いやこれはその…………み、右手が勝手に」

「……………………」

「止めます、はい……すいませんでした」

 

 ニッコリ、笑って怒っている秘書に恐れをなして、学院長オールド・オスマンの悪ふざけはここで終わった。スゴスゴと秘書の監視に晒されながら、冬のナマズのように大人しく、元通り自分の席へと向かった。

 

 

「全く……そんな風だから、婚期を逃すんじゃぞ」

 

 向かう最中に放ったこのオスマンの言葉で、彼女の中で決定的な何かがキレた。

 

 

「……おいエロジジイ…………今、なんつった?」

 

 明らかな秘書の口調の変わり様に、オスマンは「しまったぁ!」と少女が敵に捕まえられた時のような迂闊な驚き様で飛び上がった。

 

「え? あ、違うんじゃ!? こ、こ、根気が必要じゃなって!! 秘書の仕事は忙しいからなぁ、うん!」

「いまてめぇ、『婚期逃すぞ堅物女』って言ったなぁぁ!?」

「誰も堅物とは言っとらんぞ!? 落ち、落ち着くん……うげべらぁ!?」

 

 学院長室からドッタンバッタンとした激しい音と、オスマンの悲鳴が響いたのだった。

 

 

 

 

 さて、学院長室へと走る一人の教師。それは、図書館で何かの発見をしたコルベールであった。

 

「あそこの司書さんの説教、一度食らうとなかなか逃げられないと聞いたが……ひぃ、噂通りだった…………!」

 

 自身の発見に驚き過ぎて、静寂な図書館で叫んでしまったばかりに、昼前まで司書に捕まり説教をされていた。昼食の頃合いを見計らい、全力で逃げて来たのだった。

 

「……………………」

 

 逃げて来た、そう。逃げて来た。司書さんはまだ、コルベールを許してはいないと言う訳だ。

 

 

「い、行き辛くなるなぁ、図書館に……」

 

 気苦労から、髪の無い頭をポリポリと掻いた。

 

「ま、まぁ! とりあえずこの発見をお知らせしなければッ!!」

 

 責任やらお叱りは後で受けるつもりだ。そんな使命感と覚悟の心を持って、コルベールはひた走る。

 

「はぁ、はぁ…………」

 

 本塔を駆け上がり、学院長室の前に到着。ここまで走りっぱなしの為に荒れた呼吸を正して、ノックをしようと扉に近付いた時…………

 

「ん?」

 

……学院長室から、オスマンのか細い声が聞こえて来た。

 

 

 

 

「た……助けて………………」

 

 息も絶え絶えな、瀕死の声。

 あのオスマンが何事かと、コルベールは激しく動揺する。

 

「お、オールド・オスマン!? どうなさいましたぁぁぁ!?」

 

 扉を勢い良く開き、学院長室へ突撃したコルベール。その彼の眼前に広がっていた光景と言うのは、

 

 

 

 

「蹴り殺してやるこのド畜生がぁぁッ!!」

「ひぃっ!? あぅ!! 止めて、止めて下さ、ぎゃあぅ!?」

 

地面に這いつくばって、秘書にゲドゲドに蹴られる我らが学院長オールド・オスマンの姿であった。

 

「……………………」

「…………あら! こんにちはミスタ!」

 

 彼に気付いて満面の笑顔で挨拶する秘書に、軽く戦慄するコルベール。この状況の理解が全く追い付かない。そしてまだオスマンにグリグリと踵を押し付けている。

 

 

「……えーっと、ミス、これは一体…………」

「オールド・オスマンが腰が痛いとおっしゃるので、マッサージを施していた所ですわ!」

 

 マッサージにしては殺気の籠った蹴りをお見舞いしているように見えたのだが。今だって、虫を踏み潰すような感じで踏みつけているではないか。

 

「いや、あの、マッサージと言うのは指圧を使って……」

「マッサージですわ」

「ですから、マッサージと言うのは……」

「マッサージですわ」

「あぁ、そうですか! マッサージですか! いやぁ、ハハハ!」

 

 笑顔ながらも黒い、秘書の圧倒的オーラに押されて、抱いていた疑問全てを放棄、あるがままを受け入れたコルベールであった。

 

 

 

 

「…………んで? なんの用じゃ……えーっと、ミスタ…………誰じゃ?」

「……………………コルベールです、オールド・オスマン……」

 

 ボロボロの状態の学院長を前にして、名前を忘れられたコルベールは本気で帰りたくなった衝動を抑えている。一体この人はまた何をやったのかと、呆れて溜め息が出てしまう。

 

「おぉそうじゃった、ミスタ・コルベールだった…………あぁ、すまない『ミス・ロングビル』、お茶を淹れてもらえんかの?」

「かしこまりました」

 

 あの後だと言うのに、普通に応対する二人を見て、どれだけタフなんだと思ったコルベール。もうストレス超マッハで、抜け毛の心配をしなければならないではないか。

 

「えぇ、用件と言うのは……こちらをご覧下さい」

 

 コルベールが取り出したのは、図書館で見つけた、あの本である。自分の前に置かれたその本を手に取ったオスマンは、ただただ訝しげに流し読みをする。

 

「…………『始祖ブリミルの使い魔たち』…………こらまた古い文献を……」

「実は、その本に重大な事が書かれていまして」

「はぁ…………君はこう言うのが本当好きじゃのう……それで、重大な事とは?」

 

 オスマンの質問に対しコルベールは言葉の代わりに一つの紙を差し出した。彼のスケッチ用のメモ用紙だが。

 

「これは、ミス・ヴァリエールの使い魔が左手に有したルーン文字のスケッチになります」

「話題の『平民の使い魔』とやらじゃな……ん? 見慣れない文字じゃのう…………」

「では、その本の三百六ページ、第三項目の所を見て下さい」

「面倒な事させるのぅ……ええと? なになに?」

 

 

 指定されたページを開いたオスマンだったが、訝しげな目は急に真剣になり、表情にも驚きが滲み出ていた。そして「信じられん」と呟くと、丁度お茶を淹れ終えた秘書…………ロングビルに命じた。

 

「…………ミス・ロングビル、すまないが、席を外してくれんか? ミスタと二人で話したい事があるのでの……あぁ、お茶を有り難う」

「…………はい」

 

 お調子者なさっきまでのオスマンとは打って変わった、真剣な目付き。目尻が持ち上がり、何か考え事をしているようで額にシワを寄せている。そして更に漂わせる雰囲気と言うものが、幾年の年月を越して来た老年の威厳を醸し出していた。

 その様子で、ただ事ではないと感じたロングビルは、何も質問せず、学院長室から退室した。

 

「……………………」

「……………………」

 

 扉が完全に閉まり、ロングビルの気配が消えた事を確認すると、オスマンの方から話し出した。

 

「…………これは本当かね?」

「はい! 私が調べました事です! 間違いありません!」

「にわかには信じられん…………こんな事が…………」

「オールド・オスマン! これは、とんでもない事実ですぞ!!」

 

 興奮気味のコルベールを落ち着かせるように手で制し、再び手元の本とコルベールのスケッチを互いに見比べる。

 

「まぁ待てミスタ! 君は落ち着きを覚えたらどうかね! ここには君と、ワシしかおらん。落ち着いて、一つ一つ確認するのじゃ」

「はっ!? も、申し訳ありません! つ、つい!」

 

 頭を下げて謝罪するコルベールだが、オスマンは謝罪を求めなどいない。謝罪に反応するまでもなく、じぃっと、本とスケッチを眺めていたのだった。

 

 

「それにしても…………ふぅんむ…………」

 

 スケッチに書かれた『定助の左手に浮き出たルーン』と、本に書かれた内容。コルベールとオスマンが注目した点は、この文献に書かれているルーンと、定助のルーンが完全に一致していた所だ。

 奇妙な事が起きた。高齢のオスマンが驚く内容である。一体この世界で、何が起き始めているのか、オスマンは静かに時の変調を感じ取っていた。




ジョジョの同志でしたら、感想は思いっきりはっちゃけても大丈夫です。
でもたまに、冷静な評価が欲しかったり。
はは!泣くなポルナレフ!イベントで会おう!!


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お昼時には薔薇を掲げるな。その1

アールグレイを飲みましたら、弟と一緒に『ダービー・ザ・ギャンブラーごっこ』していた。


 掃除は終了し、教師から自由の身となったルイズと定助。ちょっと急ぎ気味に食堂の方へ移動している。

 

「ちょっと遅れちゃったわね……食べられるかしら?」

「腹いっぱい食べたいなぁー」

「あんたは昼食抜きだって!」

 

 昼食抜きの現実が定助には突き付けられているのだが、あの(わび)しい食事が昼食もだったら食べない方が良いかもしれない。中途半端な腹の足しは余計に食欲を煽るものだ。

 

 

「腹減ったー…………減ったー…………減ったら減ったー」

「何の歌よそれ?」

「知らない。適当に出てきた」

「……………………」

 

 しかしそれにしたって、朝から殆ど何も食べていない定助の胃はカラカラの砂漠のように、何も入っていないのだ。このまま夕食まで我慢は、しようと思えば可能なのだが『侘しい食事』が夕食にでも出るとしたなら、最早拷問だ。

 更に、定助の空腹は絶頂を迎えたせいか、少しおかしくなっている。

 

「なぁ、四大系統の内、隠し事の上手い系統はどれだと思う?」

「は?」

「正解は【風】! 風の別名は【ハガラース】、『はぐらーかす』ぅぅぅ~」

「……………………」

 

 これがさっき、自分を認めて、励ましてくれた定助だとは思いたくなかった。空腹を拗らせ過ぎて、この状況でイカれてしまったのだろうか。

 

「四大系統の内、重さを予測ばかりする系統はどれだと思う?」

「………………どれよ、さっぱりだわ」

「答えは【水】!」

「あぁ……なるほど…………推量(水量)するって事ね…………」

「うんうん」

 

 

 定助に乗ってやったのも束の間、暫し沈黙。彼はまた何かを考えている。

 

(どうすりゃいいのよ、これ…………)

 

 ルイズは何をすれば良いのか分からない。

 

 

 

 

「四大系統……」

「しつこいわよッ!? 何を私に訴えてるのよあんたは!!」

 

 仏の顔も三度まで。三度目に入ろうとした所で、ルイズの我慢が溶けて消えて爆発した。

 

「あぁいや……そのー」

 

 定助の目がツツーッとそっぽを向いた。何か見ているとかじゃなくて、何か言い訳を考えているようだ。

 

 

「これから長い付き合いになる。互いに『はぐらかし』も『推量』も無しにしようって事だ」

「絶対それ、後付けで纏めたでしょ!?」

 

 考えていた仕草から、すぐに分かるだろう。

 

「……バレたのぉ?」

「モロバレよッ!!」

 

 このツッコミも何だか、久し振りな気がする。授業中のルイズは真面目モードに移行する為、定助がボケても突っ込んでくれなかった……いや、定助もそれなりに真剣に授業を受けていたからボケていなかったと言うのもあるが。

 兎に角、さっきと今の変わり様に驚きと困惑通り越して、呆れになっている事は事実。

 

(さっきのあんたは…………何処行ったのよ)

 

 心の中で毒吐いた。食堂まではあともう少しだろう。

 

 

「でもキミに隠し事はしないし、キミの力を推量しない。これは本心だ」

「……………………」

 

 こんな台詞をすぐに言える定助は、純粋なのかアホなだけなのか。兎も角、彼にルイズは救われているのも事実だ。

 

「…………あんたって、卑怯者よ」

「え、どういう事かな?」

「自分で考えたら? ジョースケ」

 

 定助の名前をまた言ってくれた。それだけでもだいぶ嬉しいものだ。

 しかし何だか、馬鹿にされているような隠されたような。

 

 

 本塔に入り、食堂の前に到着した。話し声やフォークなどを鳴らす音が聞こえてくる所、もう昼食は始まっているようだ。

 

「さてと……悪いけど、お昼ご飯は抜きだからね、あんたは」

「夕食まで待つのか?……はぁ、朝から何も食べてないに等しいのにぃ?」

 

 しょげる定助を無視して、ルイズは「ほら?扉は誰が開けるの?」と言って、定助に扉の開閉を催促させる。空腹と、朝からの疲れからか、定助は溜め息を吐いた。

 

「残念。朝食の時、私に恥かかせた分は清算して貰うから……これでも甘い方なのよ? 感謝なさい」

「確かにアレは悪かったと思っているけど…………ご飯抜きはやり過ぎだと思うなぁ」

「一週間からこの昼食までになったのに、ワガママなんだからあんたは」

 

 それもそうか。一週間に絶望するより、この昼食で朝の事を許して貰えるのならお得な感じがする。どの距離行っても千円均一のタクシーのようだ。

 少なくとも、そう考える事にした。

 

「…………分かった分かったご主人……甘んじて受け入れるよ…………」

「『甘んじて受け入れる』なんて、『妥協しました』って意味よね? 朝の事は何とも思ってないのねぇ?」

「…………お心遣い、感謝致します」

「よろしい!」

 

 あの後でも相変わらずキツいルイズ。しかし、不機嫌になっている訳ではなく寧ろ逆だ。定助に向ける笑顔の数が多くなった気がするし、声も棘が少なくて明るい。

 これは心を開いてくれていると言う意味で、裏返しなんだろうか。だとしたらもう少し優しくしてほしいと、定助はほんのチョッピリ思ったり。

 

 

「ほら、いつまで主人を扉の前で立たすのよ? 早く中に入れなさい」

 

 ルイズに促され、定助は彼女の前に立って、扉を開こうと取手を掴んだ。

 

 

 

 

「うん? 何か付いているわよ、あんた」

 

 後ろ姿を見たルイズが、定助に言った。定助は取手を掴む手を離し、ルイズに向き直る。

 

「え? 何処に何が付いている?」

「えーっと……あんたから見て左の首筋の所かしら?『星形』のものがくっついているわよ」

 

 そう言われて、左首筋を擦ってみるも、何かこれと言って剥がれただとか、くっついただとかの感触はしない。

 

「取れた?」

 

 確認して貰おうと、再び彼女に背中を見せたのだが、ルイズは『星形のもの』があった場所を眺めて首を振った。

 

「取れてないわよ…………あれ? 妙に立体感がないわね…………」

「取れてないの? いや、どの辺かな?」

「いや待って……ちょっとしゃがんで」

 

 ルイズの倍はある身長の定助は、膝いっぱいに曲げなければ定助の首筋まで届かない。定助をしゃがませ、『星形のもの』がくっついた所を見る。

 

 

 近くで見て気付いた。これは、くっついているのではなく、一体化している。いや、一体化と言うより、染み付いているような。

 この『星形のもの』とは、薄く紫色で形成させた『星形の(あざ)』であった。自然に付いたとは思えないその痣が、定助の左首筋に染み付いている。

 

「ゴミかと思っていたけど……あんた、ここに星の形した痣があるわよ?」

「へ? 痣? そこもぶつけたかな…………」

 

 思い出すのは、教室での爆発だが、左首筋が痛んだ覚えはない、殆どが腰に来ていたからだ。

 

「いや、ぶつけて出来たにしては不自然よ……だって『星の形』よ? どうぶつけたら、こんな痣が出来上がるのかしら?」

「んー……」

 

 限界まで首を捻ってみれば、なるほど、ギリギリだが自分の左首筋に『星形の痣』があるのが見えた。

 

「あ、ほんとだ……確かに奇妙だなぁ…………」

「えいっ」

 

 ルイズが親指でグイッと、スイッチを押すかのように痣を押した。

 

「……………………」

「痛みとか、ある?」

「……いや」

 

 医者から触診をされている気分だ。

 

 

 それは兎も角、痣なら刺激を受ければ痛むだろう。それがないとすれば、ホクロのように生まれつき出来たものなのだろうか。

 

刺青(いれずみ)とかでもないわね。変なのー」

「じゃあ生まれつきかな?」

「分からないわよ。でもまぁ、そうじゃない?」

 

 もういいと思い、定助はスクッと立ち上がると再度、扉の取手を掴む。

 

「どうするのあんた?」

「ん? どうするってぇ?」

「別に入ったって食事無しよ」

「……………………」

 

 確かに用はないのに、食堂に居座るのも嫌らしいだろ。何もないのなら、外で待つかブラブラしている方が良いだろうか。

 それに腹ペコだ。こんな状態で貴族の昼食なんて見たら、我慢しきれず飛び付いてしまうかもしれない。今でさえも扉越しに、フンワリと良い香りがしているので理性がブチ壊し抜ける寸前だ。

 

「……うーん、ちょっとここらを歩こうかなぁー。道とか覚えたいし」

 

 早朝に出来なかった事をする。昼食だからあまり長い事出来ない訳だし、この近くを散歩程度なら空腹も紛れるだろう。この学院、原っぱがあったり花壇があったり、自然も多いので、ここを知らない今の内は散歩だけでも楽しめそうだ。

 

「じゃあ、昼休み終わりまで自由行動にさせてあげるわ。鐘が鳴ったらすぐに戻って来なさいよ」

「了解です」

 

 扉を開ける。中は見ないし、匂いも嗅がない。

 

「少しでも遅れたら……夕食も抜きね」

「了か…………え?」

 

 すっとんきょうに鳩が豆鉄砲食らった顔をする定助の反応を堪能し、ルイズはにやにやしながら「冗談」とだけ言って中に入った。

 

「だけど遅れたら承知しないから、ジョースケ」

「…………はぁ……分かりました、ごゆっくりぃ~」

 

 扉を閉めて、暫しルイズと別行動。しかし、空腹は紛れるかもとは言ったが、直後に腹の虫が盛大に鳴いた所を見て、とても夕食まで待てるか不安になった。

 

「……………………」

 

 空の腹を無理矢理満たす為に深呼吸をして、何処か適当に歩こうかと一歩踏み出した。その時、無意識に左首筋の『星形の痣』をさすってみるのだった。

 

「…………この痣……何か大事な事を忘れているような…………」

 

 痣と何かが繋がっているのだが、それを掘り起こすのに材料が足りないと言った感じか。絞り出すように頭の中をまさぐろうが、痣に関連した記憶は思い出せなかった。

 

「…………ふーむ……」

 

 考えても考えても出てこないのなら、同じ事を二度言わせるように無駄な事だと思い、考えるのを止めた。

 

 

「あっ!」

「あ…………」

 

 熟考から戻ると、廊下の突き当たりの所で誰かと遭遇した。誰かとは言えど、定助も相手も良く知っている人物であった。

 

「こんにちは、ジョースケさん! ミス・ヴァリエールをお待ちですか?」

 

 黒髪とソバカス…………早朝の時、洗濯をしてくれた親切なメイドさんのシエスタだ。

 

「あぁこんにちは。んー、そんな所かな…………シエスタちゃんは仕事中なの?」

「いえ。私の仕事は一段落つきましたので、これから昼食を食べに行く所です」

 

 ここで働く人々はどういった生活をしているかも、実は興味のある所。やはり社員食堂のような所があるのだろうか、暇な間はシエスタに密着するのも面白いのかもしれない。

 

「昼食? 食堂で食べるの?」

 

 そう言った所でルイズの言葉を思い出す。確か、『アルヴィーズの食堂』は普通に平民は入れないとの事だった。シエスタはメイドだから入れるとは思うが、もちろん配膳・下膳(さげぜん)などの仕事が目的で、食事目的で入るハズないだろう。

 撤回する前に、シエスタから返事が来る。

 

「ふふふ! ご冗談を! 平民は貴族の食堂で食事なんか出来ませんよ!」

 

 それは知っているのだが、冗談だと思われているので今更発言を取り下げる意味もない。

 

「何処で食べるの? まだここの事、分からないから……ご主人から暇貰ったからブラブラしようと思っているけど」

 

 それを聞いたシエスタが何故か嬉しそうに、両手をパチンと叩いて提案した。

 

「それでしたら、一緒に厨房へ行きましょうよ!」

「厨房? 調理室で食べるのか?」

「えぇ。料理長の『マルトー』さんが(まかな)いを作ってくれるんです」

「つまみ食いでもするのかと思った」

 

 定助が率直に思った事を言えば、冗談だと捉えたシエスタがまた笑い出した。

 

「ははははっ!! もう……ふふふ……そんな訳ないじゃないですかぁ! 本当に面白い人ですね!」

 

 冗談を言おうとした訳ではないのだが、シエスタのツボに嵌まったようで、年相応な感じの明るい笑い声を出している。そんな彼女の様子を見たら、こっちまで楽しくなるのは彼女の魅力だろうか。

 

「そお? そぉう?」

 

 さも、打算して言ったようにおどける定助はお調子者だ。

 

 

「きっとマルトーさんも、ジョースケさんの事気に入ってくれますよ!……そう言えば、マルトーさんも会いたがっていましたよ、ジョースケさんに!」

「オレェ?」

「はい!……どうですか?」

 

 そこまで言われたのなら、もう行くしかないだろう。いや、最初から決めていたが。

 

 

「もちろん行くよ」

「それなら、付いてきて下さい! 食堂の裏手にありますから」

 

 空腹の時間を紛らわす為にシエスタと一緒に、厨房へ行く事になった。先導する彼女の後を定助はテクテク歩いて行くのだった。

 

 

 

 

(…………厨房って事は……結局、料理のある所になるじゃあないか…………)

 

 これは空腹を紛らわす所か、空腹を助長させるのではないかと、もっと考えて行動すれば良かったなと後悔した。しかし、シエスタの放つ陽気に当てられれば、無下にしても後悔しそうだったし、どっちもどっちだろう。




四大系統ジョーク流行らせコラ

1/26→「!」「?」「!?」の次に、空白を入れました。また、全体的に少し加筆して部分もあります。


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お昼時には薔薇を掲げるな。その2

家から電車で一時間ほどの所で定期券なくして、途方にくれていた所、警察署行ったらあったので帰ってこれました。
良かった良かった…………


 廊下を歩く事、三分少し。丁度、食堂の裏手の方に厨房への扉があった。扉の上に、部屋を表すプレートがあるのだが、もちろん、そこに書いてある文字なんて読めない。

 

「ここですよー」

「…………おわぁー」

 

 既にぷぅ~んと、良い香りが漂っていた。忘れてしまいたかった食欲だが、こんな良い匂いで嗅覚より攻められたら、そそられるだろう。また腹の虫が騒ぎ出した。

 

「…………良い香りだねぇ。凄く、美味しそうだ……凄く…………」

「それはそうですよ! 貴族にお出しするものなんですから。食材も、料理人も一流の方たちですよ!」

 

 予想以上の食欲の暴走に、自分が自分じゃなくなりそうで怖くなる。それほどまでに、食欲が体の中に満ちているのだ。

 

 

 

 

 思い出して欲しい。今日の彼が食べたものは、固い黒パンと、少量のスープだ。とても耐えられない。

 

(オレも食べさせて貰おうか……いや、でも朝の清算はしないといけな…………うーむ……)

 

 二律背反が巻き起こる。右か左か、降伏か死か……大袈裟かも知れないが、それに等しいジレンマがこうして定助を苦しめている。

 こんな状態で入れば、空腹で最悪死んでしまう。決めた、断る覚悟は出来た、それに懸ける。

 

「さ、どうぞ!」

「あ、あのさぁ……実は」

「マルトーさんにジョースケさんの事、面白くて優しくて良い人って紹介したら、『シエスタがそこまで言うなんて、どんな人か見てみたい』と言っていましたよ!」

「……………………」

 

 断れなくなった。

 例えるならアレだ、婚約者の父親に面談を求められた時の気分だ、あの断れない威圧だ。シエスタへの好感度がほどほど高いだけに、定助の良い印象をみんなに撒き散らしたのだろうか。故に、ドタキャンなんてしたら印象が悪くなりそうな、そんな雰囲気を感じた。

 

「……………………へぇ、それは楽しみだ。マルトーさんって、どんな人かなぁ」

「大丈夫ですよ、優しい人です! 私も未熟な時は何度も助けられましたし、みんなもマルトーさんに助けて貰っています!」

「偉大な人なんだね」

「まさに『みんなのお父さん』って、感じです!」

 

 厨房にいるのは『ゴッドファーザー』だ。断ったら終わる。

 

 

 …………と言うものの、そこまで慕われる人物なら、一度お目にかかりたいのも事実だろう。ここは空腹を抑えて、マルトーと言う人物と謁見しようと決意する。と言うか断れない状況になった。

 

「じゃあ……入ろうか」

「はい! あ、お先にどうぞ」

 

 流石はメイドだ、同じ平民であるハズの定助に対しても礼節を弁えている。扉を開けて、定助に入室を促している。

 

「有り難うシエスタちゃん、悪いね」

「いえ、当然の事をしたまでです!」

「じゃあ……お邪魔しまーす」

 

 定助はさっさと、厨房へと入るのだった。

 

 

(入るんじゃなかった……)

 

 油が弾ける音、一面に広がる美味しそうな匂い…………爪が勝手に伸びるように、これは人間の本能的な機能なのかもしれない。食に関連した事に直面すれば、胃袋がとうとう暴れだした。

 厨房は案の定、鼻孔を(くすぐ)る香ばしい匂いで充満していた。ジュウジュウと肉を焼く音が聞こえれば、匂いもオマケで付き、それらを纏った熱気が肌に直撃。更には完成したものを食堂へ配膳される所を見てしまった故に、味覚以外の四感が全て『食欲』に作用する形で支配された。 

 こんな状態で空腹を紛らわすなんて、正気じゃないし出来る訳がない。

 

「美味そうだな……ごくっ」

 

 無意識的に、唾を飲み込んだ。全細胞が栄養を求めている証拠だろう。

 

 

「マルトーさーん!」

 

 シエスタが大きな声で呼ぶと、休憩していたのか水を飲む、一人の男がシエスタに振り向いた。

 

「おーう、シエスタ!」

 

 相手は、少し太った、顎髭を蓄えている正に『男』と言う感じの恰幅(かっぷく)の良い男性だった。この男が『マルトー』だろう。

 シエスタを見ると、優しげに笑う彼はなるほど、『お父さん』と言う表現は間違いではないと分かった。

 

「そこの鍋に入っているのが今日の賄いだ。隣にあるパンと一緒に奥で食ってけ」

「有り難う御座います、マルトーさん!」

 

 カラカラと笑うマルトーの視線が、隣の定助へと移る。厨房の熱気と食の(いざな)いにフヨフヨとしていた彼はちょっと、存在感が消えていた。

 

 

「ん? シエスタ、そっちのは?」

 

 定助を指差し、尋ねた。それに気付いた定助はパッと頭を切り替える。料理に目移りはついついしてしまうが。

 

「こちらジョースケさん、ヒガシカタ・ジョースケさんです!」

 

 マルトーは何だか、パッとしない顔をしている。

 

「…………?」

「ほら、今朝言っていた、ミス・ヴァリエールが召喚した平民の……」

「うん?…………あ……あぁ! 思い出した思い出した! オメェさんの事か!」

「もう……マルトーさんったら!」

 

 呆れるシエスタを余所に、コップを台の上に置くと、ズンズンと近付いて定助の肩を、丸太のように太くて毛深い手で叩いた。ちょっと痛くて、定助は食欲がブッ飛んだ。

 

「いやぁ良く来た! シエスタから聞いてな、一度見てみたいと思っていたんだよ! ハッハッハ!」

「あぁ、いえ。こちらこそ、お会い出来て……」

「おいおいおい! 何か余所余所しいなぁ、楽にしていいぜ! 同じ平民同士だろうが!」

 

 外見通りの、ちょっと荒々しく豪快だが快活な印象だ。それにしてもここまで歓迎されるとは、よっぽど会いたかったのだろうか。

 

「シエスタから聞いているぜ。変わっているけど、面白いってな!……なるほど、変わっているなぁ! 特に格好がな」

「…………どうも」

 

 良く言われるような気がするのだが、みんなこの格好が変だ変だと言う。流通していないものなのだろうか、この服は。

 

 

「確か、貴族の使い魔にされたとか?」

「はい……」

「全く! まだ若いってのに、貴族の都合で使い魔にされるたぁ、災難なこった!!」

 

 彼もやはり、貴族に対して良い印象は持っていないのだろう。いや、確かに貴族の様子を見てきたのだが、あれらに好感が持てる人間と言う方が珍しいのだろう。

 

「聞けば、洗濯させられたらしいな。たくっ! とことん平民はこきつかう奴らだぜ! 杖さえ抜いてしまえば、何も出来ない金持ちの甘ちゃんの癖に!」

「あの…………」

「あれこれ平民にさせれば、威張り散らしやがって! 自分がやったかのように言うんだ! 俺たち平民がいなくちゃぁ、なぁんにも出来ないのに口だけは達者な連中だぜ全く!」

「……はははは…………」

 

 愚痴り出したマルトーに、愛想笑いをするしかなくなった定助。こう言うタイプの人間は、口が動き出したら止まらない事を知っている。

 

 

 見かねたシエスタが助け船を出してくれた事は大変感謝したい。

 

「マルトーさん! ジョースケさんが困っていますよ!」

「お? あぁすまねぇな! 一回愚痴っちまったら止まらなくなりやがる! 悪い口だぜ、わりぃわりぃ!」

 

 相当貴族が大嫌いなのか、土石流のように出てくる貴族への悪口。また、平民と貴族との格差の広さを感じられた時だった。

 

「かなり貴族を毛嫌いしているのですね」

「そりゃそうだ! 今、全ての料理を出して一段落ついているが、どうせアイツら半分以上も残しやがるぜ! 貴族にとっちゃ、食事もお飾りなのさ!」

「そうなんすか?」

「おれぁ、料理人としての信念がある! 作る料理には一つ一つ本気で向き合って完成させる! だが残されてはそれを足蹴(あしげ)にされているような気分だろ? 誰だって嫌いになるぜ!」

 

 言われている事は納得出来る。ここは貴族の嗜みと料理人のプライドの対決だろうが、優先されるのは貴族の方だ。仕方ない事だが、非常に悔しい。

 

「まっ! 立場は違えどお互い同じ境遇同士だ! 何か困った事があったり、飯抜かれたりしたらここに来いよ! 何か作ってやるし、困った時はお互い様……出来る事なら助けになってやるぜ!」

 

 この取っつき安い性格と料理人としての信念に、定助は非常に感銘(かんめい)を受けた。頭を下げて、「有り難う御座います」と丁寧に感謝の念を示した。

 ただ、定助は『飯抜かれたりしたら来い』と言う所にだけ反応してしまった。そして、『飯』と言うワードを聞き付けた腹の虫が、我慢を解いて大きく鳴いた。

 グゥゥゥ…………

 

 

「…………あ」

「おおっと! デカイ虫を腹に飼っているんだな! ハッハッハ!!」

 

 愉快そうに笑うマルトーと、クスクスと笑う、食器を棚から取り出していたシエスタ。

 

「ジョースケさん、お昼まだだったのですか?」

「まぁ……はい、まだです…………ん?」

 

 マルトーとの会話の敬語を、ついついシエスタにも移してしまった。それがおかしいのか、シエスタは肩を震わして笑ってしまった。

 

「ふふふ!……ジョースケさん、私に対しては敬語じゃなかったではないですかぁ」

「あ、そうだった。ついうっかり」

 

 二人の様子を見て、マルトーも堪えきれずに笑っていた。

 

「ハッハッハッハ!! 面白い奴だなぁ、本当に! へい、ジョースケ、宜しくな!」

「こちらこそ、世話になります」

「良いってこった! 困った時はお互い様だぜ!」

 

 存分に楽しい気分になった定助も、小さく笑った。本当にここにいる平民の人々は、貴族を恐れているけど明るく、気分の良い人々だなと、ここでの生活の楽しみとしてウキウキしていた。

 

 

 背中を誰かがポンっポンと叩いた。振り返れば、食器を持ったシエスタが。

 

「ジョースケさんも、お昼、食べて行きますか? お昼まだなんですよね!」

(しまった)

 

 内心、ここでやっと彼は焦った。話の成り行きで『昼食はまだ』と言ってしまったが、彼には『昼食抜き』の十字架が背負わされている。

 どうしようか、彼の頭はグルグル回る。

 

(お腹は空いた……でも、ご主人に抜きって言われて…………いやまて…………実質、朝から抜かれている状況じゃあないか…………いやいやいや、でもなぁ……)

 

 やっぱり、罪は下ろしておこうと考え直し、昼食のお誘いは辞退する事にした。

 

 

 

「今日はシチューなんですね!」

「あぁ! パンを(ひた)して食べると美味いぞ!」

 

 定助はもう一度考え直した。『シチュー』と『パン』である、しかもパンは黒くない、フワフワそうな丸くて薄茶色い焦げ目のやつ。

 

(おいおい!? オレよりも良い食事じゃあないか!?)

 

 朝食を思い出す。黒いパンと、少量のスープ。

 

「……………………」

 

 

 少し考えた後、彼は吹っ切れた。

 

(バレなきゃ昼食抜きじゃあない)

 

 シエスタから食器を受け取り、マルトーのいる鍋の前へ。

 

「いただきます!」

「おぉ! 威勢が良いな!! 大盛りか?」

「有り難う御座います」

 

 彼は食欲に狂わされたのか、ルイズから課せられた『昼食抜き』を普通に破る。正々堂々の勝負を否定して血の目潰しをした後で蹴りにかかるような、掟破りの昼食だった。

 

「それじゃあジョースケさん、食事はこっちですので」

「うん。有り難うシエスタちゃん」

「いえいえ。マルトーさんの言った通り、『お互い様』ですよ!」

 

 美味しそうなビーフシチューを持って、厨房の一角にある休憩スペースへと向かった。

 

 

 

 

「んん~……実に良い気分だよ…………」

 

 暫くして、休憩スペースの中。シチューを完食し、満たされた腹を擦りながら満足そうに微笑む、幸せそうな定助の姿があった。

 

「凄い食べっぷりでしたねぇ…………お腹空いていたのですか?」

 

 (むさぼ)るようにシチューとパンを食べていた定助の勢いに圧倒されて、関心したような声でシエスタが尋ねた。

 

「うん。オレって、朝食は食べない主義だからねぇ」

「まぁ! ダメですよ、朝食はちゃんと食べないと! 昼までもちませんよ?」

 

 ここで定助は、結してルイズにされた冷遇を愚痴らなかった。昼食抜きを宣告された事も、朝食の侘しさも言わなかった。例えマルトーやシエスタが貴族を悪く言おうが、ルイズの事だけは結して悪く思わない。

 教室で自分の事を話し、涙さえ流していた彼女を見た後で、彼女の事を悪く言うなんて普通思わないだろう。この空腹は、自分が朝食を食べない主義だから、と言う事にした。

 

 

「…………今度から気を付ける気を付ける…………あー、幸せだ」

 

 しかしここで大問題。食堂までの道中で『キミに隠し事はしない』と言ってしまっていた事を思い出した。こっそり昼食を食べてしまった事を秘密にするのは、隠し事をする事になってしまう。

 

(まぁ、朝食があんだけだったし…………お互い様お互い様)

 

 満腹でいつもより暢気な頭が、抜け道を探し出した。何とも都合の良い男であろう。

 

「それにしてもぅんまかったなぁー……フゥー」

「定助さんったら、子供みたいですよ! ふふっ」

「満足満足…………」

 

 苦しそうに空気を吐き出しながら、定助は椅子の背凭れに寄り掛かるのだった。背中の打撲が圧迫されて、少し顔が歪んだが、シエスタに気付かれずにすんだ。気付かれたらまた心配される。

 

 

「おう! 良い食いっぷりだったな食いしん坊!」

 

 再度仕事に取り掛かっていたマルトーが、食事を終えた二人の前にやって来た。定助の食べっぷりをいたく気に入った様子だ。

 

「今、貴族のテーブルをチラッと見たんだけどよぉ……やっぱ全然食ってねぇぜ、ったく! こんなもんなら、おめぇさんに振る舞ってやりたいよ!」

「有り難いですが……これ以上は破裂しそうっす……」

「別に今とは言ってないぞ! ハッハッハ!!」

 

 食事を終えてさっさと立ち上がったシエスタは、自分と定助のお皿を取り下げ始めたので、急いで止めた。

 

「あぁ、シエスタちゃん……オレのはオレがやるよ」

「どうせですのでやりますよ?」

「いいや、自分が使ったんだ、自分で片付ける」

 

 それを聞いたマルトーが「偉いッ!」と言って定助の背中を叩いた。打撲を涙目のギャングに、スコップで殴られるのに匹敵する刺激が走る。

 

「ぐぉお!?」

「気に入ったーッ! ここまで礼儀の出来た若い男ってのは珍しいぜ! 貴族に仕えるなんて、勿体無いねぇ!」

「あ、ありがと……ございます…………おぉぉ……!」

 

 常識を全うしただけなのに大袈裟だなと思いながらも、打撲を叩かれ悶絶する定助。それに全く気付かず、マルトーは感激したように笑っていた。

 

「もう! マルトーさんったら大袈裟な人なんですから! ジョースケさん、大丈夫ですか?」

「いいや偉い! 大抵の奴は平民でもやらせていた所だしな! それに『自分のものは自分で片付ける』……カァーッ! 良いねぇお若いの!」

 

 痛みでヒクヒクしている所をシエスタに労られながら、笑うマルトーに「どうも」と一言だけ添えた。いや、それ以上は言えない。

 

 

「マルトーさん。そろそろ、デザートの頃合いでしょうか?」

 

 流し台で食器を洗いながら、シエスタが尋ねた。それを聞いたマルトーが少し考え込んだ後、シエスタに指示を出す。

 

「そうだな……貴族どもはもう、お喋りターイムに入っていたからな…………あれ以上は食べないだろう。良し! 運んでくれ!」

「分かりました! じゃあ、ジョースケさん、また後で」

 

 返事代わりに手を上げて応答した。痛みが全身を巡って、舌が上手く回らなかった。

 

(仕事の時間か……何があるんだろ)

 

 定助も食器を持ち、流し台の所まで向かいながら、シエスタが何をするのか見ていた。その内、厨房に四人のメイドたちがやって来て、何だか忙しなくなって来る。

 

「……………………」

「こっち、運びますよー」

 

 二人のメイドがケーキが置かれた、一つの大きなワゴンと一緒に、食堂へ向かった。なるほど、デザートの配膳が始まるのか。一つのワゴンに付き二組だから、一人がワゴンを押して、もう一人が配膳の役割だろう。

 ガチャガチャと食器を洗い、暇潰しがてら眺めていた。

 

 

「……………………」

「こっちも行きまーす」

 

 こうしている間に、ワゴンを持ってもう二人のメイドたちが食堂へ行った。定助も、皿を洗い終えて、皿置きにかける。手をパッパと払って水気(みずけ)を切り、案内してくれたシエスタと賄いを作ってくれたマルトーや他の料理人に感謝を言っておこうとした。

 

 

 

 

「ん? おい、アルザーナは?」

 

 一人の料理人が、誰かを探しているようだ。その名を聞いたシエスタが「あっ!」と小さく声を漏らした。

 

「アルザーナさん、今朝休暇で帰郷しちゃいましたよ!!」

「あ? そうなのか!? あーすまん、いるとばっかり思っていた…………」

「い、いえ……仕方ないです、時間もないですし私一人でやります」

 

 一人のメイドが、非番のようだ。二人一組で運ぶこのケーキのワゴンを、シエスタは一人でする事になったようで、「やれやれ」と首を振った。しかし、運んで配膳とは、この量を一人では大変ではないか。

 

 

 もちろん、定助がスピーディーなワゴン配膳を実現させる為、お節介を焼いた。

 

「シエスタちゃん、良かったらオレがワゴンを押してあげるよ」

 

 定助の申し出に、「えっ?」と驚いてワタワタとし出した。彼女の謙虚な性格なら、まず断るだろう。

 

「いえいえ! 悪いですよジョースケさん……」

「どうせ暇だし、こうしてご馳走もしてくれたからね。甘えてばかりいられないよ」

「でも……」

 

 シエスタが何か言おうとした時、またマルトーが「偉いッ!」と言って現れた。この神出鬼没な様は透明なゾンビのようだ……いや、この表現は失礼過ぎた。

 

「芯の通った奴だぜ本当に! 更に気に入ったーッ!」

「おぉ……有り難う御座います」

 

 肩をパンパンと叩かれる。マルトーの方に向いているとはいえ背中じゃないので助かったと、小さく息を吐いた。

 

「なぁシエスタ、こうしてジェントルマンが申し出てくれてんだ! ここはお言葉に甘えてもらえ!」

「ジェントルマン…………」

 

 定助は少し、苦笑いをする。

 

「…………いいんですか? お言葉に甘えて…………」

「まぁ、ワゴンを押すだけなら任して欲しいかな。配膳はちょっと良く分からないから任せるけど」

 

 チラッとマルトーを見るシエスタ。彼は「やってもらえ」と言うように笑って頷いていた。

 

「…………じゃあ、お願いしてもよろしいですか?」

「よぉしッ! オレに任せろぉい!!」

 

 意気揚々とワゴンの取手を掴む定助を見て、シエスタはクスッと笑うのだった。定助はシエスタより二つ三つほど歳が上かとは思うが、こう言う子供っぽい所を見れば弟でも出来た気分になる。

 

「では、私が先導しますので、合わせるようにゆっくり付いてきて下さい」

「了解……任せてよシエスタちゃん」

「頼りにしていますよ! ジョースケさん!」

 

 食堂へと向かう二人を見て、その後ろ、息子と娘を送り出した気分になるマルトーであった。

 

「行ってこぉぉーい! ハッハッハ!!」

 

 豪快なマルトーの笑い声が厨房に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……ご馳走様…………」

 

 ナイフとフォークを置き、ナプキンで口を拭う。優雅な動作で、食事を終えたお嬢様は、ルイズであった。

 

「ん……そろそろデザートね。んふふ!」

 

 デザートがそろそろ来るからか、年相応に甘いものが好きなルイズの頬は綻ぶ。お腹はいっぱいだが、デザートは別腹とは良く言うものだ。食器を端に寄せて、デザートが入るスペースを作っておいた。

 

「えーと、確かケーキだったわよね。マーマレードのケーキぃ」

 

 魔法に関する知識と、デザートの情報は全て頭に叩き込んでいる。それほどまでに、食事の最後に出るデザートは楽しみで楽しみで仕方ないのだ。うひゃルンとそれを待ち焦がれている様子こそ、可愛らしい少女だ。

 

 

(ジョースケ、今頃何処で何しているんだろ…………)

 

 ふと、自分の使い魔である定助が何をしているのか気になった。まだブラついているのだろうか、それとも歩き疲れて、扉の前でぼんやりルイズを待っているのだろうか。

 

(……なに一つ分からないのよねぇ、あいつの事……)

 

 最初の第一印象は、不気味な奴。何を考えているのか、何処を視ているのか分からない奴。

 それからルイズに仕える所で、記憶喪失から変な発言をしている。そこは仕方ないとは思うのだが、暢気だったり調子に乗ったり、周りに気を使わない性格は元からに違いない。ただ、先生には敬語を使う所、年上に対して立場を弁えている事は分かる。

 

(身分で弁えようとはしないのだけどね)

 

 そこが困った所だと、溜め息を吐く。

 

 

 おかしい奴。変な奴。そんな印象だったのに、『ゼロとして凝り固まった』ルイズの自棄に、厳しく追求する意思と、あえて感情を気付かせる話し方はただ者ではないと認識した。

 今日出会ったばかりなのに、主人としてルイズに尽くそうとするその心はお人好しなのか、生真面目なのか……やっぱり変な奴である。

 

(悪い奴…………ではないけどね……ちょっと正体が気になるかな)

 

 ここまでの出来事で、少し定助に興味が出てきた。自分の事を何一つ知らず、魔法やらこの世界の(なら)わしも忘れている。その限定的な記憶喪失は、何か思惑があるような気がするのは今更ながらだが。

 

(…………召喚のせいは止めてよね……)

 

 人間の召喚はこの学院が始まって以来との事。故に、何があるか分からない状態。ならば、召喚の際に何らかの効果が発生し、人間に記憶障害を起こしたと考えは出来やしないか。

 

(まぁ、そうだとしても、あたしに責任はないわよね!)

 

 ルイズは召喚の結果として定助を出したのだから、責任はないハズ。そう考える事にした。何とも都合の良い少女だろうか。

 

 

(妙な服に、水兵帽……服を見ても、何処か特定出来ないわよねぇ)

 

 服を見れば、その地の事が分かると言うが、あの服なら精々『海沿い』としか分からない。また、漁師みたいに『海の男』かとも思ったけど、潮風に打たれ続けた者特有の、浅黒い肌をしていない。寧ろ逆で、綺麗な白い肌をしている、少し黄色な気もするが。

 

(顔付き…………も分からないわ)

 

 定助の顔付きは端整だが、少し彫りが薄い。それに鼻が低く、黒髪かつ穏やかな性格…………顔付きで住んでいる地域が分かると言うが、とても何処に合致しない特徴的な顔付きをしている。

 ハッキリ言って、謎だけの存在である。

 

(生まれたのなら……繋がりはあるハズよね…………あいつにも家族がいる訳だし…………)

 

 彼について深く深く考えて行き、

 

 

 

 

「…………って」

 

 ……ここで彼女の思考は現実へ浮上した。

 

(なんであいつの事考えてんのよ、私!)

 

 深く定助の事を考えた事が恥ずかしくなるが、「ご主人として、使い魔の事を知るのは当然の務めよね!」と正当化しておく事にした。そう考えた割にはもう、考えていないのだが。

 

 

「失礼します。ケーキをお持ち致しました」

 

 背後から声がしたので、首を少し曲げると、美味しそうなケーキが皿の上に乗せられて迫っていた。黒い髪をしたメイドが、配膳をしている。ソバカスが特徴的か。

 

「こちらに置かせてよろしいでしょうか?」

「あぁ、お願い…………あら、ケーキが違うのね…………」

 

 自分の前に置かれたケーキを良く見れば、今日のデザートであるオレンジマーマレードケーキではなかった。白いクリームの上に、紫色の粒が乗っかっており、その上に赤紫のソースがかけられている。

 

「今回初めてお出し致しました、『ブルーベリーケーキ』です。昨日考案されて、先生方に好評でしたので実施させていただいております」

「へぇ……美味しそうね…………」

 

 明るい色のマーマレードケーキも良いが、あえて暗い色のブルーベリーを使ったケーキは、落ち着いた大人の雰囲気を出している。赤紫のブルーベリーソースが暗い紫にアクセントを与えているようで、それがまた煽るものがある。兎に角、マーマレードケーキかと思っていたので、良い意味で新鮮である。

 

「有り難う。シェフにも伝えておいて、『良い出来ね』って!」

「有り難う御座います! 空いたお皿の方、お下げ致しますね?」

「お願い」

 

 皿と使ったナイフとフォークとを持ったメイドが「失礼しました」と、後ろのワゴンに戻ったのを確認したと同時に、食べようかとした。

 

 

「…………ん?」

 …………のだが、なんと言う事だろう、ケーキ用のフォークがない。

 

「あ、ちょっと! フォークがないけど!」

 

 メイドを呼び止めようと、ルイズは急いで振り向いた。

 

 

 

 

「……………………」

「……………………」

「…………なにやってんのよあんた」

「…………お手伝い」

 

 ケーキの乗ったワゴンを押していたのは、自分が正体を考えていた定助であった。驚いたのは驚いたのだが、理解が追いつかなかったので幾分クールに問い掛けた。

 気付かれた定助は何故だろうか、気まずい表情をしている。

 

「…………フォーク、ないんだけど」

「…………シエスタちゃん、フォークらしいよ」

 

 ルイズから定助へ、定助からシエスタへ渡ったフォークの要望。聞き付けたシエスタが、大慌てでフォークをワゴンから取り出した。

 

「も、申し訳ありません! 忘れておりました!」

「あ、うん……ありがと」

 

 急いで差し出されたフォークを、普通の反応で手に取った。貴族を恐れているシエスタに対して、ワゴンを押す定助の存在が気になって仕方ないルイズ。さっきから流れるような意識の向かう先が奇妙でおかしくて失笑する定助だった。

 

「…………ねぇ、なんでジョースケがお手伝いしているの?」

「え? ジョースケさんですか?」

 

 そのやり取りを聞いた定助はギクリと肩を震わせた。シエスタがルイズの問いに対して、『昼食のー』とか言われたら一環の終わりである。

 

「それはですね…………」

「お、オレから手伝いを申し出たんだ!」

 

 シエスタが何か言う前に、定助が間に割り込んだ。

 

「えーっと、今日の朝、ちょっとお世話になったからね、お礼に……」

「なにしてたのよ」

「洗濯洗濯…………」 

「ふぅん…………」

 

 必死にルイズの問いに、答えて行く。うっかり昼食の事を言ってしまわないように注意を付けながら。

 

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

 

 ジィッと定助の目を見るルイズ。ここで逸らしたりしたらバレると思い、死に物狂いでルイズと目を会わす。この間の時間は五秒程度だが、体感時間は一分越えていたような気がする。

 

 

 

 

「…………そう、あんたって義理深いのね」

 

 心の中でガッツポーズをした。彼は勝った気がして、もうこの物語を終わらしても良いような幸福感に感動していた。

 

「まぁ、甘えてばかりいられないからなぁー」

「その生真面目さを私へ少し回して貰えたら良いんだけど」

「ごめん、気を付けるよ」

「精々、面倒事を起こさないようにね…………あぁ、呼び止めたわね、もういいわ。フォークありがと」

 

 ルイズと定助の掛け合いに言葉を入れる所を見失っていたシエスタだったが、ルイズから許しを貰えて「し、失礼しました!」と言った後に、定助にアイサインしてワゴンと一緒に離れて行った。

 等の定助もヒヤヒヤものだった。ルイズが昼食の話をしたらおしまいだった、彼はシエスタに『昼食抜き』の事を言っていないので、双方共に矛盾の生まれやすい状況だったからだ。

 

(ひぃー…………ご主人と遭遇とは、体にツララを突っ込まれた気分になった…………危ない危ない……)

 

 自分の寿命が短くなったような気分になりつつも、幸せそうにケーキを頬張るルイズを見て、ホッと息を吐いた。

 

 

「じょ、ジョースケさん、凄いですね…………」

 

「え? なに? オレェ?……オレ何かした?」

 

 シエスタの小声での質問で、ルイズにバレなかった事に喜んでいた定助は現実に引き戻された。自分の隣に並列するシエスタは、尊敬の眼差しであった。

 

「貴族と対等な話し方なんて、普通じゃ殺されても仕方ないですよ…………!?」

 

 本当は対等と言う訳ではないのだが、何度も『貴族にその話し方は止めろ』みたいな事はルイズから言われていた。貴族にため口利くとは、これはそんなに危険な事だったのか。

 

「そ、そうなのぉ?」

「当たり前じゃないですか……! え? も、もしかして、知らなかった……?」

「え? ま、まぁ、貴族と縁のない生活だったし……」

 

 重ねて言うが、彼は極力、自分の記憶喪失の事は隠すつもりだ。が、この言い訳は色々と無理があろう。

 

「えぇ……!? ど、どんな場所なんですか、ジョースケさんの故郷って……!」

「え、えーっと……す、凄い田舎?」

「凄い田舎……!? 貴族と縁がないなんて、どんな田舎なんですか……!?」

「あ、あ、次! 次のケーキ!」

 

 定助は何とか、仕事に意識を向けさせてはぐらかす。真面目なシエスタはアワアワと作業に移るのだった。

 

「後で、後で言う……今は仕事しよう…………」

「そ、そうですね……すいません…………」

 

 こうして追求を先伸ばしにしたのだが、こうなると言い訳を考えなくてはいけなくなったではないか。ここから定助は、考えながら仕事をするのかと、暗い気分になるのであった。




次回からちょっと、展開に頭ひねらなあきませんなぁ。頑張りまする

4/5→「お昼時に薔薇を掲げるな。その3」を「その2」に併合し、「その4」を「その3」と変更しました。


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お昼時には薔薇を掲げるな。その3

先に言っときますが、ジョジョ色強めです。
更に言えば、始めて日間ランキング乗りました。有り難う御座います!!


 少し先の席にて、何やら騒がしく雑談を繰り広げる三人組がいた。言えど、話題の中心は金髪の、キザっぽく薔薇を持つ少年のようだが。

 

「ナアナアナアナアナアナア……教えてくれよ『ギーシュ』。結局君はぁ、誰と付き合っているんだ?」

「俺がいる限り、嘘は通じないと思え」

 

 かなり個性の強そうな二人に「誰と付き合っているのか」を聞かれている、キザっぽい少年…………『ギーシュ』は、手元の薔薇をヒラヒラとさせながら、まるで舞台の主人公のような大袈裟な動作で質問に応じる。

 

 

「付き合う? 何を言っているんだ君たちは…………僕は特定の女性と付き合っていない」

 

 そのまま薔薇を顔の近くまで持って行き、いとおしげに眺め出す。

 

「薔薇は……みんなを楽しませるものだ…………そんな僕が、一人だけのものにはならないのさ」

 

 返事を聞いて、やっぱ納得いかない二人は、まだまだ追求する。

 

「オイオイオイオイ……噂が立っているんだぞ?」

「お前が『虚無の曜日』の時、そこの森へ後ろに女性を乗せて、馬で遠駆けしたらしいじゃあないか」

「これは情報通の僕が取材した、リアリティある情報だッ! ナアナアナアナア? これについて、何か反論はあるかね?」

 

 二人は手を組んで、ギーシュに恋人の有無を確かめてやろうと、持っている情報で攻め立ててくる。しかし、ギーシュは全く動じない。

 

 

「……それは誰の話かな?」

「たまたま通り掛かったドミニコが、お前と誰かが馬で森へ行く所を俺たちに教えてくれたんだ。だから、ちょいと聞いてみようと思ってね…………」

「ドミニコ……はっは! あのドミニコかぁ!!」

 

 噂の発信源の名前を知ったギーシュが、安堵したような笑みで、反論し出した。

 

「オイオイ……余裕そうじゃあないか……」

「君たちねぇ……ドミニコは酷い『弱視』だと言う事を忘れていないかね? 何でも噂じゃ、今かけている眼鏡でも一メイル先が見えないらしいじゃあないか!!」

 

 痛い情報を突き付けられて、動揺したのは二人の方だった。まさかギーシュが、ドミニコの事を知っているとは予想外だったようだ。

 一方で、余裕の笑みをしながら二人の動向を伺うギーシュ。二人対ギーシュの情報戦が、ここに開幕した。

 

 

「…………馬の種類も判明している……『トラケナー』だ……こいつは軍用馬で、持久力・耐久力に長けた馬だ…………」

「…………それで?」

「実を言うとな、『トラケナー』を持つ生徒を調べた。何でも『グラモン家』は、軍人の家系であるからか『トラケナー』を好むらしいじゃあないか」

「……………………」

「君、なかなか良い『トラケナー』を飼っているね…………」

 

 質問者のオカッパ頭は、席を立ち上がり、わざわざ反対にいるギーシュの所にまで近付く。その様子に、「勝った」と薄ら笑いを浮かべる、情報通が成り行きを見ていた。

 

「…………それも、ドミニコ情報か?」

「あぁ、ドミニコだ。しかし、ドミニコはただの生徒じゃあねぇ。『馬の専門家』なんだぜ…………家が、馬の売買を行う最大手商人の家系なもんでな……お前の『トラケナー』も、ドミニコの家から買ったもんだろ?…………馬の事なら、例え二リーグ先からでも分かるそうだ……動きと色でな…………」

「……………………」

「それについて……何か、反論は?」

 

 ギーシュの表情に、動きなし。そして、言葉も止まった。

 

 

 

 

 しかし、次の瞬間、また「ふふふふふ」と押し殺すように笑うのだった。

 

「…………何がおかしい?」

 

「…………『トラケナー』? 僕は『虚無の曜日』に『トラケナー』は走らせていないよ」

 

 ピクリと、オカッパの右瞼がひくついた。

 

「……どういう事だ?」

 

「君たちはその日、僕のトラケナーがないと言う情報だけで攻め立てているようだが…………馬の管理人には聞いたのかね?」

「だからどういう…………ッ! まさか、きっ! きさま…………は!!」

 

 何かを察したオカッパ。その様子をニヤニヤしながら眺めるギーシュは、反論をいい放った。

 

 

「あの日、僕の『トラケナー』は、『手入れ』されていたんだよ…………僕から言っておいた、『今日はこの子の毛並みを手入れしてくれ』ってな、じっくりと! 管理人に聞いてみてくれたまえ、正午から夕方に僕が迎えに行くまで、トラケナーは『手入れ用の馬小屋』に預けられていたのか?……とね」

 

 二人は電撃に打たれたような、歪んだ顔をしていた。馬を保管しておく『馬小屋』と、手入れを命じられた馬を保管しておく『馬小屋』の二種類があり、一方の馬小屋にいないと言う情報だけを、二人は持っていた。

 これでは不十分。この余裕、間違いなく管理人を問い詰めても、本当の事を言うだろう。

 

「ぶ、ブラッシングは! 馬の持ち主であるお前が行うものだろう!? 何故、その日は管理人に任せた!」

「それぐらいどうでも良いじゃあないか……『気分じゃなかった』。これを覆す情報は持っているかね?」

 

 二人はグウの音も出なくなった。オカッパはヨロヨロと、ギーシュの二つ向こうの席に座り、ガクリと項垂れた。まるで死んだように見える。

 

 

「美しき薔薇はみんなの為に咲き誇る……僕は、一人だけの物にはならないのさ…………」

 

 もう一方の方は、ギリリと下唇を噛んで、この屈辱に耐えている。しかし全体的に見ると、アホみたいな情報戦だろう。ギーシュが誰かと付き合っているか、いないかを、まるでギャングが構成員を殺ったと思われる人物を問い詰めるような、真剣さで行われた。最早茶番劇である。

 

 

「さて……僕はデザートを頂いたら去らして貰うよ…………それまでなら、君たちの話に付き合おうじゃあないか」

 

 王者の貫禄、帝王の誇り……そんな雰囲気を醸し出しながら、目の前にいる情報通と、椅子の上で死んでいるオカッパに挑発する。

 ギーシュは、勝ち誇ったように笑ったのだった。

 

 

 

 

「すいません……あの、これ、落とされましたよ?」

 

 ピタッとギーシュの動きが止まった。スッと横を向いてみれば、綺麗な紫色の香水が、シエスタの手の上に乗せられていた。

 

「……………………」

 

 コッソリ、手をポケットに忍ばせる。

 ない、ない、何処にもない。ギーシュは凄い焦った。この香水こそ、『決定打』なのだ。

 

「……………………ぼ、僕のじゃあないね…………」

「え? しかし、貴族様のポケットから落とされ…………」

「い、い、いや? 知らないね? 僕の香水じゃあない…………」

 

 その香水を見た情報通が、生き返ったように立ち上がって指差した。

 

「それは! その独特な色合いの香水は! なるほど…………君の恋人はズバリ、『モンモランシー』だなぁ!?」

 

 余裕の笑みを保っていたギーシュの顔が、グニャリと歪んだ。ここで始めて彼は、動揺してしまったのだ。汗が滴る。

 

 

「…………汗をかいたな……」

「うわぁ!?」

 

 いつの間にか生き返って、隣に立っていたオカッパ。そして驚くギーシュの頬へ近付くと、ベロンッと舐めた。

 

「ひぃぃ!?」

 

 突然舐められたギーシュは、間抜けな声で叫ぶ。

 一部始終を傍観していたシエスタは、生理的嫌悪を催しドン引き。貴族だとか関係なく、一歩後退りした。

 

 そんな状態に関係なく、オカッパは宣言した。

 

「人が本当の事を言っているかどうか、顔の皮膚を見ると分かるんだ。汗とかでテカるだろ? その感じで見分けるんだ…………汗の味を舐めればもっと、確実に分かるかな?」

「ナアナアナアナアナアナア!! どうなんだ!? その香水は、ギーシュの物じゃあないのかッ!?」

「いいやッ!! この味は嘘をついている味だぜ! ギーシュ・ド・グラモンッ!! その香水は、貴様の物だッ!!」

 

 ピクピクと表情筋を震わせるギーシュだが、何とか取り繕って平然を装う。

 

「き、君たちねぇ……いいかい? 彼女の名誉の為に言うが、僕は…………」

 

 彼が言葉を紡ぎ出した時に、「横にいるのは誰だ」と指差す情報通。その視線の先は、ギーシュの左隣を見ていた。何だろうかと、そこを見てみれば、シエスタの背後に茶色のマントの少女が立っていた。

 

「…………え、えーっと……け、ケティ? 違うからね?」

 

 シエスタが下がると、茶色のマントの少女……ケティがツカツカとギーシュの近くまで歩み寄った。

 

 

 

 修羅場。予想外の展開。二人は気まずい表情で、黙って成り行きを見ている事にした。

 

「…………ギーシュ様……」

「……だ、だから違うんだケティ…………彼らは誤解をしているようだ…………」

「…………やはり、ミス・モンモランシと…………関係を…………」

「いやいや? 何を言っているんだい? 僕の心には、君だけ……ぶふぉッ!?」

 

 甲高い音と、ギーシュの頬に出来た痛そうな赤い手形。ケティが彼にビンタを食らわせたのであった。

 

「その香水が証拠です! さよならッ!!」

 

 ギーシュに背を向け、涙を流してその場から立ち去った。

 

「ま、待ってくれケティィィィ!! 君は勘違いをして…………」

「オイオイオイオイ、ギーシュ…………その辺にしといた方が…………」

 

 ケティが食堂から出たタイミングで、情報通が汗だくでギーシュに忠告をする。今度はギーシュの右隣を見ていた。「まさか」と思い、バッとそこに振り向いたギーシュ。

 

 

 そこには少し離れているが感じる、空気を震わせるほどの怒りのオーラを放った金髪巻き毛の少女……モンモランシーが立っていたのだった。

 

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「…………や、やぁ、モンモランシー…………」

 

 ズンズンと近寄るモンモランシーだが、その近寄る様は吸血鬼に挑む不良が如く。

 

「落ち着けモンモランシー! 一旦落ち着こう!」

 

 流石にかわいそうだと思ったのか、オカッパがモンモランシーの前に立ちはだかった。これにはギーシュも感激したのだが、

 

「邪魔よッ!!」

 

…………モンモランシーの無慈悲な手の甲ビンタがオカッパの左頬から抜けるように直撃。有り得ないほど顎が外れて歯が飛んだ。

 

「うぐぇぇッ!?」

 

 吹っ飛んで、テーブルの上に野垂れるオカッパ。ギーシュに絶望とオカッパへの失望が満たされる。

 

 

「弱くないか!?」

「オイオイ……あいつに喧嘩なんてやらすな…………鳩にすら勝てないんだぞ……」

 

 そんなこんだで、モンモランシーがギーシュの目の前まで迫った。その際に一瞥された情報通は、モンモランシーに何か言うのを止めた。黙って座って目線を逸らす、薄情者。

 

「……………………」

「……………………」

「…………ハァイ、ギーシュ」

「……はいモンモランシー…………良い天気だね」

 

 背筋をピンッと張り、怒れる女性の瘴気に当てられたギーシュは畏縮してしまうだけだった。ついでに、天気の話をしたが今は屋内だろう。

 

「…………さっきの、一年生の子よね。茶色のマントだったし」

「…………はい」

「……………………やっぱり、付き合っていたのね?」

 

 モンモランシーの静かな問い掛けに、ギーシュは必死に手振りを交えて弁解に入った。これでしか、何か言うチャンスを失うと思ったのだろう。

 

「モンモランシー待ってくれ! か、彼女……あー…………ケティが誤解しているんだ!」

「…………ふぅーん…………」

 

 そう来たか、と言わんばかりに睨むモンモランシーだが、次の瞬間キッと、情報通を睨んだ。気付いた情報通はビクリッと体を震わし、何故か立ち上がった。

 

 

「………………あなた」

「オイオイオイオイ…………何でしょうか?」

 

 巻き込まれた情報通は、今頃「下痢腹抱えてトイレ探す方が幸せ」だなんて思っているのだろう。元凶はギーシュだが、彼はこの事態のキッカケを作り出したので、それに後悔した。

 

(ナアナアナアナア! 僕はただ、この色男の出鼻かいてやろうと思っただけだぞ!?) 

 

 

 そんな強気な言葉は飲み込まれ、胃液に昼食と共に溶けた。

 

「裏で聞いていたけど…………ギーシュが、何していたって?」

「も、モンモランシー……彼らのは噂だよ? 信憑性に欠け」

「黙りなさい」

「すいません、はい……」

 

 止めようとするギーシュを封殺し、再度、情報通に聞いた。

 

「噂で良いわ…………言いなさい」

「え、えーっと…………ギーシュが前の『虚無の曜日』に馬で森に、誰かと遠駆けを…………」

「…………私じゃないわね……それは誰?」

 

 今度はギーシュに聞いた。ギーシュの顔中には、汗がポタポタと流れ落ちている。

 

「も、も、モンモランシー……僕はその日、遠駆けには」

「私との約束は断っていたわね、『用事がある』って。その日、何かあったの?」

「え、えーっと…………僕の馬で……ま、街へ買い物へ……」

 

 その言い訳に対して、情報通がポツリ呟いた。

 

 

「オイオイオイオイ……馬は正午から夕方まで『手入れ中』で預けていたんじゃないのか…………」

「なっ!? そ、それは、その……えーっと…………!!」

 

 ここで自分の話が首を絞める事になろうとは思わなかった。と言うか、情報通が暴露するとは思わなかった。彼もまたモンモランシーの瘴気を食らい、口が軽くなってしまったようなのだ。本人も「あっ!」と言って口を塞いだ、もちろん遅い。

 

「…………ギーシュ」

「はいぃ!!」

「……誰の馬で何処に行っていたの?」

 

 

 

 

 ギーシュは思い出した。それは、この前の『虚無の曜日』。

 その日はケティとの約束があった。

 

「二人で森林浴でも……どうでしょうか…………?」

 

 ケティからのお誘いだった、無下に出来ない。

 万全な馬でこの日に望もうと、馬を借りた。同じ馬種だったのは誤算だったが、別に何と言う事はなかった。

 前日に馬術を習っていたので、この日一日は休ませようと手入れに出した。

 そして、ケティを後ろに乗せて……森へ。

 

「ギーシュ様……愛しております…………」

「僕もさ…………ケティ」

 

 二人は夕方まで、愛を囁き合うのだった…………

 

 

 

 

「要するにあの子と一緒に行ったのね、遠駆け」

「…………はい」

 

 白状するしかなかった。これ以上嘘を重ねても仕方ないと踏んだのだろう。重ねて、モンモラシの『絶対に言わせる』凄味に圧され、逃げられないと思ったのだった。

 

「し、しかしモンモランシー!! その、僕は彼女に誘われて……こ、断れなくて仕方なくねぇ……」

「…………そう……」

 

 一言、それだけ静かに言うと、流し目でテーブルに置いてあった、ワインの入ったワイングラスを見る。そしてそのまま、ワイングラスを掴み、椅子に座ったままのギーシュの頭上に、持っていく。

 

「も、モンモランシー? 君はまさか…………」

 

 

 ワイングラスに入った、赤い赤いワインを、ギーシュの頭にぶっかけた。ドボドボと滝を作ったワインはギーシュの頭で飛沫を上げる。もうギーシュは何も言えなかった。

 

「…………ギーシュ」

「……………………」

「…………嘘つきッ!!!!」

 

 それだけ叫んだ後、モンモランシーは踵を返して、ツカツカとその場を離れて行った。凄まじい修羅場に、周りがポカンと注目していたのだった。

 

 

 ワインでボトボトになった彼は、少しの間静止していた後、取り出したハンカチで顔を拭いた。

 

「…………彼女たちは……薔薇の美しさに気づかなかったようだね…………残念だ……」

「…………オイオイオイオイ……まだ言うのか…………」

 

 またキザなギーシュがすぐに戻って来たので、呆れる情報通だったが、そのギーシュの表情を見てギョッとした。

 怒りに燃えた目をしていた。ガタリと、ギーシュは椅子から立ち上がる。

 

 

「君ぃッ!!」

「は、はい!?」

 

 ギーシュの怒りの矛先は、情報通でもオカッパでもなく、『この修羅場の大元な原因』である、香水を拾ったシエスタに向けられた。

 貴族に怒鳴られ、ビクリとシエスタは飛び上がった。

 

「君が軽率に香水のビンなんぞ拾ったせいで、二人のレディーの名誉が傷付いた!」

 最早当て付けだ。しかし、今のギーシュは沸き起こる怒りを、誰かにぶつけないと仕方なかったのだ。その際、格下のシエスタを選んだのだった。

 困惑するのは、シエスタである。

 

「そ、そんな……わ、私は…………」

「どう責任を取ってくれるのだねッ!?」

「ひぃっ!?」

 

 ギーシュにとったらただ、怒っているだけだが、平民のシエスタにとってはとんでもない。今一番、『死』に近いのは彼女なのだ。

 どんな理由であれど、貴族に歯向かえばどうなるのか分からないのだ。

 

「いいかい? 彼らとの話を聞いて察せないものなのか? もう少し場の空気を読む機転が、君にはないのか?」

「あ、いぁ…………も、申し訳ありません!!」

 

 頭を大きく下げて、ギーシュに謝罪をするシエスタ。だが、それで腹の煮えくりが収まる訳がない。

 

「君ねぇ…………君が謝ったって、二人の傷付いた名誉は戻らないし、僕の名誉も戻らない…………とんでもない事をしてくれたな、平民がぁ…………!」

「申し訳ありませんでした! せ、責任は取ります!」

「ほぅ、じゃあ、どう責任を取るのだね?言ってみたまえ」

 

 ここでシエスタの唇が、動かなくなった。どう責任を取るか、考えずに言ってしまったのだ。ガクガクに震えながら、下げた頭を上げられなかった。

 

「どう責任を取る?」

「そ、そ、それは…………私…………!」

「…………言えないのか?」

「あ、あの……えと…………!」

 

 何も言えないし、何も考えられない。シエスタの全身は、全て恐怖に侵食されていたのだった。

 

 

「そうだな……ここのメイドを辞職するなんてどうだ?」

 

 非情なギーシュの宣告。シエスタの息が、詰まった。

 

「自分から責任を言えないような、始末の悪いメイドはこの学院にはいらないよ。なんなら、僕から先生方に言ってやろうか?」

「……あ…………あぁ……!」

「それともお金かね? まぁ、君が一年間働いた所で賄えるものではないとは思うがね」

「……………………ッ」 

「で? どうする? 他に何かあるのかね?」

 

 シエスタは何も言えない。反論したいが、しようものなら責任を『死で償う』事態となる。

 

 

 周りのギャラリーも、その様子を楽しんでいる。状況は、『ギーシュの二股』から『平民への責任』へ移行している。もう当て付けとかそんなものではない、メイドが恐怖に震える様を見物するのが楽しいのである。

 

「さぁ? どうする?」

「ぁ…………ぇと…………ぅぁ…………!」

 

 小声ながらも何か言おうとする。唇が震えて言葉が出ないし、その前に言葉が頭に出来上がっていない。

 状況はシエスタへの罰を求める。彼女の心は、深く深く絶望へと沈むのだった。

 

 

 

 

「お前、なにやってんだ?」

 

 すると聞こえた、誰かの声。ギーシュの背後より聞こえたその声は、誰かを呼んでいる。

 振り返れば、ケーキの乗ったワゴンを運ぶ、妙な服来た給配役の男の姿。

 

「…………そのお前ってのは、このメイドの事かい?」

「いや、お前だよお前」

 

 今度は指差しで言われた。『お前』とは、男の前に立つギーシュに決定した。

 

「……………………」

 

 貴族に対して二人称呼び、ため口、指差し……してはいけないタブーを三つも破ったのだ。これには場もざわついた。

 

「…………君、僕が誰か知っているかい?」

「知らない、お互い初対面だろうな」

「……じゃあ、僕が貴族ってのは理解しているかい?」

「している。その制服みたら分かる」

 

 知っててやっている上に、表情には変化がない。そこがギーシュの怒りに火を付けたのだった。

 

 

「で、お前……シエスタちゃんになにしてんだ?」

 

 名前を呼ばれたシエスタは、顔を上げた。

 ギーシュの前に堂々と立つその男は、シエスタが先程一緒に仕事をしていた男であった。

 

「…………まず、君は何だね? 名前は?」

「オレェ? オレか?」

「あぁ君だっ!」

 

 挑発にも似た言動に、平静を装い紳士ぶっていたギーシュの表情に歪みが生じる、言葉も強い。

 それに構わず男は、ギーシュの前に立ち歯向かうように近くまで寄った。身長が高いので、自然とギーシュを見下す形になった。

 また自尊心を傷つけられた彼の前で、男は堂々と名乗ったのだった。

 

 

「オレは『東方定助』だ。お前のような『アホみたいな奴』より高潔なミス・ヴァリエールの使い魔であり、そこのシエスタちゃんの友人だ、ゲス色男」

 

 その男は定助。シエスタの目には、金色に輝く気高き雰囲気を纏っているように見えるのだった。




でも言うじゃなあい?ランキングの命は短いって。
この快進撃も、いつかは果てるのさ(泣き声)
失礼しました

1/28→『モンモランシー』を『モンモランシ』と間違えていました。
いや、実際は『モンモランシ』が家の名前で、『モンモランシー』がファーストネームですな。あぁ、ややこしい(人間の屑)
 
 最後の行が何故か消えていたので、入れました。
 くそう、コピーミスだぜ…………


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騒然はアルヴィーズの食堂、返上の日。

前回、最後の数行をコピーミスしてしまい、載せてませんでした。
本当は前回の時点で、ギーシュに定助が啖呵切る所まで行っていたのですが……申し訳ありませんでした。
今はちゃんと追加しましたので、そちらを見てから読んで下さい。
失礼しました


 ギーシュの表情筋は、依然としてひきつったまま。

 それもそうだ、自分より格下の平民に、完全にナメられているからだ。ため口きいて、指差して「お前」と二人称呼びした上、身長差を利用した上から目線で最後に「アホみたいな奴」だと罵倒。

 罵倒だ。貴族に絶対にしてはいけないタブーの最上位を、普通に破ったのだ、この定助は。

 しかも、ゲス扱いされた上に、彼が馬鹿にする『ゼロのルイズ』が彼より高潔だと言い出した。

 

 

「…………あぁ……思い出した……君は、『ゼロのルイズ』の使い魔だったね」

「……………………」

 

 ギーシュはキザっぽく鼻で笑うと、手に持った薔薇を定助の前へ翳しながら挑発する。

 

「なるほど……『ゼロ』が召喚しただけあって、下等な使い魔だな!」

 

 周りの貴族から笑いが溢れた。場は当たり前の事だが、定助に対してのアウェイ、「そうだぞ平民!」やら「謝るなら今の内だぞ、『ゼロのペット』!」などの罵倒もわぁわぁわぁと叫ばれた。

 

 内心、ギーシュにとっては良い意味で思いもよらない事態だった。自分の二股をうやむやに出来る、吊し上げられる平民が現れたのだからだ。

 

「その渾名は止めろ」

 

 しかし、定助はこんな程度で屈せず、寧ろギーシュを挑発し返しに入る。

 

 

「ご主人は『ゼロ』なんかじゃあない」

 

 この返答に、ギーシュは呆れたように首を振った。

 

「主人への忠誠心は素晴らしいが、『ゼロ』は事実だろ?」

「ならお前の渾名は『二股』か?」 

「……………………」

 

 倍返しに近い返しに、思いもよらずギーシュは絶句する。その様がまたウケたのか、貴族たちはまた一斉に笑い出した。中には「てめぇモテやがって! こいつはめちゃ許さんよなぁ!?」やら「俺はモテないが女は尊敬しているぞ!」と定助に賛同する声まであがっている。

 一番辛かったのは、うやむやに出来かけた二股を定助に掘り返された事と、誤算だったのは『貴族に啖呵切れる平民が存在していた』事だった。

 

「…………平民がぁ……!」

「これは平民とか貴族とかの問題じゃないだろ。二人の少女を泣かせたお前の、『男としてのモラル』だろ」

 

 場はまた沸き返る。

 事態を収める所か、事態が溢れて止まらない状態へとなっており、定助へのアウェイはギーシュへと移りつつある。その証拠にヤジの中には「もっと言ってやれ平民!」なんて声もあがっている。

 

 

 ギーシュは焦り出した。

 しかし、その焦りが平民によりもたらされたものとなると、強烈な怒りへと変換される。そしてその怒りは、強い『殺意』へと堕ちて行くのだ。

 

 

 

 

「ちょっと、どきなさいよ!」

 

 定助の後ろから声が聞こえた。

 集まる群衆を押し退けて、彼のご主人様であるルイズがやって来たのだった。

 

「ジョースケッ!!」

 

 群衆の最前まで来たルイズの表情は、怒っているけど困惑しているような感じに見えた。

 

「なにやってんのよあんた!?」

「…………あ、ご主人。ケーキどうだった?」

「はぐらかさないでッ!」

 

 ルイズの声は本気の声だ。教室の時の、本気の怒りの声だ。つい、定助は押し黙った。

 

「……あんた、貴族に喧嘩売るなんて、どうなるか分かっているの!?」

「ご主人……これは……」

「ギーシュに謝りなさいッ! 平民が、貴族に勝てる訳ないの!」

 

 ここで感じた。本当に貴族に歯向かう事は、有り得ない事でありとんでもない事態である事を、ルイズの一つ一つの叱責に込められている。

 

 

「いいや、謝罪の必要はない…………」

 

 その言葉を言ったのはギーシュだった。

 ギーシュは、殺意のこもった目で定助を睨み付け、手に持った薔薇を定助に向けた。

 

「この僕がッ! 平民にナメられてたまるかぁ!!」

 

 そして、とうとう、ルイズの恐れていた事を宣言する。

 

 

 

 

「『決闘』ッ! 決闘だッ!! 皆の前で…………完膚無きまでに叩きのめしてやるッ!!!!」

 

 その宣言に、食堂中が歓喜をあげた。

 

「オイオイオイオイギーシュ!? 決闘は禁止だろ!?」

「それは『貴族』に限った事だ! 平民との……ましてや、使い魔との決闘は禁止事項にないッ!!」

 

 頭に血が上った彼は、自制心のタガが外れている。ただある思考は一つだけ。

 

(この逆上(のぼ)せた平民……ぶっ殺すッ!!!!)

 

 強い殺意は、誰にも止められない。そして彼からは『やるといったらやる』と言う、凄味があった。これは逃げられないと踏んだ定助は、体をルイズからギーシュに向け直した。

 

 

「……決闘? オレとぉ?」

 

 まるで「それマジぃ?」と言っているような、間抜けな声。さっきもやられた。

 これがまたギーシュの過敏な神経を逆撫でする結果になった事は言わずとも分かる。

 

「貴様に決まっているだろぉ!? それともなんだ! ここまで啖呵切って逃げるとかないよなぁ!?」

「…………そうだなぁ」

 

 定助は、テーブルに近寄ると、何か気絶しているオカッパの傍にあったワイン入りワイングラスを手に取った。

 もちろん、飲む訳ではない。訝しげに見るギーシュを前でそれを手に取り、不器用にワインを回した後。

 

 

 

 

「ぶっ……!?」

 

……油断していたギーシュに、いきなりワインをぶっかけたのだ。

 

「ちょっと、あんたぁ!?」

 ルイズの声を筆頭に、貴族たちがどよめいた。一緒のどよめき、その後は暫くの沈黙。ギーシュはフルフルと怒りで震えている。

 

「…………な……何してんだ?…………貴様ぁ…………!」

「ここまでやったんだ、オレは『逃げない』。まず、そのワインは『ルイズ(ご主人)を侮辱した分』」

 

 空のワイングラスを机に戻し、指差しで定助も宣言した。

 

 

「これからの決闘は『シエスタちゃんの分』だ……オレの方がお前を叩きのめしてやる」

 

 この発言は、『決闘を受けた』と捉えられる発言。しかし定助は普通の口約束ではなしに、更に喧嘩を吹っ掛けギーシュを怒らせる事をした。

 こうする事によって向こうはこっちを逃がさないし、こっちも向こうから逃げられない。完全なる『決闘の流儀』を構築したのだった。

 

 

 

 

「『宣戦布告』だ」

 

 定助は言い切った、貴族に対して『宣戦布告』を宣言したのだった。

 

 

「へ、平民が貴族に喧嘩売ったぞ……!」

「なんて奴だ……死んだな」

「オイオイオイオイ……凄い展開になったな…………」

「ギーシュ! 生意気な平民をとっちめろぉ!!」

 

 白いワイシャツが、モンモランシーと定助のワインですっかり赤く染まる。

 これは宣戦布告と言うより『侮辱』と認識したギーシュ。もう、この定助の死を以て怒りは収まらない。

 

 

「良いだろぉぉ貴様ぁぁ!! 泣いて喚いて恥晒す覚悟が出来たら『ヴェストリの広場』へ来い!! 決闘だぁぁぁッ!!!!」

「今、ここじゃないのか?」

「平民の血でッ! 貴族の食堂を汚せるかぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 喉を潰さんばかりの大声でそれだけ言い残すと、怒っていてもキザな奴で、クルッと優雅にマントを翻しつつ背を向ける。そのままハンカチで乱暴に顔を拭いつつ、ツカツカと食堂の出入口へ向かったのだった。

 

「決闘だ! 決闘だ!」

「みんな、ヴェストリの広場だぞ!」

「おい平民! 逃げんなよ!!」

「ナアナアナアナア……お前はいつまで気絶してんだ…………」

 

 ギーシュの後を追うように、貴族たちは一斉に食堂を出ていった。後に残ったのは、少数の貴族に、ルイズとシエスタと定助である。

 

 

「……………………」

「………………この……馬鹿ッ!!」

 

 ルイズから叱責が飛んだが、定助は背を向けたまま。

 

「平民のあんたが、貴族にどう勝てるって言うのよ!だからあれほど、身の程知れってねぇ…………!」

「こ、こ、殺されちゃう…………ジョースケさんが……殺されちゃう…………!!」

 

 怒るルイズに、怯えるシエスタ。対照的だが共通して、定助のこれからを絶望視している。貴族に平民は絶対に勝てないし、定助が何かを持っているとかもない。彼は全くの凡人だ。

 

「………………ご主人」

「なによ!?」

 

 クルリと振り返り、ルイズと向き合う。そしてまずは、頭を下げた。

 

 

「…………!?」

「勝手な事をした、本当にすまないと思っている」

「だ、だったら今からでも……」

「だけど」

 

 顔を上げた定助の目に、後悔はなし。何処までも澄んだ、綺麗な黒い瞳だ。その瞳を見て、ルイズは何も言えなくなる。

 

「あいつはキミに侮辱し……そしてオレの友人のシエスタちゃんを貶めようとした。この落とし前は付けさせる」

「…………あんた」

「それに悪いのはあっちだろぉ!? あの二股アホ色男!」

「……………………」

 

 いきなり感情的になられて言葉も出ないルイズだったが、ともあれ、定助の信念の強さをまたここで見られた気がした。

 しかし、相手が悪い。しかもかなり怒らせてしまった。再起不能で済まされたら幸運だが、最悪、定助の命は…………

 

 

「ご主人、先に言うが、オレあのアホに頭は下げないからな」

 

 しかし定助は、二人の少女の尊厳の為、自分自身が決めた信念の為に、勝てる見込みのない戦いへと赴こうとしているのだ。いや、本人は恐らく『勝てない』と思っているだろう。

 それでも彼には、戦わねばならない使命を抱えた。それを果たすまでだった。

 

 

「…………どうなっても……しらないから…………アホ犬」

 

 ルイズは定助を突き飛ばし、ズカズカと食堂を出ていってしまった。理解を得られたのか、駄目だったのか、少なくともルイズからはある意味で『GOサイン』は出されたのである。

 

 

「……………………」

「じょ、ジョース…………ケさん…………!!」

 

 シエスタに近寄り、顔を覗きこんだ。彼女の目からは止めどなく涙が零れていた。ギーシュに対し頭を上げられなかったのは、恐怖心と共に泣き顔を晒したくなかったからだった。

 体は酷く震え、貴族に対しての怯えを体現している。そして更に、定助を巻き込んでしまった申し訳のなさと罪悪感が彼女の心に重くのしかかろうとしていたのだった。

 

「ご……ごめんなさい……ごめんなさい…………私のせいで……ジョースケさんが…………あ、あぁ…………!」

 

 苦しくて、定助を見るのが辛かった。視線を下げた目から、重力の向かうがままに下へ下へ次々に涙が落とされて行く。

 

 

「大丈夫か? ほんとあいつ、なんなんだよ…………いきなりシエスタちゃんにキレ出したもんなぁ」

「あ、あの……わ、私が……」

 

 定助に「原因は自分」と言おうとした所、フワリと、暖かくて柔らかい感触に包まれた。

 

「…………!」

「大丈夫、大丈夫」

 

 感触の正体は、優しくシエスタを抱き締めた定助だった。

 

 

 

 

 良い香りがする、潮の香りだ。

 穏やかな波がインディゴの海を揺らして行く中を、暖かい南風が青天の白雲と磯の匂いを流して行く。そんなイメージが、シエスタの頭に宿った、優しい感触……始めて感じたハズなのに、懐かしい感触。

 

 

「あっ…………」

 

 その感触は、すぐに消えてしまった。定助が離れてしまったのだ。

 

「…………約束は守る」

 

 背筋を伸ばし、帽子を被り直した。そしてキッとした瞳に、優しげな微笑みでシエスタを見下ろしている。

 

「『困った事があったら、何であろうと助ける』…………約束は守るよ」

 

 朝の時にした、助けて貰ったシエスタへの感謝の約束。定助は、その約束を果たすまでだった。

 

「ジョースケさん…………」

「じゃあ、早速あのアホみたいな奴をぶん殴りに行こうか…………」

 

 言葉を待たずに、定助はシエスタを通り過ぎて食堂を出ていく。

 止めたかった、行かないで欲しかった……しかし、あの真っ直ぐで純粋な目で見つめられたら、何も言えなくなっていた。覚悟を秘めて道を進む者を、止めたくはなかった。

 

 

「…………ジョースケ…………さん…………!」

 

 堪えきれず、涙を流して立ち竦む、シエスタだった。

 気付けば食堂から、人はいなくなっていた。

 

 

 

 

 

 さて、場面は変わって食堂の上の上の……本塔最上階、学院長室。

 

「オールド・オスマン!! これは一大事ですぞ!! 現代に甦った、『ガンダールヴ』ですぞ!!」

 

 興奮気味のコルベールをまぁまぁと制しながら、二人は定助のルーンについて話していた。

 どうやら定助のルーンは、『ガンダールヴ』と言う物らしい。

 

「ミスタ、もう少し落ち着かんか…………全く……」

「は、申し訳ありません…………また」

「…………まぁ良い。それで、ミス・ヴァリエールの使い魔は、かの伝説の神の左手、『ガンダールヴ』と言う結論に至った訳じゃが…………」

 

 神の左手『ガンダールヴ』。それは、コルベールの持ってきた『始祖ブリミルの使い魔たち』にて記載されていたものだが、それは『伝説のメイジ ブリミル』に仕えたと言われる使い魔である。

 しかし、緻密な検証の末、その伝説の使い魔のルーンが、何を隠そう定助の左手に表れたルーンである事が判明したのだ。

 

 

 ここで疑問が表れる。

 

「……何故じゃ? 何故、ミス・ヴァリエールが召喚した平民の使い魔が、『ガンダールヴ』になったのじゃ?」

「さ、さぁ…………検討もつきません……天の悪戯か、果ては何かの因果か…………」

「ふぅんむ…………」

 

 魔法の使えない落ちこぼれのメイジ、ルイズが召喚した平民はガンダールヴ。ここまでの情報でさえも、人によっては何が起こったのかさっぱり分からないと、困惑するだろう。

 

「しかし、『ガンダールヴ』と言われれば、『始祖ブリミル』に仕えた伝説の使い魔! あらゆる武器を使いこなし、その強さは一人で千人の軍隊を壊滅させるほどと言われております!!」

「……………………」

 

 またまた熱く、ヒートアップして行くコルベール。そろそろ、頭を冷やす方法を思い付いた方がいいぞと、オスマンは思うのだった。例えば、号泣するとか。

 

「まさに! まさにまさにまさに!!『最強』の名に相応しい無双の戦士!!…………それが今ッ! 我々の下に、この学院にいるのですぞ!!」

「ふむ」

「是非とも、宮廷に報告せねば!」

 

 

 はしゃぐコルベールに対し、黙って静聴していたオスマンが一喝する。

 

「それはならんぞ! ミスタ・コルベール!」 

 

 その迫力や如何に、老年の威厳と言うものだろうか。コルベールは驚きで、オスマンはマジマジと見る。

 

「な、何故ですか!先に言った通り、最強の戦士が現代に甦ったのですぞ!?」

「あぁ分かっとる。だから内密にするのじゃ!」

「何故ッ!?」

 

 オスマンの表情が険しくなる。

 その表情を見て、ただ事ではないと感じたコルベールは、口を閉じたのだった。

 

 

 

「良いか? 冷静になって考えてみなさい。宮廷のボンクラどもに『ガンダールヴ』とその主人を渡してどうなる?」

「はっ……!」

「戦好きの連中が、暇潰しと言わんばかりに戦争を起こしおるにきまっとる!」

 

 オスマンは長い時を生きて来た。その年齢は、百だとか三百だとか言われるほどの老年である。故に、王族の裏と言うものを嫌と言うほど見てきている。

 

「くれぐれも内密にじゃ……この件は、わしが預かる…………」

「は…………はい…………」

 

 話も一段落着いた。ロングビルに淹れて貰ったお茶は、すでに冷めてしまっていた、話に夢中になり口を付けるのを忘れていた。

 

「ふむ……ミス・ロングビルには悪いのぉ…………まぁ、飲むが」

 

 カップを持ち上げ、淹れて貰ったお茶なので折角だし飲もうとした所、

 

 

「失礼します、ロングビルです!」

 

と、噂をすれば主が来る。ロングビルが戻って来たが、何やら血相を変えている。

 

「どうしたミス?」

「ヴェストリの広場で、生徒たちが集まっております!」

「何事じゃ!?」

「それが、決闘のようでして…………」

 

 それを聞いて呆れたように溜め息を吐くオスマン。禁止事項にしている決闘をするなんて、非常に馬鹿馬鹿しいとも思っているのだろうか。

 

「全く……本当に暇を持て余した貴族ほど質の悪い奴はおらんわい…………で? 誰と誰じゃ?」

「決闘を吹っ掛けたのは、ミスタ・グラモンとの事です」

「グラモン…………あぁ、あのグラモンか…………どうせ色恋沙汰じゃろ? あそこの家系は代々女好きと決まっておる!」

 

 それはあなたも同じじゃないのか、とコルベールは思った。

 しかし、オスマンの推測とは違うようで、ロングビルが首を振った。

 

 

「それが…………相手は、ミス・ヴァリエールの使い魔だそうでして……」

「…………なんじゃと?」

 

 全くの予想外。さっきまでの話題の『ガンダールヴ』が、ギーシュと決闘との事だ。驚いたオスマンとコルベールは目を合わせた。

 

「止められんのか?」

「かなりの熱狂です。先生方も止めに行ったのですが、生徒たちが束になって妨害をしているようでして……手に負えない状態との事です」

 

 コルベールがオスマンに焦り気味に提案をする。

 

「オールド・オスマン! 『眠りの鐘』を使用しましょう!」

「いいや、使わんで良い……わざわざ子供の決闘に秘宝を使うまでもないじゃろ、勿体ない……」

 

 代わりにオスマンは、壁に立て掛けていた鏡に向かって杖を向けた。すると、さっきまで自分たちを反射していた鏡が曇り出し、『ヴェストリの広場』の様子が写し出されたではないか。

 

「止められんのならここは、少し様子を見ようかの……」

「し、しかしオールド・オスマン!? 貴族に平民は勝てませんぞ!?」

「ミスタ!」

 

 ここでコルベールは、オスマンの思惑に気付く。

 

 

 あの平民が『ガンダールヴ』とするならば、今はそれを確認出来る絶好の機会ではないか。今はロングビルがいる為、詳しい意見交換は出来ないのだが、こうして『遠見の鏡』を使って様子を見れる。

 

「ミス・ロングビル、引き続き先生方には呼び掛けを行ってなさい。そして万が一の為に、『眠りの鐘』の準備をしておくのじゃ……あぁ、使用はわしの命令があるまでじゃぞ?」

「…………分かりました」

 

 それだけ言えば、再びロングビルは学院長室より退室する。二人残ったオスマンとコルベールはジッと、鏡に刮目するのだった。

 

 

「さて……お出ましのようじゃ……」

 

 鏡には、広場に現れた定助の姿があった。




俺は反省すると強いぜ?(無反省)


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強固かつ青く、柔らかく濡れている。その1

ここまで来た感だけど、まだ物語の序章なんだよなぁ……
兎に角、お気に入り登録者数400人越え、恐縮です。


「ヴェストリの広場……てのは、こっちか?」

「あぁ、こっちを真っ直ぐ行けば、ヴェストリの広場の世界だ」

 

 一人の生徒に連れられて、広場への廊下を歩く。すると、ある扉の前まで来たら、凄まじいほどの盛況な声が割れんばかりに聞こえて来る。

 

「うぉ……ラグビーの選手って、試合前はこんな感じなんだな……」

「ラグビー? それは何の世界だ?」

「ん? ラグビー知らない?」

「俺は知らない世界だ」

 

 本当にこの世界は、何も通じないのだなと定助は再確認した。ラグビーがないのか、この生徒がラグビーを知らないのか……気になる所だが、扉は目の前だ。

 

「お前が開く世界だ。平民、覚悟しておけ」

「言われるまでも……覚悟はしている」

 

 広場へ続く、扉を開いた。

 

 

 

 

 こもっていた声援が、解き放たれたように定助へ浴びせられた。いつもはガラリとしているこの広場だが、今日はまさにお祭り騒ぎである。男女も関係なく、興奮の渦の中で熱狂の声を飛ばし、春の陽気がヒートをかけるように熱気が広場を包み込んでいる。

 

「来たぞぉ!」

「あれが『ゼロのルイズ』の使い魔か!?」

「平民が貴族に喧嘩売ったってよ!」

「やっちゃえギーシュ!!」

 

 聞こえる声だけでもこれだけだ。

 定助の登場に沸く広場。そしてギーシュの待つ、広場の中心へと人が分かれて道を作った。

 

 

「……………………」

 

 道の先にギーシュがキザっぽい立ち方で待っている。流石にシャツは新しいものに着替えて来ているようだが、本当にあのフリフリ付きのやたら白い服は非常に目立つ。

 

 定助は、貴族の掛け声を受けながら、さっさと道を進んだ。

 

「いけぇぇ! 平民!」

「ギーシュ! ボコボコにしてやれ!」

「足腰立たなくさせてやれぇ!」

「ふぅぅ!! 最高だぜぇ!!」

 

 とても『貴族』とは思えない『紳士と淑女』もない状態。これは最早、古代ローマのコロッセオにて行われた『剣闘士の世界(グラディエーター)』のまんまそれだ。『暴力が見せ物』だ。

 

 

 

 

 貴族の声を浴びながら、とうとうギーシュの待つ広場の中心へ到達する。彼は相変わらず、薔薇を嗅ぐような仕草のまま立っている。

 

「……………………」

「……………………」

 

 相対する二人。

 暫し、互いに互いをジッと睨み付けるのであった。

 

 

「……………………ふんっ、逃げずに来た事は褒めてやる」

「…………逃げようとしても、逃がさないだろ」

「そりゃあ、貴族にワインをかけたからなぁ…………逃げようものなら捕まえる気さ」

「……………………」

 

 二人の間に空気の揺れが出来たような、そんな凄味が真っ向対立している。しかし、ギーシュにとっては取るに足らない相手と見ているようで、緊張感を持つ定助に対して平常運転とでも言うような軽くキザなポージングをする。余裕だと表現しているのだ。

 

 

「おい! 早くしろよー! 待ちきれねぇよぉ!!」

「ちょっと、いつまで待たせるのよ!」

「観戦の準備は出来ているか? 俺たちは出来ているッ!」

「決闘だぁぁ!! 決闘が始まるぞぉぉ!!」

 

 決闘を待ち望む取り巻きからは催促の声が銘々にあげられた。正直勝敗なんてどうでも良い、刺激の足りない学園生活の日々に溜まる鬱憤を晴らせたら満足なのだ。

 

「……………………」

「……………………」

「……ギャラリーたちも待ちきれないようだな…………」

「……………………」

 

 ギーシュは前髪をハラリと払い、薔薇を上空へ大きく掲げ、高々と宣言した。

 

 

 

 

「大変長らくお待たせした、諸君ッ!!」

 

 観衆の声が一旦ピタリと止み、そのタイミングを見計らって決闘の宣言を入れた。

 

「これより、決闘を開始するッ!!」

 

 そしてまた、観戦が空高く(スカイハイ)まで登り詰めて行くのだ。熱狂はレースのラストステージのようにハイヴォルテージ、この狂喜の生み出す幸福はまさに素晴らしき世界(ワンダフルワールド)

 今、この場にいる者たちの世界の中心は『貴族のギーシュ』と『平民の定助』の両極端が担っているのだ。

 

 

 ギーシュの薔薇が、定助に向けられた。

 

「それでは決闘だが……ほれっ」

「…………ん?……おぉ!?」

 

 いつの間にか足元に、『青い剣』が置いてあった。

 

「い、いつの間に…………え、これ本物ぉ?」

「ふふふ……良い剣だろ?」

 

 分からなかった。しかしギーシュの持っている『薔薇』……最初見た時から違和感を感じていたのだが、この事で確証を得た。あの薔薇が彼の『杖』なのだ。

 とすると、この『剣』を作り出したのは『魔法』だろう。

 

「まぁ、君は見るからに非力そうだし、このままでは僕が圧勝するのも目に見えている……」

「……………………」

「…………その剣は、僕が作ってやった、一種の『ハンデ』だよ」

 

 そのストレートな口振りから、剣を作ったのはギーシュで間違いない。足元の剣からギーシュに、定助は視線を戻した。

 

「さぁ、剣をとりたまえ。僕はメイジだからね、魔法を使わせて貰うから君は太刀打ち出来まい」

「使って良いのか?」

「許可する。力のない平民でも、勝てる確率が上がるだろう……剣をとりたまえ」

 

 定助は剣をジッと、物珍しそうに眺めたのだが、

 

 

 

「断る」

 

…………一言だけ言い放ち、手に取らずそれをガシャリと踏みつけた。観衆から「おぉ!?」と困惑のどよめきがあがった。

 

「使わない」

 

 ギーシュの左瞼がピクピクと痙攣した。

 

「…………ハンデを降りるのか?」

「うん」

 

 お次は剣をガァンと蹴飛ばした。またギーシュの表情に歪みが生じる、自分の作った剣が平民に文字通り足蹴にされたのだ、屈辱的だろう。

 それに構わず、定助は言うのだった。

 

 

「これは『汚名返上戦』。ご主人の『誇り』の示しと、お前によって傷付けられたシエスタちゃんの『尊厳』の為の仇討ちだ」

「……………………」

「仇のお前の、つまらないお情けなんか受けるもんか」

 

 指差しで、ギーシュに宣言する。

 

 

「オレは『オレとして勝つ』、『オレだけで勝つ』。宣言する、そのキザな顔に一発殴ってやる」

 

 また声が沸き起こった。平民による貴族への『勝利宣言』。こんな事、今まであったのだろうか。ギーシュの左口角がヒクヒクと伸縮して動く、怒りの頂点だ。

 

「…………いいだろう……ハンデは取り消すよ…………」

 

 すると、定助の蹴ったギーシュの剣が、ただの土になった。

 

「しかし……しかしねぇ、君……『情け無用』で良いんだな? 後悔しても知らんぞ?」

「お前の言う『情け』ってなんだよ。どうせオレをぶっ殺すまでいたぶるつもりだろ」

「……当たり前だ…………」

 

 薔薇を掲げつつ、定助を『殺意をこめて睨んだ』。

 

 

「『貴族に勝てる』なんて、思い上がった馬鹿の考えは……正してやらないとなぁ……!」

 

 薔薇を大きく振ると、花弁がヒラリヒラリと二枚、空中に舞った。

 それらは互いにぶつからず、交差して離れて落ちて行く……紅く情熱的だが、白鳥の戯れのようなある種の雅やかな雰囲気を出していた。

 

 

「出でよ、僕の『ワルキューレ』ッ!!」

 

 それが地面に着地したと同時に、土が盛り上がって、丹念に磨かれたように輝く『青い女戦士の人形』が出来上がったのだった。声援があがる。

 全長は定助の背丈よりも高い。

 

「うぉ!? なんだぁ!?」

 

 土から生まれた青い女戦士の人形……いや、『青銅のゴーレム』がギーシュの手前に、彼を守るように立っていたのだ。持っている槍をギーシュの前で交差までさせて、形式にも拘っている。

 

「ふふふふふ…………これが僕の魔法だよ……」

 

 この魔法を定助は知っている。朝の授業の時、自分が発言した事だ。

 

 

「…………『錬金』か……こんな事出来るんだなぁ……」

 

 しかし元の物質を他の物質に変化させる事は分かっていたのだが、こんな造形として作り出し、戦士として操る事が出来るなんて知らなかった。

 

「まぁね! 名乗らせて頂こう、僕はギーシュ・ド・グラモン! 二つ名は『青銅のギーシュ』さ!」

「ギーシュドグラモン…………短いな、覚えた」

「そして君の相手は、その『ワルキューレ』だ!」

「なんでもありだな……」

 

 声援を受けて気分が乗り、ハイにでもなっているのか、またキザな彼が戻って来ている。それはそうとして、今の定助は焦っている、まさかギーシュ自身が来るのではなく、彼の操るゴーレムが相手だとは思いもよらなかった。これでは実質、三対一。

 状況は圧倒的不利。

 

 

「ぎ、ギーシュ!! 平民相手にゴーレムだなんて、卑怯よ!?」

「ご主人?」

 

 観衆を押し退け、ルイズが顔を出した。何だかんだ言って、心配をしてくれているのだ。

 

「やぁ、『ゼロのルイズ』! 自分の使い魔が心配なのかい?」

「えっ、あ、その…………そ、そうよ!! 主人として当たり前でしょ……って違うわよッ!? 卑怯って言っているのよ!!」

 

 何だかワタワタしているルイズだが、兎も角この決闘を止めたいのだろうか。しかしギーシュは鼻で笑った。

 

「なんだい君は……平民に肩を持つのかい? いいか? 君の使い魔は僕を侮辱した! これは万死に値する行為ッ!」

「そうであっても、やり過ぎよ!」

「『情け無用』は君の使い魔からの申し出だ! そしてそう来たのなら、こっちとしても全力で挑んでやろうと決めた!」

 

 目線をルイズから定助へ戻し、薔薇の先を向けた。

 

 

「平民であろうと、貴族を侮辱したのなら『敵』だ。グラモン家は、敵に対しては容赦しないのでね」

 

 ギーシュに何を言っても無駄と分かったのか、ルイズは定助の方に向いた。

 

「あたしが馬鹿だったわよ! なんで食堂でほったらかしたのかしら…………! 降伏しなさいッ! 今ならまだ許してくれるかも……」

「…………ご主人……」

「平民は! 貴族に勝てない!……この状況で察したでしょ!? あんた、察しが良いハズでしょ!? なんで他人の為にここまで出来るのよ!!」

 

 定助は、真っ直ぐ、ルイズの目を見て……あの変なすきっ歯を見せてニッと笑った。

 

 

 

 

「悪いけどご主人、一度受けた勝負からは逃げられない。こっちの意地を見せつけなくては、オレもキミも『ゼロ』のままなんだ」

「…………ッ!」

 

 ここでルイズは、気付いた。定助の戦う理由は、シエスタやルイズの事と一緒に、『自分自身も前へ進む為』なんだと。それに気付いてしまったが為に、ルイズは言葉を詰まらせてしまった。

 それだけ言うと、定助は表情を切り替え、ギーシュを睨む。

 

「先制は許すよ」

 

 ギーシュは手を差し出し、先制を譲った。定助は前屈みになり、突撃の準備を済ました。

 

 

「じゃあ、お構い無く」

 

 足を蹴り上げ、一気にギーシュへと突っ込んだ。策はない以上、力ずくで突っ切ってぶちのめす気なのだ。

 

 

 ルイズがハッと我に返り、無謀にも突撃した自分の使い魔を止めようと叫んだ。

 

「ジョースケッ!! 止めてッ!!」

 

 その声は、ワルキューレが下した一撃のパンチを食らった定助に対しての、歓喜の声で掻き消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 広場への道の途中、決闘の事を聞かされたタバサとキュルケが一緒に歩いていた。

 

「それにしてもルイズの使い魔がねぇ……果敢と言うべきなのか、無謀と言うべきなのやら……」

「無謀」

 

 あやふやなキュルケに対して、バッサリ切り捨てたタバサ。本当に何処か目が付いているのではと言うほどに、本を見ながらの歩行は神がかっている。

 

「ストレートに言うわねぇ……まっ! そう言うストレートな所が好きなんだけど」

「そう」

「もう、ドライなんだから……」

 

 口数多いキュルケと、逆のタバサ。

 この二人の交友関係の奇妙さは、例えるのであれば、軟派なハンサム男と冷静な男子高校生の息の合ったコンビ、のような感じと言えば分かるだろうか。

 いや、寧ろ、性格が逆であるからこそ何か通ずるものがあるのかもしれない。

 

 

「でもタバサ、珍しいわね…………」

「…………なにが」

「興味ない事は深入りしないタイプでしょ? この決闘、興味あるの?」

「ない事はない」

 

 一言一言のタバサに話題を提供する形で話すキュルケが、今の図だが、キュルケは別に苦ではなさそうだし、タバサも鬱陶しくなさげだ(表情がないから分からないのだが)。

 

「ふぅん……ねぇ? どっちが勝つと思う?」

「……普通に考えたら貴族の方」

「じゃあ、タバサはギーシュね! フフッ!」

「……………………」

 

 ここで始めて、チラリと目線が本よりキュルケへ移った。キュルケの語り口から、何かを察したようだ。

 

「…………賭け?」

「二エキュー金貨賭けるわ」

「…………乗った」

 

 一旦本をしまい、脇に挟んで空いた右手を差し出す。その手をキュルケが握った事で、賭けが成立した。ここで始めて、この二人が仲良くなった理由が垣間見えた気がしたのだった。

 

 

「……じゃあ、平民に変更」

「…………あららら?」

 

 これは予想外。タバサが賭けたのは『定助』の方だった。これにはキュルケも驚く。

 

「まさかまさかのタバサちゃん、なかなかのギャンブラーねぇ!」

「大穴狙い」

「んふふ! じゃっ、あたしはギーシュに賭けるわ!」

「成立」

 

 賭けの成立を確認すると、脇に挟んでいた本をまた読み出したのだ。しかも一発開いただけで、読んでいたページを開いたのだった。しかも栞はなし。

 

「にしてもねぇ……そっち狙うなんて、実はタバサ一目置いてんじゃないの?」

「賭けは危険であれば良し」

「んんー! 刺激的ね!」

「スリル満点」

「グゥッド!」

 

 そうこうしている内に、仲良し二人組はヴェストリの広場と廊下を仕切る扉の前へと辿り着いた。割れんばかりの歓声が、扉越しに伝わる。

 

「……うるさい」

 

 タバサは鬱陶しげだが、キュルケはウキウキとした表情だ。

 

「さぁて……タバサ、二エキュー金貨よ?」

「善処」

「じゃあ…………」

 

 キュルケが扉に手をかけた、ゆっくり開いて行く。扉の隙間が広がる度に、歓声へのオブラートが抜けるように段々と高まってくる。耐えられずタバサは、本を閉じて耳を塞いだほど。

 

 

 

 

「オープン・ザ・ゲェーム!」

 扉が開かれ、広場の様子が見えた。

 

 

 

 

 その光景に、ワルキューレの蹴りを腹に食らう、血だらけの定助の姿があった。




(『うろジョジョ』でホル・ホースを助けたのがタバサだったので、それを理由にゼロ魔知ったなんて言ったら、恥ずかしくてあの世に行けないぜ)


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強固かつ青く、柔らかく濡れている。その2

有無を言わさず連続投稿だ!


 無慈悲なアッパーが、定助を空へ飛ばした。

 血を口から吹き出して、彼の体は強く地面へと叩き付けられる。そしてまた、血を吐き出した。

 

「がふッ……!」

 

 決闘開始から既に五分経過。ここまで定助は、何発の攻撃を受けたのだろう。白い服は泥と血で汚れ、ひっきりなしに血を体外へ流していたのだった。

 

「ジョースケ!!」

「オイオイオイオイ!! 危ないぞ!」

 

 まだ攻撃中に止めようと、間に入ろうとしたルイズを情報通が止める。

 

「離しなさいよ! ジョースケが死んじゃうじゃない!!」

「ナアナア……落ち着けよ! あいつは貴族に楯突いたんだろ、その報いだ!」

「大元の元凶はあんたじゃない!?」

「うっ……!」

 

 情報通が怯んだ隙に、攻撃に一休止が入った時を見計らって、倒れ伏せる定助の元へ行こうとした。

 

 

 

 

「来るなぁッ!」

「いっ……!?」

「来るんじゃあな……がぁッ!?」

 

 近付くこうとした時、定助が叫んで止めた。そして次の瞬間、攻撃が再開。間近で見てしまったのだ、定助の顔面にワルキューレの拳が入ったのを…………

 

「ジョースケ!?」

 

 定助が叫んでルイズを制止させたおかげで立ち止まれ、攻撃に巻き込まれずに済んだ。しかし、定助はまた血を吐き出し、吹き飛ばされる。

 

「『ゼロのルイズ』……決闘の邪魔をしないでくれたまえ…………」

 

 ギーシュが呆れたように首を振りながら、もう一方のワルキューレを向かわせた。

 

「ちょ、な、なによ! 離しなさいよ!?」

 

 そのワルキューレはルイズを掴むと、サッと持ち上げて観衆の近くまで運んだ。ジタバタ暴れるのだが、小さなルイズは抵抗出来ずに戻された。

 

「良いかね? これは決闘……一対一のサシの勝負だ…………横槍が入っては仕方ないのだよ」

「なにがサシよ!! こんなの『私刑』じゃない!?」

「ワルキューレは僕の魔法だ! つまり、僕の一部だよ!……あぁ、魔法の使えない君には分からない感覚か!」

 

 ドッと笑いが起こったのだが、ルイズは怒り以前に焦燥感に駆られるのだった。その間にも定助は、もう一方のワルキューレに攻撃されていたのだ。

 

「このぉ! おーろーせー!!」

「言われた通り、下ろすよ」

「きゃあっ!?」

 

 

 ギーシュが命ずると、ワルキューレはポイッとルイズを投げるのだった。小さな悲鳴をあげながらルイズは、観衆に受け止められた。

 

「ナアナアナアナア……だから言ったろう」

「甘ったれるんじゃねぇぞ!」

 

 受け止められた傍から、また暴れるルイズだが、今度は情報通とオカッパが二人がかりで必死に押さえたので、もう動く事が出来ない。

 

「離してって!! くどいわよ!!」

「手を煩わすじゃじゃ馬とはッ! 周りの連中に自分の利益だけを要求する者の事だッ!!」

「うっさいわね!! 偉そうな事言っているけど、あんた女子に負けるくらい貧弱じゃない!?」

「ぐぇぇッ!?」

 

 ルイズの言葉の一撃を食らったオカッパのガラスのハートは粉々に砕け散る。それに情報通が驚いている隙に、また突撃しようとした……

 

 

 

 

「止めときなさい、ルイズ」

 

…………のだが、彼女の服を掴んで一気に引き戻す者の存在が。

 

「きゃっ!」

 

 踏ん張り切れず、地面に尻餅をついた。その隙にまた情報通とオカッパがルイズを押さえるのだった。

 

「…………なにすんのよ、キュルケ…………!」

「……………………」

 

 ルイズを止めたのは、キュルケだった。彼女に目もくれずにキュルケはジッと、定助を見ていた。ルイズを運んでいたワルキューレが再び定助へと歩き出していた。

 

「全く……向こう見ずな性格は直した方が良いわよ?」

「うるさい!!…………だから離しなさいって!!」

「離しちゃ駄目よ? 素敵な紳士さま方…………?」

 

 

 キュルケにたぶらかされた二人は「うおぉぉ!! 僕は成長しているぅぅ!」と「天が与えてくれた奇跡だ!」と言い、何だかパワーも精神力も成長したような雰囲気を纒だした。もうルイズの毒舌に屈しないだろう。

 

「なにコイツら!? 気持ち悪ッ!?」

「ふふふ……男って単純よねぇー」

 

 怨みを含んだ目で、こっちに見向きもしないキュルケを睨んだ。彼女はとても楽しげな表情で、二人の決闘を見ていた。

 

「あら? あたしを怨むのだったらお門違いよ。使い魔にも『来るなー』って言われたのに、自分から危ない所に突っ込むんだから……」

「で、でも……でも!」

「いい? ルイズ……厳しい事言うわよ」

 

 ここで始めてルイズに視線を運んだのだが、その目はとても冷ややかなものだった。ルイズは押し黙る。

 

「あなたの使い魔は、彼の意思でこう言う結果になったのよ。良く言えば勇気ある行動だけど、悪く言えば『自業自得』なの」

「くっ…………!」

「これからの成り行きは、彼が望んだ事なのよ? それに、あなたが邪魔でもして怪我でもしてみなさいよ」

 

 歓声が一段階上がった、また随分と人が集まったようだ。

 声が届きにくくなったので、キュルケはルイズに顔を近付けて、囁く。

 

 

「…………お人好しの彼は、きっと自分を責めるわよ?」

 

 教室での光景をキュルケは思い出している。みんなが机の下に隠れる中、定助だけが立っていたのだ。ルイズを信じて立っていたのだ。彼がお人好しなのは、一目瞭然だろう。

 

 

「…………それでもよ…………」

「…………ん?」

 

 俯いていたルイズが、ゆっくり顔を上げた。

 

「…………それでも、自分の使い魔が……ジョースケが…………『勝てる訳のない戦い』で…………死ぬまで傍観してろって言うの…………!?」

「…………!」

 

 目は涙目である。もうすぐで、溜まった涙は雫となって落ちて行くだろう。そんな彼女の姿を見たキュルケは思わず、黙ってしまう。

 

「……………………」

「…………何とか言いなさいよ……ツェルプストー…………!」

「…………あたしはただ、あなたに痛い目にあって欲しくないだけよ、ヴァリエール」

 

 それだけ言うと、手をヒラヒラさせて微笑みながら、離れて行った。向かう先に、タバサが耳を塞いで待っていた。

 

「くぅ…………いいから離しなさいっての!! この変態コンビッ!!」

「あーあーあー!! 聞こえない聞こえない聞こえなぁぁい!!」

 

 どんだけもがいたって、『色仕掛け効果』に当てられた二人から離れる術は見つからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうだね平民くん? 僕のワルキューレは!」

「ゼェ……ぐぅぅ…………ぅぅ…………」

 

 血だらけで、ガクガクに震える彼を見れば誰が見たって満身創痍だろう。地面にへたばり、四肢を震わせて、それでも立とうとする様は生まれたての小鹿と言う表現が良く似合う。

 

「んんー! とてもハレバレとした気分だ!! こんな気分は初めてだよ!」

「ゼェ…………ゼェ…………ぅぇ…………ぁあ……はぁ……」

「どうしたかね? 最初の威勢は何処に行ったのかね?」

「…………まだ……まだだ…………」

 

 定助は立ち上がる。それに呼応して、ギャラリーの歓声が更に大きく沸き上がった。嘲笑の声、囃し立てる声、ヤジに叫びに悲鳴…………様々な声と感情が渦巻いている。

 もう立てないと思っていたギーシュは、少し驚いたように目を開いた。

 

「ほぉ……まだ立てるのか…………寝てれば良かったものを……」 

「立たなきゃ『負け』だ…………そして最初に宣言しただろ……?」

「……………………」

「…………お前のキザな顔を『一発殴ってやる』って…………」

 

 ギーシュの顔色は変わらないし、その定助の言葉を聞いて鼻で笑ったのだった。

 

 

 

 

「そう言うのは有利な時に言うものだよ? そうだな…………僕のように!!」

 

 もう一回花弁を落とし、ワルキューレを一体増やして全三体とした。ここに来てまた増やすとは、何をするつもりなのだろうか。

 

「我が名は『ギーシュ・ド・グラモン』!! 宣言するッ!」

 

 先に二体が定助に向かって全力で走る。その際に、手に持った槍を放り投げて、両手を大きく開いて来たのだ。

 

「何をするつもり…………いや、避け…………ぇぁッ!?」

 

 痛んだ体を無理に動かしたせいで、全身にヒビが入ったように、傷が開いてしまった。それによる激痛は想像を絶するもので、一瞬だけ意識が飛びかけた。

 

 

 しかし、意識を手放さなかったが故に、更に辛い事が起こる事のだ。

 

「ぅ…………うっぐ……!?」

 

 痛みに怯んだ隙に到達さらた二体のワルキューレに、右と左の両方から体を掴まれ、身動きが取れなくなった。

 

「は、離せッ! 何をするつもりだ!?」

 

 定助よりやや高い背丈で、地面から数センチだけ持ち上げられて宙に浮く。バタつけど、ワルキューレの力に対抗する事は定助に出来ない。

 

 

 ギーシュは口角をニヤリと持ち上げ、宣言をした。

 

「今から貴様に『苦痛』を与えて決闘を終わらせてやる…………!」

 

 新しく現れた一体が、ギーシュから一方横にずれて立つ。そして腕をグッと持ち上げて殴る姿勢を取り、ただ立つだけ。

 

「おいおい…………まさかお前……」

「おぉ! 察しが良いと言うのは本当だったんだなぁ? しかしもう遅いよ」

 

 定助を持ち上げる二体が、足並み揃えて走り出す。当然、定助も運ばれる事になるのだが、スピードはどんどんと上がって行く。

 

 

 前方に、構えるワルキューレ。そこへ向かって定助は全力疾走で運ばれているのだ。

 何をするのか察したのは、定助だけではなく、ギャラリーたちもだった。

 

「ま、まさか……ギーシュ……まじかよ…………!」

「おおお!? グロ注意ッ! グロ注意だッ!!」

「それでもいいぞ! やっちまぇぇ!! ギャハハハハ!!!!」

「行けぇぇ!! やれぇぇぇ!!」

 

 歓声が一気に巻き起こった。これは旋風のような熱気を纏い、他の者に感染するかのように更に上の熱狂を与えた。全員がこれからするギーシュの『最終必殺』に強い期待を抱いたのだった。

 もちろん、察したのは観衆もだが、ルイズもそうだ。

 

 

「ギーシュ!? 止めて!! 止めなさいよぉ!!」

 

 情報通とオカッパが必死に押さえる為、ルイズは止める事が出来ない。ただ、この決闘の結末を、描いた結末を現実に目の当たりにするまでだった。

 

「ハッハッハッハぁ!! カモオ〜ン、平民くう〜ん!!」

「…………ッ!」

 

 近付く度にワルキューレの腕は上がる。定助の予想も、観衆の予想も、現実に起こる事実となる瞬間だった。

 

「ギーシュ!! ギーシュ止めてッ!!!!」

「いいや止めないねぇッ!! 閉幕まで三秒前ッ!!」

 

 三秒、定助を掴んでいたワルキューレ二体が定助を放り投げた。

 

 

 二秒、放り投げられた先に立つ、腕を限界まで構えるワルキューレ。

 

「……ぐぅッ!!」

 

 

 そして一秒、ワルキューレの腕が、限界突破と言わんばかりに定助目掛けて拳を飛ばした。

 

 

「止めてぇッ!!」

 

 ルイズの悲痛な叫びも、歓声に消えるだろうか。

 

 

 

 

「……『ゼロ』」

 

 高速スピードで突っ込まされた定助に、ワルキューレの拳が衝突する。

 キザったらしく薔薇を嗅ぐポーズをするギーシュの隣で、定助は食らってしまった。あまりの光景に、目を伏せる者もいた。

 

 

 甲高く、鈍い音と、空に散らばった鮮血。

 勢い止まらず定助は、ワルキューレの背後に弾かれるように飛び、校舎の壁へと背中からぶつけたのだった。

 

 

「ジョースケぇ!?」

 

 定助は血を吐き出し、重力に従って地面に倒れるのだった。

 

「ガハァッ!?」

 

 ワルキューレの拳の硬度は高く設定されていた上に、定助を高速で突っ込ませ、あえて拳と衝突させるようにした事でそのダメージは倍増。馬車との衝突に匹敵する威力を、定助は満身創痍の体一つで受けたのだった。

 

 

「…………勝負ありのようね」

「……………………」

 

 キュルケがタバサに向かって、そう呟いたが、タバサは本に夢中だった。

 

「ジョースケ……! ジョースケ!!」

 

 ルイズの声が、一段と響いた。

 

 

 

 

「…………むぅ?」

 

 ギーシュは何か、違和感に気付いたようだ。そして、また大声で言う。

 

「すまない、諸君! 閉幕はまだ少し先のようだ!」

 

 振り返り、壁の前で倒れる定助を見る。

 

 

 

 

 あれだけのものを食らったのに、上半身を起こそうと両腕を震わせているではないか。定助は、気を失っていない。ギャラリーからは驚きの声があがる。

 

(…………体を反らして顔面への攻撃を避けたか……が、胴体部に当たったようだがね)

 

 本当は顔面を殴り、脳をシェイクさせてやろうかと思っていたのだが、定助の咄嗟の機転により、顔面直撃は免れたようだ。

 しかし、だからと言えどダメージ半減と言う訳ではなく、定助の内蔵は傷付き、体内で出血を起こしただろう。証拠に彼は、血を大きく吐き出している。

 

「んー! なかなかだ! そこまでの打たれ強さ、最早敬意に値するよ!」

「……ぁ…………ぅぐッ……!」

「だけど、ギーシュ・ド・グラモンは許さない。トドメと行こうか!」

「……はぁ…………はぁ…………!」

 

 薔薇を向けて、ワルキューレを一体、定助の方へと向かわせる。それは定助に恐怖させる為か、ゆっくりと、ゆっくりと、地面を踏み締めるように。

 

 

「ぎ、ギーシュ!! ジョースケはもう、動けないじゃない!? 勝敗は決したわよ!!」

「全く全く全く…………全然だなぁ……」

 

 ルイズへと向き、ギーシュは言うのだった。

 

「彼はやり過ぎだ、貴族を侮辱し過ぎた。残念だけど、君の使い魔とは今世の別れとなるよ」

 

 ズン、ズンと定助に近寄るワルキューレ。 

 

「離しなさい! 離しなさいってこのアホッ!!」

 

 その度にルイズの焦燥感は沸き出すように上がり、二人を突き放すぐらいの火事場力を出したのだった。

 

「うげぇ!?」

「うおおおおお!!??」

 

 ひっくり返り、ルイズを取り逃がす二人。しかし、ルイズと定助への距離……それ以前にギーシュとの距離はとても離れている、間に合わない。

 

「ジョースケぇ!!」

 

 彼女の叫びはただ、空に飛ぶだけなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………」

 

 眩む視界、意識も絶え絶えだ。震わした腕じゃ、体は持ち上がらない。また惨めに地面にひれ伏すだけだ。

 ギーシュが何か言っているようだが、もう耳には届いていない。

 

 

(…………残念だ……)

 

 定助は自分の非力さを実感。そして、負けを認めた。

 とても敵う相手ではなかった。

 悔しさより、『シエスタに何の報いも出来なかった』自分が残念でしかたなかった。

 

 そして、『自分が何者か』を知らずに死んで行く無念が心に残り、それも残念だった。

 

(…………残念…………だ…………)

 

 

 ワルキューレは近付く。定助は意識を深淵へ落とそうとしていた。

 

 

 

 

(…………ん?)

 

 目の前に、何かが落っこちている。小さくて黒っぽい、何かだ。

 

 それは、定助のポケットに入っていた、『クワガタの頭』であった。

 

(あぁ……あの…………クワガタの…………)

 

 クワガタの頭が、やけに黄色い。焦点を合わせてみれば、『星のシール』が貼られている。

 

(…………星か……全く…………良い趣味だよ…………)

 

 定助は心の中で嘲笑しながら、考えを手放そうとしていた。もう終わったのだ、全てが。

 

 

 しかし、その『星』に、定助は見覚えがあった。

 

(……星…………オレの痣と同じ……星…………)

 

 左首筋の星形の痣。

 染み込むように出来た、星形の痣……これは偶然か、必然か……自身の首筋に出来ていた。そんな事をボンヤリと、思い出すのだった。

 

 

 

 

(…………待て……『星形の……痣』……?)

 

 何か星形の痣について、頭に引っ掛かった。何かを、この痣について『何か』を忘れている。

 

(考えろ…………何か忘れている…………何かを……忘れて…………)

 

 諦めがついたハズだったのに、この『痣』について何故か自分は執着していた。こんな満身創痍で、もう立ち上がれないのに、何故かこの『痣』だけは思い出してしまいたかった。

 

(オレは……何を…………忘れて…………?)

 

 

 ふと思い出したのは、何故かシエスタだった。朝、シエスタと共に洗濯をしていた記憶。

 

(何でこんな事を……思い出しているんだ…………痣だ、痣に…………!)

 

 定助は、何かを、何かの光景が頭に現れた事に気付いた。その記憶は、シエスタとの別れ際だった。

 

 

(……『シャボン玉』……?)

 

 風で舞い上がったシャボン玉。そう言えば何故か、このシャボン玉が気になっていた事を思い出した。しかし、なんで気になるのだろうか。定助は深く考える。

 

 

(……『星形の痣』…………)

 

 左首筋にある、星形の痣。

 

 

(……『シャボン玉』…………)

 

 洗濯桶から舞い上がった、シャボン玉。

 

 

 

 

「…………『柔らかく……そして…………」

 

…………記憶は繋がった。

 

 

 

「……濡れて…………いる』……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何処から出たのか、一粒のシャボン玉が、フワリと舞った。

 舞ったと思えば、儚く定助の真上で弾けたのだった。

 

 

 

 パチンッ。




宣言しておく!
オレはランタンポップスだ!!
感想で名前を間違える者がいる!!
ノンタンでもレンタンでもセンタンでもマンタンでもタンタンでもない!!オレはランタンポップスだぁぁぁぁ!!
……ふぅ。


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強固かつ青く、柔らかく濡れている。その3

 ルイズの足が止まった。

 何処から流れて来たのか、地面にひれ伏す定助の真上に『シャボン玉』がふわりふわふわと浮かんで弾けたのだった。いや、そこまでは何と言う事はない、彼女自身も定助からだいぶ離れた場所にいたので、視認していなかった。

 

「…………それって……」

 

 ルイズも、絶句していた。

 

 

 

 

「ね、ねぇ、タバサ……あれって……なにか分かる……?」

「……?」

 

 ギャラリー側のキュルケは、放心したような声で本に夢中のタバサに聞いた。タバサは、周りが沈黙した事による空気の変化に気付き、本から顔を上げて定助を見た。

 

 始めて彼女から、動揺の色が眼鏡越しの瞳に宿る。

 

「……分からない…………」

「た、タバサでも分からないの……?」

「……見た事がない…………」

「そ、そう……」

 

 タバサの動揺に気付いたキュルケは、そこでピタリと会話を切った。二人は食い入るように、一点だけを見ているのだった。

「……ゆ、幽霊とかじゃ……ないわよね?」

「もしくは……『使い魔の使い魔』か……」

 

 そこで本当に会話を止めた。

 

 

 

 

「……平民……!?」

 

 余裕綽綽だったギーシュの表情に、また最初のような動揺が見られた。近付いていたワルキューレの動きも、自身のキザなポーズを止めて、まるで怪物にでも遭遇したかのような顔で定助を……正確には『定助の体の上辺り』を凝視していた。

 観衆からも、どよめきが立つ。

 

「お、おい…………なんか……いるぞ……!」

「なんだ!? あの平民、メイジだったのか!?」

「オイオイオイオイ……僕には理解不能だ……!」

「なぁ……見た事ねぇよあんなの……」

 

 困惑。そんな声が聞こえている。

 最前列の動揺に、良く見えない後方が「なんだなんだ」と騒ぎ立っている。

 

「おいギーシュッ! アレもお前のか!?」

 

 そんな訳がないだろう、ギーシュも困惑している。あまりの驚きに、杖を落としかけたほどだ。疑問を投げかける観衆を完全無視をして、ジィッと、彼は『それ』を見ていたのだった。

 

 

「……嘘……でしょ……ジョースケ…………あんた……!?」

 

 一番定助に近いルイズでさえも、驚くほど。ギーシュを止める役割も忘れて、彼女もずっと見ていた。

 見た事のない、教科書にも乗っていない、そんな不可解と摩訶不思議な光景が、彼女の……この場にいる者全ての目線の先で起こっていたのだ。

 

 

 

 

「思い出した……『柔らかくそして濡れている(ソフト&ウェット)』……」

 

 定助が、小さな騒めきに揺れる広場にて、呟いた。

 

 

 彼の真上に、壁から半透明的に浮き出るようにして『黄色い人型の生物』が出現していたのだった。

 

 

 それは、胸に錨のマークを刻み込んだ上半身部分を、壁から出すようにしていた。細く、長い腕は定助を守護するかのように広げられ、両肩部には己を象徴するかのように『星』が描かれている。面長な顔には、丸い目のような部分が付いており、ジッとギーシュを睨み付けているかのようだった。

 人、と言うより『人形』と言う表現が合うほどに、無機質な『来訪者』は何も喋らず、定助の上で君臨している。

 

「おい……答えろ……平民…………!」

 

 ギーシュは動揺から震える唇で、『来訪者』の正体を知っているであろう定助に問いただそうとした。

 

 

「答えろッ!! それは何だ!? 何者なんだッ!!??」

 

 

 

 動けないハズの定助が、ゆっくりと、上半身を持ち上げた。

 

「いッ……!?」

 

 立てないほどに痛めつけたハズだった、もう定助は再起不能のハズだった。彼は定助に完全なる勝利をしたハズだった。

 

 

「……不思議だ……さっきまで気がおかしくなりそうなほど痛かったのに…………」

 

 左手のルーンが、黄金の輝きを放っていた。

 

「今は痛くない……寧ろ、体が軽い……」

 

 定助は、傷だらけの体を、二本の足で支えられている。立っていたのだった。

 

「ジョースケ!? なにしてんのよ!? 立っちゃ駄目……!」

「ご主人……問題はない……大丈夫だ」

 

 定助の声は、ルイズに遠過ぎて聞こえなかった。

 そして、定助の復活を待ち望んでいたかのように、『来訪者』は壁からその全貌を晒す。

 

 

 腰の部分は鉄の棒が入り組んだようになっており、恐らくそれらが骨組みとして駆動しているのだろう。しかしその堂々たるフォルムは、ある種の『美』を持っている。間接部分は球体間接となっており、それがまた『人形』のような見た目に仕立ててあるようだったのだ。

 地面から少し浮遊し、定助の傍に佇むその存在の出現に……この場にいる誰もが驚愕からか、話す事もなく『来訪者』に注目していたのだった。

 

 

「これはなんだ?……と、言っていたな、『ギーシュ』……」

「……ッ」

 

 定助に初めて名を呼ばれた事により、少しの動揺を与えた。それ以前に、謎の『来訪者』を従え、満身創痍の状態で直立した定助への『得体の知れない者に対する恐怖』を抱えていたのだった。

 

「オレにも良く分からない。良く分からないが、これは『スタンド』と言う存在だ。今、思い出した」

 

 顔を上げ、帽子を直し、定助の目は再び、ギーシュの姿を捉えた。

 

 

「オレを守ってくれる存在だ……そして、唯一無二の存在……」

 

 人差し指の先を鼻先にくっ付け、下目遣いでギーシュを睨むと、『スタンドの名』を静かに言う。

 

 

 

 

「『ソフト&(アンド)ウェット』。思い出したんだ」

 

 自分の名前に呼応するかのように、『来訪者』…………『ソフト&ウェット』が構えの体勢を取った。

『ソフト&ウェット』の行動開始にハッと我に返ったギーシュは、薔薇を定助と『ソフト&ウェット』に向ける。

 

 

「わ、ワルキューレッ!!」

 

 ゆっくり、いたぶるように歩かせていたワルキューレを、急速突進させて定助へと先制攻撃を仕掛けた。強固に握られた拳を構え、定助に強烈な一撃を再度、与えてやろうと近付いて行く。

 

 

 

 

 だが、

 

「んんんッ!?」

 

ワルキューレが定助の前方数メートルの所で盛大にすっ転んだのだ。それは滑るようにして、足を前に背中から倒れる形だった。

 

「お、おいワルキューレ!? 何をしている!?」

 

 再度立ち上がろうとするワルキューレだったが、上半身を上げて足で踏ん張ろうとした時にまたすっ転んだ。そしてまた起き上がろうとした時も、また同じような手順ですっ転ぶのだった。

 ギャラリーからザワザワと困惑する声があがる。

 

「ギーシュ! 落ち着けよ! 凡ミス凡ミスぅ!!」

 

 誰かがそんな風に気遣うのだが、それとは違う。

 

(こ、コケるなんて凡ミス……僕のワルキューレがする訳ないだろ……ッ!?)

 

 ワルキューレの制御は完璧だ。恐らく、人間相手の統率より規律正しく正確に動いてくれるハズだ。しかし一体のワルキューレがこうやって、無様にも地面に倒れているのは悲しき事実。原因を探り出そうと、躍起になるが、その原因は『一つ』しか思い付きまい。

 

 

「貴様ぁ!! 僕のワルキューレに何かしたなぁぁ!?」

 

 当て付けにも等しいギーシュの問い掛けに、定助は惚けるまでもなく普通に答えるのだった。

 

 

「あぁ、『した』」

「何をした!? 後ろのソレがしたのか!?」

「その通り、『ソフト&ウェット』が『した』」

 

 定助は、軽い足取りで転び続けるワルキューレの元へ歩き出した。ダメージは極限まで与えたハズなのに、一歩一歩を踏みしめるように歩いている。またギーシュに動揺が起こったのだが、流石は軍人の家系と言う訳か、自身の背後に立たせていた残り二体のワルキューレを、槍を持たせて向かわせたのだ。

 

「ワルキューレ!! 再び足腰立たせなくしてやれぇ!!」

 

 槍を構えて定助に突撃するワルキューレたち。定助は倒れているワルキューレの傍に近寄ると、『ソフト&ウェット』に踏ませた。ワルキューレは倒れていながらも、敵を捕らえようと『ソフト&ウェット』の足を掴むのだが、確かに触れているハズなのに掴めないのだ。

 

「『スタンドはスタンドでしか触れない』……が、『スタンド自体は物を一方的に触る事が出来る』」

 

 向かってくるワルキューレたちを見据えながら、定助は首筋の『星形の痣』に右手を差し向けた。

 

 

 プワッと痣から『シャボン玉』が出現し、それを右手で払えば、シャボン玉は真っ直ぐ二体のワルキューレの足元へとふわふわ飛んで行った。

 

「……ギーシュ、ここでお前は一つ『失敗』した」

「なにぃ!?」

 

 シャボン玉はワルキューレの足元へ到達すると、儚くパチンッと弾けた。

 

 

「それは、『何が何だか分かっていないのに行動させた事』だ」

 

 今度は二体のワルキューレが仲良くすっ転んだ。

 

「はぁぁぁぁぁ!!??」

 

 しかも、ただ転んだのではなく、芝生の地面を『ツルツルーッと滑り出した』。

 これは広場にいる者が「はぁ!?」と間抜けな声を出した。凍らした訳でもないのに、ワルキューレがまるで氷の床を滑るようにツルツル滑っている事実に、思考が完全に追い付いていないのだ。もちろん、それはギーシュもだし、ご主人様のルイズもだ。

 

「な、な、何なのよこれぇ!? 何したのよ!?」

 

 ルイズはギーシュを止めるだとかはもう、今起こっている状況に手一杯で忘れてしまった。そして代わりに、定助に「何をしたのか」を聞いてしまっている。

 

 

 その疑問に定助はニヤリとして答えた。

 

「『ソフト&ウェット』が『奪った』んだ」

 

 能力を打ち明けるが、困惑の声はあがる。

 

「う、『奪う』!? どう言う事だ!?」

 

 今度はギーシュが聞いた。理解し切れていないようだが。

 

 

 

 

「『ソフト&ウェット』の能力は、放ったシャボン玉が弾けた時、『そこから何かを奪う』スタンドだ」

 

 ツルツル滑って、定助の所へ向かってくるワルキューレを見た後、『ソフト&ウェット』を一瞥すると、スタンドは足元で倒れるワルキューレを踏み付けていた足を大きく後ろに引いた。

 二体のワルキューレは止まらない。

 

 

「今、地面から『摩擦を奪った』」

 

 構えていた『ソフト&ウェット』が渾身の力を込めてワルキューレを蹴飛ばした。するとそのワルキューレも、地面を高速に滑って行ったのだ。

 

「んな馬鹿なぁ!? ワルキューレぇ!?」

「おー、滑って行くなぁ〜」

 

 高速で滑り合うワルキューレ同士が衝突、強固な体とスピードとが相まって衝撃が強まり、三体は粉々に砕け散った。

 

「そ、そんな……魔法……聞いた事がない……!」

「これは魔法じゃない、もっと違う能力だ」

 

 舞い上がった青銅が、土に変わり、ハラハラと舞い散っている。その中でもギーシュと定助は、互いから視線を外す事はなかった。

 

 

「これが、『ソフト&ウェット』。そして宣言する」

 

 定助の代わりに傍へ寄った『ソフト&ウェット』がギーシュを指差した。スタンドに指を差されてギクリとするギーシュ。

 そのポージングは体を斜めに向けて背筋を伸ばした、ギーシュのやるような貴公子風のキザな指差しだった。しかし、ギーシュより優雅に見える。

 

 そのまま宣言を言い放った。

 

「……お前の所まで二十メートルか……この決闘、『残り五分で終わらせる』」

 

 大胆な宣言、困惑に浸っていたギャラリーの興奮はまた舞い戻って来た。

 

「アレがなんなのか分からんが、良いぞぉぉ! 平民!!」

「あれはゴーレムか!? 精霊かぁ!?」

「うおおお!! 普通の決闘よりおもしれぇぞぉぉぉ!!」

「いけぇぇ!! 二股ギーシュをやっつけろぉぉ!!」

 

 定助へのアウェイは、ギーシュへと移った。ここの連中は、楽しませてくれる存在なら貴族だとか平民だとか関係ないのだ、『どっちかが滅多打ちにされる様が見たい』のが本音。

 

 

 空気の流れが定助へと移ったのを実感したギーシュは焦る。

 

(ふ、ふざけるなよ平民がぁ!!……しかし、認めよう……!)

 

 ギーシュは、定助が行動するよりも先に薔薇の花弁を一気に散らし、七体のワルキューレを作り出した。前衛に三体、中衛に二体、後衛に二体の、動揺している割には冷静な隊列だ。

 

「むっ……」

「……このギーシュ・ド・グラモン……君を見くびっていたようだ」

 

 ギーシュの目は、キッと凛々しいものとなる。彼の家は軍人の家系と聞いたが、まさにこの目は若いながらも立派な『軍人の目』である。ここで彼は定助を、『好敵手』として認識したのだ。

 

 

「ここからは、君のファイトに敬意を払い、敬意を以って君を倒す!! 僕が操れる限界の、七体だッ!!」

 

 ワルキューレたちが、一斉に構える。臨戦態勢はバッチリだ、いつでも突撃出来る。

 

 

 数で言えば圧倒的不利。そして、ギーシュは圧倒的有利。しかしギーシュは決して油断しない、カッコつける事は止めにして真剣に戦いと向き合っていたのだ。

 

「………………」

「………………」

「……先にどうだ? ギーシュ」

「……それじゃあ、お言葉に甘えて!!」

 

 前衛のワルキューレ三体が定助に襲いかかる。

 合わせて定助も『ソフト&ウェット』を自身の前に立たせ、守護させた。




一日投稿しなかったからとて、失踪したと失望しとらんですよね?
いやはや、申し訳ありませんが、毎日投稿・感想返信が難しくなるかと思います故、善処願います。
あと、ランタンポップスだ!!二度と間違えるな!!


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泡球と青銅、決着す。

UA30.000突破。
お気に入り登録者数500突破、共に恐縮です。


「先手を譲り受けたが……容赦しないからな!!」

 

 定助に近付く前に、三体は別々に大きく広がる。右手・左手・真ん中から囲むように攻撃するようだ。

 

「これだと、一体滑らせてもあと二体に影響がない……なるほど、考えたな」

 

 予想外だが狼狽えはしない。定助は痣からシャボン玉を出し、最短距離で突っ込む真ん中のワルキューレに向かわせた。

 

「今、お前の体から『摩擦』を奪った!」

 

 

 シャボン玉が弾け、摩擦を奪われた真ん中が転んだのを見計らい、一気に前方へ走り出した。

 

「…………ん」

 

 しかし、左右に広がっていたハズのワルキューレが、急速に方向転換し、走り出した定助へと突撃してきたのだ。このワルキューレたち、広がる時にわざと走る速度を落とし、すぐに定助と当たれるようにインターバルを小さく操作していたのだった。

 

「突破口が開けたと油断したか!! 君が真ん中のワルキューレを転ばす事は予測していたぁ!!」

 

 中衛の二体がドッシリ構えている上に、左右からの槍持ちワルキューレが迫る。

 またもやピンチか、定助は転んだワルキューレの元へ辿り着いた。

 

 

 

 

「ギーシュ、二つ目のミスだ、『予測を見誤った』」

 

 しかし、定助は全く臆する事なく、冷静そのもの。

 

「オレは突破する為に真ん中を転ばしたんじゃあない」

 

 倒れるワルキューレの、装甲の薄い右手部分を狙って、『ソフト&ウェット』は蹴りで破壊する。ワルキューレは右手に持っていた物をこれによって、手離してしまった。

 

「これが『欲しかった』だけだ」

 

 右手に持っていた物とは、『槍』だった。『ソフト&ウェット』で槍をガシリッと掴むと、左に迫っていたワルキューレをそれで攻撃する。

 

「なっ、槍を!?」

「オラァッ!!」

 

 渾身の力で突かれた槍は、ワルキューレの胸部に直撃、大きな穴を開け、持っていた生命力が果てたように膝から崩れ落ちた。

 

 

「……しかし……」

 

 ギーシュはニヤリとほくそ笑む。気を取られていた定助の背後に、到達したもう一体のワルキューレが槍を向けていたのだ。

 

「危ない!!」

 

 ルイズが叫ぶが、定助は振り向かない。

 

「大丈夫、距離と速度を計算していた」

 

『ソフト&ウェット』は背中を向けたまま、長い持ち手の部分を突き出し、定助を掠めてワルキューレに直撃させた。鋭利な先端部ではなく、持ち手の柄の部分で当てたので破壊的効果はない。しかし、衝撃にやられたワルキューレを倒す事には成功した。

 

「そ、そんな活用法が……!」

「何も槍は穂先だけを使うものじゃない。金槌だって、重石に使える」

「…………」

 

 定助はクルリと、たった今倒したワルキューレの方に体を向けた。

 

「ワルキューレの走るスピードと、オレまでの距離を計算していた。何秒後にオレの後ろへ到達するかを読んでいたんだ」

 

 その為か、後ろを向かずともワルキューレの存在を察知出来たのだった。

 倒しはしたが、破壊はしていなかったので、さっさと『ソフト&ウェット』で槍を入れて再起不能にした。

 

「オレの『ソフト&ウェット』はパワーに自信がない……道具は最大限利用する」

 

 最初に倒したワルキューレにも槍を入れて完全破壊、前衛を突破した。

 

 

 しかし持っていた槍は、今壊したワルキューレの『一部』と言う事になっている為、ボロボロと土に戻ってしまった。

 

「ぜ、前衛突破か……見事だよ……」

「……ここまで二分か……あと三分」

「……攻めるのは危険と見た」

 

 中衛は槍を構え、定助を迎撃する形を取った。また、『摩擦を奪われる』事を危惧しているのか、互いの間隔をあえて空けている。双竜のワルキューレを間に、ギーシュへの道が出来上がったが、到達への道のりは困難を極めるだろう。

 

 

「僕にとったら耐え忍ぶ戦いだろう……交代しようか、先手を譲ろう」

「じゃあ、遠慮なく」

 

 定助は再び、真っ直ぐに突っ込んだ。迂回すると読んでいたギーシュは、意外とばかりに眉を顰めたのだが、虎穴に猪突猛進する様は無謀と言えよう。

 しかしあの定助だ、油断は禁物である。

 

「『ソフト&ウェット』!」

 

 シャボン玉が定助の手前の地面で弾けた。また滑らされると思い、ワルキューレの足腰を強固に構えさせた、ちょっとやそっとではこけないハズ。

 

 

 

 

 しかし、すっ転んだのは、定助だった。

 

「なに!?」

「おおー、ツルツルだぁ」

 

 速度を付けて滑りに入った為、定助は走行時の倍の高速で芝生の上を背中で流れて行く。その進行方向はワルキューレの間、ギーシュは息を飲んだ。

 

「おおお!! 面白そう!!」

「すげぇぇ! なんだありゃ!?」

「オイオイオイオイ……聞いた事ないぞ」

「もう、すげぇな…………」

 

 観客からは歓声と拍手。貴族を楽しませるパフォーマンスになっているのが滑稽だ。

 

「ワルキューレ!! 突破させるなぁぁ!!」

 

 中衛のワルキューレが槍を構え、滑って来る定助を迎え撃った。守りは完璧、迎えるだけ。

 

 

 滑っている時、『ソフト&ウェット』を自身の前方へ出すと、定助と同スピードでスタンドもワルキューレに突撃をした。

 

「怪我をしてもいい、この速度なら倒せるか……」

 

『ソフト&ウェット』は握り拳を作ると、高速スピードで突っ込んだままのエネルギーを止めず、そのスピードさえ味方に付けてワルキューレの槍をすり抜け、拳を叩き込んだ。

 スピードの分、威力が増すと考えたのだ。

 

 構えられた槍が、定助の体に刺さろうかとした時、それはバキリとへし折られた。

 次に、定助の掛け声と共に『ソフト&ウェット』から残像が見えるほどの高速五月雨ラッシュが、二体のワルキューレ本体に襲いかかる。

 

 

 

 

「オラオラオラアラオラオラオラオラオラオラッ!!」

 

 決して高くないパワーの『ソフト&ウェット』だが、スピードが相乗して拳を『衝突させる』形に叩き込むのだ。こうすれば、弱くたってぶち壊し抜けられる。

 

 

 しかし、ここで良い意味での予想外。

 

「うん……ッ!?」

 

 なんと『ソフト&ウェット』の拳を食らったワルキューレが、スピードがかかっていると言えども、かなり楽に破壊されたのだ。まるで捻り潰すような呆気なさに、定助は困惑した。

 

(『ソフト&ウェット』のパワーが……上がっているのか……!?)

 

 そう言えば怪我の痛みも消えたりと、自分の体にも異変が起こっているようだ。『ソフト&ウェット』の効果なのか、それとも別の何かの仕業なのか。

 

(………あと一分)

 

 一先ず、無駄な考えは今は排除しておこう。集中するのは、決闘だ。

 

「オラァッ!!」

 

 スタンドのラッシュを受けたワルキューレ二体は、砕けて四散した。この破壊力と圧巻のスピード、この場全てに戦慄を生み出した。

 

「な、なんだと……ぎぎぎ…………中衛も……かぁ……!」

「………………」

 

 ギーシュはもう、すぐ目の前だ。摩擦を戻した定助は、ふらりと立ち上がった。

 

 

 

 

「……ご対面……」

「くぅっ……!」

 

『ソフト&ウェット』に構えさせたまま、定助とギーシュの二者は向かい合った。短くて長い距離、五分到達まであと四十秒。

 

 

 混じりっ気なしの『最終ラウンド』である。

 

「お、お……おおおお!!」

「突破ぁ!!」

 

 有無を言わさず先手必勝……は互いに考えていた事だった。一体だけのワルキューレと『ソフト&ウェット』が真っ向勝負に入る。ここに来てハイヴォルテージは限界超過、熱狂は止まらない。

 歓声は聞こえない、ここは全く別の世界に感じられた。空間の中心は、ギーシュと定助……勝敗はどちらか一方ずつ、今ここで衝突する。

 

「オラァッ!!」

 

『ソフト&ウェット』の一撃が、前に出ていた一体目の顔面に直撃、倒れた。

 

 

 

 

「まだまだぁぁ!!」

 

 後ろに控えていたもう一体のワルキューレの槍が、定助を捉えた。高速で放たれた上に、一体目のワルキューレに目が行っていた定助は、それを食らってしまい、脇腹辺りを軽く抉った。

 

「……ッ」

 

 しかし、彼は怯まない、『恐怖』を作らなかった。

 

「ジョースケぇ!! もう……止めて!!」

 

 ルイズの悲痛な声が間近で聞こえた。あぁ、ご主人もこんな近くまで来ていたのだなと、定助は確認したのだった。

 

 

 

 

「オラオラオラオラオラオラ!!!!」

 

 ラッシュが開始、パワーが上がった『ソフト&ウェット』の弾丸ラッシュは驚異的なんて言葉は不相応なほど、強烈なインパクトを放った。もうこの弾幕を潜れる者は存在しない。

 

 

 ガラガラと、音を立てては崩れ、破片を全方位に飛ばした。後衛突破、ワルキューレ全滅である。

 

「あ……あぁ……なんと言う事だ……!」

 

 唖然とするギーシュだが、容赦しないのは定助も同じだ。

 

「二十秒! 畳み掛けるッ!!」

 

 打つ手なしのギーシュに、『ソフト&ウェット』従えて一気に詰め寄る傷だらけの定助の迫力に、ついギーシュは一歩、後退りしてしまった。

 

「え? ちょ、ちょっと待ってくれ! そんなもの食らったら……」

「おおおおおおお!!」

 

 もう『ソフト&ウェット』の射程距離内。あのラッシュを食らえば、間違いなくただでは済まないだろう。最悪、痛みのショックで死にかねない。

 

 

 

 

「お願い止めてぇ!!」

 

 ギーシュの耳に、誰かの制止する声が聞こえた。巡る走馬灯の中で、声の主……想い人『モンモランシ』だと気付いた。彼女は、ギーシュを見捨てた訳ではなかった、まだ、想ってくれていたのだ。

 

(あぁ……モンモランシ……)

 

 定助のスタンドが大きく手を広げて目の前に迫り、恐怖を回避する人間的本能から硬く目を瞑った。

 

(すまなかった……)

 

 そして、暗闇の中で謝罪を残し、『ソフト&ウェット』の拳を待つのだった。

 

 

 

 

「アラァッ!」

「ぶふぅっ!?」

 

 左頬に鈍い痛みと音、地面に倒れながら定助を見ると、拳を突き出した彼の姿があった。『ソフト&ウェット』は後ろで見守るようにフヨフヨと浮遊して立っていた。

 その手には、ギーシュの薔薇が持たれている。

 

「四分五十三秒」

 

 時間をポツリと呟きつつも、ギーシュにぶつけた右手の拳を痛そうに振っている背後で、『ソフト&ウェット』が、薔薇を粉々にしている。

 その様子を、ポカーンと下から見ていたギーシュ。

 

「あぁ、疲れた。長かったぁー」

「……何故だい?」

「んん?」

「………………」

 

 少し痣っぽく変色した左頬の口角から血が滲む。痛むそこを指で触りながら、俯いた後にギーシュは聞いた。

 

「何故、その……そいつで僕を…………」

「なんで殴らなかったって?」

「………………」

 

 あの時、『ソフト&ウェット』が目前まで迫っていた時、殴られるものだと思っていた。

 しかし実際は、ギーシュから魔法の手を無くす為に薔薇を奪っただけである。殴ったのは、定助だった。

 

 ここまで、散々定助を痛めつけたギーシュだ、報復とばかりにラッシュを食らわされるかと思っていた。

 

「……最初、オレはお前になんて宣言した?」

「…………え?……えーっと……」

 

 決闘の始まり辺りに記憶を遡らせ、彼の発言を思い出しハッとした。

 

 

「オレは宣言した。『そのキザな顔に一発殴ってやる』……有言実行は気持ちが良いな」

 

 そんな事を言っていた。彼は、ギーシュへの怨み辛みを宣言通りの『一発』で晴らしたのだった。

 

「そ、それで良いのか……?」

「なんだぁ? もっと殴られたいのかぁ?」

「いいいいいいや! そう言う事ではなくて!?」

「じゃあそれで良い」

 

 定助は『ソフト&ウェット』を向かわせ、ギーシュに手を差し伸べさせた。少し躊躇する。

 

「え……えーと、何て言ったかな? この……精霊さん?」

「精霊……まぁ、あながち間違いじゃないか……名前は『ソフト&ウェット』だ」

「君、隠していたのか……?」

「いや、倒れていた時に思い出した。あんなボロボロになるまで隠さないよ普通……」

 

 またもボンヤリと、『ソフト&ウェット』を眺める。近くで見ると更に圧巻と言うか、無機質な感じが強まると言うか。言い表せない圧力のようなものを、スタンドは纏っているかのようだった。

 

「う……す、凄いな……君の使い魔かい?」

「オレは魔法使いじゃない。『ソフト&ウェット』はオレの半身だよ」

「ど、どう言う事だい?」

「オレの事より、お前はやる事あるだろ!?」

 

 

『ソフト&ウェット』がギーシュの手を無理矢理掴み、無理矢理立たせた。

 

「うわぉ!?」

 

 間抜けな声で立たされたものの、手にはあまり感触がなかった。立たされたと言うより、浮かされたような感じだ、非常に不思議な体験。

 

「この決闘は、『主人とシエスタちゃんの為』だって言ったろ? オレは良いんだ……ただ」

「ただ……?」

「ご主人は『ゼロ』ではないと容認し、お前が当て付けて傷付けたシエスタちゃんへの謝罪。これが、敗者へのペナルティだ」

「………………」

 

 それを聞いたギーシュは、小さく笑った。

 

「ふふ……敗者と言うが、僕はまだ認めていないよ?」

「そうかぁ? じゃあ、もう一戦?」

「いいや、結果は見えているよ……僕の負けだ」

 

 ギーシュの敗北宣言が聞こえたと同時に、ギャラリーに巨大な歓声が巻き起こった。負けたギーシュへの嘲笑に、勝った定助への妬みなども聞こえるが、「ナイスファイト!」と二人を讃える声もあがっている。

 歓声と拍手の中心にいるギーシュは、クルリと振り返った。

 

 

「……ええと……ミス・ヴァリエール」

「……え?」

 

 初めてギーシュに『ミス・ヴァリエール』と敬った名前で呼ばれたので、ルイズは一瞬、思考が追い付かなかった。一歩一歩と、ルイズの傍まで近付くと、頭を下げる。

 

「え、な、なに? ギーシュ?」

「君の事を『ゼロ』と呼んで、申し訳なかった……」

「…………!」

 

 頭を上げたギーシュの目に、偽りだとか偽善だとかの色はなかった。真っ直ぐとした、真剣な目だった。

 

 

「君も、君の使い魔も……共に素晴らしく『高潔で誇り高き人』だと言う事に気付いたんだ。傲慢かとは思うが……どうか、許して貰えないかな?」

「………………」

「………………」

「……全く……そんな台詞を吐けるから勘違いする子が増えるのよ、二股ギーシュ」

 

 苦笑いをするギーシュだが、ルイズはツンとさせていた表情を微笑ませて、言った。

 

「まぁ、ジョースケが懲らしめてくれたそうだし、水に流してあげるわ……特別よ?」

「……有り難う!」

 

 また頭を下げ、感謝する。

 その様子をにこやかに見つめる定助だった。

 

「ではあのメイド……シエスタと言ったかな? 彼女にも謝罪しなくてはな」

「あぁ、シエスタちゃんは今、ここにいない……一先ず後回しにして……」

 

 定助は指を差す。その先を見てみれば、心配そうに見守るモンモランシの姿があった。

 

「……彼女も、君に傷付けられた人の一人だ。それに、君を心配してくれていた……あと、もう一人の子にも謝罪をするんだ」

「あぁ……二人には悪い事をしたよ……」

「……本命はどっちだ?」

「……モンモランシ……ケティには悪いけど、本命はモンモランシなんだ……」

 

 それを聞いた定助は、ギーシュの肩にポンと手を置いた。

 

 

 

 

 目の前に、星のマークが浮き出たシャボン玉が浮いていた。

 

「……ん? これは?」

「……『ソフト&ウェット』…………」

 

 パチンと、弾けた。

 

 

「今、お前から『摩擦』を奪った」

「どわぁ!?」

 

 ツルンと転ぶギーシュと、唐突な事に飛び上がるルイズ。その後ろ、悪戯に成功した子供のように笑う定助の姿。

 

「よし! 今から彼女に本音をぶつけてくるんだ!」

「おおおおおい!? 君、まさかぁ!?」

「滑って行けぇッ!!」

 

 摩擦ゼロのギーシュを思いっきり押してやり、彼はツルツルーッとモンモランシの方へ滑って行った。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!??」

「え? ちょ、ちょっと、ギーシュぅ!?」

 

 困惑したまんまで声を出したモンモランシに、ギーシュが足元まですっ転んで行った。後に残ったルイズは呆れたような表情で見ていた。

 

 

「はぁ……全く、とんだ一日よ……」

「あのー。ご主人……」

「あんたッ!!」

「はい」

 

 定助に振り返ると、ズイッと近寄った。ビックリした定助は一歩、後退りした。

 

「……ご主人様を心配させるなんて、良い度胸ね……それに、その……変なの?」

 

 チラリ、とルイズは『ソフト&ウェット』を見やる。後ろに堂々たる姿で構えるそれを改めて見れば、異質さと奇妙さが際立っているよう姿に圧倒される。少し怖いと感じたルイズは、サッと定助に目線を戻した。

 

「……これの説明も兼ねて、審問させて貰うわよ……!」

「あぁ……すまない……勝手な事ばかり……」

「ふんっ! 次やったら許さないんだから!このアホジョースケ!!」

 

 ルイズは怒っているが、とても安心したようにも見える、何とも言えないような表情になっている。そして、定助に背を向けると、さっさと歩き出した。

 決闘が終わり、興奮冷めやらぬ感じのギャラリーたちが散って行った。

 

 

 定助は、『ソフト&ウェット』を消した。

 

 

 

 

「早く来なさい!怪我を治してもらうわよ!」

「ご主人……先に行ってくれ。少し休んでから行く」

「それなら医務室で休んだらいいわ」

「いや、もう……無理…………」

 

 バタンと、定助は地面に倒れた。消え入るような声と、大きな音に気付いたルイズはすぐに振り返った。

 

「ちょ、ちょっと!? あんた……ジョースケぇ!?」

 

 すぐに定助に駆け寄った。左手のルーンの輝きは、止まっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 定助がギーシュに負けを認めさせた所で、『遠見の鏡』は再び元の鏡へと戻った。

 その前で、驚いたように目を開いていたコルベールと、険しい表情のオスマンが、「何とも言えない」と言いたげに互いと目を合わせて意見を求め合う。

 コルベールも同じ考えだと察したオスマンから、言葉が出る。

 

「むぅ……平民の青年が勝ってしまったのう……ミスタ」

「は、はい……いやはや、予想外なような予想通りのような……」

 

 実は、ギーシュのワルキューレが倒れた定助に向かっていた時、見物を取り止めて『眠りの鐘』を使用しようかとしていた最中の逆転劇だったのだ。二人はまず、定助復活の所に視点を置いた。

 つまりは、定助の背後に出現した『守護精霊』についてだ。

 

「あの青年が、瀕死の状態の時に現れたあの『精霊』ですよ! 精霊が現れた時、彼は復活しました!」

「その点は一目瞭然じゃな。では、あの精霊は一体なんじゃ? 何処から現れたんじゃ?」

「ふむ……あのように特徴的な精霊も亜人も、私は見た事ありません……壁からすり抜けるように出て来ましたが……まるで幽霊のように…………」

「幽霊…………」

 

 二人もまるで見覚えもない異形の存在、長老であるオスマンでさえも分からない存在なのだ、この世に分かる者など存在するのだろうか。いや、一人だけだろう。

 

「ミス・ヴァリエールの使い魔……彼じゃな。彼があの精霊の正体を知っているようじゃ」

「そうです、彼もです! あの精霊が出た瞬間に、左手のルーンが輝いておりましたぞ! 恐らく、精霊が『ガンダールヴ』のルーンに何かしらの作用を加えたのです!」

「ふむ、それはわしも気になっておった」

「そして輝いた瞬間の、人が変わったような奮闘!! 言っておきますが、彼は満身創痍の状態です! それも、立てないほどの! まさしく、力の『ガンダールヴ』です!」

 

 また熱くなり出したコルベールを制そうとするも、大気圏突破した隕石よりもヒート状態に陥った彼の饒舌は止まらない。

 

 

「ミスタ・グラモンの青銅ゴーレムを拳で破壊した様を見ましたか!? それに、七体相手を物ともしない鬼神ぶり! 伝説にも納得なパワーです!」

「…………あー、ミスタ……」

「特に私のお気に入りは、ミスタ・グラモンとの一騎打ちの場面です! 何と言いますか、騎士道を感じましたな!」

「コルベール君ッ!!」

 

 黙らないコルベールに、怒号でストップをかけた。ハッとなったコルベールは光る頭を下げて謝罪するのだった。別に深く追求する訳ではないので、オスマンが話に入る。

 

「確かに後半の、異常なほどの獅子奮迅たる戦いぶりは驚いた。しかし、あの精霊はまだ何か隠し持っておるようじゃ……」

「そ、そうです……! ワルキューレや本人がツルツル滑っていましたよ! 芝生の上を!!」

 

 凍らせている訳でもなければ、下に何か敷いている訳でもない。生憎『遠見の鏡』は『見る為』であり、聴覚効果に乏しいものなのだ。ましてやあの大声量の中、二人の会話だけを抜き取るのは出来なかったのだ。

 つまり、二人は彼の能力の正体が掴めていない。

 

 

 

 

「……まず、精霊については置いておこう。不可解な物ではなくて、分かっている話題にしようかの」

 

 分からない事について議論するより、『ガンダールヴ』の伝承から彼を捉えてみようと、二人はしてみるのだった。

 

「『ガンダールヴ』は千人の軍隊を相手にしても、ビクともしない最強の戦士だったと言う。あらゆる武器を扱え、強靭な肉体は尽きる事なく戦闘に従事出来たと言われておるのう?」

「はい……」

「わしは、『あらゆる武器を扱える』と言う所に着目してみたのじゃ。そして、あの精霊と彼との繋がり……唐突な覚醒……」

「精霊の登場により、『ガンダールヴ』の力が発揮された事は確実のようです……ん?」

 

 しかし、そこでコルベールに疑問が出来た。

 

「待って下さい……『あらゆる武器を扱える』……? 彼は武器を使っていませんでしたよ。最初にも、ミスタ・グラモンからの剣も拒絶していました!」

「そこじゃ……そこが重要なんじゃ……」

 

 オスマンは、言葉を纏めるように椅子に凭れる。

 

 

「彼は武器を持っていない……あの精霊の拳一つで切り開いた勝利だった……ここで『ガンダールヴ』の伝承と食い違いが出てきてしまったのう……」

「う、うーむ……しかし、あの強大な力は『ガンダールヴ』の名に相応しいものでしたし…………誤作動でも起こしたのかな?」

 

 結局議論は停止してしまう。それもそうだ、二人は今、伝説の領域に片足突っ込んでいる状態なのだ。遥か久遠の『伝説』についてのアレコレを必死に考えている。そんな途方もない事を考えていても、真実に到達する事は決してない。脳みその無駄遣いだ。

 

「とりあえず、この件については保留としておこう……確実な事は、『あの平民はただの平民ではない』事と、『ガンダールヴの能力と精霊がリンクしている』事じゃ」

「………………」

「今は、外部に知られる事のないように注意し、彼の動向を注意深く観察する事……良いか、ミスタ・コルベール。偉い人の格言にこんな事がある」

「なんでしょうか?」

 

 オスマンは、自身の目の下にトントンと指を当てて、微笑んだ。

 

 

「『当たって砕けろ』……なんつってのぉ!」

 

 コルベールは苦笑いだけを返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 医務室の中、体中に包帯を巻かれた定助が、ベッドの上で眠っている……もとい、気絶している。

 

「こんな傷だらけで貴族に勝ったなんて、どうかしているわ……本当に?」

「は、はい……本当です……みんな見ていましたから」

「ありえないわよ……私は見てないけどね」

 

 定助の治療に当たっているのは、医務室長の先生。【水】のメイジなので、魔法を使って定助の怪我を治療しているのだが、怪我の状態はかなり酷く、内臓に傷は入っているわ、かなりの出血をしているわ、肋骨も折れて息が辛い状態だわと……聞いただけで痛い状態に陥っている上で、貴族に勝ったと聞いて決闘話を懐疑している。

 

「かなり深いわ……俗に言う重傷ってやつよ。私の魔法でも完全に治癒出来ないわ……そこから先は、薬の善し悪しによるんだけど……」

「薬なら大丈夫です……主人は私ですし、私が購入します」

 

 ルイズが、薬の購入を申し出たので、先生は何やらホッと安心したような表情になった。

 

「……安心したわ。これほどの怪我を治癒する薬は、もはや高価な秘薬のレベルになるからね。ここに置いてないし、学院が平民の為に秘薬購入の経費を落としてくれると考えるのは難しいし」

 

 医務室は、貴族も平民もやって来る。その二つの身分を分け隔てしないこの先生は、双方からも好かれている。だからこそ、ルイズの頼みとは言え治療を承ったのだ。

 ルイズも、無茶な魔法練習でしょっちゅう怪我をしていたので、すっかり彼女と顔馴染みなのである。

 

 

「はい、このリストにある秘薬が治癒効能のある物よ」

「有り難う御座いま……うわっ、凄い……」

 

 リストにある秘薬の種類を見て、少し顔を強張らせた。値段としては一週間遊んで暮らせるほど、そこそこ高価なものばかりなのだ。

 

「……何とか買います」

「そう、安心ね!……じゃあ私は、別の仕事があるから……後は宜しくね?」

 

 それだけ言い残して、先生は医務室から退室した。

 

 

 

 

 二人きりになり、静かになった部屋の中で、定助の微かな寝息が聞こえる。

 上半身は脱がされている為、服は壁にかけてある。ボロボロになり、穴とドロだらけの、白くて綺麗だった面影はなくなってしまっている。

 帽子は枕元に置いてある。彼のお気に入りだから、起きた時にすぐ取れるよう、近い所に置いてある。

 

「…………なに寝てんのよ、起きなさいよ……」

 

 ルイズが定助にそう呟くが、彼の意識に届く事はないだろう。相も変わらず、定助は眠っている。

 

「……あんたは大馬鹿だっての……貴族に歯向かって、ボコボコにされた挙句に私に薬買わせるなんて……恥晒しよ、全く……」

 

 目が微かに潤んでいる。こんな風に言うのだが、自分の為に戦ってくれた定助に対しての感謝は存在している。存在しているからこそ、こうも痛々しい姿で横たわる彼を見るのが辛いのだ。

 

 

「……ジョースケ…………」

 

 名前を呼べど、目は開かれず。時間はゆっくり、足並み揃えるのだった。

 

 

 

 

「お邪魔しまー……あら、先生いないのね」

「……不在」

 

 暫くして、医務室に二人の訪問者が来た。キュルケとタバサである。ルイズは慌てて目を擦り、涙を消した。

 

「あ、キュルケ……さっきは有り難う」

「気にしないで。みんな、『あの平民凄い』って褒めてた割には、誰も運ぼうとしなかったし」

「……結局、楽しんでポイッなのね」

 

 倒れた定助を運んだのは、キュルケである。『レビテーション』を使用し、定助を浮遊させて医務室まで運んでくれた。最初はギーシュがやろうとしてくれたのだが、何故かキュルケが申し出たと言う、少し妙な所はあるのだが。

 

「どうなの? 怪我は大丈夫だった?」

「……結構深いみたいなの。浅い所……出血とか裂傷は魔法で治せたけど、深い所は薬で、体の中から治さなきゃいけないって」

「ふぅん……薬って、どんな?」

 

 キュルケが聞いて来たので、ルイズはリストを彼女に見せた。やはり彼女も「うわっ」と声を出して顔を顰めた。

 

「なかなか高価ね……出せるの?」

 

 ルイズは少し、溜め息を混じらせた。

 

「正直、ギリギリかも。本当に微妙な線よ。何とかまけてもらえないかしら……」

「あぁ、足りない分くらい出してあげるわよ?」

「……やけに親切ね、良い事あったの?」

 

 気持ち悪いほどに尽くしてくれるキュルケに、いつもとは違い過ぎるので少し不気味に思った。その問いに関して、何とも言えない表情になる。

 

「んー……善し悪しなら悪い事もあったかしらねぇ。とくに使い魔くんにはちょっと、狂わされた所があったかしら」

「どう言う事よ? ジョースケ、あんたに何かしたの?」

「そう言う事じゃないけど、まぁ小さな事よ。気にしないで」

 

 チラリと、キュルケはタバサを見た。彼女は賭けに負けたのだ、この事は定助を心配しているルイズに口が裂けても言えない。

 

 

「良い事もあったわよ。まず、あの決闘! 面白いものが見れたわ!」

 

 パチンと手を叩き、朗らかな笑みでキュルケは話す……前に、ルイズから横槍入る。

 

「どうせ、あの幽霊でしょ?」

「あら、察しが良いわね」

「それ以外思いつかないわよ……」

 

 幽霊……もとい、『ソフト&ウェット』の事である。

 

「みんな、その話で持ちきりだったわよ? 何処から現れ、彼に何をしたのかとか」

「あと、妙な能力も持っているわ」

「そうそう! あのツルツルーって滑るやつ! 面白そうだからやってもらいたいわ!」

 

 定助の逆境の中で、突然来訪したこの幽霊は、定助に力を与えて勝利に導いたと言うのが、通説になりつつあるそうだ。しかし誰も、正体は知らない。

 

「………………」

「……タバサ、何してるの?」

「……見当たらない」

「そう言えば消えたのよね、あの幽霊」

 

 消失する場面はキュルケとタバサが見ていた。ユラリと、霧の中へ消えて行くように消失したのを見た。瞬間、定助が力尽きたように倒れたのだから驚いた。

 

「消えた後に倒れるものだから、悪魔の契約でもしていたかと思ったわね。契約で、魂持っていかれちゃったって」

「そんな訳ないじゃない……定助の口振りからして、ずっと一緒だったみたいよ」

「彼、記憶ないのに?」

「決闘中に思い出したそうよ……あっ」

 

 

 

 タバサが二人を見ていた。そう言えば彼女は『定助は記憶喪失』と言う事を知らなかった。気になったと言うように、小首を傾げている。

 

「……記憶喪失?」

「まぁ、別に教えてもいっかな……」

 

 説明文を頭の中で探すように、こめかみをポンポンと叩いて考える仕草をした。

 

「ジョースケは、記憶喪失なの。自分にまつわる事を全く覚えていないのよ、誕生日も、住んでいた場所も、家族も友人も……」

 

 こう考えてみれば、彼は何とも『寂しい人間』なのだと暗い気持ちになった。

 

 

(……家族も友達も……自分の繋がりも全て忘れている…………のよね)

 

 だからこそ彼は、元々の性格と言うのもあるが『繋がり』を求めて、お人好しになったのではないか。他人に尽くす性格になったのではないか。

 

「…………」

「……説明、途中」

「え? あっ、ご、ごめん」

 

 物思いに更けてしまった。説明はまだ途中である。

 

「えー……自分の事は忘れているけど、ある程度常識は覚えているみたい。会話は成立出来るし、授業で発言したり……でも、魔法の事とか、トリステインが元より、ハルケギニアの事を忘れてしまっているそうなのよ」

「………………」

「貴族と平民の事も忘れていて、貴族にも普通に接するから、お陰でギーシュと決闘なんてトラブルになったのよ……」

「………………なるほど」

 

 タバサは黙って聞いていた。

 興味あるのかないのか良く分からないが、ルイズ自体も彼女とここまで話せたのは恐らく初めてだろうか。しかし随時無表情で、何考えているのか悟らせない少ない言動とが相まって、親近感は覚えられず、また「不気味だな」と言う印象が強まったのだった。

 

「……以上だけど、何かないかしら?」

 

 反応が少なかったので、心配になって質疑応答に入ってしまった。多分「ない」だろうなと思っていた。

 

 

「一つだけ」

 

 タバサが聞いて来たので、来ないと踏んでいたルイズは慌てた。

 

「え? あ、どど、どうぞ……?」

「……何かを恐れているとか……やけに入れ込んでいるものとか……ある?」

 

 質問の意図が良く分からないが、読書家の彼女だ。何か、ルイズの知らないような内容を知っているのかもしれない、これはその為の問診だと思った。

 今日までの定助を思い出そうとする。

 

「……まだ出会って二日目だから何とも言えないけど……」

「………………」

「何かを怖がっている節はないわね……寧ろ、怖いもの知らずと言う感じ。何か入れ込んでいる……と言うのもないかな? 自分の趣味とかも忘れていると思うし」

「…………分かった」

 

 返答に期待するのだが、タバサは医務室内をまたキョロキョロ(幽霊探し)し始め、何も言わないので「なんだそりゃ!」と思わずルイズはずっこける。

 二人の会話が済んだのを見計らって、キュルケがルイズに話しかけた。

 

「どうするの? 薬はいつ買うのよ?」

「お金を渡して、実家で買って貰うわ。自分のお小遣いだし、授業の為って言えば納得してくれるわよ」

「買って貰えな……あぁ、言い訳が難しいわね」

 

 平民の使い魔の怪我を治す為に買って欲しい、と言ったって掛け合って貰えないだろう。授業の為と言っても、こちらから一銭も出さないのは失礼だし、こっちがお金出しさえすれば滅多な理由じゃなければ買って貰えるハズだ。

 

「その……だから……お金を貸してくれないかしら? 少しで良いわ、八十パーセントは出せるし……」

「良いわよって、言っているじゃない! 彼には起きて貰わないと困るわ」

「…………?」

 

 定助はキュルケに何かしたのだろうかと、少し疑った。何故だか、キュルケが定助に用があるようなのだが、真意を確かめる前に立ち上がってしまった。

 

 

「それじゃ、一旦お暇するわね。タバサ、行くわよ」

「…………分かった」

 

 幽霊探しを切り上げて、タバサも立ち上がり、医務室の出入り口へと歩き出した。

 

「じゃあねー、ちゃんと看護してあげるのよー」

「言われなくてもするわよ!……まぁ、有り難う」

「いえいえ」

 

 二人は医務室を出て行った。また、静寂が医務室の中を包んでしまったのだった。

 

 

 

 

「…………世話かけさせるんじゃないわよ……使い魔の癖に」

 

 眠る定助の、頰っぺたをつねってやった。もちろん、起き上がらないのだが。




「オラアラ」しようかしまいか渋りましたが、要望が多かったんでやりました。

4/5→『S&Wは主人と一緒』をこちらに併合しました。


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不穏の扉と、目覚めの陽射し。

節分なので、スタンドごっこして豆まきしました。
鬼はDIOです。


 昼間だと言うのに、ここの廊下は足元が全く見えないほど暗い。歩くには、ランタンを持って明かりを灯して行くしかない。

 思えば、ここの廊下は窓一つなく、他の扉もない。あるのは、綺麗な装飾の成された鉄の扉と硬い錠前だった。

 

「……扉にかけられし戒めを、解き放て……」

 

 すると、聞こえたのは女性の声。メイジのようで、杖を錠前に付けて呪文を唱えた。杖の先端が軽く光って、魔法は成功したのだが、何故か錠前は動かない。

 

「………………」

 

 念の為に錠前を手に取って動かしてみるも、やっぱり施錠させたまま。硬く硬く、岩石のように閉ざされている。魔法を受け付けていないようだ。

 

「……駄目か」

 

 女は諦めたように呟く。今度は三歩下がり、扉を広く眺めてみる。

 

 

 

「……これは『固定化』の魔法だとは思うが……相当強力ねぇ……これはどうか?」

 

 杖を扉に突き付けて、先ほどのとは違う魔法を行使する。しかし、扉に変化は表れず、何処か神々しい雰囲気を放って鎮座する。効果なし、それを悟った女は苛ついたように舌打ちした後、諦めがついたのか杖を懐に戻した。

 

「……『錬金』でも駄目か……扉が変化しない…………流石はトリステインを代表する魔法学院とあってか、厳重だな」

 

 ふぅっと息を吐きつつ、煩わしそうにかけていた眼鏡を外した。その目の奥に、野望の紅い炎がメラメラと静かに燃えていたのだった。

 

「全く……手間ばかりかかる……これじゃあ、死ぬまで開けられない」

 

 扉をランタンで灯しつつ、顎に手を当てて考え事をする素振りをした。女は、この扉の突破方法を思案しているようだが、こんなひっそりとやるからして正当ではない思惑があるのだろう。

 

「……何か、手立てはないのか……ふぅんむ…………」

 

 持っている魔法の知識とこの扉にかけられた魔法とを、頭の中で照合して作戦を練る。その最中でも、彼女の目にある野望の炎は止まらなかった。

 

「…………ん……!」

 すると彼女は何かを察知したのから眼鏡をかけ直し、後ろを振り向いた。

 

 

 

 

「そこで何をしている!!」

 

 男の声と、彼女の物とは別のランタンの灯り。振り返った女の視線の先には、何者かがランタンを高く掲げて立っていた。

 

「……どうも、ミスタ」

 

 女は、さっきまでのドスの効いた声を和らげ、会釈を交えてコルベールに挨拶をする。

 

 

「あ! ミス・ロングビルでしたか! いやはや、失礼しました!」

 

 男は彼女を知っているようで、一礼と謝罪と共に警戒心を緩め、ランタンを低く落とした。後ろにいた男と言うのは、先程自分の授業を済ませたコルベールだった。

 そして、さっきの女と言うのは、オスマンの秘書であるロングビルであったのだ。その目から、野望の炎は消えていた。

 

「どうしましたか、ミス? ここに来るとは、珍しいですね」

「いえ、『宝物庫』の目録を作ろうかと来たのですが……」

 

 困ったように首を傾げながら、手元の記録用紙を見せた。

 

「……私とした事が、鍵を借りるのを忘れていましたわ」

「それは大変ですな! 私が持って来ましょうか?」

「いえいえ、悪いですわミスタ!……まぁ、すぐにやるようにとは命じられていませんので、別に急ぐ必要はないのですが」

 

 それだけ言うとロングビルは、「失礼」と一言置いてその場を立ち去ろうとした。

 

 

 しかし、コルベールは何故か大急ぎで呼び止めるのであった。

 

「あぁ、待って下さいミス・ロングビル!」

「………………!」

 

 少し、ヒヤリとした感触が背中に渡った。だがコルベールの声からして、問い詰めるとかのキツい声をしていなかったので、一先ずは安心だ。

 再度、コルベールに振り返った。

 

「……なんでしょうか?」

「いえ! あの……この後お暇でしょうか?」

 

 ロングビルはこの後の予定や仕事を思い出すのだが、特にこれと言った事はない。

 

「はい……そろそろお昼時ですし、何も……」

「あ、そうですかそうですか!」

 

 コルベールは嬉しそうに、声色を高めた。

 

「もし、宜しければ、そのぉー……」

「………………」

「ぜ、是非とも、昼食をご、ご一緒にどうですかね?」

「え?」

 

 唐突な昼食の誘いに少し素が出かけたが、何とか取り持ってニコリと微笑んだ。

 

「……そうですね、そうしましょうか。良いですよ?」

「本当ですか!? いや、有り難う御座います!」

 

 承諾を受けたコルベールは、初告白に成功した初心い中学生のように喜ぶのであった。その様を前にニコニコとしているロングビルだが、次に開かれた目にはあの、野望の炎が宿る。

 

(……この男なら、何か知っているかも知れない)

 

 そんな彼女の思惑に気付くハズもなく、コルベールはロングビルに先を促した。

 

 

「それにしてもミスタは、どうして『宝物庫』に?」

 

 ロングビルはこじ付けてはいるものの、一応は目録作成の為である。しかし、それ以外では滅多に人は訪れようともしないこの窓無しの暗い廊下を、目的無しに来る人物はいないだろう。

 彼女の問いに、並列して歩いているコルベールは楽し気に笑う。

 

「いやぁ!『宝物庫』の『固定化』を確認しに来ました! あれは素晴らしく、高度な『固定化』ですよ!! 見ていて飽きが来ませんな!」

「………………」

「そう思いませんか?」

「そ、そうですね……はは……」

 

 忘れていた、この男は学院きっての『変人』だと言う事を。彼の研究室はガラクタに埋もれ、昼夜を問わず何かの発明がされているとか。

 まさに、知識欲の塊、毎日が研究日和だと思っているタイプなのだ。そんな彼が、見えもしない『宝物庫の固定化』を見に来たとかの理由でここまで来た。正直、常人には理解出来ない感性だと思う。

 

「何て言ったって、何人ものスクウェアクラスのメイジが施した、要は『重ね塗りされた固定化』なんです! あらゆる魔法に対抗する為に設計された、超厳重の要塞なんです! 何と、宮廷の宝物庫と同じ技法だとか……」

「……そうなんですか」

 

 それは参ったなと言わんばかりに、考え込むロングビル。しかし、コルベールと行動を共にして正解だったようだ、彼は変人と言う所に目を瞑れば、あらゆる魔法や技法を使えないのに知識にしている『魔法雑学先生』または『魔法学おばけ』。

 故に、何かアレコレを知っているハズだ。

 

 

「……もしも、ですが……それを破れるメイジはいるのでしょうか?」

 

 やや踏み込んだ質問だ。流石に疑われる事を覚悟したが、仕方ない。

 

「恐らく、存在しないでしょうな!」

 

 コルベールは疑う事も考え込む素振りも見せずに断言した。

 

「魔法でアレを破る者がいるのなら、それはスクウェアを超えた者ですよ! 何て言えど、スクウェアクラスが何人も重ねてかけているのです。破れる者がいるのなら、それはもう怪物ですよ!」

「……へぇ、素晴らしいですね…………」

 

 これには頭が痛くなった、聞かなきゃよかったとまで後悔した。この先生が断言してしまったなら、もう無理なのだろう。コルベールに聞こえないように溜め息ついた。

 

 

 

 

「……しかし、これは自論ですがね? 実は弱点があると思うのです!」

「……えっ!?」

 

 ここでまさかの想定外。何とこの魔法学おばけ、この『要塞級固定化魔法』の突破方法を編み出していたのだ。これには流石の彼女も本心から驚いた。

 

「……それは、どんな?」

「ふふふふふ……聞きますか?」

 

 急かす気持ちを抑えて、至って冷静に、あくまで冷静に、コルベールにその方法を聞いた。コルベールは、自分の研究報告に酔っているのか、疑う気持ちを微塵も出さずに言ったのだった。

 

 

「あの固定化は、あくまで『対魔法用』。つまり、『物理耐性』を持っていないのです!」

「じゃあ……つまりは……」

「そう!『ゴーレムの拳を食らった時には成す術無し』と言う事です!! 物事は単純であります」

 

 それを聞いたロングビルの口元は、ニヤリと吊り上がった。お淑やかな印象にそぐわない、悪人のような悪巧みの笑み。目には野望の炎が、激しく燃え盛っていたのだった。

 

 

 

 

「あぁ、あと、これも語っておきましょう! ミス、『破壊の円盤』はご存知で?」

 

 再びコルベールが話し掛けて来たので、ロングビルはパッと別人のように表情を変えた。目の炎は鎮火している。

 

「『宝物庫』で厳重保管されている物ですよね? 名前だけなら聞いた事あるのですが……ミスタは拝見を?」

「はい!! もう、あれを始めて見た時の興奮は凄いものでして、その日の夜は眠れませんでしたよ!!」

 

 保管されている『破壊の円盤』の事に話題が移った瞬間、コルベールの目は好奇心に光り輝いていた。この人物をここまで興奮させる『破壊の円盤』とは何なのか、気になる所である。

 

「大きさは手の平いっぱい程度なのですが、あれは鏡のようで鏡ではなく、硬いようで柔らかいような……何処の言葉でもない謎の『四つの文字』の他、ずっと眺めていれば表面に『男の絵』が浮かび上がる!」

「……凄いですね……」

「一度、何か魔法がかかっているか、アカデミーの方に調べさせたそうですが、『解読不能』との事! まさに不可解の塊、未知なる世界への遺産!……ミステリーですぞ!!」

 

 興奮するコルベールだが、それを宥めるようにロングビルは質問を付け加えた。

 

「しかし……何故、『破壊』と名が付いているのですか? 聞いている限りは、無害そうですが……」

 

 確かに聞いた限りでは『不可解な物』と言う印象なのだが、『破壊』に至る理由が分からない。大きさも程々らしく、どうしてそんな物騒な名前になったのかイメージ付かない。その問いにクールダウンしたコルベールは、真面目に冷静に応対する。

 

 

「何でも、『オールド・オスマンを救った』らしいのですよ、あの、一枚の円盤が」

「え? な、何から?」

「驚くなかれ、『ワイバーン』です! なんでも、『破壊の円盤』がワイバーンを退治したとの事ですが……詳しくはオールド・オスマンも教えてくれませんでした」

「………………」

 

 聞いただけなら無害そうな代物、しかしその内には何か『強力な秘密』が隠されているようだ。ロングビルの目が、ギラリと、番鳥のように光るのであった。

 

「まぁ、それより昼食ですな! 何を食べますか? 料理長と面識があるので、何か特別に作って貰う事も出来ますぞ!」

「あ、私はいつものお料理にしますわ」

「そ、そうですか……はい」

 

 二人は、食堂へと歩いて行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『初めて? 杜王町名物の創業明治三十六年、ごま蜜団子ってお菓子よ』

 

 女の子の声だ。何の話をしているのだろうか。

 

 

 

 

『何言ってんだよ……定助〜もちろんさぁ。おまえは家族じゃあないかァ』

 

 今度は若い男の声だ。家族……オレの事を家族と言ったのか。

 

 

 

 

『壁の目が隆起したから、崖崩れとか危険なりィィ〜』

 

 最初とは違う、もっと若い女の子の声。壁の目……壁に目がある……何を言っている?

 

 

 

 

 

『おまえのことを思っている人が、この世に誰もいないと考えるのは違う……オレとかもいるだろ……』

 

 次はもっと歳の取った男の声。オレを、オレを思っている……思ってくれている。

 

 

 

 

『岩に生まれたのは……!!』

 

 男の声、若い男の声だが、オレに敵意を剥き出している。

 

『貴様の方だッ! この前! 岩に挟んでオレが殺してやったッ!』

 

 何を言っている、殺した? オレは今、ここに存在している、生きている。この男、オレを……知っている……?

 

 

 

 

『そう、あなたはあなた……わかってるわ……』

 

 女性の……大人の女性の声。声が、少し震えている。

 

『この世の誰だってそう……』

 

 まだ、同じ声が続く。オレを知っているのか、オレを理解しているのか。

 

『あなたはあなた自身』

 

 言わない、言ってくれない。教えてくれない、教えてくれ。

 

 

 声が聞こえないぞ、勿体ぶらないでくれ、教えてくれよ。なぁ、どうして声が止まったんだ? オレは全員を知っているのか? おい、答えてくれよ、知っているのに教えてくれないなんて、あんまりじゃないか。

 

 暗闇の中だ、誰も感じない。冷たい。何処へ行った? 何処から話し掛けている? 隠れたのか? どうして隠れるんだ? ここは何処だ? オレは誰なんだ?

 

 なぁ、オレは誰なんだ、何者なんだ、みんな知っているのか?誰でも良い、教えてくれ、オレを教えてくれ……オレは……オレは……

 

 

 

 

 

 

 

 

「オレは、何者なんだぁぁぁッ!?」

 

 叫んで起きたらそこは、ベッドの上。

 包帯だらけの上半身を起こして、荒い息で周りを見渡した。

 

「………………」

 

 見覚えのある風景……彼がいたのは、ルイズの部屋の、ルイズのベッドの上。窓から溢れる太陽の灯りが、顔に当たって暖かい。

 

「………………」

 

 気配がしない、誰もいないのだろう。ボンヤリと、光のないランプを眺めていた。窓を見ると太陽が浮かんでいる、向きからして今はお昼時だろうか。

 

 

 

「…………!」

 

 扉が開く音が聞こえて、部屋に誰か入って来た。




今思ったけど、良い歳した男がこんな豆まきしていいのか?


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寝起きと気付きと焦がれ。その1

関係ないんですけど、弟が「めだかボックス」にハマりました。
原作者の西尾維新さんが、ジョジョ小説「オーバーヘヴン」の作者だと教えたら読んでハマりました。
この通り、ジョジョを引き出しにしたら単純なんです。


 部屋に入って来たのは、洗濯カゴを持ったシエスタであった。

 

「………………」

「………………」

 

 彼女と視線が合わさった。驚き顔の彼女の目は、奥から押し寄せたように涙で潤い出している。定助はどうして良いか分からないので、手を上げて挨拶した。

 

 

 

 

「じょ、じょ……!」

「あぁ……シエスタちゃん……おは」

「ジョースケさぁぁぁぁん!!」

「おふッ!?」

 

 するといきなり彼女は、手元の洗濯カゴを放り出し、定助目掛けて抱き付いたのだった。首筋に顔をくっ付けて泣く彼女を、どうすれば良いのか分からない。

 

「あぁ、ジョースケさん! やっと目が覚めたのですね!! 私、私……!」

「落ち着こう、落ち着こうかシエスタちゃん……」

「もう、あの日のお詫びをしないまま……もしかしら、一生ジョースケさんとお話出来ないかと思っちゃいましたぁ!」

「あー……うん」

 

 参ったとばかりに頭をかく定助。ここで、いつもの帽子を被っていない事に気付き、辺りをキョロキョロと見渡した。枕元にポツンと置かれていたのでさっさと被る。なんだか、被っていないと落ち着かない。

 

 

 帽子は兎も角として、シエスタを落ち着かせねばなるまい。このまま泣かれては、こっちの気が悪いだろう。

 

「と、とりあえずシエスタちゃん、離れよう。抱き付いてるの、怪我人……」

「……あっ!!」

 

 ハッと我に返ったシエスタは、一転して頭を杖で叩かれた猫のように飛び上がって離れた。その顔は、燃え盛る屋敷のように真っ赤っかだ。

 

「す、すす、すいませんッ!! つ、つい、感極まっちゃいまして……! あぁ、私ったら……」

 

 後からジワジワ熱する電化コンロのように熱くなる頬を冷やそうと手を当てつつ、乾いていない涙目のままオロオロとする。その姿が存分に面白かったので、定助はジーと見ていた。

 

「あ、あの! お怪我に触るような事は……」

「いや、大丈夫かな……思いの外、痛まない……」

 

 両腕をゆっくり上げたり下げたりと、ストレッチをする。しかし、殆どの傷は塞がっているようで、極度な痛覚は感じなかった。

 

 

「イテッ!」

「わわ! 安静にしていて下さい!『治癒』の呪文でも治しきれなかった傷もあるのですよ!?」

「そ、そうなのか……」

 

 痛んだ脇腹辺りを摩りながらも、こうなるまでの経緯を思い出そうとした。

 

(何で怪我、したんだっけ?)

 

 そのまま怪我の原因を記憶の帯をなぞって辿る。

 

 

「そうだ、ギーシュだ……あいつと決闘して……あれ、記憶がない?」

 

 見事ギーシュを打ち負かし、決闘後にルイズに叱られて医務室へ行こうとして……そこからの記憶がないのである。

 

「あの! ジョースケさん!」

「え?な、なに?」

「本当に申し訳ありませんでした!!」

「………………」

 

 記憶を起こそうとした時に、『ギーシュ』と言う言葉に反応したシエスタが頭を大きく下げて平謝りした。定助は吸血鬼になった男を見て動揺するチンピラのように、何があったのかさっぱり分からないと言った顔でそれを眺めた。

 

「……シエスタちゃん? 何で謝るの?」

「だって、私のせいで、ジョースケさんが貴族と決闘して……こんな酷い目に……!」

「んー……あ、そだそだ」

 

 記憶は決闘前まで遡った。シエスタが「貴族が落とし物をした」と言って定助から離れ、その落とし物が元で二股がバレた貴族がシエスタを当て付けで叱り、貶めようとしていた。それを助けようとして喧嘩を自分が吹っ掛けたのだった。

 確か、シエスタはその後酷く動揺し、自責していた。それをまだ引きずっているのだろうか。

 

「あの後どう? ギーシュは謝罪した?」

「は、はい! ミスタ・グラモンより、大きな花束を添えて謝罪されました! しかも、私の前で跪いて……」

「そこまでしたのかあいつ……」

 

 そのオーバーな様を想像して、こっちが恥ずかしくなって来た。そんな事を普通に出来るから、二股だなんて事になったのだろうに。

 

 

 

 

 ともあれ、彼の真摯さと誠実さは本物のようで、そこら辺も流石は貴族と言うべき所なのかもしれない。何やかんやだったが、彼も二股が露呈して狼狽していたのだろう、だからあんな事態を引き起こしたのだろうか。結果的には良い薬だ。

 

「そ、それで……ジョースケさんに……助けられた事をまだ感謝出来なくて……有り難う御座いました」

「いや、良いよ。シエスタちゃんが気負いする必要はない。元を辿ればあのナルシストが悪いんだし……こうしてオレも無事で済んだし」

 

 無事では済んでいないようだとは思うが、兎に角結果的に誰も欠ける事なく良い方向へと物事が運ばれた訳だ、終わり良ければすべて良しでいいではないか。

 

「……ジョースケさんって、強いですね……」

「オレェ?」

「はい……私、怖かったです……あの時はただ、恐怖で頭がいっぱいでした……」

 

 てっきり自責に苛まれているのかと思っていたが、違ったようだ。彼女の表情は、決意を固めたようにキッとしたもの。

 

「魔法を使えない平民は貴族に勝てないと……もう、ジョースケさんに会えないのかと……恐ろしかったです……私、決闘も見に行けませんでした」

「………………」

「……でも、ジョースケさんは果敢に挑んで、媚びる事もなく貴族に勝ったのです……それを聞いた時、どれほど嬉しかったか……!」

 

 次に見えた顔は、とても安心したような優しい笑み。あのメソメソとしていた彼女はいなくなっていた。

 

 

「……私、ジョースケさんから勇気を貰いました! 希望を貰いました! 貴族に屈しないその『真っ直ぐな意思』から…………だからもう怖くありません!」

「おぉー」

 

 自分の行動が、一人の少女を救ったようだ。それを実感した定助は、素直に嬉しくなる。それに、定助はシエスタの為に犠牲になろうとは思っていない、勝って謝らせてやると覚悟を持って行動し、それこそが願いだった。

 今回の事は、自分も含めて様々な事が、一歩前へと進めたのだ。

 

 

「私、ジョースケさんと一緒なら何でも出来る気がするんです!!」

「……ん?」

「今度は私がジョースケさんを助ける番です!……ジョースケさんが仰る事なら、何でもしますよ……!」

「……シエスタちゃん?」

 

 グイッと近付かれ、肩を掴まれた。しかも片膝をベッドに乗せているではないか、こんな事、初対面の時の、廃棄のベッドにさえ恐れを抱いていた時のシエスタだったら考えられない事だろう。しかしこれは成長だとか生長だとかとは違う気がする。何だか雲行きが怪しくなって来たような。ちょっと、何処かが暴走しているようだ。

 

「ジョースケさん……! 何でも、仰って下さい……!!」

 

 何だか分からないがヤバいと思った定助は、大袈裟に動いてわざと大きな声で指示した。

 

 

「タイヘンだーシエスタちゃん!! ほらキミ、洗濯物落としてる!! 皺になっちゃうぞー!!」

「え?……あ! す、すいません!!」

 

 目覚めた定助に感激して放り出してしまった洗濯物が、床に落ちていた。それに気付いたシエスタは、メイドの使命感を思い出して定助から離れた。

 ホォッと息を吐き出し、安心する定助。シエスタの背中を見て、最初に持った疑問……なくなった決闘の後について聞こうと思った。

 

 

「なぁシエスタちゃん、オレって、決闘の後どうなったの?」

 

 床に落とした洗濯カゴを拾いつつ、シエスタは答えた。

 

「ジョースケさん、ミスタ・グラモンと決闘して……えぇ、勝った後に気絶したそうですよ」

「気絶かぁー……何時間くらい?」

「えーっと……ですね……」

 

 シエスタは少し言いにくそうに、定助の気絶時間を言ったのだった。

 

 

 

 

「……三日です」

「三日ぁ!?」

 

 てっきり一時間か、長くても一日中かと予想していたので、これには定助もすっ転んだ。そう言えばかなり体が怠い、長い期間動かしていなかったので鈍ってしまったのだろう。

 

「三日……三日も寝てたのかぁー……」

「最初は医務室のベッドをお借りしていたようでしたが……『貴族に勝った平民』って、野次馬が医務室に来たり、逆にベッドで寝ている事に目くじら立てたりする貴族が出たので、昨日よりミス・ヴァリエールが自室に移動なさったのです」

 

 平民には治療さえも許さないのかと、少し嘆かわしくなった定助であると共に、ご主人に迷惑かけたと申し訳ない気持ちになった。

 

「ベッド……あ……」

 

 

 そう言えば定助は、ルイズのベッドの上で眠っていた。椅子に座る事さえも許されなかった自分が、彼女のベッドで眠っていたのだ。

 

「……これ、ご主人の……」

「ミス・ヴァリエール、凄く心配されていましたよ……今は授業ですので、私にジョースケさんを任せていますが……」

「………………」

「それ以外はずっと付きっきりでしたよ? 体を拭いたり、秘薬を使ったり」

 

 定助は穏やかな表情で目を瞑って、今はいないルイズに感謝した。

 

 

 

 

 次に開いた目には、涙が溜まっていた。

 

「じょ、ジョースケさん? 泣いて……?」

「……いや、ごめん……こっちも感極まった」

 

 グシグシと目を擦り、落ちる前の涙を腕に擦り付けて消した。そして照れ隠しに、下唇をかいた。

 

(オレを思ってくれている人は……いるんだな)

 

 

 ここまで彼は、『助ける事』に注いだ。何者か分からない自分をみつける為に、糸口を探す為に必死だった。そんな中で不安もあった事も認めなければならないだろう、『自分を思う人はいるのか』と。

 だからこそ、自分を見失いかけたルイズを助けたかった。記憶喪失後に始めて友と呼べたシエスタを助けたかった。彼は暢気に過ごしていたのだが、心の底では『得体の知れない自分』が怖かった、知りたかった。

 

 しかし、盲目になっていたようだ。周りを見ればいつの間にか、自分には居場所が出来ているし、支えてくれる人もいる。

 

 

「……その……これも聞いたのですが……」

「………………」

「……ジョースケさん、自分の事を忘れているようですね……」

「……まぁ……」

 

 ルイズが話したのだろう。いや、今更隠す必要もないとは思っていたのだが。

 

 

 洗濯カゴを持ったシエスタが、立ち上がって定助を見つめる。目の奥には哀れみの色はない、変わらない決意の赤だ。

 

「……私もジョースケさんの居場所になれたらな……と、思っております」

「……シエスタちゃん…………」

 

「ジョースケさんは私に分けて下さいました!私にも、分けさせて下さい!」

 

 

 

 

『おまえのことを思っている人が、この世に誰もいないと考えるのは違う……オレとかもいるだろ……』

 

 誰だか分からないが夢の男の一人は言っていた。思ってくれている人はいたのだ。

 

(……一人で頑張り過ぎたかな)

 

 そんな反省をする。一先ず、彼には心地の良い安心が溢れていた、一息つける空間が存在していた。救われていたのは、自分もだった。

 

 

「それと……はい!」

 

 シエスタが洗濯カゴから出して広げた洗濯物とは、定助の服であった。汚れは取られ、穴は縫われ、元通りの綺麗なセーラー服に戻っていたのだった。

 

「あ……オレの服……」

「ボロボロでしたし、かなり珍しい作りなので……二日かかっちゃいましたが、丁度良かったです! 私が修理しましたよ!」

「…………有り難う………色々と……」

 

 服を受け取り、頭から被って袖を通した。いつも通りと言う安心が、また戻って来たのだった。

 何だかフワリとしている気がする、良く洗濯されたのか、ウール百パーセントになったからだろうか。

 

「やっぱり、ジョースケさんのトレードマークですからね! その服は!」

 

 ニコニコと笑うシエスタの前で、両腕を広げて寸法を確かめた。ピッタリ、元通り。

 

「……手間かけさせた」

「いいんですよ、マルトーさんの言葉を使うなら、『お互い様』で!」

「あぁ、そうだったそうだった…………あ」

 

 

 グゥッと、腹の虫が鳴いた。そうだ、三日も気絶状態の男が、ちゃんとした栄養状態な訳がないだろう。クスクスと笑うシエスタに、照れる定助……この光景は、厨房の時のようだ。

 

「何か、持って来ましょうか? 病み上がりですので、あまり重い物は出せませんが……」

「うーん……あぁ、決めた」

 

 定助はシエスタに、今なんだか無償に食べたい物を注文する。

 

 

 

 

「フルーツ……果物が食べたいな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここは本塔前の広場。たまにここでは野外席を設けて、外で昼食を食べられるようにしてあるのだ。

 

「ふぅー! 外で食べる昼食も、格別よねぇ!」

「………………」

「……食事中くらい、読書は止めたら?マナー違反よ」

 

 その席の一つ、キュルケとタバサが相席で食事をしている。相変わらずタバサは本に夢中だが、食べる物は食べるようだ。と言うより、さっきから食べつつ読んでばかりだ。

 

「……いいわね、それだけ食べても太らないなんて……」

「…………体質」

「……そう、羨ましいわ……」

 

 何だか色んな意味で暗い話題へと移ってしまいそうなので、さっさと話題を切り替えた。もちろん、定助についてだろう。

 

「……今日で三日目よね、彼?」

「……今は主人のベッドの上」

 

 彼を運んだのは、また彼女らであるので、事情を知ってはいる。

 

 

「はぁー……早く目覚めないかしらぁ……」

「…………なんで?」

「何って、気になるでしょ?『泡の精霊』よ!」

 

 ギーシュとの決闘後、定助が従える精霊の噂が広がり、シャボン玉を飛ばしていた目撃談から『泡の精霊』と呼ばれていたのだった。これについては、様々な所で憶測が飛んでいる。ある者は「使い魔の使い魔」と定助メイジ説を唱えるし、ある者は「始祖ブリミルの情け」と奇跡説まで唱えている。つまりは、誰も知らないのだ。

 

「……気になる」

「でしょお? 彼からいの一番に問いただすの!」

「………………」

 

 しかし、流石は親友タバサだ。キュルケの目的は『泡の精霊』ではなくて『定助』だと言う事を看破している。と言えど、彼女の自由だし、とやかく言うつもりはないのだが。

 

「……どうせ飽きる」

「ん? タバサ、何か言った?」

 

 タバサの小さな声は、キュルケの耳に入っていなかった。一言「なにも」とだけ付けて、タバサは会話を区切った。

 

 

「あ、ルイズがいるじゃない」

 

 ふと後ろを見てみれば、コルベールとロングビルがランチをしている席のも一つ向こう側に、ルイズが一人昼食を取っていた。

 

 しかし、目の前にある料理には殆ど手を付けてないようだが。

 

「ちょっと、行って来るわね」

「………………」

 

 本から目を離さず、モゴモゴと咀嚼しながら手を振ったタバサであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ……」

 

 ルイズは何だか、食事所かナイフとフォークにさえ触れたくない気分になっていた。彼女の肌は白い為に良く目立ってしまう故に化粧をしているようだが、目の下の隈は薄らと見えている。

 ここ三日は、定助の看病に尽くしている。秘薬も家から届いて使用したし、包帯を取り替えたりした。

 

「………………」

 

 昨日より自分のベッドで寝かせている。医務室だと、暇潰しにやって来る野次馬が鬱陶しい。更には医務室を貴族の物と勘違いしている奴が、定助がベッドで気絶状態だと言うのに引き摺り降ろして問いただそうとしていた。先生がその生徒を叱って、ルイズには気にしないようにと言ってくれたのだが、これ以上迷惑はかけられないと判断して、自室に移した。

 その際、目くじら立ててた生徒のしてやったり顔を見た時は心底腹が立ったのだが、定助の事に専念する為に問題は起こせない。

 

(使い魔の癖に……主人を使うってどう言う事よ……)

 

 心の中でそうは言うものの、一発だけの裏返しに考えれば、目覚めを高く希望している事になろう。

 

(……早く……起きなさいよ……)

 

 ボンヤリと、空を見上げた。

 

 

「あらルイズ、今日も一人?」

「……えぇ」

「相席して良いかしら?」

「……別に、文句はないわね」

 

 ルイズから許可を貰い、彼女の向かい合わせに座るのは、キュルケであった。

 

「残しているじゃない……根を詰めたって、良い事ないわよ?」

 

 近付いてみれば、思いの外残していたので、心配になる。しかもデザートは彼女の好物であるクックベリーパイだ。

 

「……誰が根を詰めているって? ほどほどよ、ほどほどにしているわ……朝食べ過ぎたからねー」

 手をヒラヒラさせて、誤魔化した。腹部に手を当てて、満腹を演じる。

 

「ふーん、男でも出来た?」

「……なんでそうなるのよ……」

「化粧、濃いわね、今日は」

「………………」

 

 

 キュルケにはバレているようだ。やはり化粧では、隈は完全に消せないし、同じ女性は騙せないか。

 

「……大丈夫よ……こんなの、筆記試験前の勉強と同じ同じ……」

「……ルイズ、大変なら手伝うわよ」

「大丈夫」

 

 鬱陶しげに、キュルケを睨んだ。

 

「……私は……あいつに助けられたし……平民でも、恩は返さなきゃ」

「………………」

「それに……私がご主人様……主人が使い魔の面倒も見れなくてどうするのよ」

「………………」

 

 

 ルイズの言葉が終わって一段落した時、キュルケは溜めていた物を吐き出すように溜め息を吐いた。呆れたような溜め息だ。

 

「全く……あなたも使い魔くんも、やっぱ似ているわねぇ」

「どう言う事よ?」

「恩義に忠実過ぎる所……無駄に」

「………………」

 

 キュルケは足を組み、机に肘を立てて頬杖しながら話した。

 

 

「二人とも、他人に尽くし過ぎなのよ。で、何でかあたしには分かったわ」

「……なにが?」

「共通点。あなたも使い魔くんも二人とも、『抱える物が少ない』のよ」

 

 ルイズの残したクックベリーパイの一切れを掴み、口元に持って来た。別に食べる気がしないので、ルイズは何も言わない、彼女の言葉を待っている。まだ食べない。

 

「使い魔くんは、『記憶が少ない』。記憶が少ないから、『繋がりに頼りたい』の。人って、不可解な事に遭遇すると、嫌でも他人に委ねてしまうものよ。で、あなたは、『認めてくれる人が少ない』」

「あ……」

「認めてくれる人が少ないから、認めてくれる人に執着しちゃうのよ。だからあなたは『繋がりに尽くしちゃう』って訳」

 

 そこまで言って彼女は、クックベリーパイを口に放り込んだ。美味しそうに微笑みながら咀嚼する彼女の前で、ルイズは口を開く。

 

 

「……じゃあ、ジョースケを切り捨てろっていうの?」

 

 ゴクリと、飲み込んだ。

 

「……何もそこまでは言ってないわ。ただ面白いのは、『繋がりに頼りたい人』と『繋がりを過剰尊重する人』が出会った事ね。頼りたい人は、作った繋がりを守る為に無茶するし、過剰尊重する人は、その恩を倍にして返そうとするの」

「………………」

「要は、『等価にならない関係』よ、恩義の上乗せ(レイズ)。別に言い換えたら『共倒れ関係』……利他的は良い事だけど、限度を知らなきゃ自分も相手も潰す事に繋がりかねないわ?……あ、も一つ貰うわね?」

 

 キュルケは再びクックベリーパイに手を伸ばした。

 

 

 

 

 クックベリーパイはお皿ごと離れて行った。ルイズが離したのだ。

 

「偉そうに言うわね……良い事言ったフリして、残り物に集るんじゃないわよ」

「あら。そう思われたかしら? 何も感じなかった?」

「……大当たりよ、あんたは」

 

 ルイズはクックベリーパイを一切れ手に取って、それを食べた。

 ゆっくりゆっくりと咀嚼し、ゴクリと飲み込んだ。キュルケはそれまで、彼女の答えを待っている。

 

 

「……思っているのは、私だけじゃないって事よね。それで安心したけど、あいつは身を挺して私の為に無茶してくれた……その感謝を、行動で示したいだけよ……そこは譲れないわ」

 

 クックベリーパイを、ルイズはもう一切れ続けて頬張った。

 

「その分、あいつには働いて貰うけどね……あ、美味しい」

「……はぁ、分かっているのか、分かっていないのやら……」

 

 失笑顔で呆れ顔のキュルケは首を振った。

 キュルケは、二人の繋がりを試したのかもしれないし、本当に心配して忠告したのかもしれない。その本心は、モナリザのように微笑む彼女の表情から読み取る事は出来ないだろう。

 

 

 でも結果として、ルイズの食欲が戻った事は良い事だ。『終わり良ければすべて良し』である。

 

「一先ず、あなたはキチンと寝なさい。体はあっためる事ね、お腹は冷やしちゃ駄目よ」

「あんたはお母さんか!……まぁ、休息は必要ね……」

「ベッドは彼が使っているんでしょ? あたしの使う?」

「死んでもごめんよッ!!」

 

 いつも通りの風景へ、戻って行く。




哲学は難しい……だから気に入った!
だから僕は、難解な六部が大好きです。小四の弟も六部好きです。


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寝起きと気付きと焦がれ。その2

空きましたけど、失踪と思った人、波紋修行して出直して来い。


「……そう言えばギーシュはどうなったの?」

 

 ふと、思い出したかのようにキュルケが話し出した。改心したとは聞いたが、この原因であるギーシュがどうなったのか知りたい。口の中に残ったパイをモゴモゴと咀嚼しながら、ルイズは「分からない」と言いたげに首を傾げた。

 

「あの後、モンモランシーとより戻して早速デートしていたわね……シエスタにも後輩の子にも謝罪していたし、私にも『使い魔くんはどうだ』って聞いていたし……後悔しているようだし、心配もしていたわ」

「あら、モンモランシーも満更じゃなかったのね」

「機嫌悪そうにしていたけど、デレデレだったし。分かりやすいわ」

 

 呆れたように鼻で笑うルイズに対し、「分かりやすいのはあなたもじゃない」とからかってやろうとしたキュルケだったが、その言葉は結局飲み込む事となった。

 

 

 

 

「うわっ!?」

 

 ルイズの目の前に、大きな薔薇の花束がニュッと現れた。鼻腔を擽る甘く優雅な香りから、かなりのロイヤルローズである事が分かる。

 

「わお、情熱的ね」

「な、なんなのよこれ……ギーシュ!?」

 

 机の横で跪き、花束を掲げる人物は何を言おうと、話題にしていたギーシュ・ド・グラモン本人であった。

 

「………………」

「……やぁ、ルイズ。良い天気だね」

「……それはなに?」

 

 ギーシュは少し黙って、俯いた。一瞬見えた顔は、真っ赤になっている。

 

「……渡して欲しいんだ……」

「……誰によ」

「えーっと……あのー……その……」

 

 ゴニョゴニョと、蹴られて弱って行く犬のように静かになったギーシュ。何がなんだか分からなかったが、後ろからニヤニヤと面白い物を見るような笑顔をしたモンモランシーが着いていた。

 

「モンモランシー、どうしたのこれ……まさかギーシュ、彼女の前で私に告白とかじゃないわよね?」

「意外と強心臓ね、そそるような事するじゃないの、ギーシュ」

 

 ルイズとキュルケの誤解に大慌てでギーシュは否定した。その際に浮かんだ花束を、ルイズは腕いっぱいに引き受けた。

 

「そんな訳ないだろ!? 僕はもう、モンモランシー、一筋さ!」

「じゃあ、この薔薇はなんなのよ」

「……それはぁー……」

 

 何故か口籠るギーシュに見かねたモンモランシーが、笑いを含ませながら、とても愉快そうに代弁する。

 

 

「ギーシュったら、あの平民に『友情』感じちゃったみたいなのよねぇ!」

「も、モンモランシー!?」

 

 止めてくれと真っ赤になるギーシュを無視して、彼女は続ける。

 

「貴族の癖に、使い魔の平民と『友情が芽生えたんだー』って言ってね、気に入ったそうよ」

「な! モンモランシー! それは違うぞ!!」

 

 ギーシュが立ち上がったが、そのせいで真っ赤な顔は白日の下に晒された訳だが。

 

「彼には気高い精神が宿っていた! 僕はそれを身を以て実感したし、それまでの自分を恥じた! それに彼のお陰で僕は、君を手放さずに済んだ!! まさに、僕の『恩人』なんだよ、彼はッ!!」

 

 熱く語る彼を前に、「ほらね?」と笑うモンモランシー。ハッと我に返ったギーシュはルイズとキュルケに向き直った。

 

「い、いや! あの……か、彼には迷惑かけたし、酷い目にも合わせてしまった……償い……と言うのは都合が良いかもしれないが、僕も彼の助けになりたいと思っているよ……」

 

 ヤケになったのか、ひた隠していた心中を曝け出したのだった。

 

「ギーシュって、友達少ないから丁度いいんじゃないかしら?」

「も、モンモランシー……余計な事は言わないでくれよぉ……」

 

 その様子を、苦笑いで見ていたルイズと、ニヤニヤとしているキュルケ。

 ギーシュのグラモン家は、言えば女好きの家系である事は、波紋と波紋は打ち消し合うと分かるように知られた事実である。しかし結婚したり、本命が出来たりすれば、一転して女性に敷かれ、頭が上がらなくなる不思議な家系であるそうだ。

 

 

(まぁ、それほど女性を大事にしているって事なのかもだけどさぁ……)

 

 目の前でイチャつくこの二人を見ると、薔薇の香りも乗っかって、戻った食欲がまた減少して行くようだ。甘ったるい。

 結局昼食はだいたい残して終了となった。

 

「……そろそろ行くわ。あとこれは……まぁ、定助に添えておくわね」

「添えるって、死んだみたいだな君……僕のせいだけど」

 

 ギーシュが苦笑いしながら言うと、ルイズは花束を抱えて席を立った。

 

「あんたが反省した事も、復活を望んでいた事も……起きたら言っておくわ」

「有難い……彼からは大事な事を学んだからね……」

「……変な所で義理堅いわね、ギーシュ……」

 

 そう言いながらも「私もか」と呟き、キュルケ・ギーシュ・モンモランシーに手を振ってその場を後にした。後ろでキュルケが二人を弄り倒しているようで、ギーシュの青い声と、モンモランシーの黄色い声が聞こえて来た。

 

 

「所でギーシュ、あなたのお友達のオカッパの子……」

「あぁ……彼がどうしたんだい?」

「彼って、気前が良いのね! あたしが『エキュー金貨がないの』と言ったら、彼って『エキュー金貨は二つあった!』ってくれたのよ!」

「……まぁ、彼は地主の子だからね……えーっと、飛行船の街の管理人じゃなかったかな?」

 

 オカッパと言えば、自分を取り押さえたギーシュの取り巻きだなと思ったのだが、匂いを嗅ぎ分けるわ汗を舐めるわ女性に負けるわで変な噂が絶えない。それでもってお金の話は少しドロリとしている。ルイズは聞かなかった事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 自室まで、あとすぐそこまで来ていた。授業中の看病は定助の友人であり、彼に助けて貰ったメイドのシエスタが名乗り出てくれて、任せている。その際に彼女とも親しくなり……元々手際の良いメイドであったお陰もあり、何かを頼むのは専らシエスタになった。最早、専属のメイドと位置付けるほどに。

 

「有り難いわ、あの子は」

 

 まともに話したのは三日前からだが、今日までに信頼関係が構築されており、シエスタに鍵を預けても安心出来るほどまで信用している。彼女の謙虚で人当たり良く、奉仕精神深い様を見ていれば、自然と信頼出来る。

 

「シエスタには世話になっているわね……お礼しなきゃいけないわ」

 

 しかし、お金は秘薬の為に厳しい状態。手元には杖か薔薇の花束。

 何かを授与するのはキツいだろう。こっちから学院側に働きかけてみようかなんて考えた。彼女は本当に良きメイドだ。

 

「……とりあえず、交代してあげないと……他の仕事もあるだろうし。悪い事頼んだかしらねぇ……」

 

 そう考えたが、元を出せば定助の気絶が悪いと考え、責任転換しておく。

 

 

 そうこう考えている内に、自室の前まで来ていた。

 

「……でも、頼る事は大切よね……他の事も相談してみよっと」

 

 キュルケの言葉が響いているのだろうか、頼らない自分は無理をしているだけと。それが彼の為かと問われれば、少し躊躇してしまう。だけれど、悪い事はしていないし、彼への感謝はどうせ言葉では言えないと思われる……彼女の性格的に。

 

「ま、まぁ、抱え込むなって事よね! 大丈夫大丈夫……私は誇り高きヴァリエール家よ」

 

 変な意気込みをくっ付けながら、花束を片手で持ちつつ彼女はドアノブに手をかけた。

 

「いるかしら? シエスタ、帰って来たわよー」

 

 そしてガチャリと、扉を開けた。

 

 

 

「はい! ほら、口を開けて下さい!」

「し、シエスタちゃん……一人で食べられるし大じょ……」

「何を言っていますか! 病み上がりの身で無茶は出来ませんよ! 私に甘えて下さい、はいあーん!」

「……いただきます。あーん」

 

 目の前に写った光景は、ルイズのベッドの上に座って、シエスタに切ったリンゴを食べさせられる定助……といった甘い光景であった。定助は美味しそうにシャリシャリ音を立てて咀嚼をしている。

 

「あはは! 定助さん、大きなお口ですねぇ! どうですか?」

「んむ……んマぁい……これはぅんまいなぁ!!」

「ですよね! 糖度高めの、新鮮なリンゴですから!!……次行きますよ? はい、あーん」

「あーん」

 

 リンゴの美味さで麻痺したのか、胃袋掴まれたか。二度目は抵抗するまでもなく口を開けてリンゴ待ち……と言う他から見たら恥ずかしい始末。

 

「定助さん、変わったすきっ歯ですねぇ」

「うん? ふぉう?」

「ふふふ……食べながら喋るのはお下品ですよ?」

「ふぅいませェん……」

「もう……子供っぽいんですから」

 

 

 一瞬、自分を見失っていたルイズだが、思考が再浮上した。

 

「何やってんのよあんたぁぁぁぁ!!??」

 

 久し振りの怒鳴り声に、飛び上がるシエスタと定助。ここでやっと二人は、ルイズの存在に気が付いた。

 

「……ご主人!?」

 

 定助に呼ばれた事は少し嬉しかったが、それより勝るのは怒りだった。

 

「あ、み、ミス・ヴァリエール!? あ、あ、あ、あのあの……」

 

 跳ね上がった拍子にベッドから起立し、壁際へ。狼狽しつつも、流石はメイドだ、弁える所は弁える。

 

「も、申し訳ありま……」

「シエスタは良いわよ! あんたよあんた、ジョースケぇ!!」

 

 

 指差しで、単独怒鳴られた。

 

「お、オレェ? オレなの?」

「あんただっつの!! 何やってんの!?」

「リンゴ……食べさせて貰ってた」

「それが何でなのよぉ!?」

 

 アワアワと弁解に入ったのは、シエスタであった。

 

「ミス・ヴァリエール、これは私から始めたものでして……!」

「いやシエスタ、違うわよ……食べさせた事に関してはどうでも良い……!」」

 

 大股で入り口からズンズンと定助の前へ近付いて行く。その際の覇気に「逃げたら駄目だ」と謎の使命感が脳内に擦り付けられ、背筋を伸ばしてピタリと彼女を待つ。

 

 

 

 

 ルイズはベッドに乗り上げると、グッと定助の眼前に顔を近付けて睨んだ。鼻息が生暖かい。

 花束を定助の膝の上に置く。甘い香り。

 

「……やっとお目覚めのようね……」

「……はいッ」

「……よくもご主人様に心配かけさせたわね……覚悟は出来ている?」

「……そりゃ、もう……ガッツリ……」

 

 ジィッと、物凄い眼力だ。例えるならば、自分を苛めた人間に対する猫の目だ。吊り上って、暗闇の中でもギラリと鈍く光っているような。

 

「……体調は?」

「完璧……とは言えないけど、骨はくっ付いている」

「……お腹は?」

「ペコペコだから……シエスタちゃんにリンゴ頼んだ」

「……その他、言う事は?」

 

 ルイズの眼力に耐えられず、義理の兄弟の眼光につい逸らしてしまったように目線を逸らす。だが左方向を眺めて、考えているようにも見える。しかしやり場のない指は、薔薇の花束を弄っている。

 数秒後、目線はかっちりルイズの方へ戻った。

 

 

「……色々と有り難う……あと、迷惑かけて……すまなかった……」

「………………」

「……これからも……お互いに……改めて、宜しく……?」

「…………ふん、及第点って所だけど……まぁ良いわ」

 

 そこでやっと、ルイズが離れてくれた。ホッと一息。

 離れたルイズがシエスタに近寄ると、手を差し出した。

 

「悪かったわね、色々と頼んで……服、やってくれたんだ……ありがと、シエスタ」

「あ…………いえ、お力になれて幸いです!」

 

 ニッコリ微笑み、軽くお辞儀をするシエスタの前、穏やかに笑うルイズの姿。二人には階級と言うものが存在するが、その心の壁は殆どないだろう。良き主従で、良き友として、二人には垣根なき真っ直ぐな繋がりが出来ていた。

 

 

 

 

「じゃあ、後は私がするわ」

「え?」

「ほら、リンゴォ」

「え」

 

 差し出された手とは、そう言う事だった。ニッコリ微笑んでいたシエスタの顔は、呆気に取られたような感じになる。次には名残惜しそうな表情へ。

 

「………………」

「…………お任せ致します」

「ありがと……また何か頼むと思うから、その時はお願いね」

「……はいぃ……」

 

 渋々と言った具合に持っていたリンゴの入ったお皿とフォークをルイズに差し出し、手の上に乗せた。表情も、拗ねたような風だ。

 

 

「……ジョースケさん、また後で」

「え? あ、うん……本当に有り難う。また後で」

 

 定助の感謝を受けて、元気が戻ったのか再びニッコリとなる。表情が忙しい子だ。

 

「では、失礼しました!」

 

 明るく、快活な声で退室して言った。ルイズが開けっ放しだった扉をキチンと閉めて、彼女は寮を出て行く。

 

 

 

 

「……さて……と」

 

 座りっ放しの定助へと向き直ると、また駆け寄って隣に座った。ベッドが軽く沈み、ワンバウンド。

 

「ふう……話したい事はいっぱいあるんだけど?」

「承知している……大丈夫、隠し事はしない……約束した」

「……分かれば良いんだけど……まずは、栄養補給ね」

 

 定助に手渡さず、フォークを彼女は手に取った。

 

「……まさか」

「あ、その薔薇はギーシュからよ」

「いや、薔薇じゃなくて……ちょ、ちょっと……小っぱずかしいと言うか、それ……」

「グダグダ言わないの、怪我人何だから……あんた、一応」

 

 

 察して嫌な顔をする定助をそのままルイズは、フォークに突き刺したまんまのリンゴを持ち上げ、定助に向けた。

 

「……あーん」

「……ご主人……自分で食べる」

「なに言ってんのよ?……メイドのは食べて、ご主人様のは食べられないって言うの?」

「そう言う訳じゃないんだけど……」

 

 少し面白くなったのか悪戯気味にニッと笑うと、ズイッとリンゴを無理矢理定助の唇へ押し付けた。

 

「んん!?」

「ほら、口開けなさい! 有難く思いなさいよ、貴族が平民に食べさせてあげているんだから!」

 

 ググッと押し付ける。渇いた唇が果汁で潤ったのは良いのだが、垂れそうだ。

 

「ほぉら! 聞き分け悪いと、オシオキよ?」

「ぐぐぐぅ……わ、分かった分かった、分かったから押し付けないでくれ!」

「やっとね……あーん」

 

 唇から離され、諦めたように口を開けた。

 シエスタと比べれば幾分か乱暴だが、リンゴが口内に入り、齧った。

 

「良いリンゴね、果汁が滴っているわ」

「むぐ…………やっぱりゥンマい」

「はい、もう一度あーん」

「…………あーん」

 

 定助は、リンゴを食べ終わるまでの間、無心になる事にした。だけど、真っ赤な顔でリンゴを食べさせるルイズを見れば、何だかおかしくて、笑けてしまいそうだ。

 それでも甘いリンゴの軽快な咀嚼音が、二人だけの部屋で鳴るのだ。心地良い時間である事は間違いない。




江戸川乱歩の全集買ったんで、投稿ペースは以前としてかな?失礼しました


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寝起きと気付きと焦がれ。その3

一週間掛かったのは、乱歩にハマっていたのと、過睡眠症になったからです(言い訳)


 ある程度リンゴを食べさせた所で、頃合いだと思ったのかルイズが定助に質問をした。

 

「……で、あの精霊はなんなのよ。キッチリ説明して貰うわよ」

 

 齧ったリンゴを飲み込んだ定助は、細かな欠片の残る口内をモゴモゴとした後に一言確認を入れた。

 

「精霊……『スタンド』の事で良いんだよね」

「『スタンド』? あの精霊の名前がそれなの?」

「いや、あれは『ソフト&ウェット』って名前」

「んん?」

 

 こんがらがってしまったようだ、顔を顰めて首を傾げる。まずは、『スタンド』と言う群と、『ソフト&ウェット』と言う個を分けて話さなくてはならないようだ。

 魔法に関しての先生に、定助はスタンド先生になる。

 

「『スタンド』って言うのは、種族の名前かな。で、『ソフト&ウェット』は個人の名前」

「ややこしいわね……」

「それは君、横で考えているからだ。簡単だよ、君は『人間』と言う種族の中の『ミス・ヴァリエール』」

「……あぁ、そう言う事。『スタンド』の中の『ソフト&ウェット』って意味よね」

「その通り」

 

 

 そこで定助は、百聞は一見にしかずと『ソフト&ウェット』を自分の背後に発現させた。いきなりの事なので、ルイズは間抜けな悲鳴をあげてベッドから飛び上がって離れた。

 

「ぴゃぁッ!?」

「これがオレのスタンドの『ソフト&ウェット』で……」

「いきなり出ないでよ!? 心臓止まるかと思ったじゃない!?」

 

『ソフト&ウェット』を一個体だと勘違いしているのか、胸を押さえながらそれに向かって怒鳴っている。

 

「…………ごめん」

 

 勿論、謝るのは定助である。しかしその際でもルイズの視線はベッドの上でふわふわと浮く『ソフト&ウェット』に向けられていた。

 

 

 妙な感覚だ、存在しているのに消え入りそうな、儚い印象をルイズは受けた。

 

「…………うーんと……」

「………………」

「ぅ……こ、こんにちは……」

 

 円球を縦に半分に割ったような目で黙って見つめる『ソフト&ウェット』に、耐え切れず普通に、ポツリと小さな挨拶をした。だけど『ソフト&ウェット』は喋らない。

 

「……じょ、ジョースケ、どうすればいいの……? 怒らせてないわよね……?」

 

 未知との遭遇、日常からの解離。頭脳明晰なルイズと言えど存在しない知識、スタンド。

 勝手が分からず狼狽えているようで、縋るような目付きで定助を見つめる彼女だった。見兼ねた彼は、次の説明に移行させた。

 

「怒っていない……と言っても、『ソフト&ウェット』に明確な意識はない」

「……意識がない?」

「うん。ギーシュのワルキューレみたいなもの、本体の意識……つまりオレの意識がこいつの意識なんだ」

 

 定助の説明が分かりやすいお陰か、元々理解力の高いルイズはすぐに勝手を理解した。

 しかし、理解をしても全て解決はさせていないが。

 

「じゃあ、余計に分からないわよ……確かにゴーレムっぽい見た目だけど……」

 

 ジロジロと、そろそろ『ソフト&ウェット』の存在に慣れて来たルイズは頭から爪先まで、スタンドを良く観察した。細く、儚げながらもシンプルで洗練された見た目、果たしてこれを再現出来るメイジは存在するのだろうかと思うほど、単純で複雑に見えたのだった。

 

「……ゴーレムと違ってこれは物質じゃないわ。寧ろ……精霊と思っていたから……幽霊みたいだなぁって……」

 

 物質的ではないと言ったが、こうして具現化している姿は非常に物質的だ。質量があり、存在感もある。しかしそこにいながらも存在していないような雰囲気を持っていると言う矛盾かギャップが困惑の理由なのだろうか。追っている存在が近くにいるのに、追っても追っても到達出来ないような不条理的なもどかしさまで感じる。

 

 

「……幽霊」

 

 定助の表情は何処か、面白がっているようにも見えた。

 

「確かに幽霊、間違いじゃあない。スタンドとはそんな存在だ」

「ん? どう言う事よ?」

「そのまんま、スタンドは『自分自身』」

「え?」

 

 まだハッキリと理解し切れていないようで、視点を『ソフト&ウェット』と定助とを行ったり来たりさせていた。

 

「つまりスタンドって?」

 

 ルイズの問いに、定助はハッキリゆっくり説明する。

 

 

 

 

「通説では、『魂のヴィジョン』らしい。スタンドは、その人を守る『守護者』であると同時に、その人自身の『精神の具現化』って事」

「え、じゃあ……」

「つまりぃ?」

 

 それを聞いた途端、『ソフト&ウェット』をかなりデリケートに見てしまうようになってしまった。ルイズの理解力は、「つまり」を察知してしまう。

 

 

「じゃああんた、自分の魂出してるって事ぉ!?」

「ご名答、だいたいそんな感じ。スタンドが傷付けば、オレも傷付く」

 

 なにも心臓を出している訳じゃないのだが、聞いた途端に生々しさを感じてしまうのは自然な反応だろう。目の前に浮かぶこの存在は、本当に『幽霊』だった。

 そしてサラリと肯定する定助の感覚にも、ズッコケそうになる。

 

「ひ、引っ込めなさいよ! 心臓よりも大事な急所を晒しているって事じゃない!?」

「大丈夫大丈夫。オレよりは丈夫だから」

「そう言う事じゃないでしょ!? ぶつけたりしても命に関わるわよ!?」

 

 お皿片手にオタオタとするルイズをよそに、定助は至って普通な様子で補足した。

 

「スタンドはぶつからない。決闘の時見たハズだよなぁ、ご主人。ワルキューレは『ソフト&ウェット』を掴もうとしていたけど……?」

「し、していたけど……あ」

 

 

 思い出した光景は、『ソフト&ウェット』に踏み付けられたワルキューレがもがいて、足を掴もうとしていたシーン。確か、掴めていなかった……いや、『すり抜けた』の方が正しい表現だ。

 

「スタンドは、他のスタンドでしか接触する事は出来ない。しかしスタンドからは、一方的に物を触る・掴む・破壊が可能」

「……なるほど、『幽霊』って事ね……」

「幽霊かは微妙だけど、近い存在かも」

「はぁ……何でもござれってね……」

「それは魔法だってそうだ」

 

 ともあれ、『ソフト&ウェット』を出していても、ただ単に魂を雨風晒す事になっている訳ではない事は分かった。生々しさは、軽減されただろう。

 

「……んで、ギーシュを滑らせたのもそれ?」

「うん」

「あれの原理が理解不能だわ……魔法?」

「明言しておくけど、スタンドは魔法と関係ない」

 

 ここに来て、魔法との繋がりが切られた。余計に混乱してしまうのは、魔法脳な彼女としては当たり前の事かもしれない。

 

「ま、魔法と関係ないぃ? じゃあそもそもスタンドって……」

「似たようだけど、顔見知りみたいな?」

「ますます分からないわよ……」

「……これは難しいから、棚上げしておこう」

 

 膝に置かれていた花束を下ろし、ベッドから立ち上がった定助は『ソフト&ウェット』を引き連れてルイズの傍まで来た。

 

「あ、背中の捻挫も治っている」

「何する気?」

「実践。『ソフト&ウェット』の魔法とは違う能力の」

 

 

 するとルイズが定助からバァッと急いで離れた、危険を察知した猫のような身のこなしだ。

 

「ちょっと!? 滑るのなら家具を避けて、あんたが滑ってよね!?」

「……………」

 

 どうやら、自分が滑らされると勘違いしているようだ。

 

「あ、ご主人、滑らせるのが能力じゃないから」

「じゃ、じゃあ何する気なのよ?」

「ここの壁にしよう」

 

 首筋の痣に指を持って行くと、ポワッとシャボン玉が痣から吐き出されるように現れた。フワリと痣から離脱し、定助の手の指と指の間で停止する。

 

 

「痣から泡が出るの!? どんな体内構造なのよ!?」

 

 彼女には、シャボン玉が何処から出たのかを良く見せていなかったか。

 

「『ソフト&ウェット』の力だ、オレの体内から出ているんじゃないからなぁ…………気持ち悪がらないでね?」

 

 変な生理的嫌悪を起こしたルイズに軽く傷付きながら、腕を軽く振ってシャボン玉を前へ飛ばした。ふよふよと浮かんで進み、壁に当たってパチンッと割れた。

 

「………………」

 

 

 

 

 何も起こらない。

 

「……シャボン玉飛ばしただけなの?」

 

 少しだけ疑いが生まれたルイズは、シャボン玉が割れた辺りから定助へと怪訝な眼差しを移した。定助の表情に狼狽えとか困惑とかの色はなく、確信したようなしたり顔だった。

 

「いいや?『ソフト&ウェット』の能力は確かに行使された」

 

 とは言うが、壁にもルイズにも定助にもその他全て、何の変哲もなく存在している。

 

「……何も起きないけど?」

「起きる事じゃなくて、起こす事だ。シャボン玉が弾けた辺りの壁を叩いてみて」

「叩く?……変な事しないわよね?」

「キミに対して起こる事じゃないってのを、約束しておくよ」

 

 そこまで言うなら本当に何もしないと信じたルイズは、お皿を小テーブルの上に置いて恐る恐る壁へと近付く。

 

 

「……何もしない?」

「うん」

「……始祖ブリミルに誓う?」

「……分からないけど、誓っとく」

 

 ルイズのしつこい念押しを受ければ、とうとう決心つけたのか拳を作り、壁をノックしようとした。出っ張った中手骨を軽く当てるように、コンコンと。

 

「……あれ?」

 

 叩いてみれば、違和感が出来た。

 もう一度ノックをしてみる、今度は少し強めに。それでも起こらないので、拳の側面で強く叩いた。しかし、起こるハズの現象が起こらないのだから、ルイズは困惑している。

 そして縋るかのように、その様子を楽しむように見ていた定助へと顔を向けた。

 

 

 

 

「……『音』が鳴らない……!」

 

 またしつこく、再確認するように叩くのだが、壁からは何もないように音が響かないのだ。手にはぶつけている感触はする、でもうんともすんとも言わない壁。無音室の壁でも叩けば鳴る、常識だ。

 

「なにこれ!? さ、『サイレント』の魔法!?」

「重ねて言うけど、魔法とは関係ない。『ソフト&ウェット』の能力は、『何かを奪う』のが能力」

「何かを、奪う……?」

「そう」

 

 驚き顔のルイズの前で、定助は続けた。

 

 

「今、この壁から『音』を奪った」

「お、音を奪うぅ!?」

 

 それでもまだ困惑しているルイズに、更に説明を付け加える。

 

「『ソフト&ウェット』が放ったシャボン玉が対象近くで弾けた時、そこから何かを奪う事が出来る。物質なり概念なり……兎に角、何かを奪う事が出来る」

「え、詠唱もなしに使用なんて……それに形のない物を取るなんて、そんな魔法聞いた事がないわよ!?」

「魔法じゃあない、別の能力。これによって壁から『音』を奪い、何をしても響かなくしたし、ギーシュの時は『摩擦』を奪ったから滑らせる事が出来た」

 

『ソフト&ウェット』は依然として、ふわふわ漂っていた。ジィッとルイズを定助の背後から顔を出して、眺めていた。大体理解はしたものの、聞けば聞くほど不気味な存在だと言う事には変わりないだろう。

 

 

(一体、何者なのよ……ジョースケは……)

 

 妙な能力と、妙な存在『スタンド』。魔法とは一線を成す、メイジと張り合える強力な能力。

 そうだ、この『スタンド』は能力だけではなく、青銅を木っ端微塵にする強力なパワーを有していたのだった。まさに人間離れした能力である。なので、必然的に「東方定助」と言う人物への謎が深まって行く。

 

(……まさかジョースケのって……『先住魔法』……?)

 

 とある仮説を考え、確認の為にチラリと定助を見やる。特に『耳』に注目したが、丸いカーブを描いたルイズと殆ど変わらない形状の耳。

 

(…………エルフには見えないわよね……でも……)

 

 考え事をしていて黙り込んだルイズを、訝しむように見る定助の視線に気付き、言葉を急いで構築させた。

 

「あー……なんと言うか……途方もないわね…………思考が追い付かない……」

「とりあえず、『ミス・ヴァリエールの使い魔』として恥じない技量……って事だけは認めて欲しいなぁ」

「……認めるわよ、ヴァリエール家からの太鼓判よ……」

 

 能力の善し悪しで言うなら、文句無しの……寧ろ、有り余ってしまいそうな能力だった。定助を認める一方、少しだけ恐れに似た感情さえも出ていた。

 

 

 

 

「認めるけどジョースケ、あまりその……『ソフト&ウェット』?……それ、衆目に晒さない方が良いと思うわ」

「ん? それはなんで?」

「…………剣を鞘から抜いたまま歩くような物よ、警戒されて攻撃されても文句言えないわ」

 

 なるほどと、定助は頷いた。言えど定助は、あまり晒すつもりはないのだが。

 ただ本人としては、ルイズに認められた事に対しての嬉しさが先にあった。

 

「善処しておくよ」

 

 理解した旨を言葉にして伝える間、出していた『ソフト&ウェット』を消した。

 

「……いたっ」

 

 傷が少し痛んだので、さっさとベッドの上に腰を下ろす。その間にルイズが壁を再度叩けば、何事もなく音が鳴った。

 

「無理したら駄目よ? あんた、立っているのが不思議なほどの大怪我だったのよ」

「それほどだったの?」

「……えぇ、正直立った時、人間じゃないかと思ったわ……あ」

 

 そこまで言って何かを思い出したようで、新たな質問として放った。その間、ナチュラルに定助の隣へ座っている。

 

「ねぇ、『ソフト&ウェット』は何で出せたの?」

 

 ギーシュの攻撃を食らい、体を強く壁へぶつけた彼だ。もう意識もフワフワしているようだったし、誰が見ても再起不能の状態のハズ。しかしその時に『ソフト&ウェット』が出現、水を得た魚のように定助は立ち上がったのだった。

 

「それに、『ソフト&ウェット』出した時に元気になったじゃない。あれも能力なの? ほら、『痛みを奪う』とかして?」

「あー……うーん……」

 

 その問いに、定助はとうとう首を傾げた。

 

 

「いや……アレはまさに理解不能……いきなり痛みが消えたし、体も軽くなった」

「だから、『ソフト&ウェット』でしょ?」

「……『ソフト&ウェット』の能力は自分に対して使えない。物事は都合の良い事ばかりじゃあないみたいだ」

「そ、そうなの? じゃあ……うん?」

 

 可能性を広げる。何者かの介入か……いや、これはあり得ないだろう、メリットがない。貴族はまず、損得で動く者が殆どなので、一平民を助けるなんて事は意味がない。それに、一時的に痛みを消すなんて魔法を使う者なんか記憶にない。

 それとも、定助の気付かない『ソフト&ウェット』の能力か……これだったらもう、ルイズの入る隙間はない。彼女に『スタンド』と言う未知の能力の知識なんか持っていない、ここでストップだ。

 

「……何で立てたかは良いわ、何で出せたの?」

「あぁ……それは……」

 

 

 

 

 今度、思い出したのは定助の方だった。彼が『ソフト&ウェット』を思い出した要因と、その瞬間がフラッシュバックする。

 

「……クワガタ……あ!」

 

 ポケットに両手を突っ込む。

 中身は空っぽ、弄ってみるも布を擦る触感のみ。頭だけのクワガタは何処かへ行った。

 

「ない……あ、多分、倒れた時に落としたまんまなんだ」

「どうしたのよ? 無くし物?」

「クワガタの頭」

「………………」

 

 思わずルイズは口を噤んだ。何か大事な物と思ってはいるのだが、クワガタの頭だけなのでどう反応すれば良いか分からないのだ。

 

「……あんた、変な儀式にハマったりしてないわよね?」

「……そんな事しないよ。誓う誓う」

 

 とは言うものの、『スタンド』の性質的にも悪魔の儀式染みている節があるので疑ってしまうだろう。しかし、本人がこう言うのだから、信じてあげるのが主人としての役目だと考え直した。

 

「でも……なんでクワガタの頭なんて持ってたのよ」

「……いや、これは思い出せない。だけど、持っていたし、お陰で『ソフト&ウェット』を思い出せた」

 

 フワリと、『ソフト&ウェット』が出現する。定助の隣に、やや猫背の状態で座っていた。

 左から『ソフト&ウェット』、定助、ルイズの順番でベッドに座る様は、客観的に見たら凄まじい光景だなとルイズは苦笑いをした。

 

「クワガタの頭で、何で思い出せたの?『ソフト&ウェット』の姿形がクワガタに似ていたら良いけど、ツノすらないじゃない」

「ご主人、クワガタのハサミは『ツノ』ではなくて『顎』だ」

「いちいち良いわよそんな知識ッ!!……で?思い出せた要因ってのは?」

 

 すると『ソフト&ウェット』の肩が少し前へ出された。面長いハート型をした肩の装甲部分には大きく黄色い星が描かれている。

 

「クワガタの額の所に、『星マーク』が貼られていて、痣の事を思い出した……それと、洗濯した時に見た『シャボン玉』が頭の中で繋がったんだ。決定事項と言えるほど、二つは自動的に頭で合致したんだ」

「ふーん……さしずめ、意識化したって事?」

「そう言う事。クワガタがポケットから出て、オレの目に写らなかったら死んでいたよ……」

 

 膝に乗せていた薔薇の花束を持ち上げて眺める。

 

 

「……死にかけたとは言え、あいつも反省したみたいだし……」

「あいつ、あんたに友情感じていたわよ……大事な事を教わったのなんのって」

「ははは……なら許す。根までは悪い奴じゃないみたいだし……『終わり良ければすべて良し』だ」

 

 何処までもお人好しな定助。自分を死の寸前まで至らしめた相手に対してでも、和解をするなら許してやる彼の寛容さが羨ましくもあり、同時に嬉しくもあり。

 しかしお人好しなだけではない。敵に果敢に挑む勇敢さを兼ね備えた一人の戦士でもあった。両方の強さを持つ、彼女の使い魔である。

 

「兎に角、クワガタに疚しい事がないなら良いわ」

「だから儀式とかじゃないって……」

「で、どうするの? クワガタ」

 

 定助は『ソフト&ウェット』を消すと、立ち上がった。テーブルの上に花束を置き、帽子を被り直す。

 

「探しに行くの? 別にいいけど……あんた、さっき痛がっていたけど怪我は大丈夫?」

「うん、もう平気。それにクワガタ、なんか大事な物の気がするから」

「あれから三日経ったんだけど、あるのかしら?」

「軽く探すだけ、みんなとの挨拶も兼ねるし……見つからないなら諦めるよ」

 

 それに合わせてルイズも身支度を始めた。どうやら彼女も付いて行くようだ。

 

「じゃあ私も……午後の授業もあるし」

「行こうか」

 

 扉を開けて、ルイズに先を譲る。この動作もやっと、板に付いてきたようだ。出会った時のドタバタが早くも感慨深い。

 身支度を終えたルイズが、廊下に出ようとするが、定助の隣でピタリと止まる。

 

 

「あと、シエスタから聞いたけど、昼食抜きを破ったって?」

「……あ」

 

 記憶が三日前のお昼に戻る。定助はヒヤリと、背筋が凍ったような。一瞬で凍て付く超低温の世界を味わったような気分だ。

 

「…………はい」

「………………」

「………………」

「……怪我人に罰は出来ないわよね。私はそこまで鬼じゃないし」

 

 それだけ言ったら廊下へツカツカと出て行った。彼女を背中を眺めて、怒られる物だと思っていた定助はポカンとしているだけだ。

 

「ほら、何してるの? 早く来なさいよ」

「あ、うん……今行く……」

 

 ルイズを待たせた定助は、急ぎ足で出て行ったのだった。

 

 

「代わりに、私の言う事に従って貰うから」

「……それは今までと同じじゃあ……」

「言うほど聞かないじゃない、ジョースケ?」

「……すいませんでした」

 

 申し訳ない気持ちのまま、扉に施錠をする。




説明回でしたが、次回はムフフにしたいもんですね(外道)

5/11→修正と加筆を少し


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昼から夜へと、焦がれは微熱へ。その1

かなり空きましたが、僕は失踪しません!


 扉を開けば、喝采と賛美の声が響いた。

 

「おおおお!! お目覚めかぁ!『我らの泡』!!」

 

 それまで仕込みや皿の洗浄に従事していた人々は手を止め、全員が定助を英雄の凱旋が如く歓迎を以て迎えたのだった。少しオーバーな歓迎にタジタジと後退る定助。

 

「えー……お、お久しぶりです……マルトーさん……」

「はっはっは!! いやぁ、元気そうで良かった良かった!! シエスタから聞いて、まだかまだかと待っていたんだよ!」

 

 大喜びで定助の肩に手を置いてゆらゆらと揺らすが、流石に怪我人の背中を叩くような事はしない。その辺り、豪快だが一般的な弁えがなっている人だと分かる。

 

「で、どうした? 何か用があるんだろ?」

「ちょっと、お腹が空いたので」

「おぉ! 良しッ! 任せろ!!」

 

 定助から離れたマルトーは、意気揚々と、そして高々に厨房のメンバーへと命じた。

 

「おいみんな!!『我らの泡』が食事を所望しているぞ!! 今の仕事を全面停止させて、取り掛かるんだ!!」

 

 それを聞いてギクリとなったのは定助である。

 

「マルトーさん、それは申し訳ないです……」

「はっは!! 気にするな気にするな!! どうせ後は夕食の仕込み程度だ!」

 

 マルトーさんなら兎も角、厨房全部を巻き込んでいるのが申し訳ないのだが、この場にいる者全てが雄叫びあげて調理に取り掛かろうとしていたので制止は不可能となった。

 

「『我らの泡』は気兼ねなく、そこのテーブルで待っていてくれ!」

「うわ……」

 

 大きなテーブルに白いテーブルクロスが敷かれた。一人のメイドに椅子を引かれて着席を促され、まるで貴族に行うような丁寧なもてなしに困惑するばかりだ。

 

「食前酒を出してやれ! 貴族用のスパークリング……余ったシャンパンがあったろ?」

 

 そんな物まで出すのかと、流石に謙虚になる。

 

「そこまでしなくても……」

「なぁに! あんたは俺らの英雄だ! 気にしないでくれ、『我らの泡』!!」

「……その『我らの泡』って名前は、何ですか?」

 

 さっきから頻りに言われる『我らの泡』。

 恐らくは定助の呼び名のようなものだとは思うのだが、少し窮屈で余所余所しさが激しく回る。

 

 

「はっは!! 敬称だよ、あんたに対してのな! 何でも、泡を出して貴族を欺き、最後にはぶん殴ったそうじゃねぇか! だから、『我らの泡』!」

 

 マルトーが上機嫌に説明を入れた。

 しかし、現実との食い違いが見える辺りは、誰かの言葉が形を変えて、平民たちへ噂として渡ったと言った経緯だろうか。泡を出して、確かに欺きはしたが、「ぶん殴った」までの道筋が綺麗サッパリ吹き飛ばされている。

 そうであれど定助がギーシュに勝った事は、絶対的な真実として伝わっているようだ。

 

「満身創痍でも立ち上がり、泡を使った機転で形勢逆転ッ!! スカッとする話だなぁ、本当に!」

「へん! いつも威張っているから、良い薬になっただろうな!」

 

 別のコックが口々に賛美をする。やはり貴族は平民にとって上司でもあり、目の上のコブでもあるようだ。

 賛美しながらも、香ばしい匂いと鉄板の上で油の弾ける音は止まらず、料理は本当に作られている。

 

 

 

 

「まさかこうなっていたとは……」

 

 ルイズから聞いていたが、ここまで英雄扱いになっているとは。だが、正直チヤホヤとされて嬉しい自分がいる事も否定は出来ない訳で、甘える事にした。

 ついさっきまで、決闘を行った広場にてクワガタ探しをしていたのだが、何せ三日経っている……風に飛ばされたか、踏まれて粉々になったか、誰かが捨てたのか……一時間満遍なく探しも見当たらなかったので、見切りを付けたのだ。

 ルイズも少しは手伝ってくれたのだが、五分経てば授業時間が近付いたので、急ぎ足で教室へと向かった。

 その内、お腹が空いて来たので、厨房へとやって来たのがここまでの経緯である。

 

 

(まぁ、慕われて悪い気はしないけど)

 

 それにお腹も空いているのは事実だし、出された物はキッチリ食べるつもりだ。三日も栄養を摂らなかった体は、食べ物を求めてリビングデッド化寸前なのだ。

 すると足音が背後から聞こえ、振り向こうかと首を動かした時にシャンパンのボトルが目に入った。メイドがワイングラスと共に持って来てくれたようだ。

 

「食前酒をお持ちしました!」

「んー……ありがとうございます……」

 

 ラベルに文字が書いているようだが、解読は出来ない。文字を教わらないといけない。

 どんなお酒かは分からないが、食前酒だから軽いものだろう。

 

「それでは、お入れさせて頂きますね?」

 

 グラスを定助の前に置き、そのままトクトクと、薄く黄金色に弾けた酒を注いで行く。ボトルの口から注がれるシャンパンが水面で弾け、有り余る炭酸が小さな粒を作り出し、水面へと押し上げられてプカリと浮かぶ。気持ちの良い、泡と泡の擦れるシュワシュワとした音が耳に入れば、それだけで食欲がそそられる……これは本能だろうか。

 

「どうぞ!」

「あー、どうも……んー」

 

 しかし定助自身、シャンパンと言う物を飲んだ事がない。いや、飲んだ事あるかもしれないが、生憎記憶にはない訳である。つまり、初めてのシャンパンで、初めての食前酒。こう言った物の作法を知らない。

 

「これは……どう飲めばいいんですか?」

 

 心配になり、マルトーに聞くと、彼は愉快そうに笑った。

 

「はっはっは!! まぁ、シャンパンなんて俺ら平民が飲める物じゃないからな、仕方ない! しかし、貴族は見栄えを気にするから作法とか何たらと拘りやがる! んだが、ここは平民しかいないし、気にせずフリースタイルで飲んでくれ!」

「そんなもんか……」

 

 無礼講と許可されたのなら、それを遵守するまで。

 

 

 ワイングラスの脚を摘み、持ち上げれば一気にグイィィッと喉に流し込んだ。

 

「お! 良い飲みっぷり! しかしまぁ、食前酒はもっとライトに飲む物だと思うが……」

 

 口の中が熱く、シュワシュワと泡が弾けている。お酒なんて飲んだのは記憶喪失後初めてなので、体が慣れていないのだろうか。少量のアルコールだが、それが熱を纏って胃の中に落ちて行くような感覚と、爽快でフルーティーなシャンパンの味が食欲を檻から出してしまったようだ。

 

「くぁっ」

 

 グラスを口から離し、息を吸い込んだ。食前酒だが、定助にとってはなかなかイケる味。

 

「これは……とてもゥんマイなぁ!!」

「なんてたってな、貴族が飲むもんだ! 一級品ってもんよ!! お気に召したようで幸いだ」

 

 何故か自慢気のマルトーだが、このシャンパンは確かに一級品のようだ。

 

「貴族は一級品しか好まない。この学園の近くにも高級ワインの名産地があるんだが、食前酒はわざわざ遠方から取り寄せる。手間のかかる割に、貴族どもは大して飲まないがな!」

「まぁ、食前酒ですからね」

「それすら口に付けない奴もいる! シャンパンより、ワインの方が楽しみなんだろうなぁ!」

 

 厨房の名物になりつつある、マルトーの愚痴。とりあえず、食前酒は飲み終えたしグラスを片そうかとしたが、メイドが片付けてしまった。手際の良さに少し驚いた。

 

「……まぁ、そんな事より『我らの泡』ッ!!」

 

 目の前に小さなサラダがマルトーによって置かれた。良く見ればマルトーの傍にワゴンが置いてあり、そこに乗っていた物を出したようだ。

 

 

「フルコース! まずは、オードブルだが……『はしばみ草のサラダ』。ちと人を選ぶんだが、貴族に出すオードブルとしては定番だ」

 

 青々とした葉の上にオニオンスライスが敷かれ、その上に真っ赤な半月型に切られたのトマトと、炎が立ち昇るかのように組まれたニンジンの千切りなど……全てが輪になって、中心の半熟卵を際立たせているようだ。まるで、太陽が照っているように見える、サラダなのにエネルギッシュな物だ。

 

「貴族に出す物を食べても良いんですか?」

「おぅよ! 何て言えど、『我らの泡』だ! 貴族を負かす平民なんて、いないと思っていたからなぁ。あんたは英雄だ」

 

 そのマルトーの言葉を口火に、辺りにいたコックやメイドが定助の伝説を話し出した。

 

「何でも、シャボン玉を弾けさせて色んな事をしたとか! ツルツル滑らせたりよぉ!」

「私は、果敢に攻め、拳一つでゴーレムを破壊したと聞きました!!」

「俺はよぉぉ、満身創痍から一転、精霊の加護を受けて力を授かったと聞いたぜぇぇ!!」

「兎に角さぁ、本人が前にいるんだ! どうやったか聞こうぜ!」

 

 憶測が飛び交い、最終的に質問に回った。定助はルイズの言葉もあるので、一瞬躊躇した。しかし、定助にはある『疑問』があったので、それを試してみる事にした。

 

「あぁ、じゃあ……まずこれを見て」

 

 定助は、自身の背後に『ソフト&ウェット』を浮上させた。幽霊のように現れさせたので、かなり驚かれるとは思う。

 

 

 

 

「………………」

「………………」

「………………」

「……ん? 何を見るんだ?『我らの泡』?」

 

 きょとんとした顔で定助を見る、面々。『ソフト&ウェット』は動き、彼らの前に躍り出たのだが、全く反応がない。

 

「……見えない?」

「……? 何がですか?」

「あ、何でもないです」

 

 彼らが視認出来ていない事を確認すると、さっさと『ソフト&ウェット』を引っ込めた。

 

 

(……平民には『見えない』……理解した)

 

 頭に存在していた、『スタンドの定義』にあった言葉が、気になっていた。『スタンドはスタンド使いにしか見えない』と言うルールである。

 しかし出してみれば、ルイズの他にギーシュも、キュルケも、誰も彼もがバッチリと視認出来ていた訳であるので、この定義がある理由が分からなかった。

 謂わば、これは一種の実験だった。しかし、これで定義に辻褄が出来たのだ。

 

(見えるのは、魔法使い……魔力のある人間か……魔法とスタンドは何処か似ているんだなぁ)

 

 この場にいる人々……平民たちは、『ソフト&ウェット』に気付いていない。コックもメイドも、マルトーもだ。魔法が使えない者には、スタンドの定義通りに『見えていない』ようである。

 何故なのかは良く分からないが、兎に角平民の前では出しても大丈夫そうだ。

 

「何か出すんじゃなかったのですか?」

 

 定助が貴族を倒した秘密が分かるかと期待していた者が、訝しげに聞いて来た。しまった、言い訳を考えていないと頭を悩ませる。

 

「うーん……一種の騙しの手品ですよ。石鹸をこう……血で泡立てて……レンズにして……」

 

 質問にどう答えようかとあぐねる定助だったが、このどうしようもない空気はマルトーの咳払いで払われた。

 

「おいおい! 今は『我らの泡』のディナータイムだぞ! 今はゆっくりと、食事させるんだ!」

 

 定助はマルトーに心から感謝をする。お陰で質問して来た人々が「失礼を!」と言って下がってくれたのだ。ホッと息を吐く。

 

 

「ほれ! 卵が冷める前に食べた食べた!」

「あ、すいません……じゃあ、頂きます」

「下の『はしばみ草』と一緒に食べるんだ。まぁ、好みは分かれるが……」

「……………」

 

 そう聞いたら不安になるだろう。一体はしばみ草とは、何なのだろうか、食べたら死ぬとかないだろうなと、疑心暗鬼になる。まぁ、食べて死ぬ物を出すなんて事はないだろうが、それほどに気になる。

 フォークで卵を白身を割ると、蕩けた黄身が緑の葉の上に流れる。黄金の川が草原を流れて行くようだなと、視覚的に楽しんでいた。

 

 

 そして、巻き込む形で葉に突き刺し、ゆっくりと持ち上げてはしばみ草を眼前に置く。テカテカと黄身が輝く、美味しそうなサラダ草なのだが。

 

「………………」

 

 口を開き、恐る恐るはしばみ草を口内に入れた。味覚を良く味わう為に、敏感な舌の先に乗せて滑られるように奥歯へ向かわせた。ツゥッと黄身にコーティングされたはしばみ草は流れ、奥歯に当てさせると一つ、二つと定助は咀嚼をした。

 

「………………」

 

 草から味が弾けるように、はしばみ草は『好みを分断させる独特の味』をウィルスのように撒き散らした。すると定助の目がパチッと見開かれた。

 

「何だこのサラダは!?」

「お? どうした? やっぱ、駄目だったか?」

 

 心配そうなマルトーを余所に、定助はまたフォークを突き刺してはしばみ草を捕らえ、口に入れて咀嚼して飲む。そして、こう言うのだった。

 

 

「ンマぁぁぁい!!癖になる苦味だ!」

 はしばみ草の強烈な苦味は、彼にもお気に召したようであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方で教室。ルイズは席に着き、教科書を準備していた。

 

「……魔法よりも奇妙な物みちゃったわね……」

 

 読み尽くした教科書は、もう殆ど内容を覚えている。しかし、それでさえも『スタンド』と言う魔法でも使い魔でもない『未知の能力』がある事なんて、知りさえも出来なかったのだ。

 まさに、『現実は小説よりも奇なり』と言うもの。この世界、まだまだ知らない事だらけである。

 

「まぁ、ジョースケが目覚めたし……一件落着?……ギーシュとかにも伝えなきゃね」

 

 そう言った所で、妙な悪寒がルイズの背筋をゾクゾクと冷やした。

 

 

 

「………………」

「……うふっ!」

 

 振り返れば、後ろの席にキュルケが頬杖をついて座っていた。

 

「……あんた、何でここにいるのよ……」

「何でって、そっちがあたしの前に座ったじゃない?」

「………………」

 

 確認を怠った、定助とスタンドの事に意識が傾いてしまっていた。心の底から自分の不注意を呪うのだった。

 キュルケはニヤニヤと笑いながら、半目でルイズを眺めている。こんな反応をしている所、さっきの独り言は聞かれただろう。

 

「ねぇ、その独り言、癖になっているわよ? 友達少ないからって、端から見たら哀れに映るわぁ」

「……や、喧しいわね……!」

 

 挨拶代わりとも言うべき、いつもながらのルイズ弄りの後、キュルケはあの面白そうな物を見る好奇の目は止めず、質問した。

 

「それで、彼! 目覚めたのね!!」

 

 歓喜に似た、熱い声だ。そんなに定助と接点はなかったハズなのに、嬉しそうなのが分からない。

 

「……えぇ……昼食の時に、あんたと別れた後」

「あーん、残念! 一緒に行けば良かったわぁ!」

「……随分とジョースケに入れ込むのね……」

「あたし、好奇心に抗えないタイプなのっ。『泡の精霊』が見てみたいの!」

 

 正直キュルケは、摑みどころの無いような性格だ。嘘のような本当のような、中途半端な回答で納得させる反面、蟠りを残すような話し方をする。その度にルイズは、変な敗北感を得るのだ。

 

(何考えてるのか知れないわ……ジョースケには気をつけるように言っとこ)

 

 そう考えて、キュルケが飽きるまでは話に乗ってやろうとする。

 

 

「ふ、ふーん……で、見てどうするのよ」

 

 一応、『泡の精霊』こと『ソフト&ウェット』の事は説明を受けたので、それと合わせて他者の印象と照らしてみようとした。キュルケは、鼻に人差し指を当てて、ルイズを見ていた。

 

「こんなポーズだったかしら?」

「………………」

「……うふふっ!」

 

『ソフト&ウェット』を出した時の定助のポーズだ。真似をするキュルケは少し子供っぽく、昼食の時とのギャップで呆れてしまった。

 

「……なに?」

「ま、お茶目は止めておきましょ!」

「……はぁ」

 

 溜め息しか出ない。しかしキュルケは『ソフト&ウェット』について思う事は語ってくれた。

 

「そうねぇ……何か、あたし達のいる場所とは違うような雰囲気はしたわ」

「……ん? 具体的には?」

「具体的に出来ないわよ。不明瞭って言うか、幽霊みたいにフヨフヨしているわ、あたしの思う所ってのも」

 

 つまりは、彼女は良く分かっていないと言う事だろう。ある程度は分かっているルイズは、弄ってばかりのキュルケに優越感を抱いたのだった。

 

「でも、滑らせるし青銅壊せるし、面白いよねぇ! あたしに貸してくれないかしら?」

 

 滑らせる事が能力でもないし、貸せる物でもないと言いたいのだが、キュルケに教えるのは癪だったので言わなかった。

 

 

 

 

「で?」

「え?」

「あなた、教えて貰ったでしょお?」

 

 そんな考えは、彼女にバレていた。

 

「ど、どう言う意味よそれ?」

「だって、知的好奇心旺盛なあなたが、起きた使い魔くんに『泡の精霊』の事を聞かない訳ないし、使い魔くんも教えない訳ないし?」

 

 同じ女性でありながら、キュルケの勘の良さと分析能力は唖然とするほどに驚かされる。ルイズの隠し事は、彼女にはとても通じないようだ。癪に思う反面、感心を含む所。

 

「………………」

「沈黙は肯定と捉えるわよ?」

「うっ……あぁ、もう! 教えて貰ったわよ、バッチリ! 隠して悪かったっての!!」

 

 それ以前にルイズが分かりやすいと言うのも、あるのかもしれないが。

 ルイズの白状を聞いたキュルケの目は、また輝いた。

 

「へぇ、やっぱり! ね? アレってどんな能力なの?」

 

 ズイッと近付き、香水の香りが鼻に入る。

 がっつく彼女を見れば、教えるまで帰さないとするようなオーラを感じるので、彼女には教えてやろうかと思い直す。

 

 

 

 

「さぁ、授業だ。席に着け」

 

 しかし悪いタイミングで、先生がやって来た。体が樹の一部になりかけている所に来た、殺し屋集団のような気分だ。

 

「………………」

 

 ルイズは逆に、ラッキーと思っていたり。

 

「……授業後に教えてあげるわ」

「じゃあ、使い魔くんにも会いに行っていいかしら?」

「…………勝手にしなさいよ」

 

 定助に入れ込むキュルケを警戒しつつ、授業は始まった。




数学って、「二次関数とか社会に出ても使わない」として切り捨てていましたが、数学の魂胆って、数学じゃないのです……ややこしい事に対する思考能力をつける事が目的なんです……
ふふ……馬鹿なんですが……気付いてしまいまして……


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昼から夜へと、焦がれは微熱へ。その2

お久しブリーフ(つるぎちゃん並のギャグ)
約一ヶ月振りですね、長い間離れており、申し訳ありませんでした。
ちょっとゴタゴタと不調も落ち着いたので、再開します。ではどうぞ。


 一時間半の後、鐘が鳴り授業の終了を告げた。今日一日の過程はこれで終わりである。

 教師の退室を確認すると、二人は軽く伸びをして疲れを分散させた。

 

「ふぁ、疲れたぁ」

「ちょっと難解だったわねぇ、ルイズ?」

 

 するとルイズは眉を顰めて、難しい事を考えるような表情になった。真面目な彼女だからこその、教授のような知的な表情である。

 

「問題自体はそんなによ。だけど本当に問題なのは先生ね」

「…………」

「遠回りした教え方ね……少しくどかった気がするわ。遠回りこそが近道だなんて思っているのかしら?」

「……はぁ」

 

 授業の感想を述べるルイズであったが、キュルケの聞きたい事はそれではない。

 ムッとした表情をしたかと思えば、ルイズの眼前に顔を近付けて来ていた、鼻息が生暖かい。

 

「そんな事より、ほらっ!」

「な、何よ……?」

「忘れたなんて言わせないわよ? 使い魔くんの所に案内して頂戴!」

 

 ルイズのブラウスの襟元を掴んで、次へ次へと急かすキュルケ。やや乱暴な扱いをされて気が立ったルイズは、キッと睨んで手を跳ね除けた。

 

「襟を掴むなッ! 私はネコじゃあないわよ!?」

「どっちでも良いわよ、あなたがネコでもタチでも!」

「た、たち?」

 

 変な返しと聞き慣れない言葉に、怒りが軽く空回りした。その間でも御構い無しに、また懲りず襟元を掴み、そのまま無理矢理立たされた。これほどまでして会いたいのかと、鬱陶しげな表情を貼り付けた内心は、驚きと呆れとが同居した感情となる。

 

 

「兎に角、『勝手にどうぞ』と言われた以上、勝手にするわね! ほら、案内よ!」

 

 しつこい彼女に、とうとうルイズが折れた。

 いや、しつこく迫られると手の平見せるのが、彼女の性格であるのだが。つまりは、押しに弱いと言う事。

 

「わ、分かった分かった! 分かったわよッ!……何処にいるかは分からないけど、中庭をブラブラしていると思うわ」

「あら? 把握していないの?」

「どうにも、ジョースケとは『感覚の共有』が出来なくて……」

 

 目頭を押さえて、何かを見ようとするルイズだが、「やっぱり出来ない」と諦めた。その様子に、何やら不思議がるキュルケ。

 

「見えない?」

「見えない……まぁ、すぐ近くにいるわよ」

 

 教科書を小脇に抱え、ルイズは席を立つ……少し悔やむ所があるようで、沈んだ表情だったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方で定助。

 

「……食べ過ぎた……」

 

 重くなったお腹を摩りながら、学院の廊下を歩いている。ルイズを探す事と軽い運動を兼ねたものだ。

 しかし行き交う生徒たちに、頻りに注目されているような気がする。こっちをジィッと凝視する者もいれば、コソコソと話し出す者もいる。不思議な事に、会話を入れる者はいないのだが。

 

(あれほど暴れたら、当たり前かぁ)

 

 決闘の一件から、彼は有名人だ。貴族にも平民にも名が知れ渡り、特に平民たちへの浸透は時速六十キロとかそんなレベルではないような気がするほど、有名になっている。

 

 

 だが、有名人になったからとは言え、困った事も少々。

 

「流石にフルコースは……うん、やり過ぎ」

 

 あれからずっと、出された貴族レベルの食事にありつけていた訳だ。それにしても、思った以上に英雄的待遇をされて、少しだけ申し訳ない。申し訳ないと思うのは、不気味がられそうなほど謙虚で礼儀正しい日本人の性分か。

 

「この調子じゃ、夕飯はいらない……かなぁ?」

 

 胃袋と相談するように、食の進め方と言うのを熟考する。言うのは、あまりガツガツと食べる方ではないので正直困った所が、本音である。色々と悩まされるのはそれほどフルコースが完成されている事にあろう。

 

「……失礼だけど、量を減らして貰おう」

 

 もてなしは嬉しいが、オーバーなので緩めて貰おう。そう結論を付け、ポケットに手を突っ込みながら、流れゆく庭の景色を楽しみつつ外廊下を歩んだ。

 

 

 手を突っ込んだポケット、何だか寂しい気がする。

 

「……クワガタ、何処行ったかな」

 

 誰かに貰った、自分の物。そして自分を救った物として、無くしてしまえば寂しく思う。だが、もうこれに関しては絶望視されるだろう。

 

「……まぁ、いっか」

 

 ここは一つ、諦める事にした。今の仕事は、ルイズの使い魔として尽くすばかりか。

 授業を終わらせたと思われる彼女と合流しなければならないのだ。

 

「多分向こうからしたら、オレが待ち人だと思うし」

 

 大きく息を吐き、沈みかけた気分をリセットさせて、主人探しを開始した。

 

 

「あ、いたいた!」

 

 ……そう意気込んで早々、聞き覚えのある、探し人の声が流れ込んで来た。

 庭へと向けていた視線を前方へと向けると、我が主人の桃色の髪の少女に、久方ぶりに見る紅い髪の少女がいた。

 

「あ」

 

 一瞬だけ名前が飛んでしまっていたが思い出した、確かキュルケだ。こっちに微笑みながら、ヒラヒラと手を振っている。

 

「全く! 主人に探させるなんて、手間かけさせないでよ!」

 

 そして一番に、まずは叱責。探していたのはお互い様だが、理不尽ながらもこのパターンには慣れつつある。

 

「うん、悪かったよご主人……でも一つだけ良い?」

「なに?」

「教室が分からなかったんだ」

「………………そうだった」

 

 

 そう言えば中庭でのクワガタ捜索っきりの別れだった。際に言ったのは「じゃあ、また後で」であり、教室の場所を伝えていない。前の教室はまだ立ち入り禁止だ。

 自分に落ち度があったと悟ったルイズの隣で、クスクスと笑うキュルケ。からかうのかと思えば、注目はすぐに定助へと向いた。

 

「お久しぶりぃ、使い魔くん!」

 

 定助に話しかけたキュルケ。嫌いと言う訳ではない、寧ろ話しかけやすい子だ。だが、少し苦手だなと思う面もあるのも事実。

 そうは思いつつも内面に隠し、至って平然として返事をする。

 

「久しぶり……心配かけたかな」

「えぇ、もう心配で心配で、夜も眠れなかったわぁ」

「まさかぁ」

 

 冗談交じりに言う辺り、やはり考えている事が分からない女性だ。

 

「ジョースケ、キュルケにも感謝しときなさいよ。彼女が倒れたあんたを運んでくれたのだから」

 その他色々と、彼女には世話になっている事をルイズは話した。横で本人は満足気に笑い、感謝を待つように定助を見つめていた。

 

「そうなのか? 有り難う、キュルケちゃん」

 

 頭をぺこりと落とし、キュルケに対してキチンと感謝をする。

 したのだが、何故かルイズは困ったように眉間を顰めている。

 

 

「はぁ……だから言葉遣いを……」

「まぁまぁ、別にいいわよ」

 

 咎めようとするルイズを宥めながら、定助へタンタンと近付いた彼女。彼の向かって左側に並び、好奇の目で横顔を眺めながら彼女はまた、微笑んだ。

 

「だって、『ジョースケくん』は強いからねぇ」

 

 

 

 

 ピキリと、ルイズの心の、怒りを抑える防波堤に小さなヒビ割れが起きた音がした。言うのは、ナチュラルに『使い魔くん』からファーストネーム呼びにシフトしていたからだ。

 しかし怒鳴る材料としては弱いだろう。たかだか名前で呼んだからって、怒るのは少しおかしい。

 

(……私ったら、なんで怒ろうとしてるのかしら)

 

 こんな感情の湧き出た自分に呆れながらも、「やっぱり怪しい」と考え注意深くキュルケを監視するのだった。

 

 

「でもあたしも、色々してあげたし……ちょっと等価じゃないわよね?」

 

 次に彼女は大胆に、定助の肩に寄りかかった。

 

「え? ちょっとキュルケちゃ……?」

「お礼は、してくれないかしらぁ?」

 

 猫なで声の甘い笑み、スラリと長いキュルケの指先は定助の存在を確認するように、つぅっと胸板をなぞって行くのだ。

 

「お、お礼って……?」

「あぁ、記憶喪失だから忘れちゃった? ふふふ、滾るわね」

「………………」

 

 

 小さなヒビ割れは、一気に崩壊した。

 

「は?」

 

 ズンズンと近付き、キュルケの服を引っ張って定助から引き剥がした。

 

「おっとと……あら? どうしたのかしらルイズ?」

「どうしたもこうしたもないわよ……!」

 

 彼女は自分の使い魔に口説きかかっている、流石にプッツンするしかない。と言うより、ここまでの善意を出汁に使っている所が気に食わなかった。

 

「なに口説こうとしてんのよキュルケ!?」

「ジョースケくんにお礼して貰おうかと」

 

 さも当たり前のように、さらりと言う彼女の態度が火に油である。

 

「そぉー言うのは無償でしょ!? なにぶん取ろうとしてんのよ!!」

「別にいいじゃなぁい? あなただって、お礼を求めたでしょ? どうせ」

「私はジョースケの主人だから当然よ!」

「等価じゃないわぁ」

 

 のらりくらりと受け流す彼女の話し方に、真っ直ぐ食ってかかるルイズが通用する訳がないだろう。神経をジクジクと虐め倒し、熱を持って反撃に嵩じる二人の関係上、ルイズは間違いなく負ける。

 そんな事を予想しながら、怒れるルイズを「まぁまぁ」と宥めようとする定助である。勿論今の彼女は、定助を眼中に入れていないのだが。

 

 

「等価不等価以前に、恩を売り付けたあんたが許せないのよッ!」

 

 鋭い眼光で睨み付けるルイズを前に、クスクスと余裕あり気に笑う彼女。これは何か、悪巧みを思い付いた顔をしていると定助は思った。

 

「冗談よ、冗談」

 

 思わせ振りの蠱惑な微笑みで、ルイズと定助とを交互に眺めた。

 そして微笑みは、薄紅の唇の端がニィッと持ち上がり、悪戯な笑みへと変わる。

 

 

「それにしても、ジョースケくんにお熱なのねぇ、ルイズ?」

 

 瞬間、ボッとルイズの顔が、軟派の出来ない純情派ヤンキーが如く真っ赤に染まる。

 

「そそそ、そんなんじゃないわよ!? あくまで主人だからよ、そう主人!!」

 

 吃音混じり気味に食ってかかるルイズの隣、定助は何だか分からず怪訝な表情だ。

 兎に角いきなりワタワタと慌てて反論し出した様子を見ている限りは、やっぱりキュルケの掌で踊らされている事だけは分かっていた。証拠に彼女、ニタニタと笑っている。

 

「あはぁ! やっぱり面白いわねぇ、ルイズをからかうのは!」

「あ、あんたってのは……!」

 

 無邪気ながらも上品に笑うキュルケの前で、火事で燃え盛る家のように真っ赤になったルイズが睨み付けている。

 この構図の外側で、冷や汗流す間接的被害者の定助。

 

 

「えー……兎に角ご主人、授業が終わったなら寮に行かない?」

 

 このままだと理不尽なとばっちりが来ると直感的に判断した定助は、ルイズの注目を他所に分散させようとした。

 ルイズは、ネズミに挑む海洋学者のような眼光でキュルケを睨むながら「そうね」と同意した。

 

「もう行っちゃうの?」

「もうって……もう十分話したでしょ?」

「三日分を入れたら全然、採算合わないと思うけどぉ?」

「……あぁもう、あんたといると調子狂うわねぇ……!」

 

 欲しがりの目で定助を眺めるキュルケだが、これ以上の対談はルイズが許さず定助の服を引き、二人は無理矢理その場から離れるのだった。

 

「ととと……ちょっとご主人、オレは猫じゃあないんだから」

「うるさいわね!! あんたなんか、ペット以下よ!!」

「酷い言われようだ……」

 

 振り向くと、キュルケが笑顔で手を振っている。せめて挨拶でもと、定助も大きく手を振って応じた。

 

「色々とありがと! また今度、改めてお礼するから!」

「あら、嬉しいわね。ではまたお会いしましょう、ミスタ?」

「うん、また!」

 

 返事した彼だが、自分を引っ張り前方を歩むルイズの目がギロリとこっちを向いた。

 

「余計な事を言うなッ!! キュルケに絡むなって言ったでしょ!?」

「それは一体、いつの話だっけ……」

「ご主人様の言い付けに期限なんかないわよアホジョースケッ!!」

 

 ルイズの御叱りに悄気つつも、チラリと背後を見た。

 既にキュルケは二人に背中を見せて、廊下の奥へと、他の生徒と共に流されるように消えて行った。

 

 

 

 

「なによキュルケ……『ソフト&ウェット』の事、本人から根掘り葉掘りも聞かなかったじゃない……」

 

 大まかな『ソフト&ウェット』の能力は、定助を探しに一緒に歩いていた時に教えた。しかし、キュルケは本人を前にして「出して」すら言わなかった。

 ルイズはその真意が分かっており、尚更気分が悪いのだ。偏屈屋の漫画家にジャンケンで負かされ、威張られた気分である。

 

(絶対……絶対のぜっ〜〜……たいにッ! 定助は渡さないから!)

 

 そんな事を考えた側から自分が恥ずかしくなり、真っ赤になって定助の爪先を踏んだ。

 

「イタッ!? ご、ご主人!?」

「うっさいアホジョースケ!!」

「なんなんだ……」

 

 様子の変なルイズに戸惑い、振り回されながら、小首を傾げる定助であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後は色々とあった。

 まず廊下で偶然、授業終わりのギーシュと出会った。彼は定助を見るなり彼へ近付き、復活を喜んでくれた。と、同時に改めて謝罪もされた。

 頭を下げる彼を定助は、をすぐさま立たせた。

 

「堂々とした方が君らしい」

 

 この言葉を聞いてまた感激に浸るギーシュだが、話の主旨を折り曲げる為に、ルイズからは聞いていたがその後について本人に聞いてみた。

 

「モンモランシーとは、無事に寄りを戻したし、メイド……いや、シエスタにも謝った。いや、本当に悪い事をしたよ」

 

 決闘の一件から、彼は心底反省してくれているようで安心した。ただ、女癖はなかなか抜け切れず、ある女子に話しかけた際をモンモランシーに目撃され、鬼の形相で問い詰められたと言う。

 勿論、はぐらかしも言い訳もせず床に頭擦り付けて謝罪し、何とか許して貰ったらしいが、これを聞いた定助とルイズは何とも言えない表情になった事は言わずもがなであろう。

 言えど、ギーシュは丸くなったと言う事は本当である。女癖については注意をしたが、全体的には良い傾向だと定助は安心するのだった。

 

 お世話になった医務室へもお礼をしたし、ルイズは夕食を済ました。やるべき事は果たした所で、既に日は西日へと差し掛かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……時間かかったわね」

「寮まで長かったなぁ」

 

 あっさり過ぎ去る時間の流れをしみじみと実感しつつ、二人はルイズの自室へと戻って来れたのだった。

 疲れていた訳ではないのだが、扉を潜れば重力が倍増しになったように体が重くなり、疲労感を認識し出した。

 

 

「あー疲れたぁ……さてと、復習しないと」

 

 そう言い、定助に持たせていた教材を机に置かせ、勉強に入ろうとしていた。

 しかし定助は、彼女を引き止めるのだった。

 

「いや、もう今日は寝たらいい」

 

 この言葉に真面目な彼女はカチンと来た。

 

「何よ? 生憎、学生の本業は勉学なのよ。この常識は覚えているでしょ?」

「あぁいや……ごめん、言い方変える」

 

 こめかみを指で叩き、脳から絞り出すようにして言葉を抽出し、構築させる。そんな彼の様子を見たルイズは、怪訝な目で定助を見やるのだった。

 

 

 考える時間の終了は、すぐに終わった。

 

「その……オレのせいで満足に寝ていないよね?」

 

 ついルイズは目元を押さえてしまった。化粧をして誤魔化しているとは言え、隈の存在を定助には看破されていたらしい。

 いや、実際に定助は隈の存在に気付いてはいない。ただ、一日過ごして彼女の様子を見て、直感的に分かった事である。少し平衡感覚がズレた歩き方をしているとか、頻りにあくびをしていたりだとか……そう言った細やかな所を統計的に見て判断した所存であった。

 

「今日からはもう、グッスリ寝て大丈夫だから……ほら、眠い状態で勉強したって頭に入らないだろうし」

「……徹夜なんて、慣れているわよ」

「眠らない事に慣れる人間ってのは、いないと思うけどなぁ」

「いらないお世話よ」

 

 説得は失敗と、肩を窄めた定助。三日も彼女を縛り付けてしまった責任があり、せめて覚醒したからには楽をさせてやりたい気持ちでいっぱいなのである。

 そんな思いとは裏腹、彼女はツカツカと机に歩み寄って行く。使い魔としてルイズに怒られそうなほど当たり前の事なのだが、彼女が寝るまでは自分も眠らない事にした。

 

 

 

 

 と、決め込んでいた時、彼女はマントを椅子にかけたのだ。

 

「まぁ、あんたの言う事も一理あるかもね。授業中眠たかったし」

 

 彼女の言葉を聞き、ホッと一息吐けた。

 

「ふーん……なんか嬉しそうよね」

「え? あ、顔に出てた?」

「そうじゃないんだけど……まぁ良いわ」

 

 彼女も彼女で、定助の心遣いを感じ取っていたし、過度な無茶はしないでおこうと決めていた訳だ。なのでここは定助の気持ちを飲んでやる事にした。

 最も、自分の状態に気付いてくれた事が嬉しかったと言うのもあるが。

 

「あんたが二日も占領していたベッドに、やっと帰れたわねぇー」

「…………オレェ?」

「うん」

「悪うございました、ご主人様」

「宜しい」

 

 憎まれ口も、ちょっとした仕返しなのだろうか。微笑ましくも傷が痛いような気持ちにたゆたいつつも、戻って来た日常に胸が高鳴る思いでもあった。

 

 

「病み上がりとは言え、復帰したからにはちゃんと仕事はしなさいよね」

 

 そう言って彼女は、ブラウスのボタンをプチプチ外して行く。ここで定助は「あっ!」と思い出したのである。

 

「ご、ごめん! ちょ、ちょっと用を足しに行って来る!!」

「え?」

「じ、実はここにいる前から催していてさぁ! いいかな?」

 

 記憶喪失とは言え、女性の肌が恥ずかしく思うのは本能的な性であろう。ルイズもルイズで、いきなり勢い良く捲したてる彼に驚き、言葉を探していた様子だった。

 

「別にいいけど……」

 

 そしてついつい、許可してしまう。

 許可を受け取った彼は早速、部屋から出ようとした。

 

「有難うご主人! あ、すぐ済ますから、洗濯はするから」

「で、でもあんた……ちょっと!?」

 

 ルイズが何か言う前に、定助はさっさと扉を閉めて廊下へ飛び出して行ったのだった。

 ポツンと、雨が止んだ、ような静寂と化した部屋の中に残されたルイズは、暫し定助の閉めた扉を見つめていた。

 

 

「……御手洗の場所、教えたかしら?」

 

 彼女は彼の、こんな真意には気付けなかったのが奇妙である。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……良かった良かった……」

 

 廊下ではトイレに行かず、依然としてルイズの部屋の前にて佇む定助の姿があった。

 ここで彼女が着替えを終えるまで待っている事にしている。

 

「けどなぁ……次からどうやって着替え中に出ようか……」

 

 何故かそんな事を真剣に考え始めていた彼であるが、最終的には慣れる以外に方法はないのかと気持ちが沈む思いでもある。同時に「何でこんな事考えているんだろう」と馬鹿らしくなったようでもある。

 

「……まぁ、為せば成るさ……うん」

 

 そう納得させ、心を鎮める為に深呼吸をした。フッと、体が軽くなった感覚がした。

 

 とっくに外は暗くなっており、廊下も暗闇が支配しており、壁に据え付けられた燭台のお陰で視界がやっと確保されているという程だ。心細くなる暗闇の中ではあるのだが、同時に懐かしいような気分もしていた。

(まるで、地面の下にでもいるようだ)

 我ながら妙な比喩だと自嘲しつつ、そろそろ良いだろうかとドアノブに手を伸ばした。

 

 

 

 

「……暑い?」

 

 ヒンヤリとした夜の空気が、唐突に逆転した。あまりの変動に動揺し、扉から離れて廊下をぐるりと見渡したのである。しかし彼自身、この現象は身に覚えがあるような気がしていた。

 

「……ん?」

 

 やけに左側が明るい。答え合わせは、左足元にあった。

 

 

 そこにはキュルケの使い魔のサラマンダー『フレイム』が鎮座していたのである。尻尾の炎が熱と共に光を発し、闇を払っていたのだ。

 

「あー、なるほど……思い出した思い出した」

 

 身に覚えがあるのは、キュルケとの初対面時に同様な事があったからだ。あの時も急な温度の上昇に驚いていた事を思い出した。

 

「こんな夜にどうした? 君の所の主人も着替え中かい?」

 

 そう語りかけて膝を曲げて腰を落とし、撫でようと伸ばした腕は空を切った。フレイムがプイッとそっぽを向いて彼から離れてしまったからだ。

 

「見た目トカゲなのに、猫みたいだなぁ」

 

 面白い所ではあるのだが、無視されて少し傷付く所。トコトコと廊下を行くフレイムの姿を眺めた後、立ち上がってまたドアノブへと手を伸ばす。

 

 

「キュルル……」

 

 すると横で、フレイムが鳴いた。

 

「何だ?」

 

 気になった定助は再度ドアノブから手を引っ込め、フレイムへと視線を向けた。フレイムはルイズの部屋の隣、誰か別の生徒の部屋の前にいた。あの燃える尻尾をユラユラと揺らし、様子はカンテラのようでもあり、誘っているようでもあり。

 

「どうした? 開けて欲しいのか?」

 

 そう解釈した定助はその、隣の部屋まで近付き、扉の前に立った。見た目自体はルイズの部屋やその他とは変わらない、木で作られた扉である。恐らくここが、キュルケの部屋なのだろうか。

 

「キュル! キュル!」

「開けていいの?」

「キュルル! キュルッ!」

 

 ねだるように鳴くフレイムの様子から察して、開けて欲しいのかと承知した定助。後ろに下がり、「どうぞ」と言うように彼を眺めるフレイムを前にして拳を握った。

 軽いノックの音が暗い廊下に木霊する。

 

「ごめんキュルケちゃん、開けて大丈夫かな?」

 

 まずは部屋主に許可を取るのが礼儀だろう。それにキュルケは女性だ、部屋の鍵は固く閉じているハズ。

 

 

 

 

 しかし不思議な事に、キュルケからの応答はない。

 

「あれ?」

 

 再度ノックをし、呼びかける。だが応答はない。

 

「……留守か?」

 

 最後の確認として、少し強めにノックをするのだがやっぱり応答がないので、留守だと判断した。

 なるほど、フレイムは彼女が留守だと知らず、開けて貰えなくて困惑していたのかと、定助は独り合点する。

 

 

「あぁごめん。君のご主人はお出かけ中みたいだ」

 

 扉に背中を向け、背後に立つフレイムに話しかけた。だがフレイムは依然として、キュルキュルと可愛らしい鳴き声をあげているだけであった。

 

「……言葉が通じないのかな」

 

 一先ず落ち着けさせる為に撫でてやろうと、定助はフレイムの側まで歩み寄ったのだった。

 

 

 すると背後でガチャッと、扉の開く音が響いた。

 

「え? キュルケちゃん、いるのか……」

 

 だが定助は、振り向こうとする間も無く腕を掴まれ、開いた扉の隙間に引き摺り込まれる。

 

「おお!?」

 

 唐突な事に体の何処に力を入れるか忘れてしまい、ものの数秒で彼は扉の奥の闇に吸い込まれるようにして消えてしまったのだ。

 

 

 次に響いたのはバタンと、扉の閉まる音であった。




ジョジョ四部アニメ放送が日明後日なのを記念しまして、四部的表現多めです。
また、ゼロの使い魔も五年振りの新刊ですぞ。
やったッ!今年はランタンの年だッ!ランタンイヤーだッ!

4/5→全話を改行したり、書き直したり、併合したりしました。


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昼から夜へと、焦がれは微熱へ。その3

四部アニメ、放送開始ィィィ!!
しかもウルジャンのCM、定助じゃないですかやったぜぇぇ!!


 ルイズはその頃、鼻歌混じりに自分の髪を櫛で梳いていた。

 既に着衣してあるのは寝間着であるネグリジェ一枚。本格的に寝る仕度は整っている。

 いざ、ネグリジェに着替えてベッドの上に腰を下ろしてみればトロンと眠気が頭の中で溢れ出した。やはりここ三日間は寝不足だった。それらがツケとなって清算されているようだ。

 

「ふぁあぁ……眠い」

 

 小さくあくびをし、涙目を擦って視界を確保する。瞼はもう半分まで閉じかかっていた。

 

「……遅いわね」

 

 既に五分経過、短い時間だがトイレからの行き来で考えると長い時間だ。

 ルイズは一つ、溜め息を吐いた。

 

「やっぱりあの馬鹿……場所分かってないのよ絶対」

 

 定助はここに来て、気絶していた三日間を抜けば、実質まだ二日しか経っていない。しかもその二日でさえ寮の外、つまり学院内が殆どなので寮の中はまだまだ素人のハズ。現に帰る時も、彼女の後ろでキョロキョロと寮を見渡しながら歩いていた、把握し切れていない証拠だ。

 

「だから行く前、わざわざ声かけてあげたのに……」

 

 呆れたように顔を顰めながら彼女は、人形のように華奢な体をベッドへ預けた。

 

「…………」

 

 眠いとは言え、いざベッドに横になると色々な事が頭に巡って行く。今日までの出来事のおさらいにしろ、己が使い魔の事にしろ。定助の復活からキュルケとのいざこざまで、時が加速したように場面が切り替わるのだ。

 

(あまり無理はさせられないわよね、病み上がりだし)

 

 眠気がせり上がり、大きなあくびをした。

 

 

「……ジョースケにも武器を買ってあげるべきかな……」

 

 強力な力を持つ『ソフト&ウェット』が彼の武器だろうが、剣一つでも持たせるか持たせないか、だったら持たせた方が良いだろう。そんな事をフツフツリと考えていたのだった。

 暫くすれば羽毛のベッドに沈み込む感覚が心地良く、ウトウトと瞼が開いては閉じてを繰り返していた。心の底から安心出来るほど力が抜けて行き、まるで体が極限まで柔らかくなったかのようだ。

 

「………………」

 そのまま眠りにつこうかと、考える事を取り止め、思考を深く深くの闇夜へ落として行く。瞼がストンと落っこちた。

 

 

 

 

「……あ」

 

 しかしあと少し、ほんのちょっぴりで眠気に支配されていた瀬戸際のライン、唐突にルイズは覚醒した。

 眠気が晴れたのだ、霧が吸引されて靄のなくなったようである。

 勿論彼女の気紛れだとか精神的な問題ではない。そうなった理由はキチンとあるが、事細かく説明するのはレディ相手に失礼である為省略しよう。誰だってそうする。

 

「……定助も探したいし……行こっか」

 

 投げ出していた体を起こし、ベッドから立ち上がった。そのまま椅子に掛けていたマントを羽織り、ルイズも外出しようとするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 隣の部屋、キュルケの部屋。突如としてその部屋へ引き摺り込まれた定助は、困惑していた。

 

「え〜〜と……」

 

 光のあった廊下から、完全に暗闇へと落ちた部屋の中。彼は今、扉を背にして立ったまま凭れている状態にある。

 凭れた状態から腰に少し力を入れるだけで、上半身は持ち上がるだろう。そうやった後に体を回転させてドアノブを握り、扉を開ければ難なく外へ出られるだろう。だが、出来ない。

 

 

「あぁ……」

 

 それが出来ない理由は一つ、ある意味で縛り付けられているからだ。

 縛り付けられている、とは言えど、炎の荒縄とか紫の茨とか緑の結界だとか、そんな物で縛られ拘束されていると言った訳ではない。枷となっているのは脇腹から腰にかけて強く回された力と、体の前面に押し付けられるように支配する柔らかい感触であった。

 

 

「……この、状況は……なにかなぁ……」

 

 目線をチラリと下げて、そこにある物と目線を合わせた。

 

 

 

 

 

「……キュルケちゃん」

「……ふふっ!」

 

 縛り付けている力の正体は、この部屋の主であるキュルケ。彼女が今、定助を抱き締めている事により身動きが出来ないのであった。

 彼女より少し背の高い定助を上目遣いで見つめ、抱き締める腕をキリキリ強めている。暗い部屋の中、甘い香りと暗がりの中で微笑む彼女の顔がドギマギと定助を情動させるのだ。

 

「ちょ、ちょっとちょっと……えっと……あれ、どういう状況か整理させて貰えないかな?」

「見えない? 暗闇はやっぱり不安かしら?」

「いや、そう言う訳じゃないんだけ……あっ」

 

 言い終わる前に一旦引き剥がされたキュルケの右手より、フィンガースナップの気持ち良い音が、静寂の底にある部屋へ広がった。

 

 

 瞬間、部屋に置かれていた燭台に火が灯り、暗闇を照らして行く。明けた視界に飛び込んで来た光景は、

 

「うおっとぉ!?」

 

 ……たわわに実るメローネとは、誰の考えた表現だろうか……まさにその比喩がピッタシ、パズルの然るべき凹凸部に嵌るように的確と思われる豊かな彼女の胸であった。

 

 

 定助の胸板に押し当てられ、潰れたそれはまた谷間を強調させている。見てはいけないと目線を持ち上げれば意味深に潤んだ彼女の目と、ネトリと粘着性を伴って唇より出された舌先が、また定助を情動させて揺さ振りをかけるのだ。

 必死に目の当て所を探し当て、そっぽを向いた。

 

「目を逸らさないで欲しいですわ?」

「きゅ、キュルケちゃん……お願いだから、ちょっと離れようか?」

 

 離れる所か彼女は、目を細めてねっとりとした欲しがりの視線を送るのだった。

 

「もう……突き放すつもりなの? ジョースケぇ」

「そう言うつもりじゃないけど! 当たっている、当たっちゃっているから色々……ど、どうしちゃったのキュルケちゃん……!?」

 

 荒ぶる心を表現するように、真っ赤な顔で腕をワタワタと忙しなく動かしている。状況の整理と取るべき行動が完全に頭の中で構築を拒否していた。ただ、扇情的なキュルケの色気が支柱となって頭を支配しているのだ。

 

 

「……ねぇ」

 

 落とし込まれた彼女の声は、ウィスキィボンボンのような甘くて酔わせる吐息を混じらせていた。それがまた、考えの中心を彼女にだけに集中させてしまったのだった。

 

「あたしの二つ名……あなたに教えていたかしら?」

「え?……いや」

 

 記憶を弄るが、その記憶でさえもこんがらがってしまっているのだが。

 

「ふふ……あたしは『微熱』……『微熱のキュルケ』……そう、それはゆっくりと蕩ける『静かなる情熱』なのよ」

 

 ここで思い出した、彼女と初対面の時に一度だけ言っていたような。

 しかし思い出した所でどうにかなる訳でもなく、彼女は更に定助との密着を強めたのだった。

 

「いぃ!?……び、微熱ね……うん、微熱微熱……」

 

 終いには纏まらない頭で、妙な事を言ってしまっていた。

 

 

 

 

 火照る肌は褐色、定助とは対称的な艶のある褐色の肌。女性として艶かしく、キメの細やかな肌がまた美しく、色気の見えざる手が纏わりついて行くような、甘い甘い夢の気分に陥りかけてしまう。自制心も、気を許せばプツリと切れてしまいそうなほど細々となっている。

 

(な、何だこの感覚……前にもあったような……無かったような……)

 

 既視感にも似た感覚、そこからフツと湧き出た疑問も、キュルケの静かな問い掛けによって掻き消されるのだ。人の脳とは、熱と冷を両立させて機能出来ないようだ。

 

「いい? 情熱は、激しくもゆったりとしていなければいけないの。だって最初から燃え上がってしまったらすぐに果ててしまうじゃない……そうでしょ?」

「…………」

「小さな種火だって、時を経て大きな焚火になる……あたしは『微熱持ち』、ゆったりと燃え盛ってしまうの。そしてそんな性……でも髪の毛が伸びるように、止められる訳がないじゃない? 火照る微熱は、心地良さだって生み出すものよ」

 

 彼女の熱い吐息が、顔に降りかかった。

 宙に浮かんだ思考回路が巻き戻り、注目をキュルケにすれば燃えるような目が迫っている事に気付いてしまった。

 

「わぁッ!?」

 

 驚きの余り、彼女の肩を掴んで軽く押し、引き離せた。

 

 

「きゃっ!……あらあら、やっぱりウブね、ジョースケぇ」

 

 紅い髪を彼女はぱらんとかき上げた。

 少し離したせいで彼女の全貌を伺う事となったが、その姿はベビードール一枚だけ。常から露出度の高い服装であるのだが、更に高まったせいでグラマラスなボディがキツ過ぎるほど拝められた。透き通り、ゆったりとした薄い布が作り出す曲線は体に沿って、胸から臀部まで流れているのだが、この曲線がまた扇情的だ。

 そしてはち切れないばかりに押し出された、彼女の胸……脳神経が焼き付いてしまうほどに強烈な色気である。

 

「まままま、待ってくれキュルケちゃん! き、きき、君ぃ、どうしちゃったの!?」

 

 回りにくくなった、油の足りない頭で言葉を構築すれば分かりきった質問になった。その返答を、誘うように首を傾けたキュルケが微笑んで語るのだ。

 

「どうしたって、決まっているじゃない」

 

 肩を掴んでいる彼の手を掴み、指と指を絡ませた。

 

 

 

 

「恋は種火、育てるは情熱……あたし、あなたに恋してしまったの」

「……お、オレェ?」

 

 絡ませた手は一旦離され、彼女は手を引いて定助を引っ張った。二人の歩む先には、帳の下りたベッドがある。ベッドを囲うその帳はある所だけ開かれ、二人を誘うようだった。

 定助もとりあえず歩いているのだが、どうしようか必死に頭で考えていた。出来る事なら、キュルケを傷付けずに断りたいのだが、そのやり方が思い付かないのだ。

 

「ギーシュとの決闘……その時のあなたは格好良かったわ。逆境からの逆転、強い意思……まるで伝説のイーヴァルディの勇者のようだった……」

「いーぶぁる?」

「ご存知なくて? ……あぁ、忘れちゃったのね、ふふふ……大昔の英雄よ、とてもとても勇敢な」

「な、なるほど……」

 

 語り口がいちいちロマンティックだ。しかしその言葉一つ一つは、幻覚を見せる効果があるのではと思えるほど彼女の存在に甘美で妖艶な雰囲気を醸し出させる大きな要因となっている。

 

 

「『泡の精霊』……とても美しかったわ。黄金の鎧をその身に纏った、白昼夢よりの拳闘士……」

「良い表現だ……気に入ったよ」

「ふふ、有り難う」

 

『ソフト&ウェット』を見たがっているのかと思ったが、その前に彼女は立ち止まって囁いた。そこは、ベッドの手前。

 

「でも、今は二人だけになっていたい」

「…………」

 

 まるで見透かしているかのような、蠱惑な瞳。そして恍惚の表情。思わず定助は、息を飲んだ。

 

 

「あの『泡の精霊』を従えて立ち上がったあなたは……あぁ、今思い出しても堪らない! 二人で果敢に挑み、ワルキューレたちを打ち倒して行く姿に……あたし、痺れちゃったの」

 

 キュルケは空いた手で自らの体を抱き締め、よがるように体をよじらせるのだった。それでさえも蠱惑的だった、つい見惚れてしまっていた。

 

「あなたが眠っていた三日間……ひたすら寂しかったわ。だって思い人に会えないなんて、胸が締め付けられるほどに辛い事なのよ」

「あぁ……えっと、悪い事したね……?」

「えぇ、罪作りな人よ、あなたは……しかも夢にまで現れるのだから」

「オレェ? オレがぁ? へ、へぇ……そうだったのかぁ……うん」

 

 考えながら受け答えしている為、もはや会話が受け身になって来ている定助だが、キュルケはまだ語り尽くしていやしない。

 

 

「毎晩毎晩……このやるせない思いをマドリガルとして綴ったわ」

「マドリガル?」

「『恋歌』よ、うふふ!……見ちゃう? 机の上に置いてあるわよ」

「…………」

 

 チラリと机を見たのだが、それらしい物を発見出来なかったし、発見出来たとしてもこの世界の文字なんか読めやしないのだから、首を振って拒否した。

 やや不満気な表情を、彼女は見せたのだったが、それはほんの一瞬だ。

 

 

 カーテンが少しだけ開けられており、そこへ雲から顔を出した月は明かりを部屋へ零し、劣情の空間に熱を施して行く。

 

「あなたは強くて、優しいナイト……本当、ルイズの使い魔には勿体無いわねぇ」

「いやいや……」

「ルイズは使い魔としてしか見ていないけど、あたしはあなたの全てを見ているわ」

 

 再び定助と向かい合った彼女は細い指を、定助の唇に当てた。

 

 

「……ッ」

「その官能的な唇も……」

 

 唇からツゥっと走らせ、首筋を下へと流れた。

 

「屈強な胸も…………んっ」

 

 胸板を過ぎて腰へ回り、また最初のように抱きしめるのだ。その際に軽く、襟元を下げて露出された彼の胸へとキスを施すのだ。

 

「……ぷぁ……っ」

「…………!」

 

 唇を離した彼女の表情は、体の底より震え上がらせるほど、生物的な本能を揺さぶる蕩けた表情を見せた。それは、溜まるように積み重ねられた数々の要因が、一つに収束して幻覚に近い夢を定助に見せるほどの威力を発揮した。

 

「抱き心地の良い腰も……全部全部……」

「………………」

「ふふふ……はしたない女でしょ?」

「……いや……」

 

 ぶら下げただけの彼の腕が、フワリと浮いた。

 

「……君は、かわいい……」

 

 落としにかかるような、色気を詰め込んだ彼女の台詞たち。これを食らって理性を保てる男はいるのか、いやいない。定助に身を委ねるように頭を胸に乗せたキュルケの背中を、定助は腕を回そうかとした。

 

 

 

 

 それが、途中で止まる。

 

(何だろう……この焦燥感は……)

 

 何故か彼は、焦りに似た感情を募らせていた。

 それはある種の恐怖にも近く、敵との対峙による闘争心にも近い。こんな状況に不釣り合いな感情だった。

 

「……ジョースケ?」

 

 彼女の呼び声が聞こえた。しかしそれどころではない、定助は唐突に渦巻く感情の線に驚き、混乱しているのだ。その混乱は顔に出さず、内面にだけ取り繕っているのだが、動揺は行動停止となり定助は動けなくなっていた。

 

(何でオレは……恐れているんだ……? 何を、何から……?)

 

 頭の深い所で固まっているものが、溶解して来ている感じがした。何かを彼は、すぐそこまで思い出しかけていたのだ。

 

(何に……挑んでいるんだ……?)

 

 

 思い出してしまおうと、悶々と思考の中に溶けて行く定助を引っ張り上げたのはキュルケであった。

 突然、腰に回している腕を強くして、肋骨を押し込んだ。その感覚に驚き、定助は我に返ったのだった。

 

「置き去りにしないで欲しいわ……あたしは寂しがり屋なの……」

「そ、あ、オレェ? そうなの?」

「それに……こう言った事は、あなたからするものなのよ? ふふふ……」

「ご……ごめん……?」

 

 時間は以前、空間を緩く満たしている。

 春の夜と言えどここは冷たい。しかし、深層に熱を抱えた胎内のような世界。

 

 

 

 

「……あなたを愛しているわ……ジョースケ」

 

 定助は夢に竦められ、長い腕を彼女の背中へと…………

 

 

 

 

 

 

 

 

「……吐き気を、催す……『悪女』とは……」

 

 ……回せなかった。

 静かな部屋に第三者の声が響いた。ハッと夢から覚め声のする方を見てみれば、窓を開けて枠に立ち、こちらをまるで邪悪なギャングのボスに相対するような怒りの形相で睨む、オカッパ頭の男がいた。

 

「何も知らぬ無知なる男を誑かし、利用する女の事だ……!! 自分の快楽の為だけに誑かす女の事だ!」

 

 窓枠を掴みフルフルと震える彼へとキュルケは、「しまった」と言いたげな顔で視線を向けた。

 

「あー……エキュー金貨のお礼は、三時間後でどう?」

「昼間の俺を見るお前の目の中に、ルビーのように赤々とした情熱を感じた……だが、堕ちたな……ゲスの心に……!!」

「えーっと、二時間後」

「お前と情事に及ぶ、略奪者を倒す……どっちもしなきゃならないってのが、夜枷の辛い所だな……覚悟はいいか? 俺は出来ている!」

「一時間後」

「よーしッ! そこにいるヤツッ! これから俺はお前を攻撃するッ!!」

「もう喋らないで、話が噛み合わない」

 

 会話を一方通行で通すオカッパに対して焦燥感から呆れに変わったキュルケは、ベッドの上に乗っていた杖を颯爽と手に取り、オカッパへと向けて振るった。

 

 

「うぉお!?」

 

 そうするとどうだろうか。強烈な熱風が場に発生し周りにあった多くの蝋燭の火から、大蛇のように蠢きオカッパへ噛み付かんとする、巨大な炎が現れたではないか。

 呆気に取られた定助を置き去りに、旋風として発生した炎は超高速でオカッパへと飛びかかった。

 

「もし戦闘が不能であるのなら……って、うわあぁぁぁぁぁぁ!!??」

 

 語り終える前に炎の大蛇は窓へ突っ込み、オカッパごと破壊して虚空へ消える。

 炎が消えるとまた薄暗がりに戻り、炭と化した窓辺だけを残して彼は姿を消していた。

 

 

「……キュルケちゃん……今のは」

「どうやら部屋を間違えたみたいね。そんな事より、ジョースケ、続きを……」

 

 何事もなかったかのように情事は継続されるが、軽く混乱している定助には抱ける訳がない。

 しかしキュルケはまだまだ燃え上がっているようで、定助を強く強く…………

 

 

 

 

「用意をするんだ……」

 

 ……抱き締める前にまた来訪者の登場、今度はやけに女っぽい男だ。

 焼けた窓枠に座り、溶液を吐き出す化け物と対峙するかのようなオーラで睨んでいた。

 

「てめぇがこの世に生まれて来た事を後悔する、用意をだ!!」

「四時間後で!」

「キュルケ……お前のせいでこうなっちまったんだ……!」

「言っている事が分からない」

 

 また杖は振るわれ、大蛇再登場である。

 

「それでも愛してるぜ! ここに来るのが楽しみだったぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 突っ込んだ炎は夜空へと、彼を連れて消えて行った。太い炎は尾だけを残して消滅すれば、もう窓枠すら燃え尽きてしまい、暗黒空間からの攻撃を受けたかのようにぽっかり穴が開いただけになっている。

 空は満天の星空であった。

 

 

「…………キュルケちゃん……」

「喧しい猿だ事……あぁ気にしないで、ただのお友達」

「いや、どう見たって……」

「さ、続き」

 

 定助の胸へ顔を埋め、また彼を抱き締めた。

 もう何が何だか分からなくなって来ていた定助は、どうすれば良いかモタモタし出し、その間に…………

 

 

 

 

「よくも……お前ごときが……ツェルプストー!! 薄っぺらな、たかがカスの小娘の癖に!!」

「貧乏貴族のカスが」

 

 ……やって来た三人目にキュルケは顔すら向けず、杖を振るって炎で即粛清。部屋が赤い光に染まる。

 

「やめろオオオオオオオWRYYYYYYYーーッ!!??」

 

 前者二人と同様に炎に飲まれた彼は、悲惨の線の向こう側へと落ちて行くような断末魔をあげながら退場した。彼の顔は確認出来なかったが、恐らくハンサムだろう。

 

 

 炎が消えればぽっかり開いた穴より、月明かりが差し込んで部屋を照らしていた。差し込んだ月光は拡散するように部屋へ散らばり、穏やかで青い夜の光を恵みの雨のように、降らせている。

 なかなか幻想的な光景とは思うが、色々台無しである事を思い起こして欲しい。

 

「………………」

「あれは最早、知り合いね。もう来ないと思うし、じゃあ……」

「キュルケちゃん。ごめん、帰る」

「えっ」

 

 最初のキュルケを傷付けずに、とかの考えは薄れてしまっていた。何だか定助自身、さっさとここから出てさっさと眠りたいと思っていた所だった。

 肩を押してキュルケを引き剥がし、踵を返して扉の方へ歩き出す。かなり冷徹だと思うのだが、それほど彼の中での、現状に対する呆気が強いのだろう。しつこいが、さっさと眠りたかった。

 

 

 勿論キュルケは、定助の背後に抱き着いて引き止めようとする。

 

「待ってジョースケ! さっきのは……ホント、何かの手違いなの!」

「いや、何か、眠くなった」

「だったらここで、二人きりで朝まで眠りましょうよ!」

「ご主人の服、洗濯しないとだし」

 

 体を前のめりにして、馬車を引く馬のように強く前へ前へと進めて行くが、逃すまいと反対の力としてキュルケが存在する。全体重をかけて二人は前へ後ろへと引き合い、綱引きのような闘争心を心に付けて勝負している感じになっていた。

 

「離してキュルケちゃん……!!」

「い、や……よ…… ジョースケぇ……!」

 

 退かないキュルケに内心驚きつつも、どうにかして諦めて貰おうと話しかけた定助。

 

 

「キュルケちゃん、あのね…………ッ!?」

 

 

 

 

 唐突にガツンと、頭の底から間欠泉のように上がって来たものがあった。

 それは頭頂を突き抜け、刺激は神経を伝った、強い感覚として定助に存在を伝えたのだ。

 

 

『ねぇ定助ェん。あたしの方が大きいでしょ?』

 

 

 前のめりの姿勢を正し、定助は突然振り返った。

 

「わっ」

 

 その行動に驚いたキュルケはつい両手を離し、定助への抱擁を止めた。逃走の絶好のチャンスであるハズなのだが、何故か定助は出て行かず、キュルケの背後にある窓だった穴や、何でもない所を見つめていた。

 

「…………」

「……どうしたの?」

 

 怪訝な表情で定助を見つめるキュルケを余所に、彼は何かを探しているように辺りを見渡していた。

 そして最後に、キュルケに深刻な顔で尋ねるのだ。

 

「キュルケちゃん、何か言った?」

 

 この質問に対し、キュルケはますます怪訝な表情を強めて行く。

 

「どうしたの……って、言ったけど?」

「いや、あの……大きいとか何とか言わなかった?」

「大きい? 何が?」

 

 彼女の反応からして、声の主は彼女ではない。

 幻聴か、しかしはっきりと言われ、鮮明に聞き取れている。だが、思い返せば頭の中に問われたような、不明瞭な感じだけが残っている。まるで服こびり付くシミような、薄いのに擦っても落ちない不快感。

 

「じゃあ、誰が……」

 

 

 そう呟いた瞬間、扉が盛大に、勢い良く開いた。

 音に驚き体を強張らせた後、カッと扉の方へ振り返る。

 

 

 

 

 扉の向こうでは、申し訳なさそうに項垂れて鳴き声をあげるフレイムと…………鬼の形相で寝間着姿のルイズの姿であった。

 

「…………」

「…………何やってんのかしら、あんたら」

「……ご主人、これは違う」

 

 沈黙のワンクッション。だがルイズが一歩踏み出し、キュルケの部屋へ入ればいきなり空気が震えているような、緊迫したオーラが雪崩れ込んで来たのだった。

 言っておくが、ルイズの視線から見れば、下着姿のキュルケと共に暗い部屋にて立っている定助の姿である。付け加えのダイエットガムのように注釈するが、イケない雰囲気の部屋に半裸の女性と、良く知る男の姿……誤解されても文句は言えまい状況である事は明確だ。

 

 

 

「ジョォォォスケェェェ……!!」

「違う違う!? これは誤解だ!?」

 

 弁解しようと、話しながら両手を多動させるのだが、その必死さも虚しく、キレたツッパリが如く迫るルイズを押し留める事は叶わなかった。

 背後で、この状況を楽しむような、キュルケの小さな笑い声がクスクスと聞こえて来た。

 

 

 

 

「誤解な訳ないでしょこの、発情犬がぁぁぁぁッ!!!!」

 

 解き放たれたルイズの怒号と共に出されたキックは、定助の向こう脛へと直撃するのだった。




官能なんて書けるかよ……くそぅ!
恐らくファンの皆さんは、ゼロ魔原作のこのシーンを見て東方憲助さんみたいな感じになったんのでは?
「ブッ殺す!! あの野郎ォォォ絶対に殺してやるぅぅぅぅ!!」
私はなった。キュルケは好きなキャラの一人ですだ。
失礼しました


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虚無の曜日は街へ行こう。その1

今更ですが、お金が入ったので『ジョジョリオン 十二巻』購入です。
更に言えば、暇潰しにゼロ魔外伝の『タバサの冒険』も購入です。
ボク、満足!


 天気は快晴、絶好のお出かけ日和だ。青空は澄み渡り、風は南風寄り、春を蔓延させる太陽光が気持ちの良い昼下がり。

 窓からの景色を眺め、そんな事を定助は思っていた矢先にルイズから声がかかる。

 

「支度しなさい、出掛けるわよ」

 

 マントを羽織り、外出の準備を始めた彼女の横で「おっ」と、嬉しげな反応を見せた定助。正直、学院の外を見てみたいと思っていた所であった為にタイムリーである。

 

「何処へ行くの?」

「街へ行くの。トリステインの城下町、【トリスタニア】……ここからちょっと距離があるけど」

「城下町かぁ……いいな!」

 

 行き先を聞いて更に、定助の好奇心は刺激された。

 思う所、街と言うのはその土地の文化を表しているもので、人はどういった服を着て、どういった物を買い、どういった物を食べるのか……それらを見るだけで風習やら状態を見る事が出来る。

 特に王族のお膝元である城下町。城下町を見れば国の様子が分かると言われるほどに、人にとっても国にとっても重要な街だ。定助は内心、この世界の事を知る一歩目となると、期待していたのだ。

 

「城下町行って、何するんだ? 昼食は済ましたから、お買い物?」

「そうよ、お買い物。あんたの為に行くんだから、感謝なさいよ」

「え? オレェ?」

 

 自分の為と聞き、間抜け顔になった定助を眺めてルイズは楽しげにニヤニヤと笑っていた。

 定助も定助で、『昨日の今日』なものだから少し耳を疑った。

 

 

 

 

 

 昨夜は、定助はキュルケの色仕掛けに屈服しそうになっていた、あの夜である。最後にキュルケと軽い取っ組み合いになっていた時に、お手洗い帰りのルイズが聞きつけて突撃して来たのが、その後の話。

 制止しようとするフレイムを抜け、ロックされた扉をひと蹴りでこじ開ける彼女の爆発力は、今思っても冷や汗が出てくる。

 結局は脛を蹴られ、痛みに悶えている所を自室へ強制連行。怒りの取り調べと、改めてヴァリエール家とツェルプストー家の因縁をみっちり教え込まれた所で就寝した。

 助かったのは、こっちの言い分をルイズが授与してくれた事か。と言えど、キュルケに情が高まった事で抱き掛けた事は隠したのだが。バレなきゃいいのだ。

 

 

 

 

 そんな昨日であるだけ、今日のお出かけは定助への『ご褒美』に近い。今日一日は行動制限を命じられると高を括っていたので、失礼だが意外だと思った。

 

「まぁ、私の護衛人をして貰うけど。物騒だからね、今の世の中」

「それなら行くよ、大丈夫」

「だから好き勝手やんないでよね。あんた、すぐハシャぐし」

「……善処します」

「本当、普通にしてて」

 

 ともあれ街へのお出かけである。記憶を失ってから始めて行く街だ。この世界の事が全く分からないだけあって、好奇心と期待は唐突に上がる牢屋の温度のように、定助の中で鰻登りであった。

 

 

「じゃあ、準備はいい? 私は出来たけど」

 

 杖と財布を手に持ち、ルイズが定助に聞いて来た。正直、定助には持つものがないのだが、コクリと頷いて準備完了の意を表明させた。

 

「行くわよ……あぁ、そうだった」

「ん?」

 

 思い出したかのように、彼女は言った。

 

「あんた多分……いや、絶対に馬、乗れないわよね?」

「……馬? 馬に乗るのか?」

「その様子じゃ、乗れないで正解ね……」

 

 勿論記憶のない彼には、馬に乗った経験がない訳である。

 いや、乗馬と言う概念は知っているが、自分はやった事がないのが正解だろう。

 

「だから少し、レクチャーしてあげるわ。馬二頭を借りるって申告しちゃったし、乗って貰わないと損よ」

 

 そう言って、誇らしげに胸を張るルイズ。見た感じからして、「ほら、感謝しなさい」と言っているような高飛車素振りである。

 対しての定助は、手を叩いて普通に喜んでいた。

 

「おぉ、そりゃいい! グッド!」

「これでも私、馬術なら先生より賞賛されたほどなのよ!」

「ヴァリエール先生、宜しくお願いしまッス!!」

「調子いいわねあんた……ふふっ」

 

 少しテンションがおかしい定助にタジタジとなりかけるが、兎に角彼から慕われると言うのは悪い気しないので、思わず笑ってしまうルイズだった。

 

 

「ほら、ドア開けなさい。出るわよ」

「分かった。よし行こう」

 

 部屋の扉を開け、二人は外出した。

 因みに部屋から出た時、ルイズがキュルケの部屋がある方をギロリと睨んでいたので、昨日の事はまだ根にあるようだ。

 

(キュルケちゃんに……会わなきゃいいけど)

 

 少なからず殺気のあるルイズの様子にヒヤヒヤしながら、今日一日は平和である事を祈った。

 今日は『虚無の曜日』だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 晴れ渡る昼下がりの空、そよぐ風が開いた窓より流れ込み、心地よさが芽生えて来る。

 淹れた紅茶は湯気と共に香りを漂わし、リフレッシュした頭で本を読む事が出来る。静かで、優雅な昼下がりの読書時間……彼女にとって、休日とはそんな時間なのだ。

 ここはタバサの部屋。

 

「…………」

 

 静かな部屋に、ページをめくるパラリとした音が鳴る。彼女にとってその音は、音楽隊の演奏のような価値を持っている。

 

 

 そう、タバサにとってこの時間は高い価値にある。本と言うものは閉ざされた世界だ。その世界を紐解き、次へと進んで行く『本をめくる』と言う行為はちょうど、抑鬱からの解放を起こす英雄的な側面が存在すると思っていた。

 物語は庭の散歩のようで、歩けば移り行く景色に目を留める、過ぎ行く時間を表現している。ゆったりとした物語を、ゆったりとした時間の中で、ゆっくり時間をかけて読むのが彼女の拘りである。

 何もない時は平和に、静かに過ごしたい。それがタバサの休日である。

 

 

 

 

「タバサッ!! いるでしょ!?」

 

 そんな平和な時間は一人の来訪者によって、時計塔への射撃のように破壊され、停止するのだ。

 扉をノックもせずに勢いよく開けた来訪者とは、紅い髪を振り乱した親友、キュルケであった。

 

「…………」

 

 キュルケを確認したタバサは傍らに置いてあった、ロッドを手に取りすかさず魔法を行使した。

 するとどうだろうか。突然キュルケの口から声は出ず、靴底から足音は聞こえず、静かな時間へと逆戻りしたではないか。

 

「……!! …………ー!!」

「…………」

 

 困ったような表情で、手を合わせて懇願するような仕草をするキュルケ。何を言っているかは聞こえないが、そのジェスチャーからして「話したい事があるから、魔法を解いてくれ」と伝えているのだろう。

 しかしそのジェスチャーは、本へと目を落とした彼女に見られる事はなかった。

 何度もジェスチャーを繰り返すが、一向に目は上向かない。伝える事は不可能だと分かったキュルケは、少々手荒な手段へと移行した。

 

「………ッ! …………ッ!!」

「わっ」

「………………〜ッ!!……!!!!」

「…………」

 

 タバサの肩を掴み、ガクンガクンと揺さぶるのだ。これには流石の彼女であっても、キュルケに注目せざるを得なくなり、やっとこさ魔法を解いたのだった。

 

 

 魔法が解けた瞬間、キュルケはスイッチの入ったウォークマンのように、声が突然出て来るのであった。

 

「ねぇって……ん? あーあー、やっと解いたわね。もー! お願いだから『サイレント』をいきなり使うのは止めてよぉ!」

「善処する」

「あー! 本に視線を戻さないで! 大事な用があって来たの!!」

 

 また本を読もうとしだしたタバサに、齧り付くように本を掴んで取り上げ、キュルケは話し出した。

 

「ノックも無しに入った事は謝るわ、礼儀がなってなかった。でも仮に、『ノックしてもしも〜し』ってした所で、『サイレント』かけるでしょ!」

「常識」

「常識的観点から見ればそれは非常識よタバサぁ!……まぁ、それは良いとして……」

 

 依然として表情のない彼女だが、その胸中は女に喧しく騒がれている不良の気持ちがあるだろう。

 それよりも激しくはないと思うが、クールに「やれやれだぜ」とは絶対思っているハズだ。そんなタバサの気持ちを分かっているのは親友であるキュルケなら当然で、だからこそこうやって騒ぎ立てるのは余程の用事なのだと思う。

 

 

 言えど、次に言うであろう台詞はタバサには分かっていた。

 

 

 

 

「支度して、タバサ! ジョースケがヴァリエールと出掛けたのよ!」

「…………」

 

 案の定とも言うか、少し違うと言うか。彼女が定助に恋していたのは察していたので、どうせルイズ関係で使い魔関係かとは読んでいたが、出掛けるとはこれまた予想外。

 だが出掛けるとあって、余計に行きたくない衝動が沸き起こるのは、静かな読書時間が好きな彼女なら当たり前の欲求だ。

 

 

「今日は『虚無の曜日』」

 

 タバサの言う『虚無の曜日』とは、一種の休日の事。この日は授業もお休みで、生徒は皆、思い思いの時間を過ごす安息日であるのだ。

 そのワードを聞いたキュルケは、目を覚ました守銭奴中学生のように申し訳ない思いに駆られた。

 

「えぇ、分かっているわ、ホントーに申し訳ないと思っている! あなたにとって『虚無の曜日』とは、静かに暮らす日だって事は知っているわ、心で理解している。納得もしている!」

「じゃあ」

「でも、でもね!? これはもう、退っ引きならない事態なのッ!!」

「…………」

 

 彼女の休日を尊重しているようだが、残念ながら己の欲が最優先のようだ。タバサにとったら良い迷惑だが、彼女が引く事はないと言う事も分かりきっていた事象であろう。

 

「一から説明するとね? ちょっとあたしの部屋が壊れちゃって、修理を頼んでいるの。その間の暇潰しにフレイムと中庭を歩いていたら、ルイズが馬術をジョースケに教えていた所を見ちゃったのよ! あぁ、忌々しい!!」

「過程」

「横槍入れてやろうって思ったら、二人一緒に出て行っちゃったのよ! 何処行くのか門番を問いただしたら、街へ行くらしいわ!」

「結果」

「馬で行っちゃったから『あなたの使い魔』じゃないと追い付けない! これでいい!?」

 

 そこまで聞いて、彼女の首はやっと縦に動いた。

 

「分かってくれたわね!」

「理解した」

「じゃあ、頼まれてくれる?」

「…………」

 

 理解はしたが、それはちょっと嫌だなと思ったのが本心。

 しかし読んでいた本はキュルケに取られた。恐らく彼女の要求を飲まないと返してくれないだろうと思い、「致し方なきか」と頷いて了承した。

 それにキュルケは唯一の親友だし、この前は美味しい思いもさせて貰った。別にしょっちゅうと言う訳ではないので、たまには言う事聞いてやろうと思い直したのだった。

 

 

 タバサの許可が下り、キュルケは大喜びで抱き付いた。

 

「流石タバサちゃぁん!! 優しいわ! そこに痺れる憧れるぅ!」

「…………」

 

 彼女の大きな胸が押し付けられ、少し息苦しいが、ともあれ了承したからには早速行動を起こさねば。

 抱き付くキュルケの腕を抜け、マントを羽織ったタバサは机の引き出しを開けて財布を取り出した。

 

「あら? 何か買うの?」

「新しい本」

 

 折角街まで行くのなら、何か買ってしまおうと考えたようだ。思い切りが良いと言うか、合理的と言うか。そこが彼女の良い所だとして、キュルケは好きな所ではあるのだが。

 

「ならあたしが買ってあげるわよ? タバサには世話になっているし!」

「大丈夫」

 

 奢りを請け負ったキュルケの前で、布袋の財布から二枚のエキュー金貨を取り出した。

 その金貨に見覚えのあるキュルケは、とりあえず苦笑いを返す。

 

「あー……こ、今度は負けないから!」

 

 その金貨は二人でやった、決闘の勝敗予想の賭けで勝った、タバサの取り分である。いや、それを見せ付ける辺り、この事を誇示しているのは分かるが、読書時間を邪魔された事を根に持っているのだろうか。

 

 

「行こう」

 

 金貨をしまい、口の紐を縛って懐に入れれば彼女の準備は完了。

 換気の為に開けていた窓辺に近寄ると、窓枠に乗っかった。

 吹く春風が、タバサのマントを波紋のように広げて、船の帆のようにはためかせた。火照る体を取り払って貰う心地良さの中で彼女は徐に曲げた人差し指を、口に咥えた。

 そしてそのまま息を深く吸い込み、一気に吹けば指笛となり、高々と鷹の鳴き声のような音が空に鳴り響いた。

 

 

 

 

 鳴り終わった後、代わりとして窓の下より大きな羽ばたきの音が鳴った。バサァ、バサァと聞こえるその音は徐々に徐々に近付いて行き、それから五秒後には巨大なドラゴンが現れたのだ。

 

「ヒュゥ! やっぱり凄いわねぇ、『ウィンドドラゴン』は!」

 

 キュルケが賞賛する程に、その龍は荒々しいと言うより、惚れ惚れする程に綺麗であった。

 青い鱗と円で大きな瞳、更には力強い骨格に膜を貼り付けたような翼……全長で言うならキュルケとタバサを足しても十分に乗せられる程に大きい。だがドラゴンとしてなら小さい方で、幼気を感じる顔からして幼生のドラゴンであるらしいのだ。

 

 

 ドラゴンを確認するとタバサは窓枠からタンッと飛び、その背中に乗った。

 

「乗って」

「言われなくても! よっと」

 

 キュルケも乗った所でタバサは、ドラゴンに命令を与えた。

 

 

「追跡。馬二頭、食べちゃ駄目」

 

 人語を理解しているのか、ドラゴンは短く鳴いて了承の意を示し、羽根を大きくはためかせて大空へと昇った。

 高度はグングンと上昇し、少し肌寒さを感じる地点まで来た。建物が米粒のように見える程だがタバサもキュルケも慣れているのか、恐怖を感じる事はなく、キュルケに関してはご機嫌よろしく鼻歌も混じらせていた。

 

「そう言えばこのウィンドドラゴン、名前は何て言っていたかしら?」

「『シルフィード』」

「へぇ、『風の妖精(シルフィード)』! 良い趣味してるじゃない!」

「…………」

 

 キュルケの賛美を受けながらも、彼女が持ったままだった本を取り戻し、タバサはまた静かな……とは言えない読書時間へと舞い戻った。

 

 

 暫くキョロキョロとしていたシルフィードだが、標的を見付けたのか、本格的に飛び始めたのだった。風が通り過ぎて、抜けて行く。




タバサの冒険を読んで構想が出来上がりました故に、こっちでは『ゼロリオン』の外伝として、もう一作ゼロ魔外伝の二次創作物としてやりたいと思いました。
題名は……ジョジョの英題から乗っ取って『TABITHA BIZARRE ADVENTURE』を構想中。

まぁ、タバサの冒険に関してはまだニワカですんでね。失礼しました。
と言うか、タバサは『TABITHA』と書くんすね。ローマ字読みだと、タビチャですな。

ん?タビチャ、タバチャ、タバ茶……あっ(発見)


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虚無の曜日は街へ行こう。その2

小5の弟が、「この二人、何やってんの?」と言って見せて来たシーンが、七部の「圧迫祭り」のシーンなので言葉を詰まらせました。


 引っ切り無しに往来する人々の波と、露店から飛ばされる売り文句が右から左からと、拡散される。

 山の頂より城が見下ろし、細やかな装飾で飾られた街路の風景は新鮮で清潔な印象を与える。やはり城下町とだけあって、石を主力とした風情ある街並みが何とも美しい。

 

 

 

 

「あんた、大丈夫?」

「だ、大丈夫じゃないかもしれない……練習の時からヤバイとは思っていたんだ……!」

「やっぱ初心者に長距離を馳走させるのはハードね、普通ならさせないわ」

「なのにやらせたのか、ご主人はぁ!?」

 

 

 賑やかな街の中、腰を押さえながら、苦悶の表情で道端にて立ち止まっている定助と、何処か愉快そうな笑みを浮かべて彼を見ているルイズの姿があった。

 学院で乗馬をルイズから教えられ、慣れない馬の操作に四苦八苦しながらも走らせた定助だが、やはり慣れないものは慣れないものだった。

 

 

 馬の背中に乗せられた鞍に跨る、至って普通の乗馬スタイル……なのだが、幾許か固い鞍は初心者にとって拷問器具へと成りかねない訳である。

 走る馬の必然的な上下運動により、尾骶骨付近が浮き上がっては固い鞍にぶつかるを繰り返す。結果とすると、尋常ではない痛みがお尻を支配するのだ。

 更には尾骶骨より直上にある背骨まで刺激され、痛みが腰まで登って来る事態へと陥るのだ。

 もう定助は、歩いていられない。

 

「まっ、私の使い魔である以上は、乗馬は必修課目よ! 従者が乗れないなんて、主人である私に示しつかないわ」

「言うけどご主じぃん! 君が初めて乗馬習った時は、二時間も走らされたのかい!?」

「そんな訳ないじゃない、私のはスパルタ式なの。あと二人称呼びは止めなさい、衆目の前よ」

「り、理不尽……」

「だからって歩いたら日を跨いじゃうじゃない。乗れるようになるしかないの、この先苦労するわよ?」

 

 馬に乗り慣れたルイズは『痛くない姿勢』を知っているので平気な顔だが、全くの初心者である定助にはその苦しみが現れている。しかも現実は非情で、気の遠くなるような長距離を走らされたのである。彼の腰はもう、限界を超過していた。

 

 

 あれどここは【トリスタニア】、この王国の城下町である。

 思った以上の人々と、思った以上の活気に溢れており、悶絶の中でも彼は頻り見渡し、街を観察していた。

 前述の通り、綺麗な街並み。何の変哲もない、凡庸な商店でさえあっても売っている商品には、見た事もない物も売られており、彼に飽くなき好奇心を注ぎ続けるのだ。

 

「いつつ……ご主人、あそこの店で売っているあの蒼い石は……ラピスラズリかな?」

「良く分かったわね。因みに頭脳明晰の効果があるから、私も持っているのよ」

「あぁ、確か……パワーストーンだっけ。へぇ、面白いなぁ……」

 

 下半身の痛みはなかなか深く消えないのだが、好奇心が彼を突き動かしているかのように一歩、歩き出した。

 

「平気になった?」

「……とは言えないかなぁ……だけどまぁ、歩行にそれほどの支障はないかな」

「あんだけ大怪我したのに、痛いもんは痛いのね」

「人間の神経って、慣れること知らないよね」

 

 そんな事を言いながらも雨天時で関節が痛む、足の悪い老人のような歩き方をする定助。彼のお間抜けな様子に呆れつつも、彼に財布を預けているので速度を合わせて、ルイズはゆっくりと先導してやった。

 

「ちゃんと財布は見てなさいよ、ここらはスリが多いから」

「分かった。安心して、大丈夫大丈夫」

「その身なりで言われても安心出来ないわよ……」

 

 若干信用性に欠ける、情け無い格好の定助を連れて、二人は街の雑踏の中へと入っていったのだ。

 

 

 だがいざ入ってみれば人混みの凄さに驚かされた。今日は『虚無の曜日』、休日である。だから必然的に人の数が多くなるのは致し方ないだろう。

 気を抜いてしまえば、ルイズと逸れてしまいそうだ。

 

「人が凄いなぁ……」

「ここは『ブルドンネ街』で、トリステインで一番大きな街なのよ。お店も多いし、『虚無の曜日』だから人が多いのは当たり前じゃない」

「いや、それよりも道幅だと思うけど……」

 

 一番気になったのは道幅、と言うのは、この街路は狭く、せいぜい五メートル程度しかないと思われる。その狭い道に何百と言う人が入り混じるのだから渋滞しており、狭苦しくて仕方ない。

 

「この先にトリステインの宮殿があるわ。女王様が外遊される際はこの道を通るのよ、綺麗な街並みでしょ?」

「宮殿……あぁ、なるほど……だから狭いのか……」

 

 とどのつまり、敵に攻められた場合を考慮して、狭く作られていると言う事か。

 通り易い広い道にしてしまえば、敵兵が一気に城へ突撃してしまうのだ。なので敢えて通り難い狭い道ならば、ある程度は敵の侵攻を遅らせる事が出来る、少なくとも今のこの渋滞みたいな風になるハズだ。

 不便と言うのは、敵にも不便と言う事。万が一を考慮した造りであると分かる。

 

「攻められる事を想定……か……」

 

 利便性より守勢の造り。わざわざ女王の通る程の道でさえもこうするとは、余程この世界は国と国とが緊迫したような、不安定な情勢なのだろうか。

 何かの発端に対して明日にも戦争が起こりかねないような、そんな世界なのだろうか。

 

 

 

 

(オレの知っている所とは、やっぱり違う……)

 

 街へ出てみても、彼の中にある世界観との食い違いの差は開いて行く。露天商に石造りの街並み、そして大きな宮殿……全てが見た事のない光景であった。

 お洒落な商店街に、黒色の交通道路。このイメージは一体、何処から現れた物なのだろうかと、彼の中での疑問が彼を苛めるのだ。

 

「なぁご主人、『ごま蜜団子』って、何処で売っているかな?」

「え? なに? ゴマミツダンゴ? 聞いた事ないわ」

「あ、やっぱりね」

「やっぱりってね……売ってないって分かってるなら聞かないでよ!」

 

 ふと頭に湧いた食べ物は売っていないようだ。何の事か分からないのだが、何故だか定助は残念に思っていた。

 そして同時に、懐かしいような、ノスタルジックな気分になって行く。

 

 

「そう言えば、文字の看板が少ないな」

 

 目に映る看板は、全てがその場所を表す絵をあしらった金属製の看板である事に気が付いた。

 花屋なら『花』の絵看板、洋服屋なら『服』の絵看板。しかしたまに、バッテン印だったり、瓶だけだったり、歯車だけだったりと、何の店かが示唆出来ないような看板まで見受けられた。

 しかし割に、文字が目立たない看板ばかりだ。

 

「字が読めない平民が多いからよ。貴族は全体で言うとほんの一割しかいないのだし、街は平民仕様にするのが妥当でしょ?」

「成る程、ユニバーサルデザインだね」

「ゆにば……何て?」

「あー、でも分かるかも」

 

 また貴族と平民との格差を感じたが、この絵看板は分かりやすい。この世界の文字が読めない彼にとって、とても大助かりだ。

 人混みの中、ルイズの後を付いて行きながらも、絵看板を見て何の店か当てるゲームを彼は始めるのだった。

 

「あれは靴屋だ。で、三メートル先のは果物屋……その隣の、木が描かれた看板は何の店だ?」

 

 面白そうにあちこちを見渡しながら、絵看板探しをしてお店当てゲームをするのだ。実に楽しい、街の散策方法であると定助は乗り気であった。

 

 

 

 

 そんな事をしている時、前方確認を怠ったが為に、通りすがりの男と肩をぶつけてしまったのだ。

 

「いてっ」

「うぉっ!」

 

 男は若く、薄汚れたシャツを着た如何にも『平民』と見える格好であった。

 肩がぶつかると男はすぐに定助を睨み付け、舌打ちをする。

 

「気を付けろ……」

「……すみません、余所見していました」

「ケッ」

 

 謝罪した定助を確認したら男はすぐ、人混みを掻き分けて行ってしまった。

 前方にいるルイズは先々と行くので、思考するまでもなく定助はさっさと彼女の後ろへ急いで向かうのだ。

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 ふと軽くなったポケットに違和感を覚えた定助は、すぐさま手を突っ込んで弄った。両手の手首までをゴッソリ突っ込み、派手に動かして探ろうが、ポケットの裏地を出そうが、日光に当てられた吸血鬼のように影も形も消えてしまっているのだ。

 

 

「…………」

 

 ルイズから預かった財布は、まんまとスられた訳である。

 

 

「……あいつぅ!」

 

 思考を巻き戻せば、さっきぶつかった男の顔が真っ先に浮かんだ。

 このままではルイズに大目玉を食らわせてしまうし、恐怖のオシオキも確定する。焦燥感に駆られた定助はやや乱暴に人混みを掻き分け、来た道を逆行するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へへ、チョロいチョロい!」

 

 人混みを抜けた裏路地に、その男は潜めるように入り込んでいた。

 手には良い生地で作られたルイズの財布が男の手の上で転がされているのである。

 

「ほぉー! 妙な服の田舎モンかと思ったが何だ! なかなか上等な物持ってんじゃねぇか!……へへっ、どれどれ?」

 

 すぐに紐を取り、財布の口を開いて中を確認し出した。入っている硬貨を数えて行く度に、男は下卑た笑いを浮かべる。

 

 

「一つ、二つ……おぉ! エキュー金貨が一枚!!」

 

 エキュー金貨に関しては財布から取り出して目の前で光らせてみたほど。

 上品な輝きを纏わせたそれを間違いなく本物で、間違いなく高価な物だった。

 

「うおぉ本物だぜこりゃあ!! おぉスゲェ、あいつ貴族のお付きか何かだったのかぁ?」

 

 それにしてはヤケに腰の低いと言うか、謙虚な奴だなと、男は思った。ぶつかった時に文句よりも謝罪をしていた所を見れば、気の弱い平民だと分かるのだが、まさかなかなかの大金を持っていようとは思わなんだ。

 

「よぉしッ!!」

 

 今日は豊作だとばかりに、男はガッツポーズをして喜びを表している。

 

「よしよしよぉし! じゃあさっさと飲みにでも行くかなぁ。こりゃ、ダチに奢ってもお釣りがあるぞ」

 

 嬉しげに笑みで頬を綻ばせながら男は高鳴る歓喜を、関節をバネにでもされたかのように跳んだり跳ねたりで表現する。感情を隠せないタイプのようである、かなり陽気な性格のようだ。

 そして男は早速財布をひっくり返し、中にある硬貨を手の平に落とすのだった。

 

「さぁて、何処へ行こっかなぁ〜!」

 

 心地よい、お金の鳴る音が暗い裏路地に響く。

 

 

 

 

 パチンッ。

 

 

 

 

『ドロボーだぁぁッ!! ここにドロボーがいるぞぉぉぉ!!!!』

「んん!?」

 

 いきなり自身の隣から、大声が響き出した。咄嗟に身構え、声のする方へと目を向けるが、そこは裏路地の奥が見えるだけで、誰もそこにはいやしなかった。

 がめつい性格か、硬貨を握った手を懐に突っ込んだまま様子を伺っている。

 

『ここだぁ、ここにいるぞぉぉぉ!! 待てッ!!』

「ひぃ!?」

 

 また自分の隣から大声がした。

 だがやっぱりそこには誰もいない訳で、男は頭に『panic』の文字を幾つも抱える事となるのだ。

 

「や、やべぇ!? ど、何処からだ!?」

『オラ、待てよぉ!!』

「うぉお!?」

 

 逃げようとするのだが、見えない相手の声は依然として裏路地に響き、何処から現れるのかが分からない。表から来るか、裏路地の奥から来るか、音源の場所でさえも錯誤してしまい分からずに往生してしまう。

 

(と、と言うか、見つけるの早くねぇか!?)

 

 異常なまでの発覚スピードに困惑しながらも、どうしようかだけは頭に巡っていた。

 

『見つけたぞぉ!!』

 

 声は大きく、表からこちらを覗く人が現れ出した。しかも何か、ヒソヒソと話している、憲兵を呼ぼうか呼びまいか話しているのだろうか。

 これ以上はマズいと判断した男は焦燥感からか、財布を落っことし、慌てふためきながら裏路地の奥へと逃げ出したのだった。

 

 

 

 

「『ソフト&ウェット』、摩擦ゼロだ」

「どぉうえッ!?」

 

 奇声をあげて男は、乾いた石畳の路上にてすっ転ぶ。

 転んで盛大に倒れた所を、すぐさま近寄り襟元を掴み上げて捕獲した人物がいた。男にスられたハズの定助である。

 

「フザけんなよお前!? 誰からスったと思ってんだ!? ナメるなよぉ!!」

「あっ!? 何でお、お前が!? どうしてここが分かったんだ!?」

 

 

 平民である男に見える事はないだろうが、定助の背後には『ソフト&ウェット』が漂っているのだった。

 

 

 つまりはこう言う事だ。

 万が一スリに遭った場合の対策として、『ソフト&ウェット』で『ある物』を奪い、財布の中に仕込んでいたのだ。

 

 

「どうして分かったって? 声がしたんだよ!」

 

 奪っていたのは『自分の声』。

 街の中での雑踏でも聞こえるような声量で、自分の声をシャボン玉に封じておく。そして奪われた時にスリは中身を確認するハズだと読んでいた為、開いた時にそれは割れるだろう。

 割れた時、シャボン玉の中に封じていた声は解き放たれ、録音テープのように再生される仕組みとなっていた。あとはこの、自分の声がする方に行けば、犯人と遭遇出来る訳である。

 

「こ、声!? お前の声しか聞こえなかったが」

「そんな事はいいんだ! ほら、さっさとお金返せよお前!」

「こ、この!」

 

 大金を持ったんだ、引けるかよ、と言わんばかりに男は必死の抵抗。

 

 

 定助に拳をぶつけてやろうかと腕を振り回すが、それは『ソフト&ウェット』が男を羽交い締めにする事によって未然に防いだ。

 

「お、おぉ!? か、体が!?」

「動くなって!」

「ひぇ!?」

 

 いきなり見えもしない物に拘束された男の頭に『panic』は倍に増える。ジタバタもがくが、何故か体は動かずに恐怖だけが渦巻く結果となった。

 

「お金は何処だ? 何処入れた?」

「あんた、メイジだったのかぁ!? ひぃぃ!! 命だけはぁぁぁ!!」

「落ち着け、オレはメイジじゃあない! 取り敢えずお金さえ返してくれたら見逃してやるっての!」

「ほ、本当かッ!?」

「本当だから早く出せ! ご主人にバレたら終わりなんだよ……」

 

 返したら命は助ける(定助はそんな風で言った訳ではないが、男はそう解釈してしまった)と言われ、すぐに懐を指差した。

 そこを弄ってみれば、男がスったルイズのお金全額が入っているのを確認。手を突っ込み、全てを取り戻した。

 

 

「ひい、ふう、みい……うん、大体こんな枚数だった」

「こ、これで良いですか!?」

「よし。じゃ、帰れ」

「ヒィィィ!! すんませぇぇんん!!」

 

 恐怖でゲドゲドの泣き面になった男は、『ソフト&ウェット』が消されて体に自由が戻ったと同時に裏路地の暗闇へ逃げて行った。

 その慌てぶりは滑稽で、摩擦は戻ったハズなのに二、三回かすっ転んでいた。

 

「はぁー……油断ならないなぁ、この街は……」

 

 スリに遭ってしまった定助は、その点を反省しながら道に落ちているルイズの財布を拾い上げ、硬貨を入れて紐を締めて元通りにした。完璧である事を確認するとすぐさま、彼女の元へ急がねばと表通りの人混みに入って行ったのだった。

 

 

「……このやり方、いいな」

 

 シャボン玉に自分の声を仕込む方法を思い付いたのは、今朝だった。いきなり降って来たものだから、彼自身は大変喜んだ事を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、もうすぐ着くわよ」

 

 その頃ルイズは、背後に定助がいるものだろうと勘違いしたまま、目的地の近くまで来ていた。

 何故気付かないのか、と命を惜しむ波紋戦士に対しての哀れに似た感情になる前に、聞いて欲しい。

 

 

 身長の低い彼女が、比較的大柄な人の多い街の渋滞を抜けて行く。これが如何に大変か、考えて欲しい。

 前方の人混みに飲まれないようにと必死になり、後方に気を配らせる余裕が無かったのだ。つまり、定助がいなくなった事に気付けなかったのは、人混みを抜ける事に手一杯だった為であると言っておこう、誰だってそうなる。

 

 

「何で今日はこんなに人、多いのよ……前はもう少し緩かったじゃない……だからこんな、下賤な所には来たくないのよ……」

 

 ぶつくさ文句を小言で言いながらも、表通りから逸れた所に出た為、渋滞から逃れられた。疲れた顔をして息を吐きながら彼女は、定助がいるかと振り返った。

 

「ねぇ定助、あんたは大丈夫だった?」

 

 

 

 

「うん、平気。スリにも遭わなかったし」

 

 人混みを掻き、定助が到着。

 まさに、崖に転落ギリギリでの救助の如し。またはラグビーでの友情のタッチダウン。

 抜けるのに手一杯なら、進行スピードも鈍化するもの。急いで行けば、何とかルイズの元へと戻れる事が出来たのだった。

 

「本当に財布は平気なの? 中身空っぽとかだったら怒るわよ」

「だ、大丈夫だって、ホラ!」

 

 疑うルイズに、定助はスられて取り返した財布を渡した。

 それを手の上に乗せた彼女は、安心したように息を吐く。

 

 

「まぁ、スリなんてとんだ間抜けじゃない限りやられないわよね!」

「…………そうだね、うん」

 

 心が抉られた気がした。

 しかし万事、何事もなく済んで良かった良かったと、定助もホッと一息吐いたのだった。

 

 

 

 

「……あれ? でも、なんか、お金増えてない?」

 

 

 財布の口を開き、中を確認したルイズが訝しげな声で定助に尋ねた。

 それを聞いた定助はギクリと、心臓を握られたような感覚に陥るのだ。

 

「そ、そうなの? いや、オレは見てないから分からないけど」

「ふぅん……気のせいかしら?」

 

 

 恐らく、あの男は定助の手前にも何人かスったのだろうか。そのお金をルイズの物も一緒くたにして、懐へしまっていたのを定助が根刮ぎ持ってきてしまったと言うのが妥当な考えか。

 この事実に結論付けしてしまった定助はギクギクと冷や汗を垂らしながら、狼狽えるのだった。

 

「……ん? どうしたの、ジョースケ?」

「お、オレェ? いや、何でもない何でもない! まぁ、お金が増えたと思うならいいんじゃあないか?」

「それもそうね、減ったよりかはマシだし。私の勘違いだったかしら?」

 

 そう言って再び彼女は定助に背を向け、目的地へと先導する。

 

「ほら、行くわよ」

「あぁ……うん、行こう」

 

 ルイズに呼ばれ、すぐに後ろを着いて行く定助。

 

(バレてなけりゃオーケー)

 

 内心は喜ぶべきか止めとくべきか、混沌としているが一先ず、自分に災難がおっ被らせられなかっただけでも良しとし、大いに喜んだ。

 

 

 

 

 暫く歩けば、綺麗な街から少し、薄汚い通りへと差し掛かる。

 

「……生ゴミ臭い」

「私だって、極力来たくなかったわよ……」

 

 石畳に妙なシミがあったり、異臭がしたりと、賑やかな表通りとは全く異なった場所である。

 この街のアンダーな所なのだろうか、貴族であるルイズはさっきから不愉快そうな表情で歩いていた。「さっさと帰りたい」と言いたげに、足を速める。

 

「所でご主人、何処に行くか、何を買うのか聞いていなかった」

 

 思えば「街に行く」「何かを買ってあげる」と聞いて有頂天になっていた為に、欠落していた疑問であった。スリに遭う、初乗馬で腰が痛いなどの要因が重なり、彼の頭はだいぶクールになっている。

 更にはこの汚い通り、最初の期待は正直、冷めていた。

 

「もうすぐ着くわ、確か秘薬屋の向かいだったような……」

 

 定助の問いに対しルイズは、キョロキョロと通りを過ぎ行く店々を確認しながら応えた。

 

 

「あ……あったわ。やっと着いたわよ、ジョースケ」

 

 目的地を発見し、彼女は定助に指差しで場所を教えてやる。

 ルイズの指の先を目線で追えば、とある一点へと到達する。その一点を定助は、まじまじと眺めるのだ。

 

 

 

 

「剣のマーク……ここは『武器屋』?」

 

 一本の剣が斜め置きされたようなデザインの、銅の絵看板がぶら下がっている店が目に付いた。




四部アニメのタグで「負けたら名所」はお気に入りです。


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虚無の曜日は街へ行こう。その3

UA80.000突破、恐縮です。
巻きますか、巻きませんか?


「ご主人、オレの為に買ってくれるのって……」

「そう、『剣』よ」

 

 定助は少し眉を下げて、何とも言えないと言いたげな表情になった。

 この表情が、ルイズは気に入らないようで突っ掛かってくる。

 

「何よ、不満なの?」

「え? いや、そうじゃあないけど……オレにいるのかなぁって……」

 

 彼には『ソフト&ウェット』がいる、自分を守る術もルイズを護衛する術も手持ちにあるのだ。だから武器を持つ必要が分からなかったし、これ以上を求めるのは少し贅沢かなと思っている。

 

「無いよりかマシでしょ? 使えるならあんたが使うなり、『ソフト&ウェット』に持たせるなり、ただ腰に下げておくなりしていたらいいわ。丸腰と持っているじゃ、持っている方が牽制になるでしょ?」

「はぁ、紋所の役割ね」

「モンドコロってなによ……」

 

 つまりは、直接的な戦闘用とせずとも、丸腰よりはナメられる事はないと言う事。威光翳すようにも見えるのだが、さっきのスリのような平民の悪党程度には効果あるだろう。

 それに、『ソフト&ウェット』に持たせると言う発想は面白いかもしれない。彼女は彼女なりの考えで買ってくれるのだし、使い魔の定助は受け入れるだけだ。

 

「入るわよ、扉を開けて」

「うん」

 

 この流れにも慣れて来た、定助はもう二つ返事で従うようになった。

 少し削れた、木の扉を開けてやる。

 

 

 

 

 中は思った通りと言うべきか。

 槍やら剣やらが乱雑に置かれた店内は、まるで物置きのように窓の少なく薄暗い。吊り下げられたカンテラの灯火が剣の白刃に反射し、鈍い光を放っていた。

 床を踏めばギシギシと軋み、埃っぽい匂いが多少なり漂っている。良くも悪くも、軒先の雰囲気にあった店内だと分かるだろう。

 

 

「らっしゃーい」

 

 店主と思われる男の、気の抜けた挨拶が聞こえた。緑の頭巾を被り、鼠のように細い髭を生やした男が、椅子に凭れて眠そうな目で二人を見やる。

 ルイズに視線を合わせた店主は、彼女の身なりが貴族のものだと気付き、大慌てで椅子より立ち上がった。

 

「あ、ありゃりゃ!? これはこれは、き、貴族様とですか……?」

「えぇ、そうよ」

 

 店主の確認に、誇らしげな顔で肯定するルイズ。その後ろ、扉を閉めて店に入った定助だが、時を止めても関係ない処刑方法を思いつかれたような、青冷めた顔をしている店主と目が合った。

 

「うちは真っ当な商売をしてまさぁ! 貴族様に目を付けられるような事はしてませんぜ、断言します! 言葉ではなく、心から!」

 

 滅多に貴族の来ない店とは分かっていたが、来たは来たでこうも大幅な誤解をされるとは、気苦労が多いのは貴族なのやら平民なのやら。

 当の本人である貴族様、ルイズはその誤解に「面倒臭いな」と言いたげな溜め息を吐いた。

 

「何も店を潰しに来た訳じゃないわよ……客として来たのよ」

「へ? お、お客さんとしてですか?」

「そう、武器を買いに来たの」

 

 趣旨を聞いた店主は慌てた顔はしなくなったが、次は怪訝な表情でルイズの顔を凝視していた。

 

「こりゃまた面妖な事が起こるもんでさ! 貴族様が武器を!」

「私じゃないわ。使うのは……アレ」

 

 

 そう言いながらルイズは後ろにいる定助に指を差し、「こいつが使う」と示した。

 店主の目は定助へと移り、また余程格好が変だと思われているのか、靴から帽子までスゥッとまじまじ眺めるのだった。

 

「これは変わったお召し物で……最近は従者に着せる服さえも全て決めるので?」

「決める訳ないでしょ、そんな物……どんな流行りよ」

「いえいえ……言いますのは昨今、貴族が下僕に武器を持たせるのが流行りなものでして」

「ふぅん……時機だったのね」

「まぁ、貴族の流行は矢の如しですがね。それよりも武器でしたな!」

 

 二人で話が進んでいる間、定助はウロウロと店内を歩き回っていた。薄汚いとは言え見た事もない武器だらけの店内はまた、定助の好奇心を煽る燃料である。

 

「凄いなぁ……これ、本当に斬れるのかな……」

 

 刃の長い剣があれば、銀色に輝く鋭利な槍だったり、派手な装飾のなされた棍棒だったり……どれ一つを取って見ても、彼には全てが新鮮に見えたのだった。

 特に目を引いたのはとある剣。所謂、長剣と言うもので、少し錆びてはいるが面白い形状をしていた。両刃が多い中で、白刃と峰との境がハッキリしている刀に似た剣であり、定助が住んでいたと言う【日本】にあった物と少しだけ似ていたので、親近感を覚えたのだ。

 

 

 

 

 そんなこんだで色々見物していると、店主がルイズの要望を受けて、店奥の保管庫より剣を運んで来た。

 

「さぁて、お待たせしやした。先程の通り、貴族の間で下僕への武器所持が流行でありやす。そして買って行くのは、こぉんなもんでさ!」

 

 

 店主が自信満々に台の上に置いたのは、長くて細い剣である。柄の部分と刃との境目は丸く、傘のような柄頭が柄の上部まで被さっていた。

 また刃は針のように細く長く、見るからに『斬る』と言うよりはフェンシングのように『突く』のが主攻撃であると分かる。

 

「うわぁ、凄い豪華そうだ」

 

 定助が驚くほど、その剣は細やかで綺麗な装飾がされていた。まさに、『貴族好み』を表しているようだ。

 

「これは『レイピア』ね、騎士が良く使うわ」

「流石であります、若奥様! 軽く、彩飾豊かなもんがウケとりまして、こちらが貴族様に大人気の品でありやす!」

「貴族に?」

「そう! 貴族様にで御座いやす!」

 

 先程から武器は持たないであろう「貴族に貴族に」と語る店主に対し、ルイズは疑問を投げ掛けた。

 

「そう言えば、何で下僕に武器を持たせるのが流行なのよ? 降って湧いただけでそんな流行が出来る訳がないわ」

 

 それを聞いた店主は少し、難しい顔をした。

 

 

「いや、実はですねぇ若奥様……最近、城下を荒らす『盗賊』がいやしてね?」

「盗賊?」

「えぇ、賊でさ」

 

 定助もその話に興味を示し、手に持ってみたレイピアから店主へと視線を移した。

 彼は話を続ける。

 

「その盗賊は貴族の持つ、高価で貴重なお宝だけを盗む『貴族専門の盗賊』であられましてね。城下に住まう貴族たちを恐怖に陥れている奴でして……その盗賊からの防衛の為として、従者に武器を持たせている次第でありやす」

「貴族から盗るなんて、相当やり手なのね」

「へぇ! 何でもこの盗賊、『メイジ』だそうでしてね? 盗む時に宝物庫の壁や扉を錬金で【土】に変えちまうらしいのですよ。なので巷では、『土くれのフーケ』と呼ばれとりやす」

「へぇ」

 

 

 説明を聞いた二人だが、納得した様子のルイズとは違って定助は驚きにも、疑心にも合わさった表情で彼女に尋ねた。

 

「ご主人、『メイジ』の盗賊……魔法使いの盗賊って事だろ? 確か魔法使いは、『ほぼ全ての貴族だけなれる』ハズだったじゃないか……貴族が盗賊するの?」

 

 この定助の疑問に対し、ルイズは応えた。

 

「たまにいるのよ、貴族じゃないメイジが。勿論元は貴族だけど、親に勘当されたり、破産して落ちぶれたりして家を捨てて、傭兵や犯罪をする不届きなメイジがいるの」

「そうなのか?」

「多分、この『土くれのフーケ』もそう言うタイプのメイジだと思うわ」

 

 やはり、貴族の世界も色々と複雑なのだろう。

 いや、聞く限りでは貴族としての地位は全て『家』に帰属しているようだ。謂わば家柄こそが『支柱』である。それが取っ払われてしまったら、それこそ『平民』と同一になってしまう。ルイズの語り口から察するに、そう言った貴族は下に見られている。

 名を失い、地位を消失した者はどうなるのだろうか。

 鳩の帰巣本能のように、再び帰ろうとするのか。それとも、そうなった要因へ復讐を始めるのか。それとも、また別の目標を見つけるのか……どれにしろ、何をしでかすのか知れたものではない。

 

 

「それと、『フーケ』なんですがね?」

 

 世知辛い世の中を想像している定助だが、店主は盗賊の話に注釈を加えた。

 

「フーケは盗みをした後に、『領収しました』とふざけたサインを残すらしいのと、あと……」

「あっそ」

「え」

 

 しかしその説明を、ルイズは途中でぶっ切った。貴族を賑わす噂の盗賊とは言え、それほど彼女は興味を持っていなかったのである。

 話を止められた店主は、鳩が豆鉄砲食らった顔のままポカンとしていた。

 

「レイピアじゃ細いわ。大きくて、太いのが欲しい」

 

 そんな店主を置き去りにして、ルイズは違うものを要望するのだが、申し訳無さそうな顔をした定助が話かける。

 

「ご主人、オレは別にこれでいいけど……」

「こんなので戦ったって、すぐにポキンと折れちゃうに決まっているわ」

「いや、でも案外……針の部分を射出出来れば」

「あんた、馬鹿?」

 

 罵倒に、長い言葉は必要ないのかもしれない。ほんの二文字、ほんの二文字だけの言葉だがそれは、さらりと心に入り込み、岩のように崩すのである。

 消沈した定助は何か言うのを諦め、目を細めて眉を顰め、困り顔でレイピアを台に置いたのだった。

 

 

「それで、もっと大きなのが良いんだけど?」

「…………」

 

 貴族と平民の間柄とは言え、武器屋の店主である。剣に関してならルイズより遥かにプロフェッショナルだろう。武器に関しては何も知らない彼女に対し、少し物言いしてやろうと言う気になった。

 嫌そうな顔を一瞬だけ出した後、また愛想の良い笑顔でルイズに意見を投げかける。

 

「あー……お言葉ですが、全ての物には相性と言うのがございやす。馬と人、属性と人、そして剣と人でさ。そしてその相性に釣り合いが無ければ、努力しても失敗ばかりですぜ? その細身の従者に持たせるのでしたら、重い剣よりレイピア系統が相性的に妥当かと……」

「煩いわね! 太くて大きいのが良いって言っているのよッ!!」

「へ、へい!」

 

 相性について説いたのに、一向に引かずに怒鳴るルイズにとうとう折れた。やはり、貴族には些細な事でも逆らえないのが平民の辛い所。

 店主はルイズから顔を背けると、「素人が」と毒吐くように憎々しげな表情を作り、レイピアを下げる。持っていかれたレイピアを少し定助は物欲しげにしていたが、ルイズに何か言うのはあまり気乗りしない。

 

 

 

 

「それでは、こちらはいかがでしょ?」

 

 次に持って来たのは、先程のレイピアとは比べ物にならない程、先から柄まで光輝く黄金の剣であった。水脈のように細かい線に、星のように散りばめられた宝石、シンメトリーで調和の取れた美しい全体性は一級品を直感で語らせるほどだ。

 あまりの豪勢な剣に驚いた定助は、「おぉ……」と声を漏らす事しか出来なかったが、ルイズは品定めでもするように慎重な様子で矯めつ眇めつ。

 

「かなり豪華ね……」

「当店一の上物でさ! ほれ、ここを見て下せぇ、このサインを!」

 

 鞘の脇に、人名らしき名前が彫られているが、定助には読めないし誰かも分からない。が、著名な人物らしく、ルイズも関心したような声を漏らしていた。

 

「シュペー卿かしら?」

「良くご存知で!! かの高名な【ゲルマニア】の錬金術師、シュペー卿が鍛え上げた業物でありやす!『固定化』もされておりますので、鉄さえも一刀両断出来ちゃいまさ!」

「ふぅん……」

 

【ゲルマニア】と聞いて少し、苦い顔をした。キュルケを思い出したのだろうか。

 

「まぁ、貴族に相応しい剣ね、気に入ったわ」

「しかしまぁ、長剣でありますのでこの大きさ。従者さん、なかなか背が高いですが、腰に下げるのは些か無理がありましょうが……」

 

 確かにその剣は、定助の身の丈に差し迫らんとする程巨大な剣であった。そしてこの豪華な装飾である、重量もなかなかの物だと予想した。

 剣術なんて身にない定助は、この剣を振る所か振られるのではと不安になっていたのだ。しかし、そんな彼の意図とは無関係にルイズはその剣を、柱の生物が好敵手を見つけたように、いたく気に入ってしまった訳である。

 

(確かに貴族好みな剣だけどなぁ……利便性ってのがないよ絶対、コレ……)

 

 芸術的美観はかなり上行く業物だ、だけどそれが使い易さに繋がると言われれば、そんな事はない。一つが長ければ、一つが短いのがこの世の摂理である。

 定助的にはスピード感のある、それこそ残像を出せるほどのスピードで繰り出せるような、軽い剣が理想なのだが。

 

 

「えっと、ご主人、オレはやっぱさっきのレイピアで……」

「何言ってんのよ! 貴族の従者として、貴族らしい剣を使って貰わなきゃ困るわ!」

「いや、さっきのレイピアも貴族らしいんじゃ……それにその剣、絶対高いよ」

「私は貴族よ、何て事ないわ」

 

 これはもう無理だと、定助は両手を振り上げて降伏のポーズを取る。もうルイズの立ち振る舞いが貴族ぶったと言うか、気取ったものであり、スイッチが入ったと言うのか……兎に角、彼女が決めてしまったのだから定助が何か言う領域の外である事は明白。渋々と引き下がるのが利口と半分したのであった。

 

「おいくら?」

 

 ルイズが値段を聞くと、店主は手元にある値段表の紙を広げて、書かれた値段を読み上げた。

 

 

「えぇ、エキュー金貨で二千枚」

「…………」

「新金貨だと、三千枚になりまさ」

「………………」

 

 何故か黙った彼女の表情に、後悔の念が表れたのを定助は見逃さなかった。

 それにお金の単位は分からないが、財布の中を見た限りでは千枚も無かったような気がする。

 

「……エキューで二千、金貨で三千……」

「どのくらい高いの、それって?」

「庭と森付きの立派な家が買えるわね……」

 

 相場は分からないが、どれくらい高いかは分かった。一先ず、家一軒(その他オプション付き)が難なく買える値段であると理解した。

 

「……買えないのか?」

 

 定助がそう聞くと、値の読み違えで恥をかき真っ赤な顔したルイズにキッと睨み付けられるのだった。

 

 

「何が『買えないのか?』よ! 誰かさんの大怪我のせいで、秘薬に恐ろしいくらい手持ち持って行かれたのよ、仕方ないでしょ!」

「……ごめんなさい」

 

 それを聞いた定助に、申し訳無さが込み上げて来た。頭を下げて、丁寧に謝罪をする。流石にこれは自分が悪かったと、素直に思うのだった。

 反省する定助は置いといて、ルイズは店主に向き直る。顔色はまだ赤いが、薄暗い店内では悟られないだろうか。

 

「悪いけど別のにするわ」

「……左様ですかぁ」

 

 散々ルイズに振り回された挙句、結局は『止めた』と断られて苛立っているのは店主であろう。この時彼の頭の中では、「どうこの貴族からぼったくってやろうか」と思案されていた。

 

 

「じゃあ、別の剣を持って来やしょうかね」

「いや主人、待ってくれ」

 

 また別の剣を持って来ようかとする店主を制止させ、定助は自ら剣を選び始めた。

 

「あんさん、選びなさるのでっか?」

「質素でも良いよ。こう、シュババババーッと扱えるのが欲しいんだよね」

「しゅ、シュバババと?」

「弾丸さえ弾けるような素早さで切れる、軽いのとか」

 

 

 

 

 突拍子の無いファンタジーを定助が呟いた時、剣置きの方から低い男の声が聞こえて来た。

 

『やいやい! そんな「私、剣持った事ありません」と言っているような貧弱な体で、夢見てんじゃねぇや!!』

「えっ?」

 

 パッと振り向けば、剣の山の中。何処から聞こえたのか分からない声に、不思議そうな顔で見渡す定助とルイズに、四発の弾丸しか残っていない、四嫌いのガンマンのように狼狽える店主。

 声は再び聞こえて来た。

 

『それにオメェ、さっきから聞いてれば針を射出やら弾丸弾けるやら……アホか!? 子供か!? おでれぇーたぁ! お子様にゃそこらの棒切れで十分だ、剣士ごっこでもやってろっての!! 変な服も着やがって!』

「えぇ……あー……えっ、何処?」

 

 捲し立てるような罵倒にやや押され気味の定助、ただ声の主を探すだけが目的となってしまっていた。

 だがキョロキョロと見渡そうが、何処にも人影はあらず。声の聞こえ方からしてかなり近くにいるのは分かっているが、剣の山しか見つからない。その剣の山とかでさえも、人が隠れられるスペースなんてある訳ない。

 

 

 まるで透明な赤ん坊を相手にするような、奇妙な感覚。依然として、声は何処からともなく発せられた。

 

『あと貴族の娘っ子! 剣の事なんざド素人丸出しの癖に、玄人ぶんな! そーゆーのを「虚勢を張る」って言うんだよ、娘っ子!!』

「な、なんですって!?」

 

 恐れ知らずの声は、貴族であるルイズにも突っ掛かった。流石にこれはマズいのでは、と焦った定助は声のする方への徐々に近付いていた。このまま見えもしない所で暴言散らし、最終的にブチ切れさせたルイズに魔法を行使されたら、店にとっても相手にとっても究極生物誕生レベルの大惨事確定である。

 

「何処にいるんだ?」

「そうよ出てきなさい、この無礼者ッ!!」

「……ほら、ご主人も怒っているし、顔でも出したら……」

 

 一番声が聞こえた地点まで定助は近寄ったが、やはり人の気配がしない。狐に包まれるような気分の中で声の主探しをするが、居場所は向こうから開示して来た。

 

『オメェの目は何の為に付いてんだ! 目の前にいんじゃねぇか!』

「……え?」

 

 今のはとても鮮明に聞こえた、自分の腹の位置辺りから見上げるような声。

 定助が視線を下げてみれば、剣立ての前。さっき、自分が少し「いいな」と思っていたオンボロ刀の前である。

 

 

「……何処?」

『察しのワりぃ奴だなぁ!? ここだっての!!』

「おぉ!?」

 

 声はその、『剣』から発された。喋る度にカタカタ震えるその剣を、定助はバッチリ確認した。

 

「ご、ご主人! 剣が喋ってる!」

『おう、剣が喋っちゃ駄目なのかぁ!? それに言葉に気ぃ付けやがれ、俺はオメェなんかより倍も年長者だぞ!!』

「どうなってんだコレ……『スタンド』か!?」

『「スタンド」だぁ? そんなちゃっちい名前じゃねぇやい!! 俺はかの有名な「デルフリンガー様」だ!!』

 

 有名かどうかは分からないが、剣が喋っている事実。衝撃度で言えば頭の良い鼠に出し抜かれたようなショックだろうか。

 錆びた長剣と見たが、もっと良く見てみれば、さっきの剣と大きさは変わらない。しかし、かなり細身なので幾分かスマートに見える所がやや凛とした印象を与えている。

 ルイズはその事を確認し、驚いた顔で話した。

 

 

「これ、『インテリジェンスソード』じゃない!?」

「インテリジェンス?」

「『意思ある剣』よ、こんな店で見るなんて……ボロいけど」

 

 最後の余計な一言で、更に『デルフリンガー』と名乗る剣は突っ掛かるのだ。

 

『んだと娘っ子!? 剣の何たるかを知らねぇ癖に!! そんなドの素人にゃ剣なんて必要ねぇやい、帰んな帰んな!!』

「やい、デル公ッ!! 静かにしやがれ! お客様になんて口の利き方だ!」

 

 ここで店主がデルフリンガーに対して怒鳴るものの、饒舌な(口も舌もないのに饒舌とは、変な表現だが)剣はまだまだ喋り散らすのだ。

 

『お客様だぁ!? こんな素人に剣なんか使わせたって、すぐに駄目にしちまうのがオチさ! それにオメェの売り方にゃ反吐が出るっての! 明らか言い値以下の剣に、百も二百も釣り上げんだからよぉ!!』

「何だとこのボロ刀!!」

『お? やんのか? 何ならオメェのヤベェ秘密でもここで暴露してやろうか?』

「ぐっ……!」

『へっ!』

 

 剣にしてやられる人間とは、かなり滑稽な光景だろう。顔を真っ赤にさせて憤怒する店主だが、不機嫌顔のルイズに気付き、すぐさま頭を下げて謝罪をする。

 

「も、申し訳ありません若奥様! へぇ、仰る通り、そいつは喋る魔剣『インテリジェンスソード』でさ! ったく、一体何処の魔術師が考案したんだ、喋る剣なんざ……この通り口悪く、客に喧嘩売って帰らすもんで、こちとら商売上がったりだ!」

「黙らせれないの、こいつ?」

「鞘に収めりゃ黙らせられやすがね? いやいっそ、溶解してやろうかデル公!!」

 

 店主の脅しにもデルフリンガーの減らず口は変わる事はない。

 

『おぉ!? 溶かすのか? 溶かすのかぁぁぁ!? いいぜやれってんだ!! この世界に飽き飽きしていた所なんだ、溶かしてくれんなら願ったり叶ったりだっての!』

 

 砲台の撃ち合いのような、デルフリンガーと店主の口喧嘩。剣と人間と言う、種族は愚か生物を超えたこの喧嘩に物凄い新鮮味を感じる。汎神論とは本当にあるのではと思うほど、面白い光景だった。

 だがその最中、定助は好奇心に満ちた表情でデルフリンガーを剣立てから引き抜いた。

 

 

 

 

「いいな、気に入った。ご主人、これにする」

 

 彼の決意を聞き、ビグリとルイズの左瞼が痙攣。

 

「そ、そんなのが良いの!? ボロいし喧しいし、良いトコ無しじゃない!」

『一言余計だっての娘っ子ッ!! ボロって言うな、年季が違うんだよ、オメェとそこらの剣とよぉ!……あと離しやがれ!!』

 

 カタカタ震える小さな抵抗と、止まらない弁舌にやや苦笑い気味な表情の定助。しかし彼自身も、来た時にこの剣に対してのシンパシーを感じていたし、何より喋る剣とは面白い。

 

「これだと軽いし、オレでも使えそうだ。それに喋るから退屈凌ぎになりそうだし」

「もっと良いのを買ってあげるわよ?」

「これで良いよ。多分、安値かも」

 

 完全に楽しんでいる様子の定助を見て、「これはもう揺らがないな」と観念した彼女は、呆れ顔を携えたまま店主と商談を始める。

 

 

「これ、おいくら?」

「買ってくれるってんなら、こっちが有り難いでさ! 厄介払いだ! 金貨百枚で構いませんぜ」

「分かったわ……百枚はあるけど私、最初百枚も持っていたかしら?」

 

 

 ルイズが財布を出し、支払いをしている間、定助はデルフリンガーとコミュニケーションに勤しんでいる。

 

「これから宜しく……えっと、デル公」

『デルフリンガーだ!! 二度と間違えるな! 俺の名前はデルフ……リンガー…………!』

「……ん?」

『…………』

 

 しかし、デルフリンガーは何かに気付いたようにピタリと黙り込んだ。頻りに軋ませるようなカタカタ音も止み、文字通りに大人しくなってしまった。

 唐突の変化に戸惑っているのは定助の方で、もしや喋り過ぎで魔法の効力でも切れてしまったかと心配してしまったが、そんな事はなく、今度は驚いたような関心したような、先程と比べて随分と頓狂な声で静かに語りかけたのだ。

 

 

『…………おでれぇたぁ……』

「うわっと……どうした?」

『いやいや、まさか……オメェ、「使い手」か』

「……? 『使い手』?」

 

 何の事か分かっていない彼の様子に察し、デルフリンガーは呆れた声で話す。

 

『何だ何だぁ、てめ? 自分の実力も分かってねぇのか?』

「実力?」

『ま、とりあえず買ってくれんならいいや。仲良くしようぜ、相棒』

「……? まぁ、うん。宜しく」

 

 態度がいきなり軟化したデルフリンガーに、困惑を覚えずにいられない定助。

 だがとりあえず言えるのは、アーサー王伝説のエクスカリバーのように、または途方も無い力を与える矢のように、定助は剣に選ばれたと言う事なのだろうか。

 

 

 

 

 ほんの少しの疑問を残し、デルフリンガーの会計は無事、済まされたのである。




ローゼンメイデンか、水銀燈派だから断る。


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街の虚無はもう少し続く。

ぜんたぁぁぁあい、突撃ぃぃぃぃぃ!!
構えぇぇ、筒ッ!
ファイアぁぁぁぁぁぁぁ!!

遅れました事を、謝罪致します。


「本当にそれでよかったの?」

「喋る剣なんて、滅多に見ないんだろ? 良い買い物したじゃあないか」

「いや……珍しいは珍しいけど、喧しいのは御免よ……」

 

 憎々しげに呟いたルイズに対し、定助に背負わされているデルフリンガーはガチャガチャと揺れ出し、抗議しているような風をしていた。しかしそのお喋りな口……と言うより刃には鞘がカチリと掛けられており、封じられているのだ。

 

「何か喋りたそうだけど、鞘から出してもいいかな?」

「駄目に決まっているでしょ!? 今、何処にいると思ってんのよ!!」

 

 

 二人がいるのは、表通りにある綺麗な茶店。貴族が来る事は殆ど無いそうだが、この辺りでは『上の下』程のそこそこ格式あるお店である。その茶店の屋外テーブルに、ルイズと定助は向かい合いで紅茶を飲んでいたのだった。

 武器を買うのに殆どの金貨は使ってしまったが、エキュー金貨が一枚あった。また馬に乗り、二時間の行程で学院に帰るのだが、その前に喉を潤しておこうと思い立ち、一つのティーセットだけで大丈夫なリーズナブルかつ綺麗なお店を探し求め、この店に入ったのが経緯である。

 

 

 ただでさえ、貴族であるルイズの来店だけで店の人間をどよめかせているのに、ここで定助が剣を鞘から抜いてしまえば道行く人でさえ大騒ぎは確定であろう。

 騒がれるのが嫌だから外の席に座ったが、店の窓から店員が時たまにこちらを見ている。それに紅茶だけを頼んだのに、マフィンも付け合わせられている所は優遇されている。これ以上、騒がせるのは止めた方が良い。

 

「あぁ、そうだった。じゃあ、寮までは抜かない」

 

 背負われ、右肩から突き抜けるデルフリンガーの柄まで伸びた定助の手は、ふらふらとティーカップの取っ手へ移った。淹れられたばかりの湯気立つ紅茶は、琥珀色の波紋を作り水面でたゆたっている様。

 小さな取っ手の穴に指を入れ、こぼさぬように遅々と持ち上げる。

 

 

 するとルイズは、教鞭持つ学校の先生のように厳しい目で定助を睨んだ。

 

「ジョースケ、お行儀悪いわよ」

「……ん?」

 

 言われた定助はピタリと停止した。何が悪かったのか、座り方なのか飲み方なのかを思案している。

 そう言えば彼は今、木の椅子に座られている。椅子に座るのは禁じられていたハズだが、理由として、平民の店だから良しと許可を受けた所にある。言えど、ルイズの椅子だけ異様に豪華な物であるので格差を感じるのは多少の蟠り。

 

 

 それだけに、椅子の座り方は十分に気を付けていたハズで、何が悪いのかが分からない。最終的には周りの事なのかと見渡している始末だ。分からない様子の彼にその内、痺れを切らした彼女の方から、拙い所を指摘する。

 

「指、取っ手の穴に入れちゃ駄目」

「え? そうなのか!」

 

 ルイズの飲む姿を見ていれば、右手は受け皿を持ち、カップの下を維持している。そして左手の指を見れば、穴に差し込むと言うより取っ手を摘むように持ち上げているのが分かった。

 

「知らないなら覚えておいた方が良いわ。人によっては厳しく言及されるわよ」

「貴族には世間の目も当たるから?」

「そうよ、だからマナーは守る。貴族として当たり前だし、私の使い魔として当たり前よ……あら、美味しい」

 

 成る程、貴族らしくエレガントな雰囲気のある飲み方だ。指を無闇やたらに曲げない所が更に良い……感じがする。いや、定助自身あまりこう言う拘りやらマナーやらは、上階級の衆目気にした上品な物は疎い。それは彼が庶民的な人間である事を意味するのだが、別にこれでも生きて来れた訳だし、気にも留めた事のない事。

 マナーを守り切れば富豪になれる別荘を買えるのなら本気を出せそうだが、そうでも無い限りはただただ面倒。しかし、主人に指摘されたのなら改めるのが、ある種のマナーだろうか。

 

「摘むように、飲む」

 

 定助も飲み方を真似してみる。慣れない持ち方な事もなり、摘む指がフルフルと震えていたが、元より手が大きいので致命的と言う訳ではなかった。ただやはり、飲み難い。

 

「……貴族のお茶って、疲れるんだなぁ」

「手全体で力込めてたらそうなるわよ…………まぁ、矯正する事ね」

 

 ティーカップを置いた彼女は、潤った口内を乾かすかのようにマフィンを食べる。

 野菜の上品な甘み、パンプキン味のマフィン。橙色の生地はふわりと入道雲のように上へ盛り上がり、カップの外へはみ出ていた程。丸くしっとりとしたその天辺を、小さく齧ったルイズは、どうやらお気に召したようで頬を綻ばせている。

 

「わぁ、これ美味しい!」

 

 窓から覗く店員も、笑顔の彼女の様子を確認してホッと一息吐いていた。

 

 

 

 

「ご主人は、オレの事をどう思っている?」

 

 そんな時、唐突に定助からの質問が入る。自身の存在を確かめて欲しいと言いたげな、奇妙な質問。

 意図が読み取れず、困惑したルイズは、この奇妙な質問が耳に入るや否やすぐ定助と顔を合わせた。

 

「……いきなりどうしたのよ、定助?」

 

 対して定助も何故か、驚いたような表情だ。

 

「あ、いや……あれ? 何で聞いちゃったんだろ?」

「はぁ?」

 

 惚けた顔で目をパチクリさせる彼を見て、意識せずともつい溜め息が出る。

 困惑したいのは、言っておくが彼女の方であろう。いきなり「自分をどう思っているか」と聞いて来たら、その真意を尋ねると「何で聞いたのか」と驚いている……この流れでは、振り回されているのはルイズ側である事は言わずとも分かる。

 

「何で聞いちゃったんだろってねぇ……聞いたのはあんたなんだから知らないわよ、私は!」

「そうなんだけど、いきなり降って来た言葉でさぁ」

「何なのよそれ!? はぁぁ……」

 

 支離滅裂な彼の言動にほとほと呆れて頭を抱えるルイズだが、記憶喪失の定助が聞いて来たのには意味があるハズだと決めると、渋々と定助の評価を語った。

 

 

「……まぁ、そこんじゃそこらの平民よりは『やれる人』だと思う。自己評価を高めにしていても良いわ」

「…………」

「あとは貴族に対しての礼儀を弁えて欲しい所と、勝手な事は控えて欲しい所かしら? これでどう?」

「有り難うご主人、何か、安心したよ」

 

 とは言うが、彼の顔からは憂心が払えていやしないのは、一目瞭然だろう。

 何か気にかかる事でもあるのかと、心配する反面、鬱陶しい気持ちがルイズには湧き出ている。

 

「何よ。何か不満でもあったかしら? 褒めてあげたハズなんだけど?」

「え? オレェ? いや不満なんて、滅相もないよ。感謝している」

「それにしては辛気臭い顔するわね」

「…………」

 

 表情を指摘され、不意に彼は顔を触った。

 

「どうしたのよあんた。明らかに様子おかしいじゃない、今」

「…………」

 

 

 確かに、どうにも調子がおかしい。調子がおかしいと言えど熱っぽいだとか怠いとか、身体的な事ではなく、胸中にギスギスとしたサボテンの針が刺さるような、この水面下にある不快感の事を示す。

 キュルケとの逢瀬の最中に起きた、妙なフラッシュバックとアベコベした感情。原因を挙げるとしたならそれしか思い浮かばないが、彼からしたら『誰の声』なのか『何者』なのかも確信の外側な訳であり、つまりお手上げ状態。

 

 

 そしてこの謎は、彼に強い不安感を与えている事は一つの事実でもある。

 

 

「ねぇ、ご主人。昨日の、キュルケちゃんの時……」

「はい?」

 

 片眉を上げて細い目になり、見るからに不機嫌な顔になった分かりやすいルイズ。流石にこの時にその話題は、言う所は手放せば吹き飛ぶ『地雷』のような物だろう。

 しかし定助はどうしても、聞きたかった。

 

「気を悪くしたなら謝るけど、直接的な話じゃあないから……えっと、部屋に入る時に何か言ったりした?」

 

 定助が知りたいのは、「大きい」やらと言った『少女の声』について。

 問い掛けを聞いた彼女は、昨日の出来事を思い出すように仕草として、小首を傾げた。

 

「いや、何も? お手洗いから帰る時にツェルプストーの部屋の前を通ったら、あんた達の声がしてそのまま……って、何でこんな話しなきゃいけないのよ!」

「ごめんごめん……えっと、つまり何も言わずに突入したって事ね」

「そうよ! 何でこんな……変な事聞くわけ?」

「『大きい』とか言ってない?」

「言ってない! 寧ろその状況でどうして言わなきゃいけないのよ!」

「そうだよね」

 

 言えど、聞こえた声はルイズと似ても似つかぬ声であった事は確かだった。もっとねっとりとした、昨日のキュルケのような熱の込められた声だったなと、今になって思い出す。言えど、キュルケにしては幼気のある声だったが。

 それに、定助だけがハッキリ聞こえて、当事者であるキュルケとルイズの耳に入っていなかったのも気にかかる所。やはりあの声は、定助の内側……所謂、既視感のような記憶の突沸であったと判断した。

 

 

 無くした記憶が、何らかの要因で這い出たのだろうか。考えれば考える程、自分に対して不安が生まれる。

 特にこの『声』に関しての感情が、『闘争』と『焦燥』と『恐怖』であった。これがまた彼を悩乱へと誘う世界。

 

(全てを、抜き取られるような……嫌な気分だ)

 

 

 

 

 思い悩む頭に、いきなりハンドクラップが鳴り響き我に返った。

 鳴らしたのはルイズ、どんどんと辛気臭くなって行く彼に見かねて、手を叩き注目させたのだった。

 

「だぁーからあんたは……何でそんな顔になるのかなって……情緒不安定なの?」

「あ……ごめん」

「紅茶、早く飲んじゃいなさい。冷めたら美味しくないわよ」

「うん」

 

 ルイズに催促され、持ち方もキチンと整えながら口元へ紅茶を運んだ。

 あまり紅茶には詳しくないけど、良い紅茶だと分かるのは匂いのお陰だろうか。淹れ方もしっかりとされているようで、砂糖も何も入っていないのに美味しく感じられる。

 

 

「自分に不安を持っているなら……その…………私はあんたのご主人様なんだから……そ、相談なら乗るわよ」

 

 するとルイズから、そんな声をかけられた。

 ハッとして彼女の方へ視線を向けば、真っ赤な頬をこちらに見せて、そっぽ向いて紅茶を飲む姿があった。

 

 

 そうだった、自分には思ってくれている人はいるんだ。

 言い慣れない言葉を使って照れているルイズに対して、定助は微笑みながら頭を下げた。

 

「有り難う……ご主人。その言葉だけで救われるよ」

 

「ご主人様として当然よ!」と威張ったような風で返す彼女だが、それは照れ隠しである事は紛れもない事実だろうにと、またおかしくて笑ってしまう定助であった。

 

 

 そんな二人の茶会を妬む、一人の視線があった事は気付かれなかろうに。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐぎぎ……! にっくきヴァリエール! 物で気を惹くなんて、卑怯よ卑怯!!」

「…………」

 

 その視線とは、定助を追っかけて来たキュルケと、背後で本を読むのは巻き込まれたタバサである。今は何処か、街の路地を歩いていた。

 唇を噛み締め、幸せそうな(キュルケにはそう見えた)ルイズに対しての嫉妬を募らせていたキュルケは、無駄に鋭角な観察眼を発揮し定助の持つ剣を発見、武器を買いに街へ来たのだなと見抜いていた。

 

 

 つまり、現在の二人は武器屋へと向かっていると言う訳だ。

 

「だけどルイズったら……安そうな剣を買ったのねぇ。ふふん! まだ勝機はあるわ」

「…………」

「タバサ、あそこかしら?」

「……そこ」

 

 

 しかし着いた武器屋はあろう事か、ルイズと定助がデルフリンガーを購入した武器屋である。

 

「汚い所……もっと綺麗な所はなかったかしら?」

「仕方ない……武器屋だから」

「それもそうねー」

 

 そもそも武器とは貴族はまず買わないし、一般市民も買う必要がない者が殆どだ。買ったとしても一本のみで、続けざまに購入するとしたら武器を多用する傭兵か盗賊かになる。

 故に需要が低く、こう言う大きな街で営むとしたら安い費用で営業出来る、ダーティーな裏の方へと押しやられるのが普通だ。相乗して店数も少なげなので、この店に二人がやって来たのは運命とかでも何でもなく、必然的なのかもしれない。

 

「じゃ、さっさと買うわよ」

「…………」

 

 

 

 

 意気揚々と店内に入るキュルケと対照的に、本から目線を離さず大人しく入るタバサ。

 店の扉が開かれ、椅子に凭れてウトウトしていた店主は、二人の姿を確認しては起き上がる。

 

「や、やや! こりゃまたどう言うこったい……今日はどうかしとるぞ、また貴族だ! イワシの頭も信心なんだなぁ……」

 

 ルイズに引き続き、またまた貴族たるキュルケとタバサの来店だ。頭に弾丸打ち込まれても何とか生きていた程の、滅多にない奇跡のような出来事に店主は、犬に帽子へガムをくっ付けられた不良のようにたまげるのだった。

 

 

 そんな様子の彼を無視し、早速キュルケは話を進める。

 

「ねぇ、ご主人。唐突で悪いけど剣を購入したいのだけど」

「け、剣でありますか?」

「えぇ、とても良い剣を」

「い、良い剣ですね……」

 

 あの饒舌な店主が受け身の姿勢で話している。

 言うのはキュルケのダイナマイトレベルの色気。前屈みになり机へ肘を立てた彼女の胸はこれでもかと強調され、店主の目を釘付けにしていた。さらにやたら熱っぽい視線と語り口、これらが一気に畳み掛けて店主の脳に烙印を付けるのだ。

 

 

 どうしてこんな色気を前倒しにして放っているのかは、彼女なりの打算があるからである。

 

「今すぐ持ってきやす! へぇ、良いのがあるんでさ!」

 

 店主は早速、奥へ消えたと思うとすぐに剣を持って来た。

 持って来た剣とは、ルイズにも紹介していたあの豪華絢爛とした大剣である。

 

「あら、綺麗な剣ね!」

「お目が高い! こちら、かの有名なゲルマニアの錬金術師、シュペー卿が鍛えた剣でありまさ!」

 

 決まり文句なのか、前に紹介していた物と同じセールストークをかます。

 そうこうしている内に気分が乗ってきたのか、受け身だった彼の口は次第に元の状態へと早変わり。

 

「恐らく従者に持たせるので? 剣とは、その者の象徴でなくてはなりませんでね、まさに若奥様に嵌った美貌の剣でありましょう!」

「そうかしら? ふふふ」

「えぇ、えぇ、お美しいですぜ! 更に魔法もかかっております、鉄だってバッサリでさ! 美と力を兼ね揃えた、文字通りグレートな代物でさ!」

 

 兎に角褒めて煽てて、気分を乗らせるのが、対貴族のセールス術であるようだ。

 見るからに気分を良くした彼女はさっさと値段を聞き始める。

 

 

 さて、分かる通りこの男は、ぼったくりに関しては枚挙に暇がない、抜け目なき商人である。

 煽てられ気分が乗り、ぼったくりに気付かず原価の二倍三倍、更にはもっとの値段で買ってしまう貴族もいたりする。このバレるかバレないかのギリギリのラインまで値段を吊り上げるのも商人の才能であるのだ。この男はその点では、かなりの目を持つ玄人だ、悪である。

 だが、これは原価を知らず、ぼられた事に気付かず、そのまま買った貴族が悪いのだ。

 

 

 しかし、そうならぬようにキチッと『作戦』を組み立て、逆に原価以下まで吊り下げて購入する、上手い貴族がいる。

 今回はぼったくり商人に対する、キュルケ式値引き交渉を解説しよう。

 

「お幾らで?」

「へぇ! エキュー金貨で四千、新金貨で五千五百でさ!」

 

 分かる通り、ルイズの時よりも倍の値段を提示する店主。しかもその顔に罪悪だとかの嘘のサインは出ない、絶対的な自信を持つ人間は、嘘のサインを出さないと言われている。つまり、表情から嘘を見抜くのは不可能だ。

 

「ふーん……これが、エキューで四千ねぇ……」

 

 例えばこの場合、「あたしはふっかけられている事はお見通しよ」と言う態度を取り、

 

「ちょっと、お値段が張りませんこと?」

 

と、貴族らしく優雅に、丁寧な口調で聞こう。

 すると、

 

「へぇ、名剣は釣り合う金額を要求するのでさ!」

 

何て、「ビタ一文まけんぞ、貴族の甘ちゃんが」と言ったような鋼の姿勢で決まり文句をぶつけてくるだろう。

 しかし忘れてならないのは、店主は店の主人であり、武器のエキスパートであり、根源的な部分として言えば『男』である。

 

 

「ねぇ……ご主人?」

「はぇ!?」

 

 ここで、ずっと放っていた色気を更に強めたような熱のある言い方で話し、店主の顎の下を猫にするように撫でてみよう。

 やや強くなった色気のアクセル効果と、男としての悲しい性とが彼の理性を分断せしめようとするが、

 

「やっぱり少し、お高いのでは?」

「し、ししし、しかしですねぇ、この名剣に相当した値段でありまさ!!」

 

 店主の鋼の姿勢はまだまだ溶解出来ないだろう。

 だが、ここで焦って色気を強めてはならない。病人に肉や酒を与えては駄目だと、常識である。まずは、お粥からだ。

 店主への熱のある視線は中断せず、

 

 

「……立つの疲れちゃったわ」

 

何て呟き、カウンターに座ってみよう。

 それだけではない、店主が何か言う前に足を持ち上げるのだ。

 

「な、なな!?」

 

 また一段強まった色気と、魅惑的な彼女の太腿に店主は釘付けになるであろう。

 そこで一層、熱を込める。

 

「もう一度聞きますわ……お値段、張り過ぎじゃございませんこと?」

 

 アクセル効果に相乗が付き、ここでとうとう店主の鋼の姿勢は溶解を始めるだろう。

 

「そ、そうですかい? じ、じゃあ……新金貨四千で……?」

 

 ここでせっかちを発動してはならない、まだまだ下げられるハズだ。

 今度は太腿を持ち上げてみよう、見える見えないの瀬戸際まで。

 

「き、貴族様ですから、特別に三千でどうでしょう!?」

「……暑いわね」

 

 まだまだ下げられる。今度は胸元のボタンを一つ、取ってみよう。

 

 

 値段交渉、開始。

「二千で!」

「シャツ、脱いでしまおうかしら」

 

 ここで原価の辺りだろうか。

 もう一つ、ボタンを取る。

 

「せ、千八百!」

「まだ暑いわねぇ」

 

 おまけにもう一つ、谷間を露わにして色気のボルテージを上昇させるのだ。

 

「千四百!」

 

 ここでスカートの裾を上げる。もう店主の脳内は興奮で理性的でなくなっている頃だ。

 

「千で! 千で如何でしょうかぁ!?」

 

 向こうから破格の値段を突き付けて来た、が、満足してはならない。

 

 

 

 

「五百よ」

「ごひゃくぅぅ!?」

 

 ここを境として、自分でもこんなに安く言っちゃって悪いなぁ、と思うくらいの値段を吹っ掛けるのだ。

 

「わ、若奥様!? ごごご……五百は流石に!?」

 

 マジィ? 常識あんの? と小馬鹿にしてしまいかねない程の提示金額に、溶けかけの鋼の姿勢はまた凝固となるだろう。

 だが安心して欲しい、何の為に色気をセーブしていたと言うのだ。

 

 

 見える見えないの瀬戸際にあったスカートの裾は、その際どい所でぴたりと止まり、少し戻す。そう、焦らすのだ。

 

「あ、あぁ……」

 

 興奮状態止まらぬ店主に容赦なし、この焦らしは爪を剥がされる如くの拷問に匹敵するのではないか。彼はフェロモンが奥から手を差し出しているかのような最大限一歩前の色気に当てられれば、

 

 

「五百」

「毎度有難う御座いましたぁぁぁ!!」

 

相手の鋼の姿勢は、一気に溶けてなくなるのである。

 落として落として落とし尽くす、これが彼女、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーの値切り交渉術である。

 結果、彼女はこの名剣を半額以下で手に入れたのだった。

 

「やったぁ! ルイズに秘薬の援助しちゃったから手持ち少なかったの! 感謝致しますわ、おじさま?」

「いえいえ、滅相もございやせん!! あっははははは!!」

 

 熱に浮かれたような雰囲気の店主が期待するご褒美は、キュルケがカウンターから降りた事により果たされなくなるのだが。

 

 

 

 

「……本、買いたい」

 

 その後ろ、つまらなそうに呟くタバサの姿があった。




次でやっと、フーケ編でさ。
ヒヤヒヤもんですが、宜しくどうも。失礼しました


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月夜騒動、双月と巨人。その1

「アンチ・ヘイト」とは、その作品が嫌いなので、登場人物が酷い事になっても構わないと思っている二次創作物を意味するそうです。
双方の作品を神を愛するように愛している私の意思と相反しましたので、こちらのタグを除去させて頂きました。
いやぁ、ロクに意味を知らずに付けるのはイカンね、失礼しました


 太陽は沈み、入れ替わり立ち替わりで二つの月が星空に浮かんでいる。

 夜ともなると、生徒の往来する賑やかな学院は、静かなる別の顔を見せるのだ。寝るにはまだ早い時間とは言え、晩餐後は学院の殆どは閉め切られる、行く事成す事無くしたのなら部屋でゆったりするのが、貴族にとっての夜の賢い過ごし方。

 

 

 

 

 だが、そんな静かな夜の中に立つ一つの人影。

 立つ……とは書いたが、その人物が立つのは本塔五階の壁。重力を無視し、垂直になり、塔の壁をさも地面のように優雅に歩いていた。

 壁に足を突き刺して歩いている訳ではなく、吊り下がっているだとかその他物理的要素もない。このような種も仕掛けもない芸当の出来る人物とは、紛う事なき魔法を行使している『メイジ』である。

 

 

 しかしその見た目は、闇に溶け込むようなローブを着用し、素顔を暗がりの仮面に落とすようにフードを深々と被った怪しげな服装だ。とても貴族には見えないだろう。

 

 

「……あのハゲ、何が『物理耐性』がないだの『ゴーレムの拳に成す術なし』だの……あいつの関心は魔法だけなのか!?」

 

 静かな夜にポツリと呟いた女性の声。フードの奥より薄らと見える目よりは、野望の炎が燃え盛るような鋭い目が伺える。

 人影は自身が立っている壁に対し、二、三回履いている靴の底で叩いてみた。

 

「………………」

 

 この動作は、手の感覚で何が釣り針にかかったのかと分かる釣り人のように、靴底から伝わる感覚と音とで壁の厚さを計っているのだ。

 

 

 しかし計ったは計ったで、逆に失念する結果となる。

 

「……確かに『固定化』以外の魔法はかかってないようだけど……こんな厚さ、大砲でもゴーレムでも、ちょっとやそっとじゃ風穴開けられないっての……」

 

 やはり重大な物を保管する場所であって、かなり高度な構造だとは予想していたが、思った以上に厚く、強堅な造りの『宝物庫の壁』。

『固定化』がかかっていると言う事は魔法が効かない。魔法も駄目で強行手段も駄目、文字通り『難攻不落の要塞』を相手取っているような感じと言えば溜め息吐きたくなるのも理解が出来よう。

 

 

 

 

 では待て、このような建造物を突破せんとするこの人物は何者かと疑問に思うだろう。

 この怪しい人影こそ、今城下町を騒がす大盗賊『土くれのフーケ』なのだ。

 

「……ふぅんむ……」

 

 そんな百戦錬磨とも言えるかのフーケが頭を抱える程、分の悪い条件がお宝の前に、まるで身の丈二メートルの騎士が立ち塞がっているように存在するのだ。

 

「何かないものか……」

 

 腕を組み、あれやこれやと思案する。

 出来る事なら東雲が確認される前に行動したいのだが。

 

 

「諦めは出来ないねぇ、『破壊の円盤』はそこらのマジックアイテムとは違うような気もするし」

 

 月明かりの元にフーケの目は、赤々と燃え盛る。人影は大盗賊だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方こちらはルイズの部屋。

 ここでも何か事件と言うかいざこざと言うか、兎に角困った事が起きていた。

 

 

「……どう言う事よ、ツェルプストー……」

 

 表情を怒りでひくつかせ、ギロリと、寒気がする程の鋭い視線で睨み付けるルイズがいた。

 その視線の先にいるのは、特価で購入した黄金の大剣を抱えるキュルケがニンマリと、立っている。

 

「どう言う事って、一目見て分からないのかしらぁ?」

「分かるわよッ!? 分かるに決まっているでしょッ!? 信じたくないから聞いてんのよッ!!!!」

 

 コキュートスのような視線を物ともしないのは、流石はキュルケと言うべきなのか。定助でさえもビックリしてしまう程のルイズの怒号の前でも、平然と小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。

 

「そんなオンボロ剣を使わせる貧乏性なルイズに代わって、あたしからジョースケへ剣のプレゼントよ!」

「だ、誰が貧乏性ですってぇ!? と言うか、人の使い魔を気安く呼ぶなぁ!!」

 

 

 

 要は、こうなのだ。

 定助に剣を買ってやったのを何故か知っていたキュルケが、ルイズが手持ち不足で買えなかった高額な剣を、彼女が定助にプレゼントすると言って押し掛けて来た訳だ。

 何処で知ったか、いつの間に街へ来ていたのかはエニグマティックだが、定助の気を引こうとルイズより上等な品を持って来たと言うのは事実。

 

 

 一個の火種が戦争へと行きかねない程の確執抱えた『ヴァリエール家』と『ツェルプストー家』。その娘であるルイズとキュルケが今、一触即発ムードの中にいる。例えるならそれは、ゴール前でデッドヒートする天才ジョッキー同士との鬩ぎ合いだろうか。

 

 

「ほら、ジョースケもこっちが良いでしょ?」

「いやあの、キュルケちゃん……あのねぇ……」

 

 このデッドヒートの渦中にある定助は、どうするべきかを必死に考えていた。

 彼自身は別にデルフリンガーで十分だとは思っているのだが、あの馬鹿高い剣を買って来てくれたキュルケの思いを無下にするのも罪悪感がある。家一軒がオプション付きで買える値段の剣を持って来たのだ、まさか破格の値段で購入したなんて知らない定助にとって、これを断ると言うのも勇気がいる行為である。

 

 

 デルフリンガーで十分、キュルケの剣も断れない、なら両方貰ってしまえばいいじゃないか。そう考えていた定助だが、その考えは電線を顔に近付けられているように危険な考えであったと、思い留まれた。

 

「ジョースケッ! あんたには買ってあげたのがあるじゃない、そっち使いなさい!」

「でもあんな、すぐにポキリと折れてしまいそうな剣をあげるなんて情が無いのね? こっちは鉄をも切れる頑丈な剣よ」

「いらないってのッ! ジョースケはあの剣で良いって言ったし、選んだのもジョースケなんだから!」

「はいはい、嫉妬ねルイズ? 買えなかった剣をあたしが難なく買ったから嫉妬しているんでしょ?」

「する訳ないでしょ!? ツェルプストーから貰う時点で願い下げなだけよッ!!」

 

 この様子を見れば思い留まる理由も分かるハズ。

「自分のしか譲らない」と言っている人間に対し、「どっちも貰う」なんて言えば双方に〆られかねない。だからと言えど片方だけなら、受け入れなかったもう片方より〆られかねない。

 この際は、怖いのはルイズだろう。なのでキュルケを断れば良いのだが、もう一度言うが、家一軒買える値段の剣を断れるのかと問題提議されるだろう。

 

「……デルフリンガー、どうすれば良い?」

『迷うなよ!? 俺がいるんだから別にいいだろーが相棒!?』

 

 デルフリンガーに相談を持ちかけるが、相談する相手がその実物なのだから意味なかろうに。そりゃ、自分を推すよねと、聞いた定助は頭を抱えた。

 

「へぇ、インテリジェンスソードなのねぇ」

「そうよ、珍しいでしょ? ただの剣じゃないの!」

 

 ルイズは誇らしげに胸を張るが、キュルケの前だと何故だろうか、寂しさを感じた。

 

 

「でも喋る事を抜いてしまえば、ただのオンボロ剣じゃない?」

『何だとテメェ!?』

「グッ……! そ、そうだけど……」

『否定しろよ!?』

 

 双方からの貶しにもはやツッコミと化すデルフリンガーの怒鳴り声。

 このまま喋らせるのも面白そうなのだが、武器屋での事もあろう。何かの拍子にルイズへ罵倒を飛ばせばそれこそマジに惨事になりかねないので、定助は咄嗟に保身の為に鞘へ押し込みご退場願った。

 鞘を震わしながら「なにすんだ!」とくぐもった声で訴えるが、五秒後には諦めたようで一旦黙った。

 

「まぁ、ヒステリックで喧しいトリステイン女のあなたなら、お似合いかもしれないわね」

「言ってくれるわね! 色狂いのゲルマニア女の癖に!」

「言うけど、この見事な剣を鍛えたのは、かの有名なゲルマニアのシュペー卿なのよ? 情熱は芸術を創り出すもの、高慢でお堅いトリステイン人には無理な事よ」

「お言葉だけどツェルプストー、高慢と言う事は自尊心が高いって事で、お堅いって事は堅実って事じゃない? 頭の中はいつも恋とお金ばっかのお馬鹿なゲルマニア人とは全然違うのよ!」

 

 終いには互いの民族性を罵り合う始末で、あのキュルケでさえも口角を広げて歯を見せ、怒りの表情を露わにさせている。

 これは流石に危殆的だと、キュルケと共にやって来て、何食わぬ顔でルイズのベッドの上にて読書しているタバサに視線を向けた。勿論、彼女はこの事態に目を向けないのだが、定助から彼女へ近付き助けを請うた。

 

「えーっと……」

「…………」

「キュルケちゃんの友達だよね、キミ」

「…………」

「……何とか、この場を収めてくれ……ま、せんか?」

「…………」

「…………」

 

 無反応。体を凍らされてブチ割られたような、冷たくも恐ろしい虚無感とやらが定助を覆った。途中でタメ口の自分に恥を感じてしまう程だったのが辛い所。

 その冷たい感情はオーラのように伝わり、まるで言わずとも「自分で何とかしなさい」と語っているかのようだ。それがまた、自身の体内に他生物が寄生したかのような恐ろしさを、彼の心深くに起こすのだった。

 

「……すいません」

「…………」

 

 もう信じられるのは己だけだ。少し閉じこもった思考となってしまうが、一時的な物。

 悲しくもそう考えた定助は、深呼吸を一つした後、二人の間へと歩み寄った。

 

 

「あー……キュルケちゃん」

「ジョースケ! 貰ったら承知しないわよ!?」

「…………」

 

 微量の風で背後の存在に気付くような、条件反射的なルイズの忠告。ガルルッと睨み付け食い気味に怒鳴る様は、本当にキュルケにだけは負けたくないのだなと、直感で悟らせてくれる。

 だがここで引く訳にはいかないと、妙な闘争心を定助は湧かしていた。

 

「まぁ、ご主人……物凄く高価な物だし、無下にするのはちょっと酷じゃあないかな?」

「高価だろうが特価だろうが、貰うのが嫌だって! ツェルプストーから塵芥一つさえ貰いたくないわ!」

「随分な言い方だなぁ……まず持ってみるだけ、持ってみるだけ」

 

 ルイズが獲物を捉えた恐竜のような眼光で睨む中、嬉しそうに微笑むキュルケの腕から剣を右手に取った。

 

「おお、凄い凄い。驚愕の重量感だぁ」

「お気に召したようで嬉しいわ。やっぱりジョースケには、これくらい力強い剣でないと!」

 

 とは言う彼女だが、右手だけで持つには少しキツイ重さか。

 剣を持ち慣れていない事もあるし、まず大剣と言う片手で扱える物ではないので、少し手が震え出した所で左手に持ち変える。

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 すると、いきなり体がフワリと軽くなった。更には何と、左手だけで持っている大剣が別段と軽く感じられた。

 

「この感覚……」

 

 定助はこの、エックスシステムにも似た強化現象に覚えがある。

 そう、ギーシュとの決闘時、ソフト&ウェットを出した時に溢れた気力だ。満身創痍の中で彼を奮い立たせたあのパワーだ。

 

 

「……あっ!」

 

 驚いた彼は左手へフイと視線を向けると、手の甲にある『ルーン文字』が発光している事に気が付いた。

 

「…………」

 

 大剣をまた、右手で持ち直す。

 ルーン文字の輝きはフェードアウトするように消え失せ、重さを享受しきれない右手が震え出した所、体の調子はまた元に戻ったようだ。

 大剣を小脇に抱え、左手を握ったり開いたりしてみる。

 

「…………」

 

 異常はない、普通の左手だ。

 それを確認した上でまた左手に大剣を握らすと、また輝き出し強化現象が引き起こる。

 

 

(何だ、これは……?)

 

 自らの身体に起こった奇妙な事態。勿論、こんな事は全く記憶にないし、意味が分からない。

 また右手に戻すと、左手の輝きは失せる。

 

「はぇ……これも魔法……なのか?」

 

 訳の分からない事象に、首を傾げて考察する彼の真横で、またルイズとキュルケは悶着を起こしている。

 

 

「ふふふ! ジョースケったら、気に入ったみたいねぇ?」

「あ、あんた! 気安く私の使い魔の名前を言わないで!!」

「あら、こんな小さな事にも怒るの? あなたって意外と、独占欲強いタイプ?」

「だだだだ、だからそんなんじゃないってばぁ!!」

「へぇ……」

 

 何故か慌てふためいているルイズの様子に、何か悪巧みを思い付いてしまったキュルケはニヤリと、盲目の男のように笑みを見せた。

 その笑みを消さないまま、彼女をスッと定助の傍へと一歩入り込んだ。

 

「わっ」

 

 考えに浸っていた定助は、キュルケの突然の接近に軽く驚いていた。視界いっぱいに彼女の悪い笑みが広がっている、昨日の事もあるのでまず、第一に悪い予感がするのは致し方無い事か。

 

「キュルケちゃん……?」

「ちょっとキュルケ!? なにやって……あんたも離れなさいよジョースケ!!」

「……オレェ?」

 

 完全にとばっちりだ、定助は間抜けな顔で困惑している。

 回転が鈍くなって行く頭だが、困惑の中でさえもルイズへの恐怖はある。そぉっと彼女の叱責に従ってキュルケから離れようとした。

 

 

 だがその前に、彼女が定助の襟元を何故か掴むのだ。

 

「いぃ!?」

「……キュルケ、あんた何したいの?」

 

 不可解な彼女の行動、怪訝な姿勢でルイズは問い掛ける。しかしそれでさえも彼女からは、怒りが沸々と煮立っている訳なのだが。

 

 

 

 

 するとニンマリ悪い笑顔のキュルケが、ルイズを一瞥した。

 

「なに、ちょっとあたしも独占欲拗らせちゃったみたい」

 

 可愛げにそんな事を言った後、一気に定助の襟元を大きく下げてやる。

 伸縮性のある彼の服は、襟元が胸元まで広く下げられるようになっていたのだが、露わになった彼の胸板にあった『もの』がまた一騒動作り出そうとしている訳だ。キュルケはそれに、発破をかけたのだろうか。

 

 

 

 

 白い彼の胸板には、赤茶色の細い痣のようなものが浮き上がっている。

 それを確認したルイズの表情は真っ赤になり、大きく引き攣った。

 

「そ、そそそそ……あ、あんた、それって……!」

「ふっふぅーん!」

 

 得意げな表情のキュルケの前、定助も自身の胸に目を向けてその痣を確認した。

 痣のある箇所は確か、昨夜のキュルケが口付けを施した箇所だったようなと、思い出してサァッと血の気が引いた。

 

「……きゅ、キュルケちゃん……これはマズいんじゃ……」

「何がマズいのかしら? あたしの『ダーリン』!」

「だ、だ、ダーリン!?」

 

 フルフル震え、キュルケの爆弾発言に食い付くルイズだが、その彼女に対しキュルケは見覚えあるあの、蠱惑的な笑みを携えて言い放つのだ。

 

 

「ジョースケにはあたしの痕が付いているのよ。これ分かる?『キスマぁク』……うふふ!」

 

 

 切れた、ルイズの中で決定的な何かが盛大な音を立てて切れた。それは鎖を引き千切るかのようとも、鉄の檻をへし折るかのようとも形容出来る程の、壮絶はキレっぷりである。

 

 

「ツェルプストぉぉぉぉ!! 私を本気で怒らせたわねぇ!? 決闘、決闘よ、決闘を申し込むわッ! さっさと表出なさいッ!!!!」

 

 怒号散らし、この世の者とは思えない程の禍々しいオーラを解き放ってキュルケに決闘予告するルイズ。

 その様子を冷や汗ダラダラで眺める定助に、楽しんでいるかのように笑うキュルケ。タバサは「関係ないね」と言うかのように、絶対的不干渉を貫いていたのが流石である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな乱痴気騒ぎとは別に、フーケはまだ宝物庫の攻略法を思案していたのだった。

 

「ゴーレムで踏み付けてみるか?……いや、それでも難しいか。ならいっそ鍵を盗んでしまおう……あのオスマンが管理しているから難しいか……はぁ」

 

 困ったように首を振り、暗闇の中で溜め息吐いた。

 どうにも突破口を見出せないでいるのだ、これはフーケの盗賊としての経歴上で最難関を誇っているとも言えるだろうか。

 いつもなら壁を土くれに変えて侵入するし、必要なら一気に進撃する。その両方の、ある意味でフーケの『常套手段』を封じ込めた宝物庫はまさに絶対の鉄壁な訳である。

 

「こんな技術、要塞の建設に使うもんだろ……『破壊の円盤』、相当な代物と見たね」

 

 だがフーケは、その鉄壁の前でも諦めると言う選択肢を見つけていなかった。寧ろ、ここまで厳重保管されている『破壊の円盤』をどうしても入手してやりたかった。そこは絶対の鉄壁の対する、『絶対の盗賊』としてのプライドによるものがあるのだろう。

 

「ここまで来たのだから、盗らせて貰いたいが」

 

 宝物庫とフーケ、まさに矛と盾のような対立である。どちらかが敗れるのが、二つの線上にある結末なのだ。

 

 

「ルイズ、決闘に使用するのは勿論、魔法よねぇ?」

「え……あ、いや……当たり前じゃない、魔法でよ!」

「ふぅん、『ゼロのルイズ』なのに?」

「い、言ってくれるわね……! いいわ、その減らず口を開けなくしてあげる!」

 

 と、いきなり二つの声が聞こえて来た。

 即座に反応したフーケは、自身に『レビテーション』の呪文を小声で唱え、壁から地面にゆっくりと着地した。

 

「こんな時間に一体誰だい……」

 

 呆れた声でそう呟いた後、塔の影に隠れて声の主らの様子を伺う事にした。

 

 

 

 

 声の主は言わずもがな、ルイズとキュルケである。

 

「ご主人! 決闘は、決闘はマジでマズいって!」

「黙ってなさいジョースケッ!! これは絶対に引けない戦いなのッ!! と言うか、あんたもあんたよ、何ツェルプストーなんかに心を許しちゃうのよ!?」

「い、いや、これは……あぁ、認める! 俺に落ち度があった! すまないと思っている!」

 

 その二人のそれぞれの取り巻きとして定助とタバサが同行し、全員で四人となる。

 定助は必死にルイズを説得しているが、頭の中で盛大にプッツンした人間を止められるものなのか。

 

「でも、ご主人がギーシュの時に言ったんじゃあないかぁ! 貴族同士の決闘は禁止だって!?」

「黙ってなさいっての!! ツェルプストーを貴族と認めた事なんか一度もないわ!」

「あぁ駄目だこれ」

 

 真面目な彼女がここまで暴走している所、理性的な面でと言うより本能的な面でキレている事は明白だ。言えど、理性的な怒りならもっと静かに、かつ厳かに行われるのだが。

 

「デルフリンガー、どうにかしろよ!」

『鞘から出したと思ったらそれかよ!? おめぇは俺を何だと思ってんだ!?』

「年長者なんだろ?」

『それ以前に人間じゃねぇよ!!』

 

 暴走する彼女はもう止められないと踏み、余裕があるキュルケを説得しようかと向き直ったが、それを先に本人か喋り出した事で制止される。

 

「でもルイズ? ジョースケの言う事も一理ないかしら?」

「あんたを貴族とは思ってないから!」

「ヒステリシスなのは嫌ねぇ……ここの生徒である以上はあたし、貴族だから。ご存知?」

 

 また挑発気味な語り口なのでやっぱ止めに入ろうとする定助だが、再度キュルケの言葉に制止された。

 

 

「言うけどあなたもあたしも貴族な訳だし、決闘で怪我するなんて馬鹿らしくないかしら?」

 

 それを聞いてルイズの怒りの形相は、少し落ち着いた。彼女のその言葉が、それなりにクールダウンの元となったようだ。

 定助が上手いな、と思ったのは『互いを貴族だと善処させてから』と言った構成で喋っている所。そこに、『貴族が決闘とは馬鹿らしい』と付け加える事で、根は真面目なルイズにも聞く耳持たせる事に成功している。

 もっと言えば、『禁止されている』と言わない所がまた受け入れやすい面だろうか。『禁止』を唱えたって、頭に血が上った人間は破ってナンボとか思ったりしているだろうに。

 

「……確かに」

 

 一先ず、ルイズに了承させた。ここまではまず、良し。

 

「なら、決闘の方法をゲームにしない? それなら怪我しないし、互いの条件も飲めるし」

「……ゲーム?」

 

 今度は定助が聞き返してしまう。

 そんな彼に向かって、何故かキュルケは意味深にウィンクを飛ばした。

 

「いいわキュルケ、ゲームで決着よ!……それで、内容と条件はなによ?」

 

 ルイズの質問に対し、キュルケは上品に定助へと手を差し向けた。

 

 

「オレェ?」

「えぇ、ジョースケに協力して貰うわ」

 

 月光の降る綺麗な夜の中で、楽しげに笑うキュルケは何とも魅力的だろうが、そんな事今では考えられない。ただ、自分が協力し、魔法を使ったゲームとは一体何なのかと思案するばかりである。

 

 

 その疑問の答えを、キュルケから語ってくれた。

 

「ジョースケの『泡の精霊』でツルツル滑らせた石を、相手より遠い所で破壊出来たら勝ちで、どう?」

「……ふぅん」

 

 内容を聞いたルイズは心なしか、不安気な表情になったのが気掛かりだ。やっぱり自信ないのだろうか。




外伝として『TABITHA BIZARRE ADVENTURE ーTha five episodeー』も開始しました。
双方とも、読んで下さると幸いであります。


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月夜騒動、双月と巨人。その2

かなり鈍化してしまいましたが、失踪はないと思って下さい。ちょっと、『fallout4』にハマりまして……
UA数90.000突破、恐縮です。


 さて、この静かな夜の中庭にて、二人の淑女によるゲームが開始される所である。

 

「あなたが勝ったら、あたしはもうジョースケと関わらないわ。でもあたしが勝ったら、彼にあの剣を使って貰うし、一緒にいても文句は言わない事を約束してちょうだい」

「その条件なら飲むわ、さっさと始めるわよ!」

 

 条件提示に賛同し、乗り気の二人なのだが、この騒動の中心的人物でありながらもハイウェイスターもびっくりな程に置いてきぼり食らっている人物がいる。

 

「ちょっとキュルケちゃん、関わらないとまではやり過ぎだよ……そこまでしなくても俺はー……」

「黙ってなさい! これで決着付けてやるわ!」

 

 言わずもがな定助の事だが、本当に彼の意思は尊重されないようだ。ヒートアップしやすいルイズに一喝され、定助は渋々と従う事にした。

 

「えーっと……あぁ、この石がいいわね」

 

 キュルケが杖を振り、『レビテーション』で中くらいの石を持ち上げる。

 そしてその浮かばせた石を、背後に立っていたタバサの前まで移動させた。するとタバサは片手で本を持ちながら器用にロッドを石にくっ付け、『錬金』を行うのだった。

 

 

 タバサの魔法により、ただの灰色な石は、輝く真鍮へと姿を変えた。

 

「石のままだと見難いでしょ? 目立つように、真鍮にして貰ったわ」

 

 裏で打ち合わせでもしたのか、と聞きたくなるような段取りの良さ。今の準備が互いに無計画によるものなら、キュルケの進行上手とタバサの察しの良さに喝采を送れるだろう。

 

 

 そしてその真鍮が定助の前へ浮遊し、やって来る。

 

「ジョースケ。これをツルツルにして貰える?」

「……分かった」

 

 もう止める事は叶わないものの、怪我を双方どちらかが負う事にならなくなっただけでも良しだと考え直し、吐きたい溜め息を飲み込み首筋へ右手を差し向かわせた。

 

「仕方ないなぁ」

 

 星型の痣から吹き出すようにシャボン玉が膨らみ、人差し指と中指の間へスッポリと挟まり浮遊する。

 ふと、視線を感じたのでチラリと右側を見やると、タバサが本から目を離しこちらを凝視している。何事にも興味を示さない彼女が気になる程度には、この定助の能力は常軌を逸しているものなのだろうと、彼に思わせるのだった。

 

 

 右手を肩から離し、飛ぶ蝿を払うように振れば、指に挟まっていたシャボン玉が分離して『レビテーション』で浮かぶ真鍮にぶつかり弾けた。

 

「この真鍮から『摩擦』を奪ったよ。掴めば、濡らした石鹸のようにツルツルぅ〜っと」

「グッド! やっぱりあなた、面白いわ!」

「はは、有り難う」

 

 キュルケの賞賛に喜ぶ定助を、ルイズがギロリと睨み付けた。

 彼女も彼女とて、ここまでの流れが気に食わないようなのだ。言うのは、キュルケが石を浮かばせ、タバサが真鍮に変え、定助が摩擦を奪うと言うこの一連の流れに、ルイズが一切参加していないからである。

 

 

 ご主人を除け者にしてしまっかと、少しその辺に気負いを覚えた定助は全力でルイズを応援する事にした。

 

「準備万端なら、さっさと始めなさいよ」

 

 拗ねたようなぶっきらぼうとした話し方で、キュルケに開始を催促させる。

 キュルケは慌てる様子も宥める様子も見せず、ルイズの足元へ摩擦ゼロの真鍮を着地させた。

 

「ゲームの開始は、それを二十メイル先にある塔の壁に向かって蹴る所で始まるわ。蹴飛ばしても良いわよ? それで塔にぶつかる前に破壊、壁により近い所で壊せた方の勝ち」

「忍耐とタイミングを読む能力が必須ね。面白いわ、上等よ!」

「あたしは後攻で良いわ、ハンデよ」

「…………ふん」

 

 負けん気の強い彼女はまず、弱音は見せないだろう。しかし、表情に見え隠れする不安気な影は隠せないのだろうか、本当に分かりやすい性格をしている。

 

「ご主人! オレは応援してるぞー!」

「……ふ、ふん! 見せてあげるわ、ツェルプストーの負け様をねぇ!」

 

 声援を投げかけてみれば、やはり彼女の勝気な応答。もうそれで手一杯なのか、その後の言葉は出る事なく杖を握って足元に置かれた真鍮を眺めていた。

 もう少し後押ししてやろうか、そう思った時にキュルケから不満げな声がかえられる。

 

「あたしに応援はなしなの?『ダーリン』」

「いっ……! キュルケちゃん、ダーリンは止めようか!?」

「確かにご主人様は応援するべきだけど、あたし達にはあたし達の仲が……」

「分かった! キュルケちゃんも頑張れェーエイッ! オーイエスッイエスッ!!」

 

 

 この会話の隣に佇むルイズより、有り得ない程の禍々しいオーラが毒霧のように放たれた。その嫌なオーラを察知した定助は悪寒に肩を震わせ、ルイズの方へ視線を向けるのだった。

 彼女は静かに、真鍮を眺めていた。

 

「あー……ご主じ……」

「……そろそろ蹴っ飛ばすわよ……」

「あぁ……」

 

 ルイズの横顔を覗いてみれば、悔しげに歯を見せ食い縛っている口元が見えた。目は桃色の髪に隠れて確認出来ないが、間違いなくクゥッと吊り上っている事だろう。

 申し訳なさと、終わったらただでは済まないと言う自覚が定助に固唾を飲ませた。

 

 夜とは言え、光源である月が二つ存在するこの世界は存外、広い中庭がそれなりに一望出来る程には明るかった。

 双月に照らされた真鍮は、綺麗にテラテラと輝いている。

 さぁ、始めようか。そう考えたルイズは早速、真鍮蹴りに移行するのであった。

 

 

「……ふっ」

 

 息を吐き、大きく膝を曲げた。

 しかしその体勢は前のめりで、背後に伸びた足は踵の底を天に見せている状態だ。所謂、シュートをかまそうとするサッカー選手の体勢のそれである。

 

「え、ご主人、そんな思いっきり蹴らなくても真鍮は……」

 

 オーバーな構えで真鍮を蹴ろうとするルイズに、定助はすかさず忠告を入れるものの、キュルケへの怒りも相まって強く増している集中力は彼女の耳を遮断してしまった。

 そして彼女は、力を緩める事なく、真鍮をキュルケだとでも思っているようで、容赦なしの渾身の力で蹴り飛ばしたのだ。

 

 

「りゃぁあッ!!」

 

 

 勇ましい掛け声と共に、彼女の足は全力で真鍮を蹴り飛ばした。

 

 

「うわっ、吹っ飛んだ!」

 

 ルイズに蹴られた真鍮は、上手い具合に彼女の靴の踵に乗っかるような風で蹴り飛ばしを食らい、地面を滑って行くどころかツバメの上昇飛行のように前へ上へと飛ばされて行くのだった。

 

「これ、大丈夫かな?」

「自分からどれ程遠い距離で破壊したか、が大事だから問題はないわよ。タバサがちゃんと計測してくれるわ」

「いや、そうじゃなくて……」

 

 定助が危惧する側でルイズは杖を空に飛んだ真鍮に向けた。

 真鍮は既に、二階か三階の地点まで登っている。しかし、月明かりに光る真鍮はこれでもかと目立ち、見失う事はなかった。

 

「そろそろね」

 

 キュルケが口元に笑みを浮かべ、そう呟いたのとほぼ同時にルイズは大きな声で呪文を叫ぶのだった。

 

 

 

 

「『ファイア・ボール』ッ!!」

 

 壁へと飛んで行く真鍮目掛けて魔法をかけた。

 杖先にも辺りにも何も起きていない。しかしこの後、どう言う事態が起こるのかを予想している定助たちは耳を押さえ、身構えている。

 

 

 

 

 ワンクッション置いた後、真鍮ではなく、その真鍮のやや上層の五階辺りの壁が盛大に爆発した。

 

「いっ!?」

 

 ルイズから血の引いたような声が出る、真鍮を外した上に学校の壁を爆破させてしまったからだ。言えど、学校の爆破に関しては『固定化』もあるのでそんなには思っていないのだが。

 

 

「……壁に衝突、測定不可」

 

 測定係になっていたタバサが結果を言った。

 破壊対象である真鍮は、塔にぶつかり落っこちてしまったようだ。

 

 

「……くふふっ! やっぱり『ゼロのルイズ』ね! あははは!!」

「くぅぅぅ……ッ!!」

「魔法も失敗しちゃうし真鍮も外す、どっちもしちゃうって、なかなか出来ない事よぉ?」

「煩いっての!! こ、ここ、この……くぅぅ!!」

 

 ケタケタ嘲笑するキュルケの前方で、ルイズが顔を真っ赤に染めて怒りで体を震わしているのが見える。相当悔しいようで、地団駄踏んで雑草を荒らしていた。怒り顔と泣き顔の、半端な所と言える表情なので、別の意味でヒヤヒヤとしたが。

 

 

 何はともあれルールはルールだ、悔しさで歯を擦らせながら後攻のキュルケに順番を明け渡す。

 

「それじゃ、あたしの番ね。うふふ! 見てなさいよっ、ルイズに『ダーリン』!」

「煽らない!」

 

 定助の注意も、乗り気の彼女には届いてないのか、それとも聞き流されているのか。笑い声はクスクスと、押し殺したようなものとなったが、余程に愉快だったようだ。

 対決の立会人であるタバサは、全く笑っていないのだが。

 

 

 キュルケはガックリ項垂れるルイズの隣へ立つと、すぐに足元の石を真鍮に変えて、定助を一瞥する。摩擦を奪って欲しいサインと分かったので、先程と同じ行程で真鍮から摩擦を奪った。

 

「それじゃあ、出来の悪い『ゼロのルイズ』にお手本見せてあげるわ」

 

 隣で忌々しげにキュルケを睨み付けるルイズに向かって、挑発の意思を込めて杖を指揮者のように回した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方でもう一人、彼女らを忌々しげに見つける視線がある。

 

「チィッ……! よりによってここでするなっての……!」

 

 塔の影より隠れていた、大盗賊フーケである。

 高所で起こったとは言え少なからず発生した爆風によるフードのはためきを押さえながら、彼女らを睨み付けている。

 

「しかし何だい、 あの魔法は……? 思い切り『ファイア・ボール』と叫んでいたが、明らかに違う類いの物だろ……」

 

 ルイズの行った『魔法』に対しての疑問を、フーケは呟いた。

 まず、爆発自体を引き起こす魔法など聞かないからであった。フーケは少なからず知的好奇心の強い性格なのだろうか、爆発の起きた地点を見つめて思考を傾けていた。

 

「……って、どうでも良いだろこんな事は」

 

 自嘲気味に小さく笑う。フーケが今、全身全霊をかけて思考を向けるべき事柄は、宝物庫の突破方法のハズであろうに。

 そう考え直したフーケは早速、注意がそれかけた思考を軌道修正させ、宝物庫の位置を見上げた。

 

 

 爆発時に発生した粉塵が舞っている、どうやらルイズの魔法は宝物庫の辺りに直撃したようである。

 真鍮を打ち上げてしまったばかりに、狙いは横ではなく斜め上へと行く。そしてその狙いを外してしまったが為に、斜め上方向の終点である五階の宝物庫部分に魔法をぶち当ててしまったようだ。

 

「騒ぎになられちゃ、困るってのに」

 

 辺りの気配に気を配りつつぼやきながら、粉塵が夜風に流れて行く様を見つめていた。

 

 

 

 

 だが粉塵の消えた壁が視界に映ったフーケは思わず、驚きの声をあげてしまう事となる。

 

「……なっ!?」

 

 

 強力な『固定化』を施されているハズの宝物庫の壁には、出来るハズのない『ヒビ』が入っていたのだ。

 

 

 見間違いしたかと、もう一度確認するがそこはさっきまで自分が立っていた五階の壁、つまりは宝物庫のある箇所。空間が歪んでいない限りは間違いない。

 

「あの『固定化』はスクウェアクラスだぞ……!」

 

 絶対に破られる事のない魔法が破られている。魔法の学については秀でていたフーケにとって、この事態は驚かざるを得ない。

 そもそも物理耐性のない(構造自体はその弱点を補っているが)魔法に対し、物理ではなく魔法による真っ向勝負でヒビを作ったのだ。あれ程の爆発でヒビと言うのもなかなか強固だが、それすら出来る訳のない魔法に打ち勝ったと言う点では重ねた意味で驚愕的だろう。

 

 

 頭の中で分析を進めるフーケだが、頭を振ってその思考を掻き消した。

 

「いや、何でヒビが入ったかはもういい。重要なのは、ヒビが入った事だけだろうに……これはまたとない機会だ……!」

 

 フーケは懐から、杖を取り出し不敵に笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 次にゲームを行うのは、後攻のキュルケ。

 既に摩擦ゼロの真鍮を見つめつつ、膝を軽く曲げて蹴りに入った。

 

「よっと」

 

 軽い掛け声と共に、彼女の足はピョコンと前へ出された。軽い力だけの蹴りなのだが、それだけでも摩擦が一切ない真鍮は随分と早いスピードで地面を滑って行く。

 竜巻のように回転しながら壁へと向かう真鍮は、アッと言う間に二十メイルの半分を突破した。

 

「頃合いね!」

 

 その時を見計らい、キュルケは杖を前に向けて呪文の詠唱を開始した。

 

「『ファイア・ボール』!」

 

 ルイズと同じ魔法のようだが、ルイズの時とはまるで違っていた。

 杖先に渦巻くようにして火球が出来上がり、赤い光で彼女を照らす。突然の熱気に手で顔を扇ぐルイズの隣で、キュルケの『ファイア・ボール』は発射された。

 

 

 火球の速さは真鍮のスピードよりも上回っており、確認するよりも先に真鍮の真上に並行する。背中にぴったりくっ付くような感じだ。

 

「あ、これは……」

 

 察したような定助の声と同時にそのまま火球は徐々に高度を落として行き、真鍮と接触。一瞬のフラッシュと爆竹を鳴らしたような音を響かせ、真鍮は四散した。

 

「きゃあ〜! 大当たりぃ!」

 

 キュルケの歓喜があがった。

 真鍮を破壊した地点は、火球の熱で黒く焦げている草が測定の目印となっていた。測定係のタバサは杖を地面に置き、本を小脇に抱えると、人差し指を上へ、親指を横へと広げて左手をL字の形にし始めた。

 

 

 それを腕を伸ばした状態で目線に合わせ、額縁に嵌めるように黒焦げの地点を囲むのだ。

 

「あ! それ、三角測量!」

「…………」

 

 定助の反応を無視したまま、暫くその状態で静止する。

 

 

 

 

「……距離、十六メイル。勝者、キュルケ」

 

 測定完了。

 別に当てたのはキュルケだけだから意味はないとは思うが、測定係となったからにはキチンとこなしたかったのだろう。

 

「………………」

「……な、ナイスファイト、ご主人……」

「………………」

 

 タバサが結果発表をしたと同時にルイズは黙ったまま、またガックリと項垂れる。案の定と言う事になるのか、勝者はキュルケで決定した。

 勝ったキュルケは得意げな表情でルイズを一瞥した後、ヒラヒラと手を定助に向けて振った。

 

 

「さて、ゲームに勝ったから、条件を飲んで貰うわよ?」

「うぐぅぅ……」

「じゃあ、『ダーリン』にはあたしの剣を使って貰うわ」

「み、認めてあげるからジョースケを『ダーリン』って呼ぶのだけは止めなさいッ!!」

 

 勝者決したとは言えそこは譲れない所なのだろう、キュルケに指差し、条件は飲みつつも講義するルイズ。

 この光景の蚊帳の外にいるタバサはまた本を読み出し、定助は困ったように口をへの字に曲げたのだった。

 

 

 

 

 さてこれから、また一度ルイズの部屋に戻り、置いてあるキュルケの剣を改めて授与する流れとなるだろう。

 しかし、その流れは一気に堰き止められてしまうのだが。

 

 

 

 

「……ん?」

 

 軽い地震と何かの気配。その二つを察知した定助は、パッと振り返った。

 

 

 異様な光景だった、背後の地面の土が急速に盛り上がり、人型を形付けて行くではないか。

 

「な、なんだと!?」

 

 定助の驚き声に反応したルイズ達も振り返った。

 

 

 目に映ったのは、あまりにも巨大な土人形。地面から土を吸い上げるように我が身に吸着させ、みるみると形と大きさを巨大な物へとして行く。

 キュルケから叫び声が出るが、それもそうだ。その巨大な土人形が二足歩行で立ち上がり、岩を無理やり接合させたような己が足を持ち上げたからである。

 

「マズい……!!」

 

 土人形は、定助達一行を踏み潰さんと、御構い無しに進行しているのだ。

 このままでは危険だと、逃げ出す定助だが、いきなり背中を何かに掴まれ、フワリと持ち上げられたのだ。

 

「うわ!?」

 

 何が起きたか理解するより先に上空へ吹き飛び、土人形の頭頂部上にまで一気に飛び上がった。

 次に地鳴りが響いたと思えば、土人形の巨大な足が定助達のいた場所を踏み付けていた。

 

 

 

 

「な、なにが……うぉ!? なんだコイツ!?」

 

 何故自分は浮かんでいるのかと、視線を持ち上げてみれば、蒼い鱗のこれまた巨大な生物に服を掴まれていた。もう片方の手にはポカンとしているルイズが掴まれており、その生物の背中にはタバサとキュルケが座っていた。

 

「ふぅ……危機一髪ね、二人とも」

 

 思考が追いつかないままの状態でキュルケの声がかけられる。

 

「危機一髪ね、じゃないわよ!? ちょっとこれ……あっ」

 

 その声にパブロフの犬が如く反応して怒鳴るルイズだが、今目の前にいるこの生物について何か思い出したようだ。

 

「これって、その子の使い魔でしょ? 召喚の時に見たけど……」

「…………」

 

 どうやらこの巨大な生物は、タバサの使い魔のようである。そう、この生物こそ、昼間にキュルケとタバサを街へ運んだタバサの使い魔、ウィンドドラゴンの『シルフィード』であった。

 

 

「うおぉ、凄い凄い、飛んでるよ飛んでる!」

「ジョースケ、何楽しんでいるのよ!?」

「あっ、ごめん、つい」

 

 空を飛んでいる事に喜びの声を出していた定助だが、今の事態を思い出した。

 一先ず、まずは助けてくれたタバサにお礼をかけるのが先であろう。

 

「助かった、本当に有り難う」

「…………どうも」

 

 初めて彼女が定助に応答してくれたが、喜ぶべきかどうかの感情はゴチャゴチャとしている。

 

 

 

 そうこうしている内に土人形は塔の前まで到着しており、腕を振りかぶっていた。まるでその仕草は、殴りかかるかのようなポージングだ。

 

「ねぇタバサ! あのゴーレム、塔を攻撃する気よ!」

「……どうしようもない」

 

 土人形……基、『ゴーレム』は振りかぶって力を貯めた腕を一気に前方へ突き出し、固められた拳で塔のヒビ目掛けて強烈なストレートをお見舞いした。

 盛大な破壊音と、空気を震わす衝撃。強固な造りの建物とは言えヒビのせいで脆弱となっていた事もあり、空けられる事のない宝物庫の壁に、大きな風穴が出来上がったのだ。

 

 

「そんな!? 塔に穴が空くなんて!?」

 

『固定化』の事を知っていたルイズが、愕然とした声をあげた。ヒビを作ったのは彼女であるが、自分の魔法がこの事態と生んだとは夢にも思わないだろうに。

 

 

「……! 待て、あの巨人の肩に誰かいるぞ!」

 

 定助は指を差しつつ、呼び掛けた。

 ゴーレムの左肩には、黒い人影が立っているのを確認したからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 肩に立っていたのは、フーケである。

 難攻不落である宝物庫に空いた穴の前でほくそ笑んでいた。

 

「まさかこんな利運が舞い込んでくるなんてねぇ……さしずめ、始祖は味方してくれているんじゃあないかな? くくくく……!」

 

 上空では、まんまとゴーレムから逃げ果せた定助達を乗せた(基、掴んだ)ウィンドドラゴンがいるのだが、フーケにとったらどうでも良い事である。あくまで第一の目標は、宝物庫に眠る『破壊の円盤』であるのだから。

 

 

「よっと」

 

 早速フーケは、自身のゴーレムから穴へジャンプし、念願の宝物庫侵入を果たしたのだ。

 だが、これで満足する訳ではないだろう。すぐさまフーケは宝物庫内の奥へと早足で突き進み、目的の品物へと近付いて行く。

 

 

「…………」

 

 大理石の台座の上に、ポツリと乗せられている銀のカバーを発見した。

 台座に付けられているプレートを見やるフーケはその目に、あの燃え盛る炎を宿している。

 

 

『破壊の円盤。持ち出し不可』

 

 そう、これこそがフーケの求めていた『破壊の円盤』を包むケージである。

 

「やっと、やっとこさご対面ねぇ!」

 

 感激の声を出したフーケは早速、円盤の頂戴に入る。ケージに杖をくっ付け、呪文を詠唱すると、それはただの土けらとなって台座の下に落とされた。

 そしてそこから、顔を出したのが『破壊の円盤』実物であった。

 

 

 

 

 確かにそれは、円盤である。

 フーケの手のひらいっぱい程度の大きさの、見ただけでは用途の分からない、薄く丸い物体だ。表面は鏡のように透き通り、テラテラと光っているものの、何故かフーケの姿を写そうとはしない。

 そして謎の『四つの文字』が貼り付けられている。

 

「触っても大丈夫か?」

 

 円盤の真ん中に空いていた小さな穴に人差し指を差し込み、親指で縁を支えるように持ち上げる。直感的にこの持ち方にしたが、どうやら異常はないようで、普通に取り扱う点では安全のようだ。

 

「……ふむ」

 

 裏面を覗き込む。裏はフーケの顔を写したのだが、傾ける度に虹色の光を面に這わしている。これは数々のマジックアイテムをその手中に収めた大盗賊『土くれのフーケ』でさえも理解出来ない構造であった。

 

 

 興味がある所だが、悠長にしてられないだろう。哨兵だかが来れば面倒になる、ただでさえ四人程の目撃者がいると言うのに。

 さっさとフーケは『破壊の円盤』を持ちだし、ゴーレムの元へと戻り始めた。

 

 

 

 

「……あの魔法学オバケ……」

 

 ふと、歩きながらもフーケは思い出した。

 

「……確か、表面に『男の姿』が浮かび上がると言っていたが……」

 

 気になったフーケは、円盤の表面を再び眺めた。

 

 

 

「…………これはこれは」

 

 円盤の表面に、それはくっきりと現れた。

 長い髪を振り乱し、隆々とした筋肉を晒した、人間とは違う存在。

 

 

 

 

 何処か虚空を見つめるように立つ、『白金の男』を…………




お前、ヤンデレは好きか?
特に正常と病みとの瀬戸際での駆け引きを……手に汗握るよなぁ!!
由花子さん、アニメで待ってます。


外伝の方を、目次の一番上へ持ち上げました。
これで本編最新話へはスムーズに行けると思います。外伝更新時には、あとがきにて告知しますので、宜しくどうも。
失礼しました


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月夜騒動、双月と巨人。その3

前話が遅かったから速くしたよ。
どうだッ!思い知ったかッ!どうだッどうだッ!!


 一夜明け、太陽光が眩いばかりに照らしている。

 春特有の霞の空だが、空気は全然透き通っており、深呼吸すれば美味しい空気が肺を満たして細胞を喜ばせてくれる。流石は貴族の学校だ、立地条件の良い所を選んでくれていた。

 

 

 

 

「いててて……」

 

 そんな春空の下、左頬にガーゼを引っ付けた定助が、井戸端でルイズの服を洗濯していた。

 いつの間に怪我をしたのか、頬のガーゼを頻りに触りつつ洗濯板でゴシゴシとブラウスを洗っている。

 

「大丈夫ですか? ジョースケさん」

 

 彼の傍、定助が未だに洗えないルイズの下着を洗濯してくれているシエスタが気遣いの声をかけてくれていた。

 返答として彼はガーゼを触っていた手を振って、良好である事をアピールする。

 

「ごめんねシエスタちゃん。大丈夫だよ、ちょっと擦っただけだし」

「そうですか? それだけでしたら良いんですが……」

「大丈夫大丈夫」

 

 手を休めずに洗濯しているシエスタを見習い、また定助も洗濯を再開した。

 この世界での洗濯は本日で三回目。一回目はシエスタと初顔合わせした時で、二回目はキュルケとの危ない夜の明け方。どちらともシエスタが指南と補助を請け負ってくれたお陰で、ブラウスとマントはややぎこちなくとも洗えるようになった。

 

 

 しかし何故か、下着だけはからっきしで駄目で、今回もシエスタに助けて貰っている。

 果ては、前世の自分は女性嫌いだったのか。または、少し苦手だったのか。そう考えるようになってしまった所、下着洗濯は諦めてしまっているようだ。

 

 

「あのジョースケさん……昨夜は大変だったそうですね……」

「うん、とても大変だった。出来る事なら二度とないようにしたいよ〜」

「でも無事で良かったです! ジョースケさんったら、無茶しちゃうし」

「言われちゃったねぇ、ははは!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨夜の出来事……それは、フーケ襲撃時まで遡る。

 

「穴に誰か入ったぞ! 多分あいつが主犯だ!!」

 

 シルフィードに掴まれた定助は、大穴が開いた宝物庫を指差し、大声で伝えた。

 ゴーレムの肩に乗っていた人影が宝物庫に浸入したのを、はっきりと確認したからである。

 

「タバサ、近付ける?」

「……多分」

 

 キュルケの問いかけに小さく呟き、直様タバサは自身の使い魔、シルフィードに命令を下した。

 

「ゴーレムに近付いて」

「キュイッ!!」

 

 主人の声に呼応し、シルフィードはそのまま急速に滑空してゴーレムの頭部へと一気に詰め寄った。

 

「うわわわ!? ちょ、ちょっと!? スピード出すなら言いなさいよぉ!?」

「おおおおお!! 時が加速しているぅぅぅ!!」

 

 まずドラゴンに乗り慣れていないルイズと定助の間抜けな声が聞こえたが、高速滑空中の空気の中で、声は遥か後方に置いてきぼりになってしまっている。

 それに二人は背中を掴まれた宙ぶらりんの状態、墜落中のセスナ機に乗っている気分のハズだ。

 

 

「ストップ」

 

 タバサの言葉に反応し、今度は急ブレーキ。

 瞬間、定助の目の前でゴーレムの大きな手が通り過ぎて行った。

 

「ッ!?」

 

 つい、息を詰まらせた定助。それは、隣のルイズも同じであろうか。

 向こうも定助たちの接近に勘付いたようで、ゴーレムを動かして退散させようと攻撃して来たのだ。

 

「やっぱり退却」

 

 そのタバサの言葉に反応するよりも先に、シルフィードは再び上空へ垂直に飛び上がった。

 

「うぐッ!? じ、Gが……!」

 

 伸し掛る地球の重力に思わず呻く。

 確かに今のは危なかった。如何に素早いシルフィードでさえも、あのような広範囲攻撃をすり抜けて敵の元へ向かうと言うのは些か、不可能である。

 それに今、乗っているのは四人だ。幼生のドラゴンであるシルフィードにとっては少し重荷である事も視野に入れなければならない。

 

 

 勿論、定助はシルフィードの事を知らないので重いのか軽いのかは分からないだろうが。

 しかし正義感のある彼にとって、このまま賊をみすみす逃がすと言うのも気に食わない所である。

 定助はチラリと、下に目を向けた。

 

 

 丁度、ゴーレムの頭頂部が見える。

 

「……高さは六.三メートル……何とか、なるか」

 

 

 

 

 ゴーレムとの距離が離れて行く前に、定助は『ソフト&ウェット』を発現。

 強靭な己のスタンドのパワーに物を言わし、無理やり背中を掴むシルフィードの前足を抉じ開けるのだった。

 

「キュイ!?」

 

 突然の事に驚いたようで、主人の命令があるとは言え流石にスピードを緩めたシルフィード。

 異変に気が付いたタバサであったが、時既に遅し。シルフィードの前足から自身を外した定助は落下を始めていた。

 

「じょ、ジョースケッ!?」

 

 ルイズの呼び声が聞こえたが、定助はそれに反応して声を投げ掛ける事は出来なかった。

 

 

 

 

 そのまま定助は元来た道を戻るかのように、ゴーレムの頭目掛けて落っこちて行く。

 比較的大きなシルフィードは兎も角、ちっぽけな定助までいちいちゴーレムも反応出来なかったようで、難なく彼はゴーレムの頭部に着地する事が出来た。

 

「わぇっ!?」

 

 しかし高所から落ちたのだ、衝撃をロールで和らげたとは言えやや不十分。肩甲骨周りをぶつけてしまい、少しだけ痛い思いをしてしまった。『難なく』とは行かなかったのである。

 ゴーレムの頭部はゴワゴワとしており、岩のように硬い。

 

「いっつぅぅ……と、取り敢えず、立ったぞ……!」

 

 頻りに動くゴーレムだが、歩行していないだけ振動はマシだ。

 手足四点を着け、頭部から宝物庫に入って行った襲撃者を捕らえてやろうと『ソフト&ウェット』を出現させつつ、気配に注意する。

 

「…………」

 

 向こうにも気配を悟られてはいない。

 今、定助の立っているここは敵のホームグラウンド。着地をバレてしまえばどんな目に遭うのか想像出来やしない。

 あまりこう言うのはしたくない質なのだが、敵へは『不意打ち』をする他はないと考えていた、

 

 

(……『ソフト&ウェット』の能力は絶対的なんだ……シャボン玉で『摩擦』か『視力』を奪ってやれば、一気に『再起不能』にさせられるハズ……)

 

 それに恐らく、敵は定助の事を知らないと思われる。その上に気付かれていない不意の内が、定助のチャンスである。

 別に不意打ちを恥じる事はない、騎士でさえも強大な悪に対しては暗殺に転ずる。正義のギャングも下衆に対しては約束を取り付ける振りをして仕留める。

 それに定助の目的は『拘束』であって、殺害ではなかろう。悪に対して然るべき対処だと、定助は考え直した。

 

「……よし」

 

 覚悟と決意を固め、定助を静かにゴーレムの頭部にて機会を伺った。

 

 

 

 

 そしてその機会は、次の瞬間やって来る。

 

「……ッ!」

 

 塔に空いた穴の奥、闇より浮かび上がるが如くヌラリと顕現せしめた、フードを深々と被った襲撃者の姿を確認する。

 先述の通り、フードが深く、それが影を作り上げある種の仮面のように素顔を隠していた。定助の位置からならもっと見えないだらうが、今は敵を捕らえるのが先決だ。

 

 

 このようなゴーレムを作り上げるとは、敵はかなりの手練れ。魔法を知らない定助でさえも、それは襲撃者の放つ『余裕のオーラ』を感じ取り直感として理解した。

 なら魔法で対抗するよりも、恐らく相手に知られていない『スタンド能力』で対抗するのがまだ分があるハズだ。だからこそ、定助はこうしてゴーレムの頭部に降り立ったのだ。

 

(目的はなんだ……泥棒か、こいつ……?)

 

 襲撃者の目的を考察しながらも、決して目は離さない。

 

 

 穴から出る前に襲撃者は杖を取り出し、室内の壁に向かって杖を振るっているのが見えた。何をしているのかは分からないのだが、すぐにまた前へと向き直り、ゴーレムの肩に飛び乗ったのだ。

 

 

「この時を、待っていた……!!」

 

 定助は振り落とされる事を恐れず二足歩行となり、襲撃者の立つゴーレムの右肩部に向かって飛び掛かった。

 

「『ソフト&ウェット』ッ!!」

 

 頭から肩への高さはせいぜい三メートルかそこら、定助の足の下には襲撃者の頭がある。

 あとは射程距離まで近付けば、襲撃者が『スタンド使い』でない以上こっちの勝利のハズだ。最悪、シャボン玉を正確に飛ばせられる距離まで行けば良い。定助は一気に畳み掛けた。

 

 

 

 しかし、残念な事が起きた。

 双月による明る過ぎる月明かりは飛び掛かる彼にとって逆光となり、影を作ってしまった。

 その影が襲撃者の体の上に掛かってしまい、定助の存在を悟られてしまう要因となってしまったのだ。

 

 

 焦り過ぎた。が、悔いた所で後の祭り。

 

 

「しッ……!(しまったぁ!!)」

「……っ!!」

 

 定助と襲撃者の視線が交差した。

 少なからず襲撃者は、『ソフト&ウェット』の存在に動揺を抱いたに違いない。だが流石は手練れか、感情を表す前に杖を手に取り、彼へと向けたのだ。

 

 

 すると、定助の真横……ゴーレムの側頭部より四発の石の欠片が矢のように吹き出され、定助に襲いかかったのだ。

 

 

「くっ……オラオラオラオラッ!!」

 

 定助は標的を襲撃者から石の矢に変更し、『ソフト&ウェット』を自身の前に向かわせ拳で迎撃を行う。

 素早く、精密な『ソフト&ウェット』の突きは石の矢を排除し、定助を守り切った。

 だが、襲撃者への不意打ちは失敗となってしまう。

 

「……ッ」

「……このまま行くッ!」

 

 定助はゴーレムの右肩に着地、そのまま一気に敵との距離を詰めてやろうと走り出した。

 

 

 だが、この進撃は襲撃者の魔法により停止を余儀なくさせられた。

 

 

 

「うおぉ!?」

 

 再三に渡り語るが、ここはゴーレムの上、術者のホームグラウンド。簡素に言えば、術中であり手の平上も同然なのだ。

 

 

 ゴーレムに着けていた足が、盛り上がった土により絡め取られたのである。

 

「そ、『ソフト&ウェッ……あぁ!?」

 

 既に射程距離だ、スタンドなら届く。

 しかし『ソフト&ウェット』を向かわせた瞬間、足を土で固めたまま、定助の立っていた箇所をゴーレムから『丸ごと切り離した』のである。

 

 

 もう指先が襲撃者の服へと届く距離であったのに、その距離はまた離される。

 

 

「な、なにぃぃぃぃッ!?」

 

 定助は再び、今度は地面に向かって落下してしまう。

 足に絡まり、固まっていた土は術を離れたせいもあり、通常の柔い土と化して空中に舞ったが、だからと言って定助の落下が止まると言う訳ではなかろう。

 襲撃者との距離がどんどん離れて行く、そして落下速度もどんどん速まって行く。

 

 

「ど、どうするか……ッ!」

 

 一先ず、『ソフト&ウェット』による防御姿勢のまま地面へと向かい打つ形にしているが、ゴーレムの肩から地面までは五階の高さ……とても無事ではいられそうにない。

 ならばゴーレムに拳を突き立て、勢いを消そうと考えたが、果たして腕が保つ物か。いや、そんな事より行動に移す方が先決だ。

 

 

 

『ソフト&ウェット』の拳を構えさせ、ゴーレムに入れようかとした所で、また何かに体を支配された。

 

「……え?」

 

 パッと場面が移り変わり、地面は何かに腰を付けて座っていた。

 何事かと困惑した彼は辺りを見回し、その正体を理解するに至ったのである。

 

 

「…………」

「え、あ、君は……!」

 

 横にいたのはタバサ。そして、定助が座っているここはシルフィードの背中。

 落下する定助を救ったのは、タバサとシルフィードであったのだ。

 キュルケとルイズを降ろし、少なからず負担が無くなったのかスピードが上がり、ゴーレムの足を縫って飛び進み落ちる定助を確保した。

 

「有り難う、助かった!」

 

 素直に礼をする定助に対して、タバサの目は何処か冷めた風だった。

 

「……無茶し過ぎ」

「へ?」

「『分』を弁えるべき」

「……すまない」

 

 ルイズとは違い、静かに諭すような厳格な忠告。定助はまた、迷惑をかけてしまったなと申し訳なくなり、彼女に謝罪を乗せた。

 確かにゴーレム上は敵のホームグラウンド、そんな所に飛び込むとは猪突猛進かつ暴虎馮河も甚だしい所だ。

 

 

 

 

 その時、シルフィードがゴーレムから離れた瞬間に、あの巨大なゴーレムは一気に崩れ始めたのである。

 

「なに!?」

 

 足からガクリと、体を地面に叩きつけるようにして崩したのだ。

 派手に崩した事により土埃が辺り一面に充満し、これが煙幕の役割を果たしている事を定助は察知した。

 

「あいつ、この土埃に混じって……!」

「……どうしようもない」

 

 タバサの言う通り、こうなってしまった以上はもうどうしようもない。

 土埃が立ち煙る庭園内、襲撃者はこの中に紛れて逃げてしまっているのだろう。あまりに広大な煙幕なので位置の特定が出来ず、とうとう定助は取り逃がした事を認めたのだった。

 

「…………」

「……不甲斐ないな……はぁ」

 

 

 己の至らずにより、取り逃がした事を悔やみ、溜め息吐く定助。その際、左頰を触った時に鋭い痛覚に体をビクつかせるのだ。

 

「いったぁ!?」

 

 ゴーレム着地時か、それとも破壊した石の矢の破片が擦ったのか、それとも落下時か……分からないが、定助はいつの間にやら左頰に擦り傷を作ってしまっており、流血している。

 アドレナリンが出ていたのか、いままで痛覚を感じなかった。だからこそ、この唐突な痛みの襲来に驚くしかなったのだった。

 

 

『おいおい、どうした相棒!?』

 

 背中にかけてあるデルフリンガーが、定助の声を聞いてとうとう沈黙を破った。鞘の中なのでややくぐもっているが、しっかりと定助の鼓膜まで届いている。

 

「あ、デルフリンガー……いや、軽傷だよ、大袈裟だった」

『そうか……って、何で怪我してんだ相棒? と言うかさっきから、どんちゃん騒ぎしとったようだが』

「どんちゃん騒ぎだ……痛い程の」

『は?』

 

 そうこうしている内に、土埃は晴れて来た。

 やはりそこは緑の草原のみで、人影など微塵も存在していなかったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後はルイズとキュルケに散々叱られた。

 

「あんたは無茶し過ぎなのッ!! ギーシュの時で鼻高になっているんじゃないの!?」

「あたしを無視して単身突入だなんて、果敢だけど無謀だわ。ちょっと頭が足りなかったわよ」

 

 少し厳しい言われようだったが、それ程二人は定助の身を案じてくれている訳である。そこは素直に感謝したし、素直に反省もした。

 

 

 襲撃事件後すぐに衛兵がやって来て、更には先生方も到着。空くはずもない宝物庫の穴を見てみんな、ポカンとしているのが何とも新鮮であった。特にコルベールに関しては「そんなまさか!?」と狼狽え、興奮している始末。

 しかし時間帯は既に夜も深くなる頃だったので、ルイズ達への事情聴取は明日として自室に帰らされた。

 

 

 その後はルイズの説教の末に就寝。

 朝方、圧迫睡眠による快適な睡眠が出来ずに朝方目覚めた定助はルイズの着替えを抱え、シエスタと合流して洗濯をしていると言うのが、ここまでの大まかな流れである。

 

 

 

 

「ふぁぁ……眠いな」

 

 十分に眠っていない定助はあくびを一つ。

 暖かな春の朝なだけあり、頭に溜まった眠気を払拭させるのは少し無理がある。あくびの涙を指に擦り付け拭き取り、石鹸の泡が満ちる桶の中へまた手を突っ込み洗濯を再開する。

 

「それにしても学院に盗賊だなんて、物騒ですよね」

「うん、そうだね……えーっと、何て名前だったっけ……」

「『土くれのフーケ』ですよ、ジョースケさん!」

「あ、そうそう、それ……アレが『土くれのフーケ』かぁ……」

 

 昨夜の襲撃者について、宝物庫への攻撃方法からして周知となっていた。

【土】系統『トライアングル』クラスの魔法を行使し、貴族の宝を盗んだ上に、現場に残った『サイン』……この数々の要因により襲撃者は街を騒がす大盗賊『土くれのフーケ』で間違いないとされた。

 

 

 何でもフーケの侵入方法には、パターンがあるそうだ。

 こっそり潜入し宝物庫の壁を土くれに変え、沈黙の中にて盗みを働く場合と、今回のようにゴーレムを使役し、一気に進撃する場合。

 静と動の全く違った両面的なフーケの盗みは、そのせいもあって行動が読めないと言うのが悲しき現状。

 またそれ以外でも、場合によっては多種多様な方法を行使してくる為に、手の施し様が分からなくなってしまう。顔も分からず、男なのか女なのか……正体不明の盗賊である。

 

 

「シエスタちゃんさ」

「はい?」

「フーケって、どう思う? 誰だと思う?」

 

 定助の問いに、シエスタは困り顔のまま笑いつつ、首を振った。

 

「そんな、私に分かるハズがないじゃありませんかぁ。それに、一番フーケに近付いたのは誰であろう、ジョースケさんですよ?」

 

 何処から情報が渡ったのか……恐らく、平民である衛兵達が広めたのだと思うが、定助がゴーレムに乗り、死の崖に飛び込むが如く果敢にフーケに挑んだ事は平民達の間でこれまた、周知となっているようである。

 一夜しか経過していないのに、噂の力と言うのは恐ろしい物だ。

 

「そなんだけどね。でもオレェ、フーケとかの予備知識ないから」

「例え予備知識あったとしても、正体まで分かる訳ないですよー!」

「まぁ、そうか。それで分かったならホームズもビックリだよね」

「ホームズ? どなたですか?」

「名探偵だよ、本の世界のだけどね……まぁ、どう思う?」

 

 シエスタは顎に手を置き、「うーん」と唸りながら自分の考えを纏めている。

 

「やっぱり、盗賊ですから、泥棒はいけない事です。私は駄目だと思うのですけどね」

「そうそう! オレも同意見!」

「でも私達、平民の中ではフーケを『義賊だ』と言って英雄視している人もいますよ? フーケの対象は貴族だけなので、平民にとったら清々しい事だと……」

「はぇ〜……あぁ、そうなんだ」

 

 定助の中でフーケのイメージは、丁度『ロビンフッド』のような感じかなと思った。

 日々貴族に虐げられている平民達にとって、一人の盗賊にてんやわんやとなっている貴族達の様子が面白おかしいのだろう。こう言った事件を取ってもやはり、賛否は互いの立場によって分かれている。

 

「だとしても、盗みは駄目ですけどね」

「そうだ。盗みは絶対に駄目!」

「もう、ジョースケさんったら! さっきから『そうだそうなんだ』って、『そうそう』ばっかり!」

「あ、そうだった?……あぁ、また言った」

「あははは!」

 

 眠気で頭が回っていないのか、便乗と疑問の言葉しか出せていない。

 そんな彼のオトボケ具合を見て、シエスタはおかしくなったようで笑った。やはり彼女の笑顔は魔法だ、こっちもこっちで楽しくなって来る。

 

 

「良し、終わった」

「こちらも洗えましたよ!」

 

 話し終えた頃には、二人共洗濯を終えていた。定助は段々手際良くなって来たとは言え、シエスタにとったらまだまだ未熟であろう。

 

「昨日に続いて有り難う。ごめんね? また、お礼をするから」

「いえいえ、私も仕事でしておりますし!」

「うわぁ、アワアワ塗れだぁ」

「そこに溜めてある水で洗って下さいね」

 

 

 では何で、二人は同タイミングでフィニッシュしたのか。

 それはシエスタが洗濯の手を、定助に寄せるように合わせていたからだ。先に下着を洗えてしまえたら、定助が焦って手を早めてしまい、会話の時間が終わってしまう。

 シエスタは策士である、愛らしい笑顔の下には米国大統領のような打算に満ちた一面が隠れている。

 

 

 

 

「でも下着って難しいよなぁ。シエスタちゃんでもそこそこ時間かかっているようだし」

「……あはは」

 

 返答の代わりの苦笑い。

 シエスタは策士である。

 

 

「あ! ジョースケさん!」

 

 すると背後より、誰かの呼び声が聞こえて振り返る。

 そこには、剣を携え軽装の鎧を着た一人の若い男が、忙しない足で近付いて来るのが見えた。

 

「あれは……『衛兵』さんですね」

「そのようだけど……おはようございます! えっと、オレに何か?」

 

 近付いて来る衛兵に挨拶を加え、要件を聞く定助。それにしても衛兵にまで名前を呼ばれるとは、彼の事は『我らが泡』として学院内の平民達に有名なようだ。

 それはそれとし、衛兵は定助の前まで近付くと、二人を見てぺこりとお辞儀した。合わせてシエスタも定助もお辞儀をする。

 

 

「はい、貴族の先生より伝言を貰っています」

「え、貴族から?」

「すぐ、宝物庫まで来て欲しいと」

 

 宝物庫……昨日、フーケの手によって風穴空いた場所である。今頃、ルイズ達が聴取の為に招集されている頃だろうか。

 平民で使い魔の定助には特に声がかからなかったので、お呼ばれされないかと思っていたが。

 

「有り難う御座います。あぁ、じゃあ行くね? シエスタちゃん」

「えぇ。頑張って下さいね!」

「はは、それはお互い様だよ……また後で」

 

 シエスタに別れを告げた後、衛兵の青年と共に定助は宝物庫へと向かうのだった。




8,000文字突破を目安に書いております。


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土塊のメソード。その1

来週、由花子さんだから今週は遅れます(漆黒の意思)


 宝物庫には見事なまでの大穴が開いていた。

 完全密閉の宝物庫で拝める事はないであろう太陽光が、そこから中へと差し込み、保管されている金属製の宝に当たっては乱舞して庫の闇を晴らして行く。暗いハズの宝物庫は、隅から隅まで見渡せる程明るくなっている。

 

 

 そして大穴の傍に残っていた壁には、壁の表面を削り取ったかのような形跡が文字となって羅列していた。

 

『破壊の円盤、領収しました。土くれのフーケ』

 

 このサインこそ、大盗賊『土くれのフーケ』が獲物を頂戴した際に残しておくサインであったのだ。

 

 

「なんと言う事だ……こんな、事が……!」

「他に盗られた物はないか?」

「お、おのれ土くれのフーケめぇ……ッ!!」

 

 宝物庫の中には、フーケ襲来を聞き付けた学院の先生達が集結していた。

 中には空くハズのない壁の穴を見て呆気にとられている者、他の物が盗まれていないか目を光らせる几帳面な者、行方も知らぬフーケに対して怒りを募らせる者と、その反応は種々雑多たる有様。

 つまり、皆パニックの内に振り回されている状態と言う訳である。

 

 

 まだ学院長が来ていない内から、教師達より話が飛び交っていた。

 

「フーケめ! 城下を騒がす、不埒な賊ではないかッ!! とうとう学院を狙って来るとは、何て奴だッ!!」

「よくも! このクソ盗賊がッ!! 学院の神聖なる宝物庫を破壊してくれたなァああああッ!!」

「どー言う事だよ!? どー言う事だよッ!? クソクソクソッ!!」

 

 一人の教師が怒りを露わに怒号を飛ばしまくっている傍で、同じく怒号を飛ばす二人の教師がいる。だが、傍の二人の教師は口も悪く、ブチ切れる時に破壊癖でもあるのか一方は床を蹴り、一方は壁を殴ると言う意味不明な行動を起こしていた。

 

「衛兵は何をして……いや、所詮は平民だッ! 頼りにならんッ!!」

「なら当直は誰だッ!? 当直をサボったド畜生は誰だッ!?」

 

 学院の生徒達は皆、メイジだ。だがそれでも殆どの者が未熟の為、学院を熟練のメイジが襲って来たら太刀打ち出来るかと言われればそれはキツイ話だろう。

 なので、応対出来る熟練のメイジである教師達が寝静まり、蛻の殻も同然な状況となる夜間は、誰か一人の教師が詰所にて見張りをするのが規則である。異常事態を察知し、すぐに対応出来るようしておくのが、仕事でもある。

 

 

 しかしどうやら昨夜は、それが機能していなかったようである。

 

「み、ミスタ・ギトー……一先ず、落ち着かれては……」

「これが落ち着いていられますか、ミス・シュヴルーズッ!? 誰かが当直をサボったせいで賊の進入をみすみす許し、挙げ句の果てには『破壊の円盤』を奪われ逃がす始末ッ!! 失態にもほどがありますぞッ!!」

 

 あまりの『ギトー』と呼ばれる教師の剣幕が激しいので、シュヴルーズは萎縮してしまい「申し訳ありません」と後ろへ下がってしまった。

 そして彼は再び教師らへと目を向け、当直の教師は誰だったかと頭の中で巡らしていた。

 

「確か当直は……」

「誰だ、誰何だよッ!? 正直に言えよクソッ! クソッ!!」

「思い出した……って、あなたじゃないですかッ!?」

「お、おぉ!?」

 

 ブチ切れて、壁を殴っていた教師に、ギトーは人差し指を向けた。眼鏡をかけた、渦巻くような髪型をした男の教師である。

 

 

 この教師、人一倍キレていた割には当直をサボっていた張本人であった訳だ。

 

「自分ですか? 俺だったかァ〜?」

「すっとぼけないで下さいッ!? 間違いなく、あなたでしたぞ!! 何なら当直表を持って来ましょうか!?」

「あ、そうだったかも」

「どうするのですか! あなたの無責任のせいで『破壊の円盤』が盗まれたのですぞ!! 弁償出来るのですかッ!?」

 

 学院長が来る前に、この教師はいつの間にかこの場の議長となっているようだ。

 ここまでの怒号で原因者を糾弾せしめようとする彼の迫力に、他の教師が引き摺られる形となっていた。

 それにこの当直である教師の男の無責任加減、教師の心はギトーの方へと傾いて行く。

 

「弁償たって自分……こないだキレちまって、ここの備品の馬車壊しちまいましてよぉ、その弁償も控えてんですぜ!?」

「それはそれも含めて自業自得でしょ……というか何やっているのですか!?」

「『イーヴァルディの勇者』についてキレて、馬車の内装を殴り壊しました」

「どう言う事ですかそれは!?」

 

 すると男はギョロッとした目でギトーを睨み、自身が馬車を壊す程キレたと言う『イーヴァルディの勇者』について思う所を吐き出した。

 

 

「『ハイベリーの騎士』のタイトルの意味はスッゲェ良く分かる、ハイベリーに住む騎士の話だからな。けど、『イーヴァルディの勇者』はなんだよ!? イーヴァルディつったら、作中の主人公だ! この主人公が勇者なのに何で『イーヴァルディの勇者』ってタイトル何だよッ!? イーヴァルディは最初っから勇者じゃねぇか!? それなら『勇者イーヴァルディ』の方が妥当だろ!? 舐めやがってこのタイトルよぉ〜ッ! クソッ! クソッ!」

 

 良く分からない彼の怒りのポイントに、糾弾せしめてやろうかと踏んでいたギトーはポカンとなるしかなかった。殆ど接点のないハズの人間に突然愛の告白を受けたかのような、唐突に対する呆気とやら。

 

「えー……あー……ゴ、ゴホン! と、兎に角ですねぇ!? えーっと、何の話だったか……あぁ、そうだった!」

 

 勢いに飲まれて一瞬、議題が頭からトコトコと離れかけていたが、何とか彼はつまみ戻せた。

 

「当直をサボり、自室で呑気に眠っていたばかりに賊の進入を許し、まんまと宝を盗まれた事は事実ッ! 全ての責任はあなたにありますぞ!!」

「そんな殺生な事があんのですかァ!?」

「殺生も何もありません! もう『破壊の円盤』は戻って来ないのですぞ!! どう責任を取るつもりですかッ!?」

 

 ギトーの言及と、彼に憤怒と呆れの視線を送る教師達を前にし、少し焦燥を覚えた彼であったが、不服があるようで御家芸とも言えるマジギレを以て全教師の前でぶちまけた。

 

 

「何だ何だァ〜ッ!? 好き勝手言いやがってよぉッ!?」

「なに癇癪起こしているのですか!? 自分の責任を認めたらどうですか!」

 

 指差し、決め台詞が如く言い放ったギトー目掛けて、教師は言い返した。

 

 

「言うがよぉ、ミスタァ!! 当直なんてここにいる教師によォ!? まともにやった奴はいんのかよぉぉ!? おぉ!?」

 

 

 彼のその言葉に、殆どの教師がギクリと肩を震わせ、そっぽを向き始めた。「誰かいないのか?」と言わんばかりに互いを見渡し、「誰か反論しろよ」と押し付けんばかりにアイサインを送る者さえいた。

 ここまで飛ぶ鳥落とす勢いで糾弾を行っていたギトーでさえ、次に言おうとした言葉を飲み込む程に詰まっている始末。

 

 

 

 

「つまりは、そう言う事じゃな」

 

 液体が氷となって凝結したかのように静まり返った宝物庫へと、一言入れた人物が出入り口の扉を潜ってやって来た。

 その人物とは誰であろう、このトリステイン魔法学院の学院長であるオールド・オスマンだ。

 

「誰もが油断しとったと言う訳じゃ。それもそのハズ、ここはトリステインが誇る魔法学院……悪い言い方じゃが、メイジの巣窟。そのような場所に盗みを働こうなどと考える輩はおらんじゃろうに」

 

 口調は柔らかく、しかし真では尊厳は雰囲気を醸し出しつつ、オスマンは話して行く。

 

「だが、えぇと……『土くれのフーケ』じゃったな。フーケはその、『ここに盗みなどする者はおらぬ』と言うワシらの油断から脆弱箇所を突き、宝物庫を破壊し、『破壊の円盤』をまんまと奪って行ったと言う訳じゃ」

「し、しかしオールド・オスマン……彼が当直でして……」

「さっき彼が言った通り、油断をして当直を真面目に取り行っていた者はいなかろうに。つまりは誰もが、この責任をおっ被る事になっとった状況であって、彼がハズレくじを引いたに過ぎないのじゃ。根源的な理由は全て、ワシも含めた皆の油断による責任だと考えねばならぬであろう? ミスタ・ギトー」

「…………」

 

 

 オスマンの静かながらも厳格な語り口に、反論しようと思う者は出てこなかった。皆、恥じるように顔を伏せるばかりだ。

 責任を押し付けられかけていた、当直だった教師は心の錠前が消えたかのような清々しい表情で、オスマンに一礼し、感謝を申した。

 

「御慈悲の程、感謝致します! あぁ、この恩は一生忘れません!!」

「あ、でも君が壊した馬車の分は耳を揃えて弁償してもらうぞ?」

「ですよねェ〜」

 

 

 責任がとやかくの話は終結し、次の話題へ移るべくオスマンは「さてと」と呟いた。

 そのタイミングでコルベールが宝物庫へ入って来る。

 

「責任とかはこの際どうでも良い。重要なのは、フーケについてじゃ。昨夜、フーケ襲撃時に目撃者として、犯行の一部始終を見ていた三人を呼んでおる」

 

 コルベールに連れられる形で出入り口から顔を出したのは勿論、ルイズ、キュルケ、タバサの三人であった。

 

 

 三人はコルベールの後ろで一列に並び、教師達の前で立ち止まると礼儀正しくお辞儀をした。

 オスマンもそれに応じる形で一礼をした後に、早速本題へと移るべく彼は声をかけた。

 

「それでは、詳しく説明してくれたまえ。えぇと、ミス・ヴァリエールや」

 

 するとルイズは少し、紛つくように目線を落とした。

 

「えぇ……何処から説明すれば良いか……」

 

 正直、彼女にとったら少し答え辛い内容でもある。

 

 

 まさかキュルケと定助に関して喧嘩になり、決闘としてゲームを行っていた所を……なんて口が裂けても言えない訳である。と言うかこの話じゃ、男の取り合いでの諍いのように聞こえてしまい、穴でも掘って潜り込んでしまいたい程恥ずかしい気分になる。

 その延長線上としてフーケの襲撃を目撃したなんて、言えまいだろうに。

 

「見たままの出来事を聞かして貰えんかの。フーケは如何にして現れ、如何にして去って行ったのかを」

 

 そんな彼女の心情を知ってか知らずか、フーケ登場時からを話すようにオスマンは言ってくれた。人知れずルイズはホッと、一息吐いた。

 

「突然、巨大なゴーレムが現れて、そこに壁に穴を開けたのです。ゴーレムが作り上げられたのは少し離れた所でして、そこから塔に向かって進行を始め、最後は拳による打撃を行使して破壊してしまいました」

「フーケの特徴は、見てやせんかね?」

「……いえ、申し訳ありませんが。ゴーレムの肩に乗っていたのでかなり離れていましたし、まず黒いローブを着ていたせいもあって男性か女性かも分かりませんでした」

 

 少し申し訳なさそうに、ルイズは当時を思い出しつつ話して行く。

 フーケの特徴は分からないと言った瞬間に、教師達は落胆の表情を見せた。

 

 

「そして空けた、その穴から宝物庫に侵入して、『破壊の円盤』を盗み出したかと思われます。懐に入れたか何かで、円盤の確認は出来ませんでしたが……それでまたゴーレムの肩に乗り、最後はゴーレムを一気に崩して行方をくらませてしまいました。ここまでで以上です」

 

 これでルイズ達の見た犯行の一部始終は語り終えた。

 話を聞いたオスマンは難しい顔をして、何か気になる点でもあるのか髭を撫でつつ、「ふぅむ……」と一回唸った。

 

「ゴーレム崩壊による土煙を利用し、逃げたと言う訳じゃな?」

「はい。恐らく、そうかと」

「しかし、何故そんな事を? 歩かせて、殴る事も出来るのなら、ゴーレムを使用して城壁を抜けた方が楽であろうに……」

「…………」

 

 その疑問について、思う所があるようだが、思わずルイズは口籠った。

 

「ん? どうしたかね? 何か言いたげな表情ではあるが」

「あー……いえ、それは多分……」

 

 言い辛そうにしている彼女に痺れを切らしたキュルケが、ルイズの言葉を代弁するかの如く喋り出した。

 

 

「ミス・ヴァリエールの使い魔が、フーケが宝物庫から出た所で無謀にも挑んだのですわ。結局はゴーレムから落とされてしまっていましたが、彼の執念深さを感じてゴーレムによる移動を諦めたのではないでしょうか?」

 

 それを聞きオスマンは、驚いたような表情でキュルケを見た。

 

「フーケに挑んだじゃと!? ミス・ヴァリエールの使い魔が!?」

「その通りでありますわ。なので、フーケの特徴に関してでしたら、彼の方が詳しいかとは思いますが」

 

 教師達の中でどよめきが立った。それもそうだ、一応は『平民』と言う事になっているルイズの使い魔……定助がフーケに立ち向かったのだから。メイジに対し、平民が立ち向かったと言う訳だ。

 ルイズは少し、恥ずかしげな表情なのは、自分の使い魔が騒がしている事に関してだろう。それはそれとしてオスマンはコルベールを一瞥し、合図を送る。

 

「すぐにミス・ヴァリエールの使い魔を呼びに!」

「畏まりました」

 

 出入り口の傍らで警護をしていた衛兵に対し、コルベールは定助の呼び出しを命じた。定助が平民達の間で有名である事は、コルベールは知っていたのであった。

 

「それなら洗濯場に行けばいいわ。今朝、ジョース……私の使い魔を洗濯に行かせたから」

 

 早速探しに行こうとする衛兵に対しルイズは、すぐに定助を見つけられるように彼の居場所を補足しておいた。

 なお、一瞬だけ『ジョースケ』と言いかけたが、先生達の前である事を思い出して言い換えている。平民をファーストネームで呼んでいる事に、今更ながらの気恥ずかしさを感じていた。

 衛兵はルイズに感謝を申し上げると、すぐさまその場を後にして定助を呼びに走り出した。

 

 

「しかしフーケめ……学院に手を出すとはけしからん!」

「もう逃げてしまったのか?」

「門番が気絶させられていた。そっから逃げたのだろう」

「全く! これでは王室に顔向け出来んぞ!」

 

 教師達は口々に文句を言い合っている。

 その様子を、定助が来るまでの暇潰しがてらに眺めていたルイズに対し、隣のキュルケが面倒そうな表情で愚痴を零した。

 

「はぁぁ……朝早くから疲れるわ、全く」

「先生方の前よ、黙ってなさい」

「堅物ねぇ、ルイズ……はぁ、こうなるのだったら、あんたとアホみたいな決闘なんてしなけりゃ良かったわ……」

「……元を辿れば、あんたが撒いた種じゃあないの。私は悪くないわよ」

 

 大声で宝物庫中に渡り合う教師達の声の中では、二人の会話は誰の耳にも届きまい。互いは互いを横目で睨み付けて、憎まれ口を叩き合うのみ。

 隣のタバサは表情一つ変えず、日和見するかのように皆を眺めていた。

 

 

 その間、オスマンは宝物庫をキョロキョロと見渡し、誰かを探している仕草を起こしていた。

 暫くしてからその誰かが見つからなかったようで、隣にいた、さっきまでキレながら床を蹴っていた男性教師に尋ねる。

 

「すまんが、ミス・ロングビルは知らんかの? 朝から姿を見とらんのじゃ」

「ミス・ロング……ビル…………すみませんが、あなたの期待は満たされないでしょう。私も彼女を見ていないのです」

「この非常時に何処へ行っとるのじゃ……」

「オールド・オスマン。ご要望とあらば、ミス・ロングビルを確実に追い詰めてお連れして来ましょうか……?」

「……君はいちいち物騒な事を言ってイカン。まぁ良い、ミスの事だからその内来おるじゃろうて」

 

 

 

 

 様々な感情やらが飛び散る宝物庫にて、衛兵がやっと戻って来た。

 

「お連れしました!」

 

 彼の声が聞こえたと同時に、宝物庫にいる全ての者の視線が出入り口に集中する。

 白い帽子と変な服の、ルイズの使い魔が登場したのだ。

 

「あー……えと、失礼します」

 

 妙に威圧の感じる視線の数々と、深刻な空気で満ちている宝物庫内の雰囲気に飲まれて、やや萎縮した状態で定助は出入り口を潜った。

 そこから一、二歩進み、目の前にいる教師達全員に対して一礼をする。

 

 

「ふむ……君がミス・ヴァリエールの使い魔じゃな?」

 

 まずオスマンが定助に声をかけた。

 向ける視線に、好奇と興味の念がある事に定助は違和感を覚えたが、そんな事はどうでも良いだろう。オスマンの言葉に、定助は返した。

 

「はい、初めまして……使い魔の、東方定助と言います」

「『ヒガシカタ・ジョースケ』? 珍しい名前じゃのう……まぁ、兎に角肩の力を抜きなさい。君に話を聞きたいだけじゃからの」

 

 定助は目の前の老人が、学院長とは分からないのだが、物腰が柔らかく、しかし尊敬な雰囲気を感じ取り偉い人だと言う事は察知出来た。

 優しげに微笑むオスマンに対し安心でもしたのか、定助は一呼吸吐いた。

 ルイズもルイズで、丁寧に応対する定助に安心している様子だ。

 

「今回、フーケが宝物庫を破り、宝を盗んだ事は知っておるな?」

「存じております」

「それで、今はフーケ襲来時の状況について整理をしている時なんだが、何でも君はフーケに挑んだそうではないか」

「…………はい」

 

 少し苦い顔を、定助は見せた。ルイズとキュルケの説教がフラッシュバックでもしているようだ。

 

「その時の様子を聞かせてくれんかの? 今この中で、君が一番フーケに近付いた人間じゃからの」

「分かりましたが……言う程太刀打ちした訳ではありませんし、参考になるかは知れないのですが」

「構わんよ」

「では……」

 

 

 それから定助は、教師達の鋭い視線が集中的に突き刺さる中で昨夜の事を話して行った。

 タバサの使い魔から自主的に落ち、ゴーレムの頭部に着地した事。そこからフーケの戻って来た所を突いて不意打ちした事。しかし存在がバレてしまい、足を磔られて落とされ事まで包み隠さず話した。

 ただ、隠した所と言えば、『ソフト&ウェット』の存在の事のみであろう。

 

 

「フーケの素顔は見とらんか?」

「……申し訳ありませんが、フードを深く被っていた上に夜間と言う事もあって……」

「ぬぅ……そうか……」

 

 結局はやられ損ではないか。

 定助が平民であるだけに、その失望の念はこれでもかと露呈させられ、教師の中には忌々しく舌打ちする者さえいた。

 

「……はぁ」

 

 いつの間にか定助一人が悪者にでもなったかのような雰囲気になり、ルイズは溜め息の後に寂しげに俯向くのだった。

 

 

 

 

「参考までにですが、フーケの身長は百六十八……か九かそこら。あぁ……あとローブ上からでしたけど、体の曲線が女性的でしたね」

 

 次に発した彼の報告に、場の空気は一転してギョッとなった視線が定助に向けられた。

 

「身長を測っていたのですか!?」

 

 耐え切れず、ルイズらの隣に控えていたコルベールが声を荒げた。

 対して定助は、頷いて肯定する。

 

「ゴーレムの肩の上で不安定でしたけど、一応フーケと同位置に立てましたし、自分の身長から逆算して。それに少なからず風が吹いていまして、それがフーケのローブを靡かせて、体に密着した時が偶にありましたので。胸があり、丸い感じだったと…………はい、思います」

 

 途中、定助はまたフラッシュバックを起こした。それは、キュルケとの『あの夜』である。

 恥ずかしくなって言葉を一瞬詰まらせたが、全然自然体で話せた。

 

 

 定助の洞察を聞き、オスマンが賞賛するように笑った。

 

「ホッホッホ! 素晴らしい洞察力じゃ! お手柄じゃよ、えぇと……ヒガシカタ君?」

「こ、光栄です。はい」

 

 名前を呼ばれ、猫のように反射としてピンと背筋を伸ばした。

 ルイズも何処か、嬉しげな表情へと戻っている。

 

「それが事実だとすると、フーケ女性説が浮上したのう」

「オールド・オスマン、平民の話を間に受けるのですか!?」

 

 異議申し立てをする教師がいたが、オスマンはそれをキッと睨み付けて粛した。

 

「この際に平民も貴族もなかろうが……それとも君は何か、フーケについて知っている事でもあるのかね?」

「え、いや……その……」

「貴族至上主義なのは良いが、先に言った通りフーケに一番近付いたのはヒガシカタ君じゃ。彼の発言を尊重して、何か変な所でもあるのかね? ん?」

「……申し訳ございません、詭弁でした……」

 

 教師は居心地悪そうに、後ろへ下がって行く。

 

 

 

 

「へぇ……ジョースケ、活躍したじゃない?」

「……ふん、ここまでして貰わないと私の使い魔は務まらないわよ」

「素直じゃないわねぇ……さっきの嬉しそうな表情は何処よ?」

「……それ以上言っていると、叩くわよ」

 

 そんなキュルケの言葉にさえ、嬉しそうなのだが。

 

 

 すると、廊下を鳴らす忙しない足音が聞こえ始め、何事かと振り返ってみれば、オスマンの秘書であるロングビルがやっとこさ現れたのであった。

 

「遅くなりました、申し訳ありません!」

「ミス・ロングビル!? 何処に行かれていたのですか!? 非常事態ですぞ!! 天変地異ですぞ!!」

「天変地異は言い過ぎかと……」

 

 遅れたロングビルに対し、コルベールが興奮した様子で話しかけた。

 しかし彼女は何処か、冷静な様子で小脇に抱えていた書類を取り出したのだった。

 

「ミス、それは?」

「フーケ襲来と聞き、朝から調査に出ていましたので」

「調査……ですか?」

「はい。近辺にフーケの目撃者がいないかと、聞き込みをしておりました。これはそれらを纏めた書類です」

 

 天才漫画家も驚きな程、状況把握の早さと仕事の早さ。オスマンとコルベール含め、教師達から賛美の言葉が挙がった。

 そしてロングビルはその書類の中から一枚を取り出し、それを見やった。

 

 

「結果と致しまして、フーケの居場所が判明しました」

「なんだってェェーーッ!?」

 

 何故か眼鏡の教師が大袈裟に驚いてみせたのだが、それに劣らず教師達……そして定助達も含めて驚きの声があがった。




ややジョジョ色強め、定助ハイスペ強め。失礼しました。
切る所に迷いましたが、ロングビル登場シーンで切らせて貰います。話を切る……ふふふ


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土塊のメソード。その2

最近、創作意欲が有り余ってやす。
新作も同時進行的に書いていますので、また鈍化しそうです。

5/19→外伝「TABITHA BIZARRE ADVENTURE」の新話を投稿しました。目次上部へどうぞ。


 ロングビルの報告を聞いたオスマンが、彼女に次を急いで促した。

 

「それで、得られた情報とは? 誰からの情報じゃ?」

 

 すぐさま彼女は、秘書らしい業務的な声色で、纏め上げた報告書を見ながら本文に入る。

 

「はい。目撃情報を持っていたのは、近在の農夫です。近くの森の廃屋に入って行く、黒いローブの怪しい人影を見たとの事です」

「確かか、それは!」

「人影の詳細も受けております」

 

 次にロングビルの口から出よう、人影の特徴と身なりに定助も耳を傾け注目していた。自分が見て、提示した情報に合致するのかと気になっているからだ。

 その他、彼の心理とは違えど、殆どの者も知りたい欲求から若干前屈みになり、彼女の言葉を聞き漏らすまいと静聴していた。さっきまでの騒然とした宝物庫内とは打って変わり、日の出の静けさのような沈黙が皆を飲み込む。

 

 

 心待ちにされているロングビルの報告は静けさの中で響く、水面に落ちる雫の音のような風に見えた。

 

 

 

 

「黒ずくめのローブを着用した、『男』の姿との事です」

「…………なに?」

 

 その声を出したのは、自身の情報との食い違いに動揺している、定助であった。それはオスマンも同様であり、考え込む様子を見せていた。

 

「ミス・ロングビルや」

「……何でしょうか?」

「確かに、黒いローブの『男』と聞いたのかね?」

 

 再度オスマンは、確認するかのように聞き返すが、ロングビルは「嘘はない」と言うような凜とした目で頷きつつ、「はい」と肯定した。

 定助は首を傾げる。

 

「どうなさいましたか?」

「……いや。つい先程、フーケと対峙したミス・ヴァリエールの使い魔君がのう? フーケの特徴を話してくれたのじゃ」

「フーケの……特徴、ですか?」

 

 驚いているのか、途切れ途切れに言葉を続けて彼女は、定助をチラリと一瞥した。

 ロングビルとは初対面なので定助は反射的に、一礼をする。

 

 

「フーケの身長は百六十八サント、及び肉体型が女性型と言って貰った所じゃ」

「…………!」

 

 ピクリと、ロングビルの片眉が上がった。動揺しているとも、興味を示しているとも見える挙動だ。

 所でオスマンの言ったセンチメートルの単位が『サント』である。そう言えばここまでcm、m、kmを聞いていない。ここではこの単位以外に別の単位を持っているのだろうかと、定助はやや場にそぐわない疑問を持った。

 

 

 それは兎も角、定助は困惑する。自分は『フーケは女性っぽい』と思っていただけに、目撃情報の食い違いには疑いを持たざるを得なかった。

 

「えっと……ミス、ロングビル……さん?」

「へ? あ、どうなさいました?」

 

 堪らず定助は、ロングビルに疑問を投げ掛けた。

 

「確かに……『男』と……こう、伺っているのですか?」

 

 彼女の発言と表情は変わらない。

 

「……えぇ、確かに聴取し、ここに書きましたわ。その場で行った事ですので、間違いはないかとは思いますが……」

「……そう、ですか」

 

 嘘はないと捉えた定助は、それ以上の問答を取り止めた。

 定助の情報とロングビルの情報とが合致せず、どっち付かずの狭間にて互いに引かれ合っているオスマン含めた教師達は、眉を顰めて検討しかねている様子だ。

 

「男なのか? 女なのか?」

「どーゆー事だよチクショーッ!? フーケは二人いるのか!?」

「どっちを信じれば良いのだ……」

 

 議論し合う教師達に向かって、先程に定助の情報へ異議を唱えていた教師が唾を飛ばして食い付いた。

 

「平民の情報なんかより、ミス・ロングビルの情報の方が確かだ!」

「ですがミスタ、彼はフーケに対抗した唯一の人です。信憑性は高いかと……」

「結局は平民だ! 平民なんかに、そのような技術があるものかッ! 全く、平民は出しゃ張るんじゃあない!」

「し、しかし……はぁ」

 

 定助の事を授業で知り、少なからず隅に置いているシュヴルーズは擁護してくれた。しかしながら、熱くなり聞く耳持たなくなったその教師の様子を見て、シュヴルーズはとうとう口を閉ざしてしまった。

 指を差され、「出しゃ張るな」と怒鳴られた定助はただ、ぺこりとお辞儀し、謝罪の意を示した。示しただけであり、言葉に出していない所は、彼も完全に謝罪の意を持っていない証拠なのだが。

 

 

(偉そうに……)

 

 こう、心で毒を吐いたのはルイズであった。

 定助にやり返してやったと言わんばかりの、してやったり顔の彼を見て、静かに怒りを募らせていた。

 

(ミス・ロングビルの情報だって、平民経由じゃないの)

 

 彼女の立場もあるので思っても口には出さないが、見るからに不機嫌な顔は隠し切れていないようで少々、ムッとしている。

 

 

 沸き起ころうとした議論を「まぁまぁ」と止めたのは、やはりオスマンであった。

 

「男か女かはこの際良い。事実としては、怪しい人影が森の廃屋に入って行ったとの目撃情報がある事じゃ」

「ここから徒歩で半日……馬なら四時間の距離です」

 

 すかさずロングビルは、場所を補足として追加した。良い意味で抜け目ない彼女の手腕に、オスマンは敬意を表するように「有り難う」と一礼をする。

 

 

 場所を聞き、コルベールは熱い口調で発案した。

 

「オールド・オスマン! ここは、王室騎士隊を要請致しましょう! フーケを袋のネズミにするのです!」

「馬鹿者ッ!!」

 

 幾人からか「それが良い」と声のあがったコルベールの案は、オスマンの一喝によって却下される。

 その迫力や、先程の好々爺な印象から全くの真逆であり、定助もルイズもビクリッと不意に羽ばたいた鳥に驚くように畏縮した。

 オスマンは続ける。

 

「相手はかの大盗賊、一つの所に呑気に留まっておる程の輩ではあるまいじゃろうがッ! 王室に使いを送っとる間にフーケは逃げてしまうわいッ! それにすぐ王室頼みとは……それでも貴族かッ! 学院の宝が盗まれた、これはこの学院の問題であろうッ!! 自身の身に降りかかった火の粉を払えぬようで、面目と言う物を感じやせんのかッ!!」

「しかしオールド・オスマン、フーケのゴーレムは宝物庫を破壊する程のパワーを持っています! 一筋縄では行きません!」

「そうであってもじゃろうがッ!? 先にワシは、『責任は皆にある』と言った。貴族が責任を放棄するなんぞ、風上にも置けんッ!!」

 

 オスマンの怒号に混じった貴族論に圧倒され、コルベールは口を紡いだ。それは、他の教師達も同じのようで、彼に異議を申し立てる者はいなくなったのだった。

 

 

「す、凄い人だなぁ、あのお爺さん……」

「お爺さんって失礼よ! あの人こそ、ここの学院長なのよ」

「……えっ、そうなのぉ!? はぁ、納得……」

 

 小言で関心する定助に、ルイズはオスマンが学院長である事を告げてくれた。

 確かに学院長と言われても良い器の立派な人だと、定助は驚きの後に尊敬を抱くようになる。

 

 

 怒鳴ってしまい、少しばかり冷めた場を一転させる為オスマンは咳払いを一つした。

 

「という訳で、フーケの捜索に向かってくれる有志を募ろうかのう。我こそはと思う者、杖を掲げるのじゃ!」

 

 オスマンが声を張り上げ、捜索隊の編成を行おうと呼び掛ける。

 しかし、

 

 

 

 

「……えぇと……」

「………………」

「いや、私は…………」

「…………こ、こほん……」

 

 ……誰の杖も上げられる事は無かった。

 ギトーもシュヴルーズも眼鏡も誰も、教師達は互いをチラリと見やり、どうしようかを考えあぐねている様子なのだが。分かる事は、行きたくないのだなと言う、静かながらの拒絶の意思だろう。

 オスマンの表情に、先程の険しさが返して来る。

 

「……なんじゃ? 誰もおらんのか?」

「その……えぇと……」

「大盗賊、土くれのフーケを捕らえて名を上げようとする貴族はおらぬのか!?」

「………………」

 

 宝物庫いる全ての教師を見渡すが、やはり誰一人としてアクションを起こす者はいなかった。

 

 

 言えど土くれのフーケは、貴族を怯えさせる程の魔法技術を所持している故に『大盗賊』としての地位に立っているのだ。

 更には強固なハズの宝物庫を破る威力を控えたゴーレムを操る。この手腕は並のメイジを遥かに凌駕する、恐怖に値した力。これに真っ向から立ち向かってやろうと言う勇気と気力なんざ、常人なら持てる訳がないのである。

 

「全く、嘆かわしい……」

 

 ポツリと、オスマンでさえも耐えられずに文句を呟く。ここまで来たとしても、だれも杖を掲げないのだが。

 定助は少し悲しげに、ルイズの方を見やる。彼女は何故か、俯いていた。

 

 

 

 

「……はい。志願致します」

 

 沈黙に消え入ろうとする宝物庫の中で、星の光のように一際輝く声が響いた。

 聞き覚えのある声、定助の視線の先で杖を掲げた、少女の真っ直ぐな表情があったのだ。

 

 

「み、ミス・ヴァリエール!?」

「な、何ッ!? 聞いていなかったぞ……」

 

 シュヴルーズと長髪の教師より、驚きの声があがれば、それを発端として教師陣よりどよめきが立つ。

 杖を掲げ、凛とした空気を纏うはルイズである。

 

「流石、ご主人ッ!」

 

 定助は待っていました、と言わんばかりにすきっ歯を見せて喜んだ。彼は彼女の決起を、待っていたのだ。

 

「どさくさに紛れて杖を揚げたな、ミス・ヴァリエール……無駄だ、生徒がフーケに勝てない」

「でも、誰も掲げないじゃないですか」

「………………」

「そうでしょう?」

「……き、貴様何ぞにぃぃぃ……ッ!!」

 

 諭そうとする長髪の教師を、ルイズはド正論で丸め込んだ。手足が太陽光で蒸発したかのような苦悶の表情を浮かべ、教師はルイズを睨むが何て事ない。ルイズは平然とした顔で、杖を一点の曇りなき高潔なる精神の元に掲げているのだ。

 

 

 彼女の表情と言うのは、決意を秘めているだけに険しい。だがその険しさと言うのは、いつも定助に怒っている時の表情とは違い、暗黒に立ち向かう騎士のような気高さのある、険しい表情だった。

 彼女の強情な性格はある意味で、芯を曲げない率直と誠実へと繋がる。もう誰も、彼女を説得出来る者は存在しないだろう。

 

 

「ルイズ、止めといたら?」

 

 そんな彼女に、キュルケから引き止めの声がかかる。勿論、ルイズの考えは不変として確定しているのだが。

 

「言っとくけど、ツェルプストーの助言なんか聞き入れてあげないから」

「……はぁ、何でトリステインの女はこうも堅物なのかしら?」

「トリステインもゲルマニアも関係ないわよ……」

「仕方ないわねぇ」

 

 

 もう一人の杖が上がった。

 気怠げな表情でそれを上げたのは、キュルケである。ルイズはそんな彼女をぽかんと見ていた。

 

「み、ミス・ツェルプストーも!?」

 

 コルベールから驚きの声をかけられるが、キュルケは拗ねたような声色でこう応える。

 

「ヴァリエールには負けられませんわ」

「おお!」

「……二重の意味でね? ふふっ!」

「おー……」

 

 キュルケ参戦を喜ぶ定助だが、こちらに熱のある視線を送りつつ彼女の得意な含ませる語り口、定助はタジタジと苦笑いへ表情を変えた。またルイズの不機嫌な表情が浮き彫りになった。

 

「あんた何かについて来て欲しくないわよ!」

「あなた一人だと、彼が危険だわ〜」

「……ぎぃぃッ!」

 

 食ってかかるルイズだが、定助が「まぁまぁ」と宥める。

 しかし彼女の技術は素晴らしい戦力となるであろう。まだ修行の身ではあるのだが、彼女はギーシュと同じくスーパールーキーの類に入る力量であるのだから。

 

「……私が、後ろを振り向いた時……オマエは杖を下げる…………」

「下げませんから」

「ド畜生がぁぁぁッ!!」

 

 長髪の教師がまた絡むが、軽くあしらわれて終わった。ブチ切れた彼は、床を犬でも蹴り飛ばすかのように蹴っている。

 

 

 彼の様子にドン引きなキュルケであるが、目の端に動きを見つけた。

 そこへ視線を向けると、ロッドを持って腕を伸ばすタバサの姿が。

 

「……もしかすると、君も……?」

 

 恐る恐る聞くコルベールに対し、タバサはこくりと頷いてみせた。

 驚いた顔をしたのはコルベールではなく、隣のキュルケである。

 

「タバサも、行くの?」

「…………」

「別にあなたは関係ないけど……」

「……心配。放っておけない」

 

 短く彼女は、そう言った。

 多くは語らない上に、考えも読めないタバサではあるが、今回だけは感じ取れるものがあると言う。一見、虚無主義的な彼女なのだが、友人を放っておける程に心がない訳ではないのだ。

 

「……ふふ、有り難うね。タバサ」

「…………」

 

 そんな彼女に、キュルケは微笑みながら感謝を述べるのだった。

 

「…………ぐぬぬ……!」

 

 何故かルイズとキュルケに食ってかかった長髪の教師は、タバサにだけは黙る。いや、どうせあしらわれるだろうと不貞腐れたようだ。

 その隣、学院長のオスマンはニコリと笑っていた。

 

 

「 頼もしいのう! では、この三人に頼むとしようか」

「お、オールド・オスマン! 私は反対です!」

「そうだぜチクショぉッ!! 生徒に行かせるなんざ、川に馬車で突っ込むほど危険だぜぇ!?」

 

 シュヴルーズと眼鏡の教師が猛反対の抗議を起こすのだが、それもオスマンの静かな一言で宥められる事となろう。

 

「ではお二人方、君達が代わりに行くかね? どうじゃ?」

「……わ、私は体調が……」

「……自分は、その……何か、首の後ろにナマ、ナマ……生暖かい感触が取れないので……」

 

 口を閉じた二人を見てオスマンは、「安心せい」と微笑み、言葉を投げかけた。

 

 

「君らは彼女らをどうやら見くびっているようじゃが、ミス・タバサはこの歳で、『シュヴァリエ』の称号を持つ騎士じゃ。技量で言うなら申し分無いじゃろうて!」

 

 それを聞き、場の誰もがどよめきタバサに注目した。

 タバサと親友であるハズのキュルケでさえも、この事を知らなかったようで、彼女を見つめて驚いている様子だ。

 パッとしていないのは、定助だけのようだが。

 

「『シュヴァリエ』? 彼女、チーズかシャンパンの普及に貢献したの?」

「あんたの中で『シュヴァリエ』ってどんな位置付けなのよ!?」

「チーズとシャンパンの団体が、普及貢献した人を讃える為の称号って、聞いた事ある」

「知らないけどそっちは、商業団体の偽物よッ!! と言うか、それ覚えていて元の意味忘れるなんて、どう言う事よ!?」

 

 突拍子なく、相変わらずの頓珍漢振りを発揮する彼に頭が痛い。この感覚も、何だか久し振りな感じがするのだが。

 兎に角も、知らないと言う彼に対し、『シュヴァリエ』の称号を持つ凄さを説明せずにはいられなかった。それは、真面目な彼女だからこそ。

 

 

「良く聞いて。『シュヴァリエ』の称号は、王室から授与される爵位の一つよ」

「へぇ! 国民栄誉賞か!」

「何よその賞は……続けるわ。位としては最下級だけど、勿論授与されるまでは簡単じゃないわ。それを、あの子の年齢で手に入れているのが凄いのよ」

「入団一年目でMVP獲得するような感覚で良い?」

「MVPって何なの……って、説明しているから黙ってなさいッ!……殆どの位はお金の力で手に入る物もあるわ。けど、『シュヴァリエ』は『実力』でしか手に入らないの。つまり、技術と力量が秀でた者じゃないと手に入らない『実力の称号』なのよ!」

 

 つまり……いや、つまりも何もルイズが説明し尽くしてくれたのだが、タバサの実力はここの教師達に肩を並べるか、勝っているかだと言う事なのだろう。

 前から尋常じゃない人物だとは思っていたが、ここまでの魔法の使い手とは思っても見なかった。それはルイズよりもキュルケの方が衝撃が大きいだろうに。

 

「タバサ、本当に『シュヴァリエ』なの?」

「……嘘はない」

「へぇ! でもタバサって強者の雰囲気ってのがあるから、思えば驚かないかも!」

「…………」

 

 そう言うキュルケだが、彼女も彼女でまた、タバサ程ではないが相当の手練れである事がオスマンの口から知れるのだ。

 

 

「ミス・ツェルプストーは、ゲルマニアにて優秀な軍人を多数輩出した家系の出じゃろう。それに、彼女の炎の魔法は強力で、上級生さえも怯えさせる程らしいと聞いた。ツェルプストー家に相応しい、炎の使い手じゃ」

「うふふ! お褒めに預かり、光栄ですわ」

 

 キュルケは髪を掻き上げて、情熱的にアピールする。無論、そのアピール先は定助だろうに。

 

「へぇ、キュルケちゃんとこって、軍人一家なのかぁ」

「……ふん。何て事ないっての……」

「まぁまぁ……」

 

 賞賛されるキュルケを見て、ルイズは面白くなさそうに下唇を突き出して拗ねている。

 

 

 しかし次は、自分が褒められる番だと、彼女は胸を張り、期待の眼差しでオスマンを見た。

 だが彼女の期待とは別に、オスマンは少し困ったような表情を浮かべていたのだが。

 

「……えぇと……」

 

 これまでの彼女の軌跡を、オスマンは思い出していた。

 

 

 

 

 爆発で教室破壊、以上である。これは困った、褒める所が全くない。

 

「ゔーん……あー……」

 

 オスマンは表情の裏に動揺を隠すのだが、純粋に期待するルイズの目を見て更に焦燥に駆られるのだ。何とか彼は長年鍛えた脳を必死に稼働させ、ルイズの褒める点を、遺跡にある鍵を探すかのように絞り出した。

 

「そ、そうじゃそうじゃ……ミス・ヴァリエールは数々の優秀なメイジを輩出した名門貴族の……えぇと、ヴァリエール公爵の息女で…………あぁ、成績も優秀で将来有望なメイジ!……と、聞いておる」

 

 何とか言葉を選んだ、と言う風の、ちょっと無理のある評価点だ。この無理のある感じがツボに嵌ったのか、キュルケは隣でクスクスと笑っている。

 これは流石に駄目じゃないのかと、チラリとルイズ見たオスマンだが、当の本人は頰を赤らめて喜んでいる様子だった。定助も「何か凄いんだな」と言う認識で、主人と共に喜ぶのだ。

 

 

「あぁ、そうじゃッ! 彼女の使い魔じゃッ! ミス・ヴァリエールの使い魔は平民でありながら、あのグラモン元帥の子息、ギーシュ・ド・グラモンとの決闘で勝利したとの噂ッ!」

「……オレェ?」

 

 今のでは不十分かなと思ったオスマンは、定助の事を思い出し、ルイズの使い魔と言う延長線上だが彼を褒めるのだった。

 

「それに彼は、何と言えどフーケに挑んだ男。フーケに対し、何かしらの動揺を与えられるかもしれぬ。もしかするなら、引けを取らぬ力量を秘めておるかも……な!」

「有り難う御座います……って、事は……」

 

 定助は自分を指を差した。

 

 

「え、じゃあ、自分も参加ですかぁ?」

 

 間抜けな声でオスマンに確認取ろうとする定助に、呆れ顔のルイズが話しかけた。

 

「あんたは私の使い魔だから、強制参加よ」

「そっかそっか、そだった……なら良し! 頑張るぞッ!!」

 

 掲げる物を持っていないが、定助をバッと腕を振り上げ、参加の喜びを表したのだった。

 緊張感のある所で、歓喜もある。それは、彼が戦闘狂と言う訳ではなく『正しい事の白の中にいる』実感が湧きおこした勇気に違いないのだ。だからこそ彼は、フーケへのリベンジに向かえる事が嬉しかった。

 

「全く、子どもかっての……」

「あっと……すいません」

「あんたは私の使い魔何だから……私を守るのが義務なのよ、泣いてでも連れて行く所よ」

「……有り難う」

 

 ルイズのその言葉に、定助は深い感謝を示す。この言葉に隠れているのは、彼女なりの信頼だ、それを感じ取れたのだった。

 二人の様子を眺めていたキュルケの方が、今度は面白くなさげな顔になっているが。

 

 

「うむ! これならば、大丈夫そうじゃな!」

「えぇ! オールド・オスマン、私希望が見えて参りましたッ! 何て言えど彼は、伝説の『ガンダー」

「おおっとぉ!? そこで止まれぇッ!! それ以上喋るなぁッ!!」

「もごっ!?」

 

 興奮のあまり、うっかり内密なハズの『ガンダールヴ』の事を暴露しかけるコルベール。

 それを手の中に仕込まれた爆弾ごと鉄球を放るような焦燥の元、オスマンは彼の口を塞いで封殺した。

 

(己はアホか!? クソカスかッ!? 他言無用と言ったじゃろうが!?)

(く、クソカスは酷いですよオールド・オスマン!)「もがが……ぐっ……ひぁ……あ、何でもありません!」

「そうじゃ! 何でもないのじゃ!」

 

 二人に「何やってんだ? アホか?」と、一人で勝手に危機に陥っている老人に対して向けるような視線を、一同は向けている。

 この冷めた視線に気付いたオスマンは、威厳を込めた咳払いをする事により強制的に空気を変えるのだった。

 

 

「お、オホンッ!! えぇと……これ以上、異議申し立てはないかの?」

「…………」

 

 教師達からの声はあがらない。

 それらを確認したオスマンは、改めてルイズ達に向かい合うのだった。

 

 

 

 

「……では、魔法学院は諸君らの努力と、貴族の義務に期待する」

 

 オスマンの言葉を聞くと、キュルケもルイズもタバサも(タバサは最初の時の無表情のままだったが)、凛とした表情となり、直立の姿勢となる。

 そしてそれぞれの杖を再度掲げ、同時に唱和するのだ。

 

 

 

 

「杖にかけてッ!」

「杖にかけて」

「……杖にかけて」

 

 最後はスカートの裾をつまみ、優雅に、そして礼儀正しくお辞儀をするのだった。

 この一連の動作は特に洗練されており、貴族はまさに『契約の騎士である』事を定助は思っていた。

 

 

「……えっと、杖にかけて……こう?」

「あんたはしなくて良いのよ……」

 

 たどたどしくルイズ達の真似をする定助だが、「これは自分に貴族は向かないな」と思うほどに、彼女らの洗練された作法を羨むのだが。

 それらの様子を見ていたオスマンは、楽しげに微笑んでいた。

 

 

 

 

 背後にいるロングビルの、燃えるような瞳には気付かずに。

 

 

 

 

 

 

 

 杖の誓いを終えると、早速ルイズ達は出発にかかった。

 心配そうな教師達の視線を抜け、宝物庫を出る。いつもは暗いハズのここの廊下は、松明を増やされて比較的明るくなっている。

 

 

「しかしご主人……やっぱり、凄い」

 

 その廊下を歩く途中、定助はルイズに声をかけた。彼女の決意と、強い心に敬意を払っての言葉である。

 ルイズの表情は、緊張からか険しいものだった。

 

「凄いって、当たり前の事。確かにフーケは強力よ……でも学院長の仰る通り、これは学院の問題であって、学院の責任なの。あの時、何もしなかった私にも勿論、責任はあると思うわ」

「ご主人……」

「これは、『貴族としての誇りの戦い』なの。学院から宝を奪ったフーケにナメられては、駄目なのよ」

 

 自分としての貴族を説く、ルイズの姿はとても気高くかつ暖かなものがあった。

 今回の問題を自分の問題とし、大人に頼ろうとせずに自ら行かんとするこの勇気は確かに、『黄金に輝くもの』を秘めていると定助は感じ取っていた。

 

 

 だが同時に、その事を定助は完全に受け入れられなかった。それは、『自分のような事になるまいか』との危惧があったからだ。

 

「……なぁ、ご主人。あの」

 

 再度ルイズに話しかけた定助だが、それは彼女の悲鳴によって飲み込む事となる。

 

 

「ふぎゃっ!?」

 

 煙草の煙を不意に嗅がされた猫のような悲鳴をあげて、ルイズは廊下に盛大に頭から転んだ。

 いきなり転んだものだから定助は声をあげてビックリし、直様彼女の元へ近寄り幇助しようとする。

 

「ごご、ご主人!? 大丈夫!?」

「……ッ!? ストップ、ジョースケッ!!」

「んん!?」

 

 何故かルイズに制止を受けたので、ピタリとだるまさんが転んだのように止まる。

 

 

 その時に定助は、彼女が転んだ訳を知って目を背けた。

 

 

 

 

「…………」

「…………」

「…………一旦、部屋に戻ろうか」

「…………」

 

 

 彼女の下着のゴムが切れ、ずり下がり、太腿の所まで落っこちていた。これに足を絡められ、すっ転んだ訳だ。

 まるでコントのような展開に、定助はどうすりゃ良いのか分からない。

 

「…………」

「……お、起きれる?」

「……手伝って」

「了解」

「下は見ないでッ!!」

「了解ッ!!」

 

 ルイズの許可が下りたのでさっさと近付き、顔真っ赤の彼女を立ち上がらせるのだ。

 使い魔に着替え見られた所で恥は感じない、とは言っていたものの、こんな状況は流石に恥なのだろう。

 

 

 

 

(…………昨日、下着洗った時……やっぱ切ったか……?)

 

 思い当たりは、街へ行く前の洗濯。

 冷や汗を流しつつ、本当にこれから下着洗いはしない事を心に決めた定助であった。




最後のシーンは、コミック版より。
所で、原作の兎塚さんのルイズと、コミック版の望月さんのルイズと、アニメ版のルイズ……どのルイズがお好みですか?
私は荒木さん画風のルイズが見たいです(漆黒の意思)


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土塊のメソード。その3

お待たせしました。由花子さん、やっぱ最高(ヤンデレ好き)
ものの、ものののの……ものの……


 空は至ってのどかな春空。視線に映るは、何処までも続くように錯覚してしまう程の平原。そののどかさの向こうでも、険しい岩肌を見せた山々が連なっており、自然の厳しさと言うものを象徴しているかのようだ。

 

 

 学院より出発して三時間程度。舗装されていないデコボコの田舎道を走る軽馬車があった。

 馬二頭に引かれ、丸い車輪を回し、上下にガタゴトと揺られながら緩やかに道を行く。少し悪路な為、過剰なスピードは出せないが。

 御者席には「場所を知っている」として秘書のロングビルが座り、馬車の御者を自ら申し出てくれた。

 そしてその後ろの乗車席には、キュルケとタバサ、ルイズと定助が座っている。

 そこそこの長距離移動なので、タバサ以外は疲れた顔を見せてはいたのだが。

 

 

「……ふぁぁ……」

 

 キュルケが伸びをしながら、大きな生あくびをした。ルイズはそれに、目くじらをたてる。

 

「レディが大あくびだなんて、下品よ。キュルケ」

「はぁ、これだから堅苦しい人は苦手なのよ……いいじゃない、型破りで」

「型破りってねぇ……ホント、自分では貴族だって言っているけど、自覚あるの?」

「だから、いいじゃないって……朝早くに起きちゃったし、魔法は温存したいし……あー、『ゼロのルイズ』に魔法の温存とか言っても無駄かしら?」

 

 またルイズを挑発するキュルケ。

 言動に勿論、カッとなった激情家のルイズは身を乗り出しキュルケの方へ殴り込もうかとしたので、定助が腕で制止させて宥める。

 

「まぁまぁ、ご主人……そう言うのも貴族として駄目なんじゃあないかな?」

「……フンッ、座り直しただけよ」

 

 そう言ってはいるが、キュルケを睨み付ける彼女の目は迫真だった。

 ルイズの気を鎮める為にも、定助はキュルケにも注意を入れる。

 

「キュルケちゃんも煽らない。今、オレ達はチームなんだから、不和は無しにしよう」

「はぁい、ダーリン!」

「…………」

 

 また『ダーリン』と言って、定助の指摘の傍から挑発を始めた。心配になってチラリと横目で、ルイズを見る。

 案の定、更に不機嫌な表情をしているが、良い具合に拗ねてくれたようだ。下唇を噛み、ムスッとした態度で座っている。

 

「そう言えばキュルケちゃん、その剣……持って来たんだ」

 

 そんなキュルケの手元にあるのは、豪華な大剣……彼女が定助にプレゼントする為に買った、この出来事のある意味での、『火種』の剣である。

 流し目で色っぽく定助を見つめながら、その豪華な剣を押し付けるように渡す。

 

「だってダーリンったら、すぐ無茶しちゃうんだし。信用出来る剣にした方がいいわ」

「あれは本当に悪かったよ……だけど今見たら、うわぁ……ちょっとオレにはお高いと言うか、分不相応と言うか……」

 

 受け取った剣を両手で、赤ん坊をあやすようにゆっくり腕で上下させている。

 すると背負っていたデルフリンガーがこれとばかしガチャガチャ暴れ出したので、鞘から取り出し喋らせた。

 

『相棒! 良いか? 原来、剣には両立が利かねぇんだ! 現実は非情って奴だ!』

「と言うと?」

『彩飾されたもんは、攻撃性がカット! 逆なら彩飾がカット! 強い剣ってなら、俺みてぇなもんを差すんだぜ!』

「はぁ、分かるような分からんような」

 

 そして最後に、定助の持つ豪華な剣について、産まれながらの悪を看破するチンピラが如く物申す。

 

『こいつぁ駄目だッ! 原価以下のナマクラ臭がプンプンしやがるッ! へい、紅い嬢ちゃん! 男見る目はありそうだが、剣を見る目は誤ったな!』

 

 デルフリンガーの言葉に対し、キュルケは悔しげの微塵も見せずに鼻で笑った。

 

「両立、あるじゃない。あなたのような錆だらけの剣なら、誰がどう見たってナマクラよ? 彩飾も無いし、錆だらけの両立!」

『何だと!? 言いやがったな!? これでも昔はブイブイいわして来たんだぞ! だから処分されずに生き残ってんだ!』

「へぇ、武勇伝か?」

 

 定助が釣り針にかかるように、興味津々で話へ食い付いた。すると、得意げにデルフリンガーは『おうよ!』と猛り、一際大きく揺れる。

 

「聞かしてくれよ〜デルフリンガー。の歴代持ち主で、一番強かったのは?」

『いいぜ相棒、聞かしてやる! あれはー…………』

「…………」

『…………』

 

 

 言ってやる、と言った瞬間に、殻から魂が無くなったかと思う程にピタリと停止してしまった。

 話に静かに聞いていたキュルケと定助だが、数秒経っても何も言わないデルフリンガーを怪訝に思い始めて来て、堪らず定助が話しかける。

 

「……ん? デルフリンガー?」

『……やっちまった』

「え?」

『忘れた!』

 

 

 拍子抜けから頭をガクンと下げる二人。対して、アホらしく愉快に揺れる、デルフリンガーである。

 

「おいおい、忘れたって……それ程、猛者達だけに使われたって事か?」

『そう言う訳じゃねぇけどよぉ。長く生きてりゃ、記憶がこんがらがっちまってな! どの時代に何だったか、色々あり過ぎて』

「オレの事を『使い手』って言っていたけど」

『いや、「使い手」ってのは直感的に分かんだが、なんのってのが忘れた。例えるなら、使用方法は分かるけど使う意図が分からない、古代のオーパーツってか?』

「例えが的確なような、そうじゃないような……」

 

 その横、定助同様にデルフリンガーの話に興味を抱いていたキュルケが、結果上の呆気からか馬車の背凭れに寄り掛かって、溜め息を吐いた。

 

「錆びているのは、見た目だけじゃないのね……若い喋り方でボケ老人じゃない」

『何だと!? んじゃあ、この際言ってやるがテメェは」

 

 

 またいらない事を言ってしまうな、と判断した定助は、そこでデルフリンガーを鞘に押し込み強制退場させる。

 必死の抵抗かとも思われる位、鞘の中で激しくガタガタと揺れたのだが、例に倣って暫く経てば大人しくなるだろうに。

 

「煩い剣ね、いっそ捨てちゃったら?」

「それは出来ない。ご主人が買ってくれた物だし、これ面白いし」

「まぁ、何だかんだで昨夜のゲームに勝ったのはあたしだから、使って貰うけど!」

「…………」

 

 拒否権はないのか、との問いは問う前に、彼女の表情から答えが読み取れたので飲み込む事にした。彼は察しが良い。

 背後で不貞腐れているルイズは、強めの力で定助の背中をチョップする。

 

「あいて!……ご主人?」

「……ふんっ!」

「あー……」

 

 これは完全に怒らせたようだ。

 腕を組み、そっぽを向いて膨れる彼女はさしずめ、育児放棄気味の父親を前にした娘のような感じと言えば分かるだろう。つまり、どうしようもならない壁が構築されている、と言う訳である。

 少し定助は肩を落として、畏縮するような風になったが、キュルケはお構いなし。

 

 

「ほら、ちょっと素振りして見せて! 大きな剣だけど、ダーリンの体格なら大丈夫でしょ?」

 

 そう言って色っぽくウィンクする。いつまでも平常運転なキュルケにたじろぐ定助だが、ルイズが何も言わないのならと、少しムッとした反抗心が芽生え、キュルケの言う通りにしてみようかと考えた。

 

「分かった。ずっと座りっぱなしだから、鈍っちゃうからね」

 

 揺れる馬車の上で、優れたバランス感覚を発揮してそうっと立ち上がり、デルフリンガーを背負ったまま、キュルケの剣を両手で構えてみせた。勿論、危険なので鞘には収めたままだが。

 

「どう?」

「お似合いよ、ダーリン! あたしの目に狂いはなかったわ!」

「あぁー、でもどうかな?」

 

 

「似合うかなぁ」と言いたげなニュアンスの定助に対し、キュルケの賛美よりも先にルイズが憎々しさタラタラに苦言を零す。

 

「漏れなく食われているわよ、あんた。芝居で、主役が脇役に食われているような感じ。私のあげたインテリジェンスソードの方が似合っているわ」

 

 黙ったままは納得いかないのか、とうとう口を開いたようだ。

 

「やだやだ、ヴァリエールったらセンス無しね。ギーシュに勝って、無謀だったけどフーケに挑んだ彼は最早、戦士なのよ? グレードアップさせた方が良いじゃないかしら?」

「お生憎様、ツェルプストー。インテリジェンスソードに言われていたじゃない、『剣を見る目ないな』って。結局、そんな程度って事じゃないの?」

「何ですって?」

「ストップストップ! 喧嘩しない!」

 

 また口論になりかけた二人を制止させ、話題を自分でもから遠ざけるのが良いと考えて辺りを見渡した。

 タバサは黙って本を読んでいるが、案の定こっちに興味無さげだ。それに話題の矛先にするには、定助とタバサは距離があり過ぎる。

 

 

 なら御者であるロングビルならどうかと、パッと彼女を見た。馬の操作をしているので背中を見る事になるが、学院から持って来たままの疑問もある為、話題先を彼女へと強制的に引っ付けたのだった。

 

「……えぇと、ミス・ロングビルさん。ずっと馬車を操縦してくれてますけど、お疲れじゃないですか?」

 

 いきなり話しかけられて驚いたようで、チラリと背後の定助を一瞥する。

 それでも誠実な秘書のロングビル、丁寧に受け答えてくれた。

 

「大丈夫ですよ。以前、夜通しで操縦した事がありますから、慣れています」

 

 言うが彼女もまた、メイジであろうに。そう思った所で、ルイズが質問をしてくれた。

 

「手綱なんて、付き人にやらせれば良かったじゃあないですか」

 

 貴族の観点から見れば、確かにロングビルがする必要はないと思われるが。

 慣れているとは言え、肉体労働は平民に任せれば良いのに。この疑問を平民である定助が思い付いた時は、少し可笑しいなと思い苦笑いしてしまう。

 

 

 その問いに対し彼女は、背中を向けているので表情は読めないものの、少し言い難そうな声色で律儀に語ってくれた。

 

 

「……良いのです。私は、貴族の名を無くした者ですから……」

 

 ロングビルの言葉を聞いて、定助とルイズは「しまった」と言わんばかりの顔をして、居心地悪そうになる。

 定助は街に行った時の、ルイズの説明を思い出していた。『勘当されたり、破産して落ちぶれたりする貴族がいる』と言った内容の、世知辛い貴族事情だ。

 思っても見なかったヘビィな内容に、思わずかける言葉を失ってしまった二人を差し置いて、今度はロングビルに興味を持ったキュルケが突っ掛かった。

 

「でもオールド・オスマンの……まず、トリステイン魔法学院の秘書をなさられているじゃないですか。これは立派な事では?」

「オスマン氏は、平民・貴族に拘りを持っていない方ですので……本当に感謝してもし切れない程ですわ」

 

 横顔だけだが、彼女に笑みが浮かんでいる。

 良かったと思い、定助はキュルケに心で感謝したが、彼女はまだ続けた。

 

 

「宜しければ、事情をお聞かせ出来ないでしょうか?」

「ちょっとちょっとちょっとキュルケちゃん!?」

 

 そこまでは触れてはならないタブーゾーンだろうと、定助は大急ぎで彼女を発言を掻き消そうとする。

 これには真面目なルイズも黙っていなかったようで、またも定助の代わりに説教をしてくれた。

 

「あんたって、デリカシーがないの?」

「気になったから聞いたんじゃない。何か悪い?」

「悪いに決まってんでしょ! 昔の事を根掘り葉掘り聞くなんて、失礼よ!」

「別に良い…………あ、『根掘り葉掘り』……ふふふふ!」

 

 キュルケが『根掘り葉掘り』のワードに関して、思い出したように笑った。何が何だか分からないが、気に食わなかったルイズは疑問を投げ付ける。

 

「なによ? 私、変な事言った?」

「ふふっ……いいや? ちょっとこの間の事思い出しちゃって」

「この間の事?」

「宝物庫で、『イーヴァルディの勇者』で怒っていた先生、いたじゃない! あの眼鏡の!」

 

 それを聞いてルイズは、頭の中で映像を逆回しにして顔を思い出した。

 確か、『イーヴァルディの勇者の、「イーヴァルディ」は人名だから、その後に「勇者」は文法的におかしい』と言う内容でキレていた。廊下で待機していた彼女達だが、圧倒的な大声だったので良く聞こえ、印象にも深かった事を思い出している。

 

 

 定助はその場にいなかったのでパッとしないが、『眼鏡で怒っていた先生』と聞いて、キュルケの言う同人物を思い浮かべる事が出来た。

 

「あの先生ったら、図書館のど真ん中でこう言ったらしいの。『根掘り葉掘りの根掘りは分かる、土に埋まっとるからな。だけど葉掘りって何だ!? 葉を掘ったら裏側へ破れちゃうだろ』〜って! 読んでいた書物にその表現があったから、思わず怒ったって訳! 後は司書さんに連れて行かれて、今じゃ出禁! 言っちゃ何だけど、言葉に怒るなんてどうかしているわよ、あの先生!」

 

 彼女の話に「なにそれ?」と、半笑い気味に聞くルイズ。

 一瞬だけ、年頃の少女の顔を見せた所。

 

「葉掘りって、落ちて積もった葉っぱを掘るって意味でしょ?」

「あれ? そうなの? まぁ、取り敢えず、そんな事で声を荒げて怒ったの! あたしも近くで読み物していたから、驚いちゃって!」

 

 話題の眼鏡の先生に対し、ロングビルも思い出した事があるようで、話をしてくれた。

 

「その先生については、こちらも頭を悩ませていましてね」

「へぇ? それはどのような?」

「以前、貸し出した馬車を殴り壊していましてね? その前は『破壊の円盤』を解析しに来たアカデミーの方々の言動に激怒。その前は試験問題の内容に激怒して……」

 

 あの眼鏡先生の悪行の数々に、ルイズは引き気味に尋ねた。

 

「だ、大丈夫なんですか? 特に『アカデミー』相手は危ないでしょ?」

「突っ掛かろうとした所を、実行前に二人がかりで宥めたとの事ですわ。それ以外でも幾つか備品破壊をしており、弁償請求を溜め込んでいました。ちょっと困ったお方ですね」

「ちょっと所じゃないでしょ……良く、辞めさせられないですね」

「言いましても、独創的な魔法研究を扱う方でして、その節では有名な方なんですよ? それにオスマン氏は、そう言った方々を決して邪険しませんわ」

 

「責任のとやかくは負って貰いますけどね」と、困ったような微笑みを携えながら最後に付け加える。

 

 

 思い返してみれば個性の強い先生がチラホラいるなと、定助は再確認出来た。コルベールしたり、あの長髪の先生したり……それよりも生徒に目が付いて仕方ないのだが。

 ともあれ教師の個性が強い所は、学院長の懐の深さもあるやもしれない。

 

 

 

 

「で、話は戻りますが、理由は?」

「止めなさいっての! この恥知らず!」

 

 キュルケに対してルイズの鋭いツッコミ、定助は何故か関心していた。

 何だ、いざこざとか隔たりがあるとは思うが、仲良いじゃあないか、と。ある意味で日本人的な観点ではあるのだが。

 

 

 しかし和やかな時間は、もう終わりだろう。

 ロングビルが馬車を止め、鋭い眼差しで前方を見やったからである。

 

「到着しました……ここの森にフーケが潜んでいると思われる、廃屋があります」

 

 一気に場に、緊張が走った。

 馬車は森の前に止めてあり、そこから真っ直ぐに続く道は獣道とも言える程、荒れたものだ。あまりに森が深い事と、フーケに発見される事を考慮し、ロングビルの提案で徒歩による移動を開始する。

 

 

「ジョースケ、降りるわよ」

「あぁ……やっとかぁ……」

 

 馬車から降りて森の入り口に入ってみれば、光も葉に遮られている程の鬱蒼とした森である事が分かるだろう。木漏れ日が新緑の光で道を灯している所は、まるで何者かの誘いのように、怪しげで不気味な雰囲気を漂わせていた。

 

「暗いなぁ……これじゃ、根に太陽光が届かないからいけないよ」

「その分析、今はいらないから……まぁ、不気味なのは確かだけど」

 

 全員が欠ける事なく、いるのを確認してから、ロングビルから話をかけた。

 

「では、私が先導致します……背後は、お任せします」

「……はい」

 

 ロングビルが先導を提案し、皆もそれに賛成する。何より廃屋の場所は、この中では彼女のみ知る所で、だからこその案内役なのだ。

 

 

「参りましょう」

 

 彼女の背後をルイズ、タバサ、キュルケ、そして定助の順番で根の露出する森の悪路を、転ばぬように注意しながら静かに歩いて行く。

 

「…………」

 

 もしかしたらフーケは既に、皆を感知しているのかもしれない。そんな警戒心による緊張から、ルイズは無意識に拳を強く握っていた。「必ず捕まえてやる」、そう固く決心し、ロングビルのすぐ後ろと言う踏み込んだ位置にいる。

 森は暗い、されどこの勇気が道に灯火を与えているかのような感覚がした。

 

 

 

 

「暗くて怖いわ……」

「キュルケちゃん、何か近くない?」

「だって、心細いんですもの!」

「……何で腕を組んでいるの?」

「人肌恋しい気分なの」

「……キュルケちゃん、当たっちゃってるから」

 

 そんな中で聞こえて来た、定助とキュルケの会話。ピグリと左瞼が痙攣し、バッと振り返った。

 定助の腕に絡み付き、自身の豊満な胸を押し当てるようにしてイチャつこうとしているキュルケの図が、ルイズの視界を離さない。

 

「さっきからなんなのあんた!? 緊張感っての物がないの!?」

 

 さっきまでのフーケがとやかくの思いは弾けて飛んで、怒りを露わにキュルケを怒鳴りつけた。

 しかし「ジョースケから離れろ」とは言わない所は、昨夜のゲームの条件を遵守しているのだろうか。それとも対フーケを控えた緊張感から、それを持っていないキュルケへの鬱陶しげの方が勝ったからだろうか。

 

 

 ルイズに叱られど、キュルケは変わらない、フラリフラリとした態度のままだが。

 

「緊張感? どうして持つ必要あるのよ?」

「どうしてって、あのフーケなのよ!?」

「えぇ、そうでしょうね。でもガチガチに緊張していたら、出来る事も出来なくなるわよ? 少し適当になっていた方が良いんじゃないかしら?」

「…………」

 

 少しだけ関心したような表情になったルイズだが、キュルケは上げて落とすのが好きな女性のようだ。

 

 

「まぁでも、緊張ってのはある種の恐怖に対する自己防衛よねぇ。もしかして、ビビって……?」

 

 その言葉にルイズは強く反発し、猛烈に抗議した。

 

「そ、そ、そ、そんな訳ないじゃないッ!? フ、フーケなんて、私の魔法で一発よッ!」

「吃っちゃってぇ? 図星でしょ、ヴァリエール?」

「ビビってないッ!!」

 

 蹂躙される様を楽しげに見ているキュルケと、ドス黒い悪である神父に挑むような鋭利な目付きで睨み付けるルイズ。丁度、挟み討ちの形になってしまっている定助は、キュルケの『柔らかさ』を右腕に感じながら、疲れたように黙っていた。この二人を止めるのは無理なんだろうと、諦念してしまったのか。

 同じく挟まれているタバサと言えば、トラブルとか敵とかの生活は真っ平ごめんと言いたげに、表情も言葉も黙らせて歩いている。

 

 

 

 

 そんな時、ロングビルの緊迫した声が、四人に向けられた。

 

「静かにして下さい!……見えて来ました、あれです」

「……ッ!」

 

 彼女の言葉に反応し、ルイズは再度キュルケから前方へと視線を向けた。

 ロングビルが指差し示す場所を、定助を凝視する。

 

 

 深緑の森の中では、そこはとても目立って見える赤茶色であった。ヒビの見えるレンガ造りの家は、木々が開けており、暗い森の中で太陽光を独占しているようにも見えた。それらが印象を形成して放っていたのか、丁度、海に突然現れた大型船が如く強いインパクトを与えている。

 

 

「……あれがそうか……なかなか立派だ」

 

 元は木こり達の拠点だったのか。

 廃れた見た目の廃屋が、不気味ながらもそこに佇んでいる。そう、こここそが、フーケが潜んでいると見られている問題の場所であったよだ。




言いますけど、ルイズも結構、ヤンデレの気がありますよね。うへへへ
失礼しました


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泡沫のアウェイクン。その1

トニオさんの所でイタリア料理食べて、不眠症やその他諸々治して貰いたい。

100.000UA突破、恐縮です。


 小屋から定助達の隠れ潜む茂みからは十メートル程度離れているので断言は出来ないが、窓には光も人影も見えず、風で擦れる葉々の音以外は一切の人的な音が聞こえて来ない。言う所、全く人の気を感じないと言う事だ。

 だが、暗い森の中で唯一明るいこの場所は、悪い意味で雰囲気を醸し出しており、只ならぬオーラを感じ取ってしまうのは致し方ない事だろうか。それがまた、近寄り難い気分にさせてしまう。

 

 

「ミス・ロングビル……あそこが、フーケの?」

 

 ルイズの質問に、彼女は小さく頷いて肯定する。

 

「はい。あの建物へ、フーケらしき人物が入ったと情報にあります」

「如何にも、人を寄せ付けないって所に隠れたのね」

「盗人にとっては、格好の巣窟と言う訳です……しかし、どうしましょうか」

 

 ロングビルは小屋を、そして辺りを見渡して様子を伺っている。

 相手は貴族を恐怖させた、かの土くれのフーケ……そんな人物が、何かしらの罠を仕掛けず、のうのうと隠れているハズがないと考えた。まるで太陽光を敵とする種族が、昼間の襲撃に何の備えもしない訳がないのと同じで、敵は盗みの手練れでもあり逃走の手練れでもあるハズだ。

 

「罠はありそうですか?」

「待ってて」

 

 罠の有無を確認するのは、タバサの役目である。騎士と言う事は、それなり戦闘の場数をこなしているという事で、こういった場合は何処にどんな罠を仕掛けられるかを、彼女は熟知しているようだった。

 暫く茂みから周りを見渡し、時に呪文を唱えて何かの魔法を行使したりと、注意深く観察する。

 

 

「……異常無し。罠も無し」

 

 それを聞き、一先ず建物への接近は難無しと言う事に、安心する。

 

「ただし、屋内は不明」

 

 流石にタバサは家内の状況を分かる程、超人ではない。これは仕方ないだろう。

 侵入経路については良く考えなくてはならないようだ。

 

「入口は二つ」

 

 彼女の指差す方を見ると、廃屋を斜めから見た形で表口があり、裏口と思われる扉も確認出来た。

 

「人を上手く運んで、様子を見る必要がある」

「タバサ、あなたの考えを聞くわ」

 

 タバサとキュルケの会話が何処か、行動開始した吸血鬼へと挑む者達のような雰囲気になっており、楽しんでいるようにも見えた。キュルケに関してはそうだが、タバサはどうかは分からないのだが。

 するとタバサを両手を出し、策の説明をしてくれる。

 

「囮を立てて注目させて、囮は表玄関から。後は裏口から」

「ほうほう!」

「こう……丁度、挟み撃ちの形になる」

 

 右手と左手の指先をぶつけるようにして、『挟み撃ち』を強調させる。

 確かに彼女の策は、一理あった。逃げ口塞ぎと言う訳か。

 

「それにその方法だと、土のない屋内で奇襲出来るから、ゴーレムも作らせられないわね」

 

 ルイズの補足を聞き、定助は「成る程」と膝を叩いた。タバサも「Exactly」と言うように頷く。

 メイジと言えど、無から有を生み出す事は出来ないのだ。

 つまりメイジの戦い方とは、相手の得意魔法を封じるような不利な状況を、誘い込み作り出すかと言う事だろう。特定の図形で力を発揮する技術を封じる為、その図形が存在しない氷原で襲撃するような風だろう。

 

(はぁ、だからかぁ……)

 

 そう言えばキュルケの部屋に入った時、大量の蝋燭が並べられていた。部屋に入って来た生徒を撃退したのは、蝋燭の火だった、蝋燭の火が炎となって襲い掛かったのだ。

 彼女にとって火の存在は力の源、食えば食う程強くなるエネルギーの根源。勿論あの時はムードの為もあるだろうが、防御壁としての役割も存在していたのだろうか。まさに、攻撃する防御壁だ。

 

 

 

 

 それは兎も角として、流石はタバサである。対メイジの戦闘術を心得ていた。

 

「凄いなぁ……本物の騎士だ」

「シュヴァリエは伊達じゃないって事よ、ダーリン!」

「…………」

「さて、役割分担しましょっ」

 

 ここからは役割の取り決めだ。誰が囮となるか、突入組となるか。

 

「囮は誰が適任かしら?」

「咄嗟の判断力に長けた人。予想外も否定出来ない」

「ふぅん……」

 

 チラリと、キュルケは定助を見やった。またルイズも定助を一瞥した。

 確かに囮としては定助が適任そうだ、フーケが彼の存在を見ると動揺を起こすかもしれないし、強力な武器(スタンド)もある。

 

 

「オレェ? う〜〜ん……」

 

 しかし何故か定助は渋るように考える仕草を取った。

 

(あれ?)

 

 ルイズは内心、驚いていた。いつもの彼なら二つ返事で引き受けてくれるだろうにと、意外である。彼には彼なりの考えでもあるのかと思い、それを聞こうとしたが、まず先にロングビルからの申し出が入る。

 

「あの、私はこの辺りの偵察に入ってもよろしいでしょうか?」

 

 手をヒョコリと上げ、申し訳なさそうに言う。

 

「どうしてですか? ミス・ロングビル……」

「フーケに仲間がいる可能性も否定出来ません……誰か一人でも対応出来る人がいた方が成功率が増すのでは」

 

 確かにと、ルイズは納得した。

 もしかしたら土くれのフーケとはツーマンセルの盗賊かもしれない。定助の言った女性の方と、ロングビルの情報にある男の方とが一組で盗みをしているのではないかと、ルイズは想像していた。

 

「どうする、タバサ?」

「…………」

 

 司令塔となっていたタバサに意見を求めると、彼女は口元に手を当てて考え中である事を示した。

 

 

「……了解」

 

 即決力が高い、すぐに彼女からの判断が出る。

 

「では、ミス・ロングビルは偵察をして貰いますが……気を付けて下さい」

「ミス・ヴァリエール、有り難う御座います」

 

 ロングビルは丁寧にお辞儀をし、「早速」と言わんばかりに偵察へ向かおうとした。

 

 

 

「あ、待って下さい」

 

 それを止めたのは、定助である。

 

「……どうされました?」

「どうしたのよ、ジョースケ?」

 

 ルイズとロングビルが同時に、引き止めた定助へと理由を求めた。さっきから彼の様子がおかしいと、主人であるルイズは気付いているのだが、『彼なりの考え』に期待しているのが無意識下での希望である。

 怪訝な表情の皆を前にして定助は、予想外の提案を投げ掛けた。

 

 

「オレもその、偵察に参加したい」

「え?」

 

 呆気に取られた声が、ロングビルの口から漏れる。

 ここまで来ると、ルイズでさえも彼の考えの糸口が分からなくなって来た。

 

「ちょっとジョースケ……あんたは主力の内よ?」

「そうよダーリン!」

「その呼び方を止めなさいって!」

 

 否定的な意見のルイズとキュルケの反応と、小さないざこざに苦笑いしながらも定助は話し出した。

 

「有り難いね、そう言って貰えて。だけど、キュルケちゃんにタバサ……さんにご主人って、なかなかのメンバーじゃあないか。ロングビルさんは一人だから危険かなって」

「そうかもだけど……」

 

 この提案に関して、ロングビル自身が大丈夫である旨を伝える。

 

「大丈夫ですよ……落ちぶれた者とは言え、メイジです。賊の一人や二人、何とかなりますわ」

「いや、万全を期した方が良いです。相手は『あの』、土くれのフーケですから」

「しかし……えぇと、ジョースケさんの能力でしたらかなりの戦力かと」

 

 定助が真剣な表情で、旨意を述べた。

 

 

「だからこそのバックアップです。それにフーケはオレを見ているだけに、強い刺激を与えかねないので。動揺は言い換えると、強力な警戒心です」

 

 つまり彼は、自分の存在がフーケに対して強い警戒心を作り、逆上を招き、思いもよらない行動に繋がりかねないと主張しているのだ。『動揺を与える』と『暴走を招く』は紙一重であると、伝えていた。

 この意見がタバサに思う所を作ったようで、彼女は定助を指差しこう呟いた。

 

 

「……偵察員、任命」

「え? いいの? タバサ?」

「構わない。考えも持っていそう」

 

 タバサからの任命と賛同を得て、「タバサが言うなら」と引き下がるキュルケ。

 

「ホント、勝手なんだから……」

「ごめん、ご主人……」

「……いいわ。ただし、単身殴り込みなんて止めてよね」

 

 そんないつもながらのキツい言い方の中でも、心配の念が入ってくれいた。ルイズもやや不満気味なのだが、仕方なしに賛同に入った。

 

 

 

 

 ロングビルは困った表情を作りながら、定助を見やる。一瞬だけ燃える目を携えた、鋭い視線へと変貌したように見えたのは錯覚だろうか。

 

「……では、ジョースケさん……早速、偵察に向かいましょう。いつ何どきにフーケに感付かれるか知れませんから」

「了解!……じゃあ、武運を祈る」

「何様なのよあんた……気を付けてね」

 

 ルイズの送り出しに手を振り応じ、タバサとキュルケに目線を合わせて「行ってくる」と意思表示すると、ロングビルと共に森の中へ消えて行った。

 草木と森の影に消え入るまで見つめるルイズだったが、見えなくなった時に深く息を吐き、落ち着きを求めようとした。彼女も彼女で、決意を新たに挑もうと言う気持ちを表面させたのだ。

 

 

 二人がいなくなり、一時の静けさが流れ出した頃を計らってタバサが編成の手直しを相談する。

 

「それで、囮は誰がするか」

「……はい」

 

 手を上げたのは、ルイズである。

 

「私がするわ」

 

 定助何かに出遅れてなるものですか……そんな強がりを含め、役に立ちたいと願う使命感からの志願だった。

 彼女の志願はごく自然な物だったのだろう。キュルケも「予想通り」と言わんばかりに微笑んでいる。

 

「あらあら?『ゼロのルイズ』に囮なんて務まるのかしらぁ?」

「……フンッ! 何て事ないわよ! 寧ろあんたが突撃する前に仕留めてあげるわ! これは予言よ!」

「あたしに予言だなんて、十年早いわよ。仕留めるのはあたしなんだから」

「言ったわね!? 良いわ、勝負よ!」

 

 キュルケの憎まれ口にルイズの強がり、最後はまた昨夜のトレースのような決闘模様。

 既視感のある光景に呆気取られる事は間違いないのだが、生憎この場にそれを表現出来る人物は存在しなかった。タバサは役割が決定し、早速作戦に移りたい様子だ。

 

「作戦の説明。正面から入り、屋内の偵察をこなしてサインを送り、その十秒後に表玄関より突入」

「重役じゃない。ヘマしないようにね?」

「こっちの台詞よ!」

 

 犬猿の仲とも言える二人の吠え合いは兎も角として、タバサはルイズに先を促した。

 あまり話したりはしない子だったが、ここまでせっかちだとは少し意外だと思っている。誘導をされながらも、とうとう行動を開始。

 

 

「じゃあ……い、行ってくるわ……!」

「武運を祈るわぁ」

「…………」

 

 挑発気味のキュルケを敢えて無視してやり、ルイズは意を決して茂みから飛び出した。

 飛び出してから少し立ち止まり、様子を伺うのだが、廃屋からは異常もひと気も見当たらない。

 

「……すぅー……はぁ〜……」

 

 静かに深呼吸をし、気持ちを整える。再度、歩を進めて行くが、今度は一気に廃屋へと近付く。

 

「ととっ……何ともないわね」

 

 ここまで異常がないので、緊張に張り詰めていた神経にも、戦闘中に煙草を吸うガンマンのように余裕が出て来ていた。

 髪の毛を払い、終わった後は櫛で梳かさないと、と考える程度には平気のようだ。

 そして廃屋の軒先にまでとうとう到達し、姿勢を低くさせながら窓から中をこっそり、覗き込む。

 

「暗いわね」

 

 案の定とも言える暗さだが、廃屋の屋根には穴が空いているようで、太陽光が差し込んでいた分は視認可能だ。

 息を殺し、ピリピリとした感覚を抱えながら注意深く中を観察する。

 

 

「……大丈夫そうかな?」

 

 家具も丸ごと放棄されているようで、椅子やチェストが散在している部屋が目に映る。

 しかしながら、人影は確認出来なかった。ルイズは後ろへ振り返り、茂みにいるかと思われるキュルケとタバサにサインを送る。手を交差させてバッテンを作り、『人影無し』と表現したハンドサインである。

 

 

 ハンドサインを確認した二人は、茂みから茂みへ移るように移動し、裏口を目指して行く。

 ルイズは玄関扉のドアノブを掴み、頭の中で十秒間カウントダウンを開始させる。突入はもうすぐだ、心拍数が上がって仕方がない。

 それでも彼女を突き動かしているのは、やはり人一倍あるプライドと使命感による勇気なのだろうか。

 

 

 

 カウントダウンは半分を越した。

 五……四……三……

 

 

 呼吸を整え、杖を用意する。

 もしかしたら、フーケとの全面対決だ。忘れかけた緊張が、望郷のように現れたのだった。あとは、ドアノブを捻って入り込むだけ。

 躊躇も何もない、悔しいが、自分の失敗魔法は強力な武器だろう。そう言い聞かせ、勇気達を鼓舞する。

 

 

 

 

 二……一……ゼロ。

 

 

「……ふぅッ!」

 

 息を素早く吐き、意を決して廃屋の表玄関から屋内へ突撃した。

 そして杖先を前方へと突き付けるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 草木を分け、廃屋より少し離れた所へ出た。鬱蒼たる森は視界を覆い隠し、頼りになるのは聴覚のみである。

 ロングビルは前で、定助は後ろで、前後左右全てに注意を張り巡らせながら見回りをしていた。長らく人の手の入らなかった森の凄さがここまでとは、最早ジャングルのようだ。

 

「凄いな……『注文の多いレストラン』だ」

「それは、どう言う意味でしょうか?」

「あー、なんでもないです」

 

 そんな風に呟く程、あまりの密林に参った面もあるのだ。

 

「ここ最近は晴れ続きでしたからね、泥濘みがないだけでも助かりました」

「成る程。ドロドロになるのは嫌ですからね」

「お召し物が白いだけに、大変そうですね」

「……違いない」

 

 

 森ネズミが駆け、茂みが揺れた。こう言った雑音にも瞬時に反応するべきだろうが、何故かロングビルも定助も、鋭い警戒心を以て意に介する事はしなかった。特に定助には、ロングビルと行動を共にしなければならない理由がある。

 

 

「……ロングビルさん」

 

 すると突然、定助がロングビルを呼び止めた。

 反応した彼女は足を止め、振り返る。定助はロングビルからやや離れた位置よりジッと見つめている。

 

「……どうなさいましたか? ジョースケさん」

 

 彼から現れる只ならぬ雰囲気に怪訝な表情を浮かべ、業務的な声で話し掛けるロングビル。

 その問い掛けに対し、定助は少しの間を空けた後に口を開いた。

 

「幾つか質問があります」

「質問? こんな時にですか?」

「えぇ、こんな時『だからこそ』の質問ですよ」

 

 ロングビルの表情に、困惑が混じり始めた。

 定助の行動の意図と言う物がハッキリしないからである。何を思ってこんな時に質問とか言い出すのだろうかと、彼の意図を読みあぐねているのだ。

 

「…………」

「何も百の質問とかじゃあない……三つ四つ、答えて頂くだけですから」

「……えぇ、良いですよ。フーケに関した質問でしょう?」

 

 定助は「はい」と肯定し、頷いた。

 そのまま流れるような風で、話を彼の言う質問へと移行させる。

 

「あなたが持って来た情報で、フーケは『男』としていましたが、確かですか?」

「確かですか、と言われれば自信を持って『そうです』と断言出来ませんね。農家の方より聴取した情報ですからね、全体的な信憑性としては低いかもしれません。ただ、情報を纏めて暫定的にしているだけです」

 

 流石は学院長秘書を務める女性だ、ハッキリとしながらも要点を押さえた説明をしてくれる。

 次の質問へ移る。

 

「フーケはどうして、こんな深い森へ入ったのでしょうか?」

「……それは、人目に付かない所で休息を入れる為なのでは」

 

 当たり前の事である、逃げる賊が隠れる理由言えば、それしか思いつきまいに。どうしてこんな初歩の初歩な質問をしているのか、分からなかった、話を切ろうかなとも思った。

 次の質問へ移る。

 

 

 

 

「所で身長は百六十七ですよね」

「……はい?」

 

 次もフーケの質問かと思えば、身長の話。

 呆気に取られた彼女はつい、秘書たる業務的な声を忘れて素の声で反応してしまった。ただ、定助の表情だけが間抜けなこの質問とは打って変わり、真剣さのそれである事がアベコベとしている。

 しかしその数値は聞き覚えがあった、彼が学院長に提示していた『フーケの身長』ではないか。

 

「……すいませんジョースケさん、質問の意図をお聞かせ願いたいのですが」

「単なる好奇心ですよ。言っても、『ですか』では無くて『ですよね』だから、こっちとしては断言的ですがね。オレの身長から逆算しましたので」

「……えぇ、その位だったかとは、思いますが」

 

 把握していると言われたからには渋々と、明らさまな呆れ声で回答に応じる。

 本当にこの人は何を考え、身長の話をしているのか。まさか疑っているのか。計り知れないこの男に、疑問が尽きない。

 次の質問へ移る。

 

 

 

 

「この近く、農家って、ありましたっけ?」

「…………ッ」

 

 その質問にロングビルは呆気を驚愕の色に変え、ギョッとした目で定助の顔を見た。一瞬だけ現れた、彼女の秘書としての仮面の崩れる様を、定助はしっかりと確認したのだ。

 返答を頭の中で組み立てている最中に、定助は返答を待たずして畳み掛けるように聞く。

 

「一番近い農家は、葡萄畑でしたね。マルトーさんが言っていましたが、この近辺に美味いワイン用の葡萄を栽培する農園があるとか」

「……そうですね」

「でもそれは、ここからだいぶ遠い。学院から一時間の所にあった箇所でしたから。それ以降の道中はのどかな風景のみで、田畑は無かったかと思います」

「荷馬車で街へ買い出しに出ていた農家の人物ですわ。道中で出会った際に、聴取した所です」

 

 それなら森の前も通るだろうし、違和感はないだろうと決定付けるような回答であった。

 定助を眉を顰め、「意外」とも言わんばかりに険しい表情となった。それを見たロングビルは嬉しさからか、微笑みを浮かべている。

 

 

「……ここって、結構深いですよね。鬱蒼としていて、まるで暗い。あなたの言った通り、『人目の付かない所』ですよね」

「…………」

 

 この問い掛けに、ロングビルは何かに気付いたようで微笑みを止めてしまう。

 

 

 

 

「ここは馬車じゃ入り込めない辺鄙な所。オレは街へ向かったから分かるのですが、こんな森は通らなかった」

「…………えぇ」

「なのにあなたの情報は、奥の廃屋の存在まで特定していた、奇妙だ。オレで分かる事が、あなたには分からない訳がないだろう。それに春の葡萄畑は、開花の時期。枝の調整に花粉の操作、誰か一人でも街へ行けない程に忙殺される季節ですよ」

 

 実は葡萄畑の下りの理由付けは七割本当、三割想像である。もしかしたら街へ行く余裕程度が出来るかもだが、彼女の行き場をふさぐ為にハッタリを混じらせたのだった。マルトーから葡萄畑の存在を聞いていて良かったと、今ここで思ったが、元よりこの知識があった自分にも感謝したい所。

 

 

 しかし彼女の頭の回転は速い……言い逃れされる前に次の質問へ移る。

 

 

 

「……所で先程、『定助さんの能力でしたらかなりの戦力』と言っていましたが、あなたにはオレが何に見えたのですか?」

「あっ……」

 

 ここでとうとう、彼女の『化けの皮』が剥がれ始めるのだった。

 定助の能力は、学院職員へは浸透していない様子だったのを思い出して欲しい。学院長でさえも(彼は盗み見をしていたが)把握し切れず、「ギーシュを倒した噂」としていた程であり、定助に特殊能力があるだなんて把握している訳がなかろうに。

 

「オレがメイジにでも見えましたか? それとも、屈強な戦士にでも? 今でこそ剣を二つ背負っていますが、馬車での会話を聞いていたあなたなら、オレが剣に関してはズブの素人である事は知っているハズ」

「……能力に関しては、生徒の皆さんより……」

「こう聞きました?『ミス・ヴァリエールの使い魔が、精霊を出現させてギーシュに勝った』……信じて、いるのですか?」

「…………」

 

 信じる訳がない、彼女の『表面上』の性格は、収集した情報で判断する、それこそ秘書である故のリアリストな性格であるハズ。こんなファンタジーでメルヘンな噂を真に受けるような人物ではなかろうが。

 フーケに挑んだなら、勇気を賞賛すれば良い。『能力』を挙げた事には違和感があるのではないか。

 

 

「…………」

「……オレは今、恐ろしい想像をしている。もしかしたら、的外れなのかもしれない。だが、それを言葉にしてあなたに突き付けていると言う事は、確固たる自信があるって事です」

 

 ロングビルの口元が、伸縮を繰り返すかのようにひくついている。

 もう彼女は隠す気がないのか、目の奥で燃え盛る『轟々たる漆黒の炎』を。

 

 

 

 

「身長百六十八、女性、違和感。オレの情報と合致したよ。あなた……いや、お前が盗賊、『土くれのフーケ』だ」

 

 ロングビルは黙ったまま、定助を凛とした表情で睨み付けていた。

 目の奥の炎は、地獄の業火如く猛々しくも静かと言う奇妙な形に見える。そこに見えたのは、余裕だ。

 恐らくシラを切るつもりだろうが、定助には『奥の手』が残っている。

 

「証拠はおありで?」

「どうかな。所で、思い出した事が一つ、あったんだ」

 

 定助は指を、彼女の右手の袖へ向けた。

 

「フーケに挑んだ時に、あと少しの所で掴めたのだが……残念ながら、それは叶わなかったよ」

「……あ」

「……払った方が良い、オレの能力は確かに『触った』」

「まさかッ!?」

 

 彼女は定助の言葉に思い当たる所があったようで、バッと彼の目線の先である袖を見た。

 

 

 

 

「が、何も出来なかったけどね」

 

 その言葉が空気を通じ、彼女の鼓膜を震わせばピタリと行動が停止した。

 兼ねてより余裕のあった表情がボロボロと崩れ、歪んだ物となっている。

 

 

 恐らく、『ソフト&ウェット』の存在は確認し、少なからず動揺し、インパクトを与えたハズだ。それは『フーケ』として受けた衝撃が、『ロングビル』として聞いた噂とが繋がった瞬間でもあろう。

 得体の知れない存在に『触られ、何かした』と言ってやれば、噂としか知らぬ彼女は誇張して受け取ってしまい、不気味さから反応せざるを得ないと言う訳である。

 

 

 

 

 間抜けは見つかったようだ。

 

 

 

 

「…………して、やられたって事ですね」

「敬語使うのは、『本業』の時もなのか?」

「…………」

 

 

 ニヤリと、口角を吊り上げロングビル……『土くれのフーケ』は定助に目を合わせて不敵に笑った。

 

 

「そんなお行儀良い盗賊がいるわけないじゃない!」

 

 フーケは杖を取り出し、呪文を唱える。杖先は、定助の遥か後方を向けられていた。




イタリア行きたいですなぁ。
失礼しました


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泡沫のアウェイクン。その2

遅れましたが、まぁ、はい……失踪しませんから(笑)
某サイトで一次創作活動を始めたので、執筆頻度はゲキ落ち中でさ。

6/20→『TABITHA BIZARRE ADVENTURE』の新話を投稿致しました。目次上部へどうぞ。


「土くれのフーケッ! そこまでよッ!」

 

 きっかり十秒後に突入したルイズは、意気揚々と家内に向けて杖先を見せた。

 だが、自分が差していた人物は、怪しげな存在何かではなく、良く見知った人……キュルケとタバサである。

 

「ルイズじゃないの。フーケは?」

「……あれ? いない?」

 

 裏口から同時に入った二人だけが、ルイズから見た小屋内の人物である。双方同時に、困惑の声をあげた。

 つまりは、この小屋の中に人はいなかったと言う事に他ならないのだが。

 

「まさかあなた、逃がしたとかじゃないわよね?」

「な訳ないじゃないッ! あんたと同じタイミングで入ったのに、見逃すハズないじゃない!?」

「冗談だって、冗談。ムキにならないでよ、ルイズ」

 

 冗談のつもりに聞こえないキュルケの冗談に、髪型貶されたヤンキーが如くプッツンと怒鳴るルイズを宥めつ、部屋の中を見渡した。

 

 

 部屋は、少しばかりの家具のみが置かれた寂しい雰囲気である。

 床板も軋み、森ネズミか何かが齧ったのだろうか、壁や柱もボロボロと崩れかかっていた。残された家具はチェストにベッドなど、基本的な物が指で数えられる程度があるのみ。それらもまた腐敗が進んでおり、とても使用出来た物ではなかろうに。

 

 

 気が付けば、キュルケの後ろに跪いて床を撫でているタバサが確認出来た。

 

「何やっているのよ……えぇと、タバサ?」

 

 比較的初めて、彼女の名前を呼んだルイズ。

 呼応するようにタバサは顔を上げ、手の平を見せた。

 

「見て」

「見てって……うわ、汚いわね! 埃じゃない!」

「そう、埃」

「それが何なのよ……」

 

 次にタバサは膝を叩きながら立ち上がり、見解を述べる。

 

「フーケが隠れ家にしていた……にしては、埃が多過ぎる」

 

 小屋内の埃は、ルイズ達の突入の際に舞い上がり、窓から差し込む太陽光によって映し出されていた。足を見てみれば、埃が床に積層しておら、分厚い埃の層を踏んでは足跡がくっきりと出来ていた。

 多少なり吸い込んでしまったキュルケが、小さくくしゃみをする。

 

「埃が多過ぎるって……確かに埃っぽいわね」

「ベッドも窓辺も、埃だらけ……隠れ家程度にしていたにしても、多過ぎる」

「え……じゃあ、この家には私達以外、誰も入っていないって事!?」

 

 つまりはフーケが入ったと言う情報は、真っ赤な嘘だと言う事だろうか。

 そう結論付け、ルイズは呆れたように額に手を当てた。

 

 

 だが、彼女の結論はタバサに否定される。

 

「それはない」

「はい?」

「扉の近辺には埃が少ない」

 

 振り返り、自分が入って来た表玄関に視線を配らせてみれば、確かに埃が少なく、床の色彩も明るかった。

 

「え、それは私が単身突入したからで……」

「あなた一人が入った」

「だからそう言っているじゃないの」

 

 するとタバサはピッと指を床に向け、怪訝な表情のルイズの目を促せる。

 

 

「足跡、『二人分』」

 

 タバサのその言葉に注意力が集中し、やっとルイズは気付く事が出来た。

 突入してからルイズは一直線にキュルケらの方へ来たのだが、その足跡の他に別の所へ伸びる『もう一人足跡の存在』があったのだ。

 

「あ……ほ、本当だ! じゃあやっぱり、ここがフーケの隠れ家じゃない」

「それは一部違う」

「一部って何よ……」

「ベッドも他の床にも、埃が溜まっているわ。何者かは、確かにここへ入ったけど、寝るも食べるもせずにさっさと何かして退散したって事よ」

 

 横からキュルケが補足を入れた。ルイズはムッとした顔になる。

 確かにその通りなのだが、キュルケが横槍入れてくる事に対しての不満だ。

 

「ついでに言うと……」

「あぁ、もう! 理解したわよ! えぇと……埃の量からして、何者かは初めてここを使った……って事よね?」

「それに、このような森深くの廃墟。何者かは目星だけを付けていて、何らかの目的の為だけに今回初めて使用した」

 

 今度横から補足を入れたのは、タバサ。またしてもな一件にルイズは表情をひくつかせ、募る苛つきを抑える事に必死になっていた。

 その後に「分かっていたわよ!」と、ガルルッと吠えるルイズに対し、キュルケは笑いを堪える事に必死になっていた。

 

 

 だが、三者の間でそんな結論が付いたのだが、だとしから尚の事不気味であろう。

 一体フーケは(フーケかどうかは不明だが、暫定的にフーケとする)この廃屋で何をしていたのだろうか。

 

 

「目的が知れないわねぇ……」

 

 眉間に皺を寄せ、理解不能のフーケの真意にあぐねるキュルケだったが、ジッと部屋全体を観ていたタバサが何かに気付いたようだ。

 

 

「……チェスト」

「え? タバサ?」

「チェストに埃が積もっていない」

 

 タバサが指差す先にある、粗のある木目の小さなチェストにキュルケとルイズは注目した。

 成る程、確かにチェストには薄黒い埃がなく、くっきりとした輪郭と色彩を帯びて部屋の隅に置かれている。埃まみれの廃屋内ではかなり異質に見え、更に良く観てみれば、チェストの手前に足跡もあった。

 

「……確かに」

 

 気になったルイズが誰よりも早く、チェストの方へと歩を進めた。

 

「ちょっとルイズ、何が仕掛けられているか分かったもんじゃないわよ?」

「こんなちっぽけなチェストに、大それた罠なんて仕掛けられないわよ」

「んー……まぁ、そうよね」

 

 罠の心配はせず、ルイズはチェストの前に立ち、少し屈んで箱を開けた。

 静かな部屋の中で、ガチャリと気持ち良いまでに澄んだ開閉音が木霊する。

 

 

 

 

 中にあったのは一枚の丸い円盤であった。

 

「……あれ? ね、ねぇ、これって……」

 

 円盤に見覚えがあるのか、ルイズは躊躇の色を見せずに円盤を持つと、チェストから取り出して二人に見せ付けた。

 それを見てキュルケは呆気に取られた表情となる。

 

 

「それ、『破壊の円盤』じゃない!?」

 

 愕然としたキュルケの声があがる。

 ルイズがチェストから出した円盤とは、何と昨夜よりフーケに強奪された『破壊の円盤』であったのだ。真ん中に小さな穴が空いており、裏面が光の方向によって虹色に輝く不思議な素材から、偽物ではなく確かに無二の物質である事は分かる。

 

「えぇ!? 呆気なぁい!」

 

 拍子抜けと言った具合に、キュルケはかくんとずっこける。

 ルイズもルイズで、今手に持っている物質が『破壊の円盤』である事に信憑を疑っている程であった。

 

「ほ、本物……よね?」

「確かに本物」

「それは分かっているわよ……宝物庫の見学会で見たんだし、間違いない……と思う」

 

 まだ疑いの念がしつこく残っているルイズは、『破壊の円盤』をひっくり返し、表の面をつい見やる。

 表には『DISC』と書かれた妙な単語の羅列が目に付いた。アカデミーでも無意味語と暫定されたその単語は見覚えのある物で、やはり本物であると確信せざるを得ないだろう。

 

「本物……だよね」

 

 ともあれ無事、目的であった『破壊の円盤』の奪取に成功したのだ。

 呆気のなさと虫の良すぎる事実に困惑を残しながらも、取り返したい物は取り返したので廃屋を出発しようかとした。

 

 

 

「……え?」

 

 

 その時、薄っぺらな円盤の表面に、人間の姿が写ったのが視界に入った。

 

 

 

 

 緑色の混じった長髪を輝かせ、虚空を厳しい眼差しで見つめる男だ。裸の上半身には形容の出来ない模様があり、とても人間とは思えない肌色をした、逞しい体の亜人である。

 

「……ッ!」

 

 不意に写ったその男に目が行った彼女は、円盤の表面を凝視した。

 隆々とした筋肉と強面ながらも、何故か荒々しさを感じない奇妙な男に、凛とした気質を感じ取ったからだ。それは草原の風のようなとも、凪の海とも形容出来る、穏やかな猛々しさだ。

 

 

「これって……」

 

 どうして円盤に写っているのかと言う疑問よりも、この男は誰なのかと気になってしまう。だがそれは次の瞬間、轟音とキュルケの悲鳴によって注意を外さずを得なかったのだが。

 

 

「きゃぁぁぁ!!」

「な、なに!?」

 

 木々の軋む音と、唐突に明るくなった家内と頭上から降って来る埃や木屑に驚き、ルイズ達は直様天井を見上げた。

 

 

 

 

 既にそこには天井はなく、開けた青空が目に映った。

 そして、廃屋の屋根を手に持った巨大な存在の姿も確認出来ている。

 

「ご、ゴーレム!? どう言う事よ!?」

 

 昨夜の襲撃に現れたフーケのゴーレムと同じ物が、三人を襲撃しに来たのだ。

 いないと思われていたフーケが、まさか近辺で待ち伏せしており、廃屋に入った所を一網打尽にせんとゴーレムを差し向けたのだろう。囲われたのはフーケではなく、自分達だった。

 

 

 ゴーレムは手に持った屋根部分を放り投げ、大きな足をゆっくりと持ち上げた。

 

 

「退却」

「言われなくてもするわよッ!!」

 

 屋内にいては分が悪いと踏み、三人は滑り込むように裏口から部屋を脱出する。

 腐った床板から土臭い芝生の上へ出たと同時に、立ち煙る粉塵と風圧を纏って、廃屋がゴーレムの足に潰されたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方で定助は、小屋から聞こえた悲鳴に気が付き、振り返った。

 視界の先には、あのゴーレムが堂々と立っており、その立つ場所こそはルイズ達が探索している廃屋の場所ではないかと、目を見開いた。

 

「あれは……! お前ぇッ!!」

 

 定助の姿が一瞬だけブレ、そのブレが体から離れたと同時に彼の半身、『ソフト&ウェット』が出現する。

 しかしフーケもうかうかしておらず、突然飛び上がっては定助から距離を取った。

 

「そっちがこっちを把握していたのなら、こっちだって把握していたさ。その精霊、『行動範囲』が決められているのよねぇ?」

「グッ……!!」

 

『ソフト&ウェット』の射程距離は二メートル。その事実を、フーケに掴まれていたのだ。

 

「昨夜、あなたを落とした時に気付いていたわ。もし行動範囲の概念がないのなら、あなた共々落ちて行くなんて事ないでしょ?」

「…………!」

「推定だけれど、一か二メイル程度と見たわ。文字通り、ぴったりくっ付いている存在って事よ。正解かしら?」

 

 やはり相手は貴族さえも恐怖させる大盗賊とだけあり、聡明な者であった。

 昨夜のほんの一瞬だけの衝突で、『ソフト&ウェット』の射程距離を見事看破せしめている。定助は内心悔しがったのだが、自分と同じくして得られる情報は物にされていた訳だ。敵でなければ尊敬していた程である。

 

「このッ!」

 

 何とかフーケを射程距離内に引き入れようと定助は突っ込んだのだが、フーケは呪文を唱えて飛び上がり、到底定助の手に届かないであろう木の上へと逃げて行った。

 

「残念、こっちには『魔法』ってのがあるのよ。腐っても平民って事ね、あなたは」

 

 木の上よりほくそ笑み見下す彼女の様に、定助は苦虫を潰したような表情で舌打ちをする。

 

 

「……目的は何だ! 目的も無しに、オレ達をここまで誘導するものか!」

 

 定助の問いにフーケは鼻で笑う。

 

「さぁて、何ででしょうか? こっちもまだ『目的』は『達成していない』から、答え合わせには早過ぎるわ」

「偵察隊は無作為による編成……一個人を狙った怨恨とは思えない」

「本当に賢明な人だこと。勿論、誰にも恨みは持っていないわ……あぁ、強いて言えばあなたが恨めしいかしら? 私の全体像を捉えたのはあなたが初めてなのよ」

 

 フーケは悩ましげに溜め息吐いた。言っている最中に苛つきが現れたのだろう。

 

「全く……してやられたわ」

「それは光栄だ、正々堂々勝負するか?」

「冗談じゃない。その精霊が何をしでかすか分からない以上は、近付かずに様子見に徹しておくわ。私は盗賊であって、戦士じゃないの」

 

 それだけ言い残すとフーケは更に飛び上がり、生い茂る葉の中へと身を隠してしまった。

 

「待てッ!!」

 

 咄嗟に定助も後を追おうとしたが、背後で再び鳴る轟音によって追跡を断念せざるを得なくなる。

 

 

 ゴーレムは今、ルイズ達を襲撃しているだろう。

 このままでは彼女らが危険だ、捕らえる望みの薄いフーケを追うより、ルイズらの安全を確保するのが最優先事項だ。

 

「……チィッ! ご主人に何かあったら、タダじゃ済ませないからな!」

 

 捕まえられなかった不甲斐無さを舌打ちで表した後、身を翻してゴーレムの方へ彼は走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁ!?」

 

 ゴーレムの踏み付けにより発生した風で、小さな体のルイズはゴロゴロと地面を転がり、飛ばされる。

 廃屋を潰したが、ルイズ達がまだ生きていると認識したゴーレムはゆっくりと顔の部分を彼女らに向け、体を動かし始めた。

 しかし、吹き飛ばされた際に受け身を取っていたキュルケとタバサは互いに杖を構え、同時に呪文を詠唱した。

 

「『ウィンディ・アイシクル』」

「『フレイム・ボール』ッ!」

 

 タバサのロッドからは氷の矢が、そしてキュルケの杖からは大型の炎球が出来上がり、僅かの時間間隔を置いて杖先からゴーレムに向かって放出された。

 氷と炎と言う、全く真逆の魔法とは言え仲違いを起こさず、二つの魔法は延長線上に沿ってゴーレムへクリーンヒットする。

 

「大当たり」

「やっほう! 景品貰えるかしらぁ?」

 

 二人の魔法はものの見事に、ゴーレムの体に穴を空けていた。

 

 

 

 

「うわ……」

 

 

 ……のだが、空けられた穴が足元の土を吸い上げ、それを素材として驚異的な速度で修復してしまったのだ。

 

「も一発ッ!『フレイム・ボール』ッ!」

 

 再度キュルケは同様の魔法を行使し、破壊を試みるが、破壊は出来るのだがあっという間に修復されてしまう。

 

 

 ここは森の奥の肥えた土壌の上、ゴーレム基『土のメイジ』にとっては独断場でしかならない。水中戦が得意な存在に対し、水中で勝負を挑むようなものである。

 今になって考えてみれば、フーケはこれを見越して誘い込んだのだろうに。『破壊の円盤』を返上した理由は分からないが、これでは蜘蛛の巣にかかった蝶が如く。

 

「こんなの無理よ! 実質、無敵じゃない!」

 

 完全に戦意喪失したキュルケがお手上げと言わんばかりに、叫んだ。

 その横でひっくり返っていたルイズが起き上がり、キュルケとタバサを見やった。

 

「どうするのよ!? 勝てるの!?」

「…………」

 

 

 悲痛なルイズの問い掛けに対し、タバサは二人を見て提案を入れる。

 

「……策はある」

「え!?」

「圧倒的不利な状況にするべき、唯一の策がある」

 

 流石はタバサだと、ルイズは心から尊敬の念を込めた眼差しを送る。

 その策が気になったのはルイズだけではなく、キュルケも食いつくように聞いてきた。

 

「タバサ! その策とは!?」

「たった一つの冴えたやり方。この方法以外、行動はない」

「それは!?」

 

 

 するとタバサは無表情でコクンと頷くと、ゴーレムに背を向けて後方を指差した。

 

 

 

 

「『逃げる』」

「グッドアイディアーッ!」

 

 彼女の呟きが聞こえた瞬間、キュルケとタバサは一目散にバッと走り出し逃げたのだ。

 状況を把握しきれていないルイズが、そんな二人の背中をポカンと眺めている。

 

 

「何よそれぇぇぇッ!?」

 

 ツッコミの叫びをあげて、ルイズも走り出す。

 しかし彼女は完全に逃げる事はせず、ある程度距離を稼いだのならなんと振り返り、魔法を唱えた。

 

 

「『ファイア・ボール』ッ!」

 

 魔法は残念ながらいつもの失敗魔法だった。

 それでさえも、ゴーレムの表面に花火のような破裂が起こり、やや抉った程度なのだが。到底、彼女の魔法ではキュルケとタバサ以上に太刀打ち出来ない。

 勿論、破壊箇所は修復される。

 

「まだまだぁ!」

 

 だが逃げようとはしない。迫り来るゴーレムに対し、彼女は無謀にもギリギリまで戦おうとしているのだ。

 彼女は理解していなかった、タバサが逃亡を提案したのは、ここが敵にとっての独断場であるからだ。敵にとって有利な条件下で勝負するなど、戦士として勇気とは言えないのだ。決して、怖気付きからの逃走ではない。

 

 

 しかしルイズの心の芯にある部分が、その真意の理解に至らず、湧き起こった勇気が暴走を起こしたかのように彼女を無謀へと走らせた。

 ルイズは再び魔法を唱え、ゴーレムの肩部を爆発させた。

 

 

 それも修復され、ダメージゼロ。

 

「くぅ……ッ!」

 

 全く効果のない自分の魔法に、歯痒さからか小さく呻き声を出す。

 それだけに杖を握る力も強まり、手放す事もなくなったのだが。

 

 

 また彼女は魔法を唱えようとしたのだが、それはある人物の声により中断される。

 

 

 

 

「ご主人ッ!!」

 

 ある人物とは定助だ。定助はルイズの向かって反対側、ゴーレムの背後に現れていた。

 

「ジョースケ!」

「オラァッ!!」

 

 ゴーレムの太く強固な足を、『ソフト&ウェット』の強化されたパワーを以て崩しにかかる。

 

「『摩擦』を奪うッ!!」

 

 その際にシャボン玉を飛ばし、ゴーレムの足から摩擦を奪ったのだが、全く効果が現れていないようだ。

 対象があまりにも大き過ぎる。能力が効き目を持たない事態に、定助は歯嚙みした。

 

 

 しかし拳は足の腱の部分を破壊し、バランスを崩したゴーレムは両手を使ってフラフラとしていた。

 

「今だご主人! 逃げるんだ!」

 

 侵攻が止まったゴーレムに、これは機会だとルイズに逃走を促す定助。言えど破壊した箇所は地面に一番近い足の部分なので、修復スピードは体全体の倍となっている。

 

「なっ!? こんな事も可能なのか……!」

 

 破壊した傍から修復する破壊箇所を見て、定助はギョッと動揺した。見た目も手応えも渇いて固まった土なのだが、ただの土壌がゴーレムにくっ付いた瞬間にその、硬い土へと変化して治って行くのだ。

 土の上での優位性の高さに、戦慄さえ覚えたのだ。

 

「オラオラオラオラオラッ!!」

 

 すかさずラッシュを叩き込む『ソフト&ウェット』だが、このラッシュでは全くダメージになるまい。

 精々行動を止め、隙を作る程度だ。だが十分だ、まずはルイズを逃さなくては。

 

 

 

 

「『ファイア……ボォォォル』ッ!」

 

 呪文詠唱の声、ルイズは逃げやしない。

 驚いた定助は、ゴーレムより響いた爆発音が聞こえたと同時に攻撃を止め、一旦距離を取った。

 

 

 逃げようしないルイズに対し、宝物庫を出た時の不安が過ぎったからだ。

 

「ご主人!! 何やっているんだ!?」

 

 困惑した定助の問いに、ルイズはキッと睨み付けるように視線を投げた。

 

「何よ!? フーケを捕まえようとしてるのよッ!!」

「フーケはここにいない! ゴーレムを離れた所から操っているんだ!!」

「だとしても、逃げられる訳ないでしょッ!! 敵に背を向けるなんて御免だわ!」

「そんな事言っている場合じゃ……ッ! えぇい!!」

 

 定助はまた、ゴーレムの足に『ソフト&ウェット』で一発入れると、咄嗟に離れて自分の存在をアピールさせた。

 ゴーレムを自分に仕向けようとしたのだ。

 

「こっちだ! こっち来いよ!」

「ジョースケ!? 勝手な事しないでッ!!」

「勝手な事はお互い様だ!! ここは逃げなきゃ駄目だッ!!」

 

 強情なルイズの説得より先に、定助へと注意を向けたゴーレムが一歩近付き始める。良い具合に引き寄せ、ルイズに逃走の機会を再度与えたと言うのに、彼女は逃げようともせずまた魔法を行使したのだ。

 これには流石の定助でも、堪らず怒鳴ってしまった。

 

「ご主人ッ!! 言っているだろッ!? この場所では勝てないんだってッ!!」

「煩いッ!!!!」

「ッ!?」

 

 だが次は、その怒鳴り声に勝る程の、ルイズの怒鳴り声が響き渡るのだ。

 

 

「フーケを捕まえたら、もう誰も『ゼロのルイズ』なんて言わないッ!! ここで逃げたら、また馬鹿にされる毎日よッ!! 私は貴族よ、貴族は決して背中を向けないのッ!!」

 

 悲痛な思いと熱情が歪に交差したような、勝気な彼女だからこそのプライド。

 日々、『ゼロのルイズ』として白い目で見られている彼女にとって挽回のチャンスでもあり、貴族としての誇りを曲げないプライドの衝突でもある。

 ここで引いたら自分は『ゼロ』のままだ、貴族として逃げるもんですか。そんな闘争心が、勇気に熱血を送り込んでいる。

 

 

 ゴーレムは定助の追跡を止め、比較的近い位置にいるルイズを標的と定め、進撃を開始してしまう。

 

「あぁクソ! 何てこったッ!!」

 

 焦燥感に駆られた定助は、何振り返り構っていられず、ルイズの方へと走り出した。

 ゴーレムが吸収し、地面に窪みとなっている所からは地下水が滲み出しており、軽く水溜りになっている。それを踏み弾けさせ、真っ直ぐの最短距離で走る。

 

「ご主人ッ!! そっちに行った、駄目だッ!! 逃げるんだご主人!!」

 

 だが彼女は頑なに逃げようとしない。

 心のプライドが、鎖となりて彼女の思考を岩のように固めてしまったのだ。そこにあるのは、人間に挑むノミのような魂無き無謀であろう。

 

「くッ……ふぁ、『ファイア・ボール』ッ!!」

 

 止めないルイズに対し、ゴーレムはもう目と鼻の先。

 定助の悲願の叫びさえ、彼女にはもう届かないのか。

 

 

「逃げろッ! 逃げてくれぇぇぇぇッ!!」

 

 

 その時、彼の頭にガツンと、フラッシュバックが発生した。驚きからか、表情が大きく歪んだ。

 

「はぁっ!?」

 

 流れ込んだ記憶の断片を掴む前に、使命感が彼を急かして掴ませない。

 ルイズは今だ杖を振り、魔法を唱え、失敗して、軽く抉っては修復され……とうとうゴーレムの足が彼女の頭上で大きく上げられた。

 

 

 

 

「あ……」

 

 体が闇に染まる。ゴーレムが太陽光を遮り、ルイズを影で覆ったのだ。

 眼前に広がる、巨大な足……ヒビの入った、干ばつの大地のような土塊が自身を押し潰さんと振り下げられた。その一瞬は、とてもスローモーションに見える。

 

 

 こうなって初めて、ルイズの熱した頭は冷静さを取り戻した。

 あぁ、何やっていたんだ私は。後悔の念を滲ませ、恐怖を軽度にする為に瞳をギュッと閉じるのだった。

 

 

 

 

 結局、私は『ゼロのルイズ』なの?

 自問自答に逃避して、諦念を抱えてしまったのだ。

 

 

 

 

「ご主人ッ!!」

「きゃあッ!?」

 

 絶望に沈みかけたルイズを、到達した定助は思い切り突き飛ばす。

 とてつもない力で押された彼女は大きく吹っ飛び、離れた茂みの方へと着地する。

 

 

「ぎぃッ!!『ソフト&ウェ……ッ!!」

 

 定助の勇んだ掛け声が聞こえたが、それは途中でぶつ切りになった。

 

 

 

 

 まるで、一コマだけを抜き出したかのような、鮮明な画像となって視界に広がっていた。 定助の歪んだ表情から、落ちた葉の挙動さえも彼女にとっては、夢のような絵画の世界にしか見えなかったのだ。

 

 

「う、嘘……?」

 

 轟音と風圧。ゴーレムの巨大な足は、ちっぽけな定助を容易く踏み潰してしまったのだ。

 残酷な、その光景をルイズは、脳裏に焼き付けてしまう。

 

 

「あ……あぁ……!」

 

 体が震え、喉が痙攣するかのような感覚により、声が出せなかった。

 見開かれ、瞳孔がブレるルイズの眼前で、自身を信じて支えてくれた我が使い魔が、影も形も消滅してしまったのだから。

 

 

 

 

 

「ジョースケぇぇぇぇぇ!!??」

 

 ルイズの慟哭に似た叫びが、まるで時を止めたかのようなワンシーン上で木霊し、泡沫が如く消えた。




6/16→加筆と修正を入れました。失礼しました


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泡沫のアウェイクン。その3

 男女二人の軽快な会話が聞こえて来る。

 聞いた事のない声のハズなのに、何故か自分は聞き覚えがあった。

 それに二人は恋人同士と言う訳ではなく、姉弟の関係だとも何故か知っていた。

 

 

 声がする部屋を覗いてみた。

 清潔に整えられた、なかなか広い洗面所だ。

 四人並んで洗顔出来る程に横へ広がった洗面台の前、声の主たる男女二人が楽しげに談笑に浸っていた。

 男の方は髭を剃り、女の方はメイクをしている。「サナダ虫」やら「アラカワシズカ」やら、良く分からないがその二つを話題の中心にして話していた。

 

 

 二人の後ろから覗き込むように顔を出した。男の方がしていた髭剃りに、興味を持った。

 

「あのな……近づくなよ……」

 

 自分に気が付くなり、男は鬱陶しそうな表情を隠そうともせず睨み、離れさせようとする。

 ふと、自分の顎を撫でてみると、髭が伸びている事に気付く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 場面は突然、移り変わった。

 今度も確かに見覚えのある風景だ。

 青空の下、目の前には桶が置かれて、隣には見知ったメイドのシエスタがいる。自分とシエスタは一緒に桶の中の水と洗濯板を使用し、洗濯をしている。

 石鹸による泡が、桶から溢れんばかりに膨れ上がっている。

 

 

「もう、ジョースケさんったら! さっきから『そうだそうなんだ』って、『そうそう』ばっかり!」

 

 洗濯の途中、そう言って彼女は泡のついた手で口を隠し、あははと笑う。

 笑われ、照れ臭そうに自分ははにかんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 場面は移り変わった。今度はまるでオーバーラップするかのように、前の洗面台の場面に移行している。

 自分は顎に、泡立てたシェービングクリームを塗りたくり、男から剃刀を貰う。

 一回水に浸し、剃刀を顎に強く圧迫して髭剃りをした。

 

「ちょッ、ちょっと、危ないわ!!」

 

 女がメイクの手を止め、髭剃りを中断させようとする。

 無理もない、剃刀は唇を巻き込もうとしていたからだ。

 しかし男が彼女を制止させた。「いいから待て待て」と、いやに楽観的に見ている。

 

 

 そして自分は、豪快に唇ごと剃り上げ、鈍い音を撒き散らして剃刀を頭の上まで上げた。女が顔を覆い隠す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また場面が変わった。再び、オーバーラップによる映像移行だ。

 

「こちらも洗えましたよ!」

 

 シエスタが洗い終えたご主人の下着を取り、ニコリと微笑んでいる。

 自分は下着を洗うのが苦手だ、泡立てて擦れば、力が入り過ぎてしまうからだ。

 そうなると、生地の薄い下着はすぐに破れてしまう。

 

 

 

 

 ……石鹸を『泡立てる』

『泡』?

 

 

 

 

 だからいつも思う。

 全ての泡一つ一つが、汚れを奪ってくれないかなと。そうすれば、擦ってやる必要もなくなる。

 

 

 

 

『泡』……『シャボン玉』は、『泡』……

 

 

 

 

 手に付着した泡を、桶の中の水で洗い流した。

 誰かが自分を呼んだ、衛兵さんだ。衛兵さんの呼び声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 場面はまた変わった。洗面台に戻っていた。

 剃刀で唇ごと抉り剃ると言う残酷な光景から目を逸らしていた女が、恐る恐る自分を見やった。

 男の方は「おかしいな」と言いたげな怪訝な表情。

 唇は切れていないし、髭もきちんと剃れていた。

 

 

 それから何度か、同じ剃り方で髭を剃るが、血も出ていないし肉も抉れていない。

 髭の消えた、スベスベの自分の肌を心地良さそうに撫でていた。

 顎に付着していたクリームは、泡立って空中にふわふわ浮かんでいる。

 

 

 

『剃り方』……シェービングクリームの『泡の使い方』……

 

 

 

 

 剃り終えて洗面所を出ると、姉弟の楽しげな大笑いの後に、阿鼻叫喚とした二人の悲鳴が背後より聞こえた。

 

 

 

 

『泡』……『泡』……

 

 

 

 

 思い出した、『シャボン玉』は『泡の一部』だったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴーレムの足は地面に埋め込む程の、強烈な重圧と破壊力を以て定助を踏み潰してしまった。

 ルイズは目の前の光景が信じられない。あの定助が、自分の目の前で『死んでしまったのだ』。

 

「うっ、うあぁ……!」

 

 凶弾に倒れるが如く、呆気のない幕切れ。

 このゴーレムの足の下には、影も形も存在しない程に圧死となった定助がいるのだろうか。そんな想像をしただけで、嗚咽が込み上げて来る。

 

 

「私の……せいで……!!」

 

 自分は完全に、頭に血が昇っていた。

 分かってはいたのだ、あまりに強大過ぎる敵の前にいるのだと。しかし間違った闘争心を作り上げ、他の事柄への注意を潰した罪深きプライドが、彼女を支配していた。

 彼女にとって貴族とは、『決して敵に後ろを見せない者の事』だ。敵前逃亡など、持っての他と考えていたのだ。そんな自分の貴族論が足枷となり、プライドとなり、馬鹿みたいに挑んで英雄気取り。

 

 

『ゼロのルイズ』と呼ばれる劣等感も、それに便乗する。『逃げればゼロのままだ』と言う、強迫観念とも恐怖とも見える感情も、プライドと共に無謀な闘争心を育て上げた。

 止められないプライドと観念がルイズを突き動かし、ゴーレムを目の前にしてやっと臆病な自分が顔を出す。

 

 

 

 

 結果はどうだ、自分を支えてくれた使い魔を殺す事になったのだ。

 

「ジョぉスケェ……!!」

 

 悲痛な呼び声と涙が溢れる。

 彼女は貴族であり、由緒正しき家系のメイジであり…………年頃の少女でもある。吹き上がる感情を抑えてくれる、厳格と言う名の蓋を持ち合わせていやしない。

 

 

「……ッ!!」

 

 故に使い魔を殺された怒りさえも、抑えていられなかった。

 泣き面なのにまだ杖を向ける様は非常に滑稽だ。

 

 

 

 

 ゴーレムの足がまた、ゆっくりと持ち上がって行く。

 ルイズは震える唇で必死に、呪文を唱えようとするのだが、

 

 

 

 

「うわっ!?」

 

 その前に彼女は、後ろから強い力が襟口を掴み、思い切り引き摺られる形で呪文詠唱を中断される。

 強い力は瞬く間にルイズを森の中へ連れ込み、そのままゴーレムの視界から逃れさせた。

 

「な、なに!?」

 

 土を削り、舞い上がる粉塵を起こして彼女は更に森の中へと引っ張られる。

 とても抵抗出来るような力ではない、まるで馬に繋がれて引き摺られているようだ。

 

 

 

 

「うぅ……!?」

 

 茂みに突っ込み、少し開けた箇所へ出たら、引っ張る謎の力は消え去った。

 代わりに現れたのは、自分を見下ろす怒りの形相のキュルケである。

 

 

「……全く……この、馬鹿ッ!!」

 

 引き摺られていたのは、彼女の魔法で引き寄せられていたのが正解だろう。ルイズは混沌とする感情の海に溺れ、現状なにが起こったのかが理解出来ない程となっていた。

 

「あ……え?……きゅ、キュルケと……」

 

 何か言おうとする前に、タバサの声がする。

 

「とりあえず、乗って」

 

 

 彼女の方へ視線を向ければ、使い魔のシルフィードが隣に鎮座していたのだ。

 

「さっ! 早く立って!」

 

 キュルケは急かす。ゴーレムが消えたルイズの捜索を開始し、森の木々を薙ぎ倒してつつこちらへ迫って来ていた。

 

「一刻の猶予もない」

 

 先にタバサはシルフィードに乗り、手を差し伸べる。だが何故か、ルイズは座り込んだままその手を躊躇してしまう。

 

「何やってんのよ!? 立ってってば!!」

「……でも……」

「……あぁもう! 焦れったいわねぇ!!」

「きゃあ!?」

 

 誘導されるままにルイズは立ち上がるが、茫然自失とした状態を見かねたキュルケにより再度……今度は自身の腕で引っ張り上げ、シルフィードの背に無理矢理乗せられたのだった。

 二人が乗った事を確認すると、タバサはすぐに命令を下す。ゴーレムはすぐ後ろ。

 

「……飛んで。ゴーレムの攻撃範囲外まで」

「キュイ!」

 

 

 呼応する声の後、シルフィードは草木を掻き分けて飛び上がり、一気にゴーレムの頭より高い位置へと到達する。

 ここまでなら大丈夫だろうと、タバサは使い魔に滞空を命じた。

 

 

 安定してすぐにキュルケの怒鳴り声が響く。

 

「何やってんのよあなたッ!? 死ぬ気ッ!?」

 

 あまり怒りなどの激しい感情を表に出さないキュルケが、目を吊り上げてルイズを叱り付けている。

 いつもならルイズも怒るなりして口喧嘩へと運ばれるのだが、本気の怒りを見せる彼女の迫力にただただポカンとするだけだ。

 

「貴族の誇りがあるのは良いけどねぇ!?」

「きゅ、キュルケ……?」

「分かっていたわよ! あなたがみすみす、賊を逃すような人間じゃないって事を!……だけど……」

 

 彼女の声は震えていた。

 

 

「…………死んだら、お終いじゃないッ!? 分かってんのッ!?」

 

 彼女の口元が、悔しげに剥き出される。その凶暴な表情を見られたくないが為に、ルイズから顔を背け、黙ってしまった。

 

 

 

 キュルケも目撃してしまったのだろう、定助の死を。

 彼に対し好意を持っていた彼女もまた、抑えようのない怒りの矛先を得たい程に悲しいのだろう。だが今はそれを棚上げにし、無茶ばかりのルイズにらしくもない怒号を飛ばしているのだ。

 

 

「……『破壊の円盤』」

 

 横にいるタバサは相変わらずの無表情のままルイズに近付き、取り返した『破壊の円盤』を持っているかと聞いて来る。

 悲しみもない彼女に怒りが現れかけたが、タバサは定助と殆ど接点がない。悲しまないのは当たり前か。

 ルイズは震える手でポケットから『破壊の円盤』を取り出し、タバサに見せる。

 

「これ…………」

「……任務完了」

 

 するとすぐにシルフィードの耳元へと近付き、命令をしようとした。

 何を言うのか察したルイズは、咄嗟に肩を掴んで、引き止めてしまう。

 

「ちょっと!? フーケは、フーケはどうするのよ!?」

「……主目的は、『破壊の円盤』」

「嫌よッ!! 私の使い魔が…………ジョースケが殺されたのに、逃げたくないわッ!!」

 

 恐らくタバサはこのまま、学院に引き上げようとしたのだろう。だが、それをルイズは許さなかった。

 無謀だが、ジョースケを殺された憎しみが勝る。

 更にジョースケは自分のせいで死んだのだ、せめての報いとしてフーケを捕らえたいと考えているのだろう。

 

 

「認めない」

 

 その真意を承知の上でタバサは、速攻で拒否をする。

 

「フーケは森の中、何処にいるかも分からない。シルフィードでさえも見つけられない。また、ゴーレムはこちらの攻撃を実質的に物ともしていない」

「うう……」

「更にここは敵にとって有利。交戦はこちらに条件が悪過ぎる」

 

 分かりきった事だが、思いは止められない。

 ルイズは泣き出してしまい、暮れるような儚い声でタバサに申し続ける。

 

「だけど……だけど……ジョースケがぁ……!」

「…………」

 

 

 項垂れるルイズに対し、タバサのあの、無感情的な声が飛び込んで来る。

 

 

 

 

「……『情』は時として、枷となる。それを抑えなかったからこそ、使い魔の死を招いた」

 

 次に、今まで見た事のないような冷めた目で見つめてくるのだ。

 高嶺の冷気が突然、雪崩れ込んで来たかのような冷たさを持っていた。

 

「…………ッ!?」

「主従共々……『分』を、弁えるべきだった」

 

 無数のナイフを全身に差し込まれるような、鋭利な冷気をルイズは感じ取った。

 それは一瞬、全身に満たしていた感情の渦を停止させ、タバサに対する底知れぬ恐怖を植え付けられる事となる。

 声かけすら躊躇うルイズから、タバサは『破壊の円盤』を取り上げた。今の彼女に持たせるのは、少し危ういかと判断しての事だ。

 

 

 一通り終えたタバサは、再度振り返りシルフィードに命令を出そうとした。

 

 

 

 

 この時既に、ルイズの中で何をするべきなのかを、完全に見失ってしまっている。

 キュルケのように、悔しさを嚙み殺せば良いのだろうか。それとも、タバサのように徹底して冷徹になるべきなのだろうか。

 

「学院に……」

 

「戻れ」……と、続くのだと思われた。一人の平民の犠牲を以て、『破壊の円盤』の奪還に成功したと平穏に戻れるのだろう。

 

 

 

 

 そうなろうとした時、何かを察知したタバサは命令を変更した。

 

「訂正。回避して」

 

 言い終わると振り返り、ルイズとキュルケを見て忠告する。

 

「掴まって」

 

 

 瞬間、シルフィードの体が右側へ体を唸らせながら、旋回する。

 

「うわっ!? ひゃあ!?」

「た、タバサぁ!?」

 

 突然の事に反応が追い付かず、謎の命令を下したタバサに対し、喪失感に暮れていた二人の驚き声が集中する。

 何故いきなり、と理由を掴む間も無く遠心力による体への負荷に息を詰まらせながらも、必死にシルフィードにしがみ付いた。そして、一旦停止した時に、薄目で元いた場所を見やる。

 

 

 

 

 何か、巨大な塊が真下から現れ、高速で飛んで行った。空気を切る音が鈍く、鼓膜を振動させる。

 一体何がどうなっているのやらと、ルイズは地上を覗き込んだ。

 

 

「い、今……下から、こっちに……!?」

 

 こっちを見るゴーレムの右腕が、無くなっていた。

 次にゴーレムは、左腕を振りかぶって構える。

 

「もう一度掴まって」

 

 タバサの声が聞こえたと同時に、ゴーレムは思い切り左腕で殴るモーションを取る。すると、その左腕はいとも容易く外れ、こちらへズームするかのようなパンチを天高く飛ばして来たのだ。

 

「今、避けて」

 

 シルフィードへ命令を下すと同時に、先程と同様の飛行方法で向かって来る石塊を回避してみせた。

 フーケも、『破壊の円盤』を取り返さんと躍起になっているようだ、かなり変則的な方法でシルフィードを撃墜しようと始めたのだ。

 

 

 だが速さで言うなら、シルフィードに分がある。

 さっさと退散すれば、ゴーレムの攻撃も追尾も跳ね除けられるハズだ。すかさずタバサは相手をせず、学院への空路をとるようにと己が使い魔に命令を下した。

 

 

 

 

「た、タバサ!! 駄目、戻って戻ってッ!!」

「……?」

 

 命令を下し、シルフィードがゴーレムに背を向けた時、親友キュルケの焦燥に燃えた声が痛まんばかりに発せられる。

 一体何事かとタバサは振り返るが、すぐに異変に気が付いた。

 

 

「……大誤算」

 

 

 

 

 キュルケの前にいたルイズが、消失していたのだ。

 

「あそこよ、タバサ! さっきの回避の時に、振り落とされたのよ!!」

 

 彼女の指差す先に、真っ逆さまに落ちて行くルイズの姿があった。その下にはゴーレムが待ち構えており、早く助けなければ敵の攻撃範囲内に到達してしまう。そうなっては救出は困難となるだろうに。

 確認してすぐにシルフィードへ命令を出す。

 

「救出。多少無茶しても構わない」

 

 待ってましたと言わんばかりにシルフィードは、落ちて行くルイズ目掛けて滑空を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 迂闊だった。

 ゴーレムの文字通り、身を削る攻撃による動揺が油断となったか。

 迫力と脅威による精神的動揺は、定助を殺されて不安定になっていた彼女に『力を緩める』と言う行動となって、シルフィードにしがみ付く力を取っ払ってしまったのだ。

 感じた事のない遠心力は、ルイズの小さな腕を切り捨ててしまう。気が付けば自分は、空中を舞っていた。

 

 

「……あ」

 

 

 体を裂くように過ぎ去って行く空気と、鼓膜を破らんばかりに入り込む風の音。

 落下しているハズだと言うのに、空を飛んでいるかのような錯覚が巻き起こる。

 

 

 頭上にはゴーレムの立つ地面、下はシルフィードの迫る空と、重力が反転したような気分だ。実際には自然の法則の通り、上から下へと落ちているのだが、そんな風に彼女は感じられた。地面ではなく、空へ落ちて行くような超感覚である。

 この感覚は何かの暗示なのだろうか、それとも死に近付いた自分の生命が暴走でも起こしたのか。

 

 

 いずれにせよ、今の彼女は驚く程に冷静だ。

 

「…………」

 

 ゴーレムへの距離が近付くたびに、空気の音が大きくなって行く。

 それが段々と、泡のように膨れ上がり、破裂しそうな勢いだと思われた。

 

 

 あぁ、『ゼロのルイズ』は結局、こんな結末なのか。諦念が空気と共に、彼女を包み込むのだった。

 

 

「れ、『レビテーション』!!」

 

 キュルケの声が響き、体への負荷が少し軽くなった気がした。

 ある程度近付き、魔法の行使出来る範囲に入った為、満を持して落下するルイズにレビテーションをかける。魔法によって発生する本物の浮遊感が彼女を釣り上げ、速度を落とした所を救出せんと一気にシルフィードは接近する。

 

 

 

 

「緊急退避」

 

 しかしもう少しの所で、シルフィードは左に旋回し、回避してしまった。

 

 

「ルイズッ!!」

 

 そのすぐ後、ルイズの足を掠めてゴーレムの右腕が、轟音を立てて飛んで来た。再生させた腕で、ストレートに殴ったのだ。

 再び彼女への太陽光は遮られ、暗い世界へと落ちてしまう。

 

 

 どんどん地面に近づいて行く、レビテーションで幾分か落下速度を抑えられたとは言え、完全に速度は落とせなかった。このまま地面に衝突すれば死ぬ事は無いだろうが、骨の何本かは覚悟しなければならないだろう。

 いや、頭からいけば問答無用で死んでしまうだろうか。

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 この下で定助が待っているような気がした。

 変わらないあの、惚けた顔の彼がいるような、そんな気がした。

 近付く地面に向けて、ルイズは細い腕を伸ばし、泣いた顔で呟く。

 

 

 

 

 

 

 

 

「助けて……助けてよ……ジョースケぇ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時、地面から何かが広範囲に舞い上がった。

 まるで腕を広げるように現れたその、無数の存在は、シャボン玉の群だ。シャボン玉の群が、ルイズの周りに浮かび、泡のように炸裂する。

 

 

「これって……?」

 

 

 光を浴び、不知火のように輝いては空へ空へと登って行く。それは、彼女の目の前で儚く、泡沫が如く弾けて消えるのだ。




地の文が多めでしたが、楽しめて貰えたのなら幸いでやんす。
そ、そそ、そんなバナナぁ!?


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泡沫のアウェイクン。その4

 空気の壁を削るような轟音と共に放たれるゴーレムのストレートを、シルフィードは紙一重で回避した。

 

「ルイズッ!!」

 

 キュルケが、救出出来なかったルイズの名を叫ぶ。

 もう少しで手が伸ばせたのに、その『もう少し』の所で限界となったのだ。タバサの忠告が入り、伸ばした手を引っ込めてシルフィードに掴まるのが精一杯であった。

 

 

 瞬間、ゴーレムの腕が二人を引き裂くが如く、眼前を飛んだ。その腕の影にルイズは消えた。

 

「レビテーションは?」

「えぇ、何とかかけられたわ! でもあのスピードじゃ、レビテーションで賄えきれないわよ!」

 

 ルイズは自然の法則に従い、遥か上空から地面へと落下する。それも、最高落下速度はシルフィードの滑空速度よりやや劣る程度、ブレーキをかけても余剰する速度になっていた。

 レビテーションをかけた場所では、ルイズが助かるか助からないか微妙なラインだ。だが、まず五体満足でいられる訳はない事は直感的に理解している。

 

 

「……死を確信するよりかはマシ」

 

 次にタバサはシルフィードをゴーレムの攻撃範囲外まで飛ばした後、その距離から魔法を放つ。

 たちまち竜巻が発生し、ゴーレムへと直撃するが、勿論効果はないだろうに。

 

「タバサ、何して……!?」

「……あなたは今すぐ降りて、彼女を救出する」

「え……」

 

 効果はないものの、ゴーレムの注意はタバサへ向いた。シルフィードはその背後へ回り込み、ルイズ落下地点とは真逆の方へ誘導しようとした。

 そしてキュルケに出した命令……タバサがゴーレムの攻撃を引き受ける間に、キュルケへルイズの救助をさせるのだ。

 

「タバサ……大丈夫なの……!?」

「向こうの攻撃と、シルフィードの速さ……こっちが上回っている」

「でも……」

「…………」

 

 申し訳無さそうに構えるキュルケ。定助とルイズを失い、いつもの堂々とした様子から一転してしおらしくなってしまっている。

 無理もない、恋い焦がれた人と友人(タバサの目からはそう見えた)が、この短い内に消失してしまったのだ。悲しくもあり怒りもありで、感情が混沌としているハズ。

 

 

 だからと言えど、シルフィードに命を下す自分が降りる訳にはいかないし、少なくとも生存の可能性があるルイズを放っていけない。やるしかないのだ。

 

「……やるしかない。見捨てる訳にもいかない」

 

 小さいながらも強いタバサの言葉。

 その言葉に押されるようにキュルケは躊躇するように地面を確信した後、宝物庫での誓いの時のような凜とした眼差しとなり、力強く頷いた。

 タバサはホッとしたかのように、ゴーレムへと目線を変える。

 

 

 

 

「ミス・ロングビルも……」

 

 ぽつんと、タバサは最後に呟く。

 するとキュルケは「あっ」と声を出した。完全に忘れていた。

 言えど、定助がやられたショックが勝り、考えられなかっただけだ。

 

「そ、そうよ! ミス・ロングビルも助けないと!」

「…………」

 

 

 そう言うキュルケだが、何かタバサは言おうとする。

 だが事態は一刻を争う、次へ進まなければ。

 

「……一先ず、落ちた彼女の救出から。ゴーレムの足元は非常に危険」

「えぇ!……全く、手の込む子だ事……」

 

 キュルケはシルフィードから飛び降り、自身にレビテーションをかけて森の中へと緩やかに落下する。

 降りて行く彼女が木々の隙間へ見えなくなった事を確認すると、タバサは自身の杖であるロッドを向けて攻撃魔法を再び行使しようとした。

 

 

 だが、そんなタバサの目の前に、何かがふわりと舞い上がる。

 

「……!」

 

 一粒の『シャボン玉』であった。

 何処か見覚えがある。

 

 

「……まさか……」

 

 ハッと気付き、目線をゴーレムへ向けると、何とタバサに背を向けているではないか。背後に、自分よりも注目すべき人物が存在するのだろうか。

 タバサは「信じられない」と言う気持ちを表情に表さず、冷静な心持ちでシルフィードをゴーレムの近辺へと進ませたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え……?」

 

 

 思わずルイズは声をあげた。

 勿論、石鹸などの要因がない森の土壌から泡が大量発生した事も驚くが、一つ一つのシャボン玉に懐かしいような既視感があった。

 

 

 

 

 球体の、半透明なシャボン玉には、『星』がぺったりと貼り付いている。

 

「あ……ッ!」

 

 シャボン玉達がルイズを持ち上げるように突如、彼女を浮かせた。

 ……いや違う、シャボン玉ではない。明確な触感と熱を伴って、何かが彼女を抱き上げたのだ。

 それは優しく彼女の後頭部と膝の裏に手を置き、お姫様抱っこの体勢で空中にて彼女を庇うように捉えた。

 

 

 

 

 地面に着地する。

 着地したのはルイズではなく、彼女を抱える者なのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ご主人だって、無茶し過ぎだ」

 

 聞き覚えのある声。

 見上げてみれば、もう見れないと思っていた人物がそこに、堂々と立っていたのだった。

 

 

 

 

「……じょ、『ジョースケ』!?」

 

 少し泥臭く、白い服には土が付着していた。

 

 

 

 

 だが間違いなくその人物は、ルイズの使い魔…………『東方定助』だ。

 凛と構えた横顔は、ゴーレムへと外される事なく視線を刺している。ゴーレムは彼の生存に、表情などは一切分からないが愕然としているかのように一時停止を起こしていた。

 

「フーケめ、オレが生きていたから動揺しているな」

「ま、待って……あの、ジョース……」

「申し立てはお互い、後にしよう。まずは……」

 

 片膝地面についていた姿勢を正し、ゆっくりとルイズを抱きながら立った定助は、我に返ったかのように進撃するゴーレムへ背中を見せて逃げ出した。

 

 

「逃げるッ!!」

「うわぁ!?」

 

 乱暴な走り方で引き起こる上下運動に、ルイズは髪を振り乱しながら定助の服の襟元を掴んで姿勢を固定しようとする。

 まず、彼女の頭の中は混乱で満ち満ちていた。

 何故、完全に踏まれた定助が生きているのか。そして、あのシャボン玉の群は何だったのか。階段を上ったと思ったら下っていたような、何が何だか分からないパニック状態に陥っている。

 

 

 定助が死んだと思った喪失感と絶望が深いだけに、生きていた事に喜びもあれば疑問もあると言った風だろう。もしや、夢でも見ているのかと、必死に走る彼の表情を観察してみた。

 

 

 

 

「……これは……ッ!?」

 

 定助の背後から上半身だけ出現している『ソフト&ウェット』が、両手を大きく広げて全身から『シャボン玉』を発生させ、解き放っていた。

 今まで一つだけしか出せていなかったシャボン玉が、無数にふわふわと浮かんでいるのだ。

 一体これは、どう言う事か。シャボン玉達はどんどん浮かび、定助の背後へ次々に消えて行ってしまう。

 

「あ、あんた……これだけ、シャボン玉を出せたの!?」

「うん、『出せた』。そしてこれは、『さっき思い出した』んだ」

「さっき……?」

「忘れていたんだ。シャボン玉は『泡の一部』」

 

 シャボン玉はもう、定助の『首筋の痣』から吹き上がっていなかった。

『ソフト&ウェット』の全身から泡立てさせるように発生させ、飛ばしているではないか。

 

「わぁ……」

 

 疾走の風で飛ばされ、泡を纏う『ソフト&ウェット』の姿は宛ら、楽器隊のコンダクターのような光の中で堂々と立ち振る舞う、そよ風の中の清々しさと、神性さえ感じさせる黄金の輝きを放っている。

 

 

 

 

 とても奇妙だ、けれどとても美しい。

 スローな時の中で、ルイズは場違いな程『ソフト&ウェット』に見惚れていた。

 

 

 だがそれは、次に驚きへと変貌する。

 無数の浮かぶシャボン玉に、ゴーレムは自分から突っ込んだ。

 

 

 

 

「言ったのはそっちだ……『分からない以上は近付かない』と言ったのはそっちのハズだ」

 

 定助が意味深げに呟く。

 ゴーレムの体のあちこちで、シャボン玉が割れ、消散する。

 

 

「その注意を、ゴーレムにもさせれば良かったのに」

 

 

 触れて割れた時、ヒビ割れた土のゴーレムの体が突如潤うように泥へと変わり、潰れ出したのだ。

 

「えっ!? な、なにあれ!?」

 

 腕に、胸に、頭に、足にとシャボン玉にぶつかられた箇所は差異もなく全て、深茶色の泥となる。

 極度に柔くなった己の体を支えきれずに次々とチーズのように、穴が空いて行く。再びその欠損箇所は土で修復に移るのだが、いくら直してもまたシャボン玉が割れ、また泥に。

 泥にされた土をまた、錬金で元の固い土に戻そうと試みているのだが、シャボン玉の群は間髪入れずにゴーレムを包み、修復の隙を与えようとはしない。

 

 

 終いには脚部の土が泥となり、蕩けるようにして地面にへたり込んでしまった。

 泥がゴーレムの一部と言う認識なのか、土を吸い上げて修復する方法が通用しない。なので、泥を元の固い土に変える錬金で修繕するしかないが、いきなりそのような方向転換に反応が追い付いていないのか(または動揺からだろうか)、即座な行動が出来ていない。

 ゴーレムが一時、行動を停止させたのだ。

 

 

「あんた……何をして……!」

 

 ルイズの疑問はゴーレムの足元でぽっかり空いた窪みによって、解決される。

 多量の土を吸い上げた事により、クレーターのように空いたその窪みの底には、森の豊かな『地下水』が滲み出ている。その上空にシャボン玉が飛ばされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上空にいるタバサは、目の前に浮かぶシャボン玉に触れてみる。

 シャボン玉は彼女の柔い指先に触れて簡単に割れた。

 

 

「……!」

 

 顔にかかる冷たい感触と、眼鏡に液体が付着した為の視界のぼやけが発生する。

 割れた瞬間、シャボン玉の中からバケツをひっくり返したかのような多量の水が飛び出して来た。泡の消える時に出る小さな粒ではなく、水を爆発させて撒き散らしたかのような激しい拡散だ。

 四方八方に飛んだ水はタバサの顔を、シルフィードを濡らしてしまう。タバサは髪から水を滴らせながら、現状を一瞬忘れて呆然とするのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「泡の中には、『水』が入っている。『地下水』を奪って、封じ込めたんだ」

 

 固く渇いた土と言えど、一度に多量の水を浴びせ続ければ柔い泥へと変化する。乾燥した粘土に水を加え、軟化させるような風だろう。

 

「あの時、ゴーレムの足に奪った水を与えて泥にして……その泥の中に納まる形で圧死を免れたんだよ」

 

 ルイズが踏み潰されんとする直前のフラッシュバック……内容は泥の中に入って初めて思い出したが、そのフラッシュバックの際に少なからず意識化した部分を『ソフト&ウェット』は感知してくれた。

 

 

(『ソフト&ウェット』……オレを守ってくれた)

 

 地下水を多量のシャボン玉で奪い、土に与えて泥とする方法は『ソフト&ウェット』の独断にも似た、自身の無意識的な世界からの行動であった。

 

 

 泥の中、定助はフラッシュバックの内容を静かに整理し、『思い出す』事が出来たのだ。

 

「……泥の中……良く無事だったわね」

「実を言うと、圧死は免れたけど窒息死寸前だったよ……あれほど焦って泥を掘ったこと無いかな……今までにあったか分からないけど」

「泥臭いわ」

「これしか方法無かったんだ……もう、口の中も泥の味が凄くて……うぇ」

「汚いわねぇ……ホント……うん……」

 

 

 それからルイズはポロポロと涙を流し、泣き顔のような怒り顔のようなひしゃげた表情で言う。

 

「……心配、させるんじゃあないわよ……使い魔の癖に……馬鹿、ジョースケェ!!」

 

 彼女の言葉に定助は微笑みを返し、頭を少し下げた。

 

「……オレもご主人も、無茶し過ぎなんだ。お互い反省しなきゃ」

 

 定助の言葉にルイズ自身も思う所があるのかそれとも、ただ泣き顔を晒すのが恥ずかしくなったのか、俯いて黙ってしまった。

 

 

 

 

 

 ゴーレムからかなり距離を離した所で、状況に適応し出したのか、フーケの錬金魔法の効率が良くなって来た。蕩けた泥が土に変わり、元の部位へと元通り。

 

「向こうも躍起になったようだ」

 

 ここからはどうなるか分からない、だが定助はフーケを捕まえるつもりだ。ルイズらに手を加えようとしたフーケを、必ずや償いをさせてやろうと心に決めていたのだった。

 その為には、絶対に死ねない。

 

「見ていろよフーケ……挽回してやる!」

 

 プッツンとしたのだろうか、フーケはゴーレムを我武者羅に定助らへと向かわせた。木々を薙ぎ倒しながら迫る様は圧倒されるものがある。

 大きな一歩は、定助の走る速度と実質ほぼ変わらない……いや、キレているのか今はやや速い。六歩も跨げば、定助に追い付かん程だ。

 

「ジョースケ! き、来ているわよ!!」

「分かっている、ご主人!……さてさて、一回やってみたかったんだよなぁ」

 

 定助に背負わされている二つの剣が突如、浮遊して鞘から抜かれた。

 何事かと注視するルイズだが、それは『ソフト&ウェット』が剣を抜いたからである。

 そしてそのまま『ソフト&ウェット』は二本の剣を構え、定助と背中合わせのような姿勢でゴーレムを見据えたのだ。

 

 

「名付けて……『デルフリンガー』『シュペー卿』、二刀流ッ!!」

「馬鹿やってんじゃあないわよあんたぁ!? 長剣で二刀流なんて無謀にも程あるわよ!?」

『おぉ!? なんだなんだ……って、ゴーレムじゃあねぇかぁ!?」

 

 定助の行動に対して怒鳴るルイズと、やっと鞘から出されたと思えばゴーレムと対峙しており、ありのまま困惑するデルフリンガーの声が響く。

 だが、定助は至って真面目な表情だ。

 

「それは人が持つからだ。スタンドだからこそ可能なんだよ」

「ここまで来てふざける? 普通……」

「ふざけてない。魔法補正かかった剣なら、土塊なんてばっさりだ」

 

 迫るゴーレムを前にして余裕のある定助だが、デルフリンガーは非常に焦っている。

 

『待て待て相棒ッ!? その剣はだから、ナマクラだって……』

「オラァッ!!」

 

 デルフリンガーの忠告虚しく、横目でゴーレムの位置を確認した定助は足目掛けてシュペー卿の方の剣を振った。

 

 

 

 

 ガキンと鈍い音。

 鉄をも斬れると聞いたその黄金の剣は、真ん中から骨のようにへし折れる。

 

「……へ?」

『言わんこっちゃねぇって……おぉ、ほらほら相棒ッ!! 来るぞぉ!?」

 

 頭上から拳がつき下されようとしていた。

 しかしその前に『ソフト&ウェット』が近くの窪みから地下水を奪い(これを行う為に窪みの近くを走っていた)、腕へとシャボン玉の群を飛ばしたのだ。それを浴び、泥と化した腕はまた蕩けるように落ちて行く。

 

「結局こうなのか……」

「そうに決まってんでしょッ!? なに騎士ぶってんのよ!?」

「いや、鉄をも斬れるなんて聞けば希望になるだろって……仕方ない、本体を探そう」

 

 ゴーレムの完全破壊の望みは薄いと踏んだ定助は、対スタンド使いの戦い方同様に『本体をブチのめす』戦法に方向転換させた。

 足も泥にして、進行の妨害を施しておく。それが修復される前に定助は再度距離を取った。なかなか彼はすばしっこく、一気に距離を離せられる。

 

「ふう、危なかった」

『危なかったって……と言うかおいおい相棒!? こ、これは何なんだぁ!?』

 

 自分が手にされている相手を見たデルフリンガーが叫ぶ。そう言えば見せていなかった、見るのは初めてだったろうか。

 しかし長寿のハズであるデルフリンガーの驚き様を見るに、スタンドを見た事がないのだろうか。

 

「一から説明するには時間が無さ過ぎるから、今は『オレの半身』と以外は省く!」

『それで「はい、そうですか」と納得出来るかぁ!? 何だぁこいつぁ!?』

「まずはご主人を安全な場所へ移動させなければ……」

 

 

 ゴーレムは再び、しつこく彼を付け狙う。

 出来る事なら本体をこのまま探し出したい所だが、ルイズを放る事など出来ないだろう。だからと言えど、抱えたまま戦うと言うのも現実的ではない。

 

「注意を何処か……向けないと」

「でも誰がやるのよ……?」

 

 

 

 

 ルイズが不安げに呟いた瞬間、甲高い叫び声が響いた。

 

「『ファイア・ボール』ッ!!」

 

 薙ぎ倒された木々の隙間を縫うように、巨大な火球が一つ現れ、ゴーレムの頭部目掛けて着弾する。

 勿論、それによるダメージはすぐに足から損壊箇所への土が吸収されて修復されるのだが、その間にもう一発足にお見舞いさせた。

 しつこい攻撃にゴーレムは注意を向けるしかなく、頭部を火球が飛んで来た方へと向けた。

 

 

「本当に退屈させてくれないわね、うふふっ!」

 

 攻撃を加えたのは、ルイズを救出に降り立っていたキュルケだ。また治り行く足に向かって火球を飛ばす。

 まるで劇画と言う彼女の登場に、感極まった定助が叫んだ。

 

「キュルケちゃん!!」

「生きていたのね、ダーリン! もう! 死んじゃったとばかり思ってたじゃない!」

「ごめんごめん……有り難う!」

 

 言葉を交わす二人に対し、涙の跡が見えながらも不機嫌なルイズ。

 

「……向こうだって、狼狽えていた癖に……」

「あれ、そうなの? キュルケちゃんが?」

「はぁ……もういいわよ……ゲルマニアは天気屋なんだし」

 

 その憎まれ口も、安堵によるものだとはすぐに分かるだろう。所謂、照れ隠しだ。

 

 

 ゴーレムは定助を最優先させようかとしているが、精神力の続く限りとも言えるキュルケの猛撃に順位を変えさずを得られなくなった。くるりと体をキュルケへと方向転換させ、進行し始めたのだ。

 

「よし! 今の内……うわっ!?」

 

 急に前方から吹き出した風に、思わず口から驚き声があがった。

 ゴーレムがキュルケの方へ向かった事を機と考え、タバサがシルフィードを着陸させたのだ。

 

「た、タバサ……さん?」

「乗って」

 

 やはり彼女は無表情そのままだが、早口な様子からして慌てていると察知した定助はシルフィードの傍へ一気に近寄ると、その背中にルイズを乗せた。

 

「あ、有り難う……ジョースケ……」

 

 お礼を述べた時にルイズは、定助をチラリと見やった。彼の視線はずっと後方の、キュルケを追うゴーレムへと注がれている。

 当たり前だが、見捨てるつもりは更々ない。

 

「……あなたは?」

 

 一応、と言ったニュアンスでタバサが定助に乗るか乗らないかを質問する。

 定助は勿論、首を振った。

 

「まだ乗らない。キュルケちゃんを助ける」

「知ってた」

「………………」

「可能な限り援護する……武運を祈る」

 

 呟くような彼女の言葉だが、一つ一つに頼もしさが滲み出ていた。無言で定助は感謝を示す。

 タバサはシルフィードに耳打ちし、浮上を命じた。

 

 

「ジョースケッ!!」

「ん?」

 

 その前にルイズが定助を引き止めた。顔が何処か赤い。

 

「……私が言うのはとても恥ずかしいのだけれど……」

「うん」

「その…………無茶、しないで……」

「…………大丈夫だよ、ご主人」

 

 優しいルイズの言葉を残し、シルフィードは飛行を始めた。

 心配そうに見つめる彼女の視線を受けつつ、定助は踵を返してゴーレムの方向に目を向ける。

 

 

『相棒! ゴーレム、あの嬢ちゃんに到達しちまうぜ!』

「ゴーレムは再び、オレが引き受ける! フーケの捜索を、キュルケちゃんに任せよう」

『ほほぉ! 勇気あるねぇ……って、オレはやっぱ鞘の中か……』

 

 定助はデルフリンガーと折れた黄金の剣をまた鞘に収め、『ソフト&ウェット』を隣に従えたままゴーレム目掛けて走り出す。接近を察知したゴーレムはキュルケの追跡を停止させ、定助の方へと向きを変えた。

 

「ジョースケ! そっち行ったわよ!……あ、ルイズは離脱させられたのね」

「キュルケちゃん、役割交代だ! オレがゴーレムを引き付けるから、フーケを探すんだ!」

「フーケ!? あたし、見た事ないから分からないわ!」

「正体はロングビルなんだよ!」

 

 衝撃の事実を伝えると、あれほど勇猛果敢に杖を振っていたキュルケがぴたりと手を止める。

 やはりあの優しげなロングビルがフーケと言う事実をバラせば、そんな反応となるだろうに。

 

「え、ちょ……えぇ!? ロングビルがフーケぇ!?」

「そうだ! だから、ロングビルを見つけてやっつけてくれ!」

「い、いきなり言われたって……」

「頼むッ!!」

 

 必死に懇願する彼の心を受け、キュルケはとやかく言うのを止める。

 

 

「はぁ……兎に角、ジョースケが言うなら信じるわ。ロングビルがフーケなのよね」

「そう!」

「引き受けたわ、絶対に捕まえてやる!」

 

 今は狼狽える場面ではないと割り切ったキュルケは、動揺を心の内に一旦沈めて定助の言い付けを守る事に決めた。

 最後に「気を付けて、ダーリン!」と言い残した彼女は、森の中へ突撃する。彼女の実力ならフーケと十分に相手出来るだろう……恐らく。

 

 

 

 キュルケがフーケ捜索に向かった事を確認すると、定助は一歩一歩進行するゴーレムを見据え、『ソフト&ウェット』を自身を守護させる為に前方へ構えさせた。

 

 

「よぉし……『一泡吹かせてやる』!」

 

 再びシャボン玉が発生する。




当初これでフーケ戦終わらせるつもりでしたが、詰めませんでした(小声)
次回は早い内に仕上げたいと思います……六月中にはフーケ編済ましたい所です。
フーケの声優さんのアニメジョジョ参入を、密やかに願っています……ロックマンの人ですよね?


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白金のワールド。その1

「六月中にはフーケ編終わらせる」と言ったが……すまん、ありゃ嘘だった。
七月いっぱい休止して申し訳ありませんでしたぁぁぁぁッ!!
アニメで言えば『透明の赤ん坊』から『しげちー』までがっつり時を吹き飛ばしてしまった次第ですが……理由と言うより言い訳は『活動報告』にて……


 飛行するシルフィードに乗るタバサとルイズは、定助がゴーレムに立ち向かう様をしっかりと見届けていた。

 

「ジョースケ……」

「…………」

 

 心配そうに眺めるルイズと、本当に高みの見物とも言える無表情を貼り付けたままのタバサ。

 対極としている二人なのだが、定助の動向に興味があるのはお互い様であるようだ。

 

「一体、どうやってゴーレムを完全破壊させるのかしら」

 

 ルイズのその疑問に対し、定助の意図を理解したタバサが訂正を加えた。

 

「……賢明な者なら、傀儡の破壊より術者の撃破に動く」

「……やっぱりそうよ、ね…… 」

「蜂を全滅させたいなら巣を見つける事と一緒。『原因』を排除しなければ本末転倒」

「…………へぇ」

 

 

 諭すような彼女の言い方に飲まれていたルイズだが、良く良く考えたらそうかと思い至った。

 しかし今回はその『原因』が悪い。ギーシュの時は決闘と言う名目だったので、ワルキューレの『原因』たるギーシュが見えていたのだが、今回の場合は『原因』のフーケが見えざる者であるのだ。

「原因はフーケだ」としても、こっちはフーケに対する情報が手に少ない状態。

 

「顔も知らないフーケを、どうやって見つけるのよ?」

「……それは大丈夫」

 

 ロッドをゴーレムに向け、攻撃を加えようとしながらタバサは答えた。

 

 

「あなたの使い魔は……とっくにフーケの正体に気付いている」

 

 定助の行動からタバサは、フーケの正体を知っていると察知していた。

 知らなかったルイズが驚いていた為、説明が必要だとタバサは続ける。

 

 

「まずフーケの正体は……ロングビル」

「……は? ろ、ろ、ロングビル!? ロングビルがフーケだったの!?」

 

 案の定と言わんばかりの反応。

 少し考えれば分かる事だとは思うが、色々な事があってキュルケ同様、頭が追いつかなかったのだろう。

 まず、戦いの場に降りる事自体がないルイズには目の前で手一杯だった。それは騎士であるタバサと比較しても雲泥の差だろう。

 

「一緒に偵察していた使い魔が帰って来て、ロングビルが帰って来ないのは不自然。なら、暫定的に彼女を疑うのが自然」

「捕らわれたとかは?」

「考えられる。けれど、それにしてはあなたの使い魔は悠長にしている。時間制限をかけられていない証拠」

「……まぁ……うん、理に叶っているわ……」

 

 冷静になれば思い当たる事ばかり。

 定助の生還と、ゴーレムから離れた位置と言う事もあり余裕が出来た彼女は、つらつら考えていた。

 

 

 だが事態はまだ、好転している訳ではない。

 フーケの正体は分かれど、姿は見えず。またゴーレムは定助生存の動揺からか、動きに狂暴性が増している。

 追い掛けられながらも、『ソフト&ウェット』による泡の攻撃と本人の身のこなしで蹂躙している定助。さっきキュルケに何か指示していた所を見ていたルイズは、キュルケがフーケ捜索で、定助がゴーレムの注意を向ける役割をしているのだと気付く。

 

(だけど……定助がいつまで保てるのか……)

 

 そう危惧するだけでも、いても立ってもいられない。しかし逸る気持ちを抑え、まずは現時点で自分はどう貢献出来るかを考える事だ。

 何もしないまま、定助だけに任せたくはない。

 

「私も、魔法で応戦するわ」

「……過度な攻撃は避ける。ゴーレムの注意を引く程度、狙われたらこっちが保たない」

「分かっているわ……もう、無茶しないわよ」

 

 ルイズは杖を手に持ち、シルフィードにしがみ付きつつゴーレムを虎視眈々と睨み付ける。

 ここからが正念場だ。『フーケを捕まえる』。

 

 

「……所で、あの……聞きにくいんだけれど……」

「……………」

「……何で、濡れているの?」

 

 タバサの髪はじっとりと濡れ、ブラウスは少し透けていた。

 かなりの水量を浴びたのか、髪の毛先からぽたりぽたりと雫が滴っている。

 

「……後日」

「え?」

「……後日、請求する」

「なにを!?」

 

 それからはもう何も言わず、タバサもロッドを構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 定助はゴーレムの攻撃を、ちょこまかと蟻のように走り回り、避けて避けてひたすら回避に徹していた。

 そしてその時に起こる隙を見計らい、『ソフト&ウェット』の泡を浴びせられ、泥にされては修復する……を繰り返している。

 泥にされた時の修復は慣れて来たのか、比較的迅速な流れとなっている。しかし、一度に多箇所を破壊されるので、タイムロスは必須である。

 

 

 この針で突っつくような嫌らしい攻撃に、隠れながらにしてもフーケは苛立っているようだ。ゴーレムの動きがやや、猪突猛進的になって来ている。

 

「……キュルケちゃん、まだかな」

 

 しかしフーケに精神的疲労を与えている一方で、定助には肉体的疲労も伴われている。

 謎の強化現象により耐久力が上昇しているとは言え、人間には限界があるもの。筋肉が軋み始めた。

 

「早くしないと、こっちが保たない……」

 

 何とか足腰を駆動させ、ゴーレムの攻撃をひたすら回避している。

 

 

 

 ゴーレムの頭部に、爆発が起きた。

 シルフィードに乗るルイズが、援護してくれているのだ。

 爆発の破壊はすぐに修復させるが、またしても入る邪魔に気が立っているようで、腕を振り回してシルフィードを叩き落とそうとした。

 

「有り難い! 恵みの爆発だ!」

 

 感謝を叫んだ定助はすぐさまゴーレムから距離を取り、足を止めて小休止入れる。

 言えど体は思いの外疲れてはいない、謎の強化現象はまだ継続されていたのだが。

 

 

「しかし……あまり時間かけていたらフーケに時間稼ぎと思われるか」

 

 今の彼女は恐らく、プッツンしているので洞察力に欠けているだろう。

 それも暫くしてクールダウンしてしまったのなら、明敏な彼女なら定助が何故、ゴーレムの相手だけをしているのかに気が付くハズだ。そうなると周囲の状況に目を配り、キュルケが彼女を確保する事が困難となってしまう。

 

 

 

 

 ならばフーケに見せ付けてやるのだ。ゴーレムを停止させ、持ち前の洞察力をも撹乱せんばかりの策を。

 

「ならばまずは……ゴーレムがあっちに気が向いている内に……」

 

 するとどういう訳か、定助は『ソフト&ウェット』に地面を殴らせたではないか。

 殴らせてすぐ、定助は退避する。何かその場で起こるようだ、定助はある程度離れた後に振り返り、再びゴーレムを視界に置く。

 

 

「おぉ〜い!」

 

 そしてゴーレムから視線を上にして、シルフィード基、操り手のタバサに対して大袈裟な動作でサインを送った。気付いてくれる事を祈り、必死に腕を振る。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……?」

 

 ゴーレムの頭上を飛び、注意を逸らしていたタバサはふと定助へ視線を向けた時に、彼の奇異な行動を目の当たりにした。

 腕を前から後ろに振り、「こっちへ来てくれ」と指示しているようだとタバサはすぐに理解出来た。

 

 

 何か考えでもあるのだろうか。頭脳明晰な彼女であれど、定助の考えが読めないのだ(『ソフト&ウェット』の存在が拍車をかけている)。

 それでもあまり彼とは直接話したりした事は無いのだが、ギーシュとの戦闘やこれまでの実績を見て、まず無駄な事をしない人間であると、少なからずタバサは隅に置いている。

 だが主人共々、無茶な事を行う危うさは非常に厄介であるとも知っている。無論、味方にとってと言う意味合いである。

 

 

「…………」

 

 しかし、彼女は定助の指示に従おうと考えた。

 ギーシュの時は美味しい思いをさせて貰ったし、お礼でもしようと言う思いからだ。

 

「……理解した」

 

 すぐさまタバサはシルフィードに指示を出し、ゴーレムの背後……定助の方への誘導を始めた。

 

「え? また戻るの?」

「何かありそう」

「何かって……ジョースケが何かしていた?」

「……私にも分からない」

 

 本当に考えの読めない人間だが、今の彼なら大きな無茶はしないだろうか。

 しかし自分に策がない今、行動する者を邪魔立てする資格はないだろう。

 

 

 キュルケもルイズもフーケ捕獲に乗り出しているのだ、退却はやるだけやってからにしよう。そう考え直し、タバサは行動に移った。

 

 

 

 

 

 

 

 シルフィードは空中で大きな弧を描き、ゴーレムの背後へ飛び抜ける。

 クルリと体を回し、ゴーレムも進行方向を真逆に向けた。シルフィードの飛ぶ先には、定助が立っている。

 

 

 定助がまた『ソフト&ウェット』を発現させ、再度攻撃に入ろうかとしている所を見逃す訳がない。

 ゴーレムは羊を追い立てる牧羊犬が如く、出来るだけの全速力で直線的最短ルートで定助を潰しにかかろうとする。

 腕を構え、殴る準備を取る。崩れさせられる前に、攻撃を仕掛けようとする心理だろうか。

 

 

「踏み込め!『落ちる』」

 

 しかし、全力で攻撃をしようと力強く踏み込んだ左足が、ズボリと膝まで地面に埋まってしまった。

 バランスを崩し、構えた腕を上下させて安定させようとするが、それでさえももう片方の足を踏み込ます事になってしまい、両足が見事に地面の中へ突っ込まれてしまう。

 

 

 大きな音を立てながらゴーレムは右手を付き、前のめりになって倒れて停止した。

 

 

 この辺りは非常に地下水が豊富である。

 ゴーレムが自身の体の修復の為に地面を削った事が仇となり、定助がこれを利用している訳だ。今の方法もそれにあり、『ソフト&ウェット』の能力によって奪われ、吸い上げられた泡が地面を地下水で水浸しにし、泥となった。

 

 

「そう言えば言っていたっけ……『泥濘みがないだけでも助かった』って。残念だけど、ここらは泥濘んでいたなァ」

 

 もがけばもがく程、足は泥の沼にズブズブ飲まれて行き、両足の膝までが埋まった。空いている左手を地面に立てて出ようとするが、その腕さえも飲み込まれると気付き、手を上に突き出したような滑稽なポーズを取っている。

 

 

 それでも足を泥中に咥え込まれたゴーレムは何とか足掻いているものの、ある時に諦めたように、ピタリと動きを止めてしまった。

 

「……ん!?」

 

 フェイントか何かとつい身構えてしまうが、ゴーレムは項垂れた姿勢のままだ。

 

「……あれ、止まった?」

 

 唐突に一時停止ボタンを押したような停止。

 術者に何かあったのか……もしや、キュルケがフーケを発見したかと、定助は辺りを見渡した。

 

「キュルケちゃんかなぁ……怪我してなきゃいいけど」

 

 とりあえずゴーレムは停止したのだが、フーケの策の可能性も否めない為に警戒は怠らない。

 警戒しながら定助は、服に付着した、既に固まっている泥を剥がすように払って行く。白い服には泥の跡が良く目立っているのが悔しい。

 

「染みる前に洗濯したいし」

 

 彼は余裕気味に呟いた。

 

 

 

 

 その時、風がフワリと吹き抜ける。

 風上の方を見てみると、こっちまでゴーレムを誘導していたシルフィードらが、安全を確認して降りて来ていた。

 シルフィードは翼を一回、二回はためかせて落下速度を落とした後、優雅に柔らかく着地をした。無表情のタバサと、驚いた顔をしたルイズが定助を見ている。

 

「ジョースケ、大丈夫!?」

 

 翼のはためきが止まった瞬間に、ルイズの声が掻き分けて飛び込んで来た。

 定助は両手を広げて、平気だとアピールする。

 

「オレは大丈夫だけど……降りて来て良かったの?」

 

 チラリとタバサを見やりながら質問する。彼女は声にするよりも先に頷いて肯定した。

 

「あれに注がれる魔力の波が一定になった」

 

 定助はパッと振り返る。

 ゴーレムはさっきまでの姿勢のまま、完全停止していた。それは雨風に侵食される古城のように、ポロポロと体の欠片を落としている。動かすのに必要な範囲以下の魔法になった為、人型を保つ力が落ちて行ったのだろうか。

 

「前みたいに、一気に崩れないんだ」

「並々に注がれている……一先ずセーブしている状態」

「はぁ……そんな器用な事出来るんだなぁ」

 

 例え『フリ』をしているだけにしても、最早足腰は使い物にならない。そこまでをキチンと認識した上で、タバサは定助・キュルケの地上組を迎えに来た訳だ。

 

「『破壊の円盤』は私が持っている……フーケが逃亡したとしても、今後は深追いしない」

「君の判断に従うよ、そっちの方が合理的かな」

 

 感心したように定助は呟いた後、改めてルイズの方へと視線を向けた。

 彼女は心配そうな目で定助を見ている。

 

「ご主人、大丈夫だって。ほら、ピンピンとしている」

「な、なによ……わ、私が心配すると思って?」

「へぇ」

 

 先程の心配そうな表情を隠すように、そっぽを向いた。「心配していない」とは言ったもので、定助に運ばれている時に泣きながら「心配させるな」と言っていたではないかと、定助は思い出して吹き出した。

 そんな彼女の素振りが愛らしかったのだ。

 

「あんた笑ったでしょ!?」

「え? あ、違う違う……」

 

 問い詰めるルイズから逃れようと、定助は気になっていた事を二人に聞く事にする。

 

「『破壊の円盤』はフーケが持っていたんじゃなかったのか?」

 

 定助はまだ『破壊の円盤』の事を知らなかった。廃屋の中で発見した事を知らないので、やや困惑めいた表情で質問している。

 タバサは懐から『破壊の円盤』と呼ばれるものを取り出し、説明してくれた。

 

「何故かフーケは、『破壊の円盤』を手元から離していた」

「そうそう、そこが奇妙なのよ。あの廃屋の中に置いていたのだけど」

 

 後ろからルイズも説明した。

 

「仮に私達を誘き寄せる為の餌だとしても、その後に襲って来た所を見たら無意味としか言えないわね」

 

 フーケの行動に対し、思う所をルイズは語る。

 あの廃屋は本当に拠点で、『破壊の円盤』だけを置いて出ていたのだろうか……いや、担ぐ程の代物なら兎も角、円盤は懐に入れられる程に持ち運びの安易な物だ。盗みたい程欲しかった物なら、肌身離さず持っていられるだろうに。

 

 

 

 しかし、そんな考察を巡らせるルイズとタバサを他所にして、定助は高温部に突撃する戦車のように『破壊の円盤』へ食らい付いた。

 

「ちょ、ちょっとそれを良く見せてくれ!!」

 

 定助は円盤を持つタバサの腕ごと掴み、驚愕の表情で円盤を眺めていた。

 ルイズがシルフィードから飛び降り、奇怪な定助の行動を止めに入る。

 

「ジョースケ!? なにしてんのよ! それは学院の秘宝なのよ!? 壊しちゃったらどうするのよ!!」

「壊さない、壊さないから! その『DISC』を見せて欲しい!」

「でぃ、ディスクぅ?」

 

 ここでタバサは、定助の異様な興味に並々ならぬものを感じた。

『破壊の円盤』は通常、平民には見せられない。ましてや、学院に来て一週間も経過していない彼がこんな興味を示すとは、好奇心が強いだけとでは、説明がつかない。

 言うのは、定助がまるで「見た事のある」ともとれる反応をしているからだ。

 

 

「…………」

 

 タバサは黙って『破壊の円盤』を定助に渡した。

 彼は受け取るなり、まじまじと眺め出した。

 

「これはCDかな? DVDかな? 今流行りのBlu-rayではないか?」

 

 円盤を見る彼の口からは、二人には全く馴染みのない言葉がズラズラと放たれて来る。

 ルイズは怪訝な表情で、円盤を凝視する定助を見ていた。

 

「しーでぃー、ぶるーれいって、なんなのよ!?……あんた、『破壊の円盤』を知っていたの?」

「いや、知らないも何も、この形状はDISCだ」

「ディスクは分かったわよッ!」

「タイトルは書いてない……ようだけど」

 

『破壊の円盤』をくるくるペタペタと回し、観察する定助。

 流石にここまで能動的に触られては、傷でも入ってしまいかねない。それを危惧したルイズは、自分の背丈より高い位置にある定助の持つ『破壊の円盤』を、ジャンプして取り上げた。

 

「あぁ、もう少し調べたい……」

「駄目ったら駄目! 学院の秘宝だって、ここに来る前に聞いたでしょ!? 何か間違いでもあったら、フーケを捕まえられなかった以前の大問題になるわよ!」

「ご主人聞いてくれよぉぉ!」

「いいからキュルケを探すわよっての!!」

 

 タバサはこの二人に付いて行く事に諦めたようで、シルフィードを一時上空に飛ばさせ、一人でゆっくり森の方へと歩き出した。

 

「先に行っている」

「あ、お願いね……って、往生際悪いわよジョースケ!?」

「なぁなぁ、お願いだ! もう少し、もう少しだけ!」

 

 二人からタバサが離れた後も、定助の懇願は続く。

 彼の妙な執着に対するタバサなりの興味はあるのだが、親友とフーケを探す事を優先させた。

 

「駄目なものは駄目ッ!! あんたはさっさとフーケ見つけて来なさいよ!」

「見つける! 見つける! だからもう少し見させて!!」

「鬱陶しいわねぇ!? 学院の秘宝を、そう易々と触れるなんて思わないの!! 指紋付いたらどうするの!?」

「だったら『ソフト&ウェット』に持たせるから!」

「嫌よ!? もっと得体が知れないじゃない!?」

 

 そこら中は穴だらけであり、泥塗れにもなっている。必要以上に汚れたくないタバサは穴を避ける為、魔法で少し飛び上がる。

 彼女が十メートル程度離れた時、暫くルイズと蛙鳴蝉噪と話し合っていた定助から懇願の言葉が叫ばれた。

 

 

 

 

「もしかしたら、もしかしたらそれ、『スタンド』のエネルギーがあるかもなんだよぉ!」

 

 

 その時、ピクリとタバサは反応し、振り返った。

 振り返った先は定助…………ではなく、ゴーレムの方。

 

「…………」

 

 タバサは浮遊したままでターンし、全身を後方に方向転換。

 

「……してやられた」

 

 無感情ながら、焦燥感と悔しさを滲ませ合わせた言葉を吐いた。

 

 

 視線の先のゴーレムが、左腕を構えて、殴るポージングを取っていたのだ。

 それは彼女にとって、見覚えのある構え方。

 空中にいた自分達に対して行った、ゴーレムの冴えた攻撃方法。

 

 

 

 ゴーレムの構えは頂点まで来ている……つまり、『発射「可」能』である。

 標的は『ルイズと定助』。

 

 

 

 

 この空気を感じ取ったのは、定助もだった。

 

「……なに?」

 

 ゴーレムは泥沼に嵌った右腕を切り離し、両足が固定されたそのままの姿勢で体を捻り、左腕を目一杯後ろに引いている。

 この状況、ルイズには既視感があった。それは、シルフィードに乗っていた時に行ったあの攻撃だ。

 

「ジョースケ! にげ……ッ!!」

 

 定助はゴーレムのやる攻撃を目にしておらず、察知に至るまでに遅れが生じてしまった。

 その『遅れ』の中で、拳を飛ばすまでは非常に早かった。

 

 

 

 

 限界まで捻られた体は、軋みながらも大回転。

 その遠心力により運動エネルギーを相乗、前方へ突き出された左腕は腕の限界まで来た所で意図的に砕け、勢いそのままに定助とルイズの方へ急速に吹っ飛んだ。

 

「……ッ!!」

 

 ゴーレムと定助らまでの距離は百メートル。飛ばされた拳は距離を縮める度に速度を上げている。

 視界いっぱいに広がる巨大な岩の塊が、恐るべき速さで迫る。もうそれは、定助とルイズが全力で回避するには難を生じる状況だった。

 並びに、ルイズはその勢いと恐怖に圧倒され、体が膠着してしまっていた。

 

 

「避けるんだぁぁッ!!!!」

 

 定助の叫びが轟く。

 位置は、ルイズがゴーレムの方に近い為に、拳に当たる人物はルイズが先である。定助は必死に彼女を死守せんとばかりに、『ソフト&ウェット』を発現させてルイズの前へ出ようとしていた。

 

 

 

 

 ルイズは、『破壊の円盤』を手に持ったまま、生物としての防御姿勢から頭を抱えるようにして目線を下げてしまった。

 

 

 拳はもう眼前に迫っている。走馬灯を巡らす暇もないまま、来る衝撃に怯えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 ふと、風が止んだ事に彼女は気が付いた。

 

「…………?」

 

 拳の空を切る轟音と、定助の叫びが途絶えた事に気が付いた。

 

「……え?」

 

 一向に来ないゴーレムの拳に、頭が冷えたルイズは違和感を覚え、辺りを恐る恐る見渡す事に決めた。

 閉じた目を開けき、ゆっくりと頭を上げ、写る光景全てを見渡せばそこは『白金の世界』。

 

 

 森も、ゴーレムも、定助も、駆けつけるタバサも全て色がくすみ、モノクロとなっている。

 そして何よりも、全てが『停止』しているのだ。

 

「……なに……これ?」

 

 困惑するルイズは、自身の身に何が起きているのかをまるで理解出来ていない。

 拳は自身の十歩手前でピタリと停止し、ルイズの前に立とうと定助が横から『ソフト&ウェット』を連れて走っており、タバサがロッドを構えてこちらに向けている事が鮮明に見て取れた。

 雲が千切れる様、落ちた葉、欠片を飛ばすゴーレム、血管の浮き上がる定助の腕、飛び立つ鳥……様々な事象が石像のように動きを止めていたのだ。

 

 

 ルイズは最初、これは熟練の剣士が、「全てがゆっくりに見え、相手の剣先の軌跡が分かる」と語る超人的な話を思い出した。恐らくはその類を自分が体感しているのだろうと思った。

 しかし今、自分の目の前には千切れ飛んだ草がある。それをルイズは掴み、動かせてみせたのだ。

 

 

 

 

「……な、な……」

 

『感覚の暴走』なんて次元ではない、本当に全ての『時間が止まっている』のだった。

 

「な、なんなのよ……これ……!?」

 

 急に恐ろしさが増して来た。今、自分には何が起きているのか。

 彼女は未知の体験に、手足をガクガクと震わせている。動揺から、彼女は顔を撫でた。

 

 

 顔を撫でた左手の指先が、何かに当たった。

 彼女は上目遣いで、その何かを見やった。

 

 

 

「え……?」

 

 自分の頭に、『破壊の円盤』が入り込んでいる。

 髪と額に突き刺さるように、『破壊の円盤』が半分頭に入り込んでいたのだ。

 

「…………え? え?」

 

 更に意味の分からない事象が降りかかる。ルイズは完成に当惑し、単調な声しか出せなくなっていた。

 何故時間が止まったのか。『破壊の円盤』が何故自分の頭に入り込んでいるのか……彼女の認識と見解では理解に至れない。

 ただ、その恐怖と不安から、隣にいる定助の方へと無意識的に近付いていた事だけは気付けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと、目の隅に『動き』を捉えた。

 停止した世界では逆に不自然法則とも取れる、『動き』があった。

 ルイズは縋るようにその『動き』に目を勢い良く向ける。

 

 

「あ……なっ!?」

 

 何もいなかった自身の前方に、靡く長髪と隆々とした筋肉の背中があった。

 髪は薄い緑に輝き、人外じみた青い肌色とその肌を走る稲妻のような模様が印象的だ。

 

 

 だが、そんな詳細な事よりも、ルイズはこの『謎の人物』が放つ巨大なオーラに言葉を飲み込んだ。

 背中だけだが、そこから放たれるオーラは輝いているように見え、さしずめ『神話の戦士』と錯誤してしまう造形的美しさと雄々しさをひしひしと理解出来た。

 

 

 見覚えのあるシルエット……何故か自分は、この人物の扱い方をマスターしているような気分に陥った。

 圧倒的な安心感と信頼感が、目の前のこの人物に感じている事に気付いた。

 

 

 ルイズは、拳の前に立ち塞がる人物に対して話しかけるように、頭の中で浮かんだワードを唱えるのだ。

 

 

「……『時は、動き出す』……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、世界に色が戻り、空気と轟音が四感を支配する感覚を取り戻した。

 そして次に聞こえて来たのは、強烈なインパクトと爆音と、空気を震わす雄叫びだった。

 

 

『オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!!!!!』

 

 目の前の人物は、雄叫びを放ちながら、全身を高速で駆動させてゴーレムの拳を、己の拳で『砕いていたのだ』。




と言っても、まだ終わらないんですけどね……
そんな事より『吉良吉影は静かに暮らしたい』と『山岸由花子はシンデレラに恋をする』が逆転しとるべさ。
私個人としては、大いにアニメスタッフを信仰したい程の入れ替えと思いますな。
失礼しました!改めて、ゼロリオンをよろすぐ!


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白金のワールド。その2

二ヶ月待たせた……だが、ランタンは生きている……
どじゃぁぁん。地獄から戻って来たぞ、読者諸君!!
長らくお待たせして申し訳ありませんでした。色々と理由は御座いますが、休止理由については活動報告に載せています。
兎に角、今後とも宜しくどうも。


 その場にいた者は、目の前の光景を決して信じられるハズがなかった。

 

『オラオラオラオラオラオラオラオラッ!!』

 

 ルイズの目の前に、突然『謎の男』が出現し、空気を振るわさん程の猛る掛け声を放ちながら、やって来るゴーレムの拳を己の拳で砕いているのだ。

 

 

『オラオラオラオラオラオラオラオラッ!!!!』

 

 一発ではない。目にも止まらぬスピードで何発も何発も拳を打ち付け、そのパワーで襲い来るゴーレムの拳の速度を相殺したのだ。

 

「えっ!? な、な、何なのこれぇ!?」

 

 張本人たるルイズもハッと我に返れば、目の前の人智を超えた凄まじい光景に、困惑の声で叫ぶばかりである。

 頭に円盤を半分突き刺したまま、『謎の男』が放つインパクトに怯えて頭を抱えるだけだ。

 

 

 困惑の渦中にいるのは、定助もそうである。

 

「な!? これは……!!」

 

 定助は、この『謎の男』が何者なのかを、『近しい者』としての感覚で気付いたのだ。

 

 

 

 

「これは『スタンド』……なのかッ!?」

 

 ルイズから発現している豪腕の闘士、それは『ソフト&ウェット』と同じ存在『スタンド』だ。

 あまりの衝撃と、そのスタンドが放つインパクトに圧倒された定助は、一瞬だけ立ち止まった。その、『スタンド』を間近で確認する。

 

 

 この世界で初めて確認した、『ソフト&ウェット』以外のスタンド。

 そのスタンドは、『ソフト&ウェット』よりも遥かに高い次元に位置する、無欠の万能感が挙動の一つ一つに現れていた。

『ソフト&ウェット』より人間に近い造形、「早い」とだけでは形容の足りない程の規格外なスピードに、迫る岩塊を押し留め破壊する圧倒的なパワー……全てが彼の認識の外側であった。

 

 

 

『オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラッッ!!!!』

 

 一層強まる雄叫びに定助はハッと我に返り、『ソフト&ウェット』を引っ込めて隣のルイズに飛び付いた。

 

「ご主人ッ!!」

「え? きゃあ!?」

 

 ルイズを定助は抱きつつ横へ飛び、岩塊の射程から逸れた所でルイズを庇うように覆い被さりながら着地した。

 途端に、謎のスタンドは蝋燭の灯りのように、唐突に消えた。

 

 

 

 その瞬間に、遮る物の無くなった岩塊が、二人のいた所に雪崩れ込む。

 先程のスタンドのお陰で幾分か質量も速さも小さくなっているものの、直接当たれば大怪我しまいかねない位ではあった。

 

 

 地面と衝突し、破裂した岩塊の破片が飛び散る。中には大きめのものもある、危険だ。

 しかしそれらは、定助とルイズの二人に当たる前に二人を避けた。タバサが風の魔法で、急拵えのバリアを張ってくれていたのだ。

 

「二人共」

 

 タバサが定助らに駆け寄った。

 立ち上る粉塵は、タバサの魔法によって分散される。

 

「あぁ……あ、タバサちゃん……」

「怪我は」

「怪我は……あるっちゃあるけど……」

 

 定助が体を起こし、庇っていたルイズを解放する。

 何がなんだかと、あまりの展開にここ数秒の記憶がぼんやりとしているルイズが頭を上げてタバサを見上げた。綺麗な桃色の髪は先程までの一悶着による風圧で、すっかり乱れている。

 

 

 額には、『破壊の円盤』が突き刺さったまま。

 タバサの目が、驚きからかギョッと見開かれた。あまり見ない彼女の表情に、ルイズは思わず注視する。

 

「それ……」

「へ? それって……いっ!?」

 

 

 しかし『破壊の円盤』は、ルイズの額から弾かれるようにして飛び出し、抜けてしまったのだ。

 

「きゃあっ!?」

「わっ」

 

 円盤はルイズの額から射出し、タバサを掠めて粉塵の中に消えてしまう。

 ルイズもルイズで、円盤と磁石のように弾かれ合い、後ろに吹き飛んで定助に再度抱えられた。

 

「わぁぁぁ!? ちょ、ちょっとタバサぁ!! 今すぐ治癒魔法を!!」

「…………?」

「なんで『何言ってんだ、アホか』って顔してんのよ!?」

 

 ルイズは大慌てで自身の額を指差し、定助に抱えられた状態で顔を突き出してタバサに治癒を要求する。

 

「『破壊の円盤』が突き刺さっていたのよ!? パックリ割れているでしょ!? ホラッ!!」

「……あー、ご主人?」

「定助も見てないで、『ソフト&ウェット』で治しなさいよッ!!」

「オレェ? いやいや、オレのスタンドは怪我の治癒なんて出来ないんだけど……ほら、前見て」

 

 定助に促され、視線を彼から前方へとルイズは視線を向けると、自分の顔があった。

 実際は、クレーターから滲み出ていた地下水を、タバサが魔法で持ち上げて鏡の代用としているだけである。

 

「額」

 

 その反射したルイズの顔の額にタバサは指を差し、注目させる。

 

 

 額には傷一つ付いていなかった。

 

「あ、あれ? でも、私の額に……?」

「間違いなく突き刺さっていた」

「ちちち、ちょっと待って……記憶の整理を……っとお!?」

 

 呆然気味のルイズを無視するように、唐突に定助はルイズを軽く押して立たせると、タバサを横切って辺りを見回し始めた。地面を、ハイレベルのモグラ叩きをしているかのようにキョロキョロと……どうやら、『破壊の円盤』を探しているようだ。

 

「ジョースケ?」

 

 ルイズの呼び掛けにも応じない。彼の横顔からは、必死な様子が伝わって来る。

 

「なぁご主人! あのDISCは一体、なんなんだ?」

 

 呼び掛けを質問で返す定助に、ルイズは当惑気味に応えてくれた。気がまだ動転しているようだ。

 

「し、知らないわよ! 私だって聞かされていなかったわ!あの……えっと、あれって……?」

「ご主人、あれは間違いなく『スタンド』だ!」

「スタンドぉ!?」

 

『ソフト&ウェット』がスタンドと言う存在、の事は分からないタバサは何を意味しているのか分かっていない。小首を傾げ、怪訝に定助を見やっていた。

 一方で円盤は粉塵の中に消えてしまった為に、何処かは分からない。定助は手当たり次第に探す。

 

「ジョースケ、説明して! あんた、『破壊の円盤』について何か知っているの!?」

 

 訪ねるルイズに、定助は首を振る。

 

「分からない。分からないが、アレはスタンドに関係ある物……もしくはスタンドその物かも……」

 

 定助自身も、初めてだ。そもそも、スタンド使い以外にスタンドが取り憑くと言う事があるのかと、頭の中を必死に巡らしていた。考えた所で、彼には分かるハズもない事柄だが、考えずにはいられない。

 

 

 

 

 粉塵が晴れて行く。すると、定助の前方にゆらりと人影が見えて来た。

 

「ッ!? 誰だお前!!」

 

 定助は『ソフト&ウェット』を発現させ、人影に威嚇をする。

 風に乗って粉塵は森の上空へ分散して行くと、人影の輪郭が確かな物となって行き、正体が現れた。

 

 

「ケホっケホっ! もぉ! 煙いわね!」

 

 聞き覚えのある声と、見覚えのある容姿。煙の向こうには紅髪の美女、キュルケが立っていた。

 

「キュルケちゃん! あぁ良かった!!」

「さっきの見ていたけど……ちょっと現実か夢か疑っちゃうわ……ねぇ、実は朝起きてから今まで夢って事はないかしら?」

 

 キュルケも、先程の光景を見ていたようだ。気怠げな表情のまま、ルイズと定助の方に視線を行ったり来たりとさせている。

 定助は『ソフト&ウェット』を消して、安心したように息を吐いた。

 

「キュルケちゃん、間違いなく現実だよ」

「……そうよね。いや、分かっているんだけど」

「どうしたの? キミ……」

 

 粉塵が晴れて、キュルケの何とも言えない微妙な表情がはっきり見えた。左右非対称な苦笑いと、ハの字の眉毛。目線は何故か、左側へ目が向いている。

 定助はキュルケの役目を思い出した。

 

「そうだ! フーケだフーケ! フーケは捕まえた!?」

 

 彼がそう聞くと、キュルケの表情に出ていた「申し訳ない」と言わんばかりの不甲斐無さが強まった。

 逃してしまったのだろうか……にしては、異常な程に緊迫感張り詰めた様子だ。

 

「うん、まさしくそうなんだけど……夢だったら良かったのにって」

「……キュルケちゃん?」

「えーっと……その……」

 

 煙が晴れて、段々とキュルケの背後が見えて来た。

 

 

 

 

「……ごめんなさぁい、ダーリン」

 

 

 苦笑いで両手を合わせ、猫撫で声で謝る彼女の背後で…………フードを被ったフーケが杖先を向けて立っていた。

 

「フーケッ!?」

「これはこれは、凄い物を見させて貰ったわ。へぇ、『破壊の円盤』……まさしく名の通りねぇ!」

 

 定助が構えると彼女はフードを外し、尚の事杖を見せ付けた。

 

「それ以上近付かないで。近付いたならこの子は磔刑よ」

 

 人質を取られ、定助は彼女との距離六メートルで立往生を食らう。

 

「……チィッ」

「そこの二人は杖を捨てなさい。あと……これもこっちにある事を考慮しなさいね?」

 

 

 フーケの手には、『破壊の円盤』が摘まれていた。定助らに見せ付けるように、それをヒラヒラ動かしている。

 追う者追われる者とが逆転している様子に、杖を放ったルイズが定助の傍までやって来て怒鳴る。

 

「ちょっとキュルケぇ!? 捕まってどうすんのよ!?」

「だって木の上にいるなんて! 気付かないわよ」

 

 内心定助は、フーケは木の上にいる可能性の事を伝え忘れていたと、顔を歪めた。

 キュルケは不意打ちを食らい……この様子だと杖を没取されてしまったか、成す術無しに形成逆転。思えばそうだ、相手と彼女とは場数が違う、フーケにまんまとしてやられたのだ。

 

「ゴーレムの手足が埋められた時に、彼女と対峙したのよ。まぁ、不意打ちだから秒で肩が付いたけど?」

 

 

 嘲笑うフーケの他所に、恨めしくキュルケを睨むルイズだが、定助は手で制して諭す。

 

「ご主人、キュルケちゃんは悪くない……あっちが一枚上手(うわて)だった」

 

 定助の言葉を聞き、フーケは得意げに顎を上げる。

 

「あら、敵を褒めるなんて、余裕なのねぇ」

「事実だろ」

「まっ、そうだけど。ふふふ! あんた風に言えば『泡を食わせた』って事よ!」

 

 

 フーケは眼鏡を取り、その場に捨てた。

 グラス越しだった目は、フィルターが取っ払われたように燃えた様を彼らに向ける。猛禽類、まさに隼が標的を発見したような闘争と沈着の目で見ていたのだ。

 

 

 タバサも定助の隣へ来る、ロッドは捨てられている。同時に、ルイズがフーケに話しかけた。

 

「……どう言う思惑なの?『破壊の円盤』を盗んだり手放したり」

「あら、察しが悪いのね。使い魔君は気付いたみたいだけど?」

 

 定助は何も言わない。ジッと、フーケを睨み付けている。

「まぁいいわ」と呟き、彼女は説明を始めた。

 

 

「理由は簡単よ、これの使い方が分からなかった。当たり前でしょ? これはトリステインが誇る魔法学院の秘宝……使用方法が分かるハズないわよ」

「使い方が分からないなら、持っても仕方ない」

 

 タバサが補足し、フーケは満足げだ。

 

「その通り。このままじゃ精々、観賞用よ! 困ったから私は考えた訳」

 

 ニヤリと、邪悪に口角が歪む。

 

 

「解けないのなら、『解いて貰え』ってね」

 

 つまり、オスマンが偵察隊を考えた時から、彼女の掌だった訳だ。皆が貴族の思いを胸に杖を掲げていた時も、彼女は心の奥底でほくそ笑み、嘲笑していたのだ。

 

 

 ルイズは体をワナワナと震わせていた。全てはフーケに踊らされていたと言う事実に、怒りを募らせている。

 

「……私たちなら、解けるって……?」

「教師陣なら知っていると思っていたから、あまり期待していなかったわ、あの腰抜け連中……でも人間、危機的状況に陥ったら何をするか分からないもの……あなたの使い魔君を見ていたら、まさしくそうだって知ったわ」

「もし、私たちも分からなかった場合は?」

「ゴーレムで踏み潰して、人事交換よ。生徒が死んだなら、教師陣も否応無しでしょ?」

 

 カフェでお茶を頼むような、あっさりとした物言い。彼女からはやると言ったらやる、『漆黒の意思』が目の奥にテラテラと漂っていた。

 

「しかし……まさか頭に差し込めるなんて! ちょっと生理的に不気味だけど、あんな素晴らしいパワーが手に入るとは!」

「あの能力は、お前には扱えない」

「……そう言えば直感だけど、あんたの『精霊』に似ている気がしたわねぇ……一体何なの?」

「…………」

「……だんまりかい。まぁ、あんたと『破壊の円盤』の正体なんてどうでもいいか」

 

 

 フーケはキュルケのすぐ背後で『破壊の円盤』を、自身の額に近付けた。

 定助らは思わず半歩進んだ。

 

「やめろッ!!」

「どちらにせよ、あなた達は私の正体を知ってしまった……逃してしまえば晴れて賞金首よ、もう安心して眠れないわ。だから、始末しなきゃならないの」

 

 

 途端に、地響きが起こる。

 振り返ると、土が隆起を初めていた。再びゴーレムを作り出しているのだ。

 

「どうせなら、この円盤で始末したい思いね。岩をも砕くパワー……あんなの食らったら、痛みのショックで間違い無く死ぬわ」

 

 フーケは魔性の笑みを携え、円盤を片手で器用にクルクル回す。

 途端に、キュルケの表情が強張る。彼女もあの規格外なパワーを目撃している、フーケが最初に始末するとしたらまず自分だと、焦りの念を滲ませているのだ。

 ルイズは飛び出そうとする。しかし、定助が引き止めた。

 

「ジョースケ!! いずれにしても、ゴーレムに……!」

 

 ゴーレムは背後で、人型を形成して行く。徐々に徐々に、先程の身の丈まで大きくなる。動き出すくらいまで行けば、こちらに成す術はない。

 

「だからと言ってみすみす奴の前に出たら……あの円盤の力は、キミが身を以て熟知しているだろう」

「でもこのままじゃキュルケが……!」

「…………」

 

 待てばゴーレムに潰され、されど突撃すればあのスタンドに骨身砕かれ、撤退すればキュルケが殺される。八方塞がりだ、手立ては無い。

 

(賭けるしかない……)

 

 定助はルイズを制止させながら、真っ直ぐにフーケへ向き直る。

 

 

 

 

「……キュルケちゃんを、離せ」

 

 そして、静かに言い放った。

 

「……自分の立場を弁えている?」

「弁えている。だからこそ、言っている。離せ」

「分かっていないじゃない。ここに来てとうとう頭脳が間抜けなのかしら?」

 

 眉間に皺を寄せ、見るからに不機嫌を表現するフーケ。

 しかし定助は引かず、言い切る。

 

 

「……昨夜のリベンジをしよう。『サシの勝負』だ」

「……は?」

 

 彼の発案に、フーケは呆気に取られる。次には失笑だ。

 

「ジョースケ!? あんた、何言って……」

「ご主人、任せておいてくれ」

 

 ルイズの制止を聞く気はなかった。これしか方法がないと、覚悟を決めたのだ。

 

「なんで危険人物のあんたと、わざわざまたやり合わないといけないのさ。あんたは不気味、何をしでかすか分からない」

「しかし考えてみろ。危険人物はゴーレムの攻略法を知っているし、圧死を免れる術もある。更にご主人たちと違って手放せない『武器』がある」

「…………」

「引き換え、そっちは『破壊の円盤』がある。つまり、オレと同等の『武器』を手に入れた訳だろう」

 

 フーケは黙って定助の話を聞いている。戯言と思っているかもしれないし、聞く耳を持っているようにも見える表情だ。

 ルイズとキュルケが、愕然とした様子で定助を凝視しているが、横槍が入る前に付け加えた。

 

 

「確実性を取るなら、頭に円盤差し込んで、あのパワーを使って撲殺する方が確実じゃあないか」

「……その為の、サシの勝負って訳」

「その通り」

「私が乗ると思って? まぁ、確かに何で踏み付けたあんたが生きているのかが理解出来ないけど」

 

 口振りから、定助が地面を泥に変えて圧死を免れたと言う事には気付いていないようだ……言えど、彼女ならすぐに合点の行きそうなものだが。

 あまり乗り気ではない彼女に対し、定助は言葉を被せた。

 

 

「……魔法が使えるって事は、元貴族なんだろう」

「……それが?」

「いや。このままでいいのか、と」

「…………」

 

 定助は彼女の『プライド』に漬け込もうとしている。

 貴族を出し抜いて来た大盗賊土くれのフーケだ、それなりにプライドがあるハズ。全戦全勝たる彼女の出鼻砕いた『平民』の定助に対し、『元貴族』のフーケがゴーレムで踏み潰しただけの呆気ない死を望むハズがない。望むのは、苦痛をじっくり味わらせた後の死だろう。定助は、彼女のプライドに賭けたのだ。

 

 

「……煽っているの?」

「煽っている」

 

 定助はあっけらかんと答えた。

 フーケの左瞼がピクリと、神経質に引き攣った。

 

 

 

 

「…………ふん。挑発には乗らないタチなんだけど……いいわ、乗ってあげる」

 

 食い付いた、と定助は内心で叫んだ。

 フーケは杖を懐に戻して、キュルケの襟元を掴む。もう片方の手は、『破壊の円盤』を額に近付けさせたいまま。

 

「それじゃあ、あんたと交換と言う事にしようか」

 

 彼女は口角を上げて、定助を凍てつくような眼差しで見据える。

 彼は臆する事無く、自身とフーケとの六メートルを一歩一歩と埋め始めた。

 

「ねぇ、待って! 罠かもしれないわよ!?」

 

 人質であるキュルケが定助に喚起を促す。それを、左手でひらひらとさせるだけで流した。

 さっきまで定助を引き止めようとしていたルイズは、心配そうな眼差しながらも、定助の判断に任せている。やると言ったらやる、彼の覚悟を無下にはするつもりはない。

 

「互いに一メートル……キュルケちゃんが離れたと同時に叩き込む」

「こう言う形式ばった戦いは久し振りかも」

 

 呆れた表情のフーケがぼやいた。

 

 

 

 

 定助には勝算がある。それは、『スタンド発現の速度』である。

 純粋なスタンド使いである定助は、比較的早くスタンドを出せる。一方でフーケはどうか。謎のスタンドを使役出来る『破壊の円盤』を頭に差し込んでから、スタンド発現まではスパンが多少なりあるハズ。

 

 

 あのスタンドとやり合うつもりはない、定助は気付いている。あのスタンドは『ソフト&ウェット』以上のパワーとスピードを兼ね揃えている。あんな完璧な物などあるのかと、戦慄した程だ。

 ならば、出て来る前に本体には退場願う。定助は「キュルケちゃんが離れたと同時」と言った、つまり『離れた瞬間にスタンドで攻撃するつもり』なのだ。スタンドを知らぬフーケが、スタンド発現までの差まで気付く訳がない。

 円盤を差し込んでから出現まで、定助よりも遅れる。その隙を、定助は突くのだ。

 

 

 

 

 フーケとの距離は、三メートル。あと一メートルで互いの射程距離、二メートル進めば勝負が始まる。

 

 

「見た事のない素材ね」

 

 不意に、フーケは呟いた。

 

「この円盤の素材、研究所でも『unknown』らしいじゃない」

「いきなり何だよお前」

「いや、私は【土】のメイジとして、素材には凄く関心があるのよ。美食家はサラダの材料にさえ拘るようなもの。気になって仕方ないわ」

 

 突然語り始めたフーケに、定助は違和感を覚える。

 

「私は盗賊として、数多のお宝を手中に収めて来たけど……たまに笑っちゃうような物もあったわね」

「何が……」

「『黄金の矢』を持っているって自慢していたのに、いざ私が盗むでしょ? そしたらそれは『真鍮』だった! 何でもライバルが純金の指輪を見せびらかしていたから、嫉妬したのよ。あれは呆れたわねぇ」

「何を言って……」

「『破壊の円盤』の表面って、綺麗な緑色で『マラカイト』みたいね」

 

 定助とフーケとの距離は、二メートル。彼女は『破壊の円盤』を見せびらかすように、突き付けた。

 

 

 

 

「分かる?『再現』って奴」

 

 円盤が、『土くれ』となって崩れ落ちる。

 

「なっ」

 

 定助が「なに」と言う前に、彼女は頭を思い切り後ろへ動かし、次に横を向いた。

 

 

 

 

 後頭部に、『破壊の円盤』が突き刺さっている。

 

「私の持っていた円盤は『マラカイト』による再現! 本物は『フードの中』に忍ばせていたのさッ!! 万が一の保険だったのがまさか、功を奏すなんて!!」

 

 定助は目を見開く。口から、空気の漏れる感覚がした、体がワナワナと震え出した。

 彼女には既に、円盤が差し込まれた。彼の考えは、フーケに読まれていたのか。

 

 

「フ……」

 

 同時に、『破壊の円盤』のスタンドが圧倒的オーラを纏い、風のように全体像を現した。

 怒りに燃える表情と怒髪、そして硬く硬く握り締められた両手の拳。スタンドは定助だけではない、『キュルケ』も攻撃対象に定めている。

 

「『抜きな、どっちが早いか勝負って奴』ね、アハハハハハハハ!!!!」

 

 そして仮初めのスタンドマスター、フーケは邪悪にケタケタ笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「フゥゥゥゥゥケェェェェッ!!!!」

 

 定助の怒りの叫びと共に、『ソフト&ウェット』が出現。

 

「キャアァ!?」

 

 スタンドに攻撃する前より先にキュルケを片手で掴むと、後方へ乱暴に投げ付けた。

 

 

「やはり、彼女を助けたわね!!『一手』遅れたァッ!!」

 

 キュルケを安全圏へ投げたと同時に、破壊のスタンドは筋肉を膨らませ、鬼神が如く眼差しを定助に突き刺したまま、目一杯後ろに溜めた腕を高速で突き出したのだ。

 

 

『オラァァァッ!!!!』

「オラァッ!!!!」

 

 二つの雄叫びが共鳴する。二つの拳が衝突する。

 

 

 腕を伸ばし切らない内に受け止めた『ソフト&ウェット』の拳にパワーはない。

 石が割れるように、拳が裂ける。

 

「ぐぁあ!?」

 

 歪む定助の表情、血を吹き出した右手。

 だが破壊のスタンドは、無慈悲にもう片方の拳を彼へ叩き込む。

 

 

 

 

『オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラッ!!!!』

 

 無数の拳が一斉に定助へ襲い掛かる錯覚を起こす程の最高速ラッシュが、彼の体に覆い被さるようだ。

 定助は右手の痛みを堪え、『ソフト&ウェット』にラッシュをさせて拳を拳で受け止めにかかる。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラッ!!!!」

 

 拳が衝突する、ソニックウェーブが巻き起こり、『ソフト&ウェット』の拳から血が吹く。

 定助には分かる、『このスタンドは何人たりとも敵わない』。

 

『オラァッ!!』

 

 渾身の拳が『ソフト&ウェット』の耐久性の落ちた拳にヒット。

 いや、小指を掠めて左肩に直撃した。

 

「うぁあぁああ!?」

 

 定助の左肩から鮮血が吹き出した。あまりの激痛に、手を緩める。

 

 

 

 

『オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラッ!!!!』

「うおぉぉぉおぉおぉぉぉおおおぉ!!??」

 

 スタンドの拳が定助の腕へ、腹部へ、腿へ、胸へと叩き込まれた。

 視界がぼやけた、多量の血が吐き出された、足に力が消えた。

 

「ジョースケェ!?」

 

 ルイズの悲痛な叫ぶが飛ぶ。依然、定助に拳は叩き込まれる。

 タバサが捨てた、自分のロッドに向けて走り出したが、果たして間に合うのか。ゴーレムはもう完成間近だ。

 

「ハハハハハ!! な、なんだいこの力はッ!? 負ける気がしない!!」

『オラオラオラオラオラオラオラオラオラッ!!!!』

「勝ったぁ!! 私の頭脳勝ちだッ!!」

 

 勝ち誇るフーケ、最早彼女には敵無しだった。未知なりしも最強の力を手に、フーケは興奮状態。

 対して定助は虚ろな目をしている、限界は近い。

 フーケは狡猾ながらも定助にいっぱい食わせたのだ。破壊のスタンドはラッシュの手を緩め、全ての力を最後の一撃を込め始めた。

 

 

 

「……勝ったと、は……少し……早とちりじゃあ、ない……か?」

 

 彼から掠れた声が絞り出される。

 

「やっと……攻撃の手を…………緩めた、な」

 

 

 

 

『シャボン玉』は、フーケの口元で割れた。

 

「ぶぐぅぅ!?」

 

 瞬間、フーケの胸内いっぱいに何かが迫り上がる感覚が起こる。

 それは気道を突き抜け、口内に広がり、

 

「がはぁッ!?」

 

 堪え切れず開いた口から、多量の泡が吹き出したのだ。彼女には何があったのか、判断する余裕はもう無い。

 

 

 

 

「『ソフト&ウェット』…………今、お前の肺から、『酸素』を奪った……『泡を食った』のはお前だったな」

 

 

 定助は攻撃の中、ずっと待っていた。スタンドの『トドメ』の動作を、タメの挙動を。

 破壊のスタンドのラッシュに隙はない。定助に、『シャボン玉』を作らせる隙すら与えなかった。だがタメの挙動の時に、満を辞してシャボン玉を飛ばしたのだ。

 

 

「ぐぼ、おおご!?」

 

 肺を満たしていた酸素が突如出て行き、陸にいながらも溺死寸前の状態に陥ってしまう。

 息を吸おうとするも、口と気道を埋め尽くす泡が酸素の通りを阻害している。

 

 

 彼女は何とか、スタンドのタメた拳で攻撃させようとするがどうした事か、スタンドはみるみる内に消失して行くではないか。

 

「スタンドは『生命のエネルギー』、『魂のヴィジョン』……気絶寸前の人間に、操れる訳がない」

 

 破壊のスタンドが姿完全に消した、と同時に、フーケが前のめりに勢い良く倒れた。

 後頭部に突き刺した『破壊の円盤』が抜き出たのだ。

 

 

 完成しかけていたゴーレムは再び、土へと戻る。くしゃりと足から崩れ、ただの土の積み上げとなった。

 

 

「ジョースケ!?」

「いたぁい……もう少し優しくしてくれても……って、ダーリン!?」

 

 定助は辛うじてだが何とか立てていた。

 しかしルイズとキュルケが大急ぎで近寄る頃には、バタンと倒れてしまった。

 

「じょ、ジョースケ!? 大丈夫!?」

「どこからどう見ても大丈夫じゃないでしょ!」

「知ってるわよッ!! ま、ま、魔法……あぁ!! 杖投げたままだったぁ!?」

「あなたが持っていたって使えないでしょ!」

「それはそうだけ……何ですってぇ!?」

「兎に角杖を……」

 

 

 てんやわんやの二人を差し置き、いつの間にか隣に立っていたタバサが早口で『治癒』の魔法をかけた。隙を見てロッドを取りに行っていたのが良かった。

 

「…………」

「あ、えっと……ありがとう、タバサ」

「…………」

 

 ルイズは彼女に感謝をしたが、タバサは魔法に集中しているのか返答が面倒なのか、無視をした。

 次に、呻き声が聞こえる。定助は意識を失った訳では無かった。

 

 

「あぁ……ご、ご主人……」

「ジョースケ! 起きていたの!?」

「す、すっごく痛い……息が出来ないけど……か、辛うじて意識は……」

「キャァァ!! 流石ダーリィン!!」

 

 定助とルイズの会話を、キュルケは定助を抱き締めて遮断させる。

 それが痛覚に触れたようで、定助は「痛い痛い痛い!」と情け無い声を出した。

 

「き、き、キュルケ!! 怪我人に抱きかかるって、どんな頭してんのよ!?」

「感極まったのよ! 彼こそが英雄よ!!」

「いいから離れなさいって!! 傷に障るでしょうが!!」

 

 キュルケを引き剥がそうとするが、体格差的に動かさなかった。

 この感情のエネルギーの捌け口が如く、ルイズは定助に怒鳴る。

 

「あんたねぇ!! 正面からやり合うって、どんな考えしてんのよ!?」

「ご、ごめ……」

「全く……ま、まぁ……結果オーライだし、良しとするわ」

 

 説教しようと考えたが、ここまでの事を思い返して「自分も人の事言えないな」と考え、頰を赤らめて会話を切った。

 案の定、キュルケが突っかかる。

 

「なぁに上から目線で話しているのよ。ジョースケが死んだと思っていた時なんて、見た事も無い程狼狽えていたわよぉ?」

「や、やややや喧しいわッ!! あ、あんただって半泣き状態だったじゃない!?」

「あなたはボロ泣きだったじゃない」

「ぐっ……! こ、この……ぎぃッ!! こ、今回はここまでにしてあげるわ、ツェルプストー!!」

 

 まるで負け惜しみのような間抜けな台詞に、顔が真っ赤になるルイズ。ここでキュルケが煽るものなら魔法を使ったかもしれないが、彼女は彼女とて定助に夢中だ。

 ルイズは自身を宥めるように何度も深呼吸し、気を紛らわせる為に隣で倒れるフーケに注目した。

 

 

 

 

 白目を剥き、苦痛に歪んだ表情のまま気絶していた。ルイズは恐る恐る近付き、彼女の懐から杖を取り上げる。

 

「まさか、ミス・ロングビルがフーケだったなんて……全く気付かなかったわ」

「そうよねぇ。良く気付けたわね、ダーリン!」

「…………ぐぬぬ」

「何て事ないよ……ちょっとカマかけただけ」

 

 キュルケのダーリン呼びを止めようとしたが、ふと昨夜の戦いの事を思い出して「ぐぬぬ」と抑えた。今日一日はダーリン呼びを許容する約束だ。

 定助はタバサの治癒を受けながらも、反応してくれた。

 

「ね、ねぇ、ジョースケ。あんたの事だから無いと思うけど……」

 

 フーケを見ていたルイズは、定助に尋ねる。

 今の彼女は前述した通り、白目を剥き、苦痛に歪んだ表情のまま気絶している。正直、死んでいるのではと敵ながら心配してしまう。勿論、彼女の価値観から見れば、フーケはすぐに絞首刑に処すべきとは思っているものの、あまりに凄い表情なので同情心が芽生える。

 

「死んでない……わ、よね?」

「大丈夫大丈夫……酸欠で気絶させた程度だから」

 

 今頃彼女の頭の中は霧がかった状態だろう。

 

「どうやってそんな事したのよ」

「彼女の肺から酸素を奪った」

「…………えぐい事するのね」

 

 ゾクゾクと鳥肌が立つ嫌悪感が湧いた。「肺の中から」と言う所が生理的にキタのである。そして、それを食らった本人たるフーケに同情してやった。

 

 

 しかし彼女は悪党だ。起きたら逃げ出すだろう、縛っておかないといけないか。

 

「…………」

 

 フーケの背後に、『破壊の円盤』が落ちている。裏面の、鏡のようで鏡では無いような良く分からない素材が虹色模様を見せている。

 

 

 ふと、先程までの光景を思い出した。あれは、自分を守ってくれた存在であり、自分らを窮地に陥れた存在でもある。あの円盤を見に宿した者のみが手に入れられる、仮初めの最強。

 恐ろしくもあるが、羨む存在。こんな物が学院に、もっと言えばこの世にある事が信じられない。

 

 

 そして相乗して膨らむ定助と言う存在の謎。『破壊の円盤』の戦士に似た存在『スタンド』を操る青年。

 彼はもしや、『破壊の円盤』と何か関係があるハズだ……彼も何か知っている様子だった。

 ちらりと定助を見る。治癒はまだ終わっておらず、キュルケに抱き着かれたまま「もうちょっと優しく」と訴えている。その様子にまたプツンといきかけたが、我慢して『破壊の円盤』の回収をした。

 

「この円盤を一つじゃないとか……だとしたら不気味ね」

 

 疲れた体を引き摺りつつ、円盤の前に立つと、しゃがみ込んで拾った。

 

 

「……一体、何なのよ」

 

 円盤の薄緑の表面に、あの戦士が映った。

 長い髪を靡かせた、白金の戦士だ。




ジョジョの実写化……もう、何も言えねぇ……


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ダンス・ウィズ・ミー。その1

減るやも知れませんが、お気に入り登録者数900人、恐縮です。


 夕刻に近付く頃、ルイズたちは学院へと凱旋を果たした。

 馬車には縄を四重五重に巻かれた秘書のロングビルが積まれていたので、生徒たちは騒然となった事は当たり前だろう。事情を説明し、哨兵にフーケを渡した時、大急ぎでやって来たコルベールに連れられ、定助以外の三人は学院長室へ通された。

 

 

「よくぞ『破壊の円盤』を取り戻し、更にはフーケの捕縛も成し遂げてくれた! 君たちの功績を強く賞賛する!」

 

 学院長、オールド・オスマンは手を叩きながら、目の前の若き勇者たちを讃えた。嬉しがっているようなルイズと、得意げなキュルケに、やっぱり無表情のタバサと、反応はそれぞれだったが。

 三人を讃えた後、オスマンはやや暗い表情となってコルベールに一瞥する。それはそうだ、学院秘書がまさか大盗賊だったとは今でも信じられない事実だろう。

 

「ふぅんむ……しかしまさか、ミス・ロングビルがフーケだったとは……灯台下暗し、ワシらは敵の眼前にいた訳じゃった」

「えぇ、本当に信じられません……私とて、彼女らがフーケを捕縛したと言ってミス・ロングビルを差し出された時は、何をしているのか分からなかった程でしたから……あぁ、失礼を」

 

 オスマンとコルベールは、フーケもとい、ロングビルに好意を抱いていた。事実への驚愕もそうだが、心に寒風吹き渡る虚しさも同時に現れている。

 しかし、悪党は悪党だと割り切れる所は確かに、年長者としての威厳だ。オスマンは優しい笑みを見せ、改めて三人に感謝を伝えた。

 

「ともあれ円盤は無事だった上、君たちにも怪我がなくて良かった良かった。ワシは君たちの勇気ある行動に敬意を表するよ。本当によくやってくれた、有り難う!」

 

 学院長からのお礼を貰い、三人はお辞儀をする。

 ただルイズの表情は少し曇ったままだ。

 

 

「あのぉー、所でオールド・オスマン」

 

 頭を上げて、キュルケが手をヒョコリと見せながら、オスマンに質問を投げかけた。

 

「おや、なんだね、ええと……ミス・ツェルプストー」

「はい。いえ、フーケはどうやって秘書になれたのかなぁって、思いまして」

「え」

 

 瞬間、オスマンの表情は子を見守る父のような優しい笑みから、嘘を暴かれた少年のような冷や汗ものの緊迫した表情へ一変する。

 思えばそうだ。身元不詳のハズであるフーケが、何故にどうやってトリステイン一の魔法学院の学院長秘書まで上り詰められたのだろうか。確かに彼女は秘書としてなら有能だったが、そこに辿り着くまでには家柄の調査、魔法技能などがある。家柄も住所もあるとは到底思えないフーケがそれらのプロセスをクリア出来る訳がないだろうに。一体、どうやって秘書になれたのだろうか。

 

「…………」

「そう言えばそうですね……オールド・オスマン! 盗賊が秘書になれる程、ここの審査が甘い訳がありませぬぞ! もしや、裏切り者がいるのかもしれません!」

 

 キュルケの疑問に、コルベールが食い付いた。オスマンの表情がみるみる険しくなるが、それは裏切り者について懸念を示しているとかの物では無く、秘密を暴露されそうなギャングのボスが如し。

 

「あの……オールド・オスマン、お体の具合でもよろしくないのですか?」

 

 顔面蒼白の彼に対し、心配になったルイズが声をかけた。

 コルベールもオスマンの状態に気付いたようだが、彼の様子から事の発端を「まさか」と察したようだ。オスマンは白状する。

 

 

「……実は〜、彼女を秘書にしたのはワシでのぉ……」

「オールド・オスマンが直々に?」

「そうじゃ」

「どうやって?」

「スカウトじゃ」

「何処で?」

「そ、そこまで追求するんか……」

 

 立ってしまった疑惑はもう隠せないだろうと、オスマンは口籠もりながら続けた。

 

 

「……居酒屋。彼女、元々給仕をしとっての……美人だし、その……尻を撫でても怒らなかったから、秘書にならんかーって……」

「…………」

「……なんじゃ、その養豚場の豚を見るような目は」

 

 コルベールの刺すような冷たい眼差しを受け、冬の森に置かれたような寒気が走り身を震わした。

 その視線はいつの間にか、前方の三人からも向けられており、一旦は縮こまったものの逆ギレ同然に机をバンバン叩いて言い訳をする。

 

「だってだってだって!『学院長さん素敵!』とか『痺れる憧れる』とか褒める上に魔法も使えると来るわ、何度も言うが美人だしナイスバデーだし尻を撫でても怒らんし! こんな色仕掛けされたら、誰だって秘書にするじゃろ!? ワシだってするッ!!」

「その後は蹴られたりと、冷遇されていたようですが?」

「美人だし」

「…………」

 

 見よ、これがトリステイン一の魔法学院学院長の情け無い姿だ。今の彼なら数千の矢を普通に浴びたとて、落馬してそのまま踏み付けられたとてヘイトの対象となるだろう。それ程に憎々しくも清々しい開き直りだったのだ。

 コルベールは内心にて、「いい気になってんなこのクソジジイ」と思い、危うく杖を振ってしまいかけた。

 

 

「……さて、三人方には良い知らせがあります」

「ミスタ!? 勝手に話を進めんでくれんか!?」

「あなた、頭がグツグツのシチューか何か?」

「誰がグツグツのシチュー……ちょっと待て、今キミ、ワシの事なんつったかね?」

「それでは〜」

「無視をするんじゃあないッ!!」

 

 無視を咎めるオスマンを無視し、コルベールはルイズらに『知らせ』を伝える。

 倦怠気味だった場の空気だが、何とかルイズたちは背筋を伸ばし、礼儀正しく待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方で定助。

 

「とある農夫が泥だらけで働いている時に、通りすがりの酔っ払いが絡んだんだ。『やい、お前は(MUD)が好きだな。まるで豚のようだ!』と」

「…………」

「……すると農夫はこう答えた。『お前が(MAD)だろ』」

 

 途端に場が爆笑に包まれた。

 ここは厨房で、仕込みがひと段落ついた時にジョーク大会が始まり、定助がジョークを言ったのだ。結果はウケたようで、マルトーや他の四人ばかしの料理人が腹を抱えながら笑っていた。

 

「ワハハハハハハ!! 流石、我らが泡! こりゃ面白れぇ!」

 

 もはや彼の癖なのだろうか、定助に近付き背中をバンバンと叩く。今日負った傷に響き、歪んだ表情となった所で手を止めた。

 

「おおっと! すまない! じゃあ、お詫びとして俺も一つ!」

 

 マルトーはドカッと自分の椅子に座ると、楽しそうに笑いながら腕を組み、少し考えた後にジョークをかます。

 

「トリステイン、ガリア、【アルビオン】、ゲルマニアの王家が集まり、茶会をしていた。そこへ、腹を空かせた子犬がやって来る」

「するとぉぉ……?」

「トリステインは蹴飛ばし、ガリアは血統を確認させ、アルビオンはその犬に噛まれ、ゲルマニアは『可愛い奴め! こっち来い!』」

 

 再び場は爆笑の渦に飲み込まれた。マルトーの十八番(おはこ)であるエスニックジョークだ。

 定助はそれぞれの国柄が分からなかったが、トリステインのルイズ、ガリアのタバサ、ゲルマニアのキュルケを想像して「あぁ分かるかも」と笑っていた。アルビオンだけは分からないが。

 

「じゃあ、僕も……友人が言うんだ。『そのチェリー、食べないのならくれないかい? 僕の大好物なんだ』。だからあげてみた」

「そしたらぁぁ……?」

「レロレロレロレロレロレロレロレロ」

「なんだそらぁ!? くっだらねぇ!! ガハハハハハハ!!」

 

 ジョークですら無いが、何とも言えない笑いを誘った。この赤毛の前衛的な前髪のシェフはなかなかのやり手だ。

 

 

 

 

 そこへ厨房の扉が開き、シエスタが入って来た。その手にはワインが抱えられている。

 

「マルトーさん! 持って来ましたよ!」

「おぉ! やっとか! さぁシエスタ、我らが泡に注いでやりな!!」

 

 少し定助は苦い顔をした。

 ここに彼がいる経緯として、ルイズたちが呼び出された後にシエスタに連れられたのだ。厨房に入ってみれば定助が大盗賊を捕まえたと周知されており、高級ワインを飲まされる事になったのだ。シエスタが別室のワインセラーに取りに行っている間、ジョーク大会が行われていた。

 シェフたちはフーケを快く思っていなかった。貴族を懲らしめると、平民の生活が変わるかは別の話だ。寧ろ、フーケが貴族の館を壊した為に修繕費のせいで税率が上がったなんて事もあったらしい。特に貴族邸近くの大農園を踏み荒らして逃げた際は物価が上がり、料理人連中からは怒りを買われていたとか。

 フーケを賛美していたのは遠い郊外の者か、武具屋と嫌貴族主義者。大抵の者はフーケの影響による流れ弾を鬱陶しがっていた。

 

 

「ジョースケさんっ! お()ぎしますよ!」

「悪いなぁ、シエスタちゃん……あれ、ワイングラスがないよ」

「そうかな」

 

 ワイングラスをズアッと、隣から妙なポージングで赤毛のシェフが渡してくれた。唐突かつインパクト抜群で、呆然としたまま受け取る。

 受け取ったと同時に赤いワインがトクトクと注がれ、意識を戻す。

 

「はい。アルビオン産の、高級ワインですよ!」

「高級……だ、大丈夫なの? 貴族専用とかだったり……」

 

 するとまた、赤毛シェフが笑いながら定助の肩を掴み、囁くように言う。

 

 

「バレなきゃ、横領じゃあないのだよ」

「…………」

「そして君のワイングラスに注がれた。戻す訳にはいかない、飲むしかない、仕方ない。もしバレたら我らが泡、貴様が悪いのだ」

「…………オレェ?」

 

 怖い顔で怖い事を言う彼に対し、ワインを注ぎ終えたシエスタがムッとした表情で咎めた。

 

「もう、嘘ばかり! 大丈夫ですよジョースケさん。これは前日、開封後に余らせた物で、廃棄予定でしたから。そんな物しか出せないのは少し心苦しいですが……」

「いやいや、十分だよ……ほら、まだ見事なワインレッド」

 

 グラスの中で揺れる透き通るような赤紫の波は、厨房の明かりに照らされルビーのように輝いている。定助はあまりワインについて詳しくはないのだが、質の良い物悪い物はすぐに分かる。

 

「ここ、底の所、グラスの底にさ、ちょっと割って穴を開けるとね、そこから勢い良くワインが出て来て一気飲み出来る。これ、『ショットガン』って飲み方だけど」

「ジョースケさん、ジョーク大会は終わりですよ?」

「……まずはテイスティング」

「……ふふふ! ごゆっくり楽しみください」

 

 赤毛シェフはニコニコと笑いながら、無礼を詫びるように頭を下げる。爽やかな優男に見えて存外に腹黒い面がある人物だ、その腹の中を見てみたい程である。

 

 

「しかしなんだ……まさかフーケがロングビルだったとは。結構、俺らにも良くしてくれた人だったからなぁ、ショックと言っちゃショックだったな」

 

 一人のシェフがそう言うと、マルトーとシエスタ含めた全員が首を縦に振った。

 彼女は『ロングビル』として、貴族にも平民にも溶け込めていたのだ。彼女の適応能力は素晴らしいものだ、誰もフーケの片鱗に気付かなかった訳だろう。定助はワインをちびちび流し込みながら、内心で賞賛した。

 

「そう考えると惜しいかなぁ、捕まっちまって……まぁ、俺はフーケを良く思ってなかったけどなぁ」

「ともあれ永遠の別れになっちまうな。貴族にあれだけ喧嘩売ってんだ、裁判無しの即首吊り台行きだろう」

「これが大盗賊の最後……馬鹿な……呆気なさ過ぎる……!」

 

 フーケがやって来た憲兵に連行された時を、定助は見ていた。

 縛られたまま素直に、何も言わずこちらを一瞥もせず、諦め切ったかのように馬車へ入れられた。向こうはこちらを殺す気だったが何だろうか、その後ろ姿には寂寞たる虚無感さえ存在していたのだ。

 

 

 シェフらの話に、マルトーがうんざりした表情で乗っかる。

 

「全く……それよりも、我らが泡も貢献したと言うのに、俺はフーケよりも手柄を横取りした貴族どもに飽き飽きだ!」

 

 彼の話にシェフたちも「そうだそうだ」「答える必要もない」と賛同する。

 口に含んだ分のワインを飲み下した定助が、マルトーに尋ねた。

 

「手柄の、横取り?」

「ん? なんだなんだ、当人にも知らせないとは……今頃、貴族らだけに『爵位』の授与が言い渡されている所だろうに」

「爵位? ご主人たち、位が上がるんですか?」

「そんなもんだ! いつだって評価されるのは貴族だろうに!」

「…………」

 

 マルトーは腕を組み、不機嫌に口をへの字に曲げた。

 そう言えばフーケを引き渡す際に、ルイズ・キュルケ・タバサの三人だけが呼び出されたのだった。確か、学院長室へ行くようにとコルベールと言う先生に連れられて行ってしまった。

 

 

(ご主人が……)

 

 定助をワインを飲みながら、物思いに耽るのである。

 勿論、手柄の横取りだとかは何とも思っていない。ただ、ルイズに爵位が贈られる事に感慨深さを感じていたのだった。

 

 

「……そう言えばあの円盤って……」

「ジョースケさん、何かおっしゃいました?」

「ん? いや、シエスタちゃん。ちょっとした独り言だよ」

 

 そう言いながら、グラスに残ったワインを飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コルベールとのボヤ騒ぎの末、オスマンが手元の書類を見ながら三人に言い渡した。

 既に窓からは、二つの月が見えて来ている時刻だ。

 

「さて……今回の功績を讃えて、君たちに『シュヴァリエ』の称号を宮廷に申請した。ミス・タバサはシュヴァリエの称号を持っているので、『精霊勲章』の称号を申請した。フーケを捕まえたからのぅ、城下町の貴族たちはさぞかし喜ぶじゃろうて」

 

 タバサを除き、ルイズとキュルケは歓喜の声をあげた。

 

「本当ですか!?」

「あぁ、本当じゃとも。他の貴族に成し遂げられなかった事を、成し遂げたのじゃからな! また追々、連絡が来るじゃろうが、ともあれ良くやった、三人ともよ!」

「やったぁ!!」

 

 キュルケがピョンと跳ね、表情と態度で喜びを表現している。タバサは嬉しいのやら嬉しくないのなら表情すら変えていないが、平常運転だろう。

 ただ、ルイズは先程と同じく、曇った表情になっていた。

 

 

「……ん? どうしたのかね、ミス・ヴァリエール? 君らしくないぞ?」

 

 オスマンがルイズの異変について、尋ねた。あの努力家かつ激情家であるルイズが、貴族の一歩として切望されるシュヴァリエを貰ったのに真逆の表情をしている事が奇妙に思えたからだ。

 ルイズは「すいません」と一回お辞儀をしてから、おずおずとオスマンに聞く。

 

 

 

 

「あの……ジョースケには、何もないのですか?」

 

 彼女は自身の命を救い、更にフーケ捕縛に多大な貢献をした定助の手に何も残らない事が蟠りとなっていたのだ。

 誰よりも身を挺し、誰よりも率先して……少し無謀な所もあれど、計算して行動し、結果としてフーケとの一騎打ちに勝利した。誰よりも貢献したのは自分よりも定助であり、彼の功績を無視するのは如何なものかと考えていた。

 

 

 彼女は貴族だ、貴族として、他力によって自身が美味しい蜜を頂く事に不服を持っている。

 

「ふぅんむ……」

「ジョースケは良くやりました。ジョースケがいなければ、フーケを捕まえる所か、私たちの命まで危うかった程です」

「しかしミス・ヴァリエール……残念ながら、彼は『平民』じゃ」

 

 これが現実である。いつかの授業の時もそうだったように、従者の評価は貴族に渡る仕組みなのだ。

 それに、平民である彼へ爵位を渡す事など出来ようが無かろうに。ルイズは肩を落とした、彼に救われた身として、彼に正当な評価を与えたかった。

 

「……君の気持ちは分かるぞ、ミス・ヴァリエール。然るべき者には然るべき評価を、とは同感じゃ。じゃが、こればかしはどうにもならん」

「…………失礼をしました」

「いや、君が謝るべき事ではないぞ……お、噂をすれば何とやら」

 

 突然、オスマンが嬉しそうに笑みを浮かべたと思えば、学院長室の扉に向かって呼び掛けた。

 

「ノックは不要じゃ、そのまま入って来なさい!」

 

 

 

「失礼します」と困惑気味な声と共に、恐る恐ると扉が開かれた。

 扉の隙間から、定助がそぉっと出て来る。

 

「ジョースケ、来てたの?」

「あ、うん……えぇと、三人とも爵位取得おめでとう」

「なんで知ってるのよ……」

「噂になってたよ、貰えたんじゃあないかって……て、そうじゃないそうじゃない」

 

 ゆっくり扉を閉めると、好奇の目で見るオスマンとコルベールに対して深々とお辞儀をした。英国紳士が如く、礼儀の整った礼である。

 

「ご主人……ミス・ヴァリエールが爵位を得られると聞き、使い魔として駆け付けなくてはと、勝手ながら訪問させて頂きました。お気に障りましたのなら、謝罪致します」

「やや、大丈夫じゃよ、結構結構。それよりも主人の晴れ舞台に参じるとは、忠誠心が深いようじゃな。良い事じゃ」

「有り難う、御座います」

 

 定助は学院長を前に少し緊張しているのか、それとも扉の前まで来ていた事を見抜かれた事に動揺しているのか、何処と無く態度が固かった。キュルケはそんな様子の彼に対してクスクスと笑っていたが、ルイズは無礼が無いようにとヒヤヒヤとしている。

 

 

 

「さて、君たちへの連絡はここまでじゃ。三人とも、『この後』に備えて準備を始めておくと良いじゃろう」

「この後?」

 

 オスマンの言った『この後』について首を傾げる定助。何かあったかなと、思い出していた。

 その最中、オスマンは定助を指差し、ルイズに話し掛ける。

 

「そして……ジョースケ君とは少し話をしたいのだが、ミス・ヴァリエール、彼を借りて宜しいかな?」

「え? オレェ?」

 

 いつもの癖で、自分に指差し間抜けな声で一人称を言い、「自分ですか」と聞いた。

 ルイズは、オスマンがまさか定助と話をするとは、と彼が何かしたのか不安になった。だが、オスマンの表情に咎めるやら問い詰めると言った意思を感じなかったので、困惑しながらも承諾する。

 

「えぇ……いいですよ」

「有り難う、そんなに時間は取らせんよ……では、今宵は楽しんで来る事じゃな!」

 

 オスマンはコルベールに目配りし、彼にルイズらに退室を促させ、彼自身も退室させた。

 ルイズとキュルケは定助の様子を気にしつつも、「失礼しました」と一声かけて扉から出て行く。

 

 

 

 

「それでは、失礼いたしました、オールド・オスマン」

 

 最後はコルベールの声と共にバタンと扉が閉められると、しぃんとした空気が部屋に入り込んで来る。

 大きな窓を背に座るオスマンの頭上には、双月が登っていた。彼はすぐには口火を切らない、コルベールたちの気配が無くなるまでジッと、扉の方を見ていた。この待っている時間が、とても窮屈に感じられるのはオスマンに醸し出す威厳による物だろうか。

 

 

 彼は廊下から聞こえるコルベールたちの足音が消えた時に、一度呼吸を吐き出してから定助に話し掛けた。

 

「すまんな、呼び止めて」

「いえ、お構いなく……」

「それで、話と言うのは……と、その前に済まんが、扉をチョロっと開けて貰えんかの?」

「はい?」

 

 定助は言われるがまま、学院長室の扉まで近付き、開いた。

 すると少し開けた時にその隙間から、一匹の小動物が入り込みオスマンの所まで走って行く。オスマンは足元まで来たそれを拾い上げ、手の平の上に乗せて撫でている。

 オスマンが乗せている物は、白いネズミであった。

 

「……あなたの、使い魔ですか?」

「すまんの、大事な話をする時は廊下から監視させておるのじゃ。専用の入口など作れんからの、締め出されていたんじゃよ」

「……お言葉ですが、どうやって伝えるのでしょうか? 鳴き声ですか?」

 

 オスマンは片方の眉毛を上げて、チャーミングに笑った。先程まで感じていた威厳はそのままだが、ずっと子供っぽい印象だ。

 

「良い所に気付くのぅ。しかし、君の主人は使えぬようじゃな」

「使えない?」

「元来、使い魔は儀を果たした時、主人に感覚が共有されるようになっとる。つまり、使い魔は主人の視覚の補助となる訳じゃな」

 

 それを聞き、定助は自分の目元に手を当てたが、オスマンは笑いながら手を振った。

 

「人間と動物の違いかな? 君とは共有は出来とらんようじゃ」

「どうして分かるのですか?」

 

 定助の疑問に、オスマンは悪戯好きな少年のような笑みで答える。

 

 

「今朝、宝物庫で君を探させる時、彼女は『洗濯に行かせたから、洗濯場にいる』と、想定で言っておった。場所を的確に伝えたければ君の視覚を利用して場所を把握し、『使い魔は今、洗濯場にいる』と確信して言うハズじゃ。完璧主義な所があるミス・ヴァリエールならそうするハズじゃろうて?」

 

 最も、魔法を使えない彼女だから……と言う考えもあるが、適切ではないと彼は判断し、考えから除外した。使い魔の儀が出来て、感覚共有が出来ない訳がないからだ。

 定助はオスマンの明晰な推理に、息を飲んだ。やはり生きている年数が違う、この人には隠し事が出来ないと、ある意味でプレッシャーになった。

 思い出せばキュルケに誘われた時、フレイムはずっとこっちを見ていた。彼女は部屋の中から定助の場所を把握しており、だからこそ上手い具合に彼を部屋に引き込めたのだ。

 

 

 先程の事だって同じで、扉の前にいた定助はオスマンの使い魔の目を通して把握されていた。

 

「……それで、お話とは」

「おぉ、そうだった……さてと、ハッキリ言おう。ワシが話そうとしていたのは」

 

 オスマンは自身の使い魔、モートソグニルを撫でつつ本題に入る。

 

 

 

 

「君のその、『精霊』についてじゃ」




「だが断る」
この台詞がアニメで言われる事を何年待ったかッ……!


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ダンス・ウィズ・ミー。その2

「…………!」

 

 オスマンが『精霊』と言った瞬間、定助の目は見開かれ、次は逆に眉間に皺が寄る。スタンドの正体に踏み込まれた事による動揺と、警戒が表沙汰になったのだ。

 警戒する彼を宥めるように、オスマンは苦笑いを見せて手を振る。

 

「安心しなさい。ここでの会話は他言せんよ……あぁ、ミス・ヴァリエールが君の手柄を主張しておってな、平民たる君がどう勝てたのかと検討付かなくての、そこでミスタ・グラモンとの戦いの時に渡った噂を思い出した訳じゃ」

「はあ」

「何でも君、『精霊』を使役出来るそうじゃあないか。君なら、『破壊の円盤』に宿る謎の男の……正体が分かるかな、と」

 

 抜け目ない老爺である。ギーシュとの戦いを覗き見し、スタンドを見た事を隠し、それと無しな理由もキチンと用意していたのだ。それだけではなく、嘘のサインである一切の微表情が起きていない。嘘を悟らせない、自然体な雰囲気で話を進めていた。

 定助だが、彼を信用してはいない。しかし、彼の嘘を隠した言動の中でも『確信』を感じ取っていた。言葉の中にある自信とも言うべきか、兎に角全知なる雰囲気を纏って言葉を綴っている。

 

「その、『破壊の円盤』について教えて下さい。それは、魔法とかそう言う概念を超えています」

 

 定助から円盤についての話を切り出したが、オスマンは難しい顔をしていた。

 

「ワシが知っているのは、この円盤の与える能力ぐらいじゃ。ふむ、どうやらその様子だと、円盤の男を見たのじゃな?」

「……フーケがそれを使用しました」

「何とまぁ……よく生きていられたのう」

 

 全てを見透かすような彼の目の前で、定助は警戒を残したまま質問する。

 

「あの円盤は、何処でどのようにして入手したんですか?」

「そうじゃな……では、平等にギブアンドテイクとしよう。ワシは君への質問を幾つでも答えよう、但し君は『精霊』について答えてくれんかね?」

 

 ここで再び定助はギョッとした表情を見せた。ここで交渉を取り付ける彼の聡明さにまた驚かされたのだ。

 目の前の老人は悪戯好きの少年のような笑顔で笑う。笑顔には、期待としてやったりとした感情が垣間見えた。

 

「……流石の学院長様ですか」

「ホッホッホ! なぁに、魚は大物ほど逃したくないからのぉ」

「…………」

 

 定助は少し、慎重に考えた。大まかな能力については、学院の殆どの生徒の前で披露したので周知とは思うが、あまり知られたくないのは細やかな部分。言えど、能力についても生徒間にはルイズやギーシュを除けば理解に至った者は少ないだろう。一部は未だ、滑らせる能力としか見ていない可能性だってある(あの決闘に関しての考察が生徒間でされている所、そうであると思うが)。

 彼が慎重になるのは、能力についてを権威であるオスマンに言う所である。権威だからこそ自分の事が他に、更に重大な人物に渡る可能性がある。ルイズにも晒す事を避けるように言いつけられていた、異端と判断されたら何をされるか分からない。

 また一度言えば、オスマンは根掘り葉掘り聞くだろうし、彼の前では隠し事も難しいだろう。

 

 

 だが、こちらにも利がある。恐らく彼なら『あれ』について知っているハズだ。それについても質問出来るよき機会ではないか。

 定助は早速言葉を組み立て、口から発する。

 

「分かりました」

「話がしやすくて助かるぞ。えぇと、ジョースケ君」

「精霊について答えますが学院長様……絶対に他言無用でお願いします」

「あぁ、約束するよ」

 

 他言無用の約束を取り付ける。オスマンとは殆ど初対面に近いが、今朝の宝物庫の雄弁に感銘を受けた事実もある。信頼しきっている訳ではないが、貴族は『契約』を重んじるようなイメージがあり、オスマンは交渉を取り付ける程にやりくり上手な人物と見受けられ、並みの貴族より契約を重んじる雰囲気がある。一回約束すれば墓場まで持って行ってくれるような、そんな誠実さを定助は感じたのだ。

 

 

「では、こちらから質問しても……良いですか?」

 

 定助が先に質疑を申し出た。後は彼の同意だが、オスマンは笑って「どうぞ」と構えている。

 

「まず、『破壊の円盤』についてです。あれは、何ですか?」

「何ですかとは、漠然としとるのぉ……概念とすれば、『体内に取り込めば精霊が主人を守護する』ものじゃ。しかし、この事実を知るはワシと君と……今日の偵察隊にフーケだけじゃろうて」

「え? あの円盤は、あなたの物だったのですか?」

 

 するとオスマンは椅子を動かして窓へと目を向け、物思いに耽るような表情になり語り出した。

 

「あれは何年前じゃっかのぉ……そうじゃ、三十年前の事。ワシは森を散策していた。すると、滅多に無い事だが、ワイバーンに遭遇してしまったのじゃ」

「ワイバーン……」

 

 定助はワイバーンを知っている。イギリスの紋章に良く出て来る、ドラゴン型の怪物だ。言えど、フェンリルやコカトリスなどの神話に出て来た訳では無いようで、イギリス紋章上で発展したドラゴンの変形体と聞いた事のある。

 四足歩行で緑色。西洋のドラゴンは後脚で歩行し、前脚が翼と言うスタイルなので、そこがドラゴンとワイバーンの区別となっているとか。

 

 

 それは兎も角として、オスマンは話を続ける。

 

「獰猛な奴で、機敏な奴じゃ。知能は低いが、それだけに強大。ワシは奴に追い詰められてしまった」

「…………」

「その時じゃった。追い詰められるワシは大木に背をぶつけた……円盤は木の上に引っかかっておったようで、落下した時に見上げたワシの眉間に入り込んだんじゃ。同時にワイバーンも突撃して来たが…………」

「あの円盤の男が現れ、撃退した」

 

 定助が続け、「左様」とオスマンはゆっくりと頷いた。

 

「ワイバーンを倒してすぐに円盤は、ワシから分離した。男も消失……場に残ったのは円盤と、呆然と立つワシと、一リーグも吹っ飛んだ後にピクリとも動かなくなったワイバーンだけじゃ」

「どうしてそのまま、円盤を?」

「これに関してはワシの収集癖かの?……まぁ、その森は人が全く来ないとは言えない所でな、誰か悪しき心の持ち主が円盤を悪用する可能性があった。あの時のワシは円盤の強大さにある種、畏怖を抱いておった訳じゃ。『もしこれが敵だったのなら』と……」

 

 そう言った危機感と経緯で、彼は円盤を封印したのだ。調査団に嗅ぎ付かれて問い詰められた時は仕方なく「これがワイバーンを倒した。何があったかは知らんが」と話してしまったそうだが、運良く頭に差し込む事はバレなかった。寧ろ、「ワイバーンを倒した」と言う漠然とした言い方をしたお陰で、学院の教師たちを円盤に対して慎重な姿勢をとらせる事に成功出来たのだ。

 

 

「……これが、ワシの知る『破壊の円盤』の情報全てじゃ。寧ろ、ワシが君から聞きたい程じゃがな」

「……まずは、こちらからです」

「つれないのぅ……では、聞こう」

 

 円盤とオスマンとの関係を知った所で、定助は次の質問……『あれ』について質問した。

 まず、左手の甲を見せ付ける。オスマンの表情にピクリと、反応が浮かんだ。

 

「……使い魔のルーンじゃな、それがどうかしたのかね?」

「このルーンは何なのですか? 剣を持ったり、スタン……精霊を出した時に輝いているのが見えました。もっと言えば、精霊が強化し、自分自身も身体能力が上がったような気がするんです……他の使い魔を見ましたけど、どうやら固有の能力そうです」

「……ふぅんむ」

「あと召喚された時、眼鏡の教師に『調べてみる』と言われて、まだ話が来ないのですが」

「…………コルベールめ」

 

 オスマンは頭を抱え、言おうか言わまいか迷う。

 しかし考え直してみれば、それは彼自身の問題でもあり、知る権利があるのではと想起する。いや寧ろ、彼にだけ知らせた上に警戒を取り付ければ、他者への自粛を本人が勝手にしてくれるのではと考えた。

 オスマンは定助の率直さと誠実さを甚く気に入っている。彼なら大丈夫だと自信を持ち、一度呼吸を吐いてから、やや険しい表情で説明する。

 

 

「……それは『ガンダールヴ』のルーンじゃな」

「ガンダールヴ?」

「左様、ガンダールヴじゃ。神話に登場する、伝説の使い魔のルーンじゃよ」

 

 定助は怪訝な表情だ。ガンダールヴも神話もパッとしない様子である。

 そんな彼の心中を察し、オスマンは注釈を入れた。

 

「ガンダールヴ……始祖ブリミルに仕えたとされる使い魔で、どんな武器でさえも立ち所に、まるで熟練の戦士が如く扱えたそうな」

「始祖……ブリミル……」

 

 ここに来るまでにも何度も聞いた『始祖』。食事の前の祈りに、様々な所でルイズの口から聞いている。この場所で特別神格化されており、また他国の留学生であったキュルケ等も祈りを込めていた所、どうやらトリステイン固有では無く万国共通の宗教だと気付いた。

 だが定助の知るキリスト教、仏教、イスラームが全く話に出て来ない所から、自身の知識と現実との差異にまた深く悩まされる事となる。難しい顔に少しなったものの、また表情を整えてオスマンの説明に意識を戻した。

 

「恐らく……そうじゃな。君の場合、精霊が『武器』と認知されてルーンが反応しとると見た方が良いな。力量が高まり、俊敏な身体能力の付与……ふむ、とても強力なルーンじゃよ」

「そうだったの……ですか」

「じゃが何故、君に宿ったのかは分からぬ。分からぬが、決してマイナスにはならんと断言しよう」

 

 オスマンは矢継ぎ早に、忠告を入れる。

 

「言った通り、とても強力なルーンじゃ。これはワシにとっても君にとっても重要な事だが、君の主人含めて言い広めてはならんぞ」

「ご主人にも?」

「君はピンとこないようだが、ここでは非常に重要なのじゃ、ガンダールヴとは。主人に対して心労ともなるし、下手をすれば自国他国に波紋を広げる可能性もある。決して広めてはならん」

「……分かりました。善処、致します」

 

 自粛を取り付け、少しばかり安心した所で、定助が「以上です」と質問を終えた。

 案外、少なかったなと考えながらオスマンは交代で質問に入る。

 

 

 

 

「ではワシの番じゃの。君のその、精霊について教えてくれんか?」

 

 オスマンの問い掛けに応じる形で、定助はスタンド『ソフト&ウェット』を発現させた。何もいない定助の隣が微かにぶれて、霧を掻き分けて現れたかのようだ。

 実物を目の前にしたオスマンは目を見開き、「おぉ」と声をあげる。この老人でさえも驚く程だ、スタンド使いはこの学園内にはいないのだろうか。

 

「精霊、と仰りますが、固有名詞があります。誰が定めたかは分からないのですが、スタンドと言っています」

「スタ、ンド……精霊と呼ばないと言う事は、何かこう……内的要素に起因した存在と言う訳じゃな?」

「御察しの通り。スタンドは使い手の半身。つまり、精神……いや、自身の『魂』の具現化です」

「何と! つまりそのスタンドは、君自身でもあるのじゃな?」

「平たく言えば」

 

 椅子に凭れ、彼は感嘆するように息を吐いた。それからまた、口を開く。

 

「ワシらの慣れ親しんだ魔法とは、元来として『精神力』に起因する。謂わば、精神力を魔法へ変換しておる訳じゃ。なので感情の起伏が魔法の効果に影響する……もしやだが、君のスタンドと魔法は親戚のような立場ではなかろうか」

「同意します。魔法が使えない人たちには、スタンドが見えていなかったので」

「魔法と親戚と言う事は、固有の能力が存在するのでは?」

 

 これについて今度は定助が渋い顔を見せたのだが、観念したように説明する。

 

「……はい。『何かを奪う能力』です」

「何かを?」

 

 オスマンは漠然とした能力に、眉間に皺を寄せる。

 

「何かとは、何を奪うのかね?」

「様々な物です。水等の物質に、酸素や音等の形ない物まで様々」

 

 賢明なオスマンはそこで気が付いた。あの時、ギーシュのワルキューレを滑らせていたのは、地面から何かを奪ったからではと。定助が『摩擦』と言う概念まで奪えると言った趣旨を話さなかった為、何かまでは分からなかったが大体把握してしまった。

 

「幅が広いのぉ……成る程、確かに君の『武器』なのじゃな」

「えぇ」

「そのスタンドは、どうやって手に入れた能力かね?」

 

 これに対しては定助自身も分からない部分だ、黙って正直に首を振った。オスマンは少し残念そうな表情になったものの(あわよくば自分も出来るのではとか考えたのだろうか)、考えを切り替えて質問を変えた。

 

 

「……あの円盤の男……スタンドじゃな?」

「……はい。間違いありません」

 

 話題は定助の『ソフト&ウェット』から『破壊の円盤』へと移行する。オスマンが最も知りたかった重大な疑問であり、円盤の正体に近付く道であると熱を入れて聞いた内容であった。

 

「……ワシはスタンドの使いではない。仮説じゃが、あのような円盤を何者かが作り出し、それを人間に取り込ませる。そして、適合した者が、円盤の主つまり、スタンドの主になれるとはどうじゃ?」

「賢明な意見、恐れ入ります。あるかもとは思いますが、自分自身あの円盤の事は初めてでしたし……感覚で分かるんです、自分のスタンドは生まれた時から一緒だったと分かるんです」

「その感覚は分かるぞ、魔法も感覚とは密接じゃからの。しかし、むぅ……円盤がスタンドの正体、とは一概に言えんのじゃな。これに関してはワシの愚論だと捉えて欲しい」

「いえ、参考になります」

 

 定助は、スタンド知識が殆ど無いとは言え、意見を出す程に考えを巡らすオスマンへ感謝の意を込めてお辞儀をする。オスマンは椅子を前に戻し、ニコリと微笑んだ。

 

 

 

 

 次にオスマンの「さて」と流れを組み替える合図が言われ、質問の終了が宣言された。定助もオスマンの質問が突っかかった物では無い事に拍子抜けしつつも、『ソフト&ウェット』を消失させる。

 

「これでワシの疑問は終わったぞ。長々と悪かったのぅ」

「とんでもない、お互い様です」

「ほっほっほ! ではそろそろ君、行かねばならぬのでは?」

 

「行かねばならぬ」と言うオスマンの言葉の意図を掴みかね、定助は小首を傾げた。

 彼は人差し指を下に向けてチョイチョイと動かし、笑いながら言う。

 

 

「今宵は『フリッグの舞踏会』じゃ。言うなれば、パーティーじゃよ。ミス・ヴァリエールの使い魔として、行かねばならぬのではと思ったがの」

「……そんなのが、あるんですか?」

「舞踏会も貴族の嗜みじゃよ。なんじゃ、聞かされてないのかね?」

「初耳です」

 

 オスマンはまた上品に笑い、モートソグニルを撫でつつ親切に教えてやる。

 

「アルヴィーズの食堂の上の階にある大ホールで行われとるぞ。ええと……まだドレスの着付けが終わってない者もおる頃じゃ、始まったばかり。それとも、このような祭り事は苦手かの?」

「……いえ。行ってみようと思います。有り難う御座います」

「何とも無い事じゃ」

 

 話は締められたと感じた定助は、もう一度オスマンにお辞儀をしてから、背中を向けて出入口へと歩き出す。

 オスマンはモートソグニルを撫で、定助を止める事なく窓より照る双月を眺めて、また物思いに耽っていた。

 

 

 

 

「……ジョースケ君」

 

 だが、定助がドアノブに触れた瞬間に、オスマンが彼を突然呼び止めた。

 定助は振り向こうとする前に、彼は言葉を続けた。

 

 

「主人を……彼女を大切にな」

「…………良く良く、存じております」

「言うのは野暮じゃったかの?……すまんの、引き止めた」

「…………本当に有り難う御座います、オスマンさん」

 

 振り返り、お辞儀をし、定助は扉を開けて出て行った。廊下から控えめな足音が何回か聞こえ、ふと消える。

 一人残ったオスマンは、ある事を思い出している。

 

 

 

 

 円盤が入り込んだ時、微かに雪崩れ込んで来た、誰かの記憶。あれは動揺が生んだ錯覚だったのか、それとも何かの意思めいた思念だったのだろうか。

 

 

「ジョースケ……語感が似ておるの、『ジョータロー』」

 

 死に行く男が娘の方へ手を伸ばす、悲しい記憶だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 豪華絢爛とした学位施設の中でも、大ホールの雰囲気はまるで違っていた。

 厳かながら繊細な装飾が、シンメトリーとなって一つの世界を創造しているかのようだ。天井は高く見え、室内なのに秋空の高さが感じられる程の壮観だ。所々に置かれた丸机に豪勢な料理が置かれており、食欲を唆る匂いが漂っている。

 中心部は大きく場所を取られたダンスホール。始祖ブリミルの像が見下ろし、楽器隊のリハーサルがてらの緩やかな音楽でムードを盛り上げる中で、生徒たちが本演奏をまだかまだかと待ち望んでいる。

 

 

 煌びやかな服装、輝くシャンデリア、談笑の最中、定助は入口から会場に入る。

 

「うぉぉ〜……これは凄いなぁ」

『何だ何だ相棒、今は何処にいんだ?』

 

 背中に担いだままのデルフリンガーがガチャガチャと鞘の中で反応していた。

 流石にこの中で剣を鞘から出すのはマズイ為、一度バルコニーに出てから定助は背中から下ろし、少しだけ鞘から彼を出す。案の定すぐに、感嘆の声があがった。

 

『ほぉぉ〜、これまた豪華なパーティー!』

「舞踏会なんて、恐らく人生初かも知れないなぁ、オレ」

『あぁ? じゃあ相棒、踊れないか? そらまたお疲れサンだな!』

「いや、料理もあるし。オレはこっちで楽しんでおこう」

 

 定助の身の振り方にデルフリンガーは『喝ッ!!』と、不出来な弟分を叱る兄貴分のような口調で突然語り始めた。

 

『相棒相棒相棒よぉぉ〜〜! それはママっ子ってもんだぜぇ? おめぇは肉屋で「魚下さい」って言うような器なのか?』

「だからと言ってもデルフぅ……君、演劇初心者に主演を任せる気になれるのかい?」

『それが「冒険」なんだぜ相棒!……なぁに、踊れなくても相棒はそこそこイケてるし、補正してくれるさ』

「こんな言葉がある。『無理なものは無理』」

『それは甘えだぜ相棒! 無理だとか無駄だとかは関係ねぇし聞き飽き…………おいおい相棒! 待て待て待て待て!!』

 

 喧しくなったので、デルフリンガーを鞘に戻す。

 暫くは例の通りガタガタと抵抗していたのだが、向こうも『無理なものは無理』と踏んだのか、諦めて大人しくなった。定助は再度、デルフリンガーを持ち上げ、背中には担がずにバルコニーの手摺りへ立て掛けた。

 

 

「やあ! ジョースケじゃあないか!」

「……ん?」

 

 誰かに呼ばれて、頭を回した。

 会場内から手を振りつつ、バルコニーに入って定助へ近付くギーシュの姿が目に入る。スーツに身を包んだ姿は、とても様になっていた。

 

「やぁギーシュ。今日こんな舞踏会があったなんて知らなかった」

「こう言う所は初めてだろ? フリッグの舞踏会には伝承があってね、『一緒に踊った相手とは結ばれる』んだよ」

「何だか良く聞く伝承だなぁ」

 

 それもそうだなと、ギーシュは笑う。釣られて定助も微笑んだ。

 

「そう言えば聞いたよ。土くれのフーケを捕縛したようだね、大した奴だよ」

「大変だった……タバサちゃんの治癒と、ご主人の秘薬が無かったら立てなかった」

「……まぁ、その状態で勝てた所も凄いが……君が言うと説得力あるのが面白いよ」

「でもオレ一人じゃ無理だった」

「ははは! 英雄はすぐに謙遜するもんだ」

「そんな意味じゃないさ……」

 

 本当に今回は、定助一人じゃ無理だった。キュルケとタバサの立ち回りに……無謀とは言えルイズの決意がフーケの捕縛に繋がったのだから。

 

「そう言えば、キュルケちゃんにタバサちゃんは?」

「まだ着付けの最中じゃあないかな。ルイズもそうだし…………モンモランシーも」

「君のフィアンセもまだなのかぁ」

「よせよ、ジョースケ。ははは……」

 

 空回りした笑い声をあげたギーシュだったが、それが収まると真面目な表情になる。

 

 

「……モンモランシーには、断られたよ」

「え?」

「言っても保留だよ。フリッグの舞踏会はまた次回もある……この間の一件もあって、僕を試したいそうだ。モンモランシーも参加はするけど、踊らないって……あぁ、ちょっと」

 

 ギーシュは通りかかった給仕を呼び止め、運んでいた赤ワインの入ったグラスを二つ手に取り、定助へ向き直る。

 

「だから今夜は、僕もモンモランシーも、舞踏会じゃあなくて談話会になっちゃったなぁ」

「それは奇遇、オレも」

「ほぉ、君はルイズと一緒に踊るものだと思ったが」

 

 定助はルイズの使い魔であり平民だ。そんな彼に対し、「踊らないのかい」と聞くギーシュはかなり寛容になった。給仕を呼び止める時も、物腰が柔らかかった……これは元からは分からないが。

 しかし一途を貫くつもりである彼は、とても紳士的で魅力的だと思う。

 

「良してくれギーシュ。踊れないよ」

「簡単なダンスならエスコートして貰えるさ……まぁ、女性にエスコートされるのは少し恥ずかしいけどね」

「いいよいいよ。こうやって普通に、貴族のパーティーに入れる事で満足だよ」

「言っても、ルイズに誘われたら断らないだろ?……どうぞ」

 

 ギーシュは二つ持ったワイングラスの一方を定助に差し出す。

 定助はそれを貰い、会場の光をテラテラと揺蕩わす赤いワインを眺めていた。

 

「どうかなぁ……ご主人は別の人を選ぶと思うよ。有り難う、ギーシュ」

「全く、硬派だなぁ。少しくらい、軟派になったらいいと思うがね」

「軟派で本命と踊れなかった人を知っているからなぁ」

「はははは! これはこれは、ぐうの音も出ないや!……まぁ、乾杯しようか」

 

 二人の盃は軽く触れ、鈴のような透き通る音を響かせる。ワインは波紋を起こし、光を酒面の上でブレさせている。

 

「寂しい男同士に乾杯」

「よせやいギーシュ! 君は脈ありだろ!」

「言ってくれるな友よ!」

 

 

 そう言って二人はワインを一気に、流し込んだ。

 

「……プハァ! 貴族としてはあるまじきだが、一度してみたかったんだよ!」

「面白いな君ぃ!」

「君だって一気飲みじゃあないか、ははははは!」

 

 

 

 

 その時、会場の方で一際大きな声が響いた。

 

「ヴァリエール公爵が息女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢のおなぁ〜〜りぃ〜〜」

 

 ご主人の名前だと、定助は促すギーシュの側を抜けて、会場の中に再度入る。

 入口とは別の煌びやかな門が開き、ルイズが姿を現した。

 

 

 白いドレスを身に纏わせ、桃の髪は宝石の嵌められたバレッタで一つに束ねられている。

 そこに立つは、日頃の子供っぽさが抜けない少女とは思えない程に大人びて、そして艶やかで麗しき姿のルイズが、一つ二つと門前のステップをゆっくり降りていた。

 定助は少しばかり、ルイズだと気付かない程に。




別作品とも並行させます故に、今後とも頻度は落ちるかもしれませんが構いませんね!

10/31→舞踏会は食堂の上の階でした。食堂でしてたっけとは思ったんですがね……オーマイガッ!
11/2→加筆と修正を致しました。


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ダンス・ウィズ・ミー。その3

 会場からざわつきの声があがった。それは、ルイズに対する嘲笑では無く、驚きと感嘆の声。普段はゼロだ何だと馬鹿にしていた彼らであっても、美しいドレスに身を包んだ彼女の美貌はさしずめ女神とも見えたであろう。

 

 

 同様の反応は定助とギーシュも起こしている。二人とも目をパチクリさせて、次に互いを見合わせてからまたルイズを見た。授業時とは似ても似つかぬ、華麗なる百合の花が如しルイズのオーラに当惑している様子だ。

 

「あ、あれが、る、ルイズかい!? 見違えたよ……」

「す、凄いよご主人……いや、ホント……え? ご主人?」

「服と化粧を変えるだけで、ここまで変わるのか……いやはや、少し前の僕だったら即誘っていたよ……」

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花……よく言ったものだなぁ」

「全くだよ……月も恥じらう、物言う花だ……」

 

 定助とギーシュの形容の通り、今のルイズの一挙動一挙動に愛おしさがこみ上げる程の美貌。彼女の周りが花で満ちているように、或いはそこだけ光に満ちているように、また或いは天使の祝福が鳴り響く中のように……彼女の美しさが別の錯覚になっているのだ。会場にいる全ての人間は異性同性、貴族に平民が関係無く見入っていた。

 

 

「ちょっとダーリン?」

「……え? オレェ?……あ、キュルケちゃん」

 

 後ろから肩を叩かれ、振り向くと色っぽくも綺麗なドレスを着たキュルケが立っている。

 目を細め、少しだけ不機嫌顔。

 

「あ、キュルケちゃん……じゃあないわよぉ。とうとうヴァリエールが来るまで気付かなかったわね」

「こう言う所は初めてで、萎縮していて……タバサちゃんは?」

「あそこの席」

 

 キュルケが指し示す辺りに目を向けると、丸テーブルに座り、置かれた料理に夢中になっているタバサを見かけた。黒いドレスでおめかしはしているものの、ダンスやルイズの登場に丸っ切り興味を示していない。何処に入る隙でもあるのかと言わんばかりに、大量の料理を食べてはお腹に納めている。口の中は暗黒空間とかだろうかと疑う程。

 

「凄い食べっぷりだぁ……」

「あぁ言う知的な子って、やっぱりエネルギー使うのかしら? あたしの倍食べるのに、あたしより細身なんだもの。それにあの、スッゴイ苦いハシバミ草のサラダをパクパクと……雰囲気も味覚も独特よね、タバサったら」

「ハシバミ草? ハシバミ草は美味いじゃあないか」

「……え? ダーリンもそっちなの?」

 

 呆れるキュルケの横顔を見ながらまた、ルイズの方へと視線を戻す。いつの間にやら、男が侍っていた。

 

「なぁなぁなぁなぁ! 僕と踊ろうじゃあないか!……断るだって? おいおいおいおいおい……」

「『異性と踊る』、『異性を口説く』……どっちもしなければならないってのが、舞踏会の辛い所だな……お誘いは既に、口説きに変わっているんだぜ……え? あ、アリーヴェデルチ?」

「舌か? 舌がどうかしたのか? もしかして喋れないのか?……分かるぜその気持ち……だが言葉なんか必要ない……俺にキスしたいふぐぉ!? い、いきなり顎を殴るのか……!?」

「おまえの肉を切り裂いて臓器を床に出して順番に並べてや……おい待て!? 衛兵を呼ぶなッ!?」

 

 いつもはルイズは小馬鹿にしているであろう男子たちが、これ見よがしにルイズの美貌に気付いて声をかけている程。それらを断っている様を見ていると、いつも馬鹿にされているだけにスカッと&爽やかな気分になっているだろう。それこそ、自分を散々いたぶった野郎に百発ぶちかます程度には。

 

「人気者だ」

「はぁ……あたしの信奉者も何人か行ったわ。『お嬢様』としたら、ルイズに敵わないわね」

「オレもちょっと、別人と見間違えた程だし」

「ま、いいわ。素敵な戦士さん、一緒に踊ってくださらないかしら?」

「あー……ごめん、辞退するよ。踊れないし」

 

 丁重に定助が断りを入れると「まぁ!」と声をあげて、拗ねた表情になる。人気では劣るが、定助はゲットしようと打算していたようだが、彼は元から踊らないつもりだった。

 つまらなそうな目線を定助の隣に向け、ギーシュに気付く。

 

「あら、貴方もいたのね。モンモランシーとは踊らないの?」

「ははは! 今夜はお互い、踊らない約束さ」

「じゃあ、あたしと踊ってくださらない……?」

「もちろ……おぉっと!? や、やめてくれ、洒落にならない!」

 

 ギーシュは怯えながら、辺りを見回した。モンモランシーに見張られていると、神経質にでもなっているのか。しかしキュルケの色気たっぷりな誘惑を跳ね除けるとは、成長の度合いが一目瞭然だ。

 

 

 

 

 暫くして、音楽隊が本演奏を始める。ダンスパーティーの開始だ。

 音楽の開始を合図に、男女ペアとなってホール中央に集合していた生徒たちが、社交ダンスを始める。繊細で優雅な調べに合わせ、波間に漂うように息を合わせ、綺麗にシャンとして踊り出す。挙動一つ一つに育ちの良さが伺えるような、誰一人として映えのあるダンスをこなしている。

 

「ミス・ツェルプストー、踊りませんか?」

 

 一人の男子生徒がキュルケを誘い、彼女も承諾する。

 

「じゃあ、また後で」

「楽しんで来てよ」

「ふふふ! ジョースケもギーシュもね」

 

 手を小さく「バイバイ」と振り、男子生徒と手を取り合ってホール中央の人だかりへと消えて行った。それを見ていたギーシュが、ほうっと息を吐く。

 

「はぁ……僕も、モンモランシーと……」

「交わした公約は守らなきゃ」

「分かっているよ、それが貴族さ。じゃあ僕は、モンモランシーに会いに行くとするよ」

 

 ギーシュも手を上げて、定助と別れた。飲み干したワイングラスをクルクル回して気障っぽく、踊る男女の間を寂しく抜けて行った。

 ふと思い出したかのように振り返ってみれば、先程まで後ろの丸テーブルに座って食事をしていたタバサがいない。パーティーが本格的に始まり、会場が騒がしくなったのでバルコニーにでも避難したのだろうか。

 

 

 そう言えばデルフリンガーをバルコニーに置きっ放しだと、定助も戻ろうとするが、後ろから声がかかる。

 

「ご機嫌いかが?」

 

 声をかけたのは、ルイズである。

 

「ご主人……」

 

 間近で見ると更にその美しさは際立って見えた。薄く香水でもかけているようで、心地良い芳香に気が付いた。

 いつもは長髪をそのまま下ろした姿であったので、寧ろ縛った姿が新鮮。まさにプリンセス、在り来たりだけどとてもシンプルで似合うそんな言葉が頭に巡る。

 

 

 目の前の彼女は花であり、王女様。日頃以上に、彼女が貴族であると認識出来た。

 

「良くここだと分かったね」

「こんな所で寂しくボケッと立っていたら、目立つわよ。そんな服まで着ているんだし」

「目立つと言ったらご主人、凄いよ。あまりに綺麗だから一瞬、別人だって思った」

「口説いているつもり?」

「そんなつもりはないよ……」

 

 しかし綺麗と言われて些か気分が良いのか、彼女の表情はとても和やかである。にこりと微笑むだけでも、輝いているように見えた。

 

 

「……今日は、色々と有り難う」

「え?」

「その……あんたのお陰で……私も助かったし」

 

 ルイズは頰をかき、照れた様子で定助にお礼を述べた。

 定助は定助で驚いている、まさか彼女からお礼が来るとは、と言った感じだ。その様子に気付いたルイズは、目を細めて睨む。

 

 

「……何よ。ご主人様からの感謝よ、光栄に思いなさいよ」

「あぁ、えーと…………うん。とても光栄だ」

 

 彼女からの感謝を、困惑を打ち消して定助は微笑みながら受け取った。とても嬉しい事には、変わらないだろうに。

 お礼が済むと、ルイズは辺りを見回した後に話を変える。

 

「キュルケとかは? てっきりあんた、キュルケに誘われたとばかり」

「誘われたよ。でも断った」

「骨抜きにされていると思っていたのだけどね〜」

 

 困り果てる定助の様子が面白いのか、ルイズは彼を弄る。化粧と衣装は人を変えると聞くけど、本当のようだ。今の彼女は何だか、思わせ振りで蠱惑的だろう。

 

「第一、踊れないよ。こう言う所は初めてなんだ」

「記憶喪失なのに?」

「ダンスの知識が無い所、経験はほぼ皆無かなぁ」

 

 自分の顎を撫で、思い出しつつも困った様子。ただ、こう言う華やかな場面で謙虚になる所はやはり、自分はこの世界とは疎遠な人間だったのだろうと自己分析。更にダンスと聞き、真っ先にソウルダンスがよぎった所もう駄目だろう、少しだけ苦笑いをする。

 

 

 すると、彼の目の前に、手袋をはめたルイズの小さな手が差し出された。

 

 

「なら一曲、踊ってくださらないこと?」

 

 彼女の突然の誘いに、定助は身体を一瞬膠着させて驚いた。彼女、自分が踊れないって事を聞いたばかりだよなと、数秒前の会話を思い出す。

 

「お、お、オレェ?」

「えぇ、ジェントルマン」

「待った待った待った待った……オレ、踊れないって……」

「踊る相手がいないのよ。このままじゃ、おめかしした意味ないわ」

「いや、さっき何人か男性が……」

 

 渋る彼に痺れを切らしたのか、ブラブラ動く彼の手をルイズは無理矢理取る。まるで言い渡された半信半疑の予言が当たった時のカウボーイが如く驚いた表情で、彼女と目を合わせる。余裕のある振る舞いかと思いきや、ルイズもルイズで顔が赤みが差し込んでいた。

 

「いいから。それに、女性からの誘いを断るなんてデリカシーがないわね」

「そ、そう? オレェ? 本当に、踊るの?」

「私に合わせたらいいわ。素人だって度外視すれば、それなりに出来るわよ」

「う……」

 

 彼女の表情と、絶対に断れない雰囲気に持ち込まれたようだ。定助もお手上げと言わんばかりに、お誘いを受ける事とする。

 

 

「……分かったよご主人……えぇと、お手柔らかに?」

「えぇ。ほら、手を持って」

「こ、こう? かな?」

 

 定助は帽子を一瞬直し、ルイズと手を取り合ってホール中央へ行く。

 踊る人々の間を抜ける時が一番、ドギマギとする。だが、御構い無しな風にルイズに手を引かれ、ホール中央にて社交ダンスの体勢を取った。互いに手を繋ぎ、踊るアレだとしか定助には説明出来ない。

 

「お、っとっと……ぶつからない?」

「私に合わせるのよ。それにこれだけ開いていれば、足を踏む事もないわよ」

「そうかぁ……えと、次は?」

「ぎこちなくていいわ、ステップを踏むの。後は繰り返すだけ」

「す、ステップステップ……」

「もう少し静かにしなさいよ……」

 

 初々しさが全開の定助のまずまずなダンスに対し、ルイズの動きは滑らかな絹の通りだ。一見すればちぐはぐした、アシンメトリーなペアと思うものの、息が合わないと言う訳ではない程に、二人は上手く踊れている。

 

 

 菅弦楽器の伸びて消え行く音が層となって、途切れる事なく響き渡る。

 ルイズと定助は夜の海を行く一艘の船、月夜の映る海面を、滑って行くように航海する一艘の木船。波は波紋になり船の後に続く、丁度二人はそんな風に揺蕩い踊るのである。

 上手くはないのにとても魅力的で、美しくはないのにとても綺麗な、二人のダンスは奇妙にもそう見えた。

 

 

 

 

「……記憶が戻ったら……」

「え?」

「……もし、自分の生まれた場所が思い出せたら、帰りたい?」

 

 何とかステップに慣れて来た頃、余裕の出来たルイズが問い掛ける。その表情には少しだけ、憂いが浴びていた。

 定助は質問の意図を理解し、少し迷った挙句に答えた。

 

「……帰りたい。オレに母親がいるならまた会いたいし、父親がいるなら勿論、会いたい。兄弟がいるなら、姉妹がいるなら……自分が誰かを知りたいし、自分のルーツを知りたい。オレはずっと、進まなきゃ」

 

 強い意志を込めて、彼は断言する。ルイズからは「そうよね」と、小さな返事が来るだけだ。

 もしかしたら彼女は、定助が「帰りたくない」と言うのを期待していたのかもしれない。または、いつか来る別れを想像して憂鬱な気分になっただけなのかもしれない。

 

「……それまではずっと、ご主人の側に仕えるよ」

「当たり前じゃない。それが、使い魔なんだから」

 

 彼女は気丈に、いつもの少し高飛車な言い方で返す。あぁいつものご主人だと、定助は安心して笑った。釣られて彼女もフフフ、と笑うのだ。

 

 

 

 

『相棒め、踊らない踊らない言った割に……なんでぇ、素質あんじゃねぇか。主人と踊る使い魔なんざ、初めてだ!』

「……ぎこちない」

『そのぎこちなさが、いいんじゃあねぇか……』

「……ロマンチストな剣」

『うっせぇ』

 

 月夜に照らされるバルコニー、タバサとデルフリンガーは二人を見てそう言うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じ月を眺める、一人の女性。同じ月と言えど、見え方は違う。

 ここは独房の中。鉄格子のかかった窓からは、月明かりが入り込む。蝋燭の火が消えた今、それだけが光源だろう。

 

 

「………………」

 

 独房の中、ボロボロのベッドに寝そべり、窓から星を眺めている女性。

 緑色の髪の、そう、フーケである。彼女は先程ここへ連行されたばかりだ。

 

「……ふん」

 

 牢に入れられる時、看守に言われた言葉を思い出す。「貴族はお前の処刑を望んでいる、来週にも裁判だ」と。

 

「裁判なんて必要かねぇ……どうせ、処刑よ」

 

 貴族は結局そうだ、形式張って形式に拘って形式を重んじる。その先にあるのは『結局』の二文字だろうがと、心で揶揄する。

 ずっと星を眺めていたようだが、その内に飽きて来たのか壁のシミへと目線を変えた。ヒビ割れた石の壁、杖さえ没収されてなければ、ぶち壊すなんて造作の無い壁だ。

 

「………………」

 

 彼女は、昼間の出来事を思い出す。

 まずは『破壊の円盤』……あれを頭に差し込み、守護霊を使役した時はまるで、世界を制したような気分になれた。だが憎き定助が、その無敵感の中の脆弱部を冷静に見極め、自分を出し抜いたのだ。

 思えば思う程、自分の不甲斐無さ。呼吸が出来なくなって気絶しかけた時にやっと、敗北を実感した。

 

「しかし円盤もあの男……も。一体何者なのかしら」

 

 見た事もない存在を使役し、魔法とは違う能力を披露する定助。その存在に似た守護霊を、一定時間のみ使役する力が手に入る円盤。どちらも謎で、どちらも今思えば不気味だろう。

 

 

 辞めた辞めたと、彼女は考えを消した。定助を思い出せば憎たらしい思いが出て来るし、円盤を思い出せば不甲斐無さが噴出する。どうせ考えるだけ無駄な事だと、彼女は考える事を辞めた。

 

 

 再び、月を見上げる。彼女の心には、とある人物が浮かんだ。

 あの子もこの月を見ているのだろうか。そして、私がいなくなればどうなるのだろうか…………薄く、赤と青のそれぞれの光を照らす双月を見て溜め息を吐いたのだった。

 

 

 

 

「………………」

 

 暫くぼんやり、月を眺めていたフーケであったが、小さく聞こえた音に気が付き、目線を牢外の廊下の方へ向ける。

 

「……うん?」

 

 カツンカツンと、誰かが階段を下る音。上品な感じの靴で地面を叩くような、お高い感じの足音だ。とても看守のものとは思えない。

『看守のものではない』と興味を持った彼女は、上へ行く階段を見つめていた。

 

 

 ある程度降りた所で、彼女に悪寒が走る。すぅっと背中を抜けて行くような、冷たい感覚だ。それが、足音が近付く度に強まるようだった。

 本能的に彼女は察知する、上から来る人間は只者ではない。盗賊たる勘が、警鐘を鳴らしているのだ。

 

「……誰だい」

 

 居ても立っても居られず、フーケから呼び掛ける。看守ならそれで終わりだが、返答は来ない。看守ではないのだ。

 

 

 だが何だろうか、彼女はもっと耳を澄ませた。誰か、同行しているのだ。

 一方の人物の靴とは違い、もっと俗っぽい靴。安くは無いが高くも無い、中堅的な靴だ。靴底の素材が柔らかく厚いのか、足音が小さい。

 フーケは耳に自信があった、だので階段を下る得体の知れない存在は二人だと分かる。

 

 

 

 

 階段を下り、闇の中から誰かが現れた。一方はローブに身を包み、その後ろに控えるもう一方は警護のカンテラを持った、やたらツバの広いハットと風来坊じみたマントに身を包んだ男。ローブの方は、一見して性別が分からないが、足音からして男だと気付く。

 

 

「土くれ……土くれのフーケ、だな?」

 

 ローブの男は存外、若い声で話して顔を上げた。控えの男が持つカンテラの灯に照らされた男の顔には、無個性な仮面が貼り付けられている。

 得体が知れないし、仮面で顔を隠すとは碌な人間じゃあないだろ。フーケは挑発するように、敢えて丁寧な口調で言った。

 

「あら、こんな所に客人とは珍しいこと。生憎、もてなしは出来ないのよ」

「もてなすのは……こっちだ」

「貴族に雇われた暗殺者でしょ。裁判まで待てないからって、来た訳ね? よくもまぁ、こんな廃棄物処理みたいな仕事を引き受けたものね」

 

 ローブの男は間違い無く、メイジだと分かる……黒いローブの隙間から長い杖が見えた。後ろに控えるもう一方はどうかは分からないが、お付きを従い歩く貴族のような風なので、そうであったら形式張った暗殺者とて嘲笑ものだと考える。そして彼女自身、暗殺なんかで死ぬつもりは更々無いし、相手が牢を開けさえすれば、あわよくば脱獄のチャンスでもある。闇の中で舌舐めずりをした。

 

 

 しかし男は、歯を閉めた笑い方をしながら首を振る。

 

「クククク……何なら弁護を引き受けてやろうか?」

 

 男は不気味に、そして響くような声で顔を上げ、フーケを見つめた。

 

 

 

 

「……『マチルダ・オブ・サウスゴータ』」

「ッ!?!?」

 

 フーケは男の言った名を聞いた瞬間、余裕のあった表情がいきなり歪んだ。そして吸血鬼にでも遭遇したかのように汗を吹き出し、殺気の込められた目で仮面の男を睨んだ。

 

「……あんた、何者? どうしてその名前を知っているの!?」

 

 マチルダ・オブ・サウスゴータ……これは、捨てたハズの己が本名である。知っている人間はいるハズがない、一体何処で聞いたのだと、彼女は頭の中で疑問を巡らせる。

 仮面の男は牢に近付き、覗き込むようにフーケを見やった。眼球は見えないものの、獲物を射るような鋭い視線を感じる。

 

「名前の出所なんて、どうでも良いだろう……所でマチルダ……もう一度、【アルビオン】に仕える気はないか?」

 

 アルビオンと言う単語に、彼女は嫌悪を催した。

 

「まさかアルビオンからだとは……道理でね…………何で私の家系を破滅に追いやった奴らに、また仕えなきゃならないのよッ!」

「アルビオンはアルビオンでも、毛嫌いする王家ではないさ……我々は『貴族の同盟』だ」

 

 何を言っているんだと、フーケは眉を顰める。言えど、王家だろうが貴族だろうが、仕える気は更々無いのだが。

 

「貴族の同盟? 胡散臭いわね……革命かしら?」

「そうだ、『革命』だ。無能な王を消し、我々貴族が理想のアルビオンを作るのだ」

「余計胡散臭いわよ。それにあんた、トリステインの貴族でしょ? 杖のブランドがトリステイン製じゃない」

「……流石はマチルダ基、大盗賊フーケだけある。その洞察力、ますます気に入った、だからこそ気に入った……」

 

 仮面の男は妙に熱のある語り口で、自分たちの素性を話し始めた。

 その間、フーケはチラリと、後ろに控える謎の男を一瞥する。ただ佇み、カンテラを持つ執事のような奴。何も喋らないし、フーケに目線を合わせている訳でもない。牢屋から視線を通して、鉄格子から外をぼんやり眺めているかのようだ。

 

 

 仮面の男は言う。

 

「我々はアルビオンの転覆だけが主目的ではない……我々が憂うはハルケギニアであり、この世界だ……主目的は統一、ハルケギニアの統一。我々は国境無き共同体なのだ」

「……思想までも胡散臭いわ。何が統一よ、統一どころか一触即発状態じゃあない」

「だからこその統一だ。アルビオンからトリステイン、トリステインからゲルマニア、ゲルマニアからガリア……我々の最終目標は、『エルフ』共から【聖地】を取り戻すのだ」

 

 馬鹿馬鹿しい、とても馬鹿馬鹿しい。これが酒場での会話なら、危険思想に酔った馬鹿だと罵っていただろう。だが、この男の熱のこもった話し方があれば何故だか魅力的にもうつる。人を率いる力を持つ者と、彼女は見る。

 

「聖地を取り戻す……胡散臭い所じゃないわね、馬鹿らしい」

「それを可能にする力があるのだよ、マチルダ」

「その名前は止めろ」

「ククク……ともあれ、その為に強力なメイジを募っており……お前にも白羽の矢が立った訳だ」

「…………」

「別に断る理由は無いだろう? 衣食住は保証する、処刑から逃れられ……アルビオンに復讐も出来る。得しかないと思うのだが?」

 

 この男の言う同盟の思考は、かなり危うい物だ。聖地の奪取など、どの国もしている。しかし、そこに住まう『エルフ』が大軍勢を木っ端微塵に吹き飛ばすのだ。出来る訳がない、所詮は夢物語。

 しかし、男の言う通り、自分には得があろう。彼女は打算的で合理的な人間だ、天秤をいつも心に忍ばす人間だ。

 

 

「……どうせ、断れないでしょ? こんな大事な話、私に話したのなら……」

「察しの通りだ……お前に拒否権はない」

「なら最初から仲間になれって言えばいいじゃない。ホント、貴族ってのは形式が好きなのねぇ……まぁ、いいわ。その話、乗った」

 

 フーケは男の言う同盟への参加を表明する。

 するとすぐ、ガチャリと音が響いた。

 

「え?」

 

 フーケから当惑の声があがる。牢の鍵が開いた、控えの男が鍵を開けたのだ。牢には固定化がかけられており、アンロックは使用不可であるので鍵を使って開けた事は分かる。

 

 

 

 

 分からないのは、仮面の男と控えの男と……その控えの男と同じ服装の『もう一人』が鍵を開けていたからだ。

 

「ちょ、ちょっと待って!? ふ、二人!?」

「鍵を開けたが、杖は後で渡す」

「そうじゃあないわよ!! さっきまでその男、一人だったじゃ……!」

 

 

 仮面の男を見て、もう一度二人の男を見るのだが……次は牢の扉を開けた『三人目』が存在している。また一人、増えていた。

 フーケは自分の目を疑った、何が何だか分からなかった。呆然と眺める彼女に対し、仮面の男は不気味に笑う。

 

「どうだ? 面白いだろ? 言っておくが、彼らは『メイジでは無い』……雇った者たちだが、傭兵なんかより忠誠心が強い」

「な、何なの……!? メイジじゃあないって、じゃあ何者なのよ!?」

 

 三人の謎の男の一人が牢屋に入り、ツバの広いハットを持ち上げて顔を見せた。左右対称に整えられた髭ともみあげが特徴的だが、彼の白い短髪を見てフーケは目を細める。何やら、見た事もないような文字が、本の文書のようにズラリと並べられているかのような模様があるのだ。

 良く見れば、後ろに控えるもう二人も、顔立ちや髭の有無と言う差異はあれど、似たような風貌である。フーケはこの者たちが不気味で仕方がない、何故か後退りをしている。

 

「何も怖がる必要はない。彼らは人であって、『人ならざる力を持つ者』たちだ。そしてその力で以て、裏の世界の番人となった者たちだ……恐れる必要はない、我々の味方であるし、お前が参入するのだから彼らは君の配下となる」

 

 仮面の男が言う通り、三人は帽子を脱ぎ、彼女の前へ跪く。その様子、かなり洗練されており、一挙動からして忠誠心を読み解く事が出来た程だ。

 フーケは呆れた表情で、それらを見ている。

 

「一体……どう言う手品だい? 一人が二人、二人が三人に一瞬で……」

「いずれ話すさ……兎に角フーケ、ここから脱獄しようではないか」

「……まぁ、楽しくやれそうだよ」

 

 牢の扉の前にいた三人は横へ避けて、フーケに通り道を作る。

 三人を怪しんで見ながら彼女は恐る恐ると言った様子でその横を歩き、抜けて行く。

 

 

 

 

 前を向くと、仮面の男が立っていた。

 

「ようこそ、『レコン・キスタ』へ」




原作一巻分終わったぁぁぁしゃあああああ!!
なんだかんだでやっと序盤が終了です。今の僕なら殺人ウィルスの真ん中に放り込まれても生きていられますね!
と言う訳で次回から『風のアルビオン編』に移ります。ゼロの使い魔の物語が一気に加速する、メイド・イン・ヘブンで言うなら特異点です。
まだまだ先は長いんだすけど、引き続き宜しくお願い致します。
では失礼しました。


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時に純情、時に夢中。

待たせたな(スネーク並)


 夜を洗い流すように、朝日は山脈の登頂より顔を覗かせる。黒を身に受けていた木々や石が、青白い光を得られる時間になりつつある。この世界での、何度目かの朝がやって来た。

 

「…………んん」

 

 まだ人間が起きるには早い時間とは言え、彼の朝は始まった。

 

「むにゃ……」

 

 寝惚け眼を擦り、弱い太陽光が差し込む薄暗い部屋を見渡して、物足りないようにあくびを一つ。別にもう少しだけ眠れるのだが、ただ毛布を被って眠るだけでは物足りない。

 

「……やっぱ圧迫して寝ないと落ち着かない。クッションとクッションの隙間が理想的なんだけどなぁ……思えばここに来てから、一回しかソレで寝てないし」

 

 現状に不満な所はない。ルイズの言い付けは守るし、分を弁える。食事は調理場で食べる事も許可されたし、友人だっている。時に起きる事件はあれど、夜も眠れないといったトラブルもストレスもない、至って平穏な生活。

 

 

 しかし、唯一ある不満点が睡眠である。彼は何かと何かに強く挟まっていなければ落ち着いて眠れないのだ。お陰でここ最近は寝不足気味か。

 

「ご主人に掛け合って、椅子とか机とか使ってみよう。これじゃあ、目の下に隈が出来ちゃうぞ」

 

 そう言いながら、「よっこらしょ」と怠い身体を何とか起こし、大きく伸びをする。膠着状態で固まった身体からポキポキと音がなり、幾分か解されたような気になった。

 

 

 息をふぅっと吐き、チラリと隣に目を向ける。豪華なベットの上で、ルイズがまだスヤスヤ寝息を立てて眠っていた。その寝顔はとても穏やかで、いつものややドギツい彼女よりも少女らしい、あどけない表情を見せている。

 昨晩は二人で踊った。ぎこちない定助に合わせて、上手く流動して踊るルイズ。早いものでもう昨日の出来事なのかと、光陰矢の如しを体現して染み入る思いとなる。

 

「やっぱり、ご主人もまだまだ子供だぁ」

 

 幼気な彼女の寝顔を眺め、少し吹き出す定助。これだけで何とか、寝惚けた頭が澄み渡るような気がした。

 さぁやるぞ、と定助は再びあくびをしながら、部屋の隅に置いていた洗濯カゴを持ち上げる。

 

 

 

 洗濯カゴには既に、ルイズの服が入っていた。少し前までは脱ぎ散らかし定助に集めさせた着替えも、最近は気付けば彼女自身が洗濯カゴに入れている。定助の事を認めてくれている証拠であろう。

 定助からしたら、仕事が少し楽になって、嬉しい成長だと捉えられるのだが。

 

 

 

 

「…………ん?」

 

 部屋を出る前に、何気無しにチラリとまたルイズの寝顔を確認する。

 

 

 穏やかだった寝顔に、若干の歪みが出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤と青の双月が俯瞰する、その日だって何も変わらない綺麗で耽美な星空の天井。

 月明かりに星明かり、その二つに照らされた豪華な屋敷からは、夜だと言うのにあまりに忙しない足音や呼び声が右往左往と散らばっていた。

 

「ルイズお嬢様! 奥様がお探しですよ!」

「何処にいらっしゃるのですか!」

 

 複数のメイドや執事が、屋敷の中や庭を大捜索している。廊下を見渡したり、茂みを掻き分けたりと、皆は小さなお嬢様を必死に見つけようとしていた。

 

 

 

 

 足音が聞こえ、咄嗟に探し人たるルイズは茂みの影に身を潜めた。次にランタンの煌々とした紅い火が、朧げで頼りない月明かりに代わって闇を払う。

 しかしルイズの隠れる茂みの影まではランタンの明かりは届かず。

 

「ルイズお嬢様! ルイズお嬢様!」

 

 頭にこびり付くかと言うほど、あちらこちらで叫ばれる自分の名前。何だか、自分が非難されているかのようで、ルイズの心は締め付けられるような疎外感に圧迫された。

 

「おかしいわね……でも、さっきこっちで動きが……?」

 

 今は疎外感以上に、危機感が優っているだろうか。

 ランタンを持ったメイドが、先ほどルイズのいた地点に気配を感じ取ったようだ。明かりを掲げ、綺麗に整備された庭の茂みを照らして確認に入る。

 

 

 心臓の鼓動が緊張で速まり、押し殺そうとする呼吸音が塞いだ手の隙間から漏れる。必要最低限に出来る範囲で自分の気配を無くそうと彼女は勤めた。だが、そんな彼女の努力とは裏腹にメイドはどんどんとルイズの隠れる茂みの方へ足を進める。

 芝を踏み鳴らし、ランタンの揺れる金属音が大きさを増して行く。

 

 

 ルイズは子供らしく、目を瞑って自分の存在を消した。もうそれ以上、彼女に出来る事は無い。

 

「ルイズお嬢様?」

 

 メイドは近付き、茂みに手をかけた。

 

 

 

 

「く、くそッ! 何で見付から無いんだ! ど、何処にいるんだ!?」

 

 途端、男の苦しそうな声が飛び込んで来た。

 それを聞いたメイドは茂みに手をかけるのをやめ、クルリと振り返る。

 

「あ、や、やばいぜッ! ま、瞼が下りて来た! あ、上がらない、何も見えねぇ!!」

 

 ルイズがなかなか見付からない事への焦燥感からヒステリックを起こしているようで、召使いの一人だと声の覚えがあるその男は膝をつき、喚き始めた。それに気付いたメイドは、ルイズのいる茂みから離れて、急いで彼の元へ走って行く。

 

「落ち着いてください! お嬢様は多分、この近くにいますよ!」

「手、手が汗でビショビショだぁ! まるで油を触ったみてぇだ、拭きたい!」

「ほら、私のハンカチを使ってください!」

 

 

 彼はメイドからハンカチを受け取ると、遠慮も断りも無しにそれで、一心不乱に手を吹き始めた。

 

「あぁぁあ……苛つきが募るといつもこうなんだ! 馬車の御者をやれば事故るしよぉぉ! こんなオレに何が出来るってんだ!?」

「執事様の仕事は大変素晴らしいですよ! ベッドメイキングに食器の配膳だって、執事様ほどに手際の良い人はいないですよ!」

「はぁ、はぁ……そ、そうなのか……?」

「えぇ。だからほら、呼吸を整えてください。大丈夫、ルイズお嬢様はすぐに見付かりますよ。もう瞼は重くないでしょ?」

 

 メイドの優しい問い掛けを受け、男の硬く閉じられた瞼は徐々に開いて行く。手の汗も止み、呼吸も落ち着いていた。

 開け放たれた目がメイドを見ると、彼は幾分か落ち着いた口調で話し掛ける。

 

 

 

 

「すまねぇ、まただった。だが大丈夫、だんだん集中出来るようになってきたぜ」

「平気ですか?」

「大丈夫大丈夫」

 

 すくりと立ち上がり、まずは溜め息を一つ。

 

「…………しかし、ルイズお嬢様は困った人だぜ」

「まぁ……奥様のお説教は長いから、気持ちは分かりますけど」

「だが変なお嬢様だ、魔法が出来ないんだからなぁ」

 

 魔法が出来ない、と言う言葉にルイズはびくりと身体を震わした。

 触れられたく無い部分に触れられたようだ。

 

「上のお嬢様がたは出来るってのに、何故か末っ子だけとは……不思議なこった」

「貴族なのに魔法が使えないなんて、聞いた事はないですね」

「出来たお姉様と、出来ない末っ子さんか。そりゃ奥様もお厳しい訳よ」

 

 

 ルイズは魔法の出来ないと言う劣等感の中、批判や否定に強く敏感になっていた。それを覆い隠すかのように強情で高飛車な性格でバランスを取ろうとしても、持って抱えて引き摺って来た劣等感にはどうしても勝てないだろう。

 

 

 無意識の内にルイズは口を塞いでいた己の手で、耳を塞ぐ。あまりに辛いこの世界から、小さな身体を消してしまいたかったのだ。

 

 

 

 

「所で、集中力が高まって気付いたのだが」

 

 男は茂みの方へ指を差した。

 

「見てみろ。そこの茂みの所をよぉ〜」

「え? 何かありました?」

「何ってほら、枝が何本かポキポキ折れて落ちているだろ?」

 

 確かにその場には枝が数本落ちていた。しかも良く見れば、枝が落ちているのはその辺りのみで、他には目立ったような枝木は見付からない。

 その茂みは、ルイズの隠れている場所だ。

 

「庭の掃除は、お嬢様が抜け出す前にやったハズだぜ。で、その茂みの所の枝と、少し窪んだ部分……誰かが掻き分けて入って行った証拠だぜ」

「……もしかして」

「そうだ! そしてあの、窪みの大きさからして小柄な人間……つまり、その裏に!」

 

 男はメイドからランタンを貰い、さっきまでの弱気な彼とは打って変わった、まるで神父を守ろうと言う使命感に燃える青年のような勇み足で茂みの前にやって来た。その裏に彼の読み通り、ルイズが隠れているのだ。

 

 

 茂みの前でにやりと笑うと、枝に手を入れ大きく掻き分ける。

 

 

 

 

「オレは」

 

 

 彼は茂みをガバッと開く。そして、月から世界を見下ろしたような煌めく精神で叫んだのだった。

 

 

「オレはヴァリエール家の執事なんだぁぁぁ!!」

 

 

 

 

 

 茂みの向こう、誰もいない。

 もぬけの殻。

 

 

「………………」

「そこ、さっき、私が探そうとした……あ」

 

 メイドは失言だったと口を塞いだが、一手遅かった。

 

 

「……た、あ、ぁぁぁ! お、お、オレのせいなのかぁぁぁ!?」

「お、落ち着いてくださぁい!!??」

 

 執事はまた跪き、ストーンと落ちた瞼に慌てふためきヒステリックにまた陥る。その様子にまたメイドは対応するが、ランタンを落としてしまって明かりはルイズのいる場所を映さなくなった。

 

 

 

 

 ルイズは茂みの少し先にある、木の後ろに隠れてコントのようなやり取りを見ていた。

 ヒステリックを起こした執事にメイドが気を取られている内に、彼女はその場を退散する。本当にこれが執事で大丈夫なのかとも、少し思ったり。

 

 

 

 

 

 

 彼女が目指しているのは、庭の溜め池。池の端にはぷかりと木船が浮いており、ルイズはその上に乗る。ここが何よりもお気に入りだったのだ。

 乗った時に岸を蹴って船を軽く押すと、船は池の中央へ中央へと自然に進んで行った。

 

 

 水面に月が写り、波が立って崩れている。

 船はゆっくりゆっくりと、月の写る水面へと進んで行く。青い光が反射する、綺麗な夜の湖畔のようだ。

 

 

 

 

 膝を抱えて、船に乗せられていた雨除けのシーツを防寒着として羽織る。

 それほど寒くはない夜ではあるが、小さく敏感な身体には夜風さえ毒で、言えど今の彼女には感覚以上に冷たく思えたのだ。

 

「…………」

 

 船から水面を眺めてみた。自分の顔が、歪んで写る。

 良く良く目を凝らしてみると、目が潤んでいるように感じた。咄嗟に目元を擦ってみると、ぺたりと濡れた感覚が親指の根元より現れた。知らず知らずの内に泣いていたのかと、彼女は何処までも泣き虫な自分を呪った。

 

 

 

 

「……誰も理解してくれない」

 

 

 指を、池の波に沿って輪郭をなぞる。彼女の想像の中では、水が空中に浮いて、踊るように回っていたのだが、勿論起こせぬ事象であろう。

 

「誰も信じてくれない」

 

 力無く上げた腕は、力無くぽとりと落ちた。強く膝を抱き寄せ、深い溜め息が口から溢れる。

 

 

「誰も誰も……お父様もお母様も、お姉様たちも……魔法が使えない私を理解してくれるのかしら」

 

 海流の無い池の上、動力を失った船はぴたりと止まった。池に写る月と月との間、船はその二つを結ぶ橋のようにそこで止まっていた。

 

 

 

 

「……私は、永遠に独りぼっち……なのかしら」

 

 

 一瞬、夜風が強まり船の向きが左にやや、傾いた。シーツを飛ばされないように強く握り、孤独感と言う微睡みの中で、消えそうな自分を力強く誇示しようと努めている。

 

 

 魔法が出来ない劣等感は他者との区別を生み、疎外感を作り出す。それが周りの目への恐怖となって、心には孤独感が大きな化け物のように待ち構えていた。

 今日だってその孤独感に耐え切れず、魔法が出来ずに叱る母親から逃げ出している。ルイズは厳しい母からでは無く、この孤独感から逃げ出したいのだ。苦しくて辛い、深海の底より空気を得たかったのだ。

 

 

 

 

 風は止み、静寂が戻る。そうなるとまた、孤独感が水面から顔を出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりここにいたね、ルイズ」

 

 

 そんな孤独感を裂いて、静寂を破った一筋の若い男性の声。

 ハッとしてルイズは、俯けた顔を上げた。

 

 

「君はここが好きだから……とても静かな所だよ」

 

 緑色のコートと、ツバの広いハットを被った青年が、いつの間にかそこにいた。

 ルイズはその青年に対し、確かに驚いたものの、恐怖なんかよりも安心感が心に現れている。

 

 

「子爵様!」

 

 ルイズはシーツを取り払い、頰をポッと染めて青年を見やる。

 その様子を見て青年は、にこりと微笑んだ。月明かりが朧げなだけに表情の全ては見えないものの、優しい笑みは口元から想像出来た。

 

 

 するとルイズは、急いで顔をまた俯ける。

 

「泣いているのかい?」

「あ、えぇと……何て事ありません、少し目に埃が入ってしまいまして……」

「ははは。もしかしてさっきの夜風で……かい?」

 

 青年は俯くルイズの顔を上げさせ、自身の指で涙を拭ってやる。また彼女の表情は赤みが差し始めた。

 ルイズは話を変える。

 

「そ、それよりも子爵様……いらしていたのですか?」

「君のお父上……ヴァリエール公爵様にお呼ばれしてね。少し恥ずかしいけど、『あの話』についてだよ」

 

『あの話』と言うワードに反応し、ルイズの顔は暗がりでも分かるほどに紅潮する。そんな様子が面白いのか、青年はクスクスと上品に笑った。

 

「あ、『あの話』って……」

「嬉しいのかい?」

「……私、まだ小さいので、良く分かりません」

 

 少し弄らされていると感じ、照れ隠しを交えて彼女はモジモジと曖昧な返答をする。

 青年は愉快そうに笑い、「そうだね」と一言つけてルイズへ手を伸ばした。

 

 

「でも、いずれ分かるさ」

「いずれって、いつでしょうか……」

「案外、すぐ先かもしれないよ。掴めば届く……そんな距離だ」

 

 青年はまた、優しい笑みを見せた。

 

 

「さっ、お屋敷に戻ろう。晩餐をご一緒にするからね。君がいなくちゃ僕の立つ瀬が無いよ」

「でも……」

「君の母上は僕から取り次いであげるよ、安心して……僕の可愛いルイズ」

 

 

 伸ばされた彼の腕に掴まろうと、ルイズは両手を広げる。心を満たしていた孤独感はいつの間にか消え、代わりに果てのない愛と安心感が満ち満ちていたのだった。

 

 

 

 

 双月が眺める池の上。

 虚ろに写る月が二人のようで、それを繋ぐ木船で束の間の逢瀬。そんな甘美で何処までも愛らしい、幻想的で優雅な夜の水面。そんな中でルイズは幸せに酔い、愛しき子爵様の温もりに包まれようと身体を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかしその身体は突如、後ろへ引っ張られた。

 

「えっ!?」

 

 ルイズは驚きの声をあげた。身体が後ろへ引っ張られた事に対してもそうだが、自分の身体が成長し、ドレスから魔法学院の制服に早変わりしていたからだ。時間を加速させられたような、妙な感覚。

 

 

 青年へ助けを求めるより先に、自分を彼から離した者の正体を知ろうと彼女は精一杯振り返った。

 

 

 

 

「……え?」

 

 

 月明かりよりも輝き、そして堂々と構える亜人の姿。ぼんやりと浮かび上がるその存在は、目を疑うほどに美しく見え、無駄を削ぎ落としたような精悍で無機物なそのフォルムに目を奪われる。

 

 

 丸い目はルイズでは無く前を見据え、細く長い腕が彼女を守るかのように抱き竦めていた。

 突如、ルイズから見ての向かい風が吹き、船は後ろへ後ろへと後退を始めたが、ルイズの目線はその存在の横顔を捉えて離さなかった。

 

 

 

 

 人間では無い存在、突如現れた異形……しかしルイズの心にはまた、青年に感じたような深い安心感が風のように、爽やかに吹き注がれている。

 彼女は存在の名を言った。

 

 

 

 

「……『ソフト&ウェット』……?」

 

 

 

 

 すると目の前にシャボン玉が飛んで来て、パチリと割れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……!?」

 

 次に視界に広がった光景は、見慣れた場所。

 自分はネグリジェ姿でベッドに座り、薄い太陽光の差し込む自分の部屋を見ていた。ここは学院の寮で、彼女は夢から覚めたのだ。

 

 

 ぼんやりした頭と、寝癖の目立つ髪を撫でて、彼女はキョロキョロと部屋中を見渡す。

 

 

 

 

「……ジョースケ?」

 

 定助の眠っていた場所は、畳まれた毛布だけが置いてあり、洗濯カゴが無い。彼はいつもの朝の習慣、洗濯へと馳せ参じたのであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陽光が広がり、鳥が鳴く頃の井戸の前。

 学院生徒の服を洗濯するメイドたちに混じり、白い服と帽子を被った場違いな青年が洗濯板と向き合っていた。その青年とは言わずもがな、定助である。

 

 

「その服、半分洗ってあげるよ」

「えぇ? それは悪いですよ」

「大丈夫大丈夫、もう少し練習も兼ねたいしさぁ」

 

 定助は他のメイドの、山のような洗濯物を何枚か請け負っていた。

 彼はやっとの事、洗濯板での洗濯に慣れ、それなりのスピードで洗えるようになって来ていたのだ。ルイズのだけとは悪いので、彼自身もメイドたちと共に奉仕活動のお手伝いまでする余裕も出ていた。

 

 

「すっかり上手くなられましたね!」

「みんなやシエスタちゃんの指導の賜物だよ」

「今じゃ私たちに追い付くほどじゃないですかぁ!」

 

 洗濯に参加する度に、シエスタ以外のメイドたちとも親睦を深めるようにまでなって来た。

 

 

 

 

 

 

 

 実はこの洗濯は、定助の力は込められていない。

 いや、込められてはいるのだが、使用しているのは『ソフト&ウェット』。汚れを泡で奪って洗っているのだ。

 

 

 表面上は洗濯板でゴシゴシ擦っているが、スタンドがメイジ以外の人間に見えない事を良い事に、彼の隣で『ソフト&ウェット』が桶に手を突っ込み泡を立てていた。

 スタンドの能力が混じった『ソフト&ウェット』の泡は洗濯物から汚れを奪い、バレないように股下から通過させて地面に落としている。桶の中の泡は石鹸でカモフラージュ出来る。

 

 

 

 

 フーケとの戦いの最中、シャボン玉が泡の一部だと知り、大量の泡で多量の物質やらを奪えるようになった。一重に自分の成長だと、ここまで教えてくれたシエスタには少し悪いが、活用させて貰っている。その罪の意識から、他の人の洗濯を引き受けるようにしているが。

 

 

「よっし。殆ど洗えたよー」

「凄いですね! もう一端のメイド並じゃないですか!」

「それほどでもないかなぁ」

 

 定助は頭を掻きながら謙虚に振る舞う。

 

 

 チラリと横目で『ソフト&ウェット』を見やり、本当に感謝を心でする。

 

 

 

 

「それよりジョースケさん、御朝食はまだですか?」

 

 洗濯の最中、隣にいたメイドが定助に話し掛けて来た。定助の朝食は、洗濯後に厨房で貰える賄いであるので、まだ済ましていない。

 

「オレェ? まだだけど」

「なら、朝食は私が作りましょうか?」

「え、いいの!?」

 

 

 なんと顔見知りのメイドから朝食のお誘いだ。

 すると、他のメイドたちが一斉に異議申し立てを行う。

 

 

「じょ、ジョースケさん! わわ、私、シチュー作れます!!」

「朝食でしたら、私とご一緒しません!?」

「実は魚介のスープの練習してまして! どうですか!?」

「ジョースケさんになら、腕を振るいますよ!!」

 

 

 単刀直入に言えば、定助はメイドたちにモテていた。

 それもそうだ。魔法学院は比較的若いメイドたちは、出会う男性と言えば中年が殆どの職場……歳の近い人はなかなかいない。

 そんな中で比較的歳も近く、尚且つハンサムな方の定助に目が行くのは当たり前であろう。更に貴族を破り、フーケを捕らえた定助は学院で働く平民たちの誇りであり、憧れの的。好意を抱かれない訳が無かったのだ。

 

 

「お、オレェ? オレだけ?……流石のオレでも、朝からはそんなに食べられないよ……」

「そんな事言わずに、私とどうですか!」

「いやいや私とッ!!」

 

 この世界の女性は非常に逞しい。逞しいだけに、押しが強い。

 

「いや、みんなで一緒に食べようよ……厨房でマルトーさんの賄いを……」

「手料理を振る舞えるのは、台所の数からして二人三人なんですよ! だから私と……」

「……キミ、今来たばっかりだよね?」

 

 定助を取り合うメイドたちの騒ぎにオドオドとする本人であるが、その騒ぎは一人の『猛者』の出現によって終結する。

 

 

 

 

「おはようございます! 今日も早いですね!」

 

 シエスタだ。

 

 

「あ、シエスタちゃん。おはよ……言っても、少し眠いんだよなぁ」

「あら。駄目ですよ、ちゃんと眠らないと。身体が冷えて、今日一日保ちませんよ?」

「そうかなぁ……まぁ、そうだよね」

「それでしたら私、温かい物でもお作りしますよ?」

 

 来た途端に、自然な流れでのお誘い。この場にいる人々全員に、全てを静止させるような冷気が降り掛かった。

 

 

 シエスタは定助と非常に親しい。聞けば、この学院で初めて彼に色々と教えた平民は、彼女だそうだ。

 それ故に、シエスタのお誘いならば定助は…………

 

 

 

 

「おっ、シエスタちゃんの手料理か。そりゃいいなぁ!」

 

 ……間髪入れずに承諾するのだ。彼は彼女をかなり慕っている。

 

「ちょっとシエスタ!? よ、横取り!?」

「横取り? ジョースケさんは私を選んでくださいましたよ?」

「うぐっ……!」

「戦術じゃあない、戦略なんです」

 

 いつもの満点な輝く笑顔。しかしそこに、ドス黒い裏の顔がある事を定助は気付けなかった。

 圧倒的な強者、他のメイドは肩を落として諦念状態。

 

 

「シエスタちゃん、戦術やら戦略って何の……」

「あ、何でもないですよ! それにしてもジョースケさん凄いですね! もうお洗濯もお手の物じゃあないですか!」

「あ、そぉう? そぉぉう? ほら、下着も出来るようになった」

「ジョースケさんは物覚えが良い方ですからね!」

 

 この二人から溢れる『幸せな家庭的空気』は何だろうか。凄まじいムードに、他のメイドはただ食われ飲まれるのみ。

 最終的には「シエスタならしょうがない」と、妙な屈服と敗北感まで起きてくる始末。定助を前にした彼女は、今までと考えられないほどに強気となれるのだ。

 

 

 

 

「あぁ、癒される……」

 

 定助はシエスタの笑顔を前に、恍惚とした表情を一瞬見せた。

 完全に彼にとってこの学院生活での、癒しの一つとなっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 洗濯を天日の下に干し、定助はカゴだけ持って寮に戻る。今日もシエスタと会った、とても気分の良い朝だ、なんて思っているのだろうか。

 曲名の知らない鼻歌を歌い、ルイズの部屋の扉を開けた。

 

 

 

 

「あ、ジョースケ。洗濯してたの、ありがと」

「……おっ?」

 

 

 いつもは寝坊助たるルイズが、もう起きていた。しかも、いつもは定助にさせていた着替えも済まして、髪を梳いていたのだ。

 これは珍しい、しかも頭がなかなか起きないタイプの彼女にしては怪しいまでにおかしい、目覚めの良さ。

 

「何だ何だご主人……早いなぁ、今日は」

「私だって自分で起きれるわよ……あんたが来るまで、一人で起きていたのだから」

「え? キュルケちゃんに起こし……」

「それ以上言うとぶっ飛ばすわよ」

 

 殺気を感じ、定助は右手で自分の口を塞ぐ。「それで良し」と、ルイズは不敵な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 朝の日に輝く、桃色の髪を靡かせ、大きく伸びをした彼女はベッドから立ち上がる。目元を親指で擦り付け、椅子の背もたれにかけていたマントを羽織り、杖を手に取りマントの内ポケットに仕舞う。

 

 

 

 

 そして真っ直ぐ、定助を見据えた。

 

 

 その目の奥に、不安が見えたのは気のせいであろうか。

 

 

 

「……おはよう、ジョースケ」

「おはよう、ご主人」

 

 二人のまた、新しい朝が始まる。




バイオハザード7とダンガンロンパV3にハマってました。
ランタン死亡説が流れていた頃だと思いますがハーメルンよ、私は帰って来た!(ガトー並)


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殿下行幸。その1

5/31→『TABITHA BIZARRE ADVENTURE』にて、新話を投稿しました。
目次上部へどうぞ。お久しぶりです。


 四大元素の一つ、【風】。

 火、土、水の内で唯一、不可視たる物体である。

 

 風向きならば雲の動き、風車の向く方、或いは唾液に浸した指を使って見る事は出来るだろうが、『風自体』を見た人間はいないであろう。

 

 

 それでいて、他の三つと同様の『恩恵と害悪』を人間にもたらして来る。

 火は温もりと業火。土は創造と土砂崩れ。水は潤いと洪水。風は快さと嵐。人間は古来よりその恩恵と害悪を受け、恩恵を多く得て、害悪を少なく受ける方法を思案して来た。

 

 

 火であるなら水を、土であるなら補強を、水であるなら堤防を。

 

 

 

 

 だが、風はどうだろうか。

 風が一度吹けば、火は一層盛り、土は吹き上げ削れ、水は揺蕩いいずれ荒れる。誰が嵐を止められる? 誰が突風を受け怯まずにいられる? 誰が風を掴める?

 

 風には、全ての元素を活発にさせるか、或いは文字通り風化させる力を持っている。それでいて風は目で見る事は出来ず、人はその中で流れて行くのみだ。

 

 

 故に誰かが言う、「風は盾となり矛となる」と。

 風の気分により、全てが変えられるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………以上の点により、【風】こそ四大元素の中で最強であると言う、私の知見であるが、如何かな諸君?」

 

 

 黒い髪をし、狐のように細く尖った目をしたミスタ・ギトーと呼ばれる教師を前に、皆が沈黙した。

 このギトー、高圧的な調子で授業を行い、更には痩せぎすな風貌が不気味だとして、あまり好かれてはいない教師の一人でもある。言えど魔法学院の教師は全て貴族の家系であり、そう言った高飛車な態度と性格は必然と言えば必然であろう。

 

 また、そんな教師にはタイプ分けが生徒間でされており、『ひけらかし型』『絶対君主型』『功績自慢型』『弱点は無い型』『オラは無敵なんだど型』『無駄無駄型』『祝福しろ型』『以上で終わりだそれだけ型』……などなど、歴任した先生の数ほどあるのでは無いかと調べたくなるほどに、枚挙に暇が無い。

 

 

 

 

 この教師、ギトーは『ひけらかし型』であった。

 彼は【風】のメイジであり、授業では風系統について受け持っているものの、専門科目としても一向に「風の系統は最強」だとしか言わない。最強である所以は言う割に、いざ敵対した場合の対処などは一切答えようとしない……最も、風は最強であると言う考え方を元にしており、風は火も水も土、更には伝説の『虚無』にも対応出来ると豪語してしまったのだ。

 

 

 

 

(無い物をどうやって吹き飛ばすのよ……)

 

 

 ルイズは最前列にて内心、そう毒吐きながら紙に彼の講義内容を書いて行く。意見の一つも言いたいが、何の魔法も使えない自分が言ったって「使えない君が言うのかね?」と一喝され終わりだ、と言う事は目に見えている。

 出来る事は、高圧的とてメイジの先輩である事に変わりない彼の知識を吸収する事だろうと、真面目に取り組んでいた。

 

 定助は隣にて、床で胡座をかいて座り、真剣に授業を聞いていた……いや、真剣かどうかは表情から分からない。普通の時は読めない表情をしているからだ。

 

 

「……ふぁあ」

 

 

 場にいるだけで疲れて来るような彼の授業に、耐え切れずキュルケは欠伸を吐いた。それも、後方の席に座っているのに最前列のルイズと定助にまで聞こえて来る、わざとそうしているとしか思えない、大きな欠伸である。

 

 案の定、ぎろりとギトーの鋭い目は、キュルケの方へと向けられた。

 

 

「……ミス・ツェルプストー。人前で堂々と生欠伸とは、貴族としてどうなのかね?」

 

「……失礼を、ミスタ。昨晩の予習の影響が出ているだけでありますわ」

 

「ほぅ、それは精が出るな」

 

 

 そう言うとギトーは、一度だけニヒルに鼻笑いをする。

 

 

「では、そんな生徒の模範たるミス・ツェルプストーに意見を求めてみようか」

 

「……はい?」

 

「予習をしたと言うのなら【風】についての考えもあるだろう。それとも君は、本に書かれた内容だけを享受し、勉強した気になっていただけかね?」

 

 

 彼の挑発は、プライドの高いキュルケの闘争心に火をつける要因である事は自明の理であった。

 そう、発泡酒を飲めば噯気(あいき)が出るくらいに自明の理だ。

 

 

 

 

 キュルケは席から立ち上がり、「当たり前じゃあないの、やってやるわ」と言わんばかりの気迫で語り始める。

 

 

「まず、『風はどんな属性にも影響を与える』と言う点ですけど、この点は同意しますわ」

 

「ふむ」

 

「しかし、『最強』と言うのとは違うのでは? 自然論を引き合いにおっしゃっていましたが、土を削る、それは何百年かけての話。火と水に関しては寧ろ力を助長させてますし、最強は最強でも『縁の下の力持ち』な方でありまして?」

 

 

 キュルケの雄弁は止まらない。

 

 

「自然界では無く、魔法学上でもそう言えますわ。【風】はバリアにフライなど、どちらかと言えば非攻撃的な魔法が目立ちます。それに軍法でも、前線は火と土、後援に水と風とありますわ」

 

「一理あるな。ではミス、何が最強と思うのかね?」

 

「【火】ですわ。圧倒的に攻撃魔法のバリエーションが豊富で、そのどれもが一定以上の破壊力を有したものばかり。猛火も情熱も、並みの風では吹き飛びませんわ」

 

 

 言い切り、キュルケはにやりと笑う。所謂、してやったり顔と言うもの。

 どうだ参ったかと、知略尽くして究極生物を退けた男の思いのような気分に浸っていた時、悔しがるであろうギトーから『まさか』の提案が下る。

 

 

 

 

 

「では実践に入ろう。ミス・ツェルプストー、私に一撃食らわせてみろ」

 

 

 彼のその言葉に、キュルケ含めた生徒全員が騒めく。

 

 

「オイオイオイオイ……クソったれギトーがプッツンギトーに変わったぞ……」

 

「あぁ……しかし、ギトーにはやると言ったらやる、凄みがあるッ!」

 

「お、俺は板書をしていたと思ったら、いつの間にか実践になっていた……た、ただ居眠りしていただけと思うが……」

 

「そう! 二人には覚悟があるから幸福なのだッ!!」

 

 

 

 

 例外としてルイズ、タバサ、定助の三人だろう。ルイズはつまらなそうに頬杖つき、タバサは授業の始めより本を読み、定助はただぼんやりとしている。

 

 

「えぇと、ミスタ。お言葉ですが、『一撃食らわせてみろ』とは、額面通りに受け取ってよろしくて?」

 

「そのまんまの意味だ。それとも、ツェルプストー家には私の知らない暗喩でもあるのかね?」

 

「……えぇ、了解しました。けど、責任は取りかねますわよ」

 

 

 キュルケとギトーは杖を取り出し、お互いに対峙する。

 二人の距離は、定助の目測だと十メートル程度。避けるに難しくは無い距離ではあるが、双方の魔法の威力がほぼ弱まる事なく到達する距離でもある。

 

 

 

 

「全力でかかってきたまえ」

 

 

 ギトーの言葉を狼煙に、二人の間にいる生徒は延長線上から外れるか、席下に隠れた。その為のワンテンポ置いた後に、間髪入れずにキュルケは呪文を唱える。

 

 

「『フレイム・ボール』ッ!!」

 

 

 呪文によって出来上がった炎球は風船のように膨れ、熱気は教室の端にいる定助にもやって来た。

 

 

「あつっ」

 

 

 定助は小さく悲鳴をあげ、ギトーに強く注視。

 あれだけ啖呵を切れたんだ、何かしらの手を持っているに違いないと、純粋に好奇心を抱いていた。

 

 

 

 

 ギトーは、生徒たちならまず狼狽するほどのキュルケの強力な炎魔法を前にしても、涼しい顔をしている。「なんだ、こんな程度か」と思っているような、澄ました表情だ。

 

 直後、キュルケの杖先から小さな太陽が、ギトー目掛けて突進する。杖から離れてしまえば、キュルケの制御なぞ存在しない。一切の制約から解放されたフレイム・ボールは、距離を詰めて彼の高い鼻先にぶつかろうかとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ!!」

 

 

 どの生徒かは分からないが、口々に声が上がる。

 

 

 ギトーを呑み込むハズであった炎球は、いきなり陽炎のように霧散したのだ。

 その向こう、ベールを斬って姿を現したのはギトー。彼の姿がふわりと見えた瞬間、暴風がキュルケ目掛けて這い上り、羊皮紙や小さな使い魔を舞い上げながら逆に彼女を呑み込んだのだ。

 

 

「……!? きゃあ!?」

 

 

 耐え切れずキュルケはバランスを崩し、尻餅つく。

 

 

 

 

 そして対するギトーは、悠然と教卓前に立ち、演奏を終えた指揮者のような気取った仕草で杖を下ろす。

 

 

「灯火なんぞ、風には無力だぞ? ミス・ツェルプストー」

 

 

 暴風は止み、教室中はしぃんと静まり返る。

 生徒たちは私に畏敬を示していると、満足げな表情のギトーはまた教卓へと凱旋。講義を続けた。

 

 

「一概に風とて、効用は様々だ。軍法ではこうもある、『大軍を割るは風』と。風は空気のある場所なら何処でも発生する、絶対的な物。灼熱の砂漠でも、深遠なる洞窟にも、果ては天空とて……風を止める物は存在しないのだ」

 

 

 彼は呆然と眺める生徒らを前に、こう締め括る。

 

 

 

 

「【風】は最強の元素である。異論はあるかね、生徒諸君」

 

 

 手を挙げる者はおらず、そのまま彼は、しぃんと静まり返った教室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギトーが去って少しした教室内。

 生徒たちは各々、自分たちの自由時間を過ごしていた。

 

 

「あーーーーー……ッたまに来るわ、あの痩せぎすド腐れ便所のタンカス藁の家!!」

 

 

 キュルケは次の授業の準備をしているルイズの隣に座り、ぐちぐちと先程の件について文句を放っていた。足と腕を組み、指は腕の上で貧乏揺すりさせており、表情も含めて全身で不快感を表現する。

 

 彼女の右隣にタバサが座り、左隣がルイズ。ルイズは鬱陶しそうに目を細めながら、彼女の愚痴を流していた。

 

 

「厳しい先生って事は知ってたでしょ、あんた。欠伸なんて、喧嘩売ってるとしか思えないわよ」

 

「あれは本物よ。あなたほどじゃないけど、勉強はするわ」

 

「ふぅん」

 

「なによ、疑ってんの?」

 

「疑ってないわよ。言っても、あんたが勉強してるかなんてどうでも良いし」

 

 

 授業前か最中のルイズは、キュルケが呆れる程にドライとなる。

 ルイズとの会話に飽きた彼女は、更にその隣の床の上に胡座かいている定助に話しかけた。

 

 

「ねぇ〜、ダーリンも思わない? あの痩せぎす、意地悪でしょぉ?」

 

「同意するよキュルケちゃん。あれは流石に、自己顕示欲が見え見えだった」

 

「やっほぉ! ダーリンは分かってくれたみたいよ? ミス・ヴァリエール?」

 

「……どうでも良いってば」

 

 

 今でも定助をダーリン呼ばわりするキュルケに、淡々とを装いつつも内心腹立たしく思い始めたルイズ。

 しかし今は、定助は自分を挟んだ向こう側。自分が壁となり、キュルケが定助に纏わり付けないようになっている。

 

 

「大体あの痩せぎす、喋り方が一々鼻につくのよ。『僕は何でも知ってますよ〜』みたいな! 宝物庫の時にゃ誰の責任誰の責任とか言って、眼鏡のキレ芸にアタフタしてたじゃあないの!! 大物風の小物よ、小物小物小物ッ!!」

 

 

 誰の相槌も入らないものの、彼女の怒りは勝手に上昇し、乗じて饒舌になって行く。相当にあのギトーが嫌いのようだ(名前さえ口にするのも嫌なのか、さっきから『痩せぎす』としか呼ばない)。

 

 

「ちょっと話題が遅れたけど……キュルケちゃん、あの先生に吹き飛ばされていたけど、怪我して無かった?」

 

「心配してくれるのね、ダーリン! もぉ〜、あたしにはダーリンしかいないのね!」

 

「怪我は無い、ようだね」

 

「痩せぎす、手加減したようなの。技量は本物だって認めてやるわよ、性格は人の足踏みつけても平然としてそうなほどに最低だけど!!」

 

 

 確かに彼女の言う通り、あのギトーのメイジとしての技量は逸した物であろう。

 キュルケの技量も申し分ない、あの『フレイム・ボール』は並のメイジには歯が立たない魔法だった。しかしそれを彼は涼しい顔をして、消した上に反撃も行った訳だ。

 

 ギトーの技量は眼を見張る物はある。でもやはり、「風こそ最強」と言った絶対主義的態度は眉を顰めてしまう。

 

 

「ねぇ、真面目なヴァリエール?」

 

 キュルケはいきなり、ルイズに話し掛ける。

 

「何よ?」

 

「魔法はからっきしだけど、知識は豊富な貴女に聞くわ」

 

「喧嘩売ってんの?」

 

 

 ただでさえヴァリエール家とツェルプストー家の確執と言うものがある上に、ルイズも彼女を快く思っていない関係上でその煽りは宣戦布告と見た。仇の吸血鬼に、銃を撃ちまくるかのような行為だ。

 

 不機嫌に睨み付けるルイズを、キュルケは飄々と受け流して質問をする。彼女の属性は火だが、性格は風のようだと定助はヒヤヒヤしながら思った。

 

 

 

 

「【風】の魔法って、弱体化って出来ない?」

 

 

 自分の話を押し通すキュルケに若干呆れながらも、溜め息吐いて質問に応じる。

 

 

「無理よ。ミスタ・ギトーも言っていたけど、空気ある所に風はあるんだし。唯一無力化出来るとしたら水中じゃないかしら?」

 

「水系統なら兎も角、あたしは火なのよ?」

 

「だったらフーケ並のメイジと組んで、土を盛り上げて生き埋めすれば?」

 

「そんなメイジ、ホイホイいる訳ないじゃない」

 

「じゃあ、無理よ。と言うか私より、風系統で技量もある、あんたの友達のタバサに聞きなさいよ」

 

 

 詳細を二人の後ろの座席で読書しているタバサに振り、ルイズは書き進めていた紙へと視線を落とす。

 ルイズ自身、一応風への対抗策を考えてはいたが、もし一級の風のメイジと邂逅した場合は上手く立ち回らない限り厳しいだろうと言う見方を示していた。

 

 

 

 

 また、最後にタバサへ説明を押し付けていたのは、確かに彼女も風系統の専門家だと見た上での推薦でもあるが、さっさとキュルケとの会話を切りたかった思いが半分以上を占めた打算からだ。

 

 だが人間、計算通りに行かない物。特にこのカウボーイもびっくりな自由人キュルケには通用しない。

 

 

「なら、ダーリンの能力で空気奪っちゃえば良いのよ!」

 

 

 今度は定助に突っかかった上に、いつの間にやら定助の隣にいたキュルケ。紙へ集中していたルイズははっとなって隣を見た。

 

 キュルケは猫背で胡座かく定助の背中に抱き付いていた。

 

 

「ぶッ……! キュルケちゃん、もう少し慎みをさぁ……」

 

「良いじゃない、あたしとダーリンの仲だし!」

 

「…………」

 

 

「ちちち、ちょっとキュルケ!? 何してんのよあんた!?」

 

 

 魂を賭けたポーカーで決死のレイズをする不良のように、ルイズは勢い良く立ち上がった。

 定助は定助で、背中に感じる柔さに思わず噴き出す始末。表情もぎこちない、当たり前だろうが。

 

 

「何って、ジョースケに聞いているのよ」

 

「そうじゃあなくてねぇ!?」

 

「何よ嫉妬? まぁ、発育に関してはあたしの方が上だけど」

 

「あ?」

 

 

 ルイズの視線に殺意が篭り、右手が杖の仕舞われている懐へ向かう。定助は大慌てでキュルケを振り払った。

 

 

「待った待った待った待った待った!! えぇと、『ソフト&ウェット』で対抗出来るかだよね!」

 

 

 不満そうなキュルケの視線と目を合わせながら、定助は少しだけ考えて答える。

 

 

 

 

「まず、『ソフト&ウェット』で空気を奪えるかだけど……勿論、可能だよ」

 

「あら、やっぱり!」

 

「でもそれじゃ、キリが無いんだ」

 

 

 定助の言った「キリが無い」に対し、キュルケは小首を傾げる。ルイズも彼の話に興味を抱いたのか、再び椅子に座っていた。

 

 

「キリが無いって?」

 

「つまりね、キュルケちゃん……」

 

 

 説明しようと言葉を組み立てている内に、読書していたタバサがやっと声を出した。

 

 

 

 

「……巨大過ぎる」

 

 

 彼女の答えに、定助は「その通り」と手を叩いた。

 

 

「空気は何処にでもある。水で例えたら、この世界全体が酸素の海の中だ。その海の中でオレが奪ったとしても、その奪った箇所に空気が入り込んでしまうんだ」

 

「あー……成る程、つまりプラスマイナスゼロね」

 

「フーケの時みたいに、肺の中の空気だとかは効果あるけどね。メイジの周りの空気だけ奪うとか、建物内の空気を全て奪うとかは出来ない……密封空間じゃない限りはね。最も、『ソフト&ウェット』にも許容範囲があるんだけど」

 

 

 定助でも難しいかと、キュルケは納得したように椅子に座る。

 

 

 ルイズも彼の話に思う所があったのか、発言をした。

 

 

「空気の穴に空気が入り込んだのが、『風』よね。下手したら相手の手助けに成り得ないわ」

 

「風の提供かしら?」

 

「メイジを帆に例えるなら追い風よ」

 

 

 彼女の話に定助は「成る程」と考え込んだ。

 もし自分がギトーかタバサか……もしかしたらそれ以上の風のメイジと対立した場合、どう立ち回るかを考えなければならないか。彼のスタンドの能力を生かし、どうにか出来ない物かと脳内でイメージトレーニングする必要がある。

 

 

 

 

「ん?」

 

 

 ルイズは、自身の発言に対し、新たな発見をしたようだ。

 

 

「どうしたの、ご主人?」

 

「今、ちょっと思ったんだけど」

 

「なになに?」

 

「それってつまり______」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイズが続きを言おうとした時に、突然教室内に激しい衝突音が響き渡る。

 それは出入口の扉が、勢い良く開け放たれた音であった。

 

 

「皆さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあぁあぁあああんッ!!!!」

 

 

 次に響いたのは、雄叫びに似た男の声。戦争でも始まったかのような独唱の鬨である。

 その叫びは聞き覚えのある声だ、教室内の全員が出入口へと目を向けた。

 

 

 

 

「…………誰?」

 

 

 定助が男性に対しての第一声がそれだった。

 

 

 ギーシュの服よりもフリフリの多い、刺繍の入った高級そうな服に、これまた布地が高品質そうなマントを身に纏った目に痛い服装の男。頭はカールした金髪で、細いフレームの綺麗な眼鏡をかけて中年と思われる年齢の男性だ。

 凄く貴族貴族した服装で、なのに凄く見覚えのある奇妙な男。ジィッと観察していた時に、タバサが後ろでボソリと言う。

 

 

「……カツラ」

 

「え?」

 

「……ミスタ・コルベール」

 

 

 彼女の助言を受けた上で彼を見ると、この学院で初めて見た教師の顔を思い出した。

 真面目そうで、黒いマントで、ハゲた…………定助はそこまで考えた所でぽかんとなる。どうしたのだその格好は、と言った呆気からだろう。

 

 

 今のコルベールの服装は、同じ貴族であるルイズたちにとっても異質なのか、目を丸くしていた。

 教室中の痛い人を見るかのような視線をコルベールは気にする素振りも見せず、笑えるほどに熱くなった調子でまた叫んだ。

 

 

「今日の授業は全て中止ッ!! 繰り返します、全てェッ中止ィィィィッ!!」

 

 

 生徒と彼との温度差に、授業が全て中止と言う吉報(大多数の生徒にとって)にさえも、皆の反応が追い付いていない。しかしコルベールの次の言葉に皆が歓喜し、耳を疑う事となるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「我がトリステインがハルケギニアに誇る一輪の花、『アンリエッタ姫殿下』がゲルマニア訪問のお帰りに、この学院へ御行幸されるとの事ですッ!!」

 

 

 ルイズの口から、「え?」と歓喜とも困惑とも取れる声が小さくあがった。

 対しての定助は『アンリエッタ姫殿下』の名前を聞いて____

 

 

 

 

「…………誰?」

 

 

____ピンと来るハズ無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 道を行くのは、馬車と馬に乗った従者の行列。それも豪華絢爛とした馬車が数十台も並んでおり、それを守るように立つ兵たちも気品漂う装束に身を包んだ者ばかり。しかも兵に平民はおらず、全てがメイジであった。

 黄土色の一本の道と、それを両端より囲う新緑の草原との間に、輝かしい純白の馬車は強いアクセントとなっており、突然道の真ん中に太陽でも舞い降りたかのような神々しさが青空の下で放たれていたのだ。

 

 

 騎士として従者となるメイジたちの目は、まるで鷹のように鋭く、警戒に満ちたものとなっていた。彼らは強い忠誠を誓う、一人の『少女』を守護せんと覚悟に満ちている。

 その警戒度は馬車の真ん中へ行くほど強まって行き、丁度行列の中心点へは並ぶ馬車よりまた、神聖ささえ感じるほどに豪華で大きな馬車が数頭のユニコーンに引かれて揺れていた。伸びる角は気品と王家の証、希少な生物だ。

 

 

 

 

 馬車の中、窓から流れる青い空と白い山脈、そして新緑の草原を眺めている白いドレスの少女が一人。彼女と向かい合う形で座るは、法皇のような服を着た、徳の高そうな老人がいる。

 

 

 

 

「…………はぁ」

 

 

 白無垢ドレスの少女は、徐に溜め息を吐いた。

 それを聞いた老人はぴくりと、遺憾を示すかのように片眉を上げる。

 

 

「……本日、十三回目でありますぞ」

 

 

 自身も吐きそうになった溜め息を押し殺し、老人は次の言葉を投げかける。

 

 

 

 

「……『姫殿下』」

 

 

 彼が少女に対して言ったその敬称、彼女こそが学院で訪問を待ち望まれている『アンリエッタ姫殿下』であったのだ。

 少女は少し鬱陶しげな視線を、窓から老人に向ける。

 

 

「……溜め息、かしら?」

 

「仰る通りで。王族たるもの、臣下の前で溜め息とは、はしたないですぞ」

 

「へぇ、自身を『臣下』とはね。ご謙遜を、『王さま』」

 

 

 彼女の皮肉に、またも老人は眉を顰める事となる。

 

 

 

 

 この老人……『老人』と言うが、まだ四十の男であるが、その見た目は六十に見えるほどに老けている。骨と皮と形容されても納得と言うほど、痩せ衰えた男だ。それは日々、情勢が変化し続けて行く自国他国への対応に追われ追われ、疲れ果てた者の末路を示しているようであった。

 

 彼は『マザリーニ枢機卿』。枢機卿、と言う肩書きではあるが、実質このトリステインの実権を握っているのは彼である。だからこそアンリエッタは彼を『王さま』と皮肉った訳だ。

 

 

「姫殿下、思ってもそう言う事を言ってはなりませぬ。王族は貴女様であります」

 

「街で流行りの小唄は御存知で?『トリステインの王家には美貌はあっても杖が無い。杖を握るは枢機卿______」

 

 

『流行歌』とやらを口ずさむ彼女に代わり、続きを不機嫌な顔でマザリーニが続けた。

 

 

「______灰色帽子の鳥の骨』……そのような小唄を歌ってはなりませぬ」

 

「あら、御存知でしたの」

 

「この国の事で知らぬ事はありませぬ」

 

 

 灰色帽子の鳥の骨……それは、確かにマザリーニ枢機卿の姿を揶揄した物である。命を削るように政務を続けて来た彼であるが、この歌は専ら彼が嫌われている事を端的に表していた。

 

 

「姫殿下……誰が何と言えども、国の長は貴女様です」

 

「その長が、臣下の言い付けでゲルマニアに嫁ぐのね」

 

「………………」

 

「ほら、反論出来ないじゃないの」

 

 

 マザリーニは姫が国の長とは言うものの、内心は自分が国を牽引していると自覚していた。いや、平民に思われているようでは貴族にも周知の事実であろう。

 思わず口を噤んだ彼を見て、アンリエッタは続ける。

 

 

「しかしそれは仕方ありませんものね。『アルビオン』の情勢がありますもの、味方は多いに越した事はありませんもの」

 

「姫殿下……御自覚でしたら口に出さないでくだされ。御存知の通り、ゲルマニアとの同盟は急務です」

 

「……同盟よりも、アルビオンの加勢をすれば早いでしょうに」

 

「アルビオンの貴族は【風】のメイジが中心の、強力な者どもです。無闇に加勢すれば、こちらが疲弊致します……ただでさえ『ガリア』との関係も危ういと言うのに、加勢は無謀です。アルビオンに兵が出払えば、誰が自衛するのですか」

 

「しかしアルビオンの王家は、ゲルマニアと違い私たちの親戚に当たるのですよ!? 親戚を守らず、赤の他人との政略結婚に躍起になるなんて、それはどうなのかしら!?」

 

 

 熱くなる彼女を前に、マザリーニは至って冷静に見据えている。

 

 

「姫殿下のお気持ちは重々承知です。しかし、現実は情に応えてくださいませぬ。アルビオンは明日にも滅ぶでしょう……加勢にしても、遅過ぎました。今、現在、我々がすべき事は、国を守る為に味方を作る事であります」

 

「明日にも滅ぶって、アルビオンにその言い草は______」

 

「事実でありますッ!!」

 

 

 

 

 ここに来て感極まったアリエッタだが、それを越す彼の激昂に押し殺されてしまった。

 驚くアリエッタの表情を前に、マザリーニは些か申し訳無いと言わんばかりの表情で恐縮し、一転して深々と頭を下げる。

 

 

「……申し訳ありません、私とした事が……」

 

「………………」

 

「…………しかし姫殿下、アリエッタ姫殿下……私は国を思っての判断であります……アルビオン、ガリアに比べれば、トリステインは小国。これから世界は、新たな契機を迎える事となるでしょう。その渦の中、我々は生き残らねばなりませぬ……いや、生き残るのです」

 

 

 

 

 再びアンリエッタの視線は、窓の外に向けられた。

 

 

 

 

 

 草原の中、それを割いて大きな塔が現れる。馬車の向かう先、トリステイン魔導学院が見えて来たのだ。

 

 

 

 アンリエッタはまだまだ遠い学院を眺め、ぽつりと零す。

 

 

 

 

「……ルイズ」

 

 

 それはルイズの名であった。

 マザリーニもその名に聞き覚えがある。

 

 

「ルイズ……確か、ヴァリエール公爵の息女でしたな。そう言えば魔導学院に入学したと言っておりましたな」

 

「会えないかしら?」

 

「姫殿下、あくまで視察です。一人の貴族を贔屓にしてはなりませぬ」

 

「……えぇ、自覚しているわよ」

 

 

 眉間を押さえて呆れるマザリーニを無視し、彼女は学院に視線を注いだ。

 

 

 

 

 聡明なマザリーニにも、物憂げに外を見やる彼女の胸中までは察知出来なかった。彼女は密かな計画を、立てていようとは生涯気付くハズの無い事である。




台詞と台詞の間を空ける、話の時間感覚によって行間を工夫するなど、書き方を変えてみました。


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殿下行幸。その2

 学院内は定助が初めて見たほどに、騒々しいお祭り騒ぎとなっていた。

 その生徒たちの騒ぎは、定助とギーシュとの決闘の時よりも、更にはパーティーの時よりももっともっと盛大だ。寮に戻り、急遽新しい制服に着替え直す者や、髪やメイクを整え始める生徒たちで廊下はごった返している。

 

 

 そして支度と準備を整えた生徒たちは校門前へと我先に大移動を始め、学院の本堂にある一番広い廊下でさえも生徒たちで一気に埋め尽くされていた。この騒々しさを眺めていた定助はポカンと呆気に取られているようだ。

 

 

「な、なんなんだぁ、こりゃあ……セリアA(アー)の決勝戦が始まるみたいだぁ」

 

「セリアアーって何よ?」

 

「あ、やっぱり知らないかぁ。インテル・ミラノに、ナポリ、SPAL…………ジダンにカンナヴァーロとか、知らない?」

 

「知らないわよ…………あー、そんな事よりほら、急いでっ!!」

 

 

 切羽詰まった口調でルイズは定助の服を引っ張り、わらわら群れる生徒たちを強引に掻き分けて先へ先へと進んで行く。

 整えられた身なりもそうだが、男子も女子も香水を振っているようで、高貴な甘い香りが漂っている。確かに一国の長が来訪するのだから、この物々しさは仕方ないだろうか。

 

 

 

 

「ご主人、ちょっと無理矢理過ぎだってば! ちょ、ちょっとちょっと!!」

 

 

 正門前へ向かえば向かうほどに人混みは激しくなり、それでも猪突猛進に進むルイズ。しかし代償として、掴む手が離れてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やって来るのは『アンリエッタ』と言う名前の、王女様だそうだ。

 少し前に部屋で身支度をしていたルイズの説明によると____

 

 

「ここ、トリステインを治める、とてもお偉い方なのよ。年齢も私とそんな変わらないのに、とても立派な方ね」

 

 

____そして胸を張って、自慢気に____

 

 

「実は私、姫殿下が幼い頃に遊び相手としてお近付きになった事があるのよ」

 

「へぇ! 王家と友達ぃ〜? すんごいなぁ!」

 

「ま、まぁ……ね」

 

 

 妙に顔を赤らめて口籠るルイズだが(恥ずかしい過去でも思い出したのだろうか)、定助は好奇心から質問をする。

 

 

「どんな縁があって? 王家に会うなんて、貴族でも難しいでしょ?」

 

「ヴァリエール家を甘く見ないで。お父様は『公爵』なの。そのご縁ね」

 

 

『公爵』は王家に連なる、或いは匹敵するレベルの大貴族に与えられる称号だ。成る程、面会を行うのに造作も無い立場だったのかと定助は納得した。

 

 

「それじゃあ、幼馴染じゃあないか。もしかしたら会えるんじゃない?」

 

「恐れ多いわよ……それに今回は外遊のお帰りだから、お疲れでしょうに。失礼よ」

 

 

 ルイズは少し、ムッとした表情を見せた。

 本人を前にしていないと言うのに恭しい話し方と謙虚さは、確かにそのアンリエッタに対して敬意を払っている事がひしひしと伝わって来る。王家に近いからこそ、そう言う気持ちも強いのだろうかと考えた。

 

 

「それもそうか……友達とは言え、一国の王女様だからなぁ」

 

「えぇ。粗相があってはならないのよ。『友達』と、言えどもね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともあれ、国レベルの超大物がやって来るのだからルイズ一個人では無く、学院側も粗相があってはならないだろう。

 正門前に着くと、学院の正面玄関へと綺麗な花が敷き詰められ、一部の教師たちがガードマンとしてその端に連なっている。花はこの国を象徴するとも言う可憐な白百合だ。

 

 

 既に生徒たちでごった返しており、見た事無いほどの盛況に包まれている。

 ルイズは馬車の通り道の最後方となってしまったが、見晴らしの良い段上の場所を確保した。既に生徒たちで詰まっている正門前のこの場所を確保出来た理由として、キュルケらがいたからだ。

 

 

「はぁい、ルイズ。こっちに来なさいな」

 

 

 キュルケにタバサ、そしてギーシュとモンモランシー。彼女らがルイズを見つけ、誘ったのだ。

 

 

「予想してたけど、凄いわね……」

 

「そりゃあ、トリステインのお姫様が来るのよ。これで来ない貴族は貴族じゃないでしょうに」

 

 

 キュルケのその言葉を聞いたモンモランシーが、訝し気にキュルケとタバサへ尋ねる。

 

 

「確か二人とも、ゲルマニアとガリアの人よね。やっぱり興味はあるのかしら?」

 

「興味はあるわよ。けどまぁ、お手並み拝見って感じ。ギーシュが頻りに『美人美人』って褒めるから、あたしより美人なのかしら〜って。タバサは暇潰しよ」

 

 

 暇潰しで来た事を肯定するように、タバサは頷いた。

 

 

「き、君はねぇ……」

 

 

 彼女らしいと言えば彼女らしいが、何故か喧嘩腰のキュルケにギーシュはたじたじと話し掛ける。

 

 

「気品、美貌、気質に能力のどれを取っても、あれほど高尚なお方はそうそういないよ! まさにトリステインがハルケギニアに誇る、一輪の百合の花なのだよ!」

 

「でもそう言う王女様って、大概は政治参加しないのよね」

 

「なっ!? ききき、き、君は何を言うか!?」

 

「図星のようね」

 

 

 貴族の間でも知れている事だが、政治の実権を握っているのはマザリーニ枢機卿だ。その立ち位置は顕著であり、王女は象徴でただの傀儡ではないかと言う揶揄は歌となって平民に流れているほど。

 

 

「所詮は『上っ面(サーフィス)』なのよ。枢機卿は王女の操り人形ならぬ、『操られ人形』って訳じゃないの」

 

「キュルケ、それ以上は私が許さないわよ」

 

 

 王女に思い入れがあるルイズが彼女を咎めると、つまらなそうに手をひらひら振った。険悪なムードを、ギーシュは何とか和ませようとする。

 

 

「まぁまぁ……本当に素晴らしいお姫様だし……ほら、近々、キュルケのゲルマニアと協定を結ぶじゃあないか。二人もこれを記念にもう少し仲良く……」

 

「まっ、お姫様は良いのよ。それより」

 

「………………はぁ」

 

 

 ギーシュの言葉を切り、キュルケは辺りを見渡し始める。誰かを探しているようだが。

 

 

 

 

「……あれ? ジョースケいないじゃない?」

 

「あー……ジョースケね」

 

 

 ルイズはやや不服そうとも、面倒臭そうとも言える顰めっ面を見せてから、定助の件を説明する。

 

 

「行きしなにはぐれてしまったわ」

 

「何してるのよ! ジョースケも楽しみの一つだったのに!」

 

「……今、私はここへジョースケを連れて来れなくてとても良かったと思っているわ」

 

 

 あの人混みの中、とうとう離れてしまったのだ。ルイズは身体が小さいので押し込むように進めば何とか通り抜けられるのだが、そこそこ大柄な定助にとっては無理難題だった。

 

 

 定助を掴んでいた手は離れ、気付けば見失っていた。

 ルイズもルイズで突き進むのに精一杯で、定助を一応探しはしたものの、途中で諦めたほど。

 

 

 

 

(……ジョースケにあぁは言ったけど……やっぱり私は姫に会いたいのね)

 

 

 別に一目見るのであれば、アンリエッタはこの学院に滞在するようなので何度もチャンスはあるだろう。人を押し退けてまで正門前を陣取ろうとする必要は無い。

 

 

 しかしやはり、『友達として』、アンリエッタの姿をいの一番に見たい感情が抑えられなかったのだ。

 それでも今回は成長を伺うだけ。友達だからこそ、迷惑は掛けたくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイズが物思いと懐古に浸る頃、突如として空を割るような歓声が響き上がった。

 生徒たちは一斉に杖を掲げ、「トリステイン万歳、アンリエッタ姫殿下万歳」と讃える。

 

 

 讃歌と共に綺麗な花弁が宙を舞い(【風】の魔法で演出しているのだ)、先遣の騎士たちが道端を抑えていた教師に代わって道を守護する。

 

 

 

 

 

「アンリエッタ姫殿下並びに、マザリーニ枢機卿のおなぁぁぁりぃぃぃぃッ!!」

 

 

 声と同時に一際煌びやかな、ユニコーンに引かれた純白の馬車が正門をくぐる。一層、歓声は高まって行く。

 

 

「アンリエッタ姫殿下万歳! マザリーニ枢機卿万歳!」

 

 

 馬車はゆっくりゆっくり道を進み、オスマンらが出迎える玄関前のレッドカーペット前へぴたりと止める。

 

 

「アンリエッタ姫殿下! アンリエッタ姫殿下ッ!!」

 

 

 歓声と言う讃歌は馬車を降りる、一人の少女へと祝福を授けるかの如く。

 馬車前に控えていた、『グリフォン』が描かれた紺色のマントを纏った騎士の手を借り、アンリエッタが生徒たちの前に姿を現したのだ。

 

 

 

 

 勿論、それらはルイズたちも見守っていた。

 興奮しているギーシュと、喧しい歓声を鬱陶しがるタバサと、呆然と眺めるルイズと反応は様々だ。

 その傍ら、キュルケはモンモランシーに話しかける。

 

 

「なぁんだ、あたしの方が美人じゃあない?」

 

「キュルケったら……少しは謙虚な方が良いと思うわよ?」

 

「謙虚謙虚って、謙虚一本の結果が『ゲルマニアとの同盟』でしょ?」

 

 

 アンリエッタは迎える生徒たちへと微笑み、小さく手を振って感謝を表す。

 

 

「も、モンモランシー!! いいい、今ッ! 姫殿下が僕に手を振って下さったぞッ!!」

 

「こんな遠くの方を見れる訳ないじゃないの…………えぇと、キュルケ、それの意味って……」

 

 

 完全にファンガールと化したギーシュを窘め、含みを持たせるキュルケの言葉の真意を____若干、察してはいるが____モンモランシーは彼女に問う。

 

 

 キュルケは皮肉を混じらせて答える。

 

 

 

 

「お姫様、同盟の為に『政略結婚』するらしいわね。あの笑顔の下ではやっぱりゲルマニアを見下しているハズだし、屈辱でしょうね〜」

 

「そ、そんな事ないでしょ。それに政略結婚なんて、普通じゃない?」

 

「貴女は恋を分かってないわねぇ〜……『恋』とはッ! 地図の無い遥かなる旅路の事ッ! 情熱と自由に満ちた、浪漫紀行ッ!!」

 

「じ、自由で良いわね、貴女は」

 

「例えば貴女がギーシュでは無く、別の男と結婚しろと言われたとしたら」

 

「その例えを言い切ったらならプッツンするわよ」

 

 

 対してルイズは、二人の会話を意に介す事なく、一人の人物へと熱視線を送っていた。

 

 

 

 

 アンリエッタ……も、確かにアンリエッタにも視線は向けられ、彼女は懐かしさを感じていた。

 しかしそれより、彼女が衝撃と共に胸を高鳴らせ見つめる人物がいる。

 

 

 マザリーニか、オスマンか、それとも名も知らぬ他生徒か教師か…………生徒たちの歓声を裂いて視線を送るその相手とは、アンリエッタを導くあの、『グリフォンが描かれた紺色マントの騎士』だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……わ、ワルド、様……!?」

 

 

 瞬間、彼女の頰はぽっと紅くなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、人混みに飲まれて流された定助はと言うと、あまりの人の凄さに進むより撤退を始めていた。

 廊下の脇道へ逸れ、人の少ない食堂方面へ離れて行く。ルイズとははぐれてしまったが、知らない街では無く見知った学院内なので、至って楽観的。

 

 

「ひぃ〜……これは堪らない」

 

 

 興味はあるが、野次馬根性でアンリエッタを見に行くのも乗り気になれない。どうせ学院に来たのなら、少なからず一見出来る機会はあるだろうに。

 

 

 

 

 避難がてら厨房へ歩き出した定助だが、こっちもこっちで忙しなかった。

 

 

「うわわ」

 

 

 メイドに使用人たちも、廊下を右往左往と行ったり来たり。王女が来るのだから、清掃やら持て成しの為の準備やらで戦場と化している。定助はすれ違う使用人たちに会釈しながらも、厨房へ辿り着いた。

 

 

「今からお姫様見に行くよりも、手伝った方が良いよな」

 

 

 そっちの方が誰かの為になるし、突然の行幸に猫の手も借りたい状況である事は自明の理。

 ここの所は平和なので、少しは忙しくなってやろうと厨房の扉に手を掛ける。

 

 

 

 

 いや、彼にとって一国の姫を見るよりも、親しいメイド(シエスタである事は自明の理)と仕事をする方が癒される、と言うのが本音であろう。

 

 

 

 

「失礼しま〜す。お手伝いしますよ」

 

 

 厨房は生徒たちの昼食後である為、表と比べて静かだ。それでも晩食は王家に振る舞う料理を考案しなくてはならないので、料理人たちはいつも以上に忙しない。

 

 

 定助に気付いたマルトーは、笑顔で手を振って呼び寄せた。

 しかしいつもより、妙にぎこちない笑みな所が気になる。彼は他の料理人らと共に、台所を囲っていた。

 

 

「おお! 我らが泡! いやぁ、助かるぜ……ったく! 上の教師陣はいきなりアレやれコレやれだの……隅まで手が回ってねぇ状態なんだ」

 

「大変でしたね。ええと、厨房よりメイド長の所に行った方が良かったですか?」

 

「いや、ここで良いぜ。姫さんの行幸と食材の搬入が被っちまってな、人手不足なんだ」

 

「手伝いますよ。搬入口に行けば良いんですね?」

 

 

 定助は大方、この学院の地理は把握出来ていた。

 すぐに搬入口へ行こうとする定助だが、それを「やっぱ待ってくれ!」と何故か呼び止める。

 

 

「どうしました?」

 

「いやな、これをお前さんに聞くのは門違いかもしれねぇが……こっちもこっちで切羽詰まってんだ。少し、話を聞いてくれないか?」

 

「構いませんが……料理の事でしたら一般人の自炊程度の知識しか無いですよ」

 

「勘が鋭いなぁ、流石だ! 確かに料理関係だが、それでも構わねぇぜ。こちとら藁にもすがる思いで、メイドとかにも聞いていたんだ」

 

 

 マルトーに誘われ、料理人たちの輪の中に入る。中心の台所には簡素な紙が置かれており、料理の図解のような物がびっしり描かれていた。皆はそれを眺めて難しい顔をしていた。

 

 

 

「なぁ、聞いてくれ。アンリエッタ王女は、今宵は学院に泊まるそうだ」

 

「それはご主人から聞いていますが……」

 

 

 続けて談話に参加している、四人ばかしの料理人たちも口々に話し出す。

 

 

「王女が来ようが戦争が起ころうが、この私に精神的動揺による調理ミスは決して無いと、思っていただこうッ!」

 

「我々の料理を食してくださる所……ありがとう(メルシーポークー)、アンリエッタ姫殿下、恐縮のいたり。しかし……」

 

「しょおぉがね〜なああぁぁ~~~~……たかが料理を作るんのもよぉ、楽じゃねぇなぁ?」

 

「最も気をつけなくちゃあいけないのはな……材料切れだぜ……後で『材料がありませんでした』ってのが最もムカつく!」

 

 

 アンリエッタが泊まると言う事は、晩食があると言う事。彼らは王族たる姫へ出すに相応しいメニューを考えているのだろう。

 しかし彼らは王族まで行かずとも、一端の貴族やそれなりの地位のある貴族たる教師たちを満足させる料理を作っているではないか。いつもの調子でやれば良いだろうにと、定助は思った。

 

 

「晩餐の献立ですか? 失礼ですけど、ここまで話し合うほどじゃあ……十分に貴族を唸らせる料理を作っているじゃあないですか」

 

「あぁ……いや、違うんだ」

 

「え? 晩餐じゃあないんですか?」

 

「勿論、晩餐の献立も考えなくっちゃあだが、今話し合っているのはもっと違うモンなんだ」

 

 

 何の事か分かっていない定助の手前、赤毛のシェフが突然に左手で何かを持ち上げ、右手で何かを摘んでいるようなジェスチャーを見せた。

 

 

「フフ……これは貴族がお茶を飲む時のカップマナーだよ。カップを持ち上げる時、受け皿を下に添えるんだ」

 

「……お茶会が開かれるのですか」

 

 

 マルトーは小さく頷く。

 

 

「学院長との茶話会があるそうで、それに出す『お菓子』を急遽考案する事になったんだが……」

 

 

 続きを頭をマルコメた、厳つい顔のシェフが気怠げに語る。

 

 

「王家に相応しく、んでもって斬新で美味いお菓子を教師どもは提案して来た……こいつはマジにヤバい。奴らは『脅威』……それは奴らに『体裁』がある故だぜッ!!」

 

「斬新か?『斬新』で『高貴』で『美味い』のが欲しいのか!? 三つの要求…………いやしんぼめッ!!」

 

「料理人の私たちに命令するなどとは、十年は早いんじゃあ無いかな?」

 

 

 晩餐までなら従来のメニューを最悪、使い回しをしても大丈夫だろう。

 だが、お茶会に使用する菓子ならば一品が故に、高い希望が課せられてしまうのだろう。最も、これも以前上手く行った物を作れば良いのだが、教師陣からの注文がそれを疎外してしまった。

 

 

 ここは料理人としての面子と意地の踏ん張り所だとお菓子のレシピを考案しているのだが、どうにも上手く行かないようなのだ。

 

 

「こう、何と言うかなぁ〜……お姫さんなら一口サイズが良いだろ? 出来るなら手で摘める、簡易な方が尚良しだ。パティシエの意見は?」

 

「ならば『プロフィトロール』だろうか……いや、確かに貴族向けだが、少し普遍では?」

 

「じゃあ、やっぱケーキにすべきか……しかしブルーベリーケーキは来ないだ出したんだよなぁ……アレも結構考えたからなぁ……」

 

「ば、馬鹿な……何も思い付かない……呆気なさ過ぎる……!!」

 

 

 議論はとうとう停滞し、マルトーは縋る目付きで定助を見やった。

 

 

「なぁ、我らが泡……いや、ジョースケッ!! 何か、何か良いグッドアイディアはないか!? こう、斬新で美味そうなッ!!」

 

「オレェ?……プロが難しい事をオレが知っている訳ないじゃないですか……なら、既存の物へちょっとした変化で良いと思いますよ」

 

 

「しかし『斬新』ってのがいらねぇ注文なんだよなぁぁ……そもそも王族って、何食べんだよ……しょうがねぇぇなぁあ〜……」

 

 

 マルコメの料理人が頭をかいて、椅子に凭れる。お手上げムードを醸し出し初めてしまった。

 次にキノコを生やしたような、奇抜な髪型の料理人が提案する。

 

 

「カビでも生やしては? チーズにもカビを生やすように、ケーキにカビをッ!!」

 

「そんなケーキがあったら焼き尽くしてやるッ!!」

 

「そこまでしなけりゃ、『斬新』じゃあないだろうがぁ?」

 

 

 最早『斬新』と言う言葉に乗せられ過ぎて、悪食レベルの危険なレシピまで飛び出しかねない事態。

 どうしようかと悩む彼らは、忙しなく動き回る使用人たちの喧騒に飲まれかけようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時、食材の搬入が行われ、マルトーの指示の下厨房内に配置される。

 運ばれた食材の内、一つが定助の目に付く所に置かれた。大きな布袋の、調味料らしき物。

 

 

 ふと、定助の鼻が何かの『香ばしい匂い』を嗅ぎ付ける。匂いはその、布袋からだ。

 

 

「マルトーさん、その袋……」

 

「ん? あぁ、これか」

 

 

 マルトーは袋に近付き、口を開けて中身を定助に見せてやる。

 中に入っていたのは『黒ごま』だ。

 

 

「料理の調味料に使うんだ。黒ごまは白ごまと比べて香りが良いからな、アクセントに使えるんだ」

 

「味も香ばしいですもんね」

 

「まぁそうだが、ごま単体じゃ食べねぇなぁ」

 

「おにぎりに振りかけるのが良いのに…………」

 

 

 

 

 途端に、定助の脳裏に何かが浮かんだ。

 

 

 それは懐かしいようで、そんなに日が経って無いような、『感覚』だ。

 彼は黒ごまの味を知っている。煎ったような香ばしさが、『とろ〜り』と、『ブシュゥゥゥウ』と…………

 

 

 

「……とろ〜り? ブシュゥゥゥ?」

 

 

 何だか、妙な感覚だ。黒ごまはジャリジャリでは無いのかと、黒ごまに対する妙なイメージに困惑していた。

 

 

 

 

(オレは……黒ごまの……何を食べたんだ……?)

 

 

 定助はジッと黒ごまを凝視し、この感覚の正体を思い出そうとする。

 あまりに物凄い熱視線で黒ごまを見つめる為、他のメンバーも少し心配になったのか、定助の傍へ近寄って正気を確かめ始めた。

 

 

「君、どうしたのだ?」

 

 

 色黒のブ男が定助へと近付いた、その瞬間______

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだこれはぁぁぁぁぁぁあッ!?『ゴマ蜜団子』だぁぁぁあぁあぁぁぁッッ!!??」

 

「ウオォォォォォオオオオ!?!?」

 

 

 ブ男は窓から飛び降りんばかりの絶叫をあげ、叫び出した定助の傍ですっ転ぶ。

 二人の奇声に厨房内は一瞬だけ時が止まり、ぱちくりした目で呆然とする使用人たちの視線が主に定助へ注がれる。

 

 

「わ、我らが泡よ……ど、どうしたのだ……!? あぁぁ……厨房で尻餅つくとは、皆に見下ろされるとは……これは私のイメージじゃあ無い…………高低差での災難はキノコの役だ!」

 

「それはどう言う事だ」

 

 

「えぇと、ジョースケ……『ごまみつだんご』ってのは、なんだ?」

 

 

 恐る恐る聞くマルトーを、キッと定助は真剣な眼差しで見つめる。まるで自身の夢を語る、ギャングのボスを目指す少年が如く、一点の曇りも無い眼差し。

 

 

「……マルトーさん、思い付いたんです」

 

「……え?」

 

「えぇ、斬新で、高貴で、美味いお菓子が……今、オレはここで、思いつきました……そう! 今、ここでッ」

 

 

 定助の言葉に興味を見せる五人だが、「だがしかし」と、何故か定助はワンクッションを置く。

 

 

 

 

「これがお姫様の口に合うかは……分かりません。『もしかしたら万人受けしないかもしれない』お菓子、なんです」

 

「え、えぇ…………え?」

 

「オレは平民なので、平民レベルのお菓子かもしれないんです。もしかしたら、あなた方の信用を失ってしまうかもしれないんです…………」

 

 

 確かに、それは言えていた。

 

 

 相手はトリステインを治める一国の指導者マザリーニで、アンリエッタに限ってはハルケギニア屈指のロイヤルファミリーだ。この世の美味を堪能して来たであろう、舌の肥えた華麗なる一族。

 もし、平民レベルのお菓子が出たとしたら、どうする? 一口食べて嫌うのでは……いや、一口食べたのなら良い。見た目からして一口も食べられなかったらどうするのだ。優しそうなアンリエッタなら兎も角、あの偏屈っぽいマザリーニに酷評されれば名誉に関わるのでは無いか。

 

 

 

 

 それに定助は、貴族の食事をあまり知らない、素人。彼の提案するお菓子は、王家では普遍過ぎて飽きられているかもしれない。つまり定助は提案の前に、プロの覚悟を問うておこうとしたのだ。

 

 

 

 

 言えど、何故かハイテンションの定助。自分はその、『お菓子』に強い自信でもあるのだろうか。表情もとても生き生きとしていた。

 

 

 

 

 静まり返る厨房内、視線が交差する料理人たちと定助。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やはり面白い」

 

 

 

 

 沈黙を破ったのは______

 

 

 

 

 

 

 

「私も同行しよう」

 

 

______赤毛であった。

 

 

「赤毛さん……」

 

「後悔はない……今までのパティシエ人生に……これから起こる事柄に…………僕は後悔はない」

 

「一流に、ヒビが入るかもしれませんよ」

 

「それを一流にしてみせるのがプロなのだよ……さぁ、調味の時間だよ、ベイビーズ?」

 

 

 

 彼に合わせ、残りの三人も立ち上がって意を決す。

 

 

「しょおぉぉがねぇなぁぁ〜……姫殿下のお茶菓子だぜ……一流のオレたちが手を施すッ! もう後には引けねェ~~ッ!!」

 

「人間は『好奇心』が刺激されるほど、精神のパワーが湧いて来るものだ……是非、教示願う」

 

「ね? 良いチームでしょ? これが良いんですよ、これが!!」

 

 

 彼らの決意を前に、マルトーが手を叩く。

 

 

「良しッ!! 我らが泡ッ!! 是非聞かせてくれッ!! もう時間もねぇし、やるしかねぇんだしな!!」

 

「マルトーさん……」

 

「それに我らが泡の考案した菓子だぞ! 英雄の味だッ!! 光栄に思うよ!」

 

 

 沈黙した厨房内、マルトーたちの鬨が響き渡る。彼らは今、そう、今から、王家を唸らせるお菓子を作るのだ。

 

 

「早速作るぞ!!」

 

 

 ここにチームが結成された。定助は腕を振り上げ、チームに相応しい名を叫ぶ。

 

 

 

 

「チーム『シエスタ』の大仕事だッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんでシエスタなんだ?」

 

 

 マルコメのツッコミが入る頃、彼らの騒ぎが馬鹿馬鹿しくなっていた他のメイドたちはそそくさと仕事に励んでいた。

 彼女らは思っているだろう、「男の人はずっと子供なのね」と。



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殿下行幸。その3

書こうと思ったら神父の陰謀で独房に入れられ、何とか脱獄しましたので初投降です。


 一方のアンリエッタ。

 彼女は塔の上層部、つまりはオスマン学院長の部屋にいた。バレバレのカツラを被るコルベールを付け、三者による談話だ。

 

 

「遠路遥々、お疲れの事とは思います。アンリエッタ姫殿下」

 

「お久しぶりです、オールド・オスマン。突然の訪問、申し訳ございません」

 

「いえいえ、滅相もない! 皆が喜び、心から歓迎いたしております」

 

 微笑むアンリエッタだが、オスマンは憂いがある事に薄々気が付いてはいた。

 

 

「お気分が優れないようですかな?」

 

「それは大変です! か、換気でもいたしましょうか!?」

 

「いえ、それには及びません。やっと枢機卿から離れられて、寧ろホッとしておりますわ」

 

 

 彼は今、学院内の視察に回っている。アンリエッタはオスマンと談話し、準備が整い次第に晴天の下でマザリーニと共に、茶話会を行う予定だ。

 余興と言えば妙だろうから、メイジとして日々精進する生徒らの技量を把握する名目で、使い魔品評会も催される。今、広場ではその準備に教師も召使い達も、身を粉にして動いているようだ。

 

 

「私としましては、本当はもっと早くに来るべきとも思っておりましたわ」

 

「学院の視察は、定期的になされております。姫殿下がわざわざするほどでもないでしょうに」

 

「いえ……『土くれのフーケ』を捕らえたメイジへの、爵位授与についてです」

 

 

 ルイズ、キュルケ、タバサの事だ。オスマンも高く評価し、その申請を直々に書いたのだから忘れるハズがないだろう。

 しかし彼女の浮かない顔の理由は、それとも関係しているのだろうか。

 

 

「『シュヴァリエ』の授与ですな。しかし今朝届いた文書には……」

 

「……えぇ。シュヴァリエの授与条件が変わりまして、要請は取り消しになったのです」

 

「王都を騒がせ、数多の貴族を出し抜いたフーケ。そのフーケを捕らえたのですから……非難をしているつもりではないですが、爵位授与には打ってつけかと思いますぞ?」

 

 

 アンリエッタは溜め息を吐きかけたが、マザリーニの言葉を思い出して寸前で飲み込んだ。だが表情にある鬱々しさはより、顕著となる。

 

 

「……国内の盗賊を捕まえた程度では与えられなくなったようですね。知らない内に、色々な事が変わっておりますわ」

 

「『国内の』……さも、国内の事に爵位は与えられないような言い方ですな」

 

「実際そうですよ……これから、『アルビオン』の事もありますし、軍務での働きを重視するようになっております」

 

「……つまる所、軍に属さなければ爵位は与えられないと」

 

 

 トリステインならびに諸外国は、決して良好な関係を築いている訳ではない。隙があればすぐに侵攻せんばかりに、均衡は不安定な情勢にある。

 先のゲルマニアとの同盟もそう言った事情によるものだ。最近のアルビオンにおけるクーデターが、均衡を打ち破りかねない状況を作り出し、トリステインは急遽として同盟による軍事力強化を迫られたのだ。

 

 

 アンリエッタの言う『国内の』とは、そこに収束される。

 軍務は戦争、戦争は国外との関連。自国内だけでの活動は度外視している所を皮肉ったのだろう。従軍者に限定して特権を集中させれば自ずと、志望者や士気も上がるだろうと。

 

 

 

(由緒正しき騎士の認定にも軍事軍事……よほど戦争がしたいようじゃな)

 

 オスマンは心の中で皮肉った。

 隣のコルベールは、冷蔵庫に隠れる為に中身を外に出す殺し屋のような、バレバレのカツラを揺らしながら首を振る。

 

 

 

 

「折角、ミス・ヴァリエールらやその使い魔君が、命を懸けて捕らえたと言うのに……さぞ、残念がるでしょう」

 

 

 コルベールのボヤキに、アンリエッタが反応をする。

 懐かしい、『ヴァリエール』の名前。

 

 

「ミス・ヴァリエールと言えば……末娘のルイズでしょうか?」

 

「彼女をご存知で……あぁ、ヴァリエール家と言えば公爵家。公爵ともなれば、何度か出会ってらっしゃいますか」

 

「ルイズ……懐かしいですわ……そう。あの娘がフーケを……」

 

 

 ずっと浮かない顔だった彼女の表情に、やっと光が差し込んだようだ。

 アンリエッタにとってルイズは、何か特別な思い入れのある人物なのだろう。

 

 

「……あの、オールド・オスマン」

 

「なんですかな、姫?」

 

 

 アンリエッタが何か言おうとした時に、学院室の扉がノックされた。

 入って来たのは、近衛騎士の一人。スラリとし、髭は整えられた、まさに騎士であり貴族の鑑と言った風貌だ。

 グリフォンをあしらった紋章が、気高く輝く。

 

 

「茶話会ならびに、品評会の準備が整いました。移動の準備を」

 

「……分かりました、『ワルド』」

 

 

 ワルドと呼ばれる騎士に促され、アンリエッタらは立ち上がる。

 コルベールが先に行った所で、オスマンはボソッと話しかけた。

 

 

「……旧友と会われたいのですかな?」

 

「っ!……はい」

 

 

 振り向き、目を合わせたオスマンは、チャーミングにウィンクしてみせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 使い魔の品評会が始まった。

 綺麗に刈られ整えられた芝生の上に、豪奢なテーブルと椅子が並べられる。そこにアンリエッタ、マザリーニ、オスマン並びに教師陣が座る。勿論、アンリエッタの周りには魔法騎士隊が守護していた。

 

 わざわざ外にしたのは、使い魔の技量を遺憾無く発揮してもらう為に。円形に刈られた、広場の即席ステージの上で生徒たちは己の使い魔の力を引き出させる。使い魔の技量は、メイジの技量だからだ。

 

 

 これを王族直々に拝見するのだから、控える生徒らはゲロでも吐きそうな顔で出番を待たされている。

 

 

「お、オレ、これが終わったら故郷に帰って、実家行くよ……身の程知らずって他のヤツに馬鹿にされるのも結構いいかもな……」

 

「あのステージに乗るんだ……思い出して来た、そうだ……! もう、行かなくては……オレは姫殿下の所へ行かなくては……!!」

 

「そうなるべきだった所に……戻るだけなんだ……元に戻るだけ……ただ元に……」

 

 

 

 生徒間では緊張のあまり、臨死体験まで催す人間が続出していた。

 勿論、生徒一人一人の使い魔を品評しては夜を迎えかねないので、学校側からの指名と十人限定の志願制だ。

 指名は、目に見えて素晴らしい使い魔を持つ者を選び、志願制は、一般的ながらも素晴らしい芸のある『意外性』を期待しての措置。

 

 再三に渡って言うが、これは王族の御前。場合によっては目にかけられるなんて名誉もやって来る一大行事。臨死体験しない方がおかしいのだ。

 

 

 

「諸君たち。落ち着きたまえ」

 

 

 慌てふためく彼らの前に立ったのは、ギーシュとその使い魔、ジャイアントモールの『ヴェルダンデ』。巨大なモグラであり、使い魔のレートでは中堅くらいの生物だ。

 故に指名はされなかったが、彼は意気揚々と志願した。

 

 

「これはチャンスだ諸君! 麗しきトリステインの白百合、アンリエッタ姫殿下に自分を表現出来る、最高の機会だ!」

 

「モゲっ!」

 

 

 キザに決めるギーシュと、ヴェルダンデ。自信のあり様から、何か隠し芸があるのだと期待される。

 

 

「ギーシュ……そのジャイアントモール、何か出来るのか……!?」

 

「あぁ、出来る……僕の可愛いヴェルダンデなら出来る……!!」

 

「い、一体、何が出来るってんだ!?」

 

「諸君、覚悟だよ……覚悟が道を切り拓くッ!!」

 

 

 控え室の暗い影からギーシュとヴェルダンデは、輝く黄金の陽の下へ出て行った。

 薔薇を咥えて。

 

 

 

 

 

 ステージに立った彼は、ひたすらキザポーズを取り続けた。

 それを真似する形で、ヴェルダンデもひたすらポーズを取り続けた。

 

 

 

 

 それだけである。

 

 

「なぜだ……正気じゃあないぜッ! どういう物の考え方してるんだ!?」

 

「や……やばいィッ! シラけるとか言うよりもこのままだと……は、恥で死んじまうウウッ!」

 

 

 当の本人は真面目なのだろう。周りにいた人間が恥ずかしくなるほどの状況。思わず目を逸らさずにいられない。

 

 

 しかしギーシュは違っていた。

 

 

「……ふふふ!」

 

 奇怪な生物でも見るかのようなマザリーニだが……やけに楽しげなアンリエッタに、彼だけは救われていた。

 図らずも彼の余興は、廃れ気味の彼女の心を救っていたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 出番を待つ者ら以外にも、ゲドゲド状態の者はいる。

 五人のシェフたち、『チーム・シエスタ』である。彼らは光栄にも、完成したお菓子を運ぶ使命を仰せつかったのである。

 

 

「ジョ、ジョースケ考案のこのスイーツだが……い、いけるか!?」

 

 

『完成品』を持つマルトー。豪胆な彼とは言え、一国の王族を前にして普段通りに出来る彼ではない。

 帽子や服にシミはないかと、気になって仕方がない。

 

 

 

 

「僕の人生を賭けた……一品……です……受け取って……ください……」

 

「たかが菓子作んのもよぉぉ……楽じゃあなかっただろ? え?……これからもっとしんどくなるぜ……俺らは……」

 

「ヤッダーバァァァァァアァア!!」

 

 

 いや、マルトーはやはり豪胆な人物だ。三人は緊張で臨死体験に入っている。

 彼の後ろに立ち、ガチガチに震えながらその時を待っていた。

 

 

「お前たち、落ち着きやがれってんだ!! これが駄目でも、晩餐で挽回するだけだろ!!」

 

「そ、そうなんですが……あの姫殿下を前にすると悶え震えるのだ……恐怖でなッ!!」

 

 

 お気に召されない以前に、この状態で果たして出来るのかと不安になる。

 だが豪胆なシェフはもう一人いた。

 

 

「ハッハッハッ!! 笑え! 給仕は笑いながらするのが作法だぞ!!」

 

 

 彼だけはやけに、お菓子に自信があった。

 

 

「やけに落ち着いてんな……」

 

「なかなか、『食の黎明』とも見える作り方! 変わっていながらも王道! これが良いんですよこれが!! ただの黒ごまが、メインとなって王族に振舞われる所まで来たのですよ!」

 

 

 すっかり忘れていた。このお菓子は、あの『黒ごま』から作った代物。何とか脚色したが、大丈夫だろうか。

 

 

 

 

「……ジョースケを……いいや。俺たちで作ったんだ! 信じるしかねぇだろ、『コレ』をッ!!」

 

 

 品評会がひと段落ついた。

 マルトーら、チーム・シエスタは姫殿下との謁見に馳せ参じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後の品評会はタバサのシルフィードと、上等な使い魔が起用された。これにはアンリエッタならびに、マザリーニも騎士隊も賞賛する。本当はキュルケのフレイムも挙げられる所だが、ゲルマニア出身の彼女は声をかけられなかったようだ。

 こうして場が盛り上がった所で、オスマンとの茶話会に移った。

 

 

「マザリーニ枢機卿殿。ゲルマニアは如何でしたかな?」

 

「……実に杜撰な国ですな。都なら、トリステインの方がまだ壮麗でしたぞ」

 

 

 老人と言うのは、つい情勢の話に向かってしまう。

 さんざん馬車の中で聞かされたそれを、アンリエッタは鬱陶しがった。

 

 

「折角の茶話会なんですから、今はその話題はよしませんか?」

 

「では、どのような話にいたしましょう? 品評会でしたなら、先程のウィンドドラゴンは見事で。使い手のメイジもさぞ、良き血族でしょうな」

 

 

 タバサのシルフィードを賞賛するマザリーニ。

 その彼女がフーケを捕まえた一人だぞと、オスマンは冷ややかに思う。

 

 

「左様でしたか。姫は、どの使い魔が気に入られましたかな?」

 

 

 オスマンが尋ねると、アンリエッタは少し考えた後、答えた。

 

 

「あの、ジャイアントモールですわ」

 

「ほお! ギーシュ・ド・グラモンの?」

 

「グラモン家の子息ですか……まぁ、らしいとは思いましたが」

 

「でも人間の仕草を模倣するなんて、よほど彼と相性が良いのでしょうね。見ていてとても、和みましたわ」

 

 

 これをギーシュが聞けば、絶頂モノだろう。今の彼は裏で、冷静になってヴェルダンデを抱き締めながら震えていた。

 

 三者に紅茶が振舞われた後に、お菓子が届けられる。ガチガチのチーム・シエスタがアンリエッタの後ろに並び立つ。

 

 

「お、お菓子を作りました。我々の創作です。お口に合えばと」

 

 

 意気揚々と出て来たマルトーも、アンリエッタの眼前に立つならば人生最大級の緊張に見舞われる。

 早鐘を打つ心臓と、どもりそうな舌を何とか落ち着けさせ、ゆっくりと品物を置く。

 

 

 

 

 

 目の前に置かれたそれを見て、まず一行は驚かされた。

 

 

「……黒いのう」

 

「黒いですな……」

 

「黒いですね……」

 

 

 小さなシュークリーム……『プロフィトロール』。一口で食べられるサイズ。

 しかしながら問題はその生地の色。黒いのだ。実質は灰色だが、普通の一般的なプロフィトロールよりも遥かに黒い。

 

 

「シェフ。これは……何でしょうか?」

 

 

 アンリエッタの質問に、パティシエの赤毛シェフが、名前を言った。

 

 

 

 

 

 

「『メモリー・オブ・ジェット』……です」

 

「『黒玉の記憶』……?」

 

 

 時間は創作過程まで遡る。

 

 

 

 

 

 

 定助が提案した『ゴマみつ団子』であったが、まず彼の言った構想時点で問題が発生した。

 

 

「その、『モチ』ってのは無理だな!」

 

 

 団子にはモチ(海外ではライスケーキ)が必要不可欠。

 しかし米より小麦のこの世界に於いて、もち米なるものは無い。

 

 

「なら、別の物で包まないですか? ほら、パンとか何とか……」

 

「それならば、『プロフィトロール』はどうだい、ベイビー?」

 

 

 赤毛シェフの提案により、モチの代わりにシュークリームの生地を起用する事となった。

 サイズは王族の狭い口に入るくらい、小さなもの。麗しき姫殿下に、あまり口は開けさせなくない。

 

 

 次に、彼の言うゴマみつ団子の根本を担う要素だが、これの発想に一同は驚いた。

 

 

「ゴマの……ねりゴマ蜜ぅ!?」

 

 

 黒ごまを油を加えながら、磨り潰す。するとゴマの粒子はペースト状に蕩け、言うように蜜となった。この活用方法には、エキゾチックなシェフが黎明黎明と賞賛していた。腱鞘炎間近なほど、ゴマを擦ったものだ。

 

 

 そのねり蜜を加えながらシュークリームの生地を作ると、黒に着色された物が出来上がる。

 中の空洞へねりゴマを流し込もうとするが、その味に難色が示された。

 

 

「……ちと、渋くねぇか?」

 

「しょぉがねぇぇなぁあ〜……生クリームと混ぜて甘くするぜ」

 

「出来るだけトロ〜ってさせたいんですよ」

 

「よ〜しよしよし……粘りっけのある、『カスタードクリーム』としよう!」

 

 

 卵黄と牛乳、砂糖とねりゴマを混ぜ、固まり過ぎないよう気をつけながら小麦粉(軟質な小麦が、定助の言う『薄力粉』の役目を果たす)を加え、火を通す。

 この際、砂糖の分量はカットさせ、黒ごまの素朴な味が伝わり易いよう工夫した。

 

 

 

 黒ごまカスタードを生地内部に流し込めば、完成。

 出来上がった物は、黒いプロフィトロール。

 定助の言う通りに、名前は『ゴマ・ミ・トゥ・タンゴ』になりかけたが、見た目を何とか昇華出来ないものかと思案され、『メモリー・オブ・ジェット』となった。ジェット石は貴族に人気の黒石だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここに発案者の定助はいない……シェフではない彼は同行出来なかった。

 

 

「これはオレじゃなく、皆さんのアイディアもあって出来た物です。オレの事は気にしないでください」

 

 

 流石は我らが泡、謙虚で素晴らしい。

 

 

 

 

 

「変わった色の、プロフィトロールですな……」

 

「これは何を使われたのですか?」

 

「それは食べての、お楽しみで御座います」

 

 

 好奇心を煽るように言ったが、マルトーの心臓は破裂寸前だ。何よりあの、アンリエッタ姫に話しかけられた自分が信じられない。

 味に関してはチーム・シエスタも納得だが、彼らの口と姫の口は違う。果たして合うか否か。

 

 

 

 メモリー・オブ・ジョットが彼女の口へと持ち上げられる。

 

 

 

(あぁ……伝わってください……!)

 

(ヘイルトゥーユーッ!)

 

(アンリエッタ姫の質問……今のはマジにヤバかったぜ……)

 

(キィィイコエェェエエエエ!!)

 

 

 

 チーム・シエスタ、緊張の一瞬。固唾を飲んで、その時を覚悟した。

 厨房でアイディアを出し合っていた方が幸せか。祭りは準備が楽しいと言うが、祭り本番が修羅とは。

 

 

 

 

 

 

 アンリエッタの柔く、薄紅色の唇が、ジェットを咥える。

 押し込まれ、口の中。生地は破れ、クリームが舌を包む頃。

 味覚の良し悪しがそろそろ、表情に現れるだろう。シェフらはおずおずと、彼女の声を待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、美味しい!」

 

 

 チーム・シエスタ、勝利の瞬間である。




一年ちょい、お待たせして申し訳ありません!
今後とも、是非によろしくお願いいたします!


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殿下行幸。その4

原作ゼロの使い魔の絵師を担当なされた兎塚エイジさんが、『異世界はスマートフォンと共に』の表紙を担当されていました。
絵柄が懐かし過ぎて、感慨深かったです。本編は読んでませんが。


 一方の定助は、学院内の廊下傍のベンチに座りマルトーらを待っていた。

 チーム・シエスタはシェフとして特例で謁見出来たものの、普通では平民は近付く事さえ許されない。

 アンリエッタらのいる広場は丸々、平民は立ち入りを禁止され、魔法騎士団がガードマンとなるので衛兵すら入れない。完全なる聖域と化していた。

 

 

「あれで良かったのだろうか……れ、冷静になったら別のにしたら良かったとか思って来た……」

 

 

 仲間内だと最高にハイになり、ノリとアイディアで盛り上がるが、いざ本番だと事の重大さに気付き怖気付く……と言った、ここまで全ての人間が陥った現象に彼も嵌っていた。

 

 妥協と改良を重ねて完成した、黒ごまクリームプロフィトロール『メモリー・オブ・ジェット』。香ばしくも軽い上品な甘さ、敢えてフワフワにしない半熟気味のクリームがまた独特な食感を生む。

 今思えば素朴過ぎたかもしれないとか、お姫様に黒ごまってどうなのよとか、相手がロイヤルファミリーだと自覚すればするほど「あーすりゃ良かった・こーすりゃ良かった」がループする。

 

 

『相棒相棒! おめぇらしくねぇなぁ!』

 

「デルフ?」

 

 

 傍らのデルフリンガーが、ガチャガチャ揺れながら励ましてくれる。

 剣に激励される人間とは、奇妙な光景だ。

 

 

『逆に考えろ!「王族だから寧ろ素朴な方が新鮮」ってな! 聞いた限りじゃ、悪くなさそうじゃあねぇか!』

 

「……そうかも。けどデルフ、剣なのに物の味とか分かるの?」

 

『いいや全く』

 

「ほ〜ら!」

 

『んでも、そんなモンだろ? 平民が宝石に憧れるのは宝石を知らないからで、貴族がフェスタに憧れるのはフェスタを知らないからだ! 人間、知らない物へは強い憧れを抱くもんだし、驚きを感じるもんだぜ!』

 

 

 亀の甲より年の功とは言うが、やはりデルフは定助よりもずっと長く生きて来ただけあり、人間を良く知っている。

 まだ不安はあるものの、少し落ち着いた。

 

 

「……剣なのに良く人を見てるなぁ」

 

『別に剣なのは良いだろ! 意思さえありゃ、人も剣もさして変わらんもんだぜ相棒!』

 

「へぇ、意思か」

 

 

 意表を突いて深い事を言うデルフに、時折関心させられる。全く剣として活用していないが、良きアドバイザーとして買って良かったと思っている。

 

 

 すると突然、定助を呼ぶ声。

 

 

「ジョースケさーん!」

 

『相ぼッ!?』

 

 

 シエスタだ。彼女に気が付くと、定助は黙ってデルフを鞘に押し込んだ。

 人生の先輩よりも、癒してくれる人を優先する。それも人間なのだとデルフはまた学ぶ。

 

 

「やあ、シエスタちゃん。休憩?」

 

「やっとですよジョースケさん……と言っても、あと少ししたら夜の宴会の準備ですけどね」

 

「大変だなぁ、メイドは……オレも何か手伝おっか?」

 

「いえいえ! これは私たちの仕事ですし、別に初めての事じゃないですし!」

 

 

 ジョースケの隣に座り、ニッコリ笑顔。癒される、さっきまでの不安が吹き飛んだ。

 

 

「それでジョースケさん、聞きましたよ!」

 

「聞いた? 何を?」

 

「マルトーさんたちと、アンリエッタ姫様にお出しするお菓子を考案したとか!」

 

 

 あれだけ厨房で騒げば、噂はあっという間に広がるだろう。

 あまりにヒートアップし過ぎて、砂漠の暑さでイカれた人間にも見えたとか何とか。

 

 

「オレはアイディアだけだけど」

 

「でも、聞いた所じゃ、胡麻をプロフィトロールにするって。ジョースケさんって、独創的な人なんですね!」

 

 

 シエスタは彼を滅茶苦茶褒めてくれる。際限なしに褒めてくれるので、とても居心地良い。

 

 

「あっ、じゃあ、シエスタちゃんも食べてみる?」

 

 

 デルフリンガーの納められた鞘の横に、紙のホールに包まれたお皿があった。

 中にはチーム・シエスタの結晶、メモリー・オブ・ジェットが十個。試食品として余った分を戴いた。後でルイズに振る舞おうと思っていたが、シエスタが第一になる。

 

 

「これが、ジョースケさんたちが考えた……?」

 

「うん、うん! メモリー・オブ・ジェットって言うの!」

 

「ふわぁ、素敵な名前! 確かに黒色ですもんね」

 

 

 黒いシュークリームと言うインパクトを、名前で壮麗に昇華され受け入れやすくした。「ゴマ・ミ・トゥ・タンゴ」にしなくて良かったと、心底思う。彼女の感激の声が聞けた、癒される。

 

 

「ほらほら、おひとつどぉ〜ぞっ」

 

「では、お言葉に甘えていただきます」

 

「前歯で噛んだら駄目だよ。奥歯で噛むんだ」

 

「奥歯ですか? 分かりました」

 

 

 摘んだメモリー・オブ・ジェットを、パクッと一口。癒される。

 食べてすぐ、彼女の表情が変化した。

 

 最初は黒ごまクリームの、およそお菓子らしからぬ味に驚く。

 次に黒ごまの芳ばしさに気付き楽しむ。

 その後、黒ごまの芳ばしさに追い付いた微かな甘みにウットリ。

 喉を通れば、口内に残る余韻に浸ってスッキリ。

 甘さはあまり残らず、くどくない。

 

 

「美味しい!」

 

「でしょ? でしょ!?」

 

「平民の私が言うのも変ですけど、お上品な感じですね。プレーンのビスケットみたいと思ったら、食べてすぐじゃなくて、後追いで甘みがやって来るんです!」

 

「流石シエスタちゃん! 分かってるぅ!」

 

「でも最初に出て来た黒ごまは、決して邪魔ではないんですよ。味覚を踊らせるような、濃くて芳ばしい味が凱旋パレードのファンファーレのように、口の中を満たすのです」

 

「シエスタちゃん?」

 

「それはまるで、王様の馬車を待つかの如く。湧き上がる歓声、熱気、期待……それらを抜けて現れた甘みはまさに王族の帰還! そしてあっさりと消え行く様は祭りの余韻!」

 

「し、シエスタちゃん?」

 

「黒ごまとクリーム本来の甘みの融合! 例えるなら、ワインに対するチーズ! 風と草原のデュエット! ミスタ・グラモンに対するミス・モンモランシ! ヴァイオリンとピアノの調和ッ! 混ざり合い、絡み合う様は、幾多の色の絹を織り合わせ作る、最高級の絨毯のようなッ!」

 

「………………」

 

 

 土石流のように彼女の口から羅列される、語彙力に満ちた食レポ。初めて見た一面の為、思わず定助は圧倒されあんぐり口を開いていた。

 

 

「……あっ! 定助さんも! はい、あーん!」

 

 

 開いた口が塞がらない彼へ、もう一粒取ったシエスタが食べさせてあげる。

 その行動に驚き、自分でシエスタに忠告した癖に、前歯で強く噛んでしまう。

 

 

 

 

 すきっ歯の隙間から、勢い良くトロトロの黒ごまクリームが発射される。

 

「ぅンまいなぁぁぁぁぁぁあッ!!」

 

「わぁあ! ジョ、ジョースケさん!?」

 

 

 口元のクリームを拭いながら、定助は照れながら言う。

 

 

「……こうなるから、奥歯で噛んでね」

 

「……あはっ! あはははは!」

 

「ふふ、ふふふ!」

 

 

 黒ごまプロフィトロールなのに、ひたすら甘い空間がそこに構築されていた。

 二人は笑い合い、定助はウットリしながら小さく呟く。

 

 

「あぁあ……癒される……」

 

 

 

 するとまた、彼を呼ぶ声。

 

 

「ジョースケぇぇ!!」

 

 

 廊下の奥からドタドタ詰め掛けて来たのはマルトーと、チーム・シエスタの面々。茶話会は終了したようだ。

 全員、走って来ているのに表情は真っ青になっていた。

 

 

「おお! ここにいたかぁぁ!」

 

「ど、どうでした?」

 

「それが……困った事が……」

 

「困った……事……!?」

 

 

 まさか、アンリエッタ姫はお気に召さなかったのだろうか。

 嫌な予感と考えが頭を過り、思わず定助も立ち上がる。チームの全員が、渋い顔をしていた。

 

 

「……もしかして、受け付け……なかった……とか?」

 

「……いいや、ジョースケ。逆だ」

 

「…………え? 逆?」

 

 

 定助の隣に黙って立ったマルトー。

 彼は震えた手で、いつもより弱々しく定助の背中を叩いた。

 

 

 

 

 

「……レシピを……教えて、くれと……宮廷料理に、加えたい……って……」

 

「あまりに動揺し過ぎて夢だと思って……腕に『ベイビィスタンド』って書いてしまったよ……」

 

「アンリエッタ姫殿下の笑顔は危険だ……! 仰け反っていなければ死んでいた……!」

 

「あれほど自分が小さい人間だと思った事はなかったぜ……」

 

「今なら見上げていても幸福だよ……」

 

 

 あまりの出来事に、面々は思考の底から変貌を遂げたかのようだ。

 定助も思いも寄らない結果に、またあんぐり口を開けるしかなかった。シエスタもまた、呆然としている。

 

 

「きゅ、きゅ、宮廷……!?」

 

「料理……ゴマみつが、宮廷料理……? え?」

 

 

 

 

 

 

 

 その後、宮廷料理として加えられた『メモリー・オブ・ジェット』。

 

 レシピは非常に単純でありながら、黒ごまの油で蜜を作ると言う方法は興味を持たれた。

 また砂糖は通常よりもカットされ、比較的安価な黒ごまが主に使われるとなり、コスト面でも誰でも再現が出来るお菓子として、受け入れられた。アンリエッタ姫が賞賛し、味も高貴的とあって貴族に親しまれた。

 

 

 レシピは王都に流れ、メモリー・オブ・ジェットは平民にも流行し、『トリステインの大衆菓子』として浸透するのは、ほんの少しの未来の話。

 その流行に肖り、黒ごま料理が増えるのも、先の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は夜に差し掛かり、双子の月が空に浮かぶ。

 アンリエッタ姫を歓迎する宴会は終了し、興奮冷めやらない内に生徒たちは寮に戻った。

 流石に定助と言えどもそこには行けず、ルイズの部屋で一人待っていた。

 

 

 お菓子作りの後より、ずっと見ていない。最も、チーム・シエスタの面々で宴を催した上、貴族は宴会に向けてドレスの準備などしなければならず、なのでギーシュやキュルケらにも会えなかった。

 八個残ったメモリー・オブ・ジェットを携えながら、デルフと話しつつぼんやり遠く、学院の本搭を眺めている。

 

 

 

 

「……帰ったわ」

 

 

 ドレスを着替え、化粧を落としたルイズが、やっと帰って来た。

 門で逸れてよりの再会だ。

 

 

「あっ! おかえりご主人! 途中逸れてごめん!」

 

「別に良いわよ」

 

「そうだそうだ! これ、厨房のみんなで作ったんだけどさぁ! 氷入れてるから、キンッキンのヒエッヒエだから」

 

「後にするわ」

 

 

 素っ気ない態度に、定助は驚いた。

 彼女の事だから定助を見て「何処行ってたのよ!」と叱るハズだし、お菓子好きの彼女ならば「なにそれ? プロフィトロール?」って興味を示すハズ。

 

 

 それすらない、全くの虚無。

 あまりに虚無的過ぎて、自分で着替えてキャミソール姿になっていた事に気付かなかったほど。定助は自分が時間を飛ばしたのではと疑ったほどだ。

 

 

「……えっ、もう着替えたの?」

 

「………………」

 

 

 そのまま椅子に座り、机に頬杖突く。

 それっきり動かなくなった。ぼんやり床を俯瞰し、物憂げな顔で、固定されたかのように。あまりに動かないので一瞬、定助は自分が時間を止めたのではと疑ったほどだ。

 

 

「ご、ご主人? その、怒ってる? オレェ? オレのせい?」

 

「………………」

 

「……えぇと……あの、これ、食べる?」

 

「………………」

 

 

 反応がない。ちょっと怖い。石像と話している気分になって来るからだ。

 何かアクションしなければと、メモリー・オブ・ジェットを机に置いて、意を決したように立った。

 

 

 

「……とある外国語を話せない人が、言葉の違う外国人夫婦と会う事になった」

 

 

 突然何か話し始めた。面白い話で場を和まそうとしたのだろうか。

 

 

「通訳がいるとは言え、挨拶くらいは言わないと示しが付かない」

 

「………………」

 

「そこで彼は通訳にお願いし、二つの軽い挨拶を教えて貰う事にした」

 

「………………」

 

「『How are you(ご機嫌いかが)?』『Me too(私もですよ)!』」

 

「………………」

 

「その二つを覚えて、いざその夫婦と挨拶する。しかし彼はこう言った」

 

「………………」

 

「『W()h()o() are you(貴方は誰ですか)?』」

 

 

 ルイズは無反応。笑い所のハズなのになと思いながら、続ける。

 

 

「外国人夫婦の夫はビックリしたけど、それをジョークと受け取った。なので彼もジョークで返そうと、妻を肩に寄せながら言う」

 

「『I am Mary husband(私はメアリーの夫です)』」

 

「『Me too(私もですよ)!』」

 

 

 これは面白いだろうとルイズをパッと見る定助。

 しかし彼女の時は戻らず、やはり視線を下げてぼんやり。あまりに無反応な為、自分のジョークが通じていないのかと心配になって来た。

 逆に今の自分は、彼女に見えないのではないかと怖くもなって来る。それほどまでにルイズは、反応がない。

 

 

 何よりも不可解なのは、ルイズは決して不機嫌ではない点だ。嫌な事があって不貞腐れているなら、もっとブスッとしているし、定助への当たりもそこそこ強い。今のジョークが面白くないのなら再起不能になるまで酷評するハズ。

 

 

 だが怒ってはいないし、考え事をしている様子でもない。本当に虚無。心配になって来る。

 

 

「……なぁ、ご主人。実は俺、口笛が得意なんだ。ピュ〜♪ ピュー♪」

 

「………………」

 

「これが本当の、『笛吹けども踊らず』!」

 

 

 何を言っているんだオレは。

 馬鹿馬鹿しくなり、恥ずかしくもなり、元の椅子に座って夜空を眺め出した。

 非常に気まずい、とても気まずい。何を話せば良いか、どうすれば良いかが分からない。双月を眺め、流れ星を見つけ、「Help me」と心中で懇願する。

 

 

 

 

 

 その思いが通じたのかどうかは別として、誰かが部屋の扉をノックした。

 

 

 コッ、コンコンコン。

 

 

 意図的に指の力を操作しているような、変なノック音。

 ふざけているようにも聞こえ、キュルケだろうかと定助は立ち上がった。

 

 

「誰か来た?」

 

「…………このノック音……」

 

「え? あ、ご主人! マイワールドから戻って来た!?」

 

 

 定助をやはり無視し、愕然とした表情で扉を眺めている。

 出迎えようとせず、ただ見る。不思議に思った定助だが、何かあると察して出迎えずに待った。

 

 

 

 

 コン、ココンッ。

 

 

 暫く間を置き、ノック。

 

 

「……まさか……!?」

 

「ご主人?」

 

 

 何かを確信したようにルイズの表情は晴れ始め、使い魔の定助に開けさせる事も忘れてドアノブに飛びついた。

 服装がキャミソールである事も忘れている。

 

 

「ご、ご主人! 服、服ッ!!」

 

「え? あぁ! ブラウスとスカート取って取って!!」

 

「はいっと」

 

「投げるなっ!!」

 

 

 叱られたとは言えやっと反応して貰え、定助は少し嬉しかった。

 しかしルイズが取り乱すほどの人物がいるのかと考え、もしかしたら教師かもしれないと予想する。

 

 

 

 

 

 

 

 扉を開くと、薄暗い廊下に立っていたのは、黒いローブの人物。

 顔をすっかり隠し、男か女かも分からない。見るからに怪しく、定助は警戒してルイズの傍に近付く。

 

 

「あの……」

 

「しっ!」

 

 

 ルイズが声をかけようとすると、その人物は静かにするように示し、取り出した杖で探知魔法を行う。

 探知魔法は、他に魔法がかけられていないかを判別する魔法だ。それほど神経質になるほどなのかと、定助は訝しむ。

 

 

「……あの、どちら様でしょうか」

 

「ッ!? ジョースケッ!!」

 

「おうっ!?」

 

 

 ローブの人物に近付こうとした彼を、横からいきなり突っ飛ばす。

 床に彼が転がっている内にその人物は部屋に入り、そそくさと扉を閉める。

 

 

 

 

「………………」

 

「も、もしかして……あ、あ、あなた……様……は……!?」

 

「……あぁ……あぁ……!」

 

 

 互いに顔を見合わせているが、ローブの人物の後ろで倒れる定助からは顔が見えない。

 しかし声からして、若い女性だとは分かった。

 

 

「あ……あ……あん……!?」

 

「ああ! ルイズ! 懐かしいルイズ!!」

 

「ひ、ひめ」

 

 

 突然ローブの人物はルイズに抱き着き、震えた声で何度も彼女の名を呼ぶ。

 当のルイズはどうするべきか迷い、手をワタワタさせていた。

 

 

「覚えていますか!? 良く中庭で蝶を追いかけて、泥だらけになったり!」

 

「あ、あの、あのあの……も、勿論です……!」

 

「お菓子を取り合って掴み合いの喧嘩になったり!」

 

「そ、その時は本当に、申し訳ありませっ……!」

 

「貴女の家の執事を脅かして、彼をパニックにさせたり!」

 

「今思ってもあれは悪質だなと思うのですが……って、そうではありません!」

 

 

 あのルイズが、恭しい敬語。

 一体誰なんだと気になった定助は、ローブの人物の背後に近寄った。

 

 

 

 

「ご主人? この人どなっ」

 

「シッ!!」

 

「おぐっ!?」

 

 

 顔を覗き込もうとする定助の脇腹を一発ド突く。

 

 

「ああ、懐かしいですわ! ドレスの取り合いでラッシュの速さ比べをしましたわね!」

 

「あの時は姫様の御手で気絶してしまいました……そ、それより! わ、私めのモノが御無礼をおかけしまして、何と陳謝すれば……!」

 

「もう! 私と貴女、旧知の仲で親友ではありませんか! どうか、他人行儀を払ってください!」

 

「姫様……!」

 

 

 完全にこの二人の世界になっている。

 蚊帳の外の定助は、ルイズに攻撃された脇腹を押さえながらまた、床に蹲る。いつも以上に攻撃的で驚いたが、それよりも驚いたのはルイズの言葉。

 

 

 彼女は今、ローブの人物の事を『姫様』と呼んだ。

 

 

 

「……え? え? ご主人、ごご、ご、ご主人? も、も、も?」

 

 

 定助は「もしかして?」と言いたかったが、衝撃的な状況で舌が回らなくなった。

 今、この学院にいる『姫様』はたった一人で、今しかいない人物。

 その人物の顔は知らないが、その人物の為に定助は知恵を貸した。

 そしてずっとその人物の事を考えて思い悩んでいた。

 

 

 

 やっと彼女は、フードを取り、定助へと目を向ける。

 

 

 

 

 

 美しい少女だった。

 美しいだけではない、王族としてのオーラを纏っていた。それが光となり、輝いているかのようにも見えた。

 

 

「ええと……ルイズ、この方は貴女の召使いですか?」

 

 

 素顔を晒し、立っていた少女は、紛れもなく『アンリエッタ姫』……トリステインの、王女様だ。

 

 

 

 

 

 

 

「ぷぷぷプリンセスぅッ!?!? マジィッ!?!? 本物!?」

 

 

 今度はルイズの右脚が定助の腹に命中した。



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