コードギアス―抵抗のセイラン― (竜華零)
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プロローグ:「――――7 years ago.」

「どうして……?」

 

 

 形の良い小さな唇から紡がれるのは、震えて掠れた声だった。

 むしろ吐息のようなその声に、その言葉に、反応を返す者は誰もいない。

 しかしその言葉は、少なくとも2人の人間に対して向けられたものだった。

 

 

 ――――言葉を紡いだのは、薄い桜色の着物に身を包んだ8歳ほどの少女だった。

 無地の桜色の生地とイエローグリーンの帯に包まれた小さな身体は、カタカタと震えている。

 和風の邸宅には似つかわしくない両開きの扉、その片方に手を添えて室内に目を向けている。

 青ざめた顔で黒い大きな瞳を見開き、掴む扉に爪先を食い込ませて……。

 

 

「どうして」

 

 

 窓のブラインドが降り、蛍光灯の明かりで照らされた室内には、彼女以外に2人の人間がいた。

 少女には読むことも出来ないような、分厚い本が詰め込まれた本棚に囲まれた書斎の中心にその2人はいる。

 1人は毛足の長い絨毯の上に横たわり、もう1人は本革製のソファーの横に立っている。

 少女の父と、兄だった。

 

 

「……どうして」

 

 

 少女は、父のことが大好きだった。

 日本国総理大臣として国を率い、軍を率い、誰の前でも毅然とする父が誇りだった。

 小太りなお腹や弛んだ頬肉などはあまり好きでは無かったが、それでも自慢の父だった。

 武術や学問を強制されたのには困ったが、それも愛情故と信じていた。

 

 

 少女は、兄のことが大好きだった。

 本人は気にしているようだが、脱色したような薄い髪色が特に好きだった。

 喧嘩っ早くて乱暴な所は困っていたが、その真っ直ぐな剣筋は憧れだった。

 不器用だが優しい人だと、過去8年間の人生でそう信頼していた。

 

 

「どうして、父様を……」

 

 

 なのに、何故。

 何故、父は白目を剥いて倒れているのか。

 大好きだった父は、どうして腹部を真っ赤に染めて倒れているのか。

 父の腹から押し出されている肉は魚を捌いた時に取る腸に似ていて、鼻にツンとくる鉄錆の匂いに眉を顰めそうになる。

 

 

 何故、そんな父の傍にあって兄は父を助けようとしていないのか。

 いやそもそも、兄が手にしている刀はどうして、あんなにも朱に塗れているのか。

 小さな脂がこびりついたような、今しがた使ったばかりだと示すようにテラテラと蛍光灯の光を反射するそれは、幼い少女の脳裏にもわかりやすく事実を教えてくれている。

 

 

「……どうして、父様を、こ……こ」

 

 

 こ、と、最後の言葉が、息が詰まったかのように声にならない。

 しかし少女は何かを飲み込むように喉を鳴らすと、それを皮切りに表情を一変させた。

 見開いていた目を鋭く細めて、表情筋を引き攣らせるように強張らせて、倒れた父を静かに見下ろすばかりの兄を――――兄だった少年を、キツく……キツく、睨んだ。

 

 

「どうして、父様を」

 

 

 ガリッ……と音を立てたのは扉に食い込ませた爪か、それとも噛み締めた奥歯か。

 あるいは、両方か。

 長い黒髪が、ザワリと少女の気で揺らめいたような気さえした。

 いずれにしても、少女は瞳の奥に優しさや思いやりなど欠片も無い憤怒の炎を滾らせて。

 

 

「どうして父様を、(コロ)したアアアアアアアアアアアアアァァァァッッ!!??」

 

 

 ――――そう、叫んだ。

 その絶叫が、何もかもの始まりを告げる合図となった。

 全てはここから始まり、そして何処とも知れない終わりへと向けて疾走を始めることになる。

 

 

 その結果がどのような位置に着地するのかは、この時点ではまだ誰にもわからない。

 黒の皇子にも、白の騎士にも、緑の髪の魔女にも――――彼らを取り巻く全ての人も。

 現在(きょう)も、未来(あした)も、過去(きのう)も、何もわからない。

 ただ一つ、この時点で判明していることがあった。

 それは――――。

 

 

 

「……許さない、ゆるさない……」

 

 

 

 ――――皇暦2010年、4月の夜。

 

 

 

「――――ワタシハ、アナタヲ、ユルサナイ――――」

 

 

 

 1人の少女が、絶望を()ってしまった。

 

 





 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 初めましての方は初めまして、久しぶりの方はお久しぶりです。
 「コードギアス―抵抗のセイラン―」、開始です。

 基本はあらすじの通り、スザクさんの妹の視点で物語が進みます。
 何となくまた長編になりそうな予感がしますので、お付き合いくだされば幸いです。
 それでは、またお会いしましょう。
 いつか、コードギアス風の次回予告をしたいです。


なお、コードギアスキャラ募集は2月19日18時までです。
まだ参加されていない方は、是非とも応募してみてください。
詳細は活動報告にて、どうぞです。


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第零話:「はじまり の 時間」

 まず謝罪から、あらすじで主人公の名前を間違えて表記しておりました、申しわけありませんでした。
 青鶯ではなく、青鸞、これで「セイラン」と読みます。
 難しい漢字ですが、改めてよろしくお願い致します。

 そして初挑戦、「本編開始前の話」をプロローグの次に持ってきます。
 プロローグの2年後くらいの、主人公のお話。
 では、どうぞ。



「父様……ッ……!!」

 

 

 少女が飛び起きた時、布団と共に朝の雫が散った。

 何かを追い求めるように上半身を起こしたのは、10歳に満たない小さな女の子だ。

 20畳は超えているだろう流麗な絵が描かれた襖に覆われた部屋には、一組の布団しか無い。

 彼女がいるのは、その布団の上だった。

 

 

 額や鼻の頭に浮かんだ汗は薄暗い中でも光って見えて、それは頬や首筋を通って背中や胸、腰へと流れ落ちていく。

 剥き出しの鎖骨や肩甲骨のあたりに長い黒髪が張り付いていて、敷布団は女の子の小さな身体の形に汗の跡がついていた。

 彼女は何も身に着けていない……素肌を晒して、生まれたままの姿で布団に(くる)まっていたようだ。

 

 

「は、ぁ……ふ……」

 

 

 夢か、と思った次の瞬間、自らの汗の冷たさで意識を急速に回復させた彼女は、自分の額に手を置いてクシャリと前髪を掴んだ。

 その指の間からは、汗とは異なる水分が流れ落ちている。

 夢、だが、現実の記憶。

 

 

「……父様、父様……父様、ぁ……」

 

 

 もう片方の手で自分の身体を抱くようにして身を丸める、まるで何かから身を守るように。

 こうして見ると、周囲を取り囲む襖の壁は彼女の心の壁のようだった。

 何者にも崩せない、彼女だけの城塞、防壁――――そして、牢獄。

 

 

「……ぅ、して、どうして、どうして、兄様(スザク)……」

 

 

 繰り返し問うた言葉、しかし答える相手はもう目の前にはいない。

 どこにもいない。

 だから彼女は動けない、あの場所の、あの屋敷のあの部屋から。

 あの時間から、身動きが取れなくて――――。

 

 

「まぁ、大変」

 

 

 その時、城塞のように思われていた襖の一つがあっさりと開いた。

 女の子が目元を拭って顔を上げれば、そこにいたのは同い年くらいの女の子だった。

 長い黒髪にぱっちりとした目、平安貴族が着るような和服と相まって和人形のようにも見える。

 

 

「もう、セイラン。服を脱ぎながら寝る癖、直さないとダメって言われてますのに」

「カグヤ」

「はい、って、あら、凄い寝汗。朝ご飯の前にお風呂を先に致しましょうか?」

 

 

 カグヤと呼ばれた女の子は、おっとりと首を傾げながらセイランと呼んだ女の子に近付いた。

 良く見れば布団の周辺に、まるで押しのけられたかのように白の襦袢や下着が散乱している。

 どうやら、セイランと言う女の子が寝ている間に脱ぎ散らかしていたらしい。

 そうして近付いてきたカグヤの腕を、セイランが掴む。

 

 

「あら?」

「……ッ」

 

 

 やはりおっとりと首を傾げるカグヤに、セイランが抱きついた。

 いや、縋りついたと言った方が正しいのかもしれない。

 そんな様子で抱きついてきたセイランを、カグヤも抱き締め返す。

 同い年なのに、何故か母と子のように見えてしまう絵だった。

 

 

「セイラン?」

「……カグヤは」

「はい?」

「カグヤは、いなくならない……? どこにもいかない? 私を1人にしない……?」

「はい」

 

 

 意味不明な問いかけに、しかしカグヤはにっこりと笑って頷いた。

 

 

「セイランは私のお友達ですもの、ずっと一緒ですわ」

「ほんとう?」

「はい」

 

 

 カグヤの笑みに何を見たのか、セイランはほっと息を吐いた。

 そしてしばらくそうしていたのだが、裸のセイランは寒かったのか、くしゅんと可愛らしいクシャミをした。

 それにカグヤはクスリと笑って、身を離した。

 

 

「さぁ、風邪を引いてしまいますわ。早くお風呂を入れてもらいましょう」

「うん……あ、カグヤ」

「はい?」

「ご、ごめんね、朝から……」

 

 

 どこか恥ずかしそうに頬を染めて、布団の上で両膝を揃えて、モジモジしながらセイランがそう言った。

 それに対してカグヤは、何故か胸を押さえて顔を背ける。

 具合が悪いとかそう言うことでは無く、こう、堪らなくなってそうしたと言う風だった。

 

 

「か、カグヤ?」

「い、いえ、ええ! 大丈夫、大丈夫です、お友達ですもの、気にしなくて大丈夫ですわ、ええ」

「そ、そう? カグヤは優しいね」

「そ、そんなことは」

「ううん、カグヤって……母様みたいにあったかいよ」

 

 

 その発言に、カグヤは非常に微妙な表情を浮かべた。

 

 

「あ、あの……それって私が大人っぽいってこと? それとも……?」

「カグヤ?」

「あ、ああ! 他意が無いなら! 無いなら良いのですわ!」

「カグヤ、本当に大丈夫なの?」

「ばっちりですわ!」

 

 

 何がばっちりかはさっぱりだが、いずれにせよ、セイランは笑った。

 襖を開けるという、ある意味で象徴的なことをしたカグヤの前で。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 セイランとカグヤは、家の中にいることが多い。

 学校にも行かないし、そもそも人と会うことすらなく、生活の全ては無表情なお手伝いさん達によって何もかもが用意されている。

 きゃーっ、と、そんな静かな空間に甲高い悲鳴が上がった。

 

 

 それはカグヤが上げたもので、特に危機に陥ったためのものでは無い。

 両手を合わせて、目の前の女の子を見て興奮している様子だった。

 そこにはセイランがいる、こちらはカグヤと違ってどこか困ったような顔をしていた。

 

 

「似合いますっ、似合いますわセイランっ、可愛いですわーっ」

「う、うーん……」

 

 

 薄桃の袷に、薄紫の帯、白の袴に和風のケープ。

 平安貴族のように幾枚もの布を重ねたその衣装は、カグヤとお揃いの物だった。

 一方でカグヤはと言えば、両手合わせからのピョンピョンジャンプへと移行している、かなり興奮している様子だった。

 

 

「これ、何だか厚着なのにスースーするね。何だか落ち着かないかも」

「あら、気に入りません?」

「うーん……何だかフリフリ多いし、ヒラヒラするし、あちこち緩いし、運動したら解けそうであんまり好きじゃないかな」

 

 

 裸で寝ていた人間が言うことでは無いが、実際頼りない布地だとセイランは感じていた。

 しかし感想を述べた次の瞬間、何かが崩れ落ちるような音が響いた。

 

 

「そ、そんな……私とお揃いが嫌なんですの……?」

「え」

「そう、そうですわね……初めてのお友達だからと騒ぎすぎたんですわね……ぐすっ、ご、ごめんなさぃ……」

「う、ううん! これ凄く可愛いよねっ。初めて着たけど、ボク好きだよ。それにボクも、その、お友達とこういうコトするの、初めて、だし……」

「初めて同士! 大親友ですわね!!」

 

 

 あれ、さっきまで泣いてなかった?

 そう首を傾げるセイランだが、胸に飛び込んで来たカグヤのにっこにこ笑顔を前には些細なことと思うことにした。

 実際、家柄的にも状況的にも、対等の友達と言うのが初めてなのは事実だった。

 

 

 ……いや、外国と言うことならかつて2人いたか。

 最も、あの2人との付き合いは数ヶ月で途絶えてしまったが。

 今は、どこで何をしているのかすら……。

 

 

「カグヤさま、セイランさま!」

「まぁ、ミヤビ。そんなに駆けてはしたないですわよ」

「す、すみませっ、でも、お客様で……!」

 

 

 床の上にセイランを押し倒しているカグヤが言っても、説得力は皆無だった。

 ミヤビと呼ばれた少女は――同い年くらいだが、割烹着姿の――慌てた様子でやってきた、そしてその理由は彼女が何事かを言う前に自分の足でやってきた。

 

 

「ほっほっほっ、仲が良さそうじゃの、2人共」

「まぁ、桐原公。おいでになるなら事前に言ってくれれば……」

「いやいや、ちょっと寄っただけでな。おい……」

 

 

 鶯色の和服に身を包んだ小柄な老人が顎で示すと、黒服の男達が何人か部屋に入ってきた。

 彼らはいくつかの漆塗りの長箱を抱えており、それを次々と運び入れていく。

 合計3つ、黒服の1人が箱の蓋を開くと、そこには。

 

 

「まぁ!」

 

 

 カグヤが歓声を上げる、そこには色とりどりの反物がいくつも納められていて、博多織と箱に金箔で刻まれていた。

 現在ではほとんど手に入らない織物であって、貴重な品であった。

 金額にすれば、庶民の想像を遥かに上回るだろう。

 

 

「こんな立派な物、頂いてしまってもよろしいんですの?」

「もちろんじゃ、2人で仲良う分けるのじゃぞ」

「はい、ありがとうございます、桐原公」

 

 

 ほっほっほっ、と上機嫌に笑う桐原、その和服の袖を引く者があった。

 それはカグヤと同じ服装に身を包んだ女の子であって、つまりはセイランであった。

 彼女はどこか求めるような瞳で桐原を見上げていた、桐原の和服の袖を掴んで。

 桐原は皺くちゃの顔を歪めるように笑うと、杖を持っていない方の手でセイランの頭を覆った。

 

 

「セイラン、セイラン、貴女もお礼を言わないと」

「う、うん、桐原の爺様、ありがとうございます」

「おお、良い良い。ついでじゃからの、ついで、ほっほっほっ」

 

 

 人の良さそうな笑い声をカカカと上げる桐原、それは一見、和やかな雰囲気に見える。

 しかし桐原の後ろにずらりと並ぶ黒服の集団が、何もかもを台無しにしていると言っても良かった。

 セイランは育ち柄そう言う人間達を多く見てきたので、それ程の拒否感は無いが。

 だから彼女は、桐原の手を頭に置かせたまま。

 

 

「桐原の爺様、どこかへ行かれるんですか?」

「うむ、復旧したオオサカの環状線を見に行くのよ」

「カンジョウセン……」

 

 

 たどたどしく呟いて、桐原を見上げるセイラン。

 何が面白いのか、カグヤもその横に並んで桐原を見上げ始めた。

 それを受けた桐原は、ふむと首を傾けた。

 顎先を落として考え込むその目が、やや細められたような気がする。

 

 

 何かを考え込むような目だが、見定めるような目にも見える。

 揃いの和服に身を包んだ2人を見やって、しかし不意にカカカと笑う。

 彼は身を屈めるように2人を見ると、皺くちゃの顔を歪めて。

 

 

「一緒に来るかの、面白いものなど無かろうが」

「まぁ、電車ですわね。楽しみです、ね、セイラン?」

「……迷惑では、ありませんか?」

 

 

 不安げに問い返して、それに桐原が頷きを返すと、セイランの顔に笑みが灯った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 かつて大阪環状線と呼ばれた場所に轢き直された、モノレール線。

 ブリタニア政庁の施策によって地下鉄の廃棄が決定された今では、大阪近隣を繋ぐ唯一の鉄道系輸送手段であると言える。

 最近になってキョウト資本によって復旧されたそのラインに、一つきりの車両で走る物があった。

 

 

 モノレール、しかし明らかに一般用では無い車両だ。

 内装も凝った意匠やシャンデリアで飾られており、とてもではないが物資輸送用にも見えない。

 それも当然だろう。

 この車両はいわば個人所有の物で、名目上はオオサカ・ラインの視察で走っている物なのだから。

 

 

「――――桐原の爺様」

 

 

 護衛(エスピー)を含めて7人しかいない、それでいて座席がいくつも余った広い車内。

 その車内に、幼い声が響く。

 声を受けるのは座席に杖をついて座り、鶯色の和服を着た老人だった。

 

 

 桐原の前に座るのは、もちろんカグヤとセイランだ。

 黒髪に和服と、一見すると双子にも見える女の子達だが、しかし2人の気質が全く異なるというコトを桐原は良く知っていた。

 現に先ほどまでは、カグヤがほとんど一方的に電車について話をしていたのだが……。

 

 

「あれは、何ですか?」

 

 

 今、口を開いているのはセイランだった。

 彼女は豪奢な座席の上でピンと背筋を張り、顔を窓の外へと向けている。

 そこに広がっているのは、廃墟だ。

 かつては賑わった繁華街だったのだろうそこは、空爆の跡地のように寂れている。

 

 

 今にも倒壊しそうなビル、瓦礫に覆われ車の通行など望めない道路、スモッグが漂っているかのような淀んだ空気……それが、距離のあるモノレールの車内からでもはっきりわかってしまう程に荒れた土地。

 そして最も目を引くのは、まばらに見える人々の姿だった。

 車内からは止まって見える外の風景の中、それらの人々は絵画のようにも見える。

 

 

「アレはの、天王寺のゲットーよ」

「ゲットー?」

「日本人の居住区じゃ、大阪の……オオサカ租界、ブリタニアの者共が自分達の居住区から叩き出した者達が暮らす場所じゃな」

 

 

 老人が答えながら手を振る、するとSPの1人が運転席に通信を繋いでモノレールを停めさせた。

 ガタン、と揺れて停まるモノレールの中、1人の老人と2人の女の子が窓の外を見ている。

 日本人の――彼女達の同胞の――暮らす場所を、ただ見ている。

 

 

 反対側の窓の向こうには、オオサカ租界と呼ばれる場所が遠くに見える。

 銀色に輝くソーラーパネルや外壁の白銀の輝きが、ブリタニア(かれら)の繁栄を表しているかのようだった。

 翻って、今、自分達の眼下に広がる光景は何なのだろう。

 

 

「…………ゲットー」

 

 

 停車した車両の中、米粒のように小さい人々の姿は……打ちひしがれた人間のそれだ。

 ボロ布のような服を着て、浮浪者のように彷徨い、ゴミ捨て場を漁り、力なく路地に座り込んで、道端で誰が倒れようと気にすることも――――いや、その懐から何かを奪おうと群がる人々。

 何かを諦めたような顔で、ただ生きているだけの人々。

 日本人。

 

 

「…………租界、ブリタニア」

 

 

 ――――「あの日」から、セイランの時間は止まったままだった。

 辛すぎる現実から、事実から逃げるように奥の院へと走って、全ての心の時間を止めて。

 それでも夢だと逃げ切ることも出来なくて、思い出すのは昔のことばかりで。

 

 

 「あの日」に失われた父の理想、兄の剣、そしてずっと昔に失った母の温もり。

 全ては過去、取り戻しようも無い。

 それは寂しくて、辛くて、逃げ出したくて、だけど自分と言う存在から逃げることなんて出来なくて。

 後を追うことすらも、出来なくて。

 

 

「…………取り戻す」

 

 

 過去を? 違う、そうじゃない。

 父母はいない、兄は去った、残されたのは自分の身一つ。

 けれど、父がしようとしたことだけはまだ、この世界に残っていることをセイランは信じていた。

 

 

 それを否定するものの一つが、目の前のゲットー。

 日本人から「日本」を奪った存在(モノ)、ブリタニア。

 父が最後に語った言葉は、日本人に語った言葉は何だ?

 ――――セイランは、それを知っている。

 

 

(――――だから)

 

 

 窓の外、ゲットーを見つめるセイランの瞳が鋭く細まる。

 もう、1人で泣く朝は嫌だから。

 「あの日」の夢に苛まれるのは、嫌だから。

 だから。

 

 

「桐原の爺様」

 

 

 固い声で、セイランが再び老人に言葉を投げる。

 老人は顎先に手を添えて、値踏みでもするかのような顔で彼女を上から下まで見つめる。

 セイランはそれを真正面から受け止めて、むしろ見返して。

 

 

「ボクを、ナリタに行かせてください」

 

 

 ナリタ、その単語に老人は眉を動かし、カグヤが視線を横へと向ける。

 2人の視線を受けたセイランは、しかし微動だにしない。

 

 

「……行って、どうする」

「もちろん」

 

 

 10歳の女の子がするには、聊か不似合いな表情と雰囲気を漂わせて。

 

 

 

「父様の跡を継ぎます、ボクが父様の全てを受け継いで、父様がするはずだった事をやり遂げます」

 

 

 

 ほぉ、と笑んだ老人の顔に浮かんだ表情は、どう表現すれば良いのだろう。

 歓喜か、皮肉か――――いずれにせよ、女の子を値踏みするように見つめていた桐原は、愉快そうな顔で頷きを返した。

 それは了承の頷き、そしてセイランの行く末が決定されたことの証でもある。

 

 

「よかろう、お前に枢木家の全てをやろう。必要な物、事は全てわしが整えてやろう」

「ありがとうございます、桐原の爺様」

「しかし、わかっておるのか――――お主が歩もうとしているのは、修羅の道ぞ」

 

 

 桐原の問いかけに、セイランは胸に手を当てて頷く。

 

 

「父様のために……そして、爺様や父様、日本人の全てに泥を塗ったあの人の代わりに。ボクが……いえ」

 

 

 閉じた目を開き、前を見て。

 父がおそらく、自分に望んでいたことを重ねるように。

 

 

(ワタシ)が、父様の跡を継ぎます」

「…………よかろう」

 

 

 カカカ、と引き攣ったような笑い声を上げて、桐原は杖先で床を打った。

 それを合図に、再びモノレールは動き出す。

 物静かに動き出した車両の窓から、セイランは再び窓の外へと視線を向けた。

 桐原は、口元を三日月の形に歪めてそれを見つめていた。

 

 

「カグヤよ、お前には皇の家をやろう。枢木の新たな当主と共に、キョウトの血を残す方法を探るが良い」

「……はい」

「とはいえ、お前達の存在は最低5年は隠さねばなるまいな……できれば10年、まぁ、それだけ時間を置けば片瀬や藤堂も力を蓄え、我らの根回しも功を奏し、ブリタニアの者共の治世にも隙があろう。その時こそ、反抗の……」

 

 

 そんな言葉を耳に入れながら、セイランは外の景色を眺め続けていた。

 ゲットー、日本人が暮らす貧困区。

 そこで暮らす人々のことを想い、そして彼らをそこに押し込めた者達のことを思い、そうなることを防ごうとした父のことを願い、そして……それを奪った者のことを、考えて。

 

 

 枢木家の新たな当主の、セイランの戦いが、この日この時この瞬間から。

 今から、始まったのだった。

 そして、そこからさらに5年の歳月が流れた時。

 

 

 ――――青き姫の全てが、始まる。

 




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 寝違えました。
 おかげで今、私は塗炭の苦しみを味わっています、背中上部がかなり痛いです、ビキビキします。

 ちなみに次回からは、主人公は漢字表記になります。
 成長したということで、そうしているわけですが……カタカナ表記の方が読みやすいかなぁ、とも思います。
 いかがでしょう、カタカナ表記の方が良いということであれば、感想やメッセージで教えて頂けると幸いです。

 それでは、失礼致します。


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STAGE1:「日本 の 青き 姫」

残酷な描写があります、苦手な方はご注意ください。
(殺害・暴行表現注意)。
それを踏まえて頂いて、では、どうぞ。


 皇暦2010年8月10日、この日、日本は世界の3分の1を領有する神聖ブリタニア帝国の侵略を受けた。

 圧倒的な物量を誇り、人型自在戦闘装甲騎「ナイトメア」を始めとする新型兵器を多数投入したブリタニア軍の前に、日本軍の防衛ラインは瞬く間に崩壊した。

 

 

 最終局面では徹底抗戦を唱えていた枢木(くるるぎ)ゲンブ首相が自決、自らの命でもって強硬派を抑え、日本は開戦後わずか一ヶ月たらずでブリタニア帝国に降伏した。

 そして、極東随一の経済大国を謳われた国は地図上から消滅する。

 その後、日本の名が消えたその地図の上にはブリタニア帝国の11番目の属領の名が載ることになった。

 

 

 <エリア11>

 

 

 11番目の植民地(エリア)を意味する言葉、それ以後、日本人はこの数字で呼ばれることになる。

 国も、名前も、権利も、自由も奪われ、代わりに差別と迫害、搾取と理不尽が彼らの上を覆った。

 希望も、誇りも、そこにはなかった。

 そして、そんな悲劇的な戦争から7年後。

 

 

 ――――物語が、始まりを告げる。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――この村落にテロリストが逃げ込んだとの情報を受けた! 村人全員を集めろ!」

 

 

 日本と言う国名が失われ、エリア11と言う属領名がその島々に与えられてより7年の後。

 かつて日本人と呼ばれていた人々は、地獄の中にいた。

 例えばとある山中、幹線道路こそ整備されているが都市部からは遠い、田畑が広がるどこにでもある農村の一つ。

 

 

 ここでも、そうだった。

 哨戒任務か何かにでも就いていたのだろう、ブリタニア軍の小部隊がやってきて、突然村人達を集めるように命令してきたのだ。

 曰く、この村に反政府武装勢力(テロリスト)が潜伏している――――。

 

 

「な、何かの間違いでございましょう、見ての通り、ここはただの農村で……」

 

 

 村長らしき老人が畑の入り口でブリタニア兵を前にそんなことを言っていた、眉根を下げた笑みは引き攣っているようにも、媚びているようにも見える。

 農作業の途中だったのだろう、手足が泥で汚れていた。

 周囲の畑の中には農作業を中断した村の農民達がいて、そんな彼らを見守っている。

 

 

 実際、農民が20~30人いるかいないか程度の小さな村落である。

 確かにこの7年間、日本……エリア11内部には多数のテロリスト・レジスタンスのグループが存在し、毎日のようにテロ活動を行っていた。

 しかしそれは農民達にとっては遠くの話で、何の関係も無い話のはずだった。

 

 

「も、もちろんブリタニア軍の皆様の邪ぱ」

 

 

 重ねての村長の言葉は、最後まで続けられることは無かった。

 何故なら隊長らしい男の手によって黙らされたためだ、黒のぴっちりとした不思議なスーツを着た男で、金髪碧眼の長身の男――――ブリタニア人だ。

 男の手には自動式拳銃(オートマティック)に似た電気駆動拳銃があり、銃口からは白煙が上がっていた。

 

 

「やはりテロリストを匿っているようだな、捜査妨害を排除するため、銃器の使用を許可する」

「「「イエス・マイロード!」」」

 

 

 口調は真面目だ、しかしブリタニア人の男の口元にはニヤニヤとした笑みが浮かんでいた。

 周囲の兵士達は彼と違い、頭全体を防弾装備のメットで覆っていて表情は見えない。

 だが、そのメットの下で似たような笑みを浮かべているのは明白だった。

 

 

 周囲の農民達は、一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 頭の右上4分の1を文字通り吹き飛ばされた村長がゆっくりと畑の泥の中に倒れた時、ようやく理解が追いついたらしい。

 しかしその時には、少なくともその場にいた農民達にとっては何もかもが遅すぎた。

 気付いた時には……自分の隣で共に農作業をしていた仲間の頭が、吹き飛ぶのだから。

 

 

「よっし、命中~♪ どーよ、俺の腕前は」

「バカ野郎、まぐれに決まってるだろ。それにまだ動いてんだからノーカンだっつの」

「おっ、イレヴン共が逃げ始めたぞ、狙え狙え!」

 

 

 日本語ではない、流暢なブリタニア語の声がメットの中から響く。

 黒の防護装備に身を包んだ彼らが何を言っているのかは農民達にはわからない、だが唯一「イレヴン」と言う単語だけはわかった。

 イレヴン、日本人の現在の名前であり――――蔑称だ。

 

 

 逃げ散り始めた農民達の背中に、次々と銃弾が当たる。

 ある者は頭の左半分を吹き飛ばされて脳漿を撒き散らして倒れ、ある者は腰に銃弾を受けて背骨を砕かれて腸を畑に漏らし、またある者は肺を撃ち抜かれ出血多量で死ぬまで痙攣を続けた。

 しかし連射ではなく単発の狙撃にこだわっているためか、半分程度は村へ到達しようとしていた。

 

 

「ちっ、的がちょこまか動くもんだから……あと3つヤらねぇと俺の驕りになっちまう」

「全員にだぞ、忘れんなよ」

「ははっ、ごち~」

「あっつ……隊長~」

「わかったわかった」

 

 

 隊長と呼ばれたスーツの男は泣きついてきた部下に表情を緩めて、自身は部下を乗せて来たらしいトレーラーに向けて歩きながら軽く手を振った。

 この隊長、若いように見えるが部下に対して気前が良いことで評判だった。

 ただ、それはあくまでブリタニア人の部下に対して、である。

 そして……。

 

 

「大隊本部には私から話を通しておく、好きにしろ。寂れた農村だが、驕りの代金くらいは稼げるだろう」

「うっひょ~、流石隊長、太っ腹~」

「へへっ、もちろん俺達も良いんですよね?」

「やりぃ、っても、こんな農村じゃ女も金も大したことなさそうですね……」

「ジェイクは別だろ、アイツ熟女好きだからな」

「ぎゃははははっ、違いねぇ」

 

 

 そして彼らは、この村にテロリストがいないことなど最初から知っていた。

 退屈な哨戒任務の暇潰しに、たまたま見つけた農村に遊びに来たのだ。

 内容は狩猟と小遣い稼ぎ、ただし狩猟の対象はイレヴンで小遣い稼ぎは強盗である。

 要するに、気まぐれな略奪だ。

 

 

 これは別に彼らが特殊なのでは無い、エリア11を占領統治するブリタニア軍の末端では良く行われていることだ。

 名目さえ立てばイレヴン相手に何をしても構わない、仮に殺しても罪にはならない。

 何故ならば、相手は対等の「人間」では無いのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 テロリスト捜索と言う名の略奪は、エスカレートこそすれ収まる気配が無かった。

 畑は兵士達の足で踏み荒らされ、村の家屋の一部はブリタニア兵が面白がって放ったグレネードランチャーで屋根が吹き飛ばされ、さらに一部では火災が起こっていた。

 木造住宅ばかりの農村では、一件の火災が全体に広がるのも時間の問題である。

 

 

 しかし村人達にとっては、炎よりも大きな脅威が目前に存在していた。

 ブリタニア兵と言う名のその脅威は、村の各所で「遊び」に興じていた。

 例えば……。

 

 

「イレヴンのテロリストはケツに番号振ってるって話だ、おら、全員服を脱げぇ!!」

「勘弁しろよジェイク、そいつら全員50越えのババァじゃねぇか。つーか、イレヴンに俺らの言葉は理解できねーだろ、猿以下の知能しかねーんだから」

「あ、そうか。ん~……と、だなぁ」

 

 

 村の片隅に年配の女性ばかりを集めて、身振りで服を脱ぐよう迫っている兵士もいる。

 足元にはいずれかの女性の夫らしき男性が倒れている、鍬を持って戦いを挑んだらしい彼の腹部にはショットガンで吹き飛ばされたような大穴が開いていた。

 兵士の黒い防護服には返り血と内臓の一部がこびり付いており、極めて至近距離で撃ち殺したことが窺えた。

 

 

「「ぎゃあああああああぁぁっっ!?」」

 

 

 その女性達が濁った悲鳴を上げた、銃の先でスカートを捲られた女性が抵抗の素振りを示し、撃ち殺されたからである。

 彼女達の立場からすれば、武装した異国人に身振りで「服を脱げ」と告げられているのである。

 抵抗すれば殺される、わかりやす過ぎる程にわかりやすい構図だった。

 また、別の場所では……。

 

 

「や、べでぐれえええぇぇ……!!」

 

 

 30代らしき男が、村の井戸のロープで首を吊っていた。

 当然、本人の意思では無い。

 しかも彼の場合、同じ村人の手でそうさせられているのである。

 井戸の側には両親らしき年齢の男女がいて、傍に立つブリタニア兵にライフルの先で脇を突かれながら涙を流していた、母親らしき方は口の中で何度も謝っている様子だった。

 

 

「ぐぇえ……っ!?」

 

 

 吊るされた男が濁った悲鳴を上げる、その胸と腹からはとめどなく血を流していた。

 彼の身体に穴を開けたのは、少し離れた位置から狙撃ライフルで彼を狙うブリタニア兵だ。

 

 

「お、見ろよど真ん中だぜ、10点だろ10点」

「ばぁか、へそに当たってねぇんだから9点だよ、ありゃあ」

「それにしても怖いねぇイレヴンって奴は、自分の息子が的にされても文句一つ言わねぇんだからな」

「俺らブリタニア人だったら、自分が代わりに的になるくらいはするのになぁ」

 

 

 また一方では、村の家々に入り込んでは住民を射殺し、僅かな金品を回収して回っている者もいた。

 撃ち殺した相手の指を軍用ナイフで切り落として指輪を外し、唇や頬を引き裂いて金歯や銀歯を回収する。

 彼はまたある意味で幸運だった、何故なら。

 

 

「オルァッ、抵抗すんな面倒臭ぇ、イレヴンの猿女は黙って股出してりゃ良いんだよ!!」

「ひ、ひぎっ、ひぐうぅ……っ!?」

 

 

 鈍い音が3度続き、同じタイミングで3度甲高い呻き声が上がった。

 そこは村外れの倉庫のような場所で、兵士達が入り込んだ入り口とは逆方向に位置していた。

 それほど広くも無い村だ、誰かが隠れていても隠れられるものでは無い。

 実際、そこに潜んでいた若い女をその兵士は見逃さなかった。

 

 

 それはつい数ヶ月前に嫁入りで引っ越してきたばかりの女性で、それなりに容姿の整った20代の女性だった。

 しかし整っていた顔にはいくつも痣があり、鼻血と涙でグチャグチャになっていた。

 先程の音と呻き声は立て続けに鳩尾を殴られたためで、倉庫から外に逃げ出した所で捕まったのである。

 

 

「へへ、へへへ……っ、感謝しろよ、イレヴンがブリタニアの種を貰えるんだからな」

 

 

 滅茶苦茶な理屈で、倉庫の外の地面に女性を押し倒した兵士が軍用ナイフで相手の衣服を切り裂きにかかる。

 女性は殴打されて抵抗する気力も失ったのか、土に汚れた前髪の間から虚ろな目で兵士を見ていた。

 目線を動かせば、撃ち殺された彼女の夫の遺体が転がっていることだろう……。

 

 

 夫を殺されて暴力を振るわれ、言語も通じない、黒の防護服とメットに身を包んだその兵士は女性には人間には見えなかった。

 まるで宇宙人か何かのような、人間では無い何かのように思えてならない。

 それでも殺されたくない一心で、これから訪れるだろうおぞましい時間が早く過ぎてくれることをただ祈った。

 

 

「う、うぐ、う、ふ……ぅ……っ」

 

 

 ――――これが、今の「日本」。

 支配するブリタニア人と、支配される日本人(イレヴン)

 イレヴンは財産や生命を一方的に搾取されるのみで、訴え出ても無視される。

 奪われ、踏み躙られ、蔑まれて、玩具にされて、そしてそれが当然のように思われる世界。

 

 

 対等の人間ではない、路傍の小石以下の何か。

 それがブリタニアと言う国に植民地にされた「日本」、エリア11と呼ばれる土地に住むかつての日本人、イレヴンと呼ばれる人々の今なのだった。

 イレヴンはただ身を震わせて、上位者であるブリタニア人の気まぐれな慈悲に縋る他ない――――……。

 

 

「……あ?」

 

 

 ――――否。

 

 

「何だぁ……?」

 

 

 すっかり大人しくなった女性に気を良くした兵士がメットを外した時、彼は目の前に突き付けられた「それ」に気付いた。

 兵士と女性の間にそっと差し込まれたそれは、女性に馬乗りになった兵士の眼前にあった。

 太陽の光を反射する、独特の紋様を持つ銀色の刃。

 兵士が視線を上げれば反り返った刀身と、独特の装飾が凝らされた鍔と柄が見えた。

 

 

「――――――――ケダモノめ」

 

 

 聞こえてきたのは何故か、流暢なブリタニア語。

 それも、若い女の声だった。

 しかし、それ以上のことを認識することは出来なかった。

 何故なら次の瞬間、彼はこめかみを何かに強打されて……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 山中の幹線道路の上に、一台のトレーラーが停車している。

 その車以外には、他に車が通る気配も無い。

 ブリタニア軍の常備検問も無いような辺鄙な道路であって、トレーラーが通ること自体が珍しい、そんな場所だった。

 

 

 そのトレーラーの座席には、1人の男が座席のボックスに両手と顎を乗せるような体勢で座っていた。

 細身の身体に少年のような風貌、眼鏡をかけているせいか童顔に見える。

 ラフな印象を受ける私服を身に纏っているが、その下に覗く筋肉は鍛え上げられたそれとわかる程に引き締まっていた。

 

 

「……遅いなぁ、どこまで行ったんだか」

「まぁ、女性(レディ)の身嗜みには時間がかかるって言いますし」

 

 

 そんな彼に唯一応じた声は、3人がけの座席でハンドルの前に座る男だった。

 スポーツ刈りよりやや短い髪の男で、男にしては小柄な身長が特徴と言えば特徴だった。

 そう年の変わらない眼鏡の男に敬語を使っているあたり、何かがあるのかもしれない。

 

 

「まぁ、そりゃそうなのかもしれないけどさ……っと、おい、青木」

「はい?」

 

 

 億劫そうにそう言って眼鏡の男が背伸びした、しかし彼はそのまま姿勢を硬直化させた。

 というのも、何気なく左を、つまり助手席側の窓の外にある物を見たからだ。

 ハンドルを握る男の名を――青木逞(あおきたくま)と言うのがフルネーム――呼んで、そちらへと指を指す。

 

 

 それは、山肌を削って築かれた幹線道路からは良く見えた。

 1キロか2キロか、やや進んだ位置に見える黄色と茶色の畑の向こう。

 そこから、穏やかではない黒煙が上がっているのを男は見た。

 

 

「キョウトからの帰りで、何と言うか面倒事な予感……」

「こりゃヤバい、行きますか?」

「勿論」

 

 

 青木が左手でトレーラーのギアを入れてアクセルを踏み込む、するとぐっとシートに押し付けられるような勢いで車が走り出し、開けた窓からタイヤのゴムがコンクリートの道路との間で摩擦音を立てるのを聞く。

 彼らとて聖人君子ではない、普段なら無視する可能性も捨てきれない。

 何しろ、今は「アレ」を運んでいる所なのだ。

 

 

「ただお手洗い(トイレ)借りに行っただけでコレとはね、ウチのお姫様は本当に……」

 

 

 過激だこと。

 そう呟いて、ハンドルの動きに合わせて道なき道へと突っ込むトレーラー。

 整備された道路から外れて、ガードレールをブチ破って。

 その意味において、彼らの方がよほど過激であると言えた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――ハミルトンと連絡が取れなくなっただと?」

『はい、10分前から……』

「どうせまた、どこかでコソコソと犯ってるんだろう。適当に探して、冷やかしてやれ」

『了解、隊長もお人が悪い……』

「ははっ、それじゃあな」

 

 

 部下からの通信を笑いながら切って、金髪の隊長は狭苦しいシートに背中を押し付けた。

 そこは薄暗く、人が1人入れるだけのスペースしかない場所だった。

 どこか戦車の操縦席を思わせるそこには固いシートの座席と、コードとディスプレイに覆われた無骨な機器に囲まれている。

 

 

「まったく、アイツらにも困ったものだ」

 

 

 彼自身は、必ずしも今回のような遊び……俗に言うイレヴン狩りのような行為に関心は無かった。

 しかしエリア11統治軍の中枢があるトーキョー周辺ならばともかく、末端部隊などではこうした形で一種のガス抜きを図るのも必要な職務なのだった。

 命令とは言え、来たくも無い異国の地で軍務に就く、それもいつテロで命を失うかもしれない仕事をさせられるのだ。

 

 

 ストレスも溜まろうと言うもので、その点において彼は部下達に対して「理解のある」隊長だった。

 そしてそれは、そのまま彼自身の境遇にも重ねることが出来る。

 ディスプレイの隅に貼り付けておいた写真を手に取る、そこには金髪の若い女性と女性に抱かれた赤ん坊が写っていた。

 

 

「…………ふぅ」

 

 

 寂しげな溜息を吐いたその時、ふと座席隅のディスプレイに表示されているデジタル表示の時計に目をやった。

 そして写真を元の位置に戻し、再び通信機を操作して外の部下達に繋げる。

 そろそろ哨戒から戻らなければならない時間だ、流石に遅れるのは不味い。

 

 

「おい、そろそろ駐屯地に戻……」

『た、隊長、ちょうど良かった。ハミルトンの奴が……』

「何だ、まだ見つからないのか?」

 

 

 初めて不満を表情に浮かべて、彼は通信の向こうに声を投げた。

 受けた相手は戸惑いと困惑を乗せた声で応じるばかりだ、何度かまごついた後、自分でも理解できないと言う様子で。

 

 

『は、ハミルトンの奴が、ヤられちまって……!』

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 連続して響く射撃音に、村人達は身を寄せ合って縮こまっていた。

 それはブリタニア兵の1人が空に向けて放ったアサルトライフルの射撃音であって、武器を持たないはずの村人達に対する明確な威嚇行為だった。

 

 

「この中に俺達の仲間をヤった奴がいるのはわかってるんだ、正直に名乗り出ろ!」

「さもなきゃ全員ブッ殺すぞ、極東の猿(イエローモンキー)共が!!」

 

 

 村の広場に集められた生き残りの村人達は、ブリタニア語でがなり立てる彼らを怯えた目で見ることしか出来なかった。

 生き残りと言っても、一度衣服を剥かれて今は前だけを隠している年配の女性や、顔面を黒く腫れさせている男性など、無傷な者は誰もいない。

 

 

 一方で、ブリタニア兵側も気が立っている様子だった。

 広場の隅には衛生兵らしき男がいて、1人のブリタニア兵を治療しているらしい。

 四肢の骨を折られて村外れの倉庫の前で気絶していたのを、探しに行った仲間が発見したのである。

 彼らもまた、極度の緊張状態にあった。

 言葉が通じない村人、そして無抵抗のはずの農村で仲間が大怪我を負わされたが故に。

 

 

「……クソッ、面倒臭ぇことさせてんじゃねぇーよ!」

「ヒッ!?」

 

 

 しかし、これもまた随分と奇妙な話ではある。

 10人以上の隣人を殺された村人達が何も言わないのに対し、1人の仲間を傷つけられた兵士達が義憤に駆られて憤っているのである。

 現在のエリア11における命の比重(ふびょうどう)を如実に表しているようで、非常に興味深い命題と言うことができるだろう。

 

 

「テメェがハミルトンをヤったのか、アアン!? そうなんだろ!?」

「や、やめ……こ、殺さないでぇ……ごひぇっ!?」

 

 

 身を寄せ合う十数人の村人、一番外側にいた中年女性の頬にこれでもかと言うぐらいに拳銃の銃口を押し付ける。

 ブリタニア語で脅し、日本語で命乞いをする。

 皮肉なことに、それだけは言語が通じなくとも成立するコミュニケーションだった。

 命乞いが鬱陶しかったのか、最終的には前歯を折りながら女の口に銃口を突っ込み……。

 

 

 

「おいアレックス、もう良いだろ」

 

 

 その時、彼らの顔に浮かんだ安堵の表情は……酷く、惨めだった。

 言葉はわからないが、別のブリタニア兵が女性の口に銃を突き込んでいるの肩を掴んで仲間を止めた兵士の口調の穏やかさに希望を見出したようだった。

 しかしその実、彼は穏やかな口調でこう言っていたのだ。

 

 

「コイツら全員、並べて射殺しよう。誰がハミルトンをヤったかはわからないが、全員殺しちまえば万事解決じゃねぇか」

「けどよ……!」

「わかってる、だから時間をかけて処刑するんだ。銃で足を撃って、生きたまま火をつけてやろうぜ」

 

 

 そんな狂気の会話を、村人達は黙って聞いている。

 何を言っているのかは理解できない、ただ、哀しいことに許されることを期待している様子だった。

 もし、ブリタニア兵の会話を理解できている人間がいたのならば、別の。

 

 

 ――――コンッ。

 

 

 別の対応、例えば石を投げるなどの行為を行ったかもしれない。

 今、起こったことのように。

 誰かが投げた小石が、女性に銃を突き込んでいた男の頭部メットに当たったのである。

 

 

「……誰だオルァ!?」

 

 

 女性を突き飛ばし、周囲を窺う。

 他のブリタニア兵も同じように周囲を探り、石を投げた人間を探す。

 方向を特定し、高さを特定し、そして。

 

 

「屋根の上だ!!」

「何っ!?」

「……いたぞ!」

 

 

 ブリタニア兵の10本以上の銃口が、一方向に向けられる。

 そこは村の木造の家屋の一つで、広場を見下ろす位置にあった。

 しかしその屋根の上に立っていたその人物を見て、ブリタニア兵だけでなく村人達も一瞬、言葉を失った。

 

 

 そこにいたのは、女だった。

 それも女性ですらない、まだ年若い少女だった。

 涼やかな青の着物を纏ったその少女は、着物の華やかさとは裏腹に。

 酷く、凍りついたような無表情でブリタニア兵を見下ろしていた――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 頭の後ろ、高い位置で結ばれた長い黒髪の端が火災の風に煽られてハラハラと舞う。

 目鼻立ちがハッキリ整った顔立ち、瞳は黒曜石の如く澄み、青に淡いオレンジと薄い黄色の竹の柄に黒の帯の着物に良く映えている。

 動きやすいように着物と襦袢の袷に細工でもしてあるのか、それとも無理をしているのか――まるでチャイナ服のように深くスリットが入り、片足が太腿まで露になっているのも目を引いた。

 

 

「な、何だぁテメパッ!?」

 

 

 先程まで村の女性を銃で脅していた兵士は、最後まで言葉を続けることが出来なかった。

 最初と逆だ、この村の村長がそうであったように、意思とは関係なく中断させられたのである。

 屋根の上の少女が手に持っていた、電気駆動式の拳銃によって。

 

 

「アレックス!?」

「アレは……!?」

「……ハミルトンの銃だ! あの女がハミルトンを……アレックスまぐはっ!?」

 

 

 急に騒がしくなったブリタニア兵を煩わしく思うように、少女はさらに発砲した。

 それは続け様に2人のブリタニア兵の腹と足に命中し、彼らを地面に打ち倒した。

 防護服のおかげか死んではいないようだが、しかし負傷したのは確かなようだった。

 

 

「ぐああああぁぁぁ……クソッ、イレヴンがああああああぁぁっ!!」

「衛生兵ッ、オーランドッ!」

「ちっ……撃てぇ!」

「撃ち殺せ!!」

 

 

 負傷した仲間を庇いながら、ブリタニア兵のアサルトライフルが火を噴く。

 一箇所に固められていた村人達の悲鳴が響く中、無数の弾丸が黄色い射線を描きながら家屋の屋根を襲った。

 それは当然屋根の上に立つ少女を狙ったもので、木造の屋根が小さく爆ぜて木片が散った。

 当然、着物の少女はそれから逃れるようにヒラリと裏に飛んだ。

 

 

「――――逃げるぞ!」

「逃がすかッ、B班は負傷者(そいつら)をトレーラーに下げろ、ハミルトンも忘れるなよ!」

「A班はついて来い、C班はイレヴン共を見張ってろ!」

 

 

 流石に同じ部隊に所属しているだけあって、そして曲がりなりにも正規の軍隊だけあって連携は取れている。

 人質を確保し、かつ負傷者を後送し、そして目標を追うための陣形を取った。

 先頭の兵士が家屋の壁に背をつけて後ろの兵に手でサインを送り、即座にアサルトライフルを構えて家屋の裏へと飛び込む。

 

 

「死ねっ、イレヴ――――ごぶっ!?」

 

 

 先頭の兵士の視界に移ったのは、翻るような銀の剣閃だった。

 青い着物の女が懐の飛び込んで来たかと思えば、柄の部分で銃口を跳ね上げられ、拍子でトリガーを引いて無数の銃弾をバラ撒きながら――――鳩尾、防護服の隙間から胴を薙がれていた。

 その兵士が呼吸器官を吐瀉物で満たして意識を途切れさせた時、逆方向の壁から別のブリタニア兵が飛び出してきた。

 

 

「貴様ぁ――――っ!」

「……ッ!」

 

 

 背後を取ったとはいえ、反対側に仲間が倒れているためにアサルトライフルは撃てない。

 少女はそこを最大限に利用した、倒れたブリタニア兵を射線軸に起きつつ駆ける。

 

 

「な……!」

 

 

 メットの隙間に刀の背を差し込むように打ち込む、メットの中でブリタニア兵は目玉を飛び出させるのではないかと思う程の衝撃を受けて意識を飛ばされる。

 そしてさらに奥にいた2人を拳銃で撃つ、肩と足を的確に射抜いた。

 どうやら少女は、ブリタニア兵の防弾装備の弱点を熟知している様子だった。

 そうでなければ、こうも簡単にブリタニア兵を打ち倒せるはずが無い。

 

 

「…………」

 

 

 少女は無言で倒れ伏すブリタニア兵を一瞥すると、切れ味が鈍っていないかと確かめるように刀の刃先に視線を向けた。

 拳銃については弾が切れたのかその場で捨てたが、刀は捨てるつもりは無いらしい。

 その時、悲鳴が聞こえた。

 

 

 村人達の悲鳴だ、少女は眦を決して家屋の陰から広場へと駆け出た。

 家屋の陰から飛び出た先で、着物と黒髪の端を慣性のままに靡かせながら少女が立ち止まる。

 息を詰めて見上げた視線は高い、まるで巨大な何かを見つけたかのようだった。

 

 

『貴様か、私の部下達を潰してくれたと言うイレヴンの小娘は』

 

 

 そしてそこにいたのは、まさに「巨人」だった。

 村の広場の真ん中に屹立するそれは、おそらくは兵士達を乗せて来たトレーラーに積まれていたのだろう「装備」だった。

 悪夢と同じ名前を持つその「兵器」こそが、ブリタニアの支配の象徴――――。

 

 

 ――――『ナイトメアフレーム』、である。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 自在戦闘装甲騎(ナイトメア)と呼称されるその兵器は、わかりやすく言えば人型ロボットだった。

 4メートルを超える無骨な巨体に、胸部と背面に出っ張った不可思議な形のコクピット、人間で言う踝の部分に備えられたランドスピナーと呼ばれるローラーが特徴的な、機動兵器である。

 7年前に日本を侵略したブリタニア軍が初めて実戦投入して以来、現在では世界各国の主要な陸上兵器へと成長を遂げた戦術兵器だ。

 

 

『武器を捨てろ、そして両手を頭の上に』

 

 

 セオリー通りの警告が拡声器を通じて外へと響く、それは当然、ブリタニア兵を相手に大立ち回りを演じていた着物の少女へと向けられていた。

 数人残った周囲のブリタニア兵も彼女へと銃口を向けている、村人達は相変わらず身を寄せ合って嵐が過ぎてくれることを祈っていた。

 

 

『まったく、私の部隊の隊員を何人も……野蛮なイレヴンめ、情理を理解できぬ犬めが』

 

 

 倍するイレヴンを殺害したその口で、目の前のナイトメア……『グラスゴー』と呼ばれる、実戦投入初期の機体(きゅうがた)に乗る隊長の男はそう言った。

 その言動のどこからも、イレヴンを対等の人間として見ている節は見て取れない。

 

 

『さぁ、その野蛮な剣を捨てろ! さもないと……』

 

 

 グラスゴーの腕が持っているのは、アサルトライフルをそのまま巨大化したかのような銃だった。

 ブリタニア製のナイトメアが標準装備している銃器だ、イメージとしてはアサルトライフルのようにフルオート射撃が出来る戦車砲だと思えば良いだろう。

 その銃口が、村人達の方へと向けられる。

 それに合わせて兵達も人質から離れるが、とても喜べるような状況ではなかった。

 

 

「…………」

 

 

 ここに来て、初めて少女の顔が苦悶に歪む。

 相手がその気なら、刀ごと自分をナイトメアのライフルで吹き飛ばしていたはずだ。

 それをせず、あえて武器を捨てさせると言うことは……つまり、「そういう」ことだろう。

 捕虜にするわけではない、それとは別の扱いを自分にするだろうことは容易に想像が出来た。

 

 

 かり……と言うその音は、少女が唇の端を噛み締めた音だ。

 村人達に突き付けられたナイトメアのライフルを睨み、しかし打つ手が無く、少女の手から刀が滑り落ちようとした――――その時。

 村の外れから、遠く、いや近くに、激しい内燃機関の音が響き渡った。

 

 

「何だ!?」

 

 

 ブリタニア兵の誰かが叫んだ次の瞬間、彼は凄まじい衝撃に見舞われることになった。

 具体的には、家屋を薙ぎ倒して現れた大型のトレーラーによって。

 トレーラーの自動車部分に正面から轢かれたブリタニア兵は悲鳴を上げる間も無く吹き飛ばされ、四肢をあらぬ方向に曲げながら空中に舞い、鈍い音を立てて地面の上に落ち動かなくなった。

 

 

 しかし一同の視線は、残念ながら彼には向かない。

 逆に彼を轢き、家屋を薙ぎ倒して飛び出してきたトレーラーは――焼けた家屋の木材を屋根に乗せながら――そのまま、少女の前をも通り過ぎてグラスゴーへと突っ込んだ。

 硬質な金属がぶつかり合う独特な轟音が響いて、トレーラーがグラスゴーへと激突する。

 

 

『何だ、貴様はぁっ!?』

 

 

 グラスゴーは自身の推進力であるランドスピナーを回転させ、緩い地面の砂利を撒き散らしながら前へと、つまりトレーラーと推進力を競う形で対抗した。

 そしてそれは功を奏して、車輪と地面の間で摩擦音が重なって悲鳴を上げる。

 アサルトライフルをトレーラーのフロントガラス――強化ガラスらしい――に押し付ける形で、グラスゴーはトレーラーを押し退けようとした。

 

 

「――――省悟さんっ! 青木さんっ!」

 

 

 少女がトレーラーに乗っているだろう人間の名を呼んだ、それに応じるようにトレーラーに変化があった。

 後部トレーラーのハッチが、まるで野外ステージを広げるように開いていく。

 屋根が出来るように下から上へ、太陽の輝きを反射する銀の壁が競り上がっていった。

 

 

 その意を汲んだとばかりに少女が駆け出す、しかし当然ながら無防備なその背にブリタニア兵が銃口を向ける。

 だが彼らがその目的を達成する前に、新しい銃声が響き渡った。

 倒れるのはブリタニア兵、そして立っているのは……。

 

 

「省悟さん!」

「青ちゃん、お待たせ」

 

 

 そこにいたのは、少年のような風貌に眼鏡をかけた男だった。

 彼の名は、朝比奈省悟(あさひなしょうご)

 青と呼んだ少女に笑みを見せつつも、その手に持った8ミリの自動式拳銃を撃ち続けている。

 トレーラーの運転席側、覗き窓越しに男の親指が見える、運転手の青木も今は無事のようだ。

 

 

「トイレに行ったっきり戻ってこないから何してるのかと思えば、随分と……」

「……ごめんなさい」

 

 

 それまでが嘘のように、少女はしゅんとした表情を浮かべている。

 朝比奈としてはそれに苦笑を返したかったのだが、そうもいかない、元々トレーラーでナイトメアを止められるはずが無いからだ。

 実際、トレーラー全体が徐々に傾き始めていた、このままでは横転するだろう。

 

 

「青木さん! あと何秒保ちますか?」

「30秒は保たせるぜ、お嬢!」

「省悟さん、無頼は?」

「基本のエナジーしかないから、10分くらいなら。……僕が行きたい所だけど、コレは青ちゃんのサイズで造ってあるらしいから。まったく、キョウトのお歴々は……」

 

 

 小さく首を横に振り、外から撃ってくるブリタニア兵に撃ち帰す朝比奈。

 自分を隠す細い背に目礼した後、青と呼ばれた少女は駆け出した。

 着替えの時間が無いため、邪魔っ気な青の着物の帯を解いて脱ぎ捨てて、白の襦袢姿になる。

 その帯すらも緩め、全体的に肌の面積を増やしながら、少女は「それ」に飛び乗った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「ええぃ……鬱陶しい! イレヴンが!!」

 

 

 グラスゴーのコックピットの中で金髪の隊長が叫び、操縦桿を微妙に操作し、ナイトメアの立つ角度をズラしてトレーラーをやり過ごした。

 強化ガラスらしい正面の窓の向こうで、イレヴンの男が何事か叫びながらハンドルを切っていた。

 しかしトレーラーはグラスゴーの横を通り過ぎるように疾走し、そのままバランスを崩しつつ別の家屋を薙ぎ倒して大木に激突し、白煙を噴きながら横転した。

 

 

 隊長は再びアサルトライフルをそちらへと向ける、今度は止めるつもりは無かった。

 部下を倒され、コケにされ、今度ばかりは堪忍袋の尾が切れた。

 操縦桿に備えられたスイッチに親指を乗せ、ライフルを発射すべく指を滑らせた、その時。

 

 

「――――ッ!」

 

 

 隊長は息を呑んだ、コックピットの中に警戒を知らせる赤ランプが灯ったからだ。

 対戦車ライフルか何かかと思ったが、彼の予想は外れる。

 何故なら、白煙を上げるトレーラーの中からアンカー付きのワイヤーが放たれたからだ。

 

 

「スラッシュハーケンだとぉ!?」

 

 

 スラッシュハーケン、それはナイトメアの基本装備の一つだ。

 特殊鋼で造られたアンカーとワイヤーからなり、ナイトメア本体に備えられた巻き上げ機と射出機によって運用する武器(使用法は多岐に渡るので、一概に武器とは言えないが)である。

 それがあるというコトは、と、隊長の男が脳裏にある予感を覚えたその時だ。

 

 

 放たれたスラッシュハーケンを機体を右へと走らせることで回避した後、彼のナイトメアの頭部のパーツが開き、周囲を探るように赤い光が明滅した。

 それはセンサーカメラであり、索敵用の兵装だった。

 そして捉える、「敵」の姿を。

 トレーラーの荷台から飛び出し、太陽を背にしながら彼の機体を飛び越え背後に着地したそれは。

 

 

「アレは……グラスゴー? いや、違う。あの頭部の角の形は……まさか!?」

 

 

 隊長の予測を肯定するように、ディスプレイに識別コードが出る。

 今、彼の目の前に降り立った機体は間違いなくナイトメアである、電磁波や装甲などの基本データからして、日本最大の反ブリタニア勢力が使用していると言うグラスゴーの改造(コピー)品が最も近い。

 だが、データ的にはやや違うらしいとの結果が出ている。

 

 

 直に見るのは彼も初めてなのでどこが違うと聞かれれば困るが、データと照らし合わせた限りでは。

 カラーリングは濃緑ではなく黒に近い濃紺で、頭部にある飾り角は一本、左肩に小さな日章旗のペイント、されに両腕のナックルガードは肘部分まで覆い盾のようにも見える。

 そして、その手に握るのは――――先程の少女が持っていた物を巨大化したような、漆黒の刀。

 

 

「……ッ、調子に」

 

 

 狭苦しい村の広場の中、怯える村人達と立ち尽くすブリタニア兵の前で2機のナイトメアが睨み合っていた。

 まるで、「対等」の敵のように。

 ――――対等?

 そんなことは、あってはならない。

 

 

「乗るなよ、この犬があああああああああああああぁぁぁっっ!!」

 

 

 ――――イレヴン如きに!

 その意識が、隊長の脳から他の全ての情報をシャットアウトした。

 頭に上った血は容易には下がらない、彼はまずアサルトライフルを構えた。

 躊躇無く射撃し、回避する敵機――村人のいない方へ駆けている――を追いかけ、撃ち続ける。

 戦車砲のような銃弾が火花を散しながら放たれ、轟音を立てながら地面や家屋を弾き飛ばしていく。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――「無頼(ぶらい)」。

 それが、そのナイトメアの名前だった。

 日本のある組織がブリタニア帝国のグラスゴーをコピー・改良した機体で、現在における日本側、つまり反政府(ブリタニア)勢力の主力機とも呼べる存在だ。

 

 

 7年前の日本・ブリタニア間の戦争では、存在しなかった兵器。

 あの時の戦争の時点で日本軍がこれを保有していればと、誰もが思ったはずだ。

 そして今、その兵器は日本人の手にある。

 

 

「……天国から見ていて、父様……!」

 

 

 その無頼――――少女のために製造された専用カスタム機のコックピットの中、少女が目の前の四角いディスプレイを睨みながら呟いていた。

 父のことを呼び、見ていてくれと願った。

 コックピットのシートに足を開いて座るためだろう、襦袢の帯が半分以上緩められて、細く白い両足が太腿のかなり際どい部分まで見えてしまっていた。

 

 

「行くよ、無頼……!」

 

 

 少女が一気に両手で握った操縦桿を前に倒す、少女のために造られた機体はその声に応えるように駆動音を上げた。

 刹那、すでに村から離れて畑の中へと戦場を移していた少女の無頼は地上を急旋回した。

 茶色い畑にローラーの跡を刻んで、大きく回りながら追撃してきたグラスゴーを正面に据える。

 

 

 グラスゴーとそのコピー機、機体性能自体にそれほどの差があるはずは無い。

 同じような速度で、互いの距離をつめることになる。

 差があるとすれば武装だ、片やアサルトライフル、片や刀。

 勝負を決する方法は、おのずと決まっている。

 

 

「正面からだと……バカめ、蜂の巣にしてやるっ!!」

 

 

 グラスゴーの中で隊長が吠える、そして彼は言葉の通りにした。

 アサルトライフルの射撃を続ける、それも正面から無策で突っ込んでくる敵機へと。

 彼は笑った、やはりイレヴン如きにナイトメアの操縦など無理なのだと。

 次々と着弾してしくアサルトライフルの弾丸の様子に笑みを浮かべて、彼は次の瞬間に訪れるだろう勝利の瞬間を待った。

 

 

「……なっ!?」

 

 

 しかし、その勝利の瞬間は訪れなかった。

 無頼がその異様に巨大なナックルガードを腕を重ねる形で前に出し、物理的な盾としたためだ。

 強度の程はわからないが、どうやら中遠距離のライフル弾程度なら防ぎ得るらしい。

 

 

「その武装に、ボク達は何度もやられてきたんだ……!」

 

 

 どんな馬鹿でも防ぐ方法くらい思いつく、そう思いながら少女が操縦桿を引く。

 相手のグラスゴーが射撃を止めた隙に防楯の腕を外し、胸部左右からスラッシュハーケンを放つ。

 呼応するようにグラスゴーもスラッシュハーケンを放つが、遅れた分だけグラスゴー寄りに4本のスラッシュハーケンのアンカーが激突した。

 しかしこの場合、遅れながらハーケンを当てた隊長の技量をこそ褒めるべきだろうか。

 

 

「この程度で、ブリタニア人である私が……ッ」

 

 

 スラッシュハーケン激突の衝撃に顔を上げた時、隊長は驚愕に目を見開いた。

 敵の無頼が正面の画面から消えた、いや厳密には違う。

 正面から抜けてきた無頼は、ダンスのターンのように機体を回転させながらグラスゴーの右横を通過したのである。

 

 

 風が無いのに少女の黒髪が靡くように動くのは、コックピットの揺れのせいだろうか。

 それでも画期的な衝撃吸収システムに守られて、少女は右手を操縦桿から離して座席下の青いレバーを引いた。

 そして右の素足でペダルを踏み込むと、逆に左の操縦桿を立ててボタンを押した。

 

 

「ランドスピナー……逆回転!」

 

 

 今度はマニュアルを読み上げるにしては強い口調で、少女は言った。

 ディスプレイに映る風景が急速に横へと移動する、無頼がターンしているのだ。

 右のランドスピナーが前に、左のランドスピナーが後ろに進む。

 戦車でいう所の、超信地旋回と言う動きだった。

 右と左のタイヤ・キャタピラが逆に動くことで、最小の動作で位置を変えられる技術。

 

 

「馬鹿な、イレヴン如きに!?」

 

 

 そして、グラスゴーにはこの動きは出来ない。

 グラスゴーは旧型で、ブリタニア軍の新型ナイトメアには搭載されている技術だが、彼の中では劣等人種であるイレヴンに出来ることとは思っていなかったのだ。

 その衝撃が、彼の反応を遅らせた。

 

 

 遅れは焦りを生み、焦りは身体の動作を誤らせる、例えば引こうとした操縦桿から指先が外れるとか。

 戦場でするには大きすぎるミスだ、そして精密機械であるナイトメアの操縦においてミスは機体全体のバランスを崩す。

 バランスが崩れれば、当然――――。

 

 

「対KMF用試作刀、『タケミカヅチ』……!」

 

 

 左右正逆のランドスピナーの動きで軽やかに背後に回った少女の無頼は、地上で少女がそうしていたように腰溜めに構えた刀を突き出した。

 そしてその漆黒の刃先はグラスゴーの腹を抉った、コックピットの真下だ。

 

 

「はああああああぁぁぁ―――――ッッ!!」

 

 

 グラスゴーの機体内を斜めに抜けた刃が背中へと突き抜け、部品とコードを撒き散らしながら火花を飛ばす。

 まだ動くらしいグラスゴーの腕が、震えながら無頼の頭部を掴む。

 無頼のコックピットのメインディスプレイが、グラスゴーのマニュピュレータで覆われる。

 それは、まるでグラスゴーのパイロットの心境を現しているかのようだった。

 

 

「申し訳無いけど」

 

 

 少女と呼ぶに相応しいその顔立ちで、しかし酷く冷たい表情と声音で、告げる。

 

 

「貴方には倒れて貰う、ボク達の抵抗のために…………ブリタニア人!!」

 

 

 叫んで、両手で操縦桿を強く引くと同時に今度は両足で足元のペダルを踏む。

 それだけで、刃を抜くと同時にグラスゴーの手を離すことに成功した。

 後に残るのは、駆動系へのエネルギー供給が切れて両膝をついたグラスゴーのみだ。

 その刹那、コックピットが機体の後ろへと排出されるのを確認した。

 脱出機能だ、パイロットは無事なのだろう――――憎らしいことに。

 

 

 再びランドスピナーを非対称に動かして、その場でグラスゴーに背を向ける。

 その際、同時に血糊を払うように刀を振るった。

 直後、オレンジ色の爆発と油臭い爆風が周囲の空気を支配した。

 地響きと閃光、突風……その全てを背に受けて、日本の抵抗の象徴(ブライ)は屹立していた。

 

 

「……流石だねぇ、ウチのお姫様は」

 

 

 横転したトレーラー、その荷台から、打ち付けたらしい頭を押さえながら朝比奈が顔を出した。

 銃撃戦はすでに終わっていた、と言うより、ブリタニア兵そのものがすでにその場にいない。

 視線を向ければ、無頼のいる方向とは逆方向に必死に走る黒い防護服のグループが確認できるだろう。

 自軍のナイトメアがいないのに、敵軍のナイトメアがいるとなれば……真っ当な判断と言える。

 

 

 欲を言えば、彼らは全員生かして帰すべきではない。

 朝比奈としては、彼が青と呼ぶ少女の無頼(せんようき)はまだこの時点では見せたくなかったし、それを見た彼らを逃がしたくは無かった。

 しかし彼は冷静に、それが出来ないことも悟っていた。

 

 

「早く逃げないと、駐屯地のブリタニア軍が僕達に気付くだろうからね」

 

 

 ブリタニア兵など怖くは無いが、彼の尊敬する上官ならここは撤退の一手だろう。

 そのためには生き残りの村人達を迅速に落ち着かせなければならず、やはり追撃している余力は無い。

 朝比奈はもう一度、黒煙を上げるグラスゴーの残骸に背を向けて立つ濃紺の無頼を見つめた。

 

 

「……やれやれ」

 

 

 そして、手のかかる妹を見る兄のような目で笑ったのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 悪逆非道な侵略者を打倒して、勇者は歓呼の声で村人に迎えられる――――。

 そんな都合の良い展開は、現実には存在しない。

 人類を脅かす魔王を倒した勇者の前にいるのは、魔王以上の脅威となった勇者を見る怯えた瞳だけ。

 それを、少女は今まさに実感していた。

 

 

「ど、どうしてくれるんだ……これじゃ、ウチの村がブリタニア軍に……」

 

 

 生き残った村人の1人が、おそるおそるといった様子でそう言った。

 無頼で横転したトレーラーを起こし、手早く走行に問題が無いことを確認した後、トレーラーに無頼を収容し直すためにコックピットから降りて来た少女への第一声がそれだった。

 コックピットから降りるために使用したワイヤーを巻き戻しながら、少女がその言葉を発した村人の男に視線を向ける。

 

 

 そこには先程まで敵に……ブリタニア人へ向けていた敵意の残滓が残っていて、男は半分以上年下だろうその少女に明らかに気圧されていた。

 少女は降りる前に整えたらしい襦袢の帯に指を添えながら、鼻先に触れるように前髪を流して首を傾げた。

 

 

「先に襲ってきたのはブリタニア軍の方、あのまま放置すれば全滅していました」

「い、いや、それは……」

 

 

 その横ではトレーラーの中に鎮座した無頼を覆うように、若干ひしゃげている横部扉が閉じていく所だった。

 基礎動作分のエナジーしか無かったため、これ以上の稼動は難しそうだ。

 少女がそれを見上げている間にも、生き残った十数人ばかりの村人達の囁き声が聞こえる。

 

 

「で、でも、何もあんな風に……」

「そうよ、後で報復されるのは私達なのに……」

「変な助けなんてされたら、むしろブリタニアの人達が今度こそ本気で……」

「ほ、本当にテロリストがいたって、言われたら……!」

 

 

 自分達を襲ったブリタニア軍へは、恨み節ではなく多分な配慮と媚びの香りが覗く。

 それは、哀しみと痛みへの代償行為のような物だった。

 隣人の多くと村と畑を失った彼らは、今、打ちひしがれている。

 強大なブリタニア軍を恨んでも何も出来ない、だから他に恨みを向ける先を求めているのだ。

 目の前の少女が災いを持ってきた――――そう、見ている向きもあるのである。

 

 

「なら、(ワタシ)達と一緒に来れば良い」

「い、いや……それは……」

 

 

 そんな彼らに手を差し伸べて、少女は告げた。

 共に来い、共にブリタニアと戦おうと。

 ここにいては殺されると言うなら、自分達が守ると。

 しかしそれに対しても、村人達の反応は鈍い。

 

 

「抗わなければ、抵抗の意思を見せなければ、ブリタニアの暴虐は止まらない。絶対は約束できない、必ずとも言えない、だけど――――(ワタシ)達が貴方達を守ります、だから」

 

 

 共に抗おうと、少女が言う。

 媚びず、武器を手に取り、何もせずに殺され蹂躙される事に身を委ねるなと。

 何もせずに殺されるくらいなら、抗戦して死んだ方が意味があるはずだと。

 

 

「徹底抗戦。それが、今は亡き枢木首相のご意思でもあった筈」

 

 

 だが反応は無い、今は村を失った衝撃が大きすぎるのだろう。

 しかしそれを差し引いたとしても、村人達の反応は鈍い、いや悪かった。

 というのも、彼らにとって「枢木首相」という存在はそこまでの吸引力を持ってはいなかったし、何より……。

 

 

「枢木なんて……」

「……ブリタニアとの戦争を止められなかった無能じゃないか」

「そうよ、だいたい……自分だけさっさと自殺して、楽になって……」

「……卑怯者じゃない、徹底抗戦とか威勢の良いこと言って……」

 

 

 その時、初めて少女の瞳の奥が光り輝いたような気がした。

 星が銀河の中で生まれる瞬間の炎のような、烈火と言うに相応しい強い光だった。

 その光の名は感情と言い、その中でも「怒り」と表現されるべきもの。

 

 

「――――――――」

 

 

 少女が、一歩を踏み出そうとしたその刹那。

 ばさっ……と、その頭から青の着物をかぶせた者がいた。

 朝比奈である、彼は青の着物をかぶせた少女の頭を軽く抱き寄せるようにすると。

 

 

「そこまでだ、青ちゃん」

「……省悟さん」

 

 

 朝比奈は少女の頭を軽く押さえて俯かせると、それに代わるように生き残りの村人達を見据えた。

 少女と違い、大人の男の厳しい視線に村人達は気まずそうに視線を逸らす。

 それに対して朝比奈は肩を竦めた、どこか慣れているような仕草だった。

 

 

「別に無理強いはしないし、仲間になれとは言わない。けど村も畑も焼けちゃったみたいだし、僕達の勢力圏に来た方が良いとは思うけど?」

「せ、勢力圏って……あ、アンタ達はいったい……?」

 

 

 村人の問いに、朝比奈は眼鏡を押し上げて応じる。

 

 

 

「日本、解放戦線」

 

 

 

 朝比奈の告げた名前が、さざ波のように村人達の中に伝わっていく。

 日本解放戦線、その名前に村人達の顔色が確かに変わった。

 

 

「悪いけど時間がない、家族の弔いとかしたい人もいるだろうけど……来る人は来るですぐに決めてほしい」

 

 

 そう言い捨てて、彼は少女を抱いたままトレーラーへと歩き出した。

 朝比奈の手によって俯かされた少女は、今は自分の意思で俯いている。

 朝比奈は少女の様子を窺うでもなく、トレーラーの中で――軍仕様だけあって頑丈だが、流石に多少歪んでいる――戦々恐々としながらエンジンの再始動を試みている青木の方へと進んだ。

 

 

「青木、動きそう?」

「何とか……」

 

 

 青の着物を襦袢の上に羽織った少女は、それを何となく見上げている……。

 

 

「あ、あの……」

 

 

 不意に、少女の背中に声をかける存在があった。

 振り向けば、2人の女性がそこに立っている。

 そこにいたのは、顔を大きく腫らして切り裂かれた衣服を押さえている20代の女性と、前歯が数本欠けている中年の女性だった。

 

 

「ええと……私達みたいな女でも、連れて行って貰える……?」

「わ、私なんて、何も出来ないオバちゃんだけど……」

 

 

 おそるおそるのその申し出に、少女は少しだけ唇を大きく開いた。

 しかし何も言うことは無く、青の着物を頭からかぶったまま、小さく頷くに留めた。

 そして、後ろの荷台を指先で示しながら。

 

 

「……乗ってください」

「は……はいっ!」

「あ、ありがとう……ええと、えー……」

 

 

 少女を何と呼べば良いのかわからないのか、2人の女性が戸惑うような表情を見せる。

 それに気付いたのか、少女は唇を僅かに震わせるようにして言葉を発した。

 その言葉は、少女の名前だ。

 

 

枢木(くるるぎ)…………枢木青鸞(せいらん)

 

 

 聞こえた名前に、2人の女性は驚きに目を見開いた。

 しかしそれ以上は特に何も言わず、静かに頭を下げてきた。

 少女の……青鸞の頷きを確認して、女性達は荷台へと向かった。

 

 

「お、俺達も……連れてってくれないだろうか?」

「わ、わしらも……」

「何も出来ないけど……」

 

 

 先んじる者が出たからだろうか、他の村人も続々と続いた。

 中には故郷を離れたがらない者もいたが、しかしブリタニア軍の報復の方が怖かったのか、最終的には他の村人に引っ張られる形でトレーラーの中へと乗り込んで行った。

 気まずいのか、少女に声をかける者はない。

 しかし構わなかった、むしろ人数が少なくてトレーラーに乗せきれて良かったと思う。

 

 

 それから、彼女は朝比奈達を見た。

 ちょうど同じタイミングでエンジンの再始動に成功したらしく、青木が親指を立てて見せる。

 青鸞は、そんな朝比奈達に笑みを見せた。

 不思議なことに、その笑みだけは妙に年相応のそれに見えた。

 

 

「……省悟さん、青木さん、帰ろう。ナリタへ……ボク達の家へ」

 

 

 助手席に乗り込んだ青鸞は、ハンドルを握った青木にそう告げて目を閉じた。

 朝比奈はそんな青鸞に一瞥を向けた後、小さく口笛を拭いた。

 青木は荷台の2人に声をかけてから、アクセルを踏み込んだ。

 畑に突っ込まないよう注意を払いつつ、トレーラーが走り出す。

 

 

 ――――そう、走り出した。

 いや、それはずっと前から……7年前から走り続けていて、今は通過点に過ぎないのかもしれない。

 しかしそれは、後に「日本の青き姫」と呼ばれることになる少女にとって重要な意味を持つ。

 ……かも、しれない。

 

 

 そんな、通過点だった。

 

 




採用キャラクター:
笛吹き男さま(ハーメルン)提供:青木逞。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 第1話から飛ばしました、そして今回の主人公は肌色成分が多い気がします、全体的に脱ぎ癖があるようです。
 私(ワタシ)とボク、コードギアス主人公達の「複数一人称」を彼女も踏襲しました、表記は漢字で。

 長丁場になりそうな気がしてきましたが、どうかよろしくお付き合いくださいませ。
 それでは、次回予告でお別れいたしましょう。
 語り部はもちろん、枢木青鸞。


『――ボクは日本人だ。

 それは、あの人が選ばなかった道。

 ボクが選んだ、日本人としての道。

 だからボクはここにいる、父様の掲げた言葉を体現するための場所。

 そこには、ボクが5年間を共にした人達がいるから』

 ――――STAGE2:「日本 解放 戦線」


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STAGE2:「日本 解放 戦線」

オリジナル設定注意:
日本解放戦線についてオリジナル設定があります、ご注意ください。

オリジナルキャラクター多数:
オリジナルキャラクターが登場します、ご注意ください。

では、どうぞ。



 ――――……違う。

 薄く靄のかかった視界の中で、そんな思考が揺れた。

 上も下も右も左も無い、視界が揺れて気持ち悪い、そんな状態。

 

 

枢木(くるるぎ)なんて……』

 

 

 霞がかった世界で、誰かの声が妙に大きく響く。

 耳の奥を針で刺すかのような高い音で、聞いている側の人間に不快感を与えてくる。

 しかしそれ以上に、続けて周囲から響く声にこそ不快を感じた。

 

 

『……ブリタニアとの戦争を止められなかった無能じゃないか』

 

 

 ――――違う。

 あの人は無能なんかじゃ無い、いつだって国と世界のために最善の手を打っていた。

 あの戦争だって、仕掛けてきたのは海の向こうの人達だった。

 

 

『そうよ、だいたい……自分だけさっさと自殺して、楽になって……』

 

 

 ――――違う。

 あの人は死ぬつもりなんて無かった、生きて戦うつもりだった。

 でも出来なかった……あの人の意思とは無関係に、無慈悲に、無情に。

 

 

『……卑怯者じゃない、徹底抗戦とか威勢の良いこと言って……』

 

 

 ――――違う。

 違う、違う、違う、違う、違う、ちがう、チガウ。

 その評価は正当じゃない、本物じゃない、正しくない。

 嘘だ。

 そんなものは――――ウソだ。

 

 

『枢木ゲンブは裏切り者の、売国奴だ』

 

 

 ――――――――!!

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――違うッッ!!」

 

 

 少女の叫び声が、トレーラーの運転席の中に響き渡った。

 大して柔らかくも無い座席の上で跳ね起きた少女は、空間の狭さのために右膝をグローブボックスにぶつけてしまったらしい、跳ね起きると同時に膝を押さえて蹲ってしまった。

 声にならない声が唇から漏れて、気のせいでなければ目尻に涙が滲んでいる。

 

 

「つ、ぅー……~~~~っ」

「あ、青ちゃん? 大丈夫?」

「だ、だいじょぶ……ですっ」

 

 

 隣から聞こえたのは男の声だ、名を朝比奈、少年のような風貌と眼鏡が特徴的な青年だ。

 ハンドルを握って運転を続けていたのだろうもう1人、青木も、いきなり助手席で悶え始めた少女に呆れたような、もとい心配そうな顔を向けていた。

 その時、トレーラー全体がガタガタと揺れた。

 

 

 道が悪いためだ、僅かに罅の入ったフロントガラスの向こうには深い森が広がっている。

 森と斜面に囲まれ、早朝のためか霧に覆われた山道、道路も整備されていないそこをトレーラーは進んでいた。

 そう、ここは山の中なのである、それも相当に深い山だ。

 

 

「青ちゃん、そろそろつくよ。後ろはどうしてる?」

「あ、はい」

 

 

 青――――枢木青鸞(くるるぎせいらん)は座席の後ろにある覗き窓を開いた。

 そこは後ろの荷台と繋がる唯一の空間で、青鸞は目線を合わせるように座席に膝立ちになる。

 覗き窓の向こう側に見えるのは、奥にナイトメアが1機格納された大きな荷台だった。

 

 

 一度トレーラーが横転したためにグチャグチャになったはずだが、ある程度片付いているのは後ろに人間がいたからだろう。

 昨日、青鸞達がブリタニア軍の略奪から救った生き残りである。

 今は皆で寄り添うように壁際に座り込み、眠っているようだった。

 

 

「まだ寝てます」

「ふぅーん……まぁ、民間人だからね。ついたら起こせば良いし、今は放っておいて良いよ」

「はい」

 

 

 頷いて、青鸞は助手席に座り直した。

 ほぅ、と息を吐いて、次いで身体を解すように背伸びをする。

 着物で、しかもトレーラーの助手席で眠っていたのだ、なかなか良い音が背中から響いた。

 傍で聞いている朝比奈は、それに思わず苦笑を漏らしてしまう。

 

 

 一方で青鸞は身体を解した後、脱力して背中をシートに押し付けた。

 それから片手で頬を押さえて、どこか遠くを見るような目でフロントガラスの向こうを見る。

 夢見が悪かったせいか、どうにも不快な気分が抜けなかった。

 そして青鸞は青木に聞こえないよう朝比奈の耳元に唇を寄せると、小声で。

 

 

「省悟さん」

「何、青ちゃん」

「……ボク、何か言ってた?」

「寝てる時?」

 

 

 丁寧な言葉では無く、やや幼い親しげな言葉遣い。

 朝比奈は目元を緩めてそれを聞くと、やや考え込んだ。

 それから隣の青木を見ると彼も肩を竦めてきた、なので朝比奈もそれに倣う。

 彼は特に気負った様子もなく、取り立てて青鸞の方を見ることも無く。

 

 

「寝言とかは言ってなかったね。ただ、寝てる時に着物の帯を外そうとするのには困ったかな」

「ああ、なら良……え? あ! ふぁ!?」

 

 

 慌てて視線を下に下げる、すると確かに着物に違和を感じた。

 具体的には帯だ、何故か結び目が前にある、後ろにあるのが正しいデザインなのに。

 つまりこれは、寝ている間に外した物を誰かが前から結び直したというコトで。

 

 

 青鸞は、自分の顔がかっと熱を持つのを感じた。

 慌ててあちこち緩くなっている着物を直す、と言うか、こんな緩い状態で膝立ちになったのかと思うとまさに顔から火が出そうだ。

 さっきとは別の意味で、泣きそうになる青鸞だった。

 

 

「ごめんね、僕も着物の着付けとかわからなくて」

「大丈夫、お嬢。朝比奈さんが何もしてないのは俺がちゃんと確認をあだだだっ!? 朝比奈さん朝比奈さん、俺ハンドル持ってますんで!」

「あ、青ちゃん、ちょっと通信機出してくれる?」

 

 

 青鸞は着物の裾を直すために身を屈めつつ、ついでにグローブボックスを開いて中身を取り出した。

 そこには地図などが詰まっているのだが、青鸞はそれらの地図帳を横にどけて、手首を捻じ込むように裏側をまさぐる。

 次に手をボックスから出した時、青鸞の手には黒い無骨な通信機が握られていた。

 

 

「省悟さん」

「ん」

 

 

 赤い顔のまま差し出されるそれを、携帯電話の受け渡しでもするかのような気軽さで受け取る朝比奈。

 周波数を合わされたそれは、音響装置に偽装された通信装置を通じてある閉鎖チャネルへと繋がる。

 青木が運転をしている横で、その通信機に口と耳を寄せると。

 

 

「20130214、20130214、こちら遭難者、こちら遭難者、避難誘導を乞う……」

 

 

 ここはナリタ連山、ブリタニア的な識別で言えばトウブA管区と呼ばれる土地に所在する山々だ。

 自然豊かと言えば聞こえは良いが、標高2000メートルを超える山々が連なる自然の要害である、登山家でさえ好んで挑戦しようとは思わないような険しい山々だ。

 そんな山の中に、どうして青鸞達はいるのか。

 その答えは、すぐに判明することになる。

 

 

「入りますぜ」

「よし」

 

 

 満足げに頷いた朝比奈の視線の先、山肌が削れて出来たような岩場がある。

 トレーラーはそこに向かっているようで、このままでは正面から衝突するだろう。

 しかしそんなことにはならないと青鸞は知っている、何故ならばその岩場の一部がせり上がり鉄製の壁で覆われた中身を晒すように開いたからだ。

 開いた時に崩れたのか、拳の半分程度の大きさの茶色い石がパラパラと落ちて車体を打つ。

 

 

 そしてトレーラーはその中へと進み、もちろん衝突などせずに山の内部へと入ることが出来た。

 ……ここは、ナリタ連山。

 表向き自然に包まれたその山々は、その実内部に広大かつ近代的な設備を隠している。

 ここはただの山ではない、ここはエリア11最大の反ブリタニア抵抗勢力。

 

 

 <日本解放戦線>の、本拠地が隠されている場所なのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そもそも対ブリタニア戦争以降、敗戦国である日本は軍隊を解体され、日本人は非武装の下で統治されることが決まっていた。

 それを嫌った日本軍の一部が密かに結集し、その軍事力でブリタニアの支配の及ばない独自の勢力範囲を築いた――――それが日本解放戦線、つまり正確には「日本軍の残党」と言った方が正しい。

 

 

 その目的はとてもわかりやすい、名前の通り日本のブリタニア支配からの解放(どくりつ)だ。

 ナリタ連山の地下深くに本拠を構えるこの組織の下に身を寄せる旧日本政府関係者も多く、兵力・武力・財力、名実共にエリア11最大の反ブリタニア武装勢力が彼ら日本解放戦線なのだ。

 事実として、戦後7年経ってもブリタニア軍はこの組織を討伐できずにいる――――。

 

 

「――――キョウトからの親書、確かに受け取った、青鸞嬢」

 

 

 正面からの声に、長い黒髪を結い上げて正装した青鸞はゆっくりと頭を下げた。

 道場のような板張りの床に指をつき、手の甲に触れる直前まで礼をする。

 着物は今朝トレーラーで乗り入れた際に着ていた物とは違い、絹製の物だった。

 水色系のお色目にクリーム色の裾、所々に百合の花・葉・つるが描かれた可憐なデザインの着物である。

 

 

 しかし彼女の周囲にいるのは、華やかな着物とは真逆の服装に身を包む男達だった。

 少女と違い、薄いながらも座布団に座る彼らは皆、日本解放戦線の軍人である。

 上座を頂点に二列に並ぶ彼らは一様に深い緑の軍服を着て、横に日本刀を置いている。

 違う点は襟元の階級章だけで、青鸞の正面の男に近いほど高い階級のようだった。

 

 

「はは、そう畏まらなくても良い。まぁ、こんな強面の面々に囲まれれば仕方ないでしょうが」

(ワタシ)のような者にそのようなお気遣い、ありがとうございます」

 

 

 ふ、と唇を緩めて、青鸞は顔を上げた。

 すると彼女の目に、まず巨大な日章旗――――部屋の上座に掲げられた大きな日本の国旗が映る。

 それを背に青鸞の正面に座す男こそが日本解放戦線のリーダー、片瀬である。

 彼は短い白髪に覆われた頭を僅かに傾けると、顔を上げた青鶯の顔を正面から見つつ「ほぉ」と感嘆の息を漏らした。

 

 

「ふむ……最後にこうして顔を見たのはほんの一ヶ月ほど前のはずだが、また一段とお綺麗に育たれたなぁ」

「ご冗談を、片瀬少将は相変わらず……」

「ん、んんっ! 片瀬少将、それでキョウトからは何と?」

 

 

 これ見よがしな咳払いで会話を切ったのは、草壁と言う男だった。

 階級は中佐で、巨体だが肥満と言うわけでは無い大きな身体の軍人だ。

 瞳は鋭く、濃い顎鬚が特徴的と言えば特徴だろうか。

 片瀬はやや不快そうな目を草壁に投げると、封を切って手紙を広げた。

 

 

 それは青鸞がキョウトに例の無頼を受け取りに行った際に渡された物で、キョウトとは日本解放戦線の活動を資金面から支えている日本人の一団である。

 わかりやすく言えば、旧財閥系の家系の人間が集まった団体であり……日本解放戦線にとっても、また青鸞個人についても重要な意味を持つ集団でもあった。

 そこから来た親書に目を通した片瀬は、ふむと溜息のような吐息を吐いて。

 

 

「……どうやら、例の『無頼』の改良機の納入が数ヶ月遅れるらしい」

「またですか! これで3度目ですぞ、キョウトのお歴々はブリタニアを打倒する気があるのですかな」

「そう言うな草壁、キョウトも危ない橋を渡って我々に機体を流してくれているのだぞ」

「はぁ…………その機体にしても他の組織にも流しているではないか、金の亡者共め」

 

 

 表向き引き下がりつつ、しかし口の中でキョウトへの不満を呟く草壁。

 それは他の面々にも聞こえたはずだが、しかし表立って彼を非難する人間はいなかった。

 草壁に同意しているようにも、場がシラけているようにも見えるから不思議だった。

 

 

「……いずれにしても、全国の反ブリタニア組織の一斉蜂起は少し時間を置いた方が良いでしょうな」

「馬鹿な、そんなことは出来ん!」

 

 

 白髪混じりの黒髪をオールバックにした男の発言に、草壁が噛み付く。

 慎重論を述べたのは東郷直虎と言う男で、彼が言ったことは基本的にこの場の意見を代弁していると言って良かった。

 元々、キョウトからの武器供給が十分に満ちてからの全国一斉蜂起――彼らの中ではそれが共通の戦略だったのだから。

 

 

「我々が何もせず情勢を座して見ていれば、日本中の独立派から疑念の目を向けられましょう。我らは行動し続けることによって初めて、日本の独立を叫ぶことが出来るのですぞ!!」

 

 

 片足を立てて力説する草壁の言葉を、片瀬は眉を下げつつ黙って聞いていた。

 そしてそのまま視線を動かして、草壁の反対側に座っている男を見る。

 その男は、細身の身体に鋭く野生的な風貌を持つ男だった。

 目を閉じて座す彼は鞘に収められた刀のようで、場の全員が彼に注目していた。

 

 

「どう思う、藤堂?」

 

 

 問われた男――――藤堂は、そこで初めて目を開いた。

 自分に問うた片瀬を見、自分を睨む草壁達を見、そして。

 

 

「…………」

 

 

 話に参加するでも無く、ただ片瀬を――――いや、その向こうの日の丸を見据えている青鸞の横顔を見た。

 細く鋭い目を僅かに動かしたのみで、彼はそれ以上のことを言わなかった。

 ただ、短く一言だけ。

 

 

「……時期では無い、そう言うことでしょう」

 

 

 低い声が部屋全体に広がる、草壁が眉を立てるのと片瀬が頷くのはほぼ同時だった。

 片瀬は片手で草壁に座るように促すと、未だ正面で正座の姿勢を貫く青鸞へと視線を戻した。

 

 

「キョウトから受領したと言う例の無頼については、キョウト側の意向を汲んで青鸞嬢に預けることとする。日本の独立を勝ち取るその日まで、これまで以上に励んで貰いたい」

「はい」

 

 

 短く応えた後に礼をし、胸に片手を当てつつ頭を上げながら。

 

 

「この心身の全ては元より国のもの、日本独立のため、微力を尽くさせて頂きます」

「うむ」

 

 

 頷きを返した片瀬に再び礼をして、青鸞は立ち上がった。

 そのまま一同の視線を受けながら、少女は静々と歩きつつ外へと出た。

 通路に出る前にもう一礼し、少女が出て行くと、その場の空気もまた変わったものになる。

 

 

「ふん、あのような小娘に専用の機体を与えるとは……キョウトのお歴々は大層あの小娘を気に入っておられるのですな」

「草壁、口が過ぎるぞ」

「何が過ぎたものか、事実では無いか」

 

 

 東郷に窘められても草壁の舌鋒が留まることは無かった、誠に弁舌豊かな御仁である。

 

 

「あのような機体を送って寄越すくらいなら、量産機をもっと送ってくれば良いだろうに」

「だが報告によれば、アレはその機体でブリタニアのグラスゴーを一蹴したそうではないか。そうだな藤堂?」

「朝比奈からは、そう聞いていますが……」

 

 

 藤堂の返答に満足そうな頷きを見せて、片瀬は青鸞の消えた扉を見つめた。

 その瞳は、どこか哀愁を感じさせるものだった。

 

 

「それに健気なものではないか、父の汚名を晴らすべく働く……女子(おなご)ながら、なかなか出来るようなことではあるまい。何しろアレは……」

 

 

 その後に続いた片瀬の言葉に藤堂は再び目を閉じ、草壁は鼻を鳴らし、その他の多くは視線を下げた。

 枢木青鸞の父親は、その苗字からわかる通り。

 

 

「……日本最後の総理大臣、枢木ゲンブ首相の忘れ形見(むすめ)なのだからな」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 板張りの会議室を出て通路に出た後、青鸞は着物に覆われた胸を上下させて息を吐いた。

 緊張を外へ逃がすための吐息だ、会議室の入り口に立つ歩哨達に「ご苦労様」と声をかけた後に、青鸞は長い通路を歩く。

 LEDの照明の下を数十メートル進むと、位置的には会議室の隣に当たる部屋に入る。

 

 

 途端、それまで見せていた淑やかな雰囲気が一気に晴れた。

 表情の少なかった顔を笑みの形へと変えて、着物の裾をはためかせながら室内へと入る。

 誰も見ていない中、その豹変振りはまさに「変身」だった。

 雰囲気も、動作も、口調も、全てが変わる。

 

 

「青鸞さまっ! お疲れ様です、そしてお帰りなさい!」

「ただいま、雅!」

 

 

 狭くも無い応接室、その中にいた割烹着姿の少女が青鸞と抱き合った。

 腰まで届く綺麗な黒髪が特徴的なその少女は榛名(はるな)雅と言う名前で、キョウトの分家筋に属する少女だ。

 その縁で、5年前に青鸞がナリタに来た際に付き人のような形でついて来てくれたのである。

 以来一部を除けば、最も時間を共有している間柄だった。

 

 

 戦場や片瀬達の前で見せていた姿とは、雰囲気も言葉遣いも違う。

 前者が冷静で丁寧でそれでいて張り詰めた何かを感じさせていたのに対し、身内にあたる雅の前では朗らかで柔らかな空気を纏っていた。

 強いて言えば、今朝、朝比奈に対してのみその片鱗を見せていた。

 まるで別人だ、だがけして別人ではない。

 

 

「キョウトはいかがでしたか、神楽耶さまもお変わりありませんでしたでしょうか?」

「うん、元気そうだったよ。最近は御簾の向こうから大人達の重大そうで実はそうでも無い話を聞くのが仕事だって、ボクにそう愚痴ってた」

「そ、それは……何とも、ええと……」

 

 

 本家筋の人間の醜聞とも愚痴とも取れる言葉にどう反応を返したら良いものか、分家筋の少女は眉を下げて言葉を濁した。

 青鸞は特に気にした風も無く後ろ、つまり扉の方へと視線を向けた。

 そこには一人の青年が立っている、黒髪黒目の日本人、しかし軍人ではない。

 厚い胸板を逸らして立つ青年、不思議なことに10代にも20代にも30代にも見える風貌。

 

 

「三上、何か問題は?」

「…………」

「そう」

 

 

 無言を返答とした男は三上秀輝(みかみしゅうき)、古くから枢木家の当主を守るために存在する家系の男だ。

 枢木本家は前当主と長男を失いはしたが、家そのものはキョウトにある。

 分家筋や臣下筋は桐原家と皇家の支援の下で残っており、彼女が当主となってからは少しずつ彼女の下に戻りつつあった。

 

 

「青鶯さま、この後のご予定は?」

「仕事は終わりだから、居住区の方へ行くよ。三上は……あ、いない」

 

 

 先程までいたはずなのに、三上の姿は忽然と消えていた。

 おそらくどこかにはいると思うが、三上が本気で姿を消すと青鶯本人にすらどこにいるかはわからない。

 いつものことではあるので、彼女は気にしないでいることにした。

 

 

 部屋の外に出れば、再び彼女は変わる。

 背筋を伸ばし、歩幅は狭く慎ましやかに、雅を3歩後ろに従えて歩く。

 気持ちの切り替え、必要なのはそれだけだった。

 枢木青鸞、彼女は「枢木」であり、そして「青鸞」であった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ナリタ連山は、その厚い岩盤を刳り貫いて機械化することで要塞化されている。

 つまり標高2000メートルの山々が連なる広い範囲が日本解放戦線の要塞であり、同時に数千とも言われる旧日本兵やその家族、保護された民間人が暮らす一大地下都市でもあるのである。

 十数キロに渡るその施設は各所に連絡通路と地下鉄が通り、発電室や武器弾薬庫など重要設備は全て数十メートル地下に建造されている。

 

 

 また地上部には多数の偽装されたトーチカや見張り施設が存在し、森や地面に偽装された対空砲や対空ミサイル、多数の火砲で武装されている。

 要塞単独でも長期に渡り戦線を維持できるように設計・建設されいるだけに防備は固く、レジスタンスやテロリストと言うには重武装で、まさに「軍」と言うのは相応しかった。

 そして軍らしい設備の一つに、兵器格納庫がある。

 

 

「古川、ウチの青姫さまの専用機はどんな感じ?」

「そ、そうですね……基本スペックは通常の無頼とそう変わらないと思います」

 

 

 深い緑色の軍服に着替えた朝比奈は、日本解放戦線の地下格納庫の一つにいた。

 ナリタ連山の比較的西側に位置するそこにはナイトメアの格納庫があり、深緑とオリーブドラブにカラーリングされた無骨な機械人形ナイトメアが数機、壁際の駐機スペースに固定されている。

 その中に、他と異なる濃紺の機体が1機が加えられていた。

 

 

 その機体は、朝比奈が古川と呼んだ男を中心に解析・整備が行われている所だった。

 何しろ基礎チューニングのみで本格的な戦闘を行ったために、あちこち無理がたたっている可能性があるためだ。

 琥珀色の瞳に肩に触れるくらいの黒髪を後ろに縛った男、古川(ふるかわ)修一(しゅういち)は聴覚補助用のヘッドホンを弄りながら朝比奈に説明を続ける。

 

 

「ま、まぁ、ち、千葉さんの例もありますから特に驚きはしないですけど……」

「専用機ってのがね……キョウトのお歴々は腹の中で何を考えているのやら」

 

 

 朝比奈と古川の会話に出てくる「青姫」と言うのは、もちろん枢木青鸞のことである。

 今は亡き日本最後の首相枢木ゲンブの娘であり、キョウト――旧財閥家系集団の一角、枢木家の現当主。

 家のことに関して言えば兄がいたはずだが、そちらはある事情で本家と絶縁状態にある。

 

 

 普通なら御簾の向こうに引き篭もっていれば良い存在だが――事実、そうしている親戚もいる――彼女は自ら志願して、ナリタ連山で日本解放戦線と行動を共にしている。

 15歳と言う年齢でありながら、すでに一人前の兵士になるために済ませておくべき洗礼はほぼ受けて、今や前線でナイトメアを駆るパイロットでもある。

 大した才能、と言うべきなのだろうが……。

 

 

(……違う、ね。いったい何が違うんだか……)

 

 

 見上げるのは濃紺の無頼、グラスゴーのコピー品である無頼の改良型第一号だ。

 ただ基本スペックは無頼とそこまで差は無い、改良されているのは武装の方だ。

 無頼より僅かに機体を小さくし、遠距離武装を外して重武装の楯と刀を装備した、近接格闘特化型の無頼――――「無頼(ぶらい)青鸞専用機(せいらんせんようき)」。

 

 

 だがその機体を見上げる朝比奈の目は、とてもそれを歓迎しているようには見えない。

 朝比奈は彼女のことを5年前から知っているし、彼の上官はそれ以上の付き合いだと聞く。

 彼女に武術と剣術を教えたのは彼の上官で、彼女は10歳の頃からここで兵士としての訓練を受けているが。

 

 

「枢木ゲンブ……ね」

 

 

 癖なのか、皮肉気に鼻を鳴らす朝比奈。

 気遣わしげな視線を向けてきていた古川に気付くと、慌てて手を振って謝罪し、作業を続けるように促した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ナリタ連山の地下には、いくつかの居住区がある。

 ほとんどは数千人の兵士を養うための軍用だが、一部は兵士の家族や保護した勢力範囲外の日本人のために使用されている。

 水は豊富な地下水を引き、電力は合法非合法な手段で調達し、そうした人々の生活を支えていた。

 

 

 軍用設備や発電施設、浄水施設など重要な施設はコンクリートなどで壁を補強されているが、こうした居住区画までは資材が回ってこない。

 だから民用の居住区画は、薄暗い鍾乳洞のような場所に無理からコンクリート製の長屋(タウンハウス)を並べたような外観が広がっているのだった。

 お世辞にも、健康的に生活できる場所とは言えない。

 

 

「あ、せいらんさまだー!」

「ほんとだ、せいらんさまー!」

 

 

 しかしそんな劣悪な環境でも、一つだけ利点がある。

 それは、少なくとも子供が命の危険を感じずに笑って過ごせること。

 青鸞は、そんな子供達の存在に顔を綻ばせた。

 

 

「皆、ただいま」

「おかえり、せいらんさま!」

「おかえりなさい!」

 

 

 大人に対するよりやや言葉遣いを崩し、駆けて来た5歳くらいの男の子と女の子を抱き留めて、笑んだまま愛しそうにぎゅうと抱き締める。

 数歩離れた青鸞の背中を見ていた雅は、それに目元を緩める。

 子供が命の危険を感じずに笑っていられることが、今の時代ではどれだけ難しいことか。

 青鸞は子供達が手に持っている紙の束と木炭のペンを見ると、女の子の頭を撫でながら。

 

 

「もしかして、お仕事中?」

「うん!」

「えっと、つぎのはいきゅーで、何がほしいのかをみんなにきいてるんだ!」

 

 

 「お米とお塩が欲しい」って、皆が言ってる。

 男の子が続けて言った言葉に、青鸞は頷きながらも内心で溜息を吐く。

 ここでは子供だろうと働かなくてはならない、そして地下に篭っている以上は食料の自給率は高かろう筈も無い、外部から供給される物を皆で分けるしか無いのだ。

 

 

 実際、2人の子供の手足は細い、まさに骨と皮と言う表現が正しい、着ている衣服も薄汚れている上にヨレヨレの物だ。

 それでも飢えてはないし、命の危険も無い、水だけは地下水と浄水設備のおかげで豊富にある。

 ブリタニアの支配地域にいるよりはマシ……と、信じたかった。

 

 

「ミキちゃーん、タカシくーん、どこにいるのー?」

「あ、いっけね。ねぇちゃんおいてきちゃったんだった」

 

 

 その時、柔らかな女性の声が聞こえてきた。

 男の子が慌てた様子で振り向く先、それほど間隔の開いていない長屋の間を抜けて歩いてきた女性がいた。

 茶色のロングヘアを黒の髪留めでまとめた、柔和な雰囲気の女性だった。

 彼女は青鸞の傍にいる子供達の姿を認めると、ほっとした表情を浮かべた。

 

 

「ああ、青鸞さま。子供達がすみません」

「ううん、愛沢さんもご苦労様」

 

 

 愛沢と呼ばれた女性は、青鸞の言葉に申し訳なさそうに頭を下げる。

 子供を除けば、ここにいる人間で青鸞の名前と立場を知らない人間はいない。

 ただ愛沢が頭を下げた時、身に着けている衣服の右腕部分が力なく揺れていることに気付いた。

 

 

「愛沢さん、義手は?」

「今、ちょっと調子が悪くて……見苦しくてすみません」

「そんなことは……」

 

 

 右腕が無い……しかしそのこと自体には、青鸞は特別な感情を抱かない。

 7年前の戦争で、何も失くさなかった日本人はいないのだから。

 青鸞にしろ、愛沢にしろ……子供達にしろ。

 

 

「榛名さんも、こんにちは」

「ご丁寧にありがとうございます、愛沢さんもお元気そうで」

 

 

 ただ愛沢と子供達のように、元々無関係の人間が共同生活を営むことは出来る。

 取り戻すことは出来なくとも、近いことは出来るはずだと……。

 

 

「なんだい、賑やかだねぇ……おや、青鸞さま」

「まぁ、青鸞さま。お戻りになられていたのですか」

「おお、青鸞さま。少し見ない間にまたお美しくなられましたなぁ」

「青鸞さま」

 

 

 騒ぎを聞きつけたのか、長屋の中から、あるいは道の先から人が集まり始めた。

 老若男女問わず、青鸞の周囲に人が集まっては声をかけてくる。

 青鸞はその一つ一つに言葉を返す、口調は柔らかで表情は明るい。

 流石に子供達に見せたような無邪気さは無いが、それでも十分に柔和な笑顔で。

 

 

「山中のおじさん、こんにちは。ただいま、後藤のお婆ちゃん。木村のお兄さんは相変わらずお上手ですね? 皆さん、何か困っていることはありますか? できるかはわかりませんけれど、何でも言って……」

 

 

 青鸞は、ここで暮らす日本人の人々を好んでいる。

 不足しがちな食料や物資の中でも、皆で頑張っていけることが嬉しかったから。

 だから彼女は、ブリタニア兵には決して向けない笑みを浮かべるのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 日本解放戦線に保護された日本人は――特に若い男は――そのまま解放戦線に志願することが多い。

 もちろん戦闘や軍務に耐えられる健康な男子、と言う前提条件はつくが、ナリタ連山を始めとする日本解放戦線の勢力圏ではむしろそれが当然視されるような所があった。

 日本男児たる者かくあらんと言うわけだ、現実には女性兵も相当数いるのだが。

 

 

 とは言え物資が十分でない状況で兵だけ増やしても仕方が無い、志願条件は戦前の日本軍の規定通り、一部の特例を除いて18歳以上の男女に限定されている。

 しかし先に述べたように、ここでは男子は特に兵になることが求められる空気がある。

 よって兵に志願できない17歳以下の子供は、解放戦線が用意した訓練施設で基礎訓練を受ける。

 民間人居住区画に存在するその道場も、その一つだった。

 

 

「声が小さい! 打ち込み100本追加!!」

「「「はいっ!!」」」

 

 

 やや古ぼけた白の胴着と紺の袴を来た少年少女達が、竹刀を振るっている。

 打ち込みと言うだけあって、竹刀で叩く側と受ける側に別れての練習を行っている様子だった。

 少年少女達の顔は真剣そのもので、だからこそ指導する側にも力が入るのかもしれない。

 

 

「打ち込みだからと言って油断するなよ、目の前の竹刀を叩き折るくらいの気概で打て!」

「「「はいっ!!」」」

 

 

 少年達の高く大きな声に満足そうに頷くのは、卜部巧雪(うらべこうせつ)と言う男だった。

 逆立った髪とトカゲを思わせる容貌が特徴的な男で、どことなく捻た雰囲気が特徴的だ。

 深い緑の軍服を着ていることから、解放戦線メンバーの軍人だとわかる。

 彼がここで少年達に剣道を教えているのは、まぁ理由はいろいろあるだろうが、基本的にはこの道場の名前が「藤堂道場」であることで説明がついてしまう。

 

 

「巧雪さん」

「む? おお、青鸞か」

 

 

 その時、道場の引き戸が開いて1人の少女が姿を現した。

 水色の着物に身を包んだその少女は青鸞であって、居住区画の人々の群れと雑談を繰り返しながらここに到着したのである。

 竹刀を打ち合う大きな音が響き渡る中、巧雪は太い唇を笑みを形に歪めて道場の出入り口まで歩いた。

 

 

 その時、青鸞の後ろ3歩の位置にいる雅の存在にも気付いて、そちらには目礼を返した。

 ぺこりと頭を下げるキョウトの分家筋の少女から視線を動かして、卜部はこの道場の最初の「卒業生」を見つめた。

 青鸞も、自分より背の高い卜部を見上げるように見ている。

 

 

「帰っていたのか、新しい無頼のパイロットになったと朝比奈から聞いたぞ」

「はい、未熟ながら……桐原の爺様が配慮してくださって」

「ふむ……」

 

 

 桐原と言うのは、キョウトの重鎮――――実質的なリーダーの1人の名前だ。

 その名前を聞いた時、卜部の顔には明らかに不快の色が浮かぶ。

 それに対して、青鸞は軽く笑んだようだった。

 何と言うか、心配性な兄を見る妹のような目に卜部はバツが悪くなったように頬を掻く。

 

 

「ええと、仙波さんと凪沙さんは?」

「仙波大尉は仕事で出ている、千葉は……今、厨房で皆の昼飯を作ってくれている」

「なるほど……じゃあボク、手伝ってくるね」

 

 

 そう言って、青鸞は軽く頭を下げて卜部の前から辞した。

 雅もその後を追うわけで、卜部としては2人の和装の少女の背中を通路の向こうに見送ることになった。

 ポリポリと後頭部を掻くその姿は、妙に間が抜けて見える。

 

 

「あ、あの、卜部先生……」

「あ、ああ、すまん。打ち込みは終わったのか?」

「はい。えっと、それと……」

 

 

 卜部が振り向くと、年長の少年が困ったような顔でそこにいた。

 どこか引き攣っているような気がするのは何故だろうか、卜部も当然同じ疑問を抱いて尋ねる。

 すると、年長の少年は。

 

 

「何か今、青鸞さまが僕達のお昼ご飯を作りに行ったって聞こえたんですけど……」

「そうだ、光栄なことだろう」

「はぁ、まぁ……ただ、その……」

 

 

 少年の顔が絶望したように引き攣る、卜部はますます首を傾げた。

 しかし、不意に何かに気付いたように、まさしく「あ」とでも言うような顔をした。

 それから、苦りきった表情を浮かべて目の前の少年を見て……。

 

 

「……すまん」

「うわあぁ終わったああぁぁぁ――――っっ!?」

「ちょっともぅお――――っ、勘弁してくださいよ卜部先生いぃ!!」

「俺ら年長組の悪夢の3年間再びですかぁ――――!?」

「そんなんだから千葉先生に抜けてるって言われるんですよ!?」

「な、何だ貴様ら、年長者に対して! 罰として打ち込み1000本だ!!」

「「「逆ギレ!?」」」

 

 

 年少の少年少女達を置いて、卜部と17歳、16歳の年長組が騒いでいる。

 藤堂道場は、今日も賑やかだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「凪沙さん、お手伝いに――――」

「いらん、帰れ」

 

 

 青鸞は、道場奥の厨房に顔を出した瞬間に拒絶された。

 がーん……と言う擬音が背景に浮かんで見えそうな程の衝撃を受けているような表情で、彼女は厨房に立つ女性の背中を見ていた。

 すらりとした体型にショートヘア、どこかシャープな印象を受ける女性。

 

 

 名前を千葉凪沙(ちばなぎさ)と言う、深緑の軍服の上に袖丈の割烹着と言う実に新しい組み合わせの格好をしているが、別に彼女のファッションと言うわけでは無い。

 電気式の調理場の前、寸胴のような大きな鍋で湯を沸かしているらしい彼女は不意に振り向いた。

 厳しい印象を受ける鋭い眼差し、しかし今はそこに柔らかな光があった。

 

 

「冗談だ、大根を切るのを手伝ってくれるか?」

「……はい!」

 

 

 ぱっと顔を輝かせて、青鸞は着物の袖を捲くって縛った。

 雅が壁にかけてあった予備の割烹着を持って来てくれたので、それを身に着ける。

 その様子を、千葉は変わらず優しげな瞳で見つめていた。

 

 

 千葉と青鸞の付き合いは、5年近くに及んでいる。

 上官を通じるような形で出会ったのだが、正直、良い印象は持っていなかった。

 と言うより、解放戦線メンバーで彼女……というより、枢木と言う名に好印象を持つ者はほとんどいない。

 徹底抗戦を唱えながら、いち早く自決した首相のことなど。

 

 

「メニューは?」

「味噌汁だ。ただし具は大根しかない、ナリタの野草を添えて彩を誤魔化すつもりだ」

「わかった」

 

 

 頷き、青鸞は水切り場の前に立った。

 そこにはやや形の悪い大根が5本ほど置いてあり、すでに洗ってあるのか水滴が照明の光を反射してキラキラと輝いていた。

 青鸞はそれを見て頷くと、壁際に立てかけてあった軍用刀の鞘を掴んで。

 

 

「凪沙さん、刀借りるね」

「待て」

 

 

 冷静な顔に一筋の汗を流して、千葉は掌を青鶯に向けて止めた。

 

 

「一応聞くが、刀を何に使うつもりだ? 前々から何度も言うが、具材を切るのは包丁でやれ」

「これも前々から言ってると思うけど……正直、包丁より刀の方が上手く切れると思う」

「待て、まさか試したのか? 刀は日本人の魂だと……」

 

 

 青鸞がナリタに来たのは、ブリタニアとの戦争が終わって2年が経った10歳の頃だ。

 日本最後の首相の遺児、枢木家の幼年の当主、誰がどう考えてもお飾りのお姫様としか思えない。

 実際、千葉はそう考えていたし――――彼女の同僚にしてもそうだった、隠すつもりも無かった。

 

 

 だから彼女の上官、解放戦線のリーダー片瀬少将が頼りにする藤堂が居住区画に道場を開いた時、藤堂自身が青鸞を連れてきた時は訝しんだものだ。

 温情ある対応をしたような記憶は、千葉には無い。

 しかし5年が経過した今となっては、その中で青鶯の剣やナイトメアの操縦に対する姿勢を見続けていれば、出生と肩書きのみで判断すると言う者はいなくなる――――千葉も含めて。

 

 

「とにかく大根は包丁で切れ、それとお前は鍋に触るな。味噌だって貴重なんだ、無駄には出来ない」

「…………」

「そんな顔をしてもダメだ!」

 

 

 少なくとも共に調理場に立つ程度には、千葉は青鸞に心を許していた。

 同僚の朝比奈から、キョウトから青鸞に専用機が与えられたと聞いて、朝比奈と同じく青鸞に対するキョウトの思惑に疑念を抱く程度には、心配していた。

 その程度には、青鸞と言う少女は千葉の中に居場所を確保していたのだった。

 

 

 その後も2人は、大根を煮込むタイミングであるとか、味噌を混ぜ込む方法であるとか、野草の使い方であるとかの時々で揉めつつ調理を進めた。

 壁際で静かに控える雅の見守る中、年の差こそあれど。

 柔らかな空気が、そこには広がっていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――道場には、微妙な緊張感が漂っていた。

 流石に解放戦線上層部が使う会議室のような立派な板張りではない、固い床の上に直に座っている。

 通常の道場よりはやや手狭だが、しかし十数人の少年少女が並んで座る程度のスペースはある。

 

 

 そして今、正座する少年達の前には粗末ながら昼食が置かれている。

 小さな握り飯が一つに大根と野草の味噌汁、日本解放戦線の、それも保護されている民間区画の財政事情を思えば十分すぎる程に十分な食事だった。

 ただ、稽古の後で空腹を覚えているはずの少年達は――年少組は年長組が手をつけないと食べないので――誰一人として手をつけようとしない、緊張した面持ちで目前の握り飯と味噌汁を見ている。

 

 

「ん、んんっ。皆、安心してくれ、味付けは私がやった」

「「「いただきますっ!!」」」

 

 

 上座に近い方に座っていた千葉の言葉の直後、緊張を解いて少年達が握り飯を頬張り、味噌汁を飲み始める。

 その様子に青鸞は不思議そうに首を傾げていたが、さらにその隣にいる雅は苦笑いを浮かべている。

 実際、青鸞の仕事は大根を切るだけで終わっていた。

 味噌汁の中、不揃いな形の大根がゴロゴロしているのがその証だった。

 

 

「ん、やはり千葉の味噌汁は格別だな。皆も良く礼を言っておけよ」

「「「ありがとうございます、千葉先生!!」」」

「よ、よせ。卜部も余計なことを言うな」

「……えっと、ボクも少しだけ手伝って」

「青鸞さま、お味噌汁が冷めてしまいますよ」

「…………うん」

 

 

 表情筋の動きが鈍いものの、しかし明らかにしょんぼりとして千葉の味噌汁を飲み、「美味しい」と呟く青鸞。

 ちなみに青鸞は5年前からこの道場に所属している、今は卒業してナイトメアのパイロットになっているが、元々藤堂の門下生だった彼女からすればここにいる少年少女は全て「後輩」だ。

 

 

 特に10歳から13歳までの間は、千葉がいない時に厨房に入ることもしばしば。

 しかし考えてみてほしいのは、刀で具材を切るセンスの持ち主が果たしてどのような料理を作るのかと言うことである。

 そして年長組の少年が口走った「悪夢の3年間」と言う単語、それだけで全てが理解できようと言うものだった。

 

 

(皆……元気そうで良かった)

 

 

 お箸を味噌汁のお椀の上に置きながら、青鸞は道場に並ぶ人達を見て思った。

 この道場にいる人間は、皆が同じ師を持つ「身内」のようなものだ。

 だから、彼女も「青鸞」でいられる。

 

 

 目にはこの場にいる人達、そして脳裏には先程の居住区で暮らす人達。

 日本全土でブリタニアにより苦しめられている者全てを救う、その目的には程遠い微々たる人間達。

 物資や食料は豊かとは言えないし、地下深くで不自由な暮らしを余儀なくされている。

 

 

「あっ、それ俺のだぞ!」

「へへーんっ、食うのが遅いんだよ!」

「騒ぐな、静かに食え!!」

 

 

 ――――同じ目標に向かって歩む仲間、受け入れてくれる人達、居場所。

 日本独立のための、「徹底抗戦」を行う存在。

 そんな彼ら彼女らと共に、ここに在ること。

 

 

 それが、枢木の名を背負った自分がすべきこと。

 青鸞はそう思う、そしてそう思っているからこそ、彼女はナリタ(ここ)にいる。

 日本のため、亡父のため、そして――――「あの男」の行動の清算のために。

 枢木青鸞はこの時、そう信じていた。

 




採用キャラクター:
ATSWさま(小説家になろう)提供:榛名雅(キョウト)。
レイヴン2232さま(ハーメルン)提供:三上秀輝(キョウト)。
グニルさま(小説家になろう)提供:古川修一(軍人)。
相宮心さま(小説家になろう)提供:愛沢幸(一般人)。
楽毅さま(小説家になろう)提供:東郷直虎(軍人)。
ありがとうございます。


 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 現在判明している今回の主人公の属性は、「妹」「ボクっ娘」「和装」「擬似二重人格もどき(一人称変化によるキャラ切り替え)」「料理苦手」「ファザコン」です(え)。
 初めて描くタイプのような気もします、なかなか苦しい部分もありますが。
 読者投稿キャラクターの皆さまと一緒に、この激動の日本を潜り抜けて行けたらなと考えています。

 それでは次回予告、語り部はもちろん枢木青鸞。


『私(ワタシ)は「枢木」。

 ボクは青鸞(セイラン)。

 どちらも自分で、切り離せない一部分。

 どちらも抱えてボクは歩く、人の命が駒のように倒れていく世界を。

 そしていつか父様の跡を継いで、あの人に……』


 ――――STAGE3:「奇跡 と 四聖剣」


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STAGE3:「奇跡 と 四聖剣」

 ――――珍しいこともあるものだと、皇神楽耶(すめらぎかぐや)はそう思った。

 とは言え声には出さない、ここでは彼女が何かを喋ることは求められていないからだ。

 と言うよりも、必要が無い。

 

 

 長く艶やかな、まさに烏の濡れ羽色と言う表現が似合いそうな小柄な少女。

 年は15歳、しかし平安貴族が着るような肌を見せない淡い色の衣装と、大きなくりっとした瞳が彼女をより幼く見せている。

 彼女は薄暗く狭い空間にいる、だが別に閉じ込められているわけでは無い。

 

 

「……ご機嫌ですな、桐原公」

 

 

 少女を狭い場所に押し込める元凶、いわゆる御簾の向こうで行われる会話を――この場合、御簾の内側にいるのは神楽耶の方だが――聞く。

 それは、先程から年齢の割に豪快な笑い声を上げている存在に向けられた声だった。

 ただ、窘める声は僅かに不快さを滲ませていた。

 

 

「クカカカッ……いや、すまぬな。年甲斐も無く嬉しくなってしまってのぅ」

 

 

 笑っていたのはその場にいる人間で最も小柄な人物だった、しかもおそらく最高齢でもあるだろう。

 鶯色の和服に皺くちゃの顔、だがどこか粘着質な雰囲気を漂わせた男だ。

 桐原と呼ばれたその老人は笑い声を収めつつ、同じような表情で自分を睨む他の4人の男達を見やった。

 

 

 桐原泰三(きりはらたいぞう)、そして皇神楽耶。

 さらには刑部辰紀、公方院秀信、宗像唐斎、吉野ヒロシを含めて6名。

 日本の対ブリタニア戦争以前から、そしてその以後も、隠然たる影響力を持つ旧財閥系家門の集合体。

 キョウト六家。

 

 

「しかし、楽しくもなろう。よもやあの娘、いきなり武勲を上げるとはの。わしとしても、少々驚いておるのよ……こう言うのを、鮮烈なでびゅう、とでも言うのかの?」

「桐原公も、ブリタニアにかぶれてきましたかな」

「しかしながら、我らにも無断であの娘に専用機を渡すなど……少々、早いのではないですかな」

「左様、これでは一斉蜂起を遅らせてきた意味が薄れる。片瀬は以前から現在の立場から退きたがっているし……」

「何、アレももう15。予定外であることは確かだが、何も早すぎると言うことはあるまい。片瀬が退きたいと言うなら退かせれば良い、元々、アレの成長を待って枢木の代わりをさせる予定で……」

「それは……」

「うむ……」

 

 

 本来はここにはいない枢木家当主も含めて七家であるが、現当主が若年のためその権限と財は彼らに一時預けられている。

 そして今、彼らが話しているのはその若年の枢木家当主のことなのだった。

 桐原によって専用機を与えられ、その機体を駆ってブリタニアのナイトメアを撃破した少女。

 

 

(……青鸞(せいらん)……)

 

 

 御簾の向こうで語られる老人達の清廉とは言えない会話、それを聞きながら神楽耶は目を閉じた。

 その小さな胸の内で呟くのは、親戚であり幼馴染である少女。

 8歳より2年を共に過ごした、あの枢木家の……。

 ……キョウトの、もう1人の姫を。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「王手」

 

 

 澄んだ空気の道場に、少女の声が響く。

 声と共に、パチッ、と言う乾いた音がして……少女と向かい合っている男、鋭く尖っているような容貌の男が微かに唸った。

 2人の前には将棋盤があり、駒の位置は終局を示していた。

 

 

 1人は長い黒髪に胴着姿の少女、枢木青鸞(くるるぎせいらん)

 もう1人は同じく胴着姿の男、藤堂鏡志朗(とうどうきょうしろう)

 日本最後の首相の娘と、日本解放戦線最高の将と呼ばれる軍人。

 将棋盤の前に座る2人の横には竹刀が置かれており、稽古の後であることが窺えた。

 

 

「109手で終局……三間飛車からの穴熊崩し、見事だった」

「いえ、先達の方々の努力の賜物です。ボクはそれをお借りしただけです」

「いや、それでも玉を動かさずに攻撃の態勢を築いたのは見事だ。私も防ぎきれなかった」

 

 

 日本解放戦線の民間居住区にある藤堂道場、早朝にその場所を2人で使い、藤堂は青鸞と稽古終わりの将棋を指している所だった。

 まぁ、それももう終わってしまったが。

 こう見えて、青鸞は将棋が得意なようであった。

 

 

(もう、8年になるのか……)

 

 

 青鸞と向かい合いながら、藤堂はふと意識の一部を過去へと飛ばした。

 8年前、ブリタニアとの戦争が始まる数ヶ月前まで。

 その当時、藤堂はある事情で一組の兄妹に剣道を教えていた。

 その内の妹が今、目の前にいる青鶯である。

 

 

 彼女の兄は、そう言う方面においてはまさに天才だった。

 彼は剣を自身の一部として扱うことが出来たし、何より反射神経において天性の物があった。

 しかし、青鸞は違う。

 途中、一時的な中断はあるにせよ8年間稽古をつけた今でも剣ではおそらく兄には敵うまい。

 もちろん彼女には彼女の、兄とは異なる才能もあるだろうが。

 

 

「……青鸞」

「はい」

 

 

 自分が相手から取った駒の余りに指先で触れながら、藤堂は言った。

 

 

「将棋においては、時として駒を捨てねばならぬ時がある。それは何故だかわかるか?」

「捨て駒が無ければ、勝利への布陣を敷くことが出来ないからです」

「その通り、指し手はいかに効率良く捨て駒を作るかで腕前を測られる。それが将棋だ、だがな青鸞」

「はい」

 

 

 素直に頷く青鸞に過去の少年を重ねながら、藤堂は言う。

 

 

「将棋においては、駒はただの駒に過ぎない。だが実際に戦場に出れば、駒にはそれぞれ兵士の命が乗っている」

「…………」

「将棋の駒は簡単に捨てられるだろう、だが兵の命は簡単には捨てられない。もし兵の命を将棋の駒同然に捨てれば、その者に指揮官たる資格は無い。しかし兵の命を惜しんで勝利を逃せば、またその者は指揮官たる資格が無い」

 

 

 戦争と言う非生産的な行為において兵の指揮を執る者は、常にその想いを胸にしていなければならない。

 兵の命は重い、だが惜しまず必要なら捨て駒にする、その狭間で常に苦しむことになる。

 それはある意味で、目の前で戦友や無辜の民が殺されるのを見るよりも辛い所業だ。

 

 

 指揮官として部下の命を預かり、7年前の戦争から戦場を潜り抜けてきた藤堂。

 そんな彼だからこそ、数々の戦場で部下の兵の命を効率よく捨て駒にして来た彼だからこそ言葉に重みが出る。

 青鸞には、藤堂の背負う重みはまだわからない。

 

 

(でも、もし本当にボクが父様の跡を継ごうとするなら……)

 

 

 いつかと言わず、今からでも必要になるかもしれない気構えだった。

 だから藤堂は、自身の経験を重ねて青鸞に教えてくれるのだろう。

 それがわかるから、青鸞は全てはわからないまでも、真剣な顔で頷きを返すのだった。

 

 

 それにしても、今日の藤堂は良く喋ると青鸞は思った。

 柄にも無い説教をしたと照れているのかもしれない、そう思うと胸の奥が温かくなるのを感じた。

 だから青鸞は、ふと表情を崩して。

 

 

「藤堂さんは厳しいけど、相変わらず優しいね」

「む……」

 

 

 ふわりと微笑した青鸞に、藤堂の左手がぴくりと動きかけたのは気のせいか否か。

 藤堂が何かを誤魔化すように咳払いをすると、青鸞は今にも笑い声を上げそうな表情を浮かべた。

 それが面白くないのか、藤堂は強面の顔をやや背けるようにして。

 

 

「中佐」

 

 

 藤堂が何か話そうとしたその時、弛緩しかけていた道場の空気に異物が入り込んできた。

 いや、異物と言うものでもないだろう、そこにいたのは藤堂の部下、卜部だったのだから。

 彼は道場の中の2人に視線を向けると、2人に向けて告げた。

 

 

「青鸞、中佐。片瀬少将がお呼びです、至急会議室まで来てほしいと」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「先日、大阪で起きた爆弾テロ……と、ブリタニアの連中が呼んでいる事件を知っているか?」

「はい、概要は」

「うむ……」

 

 

 開口一番に問われたことに、青鸞が若干目を白黒させながらも頷いた。

 先日も呼ばれた板張りの大会議室、しかし先日と違い3人しかいないその場所。

 軍服姿の片瀬と藤堂、そして大急ぎで藤色に花流水の着物に着替えた――汗を流す時間は無かったので、拭ったけだ――青鸞。

 

 

 ちなみに大阪の爆弾テロと言うのは、そのままの意味である。

 大阪の中心にあるブリタニア資本のビルを何者かが爆破した事件で、ニュースによればブリタニア人8名を含む59名が犠牲になったと言う。

 なお、ブリタニア人犠牲者以外の51名には日本人(イレヴン)も含まれている。

 

 

「片瀬少将、それが何か……?」

「まぁ、待て。もうすぐブリタニア側の放送が始まる」

 

 

 こちらの問いかけにはそう応じて、片瀬は手元のリモコンを操作した。

 すると天井の一部が開き、そこから細いワイヤーに吊るされた巨大なモニターが降りてくる。

 ちょうど片瀬達の目線の位置にまで下がったそのモニターは、僅かな起動音を立てて光を放つ。

 繋がりが悪いのか若干映像が乱れているが、映っているのは先程も話に登った大阪のテロに関するニュースのようだった。

 

 

 不意に、ニュース映像が途切れる。

 変わりに現れたのは、国旗だった。

 青地に赤十字の中央に王冠と盾を配し、盾の中にライオンと蛇が描かれている。

 それは、現在日本をエリア11と呼んで統治している神聖ブリタニア帝国の国旗だ。

 

 

『お待たせ致しました、神聖ブリタニア帝国第3皇子、エリア11総督、クロヴィス殿下よりの会見のお時間です』

 

 

 どこか機械的なアナウンサーの声の後、さらに映像が切り替わる。

 ブリタニア国旗があるのは変わらない、しかしそれを背景として立つ男がいた。

 長い金髪に、いかにも王侯貴族が着るような紫の衣装と白いマントを纏った男だ。

 ブリタニア帝国の皇子――――そして、今の日本の総督(とうちしゃ)

 

 

『帝国臣民の皆さん、そして私の統治に協力して頂いているイレヴンの皆さん。私はこのエリア11を預かる――――』

「……クロヴィス・ラ・ブリタニア」

 

 

 口の中だけのその呟き、しかしそれが聞こえたのか藤堂が切れ長の瞳を青鸞の横顔へ向ける。

 ……戦争に敗れた日本はブリタニアに「エリア11」と言う呼称を押し付けられ、統治されている。

 総督と言うのはまさに植民地を預かり、皇帝の代理としてその領土を統治する行政官だ。

 日本の場合、今モニターに映っている男がその総督と言うことになる。

 

 

『我々はテロには屈しません、何故ならば我らは正義だからです。無関係な市民を狙い撃ちにする悪逆非道なテロリストを討ち果たし、この地に秩序をもたらすことこそが凶弾に倒れた者達への餞として――――』

「……どう思う、藤堂?」

「どうもこうも……いつもの美辞麗句でしょう。この総督は派手好きなことで有名ですから」

 

 

 日本を侵略しておいて、こちらの反抗を秩序への挑戦とこき下ろす。

 それはまさにブリタニアらしい言葉で、ある意味ではクロヴィスと言う男は非常にブリタニア的なのだった。

 まぁ、国政に影響力を持つ第3皇子ともなれば当然だろうが。

 

 

「……それで、片瀬少将。どうして(ワタシ)をお呼び頂いたのでしょう、もしかして今の放送を見せたかったのですか?」

「それもあるが、本題はそこではない。本題は大阪の件の方だ」

 

 

 クロヴィス総督の会見が終わるとモニターも消えて、片瀬は改めて青鸞の顔を見た。

 そして彼は、大阪で爆弾テロを起こしたグループが保護を求めてきていることを告げた。

 

 

「保護?」

「うむ、どうやら我々の傘下に……より言えば一員にしてほしいと言うことだ。普通なら一考にも値しないのだが、大阪の件を手柄に、と言うことらしい」

「しかし、それだけではない」

「……流石だな、藤堂。彼らは旧日本軍の末端兵だった者達らしいのだ、それに手土産としてセイブ軍管区における政治犯リストを持っていると言ってきている」

 

 

 政治犯、要するに反ブリタニア組織の人間や旧日本政府・旧日本軍の人間のことだ。

 そのリストがあるとなれば、そうした政治犯の救出活動に大いに役立つことだろう。

 

 

「そこで、海路と陸路を経て大阪からこちらに向かっているグループが今日にも付近に到達することになっている。青鶯には彼らを迎えに行ってもらいたいのだ」

「……(ワタシ)が、ですか」

 

 

 意外な言葉に、僅かに驚く様子を見せる青鸞。

 そんな彼女に頷いて見せる片瀬を、藤堂は目を細めて見つめた。

 まるで、この解放戦線のリーダーが考えていることを読もうとするかのように――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 先にも似たようなことが話に出たかもしれないが、日本解放戦線における青鸞の立場は、実は曖昧だ。

 曖昧で、そして微妙だった。

 そもそも7年前の戦争以降、故枢木ゲンブ首相の遺児の存在は秘匿されてきた。

 特に外部に対して……それも、この5年でだいぶ緩んでしまったが。

 

 

 理由は大きく3つある、第1に幼かったこと、第2にブリタニアの追跡をかわすため。

 そして最も大きな第3の理由、日本側でもどう扱うかが決まっていなかったからだ。

 そうこうする内に、2人いた遺児の内息子は姿を消してしまった。

 ただこれは本人の意思に拠る所が大きく、キョウトの一員として家に残ることを選択した娘と違い、あっさりとブリタニア側に捕捉されて……いや、それは今は良いだろう。

 

 

「藤堂さんは、出迎え部隊にボクが入ることに反対ですか?」

 

 

 片瀬の前を辞した後、青鸞は複雑そうな表情を浮かべる藤堂にそう聞いた。

 着物の肩に流した黒髪を揺らしながら、不思議そうに首を傾げる青鸞。

 

 

「ボクでは、力不足でしょうか」

「いや……」

 

 

 そう言うわけではない、藤堂がそう言うと青鸞は微笑した。

 実際、彼女は初陣の新兵ではない、すでに実戦を経ている。

 自身の目的のために、手段を履き違えないだけの思慮も持っていると思う。

 しかし、「だからこそ」。

 

 

「…………」

 

 

 任務の準備があると去っていく青鸞の背中を、藤堂はやはり複雑な表情で見続けていた。

 そこには、彼にしかわからない苦悩があった。

 15にもならない生娘を戦場に出したことか?

 それともこうなるとわかっていて、青鸞を5年前にナリタを連れてきたことか。

 それもある、しかしそれは一要素でしかない、彼をより苦しめているのは。

 

 

 ――――(ワタシ)は、父の遺志を継ぎます。

 

 

 青鸞が、故枢木ゲンブの唱えた「徹底抗戦」の遺志を継ぐと公言していることだ。

 ナリタにいる人間は元々それを当然視していた所もあるし、兵の中にはそんな彼女を支持する層も確かに存在する。

 だが彼女が「枢木首相の唱えた徹底抗戦」について口にする度、藤堂は苦しむのだ。

 何故なら、何故なら藤堂は……。

 

 

「……私は、あの子をどうすれば……」

 

 

 エリア11最大の反ブリタニア武装勢力、日本解放戦線のリーダー片瀬が頼りにする懐刀、藤堂鏡志朗は、普段の明敏さも欠片も無い声音で誰かに尋ねた。

 しかし誰に尋ねた所で、答えてくれる人間など誰もいないのだった。

 

 

「……桐原公……」

 

 

 ここにはいない誰かは、問いかけに永遠に答えてはくれない。

 そんな彼の目から見れば……青鸞の去った後の空気は、酷く無味乾燥だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 パタパタと部屋の中を小走りに駆けているのは、キョウトの分家筋の少女、雅だった。

 青鸞付きの人間としてナリタにいる割烹着姿の少女は、何か慌てた様子だ。

 ナリタ連山の日本解放戦線の本拠地、ナイトメアの女性パイロット用のロッカールーム。

 そこで彼女は、青鸞の着替えの世話をしていた。

 

 

「まったく、急にまた出るだなんて……」

「いや、別に毎回違う着物とか用意しなくても良いんだけど……」

「そうは参りません。キョウトの家からも枢木家の当主に相応しい服装をさせるようにと、キツく言われてるんですから」

 

 

 むんっ、と何故か胸を張る雅の姿に、青鸞は何とも言えない表情を浮かべた。

 彼女としては貧しい暮らしに耐えている民衆もいるのだから、あまり高価そうな着物を出されるのも気が引けるのである。

 ただ、それを言うと。

 

 

「逆です、このナリタで青鸞さまの存在を知らない人はいないのですから。枢木家の当主がみすぼらしい格好をしていたら、それこそ皆が不安になりますよ」

「……そう言うものかな」

「そう言うものです」

 

 

 あんまり自信満々に言われるものだから、青鸞もそう言うものかと思うしかない。

 

 

「そう言えば、桐原の爺様も父様はそう言うのが凄く上手かったって言ってたね」

「はい! ……それに、神楽耶さまと私の楽しみが」

「何か言った?」

「いいえ、何も?」

 

 

 にこりと首を傾げる雅、何故かその後ろにキョウトの幼馴染の姿がダブって見えたのだった。

 

 

「……ところで、青鸞さま」

「何?」

 

 

 雅の他に誰もいないので、青鸞の口調は軽い。

 いわゆるただの「青鸞」の状態であって、人の目を気にすることも無いのだ。

 彼女は着ていた着物の帯を早々と解くと、ひょいひょいと袷を解いて脱いでいく。

 

 

 照明の下に白い肌が晒されていく姿は、未完成な少女故のアンバランスな魅力を放っていた。

 透明感のある肌は、地下で過ごす時間が多いからこその肌色なのかもしれない。

 その一つ一つの布を受け取り、拾いながら、雅が言う。

 

 

「……別に、下着まで脱いでしまうことは無いと思いますけど」

「え、で、でもこれってそう着るんじゃ、ライン出ちゃうし……ボク、今まではそうしてて」

 

 

 襦袢を放られたあたりでそう指摘すると、下着から足を半分抜いた体勢で青鸞はぴたりと固まった。

 ほぅ、とどこか生暖かい目線で雅が青鸞を見る。

 そして。

 

 

「……パイロットスーツは、下着を脱がずとも着れるものです」

「…………そうなの?」

「はい、専用のサポーターと言う物があります」

「そ、そうなんだ……」

 

 

 どこかしゅんとして下着を着直す青鸞に、雅は苦笑を浮かべる。

 頬に手を当てて困っている風だが、何故だろう。

 どこかゾクゾクとしているように見えるのは、気のせいだろうか。

 やはり、キョウトにいる幼馴染が乗り移っているような気がする……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――ザザ、ザ……と、砂嵐のような音が狭い空間に響いた。

 そこはまるで鉄の棺桶のような場所で、しかし無数のディスプレイとランプが照明となって明るく照らしてもいた。

 その明るさが照らしているのは、整った容姿の金髪の男だった。

 

 

『――――キューエル卿、衛星が逃走中のテロリスト達を捕捉しました。予測ではあと30分程で、ボウソウのトウブ軍管区に入ります』

「ふん、イレヴンめ……コソコソとどこに向かっているのやら」

『すぐに対処致しますか?』

「……いや、今は泳がせておけ。とはいえそこまで付き合う気も無いが、まぁ、結局はただ犬が逃げているだけだろうが……暇を持て余していたのも事実」

 

 

 くくっ、と喉奥で笑いながら、キューエルと呼ばれたブリタニア人はそう言った。

 イレヴン、暇潰し、いずれもまさにブリタニア人が口にする単語だった。

 彼はぴっちりとしたパイロットスーツに身を包んでいた、今いるのもナイトメアのコクピットの様子、そしてパイロットスーツの胸には赤い羽根飾りが付いている。

 

 

「犬同士、他に仲間がいる可能性もある。もう少し監視を続けろ、2時間経過して何も無ければ、その時は……」

『イエス・マイロード』

 

 

 通信が切れた画面を面倒そうに見つめて、キューエルはコクピットのコンソールに肘を置いた。

 どことなく面倒そうな仕草ではある、実際、面倒なのだろう。

 しかし同時に、どこか猟奇的な笑みさえ浮かべて。

 

 

「クロヴィス殿下の治世を乱すゴミめが」

 

 

 そう、言ったのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――実を言えば、青鸞はクロヴィス総督の他にブリタニアの皇族をあと2人知っている。

 いや、本当の意味で知っていると言えるのは、やはりその2人だけだろうと思う。

 幼い頃、枢木の家で僅かな時間を共有した……。

 

 

「青鸞さま」

 

 

 トレーラーの中、横から聞こえてきた声に青鸞は現実の世界を認識した。

 3人座れる運転座席の左端に座った彼女が横を向けば、そこには2人の人間がいる。

 どちらも解放戦線のメンバーであり、大阪から来るグループを迎えに行く一行の一員だった。

 万が一に備えてトレーラーに積んであるのは青鸞の無頼、使わないで済む可能性の方が高いが、新たな機体のため持ち出す回数が多ければ多いほど良いのである。

 

 

「そろそろ合流時間です、準備はよろしいでしょうか」

「はい、大丈夫です」

 

 

 頷きを返せば、相手も同じように冷静な顔で頷きを返してくる。

 声をかけているのは真ん中に座る軍人、名前を佐々木遥(ささきはるか)と言う。

 黒のショートヘアに細い眼差しの女性で、20代後半と言う若さだが、7年前の戦争にも参加したベテランである。

 そして今は、上官に命じられて青鸞の傍についている……目付け役だ。

 

 

「実際の事は全て草壁中佐がなさいますので、青鸞さまにはお姿を見せないよう、ここで見守って頂きたく思います」

「……そうですか」

 

 

 別に元よりでしゃばるつもりは無かったのだが、そうまではっきり言われてしまうと流石に返答に間が開いた。

 片瀬の依頼で来ているものを何故草壁が掣肘するのかはわからない、が、青鸞が今はまだ何の公的地位も得ていないことも確かだった。

 信用度のわからない相手の前に出したくない、と言うのもあるのだろうが……。

 

 

(別に、直接言わなくても……)

「別に、そんなはっきり言わなくとも」

 

 

 不意に青鸞の思考を代弁するかのような声が響いて、彼女は顔を左へと動かした。

 

 

「何か言ったか、青木伍長」

「いえいえ、何も何も」

 

 

 青木だった、どうやら青鸞の機体を運ぶ役目を自任でもしているらしい。

 先日と違い軍服姿、軍服についているエンブレムは旧日本軍の空軍部隊の物で、彼は青鸞と視線が合うと軽く肩を竦めて見せた。

 それに、青鸞は僅かに笑んで頷きを返した。

 

 

「ふん、いい気なものだな」

 

 

 ナリタから数キロ離れた位置にある、倒産した旧日本資本の建設資材置き場。

 草壁はコンテナが並ぶそこで――例の、会議場で片瀬に噛み付いていた旧日本軍の中佐だ――大阪から来ると言うテロリスト・グループを待っていた。

 森を切り開いて作ったそこは開けているものの、周辺を放棄された資材や山に囲まれている。

 山の時間は早い、日が沈んでしまえばあたりは真っ暗だ。

 

 

 草壁が電子式の双眼鏡で見上げる先は山の中腹の森林だ、そこに一台のトレーラーが潜んでいる。

 そこには彼の部下2名とあの少女がいる、日本最後の首相の息女。

 ナリタで彼女のことを知らない者は今ではほとんどいない、片瀬が慎重に情報を浸透させた結果だ。

 そして草壁は、青鸞に対する片瀬のそうした見え透いた行動が気に入らなかった。

 

 

「しかし草壁中佐、確かに青鸞さまの前では大阪のグループを我らの仲間とするのは難しいのは確かですが……片瀬少将に苦言を呈されませんか」

「少将には私から、身辺の安全のためと報告する。問題ない」

 

 

 低い声で傍らの部下に応じて、草壁は双眼鏡を他の部下に投げ渡した。

 ここで言う「我らの仲間」とは、解放戦線の仲間と言う意味ではなく、草壁の派閥へ編入すると言う意味である。

 しかも相手は政治犯リストを強奪できる実力を持った旧日本軍人だと言う、好条件だった。

 

 

 しかし、である。

 草壁の表情は険しかった、とてもこれから自分の派閥を強化しようとしている者の顔とは思えない。

 だからだろうか、周囲の部下達も草壁の真意を測りかねて戸惑いの表情を浮かべている。

 

 

「……中佐、やはり青鸞さまもお呼びした方が良いのでは。真っ先に逃げ出した枢木首相の娘とは言え、日本最後の首相の娘と言う肩書きを持つ者を遠ざけるのは、やはり得策とは……」

「馬鹿者!!」

 

 

 威圧が場を制した、周囲の部下が草壁の巨体が何倍にも膨れ上がるかのような錯覚を覚える程に。

 

 

「貴様らは、あんな小娘に頼らねば日本の独立は成せぬと言うのか!? そのような弱腰だから、貴様らはいつまで経ってもキョウトにすら侮られるのだっ!!」

「も、申し訳ありません!」 

「わ、我らが考え違いをしておりました。軍人でもない女子に頼るなど、そんなつもりは……」

「……わかれば良い」

 

 

 案外あっさりと矛先を収めて、草壁は部下に用意させた持ち運び式の椅子にどかっと腰を下ろした。

 そのまま腕を組み、先方が到着するまで待つ。

 周囲の部下は草壁が怒りを収めたことにほっとした気配を漂わせる、だが、実はその雰囲気を感じるだけでも草壁は苛立った。

 

 

 ――――日本最後の首相の娘を遠ざけるのは、得策では無いだと?

 そんなことは賢しげに言われなくともわかっている、あの娘を旗頭に日本中の勢力を糾合して一斉蜂起を行い、ブリタニアを海の向こうに叩き返す……誰でも考え付く策だ、草壁でなくとも、誰でも。

 本人もそのつもりで亡父の後を継ぐつもりなのだろう……そして。

 

 

「片瀬の腑抜けめ……」

 

 

 誰にも聞こえない小さな声音で、草壁は毒吐く。

 脳裏に浮かぶのは、何かにつけて藤堂の意見を窺う解放戦線のリーダーの顔だ。

 そして、青い着物を着た少女の色の薄い顔……。

 

 

「……あのような小娘に背負わせられる程、日本は小さくは無い。あのような年端もゆかぬ娘に頼らねばならぬ程、我らは死んではいない……」

「中佐! 来ました、大阪のグループです!」

 

 

 草壁が怒りと不満以外の感情を瞳の奥に一瞬だけ見せた時、部下が彼に声をかけてきた。

 暗視機能もついた電子式の双眼鏡を再び受け取ると、放置されて荒れた道を走ってくる一台の小型トラックを確認した。

 トラックのライトを明滅させて信号を送ってくる、それは……。

 

 

「ぬ!?」

 

 

 それは、草壁が姿を確認した次の瞬間、炎の中に消えた。

 何事かと思ったが、双眼鏡から目を離し、夜の闇を轟音と赤黒い炎で照らすそれを見て気付いた。

 大阪から来たというトラック、そのエンジン部に突き刺さっていたアンカーを見て、気付いた。

 スラッシュハーケン、ナイトメアの基本装備――――。

 

 

「ナイトメア……ブリタニア軍! 尾けられていたか、大阪め!!」

 

 

 苦々しげな表情で草壁が叫んだ次の一瞬、トラックを破壊したらしいナイトメアが木々の間から姿を現した。

 そしてそのナイトメアは顔面部のセンサーを開くと、ゆっくりと草壁達の方を見て。

 ……独特の電子音と共に、赤いセンサー波が輝いた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「枢木首相の遺児を旗印に、今はバラバラに動いている反体制派を糾合する」

 

 

 板張りの会議室で、将棋盤を前に片瀬はそう言った。

 将棋盤の向こう側にいるのは藤堂だ、片瀬の前で盤を睨みながら自分の駒を動かす。

 それに対して軽く唸ると、片瀬は次の手をどうするかと顎を撫でて考え込む。

 

 

「あの娘をいつどのように扱うか、それがここ5年の我々の最大の課題だったわけだが……」

 

 

 パチリ、駒を打つ片瀬。

 対する藤堂は、非常に難しい顔をしている。

 対局に対してでは無いことは、即座に駒を動かしたことでわかる。

 

 

「……しかし、まだ早いのでは」

「キョウト側の意向でもある、そろそろあの娘の存在を正式に公表(アピール)したいと。それに、ブリタニアも我々の側の捕虜などからあの娘の存在を嗅ぎつけつつある、情報の秘匿も限界だ」

 

 

 元々、難しい課題ではあったのだ。

 後々の支持を得るために解放戦線の内部には存在を広め、それでいて外のブリタニアに対しては所在を秘匿する、それがどれほどの労力と神経を使うものであったか。

 ブリタニアの捕虜になれば拷問と自白剤で嫌でも吐かされる、そうなるくらいなら死ねと命じられる片瀬ではない。

 

 

 だから片瀬にできることは、仮に存在を嗅ぎつけられてもどこにいるのかを隠すこと。

 戦後7年、未だナリタの存在はブリタニア軍には発見されていない。

 これはもちろん、有り余る財力でブリタニア政庁内に網の目を張っているキョウトの協力があってこそ可能な荒業だった。

 

 

「専用機も得て、美しく成長し、本人も亡父の跡を継ぐことを希望している。そろそろ、準備をしても良い頃だろうと私も思う。ブリタニアに対する一斉蜂起の計画も、幾度も延期しつつも基本は秒読み段階なのだからな」

「だからこそです、だからこそ……このまま、あの娘を表に出すことなく、切り札を切ることなく蜂起を成功させることは出来ませんか」

 

 

 藤堂の言葉に、片瀬は駒を持った手を止める。

 それはまさに、自分が今打とうとしている手を躊躇するかのような動きだった。

 そして実際、このタイミングで青鸞の存在を公表するメリットがどれだけあるだろう。

 

 

 確かに日本中の反体制派を糾合する旗印にはなる、しかしそれは日本解放戦線の存在で代用できることなのではないのか。

 日本最後の首相と言う個人では無く、日本解放戦線と言う組織を核にはできないか。

 しかし、片瀬はそれに力の無い笑みを浮かべた。

 

 

「藤堂、自分の信じていないことを私に信じろと言うのは、聊かお前らしくないな」

「…………」

「……確かに、日本解放戦線が、我々が核となって糾合できれば良い。しかし、出来なかった」

 

 

 理由は、日本解放戦線が一枚岩の組織ではないからだ。

 方針の纏まらない組織など、いくら大勢力でも烏合の衆に過ぎない。

 ブリタニアに対する姿勢ですら纏まっていない、完全な独立を勝ち取るまで戦うべきだとする強硬派もいれば、高度な自治を取って良しとする穏健派もいる。

 

 

 第一、片瀬とて参加している者の中で最も旧日本軍での階級が高かったからトップに据えられているだけだ。

 比較的に高い地位にあったと言うだけでトップに立っただけの男になど、階級を絶対とする軍人はともかく、外の組織がどうして従うだろうか。

 諸勢力の糾合には旗印が、天性でも人工でも良いからカリスマが必要だ。

 

 

「そのカリスマ、核となる人間に能力があれば良し。また無かったとしても藤堂、お前が支えれば良い。今、こうして私を支えてくれているように」

「片瀬少将、しかし……!」

「藤堂」

 

 

 その時、藤堂は息を呑んだ。

 目の前で、自分の手の中の将棋の駒を見つめる老齢の将軍が。

 

 

「……私は、もう疲れた」

 

 

 片瀬が、酷く年老いて見えたから――――。

 

 

「……少しょ」

「藤堂さん!!」

 

 

 その時、会議室の扉が荒々しく開かれた。

 そこにいたのは少年のような風貌を持つ眼鏡の男で、彼は片瀬の存在に気付くとその場で敬礼をした。

 しかし慌てたような雰囲気は変わらず、藤堂が息を整えて何事かと聞くと。

 

 

「青ちゃ、じゃない、大阪のグループを迎えに出た青鸞さま達が……」

「何だと……!?」

 

 

 続けられた言葉に藤堂が膝を立てる、同時に彼は片瀬の視線を感じた。

 いつもと同じ、どうすれば良いのかを藤堂に求める目だ。

 ただ、それはけして片瀬が無能であるが故のことではない、逆だ。

 藤堂の有能さ、それも「奇跡」とさえ称される彼の手腕への期待がそうさせている。

 

 

 だから彼は、片瀬を見下したりはしない、情けなく思ったりはしない。

 ただ、恨むだけだ。

 自分の名に「奇跡」の名を上乗せさせた、今は遠くにいる誰かを。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 草壁達の前に現れた3機のナイトメアは、ブリタニアの騎士(パイロット)キューエルに率いられた小部隊だった。

 実はこのあたりはすでに日本解放戦線の勢力圏ではあるのだが、彼は気にも留めなかったようだ。

 何故なら、彼は「純血派」と呼ばれるブリタニア至上主義者だからだ。

 

 

『キューエル卿、この近辺には我が軍の駐屯地がありません。政治犯リストの強奪犯は殲滅したことですし、撤退した方が良いかと……』

「臆するなチャールズ、我らは世界で最も優秀なブリタニア人だぞ。それに見た所、ここはテロリスト共の合流地点だったようだ。アレらを皆殺しにして、初めて殲滅したと言える」

 

 

 ナイトメアのコックピットの中で、まさにブリタニア人らしい金髪の青年が笑う。

 彼の目の前のメインディスプレイには、廃棄された建築資材置き場の様子が映し出されてる。

 夜のため暗視・温度探知での索敵になるが、資材置き場の各所で人間らしき熱源を探知することが出来る。

 

 

「――――こちらブリタニア軍、トウブ軍管区所属、親衛隊のキューエルだ。資材置き場にいる者達に告げる、今すぐ出てきて顔を見せろ! テロリストで無いか確認する、栄光あるブリタニア臣民であるのならば――――」

 

 

 通信機を使用してのキューエルの勧告、それへの返答は簡潔だった。

 キューエルが操縦桿を引いて機体の胸を上げ、内蔵された機銃を撃ち放った。

 それは唸りを上げて飛翔するロケットランチャーの弾丸を脆くも葬り去り、同時に資材置き場の一部に潜んでいた敵兵を資材の詰まったコンテナごと吹き飛ばした。

 

 

「ふん、文化的な言葉が理解できぬ猿め」

 

 

 相手がブリタニア語を理解できるかどうかは、この際は関係が無かった。

 いずれにせよ敵だとわかった、それ以降のキューエル達には容赦が無かった。

 破壊しても放棄された資材置き場だ、誰に文句を言われるわけでも無い。

 だから彼らは自分のナイトメアの一斉射撃で、一気に終わらせようと――――。

 

 

「……ん?」

 

 

 それまでニヤついた笑みで、資材置き場を右から左へと薙ぎ払っていたキューエルが眉を潜める。

 3機のナイトメアが背中を合わせるように機銃掃射を行っていたのだが、正面の彼から見て左側に突然新たな大きな熱源反応が生まれたのだ。

 しかも、警告のレッドランプを伴って。

 

 

 反射的に操縦桿を立てて押し込み、キューエルが自分のナイトメアを前進させる。

 キューエルの左側にいたナイトメアも回避に成功する、しかし背中を見せる形だったもう1機は反応が遅れた。

 

 

『ぬわあぁっ!?』

「チャールズ!!」

 

 

 僚友の悲鳴に機体を翻せば、薄紫に頭と肩を赤に塗った機械人形(ナイトメア)が、左の二の腕と右腿の上部にアンカーを打ち込まれていた。

 スラッシュハーケンのワイヤーがたわみ、次いで急速に引き戻されて張るのをキューエルは見た。

 爆発四散する僚機からコックピットが排出されるのを確認して、キューエルはスラッシュハーケンが戻る先へとセンサーカメラを向けた。

 

 

『ナイトメア! テロリストか!?』

 

 

 残った僚機のパイロットが叫ぶ、実際、資材置き場横の森の中から姿を見せたのはナイトメアだった。

 ただしキューエル達の乗る物とやや異なる形状のナイトメアで、キューエル達が引き起こした資材置き場の火災で照らされるカラーリングは濃紺だ。

 顔面部のカバーが開き、こちらを探るようにセンサーを放っている。

 

 

『キューエル卿、お気をつけください。ブライとか言うイレヴンのナイトメアです!』

「ふん、グラスゴーもどきだろう? 知っているさ、所詮は劣等民族の猿真似……!」

 

 

 そして自分の方へと突っ込んできた敵ナイトメア――無頼を見て、しかしキューエルは余裕を崩さなかった。

 エリア11のテロリストがグラスゴーのコピー機を使うことは知っていたし、大体、総督直轄の騎士(パイロット)である彼は過去に何機もの同型機を撃破しているのだ。

 地方に展開されているようなパイロットとは、格が違うのである。

 

 

 だから彼は自分のナイトメアに突撃槍にも似た武装を構えさせると、相手の無頼が振り下ろしてきた刀を冷静に捌いた。

 ランスの表面を滑らせるように刃を逸らす、その時、確かに相手の動きが軋んだ。

 動揺したのだろう、もしかしたら若いパイロットなのかもしれない。

 キューエルは、唇に浮かぶ嘲笑を隠そうともしなかった。

 

 

「グラスゴーもどきで、このサザーランドの相手が出来るものか!」

 

 

 叫んで、キューエルは無頼を押し返すように自身のナイトメア――第五世代ナイトメア『サザーランド』、グラスゴーの後継機――を前進させた。

 拮抗していた力が、サザーランド側に有利になっていく。

 

 

 一方、無頼の中で青鸞は息を呑んだ。

 濃紺の、身体のラインが浮き出てしまうくらいぴったりとしたパイロットスーツに身を包んだ少女は、目の前のディスプレイ一杯に映し出される敵ナイトメアに怯んだのである。

 先日戦ったグラスゴーとは違う、性能も、技量も――――青鸞は敏感にそれを感じ取った。

 

 

「強い……!」

 

 

 少なくとも、自分よりも実戦経験のある相手だ。

 しかしだからと言って、ただ負けるようなつもりは青鸞には無い。

 彼女は機体の前進力を強めるべくさらにペダルを踏み込んだ、ランドスピナーの回転が増して、押し込まれかけていた機体の体勢を整える。

 

 

 だがそれは間違った対応だった、相手のナイトメアは逆に後退したからだ。

 一見、無頼が押したように見える。

 しかし逆だ、サザーランドが無頼を引いたのである。

 結果、前進の力が過ぎた無頼はたたらを踏むようにバランスを崩す。

 

 

「……ッ!」

 

 

 操縦桿を立て、ボタンを押し、レバーを引き、ペダルを踏む。

 ナイトメアの操縦は一見単純な作業だ、しかしその作業の一つ一つに順序がある。

 それを間違えるか間違えないか、それがパイロットの生死を分ける。

 例えば、今のように。

 

 

 無頼を引き込んでバランスを崩させたサザーランドは、自らはランドスピナーの非対称回転によってターンしながら無頼の背後に回った。

 剣とランスの表面が削り合って火花を散らす中、それはさながらダンスのように見える。

 遅れて無頼も同じようにターンをする、それで辛うじて突き込まれた槍を刀で逸らすことに成功した。

 これにはキューエルの方が驚いた、まさかグラスゴーもどきが超信地旋回とは。

 

 

『猿真似もここまで来れば、なぁ……!!』

「……無頼……ッ」

 

 

 自分の刀ごと相手のランスをかち上げ、胸部スラッシュハーケンを撃つ。

 当たらない、サザーランドはグラスゴーとは比較にならない――青鸞の無頼と比較しても――素早い反応を返して、大きく後退しながら迂回すると言う手段で回避した。

 スラッシュハーケンを巻き戻す間に肉薄され、ランスの石突部分で脇を押された。

 

 

「あ……ッ」

 

 

 それでも機体の姿勢を何とか保って、青鸞は無頼をその場で2回ターンさせた。

 巻き戻りかけたスラッシュハーケンが鞭のようにしなり、サザーランドの動きを一時的に牽制する。

 それで作った僅かな時間で、青鸞は側面のディスプレイを見つめた。

 

 

「草壁中佐、早く……!」

 

 

 逃げてください、そう呟いた次の瞬間、サザーランドの突撃でコクピット全体が揺れた。

 そのディスプレイの中、資材置き場の一角にトレーラーが一台突入してきた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「馬鹿者! 何故にあの小娘を連れて逃げなかったか!!」

 

 

 自分達が身を潜めていたコンテナの側に横付けしたトレーラーに対して、草壁は怒鳴った。

 資材置き場はすでに火災で真っ赤に燃え上がっている、空気が熱で歪み、煌々と照る炎の明かりが周囲に異常を伝えるだろう。

 つまり、撤退までの時間が限りなく少ないと言うことである。

 

 

 しかもナリタ連山の基地が近すぎて直接の救援は呼べない、逃げても同じだ、だから草壁は逃げる気も助けを呼ぶ気も毛頭無かった。

 そのため、自分達を助けに青鶯のナイトメアとトレーラーが突っ込んできた時は発狂しそうだった。

 何で出て来るんだと怒鳴りたく……あ、いや、すでに怒鳴っていたか。

 

 

「佐々木! 何のために貴様をつけたと思っておるか!?」

「も、申し訳ありません! しかし、味方の窮地を放っておくことは出来ないと……」

「ええい、もう良い! 青木、貴様の通信機を寄越せ!」

「あ、ちょっと!?」

 

 

 コンテナの陰に隠れた部下達を――生き残りを――トレーラー後部の荷台に駆け込ませながら、自身は青木のいる運転席の窓に飛びつく。

 そして草壁はハンドル横にかけてあった通信機を奪い取ると、深く息を吸った後に大声で。

 

 

「こちら草壁だ! 小娘、1人で3機を相手にするつもりか!!」

『1機は潰しました!』

「馬鹿者め! ならば逃げろ!! 貴様のような小娘の手など借りずとも……ぬおっ!?」

 

 

 轟音を立てて、程近いコンテナが真上に吹き飛んだ。

 建機の中に残った燃料にでも引火したのだろうか、火の粉が降り注いでくる程の距離に草壁達も身を竦める。

 

 

『こちらで気を……ます……転……!』

「む、むむ……おいっ、どうした!?」

「――――中佐!!」

 

 

 衝撃が電波を乱したのか、通信機の感度が急激に下がった。

 草壁が通信機の受信部を殴りつけた次の瞬間、佐々木の声で顔を上げた。

 するとそこに、横から殴打されたようにひしゃげたコンテナが吹き飛んできたのだ。

 地面と摩擦して火花を散らし飛んでいくそれを、草壁は額に汗を流しながら眺める。

 

 

「ぬぅ……ブリタニアめ……!」

 

 

 毒吐く視線の先には、コンテナを吹き飛ばしながらこちらへと回り込んできたらしいナイトメアがいた。

 サザーランド、走り込んで来たブリタニア軍のナイトメアは顔面部のセンサーを赤く輝かせながら草壁達のトレーラーを確認した。

 そして、胸部のスラッシュハーケンを放とうとした所で。

 

 

「……小娘!!」

 

 

 横からさらに、濃紺のカラーリングが施された無頼が突撃してきた。

 草壁が見ている前で、無頼のショルダータックルでバランスを崩されたサザーランドは吹き飛ぶ。

 中途半端に放たれたスラッシュハーケンはワイヤーがたわみ、アンカー部分はパイロットの意図せぬ場所へと落下した。

 

 

 そのまま連撃を加えようとした無頼は、しかしそれを行う前に機体を180度回して体勢を入れ替えた。

 理由は、無頼の背中めがけて放たれたスラッシュハーケンを防ぐためだ。

 無頼のスラッシュハーケンは間に合わない、だから無頼は手に持っている刀で2本のスラッシュハーケンを弾き飛ばそうとした。

 

 

「……ッ、刀が……!」

『ふん、イレヴン如きにはこんな芸当は出来まい……!』

 

 

 スラッシュハーケンを弾くことには成功した物の、ワイヤーが刀身に絡まって強く引かれた。

 つまり動けない、スラッシュハーケンの位置を空中で微細に動かさなければ出来ない技術だ。

 やはり強い、しかし感心してもいられない。

 手元のスイッチを操作し、ランドスピナーの出力を二段階引き上げる。

 

 

 そうしなければ、スラッシュハーケンの戻りに巻き込まれて引き摺られるからだ。

 拮抗する力、こうなってくると純粋な機体のパワーが物を言う。

 そして、専用チューン機とは言え無頼ではサザーランドには勝てない。

 

 

『死ね、イレヴン共!!』

「……!」

 

 

 させない、青鸞は無頼の左手を刀から離した。

 引かれる力に右腕が軋みを上げるが、変わりに機体の左半身を若干だが自由に出来るようになった。

 その自由で何をするのか、まずランドスピナーの回転数を左右で変えて左へと機体を寄せる。

 そして左腕を一杯に伸ばして、背後に転んでいたサザーランドの機銃掃射からトレーラーを守った。

 

 

 右腕を刀ごと引かれ、左腕のナックルガード部分を盾として機銃を受け止める。

 正直、機体の稼動領域を上回る無理を成している状態だ。

 実際、トレーラー全体はガード出来ていない、中にいる解放戦線の兵は無事だろうか、青鸞が気にしているのはまずそこだった。

 3機目を潰しておいて良かった、でなければやられている、確実に。

 

 

『ほぅ、頑張るではないか……しかし』

 

 

 前方のサザーランドから響く声に青鸞はコックピットの中で顔を顰める、状況は非常に不味い。

 刀は離せない、離せば唯一の武装を失ってその後に何も出来ずにやられる。

 ではせめて左手を自由にすべきだと理性が告げる、トレーラーを捨て、スラッシュハーケンの戻りを利用して突撃、目前のサザーランド倒せば良い。

 

 

 あるいは隙を作り、自分は撤退できるかもしれない。

 ……どうするか。

 選択肢は2つ、捨てるか捨てないか。

 

 

『将棋においては、時として駒を捨てねばならぬ時がある。それは何故だかわかるか?』

 

 

 ――――それは、捨てねば勝利への布陣を敷けないからだ。

 内心で脳裏に響いた声に応じて、青鸞は操縦桿を握る手に力を込めた。

 そして、彼女は……。

 

 

『馬鹿者め! ならば逃げろ!!』

 

 

 ギッ……!

 左の操縦桿を強く握って、しかし引かない、青鸞はそのままの機体姿勢を維持した。

 だって、左手がどうしても動かなかったから。

 

 

(捨てる……? 将棋の駒みたいに? ボクに逃げろと、ボクが逃げたら死ぬのに、でも逃げろと言ってくれた人達を、将棋の駒みたいに)

 

 

 もしかしたら、自分は馬鹿なことをしているのかもしれない。

 そんな自覚を持ちながらも、しかし青鸞は動かない。

 青鸞だって、死ぬのは嫌だ。

 目的があって生きている、だから死ぬわけにはいかない。

 

 

 このままではやられる、だが、だけど、それでも。

 今、自分が機体の左手で守っている人達は日本人で、解放戦線の仲間で、生きていて、だから。

 ――――将棋の駒では、断じて、無い!

 いつか捨てるべきだとしても、それは、今では無い!

 

 

(捨てられない……捨てて堪るか。捨てずに、穴熊だって攻略してみせる……!)

 

 

 それは、ある意味では青鸞の精神的な潔癖さを表していたのかもしれない。

 極めて愚かで、青く、夢見がちで、非現実的な感情の発露。

 だがもし、ここで自分の意思で誰かの命を見捨ててしまえば。

 彼女は、二度と「彼」を責める資格を失う気がしていたから。

 

 

 しかし、それは逆に言えば危機が継続するというコトだ。

 そしてそれは、地上で守られているトレーラーにいる人間達の方がわかっていた。

 要するに、自分達の存在が大変な重荷になっていると言うことに気付いていたわけだ。

 

 

「こ、こりゃヤバい……!」

「…………ッ」

 

 

 特に運転席にいる者達は、まさに目の前でそれを見ているわけだからそれがわかる。

 とはいえトレーラーは動けない、無頼のガードの外に出た瞬間に機銃掃射に晒される。

 先日も青鶯と戦いを潜った青木はともかく、青鸞の戦いを初めて見た佐々木は目を大きく見開いていた。

 彼女が特に衝撃を受けているのは、自分が守られていると言う点だ。

 

 

 それも、あの枢木ゲンブの――――誰も守らず、言いっぱなしで逃げ出した首相の娘にだ。

 ……7年前の戦争において、彼女は乗っていたヘリを撃墜された。

 それぐらいなら普通だろう、戦争なら良くある話だ。

 だがそのまま終戦まで救助が来ず、彼女以外の仲間は全滅してしまった。

 友軍が救助に来れない状況では無かった、敵軍の規模も大したことが無かったからだ。

 

 

(枢木の自殺で、指揮系統が麻痺しなければ……)

 

 

 助かった、とは、言わない。

 それでも無駄な犠牲は減ったはずだ、抗戦を貫くにしろ降伏するにしろ。

 だが今、彼女はその自分が軽蔑する枢木首相の遺児に守られて……そこで、佐々木ははっと気付いた。

 

 

「中佐!」

「――――撃てぇいっ!!」

 

 

 草壁がいつの間にか、トレーラーの左側に回っていた。

 しかも丸腰ではない、中にいた何人かの部下と共に折り畳み式のロケットランチャーを構えていた。

 発射器前部の押し込み式トリガーを引き、点火と同時に後部噴射口からガスを噴射させながらロケット弾を放つ。

 66mmの成形炸薬弾が照準に従って進み、指定された熱源に向けて一直線に飛翔した。

 

 

『何ぃっ!?』

 

 

 それらは無頼の刀にスラッシュハーケンを巻いているサザーランドに直撃した、オレンジの小さな爆発が薄紫の装甲の上でいくつも爆ぜる。

 もちろんその程度で特殊な加工がされたサザーランドの装甲は貫けない。

 しかしバランスは崩せた、スラッシュハーケンのワイヤーがたわんで緩む。

 

 

「……!」 

 

 

 そして、青鸞はその力の変化を見逃さなかった。

 

 

『キューエル卿! ……なっ!?』

 

 

 無頼の手首を回すことで緩んだワイヤーの中から刀身を引き抜き、マニュピュレータを器用に動かして逆手に持ち直した。

 そしてランドスピナーを左右共に逆回転、後退しながら後ろのサザーランドを突いた。

 突き自体はランスで捌かれるものの、機銃掃射をやめさせることに成功する。

 草壁達の援護と、刀を離さなかったからこそ出来たコトだ。

 

 

『そうだ、それで良い!』

 

 

 その時、無頼とトレーラーの通信機から低い声が響いた。

 全員、その声に聞き覚えがあった。

 だからコックピットの中で青鸞が顔を上げ、地上で草壁が忌々しそうに鼻を鳴らした。

 

 

「ふんっ、奇跡でも押し売りに来たか――――藤堂!!」

 

 

 次の瞬間、深緑の無頼が戦場に降り立った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――奇跡の藤堂。

 7年前、ブリタニア軍との戦闘で唯一勝利を掴んだことに対する実績を賞賛する呼び名だ。

 その勝ち戦は戦場の名を取って「厳島の奇跡」と呼ばれ、それ故に藤堂は解放戦線を始めとする日本中の反ブリタニア勢力にその名を轟かせているのだった。

 

 

『悪いが、私には奇跡などと言う大層な物は起こせんよ』

「藤堂さん!」

『気を抜くな、三天鋭鋒陣(さんてんえいほうじん)!!』

「――――はいっ!!」

 

 

 燃え盛るコンテナの道を突き破って背後に降り立った新たな無頼、それに応じて操縦桿を前に倒す。

 2機対2機、一見すれば状況が互角に転じたように見える。

 しかしそれは青鸞側から見た話であって、相手は異なる理論に身を置いているだろう。

 

 

『キューエル卿! 新手が!』

「臆するな、所詮はグラスゴーもどきのイレヴン! 我々の敵では無い!!」

 

 

 それにしても、とキューエルは思う。

 2機もの無頼、いったいどこから現れたのか。

 まさか魔法のように湧いて出たわけでもあるまい、どこかにアジトがあるのか。

 

 

「イレヴンは1匹見たら30匹は湧いて出ると言うしな……!」

 

 

 突撃してくる青い無頼をディスプレイに捉えながら、キューエルは見下した思考でそう言った。

 優良人種(ブリタニアじん)が、劣等人種(にほんじん)に負けることなどあり得ない。

 あってはならないのだ、正面から戦う限りにおいて……!

 

 

『ぐああああああああああぁぁぁっ!?』

「トーマス!? どうし――――!」

 

 

 その時、彼は見た。

 自分の反対側にいる僚友の機体が、森の中から伸びて来た4本のスラッシュハーケンで機体の四肢をもがれている姿を。

 火花と金属が散り、僚友のサザーランドが崩れるように後ろへと倒れていく。

 そしてその眼前に、先ほど青い無頼の援護に降り立った無頼が。

 

 

『き、キューエル卿、キューエル卿! 助け――――』

「……ッ」

 

 

 通信機から響くのが悲鳴から耳障りな雑音へと変わり、キューエルは顔を顰めた。

 次いで、画面の一部に赤い爆発を確認した。

 今度は、脱出した気配も無い。

 

 

(伏兵だと!? いつの間に――――!)

 

 

 響き渡る警告のレッドランプ、方角は左右、続いて衝撃がサザーランドのコックピットを揺らした。

 損害を報告してくるプログラムの画面を見なくてもわかる、先程の僚友のように機体の四肢をスラッシュハーケンで抉られたのだ。

 小爆発の衝撃が立て続けに起こる、キューエルの耳に甲高いアラームが鳴り響いてくる。

 

 

「これで……」

「――――王手だ」

 

 

 呟くのは、朝比奈と千葉。

 彼らに卜部、そして仙波と言う男を加えた4人は「四聖剣」と呼ばれている。

 藤堂の「奇跡」を支える腹心、たった4人の忠実な部下。

 朝比奈と千葉はそれぞれコンテナ置き場と森から、キューエルのサザーランドを無頼のスラッシュハーケンで抉っていた――――3機1組で敵を仕留める、これぞ三天鋭鋒陣。

 

 

 4本のスラッシュハーケンで穿たれた敵は、身動きすることも出来ない。

 キューエルはぞっとした、彼は僚友の末路を知っている。

 伏兵に貫かれた僚友は、そのまま正面の無頼のスラッシュハーケンでコックピットを貫かれていた。

 そして眼前には、全速で駆けてくる青い無頼がいる。

 

 

「はああああああああああああああぁぁぁっっ!!」

「うおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっっ!?」

 

 

 それぞれの叫びがそれぞれの機体の中で響く、しかし意味は異なる。

 青鸞のそれが裂帛の叫びであるのに対し、キューエルのそれは恐慌の叫びだ。

 この時には、ブリタニア人も日本人も無い。

 次の瞬間、無頼の刃が袈裟懸けにサザーランドを切り裂いた。

 

 

 そしてキューエルが気付いた時、彼はすでに宙を待っていた。

 機体が吹き飛んだのではない、機体の爆発に巻き込まれたのでもない。

 視線を下げれば、彼の両手は座席下のレバーを引いていた。

 コックピットの脱出装置を起動するためのレバーだ、それを認めた瞬間彼の視界が真っ赤になった。

 

 

(わ、私が、誇り高きブリタニアの、純血の私が……!?)

 

 

 負けた、いや、それ以上の屈辱にキューエルは歯軋りした。

 宙を舞うコックピットの中、警告灯の明かりしかない――ディスプレイも消えた――狭い空間で、彼は頭が沸騰しかねない程の頭痛を感じていた。

 ――――イレヴンに、劣等人種に恐れを成して逃げ出したと言う事実に。

 

 

「この屈辱、忘れんぞ……!」

 

 

 もはや何も映らないディスプレイの向こう、そこにいるだろう相手に叫ぶ。

 

 

「忘れんぞ、青い……ブライイイイイイイイイイィィィッッ!!」

 

 

 キューエルの屈辱に嘆く叫びが、誰に聞こえることもなく響き渡った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その後は藤堂指揮の下で、青鸞達はナリタ連山地下の本拠地へと戻った。

 途中、ナリタまで通じる地下道を一つ潰してきた。

 自然の岩崩れに偽装し、後の捜査・索敵の目を誤魔化すためだ。

 それだけのリスクを犯して、藤堂達は青鸞や草壁達を救いに出撃したのである。

 

 

「余計なことをしてくれたな」

 

 

 点呼と報告のため、ナイトメアの格納庫に一時集結した一同。

 ワイヤーを使ってコックピットから降りてきた青鸞を迎えたのは、そんな言葉だった。

 ポニーテールの髪先をまさに尻尾のように揺らして振り向けば、そこには巨体を大きく膨らませた草壁が立っていた。

 

 

「貴様のような小娘などの手を借りずとも、我らの手だけで凌いで見せたわ!」

「…………」

 

 

 それに対して、青鸞もいろいろと思うことはあった。

 しかし結局、彼女は何も言わなかった。

 ただ目を閉じて、軽く会釈した程度である。

 「枢木」としての対応であって、今後のことを考えての対応でもあった。

 

 

 一方で草壁はと言えば、そんな青鸞に視線を向けて鼻を鳴らしただけだ。

 ……何故か数秒の間視点を止めた後、回収できた自分の部下達を引き連れて歩き去っていく。

 ほぅ、と息を吐いて、青鸞は顔を上げた。

 草壁達の背中を追うように視線を上げれば、最後尾に青鸞を見る目があった。

 佐々木である、彼女はじっと青鸞を見た後、軽く会釈を返した。

 

 

「……?」

 

 

 内心で首を傾げつつ、見送る。

 そうして再び息を吐いていると、そんな彼女の傍に別の人間が立った。

 微かに顔を上げると、今度は青鸞も表情を明るい物にした。

 

 

「仙波さん」

「先程は危なかったな、青鸞。肝を冷やしたぞ」

 

 

 現れたのは大柄の男だ、それもかなり年配の白髪の男性。

 丸々した身体に横長な顔が特徴的だ、しかし彼はベテランの軍人でもある。

 階級は大尉、藤堂の部下「四聖剣」の中では最も高齢だ。

 仙波崚河(せんばりょうが)と言うその男と青鸞が並べば、一見祖父と孫のようにすら見える。

 彼は遠ざかる草壁達の姿を青鸞の共に見つめると、溜息を吐いて。

 

 

「気にしてやるな、彼奴らはああ言うしか無いのだ」

「……はい」

 

 

 わかっている、青鸞も良く知っている。

 人の言動が立場に縛られる場面を、彼女は生まれた時から見続けているのだから。

 しかし、青鸞がそれに倣う必要も無い。

 彼女は仙波を見ると、草壁にしていたのよりはやや深く頭を下げて。

 

 

「あ、仙波さん。皆も……来てくれてありがとう。来てくれなかったら、ボク」

「いや何、直接お前を助けたのは朝比奈と千葉だ。それに藤堂中佐も褒めていた、良くやったと」

「藤堂さんが……?」

 

 

 視線を動かせば、青鸞と同じように無頼から降りてくる藤堂の姿が目に入った。

 精悍な顔は相変わらずむっとしていて、こちらに視線を向けるようなことはしない。

 代わりのつもりなのか何なのか、朝比奈が軽く手を振っていた。

 

 

「…………ふふ」

 

 

 溜息のように浮かぶ微笑を、仙波は頷きながら見ていた。

 何倍も年の離れた少女に優しげな眼差しを見せて、自身も仲間達の所へ戻ろうとした時。

 

 

「青鸞さま!」

「……雅?」

 

 

 ナイトメア格納庫には不似合いな割烹着姿の女の子が、歩幅短く駆けてきていた。

 珍しいと言うか、これまで無かったことである。

 実際、彼女に奇異の目を向ける者も多々いる、しかしそれよりも優先すべき何かがあるのか、雅は青鸞の下まで駆けてきた。

 そして、何事かを青鸞の耳に囁き始める。

 

 

「……ふむ?」

 

 

 仙波は太い肩を竦めると、しかし取り立てた何も言わずに背を向けて。

 

 

「何だと、シンジュクが……!」

 

 

 そこで、藤堂が解放戦線のメンバーから青鸞と同様に何事かを囁かれていた。

 そして藤堂にしては珍しいことに、感情を表に出している様子だった。

 

 

「……ブリタニア軍が……?」

 

 

 仙波からすると後ろ、少女の声が揺れていた。

 彼が振り向くと、雅に信じられないような表情を向ける青鸞がいる。

 こちらも珍しいことに、狼狽している様子だった。

 今は2人が何に驚いているのか、仙波にもわからない

 しかし青鸞と藤堂が別ルートで得た情報は、後に同一の物であったことがわかる、それは――――。

 

 

 ――――皇暦2017年のこの日、シンジュク事変と呼ばれる事件が発生する。

 それは「演習を兼ねた区画整理」を名目として、エリア11総督クロヴィス・ラ・ブリタニアがシンジュク・ゲットーと呼ばれる日本人居住地を住民ごと破壊(ぎゃくさつ)した事件であり。

 そして――――……。

 

 

「「……虐殺を……?」」

 

 

 青鸞と藤堂の呆然とした呟きが、ナリタの夜に消えていく。

 そしてこの時より、時代は激しく動くことになる。

 誰にとっても、激動の時代が訪れる――――。

 




採用キャラクター:
KAMEさま提供(小説家になろう):佐々木遥(軍人)。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 今話で原作のイベントが発生したので、次回あたりから青鸞が解放戦線以外の原作キャラクターと関わりをもって行く形になっていくかなと思います。
 まぁ、と言ってもアウトローな部分になっていかざるを得ない気もしますが。

 そしてまさかの草壁中佐プッシュ、今後もどんどん行ってほしいです。
 密かにキューエル卿も登場、何か妙なフラグを立てたような気もします。
 大丈夫か純血派。
 あ、あと前回後書きで青鸞の属性で一つ忘れていたのを、読者の方に指摘されて思い出しました、「脱ぎキャラ」です(え)。

 それでは今回も次回予告、語り部はもちろん枢木青鸞。


『わかってた。

 自分達に力が足りないことぐらい、言われなくてもわかっていた。

 だから、皆から何を言われても仕方ないと思う。

 だけど、一つだけ。

 ボクらは、日本を諦めたことなんか無い――――』


 STAGE4:「シンジュク ゲットー」


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STAGE4:「シンジュク ゲットー」

 第4話です、この週末に少々旅行に行って参りますので、感想返しがやや遅れるやもしれません。
 では、どうぞ。


 そこは、妙に空気が華やいでいる建物だった。

 木々や芝生が広がる解放的で広大な敷地、洋風な校舎や関連施設、明るく大らかな校風を表しているかのように朝の太陽の輝きが降り注ぐ場所。

 私立アッシュフォード学園、エリア11の中心であるトーキョー租界に所在する学校である。

 

 

 エリア11のブリタニア人の子女が通う全寮制の名門校であり、中等部と高等部の一貫教育校であるが、その制度や校風以上に大らかな(一部、大らか過ぎるとも)生徒会長の存在が有名だった。

 またブリタニア人が優遇される世情を表しているのか、その施設は全てが一流の水準に達している。

 お手洗い一つとっても大理石調の床に木目調の個室と、随分と資金がかけられていることが窺える。

 

 

「……ふふ……」

 

 

 そして学園に無数にあるトイレの一つ、教室が集中する校舎とは別の棟にある場所。

 早朝のその時間にはほとんど誰も来ないそんな場所に、1人の少年がいた。

 彼は温度感知で自動で水を流す水道の前、やはり大理石調のそこに手をついて水が流れていくのをただ見つめている。

 金ラインに詰襟の黒い制服は、その少年が学園の生徒であることを示している。

 

 

「……我ながら、細い神経だな……」

 

 

 その少年は、ある種完成された造形を備えていた。

 艶やかで整えられた黒髪、光の加減で紫に見える瞳、白人特有の絹のような白い肌。

 薄い色合いの唇はどこか皮肉気に歪められているが、それが何故か絵になるのだから不思議だった。

 180センチにやや届かない細身の身体も、この場合は少年の持つ気品を保つのに絶妙なバランスを保っていると言って良かった。

 

 

「……だが、俺の目的のためには必要なことだ。そして、この世界を」

 

 

 少年が顔を上げる、そこには鏡がある。

 精巧な意匠を施された木製の枠に納められたそこには、やや青白い少年の顔が映し出されている。

 少年がそっと左手を伸ばし、自分の顔の右半分を隠す。

 

 

 するとどうだろう、細められた少年の左の瞳。

 瞳の中で、赤の光彩が散ったような気がした。

 人間の瞳が輝くなど通常はあり得ないことだが、鏡の中の少年はそれに対して小さく笑みを浮かべた。

 

 

「この、鳥籠のような世界を――――」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――ここはまるで鳥籠の外だと、青鸞は思う。

 ブリタニア人が住む、租界と言う名の鳥籠の外の世界。

 誰からも気を払われず、見られず、安全な鳥籠の中とは対照的な世界。

 諦観と絶望と、そして死が当たり前のように蔓延している場所、青鸞はそこにいた。

 

 

 いつもの高級そうな着物姿では無い、もちろんパイロットスーツでも無い。

 むしろ、どこか薄汚れた古着のような衣服に身を包んでいた。

 8分丈のパンツに踝までのショートブーツ、袖長のシャツとジャケット、ショートグローブ。

 そして後頭部までを覆うキャスケット帽子、その中に長い黒髪を収めている。

 

 

「……シンジュク・ゲットー……」

 

 

 新宿と呼ばれていたそこは、かつて三大副都心の一つとして栄えていた場所だ。

 歓楽街であり同時にオフィス街でもあったそこは、今では見る影も無い。

 7年前の戦争以降、最新技術で発展していく租界を尻目に放置され――――昨日には、ブリタニア軍による制圧を受けた場所だ。

 

 

 破壊の上にさらに破壊を乗せた廃墟のビル群、崩れた瓦礫はそのまま放置され、道路の爆発痕や打ち捨てられた戦闘車両らしき残骸、鎮火してそう時間は経っていないだろう建造物。

 そしてその上、路地の裏手でドブネズミのように身を寄せ合って蹲る人々。

 ……幼い頃に見た天王寺のゲットーが思い起こされて、青鸞は顔を顰めた。

 

 

「……当たり前だけど、間に合わなかった、か……」

 

 

 ナリタでキョウト経由で情報を得て、夜を徹して駆け付けて。

 そして広がっているのが、目の前のシンジュクの光景なのである。

 エリア11総督、クロヴィスによって殲滅命令が出されてより一晩の後の光景だ。

 

 

 トーキョー租界――あの遠くに見える、白銀の壁の向こう側の世界――のブリタニア政庁は「演習を兼ねた区画整理」などと発表しているが、目の前の惨状を見ればただの虐殺行為だったことがわかる。

 瓦礫の間から覗く黒ずんだ人間の腕、壁の側で折り重なるように倒れた日本人達の銃殺体、鼻に付く死臭と異臭。

 いったい何人が犠牲になったのか、後から来た青鸞には想像することも出来ない。

 

 

「けど、おかしい……どうしてブリタニア軍は、それも総督直属の部隊がシンジュク・ゲットーの殲滅作戦なんて……?」

 

 

 どうしても何も、現実に起こったことは否定することは出来ない。

 だが戦後7年、末端兵が田舎の村々を略奪することはあっても、総督直轄軍がテロリスト討伐以外の理由で虐殺命令を遂行したのは初めてのことだった。

 少なくとも、青鸞がナリタに移ってからは。

 

 

「しかも、それだけの命令を出しておいて……今は、どこにもブリタニア軍の姿は無い。ボク達としては苦労が無くて有難いけれど……」

 

 

 ゲットーに軍が駐留することも稀だが、少なくとも規制線や検問、憲兵の見回りくらいはあっても良いはずだ。

 しかし、シンジュク・ゲットーにはそれが無い。

 だからこそ、青鸞はこうして易々と旧地下鉄線を通ってゲットー内に進入出来ているのだから。

 ここまでブリタニアの姿が見えないと、逆に罠を疑いたくなってくる。

 

 

「ゲットー深くに入るのが嫌だったのか、最初からそう言う計画だったのか……それとも」

 

 

 総督が自ら、予定に無かった殲滅作戦を指揮する程の事態。

 シンジュク・ゲットーに何かあったのか、他に理由があるのか無いのか。

 

 

「ゲットーにいられないくらい、重大な何かが起こった……とか?」

 

 

 ……考えても仕方ない、情報が足りな過ぎる。

 頭を軽く振って、青鸞は思考を切った。

 ちょうど、その時だった。

 

 

「青鸞さま、話を聞ける住民を見つけました。こちらへ」

「……はい、今行きます」

 

 

 「枢木」の雰囲気と声音へと変わって、青鸞は自分を呼ぶ声に振り向いた。

 そしてもう一度、砲撃で倒壊したビルの瓦礫の上からゲットーの惨状を眺めて。

 ……僅かに目を伏せた後、歩き出した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 当然のことだが、青鸞は1人で来ているわけでは無い。

 実際にはシンジュク・ゲットーだけでなく、トーキョー租界をも含めて周辺に日本解放戦線系列の人員・協力者・シンパが散っている、情報収集のためだ。

 そして青鸞自身、3人の日本解放戦線メンバーと共にシンジュク・ゲットーにいる。

 

 

「茅野《かやの》さん」

 

 

 靴底を削るような足取りで高台から降りると、そこに長い黒髪を一本縛った女性がいた。

 袖長の黒のシャツとブーツカットパンツ姿のツリ目の女性で、袖や首元など、衣服の端に薄い傷跡の端が見えることが特徴と言えば特徴だった。

 茅野と青鸞に呼ばれた女性は、声をかけられると初めて顔を上げた。

 

 

 ちなみに、青鸞を呼びにきたのは佐々木である。

 昨日、草壁によって青鸞につけられていた女性兵士だ、現在は青鸞の後ろについて瓦礫の上から地面へと足をつけている。

 深緑のシャツとカーゴパンツ、サバイバルブーツと言う出で立ちは、軍服とはそうイメージが変わらない。

 

 

「青鸞さま」

「茅野さん、凪沙さんはどこですか?」

「千葉は、あそこに」

 

 

 言葉少なに指を指した先、ある路地の入り口に見覚えのある後ろ姿があった。

 路地とは言っても倒壊しかけているビル同士が互いに支え合って出来た空間である、危険度としてはかなりの物だろう。

 念のため周囲を窺うが、ブリタニア軍の姿は見えない。

 その代わりと言うわけでは無いが、所々に力なく座り込む日本人の姿が……。

 

 

「青鸞さま!」

 

 

 佐々木の声が飛んだ、同時に青鸞は己の身体に覆いかぶさる熱を感じた。

 思考がその正体を確認する前に、藤堂道場で学んだ動きが身体を突き動かす。

 すなわち肘を相手の鳩尾に当て、衝撃で身を折った相手の襟を掴み、足に引っ掛けるようにして前へと投げ飛ばした。

 帽子が落ちて髪が舞うのと同時に、相手を地面に叩き付ける。

 

 

 意識が身体の動きについてきた時、目の前に男が1人倒れていることに気づいた。

 白いYシャツの男で、地面に倒れたせいか砂利で汚れて、しかし日本人だというのはわかる。

 前を青鸞が通った瞬間、物陰に蹲っていた男が突然飛びついて来たのだ。

 一瞬、痴漢か暴漢かとも思ったが。

 

 

「げふっ……ふひ、ふひひひひ……っ」

 

 

 咳き込んでいるのは投げられたためだろうが、それにしても様子がおかしかった。

 絶え間なく含み笑いを漏らして、何事かをブツブツと呟いている。

 顔色は青い、いや青さを通り越して土色にすら見える。

 目の焦点は合っていない、痩せこけた頬はどうも飢え以外の理由でそうなっているようだった。

 

 

「ひひ、ひひひひ……っ、母さん、母さ……ひひひひ、ひひひひひ……っ」

 

 

 青鸞が呆然とその男を見ていると、彼はのそのそと身を起こした。

 それからは青鸞達に目を向けることなく、フラフラとした足取りで別の路地の奥へと歩いて行った。

 青鸞が意識をその男から視線を逸らしたのは、軽い金属音を耳にしてからだった。

 振り向いて見れば、茅野がしゃがみ込んでいるのが見えた。

 サバイバルブーツに何かをしまっている様子だが、それが何かまではわからない。

 

 

「青鸞さま、お怪我は?」

「いえ、大丈夫です」

 

 

 佐々木の心配にそう返して――昨夜に比べて、やや親身のような気がする――青鸞は頭を軽く振った。

 生身で誰かと争うのは、ナイトメアや銃で討ち合うのとはまた別の緊張がある。

 拾ってくれたらしい帽子を受け取りながら、青鸞は息を吐く。

 

 

「さっきの人は……?」

「……おそらくですが」

 

 

 前置きした上で、佐々木が答えた。

 

 

「薬物患者かと、日本人の間である薬物が流通しているとの情報を拝見したことがあります。確か、リフレインと言う薬物だったかと」

「……麻薬……?」

「はい、その理解で間違いないかと」

「あれが……」

 

 

 もう一度、青鸞は先程の男の背を追った。

 良く見れば、彼以外にも似たような人間が路地の奥に幾人も蹲っているのが見える。

 誰も彼もが疲れたように座り込み、中には身動きすら出来ない者もいるようだ。

 空気が淀んでいる、放置された下水道から漂う汚水の匂いだけが原因でも無いだろう。

 だがこれでも、ゲットーの現実の一部でしかないのだ。

 

 

 リフレインと言う流行の麻薬だけでは無い、食糧不足から来る飢餓、不衛生故の疾病。

 加えて言えば、7年前の戦争以後にゲットーで生まれた子供は学校に行けない。

 教育を受けられない子供がいると言うことは、将来仮に日本が独立したとしても、そこには生きていく能力の無い人々が溢れている……と言うことになる可能性があると言うことだった。

 それは、独立後を考えなくてはならない日本解放戦線にとっては頭の痛い問題だった。

 

 

「……時間が、無い」

 

 

 そう、時間が無い。

 キョウトの桐原などは最大あと5年、待つつもりのようだ。

 しかしあと5年も経ってしまえば、日本に数千万人いるゲットー住民は取り返しようの無い傷を負ってしまいかねない。

 

 

 そしてそれは、エリア11においてテロリズムを含む反体制派組織が大きな支持を得られない理由にも直結しているのだった。

 つまりゲットーの住民にとっては明日の独立よりも今日の食事と医療であって、それを与えてくれる相手が日本かブリタニアかなどは些細な違いでしか無いのである。

 もちろん歴史を紐解けば、飢えた民衆の激発が強大な政権を打倒した事例もあるが……。

 

 

「……悔しいな」

 

 

 青鸞がポツリと呟いた言葉は、ゲットーの現実を知る者なら、そして一定以上の良識がある者ならば誰もが思う感情だった。

 同情しているわけでは無い、ただ、悔しい。

 たださしあたって、青鸞や日本解放戦線がゲットーの者達に出来ることが無いのも確かだった。

 今はまだ、勢力圏内の民衆の最低限の生活を守る力しか無い。

 

 

「青鸞、こちらの方が昨日のことを話してくれるらしい」

「はい……うん?」

 

 

 改めて歩き出した青鸞を路地の入り口で迎えたのは千葉だ、軍服では無く私服姿、9分丈のパンツに覆われた脚線美が強く目を引く。

 まさかブリタニア軍がいるかもしれない場所で旧日本軍の軍服は着れないだろう、実際メンバーは青鸞を含めて全員が私服なのだ。

 

 

 しかし、青鸞は千葉の傍にいる相手を見て足を止めた。

 そこにいたのは日本人の女性で、外見の年齢的にはお婆ちゃんと言うべき人だった。

 ただ他の日本人と異なるのは、やや元気がある所だろう。

 それは別に矍鑠(かくしゃく)としているとか、そう言うことでは無い。

 

 

「……昨夜の内にブリタニア軍に治療されて、今朝こちらに戻ってきたそうだ」

「治療?」

「は、はぃ……えぇと、あ、アンタ達はどこの人かねぇ……?」

 

 

 そのお婆ちゃんは、腕を綺麗な三角巾で吊っていた。

 点滴か食事かはともかく、他の日本人に比べて健康そうにも見える。

 なるほど、最新設備を持つブリタニア軍の治療なら小綺麗にもなろうと言うものだ。

 しかし、わからないのは。

 

 

(シンジュク・ゲットーで虐殺を行ったブリタニア軍が、どうしてシンジュクの人を助けるの?)

 

 

 しかもイレヴンと呼んで蔑む日本人をだ、あり得ることでは無い。

 とは言え、今はとにかく情報が必要だ。

 

 

「驚かせてすみません。ちょっと、お聞きしたいことがあるんです」

 

 

 だから青鸞は、お婆さんを安心させるように笑顔を浮かべた。

 それは相手を安心させて、自分を信じてもらうために作る笑顔。

 「枢木」の、笑顔だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 壁の破片やガラス片、空き缶やプラスチックの箱などが散乱しているその部屋は、廃棄されて久しいビルの一室だった。

 ビルのフロア一つを使用しているらしいその部屋には照明が無い、代わりに旧式の大型テレビが一つあるが、これも必ずしも電波状態が良いとは言えないようだった。

 

 

「はぁ……」

 

 

 そこに、1人の男がいた。

 背の高い大柄な男だ、やや癖のある黒髪を赤いバンダナで上げていて、古い青のジャケットと麻のズボンを着ている。

 ただ表情は柔和で、その優しそうな雰囲気が大柄な身体を小さく見せていた。

 

 

 しかしどうも、男は非常に疲れている様子だった。

 今にも脚が折れそうな小さな椅子に腰掛けて、深々と溜息を吐く。

 瞼を指先で揉み解しているその姿は、どこか徹夜明けのサラリーマンを思わせる。

 それは、ある意味では間違っていない表現とも言える。

 

 

「……永田が死んだよ、ナオト。また仲間を死なせて……俺、どうしたら」

 

 

 机の上の写真立てに向かって、男がそう呟く。

 それはもしかしなくとも泣き言だった、写真の中では長髪の日本人らしき男が笑っている。

 当然、男に対して何かを答えてはくれない。

 

 

 その部屋にはそれだけのものしか無いが、だが一つだけ異彩を放っている物があった。

 壁に大きくペイントされた、大きな日章旗――――日本の国旗である。

 日本と言う国が失われたこの時代、この旗を掲げる組織は一種類しか無い。

 反ブリタニア勢力、いわゆるブリタニア軍からテロリストと呼ばれる人々である。

 これがあるだけで、男がどう言う組織の所属している人間かわかる。

 

 

「扇、ちょっと良いか?」

「あ、ああ、ちょっと待ってくれ」

 

 

 不意に部屋の外から別の声が響いて、男――扇と呼ばれた彼は、写真立てを置いて目元を拭った

 それから了承の言葉を外へ向けて放つと、扇と同じバンダナを巻いた男がそこにいた。

 深緑色の髪の男で、扇はほっとした顔を浮かべた。

 

 

「ああ、杉山か。玉城あたりかと思ってたよ」

「アイツは寝てるよ、明け方までガタガタ文句言ってたからな」

 

 

 杉山と呼ばれた男が肩を竦めると、扇は苦笑のような表情を浮かべた。

 どうやら、玉城という人物はあまり好印象を持たれている男では無いようだった。

 

 

「それで、何かあったのか? まぁ、昨日のこと以上に何かって言うのは……」

「……まぁ、無いな。でも、珍しさなら負けてないかもしれないぜ。俺達に連絡を取ってきた連中がいる、今シンジュクに来てるらしいんだが……」

「もしかして、昨日のあの声の?」

「いや、別件だ」

 

 

 杉山の言葉に、扇は残念そうに肩を落とす。

 どうも何かを気にしている様子だが、この時点ではそれが何かは知りようが無かった。

 しかし杉山はさほど気にしていないのか、言葉を続けた。

 

 

「それで、どうする? 昨日の今日だし、今更ブリタニアが罠を張ってってのは無い……って思いたいんだが」

「ウチを潰すのに、そんな面倒なことをするメリットは無いさ。それで、どこからの連絡なんだ?」

「それが……」

 

 

 杉山の口から出た名前に、扇は軽く目を見開いた。

 どうやらそれは予想外の名前だったらしく、彼はしばしどうすれば良いのか悩むことになる。

 そしてそんな悩み多きリーダーの姿を、杉山はどこか困った奴を見る目で見ていた。

 それは、嫌悪とは真逆の感情をこめた目だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ブリタニア帝国が支配している本国以外の領地、つまり植民地のことだが、これは日本以外にもいくつも存在する。

 例えば日本がブリタニア領と化した皇暦2010年の時点で、すでに東南アジアやアフリカなどに10のエリアを有していた。

 皇暦2017年現在は中東へ侵攻中であり、その食指は世界中に伸びている。

 

 

 その植民地政策は「ナンバーズ政策」と呼ばれており、要するに植民地出身者と本国出身者を明確に区別する典型的な植民地政策である。

 植民地ごとに振られたエリア番号をとって、植民地出身者を総称で「ナンバーズ」と呼ぶのだ。

 例えば、日本人が「イレヴン」と数字で呼ばれているように。

 

 

「だが、ここエリア11――――日本では、そのナンバーズ政策は上手くいっているとは言えぬ。何故だかわかるか、神楽耶(カグヤ)よ」

 

 

 花開く都キョウト、どことも知れぬ場所に存在するその館の一室で、鶯色の和服を纏った老人の声が厳かに響いた。

 平安貴族が住むような概観の部屋だが、天井や照明などに近代的な意匠が散見している。

 おそらく寝殿造をモデルにした再現住宅であろうが、砂利と岩と木で作られた庭園だけは昔ながらの様式で整備されているようだった。

 

 

 桐原はその庭園の見える廊下に杖をつき、立っていた。

 小柄な老身、しかし胸を張って立つその姿はどこか威厳があった。

 顔に刻まれた皺の一つ一つに、日本のこれまでを見つめ続けてきたと言う自負が見え隠れしている。

 

 

「――――それはもちろん、我々日本人が誇りと気概を失っていないからですわ」

 

 

 そんな老人の声に答えたのは、広い部屋の奥で彼の背中を見つめている少女だ。

 皇神楽耶、キョウトの一員として名を連ねる少女は、部屋の奥の御簾の向こうで淑やかに微笑んでいた。

 薄桃の袴を丁寧に合わせて座る姿はまさに姫のようで、下手をすれば十数メートルは離れている桐原と会話をしている。

 

 

「確かに、それもある」

 

 

 神楽耶の答えが気に入ったのか、桐原がカカカと笑みを作った。

 そんな彼を、神楽耶はあくまでもおっとりとした笑みで見つめている。

 その視線を感じているのかいないのか、桐原が振り向くことは無い。

 

 

「しかし最も重要なのはな、神楽耶よ。日本には我らがおる、これが重要なのだ」

 

 

 ブリタニアの植民地(ナンバーズ)政策は、他のエリアでは比較的上手く機能していた。

 もちろん地域的な例外はあるが、全体的に反ブリタニア闘争は小規模で、日本のように全土に無数の反体制勢力が溢れかえるような事態にはなっていない。

 ブリタニアの専門家が指摘する理由はいくつもあるが、しかし結局の所、日本が他のエリアと異なっている点はただ一つ。

 

 

 日本が、世界有数の経済大国であったと言う点だ。

 

 

 底力と言っても良い、国内に有能な技術者や職業軍人を多く抱え、他のエリアには無いキョウトと言う富裕層が陰で反体制運動を支援している。

 人材の層の厚さと資本、それが日本の反ブリタニア闘争の源なのだった。

 そしてそれは、ナンバーズで唯一ナイトメアを生産できている人種だという事実が証明している。

 

 

「しかし桐原公、それでも我が日本が独立を勝ち取れないのは何故なのです?」

「神楽耶よ、人前で賢さを出さぬのはお前の長所。だが、愚か者のフリをするのもどうかな」

 

 

 神楽耶の問いかけに苦笑して、桐原は庭に視線を向けたまま。

 

 

「シンジュク事変、アレは蜂起の理由付けとしては十分に使える虐殺戦であった」

「そうしなかった理由は?」

「ブリタニア軍が、日本人まで含めて救助活動……まぁ、自分達で虐殺した相手を助けるなど、それはそれで茶番ではあるが……とにかく、日本人まで形だけでも救助したからの。大義名分としては不足だった」

 

 

 そこで、桐原は廊下の木材を杖先で打った。

 乾いた音が、広い庭園に響く。

 

 

「ナリタの青鸞には、お前が伝えたのであろう?」

 

 

 答える声は無い、代わりにカカカと言う老人の笑い声だけが響いた。

 7年前の戦争で、余力と気概を残したまま降伏した日本。

 その日本の「余力」を結集する時が、来たのかどうか。

 時代が動き出した、そういう空気を桐原は感じていた。

 数十年間、日本の陰で頂点に君臨していた男の嗅覚がそう告げていたのだ。

 

 

「いずれにしても、あの娘が本当の意味で覚悟を問われるのは――――これからよ」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞不在のナリタでも、シンジュク事変を受けての話し合いが行われていた。

 会議室には片瀬を始めとする幹部達が集まり、日本解放戦線の今後の対応について協議している。

 ただ一枚岩の組織では無いため、その議論は酷く不毛な物に見えた。

 

 

「ブリタニアに対して、何らかの攻撃的な意思を示すべきだ!」

 

 

 例によって、最も過激な意見を主張しているのは草壁だ。

 意見としては報復論、シンジュク・ゲットーへのブリタニア軍の侵攻を非難する声明を出し、トーキョー租界に対して自爆テロも含めた徹底攻撃を行うべきだと主張している。

 ただ彼の意見は多勢を占めることが無いのが常だった、今回もどうやらそのようだ。

 

 

「いや、今はまだ早い。チュウブやキュウシュウの組織と連絡を取っている最中であるし、トーキョー租界に潜入する手立ても無い。せめて、トーキョー周辺のゲットーのグループとだけでも連動しなければ」

 

 

 対して、慎重派はやはり抑制的な論調を選んでいた。

 東郷などがそのグループの顔であり、彼らは穏健とまでは行かないが、勝機の見えない戦いをすべきでは無いという主張だ。

 シンジュクの同胞を虐殺された義憤は確かにあるものの、それとこれとは別と言う立場だ。

 中心にいる片瀬は難しい顔で腕を組むばかりで、決断らしい決断はしない。

 

 

「藤堂、お前はどう思う?」

 

 

 その代わり、いつものように藤堂に意見を求めた。

 それに対して、「またか」と言う思いを抱いた人間は1人や2人では無いだろう。

 特に草壁などは顔にありありと出している、お前はそれでもトップかと言葉が浮かんで見える程だ。

 

 

「……今は、シンジュク・ゲットーの人員からの報告を待つべきでしょう。大義名分を掲げて侵攻したは良いものの、それが間違いだった場合、取り返しがつかないことになる」

 

 

 一方、おそらく唯一諸派に対して一定の影響力を持っているだろう藤堂も、周囲の期待に応えているとは言い難かった。

 昨夜は見事な手腕で草壁らのグループを救って見せた彼だが、だからと言って組織運営に対して積極的になったかと言えばそんなことは無い。

 

 

 むしろ、これまで以上に慎重になったのでは無いかとすら思える程だ。

 そして上がそうである以上、下の人間も同様でないわけが無かった。

 各所で小グループが集まり、作業中の噂話から真剣な意見交換まで、様々な形で議論が行われていた。

 

 

「ブリタニア死すべし! やはり皆で上層部に直訴して今すぐにも租界に攻撃を仕掛けるべきだ!」

「いや、それこそブリタニアの思う壺だ。ここは臥薪嘗胆の気構えで……」

「そんな臆病なことで、ブリタニア打倒が成せるか!」

「一時の感情に捉われていて、日本独立が成せるわけが無いだろう!」

 

 

 一部では強硬派と慎重派による肉体的な衝突もある程で、それだけシンジュク事変が日本解放戦線に与えた影響は大きかったと言える。

 まぁ、しかしそれはあくまで一部であって、他方では別の反応と言うのもあるのだが。

 

 

「山本隊長! 隊長ー!? ……ちょっと飛鳥(アスカ)! ブリーフィングの時間!」

「あぁ……? そんなもん、ヒナが代わりにやっといてくれれば良いじゃんよ」

「良いじゃんよ、じゃない! 皆が真面目にやってる時に……ああ、もう、情けない!」

 

 

 例えばここに、山本飛鳥と上原ヒナゲシと言うナイトメア小隊の隊員達がいる。

 彼らは今、日本解放戦線内の小規模な組織改変・人事異動の対象者であって、正直な所シンジュク事変に対して何事かを話し合うような時間は無かった。

 しかし小隊長らしき黒髪の男の首根っこを掴み、ポニーテールのパイロットスーツの女性が引きずっていく様はなかなかに目立つ。

 

 

 しかもその場所がナイトメアの格納庫ともなれば、嫌でも人の目に留まろうと言うものだった。

 そしてその目の1つに、朝比奈がいる。

 彼は昨夜使用した自分の無頼の整備に立ち会っている――整備士に使用中のあれこれを報告するのはパイロットの義務だ――わけで、彼自身は割と手持ち無沙汰の様子だった。

 

 

「な、何か、いろいろ大変みたいですね……」

「ああ、まぁ、いろいろね」

 

 

 聴覚補助のヘッドホンを装備した整備士、古川に朝比奈が適当な相槌を返す。

 彼は自分の機体の隣に格納されている青の無頼――青鸞の専用機――を見つめながら、確かにいろいろと大変だと改めて思った。

 しかしそれはシンジュク事変やブリタニアとの戦いに対する物ではなく、もっと根本的な問題についてだ。

 

 

 明確な旗印の無い、今の日本解放戦線に対する思い。

 主義主張は同じだが、動機や手段を異にする者達の集合体。

 事実上の集団指導体制を執っているために、迅速な対応ができない組織体質……それこそ、あの強大なブリタニアに対抗するに不十分では無いか。

 ブリタニアに対抗するには、強いリーダーが必要だ。

 

 

(僕なんかは、藤堂さんが、って思うんだけどね)

 

 

 しかし藤堂では嫌だと思っている人間もいるのも確かだ、階級の問題もある。

 となると、誰か名目だけでも求心力の高いリーダーを置いて、藤堂がその片腕になるのがベストだ。

 求心力、これは何も本人の能力に拠らなくても構わない。

 

 

「……~~~~っ」

 

 

 ガシガシと頭を掻く朝比奈、考えれば考える程に胸の奥がもやもやするのだ。

 何故ならこのナリタにおいて、「名目上の求心力」を備えている人間は1人しかいない。

 そしてその相手を、朝比奈は全く知らないわけでは無いのだ。

 

 

(……けど、藤堂さんはやるよね、たぶん)

 

 

 悩むだろう、自分を責めるだろう、だが藤堂は戦略的に必要と判断したことは必ずやる人間だ。

 まして、「名目上の求心力」に相手が自分からなろうとしている状況では。

 日本の、独立を勝ち取るために。

 朝比奈は再び青の無頼を見上げると、眼鏡の奥の目を鋭く細めた。

 

 

「青ちゃん直属の親衛部隊……か。いよいよ……」

 

 

 ブリタニアに対する、正規の戦闘を行うべき時点が近付いている。

 覚悟の時間。

 そう遠くない将来、その時が来るだろうと、朝比奈は確信していた。

 そしておそらくその確信は、今シンジュクにいる少女と共有すべき類の物であるはずだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 部屋に入った瞬間、埃っぽい空気が鼻腔を満たした。

 ただ普段から地下で生活している青鸞にとっては、それほど過ごし難いと言う程でも無い。

 一つ違う点があれば、初対面の人間がそこにいたと言うことだろうか。

 

 

「日本解放戦線の千葉だ、情報提供に感謝する」

「あ、ああ……扇要(おうぎかなめ)です、お会いできて光栄です」

 

 

 シンジュク・グループと呼ばれるレジスタンスがある、各ゲットーにはそれぞれ抵抗活動をしているグループがあるのだが、扇と言う男が率いるグループもその一つだった。

 一応、各ゲットーの反体制組織は日本解放戦線と協力関係にある。

 とはいえ、日本最大派閥の反ブリタニア組織である日本解放戦線と一ゲットーのレジスタンスとでは雲泥の差がある。

 

 

 だからこそ、急に連絡を受けた扇のグループとしても緊張と警戒を持って解放戦線からの使節をアジトに迎えることにしたのだ。

 だがいざ蓋を開けてみると、やって来たのは予想だにしない一団だった。

 相手が女性だと言うのは別に良い、扇達のグループにも女性幹部はいる、ただ……。

 

 

「んだぁ? 解放戦線ってのはいつからガールスカウトの集まりになったんだよ」

 

 

 誰もが口にしなかった言葉を口にして、空気を殺した男がいる。

 玉城と言う男だ、顎に生やした無精髭が特徴的。

 壁際に行儀悪く立っていた彼は、自分達のアジトにやってきた日本人女性3人を不躾にジロジロと見つめていた。

 

 

 1人は、代表として扇と握手を交わした千葉だ。

 彼女は最も階級も立場も高位であるし、威風堂々とした雰囲気もある、代表として申し分無かった。

 もう1人は茅野だ、彼女自身は千葉の後ろに立っている――最後の1人の傍にいる形で。

 その最後の1人こそ青鸞であり、玉城が突っかかった理由でもある。

 実際、どう見ても軍人には見えないのである。

 

 

「おい、玉城……」

「うっせぇ! こちとら腸煮え繰り返ってんだよ!」

 

 

 どうやらかなり虫の居所が悪いのか、仲間の制止も聞く様子を見せていない。

 だが実の所、青鸞には彼が次に何を言い出すのか、わかるような気がした。

 まず自分の存在に対する嘲笑、そしてその後は。

 

 

「……時間が惜しい、情報の交換を行おう」

「あ、ああ」

「無視してんじゃねぇよ、それとも何か? 解放戦線サマは俺みたいなレジスタンスの小物にゃ用は無いってか? けっ、お高くとまりやがってよぉ!」

 

 

 アジトの床に唾を吐いて、玉城が千葉を睨む。

 扇は苦い顔をした、心の中で玉城に「やめろ」と願う。

 相手は、これから玉城が言う言葉を全て予測した上で黙認してくれたと言うのに――――。

 

 

「昨日、俺らがここ(シンジュク)で死ぬような思いしてた時に、お前ら、何の役にも立たなかったくせによ……!」

 

 

 玉城の言葉に、青鸞は目を伏せた。

 例え、その場の激情に駆られた短絡的な言葉だとしても。

 言葉それ自体は、間違いでも何でも無いのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――7年。

 7年と言う時間を、どう考えるべきだろうか。

 「まだ」7年と見るべきか、それとも「もう」7年と見るべきなのか。

 

 

 帽子のつばに目線を隠すようにしながら、青鸞は思考する。

 7年と言う時間が長かろうが短かろうが、その間にもブリタニアに殺された人間が何十万といるのだ、と。

 その事実だけはどうしようもなくそこにあって、日本最大などと持て囃されている日本解放戦線は。

 

 

「こっちはゲットーって地獄で命張ってんだよ、仲間だって何人も死んでんだよ、死ぬような思いしてやってんだよ。それを後から来て、情報よこせだぁ? ざけてんじゃねぇぞテメェ!!」

 

 

 それを、止めることが出来なかったのだから。

 日本の独立を、7年経っても勝ち取れていないのだから。

 だからこそ玉城の言葉には一定の正しさがあって、周囲の仲間も力尽くで止めようとはしないのだろう。

 

 

「お前ら、いつになったらブリタニアを倒してくれんだよ、「解放」戦線なんだろ! 俺らみたいなレジスタンスと違って、ナイトメアだってあんだろ!? だってのにテメェらがチンタラやってったから――――」

 

 

 ここで青鸞が思い出したのは、意外な人物の言葉だった。

 脳裏でがなりたてるように響き渡るその声は、嫌でも記憶に刻まれている。

 自身の栄達ではなく、組織と運動への危機感からの叫び。

 

 

『我々が何もせず情勢を座して見ていれば、日本中の独立派から疑念の目を向けられましょう。我らは行動し続けることによって初めて、日本の独立を叫ぶことが出来るのですぞ!!』

 

 

 それは一つの真理だ、感情としては青鸞もその意見に賛成する。

 草壁はわかっていたのだ、自分達の掲げる物を守るだけでは衰退するだけだと。

 だから多少のリスクをとってでも、「日本ここにあり」と叫ばなければならないのだと。

 動かなければ力はどんどん失われ、いずれ誰からも相手にされなくなる。

 

 

「だとしても」

 

 

 しかし、そのような弾劾じみた言葉にいささかのブレも見せない人間もいる。

 例えば千葉だ、「四聖剣」の一員として藤堂達と共に数多の戦場を駆けてきた彼女は、今さら玉城の言葉程度で揺らぐ精神など持ち合わせてはいなかった。

 

 

「恨まれる筋合いは無いな、特に、貴様のような他人を責めるしか能の無い男には」

「んだと……!」

「玉城、もうよせ」

 

 

 茶髪にノースリーブシャツの男が、流石に玉城の肩を掴んで止めさせた。

 玉城は周囲を見渡すと仲間達が自分を支持しない空気だと気付いたのか、舌打ち寸前のような表情を浮かべた。

 だからそれ以上の追及はやめる、やめるが、最後に。

 

 

「けっ、俺だってナリタのモグラ連中なんざに期待なんて持っちゃいねぇけどよ」

「……どういう意味?」

 

 

 この時、初めて青鸞が会話に参加した。

 それまで目立たないように千葉の後ろにいたのだが――家柄はともかく、単純に貫禄の問題で――玉城の最後の捨て台詞に、余計な一言に、反応してしまった。

 それを見た千葉は初めて頬の肉を動かした、考えたことは一つ――――「若い」、だ。

 

 

 無視すれば良いものを、青鸞は反応を返してしまった。

 同じ土俵に立ってしまった、それは良くない。

 無視するでも突き放すのでもなく、付き合ってしまった。

 だから思う、若い、と。

 感情を目に出してしまうなど、若さの極みだと。

 

 

「けっ、どうせお前ら、自分達のことしか考えてねーんだろ」

「違う」

「何が違うんだよ」

(ワタシ)達は……」

 

 

 青鸞には、日本解放戦線と他の抵抗勢力を区別する意思は無い。

 共に「徹底抗戦」を掲げる同志であり、同胞であり、日本人であると思うからだ。

 もちろん彼女自身も1人の人間であり、日本解放戦線以上に他の勢力を知っているとは言わない。

 しかしやはり解放戦線の一員としてナリタにいる以上、その心象は解放戦線寄りになる。

 

 

 何より、知っているのだ。

 ブリタニア軍と何度も正面から戦って、ブリタニアから逃げてくる人々を可能な限り受け入れて、それでも本当に勝てるのか不安に思いながら要塞の補強やナイトメアの整備をして、何度も敗戦を経験しながら僅かな勝ちを拾って、仲間を何人も失いながらも必死で頑張っている、解放戦線と言う組織を。

 そこにいる人々を、青鸞は知っている。

 

 

「確かに」

 

 

 自分には、まだ何の実績も無いけれど。

 

 

(ワタシ)達はこの7年、ブリタニアに勝てなかったかもしれない。ゲットーの現状を、どうすることも出来なかったかもしれない。だけど」

 

 

 無能かもしれない、無駄かもしれない、無力かもしれない。

 自分にはまだ、解放戦線の何たるかを偉そうに語れる程の物は無い。

 だけど一つだけ、一つだけ……他者に勝るとも劣らない、原始の精神。

 

 

(ワタシ)達は、(ワタシ)は――――ボクは」

 

 

 「枢木」ではなく「青鸞」が漏れて、少し不味いと感じた。

 

 

「ボクは、日本人だから」

 

 

 イレヴンでは無い、日本人と言う意識。

 それだけは、他の誰にも劣るものでは無かった。

 父、枢木ゲンブが掲げた「徹底抗戦」の看板を継ぐ者として。

 

 

「だから(ワタシ)達は、戦う。抵抗を続ける、モグラ呼ばわりされる筋合いは……無い!」

「ガキが、生意気なこと言ってんじゃねぇよ!」

 

 

 しかしそれは、認められない。

 まだ認められない、何の実績も無い小娘の言葉で動くようでレジスタンスは出来ない。

 だから玉城は、青鸞のことを認めなかった。

 そもそもこんな少女をアジトに送ってくること事態、自分達を舐めてるとしか思えないタチなのだ。

 こっちは、仲間が死んだって言うのに。

 

 

 そしてただでさえ気が立っている所に小娘の反論、だからつい手が出てしまった。

 とはいえ流石の玉城も年下の少女相手に暴行を加えるつもりは無かったらしい、解放戦線のメンバーであることもあったのだろう、寸止めで脅かすつもりで手を振った。

 しかし詰めが甘かった、青鸞の帽子のつばを計算に入れてなかったからだ。

 

 

「玉城ッ!」

 

 

 流石に扇もこれには声を上げた、だがその時には青鸞の帽子が宙を舞っていた。

 帽子が柔らかな音を立てて床に落ちた頃には、長い黒髪が少女の背中に流れ落ちていた。

 押さえられていた前髪も揺れて、黒い瞳を幾筋かの髪が隠すような形になる。

 

 

 だが、玉城から目を逸らすことは無かった。

 真っ直ぐ、それだけしか出来ないとでも言うように。

 ただ、瞬きすらせずに見つめ続けていた。

 

 

(な、何だよ……)

 

 

 帽子の件の罪悪感からか、若干玉城も腰が引けていた。

 ただそれ以上に、自分よりも頭一つ小柄な少女の瞳から、妙に逃げたかった。

 逸らしたかったが、それが出来なかった。

 何故かはわからない、だが――――引き付けるだけの、何かがあった。

 その、瞳に。

 

 

 不意に、薄い金属が擦れるような音がした。

 その音が場の空気を弛緩させた、何事かと全員の視線がそこに向かう。

 そこにいたのは茅野だった、千葉や青鸞と共にアジトに来た解放戦線の女性兵。

 

 

「へ……」

 

 

 間抜けな声を上げたのは、誰だったか。

 それは茅野が袖長の黒いシャツを脱いでいたからで、何故そんなことをするのかと一同が慌てたが。

 

 

「――――――――」

 

 

 次に来るのは黄色い悲鳴では無く、沈黙だった。

 長い沈黙、その原因は……タンクトップから除く、細い腕と背中の肌に刻まれた傷痕だ。

 背中の表面の痕は火傷だろうか、随分と深く黒ずんでさえいる、両腕の傷は……ナイフで上から線を引かれ続けたかのような痕だった。

 

 

 茅野の表情は動かない、ただしばらく後、淡々と衣服を着直した。

 傷痕自体は、実は問題では無い。

 そんな人間は今のエリア11にはごまんといる、本質はそこでは無い。

 本質は。

 

 

「……私は、ブリタニアを許さない」

 

 

 だから、戦う。

 それだけを伝えるために、証明するために、茅野は身体の傷痕の「一部」を晒したのである。

 そして気まずそうな空気が扇や玉城達に流れる中、青鸞の頭に落ちた帽子を被せる存在が1人。

 もちろん、千葉だった。

 彼女はやや咎めるような目で青鸞を見ていて、その理由は彼女にもわかっていた。

 

 

(茅野さんに、気を遣わせちゃった……)

 

 

 言葉少なで近寄りがたい雰囲気を持つ茅野であるが、周囲への気遣いは出来る方だった。

 だから青鸞は帽子の位置を直しつつ、後でお礼と謝罪をと思った。

 ただ、とりあえず今は。

 

 

「申し訳ありません、生意気なことを言いました」

 

 

 言葉の上で謝る、頭は下げない、これは父ゲンブの教えだった。

 曰く、他組織の人間に容易に頭を下げてはならない。

 日本国の首相に上り詰めた男の言葉だ、一考の価値はあるだろう。

 

 

「ただ、若輩者であることを承知で一つだけ。(ワタシ)達は同じ日本人です、抵抗の志を(ワタシ)達は互いに支持し合うことが出来る――――それだけは、どうか信じてください」

「……けっ」

 

 

 興が冷めたのかどうなのか、しかし玉城もそれ以上のことを言うつもりは無いようだった。

 最後まで生意気な小娘だとは思ったかもしれないが、それだけだ。

 それでようやく、最初に戻れた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その後はスムーズだった、扇がシンジュク・ゲットーで起こった事態を順番に説明してくれた。

 まず、自分達がキョウトの指示でブリタニア軍から毒ガスを奪おうとしたこと。

 仲間を失ったが、毒ガスの強奪には半ば成功――回収は出来なかったという意味で――その代わり、突如ブリタニア軍が彼らの拠点であるシンジュク・ゲットーに侵攻して来た。

 

 

 同じ系列の組織だからか、扇は真正直な程に自分達の持つ情報を提供してくれた。

 普通、こういう場合は自分達だけの情報をプールし、交換と言う形で取引をするものだ。

 しかしどうも扇は性格的にそう言うことが出来ないタイプらしく、実に誠実だった。

 正直、レジスタンスのリーダーをやっているのが不思議なくらいである。

 その最たる物が、「声」に関する情報である。

 

 

「声?」

「ああ、俺達が逃げてる時に通信機から聞こえてきたんだ。勝ちたかったら指示に従えって……従ってみたらブリタニア軍のナイトメアを奪って見せたりして……」

「でもよ、最後には結局ボロ負けだったじゃねぇか! あの白い奴にノされてよぉ、顔も見せず侘びも無し、何が『勝ちたければ、私の指揮下に入れ!』だよ、フカし野郎が!」

 

 

 ブツブツと文句を言っている玉城はともかくとして、青鸞達としては首を傾げざるを得ない。

 扇達が毒ガスを奪って何をするつもりだったのかは置くとしても、ブリタニア軍の行動が良くわからなかったからだ。

 扇の話では、最終局面でブリタニア軍が停戦命令を出して終局したらしいのだが……。

 ブリタニア側の行動を順序だてれば、こうなる。

 

 

 まず毒ガスを強奪されたブリタニア軍は総督指揮の下でシンジュク・ゲットーを包囲、イレヴンの生命に紙切れ以下の価値しか置いていない彼らはテロリスト、つまり扇達ごと潰しにかかった。

 虐殺戦の開始だ、そして絶体絶命の危機に陥った扇達に指示を与え、一時的に戦況を好転させた声。

 最後にはブリタニア軍が虐殺の手を止めて撤退、しかもイレヴンも救助して……。

 まぁ、イレヴン救助については「適当に」終わらせたようだが。

 

 

(毒ガスの奪還と言う名目なら、わからないでも無いけど……)

 

 

 青鸞などには、シンジュクにおけるブリタニア軍の行動目的がどこにあるのか見えなかった。

 特に停戦命令がわからない、いや、停戦命令はまだわかる。

 ……どうして、イレヴンも救助しろと? 自分達が虐殺をしていたくせに。

 

 

「なぁ、つーかマジであのガキも解放戦線のメンバーなのか?」

 

 

 何だか全員からスルーされている状況の玉城だが、その疑問は扇達全員が共有するものだろう。

 とはいえ公式に聞いてくることも無い、千葉が冒頭で示した符丁は間違いなく解放戦線の物だったのだから、連絡手段に使用したコードもだ。

 そして一通りの話を聞いた千葉は、一先ず頷くと。

 

 

「わかった、情報提供に感謝する。何か見返りに我々に出来ることはあるか?」

「あ、ああ、実は俺達、昨日の戦いで武器を使い果たしてしまって……」

 

 

 ここで得られる情報は、ここまでか。

 そう思い、思考しつつ、とりあえず青鸞はナリタへ戻ることを考えた。

 旧地下鉄線を通ってゲットーの外へ出て、他の潜入員と連絡を取っている佐々木を広い、青木の待つポイントまで行かなくてはならない。

 

 

「わかった、ナイトメアまでは無理だが、何とか都合しよう。……そう言えば、シンジュクは紅月と言う男が仕切っていると聞いていたのだが。今は不在なのか?」

「ナオトは……紅月は、前のリーダーは、少し前の戦いで……」

「……そうか、すまないことを聞いた」

「いや、別に……」

 

 

 ……先程の玉城の言葉の余韻があるからか、場に微妙な空気が満ちる。

 だが、今度は誰も何も言わない。

 扇達は一様に沈痛な表情を浮かべていて、どうやら、紅月ナオトと言う前のリーダーに深い思い入れがあるようだった。

 

 

 人に対する思い入れ、それは平和な時代では……少なくとも、戦死という形で思うことは無いだろう。

 一日も早く戦いの日々に終焉をと思っても、日本の独立が果たされない限りは終わりは訪れない。

 そして独立を果たすためには戦いを挑まねばならず、そのせいでまた犠牲が出る。

 悪循環、ブリタニアへの抵抗活動に身を置く人間は、大なり小なりその循環の中にいる。

 もちろん、その中には青鸞自身も入って……。

 

 

「扇!」

 

 

 青鸞がシンジュクで得た情報を自分なりに頭の中で整理している時、1人の男が部屋に飛び込んできた。

 眼鏡をかけたガタイの良いインテリっぽい男だ、彼は部屋に飛び込むとテレビに飛びついた。

 

 

「み、南? どうしたんだ、いったい」

「大変なんだよ、良いからこれ……このニュースを見ろよ!」

 

 

 その男は南と言うらしい、当然だが青鸞達の知らない人間だ。

 南は青鸞らのことなど気にもとめていない、よほど慌てているのだろう。

 ほどなくして、やや乱れてはいるがテレビに映像が映った。

 どうやらどのチャンネルも同じ番組……いや、生放送の会見を流しているようだった。

 

 

『クロヴィス殿下は薨御(こうぎょ)された!!』

 

 

 そして、その言葉が一同の耳に飛び込んで来た。

 

 

「薨御って……?」

「死んだってことだよ!」

 

 

 聞き慣れない言葉を誰かが問えば、興奮したままの南が投げつけるように応じた。

 

 

「総督が……クロヴィスが死んだんだ! 昨日の撤退の理由はこれだ、シンジュクでテロリストの凶弾に倒れたってさっき言って――――」

 

 

 エリア11総督、ブリタニア帝国第3皇子クロヴィス・ラ・ブリタニアが死んだ。

 青鸞は一瞬、自分の思考が停止したのを感じた。

 7年間、誰もが狙ったエリア11総督の首、それが落とされたと言うのだ。

 プロパガンダなどでは無い、そんな馬鹿げた報道はあり得ない。

 

 

 千葉を見る、彼女は額に皺を寄せる程難しい顔をしていた。

 今にも腕を組んで爪を噛みそうな表情だ、悔しいとは思うまい、ただ疑問を感じている顔だった。

 そしてその疑問は、おそらくこの場にいる全員が共有している。

 すなわち、「誰が総督を討ったのか――――?」。

 青鸞たち日本解放戦線を見る者もいるが、少なくとも青鸞は知らない。

 

 

『我々は殉死された殿下の御遺志を継ぎ、この困難な戦いに勝利しなければならない!!』

 

 

 テレビの中では、後ろに紺色の制服を纏ったブリタニア人兵士――おそらく騎士――を従えた男が、演説を行っていた。

 青い騎士服に正装のマントを纏った、青みがかった髪の細身の男だ。

 報道陣の前で堂々と胸を張っている男は、映像隅の紹介文によれば……「ジェレミア・ゴッドバルト代理執政官」、知らない名前だ。

 

 

 ――――この、数秒後のことを思えば。

 この時点での青鸞の混乱など、可愛らしい物だったと考えるようになる。

 何故ならこの後、彼女にとって人生最大の衝撃が引き起こされることになるのだから。

 

 

『たった今、新しいニュースが入りました――――実行犯! どうやら、実行犯と思われる人物が逮捕、軍によって拘束された模様です! 実行犯は名誉ブリタニア人、元イレヴンの……』

 

 

 そして、ニュースの映像が切り替わる。

 その場にいる全員が、エリア11総督を仕留めた英雄――彼らの視点でだが――の顔と名前を見ようと、身を乗り出していた。

 数秒の後、映像付きで「その男」のことが映し出された。

 

 

「――――――――……え?」

 

 

 周囲を銃で武装した兵士に囲まれ、沿道を歩かされて晒し者にされている男。

 年の頃は10代半ばを過ぎた頃だろうか、白い拘束衣姿が痛々しい。

 ニュースキャスターが呼んだはずの「実行犯」の名前が、何故か青鸞の耳には届かなかった。

 千葉が横目で自分を見ていたことにすら、気付くことが出来なかった。

 

 

 視界が揺れていることに気付く、重度の船酔いでも起こしたかのような眩暈を感じた。

 足が一歩下がったことを自覚する、だが不思議なことに感覚が無かった。

 帽子をかぶり直していて良かった、でないと。

 そうでないと、混乱の感情を象徴するような瞳の揺れに気付かれてしまう……。

 

 

『繰り返します、実行犯の男は名誉ブリタニア人、元イレヴンの――――』

 

 

 最後の記憶は7年前だ、そこで別れた。

 だが、忘れるはずが無い。

 忘れられるはずが、無いのだ。

 

 

 幼い頃に好きだった色素の抜けた茶色の髪や、光の加減で琥珀に見える瞳も。

 幼年時代の面影を残す顔と細身の身体……こちらは、青鸞も初めて見るが。

 しかし間違い無い、間違えるはずも無い。

 だから彼女は、数歩を下がってテレビから距離を取りながら。

 唇を、ある形に戦慄かせる、音は4つ、それは。

 

 

 

 

『――――枢木(くるるぎ)スザク!!』

 

 

 

 

 ――――あにさま。

 と、幼い頃の呼び名で、呆然と呟いたその声には。

 いったい、どのような感情が乗っていたのだろうか……。

 




採用キャラクター:
相宮心さま提供(小説家になろう):茅野さおり(軍人)。
隼丸さま提供(ハーメルン):山本飛鳥・上原ヒナゲシ(軍人)。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 ここからどんどんイベントを消化し、ナリタまで一直線です。
 ナリタでどんな惨劇を引き起こそうかと頭を悩ませています(え)。

 イベント進行に伴い、原作主人公組とは別ルートで原作キャラクターズと遭遇。
 この時点ではまだアレですが、将来的には複数のルートを想定。
 うちのスザクさんの選択肢次第な所がありますが、頑張りたいです。
 というわけで、次回予告。


『今でも、昨日のことのように思い出せる。

 白目を剥いて倒れた父様、その傍らで刀を手に立つ兄様。

 そして、呆然と立つ自分。

 ……なのに今、あの人は総督殺しの犯人としてそこにいる。

 ボクはあの人に聞きたい、どうして、って。

 だから』


 ――――STAGE5:「トーキョーの 空の 下で」


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STAGE5:「トーキョーの 空の 下で」

 オリジナル設定入ります、ご注意ください。
 では、どうぞ。


 記憶の向こうにいる「彼」は、いつだって不機嫌そうな顔をしていた。

 

 

『……おい、スザク』

 

 

 それは声にしても同じことで、昔はいちいち癇に障る奴だと思っていた程だ。

 ただそれも、今では酷く懐かしいばかりだ……。

 

 

『僕はキミが来るとは聞いていた、不本意だが、ナナリーも楽しみにしているようだったから特別に許してやったんだ。なのに……何だそいつは』

『何だとは何だ、それに俺だって連れてきたかったわけじゃ……あ』

『おいスザク……この泣き虫は何だ、鬱陶しいぞ』

 

 

 そういえば、「あの子」を初めて連れて行った時、彼は随分とあの子の扱いに苦慮していた覚えがある。

 あんまりついて来たがったものだから、面倒とは思いつつも連れて行った。

 だけど、アイツのあんな苦労している顔を見られるなら悪くなかったと思った記憶がある。

 

 

『ぬ、む……おい、泣くな、泣くんじゃない。……スザク、キミの妹だろ、ちゃんと面倒を見ろ』

『嫌だ、面倒くさい』

『面倒くさいって何だ!? って、ああ、また泣いた……』

 

 

 ああ、そう言えば良く泣く子だったような気がする。

 当時の自分はそれを面倒に思っていた所があるし、だいたい彼の妹がやってきて収拾をつけてくれるので、楽で良いと感じていたと思う。

 あの子は、自分に優しくしてくれる彼の妹やなんだかんだで面倒見の良い彼を気に入っていたようだったし――――たぶん、自分よりも。

 

 

 自分は、良い兄では無かったから。

 だけど、そんな自分でも明確に彼女の存在に感謝したことがある。

 その最たる物は、あの時だろう。

 あの時、彼女だけが……敢然と、正面から、当たり前の権利として。

 あの子だけが、自分を責めてくれたから――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――目が覚めた時、そこは牢獄だった。

 目覚めとしては最悪の部類に入るだろう、白の拘束衣で戒められ、尋問と言う名の拷問で痛めつけられた身体を冷たく固い床の上に転がされた上での目覚め。

 少なくとも、爽やかな目覚めとは言えない。

 

 

「……ぅ……」

 

 

 取調室で蹴りを入れられた頬が痛んで、彼は僅かに声を上げそうになった。

 しかし結局その声を押し殺して、彼は床の上から芋虫のように身を起こした。

 ズリズリと身体を引きずり、壁に背中を押し付けるようにして座る。

 窓も無い牢獄は暗く、今がいつかもわからないが……感覚として、夜かなと考える。

 

 

 彼は、犯罪者だった。

 それも稀代の犯罪者である、何と、恐れ多くも世界の3分の1を支配する超大国ブリタニアの第3皇子を暗殺したのだ。

 シンジュクでの戦いの最中、暗殺者の凶弾に倒れたエリア11総督。

 使用された銃には彼の指紋が付着し、目撃者も多数、誰がどう見ても彼が犯人だった……が。

 

 

「……軍事法廷、か」

 

 

 時間的に言えば今日の夜、彼は軍事法廷にかけられる。

 何故なら彼が軍人だからだ、しかし彼はブリタニア人ではない。

 彼はイレヴンと呼ばれる日本人で、日本人でありながらブリタニアに帰化した名誉ブリタニア人。

 そして彼への嫌疑は、つまる所「名誉ブリタニア人だから」の一言で説明できる。

 

 

 彼に弁護人も証言者もいない、彼が名誉ブリタニア人だからだ。

 拳銃に彼の指紋などついていないし、目撃者などそもそもいない、逆に彼のアリバイを証言してくれる人までいた――――にも関わらず、彼はこうして拘束され、牢獄に放り込まれている。

 つまり、彼は無罪であり、クロヴィス総督を殺した犯人ではない。

 冤罪、だが誰も信じない、何故なら彼が名誉ブリタニア人……イレヴンだからだ。

 

 

(……でも、裁判は真実を明らかにするために行われるもののはずだ)

 

 

 枢木(くるるぎ)スザクと言う名のその少年は、そう信じていた。

 しかし、それも今の彼の有様を見れば望み薄のように思われた。

 そもそも、弁護人もいないような裁判で何の真実を明らかに出来ると言うのだろう。

 いや、少年にとってはそれでも良かったのかもしれない。

 

 

(もし真実を捻じ曲げて、ルール違反を良しとする世界なら……そんな世界には、未練は無い)

 

 

 誰も彼のために祈ってはくれない、想ってはくれない。

 だが彼は、自らその境遇に身を置いた。

 だから未練は無い、スザクはそう思っていた。

 

 

 しかし、一方で。

 静かに彼のために祈る者もまた、いるのだった。

 例えばこれは、ある寝室での会話だ。

 

 

「……お兄様。スザクさん、大丈夫ですよね……」

「ああ、大丈夫だよナナリー。あんなニュースは何かの間違いだ、だから安心しておやすみ」

「そう、ですよね……大丈夫、ですよね」

「……ああ、お前が心配することは何も無いよ、ナナリー」

 

 

 眠りに落ち、緩やかに胸を上下させる妹の髪を指先で梳いて。

 少年が1人、闇の中で瞳を赤く輝かせていた。

 彼は、穏やかに眠る妹を見つめながら、静かに呟く。

 

 

「大丈夫だ、ナナリー……スザクは、俺が――――」

 

 

 夜の帳が、何かが生まれたことを恐れるかのように深まっていく。

 静かなその空気は、まるで到来する嵐を恐れているかのようで。

 ただただ、冷たく深かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 枢木スザクの逮捕の翌朝、エリア11、いや世界中の話題は彼の名で占められていた。

 事件の中心であるトーキョー租界はもちろん、ブリタニア本国や他のエリア、そしてEUや中華連邦といった諸国の人々まで含めて、注目を集めていた。

 何しろ、ブリタニアの皇族総督がナンバーズの手で倒れた稀有な事例なのだから――――。

 

 

『では、枢木スザク容疑者はあの旧日本最後の総理大臣、枢木ゲンブ首相の遺児なのですね?』

『はい、容疑者は14歳の時に名誉ブリタニア人資格の取得を申請、皇帝陛下の御名において申請は受理されました。枢木スザク容疑者はその後軍籍を得て、栄誉あるブリタニア軍人としてシンジュク事変に従軍、そして……凶行に及んだと「自供」したそうです』

『なるほど……ブリタニアの慈悲の象徴でもある名誉ブリタニア人制度が生んだ悲劇だったと言うわけでしょうね』

 

 

 トーキョー租界の繁華街、大型のショッピングセンターがいくつも集まった場所だ。

 デパートらしきビルの壁面に設置された大型のモニター、そこに特別編成のニュース番組が流れていて、解説者とコメンテーターが最もらしい顔で容疑者の経歴を述べている。

 行き交う人々はそのニュースを見て一様に暗い表情を見せる、義憤に駆られた声を上げる者もいる。

 

 

 当然だろう、租界の大通りを歩く人々は皆ブリタニア人だ。

 彼らは自分達を治めていた領主の不幸な最期を悼み、テロリストに敢然と立ち向かった勇気を称え、そして彼を殺した不当なテロリストを恨んだ。

 それはごく自然な反応であって、他国人の共感も大いに得られるだろう。

 ――――ここが「日本」と言う他人の家で無ければ、だが。

 

 

「おい、止まれ」

 

 

 総督の死が公表された翌日だけあって、空気は固い。

 市民生活を脅かすような施策は――戒厳令や非常事態宣言――こそ成されていないものの、租界の空気はピリピリしていると言って良い。

 警棒では無く、アサルトライフルを構えた軍人がウロウロする程度には。

 

 

「貴様、イレヴンだな? 身分証を見せろ」

 

 

 そしてそんな繁華街の片隅で、実際の2人組の軍人に声をかけられた少女がいる。

 着用している服は赤と白のコルセットスーツ、白ブラウスのお腹の部分が赤いコルセット風になっており、リボン代わりの編み紐が結ばれている物だ。

 コルセット下から膝まで伸びる紅色のプリーツスカートと、足全体を覆う黒のストッキング、キャスケット帽子とパンプスも黒系統、それ以外の装飾品は無く、中古屋(リサイクルショップ)ででも買ったのかやや古びている。

 

 

 年の頃は15歳、帽子に収めた髪色は黒、瞳も黒――――ブリタニア人では無い。

 そう、少女は日本人(イレヴン)だった。

 ブリタニア人居住区である租界内部に、何故イレヴンの少女がいるのか?

 その理由は、今しがたニュースでコメンテーターが言っていた制度による恩恵だ。

 

 

「……何だ、名誉か」

 

 

 ブリタニア兵の告げた言葉に道行く人々が視線を向ける、おそらくはわざとだ、ニヤニヤとした顔がそう告げている。

 名誉、そう、少女が兵士の男に渡した身分証のカードは名誉ブリタニア人に与えられる物だった。

 ブリタニア人以外の人間がブリタニア人と同等、あるいは一定の権利を得られる制度。

 わかりやすく言えば、ブリタニア人以外のブリタニア人だ。

 

 

「紛らわしい……名誉がこんな所をウロウロしてるんじゃない! さっさと帰れ、イレヴンが!」

 

 

 渡したカードは少女の手に返されることなく車道の方へと放り投げられた。

 地面に落ちたカードの上を信号が変わって走り出した乗用車やトラックが走っていく、あれでは信号が変わるまでは取りに行けないだろう。

 歩道の端で立ち尽くす少女に意地の悪い笑みを見せて、兵士達はどこぞへと消えた。

 後に残された少女は溜息を吐く、そしてとにかく信号が変わるまで待とうと……。

 

 

 ――――ガンッ、と、鈍い音が響いた。

 次いで肩のあたりに熱を感じて、反射的に片手で肩を押さえた。

 頭に当たったそれはどこかから投げられた中身入りの缶コーヒーだった、ぶつけられた頭や中身のかかった肩がジンジンと痛む。

 

 

「……汚らわしい、名誉の癖に!」

「クロヴィス殿下を殺した卑しい奴ら」

「ブリタニア人にしてもらった恩を忘れて、畜生以下の存在だわ」

「ああ臭い臭い、ドブネズミはゲットーにいりゃあ良いのに」

 

 

 周囲から聞こえる悪意の声に、少女は俯いたまま顔を上げない。

 ただじっと、車に踏み躙られる自分の身分証を見つめている。

 

 

「大体どうして、あんな汚らわしいイレヴンが租界にいるんだよ」

(……どうして、だって?)

 

 

 しかし心は別だ、彼女は顔を俯かせたまま、意識は上や周囲へと向ける。

 

 

(ボク達だって、来たくて来たわけじゃない……)

 

 

 その少女は、青鸞だった。

 表情を殺し、ただじっと周囲から降りかかる悪意を受けている。

 ここで何か問題を起こせばさっきの兵達が戻ってくる、だからじっと耐えている。

 

 

 加えて言えば、彼女は名誉ブリタニア人ですらない。

 ならば先程の身分証は何なのかと言う話になるのだが、そこには複雑な事情が介在する。

 一言で言えば、偽造品だ。

 それも、「本物」の偽造品。

 いずれにしてもリスクがある、それだけのリスクを犯して何故青鸞がいるのか、それは。

 

 

『枢木スザク一等兵の軍事裁判は本日中に行われ、判決も即刻……』

 

 

 そこで初めて、青鸞は顔を上げた。

 コーヒーの匂いが鼻につくが、そんなことはまるで気にならなかった。

 彼女の瞳は、デパート壁面のモニターに向けられている。

 

 

 映像では何度も、何度も同じ場面が流されている。

 茶色の髪の名誉ブリタニア人が、晒し者にされながら拘束される映像。

 枢木スザクが、彼女の……彼女の「兄」が、映っている。

 7年前に別れて、それきりだった相手だ。

 

 

『やはり、現行の名誉ブリタニア人制度を見直した方が良いのかもしれませんね』

 

 

 コメンテーターのそんな言葉に、青鸞が拳を握る。

 何故ならばそれは、事実上、名誉ブリタニア人制度自体が間違いだったと言っているに等しかったからだ。

 ならば何故、と、青鸞は声を上げたかった。

 

 

 ならば何故、そんな制度を作ったんだと。

 そんなことを言うなら、最初から作らなければ良かったでは無いか。

 そうすれば、そうすれば。

 ……そうすれば、あの人だって。

 

 

「これ、キミの……」

 

 

 不意に声をかけられて、青鸞は身を震わせた。

 ブリタニア人ばかりの町で、まさか声をかけられるとは思わなかったからだ。

 顔を上げれば、そこには1人の少年がいた。

 

 

 艶やかな黒髪、光の加減で紫に見える瞳、着ている物は黒の学生服。

 意外と背が高い細身の身体、片手に何かの包みを持っているようだが……もう片方の手で、ボロボロになった青鸞の身分証を持っていた。

 呆けていた青鸞は、戸惑いながらもそのカードを受け取ろうとして……。

 

 

「…………まさか」

「え……?」

 

 

 2人で、動きを止めた。

 時間が止まったかのような静寂感があたりを包み、互いに互いの顔を穴が開きそうな程にじっと見つめる。

 見つめなければ、ならなかった。

 

 

「まさか……そんな、だが」

 

 

 相手の少年は戸惑うような声を上げると、しかし己の考えを確認するように。

 

 

「……青鸞、なのか?」

 

 

 その声に、その雰囲気に、そのアクセントに。

 青鸞は、記憶を刺激された。

 それはかつての記憶、とても古い記憶……子供の頃の記憶だ。

 

 

 15年の人生のほんの一時期、時間を共有した相手。

 忘れるはずの無い、最後に輝きの瞬間。

 まだ、自分がただ意味も無く幸福で……何も失われていなかった時間だ。

 だから彼女は告げた、その名前を。

 

 

「……ルルーシュくん?」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 時間を、ほんの少しだけ遡ろう。

 そこまで遡る必要は無い、ほんの数分だ。

 その数分前、私立アッシュフォード学園の学生である少年、ルルーシュ・ランペルージは、ある目的のために租界の町並みの中にいた。

 

 

 友人と共に懇意にしている店のマスターの下を訪れ、注文していた品を受け取ってきた所だ。

 まぁ、相手はそのことを「覚えていない」だろうが。

 片手の紙袋の中に感じる硬質感を確認しつつ、彼は歩いていた。

 そして、ある繁華街の交差点に差し掛かった時。

 

 

『では、枢木スザク容疑者はあの旧日本最後の総理大臣、枢木ゲンブ首相の遺児なのですね?』

『はい、容疑者は14歳の時に名誉ブリタニア人資格の取得を申請、皇帝陛下の御名において申請は受理されました。枢木スザク容疑者はその後軍籍を得て、栄誉あるブリタニア軍人としてシンジュク事変に従軍、そして……凶行に及んだと「自供」したそうです』

『なるほど……ブリタニアの慈悲の象徴でもある名誉ブリタニア人制度が生んだ悲劇だったと言うわけでしょうね』

 

 

 頭上、自分のすぐ後ろにそびえ立つデパートの壁面に設置されたモニターから、そんな声が聞こえる。

 それに対してルルーシュがとった行動は、「丁重な無視」だった。

 周りのブリタニア人のようにクロヴィス総督の死を悼むわけでも、名誉ブリタニア人への怒りを露にすることも無い。

 

 

 あらゆる意味で、無意味なことだと思うからだ。

 せいぜい、「自供」とやらの内実について皮肉を感じるだけだ。

 だから彼はコメンテーターの言葉にいちいち顔色を変えたりはしない、ただでさえ貴重な放課後の時間をそんなことに使う気は無い。

 ただでさえ、今日は彼の人生にとって重要な……。

 

 

「……ん?」

 

 

 彼が端正な眉を顰めたのは、トラックや乗用車が走る横断歩道の向こう側を見たからだ。

 車と車の間隔、その間から見えたのは、1人の少女だ。

 黒のキャスケット帽子が目に付く少女だ、それだけなら特に目を引かれることもなかったろうが。

 

 

「……名誉……!」

(――――名誉ブリタニア人か)

 

 

 馬鹿な女だ、と、ルルーシュは思った。

 何かの缶を投げつけられた少女を見て、むしろ冷たい眼差しで。

 名誉ブリタニア人がクロヴィス総督を殺した――と、いうことになっている――こんな時に、名誉ブリタニア人が街を出歩けばどんな扱いを受けるか、想像力が欠如しているとしか思えない。

 

 

「……む」

 

 

 次第に信号が変わり、横断歩道を多くの人が歩き出す。

 もちろんルルーシュもそれに倣う、しかしその時、彼は自分が何かを踏んだことに気付いた。

 何かと思えば身分証だ、誰かの落し物だろうか。

 いや、名誉ブリタニア人用のライセンスカードだ。

 

 

(……さっきの女のか)

 

 

 特に感慨も無く、ルルーシュは拾い上げたカードを裏返した。

 そこに写真が印刷されている、真面目な顔で映っているのは彼とさほど変わらない、そして彼の妹と同じくらいの年齢の……と、そこでルルーシュは初めて目を細めた。

 印刷された写真の少女が、妙に彼の記憶を刺激した。

 それはおそらく、つい2日程前に7年ぶりに幼馴染に再会したことも無関係では無い。

 

 

「いや、まさか……」

 

 

 顔を上げる、件の少女はルルーシュには気付いていない。

 どうやら後ろのモニターを睨んでいるようだ、もし少女がルルーシュの思っている通りなら。

 その行動にも、納得は出来る。

 

 

 だから彼は、思わず名前を呼んでしまったのだ。

 7年前、幼少時の一時期を共に過ごした女の子の名前を。

 幼馴染の、妹の名前を。

 

 

「……青鸞、なのか?」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 2人が出会ったのは、7年前のことだ。

 とはいえ直接に出会ったわけでは無い、共通の知人を介しての出会いだった。

 よって、それぞれその「知人」との関係は同じでは無い。

 

 

 ルルーシュにとって、「知人(かれ)」は幼馴染の喧嘩友達だった。

 そして青鸞にとって、「知人(カレ)」は肉親だった。

 2人を出会わせた共通の知人、その名は枢木スザク。

 そう、今まさに総督殺しの犯人とされている男である――――。

 

 

「……ほら」

「あ……えと、ありがと」

 

 

 ショッピングセンター街からやや離れた場所に、広い自然公園がある。

 綺麗に整えられた芝生、所々に点在する露天や売店、時間が来れば水のショーを見せる噴水、遠くに見えるトーキョー租界の街並みとモノレール・ライン……。

 そんな公園のベンチの一つに、ルルーシュと青鸞は場所を移していた。

 

 

 あのままあそこで話すと、お互いに不味かったからだ。

 それに、青鸞の衣服のこともある。

 水で濡らした白いハンカチを差し出してくるルルーシュを目を丸くして見つめながら、青鸞はそれを受け取った。

 

 

「…………」

「……………………」

 

 

 そこから、少しの間沈黙が続いた。

 気まずさや再会の緊張からではなく、何を話すべきかの整理をしているためだ、お互いに。

 7年ぶりに再会した幼馴染と、まず何を話すべきなのか。

 お互いの中で模索を繰り返し、そして出し得た結論。

 先に沈黙を破ったのは、青鸞だった。

 

 

「ナナリーちゃん、元気?」

「……ああ、元気だよ」

 

 

 ルルーシュの顔に微笑が灯る、青鸞も同様だ。

 彼の妹、ナナリーと言うのだが……それもまた、2人にとっては共通の知人だった。

 ルルーシュにとっては肉親で、青鸞にとっては幼馴染の友達だった。

 7年前に出会った、大切な友達。

 

 

「……名誉ブリタニア人資格、取ったんだな」

「うん……家の人の意向ってやつでね、ボクはどっちでも良かったんだけど」

「名前も変えたのか?」

「うん、まぁ……いろいろね」

 

 

 ここで初めて、青鸞の胸が痛んだ。

 嘘だからだ、彼女は名誉ブリタニア人申請などしていない。

 ただ租界に入るために必要だったから、キョウトの協力者に今日の昼に手引きして貰っただけ。

 

 

 そもそも、彼女の名誉ブリタニア人証に書かれている名前自体が偽名だ。

 だからルルーシュも顔写真を見るまでは何も思わなかった、直接顔を見てようやく確信したのだ。

 だがそれをルルーシュに言うわけにはいかない、言えるわけも無い。

 自分はまだ日本人で、反ブリタニアの組織に所属しているなどと。

 言えるはずが、無いのだった。

 

 

(まぁ、名誉ブリタニア人扱いされるのは物凄く嫌だけど……租界には、名誉でないと入れないから)

 

 

 仕方ない、一時の屈辱に身を浸すくらいはしてみせよう。

 これもまた、父の教えでもある。

 曰く、必要ならば泥を啜れ――――だ。

 

 

「……ルルーシュくんは?」

「俺も似たようなものだよ、今は……別の姓を名乗っている」

「そっか」

 

 

 ルルーシュ・ランペルージには、ある秘密がある。

 そして青鸞はその秘密を知っている、ランペルージ姓のルルーシュが偽者だということを。

 彼の本当の名前は、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。

 かつて日本を侵略し、植民地化し、そして今も多くの日本人をイレヴンと呼んで差別している超大国、神聖ブリタニア帝国。

 

 

 その神聖ブリタニア帝国の第11皇子、それが彼だ。

 青鸞が彼と出会った7年前、ルルーシュは確かにそう名乗っていた。

 ブリタニアから日本に兄妹で留学に来た、異国の皇子様。

 子供の頃は、絵本から飛び出したような存在を前に随分と舞い上がったもので……。

 

 

「と、ところで、その紙袋は何? 何か買い物?」

 

 

 場の空気を変えるためか、それとも昔のことを思い出して恥ずかしくなったのか、青鸞の方から話題を変えた。

 それはまさに「青鸞」であって、「枢木」の顔ではなかった。

 

 

「え? あ、ああ、これか。いや、特別な物じゃない。ちょっと学校の行事で使う物なんだ」

「学校? ルルーシュくん、学校通ってるんだ?」

「お前だって通ってるだろう? 名誉ブリタニア人なら、学校にも行けるはずなんだから」

「あ、あー……ボクは、キョウトの方だから、学校」

 

 

 また嘘を吐いた、嘘は一つ吐くといくつも連鎖していく。

 ああ、嫌だ。

 青鸞はそう思った、何故なら。

 ルルーシュにだけは、彼女は嘘を吐きたくなかったのに。

 大切な、思い出の人だったから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「青鸞」

 

 

 2人の再会は、意外なほど短く終わった。

 ルルーシュの方に時間が無かったらしく、また青鸞にもそんなに時間は無かったためだ。

 互いに何かしらの用があり、そして互いに当たり障りなく説明して。

 ――――彼らの事情を2つとも知る人物がいたのならば、失笑するだろう状況だとは気付かずに。

 

 

 そして別れ際、ルルーシュは青鸞を呼び止めた。

 最後の話題はもちろん、彼がほんの10分程度の再会の中で口にしなかった話題。

 すなわち、スザクのことだった。

 

 

「青鸞、お前、スザクのこと――――」

「……さぁ、誰のことだったかな?」

 

 

 両手の指を腰の下で組み、スカートの裾を翻しながら青鸞はルルーシュに背を向けた。

 その表情はルルーシュには読めない、だが、青鸞の纏う空気が変わったことは確かだった。

 

 

「確かにボクには兄様がいたけれど、でも、7年前にいなくなった。家とも縁を切って、何もかも捨ててどこかに行っちゃったよ、ボクを置いて――――それはもちろん、言いたいことが無いわけじゃないけどね」

「……そうか」

 

 

 前半はともかく、後半に対して……ルルーシュは頷きを返した。

 明晰な頭脳を持ち、人の心理に対して敏感な部分を持つルルーシュにとってはそれで十分だった。

 だから表面上、彼は頷いた。

 何かを噛んで含めるように、頷いたのだった。

 

 

「青鸞、俺とナナリーのことは……」

「話さない」

 

 

 変わってルルーシュが切り出した言葉に、青鸞は即座の返答を返した。

 話さない。

 7年前の戦争で死んだはずの皇子と皇女が、エリア11で生きているなんて誰にも言わない。

 青鸞は今度は身体ごと振り向いて、そんな意味を込めて柔らかく微笑んだ。

 

 

 それを見て、ルルーシュはそっと頷くように目を伏せた。

 夕焼けのせいだろうか、その左目が微かな赤い粒子を放っているように見えた。

 しかしそれも、すぐに散って消える。

 

 

「そうか……安心した。お前はやっぱり変わらないな、青鸞」

 

 

 スザクと一緒だ――――心の中で、ルルーシュはそう呟いた。

 

 

「そうかな?」

「ああ」

「ふぅん……でも、ルルーシュくんは変わったね」

「そうか?」

「うん、凄くカッコ良くなった」

「はは、ありがとう」

「うわぁ、否定しないとか」

「世辞にはこれで十分だろ?」

「……お世辞じゃないよ」

 

 

 夕日を背景に笑う青鸞は、ルルーシュの目には妙に儚く映った。

 そして今度こそ別れ際、青鸞はそっと手を差し出した。

 ルルーシュは2秒ほど目を見開いた後、薄く笑って、その手を取った。

 

 

 青鸞が目を丸くする、ルルーシュはそっと顔を下げた。

 青鸞の手は軽く持ち上げられて、ほんの僅かに手の甲にルルーシュの唇が触れる。

 子供の頃はくすぐったくて仕方なかったそれも、今はどこか別の意味があるようにも思える。

 

 

「……それじゃ」

「ああ」

 

 

 そしてそれで、お別れだった。

 子供の頃は「また明日」の合図だったそれは、今は別の意味にも思える。

 また明日、ではない何かに。

 

 

 そして互いに背を向けて、それぞれの行き先に向けて歩き出す。

 互いに、思う、同じことを思う。

 ああ、良かったと。

 いろいろあるだろうけど、とりあえずあの子が平和に生きているようで。

 本当に良かったと、そう互いに互いのことを想って。

 

 

((どうか、そのまま平和な世界で幸せに))

 

 

 ルルーシュは、ポケットから携帯電話を取り出した。

 するとそれまで浮かべていた穏やかな表情は全て消えて、鬼気迫った真剣な表情を浮かべる。

 その目には、決意の炎が宿っていた。

 

 

「……私だ、Q-1。今、どこにいる? すぐに指定するモノレール・ラインに――――」

 

 

 一方で、青鸞は公園の出口に待っていた女性と合流した。

 帽子で髪と目線を隠したその女性は、青鸞の後ろ数歩を歩きながら。

 

 

「千葉さんがお待ちです……」

「……そう」

 

 

 頷いて、表情を消して、しかし青鸞は一度だけ後ろを振り向いた。

 そこにはすでに彼はいない、姿も見えない、だけどそれで良いと思った。

 その瞳には、強い決意の光が灯っていた。

 

 

 ――――この時。

 もしこの時、お互いの全ての事情を知った後のルルーシュと青鸞がこの時この場所で出会っていたなら、いや全てと言わずほんの一部でも、お互いの事情を知っていたのなら、その思考を知っていたのなら。

 もしかしたら、歴史は変わっていたのかもしれない。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 布を四方にかけて作られた簡易的な更衣室の中で、青鸞は衣服を脱いでいた。

 租界に入る前、適当に調達した衣服だが――――まぁ、もったいないので持ち帰ろう。

 雅あたりが怒るかもしれないが、何かに使えるだろう。

 そして雅のことに思いが至ったためか、青鸞は背中に回していた手を止めた。

 

 

「ああ、そっか。サポーター……」

 

 

 下着――白の生地に花柄の刺繍がされた物――に触れていた手を離して、地面に直に置かれていた籠から黒のサポーターを取り出した。

 上下一式、ただこれは元々青鸞のために用意された物では無い。

 そのためか、身に着けた時にサイズの違いに顔を顰めた。

 胸にも腰にも余裕がある、喜んで良いのか悪いのか。

 

 

「青鸞」

 

 

 紺色のパイロットスーツを着て、手首の弁から空気を抜く。

 身体にスーツが吸い付く独特の感触に息を吐いた後、脱いだ衣服の傍に置いた白のハンカチに触れる。

 ほんの少し茶色の液体が染みているそれを、指先で優しく撫でる。

 声をかけられたのは、その時だった。

 カーテン代わりの布を手で押しのけて外に出れば、すでに夕日が沈みかけて夜の直前だった。

 

 

「凪沙さん、何かわかった?」

「ああ、キョウト経由で協力者と連絡が取れた。シンジュクの時にも世話になったルートとか言っていたが……まぁ、間違いは無いだろう」

 

 

 そう言って千葉が投げて寄越したのは、IDカードとキーだった。

 カードには青鸞とは似ても似つかない、年齢すらも違うブリタニア人の女性の顔写真があった。

 今度は偽造品ではない、本物だ。

 奪い取った品である、写真の女性はどこかで少し眠ってもらっている。

 

 

 何のためにこのIDカードとキーを奪ったかといえば、写真の女性が警備用ナイトメアのパイロットだからだ。

 彼女が乗るナイトポリスと言うナイトメアは、枢木スザクが軍事法廷に移送される際の警備の1機だ。

 見上げれば、青と白のカラーリングが施されたナイトメアがある。

 警備に潜り込み、処刑の経過を見守って情報収集に努める、それが今回の任務だ。

 

 

「……解放戦線としての行動はまだ決定されていないが、しかし同時にどう転んでも良いように最善を尽くせとの命令が出ている」

 

 

 千葉の言葉に、青鸞は頷く。

 それは事実だった、日本解放戦線はこの件に関して何の意思決定もしていない。

 応じるのか、無視するのか、それすらも決められずにいる。

 辛うじて、周囲のゲットーから行ける者は租界に潜入し可能な努力をしろと言う、どうとでも取れる伝達があっただけだ。

 

 

「だが青鸞、これはかなり危険な任務だ。お前が出る必要は無い、私がやっても良い」

「ううん、凪沙さんには全体の指揮を……撤退のタイミングとか、そう言うのを見てもらった方が良いと思う」

 

 

 警備のナイトメアを奪い――残念ながら、かなり端の方だが――潜入する、かなり危険を伴う。

 正直、青鸞に任せるべきではないと千葉は思っている。

 だが本人が強く希望した、自分がやると。

 

 

「一つ言っておく、青鸞。解放戦線はまだ今回の件について何も決定していない、よって、監視以上の行動はしてはならない」

 

 

 ナイトポリスに乗り込む準備をする青鸞に、千葉はそう言った。

 どこか言い聞かせるような声だったが、それも仕方ないだろう。

 青鸞と枢木スザクの関係を知っていれば、どうしてもそうなる。

 そしてそれは、青鸞が誰よりも一番良く知っていた。

 

 

 だからか、青鸞は努めて笑顔を浮かべていた。

 スーツで締め付けられた指を鳴らすように開閉しながら、千葉の顔を見上げる。

 千葉に対して頷きを返して。

 

 

「わかってる、必要以上のことはしないよ」

「……なら、良い」

「はい」

 

 

 そう言って、青鸞はコックピットに上がるためのワイヤーに手を触れた。

 素早く上がっていく青鸞の後ろ姿を、千葉は厳しい目で見送っていた。

 そんな千葉の傍に、佐々木が寄ってくる。

 

 

「……良いのですか?」

「良くは無いな」

 

 

 茅野は租界と外の脱出ルート確保のためにここにはいない、いるのは千葉と佐々木だけだ。

 いざと言う時、青鸞を連れ帰るための2人。

 藤堂と草壁、対立派閥(本人達がどう思っているかは別として)に所属する2人が並ぶというのも不思議な印象だった。

 だが実際、もしもの時には千葉は自らが囮になってでも青鸞を逃がすつもりだった。

 

 

「だが、必要だ。あの子が、本当の意味で父親の跡を継ぐと言うなら……な」

 

 

 最も、と、内心で千葉は思う。

 父親の、枢木ゲンブの。

 

 

(借り物の理想で、どこまでやれるものか……)

 

 

 はぁ、と、千葉は溜息を吐く。

 

 

「ナリタに戻り次第、責任は私が取る」

「……それは」

「……私も、朝比奈のことは言えないな」

 

 

 わかっているのか、青鸞。

 動き出すサザーランドを見上げながら、千葉はそう問いかける。

 借り物の理想で、人は動かない。

 人を動かすためには、もっと他の物がいるのだと。

 それをあの子は、わかっているのだろうか?

 

 

 ……そして、始まった。

 枢木スザクの処刑へのカウントダウンが、始まった。

 そしてそれが、誰にとっても始まりとなる。

 

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 一方で、ナリタの日本解放戦線上層部では昨日に続いて激論が交わされていた。

 枢木スザクを英雄視する者もいれば、ブリタニアに寝返った裏切り者と切り捨てる者もいる。

 奪還作戦を行うべしと叫ぶ者もいれば、無視すべきと主張する者もいる。

 

 

 司令官片瀬は結局何れの意見にも頷かず、事態を静観することとした。

 そして出された結論が、いろいろ言ってはいたが、要するに「現場の判断に任せる」と言う玉虫色の結論であった。

 とみに、纏め役のいない組織の弱さである。

 

 

「藤堂さん」

 

 

 会議室から通路へと出た藤堂の傍に、即座に駆け寄ってきた男がいる。

 朝比奈だ、彼だけでは無い、会議室にいる幹部の側近連中が通路に連なって待っている様はなかなか異様と言えた。

 ここにいる数だけ派閥があると思えば、なおさらだ。

 

 

 その意味において、やはり日本解放戦線という組織は一枚岩では無いのだろう。

 それぞれのグループがそれぞれの上官を盛り立てていて、しかも相対的にその力が拮抗していてリードする人間がいない。

 朝比奈などからすれば、戦争時の実績がある藤堂がもう少し前面に立てばとも思うのだが。

 

 

「どうでしたか、会議」

「…………」

 

 

 沈黙で応じる藤堂に、朝比奈は会議の内容を大体想像することが出来た。

 出口の無い主張のぶつかり合いを議論とは言わない、それを会議とは呼べない。

 朝比奈としては、もどかしい思いをせざるを得ない。

 

 

「……租界の千葉からは、何か報告は」

「はい、シンジュク・ゲットーから租界へと向かって、そこで情報を収集すると」

「そうか……朝比奈」

「はい」

 

 

 問いかけに応じると、藤堂は低い声で。

 

 

「スザク君……枢木スザクをどう思う?」

「どうと言われても、直接会ったことも無いですからね。まぁ、でも……」

 

 

 突然問われて戸惑うが、それでも朝比奈は自分なりの答えを返そうと思考した。

 枢木スザク、日本最後の首相枢木ゲンブの息子。

 これ自体は、意外と知られている話だ。

 ただゲンブ首相自身がそれほど評価が高くないことに加えて、その息子と言うのが……。

 

 

「日本人の誇りを捨てて名誉ブリタニア人になった、裏切り者……ですかね」

 

 

 実際、名誉ブリタニア人を見る目は厳しい。

 日本人を裏切り、それでいてブリタニア人でも無い、そう言う存在だ。

 どちらにも認められない狭間の人間、それが名誉ブリタニア人。

 しかも枢木スザクの場合、軍籍にいたわけである、同胞を取り締まる立場にいたわけだ。

 

 

 ブリタニアの皇子を仕留めるという大金星を上げていながら認められないのは、そのためだ。

 まぁ、それでも一部の日本人には彼を見直す向きもあるにはあるのだが。

 いずれにしても朝比奈の認識としては「裏切り者」であったし、何より。

 ……本来、現在の青鸞の位置にいるべき人間だったはずだと朝比奈は思う。

 

 

「……そうか」

 

 

 短く答えた藤堂、その胸中は複雑だった。

 彼の部下や解放戦線の仲間達は、彼が青鸞と同じように反体制派の組織に所属していないことを責めている、藤堂自身はともかくとして。

 藤堂は、全ての真実を知っているから。

 

 

「でも藤堂さん、青ちゃんをこのタイミングで租界に行かせたのは……」

「間違い、か……」

 

 

 だが、千葉ではおそらく止められなかっただろうと藤堂には思う。

 枢木スザク処刑の報を受けて、それでシンジュク・ゲットーから平然と戻ってこられても複雑な思いを抱いただろう。

 これに関しては、藤堂としては苦しい立場にいるのだった。

 

 

 幼い頃の2人を知っていれば、なおさらだ。

 兄のことも妹のことも知っている、そんな軍人はおそらく藤堂だけだろう。

 そして、枢木ゲンブ首相のことを知っているのも。

 

 

「……いずれにしても、租界の千葉からの連絡を待つ。全てはそれからだ」

「そう、ですね」

 

 

 昔からの部下の微妙な返答を耳に入れて、藤堂は表面上は表情を変えずに歩き続けた。

 しかし刀の鞘を握るその拳は、固く握り締められていた。

 まるで、今にも動き出しそうな程に……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ジェレミア・ゴッドバルトと言う男は、その時点では輝かしい経歴を持っていたと言える。

 若干28歳にして辺境伯の爵位を得て帝国辺境――つまりエリア11――において軍事指揮の権限を有し、ナイトメアのパイロットとしても管理官と言う役職面でも有能、ついには総督亡き後、自らの派閥を率いてエリア11の政庁を制圧、代理執政官として総督の代理を務める形になっている。

 

 

 皇族・大貴族を除く一ブリタニア人としては、まさに人臣を極めたと言えるだろう。

 だが、ジェレミア自身にとっては実はそのこと自体はさして重要では無かった。

 彼にとって地位と権力は手段であり、目的では無いからである。

 その意味では、ジェレミアは高潔な人間であった。

 

 

(シンジュクの戦場にいながら、クロヴィス殿下をお守り参らせることが出来なかったこと。このジェレミア、生涯二度目の不覚……!)

 

 

 彼は悔いていた、シンジュクでの戦いでクロヴィス総督を――――ブリタニア皇族を守護できなかったことを。

 後方で指揮を執っていたクロヴィスを、前線でナイトメアを駆って戦っていたジェレミアが守れないとしても当然……しかも彼はテロリストとの戦いの最中で機体を失うなどのトラブルも経験し、事実上守護など不可能だった、だがジェレミアはそれを言い訳にするつもりは無かった。

 

 

 後悔は残る、しかし彼は後悔に呑まれて立ち止まるようなことはしなかった。

 テロリストの凶弾に倒れたクロヴィス総督の遺志を継ぎ、軍内からテロリストと繋がる名誉ブリタニア人を一掃する。

 そのためには、「実行犯」である名誉ブリタニア人を確実に裁かねばならない……!

 枢木スザクがその時点でナイトメアに乗っていてアリバイがあるなど、ジェレミアは信じない。

 

 

(名誉ブリタニア人がナイトメアの操縦者になれぬことは国法に明記されている、ましてブリタニア人が殿下を殺害するはずが無い……!)

 

 

 そう、信じていたが故に。

 

 

「これより大逆の徒、枢木スザクの軍事法廷への移送を開始する!」

 

 

 ジェレミアの声が、トーキョー租界の夜に高らかに響く。

 彼は自らサザーランドを駆り、枢木スザクを軍事法廷へと移送していた。

 コックピットを開いたままオート操縦でサザーランドを動かし、護送車と護衛のサザーランド部隊を率いながら沿道を進む。

 

 

 道の要所要所にはジェレミア配下のサザーランドが配備され、万が一イレヴンの反体制勢力が枢木スザクの救出に動いたとしても対応できるようになっていた。

 高架道路の沿道には多くの「愛国的」ブリタニア市民が集まり、護送車の上で晒し者にされている少年に向けて罵倒を浴びせている。

 その全てがスザクへの悪意に満ちた声であり、1人の少年の精神を打つには十分な威力を持っていた。

 

 

「…………」

 

 

 そしてその全てを、スザクは胸を張って受け止めていた。

 殴打されたのだろう、顔にはいくつも痣がある。

 しかしその瞳は、聊かも揺らいではいない。

 

 

 何故なら彼は、自分が無実であることを知っているからだ。

 例え誰も自分を信じてくれなかったとしても、自身が罪を犯していないのならば堂々とすべきだ。

 スザクは、自分のルールとしてそう決めていた。

 そのルールを自ら曲げない限り、彼は自分が折れないと確信していた。

 

 

「……?」

 

 

 しばらく進んだ時、護送車が止まった。

 どうしたのだろう、とスザクは思う。

 移送の計画など知らないが、しかし止まる必要は無いはずだ。

 

 

 そう思い、スザクは顔を上げる。

 顔を上げた先、道の向こう。

 そこに、一台の車が――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ぎし……と、握り締めた操縦桿が軋みを上げるのを青鸞は聞いた。

 場所は高架道路からやや距離のあるビルの屋上、ちょうど、護送車が止まった位置を正面に見据える位置だ。

 そこに、青鸞が操縦者に成りすましているナイトポリスがいた。

 

 

『……ナタリー、ナタリー騎装員、聞こえるか?』

「…………」

『ナタリー?』

 

 

 はっとして、青鸞は通信機へと返答を返した。

 

 

「はい、聞こえています」

『そうか、なら良い。にしても、今日何か声変じゃないか?』

「申し訳ありません、先程から少し喉の調子が……風邪を引いてしまったかもしれません」

『そうか、まぁ、この仕事が終われば良く休め……予定に無い停止だが、軍の方からは持ち場を守っていれば良いと通達が来た。そのまま待機しておいてくれ』

「はい、わかりました」

 

 

 流暢なブリタニア語で返す、IDに記載されているコード付きの返信であるために疑いも少ない。

 通信を切った後、息を吐きながら青鸞は自分を叱咤した。

 しゃんとしろ、ここは敵地のど真ん中なんだぞ、と。

 いくら総督殺害の混乱で穴があるとはいえ、租界の外に出るのも楽では……。

 

 

 ……しかし、その思考もすぐに切れる。

 遠く、高架上の道路にある護送車の上、そこに立たされている少年の顔がコックピット・ディスプレイに映し出されているからだ。

 色素の抜けた茶色の髪、琥珀の瞳、鍛えられた細身の身体。

 枢木、スザク。

 

 

「…………どうして」

 

 

 昔からずっと問うてきた言葉、それをまた呟く。

 もう、何度同じ問いかけを虚空にしてきただろう。

 繰り返し繰り返し問いかけてきたその言葉、だが、一度も答えが返ってきたことは無い。

 あの時だって、答えてくれなかった。

 

 

 今でも、昨日のことのように思い出せる。

 白目を剥いて倒れた父、その傍らで刀を手に立つ兄。

 そして、呆然と立つ自分。

 枢木スザク、自分と血を分けた兄、そして。

 ――――父の、仇。

 

 

「どうして……」

 

 

 だが、その先の言葉は無い。

 答えでは無い、スザクの答えだけでなく、青鸞自身もその先の言葉を持たない。

 何故なら、言葉とは自分と相手の会話によって生まれるものでもあるからだ。

 それは、感情の方向性を決めるものでもある。

 

 

 憎めば良いのか、愛せば良いのか。

 今は圧倒的に前者が強い、ずっとずっと憎んできた、怒りを蓄えてきた。

 何度も、夢に見た。

 どうして殺した、父様を。

 どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして――――。

 

 

「ドウシテ……!」

 

 

 ぎし、と、ナイトポリスの操縦桿から再び軋みが上がる。

 青鸞自身には見えていないだろう、ディスプレイに映るスザクを見る自分がどんな目をしているか。

 ……千葉は、兄妹の情によって青鸞が動くのでは無いかと危惧していただろう。

 逆だ、青鸞は決して兄妹の情などでスザクのためには動かない。

 そのことを正確に知っている者がいるとすれば、日本でおそらく2人だけだ。

 

 

 ……青鸞は聞きたかった、どうしても。

 どうして、父を殺したのか。

 そして、どうして今になってクロヴィス総督を殺したのか。

 日本を裏切って父を殺し、名誉ブリタニア人になった癖に。

 どうして、今になって日本の味方みたいなことをするのか。

 

 

「わからないよ、貴方が。兄様……!」

 

 

 知らず、青鸞の瞳に涙が浮かぶ。

 キツくスザクを睨む彼女の目に、透明な雫が浮かび上がる。

 相反する2つの事象を前にした時特有の、胸の奥が裂かれそうな感覚が彼女を苛んで……。

 

 

「ん?」

 

 

 その時、ふと青鸞は気づいた。

 というより、その場にいる全員が気付いただろう。

 高架道路に繋がるサードストリート、そこから白い大型車が入ってきたのだ。

 沿道の人々が戸惑いの声を上げる中、その車は枢木スザクの護送車の前で停止した。

 ぐ、と目元を拭って、青鸞はそれをじっと見つめた。

 

 

「白の……御料車? 熱源は、2つ……」

 

 

 スザクの顔を一方に映したまま、青鸞はその車にもナイトポリスのセンサーカメラを向けた。

 ビルの上で僅かに機体を動かし、上から俯瞰するように観察する。

 すると、護送中は止められているはずの物資輸送用のモノレール・ラインが高架下まで動いていることに気付いた。

 

 

 まさか、と思った時、事態が動く。

 護送車の前にいる先頭のサザーランド、その開いたコックピットに立つ男が車の中にいる人間に出て来いと言ったのだ。

 アレは確かニュースで見た男だ、名前はジェレミアと言ったか。

 そして、そのジェレミアの声に応じるように。

 

 

『私は――――ゼロッ!!』

 

 

 1人の人物が、張りぼての車の壁を焼き払いながら姿を現した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その人物の姿を見た時、青鸞は純粋にこう思った。

 ――――何だ、あの趣味の悪い奴は。

 随分と酷い感想だが、しかしその場にいる誰もが似たようなことを考えただろう。

 

 

 180センチに届くか届かないかくらいの背丈で、少々貴族趣味な衣装。

 黒のマント、黒の靴と手袋、ここまででも相当だが、まぁしかしここまでならファッションセンスだと言われても納得するだろう、何とか。

 しかし、一点だけ。

 

 

「か、仮面……?」

 

 

 そう、その人物は黒い仮面で自分の顔を覆っていた。

 アップで映像を映せば、黒いトゲや金のラインで装飾されているらしいことがわかる。

 いや問題はデザインではなく、何故あんな仮面で顔を隠しているのかと言う点だ。

 まぁ、普通に考えれば顔を見られたくないのだろうが。

 

 

『枢木スザクを貰い受けたい、コイツと交換でな』

 

 

 ナイトポリスの集音声の問題か、それとも単純に距離があるためか、ジェレミア側の声を拾えない。

 だが何故かゼロと名乗った男の声は問題なく拾える、マイクか何かで周囲に声が通るように拡声しているのかもしれない。

 ただ、「枢木スザクと交換だ」と言う部分だけが青鸞の耳に届いた。

 

 

(交換!? 取引!? そんなことが……)

 

 

 出来るはずが無い、ブリタニア軍はテロリストの要求を絶対に飲まない。

 必要とあれば人質になった自国民ごとテロリストを殲滅するのがブリタニアと言う国だ、そんな国の軍隊に取引など通用するはずが無い。

 ましてスザクは、クロヴィス総督を殺した大逆罪の。

 

 

 青鸞は混乱した、スザクの身柄を要求するということはあの仮面の人物は日本人なのか、どこかの組織に属するテロリストなのか?

 スザクの生まれを知っているのか、それとも他に理由があって?

 先程までスザクのことを考えていただけに、混乱の度合いはいっそう強まった。

 

 

『違うな、間違っているぞ――――ジェレミア』

 

 

 ディスプレイの中で、白の御料車が爆ぜた。

 どうやら張りぼてだったらしい、そして張りぼての中には奇妙な物があった。

 それは、半球体の塊だった。

 デコボコと突起やケーブルがついており、球体の横に付属している四角い機材に直結している。

 

 

『クロヴィスを殺したのは――――』

 

 

 アレは……と、青鸞が感じた疑問を解決する前に。

 ゼロと名乗った仮面の男は、大仰な動作で宣言した。

 

 

 

『――――この、私だッ!!』

 

 

 

 ――――この時、青鸞が感じた感情は2つだ。

 疑念と、失望。

 まず第1に、疑念……あんな仮面の言うことを鵜呑みにするのかと言うこと。

 しかし、皇族殺しを宣言して得をする人間がいるだろうか、それも警備網のど真ん中で。

 だから嘘ではないのかもしれない、そこで出てくるのが第2の感情、失望だ。

 

 

 失望、それはスザクに対する感情だ。

 言葉にするなら、「ああ、やっぱり」。

 やはり、あの人は日本人の味方などでは無かったと言う感情だ。

 何故か、青鸞は自分の胸の奥が抉られたような深い失望を感じた。

 自分でも、不思議な程の失望感だった。

 

 

(はは、何だ、もしかして期待してたの? ボク……)

 

 

 そんな期待、するだけ無駄なのに。

 あの人は父を殺して、ブリタニアに走った、ただの裏切り者。

 間違っている、期待することが――――期待してしまう自分が、間違っている。

 だから……だから、青鸞は乾いた声で笑った。

 

 

『ほぅ、私を殺すか? 良いだろう、そうしたければそうするが良い。だが私が死ねばアレが……「オレンジ」が公表されることになるが、それでも良いのかな?』

 

 

 ナイトポリスのセンサー類は変わらず音を拾ってくれている、だがこれまでのようなテンションで聞くことは出来なかった。

 しかしそれでも、ゼロがジェレミアに銃を向けられる段になって、少しだけ迷った。

 はたして、スザクを助けようとしているあの仮面の人物は何者かと。

 ゼロがもし無実の日本人(名誉ブリタニア人だが)を救おうとしている、それだけの人間なら……。

 

 

『公表されたくなければ……』

 

 

 だとすれば、日本人だとすれば。

 だがこの状況下から何が出来るだろうかと、何とは無しに思考を回していると。

 

 

『……私達を、全力で見逃せ!!』

「見逃せって、そんなことが出来るわけが……」

 

 

 呟いた矢先、不可解なことが起こった。

 先程までゼロに銃を向け、何かしらの言葉を叫んでいたジェレミアが銃を下げたのだ。

 しかも後ろの護送車に何かを告げた直後、枢木スザクの身柄が解放されたのである。

 拘束衣はそのままだが、しかし銃を持った兵士の下からは解放された。

 ゆっくりと道路の上を歩くスザクの姿を、青鸞は信じられないものを見るかのような目で見つめた。

 

 

 何だ? 何が起こった? いったいどうしてスザクは解放された?

 ブリタニア軍が要求を飲むのか? まさか、そんなはずは無い。

 だが現実として、スザクはゼロの目の前にまで歩いて行った、撃たれることも捕らえられることも無く。

 知らず、青鸞は操縦桿を強く握り締めていた。

 

 

「あ……!」

 

 

 次の瞬間、御料車から煙が出た。

 それはチャフスモークのようで、沿道の人々が煙をかぶっても倒れない所を見ると毒ガスなどの類では無いらしい。

 そして同時に、さらにあり得ない出来事が起こった。

 

 

 ゼロとスザクが逃げるのを止めようとした他のサザーランドを、ジェレミアのサザーランドが阻止したのである。

 それは明らかにゼロとスザク、そして車から飛び出してきた赤髪の女の逃亡を助ける行為だった。

 正直、意味がわからない。

 ゼロの言っていた「オレンジ」が関係あるのか? だが。

 

 

「……兄様は? それと、ゼロは――――」

 

 

 見つけた、青鸞の位置だからこそわかった、高架下のモノレール・ラインだ。

 そこにもう1機、作業用のナイトメアタイプの機体があったようだ。

 スザクはゼロ達に連れられる形で高架から飛び降り、その機体が張ったネットを経由、モノレールの貨物車に飛び降りた。

 そしてモノレールが走り出す、ネットを張った機体はサザーランドに破壊されたが……。

 

 

『――――全部隊に徹底させろ!』

「……ッ、何?」

 

 

 通信機から、大音量で男の声が響いた。

 何事かと思うが、ニュースで聞いたジェレミアの声に似ているような気もする。

 

 

『いいか、全力だ! 全力を挙げて奴らを見逃すんだッッ!!』

「はぁ?」

 

 

 意味不明の通信だ、実際、何のことを言っているのかわからない。

 まぁ、良い。

 青鸞は元々ブリタニアの言うことを聞く必要は無い、だが。

 

 

「…………」

 

 

 ディスプレイの向こう、モノレールが高速で移動している。

 画像を何枚も重ねて確認すれば、まだ顔が見える。

 スザクの顔が――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『良し……全ての条件はクリアされた。後は予定のポイントでラインから降りれば良い』

 

 

 救われた形になったスザクは、自分が今どうなっているのか、自信が無かった。

 自分は軍事法廷に出廷するはずだった、だが、何故かモノレールに乗って逃げている。

 逃げている……ルールを曲げて?

 自分は、また。

 

 

「……キミは、いったい……?」

『話は後だ、まずは安全なポイントまで……』

 

 

 自分の横にいる仮面の人物、確かゼロと言ったか。

 ゼロを見上げる、するとゼロはじっとモノレールの後方を見つめていた。

 釣られるようにそちらを見れば、どんどん遠ざかる高架道路が見えた。

 

 

『……ほう、どうやら少々骨のある奴がいたようだな』

「え?」

『追っ手だ』

 

 

 マイク越しの声に顔を上げれば、モノレールを追いかけるようにレール上を走る機体があった。

 ナイトメアだ、だがサザーランドでもグラスゴーでも無い。

 青と白のカラーリング、警備用の軽武装のナイトメア――――ナイトポリスだ。

 だがスザクは知らない、いやゼロでさえも。

 そのナイトポリスに乗っているのが、ブリタニア人では無いことを。

 

 

 ……何をやっているんだ、自分は。

 ナイトポリスの中で、青鸞は唇を噛み切っていた。

 これは明らかに命令の範囲を逸脱している、ナイトポリスのランドスピナーをレール上を走らせ、スザクを乗せて逃げるモノレールを追いかけている。

 

 

「……どうして」

 

 

 今度は、自分に対する問いかけだった。

 どうして、してはならないと頭ではわかっているのに。

 どうして自分の身体は、操縦桿を前に倒している?

 

 

 ナイトポリスが加速する、赤髪の女が走らせるモノレールを追って。

 青鸞が追う、それに対してゼロはスザクの前に出て彼を隠した。

 まるで、彼を守ろうとするかのように。

 

 

「おい、どうするんだ!?」

『大丈夫だ、問題ない』

 

 

 運転席の窓から顔を出した赤髪の女――こちらも顔をバイザーで隠しているが――に、ゼロは平然と応じた。

 

 

『私もまさかジェレミアが全ての部下を御せるなどとは期待していない、当然、策はある』

 

 

 そう言ってゼロが懐から取り出したのは、掌サイズのスイッチだった。

 どこかチェスの駒を思わせるデザイン、その頭にある赤いボタンを押す。

 次の瞬間、モノレールのラインが爆発した。

 

 

 声を失うスザクの前でオレンジ色の閃光が走り、衝撃と共にラインが崩れる。

 ナイトポリスに直撃するタイミングだった、同時に装甲を抜ける程ではない。

 絶妙に威力調整がされていたのか、モノレールの高架が崩れることも無かった。

 

 

『ふ、これで――――何ッ!?』

 

 

 初めて、ゼロの声が動揺した。

 爆発に巻き込まれたはずのナイトポリス、それが何故かラインの外から復帰してきたのである、ゼロでなくとも驚愕の事実だろう。

 しかし、スザクには見えていた。

 

 

 あのナイトポリスは、爆発直前にラインの外に自分で跳んだのだ。

 そして高架そばのビルの壁にスラッシュハーケンを撃ち込み、巻き戻しで機体を爆発の威力の外へと逃がした。

 すると当然、ラインからは外れるのだが……スラッシュハーケンの片方を壁に刺したまま機体を返し、もう一本のスラッシュハーケンを無事な側のラインへと放って戻ったのである。

 

 

(ナイトメアの操縦に慣れている、それも、かなり実戦で……警察の動きじゃない)

 

 

 スザクが見守る中、ゼロが次の策に出た。

 流石にあれ一つと言うわけではなかったらしい、次の策は再びチャフスモーキングでの目晦ましだ。

 車両にあらかじめ備えておいたらしい、どこからそんな機材をと逆に感心する。

 

 

 さらに驚嘆なのはこの後、モノレールのライン変更の分岐点に差し掛かった時である。

 本来ならモノレールに分岐点など無いのだが、これは租界へ物資を輸送する特別ラインだ。

 租界の各区画へ繋がっている、ポイント切り替えも電気式だ。

 ただ手動のはずだが、いったいどうやって……他にも仲間がいるのだろうか。

 

 

「……ッ、しまった!」

 

 

 ここまで来ると、もはや本来の任務がどうとかそう言う話ではない。

 青鸞がチャフスモークの外に出た時、目の前にモノレールはいなかった。

 分岐だ、左のディスプレイを見ればビルの間に微かにモノレールが見えた。

 まだ遠くない、だから青鸞は操縦桿を前に倒してペダルを踏み込んだ。

 

 

「こん……のぉっ!」

 

 

 まずジャンプ、ラインの上に差し掛かった高速車両用道路の壁に機体の足をぶつけて乗せる。

 そしてスラッシュハーケンを発射、左のビルの壁に刺して巻き戻す。

 右手側にある端末を指先で叩いてランドスピナーの角度を変え、狭いビルとビルの間に機体を通す。

 結果、ビルの隙間をナイトポリスの機体が駆けた。

 コンクリートの壁とランドスピナーの間で火花が散り、高速で機体を走らせる。

 

 

『何だと……!』

 

 

 ゼロが右を振り仰ぐ、そこには青と白のカラーリングを成されたナイトポリス。

 ラインに機体を着地、再び始まる追走劇。

 ちっ、と、仮面の下で確実にゼロは舌打ちをした。

 

 

 それは青鸞も同じだった、彼女はナイトポリスのディスプレイに映る仮面の男を睨んだ。

 次から次へと自分を撒こうとする相手、しかもやり口が妙にいやらしい。

 そして、皮肉なことに青鸞とゼロは同時に同じ台詞を吐いた。

 

 

「『しつこいッ!!』」

 

 

 ゼロは驚愕した、まさか一介の警備ナイトメアの操縦者にこれ程の技量があろうとは。

 ブリタニアの人材の層の厚さを表しているようで憎らしいが、しかし認めるべきは認める。

 ただ、今に限って言えばゼロの目的達成の邪魔でしか無かった。

 

 

 とはいえ、まだ最後の策がある。

 彼は懐から携帯電話のような小さな端末を取り出した、そして素早く一連の数字を打ち込む。

 次の瞬間、彼らが乗っている車両より後ろの車両が全て切り離された。

 

 

「……ッ!」

 

 

 ナイトポリスの中で青鸞は息を呑む、しかし対応できないタイミングではない。

 機体を飛ばして車両の上に乗せる、そしてそのまま……という所で彼女は機体を急停止させなければならなかった。

 何故なら、車両の上に壁があったからだ。

 高層ビルの中にラインが通っていて、トンネルのようになっていたからだ。

 

 

『ふふはははは、私達を追うのに集中するあまり、地理の確認を怠っていたようだな。ラインの運営会社とビルの地主の妥協で出来た特殊構造物、これの入り口を切り離した車両で塞いでしまえば……』

 

 

 仮面の中でゼロが笑う、しかしその声は青鸞には届かない。

 彼女は車両の上でナイトポリスを立ち往生させたまま、ビルの向こうに続いているだろうラインを追えるかどうかを思考する。

 だが……。

 

 

『青鸞!!』

 

 

 ナイトポリスの通信機ではなく、座席下に放られた解放戦線の通信機から怒声が響いた。

 千葉だ、その声を聞いた途端、青鸞は自身の中で何かが冷えていくのを感じた。

 怯んだように息を呑み、通信機にそのままの視線を向ける。

 

 

『何をしている、撤退だ!』

「な、凪沙さ……ぼ、ボク、ボクは」

『言い訳は後で聞く! 早く降りて合流ポイントに向かえ、おいていかれたいのか!?』

「あ……ぅ……」

 

 

 ディスプレイを見る、車両と高架、ビルの壁で塞がれている前を見る。

 そこに、いたのだ、さっきまで。

 ほんの少し前まで、そこにいた。

 ……スザクが、そこにいた。

 

 

 聞きたかった、どうしてと。

 答えてほしかった、理由を。

 問いかけたかった、自分はどうしてこんな真似をしたのか。

 何もかもが彼女の思い通りにならなくて、そう思ったら、もう、胸の奥がぐちゃぐちゃで。

 だから。

 

 

「――――アァッ!!」

 

 

 操縦桿に拳を叩きつけて、青鸞は声を上げた。

 操縦桿を殴りつけた拳を握り締めて、震えて、俯いて、ただ。

 ただ、声を上げた――――。

 




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 今回の名誉ブリタニア人の描写は、私にしては優しかったかもしれませんね(え)。

 冗談はさておき、今話はやや無理をして青鸞をトーキョー租界へ。
 いえ、単純にルルーシュを出したかっただけです。
 でも、それ以上にナナリーを出したい。
 具体的には、ルルーシュにナナリーナナリーとお騒ぎさせたい、でもそれをやるとギャグに行ってしまいそうで……くそぅ。
 そんなわけで、次回予告です。


『……弱い。

 何て弱さ、何て脆弱、こんなことで父様の跡を継げるはずが無いのに。

 もっと、自分を強く持たないと。

 いつまでも、準備期間ではいられない。

 もう、弱い自分は嫌だから……』


 ――――STAGE6:「次へ の 胎動」


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STAGE6:「次へ の 胎動」


 他の話がSTAGE表記なのに、第零話だけ漢字表記であることに突っ込みが無い件について……!
 それはさておき、最新話です。
 今回は後書きにて募集がありますので、よろしければご確認ください。



 

 営倉。

 いわゆる懲罰房であって、軍規違反などの理由で罪を犯した軍人を収監する独房である。

 旧日本軍を母体とする日本解放戦線においても、当然それはある。

 ナリタ連山の拠点の中でも最も地下にある暗い空間に、それは設置されている。

 

 

 電子ロックのかかった、重厚感のある大きな鉄の扉がそれだ。

 ここは特に重営倉と呼ばれる営倉で、通常の営倉よりも扱いは厳しい。

 広さは3畳、1日の食事は麦飯3合と固形塩、水のみ。

 そして、彼女がここに自ら入ってすでに2日目……。

 

 

「中佐殿に――――敬礼ッ!」

「ご苦労、ロックを開けてくれ。時間だ」

「はっ!」

 

 

 その場所に、藤堂がいた。

 当然だが藤堂が営倉入りの処分を受けたわけでは無い、そんなことになった日には日本解放戦線は冗談ではなく回らなくなってしまうだろう。

 逆に言えば、それだけ藤堂の肩に重圧がかかっていると言うことでもある。

 

 

 そして藤堂の後ろには、一組の男女がいる。

 朝比奈と千葉だ、それぞれ藤堂と同じ深緑色の軍服に身を包んでいる。

 それぞれ特に反応は無いが、千葉がやや疲れを感じさせる表情を浮かべているのは、彼女が先程別の営倉から出てきたばかりだからだ。

 2日、同じだけの日数を千葉は過ごしたのである。

 

 

「開きました。中佐殿、どうぞ!」

「うむ」

 

 

 電子キーに「開錠」の文字が表示されて、2歩下がって女兵士が敬礼する。

 それに頷きを返し、藤堂は扉の前に立つ。

 すると自動式の扉が重そうな音を立てながら横にスライドしていく、中も狭いが扉の開きも狭い。

 長身の藤堂が身を屈めて、中に一歩を踏み出して……止まった。

 

 

「藤堂さん?」

 

 

 急に動きを止めた藤堂に、朝比奈が訝しむ。

 しかしどう言うわけか藤堂は中には入らず、むしろ背を向けて外へと出た。

 そして、彼は目を閉じたまま咳払いをして。

 

 

「……千葉、すまないが起こしてやってくれ」

「は?」

 

 

 普段ならあり得ないことだが、千葉は藤堂の言葉の意味を図りかねて眉を顰めた。

 しかし朝比奈は「あ」と声を上げ、そこで千葉も何かに思い至ったのか表情を改めた。

 そして溜息を吐き、藤堂の横を通って狭い室内へと入っていく。

 

 

 後ろから聞こえてくる千葉ともう1人の声に微妙な表情を浮かべつつ、藤堂は何となく朝比奈を見た。

 すると彼の部下は肩を竦めて笑って見せた、藤堂は再びの咳払いでそれに応じる。

 藤堂としては珍しいことに、どこか気まずそうな表情を浮かべているように見えた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞は、恐縮していた。

 営倉に備えられている畳の上、白の襦袢姿で正座する青鸞がいる。

 そこから1畳を挟んで藤堂がいる、彼は傍らに刀を置いて正座で青鸞と向かい合っていた。

 藤堂はと言えば、どことなく気まずげな雰囲気を醸し出していた。

 

 

「その……すみません」

「む……」

「いえ、あの、直さなくちゃな、とは思ってるんです。ただその、寝てる間のことは自分でもなかなか……み、見苦しいものをお見せして……」

「い、いや、別に見苦しいと言う程では」

「え?」

「ああ、いや……」

 

 

 何故か営倉の向こうで朝比奈の悲鳴が聞こえた気がしたが、とにかくこのままではお互い話にならないということで、流すことにした。

 咳払いの後、藤堂は改めて青鸞を見た。

 白の襦袢姿の少女は、心なし袷を直しながら居住まいを正す。

 藤堂の視点から見て、僅か2日で少し痩せたようにも思えた。

 

 

「……本日一二○○をもって、お前の営倉入りは解除される」

「はい、先日の租界での独断行動、本当に申し訳ありませんでした」

 

 

 指をつき、青鸞が額を畳に触れさせるように頭を下げる。

 それに対して、藤堂は一瞬だが苦しげな顔を見せた。

 本来、軍人では無い青鸞が営倉に入る必要は無い。

 だが一度解放戦線の指揮下に身を寄せたからには、自身の行動に対して一定の責任は生ずると言うことで、自らの意思で重営倉に入ったのである。

 

 

 それを潔しと見る者もいれば、そうでない者もいる。

 だが青鸞の存在はナリタの保護住民や兵士の一部では象徴的なイメージがある、そのためこの処置を知っているのは藤堂を含む幹部連だけだ。

 重営倉が選ばれたのはその過酷さと、最大3日と言う時間の短さがちょうど良かったためだ。

 しかし、藤堂が苦しげな表情を浮かべたのはそんな理由からではなかった。

 

 

「……スザク君を、追ったそうだな」

「…………」

 

 

 ぴくり、と、頭を下げたままの青鸞が肩を震わせた。

 それを見て、藤堂は内心で溜息を吐く。

 

 

「そうか、わかった……もう良い」

「良くはないです!!」

 

 

 顔を上げて、青鸞が叫んだ。

 しかし藤堂は目を閉じて首を横に振り、取り合わなかった。

 

 

「情報によれば、スザク君は昨日晴れて無罪が確定したらしい。クロヴィス総督の殺害実行犯はゼロ、ブリタニア側はそう発表した」

「だからこそ……だからこそ、(ワタシ)。ボクはっ、結局……!」

 

 

 その先は、藤堂には聞かずとも理解が出来た。

 もしスザクが疑いの通りクロヴィス総督を仕留めていたのだとすれば、いろいろなことに言い訳が出来た。

 名誉ブリタニア人になったのはチャンスを待つためで、日本国最後の首相の息子としてあえて泥を啜っていたのだと言うこともできただろう。

 

 

 実際、日本解放戦線の中でも彼を英雄として扱うべきだという声はあった。

 しかし一般の日本人に対してはそれで良くても、青鸞にとってはそんなレベルの話では無い。

 スザクが本当はブリタニアにいるのか日本にいるのか、どちらなのかと。

 そして今さらブリタニアを敵とするなら、7年前に何故……と、そんな青鸞の心の声が藤堂には聞こえるようだった。

 

 

「ボクは結局、裏切り者を助けに行ったような物じゃないか……!」

 

 

 それで千葉や周囲に迷惑をかけたことが、青鸞には許せなかった。

 戻った時、藤堂には言ったが……本当に、どうしてあんなことをしたのかは彼女にもわからない。

 気がついたら身体が動いていて、何かを聞きたくて仕方が無くて、だけど出来なくて。

 結局、何の意味も無かった。

 

 

 スザクはブリタニアを敵とはしていなくて、今も名誉ブリタニア人の軍人として日本人を取り締まる側に回っている。

 そんな人間を、少なくとも形の上では青鸞は形振り構わず助けに向かうようなことをしていたのである。

 租界のブリタニア軍がジェレミアの暴走で混乱していなければ、どうなっていたかわからない。

 

 

(……桐原公……)

 

 

 そして藤堂にも、目の前で苦しんでいる青鸞を救うことが出来ない。

 もしかしたなら、彼が知っていることを話せば一定の解決は望めるのかもしれない。

 だがそれがはたして青鸞にとって救いになるのか、自信が無かった。

 彼に出来るのは、ただ。

 

 

「……6月に、お前を解放戦線の顔として公表することが決まった」

 

 

 畳に手をついて身を震わせていた青鸞は、語りかけるような藤堂の言葉を聞いた。

 ブリタニア本国から正式な新総督が赴任する、その前後に日本解放戦線として日本中の反体制組織に協力と蜂起を促すことになる。

 象徴、核、そう言う存在に青鸞がなる。

 だがそれ自体は、5年前から決まっていたことだった。

 

 

「最終的には、お前自身が決めることだが……事前準備として、まず青鸞、お前に直属の親衛部隊が作られる。規模はそれほどでは無いが、しかし、将来のことを考えて人を率いる経験を積むべきだと少将閣下が判断された」

「……片瀬少将が……」

「それについて、私は何も言わない。だが青鸞、一つだけ約束してほしい」

 

 

 考えとは異なることを話しつつも、しかし藤堂は努めて平静な声で語りかけた。

 8年前から、剣と戦術を教えてきた少女に対して。

 

 

「二度と、先日の租界のようなことをしないと。お前に何かあれば……いろいろなことが、崩れてしまうのだから。何をおいても、まずは生き残ることを考えてほしい」

「……はい」

 

 

 真剣な顔で頷いてくる青鸞、その瞳に迷いは見えない。

 しかしだからこそ、藤堂は人知れず表情に陰を落とす。

 まるで、抱えた真実の大きさに押し潰されそうな。

 天空を支えることに疲れた、神話のアトラス神のような――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 はたして自分が幸運な人間なのか不運な人間なのか、枢木スザクは判断がつかなかった。

 つい昨日までかれは大逆罪の犯罪者だった、クロヴィス総督殺害の罪を着せられた。

 もちろん無罪ではあるのだが、あの騒動の後ゼロの下から自主的に離れ――軍事法廷からの逃亡は、重大なルール違反だから――戻った。

 テロリストと繋がっていると思われても仕方ない状況、彼は死を覚悟していた。

 

 

 しかしジェレミア卿の暴走のせいで混乱していて、裁判どころでは無かった。

 そしてあれよあれよと言う間に証拠不十分で釈放され、とはいえ名誉ブリタニア人部隊に戻ることも出来ずどうするかと考えていた時、ある人物に出会った。

 そこが、彼の人生の転換点であった。

 

 

「本日よりお世話になります、枢木スザク准尉です。よろしくお願いします!!」

「はぁいよろしく~、あ、じゃあ早速だけどいろいろ測らせて……」

「よろしくね、スザク君。わからないことも多いだろうけど、私達も精一杯のサポートをするから」

 

 

 そして今、彼は新しい配属場所にいた。

 特別派遣嚮導技術部――――略称「特派」、名前の通り技術部である。

 ブリタニアの最先端技術を用いて次世代のナイトメアを開発するのがその役目であり、新技術を実地でテストすることも職務に含まれている。

 

 

 そして対照的な態度でスザクを迎えているのは、特派の上司2名だ。

 1人はロイド・アスプルンド、特派の長であり、伯爵位を持つれっきとした貴族であり、次世代ナイトメアの開発を一手に手がける天才科学者であり――――と、あらゆる意味で完璧な男性だった。

 ただ本人の全体的に「緩い」性格のせいか、縁なし眼鏡と裾の長い白衣、筋肉の張っていない細身の身体と合わさって、威厳の威の字も無い男でもある。

 

 

「いや、あの、セシル君? どうして僕の前に出るのかな、僕一応上司……」

「ロイドさん? まずは新人さんへの説明が先だと昨日私言いましたよね?」

「あ、あー、あはは、いやだなぁ。覚えてるよ~」

 

 

 そして長であるはずの男を笑顔で威圧している女性が、セシル・クルーミー。

 ボブストレートの黒髪に化粧の薄い顔、理知的な美人と言うのが表現としては正しいだろうか。

 もちろんどちらもブリタニア人、ナンバーズ出身のスザクとは背景からして違う。

 

 

 技術部、准尉、ナイトメア、その全てがブリタニア人にのみ許された特権だ。

 それが今、何故スザクの物となっているのか。

 全てはシンジュク事変からだ、あの時、スザクの運命は変わった。

 全てが変わり、昨日ある人と出会い、全てが決したように思える。

 

 

(あの日から、何かが……)

 

 

 シンジュク事変、悲しむべき事件。

 「同胞」の日本人が殺戮された事件、スザクはその場に名誉ブリタニア人の一等兵としていた。

 しかし日本人の殺戮には手を貸していない――貸すはずも無い――テロリストの強奪した毒ガスの奪還が任務だった、ゲットーで使われれば日本人がたくさん死ぬ、それを防ぎたかった。

 

 

 そこでの再会と負傷を経て、彼は出会った。

 セシルの説明を受けながら、スザクは「それ」を見上げた。

 彼の「力」、彼の願いを現実へと体現してくれるもの。

 白い西洋風の鎧兜を思わせる姿をしたそのナイトメアこそ、彼の「力」。

 皮肉なことに、その機体は<湖の騎士>の名を持っていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ルルーシュ・ランペルージ――あるいは、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア――は、その日、非常に疲れていた。

 元々体力に恵まれているわけでは無いが、ここの所は「課外活動」も多い。

 ある事情で「課外活動」については誰にも説明できない、よって学校の方を疎かにすることも出来ないからますます疲れる。

 

 

 加えて言えば、彼はアッシュフォード学園において生徒会のメンバーでもあった。

 通常行われる生徒会の仕事程度であれば問題は無かっただろうが、仕事量を何倍にも増やしてくれるミレイと言う生徒会長がいて――金髪でスタイル抜群のブリタニア人女生徒、元貴族でもある――彼の疲労を3倍の速度で蓄積させてくれているのだった。

 

 

「ルルーッ!」

 

 

 そしてその生徒会の仕事も何とか終えて、学園長のはからいで家族と共に住まわせてもらっているクラブハウスへと帰ろうとしていた時。

 聞き慣れた声が耳朶を打った途端、どういう気持ちの切り替え法を使ったのか、表情から全ての疲労と不機嫌を排除した。

 変わりに人の良さそうな、それでいて完璧な笑顔で振り向く。

 

 

「何だい、シャーリー」

 

 

 そこにいたのは、アッシュフォード学園の女子制服を着た少女だった。

 明るい髪色そのままの天真爛漫な笑顔を浮かべた少女の名は、シャーリー・フェネット。

 ルルーシュの級友であり、生徒会の仲間でもある。

 明るく美人、人気者の典型例のような少女だった。

 

 

「あれ? ルル、もしかして疲れてる?」

 

 

 そして、勘が鋭いことで有名。

 今もルルーシュの取り繕った笑顔を看破し、彼の疲労を察した。

 明晰な頭脳を持ち心理学にも通じているルルーシュも、彼女には勝てない。

 一度だって、勝てた試しなど無いのだ。

 

 

「もし良かったら、皆で街にお茶に行こうと思ってたんだけど……」

「ああ、すまない。少し具合が悪くて、皆で楽しんできてくれ」

「そう……カレンさんもなんだよね、具合が悪いなら仕方ないけど、残念」

 

 

 心の底から残念そうにそう言うシャーリー、彼女の後ろには朱色の髪の少女が穏やかに佇んでいた。

 こちらはシャーリーとは対照的な大人しい印象を受ける少女で、ストレートの髪とぼんやりした目元が特徴的だった。

 名前はカレン・シュタットフェルト、病弱で出席日数は少ないが、「学生はどこかのクラブ・委員会に参加しなければならない」と言う校則に基づき生徒会に参加している。

 

 

「……大丈夫?」

「ああ……大丈夫だ、少し休めば」

 

 

 こてん、と可愛らしく小首を傾げて尋ねてくるカレンに、ルルーシュは頷いた。

 彼の目に、一瞬だけ剣呑な色が灯ったのだが……それは、誰にも気付かれない。

 彼だけが知る、彼だけの感情だからだ。

 

 

 シャーリーとカレン、2人の少女と別れたルルーシュは、そのまま帰路についた。

 全寮制の学園だが中には特例を受ける生徒もいる、ルルーシュはその1人だった。

 だがルルーシュにとってみれば、それは特段気にすることでも無かった。

 重要なのは、元皇子である自分とその家族が平穏を過ごせるかどうかなのだから――――。

 

 

 

「おかえりなさい、お兄様」

 

 

 

 ――――家族、妹。

 それが、ルルーシュにとっての何よりも優先すべき理由だ。

 だから彼は、クラブハウスのホールで自分を待っていてくれた妹に視線を合わせるように膝をついた。

 

 

 たっぷりとしたウェーブがかった栗色の髪、身体を締め付けないゆったりとした衣服に包まれた身体は華奢で、力を入れれば折れてしまいそうな程だ。

 肌は透き通るように白く、緩やかでたおやかな雰囲気を持つ少女。

 可憐、そんな単語を一身に凝縮したような少女にルルーシュは微笑みかける。

 

 

「ただいま、ナナリー」

「ふふ、くすぐったいです」

 

 

 ナナリー、それがルルーシュの妹の名前だ。

 自分の存在を知らせるように頬を撫でれば、言葉通りくすぐったそうに身を竦める。

 別にルルーシュは気障でそうしているわけでは無い、自分の存在を実感させたかったのだ。

 ……目の前の、瞼を閉じた盲目の妹に。

 

 

 瞳だけでは無い、ナナリーは車椅子の上に座っていた。

 両足が、動かない。

 ほとんど使わないために肉がつかず、ほっそりとした両足はスカートに覆われて見えない。

 目と、足、ナナリーが失った物。

 小さくは無いそれらは生来の物では無い、過去、外的な要因で失われた物だ。

 

 

「……ん」

 

 

 それはルルーシュの中の昏い部分を呼び起こす、だが……ナナリーが頬に触れた兄の手を握れば、それがさざ波のように緩やかな物になっていくのを感じる。

 癒し、それがルルーシュにとってのナナリーと言う存在だった。

 

 

(……アイツにとっても、そうなのだろうか)

 

 

 何となく、ルルーシュはそんなことを思った。

 記憶の向こうにあるのは、どちらかと言うと兄である友人に泣かされている女の子しかいないが。

 それでも、アレはアレで当人達にとっては大切な思い出にでもなっているのだろうか。

 租界で再会したあの少女は、今はどう想っているのか……。

 

 

「お兄様?」

「ん? ああ、すまない。ちょっと考え事をね」

 

 

 ふと黙りこくったルルーシュを心配するようなナナリーの声に、彼は少し慌てて応じた。

 ナナリーを不安がらせるようなことは、極力避けなければならない。

 だから彼はたとえ見えなくとも、妹のために微笑みを浮かべようとして……。

 

 

「…………」

 

 

 不意に、視線を別の場所へと向けた。

 柱の陰、こちらを妙に冷えた目で見つめる人間の姿に気付いたからだ。

 それは少女、それもこの世の物とは思えない程の美貌を持った少女だった。

 

 

 だが、ルルーシュはその少女を見て素直に「美しい」とは思わない。

 ナナリーを見て「愛しい」と感じることはあっても、その少女に一切の愛情を感じることは無い。

 何故なら、その少女は<魔女>だから。

 契約の魔女、緑色の髪の○○○だから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 営倉入り解除の翌日、青鸞は無頼のコックピットの中で緊張していた。

 日本解放戦線が基本戦闘訓練(ブートキャンプ)で使用する訓練場、ナリタ連山の深い渓谷の一部を使ったそこを無頼で疾走している。

 身に纏っているのは当然濃紺のパイロットスーツ、頬には一筋の汗。

 

 

 ディスプレイから見える空はすでに赤らんでいて、夕方の遅い時間であることがわかる。

 赤茶色の渓谷の土をランドスピナーで噴き上げ走りながら、青鸞は左右のディスプレイを何度も確認していた。

 何かを警戒しているようだが、それはどこか捕食者を恐れる小動物のようでもあり……。

 

 

『A-01、ポイントに姿なーし』

『A-02、目標地点に敵影無し』

『A-03、ポイントアウト』

 

 

 不意に通信機から声が響く、それぞれ若い男女の声だ。

 別々のポイントに向けて先行していたのだが、どうやら外れを引いたらしい。

 しかし青鸞がそれに思いを致した次の瞬間、コックピット内に警告のレッドランプが灯った。

 

 

 瞬間、青鸞は操縦桿を強く引いた。

 無頼が急速逆走を行った直後、下がった位置に土柱が3つ立ち上る。

 とはいえ規模は大きくは無い、それぞれ2メートル程の高さだ。

 

 

「流体サクラダイトの対戦車地雷……!」

 

 

 サクラダイト、日本固有のレアメタル資源だ。

 電気抵抗が無い超伝導物質であって、ナイトメアの駆動エネルギーを生み出すコアルミナスはこのサクラダイトが無いと動けない、それ程の戦略資源である。

 日本には世界の70%以上の埋蔵量があり、実は7年前の戦争の原因の一つでもあった。

 保有量が多いことと可燃性が高いことから、日本軍では兵器として使われることもある。

 

 

「く……!」

 

 

 ディスプレイを埋め尽くす土の雨に眉を顰める、もちろんこの程度でナイトメアは倒せない。

 避けたのはランドスピナーを守るためだ、しかしである。

 動きを誘導された、そう青鸞が気付いた次の瞬間、機体が断続的に大きく揺れた。

 直撃、砲撃、その意識が脳内を占めるよりも早く噛み殺した悲鳴が漏れる。

 

 

 コックピットの上に直撃したそれは模擬弾で、片膝をついた無頼が上を確認すれば、風雨で削れて出来た渓谷の土壁に伏されていた2両の戦車が確認できた。

 ずんぐりとしたそのフォルムは旧日本軍の制式戦車であって、言うまでも無く旧式である。

 7年前の戦争では、ナイトメア擁するブリタニア軍に散々に潰された兵器だ。

 

 

(こんな簡単な仕掛けにも、対応できないなんて……!)

 

 

 後から考えてみれば、誰でも考え付くような戦術だ。

 地雷で止めて、戦車を固定砲台として使う。

 グラスゴーレベルの装甲しかない無頼が相手なら、戦車砲を倒せるのだから。

 

 

『――――青鸞さま』

 

 

 その時、無頼の通信機から落ち着いた声が響いた。

 知っている声だ、草壁の部下で佐々木と言う、シンジュクや租界に共に潜入した解放戦線のメンバーの1人。

 その冷静な声が、無頼のコックピットに響く。

 

 

『大将機が撃破されたため、第3次訓練を終了します。各機は指定されたルートで拠点内に戻り、整備と補給を受けてください――――以上』

 

 

 通信が切れて、静かになる。

 頭上では戦車が移動していて、その音がコックピットの中にまで響いてきている。

 それを聞きながら、青鸞は軽く唸りながらがくりと項垂れた。

 自分が、情けなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――ふん、未熟だな」

 

 

 ナリタ連山地下のナイトメア格納庫、古川達メカニックが戻ってきた4機の無頼を整備する音が響く中、青鸞の前で巨体の胸をそらしている男がそう言った。

 草壁である、彼の後ろには例によって彼の派閥の部下達が並んで立っていた。

 草壁の手にはファイルがあり、今しがたまで行われていた模擬戦の評価がそこに書かれていた。

 もちろん、草壁の手で行われた評価は最低である。

 

 

「大将機が我先に撃破されるとは、まったくもって片腹痛いわ! そもそも敵影を探すのに全機を分散させるなど愚の骨頂、それでは兵力を集中させた敵に遭遇した時、各個撃破の好餌になるということがわからんのか!!」

「……お言葉、返しようもありません」

「誰が口答えを許可したか?」

「…………」

 

 

 草壁の前、パイロットスーツ姿の青鸞が直立不動で立っている。

 今日の昼に営倉入りを解かれた彼女は、将来自分の直属部隊に発展するだろう一小隊を任されることになった。

 青鸞が正規の軍人になれる年齢では無いため、要人の護衛小隊と言う扱いになっている。

 

 

 所属ナイトメアは青鸞の専用機を含めて4機、日本解放戦線保有ナイトメアの1割近くである。

 それに伴い整備士・スタッフは20名弱ついている、今ナイトメアを整備している古川達がそれだ。

 ただ何分一日目のためか、部隊として纏まっていない印象を受ける。

 

 

「ふん、今日の所はこれで終了するが、後ほど報告書をまとめて私の所に持ってくるように。下手なものを書けば容赦なく書き直しを命じるのでそのつもりでいるように、良いな!」

 

 

 ただ、草壁が青鸞の教育係に任じられたのは誰にとっても意外だっただろう。

 何しろ草壁は今も昔も青鸞に対して厳しく、それを知らない者はいない程だったのだから。

 今も散々に青鸞をこき下ろした後、ズンズンと音を立てそうな勢いで歩き去っていった。

 ……殴られなかっただけ、まだマシと言うべきだろうか?

 

 

「青鸞さま、まずは部隊の者達に声をかけるべきかと」

「あ、はい……」

 

 

 そして副官のような立場で彼女をサポートしているのは佐々木、こちらは草壁の下からの異動である。

 どういう理由かは青鸞も知らないが、彼女はシンジュク・ゲットー行きの前後から青鸞に協力的な態度をとってくれていた。

 ただ人を纏めるという経験の少ない青鸞にとっては、非常に助かる存在ではあった。

 

 

「えっと、お疲れ様です。えーと……」

「青鸞サマー、いっスかぁ?」

「は、はい、何でしょう」

 

 

 青鸞の前に並ぶ3人のナイトメアパイロットの1人、山本飛鳥中尉が挙手をして言った。

 20代半ばのこの黒髪の男性は、パイロットの中では最も階級が高い。

 青鸞が18歳になるまで、護衛小隊を預かる隊長と言う扱いである。

 彼はどこか眠そうな顔で青鸞を見ると、妙に可愛らしく首を傾げながら。

 

 

「とりあえず、今日は解散ってことで良いですかねぇ?」

「え、えー……っと、それは困ります、たぶん」

「たぶん?」

「あ、いえ、たぶんではなくて……」

 

 

 まだ良く知らない相手だからか、あるいは相手がどこか野良猫然としたマイペースぶりを発揮しているためか、青鸞としては接し方にまだ迷いがある。

 すると2人目のパイロット、上原ヒナゲシが俊敏な動作で挙手、発言を求めてきた。

 黒髪に赤い瞳、青鸞の知るデータによれば山本とは士官学校からの付き合いだとか。

 

 

「青鸞さま。隊長には私が後でキツーく申し渡しておきますので、今はどうか無視を」

「い、いや、無視って言われても……」

「とりあえず報告書出せば良いんじゃね?」

「隊長! 失礼でしょう!?」

「あ、あ~……」

 

 

 藤堂やその道場出身者とは毛色の違う者ばかりが相手、藤堂系列の厳粛な軍人に慣れている青鸞には聊か厳しい。

 というか、気のせいでなければ一癖も二癖もある者ばかり集まっているような気がする。

 まさかとは思うが、他の部隊で持て余している人材を押し付けられたのでは無いだろうか。

 

 

 助けを求めるように周囲を見渡すのは、新人の性か。

 しかし佐々木も必要以上のことはしてはくれないし、山本や上原などはまだあまり良く知らない。

 もう1人、護衛小隊でナイトメアパイロットをしている榛名大和(はるなやまと)と言う男がいるのだが……。

 

 

(ど、どう呼べば良いのか……)

 

 

 黒髪黒目の典型的な日本人、鍛え抜かれた厚い胸板をそらして立つ男。

 山本と同年代だが年上に見えるのは、おそらく雰囲気のせいだろう。

 苗字がキョウト分家筋の少女、雅と同じなのは兄妹だからだ。

 なのでもちろん、青鸞にとっても遠縁ながら親戚と言う関係になるのだが。

 

 

 だからこそ、どう接すれば良いのかという判断に苦しむ。

 「枢木」として命じるのも躊躇があるし、「青鸞」として頼るのもどうかと思う。

 彼女にとって、両方の「自分」と関わりを持つ人間の相手は戸惑いが大きかった。

 

 

「……青鸞さま」

「あ、はい」

「……方針の、決定を」

 

 

 その大和に言われて、青鸞ははっとした、随分と時間を無駄にした。

 何となく部隊の皆も中だるみしているような空気でもある、青鸞は慌てて言った。

 

 

「と、とにかく! 草壁中佐に報告書を上げなくてはならないので、各員、今日の模擬戦について大至急レポートを提出してください!」

「すぐに揃えてお持ちします」

「してくださいって言われてもねぇ……」

「隊長!? 恥ずかしいからちゃんとしてください!」

「……承知しました」

 

 

 上から佐々木、山本、上原、大和である、まとまりの欠片も無かった。

 青鸞は溜息を吐いた、疲労が濃い、あとはどうすれば良いのかわからない不安。

 自分と異なる考えを持つ人間をまとめる、あの桐原公などは自然に出来てしまうことだろうに。

 

 

 枢木青鸞は、これまで「人に見られる」ことや「他人に助けられる」「自分でやる、誰かを助ける」など、キョウトの女として必要なことは一通り学び、命令を受ける兵士としての訓練も受けてきたが。

 しかし今、新たに「人をまとめる」ことの難しさに苦しんでいた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ……随分とヘコんだ顔をしている物だ、と、草壁は思った。

 彼の執務室は畳張りの和室の造りになっている、どことなく書斎のような雰囲気だ。

 応接室は別の場所にあるのだが、彼は和風のこの部屋をこよなく気に入っていた。

 

 

「…………」

 

 

 そして今、上座で座布団に座り、文机の上に片手を置いて十数枚の紙束を睨んでいる。

 電子化せずに紙で見る所は、草壁の微妙なこだわりのようだった。

 しかも手書きで筆ともなれば、なかなかこのご時勢できる者はいないだろう。

 

 

 だだ今回に限って言えば、その紙の上で踊っている筆文字は彼の目にとまる物だった。

 独特のうねりを持つそれは達筆と言うに相応しく、筆で文字を描くことに慣れていることが見て取れた。

 確か、何かのデータで見た気もするが……書道六段、だったか。

 

 

(まぁ、流石はキョウトの女と言った所か)

 

 

 そう思い鼻を鳴らすと、彼の前で畳に直接正座している少女がビクッと身体を震わせた。

 青鸞である、時刻はすでに午後10時、すでに3度目の報告書提出である。

 流石にもうパイロットスーツ姿ではなく着物――艶の青灰色の絹地に草葉や花兎の文様――姿だが、草壁の評価を待つその姿は罠にかかった小動物のようだった。

 

 

 キョウトの家の娘だからと言って、ナリタにいる限り甘い顔をするつもりは草壁には無かった。

 そもそも青鸞の広告塔(誰が何と言おうと草壁はこの認識を変えるつもりは無い)起用に反対なのだ、彼は。

 だからこそ、片瀬から部隊運用について教えてやるよう命じられた時は内心で愕然とした物だ。

 なぜ私が、と、問い質したいと思っても無理は無いだろう。

 

 

「……おい」

 

 

 ビクッ、と肩が震えるのが見えた。

 ……確かに認めてはいないが、そこまで怖がられると逆に面白く無い。

 

 

「そんな風に辛気臭い顔をされると、こちらも嫌な気分になるのだがな」

「す、すみません」

「私とてこんな時間まで付き合わされて迷惑なのだぞ、せめてもう少し頼りになる顔をして見せたらどうだ」

「は、はい……えっと」

 

 

 青鸞は草壁の言葉を受けて、俯き気味だった顔を上げた。

 そして背筋を伸ばし、頬の肉を上げ、笑顔を……。

 

 

「ヘラヘラ笑えとは言っておらんわ!!」

(じ、じゃあ、ボクにどうしろと……!?)

 

 

 青鸞はもう、今日一日で心身ともに疲れ切ってしまっていた。

 営倉から出た翌日のナイトメアでの模擬戦――簡単な罠に嵌まって戦車相手に惨敗――の後、慣れない護衛小隊の人々をまとめようとして――あの後も全くまとまりが無かったが――そして、終わった。

 文字通り何も出来なかった一日であって、租界でのことも含めて打ちのめされていた。

 

 

 そして草壁である、先日、大阪から来るメンバーの迎えで共闘した時もそうだったが、草壁は自分に対してかなり厳しい。

 藤堂なども甘いわけでは無いが、やはり草壁には敵わないだろう。

 そう言うしかない立場なのはわかっているつもりだが、最近では素で自分のことが嫌いなのではないかと思えてきた。

 

 

「ふんっ……まったく、それに何だこの文字を並べただけの報告書は。字が上手いだけで中身が無いわ、本当に何も出来ん小娘だな」

「…………はい」

 

 

 今日までは、それでもそれなりに自分も出来ると思っていた。

 これでもキョウトの、枢木の女だ。

 習字もだが、幼い頃から帝王学を始めとして習い事を叩き込まれてきた。

 ナリタに来てからはナイトメアと剣術、戦術などを藤堂道場で学び、1人の兵士としては最低限技量を磨いてきた。

 

 

 しかし、いざ父の跡を継ぐためのステップになると――――気付く。

 自分は、自分1人で出来ることに関してはめっぽう強いが。

 誰かと共に、チームとして何かを成すということに関してはまるで経験値が足りないのだと。

 今日という日は、それに気付かされた一日だった。

 まさに、何も出来ない小娘である――――……。

 

 

「……ふん」

 

 

 明らかに落ち込んでいる様子の青鸞に、草壁はもう一度鼻を鳴らす。

 草壁にしてみれば、落ち込むと言うこと事態がすでに甘えである。

 父の跡を継ぐ、なるほど大層な目標だ。

 だが実際は、そんなことが15の娘に容易にできるはずも無い。

 そう、出来るはずも無いのだ、だから。

 

 

「……貴様のような小娘に、最初から人を纏められるわけが無いだろうが」

 

 

 ぐ、と、膝の上に置いた手を青鸞が握り込む。

 気のせいでなければ、その目尻に光る物が生まれ始めていた。

 

 

「15の乳臭い小娘に威厳などあろうはずもないからな、第一、語り方もわからず他人行儀な小娘などと胸を開いて話す兵などおらんわ」

「…………」

「実績も威厳も無い小娘が小なりと言えど人の上に立とうと言うのだ、臍で茶が沸かせそうだな、兵のことを思えば笑えもせんが」

「……でも」

「何だ?」

 

 

 ぐ……と眉を下げた顔で目線をあげて、やや潤みを帯びた声で青鸞は言う。

 どうすれば良いのか、わからない。

 そう言うと、草壁は「甘えるな」と一喝した後。

 

 

「どうすれば人の上に立てば良いのかわからず、怖いか」

「……はい」

「そうか、では下の者はどうかと考えたことはあるのか」

「え……わぷっ!?」

 

 

 ばさっ、と顔に書類をぶちまけられて、紙の雨に呑まれた青鸞が目を閉じながら声を上げる。

 音を立てて畳の上に落ちていく紙を横目に、草壁は青鸞から目を逸らして身体ごと横を向いた。

 

 

「上の者は怖いだろう、だが、下の者は怖くないのか。そんなわけはあるまい、上に立った人間がどんな人格をしていて、どういう指示を出すのか。自分の命に直結する問題だ。上官たる者はそうした下の者の不安も常に考えて行動せねばならん」

 

 

 饒舌に過ぎるか、と思いつつ、草壁はつまらなそうな目を青鸞に向ける。

 対する青鸞は、少し目を丸くして草壁を見ていた。

 

 

「とはいえ、貴様のような小娘にそんなことを望むのもな。せいぜいお友達ごっこでもして、馴れ合いの関係でも築いてみたらどうだ。小娘にはそれが似合いであろうよ」

「……お友達、ごっこ、ですか」

「ああ」

「……お友達……」

 

 

 それ以上は話したくないとでも言わんばかりに、草壁は手を振る。

 報告書はもちろん再提出である、その点について草壁は容赦はしない。

 というか、容赦して良いことでは無い。

 

 

 一方で、青鸞は何事かを考えるような表情を浮かべていた。

 そしてふと気付いたように散らばった書類を集めると、それを胸に抱えたまま頭を下げた。

 それから慌しく部屋の扉の所まで小走りで進んで。

 

 

「あ、あの、草壁中佐はまだお休みには……」

「良いからさっさと書き直して来んか、小娘が!」

「は、はいっ……あの!」

 

 

 扉を閉める前に、青鸞はその場で腰を折って頭を下げて、再び顔を上げた後。

 

 

「ありがとうございます!!」

 

 

 弾けるような笑顔でそう言う青鸞を、草壁は見もせずに見送った。

 まぁ、笑顔であったことがわかったということは見ていたと言うわけなのだが。

 草壁はおそらく、それを認めないだろう。

 

 

 そして外に出た青鸞は、胸にバラバラの書類を抱えたまま通路を駆け出した。

 普段の彼女なら珍しい慌しさだが、その顔に浮かぶのは明るい笑顔だ。

 それを、偶然見かけた藤堂は意外そうな顔で見ることになる。

 通路を駆け去っていく少女の横顔を見送って、藤堂はやや口元を緩めると。

 

 

「……どうやら、杞憂だったらしい」

 

 

 そう呟いて、元のペースでゆっくりと歩き始めた。

 とはいえ、あらゆる意味で青鸞はこれからだと藤堂は思っていた。

 片瀬が彼女に与えた護衛部隊、それが上手く回るかどうかで青鸞の将来も決まるだろう。

 しかし今の笑顔をずっと保つことが出来るなら、何とかなるのかもしれない。

 この時の藤堂は、まだそう思うことが出来た。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ナリタ連山には日本解放戦線の本拠地としての顔と共に、温泉街と言う顔も持っている。

 地下水の豊富なナリタ連山、場所によっては地熱に熱せられたお湯が湧き出ている所もある。

 そして山の中腹にある自然の温泉に、彼女達はいた。

 

 

「地元出身の避難民の方に聞いた所、ここの温泉は溶存物質含有量が少なくて肌に優しい温泉だそうです」

 

 

 ちゃぷ……とお湯の雫を掌の上から落としながら、青鸞は暗記したらしい言葉を述べた。

 透明度の高いお湯の中、白いバスタオルで胸までを隠した彼女はちらりと横を見た。

 そこには佐々木と上原を始めとする護衛小隊の女性メンバーが10名前後いる、周囲は衝立と野外テントの布を重ねて仕切りが設けられている。

 

 

 皆、ほかほかの温泉で大なり小なり表情が緩んでいた。

 ナリタ連山を背嚢を持って行軍する踏破訓練、その帰りに皆を連れて来たのだ。

 帰還のルートにここを設定したのは、もちろん青鸞である。

 何故なら、護衛小隊の皆と親睦を深めるにはどうしたら良いかと雅に聞いてみた所。

 

 

『裸のお付き合いが一番かと……!』

 

 

 と、握り拳でアドバイスを受けたためである。

 ただ、その本人は小隊のメンバーではないので来れてないわけだが。

 

 

「青鸞さま、お気遣い頂きありがとうございます」

「ああ~、身体が解されます……」

 

 

 佐々木と上原などのメンバーは、肌に良いと聞いて肩まで湯に浸かっている。

 15歳の青鸞に比べて、皆がそれぞれ成熟した女性らしい身体付き。

 佐々木が鍛え上げられたシャープなスタイルなのに対し、上原は日本人離れした肉感的な身体付きをしている。

 

 

 グループから離れた隅の方では、茅野もいる。

 彼女は傷痕だらけの身体を特に隠すこともなく、目を閉じて温泉の縁に背中を預けていた。

 そんな彼女達を見て、青鸞は眉を上げた笑みを浮かべることが出来た。

 

 

「えっと、それでですね……」

「む、何かお言葉ですか。全員、整列! 湯の中で正座!」

「あ、いえ別に整列はいらないです」

 

 

 佐々木を止めつつ、でもお湯からは出ないんだと青鸞は思った。

 しかし本題はそこでは無い、青鸞は湯の中で足を重ねて正座した。

 目の前では十人前後の年上の女性が同じように湯の中で正座している、なかなかシュールな光景だった。

 

 

「――――改めまして」

 

 

 唇は小さく、しかし声が良く通るように大きく言葉を紡ぐ。

 タオルを当てた薄い胸に手を置いて、青鸞は目の前の人々を見つめた。

 自分を守るために編成された部隊の人々を、瞳に感情を込めたまま見つめる。

 

 

「皆様の中にはご存知の方もおられるかとも思いますが、この度、日本解放戦線の顔役としての協力を片瀬少将からお受けしました。キョウト出身、枢木青鸞と申します」

 

 

 ――――お友達ごっこと、草壁は言った。

 アレは別に、小隊の皆と友達になれと言う事では無いと青鸞は思う。

 むしろ、立場の異なる者同士が友人になることは無い。

 青鸞と佐々木達とでは、友人になってはいけない理由が多すぎる。

 しかしだからこそ、友人のような何かにはならなくてはいけないのだ。

 

 

「皆さんに、お願いがあります」

 

 

 凛、と、音を変えた擬音が響きそうな程に空気が張り詰める。

 

 

 

(ワタシ)を――――……ボクを、守ってください」

 

 

 

 湯のさざ波は、意識のさざ波。

 自分のことを「ボク」と呼んだ少女に、メンバーの間に若干だが動揺が走ったのだ。

 佐々木が手を挙げ、皆を鎮めるのを待つ。

 そして、青鸞は言葉を続ける。

 

 

「……ボクには、使命があります」

 

 

 皆さんが胸に抱いているのと同じ、使命です。

 そう言葉を続ける青鸞に、メンバーの視線が突き刺さる。

 見られている、その感覚。

 しかしその感覚は、青鸞にとっては慣れ親しんだものだ。

 

 

 枢木青鸞に、誰かに守られる価値があるのか?

 その問いかけに対しての答えは多くあるだろう、青鸞にも実際はわからない。

 しかし今は、日本の反体制派の象徴として自分の名と顔に価値があると言うのなら。

 青鸞は自分を守り、また守られるだけの理由があると思う。

 

 

「亡き父の跡を継ぎ、徹底抗戦と一斉蜂起を行い、そして日本を独立させると言う、使命です」

 

 

 何故ならば、青鸞自身が「日本独立」と言う絵を描く上で外せない一部であるからだ。

 反体制派側に立てる、唯一の「日本最後の首相の遺児」だからだ。

 彼女は、その自分の「価値」を知っていた。

 今はまだ、名以上の価値が無いとしても。

 いつかきっと、それ以上の価値を……玉将としての価値を。

 

 

「ボクにはまだ、こんな形でしか皆の苦労に報いることしか出来ません」

 

 

 ちゃぷ……と湯を手先で跳ねて、そう言う。

 実際、青鸞自身の持ち物は少ない。

 守ってもらったからと言って、必ず報いる保障などどこにも無い。

 だけど、青鸞は求め続ける――――日本の、独立を。

 だから。

 

 

「ボクが使命を果たすその時まで、皆さんの力を、貸して頂けませんか?」

 

 

 そして、共に。

 独立を果たしに、皆で。

 行こう、そして。

 

 

「独立を果たした日本で……皆と、会いたい」

 

 

 それは、まだ借り物に過ぎないのかもしれない。

 まだ「戦友」でも、「同志」でも、「仲間」にもなり切れていない者達からすれば。

 ――――沈黙。

 

 

 沈黙の中、湯の揺れる音だけが響く。

 青鸞もまた静かではあるが、内心では冷や汗を流している。

 冷静に見えて実はテンパると言うのは、枢木の人間の特徴なのかもしれない。

 そして、その沈黙は。

 

 

「――――日本」

 

 

 その沈黙は、グループから離れた位置にいる茅野の言葉で破られた。

 すなわち、日本の自主力を称え、人々を昂揚させる魔法の言葉。

 日本(にっぽん)万歳(ばんざい)

 

 

「万歳」

「日本……」

「……万歳」

「日本、万歳……!」

「日本、万歳!」

 

 

 最初は戸惑い顔を見せていた青鸞だが、しかし年上の女性メンバーと同じように拳を振り上げ、湯を飛ばしながら。

 

 

「日本・万歳!!」

「「「日本万歳!!」」」

 

 

 立ち上るコール自体には、実は意味が無い。

 重要なのは、それを共にしたという事実。

 全ての関係は、何かを共にしたという事実の積み重ねで重みを増していくのだ。

 それは、どこか友情に似てはいないだろうか。

 

 

 そしてそのコールは、仕切りで隔てられたもう一方にも聞こえてきていた。

 つまり、男湯である。

 こちらには実は猿が侵入していたりするのだが、女性陣とほぼ同数の男がそこにいた。

 古川であり、青木であり、大和であり、山本であった。

 

 

「いや、何かうちのアマゾネス達が盛り上がってんだけど……」

 

 

 小隊長である山本が、湯に溶けそうな顔で呟いた。

 

 

「……これ、俺らと青鸞サマの親睦を深めるのは無理じゃね? 温泉だし」

「そ、それ以前に、一回りも年の離れた女性と何を話せば良いのか……」

「……それは、わかる気もする」

「あ、おたく下の子が10歳下なんだっけ」

 

 

 そんなことを話しながら湯に浸かる、こちらはこちらで親睦を深めることは出来ているようだった。

 風呂ではまさに丸腰のため、その意味でも壁が低くなるのかもしれません。

 ただ、彼らが他の男性スタッフも含めて結束力を高める契機になったことと言えば。

 

 

 

「あ、ごめんなさい。後ほどちゃんとそっちにも行くんで……」

 

 

 

 と、青鸞の声が仕切りの向こうから聞こえてきたことだ。

 それに対して、男性陣はまず「え」となった。

 今、あの娘は何と言ったか?

 

 

「来んの!? こっちに!?」

「はい、やっぱりちゃんと顔を見てお話がしたくて……」

「い、いいいいいぃぃいいやいやいや! 来なくて良い! 来たら死ぬから!」

「え、誰が!?」

「俺達がだよ!!」

 

 

 山本の言葉に全員が頷く、波を立てて音を立てる程の共振だった。

 そんなことをされた日にはこの場で殲滅される、具体的には仕切りの向こうにいるだろう女性陣に。

 今もすでに何故か聞こえてはいけない銃器の音とか聞こえる、山本以下小隊男性陣としては無自覚な生命の危機を脱しなければならなかった。

 しかし諸悪の根源である所の少女の声は、それでも遠慮と不安に揺れていて。

 

 

「でも、ボクの気持ちをちゃんと」

「伝わった! 青鸞サマの気持ちは俺達にもすげー伝わりました! なぁー古川クン!」

「は、はははははいいぃ!」

 

 

 ガックンガックン揺らされながら、整備士の青年を道連れに後退する山本。

 そしてそのまま古川の肩を抱きつつ、温泉の縁に足をかけ女湯側に背を向けつつ。

 

 

「うおおおおおぉぉ、日本万歳いいいいいいぃぃっ! ほらお前らもやろーぜ、青鸞サマが来なくても良いように!」

「「「応ッ!!」」」

 

 

 そして山々に響き渡る低音の日本万歳、それはどこか鬼気迫る勢いだったという。

 ちなみに、枢木青鸞とその護衛小隊の関係は。

 この日を機に、少しずつ間隔を狭めていったと言う。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そしてその数日後、青鸞は再び片瀬に召還された。

 だがそれは顔役についてでも、まして護衛小隊やナイトメアに関してでも、一斉蜂起に向けた他組織とのキョウト経由での繋ぎを求めるものでも無かった。

 藤堂や草壁ら幹部連も揃って、板張りの道場のような大会議室に揃っている。

 

 

 それは、ブリタニア帝国本国が全世界に向けて会見を行うためだ。

 ブリタニア帝国を敵としている者達にとって、その方針を示すだろうことには無関心ではいられない。

 ましてそれが、ブリタニア帝国の絶対君主、世界の3分の1を支配する大帝国の皇帝の会見となれば――――。

 

 

『人は――――……平等では、無い』

 

 

 白髪の巻き毛、鋼鉄の板のような厚い胸板、豪華な衣装に高く大きい身体。

 全ての者を見下すような眼には、地上を睥睨する鋭い光が宿っている。

 神聖ブリタニア帝国第九十八代皇帝、シャルル・ジ・ブリタニア。

 

 

『生まれつき足の速い者、美しい者、親が貧しい者、病弱な体を持つ者……1人として同じ者はおらず、1人として並ぶ者もおらぬ。そう、人は――――……差別される為にこそある!!』

 

 

 たった一代で世界最強の軍隊を作り上げ、数々の侵略戦争によりブリタニア帝国を世界の3分の1を支配する大帝国へと成長させた鉄の男。

 かなりの高齢であるはずなのだが、それを感じさせない圧倒的な存在感。

 彼がその日全世界に対して行った演説は、息子クロヴィスの追悼演説などでは、断じて無かった。

 

 

 しかしモニター越しのその言葉に、聞く者は息を呑む。

 まるで目の前で話されているかのような錯覚を覚える、青鸞もまた着物に包まれた膝の上で無意識の内に拳を握ってしまっていた。

 息を詰める胸、世界最強の権力を持つ老齢の皇帝の言葉がそこに突き刺さる。

 

 

『不平等は……悪、では無い。平等こそが悪なのだ! そこにこそ進化が、強さが、発展が――――生まれるのだ!!』

 

 

 皇帝は言う、権利を平等にしてどうなる、富を平等にしてどうなる。

 そこに何かが生まれたか、否、ただただ停滞だけであると。

 不平等であるブリタニアこそが、ブリタニアだけが強者の道を歩み続け進化し続けるのだと。

 

 

(――――強ければ良いのか)

 

 

 それを聞き、仮面を被った黒髪の少年をそう思った。

 妹を守るために起ち、妹が安心して暮らせる「優しい世界」を求める少年は思う。

 強者が勝つのは良い、だが、強者の作る世界に弱者の居場所はあるのかと。

 もし無いのなら、そんな世界を自分は認めない、必ず破壊してやると決意して。

 

 

(――――弱いことは、いけないことなんだろうか)

 

 

 自分が仕えるべき皇帝の言葉に、茶色の髪の少年はそう思った。

 裏切り者と呼ばれ続けてなお、正しいルールに従って生きたいと願う少年は思う。

 飢餓、病気、汚職、腐敗、差別、戦争とテロリズム、繰り返される憎しみの連鎖。

 せめて、戦争とテロだけでも無くしたいと、世界をより良くしていきたいと願って。

 

 

(誰かが勝てば、戦争は終わる。そう、人は結果だけを求める。だから……最後には、俺が)

 

(間違った手段で得た結果に、意味は無い。だから僕は、父さんとは違う方法で……)

 

 

 2人の少年は皇帝の言葉に思う、自らが求めるもののために。

 そして、もう1人。

 少年2人とはまた異なる視点で、少女はそれを見ていた。

 

 

『――――戦うのだ!! 競い奪い獲得し支配せよ、その果てにこそ……未来がある!!』

 

 

 枢木青鸞がそれに対して受けた感想は、純粋な脅威。

 そして、拒絶。

 抵抗の意思、彼女はそれを持った。

 

 

 ブリタニアは良いだろう、戦いを仕掛ける側は、競い奪い獲得し支配する側は、その傲慢な腕を振るいたいだけ振るえば良いだろう。

 そこに、ブリタニアと言う国の発展が約束されているのだから。

 青鸞には、ブリタニアを壊す気も変える気も無かった。

 破壊でも変化でもない、ただただ純粋な抵抗の心がそこにあった。

 

 

 

『オオォォオルハァイルブリタアアァニアアアアアアアアアアアアアアアァァァッッ!!!!』

 

 

 

 皇帝の絶叫のような声がモニターから響き渡る、聞こえてくるのは臣下達の唱和だ。

 オールハイルブリタニア――――皇帝シャルルとブリタニア帝国の時代を象徴するようなその叫びが、まるで目前で響いているかのような錯覚と震えを解放戦線の大会議場に与える。

 それはまるで、ブリタニア帝国の強大さを全世界に教えているようにも見えて……。

 

 

 ……抵抗する。

 ブリタニアと言う傲慢な強者に対し、弱者として抵抗する。

 彼の国を変えようなどとは思わない、ただ日本人として戦い、海の向こうへと叩き返す。

 徹底抗戦、少なくとも現時点でその象徴となっているその場で。

 彼女は、青鸞はそのための声を作った、皇帝の言葉に反発を覚えるその感情のままに。

 

 

「……日本(にっぽん)

 

 

 つい数日前、彼女を守るために組織された者達と共に唱和したその言葉。

 彼らと確かに繋がった、そう思えた言葉を。

 それを、青鸞はその場に立ち上がりながら呟いた。

 何故か、モニターの向こうから響くブリタニアを称える声に掻き消されることも無く。

 

 

「万歳……!」

 

 

 青の着物を纏った少女の静かな言葉は、最初、空虚な響きすら感じられた。

 道場にも似た大会議室、そこに小さな少女の声が反響する。

 応じる声は、無い。

 

 

 否、いた。

 その男はズドンッ、と片足を床に立てると、そのままの勢いで立ち上がった。

 彼は若干横に太い巨体を持ち上げると、右手に刀の鞘を持ち、頭上へと掲げた。

 

 

「日本――――万歳ッ!!」

 

 

 草壁の怒鳴りつけるような大きな声が、場の空気を圧するかのような震えを帯びて拡散した。

 ビリビリと床板が震えたのは、錯覚ではないだろう。

 青鸞が驚いたような視線を向ける、すると草壁はいつものように鼻を鳴らして目を逸らした。

 そして、驚く他の一同を睨む。

 その目はこう言っていた、貴様らは小娘に遅れを取るのかと。

 

 

日本(にっぽん)万歳(ばんざぁい)っ!!」

 

 

 再び響く声に、今度は応じる声があった。

 日本万歳、オールハイルブリタニアの唱和に比べてまだ小さい、だが。

 それは徐々に、徐々にだが大きくなっていく。

 高揚する気分が伝播するかのように、青鸞と草壁の叫びはさらに高らかさと声量を増していく。

 

 

「日本、万歳……!」

「日本、万歳!」「日本万歳!」「日本万歳ッッ!!」

「日本万歳!」「くたばれブリタニア!」「帝国主義に死を!」「日本独立!!」「日本万歳、日本万歳ッ!」「日本万歳!」「日本解放!」「万歳!」「万歳ッ!」「日本万歳ッッ!!」

 

 

 その声は大会議場を制圧し、通路から各部屋へ、そして他の区画へと広がりを見せる。

 ナリタ連山それ自体が鳴動するように、国を失った日本人達の叫びが唱和する。

 その声は、決してモニターの向こうのブリタニアを称える声に劣るものでは無かった。

 

 

「日本、万歳ッ!!」

「「「「「日本、万歳ッッ!!!!」」」」」

 

 

 青鸞と日本人達の声が、ナリタ連山を揺るがす。

 だが、唱和だけ伍しても意味が無い。

 くだらぬ精神論は身を滅ぼすだけと、後世の歴史家達は賢しげに皮肉るかもしれない。

 それだけでしか対抗できない、哀れで小さな者達だと同情すら覚えるのかもしれない。

 しかし精神無くして物事を成し遂げられないのも、また事実だった。

 

 

 そのエネルギーは膨大であって、向ける方向さえ間違えなければ日本独立を成せるかもしれない。

 そしてその方向に皆を導いていけるのか、どうか。

 唯一唱和に参加せず、その場に座したままの藤堂はそれを考え続けていた。

 図らずも、日本人の中心にいる少女を見つめながら――――。

 




採用キャラクター:
ATSWさま(小説家になろう)提供:榛名大和。
ありがとうございます。
(そろそろ増えてきたので、いったん整理が必要かもしれませんね)。

 と言うわけで、今話の注目としては……。
 やはり草壁さんプッシュでしょうか、ひたすらプッシュしています。
 何故でしょう、最初はここまでプッシュするつもりは無かったのですが。
 加えて、青鸞のための護衛小隊を投稿キャラクターを中心に設置。
 着々と準備が整う中、そろそろ最初のターニングポイントです。


*以下募集、募集のため次回予告は今回はお休みです。

「雅さんの青鸞さま衣装募集」!
 青鸞の親戚筋の割烹着少女、雅の名を冠した募集となります。
 どんな募集かと言いますと、一言で言えば青鸞のコスチューム募集です。

雅:
「この度はお世話になります、雅です。
 私は青鸞さま、まぁつまりお嬢様の生活面をサポートさせて頂いているのですが、最近青鸞さまも成長期ですので、衣装の総替えが必要になって参りました。
 そこで、皆様に青鸞さまのお召し物などを用立てて頂きたいのです」

募集条件!
1:貴方(ユーザー)は枢木家御用達の職人・業者です。
2:和洋問わず、青鸞の衣服(下着から普段着、着物・ドレスまで)を募集。
3:衣服に限らず、料理・お菓子・装飾品など小物も物によっては採用。
4:投稿は1人3点まで、メッセージ投稿のみを受け付けさせて頂きます。
5:締め切りは3月11日18時までです、それ以降は受け付けませんのでご了承ください。
6:採用されるとは限りません、不採用のご連絡は致しませんのでご了承ください。
7:以前のキャラクター投稿に応募頂いた方に限り、自身の応募キャラクターの衣装案などを別枠で受け付けさせて頂きます(締め切りは同日時)。


 以上です、繰り返しになりますがメッセージ投稿のみとさせて頂きます。
 ハーメルン、あるいは「小説家になろう」にて竜華零までご投稿くださいませ。

それでは、失礼致します。


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STAGE7:「ゲットー の 凱歌」

 青鸞の朝は、基本的に肌寒さから始まる。

 彼女の部屋は解放戦線の士官が使用する部屋と同じ構造になっている、とは言えそこまで豪奢な部屋であるとは言い難かった。

 広さとしては、ちょっとしたワンルーム程度だ。

 

 

 ただ基本的には、個室の体裁を整えただけのベッドルームである。

 お風呂(天然の温泉を改造)とトイレ(男女別)は共用のため、文字通り簡易ベッドしか無い。

 青鸞には特別に衣裳部屋があるものの、それを除けばほとんど他の士官と同じ生活をしていた。

 まぁ、士官でも藤堂や草壁などの高級幹部になれば専用の執務室があるのだが。

 

 

「……ん……」

 

 

 繰り返すようだが、青鸞の朝は肌寒さから始まる。

 自然の陽光が入ることが無い地下の室内、空調が入っていない時などは特に冷える。

 肌の感覚が敏感なのか、肌寒さを感じた時に彼女は目を覚ます。

 なぜ寒さを感じたら目を覚ますのか、それは単純に言ってそれくらいでも無いと風邪を引くためだ。

 

 

「……んー……」

 

 

 大して柔らかくも無い寝台の上で、黒髪の少女が上半身を起こす。

 はらりと肌の上を毛布が滑り落ちれば、薄暗い中に白い裸身が浮かび上がった。

 途端、やはり寒さを感じてブルリと身を震わせる青鸞。

 自分の身体を抱くように回した手には、冷え切った肌の冷たさが伝わってくる。

 

 

 見れば下着も身に着けていない、全て寝台の下に落ちていた。

 白の襦袢と朱色の帯、そして上下の下着の一式……今朝は何故か枕のカバーまで剥かれている。

 別に誰に脱がされたわけでも無い、少女が寝ている間に自分で脱いだのである。

 肌寒さと共に目覚める青鸞は、だいたい次の一言で一日を始める。

 

 

「……また、やっちゃった」

 

 

 枢木青鸞、未だ寝ている間に脱衣する癖は直らず。

 彼女は溜息を吐くと、するりと寝台から降りて、散らかした衣服の片づけを始めたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「あら、お兄様。おはようございます、もしかして私の顔を見に来てくださったんですか?」

「……いや、そう言うわけでは」

「んもぅ、そんな困った顔をなさらないでくださいな。冗談です、冗談」

 

 

 青鸞が目を覚ましてからちょうど一時間後、青鸞の部屋の前ではそんな会話が繰り広げられていた。

 声の主は雅であり、そして彼女の前に立つ軍服姿の大和だった。

 共に榛名の姓を持つ兄妹であって、キョウトの分家筋の出である。

 キョウトの家から、青鸞に半分同行する形でついてきた2人だ。

 

 

 ただ兄はナイトメアパイロット、妹はスタッフ扱いで青鸞に付いている少女だ。

 これまでナリタでも会うことはほとんど無かったのだが――それこそ、夜寝る時くらいなもので――大和が青鸞の護衛小隊に配属になってからは、こうして昼間でも会う機会が増えたのだった。

 雅は仏頂面で固まる兄に苦笑を浮かべると、衣装袋らしき荷物を抱えたままで後ろを示した。

 

 

「青鸞さまならお着替えもお済みだから、もうすぐ出てきますよ」

 

 

 ほら、と雅が言う間に士官用の部屋の扉が開き、中から薄い青の着物に身を包んだ青鸞が姿を現した。

 今日の着物は淡く華美すぎない色合いで、季節の花々を複数あしらい、シュガーピンクやクリーム、ベビーブルーといった優しい重ね色が愛らしい雰囲気の物だった。

 控えめな金彩が、着物の上を彩る花々を落ち着かせながらも華やかせている。

 青鸞は大和の姿を認めると、着物の色と同じような淡く微笑んで。

 

 

「大和さん、おはよう。皆は?」

「……食堂前に集合している」

「そっか、じゃあ雅、行って来るね」

「はい、行ってらっしゃい、青鸞さま。あ、そうだお兄様、行ってらっしゃいのキスを……」

 

 

 危ない会話だなぁ、と思いつつ、青鸞は現代的な通路を大和と共に歩き始めた。

 彼女と護衛小隊の面々は、一週間前に湯を共にして以降――これも危ない表現だが――可能な限り、共にいる時間が増えていた。

 朝食の時間もその一つで、なるべき皆で食べようと言うことになっている。

 同じ釜の飯を食う、と言う奴であろうか。

 

 

 しかし実際、この一週間の青鸞は比較的充実した毎日を送っていたとも言える。

 藤堂による自分の訓練に始まり、護衛小隊の演習訓練、草壁教導の下での指揮官訓練、裏向きでの他の反体制組織への顔見世、その他諸々、忙しなくも多忙な毎日を過ごしていた。

 まさに、自室に戻れば倒れて眠るだけの日々だった。

 

 

「皆、おはようございます!」

 

 

 食堂入り口で整列して待っていた護衛小隊の面々に声をかければ、シフトの関係で来れていた十数人のメンバーが挨拶を返してくれる。

 以前に比べれば、青鸞の口調も柔らかだ。

 「青鸞」程ではないが、「枢木」と言う程他人行儀でも無い。

 青鸞は今とても充実していた、目標を共にする仲間と切磋琢磨する環境の中で。

 

 

 ……だが日本解放戦線全体で見てみると、実はこの時期、少々苦しい状況に立たされている。

 それは日本解放戦線と言う組織の求心力に関わる問題であり、果ては日本の独立にも関わってくる問題だった。

 ブリタニア帝国第2皇女、コーネリア・リ・ブリタニア。

 新たにエリア11総督に就任した彼女の手によって、今、エリア11の反ブリタニア武装勢力は大きく動揺していたからである――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 エリア11「前」総督クロヴィス・ラ・ブリタニア暗殺の直後、エリア11は俄かに活気付いていた。

 前向きにでは無く、後ろ向きにである。

 最も、それはエリア11を統治するブリタニア側にとっての話ではあるが。

 

 

 しかし無理も無いだろう、世界最強の軍事力を持つ超大国ブリタニアの正規軍、全ての反体制派組織にとって絶望的なまでに強大な敵、心のどこかで敵うはずが無いと思っていた相手。

 それがシンジュクにおいてゲットー規模のレジスタンスに壊滅寸前に追い詰められた上、総督の暗殺と言う不名誉を防げず、首謀者を名乗る「ゼロ」を捕らえることも出来ず……。

 

 

「ブリタニア、恐れるに足らず」

 

 

 日本中の反体制派組織が勢いづき、活動を活発化させ始めた。

 チュウブの「サムライの血」「大日本蒼天党」、ホクリクの「至誠の党」「日本自衛連合」、ホッカイドウの「新人民軍」、キュウシュウの「葉隠」……日本に数多ある組織が、フクシマ、コウチ、ヒロシマの各租界や軍施設に対して攻勢を強めてきたのである。

 それは一時的にしろ統治軍参謀府の参謀達の肝を冷やし、あわや一斉蜂起かと危惧させたのである。

 

 

 ――――だが、「彼女」はそれを許さなかった。

 

 

 世界最強を誇るブリタニア軍の中にあって、真の意味で唯一上位皇族に率いられている一軍がある。

 皇帝直属のナイトオブラウンズ、帝国最強の騎士達が率いる部隊を除けばブリタニア最強であろう最精鋭の軍――――コーネリア軍。

 特にエリア18、最近ブリタニアの版図に加えられた中東地域の国を攻め落とした時の手腕などは、世界屈指の軍事的手腕と皇帝に言わしめた程である。

 

 

旧時代の遺物(テロリスト)に容赦などいらぬ、ただ制圧あるのみ!』

 

 

 チュウブ軍管区のとある山岳地帯、通信機のマイクを通じてコーネリアの声が響き渡る。

 そこはチュウブ最大の武装勢力「サムライの血」のアジトであり、彼らはナイトメアを保有しないまでも大量の武器を保有し、一帯に勢力圏を築いていた。

 その彼らを、コーネリアは僅か1時間で制圧してしまったのである。

 

 

 ボリュームのある紫の髪、美貌を冷たく彩る紫のルージュ、真紅の軍服に白のマント。

 コーネリア軍最強のナイトメアパイロットであり、指揮官。

 彼女を戴くコーネリア軍は、戦女神に率いられた神代の軍の如く瞬く間にエリア11を席巻した。

 これによって、活性化しかけたエリア11の反体制派組織の勢いは完全に削がれることになった。

 

 

「オール・ハイル・ブリタニア!」「オール・ハイル・ブリタニア!」「オール・ハイル・ブリタニア!」

「「「オール・ハイル・ブリタニア!!」」」

 

 

 帝国を称える、そしてコーネリアを称える叫びが日本中に満ち溢れた。

 ナイトメアのコックピットを開き、マントをたなびかせながら彼方を見るコーネリアの姿に、ブリタニアの兵士達は歓呼の叫びを上げて迎え入れたのである。

 

 

「ここにもいなかったか……だが、待っていろよゼロ。必ずその仮面を引き剥がし、義弟クロヴィスの墓前に供えてくれる」

 

 

 エリア11は今、かつてない戦乱の気配に覆われていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 午後に入り、青鸞は片瀬の召還を受けた。

 最近は特に多い、徐々にだが青鸞の顔を前面に押し出すようになってきているためだ。

 通常なら危険も多いのだが、幸か不幸かブリタニア軍の目は「ゼロ」に向いている。

 またキョウトの協力である程度の情報操作も可能なため、存在を隠しながら活動することが出来る。

 

 

「ゲットーの周回、ですか」

「うむ、関東北部のゲットーを回り、各ゲットー組織を解放戦線に繋ぎ止めてきて欲しいのだ」

「なるほど……」

 

 

 関東――トウブ軍管区には、シンジュクの他にも無数のゲットーがあり、そのそれぞれに反ブリタニアを掲げる武装勢力が存在する。

 その多くはシンジュクのグループも含めて日本解放戦線の下部組織のような扱いを受けていて、武器の援助や人員の訓練などを通じて繋がりを維持している。

 これはもちろん、将来のトーキョー租界への進軍を見据えての活動である。

 

 

 アカバネ、ジュージョー、トダ、サイタマなどのゲットーを巡るこの活動は、日本解放戦線では新人の幹部が行う活動としても認識されている。

 つまり青鸞は今、幹部相当の存在としても研修を受けている身なのである。

 片瀬の横に座る藤堂の顔を窺えば、相変わらず正座して目を閉ざして動かない。

 

 

「行動の際には、新設されたばかりの護衛小隊を使うと良い。ちょうど良い機会だ、実地で経験を積むのも悪くはあるまい……特にお前はシンジュク事変以来、ゲットーの状況について気にしているようであったしな」

「はい、お気遣いありがとうございます。関東北部のゲットーを回り、日本解放戦線と良く連携するよう説いて回ることと致します」

 

 

 板張りの床に指をつき、静々と青鸞は頭を下げた。

 その後二言三言の言葉を交わした後、青鸞は草壁への報告のために部屋を辞した。

 教導役が草壁であるため、彼女の行動について報告しないわけにはいかないのである。

 まぁ、それが無くとも最近は青鸞と草壁の距離が縮まっているようにも見えたが……。

 

 

「……やはり、お前は反対か、藤堂」

「…………」

 

 

 結局、最後まで言葉を発しなかった藤堂に、片瀬は溜息を吐いて見せる。

 藤堂は目して語らない、賛成とも反対とも告げない。

 必要なことだと納得しているのか、それとも逆なのか。

 実の所、藤堂としても難しい部分だったのだ。

 

 

「……コーネリア率いるブリタニア軍の大攻勢によって、日本中の組織の頭が押さえつけられてしまっている。すでに広報部には何十本もの救援要請の連絡が入って来ている、いろいろ言っているが、要するに我々に「見捨てないでくれ」と泣きついてきているのだ」

 

 

 呟きのような片瀬の言葉に、藤堂もここは頷きを返した。

 事実だったからだ。

 コーネリアが新総督として赴任してまだそれほど時間も経っていないが、にも関わらずコーネリア軍は旧統治軍の軍制改革を断行すると共に各地のテロリスト掃滅で実績を上げつつあった。

 特にチュウブとホクリクにおいて、その勢いは強い。

 

 

「ここに来て、各地の組織からも懸念の声が出ている。ここで各地の救援要素を全て無視したのであれば、我らの戦力が整ったとしても、各地の組織と連動しての一斉蜂起が不可能になってしまう。それは、戦略的にかなり不味い……」

 

 

 それにも頷く、確かにその通りだ。

 時には戦略的・戦術的に不必要なこともしなければならない、各地の組織の目を日本解放戦線に向け続けるためにも、このあたりで何らかの動きをする必要はあるだろう。

 日本解放戦線としては、それで良い。

 

 

 だが、青鸞はどうだ。

 仲間として、組織の顔として不足を感じたことは無い。

 彼女の意思も日本解放戦線と共にある、それも良い、それが本人の選んだ道ならば。

 だが、もしその判断の材料となっている情報そのものが……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 3日後、青鸞の姿はトーキョー租界の北、トダ・ゲットーにあった。

 アカバネ、ジュージョーなどのゲットーを経由しての現地入りで、シンジュク・ゲットーとそう変わらない廃墟に古びたトレーラーが2台入り込んでいる。

 青鸞とその護衛小隊の面々であって、彼女らはそこで現地のレジスタンス組織のメンバーと会談の席を持った。

 

 

「いや、本当に助かったよ。もう本当にどうしようかと……本当に、本当に」

「いえ、共にブリタニアと戦う仲間として当然のことをしただけです」

 

 

 トレーラーから運び出されるダンボールの中身は、大部分が医薬品だ。

 ゲットーは不衛生なため疫病が流行しやすく、ワクチンのあるなしはまさに死活問題。

 今回、青鸞達がナリタから運び込んだ医薬品は、このトダ・ゲットーに住む者の生命を一部なりとも救うはずだった。

 

 

 とはいえ、実は量自体はそこまででは無い。

 医薬品はナリタでも貴重だし、何よりキョウトからの横流し品とブリタニア軍からの強奪品が多いせいで偏りもある。

 しかしそれでも、各地のゲットーを支援していると言う姿勢を示す必要があったのだ。

 

 

「いや、しかし本当だったんだな……いや、本当に」

「……?」

「お、いや。噂には聞いていたんだ、本当、日本解放戦線に小さな女の子がいるって、本当だったのか」

 

 

 トダ・ゲットーの責任者――レジスタンスグループ「ムサシ連合」のトップ――の男は、濃紺のパイロットスーツの上に深緑の軍服の上着を羽織った姿の青鸞を上から下までしげしげと眺めた。

 レジスタンスを名乗る割に優しげな風貌なのは、元々法学者だったという経歴のためかもしれない。

 

 

「その、こんなことを聞くのは本当に失礼かもしれないんだけど。気分を悪くしたら本当申し訳ないんだけど、どうしてキミみたいな子が日本解放戦線に……いや、本当余計なことなんだけど」

 

 

 もしかして「本当」と言うのは口癖なのだろうか、内心で頬に一筋の汗を流す青鸞だった。

 しかし表の表情には露ほども出さず、完璧な「枢木」としての微笑を見せる。

 キョウトで叩き込まれた礼儀作法は、こんな時にも抜けることは無い。

 

 

「今は亡き枢木首相の遺志を継ぎ、日本独立を目指し戦うのは、日本人として当然のことだと考えています」

「枢木首相……か。じゃあ、もしかしてあの噂も本当に……」

「はい」

 

 

 胸に手を当てて正面から向き合い、青鸞は首肯しつつ。

 

 

(ワタシ)の名前は、枢木青鸞と申します。今後、何かとお世話になることもあるかと思いますので……どうぞ、お見知り置きを」

「枢木……! そうか、本当に。でも確か、ニュースで見たスザクとか言う子は前の総督を」

「……いえ、それは間違いだったようです」

「そ、そうか。いやでも本当、枢木首相のご息女が解放戦線にいるって噂は前々から聞いてて、うちのゲットーの中でも本当、皆が待ってたんだ。もしかしたら日本を解放してくれるんじゃないかって、本当に」

 

 

 ズシリ、と、青鸞は己の肩に奇妙な重みを自覚した。

 それはスザクの名が出たためか、それとも他の理由なのか。

 

 

「……?」

 

 

 この時の彼女は、まだ、わかっていなかった。

 

 

「でも、そう言うことならうちは大歓迎だ、本当に。これからも協力させてもらう、本当言えば、うちみたいな弱小組織に何が出来るのかはわからないけど、本当ね」

「いえ、その言葉だけで十分です」

 

 

 自分の両手を取ってペコペコと頭を下げてくる相手に、青鸞はあくまで綺麗な笑みを浮かべている。

 そして安堵する、自分を受け入れてもらえたことに。

 しかしその笑みや謙遜を述べる唇は、いつもに比べれば若干固さがあったような気がした。

 

 

「いやー、うちの青鸞サマはあの年で凄いな本当。おっと、あの兄さんの口癖が移っちまった」

「それは良いが、アンタ外にいなくて良いのか?」

 

 

 1台目のトレーラーの運転席、運転手の青木は隣でシートに沈んでいる山本を呆れたような目で見やった。

 もちろん彼もパイロットスーツ姿だ、万が一に備えていつでも出撃できるようにしなくてはならない。

 ちなみに彼以外の人員は外にいる、佐々木や上原などが2台目のトレーラーから医薬品を搬出したりしている様子を青木はミラーで確認していた。

 

 

 まぁ、良い方だと思う。

 アカバネでは枢木の名前を出しただけで非難が巻き起こって、かなり苦労した。

 下手を打てば私刑(リンチ)に合う所を、日本解放戦線の名前を前面に立てて何とか事なきを得たのである。

 アレはヤバかった、かなり。

 

 

「一緒の隊になってもう10日だけど、アンタ働かねぇなぁ……」

「まぁ、ヒナとかがやってくれるし。最後のハンコ押して責任とってりゃ良いだろぉ」

「まぁ、お嬢の部隊だから多くは……お?」

 

 

 その時、ハンドル横の通信機から砂嵐のような音が響いた。

 青木が腕を伸ばして周波数を合わせにかかると、意外とすぐに音が安定してきた。

 そしてそこから流れてきた声を聞いた後、青木は窓から身を乗り出して「お嬢」こと青鸞を大声で呼ぶことになる。

 

 

『……ちら……タマ・ゲットー、周辺組織……至急……!』

 

 

 それは、助けを求める悲痛な叫びだった。

 

 

『……サイタマ・ゲットーに、ブリタニア軍が……!』

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 サイタマ・ゲットーは、100万人のイレヴンが居住する大規模なゲットーだ。

 人口は力だ、自然、そこに生まれるレジスタンスは比較的強い力を持つようになる。

 ヤマト同盟と言うのがその名前で、ゲットー住民の半数以上を協力者に持つ組織だ。

 ゲットー系組織の中では比較的大規模で、それ故にブリタニアもおいそれとは手を出せなかったのだが……。

 

 

「テロリスト、及びテロリストの協力者を殲滅せよ」

 

 

 大きな蜘蛛を思わせる形状の紫の地上空母、G1ベースの指揮シートの上でコーネリアはそう告げた。

 場所は先に述べたサイタマ・ゲットー外延部の入り口、ボリュームのある紫の髪を肩に流しながら、真紅の軍服に身を包んだ新総督は何の感情も見せない顔で殲滅を部下に命令した。

 それは、事実上の虐殺命令だった。

 

 

 ゲットーを多数の戦力で包囲し、ナイトメアと戦車で押し潰し、歩兵部隊を進めて圧倒的な火力でテロリストごと住民を焼き払う。

 それはまったく同じだった、シンジュク事変の焼き直しと言っても良い。

 当然だ。

 むしろ、それがコーネリアの狙いだったのだから。

 

 

「本当に、来るでしょうか……」

「来るさ、ゼロは劇場型の犯罪者だ。場所と時間までニュースで流して招待状を出した以上、来ざるを得ないだろう。まぁ、ゼロが私の予想より臆病者だったら無駄骨だが……」

 

 

 幕僚の言葉に、コーネリアはむしろ涼しげな笑みさえ浮かべてそう答えた。

 傍らの2人の腹心――ギルフォードとダールトン――はそんな彼女を頼もしそうな目で見ている、そこにはコーネリアの手腕に対する絶対の信頼があった。

 ここで勘違いしてはならないのは、コーネリアは必ずしもブリタニア至上主義者では無いということだ。

 

 

 コーネリアにとってはナンバーズ、つまりイレヴンも「守るべき帝国の民」であり、本国出身者と区別はしてもことさら差別するつもりは無かった。

 では何故、今サイタマ・ゲットーで前総督クロヴィスを思わせる虐殺を行うのか。

 簡単だ、目の前にいるのが「帝国臣民」になるのを拒絶した「日本人」、つまりイレヴンにすらなれない者達だからだ。

 

 

「ふ……フォアドン隊、シグナルロスト!」

 

 

 そしてもう一つは、シンジュク事変と同じ展開を作ることでゼロを誘き寄せることだ。

 軍事作戦の場所と時間をニュースに流すという異例の手段でサイタマ・ゲットーの状態を知らせ、来るなら来いという体制を整えた。

 つまり、罠である。

 義弟を殺したテロリストを、返り討ちにするために。

 

 

「――――来たか」

 

 

 そう呟くコーネリアの目には、机型の戦略パネルの前で各部隊を動かす参謀達の背中が見える。

 先程まで順調にサイタマ・ゲットーの制圧を進めていた彼らが、俄かに動揺し始めたのをコーネリアは見た。

 味方機や味方部隊の撃破報告が増え、鹵獲されたらしいナイトメアで武装したテロリストが戦線を押し上げてきたのだ。

 

 

 ブリタニア軍の通信空間は兵達の救援を求める声で満ち、それまで散発的な抵抗しか出来ていなかったテロリスト側の動きは秩序だった物へと変化していた。

 明らかに、優秀な指揮官が登場したことを示している。

 それも急に、イレギュラーに……シンジュク事変の時のように。

 

 

「ああ、来てやったさ」

 

 

 そして、コーネリアの呟きに応じるように少年の声が響く。

 狭苦しいコックピットの中、ブリタニア兵の防護服に身を包んだ彼は口元に悠然とした笑みを浮かべた。

 目の前には、血と硝煙が漂う戦場が広がっているというのに。

 

 

「……コーネリア、麗しの我が姉上」

 

 

 黒髪の少年は、むしろ嬉しげにそう告げたのだった。

 左の瞳に、赤い虹彩を放ちながら。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 東で変事ある時、西ではその対応を協議する者達がいる。

 キョウト六家、エリア11に生きるイレヴンの中でも富裕層に位置する者達である。

 戦後速やかに名誉ブリタニア人資格を与えられ、他のイレヴンに比べ豊かな生活を享受してきた彼らは、しかしその裏で反体制勢力へ資金や武器を流している……。

 

 

 その彼らは、キョウトのある屋敷の地下に集まっていた。

 御簾の向こうで議論をただ見ている神楽耶を除けば、5人で明かりを囲んで密談をしている形になる。

 それは彼らのいつものスタイルであるのだが、今日に限ってはいつもと同じ雰囲気と言うわけでは無かった様子だった。

 

 

「……まさか、コーネリアがこれ程とはな……」

「サムライの血にも、ナイトメアを回しておくべきでしたかな」

「いや、あれだけの規模の軍が相手では5機や10機のグラスゴーや無頼では支えきれまい」

「政庁に入れておいた根も、新総督赴任直後の軍制改革の煽りを受けて動きが……」

 

 

 彼らはこの7年間、クロヴィス施政下の政庁や各軍管区のブリタニア人官僚や軍人を相手に買収を進めていた。

 その根はかなり深い所にまで伸びていて、得た情報を反体制派組織に流したり、あるいはブリタニア軍の払い下げの兵器や物資をゲットーのレジスタンスに流したりと細工を施していた。

 軍の捜査網を恣意的に乱し、反体制派組織のアジトの発見を遅らせたり隠蔽したりもした。

 

 

 そうして日本側の力を保ち、ブリタニアの施政に穴を開け、少しずつ少しずつその根っこを腐らせて来たのが彼らである。

 表向きはブリタニアの統治に協力しつつ、裏では統治と言う強固な壁に水漏れを起こさせていたわけである。

 だがそれも、コーネリアと言う新総督によって一度に引っ繰り返されつつあった。

 

 

「……手を尽くしてはいるが、政庁の情報的な防壁はいっそう高くなっておる」

「参謀府はどうだ、アレは独自の人事系統を持っていたはずだろう」

「ミューラーか、しかしアレも大して役には……」

「こうして見ると、前総督の暗殺は痛かったですな。あのゼロとか言う……」

 

 

 ゼロ、その名前に反応したのは他の誰でもなく、御簾の向こうに座る神楽耶だった。

 それまで穏やかな色を浮かべて大人達の議論を聞いていたのだが、ゼロの名を聞いた途端、細められた瞳の奥に光が生まれた。

 密やかでありながら、どこか剣呑な輝きだった。

 

 

「……まぁ、今後はブリタニアの攻勢も強まるということであろうな」

 

 

 そして沈黙を保っていた老人、桐原の言葉でその場に溜息が生まれる。

 それ程までに、コーネリアとその軍は強大だった。

 世界各地で各国の正規軍を粉砕した最強の将と軍、下手を打てば反体制派組織は壊滅してしまう。

 それは、そう、あの日本最大の反体制派武装勢力、日本解放戦線をも含めて――――。

 

 

「何、手はいろいろある。相手が正攻法で来るなら搦め手を使えば良い、とは言え……」

 

 

 日本解放戦線は、どちらかと言えば「正攻法」の組織だ。

 そう言う意味では危うい、さてどうしたものか。

 桐原としては、ここで「搦め手」として利用できる他の組織を見出したい所だった。

 とは言え……。

 

 

「枢木の娘は、どうするつもりですかな」

「それよ、さて……早くは無いと思っていたが、多少ハズれたかもしれんな」

 

 

 カカカ、と笑って、桐原は自分の顎を撫でた。

 勝敗は兵家の常、とは言え、失うわけにもいかない。

 桐原としては悩み所だが、さて。

 

 

「――――アレの器を知る、良い機会でもあろうの」

 

 

 どうなるか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 サイタマ・ゲットーに、ブリタニア軍来襲。

 その情報がトダ・ゲットーの青鸞達に伝わったのは、攻撃開始から30分後のことだった。

 青木のトレーラーがその電波を拾うことが出来たのは、奇しくもコーネリア軍がゼロを誘き寄せるためにあえて電波妨害を行わなかった結果だった。

 

 

 サイタマ・ゲットーからの救援を求めるその通信(ひめい)を受けた青鸞は今、自身の無頼の中にいた。

 トレーラーに格納されたその無頼の顔のセンサーパーツが開き、暗号化された信号を飛ばして遠方と通信を繋げている。

 ディスプレイに映る相手は、もちろんナリタ連山の片瀬と藤堂である。

 

 

『サイタマ・ゲットーのことについては、こちらでも確認した。まぁ、まさかああまで大々的にニュースに流されるとは思わなかったが……』

 

 

 通信画面の向こう、片瀬が唸るように言葉を紡ぐ。

 あまりにも堂々と発表されたので、逆に罠を疑っていた所だったのだ。

 しかし現実に、コーネリアは一軍を率いてサイタマ・ゲットーを包囲殲滅しようとしている。

 片瀬としては、頭の痛い問題だった。

 だがとにかく、今は対応手を考えねばならなかった。

 

 

『とにかく、予定のサイタマ・ゲットー行きは見合わせよう。青鸞嬢は部隊を率いてナリタへ……』

「……それが、どうもそうもいかないようでして」

『移動手段に何らかの不具合でも?』

「トレーラーには問題はありません、ただ……」

 

 

 そこで、青鸞は外の音を聞くように目を横へと動かした。

 コックピットは閉じ切っていないので、トレーラーの外から人々のざわめきのような声が聞こえるのである。

 

 

「トダ・ゲットーの人達は、(ワタシ)達がサイタマ・ゲットーの救援に赴くものと信じているようなんです」

 

 

 日本解放戦線は、日本最大の反体制派武装勢力。

 ここがブリタニアと戦わずして誰がやるのかと、日本中が信じている。

 シンジュク事変は介入の時間も無かったからともかくとして、今回は違う。

 ニュースにまで出ていて、しかも付近に直属部隊がいる。

 これで助けに行かないなどと言えば、それは大変な意味を持つことになるはずだった。 

 

 

『もしかしたら日本を解放してくれるんじゃないかって』

 

 

 先程も、トダ・ゲットーの責任者がそう口にしていた。

 日本解放への期待、そして同時に疑惑。

 ゼロと言う新参者がブリタニア軍を引っ掻き回している昨今、その存在価値が改めて問われているのだとも言える。

 

 

『……青鸞』

 

 

 聞き慣れた藤堂の低音の声が、青鸞の耳朶を打つ。

 青鸞が考えているようなことは、おそらく藤堂も考えているだろう。

 ついでに言えば、藤堂の方がより深く。

 それは、8年間と言う時間を共有した青鸞にもわかる。

 

 

 だからこそ、青鸞には藤堂がこれから言うだろうこともわかるのだ。

 撤退しろ、時期では無い、多勢に無勢、勇気と無謀を取り違えてはならない。

 わかる、わかっている、それはわかる、だが。

 今、ナリタにいる藤堂には聞こえていない声がある。

 現場にいる青鸞にしか、彼女の仲間達にしか聞こえていない声がある。

 

 

「――――片瀬少将、藤堂さん」

 

 

 ……日本を称える声が聞こえる、日本解放戦線を称える声が聞こえる。

 日本の独立を取り戻してくれと叫ぶ声が聞こえる、見捨てないでくれと叫ぶ声が聞こえる。

 シンジュク・ゲットーで会ったレジスタンスのメンバーも、確か似たようなことを言っていた。

 日本解放戦線は、時期を待つとか何とか言って、結局はナリタの安泰を目的にしているのでは無いか、と。

 

 

 それは、ある意味においては正しい。

 日本解放戦線が滅びるようなことがあれば、日本の反ブリタニア闘争は終わる。

 だからこそ、ある程度は自己保存に気を配らなければならない。

 だが、それも度が過ぎれば自己の存在否定になりかねない。

 まさにそこが片瀬の頭の痛い所であって、疲労を感じる所でもあろう。

 

 

「……シンジュク事変の時、(ワタシ)は、(ワタシ)達は何も出来ませんでした。何かをしなければならなかったのに、何も出来ませんでした」

 

 

 直に人々の聞いている青鸞だからこそ、感じる。

 背中を熱の塊に押されているかのような、そんな熱気に吐き気さえ覚えそうになる。

 酔って、しまいそうなくらい。

 千葉などは、それでも恨まれる筋合いは無いと言っていたが。

 

 

「もしここで、サイタマ・ゲットーに対しても何もしなかったら……ゲットーの人達は、(ワタシ)達をもう、信じてくれなくなるような気がします」

 

 

 脳裏に浮かぶのは、草壁の言葉。

 動き続けなければ、抵抗の旗を掲げ続けなければ、終わりだと。

 あの言葉が、青鸞は何故か忘れられなかった。

 抵抗、それをやり続けるという理念、「徹底抗戦」。

 

 

 ふと、青鸞は膝の上に畳んで置いている軍服の上着を見下ろした。

 その上着のポケットから、白い布が覗いている。

 ハンカチだ、きちんと手洗いされた後、乾かされている物。

 借り物だが、何となく常に持ち歩いている。

 

 

「だから、お願いです、片瀬少将。何かさせてください、ゲットーの人達の心を日本解放戦線に繋ぎ止めるためにも、何かを」

 

 

 正面から戦って、勝てないことはわかっている。

 だからせめて、勝てないことを前提に何かをしたかった。

 外から聞こえる期待と疑念の声に、応えたかった。

 自分達は、日本の解放と独立のために戦っているのだと。

 ブリタニアの不正義を正し、日本人を守るために戦う集団なのだと。

 

 

「お願いします」

 

 

 画面の向こうに向けて、青鸞は頭を下げた。

 頭を下げてどうにかなる問題とは思えないが、とにかく下げた。

 実際、現場で、肌でゲットーの人々の視線と空気を受けた青鸞には、そうするより他の選択肢が。

 

 

『……お前の手元には4機のナイトメアしか無い、しかも敵はブリタニア最強を謳われるコーネリアの直属軍だ』

「……はい、勝てるとは思っていません」

 

 

 事実だった、勝利を得るのは不可能だ。

 

 

『小隊の者達も、命を危険に晒すことになる』

「……はい」

 

 

 これも事実だった、戦えば仲間の命が危険に晒される。

 誰かが失われるかもしれない、それが戦争だ。

 これまでも、青鸞の目の前で仲間が倒れたことなど何度でもある。

 日本人が殺される様を、何度も何度も何度も見てきた。

 でも。

 

 

「でも、今何かしないと……何も出来なくなりそうで、怖いんです」

 

 

 だから。

 

 

「ボク達に、行かせてください」

 

 

 青鸞のその言葉に、画面の向こうで藤堂がやや俯いた。

 何事かを思考している顔だった、考えているのだろう。

 日本の独立派や反体制派の人々の信頼を繋ぎ止め、そのための材料としての軍事的勝利をここで得るべきなのかどうか。

 

 

 もしサイタマ・ゲットーを見捨てた場合、日本解放戦線の下部組織の大半はどう思うか。

 ブリタニア軍に攻撃された時、時期が来ていないとの理由で見殺しにされるのではないだろうか。

 そう思われることを防ぐために、あえて今、ブリタニア軍と戦うべきなのか。

 仮に今、戦闘を回避したとして……その後、失った信頼を取り戻すことが出来るのか。

 独立派が屈し、解放戦線だけが生き残ることを防ぐために。

 

 

『……策はあるのか?』

 

 

 青鸞は一瞬、勢いよく顔を上げて藤堂の顔を見て、叫びように言葉を叩き返しそうになった。

 しかしそれをすんでの所で堪えて、深呼吸を一度。

 そして、ゆっくりと彼女は話し出した。

 

 

「サイタマ・ゲットーのレジスタンス組織からの救援通信によると、埼京線が装甲列車で……なので――――」

 

 

 経験不足故か、青鸞の考えは所々に穴がある。

 しかしその穴は藤堂が埋めて、修正を加えて作戦行動を最終決定した。

 その作戦は、ブリタニア軍への勝利を目的としたものではなく……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 戦闘開始から2時間、「ゼロ」は危機的な状況に陥っていた。

 彼は今、ある方法で敵から奪ったサザーランドのコックピットの中にいた。

 そこからヤマト同盟と言うサイタマ・ゲットーのレジスタンスに指示を出し、コーネリア軍を壊乱させていたのである。

 

 

 テロリストを動かして装甲車を奇襲し、橋を落とさせて部隊一つを丸ごと川底へ沈め、鹵獲したサザーランドを与えてブリタニアのサザーランド部隊を粉砕し、後は詰めチェスのようにコーネリアに迫れば……と、言う所まで来ていた。

 コーネリアがテロリストによる被害を嫌い、あっさりとゲットー外縁まで撤退したのも好都合だった。

 まさに、シンジュク事変の焼き直しのような状況だった。

 

 

『全てのパイロットに命令する――――コックピットを降り、顔を見せよ!』

 

 

 そして、コーネリアのこの命令である。

 サザーランド部隊に潜り込み、コーネリアのいるG1ベース目前にまで迫ったゼロ。

 大将首を目前にして、彼は人生最大の危機に陥ることになった。

 周囲を多数のブリタニア軍に囲まれる中で、顔を見せろと言われたのである。

 

 

 見せられるわけは無い、だが見せなければどの道テロリストとして攻撃される。

 ヤマト同盟は動かせなかった、何故なら半分がコーネリアの直接指揮の下――それまでは参謀達に任せていた――半数が撃破され、残り半数はコーネリアの親衛隊に恐れをなして投降しようとした所を虐殺されて大打撃を受けた。

 つまりこの時点で、ゼロの手元には兵力がほとんど存在しなかった。

 

 

(それでも、懐に潜り込めれば……!)

 

 

 仮面の無い顔に手を添えて、左眼に触れながらゼロは唸った。

 G1ベースにさえ肉薄できれば、後はどうとでも出来る能力が彼にはあった。

 だが、この状況では……。

 

 

(どうする、パイロットを確認している親衛隊はナイトメアから出てこない。直接、目を見なければ……!)

 

 

 そして、彼の機体の隣のナイトメアのパイロットのコックピットが開いた。

 次だ、ゼロの心臓が大きく脈打つ。

 打開策を見出せないまま、彼は自身の背中に冷たい汗が伝うのを感じた。

 

 

 一方、コーネリアは会心の笑みを浮かべていた。

 クロヴィスの時の状況を考えれば、ゼロが何らかの方法で自分に肉薄してくることは確実。

 そして自分がゼロならば、自軍の兵士に紛れ込んでくるだろうと踏んだ。

 まぁ、それが当たっているかどうかはまだわからないが……。

 

 

「さて、いるのかなゼロ……」

「コーネリア……ッ!」

 

 

 2人の声が距離を置いて重なった、その時だった。

 ゼロのサザーランドの前に親衛隊のナイトメアが屹立する直前、敵味方問わず、オープンチャネルである声が響き渡った。

 ゼロを誘き寄せる目的で電波妨害を行わなかったため、それは非常にクリアにゲットー中に響いた。

 

 

『こちら、日本解放戦線――――』

 

 

 その声にコーネリアが眉を顰め、ゼロが驚愕に瞳を大きく見開く。

 前者は声の主を知らず、後者は知っていた。

 そして、声が告げる。

 

 

『救援要請に応じ……助太刀に参りました!!』

 

 

 圧倒的な数を誇るブリタニア軍、その中に。

 やけに幼さを残した少女の声が、響き渡った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 この時のコーネリア軍の配置は、聊か歪な形になっていた。

 それは作戦の主目的が「ゼロの釣り上げ」であったためで、サイタマ・ゲットーの包囲殲滅はあくまでそのための行動でしか無かったからだ。

 さらに今、コーネリアは自軍に紛れ込んだゼロを引き寄せるために全部隊に集合を命じている。

 

 

 つまり、包囲の輪を保っているのは装甲車や歩兵などの通常戦力のみ。

 それも撤退の気分に包まれていた部隊であって、作戦完遂直前特有の緩みがそこにあった。

 まさか、横槍が入るとは思ってもいない。

 それは奇しくも、これまで特に大きな動きを見せなかった彼の組織のせいでもあるのだが……。

 だが今、その組織の人間が包囲網に風穴を開けようとしていた。

 

 

『青鸞さま、1615時をもって我が部隊は敵軍哨戒網に接触致しました。30カウント後に敵包囲網外周に到達、カウントを開始致します』

 

 

 後方の佐々木のオペレートと共に、ディスプレイ上にカウントが表示される。

 無頼のコックピット内はすでに走行の衝撃で振動している、青鸞は操縦桿を握り締めて正面を睨んでいた。

 すでにブリタニア軍の哨戒範囲内、自然、操縦桿を握る手には力がこもる。

 

 

「――――総員に告げます!」

 

 

 ディスプレイに広がるのは、曇り空と赤茶けた線路。

 無頼のランドスピナーが火花を上げ、最大戦速で機体を進ませる。

 青鸞機の後に続くのは、護衛小隊の3機の無頼。

 縦一列に並んで進む4機の視界に、目的のポイントが近付いてくる。

 

 

「これより(ワタシ)達は、敵包囲網の一部を切り崩し、穴を開けます。その穴を15分維持して……しかる後に転進します!」

 

 

 15分、おそらくそれが限界。

 その15分で、いったいどれだけの日本人を逃がせるか――――。

 

 

「……回天の志で、望みます!」

『『『――――承知!』』』

 

 

 ああ、有難い、青鸞はそう思った。

 決行前のブリーフィングで、誰1人として作戦からの離脱を言わなかった。

 普段緩んでいる山本でさえもそうで、佐々木などは黙々と準備を整えてくれた。

 本当に、有難い。

 ――――そして、その時が来る。

 

 

 彼女らが駆けているのは、トーキョーとサイタマを繋ぐ埼京線の線路の上。

 サイタマ・ゲットーと外を繋ぐルートであるそのラインの入り口は、コーネリアがナイトメア部隊(ゼロを含む)を集結させているゲットー外縁のちょうど反対側にある。

 15分と言うのは、コーネリア直属のナイトメア部隊が急行してくるだろう時間だ。

 それも長くて、だ、下手を打てば……。

 

 

『――――接敵(コンタクト)ッ!!』

 

 

 青鸞機が胸部スラッシュハーケンを放つ、それは埼京線の線路内に着弾した。

 具体的には、埼京線を封鎖していた装甲列車の前に配置されていた戦車だ。

 ずんぐりとした概観のそれに、濃紺のアンカーがめり込むように撃ち込まれる。

 戦車を貫いたそれは線路を敷く橋にまで突き刺さり、それを支えに青鸞は無頼を跳躍させた。

 同時に、他の3機も密集しつつ散開する。

 

 

 大和機が空で哨戒するヘリをスラッシュハーケンで撃ち落とし、山本機と上原機が線路外周の土手――川の上に橋がかかっている――に配置されていた装甲車4台をアサルトライフルの斉射でもって粉砕した。

 爆発炎上する装甲車、タイヤなどの部品と共に焼け出されたブリタニア兵の身体が宙を舞う。

 歩兵に至っては逃げ惑い、戦列を維持することも出来なかった。

 

 

「う、うわああああああぁぁっ!?」

 

 

 最大の衝撃は、青鸞が着地した装甲車両に起こった。

 操縦座席に乗り込んでいたブリタニア兵が間一髪外へ飛び出すと、その直後に漆黒の巨大な刀が操縦室を貫いた。

 車体の下まで貫通したそれは装甲車両の操縦系統を断ち、ただの鉄の塊へと変えていく。

 

 

「はぁ……ぁぁああああああああっ!」

 

 

 そしてそこから、装甲車両の上を走る形で青鸞機が進む。

 思い切り倒した操縦桿、そして強く踏み込んだペダル。

 固定された刀は装甲車両を真っ二つに両断しながら火花を散らした、青鸞機が駆けた後に連なるように装甲車両がオレンジ色の爆発を断続的に引き起こす。

 

 

 装甲車両の半ばで刀を横で逸らして外すと、青鸞は橋の上から土手へと降りる。

 アンカーで土手を抉りバランスを取った直後、背後の橋の上で装甲車両が爆ぜて横転した。

 しかしそれに構わず、青鸞は自身の無頼で持って残りの装甲車の排除にかかる。

 戦車から放たれた火弾をナックルガードの防楯で弾き、スラッシュハーケンでヘリを叩き落し、土手の土を吹き飛ばしながら疾走する。

 

 

『こちらA-01、ポイント1クリア~』

『A-02、ポイント2クリアです!』

『……A-03、ポイント3確保』

「――――……A-00!」

 

 

 そして急旋回するように加速し、中身の武器弾薬ごと炎上している装甲車両の前に回り込んだ。

 そこにいた歩兵部隊をナイトメアの武威でもって追い散らすと、炎上する装甲車両を背景に刀を斜めに振り下ろして。

 

 

「ポイントクリア、脱出口を確保しました!」

 

 

 所要時間3分24秒、額に緊張の汗を滲ませながら青鸞は叫んだ。

 

 

「これより10分間、A-00からA-02までは避難誘導に入ります! 付近のブリタニア兵を掃討しつつ、A-03はこのポイントを確保、脱出口を維持!」

『『『――――承知!』』』

 

 

 サイタマの皆さん、と、青鸞は通信機のマイクに向けて叫んだ。

 

 

 

「来ました……救いに!!」

 

 

 

 潜んでいたらしい周囲の廃墟から、無頼に導かれる形で日本人達が殺到したのは2分後のことである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――コーネリアとしては、その横槍は非常に不快なものだった。

 サイタマ・ゲットーを囮にゼロを釣り上げることを作戦の主目的としていたために、包囲網に参加させたエリア11統治軍の装備はあくまで対人用の物だ、ナイトメアを相手には出来ない。

 それがわかっているからこそ、不快だった。

 

 

「日本解放戦線、か……奴らはどうやってこちらの哨戒網を抜けてきたのだ?」

「埼京線上をナイトメアの最大戦速で強行突破、通信車などを集中的に狙うことで報告を遅らせたようです」

「強行突破の中央突破か……大胆だな、大胆に過ぎるが」

 

 

 傍らで彼女の疑問に応じるのは、オールバックにした髪と眼鏡をかけた理知的な男だ。

 名をギルフォード、彼はコーネリアの「騎士」である。

 ナイトメアのパイロットを意味する騎士ではなく、特定の皇族に忠誠を誓った本物の「騎士(ナイト)」。

 自分が最も信頼する男の分析に、コーネリアは皮肉とも呆れとも取れる表情で敵を評した。

 

 

 実際、大胆過ぎる……というより、無謀だ。

 確かに今、ゼロのあぶり出しのためにコーネリアは自軍のナイトメアを全て手元に集結させている。

 敵はその隙を突いて来たわけだが、しかし逆に言えば手元にあるナイトメア部隊を差し向ければそれで終わりである。

 だから、大胆に過ぎると言った。

 

 

「ナイトメアだろうと敵は寡兵だ、物量で押し潰せ。ギルフォード、卿に指揮を……」

「姫さま」

 

 

 その時、もう1人の副官がコーネリアの耳元に口を寄せてきた。

 こちらは線の細いギルフォードとは異なり、がっしりとした身体つきの偉丈夫だった。

 色黒で顔に傷があり、見るからに歴戦の戦士然としている。

 ダールトン、生粋の軍人であり将軍、そして幼い頃から自分を支えてくれている腹心。

 

 

「……ジュージョーで?」

「はい、ジュージョー基地から救援の要請が……他、トダなどの近隣ゲットーでイレヴン達が不穏な動きを見せているとの報告が。それとシモフサ基地周辺で識別信号を発しないナイトメアの姿を確認したという報告も合わせて……いかが致しますか?」

 

 

 陽動か、とコーネリアは己の中にさらなる不快を感じた。

 ジュージョー基地は付近の補給拠点、シモフサ基地はチバの補給拠点である、無視は出来ない。

 問題はどちらが本命かと言うことだが、現段階では判別が出来ない。

 普通なら他の軍部隊に援軍を命じる所だが、コーネリアにはそれをしにくい理由があった。

 

 

 まさにそここそが、藤堂が狙ったポイントだった。

 埼京線沿いの突入は青鸞の案だが、それをトダ、ジュージョー、シモフサと言う他の地域にまで連動させたのは藤堂の案である。

 必ずしも他の地域で実際の戦闘や暴動を行う必要は無い、見せかけるだけで十分。

 藤堂はコーネリアを過小評価していない、だから逆にその視野の広さを信じて作戦を練ったのだ。

 

 

(一揉みに捻り潰すのは簡単だが……)

 

 

 コーネリアの視点から見ると、現在の状況はあまり良くない。

 サイタマ・ゲットーの戦況はともかく、ここでの戦火がトウブ軍管区全体に広がりを見せるとなると今はまだ自省しなければならなかった。

 サイタマ・ゲットーにいる兵はコーネリアが本国から連れて来た直属軍だが、他は違う。

 前総督時代からの部隊が大多数であって、コーネリアはまだその全てを掌握できてはいない。

 

 

 言うなればクロヴィスの色と風習に染まっている部隊が多く、コーネリアに信を置いていない。

 それに元々、サイタマ・ゲットーでの作戦の戦略目的はゼロの釣り上げ。

 そこから派生してさらなる動乱に発展されるのは、コーネリアとしても望まない。

 その意味ではサイタマ・ゲットーよりも、ジュージョーとシモフサの基地の方が戦略的に価値が重い……。

 

 

「――――全軍、後退せよ」

「よろしいのですか?」

「構わぬ、棄民を救いたいと言うなら救わせてやれば良い。第1目標であるゼロを拾えなかったのは口惜しいが……」

 

 

 最も、この騒ぎの中では来ていたとしてももういないだろうが。

 

 

「第2目標であるヤマト同盟は壊滅させた、さしあたっては十分だ。であれば、こんなくだらぬ戦いで兵を無駄に死なせるわけにもいかんさ」

 

 

 作戦に水を差された不快さは確かにあるが、コーネリアに怒りは無かった。

 負け惜しみ? いや、違う。

 見る者が見れば、笑みさえ浮かべて後退を告げる彼女の姿を見てこう評するだろう。

 

 

「どのような者が指揮しているかは知らないが……墓穴を掘ったな、私に次の標的を教えてくれたのだから。今は、せいぜい……」

 

 

 ――――それは、「余裕」と言うのだと。

 

 

「今はせいぜい、小さな戦術的勝利に酔っているが良いさ」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 コーネリア軍、撤退。

 その報告を、青鸞は意外な気持ちで聞いていた。

 もちろん藤堂の戦術予測では撤退するだろうと聞いてはいたが、まさか何のアクションもなく撤退するとは思わなかった。

 

 

 何しろ青鸞達の戦力は無頼が4機きり、ナイトメア部隊を戻されればひとたまりも無かった。

 だからこその15分制限、しかし実際には、コーネリア軍は何のアクションも起こさずに退いた。

 ただ、青鸞にもこれが勝利では無いことくらいはわかった。

 自分達は、そう。

 

 

(見逃された……?)

 

 

 見逃してもらった、その認識が急速に青鸞の胸から熱を奪っていった。

 先程までは、1人でも多くの日本人を救おうと必死だった。

 ブリタニア兵がいれば無頼を向かわせて追い散らし、痩せこけた日本人が埼京線のライン上に駆けていくの支援した。

 

 

 戦車の砲弾から彼らを守り、対戦車ライフルの衝撃を受け流し、機体を盾として機関銃の銃弾から彼女らを守った。

 必死だった、ディスプレイに表示されたカウントダウンを睨みながら、出来る限りサイタマ・ゲットーの奥へと入って人々を救おうとした。

 だがこちらの全力は、相手にとっては指三本分程度の力でしかなかった。

 

 

(なら、ブリタニアは何のためにサイタマ・ゲットーを……!)

 

 

 その程度の固執しかないのなら、どうしてシンジュク・ゲットーと同じように虐殺を行ったのか。

 単なるレジスタンス掃討にしては規模が大きく、またサイタマ・ゲットーである必要は無い。

 余力を残して悠然と退く、その程度の執着でサイタマ・ゲットーを襲ったのか。

 それは、冷めかけた胸に憤りの炎を灯すには十分だった。

 

 

 彼女は知らない、ブリタニア軍がゼロと言うたった1人を誘き出すためにサイタマ・ゲットーの人間を虐殺したことを。

 壁に並べた住民を機関銃で横一列に薙ぎ倒し、子を庇った母の半身を砲弾で吹き飛ばし、倒れた母に縋った女児を火炎放射器で焼き、手を取り合って逃げる老夫婦をナイトメアで踏み潰したのは、たった1人のテロリストを呼びつけるためだったことを。

 

 

「見てろよ、いつか……いつか!」

 

 

 それは、命の価値観の違いだ。

 名誉ブリタニア人にもイレヴンにもなれない人間に一人前の命の権利を認めないコーネリアと、ゲットーにいる人々を同じ日本人として扱う青鸞。

 その思考と理屈が、重なり合うことは決して無い。

 だから藤堂はともかく、青鸞にはブリタニア軍の行動の意味がわからなかった。

 

 

「いつか……!」

『青鸞さま、敵軍のサイタマ・ゲットーの行政区画からの離脱を確認致しました』

「……わかりました。ゲットーの人達を……う?」

 

 

 佐々木の声に応じたその時、青鸞は無頼をその場で停止させた。

 コックピットを開く、シートに足を乗せて立ち上がる。

 急に吹き付けた外気は、油じみていてべったりとしているような気がした。

 それは、人の肉が焼けた時特有の――――吐き気がするような臭いだった。

 見れば、砲撃で崩れた瓦礫の傍に黒ずんだ何かが折り重なるように倒れている……。

 

 

 しかし、動く者もいる。

 灰色の瓦礫が積み上げられた廃墟の中、濃紺のナイトメアの周囲には人だかりが出来ていた。

 救うので必死で、憤りに夢中で、聞こえなかった声が今、聞こえるようになっていた。

 

 

「日本ッ」「日本ッ」「日本ッ!」

「助けて」「ブリタニア軍が」「子供を」「お願い」

「日本万歳ッ」「日本万歳ッ」「日本万歳ッ!」

「死にたくない」「日本を」「ブリタニアに」「ありがとう」

「日本解放戦線万歳ッ」「日本解放戦線万歳ッ」「日本解放戦線万歳ッ!!」

 

 

 ――――それは、凱歌だった。

 日本を称え、日本解放戦線を称え、目の前でブリタニア軍から守ってくれた青鸞達への称賛の声だった。

 ブリタニアの歩兵と装甲車を薙ぎ倒した者達への、感謝と救済の言葉だった。

 

 

 熱狂的に叫ぶ者がいる、涙ながらに訴える者がいる。

 純粋に助けを求める声、ブリタニアへの復讐を叫ぶ声、命を守ってくれたことへの感謝の声。

 それら全てを、青鸞は熱風のように受けていた。

 無頼の足元に集まった日本人の声に、青鸞は唾を飲み込んだ。

 辺りをを見渡せば、山本機や上原機も似たような状態にあることがわかったかもしれない。

 

 

(いつか、この人達と……!)

 

 

 機体に手を添えながら、青鸞は拳を天へと掲げた。

 ブリタニア軍を撃破したその手を、空へと掲げた。

 周囲の叫び声がいよいよ熱を帯びる、それは青鸞自身の気分をも高揚させていく。

 

 

 かつて父が治めていた、父が守っていた人達。

 その彼らと共に、ブリタニアへの抵抗を進める。

 共に戦い、勝ち取ることを――――……。

 

 

「やっぱり、ブリタニアと共存なんて無理なんだ……!」

 

 

 ……だが、人々の端々から。

 

 

「日本解放戦線こそ、日本を独立『させてくれる』希望……救世主!」

 

 

 聞こえる、声が。

 

 

「あの人達なら、きっとブリタニアを倒『してくれる』!」

 

 

 徐々に。

 

 

「早く……早く、ブリタニアを、あいつらを追い出して『頂戴』、私達を『助けて』!」

 

 

 少女の、肩に。

 

 

「…………?」

 

 

 ズシリ、と、トダ・ゲットーでも一瞬感じた重みを身体に感じて。

 コックピットの上で、青鸞は口元に笑みを見せながらも一歩を引いた。

 どうして引いたのか、それは青鸞にもわからなかった。

 わからないからこそ、深刻なのだと。

 それに彼女が気付くのは、もう少し後の話である――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 濃紺のナイトメアの上に立つ少女を、狙う者が存在した。

 それは撤退し損ねたブリタニア兵であって、廃墟の低層ビルの半程の階層に身を潜めていたのだ。

 しかし逃げるタイミングを逸した今、彼は……。

 

 

「畜生、イレヴンの雌豚が……」

 

 

 5.56ミリのアサルトライフルを狙撃モードにし、意外な程近い位置にいる黒髪の少女のこめかみをピープサイトを使用して狙う。

 彼としては、周囲の味方を排除した少女――青鸞を許すことは出来なかった。

 だからせめてもの報復として、無防備を晒している彼女を。

 

 

 その時、背後に気配を感じた。

 嫌な予感に身を震わせた男は、銃を構えたまま後ろを振り向いた。

 しかしそれは、すぐに脱力して下げられることになる。

 何故ならば、そこにいたのはブリタニア軍の歩兵の防護服を着た若い男だったからだ。

 

 

「ふぅ……驚かせるなよ、イレヴンかと思っちまっただろうが」

「…………」

 

 

 若い男、というより少年は、男からビルの壁向こうに見える光景に目をやった。

 そこには当然、濃紺のナイトメアの上に立つ少女が民衆の歓呼を受ける姿がある。

 少年は、少女へと目を向けたまま。

 

 

「彼女を殺すのか」

「あ? ああ、味方もいねぇし……せめてあの雌豚くらい殺らねぇとよ」

「……そうか」

 

 

 随分と若く見えるが、しかしかなり上からな物言いをする。

 普段ならむっとする所だが、味方と出会えた安心感が男を寛容にしていた。

 

 

「ところでお前、見ない顔だけどどこの部隊だ? このヘンにいたのだと……」

「なら」

 

 

 男の声を遮って、少年が男を見た。

 正面から見ると、随分と整った要旨の少年であることがわかる。

 黒髪に、黒い瞳……いや、違う、左眼が赤く輝いている。

 

 

 右眼と同じように澄んでいるはずの左眼には、不思議な紋様が浮かび上がっていた。

 赤く輝くそれは、鳥の羽のようにも見える。

 そしてその輝きが、男の瞳に飛び込んで来た時。

 

 

「お前は――――死ね」

 

 

 お前は、死ね。

 普通ならば、言われて聞く者などいない言葉だ。

 男の瞳に赤い輪郭が生まれる、瞳が赤い輝きを放ち、そして男は決して聞くことの無いその言葉を、「命令」を……。

 

 

「……イエス・ユア・ハイネス!」

 

 

 聞いた。

 むしろ嬉々として、命令を聞くのが幸福であるかのように笑い、自分の銃の銃口を口の中に突っ込み、迷うことなく引き金を引いた。

 乾いた音が響き、男の頭が爆発して血と脳髄を撒き散らす。

 少年はそれにもはや興味も持たず、そこから見える少女へと視線を向けていた。

 

 

「……青鸞……?」

 

 

 そして何故か、ブリタニア兵が知るはずの無い名前を呟く。

 少女の名前を、確信を持って、唇を震わせながら。

 どこか呆然とした様子で、濃紺のパイロットスーツに身を包んだ少女の顔を見つめていた。

 

 

「何故……アイツは、名誉ブリタニア人になったはずじゃ。だが、現に……」

「ルルーシュ」

 

 

 再び、別の声が響く。

 鈴の音を転がしたかのような可憐な声だ、だがそんな可愛いものでは無いことを少年は知っていた。

 少年……ルルーシュ・ランペルージ、あるいはルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。

 彼が声に振り向くと、そこには緑の髪を腰まで伸ばした美しい少女がいた。

 

 

 金の瞳に白磁の肌、一つ一つのパーツが造り物のように完成した少女。

 細く、華奢で、人形のように美しいが……だからこそどこか不気味さすら感じる、そんな少女だった。

 何故か今は似合わない黒の衣装に身を包んでいる、手には仮面を持ち、それがあの「ゼロ」の衣装であることは見る者が見ればわかる。

 だが少女はゼロでは無い、少年はそれを知っている、何故なら……。

 

 

「C.C.」

 

 

 シーツー、名前もどこか人間離れしている。

 ルルーシュに名を呼ばれた少女は笑みを浮かべて、彼に仮面を放り投げる。

 両手で受け取ったルルーシュは、どこか憮然とした表情を浮かべていた。

 

 

「知り合いか? あの娘、随分とヒーロー扱いされてるじゃないか」

「……いや」

 

 

 後半の皮肉は無視して、前半の言葉にだけ答える。

 それも、嘘の答えで。

 C.C.はクスリと笑うと、目を細めて。

 

 

「なら、どうしてギアスを使ってまで狙撃手を止めたんだ?」

 

 

 矛盾するじゃないか、笑いの粒子を含んだ声にルルーシュが僅かに顔を顰める。

 C.C.はそれを愉快そうに見つめて、それから少女の、青鸞の顔を眺めつつ。

 

 

「……うん?」

 

 

 と首を傾げた。

 しかしルルーシュが怪訝な表情を浮かべるよりも先に「まぁ、良いか」と首を振り、間を置かずに彼の方を見て。

 

 

「で、どうする? 美味しい所を持っていかれたようだが」

 

 

 機先を制するようにそう問われれば、ルルーシュはどこか憮然とした表情を浮かべて応じた。

 

 

「別に持っていかれてなどいない」

「そうか、それでどうする?」

 

 

 ルルーシュの感情的な満足などどうでも良い、そう言わんばかりの態度だった。

 それに苛立ちのこもった目を向けて、しかし結局はルルーシュも青鸞の方へと視線を向ける。

 ゲットーの民衆の歓呼の渦の中にいる、幼馴染の少女を。

 じっと見つめた後、何かを堪えるように目を閉じて。

 

 

「――――どうもしない、今は」

「だが、お前の目的を考えれば、民衆の希望は少なければ少ないほど良いのでは無いのか?」

「アレは、希望にはなりきれないさ……」

 

 

 青鸞に背を向けるように、ルルーシュはその場でクルリと踵を返した。

 そうして歩き去るルルーシュの背中に、C.C.が愉快そうな目を向ける。

 

 

「……それは、『ルルーシュ』としての判断か? それとも……」

 

 

 足を止めたルルーシュは、首だけでC.C.を見た。

 鋭い眼光。

 しかしC.C.はまったく意に介した風も無く、こう続けた。

 

 

「……『ゼロ』としての判断か?」

 

 

 ゼロ、仮面の男。

 エリア11前総督クロヴィスを暗殺した、前代未聞のテロリスト。

 シンジュクで、そしてここサイタマでテロリストの指揮を執り、ブリタニア軍に打撃を与えた軌跡の人物。

 C.C.は、その名でルルーシュを呼んだ。

 

 

 ゼロがかぶっていた、漆黒の仮面。

 その仮面は今、ルルーシュの手にある。

 そう、つまりゼロの正体とは――――……。

 




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 今話はサイタマ・ゲットーの話を少々変えてみました、勝ちを譲ってやったコーネリアと勝ちを譲られた青鸞。
 少し似たような立場でもある2人の立場の違いが出た、そして日本人と青鸞の認識のズレも描けたかなと思います。

 そんな彼女の衣装募集は継続中、詳細は前回後書きか活動報告をご覧ください。

 と言うわけで、次回予告です。


『行動し続けることに意味がある、それを教えてくれた人がいる。

 その人はいつも厳しいけれど、でも、きっと優しい人。

 どこか、父様に似てる気がする。

 だからかもしれない。

 その人に、行ってほしく無いと思うのは……』


 ――――STAGE8:「変わりいく 未来 変わらない 現在」


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STAGE8:「変わりいく 未来 変わらない 現在」

 

 河口湖、富士山麗に位置する5つの湖の一つ。

 観光地として昔から有名な場所であり、最近ではブリタニア資本によって現代的なリゾート施設の開発・整備まで行われ、常に多くの観光客で賑わっている。

 トーキョー租界から直通のモノレールも出ており、日帰りで訪れる者も多い。

 

 

「うわぁー、綺麗!」

 

 

 陽光に煌く河口湖を窓の向こうに認めて、明るい髪色の少女――シャーリーが歓声を上げた。

 アッシュフォード学園生徒会のムードメーカーである彼女は、利発そうな瞳を見開いて湖を見つめている。

 そこには湖と、広がる田園と、そしてサクラダイト採掘のためにかつての姿を失った富士山が見える。

 シャーリーは美麗な景色に歓声を上げた後、ふと眦を残念そうに下げて。

 

 

「こんなに綺麗なら、ルル達も来れば良かったのに」

「ルルーシュはサボタージュ、リヴァルはバイト、カレンは病欠、それから……スザク君はお仕事。我が生徒会ながら、見事なまでの付き合いの悪さよねぇ」

 

 

 シャーリーの前の座席に座る華やかな金髪の美女、こう見えて高校生な彼女はミレイと言う名前だ。

 言葉の通り生徒会役員、それもトップたる生徒会長が彼女だ。

 今回の河口湖への2泊3日の旅行は彼女の発案であり、親のコネを利用しての遊びでもあった。

 

 

 ちなみにもう1人、通路側に座った少女がいる。

 黒い髪をおさげにした小柄な少女で、どことなく自信の無さそうな、気弱そうな印象を受ける。

 ニーナと言う名のその少女は、どこか相手の顔色を窺うような様子で。

 

 

「だ、大丈夫、かな……租界の外だと、イレヴンが……」

「大丈夫、河口湖は治安も良いし。それに今は……」

 

 

 そんな友人の様子に苦笑を浮かべつつ、ミレイは宥めるように大丈夫だと告げた。

 確かにブリタニア人しか入れない租界と異なり、租界の外にはイレヴンがいる。

 だがゲットーにさえ入らなければ、そしてテロにさえ巻き込まれなければ問題は無い。

 それに、今の河口湖は普段の数倍の規模の警備が敷かれている。

 

 

 そしてミレイがニーナにしたものと同じ説明を、偶然にも別の場所で別の女性から聞かされている少年がいた。

 彼の名は枢木スザク、河口湖から遠く離れたトーキョー租界、特別派遣嚮導技術部の整備格納庫に彼はいた。

 明るい照明の下、最新型シュミレータ横の端末の前に座る彼の隣には、セシルがいる。

 

 

「河口湖のホテルでは今、サクラダイトの生産国会議のための警備が敷かれているから」

 

 

 彼女はスザクの友人が行くと言う河口湖の現在の状況について話していた、何しろ軍や政府も注目している土地だったからだ。

 ここエリア11は世界一のサクラダイト生産地であって、それを押さえているブリタニアは世界一のサクラダイト生産国だ。

 価格レートを決める年に一度の会議、ブリタニアの軍官の関係者が無視できるはずも無い。

 

 

「租界以外だと、たぶん一番治安の良い所だと思うし……お友達、楽しめると良いわね」

「はい」

 

 

 笑顔で頷くスザク、彼は今、軍で働きながらアッシュフォード学園に通っている。

 軍人が学校と言うのも妙な話だが、イレヴンである彼が正式に特別派遣嚮導技術部に配属される後押しをしてくれた人物の命令(おねがい)である、行かないわけにもいかなかった。

 名誉とは言えイレヴンである彼がブリタニア人の学校に行くのは、かなり厳しいだろうとセシルは思っていたのだが……。

 

 

(昔の友達と再会して、生徒会に入れて……お友達も出来て。結果的には、良かったのかしら)

 

 

 セシルはそう思う、自分でも老婆心かと思うが。

 ただ何となく、この少年のことを放っておけないのだった。

 

 

「でも残念ね、こんな時に軍務だなんて。ロイドさんったら……」

「いえ、僕も早く『ランスロット』に慣れたいですし。それに皆と行けなかったのは残念ですけど、河口湖は子供の頃に一回、行ったことがあるんです」

「あら、そうなの?」

「はい」

 

 

 サクラダイトの生産国会議は、毎年河口湖で開催される。

 それは7年前の戦争の前も同じで、やはり毎年湖畔のホテルで世界各地の要人が集まって価格や分配率について協議を行っていたのだ。

 そしてスザクは、日本最後の首相の息子である。

 

 

 幼い頃、一度だけ父について――確か、第二次政権発足直後の時――連れられて、行ったことがある。

 父はああいう人だったから、楽しいと思ったことは無かった。

 ただ……。

 

 

『あにさま、まって!』

 

 

 ……ただ、1つだけ。

 当時は鬱陶しくて仕方が無かったけれど、今となっては輝いて見える。

 そんな記憶に、スザクは僅かに目を伏せるのだった。

 最後には、赤い色で終わる記憶に……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞は今、独特の興奮と緊張の中にいた。

 もはや座り慣れた無頼のコックピット、小刻みに振動するディスプレイには赤茶けた山肌が映っている。

 不意に機体全体が揺れる、青鸞が操縦桿を引いて機体を跳躍させたためだ。

 

 

『……A-01、ポイント確保したぜぇ!』

 

 

 どこか緩さを残した声が通信機から響く、山肌にスラッシュハーケンを刺して機体を固定した青鸞が機体の上体を上向かせる。

 無頼のメインディスプレイの向こう、渓谷の反対側の崖の上に2台の戦車が見える。

 砲塔を上下に大きく動かせるタイプの戦車で、あのまま渓谷を駆けていれば狙われていただろう。

 

 

 誤解されがちであるが、ナイトメアは絶対無敵の陸上兵器では無い。

 通常兵器でもやりようによっては十分に打倒できるし、それがために7年間、日本の各反体制派組織はブリタニア軍と渡り合ってこれたのである。

 まぁ、それでも局地地上戦においてはナイトメアは最強を誇っているわけだが。

 

 

『A-02、ポイントを確保しました』

 

 

 次いで真上だ、見ればそこに戦車の砲塔が見える。

 まさに崖の上から砲塔だけを下に傾かせている姿で、青鸞機を狙っていた。

 しかしその2台の戦車は、直後に上から降ってきた別のスラッシュハーケンに砲台部分を打たれて大きく跳ねる。

 訓練用の潰しが行われたアンカーのため撃破はされないが、しかし行動不能扱いになる。

 

 

『……A-03、正面の地雷の排除作業に入る』

 

 

 通信の直後、青鸞機が駆けていた渓谷の底道正面にオレンジ色の光の柱が立ち上った。

 地雷である、大和機が機銃で破壊・起爆したサクラダイト地雷の物だ。

 いつかの訓練と同じような構成、しかし今回は4機で密集しつつの散兵戦術を駆使、こうして突破している。

 これを進歩と言うか学習と呼ぶかは、人によるだろう。

 

 

 とは言え作戦としては単純な部類だ、俗に言う囮作戦である。

 青鸞機を囮に渓谷両岸の敵戦車隊を山本機と上原機で破壊し、正面の地雷は迂回路から先回りした大和機が地雷原の向こうから破壊する、と言うものだ。

 青鸞はこの所、個人の肉体・ナイトメア訓練の他にこうした集団訓練にも参加している。

 サイタマの件以降、必要性が増したと考えているからだが……。

 

 

『小娘ぇ――――ッ!!』

 

 

 通信機から響き渡った怒声に、青鸞はコックピットの中で身を竦ませた。

 それはそれはもう聞き慣れた怒声なのだが、何度聞いても反射的に身を震わせてしまうのである。

 特に嫌悪や苦手意識は無いものの、そう言うものだった。

 

 

『また始まったなぁ、暇な時間が』

『訓練終わったわけじゃないんだから、警戒続行!』

『へーいへい……』

 

 

 通信回線を通しての山本と上原の喧嘩(?)はもはやいつものこと、しかし青鸞は機体を山肌に固定したまま通信機を操作してディスプレイに画面を出した。

 するとそこには、この所の訓練で常に青鸞を怒鳴りつけている草壁の大きな顔が映って。

 

 

『指揮官が囮をやるなどと言う話があるか! 指揮官に万一のことあれば、残された部下達が混乱することになるのだぞ!! わかっておるのか!?』

「す、すみませ……」

『馬鹿めが、謝罪などいらぬわ!!』

 

 

 相変わらず、じゃあどうしろと言うのかと言いたくなるような言い様である。

 その時、不意にコックピット内に警告音が響き渡った。

 何かと思った次の瞬間、機体とコックピットに断続的な衝撃が走った。

 仲間達の通信越しの声を耳にしながら、青鸞は悲鳴を上げて崖の下へと――――。

 

 

「……中佐。迫撃砲、全弾命中した模様です」

「うむ」

 

 

 通信機と双眼鏡を共に傍らの部下に放って、草壁は憮然とした表情で渓谷の方を見つめていた。

 青鸞らがいる所からはやや離れているが、より高台にいるため一部始終を直接確認することが出来る。

 ナリタ連山は深く高い山々だ、おかげで十分な訓練を行うことが出来る。

 それも、ブリタニア軍の関与を受けずに。

 

 

 まぁ、草壁の指示で潜ませておいた歩兵の迫撃砲の連弾を浴びて崖から下へと滑り落ちていく青の無頼を見れば、溜息の一つも吐きたくなると言うものだった。

 訓練終了を伝えていないのに油断をするとは、まだまだである。

 傍らの部下からすれば、草壁もなかなか外道な手を使うと思うわけであるが。

 

 

「まったく、未熟な小娘めが……」

 

 

 何やらブツブツ呟いている草壁であるが、実の所、彼は良く青鸞の訓練に付き合っていた。

 未だ褒めたことは無いし、何度厳しい言葉を返して追い散らしてもやってくるので、本人としては仕方なく面倒を見てやっているとでも思っているのかもしれない。

 しかし草壁の傍にいる部下達は知っている、彼が青鸞のためにかける時間が徐々に……。

 

 

「中佐」

 

 

 その時、別の部下が森の中から駆けて来た。

 崖下に落ちた青い無頼の周囲に他の3機の無頼が集合するのを視界に入れつつ、草壁は耳元で囁くように報告する部下の言葉を聞いた。

 その眉が、ピクリと揺れる。

 

 

「……『雷光』の準備が……」

「…………そうか」

 

 

 頷く草壁、眼下では青い無頼を中心として4機の無頼が渓谷を抜けていく光景が広がっていた。

 彼はいつまでも、それを見つめ続けていた。

 腕を組み胸を逸らし、何かを考え込むような表情で……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 パチッ、と、道場のような空間に乾いた音が響く。

 音の源は、プロ棋士が使うような本榧の将棋盤から聞こえてきた。

 将棋盤の挟んで向かい合う2人は、いつもと同じ……片瀬と藤堂である。

 

 

「……国内の反体制派組織の取り纏めは、意外と上手くいっている。サイタマ・ゲットーの件で、我々が改めて反ブリタニアの旗手であると示すことが出来たことが大きい」

 

 

 駒を打ち込みながらの片瀬の言葉に、藤堂は頷く。

 結果として、藤堂はサイタマ・ゲットーにおける青鸞達の勝利を演出した形になる。

 厳島の奇跡ならぬ、サイタマの奇跡だ。

 最も、サイタマの件についてはあくまで青鸞の主導ということになっているが。

 

 

 いずれにしても、サイタマでの介入と勝利が日本解放戦線に与えた影響は想像以上に大きかった。

 それまでは「本当に日本解放のために戦っているのか?」と懐疑的な目で見ていた他の反体制派・独立派の諸組織――何しろ、コーネリアによって反体制派組織が潰されるのを見過ごした――も、サイタマでの一件で日本解放戦線を「見直した」と評価しているためである。

 面目躍如と言うべきであって、これが交渉担当者にとって強力なカードとなったことは確かだ。

 

 

「……とは言え、コーネリアの直属軍に打撃を与えたわけではありません」

「そうだな」

 

 

 藤堂の指摘に、片瀬は案外と簡単に首肯した。

 実際、彼らはサイタマ・ゲットーがブリタニア側に与えられた勝利であることを知っている。

 トダやジュージョーの傘下組織を動かして蜂起を匂わせはしたものの、シモフサやジュージョーのブリタニア軍施設を実際に攻撃したわけでは無い。

 

 

 青鸞達が撃破したのは、あくまで統治軍の一部に過ぎない。

 それもクロヴィス時代の統治軍であって、コーネリアが本国から連れてきた軍やナイトメア部隊には傷一つついていない。

 相手は大事をとって、あるいは戦略・戦術上の価値なしと判断して退いただけだ。

 そしてその中には、日本解放戦線側の戦略に対するものも含まれるだろう。

 

 

(……反体制派を纏めたとして……)

 

 

 連合や同盟は、作ったとして機能させるのが難しい。

 藤堂としては危惧せざるを得ない、それに、他の組織が本当に解放戦線の指示通りに動くのかどうかも。

 意思ではなく、能力的な意味で。

 そもそも、戦力的に期待できる組織も少ない。

 

 

「キョウトとの協議次第ではあるし、他の組織の準備も待たねばならないが……一斉蜂起の日時は、7月2日となりそうだ」

「7月2日……」

 

 

 早い。

 まるで何かに急かされているような早さだ、と、藤堂は思う。

 シンジュクに続いてサイタマでも行われたブリタニア軍による大規模虐殺、当然、解放戦線はプロパガンダとしてこれらの事件を最大限に利用していた。

 独立派以外の日本人にも、蜂起への参加を促すためだ。

 

 

 しかし逆に、民衆がうねれば反体制派組織も動かざるを得ない。

 だからこその、早い段階での一斉蜂起なのだろう。

 藤堂などの目から見ると、まだ時期では無いように思えてならないのだが……。

 ……サイタマ・ゲットーでの勝利の弊害、とでも言うべきだろう。

 

 

(コーネリアがそこまで読んでいたとすれば……)

 

 

 準備不足、時期では無い、そのような時期に反体制派を蜂起させ一網打尽にしようとしているのならば。

 もしサイタマでの撤退にそう言う意味があるのなら、これ以上の効果は無い。

 藤堂としては、コーネリアの戦略眼に手を上げざるを得なかった。

 

 

「ただその前に、片付けておかなければならない問題がある」

「…………」

 

 

 片瀬のその言葉に、藤堂は目を閉じて沈黙で応じた。

 片付けておかなければならない問題、日本解放戦線内部の問題だ。

 派閥の問題、と言っても良い。

 これも、青鸞のサイタマでの勝利が影響しているのだが。

 

 

 最近はともかく、青鸞はどちらかと言うと片瀬・藤堂側の人間である。

 過去5年間に渡る道場への出入り、キョウトとの間で親書でのやり取り、他にも様々な場面で藤堂達の傍に彼女はいた。

 だからこそ、彼女の指揮官研修を草壁にやらせたのだが……。

 

 

「……草壁は、若い者達を抑えられんかもしれんな」

 

 

 ポツリと呟いた片瀬の言葉に、藤堂は今度は頷きすら返さなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――ナリタ連山は、言うまでもなく日本解放戦線の勢力圏である。

 この周辺の地域にはブリタニア軍でさえも不用意に近付くことは出来ない、それ故に事実上「ここに解放戦線の拠点がある」ことは公然の秘密として軍内でも知られていた。

 ただ正式に拠点の位置を確認する手段が無いので、公式には認められていないだけだ。

 

 

 何しろ、2000メートル級の山々が連なるナリタ連山である。

 調査をしようと思えば多数の人員や航空機、衛星などを使うしかない。

 だが人員を近づけることは出来ないし、解放戦線の拠点は地下にあると考えられていたから、航空機や衛星による調査はあまり意味が無い。

 数十機のナイトメアを保有すると噂される相手となれば、ブリタニア軍も慎重になると言うものだ。

 

 

「……卿、キューエル卿!」

 

 

 そしてそのナリタ連山から数キロ離れた位置にある山岳地帯、それはちょうど例の大阪グループが全滅した資材置き場のある山だ。

 日本解放戦線の勢力圏に程近いこの場所、もう夕方になろう時間、そこに何人かの男達がいた。

 レンジャー用らしい迷彩柄の装備に身を包んだ彼らは、色の濃くなってきた森の木々や雑草の中、周囲を警戒しながら何かを探している様子だった。

 

 

「キューエル卿、やはり危険です。このあたりは……!」

「わかっている!」

 

 

 リーダーらしき男……キューエル、金髪のブリタニア人が大声で部下らしき男に返答すると、周囲の部下達は慌てて声を抑えてくれるように頼んだ。

 彼らもこの近辺がテロリストの勢力圏だと言う事を知っている、ナイトメアも持たない通常装備の彼らがテロリストの集団にも見つかれば大事だ。

 

 

「く……! 鬱陶しい山だ、これでは碌に視界も効かん……おい、レーダーに反応は無いのか!」

「は、はい、人工物らしい熱源などは今の所……」

「……ええい!」

 

 

 鼻の頭の辺りに揺れていた木の枝を手にしたサバイバルナイフで鬱陶しげに払って、キューエルに憎々しげに目の前の山林を睨む。

 深い異国の山と森は、彼の前に悠然と立ち塞がっている。

 本国で妹や家族と行ったハイキングは楽しいものだったが、今は目の前の山や森が憎らしくて仕方が無い。

 

 

(本来なら、私がこのようなことをせずとも良いものを……!)

 

 

 実際、キューエルはエリートと呼ぶに相応しい経歴を持っている。

 正規の士官学校を出、ナイトメアの騎士となり、数々の戦場で武勲を欲しいままにしてきた。

 そして何より、誇るべきブリタニアの純血。

 他民族の上に立つために生まれてきたと固く信じ、エリア11統治軍に配属された。

 だが、蓋を開けてみればどうだ?

 

 

 純血ブリタニア人である自分が守るべきクロヴィス皇子は守れず、皇子の死に責任を持つべき参謀達や名誉ブリタニア人を裁ききれず、オレンジ――ジェレミアのことだ――の暴走に巻き込まれて凋落、そして何より彼自身がイレヴンの駆るナイトメアに敗れて機体と仲間を失い、新たな総督であり皇族であるコーネリアの信頼はまさに地に堕ちて……失ったものは、あまりにも大きい。

 

 

「キューエル卿、やはり正規の部隊の手を借りて」

「黙れ! そんな恥の上乗りのようなことが出来るか!」

 

 

 部下の泣き言を一括する、そもそも彼ら純血派に協力してくれる者などいない。

 戦場では端の方に追いやられ、政庁内ではナイトメアの整備も自前でせねばならず。

 恥の上塗りどころか、重ね塗りとも言える行為などキューエルには出来なかった。

 

 

「一度失敗した以上、信頼を取り戻すため落ちる所まで落ちるのは仕方ない……だが! いつか必ず……いつか、いつか!」

 

 

 本国にいるだろう家族やエリア11の士官学校にいる妹のことを想い、キューエルはたとえ1人でも行動する決意だった。

 自分の失敗と凋落は、家族の生活に直撃するからだ。

 現に妹などは、「あのキューエル卿の妹」として士官学校で肩身の狭い想いをしているらしい。

 妹からの手紙にはそのことには一切触れられていない、その健気さが嬉しくも悔しい。

 

 

「屈辱を受けてでも、今は耐える時なのだ……! そうではないか!?」

「そ、それはその通りですが……」

「では行くぞ、この付近にテロリストのアジトがあるのは間違いないのだ!」

「「「い、イエス・マイ・ロード……」」」

 

 

 僅かな部下達を引き連れて、キューエルは深い森の中を進む。

 夕日が沈めば夜になる、夜になる前に目処を立てたかった。

 テロリストのアジト。

 あの、青いブライがいるだろうその場所を……彼は、探し続けていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 くしゅっ、と小さな音が部屋に響く。

 キョウト分家筋の少女、雅はその小さくも可愛らしい音に顔を上げた。

 

 

「青鸞さま、風邪ですか?」

「ううん、大丈夫。ありがと」

「気をつけてくださいね、ただでさえ風邪を引きやすい癖をお持ちなんですから」

「…………」

 

 

 反論できない雅の言葉に沈黙する青鸞、そんな彼女は雅に着物の着付けを手伝って貰っていた。

 別に一人でも出来るのだが、訓練終わりの体力低下状態では有難くもある。

 今日の着物はややモダン風、クリーム色の生地に薄桃の花弁と黒の葉の八重桜の柄。

 帯は黒、白糸で草や蝶が描かれている。

 その帯を締め終えた雅は、ほっと息を吐いて。

 

 

「とにかく、お疲れ様でした。今日もすぐに休まれますか?」

 

 

 最近の青鸞は、部屋に戻ればベッドに倒れる毎日だ。

 ここに来て日々の疲労度が高まっているのは、サイタマや租界での行動があるのだろう。

 概ね解放戦線のメンバーや独立派の人間に受け入れられているその行動は、反体制派の中での彼女の地歩を固めさせると同時に責務を増やしてもいたのだ。

 

 

「そうだね……あ、草壁中佐に今日の訓練レポート出すの忘れてた」

 

 

 しかしふと思いついて、青鸞は疲れた身体を鞭打って残った仕事を片付けることにした。

 ワーカホリックと言う程仕事が好きなわけでは無いが、それでも責務から逃げることはしたくない。

 何故なら彼女の理想は父であって、父は責務から逃げるような人ではなかったのだから。

 

 

 青鸞は雅に先に戻っているように頼むと、パイロット用の更衣室から出た。

 今日も訓練は夜まで続いた、この上でレポートの提出と再提出(最近は、やり直しが当たり前だと思うようになってきた)はキツい。

 しかしやらねばならない、草壁の期待に応えるためにも、自分のためにも。

 

 

「あ、皆、今日もお疲れ様。草壁中佐をどこかで……」

「青鸞さま、今日もうちの山本が申し訳ありませんでした」

「いや、待ってくれよヒナ。お前俺の保護者か何かで……」

「……中佐は、格納庫の方へ行ったと思う」

 

 

 通路で出会った護衛小隊の面々に問えば、まともに答えてくれたのは大和だけだった。

 流石は親戚筋、大いに助かるアドバイスである。

 それでもきっちりと3人にお礼を言って、青鸞はその場を後にした。

 

 

 整然としつつも騒がしいナイトメア格納庫へ、地下の岩壁を背に並べられ、クレーンや整備用の大型アームに固定された無頼がいるそこに行く。

 しかしいくら歩いて見渡しても、草壁はおろかその部下の1人も姿を見つけられなかった。

 いつもならどこかで誰かは見るというのに、今日に限って。

 

 

「あ、古川さん。草壁中佐を見ませんでしたか?」

「い、いや、僕はちょっと……」

 

 

 他に行くアテも無く、青鸞は自分の小隊の方に向かった。

 訓練後のナイトメアの整備を指揮する古川は、少し戸惑ったような声で返答した。

 彼からすれば、自分の小隊のナイトメアのこと以外のことはわからないのだった。

 青鸞は普段の整備のことも含めてお礼を言うと、同じ格納庫の中にいる別の人間に話を聞いた。

 それは、たまたま自分達のナイトメアの整備の様子を見に来た朝比奈と千葉だった。

 

 

「草壁中佐?」

「うーん、僕らはちょっとわからないね」

 

 

 当然、こちらも別部隊の動向などはわからない。

 まぁ、当然と言えば当然ではある。

 別部隊というか、いわゆる藤堂派である2人は草壁派とは対立関係にもあるのだから。

 

 

「それよりも青ちゃん、大丈夫? 何か僕のイメージだと、あの人、新人いびりとかしそうなんだけど」

「そんなこと無いよ、省悟さん」

 

 

 自分でも驚いたが、青鸞はごく自然に言うことが出来た。

 まだそこまで長い時間を過ごしたわけではないが、草壁がそう言う人でないことはわかっていた。

 むしろ、良い人だと思う。

 好きか嫌いかで問われれば、前者であると答えられる程度には。

 以前は、どちらかと言えば逆だったのだが。

 

 

「草壁中佐は、確かに優しい人では無いけど……でも、良い人だよ」

「ふーん」

 

 

 どこか面白くなさそうに頷く朝比奈に、青鸞は苦笑する。

 それはどうやら千葉も同じだったようで、彼女は苦笑を浮かべたまま、ふと何かを思い出したように。

 

 

「そう言えば、第7特装格納庫の方に草壁中佐達が良く出入りしていると聞いたことがある。もしかしたらそこでは無いか?」

「第7……?」

 

 

 あまり行ったことは無いが、それは特装と言う名前が原因だ。

 ナイトメアを含む通常兵器を改造し、特殊な状況や環境で使用する兵器を開発する場所だ。

 実用化されたものもいくつかあり、第7格納庫はそういった兵器の置き場でもある。

 

 

「ふーん……」

「どうした? 何か気になることでもあるのか」

「いや……」

 

 

 青鸞の背中を見送りながら、千葉は眉を顰めながら唸る朝比奈に視線を向けた。

 朝比奈は少年のような風貌を疑問の色に染めて、きょろきょろと周囲を見渡した。

 

 

「……おかしくない? 普段なら、1人くらい草壁中佐サイドの人間が視界に入るはずなんだけど」

「そういえばそうだな、だが、そう言う日もあるだろう」

「そうかな……」

 

 

 今までは見張りの意味も込めて、1人や2人は自分達の周囲にいたはずの草壁派の兵。

 それが、今日に限って誰の姿も見えない。

 千葉のように偶然と思うことは、朝比奈にはどうも出来ないようだった。

 だから彼は、難しい顔のままで行動することにした。

 

 

 一方で青鸞は、千葉と朝比奈にお礼を言った後、件の第7特装格納庫へと向かった。

 あまりどころか滅多に行ったことが無いので、2度ほど道を間違えそうになったが。

 それでも緊急時に行けないでは意味がないので、地図は頭の中に叩き込んである、時間はかかったが到着することは出来た。

 

 

「えっと、確かこっち……それにしても、人が少ないな」

 

 

 普通、もう少し人と擦れ違っても良いと思うのだが……どういうわけか、目的の格納庫に近付くにつれて人気がなくなっていった。

 しかし、だからと言って不審に思ったりはしない。

 だからこそ第7特装格納庫に到着して、そこに草壁達の姿を認めた時、彼女は笑顔さえ浮かべて……。

 

 

「それでは、これより我らは河口湖へ向かう……!」

 

 

 ――――……え?

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞のサイタマ・ゲットーでの小さな勝利は、日本解放戦線と言う組織に一息をつかせることになった。

 それは間違いない、しかし同時に組織内のパワーバランスに微妙な変化をもたらす結果になった。

 作戦を許可する決断をした片瀬の求心力が高まり、それはつまり片瀬の懐刀である藤堂の発言力が増したことを意味する。

 

 

 組織の論理ではなく、派閥の論理。

 つまりはそう言うことであって、草壁達の……というより、草壁の部下達の行動はそう言う事情がある。

 藤堂派(と、彼らが思っている)の発言力の増強は、つまり草壁派の勢力減退に繋がるためだ。

 

 

「これが『雷光』か……組み立てはどうなのだ」

「現地での組み立てになりますが、目標地点制圧後1時間もあれば」

「ふむ……」

 

 

 第7特装格納庫、草壁はそこで専用の大型トレーラー2台に分けて運び込まれる機材を見上げていた。

 機材と言うよりは機体であるが、それは不思議な形状をしたナイトメアだった。

 頭部と腕部が撤去された特殊な4機のグラスゴー、首と片腕の付け根がジョイントのような形に改造を受けている、まるで何か大きな物を乗せる台か何かのように。

 

 

 そしてもう1台のトレーラーに積み込まれているのは、グラスゴー4機分の頭部部品と近接防御用砲熕兵器、大型リニアキャノンと散弾型の特殊弾倉……全て、草壁派が開発と研究を重ねてきた改造試作機である。

 広い戦場では使用できないが、閉鎖空間内ならば強大な力を有すると期待されている兵器だった。

 

 

「中佐、全ての準備が整いました」

「良し……それでは、これより我らは河口湖へと向かう……!」

 

 

 河口湖、サクラダイト生産国会議が行われている場所だ。

 そこでサクラダイトの生産量・分配率・価格について話し合っている――日本人の資源を盗む強盗共――各国代表を監禁し、ブリタニア側に政治犯の釈放を要求する。

 日本独立を唱えて捕らえられた同志だ、救わないわけにはいかない。

 

 

 そして会議には他国人も参加する、そうすればいくら非道なブリタニア軍でも躊躇せざるを得ないと言う読みもあった。

 ブリタニアといえど国際社会の一員、である以上、一定の責任は有する。

 それを完全に無視、つまり人質の命を度外視した強硬策は取り辛いだろう。

 それが、草壁の読みだった。

 

 

「このままでは、解放戦線の舵取りはあの藤堂に……」

 

 

 草壁は藤堂の能力は認めている、悔しいが、自分よりも遥かに上だろう。

 だが草壁から見れば、藤堂には覇気が足りないのだ。

 ブリタニアと伍する力を蓄えるまでは防戦に徹するというあの態度、わからなくも無い。

 だが、藤堂はその意図を下の者達に説明しない。

 

 

 それが良くない、それは良くないと草壁は思う。

 だから腰の重い藤堂に痺れを切らせた一部の若手将校達が自分の所に集まってきて、蜂起を訴えてくることになる。

 そして青鸞のサイタマでの勝利はそうした者達に火をつけ、もはや草壁にも抑え切れない程の力でもって彼を押し上げていて――――。

 

 

「――――草壁中佐!」

 

 

 その時、草壁と彼の部下以外は誰もいないはずの空間に、若い女の声が響いた。

 若いというより、少女の声だ。

 視線を上げれば、そこには想像の通りの姿がある。

 

 

 高く結った黒髪に、軍事施設にはどこか不似合いな着物姿の少女。

 枢木青鸞、先のサイタマでの働きが周知されている少女だ。

 そして今や、「顔役」への就任が秒読み段階に入っている存在であり。

 ……草壁が、苦い思いで見ている相手でもある。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 飛び出したは良いものの、青鸞は一瞬、言葉に詰まった。

 それは別に草壁やその周囲の部下に気圧されたわけではなく、純粋に迷っただけだ。

 いったい、何と言葉をかけるべきか?

 山を削って作られた格納庫の中、着物に覆われた胸を上下させながら。

 

 

「……中佐、どちらへ?」

「貴様のような小娘に話すようなことでは無い」

 

 

 草壁の反応はにべも無い、しかし青鸞は確かに聞いたのだ。

 河口湖に行く、と。

 河口湖で今、何が行われているかくらいは青鸞も知っている。

 次に浮かぶのは理由だ、なぜ今このタイミングで。

 

 

 青鸞自身には派閥に属しているという意識は無い、だが周囲は違う。

 彼女は藤堂に連れられてナリタに来た、その後は藤堂の道場にも所属している。

 最近でこそ草壁との接触が増えているが、そもそもは藤堂派と目されているのである。

 

 

「……河口湖は今、警備が厳重と聞いています。片瀬少将の許可も無く、そんなことをすれば」

「賢しげに話すな小娘!!」

 

 

 皮肉なことに、草壁の大音量に対する耐性が青鸞にはある。

 そして今のやりとりで、草壁達の行動が解放戦線の行動ではないことは確認が出来た。

 であるならば、理は我に在り。

 青鸞は一歩を前に出て、重ねて訴えた。

 河口湖に行ってやることなど、一つしか思いつかない。

 

 

「中佐達は、河口湖に集まるサクラダイト開発の関係者を人質にするつもりなのですか」

 

 

 監禁するのか拉致するのかはわからない、が、トレーラーに積み込まれる兵器の存在が後者は無いと判断させる。

 反体制派がブリタニア側へ仕掛けることなどたかが知れている。

 青鸞は必死に考える、草壁達を行かせないためにはどうすれば良いのか。

 

 

 行かせれば失敗する、というのは容易に想像できる。

 青鸞がサイタマで勝利を得たのは、要するに藤堂の策での援護とブリタニア側の余裕が原因だ。

 大体、勝利を得たからと言って何か日本解放戦線全体に良い影響があったわけでは無い。

 

 

「人質をとっても、他国人がいても、ブリタニア軍は容赦など……」

「あのゼロに出来たこと、我らに出来ぬはずが無い!!」

 

 

 確かに、あのゼロはスザクを攫いながら未だに捕縛されていないが。

 それにあれは、ブリタニア軍がテロリストの要求を容れた唯一といって良い事例だ。

 ゼロの存在は、そういった意味でも影響力が強かったと言える。

 まぁ、あの一件以来動きが無いのが気になると言えば気になるが。

 

 

 青鸞は草壁の後ろで整然と並んでいる解放戦線のメンバー達を見つめる、全員が軍服と日の丸の鉢巻きを身に着けていた、その手には真剣の刀を持っている。

 見るからに、これから命を賭しに行くと言う風情だ。

 実際、草壁の部下達が自分を見る目は厳しい。

 ――――言葉による説得は、不可能だとこの時悟った。

 

 

(ならば)

 

 

 と、青鸞は背筋を伸ばした。

 そして草壁を見る、他の全てを排して草壁を見る。

 決定者である草壁を見つめて、そして告げる。

 

 

「……草壁中佐、剣道の腕前に自信はございますか?」

「何……?」

 

 

 怪訝そうに首を傾げる草壁に、青鸞はあくまでも真剣な眼差しを向ける。

 その深い色合いの瞳の奥に、照明の光を反射させながら。

 彼女は、言葉だけの説得を諦めた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 照明の限られた格納庫の中で、何かが打ち合う音が響く。

 整然と並んだ兵士達の前、2人の人間だけが動いている。

 しかしそれも激しい動作と言うよりは、瞬間的な加速と長時間の牽制の繰り返した方が正しい。

 

 

 動いているのは青鸞と草壁である、2人の手には竹刀が握られていた。

 ジリジリと言う音は、2人の足元から響いている。

 摺り足の音だ、床と足裏を擦れ合わせながら互いの距離を測っている。

 そして互いに半円を描いて円を作ると、互いの竹刀の先が揺れて。

 

 

「……!」

 

 

 瞬速、草壁の突きが飛んだ。

 青鸞の喉を容赦なく狙った突きは、草壁の巨体が出したとは思えない程の速度で繰り出された。

 突きのかわしのパターンはそれ程多くない、青鸞は目で追った相手の竹刀の先に自分の竹刀を置いた。

 喉の手前で竹刀が交差し、首横に触れながら後ろへと逸らされる。

 

 

(将棋にしておけば良かったかも……!)

 

 

 などと考えるが、一度言ってしまったことは覆らない。

 自分が勝てば留まり、負ければ誰にも報告せずそのまま行かせる。

 よもや、自分のような小娘の挑戦を断りはしますまいな――――と言うような挑発を、青鸞は行ったのである。

 

 

 安い挑発だが、草壁はそれに乗ってきた。

 体面の問題などもあるだろうが、チャンスをくれたのだろうと青鸞は思う。

 これを誰にとってのチャンスと捉えるかは、人によるだろうが。

 

 

「――――草壁中佐!」

 

 

 軍服と着物というハンデを背負っているため、青鸞は守りを主において動いている。

 それに力も草壁の方が強い、打ち込みの度に顔を顰める青鸞。

 彼女は8年間剣道をしているが、どうも草壁はその倍以上はやっているらしい。

 こういうものは、時間をかけた方が強くなる傾向がある。

 

 

「どうして、こんな……!」

 

 

 突きを逸らした後、鍔部分を押し合うようにして顔を近づける。

 その中で問えば、鼻息の荒い草壁の返答が来た。

 

 

「無論、日本がまだ死んでいないと世に示すためよ……!」

「そんなこと……」

「そんなことでは無いわ!!」

 

 

 耳元で響く大音量に片目を閉じる、その隙に力任せに身体を押し上げられた。

 たたらを踏むように後ろに下がれば、次の瞬間には豪の一撃が下りてくる。

 竹刀を横に倒して受ければ、手首まで痺れるような打ち下ろしが連続で行われる。

 衝撃の強さに顔を顰める、一撃の度に一歩を下がる程だ。

 

 

「自惚れるなよ小娘、サイタマでの勝利など小さいわ!」

「……っ」

「貴様のような小娘が、すでに日本を背負ったような気か! 背負えるはずもなかろうが……背負わせるはずも、なかろうが!!」

 

 

 竹刀を切り返し、一度に三歩を横に進んで草壁の猛撃から距離を置く。

 藤堂や朝比奈、上級者を相手にしてきた経験がそうさせていた。

 しかし袴と違い着物では大きく動けないので、次の瞬間には草壁に捉えられてしまう。

 

 

(ワタシ)は……!」

 

 

 サイタマで当初の計画に反して介入した青鸞には、草壁の部下達の気持ちが僅かだがわかる気がした。

 自分がやらなければならないと言う気持ちは、わかる。

 日本の現状を憂えている人間なら、誰だって共通するものを持っているから。

 

 

(ワタシ)は、父の跡を継ぎます……!」

「貴様如きがか!」

(ワタシ)だからこそです!」

 

 

 体格で負けているため、下から打ち上げる形になる。

 下がり続けていては勝てない、だから青鸞は前に踏み込む。

 元より、彼女の特性は前進にこそある。

 

 

(ワタシ)が、もっと……!」

 

 

 認めて貰えないのはわかっている、と青鸞は思う。

 一度や二度の与えられた成功で何かが変わるほど世界は優しくはなくて、何もかもが思い通りにならない世界が憎らしくて。

 だけどそれでも、思い通りになる世界が欲しくて。

 

 

「サイタマ・ゲットーでやったようなことを、(ワタシ)が――――ボクが!」

 

 

 正面で竹刀が打ち合った次のタイミングで、青鸞は身を回した。

 大きく動けないなら、動きそのものをコンパクトにせねばならない。

 片足の踵を軸に身を回し、腰を捻るようにしながら草壁の横を擦り抜ける。

 

 

「ボクが、サイタマ・ゲットーでやったようなことを……もっと、もっと! もっとやります、だから!」

「だからどうした!? 貴様1人で何が出来るか!!」

「出来ません! ボクはとても弱いから――――」

 

 

 そう、兄の姿を見ただけで何かを期待してしまうような弱い存在だから。

 

 

「――――だから、まだ草壁中佐達に教えて頂きたいことがあるんです!!」

「……この、小娘がぁっ!!」

 

 

 未熟は承知、だから己の出来ることを精一杯にやるのだ。

 そして青鸞がそのために努力を重ねているのは、もはや草壁達も知っている。

 そして知っているからこそ、彼らは動くのだ。

 

 

 このままでは、名実共に青鸞が解放戦線の顔役となってしまうから。

 名だけならともかく、このまま解放戦線内で地歩を固めるなら、看過できなくなるから。

 背負わせてはならないから。

 15の小娘に、日本を背負わせるようなことが出来るはずも無いから。

 何故なら、彼らは。

 

 

「我らは――――」

 

 

 身を回して竹刀を構えた、しかし竹刀の先を草壁の竹刀が打ち上げた。

 速い、あの巨体で草壁は青鸞の動きについてきていた。

 着物でなく袴であったなら、話は別だったろうが。

 

 

 不味い、と青鸞は思った。

 万歳をするように両腕が竹刀ごと打ち上げられていて、隙だらけの状態だった。

 帯に覆われたお腹が、相手の目に無防備に晒されている。

 

 

「未だ、死なず……!」

 

 

 く、と歯を食い縛って青鸞は手首を返した。

 打ち上げられた竹刀をそのまま下ろす、間に合わないかもしれないが打ち込む。

 行かせない、生かせるために。

 だからあえて下がらず、前に足を踏み込む。

 そして――――……。

 

 

「――――そこまで!!」

「「……!」」

 

 

 別の声が響き、青鸞と草壁が同時に動きを止めた。

 草壁の竹刀の先が青鸞のお腹に触れる直前で止まり、青鸞の竹刀は空を切る直前で。

 完全な負けの体勢での停止、青鸞は軽く唇を噛んでいた。

 止められていなければ、おそらくは鳩尾に入っていた。

 

 

 では、止めた人間は誰か。

 視線を上げれば、そこに鋭利な刀のような細く鋭い男が立っていた。

 格納庫の入り口からゆっくりと歩いてくるその男は、青鸞や草壁が良く知る人間で。

 

 

「草壁、馬鹿な真似は寄せ」

「藤堂……!」

 

 

 そう、藤堂である。

 彼は厳しくも鋭い眼光でその場にいる全員を見渡すと、竹刀を引いた草壁を睨んだ。

 対して草壁は苦い顔だ、藤堂に見つかったならこれ以上の行動はほぼ不可能だった。

 青鸞との口約束など、大した問題では無い。

 

 

「馬鹿なこととは何だ、我々は日本のために……!」

「日本のためを言うなら、余計にやめておいた方が良い」

 

 

 そこで藤堂は青鸞と目を合わせた、責めるような目ではない、だが青鸞は謝罪するように目を伏せた。

 

 

「……草壁、貴様は以前から一斉蜂起を主張していたな。その考えに変わりは無いな?」

「無論だ」

「ならばますますもって今日は動くな、2ヵ月後の蜂起の日に備えてな」

 

 

 2ヵ月後の蜂起、その言葉に草壁の部下達の間で初めてどよめきが起こった。

 これまで一斉蜂起の日程は決められていなかった、だが藤堂が……「奇跡の藤堂」が蜂起の日程について初めて言及した。

 その衝撃たるや、なかなかに大きなものがあった。

 

 

 そして草壁が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる、彼はこの時点で2つの贈り物を藤堂から受け取ったためだ。

 一つは、河口湖で行うはずだった玉砕同然の作戦の停止。

 もう一つは一斉蜂起の日程設定、まぁ、別に藤堂が進んで決めたものでは無いだろうが。

 だが急に決まった日程、その原因は当然。

 

 

「勘違いすなよ、小娘」

 

 

 傍らで自分を見上げる双眸を見つめ返すことなく、草壁は吐き捨てるような声音で言った。

 藤堂のもたらした一斉蜂起決定の報で、草壁の部下達は興奮したような声を上げている。

 今さら河口湖へ行こうとはすまい、彼らの思考は今、派閥の論理から民族主義的な論理へと展開しているだろうからだ。

 

 

「私は貴様のような小娘など、断じて認めん。一斉蜂起をすると言うならそれも良いだろう、だが、そこに貴様が連なることなど断じて認めんぞ……!」

「……構いません」

 

 

 竹刀を逆さに持ち直しながら、青鸞はむしろ静かに返した。

 

 

「それで、草壁中佐がここにいてくれるのなら」

「…………貴様ら、いつまで騒いでおるか! 今夜の作戦は中止だ、『雷光』をトレーラーから戻せ!」

 

 

 青鸞と目を合わせることなく、草壁は部下達を統率するために離れていった。

 草壁の背を見送る青鸞、その横に立ったのは藤堂だ。

 藤堂もやはり青鸞と目を合わせようとはしない、ただ青鸞はそっと目を伏せたまま。

 

 

「ありがとうございます」

 

 

 その言葉に、藤堂は僅かな頷きを返した。

 彼がここに来たのは、情報としては青鸞と同じだ、草壁と部下がここにいるだろうと知ってのこと。

 タイミングとしては、わざわざ朝比奈達が伝えてきてくれたためだ。

 草壁達の姿が見えない、と。

 朝比奈はどうやら、青鸞ほどに草壁を信じているわけでは無かったのだろう。

 

 

 一方で青鸞としては、悔しさの残る結果ではあった。

 藤堂が来てくれなければ、自分は草壁達を止めることが出来なかっただろう。

 だから彼女は、藤堂に感謝したのだ。

 

 

「……それで、お前はどうする?」

「そうですね……」

 

 

 ほっと息を吐いて、目を閉じて、青鸞は頷いた。

 日本のこと、民のこと、シンジュクやサイタマのこと、ブリタニアのこと、そして……のこと。

 考えるべきことはいろいろあるが、しかしとりあえず。

 青鸞は、そっとお腹に手を添えて。

 

 

「とりあえず、同じ釜の飯(みんなでごはん)を食べたいです」

 

 

 そう、微笑んだのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ああ、楽しかった。

 シャーリーはそう思った、実際に言葉にもした。

 一日中河口湖の自然やアクティビティを友人達と楽しんで、いよいよ他の面子も来れば良かったのにと思いながら、ホテルの柔らかいダブルベッドの上に身体を預ける。

 

 

 ホテルの部屋にはミレイやニーナもいて、一日の遊びの思い出話に早くも華を咲かせていた。

 シャーリーは遊び疲れた身体を解すように背伸びをすると、手を伸ばしてテレビのリモコンを手に取った。

 そしてテレビをつけると、ニュースがやっている。

 だがおかしい、どの放送局も同じものをやっている、それは――――。

 

 

「――――ゼロ!?」

 

 

 一方、河口湖から遠く離れたナリタの地でも1人の少女がその映像を見ていた。

 草壁達がナリタに留まった翌日の夜、大会議室で一斉蜂起の日程について改めて協議の場が持たれた時のことである。

 青鸞の声に全員が顔を上げた先、緊急時には自動で展開される巨大モニターがある。

 天井から下げられる形のそれには、ある人物の姿が映し出されていた。

 

 

「ゼロ……クロヴィスを殺したと言う、あの」

「眉唾ものだ、真実かどうかはわからん」

「だとしても」

「うむ……」

 

 

 いったい、何のつもりだろうか。

 片瀬が、藤堂が、草壁が見上げる中、黒い仮面で顔を覆った男は大仰な仕草で手を上げた。

 そんな彼の背後には、黒いバイザーで顔を隠した黒い制服の男女が並んで立っている。

 

 

「……?」

 

 

 ゼロの後ろに並ぶ者達、その何人かに青鸞は見覚えがあるような気がした。

 顔が見えればもっとはっきりするはずだが、背格好だけでも既視感を感じる。

 あれは、確か……と、青鸞が疑問を氷解させるよりも先に。

 

 

『聞け! 力を持つ全ての者達よ! 我々は――――『黒の騎士団』!!』

 

 

 騎士団? 青鸞は首を傾げる。

 テロリストの声明にしては妙な名前だ、しかも制服や仮面お色をとって黒の騎士団とは。

 あのゼロと言う男、仮面や衣装だけでなくネーミングセンスの趣味も悪いのかもしれない。

 

 

『我ら黒の騎士団は、武力を不当に使用する強者全ての敵だ……それがブリタニアであろうとも、そうでなかろうとも、強者の都合を弱者を虐げることを、我々は断じて認めない!!』

「……?」

 

 

 言っている意味がわからない、それは青鸞だけでなくその場にいる解放戦線のメンバー全員が共通する思いだろう。

 しかしそんな彼らも、ゼロが続けた言葉で驚愕することになる。

 何故ならばそれは、彼らの価値観とは真っ向から対立する理念だったからだ。

 

 

『まずは愚かにも民間人を殺戮し、それを主義主張と欺瞞を言い放っていた大日本蒼天党』

 

 

 映像が切り替わる、そこはどこかの野営地のようだった。

 ブリタニア軍らしきナイトメア部隊が、濃く生い茂る樹木と荒れた地面が特徴と言えば特徴の森を包囲している様子が映っている。

 道路もライフラインも整備されている様子も無いが、日本解放戦線やサムライの血の拠点同様地下に基地を築いていたのだろう。

 

 

 しかしそこには、元あった森など存在しない。

 何か強力な爆弾でも爆発したのか、岩盤が崩れたように森の中心に穴が開いている。

 地下の基地にいた者にとっては、天井が突然崩れたようなイメージだろう。

 瓦礫の中に薄紫のナイトメアの残骸が見え隠れする所を見ると、ブリタニア軍の作戦と言うわけでは無いらしい。

 

 

『彼らには救いが無かった……故に、我々が天誅を下した!!』

 

 

 ゼロは言う、大日本蒼天党はブリタニア人排除の名の下に3歳の子供でさえ殺す非道な組織だと。

 子供を洗脳して自爆テロをするような兵に仕立て上げ、ブリタニアと名の付くものに手当たり次第に攻撃を加える非道な人種の集まりだと。

 実際、大日本蒼天党はチュウブでも指折りの過激な組織として有名だった。

 

 

「ゼロめ、何のつもりだ……!」

「姫様、地盤が緩んで危険です。どうかお下がりください!」

 

 

 自身のナイトメアのコックピットを開き立ちながら、大日本蒼天党の掃討作戦を指揮していたコーネリアは崩れ続ける敵の拠点を睨んでいた。

 側近であるギルフォードの懸念の声にも耳を貸さずに立ち続ける彼女は、ゼロがいるであろう土煙の向こうを睨み続けている。

 サクラダイト会議への牽制兼圧力の予定が、これでは。

 

 

「ゼロ、キミは……!」

 

 

 特別派遣嚮導技術部に所属するナイトメアの操縦者(デヴァイサー)、枢木スザクもその現場にいた。

 彼のいる特派は前線にいるわけでは無いが、それでも爆発の振動は伝わっている。

 基地に蓄積されていた燃料用流体サクラダイト、その爆発と特派では予測されているが。

 いずれにせよ、彼の前には結果だけが残る。

 

 

『撃って良いのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ』

 

 

 ゼロの声だけが、大日本蒼天党の基地のある森に響く。

 ナイトメアやG1ベース、そして電波ジャックによってあらゆる映像媒体を通じて世界中に映像が流れているのに、現場のブリタニア軍はその姿を何故か視認できなかった。

 

 

『私は戦いそのものを否定はしない、しかし、強者が弱者を一方的に虐げることは認めない。我々は力ある者が力なき者を虐げる時、いつでも現れるだろう!』

 

 

 どのような理念を持っている組織でも、民間人や弱者を傷つけるならば天誅を下す。

 ブリタニア軍が民間人を虐殺すれば、それを止めるために戦う。

 日本の独立派が民間人を巻き添えにテロを行うなら、これを止めるべく戦う。

 彼ら『黒の騎士団』の主張は、まとめるとそう言うことだった。

 

 

 その主張は当然、ブリタニアには受け入れられないものだった。

 大体ゼロは大逆罪の犯罪者である、主張以前に存在が認められない。

 唯一、日本人の恭順派や中間派の受けは良いだろう――民間人を巻き込むテロを否定すると言う点で。

 だが同じ反ブリタニア組織、例えば最大派閥の日本解放戦線から見た場合、どうだろうか。

 主張は一目置くに値するかもしれない、だが、ただ一点どうしても認められない部分がある。

 

 

「ボク達が……」

 

 

 それは、青鸞の呟きに凝縮されていた。

 ナリタの日本解放戦線、板張りの大会議場で青鸞は肩を震わせていた。

 悲しみではない、それとは程遠い感情が彼女の胸に去来していた。

 彼女の目は、モニターの向こうに映る仮面の男を睨んでいる。

 

 

「ボク達が、ブリタニア軍と同列だって言うのか……!」

 

 

 日本の土地を、権利を、資源を、財産を、そして生命を奪うブリタニア帝国。

 それらを取り戻すべく戦う、日本解放戦線を始めとする反体制派の武装勢力。

 黒の騎士団のリーダー、あの仮面の男ゼロは、両者を同次元の存在として切って捨てたのである。

 

 

 日本解放戦線の幹部連の間に、俄かに奇妙な熱気が立ち上った。

 それはおそらく、青鸞とさほど離れた感情ではないだろう。

 一様に、ゼロの映るモニターを睨みつけていて、そして。

 

 

『世界は、我ら黒の騎士団が――――裁く!!」

 

 

 貴様らなどに、裁いて貰わなくて結構。

 少なくともその時、その場にいる人間の心は一つになった。

 そして、このゼロの声明からさらに数週間が過ぎて――――6月。

 

 

 運命の6月。

 時代の分岐点となるその月が、訪れる。

 その月、青鸞は忘れられない戦いを経験することになる。

 その戦いは、後の日本の歴史の教科書にも載ることになる戦い……。

 

 

 ――――ナリタ攻防戦。

 





 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 草壁中佐プッシュなこの話では、まだまだ中佐殿に頑張って貰う予定。
 自害はしませんでした、どうも。

 そして小説版から大日本蒼天党を引っ張ってきて、河口湖とは別にやられ役になって頂き騎士団誕生。
 さらに騎士団の主義主張の解放戦線サイドからの見方も紹介、これも後に伏線として回収されるかもしれません。
 と言うわけで次回予告です、どうぞ。


『どんな場所でも、積み重ねられる日常がある。

 どこにいたって、時間の積み重ねは否定できない。

 ボクは、それをずっと一緒に重ねて行きたいと思う。

 だから、許さない。

 その積み重ねを否定する、まして壊すことなんて……』


 ――――STAGE9:「終焉 の 序曲」



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STAGE9:「終焉 の 序曲」


ナリタ攻防戦編、スタートします。
さぁ、詰め込みますよぉ~~~~……!
では、どうぞ。


 

 6月に入り、コーネリアは反体制派組織の摘発の手をやや緩めて、一連の軍制改革を断行した。

 各軍管区の将軍に分裂していた権限――統帥権、人事権など――を縮小し、総督たるコーネリアの手に全ての権限を集中させる改革。

 クロヴィス時代に収賄や縁故で出世した人間達を更迭した直後に行われたこの改革により、エリア11統治軍の指揮権はたった1人の女性の手に帰したのだった。

 

 

「とは言え、まだ最初の第一歩を踏み出したに過ぎぬ」

 

 

 コーネリアはボリュームのある自分の髪の端を指先で絡めながら、総督の執務室で側近のダールトンにそう言った。

 副官であり腹心であるダールトンはコーネリアよりも年配だが、皇族であるコーネリアに絶対の忠誠心を持っている。

 そしてその忠誠を、コーネリアは疑ったことなど無かった。

 

 

「制度が変わったからと言って、翌日から軍が強くなるわけでは無いですからな」

「その通りだ。その点、我が異母弟はあまり熱心では無かったようだ」

 

 

 トウブ軍管区を除く他の地方統治軍では旧型のグラスゴーを使用している部隊も多く、末端の兵は軍規を守らず略奪行為に走っている。

 これではイレヴンがいつまで経ってもブリタニアの統治を認めない、エリア11が政治的に安定しない。

 コーネリアの役目は、軍規を引き締め秩序をもたらし、イレヴンから畏敬の念を勝ち取ることだ。

 

 

 とは言え、ただ軍内を引き締めてイレヴンに飴を与えるだけ、とは行かない。

 ブリタニアの統治の正当性を強化すると同時に、反ブリタニアを主張する人々の希望を砕く必要もある。

 具体的には、反ブリタニアの象徴的存在を瓦解させること。

 

 

「ゼロの黒の騎士団か……ナリタの日本解放戦線」

「質としては前者、規模としては後者、と言った所ですかな」

 

 

 ダールトンの評価にコーネリアは頷く、質と規模の異なるエリア11の反体制派組織。

 まず規模、日本解放戦線。

 旧日本軍を母体とするだけあって規模・装備はまさにエリア11最大だ、だが一方で目立った実績の無い組織でもある。

 勢力圏を持つもののそれだけ、最近ではサイタマで小さな勝ちを拾った程度だ。

 

 

 一方であのゼロが立ち上げた黒の騎士団、こちらはこの数週間で立て続けに実績を重ねている。

 第一に総督殺害の実績――コーネリアからすれば犯罪――を皮切りに、イレヴンからも不人気だった大日本蒼天党を潰し――掃討に向かったコーネリアの目の前で――それ以降は、イレヴン向けの麻薬製造工場の破壊やブリタニア人官僚の汚職摘発、イレヴンに強制労働をさせていた企業経営者の襲撃など、警察然としたことを繰り返している。

 

 

(人気取り、だが……人気取り故に、面倒だ)

 

 

 実際、イレヴン内での黒の騎士団の受けは良い。

 純軍事的にはまだ大したことは無いが、まがりなりにも総督殺害をやってのけた相手に油断するつもりは無かった。

 だからコーネリアとしては、現在エリア11で一定程度の名声を得ているこの2つの組織への対応策を早急に定めなければならなかった。

 

 

「――――まずは日本解放戦線、だな」

「各地の租界の防備は整いつつありますが……」

「公安部によれば、最近、日本解放戦線はエリア11の反体制派組織を糾合しての一斉蜂起を画策しているようだからな。サイタマでの勝ちで、奴らはやはり調子に乗ったらしい」

 

 

 旧世界の遺物、コーネリアは日本解放戦線をそう見ている。

 黒の騎士団とゼロの所在は、まだ公安部や諜報部隊によって発見されていない。

 普通、何らかの痕跡があるはずだが……保身に長けているのか、ゼロはそうした証拠を一切残さずに行動している様子だった。

 

 

 しかし日本解放戦線は違う、前々からナリタに本拠地があることはわかっていた。

 戦力分析もほぼ終了しているし、幹部連の構成なども捕虜を拷問して吐かせてある。

 それに最近では、純血派の一部が名誉挽回のつもりなのか、ナリタ周辺の偵察を進めているらしい。

 あのジェレミアのせいでコーネリアの中で純血派の評価は最低だったのだが、キューエルとか言う純血派の騎士が上げてきた報告書の出来は彼女も認めざるを得なかった。

 

 

「さて、何と言ったかな……そう」

 

 

 先日、彼女はゼロとの戦いを日本解放戦線の横槍で乱された経験がある。

 ゼロとの戦いに集中するためにも、二度と横槍を入れられないようにする必要があった。

 だから彼女は、エリア11総督としてエリア11最大の反体制派組織「日本解放戦線」を。

 

 

「確か、クルルギ・セイラン……だったか? 奴らの希望の旗印とやらは」

 

 

 日本の象徴となる存在を、叩き潰す。

 そんなコーネリアの手元には、ある書類があった。

 それは、ある名誉ブリタニア人の少年と反体制派に身を置いているらしい日本人(イレヴン)の少女との関係を示す資料で……。

 

 

「名誉ブリタニア人の忠誠とやらを見る、良い機会ではあるな」

 

 

 紫色のルージュの引かれた唇を歪めて、コーネリアは笑った。

 見る者の心胆を寒からしめるだろうその笑みは、為政者としての顔だった。

 その視線の先には、近い将来に起こるだろう光景が見えているのかもしれない。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 日本解放戦線が一斉蜂起に向けた準備を進め、そしてコーネリア率いるエリア11統治軍が日本解放戦線への対応策を固めていた頃。

 同時に、エリア11の裏側で蠢いている勢力も何らかの反応を返す必要に迫られていた。

 それは例えば、キョウトと呼ばれる人々においても。

 

 

「……ブリタニア軍の行動計画は、まだ入らないのか」

「政庁内の人間を動かしてはいるが、意思決定に決定的な影響力が……」

「クロヴィスが総督であった頃ならともかく、コーネリアがこうも独裁的とはな……」

 

 

 キョウトの家の中で最も高い皇家の当主、神楽耶は、ここ連日のそうした会議にいい加減飽いていた。

 自身が議論に参加できるのであればともかく、御簾の中でただ座って聞いているだけ。

 表面上にこやかな笑顔と言う名の仮面をかぶってはいるが、正直、結論や打開策の出てこない話し合いなど聞いているだけ暇である。

 

 

 しかしだからこそ、神楽耶はエリア11の情勢について最も客観的な情報と視点を得ていると言える。

 新総督コーネリアの下、急速に軍事力を強めるブリタニア軍。

 そしてそれに対抗しつつも、どこか急ぎすぎている感のある日本解放戦線。

 突如現れ、日本解放戦線を支持しない恭順派・中間派の支持を集める黒の騎士団。

 

 

「しかし桐原公、紅蓮弐式を新参の組織に供与するとは。随分と思い切ったことをしましたな」

「左様、アレについては片瀬からも早く回すようにと……」

「カカカ、何、アレは保険のようなものよ」

 

 

 キョウトは日本解放戦線以外にも様々な組織に資金や装備を流している。

 表向きはNACと言う親ブリタニアの自治組織だが、その実、ブリタニア政庁の人間を買収して情報や兵器の横流しを仲介しているのだ。

 まぁ、この場合は裏の顔が真の顔と言うべきだろうが。

 

 

(黒の騎士団、ゼロ……)

 

 

 最近、エリア11で急速に名前を売っている反ブリタニア組織だ。

 だからと言って反体制派の味方と言うわけでもないので扱いは難しいが、桐原は……そして神楽耶は、あの組織に直感的なものを感じていた。

 あの組織は、これから伸びると。

 

 

 問題はこれまで支援してきた最大勢力、日本解放戦線だ。

 何しろあそこには青鸞が、キョウトの一員である枢木家の当主がいる。

 それにこれまで流した資金や兵器の数も尋常ではない、投資と言う観点で言えば、あっさり見捨てるにはあまりにも惜しかった。

 だから、最大限キョウトとしても保全に動く。

 

 

(……保険)

 

 

 だからこそ、桐原は保険をかけたのだろう。

 これから伸びるだろう黒の騎士団に最新鋭の機体を――加えて言えば、解放戦線のメンバーでは青鸞を含めて操りきれない性能の――与えて、キョウトのために動くよう「貸し」を作っておくために。

 それは将来、有形無形にキョウトの利益を生み出すはずだった。

 

 

 桐原には常に余裕がある、と、神楽耶は思う。

 次を考える余裕だ、どの組織が潰されようとも再起できると言う「次」の余裕。

 仮に日本解放戦線が敗れても、青鸞さえ無事ならばそれで良い。

 旗印ある限り、いくらでも叛乱の芽は残せるのだから。

 そして万が一、青鸞が倒れても……やはり、「次」が。

 

 

(……だけど私「達」キョウトの女の戦いに、「次」など不要)

 

 

 不要、不純、不毛、不潔、不当――――不快。

 神楽耶の小さな胸の奥には、表には見せない想いと炎がある。

 それが外に溢れ出すのは、そう遠くは無いのかもしれない。

 

 

「そういえば、藤堂達が無頼改を取りに来るのじゃったな。その時にいくつか言い含めておくかの……ああ、そう言えば」

 

 

 桐原が、ふと何かを思い出したように言った。

 

 

「『月下(げっか)』の開発はどうなっておる?」

「ああ、それはあの例のインドの女が……」

 

 

 神楽耶が密かに目を細める中、不毛な会話が延々と続く。

 彼女は静かにそれを聞きながら、ひたすらに自身のすべきことを考えていた。

 その瞳には、桐原の小さな背中が映っている。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 一方、日本解放戦線の本拠地があるナリタも俄かに騒がしさを増していた。

 とは言えもちろん、外見では何らの変化も無い。

 外の山々は美しい風景を静かに広げるばかりだ、しかし地下は違う。

 

 

「慎重に降ろせよ、慎重にな! そこ、ソフトのプログラム間違えるなよ!」

「ナイトメアの整備が最優先だ。エナジーフィラーの要領拡張試験、急げ!」

「第22輜重隊の持ってきた物資、どこに運び入れた!? 俺は報告受けてないぞ!」

 

 

 拠点各所の格納庫では、ナイトメアや戦車、装甲車の整備に汗を散らせている兵士達が駆け回っている姿を見ることが出来る。

 外の訓練場に視線を転じれば歩兵や砲兵が冗談では無く血を流しながら厳しさを増した訓練に歯を食い縛っているし、施設内においてもナイトメアのシミュレーター機はパイロット達によって占拠されている。

 

 

 末端の兵だけでなく、上層部たる幹部連の会合もいよいよ現実味を帯びてきた。

 日本解放戦線の主力部隊のトーキョー租界への進撃ルートや各ゲットーのレジスタンス組織との連動計画、そして他の軍管区の武装勢力にブリタニア軍の空軍基地を叩かせる順序など、戦略全体の具体策についての議論が着々と進められている。

 議論の中心にいるのは皮肉にも草壁達強硬派であって、今一番元気なのは彼らだった。

 

 

「それでは、我々は一時キョウトへ向かうが……」

「はい、留守は任せてください。……とは言っても、ボクに出来ることはそんなに無いですけど」

 

 

 一方、作戦の基本案の作成を見届けた藤堂は、新たなナイトメアの受領のためにキョウトへ向かうことになっていた。

 2台のトレーラーを伴って出る彼を、青鸞は見送りに来ていた。

 ちなみに出るのは藤堂だけではなく、彼の側近である四聖剣も一緒であった。

 

 

「青ちゃん、お土産期待しててね」

「お土産ってナイトメアだよね、省悟さん……」

 

 

 少年のような風貌の朝比奈の言葉に苦笑を返せば、彼はおどけたように肩を竦める。

 どこかお調子者のような所があるのだ、彼は。

 藤堂に出会っていなければ、意外と冒険家として世界を旅していたのかもしれない。

 

 

「俺達がいない数日、道場を頼む」

「ただし、食事は作るなよ」

「巧雪さんはともかく……凪沙さん、酷いよ」

 

 

 卜部の言葉には純粋に頷くことが出来た青鸞だが、千葉の言葉には傷ついたような表情を浮かべる。

 そこで笑い声が起こることも不本意ではあるのだが、まぁ、仕方が無い。

 5年間の付き合いの結果なのであるから、今さらどうしようも無い。

 そんな青鸞の頭の上に、皺の寄った手がポンポンと置かれた。

 仙波である、彼は笑いを残した真面目な顔で。

 

 

「まぁ、いよいよだ。お前も準備に余念が無いようにな」

「……はい、仙波さん」

 

 

 頭を揺らされるままに、青鸞は頷きを返す。

 何しろ、藤堂達が新たな機体を受け取って戻る頃には青鸞自身の状況も変わっている。

 正式には7月1日だが、6月の末には各地の反体制派に顔を見せることになるからだ。

 

 

 藤堂達としては、複雑な心境ではある。

 しかし5年前から決まっていたことでもある、本人の意思でもあって、彼らが何かを言うべき問題ではないのだった。

 ひとしきりの別れを済ませた後、藤堂達はそれぞれトレーラーに乗り込んだ。

 

 

「それじゃあ行って来るね、青ちゃん」

「行ってらっしゃい、気をつけてね」

 

 

 着物の袖を振って見送ると、窓から顔を見せていた朝比奈は後ろから頭を掴まれて窓の向こうへと消えた。

 おそらく千葉あたりに引きずり込まれたのだろう、青鸞は思わず笑ってしまった。

 それは、普段とは何も変わりが無い光景だった。

 だが、一つだけ。

 

 

 むしろ青鸞には直接は関係は無い、だが藤堂達のトレーラーが地下道から外へと出る際にそれは起こっていた。

 藤堂達の責任というのも酷で、どちらかと言えば外の監視員達の責任だろう。

 その2台のトレーラーを見る他の目があったことに、気付かなかったのだから。

 

 

「……ついに見つけたぞ、イレヴン共の穴倉の入り口を……」

 

 

 深い森の中、無精髭で顔を半分覆った金髪の男が唇を歪めた。

 しかし、その昏い笑みを見る者はいない……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 藤堂達の見送りを終えた後、青鸞は慌ただしく通路を駆けていた。

 着物の裾が邪魔で走りにくいことこの上無いが、それでも驚異的な速度で走った。

 途中、資材を抱えた兵士や解放戦線のメンバーと擦れ違い奇異の目を向けられるが、構うことなく走り続けた。

 

 

 向かう先は民間人の保護区画だ、と言って藤堂道場が目的地では無い。

 彼女が向かったのは保護した民間人が住む長屋の部屋の一つであって、そこに辿り着いた青鸞はやや意外そうな顔で立ち止まった。

 何故ならそこに深緑色の軍服を着た軍人がいて、しかもそれが自分の護衛小隊のメンバーだったからだ。

 

 

「茅野さん、こんな所で珍しい……」

「あ、青鸞さま。おはようございます」

「愛沢さん?」

 

 

 そこにいたのは茅野と愛沢だった、愛沢の右手には今日はベージュ色の義手があった。

 黒髪のツリ目の女性兵と茶髪のタレ目の女性、20代後半の女性同士の知り合いとしてはなかなか対照的だった。

 彼女らは青鸞を見つけると軽く会釈をしてきて、青鸞もそんな彼女らに軽く頭を下げる。

 2人の関係性については良くわからないが、友人なのだろうと思う。

 

 

「……7月には、しばらく会えなくなるから気をつけて……」

「さおりちゃんこそ、無事に帰ってきてね……」

「……ん」

 

 

 そんな会話を聞きつつも、青鸞は2人の傍を通って長屋の中へと入った。

 さほど広くも無い、そして若干薄暗い畳張りの部屋に中には何人かの人間がいた。

 その内の2人は、愛沢が面倒を見ている2人の子供だ。

 

 

「あ、せいらんさまだ」

「せいらんさま、おはよー!」

「うん、2人ともおはよう」

 

 

 飛び込んで来た小さな女の子を抱きとめて顔を上げると、同じくらいの年の男の子が傍についている女性の姿を見た。

 その女性は解放戦線が他の地域で保護してきた女性で、薄い衣服越しにお腹がふっくらしているのが見えた。

 男の子の前でお腹を撫でていたその女性は、青鸞を見ると笑みを見せた。

 

 

「渡辺さん、お加減いかがですか?」

「ええ、おかげさまで……」

 

 

 渡辺と言う名前らしい女性の身体には、薄いが小綺麗な上着が何枚も重ねられていた。

 食糧と同じように衣類も貴重なナリタだが、保護区の人間は彼女が身体を冷やさないようにと余分に渡してあげているらしい。

 衣類だけでなく、ここでは滅多に手に入らないミカンやリンゴなどの果物類が小さな籠に入れられて側に置かれている。

 

 

 内に新たな命を抱え、数日前に臨月を迎えた女性に対するせめても心配りだった。

 出産を手伝った経験があると言う老婆も、部屋の隅でうつらうつらと船を漕いでいるのが見える。

 そして保護区の子供達が回りを固めていて、何だか微笑ましい。

 殺伐とした外の光景とは隔絶された、温かな光景がそこにはあった。

 

 

「青鸞さまや皆さんのおかげで、無事に産めそうで……あ、動きましたね」

「う、大原さん起こす?」

「いえ、たぶんまだだと思います」

 

 

 わかるんだ……と感心しつつ、青鸞は女性の傍に座る。

 30代前半くらいだろう女性は柔和に微笑むと、ぽんぽんと自分の大きなお腹を軽く叩いて、そっと手をどける。

 青鸞は窺うように女性と目を合わせると、可能な限りゆっくりとそのお腹に触れた。

 

 

 触れた瞬間、衣服や肌の向こうの小さな命の感触を感じて溜息を吐く。

 妊娠がわかって――1年半前にここに保護され、つまりナリタで出来た子供――から、1ヶ月に1度くらいのペースで様子を見に来ている青鸞。

 だからこそ、最初の頃とはまるで違う様子に溜息を吐くのだ。

 そんな彼女の両側に、男の子と女の子が身を寄せるように座る。

 

 

(……無事に、生まれてきてね)

 

 

 心の底からそう願う、ナリタで生まれる子供だ。

 そしてこの子が大きくなる頃には、ブリタニアとの戦争も終わっていると良いな、と。

 この時、青鸞は本当にそう願っていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ルルーシュはゼロである、つまり彼は前総督クロヴィスを殺害した稀代のテロリストだ。

 ブリタニアの皇子として生まれた彼が、何故ブリタニアに反旗を翻したのか。

 それは本人と、あとは例外の1人を除いては誰も知らない。

 

 

 しかし現実に彼はテロリストであり、同時にブリタニアの学生でもある。

 正体を隠している以上学校にも通う必要があり、まして何も知らない妹ナナリーに余計な心配をかけるわけにも行かず……いわば二重生活を送っていることになる。

 それが危険と隣り合わせであることは、誰よりもルルーシュ自身が知っている。

 だが、彼は――――。

 

 

「ゼロ!」

 

 

 その時、ルルーシュ=ゼロを呼ぶ声が彼の意識を思考の海から掬い上げた。

 仮面越しに聞こえる声は高い、まるで年頃の少女の物のようだった。

 いや、実際に年頃の少女が彼の傍へと駆け寄って来ている。

 朱色の髪を赤と藍で染め抜かれたバンダナで上げた、青の瞳に快活さを覗かせる少女だ。

 

 

 その顔立ちは、どこかアッシュフォード学園のルルーシュのクラスメートに似ていた。

 そう、彼女もまたルルーシュと同じ二重生活を送る者。

 カレン・シュタットフェルト、改め、紅月(こうづき)カレン。

 彼女は、日本人の母とブリタニア貴族の男の間に産まれた子なのである。

 どういう事情で日本人としてレジスタンスに参加しているのかは、ルルーシュも詳細は知らないが。

 

 

『どうした、カレン』

「いえ、あの、本当に1人で……? せめて、私だけでも」

『いや、キミには紅蓮弐式で山頂まで皆を先導して貰わなければならない。私は皆の侵入ルートを確保しつつ進む、その際は単独行動の方が都合が良い』

「でも……」

 

 

 ルルーシュ=ゼロの返答に、カレンはやや納得しかねる表情を浮かべた。

 クラスメートであり生徒会メンバーでもある彼女、だが仮面で素顔を隠しているルルーシュ=ゼロを生徒会の仲間だとは思っていないだろう。

 

 

「ゼロ、カレン、ちょっと良いか。山への侵入ルートなんだが……本当に、このマップの通りのルートで良いのか? どう考えても日本解放戦線の偵察網に引っかかると思うんだが……」

『問題ない、私を信じろ』

 

 

 カレン、そしてもう1人の男に対してルルーシュ=ゼロは断言する。

 彼が振り向いたそこには、カレンの他に無数の人間がいた。

 漆黒の制服を着た彼らは「黒の騎士団」、ルルーシュ=ゼロの「軍隊」である。

 そして今は夜の時間、彼らの頭上には月の無い新月の夜空が広がっている。

 

 

『私を信じたその先に、お前達の未来があるのだから』

 

 

 ルルーシュ=ゼロが見る先には、高い山々が見える。

 標高2000メートルを超える山々が連なるその場所こそ、彼らの次の戦場だ。

 その山の名は――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その山の名は、ナリタ連山と言う。

 コーネリアが日本解放戦線への攻撃を決断した翌週の朝、スザクは朝の深い霧に覆われた山々を遠目に見つめていた。

 まだ行政区画としてのナリタ連山には入っていないが、ブリタニア軍による交通規制が始まった高速道路の上からでもそれは見える。

 

 

「いやぁ~良かったねぇ、まさかコーネリア殿下から僕らに派遣要請があるだなんて!」

 

 

 ガードレールの前に立ち、遠くに見えるナリタの山々を見つめていたスザクの隣に白衣の男がやってきた。

 男の目が眠たげに緩められているのは、別に今が早朝の時間帯だからでは無い。

 スザクの上司である彼は、早朝だろうといつだろうと同じように緩いのである。

 

 

 ロイドが喜んでいるのは、彼らの後ろに停車しているヘッドトレーラーの存在のせいだろう。

 交通規制の中を通過していくブリタニア軍の他の軍用車両に比べて異彩を放っているそれは、スザクが所属する特派の物だ。

 中にはスザクをデヴァイサーとするナイトメアが1機積み込まれていて、これからナリタへ向かうブリタニア軍の一部として行動することになっていた。

 

 

「ロイドさん!」

「ん? どうしたんだいセシルくん、ようやく実戦で『ランスロット』を動かせるんだよ? 大日本蒼天党の時は、いろいろあったせいで動かせなかったしねぇ」

「それはそうですけど……でも、その」

 

 

 これまで、名誉ブリタニア人であるスザクを擁する特別派遣嚮導技術部にコーネリアが何らかの命令を下すことは無かった。

 それはこの部署の人事権が本国の方にありコーネリアの手には無いと言う事情以上に、スザクと言うブリタニア軍唯一の「他国人ナイトメアパイロット」の存在が大きい。

 

 

 ブリタニア人とナンバーズを区別するのはブリタニアの国是、コーネリアはそれを体現する総督。

 故に、これまでは従軍しつつも端の方で戦況を見ているだけと言う事が続いていた。

 しかし今回の作戦に限っては、コーネリア自らが特派に一つの命令を与えていたのである。

 その命令ゆえに、出撃できることをロイドは喜び、逆にセシルは気遣わしげな視線をスザクへと向けるのだった。

 

 

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます、セシルさん」

「でも、スザク君……コーネリア殿下もどうしてこんな」

「軍務ですから、自分は大丈夫です」

 

 

 大丈夫でなくとも心配だが、大丈夫であっても心配。

 そんな表情で自分を見つめるセシルの視線を感じつつ、スザクはナリタの山々を見つめた。

 あそこには、日本解放戦線の本拠地があるのだと言う。

 その中にはおそらく、彼の知っている人間も少なからずいることだろう。

 

 

 しかしどんな個人的な事情があれ、命令に従うのは軍人である以上は当然。

 それがルールだ、ならば守らなければならない。

 ルールから外れた行動は許されないし、意味が無いとスザクは思う。

 だからこそ、彼はナリタの山々にいるだろう人々のことを想うのだ。

 

 

(そこにいるんですか、藤堂さん……それに)

 

 

 ぐっ、と拳を握り、琥珀色に輝く瞳を厳しく細めて。

 

 

青鸞(セイラン)――――……)

 

 

 この時、コーネリアの率いるエリア11統治軍中枢からスザクに与えられた命令はただ一つ。

 名誉ブリタニア人として軍令に従い、命令を遂行せよ。

 目標は、日本解放戦線に身を置いていると思われる故枢木首相の遺児。

 貴公の妹、クルルギ・セイランを捕縛、また捕縛が極めて困難な時には。

 

 

 ――――目標を、殺害せよ――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ある朝、ナリタ連山地下の保護住民の居住区の一部は騒がしかった。

 そこは藤堂道場、しかしその日は居住区の17歳以下の少年少女の裂帛の声は響いていない。

 袴姿の少年達は今は道場の外でそわそわとしており、気遣わしげな視線を道場に向けるばかりだ。

 

 

「おい、まだかよ……」

「お、俺に聞くなよ」

「誰か様子見てこいよ」

「つっても、女子連中が絶対入るなって凄い剣幕だったし……」

 

 

 囁き声を拾っただけでも、彼らが中の事情について詳しくないことがわかる。

 実際、外に締め出されて以降の中の様子はわからないのだ。

 例外として、たまに道場の中から出入りする袴姿の少女達の姿が見えるだけだ。

 後はごく稀に道場の奥からくぐもった叫び声のような声が聞こえるのだが、それが聞こえれば少年達は身を竦ませるばかりだ。

 

 

 朝の時間が深まるにつれて、周りには少年達以外にも人が増えてくる。

 そして対照的ではあるが、女性陣が中に入れるのに対して、男性陣は門前払いを喰らうのだった。

 それでも察しの良い中年以上の男性ならば、大体の事情を理解して見守る体勢を取っていた。

 

 

「ああ、渡辺さんかい……いよいよだねぇ」

「大丈夫かな、ここには大した医療機器も無いけど」

「何、うちの婆さんがついとる。大丈夫じゃあ」

「……いや、あの人最近寝てばっかな気がするんだけど……」

 

 

 期待と不安、そんな感情が居住区を包み込んできた。

 老若男女問わず、あるいは一部には軍人でさえも含めて、ふと立ち止まって見守り続ける。

 それは、そんな時間だった。

 人々は一時、自分達の境遇すら忘れて道場を見守っていた。

 

 

 しかし、どこか神聖なその時間もやがて終わりの時が来る。

 その終わりを知らせるのは、これまでよりも遥かに大きな声だ。

 それは耳を(つんざ)くような甲高い声でありながら、聞く者をほっとさせる力を持つ不思議な声だった。

 

 

 

 ――――ふぇええええっ、ふえええええええぇぇぇんっ――――

 

 

 

 泣き声。

 それは泣き声だった、自分の存在を高らかに歌い上げる、人間が一番最初に奏でる音だった。

 聞く人々の間でどよめきのような歓声が上がる、それは生命の讃歌だ。

 存在の自己主張、人々の顔に笑顔が灯る。

 

 

 今日この日、ナリタに新しい命が産まれた。

 人々の心の中に祝意が満ちて、道場の中から出てくるだろう誰かが母親の健康と新たな命の性別を告げるのを楽しみに待った。

 しかし、それが訪れる前に……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 生命を産み落とすと言うことは、人間の中でも女のみの特権である。

 そのことを知る者は多いが、実感できる人間は意外と少ない。

 そして青鸞は、このナリタにおける最初の例に立ち会うことが出来た。

 

 

「さぁさ、可愛らしい女の子ですよ」

 

 

 青鸞の目の前で、先日妊婦の部屋でうつらうつらしていた老婆が目も覚めるようなキビキビした動きで産まれたばかりの命を綺麗なお湯で洗っている。

 周囲に積み上げられたタオルや布は流れた血で真っ赤に染まっており、数時間かけた奮闘の跡を窺うことができる。

 

 

 しかしそれを前にしても、青鸞は放心したようにその場にへたり込んでいた。

 周囲には藤堂道場の少女達が袴姿で同じように座り込んでおり、やはり疲れ切っている様子だった。

 どうやら衝撃が強かったらしい、その中でも出産に最初から立ち会った青鸞の疲労度は妊婦本人を除けば一番だったかもしれない。

 

 

「は……はぁ~~……」

 

 

 深々と息を吐く青鸞の様子は、見るからにほっとしているようだった。

 早朝、月一の様子見を週一に変えた途端、長屋の中から変事が無いことを気にして中に入れば苦しげに唸り声を上げる妊婦の女性がいた。

 足の付け根から大量の水が噴き出しているのを見て、青鸞が半狂乱の状態に陥ったことは想像に固くないだろう。

 

 

 それからは青鸞の悲鳴に人が集まってきて、あれよあれよと言う間に藤堂道場へと運び込まれた。

 出るタイミングを逸したためか、青鸞もそのまま出産を立ち会うことになってしまった。

 それからの2時間、嵐のような時間だった。

 居住区中から出産経験のある女性達が集まってきて妊婦について、青鸞のような若い女子達はひたすらお湯を沸かしたり綺麗なタオルや布を掻き集めてきたり……。

 

 

(つ、疲れた……)

 

 

 衝撃的な映像も多く見た、例えば出産直後にも胎盤を出すために大変だったり。

 それ以前に悲鳴を上げながら命懸けで出産を行う母親の姿であるとか、出産時に出てくる血や体液であるとか、もういろいろ受け止めきれないのは周囲の道場門下生の少女達も同じようだった。

 ナリタでの子供の出産は極めて珍しい、良い経験だったとは思うが。

 

 

「青鸞さま、お疲れのところ申し訳ありませんが……」

 

 

 その時、へたり込む青鸞の肩を小さな手が叩いた。

 振り向けばそこに割烹着姿の少女がいて、同じように疲れた表情をしていながらも。

 

 

「そろそろお時間が……」

「あ、うん」

 

 

 雅の言葉に頷く青鸞、実は彼女は今日の正午に日本の反体制派に向けて流す決起を促す演説を撮影することになっているのだ。

 非常に興ざめではあるが、いくつか撮って編集を加え、いろいろと確認しなければならない。

 つまり非常に忙しいわけで、その意味ではキツい出だしだった。

 

 

「青鸞さま」

 

 

 一方で、しゃがれた声が青鸞を呼ぶのも聞こえた。

 今度は正面であって、青鸞が顔を上げると助産婦の役目を果たした老婆がそこにいた。

 しかもその手には小綺麗な布にくるまれた小さな命……赤ちゃんが抱かれていて、どうやらそれを青鸞に対して差し出しているようだった。

 

 

 産まれたばかりの赤ちゃんは、想像していたよりもずっと小さい。

 目などまだ開いていないし、髪の毛も生え揃っていない。

 肌も赤くて、どことなく人間には見えないくらいだ。

 だが、新しい命がそこにある。

 

 

「さぁ、抱いてやってくだされ。青鸞さまのおかげで、母子共に健康ですじゃ」

「ぇ……」

 

 

 僅かに逡巡して顔を上げれば、出産直後の疲労感に横たわる妊婦……元妊婦の母親がいる。

 居住区の中年女性に囲まれた彼女は、青鸞を見ると疲れた笑みを浮かべて、静かに頷いた。

 周囲を見渡せば、まず雅が笑顔で頷いていて、道場門下生の少女達も興味深げに赤ちゃんを見ているのがわかる。

 それから再び赤ちゃんを見て、青鸞は躊躇いがちにそっと手を伸ばした。

 

 

「そうそう、首を支えて……はいはい、お上手ですよ、はいはい」

「わ、わ……わあぁ……」

 

 

 他に声の出しようが無い、と言うような雰囲気で赤ちゃんを抱っこする。

 普段の凛々しさはそこには無く、年相応の少女のような振る舞いがそこにあった。

 その両腕にかかるのは、3250グラムの命の重みだ。

 ふみふみと声を上げる赤ちゃんを、しっかりと両腕で抱き込む。

 

 

「お、重い……それに、あったかい……」

 

 

 布越しでもわかるポカポカした体温に、つい言葉も幼くなる。

 と言うより、こういう場合に言う言葉は限られているだろう。

 

 

「青鸞さま、もしよろしければその子に名前をつけてあげてください」

「え? えええええぇぇぇ、ボクが!?」

 

 

 もはや素である、しかしそれを気にしているどころではなかった。

 大声にグズり出した赤ちゃんにうろたえつつ、青鸞は驚きの声を上げた。

 母親は人を呼んでくれたお礼に、是非とも名前をつけてほしいと言うのだ。

 

 

 青鸞は困った、それはそれはかなり困った。

 子供はおろかペットにすら名前をつけたことが無い、出来れば1週間くらい時間がほしかった。

 しかし周囲の空気が期待に満ちているのもわかるので、まさかそんなことは言えない。

 腕の中で微かにグズる赤ちゃんを見ながら、うーんと悩む青鸞。

 

 

「えっと……えーっと」

 

 

 頭を必死で回転させる、皆の視線を浴びる中で必死に考える。

 この女の子に、何と名前をつけるか。

 ナリタで産まれた日本人の女の子、やはり日本人らしい名前が良い、それも日本を感じさせるような古式ゆかしい名前が。

 

 

「………………じゃあ」

 

 

 しばらく考え込んで、青鸞は一つの名前を脳に描いた。

 その名前を紡ごうとする唇に、全員の視線が注目する。

 小さな桜色の唇が名前を紡ぐ、その刹那。

 

 

 

 ――――ナリタの山々が、鳴動した。

 

 

 

 そう思えるくらいの振動が、道場の床を振動させた。

 地震では無い、何故ならその揺れは断続的に響き続けているからだ。

 女性達の小さな悲鳴が重なる中、青鸞は腕の中に小さな命を抱いたまま上を向いた。

 パラパラと小さな粉を降らせる天井を見上げ、それまでの温かな気持ちを冷やして。

 

 

「まさか――――……!」

 

 

 断続的に響くその揺れに、青鸞は覚えがあった。

 それは……それは。

 それは、砲撃が着弾する音――――!

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「何事か!?」

「こ、攻撃です! ブリタニア軍が来襲した模様――――大軍です!!」

「何ぃ……ッ!?」

 

 

 地下の中央司令室に駆け込んだ日本解放戦線のリーダー、片瀬は、駆け込んだ瞬間に信じられないものを見た。

 戦略パネルになっているモニター、ナリタ連山を示す円の周囲に無数の熱源の光点があった。

 その光点は数秒ごとに更新され、今なお増加し続けているのである。

 

 

「――――斥候は? 見張りは何をしていたか!?」

「だ、第一波の砲撃で外延部の見張り小屋が叩かれた模様!」

「敵ナイトメア部隊が有効射程圏に侵入! 第1から第7までの斜面を駆け上っている模様、よもや、こちらの偽装口の位置が!?」

 

 

 一瞬の自失から戻った片瀬を迎えたのは、敵の奇襲を許したと言う絶望的な報告だった。

 刀を持つ彼の手が震えているのは、武者震いと信じて良いものかどうか。

 そして状況は、彼にとって悪い方へ悪い方へと流れていく。

 藤堂と言う懐刀がいない今、片瀬は自身の才幹と責任でもってこの状況を脱しなければならなかった。

 

 

「さて、どう出てくるか……」

 

 

 自らナイトメア部隊を率い、愛機の中で笑みすら浮かべてコーネリアが笑い。

 

 

『問題ない、これで全ての条件はクリアされた……後は、私達が奇跡を起こせば良いだけだ』

 

 

 ルルーシュ=ゼロが、コーネリア軍の襲来に怯える部下をそう言って宥め。

 

 

「スザクくん……いえ、枢木准尉。作戦、開始されました。ランスロットの準備を」

「…………はい!」

 

 

 戦車と砲兵による砲撃を受けて鳴動し、所々から煙を上げるナリタ連山を見つめていたスザクが決意に満ちた表情でナイトメアに乗り込み。

 

 

「ふふ、ふふふふふ。さぁ、出て来い青いブライ……!」

 

 

 後方に下げられた純血派のナイトメア部隊の中、ナリタの地理構造の肉眼データを司令部に提供した功績で新たなサザーランドを得た純血の青年が血走った目で戦場を見つめ。

 

 

「……せるか……やらせるか……!」

 

 

 自分の愛機があるナイトメア格納庫へ向けてと駆ける、1人の少女。

 腕に抱いた温もりを道場門下生の後輩達に任せ、ひたすらに前を見て駆ける。

 その胸に宿るのは使命感、そして純粋な守護への欲求。

 

 

「ぜったい――――守ってみせるッッ!!」

 

 

 青鸞の誓いの叫びが、警告音と軍靴の音で満ちる通路に響き渡る。

 そして、戦争が始まる。

 誰もが望まぬ絶望の宴が始まり、そして。

 何もかもが、終わろうとしていた。

 





 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 次話から本格的な戦争パートに入りますので、今話はそれを盛り上げるための要素をいろいろと放り込んでみました。
 回収しきれるかわかったものではありませんが、可能な限り盛り上げたいと思います。

 おそらく、このナリタ攻防戦が青鸞にとって重要なターニングポイントになります。
 どう重要かは、次回から明らかになるかと。
 ではその一片、次回予告です。


『守るべき人達が後ろにいる、倒すべき敵が前にいる。

 ならば戦う、それだけで良い。

 だけど戦場は、戦争はボクの予想を超えて拡大していく。

 その中で、ボクは再会する。

 ……父様を殺した、あの人に』


 ――――STAGE10:「ナリタ の 戦い」


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STAGE10:「ナリタ の 戦い」

 

 ナリタ連山に存在する日本解放戦線の関係者は、およそ1万人とされている。

 その内、後方スタッフを含む戦闘員が約7000人であって、これが日本解放戦線の最大兵力である。

 残りの3000人近くは保護した民間人であり、その半数は日本解放戦線の本拠地の敷地内――地下だが――に住んでいる。

 

 

 つまり一種の地下都市であり、実は簡単には移動が出来ない構造になっている。

 また仮に移動、つまり脱出が可能になったとしても、外的な要因によって不可能な場合がある。

 圧倒的物量による、包囲殲滅戦だ。

 

 

「敵軍は3方向から侵攻中! ナイトメア部隊を前面に押し出し、地上部隊を侵攻中です!」

「航空戦力による爆撃はありません――――純粋な地上戦力による進撃のみの模様!」

「各防御陣地からの全兵器使用許可の申請を受理! 固定砲台による防衛ラインが崩されつつあります!」

 

 

 今回、コーネリアがナリタ連山の包囲作戦を展開するために率いてきた兵力は4万。

 補給・情報管制など後方支援部隊が3割を占めることを差し引いても、実働戦力は軽く3万近い。

 もちろん、ただ1人を除いて全てブリタニア人で構成された正規軍だ。

 ナイトメア207機、戦車・装甲車101両、自走砲を含む野戦砲75門、そして施設の制圧を担当する多数の歩兵部隊、これらの戦力でコーネリアはナリタを陥とそうとしていた。

 

 

 対して日本解放戦線の戦力は後方部隊も含めて7000、ナイトメアの数は54、戦車・装甲車は自走砲を含めて95両(門)、トーチカに偽装された固定砲台などが31基あるが、いずれにしても侵攻してくるブリタニア軍の半数にも届かない。

 攻城戦は防御側の3倍の兵力が必要、その法則に基づくのであれば、コーネリアは十分な戦力を揃えてきたと言える。

 

 

「少将閣下、このままでは……!」

「わかっている」

 

 

 幕僚として傍についている東郷の言葉に、片瀬は呻くような声で応じた。

 篭城は出来ない、援軍のアテも無いのに時間を稼いでも無意味だからだ。

 サイタマの時のようにトーキョー租界周辺のレジスタンスを動かし、関東全体に進撃する素振りを見せて撤退させると言う策は今回は使えなかった。

 

 

 何故なら各地に散っている諜報員からの報告で、ブリタニア軍1万(ナイトメア100機含む)が各地のゲットーを昨日から封鎖しているからである。

 しかも、近隣の空軍基地から攻撃機を低空飛行させて威嚇していると言う。

 おそらく、サイタマの二の舞を避けようとコーネリアが打った手だろう。

 

 

「……全砲台、迎撃を開始せよ!」

 

 

 テーブル型の戦略パネルを睨みつけながら、片瀬は全軍に迎撃を命じた。

 偽装を取り払って砲台を出し、ナイトメア部隊を繰り出して歩兵・戦車部隊と共に防衛ラインを敷く。

 降伏は出来ない、だが彼にも万が一の際の覚悟はある。

 

 

「東郷、お前は例の準備をしろ」

「しかし、アレは」

「わかっている、あくまで最後の手段だ。最後のな……」

 

 

 絶望的な7年間を戦い続けてきた老将、片瀬。

 彼は刀を握り締めたまま、戦略パネルを睨み続けていた。

 膨大な光点が本拠地に迫っている様子を、見つめ続けていた。

 

 

「ここには民間人もいるのだ……断じて奴らを通すな! 今こそ回天の時である!!」

 

 

 精神と肉体を磨り減らし続けた老将の声が、今や風前の灯となった日本最大の反体制派武装勢力の中枢で反響した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 濃紺のパイロットスーツに着替えた青鸞は、多くの兵士でごった返している通路を縫うようにして駆けながらナイトメア格納庫に向かった。

 そこには青鸞の無頼があり、また彼女の護衛小隊の面々もすでに出撃体勢を整えていた。

 山本、上原、大和……サイタマでの戦いを共に経た仲間達だ。

 

 

 言葉少なにナイトメアへの搭乗を告げて、青鸞自身も自分の機体のコックピットへと身を投げ入れた。

 すでに戦闘は始まっている、実際、起動させたナイトメアのディスプレイや通信回路ではそれに関わる情報が飛び交っている。

 機体全体の起動までの数秒間、背をシートに押し付けて青鸞は目を閉じた。

 

 

「父様……!」

 

 

 ぎゅう、と、自分の両肩を抱くようにして父を呼ぶ。

 応える声は無い、当然だ、だがそれでも呼んだ。

 呼ばずにはいられなかった、誰かに力を貸してほしかったからだ。

 今再び、「日本」が危機にある中で。

 

 

 ブリタニア軍の襲来自体は、驚くに値しない。

 いつかは起こるはずであったし、機先を制された事は厳しいが、やりようによっては十分に防げるはずだった。

 外の戦力を潰されたとしてもナリタは広い、相手が歩兵部隊であれば簡単には制圧などさせない。

 だが、そうなってしまえば。

 

 

「…………」

 

 

 腕の中にはまだ、あの温もりと重みが残っている。

 ナリタ地下の制圧戦となれば、当然、保護している民間人も巻き込まれる。

 道場の門下生はもちろん、青鸞自身が保護した人達もいる、生活を営む人々がいる。

 守らなければならない、自分達を信じてついて来てくれた人々なのだから。

 

 

 メインディスプレイに火が灯った、側面のディスプレイにも照明が入る。

 コアルミナスからエネルギーが機体全体に行き渡ったのだ、無頼が稼動する。

 深く息を吐いて下を見ると、青鸞は膝の上に置いてあった物を手にとった。

 それは刺繍の施された白いハンカチだった、何の変哲も無いが上質な物だ。

 

 

「…………」

 

 

 それを額に軽く押し当てて何事かを呟く、何と呟いたかはわからない。

 ただ、どこかで平和に過ごしているだろう幼馴染の兄妹の幸福を祈ったように見えた。

 そしてそのハンカチを左手首に右手と歯で巻いて、青鸞は無頼の操縦桿を握った。

 

 

「――――小隊各機、出撃します!」

『『『承知!』』』

 

 

 藤堂達がいたら止めただろうか、それとも背中を押しただろうか。

 イフの可能性に意味は無い、しかしいずれにしても青鸞の顔にもはや迷いは無かった。

 目の前のディスプレイには、別の小隊の無頼3機が出撃している様子が見て取れた。

 すでにこの格納庫にいるナイトメアは全て出撃している、青鸞達が最後だ。

 

 

「ここで動かずして、何のための日本か……!」

 

 

 無頼のランドスピナーを低速で動かし、前の小隊が出撃した後に続く。

 流れるように動き出した青鸞機、その後方では古川達整備班が帽子を振って見送っている。

 最高とは言わないまでも、最高に近い整備を施した機体だ。

 ブリタニアを思う存分打ち倒せと、そう言っているのが聞こえる気がする。

 

 

(ワタシ)達はこれより、味方を援護……ナリタに攻め上るブリタニア軍を撃退します。状況は苦しいようですが、敗戦は一度で十分、各員……死力を尽くすことを期待します!」

『『『承知!』』』

「……生きて」

 

 

 敵は圧倒的な戦力、味方は寡兵。

 いつものことだ、だから大したことなんて無い。

 そう自分に言い聞かせる青鸞、その頬には不安を象徴するように一筋の汗が流れていた。

 

 

「生きて、必ずナリタへ……!」

『『『…………承知!』』』

 

 

 前方の通路が空いた、岩盤の偽装が剥がれて地下道が外へと通じる。

 徐々に速度を上げながら、青鸞は薄暗い地下道から明るい外へと飛び出した。

 ランドスピナーの感触の変化と共に、目に飛び込んで来た太陽の光に僅かに目を細める。

 

 

 そして同時に、飛び出した所を狙われたのだろう、先に出た小隊の無頼の残骸を見つけた。

 目を見開く彼女の前で、薄紫色の装甲を持つブリタニアのナイトメア、サザーランドが巨大なランスを振り回して貫いていた無頼を吹き飛ばすのが見えた。

 パワーなどの基本スペックは向こうの方が上だ、そのことを今さらながらに思い出す。

 

 

 中遠距離からの戦車・野戦砲の電動式砲弾(レールカノン)とナリタの固定・移動砲台のオレンジ色の火線が飛び交う空、機体を通じて響く戦闘の地響き、そのいずれもがこれまでの戦場の比では無い。

 巨大な戦場の中にあっても、しかし1人1人の兵士の感情の動きはあくまで単純だ。

 例えば目の前で友軍の無頼が地面に転がされ、爆発炎上する様を見せられた青鸞は。

 

 

「……ッ、ブリタニアあああああああああああぁぁっっ!!」

 

 

 瞳の奥に怒りの輝きを煌かせ、無頼の刀を水平に構えて。

 ブリタニアのナイトメア部隊のただ中へと、自らを飛び込ませた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 日本解放戦線側が保有するナイトメア部隊を展開し始めた時点で、すでに固定砲台主体の最初の防衛ラインは突破されつつあった。

 ナイトメアで砲台を潰し、戦車の援護を受けた歩兵部隊が前進すると言うのがその基本戦術だ。

 高きを制しているのは解放戦線だが、火力の差が彼らを苦戦させていた。

 

 

「戦況――――報ぅ――告ッ!!」

 

 

 戦車による崖上への砲撃が続く中、解放戦線が確保している陣地に大声が響く。

 深緑の軍帽をかぶった兵が砲撃音に負けない声で、付近の戦況について報告に来たのだ。

 大地を揺るがず砲撃の音と衝撃が断続的に響く中、下から迫るブリタニア兵の気配を感じながら、しかし耐えなければならない。

 

 

「第14砲台指揮官よりぃ、『我、最後ノ一兵マデ敢闘セリ』! 敵部隊は砲台兵による突撃で甚大な被害を被りつつもぉ、我が部隊及び左右の部隊に対し攻勢をかけてきている模様!!」

「戦況報告は簡潔にせんか!」

「我が部隊は敵の大部隊に半包囲されつつあり、大ピンチであります!!」

「よぉし!!」

 

 

 簡潔になった報告に満足げに頷くのは、解放戦線側が第7区画と呼んでいる区画の部隊を指揮する指揮官だ。

 土屋昌輝(つちやまさてる)と言う20代後半の高級将校で、外に跳ねる短い黒髪の男だ。

 今、彼と彼の直属部隊が身を置いている崖上の陣地は、崖下からの10両以上の戦車による至近砲撃が打ち込まれ続けていた。

 

 

 彼らがいる地点よりも直上の崖に着弾した砲弾によって、陣地内には断続的に大小の岩が転がり落ちてきている、そちらにも注意を割かねばならない。

 陣地を守る兵達は、ここを抜かれた先が本拠地の裏側であることを知っている。

 それだけの重要拠点なのだ、だから抜かれるわけにはいかない。

 

 

「第7砲台に連絡、支援を請え!!」

「……ダメです、第7砲台通信途絶!」

「左翼隊より救援要請、敵軍のナイトメア部隊に包囲されています!」

「何ぃ……!」

 

 

 土屋は片瀬らが解放戦線を立ち上げた頃から参加している古参の将校だ、それだけに経験は豊富だ。

 7年前においてもブリタニア軍に包囲されたことは一度や二度では無い、部下達も同様だ、今さら恐慌に陥って逃亡するような兵などいない。

 しかし、圧倒的な戦力差を前にいつまで保たせられるか。

 

 

「司令部より通信! 戦局逆転のため、あと1時間は持ち場を死守せよとのことです!」

「1時間……!」

 

 

 戦局逆転のためとあらば、もちろん1時間でも2時間でも堪えてみせよう。

 ここには死を恐れる者などいない、だが現実的にそれが可能かと言えば、土屋には自信が無かった。

 いや、と、土屋は自身の弱音を排除する。

 精神で負けてどうする、まだ中央も右翼も生きて……。

 

 

「右翼隊、壊滅!!」

 

 

 その報告と同時に土屋の脳内に付近の地図が浮かぶ、右翼は壊滅し左翼が包囲されている状況。

 つまり、土屋のいる中央は完全に半包囲されたことになる。

 戦況悪化とはこのことであって、現場指揮官としては何か手を打たねばならないが……。

 

 

「戦況報告! 敵歩兵部隊が登坂開始! 最前列との距離、およそ800! 敵速毎分120歩!」

「砲撃第4波、来ます!」

「臆するな! 踏み止まれ! 司令部の命令を完遂しろ!!」

 

 

 敵兵の軍靴の音、砲撃の音、空を飛び交う砲撃と崩れる山肌の音。

 何百人もの人間が悲鳴を上げるような轟音が響き続ける戦場は、常人であれば数分で発狂しそうな程に狂気に満ちている。

 そんな中で正気を保つと言う行為は、それだけで狂気に堕ちていると言えるのかもしれない。

 

 

「たとえここで我らが死すとも、後方の味方が体勢を整える時間を。そうすれば……!」

 

 

 だが、それはつまり彼らの全滅を意味する。

 しかし誰も逃亡しない、日本の独立のために戦う彼らに撤退の二文字は無い。

 砲弾により崩された岸壁に足を挟まれ絶叫しようと、崖下の敵歩兵の動きを逐一報告していた観測兵の頭が銃弾で粉々に吹き飛ばされようと、飛び散った岩の破片が眼球に刺さり地面の上を悶えようと。

 同胞の内臓と脳髄と血と涙を踏み付けながら、彼らは銃を手にブリタニア兵の進撃を止めようとする。

 

 

 日本のために、後方の仲間が反撃の体勢を整えるまでの時間を1秒でも多く稼ぐために。

 内部の民間人の避難を進める1秒を稼ぐために、目の前の敵兵を止めれば時間が出来る。

 そして、生き残るために。

 動く、動く、動く動く動く――――動け!

 

 

「な、なんだアレは……敵のナイトメアが!」

「ぬぅ!?」

 

 

 不意に、4本のスラッシュハーケンらしきものが背面の崖に突き立った。

 2本であれば見慣れているが、4本と言うのは珍しい。

 土屋が振り仰ぎそれを見た時には、すでに撒き戻りが起こり機体が下から引き上げられていた。

 

 

 それは、薄紫の他のブリタニア軍ナイトメアとはまるで異なるデザインの機体だった。

 白い西洋鎧のような……どこか騎士を思わせる繊細なフォルムと流線型のライン、どこか女性的な印象を受けるのは機体構造のせいなのか。

 胸部で輝いているのはセンサーか、顔面部に無い段階で他とは違う。

 

 

『投降してください』

 

 

 陣地の中に直立したその白いナイトメアから、どこか幼さを残した少年のような声が響いた。

 あまりに突然のことだったためにやや呆然としていたが、投降という言葉だけは頭に入ってきた。

 

 

「馬鹿な!」

 

 

 様々な意味を込めて、土屋は叫んだ。

 

 

「投降など……!」

『こんな戦いは無意味です。お願いします、投降してください』

 

 

 ――――無意味だと!?

 その場にいる解放戦線の兵の目に確かに光が灯った、彼らは白のナイトメアへと一斉に視線を向ける。

 こうしている間にも下からの砲撃は続いている、それでも彼らは白のナイトメアを睨んだ。

 

 

 彼らの同胞が何人も散っていった戦いを「無意味」の一言で切って捨てた、そのナイトメアのパイロットを。

 強大な兵器を駆り、こちらを見下すような視点から投降を「お願い」するパイロット。

 それは、解放戦線メンバーの目から見ればまさにブリタニア的な態度だった。

 

 

「「「うおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっっ!!」」」

 

 

 四方からその機体目掛けてアサルトライフルの弾丸が飛ぶ、毎秒数百発の弾丸が白い装甲の上を跳ねる。

 当然、ダメージは無い。

 だから、白のナイトメアの中で少年は奥歯を噛んだ。

 

 

「どうして、抵抗するんだ……!」

 

 

 そして彼は、哀しげな眼差しのまま操縦桿のボタンを押した。

 制圧の後、彼は山頂へ向けて進み続ける……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そうした地上戦の他にも、表裏で行われている戦争もある。

 例えば電子戦、互いの通信や電子機器の動きを阻害しようとするジャミングと、それを防ぐ対電子妨害の掛け合いなどがそれだ。

 ただこの分野においては、実はそれほど双方に差は無い。

 

 

 しかしナイトメアは違う、日本解放戦線が保有する無頼はあくまでも7年前にブリタニア軍に制式採用されていたグラスゴーのコピー品である。

 それに対してブリタニア軍の主力はサザーランド、グラスゴーの経験を基に製造された対ナイトメア用ナイトメアだ。

 さらに言えば数も遥かにブリタニア軍が多い、広い場所ではとても勝ち目は無い。

 

 

「た、退避し」

 

 

 兵の叫びが轟音に掻き消される、ナリタ連山に無数にある地下道の一つに爆炎が巻き起こる。

 それはサザーランドが抱えたキャノン砲によって引き起こされた物で、岩壁に偽装された隔壁を吹き飛ばしたそこは物資搬入口の一つだ。

 比較的山の低い位置にあったそこが、最も早くブリタニア軍の侵入を許した場所だった。

 

 

 それまで詰めていた兵達も、ナイトメアサイズのキャノン砲の衝撃と爆風に巻き込まれて吹き飛ばされた。

 内部の岩肌や床に転がるのは黒く焼けた肉の塊、高温で焼けた鉄のような匂いがあたりに漂う。

 そしてそれらを足とランドスピナーで轢き潰しながら、3機のサザーランドがさらに進む。

 

 

『ポイントを確保した、イレヴン共はこの奥だ』

『大した防備も無いようだし、歩兵を呼ぶ前に一つ……ん? 待て、何か反応が』

 

 

 戦闘速度で進んでいたサザーランドのセンサーに、奇妙な反応があった。

 細く続く地下道の前方にあるそれは、次第にメインディスプレイにも映り込み始めた。

 薄暗い中で見えるのは、巨大な大砲のような形をした――――。

 

 

『――――何ッ!?』

『ば、馬鹿な、ただのアンチナイトメアラ……ぐあああああぁぁっ!?』

 

 

 サザーランドの通信回線の中でパイロットの悲鳴が響き渡り、次いで3機全てのサザーランドが全て爆発粉砕された。

 コックピットごと吹き飛ばされたそれは、機体全体に細かな砲弾が衝突した衝撃によって成された。

 目前で一つの砲弾が内部に抱えていた小弾丸をばら撒き、貫いたのだ。

 岩盤に走っているコードを引き千切るような爆発が3連続し、地下道の天井から小さな岩が落ちる。

 

 

「――――やった!」

「馬鹿者、まだ喜ぶのは早いわ!!」

「は、はっ! 申し訳ありません! すぐにバッテリーの再調整に入ります!」

 

 

 複座の座席の前で部下が計器のチェックを始めるのを視界に入れつつ、彼は自ら乗り込んだ機体のコックピツトを眺めた。

 その機体の名は『雷光(らいこう)』、4機のグラスゴーを改造してリニアキャノンとした改造機である。

 言ってしまえば多脚砲台だ、超電磁式留散弾と言う散弾を放つ強力な重砲。

 

 

 現に今、3機のサザーランドを一息に仕留めて見せた。

 移動は出来ない固定砲台だが、限定空間に設置してしまえばこれほど強力な兵器は無いだろう。

 彼……草壁は、それを他に2箇所に配置し、ブリタニアのナイトメア部隊の侵攻を防いでいた。

 

 

「ふん、ブリタニアの豚共め……そう易々と内部に入り込めると思うなよ」

「はい、雷光の威力は凄まじい物があります!」

 

 

 前の座席にいる部下には草壁の声しか届かないが、実際には草壁は部下程に興奮を覚えてはいなかった。

 

 

(とは言え、篭城してどうなるものでも無いが……)

 

 

 援軍のあても無く篭城しても、消耗戦になるだけ。

 それは草壁にもわかってはいるが、今はこうして防戦するしか無いことも確かだった。

 他に打つ手が無い、少なくとも何か……。

 

 

「中佐、新手が!」

「うろたえるな、次弾装填! 左右四連脚部固定!」

 

 

 メインディスプレイに新たな反応が映り、草壁の意識はそちらへと向く。

 こと戦術と言う範囲においては、彼は優秀な指揮官だった。

 ただ全体の戦略と言うことになると、現場で指揮を執る彼にはどうしようも無い。

 

 

「超電磁式留散弾重砲――――撃てぇえいっ!!」

 

 

 砲撃の衝撃に身を揺らしながら、草壁は叫んだ。

 その叫びは、どこに向かっているのだろう。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「こちらへ、子供・高齢者・女性の順序で避難をお願いします!」

「ぶ、ブリタニア軍だ……!」

「ど、どうして、ここは安全だって聞いていたのに!」

 

 

 一方でナリタ地下の民間居住区では、混乱が起きていた。

 その中で拡声器片手に飛び回り、長屋の部屋を一つ一つ開けては人の有無を確認しているのは雅である。

 割烹着や白い頬を土埃で汚しているのは、岩盤の天井が砲撃の振動で揺れていることと無関係では無いだろう。

 

 

『誰か! 誰か逃げ遅れている人、または逃げ遅れている人を知っている方はいませんか!?』

 

 

 分家筋とは言え彼女もキョウトの人間である、避難は自分が最後と自身に任じていた。

 拡声器を使うのは、戦闘の轟音がここまで響いてきているからだ。

 恐慌状態に陥っている人を落ち着かせ、泣いている子供がいれば付近の大人に預け避難所になっている藤堂道場に連れて行かせ、手伝ってくれている門下生達を動かして長屋の中を見て回る。

 

 

 目が回る程の忙しさだ、だが1秒たりとも休むわけにはいかない。

 不意に声をかけられて振り向けば、そこには女の子を背負い男の子の手を引いた愛沢がいた。

 長袖のシャツに淡い色のロングスカート、柔らかなコーディネートも今は土埃で汚れている。

 彼女は戸惑った顔を雅へと向けると、どこか縋るような声で。

 

 

「榛名さん、これってどう言う……」

「事情は後で説明します、今はとにかく道場へ……あ!」

 

 

 愛沢に答えていると、振り向いた拍子に長屋の陰に蹲っていた男性を見つけた。

 近くにいた道場の門下生に愛沢と子供達を任せて、雅は半ば跳ぶように駆ける。

 そこにいたのは小太りな中年の男性だった、先日、青鸞に声をかけていた人間の1人だ。

 

 

「山中のおじ様、こんな所にいると危険です。道場の方へ……」

「あ、ああああぁぁぁ……もう、もうダメだぁ……こ、こんなことなら、もっと別の場所に逃げとけば……」

「……さぁ、行きましょう」

 

 

 ブツブツと呟いている言葉は聞き流して、雅は山中を支えて立たせた。

 ブリタニア軍の攻撃、と言う状況は、ここにいる人間には一種のトラウマのような物なのだ。

 村を焼かれた人、家族を殺された人、辱めを受けた人――――。

 ここにいる山中も、持ち家だった自分の店を潰されて路頭に迷った人間だ。

 

 

 実際、民間居住区にまで情報はなかなか来ないが……しかし、状況がかなり悪いと言うことはわかっている。

 雅としては不安が無いわけでは無いが、今の所は取り乱さずに済んでいる。

 信じる人がいるからこそだが、どうなるかはわからない。

 形の無い不安と共に、ただ待つしかない。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 超信地旋回、日本解放戦線では青鸞の無頼のみが行うことが出来る旋回活動である。

 青鸞は好んで多用する、機体性能を活かさない手は無いためだ。

 特に、絶対的に勝利を積み重ねなければならないような状況では。

 

 

「はああぁ――――……アッ!!」

 

 

 左右のランドスピナーを逆回転させ、機体をターンさせながらサザーランドの横を擦り抜ける。

 その際に両腕に持たせた刀を振り、遠心力でもってサザーランドの首を跳ね飛ばした。

 胴体部から弾け跳ぶように、サザーランドの頭部が地面に落下して破片が飛ぶ。

 

 

『イレヴンがあああぁっ!!』

 

 

 次いで操縦桿を引く、斜面下から駆け上ってくる新手のサザーランドのアサルトライフルの弾丸を後退して避ける。

 コックピットの中で長い黒髪が振り回されるように揺れる、目は真っ直ぐ前を見て瞬き一つしない。

 その瞳には、ディスプレイ越しの火線が映し出されている。

 

 

 青鸞は機体を右へと流した、そちらには小さいが崖がある。

 ライフルの弾丸を回避するために前を向いたまま、後ろから崖下へと機体を落とす。

 同時にスラッシュハーケンを放ち、崖の岩盤にアンカーとして打ち込む。

 そして落下の遠心力で振り子のように機体を上げる、スラッシュハーケンの撒き戻しも利用しての跳躍だ。

 

 

「ッ……全、速!」

 

 

 壁走り――――ランドスピナーが岩盤を削りながら機体を押し上げる。

 刀を岩盤に刺し、直上に向けて急斜面を一気に進む。

 

 

『な――――!?』

 

 

 トドメを刺そうと崖の縁まで寄ったサザーランドのパイロットは驚愕しただろう、何しろ崖に寄った時には青い無頼が目前にいたのだから。

 下がろうとするももう遅い、岩盤ごと跳ね上がった刀の先がアサルトライフルを持つ片腕を根元から切り裂いた。

 吹き飛ぶ機械人形の腕、火花を散らす結合部、着地する青い無頼。

 

 

 だが、まだだ、サザーランドにはまだランスがある。

 サザーランドが背中を見せた青の無頼にランスを突き立てようと動く、対して無頼は大きく身を沈めた。

 次の瞬間、2本のスラッシュハーケンがサザーランドの胸部と左脚部を貫いた。

 

 

『……青鸞さま!』

「上原さん、助かりました」

 

 

 身を立たせた青鸞機の前にスラッシュハーケンを巻き戻しながらやって来たのは上原機だ、背面の崖下でサザーランドの爆発を確認しながら、青鸞は礼を言いつつ上原機へと機体を寄せた。

 周囲には他にも敵のナイトメアや装甲車などが破壊された姿で転がっている、もちろんその中には倒れたブリタニア兵も含まれている、青鸞はそれから目を逸らすようにしながら周りを見渡した。

 

 

「他の2人は? まさか」

『いえ、付近のナイトメア部隊から救援要請が……』

 

 

 通信画面の上原の顔に、別の画面が重なった。

 護衛小隊のコールナンバーが振られたそれは、間違いなく他2名の護衛小隊のメンバーだった。

 大和機及び山本機、青鸞は僅かにほっとしつつ顔を上げた。

 

 

「や」

『青鸞サマ、ちょぉおっとこっち方面ヤバいかも……!』

 

 

 言葉を聞き終わるより早く、青鸞は操縦桿を倒して無頼を走らせていた。

 識別信号を頼りに上原機を伴って戦場を横断する、これまでも劣勢を伝える通信下へと救援に赴いては敵を撃退・撃破するという行動を繰り返していた。

 今度はそれが自分の護衛小隊だったと言うだけの話、青鸞に迷いは無かった。

 

 

「今向かいます、そちらの状況を……」

『ああ、いや、来ない方が……っと、うお!? ヤバ、これマジヤバ!!』

「山本さん!?」

『隊長? 報告が不明瞭です!』

 

 

 要領を得ない山本に代わって応じたのは、大和だった。

 彼はいつものように低い落ち着いた声で、しかし若干の焦りを垣間見せつつ。

 

 

『……コーネリアを確認した!』

 

 

 ――――コーネリア!?

 敵軍の総大将の名前に、青鸞は目を驚きに見開いた。

 まさか、総大将がこんな最前線まで出て来ているとは思わなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 軍の長たる者、武人とはどうあるべきかを示さねばならない。

 コーネリアはそう思う、特に皇族として上位に位置している身なれば陣頭に立つべきだ。

 他の皇族・大貴族に押し付ける気は無いが、コーネリアの価値観はそこにこそある。

 それでこそ彼女は上に立てるのだ、数万の将兵の上に。

 

 

「脆弱――――脆弱ぅっ!」

 

 

 コーネリアの専用機(グロースター)がランスを突き出し、グラスゴーもどき――無頼の胸部コックピットの表面を突き破ってパイロットごと爆散させた。

 黒煙の中から飛び出したグロースターは、他の機体に比べて頭部側面の角が長い。

 裏地が黒の白マントをたなびかせながら疾走するその姿は、まさに戦女神の名に相応しい。

 

 

「ふん……流石は本陣と言う所か、抵抗が強いな」

『姫様! これ以上の突出は危険です、お下がりください!』

「む、ギルフォードか」

 

 

 1機1機の性能と精度は大したことは無いが、数十機のナイトメアが配備されたそこはまさに本陣。

 コーネリアとしても単独での突出の危険は擬似孤立と隣り合わせだ、戦車やトーチカからの砲撃をかわしつつ上った斜面を一旦下る。

 赤茶色の岩場に機体を潜めれば付近の土が砲弾で吹き飛ぶ、コックピットの中でコーネリアは一息を吐いた。

 

 

「ギルフォード、ダールトンとアレックスの方はどうだ?」

『は、ダールトン将軍は左翼の敵をすでに撃滅、ナリタ連山東部一帯を制圧しました。アレックス将軍も西部を制圧した模様ですが、どうやら敵は地下道にリニアキャノンを展開して防衛ラインを敷いている模様で……』

「苦戦しているか」

『は、申し訳ありません』 

 

 

 良い、とコーネリアは余裕を持って応じた。

 局地的には苦戦に陥ることもあるだろう、それを突いて部下を詰る程落ちぶれてはいない。

 それに全体としては圧倒的に優位だ、本陣方面の地下道の一つを事前に知ることが出来たのが大きい。

 おかげで、こうしてコーネリアは自ら敵の本陣へ向けて進撃出来ているのだ。

 キューエルとか言ったか、純血派の手柄と言えば手柄だった。

 

 

「さて……」

 

 

 顔を上げれば、メインディスプレイの向こうに一軒の山荘が見える。

 何の変哲も無い山荘に見えるが、アレはカムフラージュだ。

 あそこに地下へ通じる通路があり、ナリタ連山地下要塞の中枢へと通じているはずだった。

 この作戦の究極目的は、そこへ歩兵部隊を送り込んで占拠することだ。

 

 

『ぐああああぁぁっ!?』

「む、どうした!?」

『て、敵襲です、殿下!」

 

 

 前面の砲撃による防御をどう抜くかと考えている時に、背面のナイトメア部隊が俄かに騒がしくなった。

 どうやら敵ナイトメアが回り込んでいたらしい、しかし所詮は寡兵。

 コーネリアは機体を回すと、戦闘を始めた部下の救援のために加速を始めた。

 

 

 そしてコーネリアの直衛部隊の背後を衝いた部隊は、実の所偶然によってそこに出てきたのだった。

 結論を言えば、それはこの方面の防御部隊の救援要請を受けて駆けつけて来た山本機と大和機である。

 付近にいたために駆けつけたのだが、来た時には救援を要請してきた部隊はすでに地上から姿を消していた。

 

 

『おいおい、こいつぁ良くねぇな……』

『……ああ』

 

 

 奇襲をかけた形になった山本と大和だが、今は後退して斜面の陰に機体を隠していた。

 岩と岩壁によって身を守らなければ、コーネリア直属のグロースター隊のアサルトライフルによって蜂の巣にされてしまうからだ。

 実際、彼らの周囲にある岩や地面、木々などが数秒経過するごとに形を変えていっている。

 

 

『ここはやっぱ、戦術的撤退って奴を……おお?』

 

 

 不意にアサルトライフルの射撃が止まる、止める理由は無いはずだが音も衝撃も止まった。

 青鸞達に通信を繋げている間の出来事であって、山本は顔面部のセンサーを開きつつ、機体の顔を覗かせて……。

 次の瞬間、無頼の顔面をグロースターのランサーが貫いた。

 

 

『んなぁ……っ!?』

 

 

 マイクを通じて山本の声が響く、頭部を失った山本機は背中を仰け反らせるようにして大きく後退した。

 メインディスプレイがブラックアウトする中で機体を動かしたのは称賛すべきだろう、しかし。

 

 

「――――脆弱者め!!」

「げ……っ!」

 

 

 後退した山本機に追い討ちをかけるようにグロースターが迫る、他のグロースターには無い特徴的な角を持つその機体は大将機だった。

 すなわち、敵将自らが突撃してきたのである。

 無茶苦茶だ、大将自らがナイトメアによる白兵戦に参加するなど。

 

 

『……コーネリア!!』

 

 

 山本機へのトドメの一撃は、間違いなく胸部コックピットの真ん中を狙っていた。

 メインディスプレイが消失した山本機ではかわせない、だから大和機がカバーに入る。

 具体的には、コーネリアが突き出したランスにアサルトライフルの弾丸を浴びせかけたのだ。

 流石に至近で受けてはひとたまりも無い、コーネリアは攻撃を止めて再び後退した。

 

 

『……山本、大丈夫か!』

『これが大丈夫に見えたら、眼科を紹介してやるぜ……』

 

 

 冗談に対して突っ込みを入れてやりたい所だが、膝をついた山本機の前に立つ大和機にそんな暇は無い。

 何しろコーネリア機は、本当に皇族のお姫様かと疑いたくなるような高速機動で迫ってくるのだ。

 と言うか、普通は部下を使うだろうに。

 アサルトライフルの射撃を華麗にかわして、コーネリア機が高く跳躍した。

 

 

 放たれたスラッシュハーケンは大和機の左右に刺さり、前後以外の選択肢を奪った。

 ランスを下に構えて突撃してくるコーネリア機、大和は操縦桿を引いて後退した。

 胸部を貫くはずだったランスは、代わりに邪魔なアサルトライフルを貫いて破壊した。

 スラッシュハーケンを戻してその場で一回転し、ランスを横に構える。

 大和機は山本機の前にいる、回避は出来ない。

 

 

『ここで朽ち行け、古き者共!』

 

 

 叫びと共に突き出されるランス、それは真っ直ぐに。

 

 

『……何!?』

 

 

 真っ直ぐに金属音を立てて、火花を散らしながら受け止められた。

 ランスの溝に刃を刺し込み刺突を止めたのは、森の中から飛び込んで来た青の機体。

 濃紺のカラーリングが施された、青い無頼だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 間に合った……!

 青鸞は心の中でそう力を込めて呟いた、その視線は側面のディスプレイに向けられている。

 頭部を失って行動が困難な山本機と、武装を失った大和機。

 護衛小隊の戦力は半減したと言っても良い、不運が重なったとは言え厳しかった。

 

 

『卑怯者め、横槍とは……!』

 

 

 無頼が敵パイロットの声を拾う、若い女の声だった。

 先程の通信からして、おそらくはコーネリアだが……確証は無い。

 それにパワーで負けているためか、刃を通して止めたランスが少しずつ押し込まれいる。

 

 

 だがそれ自体は、コーネリアが機敏な動きで機体を下げたことで解決した。

 原因は青鸞の後にもう1機、上原機が姿を現したためだ。

 あるいは部下の進言でも入れたのか、とにかく後退した。

 甲高い音を立ててランスと刀が弾けて別れ、火花がディスプレイの隅で揺れる。

 

 

『え……隊長? 何か首が無いんですけど、どこで落としたんですか?』

『落としたってーか、粉々にされたって言うか……機体捨てて逃げて良いよな、これ』

 

 

 とりあえず残りの3機で山本機を守るように展開、青の間に山本機のアサルトライフルを大和機が受け取った。

 青鸞が見ている前で、コーネリア機は周囲を同じ型の機体――グロースター十数機に囲まれていた。

 数的には、ざっと3倍と言った所か。

 まぁ、本陣の方面から他の部隊が押してくるだろうが……。

 

 

『何者だ、名を名乗れ! それとも、私をブリタニア帝国第2皇女と知っても名乗る名を持たない無頼か?』

 

 

 コーネリア、これで確定だ。

 まさかこんな本陣深く、最前線も最前線にいるとは。

 防衛側の青鸞はともかく、攻勢側のコーネリアがする必要は無いと思うのだが。

 

 

 とは言え、ああまで名乗られればこちらも名乗らなければなるまい。

 父の跡を継ぐ者として、そして日本解放戦線の顔たらんとする者として、何よりキョウトの一員、枢木家の当主として。

 だから青鸞は、あえて身を晒すように前に出て。

 

 

「日本解放戦線所属――――……枢木青鸞!」

『ほぅ、クルルギ……そうか、お前が』

 

 

 何故かその声を聞いて、青鸞はコーネリアがコックピットの中で笑みを浮かべたような気がした。

 そしてコーネリアのグロースターが片手を上げると、別のナイトメアが腰部から拳銃型の銃を空へと掲げた。

 そこから放たれたのは信号弾、その意味する所がわかるのは。

 ほんの、5分後のことである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ユーフェミア・リ・ブリタニアと言うのが、その少女の名前だった。

 愛称はユフィ、結うことでごまかしているが癖のある桃色の髪が特徴だ。

 結ってなお髪にウェーブがかかる所が、髪の癖の強さを表しているとも言える。

 

 

 顔立ちは幼さを残しつつも整っている、ややタレ目であることを覗けば、すっきりした目鼻立ちと良い白磁の肌と良い頭身のバランスと良い完成されている。

 美しいと言う表現の一つが彼女である、そう言っても過言ではない存在だった。

 しかし本来は柔和に微笑んでいるのが相応しい少女の顔は、どこか沈痛な色を浮かべている。

 

 

「コーネリア殿下の部隊が敵の本陣に取り付いた、予備部隊は殿下側に寄せて……」

「アレックス将軍はまだ地下に突入できず……」

「ダールトン将軍は……」

 

 

 ユーフェミアがいるのは、ナリタ連山を囲むブリタニア軍のまさに中枢だった。

 いわば本陣、地上空母G1ベースの艦橋だ。

 彼女が目にしているテーブル型の戦略パネルには、山を囲むブリタニア軍とそれを防ぐ日本解放戦線の部隊の様子が映し出されている。

 すでに山の表面の6割以上はブリタニア軍が制圧しているが、内部についてはまだこれからだ。

 

 

 だが、ユーフェミアの心配はそこでは無い。

 いや、心配とは少し違うのかもしれない。

 彼女が感じているのは、それとは別の痛みだ。

 戦闘と、戦争への痛み。

 それだけなら、一般の人間とさほどの差は無いだろうが。

 

 

「……特派のナイトメアは今はどのあたりにいますか?」

 

 

 だが、彼女はブリタニアの皇女だった。

 戦いを引き起こしている側の人間であり、エリア11で多くのイレヴンを差別するブリタニア人の頂点に位置する人間の1人だった。

 この場に限って言うのであれば、実姉コーネリアに代わって後方指揮を担う副司令官。

 つまり彼女は、ナリタ連山で日本解放戦線をほとんど一方的に攻撃している軍の指揮官の1人でもある。

 

 

「特派、ですか……」

 

 

 周囲の参謀達が苦い顔をするのは、特派――――特別派遣嚮導技術部と言う部署に良い印象を持っていないことを物語っている。

 名誉ブリタニア人をナイトメアのパイロットとしている上、人事権・指揮権が自分達の下に無い半独立部隊であるのだから、良い顔は出来ないだろう。

 

 

 だがユーフェミアの目は、コーネリア軍の物とは別のカラーと識別番号を振られているナイトメアを目で追っていた。

 サザーランドを遥かに超えるスピードで斜面を登るその機体は、正面中央部から一気に進んでいた。

 その動きには迷いが無い、真っ直ぐだ、そしてだからこそ。

 

 

「…………」

 

 

 口の中で何かを祈るように呟いて、ユーフェミアは目を閉じた。

 まるで、目にしたくない何かから目を背けるように……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その後、青鸞の予想に反してコーネリアは彼女らに背を向けた。

 日本解放戦線の本陣を改めて攻めるためであって、当然、青鸞としては追おうとする。

 コーネリア守護のグロースターのアサルトライフルの弾丸の壁が足元に撃たれて足止めされるものの、このままコーネリア隊を行かせるつもりは無かった。

 

 

 しかし、である。

 不意に新たな警告音がコックピットの中に響く、それと同時にグロースター隊の射撃による牽制も途切れた。

 それは、コーネリア隊が本陣からの砲撃から身を守るために使っていた岩壁の上からやってきた。

 座標に若干のズレでもあったのだろうか、とにかく青鸞は上に注意を向けつつ下がった。

 

 

「……アレは」

 

 

 岩壁の上から飛び降りて来たそれは、白いナイトメアだった。

 白く塗装された装甲やランドスピナーの車輪に砂利や土がついているのは、それなりの距離を駆けて来たからだろう。

 角ばっていて無骨なグロースターや無頼とは明らかに違う、滑らかで洗練されたフォルム。

 どこか女性的な印象を受けるその機体を、青鸞は初めて見た。

 

 

『青鸞さま!』

「大丈夫!」

 

 

 何の根拠も無いが、味方の識別信号を発していないなら敵だ。

 ならば今さら新手が現れた所で、全体に対して大した影響は無い。

 仲間の声に応じつつ、青鸞は無頼の操縦桿を握り締める。

 

 

 見れば、敵の白いナイトメアは胸部のファクトスフィア――センサーを露出させてこちらを窺っている様子だった。

 こちらの無頼も同じようにセンサーを発してはいるものの、得られる情報は大して無かった。

 どうやら、相手はこれまでのナイトメアとは別の流れを汲む新型のようで……。

 

 

『……こちら』

 

 

 その時、声が聞こえた。

 無頼の集音性は、過不足なくその音を拾う。

 相手のナイトメアパイロットが発する声が、青鸞の耳に届く。

 

 

『こちらブリタニア軍、特別派遣嚮導技術部所属――――』

 

 

 ぎっ、と操縦桿を握る手に力がこもったのは、緊張のためでは無い。

 その声に聞き覚えがあったからだ、あったために彼女は身を強張らせた。

 いや、知ってはいた……「彼」がブリタニア軍にいることは。

 

 

 だが、あえて無視していた。

 だってナイトメアのパイロットにはブリタニア人しかなれない、そしてコーネリアは名誉ブリタニア人を戦場でも重用しないことで知られていた。

 だから、戦場で会うことは無いだろうと思っていた。

 どこかで諦めていた、なのに。

 

 

 

『――――こちら、枢木スザクだ』

 

 

 

 通信回線の中で、仲間達が僅かにざわめいたのを青鸞は聞いた。

 だが、彼女の内面のざわめきはより大きなうねりをもって彼女を攫った。

 黒い瞳が、これ以上ない程に大きく見開かれる。

 それは、かつてクロヴィス殺害のニュースを見た時以上の衝撃と……。

 

 

『その機体に乗っているのは――――青鸞、なのか?』

 

 

 本当に、と続く言葉が、青鸞の背筋にゾワゾワとした悪寒を走らせた。

 戦慄いていた唇を噛んで締める、次に唇が浮いた時には噛み締められた歯が覗いていた。

 噛み合わされていたそれは、衝撃の後に来た感情を表している。

 

 

「何を……」

 

 

 操縦桿を強く握る、左手首に巻いた白いハンカチが揺れる。

 やや身体を前に倒すようにして、青鸞はメインディスプレイに映る白いナイトメアを。

 枢木スザクが乗っているだろうその機体を睨んで、そして。

 

 

「そんな所で何を、何をしているの……ッ、兄様(スザク)――――――――ッッ!!」

 

 

 少女の悲鳴のような声が戦場に響く、そしてそれを受けるのは1人の少年だ。

 彼は、スザクは白いナイトメア『ランスロット』の中で、ただ。

 ただ、琥珀色の瞳を細めた。

 




採用キャラクター:
祐さま(小説家になろう)提供:山中元幸。
佐賀松浦党さま(ハーメルン)提供:土屋昌輝。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 ナリタ攻防戦開始です、でも本番は次回かもです。
 何しろ、分かたれた兄妹の思想戦ですから。
 ある意味で、私の得意分野なのかもしれません。
 それでは、次回予告です。


『日本人を討つために、あの人はブリタニアの軍人になった。

 意味がわからない。

 だから、今度こそ問うんだ。

 どうして……その一言を、叩きつけてやるんだ。

 妹としてじゃない、ただ、1人の日本人として……』


 ――――STAGE11:「兄 と 妹」


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STAGE11:「兄 と 妹」

 今週はまだ週3で更新ペースを保てます。
 ただ4月からはどうなるかわかりませんので、何とか前半は終わりたいですね。
 では、どうぞ。


 日本解放戦線の地下司令部には、重苦しい雰囲気が漂っていた。

 テーブル型の戦略パネルと目前のモニターには、日本解放戦線の戦力が時間が経過するごとに磨り減っていく様子が映し出されていた。

 圧倒的な物量の前に、友軍が押し潰されようとしている様。

 

 

『こちら第117歩兵中隊、これより最後の突撃を――――』

『司令部、司令部! こちら第6区画指揮所、敵ナイトメア2個大隊が突破を――――』

『第7機構中隊、壊滅! 敵空挺部隊が第11固定砲台後方200の位置に降下中――――』

 

 

 そして何より哀しいのは、どの部隊からも救援の要請が来ないことだった。

 普通、壊滅寸前の状態なら司令部には援軍の要請が殺到するはずなのに、だ。

 ここから読み取れるのは、2つ。

 まず第一に、現場部隊が可能な限りの現有戦力で持ち堪えようと最大限努力してくれていること。

 そして第二に、司令部に回せる戦力がほぼ無いと皆が知っていると言うこと。

 

 

 さらに司令官たる片瀬が哀しく思うのは、自身にこの状況を打破する策が無いことだ。

 一応、表の兵達が時間を稼いでいる間に進めている作戦が2つある。

 一つは包囲を突破して民間人を逃がす作戦、そしてもう一つは……。

 兵達の士気の高さに応えられないという思いが、片瀬を苦しめていた。

 

 

「藤堂は、藤堂はまだか……!」

「もう到着しても良い頃ですが、周辺はおそらくブリタニア軍が封鎖を……」

「……藤堂さえ、藤堂さえいてくれれば……!」

 

 

 厳島の奇跡、7年前の戦争で唯一日本軍が勝利を得た局地戦。

 藤堂がいればこの状況も打破してくれる、ここに来て片瀬の胸に去来したのはそんな考えだ。

 それは逆に言えば自分の無策と無能を嘆く声であり、どこか信仰に近かったかもしれない。

 

 

 そして、それは片瀬のみの信仰ではなかった。

 日本解放戦線のメンバーは大なり小なり、藤堂の「奇跡」に期待して参加している所があったからである。

 だが今、この場には信仰の対象である藤堂がいない……。

 

 

 

『哀れだな、日本解放戦線』

 

 

 

 その時、マイクを通したような不思議な声が地下司令室に響いた。

 驚き、片瀬達が振り向く。

 するとそこには、深緑の軍服を……着ていない、漆黒の貴族趣味な衣装が目に入った。

 そして、顔を覆う黒い仮面。

 

 

『エリア11最大の軍事力を保持していながら、この体たらく。7年間かけてブリタニアを倒せないわけだ、まぁ、おかげで私の出番もあると言うものだが』

「ゼ……」

「「「ゼロ!?」」」

『騒ぐな、話をしにきただけだ』

 

 

 そこにいたのは前総督クロヴィスを殺害した人物、「ゼロ」だった。

 一瞬、片瀬達は目を疑った。

 ここは日本解放戦線の地下司令室だ、最も強固なセキュリティと警備を敷いている。

 いや、それを言えばクロヴィス殺害の時はこれ以上だったかもしれないが。

 とにかくあり得ない、そう思った時。

 

 

『お前達は、今から私が言う作戦を実行してくれれば良い』

 

 

 軽い音を立てて、仮面の一部がスライドして中を露出した。

 そこにあるのは左眼、赤く輝く左の瞳。

 そしてそこから飛び出した赤い輝きが飛翔する鳥の如く片瀬達の目に飛び込み、彼らの中で何かが噛み合うような音を響かせる。

 数秒後、驚愕と警戒の表情を浮かべていた片瀬達が、ふと穏やかな顔になり。

 

 

「……わかった、お前の作戦を実行しよう」

『感謝するよ、日本解放戦線」

 

 

 仮面を外しながらそう言う、片瀬達はゼロの正体に驚くこともしない。

 ただどこかぼんやりとした顔で、目を赤く輝かせながら彼の指示を待っていた。

 ゼロがそんな片瀬達に二、三の指示を与えると、彼らはすぐにそのように動いた。

 機器を操作し、コーネリア軍と正面から戦っている主力部隊にある命令を伝達する。

 

 

「さて、まずは通信を……」

 

 

 そんな彼らを気にも留めずに、ゼロ……ルルーシュ=ゼロは司令室の通信機器を操作してあるチャネルに合わせた。

 同時に別の端末を操作して、ブリタニア軍の位置などを確認していく。

 特に主力の位置を探っているようだ、それと作戦実行に必要なコマンドを少し。

 

 

「扇、聞こえるか? 日本解放戦線とは話がついた。事前に話した通り、私の指示に従って皆を行動させろ」

『本当か? 凄いな、本当に解放戦線の協力を取り付けるなんて……でも、こんな状況でうちに出来ることなんて』

「出来なければ我々もコーネリアに殲滅されて終わりだ、だからお前達にも私の指示に従って貰わなければ困る。玉城あたりが逃げ出していたりしないだろうな」

『逃げてねーよ! ったく、馬鹿にしやがってよ……』

 

 

 ゼロ、そして黒の騎士団。

 彼らはブリタニア軍でも日本解放戦線でも無いダークホース、第3勢力としてここにいた。

 そして今、ルルーシュ=ゼロの特異な能力でもって条件は全てクリアされた。

 

 

「良し……では、作戦を開始する! 先陣は紅蓮弐式だ――――カレン!」

『はい!』

 

 

 その時、ふとルルーシュ=ゼロは司令室に複数あるモニターの一つを視界に入れた。

 そこには外の戦場の様子が映し出されいる、戦況を知るためのカメラが設置されているのだろう。

 映っているのは、青い無頼と白のナイトメアの戦いだ。

 青い無頼は知っている、サイタマ・ゲットーで見た。

 白いナイトメアも知っている、シンジュク・ゲットーで煮え湯を飲まされた相手だ。

 

 

 実はシンジュク事変において、ルルーシュ=ゼロは扇達に無線機の「声」だけで指示を出してブリアニア軍を敗走間際まで追い込んだ実績がある。

 最後の最後、異常な機体性能でルルーシュ=ゼロの作戦を潰したのがあの白のナイトメアだ。

 それが今、あの青い無頼と……彼女と戦い、そして見た限りでは一方的にいなしている。 

 そして白のナイトメアが、青の無頼に対して一方的な攻勢に転じたその瞬間。

 

 

「黒の騎士団、総員――――行動を開始せよ!」

 

 

 ルルーシュ=ゼロの声と共に、戦場の全てが変化した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――僅かに時間を遡る。

 日本解放戦線の本陣に程近い、岩壁と森林に囲まれた場所。

 頭上の開けたその空間に、2機のナイトメアが向かい合っていた。

 

 

 白いナイトメアと、青いナイトメア。

 ブリタニアの次世代型ナイトメア『ランスロット』と、旧世代改良機『無頼・青鸞専用機』。

 そして。

 スザクと、青鸞(セイラン)

 7年前に別たれた2つの兄妹の片割れが、ここに正面からの再会を果たした瞬間だった。

 

 

『確認する、その機体に乗っているのは……青鸞、キミなのか?』

 

 

 無頼が拾う敵ナイトメアパイロットの声に、青鸞は身を震わせた。

 操縦桿から手を離すのに、これほど苦労したことは無い。

 弛緩したように動かない指先を、一本一本ゆっくりと離す。

 指を離した後は、左手で右の手を擦りながらメインディスプレイを睨んだ。

 そこには、白い甲冑を思わせるナイトメアが映っている。

 

 

 響いているだろう声は、正直、彼女が知っている物より若干だが低い。

 当然だ、互いに成長しているだろうから。

 そして不意にオープンチャネルで通信が来た、そこに映っていたのは当然。

 色素の薄い茶髪、少し前にニュースを騒がせた風貌そのまま。

 

 

「スザク兄様……!」

『……青鸞』

 

 

 通信越しの声が、回線を通じて互いの耳に届く。

 そして、視線も。

 黒と琥珀の瞳が、7年ぶりに絡まる。

 7年前のあの日、父ゲンブが永遠に失われた時から、初めてのことだった。

 片や逞しく、片や美しく成長した姿で。

 

 

『――――……青鸞』

 

 

 オープンチャネルとは言え、電波妨害のある――ブリタニア軍のアンチ兵器によってほとんど無効化されているが――場所だ、音声と映像には波がある。

 それでも十分、わかる。

 互いに、今話しているのが誰かくらい。

 

 

『本当に、キミなのか……』

「……兄様」

 

 

 7年ぶりにかける言葉を探していると、先に向こうが声をかけきてきた。

 そのせいかはわからない、だが、無性に皮肉という感情が青鸞の胸に湧き上がってきた。

 戦場とは関係の無い部分で、胸の奥が焼けていく。

 

 

「良く……良く、ボクの前に顔を出せたね……!」

 

 

 唇が妙な形に歪むのを自覚する、おそらくは嫌な形にだ。

 そしてその顔は、通信画面を通じて相手にも見えているだろう。

 だが、言葉は本心だ。

 

 

 トーキョー租界で追いかけはしたものの、いざ目の前にすると負の感情がやはり先行する。

 負の感情、一言で言ってもそこには多くの種類がある。

 あの日から7年が経過して、その間に凝縮されて本人にも理解できない何かになったそれ。

 それの方向性を、自分で設定できていない。

 それが、今の青鸞と言う存在だった。

 

 

(父様の、仇……!)

 

 

 唯一、そこだけが確定的な感情。

 兄が父の仇、戦国時代かと思うような時代錯誤な状況だ。

 なまじ嫌ってはいなかっただけに、特に。

 

 

「それに……」

 

 

 目を細めて、通信画面に映る「父の仇」兄を見る。

 白のパイロットスーツ、誠実さを象徴するようなその色。

 しかし、それは違うと本能が判断する。

 

 

「……しばらく見ない間に、随分と出世したようで」

 

 

 事実だった、スザクはつい先日まで大逆の犯罪者扱いをされていたはずだ。

 だというのに今、こうしてナイトメアのパイロットというブリタニア人のみの特権階級の椅子に座っている。

 皮肉の一つも言いたくなるものだったが、スザクはそれを受けても眉を僅かに震わせただけだった。

 

 

「多くの日本人が塗炭の苦しみを味わっている中で、よくも自分だけ……!」

『青鸞』

 

 

 そこに、7年ぶりに再会した妹への情は見えない。

 そういった類のものはまるで無く、ただそこにあるのは硬質の意思だけだった。

 

 

『投降してほしい、今すぐに――――キミだけじゃなく、解放戦線の皆も』

 

 

 青鸞が息を呑むのも、無理は無かった。

 だがスザクは、畳み掛けるように言葉を続けた。

 今度はどこか切実な色を帯びていると感じるのは、願望が混ざっているだろうか。

 しかしそこまでであれば、形式上のこととして聞き流せたかもしれない。

 

 

『これ以上戦いを続けていても、犠牲が増えるばかりだ。だからもしキミが日本解放戦線の行動に影響を及ぼせる立場にいるのなら、皆を説得してほしい』

 

 

 だが、その言葉は。

 

 

『これ以上は……無意味だ、青鸞。これ以上の犠牲をなくすためにも、戦いをやめてほしい』

 

 

 その言葉は、青鸞を頭と心を瞬時に沸騰させた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『――――無意味!?』

 

 

 通信越しに響いた声量に、スザクは反射的に片目を閉じた。

 そこには先程までの何かを抑えたような声は無く、感情の奔流があった。

 それ以降の通信が乱れたのは互換性の問題か、それとも別の要因なのかはわからないが……。

 

 

『――――めろ!? 戦いを仕掛けてきているのは、ブリタニア軍じゃないか!!』

 

 

 だが復帰した通信から響く声に、スザクは表情を引き締めた。

 こうしている間にもブリタニア軍のナリタ連山制圧は続いているのだ、日本解放戦線側はもちろんブリタニア軍側の被害も増え続けている。

 一刻も早く止めなければ、無駄な死が増える。

 

 

「軍は日本解放戦線の違法活動を問題視している、だからそちらの上層部の人間が戦闘の停止を表明してくれれば戦闘は止まる」

『……違法活動?』

 

 

 映像越しにも、青鸞が表情を引き攣らせたのが確認できた。

 声も、「何を言っているのかわからない」と言う色をありありと窺わせる声音だった。

 スザクの言う「違法活動」とは、つまりはブリタニアの法的視点から見た場合だ。

 

 

 まず日本軍解体の命令に従わず、テロリスト組織「日本解放戦線」を組織したこと。

 そして7年間、保有が禁止されている兵器を所持し、ナリタ連山を含むいくつかの地域を不法占拠したこと。

 他地域の住民を保護名目で「拉致」したこと、多数のブリタニア関係者を軍民問わず死傷せしめたこと

それに伴いブリタニア人所有の財産に対し損害を与えたこと……全て、違法活動である。

 

 

『ああ、そう……』

 

 

 だがそれはあくまで、ブリタニア側から見た一方的な解釈だった。

 ブリタニア軍に所属するスザクとしてはそう言うのが当然で、しかし青鸞たち日本解放戦線側からすれば笑い話以下の論法だった。

 最も青鸞の声に剣呑な色が浮かんだのは、複雑な感情を経てのことではあったが。

 

 

『日本の抵抗と独立のための活動を、違法の一言で済ませちゃうんだね』

「日本の独立を求めるなら、正しいルールに基づいてやるべきだ。間違った方法で得た結果に、意味は無いよ」

『じゃあ、7年前にブリタニアが日本を侵略したのは「正しいルール」に基づいた行動だったの?』

 

 

 沸々と、と言う表現が、正しいだろうか。

 声に含まれた熱に、スザクは初めて表情を歪めた。

 それは、相手の言葉の正しさを一面において認めた瞬間でもあった。

 

 

『日本人がイレヴンって呼ばれるのも、水も食べ物も薬も何も無いゲットーに押し込められるのも、ブリタニア人に奴隷みたいに働かされるのも、狩猟気分で殺されるのも……』

 

 

 青鸞は何度も見てきた、日本人を面白半分に撃ち殺していたブリタニア兵を。

 シンジュクやサイタマの例を出すまでも無く、この7年間ブリタニアが日本に何をしたのか。

 財産を奪われ、資源を奪われ、名前を奪われ、家族や友達を奪われる毎日。

 そしてそれは、スザクも見て、経験していたことだった。

 ――――だからこそ、スザクは軍に入った。

 

 

『……全部、「正しいルール」だって言うの?』

「そうじゃない、僕もそれはおかしいと思う! でもだからって、こんな……」

『侵略されて植民地化されたら、その国のルールに従わなくちゃならない。そんなルールが……いつから、ブリタニアのルールが絶対正義の法になった!?』

「だけど、こんな!」

 

 

 再び上がった声量に首を振り、スザクは言う。

 青鸞は聞いた、スザクの言葉を。

 

 

「こんな、テロ……力に力で対抗しても、何かを手に入れられるはずが無い。無関係な人間まで巻き込むような手段を使っても、誰にも認めてもらえない!」

『無関係? 日本のことだよ、ブリタニアのことじゃないか! 日本人とブリタニア人以上に関係のある人間が、どこにいるって言うの!?』

「それを望まない人にまで押し付けるのは、間違ってる!」

 

 

 だから。

 

 

「日本の独立を言うなら、正しい手順を踏むべきだ。誰もに認められるように、テロや暴動以外の方法を取るべきだよ。日本は負けた、まずはそこを認めないと何も出来ない……」

 

 

 いくら日本は負けていないと叫んだ所で、それを認める者は誰もいない。

 日本は負けて、ブリタニアの属領になった。

 もちろん簡単に独立が認められるとは思わない、だが、テロなどの非生産的な行動を繰り返してもそれは同じだ。

 ならばまずはブリタニアの中で、属領出身者の立場を向上させる努力をするべきだ。

 

 

 それが、スザクの考えだった。

 ブリタニアの政策全てを認めることは出来ない、けれど反発して力で訴えても何も変わらない。

 テロや暴動、紛争……そんな間違った手段では、何も得られないのだから。

 

 

『……今日ね』

 

 

 不意に青鸞の声のトーンが変わり、それに違和を感じたスザクも顔を上げた。

 映像の中に見える青鸞は、それとわかる程に俯いていた。

 戦場独特の焦げた匂いと、吹き抜ける風。

 機体の中にいながらもそれを感じ、その中で続いていたスザクと青鸞の数分間の会話が終わろうとしていた。

 

 

『今日、ナリタで子供が産まれたんだ。赤ちゃん、可愛かったよ』

「……そう、か」

 

 

 力を抜いて、スザクは返事を返した。

 実際、そのこと事態は祝福されるべきことだと思った。

 新しい命が産まれるというのは、誰にも否定されるべきでは無いと思ったから。

 

 

「なら、その子のためにも」

『……何て、言えば良いの?』

「え……」

 

 

 青鸞が顔を上げる、睨まれている、声は涙声のように揺れていた。

 

 

『その子に、ボクは何て言えば良いの? 今はキミもお母さんも差別されて辛いし、友達がたまに気まぐれで殺されたりするかもしれないけど、でもいつかブリタニアの方々が認めてくれるはずだから頑張って我慢して生きて行こうねって、そう言えば満足?』

「ち……違う! そんな卑屈なことじゃなくて」

『じゃあ何? 認められるように頑張る? 認めてくれないじゃないか、ナンバーズの言うことなんて聞いてくれもしない、そんな連中に認められるまで涙ぐましく奴隷扱いに耐えろって!?』

「それは、キミ達がテロなんて手段を取らなければ、もっと早く!」

 

 

 それは、言ってはならない言葉だった。

 何があっても、それだけは言ってはならなかった。

 お前達の活動のせいで日本の独立が遅れているなど、およそテロリストと呼ばれる人間に言ってはならない言葉だ。

 それを言われてしまえば、もう。

 

 

『……許さない……』

 

 

 言いたいことがあった、聞きたい言葉があった。

 だけど互いにそれはまったく噛み合うことなく、哀しいほどに擦れ違っていて。

 もう、この場ではどうしようも無かった。

 

 

『ゆるさない……!』

 

 

 怨嗟さえ込められたその声を、スザクはかつて聞いたことがあった。

 あの日、あの夜……あの時、聞いた言葉。

 スザクの精神が一瞬だけ過去へ飛び、僅かに彼は自失した。

 

 

 自失から意識を戻した時には、すでに青鸞の無頼は動いている。

 明らかにいつもより精細を欠いた動きで操縦桿を握ると、彼は対処を始めた。

 説得のために考えていた言葉は、掌から零れて消えてしまっていた……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――憎い。

 ただひたすらに、憎い、憎い憎い憎い憎い憎い、憎い!

 この時点で、青鸞の精神は完全に7年前のあの日に戻っていた。

 そこに理性など存在しない、ただただ噴き出すマグマのような感情がそこにあった。

 

 

『青鸞!』

「五月蝿い、気安く呼ぶな!!」

 

 

 無頼のコックピットの中に絶叫するような声が響く、事実、今は名を彼に呼ばれるだけで身体中に虫唾が走るようだった。

 肌の上を虫が這うような不快さを振り切るように、右の操縦桿を強く前に倒す。

 超信地旋回、機体をターンさせながらスザクのナイトメアに斬りかかる。

 

 

 当初は後退で回避しようとしたランスロットだが、方針を転換したらしい。

 腰部から一本の剣を抜き、刃を赤く膨張させるそれで無頼の刀を受け止めた。

 受け止められた側は刀を引き、そのまま逆に回転しつつ払うように横に振るった。

 ランドスピナーの回転音が響き、同時に金属が打ち合う甲高い音が鳴り響く。

 

 

『青鸞、キミじゃ僕には勝てない』

「何を……!!」

 

 

 幼い頃、一度だって道場でスザクに勝てたことはない。

 だがそれは子供の頃の話だ、あれから7年経った今、言ってしまえばほぼ初戦だ。

 いや、だがそれ以前に。

 

 

『それに日本解放戦線も、この戦力差じゃ勝てない! 勝ち目のない戦いをして、犠牲を増やすような真似はやめるべきだ!』

「――――勝ち目がなければ、戦っちゃいけないの!?」

 

 

 生命を巡る議論には、大きく2つの潮流があると言う。

 

 

「負けるからって、諦めて……従わなくちゃいけないの!? 正義が無い相手に、悪意ある相手に跪かなくちゃいけないのか!!」

『そうじゃない! 僕はただ、誰にも死んでほしく無いだけだ!』

「どうして、そんな気持ちの悪い考え方が出来るの!?」

 

 

 命よりも価値のあるものは無いとする議論、これはスザクの思想に近い。

 逆に命よりも優先すべきものがあるとする議論、これは青鸞の思想に近い。

 そして青鸞が最も気に入らない、不気味ささえ感じてしまうのは。

 

 

「どうしてブリタニアの非道には目を瞑るくせに、日本の違法行為は非難出来るんだよ……!」

 

 

 日本が絶対的に正義ではない、良いだろう、そう言う議論もあると認めよう。

 だが、ならば何故それがブリタニアには適用されない?

 それはブリタニアが強くてどうしようも無いから、弱い日本の方を攻撃しているだけではないのか。

 そうではないと、何を持って証明すると言うのか。

 ブリタニアの軍人が。

 

 

兄様(アナタ)はもう、日本人じゃない……心の底から、ブリタニア人の価値観に染まってる!!」

『それは、違う!』

「何が!?」

『僕は、日本の人達に死んでほしくなくて……』

 

 

 聞きたくない、青鸞は心の底からそう思った。

 剣と刀、機体のパワーで負ける中でもペダルを踏み込んで留まるのはただの意地だ。

 右のランドスピナーが回転数に耐え切れずに火花を発し、コックピットの中に警告音が響いた。

 だがそれに構うこともせず、ただ叫ぶ。

 

 

「哀れみなんて――――慈悲なんて、いらない!!」

 

 

 哀れみも、慈悲も、憐憫も、そんなものはいらなかった。

 欲しいのは国、自由、権利、名前、そして矜持と正義。

 支配者に与えられる物など何もいらない、ただ日本人として取り戻す。

 全てを。

 だから、青鸞は。

 

 

「これ以上、兄様(アナタ)に……日本を」

 

 

 7年前のように。

 

 

「殺させて、たまるかぁっっ!!」

『……ッ』

 

 

 通信の向こうで息を詰めるような音がした、刹那、ランスロットが一歩を下がった。

 それをチャンスと見て前に出る青鸞、だがそれが間違いだった。

 斬りから突きへと転じた刀を、ランスロットは並みのナイトメアでは不可能な機動でかわした。

 フィギアスケートの選手のように片足でその場で回転し、そのままの勢いで青鸞の無頼の腰部に蹴りを入れたのだ。

 

 

(何だ、あのナイトメア!)

 

 

 冷静な部分が、スザクのナイトメアの機動に脅威を覚える。

 まるで人間のような滑らかな動き、機械独特の「溜め」が全く無い。

 グラスゴーのコピー品である無頼とは、動きの質が違う。

 

 

 何しろディスプレイから姿が消えるのだ、戦う以前に目で追うことも出来ない。

 異常だ、普通ではない。

 いったいどんな技術を使えば、あんな非機械的な動きが出来ると言うのか。

 

 

『青鸞! 投降さえしてくれれば、キミの身については僕が責任を持つ。何とかする、だから』

 

 

 再度の通告、もしかしたら、それは純粋な善意から来ているのかもしれない。

 万が一の可能性を考慮すれば、兄妹の情も混じっていたかもしれない。

 だが。

 

 

「捕虜の扱いに責任を持てる程に、兄様(アナタ)はブリタニア軍の上層部に影響力があるの?」

『それは……』

「……出来もしないことを」

 

 

 投降すれば出来るだけのことをする、信じられない。

 もしかしたら本音かもしれない、だがスザクは名誉ブリタニア人。

 イレヴンがイレヴンを庇って、何が出来ると言うのだろう。

 そもそも、ブリタニアが解放戦線の兵士を国際法に則った戦時捕虜として扱うか?

 答えは、おそらく否だ。

 

 

「言うなっ!!」

 

 

 無頼が刀を振るう、横薙ぎに払ったそれを跳躍してかわす。

 着地したのは無頼の後ろ、着地の際に赤い剣で無頼の右肩の装甲が切り飛んだ。

 青鸞の無頼は、まるで敵の反応に追いつけていなかった。

 

 

「……ッ、兄様(スザク)!」

『青鸞、キミがこちらの勧告に従わないなら……』

 

 

 体勢を立て直す、だがその時にはすでにランスロットは別の場所にいた。

 速い、機体の反応速度が違いすぎる。

 それでも機体だけは回して、スラッシュハーケンを放つ。

 

 

「――――ボクを殺すの?」

 

 

 ランスロットが素手でスラッシュハーケンを掴んで止めた、次の瞬間にはアンカー部分を砕かれて捨てられる。

 そうして振りかぶられる赤い剣を、青鸞は見つめた。

 次の瞬間には振り下ろされるだろうそれは、おそらくよけられない。

 それまでの激高が嘘のように、静かな声と瞳で彼女は言った。

 

 

「……父様みたいに」

『――――ッ、それ、は』

 

 

 青鸞の言葉に、ほんの数秒だけランスロットの動きが乱れた。

 それは本当に数秒で、無頼の回避運動には間に合わない、その程度のものだったが。

 その数秒が、2人の距離を開く結果になった。

 

 

『ずぉおおおおおおりゃあああああっ!!』

 

 

 次の瞬間、首の無い無頼がランスロットに突撃した。

 山本機である、側面ディスプレイを頼りにショルダータックルの要領で衝突した。

 スザクがランスロットの中で目を見開いて驚く、が、ランスロットを倒せる程のことでは無い。

 腰部スラッシュハーケンを至近で放ち、山本機の腰部を破壊する。

 その時点まで時間が進んで、青鸞はようやく再起動した。

 

 

「――――山本さん!」

『心配いらねぇ、こいつが俺らの仕事だぁからよ! ヒナぁ!』

 

 

 コックピットブロック射出、機体を残して山本が脱出した。

 しかしそれで終わらない、上原機がアサルトライフルを射撃して山本機を撃ち、爆発させた。

 

 

「何……!」

 

 

 衝撃に揺れるコックピットの中でスザクが歯噛みした、まさか自爆同然の手段で足止めに来るとは。

 だが彼も並みではない、即座に体勢を整え黒煙を振り払って視界を確保した。

 

 

「……ッ、いない。どこに!」

 

 

 しかし、改めて確保した視界に残り3機の無頼は存在しなかった。

 青鸞の無頼も含めて、忽然と姿を消してしまっている。

 一種の煙幕、それでもどこに行ったのかを追うことは可能だ。

 地面に残された車輪の跡を追えば、まだ……。

 

 

「……何だ、地震……?」

 

 

 追おうとしたその時、スザクは地面の揺れを感じた。

 地震、日本人のスザクも幼い頃に何度か経験したことがある天災だった。

 だが、それは地震ではない。

 

 

 まして自然のものではなく、むしろ人工の地震。

 そして、地震だけでもない、それはすぐに判明した。

 スザクがいる地点のすぐ横、そこを大量の土砂が崩れ落ちていくことで。

 次の瞬間、通信回線に満ちた悲鳴に……彼は、何が起こったのかを知ることが出来た。

 そして彼は、一方の方向へと操縦桿を倒した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 地滑りと呼ばれる現象は、ここエリア11と言う土地ではそれ程珍しい現象では無い。

 特定の条件が整えば、不幸ではあるが良くある天災の一つとして片付けられただろう。

 しかしこの場合、タイミングが最悪だった。

 

 

「な、何……っ!?」

「姫様ぁ――――っ!!」

 

 

 ブリタニア軍にとっては、コーネリア率いる主力部隊が日本解放戦線の本拠に手が届こうとしていた瞬間だった。

 地下への入り口になっているはずの山荘、それを含んだ斜面の土砂が一気に動いたのだ。

 その上にいた100機近くのナイトメア部隊を中心に、戦車隊や歩兵部隊が巻き込まれた。

 後の調査で5000人以上とされた犠牲が、ここで生まれたことになる。

 

 

 いかにナイトメアとは言え、陸上兵器の一つに過ぎない。

 大規模自然災害の猛威の前には無策に等しい、特に敵軍の後退を追撃していた時点のことだ。

 ……そう、日本解放戦線はコーネリア軍の攻勢に対して後退したのである。

 直前の後退と後退直後の地滑り、これは無関係だろうか?

 

 

(馬鹿な、この規模の地滑りを予測していた……あり得ぬ!)

 

 

 メインディスプレイが横へとズレていく、その瞬間にはコーネリアは動いている。

 グロースターのスラッシュハーケンを射出、可能な限り遠くの地点に突き刺して機体の支えとした。

 見れば彼女の傍でギルフォード機も同じようにしている、だが他の者は反応できなかったようだ。

 

 

「西側の斜面に向けてコックピットブロックを射出せよ! 機体を捨てて、地滑りの範囲外まで……!」

 

 

 地滑りが本格化し、コーネリアのグロースターが土砂や樹木や岩石に揉まれて波打つ。

 気分はサーフィンだ、ただしこの波は数十年に一度のビックウェーブだった。

 それも、水の波より遥かに凶悪な波だ。

 

 

 コーネリアの悲鳴のような命令に複数のナイトメアが応じる、西側の地滑りしていない地点に向けてコックピットブロックを射出、機体を捨てて地滑りからは逃れられた。

 他のナイトメアや戦車や歩兵は無理だった、土砂に飲み込まれて悲鳴と共に消えていく。

 コーネリアは歯噛みした、通信回線に彼女の部下達の悲鳴が充満していたからだ。

 助けを求める声には、コーネリアへの信頼の深さが見て取れた。

 

 

「く……!」

 

 

 助けを求める部下に何もしてやれない無力感に、コーネリアは唇を噛んだ。

 唇の端から血が流れる程の力で唇を噛んでも、コーネリアには何もしてやれない。

 彼女自身、周囲を土砂に囲まれている。

 自分を守ることで精一杯で、他を気にしている余裕は無かった。

 

 

 不意に、機体がガクンと揺れた。

 メインディスプレイの上部、スラッシュハーケンを刺していた位置の地面も崩れたのが見えた。

 流石のコーネリアも息を呑む、支えを失ったグロースターはそのまま土砂に飲まれて……。

 

 

『姫様!!』

 

 

 コーネリアのグロースターの腕を、ギルフォードのグロースターが掴む。

 馬鹿が、とコーネリアは思った。

 ギルフォードにも余裕は無いだろうに、自分を助けるなどと。

 実際、コーネリア機の重みでギルフォード機の負担は単純に2倍になった。

 彼の機体のスラッシュハーケンが、コーネリア機を掴んだ瞬間に片方弾き飛んだ。

 

 

「ギルフォード、私を離せ。さもないと貴公が……!」

『なりません! 姫様を守るのが我が役目、私は……!』

 

 

 気持ちは嬉しい、だが彼の機体も今にも流されそうだ。

 明敏なコーネリアにも、流石にこの状況を脱する良策を思いつけない。

 このままでは、最悪の事態もあり得る。

 最悪の事態、それは自分が……。

 

 

(ユフィ……!)

 

 

 最後に脳裏に浮かぶのは、やはり彼女のこと。

 同じ母親から生まれた、コーネリアが己の命よりも大切に想うたった1人の。

 

 

「……っ!!」

 

 

 その時、さらに大きな衝撃が機体を襲った。

 ギルフォード機のスラッシュハーケンが完全に抜けたのだ、ギルフォードの悲嘆の叫びが響く。

 コーネリアは覚悟を決めた、帝国皇女たるもの最期の時まで毅然とあるべきと思っているからだ。

 

 

 ……だが、いくら待ってもその時は来なかった。

 僅かな位置の変動はあったが、コーネリア機もギルフォード機もそのままの位置に留まっていた。

 スラッシュハーケンは抜けている、だが機体は土砂に流されない、何故か。

 その答えは、土砂の波に揺れるメインディスプレイに映っていた。

 

 

『自分が引き上げます、掴まってください!』

「アレは……」

 

 

 そこにいたのは、白いナイトメアだった。

 コーネリアはその機体のことを知っていた、自身で命令を与えた相手なのだから当然だ。

 特派のナイトメア、『ランスロット』――――操縦者の名は。

 

 

「枢木、スザクか……!」

 

 

 苦々しい思いを抱くと同時、認めざるを得ない。

 ランスロットが掴んでいるグロースターのスラッシュハーケン、スザクがそれを離せば自分とギルフォードがおそらく死ぬと言う、その事実を。

 コーネリアは名誉ブリタニア人を認めないが、しかしこの場ではその事実を認識せざるを得なかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『いやー……マジでヤバかったわー……』

『隊長は本当、無茶ばかりして……』

 

 

 無頼の通信パネルから響くのは、山本と上原の声である。

 彼は今、小隊の殿を務める上原機の腕に抱えられてコックピットごと移動している状態だった。

 頭部を失った無頼では碌な働きは出来ない、なので思い切って捨てると言う作戦だったらしい。

 

 

 おかげで、命拾いしたと青鸞は思う。

 あの時のスザクの精神状態は知る由も無いが、普通に考えればやられていた。

 機体を失い、その後どうなったのかなど考えたくも無かった。

 

 

「……く、ふ……っ!」

 

 

 こちらの声が通信に乗らないようにして、無頼の中で青鸞は意識の切り替えを行う。

 先程の体たらくは何だ、と、草壁あたりなら言っただろう。

 だが意識の中で自分や他人の力を借りても、どうしようも無いこともある。

 切り替えようとして、簡単に切り替えられるものでは無かった。

 

 

 思想と、結果、どうしようも無い苛立ち。

 敵わなかった、届かなかった、ただ……言い合って終わった、負けた。

 何も変わらなくて、むしろ悪化して、ただ。

 ただ……。

 

 

「……ぅ、く……っ」

 

 

 出来るなら、戻りたかった。

 戻って、もう一度。

 もう一度、あの兄に言ってやりたかった。

 

 

『――――……青鸞さま』

 

 

 通信で先頭を行く大和機に呼びかけられて、青鸞は初めて目元を拭った。

 今、彼女らは戦場を移動している。

 戦闘はまだ終わっていない、突如司令部が伝えてきたルートに従って転進しているだけだ。

 あの土砂崩れについては、青鸞達も知らなかった。

 あんな仕掛けがあるとは、聞いていないが。

 

 

 いずれにしても、個人的な感情に捉われている暇が無いのも事実だった。

 彼ら護衛小隊は青鸞を守るために存在している、つまり青鸞の行動次第でその運命が決まるのだ。

 それもまた、草壁の教えではあったが。

 とにかく、沈黙することは許されない。

 

 

「…………そう、ですね」

 

 

 左手で拭ったので、手首に巻いていた白のハンカチで拭うような結果になる。

 そのハンカチの持ち主の顔を思い浮かべて、青鸞は目を悔しげに細めた。

 あの人が、今のスザクを見たら……何を思うだろうか。

 あの人の妹は、何を想うのだろう……。

 怒るのか、許すのか、認めるのか排するのか、わからなかった。

 

 

「……わかっています、まだ戦闘は終わって――――ッ!?」

 

 

 通信を開いて、このままの位置取りで進むことを伝えようとした。

 その瞬間、新たな警告音が鳴り響いた。

 後ろからスザクが追ってきたのではない、左上、岩壁の上からの反応だった。

 

 

 何だ、と反応するよりも先に攻撃が来た。

 攻撃、つまり敵だ。

 2本のスラッシュハーケンが放たれてきて、それは狂いなく青鸞の無頼を狙っていた。

 回避しようと操縦桿を倒した所で、最悪のアクシデントが起こる。

 先程の戦いで傷めた右のランドスピナーの回転数が上がらず、機体のバランスが崩れたのだ。

 

 

『――――青鸞さま!』

 

 

 叫び声、山本機のコックピットブロックを抱えた上原機が青鸞機を後ろから押し出した。

 青鸞が名前を悲鳴のように呼んだ刹那、2本のスラッシュハーケンが上原機の頭部と左脚を潰した。

 機体にアンカーをめり込ませた上原機が、崩れ落ちるようにして後ろに倒れる。

 重く鈍い音を響かせて倒れたその機体の前に、青鸞は自分の無頼を回した。

 そして刀を手に、奇襲をかけてきた敵を探す。

 

 

『――――……見つけたぞ』

 

 

 そしてその相手は、あっさりと見つかった。

 むしろ隠れる意図が無かったのだろう、堂々と高所に立ってこちらを見下ろしている。

 沈みかけた太陽を背に立っていたのは、ブリタニア軍のサザーランドだった。

 数は3、だが中央の1機は何故か青鸞機にそのセンサーアイを向けていた。

 

 

『見つけた、ついに……ジェレミアとヴィレッタとは別行動をとって正解だったな』

 

 

 その声は、どこかで聞いたことがあるような気もする。

 普段の会話ではない、ただ、どこか……もっと殺伐とした場所で。

 だが青鸞は、それがどこだったかを思い出すことが出来なかった。

 しかし相手のサザーランドは違うらしい、ランスをこちらに向けて、明らかに青鸞機を指している。

 

 

『見つけたぞ、青いブライ……! あの時の屈辱、このキューエル・ソレイシィの名に懸けて……!!』

 

 

 力を溜めるように腰だめにランスを構え、サザーランドが跳ぶ。

 高く跳躍したそれは、まさに一心に青鸞機を目掛けてランスを振り下ろしながら。

 

 

『晴らさせて貰うぅあああああああああああああああああああああっっ!!』

 

 

 高らかに、雄叫びを上げたのだった。

 戦場はさらに混乱し、もはや誰の制御も受け付けない。

 その中で最後に笑い、泣くのは誰なのか。

 まだ、誰にもわからなかった。




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 気のせいでなければ、キューエル卿がやたら出張ってます。
 もしかして、一番原作と変化してるの彼なのではないでしょうか。

 それはともかく、ナリタ戦も終盤です。
 おそらく次回で終戦になるかな、と思いますが、個人的にはもっとルルーシュを動かしたいですね。
 スザクは、今はこれで良いです。
 むしろ次に会う時が本番、本作では主人公の変化にも挑戦したいですね。


『負けない。

 負けてたまるか、あんな奴らに。

 それなのに、ボクの手は届かないんだ、いつだって。

 いつだって、そう。

 でも、だからこそボクは願うんだ、言うんだ。

 ……いかないで……』


 ――――STAGE12:「落日 の 日」


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STAGE12:「落日 の 日」

今週はまだ週3投稿、でも来週から週2、再来週から週1になるかな、と思います。
では、どうぞ。

*3月20日23時、募集項目を後書きに追加致しました。



 キューエルは狂喜した、戦場の中であの青い無頼を見つけられたことに。

 日本解放戦線にあの青い無頼がいると言う保障は無かったが、それでも解放戦線の陣地を虱潰しに潰しながら探していたのだ。

 彼ら純血派の部隊は、ジェレミア隊とキューエル隊に分かれて行動していたのである。

 

 

 キューエルにした所で、もはや没落した辺境伯などに僅かな利用価値も見出していなかった。

 自ら泥に塗れて山々を歩き回り、日本解放戦線(当時はその認識は無かったが)の穴蔵の入り口を発見し、その功で新たなサザーランドをも与えられた。

 コーネリアはその点、出自に関わらず――無論、ブリタニア人に限るが――人を評価する上司だった。

 そして、今。

 

 

『貴様を倒し――――私は自分を取り戻す!!』

「何を意味のわからないことを……!」

 

 

 そうは言っても、突っかかってくる相手を無視も出来ない。

 とにかくも青鸞は応戦の意思を示した、頭上から振り下ろされたランスを刀で受け止める。

 

 

「……ッ!」

 

 

 息を詰めて唸る、理由は機体の右のランドスピナーの不具合だった。

 後ろには倒れたままの上原機もいる、戦闘可能な範囲は極めて狭かった。

 その中で、踏ん張りの効かない機体でランスを受け止めることは出来なかった。

 

 

 左の操縦桿を引き、左回りの要領でランスの表面を刃で滑らせて攻撃をいなす。

 それでも万全の状態で動くサザーランドの攻撃は捌き切れなかった、肩のパーツにランスが触れて破片が飛び散った。

 サザーランドのコックピットの中で、キューエルは唇を歪めた。

 

 

『んん? どうやら機体が万全の状態では無いようだ……なぁ!』

「こんな時に……!」

 

 

 ランドスピナーは通常、左右の出力が合っていないと上手く機体のバランスを保てない。

 意図的に回転数を操作することもあるが、そうでない場合には機体の運動性能を極端に落としてしまうのだった。

 基本的に無頼はサザーランドに及ばない、その上で機体に損傷があるとなると。

 

 

『……青鸞さま!、くそっ、邪魔だ!』

 

 

 見れば、大和機も他のサザーランド2機に囲まれていた。

 キューエルの部下である、彼らはキューエルが青鸞に集中できるようにするのが役目だった。

 よって、青鸞は損傷した機体で格上の相手をしなければならなくなった。

 

 

 ランスを刀で受けるも、出力が足らずに必ず押し返される。

 片腕で操縦桿を握り、残りの手でサイドプレートの端末を叩いてランドスピナーの回転数を合致させようと四苦八苦している中での戦闘。

 正直、まともに戦える状態では無かった。

 

 

「こんな、所で……!」

 

 

 メインディスプレイの中で、サザーランドのランスが上下と左に巧みに動いた。

 それは極めて微細な動きで、パイロットの技量の高さを示すものだった。

 無頼の刀を巻き込むように振り回し、そして跳ね上げる。

 マニュピュレータが損傷し、刀が頭上へと弾き飛ばされた。

 

 

「……ッ!」

『貰ったああぁ――――!!』

 

 

 息を呑む、刀はあらぬ方向へと飛んで行った。

 唯一の武装を失った、その衝撃で青鸞の顔から色が消えた。

 スラッシュハーケンはランスロット――スザクにアンカー部分を潰されてしまって使えない。

 まさに丸腰、青鸞が目前に迫るランスの切っ先から逃れようとするかのように背中をシートに押し付ける。

 

 

 次の瞬間に訪れるだろう衝撃に、青鸞は身を逸らして目を閉じた。

 相手はコックピットの中心を狙っていて、このタイミングでは脱出も間に合わない。

 最後の瞬間に心の中で呼んだのは、誰だったろうか。

 

 

「…………?」

 

 

 しかしいつまで待っても、覚悟していた衝撃は来なかった。

 何故か、当然その疑問を抱くことになる。

 不思議に思い、ゆっくりと目を開いていく。

 

 

 すると、青鸞の無頼の前に……別の無頼が割り込みをかけていた。

 無頼、日本解放戦線のナイトメアである。

 その無頼が、独特の十文字槍を模した武装でサザーランドのランスを止めていたのだ。

 金色のランスと鋼鉄製の十文字槍が互いの身を擦れ合わせ、互いの機体に火花を振りかけている。

 

 

「あ……え?」

 

 

 助かった、と言う認識以上に、どこの部隊かと思った。

 次いで銃撃音が響いた、側面のディスプレイを見ると大和機の方にも2機の無頼が救援に駆けつけていて、アサルトライフルの一斉射でサザーランド2機を牽制しているのが見えた。

 

 

『こちら林道寺隊、そちらは青鸞さまと護衛小隊で間違いありませんね?』

 

 

 不意に通信パネルに映ったのは、20代半ば程の青年だった。

 おそらくは十文字槍の無頼のパイロットだろう、毛先が少し跳ねた茶髪が混じりの黒髪の青年だ。

 林道寺先哉(りんどうじさきや)、階級は中尉。

 彼と彼の部隊は、実は先程まで中央でコーネリア隊の攻勢を支えていた部隊だった。

 

 

 それがどうして中央から外れた位置にいたのか、それは地滑りを避けるべき司令部から送られたポイント指定に従った結果である。

 偶然の要素が多分にあるものの、それでもこのタイミングでの救援で青鸞達が救われたことには違いが無い。

 

 

『貴様……ッ、邪魔立てするかぁ!!』

『青鸞さま、ここは僕達に任せてこのまま転進を』

 

 

 キューエルの声をあえて無視して、林道寺が青鸞に撤退を勧めた。

 と言うのも、実は彼はある言伝を――実際には、彼以外の将兵にも似たような言伝が与えられているが――司令部から預かっていたためである。

 

 

『片瀬少将閣下がお呼びです、青鸞さまは第19区画へ!』

「第19区画……?」

 

 

 通信で示された撤退の位置に、青鸞は眉を顰めた。

 片瀬直々の言伝もそうだが、この状況で自分が呼ばれる理由が咄嗟には思い浮かばなかったためだ。

 しかし目前で戦闘に入る林道寺にいちいち確認するのは酷だった、仕方なく青鸞は言伝に従い、大和機と共に山本・上原の両名を回収した上で。

 

 

『ま、待て……待て、逃がさんぞ! 青いブライィイイイイイイイイイイイイイッッ!!』

 

 

 その上で、その場からの離脱に成功したのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 藤堂と四聖剣がナリタへと帰還したのは、地滑りが引き起こされた直後のことだった。

 2台のトレーラーでもってブリタニア軍の検問を突破し、自動運転に切り替えた後は後部に移ってキョウトから受領したナイトメア『無頼・改』に乗り込んだ。

 ここから直接戦場に向かう腹積もりであって、出遅れを僅かでも取り戻そうとしてのことだった。

 

 

(ナリタを囲んでの包囲殲滅戦、そして先程の土砂崩れ……)

 

 

 ナリタの圏内に入った段階で、肉眼でも囲みと土砂崩れの様子を知ることは出来た。

 全体としてどうかはわからないが、見る限りではブリタニア軍を狙った物だったように思う。

 事実として土砂崩れは麓まで届き、ブリタニア軍の囲みに乱れを生じさせている。

 

 

『……おお、藤堂……!』

「少将閣下、遅くなりました……!」

 

 

 1度目の通信は通じず、2度目の通信でようやく司令部と繋がった。

 通信の画面に出てきた片瀬は最初どこかぼんやりとした顔をしていたが、藤堂のことを認識すると喜色を浮かべて声を上げた。

 待ち侘びていた、そんな顔だった。

 

 

 それは藤堂にとっては、自分にかけられた期待の大きさを示すものでもあった。

 状況は極めて悪い、土砂崩れによって中央のブリタニア軍はほぼ排除されたが、他の2つの集団については何のダメージも負っていない。

 もしかすれば内部に侵入した部隊もいるかもしれず、事態は一刻を争う状態だった。

 

 

「少将閣下、先程の土砂崩れは……」

『あ、ああ、アレは……おそらく、範囲上の部隊には退避命令を出した、ようだ』

(ようだ……?)

 

 

 片瀬の言葉に不明瞭な部分を感じつつも、藤堂は今は無視することにした。

 それよりも今は戦況を好転させねばならない、敵軍はまだこちらの倍はいるのだから。

 

 

『ブリタニア軍は一時乱れたが、しかしすぐに立て直してきた。おそらく、敵将コーネリアは土砂崩れの影響を受けなかったようだ、指揮系統の乱れが見えない……』

「ですが敵軍の一方面部隊が中央に寄り、包囲に穴が開いています。今こそ、好機……!」

 

 

 流石にコーネリアを倒す所までは行かなかったらしい、しかし包囲の部隊の一部――藤堂は知りようが無いが、それはダールトンの部隊だった――がコーネリア軍のカバーに入りつつあった。

 つまりそこの包囲は今、極端に薄くなっていた。

 藤堂の目から見れば、千載一遇の好機だった。

 

 

『そこで、藤堂。お前に頼みがあるのだ、突破部隊の指揮を委ねたい……頼めるか』

「は、しかし……片瀬少将が執られるのでは。私は殿で敵の抑えに回ろうかと」

『いや、お前に頼みたい。と言うのも、実は……』

 

 

 その後に続く片瀬の言葉を聞いて、藤堂はナイトメアの中で目を見開いた。

 それはそれ程に驚くべき言葉で、作戦だった。

 内心、賛成は出来ないと思ったが……。

 同時に、キョウトにおいて桐原に言い含められたことを思い出した。

 あの老人は、藤堂にこう言ったのだ。

 

 

『枢木の娘のことは、わかっておろうな』

 

 

 奇しくもそれは、片瀬の言葉とダブって聞こえたが。

 しかし込められた想いが全く異なることを、藤堂は知っていた。

 だから、彼は……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ナリタ連山地下要塞の第19区画は、ナリタ連山全体で見ると北西方面に存在する。

 近くには民間居住区などがあり、同時に物資搬入口などもいくつかある。

 地上には第19固定砲台があリ、ナリタでは最も広い地下道を有している場所でもあった。

 

 

「これは……」

 

 

 そこに護衛小隊と共に別の地下道から入った青鸞は、コックピットからワイヤーを伝って降りながら目の前に広がる光景を見つめた。

 気が付けば5時間以上外での戦闘に従事していた青鸞だが、疲労を感じるよりも先に駆け出した。

 機体の整備とエナジーフィラーの交換を整備士達に任せつつ、目的の人物を探す。

 

 

「片瀬少将!」

「おお、青鸞嬢。戻ったか」

 

 

 地下道の開閉用の隔壁に比較的近い位置で何人かの人々に指示を出していたらしい片瀬が、青鸞の姿を認めてほっとした表情を浮かべた。

 青鸞は徐々に速度を緩めつつ駆け寄り、片瀬の傍に寄ると改めて周囲を見渡した。

 

 

「片瀬少将、これは……」

「うむ、見ての通りだ。残存の主力部隊を集めて、民間人を脱出させるつもりだ。敵の包囲に乱れが生じている今こそ好機、今の内に包囲を突破する」

「ナリタを放棄するんですか?」

 

 

 驚いたような声を上げる青鸞に、片瀬は頷いて見せた。

 中央司令部は一時東郷に任せている、片瀬自らが包囲突破・脱出の作戦の指揮を執っていた。

 そして実際、天井の岩盤の低い地下道には10台程のトレーラーと十数機――青鸞達の機体も含む――の無頼が護衛のように並んでいた。

 

 

 片瀬の話によれば、ここにいるのはナリタの民間人の半分程度だと言う。

 つまりおよそ750名、それをトレーラーに分乗させて運ぶ。

 トレーラーの周囲は軍用ジープやトラックに分乗した120名の兵――青鸞の小隊も含む――で囲み、さらに解放戦線に残った最後の無頼13機で囲みながら包囲を突破する。

 片瀬の説明したその作戦に、青鸞は唇を噛んだ。

 

 

「無論、我らはまだ負けてはおらん」

 

 

 そんな青鸞の様子を見たからか、片瀬はそんなことを言った。

 気休めにしかならない、そんな言葉。

 だが現実は敗走だ、日本解放戦線はブリタニア軍の攻勢を支えきれなかった。

 今一息吐けているのは、あくまで地滑りで敵軍が混乱したからだ。

 

 

「そういえば、先程の地滑りですけど……アレは、司令部が極秘に地下に爆弾でも?」

「う……む。そう、だったかな……?」

「……?」

 

 

 片瀬は、地滑りの件に関しては妙に歯切れが悪かった。

 瞼を揉むようにしながら眉間に皺を寄せるその姿は、どこか考えると言うよりは堪えると言った方が正しいように思えた。

 青鸞が不思議そうに首をかしげていると、片瀬は「それよりも」と話を変えた。

 

 

「この総勢1000名近くの者達に、お前もついていて貰いたい」

「……それは、つまり」

 

 

 青鸞に、逃げろと言っているのだろうか。

 大勢の仲間が残っている場に背を向けて、1人逃げろと。

 彼女がそう視線に込めて片瀬を見つめると、片瀬は苦笑を浮かべた。

 

 

「勘違いするな、お前をつけるののには打算的な理由もある」

「打算、ですか」

「そう、お前はキョウトの女だ。お前がいればキョウトは彼らを見捨てないだろう、そう言う狙いもある。決してお前を逃がそうと画策してのことでは無い、それに私も残りの半分を率いて別の方面から脱出を指揮せねばならん」

 

 

 なるほど、と、青鸞は納得した。

 自分で言うのもアレではあるが、自分は枢木家の当主である。

 名前だけとは言え、明確に見捨てはしないだろうと思う。

 もちろん、そこに頼りすぎるのも怖い話ではあるが。

 

 

 それに、確かにまだ残り750名の民間人を逃がす指揮官が必要なのもわかる。

 こちらの指揮官が誰になっているかはまだ知らないが、残り半分を片瀬が率いるというならそれはそれで納得のいく話ではあった。

 少なくとも、理屈の上では。

 

 

「ナリタは滅ぶかもしれんが、日本は滅びん。断じて、滅びはしないのだ」

 

 

 片瀬の言葉は、その意味で青鸞の精神を支えるものだった。

 確かに、ナリタ連山は日本解放戦線の本拠地ではあったが……拠点は、他にもある。

 ここを凌げば、まだ何とか組織を立て直すことも不可能では無いはずだった。

 その意味でも、キョウトとの関係の保証書のような存在である青鸞は重要だった。

 

 

 だから、青鸞は片瀬の言葉に頷いた。

 それぞれのトレーラーの後部荷台に、ぞろぞろと乗り込んでいる民間人の人々を見つめながら。

 パイロットスーツに覆われた掌を、ぎゅっと握り締めたのだった。

 そしてそんな彼女を、片瀬は目を細めて見つめている……。

 

 

「青鸞さま!」

 

 

 その時、明るい声が耳に届いた。

 ふと顔を上げて声のした方を向けば、そこにはこちらへと駆けて来る割烹着姿の少女が見えた。

 雅だ、彼女の後ろには藤堂道場の少年少女達が並ぶトレーラーも見える。

 そして袴姿の少年達に囲まれるようにして、今朝子供を産んだばかりのあの母親の姿も見えた。

 

 

 彼女の手には布にくるまれた赤ちゃんらしき包みもあって、青鸞は初めて表情を緩めた。

 他にも、彼女と面識のある民間人の姿を何人も確認することが出来た。

 先々月にブリタニア軍に潰された村から連れてきた人々や、愛沢や子供達……。

 

 

「……そうだ」

 

 

 逃げる、とは言え、その逃げると言う行為がどれほど困難か。

 青鸞は改めて自分に渇を入れた、動揺しているとはいえブリタニア軍の囲みを抜けるのだ。

 おそらく、相当な苦労を強いられることになるだろうと思う。

 

 

「微力を尽くします、片瀬少将」

「うむ、合流地点でまた会おう」

「はい」

 

 

 青鸞が頷いた時、彼女の目の前に節くれだった手が差し出された。

 それが片瀬の手だと気付くのに、数秒を要してしまった。

 そして握手を求められているのだと気付いたのは、そこからさらに数秒後のことだった。

 

 

「無事に、脱出を」

「は、はい……片瀬少将達も」

「…………うむ」

 

 

 肯定の頷きまでに間があったことを不思議に思いつつも、青鸞は片瀬と握手をした。

 片瀬の手は、想像していたよりもずっと骨ばっていて冷たかった。

 それでも痛いくらいに気持ちを込めて握ってくるので、青鸞は内心で片目を閉じる心地だった。

 空気が重いためか、どうも最後の別れみたいな気がして妙な気分だったが。

 

 

「……日本を、頼むぞ」

「え?」

 

 

 青鸞が聞き返すように顔を上げる、直後に彼女は口を閉ざした。

 少将に握手を求められると言う異例の事態もそうだが、彼の顔が。

 片瀬の顔の堀が、光の加減のせいかより深く見えてしまって……それでも、青鸞は何かを言おうとした。

 だが、何を言おうとしたのかは良く覚えていない。

 

 

 何故ならその直後、開閉側の隔壁が轟音を立てて崩れ落ちたから。

 

 

 外から内へと爆風が吹き荒れて、隔壁の一部が瓦礫となって風の乗って地下道の中へと吹き飛んできた。

 床を跳ね壁にぶつかり、トレーラーの一台に直撃してそれを横転させた。

 響き渡る人々の悲鳴と、兵達の怒声――――。

 

 

「――――ブリタニア軍!?」

 

 

 崩れた隔壁、つまり地下道の出口側に数機のサザーランドの姿を認めて青鸞が悲鳴のような叫び声を上げる。

 今、自分達は限りなく無防備に近い状態だ、だから。

 だから侵入してきたサザーランドがその肩にロケットランチャーを担いでいるのを見た時、本気で血の気が引くのを青鸞は感じた。

 

 

「いかん!! 総員――――」

 

 

 片瀬の声が飛ぶより、護衛の無頼が動くよりも先に。

 サザーランドのロケットランチャーが、地下道の中に打ち込ま――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 気を失っていたのは、ほんの数十秒から数分のことだったろうと思う。

 しかし次に目を開いた時、そこには地獄が広がっていた。

 濛々と立ち込める土埃、崩れた岩盤に横転したトレーラー、悲鳴と怒号……。

 

 

「……片瀬少将!?」

「む……あ、ああ……」

 

 

 がばっ、とそれでも彼女が身を起こしたのは、自分の横に膝をついている片瀬の姿を認めたからだ。

 額に脂汗を光らせ、目を閉じて、軽く唸っている様子の片瀬。

 身を起こして、しかし青鸞が手を止める。

 片瀬がついた膝の先、そこに赤い水溜りが見えたためだ。

 

 

「少将……!」

「……騒ぐな、見た目は派手だが大した傷では無い。それよりも……」

 

 

 重低音の片瀬の声に促されるように視線を巡らせれば、片瀬よりも危機的な状況にいる者達の姿が見えた。

 横転したトレーラーや落ちてきた岩盤の一部に身を押し潰された者もいて、子供の泣き声も聞こえる。

 つい先日まで、貧しくとも笑っていた人達が。

 

 

「行け……そして、作戦を完遂するのだ。そう、お前達が脱出するための「作戦」を……」

 

 

 片瀬の視線に圧されるようにして、青鸞は立ち上がる。

 片瀬自身も幕僚の肩を借りるようにして立ち、ゆっくりとした足取りで奥へと歩を進めていく。

 その背中を見送る青鸞、地下道の崩落も収まっている様子だった。

 そして片瀬は……片瀬達は背を向けていたから、青鸞には見えなかった。

 彼らの瞳が、僅かながら赤い輝きを放っていたことに……。

 

 

「……そうだ、皆は?」

 

 

 いつまでも見送っているわけにもいかない、先の衝撃の状況を確認しなければ。

 どうやら侵入してきたのは僅かなナイトメア部隊だけだったらしく、外から逆侵入してきた味方の部隊によって駆逐されたらしい。

 

 

 ただ、サザーランドを駆逐したのは見覚えの無い機体だった。

 無頼に似ているようだが、どこか違うようにも思う。

 しかしそれにばかり意識を向けてもいられず、青鸞は駆けた。

 まず途中で雅を見つけて、愛沢や彼女が面倒を見ていた子供達を見つけて、たくさんの人が思ったよりも無事だったことにほっとして、そして……。

 

 

「――――あ……」

 

 

 そして、見つけた。

 見つけてしまった、見たくないもの。

 見たく、無かった。

 

 

「おい、何か杭的なもん持って来い!」

「それより重機とかナイトメアだろ、早くしないと……!」

「渡辺さん! 渡辺さん! いやあぁああああぁっ!!」

 

 

 自分の呼吸が荒さを増すのを、青鸞は自覚した。

 そこでは、胴着姿の少年達が横転したトレーラーを何とか動かそうとしていて、同じ格好の少女達が泣きながら悲鳴のような声を上げている。

 彼らの間、トレーラーと岩の隙間に杭を差し込もうと頑張っている少年達の間に見えてしまっていた。

 

 

 フラつくような足取りで近付いて、しかし周囲の声は耳に届かなくなっていく。

 そして、目の前で膝をついた。

 渡辺と呼ばれた女性、うつ伏せに倒れたその人の前で青鸞は崩れ落ちた。

 差し伸べた両手は、震えるばかりで何も掴むことが出来ない。

 

 

「……ぁ、あ……ぅ……」

 

 

 唇からは、意味の無い音しか出ない。

 渡辺と言う名の女性の手の上には、厚手の布にしっかりとくるまれた小さなものがある。

 その布の中からは、空気を引き裂くような泣き声が響いていた。

 無傷だった、きっと、守られたのだろうと思う。

 

 

 母親に、庇われたのだろうと思う。

 しかしその母親、渡辺は、生まれたばかりの子供を少しでも前に押し出そうとした体勢のままで。

 ……腰から下が、トレーラーの荷台の下に消えていた。

 どうなっているのかは見えない、だが、腰の左側が不自然に陥没している様子だった。

 電気信号の反射のみで、指先や肩がピクピクと動くばかりの存在。

 

 

「あ、あ……」

 

 

 ――――何て言えば良いのと、青鸞はある少年に問うた。

 そして今、その疑問が再び彼女の心を覆っていた。

 本当に、何と言えば良いのだろう。

 この子に、この産まれたばかりの赤ちゃんに、母のことを何と伝えれば良いのだろう。

 

 

 ブリタニア軍の攻撃で吹き飛んだトレーラーに内臓を潰されて、血反吐に塗れて死んだ母のことを。

 この子に、何と言って聞かせれば良いのだろう。

 それでもあの少年は言うのだろうか、解放戦線が降伏すれば良かったのだと。

 この子を前にして、そんなことが言えるのだろうか。

 子を産んだ直後、あんな顔で微笑した母の死を……自業自得だと言うのだろうか。

 

 

「青鸞さま! しっかりなさってください!」

「……っ!?」

 

 

 肩を強く掴まれて、ようやく青鸞は現実へと意識を戻した。

 振り仰いで見れば、そこには雅がいた。

 厳しい表情を浮かべている、当然だろう、そして周囲の道場の子達も救助を諦めた様子だった。

 

 

 叫びたかった。

 喚きたかった。

 嘆きたかった。

 泣きたかった。

 怒りたかった。

 

 

 だが、それのいずれも選択できなかった。

 望まれていなかったから、自分以外の全ての人間がそうしたかったはずだから。

 見れば、目の前の母親以外にも似たような状況に陥っている者はいるのだ。

 死んでいる者はまだマシだったかもしれない、だが両足を瓦礫に潰された人間の叫びなど、戦友の頭が無くなるのを見た兵の叫びなど、子供を岩の下に失った父親の叫びなど、聞けたものでは無かった。

 

 

「み、雅……雅、雅!!」

「はい、はい! 雅はここです、ここにいます!」

「……うごけない……!」

 

 

 情けない声で、青鸞は助けを求めた。

 身体が、弛緩したように動かないのだ。

 動かねばならないと頭が理解しているのに、指先が震えるばかりで何も出来ない。

 

 

「……御免!」

 

 

 分家の少女は本家の少女を救った、頬を張るという形で。

 乾いた音と共に青鸞の身が横にズレる、その勢いを利用して青鸞は身体を起こした。

 膝を立てて手を動かし、トレーラーの下敷きになって動かなくなった母親の手から赤ちゃんを奪う。

 布にくるまれた赤ちゃんは、それを知ってか泣き喚いていた。

 

 

 青鸞はそれを雅の腕の中に押し付けた、先に行くように促す。

 周囲の道場の後輩達に対しても同じだ、肩を叩き背を叩き、無事なトレーラーに何とか乗り込むように押し出す。

 今や地下道はパニックに近い状態だ、我先にと無事なトレーラーに人々が押し寄せているのが見える。

 そして青鸞自身はと言えば、弛緩から解かれた身を何とか動かして奥へと向かおうとしていた。

 

 

「青鸞さま、どこへ!?」

「……その子、お願い……!」

 

 

 その瞳は、どこか焦点が合っていない。

 据わった眼差しで足を動かして、もつれながらも奥へと進んだ。

 据わった目で歯を食い縛り、人々の流れに逆らうように向かう先には。

 

 

 どんっ……と、何か厚いものにぶつかった。

 ぶつけた顔を右手で押さえつつ、青鸞は前を睨んだ。

 しかしその顔に、僅かながら理性の色が戻る。

 

 

「――――草壁中佐!?」

「どこへ行くつもりだ、小娘」

 

 

 そこにいたのは、草壁だった。

 周囲にパニックに陥った民間人が走り回っている中、男と少女が2人だけ停止している。

 見れば、草壁も無傷では無く……軍服の所々が破けていた。

 彼もまた、雷光と言う機体を失ってこのポイントへと呼ばれたのである。

 

 

「どこへ行くつもりだと聞いている、何をするつもりだ」

「どこへ、何を……」

 

 

 呆然としていた青鸞だが、しかし下がった一歩を再び前へと進めて。

 

 

「ぶ……無頼に戻ります、まだ動きますから。それで……」

「それで?」

「だ、脱出を、手伝います。それから、無頼で瓦礫の除去やトレーラーを戻して、助けられる人を助けて、それから」

「それから?」

「そ、それから……それから、それから」

 

 

 ――――コロシテヤル。

 音は無い、だが少女の唇の形がそう歪むのを草壁は見た。

 額から流れる血を拭うこともせず、彼は青鸞を見ていた。

 青鸞の視線は一時後ろへと向き、遠くに倒れるサザーランドの残骸を見て、そして。

 

 

「こ、殺す……殺してやる、殺してやる――――殺してやるっっ!!」

 

 

 絶叫。

 頬を掻いた両手の指、その爪先が頬を切って僅かな血を流させる。

 それは、どこか涙のようにも見えた。

 

 

 青鸞の胸には、確かな憎悪と殺意と憤怒があった。

 それはスザクに感じたものとはまた違う、もっと漠然とした、救いようの無い感情だった。

 よくも、よくもよくもよくも、よくもよくもよくもよくもよくも――――よくも!

 ブリタニアへの憎悪、ブリタニア軍への殺意、ブリタニア人への憤怒。

 

 

「よく、よくも……よくも、ブリタニア。よくも、ボクの、よく……今日、会った、産まれた、ばかり。なのによくも、よくも、畜生、畜生、畜生、ちきしょう……!」

「…………」

「み、皆、ブリタニアの奴ら、殺してやる、殺してやりたい……何度も、日本を、よくも。だから、(ワタシ)、ボク……こ、殺してやる。皆殺しにして、後悔させて……!」

 

 

 ――――堕ちる。

 自分がどこか昏い場所へと堕ちていくのを、青鸞は自覚した。

 しかし止められない、止まらない、どうしようも無かった。

 だって、彼女はいよいよ本気でブリタニアを憎んで。

 

 

 そんな少女の肩に、草壁は手を置いた。

 置かれて、青鸞は顔を上げた。

 いつも以上に近い位置にいた巨漢の男に、僅かに目を見張る。

 

 

「……良く言った」

 

 

 重く低い声で、草壁は頷いて見せた。

 良く言ったと、それでこそだと。

 それは、草壁が初めて青鸞にかけた肯定の言葉だった。

 支持の言葉だった、だから青鸞は虚を突かれたような顔で草壁を見上げる。

 

 

 草壁の瞳が、見たことも無い程に澄んでいて……青鸞は、口を噤んだ。

 そんな青鸞に、草壁は再び頷きを返す。

 しばしの間、男と少女が視線を交わした。

 

 

「……耳を貸せ、策がある」

「え、あ……はい」

 

 

 やはり虚を突かれて、青鸞は素直に頷いた。

 顔を僅かに横に動かし、耳を近付けるようにしつつ背筋を伸ばして。

 そこへ、草壁が口を寄せた。

 

 

「――――馬鹿者が」

「え?」

 

 

 青鸞は、鈍い音を聞いた。

 それが自分の身体から発せられた物だと気付いた時には、地面に両膝を揃えて落としていた。

 身体を支えることが出来ず、腹部からジンジンと広がる痛みに呻きながら頬を地面に押し付ける。

 気付けば崩れ落ちるようにして、倒れていた。

 

 

 僅かに動く顔を動かせば、自分を見下ろす草壁がいた。

 掠れる視界の中で、草壁がどんな顔をしているのかは見えない。

 ただ、青鸞の目尻に薄い雫が浮かんで……何かを、言おうとして。

 ――――彼女の意識は、そこで途絶えた。

 

 

「……ふん」

 

 

 草壁は倒れた青鸞を見下ろし、鼻を鳴らしていた。

 馬鹿な小娘が、と、心の底から思っていた。

 

 

「その娘が目覚めたら、伝えておけ」

 

 

 これまで姿を消し、今忽然と姿を現した男に草壁は言った。

 倒れた青鸞を助け起こし、姫抱きにした彼の名は三上秀輝。

 枢木本家を守護する家系の青年、キョウトの人間だ。

 草壁はその男に興味の無さそうな視線を向けると、背を見せて歩き出した。

 

 

「貴様如きの憂さ晴らしに日本を付き合わせたら、この草壁が承知せんとな……!!」

 

 

 青鸞の細い身を両手で抱いた三上は、その黒い瞳を草壁の背に向けて。

 

 

「……何処へ」

「知れておるわ、戯けめ」

 

 

 一度だけ振り向き、三上の腕の中で脱力する青鸞を見て、草壁は。

 

 

「……無頼に、空きが出たからな」

 

 

 いつものように、鼻を鳴らして笑ったのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「どこだ、どこに行った、青いブライ……!!」

 

 

 突然の地滑りで混乱する戦場、キューエルは未だその中をほぼ独力で駆けていた。

 機体のエナジーは残り30%を切っていて、計器による警告もそろそろ成されるだろうと言う時だ。

 林道寺隊は時間稼ぎの後、チャフスモークを利用して巧妙に撤退して見せた。

 キューエルの傍には2機のサザーランドが従うようについてきている、こちらはキューエルに引っ張られてと言う印象が強い。

 

 

 一方、通信によればジェレミア隊の方は壊滅したらしいと聞いている。

 だがもはやキューエルにとってジェレミアなどどうでも良い、ただ己の名誉の回復のみを求めていた。

 それがひいては家族や妹の立場を強化することにも繋がる、彼も必死だった。

 渋る部下を引き連れて、ナリタの山の中を駆け続ける。

 

 

『……キューエル卿、アレを!』

「むぅ!?」

 

 

 その部下の声に顔を上げると、1キロ程先の山の斜面で大きな爆発が起こるのが見えた。

 サクラダイト特有の桜色の閃光が一瞬だが確認できた、まるで穴を広げるかのような爆発が山の内部から起こったのだ、何かあると確信を持つには十分だった。

 加えて、サザーランドに入る味方の通信。

 

 

『こちら北西方面部隊! ナリタ内部から、敵軍が……!』

『内部に侵入したサザーランド隊は壊滅した模様、予備部隊を中央へ回したため、こちらは手薄だ! 至急、救援を請う! 救援を――――ッ!!』

 

 

 キューエルはそれを聞いて唇を歪めた、どうやらイレヴンのネズミ共は堪らず外に出てきたらしい。

 奴らは脱出するつもりなのだ、もしそうなら。

 あの青いブライも、きっとそこにいるはずだ。

 

 

「良し! 我らも向かうぞ!」

『は、はっ、し、しかしキューエル卿、我々の機体のエナジーも限界』

「まだ3割ある! それだけあれば十分だ、友軍の窮地に弱音を吐くな!」

『『い、イエス・マイ・ロード!』』

 

 

 操縦桿を前に倒してフルスロットル、最大戦速でキューエルとその部下は現場へと向かった。

 サザーランドの機動は軽い、キューエルの技量と感情が乗り移っているかのようだった。

 事実、彼は今度こそ逃がさないと言う意気込みで現場へと向かっていた。

 

 

 そして、後にナリタ攻防戦の名で歴史の教科書に載ることになる戦いは最終局面に入った。

 ここから先には、英雄譚は存在しない。

 ただ、戦争と言う人類の共同作業の一つが展開されるばかりだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 まずは地下道出口の敵を排除する、中央の混乱が収拾されきっていない今ならば大した戦力では無い。

 包囲網が全体的に薄くなっている今がチャンスであって、だからその点において藤堂は土砂崩れを起こした者を信頼していた。

 これだけ大規模な仕掛けをするような人間、そうそういるものでは無いが……。

 

 

「民間人を逃がすことが最優先だ……すまないが、お前達の身の安全を考えて策は練れん、許せ」

『大丈夫ですよ、藤堂さん。自分の身の安全くらい自分でどうにかします』

『ええ、甘く見ないでください』

 

 

 朝比奈と千葉の返答に僅かに笑った後、自ら乗り込んだナイトメアの中で藤堂は目を鋭く細めた。

 今の会話をしている間にも、彼は機体の刀を振るって逃走ルート上にいるサザーランドを1機両断していた。

 無頼改、通常の無頼の頭に長い飾り房をつけたような形状のその機体を駆って。

 

 

「――――時間を置けば敵の本隊・予備隊が戻ってくる、それまでに活路を見出す。斬って斬って斬り通れ!!」

『『『『承知! 我ら四聖剣の誇りに懸けて……!!』』』

 

 

 撤退戦、それも民間人を抱えての撤退戦だ。

 血の滲むような、泥と汗に塗れるような無様な戦いになるだろう。

 だが、ここに兵士と言う救い難い人間達の微妙な心理が働く。

 それは、あえて言葉にするのであれば……人殺しを生業とする職業、軍人、それに携わる者がある意味で最も甘美な興奮を覚える一瞬。

 

 

 無辜の民を守り、戦う、その時に兵が感じる昂揚感だ。

 通常、前線で戦う兵士には守るべき市民の姿が見えない。

 当たり前だ、映画や特撮でもあるまいし市民の前でショーのように戦争する者はいない。

 だが市民を保護しての撤退戦は別だ、兵達の傍には守るべき市民がいて、兵が倒れれば彼らは死ぬ。

 守るべき市民を背にした時、彼らは兵士からただの人間になる……弱者を守りたいと願う強者に。

 

 

「先頭は我らの隊で斬り開く、残りは保護民を乗せたトレーラーを囲みつつ紡錘陣を敷け。殿(しんがり)は野村の隊に任せる……()くぞ!」

『『『『承知!』』』』

 

 

 キョウトから受領したばかりの機体を駆る藤堂と四聖剣、その彼らの後に続くように地下道から次々とトレーラーが出てくる。

 整備されていない山道を必死に走り、ナリタ北西の方向に真っ直ぐ進む。

 その先に何があるわけでは無いが、そこが最も包囲の薄い所なのだ。

 

 

 もちろん、薄いとは言えブリタニア軍が撤退行をみすみす見逃すはずも無い。

 地下道から出て、森を抜けて渓谷を通り、走破しようとする彼らを逃がす程優しいわけは無い。

 脱出に気付いた部隊が、順繰りに襲い掛かってくる。

 

 

『イレヴンを逃がすな、ここで逃がせばコーネリア殿下の顔に泥を塗ることになるぞ!』

『おお、穴倉から出てきたネズミはここで殲滅してやるぜ!』

 

 

 藤堂達は道を開くために先頭にいる、他については気が回らない。

 だから側面から襲い来るサザーランドなどについては、自力で何とかして貰う他無い。

 そして襲いかかってきたサザーランドがスラッシュハーケンを放ち、後部の荷台の中央を抉る。

 運転手の兵士は必死に列の外側に向けてハンドルを切り、他を巻き込まないよう努力した。

 それでもバランスを崩し、横転、黒煙を吐きながら2台の軍用ジープを巻き込んで転がった。

 

 

 転がった、と一口に言っても、そこには生きた人間が乗っているのである。

 その横を擦り抜ける他のトレーラーの運転手は、トレーラーから投げ出される人々を見た。

 身体の一部を欠損しながら地面に落ち、後続車両に轢き潰される者もいる。

 しかしそうした屍を乗り越えてでも、全体を生かすために走り続けなければならなかった。

 

 

「く……!」

 

 

 1台のジープがそれを見て止まった、投げ出された人々の中には生存者もいたためだ。

 義侠心に駆られた者達が救援に行くのも、無理は無いだろう。

 だが、往々にして。

 

 

『馬鹿野郎、止まるな!!』

「しかし! うあ……!?」

 

 

 通信機に向かって運転手の男が叫んだ時、彼らの目の前に薄紫の装甲を持つナイトメアが屹立した。

 先程、トレーラーを破壊したサザーランドだった。

 車体を掴み身を仰け反らせる彼らに、そのナイトメアはアサルトライフルの銃口を向けた。

 彼らごとトレーラーの人々を吹き飛ばす気だ、と気付いた次の一瞬。

 

 

 サザーランドのアサルトライフルに、対戦車砲のロケット弾が直撃した。

 ヨロめくサザーランド、その目前にいるジープの後ろを別のジープが走り去って行った。

 後部座席に立った男の手には弾を失った対戦車砲があり、それを肩から下ろしつつ彼は舌打ちした。

 

 

「狙撃兵の仕事じゃない……」

『わぁってるよ、無茶言ってるってのはな』

 

 

 同じような声が、後方からカバーに来た無頼の中から響く。

 側面から次々と湧いて出るナイトメア部隊に、民間人を乗せたトレーラーや軍用のジープやトラックが次々と餌食にされていく。

 所々で起こる爆発、悲鳴……しかし、一つ一つについてかかずらわってはいられない。

 幸い、戦車や砲撃などは無いので……ナイトメア部隊さえ振り切れれば何とか、と言う状況だった。

 

 

『藤堂さん、後続の車両が!』

「わかっている、だが……!」

 

 

 無傷で抜けれるなどとは思っていなかったが、それでも犠牲が大きすぎる。

 だからこその朝比奈の声だったのだが、先頭を行く藤堂た達にも余裕は無いのだ。

 立ち塞がる敵ナイトメアを斬り伏せ、進路上に戦車や装甲車があればこれを排除する。

 それで手一杯だ、これ以上のことは出来ない。

 「奇跡の藤堂」も、万能では無いのだ。

 

 

(だが、せめて……!)

 

 

 1人でも多く、と、目前のサザーランドのランスを潜り抜け、無頼改の刀の刃を胸部に突き込みながら藤堂は奥歯を噛む。

 刃を引き抜き、そして押し出して進路上の外で爆発させる。

 その閃光に目を細めながら、藤堂はなおも後続を気にしていた。

 

 

(せめて、青鸞は……!)

 

 

 二重の意味で、藤堂はそう思う。

 まず第一は、彼女が生存する限り撤退者を保護すると言った桐原の言を信じて。

 そして第二は、自分が真実を話さないために引き込んだことに負い目を感じて。

 

 

「だから、ここは――――……!」

「ここは、死守するぞ!!」

 

 

 先頭の藤堂の言葉に被せるように叫んだのは、野村恭介(のむらきょうすけ)と言う将校だった。

 20代後半、黒髪に灰色がかった瞳を持つ男だ、「逃げの野村」と呼ばれる撤退戦のエキスパートである。

 彼は最後尾にあって無頼を駆り、アサルトライフルを部下と共に斉射していた。

 逃げのエキスパートとは言え、流石にこの窮地には逃げ一手ではどうしようも無い。

 

 

「命あっての物種とは言え、これはキツいな……」

『馬鹿者共め、この程度で怯むで無いわ!!』

「……草壁中佐ッ! その機体は……!」

 

 

 その時、側面前方から下がって来た機体があった、濃紺の無頼である。

 右のランドスピナーの調子が悪い様子だったが、トレーラーの群れの速度程度ならついてこれるらしい。

 武装は全て失っているが、無頼用のアサルトライフルを所持している。

 

 

「ふん、小娘のサイズでは聊か手狭だが……」

 

 

 本来は青鸞専用の小さなシート、草壁の巨体では収まりきらなかった。

 背もたれにはもたれられない、シートの枠は草壁の肩甲骨のあたりで止まっている。

 嫌が応にも、そこに本来座っていた操縦者の小ささを思い知らされる。

 それ程に、草壁にとってはそのシートは小さかったのだ。

 

 

 そう、小さい。

 あまりにも小さすぎて、腹立たしくなってくる程に。

 こんな小ささで、いったい何が出来ると言うのか。

 本当に、あの少女は。

 

 

「温いわあああああああああああぁぁっ!!」

 

 

 ライフルの弾幕を縫って接近してきたサザーランド、その腹部装甲に濃紺の無頼の左拳が叩き込まれた。

 裂帛の気合いの乗った拳、だが強度がついてこれなかった。

 無頼の左拳が砕け、部品が弾け飛ぶ。

 しかしそれで離れたサザーランドに、草壁はアサルトライフルの弾丸を叩き込んだ。

 

 

「ふん、小娘のように柔な拳だ……!」

 

 

 マニュピュレータが砕けたことを報告してくる小五月蝿いモニターを殴打で止めて、草壁は鼻を鳴らした。

 やや乱れの見えるメインモニターには、こちらを追撃してくる敵軍の姿が見える。

 そして、その時。

 

 

『野村隊長、新手が!』

「何!?」

 

 

 それまで撤退行の最後衛に敵の接近を許さなかった彼らだが、全体から見て右斜め後ろの位置から別の一隊が突入してきたのである。

 サザーランドが3機、それはキューエルの隊だった。

 キューエルが来た時、撤退行に参加した車両はその3割を喪失していた。

 

 

「見つけた、青いブライイイイイイイイイイイイィッッ!!」

 

 

 操縦桿を前に倒し、キューエルのサザーランドが疾走する。

 彼のサザーランドは無頼のアサルトライフルの弾丸を巧みに回避しつつ、無頼を上回る速度で野村の隊に接近した。

 スラッシュハーケンで右端の無頼のアサルトライフルを吹き飛ばし、怯んだ所をランスで貫いて粉砕する。

 

 

『北村ぁ!!』

 

 

 野村が脱出すら出来ずに爆発に呑まれた部下の名を呼ぶが、当然返答は無い。

 一方でキューエルは、もちろんそこで止まるほどやる気の無い騎士ではなかった。

 そのまま流れるような動きで疾走を続け、最後衛の部隊の脇を抉るように突撃をかけてくる。

 と言うより、むしろ濃紺の無頼に乗る草壁を目掛けて突撃しているようにすら見える。

 

 

「ぬ、何だ貴様はぁ……!」

『シネエエエエエエエエエエエエェェッッ!!』

 

 

 草壁としては知りようの無い話だが、キューエルが青鸞の機体に持っている執着は並みでは無かった。

 そんな執着は、しかし草壁にとってはまさに関係の無い話であって。

 よって彼は彼で、己の信念に基づいて迎撃の構えを取ることになる。

 

 

「ブリタニアの犬めがああああああああぁっっ!!」

『イレヴンンンンンンンンンンンンンンンッッ!!』

 

 

 これが、日本解放戦線の撤退戦。

 高速で移動しながらの戦闘、時間を経るごとに犠牲は増えていく。

 特に日本解放戦線側の犠牲はブリタニア軍の10倍の速度で加速度的に増えていくが、だからと言ってブリタニア軍が痛みを感じていないわけでは無い。

 

 

 しかし、足りない。

 

 

 ナリタ連山北西方面、山々を抜ける渓谷に一行は差し掛かる。

 両側の崖は高く、下の道はトレーラー3台分の広さしかない。

 よってブリタニア軍もここでは側面からの攻撃は出来ず、だからこそ解放戦線のルートになっているのだが。

 だがブリタニア軍の方が速度が上なため、このままでは逃げ切れない。

 

 

「このままでは……!」

 

 

 先頭にあって、全ての状況を最も理解しているだろう藤堂は苦い顔を浮かべた。

 そう、このままでは逃げ切れない。

 それがわかっているから、だから彼は。

 

 

 

『違うな、間違っているぞ――――藤堂鏡志朗』

 

 

 

 突然響いた通信に、藤堂が目を見開く。

 そのマイク越しのような特殊な音声、言葉遣い、威圧感。

 それは、まさにあの。

 

 

 その、次の瞬間。

 日本解放戦線側の最後尾――キューエル達を含めて――が渓谷に完全に入った、その瞬間。

 渓谷両方、その崖が中ほどで桜色の爆発が起こった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その爆発の衝撃は、地滑りに続く第2の衝撃をブリタニア軍に与えた。

 日本解放戦線の一行に肉薄しつつ入り込んだ一部の部隊はともかくとして、後半の追撃部隊についてはそうだった。

 具体的には渓谷の両崖に埋め込まれたサクラダイト爆雷、その爆発の結果が。

 

 

『な……何だ、何が起こった!?』

『前進部隊と連絡は!』

『今……いや、待て、アレは何だ!』

 

 

 渓谷の入り口を塞いだ――数機のサザーランドを巻き添えに――土砂の前で、後から追撃をかけてきたサザーランド部隊は停止せざるを得なかった。

 ナイトメアならば登れない程ではないにしても、やはり足止めはされる。

 まして、崩れ落ちた土砂の上に別の存在が並んでいれば……。

 

 

「ここは元々、日本解放戦線の訓練キャンプがあった場所だ……まぁ、俺も司令室で地図を確認するまでは知らなかったが」

 

 

 地下道の位置、兵力の配置、ブリタニア軍の状態、そしてルート選定。

 その全てを頭脳一つで行い、そして的中させる、それが出来るだけの能力がある。

 この手の読みにおいて、彼はかなり高度な才能を有していた。

 

 

「しかしサクラダイト爆雷とは、誰を訓練していたキャンプかは知らないが……設定した奴は大した鬼教官だな」

 

 

 コックピットシートに肘を立てながら、その男は笑った。

 暗い笑みだ、己の策が的中した時特有の笑みだった。

 そんな彼の前には、ブリタニア軍のナイトメア部隊合計12機。

 これ以上の援軍はおそらく、無い。

 だから。

 

 

 だから、黒髪の少年……ルルーシュ=ゼロは、自分の無頼の腕を軽く上げる。

 その次の瞬間、彼の乗る無頼の横に並んだ5機の無頼がアサルトライフルを構えた。

 それに目を細め、そして――――腕を下げた。

 

 

「出来ればコーネリアを押さえたかったが、白兜のガードがあっては流石にな。紅蓮ならば対抗できる可能性もあるが……」

 

 

 メインモニター、無頼ともサザーランドとも違う異なる形状をした真紅のナイトメアが戦場を駆けている。

 直立してもやや身を屈めたような、どこか幅の長さを感じる独特のフォルム。

 特徴的なのは、赤い波動を放つ右腕の長大な銀の爪。

 

 

 純日本製ナイトメアフレーム、紅蓮弐式。

 紅月カレンの駆るその機体は、無頼の援護射撃を受けながらも12機のサザーランドを駆逐していく。

 一騎当千、まさにその言葉こそが相応しい。

 ルルーシュ=ゼロの目から見ても、あの機体なら白兜……ランスロットと正面から打ち合えるだろうと思うのだが。

 

 

「……これで貸し借りは無しだ、青鸞。後は自分達で何とかするんだな」

 

 

 彼らの名は、黒の騎士団。

 ナリタ攻防戦に介入し、ブリタニア軍がこの戦いで受けた損害の実に9割を生み出し、そして日本解放戦線と保護民間人の逃走に力を貸した義侠の集団。

 ……と、言うことに、今後なるのだろう。

 

 

 しかし、そんなルルーシュ=ゼロもいつまでもここに留まるつもりは無かった。

 何故なら彼は、知っていたからだ。

 保護した民間人と少数の部隊を包囲網の外に散らせた後、ナリタに残った日本解放戦線が何をするつもりなのか。

 ルルーシュは、知っているから。

 

 

「良し、もう十分だ! 条件はクリアされた、黒の騎士団、転進する!!」

 

 

 そして、この後。

 ナリタ攻防戦の最後の局面が訪れることになる、そしてそれこそが最大の局面でもある。

 それは、それは――――……。

 

 

 それは、覚悟だ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 片瀬と言う男の生涯は、一勢力を率いた軍人としては聊か凡庸なものだ。

 士官学校は出ているが席次は45番、取り立てて目立つような人間ではない。

 元々前線に立つような人間では無く、後方を担当することの方が多かった。

 7年前の戦争でも前線に配置されることは無く、後方にいた。

 

 

 戦後、彼が日本解放戦線のトップに据えられたのは先に言った通り、彼の階級が最も高かったからだ。

 何しろ中将以上の人間は戦犯としてブリタニアに捕らえられていたし、他の少将級の人間は基本的に自前で組織を立ち上げることの方が多かったのだ。

 最終的に片瀬の組織が残ったのは、ひとえに藤堂の存在が大きい。

 

 

「藤堂達は、ナリタの本山の範囲内から出たか……」

「はい、2分ほど前に」

 

 

 そして今、片瀬はナリタの地下要塞の司令室にいた。

 負傷した身体を引き摺るようにして、端末の前に立っている。

 周囲には東郷を含む幕僚団もいる、彼らは片瀬の後ろに整列するように立っていた。

 片瀬は彼らを一度だけ省みると、困ったように眉を顰めて。

 

 

「お前達まで付き合う必要は無いのだぞ」

「いえ、我ら幕僚団。最後まで閣下のお供をさせて頂きます」

 

 

 どうして残り750名の民間人を連れて脱出しているはずの彼らがここにいるのか、理由はいくつかある。

 まず、前提条件が違うのだ。

 青鸞に言った、脱出させるべき750人など存在しない。

 これは地下道を守っていた草壁の方が詳しいだろうが、すでにナリタは内部に敵の侵入を許している。

 そして地滑り、あれは実は地下にも大きな影響を与えた。

 

 

 地盤が緩み、岩盤が緩み、何もかもが揺れて緩んで――――崩れた。

 雷光を配置した地下道も、保護した民間人がいた場所も。

 今や、全て土と岩の下だ。

 750人がいた居住区に雪崩れ込み虐殺を行っていた、ブリタニア軍ごと。

 だから残りの750人を藤堂に預けた片瀬としては、無理に脱出する必要が無くなったのである。

 

 

「ブリタニア軍を引きつける為に、司令室から信号を発し続ける必要があったが……」

 

 

 戦略パネルを兼ねたテーブルに備え付けられた端末、その中央の透明カバーを開ける。

 そこにあるのは赤いボタン、黄色と黒で彩られた枠に囲まれているそれ。

 

 

「私以外の旗印もある、ああ……疲れたよ」

 

 

 彼の瞳は変わらず赤く輝いている、しかしどこかそれを受け入れている風でもあった。

 元よりそれは、人の意思で逆らえるような力では無いが……。

 勝利の見えない、出口の見えない抵抗の道。

 その歩みをやめられる、それは何と甘美で……楽なことか。

 

 

「だが……最後くらいは」

 

 

 そして、ボタンを押した。

 戦場各所の様子を映し出したメインモニター、その隅にカウントダウンが始まる。

 赤く輝くその数字を満足げに見つめる片瀬に、幕僚の1人がお猪口を差し出した。

 日本酒の注がれたそれを受け取って振り向けば、全員が同じようにお猪口を持っていた。

 軽くお猪口を掲げて、片瀬を最初として全員が一息に飲み干す。

 

 

日本(にっぽん)……」

 

 

 片瀬がお猪口を握り、そしてそれを掲げる。

 その後全員で同じ言葉を叫び、床にお猪口を投げ、そして声が音として届く前に。

 お猪口が、砕ける前に。

 その場の全てを、光が包んだ。

 

 

 生み出された光は、やがて振動となってナリタ連山全体を揺るがす。

 ただそれは先の地滑りとは異なり、地震を引き起こすような強い物では無い。

 むしろ、山の内側にこだまするような重厚な響きと音だ。

 具体的には、ナリタ地下要塞の全てを押し潰すための――――。

 

 

「何だ、まさか、また地滑り……?」

「いや、違う。これは……!」

 

 

 スザクが顔を上げ、コーネリアが唇を噛む。

 それぞれのナイトメアの中で、彼らは地面を揺るがす地下の崩落の揺れをただ感じていた。

 岩盤内部に元々仕込まれていた、サクラダイトの爆薬の衝撃を。

 

 

「あ、あれは……ゼロ!」

「――――流石だな、日本解放戦線! 敗北より自決を選ぶとは」

「自決!?」

 

 

 ナリタ中央から対比する道すがら、途上の見張り小屋が桜色の閃光と共に地面の下に沈みこむのを見て、黒の騎士団のメンバーも動揺した声を上げる。

 それに昂揚した声を作って応じるのはルルーシュ=ゼロだが、声と表情が一致していない。

 ルルーシュ=ゼロにとっては、そもそも日本解放戦線などに価値を見出していない。

 いや、むしろ邪魔だった、だから――――。

 

 

「片瀬め、あの手を使ったか……!」

 

 

 一方で、藤堂を先頭とする脱出組は渓谷を抜けた所だった。

 そこまで崩落の揺れが来ているわけでは無かったが、しかし草壁などは察していた。

 だからこそ草壁は苦い顔をするわけだが、その意味を知るのは彼だけだった。

 

 

 その時、草壁の無頼――青鸞の専用機――が激しく揺れ、急にバランスが悪くなった。

 いや、それどころか脚部が直に地面に触れてコックピットが振動した。

 さしもの草壁もつんのめり、身体をコックピットの各所にしたたかに打ち付けた。

 

 

「ぬぅ、機体が……!」

 

 

 右のランドスピナーが爆発し、走行が不可能になったのだ。

 そしてさらに2つの危機が草壁を襲う、まずはエナジーが尽きかけていることだ。

 エナジー切れの警告音がコックピットに響き、さらに面倒なことに。

 

 

『逃がさん! 青いブライイイイイイイイイイイィッッ!!』

 

 

 キューエルのサザーランドが、動きを止めた草壁の無頼に追いすがってきた。

 一度は土砂の勢いに任せて距離を明けたのだが、どういう執念か追撃をかけてきたのだ。

 向こうも無傷ではない、右腕を失っているなどの損傷を受けているにも関わらずだ。

 

 

『く、草壁中佐!』

「構うな! 今の内に距離を稼げ……私のことは良い! 行って、せいぜい藤堂とあの……」

 

 

 元より、足の潰れたナイトメアではついていけない。

 左のランドスピナーだけで機体を立て直し、半回転させて後方からのサザーランドの突撃を受け止める。

 損傷があるとは言えスペックは相手が上だ、押さえきれずに後ろへと押される。

 ランドスピナーが無い足の方向へ機体を押され、渓谷出口の崖に機体の背中を押し付けられた。

 

 

『ふふふふはははははははっ、これでえええええええええぇぇっっ!!』

「ええい、ブリタニアの犬が!」

 

 

 武装は無い、機体も動かない、唯一残った無頼の腕でサザーランドの頭部を掴む。

 互いの機体の無理がたたったのか、青白いスパークが2機の間で発生する。

 それはやがて、互いのコックピットにも広がってきていた。

 しかしキューエルはそれに構わない、自分と家と家族の名誉がかかっているからだ。

 そして、草壁は。

 

 

 彼は、最後の武装を使う。

 アサルトライフルを失い、機体もまともに動かない無頼に残された武装はたった一つ。

 右の操縦桿横の端末に指を滑らせる草壁、備えられたボタンはやけに小さく押しにくい。

 それで、嫌でもどこかの誰かを思い出す。

 

 

「……あの小娘め、最後まで面倒をかけおる」

 

 

 その時、草壁が浮かべた表情がどんなものだったのかを知る者はいない。

 何故なら、その後にコックピットを包んだ光に照らされてしまったから。

 

 

「何……!?」

 

 

 サザーランドのコックピットの中、キューエルが光を放つ無頼から身を引こうとしたその時。

 重く低い、厚みのある笑い声と共に。

 小さなオレンジの光が、衝撃と共にその場を覆った。

 その衝撃で緩んだ地盤が崩れ、その場に再び小規模な土砂崩れが起こる――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――青鸞が目を開けた時、妙に空が暗かった。

 それが雲なのか霧なのか、それとも煙なのかはわからない。

 ただ、雨が降っているんだな、と思っただけで……。

 

 

「……草壁中佐!?」

 

 

 冷たい雨の雫で意識が戻り、意識が戻れば急激に記憶が回復した。

 そして回復した記憶は、最後の映像を彼女の脳裏へとフラッシュバックさせたのだった。

 だから青鸞は、雨の雫を弾かせながらがばりと身を起こした。

 

 

 だが、そこは彼女の記憶に無い場所だった。

 場所と言うか、雨水を吸って緩んだ山道の中だ。

 深緑色のジープの上、何故か屋根の部分が吹き飛んで存在しない。

 雨に打たれるのはだからか、と、妙に納得する。

 身を包むパイロットスーツの上には、誰かの軍服の上着をかけられていた。

 

 

「え……」

 

 

 周囲にいるのは、見知った顔だった。

 まず青鸞はジープの後部座席にいて、その両隣には茅野と佐々木がいる。

 運転席でハンドルを握っている男の後頭部にも見覚えがある、青木だ。

 助手席に座っているのはヘッドホンでわかる、古川だ。

 

 

 口々に気が付いた青鸞に声をかけてくる彼女達に、しかし青鸞は明瞭な返答を返せなかった。

 戸惑ったように目を開いて、周囲を見る。

 車のライトが見えた、それも一台や二台では無い。

 ジープの他にも数台のトラックやトレーラーがあって、それぞれに人が乗っているようだ。

 

 

「あ……?」

 

 

 後ろを走るトレーラーを確認した時、見えた。

 もう、山をいくつ越えたのだろうか……数キロは離れたその先に、光が見えた。

 だがその光は照明ではなく、自然の光、炎だった。

 薄暗い世界の中で、それだけが光源であるかのように輝きを放っている。

 

 

 地面が大きく波打つように広がっているそれが、ナリタ連山だと気付くのに時間はかからなかった。

 燃えている。

 ナリタが、燃えている。

 雨の中にあってなお、ナリタ連山が燃えていた。

 それに気付いた時、青鸞は表情を歪めた。

 

 

「……!」

 

 

 座席から後ろへと身を乗り出しかけた青鸞を、両隣の佐々木と茅野が止めた。

 服を、身体を、腕を掴んで青鸞を止める。

 何かを話しかけてきているようだが、青鸞には届いていない。

 その中で、青鸞は手を伸ばした。

 届くはずも無い、ナリタ連山へと――――求めるように。

 

 

『――――馬鹿者が』

 

 

 細かい事情は、実はわからない。

 それまで気を失っていた青鸞には、わかるようが無い。

 ただ一つ、わかることは。

 記憶と直感、それによってわかることが一つだけある。

 

 

「……ぅ、さ、くさ……べ……ちゅ、さ、く……ッッ!」

 

 

 佐々木と茅野に押さえ込まれて、何も出来ず。

 ただ、彼女は叫んだ。

 闇の中、雨の中、ナリタが燃え行く中で、ただ。

 ただ――――……。

 

 

 

 

「くさかべちゅうさあああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」

 

 

 

 

 降り注ぐ雨は涙、轟く雷鳴は絶叫。

 日が落ちたその時間に、1人の少女が叫び声を上げて。

 彼女は再び、絶望を()った。

 




採用キャラクター:
アルテリオンさま(ハーメルン)提供:林道寺先哉。
飛鳥さま(小説家になろう)提供:野村恭介。
りゅうさま(ハーメルン)提供:狙撃兵(及び通信先のナイトメアパイロット)。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 と言うわけで、私の得意技……「登場主人公に対してドS」が発動しました。
 いやぁ、どん底に落とすってとても気持ちが沈みます。
 でもテンション上がります、早く浮上させたいです。
 それでは、次回予告。


『正義って何?

 罪なき者が罪ある者に虐げられる時、正義が何をしてくれた?

 何もしてくれない、正義も神も世界も、何もしてくれない。

 どうして?

 どうして、皆、いなくるなるの……?』


 ――――STAGE13:「泣く女 待つ女 笑う女」


 以下、募集です。

<主人公のナイトメア関連募集!>

 今回の募集は、主人公の新しいナイトメア(ロボット兵器のようなイメージでお願いします)に関するものです。
 話が12話まで進み、皆様にも主人公の目的や戦法など、それぞれある程度ご理解頂けたかと思います(だと良いなと思っています)。
 そこで、主人公である青鸞の新しいナイトメアに関する募集を行います。
 具体的には以下の募集になります。

<募集>
1:ナイトメアの武装
 (主要な募集品です、よって比較的採用可能性は大きいです)
2:ナイトメア
 (ナイトメアそのものの募集、採用可能性は極小です)

*説明。
今回の募集の主力はあくまでナイトメアの装備品です、条件は以下の通り。

1について。
・「コードギアス」1期時点の技術で可能と判断されるものは、原則としてどのような武装でもOKです。
(判断がつかない場合は、作者までメッセージで質問するか、投稿した上で判断を任せる旨をご記載ください)
・元々機体に内臓・付属するタイプ(例:手首の装甲部に速射砲)、あるいは外付け・後付け(例:使い捨ての大砲)、どちらでも構いません。
・名前と性能の2種は最低限記載してください。
・ユーザー1名に付き、2個までに制限させて頂きます。

2について。
・機体丸ごとの提案を受け付けます、これに関しては「武装2種まで」と言う1の条件は適用されません、好みのままの武装を設定してください。
(よって武装のみ採用ということはありません、武装のみでも採用して欲しい場合は、1として2種まで投稿してください)
・ただし、武装と異なり機体そのものの採用はかなり難しいと了解頂いた上でご投稿ください。
・「コードギアス」1期時点で開発可能なナイトメアは原則OKです。
(判断がつかない場合は、1と同様です)
・名前、武装、搭乗人数、外見(外観)を必ずご記載ください。
・ユーザー1名につき、1個までに制限させて頂きます。


*全体条件。
・締め切りは、2013年3月25日18時までです。
・投稿は全てメッセージでお願いします、それ以外は受け付け致しません。
・不採用の場合もございますが、連絡などは致しません。

以上の条件にご了承を頂いた上で、振るってご参加くださいませ。
では、失礼致します。


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STAGE13:「泣く女 待つ女 笑う女」


今話で週3投稿は終了、来週は月金の週2投稿になります。
では、どうぞ。

なお、後書きに前回からの継続で募集要項を掲載しております。
よろしければ、どうぞです。


 

 ――――その一団が発見された時、その人数は128人にまで減っていた。

 単純距離にして400キロ近くを走破……そして、移動手段を失ってからは踏破した彼女達。

 無事な者は誰もいない、雨と汗と血と、何より泥に塗れている。

 みすぼらしいその姿は、ゲットーの住民と見紛うばかりだった。

 

 

 対馬照明(つしまてるあき)と言う桐原家の諜報員が回収班と共にその場に訪れた時、キョウトの山中で彼女達を見た感想がそれだった。

 42年間の人生の中でも、なかなかに出来る経験では無い。

 特に、キョウト本家の人間がその中に混じっているとなれば。

 

 

「枢木青鸞さま、ですね?」

 

 

 キョウトの夜の山、大きな木の根元に蹲るように座り込んでいた少女に声をかける。

 少女、とわかったのは対馬の目が確かだったからかもしれない。

 結んでいた髪は解け、黒かった髪色は泥と砂で毛先まで汚れて乱れ、着ている物も……衣服と言うよりはただの布と言った方が良い。

 元はパイロットスーツだったのだろうが、今は4分の1程が破れて下の素肌が見えてしまっている。

 

 

 呼ばれた少女は、しかし対馬の声に反応を返さなかった。

 対馬は銀縁の眼鏡を指先で押し上げると、スーツが汚れるのも構わずにその場に膝をついた。

 周囲ではすでにキョウトの回収班の手で、残った避難民や負傷した軍人の救護が行われている。

 

 

「何か必要な物はございますか、あればすぐに用意させます」

 

 

 その言葉に、少女は初めて反応を示した。

 肩をピクリと震わせて、乾ききって罅割れた唇を戦慄かせる。

 何かを呟いているようなのだが、それは声としては対馬の耳に届かなかった。

 彼は耳を寄せて、良く聞こうとした。

 

 

「……を……ぃ……」

 

 

 少女の顔が上がる、乱れた前髪の間から黒い瞳が対馬を捉えた。

 しかし対馬が驚いたとすれば、少女の眼光にでは無い。

 

 

「……を、ください……!」

 

 

 驚くべき点があるとすれば、それは少女の腕が抱いていたものだ。

 淡い色……だったボロ布に巻かれたそれは、小さく動いているようだった。

 それが、産まれたばかりの赤ん坊だと気付くのに時間はそうかからなかった。

 

 

「み……ミルクを、この子の。この子のミルクを、ください……!」

 

 

 もう泣く力さえ無い、そんな赤ん坊を手に少女は訴えた。

 泥と涙の跡でぐちゃぐちゃになった顔を歪ませて、美しさの欠片も無く、ただ。

 

 

「……早く!!」

 

 

 ただ、ミルクを求めて叫んでいた。

 ――――それが、2日前のことである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その日、神楽耶は皇家が所有する屋敷の一つに足を運んでいた。

 御簾の向こう側に座っているだけと思われがちな彼女だが、意外と体力はある方である。

 地理的にはキョウト郊外の山中に建てられており、築100年を超える文化遺産のような屋敷だ。

 しかし、広い敷地は諸々の事情で一杯になっているのだが。

 

 

「青鸞、身体の具合はいかが?」

 

 

 にこやかに障子の襖を開けて、神楽耶は室内にそう問いかけた。

 縁側に位置するその部屋は、それによって神楽耶の背から漏れる日の光が室内に入る。

 それは、どこか空気の入れ替えを兼ねているように見えた。

 

 

 実際、神楽耶の目から見ても部屋の空気は澱んでいるようにも見えた。

 掃除などは使用人が逐一行っているので不衛生では無いが、ここで言う澱みとはもっと精神的なものである。

 特に、その部屋を貸し与えられている人間の精神の。

 

 

『――――コーネリア総督は今朝、報道官を通じて日本解放戦線を名乗るテロリストグループの壊滅を宣言されました。現在は残党の討滅作戦の準備を進めており……またそれに伴い、ユーフェミア副総督ご臨席の下、ナリタ連山において犠牲となった人々の慰霊式典が執り行われ――――』

 

 

 50インチの大型モニターの光だけが、部屋の光源だった。

 神楽耶が開いた障子の襖以外は締め切られているその部屋は畳張りで、草花模様の座鏡台や拭き漆塗りの階段箪笥、飾り棚などの純日本風の造りになっている。

 薄い日の光とモニターの光に照らされたその部屋の中心に、膝を揃えて足先を広げて座る少女の後姿がある。

 

 

 背中に流された黒髪の間から朱色の帯が見える、細身の身体を覆うのは白の襦袢だけだ。

 そんな少女の背中を、神楽耶はただ静かな瞳で見つめていた。

 しばらくぶりの再会も、喜び合って、というわけでは無いようだった。

 

 

「…………神楽耶(カグヤ)

「はい、青鸞(セイラン)

 

 

 何でしょう、と首を傾げて見せる神楽耶に――青鸞は背中を見せていて見えないだろうが――青鸞は感情の無い声で聞いた。

 

 

「……皆の、情報は?」

「残念ながら、まだ何も。桐原公もいろいろと手を打ってはおられるようですけど」

「片瀬少将は?」

「さぁ……」

「藤堂さん達は……省悟さんは? 凪沙さんは? 巧雪さんは? 仙波さんは?」

「私には、何とも」

 

 

 徐々に潤んでくる声に眦を下げて、神楽耶は首を横に振る。

 相手の望む答えを返すことは簡単だ、だが神楽耶は嘘を吐くつもりが無かった。

 嘘を吐いて、何になるのだろう?

 そこに真実があると言うのに。

 

 

「じゃあ、く……草壁、中佐は……?」

「…………」

 

 

 今度は、吐息だけで答えた。

 しかしそれで十分で、青鸞は背中を震わせるようにして身を折っていた。

 ギシリ、と音が鳴るのは、青鸞が握り締めているモニターのリモコンだろうか。

 

 

「……なんで……」

「何故、と言われても……」

「何で、皆……皆、いなく……な……ッ……!」

 

 

 皆、いなくなった。

 肩を上げて背中を丸め、髪の端をザワめくように揺らしながら。

 そんな青鸞の後ろ姿に、しかし神楽耶は声をかけるようなことはしなかった。

 彼女は静かに首を横に振り、幼馴染の嗚咽を遮るように襖を閉めた。

 

 

「――――神楽耶さま」

 

 

 そうして縁側の廊下に出てきた神楽耶に、声をかけてきた者がいた。

 黒髪に割烹着、雅である。

 彼女もまた、青鸞と共にナリタからキョウトまで辿り着いた1人である。

 やや頬の肉が落ちているように見えるのは、気のせいでは無いだろう。

 

 

「あの、青鸞さまは……」

「……今は、待つしかないでしょうね」

 

 

 溜息を吐く神楽耶は、しかしそこで笑みを浮かべた。

 それは、雅の腕に抱かれた小さな赤ん坊に向けられた笑みだった。

 2日前に比べて格段に血色のよくなったほっぺに指先を押し付けて、神楽耶は笑顔を見せた。

 

 

 ――――取り戻せない、失われた物がある。

 しかしここに、残った者がある。

 神楽耶はそれを知っているから、だから彼女は信じて待つことが出来る。

 待つ、と言うのも、キョウトの女の特質なのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 無論、神楽耶の言う「残った者」は小さな赤ん坊1人ではなかった。

 キョウトまで辿り着いた人間は青鸞を含めて128名、その後の2日間で怪我・病気などの理由で2名が亡くなり、最終的には126名。

 軽傷者7割、重傷者2割、ほとんどが何らかの傷を負っていた。

 

 

 出発時点で1000人近かったことを考えれば、8割強がキョウトまで辿り着けなかったと言う結果だ。

 内訳としては、軍関係者が42名、民間人が84名……トレーラーは、1台しか残らなかった。

 そしてそれも、キョウトの救出が無ければ全滅していただろう。

 

 

「その意味じゃ、まだ俺らはついてる方なのかねぇ……」

 

 

 ふぅ――……と煙草の煙をくゆらせながらそう言うのは、敷布団の上で横になっている山本だった。

 彼がいるのは皇家所有の屋敷の、東対(ひがしのたい)と言う場所に急ごしらえで用意された野戦病室だった。

 畳張りの大部屋には40人分の布団が敷かれ、中央で無理やり男女を分ける仕切りが設けられていた。

 ちなみに、民間人は西対(にしのたい)と呼ばれる場所に同じように押し込められている。

 

 

 なお山本が横になっているのは、彼が両足を骨折しているためだ。

 頬にも治療用のテープをべったりと張られていて、病人服の胸元から覗く肌は包帯で覆われている。

 周りの人間も、大体が似たような状態だった。

 疲労困憊、満身創痍……それでも、山本の言うようにマシな方なのかもしれない。

 少なくとも清潔な治療を受けられて、こうして匿われているわけだから。

 

 

「……あ?」

「隊長、周りに迷惑ですから煙草なんて吸わないでください」

「いーじゃんよー、別に」

 

 

 口に咥えていた煙草をさっと取り上げられる、見ればそこには上原がいた。

 ここ男子用なんだが、と言う突っ込みはこの際飲み込んだ。

 決して、身体のラインが出やすい病院服姿で目を癒したわけではない。

 例えば、軍服姿では見ることの無い鎖骨のあたりであるとか。

 

 

「……これから、私達どうなるんでしょう……」

「さぁなぁ」

 

 

 煙草の無い口を寂しげに窄めつつ、山本は横になりながら応じた。

 実際、山本にもこれからのことなど何もわからない。

 ナリタを失った自分達がどうなるか、それを示してくれる人間は誰もいないのだから。

 

 

 他の面々にした所で、彼らと似たようなものだった。

 痛めた身体に呻きつつ、未来への不安に怯え、体力はおろか気力も無い。

 刀尽き矢折れ――まさにその表現が正しい、みすぼらしい敗残兵だ。

 これからどうなるのかなど、誰にもわからないのだから。

 

 

「……青鸞さまも、体調が優れないとのことですし……」

「そぉだなぁ」

 

 

 それでも不安そうに寄って来る女の手前、精一杯の虚勢を張って。

 山本は、自身の不安を押し隠すように泰然と構えるのだった。

 末端の兵には、それしか出来ることが無かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 和風の室内に不似合いな電子音が響く、同時にモニターのチャネルが次々と切り替わっていく。

 薄暗い部屋の中、モニターの放つ光の色に合わせて様々な色に室内が染まる。

 それを行っているのは、白い襦袢に身を包んだ青鸞だった。

 

 

『本年度上半期のメタンハイドレート生産量は――――』

『現在太平洋上に存在する台風は、今後北上を続け――――』

『ブリタニア政庁は租界におけるテロ対策として新たに――――』

『野菜を食べると元気になれるお! 良い子は野菜をたくさん食べ――――』

『この子は私が育てる! アナタの力なんて借りないわ、だって私は――――』

 

 

 経済番組、お天気ニュース、租界情勢、子供向け番組、最近人気のドラマ……次々と切り替わる番組、だが一つとして止まることが無い。

 先程、神楽耶が来た時に映っていたニュースが一番長く映っていた。

 だが今は、どのチャネルにしても即座に切り替えられる。

 

 

 あまりにも切り替えが早すぎて、同じチャネルが何度も映し出される。

 当然、数秒で終わるような番組などCMくらいなものである。

 それなのにチャネルを変える電子音の間隔はどんどん狭まっていく、まるでリモコンを持つ人間の苛立ちをそのまま表すかのように。

 

 

「……ッ……ッ……! ……ッ、ぅ、ああっ、もうっ!!」

 

 

 我慢の限界、そう言うようにリモコンを投げた。

 横に腕を払うように投げられたそれは、部屋の隅に彩を咥えていた生け花の花瓶を破壊した。

 花が落ち、花瓶の中を満たしていた水が畳に染みを作っていく。

 

 

 それだけではすまなかった、やおら立ち上がった青鸞はモニターの枠を掴むとそのまま横に引き倒した。

 コードごと引き千切り、液晶部分を下にしてモニターが畳の床に落ちる。

 電化製品が立ててはいけない音が室内に響き、さらにモニターの背中部分に右足を落とした。

 落としたと言うより、踏みつけにした。

 

 

「何、何で……何、で、皆の! こと、を! 映さ、無い! の!?」

 

 

 途切れ途切れのその言葉は、そのまま彼女の精神の振れ幅を表している。

 モニターを踏みつける――素足で――タイミングに合わせてと言うよりは、単純に上手く言葉が喉を通ってきてくれない様子だった。

 不自然な、プラスチックが割れるような音が何度も響く。

 だがそれは、実際にモニターの一部が割れ、足裏に刺すような痛みを感じることで不意に終わった。

 

 

「……ッ!?」

 

 

 鋭利な形に割れた部品が、青鸞の白い肌に朱色の雫を流させた。

 痛みに片目を閉じて顔を顰めて足を引き、その拍子に残りの足を滑らせてその場に尻餅をつく。

 打ち付けた尻の痛みにまた顔を顰めて、青鸞は右足を抱えて蹲った。

 傷口は見えないが、足裏を切ったらしく……赤い液体が畳の上に散っていた。

 

 

「……なん、でぇ……!」

 

 

 その問いは、誰へのものか。

 足を抱えて蹲った青鸞は、力が抜けたかのようにそのまま横に倒れこんだ。

 急に訪れた虚脱感に逆らう気力も無く、目元から透明な雫を飛ばしながら呟きを続ける。

 

 

「……片、瀬少将……草壁、中佐……藤堂さん、皆……なん、で、なんで、いなく……っ」

 

 

 皆、いなくなってしまった。

 その事実に青鸞は目を閉じる、そのせいで溜まっていた雫がさらに流れ落ちた。

 片瀬や草壁はナリタ連山で別れて以降、何の情報も無い。

 そして藤堂……藤堂と朝比奈たち四聖剣とは、4日前に別れた。

 キョウトに辿り着く2日前のことで、チュウブでのことだった。

 

 

 チュウブからキョウトへと移動する際、チュウブ軍管区のブリタニア軍の一行は追い詰められた。

 それまでにもトレーラーのほとんどを失うような襲撃が何度もあって――何しろ、大所帯だったから――機体の無い青鸞に出来ることは無く、ただ民間人の列を引っ張って逃げていた。

 目の前で何人も死んでいった、冷たくなっていくその躯を運ぶことすら出来なかった。

 

 

「……父様……!」

 

 

 ブリタニアを――――……スザクを、恨んだ。

 憎んだ、殺してやりたいと思って……だけど、草壁は伝言で「それは許さない」と言った。

 どうしようもなく憎悪していても、それで行動することは出来なかった。

 憎悪がダメなら、青鸞に残されている原動力は父ゲンブだけだ。

 

 

 だがそれにした所で、ナリタが滅びた今、日本が事実上の二度目の敗戦を経験した今では。

 父の跡を継ぐと豪語しておきながら、目の前で日本人が死んでいくのをまた止められなかった。

 どうしようも無い無力感、それに加えて。

 それに加えて、藤堂が別れる時に青鸞に言った言葉が今の彼女を悩ませていた。

 

 

『いやだ! 行かないで、行かないで。皆までいなくなったら、どうしたら……!』

 

 

 チュウブとキョウトの境界で、青鸞は藤堂の手をとって引き止めた。

 それまでの逃避行で肉体的にも精神的にも疲労の極みにあった青鸞は、見苦しいまでに、涙ながらに藤堂達を引き止めたのだ。

 何しろ藤堂の存在は民衆や兵の希望で、青鸞は自分ではそれを代替出来ないと思い込んでいたからだ。

 それでなくとも、目の前で何人も死なれてどうにかなってしまいそうだったから。

 

 

『青鸞、お前にもわかっているだろう……ここまで来てしまえば、むしろ無頼改は邪魔になる。ならばここは境界を守るブリタニア軍の気を引く囮として使い、その隙に皆を抜けさせるしかない』

『じゃあ、ボクが無頼改に乗るから!』

『お前がいなくては、キョウトが扉を開かない。それがわからないお前ではないだろう』

『いやだ! いやだ、いやだ……いやだよ、いやだぁ……!』

 

 

 そんな我侭が通るわけも無く、藤堂達は残存の兵と民を青鸞に任せて出撃することになる。

 別れ際、朝比奈は困った顔で頭を撫でてくれて、千葉は何も言わずに指先で涙を拭ってくれて、卜部は心配するなと言ってくれて、仙波は柔和に笑って頷いてくれた。

 そして最後、藤堂は青鸞に言った。

 

 

『青鸞……私は、お前に話さなければならないことがある』

 

 

 こんな時に何の話かと、青鸞は問い返した。

 

 

『……お前の父、枢木ゲンブ首相に関することだ』

 

 

 その時の藤堂の顔が、妙に苦しそうで……記憶に残ったから。

 しかし時間が無かった、だから藤堂は何かを語る前に行ってしまった。

 戻ったら話すと、その言葉だけを残して。

 

 

 行ってしまって……そして、それきりだ。

 合流地点に藤堂達が現れることは無く、話とやらも聞くことも出来ず。

 こうして、キョウトで。

 ただ、何も出来ずに蹲っているのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

(――――これで、良かったのかもしれない)

 

 

 白の拘束着を着た彼は、独房の中央に正座で座りつつそう思考した。

 今、彼が脳裏に描いた少女が今どうしているのかはようとして知れないが、だがどこかほっとしている自分がいることにも気付いていた。

 そしてそれが、一種の逃避であることにも。

 

 

 枢木首相の真実、それをあの娘に話す機会を逸してしまったことは。

 おそらく、全てを知っている人間はほとんどいない。

 少なくとも、彼は自分を除けば1人しか知らない。

 今1人はともかく、もう1人についてはあまり信用が出来ないが……。

 

 

「いやぁ、それにしても僕らもとんだ貧乏くじだよねぇ」

 

 

 不意に、独房に明るい男の声が響いた。

 目を閉じている彼には――いやそもそも、独房が分けられているのだが――姿は見えないが、だが彼の瞼の裏には少年のような風貌の男の顔が浮かんでいた。

 彼について出撃し、そして共に捕らえられた男。

 ちなみに1人では無い、だから彼は低い声で言った。

 

 

「……すまないな、皆」

「謝らないでくださいよ、藤堂さん。僕らが勝手にやったことなんですから」

「そうです、捕まったのは私達の未熟のせいです」

「悔いはありません」

「うむ、そうであるな」

 

 

 思い思いの場所から帰ってくる4つの声に、男……藤堂は深く息を吸った。

 青鸞達を逃がすために無頼改で出撃し、そして物量差を覆すことが出来ずに捕縛されたのが3日前だ。

 藤堂としては他の4人は何とか逃がしたかったが、青鸞達の存在を知られないようにするためには仕方が無かった。

 

 

(奇跡の藤堂、か……聞いて呆れるな)

 

 

 自分自身に対して嘲笑のような感情を抱きつつ、藤堂は今度は息を深く吐いた。

 そうしている間にも、他の4人の会話は耳に聞こえている。

 何と言うか、敵軍に捕縛された直後だと言うのに元気なことだ。

 そこは、確かに救われることなのかもしれない。

 

 

「まぁ、僕達もなかなか……っと」

「む……」

 

 

 不意に4人が口を噤む、独房の通路に足音が響き始めたからだ。

 流石に看守や見張りの前で私語などは出来ない、しかしそれ以上に。

 

 

「……へぇ、アレが」

 

 

 口の中で呟いたのは朝比奈、独房の壁に背中を預けた姿勢のまま、横目でその少年の姿を見る。

 その瞳は、どこか冷ややかだった。

 そして彼の独房を通り過ぎたその少年は、その隣……つまり藤堂の独房の前で止まった。

 色素の薄い茶色の髪、琥珀の瞳、しなやかな細身を覆う茶色基調の軍服。

 

 

「……藤堂さん」

 

 

 微かなその声は、通路と独房を隔てる鉄格子を擦り抜けて藤堂の耳に届いた。

 だから、藤堂は初めて瞳を開いて顔を上げた。

 そして、何か眩しいものを見るように目を細めた。

 

 

「……スザク君か」

「はい、お久しぶりです……こんな形で、会いたくはなかったですけど」

 

 

 枢木スザク、かつて藤堂の道場にいた少年がそこにいた。

 そして今は名誉ブリタニア人、ブリタニア軍の軍人。

 スザクは眉の間に皺を寄せて、鉄格子に手をかけた。

 様々な言葉が渦巻くだろう頭の中、しかし出てきた言葉は一つだけだ。

 

 

「――――教えてください、藤堂さん」

 

 

 それは。

 

 

「青鸞はどこにいるんですか、そして……何をしようとしているんですか?」

 

 

 スザクの言葉に、藤堂の瞳の奥が輝いた。

 それは先程までとは違う、鋭利な刀を思わせる眼光で――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「ほう? ではお前にも行き先はわからないのか?」

「…………」

 

 

 放課後、クラブハウスの自室でルルーシュは憮然とした表情を浮かべていた。

 口をへの字に曲げ、机に肘を置いて唸る姿などはどこか拗ねているようにすら見える。

 まぁ、この場合はそこまで外れているわけでも無かったが。

 

 

 そしてそんなルルーシュを面白そうな顔で眺めているのは、C.C.である。

 部屋の広い範囲を占拠している大きなベッドの上、白の拘束着姿で寝転んでいる。

 それはどこか倒錯的で、スタイルの良い細身の肢体をベッドに散った緑の髪が包んでいるようだった。

 少女の妖しげな媚笑(びしょう)とも相まって、並みの男ならすぐに覆いかぶさって少女を貪りたいと獣欲を抱くかもしれない。

 

 

「先日の件は、お前の思い通りにことが運んだんじゃなかったのか? ブリタニア軍に打撃を与えて、日本解放戦線の逃走を助けて、さらに言えば解放戦線上層部に望むままに自爆させて、と。こうして見ると、随分と解放戦線の連中を好きに利用した物だ」

 

 

 だがその色の薄い唇から紡がれる言葉は毒ばかりだ、皮肉の成分も多分に含まれている。

 浮かんでいる笑みも、どこかルルーシュのことを嘲笑しているようにすら見える。

 しかし、言っていることはそこまで的外れでも無い。

 実際、ルルーシュにとって日本解放戦線は邪魔でしか無かった。

 

 

 日本解放を成し遂げる旗手はゼロと黒の騎士団でなくてはならず、日本解放戦線のような旧態依然とした組織が存在していては邪魔なのだ。

 日本の反ブリタニア勢力を糾合し、エリア11のブリタニア統治軍を打倒する。

 この考えはかつて日本解放戦線上層部が抱いていた考えとそう変わらない、違うのは糾合する勢力の名前だけだ。

 

 

(……そのための、力だ)

 

 

 左眼の瞼に触れながら、そう思う。

 実際、これで黒の騎士団の勢力は増す。

 何しろ日本解放戦線が全く歯が立たなかったブリタニア軍に大損害を与え、かつ逃走する日本解放戦線と民衆を援護して逃がし、自分達の損害は最小限に留めた。

 全て、予定通りだ――――……一部の、予期せぬ犠牲(シャーリーのちちおや)を除いて。

 

 

 だから黒の騎士団としては、それで良い。

 しかしルルーシュとしては、いくつかの部分で不満が残る内容だった。

 一つはコーネリアの身柄を手中に出来なかったこと、彼女には個人的な用もあった。

 そしてもう一つが、ルルーシュが密かに把握しておきたかった情報。

 

 

「青鸞とか言ったか、お前が気にしてる娘は。あの男のことと言いナナリーのことと言い、あれだけ多くの解放戦線の人間を見殺しにしておいて……お前は本当にどうしようも無い奴だな、ルルーシュ」

「黙れ、お前に何がわかる」

「わからないさ、それとも私に理解してほしかったのか?」

「…………」

 

 

 ますますもって、憮然とした表情を浮かべるルルーシュ。

 C.C.はそれを実に楽しそうな笑みを浮かべて見つめていた、それがルルーシュをさらに苛立たせる。

 

 

(……お前に、何がわかる)

 

 

 今度は胸の内だけで呟いて、ルルーシュは再び思考の海へと意識を沈めていった。

 ナリタで拾い損ねた成果をどこで拾うか、そして救い損ねた者をどこで救うか。

 深い思考の海の中で、ルルーシュは考え続ける。

 

 

 ――――7年前までそこにあった、「4人」の関係。

 あれを取り戻すためには、いったいどれほどの叡智が必要なのだろう。

 そのためにもルルーシュは、一度「彼」に会わなければならなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ふと目を開けると、いつの間にか夜になっていた。

 さらに言えば自分は布団の中にいて、もっと言えば切れたはずの右足には包帯が巻かれていて、部屋も綺麗に掃除されていた。

 分厚い掛け布団を押しのけて半身を起こせば、彼女は暗い部屋の中に白い肌が浮かび上がる。

 

 

 素肌の上を布団が滑る感触に、くすぐったさを覚える。

 上半身だけでなく下半身にも同じ感触がある、彼女が裸で眠っていたことの証明だった。

 実際、布団の上に立った少女の身には右足の包帯以外何の布地も存在しなかった。

 襦袢も帯も、下着や当て物すらも……。

 

 

「……寒い」

 

 

 ポツリと呟いて、青鸞は布団の周囲に散らばっていた自分の衣服を集めた。

 それらを身に着けて、襖を開ける。

 昼間に寝たせいか目が冴えて仕方が無い、それに夜なら誰にも会わずにすみそうだったからだ。

 誰にも、そう、例えば一緒にキョウトまで逃げてきた人達にも。

 

 

 縁側に立てば、中庭の一つが目の前に広がる。

 岩と苔、小石を敷き詰めた地面、鯉が放された小さな池……庭園の上には、静かな夜空が広がっている。

 山の中だからか、雲一つ無い星々が良く見える。

 星空は、ナリタの空と何も変わらなかった。

 

 

「…………」

 

 

 ほぅ、と息を吐いて、青鸞は素足で――右足には包帯が巻いてあるが――板張りの縁側を行くアテもなく歩き始めた。

 静かな初夏の夜、虫の音しかしない静かな空気。

 襦袢越しに感じる冷たさに、肺に染み込む冷たい空気に、青鸞は息を吐く。

 

 

 頭の中にあるのは、やはりナリタでのことだ。

 ブリタニア軍との戦いのことで、スザクのことだった。

 片瀬や草壁達のことで、そして藤堂と朝比奈達のことだった。

 そして、そこで聞いた様々な言葉が頭の中をグルグルと回っていた。

 

 

「…………?」

 

 

 特に誰にも止められなかったためか、いつの間にか屋敷の奥に入り込んでしまっていたらしい。

 とにかく、彼女はその部屋の前で足を止めた。

 他の部屋が真っ暗であるのに、何故かその部屋だけに明かりが灯っていたからだ。

 しかも電気ではなく、もっと自然の何かの明かりのようだった。

 

 

「…………では、ないですかな」

「確かに…………ではある」

 

 

 誰かの声が……というより、聞き覚えのある声だった。

 ここ5年は特に会ったことは無かったが、親類の大人達の声だと言うことはわかった。

 ただ、何を話しているのかまでは良く聞き取れない。

 

 

 あるいは、ここで踵を返して戻った方が青鸞にとっては幸福であったのかもしれない。

 進めた一歩を前ではなく後ろに向けた方が、世界はもっと単純だっただろうに。

 だがどんな形であれ、踏み出した一歩の責任は本人に帰するものだ。

 望むと、望むまいと。

 

 

「まったく、枢木も我々に面倒な仕事を遺したてくれたものだ……」

「確かに……アレの暴走が無ければ、そもそも日本は失われなかったのだから」

「その意味では、巷での売国奴呼ばわりは少し違いますからな」

「枢木の行動の煽りと言うか、巻き込まれたと言う意味では我々もそこらの民と変わらん。まったく……」

 

 

 それは、ただの愚痴だっただろう。

 何かの会話の合間、皆が普段思っている不満を吐き出しているだけだったのかもしれない。

 しかし、だからこそ青鸞は足を止めた。

 息を呑んで、胸に手を当てて立ち止まった。

 

 

「……まったく、とんだ疫病神であったわ」

「確かに、その表現が正しいでしょうな」

「あの男、枢木は……」

 

 

 誰の話か、などとわからない振りをする程に青鸞は鈍く無かった。

 鈍ければ良かったのに、と心の底から思いつつも。

 青鸞は、「その言葉」を聞いてしまう。

 

 

 

「枢木ゲンブは、己が権勢を広げるためだけにあの戦争を引き起こした張本人……まさに、疫病神よな」

 

 

 

 全ての前提条件を引っ繰り返すようなその言葉を、聞いてしまった。

 聞いてしまった以上、無かったことにはできない。

 ヨロめいた少女の瞳は、驚愕と不信に見開かれていた。

 何かに罅が入るような音が、身体の……青鸞の心から、響き渡った。

 




採用キャラクター:
ホイックさま(小説家になろう)提供:対馬照明。
ありがとうございます。


 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 皆様のおかげで、新しいナイトメアは工房でトンテンカンテンと製造中です。
 まだスペースに空きがあるので、より参加頂けると賑やかなことになりそうです。
 と言うわけで、次回予告です。


『カグヤは、ボクの大切な幼馴染で、親友。

 子供の頃、一緒にいてくれた。

 だから、ボクはカグヤのことが大好きだよ。

 だけど、ボクの「好き」とカグヤの「好き」は微妙に違っていて。

 カグヤは、ボクを――――……』


 ――――STAGE14:「カグヤ と セイラン」


以下、募集です。

<主人公のナイトメア関連募集!>

 今回の募集は、主人公の新しいナイトメア(ロボット兵器のようなイメージでお願いします)に関するものです。
 話が12話まで進み、皆様にも主人公の目的や戦法など、それぞれある程度ご理解頂けたかと思います(だと良いなと思っています)。
 そこで、主人公である青鸞の新しいナイトメアに関する募集を行います。
 具体的には以下の募集になります。

<募集>
1:ナイトメアの武装
 (主要な募集品です、よって比較的採用可能性は大きいです)
2:ナイトメア
 (ナイトメアそのものの募集、採用可能性は極小です)

*説明。
今回の募集の主力はあくまでナイトメアの装備品です、条件は以下の通り。

1について。
・「コードギアス」1期時点の技術で可能と判断されるものは、原則としてどのような武装でもOKです。
(判断がつかない場合は、作者までメッセージで質問するか、投稿した上で判断を任せる旨をご記載ください)
・元々機体に内臓・付属するタイプ(例:手首の装甲部に速射砲)、あるいは外付け・後付け(例:使い捨ての大砲)、どちらでも構いません。
・名前と性能の2種は最低限記載してください。
・ユーザー1名に付き、2個までに制限させて頂きます。

2について。
・機体丸ごとの提案を受け付けます、これに関しては「武装2種まで」と言う1の条件は適用されません、好みのままの武装を設定してください。
(よって武装のみ採用ということはありません、武装のみでも採用して欲しい場合は、1として2種まで投稿してください)
・ただし、武装と異なり機体そのものの採用はかなり難しいと了解頂いた上でご投稿ください。
・「コードギアス」1期時点で開発可能なナイトメアは原則OKです。
(判断がつかない場合は、1と同様です)
・名前、武装、搭乗人数、外見(外観)を必ずご記載ください。
・ユーザー1名につき、1個までに制限させて頂きます。


*全体条件。
・締め切りは、2013年3月25日18時までです。
・投稿は全てメッセージでお願いします、それ以外は受け付け致しません。
・不採用の場合もございますが、連絡などは致しません。

以上の条件にご了承を頂いた上で、振るってご参加くださいませ。
では、失礼致します。


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STAGE14:「カグヤ と セイラン」

今週は週2更新になります、4月からは週1になるかと思います。
枢木家関連で少しオリジナル設定があります、ご注意ください。
また今話に限り、百合表現がございますのでご注意ください。
では、どうぞ。


 ――――1ヶ月。

 この間の1ヶ月は、驚く程早く時間が過ぎ去った。

 誰にとっても、そうだった。

 

 

「…………」

 

 

 それは青鸞にとってもそうで、彼女は非常に苦しい1ヶ月間を送ることになった。

 肉体的にではない、肉体的には極めて健康であって――健康にさせられていた――問題は、精神面である。

 心の問題、と言っても良かった。

 

 

 5年、いや7年、もしかしたらもっと以前から、生れ落ちたその瞬間から。

 今の今まで信じていた物が、揺らいでしまっていたからだ。

 素直に受け入れることなど出来ない、受け入れてしまえば自分が終わる。

 これは、そう言うことだったのだ。

 

 

「……父様……」

 

 

 1ヶ月前から過ごしている屋敷の部屋の外、縁側の柱に寄りかかるようにして彼女は座っていた。

 部屋着なのか、白地に青い鳥の羽根が描かれた浴衣を着ている。

 だが素肌の上を彩る薄い浴衣は美しい、だが少女の表情は華やかさとは真逆の陰が差していた。

 

 

 柱に身を預けるように座っている青鸞は、夕焼けに染まる中庭をただ眺めていた。

 そうして思い出すのは、過去のことだ。

 過去、こう言う庭で父と共に過ごした記憶だ。

 枢木家所有の別荘に連れて行ってくれた時など、良く覚えている。

 他にも離島に家族で海水浴に行ったり、寝室で本を読んでくれたことだってある。

 

 

『とーさま、だいすき!』

『はは、これこれ……』

 

 

 幼い頃の自分は、今もそうだが、父に良く懐いていた。

 彼女が産まれた時には大臣で、物心がつく頃には首相だった父は忙しく、それこそ国政を休む静養中くらいにしか遊んで貰えなかったが。

 早く帰ってきた日は使用人の制止を振り切って玄関まで駆けて、父を迎えに出た。

 父の手が脇に差し込まれて、抱き上げられるのが……何より、好きだった。

 

 

 母がいなかった分、余計に父に構ってほしかったのだろうと思う。

 今も、自分を産んですぐに亡くなった母のことより父のことを覚えている。

 父は枢木にとって庇護者であり、彼女を守ってくれる大きな存在だった。

 兄は、あまり父とは仲が良くなかったようだが……。

 

 

『アレも、お前のように可愛気があれば良かったのだがな』

 

 

 口癖のように、父はそう言っていた。

 そう言いつつ家に伝わる懐中時計を兄にプレゼントしてしまったものだから、青鸞は良く拗ねてみせたことがある。

 そんな青鸞を、父は頭を撫でて宥めたものだ。

 

 

『お前が男に生まれていれば、お前にやっていただろうが……何、お前にはいずれもっと大きなものをやろう』

『ほんとう?』

『ああ、本当だとも。だから家庭教師や使用人の言うことを良く聞いて、勉強するんだ、良いな?』

『うん!』

『良い子だ……ああ、良い子だ』

 

 

 他人がどう思っていたかは別にして、青鸞にとっては優しい大好きな父だった。

 だからあの日、父が永遠に目覚めなくなったあの日……父を殺した兄を、青鸞は許せなかった。

 罵倒して糾弾して、幼い頭脳で思いつく限りに詰った。

 あの時の自分が今程度に成長していれば、きっと、その場で兄を殺していただろう。

 

 

 ……だが、1ヶ月前の夜。

 青鸞は聞いた、桐原の話を。

 あの老人の言葉は、青鸞の持つ全ての価値観の前提条件を引っ繰り返してしまった。

 そう、あの夜に……遡ること1ヶ月前のあの夜に。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 枢木ゲンブと言う男のことを、正直に言えば、神楽耶は良く知らない。

 従姉妹(いとこ)、あるいは従兄妹と言う極めて近い親戚の父親、つまりは伯父にあたる人間。

 会ったことはあるが、流石に幼少の頃の記憶などそう多くは無い。

 

 

「まったく、あの男は……」

「真に……」

 

 

 だが、違和感を覚えたことはある。

 御簾の向こうで時に大人達が零す愚痴の内容と、彼女の従姉妹が話す父親の話との間に埋め難い落差が存在することにだ。

 究極的なことを言えば、神楽耶はどちらかの話も信じてはいない。

 

 

 人伝に聞いた話を信じる程彼女は単純な人間では無いし、大人の話に嘘が含まれることは嫌という程に知っているつもりだったからだ。

 ただ、個人的な意見を言わせてもらうのであれば。

 

 

「枢木ゲンブは、己が権勢を広げるためだけにあの戦争を引き起こした張本人……まさに、疫病神よな」

 

 

 神楽耶は従姉妹の、幼馴染の、青鸞の話す「父」の像を信じたいとは思っていた。

 だが……。

 

 

「待て」

 

 

 その時、大人達の愚痴を止めた男がいる。

 この場で最も年齢を重ねた老人、桐原公である。

 彼だけは愚痴に参加していなかったが、特に止めもしていなかった。

 その桐原が、ここに来てそれを止めた理由は。

 

 

 カタン、と、軽い音が部屋の外から聞こえた。

 神楽耶は、いや彼女だけでなく、その場にいた全員がそちらを向いた。

 キョウト六家の代表達が視線を向けたその先にいたのは、七つ目の家の。

 

 

「青鸞……!」

 

 

 神楽耶の呟きの先に、白の襦袢姿の少女がいた。

 昼間、部屋を荒らしたまま眠ってしまったと聞いていたが目が覚めたのか。

 だが何もこんな時に、こんな場所に来なくても……と思った所で、神楽耶は桐原の背中へと視線を向けた。

 

 

 小柄な老人の背中には、何の変化も無い。

 だが神楽耶は桐原の背中をキツく睨んだ、それが何の効果も無いとわかってはいても。

 本来自分達以外の人間が来れるはずが無いこの場所に、青鸞を進ませただろう老人を睨んだ。

 桐原が今、どんな顔をしているのかはわからない。

 だが少なくとも、他の4人のように驚愕も後悔もしていないことだけはわかった。

 

 

「……どういう、こと?」

 

 

 その睨みも、震えるような青鸞の声を聞いた時に終わった。

 神楽耶が再び視線を向けた先、淡い照明に照らされた青鸞の白い顔がある。

 いつも以上に蒼白に染まっているように見えるのは、気のせいではないだろう。

 

 

「あの戦争は……ブリタニアが一方的に侵略を仕掛けてきたはずのものではないの?」

 

 

 頭の回転が早いと、不便なこともある。

 僅かな会話の断片から、喋りながら次々とパズルのピースを嵌めるように思考を進められるのだから。

 そしてそれは、疑問を生む。

 どちらが、真実なのかと。

 

 

「と、父様は、ブリタニアから……日本を守ろうとして……」

 

 

 誰も、青鸞に返事を返す者はいなかった。

 神楽耶も含めて、明確に何かを応じることは出来なかった。

 だからだろうか、青鸞は蒼白な顔のままで叫んだ。

 

 

「……答えてよ……!」

 

 

 それでも、誰も答えない。

 だが1人だけ、別の反応を返した者がいた。

 その男は小柄な身体を揺するように動かすと、青鸞の方を見ることもなく深々と溜息を吐いて見せた。

 まるで、注目を集めようとするかのように。

 そして実際、彼は全員の注目を集めることになる。

 

 

「……青鸞、聞いてしまったのなら仕方が無い」

「……ッ」

「話そう、お前に。ちょうど良い時期なのかもしれぬでな……」

 

 

 ナリタが失われた、今だから。

 そう言って、彼……桐原は話し始めた。

 神楽耶の睨みを背中に受けながら、横顔に青鸞の視線を受けながら。

 7年前、あのモノレール・ラインで2人の少女に全てを与えた老人は、今ここで何もかもをひっくり返そうとしていた。

 

 

 ――――この、2時間の後。

 1人の少女の叫び声が、その屋敷を満たした。

 その夜に響いた絶望を識る女の声は、まるで世界を否定するかのような叫びだった。

 そして、それが1ヶ月前の話で……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 記憶の底から現実に戻れば、そこは1ヵ月後の世界だ。

 その世界に、青鸞は自分が取り残されているような気さえした。

 たとえ、それがただの現実逃避だとわかってはいても。

 

 

「……父、様……」

 

 

 7年前、枢木ゲンブは故意にブリタニアを刺激する政策を連発していた。

 マスメディアを煽り国内を反ブリタニア機運で纏め、サクラダイトのブリタニアへの供給を恣意的に操作し、ブリタニアが日本に侵攻する大義名分をこれでもかと用意してやった。

 まるで、何かのお膳立てをするかのように……何故か?

 

 

 権力が欲しかった、自分の権勢を広げるために……あえて、あの戦争を引き起こした。

 ブリタニアに日本を売り渡して、当時政敵の関係にあった桐原を蹴落とすために。

 そして保護領化した日本で、今の桐原の位置に座るために。

 それは、誰がどう見ても利己的で、エゴに塗れた――――売国行為だった。

 

 

「父様は、そんな……そんなこと、するはずが」

 

 

 信じられなかった、信じたくなかった、信じなかった。

 桐原公が嘘を吐いているに違いない、この1ヶ月はずっと自分にそう言い聞かせていた。

 だがご丁寧なことに録音があった、当時のゲンブと藤堂の会話の録音が。

 父の声を聞き間違える青鸞では無い、だから偽造だと主張することは父を否定することになる。

 

 

 藤堂の「話」とは、もしやこれだったのだろうか。

 いや、間違いなくこのことだろう……であれば、あの苦しげな表情も理解できる。

 笑いすら出てこない、自分はとんだ道化だったわけだ。

 父は売国奴では無い、父の跡を継ぐと自分が言う度に、藤堂はどんな気持ちだったのだろう?

 

 

「父様は……ブリタニアから日本を、守る、ために……徹底抗戦を……」

 

 

 そう、日本軍を敵うはずもないブリタニア軍にぶつけ、完膚なきまでに叩き潰すために。

 徹底的な抗戦で日本の軍事力を磨り潰し、戦後の属領統治を円滑にするために。

 

 

「だって、ルルーシュくん、ナナリーちゃん……も、自分で、ホストして」

 

 

 そう、掌中の玉とするために。

 青鸞を何より動揺させたのは、ルルーシュとナナリーに関することだった。

 あの頃、自分は兄と共にあの兄妹と友好関係を持った。

 大事な幼馴染、特にナナリーとはそれぞれの兄について良く語ったものだ。

 

 

 父は、そのナナリーを殺そうとしたのだと言う。

 

 

 約束手形、録音で父はそう言っていた……ブリタニアでルルーシュ達を邪魔に思っていた皇族がいて、戦後の地位を得るためにその約束を果たそうとしたと。

 それを聞いてしまえば、あの時、兄がどうして父を殺したのかの理由付けも出来てしまうのだ。

 長くわからなかった殺害の動機が、自分の中でストンと落ち着いてしまうのである。

 兄を責める心に、罅が入ってしまうのである。

 

 

「……違う、そんな……父様、違うって……」

 

 

 認められない、そんなものは作り話だ。

 自分が信じていた話と明らかに違う、記憶の中の優しい父と重ならない。

 だが、録音と言う証拠の中にいる父は……いやらしく、陰湿で、傲慢で、どうしようもなく、昏い人間だった。

 

 

 だが、それを認めてしまえば青鸞はもう立ち上がることすら出来なくなってしまう。

 何故なら、彼女はこれまでに多くの人間を死に追いやっていたから。

 戦ったブリタニア軍だけでは無い、彼女と共に彼女の言葉で戦って死んだ日本人もいる。

 それは全部、父の無念を晴らすためとの大義名分で行っていたことで。

 

 

「……違うって、言ってよぉ……!」

 

 

 銃を手にとって戦う、これは言葉で言う程簡単ではない。

 自分の正義を、自分達の正義を信じていなければ引き金など引けないのだ。

 相手を撃つ正当な理由が無ければ、銃を手に取ることすら出来ないのだ。

 人は本来、人を殺せる程に強く出来ていないのだから。

 

 

 だけど、この場に彼女の祈りを、願いを叶えてくれる者はいない。

 父も兄もいないこの場所には、桐原の語った「真実」しか無いのだ。

 だから青鸞は、こめかみを柱に押し付けながら……あれから1ヶ月、木製の柱を透明な雫で濡らす毎日を過ごしているのだから。

 

 

「――――青鸞?」

 

 

 だがこの日は、いつもと違った。

 不意に名前を呼ばれてビクッと震えた後、ゆっくりとした動きで声のした方を見る青鸞。

 その瞳は、もはやこの世の何もかもに怯えているようだった。

 

 

「……神楽耶」

 

 

 夕日が沈み、空に星々が増えていく時間。

 縁側の向こうに平安貴族のような衣装を着た少女がいて、青鸞のことを見つめていた。

 皇神楽耶、もう一人のキョウトの姫が。

 

 

「少し……お付き合いして貰っても、よろしいですかしら?」

 

 

 少しおどけるように、おかしな口調でそう言う彼女。

 片目を閉じて誘う従姉妹の少女に、青鸞は胡乱げな視線を向けた。

 そんな青鸞を、神楽耶は相変わらずのにこやかな笑みで見続けていた……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ナリタ戦以降の1ヶ月、ブリタニアのエリア11統治軍は勝利の美酒に酔うことも出来なかった。

 何故ならコーネリア軍はナリタにおける地滑りと地下道の崩落に巻き込まれ、1万近い損害を出してしまったからだ。

 特に作戦に投入したナイトメア部隊の損害率は6割を超えた、しかも混乱を収拾する前に敵の一部に包囲を突破されてしまったのだ。

 

 

『ブリタニア軍は勝利したが、無傷では済まなかった』

 

 

 それが世論の見方であって、事実その通りだった。

 コーネリアは各軍管区から兵を引き抜く形で補充しつつ軍の再編作業を行っている、予定されていた日本解放戦線の他の拠点の掃討作戦は延期せざるを得なかった。

 本拠地を失った日本解放戦線は瓦解の危機にあったが、まだ崩壊はしていない。

 

 

 統一感のある行動こそ取れていないものの、ナリタ戦後1ヶ月が経っても組織は残っているのだ。

 それは統治軍にとって非常に不味い、何故なら彼らは当初の目標を捕縛できていないからだ。

 日本解放戦線の大義名分の象徴、「枢木青鸞」を発見できていないのだから。

 

 

(どこにいるんだ、青鸞……)

 

 

 ナリタ戦後、スザクはあの戦場で別れた妹を探していた。

 セシルに頼んで捕虜リストを確認して貰ったりしているのだが、どこにもいない。

 解放戦線のどこかの拠点にいると踏んでいたのだが、見当が外れたらしい。

 ……捕虜以外の場合は、あまり考えたく無かった。

 

 

 そしてスザクは、ここ1ヶ月間は――特に独房の藤堂達に会ってからは――ずっと、青鸞のことばかり考えていた。

 この7年、ほとんど考えたことなど無かったのだが。

 だが、勘違いはしないでほしい。

 スザクは別に、青鸞が妹だから探しているわけでは無く。

 

 

「スザク、ちょっと良いか?」

「ルルーシュ?」

 

 

 そして1週間ぶりの学校、租界の学校に通うなど名誉ブリタニア人には本来不可能なのだが、それを可能としている諸々の事情が彼を守っていた。

 アッシュフォード学園、ブリタニア人専用の学校、スザクに対して風当たりが強くないわけは無い。

 それでも彼が何とかやっていけているのは、1人の少年の存在が大きい。

 

 

 ルルーシュである、彼はスザクの幼馴染なのだ。

 皇子時代、ルルーシュは人質としてブリタニアから日本の「留学」に来た。

 それを世話したホストが当時の首相枢木ゲンブであり、スザクの実家にあたる枢木家だった。

 彼らが友達になったのはその時だ、だから互いの事情は良く知っている。

 学園で7年ぶりに再会した時は驚いて、そして喜んだものだが……。

 

 

「どうかしたのかい?」

「あ、いや。最近、軍務であまり学校に来ないものだから……ナナリーが心配して」

「ナナリーが?」

 

 

 放課後、誰もいない空き教室に引き込まれたスザクは、目を合わさずにそう言うルルーシュの横顔を見つめた。

 ナナリーはルルーシュの妹だ、当然、スザクも良く知っている。

 幼い頃からルルーシュはナナリーを溺愛していたから、嫌と言う程良く知っている。

 そしてナナリーをだしにしてはいるが、ルルーシュ自身も……と言うことも。

 

 

「……そっか。ごめん、僕も出来るだけ来たいなとは思うんだけど」

「いや、仕事なら仕方ないさ。軍なんて所にいれば、個人の都合なんて通用しないだろうし」

「ごめん」

「謝るなって、俺の方こそ余計なことを言ったんだから」

 

 

 久しぶりに柔らかく笑うことが出来た、スザクはそう自覚する。

 ルルーシュもそれは同じだ、仏頂面か無表情の多い顔には柔和な微笑が浮かんでいる。

 タイプは違うがどちらも整った容姿の少年であって、それが2人で笑い合っている姿はそれだけに一枚の絵画のようだった。

 

 

 しかしこの時点で、2人は互いにいくつかの嘘を吐いてる。

 ルルーシュは、己が仮面のテロリストであることを隠している。

 スザクは技術部所属と言いながらナイトメアで前線に行き、同じ民族を取り締まっている上、実の妹を捕縛しようとしているのだから。

 自分の思考の中に出てきた妹、と言う単語に、スザクはふと重いものを感じた。

 

 

「……ルルーシュ、一つ聞いても良いかな」

「何だ、今度はこっちが聞かれる番か?」

「はは、いや、そんなに大した質問じゃ無いんだけど……」

「……そんな深刻そうな顔で、大したも何も無いだろ」

 

 

 腕を組んで机に腰掛けて、ルルーシュはスザクを覗き込むようにして見つめた。

 

 

「話せよ、聞いてやるから」

「……ありがとう」

 

 

 心から穏やかに笑って、スザクは親友に礼を言った。

 受けた側も、どこか照れているような雰囲気になった。

 これが、この2人の少年の関係だった。

 

 

「……ルルーシュ、もしもの話なんだけど」

「ああ」

「もし……もしも、妹が、キミの妹が、ナナリーが。ナナリーが何か、大きな犯罪に関わっているとしたら……キミなら、どうする?」

「うちのナナリーに限ってそんなことはしない」

 

 

 一瞬、空気が死んだ。

 

 

「そんな顔をするな、冗談だ」

「ルルーシュ……キミって本当にルルーシュだよね」

「どういう意味だ、それは」

 

 

 拗ねたような口調でそう言ってから、ルルーシュは表情を真剣なものに改めた。

 それを受けて、スザクも呆れたような顔を引き締めて戻した。

 

 

「お前がどういう意図でそんな質問をするのか、俺にはわからない。質問自体も漠然としていてケースバイケースとしか答えられない、その前提で答えて良いのなら、俺の答えはたった一つだ」

「……それは?」

「ナナリーを助ける」

 

 

 ルルーシュは、その言葉に全てを込めて答えた。

 彼は今、ナナリーのために生きていて……ナナリーの、妹のために何かを成そうとする者だった。

 だからこそ彼は言う、ナナリーが何かを間違えてしまったとしたら、それを救う義務が彼にはあると。

 ここで言う「救う」「助ける」とは、何も警察から守るとかそう言う意味だけでは無い。

 無論、彼が妹をブリタニアの司法に委ねるかは相当に怪しい所ではあるが……。

 

 

 だが彼は、一方でこうも思うのだった。

 あの心根の優しいナナリーが、何かを間違えるはずが無いという信頼がそうさせる。

 間違えたのはナナリーでは無く、ナナリーに間違いを与えた世界の方なのだ、と。

 

 

「俺はナナリーを信じている、だからナナリーが何かを間違えるなどとは思いたくない。だがもし何かを間違えてしまったのなら、いや間違えたとしても、俺はナナリーを救うべく最大限努力するだろう。肉体的なものであれ、精神的なものであれ」

「……信じる、か……」

 

 

 ルルーシュのその言葉を聞いて、何故かスザクは寂しそうな表情を浮かべた。

 自分と「彼女」の間には、ルルーシュとナナリーの間にあるような信頼は無い。

 そう、言いたげな顔だった。

 それを敏感に感じ取ったのか、ルルーシュはスザクに対してやや睨むような目を向けた。

 

 

「……スザク、お前、アイツとは……」

「……いや」

 

 

 ここでも、彼らは互いに嘘を吐いた。

 ルルーシュは、「アイツ」と再会し、あまつさえ反体制派にいるとを知っていることを言わなかった。

 そして、スザクは……。

 

 

「7年前に別れたきり、どうなったかは……」

 

 

 あるいは、これはスザクなりの優しさだったのかもしれない。

 昔の幼馴染がすでにブリタニア軍内部に手配書が回されていて、しかももうすぐ正式に指名手配されるかもしれない状態にあるなどと、「彼女」と仲の良かった親友に言わずにいたことは。

 しかしルルーシュにとっては、この優しさはまるで意味が無かった。

 

 

 何故ならルルーシュは「アイツ」が、「彼女」がどんな状態にあるのかを正確に知っていたのだから。

 だが彼は、自分がそれを知っているということをスザクに知られるわけにはいかなかった。

 だから彼は一瞬、胸の内で爆発しかけた激情を押さえ込んだ。

 お前の妹だろうと、かつてのように言うのを寸での所で止めて、その代わりに。

 

 

「……そうか」

 

 

 そう、言った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「神楽耶が?」

 

 

 少し意外そうな声を作ったのは、桐原だった。

 サクラダイト開発を担うキリハラ・グループの実質的な代表、そしてかつて日本の政財界に絶大な影響を持っていたキョウトの家々の大黒柱……彼がその報告を受けたのは、諸々の仕事を終えて自分の屋敷に戻ってきた時だった。

 

 

 桐原にその報告を行ったのは対馬である、1ヶ月前に青鸞達ナリタからの避難民を回収した男である。

 桐原は日本解放戦線が失われて以降、反ブリタニアの旗手となる組織を選定しており……対馬はそうした内偵を行う人材でもあった。

 そしてその中には当然、まだ「枢木青鸞」と言う選択肢もある。

 今回の対馬の報告は、要するにその一環で行われたものだった。

 

 

「カカカ、そうか、神楽耶がな……」

 

 

 顎先を撫で、桐原は何度も頷く。

 その顔に浮かぶのは笑みだ、明確な「次」を得た者の笑み。

 桐原は自分が慎重な人間であると思っている、そしてそれは事実であった。

 

 

 慎重だからこそ、戦前にはキリハラ財閥の総帥の地位にまで上り詰めることが出来た。

 慎重だからこそ、戦後には日本人……イレヴンの自治組織NACの重鎮に納まることが出来た。

 慎重だからこそ、有力なカードは複数手元に揃えておきたいと考える。

 今後、黒の騎士団は有効な1枚になるはずだったが……有効なカードを1枚手に入れれば、対抗馬・大穴のカードが欲しくなるのが桐原と言う人間だった。

 

 

「いかが致しましょうか」

「カカカ……ふふん、放っておけば良い」

「ですが」

「良い」

 

 

 桐原が杖先で床を打つ、これ以上の物言いは許さないと言う意思表示だった。

 実際、対馬はそれで黙り、姿勢を直立に戻した。

 それを見もせず、桐原はカカカと笑う。

 

 

「……出る芽はこの際、多ければ多いほど良い……」

 

 

 もしかしたなら、コーネリアでもルルーシュでもなく、この桐原こそがエリア11の全ての事情を最も多く正確に把握していたのかもしれない。

 NACとしてブリタニア側に、キョウトとして日本側に通じている彼こそがこの時全てを知っていた。

 ルルーシュのことも、青鸞のことも……。

 

 

 桐原は、笑いながら「次」の結果を待つことにした。

 むしろこれは、彼にとっての生きがいになっているのかもしれない。

 巨大な敵に対し権謀術数を張り巡らせ、足元を掬い、最終的に勝利を得ると言うゲーム。

 それは、慎重に生きつつも全ての政敵を退け続けてきた、桐原泰三と言う男の人生そのものとも言うことが出来るのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「神楽耶、どこに行くの……?」

 

 

 どこか胡乱げにそう言う青鸞は、屋敷の外に出た。

 神楽耶に半ば引き摺られるようにして黒塗りのリムジンに乗り、連れられるままにどこかへと移動させられた。

 スモーク付きの窓の外を見る気にもなれず、カーテンを引いたまま俯いていた。

 

 

 神楽耶は青鸞の向かい側に座っていたが――後部座席は、向かい合って座る構造になっている――特に何かを話しかけてくることは無かった。

 いつものように、ニコニコとした笑顔で見つめてくるだけだった。

 幼い頃から変わらないその笑みに、今は少しだけ居心地の悪さを感じてしまう。

 

 

「ねぇ、神楽耶……」

「さぁ、ここですわ」

 

 

 車が停まれば、やはり手を引かれて外へと連れ出される。

 あたりはすっかり夜だ、それほどの時間出ていたわけではないと思うが、あまり自信が無い。

 どこかの山だとは思うが、少なくともさっきまでいた山とは違う。

 神楽耶に手を引かれて駆け込んだのは、古い屋敷だった。

 

 

 長い間手入れされていないのか、草木は好き放題に生えて、屋根や床板なども雨風に負けて剥がれかけている部分が多々見える。

 そんな古い屋敷に、神楽耶は土足のままで青鸞の手を引いて入っていった。

 車の運転手はそのまま待っているようなので、2人きりで。

 

 

「神楽耶、ここは何?」

「枢木の叔父さまが所有していた屋敷の一つです、何十年も前に捨てられたようですけど」

「え……」

 

 

 父の所有していた屋敷、そう聞いて青鸞の顔が曇る。

 それを知っているのか知らないのか、神楽耶は暗い通路を真っ直ぐに進む。

 やがて奥の大広間に出て、ボロボロの畳の上を進み、そして御簾がかかっていただろう最奥の畳の前に来た。

 

 

 ここで初めて神楽耶は青鸞の手を離し、しゃがみ込んだ。

 何をするのかと思っていれば、神楽耶は畳の一部をめくり上げた。

 いや違う、畳に偽装された端末の蓋を開けたのだ。

 衣装の袖を片手で持ちながら素早くコードを打ち込むと、即座に変化が訪れた。

 大広間一番奥の畳が僅かに浮かび上がり、直後にスライドして……。

 

 

「階段?」

 

 

 石造りの近代的な階段が、そこに現れた。

 戸惑っていると、再び神楽耶に手を取られた。

 僅かの抵抗を示すも無意味で、青鸞は神楽耶に引かれるままに階段を下りた。

 足元に設置された照明がつくと、上の出入り口が閉ざされる。

 

 

(えっと、本当にどこに連れて行かれるの……?)

 

 

 ここまで来ると、流石に青鸞も不安になってくる。

 神楽耶のことは信頼しているが、気分がマイナスに入っているために思考もそのようになる。

 一方で神楽耶は変わらず笑顔だ、表情が変わらないので何を考えているのかが読めない。

 しかも階段を下がれば下がる程に、上とは真逆の近代的な雰囲気が増していって、そして。

 

 

「ここは……?」

 

 

 開けた場所に出て、再び問いかける。

 そこは本当に広い所で、地下でありながらちょっとした工場と同じくらい広そうだった。

 ただ照明がついていないので、何があるのかは見えない。

 

 

「え、神楽耶?」

「ちょっと、待ってくださいね」

 

 

 不意に手を離されて、青鸞は不安そうに神楽耶を呼んだ。

 暗がりの中に消えるその背中を見送って、僅かな間があった後、何かが接続される音と共に照明がついた。

 今度は天井の照明で、白く明るいそれに眩しげに手をかざす青鸞。

 

 

「う……?」

 

 

 やがて目が慣れてくると、そこに何があるのかがわかってきた。

 無頼よりも一回り大きいその機械人形は、厚く広い肩部装甲を始めとした無骨で角ばったデザインのナイトメアだった。

 カラーリングは濃い藍色を基調として肩部、脚部が深緑色に塗られている。

 それが3機、そこに並んでいる。

 そしてその3機とはやや様式が異なるナイトメアが、もう1機あった。

 

 

 青鸞の正面に屹立するそのナイトメアは、新品特有の光沢を放つダークブルーの装甲に包まれていた。

 無頼ともサザーランドとも違う、やや背を屈めたような胴体、長い手に短い脚部と言う独特の形状のそれは、背中のコックピットブロックが妙に張り出ているようにも見えた。

 

 

「……これ」

 

 

 関節部は銀でファクトスフィアは赤、また赤い宝石のようなメインスフィアの下に人間の目を模したブルーの双眼(デュアルアイ)式サブスフィアがある、これは他の3機には無い特徴だ。

 今まで見てきたどのナイトメアとも形状が違う、まったく違う開発思想に基づいて製造されたナイトメアだろう。

 

 

 最大の特徴は装甲だろう、いくつかの追加装甲によって耐久度を増しているらしい。

 機動性はその分落ちているように思うが、追加装甲の鈍い輝きには何かあるような気がする。

 そして装備、いろいろあるが一番目立つのはコックピットブロックの両側と腰部に装着されている合計4本の刀だろうか。

 

 

「このナイトメアの名前は『月姫(カグヤ)』、型式番号Type-02P-S-A0。ブリタニアのコピー品ではなく、キョウトが技術の粋を集めて製造した純日本製ナイトメアフレーム。ちなみに後ろの機体は『黎明(レイメイ)』と言います」

 

 

 青鸞の傍に寄ってきながら、神楽耶は『月姫』を見上げつつ説明した。

 純日本製ナイトメア、それがどういう意味を持つのか青鸞にはわかる。

 ことナイトメアの製造ではブリタニアの後塵を拝していた日本がその技術を吸収し、ついには肩を並べる位置にまで到達したと言うことだ。

 日本人技術者達の尽力と努力たるや、想像を絶するものがある。

 

 

「この機体は、青鸞、貴女のために造られたナイトメアです」

「……ボク、の?」

 

 

 自分のために作られたと言う濃紺のナイトメアを、青鸞と神楽耶が見上げる。

 しかし青鸞は、すぐに視線を落とした。

 自分が戦い続けられるように造られたであろうナイトメア、それを見ることが出来なかった。

 ナリタ戦以前の自分なら、確かに喜んで受け取っただろうその機体を。

 

 

 だが、今の彼女は桐原から聞いた父の姿に迷いを覚えている。

 戦うための理由が、揺らいでいる。

 理由もなしに戦えるほど人は強くない、それは青鸞とて例外ではない。

 だから神楽耶の言葉に、青鸞は俯いてしまったのである。

 

 

「でも、もう必要ないかもしれませんね」

 

 

 逆に顔を上げて、神楽耶はそう告げた。

 青鸞は神楽耶を見た、当然、神楽耶も青鸞を見つめている。

 青鸞が驚きを覚えたのは、先程まであった神楽耶の笑顔が消えていたからだ。

 そこにあったのは笑顔ではなく、冷ややかな表情。

 どこまでも冷たい、冷えた瞳がそこにあった。

 

 

 濃紺のナイトメアの前で、2人の少女が見つめ合う。

 そして月姫は、何も言わずただ佇んでいる。

 まるで、2人の姫を見守る騎士のように。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞にとって、父の遺した「徹底抗戦」の意思こそが全てだった。

 無残に殺された父が最後に成したかったことを成し、そして兄が父を殺したことで混乱し敗北した戦争の責任を取りたかった。

 だから、日本解放戦線に身を寄せたのだ。

 

 

 だが、その父こそがあの戦争の元凶だった。

 日本を侵略したがっていたブリタニアと通じ、大義名分を与えブリタニア軍を引き込んだ。

 死して後も父が行った情報・世論操作の影響は抜けず……勝ち目のない戦争に突入した。

 以来7年間、日本人は塗炭の苦しみを味わっている。

 

 

「だから何ですか?」

 

 

 そして神楽耶は、それを一刀両断した。

 仮に枢木ゲンブがあの戦争の元凶だったとして、それが何だと言うのかと。

 桐原の言うことが100%の真実である保証などどこにも無い、仮にそうであったとしても、だからどうしたと神楽耶は切って捨てた。

 

 

「理由はどうあれ、日本を侵略したのはブリタニアです。そこに善も正義もあるはずが無い、そして今、日本人は踏み躙られている、その事実はそのままそこにある」

 

 

 戦いをする理由は失われたかもしれないが、戦いをやめていい理由にはならない。

 それこそ、責任放棄というものだろう。

 

 

「責任を取ると言うのなら、それこそ戦いをやめるべきでは無い――――そうでしょう?」

「でも、ボクは父様のことを信じて……父様のことを信じないと、戦うなんて出来ないんだよ!」

 

 

 ナイトメアのコックピットは、狭い。

 小さな空間に閉じ込められて戦場という狂気の場所を駆ける、それが少女にとってどれほどの恐怖だったか。

 それでもやってこれたのは、父の遺志を継ぐというその精神の柱があったからだ。

 それでこそ、青鸞は精神を保って戦うことが出来るのだから。

 

 

「たかが父親のことで、何をウジウジと」

「……ッ」

 

 

 鼻で笑いそうな勢いで言った神楽耶の胸元を、青鸞は掴んだ。

 引き寄せるようなことはしなかったが、衣装に皺が寄る残るくらいはあるかもしれない。

 だが、神楽耶はそれを気にした風もなく視線をただ真っ直ぐ青鸞を見つめている。

 目を、合わせていられなくなる程に。

 

 

「……どうして目を逸らすのです」

「…………」

「貴女のしてきたことは、目を逸らさなければならない程に間違っていたのですか?」

「……神楽耶に、っ……!」

 

 

 ぎゅっ、と自分の胸元を握る青鸞の手に、神楽耶は自分の手を重ねた。

 それに気付いているのかいないのか、青鸞は涙の雫を散らしながら。

 

 

「御簾の中で座っているだけの神楽耶に、何が……!」

「御簾の中で座っていなければならない人間の気持ちが、貴女にわかるのですか?」

「……ッ」

「大切な親友が戦場にいると知りながら、ただ座っていろと言われる人間の気持ちがわかるのですか? 初めてのお友達が傷を負ったと聞かされても、ただ笑顔でいろと言われる人間の気持ちがわかるのですか? 傍に行って支えになりたいと願っても、こうやって戦うための道具を用意するしかできない人間の気持ちが、貴女にわかるの!?」

 

 

 ――――圧。

 風が無いのに前髪が揺れるような気迫が、そこにあった。

 胸を貫く、刃のように。

 

 

「枢木青鸞!!」

 

 

 少女めいた笑顔の仮面を捨てれば、そこにはキョウトの女がいた。

 強かで、強烈で、激しい……そんな女が。

 

 

「貴女が戦ってきたのは何のため? 父のため? 日本のため? キョウトのため? それとも兄への復讐のため?」

「……ボクは、父様が、大好きだった」

「そう」

「だから、父様が出来なかったこと……ボクが出来たらって」

「そう、でも」

 

 

 胸元を握る青鸞の手をそっと外して、その手で神楽耶は青鸞の頬に触れる。

 

 

「でも、それでも戦ってきたのは、貴女」

 

 

 青鸞は、目を見張って幼馴染を見た。

 真っ直ぐなその目を、ようやく捉える。

 

 

「お父様からの借り物の理想でも、実行してきたのは貴女。兄への復讐心に塗れていても、実際に努力してきたのは貴女。皆が見てきたのは、私やキョウトの皆、解放戦線の皆が見ていたのはゲンブでもスザクでもなく、貴女」

 

 

 ――――7年間、ずっと日本解放のために戦ってきた。

 片瀬や藤堂や、四聖剣、それに草壁や護衛小隊の皆……自分を見守ってくれていた。

 助けてくれていた、手伝ってくれて、守ってくれていた。

 

 

『上の者は怖いだろう、だが、下の者は怖くないのか。そんなわけはあるまい、上に立った人間がどんな人格をしていて、どういう指示を出すのか。自分の命に直結する問題だ。上官たる者はそうした下の者の不安も常に考えて行動せねばならん』

 

 

 不意に、草壁の言葉が甦る。

 そこに来てようやく、青鸞は思い出すことができた。

 1ヶ月前、共にキョウトに逃げてきた者達はどうしているのだろうかと。

 今になってようやく、思い出すことが出来て、だから。

 

 

 1ヶ月も、ほったらかしにしてしまっていて。

 自分を、父でも兄でも誰でもなく、自分を。

 ――――枢木青鸞という人間を、信じてついてきてくれた人達を。

 

 

「青鸞、一つだけ皇の当主として問います」

「…………」

「もしかしたら、貴女が戦いを始めた理由はお父様だったのかもしれません。お兄様だったのかもしれません。でも、それをもって貴女は何をしたかったのですか?」

「え……?」

「父の遺志を継ぎ、兄への復讐を果たし、その後は? 日本の独立ですか? ではどうして、日本の独立を求めたのですか? 貴女にその夢を見せたのは、誰?」

 

 

 父の遺志を継ぐ、それは手段であって目的ではない。

 では、目的は?

 目的化していた手段、だがその先は?

 青鸞という一個人が見る、その先は?

 

 

 ―――青ちゃん。

 ―――青鸞。

 青鸞さま。

 

 

 四聖剣や、藤堂道場の、ナリタの皆が見ていた夢を。

 

 

 ―――青鸞さま!

 青鸞さま、青鸞さま。

 枢木首相の子供……。

 

 

 ナリタの子供達、ゲットーの人達、日本人……。

 そう、日本人だ。

 ただ、日本人の皆と同じ夢が見たかった。

 父の、借り物の理想だけで戦ってきたわけでは……なかった、だって。

 

 

「この人達のために、この人達を守りたい……ううん、この人達と」

 

 

 一緒に。

 

 

「日本人が、日本人として生きられる、そんな世界に行きたい、から……だから」

 

 

 父の遺志、だけではなく、自分の意思として。

 日本の独立を求める。

 だから、ブリタニアと。

 

 

「……戦う」

 

 

 神楽耶の端正な顔に、微笑みが戻った。

 

 

「軍事力では、勝てないでしょう」

「うん」

「エリア11の統治軍を退けても、より強大な本国軍が控えているでしょう」

「そうだね」

「それでも、戦うと?」

「勝てないかもしれない、敵わないかもしれない、どうしようもないかもしれない」

 

 

 でも。

 

 

「――――抵抗は、出来る」

 

 

 認めず、引かず、媚びず、ただただ抵抗し続けることは出来る。

 権利がある。

 その権利だけは、誰にも否定できない、否定などさせない、だから。

 

 

 だから青鸞は、顔を上げた。

 神楽耶の顔を真っ直ぐに見て、笑みさえ浮かべて見せた。

 何故なら彼女の胸に、再び火が灯ったから。

 儚く小さい、でも確かな物がそこにある。

 そう、今こそ青鸞は抵抗の意思を固めた、これこそ、今の彼女こそが―――。

 

 

 ―――抵抗の、青鸞だ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 神楽耶は袂から取り出したものを、そっと青鸞の手に握らせた。

 月姫の起動キーだ、濃紺で細いキーホルダーのようにも見える。

 その形を掌に感じながら顔を上げると、青鸞を迎えたのは神楽耶の笑顔だった。

 

 

「――――良かった」

「え?」

「私の大好きな青鸞の顔」

 

 

 柔和に微笑む神楽耶の姿に、青鸞もようやく笑みを浮かべることが出来た。

 月姫のキーを握り締めたまま、全身の力を抜くように大きく息を吐きながらの笑み。

 そこには、「枢木」も「青鸞」も無い。

 ただ昔馴染みの少女を前にする、1人の女の子がいた。

 

 

「ありがとう……ボクも、神楽耶のことが大好きだよ」

「……嬉しい、まぁ、私と青鸞の「好き」の意味はたぶん違うでしょうけど……」

「え?」

「ううん、何でも無いです。それより青鸞、今度は私の話を聞いてほしいんですけど……」

 

 

 儚げに笑って、今度は神楽耶の方が青鸞に背中を向けた。

 平安貴族が着るような衣装の裾を翻して、そして彼女は別の話をした。

 それは先程までの話とはまるで関係の無い話で、それでいて僅かに関係のある話のようにも思える。

 つまり、現在エリア11で急速に勢いを得ている組織――――……。

 

 

「私は、ゼロの妻になろうと思います」

 

 

 黒の騎士団のトップ、仮面の男ゼロ。

 その妻の座に、自分が座ると宣言したのだ。

 正直、青鸞には彼女が何を言っているのかわからなかった。

 キョウトの家々で最も高い家柄の当主が、一テロ組織のトップの妻になる。

 

 

 通常、あり得ることでは無い。

 キョウトの女はキョウトの男に嫁ぐのが基本だ、キョウトの血を残すことが最優先の役目。

 歴史上キョウト以外の男に嫁いだ事例もあるが、それでもあり得ない。

 だから青鸞は、神楽耶の意図がわからなかった。

 

 

「今後、あの組織は急速に伸びてくるでしょう。日本解放戦線が大幅に後退した今、他に目ぼしい候補はいない……桐原公も何故か妙にあの組織、黒の騎士団に肩入れしているようですし」

「でも、だからって……」

「ブリタニアにはスザクがいます」

 

 

 言い募ろうとした青鸞、だが神楽耶は話を続けた。

 

 

「となれば、ブリタニアか日本か。いずれが勝ってもキョウト本家の血が残るようにするには……」

 

 

 ブリタニア、そして日本。

 どちらの側にも若いキョウトの血を入れる、そうすることで血が絶えるのを防ぐ。

 過去、幾度と無くそうやってキョウトの血を連綿と受け継いできたのである。

 全ては、キョウトの血を残すために。

 

 

「ゼロはなかなか面白い方ですし……それに私の眼から見ても、ブリタニアを倒そうと言う気概が行動に出ている組織は黒の騎士団だけのように見えますし」

「で、でも、それなら」

 

 

 僅かの逡巡の後、青鸞は神楽耶の背に向けて言った。

 

 

「それなら、ボクでも良いじゃないか。いや、むしろボクの方が都合が良いはず。ボクはナリタでブリタニアに顔を知られたし、元々反体制派の人間だ。なら神楽耶はそのままキョウトに残って、どっちに転んでも良いように……」

 

 

 正直、ゼロと言う男に愛情など覚えていない。

 だがキョウトの女として育った以上、自由恋愛などに期待はしていない。

 だから、神楽耶が望まない結婚をするくらいならと思った。

 

 

 神楽耶の表情は、背中を向けているために見えない。

 何か、もっと別のことを言わなければならない、青鸞はそんな焦りにも似た感情を胸に抱いた。

 それはもしかしたら、先程まで神楽耶が青鸞に抱いていた気持ちなのかもしれない。

 

 

「……嫌です」

「でも」

「嫌」

 

 

 神楽耶は頑なだった、青鸞に対して明確な拒否を向けてくる。

 理由を問おうとする一刹那、その瞬間。

 

 

「神楽耶」

「私が」

 

 

 不意に、神楽耶が振り向いた。

 彼女の目の端に透明な雫があって、青鸞は思わず息を吸った。

 そして息を吸って薄く開いた、その唇に。

 

 

 ――――ちゅっ。

 

 

 瞳を、大きく見開く。

 唇に押し当てられた柔らかな温もりに、青鸞は息を止めた。

 小さな動きに合わせて薄く動く唇、行為に対する自覚と共に熱を持つ頬、首に回された細い腕。

 ほんの数秒間の接触が、まるで世界を止めたかのような錯覚を覚えた。

 それは青鸞にとって……初めての、感触だった。

 

 

「……私が」

 

 

 ゆっくりと離された唇、青鸞の視界一杯に神楽耶の顔があった。

 瞳に湛えた涙も、長い睫も、薄く朱色に染まった頬と白い肌も、整った目鼻立ちも……全部が、目の前にあって。

 それはあまりにも綺麗で、青鸞は唇を僅かに震わせるだけで何も言えなかった。

 

 

「……私が殿方だったら、貴女をお嫁さんに出来たのに」

 

 

 首に回されていた腕が解かれて、青鸞は2歩を下がった。

 感触を確かめるように指先で自分に唇に触れて、しかし目は神楽耶を見つめ続けていた。

 神楽耶の濡れた瞳が細められて、涙の雫を頬に流しつつ笑みの形に歪んだ。

 

 

 ――――私が、男の人だったら。

 貴女をお嫁さんにして、守ってあげられたかもしれないのに。

 そう言って、神楽耶は青鸞に背を向けた。

 そのまま何も言わずに歩き出す、今度は止まる気配も無い。

 

 

「あ……あ、ぅ……」

 

 

 1歩を前に進めて、手を伸ばして……でも、何も掴まないままに掌を閉じる。

 どうすれば良いのかわからなくて、遠ざかる神楽耶の背中を見ることしか出来ない。

 正直、混乱していた。

 神楽耶はどういうつもりで、いやどういうつもりも何もそう言うつもりなのだろうが。

 

 

 思えば幼い頃から、妙にスキンシップが多かったりしたが、他に同年代の友人が少なかったせいか特に変だとは思わなくて、いや今はそんなことより。

 何か、言わなくては。

 何か、何でも良い、応えられないけど、きっと「好き」の意味が違うけど、だけど。

 このまま別れてはいけない、そう頭の中で誰かが叫んでいて、だから。

 

 

「か……」

 

 

 だから。

 

 

「神楽耶!」

 

 

 その場から動かず、だけど声をかけた。

 神楽耶の足が、止まる。

 だけど、振り向いてはくれなかった。

 気のせいでなければ、その肩が小さく震えているようにも見えた。

 

 

「神楽耶……あの」

 

 

 応えられない、けれど。

 「好き」の意味が違う、けれど。

 でも、それでも……。

 

 

「――――嬉しい」

 

 

 それでも、嫌いにだけはなれないから。

 

 

「ありがとう」

 

 

 青鸞は、そう言った。

 それ以上は、何も言えなかった。

 神楽耶は何も答えなかった、むしろ歩を早めてその場から去ろうとした。

 だが、去り際に一言だけ。

 

 

「……さようなら、セイラン」

 

 

 小さな声が、青鸞の耳に届いた。

 青鸞もまた、小さな声で囁いた。

 

 

「……さようなら、カグヤ」

 

 

 そうして、その夜は終わった。

 月姫(カグヤ)と言う機械人形が静かに見守る前で、この日、2人の少女が別れた。

 7年前、幼い頃、共に日本を取り戻すことを決めた2人が今、別れた。

 現実には、何度でも会えるのだろうが……だが何か別の意味で、2人は別れた。

 

 

 この別離が今後、どういう結末をもたらすのかはまだ誰にもわからない。

 世界にも、国にも、人にも。

 どんな存在にも……わからないのだった。

 だが、時間は動く。

 結果を急かすように時間は動く、そうして動き続けて――――何かが。

 

 

 何かが、生まれるのだろうか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――ナリタ攻防戦から2ヶ月後、皇暦2017年8月。

 この頃になると、エリア11もそれなりに静けさを取り戻していた。

 ブリタニア軍の再編作業も目処が立ち、また反ブリタニア勢力も日本解放戦線本体の喪失の衝撃から、新興勢力である黒の騎士団を中心として立ち直りつつあった。

 

 

 それ故にブリタニア帝国第3皇女にしてエリア11副総督、ユーフェミア・リ・ブリタニアの仕事は増えていた。

 理由は、軍事的・武断的な政策が一段落したためである。

 元々彼女は、そのためにエリア11に来たようなものだからだ。

 

 

「それでは、(わたくし)はこれで……皆さんの勇気と献身に、政庁を代表して改めて御礼を申し上げます。どうか今は身体を労わり、しかる後、再び帝国と臣民のために剣となり盾となってくださいますよう、期待します」

「「「イエス・ユア・ハイネス!」」」

 

 

 そんなユーフェミアの今日の仕事は、戦病兵が入院している軍病院への慰問だった。

 ヤマナシの風光明媚な土地を買い上げて建てられた病院は、風景の良さと清潔さでもって傷ついた兵を癒すための場だった。

 そこに今は、穏やかな美しさを持つ皇女がいる。

 

 

 形だけでは無い穏やかさと優しさを持つユーフェミアの存在は、傷ついた兵達を確かに癒した。

 実際、彼女に敬礼する戦病兵達――立てる者は立って、立てない者もベッドの上で半身を起こして――の顔には笑顔がある。

 そんな兵士達に見送られて、ユーフェミアは専用車に乗り、その場を去った。

 前後をSPが乗り込む車両に挟まれて、交通規制の敷かれた道を進む。

 

 

「……ふぅ」

「お疲れ様です、ユーフェミア様」

「いえ……あの、ああいう感じで、その……良かったのでしょうか?」

「は? ああ、はい、非常に素晴らしいご訪問だったと、そう思います」

「そう、ですか……」

 

 

 にこやかなSP兼秘書の女性の声にも、何故かユーフェミアの表情は晴れなかった。

 疲労は、確かにある。

 特にこの1ヶ月ほどはエリア11の各所を訪問し続けていて、トーキョー租界にいることの方が少なかった。

 

 

 理由は単純で、総督が行うべき儀礼的な式典・行事などの公務が増えているからだ。

 ただ総督のコーネリアは軍の再編やエリア11の政治体制の改革に忙しく、また軍事的なイメージが強すぎるため、真逆のイメージを持たれているユーフェミアが名代として公務を行っているのだ。

 それ自体はユーフェミアの望んだことで、疲労を言い訳に暗い顔をする理由にはならない。

 

 

(……心にも無いことを言って、兵士の皆さんの気分を害さなかったかどうか……)

 

 

 その点、お付きのSPなどに聞いても意味が無い、彼女らがユーフェミアを非難するはずが無いからだ。

 それにユーフェミアには労わりの気持ちは確かにある、問題は……傷が癒えた後、再び帝国のために戦えと言った言葉の方だ。

 帝国皇女としては当然の言葉だが……個人としては、もう二度と戦って傷ついてほしくなかった。

 

 

 戦いなんてやめて、どこか平穏な場所で穏やかに過ごしてほしいと思った。

 それはブリタニア人だけに留まらない、日本人……イレヴンの人々の対しても。

 ブリタニア人とナンバーズを区別するのはブリタニアの国是だが、その国是こそがいらぬ争いを増やしているのではないかとユーフェミアは思う。

 戦いを呼び、傷つけ合わせ、哀しみを増やしているのではないかと思う。

 

 

(誰も戦わずに、傷つかずにすむ世界があれば……)

 

 

 帝国皇女として、口には出せない考えだ。

 きっと、誰にも理解されない考え。

 ……いや、もしかしたらと思う少年が1人だけいたか。

 

 

『自分は、こうなるのを見たくなくて軍人になったはずなのに――』

 

 

 数ヶ月前、政庁を抜け出した自分をシンジュクに案内してくれた少年。

 2ヶ月前、ナリタで姉を助けてくれた少年。

 直感に近い、だが彼ならばもしかして……と、思いもするが。

 だが彼はナンバーズ、ユーフェミア自身がどう思っても、周囲は彼を認めないだろう……。

 

 

「ユーフェミア様?」

「……あ、ごめんなさい。何ですか?」

「はい、この後のスケジュールなのですが……」

「……どうか」

 

 

 したのですか、とユーフェミアが言葉を続ける前に、車体が揺れた。

 ユーフェミアに話をしていたSPの女性が目を見開いて固まったので声をかけようとしたのだが、山肌に築かれた幹線道路が、小さな爆発の衝撃に揺れたのだ。

 そしてその爆発は、その道路の上で起こった物だった。

 

 

 進行方向右側、SPの女性の視線の先にユーフェミアも視線を向ける。

 まず見えたのは桜色の閃光、次いで車の前を遮るように爆発で崩された土砂や岩が車道を塞いだ。

 規模自体は大したことが無く、ユーフェミアの車の前を走っていた護衛の車も車体の前半分が土砂に押されてガードレールに衝突しただけで済んだ。

 

 

「――――きゃあっ!?」

 

 

 ユーフェミアの車も急ブレーキを踏み、車体を横にしつつ停止した。

 交通規制が敷かれている以上彼女達の一行以外は誰も通らない、だから犠牲も出ない。

 それだけが救いではあるが、だからと言って彼女達が救われることと同義では無かった。

 

 

「ユーフェミア様!!」

「皇女殿下をお守りしろ、周囲を警戒!」

「パターンB、駐屯地に救援を要請しろ!」

 

 

 後ろの車両がそこへ追いつき停車すると、中から黒服の男達が銃を手に飛び出してきた。

 ユーフェミアを守るべくユーフェミアの車を囲み、通信で救援を呼ぼうとする。

 本来なら副総督の移動にはナイトメアの護衛もつくのだが、民間道路であるし、何より地域のイレヴンの人々を怯えさせたくないと言うユーフェミアの意向でついていない。

 

 

 その時、SPの男達の頭上を1本のアンカーが通り過ぎた。

 それは山肌に突き刺さると急速に巻き戻り、ガードレールの下から4メートル大の機械人形を引き上げてきた。

 

 

「な……ナイトメア!?」

「だ、だがあんな形のナイトメアは見たことが……うわぁっ!?」

 

 

 さらに、SPが全員降りた後ろの車両、そこに上から何かが落ちてきた。

 ナイトメアである。

 ただ今しがた彼らが言ったように、それらは彼らブリタニア人が始めて見る形状をしていた。

 

 

 車の上に落ちてきたのは藍に深緑のカラーリングがされた、両肩に種類の違う火砲をマウントした機体。

 もう一つは青色の機体、こちらはさらに独特の形状をしている。

 どこか屈んでいるように見える胴体、無骨な長い腕、安定感のある短い脚部。

 

 

『はいはい、武器捨ててよ~』

 

 

 車の上のナイトメアから間延びした男の声が響き、両肩の大砲を突きつけながら武装解除を迫る。

 ナイトメアに拳銃では叶わない、男達は口惜しそうな顔で次々に銃をその場に捨てていった。

 

 

「……ッ!」

「ユーフェミア様!?」

 

 

 その様子を見ていたユーフェミアは、SPの女性が止めるのも聞かずに外へ飛び出した。

 どの道、このタイミングで襲ってくるのなら自分のことを知っているのだろう。

 先程までの思考のせいか、テロと言う手段に訴える相手に何か言いたくて、彼女は外へ出たのだ。

 迂闊と言えば迂闊だが、車に残っていても仕方ないのも確かだ。

 

 

「何者ですか! 私はユーフェミア・リ・ブリタニア――――その者達に指一本触れてはなりません!」

 

 

 自分より部下を優先する姿勢は称賛すべきかもしれないが、この場ではあまり意味が無い。

 しかし道路上を吹く風に長い桃色の髪を靡かせて立つその姿は、彼女が少なくとも臆病者と呼ばれるような人種では無いことを証明してもいた。

 そして、まさかその姿勢に感銘を受けたわけでは無いだろうが……。

 

 

「……!」

 

 

 ユーフェミアを含め、全員が息を呑む。

 ブリタニア製とデザインの違う濃紺のナイトメア、背部のコックピットブロックが開いたのである。

 サザーランドなどとは違い、シートでは無く天井盤がスライドするように設計されているらしい。

 

 

「貴女は……」

 

 

 直接は会ったことが無い、ただブリタニア政庁・軍の中で第一級指定犯罪者として手配されている顔だった。

 流石に全部は覚えているわけでは無いが、その相手のことはいろいろな理由で覚えていた。

 何しろ、最近の話でもあるから。

 

 

 コックピット・シートの上に立つ、濃紺のパイロットスーツに身を包んだ少女。

 左手の手首に巻いているのは白いハンカチだろうか、それに手配画像のものとは髪型が違う。

 手配画像では長い黒髪をポニーテールにしていたが、髪を切ったのか今はボブカット……いや、おかっぱと言った方が正しいのだろうか?

 前髪を額に垂らし切り下げ、後ろ髪を襟首辺りで真っ直ぐに切り揃えた少女らしい髪型。

 

 

枢木青鸞(クルルギセイラン)……!」

 

 

 ブリタニアの皇女に名を呼ばれて、少女……青鸞は、月姫のコックピットブロックから地上の皇女を見下ろした。

 皇女とテロリスト、ユーフェミアと青鸞。

 ある1人の少年を中間に持つ2人の少女が、初めて出会った瞬間だった。




採用ナイトメア:
「月姫」:車椅子ニートさま(ハーメルン)。
(ファクトスフィア・全身・各関節部のカラーリング:mahoyoさま(ハーメルン))。
(デュアルアイ:RYUZENさま(ハーメルン))。
「黎明」:グニルさま(小説家になろう)。
ありがとうございます。

採用衣装:
ATSWさま(小説家になろう)提供:「白い生地に青い羽根が舞い散らされた模様の浴衣」。
ありがとうございます。


 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 皆様のご協力を受けて、良い青鸞の専用機が出来ました。
 今後どんどん武装やら設定やら能力やらを出していく予定ですので、よろしくお願いいたします。
 基本はロスカラの月下先行試作型、でもいろいろなアイデアを受けて名前を中心に専用機化、まるで違う機体に進化してしまいました。
 これも、読者の皆様の青鸞への愛情の賜物、ありがとうございます。
 というわけで、次回予告。


『ユーフェミア・リ・ブリタニア、帝国第3皇女にして副総督。

 本人は至って温厚な性格だって聞いてる、皇族らしくないって有名。

 でも、悪いけど利用させて貰う。

 ブリタニア相手に、人質がどこまで通用するかはわからないけれど。

 私達の抵抗を始めるための、第一歩として』


 ――――STAGE15:「妹 を 巡って」


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STAGE15:「妹 を 巡って」

4月からは毎週水曜日の週1投稿になると思います。
おそらくそれ以上はたぶん無理になります、申し訳ありません。
では、どうぞ。


 その事件は、表に出ることは無い。

 しかし逆を言えば、一部の人間には知れ渡っていることになる。

 例えば特別派遣嚮導技術部に所属する枢木スザクなどは、その1人だった。

 

 

「ユーフェミア様が!?」

「ええ、まだ極秘扱いの情報なのだけれど……」

 

 

 次世代型ナイトメア・ランスロットのシミュレーター訓練を受けていたスザクは、セシルによってもたらされたその情報を驚きをもって受け止めた。

 すなわち、ユーフェミア・リ・ブリタニアがテロリストによって拐かされたと言う事実。

 スザクが特に衝撃を受けたのは、2点。

 

 

 1点は誘拐された人間がユーフェミアであったことだ、スザクは彼女に二度会っている。

 1度目はシンジュク・ゲットーで、2度目は特派の視察に来た時。

 スザクをイレヴンと差別せず、いや、誰も差別しない心優しい少女だった。

 その柔らかな微笑が、スザクの脳裏に浮かび上がった。

 

 

「……そんな……」

「もう、政庁上層部は大騒ぎよ。ただでさえヒロシマ租界で数ヶ月ぶりにテロがあったって話題になってるのに――――」

 

 

 そして第2点、実行犯の名前である。

 ユーフェミア誘拐犯、まぁつまり立派なテロリストなのだが、その「少女」はスザクがこの数ヶ月探し続けている少女だった。

 つまり、その誘拐犯とは。

 

 

「……青鸞……!?」

 

 

 枢木青鸞。

 日本最後の首相枢木ゲンブの遺児にして反体制派の象徴、日本解放戦線本体の壊滅以降はブリタニア軍内部で手配書を回されていた稀代のテロリスト。

 そして、枢木スザクの実妹である――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「どういうことか、副総督が拉致されたとは!?」

 

 

 コーネリアの座る座席を頂点に、左右に武官・文官が座す会議室にコーネリアの怒声が響き渡る。

 常のような覇気によって発されるものでは無く、単純な激怒によって発せられたもののようだった。

 その場にいる大半――特に文官――は、コーネリアの怒気に気圧されたように黙り込んでいた。

 しかし気圧されていない者の1人、ギルフォードの言葉がその場の空気を救った。

 

 

「――――姫様、今はとにかく対応策を」

「……わかっている」

 

 

 感情を押し殺したような声を発し、乗り出していた身を椅子の背もたれに押し付ける。

 しかしその表情には明らかな焦りと苛立ちがあった、かつてサイタマで冷酷に殲滅を命じゼロを追い詰めた女司令官の姿は鳴りを潜めていた。

 実妹たるユーフェミア――108人の后妃がいるブリタニアでは、同腹の兄弟姉妹は珍しい――を拉致されたと言うその事実が、コーネリアを追い詰めていた。

 

 

 客観的に見て、ユーフェミアはコーネリアのほとんど唯一の弱点だった。

 腹心のダールトンや専属騎士のギルフォードでは、おそらくこうはならない。

 優先順位と言うよりは、人間関係の質の違いだ。

 毒蛇の巣とも言われ、常に他の后妃の皇子・皇女と争い合うブリタニア皇室において、唯一自分を無条件で慕ってくれる妹姫……貴重だ、あまりにも貴重だった。

 

 

「現在、対象はライン20……旧中央自動車道上をコウシュウからササゴ、オオツキを経由しつつ東進中です。移動手段は輸送会社のトラックに偽装した大型トレーラー、ナイトメアは最低2機が確認されています」

 

 

 動けない文官に代わり、ギルフォードがそう説明する。

 コーネリアの手元の端末の画面にはその他、今回の事件についての情報が次々と流れていった。

 まず、ユーフェミアを拉致したテロリストはその「成果」を発信していない。

 メディアにもネットにもだ、これは奇妙とも言える。

 

 

 しかしだからこそ、ユーフェミア拉致の情報は他に漏れていない。

 ブリタニア市民の混乱も無いし、反体制派の鳴動も無い。

 むしろ対象は通常の通り、渋滞などは避けつつも民間の車に混じって幹線道路を東に東にと進んでいる。

 

 

(脅しのつもりか……?)

 

 

 幾分か冷えた思考で、コーネリアはそう分析する。

 ユーフェミア拉致を公表しない、だがもし余計なことをすれば公表する。

 クロヴィス暗殺に続いてブリタニアの名に傷をつけたくなければ、黙って見ていろ、と。

 ……これがユーフェミアでなければ、コーネリアも即座の殲滅を命令できたかもしれないが。

 

 

「テロリストの要求は、何なのですか? い、いえ、テロリストと交渉などあり得ませんが……」

 

 

 文官がコーネリアを窺いながら、相手の要求内容を聞いた。

 コーネリアは眉を動かしただけで特に何も言わない、今度もギルフォードが答える。

 しかし明敏な彼が、聊か困惑するように眉根を寄せて。

 

 

「要求は……ありません。事件についても、現場に放置されたユーフェミア様のSPの通報で発覚したもので……テロリスト側からの要求は、現在、どのチャネルからも出されていません」

 

 

 そう、それが今回の事件のわからない所だった。

 例えばこれがブリタニア軍の撤退であったり、政治犯の釈放であったりと言うならわかる。

 だが、何も無い。

 何のためにエリア11の副総督を拉致したと言うのか、それがわからない。

 

 

 ……無論、ユーフェミア「自身」が目的と言うことも考えられるが……。

 その場合、コーネリアはユーフェミアを攫ったテロリストを八つ裂きにするつもりだった。

 何をされるかなど考えたくも無い、あの誰にでも心優しい妹が、などと。

 許されるはずが無かった。

 しかし同時に、その可能性が低いだろうこともコーネリアにはわかっていた。

 

 

「しかし実行犯は判明しています、現在軍内で第一級手配されているテロリストです。ナリタ以降、密かに探してはいたのですが……そして」

「こやつならば、そしてライン246などの他の道路でなく20を選んで進んでいることを考えれば、その目的地はおおよその見当がつく」

「……御意にございます」

 

 

 ようやく頭の冴えが戻ってきた、ギルフォードも笑みを浮かべる。

 そう、対象は旧中央自動車道を東はと進んでいる。

 目的地はトーキョー租界か? いや、違う。

 進めば進むほどブリタニア軍の勢力が強まるこの地域、ここを東進すればトーキョー租界の前にある場所に差し掛かる。

 

 

「対象は……テロリスト・枢木青鸞は、トーキョー租界の手前――チョウフを目指している」

 

 

 チョウフ基地、そこにはナリタで虜囚とした日本解放戦線メンバーが収監されている。

 そして、枢木青鸞。

 コーネリアは、その名前に冷酷さと激情を兼ね備えた瞳を輝かせた。

 

 

「……姫様」

「ダールトンか、何だ」

「は、副総督の件で言いそびれておりましたが、本国からシュナイゼル殿下の名で通達が来ております」

「兄上から?」

 

 

 ブリタニア本国で帝国宰相の役職に就いている兄の名に、コーネリアは怪訝な顔を見せる。

 副官たる将軍、ダールトンは頷くと、暗記していた文章を諳んじるような口調で。

 

 

「……エリア11時間の本日午前9時頃から、各エリアで断続的にテロやデモが発生している。よって各エリア総督は十分に注意されたし、とのことです」

「要はいつものテロ対策強化の要望か、ここでもヒロシマで兵を巻き込んだ爆弾テロがあったと聞いてはいるが……今はこの問題を片付けるのが先だ」

 

 

 まぁ、これもある意味ではテロなのだろうが。

 そう思えば、自分の警戒と配慮が足らなかったとコーネリアは思う。

 そして枢木青鸞に率いられたテロリスト達が、もしユーフェミアに不埒な真似をしていれば……。

 ……口には出来ないような罰が、彼女らを待っているとだけ言っておこう。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――実の所、本人達としては意外に思っている所はあった。

 エリア11副総督、ブリタニア帝国第3皇女。

 他の要人とは格が違うことは確かだが、それでも意外は意外だ。

 

 

「てっきり、すぐに奪還作戦を仕掛けてくるものと思ったんだけど……」

「何もなさすぎて、逆に不気味だな……お嬢の予定では、オオツキあたりでガツンと来る予定だったんだろ?」

「まぁ、ね。交通規制も無いし、これは意外とチョウフまで真っ直ぐ行けちゃうかも?」

 

 

 ライン20――旧中央自動車道を東進する車の中に、架空の輸送会社の名前が書かれた大型トレーラーがあった。

 一見、普通のトレーラーだが……周囲の乗用車やバスに乗っている人間は、自分達の横を走っているトレーラーにテロリストが乗っているとは夢にも思っていないだろう。

 まして、帝国の第3皇女が乗っているなどとは想像も出来まい。

 

 

 そしてそんなトレーラーを運転するのは、日本解放戦線のメンバーである青木だ。

 相変わらずのスポーツ刈りに近い髪型、ハンドルを握る姿は3ヶ月前と何も変わらない。

 広い運転席、フロントガラスや窓は全て特殊な防弾ガラスだ。

 キョウト製『月下』輸送用トレーラーの運転席には、現在青木を含めて3人の人間がいる。

 

 

「青鸞さま、このままのペースであれば……1030にはチョウフに到達するかと思われます。その前に、仮眠を取られてはいかがでしょうか」

 

 

 助手席の位置にいるのは、カーキ色のタクティカルジャケットを着た黒髪のショートヘアの女性。

 佐々木である、草壁の部下で青木と同じく解放戦線のメンバーだ。

 今は、広い座席の真ん中に座す少女に向けて、その鋭い瞳を向けている。

 

 

 対する少女は……青鸞は、佐々木の言葉に小さく首を傾げてみせる。

 以前はサラリと流れた黒髪は、今は襟首のあたりで切り揃えられている。

 おかっぱな黒髪は、少女をより幼く見せる。

 どうして髪を切ったのかの理由はわからないが、周囲は知っている。

 この少女がユーフェミア皇女の拉致を成功させた、稀代のテロリストであることを。

 

 

「仮眠は良いよ、佐々木さんこそ寝ておいて。いつブリタニア軍が来るかわからないし、それに今夜はまた死にそうな思いをする気がするし」

((ならなおのこと寝るべきだろうに))

 

 

 青木と佐々木の内心の突っ込みは置くとしても、どうやら髪型以外にも変化はあったらしい。

 

 

「じゃあ、ボク後ろにいるから。何かあったら呼んでね」

「いや、お嬢が運転席に来ても意味無いだろ」

「有事の際にはナイトメアでの出撃をお願いします」

「……はーい」

 

 

 若干しょんぼりしつつ、青鸞が座席後ろの扉から後部のトレーラーへと移る。

 その様子を見送った佐々木は身体を前に戻し、ハンドルを握っていたため見送りはできなかった青木は肩を竦めた。

 変化したのは、関係と言うよりは青鸞の態度だった。

 

 

 青鸞は、以前は護衛小隊の人間に対しても敬語を使い、また自分を指す際には「(ワタシ)」と言う言葉を使っていた。

 稀に「ボク」と呼ぶこともあったが、基本は「(ワタシ)」だった。

 それが今、「ボク」……つまり「枢木」ではなく「青鸞」として接するようになった。

 これを良いと見るか悪いと見るかは、人によって意見はあるだろう。

 

 

「……どういう心境の変化があったのかね」

「私にはわからない、だが青木伍長、任務中の私語はなるべく慎め」

「了解、軍曹殿」

 

 

 少なくとも、運転席に座る2人にとっては悪い変化では無いらしい。

 それは彼らの表情を見ていれば明らかで、青木など愉快そうに鼻歌など歌っている。

 一方で佐々木も、かつて草壁に命じられた「あの小娘から目を離すな」と言う言葉を忠実に守り続けるつもりだった。

 そこには当然、個人の意思も含まれているのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 通常、誘拐された側が取る行動と言うものには何があるだろう?

 取り乱す? 罵倒する? 怯えた目で大人しくなる? 毅然とした態度で対する?

 大体はそんな所か、しかし彼女は違う。

 

 

「うーん、なかなか難しいんですね。このショーギと言うゲーム、チェスとは駒の動かし方が違いますし」

「いえ、筋はよろしくていらっしゃいますよ」

「そうですか? ふふ、昔、ある人にチェスなら教わったことがあって……」

 

 

 後部トレーラーに移った青鸞が見たのは、雅がユーフェミアと将棋を嗜んでいる姿だった。

 トレーラー内に設置された仮眠室、そこが臨時の軟禁場所になっている。

 スペースの都合上そんなに広くは無い、が、寝起きするくらいなら十分だ。

 まぁ、皇女殿下の部屋としては不足に過ぎるだろうが。

 

 

 いずれにしても、誘拐犯の仲間と将棋遊びをする皇女と言うのは普通では無いだろう。

 それも楽しそうにだ、外部の「お飾り」評価とは裏腹に、肝が据わっているのかもしれない。

 他人の評価など、役に立たないものだ。

 

 

「雅、ありがとう」

「ああ、青鸞さま。いえ、私も楽しかったですから」

 

 

 楽しかった、これもまた人質の世話を頼まれた人間の言葉では無い。

 仮眠室の扉の向こうに姿を消す分家筋の少女の姿に、青鸞は何とも言えない気分になる。

 そしてその気分のままに先程まで雅がかけていた椅子に座れば、簡易ベッドに腰を下ろす形になっているユーフェミアと向かい合う。

 すると、誘拐されている当人である彼女は、誘拐した本人である青鸞に何故か笑顔を見せた。

 

 

「はじめまして……で、良いのかしら。私はブリタニア帝国第3皇女、エリア11副総督、ユーフェミア・リ・ブリタニアです」

「……はぁ」

 

 

 もしこれで別人だったらば、青鸞達の行動の意味が無くなる。

 それにしても、随分とフレンドリーと言うかフランクと言うか、壁の低い皇女様だ。

 テーブルの上の将棋盤を見ながら、青鸞はそう思う。

 するとそこで会話が止まった、何かと思って顔を上げれば、ユーフェミアが笑顔で自分を見ている。

 否、待っている。

 

 

「……枢木青鸞です、どうぞお見知りおきを、皇女様」

「名前で呼んで頂いても結構ですよ、公式の場ではありませんし」

 

 

 公式とか非公式とか、そう言う問題だろうか。

 首を傾げる青鸞だが、と言ってユーフェミアに傷をつける意思は彼女には無い。

 抵抗したり逃亡を図られれば別だが、このように大人しくしていてくれるならば特に。

 何しろ彼女は、チョウフまでの交通手形でしかないのだから。

 

 

「セイラン……と呼んでも良いでしょうか?」

「構いませんが」

「ではセイラン、貴女はスザクの妹さん……なのですよね?」

 

 

 ……待て。

 と、青鸞は思った。

 あの兄は、帝国の第3皇女にファーストネームで呼ばれるような人間なのだろうか。

 いや、自分も呼ばれ始めているが。

 

 

(……何と言うか、変な皇女様だな……)

 

 

 他人に対して妙に距離感が近い、独特の寄り方。

 少なくとも、彼女が知っているブリタニア皇族とはまるで違う。

 あの兄妹は、最初は酷くこちらを警戒していたし……。

 

 

「酷く不躾な質問で申し訳ないのですけれど、もしかしてスザクとは……お兄様とは、あまり仲が良くないのですか?」

「…………まぁ、そうですね」

「あ、ごめんなさい。スザクから妹さんの話を聞いたことがなかったものだから……」

 

 

 硬質化した雰囲気に気付いたのか、ユーフェミアは申し訳無さそうな顔で謝罪してきた。

 これも自分の知っている皇族とは違う、皇族とは個人個人でこんなに差が出るのだろうか。

 自分の知る兄妹、兄の方は特にそうだが、誰かに謝った姿をあまり見たことが無い。

 

 

「どうして、そんな話を? (ワタシ)とスザクは確かに離縁関係にありますが」

 

 

 自分の家と、とは言わない。

 それを言えば枢木家のことが、ひいてはキョウトのことが伝わる。

 それは出来ない、何をおいても。

 どれだけ変でも相手はブリタニア皇族、支配者の側の人間なのだから。

 

 

 対してユーフェミアは、特にそうした思考からスザクとの不仲を確認したわけではなかった。

 もちろん、政治的に利用するためでもない。

 ただ単純に、個人として聞いただけだ。

 

 

「特に理由はありません、ただ、私はここエリア11で兄を亡くしました。姉とも喧嘩らしい喧嘩をしたこともありません、だから貴女とスザクが仲良くなってくれれば嬉しいと、そう思ったんです」

「それだけですか?」

「はい、それだけです」

 

 

 曇りの無い100%の笑顔で、ユーフェミアは言い切った。

 あまりにも裏が見えない、そもそも無い。

 これが、ユーフェミアと言う「少女」だった。

 打算も策略も無い、純度の高い感情だけを表に出す少女。

 

 

「聞かせてほしいのです、貴女から見たスザクのことを。そうすれば、きっと貴女のことがわかる気がして……」

「わかって頂かなくて結構、ブリタニア皇族の貴女に理解などされたくありません」

「はい、わかっています。ただ、私がそうしたいと言うだけのことですから」

「…………」

 

 

 ……どうやら、青鸞にとって長く面倒な時間になりそうだった。

 しかし、これも必要なことだ。

 チョウフにいる人々を救うためには、必要なことだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ルルーシュにとっては、その日は久しぶりに穏やかに過ぎるはずだった。

 学校での騒ぎはともかくとして、クラブハウスに戻ってからはそうだった。

 最近は黒の騎士団関係の動きが激しかったが、今日は久しぶりに妹と過ごすことが出来る。

 それは、殺伐とした世界においてルルーシュの精神を癒す、ほとんど唯一の時間だった。

 

 

「……何?」

 

 

 しかしその穏やかな時間は、不意の電話によって破壊された。

 彼が黒の騎士団を率いて戦う理由の一つは、妹ナナリーが暗殺に怯えずに過ごせる世界を創るためだ。

 だが今、彼のナナリーとの穏やかな時間をブチ壊しにしたのは、皮肉なことに黒の騎士団の活動のせいだった。

 

 

 変声・逆探知阻止のための特殊な機材を付属した携帯電話を片手に、ルルーシュは眉を顰める。

 それは電話の内容と言うよりは、彼の自室に充満するピザの匂いに対してのようだった。

 ベッドの上で寝ながらピザを食べると言う暴挙に及んでいる緑髪の少女は、どこ吹く風と言った様子で足をパタパタさせていた。

 白の拘束着の中身などに興味は無い、ルルーシュは不機嫌そうに視線を逸らした。

 

 

「……確かなのか、その情報は」

『…………』

「ディートハルトの情報の信用度については、私に任せておけと言ったはずだぞ扇。まぁ、その私をしても、今回の情報に関しては俄かには信じ難いが……」

 

 

 小さく首を振って、しかし迷いの無い瞳でルルーシュは言った。

 

 

「あの男が「素材」を間違えるはずは無い、ならば事実として動く。2時間以内に集められる人間だけ集めろ、数はそこまで必要じゃない。幹部連は召集、だが玉城は……何、そこにいるのか。なら仕方ないな」

 

 

 その後二、三の命令を伝えて、ルルーシュは電話を切った。

 ソファの横に置いてあった大きな黒い鞄を掴んで、ルルーシュは外出の準備を進めた。

 対して、ベッドの上でピザを食べていたC.C.は興味もなさそうに。

 

 

「どこかに行くのか?」

「ああ、少しな。明日中には戻る、お前はこの部屋から出るなよ」

「束縛する男は嫌われるぞ、坊や」

「黙れ魔女」

 

 

 いつものように言い合いを重ねて、ルルーシュは部屋を出た。

 すると廊下を幾許も進まない内に、車椅子の少女がその進路上に現れた。

 ナナリー、彼の妹である。

 彼女は兄の姿を認めると――盲目のため、気配で感じたのだろうが――ふわりと花開くように微笑んだ。

 

 

「あら、お兄様。もうすぐお夕飯の時間ですよ」

 

 

 声がいつもよりやや明るいのは、久しぶりにルルーシュと夕食を共に出来るからだろう。

 それがわからないルルーシュでは無いので、彼は胸に鈍い痛みを覚えた。

 ルルーシュもできればナナリーの傍にいたい、いたいのだが……。

 

 

「ルルーシュ様、お出かけですか?」

「え……」

 

 

 ナナリーが表情を暗くしたのは、彼女の傍に立つメイドの言葉によってだった。

 シックな印象のメイド服に身を包んだその女性は、篠崎咲世子(しのざきさよこ)

 ナナリーの身の回りの世話などを担当するのがその役目であり、ルルーシュとナナリーがここに住み始めてからずっと生活を共にしている。

 

 

 そして彼女はナナリーと違い、ルルーシュの服装と鞄を見て外出するのかと判断することが出来たのだ。

 もちろんルルーシュはナナリーに嘘など吐けない、だから言うつもりではいた。

 しかし第3者の言葉でそれに気付かされたナナリーは、どこか哀しそうに顔を伏せた。

 

 

「ナナリー、すまな」

「いってらっしゃい、お兄様。でも、早く帰ってきてくださいね」

 

 

 謝罪の機先を制されて、ルルーシュは一度だけ言葉を飲み込んだ。

 哀しげな顔を見せていたナナリーは、今は顔を上げて微笑みを見せてくれている。

 ルルーシュの行動を縛ってはならない、そうした気配りが垣間見えた。

 そのいじらしさに罪悪感を刺激されたらしいルルーシュは、床に膝をついてナナリーの小さな手をとった。

 

 

「……明日は、絶対だから」

「はい、でも、無理はなさらないでくださいね」

 

 

 ルルーシュがここのところ忙しそうにしているのは何故か、などとナナリーは聞かない。

 聞けば兄に負担をかけるからだ、それに手を触れていれば兄が自分を想ってくれていることはわかる。

 自然と、わかってしまうのだ。

 目が見えない分、余計に。

 

 

「……甲斐性の無い男だな」

 

 

 なお、扉の陰から(ピザを食べながら)様子を見ていたC.C.がポツリとそんなことを呟いたが。

 幸い、その声は誰の耳にも届かなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そして一方、黒の騎士団が動いたということは、その「飼い主」とも言える存在も動いたということを意味する。

 すなわちキョウトである、黒の騎士団を始めとする反体制派に武器・資金を流している集団。

 相も変わらずの隠然さでもって、彼らはキョウトの屋敷の一室に集まっていた。

 

 

「……少々、薬が強すぎたのでは無いですかな」

 

 

 メンバーの1人がそう言うのを、桐原は頷きながら聞いていた。

 とは言え他の4人と異なり、彼はあくまでも余裕のある態度を崩していない。

 むしろ笑みさえ浮かべている、どこか楽しそうだ。

 それが他の4人をさらに刺激しているのだが、それすら気にしてもいない。

 

 

 彼らが今議論しているのは、現在ブリタニア政庁の上層部を賑わせている話題だった。

 コーネリアの直属軍には流石に手を出せていないが、その代わり文官の中にはキョウトの息がかかっている者が多く残っている。

 特にユーフェミアは文官との付き合いが多かった――儀礼的な式典への出席が多かったためだ――ために、軍事作戦と異なりその動向は掴みやすい。

 

 

「まさか父親の真相を知って、こんな暴挙に出るとは……」

「まったく、まさか我々に何の相談もなく」

「副総督の拉致とは、この1ヶ月間何かを企んでいるとは思っていたが……桐原公、まさか知っていたので?」

「いやいや、わしもまさかこんなことをするとは予測できなんだ」

 

 

 エリア11副総督、ユーフェミアの拉致。

 いかにコーネリア程では無いとは言え、ユーフェミアの護衛網もそれなり以上だったはずだ。

 戦術的な実力については、以前から水準以上ではあった。

 が、今回のことは戦略がどうとか戦術がどうとか、そう言うレベルを超えていた。

 

 

「わしはただ、少しばかり国際通信の都合をつけてやっただけでの」

「国際通信……?」

「枢木の娘にですかな? いったい何のために、あの娘はどこか外国に知人でもおったのですかな」

「そういえば」

 

 

 不意に聞こえた声は、桐原達5人の座る位置からはやや離れた場所から聞こえた。

 桐原の後ろ、御簾の中に彼女はいる。

 いつものようにただ座して、ただ笑顔を浮かべて、黙していた彼女。

 しかし今日は、妙に桐原のそれと似通った笑みを浮かべていた。

 

 

「今日は随分と世界が賑やかですわね、本当に……」

 

 

 神楽耶の言葉に、桐原以外の大人達が怪訝な表情を浮かべる。

 

 

「……エリア06、エリア12、エリア13、エリア16、エリア18……」

 

 

 それは、ブリタニア帝国の植民地の名称。

 日本と共にナンバーを振られた土地、その中でもまだブリタニアに反発する力のある地域。

 中東・アフリカ地域のエリアが多いのは、植民地化されてからの年数が少ないためだろう。

 

 

 それはこの時点では、ただの名前に過ぎない。

 神楽耶の呟いたその「ただの名前」が意味を持つのは、もう少し後の話。

 わかった時には、世界がほんの少しだけ変わる。

 それは、そんな話だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 目的は予測できた、ならばブリタニア軍がその目的の達成をみすみす許すだろうか。

 答えはもちろん否だ、それに現在のエリア11総督コーネリアの本質は軍事主義だ。

 よって旧中央自動車道から見てチョウフ基地正面、彼女はそこに直属軍を展開した。

 午後11時、すでに深夜と呼ばれる時間帯だが、チョウフは照明に包まれ昼間のように明るい。

 

 

「――――枢木青鸞! ブリタニアに弓引く愚かな小娘よ!!」

 

 

 そしてブリタニア軍のナイトメアや戦車が並ぶ中、グロースターのコックピットブロックに立ちながらコーネリアが声を上げた。

 拡声されたその声は周囲に良く響く、当然、彼女の前で停車した一台のトレーラーに対しても。

 もし中にユーフェミアがいなければ、3秒後には集中砲火を浴びていただろう。

 

 

「臆病者の謗りを恐れぬのであれば、その顔を見せるが良い! それとも、イレヴンにもなれぬ無頼風情には見せる顔も無いと言うのか!」

 

 

 上からの挑発だ、テロリストを表に引きずり出すための。

 チョウフ基地の屋上や正門の上、あるいは戦車の陰……そこら中に展開した狙撃兵の前に首謀者の姿を出させるために。

 そしてその挑発は、功を奏したように見えた。

 

 

 後部トレーラーの天井が開き、中から床がせり上がるようにして1機のナイトメアが姿を現した。

 そして跳躍、トレーラーの前に立ってコーネリアと向かい合う形になる。

 濃紺のカラーに彩られたそれは、コーネリアも初めて見る形をしていた。

 ブリタニア製では無い、中東で見たナイトメアもどきでも無い、EUや中華連邦のナイトメアとも違う。

 ……いや、今は相手のナイトメアの分析をしている時では無い。

 

 

「む……」

 

 

 コーネリアが軽く呻いたのは、2つの事情からだ。

 1つは相手のナイトメアの左腕が、桜色の液体に満ちた大型カプセルを持っていたことだ。

 流体サクラダイト、それを機体の前に掲げて壁をする。

 カプセルのカバーの強度がわからない、最悪ライフルの狙撃だけで割れるかもしれない。

 それくらいは、しかしコーネリアも読んでいた。

 

 

 問題はもう一つ、スライドして開いたコックピットブロックだ。

 出てきた人間は2人、髪型が違うが枢木青鸞に間違いない少女がシートの上に立っている。

 そしてもう1人は、拉致されたユーフェミアだ。

 

 

(ユフィ……!)

 

 

 問題はここだ、後ろ手に拘束されているらしい妹の姿にコーネリアの内心が揺れる。

 心配そうな妹の目が、コーネリアの目には酷く儚く見える。

 見た限り、怪我や不調などは無い様子だが……。

 

 

『姫様、これでは』

「わかっている、まだ撃つな」

 

 

 狙撃を思い留まらせつつ、コーネリアはマントの下から銃を抜いた。

 銃身がライフルのように長い独特な拳銃だ、リボルバー式だが古式拳銃と言うわけでは無い。

 

 

「今すぐ副総督を解放せよ! そうすれば裁判を受ける権利くらいは認めやろう」

 

 

 死罪だがな、と内心で考えるコーネリア。

 実際、皇族を拉致した時点で青鸞達の運命は決まっている。

 ここで死ぬか、処刑場で死ぬかの違いだけだ。

 

 

「……? 貴様、聞いているのか!?」

 

 

 多数のナイトメアに囲まれる中、生身を晒しながら青鸞は極度の緊張状態にあった。

 というか、トレーラーに乗っている仲間達も緊張しているだろう。

 何しろ、次の瞬間には死ぬかもしれないのだから。

 しかし死ぬわけにはいかない、このチョウフに捕らわれている人達を救うためには。

 

 

 超えるべきハードル、妙に高いが。

 しかし個人的な清算と、集団的な事情のため、今回ここでブリタニア軍と対することは必要だった。

 まぁ、コーネリアが直接出向いてくるかは五分五分だと思っていたが。

 

 

(……大丈夫、皆で決めた作戦なんだから)

 

 

 藤堂が傍にいない今、青鸞は自分達の行動を自分で考えねばならない。

 だが未熟は承知の上、だから彼女はまず自分についてきてくれた数十人に作戦案を話し、各自から出された修正の提案を受け入れてこうしている。

 ただ、その作戦のために必要なのは……実は、ここで何かをすることでは無いのだった。

 

 

「……はじめまして、コーネリア皇女殿下。私は枢木青鸞、前日本国首相の娘です」

 

 

 だから、ここから始めるのだ。

 

 

「コーネリア皇女殿下、一つ確認したいことがあります」

 

 

 青鸞にとっての、新たなる抵抗を。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 まず思ったことは、何だか騒がしいな、と言うことだった。

 外が騒がしい、だから朝比奈は身を起こした。

 白い拘束着に身を包んだ彼は、腹筋の力だけで床の上に身体を起こす。

 眠っていたのかもしれない、やや寝ぼけたような顔をしていた。

 

 

 以前ならば、付近の牢にいるだろう他の仲間に声をかける所だ。

 しかしそれも今は出来ない、彼の尊敬する上官を含めてバラバラの牢に移されてしまったのだ。

 突然の処置だったのだが、それだけでも「何かあったな」と勘繰ることは出来た。

 一応、2日後に軍事裁判があるのでいきなり殺されたりはしないだろうが……。

 

 

(いや、所詮はブリタニア。信用するだけ無駄か)

 

 

 まぁ、信用しないと仲間や上官が死ぬのだが。

 ふぅ、と息を吐く朝比奈。

 3ヶ月前に比べ痩せた顔で、天井の照明を見つめる。

 そして喋りもせずに静かにしていると、やはり外が騒がしいように思える。

 

 

(……青ちゃん達、無事かな)

 

 

 外のことを考えると、やはりチュウブで別れた仲間達の心配をしてしまう。

 特に兵や民衆を押し付ける形になった少女のことだ、四聖剣の中では彼が一番あの少女と親しいと言うのもある。

 同性の千葉はある意味で例外的だが、それでも朝比奈が一番であろう。

 

 

 出会った当初は、実は逆だったのだが。

 仙波や卜部は大人の対応だったし、千葉も冷たかったがそれだけ、嫌味の一つも言うのは朝比奈だった。

 それが今、こうして独房の中から心配するまでになるとは。

 真、人の感情とは不思議なものであった。

 

 

「ん……?」

 

 

 その時、妙な音と共に誰かが廊下を駆けて来るような足音が聞こえた。

 珍しい、看守などは一定の間隔で歩いていたのに。

 しかしその小さな疑問は、すぐに解消されることになる。

 

 

「朝比奈!」

「な……っ、ど、どうしたの? いったい」

 

 

 千葉だった、何かのカードキーらしき物を持った彼の同僚が、牢の鉄格子の向こう側にいた。

 拘束着こそ着ているものの、朝比奈と同じように僅かに痩せているものの、間違いない。

 千葉は、牢の外に出ていたのだ。

 

 

「ど、どうやって、脱獄?」

「話は後だ、と言っても、私もまだ全てを飲み込めたわけでは無いが……」

 

 

 朝比奈の牢の端末に解除コードを打ち込みながら、千葉はチラリと横を見た。

 それにつられて、朝比奈もそちらへと視線を向ける。

 そして、彼はその細めの瞳を大きく見開くことになった。

 

 

「アンタは……!」

 

 

 そこに立っていたのは、黒い――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「今朝、ヒロシマ租界で爆弾テロがあった件をご存知ですか?」

「……一応、聞いてはいる。何だ、あれは貴様の差し金だとでも言うつもりか?」

「当たらずとも遠からず……と、言っておきましょうか」

 

 

 青鸞の言葉に、コーネリアは僅かながら片眉を上げた。

 言っている意味がわからない、そんな表情だ。

 だが聞く耳を持つ必要も無い、だから彼女は銃の引き金に指をかけた。

 

 

「エリア11時間、8月22日0930、ヒロシマ租界」

「……?」

「エリア06、1200、カラカス租界。エリア12、1430、アルジェ租界。エリア13、1600、チュニス租界。エリア16、1730、ヨハネスブルク租界。エリア18、1900、アレクサンドリア租界……」

「何だ、貴様、何の話を……!」

 

 

 その時に至って、コーネリアの瞳が始めて見開かれた。

 彼女は総督であり、先の会議でダールトンによってもたらされた本国からの通知についても目は通していた。

 もっとも、彼女が得ていたのはエリア13のテロの話題までだが。

 

 

 ある意味、盲点とも言える。

 各エリアは総督単位で分割統治されているため、他のエリアの細かな情報は案外と入ってこないのだ。

 だがこの件については、連続して各エリアでブリタニア軍施設を狙ったテロが頻発したため、流石に本国政府からも注意が喚起されたのである。

 その情報が、場所と時間が、今コーネリアの脳裏に閃いた。

 

 

(まさか、この小娘……!)

(気付いてくれたかな……?)

 

 

 コーネリアと青鸞の視線が交錯する、片や睨み、片や頬に一筋の汗をかいてはいるが。

 実際、青鸞が匂わせた可能性は凄まじい意味を含んでいた。

 すなわち彼女は、エリア11のヒロシマ租界でのテロを皮切りに、各エリアで連動して昼夜問わずの連続テロを実行させたと言っているのだから。

 

 

(テロの、国際化だと……!)

 

 

 そうなれば事はエリア11だけではすまない、植民エリア間で一部とは言えテロ組織が連動した可能性。

 その可能性は、存在するだけでも脅威だった。

 ブリタニアの総督ごとのエリア統治体制にも影響を与えかねない、エリア11内部で急速に勢力を強めるゼロと黒の騎士団とは、別種の脅威が育ちつつあるのか。

 もちろん、コーネリアはこの時点で青鸞の言い分をそのまま聞くつもりは無かった。

 

 

 何故ならば、日本解放戦線本体の壊滅からたったの2ヶ月なのだ。

 エリア11の反体制派の糾合にも四苦八苦していた彼の組織も、他の植民エリアの組織との協力関係は築けなかったのだから。

 だから青鸞が、目の前の小娘が世界規模の国際テロ・ネットワークを構築したなどとは断じて信じられない。

 

 

「小娘が……!」

 

 

 くだらないはったりだと、この場で断じることは出来る。

 しかし、それでも可能性は残る。

 これからはともかく、今回に限ってと言うことなら、あるいは。

 

 

 そして青鸞にしても、実はこれにははったり以上の意味が無い。

 しかし今回に限っては、コーネリアの読みは正しい。

 青鸞はこの2ヶ月、あるものを交渉材料に各植民エリアのテロ組織にある要請をしたのだ。

 つまり、一度で良いからこちらの指定する時間で何らかのテロを租界に対して行って欲しいと。

 それも、なるべくブリタニア軍施設のみを狙って。

 

 

『グラスゴーの設計図』

 

 

 それが今回、青鸞が他の植民エリアのテロ組織に見返りとして提示したものだ。

 ブリタニア以外ではキョウトが独占していたその情報を、ナイトメア製造のノウハウを、青鸞は流出させたのである。

 これがブリタニア側から見てどう見えるか、言うまでも無いはずだった。

 

 

 だが、青鸞はどうやって僅か2ヶ月そこそこでそこまで行ったのか?

 日本解放戦線のルートは使えない、ならば彼女に残されたルートは一つだけだ。

 その答えを示すように、エリア11の正副総督の前で、ブリタニア軍の前で。

 青鸞は、年頃の乙女そのままに頬を染めて。

 

 

 ――――そっと、指先で己の唇を撫でたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 大人達の会話を御簾の向こうに聞きながら、己の唇に触れた少女がいる。

 艶やかな黒髪を淡い照明の明かりに照らす彼女は、唇の柔らかさを確認するようにそれを撫でる。

 触れた指先をそのまま胸に抱いて、そっと目を伏せるその姿は……どこか、「女」を思わせた。

 

 

「……キョウトの女に、「次」はいらない……」

 

 

 神楽耶の呟きは、ここにはいない誰かへ向けてのものだった。

 キョウト、表の顔は利益集団NAC。

 サクラダイト開発などの利権に絡む彼らは、ブリタニアの資本家を含む外国人と繋がるほとんど唯一のルートを持っている。

 植民エリア間の連動を封じる「渡航禁止」や「連絡封鎖」の、数少ない例外の一つだった。

 

 

「「今」この時のために、全力を尽くす。それでこそ……」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

(……キョウトの女!)

 

 

 女は度胸、それを地で行く青鸞。

 敵前に姿を晒すそのやり口はゼロに似ているが、違う点は2つ。

 まず、ここには彼女の行動を全世界に紹介するメディアがいない。

 第二に自分達に戦力を集中させるゼロと黒の騎士団とは異なり、青鸞とその仲間は戦力を拡散させているのである。

 

 

「それでも、お前達は逃げられない……他の植民エリアのテロリストが援軍に来るわけでも無い!」

 

 

 コーネリアが事実を叫ぶ、そしてそれは事実だけに正論だった。

 そう、仮にテロが国際化しようがどうなろうが、この場で青鸞達に援軍は無いのだ。

 そして、状況は振り出しに戻る。

 

 

「きゃっ……」

 

 

 それまで座っているだけだったユーフェミアを、青鸞が引き立たせた。

 さらに月姫の右腕に備えられている速射砲(ガトリングガン)の銃口を、サクラダイトのカプセルに向ける。

 典型的な人質作戦、もし攻撃すればユーフェミアごとサクラダイトを爆発させるとの脅しだ。

 

 

「やれるものならやってみるが良い、副総督が失われた時が貴様らの最期だ!!」

 

 

 そしてコーネリアも屈しない、内心はともかく外見にはそんな姿勢を見せた。

 だが内心では冷や汗をかいているだろうことは、両隣のグロースターの中にいるギルフォードとダールトンにだけは良くわかっていた。

 そしてそれだけに、彼らも必死に隙を見出そうとする。

 彼らの主君の、そして彼らにとっても大切なユーフェミアと言う皇女を救うための隙を。

 

 

 ――――沈黙。

 トレーラーの中で、青木はハンドルを握る手に汗が滲むのを自覚した。

 予定ではこの後、青鸞の合図でチョウフ基地内部に突入することになっている。

 人質交換が絶望的な状況では、それが最後の手段だった。

 まぁ、正直、ここから先の作戦は何度話し合っても良案が思いつけなかったのだ。

 

 

「…………」

「…………ッ」

 

 

 コーネリアと睨む青鸞の顔に苦渋が歪む、全世界同時多発テロの話題で誤魔化すつもりだったが、コーネリアは主目的を見失ってくれなかった。

 後は、最後の手段を青鸞がどのタイミングで切るかによる、と言う所か。

 そうして事態が硬直化して、緊張の度合いを増していくのをもどかしげに見ている存在がいた。

 それまで沈黙していた彼が、ブリタニア軍の輪の外から中心へと躍り出たのはその時だった。

 

 

 コーネリアが非難の混じった驚きの声を漏らす中、コーネリアと青鸞の間に身を躍らせたのは白いナイトメアだった。

 どことなく騎士甲冑を思わせるその機体は、次世代型のナイトメア『ランスロット』である。

 そして青鸞の月姫と向かい合う形で立ったナイトメアのコックピットが、空気圧の抜ける音と共に開く。

 

 

「な……!」

 

 

 あらゆる意味で「何をしている」と叫びそうになるのを、コーネリアは堪えた。

 幸い、ここにはメディアもいない。

 連れてきた部隊は元々彼の存在を知っているので、情報は拡散しない。

 まぁ、それでもコーネリアの要請なしに特派のナイトメアが動いたと言う事実は消えないが。

 

 

「――――青鸞!」

 

 

 そしてランスロットのパイロットは、スザクである。

 ナリタでそうしたように……いやそれ以上に直接的に、彼は実妹と対した。

 

 

「スザク……」

「…………!」

 

 

 ユーフェミアが少年の名を口にし、そして青鸞は少年を睨む。

 この2人の間にどんな会話があったのか、スザクは知らない。

 知らないが、しかし、変化はある。

 

 

 スザクの姿をランスロットのコックピットに認めた時、青鸞の脳裏にはやはり7年前の光景が思い浮かべられた。

 兄が、父を殺す場面。

 いかに桐原の言う「真相」を知ろうとも、その事実だけは消えようが無いのだから。

 憎悪だけは、消えない。

 

 

「……青鸞。その人を離して、投降するんだ。キミの行動はこのエリアの法と秩序に反している」

 

 

 一方でスザクにも、変化は存在した。

 親友に相談したことも影響しているのかもしれない、実際、即座の実力行使を行おうとはしていなかった。

 妹が道を誤ったなら、どうすべきか。

 

 

「キミが僕を恨む気持ちは、理解しているつもりだ。だから僕に対しては何をしても良い、でもその人は離してほしい。もしその人に何かあったら、エリア11の人達はより苦しむことになる」

 

 

 脅し、ではあるまい。

 ユーフェミアに何かあれば、コーネリアは今度こそ日本人を許さないかもしれない。

 それはユーフェミアにもわかっているのだろう、彼女は後ろの青鸞を振り仰いだ。

 

 

 青鸞はその目を正面から見た、スザクと同じ目だと思った。

 違うのは、純粋に哀しんでいることだろうか。

 この後の青鸞達の末路を思って、何とかしたいと思っている目だった。

 誘拐犯に対して、妙に同情的とも言える。

 

 

「……何をしても良い、なんて、軽々しく言うね」

「わかっている、でも、僕には」

「聞いたよ、父様の話。7年前に何があったのか、本当のこと」

 

 

 青鸞の言葉に、ユーフェミアは首を傾げる。

 しかしスザクには意味が通じたのだろう、息を呑んで一歩を下がった。

 丸く、そして大きく目を見開く兄の顔を青鸞は見た。

 

 

「ど……どうして」

「爺様達が教えてくれた」

「……あの人、達が……?」

「うん」

 

 

 名前を出さないだけの節度はあったらしい、しかしスザクの表情は引き攣ったままだった。

 ヨロめいて、腕で自分の身体を支えなければならない程に。

 その様子だけで、彼が受けた衝撃の大きさを窺うことが出来た。

 しかし、彼は額に玉の汗をかきながらも倒れるようなことはしなかった。

 

 

 むしろ青鸞への視線の圧力を強めてきた、まるでより強く責任感や使命感を刺激されたかのように。

 そしてそんなスザクの姿を、青鸞は正面から見続けていた。

 ただ、じっと、見続けていた。

 唇だけで「どうして」と形作ったような気もするが、音にならないそれは言葉として成立しない。

 

 

「兄様、ボクはね。それでも」

 

 

 例え、桐原の話が真実だとしても。

 

 

「それでも、ボクは日本の独立と抵抗のために戦うよ」

「……そう、かい。なら僕は、軍人としてキミを捕縛しなければならなくなる」

「藤堂さん達を助けたいだけなのに?」

「……藤堂さん達は違法活動を行っていた、明後日には軍事裁判が行われ、正当な法の裁きにかけられることになる。それを否定する行為は、やはり違法だ、許されることじゃない」

 

 

 チョウフ基地に収監されている、藤堂達の救出。

 それが今回の目的、チュウブで逃がしてもらった恩を青木達も忘れてはいない。

 そして青鸞は、藤堂に伝えねばならないこともあるのだから。

 

 

「許されない? 誰に?」

「現在のこのエリアの法と秩序にだ」

「ボクはそんなものを受け入れた覚えは無いよ」

「キミの意思は関係ない、ただ現実としてこのエリアを運営している法律があり、人々はそのルールに従わなくちゃいけないんだ」

「嫌だと言ったら?」

「……その時は」

 

 

 動揺に揺れていたスザクの瞳が、鋭く細まっていく。

 薄く光を放っているようにすら見えるその視線は、真っ直ぐに青鸞を射抜いていた。

 受け止める青鸞も、唇を引き結んで立っている。

 

 

「その時は、僕が……自分が、責任をもってキミを捕縛する」

「なりません!」

「……ッ、ユーフェミア様?」

 

 

 声を上げたのは、意外なことにユーフェミアだった。

 彼女は後ろ手に縛られていながらも毅然として立ち、声を張った。

 だがその表情は、どこか哀しみに彩られていて。

 

 

「兄妹で争い合うなど、そんなこと――――……!」

 

 

 ではどうするのか、など聞く者はいない。

 しかしスザクは表情を緩めた、彼女らしい、と言うような顔だった。

 青鸞としては、スザクのその救われたような表情に若干の不快を覚えた。

 だが特段何を言うこともなく、静かにスザクを睨んでいる。

 

 

「……青鸞。僕は……せめて僕が、この手でキミを――――」

 

 

 自ら枷を求める罪人のように、スザクが腕を伸ばす。

 誘うように掌を上にしていたそれは瞬時に引っ繰り返り、人を指差す形に変わる。

 指された青鸞は、目を細めてそれを睨む。

 

 

「キミを捕縛して、法の裁きを受けさせる。そして、僕も……」

 

 

 その後に続く言葉が、声として音にされることは永遠になかった。

 続きがわかる者は、おそらく本人以外にはいない。

 いや、いる。

 この世でたった2人、ほぼ正確にその思考をなぞれるだろう2人だけがわかる。

 

 

 その内の1人、青鸞は引き結んでいた唇を解いた。

 ユーフェミアを引き立てていた手指の力が緩み、その意識の集中する先に兄を見据えて。

 何事かを言おうとした、まさにその時だった。

 

 

 

『違うな、間違っているぞ――――枢木スザク!』

 

 

 

 声と共に、チョウフ基地に火の手が上がった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 チョウフ基地の各所で爆発が巻き起こり、基地の弾薬庫や兵器庫から火柱と断続的な爆発が続く。

 基地が大混乱に陥る中で、さらなる異常事態が展開される。

 施設の中から白い拘束着姿の政治犯や捕虜達が大挙して脱走したのだ、もちろん1人や2人では無い。

 脱獄だ、いや、脱獄などと言うレベルでは無かった。

 

 

「チョウフが……どう言うことか!?」

『わかりません! 基地側からの連絡は何も……姫様、アレを!』

「何……!」

 

 

 コックピットブロックの上で背後の基地を振り向くコーネリア、そんな彼女の周囲にはすでに基地から舞い上がった火の粉が浮かび始めていた。

 それ程の爆発だった、しかもまだ納まっていない。

 コーネリアは収監者達が塀を越え門を押し開いて逃げる様子に、頭に血が上るのを感じた。

 

 

 しかし彼ら脱走者の騒ぎは基地や周囲に展開する歩兵部隊に任せるとして、問題はチョウフ基地だ。

 爆発する車庫の中から、一台のブリタニア軍仕様のトレーラーが正門方面に飛び出してくる。

 爆破した壁の中から出てきたそのトレーラーの上には、一般の脱走者以上に見逃すわけにはいかない人間が何人も乗っていた、例えば……。

 

 

「藤堂さん……皆!」

 

 

 月姫の上から、青鸞が彼らを呼ぶ。

 トレーラーの上に膝をついたり、あるいは直立したりと様々だが、そこに青鸞の求めた人間達がいたのだ。

 これから突入して攫うつもりだった人々が、拘束着姿だが確かにそこにいる。

 

 

 その中の1人、朝比奈が手を振っている、涙が出そうだった。

 だがまだ泣くには早い、何故なら彼らの傍には1人の男がいたからだ。

 全身を漆黒のマントと衣装で覆った仮面の男、すなわち。

 

 

「――――ゼロ!?」

『枢木スザク、キミは今、何をしようとした?』

 

 

 本来ならばコーネリアに声をかける所だろうが、何故かゼロはまずスザクに反応した。

 スザクに対して、何をしているのかと問うたのだ。

 

 

『オレンジ事件の時、キミは私に言ったな、正しい手段で成果を得たいと。だが、実際にやっていることは何だ?』

「……?」

 

 

 そんな彼の様子に首を傾げたのは、コーネリアでもスザクでもなく、ユーフェミアだった。

 彼女もまた、兄妹で争うなど姿など見たくないと言った人間だ。

 だからおそらくは事情を聞いていたのだろうゼロが、スザクに対して倫理上の怒りをぶつけるのは不可解では無い。

 

 

 だが、ゼロの口調に妙な違和感を覚えたのだ。

 そう、何と言えば良いのか。

 倫理とか何とか、そう言うものとは関係なく……ゼロが怒っている、ような気がしたからだ。

 それはどこか奇妙に思えた、少なくともこの時点では。

 

 

『亡き父の遺志を継ぎ、日本解放のために懸命に戦っている青鸞嬢。枢木スザク、彼女はキミの実妹のはずだ……それをキミは、ブリタニアの軍人として捕らえようと言うのか?』

「それが今のこのエリアのルールなら、自分はそれに従わなくてはならない!」

『妹を体制側(ブリタニア)に引き渡すのが、正しいルールなのか!?』

 

 

 ゼロの責める口調は激しい、まるで長年付き合ってきた親友に裏切られたかのように。

 その口調は傍らに立つ藤堂達も怪訝な、あるいは意外そうな目で彼を見る程激しい。

 そして庇われているらしい当人、青鸞はと言えば、妙に居心地が悪い気分になっていた。

 

 

(藤堂さん達の救出をやってくれたらしいのは有難いけど……でも、何か、何か……うーん)

 

 

 神楽耶とゼロの妻がどうとか言う話をしたためか、変に気になってしまう。

 真剣に庇って……と言うより、真剣にスザクを責めているその姿に不快は感じない。

 仮面の向こうの表情は読めないが、身振りからかなり激怒しているらしいことはわかる。

 ……自分で言うのも妙だが、そこまで怒る必要があるだろうか……?

 

 

「ゼロ! 義弟クロヴィスの仇……貴様風情が兄妹の情を唱えるとは片腹痛い!」

 

 

 なおもスザクと揉めていたゼロに、コーネリアが矛先を向ける。

 そしてその左右をギルフォードらのグロースターが固め、彼女を隠すようにした。

 ゼロは舌打ちしたかのような仕草を見せると、視線――仮面で見えないが――をコーネリアへと向けた。

 こちらに対しては、幾分か落ち着きを取り戻したような口調で。

 

 

『――――これはこれは、コーネリア殿下。貴女こそ、名誉ブリタニア人への踏み絵に妹を差し出させるとは。ご自分の妹は直々に救いに来ると言うのに』

「ふん、ブリタニア人とナンバーズを区別するのは我が国の国是だ」

『そう! それこそがブリタニアの欺瞞の象徴! 故に!』

 

 

 劇場の役者のように両手を広げて、ゼロは叫んだ。

 

 

『黒の騎士団よ! 今こそチョウフに捕らわれた同胞達を救うのだ!!』

 

 

 爆発を続けていたチョウフ基地の中から、黒にカラーリングされた無頼が複数機、姿を現した。

 滑らかな動きでゼロ達の乗るトレーラーの前を交差した無頼は、背部から白い煙を吐き出している。

 チャフスモーキング、ゼロ達の姿が消えていく。

 

 

「逃げるか、卑怯者め! ギルフォード!」

『イエス・ユア・ハイネス!』

 

 

 主君の命令を受けたギルフォードがグロースターを駆って白煙の中に飛び込もうとする、しかしその次の瞬間、チョウフ基地の周囲に展開していたサザーランド部隊の内の2、3機がギルフォード機に対してアサルトライフルの射撃を開始した。

 これにはさしものギルフォードも虚を突かれた、彼は機体に回避行動を取らせつつ通信機に向けて叫んだ。

 

 

「何をしている! 発砲命令はまだ出されていない、それに私は味……ッ!?」

 

 

 まさか、ゼロの仲間か!?

 ギルフォードの脳裏にあり得ない考えが過ぎる、まさかチョウフ基地の中に内通者がいたなどと。

 信じられないが、現実に彼はチョウフ基地所属のサザーランドに動きを妨害されていた。

 

 

「ゼロの行動の邪魔をしてはならない、ゼロの行動の邪魔をしてはならない……」

 

 

 そのサザーランドに乗っているパイロットは、ブツブツとそんなことを呟いていた。

 瞳は虚ろだが赤く輝いている、そして彼らは味方であるはずの他のサザーランドのランスでコックピットを貫かれて果てるまで、ギルフォード機を攻撃し続けてた。

 そしてその間に、状況はさらに進展する。

 

 

『お嬢、どうする!?』

「……仕方ない、ボク達も撤退しよう!」

『ルートは……』

 

 

 通信で青木と話していた青鸞の身が爆風に煽られる、次に目を開けた時、彼女の隣に真紅のナイトメアが立っていた。

 月下と似ているが片腕の銀の爪が違う、そんな機体だった。

 そしてそのナイトメアから、高い少女の声が響いた。

 

 

『こっちだ! ついて来い!』

 

 

 どうするか、と青鸞は一瞬だけ悩む。

 だがそれは本当に一瞬で、彼女は「荷物」をその場に下ろすと、自身の身を月姫のコックピットへと滑らせた。

 そして青木達に指示を出しつつ、味方の裏切りで混乱するブリタニア軍のナイトメアを駆逐する真紅のナイトメアの後を追って機体を走らせた。

 

 

『テロリストが逃げるぞ、塞げ!』

『ユーフェミア皇女殿下をお救いしろ! コーネリア殿下直属部隊の名にかけて!』

『おお!』

 

 

 しまった――真紅の機体、紅蓮弐式の中でカレンは毒吐いた。

 先頭のナイトメア部隊を駆逐するのは良いが、側面からグロースターが2機、回り込んできた。

 紅蓮弐式の後ろ、ゼロが助けてやれと言っていたダークブルーのナイトメアに向かう。

 カレンは操縦桿を引いてターンし、戻ろうとした。

 ――――しかし、結論から言えばそれは不要だった。

 

 

「そこを……!」

 

 

 コックピットの中で――シート型では無く、オートバイのように前傾姿勢で跨る形――座席に胸を押し付けるようにしながら、青鸞はメインモニターに映る敵グロースターを睨んだ。

 シート型とは異なり操縦桿を握る両腕で全身を支えなくてはならないので、なかなか扱いが難しい。 

 だがそれでも、操縦桿のロックを外して動かせば……機体が、まるで自分の手足のように動いてくれた。

 

 

 無頼などとは比べ物にならない、何しろ世代で言えば3つ飛ばしているのだ。

 第七世代相当KMF、『月姫(カグヤ)』。

 重装甲ゆえ紅蓮弐式などに比べれば機動力で劣るが、それでも感じたことの無い「吸い付き」を感じる。

 グロースターの突撃が、まるでスローモーションか何かのように遅く感じてしまう程に。

 

 

「どけえええええええぇぇぇぇ――――っ!!」

 

 

 守るべきトレーラーが後ろにいる、小規模ながらナリタの再現とも言える。

 1機目のグロースターと交錯する際、青鸞は左の操縦桿のトリガーを押した。

 すると月姫のコックピットブロック左側に装着されていた刀の鞘が跳ね上がった、身を屈めた月姫の肩を擦り抜けるように、空気圧で射出された刀の柄頭がグロースターの顔面を打つ。

 ファクトスフィアを砕かれ、グロースターが仰け反るように倒れ後方へと過ぎ去っていく。

 

 

『セ、セラフィ』

 

 

 残った1機のパイロットが動揺の声を上げる、その隙に青鸞は機体左側に浮いた刀を掴み、そのまま斬撃に入った。

 刀身が高速振動し蒼い輝きを放つ、刃の軌跡から放電するようなエネルギーが走り視界から消える。

 そしてそのエネルギーの端が、グロースターのパイロットの視界に僅かに残った次の瞬間には。

 

 

『ン卿……お、あ?』

 

 

 気がつけば、グロースターのコックピットブロックが射出されていた。

 いつ斬られたのかわからない、刀が射出されてからの月姫の腕の動きが捉え切れなかった。

 それ程までに、月姫の専用刀『雷切(ライキリ)』の斬撃速度は速かった。

 

 

 上半身と下半身が腹部から裂かれて墜ちたグロースターの横を、ダークブルーのナイトメアとトレーラーが駆け抜ける。

 それを見てカレンは口笛を吹き、改めて逃走ルートの先導作業に戻った。

 どうやら、ただのお嬢様では無かったらしい。

 

 

「……青鸞、待て! うわっ……!」

 

 

 風に煽られたチャフスモークが、ランスロットとスザクも覆う。

 閉じた目を開いた時には、周囲をチャフスモークに覆われ、味方の同士討ちの音だけが響いていた。

 レーダーにも何も映っていない、この混乱した状況ではどうしようも無かった。

 

 

 悪態を吐いて、機体の装甲部を殴りつけるスザク。

 噛み締めた唇からは血が流れている、それだけ自分を許せなかったのだ。

 口ばかりだ、自分は。

 説得も証明も出来ず、あげくのはてに何もできなかった。

 それにユーフェミア、あの優しい皇女だってあのまま……。

 

 

「あの~……」

「…………」

「あの!」

「……ッ、はい!?」

 

 

 装甲に手を置いたまま悔やんでいると、不意に機体の下から声をかけられた。

 何かと思って、白煙に包まれる中で身を乗り出して懸命に下を見る。

 するとどうだろう、そこに1人の少女がいた。

 

 

 桃色の長い髪に、白と桃色を基調としたドレス。

 先程までテロリストの手中にあった少女がそこにいて、スザクは思わず目を丸くしてしまった。

 そんな彼に対して、ユーフェミア・リ・ブリタニアは柔らかな笑顔を見せたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ぷはっ、と、ドリンク剤を飲み干した少女が気持ちの良い吐息を漏らす。

 遠目に見える海には日の出の光が煌いていて美しい、例えチョウフ基地・トーキョー租界からも離れた山の中腹で泥に塗れていようと、見ていて気持ちの良い景色ではある。

 特に、一仕事終えた後には。

 

 

「お疲れ様、カレン。今日も大活躍だったわね」

「そんな、井上さん達の方こそ。基地の人達を助けたりとか、大変だったんじゃないですか?」

「私はトレーラーで待ってただけよ、ほとんどゼロが1人でやっちゃったもの」

 

 

 苦笑するのは井上と言う女性だ、紺色のロングヘアに黒の制服を着ている。

 見ての通り黒の騎士団のメンバー、数少ない女性幹部としてカレンも良くして貰っている。

 彼女の背後には、先程ブリタニア軍を紙切れのように切り裂いた真紅のナイトメア『紅蓮弐式』がある。

 ナリタでも多くのブリタニア軍を撃滅したそれは、もはや黒の騎士団の象徴になりつつあった。

 

 

 彼ら黒の騎士団は今日、ゼロに従いチョウフ基地を強襲した。

 急に召集されて何事かと思えばチョウフ基地の収監者の救出、加えてゼロの予告通りにコーネリア軍の包囲が始まり、その後も概ねゼロの予測した通りの状況になった。

 まぁ、途中でゼロが予想外にスザクと言い争ったのは驚いたが。

 いつになく急な作戦だったが、ゼロを信じていればこそ何とかなったとも言える。

 

 

「つーかよぉ、あのガキどっかで見たことなくねーか?」

「どこも何も、シンジュクで会っただろ」

「あ、そうだっけか……って、え? どういうことだ? え?」

 

 

 玉城と杉山の声に顔を上げれば、少し離れた位置にそのゼロがいる。

 もちろんゼロだけではなく、チョウフで救った人々の代表格、藤堂と四聖剣もいる。

 そして彼らの話のネタ、もとい種である少女。

 カレン自身は初めて見るが、どこにでもいそうな普通の少女だ。

 だが、彼女はあのスザクの妹なのだと言う。

 

 

(……スザク、か)

 

 

 正直、その名前については今は複雑だ。

 何故ならカレンは見てしまった、あの白兜……ランスロットのコックピットにあの生徒会の仲間が乗っていたのを。

 ショックではない、と言えば嘘になる。

 しかし彼女は黒の騎士団のメンバー、シンジュクでの礼もある、いつかは倒さねばならないだろう。

 

 

 カレンとしては複雑だが、仕方が無い。

 敵であるならば、例えどんな関係性であろうと……倒す。

 今のカレンにとっては、それが全てだった。

 ゼロに従っていれば、自分達のようなレジスタンスでも十分に戦えるのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 達成感に浸る黒の騎士団のメンバーとは別に、違う様相を呈している者達がいる。

 もちろん藤堂達のことなのだが、彼らは今、やや困っていた。

 

 

「あー……青ちゃん? 流石にちょっと恥ずかしいというか、照れ臭いんだけど……」

 

 

 事実、表情を照れの色に染めながら、朝比奈が困ったように言った。

 と言うか、現実として困っていた。

 何故なら彼の胸には1人の少女が強く抱きついていて、顔を埋めるようにしていて離してくれないのだ。

 こう、あえて擬音にするなら「むぎゅーっ」と言うような形で。

 

 

 なお、朝比奈の横では卜部と仙波が似たような顔で咳払いを繰り返している。

 数分前まで彼らが抱きつかれていたわけだが、どうやら無かったことにしようとしているらしい。

 もちろん、無かったことには出来ない。

 現在進行形で抱きつかれている朝比奈も、困った顔でポンポンと背中を叩いてやることしか出来ない。

 

 

「はぁ……青鸞、もう良いだろう。いい加減に離せ、まともに話も出来な……って、ああ、もう」

 

 

 朝比奈から離れたかと思えば、今度は声をかけてきた千葉に移った。

 つまり咳払いする人数が1人増えたわけだが、4番目に抱きつかれた千葉としても扱いに困る。

 濃紺のパイロットスーツに包まれた肩の震えを見てしまえば、無碍にもしにくい。

 仕方なく、千葉はぎこちない手つきで青鸞の髪を梳いてやった。

 

 

「……髪を切ったのか、あれだけ私が切れと言っても切らなかったのに」

「……ん、似合わない?」

「そうだな……子供っぽさが増したな」

「酷いなぁ……」

 

 

 意外と豊満な千葉の胸に顔を埋めながら、青鸞が笑う。

 顔を擦り付けてクスクスと笑う青鸞は、どこか猫のようにも見えた。

 まぁ、おかっぱな髪が幼さを強調しているのは確かだが。

 

 

「実は一番青鸞を心配していたのは、千葉なんじゃないのか……?」

「まぁ、同性故に我らのわからぬ所も見えるのだろう」

「そう言うもんですかねぇ」

 

 

 卜部、仙波、朝比奈の言はとりあえず無視して、千葉は青鸞を引き剥がしにかかった。

 何か「あーうー」と鳴いているが、いつまでもくっついていたく無い。

 青鸞はともかく、自分は良い年なのだから。

 何と言うか、恥ずかしい。

 

 

 ちょうどその時、ゼロと何事かを話していた藤堂もこちらへとやってきた。

 彼はどこか、話しかけにくそうな顔をしていた。

 しかし話しかけないわけにもいかない、故に藤堂はやや固い表情のままやってきて。

 

 

「む……」

 

 

 さらに、その表情を渋面にする藤堂。

 ただ不快だとかそう言う感情からではなく、単純に戸惑いからそうなっただけだ。

 10代の娘に抱きつかれるなど、彼くらいの年齢の男にはなかなか無い体験だろう。

 

 

 白の拘束着とパイロットスーツの布地が擦れて、青鸞は藤堂の体温を感じた。

 程よい筋肉の固い感触に、涙が溢れそうだった。

 藤堂が、四聖剣の皆がここにいる、それだけで声を上げて泣いてしまいそうだった。

 ぎゅう、と、回した腕に力を込めれば、藤堂が戸惑ったように唸るのが聞こえる。

 それに、妙に安心した。

 

 

「藤堂さん」

「む……」

「……桐原の爺様から、父様のことを聞きました」

「……む」

 

 

 唸りの質が、変わった。

 それに対して、青鸞はやはり腕に力を込めて応じた。

 大丈夫――いや、大丈夫では無い部分もあるが――と伝えるために、より強く抱きついた。

 他の4人と違い抱き返してはくれなかったが、拒絶もされない。

 それで、十分だった。

 

 

「……すまない」

「ううん、大丈夫……大丈夫に、するから」

「すまない……」

 

 

 そっと離れて小さく微笑めば、沈痛な顔で目を閉じた藤堂の顔がある。

 微笑を苦笑に変えて、青鸞は藤堂から離れる。

 本当に、藤堂が自分を責める必要は無いのだ。

 少なくとも、彼は何も悪くは無いのだから。

 

 

「それより藤堂さん、ナリタの他の皆がどうなったか、何か知りませんか?」

「……片瀬少将が亡くなられたと言うのは、聞いた。真偽の程は定かでは無いが、少なくともブリタニア軍はそう言っていた」

「そう、ですか……」

 

 

 片瀬の死、それは青鸞の胸に重しを増やした。

 もちろん遺体を見たわけでは無いし、信じたくないと思えばそれまでだが。

 それに東郷や草壁など、まだ生死が確定していない者もいる。

 戦場での行方不明が、MIA扱いの兵の生存率が、どれだけ絶望的でも。

 

 

「青鸞、お前に託した者達はどうなった?」

「あ……えっと、助かった民間人の人の半数は別の場所に住居を提供されたりして、もう離れています。でも道場の人達を中心に、いくらかの人が私達と来たいって。今は、生き残りの解放戦線のメンバーと一緒にある場所で合流を待っててもらってて……」

 

 

 その後、藤堂達と今後のことについて少し話した。

 各地に散っている解放戦線の残存の戦力と拠点を、片瀬のいない今どうやって纏めるか。

 藤堂達の当面の身の置き場――他の兵達の生活保障も含めて――や、青鸞達の行動についても。

 そして一通りのことを話し終えた青鸞は、次に必要とされることをしに藤堂達から離れた。

 

 

 それは、少し離れた位置の木陰にいる黒いマントの男だ。

 木の幹に背を預けて、青鸞と藤堂達の再会に水を差さないようにしてくれている。

 気を遣わせてしまったらしいが、少し意外でもあった。

 案外と、空気を読めるタイプなのかもしれない。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『もう良いのか?』

 

 

 近付いていくと、気配に気付いたのかその男の方から声をかけてきた。

 ゼロ、仮面の男、クロヴィスを殺した稀代のテロリスト。

 真正面から向き合うのは、初めてだ。

 

 

「はい、いろいろとありがとうございました」

『そんな他人行儀な話し方はしなくても良い、楽にしてくれ。その方が私も気楽で良い』

「…………」

『どうした?』

 

 

 どうしたもこうしたも、奇妙な気分だった。

 と言うのも、自分に対するゼロの口調が妙に優しいことが不可解だったからだ。

 初対面のはずなのに、それともこれがゼロの普通の状態なのだろうか。

 黒い仮面の向こう側は見えないが、どんな顔で、どんな表情を浮かべているのだろう?

 

 

『青鸞嬢? どこか具合でも悪いのか』

「あ、いえ……少し、意外で。もっと固い方なのかと思っていまし……いたから」

『ふふ、まぁ無理も無い。こんな仮面をつけていれば、そう思われるのも仕方が無いだろう』

「はぁ……あ、それはそれとして。本当にありがとう、藤堂さん達を助けてくれて。それに、ボク達の逃走の手伝いまで」

 

 

 そこについては明確にお礼を言う必要がある、実際、ブリタニア軍を撒けたのは黒の騎士団の助力があればこそだった。

 最も、少し警戒もしている。

 助ける義理は、無いはずだったから。

 

 

『構わない、藤堂達との取引でもあったからな……それに個人的にも、キミに会いたいと思っていた』

「ボクに? 何故かな」

『そうだな、まさかユーフェミアを置いて来るとは思わなかった』

「ああ……アレは、約束だったから。藤堂さん達を救えたら、解放すると」

 

 

 まぁ、あの皇女の話を聞くのはなかなかに疲れる作業だったが。

 何故戦うのかだとか、歩み寄る余地は無いかとか、貴女から見たブリタニアはどんな国かとか、ゲットーの人達に必要なものは何だと思うかとか……まぁ、いろいろだ。

 本当、変な皇女だったと思う。

 

 

「不味かったかな、打倒ブリタニアを掲げる黒の騎士団のリーダーとしては」

『いや、何の問題も無い。惜しいとは思うがそれだけだ、むしろキミが約束を反故にするような人間では無いとわかって安心しているくらいだ』

 

 

 それに、とゼロは指を一本立てて。

 

 

『誤解があるようだが、我々の主張はあくまで弱者の救済だ。必ずしもブリタニアだけを敵としているのでは無い』

「……知ってるよ、日本解放戦線(ボクら)をブリタニアと同種の存在だと宣言してくれてたね」

『それもまた誤解だ、我々は決してキミ達の主義主張を否定しているわけでは無い。ただ、やり方が異なるだけだ……それに、すでに日本解放戦線は滅びている』

「滅びていない!!」

 

 

 不意の大声に、周囲の視線が集まるのを感じた。

 ゼロは手を振って「何でも無い」と伝えると、視線を散らせてくれた。

 青鸞はそれに対して目礼すると、自分を落ち着けるように息を吐いてから顔を上げた。

 表情の無い仮面を見つめて、息を吸う。

 

 

「確かに、片瀬少将が率いておられた日本解放戦線本体はナリタと共に消失したかもしれない。だけど他の拠点に、まだ多くの生き残りがいる」

『だが、離散した兵力など軍とは呼べない』

「……再編すれば良い」

『どうやって? キミ達にはその手段が無い、集合や補給のルートも』

 

 

 トウブ軍管区やチュウブ、ホクリクに日本解放戦線の拠点がいくつかある。

 半数はブリタニア軍に各個撃破されたが、まだ相当数が残っているはずだった。

 青鸞としては彼らと連絡を取り、集め、組織する所から再スタートせねばならない。

 無論、各地に散らしてゲリラ化させる手もあるが……解放戦線は正規軍が母体なのだ、良くも悪くも。

 

 

 青鸞には、その道筋がつけられない。

 だがゼロは違う、すでにナリタから逃れた兵を中心にそれなりの数を吸収していた。

 しかし、問題もある。

 元いた黒の騎士団のメンバーと解放戦線のメンバーとでは、質や慣行がまるで異なるのだ。

 無論指揮権はゼロに一本化されているが、それでも現場がすぐに有機的に動けるわけでは無い。

 

 

『枢木青鸞、私ならばキミの目的を最短で成し遂げる道筋を描くことが出来る』

 

 

 ゼロが片手を差し出す、握手を求めるようにだ。

 黒の騎士団の中で、日本解放戦線の兵力再編と運用を、纏め役を担ってほしいと。

 ゼロにとっては、日本最後の首相の娘が自陣営にいれば何かと便利だろう。

 それに「信頼できる」彼女が黒の騎士団メンバーと解放戦線メンバーの間に立ってくれれば、これに勝る物は無い。

 

 

 そして青鸞にとっても、ゼロの手を借りて解放戦線の兵力を再編できるなら僥倖だ。

 ……組織の中に組織を作るようで、健全には見えないが。

 そこはおそらく、青鸞の人となりを信じている、と言うことなのだろう。

 正直、初対面でどうしてそこまでの信頼感を寄せられるのかはわからないが。

 

 

「……部下になれと?」

『違う、そうじゃない。同志になってほしいんだ、私の仲間に』

「…………」

 

 

 ゼロの真剣な声に、青鸞は再び奇妙なくすぐったさを覚えた。

 くすぐったいと言うか、違和感と言うか、何だか口説かれているような気分になってくる。

 初対面のはずだが、言葉に嘘は無いと思えてしまう程の真剣さだった。

 

 

 しかし、そうは言ってもである。

 数ヶ月前に突如現れた仮面の男、ゼロ。

 この男の風下に、抵抗活動の先輩である自分が唯々諾々と立つべきか?

 目的が達成できれば形にはこだわらない、と言う意見もあるだろうが。

 

 

「戯れに聞くけど、貴方が解放戦線に入るって選択肢は無いの?」

『現状では、その選択はあり得ない。しかし、今後もあり得ないと選択肢自体を切り捨ててしまうような真似もしない。だがもしキミに自信があるのなら、挑んでくるが良い。いつでも受けて立とう』

「……なるほど」

 

 

 クーデター上等――その言葉に、青鸞は頷く。

 何だか自信家で、プライドが高いらしいことはわかった。

 それでいて自分が負ける可能性もきちんと考慮していて、そうならないよう行動しているのだろう。

 ……気のせいでなければ、誰かに似ている気がした。

 

 

「一つだけ確認させてほしい、ゼロ」

『何だろうか、青鸞嬢』

「……貴方の目的は日本の独立? それともブリタニアへの抵抗?」

『その全てだ』

「そう」

 

 

 頷いて、青鸞は改めてゼロを見た。

 背丈は自分よりも大きいが、細身で筋肉質なようには見えない。

 とても前線に出てくるようには見えないが、彼女が知る限り彼は常に最前線にいる。

 敵に胸を逸らし、味方に背中を晒していたように思う。

 

 

 それを馬鹿と見る者もいるだろう、指揮官のすることでは無いと。

 だが、彼は軍人では無い。

 仮面で素顔を隠している彼にとって、先頭に立つことは何かの決意の証なのだろう。

 少なくとも臆病者ではなく、まして藤堂や自分達を救ってくれた恩もある。

 弱者救済と言う主義主張には頷き難いが、それこそスザクのような人間よりはよほど理解できる。

 

 

「……藤堂さん達は、とりあえず貴方に協力するつもりがあると」

『キミはどうなのだろうか、青鸞嬢』

「えーと……」

『私は、キミも欲しいのだが』

 

 

 ……深呼吸する、また妙な気分になってきた。

 なるほど、こういう場合に仮面が便利なのかとそんなことを考えて。

 

 

(ワタシ)は……ボクは、この後行かなければならない場所があって」

 

 

 青鸞は藤堂達を救出した後、ある場所……伊豆へと向かうつもりだった。

 伊豆、枢木家縁の土地だ。

 そこでキョウトでいったん別れた者達と合流し、かつ自分の目的としてルーツ探しをするつもりだった。

 自分のルーツ、枢木のルーツ、そして父のルーツ……それを、知りに行くのだ。

 

 

『そうか、良くわかった』

 

 

 青鸞が遠くの地に想いを馳せている一方で、ゼロは頷いた。

 

 

『では、それが終われば私の所へ来て頂けると受け取っても良いだろうか』

「え……っと」

 

 

 ゼロの言葉はあくまでも真剣に聞こえて、しかも徐々に圧力が増している気がした。

 嫌な意味での圧力ではなく、あくまでどこかくすぐったい。

 繰り返して言うが、口説かれているような気がして来た。

 いや実際に口説かれているようなものだが、しかしアレである。

 

 

(キョウトの女としての自覚を持とう、うん)

 

 

 幼馴染のことを思い出して、そう自分を戒める。

 もし今口説かれている――テロリスト的な意味で――のだとすれば、キョウトの女としての返答は一つだ。

 そう考えると、若干だが落ち着きを取り戻すことも出来た。

 だから青鸞は、ニコリと微笑むと。

 

 

「前向きに考えさせて頂きますわ」

 

 

 幼馴染の口調で、そう言った。

 キョウトの女ならば、殿方の誘いに簡単に乗ってはならない。

 それが基本だ、間を持たせてもったいぶらせ、自分を可能な限り高く見せること。

 要するに、保留だ。

 

 

 怒るかと思ったが、現実にはゼロはそんなことはしなかった。

 ただ仮面越しにもわかる程にきょとんとして、そこから肩を震わせながら笑ったのである。

 声こそ立てなかったが、腰と口元に手を当てて喉奥を鳴らしながら。

 その仕草に既視感を覚える青鸞だが、その理由はわからない。

 

 

『良くわかった、前向きに検討してくれると言うなら、それで構わない。私の所に来た解放戦線の兵達は、貴女が来るまで丁重にお預かりするとしよう』

「……?」

『握手くらいは、構わないだろう?』

 

 

 再び差し出された手に首を傾げれば、そんなことを言われた。 

 まぁ、確かに友好の握手くらいならば。

 そう思い、今度は青鸞も手を差し伸べた。

 

 

 青鸞の白い指先と、ゼロの黒手袋に包まれた細い指先が絡む。

 握手、それが目的なのだから当然だ。

 しかしそこで、青鸞は奇妙な痛みを感じた。

 顰めた顔に何を思ったのか、ゼロが小さく首を傾げる。

 

 

『青鸞嬢、大丈夫だろうか?』

「え、あ、ああ……うん」

 

 

 不思議そうに首を傾げるゼロに、青鸞は曖昧に頷く。

 握手を終えて、その手で痛んだ箇所を押さえる。

 左胸である、一瞬だがチクリと痛みを感じた……。

 

 

 今は痛みは無い、気のせいか何かかと思うことにした。

 だが結局ゼロの一団と別れるまで、彼女は自分の胸に何度も触れては撫でていた。

 そのことの意味がわかるのは、まだ先の話だった。

 まだ、まだ――――……先の、話。




採用KMF関連:
轟ssさま(ハーメルン)提供:雷切。
RYUZENさま(ハーメルン)提供:ガトリング砲。
ありがとうございます。

採用衣装:
KAMEさま(小説家になろう)提供:佐々木のタクティカルジャケット。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 4月からついに私も自由ではなくなるわけですが、それもまた自由を得るためには必要とも言えます。
 執筆速度は緩まりますが、これからもよろしくお願い致します。
 完結まで頑張るぞー!
 うん、流石に長中編5作品を完結させていれば自分への自信と信頼感が違います。
 では、次回予告です。


『思えば、ボクは枢木家のことについて何も知らない。

 桐原の爺様に家を継がせて貰って、それだけだ。

 知らなくちゃ、家のこと、父様のこと、そしてあの人のこと……。

 だから、まずは伊豆へ行こう。

 枢木の古い土地がある、あの島へ』


 ――――STAGE16:「クルルギ の 地」


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STAGE16:「クルルギ の 地」

新しい環境に死にそうです、竜華零です。
これが、世界か。
とか何とか言いつつ、最新話です。

枢木家とゲンブ首相について、オリジナル要素が入ります、ご注意ください。
では、どうぞ。


 ナナリーは、一日の最後にはラジオを聞くことを日課にしている。

 ナナリー・ランペルージ、あるいはナナリー・ヴィ・ブリタニア、世界の3分の1を支配する超大国の皇女だった少女の趣味としては、聊か慎ましやかな趣味であると言える。

 音声だけのラジオなのは、当然、彼女が盲目であるためだ。

 

 

『――♪ ――――♪』

 

 

 広い寝室に流れるのは、柔らかな少女の雰囲気にはやや合わない軽快な音楽である。

 兄の生徒会のメンバーに教えて貰った音楽番組なので、ナナリーが普段聞くような物とは毛色が違う。

 しかしナナリーは眉を顰めたりはせず、むしろ瞼の閉じた顔は楽しそうだ。

 ポップカルチャーと言うのは良くわからないが、親しい人の好きな物を知れて嬉しいのだろう。

 

 

 車椅子の上に座る少女は、すでに淡い色合いのパジャマに着替えている。

 ちょっとしたドレスにもネグリジェにも見えるそれはゆったりとしていて、ナナリーの華奢な身体を柔らかく包んでいた。

 車椅子で過ごす彼女に配慮してか、寝室には割れ物や調度品が極端に少ない。

 その分、ベッドやカーテンにフリルやレースを多くして彩を加えているようだった。

 

 

『本日、ブリタニア政庁は第一級指名手配者のリストを半年ぶりに更新しました。リストのトップに乗るのはゼロ、クロヴィス前総督殺害容疑などが主な理由であり……』

 

 

 音楽番組の次は、ニュース。

 今日一日、どこで何があったのかを知るのも大切なこと。

 ただ最近は、件のテロリスト「ゼロ」を巡る報道が多いような気がする。

 

 

 そして個人的には、ナナリーはゼロに好意的にはなれなかった。

 何故ならば、殺人はもちろん忌避すべきことであるし、腹違いとは言えクロヴィスは彼女の兄だったのである。

 ナナリーがブリタニアにいた頃は、意地悪をされたこともあるが、優しい兄だったと思う。

 ……ルルーシュが絡まない時は、特に。

 

 

『また先日のチョウフ基地炎上事件以降、再び逃走を続けていると見られる藤堂ら日本解放戦線メンバーも継続してリストに掲載され、また事件に関与していると見られている……』

 

 

 藤堂、と言う名前にも覚えがある。

 まぁ、こちらはそこまで知人と言うわけでもない。

 ブリタニアから日本に来た幼い頃、何度か目にしたことがある……程度だ。

 しかしナナリーにとって問題はこの後だった、何故なら。

 

 

『枢木青鸞』

 

 

 何故ならそれは、7年前、一緒に遊んだ少女の名前だったから。

 7年前、ブリタニアから人質に出されてきた自分や兄と仲良くしてくれた女の子の名前。

 同年代の友人がいなかったナナリーにとっては、初めて出来た貴重な友人だった。

 戦争で離れ離れになってからは、どこにいるのかもわからなくなっていたが、まさか

 

 

 その少女が、ブリタニアにテロリストとして指名手配。

 まず心に来るのは、嘘、と言う言葉。

 かつてオレンジ事件の際、スザクがニュースに出た時も同じ感情を抱いた。

 

 

『今回初めてリストに乗りながら、レベルは藤堂らと同じ5。生死問わず(デッドオアアライヴ)指定の指名手配を受けたのは、かつての日本最後の首相の遺児。今回、その生存が確認され……』

 

 

 キャスターの説明が続けば続くほど、それは事実としてナナリーの胸に小さな刻まれた。

 自分の兄は、そしてあの娘の兄は知っているのだろうか。

 知っているのだとすれば、傷ついていないだろうか。

 自分と、同じように。

 

 

「……青鸞さん……」

 

 

 心配そうなその声は、誰にも届かないままに消えていく。

 それでもせめて、気持ちだけでも。

 そう思って、ナナリーは静かに顔を伏せた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――トーキョー租界から南に約170キロ、伊豆諸島と呼ばれる島々の一つに彼らはいた。

 その島の名は地外島、12k㎡前後の広さの小さな無人島だ。

 標高300m程の小さな山とそれを覆う森、島外縁の白い砂浜と深い青の海しか無い。

 

 

「打ち込み――ぃ、はじめっ!!」

「「「「せいっ! せいっ! せいっ!」」」」

 

 

 その砂浜に、袴姿の少年少女が並んでいる。

 ただの少年少女と言うには妙に精悍な顔立ちをしているが、竹刀を振るう彼らの表情は真剣そのものだった。

 そんな彼らの前で腕を組んで立つのは野村と言う男だ、ナリタ戦で草壁と共に殿を務めていた。

 現在は、ほとんど唯一のベテランとして少年達の訓練に付き合っている。

 

 

 集団から離れた位置、森の入り口でパラボラアンテナのような物を弄っている古川がいる。

 聴覚調整用のヘッドホンを何やら気にしているようだが、どうやらレーダーで島周囲の様子を窺っているらしい。

 航空機のルートから外れているとは言え、船やブリタニア軍の偵察機が来ないとも限らないからだ。

 

 

「ぬぅん……!」

 

 

 そして砂浜の横、海水で濡れたゴツゴツした岩場の上には大和がいる。

 何やら自分の身長の倍はありそうな長い釣竿を振るって、海に向かって餌付きの釣り針を放っていた。

 裸の上半身の筋肉が盛り上がり、汗を散らす。

 この場に妹がいれば、さぞや黄色い歓声が上がっただろう。

 

 

「いや~、皆この暑いのに頑張るねぇ」

「隊長も何かしてください! 不謹慎でしょう!?」

「見張り番~」

「たいちょ……飛鳥!?」

 

 

 森の入り口にいる古川の後ろ、太い木の枝の上に寝転んでいる山本に対して補佐役の上原が激怒している。

 例によって働きも訓練もしない山本を引っ張りにきたのだが、悔しいことに木に登れないらしい。

 軍人としてそれってどうなんだろう、賢明にも古川はその感想を口にはしなかった。

 

 

「にしても、軍人36人にその他16人、まー随分と物好きがいたもんだよな」

「隊長がそれを言うんですか……」

 

 

 護衛小隊を中心とする解放戦線メンバー、藤堂道場の門下生、そして僅かな民間人。

 合計で52名、キョウトに辿り着いた人間の僅か半分。

 しかし逆に言えば、50人超もの人間が1人の少女と共に在ることを選んだのである。

 枢木青鸞、若干15歳でエリア11中に指名手配された少女に。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 一方で現状52人の日本人の生命に責任を有し、エリア11内部において正式手配された少女はどうしているかと言えば、エプロン姿で掃除などしていた。

 彼女は今、ある建物の書庫の清掃と整理に従事していた。

 その建物は元々8000㎡程の広さを持つ洋館で、島唯一の山の側面を削って築かれた建造物だ。

 

 

 実はこの地外島、無人島になったのは十数年ほど前のことである。

 無人島と言うよりは放棄島と言った方が正しい、そして放棄される前は私有地の別荘だったのだ。

 所有者の名は、枢木ゲンブ。

 青鸞の父にして日本最後の首相、彼が亡くなってからは土地の権利だけ桐原の家に移り、後は放置されていた。

 

 

「はぁ……んっ」

 

 

 埃の積もった、紙が黄ばんだ古い分厚い本を一度に10冊運んで、青鸞は大きく背伸びをした。

 残暑厳しい8月末の伊豆諸島、避暑を目的に作られた別荘でも書庫の中にこもっていればやはり暑い。

 おかっぱの髪を覆う白の三角巾を勢い良く外せば、窓から漏れる陽光に散った汗が煌いた。

 

 

 白い猫の肉きゅうがプリントされた黒のエプロンの下は、珍しいことに和服では無かった。

 膝丈の白ワンピース、襟無しの前ボタン式で袖とスカートの縁に花模様が描かれている。

 機会はそれ程多くは無いが、青鸞とて洋服を着ることもある。

 と言うか、そうそう毎日きっちりと着物など着ていられない。

 

 

「はぁ――……全っ然、片付かないや」

「15年放置していただけあって、凄いことになっていますから」

 

 

 書庫の中から青鸞について出てきたのは、雅である。

 珍しく彼女も和服では無い、こちらもエプロンの下に青鸞と同じ白いワンピースを着ている。

 異なる点は、ワンピースの布地に意匠化された花の種類である。

 青鸞は桜、雅は花菖蒲だ。

 

 

「うーん……もうこれ、掃除してるのか散らかしてるのかわからないよね」

「まぁ……まず外に出さないと、どうにも出来ませんし」

 

 

 そんな彼女達の前には、十数年間に渡る放置の末に荒れ放題になっている廊下が広がっている。

 書庫の外の廊下に中から積み出した本が積み上げられていて、その隙間からムカデなどが這い出てくると青鸞と雅は嫌な顔をする。

 まぁ、書庫に限らず……長年放置された洋館は、なかなかに凄かった。

 

 

 透明だっただろう窓ガラスは風雨で泥だらけで濁っているし、天井の隅などには蜘蛛の巣が張り、どこから入り込んだのか床には草の葉や砂が散らばっている。

 道場の少年達の手を借りてベッドルームや食堂などは並み程度に掃除したのだが、流石に書庫のような場所はまだ手がついていない。

 歩けば埃や砂が舞い上がり、壁に指を滑らせれば黒ずむ、そんな状態だった。

 

 

「なるべく急ぎたいけど、焦ってもしょうがないか」

「はい」

 

 

 この元枢木の別荘には、枢木家に纏わる古い資料などが保管されている。

 保管と言うより放置だが、父が若い頃に持ち込んだ物も数多くあると言う。

 だからこそ、青鸞は枢木家の、父ゲンブの、そして自分のルーツを探る場所としてここを選んだ。

 

 

「ここは、ボクが産まれた頃には誰も来なくなってたらしいし……」

 

 

 自分は、驚くほど枢木の家について知らない。

 10歳になる前に桐原公の庇護下に入り、10歳に入ってからはナリタにいたので無理も無い。

 ルーツ探し――まだ掃除しかしていないが――その一歩として、枢木のことを知りたい。

 家のこと、父のこと、自分で知って、そして何事かを決めたいのだ。

 

 

「……あら」

 

 

 傍らで雅が首を傾げると、青鸞は柔らかく微笑んだ。

 荒れた洋館に、その静けさに似合わない音が響く。

 自己の存在を主張するかのようなその声は、洋館中に響き渡る――泣き声だ。

 それは、幸運を運んでくれる声。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 書庫整理の手を一旦止めて、青鸞と雅は食堂へと向かった。

 両開きの大きな扉を開くと、彼女達の足元に小さな影がいくつもぶつかってきた。

 

 

「せいらんさまー!」

「せいらんさま、赤ちゃんないたよ?」

「ないたー!」

「うん、聞こえてたよ」

 

 

 しゃがまずに手を伸ばして、抱きついてきた子供達の頭を叩くように撫でる。

 その数人の子供達は、ナリタから連れ出してきた子供達だ。

 キョウトに預けて別れるはずだったのだが、知らない施設に入れられるのが嫌だったらしい。

 どうしてもついてくると言って、引き離せなかったのだ。

 青鸞の状況を思えば、力尽くでも引き離すべきだったろうが……。

 

 

「青鸞さま、榛名さん、お疲れ様です」

 

 

 そしてそんな子供達の面倒を見ているのは、愛沢なのである。

 言うまでもなく民間人だが、彼女は自身の位置でついてくることを表明した。

 かなり希少な部類に入るが、子供達の面倒を見る保母的存在になっていた。

 そして今、そんな彼女の腕には小さな赤ちゃんが抱かれている。

 

 

 生後3ヶ月、だいぶ首がすわって来た赤ちゃんだ。

 髪もすっかり生え揃って手指も良く動くようになった、実際今も目の前に差し出された哺乳瓶を必死で掴むようにしてミルクを飲んでいる。

 どうやら先程の泣き声は、ミルクを催促する泣き声だったらしい。

 

 

「桜~、ご飯でちゅか~?」

 

 

 そして愛沢の傍に寄った青鸞は、何故か赤ちゃん言葉で話しかけた。

 愛沢も雅も苦笑を浮かべているが、青鸞は自分が名前をつけた赤ちゃんに話しかける時はどうしてもそうなってしまうのだった。

 桜、ナリタで産まれたたった一つの命。

 この桜と言う赤ちゃんもまた、本来であれば別れるべき存在であっただろう。

 

 

 ただ、産まれた時に傍にいたためなのかどうなのか……青鸞と雅、あるいは愛沢以外に抱かれると猛烈に泣くのである。

 いつだったか上原が抱っこして壮絶に泣かれてショックを受けていた、山本が爆笑していたのを覚えている。

 まぁ、要するに……情である。

 

 

(近い内に、何とか良い行き場を作ってあげないとね……)

 

 

 もちろん、一番良いのは日本を独立させることだが。

 

 

「青鸞さま、良ければ桜ちゃんにげっぷをさせてあげて頂けますか? 義手では少し難しいので」

「え? あ、うん!」

 

 

 愛沢の気遣いを遠慮なく受けて、青鸞は哺乳瓶をあっという間に空にした赤ちゃんを受け取った。

 縦抱きにして胸をやや逸らし、そこに乗せるようにして桜を抱っこする。

 そしてゆるゆるとあやしながら背中を撫でれば、桜は気持ち良さそうに「う~」と唸った。

 胸の奥がポカポカと温かくなって、少女の面立ちを色濃く残す青鸞の表情に母性の色が浮かぶ。

 

 

 何だかんだ言って、要するに、離れたくなかったのだ。

 ナリタで産まれた命、託された、守らなければならない小さな命。

 桜の存在は、青鸞にそれを教えてくれる。

 

 

「青鸞さま、こちらでしたか」

「……客間、終わった。今日から使えます……」

「あ、有難う、佐々木さんに茅野さん」

 

 

 そこへやや埃で顔を汚した女性兵がやってきて、青鸞は桜を抱っこしながら振り向いた。

 気のせいでなければ、表情の少ない彼女らも桜を見れば僅かながら笑みを見せてくれる気がする。

 その意味では、桜は徐々に中心的な存在になりつつあると言えた。

 

 

 ナリタ戦から2ヵ月半が過ぎて、しかしそれでも青鸞は穏やかな時間の中にいた。

 客観的に見て幸福と呼べる状況なのかはわからないが、優しい気持ちになれる場所だった。

 家や島を探索し、ブリタニア軍の目を逃れて、各地の日本解放戦線の残存拠点と連絡を取りながら己のルーツを探る。

 それは、そんな時間だった。

 

 

 ――――けふ、と、桜の小さな口から可愛らしい音が出た。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 枢木スザクと言う少年は、己の矛盾を自覚している所がある。

 いや、彼はそれを矛盾としてでは無く業として見ている節があった。

 例えば彼は、いわゆるテロリストと呼ばれる人々に「正しいルールに則った贖罪」を求める。

 

 

 しかし翻って、自分はどうだろうかと自問するのだ。

 大きな罪を犯しながら罰せられることもなく、のうのうと生きている。

 それでも名誉ブリタニア人として迫害されている内は、まだ良かった。

 それがナイトメアの操縦者となり、学校にまで行かせて貰って、友人に囲まれて。

 ――――許されるのだろうか、そんなことが。

 

 

「スザク君、ちょっと良いかな?」

「あ、うん、何かな、シャーリー」

「生徒会のことなんだけど……」

 

 

 放課後、教室で鞄に教科書を詰めていた――最初こそ一日で全部捨てられたりと言う嫌がらせを受けていたが、今ではそれも無い――スザクに、シャーリーが声をかけた。

 彼女は明るい笑顔でスザクに話しかけている、だが、僅かながら陰があることにスザクは気付いた。

 それはブリタニア人である彼女が名誉ブリタニア人である彼に話しかけているから……などと言う理由では当然、無い。

 

 

 誰もが知っている、彼女が父を亡くしたばかりだと言うことは。

 ナリタ戦では軍人だけでなく、麓の町にいた民間人も少しだが犠牲になった。

 どうして避難勧告に従わなかったのか、そもそもテロリストの勢力圏の町にどうしてブリタニア人であるシャーリーの父がいたのかはわからない。

 だが結果だけを言えば、シャーリーは父を失ったのだ。

 

 

(ゼロ……そして、青鸞)

 

 

 チョウフで、あの2人は行動を共にしていたように見えた。

 最初から手を組んでいたかはわからない、青鸞の表情などを見ていた限りは彼女にとってもゼロの登場は予想外の様子だった。

 だが、あの2人はナリタにもいた。

 日本解放戦線か黒の騎士団、あるいはその両方の作戦がシャーリーから父親を奪った、永遠に。

 

 

(……僕に、それを責める資格は無い)

 

 

 そう、スザクには誰かを責めたり否定したり、まして断罪する資格など無い。

 少なくとも、スザク自身はそう思っている。

 だから彼はルールに従うのだ、そうすることだけが抜け殻の自分の行動の指針足り得ると信じて。

 

 

(だけど、きっとそれは……間違っている)

 

 

 日本独立、あるいはブリタニア打倒。

 その最終的な目的を達成できれば、いかなる犠牲をも受け入れる。

 そんな考え方ではきっと何も得られない、何故なら。

 彼の目の前に、そう言う考え方で何かを失った人がいるのに――――……。

 

 

「ねぇ、スザク君。ひょっとしてルルと喧嘩でもした?」

「え?」

「だって、今まで生徒会の連絡って、ルルがいる時はルルがスザク君に伝えてたじゃない。それが今日に限って、私に頼むーなんてさ」

「別に、喧嘩なんてしてないよ」

 

 

 そうは言いつつ、スザク自身も今日のルルーシュの様子がおかしいことには気付いていた。

 彼は数日振りに学校に来れたのだが、いつもなら一番に話しかけてくるリヴァル……の横にいるルルーシュが、いなかった。

 授業中に目が合ってもすぐに逸らされるし、スザクが話しかけてもそっけない。

 そして、どこか怒ったような目で自分を見るのだ。

 

 

 正直、ルルーシュがどうして自分をそんな目で見るのかはスザクにはわからない。

 わからないが、彼なりに結論付けていることがある。

 それは……。

 

 

「でも、きっと僕が何かしちゃったんだと思うんだ」

「そんなこと無いよ、きっとルルがわがままなんだよ」

「それは……どうかな」

 

 

 どうやらルルーシュのことが良くわかっているらしいシャーリー、前にそんなことを言ったら真っ赤になって怒っていたので、同じ轍は踏まないが。

 ただ、彼女から見たルルーシュとスザクから見たルルーシュは違う。

 そんな当たり前のことが、今は少しだけ嬉しかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 スザクが旧友の怒りに戸惑っている頃、同じように戸惑っている少女がいた。

 ただしこちらは、心配と言う感情に晒されていたわけだが。

 心配してくれるのは嬉しいが、それが過ぎると流石に困る、と言う風な。

 

 

「…………」

 

 

 今の気持ちを言葉にしたいが、出来ない。

 現時点のユーフェミアの状態は、まさにそれだった。

 顔には笑顔が浮かんでいるのだが、それは逆に言えば他に何も出来ないと言うことだった。

 

 

「あの、将軍」

「は、何でしょうか、ユーフェミア殿下」

「えーと……これは、どう言うことでしょうか」

 

 

 そう言う彼女は華やかなドレス姿だ、彼女が公務に向かう際に好んで着用するデザインの物。

 ユーフェミアはこれから公務に向かい、ある式典に総督の名代として出席する、それは良い、いつものことだ。

 ただ彼女を取り巻く環境は、いつものことでは無い。

 

 

 ユーフェミアが乗っている黒塗りの高級車、これもまぁいつも通りだ。

 しかしその周囲を取り囲むのはSPが詰める護衛車では無く、装甲車とナイトメアなのである。

 あまりにも無骨で厳重な警備、これまでのユーフェミアであれば拒否しただろう陣容だ。

 少なくとも、エリア11の民衆と分かり合いたいと言う姿勢には絶対に見えないだろうからだ。

 だがユーフェミアにはこれを拒否できない、何故ならこれは総督たるコーネリアの意向だからである。

 

 

「総督も、先日の事件でユーフェミア殿下の身辺警護のレベルを引き上げるべきだと判断したのです。多少窮屈でしょうが、少しの間我慢してください」

 

 

 重厚な声を多少緩めてそう言うのは、ダールトンである。

 ユーフェミアと同じ車内にいる彼は本来はコーネリアの傍にいるべき人間だ、それが今こうしてユーフェミアの傍にいるのは、ひとえに妹の身を案ずるコーネリアの意思による。

 対外的にはユーフェミアの拉致事件は「無かったこと」になっている、である以上ユーフェミアに公務を休ませるわけにはいかない、警備のレベル引き上げは「治安上の理由」で通せる……。

 

 

 そしてダールトン自身も、今はユーフェミアの身辺に気を遣うべきだと判断した。

 ユーフェミアが自前の騎士や親衛隊を持っているのならばともかく、そうでないのであれば、皇宮の警護騎士として幼い頃からこの姉妹を守ってきた自分の役目と自負している。

 故に、ダールトンはここにいるのだ。

 

 

(心配してくれるのは、嬉しいのだけれど……)

 

 

 やりすぎではないか、と思う、素直に。

 そこまでして守ってもらう価値が自分にあるのかもわからないし、何より周囲に威圧を与えるような状態は好みでは無い。

 同時に、自分の好き嫌いで周囲に迷惑をかけるわけにもいかないと思う。

 

 

 ほぅ、とダールトンに気付かれないように息を吐く。

 心配せずとも、少なくともあの少女が今再び自分を攫いに来るとは思えない。

 数時間話しただけだが、皇宮で育ったユーフェミアだ、人を見ることには慣れている。

 その上での判断だ、あのセイランと言う少女はただ自分の仲間を助けたかっただけだと。

 

 

(……悪い人では、なさそうだけど)

 

 

 同年代と言うことを抜いても、そう思う。

 もちろんブリタニア的正義からすれば「悪」だ、テロリストなのだから。

 だが、ユーフェミアは皇族としては奇跡的なことに「ブリタニア的正義」と言うものに絶対性を認めていなかった。

 そもそもエリア11の人々を傷つけたのは、ブリタニアの側では無いか……と言う意識がある。

 

 

 もちろん、だからと言って反体制派を擁護するつもりも無い。

 彼らとて無関係な、罪の無い人間を巻き添えにして自分達の目的を果たそうとしている。

 それを認めることは出来ないし、殺されたから殺すと言う悪循環では何も成せないと信じていた。

 そんなことを繰り返しているから、あんな哀しいことも起こるのだと。

 

 

(スザク……)

 

 

 コーネリアがスザクに踏ませようとした踏み絵は、あまりにも惨い。

 兄に、妹を討たせようなどと。

 そんなもので証明される忠誠など、最初から汚れたものであるに決まっているのに。

 だから、その点に関してはユーフェミアは姉のやり方にはっきりと拒否感を持っている。

 

 

(……騎士、か)

 

 

 しかし、拒否するのであれば代案を提示するべきだった。

 そのための材料を持たない、持たないと信じ込んでいるユーフェミアにとって。

 それは、酷く難しいことのように思えた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 地外島に来てすでに3日だが、夕食の時間はいつも大賑わいだった。

 人数が食堂の椅子よりも多いため、テーブルをどかして床に小卓を並べる宴会形式になっていること原因の一つだろう。

 食材は基本的に大和たち軍人が獲ってきた山菜や魚介類である、今日で言えばカンパチだった。

 

 

「はーい、浅蜊の釜飯が出来ましたよー!」

「「「おかわりお願いしゃーっス!!」」」

 

 

 特に一日中訓練を積んでいた道場の少年達が元気だった、育ち盛りだけにおかわりのペースが早い。

 貝とお米の詰まった釜の前で、次々と突き出されるお茶碗にエプロン姿の雅がアワアワとしている。

 なお、少年達へのおかわりは兄たる大和のきっちり半分の量であったりする。

 

 

 他にも山本や野村などの軍人男性陣が内地から持ち込んでいた日本酒をカンパチの刺身を肴に飲んでいたり、愛沢が子供達にカンパチの照り焼きを取り分けて食べさせてあげていたり、道場の少女達が雅の手伝いとしてパタパタと食堂と厨房を行ったり来たりしていたり、あるいは「さて、雅も1人じゃ大変そうだし、あボクも腕を振るっちゃおうかな」と言った青鸞を軍人女性陣が羽交い絞めにしたりしていた。

 

 

「ボクだってお料理くらい出来るのに……」

 

 

 食堂の隅でいじけだした少女がこの集団のトップなわけだが、誰も慰めてはくれなかった。

 この問題に対しては、この集団は一致した行動を取るらしかった。

 あとは、朝に男性陣は青鸞の寝室に近付いてはいけないと言う禁止事項があったりする。

 同じ理由で、青鸞を交えての男女混合雑魚寝は不可能であったりする。

 

 

 どちらにしても、賑やかな夕食の風景だった。

 見張りなどの都合で全員が集合することは無いが、それでも大多数の人間がまさに「同じ釜の飯を食べて」いた。

 それは、集団の結束力を高める上で非常に役立つだろう。

 ただ当人達は、そんな思惑など無関係に付き合っているのだろうが。

 

 

「おーしっ、一番山本、歌いまーす!!」

「ら、らいりょ、らふふぇふぃあうぇ~!」

「オイ誰だ上原少尉に酒飲ませた奴! 何言ってるか全くわからんぞ!」

「とにかく山本中尉を注意しようと言う意思は感じられるけどな!」

「ところで、何で魚がカンパチ一択なんだ?」

「……カンパチだけ大量に釣れた」

 

 

 そんな騒ぎが毎夜続く、酷く賑やかな毎日。

 皆で島で取れた美味しいものを食べて、(未成年以外は)お酒を飲んだり、また皆で日本の歌を歌ったりした。

 それは酷く、そう、酷く楽しい時間だった。

 

 

 青鸞にとって、とても居心地の良い時間。

 でも楽しいからこそ、きっと皆がわかっていたこと。

 それは、あくまで今が次に向けた溜めの時間であると言うこと――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 夕食の後は、青鸞は決まって昼間に整理した書庫へとこもる。

 ここへ来た理由がそこにあるような物なのだから、当たり前と言えば当たり前である。

 淡く薄暗いオレンジの照明を頼りに、古ぼけた資料を掻き分けては手に取ることを繰り返す。

 たまに本や資料に書き込まれているメモは、父の物だろうか?

 

 

 本の大多数は20年以上前に書かれた古い物だし、資料もまた同程度は昔の日本のデータや事情が記された物だ。

 黄ばんだ髪に書き込まれた文字の筆跡は同じ物なので、もしこれが父の物であるとすれば、非常に勉強熱心な人だったのだなと思う。

 自然、胸の奥が温かくなった。

 

 

「今では、あまり意味の無い書き込みだけど……」

 

 

 何しろ状況がまるで違う、十数年以上前の経済大国の日本はもうどこにも存在しないのだから。

 それでも様々な課題に対する問題点や数字、対処法や国会の議論の状況、官庁の見解への感想と批判、つらつらと書かれたそれらを見ていると、父がどれほどこの国を想っていたのかはわかる。

 心の底から、何とかしたいと思っていたのだろう。

 

 

 キョウト六家や業界団体の都合で作られた規制を改革し、政財界に横行している汚職と腐敗の構図を一掃することで閉塞感に包まれる経済を活性化させ、貧困層の生活水準を底上げしようとした。

 サクラダイト依存型の経済を脱し、それを武器に外交環境を整え、武装中立の国是を守る。

 そんな意思が、書き込みの一つ一つから感じるのである。

 その父が、どうして桐原公の言っていたような暴挙に及んだのか……。

 

 

「あ」

 

 

 その時、青鸞のいる位置から少し離れた位置の本の山が崩れた。

 書庫にはたくさんの本棚やチェストがあるのだが、埃と蜘蛛の糸に包まれた一部が落ちたのである。

 やれやれと頭を掻きつつ、青鸞はそちらへと近付いた。

 ザラザラした床に膝をついて、崩れた本や資料を直して行く。

 

 

「……うん?」

 

 

 その時、気になる物を見つけた。

 崩れた本の中に、本や資料とは違う手帳のような物があった。

 数冊あるらしいそれは、戦争で失われたブランドの革製の黒手帳だ。

 手の甲でパンパンと叩いてはたいてみれば、厚く重なった埃の下に父の名前があった。

 父の手帳だ、それに気付いた青鸞は少しだけ息を止めた。

 

 

「…………」

『今日、国会でわしは首相に選出される、党の長老達の支持も固い、いよいよこの国が生まれ変わる時が来たのだ』

 

 

 手帳ではなく、手記だった。

 先程まで本や書類の上で見た筆跡が、時間の経過でインクが掠れてはいたけれど、確かにそこあったのだ。

 日付は14年ほど前、どうやら父ゲンブが第一次枢木政権を発足させた日のことが書かれているらしい。

 父は60年前の戦争後稀に見る長期政権の首相で、在職7年弱だったと聞いている。

 

 

『政権発足から一ヶ月、我が政権の経済政策が功を奏し、通貨安と株高を演出することが出来た。後はこれが持続させることで失業率と賃金水準の回復に繋げることが出来れば……』

『今日は政財界の重鎮達と政治資金パーティーだった、相変わらず反吐が出そうな空気だったが、今は仕方が無い。だが数年の内に来なくて良いようにしてやる……』

『最近、地方の県連で公共事業関連の利権が……』

 

 

 その頃の事が書かれた手記のページをめくっていくと、その当時の父の状況が目に浮かぶようだった。

 清廉で誇り高い、そんな父の姿が瞼の裏に浮かぶ。

 それに仕事の話ばかりかと思えばそうでも無かった、中には家族のことも書かれている。

 

 

『……息子が3つになった、碌に家に帰れず、寂しい思いをさせている』

『娘がまた夜泣きで従業員に辞表を書かせた、将来凄まじい癇癪持ちに育たないか心配だ』

冬実(ふゆみ)が亡くなってから、わしも寂しい。だが子供達の為にも……』

 

 

 などと、自分や兄、そして母のことを色々と書いてくれている。

 自分に関する部分を見つけると赤面物だが、当時の父が家族を愛してくれていたことはわかる。

 ただ、そう言う部分で何度か目にする名前があるのが気になった。

 政治関連の部分であるならば特に気にしていなかったが、家族関連の所でちょくちょく登場するので気になってしまった、例えば。

 

 

『今日は三木の奴が来た、最近は厳島で悠々とデスクワークに勤しんでいるらしい。羨ましいことだ、わしも出来れば中央の妖怪共から離れて遠方に行きたいものだ』

 

 

 だとか。

 

 

『三木に産まれたばかりの娘の写真を見せてやった、とんだ親ばかだと笑いおった。左遷させてやるからなと言ったら平然としていた、まったく、気に食わん奴だ』

 

 

 とか、である。

 三木、と言う名前は父の手記の割と私的な部分に良く入り込んでくる。

 より古い方へページををペラペラめくって確認してみれば、三木と言うのはフルネームを「三木光洋」と言うらしい。

 軍人らしいのだが、手記だけあって流石に細かい部分までは書かれていない。

 

 

 青鸞自身は三木と言う名前は聞いたことも無いが、手記によると産まれたばかりの頃には会ったことがある……ような、気もする、はっきりしないが。

 ただ兄、スザクの方は会ったことがあるようだった。

 まぁ、そちらも幼い頃の話でスザク自身が覚えているかは定かでは無いが。

 

 

『……最近、疲れが抜けない夜が続いている。政権発足から2年が経ってもこの国は何も変わらない、首相と言う政治のトップに就いても制約が多く、何も出来ない』

『首相に就く前、思えばわしは幸福であった。そして無知であった、何故、歴代の総理が目の前の課題に取り組むこともせず短命に終わっていったのかを知らずにいたのだから』

 

 

 だが12年前の日付になってくると、そうした温かなものはどんどん数を減じていった。

 三木や何人かいた親しい人間の名前は消えて、母の名が書かれることもなく、そして青鸞やスザクの名前ですら見えなくなっていく。

 代わって登場するのは、強力な権力を手に入れたにも関わらず何も変わらないという現実だった。

 

 

 政治の頂点に立っても、その基盤を支えるのは財力を持つ財界の人間達だ。

 財界や業界団体の援助が無ければ政治家はその地位を維持するすることも出来ず、彼らの気を引くために彼らにとって都合の良いように政権と権力を使用させられることになる。

 それはつまり、父が当初求めていた改革とはまったく逆の状況が生み出されていたことを意味する。

 

 

「……父様……」

 

 

 手記が終わりに近付くにつれて、青鸞は胸が締め付けられるような心地になっていった。

 何故なら、そこには人間として擦り切れていく父の姿があったからだ。

 変わらない世界に、国に絶望して、何かを変えようとして手に入れた権力に固執するだけの存在に成り下がっていく父の姿があったからだ。

 

 

 青鸞の記憶の向こうにある父は、あくまで優しい父だった。

 強く、大きく、自負心の強い人間だった。

 だが、青鸞が物心ついた頃にはすでに父は……。

 

 

『民主主義、平等主義とは名ばかりのもの。この国は60年前の戦争でそれを得たが、それは違う、違うように最初から作られているのだから、中から変えられずともむしろ当然だろう』

『明治の時代から、この国は何も変わらない。一部の妖怪じみた妄執者共が権力を独占し、表に立つことなく好きに動かしてきた。今もだ、わしとて同じ運命、奴らに飼われた犬に過ぎん』

『どうせ飼い犬になることを強いられるのであれば、せめて飼い主を噛み殺す犬であろう、それでこそ、わしの人生にも彩があると言うものだろうから……』

 

 

 父は財界の支配者達に、すなわち――――キョウト六家に、自らの家でもあるキョウトの家々を、憎悪していた。

 憎んでいた、自分の家を。

 否、家では無く、キョウトの実質的な支配者である1人の老人。

 

 

「……桐原の爺様……」

 

 

 桐原泰三、ブリタニア戦争以前から日本の財界を支配していた老人。

 父ゲンブ亡き後は青鸞を庇護し、枢木家を継がせてくれ、ナリタで活動するための支援をし、ナイトメアやチョウフでの作戦での援助も行ってくれた桐原公。

 しかしその桐原公は、かつて父の政敵とも言える立場にいた。

 いや、桐原は表に出てこなかったのだから政敵と言えるのかどうか……。

 

 

 桐原公の支配されていたかつての日本、それに絶望した父ゲンブ。

 そして父ゲンブの売国行為に近いブリタニアとの戦争と、それにより自らの権勢を大幅に失うことになった桐原公。

 枢木ゲンブと、桐原泰三の暗闘。

 ほんの僅かだが、7年前の状況が見えてきたような気がする。

 

 

「……だけど、兄様の位置はわからない……」

 

 

 父ゲンブを殺された憎悪は、消えない。

 消しようが無い、それだけ父のことを愛していたから。

 だから、兄スザクのことは今でも憎い。

 名誉ブリタニア人となり、ブリタニア兵となり、日本人を取り締まる側にいる男のことなど。

 

 

 だが、だからこそ思う。

 彼は何故、父を殺したのか。

 7年前の状況が少しずつ見えてくるにつれて、余計にそこだけがぽっかりと空いてしまうのだった。

 ぽっかりと、空洞のように。

 

 

「……わぷっ」

 

 

 本棚に背中を預けて、淡い照明に手記をかざした時、手記の最後の方から何かがポトリと落ちた。

 何かと思えば、これまた古ぼけた紙だった。

 下手をすると手記より古いかもしれない、端々が切れている紙。

 開いてみれば、それは古い地図のようだった。

 

 

 古い地図とは言っても、測量などは現代的な技法に則ったものらしい。

 と言うよりも、より古い地図を現代的な技法で書き直したような痕跡がある。

 そこに描かれているのは海と、島、島の名前は今の伊豆諸島の島々の旧名がいくつか読めた。

 

 

「……? 何、このマーク……」

 

 

 地図の中央付近、地外島や式根島からそう離れていない島の上に奇妙なマークがあった。

 少し掠れているが、少なくとも地図記号では無い。

 そのマークは、言うなれば鳥のような形をしているように見えた。

 ――――羽ばたく鳥のような、マークだった。

 




採用衣装:
ATSWさま(小説家になろう)提供:青鸞と雅の白ワンピース。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 今回は青鸞の父、枢木ゲンブについて掘り下げてみました。
 そしてゲンブ首相のことを考える上で外せないキャラクターの名前も出しました、つまりいつか青鸞と対峙するのでしょう。
 では、次回予告です。


『父様の手記に導かれるように、ボクはその島に来た。

 人のいない世界、静かな場所、穏やかな時間が流れる。

 けれど、それはまやかし。

 穏やかさの裏には、言葉に出来ない「何か」があって。

 ……怖いよ』


 ――――STAGE17:「カミ の いた シマ」


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STAGE17:「カミ の いた シマ」

今週も無事にお会いできて嬉しいです。
今話は、ある意味でターニングポイントになります。
オリジナル要素、入ります。
では、どうぞ。


 伊豆諸島の早朝、まだ朝日が昇るか昇らないかと言う薄明の時間。

 冷たく波が穏やかな海の上を、1隻の小型ボートが走っていた。

 白基調に青の翼のような模様が側面に描かれた、オープンタイプのモーターボート。

 

 

「北緯34度15分、東経139度13分……」

 

 

 その運転席で1人(ハンドル)を握るのは、前髪と後ろ髪を揃えたおかっぱな黒髪の少女だ。

 黒のスタンダードシルエットブレザーのような服を着ていて、これは襟などにオフホワイトのトリミングが配色されているタイプだ。

 2つボタンのそれにグレーチェックのスカート、白のシャツと赤のタイ、膝丈までの黒ニーハイソックスに黒のローファーと、女学生のような出で立ちである。

 

 

 しかし少女、つまり青鸞は小学校を最後に学校には通っていない。

 実はキョウトの根回しで卒業資格は持っているのだが、通ったと言う実績はゼロである。

 学力自体はあるのだが、年齢に見合った学生生活と言うのは経験していない。

 まぁそれは7年前の戦争に負けて以降、日本人にとっては珍しくも無いことだが。

 

 

「たぶん、このあたりだと思うんだけど」

 

 

 彼女はともすれば朝霧で見失いそうな視界を、計器と地図を頼りに進んでいる様子だった。

 現代的な地図を片手で器用に畳み、変わりにブレザーの胸ポケットから古い紙を取り出す。

 風に煽らせるように開いたそれは、地外島の枢木邸で見つけた地図だ。

 これを今の地図に照らし合わせると、奇妙なマークをつけられた島が意外と近くにあることがわかったのだ。

 

 

「……アレ、かな?」

 

 

 水平線の向こうに、まだ小さいが島影が確認できた。

 地図と計器を確認すると、どうもあの島らしいことがわかる。

 距離はそれ程ではなかったが、無人島だけに測量データが無く、それだけが不安だったのだ。

 

 

 それも、1人で来ているのだから。

 何人かついて来てくれようとしたのであるが、青鸞の方から断ったのだ。

 何の意味がわかるかわからないし、これは自分のルーツ探しの一環なのだから。

 一応、緊急時の連絡方法だけ決めて……後の皆には、次の移動の準備を進めておいて貰っている。

 

 

「……カゴシマか」

 

 

 遠くに見えてきた島の影を目を細めて見つめながら、青鸞は呟いた。

 カゴシマ、つまりはキュウシュウ南部である。

 皆で話し合って決めたことだが、今度もなかなか厳しいことになりそうである……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞が次の行動目標地にカゴシマを提案したのには、いくつかの理由がある。

 カゴシマもそうだが、キュウシュウはホッカイドウ・オキナワと並んでトーキョー租界のコーネリア軍から最も遠い位置にあり、その圧力が比較的弱い。

 それ故に、トウブ・チュウブ・セイブ軍管区に比べて反体制派勢力が根強く残っている。

 

 

 そしてキュウシュウの位置だ、キュウシュウとホッカイドウにはある特徴がある、海外への亡命ルートを持っていることだ。

 前者は中華連邦、後者はロシア方面――ロシアへのルートは、すでにブリタニアによって封鎖されてしまったが――へのルートがあり、カゴシマは亡命の一大拠点なのである。

 そこにはそのルートを管理する旧日本の政治家達がいて、青鸞は彼らに会う必要を感じていたのだ。

 

 

「そう言うわけで、出来ればすぐに移動の準備に入ってほしいんだけど……」

 

 

 彼女がそう言う話をしたのは、青鸞が島へ向かう前の夜のことである。

 夕食後、子供達が寝静まった後での食堂での話し合いだった。

 数十人の軍人を前にしたプレゼンのような物であって、なかなかに緊張したのだが。

 

 

「青鸞サマ、黒の騎士団と合流するんじゃなかったんですかー?」

 

 

 山本あたりが非常に緩かったので、ナリタの幹部連を前にするよりは随分と楽ではあった。

 ほとんどが護衛小隊のメンバーであったことも、影響していたのかもしれない。

 

 

「黒の騎士団に合流するかどうかは、解放戦線の残存拠点との連絡を取ってる最中なので、今すぐどうこうと言うのはこの際考えなくて良いと思う、まだ、今の所は、だけど」

「ははぁ……でも、カゴシマねぇ。誰かカゴシマ出身か、配置されてた奴っているかー?」

 

 

 カゴシマは現在、ブリタニアの租界と軍基地がある土地だ、もちろん戦前には日本軍の基地だった。

 しかし山本が周囲に緩く聞いてみた所、周りの人々からは「いや」とか「さぁ……」とか後ろ向きな答えしか帰って来なかった。

 どうやらカゴシマやキュウシュウにいた人間はいないらしい、それ自体は珍しくも無い。

 

 

「俺、イワクニにいたことはあるんだけど……フクオカより南のことはわからないなぁ」

「情報部に配属されてた奴、いなかったっけか?」

「ここにいるの前線組か整備組でしょ? 情報関係はいないわよ」

「となると、ひょっとして観光本に書かれてるくらいのことしかわからない?」

「使えねーなー、俺達」

「あ、あのー……」

 

 

 ガハハハ、と笑い合いながらカゴシマとキュウシュウのことについて話す皆に対して、やや遠慮がちに

青鸞は声をかけた。

 その表情はどこか拍子抜けと言うか、意外と戸惑いを織り交ぜたような表情だった。

 

 

「えっと、カゴシマ行きで良いの?」

「良いも何も……」

 

 

 そう聞くと、逆にきょとんとした表情を返されてしまった。

 

 

「青鸞サマが行くって決めたなら、護衛としちゃそこについてくしかないでしょーよ」

「隊長の言はともかく、私達は私達ですでに決めているので……」

 

 

 何を決めているのか? それは、青鸞と共に行くことをだ。

 理由は様々だ、命令・情・流れ・成り行き・使命・責任、その他諸々。

 ただ青鸞と行くと決めた時から、彼らは一つ己の胸の内で決めていた。

 

 

 自分達は枢木青鸞と言う、日本解放に向けて愚直に進む少女を支持すると。

 ほんの数ヶ月だが戦場を共にして、そう決めたのだ。

 そして支持すると決めた以上、その判断に従うことを。

 1ヶ月前、キョウトで、何をすべきかを迷っていた自分達の所に青鸞が来た時から。

 

 

「むしろそうして包み隠さず話して頂けるおかげで、私共としても気を入れて事に当たれますので」

 

 

 佐々木が相変わらずのクールビューティーぶりでそう言う、それを青鸞は少し意外な心地で聞いていた。

 青鸞としては、上下関係の無い「仲間」と言う認識の方が強かったからだ。

 だからこそ方針を決める時は皆で話し合う、自分はあくまで提案役か何かだと思っていた。

 ついて来てくれる、というより、一緒にいてくれる、の方が意識としては正しいだろう。

 

 

 だからこそ、山本達の言葉は青鸞にとってはくすぐったかった。

 年上の軍人が自分のような小娘に信服している、などとは思えない。

 それこそ、草壁が言っていたように。

 

 

「で、どうするよ」

「まずは荷物の積み込みでしょ、役割分担……男って何人いたっけ?」

「「「あ、力仕事ですね。わかります」」」

 

 

 それでも、自分の提案について話し合いを続ける背中は頼もしくて。

 だから青鸞は、それだけで嬉しかった。

 今こうして、同じ何かを求めて誰かと行動できることが。

 前提が間違っていたとしても、今は正しいと思えるから。

 

 

「あ、そうだ……野村さん、ちょっと聞きたいことが」

「む、何ですかな」

「ええと、ちょっと知ってたらどんな人か教えてほしい人がいて」

 

 

 ここにいる人間では一番年季が入っているだろう野村に、青鸞はある人物について聞いてみた。

 それは、父の手記に何度も名前が出てきた男のことで。

 

 

「三木光洋、って言う人のことなんだけど……」

 

 

 それは、過去を追う旅でもあった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 時間を戻し、さらに進めて、青鸞はすでに島の中にいた。

 もふっ、と小ぶりな口に詰め込むサンドイッチは雅の作ってくれたお弁当である。

 すでに日は高く昇っていて、すでにお昼頃の時間だと言うことを示していた。

 

 

 小高い丘から緩やかに下る丘陵、そこにある低い岩の上にハンカチを敷いて座り、お弁当のサンドイッチを食べる少女。

 学生チックな衣服と相まって、まさに遠足に来たお嬢様の絵である。

 青鸞自身、自分が何をしに来たのか忘れそうになるほど穏やかな島だった。

 

 

「何かあるかと思ってやってきたものの……ま、同じ伊豆諸島の島だしねー」

 

 

 青鸞としても、特に何かを目的にこの島に来たわけでは無い。

 父の手記に挟まっていた地図が気になったことと、後はいろいろと考えたいことがあったのだ。

 1人で来たのには、そう言う理由もある。

 

 

 この時点で彼女が考えることと言えば、まず自分のことだ。

 枢木青鸞、名前ばかりの枢木家の当主。

 財産などの管理もキョウトの大人達がしているので、まさに名前だけだ。

 そんな当たり前のことも、今まで考えたことも無かった。

 ただ勘違いしてほしく無いのは、別にマイナスに考えてそう思っているわけでは無い。

 

 

「財産とかはどうでも良いけど、逆に言えば有効活用できてないってことだから……ね」

 

 

 お行儀が悪いかな、と思いつつ指先についたパンくずを舐め取る。

 岩から飛び降りて、お尻に敷いていたハンカチとサンドイッチの包みの布を手に取り、再び丘陵を下るように歩き出す青鸞。

 その間にも、彼女は周囲を散策しつつ考えを続けた。

 

 

 考えることがあるとすれば、他には日本解放戦線のことだろう。

 解放戦線は今、纏め役を欠いている。

 トップである片瀬を失い、コーネリア軍に拠点間のラインを潰され、統一した行動が取れずにいる。

 

 

「正直、ボクの名前だけじゃ集められないのは事実なんだよね」

 

 

 まがりなりにも少将の地位を得ていた片瀬とは、名前だけでも意味も重みも違う。

 ナリタを失った日本解放戦線の残党は、大きく分けて行動を3つに分けることが出来る。

 まず1つは黒の騎士団に吸収されるパターン、これが3分の1。

 そして2つ目はコーネリア軍に潰されるか降伏するパターン、哀しいが現実にあることだ。

 

 

 最後の残り3分の1が3つ目だ、あくまで反体制派として活動を続けるパターン。

 青鸞が現在日本解放戦線として認識しているのはここだが、先に言ったように統一された活動は行えていない。

 それこそ青鸞の名前だけでは動かせない、このままでは分裂してしまう。

 何とかしなければならないのだが、これがなかなか難しい。

 

 

「黒の騎士団に参加する……のも手ではあるけど、ただ参加するだけでも……」

 

 

 仮に参加するとしても、それではただの「保護」だ。

 それでは駄目だ、それでは日本解放戦線の兵達は納得しない。

 新参者の黒の騎士団の兵とのバランスが取れない、青鸞がこの段階で黒の騎士団への参加を躊躇うのはまさにその点だった。

 

 

 どの道、黒の騎士団の中で最大派閥となるのは日本解放戦線の兵だ。

 それを無視して合流することは出来ない、だがあのゼロがそれを認めるだろうか。

 まぁそれも、青鸞が日本解放戦線を再編できれば……の話だが。

 今の所、青鸞にはその手段が無かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 丘陵を下り森に入ると、森の真ん中あたりで少し開けた場所に出た。

 潅木が生い茂る木々に囲まれて隠されていたそこは、地下洞窟のようだった。

 ナリタでも慣れ親しんでいる地下道が奥へと続く洞窟、その入り口に立つ。

 すると気のせいか、風が洞窟内に向かって吹いていて……まるで、吸い込まれそうな錯覚を覚えた。

 

 

「ここ、何だろ。自然に出来たにしては天井高いし……ん?」

 

 

 何も思わずに手近な岩に手をかけた時、青鸞は眉を顰めた。

 そのまま身を屈めて、岩の陰を見る。

 するとそこに、僅かだが何か重い物が沈み込んだような薄い穴が開いていた。

 それを見て、青鸞はますます眉を顰めた。

 

 

「……足跡?」

 

 

 土の盛り上がり方が強く、雨が降った日に重装備の人間がここに入ったのだろうと当たりをつける。

 岩の陰にあったため、それだけが巻き上げられた砂に消されずに済んだのだろう。

 警戒感が急速に鎌首をもたげるが、同時にその足跡がやや古い物であることもわかっていた。

 他の足跡が消えてしまっていることから、おそらく数日は経過しているだろうと思う。

 

 

 しかし例えそうだとしても、誰かがこの洞窟の中に入ったことは間違いなさそうだった。

 洞窟の中に向けて風が吹く中、青鸞は視線を洞窟の奥へと向けた。

 するとどうだろう、奥へ進むにつれて足跡の数が多くなっている。

 足が増えたのではない、最初からそれなりの人数が入り込んだのだ。

 

 

「……さてさて、鬼が出るか蛇が出るか……」

 

 

 無人島の洞窟で、誰が何をしていったのか。

 あるいは、今まさにしているのか。

 純粋な興味と懸念を得て、青鸞は奥へと進んだ。

 

 

 結果として言えば、これは間違いだった。

 

 

 心配せずとも、地下洞窟の中には今は誰もいない。

 この洞窟の奥にあるものを発見した者達はすでに去っており、今は無人だ。

 だから青鸞が奥へ進んでも脅威は無い、しかしある意味でそれ以上の事態が彼女を待ち受けていた。

 しかし二度に渡る「彼」との接触によって芽吹きかけた「それ」が、確実な目覚めを得てしまうことになる。

 

 

「……これ、人工物……?」

 

 

 緩んだ土を踏みしめる音と、天井の岩から滴り落ちる水滴の音、そして少女の息遣いだけが響く時間がしばらくの間続いた。

 しかし地下道は、それほど長くは続かなかった。

 その代わりにすぐに行き止まりに来た、断層がうねるように重なった地層の壁だ。

 

 

「扉……?」

 

 

 だが、地上の光がほとんど届かないそこには明らかに自然物では無い何かがあった。

 スカートの中、太腿に縛ったバンドから取り出したペンライトを振り、それを下から上へと照らしていく青鸞。

 断層を切り取って築いたようにも見えるそれは、石造りの両開きの扉だった。

 

 

 足元の階段を――これもやはり自然物では無い――ゆっくりと登り、それに近付く。

 やはり扉だ、暗くて全体像は見えないが間違いない。

 材質は石だろうか、かなり古いことはわかるが……どんな技術で作られたのかはわからない。

 ペンライト片手に顔を近づけてみても、考古学に造詣が深いわけでも無い青鸞ではさっぱりだった。

 

 

「何か、書いてある?」

 

 

 いや、描かれていた。

 明かりが小さいのでやはり全体像はわからないが、幾何学的な模様が刻まれていた。

 何故か、それが妙に気になった。

 だから青鸞は特に何を感じるでも無く、それこそその場の好奇心でもって。

 ――――それに、触れた。

 

 

「ん……?」

 

 

 ザラザラとした扉の表面に触れると、青鸞の顔が疑問に歪んだ。

 それは違和感となって身体に現れる、そして次の瞬間。

 血が、ザワめいた。

 

 

 そう感じる程の感覚が、突如身体の中を走ったのである。

 扉に触れた手が離せない、ペンライトを落とし、膝が崩れ落ち、触れた手の爪を削るように扉を引っ掻いた。

 額に脂汗が流れる、身体が震え出して止まらなくなる、息が出来ない。

 それらが全て、一瞬の内に起こった。

 

 

「あ、ぐ……。あ、ぁ……!」

 

 

 熱だ。

 熱が生まれる、血の源から、左胸の奥からそれはやってきていた。

 心臓から流される血の温度が突然200度上がったかのような熱が、一気に全身を駆け巡った。

 熱い、熱い、熱い。

 脳裏に浮かぶのはそれだけだった、視界が赤いのは熱のせいか、それとも扉が輝いているのか。

 

 

「な、なに……これは、なに……?」

 

 

 足元を失う浮遊感、頭の中でガンガンと声が鳴り響く、強烈なイメージが脳に直接叩き込まれるかのような痛みが数秒刻みで襲い掛かってくる。

 意味がわからない、何も考えられない、何が起こったのかわからない。

 誰か、助けを呼ぶ声はそれ以上の感覚によって焼き切られそうだった。

 

 

 脳に叩き込まれるのはイメージだ、グチャグチャの情報が一方的に叩きつけられる、整理されていないそれはもはやただの暴力だった。

 イメージは複数、人、声、光、白、女、影、言葉――――……。

 熱い、痛い、胸が、頭が痛い、死ぬ、死んでしまう、頭が痛い――左の胸が、痛い!

 

 

「……あつ、ぃ……!」

 

 

 うなされる熱病患者のような声で、石の扉に額を押し付けた青鸞が呻く。

 その声は、扉の模様が放つ薄く赤い輝きの中で哀しげに響いた。

 身体が、熱い。

 肌が焼かれるようなその痛みに、少女の目から涙が零れた。

 

 

「……あつい……よ、ぉ……!」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 海中、潜水艦の中、その一室。

 潜水艦と言う本来なら狭苦しいはずの空間なのに、その部屋は意外と広い。

 しかし今は、そんなことは問題にならない、何故ならば。

 

 

「何……?」

 

 

 その部屋の中央に佇み、呆然とした表情を浮かべる少女こそが、この場における全てだったからだ。

 長い緑髪と白の拘束着が特徴的な彼女は、C.C.である。

 ルルーシュとナナリーの住むクラブハウスに居座っている彼女は、いつも冷然としていた。

 驚くことも動揺することもなく、むしろ見た目に反した落ち着きを持って事に当たっていたはずだ。

 

 

 しかし今、彼女は呆然とした表情を浮かべて天井を見つめている。

 天井には何も無い、だが彼女はまるでその先が見えているかのように見つめ続けている。

 瞳は驚愕に見開かれ、風も無いのに髪が揺れている。

 そして揺れる前髪の間から覗く額に、痣のような赤みがさしていた。

 いや、それは痣では無い。

 

 

「まさか、V.V.か……いや、そんなはずは無い。アイツは今……なら、誰だ。誰が動かした……?」

 

 

 軋む感情をそのまま表したかのような、頼りない声。

 今まで聞いたことが無い程の動揺が、そこにあった。

 室内に響くその声に応じる者はいない、だがC.C.はまるで誰かと話してでもいるように。

 

 

「お前達じゃない……? なら、本当に……?」

 

 

 誰と話しているのかは、わからない。

 だがC.C.の動揺は相当のものらしく、彼女はヨロめくように一歩を下がった。

 発作が徐々に緩んでいく病人のように、深い吐息を幾度も漏らして。

 

 

 そんな彼女の額には、ある刻印が浮かび上がっていた。

 赤く、額に刻まれたその印は、呪いだ。

 少女の額に痛々しく刻まれた、その印は……。

 ――――羽ばたく鳥のような、そんな形をしていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ……気が付くと、扉から手を離していた。

 手を離し、膝立ちになって「何か」を見上げていた。

 その「何か」が何なのか、それはわからない。

 ただ仰ぎ見るように、闇の中で「何か」を見上げていた――――……。

 

 

「……あ」

 

 

 ビクッ、と身を震わせて、ぺたりとお尻を床につけた。

 スカートが汚れてしまうが気にはしない、ただ焦点が微妙に合っていないガラス玉のようだった瞳に、その震えは生気を戻してくれた。

 まるで、抜けた何かが戻るかのように。

 

 

 ぼんやりとしていた意識も、次第にはっきりしてきた。

 弛緩したように動かなかった筋肉も動くようになり、青鸞はこめかみに指を押し当てながら軽く頭を振った。

 その時、顔に当てていた側の手に何かが飛ぶのを感じた。

 

 

「……?」

 

 

 もう片方の手で、暗闇の中で床を探る。

 幸い、それ程離れていない位置で落としたペンライトが指先に触れた。

 気だるげな吐息を漏らしながらライトを照らし、手指についたそれを見た。

 

 

 赤い、液体。

 乾いていないそれは、血だ。

 引き攣ったように息を止めて、ゆっくりと顔に触れる。

 すると両頬が濡れていた、涙のように目尻から零れ落ちるようにして。

 いわゆる血の涙、だった。

 

 

「えっと……えーっ、と……」

 

 

 普段なら腰を抜かして仰天する所かもしれないが、今は妙に身体の反応が鈍い。

 それに見る限り、血と言うよりは血混じりの涙と言った方が正しいようだ、それでも大事だが。

 熱で脳のどこかが焼き切れてしまったかのように、今の青鸞の反応は鈍かった。

 左の胸の奥が、ズクン、と脈を打ったような気がした。

 

 

 その時、異変が起こった。

 いや、異変と言うのは正しくないのかもしれない。

 それは洞窟の中では無く、外で起こった変化だったからだ。

 洞窟の中にもその兆しがわかる、大型ジャンボ機が付近を飛行している時のような重厚感のある音が外から響いてきたからだ。

 

 

「こ、今度は何……?」

 

 

 青鸞のその疑問に答えるためには、視点を外へと向けなければならない。

 彼女がいる地下洞窟の直上、空にそれはあった。

 船である。

 そう、空飛ぶ船がそこにあった。

 

 

 御伽噺でもない、ふざけているわけでも無い。

 スタイリッシュなフォルムの戦艦が、空を飛んでいたのである。

 海でも地上でもない、空を。

 白い船体に黄色のトリミングを入れたカラーリングで、船体中枢を守るかのようにオレンジの装甲が陽光を反射していた。

 

 

「シュナイゼル殿下、予定より僅かに遅れましたが、到着致しました」

「うん、まぁ初めての長距離飛行にしては上手くいった方なんじゃないのかな」

 

 

 艦橋、一番高い位置に設えられた豪奢な椅子に座る男が、副官の報告に柔和に微笑した。

 金髪紫眼、スラリとした長身に柔らかな物腰、高位の皇族しか纏うことを許されない特別な紫の衣装。

 襟の高く丈が長い白い上着に身を包んだ彼は、どうやらその場で最も高い地位にいるらしい。

 

 

 艦橋には彼の部下の他に、エリア11では割と知られた顔が何人かいた。

 副総督であるユーフェミアがいる、シュナイゼルの権限で設立された特派の人間であるロイドとセシルがいる、そして――――……特派のデバイサーであるスザクが、どこか居心地悪そうな様子でそこにいた。

 椅子に座る男はそんな彼の様子が面白かったのか、品良く苦笑を浮かべていた。

 

 

「楽にしてくれて良いよ、枢木卿。ここにはキミの出自や人種を気にする人間はいないからね」

「は、いえ、あの……自分はまだ騎士ではありません、そのようなお気遣いは、その……」

「ああ、わかっているとも」

 

 

 楽にしてくれ、えてしてそう言う人間を前にして楽に出来る人間はいない。

 スザクはその1人だった、第一、彼はまだ「枢木卿」などと呼ばれるような身分を得てはいない。

 確かにナイトメアのパイロットは尊敬の念を込めて騎士と呼ばれるが、スザクは名誉ブリタニア人であって、どちらかと言えば「ランスロットのパーツ」として扱われているのだから。

 

 

 おまけに、今回は相手の身分が高すぎるのだ。

 何しろここにいるユーフェミアはおろか、トーキョーにいるコーネリアよりも上位の存在。

 それが、彼……シュナイゼル・エル・ブリタニアと言う男だった。

 神聖ブリタニア帝国第2皇子にして帝国宰相、あのブリタニア皇帝を補佐する人物なのである。

 正真正銘の、次期皇帝候補。

 

 

「ただ、ランスロットの開発の後ろ盾をしている私としては、キミにも幸せになってほしいからね」

「はぁ……」

 

 

 どう返答をしたら良いかわからず、曖昧に頷く。

 ロイドはいつも通りヘラヘラしているし、セシルも流石に緊張気味だ、ユーフェミアだけはニコニコといつもの様子で笑顔を浮かべていたが。

 ともかく反応に困る、それがシュナイゼルに対するスザクの感想だった。

 

 

 ――――それに、と、思う。

 艦橋のメイン画面の向こう、断崖絶壁に切れ込みが走ったかのような洞窟を見つめながら彼は思う。

 自分は……。

 

 

(僕は、幸せになってはいけない)

 

 

 脳裏に1人の少女を思い浮かべながら、スザクはそんな救いの無いことを考えていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 現在、ルルーシュは黒の騎士団の規模拡大に動いていた。

 これには概ね2つの意味がある、1つは単純な組織の巨大化である。

 何しろ総勢65万とも言われるコーネリアエリア11統治軍と戦って勝利しなければならないのだ、兵力はあればあるに越したことは無い。

 

 

 もう1つは、黒の騎士団内部で急速に数を増しつつある日本解放戦線系列の兵に対する抑えだ。

 彼らの中にはルルーシュ=ゼロに対して忠誠・信頼を持っているわけでは無い、多くは藤堂のように「ゼロの才覚は有益」と判断して従っているに過ぎない。

 正直、配下としては扱いにくい兵達だった。

 特に四聖剣の朝比奈などは、隙あらば平然と独自行動を取りそうである。

 

 

(規模の拡大を急ぐためには、多少の主義主張の不一致は無視する必要があったが……)

 

 

 キョウトから供出させた黒の騎士団専用の潜水艦の通路を歩きながら、ルルーシュは黙して今後の戦略を考えていた。

 表情は黒の仮面に覆われて見えないが、仮面の下では必ずしも得意満面な表情を浮かべているわけでは無かった。

 むしろ、組織としての黒の騎士団は危機的な構造問題に直面していると言えた。

 

 

 元々、黒の騎士団と日本解放戦線では主義主張が微妙に違う。

 しかもお互いに「ナリタで助けてやった」「新参者の素人集団のくせに」と微妙な心理戦を繰り広げている、組織の中に組織があるような状態だ。

 黒の騎士団が日本解放戦線を吸収した、と言うより、黒の騎士団「と」日本解放戦線が同じ拠点で活動しているような状態なのである。

 

 

(青鸞がいてくれれば、それも少しは和らぐのだが)

 

 

 青鸞がいれば問題が解決すると言う意味では無い、ルルーシュが青鸞を信じていると言う心理的な意味だ。

 藤堂や朝比奈に心を許すルルーシュでは無いが、青鸞ならばあるいは、と言う意味だ。

 少なくとも、彼女ならば無断でルルーシュの背中を刺したりはすまい。

 朝比奈あたりなら平然とやりそうだ、ブリタニアを倒すと同時に返す刀で、などと言うのは。

 

 

 つまり彼は今、ゼロとしては黒の騎士団内で日本解放戦線閥に伍するだけの自派閥の数を必要としていて、ルルーシュとしては青鸞を必要としているわけである。

 この2つを手に入れることで、黒の騎士団は一応の完成を見ることだろう。

 元々、日本解放戦線上層部を崩壊させ、兵力と資源だけそっくり頂くのが計画だったのだから。

 

 

「C.C.、いるか?」

 

 

 ――――……まぁ、しかしである。

 ここに一つ、心理的な齟齬が存在することも忘れてはならない。

 つまり、青鸞の「ルルーシュへの信頼」がそのまま「ゼロへの信頼」にはならないと言うことだ。

 その点の解決策については、実際に青鸞が騎士団に合流した際のルルーシュの振る舞いにかかっていると言えよう。

 

 

「……どうした? 部屋の真ん中でぼんやりとして」

 

 

 ゼロ専用の部屋に入り、仮面を取りながらルルーシュはC.C.の横を通り過ぎた。

 ちなみにこの潜水艦は今日が初めて――試験航行は別として――の航海である、訓練も兼ねてナイトメアと人員を積み、トーキョー湾を抜けて伊豆半島近海の海中を進んでいる所だった。

 ちなみにC.C.が何故ここにいるのかと言うと、「ルルーシュを守るため」だそうだ。

 おかげで存在が騎士団の団員にバレたが、まぁ問題は無い。

 

 

「おい、C.C.」

 

 

 別にお喋りしたいわけでは無いが、こうまで公然と無視されると苛立ちもする。

 改めて声をかけるが、部屋の真ん中に立っているC.C.の反応はやはり鈍かった。

 その代わり、どこか胡乱げな、面倒事が増えたと言わんばかりの顔でルルーシュを睨んできた。

 

 

「ルルーシュ」

「……何だ?」

 

 

 いつになく苛立ちのこもった声に、内心で首を傾げる。

 ルルーシュはC.C.が嘲笑したり悲しんだりする所は見たことがあったが、八つ当たりのような怒りを向けられたのは初めてだった。

 まさか、ピザが無いことに対して不満があるわけでもあるまい。

 

 

「お前の女が1人、危機に陥っているぞ」

 

 

 何やら凄まじい偏見と誤解に塗れた言葉に、ルルーシュは思い切り顔を顰めた。

 妹に朝帰りを叱られてもここまででは無いだろう、それはそんな顔だった。

 しかし彼のそうしたある種の余裕は、C.C.の次の言葉で一挙に失われることになった――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そこは、酷く非現実的な場所だった。

 石造りの祭壇のみが、夕焼けのように赤い空の上に浮いている空間。

 現実的では無い、どこか実感の湧かない世界。

 

 

 その祭壇に、1人の老人が立っている。

 いや、彼は本当に老人なのだろうか?

 髪こそ白髪で、顔に刻まれた深い皺は年齢を感じさせるが、眼光は鋭い。

 傲然と反り返った厚い胸板、この世でただ1人だけが着ることを許された豪華な衣装とマントに包まれたその身は老いによる衰えなど感じていないかのようだった。

 

 

「ほぉう……」

 

 

 夕焼けの世界で、その老人が感嘆するような声を上げた。

 重厚感のあるその声は、まるで空間全体に響き渡るかのようだった。

 しかしその空間も、今はどこか揺らいで見える……。

 

 

「やはり、彼の地か……」

 

 

 血のように赤い空を見上げながら、老人は呟く。

 その目はどこか遠くを見ていて、目の前の現実を映していないように見えた。

 

 

「嬉しい誤算、だ。……なぁ、マリアンヌよ……」

 

 

 その老人の名は、シャルル・ジ・ブリタニア。

 世界の3分の1を領有する大帝国、神聖ブリタニア帝国の頂点に君臨する男。

 彼はそう言って、彫りの深い顔に笑みを浮かべたのだった。

 

 




採用衣装:
相宮心さま(小説家になろう)さま提供:学生服風の服。
ありがとうございます。

 はい、今話でもしかしたら、この物語に青鸞がどう関わるのかが見えてきたかもしれません。
 現実世界と超常世界、2つの世界で戦うのがこの「コードギアス」の世界の特徴。
 理由・背景・展開、これから先は私にも予測できません。
 さぁ、頑張るぞ!
 というわけで、次回予告……今回は何と、魔王様にご登場頂きます!


ルルーシュ=ゼロ:
『俺の女の1人だと? C.C.め、相も変わらず意味のわからないことを。

 彼女はそんな存在では無い、だが無視も出来ない。

 ゼロとしても、ルルーシュとしても。

 ナナリーに友人を失わせないためにも、俺は行く。

 待っていろ、青鸞。

 スザク、お前が彼女を守らないと言うのなら……』


 ――――STAGE18:「仮面 の 皇子様」



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STAGE18:「仮面 の 皇子様」

ルルーシュが皇子様になります、いや元からですけど。
途中、若干ですが性的描写がございますので、ご注意ください。

なお、来週は月金の2回更新予定です。
では、どうぞ。


 伊豆諸島、地外島。

 すでに日が沈み、島と海には静かな夜が訪れている時間。

 しかしそれとは反対に、島の元枢木邸の一部では賑やかな議論が交わされていた。

 

 

「いくらなんでも遅すぎます、やっぱり探しに行くべきです!」

「いや探しに行くっても、小回りのきく船そんなに持ってないしなぁ」

「それに夜も深い、この状況では危険すぎる」

「あ、案外、探索が長引いてしまって、朝を待ってるだけかも……」

「でも! こんな時間まで連絡も無いのはおかしい!」

 

 

 彼らが議論しているのは、夜になっても戻らない青鸞を探しに行くかどうかだ。

 実際、予定されていた時間になっても青鸞が帰って来ないのである。

 それ故にどうするかを話し合っているのだが、カゴシマへの移動の準備作業も平行して進めているため手が足りないのである。

 感情と事情、状況と理屈、雅が見守る前で議論は終着点を見出せないままに続いていく。

 

 

(青鸞さま、いったい何が……)

 

 

 決着しない議論を見るのを初めてでは無いが、雅はそれ以上に嫌な予感を覚えていた。

 青鸞に、自分が仕えるべき本家筋の少女の身に。

 何か、取り返しのつかない何かが起こっているのでは無いかと。

 

 

 ……一方で、議論の中心点にいる青鸞は確かに危機にあった。

 だがそれは雅達の心配しているような危機であると同時に、それ以外の、もっと根本的な危機でもあった。

 対外的な危機と、「体」内的な危機と言おうか。

 そして今、彼女を直接的に危機に陥れているのは前者だった。

 

 

「……は……っ……」

 

 

 どこか足を引き摺るようにしながら、青鸞は夜の森を駆けていた。

 低い木々の間から見えるのは美しい星空だが、今はそれに見入っている余裕は無かった。

 どうもいつものようには身体が動いていくれないらしい、どこかもどかしげな動きだった。

 

 

 細い枝や草花を散らしながら進む少女は、しきりに後ろを気にしている様子だった。

 そして後方から響く音や声が思ったより近いことに気付くと、一旦足を止めた。

 手近な木の根元に指先を入れて掘り始める、数十センチ程掘った後、砂で汚れたブレザーの中から小さな端末を取り出して素早く埋めた。

 それを確認してから、再び走り出す。

 

 

「……ッ!」

 

 

 しばらく駆けた時、頭上で葉が擦れる音がした気がした。

 いつもより格段に鈍い動きで、しかし確実な判断を行った。

 頭上の木の枝から飛び降りてきた男の回転蹴りを、両腕を交差させて防ぐ。

 

 

「く――――!」

 

 

 ぎしり、と腕が軋む音が身体の中に響いて、しかも堪えきれずに青鸞は背中から地面に倒れた。

 不味い、と思った時にはもう遅い、起こしかけた上半身に圧迫感を感じたためだ。

 具体的には、強く踏み込まれた足によって。

 

 

「青鸞……」

「……!」

 

 

 スラリと伸びた足の先、聞き覚えのある声が耳朶を打った。

 顔を上げれば、雲から顔を出した月明かりが彼の姿を照らしてくれる。

 そしてそこにいたのは、色素の薄い茶髪と琥珀の瞳の少年。

 

 

「……これが、結果だ」

 

 

 彼はどこか哀しげな瞳で、己の妹を見下ろしていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その無人島には、「神根島」と言う名前が与えられていた。

 最近ブリタニア軍によってある遺跡が発見されるまでは、そもそもその存在すら知られていなかった島である。

 その神根島に、シュナイゼルと飛行戦艦『アヴァロン』はいた。

 

 

「ふむ、やはり一晩では遺跡の調査も完全とはいかなかったね」

「だから言ったじゃないですか、ガウェインのドルイド・システムは完璧じゃないって」

「貴様! 殿下に対して何と言う口の聞き方を!」

 

 

 あくまでも柔和に笑うシュナイゼルは、傍で頭を掻く白衣の男、ロイドの言葉にも特に気にした様子も無かった。

 何しろ相手は第2皇子にして帝国宰相、いくらロイドが伯爵とは言え身分が天と地程も違う。

 それを前にしても態度が変わらないロイドが凄いのか、それともそんな無礼を平然と受け流すシュナイゼルの器が大きいのか、おそらくは両方であろう。

 

 

 しかし周囲はそうもいかない、現にバトレーと言う小太りの将軍は唾を飛ばしながらロイドに怒鳴っていた。

 彼は元々クロヴィスの配下だった男だが、ジェレミアにクロヴィス暗殺の責任を問われて本国送りにされ、そこでシュナイゼルに拾われたのである。

 クロヴィスがエリア11で調べていた、この神根島の遺跡の情報を手土産として。

 

 

「構わないよバトレー、今回のことは私が彼に頼んだんだ。無駄骨を折らせてしまったのだから、無理も無いさ」

「殿下、しかし」

「まぁまぁ……それに、私は昨晩の調査でますますこの遺跡に興味を持ったよ」

 

 

 シュナイゼルはそう言うと、遺跡の構成素材の解析や文化分析、情報・電子解析を行ったナイトメアを見上げた。

 そのナイトメアは巨大なアームに掴まれ、今まさに白とオレンジの艦体を持つ空飛ぶ戦艦『アヴァロン』に収容されている所だ。

 黒の装甲色を関節部などの金色が彩るその機体は、他のナイトメアの倍は巨大だった。

 

 

「父上もこう言う物に興味がおありのようでね。しかしそうか、クロヴィスが……」

 

 

 少しだけ目を伏せた後、シュナイゼルは後ろを振り向いた。

 優美さを失わないその姿は、たとえ無人島の奥地にあっても変わらない。

 断崖絶壁の裂け目のようなその場所は、遺跡への入り口だ。

 中にはすでに相当数のブリタニア兵が入っていて、運び込んだ機材の回収作業を行っている。

 

 

「ところで……」

 

 

 漆黒の巨大なナイトメアが艦底部の格納庫に収容される様子を見上げながら、ロイドは視線だけでシュナイゼルを見やった。

 どんな時でも笑みを絶やさないその横顔に、ロイドは目を細める。

 

 

「あの子、どうするつもりなんです?」

「ん? ああ、そうだね。一応、コーネリアとは昨日の内に話したんだけど……」

 

 

 今気付いた、と言うような表情を作るシュナイゼルは、顎に指を当てながら首を傾げた。

 するとその時、彼は何かに気がついたように笑みを浮かべた。

 ロイドもそちらへと視線を向ける、しかし彼はシュナイゼルとは逆に顔を顰めた。

 何故ならそこには、アヴァロンからこちらへと足早に向かって来るユーフェミアの姿が見えたからで。

 さらに言えば、可愛らしいその顔を怒りで真っ赤にしていたからである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 アヴァロン下層の通路を、スザクは歩いていた。

 特派の茶色の制服に身を包んだ彼は、背筋を伸ばして足早に歩いている。

 その顔は、どこか強張っているように見える。

 

 

 何故なら彼が歩いているのは、いわゆる独房だったからだ。

 航空戦艦、つまり戦争を想定した船である以上、敵の捕虜を一時捉えておく牢と言うのは備えておいてしかるべきものだ。

 ただそれだけなら、スザクもそこまで嫌な気分にはならなかっただろう。

 

 

「……ん?」

 

 

 その時、彼は何かに気付いたような顔をした。

 と言うのも、独房が続く通路の中央付近にブリタニア兵がいたからだ。

 いや、独房が使用されている今は見張りがいるのは当然だが、立ち止まる必要は無いだろう。

 しかもどこか、妙にニヤついているような気もする。

 

 

「何をしているんですか?」

「うぉ!? も、申し訳――――って、何だよ名誉か、驚かせるなよ」

 

 

 不意にかけられた声に怯えて謝りかけた男は、そこにいるのがスザクだと知ると急に態度が大きくなった。

 それ自体は別に珍しいことでは無いので、スザクは今さら気にしなかった。

 しかし彼の前に立ち顔を横へ、つまり鉄格子の内側へと向けたことで様子が変わった。

 

 

「……ッ」

 

 

 瞬間的に顔に朱が差したスザクは、すぐに顔を横へと逸らした。

 独房の中にいる少女の肌を見ないようにするための処置であって、概ね紳士的であったと言える。

 ましてそれが兄と妹となれば、ある意味では当然だ。

 顔を背けた際、先程まで顔をニヤつかせていたブリタニア兵と目が合う。

 普段はあり得ないことだが、スザクはその男の胸倉を掴んだ。

 

 

「――――貴方は!」

「ま、待てよ、俺が脱がしたわけじゃねぇって。朝になって最初の見回りに来たら、アイツが勝手に拘束着を脱いでて……危ないと思って」

「牢の中の婦女子の、何が危ないと!」

「テ、テロリストだぜ、何をするかわからねぇだろ。だから、見張りだよ見張……ぐぇっ」

 

 

 妹に不埒な真似を、と言うより、女性に対して不誠実なことをした点について怒っているのだろう。

 怒りの色に染まる琥珀色の瞳に、男は相手が「たかが」名誉ブリタニア人であることを一瞬、忘れた。

 だからだろうか、今度こそ本気で怯えた顔を見せた彼をスザクは突き飛ばすようにして放した。

 たたらを踏んで、銃で武装しているはずの男は丸腰のスザクを怯えを含んだ目で睨む。

 

 

「な、何だよ、やっぱイレヴン同士、庇うの……」

 

 

 かよ、と言う最後の声は言葉にならなかった。

 何故ならスザクは視線の圧力を強めたからで、今にも殺しに来るのでは無いかと思える程だった。

 

 

「失せろ……!!」

 

 

 身体の体重を爪先にかけながらのその言葉が、決め手だった。

 ブリタニア兵の男はそのまま何かを言いたそうな顔をしつつも、結局は何も言えずに通路の向こうへと駆けて行った。

 ――――この後に起こるだろう事態を思うと、溜息を吐きそうなスザクだった。

 

 

 ただ、間違ったことはしていないと言う気持ちがスザクの胸を晴らせていた。

 捕虜の扱いについてはもちろんのこと、婦女子への節度を守れたからである。

 それは人種問わず、男としての規範(ルール)であるはずだから。

 

 

「……えーっと……」

 

 

 しかし、彼の凛々しい行動もそこまでだった。

 そこから先はノープランであって、大体にして独房の中に視線を向けることも出来ないのである。

 何故ならそこには、どうやったのかは知らないが――拘束着を脱ぎ、素肌を晒して床の上で眠る妹がいたからである。

 

 

 実の所、7年前に別れた彼は妹の、青鸞のその癖を知らなかったのだ。

 つまり、まぁ、その……一瞬とは言え、見てしまった、いろいろと。

 それ故に声もかけにくく、スザクはこの状況を打破する方策を考え続けることになった。

 なお、彼がセシルを呼ぶと言う行動に思いが至ったのは6分23秒後のことである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ブリタニアにおいて犯罪者には2種類ある、ブリタニアの国法で裁かれる犯罪者と各エリアの政庁の権限で裁かれる犯罪者だ。

 ナンバーズ、つまりこの場合は青鸞だが、エリアの外に原則出れない植民地出身者は各エリアの総督権限内で裁かれることが決まっている。

 

 

 よって、枢木青鸞と言うテロリストはあくまでエリア犯罪者として裁かれなくてはならない。

 それはつまり、青鸞についてはコーネリアの差配で裁かれると言うことだ。

 皇族誘拐まで行った彼女は裁判の手続きを踏まずとも死刑が決まっている、そして総督であるコーネリアはその処刑を兄である枢木スザクに命じたとして、法的には何の問題も無い。

 例えユーフェミアがシュナイゼルに上申したとしても、それが変更されることはあり得ない。

 

 

「…………」

 

 

 居心地悪そうにお尻の位置を直しながら、そのエリア犯罪者である所の青鸞を鉄格子の向こうを睨んでいた。

 先程までセシル・クルーミーと言う女性士官に着替えを世話されると言う恥を晒していた彼女だが、今は別の少年と向かい合っている。

 相手は青鸞と違って、立っているのだが。

 

 

 鉄格子の向こうから哀しげな瞳を向けてくるのは、スザクである。

 昨日、日が沈んだ頃に自分を追い詰め、こうして牢にブチ込んでくれた相手だ。

 そうしておいてどこか哀しそうに見下ろしてくるのだから、正直に言ってタチが悪い。

 ただ、何故か微妙に気まずげな顔をしているのは……何か、いつかの藤堂を思い出させる。

 

 

「……あのさ」

「…………」

「……何か、用?」

 

 

 正直、そこにいられると非常にやりにくい。

 具体的には、脱獄とかが。

 大人しくトーキョーまで連れ戻されるつもりは毛頭無い、処刑される気もサラサラ無い。

 なので、独房の前で立たれると非常に邪魔なのである。

 

 

「満足でしょ、こうして犯罪者が捕まって、正当な裁きとやらにかけられるわけだから」

「……キミは罪を犯した、裁きは仕方が無いよ」

「ブリタニアの皇族を誘拐したから? これがもし他の誰かだったりしたら、裁判官はボクに死刑を言い渡したのかな」

「それは……それでも、罪は罪だよ」

「罪、ね」

 

 

 ――――ここでもし、コーネリアを擁護するのであれば。

 スザクにこうまで踏み絵を強いる彼女の心理について、説明しなければならないだろう。

 結論を言えば、コーネリアはスザク自身の意思でランスロットから降りて欲しいのである。

 名誉ブリタニア人の忠誠云々は、建前に過ぎない。

 

 

 コーネリアの価値観は、あくまで「守るブリタニア人と守られるナンバーズ」なのである。

 だからそれを崩すスザクを彼女は認められない、ナイトメアから降りて欲しいのだ。

 スザクを守られる側に戻すために、無理難題を命令していると言う側面があるのだった。

 しかし残念ながら、スザクはそうした並みの精神でランスロットに乗っているわけでは無い。

 その意味で、スザクはコーネリアの思惑を潰しているわけである。

 

 

「罪、か……」

 

 

 罪、言葉にすればたった一言で終わるその言葉。

 その言葉を問いかけるのであれば、それこそ青鸞はスザクにこそ言いたかった。

 

 

「兄様……兄様はどうして、あんなことをしたの?」

 

 

 スザクの罪、父殺し。

 今でも夢に見るあの情景、忘れることなど出来ない。

 例え、父ゲンブがナナリーを殺そうとしていたのだとしても。

 桐原との政争はともかく、その点に関してはまだ確証が無いのだから。

 

 

「…………」

 

 

 細かな説明などいらなかった、この2人の間で「あんなこと」と言えば一つしか無いのだ。

 青鸞の静かな瞳が、スザクの瞳を射抜いていた。

 そうして、見詰め合うこと数秒。

 先に視線を外したのは、青鸞の方だった。

 自分の膝を見つめるように俯いて、呟くように言う。

 

 

「……良いよ」

「青鸞、僕は」

「良いよ、何も言ってくれないなら。もう、良いよ……」

「僕は……」

 

 

 スザクの顔が、苦渋に歪む。

 鉄格子に手を添えるその姿は、何かを言おうとして、それを断念しているようにも見えた。

 何かを言いたいが、言えない、そんな風に見えた。

 

 

 唇を何度か戦慄かせては、泣くように俯く青鸞の姿に閉ざす。

 それを何度か繰り返して、それでも何かを決めて顔を上げた時。

 アヴァロン全体が、鈍く揺れた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「おやおや、これは……」

「し、シュナイゼル殿下にユーフェミア殿下! お下がりください!」

 

 

 バトレーの声が響き渡る中、ユーフェミアとの話の最中だったシュナイゼルは、流石に少し驚いたような声を上げている。

 その視線の先にアヴァロンがあることには変わりが無いが、最新鋭の航空戦艦は今は周囲の森から放たれる白い煙に覆われつつあった。

 煙幕である、もちろんシュナイゼル護衛のブリタニア軍が放ったわけでは無い。

 

 

 となれば、それはブリタニアと戦う反体制派によって成された作戦だとわかる。

 そしてシュナイゼルの聴覚には、周囲に展開されているサザーランド部隊に犠牲者が出る音や声を正確に捉えていた。

 相手もナイトメアを保有している、そしてエリア11でナイトメアを保有している組織と言えば。

 

 

「1番隊と2番隊は左右両翼から敵軍を半包囲、鶴翼(かくよく)の陣で包み込め!」

『承知!』

『任せてください、藤堂さん』

 

 

 月下、紅蓮弐式の量産機とも呼べるその機体――彼の機体のカラーリングは黒で、頭部から伸びた赤い髪のような繊維が特徴的――に乗り、神根島のブリタニア軍を急襲したのは藤堂が率いる部隊である。

 主力は日本解放戦線の部隊、1番隊は朝比奈が、2番隊は仙波が率いている。

 敵軍の後背を衝こうとしているカレンの零番隊を除けば、陣容はほぼ解放戦線そのものだった。

 

 

「良し、このまま……」

『そうは、させない!』

「ぬぅっ!」

 

 

 各部隊への命令を終え、自身も目前のサザーランドを月下の刀で――峰部分にブースターを装備している加速刀――斬り伏せた所で、藤堂は頭上から斬りかかってきた白のナイトメアに足止めを受けた。

 ランスロットである、青鸞のいる独房から走ったスザクが、発艦と同時にアヴァロンに迫っていた藤堂の本隊の迎撃に来たのだ。

 赤く輝く西洋剣が、無骨な日本刀と衝突して火花を散らす。

 

 

「スザク君か!」

『……! その声、藤堂さんですか!?』

 

 

 チョウフにもいた白兜、アレに乗っている人間を藤堂は知っている。

 そしてそれだけに、藤堂の表情に苦い物が浮かんだ。

 一方で、藤堂の命令に従ってすでに作戦は動いている。

 

 

「アレかい、ゼロの言ってた航空戦艦って奴は……」

 

 

 突然訓練航海のコースを改めて、昨夜未明からこの島に先行潜入しているはずの男、ゼロ。

 その男から船の存在を事前に知らされた時、朝比奈はゼロの言動を欠片も信じていなかった。

 空飛ぶ戦艦である、御伽噺かと思った。

 しかし森の中、木々を倒して作ったらしい開けた場所に停泊している船は確かに浮いていた。

 

 

 まぁ、正直……突然この島に行くと聞かされた時は、内心で反発を覚えた。

 協力するとは言ったが、部下になるとは言っていない。

 チョウフから救ってくれた分の仕事はするが、頭ごなしにアレをやれコレをやれと言われるのは我慢ならなかった。

 それでも朝比奈が月下を駆ってここにいるのは、藤堂の指揮下であることと……。

 

 

「待っててね、青ちゃん。今、助けるから、さ……!」

 

 

 青鸞の存在である、ゼロによれば、青鸞があの戦艦の中に捕らわれているらしい。

 そうなると、流石に無視は出来ない。

 航空戦艦を中心に方円陣を敷く敵軍を引きずり回すように森の中を駆けながら、朝比奈は1番隊の仲間たちに言った。

 

 

「さぁ、僕らの青姫さまを助けに行くよ!」

『『『承知!』』』

 

 

 兵の3分の2は解放戦線出身者だ、だから彼らは皆青鸞のことを良く知っているのだ。

 だから、素直に助けたいと思う。

 ゼロがどうやってその情報を得たのかについては不審な点もあるが、今はとにかく戦わなければ。

 無頼を超える機体である月下に乗り、刃がチェーンソーのように回転する廻転刃刀を抜刀して、朝比奈達は目の前に立ち塞がったサザーランド部隊に突っ込んで行った。

 

 

 一方で、スザクが出撃した後のアヴァロン内部は慌しくなっていた。

 遺跡調査に使用したナイトメアの回収作業は9割終了していたものの、それ以外の部隊の収容がまだだったからである。

 タラップも下ろした状態で積荷も半分を地上に残している、そもそもシュナイゼル達の帰還が無ければ浮上して逃げることも出来ないのだから。

 

 

「ち、名誉のくせに……見てろよ、名誉がブリタニア人にデカい顔をしたらどうなるか……」

 

 

 そんなアヴァロン下層の通路の一つに、朝方スザクによって青鸞の独房の前から叩き出された兵士の男がいた。

 所謂「お楽しみ」を邪魔されたわけで、しかも名誉ブリタニア人如きに大きな顔をされて、彼の機嫌は斜めを通り過ぎて真横になりつつあった。

 

 

 彼のいる下層は静かだ、艦橋や対空砲などのセクションは忙しいだろうが、アヴァロン全体としてみれば、まだそれ程の警戒感を持っていない場所もあると言うことだ。

 そうは言ってもテロリストとの戦闘が外で起こっているのだ、イレヴンに負けるはずも無いが、とにかく艦底格納庫に向かうようにと放送が……。

 

 

「ちょっと捕虜の裸見たくらいで、やっぱ名誉も所詮はイレヴン、野蛮っつーかよ」

『そうか、それは災難だったな』

「あ?」

 

 

 ブツブツと呟いていた彼に、突然相槌を打つ者が現れた。

 

 

「……な!?」

 

 

 格納庫へ通じる通路の角を曲がった時、彼は誰かと鉢合わせた。

 兵士か技術者だろうと思って顔を上げた彼の顔が、急に引き攣った。

 そして手に持っていた銃器を向け、何事かを叫ぶよりも早く。

 

 

『――――死ね』

 

 

 絶対遵守の命令が、彼の瞳に飛び込んで来た。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 船が断続的に揺れ続けている、青鸞はその揺れの法則に覚えがあるような気がした。

 まぁ、覚えがあるとは言っても、戦場独特のそれとしかわからないが。

 まさか救援が来たとも思えない、しかしブリタニア軍に何者かが攻撃を仕掛けているのは間違いが無かった。

 

 

「はぁい、クルルギさん? ちょっと移動して貰えるかしらぁ」

 

 

 スザクが焦った顔で立ち去ってから、さてどうやって逃げようかと考えていると、チャンスが向こうからやって来た。

 チャンスと言えるかは、まだちょっとわからないが。

 化粧の濃い20代後半か30代前半くらいの女性兵士が、銃を持ったブリタニア兵2人を後ろに従えて独房までやって来たのである。

 

 

 どことなく蛇を連想させる容貌のその女性兵士の話を総合すると、要するに「戦時規定によってより厳重な特別房に移送する」と言うことだった。

 戦時と言うのは外のことだろう、いずれにしても牢から出れるならチャンスであると言えた。

 問題は銃を持った2人と、ここを脱したとして外へどう出るかだが……。

 

 

「はい、壁の方を向いて、手を後ろに回して貰えるかしらぁ」

 

 

 とりあえず、今は言う通りにすべきか。

 壁の方を向いて手を後ろに回す、銃を構える音と同時に独房の鉄格子が開く音が聞こえた。

 せめて武器か……それに準ずる物があれば、と思う。

 チュウブの村で使った刀とまでは言わなくとも、何かあれば。

 

 

「ふふ、イイ子だから大人しくしててねぇ」

「…………」

 

 

 特に返答はしない、カチャカチャと言う音は女性兵が青鸞の拘束着のベルトに触れている音だろう。

 やけに背中に密着してきているような気もするが、これも特に気にしない。

 この間にも頭の中でいろいろと考える、脱出の方法を。

 まずはこの女性兵を盾にすべきか、いやおそらくもろとも撃ち殺されて終わりだ。

 であれば、やはり銃が欲しい所だが……などなどだ。

 

 

「……アナタ、可愛い顔してるわねぇ」

「…………」

「うふふ、強情なのねぇ。でもそう言うコ、キライじゃない――――わ、よ?」

「……ッ」

 

 

 息を呑んだのは、急に腕の拘束用ベルトを強く締められたからだ。

 両腕の付け根に痛みを感じて、流石に後ろを向いて軽く睨んだ。

 ……すると、予想外に近い場所に女性兵の顔があった。

 香水の匂いが思ったよりキツく、顔を顰める。

 

 

 一方で、女性兵はそんな青鸞に笑みを見せていた。

 ベルトで締めた青鸞の腕を引いたまま、まさに蛇が獲物を見つめるかのようなねっとりとした視線で少女の耳元に顔を寄せる。

 ルージュが濃く引かれた唇から、湿り気のある吐息が青鸞の頬に吹きかかる。

 

 

「ひっ……!」

 

 

 その青鸞の頬に朱が差したのは、腰の下に熱を感じたためだ。

 女の細い手指が、微妙な力加減で青鸞のお尻を撫でている。

 後ろに回した腕をベルトで持ち上げられているため、自然と腰を突き出す姿勢になっていた。

 やわやわと触れられる感触に、ぞわり、と少女の身体に冗談でなく悪寒が走った。

 

 

「な、何……を」

「うふふ、どうしたの? 移送前に身体検査をするのは当たり前でしょう?」

「し、身体って……」

 

 

 それはもちろん、そう言うこともあるのだろうと思う。

 しかし別に背中に密着してお尻を撫でる必要性は無いはずだ、

 つまり、完全に趣味の世界だ。

 

 

「ごめんねぇ、前にいたコがね? 危ないモノを持ってて私刺されちゃってぇ」

 

 

 そのまま死んでいれば良かったのに、と青鸞は心の底から思った。

 そしてこの女性兵を刺した女性――たぶん、女性だろう――に心から賛辞を送った。

 

 

「だから、こうして……隅々まで、調べないといけないのぉ。ごめんなさいねぇ?」

「……ぁ……ッ」

「うふふ、敏感なのね、可愛いわぁ……」

 

 

 サワサワと撫でていた手がぎゅっと肉を掴んで来て、少女の身が無自覚に跳ねた。

 腕のベルトを締めていた手は、脇の下から前へと移動してきた。

 いつのまにか壁に頬を押し付ける形になっていて、背の高い女性兵に覆いかぶさられている。

 胸元、肋骨の上……成長途上の柔らかさを堪能するかのようにゆるゆると女性兵の指先が蠢く。

 

 

 拘束着の上からお尻を撫でていた手が太腿の上を擦るように滑り、足の付け根の部分に伸びてきた時、青鸞の屈辱感と羞恥心は最高潮に達した。

 拷問とは種類の違う恥辱、これは覚悟とか訓練とか、そう言う物ではどうにも出来ない。

 せめて声を上げて楽しませることも無いと、唇を噛んで耐える。

 

 

「ふふ、まだまだ検査は始まったばかりよぉ? この後、服を脱いで……ハダカになって、オクのオクまで、私に見せるの。アナタが、自分で……ね?」

「…………ッ」

「うふ、震えちゃって……本当に可愛い、死刑なんてもったいないわぁ」

 

 

 その様子を牢の外から銃を構えて2人のブリタニア兵が見ていた、2人とも男性である。

 彼らは今朝の覗きとは異なり、どうやら一般的な礼節を持っていたようである。

 止めるつもりも無いようだが、せめてもの配慮として顔を背けていた。

 どうやら、女性兵の性癖についていけていない様子である。

 

 

 その時、独房の続く通路のある一方を向いたブリタニア兵が怪訝そうな顔をした。

 通路の向こうに別のブリタニア兵がいたのだ、しかも銃を構えている。

 ここに他に兵が来るなど聞いていない、だから彼らは確認を取ろうとして。

 

 

「……ぎぇっ!?」

「ぐはっ!?」

 

 

 次の瞬間、アサルトライフルの数十発の弾丸が彼らの身体を引き裂いた。

 血飛沫を上げて転がる2人の兵、それに驚いたのは女性兵だ。

 何事が起こったかと、今まで堪能していた柔らかな少女の身体を離す。

 そしてその瞬間、身体を好きにされていた青鸞は牙を剥くことに決めたらしい。

 

 

「――――こんの」

 

 

 その場で身体を回し、後ろ回し蹴りの要領で踵を女性兵の脛にぶつけた。

 濁った悲鳴を上げて、女性兵の顔と身体が下がる。

 小さな跳躍、引いた左足の代わりに右足を前に、そして。

 

 

「ババァ――――ッッ!!」

 

 

 普段は絶対に使わない汚い言葉で罵倒して、その顔面を蹴り飛ばした。

 鼻骨が砕ける音と共に鼻血が噴き出し、床の上を3回転して通路に出て、壁に後頭部を激突させて気絶した。

 ビクビクと震える女性兵に、ふんっ、と目尻の雫を飛ばすように青鸞は鼻を鳴らした。

 

 

 ……そこで急速に冷静になって、青鸞は腕のベルトを解こうと身を揺らしながら通路を見た。

 撃ち殺されたブリタニア兵、誰が撃った?

 そう考えている間に別のブリタニア兵が駆け込んできた、銃を持っている、警戒する青鸞。

 しかしその警戒は、ブリタニア兵の後に続いてやって来た存在のおかげで弛緩することになる。

 彼は、表情の見えない黒の仮面の表面を少女へと向けて――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 遺跡の入り口がある方向、つまりはシュナイゼルやユーフェミアのいる方角を背にしてスザクは戦っていた。

 スザクはアヴァロン内部の異変などには気付くことも無く、藤堂が乗っているらしい黒いナイトメアとの戦闘を続けている。

 

 

 それは、既視感を伴う戦闘だった。

 7年前までスザクは藤堂の道場にいたにだ、そこで手合わせしたこともある。

 もちろん、子供の自分が勝てたことなど一度も無い。

 だが、今の自分と……ランスロットならば。

 

 

「藤堂さん! ゼロの軍門に降るなんて……貴方らしくも無い!」

『ゼロに降った覚えなど無い、私は今も日本の解放のために動いている!』

「こんなことをしても無意味です、皆に認められない方法なんて……!」

『無意味、か……キミは、青鸞にも同じ事を言ったらしいな』

 

 

 藤堂の機体の剣の柄が飛び出す、武装にスラッシュハーケンを仕込んでいたらしい。

 スザクは後退しつつそれをいなした、そして跳躍、まるで舞うように空中で7t弱あるナイトメアが回転した。

 そしてコックピットブロックの両サイドから赤く輝く剣を抜いて振り下ろす。

 

 

「やるな……!」

 

 

 自身の専用機の中で藤堂が感嘆する、昔からスザクは剣の天才だと思っていたが、その才能はむしろナイトメア戦で発揮されるものだったらしい。

 驚異的な反射と動体視力、大胆さと度胸、まさにナイトメアパイロットになるために生まれてきたかのようだ。

 

 

 制動刀のブースターを噴かし、加速した刀でランスロットのMVSを受け止めた。

 2機の間で火花が散り、メインモニターが自動で光量を落としてパイロットの目を守る。

 強い、心からそう思う。

 だからこそ、惜しいと思うのかもしれない。

 

 

「どちらが正しいか――――それは、誰にもわからない。故にこそ、剣を持つ者は常に!」

 

 

 藤堂が黒の騎士団にいるのは、チョウフでの恩と利用価値への期待からだ。

 そしてもし、青鸞が黒の騎士団に参加するのであれば。

 藤堂としては、騎士団の中で日本解放戦線の再編を行っても良いと思っている。

 青鸞がそれを望むなら、朝比奈などは喜んでそうするだろう。

 今の青鸞ならば、あるいは……と、思っているからだ。

 

 

「己の掲げる正義に、胸を張らねばならない!」

『誰かに認められない正義なんて!』

「認める者はいる、それは……己だ!!」

 

 

 剣は、抜けば血を見ずには収まらない。

 だから理由が必要だ、剣を抜いても良いと思える理由が。

 それが正義であり、大義であり、目的であり、結果なのだ。

 

 

「他者の剣を無意味と断じる今のキミは、青鸞に開く口を持たないはずだ」

『……!』

 

 

 スザクが息を呑む気配が伝わってきた、藤堂は笑みを浮かべる。

 そうだろうな、スザク君。

 ナリタでの自分が、そうだったのだから。

 

 

 だから彼は、今こそ決めた。

 もし青鸞が黒の騎士団への参加を決め、再び自分と見えることがあるのならば。

 その時こそ、藤堂は話す。

 ――――枢木ゲンブの、もう一つの「真実」を。

 

 

『藤堂さん! ゼロから撤退の信号が!』

「何? しかしまだ……アレは!?」

 

 

 その時、藤堂は見た。

 航空戦艦――初めて見た時には流石の藤堂も度肝を抜かれたものだが――の船底部が、爆発したのを。

 新たな揺れが、戦場を震わせた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そのナイトメアは、巨大だった。

 サザーランドより2mは大きい、漆黒の装甲に金のトリミングが施された独特のフォルム。

 両肩の砲門に、そして最も特徴的なのは緑灯を灯す真紅の翼。

 見るからに、普通のナイトメアでは無い。

 

 

 その機体が今、アヴァロンの艦底部を破って外へと飛び出してきた。

 船が飛ぶだけでなく、ナイトメアが飛ぶと言う前代未聞の事態に黒の騎士団側の通信回線が一時賑やかになるが、それ以上に騒然としているのはブリタニア側だった。

 何しろそのナイトメアがアヴァロンを破壊した時点で、乗っていいる人間がブリタニア軍では無いことがわかっていたからだ。

 

 

「どろぼぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 

 特にロイドの絶叫が酷かった、何しろ自分の開発したシステムで飛んでいる機体なのだ。

 ランスロット程では無いにしろ、それなりに愛着があったのだ。

 

 

『ふふふふ……ふふはははははははっ、素晴らしい!!』

 

 

 そのロイドの絶叫を嘲笑うかのように、そのナイトメア――『ガウェイン』のコックピットの中に仮面の男の高笑いが響く。

 巨体故に複座になっているコックピットには、2人の人間がいる。

 1人はルルーシュ=ゼロ、仮面の反逆者である。

 

 

 彼が何故、ブリタニア軍のナイトメアに乗っているのか?

 理由は単純だ、強奪したのである。

 アヴァロン内部の内通者の協力を――彼のギアスで強制的に――得つつ目標の人物を確保した後、格納庫で偶然発見したガウェインを奪ったのだ。

 ちなみに内通者は置いてきた、今頃はアヴァロンのブリタニア兵に討たれている頃だろう。

 

 

「…………」

 

 

 一方で、ゼロの足元……複座の操縦席の下側に座っている青鸞は、彼のように高笑いする気分にはなれなかった。

 彼女は白の拘束着の上にゼロの黒いマントを羽織らされている、肩身が狭そうと言うか、居心地が悪そうと言うか、くすぐったい心地だった。

 

 

 独房で危機を――生命と貞操の両方――救われて、そのままあれよあれよと言う間に強奪したナイトメアのコックピットに運び込まれた。

 何故か、姫抱きで。

 正直、ゼロの自分に対する扱いがどこかおかしいと思うのは自分だけだろうか?

 

 

「えーっと、ゼロ? 助けてくれたことには、ありがとうを言いたいんだけど……」

『礼などいらない、私がキミの居場所を見つけられたのは偶然なのだからな』

 

 

 それは、ルルーシュ=ゼロにしては陳腐で、しかもあまり正しくない言葉だった。

 確かに彼が青鸞の居場所を見つけられたのは、偶然と必然の要素が複雑に絡まった結果だ。

 まず島の特定、これは何故かC.C.が指定してきた。

 理由は教えてくれなかった、まぁ、いつものことではある。

 神根島と言うらしいが、そこに何故かブリタニア軍がいた。

 

 

 後は必然だ、ルルーシュ=ゼロのギアスで適当な兵士から情報を得て、事態を知った。

 明け方に付近に潜んでいた黒の騎士団の部隊に連絡を取り、その間にブリタニア軍の警戒網に巧みに穴を開け、そして知った。

 ここに、誰がいるのか。

 

 

(シュナイゼル、まさか貴方がいるとはな……!)

 

 

 ガウェインのモニターの一つに、その人物は映っていた。

 どうやらユーフェミアもいるようだが、そちらはそちらで良い、重要なのはシュナイゼルだ。

 現在、ルルーシュ=ゼロが最も会いたい人間の1人。

 それも直接、「目」と「目」を合わせて。

 

 

(直接会えば聞き出せる、母さんのことを!)

 

 

 ルルーシュ=ゼロには、それが出来るの力がある。

 戦術目標はクリアされたが、戦略目標としてはこれ以上無い獲物だ。

 藤堂達はすでに撤退したが、何なら今から連絡して。

 

 

「ねぇ、ゼロ」

 

 

 急激に昂揚した感情を、少女の声が鎮めた。

 ルルーシュ=ゼロは、仮面を通して自分の下に座る少女を見た。

 おかっぱの頭がくるりと回り、黒曜石のような自分を見上げてくる。

 

 

「助けてくれたことには、本当に感謝してる。でも教えてほしい、どうしてボクを助けてくれたの?」

『キミを救うのに、理由が必要か?』

「…………」

 

 

 そう、必要ない。

 ルルーシュにとって青鸞と言う少女をブリタニアから救うのに理由はいらない。

 ただ当たり前のように、青鸞を救う。

 

 

 ただしそれはルルーシュとしての視点であって、ゼロとしての行動の理由付けにはならない。

 特に親しい友人に対する時、ルルーシュはしばしばそれを混同する。

 それが力の原動力でもあるのだが、この場合は別の意味をもってしまう。

 

 

『キミを救うのに理由などいらない、いや、理由ならあるにはあるか……理由の無い善意など、悪意と何も変わらないのだからな』

 

 

 それは、皇子と言う生まれがそうさせるのかもしれない。

 理由の無い善意よりも、利益のある善意の方を信じる彼ならではの。

 だがそれもまた、混同ではあるのだが。

 

 

「理由は何? 解放戦線が欲しいから?」

『ある意味では、そうだ』

 

 

 そこは素直に頷く、青鸞が何故かほっと息を吐くのが気にはなったが。

 しかし包み隠さず、ルルーシュは告げた。

 

 

『私にはキミの助けが必要だ、枢木青鸞。私がキミを救う理由があるとすればそのためだ』

「えっと、つまり?」

『キミが欲しい、と、そう言っている』

「…………」

 

 

 また沈黙した、何故かルルーシュ=ゼロが青鸞を勧誘する類のことを言うと彼女は沈黙してしまう。

 仮面の中でルルーシュ=ゼロは眉を少しだけ顰めた。

 眼下の青鸞は、いつの間にやら前を向いている。

 というより、俯いている……何故だろうか?

 

 

 青鸞としては、ゼロの言動はいちいちくすぐったい。

 人材として勧誘されているような気もするのだが、何故かそれだけでは無いようにも感じる。

 むしろ、人間として誘われているような……いやいや、まさか。

 そんな馬鹿な、ゼロの年齢は知らないが15の娘を相手にそんなことはしないだろう。

 だから気のせいだ、頬が若干熱いのも……。

 

 

『ちっ、時間切れか……』

 

 

 その時、ゼロが舌打ちをした。

 理由は、地上のサザーランド部隊がガウェインに向けて砲撃を始めたからだ。

 空を飛ぶガウェインに、実体弾が擦過して爆ぜる。

 その衝撃に、青鸞が小さく悲鳴を上げる。

 

 

「ど、どうするの? 何だか割と凄い数だけど」

『問題ない、先程スペックデータは確認した。この機体のもう一つの武装を使う』

「もう一つ?」

『ああ、未完成のようだがな』

「それ大丈夫なの!?」

 

 

 問題ない……妙に自信たっぷりにルルーシュ=ゼロが告げる。

 彼は手元のタッチパネルを操作すると、機体制御をオートにしつつ両肩の砲門を開いた。

 機体内のスペック・レポートを流し読んだ、それによればこの兵器は未完成、砲撃のエネルギーが収束できないのだという。

 だが、発射は出来る……それで十分だった。

 

 

『消え失せろ』

 

 

 エネルギー充填60%で、ルルーシュ=ゼロはそれを――ハドロン砲のトリガーを引いた。

 収束されない赤黒いエネルギーが、拡散されて地上部に降り注ぐ。

 すでに黒の騎士団が撤退した戦場、その場にいたブリタニアのナイトメア部隊が赤黒い砲撃エネルギーの次々と貫かれ、引き裂かれていった。

 

 

 ルルーシュ=ゼロの高笑いが響くコックピットの中で、青鸞は目を見開いている。

 機体を傾けた先、ハドロン砲のエネルギーの爪痕が地上を引き裂く様を見ていたからだ。

 ブリタニアの技術力に、そしてそれを平然と使うルルーシュ=ゼロの胆力に驚かされてしまう。

 

 

「あ、あ~、収束してないハドロン砲をそんな風に撃ったら……き、来たあああああああぁぁっ!!」

「で、殿下ぁ!」

 

 

 ロイドとバトレーの声が響く中、シュナイゼルは小さく首を傾げていた。

 拡散したエネルギーの一つが自分に向かってくると言うのに、随分な余裕である。

 これでせめて、ユーフェミアのように身を竦めていれば良かっただろうに。

 

 

『危ない!!』

「――――スザク!」

 

 

 ユーフェミアが声を上げると、白のナイトメアがすかさず彼女らの前に立った。

 そして両腕のシールド機構を開き、半透明の緑のエネルギーの盾で赤黒い砲撃を受け止める。

 収束されていれば無理だっただろうが、流石に拡散したエネルギーの一部であれば受け止め切れた様子だった。

 まぁ、それでも一撃でシールド機構が火を噴いたのだが……。

 

 

『ふん、流石だな白兜』

 

 

 それをモニターで確認したルルーシュ=ゼロが鼻を鳴らす、彼の視線は今、シュナイゼルとランスロット……つまりスザクに向けられていた。

 彼はアヴァロンの人間から情報を得ている、よって青鸞を捕らえたのは誰かと言うのも知っていた。

 仮面の下、ルルーシュの瞳に炎が揺れる。

 

 

(スザク、お前が青鸞をあくまでブリタニアに差し出すと言うのならそれでも良い。だが、お前がそうするのなら……)

 

 

 ガウェインを戦闘空域から離脱させながら、ルルーシュは心の中でスザクに告げた。

 眼下、本来スザクが守るべき少女を視界に収めながら。

 

 

(……青鸞は、ナナリー共々俺が守る!)

 

 

 告げられた言葉は、当然誰の耳にも届かない。

 しかし1人の少年の心の中には確かに響き、それは新たな誓約となった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 伊豆諸島南部の洋上で2隻の潜水艦が浮上していた、1隻は漆黒の艦体、黒の騎士団所有の潜水艦だ。

 そしてもう1隻は幅広で濃い灰色の艦体をしており、日本の国旗がペイントされていた。

 こちらは旧日本軍の最新鋭潜水艦「くろしお型」で、戦後ブリタニアの追跡を逃れつつ亡命や大陸からの物資運搬などに従事している船だ――現在で言えば、青鸞達のカゴシマへの移動に協力している。

 

 

 前後逆、交差するように邂逅したその潜水艦の上にはそれぞれ十数人の人間が並んでいた。

 一方は扇やカレン達黒の騎士団のメンバーであり、もう一方は青鸞を救出に来た――まぁ、それより先にナイトメアで空を飛んで逃げて来たわけだが――雅や山本達である。

 そしてその2隻の中間、黒のインフレータブルボートの上に青鸞はいた。

 

 

『それでは青鸞嬢、次に会う時までお元気で。ただ、出来れば次はブリタニア軍とは関係の無い所で』

「は、はぁ……」

 

 

 その上でゼロと握手している青鸞だが――今回は特に身体に変調は無い――何とも、ゼロに対してある種の苦手意識を持っているようだった。

 苦手と言うよりは、何だか微妙な気分を感じているのかもしれない。

 しかし救われた以上、言うべきことは言わなければならない。

 

 

「……ゼロ」

 

 

 白の拘束着の上に羽織ったゼロのマントが海風で靡くのを指先で押さえながら、青鸞はゼロの表情の無い仮面を見つめた。

 おそらく目を合わせているのだろう、ゼロは仮面を僅かに傾けた。

 

 

「2度も救われた以上、貴方の要請に対して保留を続けるのは誠実では無い、と考えます」

『気にする必要は無い、今回のことは偶然なのだから』

「いえ、その言葉だけで十分です」

 

 

 小さく首を振り、握手を解いた手を胸に当てる青鸞。

 

 

「もちろん、全体としては皆と協議してからのことですが、個人的に、黒の騎士団に協力することに異議は無い、と、ここでお伝えしておきます」

『こちらこそ、その言葉だけで十分だ』

 

 

 ゼロの声が若干上ずったように聞こえたのは、気のせいだろうと思う。

 しかし青鸞は個人として、少なくとも黒の騎士団とゼロに協力することは吝かでは無かった。

 問題は日本解放戦線と言う名称についてだが、これについては皆で話し合う必要があるだろう。

 もちろん、個人の恩義を自分についてきてくれている人々に押し付けるわけにはいかない。

 

 

 その時、青鸞は自分を見つめる視線があることに気付いた。

 いや、見つめられていると言えばその場にいる全員なのだが、視線の質が違ったのだ。

 どこか、射抜くような……飢えた狼に観察されているような、そんな視線。

 

 

(……?)

 

 

 その視線の元を辿れば、黒の騎士団のメンバーの中にそれはいた。

 端の方で目立たないようにしている様子だが、それだけに逆に目立っていた。

 何しろ、今青鸞が着ているのと同じ拘束着を身に着けているのだから。

 

 

(誰……?)

 

 

 その少女を見た時、左胸の奥が僅かに脈打ったような気がした。

 長い緑の髪に金に輝く瞳、白磁の肌に……無表情。

 ただ、瞳だけが輝きを放って自分を観察している。

 

 

 正直、怖かった。

 理由はわからない、だが青鸞は彼女を「怖い」と感じた。

 その感情の理由を彼女が知るのは、やはりもう少し先の話――――……。

 




採用兵器:
黒鷹商会さま(小説家になろう)提供:くろしお型潜水艦。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 そして最初に言っておきます、私は無実です。
 私の処女作第二部を読んで頂いた方はご存知かもしれませんが、私は全年齢版で主人公とヒロイン(で、合ってるはず)をラブラブさせた実績(?)があります。
 そんな私からすれば、この程度、造作も無い……!(言葉の遣い方がおかしい)。
 ふ、通報される日も近いかもしれませんね(え)。

 そしてルルーシュ=ゼロ、凄まじく皇子様です。
 でも天然です、無自覚に落としていくタイプだと思うのですよね。
 と言うわけで、次回予告です。
 次回もシリアスで行くぜー!


『父様の昔を知る人がいる。

 桐原の爺様や藤堂さんが話すよりも、以前の父様を知っている人。

 ボクはその人に会いに行く、そこに父様の真実の欠片があると思うから。

 だから、行こう。

 真備島へ――――』


 ――――STAGE19:「ゲンブ の 影」


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STAGE19:「ゲンブ の 影」

今週は月金の投稿になります。
では、どうぞ。


 9月下旬、島に一つだけある小さな船着場に彼はいた。

 踏めば軋む木造のそこに立ち、首にかけた小さな双眼鏡で水平線を窺っている。

 古ぼけた小さな漁船が停泊しているだけのそこは、煙にも見える朝靄に覆われていた。

 

 

 やや頬のこけた顔、だが対照的に身体はガッチリとしていて、肌は赤銅色に焼けていた。

 小柄だがそう見えないのは、骨格と筋肉がしっかりとバランスよくついているからだろう。

 使い古された黒のタンクトップにカーキ色のカーゴパンツを着用しており、どこか現場労働者然とした雰囲気を漂わせている。

 

 

「……ふぅ」

 

 

 水平線の向こうに何も無いと確認したのか、彼は息を吐いた。

 それはどこかほっとしているような、それでいて残念そうな、そんな吐息だった。

 そして彼が踵を返して島に戻ろうとした、その時。

 

 

 パシャリ、と、水が跳ねたような音が響いた。

 

 

 男が驚き振り向くと、船着場下の海水の中から誰かが這い上がってくる所だった。

 てっきり船か何かでやってくると思っていたため、足元を見るのを忘れていた。

 その人物はまず上半身を押し上げ、足を船着場の床板に乗せて身体全体を上げた。

 身体にフィットするダイビングスーツのおかげで、その人物が女性であることがわかる。

 いや、女性と言うより発育途上の少女と言った方が正しいだろう。

 

 

「おお……」

 

 

 男が息を呑む前で、その少女が男の前に立つ。

 顔を覆うゴーグル越しの視線が、男を静かに見つめていた。

 凹凸の未発達な少女の身体を覆う濃紺のダイビングスーツは、脇の下から腰にかけてのラインが薄青で、腰に幅の太いベルトを巻いたデザインになっていた。

 そして少女がゆっくりとゴーグルを取ると、水分を含んだ黒の前髪が揺れる。

 

 

「……初めまして、いえ、父様の手記によれば1歳頃に会っているそうなのでしたか」

 

 

 朝靄のかかった船着場に、少女の涼やかな声が響く。

 

 

「お久しぶりです、三木の小父さま」

 

 

 その少女、枢木青鸞の言葉に、三木光洋はどこか哀しげに眉を寄せた。

 どこか過去を見るような男の瞳を、青鸞は顎を引いて受け止めた。

 かつて父が最も信頼したと言うその軍人の、何かを諦めたようなその瞳を。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 神根島での作戦からおよそ1ヶ月、この間にルルーシュ=ゼロは2つの大きな変化に直面していた。

 第1にスザクとの関係だ、週に1度のペースで学校に来る彼とはすっかり疎遠になっていた。

 これはルルーシュの側が避けているのであって、直接会えば青鸞のことについてアレコレ言いそうになってしまうためだ。

 

 

 そして第2、こちらはゼロとしての活動も関わってくる。

 ナリタの戦いで、シャーリーの父親が巻き添えになったのは先に説明した通りだ。

 そのシャーリーに、ルルーシュがゼロであると知られたのである。

 原因は、マオと言う青年。

 

 

「……他に、俺以外に契約者はいないのだろうな?」

「ああ、いない」

 

 

 クラブハウスの自室、眠っていないのだろう、ルルーシュの目の下にはうっすらとだが隈が出来ている。

 自室の机に座り、組んだ拳に額を押し付けている。

 そんな彼を、入り口の扉にもたれかかったC.C.が見ている。

 

 

 ルルーシュの力、ゼロの奇跡の源である「ギアス」は、C.C.が与えた物だ。

 そしてマオも、C.C.によって10年前に力を与えられていた。

 C.C.が彼を捨てた理由は知らない、だが「他人の心を読む」力は脅威だったとだけ言っておこう。

 結果として、マオとの争いによってシャーリーがルルーシュの秘密を知った。

 ――――そして、その記憶をルルーシュのギアスによって封じた。

 

 

「…………」

 

 

 珍しく、C.C.はルルーシュに対して毒を吐かない。

 別にマオ――最終的にはC.C.自身の手で殺した――の件で負い目を感じているわけでは無い、

 何故なら、彼女が負い目を感じる必要はどこにも無いからだ。

 自分以外の契約者がいるかと聞かれたことも無ければ、自分以外にギアス遣いがいるかと確認されたことも無い。

 

 

 積極的に話す気も無かったが、消極的に黙っている気も無かった。

 マオの死にしても、感傷的になることはあっても……結局、「契約」を果たさなかったマオの責任だ。

 どうせ死ねば「同じ場所」に行くのだし、C.C.にとってはそれが……。

 ……いや、今は良い。

 

 

「……潜水艦を移動する拠点にするのには、利点もあるが限界がある……」

 

 

 その時、ルルーシュが小さな声でそんなことを呟いた。

 それはゼロとしての言葉であって、C.C.には彼がゼロとしての活動に意識を向けることで現状を抜け出そうとしているように見えた。

 実際、ゼロにとっても今が正念場なのである。

 

 

 日本解放戦線の残党の半数以上を吸収し、自派閥とも言える騎士団のメンバーも増え、さらにキョウトの支援によってエリア11最大の武装勢力へと成長しようとしている。

 結成から僅か数ヶ月、まさに異常な成長速度だ。

 それも、ギアスを用いた「ゼロの奇跡」のおかげと言えた。

 ――――最も、C.C.は似たような手段でより大きくのし上がった男を知っているが。

 

 

「組織を「国」へと発展するには、やはり拠点がいる。拠点に固執するつもりは無いが、日本人の心に訴えかけるような拠点があれば……」

 

 

 そういえば、と、ルルーシュは僅かに顔を上げる。

 青鸞が今、カゴシマにいるのだったな――――と、そう考えながら。

 カゴシマ、旧名サツマ。

 約150年前、当時のトーキョーの中央政権を打倒した歴史を持つ土地。

 そこに、彼女がいるのだったな、と。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 スザクは、戸惑っていた。

 それはもちろん、今までの人生で戸惑ったことが無いなどと言うつもりは無い。

 学校でルルーシュが口を聞いてくれないとか、神根島の一件で青鸞をゼロに攫われたりとか、戸惑うことばかりだ。

 

 

 しかし、これはまた別種の物では無いかと思う。

 ある意味では今、彼は人生最大の危機に陥っていた。

 どのくらいの危機かと言えば、ナイトメアに例えるならばいざと言う時に脱出機構が故障するくらいだ、ランスロットには脱出機能はついていないが。

 

 

「どうかしましたか、枢木准尉?」

「あ、いえ、何でも……」

 

 

 何でも、とは言っても、スザクはどこか居心地悪そうにそのソファに座っていた。

 柔らかな素材のそれはどうも座りが悪く、何度も位置を直している。

 ちなみに彼に話しかけているのはユーフェミアである、場所はブリタニア軍地上空母G1ベースの一室だ。

 皇族にあてがわれるだけあって、高級感のある家具が揃えられている。

 

 

「と、ところで、その……」

「はい?」

 

 

 小首を傾げるユーフェミアに、スザクとしては苦笑いを浮かべる他無い。

 皇女の自室に招かれると言う状況は、実はスザクにとってプラスには傾かない。

 それは先程まで給仕をしていた侍従の目が有体に物語っていた、「名誉ブリタニア人が皇女殿下に何の用だ」と目で語っていた。

 呼んだのは、ユーフェミアの側であるのに。

 

 

 ちなみに何故、この2人がG1ベースで揃っているのかと言えば……エリア11を視察に来たシュナイゼル臨席の下での、統治軍の演習のためである。

 場所はシズオカのヒガシフジ演習場、コーネリア軍の火力戦闘演習だ。

 帝国宰相シュナイゼルにエリア11統治軍の精強さを見せると同時に、最近ウラジオストク方面で不穏な動きを見せている中華連邦への牽制を行うための演習である。

 

 

「いえ、ですからその、自分に用があると言うお話でしたので」

 

 

 ユーフェミアがいるのはもちろん、エリア11副総督としての公務だ。

 あまり軍事には関与しない彼女だが、帝国宰相が来ているのにそれを無視と言うのも不味い。

 それにコーネリアは自ら演習に参加するので、シュナイゼルをホスト出来る身分が彼女しかいなかったと言う事情もある。

 

 

 そしてスザクはと言えば、これも特派のナイトメアの操縦者として演習に参加していた。

 特派はシュナイゼルの指揮下にある組織なので、その成果を見せる意味合いもある。

 今回に限っては、流石のコーネリアも特派を演習場の隅に置いておくだけ、と言うわけにはいかなかった。

 そう言うわけで、ランスロットとスザクもそれなりの活躍を見せたわけだが。

 

 

「あ、はい、そうでした」

 

 

 ポン、と笑顔で手を叩くユーフェミアに、スザクはやはり苦笑いだ。

 正直、自分がここにいるのはユーフェミアの立場からしても良くない。

 演習後に呼ばれて何事かと思えば、部屋に招き入れられお茶を出されてしまった。

 用件があるなら素早く聞いて、なるべき早期に戻る必要がある。

 

 

「私、アレからいろいろと考えてみたんです」

「アレから、と言いますと?」

「チョウフの時からです」

 

 

 ああ、とスザクは頷いた。

 チョウフ事件、青鸞がユーフェミアを拉致し、ゼロと結託して囚人を強奪した事件。

 まぁ、ユーフェミア拉致に関しては世間に出ていないが。

 

 

 ユーフェミアはあの事件で、スザクの妹青鸞と少なくない時間話をした。

 その中で彼女がただの悪人では無いことには確信を持った、そして一方で、総督としてスザクに踏み絵を踏ませようとした姉コーネリアの姿も。

 それら見て、聞いて、そして考えて出した末の結論。

 

 

「枢木スザク准尉、神聖ブリタニア帝国第3皇女ユーフェミア・リ・ブリタニアとして貴方にお願いしたいことがあります」

「はっ、何でしょうか」

 

 

 不意に凛とした空気を纏ったユーフェミアに、スザクも背筋を伸ばす。

 さぁ何だと内心で身構える彼に、ユーフェミアは真剣な表情のまま告げた。

 

 

(わたくし)の、騎士になりなさい」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 真備島と言うその島は、実は一般の地図には載っていない島である。

 無名と言うわけではなく、ただ必要ないので名前が記載されていないのだ。

 青鸞が何故、カゴシマで旧日本勢力と会っている忙しい時間を縫ってこの島にやってきたのか。

 それは、三木光洋と言うたった1人の男に会うためだった。

 

 

「お美しくなられましたな、青鸞お嬢様。とは言っても、私が貴女のお姿を拝見したのは、船着場で言われた通り1歳の頃でしたが」

「……すみません。ああは言ったものの、(ワタシ)にはそのあたりの記憶が無くて」

「はは、無理も無い。貴女は幼かった」

 

 

 ガラスの無い窓の向こう、茶色い畑が見える部屋に青鸞は通された。

 レンガ造りの横長の建物の一室、ガタガタと脚が音を立てる机を挟み、背もたれの無い粗末な木椅子を勧められる。

 勧めてくれたのは20代後半の長身の青年だった、確か前園と言う名前だったか。

 

 

「ありがとうございます」

 

 

 一言お礼を言うと、前園は小さく驚いたような表情を浮かべた。

 しかしすぐに直立の体勢を取って、青鸞の向かい側に座る三木の後ろに立った。

 その後、様子を見ていた三木は感慨深そうに息を吐いた。

 

 

「枢木首相のことを、窺いに来られたとのことでしたな」

「はい」

 

 

 先程も説明したが、真備島は地図に載っていない小さな島だ。

 普通なら誰もいないような島だが、この島には複数の人間が住んでいる。

 何故三木とその部下数名がこの島にいるのかと言うと、有体に言って島流しにされたのである。

 

 

 軍民屯田政策、戦争直後にブリタニアが元軍人などに未開の土地の開拓をやらせた事業である。

 実情は開拓とは名ばかりの強制労働と思想教育であって、三木達はこの真備島に派遣されたわけだ。

 この建物も、元々は日本人……イレヴンの労働者を閉じ込める檻として作られたものだ。

 ただ、それは2年前までの話。

 

 

「父のことを聞く前に、一つ、窺ってもよろしいでしょうか」

「何でしょう、私で答えられることであれば」

「……どうして、今もこの島に留まっているのですか?」

 

 

 青鸞の言葉に、三木は机に肘をつき、静かに目を伏せた。

 ……三木と部下達が島流しにされた軍民屯田政策、実は2年前に終了している政策なのだ。

 しかもカゴシマで得た情報によれば、三木光洋は名誉ブリタニア人資格を有している。

 戦後、片瀬や藤堂などの同僚と行動を共にすることなく……いち早く、ブリタニアへ恭順の意を示した。

 

 

 ある意味、青鸞が好むことの出来ない人物であると言える。

 それでも青鸞が三木自身に嫌悪を抱いていないのは、三木がスザクのように名誉ブリタニア人として他の日本人を虐げていないからだ。

 こんな島にいたのでは、正直、名誉の資格も持っているだけでしかない。

 だからこそ青鸞は聞いた、どうしてこの島に留まっているのかと。

 

 

「……青鸞お嬢様、質問を質問で返すようで申し訳ないのですが」

「構いません、何でしょう」

「お嬢様は、日本を愛しておいででしょうか?」

 

 

 一瞬、意味がわからなかった。

 三木の意図が咄嗟にわからず、青鸞は片眉を上げる。

 しかし質問の意味は明確だった、故に青鸞は即答する。

 

 

「愛しています」

 

 

 背筋を伸ばし、今も日本の各地で独立と抵抗のために戦っているだろう人々を想いながら断言した。

 過去に失われた者も、今を生きる者も、そして未来に存在するものも。

 ブリタニアに支配される前の日本も、ブリタニアの支配を跳ね除けるための戦いを続ける今の日本も。

 今の青鸞は、愛していると言うことが出来る。

 

 

「……良い答えです」

 

 

 何度も頷きながら、眩しそうな顔で青鸞を見つめる三木。

 しかしその顔も、すぐに沈んだものになる。

 陰の差したその顔を、今度は青鸞が首を傾げる。

 

 

 それから、机に肘をついたまま三木は僅かの間黙った。

 目を閉じ、何かに悩むかのように眉間に皺を寄せる。

 そして50秒の後、背筋を伸ばして待つ青鸞に、三木は告げた。

 

 

「私は……」

 

 

 私は。

 

 

「私は、日本に戻りたくないのです」

 

 

 私はもう、日本を愛していない。

 そう、告げた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「お嬢様はおそらく、ブリタニアの支配からの解放でもって、日本人を救おうとされているのでしょう」

「当然です」

 

 

 愛国心を否定されたような心地で、やや固い声で青鸞は応じた。

 少しでも良識を持つ日本人なら、今の日本人の状況を良しとするわけが無い。

 出来るわけが無い、ゲットーを一度でも見たことがある人間ならば。

 

 

 一部の富裕層か特殊技能を持つ名誉ブリタニア人を除いて、日本人の生活は最底辺だ。

 労働は過酷で低賃金、数千万のゲットー住民は一日100円未満の生活しか出来ず、毎日のように治るはずの病気や得られるはずの食糧を得られずに死んでいく人が何百人もいる。

 自分達が作った作物を一口も口に入れられずに飢え死にする農民もいる、親の病を治すべく薬を盗んだ頭を割られた子供もいる、戯れに辱められボロ雑巾のように捨てられる女性もいる――。

 

 

「ブリタニア人だけが優雅な生活を送り、大多数の日本人(イレヴン)は飢えと病で死んでいく……そんな状況を、黙って見ていられるわけがありません」

「……素晴らしい見識です、清廉で、正しい。まるで昔のあの方を見ているようだ……」

 

 

 昔のあの方。

 その人物が誰なのか、何となくだがわかる。

 青鸞の言葉を聞いた三木は、懐かしそうに……そして、苦しそうな顔で目を開いた。

 

 

「あの方も、今の貴女と同じことを語っておられました。汚濁に塗れた政治の世界に身を浸しながら、弱者を救い、貧しいものを救い、この国の不公正を正したいと。私は、そんな理想を掲げるあの方に魅せられ、自分に出来ることなら何でもしようと思っていました」

 

 

 思い出話を語るように、三木は言う。

 そして実際、それは思い出話だった。

 三木がかつて、枢木ゲンブと言う若い政治家に希望を見出していた時代の話だ。

 

 

「お嬢様は今、ブリタニア人だけが豊かな生活を享受するのはおかしいと申されました。全くその通り、私もそう思います。ですが、私には……今のエリア11も、昔の日本も、そう違いがあるようには見えないのです」

「……どういう意味ですか?」

 

 

 声を低くする青鸞に、三木はあくまでも苦しそうな表情で応じる。

 今は豊かなブリタニア人と貧しい日本人と言うわかりやすい構図だが、戦前はもっと救いようの無い構図だったと三木は言う。

 いや、むしろ同じ民族同士での格差だけに戦前の方が醜かったとすら言える。

 

 

 民主主義・平等主義とは名ばかり、キョウトを代表格とする一部の富裕層とエリートだけが豪華な生活を送る中で、今のゲットーのような場所で暮らす貧しい者達もいた。

 政財界はキョウトに掌握され、改革など成されず、豊かな者はより豊かになり貧しい者はより貧しくなる。

 祖国の汚れきった状況に、戦前、三木は絶望を覚えていた。

 

 

「だからブリタニアを打倒し、以前の日本を取り戻そうと誘われても……私は、片瀬少将や藤堂君のように戦う気にはどうしてもなれなかったのです」

 

 

 せめて、と、三木は想う。

 せめて、あのお方が清廉なままでいてくれたなら、と。

 

 

「私にとって唯一の希望だったあのお方も、清廉な理想家だったはずのあのお方も、権勢の座について2年もする頃には変わられてしまった」

 

 

 あのお方、日本最後の首相――――枢木ゲンブが、首相の座に就く前のままでいてくれたなら。

 まだ三木も、日本のために戦おうという気になったかもしれない。

 枢木ゲンブが未来に描く日本を守るために、戦ったかもしれない。

 

 

 だが今は、ただ戻りたくない。

 以前の日本にも、現在のブリタニアに支配された日本にも戻りたくない。

 だから、三木はこの島に留まっている。

 この日本人にもブリタニア人にも忘れられている小さな島で、世界に関わることも無く、ただ静かに過ごして、そして死にたいと思って。

 

 

「だから、私はこの島に留まっているのです。青鸞お嬢様が本当の所、何を求めて私の下を尋ねて来られたのかはわかりませんが……」

 

 

 それ以上のことは言わず、三木は口を閉ざした。

 話すことはこれで全部、そう言う雰囲気だった。

 そんな三木の背中を、部下の前園と言う青年がどこか痛ましそうに見つめていた。

 

 

 そして前園は、その視線を三木の正面にいる少女へと向けた。

 あの「売国奴」枢木ゲンブの遺児、兄の方はブリタニア軍にいると言う。

 前園は軍人として一般的な感性の持ち主だ、故に父兄に対する評価は厳しい。

 しかし一方で、娘に対してはそれ程でも無い。

 

 

(ん……?)

 

 

 そしてその娘、青鸞の表情に、前園は片眉を上げた。

 哀しんでいるのでも怒っているのでも無い、青鸞は笑みを浮かべていた。

 ほんの僅かな微笑、唇を薄く開いた美しい笑み。

 しかし、その瞳には強い輝きが揺らいでいる――――そんな、覇気のある笑みに前園は一瞬とは言え魅入ってしまった。

 

 

 そして、青鸞が三木に返した言葉は一言だけだった。

 たった、一言。

 たった一言、青鸞は自分の倍以上生きている男に対して、こう言った。

 

 

「――――その時、貴方は何をしていたのですか?」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞が真備島で三木に対していると同じ頃、カゴシマにおいて彼女の仲間達もまた動いていた。

 彼らの現在地はカゴシマ・オオスミ半島中央部のタカクマ山地、キュウシュウ南部の武装勢力「葉隠」の拠点だ。

 しかしそれだけでは無い、ここは旧日本の政治家・官僚が密かに集っている地でもある。

 

 

 この山はナリタのように要塞化こそされていないが、カゴシマ租界とカゴシマ湾を挟んで隣接し、またオキナワ・東シナ海を経て中華連邦とも繋がっていると言う立地上の利点がある。

 そしてその山の拠点で、雅は薄青色の着物姿である殿方を歓待していた。

 殿方と言っても、相手は青鸞に会いに来た客であるが。

 

 

「そうですか、青鸞嬢はおられないのですか」

「はい、お帰りは明日の朝になる予定です」

「そうですかそれは残念です、あの方の淹れた抹茶はとても美味だったのですが」

「青鸞さまには及びませんが……」

「いえ、雅嬢の抹茶もまた美味そうです」

 

 

 楽茶碗の中に丁寧に入れた湯と抹茶を茶筅でかき回しながら、雅が応じる。

 タカクマ山の拠点内に設けられた茶室で、男は言葉程には残念がっていない様子で雅の手前を眺めていた。

 実際作法に則って淹れられた抹茶は、なかなか良い色と泡を立てているように見える。

 

 

 彼の名は原口久秀(はらぐちひさひで)、36歳、中肉中背黒髪黒目、切れ長の目以外には大した特徴の無い男性である。

 しかし彼はこう見えて旧日本の与党議員だった男だ、総務・安保委員会に所属していた。

 何故戦犯として裁かれなかったのかと言うと、7年前、戦争の1ヶ月前の補欠選挙で議員になったばかりの「ピカピカの1年生」であったためだ。

 

 

(そして現在は、キョウトが支配するNAC……イレヴンの自治組織NACの暫定議員)

 

 

 原口の顔を横目に茶を点てつつ、雅は想う。

 はたして彼女の主たる少女は、茶の湯一つでこの男を味方に出来るだろうかと。

 しかし今は自分の茶で、青鸞が戻るまでの間を埋めようと思った。

 

 

 そして雅のように静かに戦いを続ける者もいれば、やたらに騒ぐ者もいる。

 タカクマ山の保存林の中、男達の大きな声が聞こえる。

 上半身裸の男達が、綱で作ったリングの中央でがっぷり組み合っている。

 まぁ、つまりは相撲である。

 

 

「おおぉ! 竹下どん、そげな奴に負くいな!!」

「投げ飛ばせぇ!!」

 

 

 やんややんやと声を上げるのは、厚い筋肉に覆われた胸を惜しげもなく外気に晒す男達だった。

 いずれも無精髭を生やしており、濃い胸毛と厚い筋肉と赤銅色の肌が逞しい。

 十数人の男達が囃すように声を上げ、土俵の真ん中で余所者と組み合っている身内を応援している。

 

 

「じゃっどん、あん男もなかなかやうなぁ!」

「ほーじゃほーじゃ、余所者にしてはなかなかやう!」

 

 

 身内の男は彼らの中でもなかなかの力自慢だ、それとがっぷり組み合って一歩も引かない相手のことも彼らは称賛した。

 そのあたり、彼らは非常に公正であるようだった。

 そして土俵の真ん中で筋肉質な男と上半身裸で組み合っているのは大和である、こめかみに青筋を立て、満身の力でもってカゴシマ兵と押し合っている。

 

 

「……ぬぅうん!」

「ぬ、お……!」

 

 

 ジリジリと相手を押し込むその背中は、力と汗に満ちている。

 こちらもこちらでまた、青鸞が戻るまでの一日を持たせようとしているのだろう。

 礼の妹、武の兄、キョウト分家はそれでもって本家を支える。

 なお、もちろん彼らだけでは無いのだが……。

 

 

「ふ、今日はここまでにしておいてやるぜ」

「隊長、物凄くカッコ悪いです……」

 

 

 大和より先に相撲で投げ飛ばされた山本は、木を背中に逆さまに倒れていた。

 そしてそんな山本を、上原が何とも悲しそうな目で見ているのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ここでさらに視点を転じる、シズオカでスザクの前にいるユーフェミアの視点だ。

 彼女はチョウフで、スザクが青鸞と対しているのを見て、哀しくなったのだ。

 兄と妹が戦場で対さねばならない、そんな現状を許すことができなかった。

 いや、そうでなくてもエリア11に赴任してきてからずっとだ。

 

 

 ブリタニア人だけでは無い、あのシンジュクにいたイレヴンの人々のことも。

 本国人と植民地人を区別するのはブリタニアの国是、しかしユーフェミアはブリタニア皇族でありながら、この国是に違和感を覚えていた。

 まさにその国是こそが、ここエリア11のブリタニア人の生命を危機に晒しているのではないだろうか、と。

 

 

「騎士任命は皇族の特権、その人選については皇帝陛下でさえ介入することは許されません。ですから、私が貴方を自分の騎士として任命することに口を挟める者はいないのです」

 

 

 騎士、ここで言う騎士とは単純なパイロットと言う意味では無い。

 コーネリアにとってのギルフォードのような存在のことを言うのであり、皇族個人に忠誠を誓い、これを守護し、支え、傅く者である。

 ある種、毒蛇の蔓延る皇宮において唯一信頼できる味方を作ると言うことでもある。

 場合によっては、皇族同士の騎士が代理決闘を行うこともあるのだ。

 

 

「私の騎士と言うことになれば、お姉さまももう貴方に命令を下すことは出来なくなります。もう、兄妹で争う必要もなくなります」

 

 

 言ってしまえばそれは、欺瞞であったろう、偽善であったろう。

 日本を侵略したブリタニア人、それも皇族が何を言っているのかと笑われもしよう。

 ユーフェミアに、そこまでの力も権限も無いのだから。

 そんな理屈は、ユーフェミアにもわかっている。

 

 

 だからこれは、素直な感情の発露だった。

 結局の所、スザクと青鸞が戦い合い、殺し合う様を見たくなかった。

 だから、彼女はまずそうならないようにしたかった。

 感情、それが彼女の原動力。

 理屈は、後からついてくるもの――まぁ、つまり、考え抜いた結果、勢い余ったと言う形である。

 

 

「……ありがとうございます」

 

 

 スザクは、まず有難いと思った。

 ユーフェミアの言葉の端々から彼女の善意と感情が見えて、本当に有難いと思った。

 彼女の人となりを知り、そしてその上で、彼は。

 

 

「ですが、自分には……そんな大命を配する資格はありません、皇女殿下」

「資格なんて……」

「自分は」

 

 

 彼はいつもと同じ、哀しげな目で微笑した。

 

 

「自分には……僕には、そんな資格は無いのです」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「貴方に、父様に絶望する資格は無い」

 

 

 青鸞は、怒りと言う名の感情を発露していた。

 しかしそれはおそらく、三木の言動が少し前の自分と似ているからだろう。

 違いがあるとすれば、三木がゲンブを知っていて青鸞が知らないと言うだけだ。

 だが、この2人は同じだ。

 

 

 戦い、行動する理由をゲンブに求めながら、しかしゲンブ自身を理解しようとしない所がである。

 その意味で青鸞に三木を批判する資格は無いのかもしれない、だが。

 だが、羨ましいのだ。

 この男は、自分の知らない父の実像を知っているのだから。

 ――――知っているのに、知っていて、何もしなかった!

 

 

「今の日本が、昔の日本と同じ? 栄える者の名前が変わっただけ? 厭世家を気取って、いったい何を見てきた……!」

 

 

 戦前、確かにキョウトや一部のエリートが日本の富の何割かを占有していたかもしれない。

 貧困層もあったろう、それこそ今のゲットー住民のような生活をしている者達もいただろう。

 それをもって、三木は昔も今も根本は同じと言うのだろう。

 

 

 ――――ふざけるな。

 

 

 キョウト出身で、何不自由なく幼少期を過ごした……つまり、富裕層である青鸞が何を言っても、説得力は無いかもしれない。

 しかし言う、ブリタニアの侵攻で貧困層が何倍になったと思っているのか。

 富裕層も貧困層も中間層も無い、ブリタニア人の下で一部を除く日本人は全て貧困層になった。

 三木も……そして、あのスザクも過去と未来を見るばかりで、なぜ今苦しんでいる人を見ないのか。

 

 

「父が権力に堕し、清廉さを失う様を見て絶望した。それはわかる、(ワタシ)だってそう」

 

 

 桐原公の言葉に絶望を覚えた自分もまた、その意味ではやはり差は無い。

 その時の少女の声に何を感じたのか、三木が顔を上げて青鸞を見た。

 

 

「青鸞お嬢様」

「……!」

 

 

 宥めるような声を発した三木に、青鸞は懐から取り出した小さな手帳を投げつけた。

 机の上に叩きつけられたそれは、父ゲンブの手記である。

 権力の座に座った父が、絶望していく過程を記した手記だ。

 「三木と同じように」、絶望していく父の姿を遺した言葉だ。

 それを手にし、中身を見た三木の目が……やがて、驚愕に見開かれる。

 

 

(ワタシ)は……ボクは悔しい。もしこの時、父様の傍にいられたなら、きっと何かをした」

 

 

 何をしたのかはわからない、その場にいなかった青鸞にはわかりようも無い。

 でも、きっと絶望を共有することは出来たはずだ。

 あの時、もし父の傍に絶望を共有してくれる誰かがいれば。

 1人でもいてくれさえすれば、何かが変わっていたかもしれないのに。

 

 

「……父様を知ろうともせず、ただ世の中を憂えて何の行動もしないで、自分の理想を父様に重ねて満足していただけの貴方に、父様を評価する資格は無い」

 

 

 それは、何も知らなかったかつての自分に対する言葉でもある。

 何かを知る努力すらしなかった、過去の自分への決別の言葉だ。

 しかし外見には、年端も行かぬ小娘が喚いているようにしか見えない。

 だからだろう、何も言わない三木に代わって前園が一歩を前に出た。

 

 

「待て、前園」

「しかし……!」

「良いんだ」

 

 

 前園を抑え、しかしそれ以降、三木は何も喋らなくなった。

 後はただ、青鸞に投げつけられた手記のページをめくる音だけが響く。

 その他には、ただただ沈黙だけがあった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 三木が手記を読み終わるまで、青鸞はただ待っていた。

 そして三木が最後のページを読み終わるのを見届けると、静かに席を立った。

 生乾きのスーツにやや不快を感じながらも、何も言わずに扉を潜ろうとして。

 

 

「青鸞お嬢様」

 

 

 疲れたような溜息を吐き、三木が少女を呼び止める。

 立ち止まった青鸞は後ろを振り向いた、そして座ったまま身体を横に向ける三木と目を合わせる。

 その静かな眼差しに、三木は目を細める。

 

 

「……確かに、私は枢木首相に己の理想を見るばかりで、実際には自分で何をしようともしなかった」

 

 

 小さく首を振りながら、三木は述懐するように言う。

 僅かな後悔と膨大な哀愁、十数年の積み重ねがそこにはある。

 軍人としての人生の後半を諦観と絶望で過ごした男の陰が、ありありと映っていた。

 

 

「ですが私は、やはり以前の日本に戻りたくない。貴方のようにかつての日本を取り戻そうと言う気概はもてないのです」

「……ボクは別に、かつての日本を取り戻すために戦ってるわけじゃない」

「では、何のために」

「日本の独立と抵抗のために」

 

 

 それだけを断言して、青鸞は三木を見下ろしていた。

 そもそも、以前の日本をそのまま取り戻すことなど出来ない。

 取り戻すには、時間が経ち過ぎた。

 各地の都市は租界とゲットーとして作り変えられ、フジの山は形すら失い、数千万の貧民で覆われた大地は疾病と貧困が満ち溢れている。

 

 

 極東の経済大国、日本などもう存在しないのだ。

 だから、以前の日本を取り戻すことは出来ない。

 しかしだからこそ、それを日本に押し付けたブリタニアには抵抗しなければならない。

 例えその主張が、強硬派と呼ばれるごく一部の人間にしか認められないのだとしても。

 

 

「この抵抗で、皆で新しい日本を手に入れる――――それが、今のボクの戦う理由!」

 

 

 瞳の奥を輝かせて、青鸞が断言する。

 純粋、しかし汚濁の一部を見てきた上での言葉。

 惨状を超えて修羅場を見、友の喝を受けて進み仲間を得た者の言葉だった。

 

 

「ブリタニアを打ち払った後、どんな日本が生まれるのかはボクにもわからない。ただ一つ言えるのは、それは以前の日本とは違う日本で、また父様や貴方の理想とした日本とも違うかもしれない」

「……あの方と、私の……!」

「自分の理想は、自分で叶える……それを手伝ってくれる人がいたら最高、ボクはそう思う」

 

 

 そう告げる少女の目を、三木はただ目を見開いて見つめていた。

 見事、目はそう告げている。

 キョウトの娘、しかし、彼がいつか聞いたキョウトの男と同じことを言っているようで。

 しかし僅かに、ほんの少しだけ違う娘。

 その少しの違いは、三木の中に新鮮なさざ波を引き起こしている。

 

 

 そして、青鸞は去った。

 父ゲンブの話を聞くことも無い、ここで得られる父の話は何も無いと判断したからだ。

 扉を潜る最後、せめてものお礼に彼女は告げた。

 

 

「……真備島近海にメタンハイドレートの堆積層が発見された。ブリタニアの開発企業がこの島の権利を買い上げるのも時間の問題、注意してください」

 

 

 メタンハイドレート、燃える水、エリア11に存在する豊富な資源の一つ。

 サクラダイト程では無いが、重要な戦略資源だ。

 そのメタンハイドレートの膨大な堆積層が真備島近海で発見された、それが意味する所は一つ。

 三木達は、そう遠くない将来にこの島を追われるのだ。

 

 

「……世捨て人になれるくらいのエネルギー、出来れば無駄にしてほしく無かったけど」

 

 

 そうして、1人の少女の背中が三木の視界から消えた。

 後に残されたのは、かつて三木が己の理想を重ねた男の遺した手記だけだ。

 己の父の形見のはずのそれを、置いていった少女。

 

 

「……私は、間違っていたのだろうか」

「三木大佐、お気になさらずに。あんな少女の言うことなど……」

「違う、そうじゃない。いやもちろん、お嬢様の言葉は効いたが……そう言うことでは無いのだ」

 

 

 小さな手帳を握り締めるようにしながら、三木の呟きは続く。

 かつての自分の絶望が間違っていたとは思わない、だが、絶望への接し方を間違えていたのかもしれない。

 三木の大きな胸の奥に、僅かだが疼くものがあった。

 かつてに比べれば小さいが、しかしより大きな衝動を過去に感じたことがある。

 

 

 かつて、若かりし彼が枢木ゲンブに出会った頃に感じた衝動。

 それが今、僅かな燻りとなって疼いている。

 ただ、今は――――かつて信じた故人を、想いたかった。

 

 

「枢木閣下……!」

 

 

 あの方に、自分は理想を見た。

 だがはたして、自分は本当の意味であの方を知ろうとしたことがあっただろうか。

 理解し、共有しようとしたことがあっただろうか。

 

 

 それは、自分の理想を押し付けただけだったのではないか。

 そんなものは同志でも無ければ仲間でも無い、では、何だったのだ。

 あの時、あの方の前にいた自分は――――……いったい、誰だったのだろう?

 

 

「――――我が小父、三木光洋に対し、別れの言葉を告げさせて頂きます!」

 

 

 ガラスの無い窓の向こう、船着場方面から少女の声が聞こえてきた。

 よく通る声だ、五月蝿くは聞こえないのに耳に響いてくる。

 

 

「……どうか幾久しく、ご健勝なままで!」

 

 

 不快では無い心地に、三木自身が戸惑いを覚える。

 

 

『自分の理想は、自分で叶える……手伝ってくれたら最高』

 

 

 枢木青鸞、彼女の言葉が妙に胸の内で響くのは何故だろう。

 頭の中に父が、そして胸の内に娘が。

 今、三木の中で何かが鎌首をもたげようとしていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「青鸞お嬢様!」

 

 

 三木が青鸞の背を追ったのは、10分の後のことだった。

 間に合わないかと思って半ば諦めていたが、青鸞は船着場にいた。

 まさか、待っていたのだろうか。

 

 

 前園を伴い、船着場の端に立つ青鸞の背中から10歩の位置で止まった。

 その手にあるのはゲンブの手記だ、彼はそれを手に青鸞を追ったのである。

 何を言うつもりか、実の所彼自身も自信が無い。

 30も終わりになり、今さら燃え上がる何があると言うのかと。

 

 

「お嬢様、私は……む?」

 

 

 その時、三木は青鸞の様子がおかしいことに気付いた。

 と言うのも、彼女の身が震えていたからだ。

 怒り? 哀しみ? それはわからない。

 ただ肩を震わせ、拳を握りこんで水平線の彼方へと視線を投げている。

 そしてその片手に、通信機らしい端末を握り締めていたのである。

 

 

 とっさには何があったのかわからなかった三木、しかし持ち前の明晰さでもって何かを察知した。

 彼は駆け出すと青鸞の隣へと並び、首にかけていた双眼鏡に目を当てた。

 そして朝靄が消え明瞭になった視界、水平線の向こう、暗雲を引き連れるようにして海上を駆ける数隻の船の影を見た。

 深いグレーの色に煌くそれは、十数キロ離れていても影を見られる程に大きい。

 

 

「アレは……!?」

 

 

 漁船ではない、タンカーの類でも無い、ならばこの辺鄙な海域を進む船と言えば海上演習に向かうブリタニア軍の艦船くらいのはずだ。

 だが、違う。

 カラーや信号、航法が違う。

 ならば、どこの所属か。

 

 

 ここはエリア11の、ブリタニアの領海だ。

 カゴシマとオキナワの間を進む大型艦船の群れ、それをこの位置に投入できる組織は国内には無い。

 そう、ブリタニア自身を除けば、国内には無い。

 すなわち、アレは。

 

 

『――――青鸞さま、一大事です!』

 

 

 通信機から響く佐々木の声に、青鸞は奥歯を噛んで遥か水平線の上を進む船の群れを睨んだ。

 それは、ある意味ではブリタニアの艦船を睨むよりも激しさを秘めた瞳だった。

 何故なら、通信で叫ばれた艦船の所属国は。

 

 

「……中華連邦艦隊……!!」

 

 

 エリア11、日本に隣接する、世界の三大国の一つ。

 中華連邦。

 その艦影を見た先に、青鸞は……日本の抵抗を体現する少女は、何を思うのだろうか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 皇暦2017年9月下旬、キュウシュウにおいて戦端が開かれた。

 10月に入るまで続くことになるその戦端は、後世のブリタニアの歴史書では「戦争」とは記載されていない。

 しかしそれは、まさに「戦争」であった。

 

 

 旧日本政府・第二次枢木政権で官房長官の職に就いていた男、澤崎敦。

 彼が中華連邦の力を借りてフクオカ・サセボ・カゴシマに侵攻したことで始まった一連の「戦争」は、様々な要素を持って歴史に名を残すことになる。

 独立戦争・侵略戦争・反乱鎮圧……立場によって変わるその呼び名は、本質とは関係が無い。

 だが、結果だけは誰の目にも残る。

 

 

 澤崎という一個人が起こした小さな波紋は、やがて大きな波紋を生むことになる。

 結果論だが、その意味ではやはり彼の行動に意味があったのである。

 たとえそれが、澤崎敦という一個人の欲から出た物であったとしても。

 

 

 ――――キュウシュウ戦役――――

 

 

 少なくとも当時、最も多くの識者にそう呼ばれていた「戦争」が、この時、始まった。

 始まってしまったものは、抜かれた剣は、血を見るまで収まらない。

 はたして日本は、ブリタニアは、エリア11統治軍は、黒の騎士団は、日本解放戦線は、そこに存在する勢力と個人は。

 流れた血に見合うだけの何かを、手に入れることが出来るのだろうか。

 

 

 それは、戦端が開かれた時点では誰にもわからなかった。

 人にも、誰にも――――神ですらも。

 何者にも、わからなかった。

 

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――その頃、同じタイミングでナゴヤの港を出た船があった。

 所有はNAC、書類によれば積荷は流体サクラダイト。

 輸送先はブリタニア領エリア10、いわゆる戦略物資の輸送である。

 

 

 船室の一つ、備え付けのテレビの中で1人の男が演説をぶっている。

 独立主権国家日本の再建を宣言するその男の後ろには、しかし、中華連邦のナイトメア部隊がズラリと並んでいた。

 だからだろうか、それを見ていた男はふんと鼻を鳴らした。

 

 

「逃げ出した臆病者の澤崎ごときには、アレが限界だろう。これならまだ、あの……」

 

 

 男は、水夫……では、無い。

 まず服装は軍服だ、幅広の肉厚な身体を窮屈そうに深緑色の軍服に身を包んでいる。

 ただ右腕の部分が中身が無く垂れていて、男が隻腕であることを示していた。

 また左頬全体に刻まれた火傷の跡が、薄暗い照明の下で痛々しく覗く。

 

 

「中佐、艦橋がカゴシマへのルート変更のポイントについてご相談したいと」

「わかった、今行く」

 

 

 重苦しい声で頷いて、男は立ち上がった。

 両足が硬質な音を立てる、どうやら両足共に義足のようだった。

 そして男はもう一度、テレビの中の男を睨んで。

 

 

「……これなら、まだあの小娘の方が幾分かマシだわ」

 

 

 ただ一言、そう呟いた。

 




採用キャラクター:
無間さま(小説家になろう)提供:原口久秀。
ありがとうございます。

採用組織:
佐賀松浦党さま(ハーメルン):葉隠。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 何でしょうね……本当に何故か今、無性に作中で泥沼な状況に持っていこうとする私がいます。
 アレでしょうか、原作の流れに飽きたのでしょうか。
 うん、飽きたな。
 というわけで、キュウシュウ戦役編、ナリタ張りに荒らします(え)。
 それも、今度は展開を変える勢いで。
 ……出来ればですけどね!


『正当なる独立主権国家、日本の再建。

 目と鼻の先で宣言されたその名前に、何を想うのか。

 そこにいる中華連邦軍に、何を思うのか。

 何かを成すためにも、まずは足場だ。

 そして……』


 ――――STAGE20:「カゴシマ の 戦い」



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STAGE20:「カゴシマ の 戦い」

あの漢が、帰ってきます。
今話が4月最後の更新なので、なかなかのインパクトだと思います。
では、どうぞ。


 トーキョー租界の夜、500キロ西では騒ぎが起こってはいたが、それでもトーキョー租界は静かなものだった。

 そんな中、ある住宅街の路地裏で1人の男と1人の少年が向かい合っていた。

 少年は黒い学生服、男は淡い色の租界構造の管理を担当する職場の制服を纏っている。

 

 

「……ああ、わかった。その時が来たら……」

「そう、崩してくれれば良い」

 

 

 瞳を赤く輝かせる男に、少年は笑みを浮かべながら頷く。

 去っていく男の背中を見送り、その後、少年は懐から携帯電話を取り出した。

 そしていくつかのボタンをプッシュし、数度のコールの後。

 

 

「ああ、会長ですか? すみません、こんな遅くに……」

 

 

 先程とは打って変わった明るさを含む声で、少年は電話向こうへと声をかける。

 そんな少年を、月明かりだけが見つめていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 中華連邦軍、旧日本政府メンバーの「人道支援」を名目にエリア11へ大部隊を派遣。

 昨夜の内にその報告を受けたエリア11総督コーネリアは、即座に討伐軍の編成に取り掛かった。

 とは言え、編成自体はすでに平時の時点で済んでいる。

 なので必要なのは具体的な作戦立案であり、補給を主とする後方の整備だった。

 

 

「当然と言えば当然ではあるが、中華連邦も面倒な時期に攻勢をかけてきたものだな」

「御意、まさに」

 

 

 キュウシュウ・ブロックへの軍派遣について、朝一番の会議で諸将・諸官に一通りの対処命令を示したコーネリアは、人がいなくなった会議室でギルフォードと話していた。

 話しているとは言え、実質的にはコーネリアの独り言に近い。

 ギルフォードは時折、こうして相槌を打つことでコーネリアの思考を加速させる手伝いをすることがある。

 

 

 そしてコーネリアの言うように、実際、今と言う時期はエリア11総督府にとって非常に面倒な時期だった。

 もちろん中華連邦はそれをわかった上で侵攻をかけてきたのだろうし、そもそも敵の体勢が整うのを待ってから戦を仕掛ける馬鹿はいない。

 それこそ、「当然と言えば当然」なのである。

 

 

「我が直属軍はナリタでの傷がまだ埋まってはいない、ヒロシマやイシカワではまたぞろテロリスト共が妄動している、さらに日本解放戦線の残党共も叩き切れていない。奴らはどうもここに来て動きに統一感が出てきているし……」

 

 

 小さく首を振るコーネリア、その顔には疲労の色が濃い。

 軍制改革と同時並行で各地のテロリストを叩き、綱紀粛正と同時並行で旧クロヴィス統治下で編成された統治軍の強化と人材の育成……赴任から半年間、一日として休んだことは無い。

 おまけにその中で、土をつけられたことも一度や二度では無いのである。

 疲れない方が、どうかしている。

 

 

「……しかし、中華連邦にこれ以上好きにさせるわけにはいかんのも事実だ。本国を巻き込んだ全面戦争に発展する前に、何としても粉砕せねばならん。そのためにも、あのサワサキとか言う旧時代の遺物を可及的速やかに叩き潰す」

「御意」

 

 

 事態をあくまで澤崎敦と言う「イレヴン」の地方反乱と言い張る範囲に収める、コーネリアの目標はそこだった。

 ただ、ナリタでの傷が思ったよりも深く戦力が過小なのが悩み所ではある。

 だが対応が遅れれば、中華連邦はもちろんエリア11の反政府勢力も動く。

 ある意味、正念場だった。

 

 

(まったく、ゼロと言い枢木青鸞と言い澤崎と言い……全く、統治とは思う通りに動かぬものよな)

 

 

 こうして、中華連邦とブリタニア帝国、2つの大国の代理戦争がエリア11で引き起こされることになる。

 しかしそれぞれの本国の意思はともかく、実際に戦場で命をかけるのは末端の兵である。

 そしてその内の1人、枢木スザクもまた、戦場における己の役割について認識していた。

 

 

「あのぅ、命令が無くてもやっぱり私達も従軍……するんですよね、わかってます。と言うか、諦めてます」

「あはぁ? セシル君もわかって来たねぇ♪」

 

 

 上司達のそんな会話を耳にしつつ、ランスロットのコックピットの中でスザクは沈んでいた。

 何故沈んでいるのか、と問われれば、自分を気にかけてくれた人の申し出を断ってしまったからだ。

 その意味では沈むべきは相手なのだが、そこで自分が沈んでしまうのがスザクと言う少年だった。

 

 

 ユーフェミアが自分を騎士に、と言う申し出はまさに望外の極みであって、断ると言うことはそれこそあり得ないことなのだろうな、と思う。

 それでも、スザクには彼女の申し出を受け取ることが出来なかった。

 1人の少女を不幸に陥れた自分が、1人の少女の優しさを受け取ることは出来ないから。

 

 

(……父さん)

 

 

 7年前、スザクは父を殺した。

 何故殺したのか、その理由は……本当の所、彼しか知らない。

 彼しか、知らない。

 そしてスザクは、その理由を誰にも言うつもりが無かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 枢木青鸞という少女は、存在するだけでブリタニアにとって「乱」の種になる。

 朝比奈は、常々そう思っている。

 何しろ「日本最後の首相の娘」だ、これ以上無い大義名分と言えるだろう。

 しかも青鸞自身が反ブリタニア的行動をとっているのだから、余計にそうだろう。

 

 

 反ブリタニアを掲げる組織なら、彼女の存在は喉から手が出るほど欲しい。

 極端な話、彼女を手に入れた組織が前日本の後継を名乗ることすら出来るのだ。

 しかしもう一方、息子を手に入れたブリタニアにはそうするつもりが無いようだったが。

 まぁ、ここはブリタニア領なのだから日本を後継する必要は無いのだろう。

 

 

「でも、日本最後の首相の息子がブリタニアを認めてるってのは、正直キツいよねぇ」

『何だ朝比奈、広報にでも興味があるのか?』

『なら、ディートハルトにでも頼んだらどうだ?』

「やめてよ、冗談じゃない」

 

 

 月下のコックピットの中、通信機から響く卜部と千葉の声に朝比奈が苦い顔をする。

 ディートハルトというのは黒の騎士団のメンバーで、名前からわかる通り日本人では無い。

 朝比奈は特に民族主義者というわけでは無い、なので他国人……それがたとえブリタニア人だろうとそれだけを理由に忌避するつもりは無い。

 

 

 しかし、ディートハルトと言う男に関しては個人的な嫌悪感を持っている。

 これは他のメンバーも大体は同じで、しかもディートハルトの方が他のメンバーとの交流に関心が無いため余計に溝が深まっていくのだ。

 まぁ、諜報・広報・渉外……情報担当などと言うのは大なり小なりそう言う部分があるのかもしれないが。

 

 

『ははは。まぁ、冗談はさておいて……どうなると思う、これから?』

「どうもこうも、湾内で待機って段階で見えてると思うけど」

 

 

 彼らがいるのは黒の騎士団専用の潜水艦、そのナイトメア用の格納庫だ。

 朝比奈らが乗る月下を含め、無頼など数機のナイトメアがそこには並んでいる。

 そしてそれらの機体は今、最終の機動チェックを急ピッチで進めている所だった。

 彼ら自身、それぞれの月下に乗り込んで計器を確認したり端末を叩いたりと作業している。

 

 

「藤堂さんが文句を言わない以上、僕が文句を言うわけにはいかないから何も言わないけど。でもやっぱり、一方的にただ行き先を指示して待機してろってのは、どうなのかな」

『そう言うのは、文句とは言わないのか?』

「表立っては言って無いからね」

 

 

 そう言う問題か、と苦笑する仲間の声は流して、朝比奈はゼロと言う男について考える。

 本名不詳年齢不詳詳細不明、まぁ別にそれは良い、テロリストに履歴書がいるわけでも無い。

 それにチョウフで救ってくれたことには感謝している、神根島で青鸞を救ってくれたことにも。

 ただ、どうにも癪に障るタイプの人間ではあった。

 

 

 自信のせいか実績のせいか、あるいはその両方か、とにかくやたら上から物を言う。

 藤堂のみを上官と敬う朝比奈にとっては、一番勘に障るタイプの人間だ。

 自分はゼロの駒でも部下でも無い、そう言う強烈な感情が朝比奈の中にはあるのである。

 

 

「ほらほらぁ、その子達はアンタ達よりデリケートなんだから。ごちゃごちゃ言ってないで、集中してチェックしな!」

 

 

 開いた状態のナイトメア達のコックピットに向けて、妙な温みを感じる女性の声が飛ぶ。

 それは月下や紅蓮弐式などのナイトメアの産みの親であり、黒の騎士団の技術開発を一手に引き受けるラクシャータという女性の声だった。

 ウェーブがかった長い金髪に褐色の肌、白衣にサンダルにキセル、インド系の女性とは思えない程に扇情的な色香を漂わせた女性だ。

 

 

(……まぁ、それでも今は従っておいてあげるけど)

 

 

 ラクシャータの叱咤の声を聞きつつ、朝比奈は思う。

 受けた恩については返す、だから個人的に最低二度は我慢しよう。

 また組織人としては、藤堂がゼロに日本解放の可能性を見ている内は耐えよう。

 しかし、もし。

 

 

 もしゼロによる日本解放が不可能であると感じたり、あるいは日本が解放されてゼロの価値が無くなれば。

 その時は。

 ……その時は。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 エリア11領域内に中華連邦の艦隊が確認された1日後、すでに彼らはキュウシュウ・ブロックのかなり深い位置にまで到達していた。

 まずキュウシュウ最大の要塞と名高いフクオカ基地は、中華連邦の物量の前にあっけなく陥落した。

 そこから2日目にはナガサキ・サセボ基地を攻略した軍勢を南進させ、オオイタを制圧。

 

 

 いかにコーネリアの直属軍が強力とは言え、1日や2日では対処できない。

 まずヤマグチのイワクニ基地に兵力を集結させるのに1日がかかり、そもそもそのために必要な準備に1日がかかる。

 トーキョー租界にいるコーネリアと直属軍を動かすだけでも、時間がかかるのだ。

 そしてこの時間で、中華連邦軍はキュウシュウの北半分をほぼ武力「解放」した。

 

 

「――――敵襲です! エマージェンシー・コード・レッド発令!」

 

 

 そして今、キュウシュウ最南端のブリタニア租界・基地にも戦線が拡大していた。

 中華連邦艦隊の姿が確認されて3日目の朝のことである、イワクニのコーネリア軍がフクオカの本軍と関門海峡を挟んで対峙を始めた頃、別働隊がカゴシマを急襲したのである。

 南から来た小さな暴風雨がフクオカ・ヤマグチ方面へと抜けた直後、緩やかな雨の中の開戦である。

 

 

「カゴシマ租界南方に中華連邦海軍と見られる駆逐艦3隻を確認、租界に向けて砲撃を開始しました!」

「サセボ基地から出撃したと見られる爆撃機郡、当基地及び租界への空爆を開始! N3からM7の区画にかけて空爆による火災が発生した模様!」

「当基地北部、12時の方角に中華連邦軍ナイトメア部隊多数! 数、50以上!」

 

 

 暴風雨に紛れて湾内に強硬侵入を果たした中華連邦の駆逐艦からの艦砲射撃を皮切りに、サセボ基地で拿捕したと思われるブリタニア製の小型爆撃機を投入、空海同時の立体攻撃によってブリタニア軍・カゴシマ基地の継戦能力を奪いに来た。

 フクオカ・サセボでの勝利が士気を高めているのか、火力の勢いは凄まじい物があった。

 小規模とは言え爆撃で租界と基地の一部が焼け、艦砲射撃で城壁のような外延部が一部砕ける。

 

 

「うろたえるな、一つ一つ対処していくぞ! 崩れた租界外延部には戦車隊を回せ、港に強硬上陸してくる敵歩兵部隊を食い止めるんだ。そして租界内の火災は消防に任せろ、雨のおかげで火の広がりは遅いはずだ! それからナイトメア部隊を全機出せ。全機で敵ナイトメア部隊を迎え撃つんだ!」

 

 

 唾を飛ばして指示を出すのは租界に隣接するカゴシマ基地司令官、彼はここ半年のコーネリアによる軍制改革の中で昇進した新任司令官である。

 それだけに能力は確かで、指示も地味だが的確だった。

 ただ惜しむらくは、新任故に軍全体が彼の期待する程には機敏に彼の指示通りに動けないことだ。

 そもそもコーネリアの直属軍は別として、各エリアの統治軍はそこまで強力な軍隊では無いのだ。

 

 

 いやむしろ軍制改革で人員の入れ替わりが行われた直後だけに、戦力はさらに減じている。

 ナイトメアでさえ、カゴシマ基地にはサザーランド3機とグラスゴー5機しかないと言うお寒い状況である。

 対する中華連邦のナイトメアは、性能ではグラスゴーにも劣るが何しろ数が多い。

 とてもでは無いが、受け止めきれる物ではなかった……しかし、である。

 

 

「1日だ、1日耐え凌げば、コーネリア殿下が救援に駆けつけてくださる! 中華連邦の猿共に、栄えあるブリタニア軍の勇猛さを見せてやれ!!」

「「「イエス・マイ・ロード!」」」

 

 

 カゴシマ基地の中央司令室、巨大なモニターに――カゴシマ基地を中心にした近隣地図――に刻々と増えていく中華連邦軍の赤い印を前に、彼らは気迫でもって中華連邦の攻勢を支えにかかった。

 1日も防げば、フクオカ基地を撃破したコーネリア軍が救援に来てくれる。

 過小な戦力と暴風雨と言う二重の困難に直面しているコーネリア軍にとっては過度の期待と言えたが、その希望が無ければ彼らは戦えなかったのだ。

 

 

 駆逐艦が租界外延の城壁の傷口を広げ、穴を塞ぐ戦車が上陸部隊を吹き飛ばし、爆撃機が落とした爆弾が街を焼き、基地から放たれる対空砲火が空に無数の輝きを散らせ、設計思想も数も異なる機械の人形が踊るように戦いを演じる。

 それはまさに、二大国の意思が衝突する「戦争」であった――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そしてその様子は、カゴシマ湾を挟んだタカクマ山にも伝わっていた。

 隣接している分リアルタイムである、薄い雨が続く山荘の中、普段は食堂に使われているだろう大部屋に一同は集まっている。

 その中にはもちろん、昨日の段階で真備島から戻った青鸞の姿もあった。

 

 

 最奥部の壁にかかった大型モニターには、中華連邦軍の攻撃に晒されているカゴシマ基地の様子が映し出されていた。

 中華連邦の航空戦力は基地の防空システムでほぼ排除された模様だが、しかし軍港を兼ねた港湾設備付近を集中的に叩かれたため、海軍部隊は港から出れなくなってしまったようだった。

 そして地上戦では、中華連邦の物量の前にブリタニア軍が押され始めている。

 

 

「ほぅ、案外と中華連邦も本気のようだな」

「当然だろう、そうでなければ国際的な非難は免れないのだからな」

「大宦官達も焦っておるのでしょうな。何しろ日本に続きエジプト、ロシアとブリタニアに囲まれつつあるのですから」

 

 

 青鸞の前で重々しく話すのは、キュウシュウ南部に拠点を構える武装勢力のリーダー達だった。

 構成は様々だが、一致しているのは日本人であると言う点だ。

 青鸞を除いてしまえば、30代以上の男性と言う共通点もある。

 この点が、新興の黒の騎士団とは違う点であると言えた。

 社会的影響力の強い大人の集団、そう言う集まりだった。

 

 

「それで原口、澤崎は何と言ってきているのだ?」

「はぁ、日本再建のため共に戦おうと言うことで。実際、皆様が起てば少なくともキュウシュウは平定出来るかと……ただ」

「目的が見え透いている、か」

 

 

 暫定議員である原口の視線を追うのは、事実上このタカクマ山を仕切っている1人の老人だ。

 瞳は黒いが髪、眉、髭は真っ白だ、首元まで伸びた長い髭が特徴的な男である。

 年は50代理頃か、原口と同じ暫定議員だが戦前の当選回数は原口の軽く10倍、地盤自体はサガにある。

 名を鍋島久秀(ナベシマヒサヒデ)と言う、偶然にも原口と同じ名前である。

 

 

 そして彼を含めた男達の視線が向くのは、座の一つを占める枢木の娘だ。

 おかっぱの黒髪に濃紺の着物姿のその少女は、周囲の視線を受けてもたじろぎもしなかった。

 むしろ小さく首を傾げて、笑みさえ浮かべている。

 なかなか肝が座っているようだ、鍋島は顎鬚を撫で値踏みするように青鸞を見つめた。

 

 

「どうですかな、青鸞嬢。先程から何も発言されておられぬようですが」

「……私のような未熟な娘が、皆様のような殿方に意見など、そんな」

「ほぅ?」

 

 

 一呼吸置いての謙虚な物言いに、その場に好意的な空気が満ちる。

 しかし次に口を開いた時、小さな唇から吐かれたのは結構な毒であった。

 

 

「はい、セイブ一日本への忠誠心を持つと言われる鍋島様と皆様が、まさか中華連邦を引き込んだ国賊に協力するなど、あり得ませんでしょう?」

 

 

 にこやかな笑顔と共に吐かれたのがこの言葉である、要約すれば「澤崎と協力? 笑い話にもならんな」と言うことである。

 なかなか痛烈な皮肉ではあるが、直接的にそれを非難できる人間は実は少ない。

 それは、彼女のここ半年の「経歴と実績」がそうさせているのである。

 少なくとも武闘派のテロリストとしては、サイタマ、ナリタ、チョウフと戦いを経ているのだから。

 

 

 もう一つ、椅子に座す青鸞の後ろに控える男女の存在だ。

 どちらも旧日本軍の軍服を着ている、1人はあの草壁の部下だった佐々木だ。

 解放戦線最強硬派の人間がついていると言うのももちろんだが、この場合はむしろもう1人が問題だった。

 

 

「はは、青鸞嬢もお言葉が厳しいですな。澤崎を国賊とは……」

「事実でしょう? カゴシマ基地の戦闘を見ても、日本人の軍などどこにもいないのですから」

 

 

 もう1人、ガッシリとした身体に褐色の肌を持つ30代後半の男だ。

 三木光洋、かつて枢木ゲンブ首相に信任され、そして一度は世を捨てた男である。

 それが今、7年ぶりに大佐の肩書きを背負って表舞台に戻って来た。

 しかもついているのは、枢木ゲンブ首相の娘なのである。

 

 

 枢木青鸞、澤崎が鍋島達に声をかけるのは彼女を得て利用したいと言うのが理由の一つだろう。

 ナリタにいた頃の彼女であれば、あるいは応じた可能性もある。

 だが今は違う、自身の成長以上に三木というブレーンを得たのだ。

 39歳、まさに青鸞のような若い指導者にとって必要な年齢の参謀であると言える。

 しかもあの三木、いったいどう言う手で連れ帰って来たのか……。

 

 

「……そうでしょう? 桐原の爺様」

『カカカ、そうじゃのう』

 

 

 声がするのはモニターだ、カゴシマ基地の戦況を映す映像の隅に皺の寄った老人の顔がある。

 桐原だ、キョウトの意向無しでエリア11内で反政府活動は出来ない。

 まぁ、澤崎もキョウトに知らせることなく中華連邦を引き連れてきたようだが。

 

 

『しかしせっかくキュウシュウのブリタニア軍を排除してくれるのじゃ、これを全く利用しないと言う手も無かろう』

「これは桐原の爺様とも思えないお言葉ですね、かつて病床の父に代わり徹底抗戦を軍部に通達したお方とも思えません」

 

 

 青鸞の言葉には容赦の色が無かった、これは桐原に対しては初めてのことである。

 だからだろうか、画面の中で桐原が片眉を動かす。

 しかし、青鸞はすでに知っているのだ。

 

 

 スザクに殺されたゲンブの死を3ヶ月隠し、その間桐原が父の名で日本を動かしていたことを。

 当時、政府内にはブリタニアとの戦いのために中華連邦やEUの手を借りようと言う勢力があった。

 しかし桐原はその意見を一蹴した、父が言ったという「日本は日本人の手で守る」と言う言葉で。

 その桐原が、今さら中華連邦の力を頼りにするようなことを言うのは許さない。

 今の青鸞は穏やかな笑顔を浮かべていたが、その目は刺すように鋭かった。

 

 

『……お主の言うこともわかるが、な。まぁ、そう興奮するでない。わしとしても、澤崎などに好きにさせるつもりは無い』

 

 

 それでも桐原もさるもの、宥めるように言葉を重ねる。

 このあたりは、流石に老獪な部分を見せた。

 

 

『おお、そうじゃ。鍋島、わしの知人で1人、どうしてもこの会合に顔を出したいと言う者がおっての。繋げても構わんかな』

「桐原公の知人ですと?」

『何、お主らも知っておる者よ』

 

 

 そして、桐原の顔の隣に新たな枠が生まれる。

 カゴシマ側が首を傾げて見守る中、しばらくしてどこかと回線が繋がった。

 そこに映った人物の顔に、場がどよめく。

 

 

『……初めまして、キュウシュウの諸君』

 

 

 映し出される漆黒の仮面、それが意味する所はたった一つ。

 

 

『私は、ゼロ』

 

 

 ゼロ、つい最近見たその仮面の男の姿に、青鸞は僅かに目を開いた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 この時点での日本人は、大きく3つに分けることが出来る。

 独立派・中間派・恭順派、それぞれの中にまだ細分化した意見の違いがあるが、概ねこの3つだ。

 青鸞の基盤がどこにあるかと言えば、当然第一の独立派である。

 しかし独立派と恭順派は合計しても2割に満たず、実は少数派だ。

 

 

 そして残り8割、その半数以上の支持を得ているのが黒の騎士団とゼロである。

 ブリタニアを否定しつつ、しかし無差別テロには賛成できない層。

 彼らはまさにそれを主張して台頭する黒の騎士団を歓迎しているのだが、民衆が歓迎する者を指導者が歓迎するとは限らない。

 

 

(実際、ゼロって年配の人に受けなそうだしねー……)

 

 

 青鸞はそう思う、権威や慣習に忌避感を持ちやすい若者層ならともかく、仮面で自信家なゼロと言う人間は年齢が上がれば上がる程苦手に思う人も多いだろう。

 特に鍋島のような、気骨ある老人などはそうだろう。

 ある種、わかりやすい関係であると言える。

 

 

『いかがだろうか、この作戦であれば、貴方がたは労少なくカゴシマを手に入れられる』

「それはそうかもしれないが、カゴシマだけを手に入れても意味が無い。その後はどうする」

『その後のことについては、私に考えがある。先に私が説明した戦略に協力して頂ければ、貴方がたを勝利させることも可能だ』

「そのような絵空事、叶うと思うてか!」

『では聞こう! 貴方がたはこのまま何もしないつもりなのか、戦闘に巻き込まれ救いを求める日本人を前にして!』

 

 

 ただ、人を引き込む力はある。

 今も、実質的にゼロが一方の「当事者」として議論をリードしている。

 鍋島も自分が「使われている」感覚を理解しているのだろう、好嫌は判然としないが議論の反対側に座っている。

 

 

 いかに澤崎の再建した「日本」が不当なものか、このまま中華連邦に好きに国土を蹂躙させることがいかに不利益か、ブリタニアの主力がトーキョー租界を離れたことがいかに「好機」か――。

 そういった議論が、つらつらと全員が理解するまで続いた。

 そして、議論が最終的な地点に落ち着こうとした所で。

 

 

「ゼロ、一つ良いでしょうか」

『何だろうか、青鸞嬢』

 

 

 そこでようやく、青鸞は口を挟んだ。

 固い口調を意識して、ゼロに問いかける。

 方針を決める最後の問題、中華連邦軍を背景とする澤崎をどうやって退けるのか。

 何しろ、ブリタニア軍のカゴシマ基地が苦戦しているのである。

 

 

「貴方の作戦、(ワタシ)は賛成しても良い。どの道、澤崎を認めないなら中華連邦を叩き出さなければならないのですから」

 

 

 しかし。

 

 

「私達には、それを成すだけの戦力がありません」

 

 

 そう、それこそが最大の問題点だ。

 このタカクマ山を中心に反政府武装勢力はキュウシュウにいくつも存在する、しかし、それはあくまでも抵抗勢力としての戦力だ。

 ナイトメアを備え、一国の軍隊と戦える装備を備える勢力など青鸞達を含めても五指もいない。

 兵力、つまりは戦力が足りないのだ。

 

 

 ブリタニア軍カゴシマ基地は確かにトーキョー租界のような城塞都市というわけでは無いし、戦力もそこまで配備されておらず、装備もブリタニア軍の中では二線級だ。

 それでも並の攻撃では落ちない、だが中華連邦軍はこれを陥落にかかっている。

 さらに中華連邦軍を撃退できたとして、残ったブリタニア軍をどうするのか。

 それとも戦うなら、やはり大きな戦力が必要になってくるが……。

 

 

『カカカ、それについては心配いらぬ……とまでは言わんが、わしの方で手を回しておいた。まぁ、十分とは言えんかもしれんが』

 

 

 ……その時、議場の扉が派手な音を立てて開いた。

 青鸞はもちろん、全員がそちらに振り返らざるを得ない。

 それだけ派手に、かう乱雑に、扉が開いたのだ。

 

 

 そしてそこに立っていた人物の姿を見た時、青鸞は思わず席を立ちかけた。

 浮かせかけた腰を押し留めたのは、キョウトの女としての矜持だ。

 しかしそこに立っていた男は、そんな青鸞の様子を見ても顔色一つ変えなかった。

 大柄な身体に深緑色の軍服、右腕がなく、硬質な足音を立てる両足は義足だ。

 

 

『日本解放戦線の生き残り、歩兵1000と……追加で手配した最後の無頼20機。兵を纏めたのはわしでは無いが、まぁ、上手く使うが良い』

 

 

 カカカ、と笑う桐原の笑い声も、今の青鸞の耳には届かない。

 何故なら彼女は腰を浮かしかけたまま、目を逸らすことが出来ずにいるのだから。

 目を見開いて、唇を僅かに開いて……そんな少女の視線の先にいるのは。

 

 

 ――――日本解放戦線、強硬派のリーダー。

 青鸞に対して短い期間ながら、強い影響を残す指導を行った男。

 そしてあのナリタで、青鸞の無頼に乗って消息を断った男。

 ……その名は。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――駆ける。

 駆ける、駆ける、駆ける。

 会議が終わり、議場の扉が背後で閉まると共に、青鸞は駆け出した。

 

 

「青鸞お嬢様?」

「大佐、今は……」

 

 

 その背中に驚いた三木を、佐々木が小さく手を出して制した。

 問いかける瞳に、今だけは、と目線だけで告げる。

 それだけの事態が、起こっていたからである。

 

 

 一方で青鸞は、先に議場の外へ出た男を追いかけた。

 着物であるため走りにくくて仕方ないが、それでも駆ける。

 駆けて駆けて、そしてホールへ続く階段で追いついた。

 息を切らせて階段の上で立ち止まり、今まさに最後の一段を降りようとしている背中に対して。

 

 

「――――草壁中佐!!」

 

 

 叫んだ。

 胸の奥から突き上げる何かを無理矢理抑えるかのような、そんな声だった。

 精緻な装飾の施された木造の手すりに手をかけて、階段の上から男の背中を見下ろす。

 その背中は、大きかった。

 

 

 その背中はあの日、ナリタで最後に見た背中と見事なまでに重なる。

 何故ならそれは、同じ背中だからだ。

 あの時に見た、最後の背中だからだ。

 そして燃えるナリタの光景の中で、掴もうとした背中だからだ。

 

 

「草壁、中佐……」

 

 

 その名前を、青鸞は呼んだ。

 ホールのガラスの向こうの空は薄暗く、しとしとと柔らかな雨が窓を濡らしている。

 ガラス細工で飾られた豪奢な照明の下、同じ名前を何度も口にする。

 

 

「……草壁中佐!」

 

 

 もう一度、呼ぶ。

 するとようやく、階段の下で足を止めた男は振り向いた。

 片頬に大きく火傷を負ってはいたが、しかしその顔は見間違えるはずも無い。

 だから青鸞はたまらなくなって、階段を駆け下りた。

 そして男が完全に身体を返すと同時に、跳ぶ。

 

 

 大きく手を広げて、涙の雫を目尻から飛ばしながら、求めるように跳んだ。

 目指したのは、男の大きな胸だ。

 かつて藤堂達にしたように、抱擁によってその存在を確かめようとして。

 

 

「……馬鹿者めが」

「へ?」

 

 

 普通に、避けられた。

 避けられたため体勢が崩れ、階段を駆け下りる勢いのままに転ぶ。

 十数段駆け下りた勢いは相当のもので、青鸞は全身を床で擦ることになった。

 床が柔らかなカーペットでなければ、擦り傷だけではすまなかっただろう。

 

 

「いっ……た、ぁ~……!」

 

 

 赤くなった鼻の頭を擦りながら青鸞が顔を上げる、反射的に「何をするんですか」と文句を言いそうになったが、その前に。

 

 

起立(きりいぃつ)ッッ!!」

「は、はいっ!」

 

 

 盛大な声で怒鳴られてしまい、それこそ反射的にその場に立ち上がった。

 直立不動、背筋を伸ばしてしゃんと立つ。

 そう、それはナリタの訓練キャンプでそうしていたように。

 つまり、この後に来るのは。

 

 

「こんの、馬鹿者があああああぁぁぁっっ!!」

「は、はい!」

「部下を置いて私用で駆け出す奴があるか! そもそも上官に飛びつく馬鹿がいるか、この馬鹿者が!」

「す、すみませ……」

「誰が謝れと言ったか、この小娘が! 賢しげに気など回すで無いわぁ!!」

 

 

 じゃあ、どうしろと!

 そう言いたくなる程に理不尽な叱責、これで確定した。

 そこにいる男は、草壁である。

 

 

 ナリタでキューエル相手に自爆した彼が、何故生きているのか。

 それは非常に単純な理由で、しかし草壁にとっては偶然かつ不本意なものだった。

 ……あの時、草壁は青鸞の無頼で出撃した、キョウトの家の当主を乗せるナイトメアにだ。

 他と違い、操縦者の生命を守るための機構が備わっていたのだ。

 仕込んでいたのは、神楽耶だ。

 

 

「まったく、お前と言う小娘は少しは成長というものを」

「草壁、中佐……」

「ぬ」

「中佐ぁ……」

 

 

 自爆スイッチを押すと同時にイジェクション機能が自動で作動し、かつコックピットの装甲の厚みと強度が他の無頼の比では無かった。

 青鸞の無頼が他の無頼よりやや小さかったのは、コックピットの重さを計算して重量配分を行ったためだ。

 まぁ、機体の背部を山肌に押し付けていたために、爆発に巻き込まれ大怪我はしたが――。

 

 

「中佐だぁ……草壁中佐ぁ……!」

 

 

 直立のまま、青鸞は顔をクシャクシャにしていた。

 その顔を見ると、草壁は二の句が告げなかったかのように開いていた口を小さくしていった。

 実際、爆発で片手両足を焼かれた彼がナリタの川まで辿り着き、そして流され、途中でブリタニア兵に発見されつつも死体と思われ素通りされ、下流の村で日本人の村人に発見され……と、まさに奇跡的な紆余曲折を経てここにいるわけだが。

 

 

 そんな事情は、青鸞には図りようが無い。

 だがそれでも、草壁が生きて自分の前にいてくれることが嬉しい。

 だから堪えきれずに流してしまう諸々を、草壁は何とも言えない表情で見やって唸り。

 

 

「……馬鹿者が」

 

 

 結局、いつもの一言だけ言って、青鸞の頭に手を置いて下を向かせた。

 それだけが、片腕だけになってしまった草壁に出来るせめてものことだった。

 そして「それだけ」が、青鸞にとっては何にも変え難い宝だった。

 たった、「それだけ」のことで……これ以上無い程に、幸福になれたのだ。

 ――――本当に。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ブリタニア軍カゴシマ基地は、今まさに陥落しようとしていた。

 カゴシマ租界に隣接するこの基地の陥落は、すなわち租界の陥落を意味する。

 いかに頭が日本人であるとはいえ、その構成員は中華連邦の兵士である。

 言語など通じようはずも無いし、ましてブリタニア人の言う所の野蛮な未開人である。

 

 

 カゴシマ租界のブリタニア人民間人は、基地の軍部隊が何とか中華連邦軍の攻勢を跳ね返してくれるのを祈りつつ、現実に迫りつつある中華連邦軍の侵入に怯えていた。

 それは、酷く皮肉であるとも言える。

 そもそも彼らが租界と言う清潔な場所に住めているのは、日本人を虐げているからだ。

 日本人にしてみれば「ざまを見ろ」と、やや複雑な心境ながら思うことだろうが。

 

 

『将軍! 最後の敵機を撃破しました!』

「おお、そうか! 良くやった、後はあの分厚い面の皮を剥がしてやるだけだな!」

『はっ!』

「ふふん、軟弱なブリタニア軍めが。分厚い壁にこもって震えておるのだろう」

 

 

 カゴシマ基地を攻める中華連邦のナイトメア部隊、それを含めた全部隊を指揮しているらしい男がナイトメアの中で鼻を鳴らす。

 ずんぐりとした腹に民族衣装を纏っていて、とても前線に出て戦うようなタイプには見えない。

 実際、彼の乗るナイトメアは遥か後方で全体の戦況を見ているだけだった。

 

 

 指揮官としては正しい配置なのかもしれないが、彼の部下が10機そこそこのブリタニア軍ナイトメアを戦闘不能に――撃破では無く――追い込むのに38機を失ったことを考えると、有能と呼べるかは別の評価があるだろう。

 まぁ、もともと両軍のナイトメアにはそれだけの性能差があるのだが。

 

 

「ハインケル卿ロスト、バフェット卿脱出……! サザーランド、全機沈黙!」

「戦車隊は租界防衛に回しているため、動かせません!」

「イワクニとのコンタクト、未だ取れず!」

「ぬうぅ……!」

 

 

 コーネリアの信任を得てカゴシマ基地に配属されて半年、元々低かった統治軍の兵達の練度を上げるには足りるはずも無く。

 いや、それでもほぼ4倍の損害を与えただけでもパイロット達を褒めるべきか。

 しかし戦略卓に両手を置いて項垂れれば、まだ10機以上残っている敵ナイトメアがカゴシマ基地に密集して突撃してきている姿が見える。

 

 

 空爆自体は対空砲火で追い散らしたものの、港と砲台を叩かれては反撃力が半減している。

 おまけに敵は巧みにこちらからは空白になったその箇所をついて突撃してきているのだ、後は装甲車と歩兵の防御だが、いかに低性能とはいえナイトメアを相手に半分も墜とせるかどうかと言う所だろう。

 

 

「申し訳ありません、コーネリア殿下……!」

 

 

 口に出してイワクニにいるだろう主君に詫びれば、司令部には沈痛な空気で満ちた。

 せめて、基地機能を使用不能な状態にすべし。

 その決意で、司令官はその命令を司令部要員に伝えようとした。

 

 

 その時、先頭を行く中華連邦のナイトメアがくの字に折れ曲がって吹き飛び、爆発した。

 

 

 突如、戦場に変化が訪れた。

 朝から夕刻の現在に至るまで、攻める中華連邦軍と守るブリタニア軍しか存在しなかった戦場に、新たな反応が生まれたのだ。

 

 

「何だ!?」

「新手か!?」

 

 

 皮肉にもブリタニア軍と中華連邦軍、2つの軍部隊の長が同じ言葉を違う言語で口にする。

 その時点で、それは2つの軍以外の所属の戦力と言うことになる。

 すなわち、中距離からの砲撃によって中華連邦軍のナイトメアの横っ面を引っ叩いたナイトメアの所属は。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『あぁ~……当たった? 当たったのかコレ?』

『隊長! マニュアル見ながら撃たないでください!』

 

 

 純日本製ナイトメアフレーム、『黎明』。

 その右肩、52ミリのキャノン砲からから煙をくゆらせるその機体は、同じ機体2機を両側に並べて、海岸線沿いに身を伏せるようにしていた。

 搭乗者はそれぞれ、山本、上原、大和である。

 枢木青鸞の護衛小隊のメンバー、すなわちそこに現れたのは――「彼女」ら、である。

 

 

 山本機の砲撃に合わせて、東側の海岸線沿いから中華連邦軍の後背を衝く形で20機前後のナイトメアが姿を表した。

 タカクマ山から猛然と海岸線沿いに進んできたそれらは、カゴシマ基地周辺に中華連邦・ブリタニア両軍が張った電波妨害の隙を突く形で進出してきたのだ。

 

 

「な、何だ、どこの部隊だ!?」

 

 

 中華語で喚きたてるのは、それまで最後方――つまり、今や最前線にいる――にいた中華連邦軍の将軍である。

 今まで正面しか見ていなかった分、その反応は大仰ではあっても過分では無かった。

 ブリタニア軍のナイトメアを駆逐して、さぁこれからと言う所だっただけに、ここでの新手の登場は意外にも程があった。

 

 

 そしてそれは、彼の目の前で味方のナイトメアが撃破された瞬間に最高潮に達した。

 中華連邦のナイトメアは鋼髏(ガン・ルゥ)と呼称される、独特の外観をしたナイトメアだ。

 卵形のフォルムに短い足、小回りは効かず、装備もほぼ4門の実体弾の火砲のみ。

 しかしそれでも、世界を3分割する大国の一国が制式採用しているナイトメアだ。

 それが一刀の下に斬り爆ぜれば、誰でも怯える。

 

 

「な、何者だ、貴様ぁ! ブリタニア軍か!?」

 

 

 中華連邦軍の将軍の視線の先にいるのは、夕焼けに鈍く輝くダークブルーの機体だった。

 ブリタニア製とも中華連邦製とも違う、背を屈めた胴体に長手短足の形状。

 銀の関節部が夕焼けに燃えて輝き、ブルーの双眼が輝きの流線を虚空に描く。

 上下2つに分かれて斬り飛ばされ、爆発する鋼髏(ガン・ルゥ)

 その中から姿を見せたのは、そう言う機体だった。

 

 

 そして、今こそ言おう。

 

 

 その機体こそ、キョウトが技術の粋を集めて製作した渾身の純日本製ナイトメア。

 名を、『月姫(カグヤ)』。

 そして月姫を駆り、周囲に円状に展開していく無数の無頼の中心に座すその機体こそ、日本の抵抗の象徴。

 最強硬派の支持を一身に受ける、その少女の名は。

 

 

「――――我ら!」

 

 

 その少女、枢木青鸞はコックピットの中で叫んだ。

 中華連邦の言語は流石にわからない、というか日本に来るなら日本語を話せとすら思う。

 とにかく青鸞は、オートバイ式のコックピットの中で中華連邦の将軍に応じるように叫んだのだ。

 抵抗の言葉を。

 

 

「我ら、不当な蹂躙により国土を失いし者なり!」

 

 

 ――――嗚呼、そうだ、我らは失った。

 認めよう、認めていた、認めるしかなかった。

 彼ら彼女らが守ろうとした国は、もはやこの世界のどこにも存在しないと。

 

 

「されど、正当なる抵抗の権利を有する者なり!」

 

 

 ――――嗚呼、そうだ、我らは抵抗する。

 みっともなく、情けなく、名誉を地の底へと捨て去ろう。

 彼ら彼女らの求める国は、名誉の向こう側には存在しないと。

 

 

 故に彼ら彼女らは疾る、戦う、血を流す。

 いつか、自分達の国土を取り戻すために。

 いつの日か、

 

 

「――――この戦いは!」

 

 

 右手に持った刀をコックピット左の鞘に収めて、代わりに両腰に収められた2本の刀を射出する。

 途上で月姫の両手がそれぞれの柄を掴み、回転させ、2本の刀を正面に構える。

 それを前にしつつも、中華連邦の将軍は鋼髏(ガン・ルゥ)の中で何も出来なかった。

 

 

 何故なら周囲を固めていたはずの11機の鋼髏(ガン・ルゥ)が、それ以上の数の無頼によって撃破されていくのを感じていたからである。

 数的優位を固めて初めて役に立つナイトメア、鋼髏(ガン・ルゥ)

 逆に数的不利に陥れば、これほど脆いナイトメアは他に無かった。

 

 

「ボク達にとって……ブリタニアへの抵抗を示すものじゃない!」

 

 

 すなわち!

 

 

「中華連邦に対する――――抵抗だ!!」

 

 

 青鸞には意味の無い叫びを発し、最後の鋼髏(ガン・ルゥ)が4門の機銃と火砲を乱射する。

 しかしほぼ正面にしか撃てない火力など、月姫には無意味だ。

 サザーランドの一斉射すら回避するその機動力、重量型とは言え並みではないのだ。

 キョウトの、日本人の技術力を、舐めないで貰いたい。

 

 

 躍動する。

 熟練のナイトメア乗りの動きは「舞う」と表現されるが、しかし彼女は「躍動」が正しい。

 正面に密集する火砲を大きく左右に動くことで避ける、細かな動きは必要ない。

 大胆に、行く。

 

 

『リ――――○本○子……ッ!』

「悪いけど」

 

 

 オートバイ式の座席に胸を押し付け腰を上げて、青鸞は操縦桿を両方共に前に押し出した。

 月姫の両腕が、『廻転刃刀・改』を振り下ろす。

 鋼髏(ガン・ルゥ)の両肩に振り下ろされたそれは、刃がチェーンソーのように回転する。

 金属装甲を切り落とす独特の音と火花がメインモニターに広がる中で、青鸞はむしろ当然のように言った。

 

 

「ボク達、差別用語は言われ慣れてるんだ」

 

 

 だから、今さらキミ達に何を言われても何も感じない。

 そう言って、鋼髏(ガン・ルゥ)の両肩両足を切断した。

 卵形の胴体が地面に転がり、各所から爆発を起こして完全に停止する。

 

 

 それで、カゴシマ方面に進出していた中華連邦軍の主力は終わった。

 勝利以外に士気の維持が出来ない中華連邦の兵達は、味方のナイトメア部隊の壊滅を知ると、我先にとサセボ・オオイタ方面へと逃走を図った。

 遅れれば日本に取り残される、その恐怖が彼らの背を押したのだろう。

 咄嗟には動かせない兵器はその場に撃ち捨て、全ての車両を回収して撤退に移行していく。

 

 

「……て、敵軍、撤退を確認……」

 

 

 呆然としているのは、カゴシマ基地のブリタニア軍である。

 彼らとしては陥落を覚悟した時点でのことで、一種の弛緩した空気がそこにあった。

 しかしある意味で当然ながら、その空気も一瞬のことだ。

 自発的というよりは、外的な要因の方が大きくはあるが。

 

 

「て、敵……新たな敵軍、中華連邦軍を追わず、当基地に向かってきます!」

「げ、迎撃を……!」

 

 

 我に返った司令部が各所に迎撃を指示しようとした所、彼らは愕然と気付く。

 中華連邦軍によって継戦能力を半減させられたカゴシマ基地は、中華連邦軍以上の戦力を持つ集団に対して、防戦が可能だろうか。

 その答えは、30分以内には出そうだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 カゴシマ基地、陥落。

 その報がフクオカ基地に立て篭もる中華連邦軍の本営に届いた時、今回の戦役の「首謀者」である所の澤崎敦が喜色を浮かべたのは無理からぬことだった。

 何しろフクオカ、サセボ、カゴシマと、キュウシュウ内のブリタニアの主要な軍事基地を攻め落としたのだから。

 

 

 それこそ、「何だ、思ったよりブリタニア軍も大したことが無いじゃないか」と、自軍の色に染まったキュウシュウの地図を見て無邪気に喜びたくもなるだろう。

 澤崎敦、第二次枢木政権で官房長官を務めていた男。

 禿げかけた頭にやけに細い身体、正直、威風堂々と言う言葉は似合わないタイプの男だ。

 どちらかと言うと、官僚タイプだろう。

 

 

「やりましたな、(ツァオ)将軍」

 

 

 そんな彼が笑顔を見せる相手は、彼を支援してエリア11に乗り込んできた中華連邦軍の将軍だった。

 ずんぐりとした身体を民族衣装で覆った50代の男で、どこか熊を思わせる容貌。

 政治の顔は澤崎、軍事は曹、それがこのいわゆる「解放勢力」の役割分担だった。

 まぁ、固有の武力を持たない解放政府と、他国の意思で動く解放軍の関係を、役割分担の一言で片付けられるかどうかは微妙な所だろうが。

 

 

「いや、それがどうも違うようでしてな」

「は?」

 

 

 しかし喜色満面の澤崎と異なり、曹はどこか厳しそうな顔をしている。

 これはおそらく、澤崎が軍事作戦そのものには関与していないことを示している。

 軍事行動中だからと言うよりは、澤崎がキュウシュウに雪崩れ込んだ中華連邦軍の具体的な行動について、単純に知らされていないのだろう。

 

 

 そして一方で関門海峡を挟んだブリタニア軍イワクニ基地には、澤崎が受けているのと同じ報告を受ける女性がいた。

 しかし澤崎と違い、その女性は自軍の行動を全て把握しているのだが。

 だからこそ、澤崎よりは曹に近い厳しい表情を浮かべているのだろう。

 

 

「カゴシマ基地が陥落、か。それ自体は彼我の戦力差を思えば疑問は無いが、だが……」

 

 

 面倒が増えた、ギルフォードからの報告を受けたコーネリアの表情はそう告げていた。

 現在、彼女はフクオカへの上陸作戦を一時延期し、暴風雨が過ぎ去るのを待っている状態だ。

 彼女がいる基地の航空管制塔の強化ガラスには、激しい風雨が叩きつけられていた。

 雨雲の中で轟く雷光は、本国の嵐とはまた違うもののような気がした。

 

 

 ――――枢木青鸞、カゴシマ基地を制圧――――

 

 

 それが今、コーネリアにもたらされた情報だった。

 死闘を演じていたブリタニア軍と中華連邦軍、その間に割り込んで漁夫の利を得る日本解放戦線。

 いつかの、そう、サイタマ・ゲットーの戦いを再現したかのような状況だった。

 だからその報告を聞いた時、コーネリアは笑ったのだ。

 

 

「クルルギの娘め、相変わらず小さな戦術的勝利を収めるのが好きらしいな」

 

 

 実際、カゴシマ基地を落とされたのは確かに痛いが、ブリタニア軍全体で見れば大したことは無い。

 大方、中華連邦が現地の軍を排除してくれてラッキーとでも思ったのだろうが、カゴシマを落としたから何だと言うのだ。

 これがトーキョー租界ならともかく、カゴシマなど、エリア11の中でも辺境に位置する基地に過ぎない。

 

 

 暴風雨が晴れればブリタニア軍の反撃が始まる、フクオカにいる澤崎など一撃で倒してみせよう。

 そしてキュウシュウ内部の惰弱な中華連邦軍――実際、装備の質はコーネリアの直属軍が圧倒的に優位、数的優位を崩し海上輸送を封鎖すれば雑魚同然の敵だ――を殲滅し、返す刀でカゴシマの自称「日本解放戦線」も排除してくれよう。

 まさに3日天下、早まったことをしたものだとコーネリアは笑う。

 

 

「で……殿下!」

「何だ、騒々しい!」

「も、申し訳ありません、ですが……!」

 

 

 だが、彼女は忘れていた。

 彼女の敵は澤崎と枢木青鸞だけでは無い、キュウシュウで妄動している者だけでは無いのだ。

 そもそも、中華連邦の侵攻はコーネリアが安易に直属軍をイシカワに向けた隙を突かれたもの。

 言うなれば、彼女は同じ失敗を……いや、失敗というのは酷だろう。

 単純に、コーネリアが1人しかいないと言うだけなのだから。

 

 

「と、トーキョー租界が、トーキョー租界から……!」

「何……?」

 

 

 コーネリアは確かに強い、彼女の軍は世界最強の軍の一つだ。

 だが、この中華連邦のキュウシュウ制圧でわかるように。

 彼女のいない所は、そこまで強くない。

 彼女の軍以外の部隊は、そこまで強くない。

 

 

 だから、中華連邦は最大限にその弱点を突いた。

 そして何も、弱点を突くのが中華連邦だけとは限らない。

 そう、例えば。

 

 

「トーキョー租界から、救援要請が!!」

 

 

 例えば、コーネリアと直属軍の留守を狙う仮面の男も、いるのである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「コーネリア、正面の敵を正々堂々と倒そうとする貴女のその姿勢が、貴女を敗北へと誘うのだ……」

 

 

 トーキョーの夜空、漆黒の闇に溶けるような巨大なナイトメアの中で、仮面を外したルルーシュが笑う。

 ルルーシュにとって、コーネリアの直属軍がキュウシュウへ向かったのは好都合だった。

 その隙を突き、東で黒の騎士団の全軍を動かすことが出来るからである。

 

 

 本来であれば、黒の騎士団の方針を世に示す上でも彼自身がキュウシュウに向かっていただろう。

 澤崎や中華連邦に介入されては迷惑千万、これを排除する必要があるのだ。

 しかし、その必要も無くなった。

 何故なら、すでに西でルルーシュ=ゼロの代わりに日本の姿勢を示した者がいるのだから。

 

 

『日本は独立を取り戻す――――誰の手も借りずに!』

 

 

 ガウェインのモニターの一つ、そこにはカゴシマ租界のテレビ局から全国へと流される1人の少女の姿がある。

 濃紺の生地に季節の花々を散らした着物姿の少女、青鸞の姿が。

 今、キュウシュウでルルーシュ=ゼロの作戦を基本に行動している彼女がいればこそ、ルルーシュ=ゼロは東で自由に動くことが出来る。

 

 

 そして翻って正面のモニター、そこにはトーキョー租界の町並みが広がっている。

 そこには、まさにルルーシュ=ゼロの策の成果があった。

 耐震性能を兼ねた階層構造、租界の外壁。

 それが今、脆くも崩れ去っていく姿が映し出されている。

 無数の壁と柱が崩れ、黒煙を吐きながら失われていく様は壮観だった。

 

 

「ふふふ、ふははは……これで良い! ブリタニア軍の目はまさにキュウシュウに向いている、その隙にトーキョー租界と政庁を奪い、独立宣言を全世界に向けて発すれば……」

 

 

 そうすれば、当然、ブリタニア本国からの反動があるだろう。

 コーネリアは直属軍の3割をこのトーキョー租界に残しているようだが、他の統治軍はルルーシュ=ゼロの「奇跡」によって穴だらけになる「予定」だ。

 数で劣勢なのは否めないが、数千にまで膨らんだ黒の騎士団の全戦力を有機的に動かせば逆転可能な位置にまで持ってきている。

 

 

 そしてブリタニアからの反動には、おそらく、「あの男」が出てくるはずだ。

 何しろコーネリアを除けば、他の皇族は形式的な司令官でしか無い。

 ――――さらに、戦力の低下した黒の騎士団が雪崩れ込めば、その前段階。

 

 

(貴方を俺の前に引き摺り出せる、シュナイゼル……!)

 

 

 油断のならない男だが、神根島から今はこのトーキョー租界に逗留していると言う。

 コーネリアとシュナイゼル、この2人を自分の前に跪かせる。

 しかる後に「あの男」を自分の前に引き摺り出せば、全てのカードはルルーシュ=ゼロの手に落ちる。

 左眼の瞼を指先で撫でながら、ルルーシュ=ゼロはそう思った。

 

 

 ふと、複座の座席の前――つい先日、青鸞がいた席――に座るC.C.の後頭部にルルーシュ=ゼロは視線を投げた。

 白を基調としたパイロットスーツに身を包んだ緑の髪の少女は、何も言わない。

 ルルーシュ=ゼロが引き起こした惨事などには目もくれず、別のモニターに視線を向けているようだった。

 

 

(青鸞を、見ているのか……?)

 

 

 ルルーシュ=ゼロは、静かにそう思考する。

 以前、そう、神根島で青鸞と別れた時からだ。

 どうもC.C.の様子がおかしい、いや、前からおかしい部分は多分にあったのだが。

 

 

 何を考えているのかわからない分、ルルーシュ=ゼロにとってはやりにくい。

 とは言え具体的なこともわからない、青鸞のことを見ているのも深い意味はないのかもしれない。

 何しろ、気まぐれな魔女だから。

 

 

『ゼロ、これから先は――――』

「……ああ、まず前線は藤堂の指示に従って――――」

 

 

 今はともかく、トーキョー租界だ。

 味方から入った通信に意識を向けつつ、ルルーシュ=ゼロはC.C.から視線を逸らす。

 そして意識すらも逸らして、それ以上のことは考えなかった。

 

 

 だから、ルルーシュ=ゼロは気付く事が出来なかった。

 モニターの中に映る濃紺の少女の姿を瞳に映す魔女の目が、けして友好的な色に染まってはいなかったことに。

 むしろ、どこか飢えた狼のような……剣呑な色に染まっていたことに。

 この時のルルーシュは、気付く事が出来なかった。

 




採用キャラクター:
佐賀松浦党さま(ハーメルン):鍋島久秀。
ありがとうございます。

採用兵器:
RYUZENさま(ハーメルン):廻転刃刀・改。
ありがとうございます。


 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 草壁中佐、生還!
 感想で死んだ死んだと言われる度、ドキドキした日々が昨日のことのように思い出せます。
 一瞬サイボーグ化しようかとも思いましたが、それは流石に自重しました。
 それでは、次回予告です。


『キュウシュウとトーキョー、2つの地点で同時に火の手が上がった。

 澤崎の起こした小火は、燎原の大火となって日本を覆う。

 解放を掲げつつも祖国の大地を荒らさなければならない。

 でも、やり遂げると皆で誓った。

 ……そして、あのブリタニアの皇子がある提案を投げかける』


 ――――STAGE21:「強者 の 提案」



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STAGE21:「強者 の 提案」

 本来、ナナリーは学園の敷地の外には出ることが出来ない。

 それは彼女の身体のことが原因と言うより、彼女を庇護しているアッシュフォード家の事情と言える。

 元皇女、それも死んだことになっている皇女の姿をあまり外で人目に晒したくないと言う事情。

 まぁ、それでも学園と言う場にいる限り、完全にと言うわけにはいかないだろうが。

 

 

「それにしても、何でいきなり合宿なんですー?」

 

 

 トーキョー租界の遥か外、方角的にはフクシマ租界方面に向かう高速モノレール・ラインの中、シャーリーは寝台車両の寝台の中で上の段にいるはずのミレイに向けてそう尋ねた。

 オレンジのパジャマにシャープな肢体を押し込めた彼女に答えるのは、今回の「学園祭に向けた生徒会合宿」を今朝急に連絡してきた生徒会長、ミレイに向けられていた。

 

 

 ちなみに他の寝台にはニーナやリヴァルなどの生徒会の仲間がいる、スザクとカレンは軍と病院で連絡が取れず、ルルーシュは何故か電話に出なかった。

 そして驚くべきことに、この旅程にはナナリーもいるのである。

 郊外にあるアッシュフォード家所有の別荘が目的地と聞くが、いくらアッシュフォードの私有地であるとはいえナナリーまで連れて行くとは思わなかった。

 

 

「それに、今大変な時なんじゃ……」

「良いじゃない、戒厳令が敷かれてるわけでも外出禁止令が出てるわけでもないんだからさ」

 

 

 答えつつ、しかしミレイにも腑に落ちない所はある。

 前の晩遅くにルルーシュに頼まれはしたが、理事長である父が認めるとは思わなかったからだ。

 ところが予想に反して、父はあっさりと認めた。

 咲世子付き、アッシュフォードの私有地から出ない、などの条件はあるが……ナナリーまで。

 

 

 ルルーシュは「ナナリーの気分転換」がどうとか言っていたし、嘘では無いだろうし、ミレイとしても否定はしない。

 が、である。

 それなのに何故、ルルーシュ自身は来ないのか?

 

 

理事長(パパ)も、どこか様子がおかしかったし……)

 

 

 ミレイは知らない、彼女の父が彼女の申し出に「イエス」以外の回答が出来なかったことを。

 そして彼女達は知らない、彼女達がナナリーを連れて租界の外に出た後、トーキョー租界に変事があったことを。

 彼女達は、何も知らない。

 

 

 彼が、何をしているのかを。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 コーネリア・リ・ブリタニアは、窮地に陥っていた。

 いや、直接的には何も問題は無い。

 彼女の率いる1万5000の兵と150機のナイトメア部隊は、暴風雨が過ぎた関門海峡を渡りキュウシュウへの上陸を果たしている。

 

 

 損害は少なく無いが、それでも中華連邦軍を打ち倒すだけの力はある。

 特に中華連邦軍は今、皮肉なことに戦力を分散させなければならない状況に陥っている。

 フクオカ基地は落とせる、コーネリアにはそれだけの自信があった。

 だが問題は、中華連邦と澤崎の問題を片付けたとしても、今度はキュウシュウ南部から上がってくるもう一つの軍を連続で相手にしなければならないことにある。

 

 

『そちらの軍については問題ないよ、コーネリア』

 

 

 キタキュウシュウ港からシンモンジ港の広い範囲に橋頭堡を築き終えたコーネリアを、トーキョー租界にいるシュナイゼルはそう諭した。

 通信画面越しに見る腹違いの兄は、こんな非常時でも優雅な佇まいを崩さなかった。

 彼がいる政庁には、すでに黒の騎士団が押し寄せてきているはずなのだが。

 

 

 とは言え数百キロを離れたコーネリアとしては、何をおいてもトーキョーを落とされるわけにはいかない。

 救援要請を出してきたのは文官サイドだが、あくまでも定められた規範に則った行動だ。

 澤崎と中華連邦、ゼロと黒の騎士団、青鸞と日本解放戦線の残党。

 この3つが同時に侵攻・蜂起するなど想定していない、良くて二正面までだ。

 抑えられるとは思うが、正直、無傷では難しい。

 

 

『とにかく、エリア10のラシェルに話して中華連邦本国を牽制してもらおう。そうすれば、これ以上の派兵はしてこない。だからキミは、とにかく澤崎敦の身柄を拘束してほしい。中華連邦の手を跳ね除ければ、後は……』

 

 

 通信画面の中で、シュナイゼルの端整な顔立ちが軽やかに微笑した。

 

 

『後は、全てこちらの手中だよ。ゼロも……そして、今キュウシュウ南部にいる軍もね』

 

 

 正直な所、コーネリアにはこの兄の意図が読めなかった。

 いったい何を狙っているのか、今エリア11中に広がりつつある反乱の大火をどう見ているのか。

 だが、どちらかと言えば戦術家であるコーネリアには見えない何かを見ているのだろう。

 

 

 コーネリアとしては、まず目の前の敵に集中する。

 トーキョーに残してきたユーフェミアのことは、同じく残してきたダールトンに任せれば良い。

 だからコーネリアは、自分に従う軍勢に対して号令をかける。

 

 

「海峡を渡ってしまえばこちらの物だ、全軍、一気に前進せよ!」

『『『イエス・ユア・ハイネス!!』』』

 

 

 世界最強のナイトメア部隊が、フクオカの地を駆けた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 エリア11でも1、2を争うだろう最強のナイトメア部隊が、外壁崩壊で浮き足立つブリタニア軍を追い立てる。

 強烈なカリスマで前線を引っ張る司令官の不在が効いているのだろう、現場のナイトメアの動きは意外な程に脆かった。

 だがそれは、ルルーシュ=ゼロにとっては読み通りだった。

 

 

「良くも悪くも、コーネリアはコーネリアだ」

 

 

 総括すれば、そう言うこと。

 コーネリアがいれば強く、コーネリアがいなければ弱い。

 ある意味、戦女神に率いられた軍としては正しい姿であるとも言える。

 コーネリアが前線に立つのは彼女の矜持がそうさせるのだが、率いられる兵にとってはそれが生き残る最大の理由に見えるのである。

 

 

 それが失われた時、兵はいとも容易く脆くなる。

 

 

 平時であれば保たれるそれも、租界の外壁が崩壊すると言うあり得ない出来事が起これば、崩れる。

 崩れざるを得ない。

 だから外壁とその付近にいたブリタニア軍は、形ばかりの抵抗を見せた後に政庁まで後退していった。

 

 

「すげぇ……やっぱ、ゼロはすげぇよ!」

 

 

 そしてナイトメアの1機に乗る玉城と言う男の言葉が、黒の騎士団のメンバーの意思を代弁していた。

 藤堂たち日本解放戦線のメンバーですら、胸の奥で驚嘆を覚えざるを得ない。

 まさか、こうもたやすく難攻不落のトーキョー租界に攻め込むとは。

 

 

「これで良い……青鸞がコーネリアを抑えている間に、俺はシュナイゼルを倒す。これが、本来のあるべき姿なんだ」

 

 

 ガウェインのハドロン砲でブリタニアの航空戦力を駆逐しつつ、ルルーシュ=ゼロはそう呟いた。

 彼が言うあるべき姿がどのようなものかはわからないが、確かなことはそこに「4人」いることだ。

 1人は、戦いなどとは縁遠い場所にいるべき存在。

 もう1人は、その存在に寄り添うべき存在。

 そして最後の1人は、彼と共に道を拓くべき存在。

 

 

 だが最後の存在については、少し考えざるを得ない。

 その位置が彼の妹によって占められつつあるのは、ルルーシュ=ゼロからすれば皮肉でしか無い。

 しかし、実の妹を体制に引き渡すような人間に完全な信頼は置けない。

 

 

「……あるべき姿、か」

「何か言ったか、C.C.」

「いや、別に」

 

 

 C.C.の後頭部に視線を下ろした後、しかしそれ以上は何も言わずにルルーシュ=ゼロは前を向いた。

 機体モニターには、租界東部一帯を制圧していく黒の騎士団の様子が映し出されている。

 特に重要なのは藤堂率いる主力とカレン率いる零番隊、これらの部隊は政庁へ一気に直進している。

 これで良い、ルルーシュ=ゼロはそう思い笑うのだった。

 

 

 一方で、笑みとは遠い表情で租界の街並みを見下ろす少女がいる。

 ユーフェミアと言う名のその皇女は、ブリタニア軍が防衛線を敷く政庁からそれを見ていた。

 トーキョー租界が、炎に飲み込まれていく様を。

 

 

「ユーフェミア様、早くこちらへ!」

「え、えぇ……」

 

 

 ダールトンに促されるままに政庁地下のシェルターへと連れて行かれる彼女の胸にあるのは、「何故」と言う疑問だ。

 何故、どうして。

 幸せを求めるのに、どうして……人は。

 人は、争いをやめられないのだろうか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 キョウトに無断で事を起こした者と、キョウトの意を受けて動く者。

 その差は次第に戦況に現れてくる、有形無形のキョウトの支援の有無の差。

 補給物資、情報、人員、その他様々な形での恩恵。

 エリア11で起きている3つの騒乱は、そう言う意味で歴然と差が出ていた。

 

 

 フクオカでコーネリア軍に押し込まれつつある、澤崎敦と中華連邦軍。

 トーキョー租界でシュナイゼルと膠着状態にある、ルルーシュ=ゼロと黒の騎士団。

 そしてキョウトに背いて侵攻した澤崎の軍と戦う、青鸞と日本解放戦線の残党軍。

 エリア11は今、この3つの戦いで全てを語ることが出来た。

 

 

「元気が良い、と言うべきなのでしょうかね」

 

 

 まさにキョウトの陰ながらの支援によって走るキュウシュウ・ラインの大型貨物列車の中、高速で兵を北へと運ぶその列車の中で、青鸞は不意に響いた声に顔を上げた。

 濃紺のパイロットスーツ姿の青鸞は、オープン状態の月姫のコックピットの中にいた。

 狭苦しい貨物車の中、次の戦いに備えての整備を続けているのだ。

 

 

 コックピット横の昇降台には古川の姿がある、相変わらず過敏そうに両耳を覆うヘッドホンを弄っていた。

 彼の周囲には以前の3倍の端末が並んでいるのだが、それは単純に月姫が無頼の何倍も複雑な造りをしているためだ。

 整備するだけでも一苦労である、その内に専門の整備士が必要になるかもしれない。

 

 

「今、キュウシュウの諸勢力は我々を中心に糾合しつつあります。いや、我々と言うよりは……青鸞嬢、貴女を中心にだ」

 

 

 コックピットから少し身を乗り出して下を見れば、そこにはスーツ姿の男がいる。

 原口だ、どうやらカゴシマからついて来ていたらしい。

 青鸞、そして草壁ら日本解放戦線の残党軍は現在、キュウシュウを北上している。

 サセボは無視する、澤崎を倒せば中華連邦が退くと言うのはブリタニア軍だけの判断では無い。

 

 

「この列車に乗っている人間はもちろん、キュウシュウ中で動いている反体制派の人間。彼らは皆、心の底から日本の独立を願っている……」

 

 

 原口久秀と言う男は、ある意味で良くいるタイプの政治家であり、現代的な人間と言えた。

 元々、志があって政治家になったわけでは無い。

 たまたま父が政治家だったから、環境がそうだったから、そうなっただけ。

 実の所、彼自身は日本の独立や解放について、そこまでやる気に満ちているわけでは無い。

 

 

「……実に、元気です。教えてくれませんか、どうしてそこまでするのかを」

 

 

 日本人サイドの暫定議員の言葉とは思えない、青鸞は僅かに目を細めた。

 しかし何も言わずに視線を戻し、目の前の端末に意識を戻していた。

 コックピットブロックの中に戻った青鸞に、原口は肩を竦める。

 

 

 執着心を持たない、それはある意味で現代人の性なのかもしれない。

 しかし原口は、タカクマ山で青鸞と出会ってからと言うもの、僅かながら彼女に興味を抱いていた。

 それはおそらく、彼女が日本最後の首相の娘と言う環境にいるからだろう。

 彼女が何故、彼と違い自分の意思で日本の独立のための戦いに身を投じているのかが疑問だった。

 

 

「逆に聞きますが、原口さんはどうして反体制派として活動しているのですか?」

 

 

 コックピットの中から、青鸞は顔を見せることなくそう問うた。

 月姫の上から降ってくる声に、原口はやや顔を上げた。

 それから、少しだけ考え込むような仕草をして。

 

 

「父が病に臥せっておりまして、言わば私はその代わり。父がそうだったと言うだけで父と同じ独立派だと思われたのですが、私自身にはこの通り、執着と言う物がありませんのでね」

 

 

 そのおかげで、キョウト派の暫定議員(イレヴン)として活動することが出来た。

 日本や独立への執着が無く、そして多くの日本人の友人を見捨てることも出来る彼だからこそ。

 そんな彼だからこそ、ブリタニアも信用したのだから。

 執着心の無さ、すなわち「心」の無さ。

 それが、原口と言う男。

 

 

 しかしそれを聞いて、青鸞が何を感じたのか。

 少なくとも嫌悪では無い、もちろん好意的でも無いだろうが、しかし非難することも無い。

 その代わりに、彼女は古川にパイロット・レポートの紙束を渡した後、月姫のコックピット・ブロックからワイヤーを使って下へと降りた。

 床へ着地し原口の前で姿勢を伸ばす、こうして見ると意外と原口の方が背が高い。

 

 

「それで、結局どうして反体制運動に?」

「そうですね、恩返し、のようなものでしょうか。特に執着する物はありませんが、この世に産んでくれた父母に対して、せめて父母の望みを叶えるくらいの恩返しはあっても良いでしょう」

「……貴方の事情は良くわからない、けど」

 

 

 ふぅ、と疲労の溜息を吐いて、青鸞は言った。

 

 

「恩返しをしようと考えるなら、貴方には心があると思いますけど」

 

 

 その言葉に、原口は小さく目を見張った。

 恩を感じる、それもまた「心」の動き。

 そもそもにおいて、心の無い者が何かを求められても何もしないだろう。

 その点で、原口が自ら捉えた自身の欠陥には大きな見落としがあったと言える。

 

 

 しかし青鸞にしてみれば、それは当たり前のことだった。

 父ゲンブの跡を継ぐ、その行為自体がそもそもの彼女の意思だったからだ。

 最も、今の彼女はそこからもう一歩を進んでいるのだが……。

 

 

『――――小娘、聞こえておるか!!』

「草壁中佐ッ……!」

 

 

 原口が何故か沈黙してしまったので、首を傾げていた青鸞。

 何かの言葉を交わす前に、月姫の通信チャネルから草壁の大声が響いてきた。

 そしてその声と共に、高速列車が走行以外の理由で激しく振動した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 『フロートシステム』。

 ブリタニア軍でも試作段階であり、空力に頼らずに飛翔する特殊なシステムである。

 航空戦艦アヴァロンに備えられている物が代表例だが、それは今や小型化にも成功していた。

 そう、例えば今、試作嚮導兵器『ランスロット』の背中にある赤い翼がそれだ。

 

 

「――――初弾命中、キュウシュウ・ライン寸断完了」

『了解、キュウシュウ・ラインの寸断を確認』

 

 

 乗っているのは当然、枢木スザクである。

 彼の眼下には、急ブレーキで停車した高速貨物列車が見える。

 雨の上がった夜の下、暗い色の車体がぼんやりと浮かんでいた。

 

 

 そしてコックピット内の会話の通り、今や線路を寸断されたその列車は進むことはできない。

 何故なら車両の前の線路とその盛り土が、スザクの放った砲撃によって深々と抉られているためだ。

 雨で湿っていたはずの地面が焦げたように煙を上げているのは、ランスロットが持つ青い長大なライフル『ヴァリス』の砲撃のためだ。

 そしてその砲塔を畳み、スザクは操縦桿を握る。

 

 

『枢木スザク准尉、作戦概要を再度確認します』

 

 

 通信機の向こうから響くのは、付近までスザクを運んだアヴァロン、その艦橋にいるセシルの声だ。

 その声に、スザクは目を細めた。

 

 

『嚮導兵器Z-01ランスロットは、残存エネルギーに留意しつつフロートユニット・ヴァリスを使用、カゴシマより急速に北上する敵軍の行動を阻止、あるいはその意図を完全に粉砕せよ』

 

 

 コーネリアというより、これはシュナイゼルの作戦だった。

 澤崎に集中するコーネリアの側面を衝き、カゴシマのように漁夫の利を得られても面白くない。

 だから彼は、特派の戦力を遊撃隊として活用することにした。

 

 

 要するに、南から上がってくる軍を単機で止めろと言う命令である。

 時間を稼ぐだけとは言え、コーネリア軍の側面を守るためとは言え、旧式ナイトメアが大半の残党軍とは言え、それでも無茶な命令だった。

 しかし、である。

 

 

「イエス・マイ・ロード」

 

 

 それに対するスザクの応答の声は、どこか穏やかですらあった。

 ほっとしている、とすら言える。

 捨て駒同然の扱いを受けているにも関わらずにそのような声で返事が出来る、そのことに対して通信機の向こうのセシルは心配すらしていたのだが、しかし言葉には出さなかった。

 

 

 その代わりと言うわけでは無いだろうが、スザクは操縦桿を倒してランスロットを動かした。

 暗い夜の空を、白のナイトメアが飛翔する。

 縦に回転し高度を上げ、左へ流しながら急降下する。

 突然にそうした理由は単純で、眼下からの攻撃を受けたからである。

 

 

「何だぁ、あの野郎。ナイトメアが戦闘機みてぇに……!」

 

 

 照準用のサイト・ゴーグルを頭の横へと払いながら、キョウト製ナイトメア『黎明』の中で山本が舌を打った。

 彼の機体は最も早く外に出ていた、車両の屋根を左右に開いて身を乗り出すようにして、両肩の火砲を直上のランスロット目掛けて放ったのである。

 

 

 52㎜バズーカ砲と28㎜リニアガン、しかしその砲撃を空中のランスロットは軽々とかわして見せた。

 黎明のメインモニターには、空を縦横無尽に疾走するランスロットの反応を追う赤いクロスマークが高速で動いていた。

 そしてそれが次第に近付いてくるにつれて、山本は自身の黎明の両腕の火器を上空へと向けた。

 しかしその時には、すでにランスロットの急降下が終わっていた。

 

 

「ぬが……っ!」

 

 

 黎明は重火力による中遠距離を得意とするナイトメアである、近接戦が出来ないわけでは無いが、しかしランスロットの機動にまではついていけない。

 縦に回転しつつランスロットが脚を振り、黎明の両腕の火器をその腕ごと蹴り折り飛ばした。

 破片を散らし、バランスを崩した黎明の機体が車両の中へと沈みそうになる。

 

 

「野郎……! だぁが!」

 

 

 山本は機体のバランスを取り戻すことを早々に諦め、代わりの左腰のショットガンを上げた。

 それは目の前から再び飛翔しようとしているランスロットに対して放たれて、フロートの左の翼を弾丸が掠めた。

 しかし、破壊には至らない――――青白い火花が散るのみだった。

 

 

 だが、それで十分だった。

 何故なら山本は自機の後ろ、後方の車両の屋根の上を何かのローラーが駆けるような音を聞いていたからである。

 だから彼は機体のバランスを取り戻さず、そのまま車両の中に仰向けに倒れることを選んだ。

 そして黎明の上を飛び越えて行ったのは、後方の車両の上を疾走するダークブルーのナイトメア。

 

 

『――――兄様(スザク)ッッ!!』

『――――青鸞(セイラン)かッ!』

 

 

 夜の闇を切り裂く、青白い電光の刃。

 斬撃兵装『雷切』の刃が煌き、コックピット・ブロック左の鞘から射出された抜刀がランスロットの左の翼を斬り飛ばす。

 濃紺のデュアルアイが、闇の中で流線を描いた。

 

 

 白の騎士が応じるように舞う、翼を失い血に堕ちつつも狭い列車の上で舞踊を踊る。

 斬られた勢いすらも遠心力として機体を回し、緑のデュアルアイが鋭角にラインを描く。

 濃紺のナイトメア、月姫の右腕のガードの上に脚を叩きつける。

 衝撃を殺しきれず、月姫が列車の上から地面の上へと吹き飛ばされた。

 

 

「――――このッ!」

 

 

 雨に濡れた土砂を噴き上げながら、月姫のランドスピナーが回転する。

 機体と衝撃を止めた青鸞がコックピットの中で顔を上げると、メインモニターの中で白のナイトメアが跳んでいるのが見えた。

 当然、自分に向かってだ。

 

 

「兄様!!」

『青鸞!!』

 

 

 兄妹の声が戦場に響く、そこには血縁関係にあるべき温もりが無かった。

 代わりにあるのは、もっと別の何かだ。

 今やその何かの名すらわからずに、兄妹は戦場の中で互いを呼び続ける。

 皮肉なことに、それはまるで何かを確認しているようにも見えた――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――不味いな。

 ナナリーと言う最大の弱点を己の能力を駆使してトーキョー租界の外に避難させたルルーシュ=ゼロだが、その甲斐があるのか無いのか、戦線は膠着していた。

 無人の野を行くように、とはいかないものの、膠着するとは意外だった。

 

 

 現在、黒の騎士団は租界東部を制圧し、また租界内部の放送局や武器庫などを順調に占拠していた。

 またブリタニア軍のナイトメアを拿捕して戦力を増し、かつルルーシュ=ゼロの仕込みで同士討ちを各所で発生させ、防衛線に穴を開けた。

 民間人に危害を加えないよう最新の注意を払ってルートを選定したのだが、それにしてもだ。

 

 

「藤堂、政庁正面はまだ突破出来ないのか?」

『すまない、まだだ。政庁の防衛システムが予想外に強力なようだ』

「そうか……また連絡する。カレン、政庁正面に移動しろ、零番隊を率いて藤堂の支援に回れ。扇はG1に待機、ディートハルトは各ゲットー組織との連絡を密にしろ。各隊長は私の指示に従い、それぞれの役割を果たせ」

 

 

 矢継ぎ早に指示を出しつつ、各ゲットー組織に対し行動するよう連絡する。

 中華連邦の侵略を利用した一斉蜂起、予定外だが万全の状態で予定通りに進行する革命など存在しない。

 一度うねれば、最後まで行くしかない。

 

 

「この硬さの無い柔軟な守り……シュナイゼルか……」

 

 

 ガウェインの中でルルーシュ=ゼロが忌々しげに呟く、実際、政庁の攻略以外は上手くいっているのだ。

 問題はブリタニア支配の象徴である政庁が落とせないことだ、今やそこだけが問題である。

 おそらくはシュナイゼルが自ら防戦の指揮を執っているのだろうそこに、黒の騎士団の主力は攻撃を仕掛けていた。

 

 

「どうするんだ、坊や?」

「どうするも何も無い、政庁陥落と独立宣言は絶対的に必要だ。だから……」

 

 

 不意に、ルルーシュ=ゼロが言葉を止めた。

 何故かと言えば、現在無数のチャネルで通信を繋いでいるガウェインのモニターに、新たな通信回線が開いたからである。

 しかも秘匿コード、オープンでは無い。

 

 

 そしてルルーシュは、それがガウェインに元々積まれていたチャネルであることに気付いた。

 すなわち、ガウェインが本来いるべき軍のコード。

 ブリタニア軍のコードである。

 

 

「どうする、坊や」

 

 

 先程とは若干だが異なる声音で告げられる言葉に、ルルーシュ=ゼロは表情を消す。

 C.C.の挑発的な視線には言葉を返さず、仮面をつけ、そしてある予感と共にチャネル回線を開く。

 そうして、彼の前に出現した映像に映ったのは。

 

 

『初めましてだね、ゼロ』

 

 

 金髪碧眼、掘りの深い端整な顔、ゆったりとした優雅な衣装。

 その顔を見た瞬間、仮面の中でルルーシュ=ゼロは鋭く目を細めた。

 視線だけで、まさに人を殺すつもりかのように。

 そして、相手の名前を呼ぶ。

 

 

『……シュナイゼル……』

 

 

 ルルーシュ=ゼロに名を呼ばれた男、ブリタニア帝国第2皇子にして帝国宰相、シュナイゼル・エル・ブリタニアは。

 シュナイゼルは、映像の中で完璧な微笑を浮かべていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 もしかしたなら、その2人の戦いは一つの宿命と化していたのかもしれない。

 それは7年前、枢木の家で一つの死を2人で迎えた時から。

 それは数ヶ月前、ナリタで再会を果たした時から。

 

 

 そして、今、ここで出会ってしまったがために。

 

 

 互いの感情の発露を、戦いと言う形でしか表現できない。

 それは極めて不健全で、不確かで、どうしようも無い事実ではあったが、そのような方向でしか互いを確認できないと言うことでもある。

 逆に言えば、確実に互いを確認できる手段こそが――――……。

 

 

『青鸞さま、先行し過ぎです!』

「ごめん! でもこの白兜、中規模集団戦の方が冗談にならないから!」

 

 

 通信から響く仲間の声に応じつつ、青鸞はオートバイ型のシートに胸先を押し当てる。

 非常に辛い体勢ではあるが、そうも言っていられない。

 何故なら彼女が睨む正面のメインモニターには、クマモト平野の山林の夜景が――などと平和なことを言っている場合では無い。

 

 

 右の操縦桿を強く引き、ロックをかけた上で左手で側面タッチパネルの端末を叩く。

 月姫の機体が右斜め後ろへと滑る、雨で濡れた土砂を巻き上げながら正面の敵の攻撃を回避した。

 左胸の飛燕爪牙(スラッシュハーケン)を牽制に放つ、しかしそれは敵の、つまりは兄スザクの駆るランスロットの赤い剣(メーザーバイブレーションソード)によって切り弾かれた。

 

 

「相変わらず、化け物みたいな反応速度……!」

 

 

 舌打ち寸前の顔で青鸞は自分に肉薄してくる白のナイトメアを睨む、その間にも手足の各所を動かして機体の制御と操作を続けている。

 実際、ランスロットとスザクの反応速度は異常だ。

 ナイトメア離れした運動性能、その真価は数十倍の敵に囲まれた時にこそ発揮される。

 それこそ青鸞自身が言ったように、中規模集団戦では圧倒的な機動を誇る。

 

 

 おそらく、20機程度の無頼ではどうしようも無い。

 ならば最初から戦力を減らすことも無い、徐々に線路から離れつつ戦闘を続けるのはそのためだ。

 月姫ならば……今の青鸞と月姫ならば、スザクとランスロットにギリギリついていけるはずだったから。

 ――――性能、と言う意味で。

 

 

「倒し、切れない……?」

 

 

 そしてそれは、ランスロットを駆るスザクの方が良くわかっている。

 青鸞の強さを直接感じる立場である彼には、青鸞が以前と違うことに気付いた。

 もちろんそれは、ランスロットに比肩する程の性能を持つ『月姫(カグヤ)』による所も大きい。

 が、それだけでは無いのだ。

 

 

「何だ、この感覚……?」

 

 

 過去、生身の時も含めて、青鸞はスザクの動きについてこれたことは無い。

 常にスザクの肉体的な動きに翻弄され、反撃すら出来ずに倒されるだけだった。

 それが今、スザクの反応速度について来れている。

 ギリギリ、ついてこれている。

 

 

 今までに無かった現象だ、だからだろうか。

 どうにも、やりにくい。

 どこかスザクの動きはぎこちなく、決め所において決めきれない。

 まるで、決めたくないかのように。

 

 

「…………アレは」

 

 

 ふと、正面のダークブルーの機体が両手に持った廻転刃刀を腰部へと戻すのが見えた。

 スザク自身はランスロットの2本の剣を引く意思は無い、ただ、青鸞がコックピット・ブロックの右の鞘から別の刀を抜くのを見た。

 いったい何本持っているのか、と思う。

 

 

 しかも今度の刀は、うっすらと桜色に輝く長刀だった。

 重武装のナイトメアが、両手で持ってさらに余るような刀だ。

 見るからに、普通では無い装備。

 纏う空気は、決める時のそれだ。

 

 

「…………」

 

 

 名を呼び合った先程とは異なり、もはや会話は無い。

 すでに、会話が成立する条件は失われてしまっている。

 最低でも一度、決着がつかない限り……この兄妹の間に、言葉の交し合いはもはや意味を成さないだろう。

 それがわかっているからこその、無言。

 

 

 そこにある無言の意味を知るのは、この兄妹だけだ。

 この兄妹を除いてしまえば、おそらくはあと1人だけがそれを知る。

 だがその1人は、ここにはいない。

 だから。

 

 

『――――スザク君!』

『青鸞さま! 待ってください!』

 

 

 その時突如2機のナイトメアの内部で、それぞれのオペレーターの声が響いても、なお。

 なお、濃紺と純白のナイトメアは動きを止めずに。

 紅と桜色の刃を、交差させたのだった。

 




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 今話もですが、最近少し執筆の調子が良くないような気が致します。
 まぁ、そのおかげで原作と若干ながら違う流れになりつつあるのですが。
 今後、どのような形になるかは私にもわかりませんが。

 でもブリタニアの頂点に立ってる方が圧倒的優位にあるので、さて運命を変えられるのか。
 次回も頑張ります。
 というわけで、次回予告。


『ブリタニアと、日本。

 戦いが始まってから、すでに7年。

 7年、長く、そして苦しい時間だった。

 それを終わらせる時間が、もし与えられるなら。

 ボクは、きっと』


 ――――STAGE22:「力 集う 時」


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STAGE22:「力 集う 時」

GWということで、今週は2本更新です。
では、どうぞ。


 キュウシュウ戦役勃発から、6日目の朝。

 10月最初の日でもあるその日、エリア11は騒然とした静けさの中にあった。

 表も裏も、早晩に起こった予想外の事態に対して静かに、しかし確かに驚愕していた。

 それは、関門海峡……いわゆる壇ノ浦と呼ばれる場所を挟んで対峙する当事者達にしても同じだった。

 

 

「…………」

 

 

 航空戦艦アヴァロンの後部格納庫、ハッチの開いたその場所にスザクはいた。

 白のパイロットスーツ姿の彼は、ハッチから吹き込んでくる風に髪を揺らしながら眼下の海を見下ろしている。

 アヴァロンの下には、ブリタニア軍の揚陸艇数隻の姿が見える。

 

 

 狭い海峡をゆっくりと進むそれらの艦船は、フクオカ基地に攻め込んでいたコーネリア軍の艦艇だ。

 数日前までクマモトにいたスザクが何故、アヴァロンと共に関門海峡を渡っているのか。

 正直な所、スザク自身にも詳細な理由はわかっていない。

 だがとにかく彼は、クマモトで青鸞とその仲間を足止めしている最中、セシルを通じて軍上層部からの停戦と転進を伝えられ、2日をかけて壇ノ浦まで退がっていたのである。

 

 

「ありゃりゃりゃ~りゃ~、これはまた派手にやられたねぇ~」

 

 

 その時、比較的近い位置から妙に間延びした声が聞こえた。

 閉じていくハッチから視線を動かしてそちらを見れば、そこにはどう見ても軍人には見えない白衣の上司がいた。

 彼は眼鏡の端を弄りながら、格納庫の中に屹立する白のナイトメアを見上げていた。

 

 

「すみません、ロイドさん」

「んん? んふふ、まぁねぇ、僕のランスロットが負けたわけじゃないからねぇ」

 

 

 近付いて謝れば、特に受け取られなかった。

 見上げる視線の向こうに、白のナイトメア『ランスロット』がいる。

 スザクのナイトメアだが、機体そのものには大した損傷は無い。

 例外はフロートユニットだが、実はシステム自体には特に問題は見られなかった。

 後は、武装。

 

 

「MVSが、こうまで見事に切断されるとはねぇ~」

 

 

 どこか楽しげですらあるロイド、その目には真っ二つに折られた二本の剣がある。

 ナイトメアサイズのそれは巨大だが、折られ断たれて元々の機能を失っていた。

 MVS、メイザーバイブレーションソード。

 ランスロットが持つ最新鋭の近接武装であり、特殊な電磁波を刀身に流して振動させ、ナイトメアの装甲を容易く両断できる程の威力を発揮することが出来る剣だ。

 

 

 薄く、硬く、そして鋭い。

 それこそ、その気になればこのアヴァロンでさえ切り刻むことが可能だろう。

 しかしその強力無比な剣が、今は無残に真っ二つにされて格納庫に並べられているのである。

 もちろん、寿命でも故障でもない。

 

 

「表面が溶けてるようにも見えるけど、MVSの電導素材を溶かし切れるような武装があったなんて驚きだよ。これはちょっと何か対策を取らないとねぇ、もし完全実用化されたりしたら、大抵の装甲なんて紙みたいな物だからさぁ」

 

 

 ロイドの口調は緩いが、言っていることは相当な脅威だった。

 そしてスザクは、その脅威を手にしている存在を知っているのである。

 それは、昨夜にクマモトで正面から戦闘を演じた相手が所持していたのだから。

 

 

(……青鸞……)

 

 

 閉じたハッチの向こう、海峡の向こう側にいるだろう少女の名前を呼んで、スザクはハッチの壁面に視線を向けた。

 その先に、彼女はいるのだろうか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その視線の向こう側に、彼はいるのだろうか。

 そんなことを思うのは、青鸞にとってどう言う意味を持つのか。

 理解できる人間が、どれだけいるのだろうか。

 一つだけ確かなのは、青鸞が必ずしも理解を求めているわけでは無いということだろうか。

 

 

「い、いや……青鸞さま。『桜花』は物凄く壊れやすいんで、そ、そして僕には直せない特注品なので……」

「ご、ごめんなさい……」

 

 

 関門海峡を挟んだキュウシュウ側、モンジの海岸線で青鸞は落ち込んでいた。

 落ち込んでいたと言うより、幼稚な表現をするなら「ふみ~」と泣く猫のような状態だった。

 古川は男性にしては小柄な163センチだが、10歳以上年上の男性の前で半泣きの15歳と聞くと別の意味に聞こえそうであった。

 

 

 とにかく濃紺のパイロットスーツに深緑の軍服の上着を羽織った青鸞は、モンジの海岸線の道路の上に屹立する『月姫(カグヤ)』の足元で、そんな状態だった。

 コックピットブロック右の鞘は現在は空の状態であり、そこにあった刀は古川の言の通り壊れてしまっているのだろう。

 まぁ、そうは言っても局所的な事情に過ぎない。

 

 

「青鸞お嬢様」

 

 

 その時、青鸞の背中に声をかける存在がいた。

 三木である、青鸞のブレーンを担当する彼は副官たる花園を傍らに立たせていた。

 実は、青鸞はこの場で彼を待っていたのだ。

 それは、三木が乗ってきたジープに相乗りしている男性に理由があった。

 

 

 ずんぐりとした身体に、独特の民族衣装に身を包んだ男。

 名を、(ツァオ)淵明(ユェンミン)

 澤崎の「革命」に協力した中華連邦遼東軍管区の「元」将軍であり、昨夜未明に青鸞と日本解放戦線の残党軍に接触してきた男だ。

 

 

「澤崎元官房長官を失って、お嬢様に接触してきたものかと」

「フクオカの草壁中佐は、彼への対応について何か言ってた?」

「いえ」

「そう」

 

 

 頷いて、青鸞はジープから降りて数人の部下と共に自分へと向かってくる曹将軍を見た。

 2日前のコーネリア軍との戦いに敗れ、フクオカ基地と沢崎敦(たいぎめいぶん)をを失い、今こうしてモンジに陣取っている日本解放戦線の残党軍に接触してくる。

 ――――いや、「枢木ゲンブ首相の娘」に接触してくる。

 その意図は、あからさま過ぎる程にわかりやすかった。

 

 

「お初にお目にかかる、私は――――」

「中華連邦の曹淵明将軍、知っています。遼東軍管区では機甲師団を率いておられたとか、お会いできて光栄です」

 

 

 手を合わせる独特の礼を行う相手に、青鸞は言葉の上では歓迎の言葉を述べた。

 しかしまさに言葉の上だけであって、その態度は極めて冷淡だった。

 これはカゴシマでの会議で澤崎を「国賊」と呼び、中華連邦軍を「侵略者」と断じたのだから当然ではある。

 

 

「――――こちらこそ、光栄ですな」

 

 

 しかしそこは、3倍以上の年数を生きている曹。

 15の小娘のやることと流す、そもそも彼は青鸞が実権ある指導者であるとは思っていない。

 重要なのは三木や草壁、あるいはキョウトやカゴシマの面々、つまり青鸞の周囲の大人達であって、彼女自身は象徴に過ぎないと言う判断がある。

 そしてそれは、半分は正解と言っても良かった。

 

 

「それで、曹将軍はどうしてこちらに。てっきり、サセボに向かったものかと」

 

 

 現在、エリア11に侵攻して来た中華連邦軍は行き場を失っていた。

 カゴシマ、フクオカを失い、そして大義名分である澤崎をコーネリア軍に捕らえられた。

 国軍と関係の無い人民義勇軍を称してはいても、大義を失った革命軍など存在価値が無い。

 いくらサセボ基地を確保していても、海上輸送路はブリタニア艦隊が押さえ、現地で確保した物資もいずれは尽きる――――ジリ貧である。

 

 

 だからこそ曹は青鸞の下に来た、新たな大義名分を得るためにだ。

 日本最後の首相の娘、大義名分としては申し分ない。

 唯一の難点は、押さえるべき他者が多く、澤崎よりも中華連邦単独での利権独占を狙えない所か。

 

 

「我が中華連邦としては、今後も引き続き貴国を支援し……」

「お心遣い有難う、でも必要はありません」

 

 

 だがそれは、青鸞が曹の思うような人形の象徴である場合だ。

 青鸞は曹の支援の申し出を即決で断った、すなわち。

 彼女は、人形に非ず。

 

 

「これは(ワタシ)の個人的意見ではなく、(ワタシ)達を支援してくださっている全ての方々の総意です。曹将軍、貴方とその軍については、即刻日本の領土領海より退去するよう、この場で勧告させて頂きます」

「し、しかし、貴女方はこれよりブリタニア軍との決戦に臨むとのこと。ならば、我が国も貴国の友好国として」

「曹将軍」

 

 

 瞳を細め光をたたえて、未成熟な肢体をパイロットスーツに包んだ少女が異国の将軍を見据える。

 一瞬、言いようの無い圧を感じて曹が黙る。

 しかし彼も、「失敗しました」とおめおめ本国に戻れる立場ではない。

 戻ったとしても、その後に不幸な出来事が待っているのだから。

 

 

「私達の支援は、きっと日本国の利益にもなると」

「曹将軍」

 

 

 もう一度名を呼び、青鸞は言った。

 日本の立場を、中華連邦の干渉軍の長に対して告げた。

 

 

「日本の利益、国益は、我々日本人が判断することです。ことさら貴方に強調されずとも、(ワタシ)達は日本の国益を常に考えています。そしてその上で、こう申し上げているのです――――お引き取りください、と」

 

 

 それは、中華連邦の干渉への明確な拒否だった。

 拒否された曹としては不快に思わざるを得ない、相手は15の小娘なのだから。

 だから彼が一歩を前に進むのも当然で、その感情が負の方向へ行くのも彼の立場を思えば理解は出来る。

 

 

 理解は出来ても、受け入れてやる必要は無い。

 

 

 だから三木が胸を逸らして青鸞の前に出るのも、海岸線に並ぶ無頼が曹たち中華連邦の人間達の方へとファクトスフィアを向けるのも、周囲にいる歩兵達が銃に手をかけるのも。

 つまりは、そう言う事情からだった。

 意思は一つ、「中華連邦は出て行け」。

 

 

「ぬ、む……ッ、く……!」

 

 

 おかっぱの髪の一部を揺らして背を向ける青鸞の背中を視界に入れつつ、しかしそれ以上のことは何も出来ずに、曹は項垂れた。

 この瞬間、彼らはエリア11で活動する公的資格を失った。

 後は撤退するか、それとも居座って自滅するか……ただ、もしその間に現地の日本人に手を出せば、将来独立を達成した日本は中華連邦の属国たるを良しとしなくなるだろうことは確実だった。

 

 

「はぁ、草壁中佐も自分でやってくれれば良いのに……」

 

 

 曹の後の対応を三木に任せる形になった青鸞は、フクオカで情報を集めているだろう草壁を想って文句を言った。

 もし草壁が聞いていれば雷が落ちる所だろうが、この場にはいないので問題は無い。

 ふと、青鸞は北……フクオカの方角へと視線を向けた。

 

 

 曹は先程、「ブリタニアとの決戦」云々について何かを言っていた。

 そしてそれは事実で、その事実が世界中を驚かせている。

 帝国宰相シュナイゼルの提案、決戦、その詳細の情報を草壁は集めに行ってくれているのだ。

 そう、それは数日前のトーキョー決戦、シュナイゼルと仮面の男ゼロとの通信会談によって現出した事態で――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――数日前、青鸞と日本解放戦線の残党軍がカゴシマに攻め込んだのとほぼ同じタイミング。

 その時、ルルーシュ=ゼロは黒の騎士団を率いてトーキョー租界に攻撃を仕掛けた。

 コーネリアと直属軍のいない間隙を衝いた絶妙な策ではあったが、それでもなお十数万のブリタニア軍が黒の騎士団に対抗していた。

 そして、そのブリタニア軍を総督コーネリアに代わり指揮統率していたのが。

 

 

『初めましてだね、ゼロ』

 

 

 シュナイゼル・エル・ブリタニア、ブリタニア帝国第2皇子にして帝国宰相。

 現在、視察のためにエリア11を訪れているその男。

 その男を確保すると言う意味でも、ルルーシュ=ゼロは時期尚早を自覚しつつもこのタイミングでのトーキョー侵攻に訴えたのである。

 

 

 まぁそれは、彼の能力に対する自信であるとか、キュウシュウを任せられる集団がいたからとか、いろいろな事情があるにはあったのだが。

 とにかく、ブリタニア政庁を守る航空戦力をハドロン砲で一掃したタイミングで、ガウェインの秘匿コードにシュナイゼルからの通信があったのである。

 

 

『自己紹介はいらないだろうから、省かせてもらうよ』

(シュナイゼル……!)

 

 

 ゼロの仮面の下で、ルルーシュは凄絶な形相を浮かべていた。

 シュナイゼル、ルルーシュの腹違いの兄、「優秀な」兄だ。

 本国にいた頃、彼が自分と同じ年齢で残した成績を超えられたことなど一度も無い。

 ルルーシュが苦手なスポーツはもちろん、勉強やチェスにおいても。

 数多いる兄弟姉妹の中で、おそらくは能力的に認めていた唯一の相手だ。

 

 

 そして、母の真実を知っているかもしれない人間の1人。

 ルルーシュの母マリアンヌが、宮廷内で殺された事件の真実を知っているかもしれない。

 母を目の前で失い、妹が視力と身体の自由を奪われた事件の真相を知っているかもしれない。

 そう思うと、さしものルルーシュも冷静ではいられない。

 

 

『……これはこれは、シュナイゼル殿下。もしや自ら降伏の申し出でしょうか? そうでないのなら、私は私の支持者の手前、貴方との通信を切らねばならないのですが』

 

 

 それでも彼が冷静さを維持できたのは、仮面のおかげである。

 そしてもう一つ、C.C.の目だ。

 あのどこか自分を値踏みしているような目が、辛うじてルルーシュを『ゼロ』にした。

 言い換えれば、それは意地だった。

 

 

『ふふ、それは無いよ。私は降伏する必要を感じていないからね』

 

 

 リラックスした声が、通信の向こうから響いてくる。

 そして実際、シュナイゼルは降伏の必要性を感じてはいないのだろう。

 トーキョー租界への侵入はゼロの奇策によって果たしたものの、彼と黒の騎士団は肝心要のブリタニア政庁を落とせていない。

 

 

 いや、むしろ苦戦していると言って良い。

 いくら租界の敷地を制圧しても――制圧拠点が増えれば、その分兵力も分散する――政庁を落とせなければ、それは勝ったことにならない。

 まして、相手には本国や周辺エリアからの援軍もある。

 攻めてはいるが、ルルーシュ=ゼロは決して優位には立っていないのである。

 

 

『それでは、いったい何故通信などを?』

『ふん、そうだね。降伏するつもりは無い、が、これ以上、双方に無駄な犠牲を増やすのもどうかと思ってね』

『無駄な犠牲?』

『無駄だろう? キミ達は政庁を落とせない、そして私達もすぐにはキミ達を押し返せない。なら、ここからの数時間は消耗戦だ、無駄だよ、それは』

 

 

 事実ではある、このままでは消耗戦になる。

 ルルーシュ=ゼロにもそれはわかっている、わかっているからこそ、何とかして政庁の防御力を削り取らなければならないのである。

 正面から正々堂々と勝つためには、そうしなければならないのだ。

 

 

『そこで、どうだろうゼロ、一つ私の提案を聞いてみてはくれないかな』

『……提案?』

 

 

 聞き返せば、通信画面の中でシュナイゼルは柔和に微笑んだ。

 それはまさに完璧な、王者の笑み。

 父シャルルが帝王であるならば、彼は王だった。

 王道を行く、正当なる今日の体現者。

 彼は、たっぷりと時間をかけた後に告げた。

 

 

 

『ここは一旦、停戦しよう』

 

 

 

 一笑に付すべし。

 ルルーシュ=ゼロはそう思った、事実それはその程度の話でしか無かった。

 このタイミングでの停戦の申し出、受諾したとして黒の騎士団と反体制派にどんなメリットがあるのか。

 もし停戦があるとすれば、それこそ敵軍の降伏が前提としてあるべきもので……。

 

 

 

『そして後日、改めて――――日本の独立の是非を戦場で決定しよう』

 

 

 

 しかしシュナイゼルのシュナイゼルたる所以は、余人に想像も出来ない提案を行う所にある。

 さしものルルーシュ=ゼロも、一瞬、相手の言っていることの意味を図りかねた程だ。

 

 

『どうかな、ゼロ?』

『……一考にすら値しない提案だ。今の我々の優位を捨てて、そちらの都合の良い戦場で改めて我々を殲滅したいと言っているとしか思えない』

『キミがもし本当にそう思っているのなら、ゼロ、私のこの提案は意味の無い物だよ。忘れてくれて構わない』

 

 

 しかし。

 

 

『もし受けてくれるのなら、私は帝国宰相として約束しよう』

 

 

 黒の騎士団の優位など形だけの、しかも一時的な物。

 時間が経てば崩れてしまう優位であることは、ルルーシュ=ゼロが一番良く知っている。

 もちろん、彼にも策はある。

 あるが、しかしそれは結局……ブリタニアを利するのでは無いか。

 

 

 中華連邦の介入によって崩れたブリタニアの体勢、そこにつけ込んで初めてトーキョー租界に侵攻できたのだ。

 万全な体勢を整えたブリタニア軍と戦って、これを破る。

 はたして、どちらがより勝算が高いだろうか。

 しかしシュナイゼルの提案は、そこからが普通では無かった。

 

 

『キミ達と同数の兵力で、同等の戦力で、対等の条件で戦おう……とは言っても、キミ達が私を信じられるはずも無いだろうね。だから私は、こういう物を用意した』

『何……なっ!』

 

 

 通信画面に表示されたのは、一枚の紙だ。

 上質な紙の上には金箔で模様が描かれており、下部中央にはブリタニアの国章が刻まれている。

 ルルーシュには、それが何かがわかる。

 それは上奏文だ、臣下が皇帝に何かを願い出る時にしか使用されない物。

 しかもそれには、元々白紙委任でもされていたのか、すでに皇帝の印章が押されている。

 

 

『――――もしこの通信会談での私の提案を受けてくれるのなら、私は帝国宰相として、いや、神聖ブリタニア帝国第2皇子として、約束の遵守に己の皇位継承権を懸けることを約束しよう』

 

 

 皇位継承権――――かつてはルルーシュも保持していた、次期ブリタニア皇帝への権利。

 しかし上に上位者が何人もいたルルーシュとは異なり、シュナイゼルは長兄たる第1皇子を除けば、事実上ナンバー2の皇位継承権を持っているのである。

 それを、テロリストとの密約の代価として持ってくるとは。

 この度胸、大胆さ……並では無い。

 

 

『どうかな、私の皇位継承権だけでは不足だと言うなら、まだいくらか前提条件をつける用意があるが』

 

 

 ルルーシュは、いやルルーシュだからこそ知っている。

 ブリタニア皇族にとって、皇位継承権と言う基盤がいかに重い意味を持つのか。

 それを懸けるということが、どれ程の決断であるのか。

 

 

(シュナイゼル……!)

 

 

 仮面の下、ルルーシュ=ゼロの視線が鋭く細まる。

 もし仮に、本当に同数の戦力・兵力で戦うと言う約束が守られるのであれば、ここで力押しをして兵力を減らすのは無駄と言う他ない。

 すでに実績は十分だ、それにルルーシュ=ゼロの側から停戦の提案を断ったと喧伝されるのは不味い。

 細心の注意を払ってはいても、今回の侵攻でブリタニア市民に犠牲を強いているのも確かだ。

 

 

『……一つ問いたい。貴方はどうして、我々にチャンスを与えるような真似を? 我々が、与えられなければ何も出来ない劣等人種だとでも?』

『まさか、そう言うわけじゃないよ。でもね、哀しいじゃないか』

 

 

 実際に哀しげに呟いて、シュナイゼルは言った。

 

 

『人が死ぬのは』

『……これは異な事を言う。この日本に最初に死を撒き散らしたのは、貴方方ブリタニアだと言うのに』

 

 

 冷笑、仮面の下に浮かんだルルーシュ=ゼロの表情はそれだった。

 まさか、ブリタニアの帝国宰相の口から「人の死は哀しい」などと聞くことになるとは。

 ルルーシュ=ゼロにとっても、そして何より日本人にとっては噴飯物だろう。

 血に濡れたブリタニアが、何を言うのかと。

 

 

『そうだね、否定はしないよ。けれど……』

 

 

 小首を傾げて、告げる。

 

 

『今、人の死を振りまいているのはキミ達の方だよ』

 

 

 ――――事実!

 それは事実だ、ある意味で正しい。

 ブリタニアの支配に対し、テロや紛争を起こしているには日本側なのだ。

 その意味で、シュナイゼルの言は正しい。

 

 

 しかし正しいが故に、それは人の憎しみを呼ぶ。

 今の時点では、それはルルーシュ=ゼロだった。

 彼は仮面の下で凄絶な表情を浮かべたまま、自身を貶めた相手を睨む。

 睨み、憎み、そして。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そして、不満がある。

 青鸞には、一連のキュウシュウ戦役の結末に対して不満があった。

 それは、だ。

 

 

「……ゼロとシュナイゼルの秘密交渉の結果を、何でボク達が遵守しなきゃいけないのさ」

 

 

 それは、エリア11中の反体制派が思っていることの代弁でもある。

 トーキョー租界でシュナイゼルと黒の騎士団が結んだ協定は、この数日間で世界中に広まっている。

 共同記者会見のようなイベントこそ無いものの、確かな形で流されたのだ。

 

 

 黒の騎士団はトーキョー租界に攻め込んだものの、政庁を落とす前に戦線を縮小、撤退した。

 ブリタニア側は崩された外壁の補修は行わず、その代わりに黒の騎士団が一時制圧した土地を全て回収した。

 ただそれはあくまで黒の騎士団とブリタニアの間の話であって、青鸞と日本解放戦線には関係が無い。

 関係が無いのに、しかし関係あるものとして扱われてしまっている。

 

 

「決戦の予定は14日後、兵数はお互い最大で10万、その間は互いに手を出さないこと……」

 

 

 月姫のコックピット部に乗り込み、海岸線に姿を見せた潜水艦――例の「くろしお」型――への積め込み作業に入る。

 現在、青鸞はキュウシュウの諸勢力を纏めて東へ戻ろうとしていた。

 側面端末に映し出されている画像は、例の「トーキョー合意」の内容だ。

 聞く所によれば、ブリタニア皇帝のお墨付きまで得たと言う合意の。

 

 

 14日後、日本のある場所でブリタニア軍・反体制派連合軍の決戦が行われる。

 同数・同規模の戦力で、正規戦を行う、ブリタニア側は本国や他エリア、他軍管区からの援軍を呼ばない、テロ行為に走らない限り期間中の移動は保障……。

 そして、そこで勝った側が――――日本の覇権を握る。

 合意の結果としても、事実としても。

 

 

(そんなこと言われたら、ボク達も行かざるを得ない)

 

 

 やり口が汚い、と思う。

 こっちが従わざるを得ない状況を作っておいて、事態をコントロールしている。

 正直、蚊帳の外に置かれた側としては不快を感じてしまう。

 

 

『青鸞さま、拿捕した中華連邦製ナイトメアを乗せた輸送船が出航したとの報告が入りました』

「うん、わかった。じゃあボク達も東へ行こう」

 

 

 それでも、今はとにかく戦力を整えて東へと向かう。

 青鸞としては、その判断をするしかない。

 正直、不快は感じる。

 ただ個人的な恩義から、ゼロと黒の騎士団に対して口に出して不満は言わない。

 

 

 しかし、同時に危険だとも青鸞は思う。

 今回の合意、賛否はあるだろうが――――概ね、周囲の反応は予想できる。

 予想できるからこそ、彼女は危惧していた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

(……やっぱり、こうなるよね)

 

 

 青鸞の感じた危惧が現実のものになったのは、2日後のことである。

 危惧、と言うより、以前から懸念していたことだ。

 現在の黒の騎士団は、元々ゼロに心酔して入団したメンバーと旧日本解放戦線の兵士で構成されている。

 その心理上の違いは、すでに説明した通りなのであるが……。

 

 

 10月3日、青鸞はキュウシュウ・シコク・チュウゴクのグループと合流しつつオオサカへと至った。

 5年前に青鸞が反体制派運動に身を投じることを決意する要因になったオオサカ租界で、東西の主要な反体制派が集合した。

 中心にいるのは当然、トーキョー租界の「横っ面を引っ叩いた」実績を持つ黒の騎士団――いや、ゼロだった。

 

 

『青鸞嬢、ご壮健そうで何よりだ』

「ゼロこそ、相変わらずいろいろ派手に動いてるみたいだね」

 

 

 仮面越しの再会では、相手が本当に以前に会ったゼロと同一人物かを確認できない。

 ただ握手を交わせば、黒の皮手袋越しに感じる掌の感触は以前のゼロと同じだとわかる。

 あまり重いものを持ったことが無さそうな、女性みたいな細い手指と自分のそれを絡める。

 ナイトメアの操縦桿や刀のタコが出来て硬くなっている自分の掌と比べて、若干だが落ち込む。

 

 

 ただ頭の先から靴に至るまで黒尽くめの姿であるゼロに対して、青鸞は顔を晒しているわけだが。

 今日の着物は、生地と帯に秋の花と花弁を散らせた紫に近い濃紺の着物だった。

 性別も外見も、どことなく対照的な2人である。

 東西の反体制派が集ったオオサカ租界の広場には、数十数百の人間が集まっている。

 その最大派閥は、黒の騎士団と旧日本解放戦線だ。

 

 

『全体の会議を始める前に、青鸞嬢。改めて我が黒の騎士団のメンバーを紹介しておきたい。と言っても、軍事顧問として借り受けている藤堂と四聖剣に関しては紹介の必要は無いだろうが……』

 

 

 崩れたビルに囲まれた広場、ついと視線を動かせば、深緑色の軍服を着た藤堂達の姿が見える。

 小さく手を振ってくる朝比奈に苦笑しつつ、青鸞はゼロの示す黒の騎士団の幹部メンバーに目を向けた。

 驚くべきことに、そこにいるメンバーはチョウフ以前に会ったことがある者達だった。

 

 

『まず扇要、我が黒の騎士団の副司令を勤めている』

「ど、どうも」

「……貴方、確かシンジュクの……」

 

 

 黒の騎士団の漆黒の制服を着慣れてなさそうな、どことなく頼り無さそうな風情の男。

 扇要は、どこか眉を下げた表情で青鸞に会釈してきた。

 それに対して軽く頭を下げつつ、ゼロの紹介する幹部達を見ていく。

 南、杉山、井上……中には見ていない顔もいるが、大体がシンジュク・レジスタンスのメンバーだ。

 

 

 シンジュク事変の時、そこにいたメンバー。

 黒の騎士団の母体がシンジュク・レジスタンスであることを、青鸞はこの時に初めて知った。

 まぁ、ディートハルトと言うブリタニア人は違うだろうが。

 いずれにしてもまた、危惧の度合いが上がる。

 

 

『そして彼女が紅月カレン、紅蓮弐式のパイロットであり、私の親衛隊でもある零番隊の隊長を務めている』

「どうも」

 

 

 同じ「どうも」と会釈でも、行う人間によってここまで差が出るのかと感心する。

 濃い真紅の髪色の、おそらくは年上の少女だ。

 紅蓮弐式と言うのは正確には知らないが、声は知っている。

 チョウフで、自分達を先導してくれたあのナイトメアのパイロットの声だ。

 それに気付くと、青鸞はそっと目礼して。

 

 

「先日は、お世話になりました」

「あ、いえ……別に、そんな」

 

 

 まさかお礼を言われるとは思っていなかったのか、やや面食らった顔をするカレン。

 どうやら、感情が表に出やすい性格なのだろうか。

 新鮮だが不快では無い、同じ若年の少女パイロットと言う共通項もあるためか、親近感もある。

 だから青鸞が、もう一言くらい声をかけようとした所で。

 

 

「いや、まぁ、アレだな」

 

 

 唯一その場にいながら、ゼロによって紹介されなかった幹部の男が青鸞の前に出てきた。

 赤いバンダナを巻いたその男の名は、玉城と言う。

 もちろん青鸞は彼の顔を覚えているのだが、しかし何故その彼がしたり顔で腕を組んで自分の前に出てきたのかはわからなかった。

 

 

「お前らともいろいろあったけどよ、うん。これからはゼロを信じてよ、一緒に頑張って行こうぜ、な!」

 

 

 なので、玉城が青鸞の頭の上に掌を置くのを避けられなかった。

 避けられなかったが故に、場の空気が死んだ。

 それも、かなり良くない方向に。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 女性の頭、つまり髪に触れると言う行為には、特別な意味がある。

 恋人が触れる、と言うまさに「特別」な意味合いから友人同士の戯れまで、意味は様々だ。

 頭を撫でると言う行為はその中でもまた特異だ、よほど親しい間柄で無ければ許されない。

 まぁ、中には気軽に行う者もいるが……その内の8割は、幼い子供に対して行うものだ。

 

 

「な、何だよ……」

 

 

 だから青鸞が頭に乗せられた玉城の手を払ったとしても、不思議は無い。

 玉城はそれにショックを受けたような表情を浮かべたが、それはつまり自分の行為の意味を理解していないと言うことだった。

 今の青鸞は、黒の騎士団の幹部に頭を撫でられるような小娘だと思われるわけにはいかないのだ。

 

 

 シンジュクの時もそうだったが、侮りは組織間・組織内のパワーバランスを崩す。

 だが一方で、玉城の行動は今の黒の騎士団内部の力関係を如実に表しているようでもあった。

 つまり、黒の騎士団メンバーが旧日本解放戦線のメンバーをどう見ているのか、についてだ。

 

 

「な、何だよ、お前らだってゼロに助けられたんだろ。だからこうやって、ゼロを頼りに集まって来たんじゃねぇのかよ」

「それは聞き捨てならないねぇ」

 

 

 玉城の言葉に応じたのは、意外なことに朝比奈だった。

 隣の千葉の咎めるような視線をさらりとかわして、彼は片目を閉じながら玉城を見やった。

 

 

「僕達は別に、ゼロの部下になったつもりは無いよ」

「はぁ? じゃあ何で俺達の所にいるんだよ」

「僕達だって恩は感じるよ、だから協力はする――――けど、アレコレ命令されるような謂れは無い」

「はああぁぁ?」

 

 

 玉城には差異がわからなかったようだが、朝比奈の言葉は旧日本解放戦線側の立場を表明したものでもあった。

 その意味で、表立ってゼロへの批判を行わない藤堂の代理人を彼は自負していた。

 つまり、彼らの精神はあくまでも「日本解放戦線」なのである。

 

 

 皮肉にもルルーシュ=ゼロがかつて危惧したように、これは派閥抗争なのである。

 ゼロに信服している者達と、そうでない者達との。

 ルルーシュ=ゼロが青鸞を傍に置きたい公的な理由がまさにコレなのであって、つまり青鸞に派閥の長になってほしかったのである。

 ゼロの風下に立ち、旧日本解放戦線の兵力をある程度コントロールするために。

 

 

「けどよ、お前らゼロがいなきゃ何も出来なかったじゃなぇか! ゼロのおかげでよぉ、いよいよ最後の決戦ってートコまで話が言ったんじゃねぇかよ!!」

「…………ッ」

 

 

 もちろん、不快は感じる。

 感じるが、それでも成果は成果なのだ。

 過去7年間、成果を出せなかった日本解放戦線と違う点はそこだ。

 

 

 だがしかし、逆に言えば7年間戦い続けてきたのだ。

 派手さは無いにしても、奇跡は無かったにしても、それでも。

 それでも、少なくない人間達を守るために戦いを続けてきたのだ。

 だから唇を引き結んで、青鸞は前を見た。

 胸を張って黒の騎士団の面々を見据える、彼女の後ろには旧日本解放戦線のメンバーがいる。

 

 

「玉城ッ、良いからお前、こっち来い……!」

「ああ? 何だよ杉山、だってよぉ!」

「良いから、ホラ!」

 

 

 完全に二派の空気が悪くなったその場から、杉山と言う騎士団の幹部が玉城の首に腕を絡めて引っ張っていく。

 それで玉城が消えても、二派の空気が改善されることは無い。

 

 

(……やっぱり、こうなるよね)

 

 

 そして、冒頭に到達する。

 ゼロと青鸞の関係がどうと言うより、これは今の黒の騎士団が構造的に抱える問題だ。

 片瀬がかつて抱えていた悩みに似ている、本来ブリタニアへ向けるエネルギーが内部抗争に費やされることの徒労。

 

 

 わかってはいても、どうすることも出来ない。

 まして今や青鸞は旧日本解放戦線の象徴、カゴシマを落とした反体制派の象徴なのである。

 仮面で顔を隠すゼロとは、また別種の存在だ。

 ――――仲間のためにも、簡単には膝は折れない。

 

 

「……カカカ、若い者は元気があって良いの」

 

 

 その時、皺がれた声が響いた。

 コツコツと杖先で地面を叩く音に、その場の全員が顔をそちらへと向ける。

 するといつの間にそこにいたのか、鶯色の着物に身を包んだ小柄な老人が立っている。

 黒服のSPで周囲を固めた彼は、二派の間に立つゼロと青鸞を見つめて「カカカ」と嗤う。

 

 

「……桐原の爺様……!」

「カカカ、久しいの、青鸞……と言って、そこまでの時間は経っておらなんだが。さて……」

 

 

 桐原泰三、キョウトの重鎮、実質的な反体制派の大黒柱。

 彼は顎を撫でながら青鸞を見て、それからゼロを見た。

 その瞳を細める姿からは、桐原が何を考えているのかを読み取るのは難しい。

 

 

「ゼロ、ブリタニアとの秘密合意、キョウトの同意なく進めたのは感心せんが……まぁ、状況と言う物もあろう、不問に処すわい」

『それは有難い、では桐原公』

「うむ、良かろう」

 

 

 頷いて、桐原は周囲の人間を見渡した。

 桐原の存在を知らなかった者もいるだろうが、それでも小柄な老人の身から発せられる妖怪じみた圧力に息を止めていた。

 桐原は口元を深く笑みの形に歪めると、カツッ、と杖先で強く地面を叩いて。

 

 

「その方らも、いろいろ言いたいこともあろうが……ここはゼロに協力し、来るべき決戦に臨むが良い。日本の誇りを懸けて、見事ブリタニアを討ち果たして見せよ。ゼロ、期待してよかろうな?」

『無論、私はそのために存在している』

「良かろう、ならば青鸞」

 

 

 桐原が青鸞を見る、その視線の意味は言葉にされずとも良くわかった。

 朝比奈など旧日本解放戦線メンバーの一部は、桐原の存在に不快そうに眉をを動かすが。

 

 

(あ……)

 

 

 青鸞は桐原の後ろ、桐原の部下である対馬に伴われて立つ少女の存在に気付いた。

 艶やかな黒髪に、小柄な身体を覆う平安衣装。

 にこやかな笑みを浮かべて立つその少女と、青鸞は一瞬だけ目を合わせた。

 

 

 ――――その目は、しかし、相手の側から外される。

 

 

 それに対して、青鸞は僅かに寂しさを感じた。

 だがその寂しさも、その少女が指先で己の唇に触れたことで温もりへと変わる。

 それは、少女2人だけの秘密。

 胸の奥、思い出の向こうにしまうべき……花園の秘密だ。

 だから青鸞も視線を外し、視線の正面に黒い仮面を据えた。

 

 

『それでは、青鸞嬢』

「うん、良いよ。部下にはなれないけれど、貴方に協力してあげる……風下に、立ってあげる」

『それで十分だ、有難う』

 

 

 高い足音を立てて、青鸞たち旧日本解放戦線と合意を結んだゼロ……ルルーシュは、どこか大仰な仕草で東へと指先を向けた。

 その先にあるのは、トーキョー合意で設定された、ブリタニアと日本の最終決戦の地。

 すなわち、進軍目標は。

 

 

『――――セキガハラへ!!』

 

 

 関ヶ原。

 かつて天下分け目の戦が展開された古戦場、そこで。

 12日後、そこで、日本の運命が決まる――――!

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 戦いをもって、戦いを制す。

 正面から正々堂々と言うのは良いが、コーネリアとしては許容できない部分もある。

 皇帝の委任勅命すら利用してトーキョー合意を結んだシュナイゼルだが、総督の地位にあるコーネリアとしては、テロリストと対等の立場で合意を結ぶシュナイゼルのやり方は理解できなかった。

 

 

 しかし、シュナイゼルの行った合意はすでに皇帝たるシャルルの承認まで得ている。

 ブリタニア人とナンバーズを分けるべしと言う国是を作ったシャルル皇帝が、何故ナンバーズのテロリストとの合意を支持するのか。

 コーネリアにはそれも理解できない、が、彼女の立場で表立って反対することは出来なかった。

 

 

「私だって、まさかゼロがあの提案を呑むとは考えていなかったよ」

「は……?」

 

 

 だから非公式の場で説明を求めた所、そう答えたシュナイゼルにコーネリアは目を丸くした。

 黒の騎士団の侵攻に耐えた政庁の執務室で、紅茶を交えての会話である。

 シュナイゼルは面食らって一瞬黙ったコーネリアに笑みを浮かべつつ、紅茶のカップをテーブルに置いた。

 

 

「で、では、兄上は断られるつもりであんな提案を?」

「うん、まぁね。断られてもこちらには損害は無いし、通れば通ったで不利とは言わなくとも不確定要素の多い中での戦闘を強いられずに済んだしね。中華連邦との話も、この2日でどうにか出来る目処が立ってきた」

 

 

 ブリタニアに、いやシュナイゼルにとって、実は黒の騎士団はそれ程の脅威ではない。

 帝国全体を見渡すシュナイゼルの目から見れば、むしろ問題なのはブリタニアに比肩する大国、中華連邦の方である。

 澤崎と言う大義名分は押さえたものの、しかしエリア11内での騒乱の拡大につけ込んでさらに派兵してこないとも限らない。

 

 

 敵は集中させて討つべし、それがシュナイゼルの基本戦略だった。

 中華連邦を当面の敵とせず、あくまでも黒の騎士団と反体制派を糾合させて叩く。

 そのためのトーキョー合意であって、その柔軟さはコーネリアの比では無い。

 

 

「それに……」

 

 

 窓の向こうの夕焼けを見つめて目を細めながら――その向こうには、崩壊した租界外壁が見える――シュナイゼルは、呟くように言った。

 

 

「……あの仮面の向こう側についても、今回のことで少しわかったような気がするしね」

 

 

 普通のテロリストであれば、そもそもシュナイゼルの提案を呑まない。

 一笑に付し、そのまま政庁攻略に兵を進めたはずだ。

 もちろん、その場合はシュナイゼルも全力を挙げてゼロと黒の騎士団を叩き潰すつもりだったが。

 守りに徹して時間を稼ぎ、本国太平洋艦隊の到着を待てば良かった。

 

 

 だが、ゼロはシュナイゼルの提案を呑んだ。

 それはもちろんゼロの戦略的識見が確かだったと言うことも出来るが、それとは少し違うようにシュナイゼルには思えた。

 おそらく、あの仮面の向こう側で……シュナイゼルの言葉のどれかが、効いたのだろう。

 

 

「さて、どの言葉に何が反応したのか、か……」

 

 

 夕焼けに染まる白磁の顔を、コーネリアは何とも言えない心地で見つめていた。

 この兄は、昔から何を考えているのかわからない所があった。

 しかし、今回はその極みであるようにコーネリアには思えた。

 

 

 だが、わからないとしても――コーネリアの責務は変わらない。

 来るべきセキガハラでの戦いに備え、総督として準備を進めなければならない。

 そしてその準備でもって、次こそ敵を討つ。

 コーネリアにとっては、それで全てが解決するはず。

 

 

 ――――はず、だったのだが――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 セキガハラで反体制派が集めることを認められた兵力は、10万人である。

 これは実戦戦力としての数なので、補給や後方のことを考えれば当然、ブリタニア側が有利だ。

 しかし質としてはそうでも、量としてはその限りでは無い。

 数千万のゲットー住民は潜在的な反ブリタニア、だからこそブリタニア軍も10万としたシュナイゼルの政戦両略の妙があるわけだが……。

 

 

 いずれにしても、ゼロと黒の騎士団は12日後までに兵力を集めて組織し、そしてそれを維持すると言う大変な仕事を果たさねばならないのだった。

 そして今日の時点では、オオサカ・ゲットーの廃墟の一部に彼らは押し込められていた。

 清潔な環境で休息を取るブリタニア兵とは、雲泥の差である。

 

 

「……ん……」

 

 

 だが、青鸞はその状況が嫌いでは無かった。

 確かにゲットーでの休息は不潔で、不便で、不自由が多いが。

 その代わり、数千万の日本人の不遇さを身を持って知ることが出来る。

 それはつまり、共感と言う感情に繋がるはずだから。

 

 

 個室とは言え、廃墟の部屋にベッドなど無い。

 毛布があるだけ多くのゲットー住民よりマシであって、部屋の隅の壁に身を預けて眠る青鸞は健やかな寝息を漏らしている。

 ナリタでの暮らしが長かった彼女にとって、固い床や壁で眠るなど慣れた物である。

 

 

「……すぅ……」

 

 

 本来ならば個室である必要も無いのだが、彼女の癖がそれを許してはくれなかった。

 実は先程寝入ったばかりの彼女は、深夜の2時までゼロや他の反体制派のメンバーとの詰めの協議に参加していた所なのである。

 実務はほとんど三木が行うとは言え、彼女が顔を出さないわけにはいかない。

 

 

「ん、ん……」

 

 

 むにゃ、と何事かを呟きつつ腕が揺れて、肩を覆っていた毛布が少しだけズレる。

 ガラスの無い窓から漏れる月明かりが、剥き出しになった少女の肩の白さを晒した。

 どうやら、またやってしまったらしい。

 少女の足元、毛布の隙間から押し出されている濃紺のパイロットスーツがその証明だった。

 寒いのか、青鸞はやや眉根を寄せていて……。

 

 

「ぐっ……!」

 

 

 その時、青鸞の寝言とは別の声が部屋の入り口から響いた。

 女性のくぐもった悲鳴にも聞こえたそれは、佐々木の声である。

 彼女は青鸞の寝室としてあてがわれた部屋の入り口で見張り番をしていたのだが、今、彼女は通路の床に倒れていた。

 息はしているので死んではいないようだが、しかし気絶していた。

 

 

 その犯人は、すぐに判明した。

 何故なら窓から漏れた月明かりは、青鸞の素肌だけでなく犯人の姿も照らしたのだから。

 すなわち、1人の少女を。

 

 

「…………やはり」

 

 

 長い緑の髪、金の瞳、白磁の肌、美貌と華奢な身体、咎人を象徴するような白の拘束着。

 眠り姫を見下ろす視線は冷たく、表情は無く、そして。

 

 

「お前は……」

 

 

 音楽的ですらあるその声は、やがて少女……青鸞の上から降りてくる。

 C.C.が、青鸞の上に覆いかぶさるような体勢へと身を屈めていく。

 そして限界まで近付いた所で、彼女は両手を振り上げた。

 両手に、逆手にしっかりと握られているのは――――大ぶりのナイフだった。

 

 

 刃渡り20センチはあるだろうそれを、C.C.の白魚のような手指が握っているのはどこかアンバランスだった。

 しかもその切っ先は、目前で眠る少女へと向けられているのである。

 さらに言えば、C.C.はそのナイフを。

 

 

「――――!」

 

 

 ナイフの切っ先が、青鸞の胸元目掛けて振り下ろされた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――赤い赤い、夕焼けの世界。

 空に浮かぶ祭壇の上に、その男はいる。

 崩れた神殿を思わせる祭壇の上にいるのは、現実世界の3分の1を手に入れた男。

 シャルル・ジ・ブリタニアと言う名の、その男は。

 

 

「ふふふふ、ふふふふふふ……ふははははははははははははっ!」

 

 

 豪奢な白い巻き毛、皇帝のみが着ることを許された衣装、鋼鉄のような巨体。

 その身から発せられる哄笑は、世界を揺るがすかのような威力を持っていた。

 男は笑う、皇帝は嗤う、シャルル・ジ・ブリタニアは哂う。

 かつて、「嘘」を何よりも憎んだ男は――――。

 

 

「ふぅ――はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッッ!!!!」

 

 

 世界の全てを、笑っていた。

 たった1人きりの、寂しい世界で。

 ――――1人?

 

 

「ふふははは、ははははは――――……」

 

 

 不意に声を止めて、皇帝は視線を上へと上げた。

 そしてその射抜くような瞳を、僅かながら緩ませて。

 

 

「……ええ、わかっておりますよ。我ら兄弟の悲願のためには、まだ……」

 

 

 老皇帝は、誰もいないはずの空間で誰かに語りかけるように。

 両目の奥に、赤い……空よりも赤い輝きを宿しながら。

 

 

「だから――――……奪いましょう、あの娘の全てを」

 

 

 1人の少女の運命を決める言葉を、告げたのだった。

 




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 いや、まさかコードギアスの世界で「関ヶ原の戦い」を行うことになろうとは、私にも読みきれませんでしたよ。
 というか、大丈夫でしょうかこの展開は。

 いずれにしても、第一部もいよいよ大詰めです。
 いろいろな原作イベントがすっ飛ばされているわけですが、その代わりに青鸞を交えたいろいろなイベントを考えたいと思っています。
 実際、今話の最後でとんでもないフラグを立てて見たのですがどうでしょう。
 そんなわけで、次回予告……今回は、何と渦中の人C.C.さんで。


C.C.
『――――長い旅路の中で、いろいろな人間がいた。

 私を憎んだ人も、優しくしてくれた人も。

 けれど皆等しく、誰もいない……あの世界に溶けて消えるばかりだ。

 だから私は、ルルーシュと契約を交わした。

 だが、もし――――……もし、あの娘が、そうだったなら。

 私のすべきことは、たった一つ』


 ――――STAGE23:「コード と ギアス」



「ブリタニア勢力オリジナルキャラクター募集」

・募集条件
1:生粋のブリタニア人であること(他人種はダメです)。
*どうしても他人種を推したい方は、投稿前にご相談くださいませ。

2:名前・性別・年齢・容姿は最低限記載してください。
*その他、技能や性格、思想や口調などがあれば完璧です。

3:ナイトメアなどの兵器に関する投稿も受け付けます。
*採用可能性は、それほど高くないことをご了承くださいませ。

 以上になります、締切は5月11日正午きっかり。
 投稿・相談は全てメッセージにて受け付け致します、それ以外は受け付けませんのでご了承くださいませ。
 それでは、失礼致します。


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STAGE23:「コード と ギアス」

よし、修羅場だ。
では、どうぞ。


 陣容は、ほぼ整った。

 ルルーシュ=ゼロはそう確信していた、今こそ全てのカードは彼の手の中にあると。

 無論、彼の手の中にある戦力はブリタニア軍には遠く及ばない。

 しかしキョウトの支持がある以上、エリア11内の反体制派はある程度彼に従う。

 

 

 現在も、12日後……いや、もう11日後か、そのブリタニアとの決戦に向けて参加表明を行う組織は増える一方だ、入団希望者も増加傾向にある。

 最も、現段階で集う戦力にルルーシュ=ゼロは期待などしていなかった。

 せいぜい、予備部隊や囮、後方支援などに使える程度だろう。

 

 

『青鸞嬢は、もうお休みになられたのか』

「はい、つい先程。何か御用なら、お呼び致しますが」

『いや、構わない。それほど急ぎの用でも無い』

 

 

 実質的に青鸞サイドの旧日本解放戦線を束ねている三木と言う男――ルルーシュ=ゼロは彼のことを知らないが、有能なようではある――にそう言って、ルルーシュ=ゼロは背を向けた。

 三木はやや首を傾げていたようだが、しかし言葉の通り、ルルーシュ=ゼロは青鸞にこれと言った用があったわけでは無い。

 

 

 しかし自然、彼の足は青鸞にあてがわれている部屋へと向いていた。

 特に意味も無く、そうなっている。

 気になると言うのもあるだろう、スザクの一件もある。

 ただし彼は今ゼロだ、ルルーシュでは無い。

 

 

(青鸞の率いてきた2000と、俺の手元の8000。戦力として使えるのはこれくらいか……)

 

 

 やはり、主力は旧日本解放戦線の兵士達になる。

 数も多く、実戦を経ていて、命令に忠実で、強い。

 正規の軍人だけあって、レジスタンスや民兵中心の他のメンバーとは練度が違う。

 とは言え他の団員メンバーも、軍人程では無いが訓練された者達だ。

 そう言った物を換算して、ブリタニア軍と渡り合える精鋭は1万。

 

 

(戦力差の縮小はこれ以上は望めない、後は俺次第か……む?)

 

 

 青鸞の様子を見に足を向けていた最中、ふとルルーシュ=ゼロは足を止めた。

 それは、通路に立っていた見張りの騎士団員が倒れているのを見つけたからだ。

 一気に、緊張した。

 駆け寄って声をかけるが返事は無い、が、気絶しているだけのようだった。

 見れば、通路の先にも何人かが倒れている。

 

 

『アイツは……おい、どうした!?』

 

 

 その中に、佐々木と言う旧日本解放戦線の軍服を着た女性兵が含まれていた。

 彼女を助け起こせば、やはり気を失っている。

 眉根を寄せて軽く唸っている所を見れば、殴打でもされて気絶させられたのだろう。

 

 

 どういうことかと、仮面の下でルルーシュ=ゼロは表情を緊張させる。

 侵入者だろうか、しかしそれなら気絶で済ませているのはおかしい。

 彼がそんなことを思い、思考を進めていたその時。

 

 

「…………!」

 

 

 佐々木が倒れている位置から最も近い場所にある部屋から、何かが聞こえた。

 それは、声だ。

 それも女の声、加えて言えば穏やかではない。

 くぐもってはいるが、それは間違いなく――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞は、これで眠りは浅い方だ。

 寝ている間に衣服を脱ぐと言う癖も、ある意味では眠りの浅さの証明でもある。

 少なくとも、寝ている間に誰かに馬乗りになられれば気付く程度には浅い。

 だから目を開いて最初に見たそれに、彼女は意識を一気に覚醒させなければならなかった。

 

 

「……ッ!」

 

 

 詰めた息は、いったいどちらの物だっただろうか。

 青鸞は、目前で自分に大ぶりのナイフを振り下ろしている緑髪の少女の存在に驚愕した。

 C.C.は、直前で目覚めた黒髪の少女の危機への反応速度に驚嘆を覚えた。

 そしてそんな2人の中間で、銀のナイフが震えている。

 C.C.が両手で振り下ろしたそれを、青鸞が手首を掴む形で両手で押さえている。

 

 

 ナイフの切っ先は、青鸞の胸の膨らみの直前で止まっている。

 いや、僅かながらC.C.の方が力が強いらしい。

 少しずつ刃が押し込まれ、毛布のズリ落ちた胸の肌に切っ先が触れて小さな血の玉ができた。

 寝起きながら満身の力を込めて、青鸞はC.C.の体重の乗ったナイフを押し返そうとした。

 

 

「な、に、を……す――――……んっ!」

 

 

 息も超えも詰まっていて、言葉としては成立しない。

 だが雰囲気は伝わったのだろう、青鸞に覆い被さるC.C.の唇が僅かに動いた。

 薄暗い中、顔横を流れる長い髪が彼女の表情を隠している。

 ただ、前髪の間から見える瞳の光だけが……。

 

 

「だっ!!」

 

 

 腕力で押し返せない、そう判断した青鸞は必死に膝を上げて足を曲げた。

 曲げた足をC.C.の腹に押し当て、そのまま身体のバネを使って押し出した。

 蹴られる形になったC.C.の身が勢い良く後ろに飛ぶ、しかし半分は勢いを殺すために自分から跳んだような物だ。

 

 

 だから体勢の立て直しも早い、ナイフを腰だめに構えて飛び出してきた。

 そのダッシュを見た青鸞は自分の身体から毛布を完全に剥ぎ取ると、C.C.が突き出したナイフを巻き込むような形で回転させた。

 それでナイフの刃は脅威足り得なくなる、しかしそれで終わる程C.C.も甘くは無い。

 

 

「ちょ、待っ……!」

 

 

 あっさりとナイフを手放して毛布から手を出したかと思えば、今度は強烈な回し蹴りが飛んできた。

 青鸞はもちろんそれをガードする、スザク程では無いが重い蹴りの衝撃がガードに使った左腕の骨を軋ませる。

 顔を顰めて、ようやく思考が追いついてきた青鸞は思った。

 

 

(ボク、何で襲われてるわけ……!?)

 

 

 意味がわからない、しかも相手は自分が名前も知らないような相手だ。

 いや暗殺者としてはそれで良いのかもしれないが、彼女はゼロの仲間ではなかったか。

 ゼロの仲間が、どうして自分を襲っているのか。

 外にいたはずの佐々木はどうなったのかなども含めて、青鸞は混乱していた。

 

 

「何のつもり!?」

 

 

 聞けば、返ってきたのは嘲笑のような笑みだけ。

 だがそれは、どこか哀しい。

 そんな表情で、C.C.は爆発のような勢いで床を蹴った。

 虚を突かれた、目の前に迫った蹴り足に腕をクロスしてガード、対応する。

 蹴りの勢いは思ったよりも強く、青鸞は後頭部を壁に打った。

 

 

「う……」

 

 

 呻き声を上げて顔を上げれば、ナイフを拾ったC.C.が目の前にいた。

 息が止まるかのような心地でC.C.の無表情を見る、今度は胸を足で踏まれた。

 青鸞の白い胸元に、黒い靴跡がうっすらとついた。

 胸の圧迫感に、苦しげに呻く。

 

 

 しかしこうまでされてなお、青鸞は自分が殺されると言う事実を信じられないでいた。

 信じられないと言うよりは、実感が湧かない、感じられない。

 それは何故かと言えば、彼女を冷たく見下ろすC.C.の目が……。

 

 

『C.C.!!』

 

 

 その時、第3者の声がその場に介入してきた。

 黒の仮面と衣装に身を包んだ彼は、ゼロである。

 ゼロがその場に踏み込んだ時、彼の目に信じ難い光景が飛び込んで来た。

 C.C.が青鸞を押さえつけ、ナイフを突き立てようとしている光景。

 これは、なかなかに衝撃的だった。

 

 

『……よせ!!』

 

 

 迷うことなく飛び込んだ彼は、C.C.の腕を押さえにかかった。

 仮面の中身を知っているC.C.にとって、これは笑止千万な行為であると言えた。

 女の細腕にも劣る腕力の男に、何が出来ると言うのか。

 

 

『がっ!?』

 

 

 腕を掴んできた腕を逆に捻り、痛みで身が引き攣った所で腹部を殴打した。

 鍛え方の足りない身体が、その場に崩れ落ちる。

 それを冷然と見下ろした後、C.C.は改めて青鸞を見た。

 黒の瞳は、毅然と彼女を睨み返している。

 その内心は、混乱の極みにあったわけだが。

 

 

「…………」

 

 

 その唇が何事かの形に動き、直後、C.C.がナイフを掲げる。

 今度こそ少女の柔肌を貫くだろうそれの切っ先を、青鸞はむしろ無視した。

 その代わりに、C.C.の瞳を正面から見据えている。

 まるで、そこから何かを読もうとするかのように。

 

 

 そして、再びナイフが振り下ろされる。

 薄暗い空間に銀閃が走り、少女へと落ちる。

 しかしそれを、黒の少年が止めた。

 青鸞の目には、ゼロの黒いマントが視界を覆ったように見えた。

 

 

「な……!」

 

 

 そして今回ばかりは、C.C.も驚きの声を上げた。

 自身の横っ腹に飛び込んで来た少年を酷く鬱陶しそうに睨み、ナイフを持った手を押さえられながら、しかし逆の手で仮面の顔を掴んだ。

 揉み合う2人の姿に、一時の安寧を得た形の青鸞は驚きに身を竦ませることしか出来なかった。

 

 

「……この! 離せ、今……!」

『何をしているんだ、お前は!!』

「今、殺せば……地獄を見ずに済む!」

『馬鹿なことを!』

「馬鹿は……お前だ!!」

 

 

 C.C.が腕を振るい、ゼロを引き離そうとした。

 その際、ナイフの柄が仮面を打つ。

 それは何かを考えての行動では無く、単純な偶然ではあった。

 だが現実として、青鸞の目に飛び込んでくる。

 

 

 事実が。

 

 

 ナイフで打たれた拍子に、仮面の機構が壊れでもしたのだろう。

 小さな破片を散らせたそれが、宙を飛んで床に高い音を立てて落ちる。

 カラカラと床の上を滑って良くそれを、青鸞は見もしなかった。

 何故なら、もっと見るべきものがそこにあったのだから。

 

 

「ル……ひぁっ!」

 

 

 言葉を紡ぐ前に、身を抱かれる感覚に小さな悲鳴を上げる。

 それはゼロの腕が身体の上を滑った感触であって、彼女はその場から移動させられた。

 黒い衣装の腕の中にすっぽりと収められて、守られるように強く抱かれる。

 いや、実際に守られているのだ。

 彼に。

 

 

「……ルルーシュ、くん?」

 

 

 今、目に飛び込んで来た事実を確認するように小さく問えば、自分を抱く腕が微かに震えた。

 青鸞の胸の中に、驚愕と納得が少しずつ広がっていく。

 ゼロの仮面の真実を知って――前々から予測していたわけでは無いが――どうしてだろう、「ああ、そうか」と思う自分がいたのだ。

 そう、仮面のテロリスト、ゼロは。

 

 

「……よせ、C.C.。これ以上、青鸞に手を出すと言うのなら……」

「……お前に私がどうにかできるものか、坊や」

 

 

 言葉は勇ましい、だがC.C.の声には明らかに力が無かった。

 無表情だった顔には、今は大部分の諦めと僅かなバツの悪さがあった。

 カラリ、と、ナイフが床に落ちる音が響く。

 

 

「おい、C.C.!」

「……興が冷めたよ。心配しなくとも、私はもうそいつに手は出さないさ」

 

 

 信用していないゼロの……ルルーシュの目に何かを感じたのか、C.C.は初めて笑みのような表情を浮かべた。

 しかし、やはりどこか哀しげだった。

 見ていると、泣きたくなるような。

 

 

「……ここで殺された方が、幸福だったと思うがな……」

 

 

 小さな呟きは、しかしルルーシュの耳には届いた。

 自分を睨む少年に鼻を鳴らして、C.C.はあっさりとその脇を擦り抜けて部屋の外へと出た。

 本当に、もう青鸞を襲うつもりは無い様子だった。

 まぁ、だからと言ってどうしたと言うものでは無いが……。

 

 

「……大丈夫か、青鸞」

 

 

 正体を知られた、身体の痛みよりそちらの方が辛い。

 しかしそれでも、ゼロは、ルルーシュ=ゼロは青鸞を気遣った。

 己の腕の中にいる少女は、細い自分よりもさらに一回り小さく細い。

 それが、妙に儚く見える。

 

 

 一方で青鸞も、ゼロの仮面の真実に沈黙している。

 何と言えば良いのだろうか、ルルーシュがゼロだったと言う事実を前にして。

 だがこれで、ゼロがあれほど自分を救ってくれた理由がわかったような気がした。

 おそらく、半年前のスザクを処刑から救った理由と同じだ。

 それは、とても複雑な感情を彼女に与えたが。

 

 

「どうした、青鸞。どこか怪我をしたのか」

 

 

 沈黙する青鸞は、ルルーシュは不安げに問いかける。

 もちろん、打たれた部分は痛む。

 精神的な衝撃もなかなかのものだ、だが青鸞が沈黙している理由はそれだけでは無かった。

 問題なのは彼女らの体勢、そして。

 

 

「……あの、さ。ルルーシュくん、あのね……」

「ああ、何だ」

「いや、そんなやたらにカッコ良い声とかいらないから……あの、ね?」

 

 

 どこか言いにくそうにしている青鸞に、ルルーシュは眉根を寄せた。

 モゴモゴ言う彼女の声を聞こうと耳を近づけるが、そのためにより強く抱き締める必要があった。

 つまり、掌の力もより強くなり……ぴくり、と、少女の身が微かに震えた。

 きちんとした照明があれば、ルルーシュにも見えただろうか。

 青鸞の頬が、林檎のように真っ赤に染まっていたことを。

 

 

「……て」

「て?」

「て……手。手を、どけてくれると、嬉しいんだけど……」

 

 

 手、そう言われてルルーシュは思考した。

 おそらく状況的に考えて、手とはルルーシュの手のことだろう。

 だからルルーシュは、自分の手の状況を確認した。

 彼の腕は青鸞の身体を抱き締めると言うよりは脇に抱えようとしている形、だからつまり。

 

 

「……ほぁっ!?」

「ぅ……う~……!」

 

 

 気付いたらしい彼に、青鸞は小さく唸った。

 何故ならルルーシュの手は青鸞の胸元に回されていて、そして彼女は例の癖によって何も身に着けておらず、唯一の毛布は先ほどナイフを防ぐのに捨ててしまっていて、つまり。

 ……成長途上のそれが、ルルーシュの掌の中にすっぽりと収まっていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「……違う。ただ、試したくなっただけだ……」

 

 

 後ろから聞こえる馬鹿な騒ぎを背中で受けながら、C.C.はゆっくりとした足取りで通路を歩いていた。

 どこか憔悴した様子で歩くその姿は、彼女を知る者が見れば驚愕するだろう。

 いつも、超然とした態度で他者と接した彼女が。

 

 

 C.C.が、「落ち込んで」いるのである。

 

 

 自分が意識を刈り取った者達の傍を露程も気にせず歩けるあたりはいつも通りだが、しかし、確実にいつもと様子が違う。

 それはまるで、初めて過ちを犯した幼子のような顔で。

 彼女は、虚空に向かって言葉を発する。

 

 

「餌を目の前にぶら下げられた時、自分がどうするのかをな」

 

 

 C.C.には、願いがある。

 彼女がルルーシュにギアスの力を与える契約を交わしたのは、その願いを叶えるためだ。

 その願いを叶えるためなら、何をしても良いと考えている。

 とっくの昔に、人の心を捨てているのだ。

 

 

 それなのに、どういうことだろう。

 気がつけばいつも、自分から全てを台無しにしているのだ。

 自分の方から、願いを押しのけるような行動に出ているのだ。

 嗚呼、何と……何と度し難い「自分」か。

 心の底から、呪わしい。

 

 

「そう言う物言い、お前は……相変わらずだな」

 

 

 今だって、止めてくれて良かったと思っているのだ。

 だから彼女は、自分のことが嫌いだった。

 度し難く、呪わしい自分自身が。

 世界で一番、嫌いだった。

 

 

「……マリアンヌ」

 

 

 この場にはいない誰かに、C.C.は瞳から水気を放ちながらそう呟いた。

 それはどこか、懺悔のようにも聞こえた。

 そして神は、魔女の懺悔を聞かない。

 

 

 神は魔女の言葉を聞かない、聞いてくれるのは神とは程遠い存在だ。

 いつだってそうで――――そして、今も。

 悪魔しか、彼女の話を聞いてくれない。

 そして。

 

 

「ぐ……」

 

 

 悪魔の囁きが、頭痛と言う形を取って彼女の身に現れた。

 長く接触を続けたせいだろうか、額から脳髄を刺されるかのような痛みにC.C.は呻き声を上げる。

 くるりと身を回してからその場に膝をついたのは、戻ろうとしたためだろうか。

 

 

「ル……」

 

 

 戻って、注意を促すためだったのだろうか。

 それとも、ただの偶然なのか。

 それは、誰にもわからない。

 ただ、事実だけが残る……そう。

 悪魔の、運命だけが。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 様々な意味で気まずい沈黙が、その場に流れていた。

 青鸞は濃紺のパイロットスーツを着直していた、胸元のファスナーが緩いのはとりあえず着込んだだけだからだ。

 一度脱いだパイロットスーツをもう一度着るのは、女の子としてはなかなか厳しい。

 

 

(でも、男の子の前で裸でいるわけにも……)

 

 

 しかも相手は幼馴染の男の子である、いや直前までただのテロリストだったはずなのだが。

 そして今までの経緯を思えば、相手の言葉の数々を思い出せば、妙に気恥ずかしくなってくる。

 キミが必要だと言われたことや、ガウェインに姫抱きで乗せられたこと、その他諸々。

 思い返せば、やたらに恥ずかしくなってきた。

 

 

 だがアレはゼロとしての言葉であって、必ずしもルルーシュとしての言葉では無い。

 しかしルルーシュはゼロなのであって、いやしかしゼロはルルーシュなのであって。

 ――――アレ?

 気のせいでなければ、青鸞の瞳がグルグルと渦を巻いているようだった。

 

 

「――――と言うわけで、俺にもC.C.のことは良くわからないんだ」

「え?」

「信用できないのもわかる、が、その、C.C.については俺も情報を持っているわけでは無いんだ。だから……」

 

 

 どうやら、C.C.について説明してくれていたようだった。

 しかし青鸞は、実の所あまり聞いていなかった。

 何故なら、目の前にいる黒髪の綺麗な少年のことで胸と頭が一杯だったからである。

 それでなくとも、C.C.と言う先程の少女のことは良くわからないままだったが。

 

 

「え、と。まぁ、それはそれで良いんだけど……ルルーシュくん、さ」

 

 

 ルルーシュからすれば、今回のことで青鸞と旧日本解放戦線の戦力が黒の騎士団から離れることを防ぐ意味でもC.C.のことは話す必要があったのだが、当の青鸞はそこまで気にしていなかった。

 何故なら、勘のようなものを感じていたから。

 あの少女、C.C.は、本心から自分を殺すつもりなど無かったと。

 

 

「ゼロ、なんだね」

「……ああ」

 

 

 青鸞の言葉に、ルルーシュは飾らずに応えた。

 そして、沈黙が訪れる。

 長い、長い沈黙だった。

 その沈黙の中で、少年と少女は何を思ったのだろう。

 

 

 それはある種、その後の行動で差が出たと言える。

 青鸞は俯き、ルルーシュは顔を上げた。

 薄暗い部屋の中で、毒々しい紅の光が輝く。

 ルルーシュの前髪の間、左眼の位置からその輝きは放たれていた。

 ズキリと痛むのは、胸か瞳か。

 

 

「――――青鸞」

 

 

 しかしその痛みに構うこと無く、ルルーシュは少女を呼んだ。

 そして言おうとした、「この場で見た全てを無かったことにしてほしい」と。

 たった一言告げるだけで、それは現実となる。

 だがその時、ルルーシュの脳裏に1人の少女の顔がフラッシュバックした。

 

 

 オレンジの髪、快活な笑顔――――それが失われ、苦渋と悲嘆に陥った哀しい顔。

 その目に映る自分の顔、酷い顔だった。

 そして奪った、かけがえの無い記憶を、関係性を、全てを。

 フラッシュバックしたそれらが、ほんの数秒だけルルーシュの行動を押し留めた。

 

 

「ありがとう」

 

 

 その数秒で、先に青鸞が言葉を紡いでしまう。

 それは、お礼の言葉だった。

 一瞬、ルルーシュは言葉を失った。

 

 

「ゼロの時にも言ったと思うけど、でもルルーシュくんにはちゃんと言ってなかったから」

 

 

 助けてくれて、ありがとう。

 たったそれだけの言葉、しかしその言葉でルルーシュは目を閉じた。

 瞳の痛みが、すぅ……っと消えていくようだった。

 

 

「ねぇ、覚えてる? 子供の頃にも、ルルーシュくんに良く助けてもらったよね」

「ああ、そうだったかもしれないな」

 

 

 キラキラと輝いて見えるのは、思い出と言う名の宝石だ。

 幼い頃、限られた時間を共に過ごした記憶だ。

 あの時、ルルーシュは真面目さからか面倒見の良さからか、スザクに置いていかれた青鸞の相手をしていたことがある。

 妹に同性の友達をと、そう思っていただけなのに……いつしか、それはかけがえの無い物になった。

 

 

 そしてここにいるのは、あの4人の半分だけ。

 兄妹の片割れ同士が、ここにいる。

 ――――同士。

 

 

「ナナリーちゃん、どうしてる?」

「今は、安全な場所にいる。1人じゃない」

「そっか」

 

 

 その言葉で、青鸞にはルルーシュの理由が見えた気がした。

 

 

「……ルルーシュくんがゼロになったのって、ナナリーちゃんのため?」

「…………」

 

 

 お前は父親のためか、などとは聞かない。

 そんなことは、聞かない。

 だから聞かないルルーシュに、青鸞は笑みを浮かべた。

 笑みを浮かべて、そっと両手を伸ばした。

 細い指先が、逆に俯いたルルーシュの頬に触れる。

 

 

「……ボクがチェスが嫌いな理由、知ってる?」

「将棋と違って、弾かれた駒に存在価値が無い冷淡な所が嫌だからだ」

「正解」

 

 

 それは、今、この時にして意味のある会話だろうか?

 あるのだろう、少なくともこの2人には。

 少年の顔を緩やかに持ち上げて、青鸞はルルーシュと目を合わせた。

 

 

 今だ、と、ルルーシュの中で誰かが告げた。

 今ならば、青鸞の記憶をギアスで縛れる。

 ダメだ、と、ルルーシュの中で誰かが告げた。

 彼女だけは、自分が守りたかった3人の内の1人である彼女にだけは、してはならないと。

 ルルーシュのエゴと言う名の別の自分が、真逆のことを告げた。

 

 

(……良いな)

 

 

 一方で、青鸞はナナリーを羨んでいた。

 ナナリーにして見れば、何の説明も無く兄がこんなことをして、迷惑も良い所かもしれないが。

 だが、昔からそうだった。

 

 

 兄の過保護に困っていたナナリーと、それを羨む自分。

 青鸞とナナリーは、そういった意味では妹として対極に位置する関係だった。

 一度で良いから、兄に過保護にされたい、きちんと相手をしてほしい。

 そう、思っていた時代があったのだ。

 そして今、ルルーシュはナナリーのためにブリタニアと戦っているのだと言う。

 

 

「……ボクの肩にはたくさんの命が乗っていて、ボクの意思だけで全てを決められないけど」

 

 

 だからね、ルルーシュくん。

 ボクの、真っ黒な皇子様。

 

 

 

「セイランは、貴方のモノになります」

 

 

 

 え、と、ルルーシュは目を見開いた。

 そんな彼に、青鸞は恥ずかしそうに笑みを浮かべた。

 そう言えば、ハンカチを借りっぱなしだった。

 後で返そう、そう思いながら一度身を離す。

 

 

「貴方が言ったんだよ、チョウフで、神根島で、船の上で……ボクが欲しいって。協力して、ブリタニアを倒すんでしょ?」

「あ、ああ……」

「だから、うん、良いよ。枢木青鸞はゼロの言いなりにはなれないけど、セイランはルルーシュくんの味方になる。ルルーシュくんの守りたいものはボクが守るよ、だからボクの守りたいものを、貴方も守ってほしいんだ」

 

 

 それは、相互扶助の約束。

 かつてスザクと結んだそれとは異なる、しかし別の形の誓約。

 それを今、青鸞は行った。

 ルルーシュの胸に、熱いものが灯ったのは無理からぬことだった。

 

 

「……ありがとう、青鸞」

「ううん、ボクこそ……ありがとう」

 

 

 どちらからともなく額を軽く当てて、微笑した。

 それはとても美しく、綺麗な光景だった。

 あまりに美しくて、今にも崩れ落ちてしまいそうな程に。

 

 

 しばらくして、2人は身を離した。

 互いに少しバツの悪そうな、気恥ずかしそうな表情を浮かべているのは仕方が無いだろう。

 だがそれは、嫌悪や憎悪とはまるで逆方向にある感情だ。

 

 

「それにしても、ルルーシュくんって本当に凄いね」

「何が?」

「ボクが7年かけて出来なかったことを、たった半年そこらでやっちゃうんだもん。何か、ちょっと、うん、妬けちゃうかな」

「ああ……」

 

 

 そこで、何故かルルーシュは少しだけ哀しそうな顔を浮かべた。

 青鸞は素直に「凄い」と褒めてくれたが、実はアンフェアな方法を使っていたからだ。

 権力やコネとは違う、超常の力を。

 

 

 相互扶助の誓約のせいか、それとも幼い頃の記憶か、いや目の前で少し落ち込んで見える少女の顔のせいだろうか。

 ルルーシュは少しだけ種明かしをすることにした、まぁ、俄かには信じ難い話でもあることだし。

 よほど気が抜けているのだろう、妙な頭痛すら感じる。

 左側、目のあたりが特に痛い。

 

 

「俺には特別な力があるから、だから半年でここまで来れたんだよ」

「何それ、僕は頭が良いんですーって自慢?」

「違う違う、そうじゃないって」

 

 

 ズキズキと、痛む。

 

 

「俺の命令には、誰も逆らえない。そういうことだよ」

「……病院に行く? ゲットーに病院は無いけど」

「だから、そうじゃない。そうだな、例えばこの場で青鸞、俺がもしお前に……」

 

 

 焼け付くような痛みが、左眼を焼いて。

 そして、告げる。

 その状態で、言葉を紡げばそれは。

 

 

 

「――――俺に従え」

 

 

 

 それは、絶対遵守の「命令」となる。

 知らぬ内に放たれた言葉は命令となり、飛ぶ。

 まるで、鳥の羽のように。

 

 

「なんて言ったら、俺に絶対服従の奴隷になる……」

「……ルルーシュくん、大丈夫?」

「だから、そうじゃなくて」

「目、何か――――赤いけど」

 

 

 その時、ルルーシュははっとした。

 左眼の痛みが引いていく、痛みが引いていくと言うよりは、馴染んでいる。

 そんな感覚が、少年の脳裏にある確信をもたらした。

 力が、深まった、その確信を。

 

 

 まさかと思った時には、もう遅い。

 瞳が赤く輝く、それは彼にとって重要な意味を持つのだ。

 だから彼は、反射的に目の前の少女の肩を両手で掴んだ。

 

 

「ダメだ、青鸞!!」

 

 

 ルルーシュの悲鳴のような叫びに、青鸞は大きく目を見開いた。

 その眼に、ルルーシュの左眼が映りこんでいる。

 真紅に輝くその瞳に魅入られたかのように、少女は唇を薄く開いた。

 

 

 望んで手に入れた力は、しかし望む世界を見せてくれる保証にはならない。

 そして。

 ――――そして、少年と少女の物語が幕を上げる。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 キュウシュウ戦役終結から5日後、セキガハラ決戦まであと9日。

 多くの人々が意外に見守る中、ブリタニア軍・テロリスト双方がトーキョー合意を遵守し、エリア11が「嵐の前の静けさ」に包まれているその日。

 枢木スザクは、空の上にいた。

 

 

「え、いない?」

 

 

 航空戦艦アヴァロンの通路、忙しい合間を縫ってスザクは携帯電話でアッシュフォード学園の先輩――この1週間、学校を休みっぱなしだ――であるミレイに連絡を取っていた。

 そのミレイに何も言わずに休んで申し訳ないと告げた所、ミレイ達もトーキョー租界にいないのだと言う。

 何でも、トーキョー決戦直前に租界の外のアッシュフォード家の別荘に移っていたらしい。

 

 

 だがスザクの「いない」は、ミレイ達がトーキョー租界にいないことを意味していない。

 トーキョー決戦以降、学園は休校状態なので、諸々の情勢を考えるとむしろ租界にいない方が良いのかもしれない。

 ナナリーやシャーリー、リヴァルにニーナも一緒だと言うから、それこそ良かった。

 しかしそこには、スザクの思う人物が1人欠けていた。

 

 

「ルルーシュがいないって、どういうことなんですか?」

『それがわからないのよ、たまに電話はしてくるから無事だとは思うんだけど……どこにいるのかはさっぱり。まったく、今度会ったら罰ゲームの刑よ』

「罰ゲームって……」

 

 

 声は苦笑しているが、しかし表情は笑っていない。

 この情勢下で行方が知れないと言うのは洒落にならない、特にスザクはルルーシュのことを良く知っている分、心配の度合いは上がる。

 いったい、どこで何をしているのか。

 まぁ、頭も良く行動力もあるルルーシュのことだ、何とかしているとは思うが……。

 

 

『カレンは租界の病院って話だけど、ルルーシュに関してはさっぱり。今回の合宿だって、ルルーシュが言いだしたのよ? 何と言うか、まぁ、タイミングばっちりだったから良かったけど……』

「そうですね、僕も会長や皆が無事でほっとしました。……それじゃ、ナナリーや皆によろしく」

『はいはい。根詰めるな……って言っても無駄だとは思うけど、たまには息抜きなさいよ。ただでさえ張り詰めてるんだから、スザク君は』

「あはは……じゃあ、また」

『ん、学校でね』

「……はい」

 

 

 電話を切り、僅かながら温かな気持ちを得たスザク。

 しかし、同時に一つの疑念が彼の胸の奥に芽生えていた。

 それは、「ルルーシュはどこにいるのか」ということだ。

 

 

 スザクは彼と言う人間を良く知っている、彼がこの状況でナナリーの傍にいないのは明らかにおかしい。

 彼の知るルルーシュならば、こんな時にナナリーの傍にいないはずが無い。

 もし離れる時は、離れた方が良い何かしかの理由があるか、それとも離れてまで何かしなければならないことがあるかだ。

 

 

(それに、このタイミングで予定に無かったイベントを入れる……?)

 

 

 あの会長をどう説得したのかも気になるが、それ以上にルルーシュの意図がわからなかった。

 もちろん、彼の考えすぎと言うことはあり得る。

 いや、むしろ考えすぎだろう。

 この時のスザクはそう考えた、普段は何も考えないくせに、一度考えると長いのは悪い癖だと。

 

 

「ふん、まさかこんな所で貴様のような者と再会しようとはな」

 

 

 その時、不意に声をかけられて、スザクは今度こそ思考を中断した。

 誰に声をかけられたかと声を上げれば、スザクは意外そうに目を見開いた。

 何故ならそこにいたのは、青の軍服に身を包んだ金髪の青年だったのだから。

 スザクはその顔を知っている、そして軍服の胸元で輝く赤い紋章を知っている。

 それは、「純血派」の証だ。

 

 

「貴方は……」

 

 

 名誉ブリタニア人であり、かつては皇族殺しの容疑をかけられたスザク。

 そんな彼にとって、最も縁遠く対極の位置に立つ男が、そこにいた。

 

 

「キューエル卿……!」

 

 

 スザクに名前を呼ばれたブリタニア人の騎士は、不快そうに鼻を鳴らした。

 ナリタでの軍功で今や純血派部隊を率いる立場にある男、キューエル・ソレイシィ。

 彼は、額から両頬にかけて広がる赤い傷痕を歪めながら、スザクを睨んでいた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そして空の上で茶色の髪の少年が驚愕の再会を経験していた頃、溜息を吐いている少女がいた。

 その少女はトーキョー租界にいて、しかも軟禁されていた。

 軟禁、と言うのは正しくないのかもしれない。

 

 

 そこは政庁の彼女の自室であったし、外に出たいと言えば出ることも出来るし、政庁の敷地内であれば散歩に出ても誰にも咎められることは無い。

 だが、政庁の外には出られない。

 総督である姉コーネリアの命によって、ユーフェミアの行動は完全に管理されることになっていた。

 理由は、「ユーフェミアを守るため」である。

 

 

「ユーフェミア様、お紅茶が入りました」

「ありがとう」

 

 

 事務的な会話をする相手は、姉でも無ければダールトンでも無い。

 自室のテラスに置かれた白い椅子に座って外を眺めていた彼女の横から、緩やかな湯気を立てた紅茶のカップが差し出される。

 銀盆を持つのはメイドでは無く、黒を基調とした軍服を纏った少女だった。

 

 

 年はユーフェミアより下のはずだが、穏やかな口調と言いキビキビした動作と言い、ユーフェミアよりもよほどしっかりして見える。

 それもそうだろう、彼女は本国の士官学校のトップ成績者なのだ。

 名前はリーライナ・ヴェルガモン、元は姉コーネリアの従卒をしていた少女だ。

 その少女が今、ユーフェミアの身の回りの世話・警護を行っている理由は、一つしか無い。

 

 

(お目付け役、か……)

 

 

 温かい紅茶に口をつけながら、そう思う。

 事実、リーライナはお目付け役だった。

 コーネリアに忠実で、ブリタニアへの貢献心もあり、皇族への忠節を知り、能力があり女性である。

 これだけの条件が整っている年若い少女兵はいない、コーネリアが信を置くわけだ。

 

 

「あの、総督の下にいなくとも良いのですか?」

「お気遣い嬉しく思います、ユーフェミア皇女殿下。しかしコーネリア総督の下には、すでに私の後背が新たな従卒として配属されておりますので、ご安心ください」

「新しい従卒?」

「はい、マリーカ・ソレイシィと言いまして、優秀な後輩で私も安心しております」

 

 

 ソレイシィ、その名前には聞き覚えがある。

 確か純血派にそのような名前の騎士がいたはずだ、ならば妹も純血派なのだろうか。

 仮にそうであるのなら、姉コーネリアの周囲に徐々に純血派の勢力が浸透しているとも言える。

 一瞬、ユーフェミアの胸に不安が差し込んだ。

 

 

「それでは、何か御用などございましたら、お呼びくださいますように」

 

 

 礼儀正しく礼をして、リーライナは外へ出た。

 それを見送りながら、またユーフェミアは溜息を吐く。

 政庁という箱庭の中、トーキョー決戦で傷ついた者達の慰安にも行けず、何もさせてもらない。

 そんな日々に、少女の胸は徐々にだが焦りを覚えていた。

 

 

 コーネリアが自分を心配するのはわかる、自分は一度拉致されているのだ。

 しかもトーキョーと言う本拠に攻撃を受けて、それこそ余裕が無いのもわかる。

 だからユーフェミアを守ろうとして、安全な場所に閉じ込めるのもわかる。

 姉の気持ちを想えば、「閉じ込める」と言う表現も正しくは無いのだろう。

 しかし、である。

 

 

「……スザク」

 

 

 知らず、茶色の髪の少年の名を呼ぶ。

 彼ならばきっと理解してくれる、助けてくれる、何の根拠も無くそう信じていた。

 だが伸ばした手は、告げた騎士の誘いは脆くも断られて、自分が皇女として思い上がっていたことを知った。

 心のどこかで、自分が本気で頼めば通ると思っていたのだ。

 

 

(思い上がりも、甚だしい)

 

 

 閉ざされた世界は、ユーフェミアの心を蝕んでいく。

 無力感と、願いへの道のりの遠さ、そして倦怠感。

 どこか、薄い感覚。

 はぁ、と再び溜息を吐いて目を閉じる。

 

 

 どうしてだろう、と、いろいろな人の顔が瞼の裏を巡っていく。

 現在の記憶もあれば、過去、幼い頃の記憶もある。

 いなくなってしまった人達もいて、思う。

 どうして、失われてしまうのだろうかと。

 

 

「どうして……」

 

 

 それは皮肉にも、スザクに対して別の意味で問いかけた少女の言葉と同じだった。

 だが、意味はどこか似ている。

 どうしてそんなことをするのかと、どうして争うのか、傷つけあうのかと。

 心の底からそう思って、ユーフェミアの目尻から涙の雫が一つ零れ落ちた。

 

 

 

「酷い世界だよね」

 

 

 

 文字通り、ユーフェミアは飛び起きた。

 目を開いて慌てて横を見る、するとそこに見慣れぬ少年がいた。

 地面に引き摺る長い金髪、整っている幼い容貌、僧服のような奇抜な衣装。

 どこかこの世の物では無い、不思議な空気を纏った少年。

 

 

「だ、誰ですか? ここは……」

 

 

 皇女として発すべき言葉を、ユーフェミアは続けられなかった。

 それは、紫水晶のような瞳に魅入られたからかもしれない。

 

 

「初めまして、ユーフェミア・リ・ブリタニア。僕の名前はV.V.(ブイツー)

「ぶ、ブイツー?」

 

 

 人間の名前とは思えない記号を口にするユーフェミア、そんな少女の顔を不思議な少年は見た。

 V.V.と名乗った少年は、きょとんとした表情を浮かべる少女を見て、無邪気な笑顔を浮かべたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 この時点で最も人々の話題に上るだろう人間の1人、シュナイゼルは、一時本国に戻っていた。

 時差の関係で、トーキョー租界が午前を終えようとしている時、帝都ペンドラゴンはまだ前日の夜である。

 その意味では、シュナイゼルは十数時間を得していると言えるのかもしれない。

 

 

「すまないね、カノン。任せていた仕事を放り出させて」

「構いませんわ、もう終わらせてきましたから」

 

 

 シュナイゼルがブリタニア本土に滞在する――「滞在」と言えてしまう程に、彼の身は常にどこかに在る――時に使う宰相府の執務室で、彼は1人の人物を迎えていた。

 彼、と言うには、いささか女性的な容貌をした男性ではあるが。

 女性用軍服の肩にかかる長い髪、薄いルージュに香る香水、そして女言葉。

 全て、彼――カノン・マルディーニ伯爵の趣味である。

 

 

「それにしても、驚きましたわ。殿下は相変わらず、人を驚かせることが好きですわね」

「別に驚かせるつもりでやったわけでは無いよ、必要だと思ったからやっただけなんだから」

「その結果が常人に推し量れる範囲であれば、誰も驚きなどしませんわ」

 

 

 ばっさりと上司を切り捨てるカノンに、シュナイゼルは苦笑のような表情を浮かべた。

 執務卓に座るシュナイゼルの前に立つカノンは、彼の側近中の側近だった。

 時にはシュナイゼルの代理人として飛び回ることもあるし、軍人と言うよりは軍官僚として、彼の手足として働いてくれる有能な人間である。

 

 

 そう言う意味では、シュナイゼルは今の皇帝、シャルルに似ているのかもしれない。

 能力主義。

 有能であるのであれば、本人の人格や性癖などは一切、気にしない、好きにさせる。

 ――――ただ、と、カノン自身は思うのだが。

 

 

(陛下に似ている、と言うより、模倣している、の方が近いかもしれないけれど)

 

 

 まぁ、それはまた、別の話である。

 

 

「それにしても、この時期にエリア11を離れるとは……殿下も大胆ですわね」

「そうでもないさ」

 

 

 それに対してははっきりと肩を竦めて、シュナイゼルは言った。

 シュナイゼルはこの時点で、少なくともゼロが合意を無視する可能性を考慮していなかった。

 一部の暴走があったとしても、ゼロがそれに乗じて攻勢に出ることはあり得ない。

 何故か、シュナイゼルにはそう言う確信があった。

 だからこそ彼は一時本国に戻り、様々な根回しや会談に従事しているのである。

 

 

「バトレーが面白い研究をしていてね、クロヴィスの遺産らしいんだが、使えるなら使おうと思っている。最も、これは純血派にも言えることだけどね」

「バトレー将軍に、純血派ですか。亡くなったクロヴィス殿下には申し訳ありませんが、私はあまり良い話は……」

「大丈夫、クロヴィスは何も間違っていないよ……クロヴィスはね」

 

 

 椅子の肘掛けに肘を置き、どこか薄い表情でそう言うシュナイゼルにカノンは心配そうな目を向ける。

 この主君は、時として人を「驚かせる」。

 だからカノンとしては、目を離すわけにはいかないのだった。

 主君としても、そして、ただ1人愛した男性としても――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 さらに数日が進んで、決戦1週間前。

 その時になると、黒の騎士団の主な仕事は各地から集まって来た民兵やテロリストの選別や再編、訓練へと移行していた。

 むしろ遅すぎるくらいなのだが、何しろ所詮はテロリストなのである。

 

 

 キョウトの支援があってもイレヴンの移動には何かと時間がかかる、物資の移動についてもだ。

 この点、ブリタニア軍には無い悩みだろう。

 それでも、不自然な程に集まって来たテロリスト・グループのリーダー達がゼロに協力的なのが気になると言えば気になるが……しかしそのおかげで、加速度的に指揮系統の再編は進んでいる。

 それに、中にはそうしたことに一切の不安を有していない人間もいる。

 

 

「扇さん! キュウシュウからの積荷の最終便、来たんでしょう?」

「あ、ああ……見ての通りだよ」

「へぇ~……これが中華連邦のナイトメアなんだ」

 

 

 その日、カレン達はオオサカの港に来ていた。

 そこには数隻の貨物船が入っていて、そのいずれもがキョウト名義の船だった。

 もちろん、表向きはダミー企業の所有物と言うことになっている船である。

 

 

 その内の1隻からは、ずんぐりした形のナイトメアが次々と荷降ろしされている所だった。

 クレーンを使って陸揚げされているのは、カレンの言った通りの代物である。

 カゴシマなどキュウシュウ南部で旧日本解放戦線側が拿捕した中華連邦のナイトメア、鋼髏(ガン・ルゥ)

 ブリタニア軍を相手にどこまで戦えるのかは不透明だが、騎士団にとっては貴重な戦力になるだろう。

 

 

「何だか、グラスゴー1機使うのに四苦八苦してた時代が嘘みたいだよね」

「…………」

「扇さん? どうかしたの?」

「……あ、ああ、いや、何でも無いんだ。疲れてるのかな、はは……」

 

 

 組織が大きくなっても、相も変わらず古ぼけたジャケットを着用する扇。

 凡庸で地味と言う評判もあるが、それでもカレンはこの副司令の青年を結構好いていた。

 だから妙に反応が鈍く、何かを考えている風な扇を見れば心配くらいはする。

 それに今に限らず、扇はここの所、変なのだ。

 今みたいにぼうっとしていたかと思えば、ソワソワしたり。

 

 

(……そういえば、この間明らかに女性物のお弁当食べてたけど)

 

 

 井上と一緒に目撃したのを覚えている、どう考えても男の料理では無い弁当を食べていた。

 タコさんウインナーとか、いやもしかしたら扇が自分で作っている可能性もあるが。

 まぁ、普通に考えれば恋人とか、そう言うものだろう。

 そのことでも考えているのだろうか?

 

 

「そ、それにしても凄いな、確かに」

 

 

 カレンの目がだんだんとジットリとしたものに変わるのを感じたからか、扇は慌てたように言った。

 

 

「これ全部、青鸞さま達が持って来たものだろ」

「……青鸞さま、か」

 

 

 キョウトの人間に対する敬意は、カレンも持っている。

 何しろキョウトの支援で抵抗活動をしているわけだし、その中でも青鸞はスザクの妹ながら最前線に立ち続けている。

 黒の騎士団の一員として最前線に立つカレンとしても親近感が持てる方だし、チョウフでは短い時間だが戦場を共にしたこともある――――……が。

 

 

「ゼロ様、こんな所にいらしたんですね!」

 

 

 が、である。

 カレンとしては、もう1人のキョウトの「お客様」はあまり好きになれない。

 何故なら彼女は、どう言うわけか騎士団と行動を共にして、しかもカレンの敬愛するゼロに――今だって、ゼロを信じているから不安など微塵も無い――まとわりついているのである。

 

 

『これはこれは神楽耶さま、青鸞嬢なら2番船の方に行っておりますが』

「あん、もう、青鸞は確かに大切な友人ですけれども、私は貴方に会いに来たんですのよ? 毎日毎日お仕事で、新妻を放ったらかしにして。いけない人!」

『お戯れを……』

 

 

 皇神楽耶、キョウトの生粋のお姫様である。

 青鸞がやや異色であることを思えば、まさに「姫」だ。

 それが何故、ゼロの「妻」を名乗っているのかはわからない。

 わからない、が。

 

 

「か、カレン? 神楽耶さまも大事なお客様だから……」

「わかってる。わかってますけども……!」

 

 

 何故かカレンは、釈然としない苛立ちを感じていた。

 それは、ここ数日は姿を見ていないが、C.C.と言う少女に向ける苛立ちとはまた別の物だった。

 しかし、いずれにしても。

 

 

「ゼロ様~!」

 

 

 何故か、無性に苛立つのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 中華連邦から拿捕したナイトメアや旧日本軍の兵器郡を積んだ貨物船を率いてきたのは、草壁である。

 義手義足に傷痕と以前にも増して貫禄と迫力が出ている彼は、厚い胸を逸らしつつ港で待っていた旧日本軍の面々と顔を合わせていた。

 旧日本解放戦線のメンバーだけでなく、決戦を聞きつけて集まって来た旧日本軍の人間もいる。

 そしてその多くは、戦後抵抗活動から離れていた三木が声をかけた面々であった。

 

 

「ご無沙汰しております、三木大佐」

「久しぶりだな、草壁君。活躍の程は良く聞いているよ……私は7年間何もしなかった男だ、上官扱いなどしなくとも構わない」

 

 

 船の前で握手をする草壁と三木は、言うなれば、戦後の行動において対極に位置する存在だった。

 草壁は最強硬派としてずっと抵抗活動に身を投じていたし、三木は早々とブリタニアに恭順の意思を示した軍人だ。

 その2人がこうして握手を交わしているのは、ひとえに1人の少女が間に立ったためと言える。

 

 

「草壁中佐!」

 

 

 旧日本軍の兵士が集まっている中に、場違いな程に明るい少女の声が響く。

 位置関係的に草壁の後ろから声は聞こえてきた、先に見えたらしい三木は少し意外そうな表情を浮かべた。

 その少女が浮かべているだろう喜色の表情を脳裏に描いて、気のせいでなければ草壁の両目が輝いたように見える。

 

 

「こんのぶぅああああああかもんがああああああああああぁ……あ?」

 

 

 振り向き様の怒鳴り声が、急激に萎んだ。

 何故ならそこにいた少女は草壁の想像通りの少女だったのだが、格好がいつもと違ったためである。

 

 

「青鸞お嬢様、そのお姿は……」

「あ、うん。どうかな、似合う?」

 

 

 くるんっ、とその場で回って見せる青鸞。

 ただいつもの着物と違い袖や裾が揺れることは無い、何しろ揺れる所が無いのだから。

 青鸞が身に纏っているのは、深緑色の軍服だった。

 千葉が着ている物よりもサイズが二周り程小さいが、確かにそれは旧日本軍の軍服だった。

 

 

 思えば、青鸞が旧日本軍の軍服を纏っていたことは無い。

 それは彼女の立場が軍人では無かったためだが、しかしそれ故にキョウトの人間であるとの証明のような物だった。

 しかし、旧日本解放戦線は日本軍が母体だが、厳密な意味で軍隊ではない。

 だから、軍人でなくとも衣装を着ることも出来なくは無いのだが。

 

 

「草壁中佐、どうですか、佐々木さんにお願いして用意してもら」

「こんのぶぁかもんがあああああああああああああっっ!!」

「ひっ」

「軍人でも無い小娘が軍服なぞ着てどうするか! 貴様と言う小娘が着るには覚悟も経験も器量も体格も年齢も何もかもが足りんわっ!! 今すぐ脱いでこい、軍服が泣くわ!!」

 

 

 火を噴きそうな勢いで草壁が怒る、身を竦めて怒声を受け止める青鸞は若干涙目であった。

 鼻息荒い草壁を三木が「まぁまぁ」と宥めるのだが、周囲の兵はどこか慣れた様子だった。

 どうやら彼らにとって、草壁は常に怒鳴る存在であるらしい。

 

 

「何だか、ナリタを思い出すね」

「それ程、昔のことでも無かったはずなんだが……」

 

 

 草壁に怒鳴り散らされる青鸞の様子をやや離れた位置から見守りつつ――ある意味、見捨てていると言える――朝比奈の言葉に、卜部は首を傾げた。

 しかし実際、ナリタで抵抗活動を続けていた頃と比べれば随分と変わった。

 と言うか、常識で考えればあり得ないことが多々起こっていると言える。

 

 

「今はゼロに協力を、ね。青ちゃんの言うこともわかるけど」

「何だ、俺も別におかしなことでは無いと思うが」

「まぁ、ね」

 

 

 朝比奈がどこか釈然としない表情を浮かべるのは、数日前から青鸞の様子が変わったと感じていたからだ。

 特に対応が変わったと言うわけではない、決戦に向けた協力は規定路線だ、だからそれ自体はおかしなことは無い。

 

 

 朝比奈が感じているのは、距離感の問題だった。

 以前の青鸞はゼロに対して適度な距離感を保とうとしている姿勢が見て取れた、だがここ数日、僅かながらその姿勢に変化が起きているような気がするのだ。

 もちろん根拠の無い、朝比奈の気にしすぎと言うこともあり得るが……。

 

 

(……気になるね)

 

 

 草壁に叱られている青鸞を見つつ、朝比奈は肩眉を上げる。

 まぁ、それ以上口に出すことは無かったが。

 彼として、青鸞から目を離すまいと思った。

 

 

「朝比奈、卜部」

 

 

 その時、低い声が彼らを呼んだ。

 朝比奈が振り向いたそこには、彼の上官がいた。

 藤堂である、手に刀を持った彼は朝比奈と卜部の間に立つと、目を細めて少し離れた場所を見た。

 

 

 旧日本軍の兵に囲まれる、青鸞の姿を。

 おかっぱの黒髪に深緑色の軍服を纏った少女の姿を視界に収めると、彼は表情を苦々しいものへと変えた。

 しかし彼は、それでも歩を進めた。

 話すべきことを、話すために。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 藤堂は、オオサカ・ゲットーから港まで持ってきたトレーラーのコンテナ部分に青鸞を招き入れた。

 人気の少ない場所ならどこでも良かったのだが、防音性の高い軍用トレーナーは都合が良かったのだろう。

 ナイトメアの収容前でスペースの空いたそこに、物資を椅子に見立てて2人で並んで座る。

 

 

「藤堂さん、お話って何ですか?」

「ああ……」

 

 

 今や黒の騎士団の精鋭1万の運用を任される藤堂は、ここのところ多忙だった。

 だからこうして青鸞と2人きりで話すのは、実はナリタ以来である。

 だがそれは都合が悪かったと言うよりは、やはり避けている部分があったのだろう。

 そして今も、どこか話しにくそうにしている。

 

 

 青鸞もそんな空気を察しているためか、それ以上は話を催促するような真似をしない。

 外は物資の搬入で非常に騒がしいのだろうが、防音壁に覆われたここは静かな物だ。

 だからほっそりとした足を揃えて座り、藤堂が話し始めるのを待つ。

 実直な性格の藤堂がこうして自分を連れ出した以上、誤魔化しは無い。

 そう、信じてのことだった。

 

 

「……ナリタから逃れてチュウブで別れる時、言ったな」

 

 

 そしてそんな少女の信頼に、藤堂は確かに答えた。

 青鸞は顔を上げて、隣に座る藤堂の厳しい横顔を見つめた。

 今も昔も日本を背負う軍人は、少女の視線を感じつつ言葉を続けた。

 

 

「決戦の前に、どうしても話しておかなければならないことがある。いや、本当はもっと早くに話しておくべきだったのだろう」

「……父様のことなら、いろいろな人から聞きました」

「そうか、そうだろうな。三木大佐がいた時点で、ある程度の覚悟はしていた。だが、三木大佐でさえ知りえないことが……」

 

 

 枢木ゲンブの晩年、距離をとっていた三木は知らない。

 7年前のあの夜、あの時点で、何があって、どんなことが話されていたのか。

 今から藤堂が話すのは、今の時点から調べたり、ゲンブの若かりし頃を知る人間に話を聞くだけではけして知りえないことだ。

 

 

 過去7年間、藤堂がずっと胸に秘めていた秘密である。

 知っている人間は、相も変わらずこの世に3人だけ。

 自分、桐原、そして……スザク。

 この3人しか知らない秘密を、藤堂は今日、青鸞に話すつもりでいた。

 何故ならば、おそらくは、決戦直前のこのタイミングこそが最後の機会だから。

 

 

「…………青鸞」

 

 

 深く息を吐き出すような声で、搾り出すように、藤堂は言った。

 

 

「私は、お前に話さなければならないことがある。そしてその後、もしお前が望むのであれば」

 

 

 手に持っていた刀の鍔を軽く鳴らして、藤堂はそれを青鸞に示した。

 少しばかり驚いたように目を丸くする青鸞に、藤堂は苦しげな表情で告げた。

 

 

「……私を、斬るが良い」

 

 

 藤堂の言葉に、青鸞は今度こそ目を見開いた。

 そして、藤堂は語り始める。

 7年前のあの日、何があったのか。

 最後まで青鸞の前にオープンにされていなかった真実が、目の前に現れて。

 その時、青鸞は――――……。




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 どうにか軌道に乗ってきて、仕込みもいろいろやっている今話です。
 次話も似たような形になるかと思いますが、次話は少し遊んでみようと思います。
 次話はおそらく、青鸞と黒の騎士団の面々の絡みになるのかな、と思ったり。
 ようやく絡めます、長かった。
 と言うわけで、次回予告です。


『決戦まであと僅か、時間はあまりにも少ない。

 けど、出来ることはしておきたい。

 そして同時に、ちゃんと休まないといけないのもわかる。

 わかるけど……。

 ……この年になって、おままごとは恥ずかしい、かな』


 ――――STAGE24:「黒 の 騎士団」


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STAGE24:「黒 の 騎士団」

お遊び回のような雰囲気です。
原作キャラクターの雰囲気を大切にしたい方はご注意ください。
では、どうぞ。


 日本の独立の是非を決める決戦まで、あと3日。

 この時点までは、大体においてトーキョー合意は守られていた。

 中には従わない者もいるが、それは別枠として双方が排除することを黙認し合っている。

 そうした中で、黒の騎士団や旧日本解放戦線の面々は準備に余念が無かった。

 

 

「――――このっ!」

 

 

 真紅の髪を揺らしながら、カレンがその唇から裂帛の吐息を漏らした。

 髪色と同じ色のパイロットスーツに身を包んだ彼女は、オートバイ型のコックピットシートに跨って目の前のメインモニターを睨んでいた。

 しかしメインモニターに映っているのは、彼女の愛機である紅蓮弐式である。

 

 

 ならば彼女は、何の機体に乗っているのだろうか。

 それは相手、つまり今、紅蓮弐式に乗っているパイロットが良く知っているだろう。

 カレンの愛機に乗っているのは、青鸞である。

 どうして機体を入れ替えて――オオサカ・ゲットーの中で――模擬戦をしているのかについては、後で理由を説明するとして。

 

 

「ん~~……!」

 

 

 そして青鸞は、本来はカレンの愛機である紅蓮弐式の中で唇を引き結んで唸っていた。

 メインモニターには、やはり彼女の愛機である月姫が映っている。

 腰部から抜いた2本の刀による攻撃、操縦桿を引き、押すことで巧みなステップ機動を生み出して回避する。

 回避行動はぎこちない物だが、それは攻撃する相手も同じだった。

 

 

((やりにくい……!))

 

 

 2人の少女パイロットは、同じ感想を抱いていた。

 青鸞には、輻射波動機構を備えた紅蓮の右腕は機体バランスを著しく損なっているように思えた。

 そしてカレンにとっては、全体的に装甲が重く無数の刀武装を操らなければならない月姫と言う機体は操作が複雑に過ぎた。

 

 

「どうやったら、こんな機体をあんな風に動かせるんだか……!」

 

 

 青鸞は紅蓮弐式の中で舌を巻いていた、目まぐるしく動くメイン及び側面の映像は彼女の目にはやや速すぎる。

 月姫と違い、機体を上下左右に激しく振るのが紅蓮弐式の特徴だ。

 とは言え青鸞の技量では、紅蓮弐式の本来の機動性能は出し切れない。

 チョウフで見た時には、この機体はもっと躍動感溢れる動きをしていたものだが。

 

 

「右、重い!」

 

 

 右の操縦桿の重さに、青鸞は悲鳴のような声を上げた。

 輻射波動、なるほど強力な兵器だ。

 強力だが、しかしナイトメアの訓練場に使っているオオサカ・ゲットーの広場の真ん中で発動させることは出来ない。

 となれば、この右腕の武装は青鸞にとってはただ重い枷だった。

 

 

「しかも、輻射波動以外の武装が少なすぎるんだけど!」

 

 

 それこそ、スラッシュハーケンや特殊鋳造合金製のナイフくらいだ。

 対してカレンは、月姫の機動力の低さにこそ戸惑うだろうが、基本的に武装の量は多い。

 そのため、模擬戦の形成は徐々に月姫を駆るカレンの方へと傾いていく。

 

 

『悪いね、お姫様!』

「何を……っ!」

 

 

 それでも、負ける気は毛頭無い。

 だから青鸞は、右腕をもう捨てることにした。

 右手を操縦桿から離して固定し、右手はランドスピナーやスラッシュハーケン、各箇所の圧力などの操作のためにタッチパネルを叩くことに専念する。

 

 

 仕えない右腕ならば、固定して無いものとして扱えば良い。

 そうした思い切りの良い判断は機体動作に現れる、月姫の中からそれを見たカレンは口笛を吹きたい心地になった。

 右腕を無視した紅蓮弐式の動きは、先程までに比べてずっと良くなったからだ。

 

 

「やるね! けど……!」

 

 

 カレンもまた、思い切り良く決断した。

 扱いに慣れていない刀の武装を諦め、格闘戦での勝負に打って出たのだ。

 彼女もまた、度胸はある方である。

 いつしか彼女の口元には、笑みが浮かんでいた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「う~~ん……思ったより良いデータは取れなそうだねぇ」

「そうですね、やはりパイロットと機体の相性値は馬鹿に出来ないかもしれません」

 

 

 旧日本解放戦線・青鸞グループの技術担当、古川は極度に緊張していた。

 元々耳の障害のこともあって――聞こえ過ぎると言う障害――人付き合いが苦手な彼だが、その中でも異性を相手にするのは特に苦手だ。

 しかも相手が、異国人となればさらに緊張の度合いは増す。

 

 

「ねぇ、アンタ」

「は、ははははぃ……な、なんでしょう?」

「アンタも面白そうな性格してるんだねぇ……」

 

 

 口に咥えた煙管からプカプカと煙を吐き出しながら、訓練場を見渡せる廃ビルの屋上で機材と共に座り込む古川を見下ろすのは、インド系の女性だった。

 白衣を着ているが服装の露出が高く、扇情的な色気に当てられそうな褐色の肌の美女。

 ラクシャータ・チャウラー、黒の騎士団・キョウトの依頼でナイトメアを開発している科学者だ。

 

 

「まぁ良いか。それよりアンタ、あの青って子が桜花壊したのって、例の白兜の剣と打ち合ったって本当かい?」

「あ、あお? 青って……」

「何か問題がありますか?」

「い、いぃえ、何も」

 

 

 ビクッ、と身を震わせた古川の隣には、20代半ばの白衣の女性がいた。

 どうやらラクシャータのそれと揃いらしいが、彼女はきちんと衣服を着ているので目に優しい。

 ただ腰まで伸びた黒髪は良いとして、氷のような蒼の瞳と左眼の眼帯が妙な迫力を備えていた。

 白衣の名札によれば、雪原刹那(ゆきはらせつな)と言う名前らしい。

 名前と瞳の色からして、どうやらハーフのようだった。

 

 

 そして技術担当である古川は、雪原と言う名前に聞き覚えがあった。

 戦前、日本軍の技術部で兵器開発関連の課を一つ任されていた技術士官の名前だったからだ。

 そう言えば同じ課に娘がいたと聞いたこともある、ブリタニアとのハーフと言う話も。

 だから当時、あまり良い話を……職場で上手くいっていないと言う意味で、聞いていた。

 7年前の戦争以降どうなったかはわからなかったが、ラクシャータの下にいたらしい。

 

 

「その子は演算処理が得意でねぇ、埋もれてたから拾ってみたのよ」

「は、はぁ」

「ナイトメアの開発には重宝してるよ、何しろ紅蓮や月姫の自動演算システムの一部には、この子の計算も入ってるからねぇ」

 

 

 そんな技術陣の会話とはまた別に、青鸞とカレンの模擬戦を見つめる視線もあった。

 四聖剣の朝比奈と、副司令の扇である。

 彼らはラクシャータ達の会話には参加せず、眼下で激しさを増していくナイトメア戦闘の光景を見下ろしていた。

 

 

「あのカレンって子、本当にやるねぇ。青ちゃんは正規の訓練受けてるけど、あの子はそう言うの、ほとんどやってないんでしょ?」

「あ、ああ……」

 

 

 感心したように話す朝比奈に対して、扇はどこか煮え切らない返事を返した。

 朝比奈は疑問符を浮かべたそうな表情を浮かべたが、特にそれ以上何かを言うことは無かった。

 そして扇もまた、眼下の模擬戦を見ているようで見ていない。

 彼には、他に考えなければならないことがあったためだ。

 

 

(俺は……俺は、どうしたら)

 

 

 悩む、それは扇と言う青年の特徴でもある。

 それは時として良い結果を生むこともあるが、一方で同じだけの確率で悪い結果を生むこともある。

 そして現在の扇は、その後者の方へと傾きかけていた。

 というのも、彼が考えているのは女性のことだからである。

 

 

(千草……)

 

 

 千草、名前からして日本人らしい。

 否、日本人ではない、ブリタニア人だ。

 反ブリタニアを掲げる人間が、と言う理屈は黒の騎士団には当てはまらない。

 何しろ純血のブリタニア人も参加しているのである、黒の騎士団はその意味でテロリスト・グループとして異色なのだ。

 

 

 問題なのは、扇が「千草」と言う名のブリタニア人女性との関係を通じて、ブリタニアを「敵」と思えなくなりつつあると言うことだった。

 それは、それだけは黒の騎士団でもあってはならないこと、タブーだった。

 おまけに彼が今、トーキョーのゲットーで生活を共にしているブリタニア人の女性は……。

 

 

(もし彼女が、ゼロの正体を思い出してしまったら……その時、俺は撃てるのか、彼女を)

 

 

 その女性は、彼らのリーダーであるゼロの正体を知っているらしいのだ。

 ある海岸で見つけた時、気を失っていた彼女がそんなうわ言を呟いていたのを聞いてしまった。

 ゼロの正体を知っているかもしれないブリタニア人、黒の騎士団の幹部である扇の立場からすれば、どうするべきかなど考えるまでも無い。

 ……その女性が記憶喪失になどなっていなければ、そうしていたかもしれないが。

 

 

「まぁ! とっても激しいんですのね、ナイトメアの模擬戦って!」

 

 

 扇がビクリと身体を震わせたのは、声の高さに驚いたためだけでは無い。

 いつの間にか、彼らの隣に1人の少女が立っていた。

 平安貴族が着るような衣装を身に纏った少女は、神楽耶だった。

 数日前から騎士団と行動を共にしてる彼女は、まるで扇の心の底を見透かすかのように邪気の無い笑顔を浮かべて見せた。

 

 

「か、神楽耶さま、どうしてここに」

「ゼロ様を探していますの、もう、新妻を置いてどこにいったんでしょうね?」

「は、ははは……」

 

 

 朝比奈が乾いた笑いを漏らしたのは、神楽耶の今の台詞のどの部分に対してだろうか。

 しかしそんな神楽耶も、眼下のナイトメアの模擬戦の方へ視線を向けると笑みの質を変化させた。

 それは濃紺のナイトメアを見ているようでも、真紅のナイトメアのコックピット・ブロックに向けられているようにも見えた。

 

 

 ただ、扇や朝比奈から見ると……どこか、より柔らかな笑みに変わったように見えた。

 眩しそうに目を細めるその笑みは、遠くを見ているようで、近くを見ているようにも感じる。

 そんな不思議な空気感を纏いながら、神楽耶は笑みを浮かべた。

 その視線の先には、誰がいるのだろう……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 コーネリア・リ・ブリタニアと言う女性は、謹厳な女性である。

 その謹厳さの源は、皇族として国家の秩序を守ると同時に従う姿勢を見せる所にある。

 内心を表に出すことなく、意に沿わぬ政策でも国家が定めた以上は従い、準備する。

 それがコーネリアと言う女性の強さの源泉であり、彼女を支持する人間にとっては輝きに見えるのだろう。

 

 

 実際コーネリアはこの10日余り、シュナイゼルの定めた期日に従って準備を進めていた。

 直属軍を中心に統治軍の中から10万規模の部隊を選んで編成し、セキガハラに展開を進めているのだ。

 その中には当然、補給や装備など軍隊を支える兵站(ロジスティクス)の整備も含まれている。

 事務処理の量も相応に増えるが、コーネリアは自身の義務から逃げることはしない。

 ただそんな彼女も、義務や強さから程遠くなる瞬間がある。

 

 

「ユフィ……」

 

 

 体調を崩した妹、ユーフェミアを見舞う時にはそうなってしまう。

 自室の天蓋つきのベッドの上で、ゆったりとしたネグリジェに身を包んだユーフェミアが横になっている。

 ベッド傍のスツールに腰掛けたコーネリアは、頬にやや赤みが差している妹の手を取って眉根を寄せた。

 

 

「……お姉さま……」

「侍医の話では、疲労が溜まっていたのだろうとのことだ。ゆっくり休めば、すぐに良くなる」

 

 

 言葉をかけながら、コーネリアは胸の痛みを感じていた。

 ずっと政庁の自室にいたユーフェミアが疲労を感じるとすれば、それはコーネリアが命じた軟禁が原因であることは火を見るよりも明らかだった。

 だから今、ユーフェミアが体調を崩しているのはコーネリアのせいなのだ。

 

 

 それでも、コーネリアにも言い分はある。

 この危険な情勢下で、自前の騎士も親衛隊も持たないユーフェミアを外に出すわけにはいかない。

 実際、一度はテロリストに拉致された。

 ユーフェミアの身の安全に気持ちを避く余裕の無いコーネリアとしては、仕方ない面もあるのだった。

 最も、それはどこまで行ってもコーネリアの都合なのだが。

 

 

「……すまないな、不自由な思いをさせて」

 

 

 妹の綺麗な手を握り、呟くように謝る。

 ユーフェミアの手は、本当に綺麗だった。

 ナイトメアの操縦桿や銃のタコが潰れた痕が残るコーネリアの手とは、まるで違う。

 そのことに、コーネリアは改めて気付いた。

 

 

「だが、3日後の戦いが終わればそれも必要なくなる。その時は、きっと私よりもお前の力の方が求められるだろう」

 

 

 だからこそコーネリアは、3日後の決戦で黒の騎士団と旧日本解放戦線を完膚なきまでに叩き潰すつもりだった。

 シュナイゼルの進めた合意は認められないが、しかし好機ではある。

 セキガハラでゼロを始めとする敵を殲滅すれば、エリア11内の反ブリタニア運動は瓦解する。

 そうすれば治世の時代が訪れるはずで、その時こそユーフェミアの出番のはずだった。

 

 

「だから、もう少しだけ待っていてくれ。私は必ず勝利を得て、お前の下に帰ってくる」

 

 

 強い言葉でそう言って、コーネリアは妹の手をぎゅっと握った。

 まるで力を与えるように、そして力を得ようとするかのように。

 その時、コーネリアは少し顔を俯かせていたから気付かなかった。

 

 

 ベッドの上からコーネリアを見つめるユーフェミアの目が、とても哀しげなものだったことに。

 今にも泣き出しそうな、そんな瞳で姉を見ていたことに。

 そして、その瞳は。

 紫がかった蒼の瞳が、うっすらと赤く輝いていることに。

 コーネリアは、気付く事が出来なかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 トーキョー租界から遠く離れて、セキガハラ決戦の予定地。

 古の古戦場でもあるそこには、ブリタニア軍の主力部隊が展開しつつあった。

 地上空母が複数集まり、周辺にはナイトメア部隊を筆頭とした地上部隊が本陣を囲むようにして配置されている。

 

 

 セキガハラは古の古戦場ではあるが、数百年経った現在では近代的な町並みを広げていた。

 少なくとも、7年前までは。

 セキガハラの町は今や廃墟しか残っていない、住んでいる人間はおらず、7年間放置されたセキガハラの町は今やただのモニュメントでしか無い。

 

 

 

「スザクくん、ランスロットの具合はどうかしら。シート周りを少し変えてみたんだけど」

「はい、大丈夫です。前より使いやすくて」

「そう、良かったわ」

 

 

 セシルの笑顔に同じように笑みを返して、スザクはランスロットのパイロットシートに背中を押し付けた。

 以前は固かったそれは柔らかく、居住性が増したことを証明していた。

 これはセシルの提案である、もう一人はこういうことを考えないので、自然とセシルの担当になっているのである。

 

 

 彼らシュナイゼル配下の特別派遣嚮導技術部もまた、セキガハラに配置されている部隊である。

 配置場所も戦場の端などではなく、シュナイゼルの本陣であるアヴァロンだった。

 コーネリアよりもシュナイゼルの権限が強くなるため、彼らも一躍主力の一翼を担うことになったと言うわけである。

 最も、シュナイゼル自身がセキガハラに入るのは決戦前日の予定だが。

 

 

(決戦まで、あと3日)

 

 

 日本の独立を決める戦い、と銘打たれてはいうが、実際にどうなるかはわからない。

 皇帝の勅命を得ての戦いである以上、そして皇帝が「戦え、奪え」を奨励してる以上、結果は認められるのだろうが。

 だが奪って得た結果は、いずれ他の誰かに奪われるとスザクは思う。

 

 

 ブリタニアにしても、再び日本を「取り戻しに」再侵攻してこないとは約束していない。

 第一、戦争を決闘と混同するかのようなやり方は認められない。

 だからスザクは、変わらず名誉ブリタニア人のパイロットとしてここにいるのである。

 たとえ3日後、全てに決着がつくのだとしても。

 

 

「スザクくん」

「え……」

 

 

 また考え込んでいたのだろう、セシルの声に驚いて顔を上げる。

 するとそこには、年上の女性の柔らかな微笑があった。

 いつか、子供の頃、他の誰かがそんな顔で自分を見ていたかもしれないと思った。

 妹が生まれると同時に、失われてしまったものだが。

 

 

「大丈夫?」

「……はい」

 

 

 頷いて、スザクはセシルに笑みを見せた。

 すると何故かセシルは心配そうに眉根を寄せたが、スザクは笑みを崩さなかった。

 実際、大丈夫なのだ。

 反体制派と戦うことも、名誉ブリタニア人として戦うことも。

 

 

 たとえ誰にも認められなくても、自分はルールさえ守れればそれで満足なのだ。

 その結果、死ぬことになったとしても。

 そして、その結果。

 

 

「大丈夫です、僕は……大丈夫ですから」

 

 

 その結果、妹を失うことになったとしても。

 だがその時はと、スザクは決めている。

 決めているから、迷うことが無い。

 その迷いの無さこそが彼の強さの源であり、そして同時に弱さでもあるのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 模擬戦のラクシャータへの提出書類も終え、シャワーを浴びたカレンは青鸞を探してオオサカ・ゲットー内を歩いていた。

 ゲットー住民は相も変わらず貧困に喘いでいるが、黒の騎士団がセキガハラ決戦に備えて駐屯している今は、騎士団からの食糧配給や医療供与で少しはマシになっていると言えた。

 

 

 それは政治的には、反体制派と呼ばれる人々が民衆の支持を得るために行うことの一つだ。

 体制側が与えてくれない社会保障を与えることで、民衆の中でのイメージアップを図る。

 決戦前に物資を消費するのは好ましくないが、黒の騎士団としては決戦後のことも考えなくてはならないのである。

 最もカレンなどは、政治的意図とは別に「自分達が少し我慢すれば良いだけ」とでも思っているが。

 

 

「うん?」

 

 

 ゲットーの表通りを歩いていた時、カレンは目的の少女を見つけた。

 10月の涼やかな空気の中で、濃紺の着物の背中があった。

 どうやらゲットーの子供達に囲まれているようだ、子供達の面倒を見ていたらしい優しげな女性から赤ん坊を受け取っている所だった。

 

 

「さぁくら~♪」

 

 

 生後数ヶ月らしいその赤ん坊の名前らしきものを呼ぶ声は、離れていても蕩けているとわかる。

 知り合いの赤ん坊なのだろうか、そんなことを気にしながらカレンは青鸞へと近付いて行った。

 その際、カレンに気付いた大人の女性――ナリタの女性、愛沢である――が会釈してきたのでそれを返すと、青鸞も赤ん坊を……桜を抱いたまま振り向いた。

 

 

「紅月さん、どうかしましたか?」

「カレンで良いよ、固い言葉遣いもいらないし」

 

 

 そう言いつつ、身を屈めてカレンは青鸞の抱っこしている赤ん坊を覗き込んだ。

 桜は急に現れた赤いものに興味を抱かれたのか、小さな手を伸ばしてカレンの髪を引っ張ろうとした。

 それを青鸞に手で止められて、「あ、あー」と不満そうな声を上げるのを見てカレンも自然に頬が緩む。

 カレンは、子供が嫌いでは無かった。

 

 

 姉御肌な性格のためか、あまり彼女が紅月家の末っ子であると意識する者は少ない。

 彼女の兄の親友だった扇くらいではないだろうか、彼女を子ども扱いするのは。

 とにかく妹や弟と言う人種の中には、えてして弟妹を持ちたいと思う者が相当数いるのである。

 カレンもまた、そういう人種の1人だった。

 

 

「……この子達、ゲットーの子?」

「ほとんどはそうです、でもこの子は……ナリタで生まれた子です」

「ふぅん、そうなんだ」

 

 

 カレンがむにむにと頬を指で突けば、桜はむずかるように唸る。

 ナリタで生まれた、と言う話は重いが、きっとそれ以上の何かがあるのだろうとカレンは思った。

 桜を見下ろす青鸞の表情を見れば、それくらいのことはわかる。

 わかってしまう程には、カレンは経験を積んでいるつもりだった。

 

 

「せいらんさま、せいらんさま」

「あそんでー」

「え、えっと?」

 

 

 その時、青鸞の着物の裾をゲットーの子供が引っ張った。

 何かと思えば、「あそんで」との催促が飛んできた。

 もちろん1人だけではなくて、カレンまで巻き込んで遊んで欲しいとの催促である。

 しかも1人1人が別の遊びを主張するので、桜を抱っこしたまま左右に振られる青鸞だった。

 その様子がおかしくて、カレンは口元に指を当ててクスリと笑った。

 

 

「皆、青鸞さま達はお忙しいんです、だから無理を言ってはいけませんよ」

「「「えええええぇぇぇ~~~~」」」

「ああ、大丈夫だよ愛沢さん。ちょっとだけなら……」

「あ、そう言う言い方をすると」

 

 

 カレンが最後に呟いた言葉は、子供達の歓声に掻き消えた。

 それに驚いて桜が泣いて一時騒然として、せっかく子供達を止めてくれた愛沢が桜をあやすのにかかりきりになってしまう。

 結果として、青鸞は子供達に完全に囲まれてしまった。

 カレンも巻き添えである、手足にまとわりつく子供には苦笑を浮かべるしかない。

 

 

「え、えーと、どうしよう……」

 

 

 ほとほと困り果てたような声を発する青鸞に、カレンは呆れたような視線を向ける。

 先程の模擬戦ではあれ程思い切りの良い動きをしていたのに、今は子供達に手を引かれ袖を引かれて振り子のように揺らされている。

 その姿は、とても旧日本解放戦線の象徴のようには見えない。

 

 

「せいらんさま、せいらんさま、あそぼー」

「サッカーであそぼうや!」「えー、おままごとがええ!」「そんな女のあそびができひんわ」「そうやそうや」「ええもん、せいらんさまはわたしたちとあそぶんやもん!」

「け、喧嘩はダメだよ皆ー」

 

 

 わーきゃーと言う子供達の金切り声が響く中、青鸞の弱りきった顔が印象的だった。

 と言って、このまま収拾がつかないのも不味い。

 さてどうするかと、カレンが何事かを言おうとしたその時。

 

 

「サッカーと聞いて!」

「隊長!? 急に機材を放り出して何ですか!?」

「お、何だ何だぁ、青鸞さまが包囲されてんじゃねぇのよ」

 

 

 どこからともなく現れたのは、青鸞の護衛小隊の面々だった。

 どうやら何かの物資を運んでいたのだろう、上原が機材の入っているらしい箱を抱えて地面に転がっているのが何とも言えなかった。

 その他、青木などの姿も見える。

 山本は子供達に対して親指を立てて見せると、キラリと白い歯を輝かせて。

 

 

「ついてきな男子達、広場をナイトメアで更地にしてサッカー場にしてやるぜ!」

「ほんま!?」「うわっ、すげ!」「おぃちゃんかっこえーなー!」

「ダメに決まってるでしょう!? そんなのダメに決まってるでしょう!?」

「上原少尉のツッコミは、今日も冴え渡ってんなぁ……」

 

 

 青鸞を助けるためなのか、それとも単純にサッカーが好きだったのか、山本が元気の良い男の子達を率いて行ってしまった。

 上原は山本を止めるために機材を抱えて駆け出して、青木は「やれやれ」と肩を竦めてついていった。

 後に残されたのは、女子である。

 

 

「せいらんさま、ほんならおままごとしよー」「おままごとがええ!」

「あ、ああ、うん、良いよ。良いのかな……」

 

 

 山本達が去って行った方向を不安げに見つめながらも、青鸞はおままごとを了承した。

 愛沢と桜は瓦礫の椅子に座って見守る構えを見せているので、参加するのは青鸞と子供達、そしてカレンだった。

 カレンの性格には合わないと思われがちだが、これでも子供の頃は兄や友人を相手におままごとくらいしたことがあるのだった。

 

 

「それで、誰が何をやるの?」

「うーんとな、えーと……」

「あら、何をしてるんですの?」

 

 

 その時、さらに人が集まって来た。

 青鸞とカレンの模擬戦を見ていた面々の一部であって、神楽耶を先頭に扇と朝比奈もいる。

 彼女らは一様に目を丸くして青鸞達に近付いてきた、しかもそれだけでは終わりでは無かった。

 神楽耶達が来たのとは反対の方向から、別の組がやってきたのである。

 

 

「なぁ、ゼロー。俺達親友だろ、後輩にも示しがつかねぇし、今度の決戦で何か俺にも役職をよー」

「玉城は万年宴会部長に決まっているだろう」

「お前は黙ってろ、ゼロの愛人の癖によ!」

「ほぅ、よほど死にたいと思える……このガキが」

『お前達は、いったい何の会話をしているんだ……む?』

 

 

 ゼロ、そしてC.C.と……そして玉城である。

 今度の決戦でどうやら役職から漏れたらしい玉城が、ゼロに直談判に来たのをC.C.が茶化していると言う構図らしい。

 仮面で見えないが、どうやらゼロはかなり困っている様子だった。

 

 

 そんなゼロの前に、青鸞の手を離した女の子が1人飛び出していた。

 カレンが「あ」と言うのも構わず、女の子はゼロを見上げている。

 立ち止まったゼロは、表情の見えない仮面で女の子を見返している。

 周囲が固唾を呑んで推移を見守る中、先に動いたのは女の子だxった。

 彼女は小さな背丈で腕を精一杯に伸ばして、ゼロを指差すと。

 

 

「……お父さん!」

「「「「「『え』」」」」」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 予想外の事態が起こったと、誰しもが思っていた。

 そして同時にかなり不味い事態だと思った、しかしどうにも出来なかった。

 その結果が、これである。

 

 

『……今、戻った』

 

 

 配役・お父さん―――-ゼロ(ルルーシュ)。

 

 

「おかえりなさいませ、あ・な・た♪ ご飯にしますか、お風呂にしますか、それとも……うふ♪」

 

 

 配役・お母さん――――神楽耶。

 

 

「な、なぁ、俺はここで寝てるだけで良いのかな……?」

 

 

 配役・お祖父さん――――扇。

 

 

「良いと思いますけど……寝たきり設定らしいし」

 

 

 配役・お姉さん(長女)――――カレン。

 

 

「さ、最近のおままごとは、設定が深いんだね……」

 

 

 配役・お姉さん(次女)――――青鸞。

 

 

「いや、設定……なのかな、これ」

 

 

 配役・隣のお兄さん――――朝比奈。

 

 

「クレヨンで書いた割には良く出来ているな、この設定書は……時代が進むと早熟の度合いが増すと言うのは本当だな」

 

 

 配役・向かいのお姉さん――――C.C.。

 

 

「つーかオイ! 俺だけ何でこんな役なんだよ!!」

「「「「子供達の設定書に書いてあるから……」」」」

「何で俺だけ返事があるんだよ!!」

 

 

 配役・犬――――玉城。

 

 

「「おとうさ――ん、おかえりなさーい!」」

 

 

 配役・末娘ズ――――子供達。

 以上、これが黒の騎士団・旧日本解放戦線を巻き込んだ伝説の「おままごと」の構成である。

 演出・配役共にゲットーの子供達、観客である愛沢と桜は後に感想をこう漏らした。

 

 

「あー、あぅっ、あーうー!」

「……まぁ、何と言うか、子供は怖いもの知らずですよね……」

 

 

 神楽耶が「お母さん」の座をゴリ押しで勝ち取ったり、カレンがゼロの娘と言うポジションにいろいろなことを想ったり、青鸞がやけに気合いが入っていたりと。

 不安が大多数を占める「おままごと」が、そうして始まった。

 これも、一つの結果である。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 それは、ニッポンと言う国の首都にちょこんと存在する、ちょっと変わった家族とご近所のお話。

 慎ましやかだけれども、皆で肩を寄せ合って生きている、そんな人達のお話です。

 

 

「青鸞、青鸞? 早く起きないと遅刻してしまいますよ」

 

 

 ある朝のことです、お母さんである神楽耶が――やけに若いお母さんですが――娘の青鸞を起こそうとしているようです。

 どう見ても同年代かそれ以下にしか見えませんが、とにかく母と娘です。

 でも青鸞は、いくら揺り動かしても起きてくれませんでした。

 お母さんの神楽耶はほとほと困り果てました、このままでは遅刻してしまいます。

 

 

「もう、困ったさんですね。ああでも起こすのも可哀想、仕方が無いからお母さんが寝ている間にお着替えさせてあげましょうね、そうしましょう!」

「神楽……じゃなく、お母さん、おはよう!」

 

 

 何故か嬉々として手を打った神楽耶、すかさず青鸞は飛び起きました。

 まぁ、神楽耶は無視して青鸞の衣服に手をかけ始めるのですが。

 

 

「え、ちょ、お母さんお母さん、おはよう! ボク起きてるから!」

「起こすのが可哀想ですから!」

「待てえええぇぇい!」

 

 

 スパーンッ、綺麗な音を立てて神楽耶の頭がはたかれました。

 叩いたのはもう1人の娘、カレンです。

 楽しみを邪魔、もとい青鸞を着替えさせてあげようとしていた神楽耶は、どこか不満そうな目をカレンに向けます。

 

 

「……反抗期の娘は可愛くありませんもの」

「誰が反抗期か! 常識で動けお姫様!」

「カレンさん、お姫様じゃなくてお母さん」

「私のお母さんは1人だけ……じゃないか、ええと、お母さんは青鸞さまに対して」

「さまはいらない、ボク妹」

「……ん、んんぅん……」

 

 

 神楽耶に指を指した体勢で、カレンは深く唸りました。

 どうしたら良いかわからない様子です、それはそうだろうと思います。

 でも今は娘で姉妹なので、どうすることも出来ません。

 

 

『何だ、騒々しいな』

 

 

 騒ぎを聞きつけたのか、お父さんのゼロがやってきました。

 最愛の夫の姿を見つけて、嬉しそうな顔をしたのは神楽耶です。

 彼女は仮面のお父さんに飛びつくと、途端によよよと泣き崩れました。

 

 

「聞いてくださいまし、あなた。カレンが私を苛めるんです、どうしてあんなに凶暴に育ってしまったのでしょう」

「アンタねぇ!」

『カレン、お母さんに対してそんなことを言ってはいけない』

「う、ぜ、ゼロ……じゃない、お父さん……」

 

 

 そして、お父さんに叱られると急激に弱々しくなるカレンでした。

 一方で、ゼロは神楽耶の方も見て。

 

 

『神楽耶、カレンは有能な……もとい、妹達の面倒を良く見る良い姉だ。あまり苛めてやるな』

「んもぅ、仕方ない人ですね」

『すまないな』

「良いんです、新妻ですから♪」

 

 

 新妻にしては、娘達がかなり育っている家庭でした。。

 しかし気になるのは、ゼロにぎゅうっと神楽耶が抱きついた時に、カレンばかりでなく青鸞もむっとした表情を浮かべたことでしょうか。

 この場合、どちらに対する何にむっとしたのかはわかりません。

 はたして、彼女はどちらに嫉妬したのでしょう。

 

 

「えーと、何だっけ……すみませーん」

「あ、省悟さんだ」

 

 

 その時、家の呼び鈴が鳴らされました。

 お隣の家の朝比奈お兄さんの声です、青鸞が慌てて玄関へと向かいます。

 ぱたぱたと駆けるその姿はどこか子犬のようで、見えていないはずなのに朝比奈お兄さんは苦笑していました。

 

 

 さて一方で青鸞が去った後、お父さんとお母さんとお姉さんの間にも重大な問題が発生していました。

 これは3人の関係がどうと言うよりは、本来そこにいないはずの女性がお父さんの部屋から出てきたことが原因でした。

 向かいのお姉さん、C.C.がどうしてかお父さんのゼロのお布団の中から出てきたのです。

 

 

「おい、さっきからうるさいぞ。朝くらい静かに寝かせろ」

「あなた! これはどう言うことなんですの!?」

「ゼ、ゼロ……」

『い、いや、これは……』

 

 

 平和な家庭が、一気に阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌します。

 お父さんの浮気現場を目撃してしまったお母さんとお姉さんは、お父さんを責めるような目で睨んでいました。

 それに対して、C.C.はゼロの首に腕を回します。

 

 

「おい、腹が減ったぞ。早く朝食のピザを用意しろ、甲斐性なし」

「あなた! 新妻を放って職場に愛人を作っていたんですの!? 酷い裏切りですわ!」

「ゼロ、やっぱり……」

『い、いや、だから……』

 

 

 そしてそんなお父さん達を、端の部屋の扉の陰から末娘達が見つめています。

 

 

「えーと、皆、こっちにおいで。お父さん達は大事なお話をしているようだから」

「「はーい」」

 

 

 扇お祖父さんに呼ばれて、末娘達は部屋の中へと戻りました。

 寝たきりのお祖父さんに朝ご飯を食べさせていた彼女達は、お祖父さんに抱きついてきゃっきゃっと嗤っています。

 一方で扇お祖父さんは、扉の向こうから聞こえてくる甲高い声に顔色を青くしています。

 げに恐ろしきは女性問題、彼にとっては人事ではありませんでした。

 

 

「やぁ青ちゃん、これ、田舎の……えーと、うん、千葉、千葉で良いよね、田舎の千葉から送ってきた梨、良かったらあげるよ」

「ち、千葉県の田舎で、凪沙さんが梨作ってる設定……っ」

 

 

 ちなみに、青鸞は朝比奈渾身のギャグに爆笑していました。

 家庭の危機だと言うのに、なかなかに図太い娘です。

 この家庭で育てば、大体はこのようになるのかもしれません。

 これは、そんなお話です。

 

 

「……わん!(俺の出番が無ぇじゃねぇかよ!)」

 

 

 そんな、お話でした。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――……どうして付き合ったのかと問われれば、懐かしかったからだと答えるだろう。

 幼い頃、妹と幼馴染の少女に良く相手をさせられていた時期がある。

 妹はそもそもそう言う遊びを知らなかったし、幼馴染の少女には出来る相手がいなかった。

 そしてもう1人の幼馴染は、そう言う遊びはあまりやりたがらなかったから。

 

 

(……最近、良く後ろを振り返るな)

 

 

 ルルーシュはそう思う、そして彼にはそう言う所があった。

 妹のために未来を目指していながら、どこか過去に縛られた少年。

 自らが望む未来を手に入れたいと願いながら、後ろを振り返る少年。

 それがルルーシュと言う存在であって、そして彼に過去を振り向かせているのは。

 

 

「今日はありがとう、子供達と遊んでくれて」

『ほんの一時だ、それに私はいない方が良かったかもしれない』

 

 

 ゼロの執務室としてあてがわれた廃ビルの一部屋、巨大な日本の国旗と黒の騎士団の団旗が掲げられたそこはオオサカ・ゲットーに駐留する反体制派のまさに中枢だった。

 だが今、そこには2人の人間しかいない。

 1人は当然、ゼロ。

 そしてもう1人は、旧日本解放戦線の象徴、青鸞である。

 

 

「神楽耶とカレンさんに随分と絡まれてたみたいだけど?」

『随分と仲良くなれたようで何よりだな』

「神楽耶は……幼馴染だから。カレンさんは、うん、お姉ちゃんっていたらあんな風だったかもしれないね」

 

 

 拗ねたような声を上げるルルーシュ=ゼロの耳に、クスクスと言う青鸞の笑い声が届く。

 漂う雰囲気は軽い、それはゼロの正体を青鸞が知ったことと無関係では無いだろう。

 だからこそ青鸞は自然体でいられるし、ルルーシュ=ゼロもまたそうなのだろう。

 過去を見てしまう程に、自然体でいられる。

 

 

 ルルーシュ=ゼロにとって、幼馴染(セイラン)とはそう言う存在だった。

 相互扶助、相互守護、相互協力の誓約。

 裏切りの懸念の無い、そんな存在。

 魂に懸けて、大切な存在。

 

 

「というか、その仮面取らないの?」

『……いや、誰が来るかわからないからな』

「そっか」

 

 

 僅かに残念そうな声を上げる青鸞の前には、マントに覆われた少年の背中がある。

 座りもしないで何をしているのかと思うが、ルルーシュ=ゼロには仮面を外せない理由があった。

 ギアス、そのオンオフが出来なくなってしまったからである。

 彼のギアスは言葉で作用する、下手に誰かと目を合わせて話せばギアスをかけてしまう。

 

 

『それより、明日にはオオサカを起つ。準備は出来ているだろうな?』

「もちろん、旧日本解放戦線(ボクら)はいつでも出撃可能だよ」

『良し……』

 

 

 笑んで答える青鸞に、ルルーシュ=ゼロは頷く。

 明日中にセキガハラへの布陣を開始して、明後日は連絡と準備と休息に使う。

 そして3日後には、シュナイゼル率いるブリタニア軍との決戦だ。

 

 

 すでに全ての準備は整っている、ルルーシュ=ゼロは常にオオサカ・ゲットーにいたわけでは無い。

 必要に応じてオオサカを離れ、準備を進めていたのである。

 この場合、ブリタニア軍が先にセキガハラに入っていたことは彼にとって優位に働くのだった。

 当面の全てが決定される戦場だ、ルルーシュ=ゼロも己の全霊を懸けて望む必要があるだろう。

 全てを得る決意と共に、全てを失う覚悟をもって。

 

 

『……青鸞』

「良いよ」

 

 

 言葉を最後まで聞くことも無く、青鸞は応じた。

 ルルーシュ=ゼロはその言葉と共に、控えめな温もりを背中に感じた。

 青鸞が彼の背に片手を置き、額を軽く押し当てている感触を感じる。

 仮面の中で、ルルーシュ=ゼロは目を伏せた。

 彼が仮面の中で浮かべる表情は、少なくとも笑顔とは程遠いものだった。

 

 

「良いよ、ルルーシュくんの言う通りに動いてあげる。ナナリーちゃんのためにも、ルルーシュくんのことはボクが守るよ。だって……」

 

 

 優しい声音で、青鸞は告げる。

 妹を守るために必死な幼馴染に、少しでも力を与えようとするかのように。

 彼女は彼を抱かず、しかし寄り添うようにしてそこにいる。

 

 

 思い出すのは、過去の記憶。

 兄に無理やりついて行った先で出会った、綺麗な皇子様。

 優しい優しい、妹想いの皇子様。

 そんな少年だったからこそ、少女は想ったのだ。

 声音は優しく、頬は照れたように朱に染まり、そして開いた瞳は――――。

 

 

「……そう言う、約束だからね」

 

 

 真紅には、輝いていない。

 そのことが、ルルーシュ=ゼロに安堵と同時に疑念を与えていた。

 青鸞に、何故、彼の言葉は効果が無いのか。

 

 

(どうして、青鸞に俺のギアスが通じなかったんだ……?)

 

 

 あの後、適当な人間で試してみたが、ギアスの力は問題なくかかった。

 ルルーシュ=ゼロのギアスの制約の一つに、「同じ人間に二度は効かない」と言うものがある。

 しかし青鸞は先日が初めてで、だからこそルルーシュ=ゼロは困惑していた。

 

 

 ギアスが効かなくて、良かった。

 

 

 だが今のルルーシュ=ゼロには、わからない。

 安堵を感じつつも得たこの疑念、その答えを知らない。

 彼がその理由を知るのは、もう少しだけ後の話。

 もう少しだけ、後の話……そして、その時には。

 何もかもが、手遅れだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ギアスは、契約者が望んだ形で顕現する。

 しかし契約者は常に、ギアスがもたらす結果や現実を突きつけられ続ける。

 これが結果なのだと、そう突きつけてくるのだ、刃のように。

 これが、お前の望んだ結果なのだと。

 

 

「私は言ったはずだな、ルルーシュ」

 

 

 通路を歩きながら、C.C.が呟く。

 昼間は茶番(おままごと)に付き合った彼女だが、付き合ったが故に、知っている。

 見えていたし、予測していたし、何より感じていた。

 

 

「王の力は、お前を孤独にすると」

 

 

 王の力、ギアス。

 古の人間が神を求めて得た力、そして今は神だったナニかを解き明かすためのツール。

 その根源、コード。

 それを識るが故に、彼女には視えているのだ。

 

 

 ギアスの影響を受けた「アレ」は、ほんの少しのきっかけさえあれば休眠から目覚めることを。

 だからこそC.C.はあの娘を除こうとしたのだし、殺そうとしたのだ。

 今ならばまだ目覚めの前に殺すことで、救えると思ったからだ。

 それは、優しさを忘れた魔女の優しさ。

 しかしそれも、もはや意味を成さない。

 

 

「……だが、私もお前を守ろう。お前が私の願いを叶えてくれると、そう信じられる限りは……」

 

 

 それでも彼女は、C.C.は、ルルーシュを守る。

 彼女の願いを叶えてくれるその日まで、彼を守り続けるだろう。

 不老不死、人の心を忘れた魔女。

 彼女は、闇へと向かって歩みを進める。

 ――――……今までも、これからも。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 トーキョー租界を離れて、もうどれだけの日数が過ぎたのだろう。

 咲世子と言う家族も傍にいるし、生徒会の皆も一緒、アッシュフォードの人達は良くしてくれる。

 ただそれでも、少女……ナナリーの胸には、大きな寂寥感があった。

 何故ならば、ここには最愛の人がいないからだ。

 

 

「……お兄様?」

 

 

 だがその日の朝、アッシュフォードの別荘の電話にルルーシュから電話がかかってきた。

 早朝だとか寝起きだとか、そうした全てを振り払って、ナナリーは電話へと急いだ。

 咲世子が気を利かせてアッシュフォードの使用人を下がらせる中、ナナリーは噛り付くように電話口へと声を投げた。

 

 

『ナナリー、朝早くにごめん』

「お兄様……!」

 

 

 久しぶりに聞いた兄の声に、ナナリーは胸が詰まる思いだった。

 閉じた目から涙の雫が溢れそうになるのも、無理は無かっただろう。

 何しろラジオのニュースでトーキョー租界が大変なことになっていて、それなのにルルーシュがいつまで経ってもやってこないことがどれだけの不安だったか。

 

 

 ナナリーはそれを訴えようとした、それこそシャーリーが言うように「一言言ってやらないと気がすまない」状態だったからだ。

 だが結局、彼女が兄に対して不満や怒りをぶつけることは無かった。

 その代わりに、ナナリーが口にしたのは心配の言葉だった。

 

 

「お兄様、お身体は大丈夫ですか。トーキョー租界が大変なことになっていて、ミレイさんやシャーリーさん達も凄く心配して、でも連絡もほとんどなくて、だから私、心配で、私」

『……本当にごめんよ、ナナリー。心配をかけてしまったね』

「いいえ、いいえ……良いんです、お兄様がお元気でいてくれるなら、私のことなんて最後で良いんです」

 

 

 昔から、ナナリーを守ろうと必死になっていたルルーシュ。

 それがわかっているから、ナナリーはルルーシュに恨み言のようなことは言わない。

 ルルーシュを困らせるようなことを、言いたくなかったからだ。

 大人しくいようと、自分に課しているから。

 

 

『最後なんて、寂しいことを言うな。俺はいつだって、お前のことを想っているよ』

「お兄様……」

『寂しい想いをさせて、心配させたのは本当に悪かったと思ってる。でも大丈夫、俺ももうすぐそっちに行くから』

「本当?」

『ああ、本当だ、約束する』

 

 

 兄がもうすぐやってくる、その言葉にナナリーは表情を明るくした。

 受話器の向こうから聞こえてくるルルーシュの声はしっかりとしていて、ナナリーの兄への信頼感を刺激してくれた。

 まるで宝物のように受話器を両手で持って、ナナリーは心からの喜びを感じていた。

 もうすぐ、お兄様に会えるのだ。

 

 

「お兄様、無理はなさらないで……お兄様が元気でいてくれれば、ナナリーはそれだけで良いんです」

『ありがとう、ナナリー。それじゃ、また。会長やシャーリー達によろしく』

「……はい」

 

 

 もうすぐ電話が切れる、そのことに寂しさを感じる。

 それが声に出てしまったのだろうか、電話の向こうから作ったように明るいルルーシュの声が響いた。

 

 

『ああ、そうだナナリー』

「はい?」

『そっちに行く時には、お前に合わせたい人がいるんだ。お前もきっと喜ぶ、お前の知っている人だよ』

「私の……もしかして、C.C.さんですか?」

『違う』

 

 

 兄の声が急に固くなって、ナナリーは「いけない」と思った。

 どうやら、兄にとって押されたくないツボを刺激してしまったらしい。

 

 

『とにかく、楽しみにしていてくれ。……それじゃ、ナナリー』

「はい、お兄様。お身体にお気をつけて……」

『ああ、お前も。ナナリー……愛している』

「っ、は、はい……私も、愛しています」

 

 

 急に言われた言葉に頬を薔薇色に染めて、ナナリーは応じた。

 通話の切れた受話器を胸に抱けば、小さな胸がドキドキしていることに気付く。

 驚いた、普段はあそこまでストレートに言われることが無かったからだ。

 何しろ、ナナリーの兄は恥ずかしがり屋だから。

 

 

「……お兄様……」

 

 

 そして電話の向こう、遥か数百キロの彼方にいるルルーシュもまた、妹からの言葉に目を閉じていた。

 携帯電話を折りたたんでポケットにしまい、ガウェインのシートの身を押し付けて心の中で反芻する。

 ――――約束する。

 

 

「……ああ、すぐに終わらせて迎えに行くよ、ナナリー……」

 

 

 お前にだけは、俺は嘘を吐かない。 

 

 

「始めるぞ、C.C.」

「……良いのか、今ならまだ」

「いや、良い。もはや後戻りは……出来ない」

 

 

 目を開けば、そこは戦場だった。

 愛など無い、殺伐とした開戦直前の戦場だった。

 目前には無数に居並ぶ敵の軍勢、左右には味方の軍勢。

 彼の愛機ガウェインのモニターには、全軍の状況と通信回線が映し出されている。

 戦場、全てを決するその場所を前にルルーシュは前を睨んだ。

 

 

「全軍――――」

 

 

 視界の隅に、妹に「会わせたい」と言った人物の通信画像が映し出されている。

 そこに映っている表情は真剣そのもので、その少女、青鸞の顔をルルーシュは見つめた。

 おかっぱの黒髪、真っ直ぐな瞳、そして白い顔に濃紺のパイロットスーツ。

 その全てが、ルルーシュにとっては守るべきものだった。

 

 

 だから。

 だから、彼は。

 彼は、躊躇無く開戦を告げる言葉を発しつつも。

 

 

「――――進撃、開始ッッ!!」

 

 

 何もかもを守るつもりで、戦いに挑んだ。

 仮面の下、消えない呪いの刻印を左眼に宿しながら。

 全ての運命を、勝ち取るために。




採用キャラクター:
アルテリオンさま提案:雪原刹那。
ありがとうございます。


 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 先に言っておきますが、第一部においてギャグ要素とかほのぼの要素が入るのは、今話が最後です、おそらく。
 後は物凄くドロドロのシリアスが待っていますので、お楽しみに(え)。
 それでは、次回予告です。


『いよいよ始まる、最後の戦いが。

 この戦いを制した側が、日本の覇権を握ることになる戦いが。

 この戦いに勝つ、勝って日本を取り戻す。

 そして、ルルーシュくんを守る。

 そしてボクは、あの人に……』



――――STAGE25:「セキガハラ の 戦い」


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STAGE25:「セキガハラ の 戦い」

 蓋を開けて見れば、セキガハラに集った戦力は双方共に10万には届いていなかった。

 これは互いに余分な兵力を率いて機動力を失うことを嫌った結果だが、それでもセキガハラには双方合わせて十数万の軍勢が展開されたのだ。

 これは、日本の歴史上二度目のことである。

 

 

 まずブリタニア軍、装備・兵の質・士気の高さ、いずれも世界最高位の軍隊である。

 コーネリアの直属軍を筆頭とした純正部隊、数はおよそ9万人。

 エース級の騎士が揃い、中級指揮官も豊富、そして何より司令官が優れている。

 総指揮官は帝国宰相シュナイゼル、そして前線は当然、ブリタニアの戦女神コーネリアだ。

 

 

「ゼロを討ち、枢木青鸞を捕らえ――――ブリタニアの威光を知らしめ、もって勝利とせよ! トーキョーで私と貴公らの勝利の知らせを待つ病床の副総督(ユーフェミア)に、勝利の美酒を捧げるのだ!!」

『『『『イエス・ユア・ハイネス!!』』』』

 

 

 統一された指揮系統と前線指揮官への絶対の兵の信頼感、中級指揮官の豊富さなど、軍隊として極めて完成されていた。

 強力にして無比、精強にして至強。

 世界の国々の軍隊を悉く粉砕する最強の軍隊が、そこにいた。

 

 

「それでは、始めようか……神聖なる、ブリタニア皇帝の御名において」

「はい、殿下」

 

 

 前半にのみ首肯して、航空戦艦アヴァロンのブリッジでカノンは応じた。

 シュナイゼルの座る指揮官シートの隣に立つ彼――姿は女性だが――は、目の奥に妖しい輝きを放ちながらメインモニターに映る戦況を見つめた。

 そこからは、モモクバリ山を背に展開しているブリタニア軍の様子が見て取れた。

 位置的には、セキガハラの廃墟を挟んで黒の騎士団と対峙している形だ。

 

 

 一方、黒の騎士団を中心とする反体制派の軍は分散していた。

 赤のマークで示されているブリタニア軍、まずその正面には青マークで示される黒の騎士団と旧日本解放戦線によって構成される敵主力部隊が展開されている。

 そしてそれ以外、すなわち急造の民兵部隊はマツオ山からクリハラ山――つまり、ブリタニア軍の側面から後背にかけての広い範囲――に分散配置されているのだ。

 

 

「まぁ、ブリタニア軍を完全に包囲したんですの?」

「いえ、民兵部隊はあくまで陽動です。狙いはあくまで本隊による中央突破と……」

 

 

 ゼロの本隊が陣取る後方、ササオ山の頂上近くには黒の騎士団の後方拠点があった。

 そこにはもちろん黒の騎士団の後方部隊がいる、しかし同時にキョウトの姫、神楽耶のために用意された「観覧席」でもあるのだった。

 

 

(分散配置された民兵部隊は、瞬く間にブリタニア軍によって殲滅される……)

 

 

 神楽耶の傍で戦場全体を見渡しているのは、ディートハルトと言う男だ。

 彫りの深い顔と言い髪色と言い、日本人ではない、ブリタニア人だ。

 それでも彼は黒の騎士団において情報参謀のような役割を似ない、広報や諜報などの分野で組織にとって無くてはならない存在になっている。

 まぁ、その性格ゆえに……。

 

 

(そしてその間に、ゼロ率いる本隊がコーネリアの首を落とし、シュナイゼルに迫る……つまりは捨て石、くく、流石はゼロだ。そうでなくては……!)

 

 

 その性格ゆえに、人望は無い。

 ゼロの冷酷な策を読みながら、読めるだけの能力がありながら、愉悦に歪んだ表情は隠しようも無い。

 用意された椅子に座りながら戦場を見ていた神楽耶も、ちらりと彼のことを一瞥する。

 しかし、瞬間的に冷えた顔はすぐに明るい笑顔に戻る。

 

 

「……楽しみですね♪」

「ええ、まさに」

 

 

 黒の騎士団……いや、ゼロの手にある兵力は約8万5千。

 兵の質や装備では叶うはずも無いが、日本を取り戻すための戦いとあって士気だけは高い。

 特に、一部の民兵指揮官は異常なまでに士気が高かった。

 そして、その中には。

 

 

『この戦いによって、我らは日本の独立を手に入れることになるだろう。目の前の敵は強大だ――――しかし、正義は我らに在り!!』

 

 

 反体制派のナイトメアや車両内の通信機からは、1人の少年の声が響いている。

 戦え、勝ち取れと叫ぶ彼は、皮肉にもブリタニア皇帝と似通った言葉を吐いている。

 違う点があるとすれば、彼らの戦いが奪うことではなく取り戻すことに主眼があることだろうか。

 最も、ゼロ……ルルーシュ=ゼロにすれば、違うのだろうが。

 

 

『今こそ、我らの時代が始まる――――進め、倒せ! ブリタニアを、コーネリアを、シュナイゼルを! その先にこそ、我らの世界がある!!』

 

 

 

 そしてその演説を、青鸞は静かに聞いていた。

 正面の主力部隊、平野部に展開したブリタニア軍をモニターに映しながら、その左手首に巻かれた白のハンカチを指先で撫でている。

 ダークブルーのナイトメア、月姫の薄暗いコックピット・ブロックに座る彼女は、幼馴染の少年の声を聞きながら。

 

 

「いよいよ、か……埋めた方だと思うけど、戦力差は凄そうだね」

『なぁに、いつものことさ』

 

 

 話し相手は側面モニターに映る卜部だ、配置的に青鸞は卜部の部隊の隣なのである。

 そのため、すでに電波妨害が行われつつある状況でも通信が出来る。

 そんな卜部に対して、青鸞はクスリと笑った。

 

 

「あんまりボク達ばっかり寡兵じゃ、不公平だよ」

『逆に考えるんだ、戦う役割の人間が少なくて良いとな』

「それは、まぁ……そうかも」

 

 

 そもそも、軍人など無い方が良い職業なのだから。

 その理屈で言えば、兵力の少なさにも納得は……まぁ、出来ないが。

 

 

『そんな顔をするな、いざとなれば俺が助けに行ってやる』

「うん、頼りにしてる。でも大丈夫、早く終わらせて……また道場で」

『料理はするなよ』

「……意地悪」

 

 

 開戦直前のコックピットの中、卜部の笑い声が響いた。

 血生臭い空気が満ちる中で、そこだけは柔らかだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 黒の騎士団とブリタニア軍が睨み合うセキガハラの戦場、だがそこは軍しか存在しないわけでは無い。

 セキガハラの廃墟はもちろんだが、古ぼけた幹線道路の陰などには小さいながらも人間の集団が存在していた。

 もちろん、そこにいるのはブリタニア人では無い。

 

 

「また、戦いが始まるの……?」

「俺達を巻き添えにして、俺達は関係無いのに……」

「どっちも結局、俺達のことなんて考えて無いんだろ……」

「どうでも良いよ、どうせ皆死ぬんだから……」

 

 

 かつて、7000人前後の人間が住んでいたセキガハラの地。

 しかし今や住民は離散し、またトーキョー合意で次の戦場に指定されたことも手伝って、残っていた人々も半数以上がセキガハラの地を離れた。

 ブリタニア・反体制派双方から避難するよう勧告が出ていたことも大きいだろう。

 

 

 だから今、そこに残っているのは本当に力の無い人達だ。

 老人、病人、女性に子供、障害者……あるいは、諦観している人間。

 独立やテロを求めず、上に戴く者の名前などにこだわらない。

 寄る辺無き者達の住処、いわば小ゲットーとでも呼ぼうか。

 

 

「俺達も黒の騎士団に加勢するんだ、ブリタニアをぶっ潰してやる!!」

「勝てるわけ無い、あのブリタニア軍に……逆らうだけ無駄なんだよ、なのにどうして歯向かうんだよ。良い迷惑なんだよ、こっちは!」

 

 

 一方で、その中にはこう言う人々もいる。

 一方は強硬派であり、一方は恭順派と呼ばれる人々だ。

 強硬派はブリタニアとの戦いを主張し、恭順派は後の報復を恐れて大人しくしてくれと願う。

 混じり合わない2つの思想が、セキガハラの小さなゲットーの中で渦を巻く。

 

 

 それは一部においては日本人同士の醜い争いに発展するのだが、しかし町並みから少し離れた平野部――かつては田園風景が広がっていたが、戦火と戦後の放置で今やその影も無い――において、もっと規模の大きい争いが勃発していた。

 それはセキガハラに住む人々の小さな声と意思を踏み潰して、嫌が応にも拡大の様相を見せていくのだった。

 

 

「これから、どうなるんだろう」

 

 

 人々の不安だけが、形を成すことも出来ず、ただ浮遊していた。

 自ら行動することの出来ない、また、行動しても意味を残せない人々の想い。

 極端な話。

 彼らの想いを汲み取れる者こそが、真の意味でこの国を導くことが出来るのだろう。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ブリタニア軍の主力は、言うまでも無くコーネリアの直属軍だ。

 その1万の軍勢は、本陣から明らかに突出していた。

 故に上空から見ると、ブリタニア軍は全体として鋭鋒の陣形で反体制派の軍へ突進している形だった。

 

 

『進め! 下等なイレヴンの軍など一揉みに押し潰せ!』

『おお、コーネリア殿下の名の下に!』

『ユーフェミア様に、我らの勝利を捧げるのだ!』

 

 

 中でも世界最強を謳われるブリタニア軍のナイトメア部隊が、歩兵と戦車に先駆けて突出する。

 中級指揮官達の叫びが通信回線の中を駆けて、それぞれの配下の声が回路を焼き切るかのような勢いでサザーラントやグロースターの通信機を震わせた。

 そしてその鋭鋒を受け止めるのは、黒の騎士団の最精鋭。

 ――――旧・日本解放戦線である。

 

 

『各班! 陣形を維持しつつ後退せよ!』

『『『承知!』』』

 

 

 その通信回線は静かだ、士気は高い、しかし昂揚を押さえつけるような重い声だけが響く。

 そして旧日本解放戦線のメンバーで構成される部隊は、「奇跡」の異名を持つ男の声に従って動いた。

 上空から見れば、その前線はギザギザの鋸の歯のような形になっていることに気付いただろう。

 

 

 言うなればそれは、小さな鶴翼の陣を連ねた多重の陣形。

 小さな陣が突出してくる敵部隊を受け止め、流し、左右から無頼による実弾射撃を行う物だ。

 その小さな陣を指揮するのは、藤堂が最も信頼する4人の部下達である。

 朝比奈、千葉、仙波、卜部……四聖剣と呼ばれる月下の操縦者達だ。

 

 

『イレヴンがああああああああぁぁっ!!』

「聞き飽きたよ、それ」

 

 

 突撃してきたサザーランドの腹に回転刃の刃を突き立てて、朝比奈が皮肉げな表情でそう言う。

 次の瞬間にはサザーランドが爆発四散して、彼の駆る月下がその爆炎の中から姿を見せた。

 今、朝比奈の身には確かな高揚感がある。

 約束が守られるかはとりあえず置くとしても、日本の独立を勝ち取るための戦だ。

 まさに7年前の焼き直し、いや続き、日本の軍人としてこれ以上は無いシチュエーションだろう。

 

 

『しかも7年前とは違う、こちらにもナイトメアがあるんだからな』

『確かに、戦力としては十分だ、後は』

「僕達の、働き次第……ってね!」

 

 

 千葉と卜部の声に応じつつ、さらにもう1機、無頼の射撃で足止めされていたサザーランドを朝比奈の月下が両断する。

 オートバイ型のコックピットの中、両腕で全身を支えながら朝比奈が笑む。

 眼鏡の奥の瞳が皮肉そうに細められて、爆発の向こう側にいる別の敵機を。

 

 

『――――新手が来た、今度は先手の奴らとは違うぞ!』

 

 

 通信回線から仙波の声が響き、緊張の度合いが一気に増す。

 何故なら機体を翻した次の瞬間、おそらくは仙波の――そして、千葉と卜部の方にも――言っていた「新手」が来たからだ。

 新手は紫のグロースター、しかも黒いマントと両肩のミサイルポッドが特徴的な機体。

 

 

「こいつは……」

「――――強い!」

 

 

 朝比奈の言葉を知らず続けて、千葉は自身の前に躍り出てきた敵機を睨んだ。

 そこにいるのは朝比奈の前にいるのと同じ機体、特殊装備のグロースターだ。

 ランスと刀が鍔迫り合いを演じ、コックピットのミインモニターを朱色に輝かせる。

 

 

『う、卜部隊長、敵が……ぐああああああぁっ!?』

「橋本ぉ! 貴様……何者か!」

 

 

 それは当然のように卜部の部隊の前にも現れていて、卜部の指揮下にある無頼を一突きで仕留めて見せた。

 無頼の射撃を事も無げに回避して見せ、両肩のミサイルポッドから雨あられとミサイルを撃ち放すその姿には畏怖すら覚える。

 

 

『トードー!!』

『ぬぅ……!』

 

 

 それは藤堂の所にも来ていた、ただしこちらは重低音を感じさせる壮年の男性の声を響かせて。

 奇跡の藤堂を正面から迎え撃ったのは、コーネリアの側近中の側近、ダールトンである。

 ダールトンのグロースターが藤堂の月下を足止めし、その場で小さな円を描くようにして、入れ替わり立ち替わり刀とランスによる攻防が行われる。

 

 

『……7番隊、右翼に回り込め! 朝比奈達の援護に入れ!』

『『『承知!』』』

『第3班、左翼に攻撃を集中しろ! 敵の右翼を突出させるな……デヴィットの部隊が半包囲されるぞ!』

『『『イエス・マイロード!』』』

 

 

 そしてお互いに、個人戦を続けながらもそれぞれ掌握する前線部隊の指揮を続ける。

 2人に率いられた部隊が流動的に動き、それはあたかも2人の戦いの延長線のようにも見えた。

 藤堂とダールトン、日本とブリタニア、歴戦の猛者の戦いがそこにあった。

 

 

 そして朝比奈達の前に現れたのは、ダールトンの信頼すべき「息子」達である。

 朝比奈に対するは、デヴィッド・T・ダールトン。

 千葉に対するのは、エドガー・N・ダールトン。

 仙波に対するのは、アルフレッド・G・ダールトン。

 卜部に対するのは、バート・L・ダールトン。

 

 

「……良し、ダールトンとグラストンナイツはトードーの足を止めたか。あれを橋頭堡として、一気に攻勢をかけて押し潰す!」

『はっ!』

 

 

 ダールトン達から少し送れて、コーネリアの駆るグロースターとギルフォード率いる親衛隊の部隊が続く。

 敵中に前線を構築し、そこへ兵力を集中して突破、殲滅を図る。

 単純明快、だからこそ強力。

 そこには、コーネリアらしい強靭な用兵思想が反映されていた。

 

 

『姫様!』

 

 

 そしてコーネリアの部隊がダールトン達に追いつきかけたその時、ギルフォードが注意を喚起した。

 コーネリアはそれに笑みを浮かべる、そしてそんな彼女の周囲に砲撃が着弾した。

 彼女達を足止めするようなその砲撃は、砲兵による物では無い。

 そう、報告にあった砲撃戦に特化したナイトメアによる攻撃だ。

 

 

「やはり来たか……クルルギの娘!!」

 

 

 砲撃による土柱が断続的に発生する中、コーネリアは右上を仰ぎ見た。

 するとそこに、いた。

 低きから高きへ、平野部の低い位置から高い位置へと跳躍するダークブルーの機体が。

 日本の抵抗の象徴的存在、月姫(カグヤ)が、舞うように刀を振り下ろした。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞もまた、藤堂の敷く特殊な鶴翼陣の一部を担っていた。

 そして今、彼女の部隊はコーネリアの首を狙って突出している所だった。

 言うなれば、コーネリアと同じように。

 

 

「はああああぁ――――ッ!!」

 

 

 コックピット左側の鞘から射出された刀を、そのまま振り下ろす。

 しかしかなりの速度で放たれたはずのその一刀を、相手はランスで受け止めた。

 各部をチューンされているとは言え、世代で劣るはずのグロースターがだ。

 乗っているパイロット、すなわちコーネリアの技量の高さが窺える。

 

 

『ふん……ようやく戦場で会えたな、クルルギ・セイラン!!』

「コーネリア・リ・ブリタニア……!」

 

 

 接触通信で、月姫のコックピット内部に女の声が響く。

 コーネリアの声、チョウフで直接聞いたその声に間違いが無かった。

 コックピットにいる青鸞は、その声に顔を僅かに顰める。

 目の前にいるのは、日本……エリア11の総督なのだ。

 

 

「日本を……返してもらう!!」

 

 

 倒す。

 そう思って、青鸞は操縦桿を強く引いた。

 受け止められた刀を捻るように逸らしてランスを弾き、一度横に回転した後に横薙ぎに振るう。

 コーネリアはそれにも反応した、腕を添える形でランスを構えて盾にする。

 

 

 重い金属が打ち合う音が響き、次いで火花が遅れて散った。

 一合、二合と繰り返し打ち合う、青鸞は新たに左の腰から廻転刃刀を抜き、コーネリアも片手にライフル機銃を抜いて、超近距離での戦闘を行う。

 2人の女性パイロットによって織り成されるそれは、どこか舞踏会じみて見えた。

 

 

「ギルフォード!」

『はっ!』

 

 

 メインモニターから側面モニター、そして側面モニターからメインモニターへと目まぐるしく位置を変える月姫を目で追いながら、コーネリアは側近の男に叫んだ。

 救援を求めたわけでは無い、通信相手のギルフォードにもそんなことはわかっているだろう。

 ランスで月姫の刀を受け止め、新たな火花を散らした所でコーネリアは言った。

 

 

「あの五月蝿い砲撃を止めろ、クラウディオは周りの小蝿共を黙らせろ、私の邪魔をさせるな!」

『『イエス・ユア・ハイネス!』』

 

 

 ギルフォードと、そしてダールトンの「息子」の1人、クラウディオ・S・ダールトンが返答を返す。

 前者は今だコーネリア軍に砲撃を続ける3機の黎明――すなわち山本機・上原機・大和機――の行動を阻害するために、そして後者は周辺で青鸞機の援護を行っている無頼隊――野村機・林道寺機――を排除するために動いた。

 

 

『おいおいおいおい……何か来たぞアレ! 何か猛然としたスピードで来るぞアレ!』

『隊長、そんなに繰り返さなくても見たらわかりますから!』

『……青鸞さま!』

「大丈夫、そっちお願い――――……野村さんと、林道寺さんも!」

『『承知!』』

 

 

 コーネリアとの戦闘を続けつつ、俄かに活気付く通信回線に声をかける。

 相手がそうであるように、青鸞もまた目の前のモニターに映し出される状況の変化から目を離す事が出来ない。

 とは言え、相手の動きから察するにコーネリアは青鸞との一騎打ちを続けることを決めたらしい。

 

 

 それに対して、青鸞は「上等」との感想を持った。

 一騎打ちを望むと言うなら望む所、コーネリアを討てばブリタニア軍の精神的な柱を折ることも出来るだろう。

 しかしそれは、コーネリアにとっても同じこと。

 青鸞を討てば、日本側に対して強い精神的ショックを与えることが出来るだろうから。

 

 

『――――クルルギ・セイラン!!』

 

 

 憤怒を込めた声音が響く、月姫の斬撃をグロースターが跳躍して回避する。

 追いかけるように跳ね上げられた刀の軌道から、コーネリアは地面にアンカーを打ち込み、機体を引かせることで逃れた。

 並みのパイロットには不可能な機動、着地と同時にライフルをフルオートで射撃する。

 操縦桿を引いて、青鸞は銃弾の雨から機体を回避させる。

 

 

『貴様を討てば反体制派は糾合の象徴を失う、エリア11の争乱もそれでおしまいだ……戦いを生み出す権化めが!!』

「何を……ッ、日本に戦いを持ち込むブリタニアが!!」

 

 

 叫んで、振り下ろされたランスを刀の腹で殴り弾く。

 ランドスピナーが荒れた平野の土を巻き上げて、青空の下で濃紺と紫のナイトメアが幾度も交錯する。

 激しく振動するコックピットの中、それでも2人の女性パイロットは顔を正面から外さなかった。

 

 

「お前達こそ、戦いを生み出す権化じゃないか! 日本人を貶めて、自分達だけ繁栄して!」

『日本人などもはや存在しない、存在するのはナンバーズ、栄えあるブリタニア臣民――――イレブンだけだ!』

「イレヴンじゃない、日本人だ!!」

 

 

 月姫の廻転刃刀がグロースターのライフルを両断する、火花を散らしながら鋸のように落とされたライフルが爆発する。

 しかしグロースターはそれに怯まなかった、お返しとばかりにスラッシュハーケンを射出する。

 瞬間的なバックステップ、しかしスラッシュハーケンが掠めた胸部装甲にスパークが走る。

 一瞬だが乱れたメインモニターに、青鸞が顔を顰める。

 

 

『ユフィの……ユーフェミアの優しさを理解できぬ獣めが!!』

「押し付けの優しさなんて、悪意と何も変わらない!!」

 

 

 支配者の哀れみなど、何の意味もなさない。

 被支配者層たる日本人に必要なのは、自分達の国であり、政府であるからだ。

 それを取り戻すためには、ブリタニアは邪魔だ。

 だから排除する、それだけのこと。

 例え、コーネリアの妹が個人として優しい気質の持ち主だったとしても。

 

 

「ボク達が欲しいのは、優しさ(そんなもの)なんかじゃない!」

 

 

 右操縦桿、親指のボタンを押した。

 すると腰部の前にある追加装甲の蓋が開き、そこから2つの小さな手榴弾のような物が射出された。

 次いで、月姫のデュアルアイがバイザーのような物で覆われる。

 

 

「何……!?」

 

 

 次の瞬間、コーネリアの乗るコックピット・ブロックが白光に覆われた。

 メイン・側面・予備モニターの全てが朱色に染まる、それは閃光弾だった。

 対ナイトメア用の閃光弾、『神鳴』。

 しかし機械の目を潰せるわけでも無い、光に対して自動調整するモニターは操縦者の目も守る。

 

 

 だが、数秒の停止は起こる。

 そして高度なナイトメア戦において、数秒の停止は致命的だった。

 それがわからないコーネリアでは無い、だから光の中でも操縦桿を引いて機体を下がらせようとした。

 しかし、間に合わない。

 

 

『――――コーネリア!!』

『……ッ、クルルギィッ!』

 

 

 少女と女の声が戦場に響く、次の瞬間、光の収まった戦場で劇的な変化が起こった。

 コーネリアの駆るグロースターの左腕、それが宙を舞ったのだ。

 原因はもちろん、光の上から飛び降りてきた月姫の斬撃である。

 

 

『こ……のおおおぉッ!』

 

 

 しかしコーネリアもさる者だった、再びのスラッシュハーケン射出で月姫の2本の刀を弾き落とす。

 だが、月姫にはまだ刀がある。

 刀持つナイトメアは、何本でも。

 

 

「もらっ……たああぁぁ――――ッ!」

 

 

 もう1本の廻転刃刀を腰部から抜き、刃を回転させながら振り下ろす。

 無理にスラッシュハーケンの射出体勢を取ったため、右腕のランスは間に合う位置に無い。

 取った、そう確信するタイミング。

 しかし――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 この時、戦場全体でも変化が起こっていた。

 正面にて旧日本解放戦線とコーネリア軍が激突し、膠着状態に陥っているがための変化。

 すなわち、お互いに戦局の趨勢を手中に収めようとしても行動である。

 

 

「今だ、上がって来い――――草壁ぇ!!」

『吐かすで無いわ、腰抜けがぁっ!!』

 

 

 自身はダールトンとグラストンナイツによって押さえられていても――逆に言えばダールトンとグラストンナイツを押さえているのだ――藤堂は、前線全体に目を配ることが出来る将だった。

 その意味では、確かに抜きん出た物がある。

 そして藤堂の通信に応じたのは草壁だ、黒の騎士団側で言えば左翼に位置する場所に彼はいた。

 いや、彼らはいた。

 

 

「ふん……中華の機体なぞアテに出来る物では無いが、無いよりはマシか」

 

 

 不満を隠さずにそう言う彼は、居住性最悪の鉄の棺桶(草壁視点で)の中に入っている。

 鋼髏(ガン・ルゥ)、キュウシュウ戦役で使用された中華連邦の機体である。

 現在、ブリタニアと中華連邦は関係修復の時期にあるため、また青鸞にこっぴどくフられたため、この戦闘に中華連邦が物資支援を行うことはあり得ない。

 まして今は、マニラ会議に沿った形での中華連邦軍の捕虜引渡しを控えているのだから。

 

 

 だから草壁が乗っている機体は、旧日本解放戦線がキュウシュウで鹵獲した物だ。

 数として30機ほど、それ程の戦力では無いが、反体制派にとっては貴重だった。

 そして今、草壁はその30機ほどの鋼髏(ガン・ルゥ)を奇襲部隊として編成し、平野の左側の山々の斜面を駆け下りている所だった。

 とは言え、乗り心地は最悪だが。

 

 

「良いか、我らはこれより敵の右翼を叩く! まずは大外の戦車隊を潰し、敵後方の小うるさい砲兵隊を……」

『中佐! 前方に敵影です! 距離およそ800!』

「ぬぅ!?」

 

 

 義手義足が軋む音を立てる、するとメインモニターに森や木々の他に見える物があることに気付く。

 それは数機のナイトメアだった、森の出口を塞ぐように展開されている部隊。

 肩とファクトスフィアが他の機体と異なり赤く塗装されたそれらは、ブリタニア軍の中でもある一派の特徴としてやや有名である。

 

 

『キューエル卿、敵影です!』

「ふふん、殿下の申された通りのポイントに来たか……所詮は劣等民族、猟犬に追い立てられた羊にも劣る」

『どうされますか、キューエル卿!』

「……当然!」

 

 

 自らのグロースターを駆り、コックピット・ブロックの中で金髪の青年が嗤う。

 美麗だが醜悪にも見えるその笑みの先には、網にかかった羊の群れがいる。

 

 

「イレヴンを、殲滅しろ!!」

『『『イエス・マイ・ロード!』』』

 

 

 猛然と、かつ柔軟な動きで純血派のサザーランド部隊が動き出す。

 今やキューエルはエリア11における純血派の顔だ、かつての凋落の陰などどこにも無い。

 ジェレミアがナリタで「戦死」し、ヴィレッタが姿を「消した」今、残ったのは彼1人。

 キューエルは今、栄光の道をひた走っているのだった。

 

 

『ち、中佐、敵が!』

「うろたえるな! 日本軍人はこの程度ではうろたえん! たかが数機では無いか!!」

 

 

 そして草壁もまた、旧日本解放戦線の最強硬派の顔である。

 ナリタで奇跡の生還を果たした彼は、本人は気付きようも無いが、再びナリタで戦った相手と見えることになった。

 これを運命と呼ぶのならば、皮肉な運命である。

 

 

 ブリタニア人と、日本人。

 ある意味で民族主義的に互いを憎悪する最右翼、その衝突。

 まさに、運命的ですらあった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そして当然ではあるが、戦場はナイトメアと前線だけで戦われているわけでは無い。

 例えば、草壁が潰そうとしたブリタニア軍右翼と戦っている部隊である。

 ここにはタル川と呼ばれる川があって、ここが黒の騎士団にとっては自然の防衛線となっている地点だった。

 

 

 ここを抜かれると、正面で互角の戦いを演じている黒の騎士団側の主力部隊が側面を突かれてしまう。

 だからこそ草壁達が機先を制して敵勢力を潰そうとしたのであって、それ故に守らなければならないポイントの一つだった。

 そしてそこは、互いの歩兵戦力が衝突する場所でもあった。

 

 

「うぎゃっ!?」

「げはぁっ!?」

 

 

 渡河しようとするブリタニア軍と、阻止しようとする黒の騎士団・旧日本解放戦線の部隊。

 川の両岸数キロの位置からはお互いの砲兵部隊による絶え間ない砲声が響き続け、水柱や土煙を上げると共に何人もの敵兵の生命を塵芥のように吹き飛ばし続けていた。

 ある者は手足を千切られ、ある者は臓物を撒き散らされ、ある者は血飛沫を上げながら踊り狂う。

 

 

 そこは、戦場だった。

 

 

 昔ながらの戦場、白兵戦闘、派手なナイトメア戦の陰で行われる野蛮な戦い。

 そこには人種など関係ない、人種で生死は分かたれない。

 もし戦場に神がいるのだとしたら、彼の神は人種などで掬い上げる生命を選別したりしないだろう。

 

 

「つっても、どっちかってーとこっちが不利だよなぁ!」

「ご、伍長殿ぉ!」

「だぁーいじょぶだ岩田ぁ、戦場ったってそうそう弾が当たるもんじゃねぇ!」

 

 

 旧日本軍時代の兵員輸送車――装輪装甲車――のずんぐりした車体の中で、青木がそんなことを叫んでいた。

 護衛小隊に所属する彼は、現在は本陣を含む他の陣地間を装甲車で往復している所だった。

 今も、川沿いの防衛陣地に増員の兵員を運んだ所だ。

 そして実際、不利は不利なのである。

 

 

 彼が今車を走らせているのは味方の勢力圏のはずだが、ブリタニア軍の放つ砲弾が着弾する危険区域でもあった。

 今も、すぐ付近に着弾して装甲車が跳ねて助手席の若い兵士が悲鳴を上げた所だ。

 ナリタにもいた青木は肝が据わっている様子だが、それでも表情は厳しい。

 しかし彼はそれを別の物に変えて、車を一時停止させた。

 

 

「どうした!? トラブルか!」

「おお、友軍か。助かった、自走砲が泥に嵌まって動けねぇんだ!」

「あん? 岩田、ちょっと車見てろ」

「り、了解であります、伍長殿」

 

 

 ブリタニア軍の砲撃を避けたからなのか、一台の自走砲――自走155ミリ榴弾砲――が、幹線道路から外れた荒れた地面に車輪を取られているのを見つけた。

 それに車体の正面を向ける形で停車させた青木は、車体の鼻面から牽引用のフックとアンカーを引っ張り出して駆け出し、部下の若い兵はその場で待たせた。

 そしてそれが、戦場の神の目に留まった。

 

 

「ぐおぁっ!?」

 

 

 牽引用のフックを持ったまま、青木が背中を仰け反らしながら吹き飛ばされた。

 次いで訪れる爆発と熱波に煽られて、青木は泥を飲む勢いで地面の上を転がった。

 何が起こったかなど言うまでも無い、ブリタニア軍の砲弾が着弾したのだ。

 岩田の乗っていた、装甲車に。

 

 

「お、おい、大丈夫か!?」

「ぐ、ぉ……けっ、ぺっ。い、岩田……!」

 

 

 自走砲の兵員に助け起こされながら、青木は呻くように炎上する装甲車を見つめた。

 先程まで隣にいた若い兵の顔が、赤く燃え上がる装甲車の残骸の中に浮かんで、消えていった。

 そうした事例が、戦場のあちこちで起こっていた。

 それはもちろん、ブリタニア側でも当然のように起こっていることでもある。

 

 

「ぐぎ」

 

 

 くぐもったような声を上げて、川沿いの茂みの中で重いものが倒れる音が響いた。

 タル川はその全流域が激戦地と言うわけではなく、マル山の麓付近などは主戦場から外れていた。

 とはいえブリタニア軍の先遣隊が進出していたりはするので、当然、黒の騎士団側にとっては警戒すべき地点でもあった。

 

 

「茅野中尉、周辺クリアです」

「ん」

 

 

 護衛小隊所属の佐々木と茅野も、青鸞達が戦う平野部を見渡せる高台の奪取と維持を目的にここに進出していた。

 目視による観測により、地上戦を援護するのも重要な役目ではある。

 そしてそこで敵に遭遇して戦闘に発展、良くある話ではあった。

 

 

「貴官、大丈夫か。所属部隊はどうした」

「あ、ありがとうございます。じ、自分は第122観測小隊の……っ」

「……落ち着いて」

 

 

 数十キロに及ぶ重武装を身に纏った佐々木と茅野は、今、川沿いの茂みの中に身を潜めていた。

 ただそれは身を隠すためと言うよりは、そもそも戦闘の場所がそこだっただけと言う様子だった。

 彼女らの足元に、何故か装備を半分外した状態のブリタニア兵の死体が転がっている。

 そして彼女達は今、1人の女性兵を落ち着かせている所だった。

 

 

 セミロングの黒髪の、若い女性兵である。

 ただ顔には殴打にある青痣があり、しかも深緑の軍服は上半身部分をナイフか何かで引き裂かれていた。

 いわゆる、戦場における性的暴行の被害者……彼女の場合、未然に防がれた様子だったが。

 茅野にしろ佐々木にしろ、「身体的経験」から他人事には思えない相手だった。

 

 

「とにかく、ここを離れる。貴官は私達に随行して、しかる後に原隊に戻れ。良いな」

「は、はい」

 

 

 ブリタニア軍が日本人を殺し、日本軍がブリタニア人を殺す。

 かくして、憎悪の連鎖は加速するのである。

 しかし、これはまだマシな方だった。

 

 

 最も悲惨なのは、モモクバリ山のブリタニア軍本陣の後背を脅かしていた黒の騎士団側の民兵部隊である。

 おりしもディートハルトが指摘したように、指揮官であるルルーシュ=ゼロは彼らを重要な地点には置いていなかった。

 しかし本陣後背に位置する彼らをブリタニア軍が無視できるはずも無い、当然のように兵を割く。

 

 

「うぎいいぃいいぃっ!? お、俺の腕がああああぁあぁぁあっ!?」

「た、助けてくれぇっ!」

「ゼロぉおおおおおおおぉっ!!」

 

 

 当然のように兵を割く、そして民兵部隊を蹂躙する。

 黒の騎士団の主力と異なり、彼らは勢いだけでここまで来た者達だ。

 だから、圧倒的なまでに……弱かった。

 

 

 重機関銃に身体を吹き飛ばされ、迫撃砲で手足を千切り取られ、ナイトメアのランドスピナーにひき潰され……瞬く間に、壊乱状態に陥る。

 黒の騎士団のほかの部隊との間には距離があり、助けを求めに行くことも出来ない。

 よって、他の騎士団の部隊が手を煩わされることなく、時間を稼いでくれているわけだ。

 

 

「全体として、こちらの優位ですわ」

「……ふ、ん。何かおかしいね」

 

 

 本陣である航空戦艦アヴァロンの中で、副官カレンと共に戦略モニターを見つめていたシュナイゼルは首を傾げた。

 ただそれだけの行動で絵になる所が、この完璧な第2皇子の凄い所ではあった。

 不思議そうな顔をするカノンに、シュナイゼルはそのままの口調で語った。

 

 

「ゼロにしては、随分と大人しい作戦行動だね」

 

 

 そう、今の所戦局は「大人しい」。

 シュナイゼルの予測よりも随分と、だ。

 そして彼のこの予感は、すぐに的中することになる。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 迷いが無い、と言えば嘘になる。

 いや、僅かな迷いが確かにある。

 それは、ある意味ではルルーシュ=ゼロの抱える悩みと似ていたかもしれない。

 

 

(……私が)

 

 

 今、彼女はどこにいるのか?

 その答えを聞けば、大多数の人間は驚くだろう。

 当然だ、しかし考えて見てほしい。

 ナリタで、黒の騎士団はどこから現れたのかを。

 

 

 紅蓮弐式、真紅に輝く純日本製ナイトメアフレームが山の上に屹立している。

 紅蓮の周辺には掘削機がいくつもあり、銀色に輝く輻射波動の右腕を正面の一番大きな掘削機に押し当てていた。

 音を立てて掘削を進めるその様子が、カレンの目前のモニターにデータとして映し出されている。

 それを朱色の瞳で見つめながら、カレンはただ静かにその時を待っていた。

 

 

(私が、シャーリーのお父さんを殺した)

 

 

 カレンの脳裏に浮かぶのは、アッシュフォード学園生徒会の仲間の笑顔だ。

 快活で、自分のことも進んで受け入れてくれた少女。

 シャーリー・フェネット、およそ侵略や差別とは無縁の、善良な少女だった。

 その少女の父親を、カレンが殺した。

 あの日、ナリタで紅蓮弐式が起こした土砂崩れに巻き込んで。

 

 

(そして今、私は同じことをやろうとしてる)

 

 

 紅蓮弐式のコックピットの中、カレンは静かに呼吸を整えている。

 赤いパイロットスーツから覗く白い首筋に、汗の雫が一つ流れ落ちる。

 んぐ、と喉を鳴らしたのは緊張からか、それとも後悔からか。

 ――――あるいは。

 

 

『良し……カレン、今だ!』

「――――はい!」

 

 

 答えを思い浮かべる前に、カレンは輻射波動を放つ操縦桿のトリガーを押した。

 何故なら、今の彼女にとっては福音の如き命令を聞いたからだ。

 ゼロの命令は、彼女の兄の夢を継いでくれるだろう彼の言葉は、絶対だから。

 彼を信じていれば、きっと日本を取り戻せるから。

 だから、また誰かの父親の命を奪うのだ――――!

 

 

「潰れろ、ブリタニアぁ!!」

 

 

 輻射波動、その衝撃が掘削機を通じて山を揺らした。

 ナリタですでに実戦済み、そしてこの掘削機はラクシャータ製の輻射波動専用掘削機だ。

 伝導率はより高く、より正確に、より強力に。

 すなわち、カレンがいるモモクバリ山、ブリタニア軍本営、メインモニターに映るそこへと無数の土砂が崩れ落ちていく。

 

 

「同じ手は二度も使わない……誰もがそう思うだろう、故にこそ、使う! それでこそ奇襲となるのだ」

 

 

 戦場の上空、ブリタニア軍の航空戦力をガウェインのハドロン砲で一掃していたルルーシュ=ゼロが、C.C.しか聞く者のいないコックピットの中でそう言う。

 C.C.はそれにチラリと視線を向けただけで、特に何を言うことも無かった。

 しかしガウェインのメインモニターには、土砂崩れが人為的に引き起こされたモモクバリ山の様子が映し出されている。

 

 

 ルルーシュ=ゼロにとっては、心地いい光景とは言えない。

 シャーリーへの負い目、カレンがゼロへの忠誠と言う形で転嫁できたそれを、彼は出来なかった。

 だがそれでも、勝利のためには必要と作戦に組み込んだのだ。

 ギアスによって警戒網に穴を開け、紅蓮を伏せて置くという作戦を。

 そして今、実際にブリタニア軍の本陣が土砂に飲み込まれ……。

 

 

「……何?」

 

 

 そこで初めて、ルルーシュの声に驚愕がこもった。

 何故ならばブリタニア軍本陣を襲うはずだった土砂は、肝心要、中央付近のそれが吹き飛ばされてしまったからだ。

 左右から漏れ流れた土砂が、本陣の右翼と左翼を飲み込むが……予定の3割程度のダメージしか与えられていないことは明白だった。

 

 

 原因は何だ、とルルーシュはすぐにガウェインの電子システムで演算を始めた。

 しかし、それも必要なかった。

 何故ならば、中央の土砂を「山の内側から」吹き飛ばした原因が、自分から空に上がってきたからだ。

 そしてその姿に、さしものルルーシュも驚きを隠せなかった。

 

 

「何だ……アレは!?」

 

 

 それは、言うなればオレンジ色の球体だった。

 巨大な緑のトゲが5本ほど付属するそれは、ガウェインよりも遥かに巨大な質量を持っていた。

 ナイトメアでは無い、しかし既存の兵器でも無い。

 まるで、要塞が浮いているような巨大な機械がそこにあった。

 

 

 

『ゼロよぉオオおおおオおおオオおおおおおォッッ!!』

 

 

 

 そして、地の底から響くような声がそれから響いてきた。

 妙にルルーシュの記憶を刺激するその声は、彼が知っているよりもやや……いや、かなり違っていた。

 あえて言うなら、精神的に揺れている声とでも表現しようか。

 

 

「この声は……」

 

 

 だがそれでも、ルルーシュの優れた記憶力は声の主を特定した。

 てっきり死んだと思っていたので記憶の向こう側へ飛ばしていたのだが、あまりの衝撃で思い出した。

 この声は、彼は、ほんの数ヶ月前にルルーシュによって屈辱を味わわされた男。

 かつての純血派のリーダー、ジェレミア・ゴットバルトの声に酷似していた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 コーネリアへの追撃の一刀、それを受け止めたナイトメアに青鸞は顔を顰めた。

 何故ならそこにいたのは、白い騎士のような姿をしていたからだ。

 嚮導兵器、『ランスロット』。

 それが赤く輝くMVSの刃で、廻転刃刀の回転刃を受け止めている機体の名前だった。

 

 

枢木(クルルギ)……!』

『――――兄様(スザク)!』

 

 

 コーネリアと青鸞がそれぞれ声を上げる、その声を通信機越しに聞いた茶髪の少年は、厳しい表情のままコックピットシートに背中を押し付けた。

 赤いフロートユニットの翼を背中に装備したランスロットが腕を翻し、金属音を立てて刀と剣が互いを弾く。

 

 

 そして躍動する白が、濃紺のナイトメアに蹴りを放って機体をグロースターから引き離す。

 衝撃に揺れるコックピットの中、青鸞が操縦桿を無理やり前に押して機体を押し留めた。

 そして、Gの余韻に顔を顰めつつ前を見た。

 

 

『コーネリア総督、ここは自分に任せて後方へ! 予備の腕部パーツへの換装を行ってください』

『枢木、貴様……』

 

 

 月姫が外に響くスザクとコーネリアの声を拾う、そして青鸞はそれを見ていた。

 目を細めて、ランスロットの中にいるだろう兄を見つめる。

 そして、思い返す。

 

 

 数日前、この決戦の直前、青鸞に真実の最後の一ピースを与えた藤堂のことを。

 自分を斬っても良いと藤堂は言ったが、青鸞は藤堂に怒りは湧かなかった。

 湧きようがなかった、だって藤堂に罪は無いのだから。

 罪があると、するのなら。

 

 

「……兄様」

「……青鸞」

 

 

 コーネリアの前に出て、青鸞の前に姿を晒すスザク。

 互いのコックピットの中での呟きは、互いの耳に届くことは無い。

 だが、お互いにきっとお互いを呼んだだろうと言う確信があった。

 確信が、あった。

 

 

「兄様」

 

 

 声を外に拡声させて、青鸞は言った。

 

 

「日本の独立を懸けた戦いの最中にあっても、兄様はブリタニアの味方をするんだね」

『言ったはずだよ、青鸞。間違った方法で得た結果に、意味は無いって』

「ブリタニアが日本を占領した事が、そもそも間違った方法で得た結果でも?」

『……相手が間違っているからって、自分達も間違った手段を取っても意味は無い』

 

 

 それは、総督の前でするにはかなり際どい発言だった。

 どちらかと言うと、ギリギリアウトな発言だろう。

 しかしそれでも、この戦いで黒の騎士団側の味方をするつもりは無いと示す発言でもあった。

 

 

「……そう」

 

 

 静かに頷いて、青鸞は言った。

 

 

「なら、どうして」

 

 

 どうして、いつもの問いかけだ。

 その問いかけに、ランスロットの中でスザクは表情を翳らせる。

 どこか苦しそうなその表情は、先程自分が言った言葉に縛られているかのようだった。

 相手が間違っているからと言って、自分が間違った手段を取ったことを正当化できない。

 

 

 殺人、父殺し。

 正当化、出来ない。

 出来ない、けれど。

 

 

「どうして、兄様は」

 

 

 けれど、だからこそ青鸞は問いかけた。

 今度はただ、意味も無く問うだけでは無い。

 真実のピースを、集めた今ならば。

 

 

「あの人を、殺したの? それは」

 

 

 地外島で、真備島で、オオサカで。

 父ゲンブが、自分の心に生きているゲンブと同じで無いことを知った今ならば。

 いつもの問いかけに、もう一つ続けることが出来る。

 

 

 

「ボクを、ブリタニアに行かせ(さしださせ)ないため?」

 

 

 

 真実の、ワンピース。

 その欠片が、ひっそりと掌から零れ落ちた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 セキガハラからはずっと遠く離れたアッシュフォード邸、そのリビングのテレビは朝からずっとニュースを流し続けていた。

 そして流されるニュースは、セキガハラ決戦のことのみ。

 ブリタニア軍が植民地の反体制派と直に決闘する、初めてのケース。

 

 

『本日午後二時、ブリタニア政庁のエイカーソン首席広報官は、ブリタニア軍がセキガハラにおいて反体制派との戦闘を開始したことを正式に認めました。周辺は接近禁止区域に指定されており、今後も新たな情報が入り次第――――……』

 

 

 ここでブリタニアが勝てば、枢木青鸞の奸計によって世界に広がったテロの流れを挫ける。

 世界に拡散したグラスゴーの設計図は、ブリタニアにとって脅威だ。

 今すぐにテロが拡大するわけでは無いが、それでもテロリスト達は思うだろう。

 これで、ブリタニアに抵抗できると。

 日本人に出来たことが、自分達に出来ないはずが無いと。

 

 

 しかしここで、その日本の反体制派が一網打尽にされたなら。

 逆に世界のテロリストは沈黙せざるを得ない、やはりブリタニアには勝てないと知るだろう。

 つまり、ブリタニア軍の……シュナイゼルの狙いはそこにある。

 だからこそ、このセキガハラ決戦は帝国全体に影響を与える大戦なのだ。

 

 

「ま、まぁ、大丈夫だって! きっとさ、うん!」

 

 

 そんな根拠の無い何事かを引き攣った笑顔で言って、リヴァルは他の生徒会メンバーを見渡した。

 ルルーシュもスザクもいない今、彼は唯一の男子だ。

 そう言う所で気張るのが彼と言う存在であり、他の面々もそれを知っていた。

 だから彼女達は、それぞれ柔らかな表情でリヴァルを見るのだった。

 

 

「そうね、リヴァルの言う通り! それに私達が心配しても、どうしようもないものね」

「そうですよ、ね、ニーナもそう思うでしょ?」

「え? う、うん……」

 

 

 ミレイ、シャーリー、ニーナがそれぞれ続く。

 ニーナはどこかシャーリーの快活な笑顔に押されたようにも見えたが、それはそれでいつものことではあった。

 だからリヴァルも笑って、鼻先を指の腹で擦った。

 

 

 そしてその様子を、見ることは出来ないが聞いているナナリーは楽しげに聞いていた。

 自分に優しくしてくれる人達が、自分の傍で楽しそうに会話している。

 それだけで、ナナリーの胸は温かいもので満たされていった。

 

 

「じゃあ、これから何する? 何なら、ここにいない奴の秘密の話でも」

「お、良いね~♪ じゃあナナリー、さっそくルルーシュの恥ずかしい話を聞かせなさいよ」

「おわ、会長いきなりルルーシュの話行っちゃいます?」

 

 

 リヴァルの言葉にミレイが乗り、リヴァルが楽しげに身を乗り出す。

 シャーリーは何か言いたげにしていたが、火の粉が自分に降りかかるのが怖いのと、後は純粋な興味から黙っていた。

 ニーナは変わらずノートパソコンを前に何かをしている様子だ、画面には難しそうな物理公式が並んでいる。

 

 

「お兄様の恥ずかしい話、ですか?」

 

 

 うーん、と首を傾げる様子を、ミレイ達がワクワクとした表情で見ている。

 そんな若人達の様子を、咲世子は紅茶を淹れる用意をしながら微笑ましそうに見つめていた。

 今朝までは元気の無いナナリーを気にかけていたのだが、それもルルーシュからの電話があって以降は気にしていない。

 まったく、現金な主人を持つと大変である。

 

 

 遠くの地では戦争が起こっている、が、少なくともこのリビングは平和だった。

 ナナリーが、シャーリーが、ミレイが、リヴァルが、ニーナが、そして咲世子が。

 穏やかな時間を過ごすそこは、小さな楽園のようでもある。

 

 

「そうですね……お兄様は、実は昔」

 

 

 しかし、それも儚い夢のように消える。

 

 

「……」

「…………」

「………………」

「……………………」

 

 

 静寂。

 沈黙。

 静謐。

 

 

 全ての音が、不意に消えた。

 口を閉ざしたわけでは無い、事実、何事かを話そうとしたナナリーの口は開いている。

 他の者にしても同じ、開いている。

 ただし、開いているだけだ。

 

 

「……やれやれ、急に「門」を使ってまで僕を呼び出すから、何事かと思いましたよ」

 

 

 ナナリーが、シャーリーが、ミレイが、リヴァルが、ニーナが、そして咲世子が。

 まるで石像にでもなってしまったかのように、動かなくなってしまった。

 身体が固まって、まるで。

 

 

 まるで、時間が止まってしまったかのように。

 

 

 だがテレビは変わらずニュースを流している、動いていないのは人間だけだ。

 良く見ると、目を閉じているナナリーはわからないが、ミレイ達の瞳に変化が見えた。

 赤く輝いているのである、瞳の輪郭が薄く。

 まるでその光が、彼女らの身体の動きを止めているように見える。

 

 

「ありがとう。わざわざごめんね、ロロ」

「いえ、それが僕の役割ですから。それでどうします、殺しますか?」

 

 

 そんな中、動いている存在が2人。

 1人は少年だ、ロロと呼ばれた10代前半の小柄な少年。

 繊細な茶色の髪に薄い紫の瞳、暗殺者が着るような黒いぴったりとした衣装を身に纏っている。

 腰のホルスターには実際に拳銃が揺れており、瞳の冷たさと相まってすぐにも実行しそうだった。

 ただしその瞳、右眼には、鳥が羽ばたくような赤いマークが浮かんでいたが。

 

 

「いいや、アッシュフォードはいろいろと面倒だからね。シャルルに怒られるのも嫌だし、他は放っておいて良いよ」

「……そうですか、まぁ、貴方がそう言うなら別に構いませんけどね」

 

 

 ロロが興味無さそうにそう言うのを、傍らの少年……小柄で、子供にしか見えない少年は、どこか「やれやれ」とでも言うような表情を浮かべた。

 しかしそれも、彼の目が1人の少女を捉えるとすぐに消える。

 ナナリーと言う、その少女の姿を。

 

 

「さぁ、彼女を連れていかなくちゃ。計画のためには、不確定要素は少ない方が良いからね」

 

 

 そう言って、少年――――V.V.は、無邪気な笑みを浮かべるのだった。




採用兵器:
佐賀松浦党さま(ハーメルン):神鳴。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 ついに最終決戦が始まりました、はたしてどうなるのか。
 もはや原作の枠を超えて物語が進行しているので、私としても難しいです。
 さぁ、どうしようかなぁ。

 なお、活動報告にてオリジナル・ギアスを募集中です。
 よろしければ詳細確認の上、どうぞです。
 それでは、次回予告です。


『人は変わるよ、月のようにね。

 でも、変わらないものもある。

 その変わらないものは、きっと一番大切な何かで。

 それはきっと、誰にとっても同じで。

 だから、ボクは』


 ――――STAGE26:「王 の眼 の 女」


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STAGE26:「王 の眼 の 女」

さて、盛り上がって参りましたが……。
では、どうぞ。


 戦況は、仕掛ける黒の騎士団と受けるブリタニア軍と言う構図になってきていた。

 しかし一部ではブリタニア軍が攻勢に出る場面もあり、油断のならない状況だった。

 全体で見れば、やはり兵・装備の質で勝るブリタニア軍が優位だろうか。

 

 

「ちぃっ、手強い……!」

 

 

 その戦闘の最中、卜部はバートと言う男と刃を交えていた。

 互いの配下のグロースターと無頼――性能的には無頼が圧倒的に劣る――を動かしながら、藤堂とダールトンがそうしているように一騎打ちを演じる。

 月下とグロースターならば、月下の方が後続機であるため性能は高い。

 それだけに苦戦は必至だが、それでも卜部は持ち堪えていた。

 

 

『イレヴンがっ!』

「四聖剣を舐めるなよ……!」

 

 

 ランスと廻転刃刀が火花を散らし、移動を重ねながらの攻防が続く。

 そして卜部が、グラストンナイツの特殊兵装であるミサイルポッドのミサイルを回避するために後退を行った時、通信機から部下の声が響いた。

 

 

『卜部隊長、アレを!』

「む、な……何だ、アレは!?」

 

 

 平野部だからだろう、それは良く見えた。

 月下のメインモニターは空を映し出している、ゼロのガウェインがブリタニアの航空戦力をほぼ無力化した今、そこにはガウェインしか存在しないはずの空。

 だが今、そこに奇怪な兵器が存在していた。

 

 

 オレンジの球体に緑のトゲ、どこのSF映画から飛び出してきたのかと思える程に巨大な何か。

 ブリタニア軍の本陣の方角から飛来したそれは、いったい何なのか。

 機械だとはわかるが、逆に言うとそれ以上のことはわからない。

 後は、おそらく味方では無いということくらいか。

 

 

「そして、アレは……月姫! 青鸞か!」

 

 

 次いで、隣の陣を担当していたはずの少女の機体を側面モニターで確認した。

 コーネリア機と思われるグロースターと、そしてあのランスロットも確認した。

 その周辺で激闘を繰り広げる友軍機と、そして敵機もだ。

 いかに月姫とは言え、コーネリアとランスロットを同時に相手取るのは拙い。

 

 

「……!」

 

 

 だから卜部は操縦桿を倒し、部下達に号令をかけながら躊躇無く駆けた。

 日本の抵抗と言うよりは、単純に妹分を救うために。

 彼は、そう言う行動が出来る男だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――どうしてですか、父さん。

 

 

 かつて、1人の子供が父親にそう問いかけた。

 それはもうずっと昔の話で、しかし少年の頭から永遠に離れないだろう記憶だ。

 離れようの無い、記憶だ。

 そして、少年が妹から同じ問いかけを永遠に続けられる根拠になる記憶だ。

 

 

 ――――どうしてアイツらを、アイツら弱いのに、どうして戦争なんか。

 

 

 けれど、少年はその記憶を誰にも話すつもりが無かった。

 一部の人間は大筋を知っているだろう、だが、本当の意味で真実を知るのは少年1人だけだ。

 心の動きを知るのは、自分だけだと。

 だから、誰にも何も言わず、咎人と(なじ)られるままに終わろうとしていた。

 

 

 ――――それにアイツは、アイツは父さんのことが本当に好きなのに。

 

 

 だってそれは、あまりに辛いことだから。

 自分は良い、自分はあの父親に何かを期待したことなんてない。

 親子らしいことをしてもらった覚えなんてないし、何より父が怖かった。

 粘着質で傲慢で、世界が自分のために動かしてしまう父が、怖かったから。

 だから、自分は良かった。

 

 

 ――――父さんだって、アイツのこと可愛がってるじゃないか、なのに。

 

 

 幼馴染に頼まれるままに、幼馴染の妹を守るために行動した。

 友情、それだけで十分だった。

 それだけで他の感情を封殺できた、数年を共にした父より数ヶ月を共にした幼馴染の兄妹の方が大切に想えたから。

 

 

 ――――どうしてですか、父さん。

 

 

 だから、少年は。

 

 

『……アレは、良い担保になる』

 

 

 そう告げる父は、得体の知れない何かでしかなかった。

 気持ちの悪い、醜悪な何かでしかなかった。

 だから。

 だから少年は、少しも躊躇わなかった。

 ――――……少なくとも、その時には。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 政略結婚。

 いつの時代にも存在する、人類が古くから持つ風習の一つである。

 時代によって意味は異なるが、概ね政治上の目的を達成するための婚姻と定義して問題ないだろう。

 現在でも、例えばブリタニアの皇族・貴族階級では普通に行われている。

 

 

 だから、小学校に入学したばかりの娘を嫁がせることも不思議では無い。

 しかしそれは法の支配の及ばない特権階級たるブリタニア貴族の間の話で、日本では受け入れられない考えだろう。

 だが、ブリタニアでは通じるのだ。

 そう、ブリタニア領となった日本、エリア11では……。

 

 

「あの人は、自分の娘(ボク)をブリタニア皇帝の109人目の妻にするつもりだった」

 

 

 ぎしり、と操縦桿を握る手に力を込めて、青鸞は努めて無表情に正面を向いていた。

 だが、告げる真実は残酷そのものである。

 記憶にある「優しい父様」が、絶望に変質した「優しかった父様」が、その晩年に自分をどんな目で見ていたのかを告げる言葉だったのだから。

 

 

 枢木ゲンブの野望は、桐原達キョウトを排して日本の支配者になることだった。

 彼はそのためにブリタニアを引き込み、桐原達の権力基盤である古い日本を破壊しようとした。

 ルルーシュとナナリーは、ブリタニア側の協力者の力を借りる担保だ。

 しかし戦後、間接統治と言う形で残るはずだった日本「自治」政府の首班になるにはまだ足りない。

 ならばどうするか、そう、娘を差し出す。

 

 

『戦後、あの人はブリタニアの爵位を得るはずだった。その上で娘を皇帝に差し出して、自分の権力の保障にするつもりだった……ブリタニア皇室の、外戚の1人として』

「ど……どうして、そのことを」

 

 

 ランスロットの中、スザクは表情を青褪めさせていた。

 何故なら青鸞が口にしているのは、彼がひた隠しにしていた事実だからだ。

 コーネリア達が聞いていることを自覚しているからか、固有名詞は無い。

 無いが、無いが故に、スザクは青鸞が真実を知ってしまったことを確信した。

 

 

 脳裏に浮かんだのは桐原の老人の顔では無く、壮年の藤堂の顔だった。

 死の直前、父から野望の全貌を聞き出したのは彼だけだ。

 彼が話したのだ、そうとしか思えない。

 何故、どうしてと言う言葉が頭の中を駆け巡る。

 奇しくもそれは、ここ7年の青鸞が感じていた感情だった。

 

 

『……兄様』

「……ッ」

 

 

 繰り返すように名を呼ばれて、スザクは息を呑んだ。

 アヴァロンのモニターで彼のメディカルチェックを行っているセシルなどには、スザクの心拍数と脈拍が異常に乱高下している様子が見て取れただろう。

 それだけ、彼は動揺していた。

 

 

『どうして』

 

 

 7年前から、何度も何度も繰り返されて来たその言葉。

 しかしここに来て、その意味は大きく変わっていた。

 

 

あの人(ちちさま)を、殺したの?』

 

 

 時間が、止まる。

 唇が乾く、口内から唾すら出ない程に水分が失われていく。

 戦慄く手は、操縦桿を軋ませる。

 そしてスザクは、乾いた唇を何度も小さく開閉させた。

 そうして、彼は。

 

 

 ――――警告音!

 

 

 彼は顔を上げた、それは妹も同じだった。

 月姫のコックピット内に鳴り響いた警告音、攻撃を示す物では無いが緊急の物だった。

 何事かと顔を上げた矢先、至近に巨大な物体が落ちてきた。

 モニター内に味方を示す識別信号が映し出されるそれは、漆黒の巨体のナイトメアだった。

 すなわち、ガウェインが空から落ちてきたのだ。

 

 

「ル……ゼロッ!?」

 

 

 呼びかけた名前を何とか飲み込んで、青鸞は月姫をガウェインの方へと向けた。

 その月姫を、強い風圧が襲う。

 さらに続けざまに鳴り響く警告音、ガウェインのことを気にしつつ青鸞はそちらを向いた。

 そして驚愕に目を見開いた、何故ならばそこには。

 

 

『オオぉオおおオオオオオぉオオォぉルハいルブリタアアあァァニアアアぁアアァぁァッッ!!!!』

 

 

 オレンジ色の爆風が、戦場を蹂躙する。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その兵器の名は『ジークフリート』と言い、分類的にはナイトメアでは無い。

 ナイトギガフォートレス、分類名称に要塞と冠される程の巨大なそれは、常人に乗りこなせる物では無い。

 故に、搭乗するパイロットはどこか人間をやめている必要があるのだった。

 

 

「ゼロよおおォオぉ、帝国臣民のォ……敵! ワタしは、帝国臣民の騎士としてェ、アナタヲ! 破壊したイのデす!」

 

 

 そして事実、ジークフリートに乗り込んでいる男はとても普通の人間には見えなかった。

 身体の半分を機械(サイボーグ)化され、特に顔や身体の左半分を覆う濃い紫の装甲が嫌でも非人間性を強調している。

 クロヴィスの腹心だったバトレー将軍が、シュナイゼルの下で生み出したのが彼だ。

 ジェレミア・ゴットバルト、人間をやめたブリタニアの騎士である。

 

 

『……ッ、あのれ、オレンジ如きが私の邪魔を!』

『オ、オオオォォゥレンジッ!? シィイねえええぇェェええええぇっッ!!』

 

 

 状況が読めない、が、青鸞としては己の命を守るために行動しなければならなかった。

 空に浮かぶジークフリートが、5本の緑のトゲ――スラッシュハーケンを撃ち放ったのだ。

 それは地上に倒れていたガウェイン目掛けて放たれたのだが、何分巨大なので巻き添えを喰らうのである。

 それでもコーネリアなどには影響を与えないあたり、意外と知能は高いのかもしれない。

 

 

「……C.C.ッ!」

「わかっている、いちいち喚くな!」

 

 

 複座の下で、C.C.が操縦桿を引く。

 上の席でルルーシュが端末を叩き、ガウェインのスペックバランスを微修正する。

 そして同時にジークフリートの分析も始めるが、正直な所ドルイド・システムをもってしても図りかねる機体だった。

 

 

 巨大なランスのようなスラッシュハーケンを辛うじてかわし、ガウェインが地上で身を起こす。

 C.C.が操縦桿のトリガーを引くと、ガウェインが身を逸らしてハドロン砲を発射した。

 赤黒いエネルギーの柱が2つ、空を引き裂く。

 しかしブリタニアの航空戦力を破壊しつくしたその砲撃を、ジークフリートは駒のように回転して回避した。

 

 

「どういう構造だ、アレは!」

 

 

 たまらずフロートシステムを再起動、ガウェインが空へと上がる。

 直後、オレンジの球体が地面に突き刺さった。

 激しい振動と共に地面が陥没し、土煙が立ち込めるそこをルルーシュは憎々しげに睨んだ。

 ルルーシュとしては予定外にも過ぎる、これでは全体の指揮を執ることも難しい。

 

 

「どうするんだ?」

「どうするもこうするも無い、俺は騎士団の全体指揮を執る必要がある。相手はシュナイゼル、藤堂の軍事的手腕を疑うわけでは無いが……」

 

 

 それでも藤堂は前線部隊の掌握に忙しい、草壁や三木などの旧日本軍人の士官もそれぞれの部隊の運用に手一杯で、とても全体など見れないだろう。

 そしてルルーシュだけがシュナイゼルを知っている、これは大きい。

 シュナイゼルは、知らない人間に対処できるような甘い男では無いのだ。

 

 

「だから、オレンジなどの相手をしている暇は無い。誰か手の空いている者はアレを墜とせ、私は……」

『わかった!』

 

 

 通信機から響いた声に、ルルーシュはぎょっとした。

 心臓を掴まれたかのような心地に、ルルーシュが顔を顰める。

 C.C.が、ちらりと後ろを振り返って少年の顔を確認した。

 そこにあったのは、一国を破壊しようと言う魔王の顔では無かった。

 しかしルルーシュにも、それ以上彼女へ思考を割いている暇が無かった。

 

 

『逃がさないぞ、ゼロ! キミさえ倒せば、この戦いは終わる。青鸞だって……!』

「ええい、次から次へと! しかもお前が、スザク……!」

 

 

 フロートシステムで空へと上がったのはガウェインだけでは無い、ランスロットもだ。

 戦いの元凶たるゼロを倒せば、戦いは終わる。

 それはその通りなのだが、この時のルルーシュには鬱陶しく感じられて仕方が無かったのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ジークフリートの突然の乱入で、その場にいたブリタニア軍も黒の騎士団も散り散りになって陣形を崩してしまっていた。

 地面にあれだけの質量の物が回転しもって落ちてきたのである、そのまま平然と戦えるはずも無い。

 コーネリアも自身のグロースターの補修と再編のために、ギルフォードらを一時呼び戻す程だ。

 

 

「野村さん、林道寺さん! あのオレンジ色のを墜とすよ!」

『り、了解です、青鸞さま!』

『承知、随分と骨が折れそうですな……』

 

 

 その中で濃紺のナイトメアが戦場を駆けていた、周辺の無頼隊を掌握しながらである。

 ジークフリートを墜とす、戦術的に特段に間違っているとは言えない。

 しかし意外であったことも事実であって、だからこそ少々の驚きをもって迎えられた。

 

 

「護衛小隊、援護砲撃! 出来る!?」

『アイアイ、仰せのままにー……っと!』

 

 

 クラウディア隊の圧力をかわした山本たち黎明隊が砲撃を再開する。

 50ミリ超の実弾が断続的に降り注ぎ、上空へと逃れたガウェインへ意識を向けていたジークフリートのオレンジ色の表面を叩いた。

 ただ、どうにもダメージが通っているようには見えない。

 弾着後の爆発が収まれば、そこには傷一つ無い装甲の表面が見える。

 

 

『卑怯! 卑劣! 不意打ち!』

 

 

 それでも意識を引くことは出来たらしい、ジークフリートの正面らしき部分が周りを旋回する月姫と無頼隊の方を向いた。

 そしてモニターも無い壁に覆われた特殊なコックピット、無数のコードで直接機体に繋がれたジェレミアが目を大きく見開く。

 機械音を立てる左眼は、外の濃紺のナイトメアの存在をしっかりと認識していた。

 

 

『クルルギ・セイラン! 帝国臣民の敵、イレヴン、イレヴン、イレヴンんんんんンんんんンンッッ!!』

 

 

 脳に刺された電極がスパークを走らせる、それは帝国臣民の敵に対する敵愾心に燃える魂を象徴するかのようだった。

 そしてそれは、誇大ではあっても過度では無い。

 

 

『帝国臣民の敵はァ、まとめて排除・掃除・除去したいノでスッ!』

「品性の無い殿方は……」

 

 

 実弾装備の無意味さを確認しつつ、青鸞は月姫のスラッシュハーケンを射出した。

 ジークフリートの表面に突き刺さり、引っかかったそれは、巻き上げと共に月姫の機体を跳躍させた。

 放たれる巨大な緑のトゲ型スラッシュハーケン、それを両足の追加装甲の格納ブロックから射出した手甲一体型直刀(ジャマダハル)で弾き流しつつジークフリートに接近する。

 

 

「嫌われるよっ!」

 

 

 月下の廻転刃刀と同じ構造のジャマダハルは、刃を回転させて唸りを上げる。

 月姫の両腕が突きの形で振り下ろされる、それは違うことなくジークフリートの装甲表面に突き立てられた。

 回転する刃が複合金属装甲を削り、僅かながらダメージを与えたのである。

 

 

「とは言え……硬い!」

 

 

 ジークフリートにダメージを与えるのは容易では無い、実際、装甲と一合触れ合っただけで両手のジャマダハルの刃は刃こぼれを生じさせてしまっていた。

 ジークフリートが浮遊を始めたため、アンカーを外して跳躍する。

 地面に着地すると同時にランドスピナー全開、背後に連続して着弾したジークフリートのミサイルの群れから逃れた。

 

 

 さてどうするか、と、無頼隊のアサルトライフルの射撃が上空に上がったジークフリートを追撃する様子を側面モニターで確認しつつ考える。

 転進はあり得ない、操縦桿を引きながらそんなことも思う。

 とは言え、どうすればあのジークフリートを墜とせるのか検討もつかない。

 

 

「けど、ルルーシュくんの邪魔をさせるわけには……!」

 

 

 この時、青鸞にはやや柔軟さが欠けていたと言える。

 だからこそ、彼女は一瞬、目を離してはいけない対象から目を離した。

 それは、普段ならしないようなミスだった。

 

 

 ――――きっかけは、警告音である。

 それに気付いて顔を上げた時には遅い、それでも月姫に急制動をかけたのは正解だった。

 何故ならば、月姫の目の前に突き立ったランスにその身を貫かれずに済んだのであるから。

 

 

「な……っ」

 

 

 普段であれば、ジークフリート以外への警戒も怠らなかったはずだ。

 気付いたはずだ、きっと。

 自分に無頼隊を掌握する時間があったように、コーネリアにも親衛隊を纏める時間があったのだと言うことを。

 

 

『放てッ!』

『『『イエス・ユア・ハイネス!』』』

 

 

 親衛隊のグロースターが一斉に手にしていたランスを投擲する、青鸞は顔を顰めて操縦桿を引き、横に倒して機体を制御、回避行動を続けた。

 ブリタニア軍はジークフリートの登場に驚きこそしたものの、友軍の識別コードを持つそれに対して脅威までは感じていない。

 その差が、出た。

 

 

『青鸞さま! うわっ!?』

『馬鹿者、前に出るな――――死ぬぞ!』

 

 

 林道寺の無頼が不用意に前に出て、ジークフリートのミサイル群の衝撃をまともに喰らう。

 しかし注意する野村も、ギリギリと歯を軋ませていた。

 1機で先行する形をとっていた月姫は半ば孤立している、そして今はグロースターの放つランスの投擲によって不格好なダンスを強要されている。

 

 

『な……何だ!?』

 

 

 その時、1機のナイトメアが彼らの傍を駆け抜けて行った。

 刀を掲げるその機体は、まるで。

 

 

「この、くらい――――で!」

 

 

 そう、ランスの投擲ごときは、もはや月姫を駆る青鸞にとっては意味を成さない。

 しかし、しかしである、思い出してみてほしい。

 直前まで、彼女は誰の気を引いていたのか?

 

 

「あ……」

 

 

 次に鳴り響いた警告音に、青鸞は半ば呆然とした声を上げた。

 何故ならば、正面を向けた月姫の眼前、正面モニターにジークフリートの放ったミサイルの群れが迫っていたからだ。

 回避できない、背筋に冷たい物が走った。

 

 

『ヤバい!』

『……落とせ!』

 

 

 黎明隊と無頼隊が射撃・砲撃でミサイルの一部が失われる、しかしそれでも十分な量のミサイルが彼女に迫っていた。

 その時、少女の唇から意味の無い叫びが漏れた。

 悲鳴? 違う。命乞い? 違う。

 それは、叫びだ。

 

 

 不意に、不意にである。

 1機のナイトメアが月姫の前に躍り出た、紅蓮に良く似た機体構造のそれは月下である。

 月下が1機、ミサイルに晒された月姫を庇うように前に出たのだ。

 ――――卜部機である。

 

 

『ぬぅおぁあぁ――――ッッ!!』

 

 

 青鸞の危機に参じた卜部は、迷うことなく自らの機体を月姫の盾とした。

 ミサイルが着弾した箇所から大爆発を引き起こし、装甲だけでなく機体内部の部品まで飛び散らせる。

 コックピット・ブロック内も例外では無い、通信機が拾う卜部の叫び声がその証拠だった。

 

 

「……これって」

「まさか」

「……卜部!?」

 

 

 卜部機のシグナルロストを確認した藤堂達が、それぞれの戦闘を続けながら顔を上げる。

 その視線の先で、卜部の月下は爆発の光の中に消えていたのだ。

 

 

『せ、青鸞……ッ』

 

 

 ミサイルの爆風に煽られ倒れる月姫、コックピットに伝わる衝撃に目を閉じる中、卜部の声が耳に届いた。

 次に目を開けた時には、上半身部分を丸ごと失った月下の下半身が、地面に倒れる所を確認した。

 だがまだ耐えられた、何故なら卜部を乗せたコックピットのイジェクション機能が働いていたから。

 宙を舞う銀のコックピット・ブロックに、地面に膝をついた月姫が手を伸ばすような仕草をする。

 

 

『……に、日本をた』

 

 

 しかし、それも費える。

 直接狙ったのか、それともミサイルの爆風で逸れたのかはわからない。

 だがとにかく、卜部のいるはずのコックピット・ブロックを貫いたのだ。

 グロースターの、ランスが。

 

 

 次の瞬間、コックピットが爆発四散した。

 破片が火の粉と共に散り、地面に落ちる様子が目に入る。

 声を、出せなかった。

 ただ脳裏に、道場で子供達に剣道を教えていた男の姿が浮かぶばかりで。

 だから爆煙の向こうに、ランスを投擲した姿勢の隻腕のグロースターを見た時、箍が。

 

 

「う……こ、コ……!」

 

 

 箍が(カチリ)と、外れて。

 

 

 

「コオオオオオオオオォネエェリアアアアアアアアアアァァァァァッッッッ!!!!」

 

 

 

 しかしその感情の奔流を、叩き付けることは出来ない。

 コックピット内に新たな警告音が鳴り響く、しかし青鸞は側面モニターに映るコーネリア機から視線を逸らさなかった。

 そんな彼女に再びジークフリートが迫る、今度は回転しながらの体当たり。

 通信機から仲間達の声が響き渡るが、上空では別の戦いと騒ぎが起きていた。

 

 

『枢木スザク!!』

 

 

 ジークフリートへ向けてハドロン砲の構えを取ったガウェインだが、ランスロットのヴァリスによる砲撃でそれを阻害されてしまった。

 たまらず、ルルーシュ=ゼロが叫び声を上げた。

 

 

『このままでは青鸞嬢が本当に死ぬぞ! お前はそれをみすみす見過ごすつもりか!?』

『……青鸞はテロリストだ、戦場で命を失ったとしても仕方ない!』

『仕方ないだと!? お前はそれでも……!』

『ルールに従わなければ、意味が無いんだ!』

『この……っ』

 

 

 何もかもを金繰り捨てる勢いで、ルルーシュ=ゼロの叫びが戦場に響く。

 

 

『……わからず屋がっ!!』

 

 

 その直後、ジークフリートが大地にその巨体を衝突させた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――嫌だ。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だ。

 呪詛の如く「嫌だ」と言う言葉が脳裏を駆け巡る、目の前のオレンジの巨体を凝視しながらの思考。

 しかし時間にして、ほんの一刹那の事。

 

 

(こんな所で終わる……嫌だ、嫌だ、嫌だ!)

 

 

 しかし死は誰にでも、唐突に訪れる。

 先程卜部がそうであったように、誰にでも唐突に平等に訪れるのが死だ。

 それに対して嫌だと思った所で、どうすることも出来ない。

 

 

 ――――左胸が熱い、それにコックピット内に響いている音は何だろう?

 いや、今はそんなことは関係ない。

 今は、目の前の死についてだ。

 その死を拒否するために必要な物は、何だ。

 言ってみろ、何だ。

 

 

『青鸞、日本を頼む』

 

 

 卜部の最期の言葉が、頭を刺して離れない。

 片瀬やナリタで散っていった者達もまた、同じような言葉を残して去って行った。

 自分は、それを受け継いだ――――託されたのだ、真実と共に。

 だから、こんな所で終わるなど。

 

 

「ふざ……ッ、けるなアアアアアアアアアアアアアアァァッッ!!」

 

 

 認められるはずが、無かった。

 だから、エナジー減少を告げる警告音の中で青鸞は両方の操縦桿を強く引いた。

 いつもと同じ行動、しかし今度は違和感があった。

 何かが、開いた感触があったからだ。

 

 

「……ッ!?」

 

 

 その違和感の正体に気がつく前に、衝撃が機体を襲った。

 それはジークフリートが地面に着弾した音で、要するに月姫を押し潰すための行動だった。

 事実、ジークフリートは月姫のいた場所を陥没させ、粉砕した。

 

 

 土砂が上がり土煙が立ち込める、そしてその中には濃紺の装甲の破片が確かに撒き散らされていた。

 だからジークフリートの中で、ジェレミアは狂気に歪んだ笑みを浮かべたのである。

 帝国臣民の敵を誅滅した喜びが、彼をそうさせたのだ。

 それから彼は、意識を元々の目標である上空の黒い機体へと向けて。

 

 

 ――――ジークフリートの頭部分に、何かが落ちてきた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――月は」

 

 

 は? とディートハルトが目を丸くするのにも構わず、唐突に神楽耶は呟きを発した。

 そのにこやかな笑みの先では、多くの日本人とブリタニア人が血を流している戦場がある。

 そしてそこにいるだろう少女に向けて、神楽耶は告げる。

 

 

「月は姿を変えます、女のように……」

 

 

 それきり彼女は何も言わなくなったので、ディートハルトとしてもそれ以上は何も言わなかった。

 彼としては、正直なところ神楽耶には黙って座っておいてもらいたかったのだから。

 神楽耶はそうしたディートハルトの思考をもちろん知っていたし、ディートハルトも知られているのを承知の上でそこにいるのだが……。

 キョウトの姫にとっては、そうした建前の付き合いはお手の物だった。

 

 

 一方、神楽耶の呟きを具体性をもって説明した女がいる。

 それは意外なことに、ラクシャータであった。

 彼女は古川と雪原と言う日本人の技術兵を傍に置きつつ、キセルを咥えながら戦略モニターを見つめていたのだが。

 

 

「……第7世代相当KMF『月姫(カグヤ)』。紅蓮や月下なんかと違って、機動性をある程度殺すコンセプトで作ってあるんだけどねぇ」

「あ、はい。せ、整備してて不思議だったんですけど……武装の格納スペースも兼ねてるとは言え、あの追加装甲の量は半端じゃないですよね、何で……」

「アンタさぁ」

 

 

 面白そうな顔で古川を見つめるラクシャータ、そんな彼女に見つめられて古川が怯えたように身を竦める。

 はぁ、と雪原が溜息を吐いた。

 にぃ、と、ラクシャータが本当に楽しそうに笑う。

 

 

「――――女の化粧の下って、見たことあるぅ?」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『何者! 卑怯! 不敬!』

 

 

 ジークフリートからジェレミアの叫ぶような声が響き渡る、そして実際、何者かがジークフリートの頭部を踏みつけにしていた。

 それはナイトメアだ、漆黒のナイトメア。

 

 

 一見すると見たことの無い形状をしているが、良く見ればそうでも無いことに気付く。

 ダークブルーの外部装甲と追加装甲が外れ、無駄なパーツを削ぎ落とされた人形のような姿をしている。

 人間で言えば、無駄な贅肉を落としたアスリートのようにも見えたかもしれない。

 だが逆に言えばか細く無防備で頼りなさそうで、どこか女性的にも見えた。

 

 

<GEFJUN FIELD DISTURB>

 

 

 ゲフィオンディスターバー、と呼ばれる装置がある。

 サクラダイトに干渉する特殊な磁場を発し、その活動を著しく阻害するフィールドを発生させる装置だ。

 理論上はナイトメアのコアルミナスにも干渉し、機体そのものを停止させることも出来る。

 そしてその理論は今、戦場で実践された。

 

 

「ぬっ!?」

 

 

 ジークフリートの中で、ジェレミアが表情を変えた。

 愉悦から苦痛へ、その変化は激しかった。

 ゲフィオンディスターバーの効果がジークフリートのコックピット内部にまで及び、それまで内部を覆っていた不可思議な輝きが次々と失われていった。

 そして。

 

 

「ぐ……ぎュううウゥううウうおおおおおおオおおおおおおおオォおおおおおオオおおおオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉォォぉッッッッ!!??」

 

 

 白目を剥き、顔面の穴と言う穴から流血を散らしながらジェレミアが絶叫する。

 彼の体内に仕込まれた超電位体……サクラダイトを動力源とするそれが、正常に作動しなくなり暴走を始めたのだ。

 ジークフリートの各システムがダウンすると同時に、ジェレミアの意識も奪われていく……。

 

 

「何だあの機体は……クルルギの娘のナイトメアなのか?」

 

 

 地面に力無く埋もれるジークフリートの姿に、後方から運ばせた予備の腕部パーツを装着しながらコーネリアは呻いた。

 ほとんど全ての防護装甲を捨てた月姫は、まるで別の機体にしか見えない。

 しかしである、ブリタニア軍が解析したコアルミナスの波長は同じなのだ。

 アレは間違いなく、月姫なのである。

 

 

「ゲフィオン、ディスターバー……」

 

 

 漆黒のカラーリングと濃紺のデュアルアイ、そして銀の関節部。

 最後に胸部の追加装甲によって隠されていた、深緑の宝石を思わせる装置。

 ゲフィオンディスターバー、月姫のエナジー残量が3割を切り、かつ特定の操縦を行った時に発動する仕掛け。

 残り3割のエナジーを通常の3倍の時間で消費する代わりに、至近距離のサクラダイト運動を止める。

 

 

 言うなれば、操縦者の危機を救うために仕込まれた最後の切り札である。

 仕込んだのはラクシャータであり、そして神楽耶だ。

 青鸞が、対ナイトメア戦で死なずに済むようにと。

 そしてそれが今、確かに彼女を守ったのだ。

 

 

「……『月姫』の、本当の能力(チカラ)……!」

 

 

 コックピットの中で、形が変化した操縦桿を握り締めながら青鸞が言った。

 事実、それは対ナイトメア戦では強力無比な効力を生む。

 当然制約はある、稼働時間は短いし、何より範囲が狭い。

 まだまだ試作段階の兵装であって、多用も信用も出来ないのだ。

 だが、今は。

 

 

「コーネリアアアァッ!!」

 

 

 最後に残った刀をコックピット横の鞘から射出し、鞘もパージして捨てる。

 そして、ジークフリートの上から跳躍する。

 その動きは、追加装甲によって戒められていた頃とはまるで違う、機動的な動きだった。

 

 

 ゲフィオンディスターバーの深緑の輝きを胸から放ちながら、真の姿を晒した月姫が跳んだ。

 まるで、形を変えた月が己の姿を人々に晒すように。

 そして乙女が、化粧の下を想い人に晒すように――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 コーネリアは、優れた指揮官であると同時に優れたナイトメア乗りである。

 そして彼女を守る親衛隊もまた、優れたパイロットが集められた精鋭である。

 コーネリアは彼らの強さを信じているし、同時に自分の強さも信じている。

 だから、目の前で起きていることが信じられないでいた。

 

 

『で、殿下をお守りし――――』

『邪魔をするなァッッ!!』

 

 

 一刀、まさに一刀でクラウディオ機が両断されるのをコーネリアは見た。

 グロースターの右肩から左脇腹部へと桜色に輝く――明らかにサクラダイトの発光現象、月姫はシステムへの耐性を備えているのか――刀身が走り抜けた。

 斬られた装甲部が溶ける程の高熱を放つ刀、それで斬られたクラウディオ機が爆発炎上する。

 脱出は、無い。

 

 

「お、のれえええええええぇぇっ!!」

『姫様ぁっ!』

 

 

 腹心ダールトンの「息子」の死に、コーネリアは激昂する。

 激昂するが、しかしである、彼女のナイトメアは動けないでいた。

 第一駆動系のシステムが全てダウン、コックピット内部が薄く赤い照明に照らされていく。

 何、と、コーネリアは息を呑んだ。

 

 

 その間にも、コーネリアの両側にいた親衛隊のグロースターが棒立ちのまま月姫のスラッシュハーケンの餌食になる。

 爆発の衝撃と振動だけが、何も見えなくなったコックピットの中でコーネリアの身を揺らした。

 月姫に仕込まれたゲフィオンディスターバーの範囲内では、もはや彼女には出来ることが無い。

 

 

『巧雪さんの……!』

(ユフィ……!)

『……仇ッ!!』

 

 

 桜花、と言う名前のその刀。

 備えたシステムは単純だ、極小時間に限り膨大な熱暴走を引き起こし、凄まじい破壊力を得る。

 熱暴走の源は、刀身素材であるサクラダイト特殊錬造合金である。

 すなわちサクラダイト、しかし対ゲフィオンディスターバーの調整を施されている。

 

 

 ゲフィオンディスターバーの範囲内では、ほぼ無敵の刀である。

 だが制限もある、一度の使用後とに12秒間の冷却が必要であり、もし連続使用するならば37秒が限界である。

 だが青鸞は側面モニターのカウントダウンを見もせずに、ただ桜花の刀身を振り下ろした。

 

 

『させない――――青鸞!』

 

 

 ゲフィオンディスターバーの範囲外から青白い弾丸が飛来、振り上げた桜花の刀身を打った。

 折れず手は放さず、しかし重量が格段に減った月姫は衝撃に耐え切れずに押し切られた。

 ノーマルモードで放たれたそれは、ヴァリスの弾丸である。

 それに気付いた時の青鸞の表情は、どう表現すれば良いのであろう。

 

 

『スザクッ!!』

『ゼロ、キミは……な!?』

 

 

 ガウェインの両指のスラッシュハーケンがランスロットを背後から襲い、フロートユニットの翼が削れられて破壊される。

 しかし上空からの自由落下に入りながらも、スザクは驚愕に目を見開いた。

 それは自分と共に地上へ向かうガウェインの姿を見たからでは無く、むしろガウェインの向こう側にこそ原因があった。

 

 

「……ッ、不味い!!」

 

 

 ガウェインの中で、C.C.が顔を上げる。

 その目には確かな脅威が見えていた、だから彼女は行動した。

 他の全てを見捨てて、契約者たるルルーシュのみを守ろうとして。

 

 

 不意に、C.C.の額が赤い輝きを放った。

 赤い鳥、ギアスのそれと酷似した刻印が輝きを放つ。

 それによって身体を硬直させながら、C.C.は何事かを叫んだ。

 

 

「何のつもりだ、○○○○○――――!?」

 

 

 最後に誰かの名前を呼んだ気がしたが、それは直後の爆音と轟音と衝撃に掻き消された。

 それ故に、その名前がルルーシュの耳に届くことは無かった。

 その代わりに、不思議な光が彼らを包み込んで――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その時、何が起こったのか。

 正確に理解している者は、おそらくごく一部。

 それを成した者達、すなわちシュナイゼルとその副官カノンくらいの物だろう。

 

 

『シュナイゼル殿下、これは……!?』

「うん? やぁ、セシル君。どうしたんだい、血相を変えて」

 

 

 通信画面に顔を出したセシルとロイドに対して、指揮シートに座ったシュナイゼルは優雅に微笑んで見せた。

 それはどこかの庭園でお茶をしていて、突然の来客を迎えた時とそう変わらない態度だった。

 しかし、シュナイゼルが行ったことは優雅とは程遠いことだった。

 

 

 航空戦艦アヴァロンによる、対地攻撃ミサイル128発と主砲・副砲による3連斉射。

 目標地点は最前線、わかりやすく言えばゼロと枢木青鸞がいたポイントである。

 一網打尽と言えば聞こえは良いが、セシルが抗議じみた通信を入れてくるように、そこには味方機が存在していたのだ。

 その中には、第二皇女コーネリアやランスロットのデヴァイサーであるスザクも含まれている。

 

 

『これはいったい、どう言うことですか!?』

「どう言うことと言われても……平和のため、だね」

『は?』

 

 

 不敬なこととは承知ではあるが、セシルは唖然とした顔でシュナイゼルを見た。

 シュナイゼルはそれでも微笑を絶やさず、それを許した。

 ……理屈は、わかる。

 

 

 ゼロと枢木青鸞は、反体制派の名実の象徴だ。

 これを倒せば反体制派は瓦解するだろう、シュナイゼルとしても黒の騎士団と旧日本解放戦線、強硬派の民兵部隊を一挙に潰せるチャンスだ。

 ブリタニアとしては、良いこと尽くめだ。

 

 

「これで戦いは終わる、ブリタニアの勝利と言う形でね。コーネリアやスザク君も、わかってくれると思うよ。僅かな犠牲で、エリア11の安定が確定するのだから」

『…………』

 

 

 通信画面の向こうで、セシルが明らかに理解しがたいものを見るような目でシュナイゼルを見た。

 それにカノンは気づいていたか、しかし何も言わなかった。

 何故ならばこの件で、シュナイゼルが責められることは無いからだ。

 ブリタニアと言う国は、そう言う国だ。

 

 

 これが民主国家EUのような国であれば、意図的に味方を犠牲にすれば勝利したとしても責任を問われ裁判にかけられるだろう。

 だがブリタニアではそうでは無い、味方をいくら犠牲にしようが勝てば許されるのだ。

 勝利こそ全て、死んだ者は弱かっただけ、死ぬ方が悪いのだ――――。

 

 

「ゼロと……青鸞とも、連絡が途切れただと?」

『藤堂さん、どうすれば』

「…………」

 

 

 セキガハラに集った反体制派、そのトップ2との連絡がアヴァロンの砲撃の直後から途切れたのだ。

 しかしそれに対して動揺しているのは、何も藤堂達だけでは無い。

 

 

「姫様は……姫様は、どうなったか!?」

『わ、わかりません。砲撃の余波で、ギルフォード卿とも連絡が……!』

 

 

 取り残される形になったコーネリア軍もまた、頂点を失い動揺していた。

 藤堂とダールトンはそれぞれの動揺を抑えつつ、同時に互いとの戦いを続けねばならない。

 それは、酷く辛い作業だった。

 

 

「ゼ、ゼロ……?」

 

 

 そして一方、モモクバリ山でブリタニア軍本陣を窺っていた紅蓮弐式の中でカレンが呆然と呟いていた。

 彼女の位置からゼロ達の窮地を見ることは出来なかったが、それでもゼロとの通信が不吉な形で途切れたことはわかっていた。

 

 

 そんな彼女の周囲には、山崩しの調査に来ていたブリタニア軍のナイトメア部隊が集ってきていた。

 見つかった、しかしそんなことは意味を成さない。

 顔を下げ俯いていた彼女は、その朱色の瞳を凶暴な色に染めながら跳ね上げた。

 そして、操縦桿を一気に押し込み紅蓮を駆った。

 

 

「ブリタニアアアアアアアアアアアアァァァッッ!!」

 

 

 一匹の獣が解き放たれて、一方的な狩りが始まった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 左胸が不自然に脈打ったような気がして、青鸞はその場で跳ね起きた。

 溺れた人間が息を吹き返すように、荒い呼吸で上半身を起こす。

 微かな痛みを発する左胸に手を添えれば、心臓の鼓動が規則正しく掌に伝わってきた。

 

 

「……ここは……」

 

 

 薄暗い照明の中、視界に広がるのは――――洞窟だ。

 じめじめとしていて澱んだ空気に、埃っぽい独特の匂い。

 今に今までナイトメアの中にいたのに、まさか夢だったとでも言うのだろうか。

 いや、身に着けたパイロットスーツがそうではないと証明してくれる。

 

 

 では、どうしてこんな洞窟の中にいるのか。

 疑問は尽きないが、とにかく青鸞は立ち上がろうとした。

 そして、岩の向こうで自分と同じように立ち上がった人物と視線があった。

 その人物は、茶色の髪の少年だった。

 

 

「……青鸞?」

「兄様」

 

 

 スザクである、彼が目の前にいた。

 自分と同じように戸惑っている様子だったが、彼も妹を見つけて固まってしまっていた。

 一瞬、互いの間で時間が止まる。

 その時間を再開させたのは、僅かな金属音だ。

 

 

「動くな、クルルギ・セイラン」

 

 

 別の岩場の陰から、1人の女が剣型の拳銃を手に姿を見せた。

 ボリュームのある紫の髪に濃い赤の軍服、コーネリアだ。

 ただその姿を認めた時、青鸞の視界には銃口は映らなかった。

 心持ち身を低くして、いつでも飛び出せるような姿勢になる。

 

 

 それに対して、スザクは身動きが出来なかった。

 彼の立場からすれば、当然コーネリアが銃で威嚇している間に青鸞を取り押さえるべきだ。

 何故コーネリアまでここに、などと言う思考はこの際、置いておくべきだ。

 しかし何故だろう、スザクは妙な感覚を感じていた。

 

 

(何だろう、ここ……何か、変だ)

 

 

 妙に、胸の奥が騒ぐ。

 焦燥感とはまた違う、どこか切ない、酷く寂しい。

 そんな気分に、させられていた。

 

 

『貴方こそ、動かないで頂こう――――コーネリア殿下』

 

 

 しかしそれも、青鸞の隣に黒い仮面の男が現れたことで終わりを迎える。

 青鸞と似た動きで重心を低くし、今度はスザクはコーネリアに銃口を向けるゼロを睨んだ。

 

 

「ゼロ! キミはまた!」

『ふ、先に銃を向けたのはそちらであったはずだがな』

 

 

 勝ち誇ったようなゼロの声音に、コーネリアは舌打ちを隠さなかった。

 青鸞は今にも飛び出しそうで、しかしスザクの存在を気にしてか実行には移せていない。

 いずれにしろ、状況は混沌としていた。

 

 

 そもそもここはどこなのか、戦場から洞窟へいきなり移動するなどあり得るのか。

 何故、この4人なのか。

 青鸞、スザク、コーネリア、そしてルルーシュ=ゼロ。

 銃口を向け合い、敵対し合う関係の4人。

 いったい、何者の意思で何が起こったと言うのか。

 

 

 

「やめてください、争うのは」

 

 

 

 その時、である。

 5人目の声がその場に響いた、そして他の4人は一様に驚愕の感情を覚える。

 何故ならその声に、全員が聞き覚えがあったからだ。

 そして概ね、その声の持ち主に好感を持っているからだった。

 特に、青鸞を除く3人にとっては。

 

 

「……!」

 

 

 息を呑んだのは、誰だったか。

 階段状になった石段の上、4人を見下ろす位置に彼女はいた。

 背後の幾何学模様が壁が赤い輝きを放って洞窟内を照らす中、まるで聖女のようにたおやかに立つ少女が。

 

 

 ウェーブのかかった桃色のロングヘアに、柔らかな眼差しと微笑み。

 力を入れれば折れてしまいそうな細い身体は、しかし意外と豊かなプロポーションを備えている。

 その身を覆うのは、埃っぽい洞窟には似つかわしくない薄い桃色のロングドレス。

 身体の前で指を組んで立つその姿は、まさに芍薬のような美しさだった。

 

 

「もう、終わりにしましょう。争いも、復讐も、そして」

 

 

 そこで一度、彼女は目を閉じた。

 白いその顔は本当に美しい、背景も場所も無視してただ会えば、誰もが魅入ってしまうだろう程に。

 だがそれ以上に、「どうして彼女がここに」と言う想いが4人を沈黙させていた。

 そして柔和な微笑をそのままに、彼女は。

 

 

「――――平和を、愛しましょう?」

 

 

 ユーフェミア・リ・ブリタニアは、瞳を開いた。

 その左右の瞳には、赤い鳥が飛び立つような紋様が輝いていた。

 ギアスの、輝きが。




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 この後、どうしましょう。
 「王の眼の女」とは、すなわちそのままユーフェミア様のことだったのです!(どどーんっ)。

 ……いやぁ、勢いでユーフェミア様にギアス開眼して頂いたのですが、何もここまでラスボス然とした登場は必要なかったかなーとも思います。
 ゲーム版のギアスでも良いですけど、いっそオリジナルギアスでも良いかもですね。
 もしギアスがユーザーの深層心理の願望を発現させる物なら、個人的にはユーフェミア様にはもっと相応しいギアスの形があっても良いと思いますし……。

 それはそれとして、次回は27話。
 ここまであっという間でしたが、おそらく第一部はエピローグを除いて次話で終了のような予感が致します。
 さて、R2に向けた仕込みを始めましょうか。
 では、次回予告です。
 今回は、王の眼の女――ユーフェミア様で。


『ずっとずっと、思っていました。

 争いの無い、笑顔だけが溢れる優しい世界が欲しいって。

 どうしてこんなことに、なんて思わずに済む世界が欲しいって。

 そして、わかっちゃったんです。

 それはとても簡単なことで、だから私は決めたんです。

 それは、皆に私の気持ちを伝えること――――』


 ――――STAGE27:「平和 の 敵」



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STAGE27:「平和 の 敵」

と言うわけで、第1部の最後です。
では、どうぞ。


 夕焼けの空の中に、半ば朽ちた祭壇が浮かんでいる。

 いつかどこかで見た光景に似ているが、しかしけして同じ場所では無い。

 だが、「同じ」ではあることを彼女は知っていた。

 

 

「――――久しぶりだな、V.V.」

 

 

 夕焼けの祭壇、その世界に涼やかな少女の声が響く。

 少女は人形めいた美しさを持っていた、風に流れる緑の髪にバランスの取れた身体つき、そして白貌と言うべき顔の造形は見る者の視線を奪ってやまないだろう。

 名前はすでに無く、持つのはC.C.と言う記号だけの少女。

 

 

 一方、彼女の視線の先にいる少年も同じく造りものめいた容姿を持っていた。

 床まで届く波打つ金髪に紫の瞳、司祭服を思わせる白い服に黒紫のマントを羽織った男の子。

 V.V.と呼ばれたその少年は、外見上は10歳そこらにしか見えない。

 だがC.C.は知っている、その少年が自分と「同じ」存在であり、人間で言う老齢に差し掛かっている男だと言うことを。

 

 

「久しぶりだねC.C.、まさかこんなに上手くキミを誘い出せるとは思わなかったよ」

「何を馬鹿な、人の契約者に手を出しておいて……」

 

 

 いけしゃあしゃあと、子供らしく無邪気に言うV.V.にC.C.は僅かに顔を顰める。

 しかしその表情も、V.V.の隣にいる人物を見て変化した。

 まぁ、気を失って眠っている人間を「いる」と表現して良いのかは微妙だが。

 

 

 それでもそこにいるのが赤の他人であったなら、C.C.は気にも留めなかっただろう。

 だがそこにいるのが車椅子の少女で、ふわふわの髪の可愛らしい少女であることに驚いたのだ。

 つまり、ナナリーである。

 正直な所、C.C.としては珍しくぎょっとした心地だったのだ。

 

 

「何となく感じてはいたが……本当にどう言うつもりだV.V.。セキガハラから神根島だと? 後でどう説明をつけるつもりだ、大体、契約者に関することでは手を出さないと言うのが……」

「キミが契約者に執着するのはわかるけどね、C.C.」

 

 

 どこか宥めるような声音で、V.V.が言う。

 C.C.は僅かに苛立ちのこもった瞳で少年を見やったが、しかし必要以上に感情を動かすことも無かった。

 

 

「でも、キミが悪いんだよ。突然嚮団を抜けて姿を晦ませて、行方を知らせることも無くさ」

「何? それは……」

「けど良いよ、こうして神根島に来たってことは、そう言うことでしょ? まぁ、いろいろ連れてくるとは思わなかったけれども、概ね予定通りだしね」

「……?」

 

 

 何故なら、V.V.の物言いに違和感を覚えたからだ。

 ナナリーを攫ったこともそうだが、まるでC.C.が自分の意思でここに、セキガハラから遥か離れた伊豆諸島の島に来たと思っている様子だった。

 

 

(まさか……何も聞いていないのか?)

 

 

 だから、違和感を感じた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 馬鹿な、とルルーシュ=ゼロは仮面の下で瞳を見開いた。

 ギアスの紋様が輝く左眼を一杯に見開き、どこかの遺跡らしき洞窟、石版にも扉にも見える壁を背に立つ昔馴染みを見つめる。

 ユーフェミア・リ・ブリタニア、言わずと知れたコーネリアの実妹である。

 

 

 今となっては信じられないことだが、かつてルルーシュ・ナナリーの兄妹とコーネリア・ユーフェミアの姉妹はかなり親しかった。

 それこそ、日本におけるスザク・青鸞の兄妹との交流のように。

 毒蛇の巣とも言われるブリタニア皇室においては本当に稀有な例で、当時のルルーシュも彼女らだけは自分達の味方だと信じていた。

 

 

(そのユフィが、何故こんな所に……!?)

 

 

 再会によって得られる郷愁も何もあった物では無い、いやもちろん、ルルーシュもユーフェミアとの再会に喜びを感じないわけでは無い、無いのだが。

 状況が、それを許さない。

 そして彼女の状態が、それを許さないのだ。

 

 

(ギアス、だと……!?)

 

 

 穏やかな微笑を浮かべるユーフェミアの双眸に浮かぶ、紅の紋様。

 赤い鳥が羽ばたくようなそれは、紛れも無くギアスだった。

 問題は、ギアスが何故ユーフェミアの眼に刻まれているのかだ。

 

 

 まさかC.C.か、と一瞬思う。

 かつてマオと言う契約者がいた、自分以外にギアスを持つ者がいるのは不自然とは言えない。

 だがC.C.は他に契約者はいないと言っていた、それが嘘だとは思えない。

 ならば、何故。

 

 

「ゆ……ユフィ……?」

 

 

 そしてルルーシュ以上に呆然と呟くのはコーネリアだ、意味がわからない、と言うような表情を浮かべている。

 それだけ、目の前に立つたおやかな女性の存在を信じられなかったのだ。

 と言うより、誰が想像しただろう?

 こんな場所にいて良い存在では無いだろう、彼女は。

 

 

「お、お前……どうして。お前は、政庁の自室で休養しているはず……ヴェルガモンはどうした、護衛の者はどこで何を」

「ごめんなさい、お姉さま」

 

 

 いつもの聡明さはどこへ失せたか、銃を下げて狼狽するばかりの姉にユーフェミアは謝罪した。

 あまりにもあっさりとした謝罪に、コーネリアはどこか毒気を抜かれたような表情を浮かべる。

 場違いながら、子供の頃、悪戯好きだった妹を叱った時のことを思い出したからだ。

 

 

「でも、もう大丈夫だから」

 

 

 あくまで優しいその微笑は、普段の彼女と何も変わらない。

 誰もに安心感を与え、温もりを与え、そして安らぎを与える彼女。

 コーネリアには無い資質を持った、ブリタニア皇室に聖女がいるとすれば彼女だと称えられる皇女。

 ――――……そう。

 その微笑みは、見る者全ての穏やかさを「与える」――――。

 

 

「もう、争わなくて良いから。皆で平和に、穏やかに、優しい場所で、一緒に……」

(な、何……だ……?)

 

 

 胸に宿る安らかさに、一歩を下がった者がいる。

 スザクだ、彼もまたユーフェミアの突然の登場に自分の目を疑った1人である。

 しかしそれ以上に彼が驚いたのは、自身の感情についてだった。

 

 

 元々、彼は心の奥底で罰せられることを望んでいた人間だ。

 

 

 ルールに固執するのも、危険の中に自らを晒すのも、根源はそこだ。

 誰かに罰せられたい、その罰は重ければ重い程良く、死すら受け入れるつもりだった。

 それだけの厳しさをもって、生きていた。

 彼はしかし今、殺伐としたその感情が少しずつ失せていくのを感じていたのである。

 あれだけ大きく自分の胸に圧し掛かっていた物が、ここに来て急に。

 

 

「……皆で、ただ穏やかに……」

 

 

 穏やかな、気持ちになる。

 とても安らかで、母の腕に抱かれているような、苦しくも辛くも無い感覚。

 7年前、父を殺してから……何年ぶりだろうか、こんなにも穏やかな心地になったのは。

 深く息を吐いたその顔は、どこか優しかった。

 

 

 ルルーシュもまた、父と父の帝国への敵愾心・復讐心を忘れつつあった。

 コーネリアも、先程までの闘争心が嘘のように穏やかな表情を浮かべている。

 それを見て、ギアスの輝きを両眼に宿したままユーフェミアが微笑んだ。

 微笑んで、まるで慈母のように両手を広げる。

 

 

「もう、戦わなくて良いんです。争いの無い、優しい世界で生きて良いんです。だって、争って傷つけあって、そんなの、哀しいだけでしょう?」

 

 

 ユーフェミアの言葉が、ルルーシュ達の胸の奥に少しずつ浸透していく。

 耳元で囁かれているかのように彼女の声が頭の中を反響して、そして溶けて行く。

 ルルーシュ達の中から、棘のある感情が失われていく。

 ユーフェミアの優しい声だけが響く中で、彼女の双眸の輝きはより強さを増していった。

 そしてそれに呼応するかのように、ルルーシュ達の瞳が赤い輪郭を帯びて行く……。

 

 

 

「違うね、間違ってるよ……ユーフェミア・リ・ブリタニア」

 

 

 

 いや、1人だけ。

 ただ1人だけ、ユーフェミアの言葉を聞かない者がいた。

 ユーフェミアの優しさが、穏やかさが、伝わらなかった少女がいた。

 彼女は、ユーフェミアを下から睨め上げながら。

 

 

「辛くても、苦しくても、戦わなくちゃいけない時がある。争ってでも勝ち取らなくちゃいけないものがある、そのために」

 

 

 そのただ1人、青鸞は力強くそう告げた。

 ユーフェミアの前に対峙して、ある意味で対極にいる2人の少女が互いを認識する。

 

 

「そのために、ボク達は今までを過ごしてきたんだから」

 

 

 そしてその青鸞を、ユーフェミアは酷く哀しそうな瞳で見つめていた。

 赤き鳥が羽ばたくその瞳を青鸞に向けて、彼女は本当に哀しそうに眉を下げたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――感情の伝播だ、と、穏やかな心地の中でルルーシュはそう結論付けた。

 父への復讐心が穏やかさに取って代わられつつある中、それでもギアスに関する知識を持つルルーシュは気付いていた。

 ユーフェミアのギアス、その正体に。

 

 

(マオと同じ範囲型、それも相手の心を読むのではなく……自分の心を「伝える」能力か!)

 

 

 言うなれば、範囲内にいる人間の心に訴えかけるギアスだ。

 争うな、戦うな、傷つけるな、優しく在れ――――闘争心や攻撃的な意思を鎮め、代わりに優しさや思いやりの感情を強める。

 闘争を嫌い融和を好む、ユーフェミアそのものとも言えるギアス。

 

 

 聞きようによっては心優しい能力に聞こえるが、とんでもない。

 これは、ある意味でルルーシュの「絶対遵守」よりタチが悪い。

 ルルーシュはギアスに関する知識があったからこそ違和感に気付き、能力まで予測できた。

 しかしギアスについて何も知らなければ、自分でもわからない内に穏やかさの中に沈んでいただろう。

 

 

(事実俺も、そしてあのコーネリアでさえユフィのギアスに呑まれている。だが……)

 

 

 ルルーシュ=ゼロの黒い仮面が、1人の少女の方を向く。

 濃紺のパイロットスーツに身を包んだその少女の眼差しには、コーネリアやルルーシュからは失われつつある闘争心の色があった。

 反抗の色であり、反発の色であり、そして抵抗の色が。

 

 

(何故、青鸞には効果が無いんだ?)

 

 

 以前にも自身のギアスで感じた、その疑念。

 その疑問に応えられる人間は、今はここにはいない。

 だがその代わりに、ルルーシュ=ゼロの思考を肯定するように青鸞は口を開いた。

 

 

「日本の独立を勝ち取るまで、ボク達は戦いをやめない」

「戦って、戦って……戦い抜いて。それで、何が得られると言うのですか? ブリタニアと戦って、お兄さんと戦って、それで、本当に貴女は幸福になれるのですか?」

「ボクが幸福になれるかどうかは、この際、どうでも良いんだよ」

 

 

 ぴくり、その言葉にルルーシュが微かな反応を見せる。

 それを視界の隅に収めつつ、青鸞は両手を広げた。

 

 

「ただ、欲しいんだ。ボクが大事に想っている人達が平穏に過ごせる国が、世界が、時間が。それを手に入れるために戦う必要があるなら、ボクは迷わず銃を取るよ――――ボク達の望む、平和のために」

 

 

 父が始めたことだ、兄が続けたことだ、だから妹である自分が終わらせる。

 この、愚かしくも哀しい日本とブリタニアとの闘争を。

 日本の独立と言う、ハッピーエンドで。

 

 

「と言うか、ブリタニアの皇女様にそんなことを言われても……詭弁にしか聞こえないよ、ボクら日本人にはね」

 

 

 大前提、日本はブリタニアに占領され、日本人はほぼ一方的に差別され搾取されている。

 支配者と、被支配者。

 支配者の側が平和だの愛だの優しさだの……そんな物、そんな言葉に。

 いったい、どれだけの価値があると言うのか。

 

 

「……そうですね」

 

 

 そしてそれを、ユーフェミアも否定はしない。

 出来るはずが無い。

 争え、奪えを国是とするブリタニア、その皇女が彼女だ。

 例え彼女自身が心優しい性格でも、外せない原則と言うものが存在する。

 

 

 穿った見方をするのであれば、彼女の「戦わず、平和に」とは「逆らうな、従え」と言っているも同然なのである。

 ブリタニアの支配と言う現状を受け入れて、無駄な抵抗はやめろと、そう言っているのだ。

 例えユーフェミア自身に、そんなつもりは欠片も無かったのだとしても。

 その意味で、青鸞とユーフェミアは決して相容れない関係にあると言える。

 

 

「私達ブリタニアは、多くの戦争を経て成長してきた国です。多くの人間を傷つけてのし上がって来た国です。多くの人々を下位層に押し込めて発展してきた国です」

「ユフィ……!」

 

 

 僅かに、コーネリアが咎めるような声を上げる。

 しかしユーフェミアが微笑みながら姉を見ると、その「咎める」と言う感情すらも和らいでいった。

 他者を咎めないこと、それもまた平和には必要なことだから。

 

 

「でも、それも今日までです」

「……?」

 

 

 流石に意図を計りかねて、青鸞は眉を顰めた。

 ギアスに輝く皇女の両目と、日本の姫の黒瞳が交錯する。

 

 

「ずっと、考えていました」

 

 

 争いの無い、優しい世界を。

 全ての人がそう願っているはずなのに、どうして皆が争い合うのか。

 友人同士で、兄妹同士で、どうしてそんな哀しいことをするのか。

 間違っていると知っているのに、それを止められない悔しさ。

 

 

「間違っていると指摘するのであれば、正しいことを示して見せるべきでしょう? 私にはその力が無かった、けれど……手に入れた、力を」

 

 

 だから。

 

 

「私の力が強くなれば、より多くの人々が平和を愛してくれるようになります」

 

 

 ギアスは、使えば使うほどに力を強めていく。

 今は半径数十メートル程の効果でも、いつかは空間一つ、土地一つ、国一つ。

 そして、やがては世界の全てを。

 

 

「私はこの力で――――ブリタニアを、そして世界を変えて見せます」

「……ユフィ、お前、それは!」

「皇帝にでも、なるつもり……?」

 

 

 驚愕に揺れるコーネリア、そして訝しげな青鸞。

 しかし、それ以外の意味には取れない。

 その場の視線を一身に受けて、しかしあくまでユーフェミアは微笑んでいた。

 そしてギアスに輝くその瞳を、彼女は仮面の少年へと向けた。

 

 

「――――ルルーシュは、どう思う?」

『…………ッ!?』

 

 

 ユーフェミアの何気ない言葉に、その場の空気が固定化された。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 かつて、「何か」を信仰している人々がいた。

 人々は自分達が信仰している「何か」が目の前にある一つしか無いのだと思っていた、何故ならばそこにある「何か」は言葉では説明できない物であったためだ。

 神の御技以外の説明が出来ない、合理的ではない力を放つ「何か」だ。

 

 

 しかし実際には、それを信仰する人々は世界中に存在していた。

 文明が発展し、移動・通信が発達すると彼らはお互いの存在に気付いた。

 世界中に存在していた「何か」に気付いた、気付いて興味を持った。

 自分達が崇めていたこれは、いったい何なのだろうかと。

 

 

「ねぇC.C.、そもそもギアスって何だと思う?」

「……他者と『溶け合う』力だ」

「ロマンチストだね」

 

 

 C.C.の回答に、V.V.はどこか満足そうに頷いて見せた。

 

 

「じゃあ、コードとは何だと思う? 受け継いだ者に副産物の不死を与え、ギアスと言う他者と『溶け合う』力を人々に与えるその存在は」

「……刹那の時間に人と世界を固定化する物だ」

「何のために?」

「人が…………ために」

 

 

 その後に続いたC.C.の言葉に、V.V.は嬉しそうに頷いた。

 今度は先の頷きとは違い、心の底から「そうなんだよ」と言いたそうな顔だった。

 

 

「そう、僕はシャルルと約束をした。僕達は溶け合う、だから僕は史上最高のコード保持者となる、そして……」

「そして、お前はどうなる」

「世界そのものになるのさ、『皆』とね」

 

 

 そうか、とC.C.は頷いた。

 彼女は笑わなかった。

 そうだよ、とV.V.は頷いた。

 彼は笑っていた。

 

 

 ――――ギアス嚮団、と呼ばれる組織が存在する。

 歴史の闇の中に隠れ、密かにギアスの研究を続ける特別機関。

 それは、かつて世界中で「何か」を崇めていた人々の末裔だ。

 今では2つしか残っていない「何か」を崇め畏れるのではなく、解明し究明し説明するための存在。

 その嚮団の頂点に君臨する者こそが、C.C.の目の前にいるその。

 

 

「だがなV.V.、お前は少し思い違いをしているよ」

「何だい、僕の思い違いって」

「それはな」

 

 

 今度は、C.C.が笑う番だった。

 対照的にV.V.の顔から笑みが引く、それを確認しながらC.C.は少年の横で眠り続ける車椅子の少女を見つめた。

 そして、ふ、と笑みの吐息を漏らす。

 

 

「お前が思っているよりもずっと、私「達」はアイツのことを買っているよ」

 

 

 妹のために。

 妹のために世界を壊し、世界を創造しようと言うあの少年。

 幼い頃の思い出に縋りながらも、ひたすらに前に進む少年。

 本人が思っている以上に、C.C.はルルーシュのことを買っている。

 そして……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「ルルーシュ……?」

 

 

 その呟きは、誰の唇から漏れたものだろうか。

 その場にいる5人の人間をあえて分けるのであれば、3つ。

 驚愕が2つ、これはスザクとコーネリア。

 動揺も2つ、これはルルーシュと青鸞。

 

 

「ユフィ、今、何と言った……? ルルーシュ、だと?」

 

 

 スザクはもちろん、コーネリアも幼い頃に交流のあったルルーシュ「皇子」のことは知っている。

 7年前、日本へ人質へ出され、戦争の混乱の中で命を落としたはずの幼馴染。

 だがその記憶と目の前の義弟の仇「ゼロ」とは、どうしても結びつかない。

 

 

 一方、スザクはコーネリア程の驚愕は感じていなかった。

 むしろ納得の方が強い、スザク本人も意外と思える程にすんなりと彼の中に入ってきた。

 ゼロと言う人間と接すれば接する程に、感じていた僅かな違和感。

 青鸞への、ゼロのあのこだわりにも納得が行く。

 そしてスザクの視線は、青鸞へと向く。

 

 

(……不味い)

 

 

 その青鸞はと言えば、頬に一筋の汗を流していた。

 理由は明白で、ルルーシュの正体が何故かユーフェミアの口から暴露されていることだ。

 もちろんルルーシュ自身が否定することは簡単だ、簡単だが、同時に難しい。

 何故ならここには、「敵」が2人いる。

 

 

 コーネリアと、スザク。

 そこで初めて青鸞はスザクの視線に気付いた、自然と足裏に力を込める。

 2対1、残念ながら腕力でルルーシュは戦力にならない。

 ルルーシュの味方はこの場では自分1人、青鸞はそれを改めて自覚した。

 

 

「ルルーシュ、大丈夫だから」

 

 

 安心させるように、重ねてユーフェミアが告げる。

 そして「大丈夫」と言葉をかけるその間にも、彼女のギアスは力を放ち続けている。

 皮肉なことに、他者の闘争心や悪意、敵愾心を失わせるそのギアスが事実としてルルーシュ=ゼロの身を守っていた。

 当然、そこには青鸞のことも含まれている。

 

 

「……ルルーシュ、私ね、最近、日本のショーギが好きになったの」

『……?』

 

 

 いきなり何の話かと、ルルーシュは仮面の下で訝しげな表情を浮かべる。

 

 

「昔、貴方に教えてもらったチェスも好きだけれど。例え敵でも、味方になれるって言うショーギのルールがとても好きなの」

『……!』

「だから、ルルーシュ。私は貴女を裁いたりなんかしない、お願い、7年ぶりに顔を見せて頂戴」

 

 

 それは、皮肉なことにいつか青鸞が言った言葉と同じだった。

 加えて敵意を失いつつあるルルーシュの心の中に、ユーフェミアの言葉はすっと入ってくる。

 だから彼は、数十秒の後、ユーフェミアの視線に負けたかのように仮面に手を添えた。

 

 

「ダメだよ」

 

 

 そしてその手を、青鸞が押さえた。

 ルルーシュの正体が完全に露見するのを、防いだ。

 ユーフェミアのギアスの影響を受けない彼女は、ルルーシュのその手を取って彼の行動を止めた。

 

 

「ユーフェミア・リ・ブリタニア、ボクはゼロの仮面の下を見たことがあるよ」

『青鸞……お前』

「彼はルルーシュなんて名前でも無ければ、貴女が知っているような人間でも無い。全く無関係の人だよ」

「そんな嘘を吐かなくとも、私はルルーシュを傷つけたりは……」

「嘘じゃない」

 

 

 厳しい表情で告げる青鸞を、ユーフェミアは不思議そうな表情で見つめていた。

 思えば、これ程に対極に存在する者がいるだろうか。

 片やブリタニアの皇族の娘、片や日本最後の首相の娘。

 帝国の皇女は武力闘争を否定し、財界の姫は武力闘争を肯定する。

 

 

 それでいて、同じ少年を守ろうとしているのであるから皮肉だ。

 スザクに対しても、そう。

 庇護を与えようとする女性と、闘争を与えようとする妹。

 その対比が、この場では皮肉に見えて仕方が無かった。

 

 

(……そうか、青鸞。そう言うことか……)

 

 

 存在そのものが乱の芽とも言われた少女の手の温もりに、仮面の下でルルーシュは瞑目した。

 そして仮面から手を放して、下ろす。

 仮面を外さず、被り続けた。

 仮面は、外さなかった。

 

 

『ユーフェミア殿下、一つ良いだろうか』

「何かしら、ルルーシュ」

 

 

 名を呼ばれて、仮面の下で僅かながら眉を顰める。

 だが今度はそれを表に出すことも無く、ルルーシュは顎を上げた。

 毅然としたその姿で、彼は舞台の中心へと上がっていった。

 

 

 そっと、青鸞の手を放して。

 少年が少女の前に出て、立つ。

 青鸞はそれに、目元を少しだけ柔らかくした。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ルルーシュには、戦いの原点がある。

 それは当然、妹のナナリーである。

 彼女が暗殺に怯えずに過ごせる世界をと、ルルーシュは願った。

 そして、母を殺した人間と母を守らなかった皇帝(ちち)への復讐のため。

 

 

 2本柱、それがルルーシュを戦いへ駆り立てる原点だ。

 思い出してしまえば、そして意図してしまえば、それはギアスの力に惑わされることも無い。

 ユーフェミアの言葉は、その内の1つ、妹ナナリーの望んだ「優しい世界」とそう遠い物では無い。

 しかし、である。

 

 

『私のとても大切な知り合いが、貴女と同じようなことを言っていた。誰も争わない、誰も傷つかない、誰も憎まずに済むような、そんな「優しい世界」が欲しいと』

「それは、とても素晴らしいことだと思います」

 

 

 ルルーシュ=ゼロの言う「知人」が誰なのかわかるのか、ユーフェミアはますます柔らかな微笑を浮かべた。

 それを目にしつつ、少年は告げる。

 

 

「じゃあ、貴方も……」

『そう、当然、望んでいる』

 

 

 頷いて、頷くが、しかし彼は続ける。

 それはかつて、彼が鮮烈なデビューを飾った時の言葉だった。

 

 

『私は戦いを否定しない、何故ならば現実は様々なものに支配されていて、抗わなければならないものが多く存在するからだ』

「だけど、それはとても哀しいことです」

『確かに、だが私はこうも思う』

 

 

 抗うこと、抗い続けること、そこにこそ本当の意思があるはずだと。

 反逆と――――……抵抗。

 それが、原点。

 

 

 そして願う、いつか人は己の意思で「優しい世界」に踏み込んでくれるのでは無いかと。

 ユーフェミアのギアスでも、ましてやブリタニアの武力などではなく。

 自分の意思、それ一つで。

 人が戦うのは、守りたい何かを守るためであるはずだと信じているから。

 誰もが、きっと。

 

 

「ボク達が望んでいるのは、上から与えられる平和なんかじゃない」

 

 

 ルルーシュの言葉を、青鸞が繋げた。

 日本の抵抗の象徴である彼女は、存在そのものが乱。

 すでにそうなりつつある少女は、ユーフェミアを見上げて、しかし対等の目線で言う。

 

 

 その姿を、スザクは静かに見つめていた。

 恩義のある皇女に、言葉を投げるテロリストの妹を見つめる。

 その視線を、彼女はどう思っているのだろうか。

 仮面のテロリストと、ユーフェミアがルルーシュと呼ぶ彼と並んで立つ青鸞の姿を見てスザクはそう思った。

 

 

「それでもボク達を批判するなら、ボク達は、ボクは、『平和の敵』で良い」

『撃って良いのは……撃たれる覚悟のある奴だけだ』

 

 

 少年か少女か、似たようなことを違う言葉で告げた、その時だ。

 それに対してユーフェミアが何事かを答えようとしたその刹那、それは起こった。

 とは言え、そのことに気付いていない。

 いや、気付けない。

 

 

 何故ならばその時、世界の……いや、その場の空間の時間が止まったのだから。

 時間が、止まる。

 そんな非現実的なことが、起こるだろうか。

 起こる、何故ならば。

 

 

 

「……そう、撃たれる覚悟があるなら僕も楽で良いですね」

 

 

 

 「その少年」の右眼には、赤い鳥のマークが浮かんでいたから。

 そしてその手には、コーネリアが持っていたはずの剣型の銃が握られていて。

 コーネリアはもちろん、他の面々が固まったように動かない世界で。

 

 

「え……?」

 

 

 ただ1人、青鸞だけがその光景を見ることが出来た。

 岩場の陰から薄い髪色の少年が現れて、固まったコーネリアの手から銃を奪う様を。

 そして、そのままゆっくりと青鸞に銃口を向ける。

 青鸞はそれを、呆けたように見ているだけで。

 

 

「じゃあ、撃たれてください」

 

 

 対してその少年……ロロは、迷うことなく引き金を引いた。

 濃紺の、少女の心臓に向けて――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 聞こえてきた音に、C.C.は瞳を鋭くした。

 そこには、やや剣呑な雰囲気がある。

 行動の意味を知っているが故のことで、それに対してV.V.は改めて笑みを浮かべた。

 

 

「V.V.、お前」

「その通りだよ、C.C.」

 

 

 何が面白いのかわからないが、V.V.は本当に嬉しそうに笑っていた。

 その傍らでナナリーが微かに声を漏らした、うなされるのかもしれない。

 だがV.V.はそれをまるで気にも留めなかった、むしろ嘲っているようにも見える。

 C.C.の視線の圧力を受けてか、仕切りなおすように肩を竦める。

 

 

「……『クルルギ』」

「何?」

「僕達のルーツの一つ、キミだって知ってるでしょ? ううん、「気付いていた」でしょ? だって、一度は殺そうとしたんだもんね……目覚める前にさ」

「…………」

 

 

 今度は、黙った。

 図星を指されたからか、それとも他に理由があるのか、押し黙るC.C.。

 事実、C.C.はあの少女を殺そうとした。

 押し付けるつもりだったのか、それとも……。

 

 

「でも、もう遅いよ。神根島へのジャンプが特に致命的だったね、他のコードの刺激を受けて、ましてギアスの力まで受けて、アレが活性化しないわけが無い。目覚めないわけが無い。だから奪うんだよ、あの少女の命を」

 

 

 だから今日は、歴史的な日になる。

 V.V.はそう言って笑い、C.C.はそれを聞いても笑わなかった。

 むしろ、どこか哀しげだった。

 本当に、哀しそうだった。

 

 

 それはもしかしたら、彼女なりの優しさだったのかもしれない。

 魔女を自称する彼女の、優しさだったのかもしれない。

 でも彼女は知っているのだ。

 彼女の手は血に塗れていて、彼女の背は十字架が多すぎて、誰も救えないのだと。

 そう、思い込んでいたから。

 

 

「――――アレを得るには、一度死ななくちゃダメだからね」

 

 

 だから、C.C.には彼女を救うことが出来なかった。

 もし、救える者がいるとするならばそれは彼女では無い。

 それは、もっと別の誰だだろう。

 C.C.は目を閉じて、その「誰か」のことを想った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 刹那の時間、少女の精神はこの世から離れた。

 どこかであり、どこでもあり、いつかであり、いつでもあり、何かであり、何でもある。

 全であり一、一であり全、全知であり無知、無知であり全知。

 人智の及ばない、それでいて人智の大本となった「何か」。

 

 

 膨大な情報(こんげんのうず)が、少女の精神を犯した。

 

 

 それが「何か」はわからない、ただ普通の人間が遭遇することの無い「何か」であることは間違いが無かった。

 思いやりなど無く、ただそうであることを受け入れることを強制する「何か」。

 その「何か」が少女の肌を焼き、嬲り、舐めるように滑り、擦り上げて穢した。

 

 

 清らかさを残すまいとするように、少女の全てを奪いつくそうとするかのように。

 肌を、身体を、心を、精神を、魂を食べ尽くされるかのように、乱暴に、乱雑に、暴力的に――――犯されて、侵されて、少女は悲鳴を上げた。

 汚れを知らぬその身に、確かな汚濁を擦り込まれるかのように。

 

 

 暴虐の向こうに、女を見た気がした。

 

 

 巫女のようにも見えるが、枢木神社のそれとは違うようにも思える。

 ただ、覚えのあるものもあった。

 白無地の絹一幅の中央に切れ込みを入れた貫頭衣は知らないが、女の顔には覚えがある。

 鏡を見たことがあれば、見覚えもあるだろう。

 

 

 黒い髪、黒い瞳、白い肌、細い身体つき、和装。

 そして顔立ちが、どこか自分に似ている。

 自分では無いと思うのは、身長が低いことと、女の顔を彩る化粧のせいだろうか。

 紅で顔に模様を引く独特の化粧法、それは枢木神社の神事に伝わる、古い古い……。

 

 

 そして、刹那の世界を通過した少女の意識は現実へと帰還する。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――瞬間的には、何が起こったのか誰にもわからなかった。

 それはそうだろう、本人ですら理解までに十数秒を要したのだから。

 だから周囲の人間が気付くまでに1分を要したとしても、仕方が無かった。

 何しろそれと同じだけの時間、「自失」状態にあったのだから。

 

 

「は……っ」

 

 

 少女の唇から次の吐息が漏れた時、異変は起こった。

 次いで、かふっ、と、息が詰まった時特有の音が、溢れるような音が唇から漏れる。

 だから気付いたのは、自覚したのはその時だ。

 生温かい鉄錆の味が、口の中に広がってからだ。

 

 

「ふ……」

 

 

 痛みは、感じなかった。

 熱さも、苦しさも、不思議と感じなかった。

 感じたのは、ただ、立っていられなくなるほどの脱力感だけ。

 

 

 唇の端から、咳き込みと同時に赤い水が飛び散った。

 咳き込みは一度では終わらず、二度三度ち続いて少女の身体から力を奪い取っていった。

 濃紺のパイロットスーツには、左胸のあたりが不自然な程に濃い染みのような物が浮かんでいた。

 それは数秒が経過するごとにどんどん領域を広げて、胸を濡らし、腰を濡らし、そして太腿にまで達した所で。

 

 

『せ……』

 

 

 少女が、その場に仰向けに倒れた。

 倒れ行くその手に伸ばした仮面の少年の指は、少女の指先を掠めただけで届くことは無かった。

 鈍い音、地面に何か重い物が落ちる音、擦れる音、駆け寄る音。

 そして、抱き上げる音が続けざまに響いた。

 

 

『青鸞ッッ!?』

 

 

 気が付けば胸から血を流して倒れ伏していた青鸞に、ルルーシュ=ゼロは絶叫のような声を上げた。

 いや、それは絶叫だった。

 撃って良いのは、撃たれる覚悟のある奴だけ。

 それは彼の言葉だ、だから撃った青鸞が撃たれるのは当然のことだ。

 しかし、それでも。

 

 

「……、……っ」

『くっ……!』

 

 

 意識はある、瞳は光を失っていない。

 しかし、それがいったい何の慰めになると言うのか。

 咄嗟に自分のマントを手の中に丸めて少女の胸の傷口に押し当てる、小さな薄い胸から溢れる血を少しでも押し留めようとしての行動だった。

 しかし、それがいったい何の助けになると言うのか。

 

 

(不味い……!)

 

 

 医者では無いから自信は無いが、これは絶対に不味い傷だとルルーシュ=ゼロは確信する。

 左胸、心臓のある位置、即死は免れたようだが重要な血管に傷がついた可能性が高い。

 傷のつき方から銃創だとわかる、だから彼はこの場で自分を除いて銃を持っている存在に向けて顔を上げた。

 

 

『コーネリア! 貴様……ッ』

「な……い、いや、私は……」

 

 

 コーネリアの銃、その銃口には微かな焦げ目があり、発砲直後特有の熱まで放っている。

 儀礼用にも見えた美しさが、若干だが失われていた。

 しかしコーネリア自身は、狼狽の色を隠せていなかった。

 

 

 撃った、覚えが無い。

 

 

 しかも位置がおかしい、青鸞は正面から胸を撃たれている。

 だがコーネリアの位置は青鸞の最後の立ち位置からすれば、横だ。

 撃ったとしても左胸に当たるわけが無い、無いのに、しかし青鸞は撃たれている。

 流石のコーネリアもやや混乱した、石段の上から来る実妹の視線も気にしているのかもしれない。

 

 

「く……枢木、クルルギ・セイランを捕縛しろ」

 

 

 それでも何とか体面を保ったのは、エリア11総督としての矜持のおかげか。

 

 

「聞こえないのか、枢木スザク准尉!!」

「え、あ……は、はい」

 

 

 一方で、スザクの動きは緩慢だった。

 茫然自失とはまた違う種類の自室に陥っていた彼は、青鸞と、そしてユーフェミアの後ろにある遺跡の壁を交互に見つめていた。

 身体が、動かない。

 

 

 血が騒ぐ、とでも表現すれば良いのだろうか、胸の奥で泡が吹き出すようなザワザワとした感覚を覚えていた。

 焦燥感、寂寥感、そういった感情が浮かんでは消えていく。

 ために、スザクは動けずにいた。

 

 

「い、イエス・ユア……」

 

 

 言葉ではそう言っていても、身体は動かなかった。

 ユーフェミアのギアスの影響下にあってなお、胸の奥の焦燥感は消えない。

 妹が、青鸞が倒れ伏すその姿は、彼の信じるルールに従うなら当然のことなのに。

 その赤い、あまりにも赤い血の流れに、スザクは動けずにいた。

 胸の奥で、何かが騒いでいるのを感じていたから。

 

 

『……ふざけるなよ……』

 

 

 ゼロの声が、言葉がスザクの身を打つ。

 ユーフェミアが「ルルーシュ」と呼びかけた仮面の男が、青鸞の胸に手を置いて血を止めようとしている男が、言った。

 彼には、ルルーシュ=ゼロには許せることでは無かった。

 

 

 妹を神聖ブリタニア帝国に引き渡すと言う、その行動も。

 自分が正しいと思ったルールを疑うこともせず、正しければ妹さえ死なせても良いと言うその姿勢も。

 彼、ルルーシュ=ゼロには認められなかった。

 そもそもブリタニアに「正しさ」など、存在するはずも無いだろうに。

 

 

「お姉さまも、スザクも……ルルーシュも」

 

 

 僅かに咎めるような声と共に、ユーフェミアのギアスの圧力が強まる。

 それはルルーシュ=ゼロから怒りの感情を奪う、スザクから焦燥感を奪う、コーネリアから不快感を奪う。

 不自然な程の穏やかさが、3人の心を覆おうとしていた。

 

 

 しかし、ルルーシュ=ゼロはそれに抵抗した。

 ギアスへの抵抗など並みの精神力で出来ることでは無い、だが今だけは出来た。

 何故ならば、彼の手には彼女の血の感触があるからだ。

 勢いを弱めていく、冷たくなっていく血の感触があるからだ。

 

 

『ゼロが、命じる』

 

 

 だから。

 

 

『妹を』

 

 

 だから。

 

 

『――――守れッッ!!』

「あ……?」

 

 

 仮面の左眼部分のシャッターが開き、そこから現れた赤い左眼が目前のスザクを射抜く。

 これが、今のルルーシュの精一杯。

 ギアスの上書き、切り札。

 青鸞を守るために出来る、唯一のこと。

 そのために、彼は親友の信念を捻じ曲げた。

 

 

 スザクの両目に赤い輝きが宿り、戸惑ったように一歩を下がる。

 その内心に響くのは、2つのギアスによる「命令」だ。

 穏やかであれと囁く声と同時に、「妹を守れ」と叫ぶような声が響く。

 魂の奥底に影響を与えるそれらの声は、スザクの信念を捻じ曲げる。

 

 

 

「妹を……青鸞を、守る!」

 

 

 

 身体の向きを変えるスザク、その視界の正面にはコーネリアの姿があった。

 それに対してコーネリアが咎めの声を上げる一瞬前、ルルーシュにも異変が起こっていた。

 胸を押さえる彼の手を、より小さく細い手が掴んだからだ。

 

 

『せ……?』

 

 

 フラッシュバック、した。

 シンジュク事変、ルルーシュがギアスの力を得たあの時。

 同じように撃たれながら、そして彼の手を掴んだ緑の髪の魔女の存在が。

 何故かフラッシュバック、した。

 

 

 どうしてかと問うなら、こう答えよう。

 おそらく彼女のすぐ傍で、彼女の胸に手を当てている彼にしか見えなかっただろうから。

 枢木青鸞、その少女の左胸の銃創、その位置に。

 

 

『この、紋章は……!』

 

 

 赤い、血のように赤い紋章。

 鳥が羽ばたくような、マーク。

 ルルーシュの左眼に鋭い痛みが走る、手首を掴む少女の手の力が増した。

 左胸に、ギアスの紋章の輝きを放ちながら。

 

 

『……ダメだ!』

 

 

 それは、『コード』と呼ばれるもの。

 かつて、人々が崇めていた神であり、「カミ」であり、「何か」であったもの。

 枢木――――否。

 その昔、『クルルギ』の家が保有していた『コード』。

 「カミ」の、先祖返り。

 

 

『待て、青鸞ッッ!!』

 

 

 無意識の内に、ルルーシュはそう叫んでいた。

 叫んだ彼は、しかしどうすることも出来ない。

 何故ならそれは、少女の意思によるものだから。

 朦朧とした意識の中で、少女が唯一、「せめてこれだけは」と成した奇跡だから。

 

 

 だからルルーシュが見ることが出来たのは、少女の顔だけだ。

 それだけが、視界に焼き付いて離れないことになる光景。

 血に濡れた、青鸞の笑顔だけ。

 それを最後に、彼だけが救われることになった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 戦闘自体は、夜になるまで続いた。

 しかしそれがいずれは戦闘と呼べる代物にならないだろうことは、誰の目にも明らかだった。

 ゼロと言う実の指揮官を失い、枢木青鸞と言う名を失った反体制派の軍。

 その半数が、すでに瓦解を始めていたのだから。

 

 

『どうすれば良いの!? このままじゃ……!』

『た、助けてくれ、敵が……敵がぁっ!!』

『誰か指示してくれよ、俺達はどこに行けば良いんだよ!』

『ゼ、ゼロ……ゼロさえ、ゼロさえ』

『『『ゼロさえいてくれれば、勝てるのに!!』』』

 

 

 特に、正規の黒の騎士団の兵力の崩れ方が酷かった。

 民兵よりは強いが、やはり正規の訓練を受けた軍人ほどでは無い。

 それは兵個人個人の意識の問題であって、要するに、指示してくれる人間がいなくなった途端に軍隊として動けなくなってしまったのだ。

 

 

 これまではゼロの指示通りにしていれば良かった、ゼロの作戦に従えば勝てた。

 ゼロの奇跡に、ただ乗っていれば良かった。

 命を失うリスクはあるにしても、それはあまりにも楽な勝利と思考だった。

 ゼロさえいれば勝てる、逆に言えば、ゼロがいなければ勝てないのだ。

 ゼロが、いなければ。

 

 

『終わりだな、トードー!』

「く……!」

 

 

 味方の半数の体たらくを見て――今やまともに戦っているのは、旧日本解放戦線の部隊のみ――藤堂は歯噛みする、彼は朝比奈、千葉、仙波などの部隊を糾合しつつ戦線を下げ、ダールトンの部隊の相手をしながらも、何とか秩序ある後退を保とうとしてた。

 だが、他の味方があまりにも脆過ぎる。

 

 

『藤堂さん! 両翼の後退が早すぎて、このままじゃこちらが孤立します!』

「わかっている、だが……」

『7番隊、全滅!』

「何!?」

 

 

 前線以外の部隊は、藤堂の指揮下には無い。

 仮に合ったとしても、そこまで気を回せないのが現状だ。

 ゼロだけでなく青鸞までもが姿を消した今――戦死したという報告もある――藤堂に出来ることは、正面の敵兵力を押し留めることだけだった。

 

 

 しかし、その敵も万全ではなかった。

 例えばダールトンの部隊が前に出ている割に、コーネリアの親衛隊を率いるギルフォードの部隊の姿が見えない。

 これは消息を絶ったコーネリアを捜索しているためで、その意味ではダールトン達も普段の実力を出し切れていない、だからこそ反体制派の軍もまだ秩序を保っている。

 

 

「……両翼が脆すぎる」

『畜生、ゼロさえいれば勝てるのによぉ……ゼロはどこに行ったんだよぉ!?』

 

 

 青鸞を見失った護衛小隊もまた、元々の位置から下がりつつグラストンナイツの部隊を押し留めている。

 黒の騎士団の部隊との共同行動ではあるが、仲間の仇と士気が上がるグラストンナイツの部隊の圧力は想像以上に強い。

 大和の乗る中遠距離型ナイトメア「黎明」では、とても全てを押し留めることは出来ない。

 

 

『も、もうダメだ! 保ち堪えられねぇっ!!』

「あ、おい……!」

 

 

 その時、黒の騎士団の部隊をまがりなりにも纏めていた玉城が、予定よりも早く後退した。

 黒の騎士団の部隊が下がり、その穴にグラストンナイツのミサイル攻撃が集中してくる。

 戦線に一度穴が開けば、塞ぐことは出来ない。

 

 

「……所詮は、ゼロにおんぶに抱っこの連中か……!」

 

 

 日本解放と弱者救済を掲げていた癖に、いざとなれば崩れる。

 ゼロがいないと言う、それだけのことで。

 温厚な大和ではあるが、この時ばかりは舌打ちを禁じ得なかった。

 

 

「ちぃ、腑抜けどもがぁっ!!」

 

 

 ほとんど全滅した鋼髏(ガン・ルゥ)隊、その1機の中で草壁が叫ぶ。

 彼は青鸞の事について知らされていないが、しかし違和感を感じていはいた。

 黒の騎士団の部隊の惨状は明らかに指揮系統の乱れからのものだ、旧日本解放戦線の部隊だけが踏ん張っても仕方が無い。

 

 

『草壁中佐、ポイント120まで転進を!』

「何ぃ、馬鹿を申すで無いわ! ここで後退してどうなる!?」

『しかし、このままでは撤退のタイミングを……』

 

 

 援軍に来た無頼隊の指揮官、野村に草壁が怒鳴り返す。

 実際、もはや撤退の場所は無いに等しかった。

 何しろ彼らのいる山は、すでにブリタニア軍の占領下になりつつあったからだ。

 

 

『逃げるぅ? 馬鹿め、貴様らイレヴンに逃げ道など……あぁるものかぁっ!!』

 

 

 どこか愉悦に歪んだ声が降ってくる、それと同時に草壁の目にある光景が入ってきた。

 それは彼の鋼髏(ガン・ルゥ)と併走していた野村機に起こったことで、背後からコックピット・ブロックをランスに貫かれて爆発すると言う物だった。

 撃墜された、脱出などもちろん出来ない。

 

 

『貴様らイレヴンに残された道は、ここで死ぬことなんだよぉっ!!』

「貴様ぁ……!」

 

 

 グロースター、キューエル機。

 草壁が睨むその先で、キューエル機が炎の残る無頼の残骸を踏み付けながらランスを構えた。

 その時、草壁の耳に警告音が響き渡った。

 それは鋼髏(ガン・ルゥ)のエナジー切れを示すもので、機体の動きが急激に鈍くなった。

 舌打ちする草壁、その動きを見逃すキューエルでは無かった……。

 

 

「……神楽耶さま」

「大丈夫です、雅」

 

 

 ディートハルトの預かる後方部隊、そっと話しかけてきた分家の少女に神楽耶は静かに応じた。

 彼女はディートハルトが去った後も、同じ場所に座して動かずにいた。

 その目は、青鸞が姿を消したと一報が入ってからも逸らされることは無かった。

 ただ真っ直ぐに、前だけを見つめていた。

 

 

 しかし、状況は最悪だ。

 多くの黒の騎士団や民兵の部隊はすでに潰走状態にあり、もはや軍としての体裁すら成していない。

 このままでは戦局が確定するのも時間の問題であって、それは誰にもどうすることも出来ない。

 それこそ、ただ1人の人間を除いて……。

 

 

 

『黒の騎士団、総員に告げるッッ!!』

 

 

 

 その時、黒の騎士団の通信網にある声が響き渡った。

 

 

「――――ゼロ!?」

 

 

 喜色を浮かべたのは朱色の髪の少女、通信機から響いた声に顔を上げる。

 その少女の駆る真紅の機体の回りには、捻り潰されたようなサザーランドの残骸が広がっている。

 味方のいない絶望的な状況の中、それでもカレンが希望を持ったのは「その声」のおかげだ。

 

 

『黒の騎士団総員、ポイントD-17に集結せよ! しかる後、時を待って反攻する!!』

 

 

 ゼロの声、勝利の声、奇跡の声だ。

 それを聞いて、黒の騎士団は息を吹き返した。

 しかしそれだけで戦局を逆転することは出来ない、普通なら。

 普通、なら。

 

 

『ポイントD-17に集結……』

『……D-17に集結……』

『……集結……』

 

 

 その通信は、黒の騎士団だけに聞こえたものではなかった。

 ここで、通常では起こり得ないことが起こる。

 世界最強のブリタニア軍、正規軍では起こり得ないことが起こった。

 

 

『な、何だ貴様、俺達は味方……!』

『ど、どこを見て撃ってい……ぐああああぁぁっ!?』

 

 

 一部のブリタニア軍部隊、いや、それぞれの部隊で数機ずつのナイトメアパイロットが突然、味方機を背後から撃ち始めたのである。

 各所で疑心暗鬼と同士討ちが引き起こされ、勝ちの勢いに乗っていたブリタニア軍の陣形が乱れる。

 前線が崩れ、補給が乱れ、中級指揮官達の腕ではどうすることも出来なくなっていく。

 

 

「シュナイゼル殿下……」

「……ふむ」

 

 

 副官カノンの気遣わしげな視線を受けて、シュナイゼルは首を傾げた。

 その視線は戦略モニターから動いてはいない、が、少しばかり予定外と言う表情でもある。

 とは言え、予想外ではなかったらしい。

 

 

 実際、シュナイゼルに予想外と言う言葉は似合わない。

 味方の一部が離反したからと言って、それを戦局全体に広げなければ良いだけの話だ。

 そもそも一部の兵が離反しても、ブリタニア軍の規模から大したものでは無い。

 それだけの念を入れて、彼はブリタニア軍の陣形を工夫しておいたのだから。

 しかし、そんな彼にも。

 

 

「ん……?」

 

 

 不意に、顔を上げる。

 肩に手を置かれれば誰でもそうするだろう、そうしてまず目に入ったのはカノンの驚いた顔だ。

 しかしシュナイゼルの肩に手を置いたのは、彼では無い。

 ならば、誰か。

 シュナイゼルは、その少女を良く知っていた。

 

 

「兵を引いてください、シュナイゼルお兄様」

 

 

 ウェーブがかった桃色の髪に、同じ色合いのドレス。

 その穏やかで美しい顔を、シュナイゼルは良く知っていた。

 しかし、ただ一つだけ。

 

 

「哀しい争いは、終わりに致しましょう」

 

 

 赤く輝くその両目だけは、知らなかった――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――説明してもらうぞ、C.C.」

 

 

 そして同じような輝きを左眼に宿したまま、山の頂きから戦場を見下ろす少年がいた。

 黒髪に深い紫の瞳、すらりとした細身。

 赤い左眼を隠すことも無く立ち、手にしていた通信機をその場に折って捨てて、少年は後ろを見上げた。

 

 

 そこには、漆黒の巨大なナイトメアが膝をついた姿勢で存在していた。

 開いたコックピット・ブロックの下の座席には、美しい緑の髪の少女が座している。

 その額には、何かに共鳴しているように赤い鳥のようなマークが輝いていた。

 しかし少女に向ける少年の瞳は、左眼の禍々しい輝きと同じくらい鋭く厳しい物だった。

 

 

「もはや隠し事は許さない、話してもらうぞ……全て」

 

 

 口調は緩やかだが、声は強く厳しい。

 憤りと、怒りの色。

 対する少女の瞳は、どこか哀しい。

 

 

 

「――――全てだ!!」

 

 

 

 哀しい少年の声が、暗い戦場の山に木霊した。




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 とりあえず、本話を持ちまして第1部は完結です。
 次話のエピローグでセキガハラ決戦の結末やら何やらを描くことになるとは思いますが、同時にR2編プロローグへ向けた仕込みをするわけですが。
 ……うん、原作から随分と遠くに来たかもしれません。

 それでは、今回は次回予告無しです。
 また次回、第1部の結末を楽しみにしてくれると嬉しいです。


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エピローグ:「シルシ 刻まれる 乙女」

 ――――皇暦2017年。

 エリア11・日本の独立を懸けて行われたセキガハラ決戦は、奇妙な形で終わりを告げた。

 それは誰の目から見ても奇妙な物で、説明の難しいことだった。

 

 

 流れを説明するのであれば、こうなるだろうか。

 まず戦闘を優位に進めていたブリタニア軍が、突如、兵を大きく後退させたのである。

 一部に同士討ちがあったとは言え優位が続いていた時期に、突如旗艦アヴァロンから後退の指示が出た。

 そして部隊の再編を進める黒の騎士団に対して、帝国宰相シュナイゼルの名で布告が出された。

 

 

『当方、停戦の用意あり。願わくば、平和のため、貴軍上層部との直接会談を求めたい』

 

 

 停戦交渉、日本の独立を懸けた戦いでブリタニア側からそのような提案がされたのである。

 これは見方によっては日本の独立が認められたとも取れるもので、それだけでも異常なことであった。

 戦況は有利だったのに突然どうしてと、ブリタニア軍の中からも疑問の声が聞こえた。

 しかしこの提案に対して、黒の騎士団側も特別な対応を取った。

 

 

 撤退である。

 

 

 彼らはシュナイゼルの名で出された停戦交渉提案に正式な回答もせず、ブリタニア軍の後退に合わせて一気に部隊をまとめ、オオサカ方面に撤退してしまった。

 これは日本の独立を諦めたと取られても仕方の無い行動で、事実、周囲の反対や疑問の声を全て無視して撤退を強硬したゼロへの非難の声も上がった程だった。

 しかし現実として、黒の騎士団は撤退してした。

 

 

 そして、戦いは終わってしまった。

 

 

 あれ程に高まった機運も何もかも、まるで無かったかのように。

 黒の騎士団は撤退し、ブリタニア軍もそれを追わず。

 誰もが事態の異常さに困惑する中で、全てがあっさりと終わってしまったのだ。

 何もかもが、嘘だったかのように。

 嘘、だったかのように――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 声。

 声が、聞こえていた。

 声だけが、聞こえていた。

 真っ暗なその世界で、音だけが全てだった。

 

 

 それ以外にある物と言えば、何があるだろう。

 口元を覆う厚い皮の猿轡? 申し訳程度に身を覆う拘束着? 手足の枷から伸びる鎖?

 それぞれ、苦しげな吐息の音、身をよじる様子を伝える衣擦れの音、固い床を擦れる鎖の音としてしか認識は出来ない。

 

 

「――――ゴメンね、シャルル。まさかルルーシュを逃がすとは思わなくてさ、逆流してC.C.のコードにまで干渉するし、予定外のことが起きてね」

「十分ですよ、兄さん。この娘のことは枢木の手柄として、コーネリアについては……」

「ああ、そっちは僕が何とかするよ。でもユーフェミアはちょっと、どうかな」

 

 

 聞こえる声に、少女が微かに顎先を上げる。

 そう思うのは、少女の首元から鈴の音が聞こえたからだ。

 まるで猫にそうするように、首輪についた鈴が。

 

 

「それで、兄さん。この娘のコードは確かに目覚めたのですね?」

「うん、確かだよ。先祖返りかな、とても強いコード適応資質を持ってる。でもルルーシュを逃がすためにいきなり全開で使ったから、傷がついちゃってね……今はまた止まっちゃった。だから今は普通の人と同じ、撃てば死ぬしギアスにもかかる。数百年ぶりの発現だから、コードも不完全なのかな……何かきっかけがあれば出てくるとは思うんだけど」

「……なるほど、ではこう言うのはどうでしょう」

 

 

 何だ、何を話している。

 知っている名前、とても大切な名前が聞こえた気がする。

 そして唯一拘束されていない少女の両目は、暗闇の中で不気味に浮かぶ赤い輝きを見つけた。

 赤い赤い、鳥が羽ばたくようなマークを。

 

 

 耳に届くのは、老人と少年の嗤い声。

 老人に「兄さん」と呼ばれた少年の嗤い声が、特に耳に響いた。

 頭蓋の内側で響くような、そんな声。

 

 

「ああ、良いね。シャルルのギアスの強さなら、もしかしたら反応するかもしれない。もしダメでも、それはそれで……」

 

 

 少女には、何の話だかわからない。

 わからないが、闇の中で浮かぶ赤い輝きはどんどん輝きを増していった。

 輝きを増して、そして飛翔する。

 

 

 飛翔する、赤い輝き。

 そして、少女に印が刻まれる。

 刻まれてしまう、皇帝の印を刻まれてしまう。

 止める力などなく、身動き一つ出来ずに印を刻まれてしまった。

 

 

 ――――少女は、大切なモノを奪われた。

 




 奪われてしまいました。
 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 第1部エピローグでした、やはり皇帝兄弟は強かったぜ。
 と言うか、ルルーシュくん奪われました。
 はたして、彼は何もかもを取り戻すことが出来るのでしょうか。

 と言うかナナリーは、コーネリアは、そしてユーフェミアは。
 うん、もうどんなR2になるかわかったもんじゃありません。
 と言うか、中華連邦編とかあるのかな……。
 それでは皆様、次はR2編のプロローグでお会いしましょう。
 プロローグなので、今回も次回予告は無しです。
 それでは、失礼致します。


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R2編プロローグ:「ナイト オブ イレヴン」

 ――――皇暦2018年、春。

 神聖ブリタニア帝国領エリア11で起きた、前代未聞の決闘「セキガハラ決戦」から数ヶ月。

 世界はやや静けさを取り戻したように見えて、しかしその実、僅かも静かでは無かった。

 

 

 それは別に異なる国・民族同士の闘争を意味しない、同じ国・民族でも闘争は起こる。

 主義・主張の違いから、利害・利益の違いから、人はどこででも争いを起こす。

 そう、例えばそれは……世界中の国々に戦争を仕掛けている神聖ブリタニア帝国の中においてさえも。

 

 

「――――軍が来たぞ!」

 

 

 神聖ブリタニア帝国本国東海岸の港湾都市、チャールストン。

 ブリタニア最古の港町の一つとされるその港の水路には、古い要塞が存在する。

 とは言えすでに放棄されて数十年、軍の部隊など存在せず、ほとんど見向きもされない文化遺産レベルの廃棄要塞だ。

 

 

「何ッ、軍が……まさか、例のマリーベルの部隊か!?」

「いや、どうやら違うらしい。普通の正規軍……」

「どっちでも良い、早急に資料を処分しろ! 各地の仲間のリスト、資金・資材の仕入れ記録、会合スケジュール、軍の手に渡ったら不味い!」

 

 

 そしてだからこそ、それを隠れ蓑にする者もいる。

 ブリタニア軍の目と鼻の先にまさか、と、灯台下暗しの精神を利用して潜伏する者達が。

 しかし彼らは、植民地の独立を求める反政府武装勢力とは異なる。

 何故ならば、彼らは生粋のブリタニア人だからだ。

 

 

 人々は彼らのことを「主義者」と呼ぶ、ブリタニア人でありながらブリタニアの政策を批判する者達だ。

 帝政・貴族制に反発する共和主義者とはまた違う存在であって、判別の難しい人々ではある。

 しかしブリタニア軍にとっては、全てひっくるめて「叛逆者」である。

 故にブリタニア本国の正規軍は彼らを取り締まり、時としてこのように部隊を送り込んでくるのだ。

 

 

「隊長、要塞跡地から砲撃が来ます!」

「来たか、主義者共め。やはり要塞を再武装化していたようだな、流石はブリタニア人と……ぐわっ!?」

 

 

 チャールストンのもう一つの要塞跡地では――位置的に、水路の要塞から見て北側――チャールストン駐留の部隊が砲兵部隊を並べ、水路の中央に位置するサムター要塞跡地に砲撃を開始した所だった。

 白煙を上げて煙を上げる要塞を見ていた彼らは、要塞側から反撃の砲撃が返ってきたことに驚いた。

 着弾した敵方のリニアカノンの砲弾が花崗岩の床や壁を砕き、岩を砲兵の頭の上に降らせる。

 

 

「怯むな! 砲撃を続けろ!」

「しかし隊長、こちらの火力も十分とは言い難く……!」

「わかっている、大丈夫だ!!」

 

 

 砲声と着弾の衝撃音に掻き消されないように大声で怒鳴りあいながら、部隊の隊長は空を見上げた。

 古今東西、叛乱軍に無く正規軍が持つ戦力の一つ、航空戦力の到着を待っていたからだ。

 そして3分後に、それは叶えられる。

 西の空から来たU字型の黒い航空機は、ナイトメア輸送用のVTOL機だ。

 

 

「……って、たった1機じゃないですか!? たった1機のVTOLとナイトメアで、何が……」

「良いんだよ、アレで」

 

 

 航空戦力が1機しか無いことに不満を叫んだ若い兵士を、40代らしい熟練の隊長が諌めた。

 その顔に浮かんだ表情は、酷く複雑な物だった。

 頼もしい何かを見るようでいて、同時にどこか怖がっているかのような表情。

 彼の表情が、そのVTOL機のナイトメアの評価を如実に表していた。

 頼もしくも恐ろしいと言う、評価を。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 1機のナイトメアが降下してきたことに気付いたのは、上空を警戒していた対空班の兵達だった。

 実の所、ブリタニアでも旧式の75ミリ高射砲を4門しか持たない彼らは、本格的な空爆があればどうするかと不安に駆られていた。

 しかし蓋を開けて見ればナイトメアが1機降下してくるだけで、彼らはほっと胸を撫で下ろした。

 

 

 胸を撫で下ろして、そして安心して砲を上に向けて引き金を引いた。

 分間50発の75ミリ弾が4門の砲口から放たれ、オレンジ色の軌跡を描きながら青空を引き裂く。

 そしてその弾丸の大半は、上空から降下してくるナイトメアに向けられていた。

 ――――青空よりも濃い、濃紺の色にカラーリングされたその機体を狙って。

 

 

「……当たらないよ、そんな射撃」

 

 

 コックピット・ブロック内で、1人の少女が呟きを漏らした。

 シート型のコックピットに座る彼女は、メインモニターに映るオレンジ色の弾幕を静かに見下ろしながら、右手の親指の先で操縦桿のトリガーボタンを弾いた。

 途端、空中にあった濃紺のナイトメアが躍動する。

 

 

 両腰のスラッシュハーケンが勢い良く射出され、手足を動かし空気抵抗で機体の降下軸をズラす。

 射出されたスラッシュハーケンは2つの高射砲陣地を寸分違わず撃ち抜き、白煙と共に粉砕する。

 さらに空気抵抗と巻き戻しの勢いでさらに機体を動かし、残り2基の高射砲の弾幕を回避した。

 そして、3基目の高射砲陣地の上に着地した。

 高射砲が踏み砕かれる轟音の後、白煙舞う陣地の上で直立した。

 

 

「う、う……。あ、あのナイトメアは……!」

 

 

 砕かれた陣地の中から這い出た兵士が、頭から血を流しながら濃紺のナイトメアを睨んだ。

 その瞳は、チャールストンの砲兵部隊の隊長と同じ感情の色を宿していた。

 ただしこちらは、恐怖のみである。

 

 

「ま、まさか、『ラグネル』……!?」

「『ラグネル』……あの機体が!? なら、パイロットは」

「な、ナイト……!」

 

 

 濃紺のナイトメアが最後の高射砲陣地を巻き戻したスラッシュハーケンで潰す様子を見つめながら、彼らは戦慄と共にその名前を告げた。

 濃紺のカラーリングが成された装甲、金色の関節部、背中に下げた2本の長剣。

 第七世代相当KMF、『ラグネル』の名前を。

 そして、そのパイロットの地位を示す言葉を。

 

 

「な、ナイトオブラウンズの……11番!」

「ナイトオブイレヴンッ!!」

「セイラン・ブルーバード卿!?」

 

 

 ナイトオブラウンズ、それは皇帝直属の12人の騎士のことを指す。

 ブリタニア皇帝にのみ忠誠を誓い、場合によっては皇帝の代理人として皇族や大貴族でさえ凌ぐ権限を有し、帝国の剣と謳われる最強の騎士達。

 今の皇帝になってからは12の席が埋まることは無かったが、最近になって2つ埋められたことが知られている。

 

 

『皇帝陛下の名の下に、最後通告をします』

 

 

 その内の1人が、濃紺のナイトメア『ラグネル』を駆るナイトオブラウンズの少女、「セイラン・ブルーバード」である。

 若干16歳で帝国最強の騎士の称号を得た少女は、冷静な声で要塞跡地の叛逆者達に告げた。

 その声は、どこまでも冷たい。

 

 

『降伏しなさい、今ならばまだブリタニア市民として……』

 

 

 しかしその声が終わるよりも早く、ナイトメアサイズのライフル射撃が放たれた。

 勧告を中止して、少女……セイランがラグネルの操縦桿を引いて回避行動を取らせた。

 コックピットの中でついと黒い両の瞳を動かして、セイランは敵を見る。

 すると要塞跡地の中から出てきたのだろう、サザーランド3機がそこにいた。

 

 

「……勧告を拒否した物と見なします、ならば」

 

 

 背中の鞘から2本の剣を抜き、機体を後退から前進へと移行させる。

 ライフル射撃を物ともせず、ラグネルが機体を左右に振りながら急速に距離を詰める。

 

 

「――――排除します!」

 

 

 叫ぶ、左右の操縦桿を前後逆に押し、引いた。

 するとラグネルのランドスピナーがそれぞれ逆回転し、機体をグルリと回転させる。

 超信地旋回、まず右側のサザーランドの胴体を2本の剣を重ねるようにして薙いだ。

 上半身と下半身が分かれ、次の瞬間に爆発して消えるサザーランド。

 

 

 味方の撃破に怯んだのか、左のサザーランドが浮き足立つように後退した。

 それを、ラグネルの剣は見逃さない。

 頭部と腹部を貫かれ、1機目と同じように爆破炎上するサザーランド。

 

 

『ち、ちくしょおおおおおおおおおおおおおっ!!』

 

 

 最後の1機は反撃する気概があったらしい、ライフルを掃射してくる。

 それを避けるべく、ラグネルが跳躍する。

 追いかけてライフルの銃口を上へ向けたサザーランドだが、次の瞬間には顔面部から叩き斬り伏せられることになった。

 

 

 それはサザーランドの全長程もある長大な剣だった、MVSになっているのか刀身が赤く輝いている。

 振り下ろしたのはラグネル、最後のサザーランドの残骸を踏みつけにしながら、すっかり抵抗の失われた要塞跡地を睥睨するように屹立する。

 手にしていた大剣は、甲高い音を立てると元の2本の剣へと分離、姿を変えた。

 二剣一身の機械剣『ガラティーン』、ラグネルの専用装備である。

 

 

「……任務完了、かな」

 

 

 要塞跡地が白旗を掲げるのをメインモニターで確認して、少女……セイランはコックピットの中でほっと息を吐いた。

 目元を柔らかく緩めると、まだどこか幼さを残しているようにも見える。

 肩の下まで伸びた黒髪に黒い瞳、女性としての成長を始めたばかりの身体を覆う濃紺のパイロットスーツ。

 

 

 決定的なのは、少女の顔立ちが明らかにアジア系であることだ。

 ブリタニア帝国最強の12騎士の1人が東洋系の少女であることには、いろいろと事情がある。

 だが彼女は今、ほぼ己1人の力で要塞跡地を制圧して見せた。

 腕前は確かで、だからこそ敵味方からも恐れられているのだ。

 しかし当の本人は、至って普通の少女のように柔らかな微笑を浮かべて。

 

 

「予定よりも早く終わったから……帝都に戻って、アーニャとショッピングに行く時間くらい、あるかな?」

 

 

 そんなことを、言ったのだった。

 ――――皇暦2018年、春。

 静けさとは程遠い世界の中で、11番目の騎士(ナイトオブイレヴン)の称号を与えられた少女は、確かにそこに存在していた――――……。

 




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 ナイトオブイレヴン、ラグネル、そしてセイラン・ブルーバード。
 いったい彼女は何者なのか、どうして東洋人がナイトオブラウンズの一員になっているのか、いやさエリア11はどうなっているのか、何もかもが謎のヴェールに包まれたプロローグでした!(ツッコミは受け付けます)。

 と言うわけでR2編、次回は原作を踏襲して1部を無かったことにしたように第1話を展開したいですね。
 そして、次回予告です。


『ボクはセイラン、ブリタニア帝国の剣。

 帝国の敵はボクの敵で、皇帝陛下の敵がボクの敵だ。

 だけど、どうしてだろう。

 時折、わからなくなる。

 ボクは、いったいいつから――――?』


 ――――TURN1:「ナイト オブ ラウンズ」


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TURN1:「ナイト オブ ラウンズ」

 神聖ブリタニア帝国帝都、ペンドラゴン。

 世界の3分の1を支配する超大国ブリタニア、その政治・経済・軍事の中心がこの帝都だ。

 帝都だけで60万、圏内人口は一千万に届くとすら言われる大都市でもある。

 しかしながら、帝都自体は目に優しい構造をしているとは言い難い。

 

 

 元々、帝都としての機能のみを追求した計画都市であるペンドラゴンは、どこまでも人工的だ。

 そもそも周囲には都市外壁に沿うように築かれた人工森林を除き、荒野と砂漠が広がっている。

 峻険な山々と複数の河川に囲まれたそこは攻めるに難く守るに易い、そう言う土地を選んで築かれた「強き都」がペンドラゴンだ。

 

 

 そのため、皇帝の居城であるペンドラゴン皇宮や宰相府を始めとする行政区画やブリタニア軍施設、貴族の邸宅や娯楽用の劇場などを除けば、実はペンドラゴンに住民生活に必要なインフラはあまり備わっていない。

 だから他国人の中には、ペンドラゴン近郊に存在する皇族の離宮群や市民居住区の方を「帝都ペンドラゴン」だと勘違いしている者すらいる。

 

 

 しかし、帝都ペンドラゴンは皇帝の居城ペンドラゴン皇宮の所在地こそを言う。

 例え実勢人口が他にあろうとも、皇帝のおわす地こそが帝都ペンドラゴンなのである。

 これこそ、ブリタニア皇帝の持つ権力の巨大さを示す物だ。

 そして当然、ブリタニア皇帝直属の12騎士、ナイトオブラウンズの本拠地もまた。

 

 

 ――――皇帝の居城、皇宮ペンドラゴンの中にある。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 意図的にそうされているのかはわからないが、その部屋は薄暗かった。

 照明が絞られているのは、数百人規模の人間を収容できる大広間の割に、現在そこにいる人間がの数が2人であることと関係があるのかもしれない。

 いずれにしても、その大広間――ブリタニア皇帝の謁見の間は広大と言って良い程に広かった。

 

 

 白亜の天井と壁、柱には金の装飾が施され、磨き上げられた床の中央には真紅のカーペットが敷かれ、そして玉座たる真紅の椅子の背後にはブリタニア帝国の国旗と真紅の布がかけられている。

 階段の上に存在する至高の座に座ることが出来るのは、世界で唯一人。

 神聖ブリタニア帝国第98代皇帝、シャルル・ジ・ブリタニアのみである。

 

 

「チャールストンの主義者共の討伐、ご苦労であった――――ナイトオブイレヴンよ」

「――――は」

 

 

 「主君」たる皇帝に呼ばれたナイトオブイレヴン、セイラン・ブルーバードは階段の下で膝をつき、胸に手を当てつつ深く頭を垂れた。

 忠誠の姿勢、その黒髪を見下ろすのは世界の3分の1を手中にしている男。

 老齢でありながら衰えを見せぬ眼光、豪奢な衣装とマントに覆われた厚い胸板と長身。

 皇帝シャルルは、己の「騎士」を鋭い眼差しで玉座から見下ろしていた。

 

 

 肩の下まで伸びた黒髪、女性として発展途上の肢体をナイトオブラウンズ専用の衣装で覆った少女。

 襟元に覗く黒のインナーに裾の長い白の上着、足首まで包む白のロングスカート。

 スカートは一見野暮ったいように見えるが、実はキュロットに似たパンツ構造であり、見た目程に動きを制限されないようになっている。

 そして身体を覆うようなデザインのマントの色は、黒に近い濃紺(ダークブルー)

 

 

「報告、ご苦労であった。次の勅命あるまで、皇宮で待機しておくが良い」

「イエス・ユア・マジェスティ」

 

 

 流暢なブリタニア語で応じて、少女……ナイトオブイレヴン、セイラン・ブルーバードは、その場で立ち上がった。

 そして、退出のために手に持っていた物を顔に近づけていた。

 仮面である。

 

 

 いや、仮面と言うよりはバイザーと言った方が良いだろう。

 ナイトメア戦などで眼を保護する、顔の上半分を覆うタイプのバイザー。

 眼や表情が読めなくなるが、セイランは外にいる時は皇帝の勅命でこのバイザーをつけて生活している。

 その、漆黒の色合いの仮面(バイザー)を。

 

 

「時に、セイランよ」

「は、何でしょうか」

「身体に、変調は無いか?」

「……?」

 

 

 突然皇帝が見せた気遣いに、セイランは東洋系の幼げな顔に不思議そうな色を浮かべて、少し首を傾げた。

 バイザーを片手に持ったまま、瞳に不思議そうな色を浮かべる。

 しかしそれも一瞬のことで、彼女はすぐに姿勢を正すと「主君」の言葉に応じた。

 

 

「お気遣い有難うございます、陛下。しかし主義者討伐程度で変調をきたす程、柔な身体はしていないつもりです」

「……ふ、ふふふ、そうか。ならば良い、下がれ」

「……イエス・ユア・マジェスティ」

 

 

 奇妙な笑い声を上げるシャルルに、内心でますます首を傾げるセイラン。

 しかし「主君」に対して不敬だと思い直したのか、その場で礼をした後、今度こそ背を向けて謁見の間から退出した……今度はきちんとバイザーをつけて。

 濃紺のマントに覆われた細い背中を見送りながら、しかしシャルルは笑みを消さなかった。

 

 

 それはセイランの姿が扉の向こうに消えてからもそうで、何が面白いのか、その顔に深い笑みを刻み続けている。

 今にも哄笑を始めそうな雰囲気で、しかしシャルルはそうしなかった。

 何故なら、玉座の後ろから1人の少年が現れたからだ。

 床に届く程に長い金の髪に、神官のような衣装を纏った美しい少年。

 

 

「ねぇシャルル、あの子……青鸞(セイラン)、本当に記憶は戻っていないのかな?」

「そのようですね、兄さん。しかし大丈夫です、記憶が戻ればあの娘は己の地位を利用して私を討ちに来るでしょう……そしてあの娘の記憶が戻ったと言うことは、つまり」

「アレが再びの覚醒を果たした時、か……」

 

 

 煩わしげな溜息を吐く少年に、シャルルはどこか優しげな笑みを浮かべて見せる。

 その笑みを見ると、少年もどこか照れたように笑んだ。

 そして、どちらからともなく呟く。

 

 

「……嘘の無い世界を、兄さん」

「嘘の無い世界を、シャルル……」

 

 

 老人と少年の静かな声が、誰もいない謁見の間に木霊した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ナイトオブラウンズ、帝国最強の12騎士。

 ブリタニア皇帝直属の名の通り、皇帝以外の命令に従う道理は無く、例えどれほど高位の皇族・大貴族であろうともその行動を掣肘することは出来ない。

 ラウンズを罵倒した皇子が賜死されたと言う歴史さえある、故にその権限は強大なものだ。

 

 

 皇族・貴族社会であるブリタニアにおいて、皇帝以外からの命令は受けない――無論、原則としてであって、傍若無人に拒絶して良いわけでは無い――と言うのは、すでにそれだけで特権階級であることを証明している。

 他にも免税権、軍指揮権、部隊編成権、予算権……様々な特権を有する。

 

 

『ラウンズの戦場に、敗北は無い』

 

 

 そしてその特権故に、ナイトオブラウンズは戦場で敗北することを許されない。

 帝国最強の名に恥じない貢献をすることが求められ、ラウンズが投入されただけで敵軍が戦意を喪失する程の脅威を与えることが求められる。

 それでこそ格式と伝統、特権と不文律を有する、「帝国の剣」に相応しい。

 

 

「お? ようやく来たな、遅いぞ、セイラン!」

「だっ!?」

 

 

 そしてその「帝国の剣」が集まる皇宮ペンドラゴンのラウンズ専用の談話室(サロン)、白亜の壁と品の良い調度品に囲まれたその部屋の入り口で、セイランは首に重い衝撃を受けた。

 別に戦場で不意打ちを受けたわけでは無いが、ある意味では同じことである。

 具体的には、女性らしい豊満な胸元に掻き抱かれると言う意味で。

 

 

「わ、ちょ……え、エニアグラム卿? いきなり何……あいたたたっ」

「固い固い、名前で呼んで良いって前から言ってるだろー?」

「いやいやいやっ、首っ、首絞まっ……いたたたたっ」

 

 

 皇帝との謁見を終えたセイランがラウンズ専用の談話室に入ると、突然、1人の女性騎士が腕を彼女の首にかけて引き寄せた。

 女性とは言え鍛えられた腕の力はかなり強い、セイランは痛みを訴えるのだが、むしろ力は強くなった。

 

 

 セイランの首を絞めて豪快に笑うのは、ノネット・エニアグラム卿。

 セイランが着ている物と基礎デザインが同じ騎士服を纏い、色違いの紫のマントを身に着けている――この衣装からわかる通り、彼女もナイトオブラウンズの一員である。

 席次は九番目、ナイトオブナイン。

 横髪の片方だけを三つ編みにした金髪のショートヘアに、長身でスタイル抜群の女性騎士だ。

 

 

「ヴァ、ヴァインベルグ卿、助けてください!」

「えぇ? あ~、ははは。まぁ、エニアグラム卿の気持ちもわかるしねぇ」

「な、何故(なにゆえ)に……たっ?」

「つーかお前、何でそんなバイザーしてんだ?」

「いや、それは陛下の命令で理由は良く……痛い痛い、極まってるから!」

 

 

 一番近くに立っていたが故にセイランに助けを求められ、しかし助ける所かノネットが羽交い絞めにしている彼女の頭に手を置いた青年。

 金髪碧眼に長身、長い後ろ髪をいくつか三つ編みにして肩に流している美青年だ。

 名前はジノ・ヴァインベルグ、ブリタニアの名門貴族の出身でありラウンズの一員「ナイトオブスリー」と言う、ある意味で完璧な組み合わせを有している。

 

 

「俺のことも名前で良いって言っただろ~? うりうりうりうり」

「うにゅにゅにゅにゅ……!」

「おいジノ、紳士としてそれはどうなんだ?」

「貴女にだけは言われたく無いです、それに何となく撫で易い位置にあるんですよ」

「ああ、わかるわかる。私も何となく抱き易い位置にあるんだよな……お?」

 

 

 ふとノネットが視線を下に下げる、するといつの間にかセイランが俯いていた。

 やり過ぎたか? と彼女がジノと顔を見合わせると、ジノは肩を竦めて見せるばかり。

 そして、次の瞬間。

 

 

「やめんか――――っ!!」

 

 

 セイランがキレた、両腕に渾身の力を込めてノネットの腕を振り解く。

 うわぉ、と大仰な仕草でノネットとジノが飛び退く。

 しかしその顔はおふざけモードであって、まだ遊びの最中であることを示している。

 そんな2人に対し、セイランは威嚇するように「フーッ」と肩を怒らせた。

 

 

「毎度毎度毎度毎度毎度毎度……毎度! いったい何回同じ事をすれば気が済むの!?」

「セイランもいつも引っかかってるじゃん」

「いやぁ、お前ってからかうと面白いしさー」

「馬鹿にされてる!? これボク馬鹿にされてるよね!? もう、今日と言う今日は――――」

 

 

 パシャリ。

 

 

「……って、ふぇ?」

「記録……」

 

 

 カメラの音に引かれて顔を上げれば、そこにはセイランよりもさらに年少の少女がいた。

 頭の後ろで束ねた桃色の髪に、表情の無い人形のような綺麗な顔、小柄な体躯。

 しかし身に纏うのはセイランのそれより露出の多い――おへそまで見えている――騎士服と桃色のマント、セイランよりも年少の少女だ。

 

 

 アーニャ・アールストレイム、趣味は携帯電話での撮影とブログ更新。

 年齢が近い上に同性とあって、ラウンズの中では特にセイランと交流がある騎士だ。

 とは言え今は、ノネットとジノにからかわれるセイランを携帯電話で撮影しているばかりだが。

 彼女は無表情なまま、こてんと首を傾げて。

 

 

「……面白い、もっと続けて」

「良し来た!」

「え、ちょ……ア、アーニャ――――ッ!?」

 

 

 合点承知と羽交い絞めにしてくるノネットに抵抗しつつ、セイランはアーニャに非難の声を上げた。

 爆笑するジノの目の前、当のアーニャは静かにブログ用の写真を撮る。

 ちなみにアーニャ・アールストレイムのブログは、ブリタニア帝国でも屈指の閲覧数を誇っていることで有名だった。

 理由は、推して知るべし。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 当然の話ではあるが、セイラン達の騒ぎに参加しない者もいる。

 ナイトオブフォー・ドロテア・エルンスト、そしてナイトオブトゥエルブ・モニカ・クルシェフスキー、黒髪に褐色の肌のドロテアと、長いブロンドの髪に赤のリボンを巻いたモニカ。

 どちらも若い女性で、それぞれ騎士服の上に薄青と黄緑のマントを纏った彼女達は、サロンのソファに座ってティータイムを楽しんでいる所だった。

 

 

 特に興味が無いのか、彼女らはサロン入り口の騒ぎにちらと視線を向けただけで、その後はすぐに元の話題へと回帰した様子だった。

 同じラウンズだからと言って、別に仲良しこよしのチームでは無いと言うことだろう。

 まぁ、この場合はセイランが加入して時間が経っていないと言うのもあるのだろうが。

 

 

「騒がしいわね、大陸出身者はお茶の時間を大切にしないのかしら」

「東洋系が珍しいんだろう。それより欧州戦線の方なんだが、どうも……」

 

 

 そして意外に思われるかもしれないが、ラウンズにおいて東洋系であるセイランへの人種的差別意識というものは、一部を除いて無い。

 これはラウンズが完全に実力主義の枠組みであるためで、皇帝シャルルの「強さこそ正義」の精神を体現しているためだ。

 明確な人種差別政策を執るブリタニアの、矛盾とも言えるだろう。

 

 

 生粋のブリタニア人であるジノ、アーニャ、ノネットは元より、そしてそれぞれ別大陸出身者の血を引くモニカとドロテア、まがりなりにもこれらの人材が一つに纏まっているのは、ラウンズの選定基準に人種・性別・年齢・人格が考慮されていないことに原因がある。

 しかしそれは同時に、人格破綻者が加入する可能性も排除しないと言うことでもある。

 

 

「おやぁ、卑しい豚の匂いがするなぁ……」

 

 

 その時、サロンにいやらしい響きの声がした。

 騒いでいた者も、静かにしていた者も、一様にその声の方向へと視線を向けた。

 帝国最強、ナイトオブラウンズ。

 サロンの隅で爪にヤスリをかけていたその男は、ラウンズの中でも特異な部類に入る男だった。

 

 

「いつから、ラウンズのサロンは豚小屋になったんだろうなぁ?」

「お言葉ですがブラッドリー卿、この部屋に豚などいませんよ。いるのは、咲き誇る花ばかりです」

「花ぁ? はは、貴族のお坊ちゃんは言うことが違うねぇ」

 

 

 笑みの質を変えてジノが視線の先へと言葉を投げると、投げかけられた男は引き攣ったような笑い声を上げた。

 そこにいたのは、ソファの肘掛けに腰掛けるオレンジ色の髪を逆立たせた男だ。

 名前をルキアーノ・ブラッドリー、ナイトオブテンの称号を持つ騎士である。

 彼は猛禽類を思わせる瞳でセイランを見ると、嘲笑を隠すこともなく彼女にヤスリの先を向けた。

 

 

「だぁが、そこにいる花は見るに耐えない醜さじゃないか。何の功績も無いイレヴンの雌豚が一匹、ラウンズに紛れ込んできたってことだろう?」

「彼女はイレブンではありませんよ、日系ブリタニア人です。今では日本はエリア11となっているので、ただのブリタニア人……」

「貴族のお坊ちゃんは黙ってなぁ」

 

 

 8年前の戦争で、ブリタニアは日本を占領した。

 しかしそれ以前から両国には有形無形の交流があり、その中には移民と言うものも存在する。

 セイラン・ブルーバードは、そうした移民の子孫である。

 とは言え長い世代をかけてブリタニアと交わったためか、彼女の「弟」などは生粋のブリタニア人の容姿をしている。

 

 

 しかし「姉」たる彼女、セイランは先祖返りなのかどうなのか、ブリタニア人らしい容姿をほとんど有していない。

 唯一、流暢なブリタニア語と騎士叙勲だけが彼女を「ブリタニア人」たらしめているのだ。

 そのセイランは己の容姿や血筋を恥じるでもなく、ましてジノ達の背中に隠れるでも無く、バイザー越しにルキアーノを睨み返しているが。

 

 

「何だぁ? 東洋の雌豚風情がこの私に意見があるとでも?」

 

 

 しかし16の小娘に睨まれた程度で怯むような人間は、ラウンズにはいない。

 事実、ルキアーノはソファから離れ、セイランに向かってゆっくりと歩いてきた。

 その手の中には、相も変わらずヤスリが握られている。

 

 

「ふん……小娘ぇ、お前の大切なモノは何だぁ?」

 

 

 猛禽類のような瞳が愉悦に歪み、尖った舌が唇を舌なめずりのように舐める。

 ルキアーノの纏う禍々しい雰囲気に、セイランは足の裏に力を込めた。

 今にも衝突が始まりそうな空気に、他のラウンズもそれぞれ形にすることなく身構えた。

 

 

「戦場では常にたった一つの大切なモノを奪い合う、だからこそ美しいのさ。まぁ、イレヴンの雌豚には理解できないだろうがなぁ」

 

 

 ――――<ブリタニアの吸血鬼>。

 戦場における彼の素行をして、彼はそう呼ばれる。

 殺人・破壊に対して何よりも美意識を持ち、合法的に人を殺し、破壊を撒き散らすことが出来る戦場、そして戦場を作り出すブリタニア軍にいるのはそのためだ。

 自称「人殺しの天才」、れっきとした人格破綻者である。

 

 

「さぁて、お前の大切なモノは何かなぁ……?」

「…………!」

 

 

 ジノとノネットに挟まれる形で立っていたセイランは、濃紺のマントの端を揺らして身構える。

 頬に一筋の汗が流れるのは、人格破綻者であるが故の強さを持つルキアーノの力を感じ取ってか。

 笑みを深めるルキアーノ、表情を緊張させるセイラン。

 周囲のラウンズがそれぞれの緊張を表す中、2人の距離が確実に縮まり……そして。

 

 

「そこまでです、ブラッドリー卿、ブルーバード卿」

 

 

 そして、7番目の騎士(ナイトオブセブン)が姿を現した。

 セイランやジノ達から見て背後、サロンの入り口に立っていたのは騎士服を着た少年。

 纏うマントの色は――――黒。

 

 

 色素の薄い茶色の髪に琥珀色の瞳、細身だが鍛えられた身体。

 先年のエリア11での戦いで実妹である「日本最後の首相の娘」を仕留めた功績でラウンズに抜擢された、ナンバーズ出身者初のナイトオブラウンズ。

 すなわち……枢木スザクが、そこにいた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――記憶がある。

 それは数ヶ月前、極東の無人島……神根島での記憶だ。

 目の前で妹が撃たれ、そして幼馴染の少年の消失を見た、見ることしか出来なかった少年の記憶である。

 

 

『枢木よ、そうまでして妹を守りたいと吐かすか……ならばそれも良かろう』

 

 

 神根島の遺跡の向こう側、扉の向こう側から現れたブリタニア皇帝は少年に言った。

 少年は仮面の友のギアスを受け、胸を撃たれ一度は死んだ妹をほとんど無意識に庇っていた。

 はたしてそれがギアスによるものなのか、ギアスを言い訳にした本心の行動なのか、それはもはや少年にすらわからない。

 

 

『ならば、貴様がその娘を守るが良い。同じラウンズとして、記憶の無い、赤の他人へと成り下がった妹をな。その娘が目覚めるまでの、守り役として……』

 

 

 だから彼は、願う。

 青鸞――セイランが、記憶を取り戻さないことを。

 目覚めないでいてくれることを、願っていた。

 仮面を被り続けてほしいと、そう思った。

 

 

 その理由は、何だろう?

 

 

 後ろ暗いことは、たくさんある。

 だからだろうか、だとしたら何とも気分の悪い話だと自分で思う。

 救い難い。

 しかしそれでも、逃れられない物はあるから。

 

 

「ここは陛下のおわす皇宮ペンドラゴン、ここで無用な騒ぎを起こすようなら、皇帝陛下の御名において誅伐を与えなくてはならなくなります」

 

 

 だから彼は、妹を差し出して出世した男としてそこにいる。

 妹はもちろん、ジノやノネットすら通り過ぎて、ルキアーノの前に立った。

 セイランの視線の上に、漆黒のマントに覆われた背が入ってくる。

 

 

「あぁ……? イレヴン如きが、陛下の威を借りて私に意見しようと言うのか?」

「事実を申し上げているだけです」

 

 

 凄むルキアーノに対して、しかしスザクは微動だにしなかった。

 エリア11にいた頃に比べて、どこか据わったような目をしているのが印象的だ。

 その瞳には、人として持つべき何かが欠けているようでもある。

 一方で、庇われた形のセイランはやや訝しげな顔をしていた。

 

 

 実の所、スザクに庇われるのはこれが始めてでは無いのだ。

 東洋系、それも日系ともなればラウンズではともかく、外ではそれなりの扱いを受けることもある。

 そう言う時、さりげなさを装ってスザクが必ず傍にいた。

 そして生粋のナンバーズであるスザクにその場の攻撃が集中し、比較対象としてセイランが「マシ」になる……。

 

 

(……この人は、どうしてボクを気にかけてくれるんだろう?)

 

 

 同時期にラウンズに加入したと言う以外に共通項は無い、かと言って普段はまるで交流が無い。

 話しかけても無視されることが多く、事務的な会話しかしない。

 少なくとも、庇われるような関係では無いはずなのに。

 だからだろうか、侮られたという不満よりも疑問が先に立つのは。

 

 

 だから、気が付けばつい目で追ってしまう。

 表情の少ない顔、どこか哀しそうな瞳、人を寄せ付けない雰囲気。

 セイランがこの数ヶ月、最も気にしている相手であるとも言える。

 その時、スザクの背中を見つめるセイランに対して、何かに気付いたのかノネットが。

 

 

「好きなんじゃねーの?」

「そっ……! ……そんなわけ、無いよ」

「ふーん……?」

 

 

 不思議だった。

 不意の言葉に顔を赤くしたセイランだが、それが急に消えたのだ。

 鼓動と同時に跳ねた声は、即座に沈んで落ち着いて物となる。

 理由は、セイラン自身にもわからなかった。

 ただ、それは「違う」とわかっていただけだ。

 

 

 ――――何故かは、自分でもわからなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 一台のリムジンが、皇宮ペンドラゴンからロイヤルガーデン――皇族達の私邸や離宮のあるエリア――へと向けて、自然と近代的な道路が一体化した通りを走行していた。

 黒塗りに防弾コーティングと、典型的なVIP専用車である。

 その中にいるのは、運転手を除けば2人の少女だけだ。

 

 

「疲れた……」

「……お疲れ様」

 

 

 リムジンの広い後部座席、そこをたった2人で占拠しているのは、皇帝・皇族・貴族を除けばブリタニア帝国で最も高貴とされる集団に所属していればこそである。

 ナイトオブラウンズの6番と11番、アーニャとセイラン。

 しかしラウンズの騎士服を身に纏った2人の少女の姿は、都会の道を歩く女子達と少しも変わらないようにも見えた。

 

 

 それはそれとして、リムジンの車内でセイランはどこかぐったりとしているようだった。

 まぁ、ただでさえ緊張を強いられる皇帝との謁見の後、ノネットやジノに弄られ、かつこれまた胃が痛くなることにルキアーノに絡まれ、である。

 常人であれば、すでに辞表の10枚は書いていて良いような状況と言えた。

 そんなセイランに対して抑揚の無い声で「お疲れ様」とあっさり言うアーニャも、相当ではあるが。

 

 

「ラウンズって、変な人ばっかりだよね」

「そうでもない、普通」

「いや、普通、ではないと思う……」

「じゃあ、普通ってどんなの?」

「え、あー……そうだねぇ」

 

 

 うーん、と腕を組んで考えてみるセイラン。

 普通、とは何か。

 古いが現在でも語られる話題だ、なかなかに回答が出ることでも無い。

 

 

 しかし、セイランはそれとは別に愕然とした。

 自分の「記憶」を探る限り、彼女自身にも普通の知り合いと言うのがいないことに気付いたのである。

 だが、何故だろうか。

 ショックだと言うよりは、妙な空白感を胸に感じるのは……。

 

 

「セイラン?」

「え……あ、ああ、ごめん。ラウンズの中だと、ヴァインベルグ卿あたりが割と普通かな」

「ジノ、変」

「それは、本人に言わない方が良いと思うよ……?」

 

 

 苦笑しつつ、セイランは車内テレビへと視線を移した。

 そこには国営放送ニュースが流れていて、どうやら植民エリアに関する物らしかった。

 昨今、南米や中東などの諸地域のエリアで反ブリタニアを掲げる武装勢力の運動が活発化しているためだろう。

 

 

 先年のエリア11――旧日本における黒の騎士団の活動活発以降、旧式兵器グラスゴーの設計図と製造ノウハウが拡散した結果、世界各地でテロや紛争が急増した。

 拡散させたのは日本最後の首相の娘だと言うから、ブリタニアの騎士としては迷惑な話だった。

 最も、その張本人も先年の戦いで表舞台から永久に姿を消すことになったのだが――。

 

 

『続いて、エリア11についてのニュースです。先年のセキガハラ決戦以降、対話によって数十の武装勢力を降伏させられたユーフェミア代理総督は、本日未明さらに3つの武装勢力を解体させ――――』

 

 

 ――ずくん、と、左胸が疼いた。

 エリア11の名を聞いた途端、セイランは胸の奥が苦しくなるのを感じた。

 それは先程感じた空白感とは質の異なる、より強い何かだった。

 まただ、と、目を閉じながらセイランは軽く眉を顰めた。

 

 

 実を言えば、この感覚は今回が初めてでは無い。

 ふとした瞬間、昔のことを思い出そうとした時や、こうして他のエリアのことを聞く時。

 どうしようもなく、揺れる。

 胸の内、心の奥で――――何かが、疼くのだ。

 

 

「……セイラン?」

 

 

 はっ、として、目を開ける。

 横を向けば、そこには無表情にこちらを覗き込むアーニャの姿がある。

 一瞬、その無垢な瞳に赤い輪郭が見えた気がしたが、それは気のせいだろう。

 だからセイランは誤魔化すように笑みを作って、アーニャに笑いかけた。

 

 

「何でも無いよ、ちょっと疲れちゃっただけ」

「……そう。何なら、家まで送るけど」

「あはは、本当に大丈夫だよ。それにアーニャ、これからまた仕事でしょ? 何だっけ、えーと……」

「護衛」

「そうそう、皇女殿下の護衛。でもそれはそれでおかしいよね、ラウンズを護衛につけるだなんて」

 

 

 アーニャは今、ある皇女の護衛についている。

 しかし皇帝直属の騎士であるラウンズを貸し出すなど、本来はあり得ないことだ。

 まぁ、皇帝の勅命である以上、手足たるラウンズがどうこうは言うべきでは無いが。

 

 

「知らない、皇帝陛下の命令。あの子……」

 

 

 無いのだが。

 

 

「ナナリー皇女殿下を、守れって」

 

 

 どうしてだろうと、セイランは思う。

 想う。

 どうしてこんなにも、胸が辛くなるのか。

 

 

 何でも無いことのはずなのに、それにいちいち心が反応する。

 鬱陶しい、そして苦しい。

 この感情は、いったい何なのだ。

 自分は何かの病気にでもかかったのだろうかと、セイランは思った。

 ――――今にも泣き出してしまいそうな、そんな気持ちで。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ブリタニア本国が夜になろうと言う時間、エリア11では朝日が昇っていた。

 エリア11、先年のセキガハラ決戦で独立の是非が決まるはずだった植民エリアである。

 しかし現在、このエリア11はいささか奇妙な状況に陥っていた。

 

 

「失礼します、藤堂さん」

「……朝比奈か。千葉と仙波はどうした」

「草壁中佐とキタキュウシュウに詰めてます、あそこはブリタニア軍との接点ですから」

「そうか……」

 

 

 セキガハラ決戦でオオサカまで撤退した黒の騎士団(旧日本解放戦線含む)は、この数ヶ月でキュウシュウ・エリアまでの後退を余儀なくされていた。

 中華連邦の侵攻に合わせて奪取したキュウシュウと違い、チュウゴク・シコクには無傷のブリタニア軍の拠点が無数にあったためだ。

 背後に敵を抱えたままオオサカに居座れば、包囲殲滅されるのは目に見えている。

 

 

 だからこそ、この半年近くはキュウシュウへの転進と維持に腐心していたのである。

 1000万人の日本人が住むキュウシュウは、反体制派の拠点とするには十分だ。

 しかし食糧や水などの物資や工業的な必需品に関しては、十分とは言い難いのが現状だった。

 今の所は、キュウシュウ内のブリタニア人の本州への移送などで時間を稼いでいるが……。

 

 

「それで、どうした」

「はい、ゼロが紅月と護衛小隊を連れて作戦行動に入りました。ト号作戦、開始です」

 

 

 ただそれも、先年の戦いで行方不明になったコーネリア総督の代理としてトーキョーに君臨しているあのブリタニア帝国第3皇女、ユーフェミア・リ・ブリタニアの対話路線があればこそだろう。

 これがコーネリアであれば、3ヶ月前には全面攻勢に出て叩き潰されていたはずだ。

 まぁ、黒の騎士団はそのユーフェミア代理総督の対話要請を悉く拒否しているが。

 

 

「藤堂さん、やはり最近のゼロは何かおかしい。あまりにも秘密にしていることが多すぎます」

「……今は、ゼロを信じておけ」

 

 

 ただこれには、ゼロへの批判も組織内にはある。

 まずセキガハラ決戦で撤退したこともそうだが、戦場から消えていた空白の時間の説明が無いこと、枢木青鸞の件――そしてそもそも、ユーフェミアの対話要請の拒否理由も説明しない。

 トップダウンが黒の騎士団の特徴とは言え、最近のゼロの行動はあまりに不信に過ぎた。

 

 

『――――藤堂』

 

 

 その不信と不満の代表とも言える部下を前にして、藤堂は事前に話をした黒の騎士団のトップ、ゼロと交わした言葉を思い出していた。

 今少しの間、キュウシュウの地を持ち堪えよと命じた後の言葉だ。

 ゼロは、藤堂を前にこう言ったのだ。

 

 

『私は、青鸞嬢を必ず取り戻してみせる――――』

 

 

 あの仮面のリーダーは、そう言った。

 知っている、確実に彼は何かを知っている。

 だがゼロがそれを藤堂に語ることは無いだろうと、藤堂には確信があった。

 確信があったからこそ、藤堂はゼロを信じていた。

 

 

 秘密を多く抱える中で、しかしそれでも騎士団を纏めていたのはゼロだ。

 その才覚に懸けて、藤堂はまだゼロに従う。

 かつて同じように奇跡を起こし、奇跡を求められた身だからこそ。

 そして、彼は――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ミレイ・アッシュフォードがけたたましく鳴り響く携帯電話の音で叩き起こされたのは、トーキョー租界の時計が午前1時を過ぎた頃の話である。

 当然だが真夜中、夜空では極東特有の透き通ったような月と星が輝いている時間だ。

 いかに学園でお祭り女と呼ばれる彼女でも、穏やかに眠っている時間である。

 

 

「ん、んぅ~~……? もぉ、誰よぉ、こんな時間にぃ」

 

 

 広すぎず狭すぎない、それでいて上流階級とわかる調度品の並べられた寝室。

 その中心にある丸みを帯びた少女らしいベッドの上で、ミレイはもぞもぞと動きながらベッドテーブルの上に手を伸ばした。

 鳴り響くコール音が寝起きの耳に響く、彼女は秀麗な顔立ちを顰めつつ携帯電話を掴んだ。

 その際、2回ほど掴み損ねたのは愛嬌と言えるだろう。

 

 

 そしてベッドの中に持ってきたそれの画面を見ると、こんな時間にかけてきた不心得者の名前が表示されていた。

 リヴァル、生徒会メンバーである。

 こんな時間に乙女の就寝を邪魔するとは、ミレイの顔に不機嫌の色が浮かんだ。

 しかし無視することはなく、彼女は意外と素直に電話に出た。

 

 

「ちょっとリヴァル? 今何時だと思って……」

『会長! テレビ、テレビつけてみてください! ニュースやってますから!』

「ニュースぅ? 何でそんなもの……」

『良いから! 早く! ルルーシュが、ルルーシュの奴が……!』

 

 

 ――――ルルーシュ?

 その名前を聞いた時、ミレイの顔に隠しようの無い負の表情が浮かんだ。

 どこか申し訳無さそうなその顔は、半年前に目の前でナナリーが疾走したあの日のことを思い出しているのだろう。

 

 

 だが、あの日あの場で起きたことに関して、彼女にはどうすることも出来なかった。

 超常の力の前には、彼女のような唯人は無力でしかないのだから。

 それに彼女がナナリーを探そうにも、ある事情から警察にナナリーの捜索願いを出すことも出来ない。

 だから、やはり彼女に出来ることは無かった。

 しかしミレイはそのことにすら気付いていない、だから自責の念はどうしても残るのだった。

 

 

「リヴァル、ルルーシュがどうしたって言うのよ」

『テレビをつければわかりますって!』

 

 

 そのルルーシュも、租界の復旧が終わって正常化した学園には顔を見せている。

 だが生徒会には来ない、来なくなってしまった。

 それが、ミレイには殊の外辛い。

 辛いこと、なのだった。

 

 

「もう、何なのよ……」

『早く早く! ルルーシュが!』

 

 

 溜息を吐き、足取り重くベッドから出る。

 ゆったりとしたベージュのネグリジェの裾を床の絨毯の毛と擦り合わせながら歩いて、1分後には電話の向こうにいるリヴァルの言う通りにテレビをつけた。

 するとそこには、あり得ない映像が流れていた――――……。

 

 

 ……――――ここで、場所を変えるとしよう。

 距離にして、トーキョー租界からおよそ8800キロメートル。

 神聖ブリタニア帝国、帝都ペンドラゴン。

 深夜のトーキョーと異なり、朝を迎え各機関が正常に動き始めた午前9時頃のことだ。

 

 

「お久しぶりです、皆様」

 

 

 それは月に一度行われる、御前会議の席上でのことだった。

 帝国宰相シュナイゼルを始めとする閣僚、第一皇子オデュッセウスを頂点とする皇族・大貴族、そして高級軍人が参加して国家の行く末を討議する重要な場だ。

 今日の議題は植民エリアの安定やEUとの戦争についてであるため、帝都にいるナイトオブラウンズも参加するよう命じられている。

 

 

 だから、セイランを含むナイトオブラウンズはそれを直接見ることになった。

 まるでその場にいる全員が、たった1人の少年の演出のために用意された駒であるようなその状況を。

 その場で誰かが声を上げたようでもあるのだが、セイランはそれを良く覚えていない。

 例外として、ラウンズの列から一歩を下がったスザクの様子だけを覚えていた。

 他には、目の前の……現れたたった1人の少年のことしか、覚えていない。

 

 

「神聖ブリタニア帝国第11皇子、第17皇位継承者――――」

 

 

 夜のように黒い髪、深い紫の瞳、少女と見紛うばかりの美しい容姿。

 細いその身には金のラインをあしらった黒い衣装を纏い、春の涼風に乗るように颯爽と現れた少年。

 大扉を支える門番の兵士は、何故か少年が真の主君であるかのように頭を下げていた。

 

 

「――――ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア」

 

 

 そしてその少年の姿から、セイランは視線を外すことが出来ない。

 視線を外すことができないでいるセイランに、その少年……ルルーシュは。

 気のせいか、微笑んだような気がした。

 その微笑を見た途端、セイランの左胸が軋みを上げた。

 

 

「地獄の底より、舞い戻って参りました」

 

 

 そして彼は、挑戦するように顎先を上げる。

 顔を上げたその先にいるのは、至高の座にいる彼自身の父親。

 神聖ブリタニア帝国皇帝、シャルル・ジ・ブリタニア。

 

 

 彼の者もまた、玉座より己が息子を見下ろしていた。

 8年ぶりに再会した息子に向けるには冷たすぎる視線を、少年に向ける。

 そして少年もまた、父親に向けるには多分に剣呑な視線を向ける。

 そうして、父と子はいつまでも視線を交わし合っていた。

 見詰め合うのでは無く、睨み合うことで。

 

 

 ――――彼らは、互いの存在を確かめ合うことが出来た。

 




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 今話からR2編の出だしがスタート、うん、状況はわかって頂けましたでしょうか?
 原作を読んでおられる方々にはわかったかなぁと思いますが、そうでない方々に通じるか不安です。
 まぁ、通じてない方が好都合な面もありますがね……!(きりっ)。

 と言うわけで、R2編ではブリタニア陣営もどんどん出てきます、もちろん日本側の人達もさらに頑張ってもらわなくては。
 ともすれば中華連邦とか忘れそうですが、まぁ何とかしましょう。
 そして長らくお待たせ致しました、次話から以前に募集したブリタニアの投稿オリキャラが登場してきます。
 誰が採用されるか、お楽しみに。
 と言うわけで、久しぶりの次回予告です。


『ルルーシュ皇子、初めて見る人。

 だけど、どうしてだろう……彼を見ていると、胸が苦しくなる。

 とても、切なくなる。

 どうしてかは、わからない。

 ……ボク、どうしちゃったんだろう』


 ――――TURN2:「皇子 の 帰還」


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TURN2:「皇子 の 帰還」

 同じ帝都ペンドラゴンとは言え、市民居住区と離宮群ではまるで趣は異なる。

 緑豊かな山々の稜線、森や湖が広い範囲に点在する自然の中に、ノスタルジックな城館が溶け込むように建ち並んでいる。

 皇族達が暮らす離宮群は、さながら中世で時間が止まっているかのようだった。

 

 

 そしてその内の離宮の一つ、ベリアル宮。

 セントダーヴィン通りと呼称される離宮群のメインストリートに所在するその離宮は、現在、ただ1人の少女のために使用されていた。

 その少女の名はナナリー・ヴィ・ブリタニア、第87皇位継承権の皇女。

 彼女は今、己の無力感に苛まれるだけの日々を送っていた。

 

 

(お兄様……)

 

 

 ベリアル宮、そのバルコニーの一つにナナリーはいた。

 アッシュフォード学園の頃と変わらない車椅子、しかし纏っているのはアッシュフォード学園中等部の制服では無い。

 白地に赤いリボンを添えたワンピースの上に薄桃色の上着を重ねたデザインのドレスで、小柄な少女の身には良く似合っていた。

 

 

「……ノエルさん、シュナイゼル兄様からは何か」

「いえ、何の連絡もございません」

 

 

 バルコニーからセントダーヴィン通りを見下ろす――ナナリーの目は閉ざされているが――位置に座るナナリーに声を返したのは、彼女の傍に立つメイドだ。

 薄紫色のショートカットに、シックな侍女服をもってしても隠し切れない抜群のスタイル。

 サラリと風に流れる髪に白のヘッドドレスが可憐さを見せているが、どちらかと言うと凛々しさの強い美人だ。

 

 

 元はアッシュフォード家縁の子爵家の令嬢だったとのことだが、主家の没落と共に家を取り潰されており、行儀見習いに来ていたアリエス宮にそのまま侍女として居ついた人間だ。

 つまり8年前、マリアンヌ后妃殺害事件に居合わせていた1人である。

 敬愛していたマリアンヌ后妃の死後は無人となったアリエス宮を1人で管理していたが、ナナリーの「帰還」に合わせて勅命を受け、こうしてナナリーに仕えているのである。

 

 

「僭越ながら、ナナリーお嬢様。シュナイゼル殿下にあまり過度な期待をお持ちになるのは……」

「わかっています、我侭を言っているのは。でも……」

 

 

 閉じた瞳で空を見上げて、ナナリーは溜息を吐いた。

 

 

「……でも、私はどうしてここにいるのでしょう?」

 

 

 それは、ナナリーがここ数ヶ月感じていることだった。

 ここは故国ブリタニア、ナナリーがそこにいること自体は何ら不思議では無い。

 しかし、ここにいることがナナリーには不思議で仕方が無かった。

 留学と言う形式はとっていても、8年前に事実上追放された土地にいることの不思議。

 

 

 そして何より、8000キロもの距離をどうやって移動したのか。

 自分はエリア11にいたはずなのに、目を覚ました時にはここにいた。

 おかしい、絶対におかしい、何かおかしなことが自分の身に起こったのは確かだった。

 おまけに、兄ルルーシュを含めてエリア11の人々と連絡を取ることを禁じられ……軟禁である。

 実兄シュナイゼルは何とかしてくれるとは言っていたが、ノエルの言うように期待薄だ。

 

 

「ここにいるのがお嫌ならば、何かなさればよろしいでしょう」

「……でも、私には何も出来ませんから」

 

 

 何かをすると言うことは、ナナリーには酷く難しいことだった。

 肉体的にも、そして精神的にも。

 より問題なのは、どちらだろうか。

 

 

「しかし……ッ、何者ですか!」

 

 

 言葉を重ねようとしたその刹那、ノエルは足裏を滑らせてナナリーの右斜め前に立った。

 専属侍女が護衛を兼ねるブリタニアにおいて侍女が主君の前に出る理由はただ一つ、主君の身を守ろうとする時だ。

 侍女服の両袖からストンと落ち、一回転して掌の中に収まったのは20センチ大の針だった。

 中央に中指を通す輪があり、指を通して握ることで武器とする暗器だ。

 

 

「ご安心を、その御方に……ナナリー様に危害を加える意思はありません」

 

 

 目の見えないナナリーは困惑するばかりだったが、しかしその声には喜色を浮かべた。

 何故ならばその声には覚えがあったからだ、そう、アッシュフォードの家で7年間共に過ごした家族。

 名前を。

 

 

「咲世子さん!」

「ご連絡が遅くなり申し訳ありません、ナナリー様。篠崎咲世子、ただいま参りました」

「……お知り合いですか?」

「はい! でも、どうしてここに……?」

 

 

 ちなみにノエルが訝しげな声を上げるのは、初対面であること以上に、そして誰も入れないバルコニーの手すりの上に立っていること以上に、おそらく咲世子の衣装の方に意識が行っているからだろう。

 黄色いマフラーに白のニーハイブーツ、そして白と藤色のレオタードのような衣装。

 咲世子が真面目な顔をしている分、そのギャップがあまりにも強すぎた。

 しかし咲世子自身はそれこそ真面目な顔で頷き、ナナリーに告げた。

 

 

「ルルーシュ様よりのご伝言をお持ちしました、どうか心してお聞きくださいませ」

「お兄様の……!」

 

 

 そして、ナナリーの時間が再び動き出す。

 今度は、舞台上の役者の1人として。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 一方で、ナナリーとは別の意味で思い悩む少女がいた。

 セイランと言う名のその少女は、帝都ペンドラゴンでも貴族や高級官僚が住まう住宅街に送迎用のリムジンから降り立った所だった。

 当然、そこが彼女の「家」だからだ。

 だからこそ、玄関の前で顔を覆うバイザーを外したのである。

 

 

 貴族や高級官僚が住むにしては小さく古く、そして住宅街の端に所在する邸宅。

 両親も親族もすでに亡い、それでもこの「家」は幼い頃から過ごしてきた「思い出の場所」だ。

 白い壁も、家と同じだけの時間を経た家具に包まれたリビングも寝室も、バルコニーもお風呂場も。

 今はもう1人しかいない、唯一残った「家族」との「思い出」の空間なのだから。

 そしてその「家族」は、セイランが玄関の扉を開けるとやってきた。

 

 

「姉さん、おかえり!」

「ただいま、ロロ」

 

 

 飛び出してきた年下の少年を抱き留めながら、セイランは苦笑しつつ後ろ手に扉を閉めた。

 騎士服姿のセイランの胸元に飛び込んで来たのは、14、5歳程の薄い茶髪の少年だ。

 セイランの口から出た名前はロロ、セイランのたった1人の「弟」である。

 線の細い見た目通りに幼い頃は良く苛められていたが、今こうしてナイトオブラウンズに数えられる程の実力を持つセイランが、その片鱗を見せつけて守ってきた。

 

 

「姉さん、今日はどんなお仕事をしてきたの?」

「ボクとしては、ロロの学校での話が聞きたいんだけどな」

「姉さんの話が良いよ、久しぶりに帰って来たんだから」

「うーん……」

 

 

 自分の脱いだマントを甲斐甲斐しく持つロロに苦笑しつつ、セイランは騎士服の胸元を緩めた。

 流石に「家」でまで騎士服ではいられない、自室に戻り着替えに入る。

 そして流石に着替えを弟に見せる趣味は無いので、仕切り越しに会話を続ける。

 

 

「明後日、また帰れなくなるかもしれない。詳しいことは機密だから言えないけど、まぁ、皇帝陛下主催のパーティに参加しなくちゃいけなくなっちゃって」

「パーティ? こんな時期に?」

「うん、まぁね」

 

 

 仕切りの上にかけた騎士服が向こう側に消えて、代わりに部屋着に使っている青のワンピースを手に取る。

 仕切りの向こう側にいるロロが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれているのだが、何だか姉弟で役割が違うような気がしてならない。

 

 

 しかし姉弟だからと言って、ラウンズの機密を漏らすことは出来ない。

 死んだと思われた皇子が戻ってきたと言う、そのことはまだ話すことができないのだ。

 明後日のパーティの席で公表されるまでは、まだ。

 

 

「良いなぁ、ねぇ、僕も行けないかな。姉さんの同伴とか」

「同伴って、どこで覚えたのそんな言葉……ごめん、無理なんだ。ラウンズの親類でも、流石にちょっとね」

「ううん、良いんだ。我侭を言った僕が悪いんだから」

 

 

 寂しい思いをさせているな、と思う。

 ラウンズにいるおかげで生活に不自由はしないが、しかし弟を1人にしているのも事実。

 セイランとしては、少し胸を痛めざるを得ない問題だった。

 「兄弟」には、優しくしなければならない。

 胸の奥からこみ上げている感情に、セイランは驚くほど素直であろうとした。

 

 

「それよりロロ、少し遅くなったけど晩御飯にしようよ。久しぶりだから、腕によりをかけて作るからね」

「え……い、いや、姉さん。今日は僕が作るよ、姉さん疲れてるだろうから」

「大丈夫大丈夫、お姉ちゃんそこまで柔じゃないから」

「え、えー……っとぉ、その」

 

 

「姉」と、「弟」。

 その家は広く寂しいが、それだけは事実だった。

 温かな光景は、本物のように輝いていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 「姉」と寛いだリビング、「姉」と調理したキッチン、「姉」と話した衣裳部屋。

 それは本物のように見えて、その実、全てが虚偽だ。

 ロロと言う「弟」は、そのことを知っている。

 知った上で、彼はセイラン・ブルーバードの「弟」としてここにいるのだ。

 

 

「……ええ、ルルーシュを見ても記憶はそのままみたいです。変わった様子は見受けられません」

 

 

 ロロ・ブルーバードと言う名の「弟」は、「姉」と共に過ごしていた時に見せた楽しげな笑顔は全て消し去った状態でそこにいた。

 無表情な顔に浮かぶのは感情の無い冷たい瞳、耳に当てた携帯電話の向こうへ告げる声も冷え切っている。

 

 

 ちらり、と、照明の消えた部屋でロロは天井を見上げる。

 その向こうでは、「姉」が久方ぶりに「自室」で就寝していることだろう。

 それは、全ての事情を知る者からすれば滑稽ですらあった。

 目を一度だけ細めて、ロロは正面へと顔を戻す。

 

 

「……いえ。それより、僕はパーティ会場にいなくて本当に良いんですか? ……ああ、そちらで監視の人員を、なるほど。なら僕は、ここで姉さんの……いえ、枢木青鸞の帰宅を待つことにします」

 

 

 偽者の「弟」は、携帯電話の向こうに冷たく告げた。

 

 

「ええ、わかっています。もし記憶が戻り、アレも機能しているのなら……もう一度、僕が撃ちます。でも、もし間違って殺してしまっても、文句を言わないでくださいね――――V.V.」

 

 

 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの帰還。

 そのたった一手によって、数ヶ月間の平穏が音を立てて崩れ去っていく。

 多くの者に望まれた崩壊とは言え、それはあまりにもあっけなく終わりへと疾走を始めた。

 そしてこれは、たった1人の少年が望んだ状況なのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ルルーシュは、苦笑と言う感情を久しぶりに感じていた。

 8年前に死んだはずの皇子が実は生きていた、つまりルルーシュがブリタニアに戻ればそれなりの反応があるだろうと言う覚悟はしていた。

 しかしである、まさかその日の夜の内に刺客を送り込んでくるとは思わなかった。

 

 

「さて、誰の差し金かな。ガブリエッラ后妃と懇意にしていたカリーヌの実家あたりか……少なくとも、あの男自身が、と言うことは無いな。何故なら……」

 

 

 照明もつけていない、とりあえずの寝所としてあてがわれた離宮の一室。

 そのソファの上に足を組んで座るルルーシュは自然体そのもので、寛いでいると言っても良かった。

 黒い衣装が闇に映えて、少年の美しさを一層引き立てているように見える。

 しかしである、客観的に見て、彼はそんな悠長に構えていて良いわけが無かった。

 

 

 何故なら肘掛けに肘を置き小首を傾げながら顔を上げた先には、銃口があるのだから。

 全身黒ずくめと言うのは、古今東西の刺客のお約束の衣装ではある。

 ルルーシュの寝室に入り込んできた刺客は3人、1人は出入り口を塞ぎ、残りの2人はバルコニーから侵入してルルーシュの前にいる。

 黒い覆面で顔を覆ってはいるが――――両目が、外気に晒されている。

 

 

「……ギアスのことを、知らない」

「……?」

「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる――――」

 

 

 左眼に素早く触れたかと思えば、次いで赤い輝きが放たれる。

 赤い鳥が飛翔するように、それは力となって現実世界に顕現する。

 絶対遵守の、ギアス。

 

 

「お前達は、死ね!」

 

 

 目の前の2人の人間の世界の理が、歪められる。

 それはまるで真理のように響き、歪められた精神が叫び声を上げる。

 従え、と。

 

 

「「イエス・ユア・ハイネス……!」」

 

 

 銃声、倒れる2つの音。

 残ったのは当然、黒髪の皇子である。

 出入り口を塞いでいた最後の1人は、何が起こったのかわからなかった。

 わかりようも無い、ルルーシュの言葉に従って仲間が自殺したのである。

 

 

 いかに訓練された暗殺者と言えども、許容できるような状況ではなかった。

 しかも後ろの扉が開き、背中に銃口のような物を押し当てられた後では、余計に。

 恐る恐る後ろを振り向けば、そこにいたのは緑髪の少女だった。

 若い、そして人形のように美しい少女。

 しかし少女であろうと、その手に銃があるならそれは脅威だった。

 

 

「おい、五月蝿いぞ」

「ふん、文句ならそいつらに言ってくれ。俺だって迷惑しているんだからな……さて」

 

 

 気が付けば、自分達が暗殺するはずだった少年が目の前に立っていた。

 すぐ目の前、まさに目と目を合わせての距離に。

 美しいはずの少年の顔が、今は無性に恐ろしく見えて仕方が無かった。

 どんな拷問にも耐え得る訓練を受けた暗殺者が、今はただ得体の知れない恐怖に身を竦ませている。

 

 

 だから少年は、ルルーシュは微笑んだ。

 柔和に微笑み、しかし言うのだ。

 情け容赦なく、微笑みながら……左眼は、赤いままで。

 

 

「話せ……お前のバックボーンを」

 

 

 そして、また1人の世界が捻じ曲げられた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 すっかり静かになった寝室、ルルーシュは元の椅子に足を組んで座っていた。

 その表情はどこか余裕があるように見えて、その実、かなり不機嫌であることが見て取れた。

 あえて言うのなら、宝を前にしつつ手を出せずにいる海賊のような顔であった。

 

 

「随分と不機嫌そうだな、暗殺者を送り込まれたのがそんなに不服か?」

「別に不服では無いさ、俺が皇子として戻ればどうなるか。そんなことはここに来る前に36通りは考え付いている」

 

 

 片手を振り、アッシュフォード学園でそうしていたようにルルーシュのベッドの上を占拠しているC.C.にルルーシュはそう言う。

 実際、反動はいくらでも予想できた。

 エリア11で皇子帰還宣言をしなかった理由は2つあるが、その内の1つにミレイの実家であるアッシュフォード家を巻き込まないためと言うのがある。

 

 

 そしてブリタニア本国で姿を現すことで、エリア11にいる「ゼロ」と「ルルーシュ皇子」をイコールで繋げないための策。

 本国において「ルルーシュ=ゼロ説」が蔓延していれば打てなかった手だが、この数日の潜伏でルルーシュはその可能性が限りなく低いと判断していた。

 これはあの日、神根島で青鸞が止めてくれたからこその成果であると言える。

 

 

「『ギアス』、『コード』……そして、『嚮団(きょうだん)』……」

 

 

 コツコツと指先で椅子の肘掛けを叩きながら呟くルルーシュの横顔を、C.C.はベッドの上で自分の腕に顔を埋めながら見つめていた。

 半年前、あのセキガハラ決戦の最中、そしてその後、撤退戦の中でC.C.から聞き出した諸々の知識。

 全てでは無い、話していないことももちろんある。

 

 

 しかし今のルルーシュは、半年前に比べてより周到に、より知性的に、より実践的に策を練っている。

 何故かと言えば、敵……すなわちシャルル・ジ・ブリタニア側の戦力の一端を知ったからだ。

 だから彼は黒の騎士団を使った正面決戦の方針を転換し、それを維持しつつ、こうして「皇子の帰還」と言う奇策を使ったのだから。 

 

 

「さぁ、返して貰うぞ、シャルル・ジ・ブリタニア。ナナリーを、そして青鸞を……!」

「だがどうする、お前は内々で皇位継承権を剥奪された身だろう。御前会議の場では有耶無耶になっていたが、少なくともナナリーや青鸞へ面会の申請をしても通らないだろう」

「ふん、その点は問題ない……と言うより、すでに枢密院周辺への仕込みは済んでいる」

 

 

 そう言って振り向いたルルーシュの左眼は、赤く輝いている。

 オンオフの切り替えが出来なくなったそれは、普段はC.C.がどこぞから用意した特殊なコンタクトレンズで抑えている。

 

 

「俺の力は、むしろそうしたことに長けているのだからな」

「……頼りすぎるのは、どうかと思うが」

「使うだけだ、必要な時に」

 

 

 とは言え、状況は必ずしもルルーシュに有利とは言えない。

 会議の場でみかけた彼女の様子を見れば、そのくらいのことはわかる。

 しかし、上等である。

 ルルーシュは不敵に笑う。

 

 

 敵は強大、味方は寡少、しかしそんなことは生まれた時から当然のことだった。

 その中で生き延び、勝利すること、それはルルーシュにとって己のルーツにも等しい。

 その意味では、彼はやはりブリタニア的だった。

 

 

「C.C.、潜伏させている奴らへ作戦案を伝えておけよ」

「ああ……それは良いが、結局アイツはどうするんだ?」

 

 

 相も変わらず冷めた声音で、C.C.は問うた。

 続けられた言葉に、ルルーシュははっきりと顔を顰めたのだった。

 

 

「あの男――――枢木スザクのことは」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 枢木スザクと言う少年は、関係者の中で最も立ち位置が判然としない少年だった。

 そしてこの少年の最も救い難い所は、それを自覚している所だった。

 それを自覚してなお、今の地位にしがみ付いているように見えるからだった。

 

 

 それでも彼が膝を折らずにやってこれたのは、正当なルールに従うべき、と言う思いが彼を支えていたからだ。

 しかし最近では、それもスザクを支えるに十分な支柱とは言えなかった。

 何故ならば、彼の心は拘束(ギアス)されていたからだ。

 

 

『妹を守れ』

 

 

 そう彼に命じた仮面の男、ユーフェミアがルルーシュだと断じた彼のギアスによって。

 このギアスによって、彼もまた監視される身となった。

 偽りの功績によって得たナイトオブラウンズの地位も、それを誇れる気持ちにはなれなかった。

 何故ならそれは、枷のように彼の身に圧し掛かってくるものだったからだ。

 

 

 ――――自分は、間違っていたのだろうか?

 間違った手段で得た結果は、日本の戦争敗北と占領と言う最終的な結果を突きつけてきた。

 だから、間違った手段で得たものには意味が無いと思った。

 しかしユーフェミアは言った、ならば別の正しい方法を証明しなければならないと。

 その結果が、ギアスの力で創る平穏の世界……とも、思えない。

 

 

(……なら、僕にとっての正しさとは何だろう……?)

 

 

 正義とは、世界とは何なのか。

 ギアスとは、友情とは――――愛とは。

 いったい、何だと言うのだろう。

 正しいとは、何をもって正しいと証明すべきなのだろうか。

 

 

 テロでもなく、軍事力でもなく、ギアスでもなく。

 どのような手段でもって、正しいと叫べば良いのか。

 考えることが苦手なくせに、一度考えると泥沼に嵌まって抜け出せなくなる。

 枢木スザクと言う少年の、これは悪癖だった。

 

 

「――――枢木よ」

「は……」

 

 

 玉座に座る老皇帝が放つ重低音の声を、スザクは膝をついた体勢で聞いた。

 

 

「ユーフェミアがこちらに必ずしも従わぬと言う現状、アレがゼロの仮面の下であったかどうかはわからぬ。しかし九分九厘まではそうであろう、故に枢木よ、主として汝に命じる」

 

 

 シャルル・ジ・ブリタニアの放つ雷のような声は、謁見の間に轟くようだった。

 

 

「彼奴は必ず枢木青鸞に接触し、その記憶を解き放とうとするだろう。そしてもしそれを成し得たのであれば、全ての事象の九分九厘までは決する」

「…………」

「枢木青鸞が記憶を取り戻したのならばアレにももはや用は無い。故に枢木よ、明後日のパーティに出席して彼奴を見張り、しかる後に傍におるだろうC.C.を得、そして――――」

 

 

 ――――アレを、殺せ。

 主君の命令は絶対である、ましてそれが皇帝の命令とあれば逆らいようも無い。

 しかしスザクの胸の内には、興奮も拒絶の感情も無い。

 何故なら彼は悩んでいて、己の道を定めていないからだ。

 信念はギアスにより歪み、寄る辺となる何かを失った彼。

 

 

「……イエス・ユア・マジェスティ」

 

 

 枢木スザクは、未だ己の道を定めていなかった。

 提示されている道は2つ、1つは親しい者達を裏切る道。

 もう1つは、己の主君と過去の信念を裏切る道。

 いずれにせよ、誰かを裏切らなければならない。

 それはまるで、何かの呪い(コード)のようですらあった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 誰に望まれたわけでも無く、その日はあっさりとやってきた。

 ブリタニア皇帝主催で行われるパーティ、しかしその場にはどう言うわけかシャルル自身の姿は無い。

 まぁ、元々シャルルはそう言う皇帝であるので、今さら気にする者もいなかったのだが。

 

 

 しかし、疑念は生まれる。

 このような中途半端な時期にパーティとは、いったい何だろうかと。

 パーティ自体は比較的軽い雰囲気の立食パーティであって、皇族・貴族を含めた政官財のトップが集まるこの状況からすると、経済ミッションでも始まるのかと勘繰りたくもなる。

 だがそう言う趣旨ではなく、重大事を発表するとしか伝えられていない者が大半なのだ。

 

 

(((陛下の申された重大事とは、はて、何であろうか……?)))

 

 

 EUとの戦争が拡大の一途を辿る現在、まさか中華連邦に攻め込むと言うわけでもあるまい。

 植民エリア各地で頻発するテロに関するものか、それとも先年から宰相府や枢密院の意思を離れて独自路線を進むエリア11のユーフェミア代理総督のことか、あるいは行方不明のコーネリアが見つかったのか。

 シャンデリアと赤絨毯に彩られたパーティ会場には、人々の噂する声が絶えなかった。

 

 

「いや、それにしても良かったよ。ナナリーが戻った時にもしかしてと思ったけれど、やはりルル……おっと、私の弟は生きていたんだね」

 

 

 その中で唯一、朗らかな笑顔を浮かべている男がいる。

 ブリタニア帝国第1皇子、オデュッセウス・ウ・ブリタニアである。

 数多くいる皇室の兄弟達の長兄であり、次期皇帝レースで最有力と目される存在であるのだが、本人は奇跡的なまでに善良で温厚な人間だった。

 能力は凡庸だが、人から恨まれることが無いと言う類稀な資質を持つ皇子だ。

 

 

「ええ、まぁ……。それにしても、どうやって……」

「……帰ってこなくても良かったのに」

「2人とも、そんな顔をしないで。ナナリーの時にも言ったけれど、仲良くしないと……」

 

 

 困ったような顔でオデュッセウスが話かけたのは、彼の2人の妹だった。

 帝国第1皇女であるギネヴィアと、第5皇女のカリーヌである。

 ギネヴィアは長身に胸元が大きく開いた紫のドレスの女性、カリーヌは赤い髪を大きな髪飾りで2つに束ねた少女だ。

 

 

 どうやらこの2人は――というより、ほとんどの皇族にとってもそうだが――ルルーシュの帰還は迷惑以外の何者でも無かったらしい。

 次期皇帝への競争相手が戻ってきたと言うこと以上に、毛嫌いしている様子ですらある。

 とは言えこの2人もオデュッセウスには弱いらしく、表立っては彼の言葉に頷いてみせる。

 このあたり、オデュッセウスの資質が良く現れているとも言えた。

 

 

「それにしても、近衛兵達の様子がいつもと違いますわね」

 

 

 ふとギネヴィアが不思議そうに壁際の兵達を見る、皇族守護の近衛兵(ロイヤルガード)達はいつも通りの赤い鎧と斧槍を手に壁際に控えている。

 しかしいつもと違い、顔が見えない。

 視線を遮るように黒いバイザーをつけていて、正直なところ気味が悪かった。

 

 

 しかしギネヴィアと異なり、その理由を知るある少年はパーティ会場の扉の前で笑みを浮かべた。

 最初と異なり、門兵も視線を遮るバイザーを身に着けている。

 それを見て、彼は笑った――――なるほど、ギアス対策か、と。

 だが、こうも思う。

 

 

(……すでに、遅いさ)

 

 

 そして、扉が開く。

 全てを取り戻すための戦いが始まる、そう言う扉が開く。

 幼い頃に逃げ出した、魑魅魍魎の跋扈する場へと。

 

 

「神聖ブリタニア帝国第11皇子、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア様、ご入来!!」

 

 

 彼は、帰ってきたのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――その少年を見た時、やはり少女の胸には言いようの無い苦しみが生まれていた。

 8年ぶりにブリタニア皇室に帰還した皇子、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。

 特に交流があるわけも無いのに、彼の姿を認めた途端、セイランは己の胸がザワめくのを感じていた。

 

 

(ルルーシュ殿下……か)

 

 

 第11皇子にして第17皇位継承者、死んだと思われていた少年。

 その生還を祝して皇帝陛下が主催したパーティ、会場では第1皇子オデュッセウスが皇帝陛下の名代としてルルーシュ皇子の帰還を発表して以降、様々な憶測や噂が飛び交っていた。

 母后マリアンヌの死の直後――テロリストの凶弾に倒れたと聞く――戦争直前の日本へ留学し、さらに直後のブリタニア・日本戦争の混乱の中で命を落とした……はず、だったのだが。

 

 

 その少年が今、ごく自然な形でブリタニアの皇室や貴族の輪の中で歓談している。

 正直、セイランは驚きをもってその様子を見ていた。

 帰還したとは言えほぼ新参者、温厚なオデュッセウスが間に立っているとは言え、輪に入って和気藹々と出来るような世界では無いはずなのだが。

 

 

(どうしてだろう……初めて会った気がしない)

 

 

 そう、初めて会った気がしない。

 ルルーシュ皇子が皇族・貴族の輪の中に入れていることも不思議だが、それ以上に自分の気持ちの方が不思議だった。

 何の交流も無い皇族のはずなのに、どうしてだろう、ずっと前から知っていたような。

 

 

「お、いたいた。セイラーン!」

 

 

 思考の海に沈んでいると、聞き覚えのある声に呼ばれた。

 振り向けば頭に思い描いていた通りの人物が2人、そこにいた。

 ジノ、そしてアーニャである。

 アーニャは手にしていた携帯電話でセイランを撮った、フラッシュに目を瞬かせるセイラン。

 

 

「アーニャ、ここ撮影禁止だよ?」

「……そう」

「わかってくれたなら良いよ、それはそれとして……ヴァインベルグ卿、何ですかそのお皿は」

「うん? ちゃんと取った分は全部食べるぞ?」

「そう言う問題じゃ無いと思うんですけど……」

 

 

 呆れるセイランの目の前には、料理が山盛りになった皿を手と腕を器用に使って6枚も持っているジノがいる。

 とても貴族出身とは思えない姿だが、しかしそんな姿も絵になってしまうあたり、嫌味ではある。

 

 

「ま、一応出てきたけど、俺らの仕事なんてまず無いだろ?」

「それは、まぁ……でもお仕事はちゃんとしないと」

「セイラン、マジメ」

「何故か褒められた気がしない……」

 

 

 その後、一緒にデザートでもと誘われたセイランだが、断った。

 表向きは「仕事しましょう」なわけだが、実際は単に1人で考えたかっただけだ。

 胸の中の、もやもやについて。

 

 

 しかしセイランは不幸の星の下に生まれているのだろうか、あるいは単純に目立つのか、誰かに放っておかれると言うことが無かった。

 と言うのも、ジノやアーニャと入れ替わるようにして、別の人間が彼女に声をかけてきたからだ。

 それも、出来れば出くわしたくない相手に。

 

 

「臭い臭いと思ったら、穢れた血の雌豚がパーティに紛れ込んでいたのか」

 

 

 不意に、セイランは身を固くした。

 身構えたと言っても良い、離れていても耳を舐めるような声が聞こえればそうならざるを得ない。

 その男、ルキアーノ・ブラッドリーが近付いてくれば。

 

 

「ブラッドリー卿」

「おや、豚の鳴き声が聞こえたかなぁ、んん?」

「…………」

 

 

 言外にセイランの言葉など聞こえないと宣言するルキアーノ、同じラウンズの騎士服は着ていても、2人の間には巨大な溝が存在していた。

 それを埋める努力が必要だと言う者もいるだろうが、この2人の場合それは不可能だった。

 そもそも、存在する立ち位置が異なるのだから。

 

 

 そしてセイランは、ルキアーノと言う男が人目を憚るような性格をしていないことを知っている。

 加えて武装持ち込み厳禁のパーティ会場であっても、油断の出来ない性格であることも。

 しかし、彼女がルキアーノとそのまま向き合うような事態にはならなかった。

 

 

「あ……」

 

 

 目の前に黒いマントが翻り、セイランが小さく声を漏らす。

 薄い茶色の髪に覆われた後頭部に目を丸くすれば、セイランをルキアーノの視界から隠したスザクは目を細めて目の前の吸血鬼を見据えた。

 その目には容赦の色は無く、数秒の睨み合いの末、誰かに呼びかけられたらしいルキアーノの側から視線を外してどこかへと消えてしまった。

 

 

「あの、枢木卿」

 

 

 遠ざかるルキアーノの背中に視線を向けていたスザクは、不意の声に僅かに顎先を上げた。

 そんな彼に、セイランは不思議そうに首を傾げて尋ねる。

 それは前々から、気になっていたことだったからだ。

 

 

「どうして、いつも庇って頂けるのでしょう?」

「……また、どうして、か」

「え?」

 

 

 返答があったことにも驚いたが、言葉の意味を図りかねてセイランはさらに首を傾げる。

 また、どうして?

 スザクに対して何かを聞いたのは今回が初めてのはずだが、以前に……。

 

 

 ――――どうして、兄様――――

 

 

 ……どこ、かで。

 どこかで、そんなことを言っただろうか。

 僅かに重みを増した胸の苦しさに、セイランの表情に陰が生まれる。

 それを気配で感じたのか、スザクは彼女に。

 

 

「枢木卿、少々よろしいでしょうか」

「……ああ、今行く」

 

 

 近衛兵に声をかけられ、スザクはセイランに背を向けたまま歩き出した。

 結局、彼は彼女に何も言わなかった。

 かつてと同じように、結局。

 何も言わずにいることが、スザクにとっては……。

 

 

 ……一方で、客観的に見れば(セイラン)番犬(スザク)に追い散らされた形のルキアーノはと言えば、やや不機嫌な顔つきで自分を呼んだ人物の所へと歩み寄っていた。

 そこにいたのはロングスカートの軍服を着た女性である、深いスリットから僅かに覗く太腿が艶かしい。

 年齢は20代半ば、胸元に揺れる十字架のシルバーアクセは何かの嫌がらせだろうか。

 

 

「何か用か、アルト」

「いや、特に用は無いよ、ルキア君」

 

 

 小皿に盛った料理を淑やかかつ大胆に食す彼女は、あっさりとそう言った。

 アルトと言う名前は女性の名前ミドルネーム、名前で呼ばないのは彼女の本名がルキアーノと若干被っているためだ。

 ルキア・A・C・ロレンス、薔薇を家の象徴に持つ高位貴族の長子でもある。

 ルキアーノとは幼馴染の関係であり、上司と部下の関係であり、それ以外の何かだった。

 

 

 顎のラインにかかる程度の髪の色は銀、光の加減で金にも見える不思議な色合いだ。

 瞳は銀灰色がかった水色、やや垂れ目、シャープな顔立ちの中で料理を口にする唇が妙に目を引いた。

 上着の下はハイネックで首までガードしているのだが、柔らかでありながら張りのある双丘が衣服を押し上げていて、かえって異性の視線を惹き付けているのだった。

 

 

「そう睨まないでよ、キミのためでもあるんだよ?」

「どういう意味だぁ?」

「いや、流石に陛下主催のパーティで問題を起こしたら、謹慎とか喰らうかもしれないじゃないか」

 

 

 ごくん、と肉料理をゆっくりと飲み込みながら、アルトは笑みと共に告げた。

 

 

「そうしたらフランス上陸作戦に参加できなくなって、キミの大好きな人殺しが出来なくなっちゃうだろう? それはちょっと、頂けないんじゃない?」

「……あぁ、そうだなぁ。白ロシア戦線はすぐに終わってしまったから、血を啜り足りない。あんな雌豚のせいで戦場を逃すなんて、そんなのは確かに無しだなぁ」

「でしょ?」

 

 

 それはそれは素敵な笑顔ではあったが、言っていることは物騒なことこの上無い。

 その上で、アルトはちらりとルキアーノがちょっかいをかけていた少女、バイザーで顔を隠したラウンズへと視線を向ける。

 別に今さら日系人を差別する気も無いが、気になるのはなるのだった。

 何しろ、功績不明なままラウンズに入った変わり種だ、気にするなと言う方が難しいだろう。

 

 

「おや?」

 

 

 しかしラウンズの少女は、何やら朱色の髪の少女と何か揉めている……のとは違うか、朱色の髪の、赤いドレスの少女の身体を支えていた。

 どうやら病人に出くわしたらしい、間の悪いことだ。

 吸血鬼に魅入られたせいかな、などとくだらないことを考えて、それ以降アルトはセイランのことを視界から外した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 面倒なことに巻き込まれた、とは思わないが、それでもいささか困惑している。

 今のセイランの様子はまさにそれであって、しかし真面目に事態に対処するのが彼女の彼女たる所以であると言えた。

 具体的には、パーティ会場で具合が悪くなったらしい少女を介抱したりだとか。

 

 

「大丈夫ですか? もし無理そうなら、宮廷医を呼びますが……」

「はぃ……」

 

 

 テラスに手をつき口元に手を当てている少女――朱色の髪と赤いドレスが印象的な――の背中を撫でながら、可能な限り穏やかな声音で声をかける。

 よほど具合が悪いのか返答は少ないが、パーティの喧騒から少し離れてテラスに出たのが良かったのか、最初に比べれば少しはマシな顔色になったような気がする。

 

 

 それにしても、社交界でも稀に見る美人だな、と思う。

 朱色の髪は鮮やかで目を引くし、目鼻立ちの整った顔は薄い化粧で彩られ、さらには真紅のドレスの端々から覗く肌は健康的な色気を放っていて眩しい。

 スれてなさそうな潔癖な雰囲気とも相まって、ブリタニアの社交界では本当に珍しい。

 年の頃は16か17のように見えるから、今日が遅めの社交界デビューなのかもしれな……。

 

 

「……本当に、何も覚えてないのね」

「え?」

 

 

 不意に少女が声を上げてセイランは首を傾げた、その目が真ん丸く見開かれている。

 何しろそれまで具合悪そうに背を折っていた少女がしゃんと背筋を伸ばし、キビキビとした動作で振り向いたからだ。

 垂れ目気味だったはずの目がツリ目に見えるのは、流石に気のせいだろうが。

 

 

「カレン」

「え……と?」

「私はカレン、半年前に会ってる、覚えてない?」

「あ、名前ですか、これは…………ええと」

 

 

 苦笑で困惑を誤魔化して、セイランはカレンの言葉を反芻する。

 カレンと言う名前にはいくつか覚えがあるが、目の前の少女には覚えが無かった。

 消去法で考えれば、おそらくエリア経営に名声のあるシュタットフェルト家あたりが当たりだろう。

 まぁ、いずれにせよセイランには関わりが無い。

 何しろ彼女は、ラウンズの中でも社交の場には出ない方だからだ。

 

 

 しかし、向こうに覚えがあるのにこちらに無い、と言うのは失礼極める話だ。

 ただでさえこちらは顔を隠しているのだから、余計に。

 特に相手が貴族となれば失礼ではすまない、セイランは帝国の武の象徴たるラウンズなのだから。

 だからセイランは、素直に謝罪することにした。

 

 

「申し訳ありません、カレンお嬢様。正直な所、私の方には覚えが……」

 

 

 しかし、セイランはそこで言葉を止めた。

 自分を見つめるカレンの強い瞳に、何かを刺激されたような気がした。

 それは僅かな違和感として胸の奥に生まれる、ルルーシュを見た時と似たような感覚に陥る。

 それは、セイランの言葉を止めるには十分すぎる力を持っていた。

 

 

 

「カレン、ご苦労だった」

 

 

 

 その時、その場に第三者が介入した。

 漆黒の衣装を身に纏ったその少年は、今夜のパーティの主役のはずの少年だった。

 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア、その人である。

 

 

「ルルーシュ、後は……」

「わかっている、任せてほしい」

「……わかった。私は中を」

「頼む」

 

 

 セイランから見て、ルルーシュとカレンは奇妙に距離感が近いように見えた。

 ルルーシュがブリタニアに「帰還」してまだ日が浅い、本国よりむしろ植民エリアの経営に関わるシュタットフェルト家の令嬢と顔見知りになるタイミングが、はたしてあっただろうか。

 もしあるにしても、随分と手の早い話ではあるが。

 

 

(……ん?)

 

 

 胸の痛みの質が変わったような気がして、表情を変えずにセイランは不思議を感じた。

 これまでのソワソワしたような感覚では無く、チクリと刺すような痛みだっただろうか。

 どこか切なく、哀しい気持ち。

 ……最近、身体がおかしい。

 病院に行くべきだろうかと、真剣に考え始めるセイランだった。

 

 

「……あ。これは失礼を、ルルーシュ殿下」

 

 

 不意に我に返り、自分をじっと見つめているルルーシュに対して胸に手を当て頭を下げる。

 ラウンズとして、皇族には敬意を払う必要がある。

 しかし顔を上げた際、セイランはまた胸を痛めることになる。

 敬意を払った相手であるルルーシュが、酷く寂しそうな、哀しそうな、悔しそうな顔をしていたからだ。

 

 

 ――――そんな顔をしないで、と、自分の中で誰かが叫んだ気がした。

 

 

 おかしい、絶対に。

 セイランは、表面上平静を装うのに必死だった。

 バイザーをつけていて良かった、と思う。

 2人きりのテラス、星空だけが少年と少女を見つめるその場所で。

 ……セイランは、ふと頬に熱を感じた。

 

 

「あ、あの……殿下?」

 

 

 セイランは自問する、どうして自分はルルーシュ殿下に密着されているのだろうかと。

 ルルーシュの方が背が高いため、頬に手を添えられるとやや見上げる形になる。

 少女と見紛うばかりの美しい顔がすぐ目の前にあって、流石にドギマギしてしまう。

 と言うか、手が早いにも程があるだろう。

 皇子がラウンズに手を出す、大問題なのだが、何故か拒絶できない自分がいた。

 

 

「……青鸞」

「は……?」

「今、解放してやる」

 

 

 言葉の意味はわからない、ただ、吸い込まれそうな紫色の瞳だけがあった。

 そしてその左眼が、いつの間にか真紅に輝いている。

 瞳に浮かぶ紋様は、飛翔する鳥の羽のような。

 

 

 そして少年が、少女の仮面を取り払った。

 皇帝の勅命によってバイザーを外せぬ彼女は、一瞬だけ「あ」と声を上げた。

 だが、それを指摘するより先に……飛んでくる。

 

 

「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる――――」

 

 

 それは、彼女が本来の力を宿していればけして使えぬ方法。

 今のセイランだからこそ、ルルーシュやカレンのことがわからない今の彼女だからこそ。

 青鸞では無い、セイランに対してだけ効果のある力。

 カミへと繋がる、根源を目指す力。

 

 

「思い出せ」

 

 

 そは、王の力。

 

 

「全てを!!」

 

 

 赤き鳥が舞う、少女の瞳に宿るために。

 かつて、同じような体勢で同じようなことがあった。

 その時、ルルーシュの力は彼女に及ばなかった。

 しかし、今度は違う。

 

 

 セイランの唇が僅かに震える、ルルーシュの手によって上向かされた顔が揺れる。

 瞳が、大きく見開かれ……真紅に輝く。

 王の力による命令が、彼女の深遠を揺さぶった。

 身体が、記憶が、意識が、心が、魂が――――何もかもが。

 

 

「あ、あ……あ?」

 

 

 何もかもが、変わる。

 変化する、変化する、変化する、否……戻る。

 現在の自分のものとは異なる記憶の奔流が、雪崩れ込んでくる。

 浮かぶ言葉は、今の自分を否定するものばかりだった。

 全てが反転し、鍵が合わさるように何かが嵌まる音がする。

 

 

「あ、あ、あ……あああああああああああああああああああああ」

 

 

 エリア11、日本、ナンバーズ、日本人、ブリタニア皇帝、キョウト、ブリタニア軍、日本解放戦線、皇女、黒の騎士団、スザク、兄、ラウンズ、父、友達、仲間、敵、セキガハラ、神根島、敗北、勝利――――カミ。

 

 

「わ、わた、わたし、わたし……は、ぼく、ボクは、ボクは――――」

 

 

 誰だ?

 

 

「――――ボクは」

 

 

 その日。

 

 ボクは。

 

 全てを。

 

 

枢木(くるるぎ)……青鸞(セイラン)!!」

 

 

 取り戻した。

 




キャラクター採用:
リードさま(小説家になろう)提案:ルキア・A・C・ロレンス。
ATSWさま(小説家になろう)提案:ノエル・ムーンウォーカー。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 おかげさまで第2話、原作にならいここで記憶を取り戻します。
 でもこれ、どう収拾をつけたら良いのか。
 最後の着地点が未だに見えない中、原作では語られていない部分に触れてのエンディングを目指したいと思います。


『……思い出した。

 何もかもを思い出した、失われた全てを。

 奪っていたのは誰?

 ブリタニア皇帝、ボクが「主君」と崇めたあの男。

 あの男が、ボクを人形にしていた。

 でもあの男は、ボクに与えもしたんだ……』


 ――――TURN3:「二重 の 記憶」


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TURN3:「二重 の 記憶」

 赤い夕焼けの世界、祭壇の上。

 白髪以外に老いの見えないその男は、厚い胸板を傲然と逸らしてそこに立っていた。

 濃紺の衣装とマントを赤く染めながらは、ブリタニア皇帝シャルルは静かに佇んでいる。

 

 

「――――陛下」

 

 

 そんなシャルルに、声をかける存在がいた。

 シャルル程では無いが年齢を重ねた壮年の男性で、シャルルよりもなお引き締まった身体つきをした男。

 彫りの深い顔に長いウェーブがかった黒髪、ラウンズの騎士服の服に白いマント。

 

 

「ビスマルクか」

「は……」

 

 

 片膝をついて跪くその男に、シャルルはちらりと視線を向ける。

 それから、ふと口元を緩めて。

 

 

「今、マリアンヌと話しておった。アレらのことについて」

 

 

 ビスマルクと呼ばれた男は、膝をついたまま沈黙を保った、主君が返答を求めていないことに気付いていたからだ。

 それに対してシャルルも何かを続けることは無かった、別にビスマルクに何かを言うつもりもなかったためである。

 すでに幾十年の付き合いの2人にとって、今さら形だけの会話など不要だった。

 

 

 必要なものは、誓約と忠誠。

 2人の間には、すでにそれがあった。

 あくまで同志ではなく、主従として。

 

 

「……それで、何用か」

「は、畏れながら陛下、陛下に直接の謁見を求める者がおります」

「ほう」

 

 

 唇を歪めて、シャルルは初めて振り向いた。

 その瞳にはどこか苛烈な覇気がある、それが彼の彼たる所以だと言うかのように。

 そんな彼に対して、ビスマルクは深く頭を垂れるのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞は今、酷く不安定な状態にあると言えた。

 理由は彼女自身、より言えば彼女の頭と心の中にあった。

 記憶と言う、普通ならばたった一つしか無いもの。

 

 

 だが、青鸞の中には2つの記憶が混在している状態だった。

 

 

 一つは、ナイトオブラウンズ「セイラン・ブルーバード」としての記憶。

 偽物の記憶だ、家族も経歴も地位も、何もかもが作られたもの。

 しかし、それは確かな名残として青鸞の中で息づいている。

 そしてもう一つ、日本最後の首相の娘「枢木青鸞」として記憶。

 彼女が取り戻した、本当の記憶だ。

 

 

(……正直、気持ち悪い)

 

 

 長期間に渡り失っていた記憶を取り戻した記憶障害の患者、今の青鸞はまさにその状態だった。

 違うのは、刷り込まれていた記憶が嫌に精巧な造りをしていて、本物と区別がつかないことだ。

 今だってそうだ、偽物の記憶の中では何度も訪れたこの謁見の間、自分の身体を覆う帝国の剣(ナイトオブラウンズ)の騎士服、跪いて「主君」を待つこの姿勢……何もかも、虫唾が走るのに。

 一方で、しっくりくるとも感じるのだった。

 

 

 記憶は取り戻した、だからもう自分は「セイラン・ブルーバード」では無い。

 だが、名残として残るその記憶を無碍にも出来ない。

 アイデンティティの動揺、そう言う意味で今の青鸞は不安定な状態だった。

 どうすれば良いのか、青鸞自身にも未だ答えは出ていない。

 しかし、今は。

 

 

(……この状況を、何とかしないと)

 

 

 ルルーシュやナナリー、そしてエリア11に残してきた人達のためにも。

 今は、この状況を。

 その時、式部官の声が高らかに響いた。

 次いで儀礼音楽と共に靴音が響き、跪いて待つ前でその音が止まる。

 

 

「……ナイトオブイレヴン、我が従僕よ」

 

 

 ぎゅっ、とバイザーを持つ少女の手に力がこもる。

 役職名を呼ばれた青鸞は顔を上げて、「主君」を見た。

 そして豪奢な玉座に座る皇帝シャルルの姿を認め、その瞳が不穏な色に染まりかける。

 それを途中で戒めたのは、皇帝の横に1人の男が立っていたからだ。

 ラウンズの騎士服に白いマント、それはナイトオブラウンズ筆頭の証。

 

 

(ビスマルク・ヴァルトシュタイン……!)

 

 

 ラウンズは席次の順はあっても同格の騎士だ、しかし1人だけ例外がいる。

 それが帝国最強の騎士、ナイトオブワン、ビスマルクである。

 皇帝シャルルの股肱の臣であり、かつてシャルル自身に対して行われたクーデター「血の紋章」事件でもシャルルを裏切らず、守り抜いた歴戦の騎士である男。

 

 

 ビスマルクは左眼を閉じている、隻眼なのだが、その眼に睨まれると身が竦む思いがした。

 圧倒的な強者のみが醸し出すことの出来る、そんな風格を全身から放っている。

 いや、これは威圧されていると考えて良い。

 彼が傍にいる限り、皇帝シャルルには手が出せない。

 

 

「ナイトオブイレヴン、貴重な皇帝の時間を割かせて何用か」

「……は」

 

 

 記憶との付き合いをつけられない、そのような状況ではあるが。

 そんなことを考えていられる時間は無い、だから。

 

 

「畏れながら申し上げます、皇帝陛下」

 

 

 だから今は、少女は仮面を被ることにした。

 

 

「――――どうか私を、来るEUとの決戦の戦列にお加えください」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 謁見の間の外に出た時、青鸞は深く息を吐いた。

 緊張と不安、あるいは別の何かか、とにかく疲労を感じてそうしたのだ。

 両端が見えない程に広い廊下は、等間隔にブリタニアの名匠が手がけた絵画や美術品が並んでいる。

 ただの廊下に敷くにしては柔らかすぎる赤いカーペットの感触を足の裏に感じながら、青鸞は一歩を踏み出そうとして。

 

 

「おーい、セイラン!」

 

 

 声をかけられて、慌てて手にしていたバイザーを顔につける。

 危ない所だった、そう思いながら振り向く。

 するとそこにいたのは、青鸞が思い描いていた通りの人物だった。

 

 

「……ヴァインベルグ卿、アールストレイム卿」

「何だよ、そんな呼び方して……いや、それよりお前、急にどうしたんだよ!」

 

 

 ジノとアーニャ、ラウンズの同僚である。

 ちなみにこの2人を除けば、ラウンズの過半数近くはすでに本国を立っていた。

 青鸞とビスマルク、そしてスザクを除くノネット、モニカ、ドロテアはそれぞれシベリア、サハラ、南アフリカに出撃し、ルキアーノも今朝早くに欧州に向けて出発しているはずだ。

 

 

 ――――大征服戦争――――

 

 

 ブリタニアは今、国内でそう呼ばれる程の戦争を各地で引き起こしている。

 ロシアから中華連邦・モンゴル自治区にかけての戦争、サハラ中央部から地中海にかけての戦争、南アフリカからインド洋にかけての戦争、そして三極の一つ欧州・EUとの戦争……大きな戦争だけでも、数え上げればキリが無い程だ。

 いや、この国が戦争をしていない時間などそもそも無い、と言うべきか。

 

 

「いきなり陛下に奏上って、何かと思って調べてみたら……EUとの戦いに参加したいだって?」

「あ、えーと……うん」

 

 

 肩に手を置かれて迫られて――日本人の感覚で、の話だ――青鸞は、曖昧に頷いた。

 あからさまに引くような姿勢は見せていないが、それでも過去との違いに気付かれていないだろうか。

 しかしどうやらジノは気にした様子も無く、心配そうな表情で。

 

 

「どうしたんだよ、本当。お前、確か前にEUとの戦争には興味無いって言ってたじゃんか……なぁ?」

「……うん、そう言う記録がある」

 

 

 携帯電話を弄りながら、尋ねられたアーニャは静かに答える。

 そんなアーニャの返答に自信を持ったのか、ジノは笑顔を浮かべて青鸞を見た。

 コロコロと表情の変わる青年だ、いや良く知っているが、初めて知ることでもある。

 実に、混乱する状態だった。

 

 

 実際、「偽物」の記憶の方ではそんな話をしたこともある。

 EUとの戦争も含めて、外国との戦争にはあまり興味が無いと。

 むしろ自分は本国で主義者などの対テロ戦に集中したい、そう志望していた。

 させられていた、と言う方が正しいか。

 

 

「んー、でもアレだな、セイランが行くなら俺も行くかなぁ。陛下に直談判すれば、行けるかな?」

「たぶん、無理」

「あー、そうかぁ……あれ、でもそれだとセイランの方も無理じゃないのか?」

「かもしれない」

 

 

 自分の心配をしていたはずなのに、いつの間にか別のことを考えているジノ。

 そしてそのジノに静かに相槌を打っているアーニャ、共に半年間を過ごした同僚。

 特にアーニャとは、少なからぬ時間を過ごしてきた。

 青鸞としては、非常に複雑な心境ではあった。

 

 

「ああ、いやいや俺の話じゃなくて。本当にどうしたんだお前、いきなり従軍、それも欧州希望。何かあったのか?」

「うーん……特には何も。ただ、ボクもたまには何か、と思って、さ」

 

 

 心にも無いことを言って、青鸞は複雑に笑う。

 頭を掻くジノ、そしてじっと見つめてくるアーニャの視線を感じながらも、青鸞は仮面を被り続けた。

 他には、どうすることも出来ない。

 

 

 そして彼女は、今日の行動の理由を考えた。

 いや、思い出していた。

 記憶の混乱から完全には脱していない彼女が、それでも事態の打開に向けて行動を起こした理由。

 思い出すのは、青鸞が自身の記憶を取り戻したあの夜――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 記憶を取り戻した直後、感じたのは哀しみでも屈辱でもなく、怒りにも似た感情だった。

 同時に感じた嬉しさは、甘さとして捨てた。

 怒りに似た、失望とも重なる、非難めいた感情で彼女は囁くように叫んだ。

 

 

「ばか……!」

 

 

 大声で叫ばなかったのは、相手の顔が近くにあることと、パーティ会場側を気にしてのことだ。

 カレンやルルーシュがギアスで操っている近衛兵が厚いカーテンの向こうを張っているとは言え、ブリタニアのお歴々がいるのである。

 大声など、出せるはずも無かった。

 

 

「どうして、こんな、危ないこと……!」

「……他に方法が無かった」

「どうして!」

「他に、お前を取り戻す方法を考え付けなかった。俺がブリタニアに戻る以外に、何も」

 

 

 救いに来てくれた、檻の中に囚われた自分を救いに来てくれた。

 感情としては、嬉しい。

 嬉しくないわけは無い、頬に手を添えられたままの体勢で表情をくしゃりと歪めたのが、その証拠だ。

 

 

 頭が痛い、膨大な記憶が一気に押し寄せて混乱している。

 自分を取り戻した、その証拠たる記憶は今、青鸞の頭の中にある。

 名前も経歴も、誇りも、何もかも。

 そしてこの半年の屈辱と罪悪も、何もかも。

 しかし、自分は何と言うことをと後悔するよりも先に。

 

 

「ルルーシュくんに何かあったら、どうするの……!?」

 

 

 ルルーシュに対して、感情を動かす必要があった。

 元皇子のルルーシュがブリタニアに戻る、それがどれだけ危険なのことなのかなど、いちいち青鸞が説明するまでも無いことだろう。

 救いに来てくれたのは嬉しいけれど、どうして来たと言わなければならなかった。

 

 

「……良いんだ」

 

 

 やはり囁くような声で、ルルーシュはもう片方の腕を青鸞のマントの中に滑り込ませ、騎士服の上から彼女の腰を抱いた。

 青鸞が息を詰める、涙を湛えた瞳が儚く揺れた。

 半年前に比べて伸びた黒髪が、さらりとルルーシュの手の甲を滑る。

 

 

 額を擦り付けるようにして、目を閉じながら囁く。

 子猫が親猫にするような触れ合いに、青鸞も瞳を閉じた。

 どちらのものとも知れぬ涙が一筋、少女の頬を流れ落ちる。

 ――――左胸が、心臓が、掴まれたかのように苦しくなった。

 まるで、刻まれていた何かが疼くように。

 

 

「青鸞をあの男から取り戻せるなら、俺はそれで良い」

「ルルーシュ、くん……」

「それで良い、それに約束しただろう。俺はお前が、そしてお前は俺が守ると」

 

 

 相互扶助、相互守護、相互救済――――契約、誓約。

 

 

「俺は、嘘を吐かない――――吐きたくない、お前には」

「……ばかだよ。頭良いくせに、本当に、ばか……」

「そうかもしれない、だが……それなら俺は、馬鹿で良い……」

 

 

 本当に、馬鹿だ。

 腕の中にある熱く小さな少女の儚さに、少年は声を震わせざるを得なかった。

 額や腰に触れる少年の温もりに、少女は肩を震わせざるを得なかった。

 そうしてようやく、本当の意味で黒い少年と青い少女は再会を果たしたのだった。

 

 

 ――――そして、もう一つ。

 

 

 少年が認識し、少女が忘却している事実が一つ。

 いや、(コード)が一つ、束の間の惰眠から解き放たれようとしていた。

 幾百年ぶりに発現したそれは、眠気を払うように、それでいて微睡(まどろ)むように。

 ――――少女の胸に、確かに宿っていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「前々から思ってはいたが、お前は本当に人をたらす才能があるな」

「人聞きの悪いことを言うな。……そう言うのじゃない、青鸞は」

 

 

 部屋のソファの一つ丸々占拠しながらのC.C.の言葉に、ルルーシュは眉を顰めて反論した。

 ルルーシュが仮住まいとして与えられている離宮は広く、また住み込みの者達は全てギアスで「全力でC.C.を無視する」よう言いつけているため、C.C.の存在が外に漏れることは無い。

 まぁ、そのせいでC.C.の世話を誰もしてくれないと言うデメリットがあるのだが……それは、ルルーシュにとっては大した問題では無かった。

 

 

 とにかく、C.C.がルルーシュのことを「たらし」と呼ぶのは、もちろん青鸞のことを念頭に置いている。

 C.C.の目から見ても、ルルーシュはナナリーに次ぐような位置に青鸞を置いていた。

 実際、先日のパーティでの青鸞との接触はギアスとカレンの協力が無ければ成立しなかったろう。

 

 

(……実際の所、この男にとっての優先順位はどこにあるのかな)

 

 

 C.C.はすでに、一部を除いて大体の事情をルルーシュに話してしまっている。

 特に『コード』についての知識に関しては、ルルーシュはもうかなりの部分まで理解しているだろう。

 だからこそ、C.C.は思う……あのまま、記憶を取り戻さずにおいた方が良かったのでは無いかと。

 力を封じられたまま、覚醒することなくいた方があの娘のためだったのでは無いかと。

 ……あの、根源によって刻まれる(コード)を。

 

 

(まぁ、あの娘も自分の印について気付いていない様子ではあるが。どうするかな、教えてやる義理は無いと言えば無いが……さて)

 

 

 父への復讐、友への信義、妹への愛、幼馴染の少女への潔癖な独占欲。

 様々な要素が今のルルーシュを形作っていて、そしてそのためなら彼は自分の命を危険に晒すことには躊躇しないのだ。

 ――――夢想、する。

 

 

(もし、あの時……)

 

 

 あの時代、あの場所に……自分の傍に、こんな男がいたのならば。

 はたして自分はその後、どう生きていたのだろう。

 数百年を生きた呪われた魔女は、つまるところ、そんな夢想をしてしまうのだった。

 ルルーシュと、青鸞を見ながら、そんなことを。

 

 

「――――は言っても、ブリタニア本国には俺の自由に出来る戦力はほとんど無い。別に軍事力に限った話では無いぞ、内乱を起こしたとしても今はまだ勝てない、口惜しいがな」

「……ルルーシュ皇子には、人望が無いからな」

「否定はしないさ、ぽっと出の皇子様についてくるほどブリタニアの人間は甘くない。せいぜい、怪しまれない範囲で何人かの貴族をギアスで『ルルーシュ皇子の味方』にするのが関の山だったからな」

 

 

 何とか会話についてきていたかのように返答をするのがやっとだった、が、ルルーシュはそんなC.C.の様子を気にした様子は無い。

 内心で僅かに息を吐いて、C.C.はさらに言った。

 

 

「とは言え、まさか登場と退場が同時だとは敵も思わないだろうな。流石に忙しないというか何と言うか……」

「褒められたと受け取っておくよ。青鸞の協力で、条件はほぼクリアされるはずだ。後はナナリーを救い出し、安全な場所へ連れて行く。そしてナナリーさえいなくなれば、遠慮なくブリタニアを崩壊させることが出来る……」

 

 

 またこれだ、C.C.は呆れを通り越して感心すら覚えた。

 他はともかく、ルルーシュはナナリーのことに関しては一切のブレが無い。

 ブレが無さ過ぎて、正直引く。

 

 

「だが、今さら欧州戦線への参加を申し出てもどうにもならないんじゃないのか。あの娘が未だラウンズとしての権力を持っていても、編成済みの部隊に捻じ込むのは無理があるだろう」

「問題は無い、言ったろう、条件はすでにクリアされつつあると。確かに欧州方面への派兵部隊は編成済みだ、だが……」

 

 

 不意にルルーシュが言葉を止める、理由は部屋の扉がノックされたからだ。

 C.C.も声を落として様子を見る、するとやってきたのは離宮でルルーシュの世話をしているメイドだった。

 先に言ったようにC.C.の存在はギアスで無視される、だから特に隠れるようなことはしなかった。

 

 

「失礼致します、殿下。お客様でございます」

「ほう、誰だ?」

 

 

 次の瞬間、メイドの告げた名前にルルーシュは思い切り眉を顰め、しかる後に笑みを浮かべた。

 来客の名は、帝国宰相にして第2皇子シュナイゼル・エル・ブリタニア。

 半年前、彼とセキガハラで決戦を演じた男だからである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 一台のリムジンが、皇宮ペンドラゴンから高級住宅地エリアへと進んでいた。

 黒塗りの防弾コーティング、見るからにVIP仕様のそれには2人の少女が乗り込んでいる。

 黒髪の少女と、桃色の髪の少女。

 青鸞とアーニャ、ナイトオブラウンズの少女達を乗せたリムジン。

 

 

 しかし以前であれば柔らかな空気が流れていたはずの車内には、やや緊張感を孕んだ空気が流れていた。

 アーニャの様子は変わらない、いつもと同じように携帯電話でブログの更新を行っている。

 変わったのは、青鸞の方だった。

 

 

(お、送ってくれるって言うから、断るのも変かと思って甘えちゃったけど……)

 

 

 話題が、無い。

 いや、本当はあるはずなのだ、前に2人で変装して行ったブティックについてだとか、最近のアーニャのブログについてだとか、以前であればいくらでも話題はあった。

 だが記憶を取り戻した青鸞は、アーニャとの距離感が掴めずにいた。

 

 

(アーニャ・アールストレイム、ナイトオブシックス……)

 

 

 ちらりと横を見れば、無表情に携帯電話を操作しているアーニャの姿がある。

 友情、のようなものは感じている、正直な所。

 しかしあくまでそれは「セイラン」のもので、青鸞とは違う。

 だが今さら、この半年の関係や記憶を無かったことにも出来ない。

 

 

 いけない、と思う。

 これまでとまったく違う自分にアーニャが違和感を感じてしまうかもしれない、それは避けなくては。

 だから青鸞は話題を探した、何か無いかと必死に。

 そして、ふと思い出した。

 それはアーニャの現在の任務で、しかも今の自分が無視してはいけない話題……。

 

 

「あ、あのさ、アーニャ。ナナリー……殿下の護衛任務って、最近、どうなってるの?」

「…………」

 

 

 不意にかけられた声に、アーニャは静かに視線を横へと動かした。

 その視線はとても静かで、何の感情も読み取れない。

 そして、やはり静かに携帯電話を閉じた。

 

 

「今日のセイラン……変」

「え」

 

 

 青鸞は固まった、表情を固くした青鸞をじっと見つめるアーニャ。

 

 

(し、しまった、ナナリーちゃんのことが聞ければと思ったけど、墓穴を掘った……!)

 

 

 思えば、セイランとアーニャはお互いの仕事内容に深く触れたことが無かった。

 それに今日の突然のEU戦参戦の要請、変に思われても仕方が無い。

 内心でダラダラと汗を流す青鸞、そんな彼女にアーニャは首を傾げた。

 

 

「いつもと違う」

「そ、そんなことないよ、普通だよ」

「普通って、何?」

「ふ、普通は、普通……かな」

 

 

 再び携帯電話を開くアーニャ、何やらカチカチと操作した後、すぐに閉じて。

 

 

「記録と答えが違う、やっぱり変」

「き、記録って何……?」

「記録は記録、不確かな記憶を埋めるピース」

 

 

 後部座席の背もたれに手をついて、アーニャが顔を近づけてきた。

 鼻先が触れ合う程の距離にまで近付けば、思わず唇を閉じて息を止めてしまった。

 その唇と触れ合う直前の位置で、アーニャが言葉を紡ぐ。

 

 

「記憶なんて曖昧なもの、でも記録は変わらない」

「き、記憶だって、大事なものだと思うけど……」

「記録の方が大事」

 

 

 背もたれについていたアーニャの手が、背もたれから青鸞の手、二の腕、肩、胸元へと白魚のような指先が滑っていく。

 騎士服越しに感じる僅かな指先の感触に、青鸞はくすぐったさを覚えた。

 顔の位置は変わらない、だから動けない。

 

 

 そうこうする内、アーニャの手が青鸞の頬にまで上がってきた。

 奇しくもそこは、パーティの夜にルルーシュが触れていた場所だった。

 だからだろうか、胸が少しだけ大きく鼓動したのは。

 アーニャとルルーシュが、重なって見えたのは。

 

 

「だって、私の記録と記憶は食い違うから。私の記憶には無い記録が、いくつもあるから」

「記憶に、無い……?」

「そう、だから記憶なんて曖昧で、頼りにならない」

 

 

 コツ、と、アーニャの人差し指と中指が青鸞の額を小突く。

 まるで、そこにある何かに触れようとするかのように。

 しかし、青鸞はそれとは別の部分を気にした。

 

 

 記憶に無い、と言うその言葉に。

 記憶、青鸞が最も過敏に反応しなければならない部分。

 それをアーニャが口にした、普通ならばあり得ない記憶障害を訴えた。

 だから、青鸞はまさかと思った。

 

 

「……もしかして」

 

 

 青鸞の唇のすぐ傍で、アーニャの小さな唇が動く。

 喉を鳴らして唾を飲み込む青鸞、アーニャは無感動な瞳で同僚の顔を覗き込みながら。

 

 

「……あの日?」

「え」

 

 

 先のものとは別の意味で固まる青鸞、アーニャの言葉の意味が脳内を駆け巡る。

 かっ、と、身体が熱を持つのを感じた。

 言った当人はそれで気が済んだのか知らないが、さっさと青鸞から離れて携帯電話を手に取っていた。

 何やら凄い勢いでブログの更新を行っている、何故か止めないといけない気がした。

 

 

「ついた」

「へ?」

 

 

 さらに言えば、いつの間にか目的地、つまり「ブルーバード家」の屋敷の前だった。

 何だか肩透かしを食らった心地だが、目的地についても降りないのも変である。

 もごもごとお礼を言って、青鸞はリムジンから降りた。

 開いた窓越しに手を振るアーニャに微妙な表情を向けつつ、青鸞はリムジンを見送った。

 その胸に、僅かに芽生えた疑念を抱えて。

 

 

 ……姿の見えなくなったリムジンをいつまでも見ていても仕方が無い、青鸞は息を吐いた。

 そして振り向く、そこには十分に上流階級と言うべき屋敷がある。

 青鸞はそれを少しの間見つめた後、ゆっくりとした足取りで玄関まで進んだ。

 アーニャのことやナナリーのことは、もちろん気にかけるべきことだ。

 だが、青鸞にはもう一つ、気にすべきことがあった。

 

 

「姉さん、お帰りなさい!」

「あ、うん……」

 

 

 扉を開くと、中から1人の小柄な少年が青鸞を出迎えてくれた。

 偽物の記憶、存在しないはずの家族。

 そう、つまり。

 

 

「……ただいま、ロロ」

 

 

 偽物の、弟。

 そして、神根島で自分を撃った少年。

 心の底で蠢く穏やかな感情に、青鸞はどうすれば良いのかわからなくなってしまった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 今のブリタニア皇帝、シャルルは、徹底的な実力主義者であることで知られる。

 力による強引な侵略で国を大きく育てた皇帝に相応しい主義だが、彼の凄い所はそれを自らの後継者決めにまで適用している所だ。

 争え、奪え、勝ち取れ、がブリタニアの国是。

 

 

 ブリタニアの次代の皇帝、すなわち皇太子は未だ指名されていない。

 本来なら第1皇子オデュッセウスがその座にあるべきなのだが、シャルルは生まれの順序で皇太子を決めなかった。

 法律的な皇位継承順位はあっても、現実的な継承者はいない、それが今のブリタニア。

 数十数百いる皇位継承者の内、勝ち残った者を次代の皇帝とすると言うのが、現在の方針だった。

 

 

「懐かしいね、昔はこうして良くチェスをしたものだ」

「そうですね、兄上」

 

 

 そしてこのシュナイゼルこそ、皇子時代のルルーシュにとって、最大の障害だった。

 継承順位も成績も、チェスですらも、ルルーシュはシュナイゼルに勝てた試しが無い。

 こと頭脳労働においては、かのコーネリアですら一目を置いていたルルーシュ。

 そのルルーシュをして「勝てない」と思わしめた男。

 帝国宰相にして第2皇子、長兄を差し置いて次代の皇帝に最も近いと目される存在。

 

 

(さて、どうやら特に俺のことを探りに来たと言う風でも無いが……)

 

 

 表面上はにこやかに「兄弟の再会を祝してチェス」としゃれ込んでいるルルーシュだが、内心はかなりドス黒いことを考えていた。

 隙あらばギアスをかけていろいろしようとも思うのだが、どう言うわけかシュナイゼルはルルーシュと目を合わさない。

 じっとチェス盤を見下ろして、柔らかな椅子に身を沈めながら話をしているのだ。

 

 

(まさか、知っているのか……俺のギアスを?)

 

 

 それこそまさかであるが、可能性として考慮はしておくべきだろうか。

 最悪の可能性として想定はしておくべき、しかし解せない点もある。

 ルルーシュのギアスのことを知っているのならば、何故ルルーシュに会いに来たのか。

 しかも連れてきた部下やメイドを下がらせて、2人きりと言う状況まで作って。

 

 

「しかし驚きました、まさか兄上の方から私を尋ねてきてくださるとは」

「うん? はは、まぁね。8年間死んだと思っていた弟が帰ってきたんだ、興味を引かれても仕方ないとは思わないかい? この8年間、何をしていたのか、とか」

「それはまぁ、私にもいろいろとありましてね。一言では言い表せませんよ。兄上も、この8年のことを一言で説明しろと言われれば、難しいのではないですか?」

「ふむ、それはそうかもしれないね」

 

 

 狐と狸の化かし合い、などと可愛い表現が通るのかどうか。

 

 

「戻ってきてからは、随分と精力的に各所を回っているそうだね。軍やナイトメア部隊、空港や企業の人間とも、実に多忙なことだ」

「戻ってきた皇子が珍しいのでしょう、慣れないことばかりで、恥ずかしい限りです」

「キミはとても優秀だよ、ルルーシュ。恥ずかしいことなんてないさ」

「兄上には及びませんよ、とてもね」

 

 

 互いが一言を話す間に、チェスの局面が二回は変わる。

 穏やかな会話の割にチェスは激しい、ルルーシュが攻めてシュナイゼルが守る。

 有利なのは、守るシュナイゼルだった。

 

 

「……キミは知っているかな、ルルーシュ。私はね、昨年にエリア11である男と戦った」

「聞いています、セキガハラ決戦ですね?」

「ああ、まぁ、結局よくわからない終わり方をしたんだけどね……」

 

 

 にこやかに応じながら、内心で腸が煮えたぎる思いのルルーシュ。

 何しろセキガハラでシュナイゼルと戦ったのは、ルルーシュ=ゼロなのだから。

 そしてあの戦いでルルーシュは事実上の敗北を喫し、多くのものを失ってしまった。

 だから、ルルーシュが憤怒の感情を覚えるのは極めて自然だ。

 しかし一方でシュナイゼルにしてみると、少し異なる見解を持っているようだった。

 

 

「……あの戦いで、私は奇妙な体験をした、したと思う。どうしてキミにそんな話をしようと思ったのかは私にもわからないけれど、ルルーシュ」

「…………」

「何となく、キミならわかってくれるんじゃないか――――なんて、思ってしまうのだけどね」

 

 

 カッ……ルークを動かして、シュナイゼルが逆攻勢をかけてきた。

 一手で盤上の戦局が変わる、それはあたかもあのセキガハラの戦場のように。

 

 

「どう言うわけかな、セキガハラ決戦の後から本国行きの専用機の中で気が付くまで、私は私が何をしていたのか、良く覚えていないんだ。そしてエリア11は今、ユフィが治めている。これは、どう言うことなのかな……」

 

 

 独白のように呟くシュナイゼル、ルルーシュはそんな彼を目を細めて見つめた。

 

 

(……そうか、貴方は……)

 

 

 そして、気付いた。

 シュナイゼルは己の身に起きた異常を理解している、そしてその類稀な直感力によって同じような異常であるルルーシュの帰還が無関係では無いと勘付いている。

 もしかしたなら、ゼロとの会話の中でルルーシュの気配を感じていたのかもしれない。

 

 

 だが、そこまでだ。

 

 

 そこから先には踏み込めていない、つまりギアスのことは知らない。

 いや、もしかしたなら知っているのかもしれない、しかし個々のことは知らない。

 つまりシュナイゼルがここに来たのは、牽制と調査、そんな所だろう。

 シュナイゼルに罪は無い、むしろ褒めるべきだ、しかし届かない。

 

 

「おや……」

 

 

 初めてシュナイゼルが感嘆したように吐息を漏らす、どこか面白そうですらある。

 それに対するルルーシュの手には、黒のキングが握られていた。

 普通、キングがそうそう動かす駒では無い。

 

 

「王から動かなければ、部下はついて来ませんから」

 

 

 そう言って、ルルーシュは鋭い音を立ててキングをチェス盤に叩きつけた。

 

 

(……ユフィ……)

 

 

 脳裏に、両眼にギアスを宿した優しい皇女を思い浮かべながら。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 カレン・シュタットフェルト、いや、紅月カレンはすでにゼロの秘密を知っていた。

 何故ならば、それがゼロ、すなわちルルーシュにとって必要だったからだ。

 ナナリー、そして青鸞を救い出すためには、ブリタニア本土に行かなければならない。

 

 

 だが黒の騎士団のトップであるゼロには無理だ、可能性があるとすれば「ルルーシュ皇子」だけ。

 だが仮に皇子として帰還しても、信頼のおける味方がいなければ、例えギアスをもってしても目的は達成できない可能性が高い。

 そしてルルーシュが知る限り、同行できる程の実力と身分を持つ者は1人しかいなかった。

 すなわち、彼女である。

 

 

「……良し、これでOKっと」

 

 

 ゼロが、生徒会の仲間であるルルーシュであると知った彼女は、どうしたか?

 まず、ルルーシュを殴った。

 それはもう、完膚なきまでに殴り倒したと言う。

 酷いことのように聞こえるが、彼女には他に感情を発散する方法が無かったのである。

 

 

 他に、どんな方法があったのだろうか。

 ルルーシュをゼロとしてブリタニアに引き渡す、あり得ない。

 では他の騎士団のメンバーに告げて彼を告発するのか、それも出来ない。

 ならばもう、鬱憤を晴らすためにぶん殴るしか無かった。

 ……まぁ、ルルーシュが一発目で気絶したのは予想外だったが。

 

 

「それにしても、事前のルート設定なんてどうやって見つけたんだか……ま、いつものことか」

 

 

 そう呟く彼女自身、シュタットフェルト家の本国タウンハウスに滞在する身だ。

 母親はともかく、父親は彼女に娘としての愛着を少しはもっている、頼めばこれくらいは可能だ。

 元々、カレンの父親――父親と思いたく無いが――は彼女がブリタニア人として生きることを望んでいて、エリア11から出て欲しいと思っていたのだから。

 

 

 しかし、それも今日までである。

 何しろ今回の「作戦」が成功すれば、今度こそカレンはシュタットフェルトの名を捨てる。

 テロリストとして指名手配もされるかもしれない、そうなればシュタットフェルトもおしまいだ。

 実母はすでに薬物法違反で逮捕入院中の身、もはやあの家に未練などあろうはずも無い。

 ならばこれは、彼女なりの復讐なのだ――――母を妾にし、その後放置した父親への。

 

 

「お母さんと、妹のために……ね」

 

 

 ルルーシュがブリタニアと戦う理由は、わかった。

 だからカレンはゼロを告発しない、彼の戦う意思は本物だと思った。

 母の復讐、妹の守護、どちらも良くわかる。

 ブリタニア人に弄ばれた実母とブリタニア軍に殺された兄を持つカレンには、良くわかる。

 だから、彼女自身の見極めが終わるまでは従う。

 

 

「……失望したら、輻射波動で溶かし殺すからね」

 

 

 データ通信用の端末にデータ消去用のディスクを差し込みながら、カレンは呟く。

 その身にドレスを纏おうと、西洋様式の屋敷の部屋の中にいようと、彼女の心は常に東にある。

 だから彼女は迷わない、決めるまでは。

 迷いつつ、しかし迷わない。

 

 

 しかし同時に、彼女はふと思うのだ。

 詳細はまだ知らない、が、ルルーシュが妹の他にもう1人の少女を救いに来たことは知っている。

 カレンに自分の正体を告げたのも、無茶を承知でブリタニアに来たのも、全てはその少女のためだ。

 

 

「……たらし、ねぇ」

 

 

 呆れたように告げる言葉には、僅かながら羨望の色が混ざっていたような気がした。

 きっと、気のせいだろうが。

 そんなように、聞こえたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――薄暗く、狭苦しく、湿気の多い空間。

 無数のパネルだけが光源のその場所には、十数人の人間が肩を狭めるようにして立っていた。

 彼ら彼女らは一様に深緑色の衣装を身に着けていて、どこか鋭い雰囲気を纏っている。

 その中心にいるのは、1人の少女である。

 

 

 しかしその少女は、とてもその集団の中心にいるべき人間には見えない。

 割烹着と言うのだろうか、1人だけ妙に雰囲気の異なる服装。

 年の頃は16、腰まで届く艶やかな黒髪の美しい少女だ。

 彼女は周囲の人間を見渡すと、小さな端末を手に持ったままにこやかに微笑み、礼をするように膝を曲げた。

 

 

「紅月さまから連絡がありました。私達の主君が、見つかったそうです」

 

 

 少女の言葉に、周囲の人間は様々な反応を返す。

 頷く者、息を吐く者、首を振る者、手を合わせる者……だが、思いは一つだ。

 彼ら彼女らは今、振り下ろされるのを待つ拳のようなもの。

 だから。

 

 

「それでは皆様……迎えに参りましょう、私達の青鸞さまを」

 

 

 だから、彼ら彼女らは動き出した。

 深い深い海の底で、獲物を狙う鮫のように。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 数日後、ルルーシュはブリタニア皇帝による招聘を受けた。

 ラウンズや皇族・大貴族を筆頭とする文武百官が居並ぶ謁見の間、玉座に座る皇帝シャルル――ではなく、その前で皇帝の名代として詔書を読み上げる第1皇子オデュッセウスの前で、ルルーシュは片膝をついていた。

 

 

(……やはり、皇帝自身は出てこない、か……)

 

 

 半ば予想できていた事態に、ルルーシュは内心で舌打ちしていた。

 もしこの場に出てきていれば、また違った策を使えたのだが。

 そしてこれではっきりした、皇帝はルルーシュのギアスを知っている。

 

 

 一方で、ルルーシュも皇帝のギアスを知っている。

 記憶操作のギアス、青鸞の存在が彼にそれを教えてくれていた。

 青鸞自身の証言を聞くまでは俄かには信じ難かったが、だが彼女が記憶を失う直前に持つ最後の記憶が「皇帝シャルルのギアス」なのである。

 状況を聞くに、ルルーシュと同じ、目を合わせることで発動するギアス。

 

 

「第11皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアを、ポリネシア侵攻軍の総司令官に任命する」

 

 

 オデュッセウスを通じて下された勅命は、通常ではあり得ないものだった。

 しかしこれは一つの結果、そしてルルーシュの思惑通りのものだ。

 ギアスで協力させた中堅貴族達の後押しと、ギネヴィアやカリーヌなどルルーシュに非好意的な皇族達の陰日向の根回し、それらがあって初めて成し得る策。

 

 

 欧州本土の侵攻軍の編成は済んでいて、もう手の出しようが無い。

 だからこその、中部太平洋のフランス領に狙いを定めた軍の進発なのだ。

 表向きは、帰還したばかりのルルーシュ皇子の初陣、と言うことになる。

 敵の規模も少なく、まさに手頃な標的と言える。

 

 

「第11皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは、ニューカレドニア、タヒチを含むフランス領ポリネシア(ポリネジー・フランセーズ)を制圧、主都パペーテにて神聖ブリタニア帝国エリア23の設立を宣言した後、本国より派遣される総督に権限委譲を行い、速やかに帝都ペンドラゴンに帰還せよ」

 

 

 要するに、ポリネシアを制圧したら掌握した軍を置いて帰って来い、と言うわけだ。

 なかなかに勝手だが、しかし当然だろうとは思う。

 あの皇帝が、何の首輪も無くルルーシュに軍を与えて外に出すわけが無いのだ。

 問題は、あの皇帝が今、どういう思考をしているかなのだが……。

 

 

「しかし第11皇子はまだ帰還して日が浅く、経験も少ない。そこで皇帝陛下は特別の恩寵を与え、ナイトオブイレヴン、セイラン・ブルーバード卿を補佐としてつける」

「イエス・ユア・ハイネス」

 

 

 場がザワめく、武官の列からバイザーとラウンズの騎士服を纏った青鸞が歩み出て、ルルーシュの横に膝をついた。

 ラウンズを皇子につけるなど、なかなかに無いことだ。

 しかしこれもルルーシュの策、青鸞をひとまずブリタニアの外に出すための策だ。

 

 

 これには、ルルーシュもうっすらと唇を笑みの形に歪める。

 全てが予定通り、彼の策の通りだからだ。

 ブリタニアでは皇帝は絶対権力者だが、貴族・皇族の動きや枢密院への根回しなど外堀を埋めれば、何もかもを引っ繰り返せるわけでは無い。

 そう思えば、あの皇帝にも付け入る隙も……。

 

 

「……さらに加えて」

 

 

 ん? と、ルルーシュは内心で眉を顰める。

 続きがあるとは思わなかったからだ、しかし表面には出さない。

 そんな彼に対して、皇帝の名代であるオデュッセウスは詔書の最後を読み上げた。

 彼自身も多少驚いているのか、温厚そうな顔にやや呆けたような表情を乗せて。

 

 

「……枢木スザク卿の同行を、命じるものである」

「……!」

(何……!)

 

 

 息を詰めた青鸞の横で、ルルーシュが瞳を見開いた。

 文武百官からも動揺のざわめきが起こる、ラウンズを2人も、との驚きだ。

 だがその驚きは、ルルーシュや青鸞とは質の異なるものだ。

 何故なら2人にとって、スザクの名前は特別な意味を持つから。

 

 

(……そう言う、ことか!)

 

 

 ルルーシュの策が成ったわけではなく、皇帝があえてルルーシュの策に乗ってみせただけ。

 つまりはそう言うことで、それだけのことでしかなく。

 ルルーシュの瞳の奥に、初めて苛烈な色が灯った。

 

 

「イエス・ユア・ハイネス」

 

 

 そして、1人の少年が武官の列から前に出る。

 ラウンズ「唯一」のナンバーズ出身者、裏切りの英雄、ナイトオブセブン、枢木スザク。

 おそらく、確証無く全ての事情を知る唯一の少年は。

 

 

「……皇帝陛下の、御心のままに」

 

 

 自分を睨み上げる2つの視線を受けてなお、表情を変えなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 予定外のケースではあるが、予想外のケースでは無い。

 ルルーシュが幾十通りも考えたルートの中には、スザクが監視役としてついてくるルートも想定されていたのだから。

 とは言え、実際にそう言う状況になるとなかなかに堪えるものがあった。

 

 

「……なるほど、話を聞く限り、スザクにかけたギアスはそのままのようだな」

 

 

 送迎用のリムジンの中で、ルルーシュは青鸞にそう語りかけた。

 運転手はギアスで掌握し、他はリムジン周囲の護衛車くらい、盗聴器の類も無いし、会話が盗み聞かれる心配は無い。

 作戦行動の打ち合わせと言う名目で青鸞を皇宮ペンドラゴンから連れ出した形のルルーシュではあるが、その脳内は皇帝やスザクとの政戦両略面での戦いについてだ。

 

 

 そして今の言葉は、ナイトオブイレヴンとして活動していた青鸞の言葉を受けてのもの。

 ルルーシュが半年前に神根島でかけた、「妹を守れ」と言うギアス。

 何かと青鸞を庇っていたと言う話を聞くに、まだ継続中なのは間違いない。

 ただ、青鸞が酷く微妙な顔をしているのが気になると言えば気になった。

 

 

「とは言え、青鸞に関すること以外は全てアイツの意思だ。となると、俺がゼロである可能性が濃いと知っているアイツの行動は、場合によっては邪魔になるわけだ。皇帝め、敵ながらなかなかいやらしい手を打ってくる、見え透いているが的確な手だ」

 

 

 現状、ルルーシュにとってスザクは敵でしかない。

 もちろん、過去を共有すべき幼馴染だと言う情はある、あるが、しかしそれでも、スザクが皇帝にしたがっている限りは敵なのだった。

 一方で、より複雑なのが青鸞だった。

 

 

 父の仇、日本の裏切り者――――そして、8年前、勝手に自分を助けた人。

 ラウンズの仲間、気になる相手――――そして、半年間、自分を監視していた人。

 血の繋がった、兄。

 いろいろな事象が重なりすぎて、眩暈が起きそうだった。

 

 

(……本当、気持ち悪いよ)

 

 

 記憶とは、「自分が誰か」を形成する重要な要素だ。

 それが揺らいでいる今、青鸞は酷く脆い存在だった。

 だからこその複雑な心境なのだが、皇帝から青鸞を取り戻したと思っているルルーシュがそれに気付くことはなかった。

 元々、心理学には長けていても他人の感情の機微には疎い少年だから、無理も無いのかもしれない。

 

 

「えっと、それで結局、どうするの?」

「当然、計画は続行する。そして……ナナリーを救い出す」

 

 

 ナナリー、その名前を告げた時のルルーシュの表情は苛烈そのものだ。

 無理も無い、妹の存在は彼の全てだ。

 それは言い過ぎではあっても、過小では無い。

 

 

「皇帝は俺の策にあえて乗ってやったつもりだろうが、その余裕が命取りだ。最大限に利用してやる……ふふ、ふふふ、ふふははははは……」

「…………」

 

 

 苦笑する青鸞は若干引いていたのだが、当のルルーシュは気付いていない。

 やはり、他人の感情の動きに疎いのかもしれない。

 しかし妹の話が出たからか、ふと青鸞は言いにくそうな顔を浮かべつつ。

 

 

「あ、あのさ、ルルーシュくん」

「うん? 何だ青鸞、まだ何かあるのか?」

「あ、あー……うん」

 

 

 言い澱む青鸞に、流石のルルーシュも怪訝な表情を見せる。

 そんな彼に、青鸞は言った。

 

 

「ロロのことなんだけど、出来れば……」

「ロロ? ああ、お前の家にいる偽物の弟か。それもどうせ皇帝側の人間だろう。どんな立場の人間かにもよるが、せいぜい利用してボロ雑巾のように捨ててやれば良い」

「……そう、だね」

 

 

 浮かない表情を浮かべる青鸞に、今度はルルーシュも何かに気付いた。

 青鸞の表情は、とても「ボロ雑巾のように捨てる」ことが出来るようには見えなかったからだ。

 ロロ・ブルーバード、皇帝側が用意した弟役、早い話が監視役である。

 

 

「まさか、青鸞……そいつのことを気にかけているわけじゃないだろうな」

 

 

 厳しさを滲ませたルルーシュの声に、青鸞はやや肩幅を小さくした。

 その様子は、叱られる子供のようでもあった。

 

 

「そいつは皇帝側の人間だ、お前を監視していた……偽物の弟だ、俺達の敵なんだぞ」

 

 

 わかっている、唇を噛みながら青鸞は頷いた。

 しかし、心の中はどうしても揺らいでしまう。

 二重の記憶が、青鸞の心を苛んでいた。

 

 

 ロロ・ブルーバード。

 偽物の弟、敵、監視者、自分を撃った少年、わかっている。

 わかっているけれど、でも。

 

 

(――――ボクは……)

 

 

 想って、しまうのだった。

 




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 青鸞が記憶を取り戻し、あと未説明かつ無自覚ですが力を取り戻し(詳しくは次回あたりですかね)、ある意味で真の第一回です。
 でも、何だろう、すでにいろいろごちゃごちゃしているような……。
 ちなみにフランス領ポリネシア、コードギアスの世界には無いかもしれませんが、このお話ではあると言う前提で進めたいと思います。
 では、次回予告。


『仕込みは上々、後は仕上げをごろうじろ。

 でも、そんなには上手くいかない。

 作戦も、それに、ボクの心も。

 そんなボクに、あの魔女の人が語りかける。

 ……教えよう、と』


 ――――TURN4:「ブリタニア脱出作戦」


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TURN4:「ブリタニア 脱出 作戦」

 航空戦艦『ヴィヴィアン』、試験艦である『アヴァロン』で実証されたフロートシステム搭載型の戦艦である。

 正式名称はアヴァロン級2番艦『ヴィヴィアン』、太平洋上のフランス領を制圧し、豪州やインドネシアに圧力を加えるために派遣された空飛ぶ戦艦だ。

 

 

 そしてその艦橋、アヴァロンと良く似た造りのそこにルルーシュはいた。

 玉座にも似た指揮シートに深く座り、肘掛に置いた腕に顎を乗せながら、彼は正面の戦略パネルを見つめていた。

 そこには北太平洋の地図があり、ヴィヴィアンの試験飛行を兼ねて通ったハワイ基地が徐々に遠ざかっている様子が映し出されていた。

 

 

「ハワイ基地よりの通信を確認、『貴艦の航海の幸運を祈る』、以上です」

「うむ、見送りの艦隊に礼文を撃て、気を付けて帰島するようにとな」

「イエス・ユア・ハイネス」

 

 

 ルルーシュは鷹揚な返答に、通信官はほっとしたような声で応じた。

 実はハワイでの補給などが基地側の事故で遅れて、2日も時間をロスしてしまったのだが、艦橋スタッフが怯える程にルルーシュは怒っていない様子だった。

 皇族の怒りを買えばブリタニアでは生きていけない、その意味でプロフィールの良くわからないルルーシュ皇子との距離感を図りかねている者もいるのだった。

 

 

「あはっ、殿下ぁ。フロートシステムは何も問題なし、ランスロットもラグネルも、いつでも使えますよぉ」

「現地に到着するまではナイトメアに用は無い、いちいち報告は必要ない」

「あはは、まぁ、でも暇ですから。ご機嫌伺いにでもってねぇ」

 

 

 とは言え、中にはそんなことをまるで気にしない人間もいる。

 例えばルルーシュの艦に同乗しているナイトオブラウンズの片割れ、枢木スザク卿の専属KMF開発部隊「キャメロット」主任、ロイド伯爵などがそうだ。

 元々特派と呼ばれていた部署の主任だったのだが、スザクのKMFについてくる形で配置換えとなったのだ。

 

 

 皇族相手でもその姿勢が変わることは無いのだが、それはあくまで彼だけであり、彼の傍に立っているセシルなどは溜息を吐いている。

 しかし、ルルーシュはそれを咎めたりはしなかった。

 もちろん度が過ぎればその限りでは無いだろうが、いちいち咎めるつもりも無かった。

 

 

「すでに欧州本土ではシュナイゼル宰相の指揮の下、フランス上陸作戦が行われているだろう。我らも急ぎポリネシア制圧艦隊と合流し、任務の遂行に当たらねばならない。皇帝陛下の御名の下、皆、全力で作業に当たってほしい」

「「「イエス・ユア・ハイネス」」」

 

 

 ルルーシュの言葉に、流石にロイドも含めて、返答がある。

 ヴィヴィアンはフロートシステムの調整も兼ねてハワイを経由している、その分、侵攻ペースはゆっくりなものになっていた。

 勅命を受けてからすでに1週間が経過しており、ポリネシア侵攻艦隊とは明日には洋上で合流する予定だった。

 

 

 その時、ルルーシュはふと視線を感じた。

 顔を動かさず視線のみでその主を探せばすぐに見つかる、ルルーシュは口元にうっすらと笑みを浮かべた。

 戦略パネルを見て一つ頷き、その場に立ち上がる。

 

 

「私は自室に戻る、何かあれば呼ぶように」

「「「イエス・ユア・ハイネス」」」

 

 

 そしてそのまま艦橋から黒い衣装の裾をはためかせながら立ち去るルルーシュを、1人の少年が追いかけた。

 ラウンズの騎士服を着たその少年は、鋭い眼差しを崩さずに静かにその後を追う。

 その少年、スザクの背中を目で追いながら、セシルはふと息を吐いた。

 

 

「……幼馴染、か」

「複雑だねぇ」

 

 

 セシルの呟きに、ロイドが訳知り顔で頷いたのが、妙にシュールだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ヴィヴィアンの通路を奥に進めば進む程、つまり司令官であるルルーシュの自室へと近付く程、歩哨に立つ警備兵も含めて人の影は少なくなっていった。

 これは、艦内のエリアがいくつかに区分されていて、警備兵と言えどもある程度以上の身分が無ければ入れないエリアが設定されているためだ。

 

 

 当然、司令官であり皇族であるルルーシュに入れない場所は無い。

 そして皇帝直属であるスザクにも、原則として入れない場所は無い。

 故にこそ、「皇子ルルーシュの自室」は最も都合の良い場所だった。

 

 

「どうした、入れよ――――話があるから、ついてきたんだろう?」

 

 

 そのルルーシュが、誰もいない自室のソファに纏っていたマントを放り投げながら、砕けた口調でそう言った。

 受けたスザクは、数秒の逡巡の後に室内へと足を踏み入れる。

 扉が自動で閉まり、艦内で唯一監視カメラの存在しない部屋には少年2人きりになる。

 

 

 しばし、沈黙が続いた。

 スザクは厳しい眼差しでルルーシュを見つめ、ルルーシュは人の良さそうな笑みを顔に貼り付かせている。

 だが、表情程にお互いの関係は固まっていないようだった。

 

 

「そんな怖い顔をするなよ、ここには俺達しかいない……スザク」

「……なら、ルルーシュ。聞きたいことがある」

「ん?」

 

 

 どこか緊張しているスザクに対して、ルルーシュはあくまで自然体だ。

 そこがまるでアッシュフォード学園の生徒会室であるかのように振舞うルルーシュに、瞬間的にだがスザクは毒気を抜かれたような表情を浮かべた。

 だがそれもすぐに生真面目なものに変わり、詰問するかのような口調で。

 

 

「ルルーシュ、どうしてブリタニアに戻って来たんだ?」

「何だ、まるで戻ってきちゃダメだったみたいな言い草じゃないか」

「そ、それは……そう言うわけじゃ、無いけど」

 

 

 質問の内容が間違っている、ルルーシュは心の中でそう思った。

 「どうして」戻ってきたか、ではなく、「どうやって」戻ってきたかの方がこの場合は重要だ。

 スザクはルルーシュがブリタニアを恨んでいると知っている、だからこそ戻ってきたと言う行為自体の理由など聞く必要も無い。

 

 

 だから聞くべきは、その方法だ。

 まぁ聞かれたとしても、ルルーシュはすでにスザクを煙に巻けるだけの理由(ルート)を12通り用意しているのだが。

 もしかしたなら、ルルーシュのギアスについてもすでに知っているのかもしれないが……。

 

 

(だが、俺がギアスを持っていると言う証拠は無い。ゼロであると証明することも出来ない)

 

 

 である以上、スザクがこの場でルルーシュに対して実力行使に出る可能性は0に等しい。

 だからこそ皇帝もこのような回りくどい方法で尻尾を掴もうとしたのであろうし、スザクも己の疑心を明確なものにするためにルルーシュの監視を行っているのだろう。

 ルルーシュがこのまま、ブリタニアから姿を晦ますのでは無いかと。

 

 

「……戻った理由、か。そうだな、確かに俺はブリタニアが、ブリタニア皇帝が憎い。だが……」

 

 

 だが、スザクはルルーシュがそう出来ないことを知っている。

 ナナリーだ。

 ナナリーが皇帝の手中にある以上、ルルーシュがそれを見捨てて逃げるなどあり得ないと知っている。

 だからこそ、ルルーシュの今回の行動の意図がわからないのだ。

 

 

 そもそもブリタニアに戻った時点で、ルルーシュには2つの道しか無い。

 攻めるか、退くか、そのどちらか。

 幼少期のように本国の内側でナナリーを守るか、あるいは奪い取って共に逃げるか。

 ルルーシュのギアスが現状、数十数百の人間に同時にかけられる程に強いものでは無い以上、可能性としては後者が濃い、だが今ルルーシュはナナリーを本国に置いている。

 

 

(ナナリーに会わせて欲しいと申請しなかったこと自体も、何かおかしい)

 

 

 この点、スザクの勘は正しい。

 ルルーシュが「何か」企んでいることを勘付いている、しかしそれが「何か」まではわからない。

 こうした心理戦で、スザクがルルーシュに勝るなどあり得ないのだから。

 

 

「――――ナナリーのためだ、スザク。俺の全てはナナリーのためにある、そうだろう?」

「ルルーシュ……」

 

 

 だからこそ、望む答えが返ってきても、スザクは身体の緊張を解かなかった。

 両手を広げ、笑顔でそこに立つ幼馴染の少年。

 かつて、自分を救おうとしてくれた皇女がゼロだと断じた少年を前にして、スザクはどうしても彼の言葉をそのまま飲み込むことが出来なかった。

 

 

 しかしこの時、ルルーシュは真実を告げていたのだ。

 ルルーシュの秀逸な点は、こう言う所だろう。

 普通、嘘を信じさせるにはほんの僅かな真実を混ぜるべし、と言うのだが。

 彼の場合、100%全てが真実で、嘘なのだから。

 

 

「ナナリーがブリタニアにいるから、戻った。それだけのことだ、何か不都合があるか?」

「…………いや」

 

 

 事実、ルルーシュは。

 あくまでも妹の、ナナリーのためにここにいる。

 

 

「俺達は妹を守る、そうだろう、スザク。俺達は……友達(トモダチ)だからな」

「あ、ああ……」

 

 

 戸惑うような表情のスザク、その瞳に赤い輪郭を見つけてルルーシュは笑みを浮かべる。

 その笑みは、友情とは程遠い物だったが――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 サアアアアァァ……と、熱いお湯が頭上から降り注ぐ。

 ヴィヴィアン内の自室に備え付けられた広いシャワールームの中は、シャワーのお湯によって生まれた湯煙によってうっすらと白んでいた。

 その中に、降り注ぐお湯を全身で受け止める少女が1人いる。

 

 

 湯に濡れた前髪が額に貼り付き、横髪や後ろ髪から湯の雫が滑り落ちていく。

 お湯を受け止めているために目は閉ざされているが、形の良い眉や睫まで濡れて煌き、水を弾く若くみずみずしい肌がシャワールームの淡い照明を受けて輝いているようにも見えた。

 首元にかかったお湯はそのまま鎖骨を過ぎ、成長途上の、未だ1人の少年しか触れたことの無い胸元を濡らし、隠すように組まれた細い両腕の間から下へとお湯を流し続けていた。

 引き締まった腰から綺麗な臍、そして少女の秘めやかな部分から白い足を伝い、床へと落ちていくお湯……。

 

 

「……はぁ」

 

 

 枢木青鸞、ヴィヴィアン内におけるナイトオブラウンズの1人である。

 最もそちらはあくまで「セイラン・ブルーバード」であるわけだが、それはもはやどうでも良い。

 重要なのは、ハワイの基地空港で起こった燃料庫の爆発事故を収拾するために徹夜明けだった彼女が、眠気を払うためにシャワーを浴びていると言う点だった。

 

 

(アレもルルーシュくんの策の一つだって言うけど、何の意味があるのかな……)

 

 

 とは言え、青鸞が溜息を吐いているのはそんなことが理由ではなかった。

 ルルーシュの策に協力するのは吝かでは無い、ただ彼女には気がかりがある。

 それは、ルルーシュに言わせれば笑止千万な話なのだろうが……ブリタニア本国に残してきた「弟」のことが気がかりだったのだ。

 

 

「ロロ……」

 

 

 偽物の弟、ブリタニア人、皇帝側の監視役。

 もしかしたら向こうはそんなことを思っていないのかもしれない、だが、少なくともこの半年共に過ごした「家族」だったのだ。

 それを、騙すと言うか……嘘を吐いて別れてきた、と言うのが。

 

 

『姉さん、気をつけて。生きて帰ってきてね、絶対だよ』

 

 

 脳裏に甦るのは、ハワイへの出向前日、遠征に出る胸を告げた時の会話だ。

 生きて帰ってきてほしいと告げた「弟」の不安そうな顔、あれが嘘だなどと思いたくは無かった。

 だからつい、普段はしないことをしてしまった。

 

 

『……姉さん、これは?』

『えっと、指きり。小指を絡めて約束を交わすと、絶対に破っちゃいけなくなるんだった。どこかの国の風習だったような……嫌かな?』

『嫌じゃないけど、今までこんなことしなかったから……』

 

 

 その時の戸惑ったような「弟」の顔が可愛くて、青鸞はクスリと思い出し笑いをした。

 だが、すぐに萎む。

 騙して置いて来たも同然の「弟」、自分が消えた後、どうなるのだろうか。

 粛清などされなければ良いと思う、たとえ偽善と言われようと、願うくらいはしたかった。

 

 

 そしてもう一つ、こちらは極めて個人的な悩みだ。

 お湯が目に入るのも構わずに目を開けると、目の前の姿身に視線を向ける。

 右手で鏡を拭き、僅かの間だが透明になる鏡面。

 そこに映るのは、若さに満ちた少女の裸身だ。

 ただ、その一部分を見て青鸞は表情を翳らせた。

 

 

「この痣……何だろう」

 

 

 それは左胸、少女の控えめなそこにうっすらろだが確かに痣があった。

 痣と言うより、どこかマークのように見える。

 わからないのが、そのマークに見覚えがあることだった。

 飛び立つ鳥のようなそのマークは、かつて父の遺した手記の中で見たそれに酷似していた。

 

 

「前までは無かったのに、どうして急に……」

 

 

 これが戦でついた傷痕ならまだ大丈夫だっただろうが、こんな痣だと流石に困る。

 

 

(……ルルーシュくん、変だとか言わないかな……って、いやいや、何でルルーシュくんに見られる心配してるんだろ、ボク)

「意外と余裕があるな、お前」

「え、ボク声に出し……て、って!?」

 

 

 ひたり、と腰のあたりに細く冷たい手の感触。

 それを感じて慌てて振り向けば、そこには裸の少女がいた。

 シャワールームなので裸でも問題は無いのだが、ここが青鸞の自室で、背中にしなだれかかるようにくっつかれる覚えも無く、加えて言えば。

 

 

「し、C.C.さん……!?」

 

 

 金色の瞳が、静かに青鸞を見上げていた。

 かつて自分を殺しに来た相手、C.C.。

 あれ以来特に接触の無かった相手だが、それが今自ら会いに来たと言うのだろうか。

 しかし、もし仮にそうだとしても。

 ……別に、シャワー中に来る必要は無いだろう。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 C.C.と言うその少女の裸身もまた、輝くばかりに美しいものだった。

 世界に一つしか無いような艶やかな緑髪、くすんだ金の瞳、東洋系には出せない透けるような白い肌。

 年の頃は変わらないように見えるのに青鸞のそれより成熟したスタイルは、同性でも目に毒だ。

 

 

「……こうして見ると、意外と筋肉は少ないんだな、お前」

「ひゃっ」

 

 

 お腹をモニっとされて、変な声を上げてしまう。

 同時に混乱の度合いが増す、反射的にシャワーのお湯を止めようと手を伸ばすが、あまりに慌てていたためか足を滑らせてしまった。

 盛大な音を立てて、すっ転ぶ青鸞。

 

 

 お腹と胸の間に腕を回されて引っ張られたからか、後ろに仰向けに転んだ。

 シャワールームの床にしたたかに頭をぶつけて痛みに顔を顰める、しかしふと疑問に思う、自分の後ろにいたはずのC.C.はどこへ失せたのかと。

 それは、痛みで閉じた目を開ければ――――目の前に、見つけることができた。

 

 

「あ……」

 

 

 シャワーのお湯が降り注ぐ中、しかし青鸞の身体の一部にはお湯がかからない。

 何故ならば、仰向けに倒れた青鸞の上にC.C.が圧し掛かっているからだ。

 体勢的には、C.C.が青鸞を押し倒しているような形だろうか。

 青鸞の肩と首の横に両手を置き、また青鸞の足の間に己の膝を入れて絡め、足を閉じられないようにしている。

 

 

 ――――身の危険を、感じた。

 

 

 それでも青鸞が抵抗の素振りを見せなかったのは、C.C.の瞳を見たからだ。

 感情の無い、もちろん情欲に濡れているわけでも無い、乾いた瞳が。

 そして何よりも、その額。

 前髪の間から覗く白い額に、うっすらとだが痣が見えたからだ。

 青鸞の胸にあるのと同じ、羽ばたく鳥のようなマークが。

 

 

「そ、それ……ひゃ、あ?」

 

 

 左胸のあたりに冷たい肌の感触を感じて、言葉を止めてそちらを見る。

 するとそこに、控えめな膨らみに触れるC.C.の細い指先があった。

 そこにある痣の輪郭を撫でるように指先を這わせ、そして全体を包むように掌の腹で撫で擦る。

 何とも言えないくすぐったさに、青鸞は片目を閉じて身をよじった。

 

 

「え、ちょ、あの……な、何して」

 

 

 ナイフを振り下ろされるよりはマシだが、しかしだからと言ってこれも困る。

 神楽耶に知られたら何と言われるか、危機的状況の割に余裕のあることを考える青鸞だった。

 

 

「……やはり、不完全だな」

「え……?」

「老化は極限まで抑えられているが不老では無く、再生能力は異常だが不死では無く、根源と繋がり固定化されるはずのコードが、不完全なまま発現している。休眠期間の長さが原因なのか、それとも失われていた数百年前の時点で何かあったのか……ギアスに対する抵抗力も、私やV.V.程では無い」

 

 

 ……はたして、どう反応すべきだろう。

 と言うか、他の女性に聞きたい。

 胸を揉まれながら電波なことを言われたら、どんな反応を返せば良いのだろうか。

 いくら同性でも、これは困る。

 

 

「教えよう」

 

 

 一瞬の後、鼻先が触れ合うような位置にC.C.の美しい顔があった。

 額のマークが薄く輝いていて、その輝きが明滅すると、呼応するように左胸が痛み始めた。

 その痛みに身を竦ませた次の瞬間、唇に柔らかな感触を感じた。

 

 

 驚きに目を見開けば、そこにC.C.の白い顔がいっぱいに広がっていた。

 唇に降りてきた感触は、懐かしさすら覚える。

 柔らかで、しかしどこか冷たい。

 だけど。

 

 

(……神楽耶のとは、違うんだ)

 

 

 そんなことを考えて、青鸞は視界が暗転するのを感じた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――それは、膨大な情報だった。

 大津波に晒された人間に何が出来るだろう、ただ押し流されるだけだ。

 あまりの情報量に、脳は壊され肌は焼け、人間としての形を失ってしまうだろう。

 神根島では、その衝撃で覚醒直後の『それ』が再び眠ってしまった程に。

 

 

『人は、根源の渦より生まれ渦の中に帰る』

 

 

 しかし神根島の時と違うのは、その情報を制御し、教え導いてくれる者の存在があることだ。

 数百年に渡りコードを持ち続けたその存在が、受け継いだばかりの小娘を導いてくれる。

 情報の大津波を、掻き分けて小波へと変えてくれる。

 ○○○管理者と言う、記号を持つ存在が。

 

 

『「コード」とは、根源の渦から散った(ヒト)を固定化し、再び集合無意識の中に溶け込むのを拒絶するものだ。ギアスはその手段に過ぎない、しかしギアスは完全では無い、何故ならばそれは……一瞬の時間しか、他者と溶け合うことが出来ないから。願いは永遠で無ければならない、故に私達は不老不死、「コード」によって固定化させられた最初の「1人」』

 

 

 それは、かつては常に行われていたこと。

 根源の渦を介して、固定化された「1人」と「1人」が、巫女同士が繋がる現象。

 出会う場所は、<Cの世界>。

 

 

『かつて、世界には12の「コード」が存在していた。しかし今はそのほとんどが根源の渦へと溶けて消えてしまった……「コード」の本質、真の意味での発現を成し得ないままに』

 

 

 ――――かつて、死に瀕した幼い少女がいた。

 彼女は生を望むが故に、聖女の皮を被った魔女に誘われて契約を交わした。

 (ギアス)を与える代わりに、願いを一つ叶えて貰う――――。

 

 

 幼い少女は、力を得て生を得た。

 多くの者に『愛されて(ギアス)』、幸福の中にいた。

 しかし、幸福は磨耗する。

 力が強まれば強まる程に、その胸の内は空虚さで満ちていく。

 

 

『私達は、永遠の囚われ人』

 

 

 そして、裏切りの瞬間は訪れる。

 聖痕の移譲、それは「死」から始まるのだ。

 「死」から転じて「生」と成す、契約の魔女に殺されることで移譲は完了する。

 

 

 胸の肉を切り裂き、抉る音。

 噴き出た血液が顔を濡らし、大地に吸われ、『コード』に啜られたそれが新たな契約を生む。

 断末魔の悲鳴と狂った笑い声の中、地獄の底で契約は成される。

 『コード』は、ただそこにある。

 膨大な情報と記憶、それを背負わせて管理させるための、魔痕。

 

 

『炎で焼かれたこともある、槍で貫かれ銃で撃たれ、刃と言う刃に抱き締められて閉じ込められて、皮を剥がされ臓腑を掴み出され、人類の進歩と共に効率的になっていく拷問と殺害、絶望と諦観、血の赤と暗闇の黒、それだけが――――いずれ、お前の日常になる』

 

 

 今は良くても。

 1年が経ち、10年が経ち、100年が経ち、それでも変わらない若さを見れば。

 誰だって、いつかはそうなる。

 

 

『逃れる術は一つしか無い、誰かにそれを押し付けること』

 

 

 脳裏に浮かぶのは、1人の黒い少年。

 強いギアスの素養を持つ彼、全てを受け止める広さを持つ彼。

 優しくて、脆くて、支えてあげないと崩れれてしまいそうな、そんな。

 そんな少年に、押し付けることしか。

 

 

 嫌だと拒絶すれば、やってくるのは地獄だけ。

 

 

 「死」が絶え間なく襲ってくる、気が狂いそうな時間だけ。

 でも気が狂うことは無い、固定化されているから。

 狂うことも出来ずに、ただ「死」の苦しみだけが永遠に続く。

 永遠に、永久に、終わることなく、ずっと、ずっと――――ずっと。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 穢された、その感情だけが残った。

 穢した、その感情だけが残った。

 C.C.は、自分の腕で目元を隠す青鸞を見下ろしていた。

 熱い湯が降り注ぐ中で、しかし触れ合う肌は恐ろしく冷たかった。

 

 

(……哀れな女だ)

 

 

 自分が穢し、涙を流させておきながら、C.C.は心の底から青鸞を哀れんでいた。

 これから先、永い時間を独りで生きていくことになろうだろう少女を、哀れに思っていた。

 家族も、友人も、誰も彼もを通り過ぎて、それでも死ねずに生きていく。

 

 

 今は不完全なクルルギの『コード』も、ちょっとしたきっかけがあれば完全に目覚めるだろう。

 そう言う意味で、この娘はすでに人間では無い。

 だからC.C.は、青鸞の記憶を取り戻させたルルーシュを本当に残酷だと思う。

 いっそのこと、忘れさせてやっていれば良かっただろうに。

 

 

「……嫌だ」

 

 

 不意に耳に届いた声は蚊の鳴くように小さかったが、しかし確かに聞こえた。

 C.C.はそれに、目を伏せるようにしながら。

 

 

「嫌だと言っても、事実は変わらない。お前はすでに受け継いでしまった、『コード』を」

 

 

 拒絶の言葉を紡いだ青鸞を、しかしC.C.は責めなかった。

 C.C.自身、最初の頃はそう思っていたのだ。

 だがどれだけ否定しても、何も変わらなかった。

 結局、現実と言う名の地獄だけが延々と広がっていて……。

 

 

「だから、諦めろ。後はせいぜい、気をつけて……」

「ボクは、誰にも押し付けない」

 

 

 その言葉に、C.C.は声を止めた。

 『コード』たるは何かを教えた相手が、押し付けないと言うなら意味は一つだ。

 そう、一つしか無い。

 

 

「押し付けたくない、あんな風に……誰かに、『これ』を」

「……………………そう、か」

 

 

 『コード』に関する知識を与えるために、C.C.は己の過去の一部を見せた。

 その中で『コード』の移譲に関する儀式もあり、青鸞はそれに対して拒絶の言葉を告げた。

 そしてそれに対しても、C.C.は責めなかった。

 むしろ、頷いてすら見せた。

 

 

 普段の彼女を知る者が見れば、それはとても意外に映ったかもしれない。

 だがC.C.にしてみれば、今の青鸞の言葉に懐かしさすら覚えたのだ。

 かつて、自分も『コード』を受け継いだ時には同じことを思ったのだから。

 自分はけして、契約者を裏切るような真似はすまい、と。

 ……それも、いつしか消えてしまったが。

 

 

「今はそれで良い、今は……」

 

 

 だからだろうか、あまりにも懐かしさを感じて、C.C.は青鸞に手を伸ばした。

 その手がどこに向かっていたのか、知るのはC.C.だけだった。

 叩こうとしたのかもしれないし、撫でようとしていたのかもしれない。

 しかし結局、その手がどこかに触れることは無かった。

 

 

 何故ならば、シャワールームが……否、『ヴィヴィアン』全体が、不自然に揺れたためだ。

 振動する床に、目元を隠していた青鸞も慌てて身を起こす。

 そして続くのは警報音(アラート)、非常事態を告げる艦の声だった――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 航空戦艦『ヴィヴィアン』、太平洋の上を飛翔する空飛ぶ戦艦ではあるが、その実、単艦で保有する航空戦力は大したことは無い。

 VTOL機を中心とした艦載機12機と、フロートユニットを持つ『ランスロット・コンクエスター』のみ。

 後は陸戦用の『ラグネル』とサザーランド4機、その程度しか無い。

 

 

 ポリネシア諸島を制圧するだけなら十分だろうと言うその戦力も、要するに他国にアヴァロン級に対抗できる防空能力が無いと言う判断から来ている物だ。

 だからこそ、移動中の奇襲という事態は想定していない。

 ましてやここは、ブリタニアの内海とも言える太平洋なのである。

 

 

「攻撃機は散開して敵に当たれ、敵の動きは鈍い、数も少ない。自分が前面に立って撃破する!」

『『『イエス・マイ・ロード!』』』

 

 

 しかしスザクは現実に、その限られた航空戦力を全て動員して事態への対処を図っていた。

 ルルーシュの自室で幼馴染と話していたらアラートが発生し、ハワイ海域の北西方面から所属不明の編隊が迫っていると報告を受けたためだ。

 それも、輸送用VTOL機にナイトメアをブラ下げての奇襲である。

 

 

『スザク、俺は艦橋に戻る、お前は航空部隊を率いて迎撃に向かってくれ。飛べるのはお前のナイトメアだけだからな』

 

 

 そう言う事態だから、自分に出撃要請があることはわかっていた。

 わかっていたが、しかしスザクはルルーシュへの疑念を消せずにいた。

 何故なら彼は、スザクとの会話の中で一度も青鸞のことを口にしなかったからだ。

 

 

 セイランが青鸞と同一人物であり、不自然な記憶を持っていることに気付いているはずなのに。

 なのにルルーシュは、そのことに一言も触れなかった。

 そのことがスザクには引っかかっていて、納得も出来ない部分なのだった。

 まして、スザクがヴァリスの照準を合わせている敵の奇襲部隊は。

 

 

「黒の騎士団が、どうしてここに……!」

 

 

 今やエリア11のキュウシュウ・ブロックを不法占拠しているテロリスト集団、黒の騎士団。

 昨年のセキガハラ決戦以後は動きを見せていなかったはずだが、しかし今、蒼穹の空には黒の騎士団のナイトメア『無頼』がVTOL機にアンカーを接続して近付いてきているのだ。 

 まさかあの状態でキュウシュウから来たわけではあるまい、どこかに母船があるはずだが、見つかっていない。

 

 

 ブリタニアの内海である太平洋のど真ん中、半世紀以上前の戦争で旧日本軍が似たようなことをやった記録はあるが、その時とは次代も技術も違う。

 不可能なはずの奇襲、常識を覆す奇策、転じて奇跡。

 こんなことが出来るのは、1人しかいない。

 

 

「ゼロ……!」

 

 

 だが、ゼロであるはずのルルーシュはヴィヴィアンに乗っている。

 どう言うことなのか、まさかルルーシュはゼロでは無いのか。

 それとも、彼が持つと言うギアスによる物なのか。

 

 

 スザクがヴィヴィアンを背に防衛線を敷き、そうした諸々を考えていた時、さらなる異変、いや異常が発生した。

 スザクの両翼に広がっていた攻撃機やVTOL機が数機、爆発四散したのだ。

 そのオレンジ色の爆発に驚愕の視線を向けるスザク、何が生じたのかと混乱する。

 彼らの後ろには、ヴィヴィアンだけが存在しているはずなのに。

 

 

「何……!」

 

 

 ランスロットを振り向かせると、そこにはやはりヴィヴィアンが存在していた。

 次いで、赤とオレンジ色の軌線を描いて対空砲火に晒される。

 アヴァロン級航空戦艦の対空防御機構が働き、敵を排除しようとしているのだ。

 ただし、ここで排除しようとしているのはスザク達、つまりブリタニア軍だ。

 味方を砲撃している、明らかに異常だ。

 

 

「まさか……ルルーシュ!」

 

 

 不意にスザクの瞳が鋭く細まる、やはりルルーシュはゼロだったのか。

 表情を引き締め操縦桿を握り、スザクはヴィヴィアンの対空砲火を掻い潜って強行着艦しようと。

 

 

『――――スザク君!』

「セシルさん! ……ロイドさんも? いったいどうして……どうしてそんな所に!?」

 

 

 その時、メインモニターに通信と通信の発信源が映し出された。

 通信の相手はセシル、そしてロイドと……ヴィヴィアンの艦橋スタッフのようだった。

 そして彼女らがいるのはヴィヴィアンの下方で、つまりいるべき場所の外にいるのだ。

 ヴィヴィアンに搭載されている脱出艇を5隻メインモニターに見つけて、ますます驚く。

 

 

 状況は完全に混乱している、とにかく脱出艇を守るために残存の航空部隊をまとめなければならない。

 ヴィヴィアンと黒の騎士団、両側を挟まれての危機に対応する。

 いったい、何が起こっているのか。

 それを説明するためには、ほんの少しだけ時間を遡る必要があった――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 それは、スザクを送り出したルルーシュがヴィヴィアンの艦橋に戻ってきた時のことだ。

 ルルーシュが戻った時、艦橋はすでに緊張の極みにあった。

 当然だろう、あるはずの無い奇襲に晒されているのだから。

 

 

「ル……ルルーシュ殿下!」

「そのままで作業を続けろ、状況は?」

「はっ、北西方向に所属不明の編隊が突如出現! 現在回避できるようコースを再設定していますが、所属不明の編隊はこちらの勧告に応じることなく、直進を続けております!」

「勧告を続けよ。また枢木卿の航空部隊を展開させつつ、艦内は第2種戦闘配備を通達、急げよ」

「イエス・ユア・ハイネス」

 

 

 慌てた様子の無いルルーシュを頼もしげに見て、通信官が手元の端末を操作する。

 オペレーターから来る報告についてもよどみなく指示を出し、ルルーシュはブリタニアの皇子として、また司令官として揺ぎ無い姿勢を見せた。

 その様子に艦橋スタッフが冷静さを取り戻した頃には、スザク率いる航空部隊が敵編隊の迎撃に入っていた。

 

 

 敵編隊の規模は思った程では無く、ましてスザクはナイトオブラウンズ。

 ラウンズの戦場に敗北は無く、それだけの信頼が士気を維持した。

 しかし、そこで予想外の事態が艦橋を襲った。

 ズ、ズン……と、艦全体が揺れたのだ。

 

 

「何事か」

「はっ、は……こ、後部ハッチで火災発生! か、艦載機の射出口でも、火災が……!」

「何!?」

 

 

 ここで初めてルルーシュが顔色を変える、こんな時に自然発火などあり得ないからだ。

 俄かに騒然となる艦橋、オペレーターが次々と艦内の異常を報告してくる。

 そこから明らかになることは明らかだった、すなわち。

 ……侵入されたのだ、敵に、艦内に。

 

 

「……墜ちるか、このヴィヴィアンが……」

 

 

 ポツリと呟いて、ルルーシュは指揮シートに座ったまま背筋を伸ばした。

 緊張の視線を艦橋中から感じながら、ルルーシュは告げた。

 

 

「艦を放棄する、全乗員はすみやかに脱出艇に向かい、しかる後にこの空域を離脱、ハワイ基地に救援を求めよ」

「そんな!」

 

 

 声を上げたのはセシルだ、彼女はスザクの機体の様子を映していた端末から顔を上げてルルーシュを見つめる。

 スザクの幼馴染だと言う少年は、しかし笑みすら浮かべてそれを受け止めた。

 

 

「大丈夫だ、父上の勅命に背いてしまう形にはなるが……責任は全て私にある。故に私はここに残り、最後まで艦と運命を共にすることで責任を取ろうと思う」

「いけません、殿下! 外にはスザクく……枢木卿もおられ、内にはブルーバード卿も! 状況はいくらでも逆転できるはずです!」

「いや、後部ハッチに侵入した敵はまず動力部を押さえにかかるだろう。そうなればどの道、この艦は終わりだ。敵が自爆を狙っていたらどうする」

「それは……しかし、殿下だけをお1人にするわけには!」

 

 

 セシルにすれば、スザクの友人であるらしい皇子を残すことなど出来なかった。

 それに艦橋の端々から同様の声が起こる、ルルーシュはそれを聞いて僅かに俯いた。

 感極まったかのように左眼のあたりを押さえ、しかしすぐに顔を上げる。

 そこには、自信に満ちた笑顔と。

 

 

「キミ達の忠義、嬉しく思う。だが私は、そのようなキミ達を道連れにすることは望まない。だから……」

 

 

 左眼を覆う、赤い輝きがあった。

 

 

「私を置いて、逃げろ」

 

 

 それまで反対を訴えていた者達が、そんな一言で動くはずが無い。

 中でもセシルは急先鋒だろう、だから受け入れる者などいないと誰もが思う。

 しかし、状況は動いた。

 セシルが、ロイドが、艦橋にいる全ての人間がその場に立ち上がり、胸の前で腕を掲げて敬礼した。

 そして。

 

 

「「「イエス・ユア・ハイネス」」」

 

 

 そして、誰もいなくなる。

 閑古鳥が鳴くとはまさにこのこと、そして艦橋のスタッフが戻ってくることは絶対に無い。

 他の乗員についても、艦橋スタッフを通じて退艦命令が出されているはずだ。

 ルルーシュ皇子の命令となれば従わざるを得ない、後は所定のマニュアルに従い、脱出艇に分乗して艦を放棄するだろう。

 

 

 これによりヴィヴィアンの乗員約1000名は10分もしない内に脱出するだろう、艦のコントロール自体は当面はコンピュータが制御するため問題は無い。

 あくまでも、当面、ではあるが。

 いずれにしても、これでルルーシュの策のための条件はほぼクリアされた。

 

 

「くく、父上の勅命に背いてしまう……か。くくく、くははは……ふははははははははははははっ!」

 

 

 誰もいない環境に、ルルーシュの笑い声が響く。

 茶番によって策を成した少年の笑い声に引き寄せられるかのように、指揮シートの後ろ、ルルーシュやラウンズの私室に繋がる扉が開く。

 

 

「おい、もう良いのか」

「……ルルーシュ、くん」

 

 

 そこから出てきた2人の少女、C.C.と青鸞を見て、ルルーシュはさらに笑みを深める。

 

 

「くくく……さぁ、策の仕上げに入るとしよう」

 

 

 C.C.が投げて寄こした衣装を手に掴んで、ルルーシュは立ち上がった。

 青鸞が大切そうに差し出してきた黒の仮面を受け取り、それを顔につける。

 その際、青鸞が暗い表情を浮かべていたのが気にはなったが……予定通り。

 ルルーシュは、青鸞を抱き寄せた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 脱出艇をひとまず航空部隊に護衛させて放しつつ、スザク自身は戦場に残った。

 当然セシルは止めたのだが、最終的には無視する形で押し通した。

 一応、表向きはルルーシュ皇子の救援だ。

 脱出艇の中にルルーシュ、そして青鸞はいない、そのことがスザクに決断させた。

 

 

(ルルーシュはゼロ、そして青鸞は……記憶を取り戻している!)

 

 

 何の根拠も無いただの勘だが、当たっている可能性は高いはずだった。

 あのセシルがルルーシュを置いて逃げるなどあり得ない、そして実際、そのことを問い詰めるとセシルは答えることが出来なかった。

 むしろ記憶が無いと言っていた、その意味はすなわち……。

 

 

「――――ギアス!」

 

 

 ランスロットを空域から離れていくヴィヴィアンに向けて、スザクは操縦桿を握り締める。

 その時だった、ランスロットの秘匿通信画面に通信が入ったのは。

 メインモニター上の小さなサブモニターに映し出されたそれは、どうやらスザクが向かおうとしているヴィヴィアンから発せられているようだった。

 

 

「ルルーシュ、キミは……!」

『ルルーシュ? 違うな、間違っているぞ、枢木スザク』

 

 

 画面に映っていたのは、漆黒のマントを身に着けた仮面の男。

 ゼロ、エリア11にいるはずのテロリスト。

 その仮面を見て、スザクは明らかに表情を歪めた。

 この状況でゼロがルルーシュで無いなど、スザクには思えなかったからだ。

 

 

『私は――――ゼロ!』

「何がゼロだ! ルルーシュ、今すぐにヴィヴィアンの進路を変更するんだ! さもなければ……!」

 

 

 フロートユニット上に備えられたコンクエスターユニット、そこに折りたたまれていた火砲を構えるランスロット。

 砲身が右肩の上に伸び、さらにヴァリスをソケットに差し込むことで一体化する重砲。

 ハドロンブラスター、かつてガウェインにも装備されていたハドロン砲を撃つための兵器だった。

 その照準は、明らかにヴィヴィアンに向けられていた。

 

 

『スザク君!? 何を――――』

 

 

 セシルからの通信を強制的に切り、スザクは正面画面のゼロを睨んだ。

 仮にルルーシュ皇子を見殺しにして撃った、などと言われたとしても、ブリタニアではそれが許される。

 例え皇族と言えど、敵の手中に落ちるような者は見捨てられて当然。

 勝利こそが、ブリタニアの求めるものなのだから。

 

 

『撃てるかな? キミに、このヴィヴィアンが。そして……』

「……ッ!」

『……彼女が』

 

 

 スザクの秘匿通信画面に、ラウンズの騎士服を着た1人の少女が現れた。

 画面が引くことでようやく見えたその少女は、固い面持ちでただそこに立っていた。

 銃をこめかみのあたりに突きつけられているが、それに対して緊張しているわけでは無いとスザクにはわかる。

 その証拠に、抵抗らしい抵抗はしていないでは無いか。

 

 

 枢木青鸞、スザクの実妹にしてナイトオブイレヴン、だが今は記憶を取り戻しているだろう敵だ。

 だからスザクは、ハドロンブラスターの引き金から指を離すことは無かった。

 しかし、その引き金を引くことは――――。

 

 

『妹を守れ!!』

 

 

 ――――出来なかった。

 スザクの瞳の輪郭に赤い輝きが生まれ、それが彼の意思に反して引き金から指を離させたのである。

 画面の向こう、そこにいる妹ごと撃つことなど出来ないと。

 

 

 しかし同時に、そのギアスは妹を救うための行動を彼に促した。

 操縦桿を握り、ランスロットをヴィヴィアンへ向けて急加速させたのがそれだ。

 ヴィヴィアンの自動制御の対空砲火など、スザクとランスロットにとって大した意味を成さない。

 その判断に間違いは無かったが、しかし一つだけ失念していることがあった。

 

 

『――――隙ありです、枢木家を捨てた裏切り者(くるるぎすざく)

 

 

 通信では無く集音、それに気付いた時には何もかもが遅かった。

 ギアスの拘束によって生まれた自失していた一瞬の隙をついて出現したそれは、黒の騎士団と共にこの空域に来ていたナイトメアだ。

 ダークブルーの装甲に銀の関節部、そして全身に装備した追加装甲と刀。

 以前と違う点は、ランスロットのように背中に備えられた翼。

 

 

(ど、どうして、この機体が……!)

 

 

 振り下ろされた桜色の刀、それが的確にランスロットのフロートの翼を切り飛ばした。

 それを成した機体の名は『月姫(カグヤ)』、青鸞のナイトメアである。

 だが青鸞は艦内にいる、ならば誰が操縦しているのか。

 先程の声、聞き覚えがあるような気がするのだが……。

 

 

「く……ルルーシュッ! 青鸞(せいらぁん)ッッ!!」

 

 

 フロートを失い、墜ちていく白き騎士(ランスロット)

 アラートが鳴り響くコックピット・ブロックの中で、スザクが叫び声を上げた。

 目の前に映し出されるヴィヴィアンの艦体が、無常にも遠ざかっていくのをただ見つめながら。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 戦闘空域を離れつつあるヴィヴィアンは、高度を下げて海面近くを低空飛行していた。

 艦体上部に展開された光学迷彩――特殊なシリコン被膜を施した艦体装甲に、解析・修正した周囲の映像を映し出す兵装――によって衛星などの探知を逃れつつ、中速で飛行を続けている。

 そしてその真下の海面から、1隻の黒い潜水艦が浮上してきた。

 

 

 しかしそれは黒の騎士団の専用潜水艦では無く、葉巻型と呼ばれる旧日本軍の物である。

 改造型のくろしお型潜水艦、リニア推進の採用により海中をほぼ無音で航行できる、旧日本軍が最後に開発・建造した潜水艦だ。

 これは黒の騎士団ではなく、旧日本解放戦線の協力艦である。

 

 

「…………月姫(カグヤ)

 

 

 上空のVTOL機も付近に集まり、潜水艦やヴィヴィアンの格納庫へとナイトメアと人員を下ろしていく。

 ヴィヴィアンは現状ほぼ無人で動いている、これは「侵入者があった」と言うそもそもの情報と矛盾するのだが、そちらはルルーシュ……いや、ゼロがギアスで艦内の兵を使った擬態であった。

 故に艦体に致命的な損傷は無い、が、人員の補充は急務だった。

 

 

 そしてそのヴィヴィアンの後部格納庫、ハッチが破壊されて風が吹き込むその場所に青鸞はいた。

 バイザーとマントは脱ぎ捨てているがラウンズの騎士服のまま、立ち竦むように見上げるのはダークブルーのナイトメアだ。

 半年程度見ていないだけだが、まるで十数年会っていないかのような懐かしさがあった。

 

 

「……!」

 

 

 その時、彼女の周囲に無頼隊から降りてきた黒の騎士団の団員達が駆け寄ってきた。

 この半年間で入れた新兵なのか、あるいは最初から知らない人間なのか、青鸞が覚えていない顔の人間達だった。

 その手に銃を持ち構えている所を見ると、騎士服を着た青鸞を敵と認識しているのかもしれない。

 

 

『待て』

 

 

 後方より声が降る、マイク越しのその声は黒の騎士団の団員は神の声に等しいものだ。

 

 

『彼女の顔を忘れたか、その方は亡き枢木ゲンブ首相のご息女、青鸞嬢だ』

「ぜ、ゼロ!」

「し、しかし、ブリタニアの騎士服を……」

『青鸞嬢には、今回の作戦のために艦内に潜入して貰っていたのだ。多くは機密事項のため語れないが、ここは私を信じて銃を下ろして欲しい』

「は……はっ!」

 

 

 ゼロの言葉に従い、団員達が銃を下ろす。

 着替えておけば良かったろうか、そんなどうでも良いことを青鸞が考えていると、月姫のコックピット・ブロックが開いた。

 ゼロが団員達を艦内に散らせて人払いをしている中、彼女は降りてきた。

 その顔を、青鸞は良く知っていた。

 

 

「……雅?」

 

 

 やや疑問符を浮かべたのは、濃紺のパイロットスーツ――青鸞が使っていた物に似ている――を身に纏っていたからだ。

 しかしその少女は、間違いなく榛名雅だった。

 青鸞よりも胸元が少々苦しそうな、長い黒髪の少女。

 

 

「はい、青鸞さま。お帰り、心よりお待ち申し上げておりました。長らくの外国ご訪問、お疲れ様でございました」

「それは、どういう」

「はい。この半年間、青鸞さまはブリタニアの監視の目を逃れて、外国や各エリアの反体制派と会談を重ねていたことになっております」

 

 

 それは、少々虫の良すぎる話のように思えた。

 青鸞が処刑されたと言う報道を受けた者、ブリタニア国内でしか活動していなかった「セイラン」の情報を知る術の無い一般の日本人、エリア犯罪者である枢木青鸞のことをそもそも知らないブリタニア本国の一般人はともかく……雅などの騎士団上層部が知らないはずは無いだろうに。

 

 

 非常に政治的な技術だ、枢木の家に生まれればそんな事例はいくらでも聞いたことがある。

 青鸞が日本に戻る上でも、それが必要だとわかっている。

 しかしいざ自分がその対象になると、どうしようもない後味の悪さを感じるのだった。

 

 

「はい、青鸞さまのご不在の間、日本ではそのように情報操作がされておりました。これも分家の勤め、だから青鸞さまがそれをお気になさる必要はありません。神楽耶さまも、青鸞さまのお帰りをお待ちしております」

 

 

 そう、雅は分家、そして青鸞は本家の人間だ。

 だから雅は青鸞を守るべく行動した、そのためにナイトメアも持ってきた。

 だけど、と青鸞は思う。

 今の自分が純粋な意味でキョウト本家の人間に相応しいのか、自信が無かった。

 雅のような人間の献身に相応しい人間なのか、その自信が。

 

 

『青鸞嬢、少し良いだろうか』

 

 

 そうやって悩んでいると、ルルーシュ=ゼロが声をかけてきた。

 彼は青鸞の傍に歩み寄って来ると、少し首を傾げるようにしながら。

 

 

『貴女に、見てもらいたいものがある』

「……?」

 

 

 首を傾げ返す青鸞に対し、表情の見えない仮面の向こうで、ルルーシュは微かに笑んでいた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ヴィヴィアンの艦内は広い、全体を把握している者はまずいないだろう。

 オペレーターや設計に携わっている者達でさえ、コンピュータに頼ってようやくと言う所だろう。

 まして艦内の部屋の全てを知る者など、それこそいない。

 と言うわけで、青鸞は見覚えの無い通路を歩いているのだった。

 

 

「ルルーシュくん、どこへ行くの?」

「すぐそこだ、とは言え、人払いは徹底してあるがな」

 

 

 言葉の通り誰もいない通路だからか、ルルーシュはゼロの仮面を外している。

 青鸞はそんなルルーシュの横顔を見つめながら、僅かに首を傾げる。

 ルルーシュの意図が読めない、いやそれは昔からではあるのだが。

 

 

 それにしても、と、青鸞は溜息を吐く。

 今日は本当、いろいろありすぎて疲れた。

 何があったのかといちいち挙げ連ねるのも疲れる、肉体的にも、精神的にも……。

 と、そうこうする内に目的の部屋についたらしい。

 

 

「ここだ」

 

 

 扉横のキーに12桁の暗証番号を打ち込み、扉が静かに開く。

 そこは士官用の物と同程度の広さの部屋だが、白を基調とした、どことなく女の子が好みそうな内装になっていた。

 白いレースのカーテン、小物入れの引き出しのついた鏡台、壁にかかった鳩時計、丸みを帯びたベッドの上にはぬいぐるみと、いかにも少女趣味の部屋だった。

 

 

 しかし、青鸞が目を丸くしたのは部屋の趣味がどうのと言うことでは無い。

 むしろそこにいた人間が問題なのだ、だから青鸞は言葉を失ってしまった。

 何故ならその部屋にいたのは、そこにいるはずの無い人間だったからだ。

 

 

「ナナリー……ちゃん?」

「え?」

 

 

 ふわふわの長い髪に淡い色のロングドレスの少女、閉じた瞳が特徴的な少女だ。

 もう5年もすれば絶世の美女になるだろう容貌のその少女は、車椅子の上で小さな顔を入り口へと動かした。

 驚きに染まっていたその顔は、数秒の後に喜色を浮かべて。

 

 

「その声、もしかして……」

 

 

 車椅子を動かし、ナナリーが青鸞の傍まで寄って来た。

 そしてその小さな手を伸ばしてくる、目が見えないはずなのに正確に。

 反射的に伸ばした手を、ナナリーが掴む。

 すると彼女は、得心がいったと頷いた。

 

 

「もしかして……青鸞さんですか?」

「え、と……そうだけど、良くわかるね。声変わりとかしてるんだけど……」

「声は少し変わっても、雰囲気とかはそのままですから」

 

 

 嬉しそうな顔と声、8年ぶりの再会なのだから無理も無いだろう。

 青鸞もそっと手を握り返す、小さく柔らかな掌がその中にあった。

 嬉しくないわけが無い、大切な幼馴染で、8年前には妹同士として交流したのだ。

 だが、今はそれ以上に疑問の方が大きかった。

 

 

 ナナリーはルルーシュよりも早くブリタニアに戻り、アーニャの守護の下で他者と関わりの無い生活を送っていたはずだ。

 帰還したルルーシュはもちろん、記憶を取り戻した青鸞でさえ会うことは出来なかった。

 そのナナリーが、どうしてここに。

 

 

「あ……」

 

 

 声を漏らしたのは、どちらの少女だっただろうか。

 手袋を外したルルーシュが、重なっていた2人の少女の手に自分の手を置いて、包み込むようにして握ったのだ。

 目の見えている青鸞にも、目の見えないナナリーにも、それで伝わる。

 

 

「もしかして……」

 

 

 ナナリーの目端に透明な雫が輝く、それを見つつ青鸞は思った。

 ルルーシュが何かしたのだ、間違いない。

 思えばルルーシュがナナリーをブリタニアに置いてくるはずも無い、考えてみれば当たり前のことだ。

 ルルーシュは、妹を必ず守り抜くのだから。

 

 

(……ちょっとだけ、複雑だけど)

「シスコンなだけだろう」

 

 

 いつの間にか扉に寄りかかるようにして立っていたC.C.が、割と酷いことを言っていたが。

 しかしおかげでセンチメンタルな気分はすぐに消えてしまい、青鸞は落ち着いて考えることが出来るようになった。

 いったい、どうやってナナリーをブリタニアから連れ出したのか。

 

 

 ナナリーを連れ出す、言う程簡単なことでは無い。

 ブリタニアを出し抜いて皇女を攫うなど、普通は出来ない。

 だがルルーシュには普通では無い力がある、類稀な智謀とギアスだ。

 

 

「いったい、どうやって……」

 

 

 青鸞の言葉に、ルルーシュは口元の笑みを深くした。

 自信に満ち溢れたその笑みを見るのは2人の少女、そして聞くのは1人の少女。

 3人の少女の前で、彼は種明かしを始める。

 それは、ルルーシュ渾身の策の全貌だった。




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 最後の最後でまさかのナナリー奪還、次回はその実行シーンが主になるかと思います。
 うん、つまり「説明せねばなるまい」な回です。
 はたしてどのような手段でナナリーをヴィヴィアンに連れてきたのか、ハードルが無駄に高いことになりそうです。


『ルルーシュくんの宝物、ナナリーちゃん。

 ブリタニアに囚われていたはずだけど、どうやったんだろう。

 いや、昔からルルーシュくんはナナリーちゃんのためなら能力5割増しで頑張る人だったけどさ……。

 ……それで、ルルーシュくん、どうやったの?』


 ――――TURN5:「ナナリー奪還作戦」


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TURN5:「ナナリー 奪還 作戦」

後書きに募集があります、よろしくお願い致します。


 ――――それは、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアを司令官とするポリネシア制圧軍がブリタニアを進発して1日が経過した時点のこと。

 ブリタニア国内がEU本土への上陸作戦の開始で湧いていた頃、世間の喧騒から隔離されたような静かな場所に彼女はいた。

 

 

 ナイトオブラウンズの6番、アーニャ・アールストレイム。

 彼女は今、ロイヤルガーデンの一角にある城館の中にいる。

 鐘楼のある高い塔を中心に四角く並ぶゴシック建築、小川に沿うように建つ館。

 ただその城館には人がいない、無人なのだ、8年前のある時から。

 

 

「ここが、皇女殿下が子供の頃に過ごしていた場所?」

「はい、今では定期的な整備以外は人は来ませんが……」

 

 

 一緒にいるのは、アーニャの護衛対象であるナナリーだった。

 車椅子の少女は見えない瞳で周囲を見渡し、かつて自分が使っていた寝室の空気を懐かしげに吸い込んでいる。

 目には見えないが、記憶の中にある場所と同じままに保たれているだろうことはわかった。

 

 

 ここはアリエス宮、皇族の離宮の一つであり、かつてナナリーの母后マリアンヌの所有物だった城館だ。

 そして、そのマリアンヌ后妃がテロリストの凶弾に倒れた場所でもある。

 ナナリーの希望で決まった訪問だが、居住者がいない無人の城館では寂しいものがあった。

 だからこの訪問は、ナナリーの郷愁から来た何事かでしかない……と、アーニャは思っていた。

 

 

「……クマ」

「え?」

「机の上、クマのぬいぐるみがある」

「ああ、それは私が昔使っていたぬいぐるみで……」

 

 

 だけど、それはそれで構わないとアーニャは思う。

 記憶は曖昧なもの、そこから生まれる郷愁も曖昧なもの。

 人は、そうした曖昧なものに縋る生き物。

 記録に頼るアーニャにとっては、あまりよくわからないが。

 

 

「失礼致します、ナナリー殿下、アールストレイム卿」

 

 

 その時だった、2人きりだった空間に別の声が響いたのは。

 振り向けば、寝室の入り口の外で控えていた2人のメイド――ナナリーの世話係だとかで、ついてきていた――がそこにいて、ナナリーとアーニャに対して礼をしていた。

 静かに振り向くアーニャに、メイドの1人が視線を向けた。

 薄紫色の長い髪のメイドで、確かもう1人のメイドの妹だったか。

 

 

「さ……んっ、ファリンさん、何か?」

「お話中失礼致します、皇宮ペンドラゴンからアールストレイム卿にご連絡が入っております」

「……私?」

「はい」

 

 

 訝しげな表情を浮かべるアーニャに対して、ファリンと言う名のメイドが頷く。

 アーニャとしては護衛対象から離れたくは無いが、皇宮からの連絡となれば無視は出来ない。

 そんなアーニャの気持ちを察したのか、ナナリーが。

 

 

「大丈夫です、アーニャさん。ノエルさんもいますし……」

 

 

 その言葉に視線を動かすと、薄紫色のショートヘアのメイドが静かに目礼した。

 元々アリエス宮にいたメイド、館のことには精通しているだろう。

 それに、無人のこのアリエス宮でナナリーに危険が及ぶ可能性も低い。

 電気や水道は止まっているが、何故か保安システムは生きているのだから。

 

 

「……行く」

「はい、ご案内致します」

「何かあったら、通信機で」

「はい」

 

 

 頷いて、しかし不意にナナリーが表情を翳らせる。

 

 

「……あ、あの、アーニャさん……」

 

 

 理由がわからず首を傾げながら歩いていると、扉が閉まる直前、言葉が降ってきた。

 

 

「……ごめんなさい」

 

 

 言葉の意味は、この時点ではわからなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 当然ではあるが、アーニャはアリエス宮に来たのは今日が初めてである。

 と言うより、無人の離宮に来る人間などほとんどいないだろう。

 だが、同時にアーニャはふとした違和感を感じるのだ。

 例えば壁にかけられた絵、例えば床のカーペット、例えば家財の位置。

 

 

(私、ここ……知ってる?)

 

 

 記憶には無い、記録を探せばあるのかもしれない。

 だが一歩を進む度に、何かが自分の中で蠢くのを感じるのだ。

 まるで、アーニャの無表情の下に別の顔があるかのように。

 

 

 しかし、それは究極的にはどうでも良いとアーニャは考える。

 記憶と記録の齟齬など昔から馴染みのもので、今さら気にすることでも無い。

 アーニャが気にするべきことは、他にあった。

 例えば、自分を案内するメイドのファリンがいつまで経っても歩みを止める気配が無いこととか。

 

 

「……ねぇ」

「はい、何でございましょうか、アールストレイム卿」

「通信機って、どこにあるの?」

「申し訳ございません、現在、アリエス宮には電気が通ってございません。ですので、独立端末のあるお部屋までのご案内となります」

「そう」

 

 

 それに対して頷いて、アーニャは視線を下に落とす。

 静かな目の向こうには、歩みを進める度にロングスカートから除くファリンの靴がある。

 

 

「……このお城は、もう何年も前に閉鎖されてる」

「はい、左様でございます」

「どうして、独立した端末があるの? 私達が乗ってきた車には無かった」

 

 

 沈黙するファリンの背中に視線を動かして、アーニャは首を傾げる。

 可愛らしさすら感じるその仕草は、しかしどうしてか可愛らしさとは別のものを宿していた。

 それは、アーニャの視線を背に受けるファリンが最も感じているだろうことだった。

 

 

「…………」

「それに」

 

 

 沈黙するメイドに、帝国最強の騎士が問う。

 

 

「……貴女、どうして足音をさせないの?」

 

 

 次の瞬間、アーニャの視界に剣閃が煌いた。

 いや、剣では無い。

 それは東洋でクナイと呼ばれる短剣だった、ブリタニアには存在しない武器。

 仰向けに倒れ、胸を逸らしてアーニャがそれをかわす。

 

 

 騎士服の胸元が微かに破れ、僅かに薄い胸元が露出する。

 そのまま床に手を突き、片手でバク転するように後ろに飛ぶ。

 着地のタイミングでさらに三本のクナイが飛んでくるが、アーニャは片手を床についた状態で身体を持ち上げ、そのまま蹴り弾いた。

 鋼板の仕込まれた靴先が鉄の刃を弾き飛ばし、一本が通路に置かれていた古い花瓶を割って落とした。

 

 

「……!」

 

 

 花瓶が割れると同時に、アーニャは駆けた。

 その際床に落ちていたクナイを拾う、一瞬の出来事だった。

 ロングスカートを翻し、瑞々しい太腿に巻いたバンドから新たなクナイを抜いたファリンと切り結ぶ。

 けたたましい金属音が同時に3度聞こえた、それ程のスピードで交錯が発生したのである。

 ナイトオブラウンズとまともに斬り合えるメイドなど、いるはずが無い。

 

 

「……貴女、誰? ただのメイドじゃない」

「いいえ、私はただの……メイドでございます」

 

 

 相手の返答に眉を顰めるアーニャ、何故なら相手の声が前半と後半で変化したからだ。

 理由は、ファリンと名乗っていたメイドが仮面を外すように顔を外したためだ。

 仮面のようなマスクの向こうに、非白人系……東洋系の女の顔が僅かに見える。

 固定液の塗られた白い顔は、その右眼の部分だけが外に出ている状態だった。

 少なくとも、ブリタニア人のメイドでは無い。

 

 

「それでは、無作法ながら……失礼させて頂きます」

 

 

 その女が懐から何かを取り出し床に投げる、直後、白い煙が通路を覆った。

 煙幕、目晦ましである。

 同時にガラスが割れる音が響いた、そして外へと何かが落ちる音。

 ――逃げられたと判断するのに、不都合が無い状況だった。

 

 

「…………」

 

 

 煙が晴れるのを待ち、案の定割られていた窓ガラスから下の庭園を覗き込む。

 そこに先程のメイドの姿はもちろん無い、嘆息することもなくアーニャはそれを認めた。

 そして程なくして、正門の方から車が走り去るタイヤ音が聞こえた。

 もしかしなくとも、何か関係があるのだろう。

 

 

 しかしアーニャはそちらを追わなかった、代わりに歩いてきた道を全速力で駆ける。

 向かった先はもちろん、護衛対象であるナナリーはいるはずの寝室だ。

 5分もしない内に到着し、緊急時のためかノックもせずに扉を開ける。

 すると……。

 

 

「……皇女殿下?」

 

 

 ……答える声は、何も無い。

 ただ、ナナリーが子供の頃に使っていたと言うクマのぬいぐるみだけが、寂しげに床に転がっているだけだった。

 それの意味するところは明らかで、流石のアーニャも少し焦りの色を見せた。

 

 

 争った形跡は無く、さっきのメイドもいない。

 ならばメイド自身がナナリーを攫ったか、あるいは共に連れ去られたのか。

 いずれにしても、アーニャとしてはまず皇宮に連絡を取る必要が……。

 

 

『ああ、それは困っちゃうのよねぇ』

「……! な、何……?」

 

 

 心臓が脈打つような、そんな不自然な鼓動が身体の中で響いた。

 アーニャは表情を歪めて頭を押さえ、僅かに膝を折る。

 身体の中に何かがいる、その認識が表情を歪めさせていた。

 

 

『身体、借りるわね』

 

 

 ズキン、一瞬の頭痛に目を閉ざして呻く。

 熱に浮かされるように閉ざされた瞳が、次に開かれた時には――――。

 ――――真紅。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ナナリーは、極度の緊張状態にあった。

 元は離宮に住む皇族の脱出用だったルートを使い、ファリン――に変装した咲世子――が遠回りをしてアーニャを遠ざけている間に正門まで出る。

 そしてそこで送迎のリムジンを強奪した集団と合流し、そのまま逃走へと移行したわけである。

 

 

 しかし、目が見えず足も動かないナナリーにとっては過度の負担を強いるものだった。

 いくら抜け道のルートを知るノエルに背負われてのこととは言え、どこへ向かうのかもわからないと言うのは恐怖だ。

 しかもナナリーの場合、それを己の意思で行うことが出来ない。

 

 

「ナナリーお嬢様、こちらへ」

「は、はい……」

 

 

 身体が揺らされる感覚に縮こまりつつ、車に乗せられるナナリー。

 自分が乗ってきたリムジンとは言え、状況が状況だ、緊張するのも無理は無いだろう。

 諸事情により運転手は正門にもたれかかるようにして気絶している、運転席に乗り込んでハンドルを握ったのはノエルだ。

 

 

 一声かけた後、ノエルはリムジンのアクセルを踏み込んだ。

 逃走するにしては緩やかで、ナナリーに対しての配慮が窺える。

 とは言え、ナナリーは緊張のためか胸に手を当てて息を吐いていたが。

 若干だが顔色も悪く、元々の白さと相まって余計に儚く見える。

 

 

「大丈夫? ナナリー」

「え……」

 

 

 その時、不意に声をかけられてナナリーは顔を上げた。

 ノエルでは無い、咲世子は別ルートで後ほど合流することになっているから違う、となると第三者と言うことになるのだが。

 記憶力の良いナナリーは、その声の主を知っていた。

 

 

「その声、もしかして……カレンさんですか!」

「うん、久しぶりね、ナナリー」

「は、はいっ、あの、どうしてカレンさんが、あのあの、えっと、私、お兄様……あ、もしかしてお兄様も、あのっ」

「お、落ち着いて、ちゃんと説明するから」

 

 

 そこにいたのは、カレンである。

 髪は下ろし、アッシュフォード学園の制服では無く薄い赤を基調としたロングワンピースなど着ているが、間違いが無かった。

 所謂お嬢様モードの格好、皇女専用のリムジンに乗っていても違和感の無い服装だ。

 どことなく座り心地が悪そうなのは、肌に合わないからなのだろう。

 

 

 そして生徒会の先輩であるカレンの登場に興奮したのか、意味の無い言葉の羅列を並べるナナリー。

 流石のカレンも、これには苦笑せざるを得ない。

 ただ、どうして彼女がここにいるのか、と言う質問には明確な答えを返すことが出来る。

 

 

「ゼ……じゃない、ルルーシュに頼まれてね。迎えの来たの」

「お兄様に? お兄様はあの、今……! あれ、でもここはペンドラゴンで、どうしてカレンさんが本国に……?」

「あー、えっと……まぁ、いろいろ混乱するのもわかるけど、説明は後でも良い? 何と言うか、本当にいろいろ面倒で……」

 

 

 どうせ、ルルーシュが説明するだろうし。

 そんな微妙に黒いことを考えつつそんなことを言えば、素直なナナリーは「わかりました、ごめんなさい」と言葉を返してくる。

 この素直さ、あのルルーシュが溺愛するわけだとカレンは思った。

 

 

 カレンとしては、一応、ルルーシュの頼みでナナリー救出に協力する形になっている。

 ゼロとしての命令では無いが、しかしゼロとしての活動に影響することでもある。

 何しろルルーシュは、皇帝の手中にナナリーがいると非常にやりにくいだろうから。

 それに個人的にも、生徒会の後輩であるナナリーの救出に否やは無い。

 まぁ、多少の言い分もあるにはあるのだが。

 

 

「まぁ、今はそれより……ノエルさん、このままあえて民間道路に出て空港へ。シュタットフェルト家の名前でチャーター機が用意してありますから」

「畏まりました」

 

 

 カレンの言葉に頷き、ハンドルを回してノエルがリムジンをロイヤルガーデンの外へと向かわせる。

 シュタットフェルト家の名であれば、ある程度のことは可能だ。

 まぁ、事が露見すればシュタットフェルトの家名ごと地上から消滅するだろうが……それはそれで、問題は無かった。

 

 

 そして意外と言うか、少しは覚悟していたのだが……彼女達のリムジンは、ロイヤルガーデンを抜けて民間道路に入った。

 あのラウンズの護衛が即座の連絡をしていれば検問の一つもあるはずなのだが、その様子は無い。

 不気味なほどに順調に、ロイヤルガーデンから抜け出せてしまった。

 

 

「好都合だわ、このまま空港まで辿り着ければ」

「……おかしいです」

「え?」

 

 

 運転席に繋がるガラス窓を開けて、ノエルが疑問をぶつけてくる。

 後部座席の窓はスモークがかかっているためか外が見えにくいが、運転席は無論そんなことは無い。

 そしてそこには、民間道路から空港へ繋がるハイウェイ方面へと伸びる道路が見えるのだが。

 

 

「他の車両の姿が見えません」

「…………まさか!」

 

 

 いくらロイヤルガーデンの付近とは言え、民間道路に車が走っていないわけが無い。

 ここはブリタニア屈指の大都市ペンドラゴン、常ならば大渋滞が起こっていてもおかしくない。

 だと言うのに、ノエルの眼前に広がる広大な道路には他の車両の姿が全く無かった。

 ペンドラゴンにおいてこれ程のことは、それこそ軍の規制でも無ければあり得ない。

 

 

 だからカレンは走行中にも関わらず、後部座席の扉を開いてリムジンの後ろを確認したのである。

 車内に風が入り込み、ナナリーがスカートを押さえるようにしながら小さな悲鳴を上げる。

 だがカレンはそれには構わなかった、軍の追撃部隊がいるだろうリムジン後方を鋭く睨んで……次の瞬間、目を丸くした。

 何故ならそこにいたのは、軍の部隊などではなかったからだ。

 

 

「バイク……サイドカー、しかも一台だけ!?」

 

 

 カレンの驚愕の声の向こうに、彼らはいた。

 紫色に塗装されたそれはブリタニア軍仕様のサイドカーだ、である以上、乗っている人間は2人。

 1人は光の当たり具合で茶色にも見える金色の髪の男、鋭い目つきと190センチ近い長身が特徴だ。

 そしてもう1人は、金髪碧眼の小さな少年だった。

 

 

(何、あの子……)

 

 

 しかし、カレンはその少年に予感じみた何かを感じていた。

 それは直感に近いものだったが、しかし不幸にも的中していた。

 すぐに、それがわかる。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「お、見えた見えた……流石は姉御、見事な計算だ」

 

 

 サイドカーを運転している長身の男が、携帯電話を片手に何かを話している。

 姉御と言う単語からわかるのは、相手が女性であると言うだけ。

 その相手に対して、彼は口元に笑みを浮かべながら告げる。

 

 

「軍を抜け出すの大変だったんだぜぇ、姉御」

『知らない、文句はV.V.に言え』

「コイツは手厳しい、で、別に殺しても良いよなぁ?」

『好きにしろ、ただし、皇女だけは傷をつけるな』

「へいへい、わかりましたよっと……けっ、ロード・マクシミリアンは潔癖でいらっしゃる」

 

 

 携帯電話をそのまま後方に投げ捨てる、するとそれと入れ替わりに側道から4台のバイクが出現した。

 サイドカーを中心に広がるバイク兵が、カレン達の乗るリムジンを追走している。

 

 

「アデス隊長! 道路の封鎖は完了済みでさぁ!」

「今日の獲物は何です!?」

「おぅ、お前ら」

 

 

 正規のブリタニア兵の装備を身に着けたバイク兵は、どうやら彼の部下のようだった。

 アデスと呼ばれた男は部下達の声に応じるように指先をリムジンに向けた、そして。

 

 

「皆殺しだ! 女しか乗ってねぇ、好きにしな!」

「「「HYAAAAAAAAAAAAAAA!!」」」

 

 

 歓声を上げる部下達の声に笑みを浮かべるアデス、30代に入ったばかりと若い彼だが、しかしその笑みはどこか老獪じみていた。

 そして正規兵とは思えない彼らは、所謂囚人兵である。

 全員が殺人以上の罪を犯した囚人兵、腕を買われ、免罪のために戦場に出されている者達だ。

 実力主義のブリタニアでは、罪すらも実力で拭うことが出来る。

 

 

「つーかアデス隊長、そのガキ何ですか?」

「あ、コイツか? コイツはまぁ、保険だよ」

「保険?」

 

 

 首を傾げる部下に、アデスは笑みの種類を変える。

 それは彼が部下にも告げていない、ブリタニアの裏に関わるからこその笑みだった。

 実際、彼のサイドカーの座席にはピエロの衣装とメイクの施された小柄な少年が1人座っている。

 

 

 彼は怯えたような視線を自分を運ぶ男に向けたのだが、しかし何も言わなかった。

 アデスはそれに対して鼻で笑う――――モルモットの少年などに興味は無い。

 必要なのは、彼の能力なのだから。

 

 

「隊長! 車の上に女が!」

「ああん?」

 

 

 顔を上げる、すると流石のアデスもぎょっとした表情を浮かべた。

 何故なら自分達が追走しているリムジンの屋根、その上に、ドレスのスカートを破った赤い髪の女性が身を乗り出していたのだから。

 その手に、細長い銃を手にして。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 時速80キロで走る自動車の屋根に身を晒すのは、はっきり言って自殺行為だ。

 いかにアンカーを命綱に繋いでいるとは言え、あまりにも無謀な行為。

 しかしカレンは天性のバランス感覚によってそれを行った、邪魔っ気に割かれたドレスのスカートからは、太腿の際どい部分まで晒された白い脚が覗いている。

 

 

「おいおい、何だあの女は!」

「お生憎さま。紅蓮はリムジンより、ずっと激しいのよ!」

 

 

 リムジンの屋根の上で身を低くして、カレンは銃を構えた。

 このまま空港までエスコートしてもらうつもりは無い、だから躊躇無く引き金を引いた。

 皇女護衛のため、リムジン内に収納されていた7.62ミリ口径のアサルトライフルの引き金を。

 箱型弾倉から空薬莢が散り、後続のバイク兵へと火線を飛ばした。

 

 

「ぐぉっ……どわああぁあっ!?」

「っと、ほぉ……女だてらにやるじゃねぇか」

 

 

 立て続けに4発放たれた弾丸はリムジンの揺れで狙いが荒れている、だがその内の1発がバイクの前輪を破裂させ、バランスを崩したバイク兵が転倒したのだ。

 車体を大きく揺らせて回避したアデスは、軽く口笛を吹きながらカレンの度胸を称賛した。

 部下が後方で悲鳴を上げているのだが、それに対して何かを気にした様子は無い。

 

 

「とは言え、この状況じゃ適当に撃たれるだけでも面倒だな。さて……」

 

 

 チラリ、と座席に座る少年を見るアデス。

 その顔は新しい玩具を貰ったばかりの子供のようで、つまり新しい兵器を受け取った兵士のそれだった。

 

 

「保険の出番だ。やれ、アルフレッド!」

「…………」

 

 

 アルフレッドと呼ばれた少年は、声を発さず、色黒の顔を頷かせただけだ。

 しかしその意思は、彼の右の瞳に宿る。

 赤く輝く、飛翔する鳥のような紋様が。

 

 

「アレは……まさか!」

 

 

 その赤い毒々しい輝きに、ルルーシュのギアスを知るカレンが気付かないわけは無かった。

 しかし次の瞬間、彼女の視界からその輝きは消える。

 一瞬、カレンには何が起こったのかわからなかった。

 だが、視界から消えたと言うのは実は正しくない。

 

 

 今、カレンの目の前には遮蔽物の無い道路が見えていた。

 だが、不自然なのだ。

 どう言うわけか周囲の景色が後方へ流れていくのだ、まるで高速でバックしている時のように。

 そして不自然は続く、ノエルが運転するリムジンが急激にバランスを崩したのだ。

 

 

「きゃあ……っ」

 

 

 車内でナナリーが悲鳴を上げる、それを聞いてノエルが顔を顰める。

 しかし彼女にも言いたいことがあった、目の前にベイク兵達がいるのだ。

 しかもどう言うわけか周囲の景色の流れがおかしい、近付いてくるのではなく、どんどん遠ざかっているように見えるのだ。

 

 

「これは、いったい……!」

 

 

 リムジンが左右に大きく触れる、操縦が定まらない。

 視界に映る道の通りに走っているのに、何故か上手く運転できない。

 計画都市のおかげかストレートが多いのが幸いではある、しかしそれも長くは続かない。

 

 

「お、自動走行(オートパイロット)に移行……!」

『イエス・マイ・ロード、オートパイロットに移行します』

 

 

 たまらずリムジンを自動走行に切り替える、万が一、運転手に何かあっても要人を目的地まで運ぶためのシステムだ。

 しかし欠陥もある、特別なコマンド・ワードが無い限り法定速度以上の速度では走行できないのだ。

 すると当然、バイク兵に追いつかれる。

 

 

「く……視界が、おかしい……!」

 

 

 迫ってくるバイクの音は聞こえるのに、視界には映らない。

 近くにいるのに、見えない。

 それに苛立つかのようにアサルトライフルの引き金を引くのだが、それすら見えない。

 自分が撃ったはずの銃すら、感じはしても見えないのだ。

 

 

 そしてその様子を、変わらずリムジンの後方からアデスは見ていた。

 残りの部下を引き連れる彼の口元はニヤニヤと歪められており、その隣では放心状態のまま右眼を赤く輝かせる少年がいるだけだ。

 男は、その右眼の効果を知っている。

 

 

「ぎゃぁ――はははははははぁっ! ギアス『ザ・シャッフル』は、範囲内にいる人間の感覚を入れ替える!」

 

 

 アルフレッドが入れ替えた感覚は視覚。

 つまり今カレンの目にはノエルの視界が、ノエルの目にはカレンの視界が見えていることになる。

 そんな状態では、銃を撃つことも運転することも出来ないだろう。

 

 

「良し、今の内だ! 野郎共、リムジンを囲んで……って、おお?」

 

 

 アデスが間の抜けた声を上げたのは、彼の隣で嫌な水音がしたからだ。

 それはアルフレッドが嘔吐している音で、それを見たアデスは舌打ちする。

 少年の右眼から、赤い輝きが消えている。

 

 

「ちぃ、そういや効果は一分きりだったな。遊んでる場合じゃ無かったか……行け、野郎共!」

「「おお!」」

 

 

 2台のバイクが急加速する、速度の落ちたリムジンを両側から挟み込んだ。

 しかし、不意にリムジンが大きく車体を左右に振った。

 車体が左右のバイク兵を押しのけ、転倒させる。

 火花と悲鳴を散らせながら、道路上に落ちた兵とバイクが壊れながら後方へと消える。

 

 

「視界さえ戻れば……」

「……こちらの!」

 

 

 ノエルの声を繋ぐように、カレンがアサルトライフルの弾倉を入れ替える。

 そして次の瞬間、立て続けに7発射撃、最後のバイク兵のタイヤを破裂させた。

 それに対して、アデスはサイドカーを大きく曲げながら射撃をかわしつつ、舌打ちした。

 

 

「ちっ、面倒な力だぜギアスってのはよぉ!」

 

 

 足元のスペースから手榴弾を掴み取り、サイドカーの速度を上げる。

 そして手榴弾の先端で蹲っている少年の頭を殴りつけると、怒鳴った。

 

 

「おら、もう一度やんだよガキ!」

「…………」

 

 

 頷く少年、その視界に再びカレンを収める。

 そして右眼にギアスの輝きが宿った。

 それに対してアデスは笑みを深くする、エンジンを噴かせて一気に加速した。

 

 

「……う!?」

 

 

 ぞわり、嫌な感触がアデスの背筋を走る。

 囚人兵としての彼の直感がそうさせたのだ、その躊躇が、彼の命を救うことになっていたのかもしれない。

 反射的にハンドルを切ることで、脳天を貫くはずだった銃弾が左肩を掠める程度で済んだのだから。

 

 

 カレンの朱色の瞳が真っ直ぐに後方、つまりアデス達を見つめているのが見えた。

 しかしカレンの視界はノエルと入れ替わっている、アデスが見えているはずは無い。

 そのはずなのに、アデスの左肩に9ミリ弾が擦過していったのだ。

 

 

「馬鹿な、見えてるはずが……ッ!」

「見えてるわよ――――屑の顔がねッ!!」

 

 

 たまらず停車したアデスが毒吐くと、カレンの高らかな声が響いてきた。

 少年の嘔吐する音を聞きながら、左肩を押さえつつアデスが遠ざかるリムジンを睨む。

 視界を入れ替えて見えている、どういうことだと歯軋りしながら。

 

 

 すると、そこに答えがあった。

 運転席、オートパイロットに切り替えたままのリムジン。

 すなわち手が1つ空いている、ノエルだ。

 運転席から身を乗り出したノエルの手には拳銃が一つ、カレンの視界を借りて銃弾を放ったのだ。

 

 

(んなっ……ザ・シャッフルの効果に、一度で気付いただとぉ!?)

 

 

 カレンがギアスに関する知識を持っていなければ、不可能だっただろう。

 ノエルとカレンの視覚に異常が出ていたのはわかっていたので、互いの視覚情報を交換すれば異常の正体に気付くことは難しくない。

 ならば、後は度胸の問題だ。

 

 

 

「あの(アマ)ぁ……調子に乗ってんじゃねぇぞゴルァッ!」

 

 

 アデスの叫びと共に、バラバラと言う独特の音が空から響いてきた。

 それにアデスは笑みを浮かべる、何故ならそれは彼の部下達が乗っているヘリの来援を告げる音だったからだ。

 

 

「来たか……ようし、やっちまえ! 皆殺しだ!!」

 

 

 声を張り上げるアデスに応えるように、ハリが機体を振るようにして加速に入った。

 機体を前に傾け、その脇に抱えているミサイルポッドからミサイルを放とうと射口を開く。

 だが、そのミサイルが放たれることは無かった。

 

 

「な!?」

 

 

 アデスの驚愕の声が響いたと同時に、ヘリは爆発粉砕されていた。

 どこからともなく放たれた太く赤黒い光線が、ヘリを飲み込んでしまったためだ。

 一瞬、何が起こったかわからなかった。

 

 

 彼が正気に戻ったのは、ヘリの残骸が自分の上に墜落してくるのを認識した時だ。

 右腕一本でバイクのエンジンを噴かし、慌てて退避する。

 次の瞬間、ペンドラゴンの民間道路に攻撃ヘリが墜落した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 赤黒い光線の先を辿ると、1機のナイトメアフレームが存在することに気付く。

 何故その機体がそこにあるのかと言えば、理由自体はとても簡単だ。

 単純に、護衛が自分の武器を置いて護衛につくはずが無いというだけだ。

 皇宮ペンドラゴンのラボからオートパイロットで飛来するシステムがあり、それで呼んだだけだ。

 

 

 何しろ道路は追撃者のおかげで封鎖されていたし、そしてカーチェイスを演じたりで進行も遅かった。

 グロースター並みの速度でも十分に速い、距離も十数キロ離れているわけでも無い。

 だからこそ、「彼女」の介入が間に合った。

 

 

「うふふふ……ダメよぉ、おいたは。ナナリーとあの子……えーと、シャルルは何て言ってたっけ? アーニャの記憶だと、せ、せい……ブルー、うん、(ブルー)ちゃんで良いわよね。青ちゃんもナナリーも、ルルーシュの所に帰って貰わないと困るんだから」

 

 

 頭の後ろで結い上げた桃色の髪に、小柄な体躯を覆うレオタードのような、肌の露出の多いパイロットスーツ。

 アーニャ・アールトレイム、そして彼女の愛機『モルドレッド』。

 赤黒い装甲に覆われた重量級KMFのメインモニターには、モルドレッドの砲撃で撃墜されたヘリの様子が映し出されていた。

 

 

「筋書きは、そうねぇ。勝手に原隊を離れた部隊に停止を勧告するも、無視されたため皇女誘拐犯の仲間とみなし撃滅。そんな所かしら? うふふ、またシャルルに苦労させちゃうわね」

 

 

 だが先程までの無表情な少女はそこにはいない、容姿は同じだが、別人のように明るい口調でどんどん喋っている。

 あまりにも性格が違いすぎて双子の姉妹かと疑ってしまうが、正真正銘アーニャ本人である。

 ナイトメアに乗ると性格が変わる、などと特異な性質を持っているわけでは無い。

 

 

 「性格」が変わったと言うより、「人格」が変わったかのようだ。

 そして以前のアーニャと明らかに違う点がある、性格以外の明確な違い。

 それは、彼女の両眼だ。

 細く鋭く、三日月の形に歪む唇と共に笑みの形になっていく瞳。

 

 

「……おいたはダメよ、V.V.。勝手なことばかりされたら、私達の計画が狂っちゃうんだから」

 

 

 その瞳は、真紅の輝きに満ちていた。

 さらに、リムジンの追撃を諦めたらしい男を見て、その瞳はますます猫のように細められた。

 

 

「うふふ、うふふふふふ……ふふ、あっはははははははははははははははははははははは!」

 

 

 空から下界を見下ろす女の声が、コックピットの中で高らかに響く。

 年端もいかぬ少女の身に余りにも不釣合いなその笑い声は、その後、現場に別のブリタニア軍部隊が到着するまで続いたと言う。

 まるで、玩具を見つけた童女のように。

 

 

 ――――そしてその後、ナナリー達を連れたカレンは空港まで辿り着いた。

 検問や書類など突破すべき項目が多かったが、シュタットフェルト家の令嬢の行動を妨げる者はいない。

 そして彼女達は、空港から一路ハワイへと向かい――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「そして、今に至ると言うわけだ」

 

 

 時と場所を戻し、航空戦艦ヴィヴィアンの一室。

 ナナリーとの感動の再会を一通り行った後、ルルーシュの口から直接「ナナリー奪還作戦」の概要について説明を受けたのは青鸞だ。

 まぁ、彼女は何故か疲れたような表情を浮かべていたが。

 

 

「いや、ルルーシュくんがギアスで相当の無茶をしたのはわかるけど……」

 

 

 ルルーシュの話した作戦は、普通ならば作戦と呼べるようなものでは無い。

 単純なように見えて、いくつもの偶発的な要素が重なり合う複雑な作戦だ。

 それを形にしてしまうのがルルーシュの才とも言えるが、無論、ルルーシュとてそこまで楽観的では無い。

 

 

「そうだな、少なくとも皇帝は俺がゼロであると確認しただろう。このタイミングでナナリーが連れ去られ、かつヴィヴィアンが黒の騎士団の襲撃を受ければな」

「でも、ルルーシュくんがゼロだって証拠も無いよね」

「証拠なんていくらでも用意できるさ。例えば俺の部屋にゼロの仮面を放り込むとかな……まぁ、それも今はどうでも良いさ。今はブリタニアの中にも味方がいることだし、な」

 

 

 左眼のコンタクトを外しながら、そう言う。

 その左眼には赤い翼の刻印がある、絶対遵守の力が。

 ルルーシュはナナリーと青鸞の救出のためにブリタニアに舞い戻ったのだが、もちろんそれだけではなく、皇帝の足元に毒を仕込むことに余念が無かったのだ。

 

 

「まぁ、仮にゼロだと断定できる材料が無くとも……テロリストの虜囚になった皇子とラウンズに居場所は無い。ブリタニアはそう言う国だ」

「そこだけボクを含めるんだ……」

「まぁ、せいぜいルルーシュ皇子は華々しく自決したことにでもしようか。幸い、ギアスで団員の何人かに目撃者をでっちあげることも出来た。セイラン・ブルーバードについてはどうするか……まぁ、それもおいおい考えるとしよう」

「…………はぁ」

 

 

 青鸞が溜息を吐いたのは、ルルーシュがいつになく饒舌だったからだ。

 これはルルーシュの癖というか、昔から自分の策が嵌まった時ほど饒舌になる所があった。

 つまり、今である。

 

 

 ペンドラゴンにカレンを連れて行ったのはナナリー救出のため、皇子として活動したのはブリタニア国内に味方を増やすため、ハワイでヴィヴィアンの出航を遅らせたのはナナリーと合流するため。

 ナナリー救出と言う情の行動に、対皇帝と言う理の行動を折り重ねている。

 それも、相当の無茶をして。

 

 

「お前達もご苦労だった、咲世子、ノエル。お前達のおかげでナナリーを取り戻すことが出来た」

 

 

 ルルーシュの言葉に頭を下げるのは、隅で控えている2人のメイドだ。

 ブリタニアと日本、それぞれの地でナナリーに仕えたメイド。

 そして彼が優しい目でベッドの――気疲れだろう、ひとしきり泣いて眠ってしまった――ナナリーを見つめているのを見ると、結局はナナリーのためなのだなと実感する。

 

 

(……良いなぁ)

 

 

 その気持ちがどういう意味なのか、実は本人にもわかっていない。

 幼い頃のように、兄に構って貰えることへの羨望のままなのか。

 それとも兄を憎む今となっては、別の何かなのか。

 この時点では、誰にもわからない。

 

 

(……と言うか、アレだよね。あんなこと言っておいて結局は妹って、それはそれで何だか癪だよね、いや良いこと何だけどね。一応、まぁ、いろいろと……)

「青鸞?」

「へ、な、何?」

 

 

 いろいろ考えている時に声をかけられて、青鸞は思わず変な声を上げてしまった。

 それを恥ずかしく思っていると、ルルーシュは優しい笑みを浮かべた。

 しかしそれもすぐに真剣なものに変わった。

 その視線は、真っ直ぐに青鸞の胸元に注がれている。

 ……言葉だけ聞くと、非常に危ない感じだった。

 

 

「…………何?」

「あ、いや……違う! そういう意味で見ていたわけでは無くて!」

 

 

 胸元を庇うようにすると、ルルーシュは慌てたように首を横に振った。

 まさかもう一度触りたいとか言うつもりだろうか、まさかではあるが。

 

 

「じゃあ、何?」

「あ、いや……青鸞、お前の胸のことなんだが」

「……何で、ルルーシュくんにボクの胸のことを心配されなくちゃいけないのかな?」

「いや、だから違う! 俺はただ真剣に、お前の胸のことを心配というか……気にしているんだ!」

「ナナリーちゃんの前で何てことを!」

「違う!! 俺はただ本気でお前の胸のことを!」

 

 

 何故か無性に、ルルーシュを殴りたくなった青鸞だった。

 なお、2人のメイドは沈黙している――主の醜聞に口を出す気は無かったらしい。

 

 

「よ、余計なお世話だよ! ちゃんとこの半年で成長したもん!」

「お前はいったい、何の話をしているんだ!?」

「まったくだ、こんな時に何の話をしている」

 

 

 もはや収拾のつけようも無いかと思われたが、そこへ横槍を入れてきた者がいた。

 それはナナリーの寝ているベッドの上で足をパタパタさせていた緑の髪の魔女、C.C.だった。

 彼女は実に冷ややかな視線をルルーシュに向けた後、ついと青鸞へと視線を向けてきた。

 その視線に、青鸞は表情を翳らせる。

 

 

 ――――わかっている。

 ルルーシュが言っていることの意味は、本当はわかっている。

 わかっていて、かわすしか無かった。

 まだ、今は。

 

 

『ゼロ!』

 

 

 その時、机の上の端末からカレンの声が響いた。

 彼女の顔を見てルルーシュが僅かに眉を顰める、彼女は今ヴィヴィアンの艦橋で艦のシステム掌握の指揮を執っているはずだが。

 しかしカレンは、やや緊迫した空気を纏っていた。

 

 

『ヴィヴィアン後方に未確認のナイトメア反応があった、すぐに艦橋に来て!』

「……敵か? まさかスザクが……」

『違う、そうじゃない。でも相手は1機だけで……』

 

 

 敵は1機、しかもスザクでは無い。

 その情報に困惑しつつも、ルルーシュは仮面を手に立ち上がった。

 彼が救い上げた2人の少女と、彼を救った魔女へと視線を向ける。

 ――――そして、彼は再び仮面を被った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――そのナイトメアの名は、『ヴィンセント』と言う。

 騎士甲冑を彷彿とさせるその姿はかのランスロットに極めて良く似ている、それはこのナイトメアがランスロットの実働データを元に開発された量産型試作機だからだ。

 金を基調にカラーリングされたその機体の背には、ランスロット同様フロートユニットが装備されている。

 

 

 脚部と両肩先端部のランドスピナーによる高度な三次元運動能力、両肩に装備された新型ファクトスフィアによる光学測距能力、そして新型兵装を多数備える特殊攻撃能力。

 あらゆる点で従来の量産期を凌ぐ第七世代相当KMF、ヴィンセント。

 たった1機で太平洋の上を飛翔するそのナイトメアのコックピット・ブロックには、1人の少年が座っている。

 

 

「……やっぱり、思い出していたんだね、『姉さん』」

 

 

 色素の薄い髪、儚げで繊細そうな容貌、細身の身体。

 左手の小指を撫でながら、少年はメインモニターに映る航空戦艦を見つめていた。

 海面近くを光学迷彩で偽装しつつ飛ぶそれを、ただ静かに。

 

 

「だったら」

 

 

 ギリ、左手の小指を強く掴んで、しかし冷淡な眼差しで、呟くように言葉を紡ぐ。

 

 

「――――もう一度、殺さないといけないね」

 

 

 飛翔する赤き翼を右眼に宿しながら、少年は……。

 偽物の弟、ロロ・ブルーバードは、「姉」のいる(ふね)を見つめるのだった。




登場キャラクター:
ATSWさま(小説家になろう)提案:ファリン・ムーンウォーカー(名前のみ)。
グニルさま(小説家になろう)提案:ジェラルド・アデス。
車椅子ニートさま(ハーメルン)提案:アルフレッド。
ありがとうございます。

オリジナルギアス:
車椅子ニートさま(ハーメルン)提案:ザ・シャッフル。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 今回は「ナナリーをどうやって救ったか」についての説明回でした。
 ルルーシュが鼻高々に青鸞に策を説明している様子をイメージして頂ければ、もうそれで全部が説明できるような気がします。


 そして募集です、今度は「中華連邦のキャラクター」についてです。
 投稿はメッセージのみで受け付けます、よろしくお願い致します。


・募集条件
1:生粋の中華連邦人であること(他人種はダメです)。
  つまり中国人、インド人、中央・東南アジア人、韓国人、モンゴル人、ペルシア・アラブ系などです。
*どうしても他人種を推したい方は、投稿前にご相談くださいませ。

2:名前・性別・年齢・容姿は最低限記載してください。
*その他、技能や性格、社会的地位や思想などがあれば完璧です。

3:1ユーザーにつき2人までとさせて頂きます。
*採用されないこともありますので、ご了承くださいませ。

 以上になります、締切は7月7日正午きっかりです。
 投稿・相談は全てメッセージにて受け付け致します、それ以外は受け付けませんのでご了承くださいませ。
 それでは、失礼致します。


 そして次回予告。


『ロロ、神根島でボクを撃った子。

 そしてこの半年間、ボクの弟役だった子。

 ボクの力を覚醒させた子。

 そしてこの半年間、ボクの家族だった子。

 恨めば良いのか、愛せば良いのか。

 ボクの家族って、こんなのばかりだね……』


 ――――TURN6:「偽物 の 家族」


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TURN6:「偽物 の 家族」

 フロートユニット装備のヴィンセントが、ヴィヴィアンから放たれる散発的な対空砲を巧みな機動で回避する。

 黒の騎士団の人員が足りず、またシステム掌握も不完全なため、本来の防空能力を発揮できていないことが大きな理由だ。

 しかし、それとは別に明らかにおかしい点があった。

 

 

『第3、第5砲塔、何をやっている!』

 

 

 艦橋で黒の仮面の男、ルルーシュ=ゼロが怒鳴った。

 空席の多い艦橋の中、黒の騎士団の団員達が慣れない艦を動かそうと右往左往している中でのことだ。

 ルルーシュ=ゼロの声に応じたのは、操舵席に座している男だった。

 スポーツ刈りより短めの黒髪、青鸞の護衛小隊メンバー、青木である。

 彼はルルーシュ=ゼロの声に肩を竦めると、ブリタニア語の辞書をヒラヒラさせながら。

 

 

「んなこと言ったって、照準システムから消えるんだから仕方ないでしょーよ……」

 

 

 そう呟いた、操舵用のモニターを前にしている彼には、火砲担当が見ている映像が見えているのだ。

 すなわち、ヴィンセントが画面から消える謎の現象を。

 騎士団が掌握している数少ない防空砲塔がヴィンセントに狙いを定めても、次の瞬間にはまったく別の場所に移動しているのだ。

 

 

 照準システムの不具合では無い、全ての解析画面から消えるのだ。

 物理法則を無視している、あり得ない。

 これでせめて艦橋のシステムを完全に掌握していれば、まだ何かわかったかもしれないが。

 現状では、「狙いが定められない」としかわからない。 

 

 

『く……!』

 

 

 仮面の下、ルルーシュが唇を噛む。

 青鸞を救出し、ナナリーを救出し、そしてアヴァロン級航空戦艦すら奪って、彼の策はまさに完遂の寸前だった。

 戦略的大勝利と言うべき状況で、しかしそれが1機のナイトメアの引っ繰り返されようとしている。

 スザクじゃあるまいし、そんなことがあってたまるかと憤るルルーシュ。

 

 

『……C.C.!』

「私は知らないぞ」

 

 

 ルルーシュ=ゼロが立っているため空いている指揮官シートに座りながら、C.C.は事も無げにルルーシュの言葉を否定した。

 ルルーシュは仮面の下で眉を立てるが、しかし大事なことがわかった。

 それは、あのナイトメアのパイロットがギアスユーザーであると言うことだ。

 「私は」と強調したあたりが、それを表している。

 

 

 そしてその時、強い衝撃が艦全体を揺らした。

 オペレーター3人分の仕事を1人でこなしている女性兵、佐々木がショートの黒髪を揺らしながら報告する。

 艦橋に護衛小隊のメンバーを揃えているのは、ルルーシュがこの艦をどう扱うつもりなのかを如実に表しているとも言えるが……。

 

 

「……敵ナイトメア、艦内に侵入。エアダクトから侵入した模様」

『く、こちらがこの艦を落とす時につけた傷か……』

「カレンに任せておけば良いだろう。紅蓮は潜水艦だが、月下は艦の回収の時に使った奴があるだろう」

 

 

 何の気負いも無くそう言うC.C.を睨みやって、ルルーシュは唇を噛む。

 例の瞬間消失がギアスの力であるならば、いかなカレンでも苦戦は必至。

 もし正面から戦えるとすれば、それはおそらく1人だけだ。

 

 

「そういえば、アイツ……青鸞はどこに行ったんだ?」

 

 

 ……もはやここまで来れば、わざとかと思う。

 佐々木や青木が青鸞の名前に目を細め、そして肩を竦める中、ルルーシュは仮面の下で目を細めた。

 そしてC.C.が告げた名前は、おそらく彼女自身を除けば。

 この艦で唯一、あのナイトメアに対抗できるナイトメアパイロットの名前だったろう。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞は、迷っていた。

 その身はラウンズの騎士服ではなく、濃紺のパイロットスーツに覆われている。

 半年間の成長を想定していたかのようにぴったりのそれは、16歳の瑞々しい身体のラインを浮かび上がらせていた。

 

 

 そんな彼女の目の前には、1機のナイトメアが膝を落とした体勢で主を待っていた。

 ダークブルーの無骨な追加装甲に銀の関節部、全身に装備した刀。

 月姫可翔式(カグヤかしょうしき)、言うまでもなく青鸞のための機体だ。

 騎士団側にとって現状、唯一とも言える航空戦力だった。

 

 

(……でも)

 

 

 視線を横に向ければ、もう1機のナイトメアが屹立しているのがわかる。

 ラグネル、ナイトオブワンの機体のプロトタイプとして開発されたと言うナイトメアだ。

 ナイトオブイレヴンとしての青鸞の愛機だったが、今では乗り手のいない機体となっている。

 そして、一時とは言え青鸞がブリタニア皇帝の走狗と堕していたことを証明する機体だ。

 

 

「神楽耶……」

 

 

 そしてその機体の存在が、月姫に乗ろうとする青鸞の足を止めていた。

 神楽耶、あの幼馴染の少女に託された機体に乗る資格が、自分にはもう無いのではないか。

 そう、思ってしまっていたから。

 

 

 ナイトオブイレヴンとして主義者の拠点を潰して回っていたことは、それこそ昨日のことのように思い出せる。

 青鸞が、セイラン・ブルーバードとして活動していた記憶。

 それは、消えることなく青鸞の心に刻まれている。

 

 

「青鸞さま」

 

 

 その時、青鸞の背に声をかけてくる少女がいた。

 その少女は長い黒髪を揺らしながら、薄青に白い花の描かれた着物を着ていた。

 榛名雅、キョウトの分家筋の少女。

 旧日本解放戦線において、青鸞の最も近くにいた少女だ。

 

 

「迷っておられるのですか、青鸞さま」

「……うん」

 

 

 雅に視線を向けることも出来ずに、青鸞はただ頷いた。

 顔向け出来ないとはまさにこのことで、青鸞は拳を握って俯いてしまった。

 

 

「……ボクは、雅を、皆を裏切った。言い訳は出来ない、そんなボクに月姫に乗る資格は」

「なるほど」

 

 

 頷き、目を閉じる雅。

 そして次に目を開いた時、雅は自分から歩を進めて青鸞の前に出た。

 だが視線を合わせようとしても、青鸞は顔を上げなかった。

 だから雅は、己の矜持をかけて言わなければならなかった。

 

 

「自分が私達の献身に見合う人間かどうか、お悩みですか?」

「…………」

「……左様ですか」

 

 

 沈黙を答えと受けて、雅は頷いた。

 そして柔らかな笑みを口元に貼り付けて、雅は言った。

 

 

「青鸞さまは、よほど私達を侮辱なさりたいのですね。まさか青鸞さまにそのような趣向がおありとは、むしろそちらの方が驚きです」

「な……それは違うよ、ボクはただ」

「ただ? 私達の気持ちを考えもせず、自分の満足だけを秤にかけることをただと仰いますか」

 

 

 笑顔のまま吐き出された毒が、そのまま青鸞の胸に突き刺さる。

 分家の少女は、半年振りに間近で見る本家の少女の目を見つめた。

 

 

「なるほど、詳細については私もわかりませんが……青鸞さまが日本を想い戦う意思を捨てぬ限り、私達は貴女に献身を向け続けます。それとも、青鸞さまは日本のために戦う気持ちを失ってしまったのでしょうか?」

「それは……違う、けど」

「そうであるのならば、やはり貴女は私の主君です」

 

 

 日本の解放のために戦う、その気持ちに変化は無い。

 取り戻した記憶が、心が、そう叫ぶからだ。

 日本を取り戻せと、訴え続けるからだ。

 

 

「見くびらないでください、青鸞さま。献身するかどうかを決めるのは私達自身です、私達自身の意思です。私達が日本の抵抗の象徴として貴女を選び、仕えるのです……他の方々も、大なり小なりそう決めています」

 

 

 ご安心ください、青鸞さま。

 そう言って、雅は微笑する。

 袂から取り出した短刀を逆手に持ち、刃先を青鸞の左胸に向けながら。

 

 

「貴女が私達の献身に見合わないと判断した時は、この雅、貴女のお命を頂戴し、自らの命も絶つ覚悟です」

 

 

 月姫に乗る資格も、雅達の献身を受ける資格があるのかも。

 それを決めるのは青鸞自身では無く、与える側なのだと雅は告げた。

 ――――キョウト分家は、本家のためにこそ在り。

 

 

「そして我ら分家は、本家にその資格が無い時……背後から刺し貫くが役目」

「……ボク、そう簡単には死なないよ?」

 

 

 冗談めかして、しかし真実を告げた青鸞に、雅は一瞬だけ瞳から光を失せて返した。

 

 

「ならば、手足を切り落として傷口を焼き続け、目を抉り舌を抜いて針で縫いましょう。地下深くに繋ぎ、子々孫々受け継ぎ続けましょう」

 

 

 だから。

 

 

「青鸞さまは何も気にせず、前にお進みください。大丈夫です、相応しくないと感じた時には私がこの手で刺し貫いて差し上げます。でも、そうで無い時には……」

 

 

 短刀を下げ、雅が一歩を踏み込む。

 雅の言葉をただ聞いていた青鸞は、無防備なままにそれを受けた。

 頬に触れる、柔らかな温もりを。

 親愛を伝えるそれは、雅の想いの塊のように思えた。

 

 

「……僭越ながら、神楽耶さまの代わりです」

 

 

 薄く頬を染め、微笑する雅に……いつかの神楽耶の姿がダブって見えた。

 

 

『私の大好きな青鸞の顔』

 

 

 耳元で再生されたそれは、神楽耶の淡い想いの詰まった言葉だった。

 何にも変えられない、少女達の秘密だった。

 あの時、神楽耶の前で青鸞は何と告げただろう。

 それを今、繰り返すつもりは無い……ただ。

 ただ、眦を決して、顔を上げるだけだ。

 

 

 その顔を見て満足そうに頷き、青鸞の脇へと下がる雅。

 そんな雅を呆然と見ていた青鸞だが、雅が両手で差し出した月姫のキーを見て我に返る。

 静かに頭を下げて、雅はそれを青鸞に捧げるようにした。

 

 

「行ってらっしゃいませ、青鸞さま。ご無事のお戻りを、永久(とわ)にお待ちしております」

「……行って、きます!」

 

 

 キーを受け取り、駆け出す青鸞。

 迷いが消えたわけでは無い、後ろ暗い感情も消えていない。

 そしてだからこそ使命感に再び火をつけて、彼女は駆けた。

 

 

 少女達の想いを受けるが故に、その想いに答えるために。

 迷うのはやめない、悩むのもやめない、だが前に進む。

 今度こそ、日本を取り戻すために。

 ここに青鸞は、再度の抵抗を試みることを決断した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 1人の少女が改めて抵抗の意思を固めた頃、未だ悩みの中にいる少年がいた。

 

 

「再出撃の禁止!?」

 

 

 海に落ちたランスロットの回収作業の最中、一足先に強襲揚陸艦の甲板上に上げられていたスザクが声を上げた。

 スザクがいるのはもちろん、ブリタニア海軍所属の強襲揚陸艦だ。

 甲板上には戦闘機やヘリに混じってヴィヴィアンの脱出艇の姿もあり、ヴィヴィアンの要員が収容されている様子が見て取れた。

 

 

 この強襲揚陸艦は元々ルルーシュ皇子の指揮下に入るはずだった艦、そして今はポリネシア制圧艦隊ごとスザクの指揮下にある。

 しかしランスロットの回収を待つスザクに届けられたのは、皇帝の名で出された待機命令だ。

 皇帝の命令、すなわち勅命。

 皇帝の騎士であるスザクには、その命令を拒否することは出来ない。

 

 

「……わかりました、次の命令があるまで待機、そう言うことですね?」

「はっ、その通りであります!」

 

 

 艦の兵士が敬礼する様を横目に、スザクは海中からクレーンで引き上げられるランスロットを見上げた。

 何やらクレーンの側でロイドが喚いているようだった、大方、もっと丁寧に扱うように言っているのだろう。

 しかし、今のスザクにそれを考える余裕は無かった。

 

 

「……ルルーシュ殿下について、皇帝陛下は何か?」

「いえ。ただヴィヴィアン捜索は、付近のハワイ艦隊に任せるとのことであります」

 

 

 おかしい、スザクはそう感じた。

 別に皇帝がルルーシュの捜索をしないことをおかしいとは思わない、短い主従の付き合いではあるが、あの皇帝はそう言う男だとスザクは知っている。

 奇しくも、ルルーシュがそう思っているように。

 

 

(ルルーシュ……青鸞)

 

 

 スザクはまだ、ナナリーがブリタニア本国から連れ出されたことを知らない。

 だから彼が心に浮かべるのは2人きり、幼馴染と実妹のことだけだ。

 そして彼はやはり知らない、彼が思い浮かべる2人の身に、超常の力を持つ者達の牙が迫っていることを。

 

 

 もしその事実を知れば、スザクは皇帝の待機命令に大人しく従ってはいなかっただろう。

 未だ自分の進むべき道の見えない彼は、彼自身に刻まれたギアスの呪いに抵抗することが出来ない。

 ギアスか、本心か。

 それは消えぬ命題となって、少年に真実と共に突きつけられ続ける。

 

 

 ――――はたして、彼が本当の意味で舞台に上がる日は、来るのだろうか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「ラグネルねぇ……データを見る限りじゃ、それほど面白い物は積んで無いみたいだねぇ。カラディーンって言う合体剣も、剣自体に特殊な能力があるわけじゃないし……」

 

 

 黒の騎士団の幹部の中で、カレンを除けば唯一この太平洋の度に同行しているメンバーがいる。

 改くろしお型潜水艦のナイトメア用格納庫の真ん中に陣取る褐色の肌の女がそれであり、騎士団の技術開発担当、ラクシャータである。

 彼女はヴィヴィアンから送られてきたナイトメアの情報を閲覧しているようで、愛用のキセルを揺らしながら面白くも無さそうに端末の画面を見つめている。

 

 

 そして実際、ラグネルにはフロートユニットを始めとするブリタニアの最新鋭の兵装は詰まれていない。

 特徴があるとすれば、ナイトオブワンのナイトメアのプロトタイプであると言うだけだ。

 まるでラグネルが敵方に渡ることを想定したかのような、ハリボテのナイトメア。

 

 

「いや、あの……上の騒ぎとか、気にした方が良いんじゃ……」

「言うだけ無駄です、博士は自分に関係が無いことを気にしたりはしませんから。いい加減、アナタも学んでください」

「う、うーん……」

 

 

 キセルの先端で頭をコツコツされているのは、聴覚制御用のヘッドホンをした小柄な男だ。

 護衛小隊のメンバー、古川である。

 そして端末の前に座る彼の隣にいるのは、ラクシャータの部下の雪原。

 今では、騎士団と黒の騎士団のナイトメア開発のトップメンバーとなっている3人。

 

 

「うーん……やっぱりプリン伯爵の白兜が欲しいなぁ。青って子がブリタニアでの仕事を終えて戻ってきてご機嫌だろうし、ゼロに言えば良いか。その意味じゃあ、雅って子は使えないねぇ」

「……な、何か、物凄い言葉が頭の上から聞こえてきたような」

「流石は博士、傲慢です。そしてアナタは、いい加減に慣れてください」

 

 

 この半年の間で関係性も固まってしまったらしい、古川の胃腸が心配だった。

 その時ふと、ラクシャータが何かに気付いたように視線を横へと向けた。

 そこにいたのは、旧日本解放戦線の軍服姿の青年である。

 何か言いたいことでもあるのか、やや棘のある視線をラクシャータに向けている。

 

 

「んん? 何だいアンタ」

「…………」

「あ、気にするこたねぇーっスよ、妹バカにされて静かにキレてるだけっスから。ほら、コイツ隠れシスごふぇ」

「隊長、大和さんの拳が顔にめり込んでますが大丈夫ですか?」

 

 

 護衛小隊の戦闘メンバー、大和、山本、上原である。

 小隊のメンバーはほとんど変わっていない、この半年で戦死以外の理由で脱落した者はいない。

 それは、セキガハラ決戦でゼロが求心力を翳らせたこととは対照的な減少だった。

 というより、黒の騎士団よりは旧日本解放戦線メンバーの結束力の方が強いと見るべきか。

 いずれにせよ、彼ら3人の陸戦用ナイトメアに出来ることは海上では無かった。

 

 

「まったく、上が大変だって言うのに……どうしようも無い連中だねぇ」

(((((あんたが言うなよ)))))

 

 

 そんな小隊メンバー達を見てラクシャータがやれやれと告げた言葉には、全員の心が一致した。

 だが彼らの頭上、つまり海上では、今まさに。

 彼らの主達が、新たな戦いの局面を開く所だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 林道寺と言う男を覚えている者がいるだろうか?

 ナリタ戦以降、青鸞と戦場を共にしてきた旧日本軍の軍人、ナイトメアパイロットである。

 しかし彼は厳密には青鸞を守る護衛小隊のメンバーでは無い、旧日本解放戦線のメンバーである。

 それでも青鸞と行動を共にしていたのは、彼女こそが解放戦線の正統だと考えているためだ。

 

 

 そして今、彼はヴィヴィアンの中で無頼に乗っている。

 無頼は旧日本解放戦線組ではまだ主流のナイトメアだ、旧式だが慣れた機体だ。

 特に林道寺の機体は十文字槍型兵装を装備した特機型、格闘戦に特化したチューンを施されている。

 

 

「何だ、コイツは……!」

 

 

 その林道寺が、無頼のコックピット・ブロックの中で呻く。

 茶色混じりの黒髪、ツンツンした毛先を震わせながら座席の背もたれにもたれるようにして仰け反る。

 視線の先、メインモニターにはヴィヴィアンの広い通路が映し出されている。

 ナイトメアでの移動も想定されているのか、アヴァロン級には天井の高い通路がいくつもあるのだ。

 

 

 そして今、通路の端々にはナイトメアの残骸が落ちている。

 それは黒の騎士団所属の、つまりは林道寺の味方のナイトメアが撃破されたことを意味するものだった――パイロットが全員脱出できているのが、せめてもの救いか。

 さらに言えば、味方ナイトメア群を屠った敵機の姿が映って……いなかった。

 

 

「また消えた!?」

 

 

 艦外から侵入してきた金色のナイトメア、ヴィンセント。

 特殊なランドスピナーによって、通路の空間を一杯に使って躍動するその機体は確かに脅威だ。

 しかし機動力がどうこうではなく、ヴィンセントは物理的に消えるのだ。

 視覚からもセンサーからも消える、まるで瞬間移動のように。

 

 

 そして次の瞬間、衝撃が横から来る。

 目前から真横へと瞬間移動したヴィンセントが、林道寺機をランスタイプのMVSで打撃したのだ。

 林道寺機が通路の壁を破壊しながら倒れ、振動するコックピットの中でヴィンセントを睨み上げる。

 だがその時には、ヴィンセントがトドメの一撃を放とうとしていて――――。

 

 

『させないっ!!』

 

 

 そこへ飛び込んで来たのが量産型の月下である、廻転刃刀を振り下ろしヴィンセントの首を狙う。

 パイロットはカレン、オートバイ型のコックピットに真紅のパイロットスーツ姿で跨っている。

 紅蓮ではなく月下での出撃だが、カレンにそれを気にした様子は無かった。

 

 

「……なっ!?」

『気をつけて、そいつは消えます!』

 

 

 しかし振り下ろした刃がヴィンセントを捉えることは無い、霞のように消えてしまったからだ。

 そして倒れたままの林道寺機からの忠告の直後、刀を持っていた月下の右腕が弾け飛んだ。

 爆発の衝撃に悲鳴を押し殺しつつも、顔を顰めるカレン。

 

 

 いったい何が起こったのか、わからなかった。

 だが事実として彼女の月下は右腕を失い、そしているはずの無い場所にヴィンセントが立っている。

 今の今まで目の前にいたナイトメアが、次の瞬間には十数メートル離れた場所にいる。

 通常、そんなことは起こり得ない。

 そしてカレンは、そうしたことを起こす現象を知っていた。

 

 

(……ギアス……!)

 

 

 そう、ギアスしか無い。

 瞬間移動か、それとも他の何かか、とにかく何らかのギアスの力が作用している。

 問題は、それがわかっても打開策が無いことだ。

 

 

 カレンは唇を噛んだ、目の前でランスタイプのMVSを構えるヴィンセントを睨む。

 残された武器はスラッシュハーケンのみ、ランスロット型の敵と戦うには何とも心許ない。

 まして、ギアスユーザーが相手となれば。

 

 

「ただの人間がいくら集まった所で、何の意味も無いよ」

 

 

 そしてそのギアスユーザーの少年が、ヴィンセントの中でそう呟く。

 メインモニターには無頼と月下、いずれも手負い、彼の駆るヴィンセントの敵では無い。

 だからだろうか、少年はどこかつまらなそうな様子だった。

 片手の小指を撫でるその仕草は、退屈を表しているのだろうか。

 

 

 ふと、彼は側面モニターに視線を向けた。

 側面モニターにはヴィヴィアンの艦内地図が映し出されていて、識別信号を読み取っている。

 そこには当然、ヴィンセント、無頼、月下のマーカーがある。

 しかし、そこに突然もう一つのマーカーが生まれた。

 カレンが通ってきた通路では無い、通路の「外」から急速に近付いてくるそれは。

 

 

「……来たんだ」

 

 

 少年が、薄い笑みを浮かべてそちらを見やる。

 そしてその直後、ヴィンセントの左側――すなわち艦の外に通じる壁が、爆発と共に内側に吹き飛ぶ。

 そこに現れたのは、ダークブルーのナイトメア。

 飛翔滑走翼を得て空を飛ぶそのナイトメアのデュアルアイが、輝いた。

 

 

「姉さん」

 

 

 右の瞳にギアスの輝きを宿して、少年……ロロ・ブルーバードは微笑した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 月姫の右腕に内蔵されているガトリング砲で艦の壁面表層を破壊した直後、青鸞はぞわりとした感触が肌の上を滑るのを感じた。

 ナメクジが肌の上を這っているかのような不快感、それをもたらすフィールドの展開を感じたためだ。

 そして本能で悟る、自分は今――――ギアスの中にいると!

 

 

「でも……っ」

 

 

 操縦桿を引き、艦の中から飛び出してきたヴィンセントの攻撃を回避する。

 ランドスピナーとは違う飛翔滑走翼の感触に戸惑いはするが、それでも大きく後ろに後退することで回避は成功し、目前をヴィンセントのランス型MVSが擦過していく。

 反撃、コックピット横の鞘から空気圧で刀を射出して加速、高速の斬撃を放った。

 ヴィンセントもそれに反応し、ランスの逆側の刃で刀を受け止めた。

 

 

『あれ……どこに、外!?』

 

 

 マイクを通じてカレンの声が聞こえてくる、彼女達の目には今のヴィンセントの動きは映っていなかったためだ。

 気が付けば、艦の外で月姫と切り結んでいる状態だったのである。

 だが青鸞は違う、「停止した空間」の中でもはっきりと自分の意識を保ち、動くことすら出来たのだ。

 

 

 今の青鸞には、ギアスは効かない。

 その理由はC.C.との意識同調ですでに知れている、いずれ向き合わねばならない問題だ。

 そして今のギアスについて、青鸞には実は覚えがあるのだが……。

 

 

『ああ、やっぱり姉さんだったんだね』

「……っ、その、声……!」

 

 

 顔を上げる、メインモニターの上にある通信画面には「その顔」が映っていた。

 色素の薄い髪に、小さくて繊細そうな顔。

 この半年間、一緒の家で過ごしてきた少年の顔がそこにあった。

 

 

「ロロ……!」

『うん、僕だよ姉さん。姉さん、姉さんは僕に嘘を吐いたよね』

「……嘘?」

 

 

 ロロ・ブルーバード、弟、監視役――冷ややかな表情を浮かべる少年に、青鸞は唇を噛んだ。

 太陽の光を装甲に反射しながら、空中で攻守や位置を入れ替わりながらランスと刀で打ち合う。

 モニターの外では火花と紫電が散り、衝撃が操縦桿やシートを通じて手足に伝わってくる。

 

 

『嘘を吐いたじゃないか、帰ってくるなんて言って』

「それは……うぁっ!」

 

 

 真上からヴィンセントが機体重量を込めてランスを振り下ろし、受け止めた月姫を押し下げる形になった。

 そのため瞬間的に大きな衝撃がコックピットを揺らし、青鸞は歯を食い縛るために言葉を止めなければならなかった。

 

 

『それに記憶が戻っていたなら、僕が弟じゃないってわかってたはずだよね?』

「……ロロ! 聞いて!」

『聞く? 聞くことなんて何も無いよ、姉さん。それに僕は知っているんだ、今の姉さんが普通の人間とは違うことをね。僕のギアスの中で動けるのが、何よりの証拠じゃないか』

 

 

 ランスの刃先から柄へと刀を流され、肩をぶつけるように押される。

 その拍子に月姫の手から刀が弾き飛ばされて海に落ちる、次いで胸部にヴィンセントの蹴りが入って押された。

 激しく振動するコックピットの中、青鸞は月姫の腰部から廻転刃刀を2本抜いた。

 刃がチェーンソーのように回転し、空気を震わせる。

 

 

『姉さんが』

 

 

 そして反撃に出た月姫の廻転刃刀の一撃を、ヴィンセントは、ロロは無造作に片腕を上げて防いだ。

 空間を停止させたわけでは無い、肘部分から飛び出した機構が光の盾を展開したのである。

 ブリタニアの最新鋭兵装の一つ、ブレイズルミナスだ。

 エネルギーの盾を作り出すこの装備は、実体剣で抜くことはかなり難しそうだった。

 

 

『不老不死の、化け物になったってことをね』

 

 

 事実だ、C.C.は青鸞にそのことを伝えてくれた。

 本当の意味での「継承」は自分でしろと言っていたが、『コード』の共通事項などについては意識共有によって教えてもらった。

 青鸞にはギアスは効かず、また非常に……死ににくい身体になっていると。

 

 

『姉さんの周りにいる人達だって、それを知ればどう思うかな。受け入れてくれるのかな……無理だろうね、姉さんは化け物なんだから。きっと独りぼっちになっちゃうね』

 

 

 それを汚らわしい化け物だと言われれば、青鸞には反論のしようが無い。

 だがそれでも、青鸞は青鸞なのだ。

 だからこそ、彼女は苦しみながらも顔を上げる。

 背中を押してくれた少女達のためにも、上げ続けなければならなかった。

 

 

「聞いて、ロロ。ボクは確かにこれで……ロロの言う通りの状態になった。でも、ボクの意思はここにあるんだ。ロロのことだって……!」

『気安く呼ばないでくれるかな、化け物』

 

 

 自分のことを棚に上げて、ロロはばっさりと青鸞を切り捨てた。

 

 

『僕は姉さんのことを姉さんだなんて思ったことは無いし、そもそも役割だっただけ。弟の顔をして、姉さんのことを監視していただけだよ。僕はV.V.の……饗団の暗殺者、それだけ。それ以外のことは何も知らないんだ』

「役目……?」

『そう、姉さんを監視して……「それ」が目覚めているなら、V.V.に引き渡す。そう言う命令だったんだよ、姉さん』

 

 

 それだけのために半年もの間、弟と言う仮面を被り続けていたのか。

 通信画面に映るロロの顔は、酷く冷めていて読めない。

 表情が読めないくらいに、真顔のままだった。

 

 

 自分には感情なんて無い、そもそも「自分」すら無い。

 幼い頃から暗殺者として育てられ、引き金を引く指しか持たない存在。

 それが自分だと、ロロはそう言って。

 

 

『だから、姉さんのことを姉さんと思ったことなんて、一度も……無いよ』

 

 

 そう言って、片手の小指を撫でた。

 その仕草の全てを画面から知ることは出来ないが、青鸞にはそれだけで。

 ……たとえ、ロロから否定の言葉を聞いても。

 

 

 それでも青鸞は、ロロのことを。

 だって、たとえ家族としての記憶が全て嘘だったとしても。

 だけど、あの半年だけは。

 あの半年間だけは、本当の――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――「記憶」のほとんどは偽物、ギアスで刻まれた偽りの物語。

 だけどそれでも、あの時間だけは。

 あの半年間だけは、確かに共有した2人の時間だった。

 半年、季節にして冬と春が一度ずつ。

 

 

『姉さん、今日はペンドラゴンに召集されてるんでしょ。早く起きなよ』

『うーん……』

『ほら、姉さ……って、姉さん!? 何て格好で寝て……ね!?』

『……ん~……』

『ね、姉さん! 起きてよ、姉さ――――んっ!』

 

 

 ある冬の日、起こしに来てくれたロロをベッドの中に引きずり込んだことがある。

 記憶を失っても、あるいは書き換えられても、何故か癖だけは変わらなかった。

 まぁつまりは、衣服を着ていなかった。

 そう言えばあの時、ロロがいつの間にか腕の中から消えて、部屋の隅で床に手をついていたが……もしかしたら、ギアスを使って抜け出したのかもしれない。

 

 

『ロロ、どうしたの? あんまり耳を触っちゃダメだよ』

『うん……何だか、ガサガサって音が』

『だから触っちゃダメだよ、余計に奥に行っちゃうから。ほらおいで、耳掃除してあげる』

『え、い、良いよ。自分で出来るから』

『良いから良いから、ほーらっ』

『あ……』

 

 

 ある冬の日、耳を気にしていたロロに耳掃除をしてあげたことがある。

 暖炉の火の前で膝枕をして、くすぐったそうに身をよじるロロには困ったものだった。

 笑って注意すれば、膝の上から困ったような視線を向けてきた。

 胸の奥の温もりと共に、昨日のことのように思い出すことが出来る。

 

 

『いやー……違うんだよロロ。これはね、何と言うか、ロロのためを思って』

『…………僕のためを思って、こんな劇物を作ったの?』

『いやあの、それは結果であってね。過程とか気持ちをね、重視してほしいなぁと言うか、そのね』

『姉さん?』

『すみませんでした』

 

 

 ある春の日、一念発起して料理に挑んだ。

 両親がいない分、たった1人の弟に家庭の味を教えてあげたいと思ったのだ。

 そうしたらいろいろあって、普段は温厚かそれ以下の気性のロロが暗殺者のような目で自分を見てきた、かなり怖かった。

 思わずその場に跪いてしまった、そして金輪際料理をするなと叱られてしまった。

 

 

 ……思えば、困らせてばかりだったような気がする。

 でもそれと同じくらい、笑顔だったと思う。

 笑顔で、一緒に過ごしていたと思う。

 

 

『ロロ』

 

 

 晴れの日も、風の日も、雨の日も、暑い日も、寒い日も、穏やかな日も、嵐の日も。

 嬉しい日も、哀しい日も、楽しい日も、辛い日も、幸せな日も、苦しい日も。

 いつも、2人一緒に――――過ごして。

 

 

『姉さん』

 

 

 もしも、あの日々が嘘だと言うのなら。

 自分を姉と呼んでくれたあの笑顔が、嘘だと言うのなら。

 アレが、嘘だと言うのなら。

 

 

 ――――この世に、本当など存在しない。

 

 

 青鸞は、そう思った。

 想ったのだ、だから。

 だから彼女は、ロロを、弟を……ちゃんと。

 ちゃんと。

 

 

  ◆  ◆

 

 

「――――ロロ!」

『ほら、来たよ姉さん』

「え……」

 

 

 記憶の波の中から顔を出した青鸞の前で、ロロが自分の機体の顔を後方へと振り向かせた。

 それはつまりヴィヴィアンにとっても後方であって、そこに、太陽の光を反射する無数の光点が見えた。

 次いで、月姫のセンサーモニターに無数の機影が現れた。

 それは当然、航空戦艦たるヴィヴィアンのセンサーにも映し出されている。

 

 

「……機影確認、ブリタニア軍です。数は21、5個編隊(フライト)。ライブラリー照合……フロートユニット装備のサザーランドと確認しました、識別コードからハワイ艦隊所属の部隊であると予測できます」

 

 

 ヴィヴィアン艦橋、オペレーターの役割を果たしている佐々木の冷静な声が状況を的確に説明した。

 第5世代型KMFであるサザーランドにフロートユニットを装備した、サザーランド・エア。

 旧世代の戦闘機やヘリなどに代わる、新世代の航空戦力である。

 時代が、ナイトメアに空を与えたのだ。

 戦争と言う、時代が。

 

 

 騒然とする艦橋で、ルルーシュ=ゼロだけが沈黙していた。

 その仮面は正面モニターをじっと見つめており、ハワイ艦隊所属のナイトメア編隊を見ている。

 つい先刻まで、ルルーシュ皇子を見送っていた艦隊の部隊を。

 

 

『V.V.が動かしたんだよ、姉さん。艦隊と、その編隊をね……まぁ、流石にまだ次世代機の配備は進んでいないけど。でもヴィヴィアンの火器を掌握し切れていない姉さん達相手なら、20機もいれば十分でしょ?』

 

 

 ぎゅっ、と操縦桿を握る手に力を込める青鸞。

 何故ならそれはロロの言う通りだからで、事実、ルルーシュ=ゼロは未だヴィヴィアンの全能力を発揮できる状態には無い。

 20機のナイトメアに群がられれば、航空戦艦と言えど鉄の棺桶に等しい。

 そして唯一の航空戦力である月姫、つまり青鸞は……。

 

 

『あはは、これで良い。これでヴィヴィアンは落ちて、ルルーシュは死ぬ。C.C.がどこにいるのかはわからないけど、そっちは僕は関知していないからね。姉さんさえ連れて行ければ、それで十分』

 

 

 青鸞の前には、ロロと言う障害が立ち塞がっている。

 柔そうな外見と異なり相当の腕前で、場合によってはラウンズにも比肩するのでは無いかと思う程だ。

 どうする、と自分に問いかける青鸞。

 何とかしなければ、ルルーシュが己の身を危険に晒して手に入れた全てが水泡に帰してしまう。

 

 

 だからと言って、はたして自分にロロが倒せるだろうか?

 実力的にはもとより、精神的にも。

 はたして、自分に「弟」が討てるのだろうか。

 それは、もしかしたなら、あの「兄」と同じ――――。

 

 

「『え?』」

 

 

 不意に、2人の声が重なる。

 何故なら、ヴィヴィアンの散発的な対空砲火を抜けてきたサザーランド・エアの編隊が側まで来た時、あり得ない出来事が起こったからだ。

 サザーランド・エアの両肩にマウントされていたミサイルポッド、先頭の1機が放ったそれが殺到したのだ。

 

 

『ど、どうして…………僕に!?』

 

 

 ロロ機、ヴィンセントに対して。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

(ふ、ふふふ。まさかこの俺が、2日間ただナナリーを待っていただけ、などと思っていたわけでは無いだろうな?)

 

 

 艦橋、困惑の声が広がる中で、やはり1人、ルルーシュ=ゼロだけが沈黙を保っていた。

 いや、今はその仮面の下で深い笑みを浮かべている。

 赤く輝く左眼を笑みの形に細めながら、正面のモニターを見つめている。

 

 

 味方であるはずのハワイの編隊に、やはり味方であるはずのヴィンセントが集中砲火を浴びている様を、見つめている。

 あのナイトメアのパイロットは今頃相当慌てていることだろう、まさか味方に背後から撃たれるとは思っていなかっただろうから。

 

 

(スザクにポリネシア制圧艦隊を率いさせて追撃させてくる確率もあったが、やはりハワイの見送り艦隊を使ってきたか。ふ、これで条件は全てクリアされた)

 

 

 ここ数日の自分は冴え渡っている、ルルーシュをしてそう自賛したくなるような状況だった。

 ハワイ艦隊、その見送り部隊で追撃をかけてくるのはナイトメアの航空戦力だろうと踏み、閲兵と称してパイロット達にギアスをかけた。

 ヴィヴィアンが敵に奪われ追撃を命じられたなら、ヴィヴィアン以外に「味方の識別コード」を持つ部隊・個人を攻撃するように、と。

 

 

 そして今、その策は結実した。

 

 

 あのナイトメアのパイロットがギアスユーザーであったのは驚きだが、所詮は1人の戦闘能力。

 ルルーシュのギアスの、いや、ルルーシュの智謀の敵では無い。

 これで良い……そう思い、ルルーシュは正面モニターを見やっていた。

 しかし、そこでさらに起きたことに彼は瞳を見開くことになる。

 

 

『……青鸞!?』

 

 

 深緑の輝きが、戦場の空を照らし出すことによって。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 立て続けに放たれているミサイルの衝撃が収まった時、ロロは閉じていた目をようやく開いた。

 右眼にギアスは輝いていない、ミサイルのような物理現象には効果が無いためだ。

 だから、物理的な奇襲に対しては対抗策が……いや、それは今は良い。

 

 

「何を……?」

 

 

 ミサイルの衝撃で片腕を失い、フロートユニットから紫電を散らせながらも、ロロはヴィンセントを振り向かせた。

 その向こうにはサザーランド・エアの編隊があり、ロロに向けてミサイルを放ち続けている。

 だが、そのミサイルはヴィンセントまで届かない。

 

 

「何を、しているの……?」

 

 

 両者の間にダークブルーのナイトメアが割り込み、左腕に新たに装備された輻射障壁発生装置でミサイルを防いでいたからだ。

 断続的な爆発が月姫の機体を揺らし、僅かずつだが確実に耐久力を奪っていっていた。

 そしてその背中に呆然とした視線を向けていたロロは、ふと何かを思い出したような顔になった。

 

 

「は、はは……何のつもり? もしかして、そんな風にすれば、僕が姉さんに情を感じるとでも?」

 

 

 冷笑を浮かべようとして失敗したような顔で、ロロはそう言った。

 ヴィンセントの残った腕にはまだランス型MVSが握られている、このまま背中から貫けば、それだけで月姫は撃墜できる。

 出来てしまうが、しかし。

 

 

「……う!?」

 

 

 その時、画面一杯に深緑の輝きが広がった。

 左腕の盾を振り払うようにしながら、そして同時に胸部装甲の間から深緑の輝きが漏れて、次の瞬間にダークブルーの追加装甲が次々にパージされた。

 外部の装甲がほとんど剥がされ、肉付きの無いナイトメアの素体を晒す月姫。

 

 

<GEFJUN FIELD DISTURB>

 

 

 ゲフィオンディスターバー、サクラダイトの運動を停止させるシステム。

 とは言えヴィヴィアンやロロのヴィンセントなどは対策が施されている、だが第5世代以前のナイトメアには通用する、すなわちサザーランド・エアの編隊には。

 ゲフィオンディスターバーの輝きの前に、機能を停止したサザーランドが海へと落ちていく。

 

 

(……今なら、やれる)

 

 

 背中を晒し、さらに装甲や武装をパージした月姫を見ながらロロは思う。

 ヴィンセントにはゲフィオンディスターバーの効果は及ばない、だから無条件に背中からランスで貫くことが出来る。

 コードが覚醒した今の青鸞ならば、多少のことは問題ない。

 要はコックピット部だけ持ち帰れば良いのだ、だから今なら、やれる。

 

 

「今なら……あ」

 

 

 その時、ロロは気付いた。

 月姫の真下に、サザーランド・エア編隊の指揮官機らしいナイトメアの姿があった。

 それはパープルカラーのヴィンセントで、どうやら部隊に1機だけ配備されていたらしい、そしてヴィンセントにはゲフィオンディスターバーは効果が無い。

 それが、真下からこちらに迫っていた。

 

 

 ……実際の所、それが青鸞を狙っていたのか、それともロロを狙っていたのかはわからない。

 2機が近くにいたから、あるいは無視しても良かったのかもしれない。

 しかし現実に、ロロは動いてしまった。

 無防備な素体状態の月姫と迫るヴィンセントを見比べて、ロロが取った行動は酷く単純な物だった。

 

 

「……ッ!」

 

 

 「姉」と同じように、「姉」に対してヴィンセントの背中を晒し。

 右眼のギアスを発動させ、「敵」のヴィンセントのパイロットの体内時間を停止させて。

 コントロールの切れた「敵」ヴィンセントに対して、ランス型MVSを投擲し。

 気が付けば、眼下で味方のヴィンセントが爆発四散していた。

 そしてそれに対して最も驚愕し動揺したのは、ロロ自身である。

 

 

(な……何をやってるんだ、僕は!)

 

 

 味方を攻撃してしまった、いやそれは別に良い、だが青鸞を守るなど。

 あってはならない、ことなのに。

 

 

『ロロ』

 

 

 その時、後ろから声をかけられて、ロロはビクリと肩を震わせた。

 ヴィンセントをゆっくりと振り向かせれば、そこにはサザーランド・エア部隊を壊滅させた月姫がいる。

 深緑の輝きは今は無いが、沈み行く太陽の赤い光に染まって、美しいと思った。

 

 

『ありがとう、助けてくれて』

「……ッ、違う! 僕は……!」

 

 

 ぎゅっ、と小指を握り締めて、指切りの指を握り締めて、ロロは否定した。

 そんな、助けるとかじゃない、情なんかじゃないと。

 目元を震わせながら、吐き出すように否定の言葉を告げたのだった。

 

 

「僕は……!」

『……良かった……』

 

 

 何が、とロロは思った。

 まさか「姉」と見られて良かったと言うつもりか、このヴィンセントにはまだ武装がある。

 そう思い、トリガーへと走らせた指を。

 

 

『迷ってくれて、本当に良かった』

 

 

 ぴたりと、止めて。

 ロロは、揺れる瞳で月姫を……青鸞を見つめた。

 そしてその視線を、青鸞は受け止めた。

 

 

「ボクもね、本当はわからなかったんだ。ロロを弟として見れば良いのか、敵として見れば良いのか、わからなくて、苦しくて……だから」

 

 

 コックピットの中で、青鸞は優しい笑みを浮かべた。

 心底ほっとしたような顔を、通信画面の向こうへと向ける。

 その先の衝撃に揺れる顔を、視界に入れながら。

 

 

「だからロロも同じで、本当に良かった」

『……何を、馬鹿な……!』

 

 

 吐き捨てるような声が、青鸞の耳朶を打った。

 

 

『僕は、僕は……貴女のような、化け物を、僕が……!』

 

 

 ――――化け物になってしまった青鸞が、独りぼっちにならないかと心配してくれた。

 

 

『僕は、姉さんだけ連れ帰れば、それで……だから、っ!』

 

 

 ――――姉だけは生かして連れ帰ろうと、一生懸命になってくれた。

 

 

『ただ、自分の身を……守ろうと!』

 

 

 ――――守ろうと、してくれた。

 

 

「ロロ」

 

 

 監視役、自分を撃った少年、そして弟。

 そんな複雑な存在に、それでも青鸞は泣きそうな笑顔を向けた。

 同じような、「姉」にそっくりな表情を浮かべる「弟」に、それでも笑顔を見せて。

 記憶と、心と、気持ちのままに。

 

 

「……ありがとう」

『……姉さん、ああ……姉さん……』

 

 

 一組の姉弟の手が、戦場の空で、機械を通じて――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 夕焼けの祭壇、この世の物とは思えぬその場所に、豪奢な衣装を纏った老人が立っている。

 老齢を感じさせない逞しい胸板を逸らせて、彼は果ての無い夕焼けの向こう側を見つめていた。

 その足元には、何故かチェスの駒が散らばっている。

 

 

「ふん、ルルーシュ……それでこのわしを出し抜いたつもりか」

 

 

 重低音の声が口から響き、夕焼けの中へ消える。

 誰も聞く者のいないその言葉の欠片は、「世界」へと溶けて見えなくなってしまう。

 否、元々人の言葉など目に見えない物だろう。

 

 

「青鸞、そしてナナリー。だがそれらを手に入れただけで満足しておるようならば、貴様の悲願は絶対に叶わぬ、そう、絶対に」

 

 

 にいぃ、と口角を釣り上げて、男……シャルル・ジ・ブリタニアは笑みを深くした。

 赤く輝く両眼は、はたして夕焼けの光を反射しているだけなのか。

 そして、老皇帝は目を細めて。

 

 

「……そろそろ、潮時かもしれぬな。マリアンヌよ……」

 

 

 ――――計画の刻は、近い。




採用兵器:
RYUZENさま(ハーメルン)提案:腕部輻射障壁発生装置。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 おかしいですね……何故か主人公が女子にしかモテません。
 でも割と愛されヒロイン要素もあるので、その意味では望み通りのキャラクターに出来ているような気もします。

 ちなみに、ロロにミサイルが当たったシーンはあのBGMでお楽しみください(え)。

 次回はおそらく一旦、エリア11へ舞台を移すかと思います。
 さて、日本側のゴタゴタをどう鎮めるか。
 と言うわけで、次回予告です。


『……日本人は、ボクとナイトオブイレヴンを結び付けられていない。

 ブリタニアの総督府も、ボクは死んだんだと思ってる。

 騎士団や解放戦線には、ボクがゼロの頼みで外国を回ってたことになってる。

 これで、良いのかな。

 良いのかな、本当に……ボクは、ボクは、皆に』


 ――――TURN7:「青姫 の 帰還」


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TURN7:「青姫 の 帰還」

 神聖ブリタニア帝国領エリア11、キュウシュウ・ブロック。

 対外的には未だブリタニアの植民エリアの一部であるその地は、現在、ブリタニアの支配力が及んでいない地域となっていた。

 理由は、黒の騎士団を主力とする反ブリタニア勢力によって実効支配されているためである。

 

 

 半年前のキュウシュウ戦役からセキガハラ決戦へ至る流れの中で、キュウシュウのほぼ全域からブリタニアの勢力が失われ、代わりに反体制派が「不法占拠」する。

 かつてのナリタ連山同様、そしてそれ以上の規模での「解放地区」が今のキュウシュウだった。

 近年のブリタニアの歴史の中で、これ程までに反体制派が勢力を持った事例は存在しない。

 

 

「……帰ってきたんだ」

 

 

 キュウシュウ南部、カゴシマ湾内。

 その日、湾内に大型の船舶が2隻、ゆっくりと入ってきた。

 エリア11内外との港湾取引が急減し、ほぼ海上輸送の止まっているカゴシマ湾に久しぶりに入ってきたそれらは、しかし商船などではなかった。

 

 

 巨大な潜水艦、そして航空戦艦の姿に、湾を見下ろす村々の人々は畏れの混じった噂話をすることになった。

 それでも恐慌が起こらなかったのは、浮上して航行している潜水艦が日本の国旗を掲げていたからだろう。

 そう、今やこの湾にブリタニアの軍艦が入ってくることは無い。

 

 

「本当に」

 

 

 そして入る側、航空戦艦ヴィヴィアンの艦橋でも、スタッフが安堵の吐息を漏らしている所だった。

 その中にあって、特に1人の少女が感慨深そうな息を吐いている。

 艦橋のモニターを広く見渡せば、懐かしさすら覚える光景がいくつも目に入る。

 半年前の戦闘の痕が窺える港湾設備、旧ブリタニア軍基地、湾内の隅にどかされている中華連邦の駆逐艦の残骸、彼方に連なる緑と桜の山々……。

 

 

 その全てに、懐かしさすら覚える。

 景色、気温、湿度……そして、空気。

 ブリタニア製の艦の中にありながら、それでも肌で実感することが出来た。

 肌に馴染む、その空気を。

 

 

「……日本に」

 

 

 セキガハラ決戦から半年間、そして「記憶」を取り戻してから数週間、加えてハワイ沖の会戦から4日間。

 それだけの時間を経て、ようやく少女は故国へと帰ってきた。

 もう1時間もしない内に、実際に足裏に故国の土の感触を思い出すことだろう。

 

 

 日本の抵抗の象徴、枢木青鸞。

 彼女はこの日、ようやく日本への帰還を果たした。

 新たな抵抗の道を、歩むために。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 足の裏に踏み締めたのは、故国の土。

 半年前にナイトメアで疾走したその場所に立った青鸞は、今、非常に困難な状況にあった。

 理由は、港に降り立った彼女以外の面々の存在にある。

 

 

「えっと、あの……」

 

 

 ラウンズの騎士服を脱ぎ捨て、久方ぶりの濃紺の着物に身を固めている青鸞。

 現在エリア11の一般人の間では、枢木青鸞について2つの話が流れている。

 まず一つはブリタニア本国が――何故かエリア11の政庁ではなく――発表した処刑説。

 もう一つは、外国各地を回って反体制派のテロ・ネットワークの構築に尽力していたと言う説。

 外国語が堪能な彼女だからこそ、信憑性の高まる話ではある。

 

 

 しかしそれはあくまで対外的な、それも一般人に向けた情報操作である。

 

 

 青鸞本人に近ければ近い程、それが真実で無いことを知っている。

 だから青鸞は、潜水艦から降りてきた護衛小隊の面々の前で緊張しているわけだ。

 佐々木や青木、林道寺など、すでにヴィヴィアンに乗り込んでいたメンバーも含まれている。

 黒塗りの潜水艦をバックに並ぶ十数人の小隊メンバーの視線も、半年ぶりに見る青鸞に集中している。

 

 

「ボ、ボクは、この半年……その、本当は」

「「「…………」」」

 

 

 言えば良い、ブリタニアの捕虜になっていたと。

 ナイトオブイレヴン、セイラン・ブルーバードとの繋がりはただ否定すれば良い。

 ルルーシュは青鸞にそう言っていた、ギアスのことを明かせない以上、それが一番だと。

 また青鸞はルルーシュが最終的には絶対遵守のギアスで場を収拾させようとしていることを知っていた、出来ればそれはさせたくなかった。

 

 

 護衛小隊のメンバーは、ただじっと青鸞の次の言葉を待っている。

 姿勢はそれぞれだが、待っていると言う点では同じだった。

 その時、ふと青鸞は別の感情のこもった視線を感じた。

 

 

(あ……)

 

 

 見てみると、港のコンテナの陰からこちらを窺っている少年がいた。

 色素の薄い髪を持つ繊細そうな少年は、何となく心配そうな目で自分のことを見ている。

 コンテナの陰から出て何かしようとする彼に小さく首を振って見せた後、青鸞は意を決したように顔を上げて。

 

 

「ご……!」

「みぃ~~……♪」

「え?」

 

 

 そして言葉を発しようとした瞬間、それに割り込むように声が響いた。

 いや、それは声では無く歌だった。

 伴奏も何も無い、しかし確かなリズムを刻む……重苦しく、それでいて人を奮い立たせるフレーズ。

 驚いて視線を向ければ、山本が青木と肩を組んで歌っていた。

 

 

 ――――軍歌。

 単純に言えば軍隊で歌われる士気高揚の歌だ、そして山本達が歌っているのは旧日本軍時代の歌だ。

 黒の騎士団のメンバーには歌えない、旧日本解放戦線のメンバーだけが歌える歌である。

 最初は青鸞と共に驚いていた他の面々も、次第に歌を口ずさみ始めた。

 あの寡黙な茅野や大和でさえも、同じだった。

 

 

「きょ~~……♪」

 

 

 そして、当然……青鸞にも、その歌は歌える。

 覚えている、忘れるはずは無い、どれだけの時間が経っても。

 ナリタで過ごした数年間と、旧日本軍の歌は分かち難い物だったのだから。

 

 

 だから青鸞は歌った、調子っぱずれな山本の音程に皆が表情を引き攣らせても、笑って歌った。

 笑って、歌えた。

 そのことがもう、すでに答えだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ……歌自体は数分も経たずに終わる、誰からともなく再び口を閉ざす。

 一方で青鸞は口を閉ざさなかった、歌で震えた胸の内を吐き出すように口を開く。

 そして、腰を90度に倒して下げた。

 

 

「ごめんなさい!」

 

 

 どよどよ、と護衛小隊の面々がざわめく。

 何か「うぉ何か物凄い勢いで謝られたぞ」「隊長は黙っててください今マジメな所ですから」とか聞こえたが、それに構わずに言葉を続けた。

 残念ながらギアスを含めた話は出来ない、ために、いくらかボカすことになるが。

 

 

「……この半年、ボクはブリタニア軍に協力して、ブリタニア本国の反体制派を潰して回っていました」

 

 

 捕らえられ、洗脳されて、ブリタニア皇帝のために働いていた。

 そう告げても皆からの反応が何も無くて、怖くて握った拳が震えた。

 そんな彼女に声をかけたのは、最も青鸞に近しい少女だった。

 

 

「青鸞さま、僭越ながら……一つ、伺ってもよろしいでしょうか?」

「え、うん……」

「……青鸞さまは何故、そのようなお話を私達になさったのでしょう?」

「それは……」

 

 

 小さく首を傾げ、微笑しながらの雅の問いに、青鸞は数瞬の躊躇を経て。

 

 

「……出来るだけ、皆に、嘘を吐きたくなかったから」

『何だ、その目は』

「いや、別に」

 

 

 少し離れた位置で、何故かC.C.がルルーシュ=ゼロを見上げていた。

 しかしそれとは関係なく、青鸞はゆっくりと顔を上げて、護衛小隊の面々の目を1人1人見つめた。

 

 

「資格云々とかじゃ無くて、皆が……ボクと一緒に戦うかどうかを、決める材料、に……?」

 

 

 その時、どこかから声が聞こえてきた気がして、青鸞は一時言葉を止めた。

 キョロキョロと左右を見渡せば、何故か地響きさえ聞こえてきそうな気がして。

 そして、今度は確かに耳に声が届いた。

 

 

「くぅぉおおおぉぉんのぅぉおおおおぉ……!!」

「ひぃっ!?」

「ぶぅぁあああぁかもぉんがあああああああああぁぁぁっっ!!」

 

 

 鈍い、鈍すぎる音が青鸞の頭の上で確かにした、次いで鈍い痛みが生まれる。

 ジンジンと頭頂部から身体の下へと降りてくるようなその痛みも、実に半年振りだった。

 忘れもしない、拳骨である。

 誰の? それはもちろん。

 

 

「く、草壁中佐ぁ?」

「気ぃをつけええええぇぇぇいっ!!」

「は、はいぃっ!」

 

 

 頭を押さえて涙目で見上げれば、鼻息の荒い大きな顔が目の前にあった。

 あまりにもどアップであったため本気で怯えた青鸞は、その場で直立不動の体勢をとった。

 ちなみに何か言おうとしたらしい雅は、固まったまま声を出せないでいた。

 それほどの衝撃だった、草壁と言う男の登場は。

 

 

「――――馬鹿か、貴様は!? そんな自己満足の言葉を部下に告げてどうするかっ、それで部下はどう反応すれば良いと言うのだ!? 少しは考えて物を言わんか小娘がぁ!!」

「か、考えた結果、こうなったわけでありまして、その」

「口答えするな、小娘が!」

「す、すみません!」

 

 

 いつもより3倍鼻息荒く迫られて、青鸞は肩を跳ね上げるようにして謝罪した。

 そしてそんな様子を見た所で、草壁の巨体が止まるはずも無く。

 

 

「大体、貴様は軟弱なのだ! 敵の(とりこ)になるだけでは飽き足らず、洗脳だと!? そんな惰弱なことで反体制運動など出来るか、今すぐにやめてしまえ!!」

「そ、それはやめません! ボクはこれからも、日本の独立のために……!」

「小娘が語るで無いわぁ! 耳が腐るわ! それに大体、指揮する立場の人間が最前線に自ら出ておいてロストするなど、自分の立場を弁えておらんからそんな情け無いことになるのだっっ!!」

『……何だ、その目は』

「いや、別に?」

 

 

 やはりC.C.がルルーシュ=ゼロを見上げていたり、コンテナの陰の少年が右眼を赤く輝かせていたりしていたが、草壁の登場で全ての流れが決まってしまった。

 それに対して息を吐いたのは、誰だっただろう。

 どこか呆れたようなそれには、どこか安堵が乗っていた。

 

 

「最初にいきなり謝罪から入られた時はまさかって思ったけど、今の話を聞く限りじゃ心配はいらねぇみたいだな」

「……そうだな、林道寺の言っていた通り」

「出来れば最初は、ありがとうとかから入ってほしかったんですけど……」

 

 

 山本も大和も、上原も……護衛小隊の面々は、安堵していた。

 元より不満のある者は今日までに去っている、ここにいる人間は、青鸞が草壁に告げた言葉だけで良かったのだ。

 それだけで、青鸞を守ることが出来るのだから。

 

 

「……どうやら、心配は不要だったようですね」

 

 

 そして、そんなタイミングで彼女がやってきた。

 艶やかな黒髪と平安風の衣装、青鸞と同じキョウトの姫。

 皇神楽耶が、柔和な微笑を青鸞へと向けていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 草壁が来た段階で想像は出来たが、緊張の状況と言うのは連続するものなのかもしれない。

 何しろ続いてやってきたのは旧日本解放戦線の面々、つまりは藤堂であり、四聖剣であったからだ。

 その傍らには三木を伴った神楽耶もいて、さらに緊張の度合いは増したが……草壁が前にいては、直立不動の体勢は崩せなかった。

 

 

「と、藤堂さん……皆」

 

 

 卜部はいない、そのことにやや表情を翳らせる。

 だが藤堂や朝比奈、千葉や仙波を前にすると、別の意味で表情を翳らせる。

 それでも彼女は胸を張った、背筋を正した、引け目は消えなくともそうした。

 先程の草壁の叱責には、そうした意味もあったはずだからだ。

 

 

 この場で申し訳なさや引け目を前面に押し出すようなことをすれば、それは弱さでも未熟でもなく甘えになってしまう。

 叱責されたばかりでそれをすれば、今度こそ失望を買うだろう。

 最悪を避けるためにも、だ。

 

 

「……!」

 

 

 そんな青鸞の前に突き出されたのは、一本の刀だった。

 青鸞が以前に使用していた物とは違う、それよりもやや大ぶりの軍用刀だ。

 千葉の手によって突き出されたそれを、手の中に落とされる。

 半年経っても変わらない千葉の怜悧な顔に視線を向けると、彼女は静かに頷きを返した。

 

 

「……卜部の刀だ」

「え……?」

「生前、お前にやりたいと言っていた。藤堂道場の慣行だ、お前はまだやっていなかったからな」

 

 

 驚いて、手の中の軍刀を見る。

 半太刀拵の軍刀、製造年を日本の紀年法の暦に換算して九八式軍刀と呼称される物だ。

 目釘2本、鯉口は防塵2分割式、暗色塗装、実戦向きの刀として採用された。

 軍人の魂とも言えるものであるが、実は旧式である。

 

 

 そして藤堂道場では、卒業生に先輩が軍刀を与える慣行がある。

 皇歴2003年に新式の軍刀との入れ替えがあったために生まれた慣行で、藤堂の道場だからこその慣行であるとも言える、卒業生はそもそも大多数が陸軍に行くのだから。

 青鸞は軍人では無かったため、道場を卒業しても刀を受け継ぐことは無かった。

 自前で持っていたために必要なかった、と言うのもあったのだが……とにかく。

 

 

(巧雪さんの、刀)

 

 

 その柄を両手でぎゅっと握り締めれば、少女の腕には少し辛い重みが伝わってくる。

 セキガハラで自分を庇った道場の先輩の顔が、脳裏にチラついた。

 そしてその様子を見て、初めて千葉は表情を緩めた。

 朝比奈もうんうんと笑顔を見せ、仙波も深く息を吐きながら頷いて見せた。

 言葉を重ねようとはしなかった、彼らもまた草壁と青鸞の会話を聞いていたからである。

 

 

「青鸞、良く戻った」

「藤堂さん」

「戻って早々悪いが、話したいことがある。今の我々の状況についてだ」

 

 

 実務的な会話ながらも小さく笑みを浮かべる藤堂の視線を追えば、そこには神楽耶がいる。

 彼女はそれまで何も言わずにいたのだが、藤堂の視線を受けて頷くと。

 

 

「実は、私達には青鸞、貴女の帰還を喜んでいる暇も無いのです」

 

 

 神楽耶の言葉に首を傾げると、彼女は青鸞に対して語り始めた。

 キュウシュウ、いや、日本が今置かれている状況を。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ブリタニア軍が使用していたカゴシマ基地、そこは今や黒の騎士団の本拠地となっていた。

 特に近代的なのがブリーフィングルーム、壁に画面をかけるのでは無く、床に設置された立体映像装置によって三次元的な映像を参加者全員に見せることが出来る。

 今では、黒の騎士団が有難く使わせて貰っているのだが。

 

 

「けっ、今さら帰ってきて何だってんだよ。言っとくけど、お前にやるポストはもうねーからな!」

 

 

 まぁ、ブリーフィングルームに入ると同時に聞こえてきた悪態は、機能の内には入っていないだろうが。

 ちなみに悪態を吐いたのは玉城である、壁に寄りかかって唇を尖らせ、入室してきた青鸞に不機嫌そうな視線を向けている。

 直後には杉山に腹を打たれ井上に脛を蹴られ、沈んでいたが。

 

 

「ああっ、どーもすいません、気にしないでやってください」

「自分が幹部落ちするんじゃないかって思ってるだけなんで、本当に気にしないでやってください」

「は、はぁ……」

 

 

 黒の騎士団サイドからの風当たりは特に強いだろうと思っていたので、予想外と言うことは無い。

 むしろ井上や杉山達の対応の方が大人だ、青鸞の後ろに立つゼロの存在感もあるのだろうが。

 しかし実際、騎士団の幹部の中で青鸞の立場は微妙だ。

 青鸞と接点の無い下層の兵達には言い繕えても、幹部となるとそうもいかない。

 

 

『青鸞嬢も戻った、これでようやく動き出せる』

 

 

 それを無理やり抑えているのがルルーシュ=ゼロ、ほとんど唯一、青鸞の半年間の真実を知っている男。

 つまるところ黒の騎士団組の方はそれで何とかなる、旧日本解放戦線組についても先程のやり取りで一応は何とかなった。

 ひとえに、半年前までの青鸞の行動の賜物と言える。

 

 

「それでは、私の方から説明させて頂きます」

 

 

 それはともかくとして、今はキュウシュウの状況の確認である。

 列の中から前に出たのは三木である、今や黒の騎士団・旧日本解放戦線の後方統括を務める軍人だ。

 彼は青鸞に目礼した後、手にしたリモコンのボタンを押した。

 同時に、床から三次元で再現された日本列島が浮かび上がる。

 中心がキュウシュウと言う特異な映像ではあるが、物資の流れや人口、部隊配置などの情報が矢印でわかりやすく示されている。

 

 

 それによると現在、黒の騎士団はキュウシュウ全土を実効支配している。

 域内のブリタニア人の本州への移送とサセボの中華連邦軍の撤退はすでに終了し、関門海峡の封鎖を続けると共にオキナワへの諜略を進めている状況だ。

 ただ経済・社会、そして軍事的には窮地に陥っていた。

 

 

「経済的には、深刻な食糧難が喫緊の課題です。1000万人の域内人口を養うには、キュウシュウの農業生産力はあまりにも不足しています。エネルギーに関しても、ミヤザキ・カゴシマのサクラダイト鉱山の稼働率が予定より上がらず……」

 

 

 またキュウシュウの外から物資を調達しようにも、対外的な窓口すらない状況では輸入も出来ない。

 そもそも船舶が不足しているし、ブリタニア海軍の哨戒網を抜けるのも至難の技だ。

 そう言う意味では、キュウシュウはまさに孤立しているのである。

 

 

「また社会的にも、人々の将来への不安が増しています。ブリタニアの迫害はなくなったものの、食糧も少なく仕事も無く、生活水準そのものに目立った変化が無いためです」

 

 

 加えてセキガハラでの不可解な撤退により、黒の騎士団の求心力が落ちていることも要因だ。

 今は他に頼るものが無いから問題は起こらないが、このままの状況が続くようなら、その限りでは無いだろう。

 つまり黒の騎士団とキュウシュウは、経済的に行き詰っているのである。

 キョウトの資金があってもモノが無いのでは、どうしようも無い。

 

 

「そして軍事面、現在我々は関門海峡を挟んでブリタニアのエリア統治軍と睨み合いを続けているのですが……この半年、ブリタニア軍側に目立った動きはありませんでした。むしろトーキョーからは、ユーフェミア代理総督の名で対話要請が出され続けています」

 

 

 そして黒の騎士団は、その対話要請をこれまで悉く拒否している。

 これがまた対外的なイメージダウンに繋がっている、何しろ相手……エリア11代理総督ユーフェミアは一切の武力行使を自制し、多くのテロ組織を対話で解体している平和の領主なのである。

 理由も示さず拒否すれば、体裁が悪くなるのは当然だった。

 

 

(な、何か、思ってたより大ピンチっぽいんだけど……)

 

 

 頬に一筋の汗を垂らす青鸞、実はキュウシュウの内情を詳しく知るのは初めてだった。

 元々知っていただろう他の面々も、改めて言われると思う所があるのか、難しい顔をしていた。

 しかし青鸞は、視線をさらに動かして1人の男を見つめた。

 

 

 仮面で表情を隠した少年、ルルーシュ=ゼロ。

 ルルーシュならば、何か考えがあるのでは無いか。

 そう思う青鸞の心の声が聞こえたわけでは無いだろうが、ルルーシュは顎先を上げて一歩前へと進んだ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「ユーフェミアの対話要請に応じる、だってぇ?」

 

 

 そう声を上げたのは朝比奈である、不信感を隠そうともしないその声音は、しかしその場の人間の気持ちを代弁しているとも言えた。

 ゼロ……ルルーシュ=ゼロが告げたのは、そう言うことだったからだ。

 

 

 そもそもユーフェミアの対話要請を黒の騎士団が拒否していたのは、トップであるルルーシュ=ゼロの意思に従った結果である。

 対話に応じるべきでは無いかという意見を全て無視したのはルルーシュ=ゼロだ、そうした背景を無視して方針転換したと言われても、まさに「どう言う風の吹き回しだ」としか言えないのである。

 

 

『青鸞嬢の帰還によって全ての状況が変わった。ユーフェミア皇女と面識のある彼女であれば、会談の場に立っても無碍に扱われることも無い。また枢木の名前は、日本の全権代表として相応しいだろう……私のような得体の知れない男よりはな』

「客観的に自分を見れているじゃないか」

 

 

 軽口を叩いたC.C.に対してジロリと――仮面では意味が無いが――視線を向けた後、ルルーシュ=ゼロは青鸞の傍に寄り、彼女の背中と腰の間に手を沿えるようにした。

 青鸞を前に出すような仕草、何だと視線で問いかけても答えは返ってこなかった。

 でも本当は言葉は無くとも、わかる。

 

 

 ルルーシュがどうして、青鸞が戻ったタイミングでユーフェミアとの交渉に応じるのか。

 おそらくC.C.を除いてしまえば、青鸞だけが真意を読むことが出来た。

 青鸞だけが表舞台に立てる、そしてユーフェミアに影響されない人材だからだ。

 これまで応じなかったのは、そう言うわけだろう。

 

 

(……でも、ギアスについて話せば、もっと簡単に……)

 

 

 それくらいの可能性はルルーシュも考え付いているだろう、だが彼はそれをしない。

 信用されないからか、それとも信用できないからか。

 いずれにしてもそれは哀しいことで、寂しいことだった。

 しかしそんな彼女の視線には気づかずに、ルルーシュ=ゼロは三木の映し出しているキュウシュウ……そしてトーキョーの映像を睨みながら。

 

 

『そして私が得た情報によれば、ユーフェミア皇女は本国の意図しない行動を取っている。これは半独立とも取れる動きだ、先頃の彼女の政策がそれを証明してもいる』

 

 

 ユーフェミアの肩書きはあくまで代理総督、つまり総督である姉コーネリアの代理ということだ。

 まぁ、そのコーネリアもセキガハラ決戦以降、行方不明とされているが……。

 

 

『故にこそ、対話に応じるならば今。ブリタニア本国の意思を離れつつある彼女と何らかの妥協が成立する可能性もある……あくまで彼女が、ブリタニアに叛する意思を持っていることが前提だが』

「……ゼロ、あの皇女様にそこまでの覚悟はあるとは……」

『それを探るためにも、何らかの接触は必要だろう』

 

 

 カレンの疑念は最もだ、ユーフェミアのイメージに「叛逆」の二文字は最も遠い。

 しかしルルーシュ=ゼロには確信があった、今のユーフェミアが本国の意思とは無関係に行動していることに。

 だがそれを言葉で説明することは出来なかった、だから別方向からの理由が必要になる。

 

 

『ラクシャータを通じて行っている策もある。これを使うにはもうしばらくの時間が必要だ、時間を稼ぐ意味でも、相手の目を逸らす必要がある』

「で、その策とやらについても説明は無し、と……」

「それはともかく、ゼロ。ならユーフェミアとの対話は……その、形だけのものになるのか?」

 

 

 目を細める朝比奈をよそに、不安そうな声を上げたのは扇だ。

 黒の騎士団のサブリーダーである彼は以前は組織のクッション役のような役目を担っていたが、最近では立ち位置を穏健派の方へと変えてきていた。

 それによって組織内のパワーバランスがおかしなことになっているのだが、それはまた別の話だ。

 

 

『いや、扇。対話自体は誠実に、そして本気で行う。妥協が成立するならそれに越したことは無いからな』

「なら、もし何らかの合意が成立すれば……ユーフェミアと共存を?」

『可能性は排除すべきでは無いな』

「そ、そうか……」

「妥協だと? 馬鹿め、そのような物がブリタニアとの間で成せるものか!」

 

 

 そして穏健な意見を持つ者が納得すると言うことは、逆に言えば過激な意見を持つ者は納得しないと言うことだ。

 

 

「そもそも妥協の余地が無い! 奴らは侵略者、日本の国土から叩き出す以外の選択肢があるものか!」

『無論、その可能性も排除しない。私とてブリタニアの打倒を掲げている以上、その策についても考えている。ラクシャータ経由で進めている策がそれで、まだ説明できる段階では無いが……』

 

 

 ギアスのことが説明できない、それだけで全ての話に無理が出ている。

 ほとんど全ての真実を知る青鸞は、そう感じた。

 青鸞自身ですらそうなのだ、ルルーシュ=ゼロならばもっとだろう。

 

 

 そして青鸞は、ふと藤堂と神楽耶の視線を感じた。

 その何かを訴えるかのような視線で、彼らが見せたかったのはこれかと思った。

 キュウシュウだけでなく、組織の内情。

 非常に、芳しくない。

 自分がいない間に、随分と――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「……………………」

 

 

 様々な人間が発現している中で、不気味な程に沈黙を保つ男が1人いた。

 ディートハルト、黒の騎士団の情報・諜報担当の幹部である。

 最重要の役職の一つを占めるにしては人望が無く、誰かとつるむと言うことをしない男だ。

 

 

 基本的にゼロと言う存在をプロデュースすることに生きがいを感じているマスコミ、と言うのが認識としては正しい。

 しかしその実、何を考えているのかわからない所もある。

 そんなブリタニア人の幹部は今、プロデュースすべきゼロでは無く、ゼロが連れ帰った少女の方へとその青い瞳を向けている。

 

 

「……………………」

 

 

 彼は何も言わない、ただ、少女をじっと見つめている。

 不意に少女が視線に気付いて彼を見れば、今度は彼の方から視線を外した。

 首を傾げて少女が目を離せば、やはり彼は少女へと視線を向ける。

 

 

 瞳の奥に、何か暗い色が蠢いているような。

 どこかどろりとした視線だ、あまり心地いい物では無い。

 しかし事実として、ディートハルトは少女、青鸞を見つめていた。

 何かを考えているその顔は、傍目に見て、清々しさとは真逆の物だった。

 

 

「……はん」

 

 

 そしてそれを密かに見ていた緑の髪の魔女が、微かに鼻で笑ったのは……また、別の話である。

 この一連の動作が後にどのような意味を持ってくるのか。

 この時点では、まだ誰にもわからなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――どうすれば良いのだろうか。

 会議終了後、夜になってもなお青鸞は悩んでいた。

 正確に言えば4日前、いやそのずっと前から、記憶を完全に取り戻してからずっと悩んでいた。

 

 

 しかも悩みは一つでは無い、複数の重い課題が青鸞の両肩に圧し掛かっているのである。

 一つ、ブリタニアで過ごした時間とその結果について。

 ラウンズやブリタニアの要人と「ブリタニア人として」過ごした事実は消えない、近い内に現実の問題として彼女に降りかかってくるだろう。

 

 

「……はぁ」

 

 

 二つ、日本に帰還した結果と問題について。

 藤堂や雅達が一応でも自分を迎え入れてくれたのは、あくまでも青鸞の意思が「日本独立」にあると信じているためだ。

 信頼、それは普段はとても固く、しかしともすればすぐに解ける縄に似ている。

 そしてそれは、この半年間の空白を無かったことにすると言う意味では無い。

 

 加えて言えば、黒の騎士団サイドはさらに不味い。

 表立って反感を口にした玉城、あまり好きでは無いが、それでも幹部メンバーの意思を全く代弁していないわけではあるまい。

 多かれ少なかれ、自分への不審を胸の中に持っているはずだ。

 

 

「…………はあぁ」

 

 

 そして3つ目、これがある意味で一番面倒くさい、しかし喫緊の課題だった。

 『コード』、である。

 C.C.が保有している物とは別の、しかし同種の「何か」。

 カミそのもの、根源の渦と交信する手段、永い時をたゆたい続けるモノ。

 

 

 『ギアス』の源。

 

 

 ヴィヴィアンでC.C.にコード同士を接触させられてからと言うもの、左胸にあるそれが気になって仕方が無かった。

 頭に無理やり叩き込まれた情報や知識は断片的に過ぎてよくわからない、これから徐々に慣れていくしか無いにしても……不老不死。

 正直、泣きたかった。

 

 

「はあああぁぁ……」

「ね、姉さん、大丈夫?」

「……うん、大丈夫大丈夫。ロロは優しいね……」

 

 

 ヴィヴィアン艦内、「セイラン・ブルーバード」に割り当てられていた部屋をそのまま使っている。

 ちょっとしたリビング並みに広い部屋は、白の壁紙と赤のカーペットが敷かれ、どこか貴族趣味的な雰囲気を漂わせていた。

 正直あまり趣味では無いが、それすら気にならない程に参っている青鸞だった。

 

 

 そしてそんな青鸞を、ロロが心配そうな眼で見つめている。

 彼は今、青鸞の個人的な「客」として遇されていた。

 ルルーシュなどは良い顔をしなかったが、青鸞が説得した。

 この子は私の家族だから、連れて行く――――そう言って。

 

 

(……僕は)

 

 

 もちろん、互いに迷いは――特にロロの側――ある。

 今でもロロは青鸞をしかるべき所に連れて行くべきでは無いかと思っているし、事実、もし可能であればそうしたかもしれない。

 そして今も、どこか値踏みするような視線でソファに埋まる姉を見て……。

 

 

「はぁ~……ロロは温かいね」

 

 

 やや訂正、姉に腕の中から見上げていた。

 ソファに座る青鸞の膝の間に座るような形で、青鸞はロロの後ろ髪に顔を埋めている。

 ロロは少しくすぐったそうにしつつも、しかし振り払うようなことはしなかった。

 部屋に戻ってきたと思ったらこれである、どうやら相当に疲れていたらしい。

 

 

 まぁ、それも仕方ないだろうと思う。

 それだけ青鸞が抱える問題は多く、しかもどれにも正解の無い問題だ。

 だから癒しを求めて弟をモフっても仕方が無い……いや。

 青鸞の中の兄弟像は、どこかズレているような気がするロロだった。

 

 

(まぁ、僕も家族とかは、良くわからないけれど)

 

 

 半年間で家族の何たるかがわかるはずも無い、そしてそれ以前には家族ごっこをする相手すらいなかった。

 ロロと言う少年の半生は常に殺伐としていて、今、青鸞から与えられている温もりこそが異常なのだ。

 考えていると、ロロはふと何かに気付いたように顔を上げた。

 それに対して、青鸞は不思議そうに首を傾げて。

 

 

「青鸞、入りますよ」

 

 

 そして、来訪者が訪れる。

 来訪者の名は、皇神楽耶。

 彼女はロロを抱き締める青鸞の姿を認めても表情を変えることなく、そこに立っていた。

 にっこりと、ただ微笑んで。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「勘違いをしないでくださいね」

 

 

 ロロが警戒と羞恥の間のような表情で退出し、さてじゃあとりあえずお茶でも、とソファから腰を上げかけたタイミングで、神楽耶はそう告げた。

 広いソファに互いの衣服が擦れ合うような近さで座りながら、しかし機先を制するように。

 その口調には、一切の妥協が存在しなかった。

 

 

「私や雅、桐原の爺様やキョウトの方達、そして藤堂中佐や草壁中佐、三木大佐や四聖剣、旧日本解放戦線の方達、そして扇さんや黒の騎士団の方達も、皆、貴女を無条件に迎え入れているわけでは無いと言うことを」

「…………」

 

 

 上げかけた腰を再び下ろして、青鸞は神楽耶の言葉に耳を傾けた。

 そして、ただ、頷いた。

 神楽耶は正面を向いたままだが、その頷きは見えていたはずだ。

 

 

 皆、何も言わずに自分を迎え入れてくれた。

 そんな簡単なことであれば、どれだけ気が楽であっただろう。

 だが違う、皆は表面上確かに青鸞を迎えてくれたが、それは彼らが大人だったと言うだけの話だ。

 

 

「言わなかっただけです、言わなくてもわかっていると思ったから。聞かなかっただけです、いつか自分の口で話すだろうと思ったから。それだけです」

 

 

 言っても仕方が無く、聞いても意味が無い。

 そしてその対象に一定上の信頼を置いていた時、人は、何も言わず何も聞かなくなる。

 無関心とは違う、無視とも違う、ただ。

 ――――ただ、何も言わないだけだ。

 

 

「でも私は今宵、あえて言いに来ました。そして聞きに来ました、青鸞」

 

 

 衣装が触れ合う程の距離で、神楽耶は真顔で言った。

 

 

「貴女はこの半年間、どこで、何をしていたんですか?」

 

 

 ……それは、今、青鸞が聞かれると最も困る質問だった。

 何しろ青鸞だけの話では無いし、仮に青鸞だけのことを話したとしても、信じて貰えるかどうかがわからなかった。

 有体に言えば、怖かった。

 

 

 本当のことを話しても、信じて貰えなかったなら?

 人はそう疑問した時、恐怖するしか無い。

 それこそ……それこそ、ロロが言っていたように。

 他者に受け入れてもらないことを、人は極端に恐れるから。

 特に神楽耶は、青鸞にとってとても――――……。

 

 

(あ……?)

 

 

 その時、青鸞はあるものを目にした。

 それは、小さな手だ。

 神楽耶の膝の上に綺麗に揃えられた、小さく細い、白く美しい手だ。

 何の苦労もしたことが無いような綺麗な手は、そうあるべしと強いられた結果だ。

 

 

 その手が、小さく震えていた。

 

 

 そもそも、である。

 神楽耶の立場ならば、遥か遠くブリタニアの地で「セイラン・ブルーバード」なる日系ブリタニア人がナイトオブラウンズに加入したことを知っていただろう。

 バイザーで目元を隠していた所で、青鸞に近しい者が見れば一目瞭然のはずだ。

 つまる所、青鸞の口から説明する必要が無い程に「何もかも」を知っていてもおかしくは無いのである。

 

 

「……か」

 

 

 ぐ、と、唾を飲み込むように言葉を飲み込んだ。

 今、神楽耶の名前を呼ぶことに躊躇を覚えたためだ。

 そしてそこから、少なくとも数十秒間の沈黙が続いた。

 

 

 永遠とも思える、静かな時間。

 忍耐と葛藤、信頼と不安、愛情と慕情。

 そうした物が目に見えるのであれば、今まさにこの空間を駆け巡っただろう。

 そして、青鸞は。

 

 

「…………ギアスって、知ってる?」

 

 

 青鸞は、長い話を始めた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 自分に関する話は、全て話した。

 ギアスのこと、コードのこと、身体のこと、記憶のこと。

 ブリタニアのこと、そこでの生活のこと、家族(ロロ)のこと。

 ルルーシュ=ゼロのことやナナリーのことには触れず、自分のことだけを話した。

 

 

 もしかしたら聡明な神楽耶には、ゼロが何らかの関係を持っていることくらいには気付いたかもしれない。

 それでも神楽耶は何も言わず、口も挟まずにただ青鸞の告白を聞いていた。

 荒唐無稽で突拍子も無いその話を、ただただ静かに聞いて、そして。

 

 

「……ごめん、神楽耶。ボク、別に熱は無いんだ」

「あ、そうなんですか」

「うん」

 

 

 意を決して話して――それも極度の緊張で何度かトチりながら――みれば、この対応。

 何だか、泣きたくなった。

 しかし無理も無いと思う、神楽耶の側に立ってみればわかりやすいだろう。

 例えば自分の幼馴染がある日、突然。

 

 

『ギアスって言う超常の力で洗脳されて、しかもコードって言うやっぱり超常の力で不老不死になったんだ。しかもこれ、隔世遺伝らしいよ』

 

 

 と、言ってきたのである。

 頭がおかしいとしか言えない、だから青鸞としても何も言えなかった。

 

 

(そりゃあそうだよ、うわ、ボク恥ずかしい……事実なだけに余計に、哀しいくらいに)

 

 

 そうして落ち込んでいると、不意に温もりを感じた。

 その温もりは青鸞の頭を引っ張ると、ぽすん、と自分の胸に抱え込んできた。

 何かと思えば、視界には平安衣装の胸元がある。

 神楽耶が、青鸞の頭を抱き締めていたのである。

 

 

「正直な所、俄かには信じ難い話です」

 

 

 ――――信じたくない、話です。

 

 

「……うん」

 

 

 ――――ボクも、だよ。

 

 

「それでも……話してくれて、ありがとう」

「うん」

 

 

 神楽耶の胸の中で目を閉じながら頷くと、そっと身を離された。

 神楽耶の黒くて大きな瞳が、青鸞を見つめている。

 少女の震えはもう止まっていて、いつの間にか重ねられていた掌は熱を持って熱かった。

 

 

 すっ……と、神楽耶が目を閉じた。

 

 

 軽く顎先を突き出すようにして、やや眉根を寄せて、きゅっと青鸞の手を握り締めて、身を寄せて。

 微かに朱に染まった頬が、少女の羞恥を示しているようだった。

 これに混乱したのは、青鸞である。

 いくらそう言うことに疎い青鸞でも、これはそう言うことだとわかる。

 

 

(え……っと? え、これってつまりそう言う、え?)

 

 

 だって前に一度、経験しているのだから。

 脳裏にあの時の神楽耶の、視界一杯に広がった神楽耶の顔がフラッシュバックして、そして目の前の顔とそれが重なって。

 だから青鸞は、混乱した。

 

 

(え、今の今までボクが真面目な話をしていた所じゃ。と言うか神楽耶って何しに来たんだっけ? いやでも神楽耶待ってるし、でも待ってるから何って、いやいやそうじゃなくて。えーと……ボク、何してたっけ? こうして見るとやっぱり神楽耶って実は綺麗系だよね、それが目を閉じて待っててますます綺麗……これ、ボクが行くべきなのかな。いや行くって何を? ボクにそんな趣味は……でも神楽耶が、あれ?)

 

 

 ふと気が付くと――グルグルしていた目が正常に戻ったと言う意味で――いつの間にか神楽耶は目を開けていて、口元に手を当てて肩を震わせていた。

 彼女は目尻に涙を浮かべながら青鸞を見ると、先程までとは打って変わった明るい表情を浮かべていた。

 

 

「うふふ……良かった、私の知ってる青鸞のままで」

「何か、いつか聞いたような台詞だね」

「ええ、それを確認しに来たようなものですから」

 

 

 そう言って微笑する神楽耶の顔は、どこまでも楽しそうで、綺麗で。

 

 

「うふふ、うふふふふ」

「笑わないでよ……」

「ごめんなさい、でも、うふふふふふ……っ」

 

 

 その楽しそうな笑い声は、青鸞の耳と心を優しく撫でてくれた。

 帰ってきたんだと、そう思えるから。

 そう思えることこそが、今の青鸞にとっては重要なのだと。

 まるで、そう教えてもらっているような気がした。

 

 

 だからいつしか、青鸞の顔にも笑顔が戻ってきた。

 そして2人の少女は、そのまま長い時間を一緒に過ごした。

 朝まで、ずっと、いろいろな話をしながら。

 時間を取り戻そうとするかのように、記憶を確認しようとするかのように……。

 ……長い、時間を。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――エリア11、トーキョー租界。

 ブリタニア人居住区である租界を取り囲むようにして点在するゲットー、その内の一つに、珍しい人間が1人いた。

 おそらくはほとんど唯一であろう、その女性は……。

 

 

 ブリタニア人でありながら、ゲットーに住んでいる女性と言うのは。

 

 

 言うまでもなくゲットーは日本人の居住区だ、そして彼らの多くはブリタニアを恐怖すると同時に憎んでいるとも言える。

 その中に丸腰のブリタニア人女性がいればどうなるか、などと考えるまでも無い。

 ふらりと姿を見せれば、数分後には路地裏に引き込まれている、ここはそんな場所だ。

 

 

「はぁ……」

 

 

 その女性の名前は、「千草」。

 日本人風の名前だが、しかし彼女は日本人では無い。

 長い銀色の髪に褐色の肌、秀麗な顔立ちには憂いの色が濃いが、それがまた儚げな雰囲気を生み出しているのだった。

 

 

 壁紙の無い、無骨な雰囲気の部屋。

 どこかのアパートなのだろうそこは、正直に言ってあまり住み心地が良さそうには見えない。

 それでも良く掃除されていて小綺麗で、人が暮らす分には何の問題も無い。

 問題があるとすれば、その部屋が彼女の持ち部屋では無いことだろうか。

 

 

「要さん、ちゃんとご飯食べてるかしら」

 

 

 ほぅ、と息を吐く姿も絵になっていて美しい。

 どうやら彼女は誰かと共に住んでいるらしく、またその相手がどこかに行っているらしかった。

 名前からして相手は日本人、それも男だろうか。

 このご時勢、日本人とブリタニア人の同棲カップルとは奇跡と言えた。

 

 

「もう半年も帰って無いし、電話はあるけど……」

 

 

 彼女は基本的に部屋を出ない、当たり前と言えば当たり前だ。

 それでも生活自体にはそこまで困らない、彼が万一の時のためにの残していったお金や物々交換用の品を使っているし、それに最近のブリタニアの政庁の政策で……。

 ……はぁ、と溜息を吐く千草。

 

 

 ただ彼女がどうしてここにいるのか、実は彼女自身にもわからないのだ。

 い続けるのは同棲のためだが、最初は……覚えていない。

 記憶が無いのだ、自分がどこの誰なのか、今まで何をしていたのか。

 まるで思い出せない、霞がかかったように何も。

 

 

「……っ?」

 

 

 日課とも言える作業、霞がかった記憶の向こうに意識を向けた時に玄関からけたたましい音が響いた。

 驚いて顔を上げる、もしやイレヴンが……と思ったのだが、違った。

 何故ならそこにいたのは、貴族風の白い衣装を身に纏った男だったからだ。

 白人、ブリタニア人だとわかる。

 

 

 しかし、ただのブリタニア人とは思えない。

 と言うか、人間なのだろうか。

 顔の半分を機械的な仮面のようなもので覆っているし、他の部位についても妙に硬質的だった。

 大げさかつ丁寧にドアを開けたらしいのだが、その男はどこか不遜さすら漂わせてそこに立っていた。

 

 

「え……っと、どちら様でしょう、か? あの、要さんのお仕事関係の方、とか?」

「……ふむ、どうやら本当に記憶喪失のようだ。陛下のギアスであれば私の力で何とかできたのだが、な」

「……?」

 

 

 男の言っていることがわからなくて、千草は首を傾げた。

 そんな彼女に対して、男は静かに手を伸ばす。

 まるで、ダンスにでも誘うように。

 

 

「キミを迎えに来た、我が副官ヴィレッタよ。さぁ、私と共に再びブリタニアのために」

 

 

 この日、ゲットーから1人のブリタニア人女性が姿を消した。

 それはゲットーでは良くある話で、誰にも気にも留められない。

 そんな、事件だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そしてこちらはゲットーのような「辺境」では無く、「中枢」。

 ブリタニアのエリア11支配の象徴、トーキョー租界のブリタニア政庁。

 トーキョー租界の中心にそびえ立つその建造物は、半年前のダメージをすっかり回復したトーキョー租界の街並みを睥睨するように存在していた。

 

 

 夜の闇の中、警戒のサーチライトが政庁の白い壁面を照らす。

 光を反射するその姿は、舞踏会の場でドレスを広げる姫のようにも見えた。

 そしてそこは今、まさに1人の姫によって治められていた。

 

 

「代理総督、キュウシュウの黒の騎士団より先程、政庁に連絡が入りました。代理総督の対話要請を受け入れる、とのことです」

「そうですか」

 

 

 総督のみが座ることを許された、ブリタニア国旗を背後にする謁見の間の豪奢な椅子。

 その上に身を乗せるドレス姿の少女の前で膝をついているのは、金髪碧眼の青年だった。

 顔面に大きな火傷の痕があるその青年は、キューエルと言う名の騎士だった。

 

 

 いわゆる純血派と呼ばれる派閥を率いるタカ派の人間のはずだが、反体制派である黒の騎士団の名前を口にする時、特に嫌悪の色を浮かべることは無かった。

 いやむしろ、どこか穏やかな顔で目前の主君……長い桃色の髪の姫を見上げている。

 穏やかな顔で穏やかな言葉を紡ぐその姿からは、隣人愛に満ちた柔らかさすら感じることが出来た。 

 

 

「それはとても、良いことですね」

 

 

 そしてそれを受ける少女の顔にもまた、穏やかな、それでいて嬉しそうな笑顔が浮かんでいた。

 その姿は、抑え目の照明の下でも輝いているように見える。

 身に纏っているドレスは以前とはデザインが違う、白いシルクの生地に金糸の模様が描かれたドレス。

 ふわりと広がる白いロングスカートに、ドレス全体を彩る金糸の模様の締めにはダイヤが散りばめられ、スカートの下からは白のエナメルの靴が覗いていた。

 

 

 ウェディングドレスと言っても通用しそうなそのドレスに彩を加えているのは、チョーカーから下げられた大きなトパーズだ。

 友愛と繁栄を約束するその宝石は、まさに今の彼女を体現していると言える。

 だがそれ以上に目を引くのは、ドレスでも笑顔でも無く――――。

 

 

「これでまた一歩、世界は平和へと歩みを進めたのですから」

 

 

 ――――ユーフェミア・リ・ブリタニアの両眼を彩る、赤い輝きだった。




 最後までお読みいただきありがとうございます、竜華零です。
 難産でした、とにかく難産でした。
 それでも何とか出せてよかったです、次回以降も難産になりそうですが。
 次回は、さて以前から話にあの皇女様について……。


『トーキョーは、以前とはまるで違う場所になっていた。

 それはきっと、とても良い変化なんだろうと思う。

 だけどそれが、酷く気持ちの悪いものに見えてしまうのはどうしてだろう?

 どうしてこんなにも……怖く、見えるのだろう。

 平和で、穏やかな――――優しい世界、なのに』


 ――――TURN8:「トーキョー の 女王」


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TURN8:「トーキョー の 女王」

 今の日本人にとって、飛行機と言うものは手の届かない乗り物だ。

 それはブリタニア人にのみ許された特権であって、名誉ブリタニア人でさえ飛行機の使用は制限されているのである。

 だから青鸞は、複雑な心境で窓の外を見つめていた。

 

 

 白銀に輝く太陽光パネルと階層構造の壁に包まれた、1000万人以上の人間が暮らす世界的な大都市。

 そして周辺をエリア11最大のゲットー群に囲まれた、世界的な貧困都市。

 ブリタニア支配の象徴、政庁を戴くトーキョー租界。

 

 

「……これが、今のトーキョー」

 

 

 フクオカ空港から乗ってきた飛行機、その窓際の座席で青鸞が呟いた。

 眼下で煌くトーキョー租界は、半年前の戦いでのダメージを完全に回復している様子だった。

 近郊にあるブリタニア軍の基地に着陸するため、人々の様子を窺うことは出来ない。

 それでも青鸞は、胸の内に広がる感情を堪えることが出来なかった。

 

 

「姉さん、大丈夫?」

「……うん、大丈夫だよ。ロロ」

 

 

 隣から聞こえてきた声に、青鸞は微笑みを浮かべて見せた。

 やや陰のある微笑、しかしロロはそれ以上の言葉を重ねなかった。

 その代わりに、自分の手に重ねられた姉の手をしっかりと握り返す。

 

 

 そして再び、青鸞は窓の外へと視線を向けた。

 窓の向こうに広がる、トーキョー租界の姿を視界に収める。

 ブリタニア軍の管制に従って飛行機が旋回を始めた後も、ずっと見つめていた。

 彼女ら日本人が取り戻すべき、その場所を。

 

 

「――――青ちゃん、そろそろ……」

「うん、わかってるよ。省悟さん」

 

 

 後ろの座席から朝比奈が声をかけてきて、青鸞はそれにも頷いた。

 その際、朝比奈とロロの間で不穏な視線が交わされたが、青鸞はそれに対しては小さく息を吐いただけだった。

 周囲に他の人間がいたことも、それ以上の衝突が起こらなかった要因だろう。

 

 

「原口さん、最初の予定は……」

「ええ、そのままですよ。まぁ、まさか政庁側が認めてくるとは意外でしたけどね」

 

 

 ロロと通路を挟んだ左隣、そこでブリタニア語の経済新聞を呼んでいたスーツの男が、特に意外に思っていない声音でそんなことを言った。

 原口久秀、半年前、カゴシマで青鸞が出会った反体制派の暫定議員の男だ。

 以前と同じ、表見だけは表情豊かに笑みなど浮かべている。

 

 

 そして彼女らの周囲には、スーツや旧日本軍の軍服を纏った人間が同じように座席に座っている。

 青鸞を筆頭とする彼ら彼女らは、黒の騎士団から派遣された交渉団である。

 政庁、すなわちエリア11代理総督ユーフェミアと行われる対話、その代表。

 

 

「……そう。なら、後は……」

 

 

 着物に覆われた胸に手を添えて、自分を落ち着けるように目を閉じる。

 しかし右手が触れた左の胸には、消えない刻印が刻まれている。

 その力の気配を色濃く感じながら、青鸞は、これから入るだろう相手の「フィールド」にも気付いていた。

 

 

「……予定通り、か」

 

 

 ――――この日、新たな歴史の一ページが刻まれることになった。

 そしてそのページは、枢木青鸞とユーフェミア・リ・ブリタニア。

 2人の少女の手で、共に開かれるモノだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 表の歴史が紐解かれる時、裏の歴史もまた動く。

 ただし裏の歴史と言うものは、往々にして陰湿で、それでいて異臭を放つものだ。

 そしてここ、皇宮ペンドラゴンもまた、そうした匂いを放つ場所だった。

 

 

「ルルーシュ、それにユーフェミアよ……それでわしを出し抜いたつもりか」

 

 

 皇帝の座を抱える謁見の間、トーキョーから遠く離れたその地は今は夜。

 正確には前日の夜と言うべきだろうが、それはあまり関係が無い。

 重要なのは世界最高の権力を持つ男の存在と、その前に立つ桃色の髪の少女の存在だ。

 

 

 前者は当然、神聖ブリタニア帝国第98代皇帝シャルル・ジ・ブリタニア。

 しかし常に轟然とした態度で全てを見下していた彼は、今はすこし柔らかな雰囲気を漂わせているように見えた。

 そして後者はナイトオブシックス、アーニャ・アールストレイムである。

 皇帝の騎士である彼女は、普通ならばその場に膝をつき頭を垂れるべき立場の人間であるはずだ。

 

 

「まぁまぁ、そう怒らないのシャルル。V.V.が余計なことしていろいろ大変なのはわかるけど」

 

 

 ところが今、アーニャはまるで皇帝と対等の存在かのように話している。

 むしろ剥き出しのおへそを晒すように腰に手を当て、どこか挑発的な笑みを顔に貼り付けてさえいた。

 そして可愛らしい大きな瞳は爛々と赤い輝きを放っていて、それが少女の豹変振りと相まって不気味だった。

 

 

「ナナリーはちゃあんとルルーシュの所に帰ったし、3つ目のコードを持ってる女の子も。エレベーターだってもうすぐ完成するじゃない。後はまぁ、中華連邦とEUを侵略するだけなんだしさ」

「侵略など雑事よ。先日のシュナイゼルからの戦略案、お前も読んでおるだろう」

「あんな優等生の書いた書類、読まずに捨てちゃった♪」

 

 

 てへっ、と少女のように――実際、少女なのだが――片目を閉じて笑むアーニャに、シャルルは苦笑のような表情を浮かべた。

 

 

「後で枢密院に回すはずだったのだぞ――――まぁ、それもまた雑事。構わぬ、か」

「流石シャルル、やっぱり男は細かいことを気にしちゃダメよねー。その点、本当V.V.ってば、目的は一緒だけど連携取れていないから、もう、本当「余計」って感じ」

 

 

 やれやれと肩を竦めるアーニャ、そんな彼女を見つめるシャルルの目はやはり優しい。

 普段からは想像も出来ない姿だ、他の者が見れば腰を抜かして驚くかもしれない。

 だが「今の」アーニャは、シャルルが本来誰よりも優しい男だと知っているから、そんなことは無い。

 そして不意にアーニャは腕を組み、頬に指を当てて「うーん」と可愛らしく首を傾げた。

 

 

「うーん、でもルルーシュが饗団の所在地を突き止めちゃったりすると、面倒かもね。C.C.もいるし……まぁ、それこそV.V.の仕事なんだけど……って、あらら」

 

 

 玉座を立ち、奥へと歩き出したシャルルを見て、アーニャはクスリと笑みを浮かべた。

 どこへ行くのかなどと聞かず、上機嫌にスキップなどしながら後を追う。

 夜にシャルルが向かう所など、寝所か祭壇かのどちらかしかない。

 彼女としてはどちらでも良いのだが、などと考えた後、ふと思い出したように。

 

 

「ところでシャルル、あの子はどうしたの?」

 

 

 アーニャ言う所の「あの子」――――彼は、遠く海の彼方にいた。

 現在はニューカレドニアにいて、ルルーシュが率いるはずだった艦隊を指揮してポリネシアの島々を制圧した「ブリタニアの白き死神」。

 指揮系統の乱れた艦隊の力を借りることなく、ほとんど独力で島を制圧した最強の騎士。

 

 

 ナイトオブセブン、枢木スザク。

 彼は今、黒煙の漂うニューカレドニアの旧フランス軍基地にいた。

 ブリタニア本国と違い、南洋の太陽が降り注ぐ午後のことである。

 

 

「枢木卿、本国から勅命であります! 急ぎハワイに向かい、シュナイゼル殿下と合流せよとのことです!」

 

 

 背後から響いたブリタニア兵の声に、かつて滑走路として機能していたボロボロの道の上に立つ彼は応じなかった。

 ただ静かに北東の空を見上げて、目を細めただけだ。

 彼は独り、そう、独りきりだった。

 

 

 たった独りきりで、太陽の眩しさに目を細めながら北東の方角を見つめる。

 その向こうにいるだろう誰か達を思って、彼はしばらくそうしていた。

 ただ、独りきりで。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そして、ここにも独りきりの存在がいる。

 ただし彼女は、自らが独りきりだなどとは露ほども思っていなかったが。

 ふわりとした桃色の髪に白いシルクのドレス、顔に浮かぶ穏やかな笑顔に、そして。

 ――――両眼を彩る、赤いギアスの輝き。

 

 

「貴女達の懸念もわかります。しかし、せっかく私達の対話要請に応じてくださった相手のたっての頼みなのです。そして私はそれを叶えると約束しました、約束を違えるのは良くないことでしょう?」

「それはもちろん、左様ですが……」

 

 

 総督が座す謁見の間、皮肉にも時同じくして父と同じ状態。

 しかし豪奢な椅子に座りながら、与える印象は真逆の物だ。

 総督の椅子に座るのは当然、代理総督のユーフェミアだ。

 穏やかに微笑むユーフェミアだが、その実、かなり過激なことをしている。

 

 

 だが今はとにかく穏やかに笑いながら、自分の目の前で膝をついている3人の騎士を見下ろしていた。

 キューエル・ソレイシィとその妹マリーカ、そして姉コーネリアの従卒だったリーライナの3人。

 今や純血派を束ね、ユーフェミアの親衛隊とも言える舞台を率いる者達だ。

 3人は一様に、困惑したような表情をユーフェミアに向けている。

 

 

「しかし、彼奴らがあの男との面会を申し入れてきたのは、何かしかの陰謀を巡らせてのことに違いなく!」

「キューエル卿、彼女は……青鸞は、亡きお父様の友人に会いたい、その一心で私に頼んできたのです」

「ですが、危険ではありませんか!?」

「キューエル卿」

 

 

 懸念を伝えるキューエルに対して、ユーフェミアは視線を合わせた。

 目を細めてじっと見つめれば、赤い輝きが増した。

 その輝きは相手の心に宿った警戒心を和らげ、代わりに穏やかな感情を芽生えさせる。

 だから、ユーフェミアはにこりと笑顔を見せた。

 

 

「疑ってはいけません、それは哀しいことです。黒の騎士団の方々も私達と同じように平和を望んでいると、そう信じましょう? ね?」

「は……はぁ……」

 

 

 そしてその様子を、柱の陰から見守る2人の影があった。

 1人は知的さを思わせる眼鏡の男性で、もう1人は顔に傷のあるがっしりとした身体つきの男だ。

 ギルフォードとダールトン、エリア11総督コーネリアの腹心中の腹心である。

 しかし彼ら2人の傍に、コーネリアの存在は無い。

 

 

「……どうして、こんなことに」

「言うな、たとえ姫様の行方がわからずとも、ユーフェミア様をお支えすることが……」

 

 

 沈痛な表情を浮かべるギルフォードに、ダールトンが宥めるように声をかける。

 黒の騎士団がこの半年、青鸞を見失っていたように、彼らもまたコーネリアを失っていた。

 半年前、シュナイゼルの手で砲撃を受けてから忽然と戦場から姿を消した第二皇女。

 遺体は発見されていないため、公式には行方不明と言うことになっている。

 

 

 この半年セキガハラを中心に探してはいるが、手がかりすら見つかっていない。

 だから彼らは焦るのだが、しかしその焦りすらも気が付くと消えてしまう。

 まるで何かに抱かれるように萎んでしまいそうになるその気持ちを、彼らは必死に維持することしか出来なかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 実は租界近郊の軍基地に着陸したのは、ブリタニア側の事情もあるが、青鸞側の希望を満たすためでもあった。

 何故ならその軍基地は政治犯収容所も兼ねているためで、ユーフェミア代理総督就任以前、つまりコーネリア総督の代で裁かれた犯罪者が収監されている場所だ。

 

 

 そして青鸞は、そこに用があったのだ。

 原口達をとりあえず待たせておいて、青鸞は朝比奈とロロだけを連れて施設の地下へと進んだ。

 と言うのも、ここに来ることがトーキョー訪問の一つの目的だったからだ。

 

 

「――――……国家を形成する三条件、知っていますよね?」

 

 

 最下層、国家反逆罪の罪で収監される者が入れられる独房層。

 特別に用意された面会の部屋で、ガラス越しにその男に声をかける。

 やや禿げ上がった前髪に蝙蝠を思わせる細身の男に対して、静かに。

 

 

 そして彼女の問いかけは、主権国家と言う物について少し知っている者なら誰でも答えられるレベルの物だった。

 国家と認められるために必要な三つの条件、つまり領土・国民・政府の3つだ。

 この3つが揃い、かつ外国に認められて初めて、その勢力は独立主権国家だと認められる。

 

 

「ボク達は日本の一部を実効支配し、そしてそこに住む日本人はボク達を支持してくれている。黒の騎士団と言う統合された軍事組織もある」

 

 

 しかし、青鸞達には決定的に足りないものがある。

 

 

「ボク達の……つまり、日本人の利益を代弁する政府が無い」

 

 

 青鸞を始めとするキョウトの人間は、あくまでも裏の支配者だ。

 あの桐原でさえ表には出ようとしない、奇しくもかつて三木が言ったように、それが日本の支配構造であったためだ。

 しかし戦後8年が経過して、政治指導者として立てる程に実力と人望を兼ね備えた人材はほとんど失われてしまった。

 

 

 キュウシュウにおける鍋島のように地域のドンのような政治家はいても、全国レベルでの知名度を誇る者はいない。

 いくら亡命政権、あるいは暫定政権とは言え、実力も人望も無い者をトップに据えることは出来ない。

 そして今、青鸞の目の前にいる男は、もしかしたらそうなれたかもしれない可能性を持っていた数少ない政治家の一人だった。

 

 

「ふん、恥知らずな裏切り者が……困り果てて私の人脈を頼りに来るとはな」

「…………それで?」

 

 

 その男が口にする皮肉にも、青鸞は反応を返さない。

 あくまで事務的な口調と態度で接する、それに男は不機嫌に鼻を鳴らした。

 沢崎敦と言う名前の、その男は。

 

 

「態度まで枢木そっくりな娘だ、見ているだけで不愉快になる程にな」

 

 

 半年前に中華連邦の助力を得て日本に戻り、一時は独立主権国家日本の再興を宣言までした男。

 第二次枢木政権の官房長官を務めたという経歴は、それだけで彼が全国区の政治家であったことを示している。

 しかし政治犯として収容されている今、その経歴にどれだけの意味があるのかは不明だが。

 

 

 そして青鸞が彼に会いに来たのは、神楽耶の依頼だからである。

 独立派の日本人の間で「国賊」認定を受けている彼を救出して暫定政権の首班に、と言うことでは無い。

 彼の他にそうなれるだけの経歴を持つ政治家が生き残っているかどうか、それを探りに来たのである。

 

 

「私の質問に答えては頂けないのですか?」

「答えると思うのか、この私が? 汚らしいキョウト、それも枢木の娘を助けるために?」

 

 

 はっ、と鼻で笑う沢崎、だがこんな態度を取られるだろうことはわかりきっていた。

 青鸞はキュウシュウで沢崎の軍を直接叩いたことを覚えているし、沢崎もそうだろう。

 だから、両者の間に協力関係は成立し得ない。

 仮に成立するとすれば、それは何らかの取引だけだ。

 

 

「……協力してくれるのであれば、相応の対価は用意しますが?」

「浅ましい、それにおぞましい提案だ。流石はキョウト、やり口が相も変わらずだな……だがあえて答えてやろう、否だ。そもそも枢木の政権にいた閣僚経験者は私を含め、キュウシュウ戦役で捕まった者で最後なのだからな」

(……この人も、三木大佐と同じか)

 

 

 キュウシュウ戦役の際、沢崎はキョウトに無断で行動を起こした。

 どうやらそれは中華連邦への配慮と言うよりは、純粋なキョウトへの嫌悪から来ていたらしい。

 

 

「やはり貴様もキョウトの娘だな! 裏から操るなどと悠長なことをせずに、一度くらい自分達が矢面に立とうとは思わんのか! 民意で選ばれた首相を金としがらみで縛り、甘い汁を啜ってきた餓鬼共め!」

 

 

 実際、沢崎の言う通りではあるのだ。

 キョウト六家は稀に例外を出しつつも、基本は財界に根を張る家々だ。

 青鸞の父ゲンブのように、政治家として表に立った人間はほとんどいない。

 賄賂、色仕掛け、脅迫、天下り、買収……そうした汚れた手段で歴代の政権を傀儡にし、利益を得てきた。

 

 

 青鸞の実家である枢木家や、神楽耶の実家である皇家でさえ例外では無い。

 だがその汚れた金でブリタニアへの抵抗運動が出来ているのだから、皮肉ではある。

 それでも、キョウトと言う存在が純粋な尊敬を勝ち得るような綺麗な存在では無いことは確かだった。

 その意味では、もしかしたなら……沢崎は父ゲンブと同類だったのかもしれない。

 キョウトの支配を脱し新時代を築こうとしたと言う、その一点において。

 

 

「……貴方は、父やキョウトのことが本当に憎いのですね」

「ああ、憎い。権力を弄び甘い汁を啜るキョウトが憎い。枢木もそうだ、傲慢で醜悪な男だった……だが奴は奴なりにキョウトの呪縛から逃れようとしていた、そこだけは私も認めていた」

 

 

 それは、青鸞も知っている。

 父の手記を見たことでそれを知り、だからこそ彼女は。

 

 

「貴様も、父親をキョウトに殺されたような物だろうに」

 

 

 沢崎の弾劾のような言葉に、青鸞はそっと目を閉じた。

 目を閉じ、胸の内で考えを反芻し、そして次に目を開けた時には席を立っていた。

 ガラスの向こうで沢崎が身体を揺らしたが、気にもしなかった。

 

 

「日本は独立を果たします、以前とは違う形で……貴方はそこで、ずっと、貴方の手によらない日本の復興を見ていると良い」

「ふん、復興か……貴様、今のトーキョーがどうなっているか知っていてそう言うのだろうな?」

 

 

 最後の言葉には答えず、青鸞は面会のために用意された部屋から外へと出た。

 少女の背中に注がれる沢崎の視線は、どこまでも冷たい。

 その冷ややかさを気配として感じながら、青鸞は沢崎と別れた。

 この後の人生において、青鸞が沢崎と交わることは二度と無かった。

 

 

「……さようなら、新時代の人」

「せいぜい苦しめ、旧時代の娘」

 

 

 だがはたして、沢崎は気付いただろうか。

 青鸞は、沢崎の言葉を否定はしなかったと言うことに。

 そして、そのことが持つ意味に。

 気付いて、いただろうか。

 

 

 面会の部屋から出た青鸞を出迎えたのは、控え室で待っていた2人の人物だった。

 朝比奈、そしてロロ。

 そしてその2人がどう見ても仲の良い雰囲気では無かったため、そして青鸞の姿を認めたと同時にそれぞれ笑顔を浮かべたため、青鸞は苦笑した。

 

 

「行こう、省悟さん、ロロ――――トーキョーへ」

「うん、姉さん」

「Ok、ようやくだね」

 

 

 同じ言葉を同じ顔で告げつつも、お互いを見る視線は妙に刺々しい。

 それに対しても苦笑して、青鸞はそのまま速度を落とすことなく歩みを続けた。

 そして舞台は、ついにトーキョー租界へと移る。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞が公式の歓待を受けず、一市民としてトーキョー租界に入ったことには理由があった。

 ブリタニアの歓待を喜ぶ人間が青鸞側にいないと言うのが一つ、そして明日のユーフェミアとの直接会談の前に、トーキョー租界の様子を見ておきたかったからだ。

 そして、確認したかった。

 

 

「そう言えば、省悟さんとこうして歩くのって久しぶり……と言うか、初めてかもね」

「そうかもしれないね」

 

 

 傍らの青年を見上げれば、にこりとした微笑みが落ちてくる。

 そこには沢崎との面会の緊張した空気は無く、どこか穏やかな空気が流れていた。

 目立たない格好――朝比奈は軍服では無く、青鸞は着物では無いと言う意味で――に着替えた青鸞は、緑豊かな自然公園を歩いていた。

 

 

 ここはトーキョー租界、中心部からやや外れた地区だ。

 そこには老若男女が午後の一時を過ごしていて、とても穏やかな空間が広がっていた。

 シャツにジーンズ姿の朝比奈とブラウスにスカート姿の青鸞がいても、何ら不自然は無いくらいに。

 そう、「不自然が」無いのだ。

 

 

「姉さん、あっちにカフェがあったよ」

「あ、ロロ」

 

 

 そしてそこへ、やはり私服姿のロロがやってきた。

 ロロの元いた組織も今はトーキョー租界には近付かないとあって、ついて来た彼。

 だが休憩スペースを探して来てくれた彼は、青鸞に子犬のような笑顔を見せた後、彼女の隣にいる朝比奈を見て刺々しい表情を浮かべた。

 

 

 もちろん、朝比奈も似たようなものである。

 旧日本解放戦線時代からの古参である朝比奈と、新参でブリタニアからの転向者であるロロ。

 この2人の関係がどうなるかで、ある意味、キュウシュウ勢力の中身が決まると言っても過言では無い。

 無いのだが、この2人は出会った時から妙に仲が悪い様子だった。

 

 

「貴方は呼んでいません、僕は姉さんを呼んだんです」

「生意気だね、新参者が。大体……」

「ま、まぁまぁ……それにしても」

 

 

 そんな2人を宥めつつ、青鸞は改めてあたりを見渡した。

 先程も言ったように、老若男女あらゆる人間が楽しそうに、穏やかに過ごしている。

 あらゆる人間、つまりブリタニア人と日本人だ。

 日本人が租界の中で、ブリタニア人と共に過ごしている。

 

 

 ブリタニア人と日本人が、分け隔てなく暮らす世界。

 青鸞の目の前に広がっているのはそう言う世界だった、しかも誰もが穏やかな笑顔で過ごしている。

 半年前にはあり得なかった、「平和な世界」がそこにあった。

 当然それが自然に出来たとは青鸞は欠片も信じていない、そして彼女はそのカラクリに気付いていた。

 

 

(微弱だけど、ギアスのフィールドを感じる……)

 

 

 それはトーキョー租界に到着してから感じていたもので、コードを持つ青鸞だからこそ異物だと感じることが出来たのだ。

 そして同時にユーフェミアのギアス、その範囲が租界全部に及びつつあると言う証拠だった。

 流石にこのあたりは弱いが、中枢に近付けば近付く程に強くなるのだろう。

 

 

 その意味において、青鸞はユーフェミアとの交渉と同時に、交渉団の身の安全――もとい、心の安全について考えなくてはならなかった。

 そのために出した希望が交渉団の租界外での宿泊、これは意外とすんなり通った。

 流石に青鸞は租界の内にいてほしいとの要望が先方から出されたため、朝比奈やロロなど一部を連れて租界内のホテルに宿泊することになっていたが。

 

 

(沢崎敦が言っていたのは、こう言う世界のことか……)

 

 

 優しく、穏やかで、ただそこにある世界。

 朝比奈とロロの間の雰囲気が刺々しいのは、まだ効果が表れていないからだろうか。

 しかしいずれは、彼らもその世界に飲まれてしまうのだろう。

 それはコードを持ち、「優しいギアス」のフィールドに影響を受けない青鸞からしてみれば。

 

 

 ――――酷く、気持ちの悪い世界だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「いらっしゃい! あ、お客さん日本人の人?」

 

 

 ロロが見つけたカフェは、通りを挟んだ向かい側にあった。

 立地条件としてはなかなか良い、シックな色合いのカフェテーブルとチェアが並んだオープンカフェだった。

 実際なかなか盛況のようで、カフェには多くの客が訪れている。

 

 

 そんな中、青鸞達に声をかけてきたのはブリタニア人の店員だった。

 青鸞よりもやや年上らしい少年で、アルバイトであることを示す名札には「リヴァル」とあった。

 どことなく人懐っこそうな雰囲気の少年で、青鸞達を認めると素直な笑顔で迎えてくれた。

 

 

(……前に来た時は、物を投げつけられただけで笑顔なんてとんでも無かったけど……)

 

 

 営業的では無いリヴァルの笑顔に、青鸞はふとそんなことを考えた。

 最も、その「前に来た時」はもう1年も前の話になるのだが。

 それに彼は青鸞達のことを「日本人」と呼んだ、イレヴンと呼ばずに。

 

 

「……ねぇ。今キミ、僕達のことを……」

「あ、お客さんもしかして最近来た人? だったらまぁ、変に感じるよね。トーキョー租界の他じゃ、まだイレヴン……あ、気を悪くしたなら」

 

 

 朝比奈も青鸞と同じことを感じたのだろう、そんな朝比奈にリヴァルが謝罪を交えて会話をしてくれた。

 そして同時に、やはりトーキョー租界の中だけがこの状態なのだと、リヴァルの言葉から読み取ることが出来た。

 

 

「まぁとにかく席に案内しますんで……会長―っ! 3名様ご案内で――すっ!」

「はいよ――っ! ほら、シャーリー!」

「押さないでくださいってば! あ、い、いらっしゃいませ――♪」

 

 

 リヴァルが厨房のある店内の方へ声をかけると、中から2人の若い女性の声が聞こえてきた。

 会長と呼ばれた方は腕しか見えなかったが、その腕に押し出される形になったウェイトレスの少女は、青鸞達の姿を認めるとリヴァルと同じように笑顔で迎えてくれた。

 この少女達は親しい関係なのだろう、ファーストネームで呼び合っていた。

 

 

 ウェイトレスの少女――オレンジのレースを添えた白ブラウスにオレンジのチェックスカート、なかなか凶悪な可愛らしさを発揮している――シャーリーは、そのまま笑顔で空いている席に青鸞達を案内した。

 ロロがどうも警戒感……と言うか、人見知りを発動して青鸞にぴったりとくっついていたこと以外は特に問題なく座席に座れた、人種による差別(せきをわけられる)をされることも無く。

 そして当然、他の座席もブリタニア人と日本人が入り混じっていた。

 

 

「はいはい、遠慮せず座って座って~……よっと、ふぅ」

「ちょっとリヴァル、何お客様と一緒に座ってるの!」

「良いじゃん良いじゃん、外から来て事情を知らないって言うし。サービスサービス!」

「もう! あ、すみません、ご注文を……」

 

 

リヴァルの態度に呆れていたシャーリーだが、青鸞達の視線を感じたのか、慌てて注文表を胸の前に取り出した。

 青鸞達が適当にコーヒーと軽食を注文すると、リヴァルを軽く睨みつつ奥へと戻っていった。

 再び姦しい声が聞こえてきて、何やら楽しげな雰囲気が伝わってきた。

 

 

「……ルルーシュの馬鹿野郎」

 

 

 シャーリーの背中を何とは無しに追っていた時、不意にそんな声が聞こえた。

 ぱっと振り向けば、青鸞の隣に座っていたリヴァルもまたぱっと表情を改めた。

 どこか悔しげで哀しげな表情が、一瞬で元の笑顔に戻る。

 

 

「ルルーシュ?」

「ああ、いや、何でもないんですよ! ただまぁ、馬鹿な悪友が何だかんだでいなくなって、まぁ、女の子を泣かせたってだけの、よくある話なんで!」

「良くあるのかい、それ」

 

 

 どこか呆れたように声をかける朝比奈に、リヴァルが誤魔化すように笑った。

 ロロはまだ何も話さず、警戒心たっぷりにリヴァルを見ている。

 そして青鸞はと言えば、ルルーシュと言う名前が出たことに純粋に驚いていた。

 ブリタニア人の間でも「ルルーシュ」と言う名前はそうあるものでは無い、ただ「もしかして」と問いかけることも出来ない。

 

 

(……キュウシュウに戻ったら、聞いてみよう)

 

 

 そう言えば、ルルーシュは昨年まで学生だったはず。

 もしかしたなら、その時の知り合いなのかもしれない。

 ……まぁ、女の子を泣かせたらしいと言う情報は激しくアレだったが。

 ちょうどその時、シャーリーでは無い別の少女がコーヒーを運んできてくれた。

 

 

「あれ? ニーナ、シャーリーは?」

「み、ミレイちゃんが、何か……」

「あー、またですか」

 

 

 ニーナと言うらしいその少女は、カタカタとカップを震わせながら青鸞の前にそれを置いた。

 目が合うと逸らされる、が、すぐに怯えた表情を消して、穏やかな顔になっていた。

 どうやらユーフェミアのギアスの影響を特に強く受けているらしいのだが、もちろん彼女にも不用意に声をかけられるはずも無い。

 ……リヴァルの友人らしい彼女も、ルルーシュの知り合いなのだろうか?

 

 

「ああ、そうそう。それでトーキョーがこの半年でどう変わったのかだけど……」

 

 

 思い出したように語り出すリヴァルに、しかし青鸞は意識の一部を別のことに割いて聞いていた。

 意識の一部を割いて思うのは、トーキョー租界で過ごしたルルーシュの8年間についてだ。

 自分がナリタの山奥で反体制運動に身を投じていた時間、ルルーシュはここでナナリーと2人で過ごしていたのだ。

 その時間を示すものの一部が、目の前にいる少年達なのだろう。

 

 

 そう、ルルーシュである。

 実は青鸞は今、ルルーシュに関して少し考えていることがあるのだった。

 それは、ルルーシュとナナリーの関係にも影響することだ。

 ナナリーと再会して、話して、少しずつその気持ちを大きくしてきた。

 それは……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――ナナリーとの再会は、もちろん、青鸞にとっても重要な意味を持っていた。

 幼い頃、共に兄を持つ少女として温かな関係を築いた相手なのだから。

 だが仲が良かったかと言うと、実は微妙だったような気もする。

 いや、仲が良いことは良かったのだが……。

 

 

(まぁ、お互いに微妙にやきもち焼いてたもんね……ボクの場合は、やっかみ半分だったけど)

 

 

 ルルーシュと言う兄に構って貰えていたナナリーへの、嫉妬混じりのやっかみ。

 幼い頃の青鸞にはそれがあったし、そして何だかんだで面倒見の良いルルーシュがスザクに置いて行かれた自分を構うことで、今度はナナリーがそれに嫉妬すると言う循環が生まれていた。

 まぁ、それでも仲の良い友達であったと思う。

 

 

 それはヴィヴィアンの中で突然の再会を果たしたあの日も変わっていなかったし、当然、青鸞はナナリーと再会を喜び合った。

 ただ今は、それがやや辛い方向に動いているのも事実だった。

 と言うのも、今のナナリーの置かれている環境こそが問題だった。

 

 

『お兄様に会えたのは、嬉しいのですけど……』

 

 

 再会の翌日、ヴィヴィアン艦内にあてがわれた部屋でナナリーが寂しそうな顔をしていたことを、青鸞はついさっきのことのように思い出すことが出来る。

 ナナリーは基本的に部屋を出ることは無い、外は黒の騎士団がいるのだから当然と言えばそれまでだ。

 青鸞やルルーシュなど一部を除けば人も来ない、まさに外の世界と隔絶された状態だった。

 

 

 正直、良くないと思う。

 ブリタニア皇帝の手から救い出してもこれでは意味が無い、意味が無いのだ。

 ルルーシュはナナリーを鳥籠の鳥にしたかったわけでは無いし、これでは離宮にナナリーを閉じ込めていた皇帝と何も変わらない。

 

 

(アッシュフォード学園に帰したい……って、それは無理でしょ)

 

 

 せっかくの再会も、これでは素直に喜べない。

 ナナリーの側に立ってみれば良い、父と兄の手で8800キロの距離を行ったり来たり、かと思えば離宮や艦内に軟禁状態、たまったものでは無いだろう。

 体調を崩しがちなのも、体力的な理由よりそうした精神面での不調が原因のような気がする。

 

 

 日も沈み、ブリタニア側が用意したホテルの一室、そのテラスからトーキョーの夜景を見下ろしながら、青鸞は溜息を吐いた。

 リヴァル達からトーキョー租界の現状を聞き、実際に自分の目で見て、ホテルに入ったのはついさっきのことだ。

 シャワーも浴びずにいろいろと考えてしまうのは、まぁ、ここ最近の傾向ではある。

 

 

(……やっぱり、ちゃんと話すべきじゃないかと思うんだけど……)

 

 

 正直、無理だろうな、とは思う。

 と言うかその点では、自分もルルーシュと大差は無い。

 人に話せないことが多すぎるし、隠し事も多く、周囲から見れば違和感が多分に存在することだろう。

 

 

 しかしせめて、ナナリーにはきちんと話をすべきでは無いのか、とも思う。

 自分が神楽耶に打ち明けたように、話を。

 ナナリーの不安を払拭し、何かを共有し、互いの安心を得るための話を。

 ――――ルルーシュが、ゼロだと言うことを。

 

 

「ルルーシュくん……」

 

 

 ルルーシュの策に乗る形でトーキョー租界に来たは良いものの、問題は何も解決していない。

 と言うより、解決するような問題では無いのかもしれない。

 だが、それでも前に進む。

 もし自分が間違えたとしても、背中を刺して止めてくれる人間がいるのだから。

 

 

「青ちゃん」

 

 

 不意に声をかけられて、青鸞は後ろを振り向いた。

 テラスの手すりに片手を置いた体勢で振り向けば、そこには朝比奈がいた。

 いつもの微笑を湛えた青年は、普段より幾分か穏やかな雰囲気を漂わせているように思う。

 もしかしたら、徐々にギアスのフィールドに影響されてきているのかもしれない。

 

 

(言いたいこととか、あるよね……省悟さんも)

 

 

 きっと、あるだろう。

 たくさんあるはずだ、聞きたいことも言いたいことも。

 神楽耶曰く、「聞かないだけ、言わないだけ」――だ。

 

 

 もし何かを言うことがあるとすれば、それは自分からだろうと青鸞は思う。

 自分の口から、自分の気持ちで、自分で話すべきなのだろうと思う。

 ここの所は、そう言うことばかり考えている。

 

 

「どうしたの、省悟さん。こんな時間に」

 

 

 まぁ、そう簡単に話せればうじうじ悩んではいないのだが。

 

 

「うん? そうだね、この半年で随分と雰囲気が変わった青ちゃんに、悪い遊びでも教えようかな、と」

 

 

 ……それまでの感傷や緊張が全て崩れ去って、青鸞はジト目で朝比奈を見つめた。

 気のせいか、冷たい風が2人の間を吹き抜けていった。

 

 

「あはは、冗談だよ、冗談。そんな顔しないで、でも半年前より綺麗になったのは本当だよ」

「……あ、うん、ありがとう。帰ったら凪沙さんに話してみるよ、もしかしたらウケてくれるかもしれないから」

「わわっ、だから冗談だってば!」

 

 

 なかなか示唆に富んだ冗談だが、正直、いろいろな意味で笑えなかった。

 ふぅ、と息を吐いて、腰に両手を当てつつ身体ごと朝比奈に向ける。

 

 

「それで、どうしたの?」

「ああ、うん、本当に大したことじゃないんだけどね……ねぇ青ちゃん、ギルフォード卿って知ってる?」

「ギルフォード卿? それはまぁ、コーネリアの騎士で親衛隊の?」

「そう、それそれ」

 

 

 青鸞の言葉にうんうんと頷く朝比奈、反体制派でコーネリアの騎士の名を知らない者はいないだろうに、青鸞は不思議そうに首を傾げた。

 何しろ、戦場で向き合ったこともあるのだから。

 ただ、このタイミングで聞くには妙な名前であることは確かだった。

 

 

「その人が、何?」

「うん、今来てるんだよ、部屋の前に」

「……? 誰が?」

「ギルフォード卿が」

「……? どこの部屋の前に?」

「この部屋の」

 

 

 言葉の意味を理解するのに数十秒を要したとしても、彼女を責める者はいないだろう。

 だから青鸞は、穏やかに微笑む――どこか悪戯っぽくも見える――朝比奈の顔を見つつ、叫んだ。

 

 

「えええええええええええええええええっっ!?」

 

 

 それのどこが大したことない話なの!?

 そう言う青鸞に、朝比奈は本当に楽しそうな顔を向けるのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ギルバート・G・P・ギルフォード。

 エリア11統治軍の中では知らぬ者はいないであろう、エリア11総督コーネリア・リ・ブリタニアの唯一の騎士の名である。

 しかしコーネリアの失踪以来、その名前は陰りと共に言の葉に乗せられていた。

 

 

 だがそうは言っても、ギルフォード卿である。

 ナリタで煮え湯を飲まされた青鸞としては忘れ得ない名前であるし、どちらかと言えば「倒すべき敵」としての認識が強い。

 そして今、青鸞の前にそのギルフォード卿が姿を見せていた。

 

 

「自己紹介の必要はありません、用件だけ、お願いします」

「……わかった。では単刀直入に聞きたい」

 

 

 夜分遅く、まさにその時間に青鸞の下を訪れてきたギルフォードは、人目を忍ぶようにやってきた。

 と言うより、人目を忍んで来たのだろう。

 朝比奈は事前に聞いていた可能性もあるが、今は睨んでもかわされるだけだろう。

 なので内心で息を吐いて、改めて目の前のギルフォードを見る。

 

 

 眼鏡の奥の理知的な瞳は、少しだけ疲れているようにも見えたが……。

 お連れの1人もおらず単独行動、それも青鸞を名指しで面会を希望。

 別に会う義理は無かったのだが、明日の会談の席上にはギルフォードもいる、ここで悪印章を与えるのは得策では無いと判断した。

 

 

(まぁ、目的は何かって言うのもあったし……ね)

 

 

 椅子に座ってギルフォードと向き合う青鸞の後ろ、青鸞の背中とギルフォードの顔を見下ろす形で朝比奈は相手を観察していた。

 理知的な細面に眼鏡、シャープな顔立ちに軍服をきっちり着こなした男。

 コーネリアの2人の腹心の内の1人、ギルフォード。

 

 

 そんな男が、人目を忍んで何の用か。

 朝比奈が観察する前で、ギルフォードは口を開いた。

 そこから飛び出してきたのは、驚くべき言葉だった。

 

 

「姫様の、コーネリア総督の居場所について、心当たりは無いだろうか」

 

 

 ……数瞬、鼓動を収めるのに時間を要した。

 コーネリアが行方不明であることはすでに述べた、が、それをまさか青鸞が問われるとは思わなかったのだ。

 しかし考えてみれば、当然の結論であるとも言えた。

 

 

 半年前、コーネリアは青鸞、ルルーシュ、スザクと共にセキガハラから消えた。

 そしてその内の3人までもが表舞台に戻っているのに、コーネリアだけが戻らない。

 残されたギルフォードが、その中の誰かに接触しようとするのは何ら不思議では無い。

 まぁ、現実的には消失したわけではなく、あくまでセキガハラで行方不明になっただけだが。

 コードの力で神根島までジャンプしたなど、朝比奈の前ではとても言えない。

 

 

「……僕達がそんな質問に答えると? こっちとしては、コーネリアはいない方が良い有能な司令官なんだけど?」

「無論、そちらの事情は承知している」

 

 

 朝比奈の皮肉混じりの応答に、苦しそうな表情でギルフォードが頷く。

 実際、青鸞の側がコーネリアの捜索に協力する義理は無い、その逆はあったとしてもだ。

 だが、それでも青鸞は思った。

 

 

(……コーネリアのことが、大事なんだね)

 

 

 ギルフォードは苦しんでいる、これはユーフェミアのギアスの範囲内にいるのならおかしなことだ。

 ユーフェミアの与える穏やかさの中にいながらそれでもなお苦しんでいると言うことは、彼がユーフェミアのギアスの抵抗し続けていることの証左だ。

 コーネリアへの想いだけで、ユーフェミアの「優しい世界」を拒絶している。

 

 

(その優しさと強さを、どうして日本人には向けられないんだ……って、前のボクなら思ったよね)

 

 

 きっと、そう思ったろう。

 だが今の青鸞には、日本人としての感情と共にブリタニア人としての経験がある。

 その2つの視点から物事を見ることが出来る――と言うより、見えてしまう、見えざるを得ない――青鸞にとって、いわゆる「どちらがどちら」と言う議論は意味は無かった。

 それぞれが掲げるそれぞれの正義の意味を、知ってしまったから。

 

 

 ギルフォードが今、どれほどの恥を忍んで自分の前に現れたのか。

 まさに自分のプライドなどかなぐり捨てて、己の主君のために。

 それは非常に感動的で、そして「皇帝の騎士」であった青鸞にとっては感傷的なものだった。

 

 

「……さぁ、どうなのでしょうね」

 

 

 結論。

 感動と感傷と感嘆、それらの感情の果てに青鸞が出した結論は、曖昧な態度を取ることだった。

 知っているとも言わず、知らないとも言わず。

 しかしこの場での回答を拒否すると言う意思だけは、確実に伝える。

 

 

(……ボクは、日本人だ)

 

 

 今も昔も、そうだった。

 だから今の青鸞は、ギルフォードに対して温情を見せない。

 見せるわけが無い、それはギルフィードの側もわかっていたことだろう。

 その上で来たのだ、彼は。

 

 

「……けれど」

 

 

 けれど。

 

 

「いなくなってしまった皇女を想うより、今は――――ユーフェミア皇女の方を見ておられた方が良いと、思いますけどね」

 

 

 けれどその一言は、青鸞がそうあろうとするならば明らかに余分な言葉だった。

 朝比奈には意味がわからないだろうし、ギルフォードにとってもどうだろう。

 意味がわからない、あるのかどうかすらわからない言葉。

 もし今の青鸞の言葉の意味がわかるのであれば、それは。

 

 

(……姉さん)

 

 

 何故か部屋のクローゼットの中に隠れていた、ロロだけであったろう。

 ちなみに姉の部屋を訪れたは良いが外の姉に声をかけられず、逆に朝比奈が来たためにギアスを使用して隠れ、今に至っていたりするのだが。

 それはまぁ、明日行われるだろう会話の中では、些細なことだろうと思われる。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『――――ラクシャータ、例の話はどうなっている?』

「ああ、ゼロかい。まったく、私にらしく無い仕事をさせてくれたもんだねぇ」

『すまないな、それで?』

 

 

 カゴシマ基地の兵器整備課、ブリタニア軍が使用していただけあって最新の設備が揃ったそこは、今では黒の騎士団のナイトメア開発の最前線となっていた。

 そうなると当然、城の主はラクシャータを始めとする技術開発・整備のメンバーになる。

 そのため、組織のトップであるゼロもそう頻繁に訪れる場所では無い。

 

 

 ところが最近、その頻度が上がっていることに古川は気付いていた。

 最近は専ら護衛小隊と言うより整備の仕事ばかりしている彼だが、ヘッドホンで押さえていても聴覚は良すぎる程に良い、なのでゼロが週に何日訪れているのかも把握していた。

 そしてそれは、どうもゼロが乗る新たな指揮官機の開発に関するものでは無いらしい。

 

 

「ふぁ、ふぁふぃふふふぉ……?」

「演算処理にズレが生じます、アナタはきちんと手元の画面を見ていてください。それともアレですか、褐色白衣と黒仮面の組み合わせはドルイドシステムのデータより素敵な何かに見えているのですか」

「ふぉ、ふぉうふぅふぁふぇあ……」

 

 

 雪のように蒼い瞳を不機嫌の色に染めた雪原が、何故か端末の記憶媒体で古川の頬を押していた。

 頬プニに見えないことも無いが、ねじり込むように金属製の記憶媒体を押しつけているのを見るに、とてもそんな優しい物には見えなかった。

 まぁ、周囲の研究者や技術者達はそんな2人を生暖かい目で見ているのだが。

 

 

『……随分と和やかな職場なのだな』

「まぁねぇ、トップの仮面が甘ちゃんのロリコンだからねぇ」

『何だそれは』

「下々の話だよ。それよりあっちの話だろ? まぁアンタも、良くまぁそれだけ二枚舌三枚舌……ああ、いや、私には関係の無い話さ」

 

 

 肩を竦めて見せた後、ラクシャータはキセルを咥えながら目を細めた。

 自分が仕込み、育てた技術者達が子供達(ナイトメア)を弄るのを見つめながら、ルルーシュ=ゼロに頼まれていた仕事の結果を伝えた。

 それに対して、ルルーシュ=ゼロは力強く頷いた。

 

 

 その後、ラクシャータの城から出たルルーシュ=ゼロは、別の人間に連絡を取った。

 相手は彼が裏で動く時には外せない人材、ディートハルトである。

 情報や諜報、根回しや統制、そう言う方面に稀有な才能を有している男だ。

 

 

『ディートハルト、例の件を進める。青鸞嬢が戻り次第、実行に移す。準備は出来ているだろうな?』

 

 

 通信の先にいる男は、自らがプロデュースしていると信じている仮面の救世主の言葉に頷いた。

 当然、彼が自分の仕事を怠るはずが無い。

 彼は優秀だ、稀有な程に優秀なのだ。

 しかし優秀すぎて、他のことにまで手を回してしまう。

 彼は、そう言う男だった。

 

 

「――――もちろんです、ゼロ。すでに人員・物資を含む準備は全て……ええ、はい、ええ」

 

 

 端末のモニターの光だけが、薄暗い部屋で男の顔を浮かび上がらせていた。

 そして彼、ディートハルトは片手で耳に通信機を押さえつつ、もう片方の手で端末のキーを操作していた。

 その瞳に、モニターに映る画像が映り込んでいた。

 

 

 モニターに映っているのは、2人の……否、1人の少女だ。

 蒼い着物を着た日本人の少女と、ブリタニアの騎士服を着た日系人の少女。

 それを見つめながら、彼は。

 

 

「はい、ゼロ。全て順調です――――全て、ね」

 

 

 彼は、口元に薄い笑みを貼り付かせていたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 黒の騎士団とブリタニア政庁、枢木青鸞とユーフェミア・リ・ブリタニアの会談は、午前9時から行われた。

 後に「史上最年少の和平交渉」と呼ばれることになるこの会談は、体制側・反体制側の首席交渉官が10代の少女と言う珍しい会談だった。

 

 

 しかし立場は、会談や交渉と呼べる程に対等の物であったかは微妙な所である。

 黒の騎士団とブリタニア軍の戦力差はもとより、片や半年間で数十の武装勢力を言葉だけで降伏させた平和の皇女、片や敗走・敗戦を続けてキュウシュウに引き篭もる組織の象徴的存在。

 もし人間の格を「光」で表現するのであれば、その光量の差は歴然としていた。

 

 

「いかがでしたか、久しぶりのトーキョーは?」

 

 

 だからだろうか、開口一番にユーフェミアの口から告げられた言葉に、青鸞は眉をピクリと動かした。

 今、彼女とユーフェミアは十数人に武官・文官を互いに並べた長机に座って向かい合っている。

 ユーフェミアの両隣にはダールトンとギルフォードがいて、青鸞は一瞬だけギルフォードと視線を絡めた。

 そんな青鸞の両隣には朝比奈と原口がおり、彼らにはユーフェミアが笑顔を見せている。

 

 

「……以前と、何一つ変わっていませんでした」

 

 

 しかし普段は会議にでも使っているのだろうオフィスフロアには、所属の異なる者同士が向かい合った時特有の緊張感……が、薄かった。

 原因は、会談の参加者達が穏やかに過ぎたからだ。

 普通、体制側と反体制側が会談の場を持てば、牽制を兼ねて相手を批判するだろう。

 

 

 だが今は、それが無い。

 そしてその原因を、青鸞は正しく理解していた。

 まさに目の前に座るユーフェミア――純白のドレスに身を包んだ、優しい笑顔を浮かべた皇女――の両眼に宿る、真紅の輝きのせいである。

 すなわち、ギアスだ。

 

 

「相も変わらず、日本人はブリタニア人に虐げられているまま。その構造が変わらない限り、いかなる状況の変化も進歩とは認められません」

「ですが、今やこのトーキョー租界で……いいえ、その周辺のゲットーでさえも、不当に虐げられる日本人の方はおりません。皆、穏やかに共存の道を歩んでいます」

「それは仮初です。確かに租界の中を自由に歩けるようにはなっていましたが……そもそもそれは、当たり前の話です。マイナスの所から幾分かマシになっても、所詮はマイナス、プラスにはなりません」

「ですがキュウシュウでは犯罪率も上がり、食糧も不足していると聞きます。人々のためにも、ここはお互いの禍根を忘れ、手を携えるべきではありませんか?」

「……忘れる?」

 

 

 黒の騎士団側の要求は、非常に単純だった。

 日本の独立承認と前提としてのブリタニア軍の日本からの撤退、不当な手段で得た権益の返還と賠償請求、政治犯を含む拘束中の日本人の釈放、及びブリタニア政府による正式な謝罪。

 これらの条件を認めて初めて、日本はブリタニア帝国との間に「正常な関係」を招来せしむる。

 

 

 一方、ブリタニア政庁側の返答も、非常に簡潔だった。

 即時の独立は認められない、戦後8年でブリタニアの体制がエリア11に定着している現状、即時の独立を行っても反体制派が国家の体を保てるとは思えない、ブリタニア軍の撤退と権益の返還も同様。

 政治犯は法によって服役中であり、贖罪を終える前に釈放することは社会と本人のためにならない。

 一方的な謝罪・賠償も後に禍根を残し「平和的では無い」ため難しい、つまりゼロ回答だった。

 

 

「ブリタニアのしたことを、忘れる? それこそ妄言です、認められない。肉親を殺した強盗に仲良くしようと言われて、手を取る人間がいるとでも?」

「ですが強盗の肉親も殺されているのです。殺し、殺され、戦い、戦われ、そんなことをしても何も解決しません。だからこそ今、我々が過去を水に流し、手を取り合って平和を築くこと。これこそが、今まで亡くなられた方々の犠牲を無駄にしないために必要では無いでしょうか?」

「っ……それを、貴女は母親を殺された子供に言えるのか!」

「言えますよ。先日もテロリストにお父様を殺された子供に、恨まないよう「お願い」してきた所ですから」

 

 

 ユーフェミアの言動は、ブレない。

 むしろ青鸞の側が、今回は浮いていると言えた。

 1人だけ激しい言動を繰り返しているのだから無理も無い、本来は朝比奈や原口の援護を貰える所なのだろうが。

 

 

「青ちゃん、ひとまず落ち着こう」

「まずは、相手の言い分を聞いては遅くは無いでしょう……接点を見つける所から、進めるべきかと」

 

 

 政治家として妥協点を探る原口はともかく、軍人の朝比奈までが強硬路線から離れている。

 だが青鸞はそれを責めなかった、ユーフェミアのギアスに対抗できるのが自分だけだと知っているからだ。

 なら最初から1人で行けば良かったじゃないかと言う声もあるだろうが、そうもいかないのが政治と言うものだった。

 

 

 とは言え、状況が悪いのも事実。

 先程ユーフェミアも言っていたが、トーキョーだけに限れば確かに改善しているのだ。

 リヴァルが言っていたことを思い出す、イレヴン……日本人向けの社会保障が充実していると。

 ゲットー住民への食糧配給や医療支援はもちろん、租界内への日本人の出入りも自由。

 それでいて治安は回復しているのだから、ユーフェミアの名前はすでに奇跡の代名詞扱いだ。

 

 

(……ルルーシュくんと、ある意味で似てる)

 

 

 ルルーシュは己の目的を達するためにギアスを使っている、ユーフェミアもそうだ。

 自分の欲しい何かのためにギアスを使う、たとえ他人の心を踏み躙ってでも。

 ユーフェミアの場合は、それが本当に「いいこと」だと思っているのだろうが。

 

 

「……ユーフェミア皇女殿下、一つお願いしてもよろしいでしょうか」

「何でしょう、私に出来ることであれば良いのですけれど」

 

 

 コードを持つ自分には、ギアスは効かない。

 だから青鸞は、ユーフェミアを見つめて。

 

 

「少し、お時間を頂けますか? 2人きりで……お話したいのですが」

「なっ……貴様!」

「キューエル卿? 私の友人に無礼は許しませんよ?」

「し、しか……あ、はぁ、申し訳、ありません」

 

 

 一瞬だけ激昂の構えを見せた護衛の騎士が、しかしユーフェミアに視線を向けられるとすぐに落ち着いた。

 ……こうして見ると、ユーフェミアのギアスの強度が酷くまちまちに見える。

 まぁ、今はユーフェミアのギアスについて考察すべき時ではない。

 青鸞はキューエルと呼ばれた騎士と一瞬だけ視線を絡めると、すぐに外して……。

 

 

(……そういえば、どこかで聞いた声のような気も)

 

 

 ユーフェミアの穏やかな、赤く輝く瞳と視線を絡める。

 キューエルから視線を戻したユーフェミアは、そんな青鸞の視線に微笑を浮かべた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 将棋をしましょう、と、ユーフェミアは言った。

 以前のようにたどたどしくショーギと言うのでは無く、きちんとした日本語の発音で将棋と言った。

 会議室の隣にある小さな部屋で2人、テーブルに置かれた板状の将棋盤を挟んで向かい合う。

 

 

 初手はユーフェミア、発音ほど美しくない持ち方で駒を持ち、たどたどしく盤に置く。

 歩を動かした相手に対し青鸞も歩を動かす、こちらは持ち手も美しい。

 人差し指を曲げ中指で押さえてバチンと音を鳴らし、先の升目に置いた駒を目的の升目まで引く。

 並の打ち手であれば威圧されたようにも感じる打ち方だが、ユーフェミアは相も変わらず笑顔だった。

 

 

「お上手ですね。私も練習してるんですけど、なかなか上手くならなくて」

「まぁ、数をこなさないと上手くなれませんからね。こう言うものは」

「いつもの口調で大丈夫ですよ、お友達なんですから」

 

 

 それには答えず、ただ駒を動かす青鸞。

 ユーフェミアはあくまで笑顔だ、駒を取られても笑顔、無視をされても笑顔。

 非常に穏やかなその気性に、両眼の赤いギアスが奇妙なコントラストを生み出している。

 ギャップ、と言うのとはまた違う気もする。

 

 

「ルルーシュにチェスを教えて貰ったこともありましたけど、やっぱり将棋の方が好きです」

 

 

 取った駒を指先で弄びながら、ユーフェミアはそんなことを言った。

 チェスでは取られた駒は盤外に弾かれて「死ぬ」だけだが、将棋では新たな味方として使える。

 日本と西洋の、戦国時代の将の扱いの考え方の差とも言えるルールだ。

 青鸞はそんなユーフェミアを見つつ、再び強く駒を打った。

 7七飛、成り。

 

 

「でも、最後に勝つのは一方だけ」

 

 

 そして告げる、この世の真理を。

 勝つのは片方だけだ、引き分けなどめったにあるものでは無い。

 それに対して、ユーフェミアも頷く。

 

 

「でも、引き分けを選べるのも人です」

 

 

 それも真理、言葉の無い駒と違って人には言葉がある。

 互いの違いを乗り越えて対話し、手を取り合って歩むことが出来る。

 それが、人と言う存在。

 

 

「……私達は、本当は戦わなくても良かったはずの存在」

「でも、ブリタニアが戦いを仕掛けてきた」

「ええ、ブリタニアの正義のために」

「じゃあ、日本の正義は?」

「ええ、日本の正義も。でも正義をぶつけ合って、傷つけ合って、その先に幸福がありますか? いいえ、ありません。だって、それは結局繰り返しでしか無いのですから」

 

 

 次第にユーフェミアが動かす駒が王将だけになってきた、詰みが近い証拠だ。

 逃げる王将を、青鸞の銀や飛車が追い詰めていく。

 

 

「正義を叫び、平和を叫びながら、その手に銃を取る。それはとても哀しいことです。ブリタニア、日本、些細な違いが哀しみの連鎖を生んでいます。私はそれを、無くしたいと考えています」

「……日本人の、そしてブリタニア人の誇りを無視して?」

「誇りも大切です、それは尊重されるべき物です。でも、そのためにお互いが傷つけ合うなんて、間違っています」

 

 

 ――――もし、仮に。

 仮に青鸞がユーフェミアと「相容れない」と感じる箇所があるとすれば、ここだったろう。

 何故ならば今、ユーフェミアは「日本人」としての彼女と「ブリタニア人」としての彼女、両方の青鸞(セイラン)を否定したからだ。

 

 

(……もしか、したなら)

 

 

 もしかしたなら、ユーフェミアは究極の反差別主義者なのかもしれない。

 何故なら彼女は日本人とブリタニア人を分け隔てない、悪意ある言い方をすればこうだ、「民族とか国とかどうでも良いじゃないですか、同じ人なんですから」。

 だけど多くの者にとっては、それが大事なのだ。

 民族主義では無い、ただこだわりとして持っている何かなのだ。

 

 

 ――――バチンッ!

 

 

 ……最後の一手を今まで一番強く、感情を込めて打ち込んだ。

 そしてその結果を、ユーフェミアは穏やかに受け止める。

 終局82手、スピード決着、後手……青鸞の勝ちだ。

 青鸞は最後に打ち込んだ駒から指先を離すと、音を立てて椅子から立ち上がった。

 そんな青鸞を、ユーフェミアが穏やかに見上げる。

 

 

「……今、わかったよ。ユーフェミア・リ・ブリタニア」

「何がでしょう?」

 

 

 答えず、背を向けて、青鸞は部屋の扉に向けて歩き出した。

 ユーフェミアを見つめないその瞳の奥には、苛烈な色が浮かびかけている。

 それはかつて、ナリタやカゴシマ、セキガハラの戦いで見せた輝きに似ていた。

 ブリタニア皇帝の下にいた半年間が最近の青鸞を苦しめていた、だが今、彼女は決意することが出来た。

 

 

 ユーフェミアとの再度の思想戦が、彼女の迷いを吹っ切らせたのだ。

 何故なら彼女は、あらゆる意味で青鸞(セイラン)の「敵」だったから。

 敵を目の当たりにした時、ようやく、本当の意味で青鸞は「自分」へと返ることが出来た。

 だから、彼女は。

 

 

「貴女は――――ボクの、ボク達の敵だ」

「いいえ、青鸞。私達はお友達です、そうでしょう?」

 

 

 敵、お友達。

 お互いをそう呼び合って、しかしそう呼び合うからこそ、少女達は決裂した。

 数多あるものの中で、それは珍しくも無い例なのかもしれないが。

 これもまた、一つの結果だ。

 

 

 かくして史上最年少の和平会談は、決裂と言う形で歴史に刻まれることになった。

 これが後の歴史のどのような色を加えるのか、それはまだわからない。

 ただ一つわかっていることは、一つだけ。

 ――――今日、歴史が動いた……それだけである。




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 く、苦しかった……でも、今話で帰還編は終わりです。
 次回からは「饗団編」に入り、また世界が動き出します。
 まぁ、次は少し足踏み話になるかもしれませんが。
 これからも頑張りますので、応援よろしくお願いします。
 では、次回予告です。


『皆の所に帰ってきて、まだ時間は経ってないけれど。

 でも、やっぱり皆は皆でいろいろある。

 当たり前だよね、人なんだもの。

 人……ボクは今でも。

 自分を、ヒトと呼べるんだろうか?』


 ――――TURN9:「雌伏 再び」


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TURN9:「雌伏 再び」

 ――――しわがれた笑い声が、その空間に広がっていた。

 年齢を重ねた老人特有の笑い声だ、しかも囲炉裏の火以外に明かりの無い薄暗い部屋の中とあっては、どこか妖怪じみて聞こえる。

 それを受けているのが幼さを残した少女とあれば、なおさらである。

 

 

「カカ、カカカ……そうか、アレはまだ使えるか」

「はい、桐原公」

 

 

 鶯色の着物に身を包んだ老人の背中に、平安風の衣装を纏った少女が頷きを返す。

 相も変わらず御簾の向こうに座す神楽耶は、感情を窺わせない無表情を保っていた。

 

 

「ユーフェミアとの会談が決め手だったそうですわ、相も変わらず上からの理想論を振りかざされたのが気に入らなかったようで」

「ふふ、上からの理想論か……アレの兄のことでも思い出したか」

「かも、しれません」

 

 

 鶯色の着物の老人、未だキョウトの重鎮として権力を握る男は、そこで初めて振り向いた。

 顔だけを後ろに向けて、御簾の向こう側の少女の表情を見ようとしているかのようだった。

 だが、神楽耶の表情に変化は無い。

 

 

 それに対して、男……桐原は、再びカラカラと笑い声を上げた。

 再び赤々と火を上げる囲炉裏へと視線を落とし、皺だらけの唇を愉快そうに歪める。

 手にした火箸で炭をつつきながら、息を吐くように。

 

 

「嫉妬か、神楽耶よ?」

「さぁ、どうでしょうか」

 

 

 淑やかに袖で口元を隠しながら、神楽耶は桐原に言葉を返す。

 その胸中で何を考えているのか、顔に貼り付けたキョウトの女としての仮面のせいでわからなかった。

 人は、仮面(ペルソナ)を被る生き物だから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 するり、と、白い肌の上を襦袢が滑り落ちる感触の後、外気の冷たい空気が直接肌を冷やして、青鸞はぶるりと身体を震わせた。

 外ならばまだ温かい季節だが、その部屋は一定以下の温度に保たれているのだ。

 精密機械に囲まれたその部屋の気温は外より低く、寒い。

 

 

 肌寒さを感じながらも、下着姿に――上は最初からつけていない――なった所で、青鸞は振り向いた。

 どこか困ったように眉根を寄せて、しかし脱いだ襦袢を胸に当てて身体を隠す姿は、とても扇情的だった。

 ただ、声音はどこか情けなかったが。

 

 

「身体検査って、本当に必要なの?」

「当たり前だろう? 半年もすれば身長も体重も、身体の中身だって変わっちまうんだ。ナイトメアの微調整だけじゃなく、パイロットスーツ1つとっても、そう言うパーソナルデータは必要なんだよ」

「はぁ……」

 

 

 青鸞は関心なさそうな顔で頷いているが、ナイトメアが人間が動かすものである以上、それは必要なのだった。

 これはあのルルーシュや藤堂、カレンですら行っていることだ。

 ラクシャータは椅子に座り、キセルを咥えながらそれを指摘する。

 それについてはまぁ、青鸞も理解はしているのだが……。

 

 

「……でも、別に服を脱ぐ必要は無くない?」

「どうせパイロットスーツも新調するんだ、検査と一緒に採寸した方が効率的じゃないか」

「それはそうかもしれないけど……」

「ああ、はいはい。良いから、とりあえずそのキモノはそこに置いといて、こっちに来な」

「はぁーい……」

 

 

 微妙に納得していない顔で返事をして、青鸞はやや恥ずかしそうに頬を赤くしながら襦袢を側の長机に置いた。

 ふぁさ……と柔らかに丁寧に置いて、もう一度振り向く。

 そして手招きをするラクシャータの方へと歩を進めようとした所で、事件は起きた。

 

 

 ラクシャータは割と適当な性格をしている、効率的だからと言う理由で青鸞を剥いているのが良い証拠だ。

 もちろんそれなりに淑女の観念も理解しているので、他に人がいる場でそれを迫る程では無い。

 今は2人きりで、かつ他に人が来る予定も無いからそうしていただけである。

 が、である……ここに唯一、事前の許可なしで入れる人間がいることを失念していた。

 

 

『ラクシャータ、少し良いか。青鸞嬢に重要な話……が』

 

 

 黒い仮面と黒い衣装、もはや説明するまでも無い人物である。

 つまり、ルルーシュ=ゼロ――今さら言うまでも無く、所謂、異性である。

 確認するが、青鸞は今、身体を隠す唯一の物を置いた所である。

 そして青鸞はゼロの正体を知っている、よって衝撃は二倍となる。

 知らない異性に見られるよりは、と言うのは、この際は何の役にも立たない。

 

 

 最初は理解が追いついていなかったようだが、仮面の向こうの視線が――あくまで青鸞の想像だが――鎖骨のあたりから胸元、おへそを通り、さらに腰から太腿のラインを通ったあたりで、目尻に微かな雫を浮かべた。

 ラクシャータが「あー……」と頭を掻き、ルルーシュ=ゼロが「ま、待て、違……」と声をかけようと手を伸ばしかけた中、青鸞はその場に物凄い勢いでしゃがみこんだ。

 そして。

 

 

「……っ、ひ、きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!??」

 

 

 次の瞬間、比喩で無く時間が「停止」した。

 さらに机の上に置いた襦袢が肩からかけられて、反射的にそれを両手で掴む青鸞。

 顔を紅潮させたまま、目尻に涙を浮かべて顔を上げれば……。

 

 

「大丈夫!? 姉さん!?」

「ろ、ロロ……?」

「うん、僕だよ!」

 

 

 いったいどこから現れたのだろうか、右眼にギアスの輝きを宿した少年がそこにいた。

 見ればルルーシュ=ゼロとラクシャータの動きも止まっている、どうやらロロが己のギアスで時間を止めたらしい。

 本当に、どこにいたのだろう。

 

 

「……って、ロロ! ダメ! べ、別にそこまでショックだったわけじゃないから!」

「でも、姉さん」

「でもじゃなくて……ふ、あっ!?」

「……っ、姉さん!?」

 

 

 不穏な表情で懐からナイフを取り出したロロを止める青鸞、ロロの視線がルルーシュ=ゼロに固定化されていたので、ヤバいと思って止めたのだ。

 ただ急に立ち上がった際、襦袢の裾に足を取られて転んでしまった。

 ロロの背中に圧し掛かるような形で、その場に倒れこむ。

 その拍子に、ロロのギアスも解除されてしまった。

 

 

『せ、青鸞嬢、これは……っと、何!?』

「アンタ、いつの間に入って来たんだい?」

 

 

 驚くルルーシュ=ゼロとのんびり首を傾げるラクシャータの前では、小柄の少年の背中に圧し掛かる半裸の少女、と言う図が完成していた。

 何故か、非常に背徳的な構図だった。

 ルルーシュ=ゼロはそれに仮面の下で目を細めるが、しかし襦袢の間から覗く少女の柔肌を目にすると、慌てて顔を背けて……。

 

 

「何事だ、ゼロ! ……ぬ」

「今、青ちゃんの悲鳴が……! って、あ」

 

 

 直後、ルルーシュ=ゼロと一緒に来ていたらしい藤堂と朝比奈が室内に駆け込んできた。

 彼らもまた、襦袢の間から覗く少女の秘めやかな身体を目にして、かつて寝起きの彼女を見た時のように気まずそうに顔を背けた。

 何とも言えない表情で顔を背ける彼らに対して、青鸞はプルプルと震えながら。

 

 

「もっ……何なんだよぉ――――っ!!」

 

 

 自らの両腕で身体を掻き抱きつつ、弟の上で、やるせない叫びを上げたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「また貴様か、小娘ええええええええええええええええっ!!」

「ボクは今回被害者なのに!?」

 

 

 ――――と、騒ぎを聞きつけた草壁の説教を受けたのが、30分前のこと。

 今はきっちり着物を着こんでいるが、何となく頬を赤くして胸元を気にしている様子だった。

 ちなみにルルーシュ=ゼロ、藤堂、朝比奈の3者は部屋の隅にいた。

 何となく気まずそうな様子なのだが、そんな風にされると逆に青鸞も困ってしまう。

 

 

 なお3人が青鸞に声をかけないのは気まずいと言う気持ち以上に、傍に立っている千葉と茅野の目が冷たいことに原因があると思われる。

 ラクシャータは散々爆笑した後、古川と雪原に引き摺られる形でどこかへ消えた、身体検査はどうしたと言いたい。

 ロロは……人が増えたことに警戒して青鸞の背中に隠れている、これはこれで何故だと言いたい。

 

 

「あー……何だったんだろう、このくだり」

『む、青鸞嬢……』

「青鸞さま、少し良いですか」

 

 

 片手を寂しげに上げるルルーシュ=ゼロには、かつて無い程にカリスマのカの字も存在しなかった。

 代わりに茅野が一本に束ねた黒髪を揺らしながら進み出て、青鸞の耳元で何かを囁いた。

 すると青鸞は表情を一気に明るくした、けして草壁がいないからでは無い。

 そのまま茅野に伴われる形で部屋を出る、そして向かうのはカゴシマ基地の外だ。

 

 

 旧カゴシマ租界の港側、ゲットーから日本人が移されている区画だ。

 ブリタニア人の財産を奪うようなことはしないが、オープン前の集合住宅地を接収して部屋を割り振っているのである。

 それでも全く居住スペースが足りず、何組かを一つの部屋に押し込んでいる状況なのだが……。

 

 

「お……おぉ……っ」

 

 

 はいはい、それは赤ん坊の移動手段である。

 特に1歳くらいになると移動範囲も広がり、リビングから玄関に行くくらいはわけが無くなる。

 つまる所、ナリタで生まれたあの赤ん坊が青鸞の所まではいはいでやってきただけである。

 

 

「お……お~、さくらぁ、凄い! 凄い凄い凄い凄い!」

「うふふ、桜の凄さはここからですよ、青鸞さま」

「え、え? どゆこと? じゃない、どういうこと?」

「ふふ、抱っこしてみてください」

 

 

 廊下にまで溢れている日本人達が「何で、青鸞さまがここにいるんだろう」と言うような反応をしている中、青鸞は足元までやってきた桜の脇に手を入れて――思ったより、ずっと重くなっていた――抱っこする。

 そんな青鸞に微笑みかけるのは、かつては伊豆諸島まで行動を共にしていた女性、愛沢である。

 茅野を通じて青鸞に桜の様子を伝えてくれていたのだが、今日は特別だった、何しろ……。

 

 

「あー、おー」

「?」

「あおー、あーおー、ぅあー、おー」

「……あお?」

 

 

 抱っこして首を傾げると、桜がにこにことした笑顔で青鸞の頬をペチペチと叩いている。

 何やら同じことを言っているのだが、未発達故に何を言っているのかピンと来なかった。

 愛沢がクスクスと笑いながら、教えてくれる。

 

 

「青鸞さまのこと、呼んでますよ」

「ふぇ?」

「あーおー、あぅおー……あお!」

 

 

 あ、そして、お。

 慌てて視線を下げれば、自分の頬をぺちぺちする笑顔の赤ん坊。

 意味を理解すると、青鸞は随分としっかりしてきた桜の身体をぎゅっと抱いた。

 10キロ近いその身体は抱っこするのも大変だが、今のテンションではそれを感じることは無かった。

 だが青鸞が興奮と歓喜の叫びを上げる前に、別の叫び声が外から聞こえてきた。

 

 

「何だとてめぇっ! もういっぺん言ってみろぉっ!!」

「あ、ぅ……うぇえええええええええええっ!」

 

 

 問題は、外から響いた声に驚いた桜が泣き出してしまったことだ。

 それまで緩んでいた青鸞の目が剣呑な雰囲気になってしまったのは、まぁ、それ故に無理は無いだろう。

 それにしても、何事が生じていたのであろうか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 カレンがそこを通りがかったのは、偶然のようでいて必然であったのかもしれない。

 何故なら彼女はルルーシュ=ゼロの頼みで青鸞を呼び戻しに来たのであって、まるっきり偶然でそこに居合わせていたわけでは無いからである。

 まぁ、それは良い、問題なのは……。

 

 

「ちょっと玉城、何やってんのよ!?」

「うるせぇ、お前はすっこんでろ!!」

「んなっ……アンタねぇ!」

 

 

 カレンがむっ、とした表情を浮かべるのも無理は無い。

 彼女は日本人でごった返しているカゴシマ租界の集合住宅地いる、つまり周囲には多くの日本人がいて、彼女達の行動を見ているのである。

 少なくとも、玉城が取り巻きと一緒になって旧日本解放戦線組のメンバーの胸倉に掴みかかっていて良い場所ではない。

 

 

 つまる所、それは喧嘩なのだった。

 面倒なことを眉を顰めて、カレンは掴みかかられている方へと視線を向けた。

 そこにいるのは、護衛小隊のメンバーでもある大和だった。

 セキガハラでは玉城と同じ戦線にいたはずだが、どうも戦友として認め合っているわけでは無さそうだった。

 

 

「榛名……少尉? これはいったいどう言う……?」

「……別に。コイツが興奮してるだけだ」

「てめぇが言ったんだろ、俺達のことを腰抜けだってよ!」

 

 

 静かに答える大和と、興奮して顔を真っ赤にしている玉城のギャップが凄まじい。

 カレンが内心で首を傾げていると、玉城の方が答えを教えてくれた。

 

 

「この野郎、俺達のことを臆病者呼ばわりしやがったんだ!」

「……拡大解釈するな、お前だけだ」

「な、なんだとおぉっ!?」

 

 

 それでカレンにはわかった、思わず顔を顰めてしまう。

 先に述べた通り、玉城と大和はセキガハラ決戦において同じ戦線で戦っていた。

 普通ならそれで戦友意識が芽生えても良いはずだが、実際は真逆のことになっていた。

 

 

 セキガハラ決戦で、黒の騎士団の部隊が総崩れになったからだ。

 

 

 ゼロとの通信が途絶し、奇跡を起こす存在を失った黒の騎士団は浮き足立ち、壊乱状態に陥った。

 特に玉城の部隊は予定まで戦線を支えきれず、それどころか途中で放棄して後退した。

 それを代わりに支えたのが旧日本解放戦線であり、大和達だったのである。

 大和達からすれば、ゼロが不在と言うだけで逃げ出した腰抜けと移っても仕方が無い。

 ……その行動で、彼らの仲間が戦死したのだから。

 

 

(……止めないと!)

 

 

 しかしだからと言って、こんな公衆の面前で喧嘩をさせて良いわけでは無い。

 実際、周囲で様子を窺っている人々の顔には不安と不信の色が見える、これは不味い。

 黒の騎士団への人々の支持が揺らぐことがあっては、甚だ不味いのである。

 

 

 いくら黒の騎士団と旧日本解放戦線の間の溝が深くなっていたとしても、少なくとも今は一緒にやっている仲間なのだ。

 だからカレンは、2人の男の間に割って入ろうと歩を進めて。

 

 

「ちょっと、玉城、榛名少尉……!」

「……いったい、何の騒ぎですか」

 

 

 その時、カレンとは反対側の道から静かな、しかし有無を言わさぬ力強い声が聞こえた。

 カレンや玉城、大和だけでは無く、周囲の日本人もそちらを見る。

 

 

「あれは……」

「青鸞さまだ」

「そうだ、青鸞さまだ」

「青鸞さま……!」

 

 

 周囲から聞こえるのは、未だに期待と希望のこもった声で囁かれる存在。

 実と虚が混ざり合った有名の下に語られるその名前は、日本の抵抗の象徴の名前だ。

 肩下まで伸びてきた黒髪と、濃紺の着物に身を包んだ1人の少女。

 枢木青鸞が、不機嫌そうな色を瞳に湛えてそこにいた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「……どうしたんです、急に2人で話したいだなんて」

 

 

 カゴシマ基地の情報部、外界から完全に隔離された防音室。

 そこは現在、2人の男性によって使用されていた。

 細長い部屋の両側に長椅子を設置しただけの狭い部屋で、向かい合って座れば膝が触れ合ってしまう程だ。

 

 

 1人は扇、相も変わらず古ぼけたジャケットを愛用しているが、れっきとした黒の騎士団のナンバー2である。

 そしてもう1人は、これまた黒の騎士団の幹部であるディートハルトだった。

 この2人の組み合わせは正直珍しい、普段なら会議の場でくらいしか会わない。

 

 

「いえ。騎士団の今後について、副司令の意見も伺っておきたいと思いましてね」

「俺の意見……?」

 

 

 ディートハルトが笑みと共に発した言葉に、扇は首を傾げた。

 正直な所、黒の騎士団における扇の発言力はそれほど高くない。

 それは黒の騎士団がゼロを頂点としたトップダウン型の組織だだからで、扇は良く言って組織内のクッション役でしか無いのだ。

 

 

「副司令、貴方は以前からブリタニアとの対話を唱えていましたね」

 

 

 そしてその言葉が、扇に警戒心を抱かせた。

 ディートハルトは組織内の内偵も担当している、裏切り者がいればこれを捕縛し、スパイがいればやはりこれを捕縛する。

 いわゆる、粛清だ。

 

 

 そんな相手に自分の思想のことを問われれば、それは身構えもするだろう。

 しかし当のディートハルトはと言えば、そんな扇の様子を見て笑みを浮かべた。

 笑みを見ても安堵できない人種と言うのは、意外といるものだ。

 

 

「いえいえ、副司令のそうした考え自体をとやかく言うつもりはありません。ただの世間話ですよ、そんな考え方をお持ちの副司令であれば、ユーフェミアとの会談の失敗は残念だったのだは無いか、とね」

「それは、まぁ……」

 

 

 実際、ユーフェミアと青鸞の交渉は決裂に終わった。

 最初から最後まで噛み合わなかったと言うが、穏健派に偏りつつある扇からすれば、確かに残念だ。

 まぁ、彼の場合は個人的な事情も影響してはいるのだが……。

 

 

「それで、そんな世間話のために俺を?」

「まさか、そこまで暇ではないでしょう……お互いにね」

 

 

 いちいち癪に障る言い方をする男だ、扇は改めてそう思った。

 だがその後に続いた言葉に、扇は眉を顰めることになる。

 

 

「扇さんは、最近の青鸞さまについてどう思われます?」

「青鸞さま……? それは、まぁ、無事に戻って来られて良かったと」

 

 

 正直、予想していなかった方向からの話に面食らってしまう。

 

 

「それが、何か?」

「いえ、どうも以前に比べて青鸞さまの言動に差異が見られるようでして。ほら、ヴィヴィアンを襲撃したと言うあのブリタニア人の子供、ロロとか言いましたか……どういうわけか、青鸞さまの傍にいるではありませんか」

「それは……確かに、不思議ですが」

 

 

 ロロ・ブルーバードとか言ったか、扇も良くは知らない。

 ブリタニア人がいること自体は、まぁそもそもディートハルトもそうなので今さらだが、あんな子供が

青鸞の護衛と言う名目で出入りしている理由はわからない。

 青鸞がブリタニアから連れてきた形らしいが、ヴィヴィアンを襲撃したとも聞く。

 不幸な行き違いと言う奴なのかもしれないが、それでも良くわからなかった。

 

 

「先日の会談も青鸞さまが決裂を主導したと聞きますし、それに青鸞さまが戻ってから騎士団内で不協和音がより目立つようになっています」

「それは……いや、ディートハルト、まさか」

 

 

 ディートハルトの瞳に不穏な色を見取って、扇は緊張で顎先を上げた。

 対してディートハルトは表情を変えない、相も変わらず薄い笑みを顔に貼り付けている。

 

 

「どうしたんです、扇さん? お話はこれからですよ」

 

 

 扇には何故か、それが酷く恐ろしいもののように感じられたのだった。

 影とも違う、闇とも違う。

 もっとおぞましく、気色の悪い、何かだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 当然のことではあるが、ルルーシュ=ゼロは別に青鸞の裸を見るためにラクシャータの部屋を訪れたわけでは無い。

 青鸞に伝えたいことがあったから来たわけで、タイミングが最悪だっただけである。

 ……まぁ、青鸞にしてみれば「それが何かの慰めになるのか」としか言えないが。

 

 

「はぁ、まぁなぁ。ナリタの温泉で男側に来ようとした青鸞さまがねぇ、随分とご成長あそばされたもんでねーの?」

『隊長、不敬ですよ』

「いや、あの状態の青鸞さまに威厳なんて欠片も無ぇだろうよ」

 

 

 通信機から聞こえる上原の声に対して、護衛小隊の隊長である山本はどこ吹く風だった。

 彼らの目の前にはブリタニアから鹵獲した航空戦艦「ヴィヴィアン」があり、カゴシマ港に急遽用意されたドックに無理から停泊させられている。

 それに伴い彼らの周囲では、ヴィヴィアンの調査・補修・ナイトメアを含む積荷の積み込み作業を行っている騎士団の関係者や公共事業として雇われた日本人労働者の姿がある。

 

 

 本来ならもう少し緊張していても良さそうな物だが、山本は自分のナイトメアのコックピットの中で寝そべりつつ、やはり何の緊張も感じていない様子だった。

 そんな彼が見つめる側面モニターの片隅には、何でもゼロに裸を見られて悲鳴を上げたと噂の――噂の元? さて心当たりは無いと言っておこう――青鸞の姿が見えている。

 

 

「つーか、今日は大和の野郎も一緒か」

 

 

 青鸞と2人、大和が何故かドックの床と言うか地面に正座していた。

 彼女らの前には例によって草壁がいて、何やらクドクドと説教されているらし。

 旧日本解放戦線では、もはや見慣れた光景だった。

 もちろん組織の外でそんなことはしないだろうが、やはり青鸞に言わせれば「それが何かの慰めに以下略」でああろう。

 

 

「珍しいこともあるもんだなぁ、オイ」

『珍しいことついでに、隊長ももう少しだけ真面目に……』

「まぁまぁ、あんま拗ねるとせっかくの綺麗な顔が台無しだぜ?」

『なっ!?』

 

 

 そして上原が顔を赤くして山本を怒鳴っていたちょうどその頃、青鸞も草壁のお説教と言う名のコミュニケーションから解放された所だった。

 今日も今日とて「部下の管理が……云々」だり「無用な騒ぎを……云々」だり「そもそも貴様には自覚が……云々」だりと、それはそれは有難いお言葉を頂戴した青鸞だった。

 しかし今日に限っては、青鸞にも「ちょっと待て」と言いたい部分があった。

 

 

「大和さん……ちょっと、本当に……本当に、もう、ちょっと……」

「……申し訳ない、です」

 

 

 黒の騎士団サイドと諍いを起こすと言うのは、組織的にあまりによろしく無い行動だ。

 しかし大和達が黒の騎士団サイドに対し隔意を持つのは仕方が無い、が、黒の騎士団サイド――特に玉城あたり――が旧日本解放戦線サイドを未だに見下している様子なのが問題だった。

 以前から両者の仲は微妙だったのだが、セキガハラ決戦以降はそれに拍車がかかっていた。

 

 

 草壁あたりは本当に組織を飛び出して行きかねないので、相当切実な問題である。

 今、反体制派で分裂するのは自殺行為でしか無い、何としても避ける必要がある。

 とは言え末端の兵にまでそれを理解しろと言うのは酷であって、その意味では青鸞にも他の誰かを責めることは出来なかった。

 2人揃って叱られるというのも、親近感が湧いて……いや、それはどうなのだろう。

 

 

「ははは……まぁ、あまり気にしないでください。草壁君も、そのあたりのことはわかっているはずなので」

 

 

 その時、不意に青鸞達に声をかける存在があった。

 その場に立ち上がって振り向けば、そこにいたのは旧日本解放戦線の軍人だ。

 島にいた頃の名残か、黒く焼けた肌と軍服を押し上げる筋肉が特徴の男だった。

 旧日本解放戦線の後方司令官、三木。

 そして三木の後ろで軽く頭を下げているのが、三木の部下である前園である。

 

 

 三木を前にすると、青鸞はやや眦を下げた。

 何故なら真備島から彼を連れ出して以降、青鸞の行動と結果は彼の期待に添えていないもののはずだったからだ。

 信じてついて来てくれたのに、ブリタニアに拉致されて洗脳までされて……と、良い所が無い、引け目の一つも感じると言う物だ。

 偉そうなことを言っていた分、余計に。

 

 

「ふふ……草壁君の話が長かったので時間も押しているようですな。青鸞お嬢様、艦の中を改めてご案内致しましょう。こちらで8割は掌握済みですので」

 

 

 だが、三木はそのことについては何も言わない。

 青鸞も何も言えない、それは草壁や藤堂とは別種の「大人」を見ているからかもしれない。

 何故なら理由はどうあれ、三木が自分で決めたことだからだ。

 決めたなら、それで十分。

 

 

 そして三木もまた、決めたのだ。

 もう一度だけ、夢を見ようと。

 かつて枢木ゲンブに見ていた夢を、もう一度だけ、青鸞に見ようと。

 今度はただ待つだけでなく、自ら動くことで。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 三木の言ったように、黒の騎士団がブリタニアから強奪した航空戦艦『ヴィヴィアン』は、艦橋や射撃所、デッキ、機関室、兵舎や格納庫に至るまで、ほとんど全てを騎士団の調査・解析班によって掌握されていた。

 しかし、絶対に掌握できない場所があることを青鸞は知っている。

 

 

「ナナリーちゃん、やっほー」

「あ、青鸞さん」

 

 

 艦内にある、ナナリーの部屋だ。

 ここだけは誰も来ることが出来ない、カメラも無いので覗かれることも無い。

 まぁ、あのルルーシュがナナリーの部屋にカメラの設置などするはずも無いが。

 そこは、どうやら父親とは一戦を画したらしい。

 

 

 とは言え、ナナリーの状況はおよそ健康的とは言えない。

 部屋から外には出れず、また会いに来る人間はルルーシュ本人、青鸞、カレン、そして稀にC.C.くらいのもので、例外としてノエル・咲世子のメイド衆がいるだけだ。

 正直、青鸞がナナリーの立場なら気が滅入る所では無い、心の病になってもおかしくは無いだろう。

 

 

「……私がここにいることで、お兄様のためになるのなら」

 

 

 ノエルの淹れてくれた紅茶を傍らに、青鸞の持ち込んだ将棋をしながらのナナリーの言葉がそれだ。

 意見とも言えない意見だ、兄に対して完全依存の究極従属宣言である。

 まぁ、他にどうしようも無いと言うのもあるのだろうが……つまり、何かを諦めている状態だ。

 ちなみに、ナナリーの分の将棋の駒は青鸞が動かしている。

 ナナリーは盤を見ずに打てるタイプだ、天才スキルを平然と使うあたりは流石と言おうか。

 

 

(……やっぱり、不味いよね)

 

 

 何より、世界で一番大切――比喩では無く――な妹に対して、碌な説明をしていないのは頂けない。

 ルルーシュが言うには、近くカゴシマ租界にナナリーのための生活圏を用意するとか何とか。

 だが、やはり何も言わずに結果だけ与えているのはダウトだ。

 そもそもそれは、ルルーシュの方針に反することではなかったのか?

 

 

 ここ数日、ルルーシュのナナリーへの対応について不満を溜めている青鸞だった。

 とは言え同じ穴の(むじな)の自分が言っても良い物か、それとも狢だからこそ自分が言うべきなのか。

 ルルーシュには重ね重ねの恩もある、さてどうしたものかと……。

 

 

「あ、青鸞さん。そこは1一角成でお願いします」

「あ、うん」

 

 

 なお、ナナリーの将棋の打ち方は意外と攻め気質。

 可愛らしい見た目に騙されて手を抜くと酷い目に合う、今も容赦なく青鸞の陣地に攻め込んできているのだ。

 ニコニコ笑顔で急所を刺して来るタイプの打ち手だ、実は青鸞と同じくらい強かったりする。

 

 

 ……だからと言うわけでは無いが、実は幼い頃はナナリーのことが少し苦手だった。

 

 

 兄にたくさん構ってもらえると言う環境もさることながら、車椅子の上で生活している割に行動的な所があって、子供の視点で見るとなかなかに不気味な存在だったのだ。

 だが逆に言えば、子供だからこそ人種や身体のこととは気にせずに友達になれた。

 今も、そうだと信じている。

 

 

「……羨ましいです」

「え?」

「青鸞さんは、お兄様のお手伝いが出来て……」

「いや、お手伝い……なのかなぁ、どうなんだろ」

 

 

 寂しげに笑うナナリーを見て、微妙な表情を浮かべる。

 正直、自分とルルーシュの関係を一言で言い表すことが出来なかった。

 そして今、ナナリーとの関係が昔ほど真っ直ぐなものなのかわからない。

 

 

 だが先にも言ったように、青鸞の口から何かを言うべきなのかどうなのか。

 まぁ、それにルルーシュとナナリーのことが無かったとしても。

 そもそも、青鸞にも余裕があるわけでは無いのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――不思議な赤い輝きが、部屋と視界を満たしていた。

 それは穏やかに広がっているようで、しかし同時に毒々しく禍々しい気配を放っていた。

 見ていると、何かに酔ってしまいそうになるくらいには。

 

 

「……お前の記憶障害は、お前の持つコードの発現率の低さが原因だ」

 

 

 部屋を満たしている赤い輝きは、2人の少女の身体から放たれている物だった。

 1人は額から、彼女は長い緑の髪を揺らしていたそれが徐々に輝きを消していくのに合わせて、静かな口調で言葉を紡ぐ。

 告げられるのもまた少女、はだけた着物の左胸から赤い輝きを放っていた彼女は、相手の呼応するように反応していたそれに、小さく吐息を漏らした。

 

 

 それから、目前の少女――C.C.を見つめる。

 ここの所の青鸞の一日は、こうしてC.C.からコードに関する講義を受けて終わる。

 任意でコードの能力を発動するにはどうすれば良いのか、ギアスを与えるとはどう言うことか、そもそもコードの特性とは何か、etc。

 青鸞は知らないことだが、C.C.が他者に積極的に知識を与えるのは珍しいことだ。

 

 

「お前の持つコードの力が強くなれば、自然、記憶の混乱は収まってくるだろう。それはブリタニア皇帝のギアスによる結果だからな、まぁコードの発現とギアスの力が同時に発生することは無いから……その意味では、前例が無いから時期についてはわからんな」

「そっか……」

 

 

 青鸞自身にしても、どうしてC.C.が自分を気にかけてくれるのかはわからない。

 ただ自分の身体に発現した以上、受け入れていくしかない。

 だからコードのことについて教えてくれる分には、有難い。

 有難いが、理由はわからなかった。

 

 

「良いか、コードの完全な発現……いや、『継承』のためには、管理者のことを認識する必要がある。これにはまず、コードの…………何だ?」

「あ、ううん。ただ、随分と熱心に教えてくれるなと思って」

 

 

 青鸞がそう言うと、C.C.はむっとした顔をして。

 

 

「必要ないなら即座に辞めるが」

「あ、いや! 凄く助かってるんだけど!」

「ならばピザを寄越せ、話はそれからだ」

「いや、こんな遅くにピザはやめた方が……」

「大丈夫だ、私達はいくらカロリーを摂取しようが体型は変わらん。……まぁ、成長もしないが」

 

 

 人の胸を見て何と言うことを、C.C.の哀れむような視線に今度は青鸞がむっとした表情を浮かべる。

 それを見て何を思ったのかは知らないが、C.C.が微かな笑みを見せた。

 しかしそれも一瞬のことで、すぐにいつもの仏頂面に戻る。

 結局、どうしてコードについて教えてくれるのかはわからずじまいだ。

 

 

「それより、またどこかに行くらしいなアイツは。お前も一緒に行くのか?」

「あ、うん……今度は、また別の国に」

 

 

 そしていつの間にか、話題は別の物になっている。

 キュウシュウに集った反体制派だが、閉じこもっていても事態は打開できない。

 ならばと言うことで、今――ユーフェミアによってブリタニア軍の行動が鈍っていると言う意味で――こそ、対ブリタニアの行動を取る。

 実は気になる情報もあり、海外情勢も無視できない事態になっているのだが……。

 

 

 そうしていると、不意に部屋の扉が開いた。

 この時、青鸞は未だ着物をはだけた状態である。

 二の腕のあたりまで下げられた着物は、鎖骨から胸元の白い肌を外気に晒している。

 幸い、着直そうとやや上げた所だが……はたして、どれ程の慰めになるものか。

 

 

『C.C.、お前、青鸞と何を……ぐ」

「あ」

 

 

 仮面を外しながら登場したのは、ルルーシュである。

 しかし顔を上げた彼は顔を顰めた、気まずさを通り越して何か別の感情に目覚めそうな顔をしていた。

 まぁ、それは青鸞も同じだったが。

 

 

「実は狙ってるんじゃないのか、童貞坊や?」

「……うるさい」

 

 

 苦虫を噛み潰したような表情で唸るルルーシュに、C.C.は悪戯っぽく笑っていた。

 ギアスとコード、あるいは絆。

 少年と少女達を繋ぐのは、目に見えない何かだ。

 しかしこの繋がりは、いつか世界を変える……かもしれない、何かだった。

 

 

 ただ、今確実に言えることは。

 本日二度目の事態に憤慨した1人の少女が、半泣きで少年に手近な物を投げつけたことだろうか。

 なお少年がそれで気絶し、少女自身の膝の上で介抱されたことは言うまでも無い。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――……妹姫さまが、彼女と接触したらしいよ」

 

 

 どこか愉快そうな少年の声が、空間全体に広がるように響き渡った。

 空間に反響しているのは、小さな少年の声だ。

 長い金の髪を指で絡めては離して弄び、まるで暇を潰しているかのようにも見えた。

 

 

「まぁ、僕としてはユーフェミアの方はタッチするつもりは無いんだけどね。彼女がこっちに来るって言うなら、シャルルのためにも僕が手を打つべきだよね」

 

 

 つい……と視線を動かせば、彼が座る玉座のような椅子から数段下の所に妙齢の女性が立っていた。

 濃い紫を基調にした軍服調の衣服を身に纏っているが、豊満な胸元や肉付きの良い太腿などは隠しようも無い。

 まぁ、本人はそんな部分に興味も無いのだろうが。

 

 

 より注目すべきなのは、手足を拘束する電子枷の存在だろうか。

 あるいは玉座に――謁見の間と言うよりは、宗教的な聖室のような印象を受けるが――座る少年を睨む、鋭い眼光だろうか。

 いずれにしても、両者の関係が穏やかな物ではないことは確かだった。

 

 

「……キミもそう思わないかい?」

 

 

 そして。

 

 

「ねぇ――――コーネリア」

 

 

 左眼に宿る、赤い輝き。

 それはまるで、コーネリアと呼ばれた女性の胸中を象徴しているかのような、苛烈な輝きを放っていた。

 しかし少年は、その毒々しい輝きに深い……深い笑みを浮かべたのだった。

 酷く無邪気で――――それでいて、邪悪な笑みを。

 




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 とりあえず今回はお休み回で、次回からが「饗団編」です。
 うん、すでに何があるかバレそうな感じです。
 それでは、次回予告です。


『海を渡った先には、大陸がある。

 何百年、ううん、何千年も前から交流がある土地が。

 戦争と貧困、文化と繁栄。

 その全てのルーツを、共有している場所が。

 その場所の名前は、中華連邦――――』


 ――――TURN10:「巨象 の 庭で」


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TURN10:「巨象 の 庭で」

「――――どう言うことなのかな」

 

 

 不機嫌そうな少年の声が、薄暗い部屋に響く。

 照明のせいか薄い紫に輝いているように見えるその部屋は、玉座にも祭壇にも見える場所だった。

 豪奢な椅子の上に座る少年は、階下に膝をついている男に不機嫌そうな視線を向けていた。

 少年の名はV.V.、異常に長い金色の髪と神官のような服が特徴的な少年。

 

 

 対して膝をついているのは、白と紫の騎士服に身を包んだ男。

 長身で気品を感じさせるその姿は出身の高貴さを滲ませているが、顔の左半分を覆うオレンジ色のマスクが凄まじいギャップを生み出してもいた。

 男の名はジェレミア・ゴットバルト、かつてエリア11で名を――良くも悪くも――轟かせていたブリタニアの騎士である。

 

 

「キミがブリタニア皇族への忠誠心厚い男だって言うのはわかっていたけど、まさか彼女の逃亡に手を貸すだなんて。しかも逃がした後に戻ってくるなんて、騎士道精神もここまで来れば称賛に値するよね」

 

 

 当然、V.V.の声に称賛のしの字も入っていないことは明らかだった。

 自分の膝に肘を置いて頬杖をついてジェレミアを見下ろす視線は、どこまでも冷たい。

 

 

(本当に、ここはいったい……?)

 

 

 そんな中、ジェレミアの傍らで同じように膝をついている女性騎士が内心で冷や汗を流していた。

 高く結った銀の髪に褐色の肌、黒と紫で露出の高い騎士服。

 ヴィレッタと言う名のその女は、紆余曲折を経てここに来た人間だった。

 

 

 トーキョーで記憶喪失のまま過ごしていた彼女は、ある日ジェレミアによって連れ出された。

 そしてどんな処置をしたのかは不明だが、この不可思議な場所で目覚めた。

 移動手段はおろか位置すらもわからない、ただジェレミアに副官として連れ出されただけだ。

 ある意味では、以前の状態に戻ったとも言えるが……。

 

 

「――――そう、目くじらを立てる必要も無いだろう。V.V.」

 

 

 その時、不意に別の声が聞こえてきた。

 ビクリと肩を震わせたヴィレッタの隣、つまりジェレミアの後ろに姿を現したのは女だ。

 背中の半ばまで伸びた金褐色の髪は絹糸のような艶を放ち、海色の瞳は深く澄み、右目の下には小さな泣き黒子がある。

 

 

 肌の露出が恐ろしく少ないのに、白雪の肌と潤んだ唇、触れれば柔らかく沈み込むだろう肉付きが見て取れる。

 20代半ばだろうその女はブーツの靴音を立てながらその場に立ち止まると、隣で膝をついたままのヴィレッタに視線を向けた。

 ギアスの力を示す赤い輝きが、海色の瞳を紅に染めている。

 その眼に見つめられたヴィレッタは、怯えたように僅かに身を震わせた。

 

 

「――――……あの皇女がキミに協力するはずも無い、ならば逃がしても問題は無いだろう」

「読心かい?」

「いいや、悟りさ」

 

 

 V.V.を見据えて、さらにそれから。

 

 

「あの皇女は、きっとあの少女に接触する。そうなれば、キミにとってはチャンスだろう」

 

 

 それから、ジェレミアの背中へと視線を落とす。

 視線を受けたためか、ジェレミアは背中を晒したまま口元に笑みを浮かべた。

 自信に満ちたその笑みは、エリア11にいた頃よりも遥かに凄みを増している。

 

 

「お前か、ヴェンツェル」

「……ヴェンツェル・リズライヒ・フォン・マクシミリアン」

 

 

 笑みを見せて、ヴェンツェルと呼ばれた女は応じる。

 

 

「――――昔のように、リズと呼ぶと良い」

 

 

 闇の中で、光に当たらぬ者達が蠢いていた。

 その蠢きは歴史の闇の中に常にあり、時に光の下にいる人々を脅かす。

 この度の企ては、はたしてどのような結果を世界に示すのだろうか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 中華連邦インド軍管区北東部、コルカタ。

 インド第3位の都市圏を有する都市であり、圏内人口は1500万人を超える世界都市の一つである。

 気温は35度に迫る程に高いが、雨季が迫りつつある現在、空は厚い雲に覆われてどんよりとしている。

 衣服が肌に張り付く程の湿気の中、コルカタの市場は多くの人々の熱気に包まれていた。

 

 

 肉の塊をいくつも吊り下げた屋台から放たれる生臭い匂いや、地面の上でそのまま屠殺される山羊の声、力なくダラリとしている鶏を何匹も下げて走る自転車、遠くから鳴り響いている車のクラクションの音、褐色の肌の男達の群れ、姦しく店主と交渉するサリー姿の女性、山羊の脳みそを捨てるバケツを椅子代わりに客を待つ屋台の店主達……。

 

 

「お、おい、また来たぞ!」

「またか! ナヤルの奴、今度こそヤバいんじゃ」

「しっ、女共を隠せ。ナヤルが引き付けてる間に……お、来た来た」

 

 

 不意に、市場の一部で人が消えた。

 その代わりと言うわけでも無いだろうが、ゾロゾロと入ってきたのは重武装の人間達だ。

 軍隊では無く警察レベルの武装だが、手にしている無骨なアサルトライフルは明らかな殺傷能力を持っている、少なくとも午後の市場には相応しくない。

 

 

 そして市場の東側に雪崩れ込んできた彼らの先頭には、兵達とは対照的な格好の男がいた。

 お腹がでっぷりと太ったその男は伝統的な赤と白の民族衣装に身を包み、お腹とは対照的にやや痩せこけた頬の顔で誰かを睨んでいた。

 誰を? それは、目の前の肉屋に座る1人の青年だ。

 褐色の肌に黒髪のインド人の青年、何事も無いかのように陶器の(チャイ)を飲んでいる。

 

 

「アイヤバ・ナヤル! 貴様、まぁだ店を閉めていないとはどう言うつもりだ!」

 

 

 苛々とした口調で男は告げる、その後ろで兵達が威嚇するように周囲の人々に銃を向けていた。

 しかしナヤルと呼ばれた青年はまるで態度を変えない、むしろチャイを美味そうに飲んで。

 

 

「親父、今日も良い味出してるな」

「へぇ、ナヤル坊にそう言って貰えると、へぇ」

「……っ! 貴様、これが目に入らんのか!? 県令が出した立ち退き命令書だぞ!?

 

 

 自分を無視して店の老人と話すナヤルに、民族衣装の男は懐から取り出した書類を広げて押し付ける。

 それには流石に青年もチラリと視線を投げかけた、と言っても、そこに何が書かれているかはすでに知っている様子だったが。

 それを確認した民族衣装の男はニヤリと笑い、鼻息荒く書類を指差しながら。

 

 

「来月、大宦官の程忠(チェン・ジョン)様がコルカタを公式訪問される。その時、貴様らのような汚らわしい者達が市場にいては不興を買ってしまう。そうなればお終いだ、わかるだろう、んん?」

 

 

 とどのつまり、「汚らわしい貧民は出て行け」と言うわけだ。

 しかし青年は全く動じなかった、そして兵達を引き連れている中華連邦人――中国人と言う意味で――の男を見、そしてやれやれと言いたげに溜息を吐き。

 普通に、受け取った書類を破り捨てた。

 

 

「きっ……きさぶっ!?」

(ガオ)のおっさんよぉ、こんな紙切れで俺達をどうにか出来ると思ってんのか?」

 

 

 嘲笑うような笑みを浮かべて、青年が空になった陶器のカップを店主に返す。

 対して民族衣装の男、高は、顔にかかったチャイを服の袖で拭いながらたたらを踏んでいた。

 その無様な様子に、周囲の人々から失笑が漏れた。

 真っ赤な顔をしてそれを睨む高、直後、彼は豚のような悲鳴を上げて尻餅をつくことになる。

 市場の子供達が投げつけた、拳大の石によって。

 

 

「このっ、この!」

「ナヤル兄を苛めるなっ、この豚野郎!」

「ば……お前ら、よせ!!」

 

 

 これに慌てたのはむしろナヤルの方だった、初めてその場から立ち上がり、子供達の方へ駆け寄ろうとする。

 しかし彼が一歩を踏み出す前に、そして他の大人達が動くよりも先に、高が連れて来た兵士の1人が子供達の首根っこを捕まえて持ち上げてしまったのだ。

 それで、周りの大人達も動けなくなってしまう。

 

 

 インドの民は、伝統を重んじる。

 その中には「無垢な子供を傷つけてはならない」と言うことも含まれる、彼らにとって子供とは仲間であり同胞であり、労働力であり戦友であり、そして庇護すべき対象だったからだ。

 だから動けない、しかしそれは同時に危険なことでもある。

 ……鬱積すると、言うことだからだ。

 

 

「こ、の……この、ぉ……!」

 

 

 そして血が流れる鼻を押さえながら、高が丸々と太った身体を地面から起こす。

 真っ赤な顔でドスドスと子供達の方へと近付き、鼻を押さえたまま一度だけナヤルの方を見た。

 先程までと違い緊張した表情を見せるナヤルにニヤリとした笑みを浮かべ、それから兵士が両腕で持ち上げる2人の子供を見る。

 むー、と可愛らしく睨んでくる子供に対して、高は実にあっさりと拳を振り上げ。

 

 

「や……っ」

 

 

 そして、同じくらいあっさりと拳を振り下ろした。

 

 

「やめろおおぉ――――ッ!!」

 

 

 飛び出す、走る、飛び掛る。

 ナヤルに必要な行為はその3つだった、しかしそれは同時にある事実を孕んでいる。

 それは全ての銃口が彼の方を向いていることからも明白で、彼が動いた瞬間に公人に対する暴漢として射殺しようとしているのが明白だった。

 

 

 だが彼は誇り高きインドの男として、子供に手を上げる人間を許せなかった。

 だから最初の一歩を迷いなく踏み込んだし、周囲にはそんな彼を助けようと兵士に飛びかかろうとする者まで現れていた。

 彼は、1人では無かった。

 だから、かもしれない。

 

 

「――――まったく」

 

 

 ふわり、と、人々の間を柔らかな風が吹いたような気がした。

 声がしたのは、高と子供達の間だ。

 ナヤルが駆け出すと同時、いやその直前に上から「落ちて」来た。

 

 

 濃紺のヘレンガサリー、ローブをイメージすれば近いが……それを頭からすっぽり被り、目元以外の顔を隠した小柄な人間がそこにいた。

 サリーの間からはチョリ(シャツ)とガーグラ(ロングスカート)に挟まれた細い腰が、薄布越しに揺れている。

 明らかに女性だ、しかも……。

 

 

「どこの国も一緒だね、偉い人のやることはさ」

 

 

 インド系に比べて肌が白い、東洋系の少女。

 ヒンディー語でもベンガル語でも、まして英語(ブリタニア語含む)でも無い言語は誰にも聞き取れないが。

 それでも高と兵士の顔面が、拳と蹴りで陥没させられたことだけがわかった――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――中華連邦(ちゅうかれんぽう)

 数十億人の人間が暮らす世界最大の連合国家、その版図は東は樺太から西はペルシアにまで及ぶ。

 皇帝である「天子」を頂点に人民の絶対平等を謳う共産主義国家であり、ブリタニア、EUと並び世界の3分の1を支配する三極の一角を占める超大国だ。

 しかしその内実は、超大国とは思えない程に疲弊し、弱り切った老大国のそれだった。

 

 

 Sick Man of Asia.

 

 

 アジアの病人、中華連邦を指してそう呼ぶ人々がいる。

 十数年に及ぶ経済的停滞と貧困化する人民、日に日に勢いを増すナショナリズムに煽られた蜂起と叛乱の頻発、繰り返されるブリタニア・EUとの国境紛争、天子を飾り物にする大宦官らの専横と政治的腐敗、経済的格差の拡大と食糧・資源不足……昔日の栄光は、遥かな歴史の向こうに消え去ってしまっていた。

 

 

 そしてその中華連邦の版図の一つ、中華連邦インド軍管区。

 中華連邦の中でも特に力強く、また中華連邦に劣らぬ歴史と伝統を持つ人々の地に。

 ――――日本の抵抗の象徴、枢木青鸞と、その仲間達はいた。

 

 

「ぎ、ぎざ……へぶっ!?」

 

 

 突如現れた東洋系の少女――無論、青鸞のことだが――の前で、高が潰れた鼻を押さえてうつ伏せに倒れこんだ。

 潰れた鼻を押さえながらも憤怒の表情で睨んだ高だったが、次の瞬間にはうつ伏せに倒れこんでしまった。

 なかなかの勢いで倒れこんだため、再び鼻の潰れる鈍い音が耳朶を打つ。

 

 

 青鸞が視線を上げると、そこには黒髪に眼鏡の東洋系の青年がいた。

 クルタパジャマと言う、上着の丈が長いインドの民族衣装を身に纏っており、平時とは異なる爽やかな印象を受ける。

 構えた拳が、高と兵を殴ったのは自分だと告げている。

 彼はどこか「やれやれ」とでも言いたげに苦笑している、それに対して青鸞は軽く舌を出して見せた。

 

 

「変わらないのは青ちゃんの方だよ、草壁中佐に知られたらコトだよ?」

「う……た、たぶん、大丈夫」

「まったく、インドでは女の子が男を殴っちゃいけないんだから……いや、日本でも褒められたことでは無いんだけど」

 

 

 変わらない、その言葉に記憶が刺激される。

 1年前、ナリタにいた頃、同じようにブリタニア軍から村の人間を助けたことがある。

 あの時も、迷うことなく銃口の前に立った。

 後で死ぬほど叱られたわけだが、それでも放ってはおけなかった。

 

 

「……おい、アレ」

「ああ、東洋人だ……中国か? それとも台湾か朝鮮の……?」

「いや、アレはたぶん……」

 

 

 その時、周囲からヒソヒソと囁き声が聞こえた。

 それは高が連れていた残りの兵達も同様だが、周囲の市場の人々の囁きの方が遥かに大きかった。

 銃を持った高の兵士達が、いよいよ不安げに周囲を見るくらいには。

 

 

「……青ちゃん」

「うん、そうだね……」

 

 

 朝比奈の声に青鸞も頷く、インドの言語はわからないが、あまり良い雰囲気ではない。

 思い返せば、日本で同じようなことをした時も歓迎されることはほとんど無かった。

 むしろ余計なことをと忌避の視線で見られることの方が多く、そのため今の状況はあまり良い状況とは言えなかった。

 

 

 しかし次の瞬間、事態は思わぬ方向へと転がり始めた。

 それも青鸞が想像していたようなことは何も起こらず、むしろ困惑をもって迎えるしかないような事態。

 つまり。

 

 

「――――お前ら、こっちだ!」

 

 

 やや訛りのある英語が、青鸞と朝比奈の耳に届いた。

 顔を上げれば、先程のインド人の青年が手を上げて市場の人々の中へと飛び込んでいる所だった。

 周りの人間が1人分の道を開けて通し、すぐに塞いで姿を見えなくする。

 それに気付いた兵達の怒号と共に、困惑したのだが。

 

 

「お姉ちゃん、こっち!」

「それからあっちだよ、早く!」

 

 

 青鸞が兵達から助けだす形になっていた子供達が――こちらは現地語だが、意味は何となくわかる――青鸞と朝比奈の手を引いてきた。

 戸惑いながらも引っ張られて、先程の青年のように市場の人々の中へと引き込まれる。

 後ろを振り向けば、すでに人の壁によって向こう側が見えなくなっていた。

 

 

「こらっ、そこをどけ! どかんか!」

「貴様ら、こんな真似をしてタダで済むと……!」

 

 

 子供達に手を引かれ、また人々の声に掻き消される形で、遠ざかっていく兵達の怒声。

 発砲しないのは、自分達の何十倍もいる人々の冷たい視線に怯えているからだろう。

 一方で青鸞は戸惑いを友としたままだった、むしろ不安さえ同居させつつある。

 まさかこの子供が自分を騙すとも思えないが、しかし行動の意味がわからなかった。

 

 

「カッコ良かったぜ、兄ちゃん姉ちゃん!」

「また来いよ、鶏の足サービスしてやっからよ!」

「ありがとう、スカっとしたわ!」

 

 

 周囲のヒンディー語の囁きに混じって、英語でそんな言葉が飛んでくる。

 それに、青鸞は驚いたように顔を上げた。

 たった今駆け抜けてきた道に声の主を求めれば、無数の顔の中に埋もれて判別も出来ない。

 だが、確かに彼らは青鸞の行動を認めたのだ。

 

 

 日本での記憶とは、違った。

 伝統を重んじるインドの民は、「義」を行った者を蔑まない。

 そして彼らには力は無くとも「集」がある、同じ階級(カースト)が集う場所だからこそなおさらだ。

 そんな中を、青鸞は子供に手を引かれて駆けて行く。

 やがて、市場の反対側の出入り口へと抜け切った。

 

 

「こっちだ!」

 

 

 人々の群れの中で一度はぐれた朝比奈とも再会し、そして出口で待っていた青年の背中を追ってそのまま駆ける。

 

 

「お姉ちゃん、ありがとう!」

「ありがとー!」

 

 

 その際、子供達の声に一度だけ振り向いた。

 笑顔で手を振る子供達の姿に、一瞬だけ日本のゲットーの子供達の姿が重なって見えた。

 ターンするように振り向いて、胸の奥に燻る小さな興奮をそのままに、走る。

 インド人の青年と、朝比奈の背中を追いかけて。

 

 

「ありがとうよ、お2人さん! 俺はナヤル、おかげで助かったぜ!」

「いやいや、こっちはこの子が飛び出しただけだからね」

「アンタは情けねーなぁ、女を前に出してどうすんだよ」

「そいつはどうも」

 

 

 そのあたり、インドは厳しいのである。

 苦笑する朝比奈の肩越しに、ナヤルは青鸞を見やった。

 彼女の真っ直ぐな瞳を見て、ふむと頷き。

 

 

「――――ガキ共を助けてくれたお礼だ! アンタら旅行者か何かだろ? どこに行きたいんだ、案内してやるよ!」

「助かるよ、実は道に迷ってたんだ」

「ははっ、だと思った。じゃなきゃ、あの市場にいねーよな」

 

 

 朝比奈の言葉に笑うナヤル、彼は再び「どこに行きたい」と問うてきた。

 それに対して少し逡巡した後、青鸞は駆け足に息をやや詰めながら答えた。

 

 

「ば……バンク・オブ・コルカタの、本店へ!」

「あ?」

 

 

 青鸞の出した名前に、ナヤルは顎先を上げて間抜けな声を上げた。

 しかしそれも一瞬のことで、青鸞と朝比奈が疑問を覚えるよりも早く回復して。

 

 

「わかった! しっかりついて来いよ、案内してやる!」

「あ、ありがとう!」

「良いさ、さっきの礼だ! ……それに」

 

 

 インド第3の都市、コルカタの下町は複雑で広大だ。

 傍らに川の女神(ガンジス)の名を冠する大河より水を受けるフグリ川、そこから引き込んだ水路を左手に見ながら、普通なら迷子になる道を迷い無く駆けていく3人。

 彼らが目指している場所は、コルカタの中心地だった――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 この時期、黒の騎士団がインドにいることには理由がある。

 一つには、「時間」が出来たからだ。

 キュウシュウにユーフェミアが強制的に攻勢をかけてくる可能性が低く、また逆に攻勢をかけられる程の力も無い。

 

 

 それによって、黒の騎士団はかつて旧日本解放戦線が構想していたことに着手できるようになった。

 すなわち、ブリタニアへの反攻に向けた戦略の進展である。

 より具体的に言うのであれば、かつて片瀬達が志向した「反ブリタニア勢力の結集」の実行だ。

 つまりブリタニアに占領されていない国々・勢力を味方に引き入れ、ブリタニアと伍する勢力を手に入れる、その第一歩としてインドを選んだのである。

 

 

『……む、どうやら来たようだな』

「姉さん!」

 

 

 コルカタを含むベンガル地方で一、二を争う大銀行の大応接室、そこには明らかに似つかわしくない仮面姿の男が顔を上げた。

 その周りにはこの会合をセッティングしたラクシャータとディートハルト、それから黒の騎士団から藤堂と千葉、仙波、そして玉城……及び、雅を始めとする青鸞の護衛小隊の面々が何人か。

 

 

 そしてそこにやって来たのが、青鸞と朝比奈である。

 特に青鸞の登場に反応したのはロロだった、何故ここにいるのかと言う周囲の空気はまるで無視して、それまでのキリキリした表情を翻して笑顔で「姉」の下へと駆けた。

 その姉は、やや苦笑してロロを迎えていたが。

 

 

「姉さん、どうしたの? 随分と遅かったけど、やっぱり僕が……」

「大丈夫だよ、ロロ。そんなに心配しないで」

 

 

 そんな会話を無表情に聞いていた千葉が、しかし朝比奈を見ると眉を動かして。

 

 

「朝比奈、遅いぞ」

「僕だけに言う所がらしいよね、本当」

「あはは……ごめんなさい、凪沙さん。ボクのせいなんだけど……あれ、でも結局殴り倒したのは省悟さんだったよね?」

「お前ら……いったい何してたんだよ」

 

 

 玉城が本気で呆れている様子は、実はかなりのレアなのかもしれなかった。

 銀行の人間に案内されてやってきた青鸞と朝比奈は、どうやら自分達が最後らしいことに気付いた。

 大応接間には30人は軽く座れる長テーブルが2つあり、仮面の男ゼロ――つまりルルーシュだが――を中心に、彼らは片方のテーブルの座席についていた。

 

 

 壁際に控えていた雅が静かに歩み寄り、ルルーシュ=ゼロの隣の椅子を引く。

 青鸞は小さく礼を言ってそこに座る、ちなみに反対側にラクシャータがいる、ちなみにロロはルルーシュ=ゼロと青鸞を挟む位置に座っていた。

 ヒラヒラとキセルを振る彼女には苦笑するが、さらにその向こうにいるディートハルトの舐めるような視線には表情を消した。

 ここ最近、ディートハルトからの視線が妙に気になる。

 

 

『青鸞嬢、道中で何か問題があったのか?』

「え? あ、ああ、いや、別に何でも」

『そうか、なら良いのだが……』

 

 

 しかしそれも、ルルーシュ=ゼロからの遠まわしかつ直接的な心配の言葉を聞くと消えてしまった。

 ふわりと微笑する彼女から視線を逸らすように、黒の仮面が正面を向く。

 それに伴い、青鸞も正面を向いて思考を真面目な方向へと変える。

 

 

 ……インドは、中華連邦の一部でしか無い。

 だが黒の騎士団が交渉の相手を中華連邦では無くインドとしたのには、政治的な理由がある。

 キュウシュウ戦役で関係が悪化した中華連邦を交渉の相手には出来ず、そして中華連邦の中で「反中華連邦」を掲げている最大勢力がインドだったのだ。

 

 

『青鸞嬢、言いたくは無いが……インドでは女性の地位はけして高くない。それ故に交渉は私に任せて貰いたい、軍事的なことについては藤堂の意見を求めることもあると思うが……』

「構わないよ、ボクはそれで」

「……私も、異論は無い」

 

 

 ルルーシュ=ゼロの言葉に青鸞と藤堂がそれぞれ頷きを返す、ロロと朝比奈などは不満そうな顔を隠そうともしていない――もしかしたら、似たもの同士なのかもしれない――が、まぁそれはいつものことではあった。

 そしてちょうどその時、応接室の扉が開いた。

 

 

 そこからやって来たのは、インドの民族衣装クルタパジャマを着た男性達だった。

 黒髪に褐色の肌、口髭と言う容姿の人間が多い。

 年齢以外に見分けがつきにくいのは、外国人同士では割と良くあることではある。

 だがその中で、青鸞は1人だけ見分けることが出来た。

 

 

「あ……」

 

 

 僅かに顎先を上げて目を小さく見開けば、相手のインド青年が笑顔で手を振ってきた。

 それは青鸞と朝比奈を連れて来た青年、ナヤルだった。

 まさかこの会合に相手側として顔を並べる青年だったとは、小さくない驚きだった。

 

 

 そして相手側も全員が席に着き、しばしの間どちらも話さずに見詰め合う形になった。

 青鸞の前に座ったのはあの青年、ナヤルだ。

 相変わらずの笑顔で、青鸞もつられて笑顔を返した。

 

 

「さて……」

 

 

 そしてルルーシュ=ゼロの前、つまり相手側のリーダーが口を開いた。

 もじゃもじゃとした白い髭に顔の下半分を覆われた、白髪と褐色の老人。

 足の間についたマホガニーの杖に手を置いたまま、探るような視線を太い眉毛の下から覗かせながら。

 

 

「……始めると、しようかの」

 

 

 日本とインドの、「次」を懸けた会合が始まった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 どこの国も、裏社会のドンと言う人種は似たようなタイプになるのだろうか。

 それがその男、マハラジャを見た時の青鸞の感想だった。

 何と言うか、身に纏っている雰囲気が桐原公に似ているのである。

 

 

 鋭さを感じない、しかしそれでいて得体の知れない光を秘めた瞳も。

 それほど巨体でも無いのに、身の丈以上の圧迫感を放つ身体も。

 その何もかもが桐原公に似ていて、青鸞は不躾とは思いつつもマハラジャの顔をまじまじと見つめてしまった。

 

 

「ゼロ、紹介しとくよ。コイツがマハラジャ、ま、いわゆる大金持ちだね」

『とりあえず初めましてと言おう、マハラジャ翁。私はゼロ、黒の騎士団の代表を務めている。ラクシャータの発言は無視して貰いたい、お会いできて光栄だ』

「ふん、話には聞いておるがの……そっちの女は、まぁ、いつものことじゃ」

 

 

 この場の代表2人の言葉を受けた女性は、キセルを振りながらキシシと笑った。

 

 

「ざぁんねん、私はインド系だけどインド人ってわけじゃないし、ヒンディーでも無いから。ま、後は適当にやってよ」

 

 

 ルルーシュ=ゼロはマハラジャを見た、マハラジャもルルーシュ=ゼロを見た。

 お互いにお互いがどのような経路でラクシャータとツテを得たのかは知らないが、何かお互いの苦労の一部を垣間見た気がした様子だった。

 そして最初の合意として、ラクシャータのことを無視することが決まった。

 

 

 まぁ、実際にマハラジャと言う男は大金持ちなのだ。

 少なくともインド北東部一、下手を打てばインド一の……ここバンク・オブ・コルカタも、彼が所有する銀行の一つだ。

 それに政界へも顔が利き、それに伴い裏社会――中華連邦への反政府運動――を主導する立場でもある。

 

 

『単刀直入に言おう、マハラジャ翁。我々と協力し、対ブリタニアのための枢軸を築いて貰いたい』

 

 

 日本とインドを中軸として、反ブリタニア連合を作る。

 旧日本解放戦線の構想を基礎とするそれは、何もルルーシュ=ゼロの独創と言うわけではない。

 ブリタニアに脅威を抱く勢力なら一度は考えることだし、ブリタニア本国にもそうした動きをさせないよう行動している者もいる。

 世界の3分の1を領有するブリタニアに単独で対抗できる国が無い以上、当然の発想だ。

 

 

「ふ、む……」

 

 

 ルルーシュ=ゼロのまさに「単刀直入」な言葉に、マハラジャが軽く唸る。

 他の面々もザワザワと僅かにざわめき、ナヤルは面白そうな顔を浮かべてルルーシュ=ゼロを見ている。

 

 

「……正直な所、我々にとってブリタニアは必ずしも敵では無い。我々にとっても当面の相手はあくまでも中華連邦、大宦官じゃ。インドの独立を認めてくれるなら、味方と言っても良い」

『それは視野が狭いとしか言いようが無い、マハラジャ翁。ブリタニアの侵略主義、覇権主義はすでに中華連邦を飲み込み始めている』

 

 

 ――――中華連邦の象徴、『天子(てんし)』。

 中華連邦の中心「朱禁城」に座す、世界最大の連合国家の頂点。

 かつてはその絶大な権力で人々を統治する者の名だったが、今では大宦官の傀儡でしかない。

 その証拠に、今の天子は年端も行かぬ少女なのだ。

 そしてその少女、天子が結婚する。

 

 

 相手は神聖ブリタニア帝国の第一皇子オデュッセウス、典型的な政略結婚による同盟だ。

 中華連邦を敵とするインドにとって、これはブリタニアが「敵の味方」をすることを意味する。

 しかも大宦官はこの結婚に伴いブリタニアの爵位を得る、手土産は領土のブリタニアへの割譲(モンゴル・ペルシアなど)と不平等条約(ブリタニア軍の中華連邦領土内駐屯、片務的最恵国待遇など)だ。

 そしてその中には、インド域内におけるブリタニアへの権益譲渡も含まれている。

 

 

『この事実を前に、貴方はまだブリタニアが味方だと言うのか』

 

 

 ルルーシュ=ゼロは、そして青鸞はこれが一種の試験だと認識していた。

 国家間の交渉においては、相手国や他国の情報をどれ程得ているかが重要になる。

 その意味でマハラジャは日本側を試したのだ、ただのテロ集団なのか、それとも「国家」級の組織なのか。

 そして今、ルルーシュ=ゼロは自分達の情報網の広さを見せた。

 

 

「……日本の一部を維持することで精一杯の連中に、最初は会うつもりは無かったが」

「…………」

 

 

 青鸞は隣のルルーシュ=ゼロの仮面の横顔を見つめた、彼女は知っていた。

 いざとなれば、ルルーシュ=ゼロが相手に「イエス」と言わせることができることを。

 そしてそれを、ルルーシュ=ゼロが最後の手段として使うことを躊躇わないだろうことを。

 絶対遵守のギアス、それはこう言う場面でこそ威力を発揮する。

 

 

 だが、出来ればそれは避けたかった。

 ルルーシュは使いたくなかったし、青鸞は使わせたくなかった。

 理と情、その両面で。

 

 

「じゃが、そちらのお嬢さんにうちのナヤルが危ない所を救ってもらったと言う」

 

 

 そこで初めて、マハラジャが青鸞を見た。

 居住まいを正す青鸞に目を細めたマハラジャは、杖ごと身体を前に倒し、顔を青鸞へと近づけてきた。

 テーブル越しだが、それでも圧迫感が増したような気がする。

 そして、ふとマハラジャが人の悪そうな表情を見せて。

 

 

「それに……去年そちらのお嬢さんが流してくれたグラスゴーの設計図、アレのおかげでわしも随分と稼がせて貰ったわい」

「え……あ」

 

 

 思い出した、去年、ユーフェミアを誘拐した時のことだ。

 チョウフの藤堂達を救うために、青鸞はグラスゴーの設計図を世界中にバラまいた。

 その中にはマハラジャも含まれていたらしく、その笑顔から察するに本当に「随分と稼いだ」のだろう。

 おそらく、えげつない程に。

 

 

「情と利、インドの民が、それも我らヴァイシャの者にとって重きを持つ2つ。それら2つを携えて来た者に閉ざす扉を、我々は持っておらんよ」

『それでは?』

「うむ、よかろう……とは言え、我々も確かでない者と組む程能天気では無いつもりでな。時に、お嬢さんや」

「……はい、何でしょう?」

 

 

 ルルーシュ=ゼロの言葉を受けて頷いたマハラジャは、視線は青鸞に固定したまま言葉を続けた。

 小首を傾げる青鸞にどこか柔らかな笑みを見せるのは、相手が少女だからか。

 いずれにしてもルルーシュ=ゼロに対する態度とは違うし、それなりに有力な立場にいるらしいナヤルも笑みを見せている。

 それに対して黒の騎士団側の1人、ディートハルトがやや眉を動かしたことに気付いた人間は。

 

 

「――――クリケットと言うスポーツを、ご存知かな?」

 

 

 はたして、何人いただろうか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――クリケット。

 日本での知名度はあまり無いが、イギリスを始めとして100以上の国・地域で――ブリタニアの植民エリアも含む――愛好されているスポーツだ。

 そしてインドでもまた、サッカーと並んで絶大な人気を誇るスポーツ。

 

 

「…………終わった、ね」

「ああ、そうだな」

 

 

 コルカタから南西へ約50キロ地点、インド北東部の港湾工業都市ハルディア。

 黒の騎士団の移動手段であるヴィヴィアンが入港している場所であり、老朽化により放棄された中華連邦の沿岸警備隊基地を借用する形で停泊している。

 20万人の人間が暮らすその都市には、夕刻と言う時間からちらほらと明かりが灯り始めている。

 

 

 マハラジャ翁との会談の後、ゼロと黒の騎士団はほとんど真っ直ぐにここに戻った。

 もちろん、青鸞と旧日本解放戦線組もそこに含まれている。

 インド側がそう求めたからであり、黒の騎士団としては組めるかもしれない相手の機嫌を損ねるわけにはいかなかったのである。

 そして青鸞もまた、夜の顔を見せつつあるハルディアの街並みを自室のモニターから見ているのだが……。

 

 

「まさか、同盟の可否の条件にスポーツで勝負だなんて……」

「まぁ、昔から国同士の雌雄を決めるのは戦争かスポーツだからな」

「……クリケットって、野球の元になったスポーツだっけ?」

「と言う説もあるが、まぁ、見た目が似ているだけで別物のスポーツだな」

 

 

 そして青鸞は絶望していた、今言ったようにインド側がスポーツでの勝負を挑んできたからである。

 ソファに座り込んで天を仰ぐ彼女に、ベッドの上を占拠したC.C.がどうでも良さそうに答える。

 実際どうでも良いのかもしれないが、青鸞にとっては、というより日本側にとってはどうでも良くない問題だった。

 やったことの無いスポーツでの勝負、しかも。

 

 

「……女の子が、出れないって」

「まぁ、クリケットは紳士のスポーツだしな。女子もあるにはあるが……インドでは難しいだろう、男女混合の試合などはな」

 

 

 しかも、男子のみで。

 女子が含まれれば、青鸞はもちろんカレンなども出張って頑張ることも出来た。

 しかしそれは許されない、何故ならクリケットは「紳士のスポーツ」だからだ。

 ナヤルもそう言っていた、「女の子が男の子と一緒にするスポーツでは無い」と。

 

 

 そのあたりは、文化の違いということだろうか。

 まぁ、しかしそれでもまだ、まだ何とかなるとは思う。

 ただ問題は、である。

 

 

「……ルルーシュくん、クリケットなんて出来るの……?」

「無理だな、あの童貞坊やの体力の無さは折り紙つきだぞ」

「だよねぇ……」

 

 

 C.C.の言葉に、青鸞は神妙な顔で頷く。

 そう、インド側はクリケットの試合でゼロ……つまりルルーシュの出場を義務付けて来たのだ。

 まぁ、相手を見極めようと言うのだから当然と言えば当然だろう、向こうもナヤルが出る。

 出るが、正直スペックの差は如何ともし難い物があった。

 

 

 いくら幼馴染とは言え、いや幼馴染だからこそ、青鸞は良く知っていた。

 というか、幼馴染と言える程に付き合いの長くないC.C.でさえも知っている。

 ルルーシュがスポーツ、と言うより身体を動かすと言うこと事態に極めて脆いということを。

 有体に言えば、スポーツが出来ないのだ。

 それも、極限的に。

 

 

(こ、これは……今回ばかりは、無理かもしれない)

 

 

 スポーツだけに誤魔化しが効かない、青鸞は内心で汗をダラダラとかいていた。

 ルルーシュがクリケットで活躍する、どんなに夢を見ようとしても自分の正直な部分が「無理だよ、それは」と哀しげな顔で告げてくるのだ。

 試合まで一週間あるとは言え、まさに頭を抱えたくなる状況だった。

 そしてふと、青鸞は顔を上げた。

 

 

「ところで、そのルルーシュ君は?」

「ああ……何だったか、客と会っているらしいぞ」

 

 

 白の肌着とホットパンツと言う扇情的な出で立ちで、C.C.がベッドの上で寝返りを打つ。

 仰向けになった途端、女性を主張する胸元の圧迫感に目を奪われる青鸞。

 ルルーシュの周囲にはとかくスタイルの良い女性が多い、いや今は関係ないが。

 そしてそんな青鸞の複雑な心情を知ってか知らずか、あくまでC.C.は興味無さそうに。

 

 

「中華連邦本国からの客だそうだ。まったく、インドの要人と会った顔と舌で良くやるよ」

 

 

 そんな風に、ルルーシュの二枚舌を揶揄するのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 だが実際は、C.C.が揶揄したような二枚舌では無かった。

 むしろ首尾一貫している、何しろまた相手も反中華連邦――反大宦官と言う点では一致していたからである。

 それを説明するには、今少し中華連邦の現状を説明しなければならないだろう。

 

 

 現在、中華連邦内部は二派に分裂している状態だ。

 まぁ、圧倒的に優位な側と圧倒的に劣位な側を「二派」と称して良いのかは微妙な所だが、とにかく主流派である「大宦官派」と非主流派である「反大宦官派」の二派に分裂している。

 大宦官派は政府高官や富裕層を支持基盤に親ブリタニアの姿勢を取る側、そして反大宦官派は軍部の若手将校や下級官吏などを中心に天子の帝政復古を唱える側だ。

 

 

「我らの盟主、星刻さまの救出に手を貸して貰いたい」

 

 

 そして今ゼロの目の前にいる女性将校、周香凛(ジョウ・チャンリン)もまた、反大宦官派の1人だった。

 インドを訪問したゼロと黒の騎士団を頼る形でやって来たのだが、無論、無料で国や自派を売りに来たわけでも無い。

 正当な取引を持ちかけるために、来たのだ。

 

 

『ほぅ……これは急なお話だ。黎星刻(リー・シンクー)と言えば反大宦官派の大物、その救出となると、どのような事態になっているのか』

 

 

 そう聞いてはいるが、もちろん、ルルーシュ=ゼロは一定の事の顛末は知っている。

 インドとの交渉でもそうだが、交渉は相手のことをどれだけ知っているかで可否が分かれる。

 ルルーシュとてインドにまで来て観光をしていたわけでは無い、裏の情報屋を通じて様々な情報を集めていたのである。

 

 

 その中でも、黎星刻とその一派の拘束は極めて最近のニュースだ。

 天子のブリタニア第一皇子との婚姻と不平等条約の締結――どう言い繕っても、売国行為だ――に反発する彼らを、大宦官の1人である高亥(ガオ・ハイ)の提案で先制的に拘束したのである。

 まぁ、法的根拠の無い拘束であるため、婚姻が終了するまで拘留する、と言うのが正解らしいが。

 いずれにせよ、動きを封じられたのは確かだ。

 

 

(そこで、他国人で大宦官の影響を受けず、しかも利害が一致していて、ある程度以上の戦力を持っている黒の騎士団に目をつけた、か……黎星刻か目の前の女かはわからないが、なかなか良い目をしているのは確かだな。ややギャンブル性の強い選択のような気もするが)

 

 

 一通りの説明をする周香凛の声を聞きつつ、ルルーシュ=ゼロは思考を続けていた。

 彼女も出来れば他国人を頼りになどしたくは無いだろう、しかし来た、それは国内に勢力を持っていないことを表している。

 つまり、黒の騎士団にとっても組むメリットが少ないと言うことだ。

 

 

 だが、ルルーシュ=ゼロは彼女たち反大宦官派と組むことを決めていた。

 

 

 黒の騎士団にも選択肢は無いし、将来のブリタニアとの戦いのためにはインドを味方に引き入れるだけでは不足なのだ。

 中華連邦本体も、なるべく自陣営に引き入れておく必要がある。

 おそらく先方は、それを知った上で売り込みに来たのだろう。

 

 

(黎星刻、か……なかなか、面白い男のようだな)

 

 

 まだ見ぬ取引相手のことを思って、ルルーシュ=ゼロは深く頷くのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 同時刻、ハルディアの街に1人の女性が足を踏み入れた。

 深くフードを被り、紫のマントを翻す彼女は裏手側から街へと入った。

 人々の好奇の視線を浴びながら歩く彼女は、しかし誰かに近付かれることも無く進む。

 

 

 フードから覗くのは、白い肌と化粧の薄い顔、美しい双眸。

 彼女を知る者を見れば、それが誰だか一目でわかっただろう。

 彼女の名は、コーネリア・リ・ブリタニア。

 神聖ブリタニア帝国第二皇女、エリア11総督、行方不明の流浪の姫、そして。

 

 

「……ルルーシュ……」

 

 

 ――――ギアスを、憎悪する者。

 




採用キャラクター:
リードさま(小説家になろう)提案:ヴェンツェル・リズライヒ・フォン・マクシミリアン。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 いやはや、何とか苦しい所は抜け切って……あれええええええええええええええええええ?
 何で、クリケットすることになってるんだろう?
 クリケットなんてしたことないのに、何故!?
 と言うわけ、次回予告!


『――――バットを振り、ボールを追う、点を目指して駆ける。

 飛び散る汗は懸命さの証、交わす握手は友情の証。

 遠くインドの地で、ボク達は互いの心を曝け出す。

 白球の先に、共に目指せる明日があると信じて。

 ……ルルーシュくん、大丈夫かなぁ?』


 ――――TURN11:「日印 の キズナ」


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TURN11:「日印 の キズナ」

「それでは両チーム、紳士的なゲームを心がけるように」

「「よろしくお願いします!」」

 

 

 インド側との交渉から1週間後、約束のクリケットの試合が始まった。

 国際大会も開かれるコルカタのグラウンド、緑の芝生の上で黒の制服と緑とオレンジの制服を着た集団が向かい合って礼をしている。

 言うまでも無く日本とインドのチームだ、インド側はナヤルが率いている。

 

 

 クリケットの試合は、1チーム11人で行われる。

 グラウンド中央に設置された半径70メートル程のフィールド「オーヴァル」の中で行われるスポーツで、中央に22ヤード(約20メートル)の長方形のピッチがある。

 最大5日間かかるスポーツなのだが、今回は1イニング20オーバー(ピッチャーが120球投げたら終了)と言うルールで行う、これでも約3時間はかかる。

 

 

「っしゃあ! 行くぜぇ!!」

「まぁ、程々にね」

 

 

 野球のバットに似た、しかし平べったい木製のクリケット用バットを構えてピッチに立ったのは、1番バッターである玉城と2番バッターである朝比奈だ。

 彼らは長方形のピッチの両端に立ち、ウィケットと呼ばれる3本の棒の前に立っている。

 目前には敵側のピッチャーであるナヤルがいて、野球に似た縫い目が真っ直ぐのボールを持っている。

 

 

『クリケットにおいては、野球と違いバッターが常に2人存在する。またストライクによるアウトと言う概念も無い、あるのは……』

「どおおりゃあああああああっ!!」

 

 

 ナヤルが助走と共に投げた――これも野球と異なり、ピッチャー(正確にはボウラー)は好きな歩幅で投球できる――ボールが、玉城の後ろのウィケットを全て薙ぎ倒した。

 通常1球で全て倒されることは無いのだが、中途半端にチップしたために倒されてしまった。

 そしてこれがクリケットにおける「アウト」だ、ウィケットを倒されるとバッターが交代する。

 

 

『だがその代わり、11番を除くバッター10人がアウトになるまでは攻撃を続けることが出来る。その間に取った点の多さで勝敗を決める。なるほど、なかなかに奥が深いスポーツだな』

「そうだな……」

 

 

 3番バッターとしてスタンバイしていた藤堂だが、いつもの仮面姿のゼロを横目に見つつ、しかしそれでも何も言わずに黙々とピッチへと歩いて行った。

 何か言いたいことでもあったのだろうか、ゼロはやや首を傾げた。

 だがそれ以上は気にせず、また何か言い訳をしながら戻ってきた玉城についても何も言わず、グラウンドを見渡す。

 

 

 見れば、朝比奈がナヤルの投げるボールを上手くチップし、ウィケットを守っている所だった。

 玉城を1番にしたのは、そもそも他の面々にクリケットのピッチングがどういうものかを見せるため、そう言う意味では玉城は見事に役目を果たしたと言える。

 だが相手は国技としてクリケットを何年もやっているメンバーだ、付け焼刃の日本側がどこまで食い下がれるか、まだまだ容易には想像できない状況だった。

 

 

「なぁ大和、何でアイツはユニフォーム着ても仮面は外さねぇんだ……? かなり変なんだが、気になって集中できねーんだが」

「……知らない」

 

 

 試合は、まだ始まったばかりなのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 日本側のメンバーは、ルルーシュ・藤堂・朝比奈・仙波・玉城・杉山・南・古川・大和・山本・青木。

 そして観戦・応援として、女子メンバーが観客席から試合を見守っていた。

 マハラジャ達インドの要人が上の段の貴賓席にいることを思えば、真に慎ましやかな存在だった。

 

 

 ガッ……鈍い音を立てて、朝比奈がボールを打ち上げた。

 そのボールは短い放物線を描きながら飛び、フィールダーと呼ばれる相手の守備要員がノーバウンドでキャッチしてアウトになってしまった。

 一瞬上げかけたお尻を椅子に戻して、青鸞はほうと溜息を吐いた。

 

 

「今からそんな風にしていたら保たんぞ、クリケットの試合は長い。ピザでもどうだ?」

「いや、朝からピザって重くない?」

「太らないだろう、どうせ」

「嫌味なこと言ってるわね、アンタ……」

 

 

 青鸞の隣には同じように観戦しているC.C.がいる、女性が貞淑さを求められるインドにおいても服装を変化させることもなく――まぁ、ラクシャータもだが――どこから調達したのか、朝からピザをもふもふと食べている。

 そして実際に彼女は太らないのだが、さらにその隣にいたカレンは別の意味で受け取ったらしかった。

 

 

「藤堂中佐、ランです! ラン!」

「千葉少尉、そんなに興奮しないで……」

 

 

 その時、不意に歓声が――主に一つ上の段にいた千葉と佐々木のいるあたりから――上がった。

 視線を戻せば、ピッチ上で藤堂が走っていた。

 ボールを打ったのだ、青鸞は慌てて傍らに置いてあったクリケットのルールブック(英語版)を手に取る。

 

 

「ええと、クリケットではランで得点が加算される。逆サイドに到達すれば1点、後は往復するごとに2点、3点と取れる点が1点ずつ増えていく、で……」

「ランナーが戻るまでに守備側にウィケットを倒されれば、アウトになってしまうな」

「あれ、C.C.さんってクリケットやったことあるの?」

「前に少しな。ほら、それよりアイツが出てきたぞ」

 

 

 適当にはぐらかされたような気もするが、確かにピッチにはルルーシュ=ゼロがいた。

 黒のユニフォームに仮面が凄まじく似合っていない、と言うかギャップが凄すぎる、いろいろな意味で青鸞は溜息を吐いた。

 その際、同じように溜息を吐いたカレンと視線が合った。

 間にC.C.を挟み、ヒソヒソと会話をする。

 

 

「ねぇ、ルルーシュって……」

「うん、スポーツはてんでダメだよ。いやダメって言うか、無理って言うか、そもそも才能が無いって言うか、チームにいたらむしろ邪魔だから出ないで欲しいって言うか……」

「お前も凄いことを平然と言うな」

 

 

 何故か感心するC.C.だった、しかし実際、ルルーシュにスポーツの才能は無いのだ。

 むしろ重い物を持たせてはいけないし、走らせてはいけないし、喧嘩などしよう物ならまず負ける。

 別にひ弱と言うわけではなくて、単純な相性の問題なのだ。

 そしてそれは幼い頃から変わらない、ルルーシュにはスポーツの選手が……。

 

 

 次の瞬間、ルルーシュ=ゼロのバットから快音が響き渡った。

 

 

 一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 だがルルーシュ=ゼロが見事なスイングで打ち返したボールが、野球で言う所のホームラン、「バウンダリー」と呼ばれるエリアにノーバウンドで落ちた。

 バウンダリー6、つまり6点である。

 野球で言うホームランだ、日本側の選手が歓声や感嘆の声を上げる中で。

 

 

「な……っ!?」

「そんな馬鹿なっ!!??」

 

 

 今度は完全に立ち上がって、青鸞が驚愕の叫びを上げた。

 あのC.C.でさえ目を見開き、ピザを取り落としている。

 ルルーシュ=ゼロの運動能力について良く知っている2人の反応は、今起きた事態がどれだけ異常なのかを如実に物語っていた。

 今までの人生でこれほど驚いたことは無い、そう言っても過言では無かった。

 

 

「あ……アイツが、バウンダリー……だと……!」

「どう言うこと? 何で、どうして!?」

 

 

 見るからに動揺している青鸞とC.C.の様子に、やや離れた位置に座っている雪原と上原が首を傾げていた。

 彼女らはそれぞれ、古川と山本の応援に来ていたのだが。

 

 

「何をあんなに驚いているんでしょう……?」

「さぁ、わかりかねます」

 

 

 そして再び、ルルーシュ=ゼロがバウンダリーエリアにボールを打ち込む音が響き渡るのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ほぅ、とチームの所に戻った藤堂は感嘆の吐息を漏らした。

 朝比奈と自身のランで20点を稼いだ彼は、玉城や杉山のように興奮するようなことも無く、静かに試合を見守っている。

 そんな彼の視界には、やけに素早くランを繰り返すゼロの姿があった。

 

 

「意外とやりますな、ゼロも」

「そうかな、そりゃ1人で40点も稼げば少しは凄いのかもしれないけど」

 

 

 両極端ながらも評価は同じ、朝比奈と仙波の言葉に藤堂は苦笑する。

 しかし実際、クリケット選手としてのゼロは非常に優秀だった、正直少し意外だ。

 バウンダリーを連発し、陸上選手もかくやと言う速度で走り、今も得点を増やし続けている。

 前々から前線に出てはいたが目立った活躍はしておらず、てっきり人並み程度なのだと思っていたが。

 

 

「お茶をご用意致しました、よろしければどうぞ」

「む? ああ、ありがとう」

 

 

 その時、給仕らしき少年がお茶とお茶菓子が人数分乗ったカートを持ってきてくれた。

 クリケットでは休憩にお茶をすることがあり、これはそのための物だろう。

 日本側への配慮なのかインドの物と日本の物が半々ずつ用意されていた、このご時勢に饅頭など良く用意できたものだと感心する。

 

 

 一方、お茶を持ってきた少年は丁寧に頭を下げ、そのまま振り向く形でその場を立ち去った。

 グリーンのキャップを目深に被っているため表情は見えないが、見る者が見ればそれが誰だか一瞬でわかっただろう。

 すなわち、その少年が誰なのか。

 

 

(ふ……ふふふ、まさかこの俺が、正々堂々真正面からスポーツマンシップに則って素直にクリケットの試合に参加するとでも思っていたのか?)

 

 

 そんなことはあり得ない、少年――ルルーシュがグラウンドの外に向けて歩きながら、唇を三日月の形に歪めていた。

 少なくとも素直な笑みでは無い、スポーツマンシップとは程遠い。

 しかしここで疑問が生じる、ここにルルーシュがいるならあのゼロは誰なのか。

 

 

(ええと、棒が倒されるよりも早くターンを続けて……私もクリケットは初めてなので勝手が)

 

 

 咲世子である。

 アッシュフォード家のSPにしてルルーシュの忠実な家政婦、変装術の達人だ。

 特殊なマスクと接液、バンドによって顔の造形はもちろん、身体まである程度変えることが出来る。

 その身体能力は凄まじく、ラウンズから逃亡した実績さえあるのだ。

 

 

 彼女を影武者にクリケットに参加させ、自らは裏でいろいろと動く。

 例えば、今からインド側にもお茶やお茶菓子を持っていく。

 もちろん、ただ持っていくような親切をするつもりは無いが……。

 

 

(……む?)

 

 

 その時ふと、ルルーシュは観客席の方を見た。

 そこでは何やら日本チームの応援をしている女性陣がいるのだが、そこにあるべき顔が無いことにルルーシュは懸念を感じた。

 軽く片眉を上げつつ、首を傾げる。

 

 

(青鸞の姿が見えないが……ふむ?)

 

 

 ルルーシュの視界に、観客席から身を乗り出すC.C.の姿があった。

 相も変わらずピザを食っている、何だか姿を見るだけでイライラするのは気のせいだろうか。

 と言うか、C.C.のあの適当な身振り手振りは、いったい何を示したいのだろうか……?

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 観戦の最中、青鸞はインド側にある誘いを受けた。

 曰く、殿方のスポーツなどずっと見ていても仕方無いでしょうから、是非お茶会でも、と。

 青鸞のみに誘いが来たのは、おそらく枢木の家柄のためだろう。

 インドは血族や位階を重んじる社会だ、他国人と言えどそこは重視するらしい。

 

 

「――――ようこそ、クルルギ様」

 

 

 不思議な声音で話す女性だ、と、その女性の声を初めて聞いた時にそう思った。

 案内されたのはグラウンド(そば)の小さな公園だ、木々に囲まれた芝生の上に小さな白い丸テーブルと洋式の椅子がいくつかある。

 そしてその内の2つは、すでに他の人間によって埋められていた。

 

 

「どぉう? うちの古川、頑張ってるぅ?」

「古川さんは一応、うちの所属なんだけど」

「くく、良いじゃない、そんな細かい区分け。どっちにしろ今は私の下にいるんだからさぁ、それでどうなの? 試合、良い感じ?」

「予想外の活躍を見せる人がいてね」

「へえぇ?」

 

 

 ラクシャータである、いつも通り愛用のキセルを振りながら、喉奥で笑う独特な笑い方を見せている。

 相も変わらず、白衣の下に覗く褐色の肌が扇情的で仕方が無い。

 しかし今はラクシャータとお茶を飲んでいた相手、それも自分をお茶会に誘った相手の方が重要だった。

 

 

 痩身でありながらふくよかな身を白のサリーで包み込み、ボリュームのある金髪の間に見える額に包帯を巻いた女。

 髪の間から見え隠れする耳は福耳で、インド人らしく肌はラクシャータよりも色素の濃い褐色だ。

 ただし両の瞳は伏せられていて、どうやら見えていないようではあるが。

 

 

「――――どうぞ、おかけになってください」

 

 

 手ずから紅茶を淹れるその様には、一切の迷いが無い。

 本当は見えているのか、単純に慣れているのか、そこには盲目故の溜めや戸惑いが一切無かった。

 今も青鸞のいる方を見失っている風では無かったし、唯一青鸞について来た雅――無論、応援対象は兄の大和――が青鸞のために椅子を引いた際も、不思議そうな空気を纏いながら首を傾げていた。

 

 

「――――ダージリンの茶葉は我がインドの特産品です、夏摘み(セカンドフラッシュ)が出せずに申し訳ありませんが」

 

 

 喋り方が独特だ、英語だからとかそう言うことでは無い。

 不思議と耳に残るが、距離感がわからなくなりそうだ。

 青鸞が席に着くと同時に、ラクシャータがキセルでその女性のことを示して。

 

 

「コイツはシュリー、シュリー・シヴァースラ。本名は私も知らないけどねぇ」

 

 

 と、いきなり偽名であることを示唆……と言うか、告げてきた。

 どう言う神経をしているのであろう、ああ、無神経だったのかと酷いことを考える。

 当のシュリーがクスクスと笑わなければ、場の空気が一度に悪い方へと流れていただろう。

 青鸞の手前にダージリン・ティーのカップを置きながら、シュリーは笑みを見せて。

 

 

「――――別に偽名と言うわけではありませんよ。ただ生まれた時に親から与えられた名は、すでに神に捧げてしまったと言うだけで」

「……聖職者、なんですか?」

「――――まぁ、そのような物です。そういえば、クルルギ様も日本では聖職者の家のお生まれだとか?」

 

 

 それは確かに青鸞の実家は神社だが、かと言って聖職者の家かと聞かれるとそうでも無い気がする。

 席に着き、出された紅茶の色を眺めながら内心で息を吐く。

 はたしてこのお茶会は、どのような目的で開かれたのだろうか。

 まさか本当に暇そうだから、と言うわけでも無いだろう。

 

 

 そもそもこのシュリーと言う女性、どのような立ち位置の人間なのかもわからない。

 聖職者だと言うが、それがどれ程の意味を持つのかもわからない。

 すると瞼を伏せたままのシュリーの顔が 青鸞の方を向いた。

 瞳の見えない顔が、ふと笑顔を浮かべる。

 

 

「――――ごめんなさい、マハラジャ翁やナヤル様が言っていた娘がどんな子なのか知りたくて」

 

 

 その笑みは、本当に聖なる者のように透明だった。

 

 

「――――勝ち目の無いブリタニアとの闘争に、その身を捧げる乙女がいると」

 

 

 妙に気恥ずかしい表現をしているが、要するに正気を疑われている。

 青鸞はそう感じた、感じたから、彼女はようやく紅茶に口をつけた。

 上品に、しかし一息に紅茶を飲み干して、音を立てずにカップを置く。

 そしてニヤニヤとしたラクシャータの見ている前で、久しぶりに枢木の仮面を被った。

 

 

 ……そう言うことなら、話は早い。

 ブリタニアに勝ち目が無い、正気を疑う? なるほどそう言う話か。

 ならば、と青鸞は思う。

 シュリーが片眉を動かす程の綺麗な笑顔を浮かべて、唇を薄く開き。

 ――――毒を吐いた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 一方で、クリケットの試合の方も大詰めを迎えていた。

 試合の様相は打ち合いと言った所だろうか、だが咲世子扮するルルーシュ=ゼロが獅子奮迅の活躍を見せる日本側と違い、インド側の攻撃は精緻を極めた。

 リーダーであるナヤルを筆頭に上手く攻撃を繋げ、不慣れな日本側の守備を切り崩している。

 

 

「不味いな……」

 

 

 そう呟いたのは藤堂だ、今はピッチャーとしてボールを握っている。

 クリケットは野球と異なり一定数投げるとピッチャーを交代しなければならず、チームメイト全員がピッチャーになることも珍しくない。

 まぁそれは置くとしても、状況は悪かった。

 

 

 攻撃は先のルルーシュ=ゼロ(咲世子)のおかげでかなりの点を稼げたのだが、相手もそれに勝るとも劣らない攻撃を見せ、あと10回もランを許せば逆転を許してしまうと言う状況だった。

 そして日本側がインド側の攻撃を終了させるまでには、後50球はボールを投げる必要があるのである。

 これまでの傾向を考えるに、非常に危ない。

 

 

「藤堂さん」

「うむ……正直、私も自分にスポーツの才能があるとは思っていないが」

 

 

 藤堂は軍人であってクリケット選手では無い、体力はあっても技術が無い。

 そもそもクリケットは今回が初めてだ、その意味では他の面子と変わりが無い。

 だからいかに優秀な戦術家である藤堂と言えど、スポーツの状況を引っ繰り返せるわけでは無い。

 素人がプロ級の選手に勝てるなど、それこそ漫画の話だ。

 そう、それこそ――――。

 

 

『うろたえるな!』

 

 

 ――――奇跡のような。

 

 

『まだ窮地に陥ったわけでは無い、私の指示に従ってくれれば勝てる。うろたえるな』

「勝てるって、そっちだってクリケットに関しては素人じゃ」

『心外だな、この試合で最も得点を稼いでいるのは私だったはずだが』

「へへ、流石は親友! スポーツも出来んだかんなぁ!」

 

 

 そこに現れたのは――咲世子と入れ替わった本物の――ルルーシュ=ゼロだ、彼は藤堂の下に集まっているメンバーの所に歩いていくと、朝比奈や玉城の顔を見た。

 頭から信じ切っている玉城とゼロに反感を持っている朝比奈は黒の騎士団の端と端に立っているような存在だ、だから共にいると非常に目立つ。

 とは言え、今はそこは重要では無い。

 

 

 ルルーシュ=ゼロはゆっくりとした動作で周囲を見た、そこにいるメンバーを1人1人見る。

 信じきっている者、胡散臭そうにしている者、取り立てて表情に変化が無い者。

 個人個人それぞれだが、ルルーシュ=ゼロが告げる言葉は同じだった。

 

 

『藤堂』

「何だ?」

『それに他の者も、これから私が言う通りに投げてほしい。コントロールは大体で構わない、それで勝てる』

「はぁ? 何だいそれ、何かの冗談?」

『いや本気だ。良いか藤堂、次のボウラーに対して投げる球種は――――ストレートだ、それもど真ん中の』

 

 

 ストレートのど真ん中、それは相手からすれば絶好の打つべきボールのはずだ。

 当然、訝る声や反対の声もあったが、ルルーシュ=ゼロはそれを全て押し切った。

 唯一藤堂だけが何も言うことなく定位置に立ち、ゼロの指示に無言で従っていた。

 この場合、そうすることで他の面々に範を示したと言えるのかもしれない。

 

 

(さて、どうやらここまでのようだけど……思ったよりはやった方かな)

 

 

 そしてバッター、つまりボウラーはナヤル。

 藤堂がゆっくりとした動作で投げたボールを見て、ニヤリと笑う。

 実はこの試合、別に勝敗はあまり関係ない。

 

 

 インドの国技であるクリケット、いやクリケットでなくともスポーツにはチームの特色が出る物だ。

 今の所日本側は慣れないスポーツに真剣に取り組んでいて、極めて紳士的だ。

 子供の頃からクリケットを嗜んでいるインド人のチームを相手に善戦したと言える、その点、ナヤルは相手を認めていた。

 先週の一件もあり、彼としては共に戦うことに否やを言うつもりは無かった。

 

 

(どの道、中華連邦がブリタニアに身売りすればこっちもナンバーズ。選択肢は無いんだから、さ……!)

 

 

 来た、ど真ん中のストレート。

 腕と足、そして腰に力を溜めて、ナヤルは打つ体勢に入った。

 そしてボールが目の前にまで来た時、ナヤルはバットを力一杯に。

 

 

「え……?」

 

 

 声を漏らしたのは、誰だったろうか。

 何故ならナヤルのバットから響いたのは快音と言うより鈍い音で、明らかに芯を外した音だったからだ。

 直前の体勢が完璧だった分、困惑は大きかった。

 しかしその困惑と驚愕は、不意に「意識を取り戻した」ナヤルの方が大きい。

 

 

(な? 何で……?)

 

 

 ナヤルが打ち損ねたボールは、短い放物線を描いて日本人の守備、玉城によってキャッチされていた。

 アウトだ、玉城が1人で上げる歓声が妙に耳に響く。

 驚愕の表情を浮かべるナヤル、その瞳は僅かだが赤い輪郭を浮かび上がらせていた。

 

 

『く、くくくく……言っただろう、俺はスポーツマンシップなどに興味は無い、と』

 

 

 伊達にインド側にお茶を持って行ったわけでは無い、もちろんギアスによる仕込みを済ませてきた。

 それは残りのボールが55球を切った時に発動する仕掛けで、その意味で点数管理が大変ではあったが、おかげで「ギリギリの勝負」を演出することが出来た。

 これからの55――今の1球で54――球について、インド側はルルーシュが予め指定した打ち方しかできない。

 

 

 もちろん、あまりにもあまりな打ち方ではマハラジャ達が不審を抱くかもしれない。

 だからあくまでも自然に、それでいて接戦を演じて、そして日本側が勝たなければならなかった。

 そして今、現段階を持って全ての条件はクリアされた。

 ブリタニアを打倒するこの身、クリケットごときに手こずってはいられない。

 

 

『さぁ、残りのボウラーを全て打ち取り……勝利を確実な物とするのだ!』

「「「おう!」」」

 

 

 仮面の中で静かに笑いながら、ルルーシュ=ゼロは思った。

 悪いな、インドの諸君……どうやら、相手が悪かったようだ、と。

 そしてそのまま、試合はまさにルルーシュ=ゼロの思惑通りに進み――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 終わってみれば、131対130、1ラン差での日本側の勝利となった。

 ルルーシュ=ゼロにとっては計算され尽くした試合結果だが、他の者にしてみればギリギリの接戦のように見えただろう。

 ここでも、ギアスの隠匿性が役に立ったと言える。

 

 

 とは言えそれは、ギアスの存在を知っている者だけが抱く感想だ。

 現にC.C.は完全にシラけた視線を送っていたし、カレンも何となく相手の攻めの崩れについて疑っている様子だった。

 ここに青鸞がいればどう――と、そういえば、青鸞はどこに行ったのだろうか。

 

 

「おや、本当に試合終わった所だねぇ。アンタの言った通りだよ」

「――――音でわかるだけですから、大したことではありませんよ」

 

 

 その時、2人の女がやってきた。

 1人はラクシャータ、1人はシュリーである。

 そしてその2人に挟まれる――肉感的な意味では無い、念のため――形で青鸞が、そしてその3歩後ろに雅の姿があった。

 それに対して、ルルーシュ=ゼロが僅かに歩を進めようとした所で。

 

 

「ゼロ、と言ったか。見事な試合であった、久しぶりに胸が熱くなったものよ」

 

 

 観客席の最上段から試合の様子を窺っていたインドのドン、マハラジャが降りてきていた。

 部下なのか仲間なのか、あるいはその両方か、インドの面々を連れて。

 その右側にはナヤルがいて、そして左側に例のシュリーが歩み寄り、何事かをマハラジャの耳に囁いていた。

 

 

 それに満足そうに頷くマハラジャが、ルルーシュ=ゼロには印象に残った。

 だから彼は自分の傍まで歩いて来た青鸞に改めて視線を向けると、横髪を手で払う彼女に目を細めつつ尋ねた。

 あのシュリーと言う女性と、何を話していたのか。

 

 

「何を話していたのって聞かれると、少し困るかな。建前論が主だったし、言質取られたくないから本音は遠まわしに伝えるしか無かったし」

『ふむ』

「まぁ、それでもあえて一言で纏めると……そうだねぇ」

 

 

 そこで青鸞は、僅かに口元を綻ばせて。

 

 

「大和撫子ナメんな……って、伝えといたよ」

『……そうか』

 

 

 全くもってわからなかったが、察するに、日本勢の能力を示すことが出来たのだろうと思う。

 それは男子にとってはスポーツで、女子にとってはお茶会で。

 それぞれの戦場で、それぞれの成果を出してきたと言うことだろう。

 

 

 もちろん、青鸞はそのような物言いをしたわけでは無い。

 自分達がいかに祖国を愛し、取り戻したいと願い、そのためにどれだけの犠牲を払ってきたのか。

 犠牲を払い敗北し、それでもなお存在を主張し続けてきた者が、いかにして再起を繰り返したのか。

 青鸞の己の義務として、それをインドの女に伝えた。

 そしてインドの女もまた、祖国が異なると言う点以外の違いを青鸞に見出さなかった。

 

 

(そう言う意味では、あのお茶会は本当、ただのお茶会だったなぁ)

 

 

 交渉では無い、相対でも無い、対峙ですら無い。

 己と相手の距離を測り、伝えて、そして僅かの間を詰めるためのもの。

 だから、「お茶会」だ。

 日本の女とは違う、インドの女のやり方だ。

 

 

「ゼロ、お前達がどのような人間か、我々をただ食い物にするような者では無いことはわかった」

『当然だ、我々黒の騎士団は不当な暴力を振るう者を敵とする。その我々が不当な暴力を行使すれば、我々は自らの足元を自ら崩すことになる』

「――――良かろう、その言葉、今は信じよう」

 

 

 そしてこの日、日本とインド。

 極東の竜と南亜の象、かつてそう呼ばれた地において、それぞれ虐げられていた者達が手を結んだ。

 その握手は固いが緩く、事あるごとに補強しなくてはならないだろう。

 しかし彼らは強権に歯向かう者同士として、共に歩むことを決めた。

 

 

 虐げられる、弱者同士の同盟。

 それが後の世界史においてどのような形で語られるのか、まだわからない。

 この時点では、まだ。

 不老の者も、未来のことまでは読めないのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 クリケットの試合の後は、再びバンク・オブ・コルカタの本店での話し合いとなった。

 とは言え1日で今後のことを詰められるわけでも無いので、どちらかと言うと今後の吉事を祝しての宴会と言う色彩が強かったが。

 酒が入れば本音も漏れる、つまりはそう言うことだろう。

 

 

「楽しいか? 自分の思い通りに出来て」

『別にそこまで思いあがってはいないさ、ただ、上手くいっているのは確かだ』

「いや、それって否定してるようでしてないからね?」

 

 

 だがルルーシュ=ゼロが珍しく機嫌が良さそうなのは事実だ、だから彼の後ろを歩く青鸞とC.C.は互いの顔を見合わせて肩を竦めあった。

 実際、インドを味方に引き入れることには一応は成功したわけだ。

 機嫌がよくなるのも、わからないでは無い。

 

 

「それで、次は中華連邦本国か? 忙しないことだな」

『余裕があるわけでは無いからな。周香凛の要請に乗る形でやることになるだろう、もちろん向こうもこちらを利用する気だろうが、お互い様だ』

(良く喋る、本当にご機嫌なんだねー)

 

 

 インドの次は中華連邦、C.C.の言うように本当に忙しない。

 だがルルーシュ=ゼロの言うように余裕は無い、何しろ中華連邦を味方にしたからと言ってブリタニアに勝てるわけでは無いのだから。

 キュウシュウ、中華連邦、インド、その全てはブリタニアへの抵抗に必要だからそうしているだけだ。

 まぁ、上手くいっているのは確かだが。

 

 

 一方で、上手くいっていないこともある。

 最近になって急浮上してきた問題なのだが、進展がまるで無い。

 と言うより進展させようにもやりようが無い、と言うのが正しいか。

 ブリタニアを、いや皇帝シャルルを裏から支えるの例の集団については。

 どうにも、上手くいっていない。

 

 

『……む』

「っと、どうしたの? って……」

 

 

 通路で不意にルルーシュ=ゼロが立ち止まった、視線……と言うより仮面の向きを追えば。

 

 

「雨?」

「そのようだな」

 

 

 青鸞の疑問にC.C.が頷く、真っ暗な空から降り注ぐ雨粒が、窓を叩き始めていた。

 宴会の喧騒から離れたから気付けたのかもしれない、そして最初はゆっくりだったそれは次の瞬間には叩き付けるような豪雨に変わる。

 窓が揺れる程の豪雨に、怖いもの見たさで窓の外を覗くと。

 

 

「ひゃっ?」

 

 

 稲光、雷である。

 日本のそれより遥かに大きくて派手な音と光に、青鸞はビクリと肩を竦めた。

 一瞬の光に目を瞬かせる、後ろでC.C.が声を殺して笑っているが、気にしない。

 ……そして、ふと気付く。

 

 

 表通り、突然の豪雨に外に出ていた人々が最寄の屋根の下に避難している。

 別に何も無い、普通のことだ、何の不思議も無い。

 だが1人だけ、移動せずにぽつんと通りの真ん中に立っている女性がいた。

 

 

「うわ、冷たくないのかな……」

 

 

 変な人だと思って、あるいはインドの文化的な何かなのかとも思って、青鸞は目を凝らしてその女性のことを見た。

 深くフードを被った、紫のマントの女性。

 気のせいでなければ、向こうもこちらを見ているような……。

 

 

「ひっ……!」

『どうした?』

 

 

 次の稲光で、青鸞は先程よりも強く肩を竦め息を詰めた。

 ルルーシュ=ゼロの心配の声は遠い、そして今のは雷に怯えたわけでは無い。

 もっと別のものに驚いて、そのために行われた所作だった。

 

 

 そしてその原因は、通りの真ん中からこちらを見ている――――否、睨んでいる女性にあった。

 一瞬の稲光の中で見えた鋭い眼光と、照らされた白面。

 そこにいたのは、コーネリア・リ・ブリタニアだった。

 




採用キャラクター:
曲利さま(ハーメルン)提案:シュリー・シヴァースラ。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 所詮、私にスポ魂ものなんて無理だったんです。
 そしてルルーシュが普通にスポーツなどするはずが無い、何て卑怯な原作主人公なんでしょう。
 でもそんな勝てば良かろうなのだー精神、嫌いじゃないです。


『……クーデター、暴力で現状を変えようとすること。

 褒められた行為じゃない、歴史を見ればそれくらいわかる。

 でも、叛乱も叛逆も、虐げられる人間にとっては必要なこと。

 例え、歴史に悪名を残すことになろうとも』


 ――――TURN12:「インド 大 反乱」


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TURN12:「インド 大 反乱」


何だか今さらな気もしますけど、一応。
「この物語はフィクションです、実在の国家・人物・団体・事件とは一切関係ありません」
本当に今さらな気が……。


 ――――その男は、狼だった。

 主を知る狼、忠義を識る狼だった。

 そして、天上の神より全てを賜りながら、たった一つだけ与えられなかった狼……名を。

 

 

黎星刻(リー・シンクー)

 

 

 星刻と呼ばれた男は、薄暗い石畳の部屋の中でゆっくりと顔を上げた。

 腰を超える程に長く艶やかな黒髪、だが体躯は細く引き締まった男のそれだ。

 身体のラインが浮かぶ青の中華連邦軍の軍服を身に着けているが、今は腕を枷によって戒められている。

 

 

 彼がいる石畳の部屋は、牢獄だった。

 石畳の部屋と言っても見た目だけだ、実際は近代的な管理が成された電子牢だ。

 実際、星刻が見上げた先の天井が不意に明るくなった。

 眼を細める先、透明になった――実際に透明になったわけでは無く、映像処理が行われている――天井の向こうには、赤と黄色を基調にした宦官服を着た男が数人いた。

 

 

『星刻、祖国に仇なした愚か者よ』

 

 

 声を発しているのは、中華連邦を私物化する大宦官の中でもリーダー格の趙皓(ジャオ・ハオウ)

 でっぷりと太った身体に白粉を塗りたくった白い顔が醜い、嫌悪からか星刻が顔を顰める。

 だが今の彼に出来ることは無い、彼は失敗したのだ。

 ブリタニアの皇子との婚姻の阻止と、そのためのクーデターと天子奪取。

 

 

 彼の計略を成就させるために必要なピースを揃えようとしたが、星刻には出来なかった。

 口惜しいが仕方が無い、大宦官の立ち位置を把握し切れなかった自分のミスだ。

 大宦官があくまで中華連邦の人間として行動していれば星刻は負けなかったろう、しかし大宦官はすでに中華連邦の重鎮と言う立ち位置を捨てていた。

 彼らがブリタニアの臣下として行動したが故に、星刻は獄に繋がれているのだから。

 

 

『チャンスをやろう。我々の望みを叶えるならば、貴様と貴様の部下の罪を減じてやらんでも無い』

『逆らえば、わかっておろうな?』

『安心しろ、天子様をご婚儀の前にどうこうするつもりは無い』

 

 

 口々に言う大宦官の言葉に、星刻は眼を細める。

 鋭く細められ、覇気すら感じるそれは囚人の目では無い。

 狼の目だ。

 そして狼には牙がある、はたして彼は誰をその牙にかけるのだろうか――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 中華連邦への反乱の火の手がインドから上がったのは、中央への反感などと言う曖昧な理由だけでは無い、無論、そこには長年に渡る背景と言う物が存在する。

 例えば経済的な問題、同じ連邦構成員とは言え中華連邦本国とそれ以外では雲泥の差が存在する。

 賃金格差、食糧配分、就職就学……その全てで本国人が優遇される様は、あたかも植民地かのようだ。

 

 

「俺達の農地を返せ!」

「入植労働者は出て行け、俺達の仕事を返せ!」

「私腹を肥やす市長を引きずり出せ!」

 

 

 インドの首都デリーの北東60キロの都市メーラトで起こった暴動、これが最初だった。

 メーラトの市庁舎前で数万人規模のデモが発生した、市長の解任と汚職・腐敗の是正、その他広範な社会問題の是正要求が出された。

 この暴動自体は、極めてオーソドックスな物だった。

 

 

 市庁舎前で気勢を上げるデモ隊とそれを押さえる警官隊、ヒートアップしたデモ参加者が投石を開始し警官隊は放水車と催涙弾による排除を強行、世界中を探せばどこにでもある光景だ。

 ただ一つ際立つ物があったとすれば、デモ隊の中にいたインド人の子供が中国人の警官に警棒で殴殺されたこと。

 これにより、メーラトの暴動は臨界点を超えた。

 

 

「お、おい、すげぇな……」

「見とれてる場合かよ、すぐにヴィヴィアンに連絡しないと」

「わ、わかってるよ。でもすげぇよ、暴動もだけどよ。ここで暴動が起こるって……ゼロの言う通りだったな! やっぱすげーよゼロは! なぁ、杉山!」

「わかったわかった……」

 

 

 インドは3億ヘクタール近い耕作可能地を持つが、その内の半分は本国人資本家の所有となっている。

 もちろん共産主義的性格を持つ中華連邦では土地を私有できない、だからまず国が全て所有した後にリース契約を結ぶ形になる、法的に土地を再分配する平等なシステムのはずだった。

 だがリース契約を認める本国の政府機関に、インド人がはたして何人いるのかを考えれば、インドで作られた作物の大半がどの人種の胃袋に収まるのかは想像に難くないだろう。

 

 

 また雇用や投資に関しても、本国人は本国から――つまり中国人――労働者を連れてくるため、現地に雇用が生まれず、また先に述べたように生産された製品は現地の人々の手には渡らない。

 中華連邦本国が周辺の連邦構成員から搾取する関係、それが今の中華連邦の内実だった。

 不満が溜まらない方がおかしく、そして一度噴出したそれらは留まる所を知らずに膨張した。

 ムンバイ、パトナ、チェンナイ……インド軍区の主要都市で瞬く間に暴動が広がっていく。

 

 

「中国人はヒマラヤの向こうに帰れ!」

「金持ち共が囲うインド人娼婦を解放しろ!」

「俺達の資源は俺達の物だ!」

「私達に、人としての権利を!」

 

 

 そしてそれは、それまで中華連邦本国に面従腹背を続けていた各地方の有力者・軍閥も動かすことになる。

 ペルシャ、パキスタン、モンゴル、カザフスタン、アフガニスタン……それまで沈黙を保っていた地方の人々が連動するように動き出した。

 まるで、何かに突き動かされるかのように。

 

 

 まるで、誰かの書いた脚本通りに踊っているかのように。

 無自覚な演者達が踊る中、当然、自覚的な演者達も存在する。

 それはインド中部の要衝、デカン高原にいた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 デカン高原は、インドの歴史・地政学の上で極めて特異な土地であると言える。

 インドの古代王朝の多くはガンジス川・インダス川に代表される大河を有する北部で興り、そしてインド亜大陸の支配を夢見て――古代においてはインド亜大陸制覇は世界制覇と同義だった――南下する形を取っていた。

 

 

 そしてそれを、デカン高原が阻み続けてきた。

 東西ガーツ山脈とサトプラ山脈と言う天然の要害に守られた地、デカン高原。

 数多くの王朝が高原の民の支配を夢見て南下し、一時的に占領してもなお叛乱が絶えず、ついには王朝の崩壊を招いてきた土地。

 故にデカンの民の歴史は、抵抗と再起の歴史だ。

 

 

「ふぅ……まぁ、こんな物かな」

 

 

 そしてメーラトの暴動が伝えられて3日の後には、デカン高原北部に位置する交通の要衝・ナーグプルと言う都市に新しい旗がはためいた。

 インドの東西南北を繋ぐ幹線道路を有するこの都市はまさに交通の要衝であり、中華連邦が押さえておかなければならない地でもあった。

 しかし今そこにはためくのは中華連邦の国旗では無く、サフラン・白・緑のインド国旗と……。

 

 

『インド万歳、インド万歳、インド万歳!』

『仏教徒が仏教徒らしく生きられる時代がやってきた! ヒンディー教徒がヒンディー教徒らしく生きられる時代がやってきた!』

『自由を取り戻した! インド万歳!』

『そして東の盟友、日本万歳!』

 

 

 ……インドの国旗に寄り添うように揺れる、日本の国旗だ。

 巨大な二つの国旗をナイトメア、月姫で市庁舎の上に掲げた青鸞は、月姫の外部スピーカーが拾うインドの人々の叫びを聞いていた。

 音量を絞っていなければガンガンと頭に響いていただろうそれは、かつてサイタマ・ゲットーで聞いた物とは比べ物にならない程に巨大な波だった。

 

 

「喜んでくれるのは良いんだけど、動けないよ」

 

 

 思わず、蒼のパイロットスーツ姿で操縦席に跨る青鸞は苦笑した。

 月姫の手には未だ国旗を掲げるポールが握られていて、その周囲を数百人、いやもしかしたら千に届くかもしれない群衆が取り囲んでいた。

 かつて自分達を支配していた市庁舎にインド国旗が立ったことに、興奮を隠せないのだろう。

 

 

 だが、仕方が無いのかもしれない。

 日本人が国を失って8年、だが彼らはその何倍もの期間を中華連邦に支配されてきたのだ。

 独立と自由を取り戻す喜びは、単純計算でも日本人の何倍もあるのだろう。

 そして相互対等の関係を示すために並べられた日本の国旗に敬意を表してくれたインドの人々を、青鸞は好ましく思った。

 

 

「早く、日本でもやりたいな……」

 

 

 先を越されたと言うつもりは無いが、日本でもという気持ちは強くなった。

 中華連邦とブリタニアの合一を避ける目的で始めた戦いだが、目標はあくまで日本の独立。

 インドの人々の熱狂を見て、青鸞は操縦桿を握る手に力を込めた。

 

 

『姉さん!』

「うん?」

 

 

 その時、上空から近付いてくるナイトメアがあった。

 中華連邦では見慣れないフォルムのナイトメアにインドの人々がザワめくが、青鸞は特に気にしなかった。

 何故ならそこにいたのはフロートユニット装備の金色のヴィンセントで、搭乗者は。

 

 

「ロロ? どうしたの、ヴィンセントなんて乗って」

『僕も姉さんを手伝いたくて』

「それは嬉しいけど……」

 

 

 やや複雑な様子で微笑して首を傾げると、通信画面の向こうでロロが嬉しそうに笑った。

 青鸞としては手伝いなど良いのだが、ロロの気持ちを無碍にも出来ない、そんな顔だった。

 そんな姉の気持ちを感じているのか、ロロは嬉しそうな顔で言った。

 

 

『ヴィヴィアンに戻ってほしいって、えーと……誰かが言ってたよ』

「誰かって誰」

『さぁ、誰でも良いよ。何か中華連邦軍が来たとか言ってた気もするけど』

「うーん……」

 

 

 そんなロロの言葉に、青鸞はさらに複雑な表情を浮かべた。

 自分のことを慕ってくれるのは嬉しいが、言伝を頼んだ人のことや内容に興味が無さ過ぎる。

 これはロロの将来のために良く無いと思いつつも、どうしたものかと悩む青鸞。

 彼女は今、姉としての悩みも抱えているのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 黒の騎士団の所有戦力はヴィヴィアン1隻だが、ヴィヴィアンは数十機のナイトメアを艦載している。

 空戦用ナイトメアを有する戦力は強大で、性能的には1機で中華連邦製ナイトメア10機分の働きが出来ると言われている。

 事実、ナーグプル近郊の中華連邦軍基地のナイトメア部隊は彼らが殲滅したのだ。

 

 

 だが当然、それだけがインド東部・西部・南部での勝利要因では無い。

 インドの中華連邦軍の8割以上を構成するインド人兵士達の叛乱と協力があってこその勝利であって、その意味ではあくまで主役はインド人だった。

 黒の騎士団は同盟者として、それに協力しているに過ぎない。

 

 

『大戦略としては、インド南部を掌握した後、ナーグプルにてコルカタ・ムンバイから来る自由インド軍と合流し、北上してインドの首都デリーを制圧することになる』

 

 

 ヴィヴィンアン艦橋、青鸞がロロを伴ってやってきた時にはすでに会議は始まっていた。

 ルルーシュ=ゼロと藤堂に軽く目礼すると返礼が来て、彼らはそのまま会議を続けた。

 青鸞が顔を上げれば、艦橋のメインモニターには中華連邦全土・インド亜大陸・ナーグプル近郊を表した複数の地図が映し出されていた。

 

 

『わざわざ南回りで北上するのは、インド北部には正規の中華連邦軍の勢力が強いためだ。つまりここから先は中華連邦軍と自由インド軍の総力戦となる、我ら黒の騎士団としてはこれに介入し、決定的な戦果を立てることでインド側に恩を売らなければならない』

「そうすることで、ブリタニアと中華連邦の同盟を阻止する」

『そう言うことだ。婚姻の交渉が完全に終了する前に中華連邦に態度を変えさせなければ我々に後は無い、ブリタニアも内乱の国と手を組むデメリットは良く理解しているだろうからな』

「それにしてもさぁ」

 

 

 すでに作戦がスタートしているため、会議で発言するのはルルーシュ=ゼロと軍事の総責任者である藤堂がほとんどだ。

 そこに口を挟んだのはラクシャータで、インド側とのパイプ役を務める彼女は長椅子に寝そべり、キセルを振りながら。

 

 

「メーラトの暴動から3日、随分と順調に来れたもんだねぇ」

『マハラジャ翁が今日のことを見越して準備を進めていた、我々はそれに便乗したに過ぎない。それに、元々民衆の忍耐は限界に達していた』

「ふぅん……でもさぁ、インドが落ちても、まだまだ中華連邦は力がある。それをどうするのさ、これは日本でも言えることだと思うけどね」

 

 

 ラクシャータの言は正しい、ルルーシュ=ゼロはもちろん青鸞もそれを認めた。

 被支配地が独立する際、当然、支配者側からの反動が来る。

 強大な宗主国の軍をどう排除するか、これが出来ずに崩壊した独立政権が歴史上いくつ存在していることか。

 

 

『天子を救う、大宦官の手から中華連邦の皇帝を救い出し、官軍賊軍の関係を入れ替える』

 

 

 そしてルルーシュ=ゼロは、その解答をすでに得ていた。

 中華連邦の最高権力者――有名無実化しているとは言え――中華連邦を牛耳る大宦官の権力の根拠、天子。

 それをこちらが得ることで、大宦官派を討滅する大義名分を得る。

 

 

「……出来るのかい、そんなことが?」

『その点については私を信じろとしか言えないな、最も、すでにそのための作戦はスタートしているが』

「手が早いねぇ……」

 

 

 呆れたようなラクシャータの言葉は、おそらくその場にいる全員の声を代弁していただろう。

 

 

「だがゼロ、天子を取り戻すと言っても……すでに大宦官が天子を隠していると言う可能性は無いのか?」

「――――それは無い」

 

 

 そして藤堂の言葉に応じたのは、若い女の声だった。

 6つの髪飾りで長い髪を纏めたその女は中華連邦軍将校の制服を着ており、この艦橋の会議において異質な存在であると言えた。

 周香凛、ルルーシュ=ゼロと黒の騎士団を頼ってきた中華連邦の反主流派の女性将校だ。

 

 

 青鸞が視線を向けると一瞬だけ目が合うが、それも一瞬だけだった。

 強い瞳だと、そう思う。

 味方が1人もいない中、気丈なまでに強さを見せている。

 

 

「我らの同志からの情報によれば、天子様は未だ大宦官の手に落ちてはいない」

「……どういうこと?」

 

 

 だからつい、声をかけてしまった。

 国を想い、主君と民を想うその姿勢に共感を得たからかもしれない。

 青鸞の声に、再び香凛は彼女へと視線を向けた。

 強い瞳を受け止める目もまた、強い。

 

 

「……それは……」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――ならぬ」

 

 

 中華連邦の首都、洛陽――――皇帝の居城「朱禁城」。

 600年以上の歴史と世界最大の面積を誇る宮殿群であり、純粋な宮殿としてならば皇宮ペンドラゴンさえ凌ぐと言われる場所だ。

 そしてその中の養心殿と呼ばれる場所で、ちょっとした騒ぎが起こっていた。

 

 

 養心殿とは皇帝の寝所であり、朱禁城の中では中央部からやや北西に外れた位置に存在している。

 実際には養心殿ですら複数の建築物から成っており、寝所は最奥部にある。

 まぁ、寝所ですら複数あるのだが、そこまで説明するとややこしくなるので省略しておこう。

 いずれにせよ、皇帝である「天子」の寝所の前、寝所と外を通路――左右に庭が見える造りで、一見すると橋のようだ――に人だかりが出来ている。

 いや正確には、無数の人々と1人の女性が向かい合っていると言うべきか。

 

 

「し、しかし張殿……大宦官・趙皓さまのご命令なのです。ここは危険故、兵と共に養性斎に移って頂くようにと」

「大宦官・趙皓さまは、天子様のことを慮ってそう申されているのですぞ」

「左様、どうかそう意地を張らず。張殿自身のためにもなりませぬぞ」

 

 

 寝所の扉の前に詰め掛けている人々は、どうやら官僚のようだった。

 それぞれ官位を示す衣装や帽子を身に着けており、見る限り、高級官僚が多くいるらしい。

 誰も彼もが太り気味なのは何とも言えないが、口調に媚びと蔑みが同居している点が特徴的だった。

 

 

「ならぬ」

 

 

 対抗する女性も、これまた特徴的な女性だった。

 衣装は赤いぶかぶかした服だ、袖や裾が長く動きにくそうに見えて、その実そうでも無い作りになっている。

 20代後半に差し掛かったばかりの容貌は磨かれて美しい、しかしその表情は厳しく鋭い。

 腰まで届く黒髪を肩口で束ね、ツリ目の碧眼で官僚達を睨んでいる。

 

 

 177センチの長身から見下ろされる形になった官僚達は、彼女が警衛用の槍の石突を木造の床にドンと叩きつけると肩を竦ませた。

 庇護者(だいかんがん)の威を借りる彼らでも、実際的な暴力には怯えることもあるらしい。

 そんな彼らをジロリと見下ろして、赤い衣装の女性は言葉を紡いだ。

 

 

「何度も言うように、天子様はご病気である。私は天子様付き筆頭侍医、葵文麗(キ・ウェンリー)殿の要請を受けてここに立っている。天子様がご快癒なさるまでは、葵文麗殿が許した者以外、ここをお通しすることは出来ぬ。わかったら早々に立ち去られよ」

「し、しかし、趙皓さまのご命令に背くわけには」

「ならぬ。天子様がご病気の際には、いかなる地位の者であろうとも筆頭侍医の許しなく天子様に謁見することは出来ない。その慣例を忘れたわけではございますまい」

「たかが近衛ごときが、趙皓さまのご威光に逆らうか!」

 

 

 なおも言い募る官僚達に、赤い衣装の女性はくわっと目を見開いた。

 

 

「くどいっ、そもそも養性斎は御花園とは言え、外部の客を住まわせる場所。天子様をそこに移すなど不忠も極まる! 貴殿らは誰の臣下か!? 天子様か、大宦官か!?」

 

 

 力の無い皇帝に誰が忠誠を誓うか、そう心に浮かべる者は1人では無かっただろう。

 しかし女性が言っているのは原則論であり、それ故に正論で、破ることが難しい理屈だった。

 そして近衛……いわゆる皇帝警護を担当する禁軍の一員である女性は、手にした槍を握る手に力を込めた。

 

 

「それとも貴殿らは、天子様のご容態を悪化させるつもりなのか? もしそうであるならば謀反人として、この私が今ここで成敗するが、いかがか?」

「そ、そう言うわけでは……」

「では、如何なる理由をもって病身の天子様を動かそうと言うのか……不忠者共め!」

 

 

 まるで威圧するように、頭上で槍を回転させる女性。

 そして腰を低くした構えを取り、振り下ろした槍先を先頭の男の眼前に添えた。

 表情が動かないだけに、一層不気味に見える。

 

 

「ひぃ……っ!?」

「どうしてもここを押し通りたいと言うのであれば、この張凛華(チャン・リンファ)を倒して行かれるがよろしかろう! だが侮るな、この張凛華、たとえ屍となろうと道を開けるつもりは無い……覚えておかれよ!!」

 

 

 腰を抜かした男にそう告げて、凛華と名乗った女性は構えをといた。

 すでに言葉すら発さなくなった官僚達を睨み据えて、不動の体勢に戻る。

 その眼光は、幾晩の不眠を経ても衰える所を知らなかった――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『禁軍……皇帝の近衛か』

「そうだ、あそこには我らの同志が多い。もうしばらくは持ち堪えてくれるはずだ」

『だがそれでも、火砲で吹っ飛ばされでもすれば結局は意味が無い。そう言う意味では人質には変わらないが……』

「それは無い、大宦官も天子様の重要性は良く理解しているはずだ」

 

 

 それは楽天的に過ぎると、香凛の言葉に青鸞はそう思った。

 枢木と言う家に生まれたからかもしれないが、今の香凛の理屈には穴がある。

 そう言う意味で香凛はやはり軍人なのだろう、枠組みを疑わない性根をしている。

 もしかしたなら、藤堂や朝比奈にも気付けないかもしれない。

 

 

 だから青鸞はそれを指摘しようとした、香凛にその可能性を伝えようとした。

 だがそれは途中で遮られた、誰によって?

 ルルーシュ=ゼロ、おそらく生まれと言う意味で、彼だけが青鸞と同じ結論に達しているだろうに。

 

 

『いずれにせよ、天子のことについてはすでに手を打ってある。それについては私を信じて貰うとして……今は、目の前の問題に対処しなければならない』

「中華連邦軍の本隊だな?」

『そうだ』

 

 

 青鸞の視線を無視する形で、ルルーシュ=ゼロは話題を変えた。

 再び会議はルルーシュ=ゼロと藤堂の会話へと戻っていく、実際、天子よりも先に解決しなければならない問題が確かにあった。

 中華連邦本国よりヒマラヤを超えて進出して来た、正規の中華連邦軍。

 ナーグプルに配置されていた部隊とは質も量も比較にならない大部隊が、目の前にいるのだから。

 

 

『ヒマラヤを超えてやってくる部隊はどうやら航空戦力のようだ、だがヴィヴィアンの戦力を考えれば通常兵器に頼る中華連邦空軍は大した障害では無い。問題は陸軍の方だ、大陸を駆け抜ける強大な、な』

 

 

 インド側から提供された情報を元に――無論、それを鵜呑みにはしないが――ルルーシュ=ゼロが立案した作戦案が艦橋のメインモニターに表示される。

 先に表示されていた3つの地図の上に映されたそれは、デカン高原北部全域を表していた。

 中華連邦を表す赤の矢印が北から押し寄せてくるのに対し、南から集合しつつ北上する黒の騎士団・自由インド軍が青の矢印で表示されていた。

 

 

 どちらも、周辺の友軍を糾合しつつ進んでいる。

 別働隊の気配は無い、戦力を集中させて相手の本隊を消滅させようとしていることがわかった。

 基本に忠実な用兵と言うべきか、まさに総力戦。

 すなわち。

 

 

『この戦いの勝者が、この戦争の趨勢を握ることになる……!』

 

 

 それはかつての、セキガハラ決戦にも重なる。

 だからだろうか、他の国、他の民族の戦いなのに力が入るのは。

 

 

『青鸞嬢、貴女には部隊を率いて前線に出て貰いたいのだが』

「……良いよ、カレンさんもいないことだしね」

 

 

 ルルーシュ=ゼロの言葉に、青鸞は頷く。

 事実としてカレンがいない今――ある事情で別行動中――おそらく藤堂と四聖剣を除けば、ヴィヴィアンの最高戦力は彼女だろう。

 ナイトメアの搭乗時間と実戦経験は、今や騎士団勢力の中でも指折りになりつつある。

 

 

 そして青鸞としても、今はルルーシュ=ゼロの要請を断る必要を感じていない。

 藤堂もそうだが、旧日本解放戦線が不利益を被らない限り、協力関係は持続する。

 風下に立つという、その契約は。

 ただそれに対して不満を持つ者もいる、例えば……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 不満、の部類には入ると思う。

 艦橋から出て、ラクシャータや古川の手で月姫の整備が行われている間に一度自室に戻った。

 シャワーを浴びるためだ、ナイトメアのパイロットスーツは3時間も着ていると不快になってくる。

 生存性を優先すると通気性や快適性が犠牲になる、改良の余地がある所だった。

 

 

「姉さんは、どうしてあんな奴の言うことを聞いてるの?」

「え?」

 

 

 素肌の上にタオル地のバスローブを身に着けただけの格好で浴室から出てくると、開口一番にそんなことを弟に言われた。

 ただ正直な所、髪を拭くためにタオルを頭から被っていたために良く聞こえなかった。

 髪先からお湯の雫を滴らせながら、青鸞はそちらへと振り向いた。

 

 

「ごめん、もう一回言ってくれる? 何?」

「だから、どうしてあんな仮面の言うことを聞いてるの?」

 

 

 素足の下に柔らかな絨毯の感触を感じながら、青鸞は少しだけ首を傾げて見せた。

 ……あの仮面とは、もしかしなくともルルーシュ=ゼロのことだろうか。

 青鸞の前に立つロロの顔は、見るからに不満がありそうだった。

 実際、不満に思っているのだろう。

 

 

 まぁ、客観的に見ればわからないでも無い。

 何しろあの仮面だ、どうして組織のトップに立っているかわからないくらいには怪しい。

 だが、ロロはあの仮面の下を知っているはずだが。

 何しろ饗団の暗殺者だ、青鸞の弟役でもあった……そこで、ああ、と思った。

 その上で、「どうして」と聞いてきているのか。

 

 

「うーん……どうして、か。改めて聞かれると、いろいろあって困るけど」

 

 

 キョウト六家の意向、旧日本解放戦線の現状、青鸞自身の事情。

 本当に、いろいろある。

 しかしそれを一言で表そうとすると、どうしても言葉に詰まってしまう。

 

 

(いや、本当にいろいろあるんだけど……うーん)

 

 

 枢木青鸞とゼロの関係、青鸞とルルーシュの関係。

 一言で教えるには余りにも複雑なそれを、どう説明したものか。

 本気で悩み始めた姉の姿に何を思ったのか、ロロは首を傾げる。

 その傾げ方はどこか青鸞に似ていたのだが、それは今は関係が無かった。

 それでも何かは言うべきと判断して、青鸞が唇を小さく開いた時。

 

 

『青鸞さま』

 

 

 部屋に備えられていた固定モニターに光が灯り、見知った顔が映し出された。

 そこに映った少女は青鸞の傍に立っていたロロをチラリと見て、しかしそれについては何も言わずに。

 

 

「雅、どうしたの?」

『お休みのところ申し訳ありません、月姫の整備が完了致しました。それと……』

「?」

 

 

 僅かに首を傾げた青鸞に、しかし雅は何一つ偽ることなく告げた。

 

 

『敵です、接敵までおよそ1200』

「わかった」

 

 

 短く答えて、青鸞は通信画面に背を向けた。

 ベッドの上に用意されていたケースを開き、中から新品のパイロットスーツを取り出す。

 クローゼットの中には同じ物がいくつもあって、実はコックピットの中にも予備で一つある。

 パイロットスーツを手に仕切りの向こうに消えた姉の姿を追いながら、ロロは未だ不満そうな顔をしていた。

 

 

 ちなみに彼は最初からライトグリーンのパイロットスーツのままだった、先に着替えたのか、あるいは着替えを必要としていなかったのかもしれない。

 仕切りの上にバスローブが放られた段階で、向こう側から姉の声が届いた。

 

 

「ごめん、ロロ。今の話、後でね!」

「あ、うん……」

 

 

 こくりと頷いて、ロロは片手の小指を撫でた。

 その仕草にどのような意味があるのかは、本人にしかわからない。

 ただ確かなのは、ロロの胸の内に不満が蓄積されていると言うこと。

 

 

 あまり放置すべき問題では無かった。

 だが、今の時点ではどうすることも出来ない。

 それは、そう言う問題だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 指揮官は時として、自分でも信じていないことを言わなければならないことがある。

 星刻にとっては今がまさにそれで、星刻は己の言葉の空虚さに笑いたくなる程だった。

 しかし人は、立場によって何かを言う生き物だ。

 

 

「――――インドの大地に生きる同胞達よ! 私は貴殿らに問いたい、何の道理があってここを進むのか!」

 

 

 デカン高原の北には、2つの山脈に挟まれた盆地のような場所がある。

 古くは北インドの王朝と南インドの王朝の国境となっていた川があり、星刻は十数万の友軍を率いてそこに布陣していた。

 とは言え大宦官派の部隊がほとんどで、一時的に星刻の指揮下に入っているに過ぎない。

 だから星刻としては、前方の敵軍だけで無く後方の味方にも油断が出来なかった。

 

 

「同胞達よ、同胞同士相争うことに天子様は哀しんでおられる。求める物があるのなら、この黎星刻に預けてほしい! 必ずや天子様に――――」

『星刻、あまり勝手なことを言わないで貰いたいな』

「……っ、趙皓……」

 

 

 川の南側に押し寄せてきている自由インド軍に言葉による説得を――同胞同士で争いたくないと言う想いは、本音だ――試みた星刻だが、それを止めた者がいた。

 それは星刻が率いる軍勢の後方、山脈一つを隔てた先にいる大宦官からの通信だ。

 通信画面に映る白い顔に、星刻は不快感を隠そうともしなかった。

 

 

『お前は叛乱軍を打ち破るだけで良い、それ以上のことをすれば、わかっておるだろうなぁ?』

「……下郎が」

『くふははは、では、任せたぞ』

 

 

 言いたいことだけ言って、通信は切れた。

 つまりは体の良い壁役、用心棒にも劣る番犬と言った所か。

 まぁ、クーデターの首謀者に対して良い扱いをする者もいまい。

 だからその点に関しては、星刻は何を感じることも無かった。

 

 

 しかし現実として、川を挟んで彼は自由インド軍と向かい合っている。

 装備の質は同じ中華連邦軍だけあって同等、兵の質も相手はインド兵を中心とした軍勢。

 となれば、後は指揮官の質だけが勝敗を分けるだろう。

 

 

『――――中華連邦軍、黎星刻だな?』

 

 

 その時、通信画面が開いた。

 彼が乗る中華連邦製KMF鋼髏(ガン・ルウ)の通信画面上に現れたのは、大宦官の白い顔では無く、対照的なまでに黒い仮面だった。

 そして星刻は、その顔を知っている。

 隣国であるエリア11の情勢について知らない彼では無い、だから彼はその名を呟いた。

 

 

『黎星刻、お前は誰かを救うために持つべき覚悟を知っているか?』

 

 

 ――――ゼロ。

 仮面のテロリスト、彼が何故ここにいるのか。

 その情報を前もって知らなかった星刻だが、しかしその顔を見れば、この叛乱の中で彼がどのような位置を占めているのかは大体想像が出来た。

 

 

「……ゼロ、キミは我が中華連邦を利用するつもりなのか?」

『ほう、私の顔を見ただけでそこまで読むか、噂に違わぬ智謀だな。だが、今は私の質問に答えてもらおう』

「…………」

 

 

 答える義理は無い、が、オープンチャネルでの通信だ、他の兵も聞いている。

 古来、戦闘前の将の会話で勝敗が決した事例もある。

 だから星刻は答えた、何かを守ろうとする時に必要な覚悟は何かと。

 それは。

 

 

「無論、私は命を賭しても天子様を守る覚悟だ」

『命を懸ける覚悟、なるほど、素晴らしい見識だ』

 

 

 頷きながらも、しかしゼロは「だが」と否定の接続語を放った。

 

 

『違うな、間違っているぞ……黎星刻。守るために必要な覚悟、それは――――壊す覚悟だっ!!』

 

 

 画面の中でゼロが片腕を天へと掲げる、それに釣られるように星刻も上空を見上げた。

 直後、星刻の反応よりも遅れてコックピット内部に警告音が鳴り響いた。

 そして、さらにその直後。

 

 

『いやぁああああああああああああああああぁぁぁっっ!!』

 

 

 ダークブルーの斬撃が、空より落ちてきた。

 まるで、天よりの罰のように。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞は、己の斬撃が外れたことを悟った。

 正直な所、意外を感じた。

 何しろ相手は鋼髏(ガン・ルゥ)、第七世代相当のKMFである月姫との性能差を考えれば、今の一撃で勝負がついていてもおかしくは無かった。

 

 

「外した……!? しかも速い!?」

『私の鋼髏(ガン・ルゥ)は、他の鋼髏(ガン・ルゥ)とは違うぞ……!』

 

 

 実際、前方に加速して月姫の斬撃を回避した鋼髏(ガン・ルゥ)の速度は、先年のキュウシュウ戦役で見た鋼髏(ガン・ルゥ)とは明らかに違った。

 月姫の機器が計測したその速度は、瞬間的に通常の鋼髏(ガン・ルゥ)の3倍近くを示していた。

 大地を割っただけの斬撃を引き戻して、青鸞は月姫を背後へと振り向かせた。

 

 

 そしてその一合を合図に、自由インド軍が渡河を始めた。

 砲兵とナイトメア部隊がホバーボートに分乗して川を渡ろうとする歩兵部隊を援護し、対岸の中華連邦軍はナイトメアの砲列でそれを迎撃した。

 川の中程で幾度も水柱が立ち上り、その度に肉片と破片が飛び散り爆ぜた。

 

 

『その声、女と見た、しかも年端も行かぬ。ふ……黒の騎士団もよほど人材不足と見える』

「……安い挑発!」

 

 

 月姫の右腕を翻し、周囲を高速で旋回し続ける星刻機を追撃した。

 いくら速かろうが鋼髏(ガン・ルゥ)鋼髏(ガン・ルゥ)、装備に差は無い。

 要するに実弾装備しか無い、飛行能力も無い、あるのは数だけだ。

 

 

『私のことばかりに気を取られていて良いのかな?』

 

 

 星刻の声と共に、月姫の背中を無数の実弾が跳ねる。

 警告音が鳴り響くコックピットの中で舌打ちして、青鸞は月姫を再旋回させた。

 腕部の輻射波動障壁を展開して翼を守りつつ、その飛翔滑走翼を使って空へと逃げる。

 青鸞が斬り込んだのは中華連邦軍の本陣、当然、周囲には他にも無数のナイトメアがいる。

 

 

『機体性能に頼るのは、感心しないな』

 

 

 不意に藤堂の声が聞こえたような気がして、青鸞は苦笑を深くする。

 確かに、余りにも月姫の性能に頼りすぎている行動だ。

 だが必要なことだ、何しろ混戦の中で黎星刻と接触しなければならないのだから。

 だからこその前線投入、それくらいのことは言われずともわかる。

 

 

『空に逃げたとて、安心するのは早いぞ!!』

「な……鋼髏(ガン・ルゥ)が跳ぶの!?」

 

 

 あり得ないことが起きた、星刻の鋼髏(ガン・ルゥ)が「跳躍」したのだ。

 飛び立ったばかりでそこまで高度は無い、しかしそれでも十数メートルはある。

 だと言うのに、構造的に前に走行することしか出来ない鋼髏(ガン・ルゥ)で跳んだのだ。

 機体ごと体当たりするかのような要領で、低空の月姫に圧し掛かる。

 

 

「む、無茶苦茶だ……!」

 

 

 刀で圧し掛かる鋼髏(ガン・ルゥ)を受け止める、刃は立てなかった。

 相手を討ってはならない、そうなれば中華連邦軍を纏める人間がいなくなってしまう。

 そう、つまり青鸞の……いや黒の騎士団の狙いは。

 

 

「黎星刻! ボク達は貴方の事情を知ってる、貴方がボク達と戦わなくちゃいけない理由を!」

『何……?』

「貴方の部下の人に聞いた!」

 

 

 オープンでは無い、接触による通信。

 その中で、青鸞は星刻に呼びかける。

 

 

「だからここで犠牲を重ねても意味が無い、こちらには貴方に協力する用意がある!」

 

 

 星刻機を押し返して大地に落として、青鸞は叫んだ。

 そう、反主流派の取り込み。

 これこそが、中華連邦を内乱状態から早期に立ち直らせるための方策だ。

 もちろん、インド側の納得のためにインドの独立などは認めて貰わなければならないのだが。

 

 

『協力!? 中華連邦の領内を混沌に落としたお前達が、何を協力すると言う!』

「天子様を救う手助けを!」

 

 

 月姫を着地させて、青鸞は改めて星刻機の前に立った。

 それは同時に中華連邦軍の只中に戻ることを意味するのだが、そちらについては気にもしなかった。

 刀は放さないが、それでも準武装解除状態だった。

 だからかはわからないが、その場での戦争は一時的に止まった。

 それ程、「天子」の名前は効果的らしい。

 

 

「――――ボク達は、天子様を大宦官から救う手助けが出来る」

 

 

 その沈黙をどう思うべきか、青鸞にはわからない。

 渡河作戦の砲声だけをBGMに、青鸞は言葉を紡ぐ。

 だから。

 

 

「ボク達と一緒に、抵抗を始めてほしい」

 

 

 だから、そう言った。

 力は示した、南インドの解放と言う実績で。

 後は心だ、だがそれを伝えるのは極めて難しい。

 はたして伝わるだろうか、いや伝わらないだろう。

 だが、言葉は重ねることは出来る。

 

 

(まぁ、日本人と中国人が英語で会話するって、なかなか国際色豊かだけど)

 

 

 はたして英語で齟齬なく意思が伝わっているものかどうか、やや自信が無い。

 だが重ねなくてはならない、今はそう言うタイミングだ。

 だから彼女は、言葉を重ねようとして。

 

 

 

『――――うーん、それは困るんだよねぇ』

 

 

 

 別の声が響き、青鸞は反射的に操縦桿を引いた。

 警告音より早い動きであって、それはもう実戦で培った勘と言うしかなかった。

 そしてそれは奏功する、何故なら月姫が直前までいた場所に大きな何かが直撃したからだ。

 青い矛のような形をしたそれにはワイヤーがついており、言うなれば。

 

 

「スラッシュハーケン!? いや、アレは……」

 

 

 青鸞はそれを見たことがあった、だがその武装の名前を告げるよりも先に次の反応をしなければならなかった。

 上空に逃げた月姫を振り向かせ、両手で握った刀で飛び込んで来た何かを受け止める。

 それはナイトメアだった、一見戦闘機に見えるがナイトメアだった。

 戦闘機形態(フォートレスモード)に可変可能な、世界に一つしか無い独特のナイトメアだ。

 

 

『――――キミかい? ナーグプルで駐屯軍を壊滅させたエースは』

「『トリスタン』、そしてこの声は……!」

 

 

 戦闘機形態でもパワーで押される、だから青鸞はあえてそのパワーに逆らわずに後退した。

 トリスタン、ナイトオブスリー、ジノ・ヴァインベルグの攻勢から逃れるために。

 武装と装甲を削り合いながら、一瞬の交差を終えて弾けて離れる。

 

 

 だがそれで終わらなかった、驚いている暇も無い。

 何故なら北の方角から野太い赤紫色のビームが走ってきて、その回避に専念しなければならなかったからだ。

 ただトリスタンとの交錯の衝撃で急には方向を変えられず、左腕の輻射波動障壁でビームの側面を削るようにしながら何とかかわした。

 

 

「~~~~っ!? い、今のは、シュタルクハドロン……『モルドレッド』!?」

 

 

 空で二回転して、月姫の左腕から紫電を走らせながら――青鸞の左の操縦桿から、ビリビリとした衝撃が伝わってくる――青鸞は北の空を見た。

 そしてそこには思った通り、赤紫色の重武装ナイトメアの姿があった。

 両肩の装甲をスライドさせて形成した四連ハドロン砲から、砲撃直後特有の白煙を立ち上らせている。

 そのコックピットにいるだろう少女の姿を幻視して、青鸞の胸が僅かに疼いた。

 

 

 だが今は、セイラン・ブルーバードの記憶に苛まれている時では無い。

 青鸞は思考を留めつつ、南北で自分を挟む体勢を取る2機のナイトメアに視線を走らせた。

 トリスタンとモルドレッド、共に強力な航空戦用ナイトメアだ。

 だが、疑問が生じる。

 ブリタニアの円卓の騎士が、どうしてここに。

 

 

「……まさか」

 

 

 戦闘の勘とは違う、左胸が疼くような直感。

 その感覚に従うように、青鸞はさらに上空を見た。

 そこにいると判断したのも、直感だ。

 下腹部に鈍痛を覚える、それもまた。

 

 

「まさか……!」

 

 

 青鸞の呟きと視線の先、彼はいた。

 白い騎士のようなナイトメアに乗り、上空からダークブルーのナイトメアを見下ろしている。

 そのコックピットの中にいるのは、やや色素の薄い髪に哀しげな瞳をした少年。

 幻視などする必要も無い、そこにいると感じることが出来る。

 まるで、血が呼び合うように。

 

 

「……兄様……!」

「ああ、そうだよ青鸞」

 

 

 通信も無しに、しかし会話が成立した。

 声はお互いに届かない、だが相手が何を言っているのか、わかる気がする。

 そんなことを思い、彼は。

 

 

「――――僕だ」

 

 

 枢木スザクは、そう言った。

 




採用キャラクター:
mahoyoさま(ハーメルン):張凛華。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 インド大反乱の歴史は、なかなか胸熱な展開が多々あります。
 物語の流れとして仕方が無い面もありますが、なかなか苦しい時間が続きます。
 執筆的な意味で(え)。
 中華連邦の話は必ず必要になるのでアレですが、本当に大きいな世界って。

 え、コーネリアはどうしたですか?
 さ、ささささぁ、どうでしょう、次あたりわかるかもですね。
 というわけで、次回予告です。


『もう、何度目になるんだろう。

 貴方と戦場で相見える度に、ボクは尋ねてきた。

 どうして、と。

 でも、もう「どうして」と問うことは無い。

 だってボクは……もう、前に進むしかないから』


 ――――TURN13:「進む べき 前」


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TURN13:「進む べき 前」

*注意
 饗団の漢字が違うことにお気づきの方もいるかもしれませんが、携帯やスマホなどでも表示される字で一番近い字を選んでいます、ご了承くださいませ。
 では、どうぞ。


 インドや周辺の「植民地」で叛乱が勃発したとは言え、中華連邦の首都は未だ平穏を保っていた。

 古代から「中国」と呼ばれていた地域の北部に位置し、2000万の人間が暮らす大都市「洛陽(らくよう)」。

 ただペンドラゴンのような計画都市では無いため、雑然と郊外に広がる構造になっている。

 よく言えば、それが歴史的な街並みと言えるのかもしれない。

 

 

「オイ止まれ、通行証を見せろ!」

 

 

 12本ある放射道路の一つ、その最も外側に検問所が開かれていた。

 平穏を保っていると言ってもそれは「外敵」に対してであって、内側の敵――大宦官の政に不満を持つ民衆――に対しては、常にも増しての統制が敷かれている。

 専制国家の統治者にとっての敵は、外国よりもむしろ民衆なのだ。

 

 

 そんな洛陽に、一台のトラックが入ろうとしていた。

 地方の牛肉卸会社のトレーラー、人口の多い大都市に入るには何の不思議も無い車両だ。

 中華連邦軍の兵士に止められたそのトラックの後方には数百台の多用な車両が並んでいる、検問待ちの渋滞と言った所だろうか。

 

 

「吉林省から……? また妙な所から来たな、ご苦労なこった」

「中身は牛肉か? それにしては随分とでかいトラックだな」

「なぁおい、適当に終わらせて早くカードの続きしようぜ」

 

 

 運転席側の窓から差し出された通行証を適当に眺めながら、兵士達がそんなことを言った。

 ただその動きは緩慢で、あまり仕事に対してやる気が見られない。

 後ろの渋滞の多くはそんな兵士達の態度によって作られているのだが、彼らはそんなことを気にも留めていなかった。

 まぁ、しかしそれにも例外がある。

 

 

「……んぁ? お、悪いな。へへ……」

 

 

 通行証が差し出された運転席の窓から、もう一つ別の物が差し出された。

 それは一見通行証を受け取るために差し出されたように見えるが、服の袖に10枚程の紙幣が仕込まれていた。

 通行証を渡しながら、兵士の男がそれを受け取る。

 もちろん通行料が必要なわけでは無い、これはそれ以外に必要なお金(ワイロ)だ。

 

 

「おい通せ、道を開けろ!」

 

 

 そして、他の車と比して随分と早く検問を抜けることが出来た。

 これが例外、いつの時代も変わることが無い光景だ。

 兵士達が誘導する中――むしろ、興味を失った様子で――トラックが進む。

 そして検問を抜けた所で、運転手……南が、ほう、と深く息を吐いた。

 

 

「ふぅ……荷台の中を見せろとか言われたらどうしようかと思ったぜ」

「やる気の無い人達で助かったわね」

 

 

 助手席に座っていた少女もほっと安堵の吐息を漏らしている、そして彼女は被っていた帽子を脱いで。

 

 

「急ごう、南さん。早く朱禁城に行かないと、手遅れになっちゃう」

「おう、そうだなカレン。ちょっと飛ばすぞ」

 

 

 アクセルを踏み込んだ南と、加速のGでシートに背中に押し付けられるカレン。

 窓の外を見るカレンの瞳は、遠くの戦場を思って細められていた。

 遠くの、仲間達を。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その戦艦は、竜胆(ロンダン)と言う名称を与えられていた。

 緑色を基調とした装甲に覆われたそれはピラミッドのような形で、星刻軍と叛乱軍が戦闘を行っている地点から山脈一つを隔てた場所に停泊していた。

 そしてそのピラミッドの直上に留まる形で、航空戦艦アヴァロンが存在していた。

 

 

『ほほ、ほほほ、これはこれはシュナイゼル殿下、このような場所までご足労頂けるとは』

『賊軍の討伐など、我らにお任せあって朱禁城でお楽しみ頂ければよろしかったですのに』

「いや、趙皓(ジャオ・ハオウ)夏望(シャ・ワン)。私としても兄上が来られる前に、中華連邦に安定してほしかったからね」

 

 

 そう応じるのは、ブリタニア第二皇子にして帝国宰相のシュナイゼルである。

 傍らに副官であるカノンを侍らせ、オペレーターの席にはスザク専属の技師でもあるセシルとロイドもいる。

 アヴァロン正規のメンバーとも言うべき布陣であって、しかも今はスザクの他にラウンズを2人も擁している。

 

 

 そしてブリタニアが何故ここにいるのかと言えば、第一皇子と天子の婚姻と同時に結ばれる条約の基本合意書を交換するためだ。

 まぁ、先遣隊と言うか、地ならしのような役割である。

 極秘での訪問だったので知る者も少なく、まして中華連邦の内乱に介入するとは思わなかったろう。

 

 

「よろしいのですか、シュナイゼル殿下?」

「ん? 大宦官の側から要請されてはね。彼らとしてはブリタニアの爵位を得る以上、私に媚を売っておいて損は無いということだろうし」

 

 

 そう、大宦官がわざわざ前線近くにまで出張っているのは、要するにシュナイゼルへの媚だ。

 叛乱軍を見事撃滅する所を見せて心象を良くしようと言うのだろうが、それはカノンからすれば不快を感じるのだった。

 ブリタニア貴族としては醜悪で、中華連邦の大宦官としては売国行為だったからだ。

 ましてこれでは、シュナイゼルを己の立身出世の道具としているとしか見えない。

 

 

「それに、父上もどうやらロシア方面で部隊を動かしているらしいしね。泥沼の紛争を避ける意味でも、ここで叛乱軍には消えて貰った方が良いだろう?」

「皇帝陛下が……モンゴル方面ですか?」

「まぁね……まぁ、まさか黒の騎士団が参加しているとは思わなかったけれど」

 

 

 一方で、大宦官にとっても重要な局面であることには違いが無かった。

 星刻のクーデターを利用してシュナイゼルに取り入り、ブリタニアでの地位を磐石の物にしようと言う醜悪な野望がその根源だ。

 何しろ星刻のクーデターを鎮圧したのもブリタニア軍、ナイトオブラウンズなのだ、その姿勢はもはや中華連邦の臣とは言えないだろう。

 

 

 だが彼ら大宦官にとっては、中華連邦と言う国も民もどうでも良い物なのだろう。

 必要なのは己の立身出世であり、権勢であり、己自身なのだから。

 そんな彼らをこそ、醜悪と言うのだろうか。

 しかし世界にはそう言う人種が存在するのだ、確かに、そこに。

 

 

「ふふふ、インドの愚民共もたまには役に立ってくれるな」

「確かに。シュナイゼル殿下がいるタイミングでの叛乱、最初は肝を冷やしたものだが」

「何、星刻に任せておれば問題は無いわ。叛乱を起こすインドの愚民など、家畜以下の存在よ……おお、カンティ、お前のような従順な者は別だぞ。我らも従順な犬を愛でる風流は解しておるからの」

 

 

 地上戦艦竜胆(ロンダン)の艦橋、ブリタニア軍の援軍を得て優位に立った戦況を見て、大宦官達が下卑た笑い声を上げている。

 思い通りに行くことが面白くて仕方が無いのだろう、己の栄達だけを信じて疑わない者の笑い声だ。

 艦橋スタッフ達は誰も顔を上げない、努めて無表情に目の前の職務に励んでいる。

 そうしなければ、何かを吐き出してしまいそうな顔色の悪さで。

 

 

 その中で1人だけ笑みを浮かべる者がいた、大宦官の1人に声をかけられた「従順なインド人」だ。

 周囲が漢民族である中1人だけの異人種で、胸まであるだろう金色の髪を編み上げた女性将校だ。

 20代前半の若さとメリハリのある身体を窮屈な軍服に収めたそれは、見るからに男受けしそうな印象を受けた。

 

 

「大宦官さま、星刻隊が賊軍本隊と本格的な戦闘を始めたようです。どうぞ他のことは気にせず、正面モニターにご注目ください」

「おお、そうかそうか。ほほ、星刻も良く動く」

「天子の命がかかっておるからな、健気なものでは無いか、ほほ……」

「ほぉーほほほほほほほほっ!」

 

 

 大宦官の下卑た声が艦橋に響き、周囲の兵達の顔色がさらに悪くなる。

 その中でただ1人、オペレーターを務める女性……カンティと呼ばれた女性将校だけが。

 ……ギラリと、瞳の奥に不穏な輝きを宿していた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 外交や交渉において、相手の事情をどれだけ知っているかと言うのは重要なことだ。

 相手の本音、つまり何を求めているのか、どこまで妥協できるのかを知っているのといないのとでは、その後の話の進め方がまるで異なるためだ。

 そしてその意味で、青鸞の言葉はストレートに星刻に届いていた。

 

 

(私の部下から聞いた、と言っていたが……香凛か?)

 

 

 可能性としては他に無い、他の部下は自分と共に捕まってしまったのだから。

 もしそうであるのならば、香凛が黒の騎士団に助力を求めた理由は自ずとわかってくる。

 そこに考えが至ってしまえば、黒の騎士団の方針、それすらも星刻には読めてしまう。

 それだけの能力が、彼にはあった。

 

 

 彼は、思慮深げに目を細めながら空を見上げた。

 そこには、上空で戦闘を繰り広げる4機のナイトメアがある。

 空を手に入れたナイトメアが、星刻の視界の中を舞っていた。

 

 

「――――ッ!!」

 

 

 その中の1機、ダークブルーのナイトメア『月姫』の中で少女が声にならない悲鳴を上げていた。

 言うまでも無く青鸞である、これまでに感じたことが無い空中制動の連続に振り回されているが故の悲鳴だ。

 余りのGに胃の中身が引っ繰り返りそうになっている、が、それでも機動を止めるわけにはいかなかった。

 

 

 その月姫に、新たな衝撃が伝わってきた。

 歯を食い縛り操縦桿を握る青鸞の眼前、正面モニター一杯に三色(トリコロール)のナイトメアが映し出されている。

 月姫の持つMVS相当の刀『雷切』と、敵KMF『トリスタン』のハーケン型MVSの衝突が生み出す火花と衝撃が連続で三度引き起こされる。

 

 

「~~~~っ、ヤバッ……!」

 

 

 そして月姫が、それに押し負ける。

 だがヤバいのはそこでは無い、押し負けて吹き飛ばされた機体に制動をかけて止まれば、北の空から赤紫色の砲撃が来る。

 しかも野太い砲撃では無く、細かで無数のレーザーのような砲撃だ。

 

 

 一つ一つがある程度の変化を伴う物で、青鸞はそれを全て回避するために、胃の内容物を再び自らシェイクしなければならなかった。

 右と左の操縦桿をそれぞれ別方向に動かし、足首でペダルを操作し、噛み合わせた前歯の間から小さく唸り声を上げ続ける。

 みっとも無いが、生き残るためには仕方が無かった。

 

 

「――――っ、あ……もうっ!!」

『悪いね、こっちも仇討ちって奴があるからさ』

 

 

 ビームの群れを回避すれば、その先にトリスタンがいる。

 良い連携だ、憎らしい程に。

 モルドレッドの砲撃で追い込み、機動力で勝るトリスタンで打つ。

 正直、キツい。

 

 

 だが、とも思う。

 今トリスタン、つまりジノは「仇討ち」と言った。

 それの意味する所は一つしか無い、「セイラン・ブルーバード」の記憶がその答えだ。

 太平洋上の戦いで消息を絶った皇子と騎士、それについて言っているのだろう。

 

 

「喜ぶべきなのかな、それは!」

 

 

 叫んで、トリスタンのハーケンを刀で弾く。

 スラッシュハーケンで牽制し、右腕の内蔵砲で距離を稼ぐ。

 青鸞とセイランは同一人物なのだが、同時に別人でもある。

 哀しさと嬉しさが混ざり合う複雑な心境で、青鸞は操縦桿を強く押し込んだ。

 

 

『藤堂!』

『渡河作戦はまだ完遂していない! ここで私達が抜ければ、自由インド軍の前線は一気に崩れるぞ!』

『わかっている!』

 

 

 一方でヴィヴィアン艦橋、ルルーシュ=ゼロは藤堂の報告に歯噛みしていた。

 突然のブリタニア参戦、ディートハルトをキュウシュウに残していたのは間違いだったかと後悔する。

 これで当初の計画は破綻した、ブリタニアの圧力がそれをさせないだろう。

 可能性が費えたわけでは無いが、厳しくなったことは間違いない。

 

 

 現在、藤堂と四聖剣は新型KMF『暁』――藤堂の機体は『斬月』だが――と呼ばれる量産機を駆って前線に出ている。

 これでブリタニアがいなければ問題なかっただろうが、今は敵方にブリタニア軍の空戦仕様ヴィンセントの部隊がいる、藤堂達がいなくなれば渡河中の自由インド軍は良い的になってしまうだろう。

 

 

『護衛小隊はどうした!』

「ち、地上から援護を……」

烈震(しんがた)のロールアウト、間に合わなかったからねぇ」

「大変です!」

 

 

 嘆息するラクシャータの脇、オペレーターの女性が悲鳴のような声を上げた。

 ラクシャータの長椅子の端でピザを食べていたC.C.が軽く眉を顰める程の大声で、ルルーシュ=ゼロも似たような声で「どうした」と問い返した。

 それに対しての返答は、こうである。

 

 

「さ、左舷カタパルト、勝手に動いています!」

「どういうことだい?」

「わ、わかりません! ナイトメアが1機、勝手に……」

 

 

 カタパルト、それは空戦用ナイトメアの発艦用のカタパルトのことだ。

 航空戦艦であるヴィヴィアンには当然それが備わっている、だが今、それを何者かが勝手に使用していると言う。

 いったい誰だ、と誰もが考える中で、しかしそれは確実に動き出していた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『だぁー、くそっ! 太平洋と言いここと言い、役に立ってねぇ!』

『やっぱり、砲戦機ではもう今後の戦闘には……』

『……諦めるな!』

 

 

 中華連邦軍の指揮の乱れを突く形で、すでに一部の自由インド軍が渡河に成功しつつあった。

 その中で特に先行しているのは、VTOL機による輸送で空からの対岸上陸を果たした青鸞の護衛小隊だった。

 山本機、上原機、大和機の3機がそれで、上陸にもたつく歩兵部隊や鋼髏(ガン・ルゥ)隊を置いていく形でさらに先行する。

 

 

 しかし彼らの乗る黎明には飛翔滑走翼も無く――装備したとして、砲戦機では航空戦に対応できない――ため、彼らは青鸞が地上で戦わない限り、地上からの砲戦支援を行うしか手立てが無いのだった。

 だからこそ新型機の開発を急いでいるのだが、今回の戦いには間に合わなかった。

 幸い青鸞も彼らの支援をアテにして意識して低空で戦闘を行っている、これなら何とかと思った矢先。

 

 

『……邪魔』

 

 

 静かな、しかし同時にどこか怒りの感情を秘めた声が響く。

 それは上空から3機の目前に急速降下してきた赤紫色のナイトメアで、3機の黎明の前で制止すると、目にあたるカメラ部分が赤紫色の輝きを放った。

 同時に、装甲各部が開いて小さな無数の砲口が現れる。

 それを見て、山本はコックピットの中で一言。

 

 

「……やな予感」

『当たり、消えて』

 

 

 モルドレッドのパイロット……ナイトオブシックス・アーニャが冷たく発した次の瞬間、砲撃が。

 

 

『――――打撃します』

 

 

 そのモルドレッドの巨体に、何かが衝突した。

 シールドを張る暇も無かった、どこからか出現した敵機が赤紫色の装甲を打撃したのだ。

 倒れこそしないがヨロめき、放たれた砲撃……いや、砲撃波とすら呼べる衝撃があたりを薙ぎ払った。

 

 

『どぅおおおおぉっ!?』

『な、何が……あ、アレは!?』

 

 

 砲撃の煙が晴れた後、モルドレッドの周囲に飛び出して来たナイトメアの部隊に目を丸くする。

 何故ならそこにいたのは自由インド軍が使用している鋼髏(ガン・ルゥ)では無く、もっと人型に近いナイトメア――グラスゴーだった。

 ただカラーリングがブリタニアとも日本とも違う、砂色の機体だった。

 その肩にペイントされているのは、インド国旗。

 

 

『――――不愉快です、ブリタニアの騎士』

 

 

 女の声が、聖職者の声が響く。

 このインド製グラスゴーは、かつて青鸞が世界に流した設計図を元にインドが製造した物だ。

 そして今、最精鋭にして最前衛として突出してきたインド・グラスゴー部隊を率いているのは、6本の腕を持つ特殊な白いグラスゴーだった。

 

 

『――――貴方達はいつもそう、優秀な人材がブリタニアにだけいると思っている』

「それが?」

 

 

 聖職者――シュリー・シヴァースラの率いるグラスゴー隊が、アーニャのモルドレッドを半包囲する。

 それをコックピットの中からチラリと見合って、しかし気にも留めずに六腕のグラスゴーに照準を合わせた。

 無感動な心に苛立ちを乗せて、そのまま砲撃を。

 

 

『――――その傲慢、神の名の下に正して差し上げます』

「そう、興味ない」

 

 

 操縦桿のスイッチを押し、怒涛の砲撃を開始した。

 

 

「……お? 何だぁ、インドがグラスゴー? どういうことだい、こりゃ」

 

 

 トリスタンの中から地上を見下ろしていたジノは、戦況の変化に気付いていた。

 とは言えモルドレッドがいつにも増して砲撃を行っているので、余り心配はしていなかった。

 彼が集中すべき敵は、とりあえず前方にいるのだから。

 

 

「おっとぉ」

 

 

 戦闘機形態からKMFモードに機体を変化させ、ハーケン型MVSを頭上に構える。

 次の瞬間、月姫の振り下ろす廻転刃刀・改の刃がMVSと衝突する。

 回転する刃がMVSの表面を削り取る様を見て、場違いながらジノは口笛を吹いた。

 

 

「はは、もしかしてサシなら勝てるとか思ったのかい? それは……」

 

 

 MVSの柄を捻るようにしながら刃を後方へ受け流し、そのまま槍のように振り回して反対側のMVSの刃を月姫の背中に打ち込んだ。

 斬ると言うよりは打つと言う動きだ、衝撃に月姫が横に一回転する。

 ここでジノは追撃に出ようとするのだが、それは防がれた。

 

 

 打たれると同時に放たれていたらしい月姫のスラッシュハーケン、その巻き戻しを利用してトリスタンを牽制した一撃によって。

 器用なことをする、とジノは思う。

 だがラウンズ程の力があるかと言われると、少々物足りなかった。

 

 

「これが試合だったら、随分と楽しめたんだろうけどね」

 

 

 苦笑すら口元に浮かべて、しかし目は僅かも笑わず――目の前の月姫、そしてその先のヴィヴィアンにその視線は注がれている――ジノは操縦桿を握っていた。

 足元のペダルを緩急つけて踏み込む様は熟練の技で、フロートシステムを完璧に操っていた。

 その点、陸戦に慣れている青鸞よりも一日の長がある。

 

 

(ラウンズの訓練試合でも、勝てたこと無かったしね……!)

 

 

 それは青鸞も認めている所で、ナイトオブイレヴンのセイラン・ブルーバードはラウンズの中でも最弱の部類に入っていたのだ。

 ちなみにジノは、ラウンズの中でもかなり上位に入る。

 よって、青鸞としてはかなり苦しい時間が続いているのだった。

 

 

 何より面倒なのが、ジノと戦っているせいか、セイラン・ブルーバードの記憶が刺激されて仕方が無い。

 頭の奥がズクズクと痛んで集中の邪魔で、正直、キツい。

 ともすれば反転してしまいそうだ、そんな場合では無いのに。

 

 

「……っあ!」

 

 

 そしてそれが、ナイトメアの動きにも現れた。

 一瞬の隙を突かれて、月姫の両腕に持っていた廻転刃刀・改が2本共に根元から砕かれてしまった。

 コックピットサイドの鞘から刀を抜こうにも、空中でバランスを崩した状態ではどうすることも出来ない。

 

 

 その隙は、致命的だった。

 視覚は追いつく、が、ナイトメアと身体の動きがついていかない。

 目前に迫るトリスタンのスラッシュハーケン、それでも何とか回避を試みようと操縦桿を引いた瞬間。

 

 

『姉さん!』

 

 

 時間が止まった。

 比喩的な表現では無く、実際に時間が停止したのだ。

 ただし青鸞の時間は止まらない、つまりこれは。

 

 

「ロロ!?」

 

 

 ロロである、黄金のヴィンセントが停止時間の中でも止まらないトリスタンのスラッシュハーケンを弾き飛ばして、まず月姫を守る。

 そして停止時間が終わるまでにフロートシステムで飛び、トリスタンの側面からランス型MVSを振り下ろした。

 

 

『……おぉっと?』

 

 

 停止時間が解ける、その刹那。

 確実に撃墜していたはずの一撃を、ジノは防いだ。

 防げるはずが無い一撃を防がれて、ロロはヴィンセントのコックピットの中で目を見開いた。

 

 

「なっ……反応した!?」

 

 

 体感時間を停止させるロロのギアスは、本人にとってはまさに「時間を止められる」のだ。

 対人戦闘に関しては、事実上無敵だ。

 それなのに、ジノは反応して見せた。

 

 

『何だ? 変な動きだなお前、いきなり後ろに出てくるとか』

 

 

 戦闘機モードに変形してロロのMVSをかわし、一気に加速して距離をとった。

 そして再びKMFに変形、ロロのヴィンセントに対して臨戦態勢を整えた。

 尋常で無い反射神経は、青鸞とは違う「本物のラウンズ」の実力が成せる技か。

 それを見て、本職のパイロットでは無いロロは唇を噛んだ。

 

 

 そして、想う。

 姉を助けられるのは自分だ、姉を守れるのは自分だ、姉を救えるのは自分だ。

 だからあんな奴に、負けるわけにはいかない。

 自分には、そのための力があるのだから。

 姉のために使う力にこそ、意味があるのだからと。

 

 

「ロロ……!」

 

 

 ジノと戦闘に入ったロロに呼びかけて、体勢を整えた月姫が飛翔しようとする。

 だがそれは、後方から放たれたエネルギーの弾丸によって阻害されてしまう。

 側面へ滑るようにしてそれを回避して振り向けば、そこには。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――ヴァリスを構えたランスロット、つまり、兄がいた。

 上空で睨み合ったのは数瞬だったように思う、次の数瞬には切り結んでいたから。

 まず月姫が下から一合目を放ち、続いての二合目は側面に回り込んだランスロットが放った。

 コックピット横から抜いた刀を盾に、ランスロットの蹴りを捌く。

 

 

「相も変わらず、ブリタニアのために戦ってるわけだ……!」

『キミこそ、大勢の人と巻き込んで戦乱を広げている』

「ああ、そう!」

 

 

 右の操縦桿を押し込む、すると機体は左回転で刀を振るった。

 すでにソード型のMVSを抜いていたスザクは、それを逆方向から放って刀を受け止めた。

 青空の中で赤白い火花が散り、衝撃が操縦桿を通して互いの手に伝わってくる。

 

 

 そしてこの話題について、もはや2人は接点を見出せるとは思っていなかった。

 命よりも大事な物があると言う側と、命よりも大事な物は無いと言う側。

 この2人、スザクと青鸞は噛み合うことが無い。

 それでも。

 

 

『――――戻れ、青鸞!』

「戻る? どこに!?」

『ブリタニアへ、ラウンズへ』

「正気?」

 

 

 ランスロットの蹴りで放された所、腕の内蔵砲での射撃を行う。

 だがそれはヴァリスの弾丸に弾き負けてしまい、青鸞はさらなる回避を行わなければならなかった。

 しかしナイトメアの操縦以上に、青鸞はスザクとの会話に力を割いていた。

 スザク自身の動きも妙だった、月姫の重要な機関を狙ってこないのだ。

 もしかしたなら、ルルーシュのギアスの影響なのかもしれない。

 

 

『キミは、そんな所にいちゃいけない!』

「だったら! どこなら良いの!?」

 

 

 どこにいれば、貴方は満足なのか。

 

 

「勝手に決めるな、それに!」

 

 

 メインモニター正面、剣と刀が火花を散らす向こうに白の騎士がいる。

 しかし実は、スザクに対しての想いもすでに純粋なものでは無い。

 枢木青鸞にとっては、スザクは父親の仇のままだ。

 だがセイラン・ブルーバードにとっては、スザクは「自分を守ってくれる人」なのである。

 剣先が鈍る、それに対して青鸞は唇を噛んだ。

 

 

「それじゃあ、貴方が父様を殺した意味って何なの……!?」

 

 

 戦争を止めるため、そしてルルーシュとナナリーを守るため、それからもう一つ。

 青鸞を、ブリタニア皇帝の手に渡さないためでは無かったのか。

 だと言うのに、今はブリタニアに戻れと言う。

 

 

 そんなことに青鸞が頷くと、本当に思っているのか。

 思っているのだとすれば、救いようが無いと思った。

 スザク……そして、青鸞にとっても。

 救いの無い話じゃないかと、思いながら。

 

 

『じゃあ、青鸞。キミの居場所はルルーシュの所にあると言うのか?』

「何を……」

『メーラトの暴動』

 

 

 不意に出た単語に、青鸞は眉を顰める。

 だがスザクは続けた、努めて冷静さを強いているような声音で。

 接触を続けながらの会話は、まだ続いている。

 

 

『アレは、ゼロが……ルルーシュが、仕掛けたことじゃないのか?』

 

 

 ――――ギアスを使って。

 

 

「……!」

『キミ達には、もしかしたら正義があるのかもしれない。でも青鸞、メーラトの暴動では子供が死んでいる、死んでいるんだよ。それでもキミは、自分達の正義を行うことに疑問を感じないと言うのか?』

「それを」

 

 

 そんな可能性、考えたことも無い。

 なるほど、確かにルルーシュのギアスならばそれも可能だろう。

 だけど、と青鸞は信頼する。

 だって、そうでなければルルーシュの「戦う理由」が汚れたものになってしまうから。

 

 

「ブリタニアが、言うな……!」

 

 

 激昂して操縦桿を押し込んだ刹那、すぐ傍を赤紫色のナイトメアが通り過ぎた。

 急速に上昇したそれは、護衛小隊やインド軍の追撃を振り切ったモルドレッドだ。

 両肩の装甲をスライドして4連ハドロン砲を連結した状態、その照準が後方――ヴィヴィアンを狙っていることを悟った青鸞は、操縦桿を引こうとして出来なかった。

 目の前に、ランスロットがいる。

 

 

「――――ル……ゼロッ!!」

『――――終わり』

 

 

 出来たことと言えば、通信で注意を呼びかけることぐらい。

 次の瞬間には、モルドレッドの砲に赤紫色のエネルギーが収束を始めた。

 数秒後には発射されるだろうそれに、青鸞は心臓を掴まれるような思いがした。

 モルドレッドのシュタルクハドロンの威力は、戦艦1隻を沈めるに足る物があるのだから。

 

 

 そしてエネルギーが放たれ、次いで爆発が起こった。

 

 

 だがその爆発は想像よりもかなり手前、モルドレッドの目前で起こった。

 具体的には、直上から叩き込まれた大剣によってシュタルクハドロンの砲身がヘシ折られ、暴発したエネルギーが爆発を生んだのである。

 通信空間にアーニャの小さな悲鳴が響き、ジノとスザクが一時的に動きを止めた。

 

 

「あ、アレは……」

 

 

 赤黒い爆煙の中から、シュタルクハドロンの砲撃を止めた存在が姿を現す。

 それは空よりも濃い青のカラーリングを施されたナイトメアで、ブリタニアタイプのナイトメアでありながら日本製の飛翔滑走翼を装備していた。

 シュタルクハドロンの砲身を叩き折った大剣を両腕で構えるその姿は、ともすれば重騎士のようにも見えた。

 

 

『『「「ラグネル!?」」』』

 

 

 複数の声が同じタイミングで響く、事実、それはナイトオブイレヴンの搭乗機であるナイトメアだった。

 太平洋からそのままヴィヴィアンに収容されていた機体、青鸞が月姫に乗っている今、いったい誰が乗っているのか。

 それは。

 

 

「ナイトオブラウンズ……父上の剣か。だが」

 

 

 ボリュームのある紫の髪、唇を彩るルージュ、大きくも鋭い紫炎の瞳。

 左眼に輝くのは、呪われた赤い輝き。

 その女のことを、人々はこう認識するだろう。

 

 

「今、私の剣先は父上にも向けられているぞ……!」

 

 

 ブリタニア第2皇女、エリア11総督、帝国の戦女神。

 『閃光』の後継者。

 ――――コーネリア・リ・ブリタニア、と。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ここで、少し時間を遡らなければならないだろう。

 青鸞やルルーシュがクリケットの試合を終えたあの日、バンク・オブ・コルカタの本店前の通りに立っていた、コーネリアとの再会の時間まで。

 遡らなければ、ならないだろう。

 

 

「仮面を取れ、ルルーシュ」

 

 

 バンク・オブ・コルカタの一室、服の端から雨の雫を滴らせながらコーネリアがそう告げた。

 雷鳴だけが照明のその部屋で、コーネリアはルルーシュ=ゼロに仮面を取るように告げる。

 赤いギアスの紋章が浮かび続ける左眼が、ルルーシュの一瞬の躊躇を見て細められた。

 

 

「面倒なことをするな、ルルーシュ。私はこの半年間『饗団』にいたのだ、今さらお前の正体に疑問を持ったりはしない。そして私のギ……「これ」は、人の目を見て発動する物でも無い。だから顔を見せろ、我が義弟クロヴィスを殺した男の顔を、見ておきたい……」

『……そうか、全てを知っていると言うわけだな』

 

 

 そこまで言われてしまえば、ルルーシュとしても仮面に固執する必要は無い。

 仮面を外し、ギアス抑制用のコンタクトレンズをつけ、改めてコーネリアを見る。

 コーネリアのギアス――よほど嫌っているのだろう、「これ」呼ばわりだ――が視線を交わして発動する物では無いことは、コーネリアの気質からわかっている。

 

 

 問題はギアス饗団にいたと言う言葉だろう、見る限りでは、望んでいたわけでは無さそうだ。

 ならば逃げ出して来たのか、1人でか誰かの手を借りてか。

 いずれにしても、何か事情があることは予測できる。

 そしてその事情のために、ルルーシュに会いに来ただろうことも。

 加えて言えば、彼女はルルーシュが知りたがっている情報を持っていると言うことでもあった。

 

 

「クロヴィスを殺したか」

「……ああ、俺が殺した。この手で」

「……ナナリーのためか?」

「ああ」

「そうか」

 

 

 確認の言葉に頷けば、コーネリアはマントの下からいつぞやの剣型の銃を取り出した。

 その銃口を、ルルーシュに向ける。

 元よりクロヴィス殺害犯を討つためにエリア11に赴任した女性だ、その行動におかしな所は無い。

 だが、それをさせるはずも無い。

 

 

「……クルルギの娘、か」

「…………」

 

 

 どこかに置いてあったのだろう、食事用の銀ナイフを手に青鸞が立っていた。

 コーネリアの首筋に銀のひんやりとした感触が広がる、だが彼女はそれを全く気にしなかった。

 鬼気迫っている、そう感じた。

 だがそれに怯んでやる程、青鸞は初心な小娘では無いつもりだった。

 

 

「貴女は、ボクの大切な人を殺した」

 

 

 卜部のことだ。

 セキガハラでコーネリアのランスに貫かれた場面を、青鸞は今でも思い出すことが出来る。

 だが、それに対してのコーネリアの返答は冷たかった。

 

 

「お前も、私の部下を殺したな」

 

 

 グラストンナイツのリーダー格、腹心ダールトンの息子。

 セキガハラで青鸞に自分を守った部下が斬られた場面を、コーネリアは忘れたことは無い。

 不毛な議論だな、と思うのは、唯一距離を置いているC.C.だけだっただろう。

 そしてコーネリアは、そんなC.C.の視線に気付くと。

 

 

「お前がC.C.か」

「……だったら、何だ?」

「別にどうもしないさ、V.V.には世話になった……いろいろとな」

 

 

 碌なことでは無いだろうな、そう思ってC.C.はコーネリアから視線を外してルルーシュを見た。

 その視線を受けてと言うわけでも無いだろうが、ルルーシュはコーネリアの銃口を冷たく見据えて。

 

 

「本題を話せ、コーネリア。まさかこんな所まで恨み言を言いに来たわけでは無いだろう」

「……ふん」

 

 

 鼻を鳴らして、銃を下ろすコーネリア。

 それに合わせて青鸞もナイフを下ろす、瞳に剣呑な色を浮かべたままだが、とにかく下げた。

 

 

「私はユフィを救う、ギアスの呪縛から解放する」

「なら何故ここに来た? 貴女の才覚ならエリア11に戻ることくらい、簡単だろう」

「腹の探り合いをするつもりは無い、ルルーシュ。わかっているだろう、ユフィをギアスの呪縛から解き放つためには、元を断たねばならない」

「元? 饗団を潰すと?」

 

 

 ルルーシュは笑みを浮かべた、それはルルーシュが考えていたことでもあったからだ。

 とは言えルルーシュとしては、饗団については壊滅よりも利用する方向で考えていたのだが……。

 

 

「違う」

 

 

 だがコーネリアはそれを否定した、ルルーシュだけでなく青鸞も僅かに首を傾げた。

 そんな2人と、そしてC.C.に対して、コーネリアはある言葉を告げた。

 それは、物事に対して公正な彼女らしい言葉だった。

 すなわち諸悪の根源はギアスでも、饗団でも無く――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――大したものだ、とルルーシュ=ゼロは思った。

 ヴィヴィアンの艦橋、戦況を見つめ続けながら彼はラグネルを駆るコーネリアの動きを見ていた。

 ルルーシュの母后マリアンヌは、かつて『閃光』と呼ばれたナイトオブラウンズの騎士だった。

 コーネリアはそんな母に憧れてナイトメア乗りになった、そしてその実力は。

 

 

(閃光のよう、か……)

 

 

 仮面の中で目を細めるルルーシュのことを、C.C.だけが見つめている。

 先程左舷のカタパルトから勝手に出撃したナイトメアはラグネル、太平洋で鹵獲してから乗り手がおらず、格納庫に収容され続けていた機体だ。

 状況としては強奪だろう、だがそれはルルーシュとコーネリアの間で交わされた密約なのだ。

 その内容は、まさに互いの利害が一致したからこその物。

 

 

「諸悪の根源、父シャルルとその兄、V.V.を討ち――――ユフィを取り戻す! そのためには……お前達は邪魔だ、円卓の騎士!!」

『ど、どうして、ラグネルが……!?』

 

 

 そうコックピットの中で叫び、コーネリアがランスロットに突進する。

 ギアスも饗団も、所詮は物であり組織でしか無い、それを恨んでも意味は無い。

 人だ。

 それを扱う人の意思が変わらない限り、同じような悲劇は永遠に生み出され続ける。

 

 

 故にギアスと饗団を悪用し、暗躍している皇帝シャルルとV.V.を討つ。

 どの道コーネリアはこの両者がいる限り日の下を歩くことは出来ない、攻勢に転じて反撃し、抵抗の末に討ち果たさなければ、道は開けない。

 だから彼女は一時的にルルーシュや青鸞と手を結んだ、己自身が感じている怒りや復讐心を押さえ込んで。

 

 

『おいスザク! どういうことなんだ、アレにはセイランが乗っているのか?』

「い、いや、違うと思う。でも、この強さは……!」

 

 

 元々ラグネルは、白兵戦を想定された機体だ。

 それ故に大剣を振り回して粉砕しようとするスタイルはコーネリアに嵌まっていて、よりスマートな戦い方を得意とするスザクとランスロットにはやりにくい相手だった。

 スザクには相手パイロットの正体はわからない、が、強いとは感じる。

 その意味では、スザクもまた純正のラウンズとは言えないのかもしれなかった。

 

 

「……邪魔」

 

 

 主砲装備を破壊されはしたが、モルドレッドもまだ健在だ。

 コックピットに警告音が響く中、表情を不機嫌に歪めたアーニャが全身のレーザー砲塔の照準をラグネルへと向けた。

 ジノとスザクの通信からアレが敵のナイトメアだとわかっている、だから容赦はしない。

 

 

 もちろん、ラグネルを駆るコーネリアもそれには気付いている。

 とは言えスザクとの戦闘に集中している今、背後のモルドレッドにまで気を割いている余裕は無い。

 だからこのまま放っておけば、撃墜されてしまうだろう。

 放っておくか?

 否、それが出来ないのが……。

 

 

「はああああぁぁ――――っ!」

 

 

 青鸞と言う、娘だった。

 スザクの圧力から逃れて体勢を整えた彼女は、冷静さを取り戻すと共にやるべきことをした。

 卜部が見たら、褒めてくれるだろうか。

 そんなくだらないことを考えながら刀を振り下ろし、モルドレッドの砲撃を止める。

 

 

「……っ、何!」

 

 

 苛立つように叫び、アーニャは操縦桿のボタンを弾いた。

 次の瞬間にはモルドレッドの全身を半透明のシールド――ブレイズルミナス――が覆い、月姫の振り下ろした刀が外面に当たりスパークを引き起こした。

 ガードされるだろうとは思っていたが、MVS相当の刀でさえビクともしないとは。

 

 

(アーニャも、ボクより強かったもんね……!)

 

 

 そんなことを思って、唇の端を笑みの形に歪めかけたその時。

 異変が、起こった。

 それは衝撃的な異変で、そしてすでに何度か経験している感覚だった。

 

 

 暴虐の波の中に、汚濁の海の中に、成す術なく投げ落とされる感覚。

 

 

 視界の中で現と虚が揺れて、彼方から女達の声が聞こえる。

 未だにこちらが持っている清らかさを羨望するかのように、泣き続ける女達の声。

 そして、紋章。

 ギアスの、紋章――――。

 

 

(な……な、に……?)

(この、声……は、っ!?)

 

 

 その声の中に、ふと知っている声が紛れていた。

 物静かで、それでいて今は困惑に揺れていて、そして鉄の人形の向こう側にいる声。

 それは、つまり。

 

 

(……アー、ニャ……?)

(…………セイ、ラン?)

 

 

 2人の精神が、混線する。

 コードを伝わって一瞬だけ絡んだ糸は、結ばれる前と同じようにすぐに解けてしまって。

 次いで、世界が砕けた。

 心の、世界が。

 

 

『――――青鸞!?』

 

 

 そう、現実の世界で自分を呼んだのは誰だろう。

 恩師か、先輩か、幼馴染の少年か――――……あるいは。

 もしか、したならば。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 中華連邦軍旗艦『竜胆(ロンダン)』のメインモニターに映る戦況は、まさに大宦官達の望む通りの物になっていた。

 メインモニターに映るのは、渡河作戦を思うように遂行出来ずにいる自由インド軍の姿だ。

 グラスゴーの投入には驚かされたが、それも一部の戦況を変えただけ。

 

 

 全体として、中華連邦軍の優勢に変わりは無い。

 何しろ物量が違う、漢民族中心で構成されている以上、裏切りも――少なくとも、大宦官達の感覚では――無い。

 だから、艦橋には大宦官達の笑い声が響き続けていた。

 

 

「ほほ、ほほほほ……見ろ、あの無様な様を。所詮は家畜、狼に吼えられて逃げ惑っておるわ」

「星刻も存外にやる、だが戦が終わればもう用済みよの」

「案ずるな、天子の命を握っている限り奴は何も出来ぬ。しかし星刻も変わった奴よの、天子の代わりなどいくらでもいると言うのに。ほほ、ほほほほ……」

 

 

 聞くに堪えない、艦橋スタッフの表情からはそんな感情が滲んでいる。

 実際、彼らにしても今さら天子への忠義などで動く気も無いだろう。

 だがだからと言って、大宦官程にあけすけに欲深に生きるつもりも無い。

 

 

 飢えた人民を踏み躙り、天子に寄生して甘い汁を吸い続ける汚濁に塗れた生。

 欲深で、醜悪で、見るに耐えない醜い生き物。

 あれが本当に自分達と同じ人間なのかと疑いたくもなってくる、だが逆らうことも出来ない。

 逆らえば、明日は我が身。

 大宦官の酒の肴として、野犬に食い殺されるなど御免だったからだ。

 

 

「大宦官さま、第122歩兵大隊が孤立しています。司令部に救援要請が来ていますが、如何致しますか」

 

 

 その時、オペレーターのインド人女性、カンティがそんな報告をした。

 大宦官達はあからさまに表情を嫌悪に歪めた、気分の良い所に間の悪い話をするなと言いたげだった。

 だが他の艦橋スタッフにしてみれば、それは無いだろう、と言う空気だった。

 

 

 何故なら今報告に上がった第122歩兵大隊は、大宦官達の指示で前進した部隊だったのだから。

 戦況の好転に気を良くした大宦官達が攻勢を命じ、先行した部隊。

 司令部の作戦に従った上での危機、いやそうでなくても、救援を求める友軍がいれば何らかの対処を施すのが司令官と言うものだろう。

 援軍を送るなり、撤退を支援するなり、まぁいろいろだ。

 

 

「構わん、捨て置け」

「そのような不愉快な報告、聞きたくないわ」

「全く、余計なことを……おお、敵の右翼が崩れたぞ!」

「ほほっ、ほーっほほほほっ、良いぞ、良いぞ!」

 

 

 しかし大宦官達は、その何れも選択しなかった。

 ただ聞かなかったことにした、無かったことにした。

 そして再びメインモニターを見て、逆渡河をかけつつある自軍の優勢に再びはしゃぎ始めた。

 それを、艦橋スタッフは唖然とした表情で見つめている。

 相当だと思っていたが、まさかここまでとは……と。

 

 

「し、しかし、あの……救援の通信が」

「そのようなもの、通信を遮断すれば良い」

「は……は……」

 

 

 通信担当の将校が額に鈍い汗を流している、彼が片耳に当てている通信機からは、第122歩兵大隊からの悲痛な救援要請が響き続けているのである。

 友軍が助けを求める声、いや単純な死への恐怖から来る絶叫、それが聞こえているのだ。

 しかし大宦官には、それが全く届いていないらしかった。

 

 

「だ、大隊には、600名の友軍が」

「だからどうした、600人の兵士など、後でいくらでも補充できるであろう!」

 

 

 癇癪を起こしたような大宦官の声に、通信官が身を竦める。

 

 

「貴様ら兵士など、いくらでも代えの効く人形よ。何人死のうが知ったことでは無いわ」

「人民などいくらでも湧いてくる、虫のようにな」

「左様左様、貴様ら虫は虫らしく、選ばれた者の養分となれば良いのだ。ほほ、ほほほほほ」

「すなわち、我らのな。ほーっほほほほほ……」

 

 

 世界最大の人口を誇る国、中華連邦。

 専制国家の頂点に立つ者にとって、末端の数百人など省みる必要も無いものなのだろう。

 だがそれでも、末端の人々には意思があるのだ。

 幸福に生きたいという、意思が。

 

 

「貴重な弁舌、感謝するぞ――――大宦官」

 

 

 その時、艦橋に別の澄んだ声が響いた。

 え、と誰もが顔を動かした先に、1人の男がいた。

 長い黒髪に引き締まった身体、ぴったりとしたパイロットスーツに剣を持った若い男だ。

 その顔を知っているのだろう、大宦官達の顔が驚愕に歪んだ。

 

 

「し……星刻!? 何故、ここに!?」

「き、貴様! 前線にいるはずでは……」

 

 

 慌てて振り向けば、やはり星刻の部隊は自由インド軍との戦闘の渦中にある。

 星刻の機体も同じことで、メインモニターを見る限り、星刻がここにいるはずが無かった。

 だがここにいる、その現実を大宦官達は認めることが出来なかった。

 

 

 そして出来ない間に、艦橋に兵士達が雪崩れ込んできた。

 機関銃を手に駆け込んできた彼らの軍服に書かれた所属は――――第122歩兵大隊。

 大宦官の策で危機に陥っていた彼らを星刻が救い、そのまま行動を共にしたのだ。

 

 

「メインモニターに映る戦況は偽物だ、大宦官。貴様らは最初から、目の前の戦場を戦っていなかったのだ」

「なっ……そんなはずが! 戦況は確実にオペレートされていたはず!」

「そ、そうだ。偽物の映像など、どうやって……」

 

 

 はっ、と顔を上げたのは大宦官の筆頭格、趙皓だ。

 彼の視線は真っ直ぐに、「戦況をオペレート」していたカンティの方を向く。

 艦橋スタッフが第122歩兵部隊の兵士達に銃を突きつけられる中、1人だけ銃を突きつけられることなく座っている女。

 

 

「か……カンティ! 貴様、計りおったか! 目をかけてやったものを、取り立ててやった恩を仇で返すか、この卑しい家畜の、人非人め!!」

 

 

 先程の自分達の言動を省みることも無く、趙皓はそう喚いた。

 それに対して返って来たのは、先程までの笑みを消した、冷淡なカンティの視線だった。

 

 

「恩? お前たち大宦官に受けた恩なんて一つだけよ。――――私の義兄の父親を、四肢を牛に引かせて引き裂いて殺した、それだけ」

「貴様の義父の命など、我らに比べれば塵にも劣る! そのようなことで逆恨みをするとは、恥を知れ!!」

「そこまでにして貰おう、趙皓」

 

 

 腰を上げかけたカンティを手で制し――彼女の正体は、反主流派のスパイだ――星刻は剣先を大宦官に向けた。

 

 

「先程の言動、そして今のこの状況は、カンティによって中華連邦中に報じられている。程なく暴動が起こり、大宦官排斥の運動となるだろう。そして、お前達が似合いもしない前線にまで出て媚を売ったブリタニアにも……な」

「な!?」

 

 

 事実、竜胆の上に陣取っていたアヴァロンが少しずつ移動を始めていた。

 それだけは真実の映像としてカンティが映し出し、大宦官に見せた。

 離れていく、自分達を見捨てて離れていく。

 その様に、大宦官達の表情に絶望が広がっていく。

 

 

「だ、だが……まだ、天子がいる。天子が我らの手にある限り……!」

「見苦しいぞ、趙皓! この期に及んで、まだ天子様を愚弄するか!!」

 

 

 剣を手に大喝しつつ、星刻は内心で「しかし」と思った。

 信頼する部下が頼った人間、事情を知っていると告げた少女。

 こちらを味方に引き入れ、ブリタニアと戦う術を得るために何が必要かを知っているだろう者達。

 そんな者達を頼らねばならないこの身を、星刻は情けなく思うのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 デカン高原の戦い、その開始から10時間が経過した頃――――洛陽、いや朱禁城の一部が俄かに騒がしくなった。

 一部に留まっているのは、デカン高原の戦いの趨勢を知る者が僅かだからだ。

 だが機密を知ることが出来る一部とは、つまる所権力者だと言うことだ。

 

 

「む……」

 

 

 天子の寝所を擁する朱禁城の養心殿、そこでまさに天子の寝所の前を守護する女性、張凛華がふと顔を上げた。

 もう何日寝ずの番をしているのか、目の下に深い隈ができているが……槍の柄を握り締めるその手は力強かった。

 足裏にかける体重を微妙に変えつつ、頭上で回転させた槍を振り下ろすようにして構える。

 

 

 その槍先にいるのは、自分と同じ禁軍の衣装を纏った男性兵達――ただし、あちらは大宦官派だが――さらにその後ろに、先日追い返した高級官僚達の姿がある。

 遠く、また人の壁の向こうにいるため見えにくいが、どうも泡を食って慌てている様子だった。

 血走った目で、先頭の官僚が何かを叫んでいる。

 

 

「天子を、天子を確保しろ! 天子さえいれば……いや、殺せ! もう殺してしまえ、もっと都合の良い人形を天子に据える! そうすればまだ、まだ……!」

 

 

 何やら悲痛な様子さえ感じるが、それは凛華には関係が無かった。

 彼女の役目は、天子の守護である。

 まして天子に敬称すらつけず、殺せとすら叫ぶような不忠者の都合など知らなかった。

 彼女は自分の役目として、許されざる者達を天子の寝所へと通すわけにはいかなかった。

 

 

「来るか……!」

 

 

 狭い通路の上で槍を横に振るう、まず正面の2人を薙ぎ払う。

 庭園に繋がる手すりを乗り越えて吹き飛ぶ兵士達、しかし兵士は次から次にやって来る。

 先方が打ち込んでくる槍を弾き、蹴りを放って兵士を弾き、踵を軸にして舞うように動く。

 1人で凌ぐには限界がある、が、それでも通すわけにはいかない。

 

 

「ええい、何をしている! そんな小娘、さっさと殺してしまえ!」

「ナイトメアを出せ!」

「何……ここは天子様の寝所。ナイトメアなど……」

 

 

 だがその時、顔を上げた凛華の両サイド……鋼髏(ガン・ルゥ)2機が庭園を回りこんで姿を現した。

 天子の寝所にナイトメアを持ち込む、慣例に照らせば死罪だ。

 それだけ必死だと言うことか、だがこれで凛華が不利になったことには違いが無かった。

 彼女はそれでも槍を構えつつ、一気に下がって寝所の扉に自分の背を叩きつけた。

 

 

 ――――お逃げください、天子様。

 

 

 背中を守ったと言うよりは、中に危急を伝えるためにそうした様子だった。

 何しろ相手は自分はもちろん天子をも殺そうとしていて、しかも兵達が下がっている。

 つまり、鋼髏(ガン・ルゥ)による射撃で寝所ごと破壊する気なのだ。

 だが凛華は例えナイトメアの射線にいようと、どくつもりは無かった。

 己がすべきことはただ一つ、例え薄い壁扱いをされようと、立ち続けることだ。

 

 

「――――――――!」

 

 

 悲壮な覚悟で両の足を踏ん張った刹那、衝撃が来た。

 射撃の衝撃では無い、爆発の衝撃だ。

 焼けた鉄の欠片が周囲に散らばり、熱気が肌の上を滑る。

 そして改めて視界に入るのは、溶け落ちた鋼髏(ガン・ルゥ)の機体を踏み潰す紅のナイトメアだった。

 

 

 ブリタニアとも中華連邦とも違うフォルムのナイトメア、どこか屈んでいるようにも見える。

 屈強な足に装備されたランドスピナーが回転して庭園の土を飛ばし、通路の屋根を飛び越えて反対側へと落ちた。

 そして残り1機の鋼髏(ガン・ルゥ)の頭を銀色の巨大な腕で掴むと、次の瞬間、不思議な波動と共に鋼髏(ガン・ルゥ)を溶かし、爆発させた。

 

 

「ひ、ひいいいいいぃっ!?」

「な、何だあのナイトメアは!? いったいどこから……うわああああぁぁぁっ!?」

「あ、次官殿、どちらに……く、て、撤退、撤退だ!」

 

 

 炎熱の中に立つ紅のナイトメアを悪魔か何かと思ったのか、官僚達が腰を抜かしながらも逃げ出していく。

 彼らの指示で動いていた兵士達はもう少し肝が据わっていたようだが、それでも逃げを選択した。

 そこまで命を懸けるつもりも、無かったらしい。

 

 

「…………」

 

 

 そして凛華はと言えば、やはり寝所の扉の前から動かなかった。

 警戒するように槍を紅のナイトメアに向けているが、その頬には一筋の汗が流れた。

 しかしその警戒は、結果的には取り越し苦労になる。

 

 

『大丈夫?』

 

 

 一度だけマイク越しに声が響いて、紅のナイトメアのコックピットが開いた。

 オートバイ式のコックピット内部が見えて、そこに立ち上がった赤い髪の少女の姿が見えるようになる。

 少女は自分に槍先を向ける凛華を特に気にせず、そのままの姿勢を保った。

 

 

「私は紅月カレン、黒の騎士団……あーと、今は自由インド軍に協力している者よ」

「……反大宦官派と言うことか?」

「そう言うことに、なるのかしらね? 曖昧で申し訳ないけれど、一応味方……のつもり」

「信用しろと?」

「一応、周香凛と言う人の要請で天子様を守りに来たんだけど」

 

 

 凛華の言葉に、カレンは肩を竦める。

 実はルルーシュ=ゼロからは「隙を見て朱禁城に突入し、天子の危機を救え」としか言われていない。

 それ以外の根回しについてはしていないのが実情で、だからこのまま捕縛されても文句は言えない立場だった。

 

 

 凛華の立場からすると、自分はどう見えるのだろうとカレンは思う。

 正体不明の存在が敵を屠った、敵の敵は味方の法則が通じれば良いが、現実的では無いだろう。

 だからカレンは凛華の目をじっと見ることしか出来ない、凛華もそれは同じだった。

 その均衡を破ったのは、意外な場所から現れた人物だった。

 

 

「……凛華、大丈夫ですよ。その人は味方ですから」

葵文麗(キ・ウェンリー)殿」

 

 

 葵文麗、その名前は周香凛から聞いている。

 反主流派の人間で、天子付きの後宮女官兼侍医。

 今回、天子を「病気」として養心殿で保護する奇策を使ったのも彼女だ。

 

 

(でも、思ったより無個性と言うか……特徴の無い人なのね)

「それはどうも、覚えにくくて申し訳ありませんね」

「え? あ、いや……声に出てた?」

「いいえ、でも皆、似たような印象を持つそうなので」

 

 

 文麗と言う女性は、思ったよりも若かった、女官や侍医と言うからもう少しお姉さん系かと思っていた。

 特徴云々の話は、彼女の顔立ち自体は整っているのだが、とりたててどこが美しいと言うのが無い、「ただ綺麗」としか言えない顔立ちのせいかもしれない。

 あえて言えば、底冷えするような知性を感じさせる翡翠の瞳が特徴と言えば特徴だろうか。

 

 

 アジア系にしては白い肌は、袖や裾が長いロングドレスのような女官服で顔以外を全て覆っている。

 基調色は赤と桃、インナーとも言えるドレス部(袖やスカート)は全て白だ。

 手は袖の中、足はスカートの中に完全に隠れていて、長い黒髪は黒漆の簪で纏め、余り部分を垂らすと言う髪型に綺麗にセットされている。

 両袖を合わせるようにお腹の前で手を重ねるその姿は、まさに「女官」と言う出で立ちだった。

 

 

「文麗殿、あの者は味方でございますか」

「おそらく、たぶん、きっとそうでしょう」

「文麗殿がそう言うのなら、そうなのでございましょう」

 

 

 何が「そう」なのだろう、カレンは本気でそう思った。

 だが凛華は文麗の言葉にこくりと頷いて。

 

 

「それでは」

 

 

 その場に、ばたりと倒れた。

 それに慌てたのはカレンである、彼女はコックピットの縁に手をかけて身を乗り出すと。

 

 

「ちょっ……その人、大丈夫なの!?」

「大丈夫ですよ、ただ寝ているだけですから。お気遣い有難う」

「ね、寝てる……?」

「ええ、もう何日も寝ていないので」

 

 

 本当だった、目を凝らしてみると倒れた凛華の胸が規則正しく上下に動いていることが確認できる。

 もしかしたら何日も寝ずに寝所の扉を守っていたのかもしれない、仲間が何か手を打ってくれていると信じて、ひたすらに。

 その愚直さは、みっともないが……好感が持てた。

 

 

「……文麗……?」

 

 

 そして、最後の1人が寝所の外へと出てきた。

 誰かなど聞くまでも無い、扉の陰から外を窺うように出てきた小さな人影は、凛華が寝ずの番で守り続けた主君だ。

 世界最大の人口を誇る連合国家、中華連邦の頂点。

 

 

「え……天子様って、そうだったの?」

 

 

 女性だと言う話以外外に情報が無かった、なのでカレンにとっては、中から出てきた存在は意外だった。

 何故ならば、中華連邦の皇帝、「天子」の正体、それは。

 とても、とても小さな――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 中華連邦から遠く、キュウシュウ・ブロック――カゴシマ基地。

 未だエリア11統治軍と睨み合いが続くその地は、主力が中華連邦で上げる成果を待ち続けていた。

 域内は平穏で静かなもので、物資不足を除けば、何の問題も見える。

 

 

「まだ下には流していない情報ですが、中華連邦での作戦、概ね上手くいったようです」

「……そうですか」

「ええ、証拠も揃えましたし……後は、帰還を待つか向こうに出向くか、まぁ、いずれにしても調度良い時期でしょう」

 

 

 情報部の個室、防音が施された狭い部屋の中で、2人の人間が何度目かになる密談を行っている。

 ディートハルトと扇、黒の騎士団の情報参謀と副司令だ。

 ただ表情は対照的で、ディートハルトが笑みを浮かべているのに対して扇の表情は暗い。

 表情を察するに、何か後ろ暗いことの片棒を担がされているような。

 

 

「扇さん、黒の騎士団の今後のためです」

「いや、だが……やっぱり、こう言うやり方は」

「非常時です、扇さん。いや副司令、ゼロの立場をより強固なものとするためにも」

 

 

 躊躇する扇に、ディートハルトが囁く。

 囁きを受けた側は、その囁きがどんなに黒いものであるか理解していながらも、拒めない。

 拒めないように囁かれるそれは、蟻地獄のようなものだ。

 

 

「問題は旧日本解放戦線のメンバーですが、三木大佐や草壁中佐に関しては情報部で手を回しておきます。副司令には、黒の騎士団の正規メンバーの動揺を抑えて頂いて……」

 

 

 自分の力ではけして出れない、蟻地獄。

 扇は己の願望のために、身動きが取れなくなりつつあった。

 悪意の無い良い人間であるが故に、彼は。

 戦い続ける、抗い続けると言う道を歩き続けることが。

 

 

 ――――出来ない。




採用キャラクター:
リードさま(小説家になろう)提案:葵文麗。
ATSWさま(小説家になろう)提案:カンティ・シン。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 そろそろエンディングを見据えたプランニングをしないと危ない時期に来ました、超えるべきハードルの数としては……4つくらいでしょうか。
 でも原作とは違う方向に持っていきたいので、いろいろ仕掛けて回収していきましょう。
 はたして、私は広げた風呂敷を畳めるのでしょうか……。
 そんなわけで、次回予告です。


『中華連邦の件は何とかなりそうだけど、ブリタニアがこれで引き下がるとは思わない。

 きっと何かしてくると思う、けど、向こうも一枚岩では無い。

 帝国と、饗団。

 コインの裏表のように一体だったそれは、実は――――』


 ――――TURN14:「冷たい 夜 に」


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TURN14:「冷たい 夜 に」

暴力表現あり、ご注意ください。


 ――――気が付いた時、そこは見知らぬ部屋だった。

 いや、そこがどこであるのかはわかる。

 白を基調とした壁や床、ベッドにシーツ、いわゆる病室と呼ばれる部屋の特徴を備えていた。

 ややくすんだ壁色が、病院が設立されてからの時間を感じさせる。

 

 

「…………病院?」

「それ以外に見えるのだとすれば、なかなか目が良いな」

 

 

 身を起こすと同時に声がして、青鸞は視線をそちらへと向けた。

 声の主は病室の窓際にいた、昼間なのか、優しい風に揺れる白いカーテンの向こうには陽光が照っているのが見える。

 そして陽光を受けるのは、輝くばかりの美貌を持った魔女だった。

 

 

「C.C.……さん? あれ、何で……?」

「覚えていないのか?」

 

 

 椅子に座り何か分厚い本を読んでいたらしいC.C.は、それを丁寧な動作で閉じて自分の膝の上に置く。

 そしてそのゆっくりとした動作の間に、青鸞は気絶する直前の記憶を取り戻した。

 フラッシュバックのように戻ってきたそれに、青鸞はシーツを跳ね上げる程の大きな動きを見せた。

 

 

 自分は戦場に出ていたはずなのに、どうして病室で寝ているのか?

 インドの叛乱はどうなったのか、中華連邦本国の作戦はどうなったのか?

 そして、スザクやアーニャ達ブリタニア勢はどうなったのか。

 ルルーシュは、黒の騎士団や旧日本解放戦線の皆は無事なのか。

 だがそんな彼女に、C.C.は冷静に一言だけ告げた。

 

 

「見えてるぞ」

「え? ……あ、わっ!?」

 

 

 一瞬何を言われたかわからなかったが、C.C.の視線を追うことで理解した。

 シーツを捲ったその下には肌色が見えている、つまり青鸞は何も身に着けていなかった。

 どうやら例の癖は、いついかなる時でも発揮されるものらしい。

 慌てて動いたためにかなり際どい部分まで見えてしまっていて、青鸞は顔を赤くしてシーツを掻き抱いた。

 

 

「……薄いな」

「何が!?」

 

 

 静かなC.C.の言葉に抗議じみた声を返す、だがC.C.はそんなことを気にも留めなかった。

 そこで、ふと青鸞は不思議を感じた。

 どうして、C.C.がここにいるのだろう。

 

 

 普通に考えるなら、看病とかお見舞いかだろう。

 本を読んで時間を潰していたことを考えるとおそらく前者だが、普段のC.C.を知る者なら彼女がそんなことをする人間とは思わないだろう。

 だが青鸞に関することであれば、その評価はやや変化する。

 だからこそ、青鸞は不思議に思うのだが……。

 

 

「ここはコルカタの病院だ、マハラジャの好意で病室を用意してもらった」

「マハラジャ……インドの?」

「それ以外にいるか? まぁ良い、それでお前が寝ていた日数だが…………一週間だ」

「一週間!?」

 

 

 驚いた、まさか一週間も寝ていたとは。 

 だがそんな青鸞に対して、C.C.は片手を軽く上げて見せた。

 止まれ、のジェスチャーだ。

 また肌が見えてしまったのかとドギマギする青鸞だが、その時、傍で誰かが小さく唸る声が聞こえた。

 

 

「……ロロ?」

「ん……姉さ……」

 

 

 最初にシーツを跳ねた時に隠れてしまったのだろう、シーツを取り払うと繊細そうな少年が現れた。

 眉を八の字にしてむにゃむにゃ言っていて、青鸞のベッドに半ば上半身を預けて眠っていた。

 どうやら今のC.C.の「待て」は、ロロのことを気にしてのことだったらしい。

 

 

「私は今日だけだが、そいつは一週間お前に張り付いていたぞ」

「そうなんだ……」

「周りを威嚇するものだから大変だったぞ、医者にとっては面倒極まりない患者の関係者だったろうな」

「そ、そうなんだ」

 

 

 ロロの頭を撫でようとして上げた手が、行き場を失って空中を彷徨った。

 そんな青鸞に脱ぎ捨てられていたらしい襦袢を投げつけながら、C.C.はどうでも良さそうな目を向けながら。

 

 

「インドの叛乱を含めたこの一週間の動き、聞きたいか?」

「……うん、お願い」

「良し。良いか、まずお前が戦場で気を失った後……」

 

 

 面倒くさそうに、しかし律儀に。

 そうやって話し始めるC.C.の言葉に、青鸞は襦袢を着つつ耳を傾ける。

 自分が意識を失った後に、何があったのかを聞くために。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 インドの大反乱と同時期に行われた中華連邦国内のクーデターにより、中華連邦とブリタニアの婚姻による同盟条約の締結は白紙に戻された。

 中華連邦領内に存在していたシュナイゼル軍も旧EUロシア自治州シベリア――最も、公式には中華連邦もEUもロシアの消滅と占領を認めていないが――へと撤退している。

 

 

 しかし、中華連邦国内の問題は何一つ解決されていなかった。

 むしろ叛乱とクーデターによって国力が落ちた上、さらには「インド独立」と言う事態まで生じている。

 すなわち三極の一つ中華連邦は、今、解体されようとしていたのである。

 

 

「中華連邦として、インドや他の自治州の独立を認めても良いとは、こちらも考えてはいる」

 

 

 場所はインドと中華連邦の中間、ネパールの都市カトマンズの空港だ。

 空港に停泊する航空戦艦ヴィヴィアンの会議場では今まさに、その中華連邦の解体について話し合いの場が持たれていた。

 当事者は3者、中華連邦本国、自由インド、そして叛乱とクーデターの双方に参加する形になり、両者の仲介役として議場(ヴィヴィアン)を設定した黒の騎士団である。

 

 

 会議場には多くの人間がいるが、つまるところ発言しているのは3人だった。

 中華連邦の事実上のトップに立つ星刻、自由インド代表のマハラハジャ、そして黒の騎士団のリーダー・ゼロ。

 この3人の会話によって、会議は回っていた。

 

 

「我らインドの叛乱があればこそ、そちらのクーデターは上手くいったはず。そちらはその恩義を仇で返そうと言うのか」

「そうでは無い、確かにインドの叛乱が我々のクーデターに与えた影響は大きかった。だが、そちらも我々の助力のつもりは無かったはず。結果論を頼りとした要求は認められない」

「つまり、インドの独立を認めるつもりは無いと」

「そうは言っていない」

 

 

 試すようなマハラジャの物言いに、星刻は首を横に振る。

 それからマハラジャがお茶を一口飲むのを見守り――お互い、間を開けたかったためだろう――そして、再び一言ずつの言葉を交わす。

 

 

「わしらはすでに、インドの大半を実効支配しておるが?」

「だが国際法上は中華連邦の領土だ。ブリタニアもEUも、未だインドの独立を承認してはいない」

 

 

 それを聞きながら、ルルーシュ=ゼロは沈黙を保っていた。

 

 

(……黎星刻、流石に強かだな)

 

 

 彼は内心で、星刻の粘りに感心していた。

 ルルーシュ=ゼロが見る所、星刻には今の中華連邦を維持するつもりは無い。

 と言うより、中華連邦本国を掌握しきれていない現状では不可能、むしろインドなどの軍区や自治州は邪魔な荷物になる可能性が高い。

 だから独立したければさせてやる、だが……。

 

 

「インドの独立は認めても良い、が、「いつ」独立するかまで合意した覚えは無い」

 

 

 ルルーシュ=ゼロは仮面の中で苦笑を噛み殺した。

 いけしゃあしゃあと良く言う、今すぐにでも独立して手を離れて欲しいだろうに。

 しかしそれを臆面にも出さず、やむにやまれず、仕方なく、そんなに言うのであれば、独立させてやっても良い……そんな風に交渉を進める。

 インドの独立と言う規定路線を、買い叩きに来た。

 

 

 だがいくらそうであっても、この場で「本当は独立してくれない方が困るんだろ?」とは言えない。

 言っても否定され、相手の得点になるだけだ。

 だから星刻の「独立を認めても良い」と言う姿勢はそれだけで「譲歩」となる、そして譲歩には譲歩を返さなくてはならない、それが国家間交渉のルールだ。

 譲歩を示さず我を通すだけの国は、逆に他国に譲歩してほしい時にされなくなってしまう。

 

 

(そして、インド側がこの場で出せる譲歩と言えば……)

 

 

 独立の延期か、あるいは星刻が新たに作る中華連邦への支援か、域内の中華連邦資産の保障か……それくらいか。

 いずれもインド側としては呑み辛い、独立したてのインドも混乱していて力が無い状態だ。

 可能な限り、代償は少なく独立を勝ち取りたいだろう。

 

 

 つまり中華連邦とインドの交渉は、膠着状態に陥っている。

 だがルルーシュ=ゼロにとって、それは好ましくない。

 だからこそ、このタイミングで彼は発言することにした。

 本来部外者である彼が発言できる内容と言えば、それは一つだ。

 

 

『双方とも、お互いに言いたいこと、求めたいことがあるのはわかる』

 

 

 そして中華連邦もインドも、ルルーシュ=ゼロの言葉をまるきり無視は出来ない。

 何しろルルーシュ=ゼロと黒の騎士団は――もちろん、自分達の目的のためとは言え――現在、中華連邦とインドの安定のために身を粉にして働いているのだから。

 ……まぁ、利用されるだけされて捨てられる可能性もあるが、それはともかく。

 

 

『だがここは大局的見地に立って、そして対ブリタニアと言う戦略に立ち返って交渉して頂きたい。ロシア方面に撤退したブリタニア軍がモンゴルに圧力をかけてきている今、我々に残された時間は少ない』

 

 

 そう、ブリタニアはすでに次の手を打ってきている、中華連邦の領土を脅しと交渉で削りに来ている。

 ブリタニアが中華連邦を飲み込めばもうブリタニアに対抗できる勢力は作れないだろう、EUが完全に崩壊してしまってもそうだ、そしてEUは今の所、負けている。

 時間が、無い。

 ブリタニアへの逆転を狙うには、もう、今が最後の機会なのだ。

 

 

 自国の利益にこだわって交渉が長期化すれば、いずれブリタニアに飲み込まれる。

 ブリタニアへの対抗を優先して交渉を決着させれば、自国の利益が失われる。

 これはそう言う交渉で、だからこそ膠着する。

 だからルルーシュ=ゼロは、己の全能力をもってこの交渉を妥結させなければならなかった。

 

 

「それではゼロ、キミには何か腹案があるのか」

「聞くだけは聞いてやろう」

『良いだろう。双方が一定の満足を得られる私の腹案、それは――――』

 

 

 ブリタニアに、勝つために。

 星刻とマハラジャの言葉に頷くと、ルルーシュ=ゼロは仮面の中で目を細めて息を吸った。

 強い言葉を吐くための前準備だ、そして次の瞬間、彼は言った。

 

 

『――――独立国家共同体(CIS)だ』

 

 

 カトマンズにいるルルーシュ=ゼロは、己の才覚を頼りに道を切り開こうとしている。

 だがそれは逆に言えばコルカタや他の場所のことにまで手を回せていないと言うことであって、そこへ行って始めて、ルルーシュ=ゼロは人間じみて見えるのだった。

 限界のある、人間に。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 中華連邦の君主「天子(てんし)」と言えば、数十億人の民の頂点に君臨する存在だ。

 それを聞いて、どのような人物像を想像するだろう?

 豪腕唸る巨人? 狡猾な政略家? 強烈なカリスマ? 人の好い調整役?

 だがカレンが目にした天子は、そのいずれでも無かった。

 

 

「まさか、年下の小さな女の子だったなんてね……」

 

 

 誰かに聞かせる気の無い小さな声で、ぽつりと呟くのはカレンだ。

 場所は朱禁城の庭園の一つだ、原生地も季節感を無視した色とりどりの花々が咲き乱れるそこは、「自国こそ世界の支配者」とする中華連邦の国是を表しているかのような。

 その花々の中に、小さな女の子が座っている。

 

 

 花々の中に濃い紫のロングスカートがふわりと広がる様はまさに花のようで、大きく開く紫の腰添えと一体化した翡翠色の衣装は小柄な身体を覆ってなお可憐だ。

 衣服の間から僅かに見える薄い肩は、あまり日に当たっていないためか儚く白い。

 4つの髪飾りで肩上に纏められたシルバーブロンドの髪は太陽に煌いていて、薄い赤の瞳はぱっちりしている。

 

 

「おお……私のような一近衛にそのような栄誉を!」

 

 

 今は花々の中で花の冠を作り、先日のクーデターで最後まで天子側にいた禁軍の女性兵、張凛華の頭の上に笑顔でそれを乗せている。

 凛華を膝をついてそれを受けている、まるで騎士叙勲のような仰々しさだった。

 

 

「天子様は、良くも悪くもお人形さんのような存在なのですよ」

 

 

 その様子を少し離れた位置から見守っていたカレンに、不意に声をかける存在があった。

 振り向けば、そこには女官服に身を包んだ痩身の女性がいた。

 葵文麗、天子付きの筆頭女官。

 医者だと言う話だが、文麗を見ていると不思議とそうは見えない。

 むしろ、もっと扱いにくい何かだろうとカレンは思っている。

 

 

 彼女はカレンに軽く会釈すると、そのまま隣に立った。

 ちなみに何故カレンがここにいるのかと言うと、表向きは天子の客――天子の危機を救ったとして――で、裏向きはカトマンズの交渉妥結までの人質である。

 そんな彼女に文麗が声をかけたのは、カレンの朱禁城での立場の微妙さを表してもいた。

 

 

「……どう言う意味?」

「良い意味では、それこそお人形さんのような愛らしさ。可愛くて可憐で素直で、個人レベルで天子様を嫌う人間はまずいないでしょう。やや引っ込み思案な所は、少々改善して頂きたい所ですが」

 

 

 なるほど、とカレンは頷く。

 確かに天子は可愛らしい、育ちの良さのせいか生来の性格のせいか、正の感情に溢れている。

 1人の少女として見るならば、外見も手伝って万人が彼女に好意を抱くだろう。

 

 

「そして悪い意味、ただただ大人達の言いなりになる所。難しいことはわからない、嫌な物は見たくない……まぁ、それは大宦官達がそう育てたと言うことで、天子様お1人の責任かと言うと、考えものではありますが。それでも、本来は言い訳の許されない立場にいるはずなので」

「厳しいのね」

「小言を言うのも女官の役目ですから」

 

 

 それに対しても、カレンは頷く。

 確かに天子は純粋すぎる、事の善悪を自分で計ることが出来ない。

 純粋さは罪では無いが、しかし天子と言う立場における純粋さは罪になる。

 大宦官の専横をそのまま受け入れた純粋さは、無知と重なって大きな罪を生んだ。

 数十億の飢民と言う、罪を。

 

 

 そんな天子の姿を視界に収めて、カレンは目を細めた。

 今頃はルルーシュは交渉、藤堂や四聖剣の面々は中華連邦各地で混乱の収拾に当たっている。

 日本に残してきたメンバーも、それぞれの仕事を果たしているはずだ。

 今の自分には日本のことを考えるだけで手一杯だが、中華連邦はどうなってしまうのかとも思うのだった。

 

 

「あの……っ」

 

 

 その時、気が付けば天子がカレンの傍へと駆けて来ていた。

 手には2つの花冠を持っていて、その内のラークスパデルフィの花冠を文麗へと捧げた。

 膝を折ってそれを受ける文麗の顔は優しくて、何だかんだ言いつつも天子のことを想っていることが良くわかった。

 

 

「あの、あの……あの」

 

 

 そして天子は、カレンにも花冠を捧げてくれた。

 ホワイトレースの花冠、まさに原産地も季節感も無視した花畑だ。

 きょとんとした表情を浮かべるカレンに、天子は恥ずかしそうに顔を赤くしながら。

 

 

「た、助けてくれて、ありがとう」

 

 

 その言葉に、カレンは優しい笑顔を浮かべた。

 天子の様子に、とある車椅子の少女の姿が僅かに重なった。

 小動物のような可愛らしさが、その共通項。

 ――――虚実は、カレンにもわからないが。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 神聖ブリタニア帝国、EU、そして中華連邦。

 「三極」と呼ばれる3つの超大国の関係は、ほんの1年前まではブリタニア(国力:10)対EU(国力7)・中華連邦(国力5)の連合勢力という対立構造にあった。

 国力的には10対立12、辛うじて後者の陣営が有利な状況だ。

 

 

 それが変化したのは今年に入り、EUがブリタニアとの戦争で敗色濃厚になり、かつ中華連邦がブリタニアの半属国と化す道を選択してからだ。

 帝国宰相シュナイゼルがEUと中華連邦のシベリア国境紛争を利用し、両者の同盟を解消させ、「中交欧攻」と呼称される外交方針を選択したことが大きかった。

EUを攻め中華連邦と結ぶ、理想的な各個撃破策と言えた――――しかし。

 

 

『神聖ブリタニア皇帝として命じる。帝国宰相シュナイゼル・エル・ブリタニアよ、直ちに中華連邦に侵攻し、彼の地を我が版図に加えよ』

 

 

 シュナイゼルが数年がかりで仕掛けた策も、たった1人の豪腕によって掻き消される運命にあった。

 元々皇帝親政のブリタニアで宰相の権限はさほど大きくは無い、あくまで皇帝を輔弼することしか出来ないのだ。

 その意味では、いてもいなくても同じ存在とも言える。

 

 

「……恐れながら皇帝陛下、先の私とのお話を覚えておいででしょうか……?」

『今はベル計画を進めるEUとの戦争に集中すべし、確かに覚えておる』

「ならば、今は中華連邦に軍を進めるのは得策では無い……と、恐れながら、臣は再び皇帝陛下に進言致します」

 

 

 とは言っても、シュナイゼルは皇帝に進言することを恐れない男だった。

 彼が今いるのは旧EUロシア自治州極東、イルクーツクのブリタニア軍駐屯地だ。

 中華連邦のモンゴル自治区に隣接する地域で、彼はここで二個師団を率いてモンゴルに中華連邦からの離反を促す交渉(と脅し)を進めている所だった。

 今はそれで十分と、そう判断したからだ。

 

 

 だからこそ彼は民衆の支持を失った大宦官を見捨て、中華連邦が完全に星刻の新体制へと変化する前にロシアまで退いたのである。

 アヴァロンで超高度を飛行しつつ、中華連邦本国と中央アジアの境界線上をルートに選択肢し、中華連邦軍とインド軍に挟撃される危機を回避した。

 

 

『温いな、シュナイゼルよ』

「は……」

 

 

 しかし大画面の通信画面に映る皇帝シャルルは、映像の向こう側から傲然とシュナイゼルを見下ろしていた。

 

 

『彼の国はすでに我らとの条約に合意していた。それを反故にするばかりか、公式に発表されていた第一皇子と天子の婚姻を一方的に破棄し、あまつさえ第二皇子……そして皇帝の代理人たるラウンズを国外に追放した』

 

 

 皇帝シャルルが上げ連ねているのは、ブリタニア側から見た中華連邦の非礼の数々だ――加えて言えば、ブリタニア国内で訴追されているゼロ、枢木青鸞との同盟――そのいずれもが国際法を無視した蛮行であり、実際、シュナイゼルは国際機関への提訴の準備を進めていた。

 しかしシャルルは、それを「温い」と言った。

 

 

『これすなわち帝国への侮辱、すなわち皇帝への侮辱、すなわち宣戦布告も同然である』

 

 

 侵略しろ、潰せ、奪え、と、そう言った。

 しかし純軍事的に見れば、悪くない判断ではあるのだ。

 EU・中華連邦の総合国力がブリタニアを凌駕していたのは1年前の話で、今や両国が手を結んだ所でブリタニアには到底及ばないのだから。

 

 

 アフリカの大半とフランスやバルカン半島を失い、国力が半減したEU。

 独立紛争とクーデターにより解体の危機に陥り、やはり国力が半減した中華連邦。

 そしてロシアやアフリカの大半を得て、今や世界の半分以上を得たブリタニア。

 単純に計算すればブリタニアの国力10に対して、EU・中華連邦の総合国力は良くて6。

 今ならば、両方を同時に相手しても勝てるだろう。

 

 

(とは言え、解せないね……)

 

 

 皇帝との通信会見が終わった後、執務室の椅子に背を預けながら、シュナイゼルはそう思った。

 いくらなんでも侵攻が唐突過ぎる、勝てる戦とは言え足元を掬われる可能性が無いでも無い。

 まして中華連邦は広大だ、民衆の支持もあるわけでは無い……最も、それは今まで得てきたエリアでも同じことが言えるのだが。

 

 

「いかがなさいますか、シュナイゼル殿下?」

「……勅命となれば、仕方ないね。カノン、師団長達を集めてくれるかな。今後のことを詰めなくてはね」

「はっ」

 

 

 心配そうな顔で尋ねてきた副官カノンに鷹揚に返しつつ、シュナイゼルは今回の皇帝の決定について考え込んでいた。

 深い思考の海に沈む青の瞳は、宝石のような深さと美しさを備えていた。

 その深さと美しさのまま、シュナイゼルは口の中でポツリと呟く。

 

 

「……世界を創造する力、か……」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「まぁ、大体の状況はそんな所だ」

「そう……ありがとう、大体飲み込めたよ」

 

 

 説明を終えたC.C.にお礼を言う青鸞、言葉通りに大体の事情は了解した。

 当たり前の話だが、自分が寝ている間に皆いろいろと動いていたらしい。

 今ではコルカタにはC.C.くらいしか残っていない、護衛小隊はもちろんいるが。

 

 

「……他に聞きたいことは無いか」

「他?」

 

 

 聞き返すと、C.C.は黙ったまま次の言葉を待っている様子だった。

 はて、現在の皆の状況以外に聞きたいことなどあっただろうか?

 首を傾げる青鸞だが、C.C.の視線が己の左胸に注がれていることに気付いた。

 

 

 襦袢を着た身に視線を落とせば、そこにはうっすらと赤いマークが刻まれている。

 コード、ギアスの源、不死を与えるもの。

 襦袢の隙間から覗く肌に刻まれたそれは、未だに受け入れるには濃すぎる事情を含んでいる。

 しかし今、C.C.はそれを見ていて……。

 

 

「……あ」

「何だ」

「いや、確か気を失う前……えっと」

 

 

 思い出した、デカンでの戦いの最後の局面。

 モルドレッドと交錯した時、いやアーニャと接触した時、コードが反応したのだ。

 理由は良くわからないが、アーニャ側の精神と触れたような気がする。

 そう言うと、静かな表情で聞いていたC.C.は一つ頷いて。

 

 

「そう、か……相手はアーニャ・アールストレイム、だな?」

「う、うん」

 

 

 モルドレッドの名前は出したので不思議では無いが、妙な確認だった。

 しかもその後、C.C.は考え込んでしまって何も言わなくなってしまった。

 声をかけるかどうか悩んでしまう程に真剣だったため、声をかけにくい。

 

 

 そうこうしていると、自分の膝の上で何かがもぞもぞと動いたのを感じた。

 少しこそばゆくて、視線を向けると、どうやらロロが起きたらしい。

 目元を擦りながら身を起こした彼は、青鸞の姿を見ると喜色を浮かべて……。

 

 

「青鸞さま!!」

 

 

 ロロが姉の名を呼ぼうとしたその瞬間、病室に雅が飛び込んで来た。

 物騒なことに手には青鸞の刀――卜部の軍刀――を抱えていて、珍しいことに表情は青ざめていた。

 何があったのかと聞く前に雅は青鸞に刀を押し付けた、そしてシーツの下に刀を隠すようにする。

 青鸞が目を白黒させていると、雅の後を追うようにして黒の制服を着た男達が病室に雪崩れ込んできた。

 

 

「憲兵です……!」

 

 

 憲兵? と青鸞は首を傾げる。

 いや意味は知っている、軍内部における警察のような存在だ。

 黒の騎士団内部では正確には憲兵と言う名前では無いが、まぁ似たような存在だろう。

 確か情報部がその役割を負っていたはずで、実際、彼らは小火器ながら銃を装備している。

 黒の制服に目元を隠すバイザー、確かに憲兵と言う雰囲気はあるが。

 

 

「これはこれは青鸞さま、意識を取り戻されたと聞いて安心致しました」

「……貴方は」

 

 

 じっとりとした声音と共に、憲兵に左右を守られてブリタニア人の男が入ってきた。

 長い金髪に彫りの深い顔、そして黒の騎士団では情報参謀の役にある男。

 ディートハルト・リート、ゼロの「プロデュース」を自任する黒の騎士団の幹部である。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――査問。

 本来は軍において秩序を乱す行為を行った者を裁く軍法会議、その前段階の尋問行為を指す。

 よってそれに召喚されると言うことは、不名誉なこととされている。

 まして、キョウト六家の当主の1人が対象となれば。

 

 

「何のつもりです、無礼でしょう!」

「申し訳ありません、雅さま。私達が用があるのは、そちらの青鸞さまなのですよ」

 

 

 吼える雅に涼しげに応じて、ディートハルトは青鸞の前へと歩み寄った。

 その手には一枚の書類を手にしている、警察で言う所の逮捕令状と言うものだろう。

 こちらに向けて広げられたその書類にさっと目を通せば、罪状はつまる所。

 

 

「スパイ罪……?」

「なっ……! 青鸞さまをスパイ呼ばわりするなど……キョウトへの愚弄です!」

「家の出自は関係ありません、これは手続きの問題なのですから」

 

 

 しかしキョウトの家柄を完全に無視は出来なかったか、と、状況を静観しているC.C.はそう思った。

 キョウトの人間をスパイ罪に問うために、わざわざトーキョーから出張ってきたのだろう。

 ルルーシュ=ゼロも藤堂達もいないこのタイミングで、全てを片付けてしまうために。

 おそらく、キュウシュウにいる草壁らもこのことは知らないのだろう。

 

 

「大体、スパイとは何ですか。半年前からのことならば、すでに……」

「マインドコントロールを受けていた、と。ええ、確かに聞いていますよ。正直眉唾ものですが、しかしゼロが決定した以上、私はそれに従わなくてはなりません」

「なら……!」

 

 

 雅が全て喋ってしまうので、自分が言うべきことが無い。

 自分がスパイ罪に問われていると言うのに焦りが無いのはそのためだろうと、青鸞はそんなことを思った。

 しかし気になるのは、見せられた書類に書かれたサインだ。

 

 

 ディートハルトのサインがあるのは当然だ、発行者なのだから。

 だが発行者のサインだけでは査問は出来ない、規則上、幹部以上の者の承認がいる。

 それも部隊長レベルでなく、役職を持った大幹部の承認がだ。

 そして今回の査問に承認のサインを与えたのは、黒の騎士団副司令の。

 

 

(……扇、要。シンジュク組のトップ……)

 

 

 脳裏に浮かぶのは派閥抗争だ、穏健派の扇が強硬派の青鸞を排除しようとしている。

 だが青鸞が知る限り、扇はこのような姑息な手段を取るような人間では無かったはずだ。

 では、今回の行動にどんな意味があるのか……。

 

 

「ですが新たな疑惑が出たのなら、話は別です」

「新たな疑惑? こちらに帰還されてからの青鸞さまの行動に、何か落ち度が? 常に戦場にあって兵達の先頭にあった青鸞さまに?」

「ええ、あるのですよ」

 

 

 雅の言葉の奔流をたった一言で受け流して、ディートハルトは懐からさに数枚の紙……いや、写真を取り出した。

 そしてそれを見た瞬間、C.C.の眉が僅かに動いた。

 不味い、と言うのがその感情だろうか。

 そして同時に思う、何故ディートハルトがその写真を持っているのかと。

 

 

 その写真には、2人の人間が映っている――――本当はもう数人いたのだが、映っているのは2人だけ。

 2人しかいないように見せるために、巧妙に角度を計算された写真だった。

 ……バンク・オブ・コルカタ本店の一室、激しい雨でも降っているのだろう、窓が濡れているのがわかる。

 それは、あの雨の日の写真だ。

 

 

「さぁ、説明して頂きましょうか青鸞さま。貴女が何故、私達に断りも無く、説明も無く……」

「それは……」

 

 

 1人は青鸞、そしてもう1人はボリュームのある紫の髪の女性――つまり。

 

 

「――――コーネリア・リ・ブリタニアと密会していたのか、をね」

 

 

 不味い、青鸞の警戒信号が鳴った。

 非常に不味い、何が不味いかと言えば、コーネリアと自分が繋がっていると知られること以上に、その場にはルルーシュ=ゼロもいたと言えないことだ。

 言ってしまえば、ルルーシュ=ゼロの立場も無くなってしまう。

 

 

「そして先のデカンの戦い以降、我々が鹵獲していたKMF、ラグネルが帰還していません。はたしてこれが無関係なのか、我々はそれについても疑念を抱いておりましてね」

 

 

 これも言えない、ルルーシュ=ゼロがコーネリアに対饗団についての協力の前払いとして、ラグネルを与えたなど。

 言えば、ルルーシュ=ゼロが窮地に立ってしまう。

 それだけは避ける必要があった、日本のためにも。

 そう思い悩む青鸞を見て、ディートハルトは笑みを見せた。

 

 

「ご説明して頂けないのであれば、我々と一緒に来て頂かなくてはなりません。どれほど高貴な方であろうと、他の者と同じ扱いで、ね」

 

 

 ぐ……と、青鸞は言葉に詰まる。

 憲兵に連行された者がどのような尋問(ごうもん)を受けるのか、知らない程に初心では無い。

 しかしだからと言って、本当のことも言えない。

 

 

 最悪のパターンだ。

 

 

 そうこうしている内に、憲兵達は動く。

 青鸞を拘束し連れて行く――ルルーシュ=ゼロでさえ把握していない、情報部の尋問室へ――ために、短機関銃を手に近付いてくる。

 雅が庇おうとしてくれるが、正式な手続きを踏んだ行動である以上はどうしようも無い。

 むしろこの事態を、早く他のメンバーに伝えた方が良いのかもしれない。

 

 

「さぁ、青鸞さ――――――――」

「……?」

 

 

 笑みを浮かべたディートハルトの言葉が途中で止まる、不思議に思い顔を上げると。

 

 

「――――止めろ!!」

 

 

 え? と、C.C.が急に上げた叫び声に青鸞は視線をC.C.へと向ける。

 それから彼女の視線を追えば、見つけた。

 今のいままで何も喋らず、ただじっと話を聞いていた小柄な少年を。

 そしてその少年の手に、憲兵が持っていたはずの短機関銃があることを。

 ――――血の気が、引いた。

 

 

「ロロ!! ダ――――」

 

 

 メ、と、言葉が続く前に。

 冷たい瞳に赤いギアスの輝きを宿したロロが、躊躇無く引き金を引き。

 銃声が、立て続けに響き渡った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――逃げた方が良い」

 

 

 病室内の惨状を前に、C.C.がそう言うのを青鸞は聞いた。

 至近距離で短機関銃の掃射(フルオート)を受け、C.C.は虫の息となったディートハルトの傍に膝をついている。

 その周囲には、ディートハルトが従えていた憲兵が1発ずつの銃弾を受けて倒れていた。

 

 

「そいつのギアスでは、監視カメラまでは誤魔化せない……なら、もう、憲兵を撃ったことは覆せない。このままここにいれば、査問どころでは無くなる……」

 

 

 朱色に染まった病室の中で、C.C.の声がやけに乾いて聞こえた。

 それからのことは、正直よく覚えていない。

 青ざめた顔の雅に背中を押されて、ロロに手を引かれるままに病室の外に出る。

 C.C.がルルーシュに、雅が神楽耶に連絡を取るという言葉を背中に受けて、刀だけを手に駆け出した。

 

 

「……対象、外に出ました!」

「ディートハルト様はどうなされた?」

「わからん、が、とにかく身柄を確保しろ!」

 

 

 しかし外に出れば、そこには当然のように他の憲兵がいた。

 青鸞を護送するための兵力だろう、とは言え規模は十数人程度。

 ロロのギアスをもってすれば、片付けるなど造作も無い数だった。

 だが、それは出来なかった。

 

 

「ダメ……殺しちゃダメ!」

「姉さん、でも」

「お願い……!」

 

 

 姉に強く言われて、ロロは仕方なく方針を変えた。

 それでも殺して逃げた方が面倒が無くて良いのだが、泣きそうな顔で頼まれては嫌とは言えない。

 しかし姉とは対照的に、ロロは今幸福だった。

 ここ数週間はただ青鸞についていくだけだったが、今は自分が手を引いている。

 

 

 自分の力で、姉を危機から救い出せている。

 姉を守るために、自分の力を行使している。

 今までの無味乾燥な暗殺の日々に比べれば、心が酔ってしまいかねない程に甘美な響きだった。

 家族のために、誰かを殺すと言うのは。

 

 

「……あん? ありゃあ青鸞さまじゃねぇか。追いかけてるのは憲兵の連中か……?」

「どうして憲兵が青鸞さまを……?」

「いや、それは俺にもわからんが。と言うか青鸞さま、起きたのかよ。何で雅の奴から連絡が来てねぇんだ?」

 

 

 そしてそれを、護衛小隊の山本と上原も見ていた。

 護衛の名を冠する以上、必要以上に青鸞から離れるわけにはいかない。

 だからこうして、建物の外で警戒していたのだ。

 実際、病院の正門の両側をガードする形で、2人のナイトメアが立っている。

 2人はナイトメアの足元、つまり正門の側に立って中の様子を窺っていた。

 

 

 山本と上原の2人は、正門の陰に姿を隠す。

 そこを、ロロに手を引かれた青鸞が駆け抜けて言った。

 ロロの手には銃があり、青鸞の手には刀がある、極めて物騒だ。

 病院の施設の前では、足を撃たれた憲兵達の悲鳴や呻き声を上げている。

 明らかに、無関係とは思えなかった。

 

 

「……気のせいか? 銃声が聞こえなかったのに、気が付いたら連中が撃たれてたぞ?」

「私にもそう見えましたけど……それより隊長、どうするんです?」

「そりゃお前、俺らの仕事は青鸞さまを守ることなんじゃねぇの?」

「わかりました、では」

「馬鹿、銃しまえ。お前まで憲兵に捕まるだろうが」

 

 

 でも、と押してくる上原を手で制しつつ、山本は正門の陰から病院側の様子を見た。

 すると、生き残りの憲兵隊がぞろぞろと外に出てきていた。

 歩兵はそのまま正門にやってくる、それを見て山本は。

 

 

「よっと」

「ぁ、ん……っ!」

 

 

 上原の右の胸に手をやり、そのまま強めに揉んだ。

 厚手の軍服の上からでもわかる程に柔らかな弾力が掌に伝わってきて、おお、と感嘆の声を漏らす。

 しかし一方、胸を揉まれた上原はと言えば、顔色を青くした後に一気に紅潮させた。

 羞恥以上に怒りの色に顔を赤くした上原は、奥歯を噛み合わせて拳を振り上げて。

 

 

「た、隊長の……ばかあああああああああああああああああっ!!」

「うわらばっ!?」

 

 

 重い一撃が顔に入った、上原の目端から透明な雫が散ったが、それ以上に山本の鼻から吹き出た流血の量の方が多かった。

 そして殴打の衝撃で吹き飛んだ――多少、故意の面はある――山本は、ちょうど良いタイミングでやってきた憲兵達にぶつかった。

 

 

「うわ!? な、何だ貴様ぁ!!」

「うぉあっ、わ、悪い、ただちょっと今修羅場で……!」

「み、見損ないました! 隊長を見損ないました! 馬鹿! 外道! 変態っ、変態! 変態!!」

「き、貴様ら……良いから道を開けろぉ!!」

 

 

 そしてその騒ぎを、青鸞はロロに手を引かれながら振り向くことで見た。

 どうやら山本と上原が時間を稼いでくれたらしいことに気付きつつも、今の青鸞にはどうすることも出来ない。

 泣きそうに顔を歪めて、彼女はいるべき場所から逃げ出すことしか出来なかった……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「姉さんはここに隠れてて、僕が憲兵達を撒いてくるから」

「ろ、ロロ、ロロ……」

「うん、わかってる、殺さないから」

 

 

 不安そうに自分を見上げる姉の顔にゾクゾクとしたものを感じつつ、ロロは雑誌の束――30冊ほど重ねて紐で縛った物――を、姉が隠れている場所に置いた。

 コルカタの路地裏の一つ、そこに積まれていた廃棄処分用の雑誌や新聞の束、その山の中だ。

 細い路地の壁に沿うようにすらりと並べられたその山の中に姉を隠して、ロロは駆け出す。

 

 

 少しして、「いたぞ」「あっちだ」と言う憲兵達の声と足音が聞こえた。

 ビクリ、と雑誌の山の中で青鸞が身じろぎをする。

 しかし誰も青鸞に気付くことなく、そのまま去っていって……青鸞はほぅ、と息を吐いた。

 そして、そのまま抱えた膝に顔を埋める。

 

 

(……なんで、こんなことに……)

 

 

 何故と言っても、もはやどうにもならない。

 こうなってしまえば、もはや黒の騎士団の中に自分とロロの居場所は無い。

 いくら不当な言いがかりだと――あながち、不当とも言えないが――訴えても、それを聞き入れて貰える余地は失われてしまった。

 いくらルルーシュや神楽耶のとりなしがあったとしても、厳しいだろう。

 

 

(……草壁中佐に、何て言えば)

 

 

 こんな時に思い出すのは、藤堂でも朝比奈でもなく、草壁だった。

 ブリタニアにいたことを告白した際にもかなり叱られたが、今回はその比ではあるまい。

 いくらなんでも、あり得ない。

 あってはならないことが、起きてしまったのだ。

 

 

「……ぁっ!」

 

 

 …………?

 その時、何かの音、いや声が聞こえて、青鸞は顔を上げた。

 ロロかと思ったが、どうやら違うらしい。

 しかし次の瞬間、青鸞が隠れている雑誌の山に振動が走り、彼女はビクッ、と身体を震わせた。

 

 

 どうやら雑誌の山の上に何かが落ちてきた……と言うより、叩きつけられたらしい。

 小さく呻くその声は小さな女の子のもののようだった、まだ声変わりもしていないくらいの。

 何だろうと思っていると、穏やかでない音と声が漏れ聞こえてきた。

 

 

「おい、早くしろよ。何か知らねぇが、兵隊がウロついてやがる」

「わかってるって。へへ、大人しくしてろよ……」

「ふ、ぐ……うぐぅ、っ……っ」

 

 

 ビリビリと衣服が裂かれる音、現地の言語で意味は不明だが下卑た笑い声、殴打の音と呻く声。

 日本で何度も聞いた、そう言う類の声だった。

 だから青鸞は、反射的に雑誌の山を内側から蹴倒した。

 バサ……ッ、と大きな音を立てて崩れる雑誌の山に、男達の動揺する声が重なった。

 

 

「な、何だ、てめぇっ!?」

 

 

 頭の上に何冊か落ちてくるのも構わず路地に出ると、そこには想像通りの……いや、相乗以上に吐き気の出る光景が広がっていた。

 雑誌の山を粗末なベッドに見立ててでもいるのか何なのか、褐色の肌の男が太い腕で小柄な少女を押さえつけている。

 しかしその少女と言うのが、明らかに行為に及ぶ準備の出来ていない小さな女の子だった。

 

 

 自然、嫌悪感が先に出る。

 やめろと言ってやめる手合いで無いことは経験上わかるので、手にした軍刀を躊躇無く振るった。

 鞘から抜き、鞘走りの勢いのままに軸足を回して男の首の後ろに刀の背を叩き付ける。

 峰打ち、しかし衝撃は強く男の目がぐりんっ、と瞼の後ろに回った。

 

 

「……逃げて!」

「え……」

「早く!!」

 

 

 音も無く倒れた男のことは気にも留めず、青鸞は衣服を破かれた少女に表通りに逃げるように言った。

 保護して貰えるかはわからないが、そこまで責任を持つ余裕は無い、少なくともここにいるよりは安全だろう。

 

 

「黒い制服の兵隊さん達に助けてもらって!」

 

 

 英語でそう伝えて――騎士団は正義の味方を自任している、である以上、表通りで保護を求める半裸の女の子を無視はすまい――インド人らしい女の子の背中を叩くように押す。

 それで、女の子は逃げ出した。

 さて今度は自分だ、憲兵がここに来たら来たで面倒だから早く逃げなくては、そう思った。

 

 

「このアマぁっ!!」

「……ッ」

 

 

 しかしそれ以前に、女の子を襲っていた男達から逃げる必要がある。

 男と言っても思ったより若そうだった、口髭を生やしているのは民族性だろう。

 もしかしたら、路地裏を根城にしているギャングか何かなのかもしれない。

 だがそれでも、訓練された兵士と言うわけでは無い。

 

 

(全部で4人、もう1人倒してるからあと3人……!)

 

 

 殴りかかってきた1人をいなしながら、状況を分析する。

 相手は全部で3人、やれる、意識を刈り取って即座に場を離れることは可能だ。

 正面からの戦闘ならば、訓練を受け武器を持っている青鸞の方が有利だ。

 ブリタニア兵を相手に出来たことが、今ここで出来ないはずが……。

 

 

「……っ?」

 

 

 がくん、と、膝が折れた。

 何が起こったのかわからなかった、ただ軸足に使った側の足から力が抜けたのだ。

 しかし、当然だろう。

 一週間も寝ていた身体が、急な全力運動についていけるはずが無いのだ。

 まして病院から全力疾走した後で、精神的な負担も大きかった。

 

 

「このガキぃっ!!」

「あ、が……っ!?」

 

 

 顔を拳で打たれた、熱と共に衝撃が抜けてきた。

 並みの少女であればこの一撃で意識を飛ばしていたかもしれないが、藤堂道場の訓練でいくらか痛みへの耐性がある青鸞はそうはならなかった。

 意識を保ち、そしてそれ故に痛みに苦しまねばならなかった。

 倒れこんだ所で、別の男に腹を蹴られて肺の息を全て吐き出した。

 

 

「え、ふっ……かっ」

 

 

 起きろ、立て、戦え、意思が自分に命じる。

 しかし身体が追いついてこない、追いついて来る前に次が来るからだ。

 

 

「がっ、ぐっ……ひ、ぎっ……あ゛っ!?」

 

 

 身体を丸めて重要な器官を守るのが、精一杯だった。

 頭を踏まれ――ゴリッ――肩を蹴られ――ガギッ――背中を蹴られ――ゴッ――手足を踏まれ――グギッ――痛みと熱を感じなくなるまで、殴打された。

 身体の中からかなり危ない音が出始めた頃、ようやく止まった。

 ただしその頃には、身体を動かすことも出来なかったが。

 

 

「けっ……ようやく大人しくなりやがったか」

「おい、顔はやめろって言ったろ。ヤってる時に萎えるから」

「つーかコイツ東洋人じゃねぇか、けっ、良いもん食ってんだろうなぁ」

「その代わり、俺らが楽しめるってもんだろ……この服、どういう作りだ? まぁ、ナイフで切りゃ良いか……」

「……………………」

 

 

 もう、男達が何を言っているのかも良くわからない。

 ごろりと仰向けにされたことはわかるが、それだけだ、視界も霞んで良く見えない……瞼が腫れ上がったのか。

 だから、もう……。

 

 

「やめてくれないかな」

 

 

 もう、意識が。

 

 

「それ以上血を流されてしまうと」

 

 

 意識が。

 

 

「私が、私でいられなくなってしまうから」

 

 

 落ちた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 雨の音がした。

 正確には、屋根に落ちる雨の音だ。

 だが自分の身体は濡れていない、ならば屋内にいるのか。

 そんなことをぼんやりと考えながら、青鸞は薄く目を開けた。

 

 

 最初に飛び込んで来たのは、天井でくるくる回り換気用の羽根だ。

 少しお高い喫茶店などに良くある、そんな設備だ。

 そして自分の身体がある場所も、柔らかいが冷たい、革のソファだった。

 待合室とかに良くある、そんな調度品だ。

 それから、それから……。

 

 

「――――ッ!?」

 

 

 慌てて、飛び起きた。

 その瞬間、身体に奇妙な引っ掛かりを覚えたが、痛いとか苦しいとかではなかった。

 むしろ身体の調子は良い、あえて言うなら来ている服が変わっていた。

 やや大きめの白のワイシャツに、足先まで覆う薄青のロングスカート。

 刀はすぐ傍の椅子に立てかけられていたが、襦袢はどこに、と考えた所で。

 

 

「ああ、すまない。酷い有様だったから、勝手に着替えさせて貰ったよ」

 

 

 声をかけられて、ビクッ、と肩が震えた。

 次いで、つんとした独特の香りが鼻についた。

 何だろうと思って嗅げば、それが何かはすぐにわかった。

 

 

「……コーヒー?」

「ああ、うん。コーヒー店だからね」

 

 

 声に振り向けば、カウンターの向こうからマグカップを片手に持った女性が歩いてきている所だった。

 長袖のシャツとパンツで身を固め、ギャルソンタイプのエプロンには店名らしい文字が躍っている。

 見た目だけ見れば、確かにコーヒー店の店主に見えなくも無い。

 

 

「こんな所に、コーヒー店……?」

「インドでもコーヒーは人気だよ、女の店主はなかなかいないだろうけどね」

 

 

 金褐色の髪に青の瞳、白い肌……明らかにインド人では無いが、どことなく清廉な空気を纏った女性だった。

 

 

「服が大きめなのは勘弁してほしいな、服飾屋じゃないから私の服しかなくて」

「服?」

「覚えていないのかい?」

 

 

 首を傾げて思い出せば……それはすぐに思い出せた。

 どうして着替える羽目になったのか、くらいのことは。

 ありもしない痛みが蘇ったような気がして、青鸞は己の身を抱いた。

 そして、カタカタと身体を震わせる。

 

 

 思い出した、自分の状況を。

 思い出した、自分が何をされたのかを。

 思い出した、自分が何をされそうになったのかを。

 だから。

 

 

「大丈夫」

「……!」

 

 

 ふわりと、シャツの白とエプロンの黒が視界を覆った。

 抱き締められたのだ、コーヒー店の店主を名乗る女性に。

 青鸞を安心させるように髪を撫で、肩をポンポンと叩く。

 

 

「大丈夫、キミは汚されていない、大丈夫」

「う……ぅ、あぁ……!」

 

 

 ……しばらくの間、すすり泣くような声だけが店内に聞こえた。

 女性はただそこにいて、それが終わるのを待っていた。

 ずっと、じっとして、そのままで。

 

 

 時間にすれば、ほんの2、3分のことだっただろう。

 しかしそれは非常に大事な時間だったと思う、少なくとも少女にとっては。

 まぁ、同時に恥ずかしい時間だったのかもしれないが。

 1人の少女に、とっては。

 

 

「……ごめんなさい、ご迷惑をおかけしました」

「良いさ、気持ちはわからないでも無い」

「そ、それと……助けて頂いて、本当にありがとうございます」

「良いさ、少し拳が痛くなっただけだから」

 

 

 コーヒー飲む? と言われて頷くと、マグカップを差し出された。

 受け取る時にふと外を見れば、窓の外はすっかり暗くなってしまっていた。

 夜だ、ロロは大丈夫だろうか……と、少し思考に余裕が出てきたことを感じる。

 そして、身を暖めるようにコーヒーに口をつけて。

 

 

「……苦い」

「はは、オーケー。お砂糖とミルクを持ってこよう、いくつ必要?」

「お砂糖はいりません、その代わりミルクを2つ……」

「畏まりました、お客様……っと」

 

 

 おどけたようにそう言う女性に微笑を見せて、そしてふと気が付いたように。

 

 

「あ、あのっ……お名前は、何と?」

「え? ああ……うん、ヴェンツェルで良いよ」

 

 

 発音しにくいだろうけど、と言って、ヴェンツェルはカウンターへと歩いて行った。

 その背を視線で追いかけて、そしてヴェンツェルがカウンターの中に入るのを見る。

 すると当然、ヴェンツェルの身体で隠れていた先が見えるようになる。

 そうすれば、いつの間にかカウンターの席に誰かがいることにも気付く。

 

 

 いや、誰かでは無い……少年だ。

 床まで届く長い金髪に、紫の瞳、そして小さな身体を覆う司祭服。

 冷たく暗い夜の雨音に合わせるように、少年が青鸞へと視線を流して。

 口元に、うっすらと笑みを浮かべた。

 

 

「やぁ、枢木青鸞」

 

 

 知っている。

 青鸞は彼のことを知っていた、直接に会ったことは無いのに、初対面に思うのに。

 でも、知っている。

 その声を知っている、彼は、皇帝と――――。

 

 

「僕の名前はV.V.、キミを迎えに来たんだよ」

 

 

 V.V.と名乗る少年が、にっこりと邪気の無い笑顔を浮かべた。

 




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 ふぅ、饗団編も大詰めです。
 ここからさらに主人公が苦しい状況に追いやられていくわけですが、うん、私はやはり自分のキャラクターに対してドSなようです。
 どうしてこうなった。


『――――帰る場所を無くした。

 あるのは刀一本、それと弟が1人。

 これもまた、1つの結果なのかな……罰、なのかな。

 あるいは。

 ……コードの、呪い……?』


 ――――TURN15:「少年 と 少女」


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TURN15:「少年 と 少女」

 ――――コルカタのとあるコーヒー店。

 クローズの看板が下げられているが、店内には未だ明かりが灯っていた。

 使用されているテーブルは一つ、座る人間は3人。

 微妙な緊張感が漂うそこは、どこか別世界のような雰囲気を漂わせていた。

 

 

「もしかしたら知っているかもしれないけれど、それでも一応は自己紹介しようか。僕の名前はV.V.、ギアスの研究機関「ギアス饗団」の饗主(トップ)だよ。好きな物は……世界平和かな?」

「疑問系で言うな」

 

 

 ポツリとツッコミを入れたのはコーヒー店の店主ヴェンツェル、何やらバームクーヘンとオレンジを生地に練り込んだシフォンケーキを切り分けている、お茶請けにでもするつもりだろうか。

 そんな2人を、青鸞は警戒しつつ見ていた。

 V.V.、ギアス饗団、穏やかでいられない単語がいくつも飛び出して来ているからだ。

 

 

 そして青鸞には、わかるのだ。

 目の前に座っているこの小さな少年が、自分と同じ存在だということに。

 C.C.に感じる感覚と同種の、しかしどこか違うと思わせる気配を持つ少年。

 ――――V.V.。

 

 

「さぁ」

「……?」

 

 

 掌で何かを促されて、青鸞はやや首を傾げた。

 その様子が何かの琴線に触れたのか、V.V.が苦笑を浮かべる。

 それが妙に年上じみて見えて、少しだけ居心地の悪さを感じた。

 

 

「キミの番だよ、自己紹介してくれないかな」

 

 

 そう言われて、青鸞は僅かに逡巡した。

 相手は笑顔を浮かべてこちらの言葉を待っているが、しかしだからと言って応じてやる義理は無い。

 無いのだが、しかし無視もどうか。

 

 

「……枢木、青鸞」

「そう、クルルギだね」

 

 

 嬉しそうに頷くV.V.に片眉を顰める、オウム返しのように名前を確認されたように思うのだが、それにしてはアクセントが妙な気がした。

 枢木、ではなく、クルルギ。

 人種や言語の差では無い、と思う。

 

 

「そしてキミは、数百年間失われたクルルギのコードを持つ者だ。そうだろう?」

「クルルギのコード……?」

「それ、さ」

 

 

 つい、と指差されたのは左胸だ。

 薄い赤のマークが刻まれたそこには、確かに「コード」がある。

 未だ何なのかもわからない、「何か」が。

 

 

「僕達は同類だよ、枢木青鸞。C.C.もだけどね、でも彼女のコードは血筋に寄らない「旅するコード」だ。その意味では、僕のコードの方こそキミに近いと言える。数百年以上も受け継がれてきたブリタニアのコード、その保持者としての僕にね」

 

 

 クルルギのコード。

 旅するコード。

 ブリタニアのコード。

 

 

 コードには複数あり、大別すると血筋によるものとそれ以外に分けられる、らしい。

 ただこれはV.V.の口ぶりから読み取れるだけで、実際にどうなのかはわからない。

 しかし、ここでふと青鸞は疑問を覚えた。

 

 

「……ブリタニアの、コード?」

「ああ、うん。ブリタニア朝もクルルギの家も、「王」の家系だからね。まぁキミについては、いろいろあるけど……それも、ちゃんと説明するよ。何しろキミは」

 

 

 にこり、と微笑して、コードを得た少年がコードを刻まれた少女を見つめる。

 

 

「キミは奇跡の存在なんだよ、枢木青鸞」

 

 

 目を猫のように細めて、テーブルに膝をつき、両手の指を絡めながら、V.V.は青鸞を見つめる。

 ただ何故だろう、視線も表情もとても優しいのに、怖いと感じてしまうのは。

 ぞわりとした、まるで巨大な蛇の舌先で頬を舐められているかのような、怖気。

 

 

「僕はね、枢木青鸞」

 

 

 青鸞の感じる怖気を知ってか知らずか、心なしV.V.は身を乗り出して。

 

 

「キミを、饗団に勧誘しに来たんだよ」

 

 

 そう、言った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「勧誘……?」

 

 

 言葉の意味はわかっても真意はわからない、そんな声音と顔を見せる青鸞に対し、V.V.は頷いて見せた。

 しかしその笑顔の頷きから得られるのは安心ではなく、不信だった。

 

 

「そもそもね、キミは僕達のことを誤解しているんだよ、枢木青鸞」

 

 

 誤解? と首を傾げる青鸞に、V.V.はもう一度頷いて見せた。

 

 

「おそらくキミはこう考えているんじゃないかな? 僕と言う存在を饗主と仰ぐギアス饗団は、オカルトに没頭する気の触れた狂信者が集まる危険な集団だ、と」

「……否定はしないけど」

 

 

 実際、コードだのギアスだのと言うものを見れば、どう贔屓目に見ても宗教的な印象を受けてしまう。

 超常の力であるギアス、持ち主に不死性を与えるコード。

 どちらも、人の手でどうこうできるものとは思えない。

 

 

 それに青鸞にコードについていろいろと教えてくれるC.C.に至っては、己を「魔女」呼ばわりしている。

 だから、青鸞がそう思うのも無理からぬことだろう。

 ましてそのC.C.やロロが稀に漏らす――弟であるロロを暗殺者として育てたり、ナナリー救出の際には饗団関係者と思しき相手がナナリー達を襲ったり――ギアス饗団の姿は、「オカルトにどっぷり浸かったキ○○イ」としか思えなかった。

 

 

「饗団はね、あくまで研究機関なんだ。ギアス、そしてその果てにあるコード、その秘密を解き明かすための学術機関。軍事組織でも無ければ悪の秘密結社でも無い、ただ純粋に、コードの解析とギアスの分析を行うだけの集団なんだ」

 

 

 それもまぁ、聞いてはいる。

 本来のギアス饗団は研究機関で、表世界の情勢に直接関わることは無いと。

 だが、ならばどうして。

 

 

「でも……いや、ならどうして、ブリタニアの味方としか思えない行動を取っているの?」

「それはまぁ、実は饗団の活動とは関係が無いんだ。どちらかと言うと僕の個人的な事情、つまり公私混同の結果だね」

「公私混同?」

 

 

 公私混同とはどういうことだろう、現状ではわかりようが無かった。

 V.V.の個人的な事情で、饗団をブリタニアに協力させていると言うことだろうか?

 もしそうであるならば、饗主の影響力と言うものは意外と強いものなのかもしれない。

 

 

 そしてもし、饗主の意思で饗団そのものを動かせるのならば……いや。

 今はそこに思考を集中させるべきでは無い、青鸞はそう判断する。

 V.V.自身に攻撃力は無いとしても、どうも仲間らしいヴェンツェルは違う。

 刀はソファの方に立てかけたままだ、つまり丸腰、油断は出来ない。

 当のヴェンツェルは、何やら自作のケーキレシピをメモに書き出していたが。

 

 

「もちろん、かつては宗教的性格を持っていたことは否定しないよ。世界各地で「何か」を崇めていた人達。それが今の饗団の母体であることは事実だし、否定しようの無いことだ。でもね枢木青鸞、キミはまるで僕の話が自分とは関係ない、みたいな顔をしているけれど」

 

 

 ギアス饗団は、コードとギアスの研究のために活動する機関。

 そしてかつては宗教的な性格を持っていた組織で、現在はトップの意向でブリタニアと協力関係にある。

 それは青鸞とは直接的には関係の無い話だ、だが実は青鸞も無関係の話では無い。

 

 

 そしてそれこそが、V.V.が青鸞を「勧誘」する最大の理由でもある。

 すなわち、彼女の身に不完全ながら発現しているコード。

 つまり。

 

 

「クルルギの家は、饗団の母体の一つなんだよ?」

 

 

 わかってる? と言いたげに首を傾げるV.V.に、青鸞は表情を変えなかった。

 つまりそれは、十分に驚いていると言うことだ。

 しかし同時に、無知を悟られまいとする防衛本能でもある。

 枢木の家について、自分があまり物を知らないことを悟られないための。

 

 

「知らなかった?」

「…………」

「うふふ、でも別に恥じなくても良いよ。クルルギの家は数百年前に断絶しているから、知らないのも無理は無いからね」

「断絶……?」

 

 

 断絶、と言う言い方が気になった。

 言うまでもなく枢木家は現存している、今でもキョウトの一員として地位と名誉と財産を継承し続けている。

 しかも数百年前とはどういうことだ、自分や父は枢木の家を正式に継いでいるのに。

 

 

「僕が教えてあげるよ、枢木青鸞」

 

 

 疑問を得た青鸞を見て、V.V.が笑みを深くする。

 

 

「他の誰も教えてくれない真実を、知識を、僕だけが教えてあげる。クルルギのことも、コードのことも、世界のことも。だからおいで枢木青鸞、キミはこの手を取るだけで良いんだ。そうすれば、キミは全てを得ることが出来るんだ」

 

 

 そっと差し伸ばされた手を一度見て、それから顔を上げて、もう一度V.V.の顔を見る。

 手を差し出した少年は、変わらない、怖気が走るような笑顔で。

 

 

「さぁ」

 

 

 試すように。

 

 

「答えを」

 

 

 それに対して、青鸞は一度目を閉じた。

 そんな彼女の顔をV.V.とヴェンツェル、男女二対の視線が射抜いていた。

 V.V.は笑顔で、ヴェンツェルは無表情に――それでいて、瞳の奥にやや不安を湛えて――そして。

 再び目を開いた青鸞は、正面のV.V.に対してこう答えた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「断る」

 

 

 発したのは、拒否の言葉。

 それに対して、V.V.とヴェンツェルの表情の変化は対照的だった。

 片や無表情、片や微かにほっとした表情を浮かべている。

 

 

 その表情の意味はわからないが、今の青鸞がV.V.の誘いを受ける理由は無い。

 というか、危険すぎる。

 一瞬「潜入捜査」と言う単語が頭を()ぎったが、危険度が高すぎるので流した。

 それに、相手の意図が読めない。

 

 

「理由を聞いても良いかな?」

「ボクはコードの解明なんてものに興味は無い」

 

 

 嘘である、自分の身体のことだ、興味が無いわけが無い。

 無いのだが、やはり危険だ。

 それにロロのこともある、V.V.から見てロロは裏切り者、ロロが何をされるかわからない。

 だから、行かない。

 

 

「嘘を吐いているね、枢木青鸞」

 

 

 だが、V.V.は口の端を持ち上げてそう言った。

 見抜かれた、嘘を吐いていると。

 

 

「僕は嘘には敏感な方でね、キミが嘘を吐いていることくらいわかるよ」

「…………」

「そして僕は、嘘が嫌いなんだ」

 

 

 表情を消して、V.V.は言う。

 すると、正面から来る圧力が増した気がした。

 武器でも言葉でも無い、ただ冷たい眼差しによる圧力だ。

 それだけのことで、口の中に渇きを覚えた。

 と言って、コーヒーを飲むために手を動かすことも出来ない。

 

 

「キミは嘘を吐いているよ、枢木青鸞。コードに興味が無いわけが無い、ギアスに興味が無いわけがない。どうしてそんな嘘を吐くのかな――――どうしてかな、枢木青鸞」

「……そんなに捲し立てていては、答えようにも答えられないだろう、V.V.」

「…………ああ、そうだね。少し興奮していたみたいだ、ごめんね、枢木青鸞」

 

 

 ……表情を柔らかなものにされても、今さらである。

 青鸞は今ので完全に警戒した、V.V.が危険な存在であると改めて認識した。

 だからもう、気を許すことは無い。

 しかし改めて思うが、今の状況は芳しくない。

 

 

 このコーヒー店はおそらく、敵の城だ。

 こうなればヴェンツェルも敵方と認識すべきだろう、そうなると先程も善意で助けてくれたのか怪しく思えてきた。

 とは言え、行動の選択肢はそれほど多くなかった。

 

 

「それにしても随分と枢木青鸞のことが気に入ったんだね、ロード・マクシミリアン」

 

 

 ちらりとヴェンツェルに視線を向けたV.V.は、不意にああ、と頷いて。

 

 

「似たような境遇だから、同情したのかい?」

「境遇?」

 

 

 V.V.の物言いはこちらに疑問を抱かせるものだ、そして青鸞は確かに疑問を持った。

 しかしヴェンツェルは黙して語らない、そう言う場では無いと認識しているからだろうか。

 それに対して、やや機嫌を直したV.V.がふふふと笑い。

 

 

「気になるなら、後で聞いてみれば良いんじゃないかな? 驚くくらい似たもの同士だからね……さて、でもどうしようかな」

 

 

 腕を組み、うーんと困ったように唸るV.V.。

 しかしその姿は困っていると言うよりは、何かを企んでいるようにしか見えない。

 見た目が子供の姿な分、仕草と雰囲気のアンバランスさがより強調されていた。

 そして、また不意にああ、と呟いて。

 

 

「ところで、枢木青鸞」

「……何?」

 

 

 話題でも変えるのか、と青鸞が身構えていると。

 

 

「ロロは、いったいどうなったかな?」

 

 

 世間話のようなノリで、青鸞のウィークポイントを突いてきた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 姉の傍には自分1人だけがいれば良いと、ロロは思っていた。

 そもそもロロの目には、姉である青鸞はお人好しに過ぎるように見える。

 その最大の理由は黒の騎士団(旧日本解放戦線含む)に……いや、日本に関わる全ての人間が原因だと思っている。

 

 

 常に何かしらの義務や仕事を青鸞に押し付けて、姉に苦労をさせて、何様のつもりなのだろう。

 姉の優しさにつけ込んで、苛々する。

 姉は優しいし真面目だから拒めないのだ、だから自分が傍にいて監視しなければならない。

 姉に余計な心労を与える相手を、優しい姉の視界の外で排除して回らなくてはならない。

 

 

「まして、恩を仇で返すような真似をする奴らなんだからね……」

 

 

 それでも姉の意を汲んで、ロロは我慢していたのだ。

 ルルーシュ=ゼロやその部下達にしても、旧日本解放戦線の者達にしても、その他の民衆や有象無象も、姉を支持して気を遣っている限りは見逃してやっていたのだ。

 姉は優しいから、哀れな連中を見殺しには出来ないから。

 

 

 だから、我慢してやっていたのに。

 

 

 無能な有象無象は無能なりに姉の、青鸞の役に立っている内はと、許してやっていたのに。

 それなのに今回のこれだ、やはり他の人間はこれっぽっちも信用できない。

 やはり自分が姉を守ってあげなくてはと、ロロは強く思う。

 自分だけは何があっても姉を見捨てない、青鸞を裏切らない、家族なのだから。

 

 

「何でもしてあげる、本当に何だって出来るんだよ姉さん。姉さんが望むことも願うことも欲しいものも、僕が全部叶えてあげるから……」

 

 

 だから姉の温もりは、優しさは、愛情は、全て自分に注がれていれば良いのだ。

 自分だけが、姉の傍にいれば良い。

 他はいらない、邪魔だ、消えてしまえば良い。

 でも姉は優しいから、自分がそんなことをすればきっと悲しむ。

 

 

 病院から青鸞を連れ出す際に憲兵を撃った時も、とても悲しそうだった。

 そこで初めて、少しだけロロの胸に痛みが芽生えた。

 罪悪感と言う痛みだ、でもそれはあくまで姉に向けられたもの。

 殺した憲兵に対しては、「死んで当然」と言う感想しか浮かばなかった。

 

 

「姉さん……姉さん……」

 

 

 温もりを与えてくれた、優しさを与えてくれた、愛を与えてくれた。

 たかだか半年の「本物」を、生涯の宝物だと言ってくれた姉。

 たった1人の、自分の家族。

 失いたくない、渡さない、分けてもやらない。

 青鸞は、自分だけの姉さんなのだから。

 

 

「雨が降ってきたのは好都合だけど……参ったな。姉さん、どこ行っちゃったんだろう」

 

 

 夜の雨の中、傘をさすでも無くロロは立ち尽くしていた。

 表情はまるで捨てられた子犬のように情けない、だが彼の手に握られた大ぶりのナイフと、彼の足元に転がった数人の男達「だった」肉の塊のせいでギャップが凄まじい。

 地面に広がる赤色の水溜りは、雨水と混ざって洗い流されつつあった。

 

 

 そしてそれは、少年の身を濡らす赤い液体についても同様だった。

 ただし服についた汚れについてはどうしようも無いので、ロロはそこについては困っていた。

 こんな姿、姉に見られたらまた哀しい顔をさせてしまう。

 しかし、仕方が無いでは無いかとロロは思う。

 

 

「姉さんがいなくてこいつらが倒れてたってことは、たぶん姉さんはどこかへ逃げたはずなんだけど」

 

 

 姉のいるはずの場所には争った痕があり、しかも見るからにチンピラの風貌をした男達が気絶していたのだ。

 何があったのかを予測するのは容易かったし、己のミスを呪いながら男達を起こし、話の端々から姉を襲ったらしいことがわかり、殺戮、そして現在に至ると言うわけだ。 

 

 

「うーん……まぁ、姉さんについては探すとして」

 

 

 ふぅ、と溜息を吐いて、ロロは振り向いた。

 するとどうだろう、表通り方面に1人の男が立っていた。

 白と紫の貴族風の衣装を纏った長身の男が立っていた、予想外の男の登場にロロが目を見開く。

 誰かがいるとは気付いていたが、まさかこの男だとは思わなかった。

 

 

「裏切り者の捕縛は」

 

 

 だが、だとすれば……と、ロロの頬に雨以外の水分が流れ落ちた。

 だとすれば、今、姉と共にいる人物は、まさか。

 身を固くするロロの雰囲気が伝わったのか、目の前の男はアンニュイな仕草で吐息を漏らして見せた。

 そして顔の左側を覆うオレンジ色の仮面の眼の部分が、機械音を立てて開く。

 

 

「……全力、で!」

「……!」

 

 

 ロロの右眼が赤く輝くのと、男の左眼が青く輝くのは、同時だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「ロロに何をしたっ!!」

 

 

 ガタンッ……椅子を蹴倒す勢いで青鸞が立ち上がると、V.V.は本当に可笑しそうに笑った。

 おかしそうに、犯しそうに、侵しそうに、冒しそうに。

 面白いものを見たとでも言いたげに、今にも腹を抱えそうな笑い声をケタケタと上げていた。

 それに対して、青鸞はますます眉を斜めにする。

 

 

「V.V.!」

「あはは、何をそんなに慌ててるんだい? 情報で聞いた時はまさかと思ったけど、キミは本当にあの出来損ないに入れ込んでるんだね」

「ロロは、出来損ないなんかじゃ……」

「出来損ないだよ、アレは。自分のギアスで時間を止めると、自分の心臓まで止めてしまうんだから。あんな意味の無いギアスもそうは無いよね」

 

 

 ロロのギアスは、効果範囲内の人間の「時間」を停止させる能力だ。

 だがそれは諸刃の剣でもある、相手の体感時間を止める際には自分の心臓の鼓動を止めなくてはならない。

 だから当然、ギアス使用による身体への負担は重い。

 

 

 しかしそれを、青鸞は知らなかった。

 ロロからすれば、姉を心配させるようなことを言う必要は無いと思ったのだろう。

 あるいは言えば、ギアスを禁止されて戦力外通告を受けると恐れたのかもしれない。

 いずれにしても、青鸞はそれを知らなかった。

 その事実は、V.V.にとってはさらに愉快なものだったようだった。

 

 

「知らなかったの? 知らなかったんだ、弟だなんだとか言って、でも嘘を吐かれていたんだね」

 

 

 ぐ、と言葉に詰まる青鸞に、V.V.は嗤う。

 

 

「辛いかい? 哀しいかい? でも大丈夫、すぐにそんな辛さも哀しみもなくなる世界が来るよ。僕達が作るんだ、僕達が創る。だから枢木青鸞、僕の手を取りなよ、僕の教えを受けなよ。それは何も恥ずかしいことじゃない、人として当然の選択なんだから」

 

 

 再び差し伸べられた小さな右手を、青鸞はじっと見つめる。

 その瞳は、拒否した一度目に比べてやや光が弱い。

 ロロに嘘を――嘘と呼べるかは微妙だが――吐かれていたと言う事実が、瞬間的に彼女の心を弱めていた。

 それにこの手を取れば、そのロロの身体を良くする方法も知れるかもしれないのだ。

 

 

 これは、悪魔の誘惑だと理性が告げる。

 先程は危険の方が大きく見えたのに、今は魅力の方が大きいように見える。

 ロロはもちろん、ルルーシュのためにも、もし饗団の中で地位を築けたのなら、もっと。

 

 

「――――それにさ」

 

 

 悪魔が、囁く。

 

 

「――――キミにはもう、居場所が無いじゃないか」

 

 

 心が、揺れる。

 そんなことは無いと言うのは簡単だ、だが現実はどうだろう?

 黒の騎士団の内部でスパイ疑惑を持たれ、しかもロロがディートハルトを撃ってしまった。

 そのロロと共に逃げてしまった自分に、あの組織の中に居場所があるだろうか?

 

 

 心の力が、弱くなる。

 そしてそれが、抵抗力を弱めてしまった。

 極めて不安定なその力が、弱くなったその時。

 

 

「ん……?」

 

 

 不意に、V.V.が差し出した右手を開いた。

 そしてその掌に、見た。

 赤く禍々しい、鳥が空へと羽ばたくようなマークを。

 ギアスの、否。

 

 

「招待するよ、枢木青鸞」

 

 

 コードの、輝き。

 認識した瞬間、左胸に刺すような痛みが走った。

 そして衣服の胸元から、V.V.の掌の輝きに共鳴するように赤い輝きが放たれて。

 

 

「僕達の、饗団(ホーム)へ」

「あ……――――!」

 

 

 次の瞬間、青鸞の視界を真紅の輝きが覆った。

 覆われ、流転し、そして転換して。

 暴力的な情報の波に、身を攫われた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 交渉については、それなりに上手くいった。

 ルルーシュ=ゼロはこの時点はそう考えていた、正確には「上手くいくだろう」の段階である。

 交渉とはもちろん、中華連邦とインドとの交渉のことだ。

 

 

 カトマンズ空港に停泊する航空戦艦ヴィヴィアン、その自室の中で仮面を外し、端末の画面を流れる文字列を目で追いかける。

 今日の交渉の議事録やそれに関連する情報、交渉はいよいよ大詰めだ。

 中華連邦やインドの代表らも、今頃はカトマンズ市内の高級ホテルで明日の交渉の準備をしていることだろう。

 

 

「シュナイゼルが国境付近(イルクーツク)に留まり続けているのが不確定要素ではあるが……いずれにしても、中華連邦の中を纏めないことにはな」

 

 

 しかし明日の交渉で合意が得られたとしても、やはり中華連邦を安定的な戦力とするためにはそれなりに時間がかかる。

 藤堂や星刻と言えども、大宦官派の崩壊で各地に割拠した軍閥を短期間で全て殲滅することは出来ない。

 半年、いや4ヶ月は見た方が良いだろうか……。

 

 

「おいゼロ! 大変だ、大変なんだよ!!」

 

 

 その時、扉を激しく叩く音が耳に届いた。

 電子ロックの扉がノックで開くはずも無い、扉横のコールで呼べば良いだろうに騒がしいことだ。

 そしてルルーシュは、その手の騒がしい男を1人知っていた。

 

 

「玉城か……何だ』

 

 

 声から相手が誰かを特定し、端末の横に置いておいた仮面を手に取り被る。

 何が大変かは知らないが碌なことでは無いだろうとルルーシュは思った、どうせ喧嘩か酒だろうが、その程度のことでいちいち呼び出されたくは無い。

 だが扉を開けると、いつも以上に泡をくった玉城の顔がそこにあった。

 

 

「やべぇよ、マジでやべぇんだってゼロぉ!!」

『だから何がだ、報告は簡潔にしろとあれほど……』

「だからやべぇんだって! ディートハルトの野郎が撃たれたんだ!!」

『何……?』

 

 

 ルルーシュ=ゼロは仮面の中で眉を顰めた、意外な相手から意外な名前を聞いたためだ。

 ディートハルトの有能さと人望の無さは今さら説明するまでも無いが、玉城は幹部の中でも特にディートハルトのことを毛嫌いしていたはずだ。

 まぁ、そもそも玉城はブリタニア人であると言うだけで毛嫌いしている男だが。

 

 

 それにしても、撃たれたとはどう言うことか。

 ディートハルトはキュウシュウにいたはずだが、キュウシュウで撃たれたのか?

 おそらく味方に撃たれたのだろうと当たりをつけてしまうのは、聊か穿ったものの見方かもしれない。

 そして、玉城が何をそんなに慌てているのかと言うと。

 

 

「しかもよ、何か扇の奴も関わってるとか何とか……」

『扇が?』

 

 

 ますますわからない、ルルーシュ=ゼロは首を傾げようとするのを寸での所で堪えた。

 部下の前で困惑などできない、だから彼はあくまで毅然とした態度を保った。

 それでも、扇の名前が出ることに疑念を覚えるのは止めようが無かったが。

 

 

「な、なぁ、ゼロ。やっぱこれやばいんじゃ……」

『落ち着け、他にこのことを知っている者は?』

「い、今の所は幹部連だけだけどよ……あ、でも解放戦線の連中は知らねぇと思うぜ。後は、憲兵の連中が多分……」

『……そうか。ではとにかく、杉山達と協力して事の真偽を確認しろ。それまではこの件に関しては他言無用だ、余計な騒ぎを起こして中華連邦との交渉に影響を与えたくない。それと、扇には私が直接確認する』

「わ、わかった」

 

 

 聊か不安ではあるが、他に人もいないので玉城に任せる。

 噂の蔓延と言う形で情報が流出することを防がねばならないが、どこまで出来るか。

 それこそディートハルトがいれば、である。

 

 

 だが、いったい何があったと言うのか。

 情報が無い今、何も出来ることは無い。

 しかしそれでも何かはしなくてはならない、だからルルーシュ=ゼロは通路を歩こうとした。

 

 

「……やれやれ、玉城は相変わらずやかましいな……」

 

 

 その時、聞き覚えのある声が後ろで響いた。

 その声の主はここにいるはずの無い人間で、しかしルルーシュ=ゼロが聞き間違えるはずの無い声で。

 最も、知っている声よりやや沈んでいるように聞こえたが……。

 

 

『――――C.C.!?』

 

 

 流石に声に動揺を含ませて振り向けば、そこには言葉の通りの人物がいた。

 通路の角に身を隠すようにして立っていた彼女は別の少女、雅に肩を貸すようにしていた。

 雅がいたことも驚きだが、どうやら彼女は半ば意識を失っている様子だった。

 見れば、C.C.の衣服も所々煤けていて、荒事を潜り抜けてきたような有様だった。

 

 

『ど、どうしたんだ、いったい』

「憲兵隊と少々揉めて、な」

『憲兵と? それよりお前はコルカタで、どうやって……ああいや、それよりも』

「そう、それよりも、だ」

 

 

 ルルーシュ=ゼロに一つ頷いて、空いた方の手で乱れた前髪を撫で付けるC.C.。

 彼女は疲れたように息を吐くと、しかし真剣な表情で告げた。

 

 

「お前の女が1人、危機に陥っているぞ」

 

 

 いつか聞いた、凄まじい偏見と誤解に塗れた言葉。

 しかし今は何故か、以前とはまるで違う意味に聞こえるのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――じりじりとした熱を頬と背中に感じて、少女は目を覚ました。

 どのくらい気を失っていたのかはわからない、肌を刺す熱と頬を撫でる風に不快を感じた。

 軽く唸りながら、地面に手を突いて身を起こす。

 

 

 だがその時、掌に違和感を覚えた。

 掌だけでなく、膝や足先にも感じる。

 そこにあったのは土のような固い地面では無く、細かな粒子で出来た頼りない地面だったからだ。

 指先から零れていくそれは、細かく乾いた白い粒子……砂だった。

 

 

「え……?」

 

 

 頬に触れてみれば倒れた時についたのだろう、そこにも砂がついていた。

 ぼんやりとした目でそれを見、指先を擦り合わせるようにしながら砂を落としていく。

 その時、熱を孕んだ風が背中から吹き抜けた。

 反射的に顔の横に手をやり、最近また少し伸びた髪が乱れるのを防ぐ。

 

 

「ここは……」

 

 

 そして風を追うように顔を上げれば、あり得ないものを見たかのように表情を引き攣らせる。

 先程までいたコーヒー店など見る影も無い、そもそも土地が明らかに違う。

 目の前には、コルカタのコーヒー店とは程遠い世界が広がったいた。

 

 

 児童公園の砂場などとは比較にならない程、細かくて乾燥した砂で構成された白と黄の山々。

 熱と砂を孕む風が常に吹いて乾いた空気を運び、日本のそれより大きく見える太陽が肌に痛みを感じる程に光と熱を降り注いでいる。

 地平線の彼方まで延々と続く、そんな世界を前にして。

 

 

「どこなの――――……!?」

 

 

 少女――青鸞は、広大な砂漠の真ん中で、叫び声を上げたのだった。

 そしてその声は、誰にも届くことが無かった――――。

 




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 というわけで、饗団編も佳境に突入です。
 饗団の目的とかコード、ギアスに関しては謎も多いので、自分なりに解釈しつついろいろやりたいです。
 そもそも、饗団の活動やその周辺に関しては原作情報も少ないので、どうしても解釈や新要素が必要になりますよね。

 さて、どうやって遊びましょうか。
 と言うのが、次回以降の話になります。
 まだまだ頑張りますので、応援よろしくお願い致します。
 では、次回予告です。


『――――ギアス饗団。

 ずっとずっと昔から存在していた、闇の底で蠢いていた組織。

 何かを考えて、何かを望んで、何かを願っている、人の集団。

 人の、集団。

 それは、いろいろな思惑を生み出す揺り篭』


 ――――TURN16:「ギアス 饗団」



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TURN16:「ギアス 饗団」

 どシリアスです。
 今話は暴力的・性的・ショッキングな表現があり、不快感を感じる場合があります。
 また、コード・ギアスに関してオリジナル要素が入ります。
 苦手な方は、ご注意ください。
 では、どうぞ。


 ある夜、1人の少女が月を見上げながら物憂げな溜息を吐いていた。

 ウェーブがかった長い髪に、閉じた瞳、月明かりに照らされる白い顔は、満点の星空の下で異常に美しく見えた。

 それはもしかしたなら、車椅子と言うファクターがあるからかもしれない。

 

 

「はぁ……」

 

 

 もう、何度目の溜息だろうか。

 何度目の、と言うか、ここ最近は毎夜のことでもある。

 そんなことをしても何も変化しないことがわかっていても、それでも溜息を吐いてしまうのは、心の中に澱みがあるからだろう。

 

 

 カゴシマの北、ミヤザキとの境界に存在する別荘地。

 山中にある木造のログハウスで、少女は寝室のテラスから夜空を見上げていた。

 人里から離れたその場所から見上げる夜空は透き通っていて、目には見えないが、美しいのだろうと少女は思う。

 

 

「お兄様、青鸞さん、咲世子さん……」

 

 

 どこかに行ってしまった家族や友人を想って、少女……ナナリーは呟く。

 呟いた名前の主は、今は傍にいない。

 ただどこに行ったのかも、ナナリーは教えて貰っていない。

 

 

 何かをしているのだろうと思う、それもナナリーには言えないようなことを。

 だがナナリーはそれを確認することはしない、困らせてしまうだろうから。

 困らせてはいけない、ナナリーは幼い頃から……車椅子に乗り始めてから、ずっとそう思っている。

 手をかけさせてはいけない、困らせてはいけない、面倒を感じさせてはいけない。

 

 

(……お兄様が、そう望んでいるから)

 

 

 兄の望む妹であろうと、ナナリーは心に決めている。

 あんなに自分のことを思ってくれているのだからと、常に自分に言い聞かせている。

 大人しい、無力で儚くて、守らなければならない程に弱々しい。

 そんな存在であろうと、そう決めている。

 しかしそうは言っても、胸は痛くなるのだ。

 

 

「……?」

 

 

 その時、ナナリーの敏感な聴覚が物音を捉えた。

 何かと思い、車椅子を回して寝室へと戻った。

 最初は共に暮らしているノエルが紅茶を持ってきてくれたのかと思ったが、どうも違う様子だった。

 いつもの軽い足音では無く、何か重いものが壁にぶつかるような音だった。

 目が見えない分、耳は良い……死活的に良い。

 

 

「……ノエルさん? あ……」

 

 

 スライド式の扉を開いて廊下に出れば、つん、とした匂いが鼻腔を擽った。

 錆びた鉄の匂いと言うべきか、独特の酸味を感じる匂いだ。

 香料の類では無い、そしてナナリーの本能はその正体が何かを正確に教えてくれた。

 数年前、まだ目が見えていた頃、その最後。

 全身で、その匂いの中に包まれたのだから――――。

 

 

「……ノエル、さん?」

 

 

 寝室から廊下に出て右に行こうとした時、車椅子の車輪に何かがぶつかった。

 ナナリーがいる家で、車椅子の移動の邪魔になる物を通路に置くはずは無い。

 だが今は何か柔らかいものにぶつかって、ナナリーは動きを止められてしまった。

 手を伸ばすと、さらりとした髪に触れた。

 

 

 その髪の感触は知っている、着替えやお風呂などの世話をされる中で何度も触れた髪だ。

 それが、ナナリーが呟いた名前。

 ノエル・ムーンウォーカー、現在、このログハウスでナナリーの世話と護衛を行っているメイドだ。

 母の姿を知るが故に自分に対して失望している人、でも優しい人だ。

 その人が、今。

 

 

「……ナナ……お嬢……に、げ……て……」

 

 

 ……え?

 あるいは、目が見えなくて良かったのかもしれない。

 状況が理解できず、いつもはさらさらなのに今はぬめり気のある液体で濡れているノエルの髪に触れているナナリーの周囲には。

 一対の赤い鳥のマークが、ナナリーを取り囲むように、闇の中に浮き出るようにいくつも輝いていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 砂漠において、最も危険な物は何だろうか?

 その疑問への解答を、青鸞は今まさに全身で感じている所だった。

 灼熱の砂漠のど真ん中と言う、その状況の中で。

 

 

「……ぅ……」

 

 

 乾ききった唇から漏れるのは、吐息ですら無い掠れた呻き声だ。

 白のシャツと薄青のロングスカートは砂に塗れて元の色を失い、砂を踏みしめる足は裸足で、乾いて罅割れた肌からは汗の一滴も流れてこない。

 太陽の光で痛んだ髪は荒れていて、露出した首元や手などの肌は真っ赤に焼けて、足の裏は皮がぺろりと捲れて水膨れならぬ血膨れがいくつも出来ている。

 

 

 降り注ぐ太陽によって50度に達しようかと言うその世界は、どこまで言っても広がる砂の山ばかり。

 青鸞の足跡を風が消す後ろも、これから足跡が出来るだろう前も、左も右も、ずっと。

 砂ばかりで、他には何も無いように見える。

 それは視覚を通して青鸞にも見えていて、精神的に彼女を攻め立てていた。

 

 

(……もう、何日歩いてるんだろう……)

 

 

 声に出すことが出来ず、頭の中でそう考える。

 しかし疲労と環境と、空腹と水分不足が彼女から思考能力を奪っていた。

 今の彼女には、自分の疑問に対して答えられるだけの判断力が無い。

 ただ歩く、だが何で歩いているのかもわからなくなってきている。

 

 

 砂漠に放り出されて、すでに1週間が経過している。

 

 

 ここは、地獄だった。

 人間のいない、1人きりの、地獄だった。

 太陽が肌を焼き、風が舞い上げる砂が喉に詰まり、足先が沈む砂は余計な力を使わせる。

 衣服の中、もっと言えば下着の中まで、砂でジャリジャリと言っている有様だった。

 

 

(……もう、何回……)

 

 

 常人が何の装備も無しに放り出されて、生きていられる環境では無い。

 方角も場所もわからず、しかも他に誰も通らない。

 そんな環境で。

 

 

(……死んだんだ、ろう……)

 

 

 生きていられるはずが、無い。

 1日目は、とにかく砂漠を抜けるなり誰かを見つけるなりしようと、広間にも関わらず歩き続けた。

 暑さは湿度が低い分、40度を超えていても何とか我慢できたが、水分だけはどうしようも無かった。

 水分はすぐに乾き、夕方には足元も覚束なくなっていた。

 だが問題は、むしろ夜にあった。

 

 

 砂漠の夜は寒い、どうも緯度が高いらしく、マイナス20度まで下がる。

 寒さから身を守る遮蔽物も暖を取る道具も無い、シャツ1枚の格好で耐えられる寒さでは無い。

 鍛えていようがいまいが、それは寿命が少しだけ伸びると言う意味しか持たない。

 その夜、衰弱した青鸞は凍死した。

 しかし、青鸞がその事実に気付くことは無かった。

 

 

 ――――魔女は、死なない。

 

 

 2日目の朝、何事も無かったかのように目が覚めた。

 左胸のコードが彼女を死から蘇らせたのだが、この時はそれに気付かなかった。

 ただ常にも増して身体が重く、まともに動けなかった。

 結果、2日目と3日目はほとんど動くことも出来ずに死んだ。

 ……4日目に入り、ようやく青鸞も気付いた。

 

 

 ――――魔女は、死ねない。

 

 

 だがどうしようも無かった、砂漠の真ん中で今さらどうしようも無かった。

 何度も何度も死を繰り返し、何日も何日も死を繰り返し。

 生きて動ける時間を精一杯に使い、何とか砂漠を抜けようと歩き続けた。

 熱に焼かれて死に、寒さに凍えて死に、飢えて動けずに死に、身の渇きで死に、砂漠の小さな生き物に噛まれて死に、砂嵐に巻き込まれて死に、流砂に飲まれて死に…………。

 

 

「……ぁ……」

 

 

 何度も何度も、何度も何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――何度、も。

 

 

 死んで、生き返って、死んで、生き返って、死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って。

 死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで生き返って死んで――生き、返って。

 

 

「……ぅ……」

 

 

 そして、また。

 砂に膝をつき、そのまま自分の体重を支えきれずにうつ伏せに倒れた。

 頬が焼けた砂を打ち、風が目に砂を入れてもどうにも出来ず、指先すらまともに動かせず……呼吸を証明していた鼻先や口元の砂の動きも、徐々に弱くなって。

 

 

 死んだ。

 

 

 うつ伏せに倒れ、腫れぼったい目を閉じて、数分もしない内に呼吸が止まった。

 生き返るとは言っても、C.C.のように完全回復するわけでは無かった。

 コードが不完全なためか蘇生が不完全で、生き返っても身体のダメージや疲労が残っているのだ。

 だから今や、生き返っている間に進める距離も10メートルを切っていた。

 もう、常に死んでいると言っても良い。

 

 

「……………………」

 

 

 ……風が、息絶えた少女の身体に砂を降らせていく。

 その中で、少し離れた砂の上からそんな少女の様子を見ている者がいた。

 この暑い砂漠に不似合いな、古代の司祭服を思わせる黒の長衣を着た誰か。

 彼は電子双眼鏡を手に、ピクリとも動かなくなった少女を見つめていた。

 

 

「……対象、死亡した模様です」

『そう、じゃあそろそろ回収してくれる? 良い頃合いだと思うし』

「御意」

 

 

 長衣の下の通信機からは、無邪気な子供の声が響いていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 身体全体を包む奇妙な感覚に、青鸞はゆっくりと目を開いた。

 すると視界に自然では無い、人工の照明による光が入ってきた。

 薄く開いた目をさらに眩しげに細めて、青鸞は顔を下へと動かす。

 

 

 少女の身体は、薄い赤色のゼリーに包まれていた。

 いや正確には、テニスボールくらいの大きさのゼリー状の物体に身体が覆われていたのだ。

 イメージとしては、浴槽にボール大のゼリーを敷き詰めた様子を思い浮かべてくれれば良い。

 その中に、細い少女の裸身が沈められている。

 

 

(……なに……?)

 

 

 未だぼんやりとした思考で、浴槽――というより、カプセル――の縁に手をかけて身を起こす。

 ゼリーは特にべたつくことも無く滑り落ちて浴槽へと沈む、ぷるぷるとした表面に腰から下を包まれて、なかなかに気持ち良い。

 掌を開閉すると、記憶の中で荒れ果てていたそれは随分と綺麗になっていた。

 

 

 それから周囲を見て、カプセルを中心に15畳程の部屋にいるのだと気付く。

 白い壁に覆われたそこは病院のようにも見えるが、壁や床を這う配管やコード、ケーブルなどが違うことを教えてくれる。

 それ以外にある物は青鸞のいるカプセルの他に、傍に置かれている白のチェアだけ。

 そしてそこには、黒に近い濃い蒼の衣装が置かれていた。

 

 

(……服、か)

 

 

 流石に裸でいるわけにもいかない、多少思考がはっきりしてきた青鸞はカプセルから出た。

 少し高いが、縁にお尻を置いて、ゆっくりと足を出し滑るように降りた。

 ここに来て、青鸞は少し警戒した。

 意識の覚醒が警戒心を呼び起こした、この部屋は何だ。

 少なくとも、砂漠では無い。

 

 

 それでも裸よりはと身に着けた衣装は、どこか宗教的な印象を受ける物だった。

 司祭が着る祭服(キャソック)にも似た濃紺のロングワンピース、身にぴったりと吸い付く衣装の袖だけは女性らしい膨らみのある構造になっていて、頭には透明なベールを肩と背中に流す濃紺の司祭帽を乗せる。

 着方がわからず苦労したが何とか着込んだ、だが確信した。

 

 

(ギアスの紋章……)

 

 

 首からかけた(ストラ)を揺らしながら胸元を撫でる、そこにはロングワンピースを彩る金糸の刺繍の一つがあった。

 鳥が空に舞うような、独特のマークが。

 ギアスの紋章、すなわちここは。

 

 

 

「やぁ、起きたんだね――――良く似合っているよ、枢木青鸞」

 

 

 

 壁だと思っていた場所に亀裂が走り、不意に開いた。

 自動扉の向こうからまた強い光が漏れて、青鸞は手で光を遮りながら目を細めた。

 徐々に光量に慣れた先に、小柄な人影がある。

 その人物は、黒の長衣で覆った奇妙な集団を従えていた。

 その全員の衣装に、ギアスの紋章が刻まれている。

 

 

「饗団へようこそ、歓迎するよ」

「……っ、V.V.……!」

 

 

 やはり、ここは饗団のアジトだ。

 それがわかって身構えるが、状況が好転するはずも無い。

 むしろV.V.は、それをおかしそうに見やって。

 

 

「あれ? 今さらそんな態度を取るのかい?」

「何を……ボクをこんな所に連れて来ておいて!」

「覚えていないのかい? キミが自分から連れて来てほしいって言ったんだよ?」

 

 

 本当に面白そうに、V.V.が笑う。

 

 

「覚えていないのかい? 砂漠で、キミは僕達に命乞いをしたんだよ」

「な……」

 

 

 さっ、と青鸞の顔から血の気が引いた。

 だが記憶が無い、そんなことを言った覚えは断じて無い。

 確かに砂漠越えは辛かった、苦しかった、何度死んだかわからない。

 だけど、それで命乞いをする程落ちぶれたつもりは無かった。

 

 

「恥ずかしがることは無いよ、枢木青鸞。人間、本当に苦しかったら藁にも縋るものだからね」

「……嘘だ」

「嘘? 言ったろう、僕は嘘が嫌いなんだ。それにだったら、どうしてキミは僕達の治療を受けられたの? 身体の調子、随分と良いでしょう? コード保持者に対する医療技術を持っているのは、僕達だけだからね」

「嘘だ」

「キミが僕の手を取ったんだよ、命乞いしながらね」

「嘘だ!!」

 

 

 身体が震える、そんな、そんなはずは。

 そんなはずは無い、そんなはずは無いはず、なのに。

 でもV.V.は、コーヒー店でも差し出していた右手を見せながら。

 

 

「もう死にたくない、助けて、助けて……うわ言みたいに繰り返していたよ。凛としたエリア11の姫が見る影も無かったね。あまりにも見ていられなくて、僕も助けてあげることにしたんだ」

「う、嘘……」

「だから僕は嘘が嫌いなんだ、嘘を吐くような人間は絶滅すれば良いと思う」

 

 

 V.V.が歩み寄ってくる、合わせて青鸞は後ろへと下がる。

 だがすぐ後ろにはカプセルがあって、落ちないようにたたらを踏んだ。

 そして、V.V.が青鸞の目を覗き込むように身を爪先立ちで顔を近づけてくる。

 

 

「さぁ、僕はキミを助けてあげた……契約を果たしたんだ。コード保持者にとって契約は絶対、C.C.から教えられなかったかい?」

「そ、それは……も、元はと言えば、貴方がボクを砂漠に……!」

「でも僕はキミを救った、わかるだろう?」

 

 

 わかるだろう?

 

 

「キミはもう、僕のモノだ」

「ち、違……」

「違わないよ」

 

 

 ようこそ。

 

 

「饗団へ」

 

 

 青鸞の中で、何かが音を立てて罅割れた。

 光の弱まった少女の瞳を見て、V.V.は1人微笑したのだった。

 無邪気で、それでいて邪気に溢れた笑顔で。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 饗団のアジトは、思ったよりも近代的で、同時に原始的だった。

 どこかの地下なのだろう、岩盤を削って作り出した広い空間に、外見上は岩で出来たビル郡が立ち並んでいる。

 照明の光が紫に近いのは何か理由があるのだろうか、それに気のせいで無ければ空気が少し薄いようにも感じる。

 

 

 少しだけ、ナリタの光景を思い出した。

 今はもう失われてしまったし、ここのように近代的でも無かったが、ナリタもまた岩盤に囲まれた空間だった。

 最も、存在理由はまるで違うが。

 

 

「キミは神根島の遺跡を見ているんだよね? ならわかると思うけど、ここも神根島とルーツを同じくする遺跡なんだよ」

「…………」

「こう言う遺跡がある所なら、僕達はどこにでも移動できる。また後で説明してあげるけど、専用の移動方法があってね……まぁ、楽しみにしててよ」

「…………」

 

 

 特に返答が無くとも、V.V.は構わず上機嫌に話し続けている。

 彼が歩いているのはアジトの中枢とも言うべき中央棟だ、ここには饗団の実験施設が多数あり、V.V.直属の機関として機能している。

 V.V.は、そこを案内している所だった。

 

 

 ちらりと振り向けば、広く明るい通路を歩く青鸞の姿が見える。

 それに、V.V.は笑みを深くした。

 蜘蛛の巣にかかった蝶を見るのは、初雪を踏みつける快感に似た心地を彼に与えた。

 

 

「…………」

 

 

 だがそれを見ても、やや虚ろな目をした青鸞は反応を返さなかった。

 俯き気味に、ロングスカートの裾を僅かに揺らす程度の速度でV.V.について歩いている。

 その周囲には黒の長衣の饗団員が囲んでいるのだが、気にした様子も無い。

 それでも、新たな空間に出た時には少し驚いたような顔をした。

 

 

「ここは……?」

「ここが饗団の中枢――――ギアスの実験棟だよ」

 

 

 ギアスの実験棟、それは聞くからに不吉な印象を青鸞に与えた。

 そしてそれは、正しかった。

 青鸞の目の前に広がったのは、白く広い、巨大な空間だった。

 壁も床も天井までも白く染め上げられた空間は個室で仕切られていて、その一室一室に薄い灰色の衣服を着た子供がいた。

 

 

 10歳くらいだろうか、着ている衣服の簡素さが病院服に見える。

 男の子がいれば女の子もいるが、民族や人種にばらつきがある様子だった。

 共通しているのは、子供達の傍にはいかにも科学者然とした白衣の男女がいることだ。

 カルテや書類、端末を手に、身動き一つしない子供達の前で何かを話し合っている。

 

 

「……あの子達は何? 何をしているの?」

「うん? ああ、コレかい?」

 

 

 青鸞の問い方が不味かったのか、V.V.は通りがかった個室の前で止まった。

 個室は通路側が分厚いガラスになっていて、通路側からは中が見えるようになっている。

 青鸞は子供達全体のことを聞いたのだが、V.V.はこの個室のことを聞かれたと思ったらしい。

 

 

「えーと……何だったかな、確かリトアニアあたりで拾った戦災孤児だったと思うよ。ブリタニアの植民エリアの身寄りの無い子供が僕らの実験材料になるから、ああ、実験って言うのはもちろんギアスの実験なんだけどね」

 

 

 反吐が出そうな内容だった。

 しかし納得もする、ブリタニアと協力関係にある饗団は、ブリタニアから「実験材料」の提供を受けていたのだ。

 「資源」の供給と、「商品」の提供、実にビジネスライクな関係だ。

 扱っているものが、人間の子供で無ければ。

 

 

 そしてその個室では、小さな女の子が手術台のようなベッドに寝かせられていた。

 顔は見えない、何故なら女の子の顔には無骨な仮面が張り付いていたからだ。

 ただ無数のコードに繋がったそれは仮面と言うより、フルフェイスのメットのように見えた。

 数人の白衣の男女が見守る中で、女の子の手足の先だけが時折ビクビクと震えている。

 

 

「何をしてるの?」

「だからギアスの実験だよ、アレは確か……『検分』のギアスだったかな。一度見た物を記録し続けるギアスで、どれくらい記録できるか実験してる所」

「記録って、どのくらい?」

「さぁ、1エクサバイトは簡単に超えたって話だけど……汎用性が無くてね。それにアレ、眠っている時に脳内で情報が再生されるから、実験体の寿命が短いんだ」

 

 

 さらに不吉なことを言った、だがV.V.の表情に変化は無く、むしろつまらなそうだった。

 まさか、と思って周囲を見ると、確かに他の子供達も似たような構図になっていた。

 何かの器具や薬品を使われて、何らかの記録を取られている。

 ギアスの実験などとは言っても、要するに人体実験では無いか。

 

 

 何かを言おうとした時、ふと隣の個室が目に入った。

 そこには白衣の科学者達はおらず、被験体と思わしき人間が1人いるだけだった。

 しかも子供では無く、大人の女性で……お腹が、ぽっこりと膨れていた。

 

 

「ああ、勘違いしないでね。僕達も流石に強姦(レイプ)まではしないから。彼女は最初から妊婦だったよ、最近送られて来たんだけどね……まぁ、期待外れだったけど」

 

 

 様子がおかしい、手術台(ベッド)の上に横たわる彼女は、明らかに様子がおかしかった。

 手足を革の枷で拘束されているのはともかく、太腿までしか覆っていない衣装、その足の間から大量の水を噴き出していたのである。

 失禁では無い、僅かに赤い色が混ざっているあの水は。

 

 

「……は、破水……!」

「ちょっと違うかな」

 

 

 何でも無いことのように、V.V.は言う。

 

 

「正確には流産、だね。お腹の中の子供にギアスを与えたら妊婦にどんな影響が出るかって実験なんだけど……まぁ、どっちも期待外れの結果だったかな」

「な……何を、馬鹿な、何を!」

 

 

 青鸞の瞳に光が戻った、V.V.の胸倉を掴み上げる。

 

 

「開けろ!!」

「……何をそんなにムキに」

「すぐに!!」

 

 

 青鸞の剣幕に、V.V.はやれやれと首を竦めた。

 それから周囲の黒衣に手で合図をして、妊婦の個室の扉を開いた。

 扉と言っても、ガラス全体が上に上がる構造だが。

 走り、飛び込んで、妊婦の女性に飛びつく青鸞。

 

 

 放って置けなかった、ナリタで命が生まれる瞬間を見ていた彼女だから。

 妊婦の女性の手を取る、虚ろな目をした妊婦は青鸞に気付いた様子は無い。

 それでも青鸞は大きな声で呼んだ、母親となるはずだった女性に声をかけた。

 

 

「大丈夫!?」

「……て……ぇ……」

「え、何……何ですか!?」

 

 

 何事かをうわ言のように呟く女性に耳を寄せる、すると。

 

 

「こ゛ろ゛じ゛て゛」

 

 

 時間が止まった、ように感じた。

 それでも、女性は繰り返すように。

 

 

「ころして、ころして……にどと、ぶりたにあにはむかいません、だからころして、ころして、ぶりたにあにしたがいます、だからころして、おーる、おーるはいるぶりたにあ、おーるはいるぶりたにあ、おーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあおーるはいるぶりたにあ……」

 

 

 ガクガクと身体を震わせながら、ただただブリタニアへの屈服の言葉を紡ぐ妊婦。

 明らかに、そしてあまりにも様子がおかしくて、青鸞は思わず怯んだ。

 何を言っているのかわからない、子供が流れようとしているのに、関係の無い言葉をうわ言のように繰り返している。

 

 

「彼女はね、主義者だったんだよ」

 

 

 襟元を直しながら、V.V.が青鸞の背中に声をかける。

 主義者、つまり彼女はブリタニア人だ。

 ブリタニア人でありながら、ブリタニアの政策に反対する人々の総称。

 

 

「チャールストンだったかな? 数ヶ月前に主義者の拠点が潰されて、そこで捕縛されてここに来たんだよ」

「……チャールストンの、主義者?」

 

 

 ふと、記憶を刺激された。

 ナイトメアに乗る自分、旧要塞跡を殲滅する自分、主義者を捕縛する自分。

 ナイトオブイレヴン、セイラン・ブルーバード。

 

 

 吐き気が、した。

 

 

 妊婦から3歩後ろに下がり、ヨロめきながら口を押さえる。

 胃の奥を抉られるような心地に、瞳が揺れた。

 視界が、グルグルと回る。

 ガクリと、膝から落ちた。

 耳には、妊婦の屈服の言葉が届き続けている。

 

 

「ボ、ボク……ボクが、ボクが……?」

「まぁ、気にすることじゃないよ。最初は無理かもしれないけど、これから慣れていけばさ」

 

 

 まるで、アルバイトで仕事を後輩に教える先輩のような軽い声音で。

 ぽん、と右手で肩を叩いて、V.V.が笑顔で言う。

 カタカタと震える青鸞の瞳は、再び色を失いつつある。

 それに対して笑顔を浮かべると、V.V.は小さな指先で青鸞の顎先を掴んだ。

 くいっ、と上向かせて、光の無い瞳を覗き込む。

 

 

「――――さぁ、教えてあげる」

 

 

 全てを。

 そう告げて、告げた後に、赤い輝きが意識を埋め尽くした。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――最初は、ただ「それ」を崇めていた。

 人々はその「何か」を崇め、畏れ、奉っていた。

 古代と言う閉じた世界の中で、「何か」は人々にとって神にも等しいものだった。

 人々は「神」を畏れ、巫女を通じて崇め奉り、日々を過ごしていた。

 

 

 だが時代が進むと、事情が変わってきた。

 通信・移動手段が進歩して、人々は自分達が崇めている「何か」が世界中にあることに気付いた。

 そうした人々が結びついて、交流を持つことで、彼らは興味を持った。

 自分達が崇めている「これ」は、いったい何なのだろうと。

 そして、ギアス饗団は生まれた。

 

 

「これは……?」

 

 

 青鸞は、セピア色の世界にいた。

 まるで古い映画のように視界が擦り切れているが、それでも自分がどこかの島の浜辺にいることはわかった。

 それも夜らしい、セピア色の空には大きな大きな満月が浮かんでいた。

 自分だけが色を持つ世界で、きょろきょろとあたりを見渡す。

 気のせいで無ければ、どこか見覚えのある島のような……。

 

 

「……今から525年前の、神根島だね」

「……っ」

 

 

 不意にかけられた声に身構えて、後ろを振り向いた。

 普通なら砂が跳ねる勢いのはずだが、そうはならない。

 足跡すらついておらず、まるで変化が無い。

 記録のように。

 

 

「そんなに驚かないでほしいな、これはキミのコードの記録なんだよ?」

「ボクのコードの……?」

「そう、クルルギのコードの記録さ。キミが完全な形でコードを継承するには、必要な知識がたくさんあるからね」

 

 

 同じ砂浜に立っているV.V.には、やはり色がある。

 セピア色の世界の中で、自分達にだけ色がある。

 記録、その言葉が青鸞の脳裏で反響する。

 コードの、記録。

 

 

「……ほら、来たよ」

「え?」

「525年前の夏、この日、クルルギのコードは永遠に失われた。その原因が、来たよ」

 

 

 どうしてV.V.がそんなことを知っているかは――それこそ、記録を見たのかもしれない――わからないが、だがV.V.の視線を追った。

 するとそこに、いた。

 色の無い、セピア色の、映画の登場人物のように。

 1人の少女が、浜辺に立っていた。

 

 

(あれ……?)

 

 

 その少女は、青鸞と同い年くらいの少女だった。

 セピア色の世界で正確な色はわからないが、髪と瞳は黒く、肌は白く、そして顔や腕に独特の紋様を描く化粧を施していた。

 服装は簡素な貫頭衣だが、勾玉や数珠のような装飾品で身を飾っている様子だった。

 紅を引いた唇や髪、または衣服を気にしては直すその行動は、見るからに乙女だ。

 

 

 そして青鸞は、何となくその少女に見覚えがある気がした……鏡の前とかで。

 それにあの化粧は、確か子供の頃に見たことがある。

 枢木神社の、神事の中で。

 考え込んでいると、不意に少女が喜色を浮かべて顔を上げた。

 

 

「……っ」

 

 

 少女の視線を追って、息を呑んだ。

 何故ならそこには、少年がいたから。

 色はわからない、だが顔立ちはわかる。

 ……その少年は、スザクに似ていた。

 

 

 500年前と言うだけあって、どこか時代劇のような印象を受ける。

 着物と袴、腰に差した一本の刀。

 服装は違えど今と変わらない、青鸞の知るスザクにダブって見えた。

 正直、見れて嬉しい顔とは言えなかった。

 しかも、である。

 

 

「おや、はは、これは面白いね」

「……っ」

 

 

 面白そうに笑うV.V.とは裏腹に、青鸞はさらに息を詰めた。

 何故ならその剣士の少年と貫頭衣の少女が、V.V.と青鸞の目の前で抱き合ったからである。

 それもハグなどの軽いものでは無く、互いの背中に手を回して抱き締める深いものだ。

 少年も少女も満たされたような、幸せそうな顔で抱き合っている。

 

 

「位置的に見えないだろうけど、あの女の子がクルルギのコードの保持者だよ」

「……そう」

「最後の保持者、彼女を最後にクルルギのコードは永遠に失われることになった」

「最後って……って、ちょっと……!?」

 

 

 V.V.に言葉を返そうとした時、青鸞は目を剥いた。

 目の前で抱き合っていた少年と少女が、お互いの顔を少しずつ近づけていたからだ。

 キス。

 その単語が脳裏に浮かんだ時、青鸞は動揺した。

 

 

 ちょっと待て、と。

 青鸞の顔を持つ少女とスザクの顔を持つ少女がキスをしようとしている、正直、どう受け止めれば良いと言うのか。

 あーうー、と慌てるその姿を、何と形容すべきだろうか。

 

 

「あ……?」

 

 

 しかし結局、少年と少女の唇が重ねられることは無かった。

 何故ならば、少年の背中に一本の矢が突き立ったからだ。

 そしてそれは2本、3本と続き、口から鮮血を散らして少年が砂浜に膝をつく。

 力無く崩れ落ちる少年を抱きとめながら、少女が悲鳴を上げる。

 音は無いが、悲鳴を上げているのがわかる。

 

 

 青鸞が状況の変化についていけずにいる間に、彼女の周囲を無数の人が駆け抜けて行った。

 全員が奇妙な木の仮面をつけていて顔は見えないが、手に弓や刀などの武器を持っている。

 男だけでなく女も混じっているようだが、状況がさらに変化したのは確かだった。

 

 

「な、何、何が」

「落ち着いて、これはただの記録だよ。僕達には何の関係も無い」

 

 

 ぐ、と言葉に詰まるのは、最低限のプライドが残っていたからだろうか。

 そしてそうこうする内にも場面は動く、仮面の集団が貫頭衣の少女を羽交い絞めにして少年から遠ざけ、倒れた少年を取り囲んで。

 その背中に、無数の刀の刃が突き立てられる。

 少女の悲鳴が、質と量を変えて響いた……ように、見えた。

 

 

「彼はね、クルルギの分家にあたる人間だったんだよ」

 

 

 その凄惨な光景を見ながらも、V.V.は表情一つ変えなかった。

 曰く、ただの記録だから、だ。

 それこそ、映画と変わらない。

 

 

「クルルギのコードは血統で繋がるコード、彼らは本家同士の近親婚で生まれた女を巫女としてコードを刻み、その血の濃さによってそれを保ってきた。それに分家の、それも末端の血筋の男が手を出したんだから、あらゆる理由で排除しようとするだろうね……まして」

 

 

 ふふ、と笑って。

 

 

「本家を守る剣士の家系なんて、血に汚れた家柄じゃね」

 

 

 V.V.の言葉が終わるのとほぼ同時に、異変が起こった。

 仮面の集団が、急に苦しみだして倒れたのである。

 その中で1人、あのコード保持者の少女だけが動けていた。

 セピア色の世界の中でも、衣装の左胸の部分で何かが輝いているのはわかる。

 

 

 コードの力でショックイメージを与えて仮面の集団を打ち倒し、少女が無残な姿になった少年に取りすがる。

 身体中に穴が開き、もうどうしても助からないような傷を負った少年を。

 涙を流して絶叫する少女から、青鸞は目を逸らした。

 見ていられない、そう思った。

 

 

「始まるよ」

 

 

 それでもV.V.に促されて、少女を見た。

 そして、目を見開く。

 何故なら少女は仮面の集団の1人が持っていた短刀を奪うと、貫頭衣を脱ぎ捨て裸になって、逆手に持った短刀を少年の胸に突き刺したからだ。

 

 

 何度も、何度も、何度でも。

 少年の身から噴き出す血を全身に浴びながら、鬼のような形相で短刀を振り下ろし続ける。

 歯を食い縛り、涙を流し、コードを激しく輝かせながら。

 刃を、振り下ろし続けた――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「結論から言えばね、彼は助からなかったんだ」

 

 

 ぴたりと停止したセピア色の世界の中で、V.V.は淡々と告げた。

 

 

「それはそうだよね。ギアスの素質があるわけでも無い、ギアスを与えてすらいない男。そんな男がコードを受け継いで助かるなんて御伽噺は、叶うわけが無い。でも面倒なことに、コードの委譲には成功してしまったんだ。それで本家の女は死んで、でも男の身にはコードは発現せず……」

 

 

 そして、クルルギのコードは失われた。

 宿り主を失い、何処かへと消えた。

 そして、500年の後。

 

 

「キミの身体に宿った、これは奇跡だよ」

 

 

 連綿と続いてきた、血の刻印。

 そう思えば、そして先程の記録を見せられれば、思う所も出てくるだろう。

 自然、手は左胸へと伸びる。

 

 

「でもね、枢木青鸞。それは奇跡ではあっても偶然じゃ無いんだよ」

 

 

 にっこりと笑うV.V.、その時、場面が転換した。

 視界がぐにゃりと歪むような感覚に、2歩ほどヨロめく。

 V.V.が平然としている様子にやや苛立つが、それよりも周囲の変化に気が行った。

 

 

 そこは、見覚えのある遺跡だった。

 崩れそうな岩盤に、奇妙な模様が描かれた大きな扉、祭壇へ続く階段。

 神根島の遺跡だ、見間違えるはずが無い。

 しかもセピア色、つまりこれもコードの記録だ。

 遺跡には人間が1人いる、しかもそれは青鸞の良く知る人物だった。

 

 

「……父様?」

「そうだね。枢木ゲンブ、もう首相になってる頃かな、これは」

 

 

 父だった、父ゲンブが探検家のような出で立ちで遺跡にいた。

 だが考えてみれば、当然だろう。

 青鸞は父の手記で神根島に導かれたのだ、その父がこの遺跡に来ていないはずが無いではないか。

 

 

「興味があったんだよね、まさかクルルギの末裔が遺跡を今も守っているなんて知らなかったからさ」

「え……」

 

 

 不意にそんなことを言われて、青鸞はV.V.を見た。

 V.V.はこちらを向いていない、上から横顔を見下ろす形になる。

 目を合わせることは出来なくて、少年の形の良い唇の動きだけを追う。

 

 

 その時、父ゲンブの方でも状況に変化があったようだった。

 それは、扉だ。

 扉が開く、赤い輝きを放ちながら。

 

 

「とは言え、彼ほどに遺跡に興味を持った人間はそれこそ500年ぶりだろうけど。でもだから、僕もシャルルも……ギアスの遺跡が、エリア11のこの島にあると気付けたんだけどさ」

 

 

 赤い輝きを放ちながら、遺跡の――――コードを奉っていた祭壇の扉が、開く。

 

 

「おかしいとは思わなかった? どうして枢木ゲンブがキミを種にブリタニア皇帝への嫁入り交渉が出来たのか。植民エリアの元指導者の娘なんて他にもいくらでもいるのに、どうしてキミだけが? そして枢木ゲンブはどうして自分だけは取引できると思ったんだろうね?」

「ど、どうしてそれを」

「知っているさ、知っているに決まってるよ。だってさぁ……」

 

 

 扉の向こうからゲンブの前に現れたのは、1人の少年だった。

 長い金髪に、紫水晶の瞳、そして司祭服のような裾の長い衣装。

 小柄な、10歳くらいの少年。

 扉の向こうの光が後光のように差して、少年を神のように見せていた。

 すなわち。

 

 

「――――僕が教えたんだもの」

 

 

 V.V.。

 

 

「僕が枢木ゲンブに教えたんだ、コードのことやギアスのことを。そして彼は気付いたんだ、その秘密を独占するブリタニアにはどうあがいても勝てないって。だから彼は諦めたんだ、日本を守る道じゃなく、自分を守る道を選んだんだ」

 

 

 また、場面が変わる。

 次の場面は、とても狭い空間だった。

 一番近いイメージは、手術室、だろうか。

 先程の子供達がそうしていたように、手術台の上に子供が寝ている。

 

 

 1人は男の子のようだった、色素の薄い髪色をした少年。

 そしてもう1人は女の子、長い黒髪の少女。

 別々の手術台の上で目を閉じて、眠っている2人の子供。

 それが誰かなど、知りたくもない。

 なのに。

 

 

「彼は僕の与えた情報の断片を元に、独自にクルルギのコードの再発現に挑戦した」

 

 

 ――――良いのですか、貴方様のご子息とご息女ですぞ。

 

 

「な、何……!?」

 

 

 青鸞は両耳を押さえる、今まで聞こえなかったはずの音が耳に届いたのだ。

 それは、コードでは無く……青鸞自身の、肉体の記憶だからか。

 いずれにしても、反響するように響く声に青鸞は怯えた。

 

 

「国を売って地位を得て、自分は不死になるために」

 

 

 ――――道徳の講義など聞きたくない、で、どうなのだ。

 

 

「い、嫌……」

 

 

 嫌だ、聞きたくない、聞きたくない。

 だが耳を押さえた所で声は聞こえてくる、V.V.のクスクスと言う笑い声も。

 ……そして、青鸞は気づいた。

 

 

「ただどうも、息子の方は適正が低かったみたいだね。枢木ゲンブも早くから興味を無くしてたみたい、それ以降は息子とも疎遠だったらしいね。でも枢木青鸞、キミは違った。コードの適正が異常に高かった、先祖返りだ、枢木ゲンブは狂喜した」

 

 

 ――――素晴らしい、アレの母親の血が濃く出たのかもしれんな。

 

 

「は、母親……?」

「キミが生まれた後、すぐに亡くなったんだってね。でも知ってるかい? 病院の記録には母子共に健康って残ってるんだよ……なのに、どうしてすぐに亡くなったんだろうね?」

 

 

 気付いてしまった、V.V.が先程自分で言っていたでは無いか。

 父ゲンブが、どうしてコードの……不死の研究にのめり込んでいったのは何故?

 国を売り、娘を売って己の保身を図ったのは何故?

 諦めてしまったのは、何故?

 絶望してしまったのは、何故?

 

 

 そしてブリタニア皇帝との取引の結果、あの無謀な戦争の引き金を引いたのは何故?

 父を、兄を、そして多くの日本人を塗炭の苦しみに放り込んだあの戦争の引き金を引いたのは。

 何故?

 何故? 何故? 何故? ――――誰?

 父を狂わせた、その元凶は――――。

 

 

「――――僕だよ」

「あ……」

 

 

 V.V.。

 

 

「僕が枢木ゲンブに教えた。成功すれば僕の役にも立つし、失敗してもブリタニア皇帝が……シャルルが遺跡を手に入れられる。結局、枢木ゲンブは……」

「あ、ああぁ……」

 

 

 V.V.の横顔、チカチカする視界の中で、それだけがはっきりと映っていた。

 形の良い少年の唇が、頬が、笑みの形に歪むのを見ると。

 見てしまって、青鸞の中で何かが、ぷつりと音を立てて。

 

 

「……僕達「兄弟」の手の内で、踊ってくれていたってわけだね」

 

 

 そして。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 少年の肩が、ピクリと震えた。

 何かビリビリとした感触に眉を顰めて、少年……スザクは己の肩に触れた。

 ラウンズのマントに覆われたそこに触れても、何の答えも無い。

 

 

「……青鸞?」

 

 

 口をついて出たのは、何故か妹の名前だった。

 ここはロシア・シベリア地方、対中華連邦(モンゴル)国境近くの駐屯地だ。

 先年にEUから奪い取った土地で妹の名前を呟いても、聞こえるはずも答えが返ってくるはずも無い。

 それなのに、どうしてかスザクは妹の名前を呟いた。

 

 

 胸の奥が、妙にザワザワとしていた。

 酷く落ち着かない、今は中華連邦侵攻に向けた準備を指揮しなければならないのに。

 実際、彼の前には数千の兵がいる。

 それぞれ持ち場を守り、車両やナイトメアが人の波の外側を固めているのだ。

 だが今、スザクの心は目の前の兵を見ていない。

 

 

「おーい、どしたスザク?」

「ぼーっとしてる?」

「あ、ああ……いや、ごめん。本当にぼうっとしてたみたいだ」

「まぁ、仕方ないさ。ここん所いろいろあったし、あんま寝て無いしな」

 

 

 両サイドから同僚――ジノとアーニャ――に声をかけられて、スザクは我に返った。

 ジノの言う通り、忙しくて休めていないせいで、変な気分になってしまっただけだろう。

 それでも、胸の奥のざわめきは消えなかった。

 だが集中しなければ、今からの仕事には耐えられない。

 

 

「ほら、来たぜ……吸血鬼が」

 

 

 ジノにしては珍しく棘のある言い方で、彼は視線で上空を示した。

 そこには、駐屯地にある部隊が着陸している様子が見て取れた。

 数機の航空戦用ナイトメアが着地する際に生じる強い風が、スザク達のマントを揺らす。

 降りてきたのはヴィンセントだ、ただしカラーリングはピンク。

 ナイトオブテン直属、グラウサム・ヴァルキリエ隊。

 

 

 そして当然、直属部隊がいることは……来た。

 ナイトオブテン専用KMF、頭に紫色の大きな角を持つ独特のナイトメア『パーシヴァル』が。

 その傍には副官機がいる、濃い緋色のスタイリッシュなKMF『モリガン』だ。

 すなわち、着地したそれらの機体から降りてきたのは……。

 

 

「おやぁ……?」

 

 

 オレンジ色の髪に紫のメッシュを入れた独特の髪形、何よりも殺意に満ちたその目。

 見間違えるはずが無い、スザク達の前で唇の両端を釣り上げている男はナイトオブテン、ルキアーノ・ブラッドリーだ。

 フランス上陸作戦の成功に貢献した後、皇帝の勅命を受けて欧州ロシアから極東へと転進してきたのだ。

 援軍として。

 

 

「ふん、汚らしいイレヴンに、貴族の七光りに、お人形の小娘か……おかしいじゃないか、え?」

 

 

 わざとらしくスザク達1人1人の顔を見て、下卑た声で告げる。

 

 

卑しい雌豚(セイラン)の姿が見えないみたいだが、どうしたんだぁ?」

 

 

 クククク、と、いやらしく笑うルキアーノを。

 スザクは、密かに拳を握って睨みつけることしか出来なかった。

 その心の中では、戦場で別れた妹の顔が浮かんでは消えていた。

 

 

 青鸞、彼の妹、彼に「どうして」と問うてくる娘。

 だがスザクは、その問いに答えたことは一度も無い。

 何故なら彼は、契約したから。

 契約、それはギアスに関わる者にとっては特別な意味を持つ。

 

 

(……青鸞、僕は……キミを)

 

 

 帝国最強の騎士、ナイトオブセブン、皇帝の秘密を知る男。

 皇帝との契約で今の地位を得た「裏切りの騎士」、枢木スザク。

 彼は今この時も、実の妹を裏切り続けているのだった。

 

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「あ……あぁ、あ。あ……あああぁ、ああああああぁ! あああああぁああああぁぁああああああああああああああああああああぁああああああああああぁあああああぁっ! あぁあああああああああああああああああああああああああああぁあああああああああぁあああああああああぁぁあああああああああああああああああぁぁぁぁぁっっ!!」 

 

 

 悲鳴、絶叫、悲痛な叫び。

 ありとあらゆる表現を使ってもなお表現しきれない叫びが、饗団の実験棟に響き渡っていた。

 実験棟の外にいる者にすら聞こえる程の絶叫、それを前にしても、V.V.はなおも涼しげな表情を変えていなかった。

 

 

「いや、でも驚いたのは本当なんだよ? 最初に聞いた時は本当に誰のことだからわからなかったし、シャルルに教えて貰ってようやく思い出したんだよ。それくらい、クルルギのコードが再発現するなんて思っていなかったんだ」

「あああああああああああああああああああっ!!」

「その意味では、キミの父親の執念はなかなかだったと言うことだろうね。まぁ、自分は息子に殺されて、しかも実験体にしてた娘が不老不死を手に入れるんだから……」

「あぁっ、あ、っ、う。う゛う゛ぅうああああああああああああああっ!! あ゛あ゛っっ!!」

「……やっぱり、馬鹿だったんだろうねぇ」

 

 

 クスクスと嘲笑するV.V.を、青鸞を見上げていた。

 通路の白く固い床に頬を打ち付けられた状態で、前髪の間から鋭い眼光を滲ませている。

 もう光は消えていない、むしろ苛烈なまでの輝きが瞳に宿っていた。

 黒衣の饗団員、大の男が4人がかりで押さえつけなくてはならない程に、苛烈に。

 

 

「ああああああああああっっ!! あ――――っ! あ――――っ! あぁ――――――――っっっっ!!!!」

「五月蝿いなぁ、レディなんだからもう少しお淑やかにしたら?」

「ぐっ……う゛う゛ぐっ、が! お前……お前、お前お前お前ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇっっ!!」

 

 

 ぎしり、と、骨が軋んでもなお身を起こしV.V.に飛びかかろうとする青鸞。

 負の感情の全てを叩き込んで煮詰めたかのような瞳、その目の端には透明な雫が散りつつあった。

 噛み切ったのだろう、唇からは顎先に向けて血が滴り落ちている。

 

 

 怒り、哀しみ、憎しみ。

 そうした全ての感情を得て、喉を潰さんばかりに叫び続ける。

 周囲の白衣の科学者達が身を竦める程の叫び、だがV.V.はやはり動じていない。

 青鸞よりも年長の不死者としての余裕か、それともそれ以外なのか。

 

 

「V.V.……ッ、V.V.うううううううぅぅぅぅっっ!! お前がっ、お前が父様を……父様をぉっ!!」

「僕は声をかけただけだよ、決めたのは彼自身さ。まぁ、結果的に馬鹿を見たのは彼だけど」

「父様を馬鹿にするなぁっ!!」

「……キミも変な人だね。父親に裏切られ続けてるくせに、父親はキミに嘘を吐いていたんだよ?」

「お前がっ……お前が、お前が父様を惑わしたんじゃないか……っ!」

 

 

 V.V.がゲンブにギアスのことを吹き込まなければ、それに端を発する全ての悲劇を防げたかもしれないのに。

 キョウトの腐敗と支配に絶望してはいても、ギアスに縋るおぞましい計画には手を染めなかった。

 だったら、クルルギのコードを餌にブリタニアと取引などしなかったろう。

 そうすればあの戦争だって起こらなかった、スザクがゲンブを殺すことも無かったかもしれない。

 

 

 そんな青鸞に、V.V.はやれやれと肩を竦めて見せた。

 付き合いきれない、そう言いたげに。

 それがまた、青鸞の神経を逆撫でした。

 

 

「よくもっ……よくも、お前ええええええええええええええええええええええええええぇぇぇっっ!!」

「はいはい、わかったよ。それよりも枢木青鸞、僕達の仲間になる気は無いかい? 寄る辺無き哀れなコード保持者、500年ぶりのクルルギの血統よ」

「誰がっ! お前なんかにっ!!」

「あっ、そう」

 

 

 興味なさそうにそう言って、V.V.は指を鳴らした。

 するとどこからか、また別の黒衣の集団がやってきた。

 その集団の中に、今の青鸞と同じように、黒衣の集団に拘束されている少年がいた。

 色素の薄い髪に線の細い身体、白の拘束衣に身を包んだその少年は。

 

 

「ロロォッ!!」

「んんっ、ん――っ、んん……っ!」

「ロロッ……ロロォッ! 離せ、離せえええええぇぇっ!!」

 

 

 猿轡を噛まされたロロは、黒衣の饗団員によって腕を捻り上げられて苦悶の表情を浮かべた。

 青鸞は気持ちばかりが急いて、しかし身動きが取れずに食い縛った歯の間から唸り声を上げることしか出来なかった。

 それでもなおもがいて自分の下に向かおうとする青鸞の姿に、ロロは場違いながら涙を浮かべた。

 

 

「あははは、本当に変な人だね。偽物の記憶を整理できずに裏切り者を弟呼ばわるするなんて。まぁ、それは良いんだけど……キミは良くないよね、ロロ」

「……ッ」

 

 

 ロロの前まで歩き、V.V.は懐から注射器を取り出した。

 封を取って軽く押し、薬液を僅かに出した後、それをロロの首に当てて注入した。

 瞬間、ロロは己の身体の中で何かが脈打つのを感じた。

 目を見開いて瞳を揺らすが、その瞳には……赤いギアスの輝きが生み出されていた。

 しかし時間停止のギアスの効果は広がらない、特殊な薬液のようだった。

 

 

「ロロ? ロロ……ロロ!!」

「か……ぁ……う……?」

 

 

 ぶるぶると身を震わせるロロに声をかけるも、答えは無い。

 いや、答える余裕が無いと言った方が正解か。

 脂汗を流し、苦しげに喘いでいるロロの姿を見て……はっ、と気付いた。

 

 

 ロロの右眼のギアスが、ON状態になったまま動かない。

 ルルーシュの例を思い出す、ギアスの暴走だ。

 今の注射はそのための物、それに思い至って青鸞は血の気が引くのを感じた。

 V.V.が言っていた、ロロの時間停止のギアスは。

 

 

(心、臓……が……)

 

 

 心臓が、止まるのだ。

 

 

「……っ、あああああああああああああああぁっ!!」

 

 

 叫ぶ。

 ロロの下に、行こうとする。

 弟の、下に。

 涙を流し、歯を食い縛り、血を流し、骨を折りながら。

 

 

 そんな青鸞に対して、V.V.は嗜虐的な笑みを浮かべて見せた。

 そして懐から別の注射器を取り出して、それをこれ見よがしに青鸞に見せてくる。

 おそらく、あれを打てばロロは助かるのだろう。

 そうでなければ取引にならない、だがそれはV.V.への屈服を意味する。

 砂漠のように記憶に無いなどと言えない、直接的に。

 

 

「……殺してやる……!」

 

 

 低い声で、青鸞が唸った。

 危険な色を浮かべた眼光と相まって、獣じみて見えた。

 

 

「殺してやる、殺してやる……殺してやる! 殺してやるっ! 殺してやるっ!!」

「はは、僕は死なないよ?」

「それでも殺してやる、お前を……絶対に!!」

「そうかい。僕も鬼じゃないから、ゆっくり考えたら良いよ。まぁ……」

 

 

 呆れたようにそう言って、V.V.は青鸞に背を向けた。

 注射器を傍にいた饗団員に渡して、青鸞に背を向けたまま歩き出す。

 息が詰まって床に倒れたロロのことなど欠片も気にせず、子供の歩幅にしては足早に。

 

 

「それ、2分も保たないだろうね。早めに決めた方が良いと思うよ?」

「……ッ!?」

 

 

 青鸞の顔が、悲痛に歪んだ。

 一瞬だけ表情と言う色を失ったその顔を、V.V.は楽しげに見やった。

 それから次の瞬間には美しく憎悪に歪み、それが絶望に変化するのを見た。

 そして。

 

 

「あ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!!!」

 

 

 絶望と憎悪の悲鳴が、上がった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 少女の絶叫を背中に受けて心地良ささえ感じながら、V.V.は通路を歩いて行った。

 彼女のことは黒衣の饗団員達に任せておけば良い、V.V.はそう思った。

 彼には、他にもやらなければならないことがあるのだから。

 

 

「シャルルはどうしてる? もう中華連邦に攻め込んだのかな?」

「は、2日前に正式に宣戦布告し、ロシア国境から一斉に南下を始めたと……欧州方面から迂回してきたブラッドリー卿を始め、ラウンズの方々の軍を先頭に」

「そう、ならそっちは良いや。黒の騎士団は?」

「は、そちらは特には……おそらく、中華連邦の対ブリタニア戦に参加すると思われますが」

「ふん……?」

 

 

 V.V.はふと首を、傾げた。

 彼の予測では、キュウシュウの旧日本解放戦線が黒の騎士団から離反するはずだった。

 ルルーシュの勢力を内側から崩してC.C.を無防備にし、かつ枢木青鸞を手中にする。

 そのために、わざわざディートハルトとか言う幹部に例の写真を流したのだ。

 

 

 しかし今の所、黒の騎士団の中に動揺は見られない様子だった。

 ルルーシュが情報を統制しているのか、それとも内側では大騒ぎなのか。

 枢木青鸞の逃亡は、それだけのビックニュースなのだ。

 まぁ、仮に影響が最小限でも……傷口を広げてやれば良い。

 方法など、いくらでもある。

 

 

「まぁ、良いや。とにかく枢木青鸞を黄昏の間に。もう少しコードの記憶を見せて躾けないといけないから」

「は……」

「抵抗するなら殺しても良いよ、どうせ蘇生するんだし」

 

 

 そう、今は躾だ。

 いずれはルルーシュも躾けないといけないだろう、その前準備が彼女だ。

 そして彼女のコードを。

 

 

 ズ、ズズン……!

 

 

 不意に、足元が揺れた。

 たたらを踏み、動揺の声を上げる黒衣の饗団員を横目に、V.V.はむっとした視線を天井へと向けた。

 断続的に続く揺れは、継ぎ目の無い綺麗な天井からパラパラと誇りを落としている。

 それに、V.V.は目を細める。

 

 

「…………?」

 

 

 何が起こっているのか、饗団員の動揺はまるで気にすることも無く。

 ただ天井の向こうで起こっていることを見ようとするかのように、睨み続けていた。

 そして、その先には。

 

 

『――――黒の騎士団、総員に告げる!!』

 

 

 外が、ある。

 青空が広がる砂漠、だがそこには空の青と雲の白以外のものがあった。

 空を飛ぶ、船。

 白亜の装甲を持つ航空戦艦と、周辺を固めるナイトメア部隊。

 

 

 その中心を占めるのは黒と金のナイトメア、『ガウェイン』。

 声はそこから全方位に拡散している様子だった、声の主は黒い仮面の男。

 怒気を孕ませた声が周囲に拡散し、部隊の士気を高めている様子だった。

 

 

『明号作戦、開始せよ!!』

 

 

 直後、通信回線を歓声で覆いながら、黒のナイトメア部隊が砂漠の上を疾走した。

 目指す先には、砂漠の島のようにぽつんと存在する岩山の群れだ。

 その頂上とも言うべき地点には1機のナイトメアがいる、集団を先導するように立つその機体の名前は『ラグネル』。

 その機体の中にいるのは、当然。

 

 

「さぁ……日の当たる所に引き摺り出させて貰うぞ」

 

 

 コーネリアであり。

 

 

『そう、鬼ごっこは終わりだ……』

 

 

 上空の黒のナイトメアには、ルルーシュ=ゼロがいて。

 

 

「『ギアスの、元凶……!』」

 

 

 異母姉弟の声は、奇しくも重なっていた。




採用ギアス:
無間さま(小説家になろう)提案:ギアス「検分」。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 今回は特に気合いを入れました、これぞ竜華零の真骨頂「主人公に対してドS」です。
 そして饗団編のエンディングに向けて、物語は加速します。
 では、次回予告です。


『誰を憎めば良いのかわからなかった。

 最初はスザクだった、父を殺した兄だった。

 でも父がボクを裏切っていたと知って、憎しみの対象は拡散した。

 だから、誰を憎めば良いのかわからなくなってきていた。

 だけど、今。

 今、ボクの目の前に、いるんだ。

 憎むべき、敵が――――』


 ――――TURN17:「通過 儀礼」


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TURN17:「通過 儀礼」

 祝、東京五輪・パラリンピック招致成功!
 日本人として、これほどに光栄で誇らしいことはありません!
 7年後、皆で東京大会を観ましょうね!
 それでは、どうぞ。


 ユーフェミア・リ・ブリタニアは、神聖ブリタニア皇帝の臣下である。

 現存する国家の中で最も完成された階級社会を持つブリタニアにおいては、それはつまり絶対と言う意味を持っていた。

 故にエリア11代理総督ユーフェミアは、皇帝シャルルの命令に対して「否」と答えることを許されない――――。

 

 

「お断り致します、皇帝陛下」

 

 

 ――――はず、だった。

 しかし今、ユーフェミアは父であるブリタニア皇帝の命令を拒絶していた。

 場所はトーキョー、エリア11を統治する政庁、その謁見の間である。

 

 

 華やかでありながら清らかさを同居させる白のドレスを纏ったユーフェミアの目の前には、天井からぶら下がる巨大モニターに映る皇帝の姿があった。

 老齢とは思えない程に逞しい身体に鋭い眼光、大多数の人間はモニター越しにでも威圧感を感じて畏れを覚えるだろうその姿。

 

 

『……エリア11代理総督ユーフェミア・リ・ブリタニアよ。我が命に背くか』

「恐れながら申し上げます、皇帝陛下。私がエリア11の代理総督であるからこそ、陛下のこの度のご命令を拒絶するのです」

 

 

 稲光のような低い声を発する皇帝に対し、ユーフェミアは穏やかに応じた。

 誰もが畏れを抱くだろう皇帝の姿を前にしても、彼女の柔和さは変わらない。

 変えようが、無い。

 

 

「そしてさらに申し上げます、皇帝陛下。中華連邦への宣戦布告の撤回と、EUに対する侵略の停止を、ユーフェミア・リ・ブリタニアの名で正式に上奏致します」

『それはエリア11代理総督の権限を超えるものであるな、ユーフェミアよ』

「はい、皇帝陛下。そしてこれは代理総督としてでは無く、第3皇女ユーフェミアとしての、枢密院を経由しての上奏とお考えください、お父様」

 

 

 柔らかな微笑を絶やさずに、ユーフェミアはそう言った。

 それは皇帝への諫言であった、ブリタニアにおいてそれをする人間はいない。

 例外があるとすればシュナイゼルであろうが、それにしても。

 

 

「皇帝陛下、今のブリタニアの在り方は間違っています」

 

 

 ブリタニアの政策を、ここまで否定した皇族は彼女だけだったろう。

 それに対して、モニターの中の皇帝は目を細めた。

 その瞳はこう言っている、はたしてこの娘はこうまで我を通す性格だったか、と。

 

 

「力で、武力で、軍事力で問題を解決しようとしても、それでブリタニアが世界を制しても、そこには何ら実などありはしないでしょう。むしろ我がブリタニアの力を悪戯に枯れさせるのみ、我がブリタニアの力は、もっとより良いことのために使われるべきものだと思います」

『それはこの皇帝への批判か、ユーフェミアよ』

「いいえ、皇帝陛下。私は今のブリタニアの在り方を批判したまでです……私は」

 

 

 (わたくし)は、誰も否定しません。

 

 

「皇帝陛下、私はある一点において陛下を支持しています。それは対立を、戦争と言う悲劇をなくすためには全てが一つにならなければならないと言うことです」

『では何故、キュウシュウの黒の騎士団を討てという皇帝の勅命に従わぬ』

「武力をもってそれを成しても、何の意味も無いと考えるからです」

 

 

 では、何をもって行うべきか?

 それは話し合いだ、言葉だ、そして心だ。

 ユーフェミアは説いた、対話によってこそ人々は統合されると。

 反政府勢力は言うだろう、ブリタニアが何を今さらと。

 

 

 それは正しい、日本の抵抗の象徴と呼ばれる少女にも言われた理屈をユーフェミアは認める。

 一理あると認める。

 最初に譲歩すべきなのは、侵略と言う形で相手を踏み躙ったブリタニアだと認める。

 だから、ユーフェミアは言った。

 

 

「対立の図式を無くし、誰もが平和を享受できる世界を創るために――――」

 

 

 まず。

 

 

「――――最大の武力を保有するブリタニアこそが、武力を放棄すべきなのです」

 

 

 ブリタニアを、武装解除すべし。

 それはあまりにも非現実的で、夢物語で、小娘の戯言としか聞こえなかった。

 だからと言うわけでも無いだろうが、モニターの中で皇帝が胸を逸らした。

 

 

『不遜である、ユーフェミアよ』

 

 

 しかしそれを受けてもなお、ユーフェミアは微笑を絶やさない。

 むしろどこか困ったように首を傾げて、実の父の顔を見上げている。

 

 

『その不遜、不敬にして余りある。よって今この瞬間をもって、エリア11におけるお前の一切の権限を停止する。これは勅命である、ユーフェミア』

「……それは無理です、お父様」

『何?』

 

 

 モニターの中で、初めて皇帝が眉を顰めた。

 ユーフェミアの言う「無理」と言う言葉の意味がわからなかったのだろう、あるいは公然と謀反を表明したのかと思った。

 だがその後に続いたユーフェミアの言葉は、上げた眉を下げるには十分なインパクトを持っていた。

 

 

「皇帝陛下の権限では、私を解任することはできません」

『世迷言を』

「いいえ、皇帝陛下。皇帝陛下はお忘れのようですが……私は正式には、エリア11の副総督のままです」

 

 

 代理総督を名乗っていても、本国における正式な地位は「エリア11総督コーネリアの副総督」でしか無い。

 そしてそこにこそ、ユーフェミアの理論の核があった。

 正常な状態であれば誰も気付かない、法の抜け穴。

 

 

「そして副総督の任命・解任の権限を持つのはエリア総督のみ、人事権は皇帝陛下より権限を賜った総督のみが発揮することが出来る権限です」

『だが、その総督の任命・解任は皇帝の一任で行うことが出来る』

「ですが総督を飛び越えてエリアの人事を行う権限は、皇帝陛下、たとえ貴方であろうとお持ちではない、そうでしょう?」

 

 

 微笑したまま、ユーフェミアは言う。

 そしてそれは事実だった、そもそも総督が皇帝に直属する以上、その下の人事云々について皇帝が差配する必要は無い。

 必要が無いため法には書かれていない、書かれていない以上その権限は無い。

 

 

 もし皇帝がユーフェミアを解任したいなら、コーネリアを通す必要がある。

 だがそのコーネリアはいない、行方不明のままだ。

 だから現状、今この場で皇帝がエリア11の内情について口を出すことは出来ない。

 しかし、それは。

 

 

『この父に詭弁を弄すか、ユーフェミアよ』

 

 

 それは皇帝の怒りを買うには、十分すぎるものだった。

 皇帝はモニターの中で、しかしまるで目の前にいるかのようにユーフェミアを見下ろす。

 見上げるユーフェミアもまた、微笑みの質を変える。

 

 

 数秒、2人の視線が絡まった。

 父と娘、皇帝と皇女、主君と代理総督、力を信じる者と和を願う者。

 あらゆる面で逆で、しかし一点において共通する2人。

 そして、その共通するものの根幹には。

 

 

『お前も父に挑むか、ユーフェミアよ……!』

「いいえ、お父様。私は誰にも挑みません、ただ平和を求めるだけです」

 

 

 両者の瞳に、赤い輝きが浮かぶ。

 数千キロを隔てていなければ互いに効力を及ぼしていただろうその力は、大鳥が羽ばたくような形をしていた。

 ――――ギアス。

 それは親子の絆以上の強さで、2人を繋いでいるようにも見えた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 皇帝と皇女がギアスの瞳を交わしている頃、そのギアスの源を揺るがす出来事が旧大陸(ユーラシア)の中央で起こっていた。

 中央アジアの砂漠地帯、砂以外に何も無いそんな場所を黒の軍隊が攻めていた。

 演習かと思えばそうでは無く、ナイトメアを用いた局地制圧戦であった。

 

 

『現時刻をもって、明号作戦は発動されました』

 

 

 ガウェインのコックピットの中で、ルルーシュ=ゼロは仮面を取った状態で通信機から響く女の声を聞いていた。

 声の主はヴィヴィアンにいる佐々木である、彼女は総員に対して作戦の再確認を求めていた。

 作戦名「明号」、立案は当然ルルーシュ=ゼロだ。

 

 

『零番隊及び護衛小隊は、協力者の駆るラグネルの先導に従い地下空間に突入せよ。中華連邦の内通者及びブリタニア関係者の抵抗がある可能性があるため、最新の注意を払いつつ前進。なお地下空間内には多数の要保護対象者がいると思われ、制圧と同時にこれらの対象の保護を――――』

 

 

 この場にルルーシュ=ゼロが連れて来た戦力は少数だ、組織的にも個人的にも大軍を連れて来れなかったと言うのもある。

 一つはカレンを隊長に戴く零番隊(しんえいたい)、黒の騎士団の最精鋭だ。

 特にギアスの事情を知るカレンの存在は大きい、先導役のコーネリアと並んでこの作戦の成否を握っていると言えるだろう。

 

 

 そして青鸞の護衛小隊、青鸞がいない今置き所に困る小部隊であり、地下空間――ギアス饗団――内に青鸞がいると言う事情も、ルルーシュ=ゼロは考えていた。

 まぁ、彼らにはそこは伝えていないのだが。

 ギアスの本拠地を攻める以上、情報の秘匿は必要不可欠だった。

 

 

(予定よりかなり早い……が、これを気に一気に嚮団を手中に出来れば……)

 

 

 中華連邦・インドとの同盟が成り、対ブリタニアの政治的・軍事的環境が整いつつある今、ギアスの大本とも言うべき饗団をブリタニア皇帝の手から奪うことの意義は大きい。

 ブリタニアの広大な版図の獲得は、饗団による陰日向の援助があればこそだ。

 逆に言えば饗団の存在を奪えばブリタニアの力は、半減は言い過ぎでも相当減退する。

 

 

 いつかは奪うつもりだったが、もう少し準備が整ってからと思っていた。

 だがこの期に及んでは是非も無い、ルルーシュ=ゼロは一気呵成に饗団本部を襲撃した。

 もちろんその中には、青鸞の再救出も含まれている。

 

 

「……頼んだぞ、咲世子。C.C.、道案内くらいは真面目にやれよ」

『はい、ルルーシュ様』

『私がいた頃と中の配置に変化が無ければな……』

 

 

 複座のガウェインのコックピットにいるべきもう1人、つまりC.C.はここにはいない。

 と言うのも、今のガウェインにはドルイド・システムもハドロン砲も無いため、ルルーシュ1人で操縦を賄うことが出来るのである。

 ガウェインの装備・システムがどこにあるのかは、また後に判明することになる。

 

 

 そして通信画面の向こうには、ルルーシュに仕える侍従、咲世子――正直、あの派手な忍者のような衣装はついていけないが――がいる、彼女は信頼できる、だから実行面においてルルーシュ=ゼロは何も心配していなかった。

 もう1人は今ここにはいないC.C.、饗団内部の案内をすると言う。

 

 

(……まぁ、あの魔女が素直に引き受けたことは気になるが)

 

 

 画面の中のC.C.の表情はいつも通り、何を考えているかわからない。

 だが以前から、C.C.は妙に青鸞のことを気にかけていた。

 今回の作戦も、C.C.が提供した青鸞の居場所を元に策定されたものだ。

 ルルーシュの知る限り、ピザ以外でC.C.が動くのは青鸞関係のことだけだろう。

 

 

 ……正直な所、明晰なルルーシュの頭脳はいくつかの可能性を見つけてはいる。

 だがそれは結局は想像の域を出ない、C.C.に確認しても沈黙が返ってくるだけだろう。

 だからルルーシュ=ゼロは、今はそのことについて考えないことにした。

 今はただ、自分のすべきことを見据えるだけだ。

 彼自身の、未来のためにも。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 断続的に響く爆発音と振動が、饗団本部を揺るがしていた。

 固い岩盤に覆われた饗団本部はそうそうのことでは崩れない、しかし饗団は軍事組織では無い。

 それ故に、こうした荒事に対しては素人の科学者達がまず浮き足立った。

 

 

「な……ナイトメアだ、ナイトメアが攻めて来たぞ!」

「ど、どう言うことだ。ここの座標を知る者が敵に……!」

 

 

 そしてその混乱は、ギアスの実験棟にも当然及ぶ。

 パニックを起こし、実験を放り出して各個室から出る科学者達。

 流石に正規の饗団員はパニックを起こすまででは無いが、しかし科学者の数は彼らの数倍はいる。

 それら全てを統制することなどもはや出来ない、そして彼ら自身も動揺している。

 

 

「ぐぁっ!?」

 

 

 そして青鸞はその隙を見逃さなかった、いや、ロロが見逃さなかった。

 青鸞を押さえつけていた饗団員が周囲の変化に驚いて手の力を緩めたのを見ると、右眼をかっと見開いた。

 呼吸の出来ない、心臓を掴まれているような心地の中で、薬で抑制されたギアスを無理やりに使う。

 それはいつもより遥かに短い時間しか止められ無かったが、それでも確かに時間を停止させた。

 

 

 停止時間の中で唯一動ける青鸞が、己の身を躍動させたのは言うまでも無い。

 何しろ饗団のおかげで体調は全快している、状態は万全だ。

 まぁ、精神的な問題は別だろうが。

 

 

(動……く!)

 

 

 饗団員も戦闘員では無い、個々人は青鸞よりも弱い。

 そこに一瞬でもロロの援護があるのであれば、それで十分なのだ。

 己の後頭部ですぐ背後の男の顔面を打ち、浮いた隙間を縫うように這い出る。

 片腕をお腹に巻き込むように曲げ、跳ぶ。

 

 

 浮遊感と突然の躍動に病み上がりの身体が軋みと痛みを訴えるが、昂揚した今の彼女には関係が無かった。

 そしてその感情の昂ぶりによって、司祭服の胸元から赤い輝きを放っていた。

 コードの、強い輝きを。

 着地、しかる後に後ろ回し蹴り、宙を舞う注射器、それを掴む手。

 

 

「止め――――」

 

 

 ロロの一瞬の停止から彼らが我に返った時には、すでに青鸞は目的を果たしていた。

 V.V.がそうしたのと同じ位置に注射器を刺し、一息に中の薬液を流し込む。

 ブラフである可能性もあったが、どうやらその心配は無かったらしい。

 何故ならば、ロロの右眼からギアスの輝きが途切れたからだ。

 

 

 途切れ、そしてすぐに再開する。

 目の下に隈を作ったロロは即座に停止結界を作り出した、周囲の人間が時間を取り戻した時には、饗団員達は軒並み地に倒れ伏していた。

 その多くは首に出来た小さな穴――注射器の深過ぎる刺し傷――を押さえてもがいていた。

 

 

「ロロ……!」

 

 

 そして崩れ落ちるロロの身体を、青鸞は抱き留めた。

 泣きそうな顔で自分を抱く姉に、ロロは苦笑して何かを言おうとした。

 しかしどうやらそれに失敗したようで、彼はそのまま気を失ってしまう。

 腕に感じる命の鼓動は弱い、青鸞は自分の不死性を分けるようにロロを強く抱いた。

 そしてその上で、キツく眼光を強めて振り仰いだ。

 

 

「……っ、いない……!」

 

 

 科学者達がパニックに陥る中、捜し求めるべき小さな人影を見出せなかった。

 逃げたのか、それとも迎撃に向かったか――このタイミングで饗団を攻撃する人間を、青鸞は1人しか知らない――わからないが、とにかくいない。

 V.V.、あの憎むべき悪魔の姿がそこには無かった。

 

 

 それから、今は科学者の姿が見えない実験棟の個室を見る。

 子供達がぼんやりと留まる所が大半の中、1つ、異質な空間があった。

 身から赤く滲んだ水を吐き出し、動かなくなった主義者の女。

 だらりと垂れた手足は、それだけで彼女の運命を教えてくれる。

 自ら捕らえ差し出した者の末路に、青鸞は眉根を寄せて目を逸らした。

 

 

(……恨んで)

 

 

 自分を恨んで良いと、そんな逃げのような思考を彼女に向けた。

 恨まれるのは実は楽だ、そこに結果があるのだから。

 だが恨みすら確認できない時、人は何も出来なくなる。

 少なくとも青鸞は、主義者の女とその赤子に対して何をすることも出来なかった。

 せめて彼岸で安らかにと、そう想うことしか出来ない。

 

 

「……ロロお兄ちゃん?」

 

 

 そして青鸞には、その感情に埋没する時間すら無かった。

 と言うのも、何人かの子供が青鸞の……と言うよりロロの周りに集まってきていたからだ。

 全員が灰色の服を着ていて、どこか表情が乏しい。

 饗団の子、そう思った。

 

 

 そして彼らはロロのことをお兄ちゃんと呼ぶ、青鸞はそこで思い出した。

 ロロは、ここで育ったのだ。

 ならばここには、ロロのように育ったギアスの実験体が。

 

 

「コード……」

「コードだ」

「V.V.さまじゃ無い」

「でも、コードを持ってるよ」

 

 

 そして子供達の視線は、ロロから青鸞へと注がれる。

 司祭服の胸元からは活性化したままのコードの輝きが見えていて、それを見た子供達が不思議そうに首を傾げている。

 彼らにとって、コードは特別なものなのだろう。

 

 

「枢木青鸞」

 

 

 コツ、と靴音を響かせて、雑踏から1人の女が姿を見せる。

 背中に垂れた金褐色の髪が照明の光を受けてキラキラと輝く、子供達の後ろからやってきた彼女は、どこか哀しそうな瞳で青鸞を見つめていた。

 そして、彼女は問う。

 

 

「――――キミは、この子達を救ってくれるかい?」

 

 

 かつて悪魔の手を取った女は、悪魔の手を取らなかった少女に憂いの瞳を向けていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 良く誘拐される人生だ、と、意外な程に冷静にナナリーは自分の状況を認識していた。

 彼女は自ら周りに流されることを選択した少女だ、いやそれ以前に、ある程度周りに流されなければ生きていけない身体なのだから。

 諦めとは違う、ただそれが現実だったのだ。

 ナナリー・ヴィ・ブリタニアと言う名の少女にとっての、現実。

 

 

「身辺を騒がせましたこと、ここにお詫び申し上げます――――ナナリー皇女殿下」

 

 

 しかしそれにしても、今回のこれは聊か程度が過ぎると言うものでは無いだろうか。

 ナナリーがそう思うのも無理は無い、何故なら今回は、いや今回も彼女は当事者でありながら蚊帳の外に置かれていたのだから。

 流れ流され巻き込まれ、気が付けば知らない空気の場所にいた。

 

 

 眼は見えないが、それでも肌や嗅覚でもって周囲の状況を知ることは出来る。

 ナナリーはそうして生きてきたし、これからも生きていくだろう。

 かつて、誰かが望んだその通りに。

 

 

「えっと……」

 

 

 そしてナナリーは困惑していた、今自分がどこにいて、目の前に誰がいて、何が起こったのかがわからなかったからだ。

 客観的な神の視点で見れば、彼女がいるのは遺跡だった。

 古い遺跡を無理やり近代的な聖堂にしたかのような、そんな大広間だった。

 

 

 車椅子に乗ったナナリーの背後には、石造りの巨大な門がある。

 不思議な赤い紋模が刻まれた門だ、それは神根島にあった物に酷似している。

 そしてナナリーは、実はその扉の中から出てきたのだ。

 だがエリア11、日本から彼女を連れて来た者達は全て床に倒れ伏している。

 

 

「え、えっと、貴方は……?」

「私はジェレミア・ゴットバルト、ブリタニア皇室に忠義を尽くす者でございます」

「ジェレミア……さん?」

 

 

 そしてナナリーの前で傅くように膝をついているのは、ジェレミアだった。

 ナナリーはどこかで聞いた名前だと思ったが、どこで聞いたかまでは思い出せなかった。

 もう少し落ち着いた状況であれば、思い出すことも容易だったろうが。

 

 

 だが自分を連れて来た者達を、ほぼ問答無用で撃破したのは彼だ。

 つまり自分を助けてくれたというわけだが、素直に喜んで良いのかは疑問だった。

 いずれにしても、受けた恩には返さなくてはならないものがある。

 ナナリーはそれを知っていた、だから彼女は車椅子の上で頭を下げた。

 

 

「ありがとうございます」

「もったいなきお言葉。このジェレミア、感動の極み」

 

 

 何だか時代劇の舞台にいるようだ、などと思いつつも、ナナリーは困ったように眉根を寄せた。

 ブリタニア皇室に対する忠義、それはそれで尊重されるべきものだが、ナナリーは。

 

 

「あの、私はすでに皇籍を剥奪された身で。ですから、そんな風にされると……」

「――――全くだよ」

 

 

 不意に第3の声が響いて、ナナリーもジェレミアもそちらへと意識を向ける。

 そしてその大広間に……「黄昏の間」に響いた足音は、子供のように小さく軽いものだった。

 ナナリーは見えず、そしてジェレミアは見なかった。

 だが、存在は知覚できた。

 

 

「コーネリアと言い、そしてナナリーと言い……ジェレミア卿、いったいキミは」

 

 

 思い通りにいかないことに苛立つ子供のように、不快そうに眉根を寄せて。

 

 

「キミは、どっちの味方なんだい?」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「笑止、私の忠誠は常に! ブリタニア皇室に向けられている」

 

 

 立ち上がり、振り向きながら、ジェレミアはV.V.に対してそう言った。

 それに、V.V.は明らかに不機嫌さを強めた。

 彼とて無能では無い、今こうして饗団本部を攻撃しているのが誰かは簡単に予測できる。

 そして誰がこの場所の座標を教えたのかも、大体想像はつく。

 

 

 皇女と皇子が手を結んだ、それだけのことだ。

 

 

 別にあの2人が手を結んだ所で脅威には感じないが、面倒であることは確かだ。

 そしてその面倒の全てが、目の前の男のせいかと思うと不機嫌にもなる。

 何故ならば彼を救い、力を与えたのは、他ならぬV.V.自身なのだから。

 

 

「エリア11で朽ちるばかりだったキミを拾い、バトレー達の手でキミを改造させ、ギアスキャンセラーの力を与え……再び生きる意味と使命を与えてあげたのは、誰だと思っているの?」

「その恩義、確かに重い。しかし……」

 

 

 祭壇の上で困惑するナナリーに背中を向け、まるで騎士のように右腕を振るうジェレミア。

 衣装の袖から鋼鉄の刃を出し、その切っ先をV.V.に向ける。

 

 

「しかし、ブリタニア皇室への忠誠は恩義をも超える! 貴方がブリタニア皇室に仇を成すと言うのであれば、このジェレミア。恩義を超え、全力で――――阻止させて頂く!」

「へぇ、全力で見逃すわけじゃないだね」

 

 

 皮肉を込めてそう言うも、ジェレミアはまるで動揺しなかった。

 それは彼の過去のトラウマにも通じるもののはずだったが、どうやら本気でナナリーを救う気らしい。

 そこにはどうもブリタニア皇室への忠誠以上の何かがあるような気もしたが、V.V.にとっては至極どうでも良いことだった。

 

 

「……言っただろう? ジェレミア、キミを改造させたのは僕なんだよ」

 

 

 囁くように言って、V.V.は懐からスイッチを取り出した。

 掌全体で握り、親指の腹でボタンを押すタイプのスイッチ。

 どこかの皇子が好みそうな形状をしたそれを、V.V.は躊躇することなく押した。

 次の瞬間、ナナリーは肌に触れる空気が振動するのを感じた。

 

 

「うごぉおおおおおおおおあああああああああああああああああぁぁぁっっ!?」

 

 

 次いで絶叫が耳朶を打ち、ナナリーはビクッ、と身体を震わせた。

 何が起こっているのかは見えない、だが絶叫と焦げた匂い、そしてスパークの音が聞こえてくる。

 すぐ近くで金属の塊が落ちるような音もして、酷く乱れた呼吸音も聞こえた。

 それから、幼い男の子の笑い声。

 ナナリーに届くのは、それだけだった。

 

 

「あっははははははははははっ!」

 

 

 そして笑うのはV.V.だ、スイッチを押し続ける彼は、目の前でスパークを散らせながら苦しみ悶えるジェレミアを見て笑っていた。

 ジェレミアの仮面の……いや機械の左眼から血の涙が流れるに至って、彼は唇の端をくっと歪めた。

 

 

「言ったろう、キミを改造させたのは僕なんだ。ギアスキャンセラーなんて危ないものを持っているキミに、反乱防止の安全装置をつけていないわけが無いじゃないか」

 

 

 人間は嘘を吐く生き物だ、だからV.V.は1人を除いて誰も信用しない。

 たとえどれだけ憎悪を持つ人間でも、その憎悪の対象と和解しないわけじゃない。

 だから、ジェレミアが自分に逆らった時に備えて仕掛けを施していたのだ。

 ジェレミアの中のサクラダイトの活動を停止させる、黒の騎士団のゲフィオンディスターバーと原理は同じだ。

 

 

「ぬっ……ぐうううううううううぅぅぅっっ!!」

「はは、それでも動くのかい? 大した忠誠心だねジェレミア、でも無駄だよ。キミの身体はサクラダイトの供給と循環があって始めて動く。それが無ければ……」

「や……やめて」

 

 

 か細い声が、響いた。

 

 

「や、やめてください」

 

 

 ナナリーだった。

 

 

「やめてください! ジェレミアさんを、苦しめないでください!」

「……ナナリー、あの女の娘」

「え……?」

 

 

 耳に届いた固い声に、そして「あの女の娘」と言う言葉に、ナナリーは疑問した。

 あの女と言うのが誰か、言葉尻からわかったからだ。

 

 

「やっぱり、シャルルの頼みを聞かずに殺しておくべきだったかな。でもルルーシュへの餌にも出来てるわけだから、全く利用価値が無いわけでも無い……本当に面倒だよキミって奴は、まるであの女みたいだ」

「シャルル……お父様? それにお兄様も? え、え……?」

「ああそうか、キミは何も知らないんだったね。お人形のように、秘密の檻の中に囚われて。はは、そう思うと少しは許せる気になるから不思――――」

 

 

 ……?

 不意に途切れた相手の言葉に、ナナリーは首を傾げた。

 しかし一方で、V.V.は己の身に起きた変化に注意を向けざるを得なかった。

 

 

 自分の胸から朱に染まった銀の刃が飛び出してくれば、向けるしか無い。

 

 

 ごぷっ、と唇から赤い液体を散らす。

 背中から胸を貫いた刃を見れば、傷口から赤い血がどんどん溢れ出ているのがわかる。

 それ自体は別に構わなかった、何故ならV.V.は不死だ。

 しかしそれを成した相手は構わねばならない、そしてV.V.は後ろを振り向いた。

 

 

「く……枢木、青鸞……!」

 

 

 そこにいたのは、青鸞だった。

 V.V.が自分の存在に気付いたことを知ると、彼女は肩を押し付けるようにしてV.V.の身を貫いていた刃を、刀を抉るように捻った。

 傷口を広げられ、さらに吐血するV.V.。

 鉄錆の嫌な匂いが、周囲に充満し始めた。

 

 

「そ、その、刀は……!」

 

 

 青鸞の手には、コルカタのコーヒー店に置いて来た軍刀があった。

 彼女が憎悪の目でもってV.V.を刺す、これはわかる。

 だがどうして彼女が軍刀を持っているのか、V.V.には理由を一つしか思いつけなかった。

 つまり。

 

 

「ヴェン……ッ……ツェル……!」

 

 

 ズッ、胸から刃を引き抜くように前に進み、事実引き抜いて――次の瞬間、さらに傷口から血が噴き出たが――V.V.は後ろを振り向いた。

 そこには司祭服姿の青鸞がいて、さらにその向こう側に、今V.V.が名前を呼んだ女がいた。

 金褐色の髪の女、そしてコーヒー店から青鸞の軍刀を持ち込んだだろうヴェンツェルが。

 

 

「ど、どういう、つもり……?」

 

 

 傷口を押さえて膝をつき、唸るように言う。

 このヴェンツェルもまた、V.V.が救った女だった。

 EUの亡国出身の軍人、今その版図はブリタニアに含まれているが、彼女自身が破滅したのは故国の同胞の裏切りによるものだった。

 仲間を、部下を失い絶望していた彼女に、V.V.が手を差し伸べたのだ。

 

 

 ――――復讐する力が欲しくはないか?

 

 

 ジェレミアと同じだ、あるいは青鸞とも同じだったかもしれない。

 いずれにしても、V.V.が拾った命だ。

 それが何故、青鸞に手を貸しているのか……V.V.にはわからなかった。

 

 

「……枢木青鸞は私と契約した、あの子達を救ってくれると」

「何……?」

 

 

 ヴェンツェルはギアスを持っている、「悟り」のギアスだ。

 読心に近いが、名前の通り悟ると言う方が近い。

 だから知っていた、V.V.の、悪魔の手を取った自分には子供達は救えないと。

 あの悪魔の実験の数々を、止め切ることは出来ないと。

 止めるには饗団の実験が必要だが、それにはコードが要る。

 

 

 そしてヴェンツェルは自分がコード保持の資格を有していないことを「悟って」いた、だから待った。

 ひたすらに待って、そして現れた。

 枢木青鸞と言う、可能性が現れた。

 現れて、しかもその可能性はあまりにも眩しかった。

 

 

「V.V.、キミは一つだけ嘘を吐いた」

 

 

 嘘を嫌いだと言った、その口で。

 

 

「枢木青鸞はキミの手を取っていない、キミと契約なんて交わしていない」

 

 

 V.V.はまるで青鸞が自分に助けを求めてきたかのように言っていたが、違う。

 事実無根だ、V.V.が勝手に助けて嘘を吐いただけだ。

 自分が取った悪魔の手を、青鸞は取らなかった。

 それが、ヴェンツェルには眩しくて、羨ましくて仕方が無かった。

 だから助けた、彼女自身の清らかさを守るために。

 

 

「く……っ、誰も彼も、僕に逆らうって言うんだね……」

 

 

 よろめきながらも立ち上がり、V.V.が朱に濡れた唇を歪める。

 何度も言うが彼は不死だ、そしてコードの完全な継承者だ。

 未熟なコード保持者、ギアスユーザー、ギアスキャンセラーに囲まれた所で、八方塞がりというわけでは無い。

 むしろ、その程度の人数で大丈夫かとすら言いたくなる。

 

 

「キミ達ごときが何人集まった所で、僕を……」

『違うな、間違っているぞ――――V.V.』

 

 

 その時、黄昏の間が揺れた。

 揺れの原因は入り口の崩落だ、大きな空間の一部、岩盤が崩れる。

 そして岩が落ちるその中から、巨大な黒のナイトメアが姿を現した。

 一部の武装を外したそのナイトメアは、巨体で岩盤を押しのけるようにして身を乗り出す。

 

 

 そして、コックピットが開いた。

 身構えるV.V.の前で、黒のマントがはためく。

 現れたのは黒の仮面、すなわち――――。

 

 

『貴様はここで、我が虜となる」

「ルルーシュ……!!」

 

 

 仮面の男、ゼロ。

 そして仮面を外した少年、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが。

 そこに、いた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「……お兄様……?」

 

 

 耳に届いた声に、ナナリーは震える声で兄を呼んだ。

 それに反応したのはV.V.だった、彼は傷の回復を自覚しながら唇を歪めて笑った。

 切り札は残っている、我が手にある、ならば。

 

 

「そうさナナリー、そこにいるのはキミを騙し……ッ」

 

 

 しかしまたしても言葉は最後まで続かない、喉を正面から切り裂かれればそうなるだろう。

 血飛沫が舞う視界の中で、V.V.は身を沈めるように軍刀を振りぬいていた青鸞を見た。

 衣装の帯をふわりと揺らしながら、前髪の間から鈍く光る眼がV.V.の顔を射抜いている。

 だが喉を斬られてもなお、V.V.は余裕の笑みを崩さなかった。

 

 

(無駄だよ、僕は死なない……!)

 

 

 声にならない声、だが唇の動きで読める。

 そして確かにV.V.は不死だ、喉どころか首を刎ねられた所で蘇るだろう。

 それでも、青鸞は知っている。

 あの砂漠で、彼女は知った。

 

 

「お前は……ボク達は、死なないんじゃない」

 

 

 踵でターンするように身体を回し、遠心力も利用して刀を振るう。

 重い軍刀の切っ先が、細い少年の腹を撫でる。

 ズ……と内臓が溢れるよりも早く、ターンの余勢を片足で制して前へと歩を進めた。

 たたらを踏んで下がったV.V.を追うように、上段から刀を振り下ろした。

 

 

「ボク達は」

 

 

 袈裟懸けに振り下ろされた刀が少年の左肩を破壊する、肉を裂いて骨にまで刃が達する感触を指先に感じた。

 構わず、捻りながら引き抜いて肉の一部を削ぎ飛ばす。

 血と肉が噴き、散り、飛ぶ中で、青鸞の目はそれでも感情の揺れを見せなかった。

 人を斬るという、その認識が欠落しているかのように。

 

 

 それはつまり、目の前の少年を人間と認識していないことを意味する。

 人の形をしている何かだ、現にこれだけ斬っても死なないではないか。

 そして、自分も同じだ。

 この時始めて青鸞は、ああ、と納得の心地を胸の一隅に置いた。

 C.C.が言っていた「化け物」とは、こう言うことを言うのかと。

 

 

「死ねないんだ……!」

 

 

 死なない、ではなく、死ねない。

 これもC.C.が言っていたことだ、彼女の言うことはいつも正しい。

 正しすぎて、泣きたくなってくる程に。

 

 

 喉を潰されたV.V.が、声も音も無く仰向けに倒れ伏す。

 気が付けば、青鸞は肩で息をしていた。

 額や頬に汗すら流して、肩を上下して血の海に沈んだV.V.を見下ろす彼女。

 刃だけでなく柄にまで血が滴っている刀を握り締めて、青鸞はんぐっ、と喉を鳴らした。

 

 

「あ……あぁ、あ……」

 

 

 唾を飲み込んだ後、返り血で顔や衣装を朱に染めた少女は、代わりに瞳から雫を零した。

 勢いを増していくそれはやがて涙となり、少女の頬の血を洗い流していく。

 だがその代わり、青鸞は己の胸をついて出る感情の波に逆らえなかった。

 

 

「ああ、あ……ああああああ、う、ぐっ……」

 

 

 それは、本当ならもっと早くに訪れるべき時で、超えるべき峠で、流すべき涙だったのかもしれない。

 吐き出すべき、何かだったのかもしれない。

 次へ進むために、今を越えていくために、必要なことだったのかもしれない。

 大人になるには早すぎる少女が、続いていくために。

 大人へと、一歩を進めるために。

 

 

 叫ぶ。

 

 

 不死への変化、父への絶望、兄への失望。

 自分の行動、セイラン・ブルーバードの行動。

 騎士として生み出した結果、テロリストとして生み出した結果。

 己の身を傷つける全て、己の肩へ圧し掛かる全て、全て、全て、全て。

 全てに対して、吐き出すように、負の叫び声を、ただ、上げる――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その少女の泣き声を、少年はどのような心地で受け止めていただろう?

 それを知るのは少年自身だが、少年もまた己の内を吐き出さない(たち)であった。

 ただ、泣きたい、と言う感情は理解できるつもりだった。

 

 

「お、お兄様……なの、ですか?」

 

 

 仮面を外した少年は、しかし妹の不安げな声には答えなかった。

 ここで答えてしまうことが、何かの終わりを意味してしまうようで怖かったからだ。

 もはや誤魔化しも猶予も効かないこの状況で、それは逃げだった。

 そしてルルーシュにも、それはわかっていた。

 

 

 だがそれでも、彼は妹に声をかけなかった。

 かけられなかった。

 その代わりに声をかけたのは、1人崩れ落ちている男だった。

 すなわち、ジェレミア卿である。

 

 

「ジェレミア卿、まさか貴方がナナリーを救ってくれるとはな」

「ぉ……お……」

 

 

 身体の機能が復調していないのか、ジェレミア卿の動きは鈍い。

 彼もまた、ルルーシュにはわからない男だった。

 ブリタニア皇室への忠誠心が厚い純血派、先年にはルルーシュと幾度も戦った男。

 その男が何故コーネリアを救い、今またナナリーを救うのか。

 

 

「主君たるV.V.を裏切り、何故……」

「わ、私の主君は……V.V.に、(あら)ず……」

「何? では皇帝か?」

「皇帝陛下……否、否……我が主君……唯一、の……敬愛すべき、主君は……」

 

 

 マリアンヌ・ヴィ・ブリタニア。

 

 

「な……っ?」

 

 

 思いがけない名前に、ルルーシュは一歩を下がった。

 マリアンヌ・ヴィ・ブリタニアは、ルルーシュとナナリーの実母である。

 ナイトオブラウンズから后妃に召し上げられた騎士候で、「閃光」の異名を取っていた凄腕のナイトメアパイロットだった。

 そして、ルルーシュが幼少時に失った宝でもある。

 

 

 テロリストの手により、離宮内で殺害された。

 ナナリーを抱いて、ルルーシュの目の前で、身体中に銃弾を浴びて。

 夫であるブリタニア皇帝に、見殺しにされたのだ。

 だがその名前を、どうしてジェレミア卿が主君として出すのか。

 

 

「……マリアンヌ……」

 

 

 低い、そして喉が潰れたかのようなガラガラの声で、母の名が呟かれた。

 ジェレミアでは無い、そちらの方を向けば、いつの間にかV.V.が動いていた。

 真のコード保持者故なのか、異常なまでの回復力だった。

 

 

 それでも流石に身動きは取れないらしい、仰向けからうつ伏せになるのが関の山だった。

 だが床に腕を置き、血塗れの姿で前を見る。

 泣き止みかけの青鸞、裏切り者のヴェンツェル、そしてジェレミア、ナナリー、ルルーシュを見て。

 

 

「マリアンヌ……マリアンヌマリアンヌマリアンヌ! どい、つも、こい、つも……あの女の、名を……!!」

 

 

 憎しみすら感じさせる、獣じみた唸り声。

 それは場を硬直させるには十分だったが、それでも警戒には値する。

 特にコード保持者である青鸞は、はっとして顔を上げた。

 しかし、遅い。

 

 

「――――ッ!」

 

 

 V.V.が右腕を掲げる、その掌に赤い輝きが生まれた。

 それに反応するように青鸞の胸元からも輝きが漏れる、コードが共鳴しているのだ。

 胸の奥で何かが疼くその感触に、青鸞は眉を顰め息を詰めた。

 

 

 何かが引き摺り出され、かつ押し込まれる感覚。

 思わず叫び出してしまいそうな、そんな感覚に青鸞は身をよじった。

 そして誰かの叫び声が響くと同時に、全てがコードの赤に染まった――――。

 




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 原作と違い殲滅戦では無いのですが、それでも大変な状況に。
 と言うか、ユーフェミアさまが強すぎるんですけど……。

 さて、そろそろ物語のスケジュール的にいろいろキツくなって参りました。
 あんまり長いのもアレなので、もうこのまま行っちゃいます。
 行くしかないと言う方が正しい。
 では、次回予告です。


『コード、それは永遠の約束。

 ギアス、それは刹那の願い。

 人は、刹那を永遠にと望むから。

 でも、刹那だからこそ輝くものもある。

 ボクは、そう信じたいから』


 ――――TURN18:「A.A.」


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TURN18:「A.A.」

 本話はコードやギアスに関するオリジナル要素が含まれる可能性があります、苦手な方はご注意ください。

 また、先日この作品のお気に入り登録が1000件を突破致しました。
 ハーメルン移設後の1000件突破は「とある妹の転生物語」「流水の魔導師」に続き、この「抵抗のセイラン」で3作目になります。
 これも読者の皆様の応援・声援のおかげです、本当にありがとうございます。
 この作品もこれからクライマックスに入っていきますので、どうか最後までお付き合いくださいませ。

 では、どうぞ。



 ブリタニア帝国と中華連邦の国力は、元々2倍の差がある。

 近年のブリタニア帝国の伸張と中華連邦の衰退により、その差はさらに広がっている。

 そして国力が最もわかりやすく象徴されるものの一つが、軍隊と呼ばれる組織だ。

 

 

『――――我は天に問う! 正義はいずれの陣営に属するのかと!!』

 

 

 中華連邦首都、洛陽。

 名実共に中華連邦の最大都市であり、最強の軍事力・経済力を有する地だ。

 その北部近郊に、数十万の兵士が集結していた。

 全て中華連邦の兵士であり、彼らは皆一様に緊張した面持ちで、これから来るであろう敵を待ち構えていた。

 

 

 50万の歩兵、600機の航空機、450両の戦車、3500門の火砲、そして300機の鋼髏(ガン・ルゥ)

 首都方面の戦力――それでも、内戦の影響で数割落ち込んでいる――を全て動員して、中華連邦軍本隊は洛陽を、朱禁城を、そして民を守ろうとしていた。

 その中心にいるのは、羽を持つ青のナイトメアだ。

 ブリタニアとも日本とも違うデザインのそのナイトメアは、中華連邦軍の司令官機である。

 

 

『非道なる侵略者はすでにモンゴルの同胞を奴隷化し、中華の村々で略奪の限りを尽くしている! この悪行は歴史に刻まれるだろう、そして我が民族は、歴史を決して忘れることは無い!!』

 

 

 黒の騎士団から中華連邦に同盟の象徴として贈られた第7世代相当KMF、『神虎(シェン・フー)』。

 搭乗するのは天子から全軍の最高司令官に任じられた黎星刻、彼は紫を基調にしたパイロットスーツに身を包みながら、遠くの砂塵を睨んでいた。

 帝国宰相シュナイゼル率いるブリタニア軍、その主力が迫っているからだ。

 

 

『正義は我らにあり!! 天子様を、国を、民を守るために……同胞達よ! 悪の帝国、ブリタニアを討て! シュナイゼルを討て! その先に――――我らの世界がある!!!!』

「「「『『『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉ!!』』』」」」

 

 

 遥かな大地を揺るがす怒号、叫び、高まる士気はまさに天を突く勢いだった。

 そしてその空には、1隻の航空戦艦がいた。

 ヴィヴィアンでは無い、ガウェインのハドロン砲を装備したその艦は斑鳩と言う。

 アヴァロン級のデータを元に建造された黒の騎士団の旗艦、つまりこの戦い、洛陽防衛戦には黒の騎士団も参加しているのである。

 

 

「ゼロとは、まだ連絡が取れないのか」

「はい、まだ何も……極秘の作戦中との連絡しか」

「…………そうか」

 

 

 斑鳩と名付けられたその航空戦艦の中で、藤堂は難しい顔をしていた。

 現場指揮官として洛陽に残っていた藤堂だが、彼は本来前線での部隊指揮に適正のある男だ。

 それが斑鳩の中で全体を指揮する立場にあると言うのは、ひとえにゼロの不在が原因だった。

 またぞろ行方不明、作戦内容もわからない、朝比奈などは青鸞とディートハルトの件もあって随分と不満を訴えていたが。

 

 

 内戦で疲弊した中華連邦と同じように、黒の騎士団もまた組織内部の争いで疲弊していた。

 まず、ディートハルトは死んだ。

 ロロと言う少年に殺されたらしいが、その発端は青鸞をスパイ容疑で排除しようとしたことだ。

 青鸞がスパイなどと信じる者はいない、ゼロの権力基盤を強めようとしたディートハルトの独断だろうと藤堂は思っている。

 

 

「しかしまぁ、随分と揃えて来たもんだねぇ。最新鋭のナイトメアで構成された部隊に、ラウンズの機体までぞろぞろと……ん、モルドレットって機体はいないのかい? 都市攻略戦にアレを連れて来ないってのはどう言う…………ッ」

 

 

 その時、藤堂と同じく艦橋に詰めていたラクシャータが独り言をやめた。

 何かあったのかと思ったが、しかし藤堂の側から声をかけることはしなかった。

 また何か面白いものを見つけたのだろう。

 だが、声をかけてきたのはラクシャータからだった。

 彼女はいつに無く真剣な表情で藤堂を見ると、キセルを揺らしながら。

 

 

「大将、逃げた方が良い」

「何……?」

 

 

 そんなことが出来るはずも無かったが、藤堂は眉を顰めるだけで咎めることは無かった。

 何故ならラクシャータがいつに無く真剣な表情を浮かべていたからで、しかも彼女の頬には一筋の汗が流れていた。

 だがそれには構わず、彼女は言った。

 

 

「……1機、ヤバいのがいる」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 一方、洛陽から遠く離れた中央アジアの砂漠では制圧戦が展開されていた。

 制圧戦とは言っても、事実は戦闘と呼べるようなものでは無かった。

 何しろナイトメアで雪崩れ込んだ時点で反撃らしい反撃も無く、ほとんど無抵抗だったからだ。

 

 

 各地区を虱潰しに潰し、非戦闘員を一箇所に集めて管理する作業の方がずっと大変だった。

 何しろ、騎士団側の兵はナイトメアから降りてはならないと命令されていたからである。

 

 

『しかし何と言うか、偉い変な命令ではあるな』

『確かに、子供を見ても何を見ても、コックピットを開けたり敵に近付いたりするなと言うのは……』

 

 

 その中には青鸞の護衛小隊の面々もいる、青鸞がいない今、名前だけの部隊だ。

 だが解散を命じられていない以上、彼らは今でも枢木青鸞の護衛小隊である。

 とにかく、山本と上原はナイトメアの中で饗団本部の様子を見ていた。

 

 

 十数メートルの距離を置き、白衣を着たここの住人と思しき者達が円形に集められている。

 別の区画では無数の子供がいたと言うので、事前にゼロが説明した「ブリタニアの違法研究施設」と言う説明は嫌でも信憑性が増したと言える。

 だとしても、コックピットから出てはならないと言う命令が不思議なことに変わりは無いが。

 

 

『……お? アイツ、何やってんだ?』

「え……あ」

 

 

 通信機から響く山本の声に視線を動かせば、命令に背いて外に出たらしい騎士団の兵士の姿が見えた。

 ナイトメアから降りて、転んで動けなくなった子供を助けに行ったらしい。

 一瞬、注意を喚起しようとしたがやめた。

 相手は子供だ、暗殺者でもあるまいし、大丈夫だろうと思ったからだ。

 

 

 だが異変が起こった、子供に近付いた男が急に倒れたのだ。

 身体の異常かと思い身を乗り出した上原の目が、疑惑に揺れる。

 倒れた兵士を助けに行った別の兵士が、倒れていたはずの兵士に襲われたのだ。

 軍用ナイフを振り回して襲い掛かる兵士、それを戸惑いながらも機関銃で受け止める兵士。

 同士討ち、そんな言葉が上原の脳裏に浮かんだ。

 

 

『な、何だぁ?』

「あ……隊長、外に出てはダメです!」

 

 

 嫌な予感がして、上原は山本を止めた。

 今出て行くのは危ない、兵士としての本能がそう囁いたのだ。

 だが目の前で同士討ちしている兵士をただ見ているわけにも、と逡巡していると、頭上から真紅のナイトメアが降りてきた。

 飛翔滑走翼を装備した紅蓮は、左腕に輻射波動の輝きを宿して臨戦態勢だった。

 

 

『――――やめなさい!!』

 

 

 そして、カレンの怒声が響く。

 

 

『今すぐその人を解放して、さもないと……』

 

 

 上原は意味がわからなかった、解放とは何のことだろうかと。

 まさかあの子供に言っているわけではあるまい、超能力者でも無いだろう。

 だが現実に、兵士の同士討ちは収まった。

 上原の目には、子供が兵士達から眼を離した後に収まったように見えたのだが……。

 

 

(……気のせい?)

 

 

 一方で、カレンは紅蓮のコックピットの中でほっと胸を撫で下ろしていた。

 最悪の事態に至る前に止められた、良かった。

 

 

「……にしても、事情を知ってるのが私1人って辛いわよね……」

 

 

 コックピットの中でそうぼやく、後でルルーシュには愚痴の一つでも聞かせてやろう。

 実際、彼女は大忙しだった。

 何しろギアスユーザーは饗団施設の各所にいる、カレン1人で対応するのは非常に負担が大きい。

 今の所、子供ばかりなのが幸いなのか不幸なのか……。

 

 

 ……そしてそんなカレンの心境を知ってか知らずか、カレン以外にギアスの事情を知っている人間が2人、その様子を見ていた。

 先行して饗団内に侵入していた、C.C.と咲世子である。

 彼女達は青鸞を探すために入り込んでいたはずだが、実際にはルルーシュの方が先に見つけてしまったらしい。

 

 

「……ここはカレンに任せておけば良いか」

「はい、私達はルルーシュ様の下へ」

「ああ……ん?」

 

 

 咲世子の声に頷いて、しかしC.C.は何かに気付いたように足を止めた。

 いぶかしむ咲世子のことを意識から切り離して、C.C.は目を細めた。

 気のせいで無ければ、額が薄く輝いているようにも見える。

 

 

「……V.V.め……」

 

 

 面倒そうに舌打ちするC.C.を、咲世子は不思議そうに首を傾げて見ていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『皇帝になってみてどうだい、シャルル?』

『皆、嘘吐きばかりですよ兄さん。何も変わっていません、ブリタニアと言う国は……』

 

 

 ある時代、ある国、ある場所。

 そこに、2人の兄弟がいた。

 2人は皇帝の息子だった、継承順位も高く、大貴族の支援もあった。

 それ故に、彼らは皇位継承の騒乱に巻き込まれた。

 

 

 父母は暗殺され、日々の食事にも怯え、満足に眠ることも出来ず、鬱屈した日々を過ごしていた。

 そんな中で、兄弟はお互いだけを信じるようになっていた。

 いかなる時も離れず、傍にいて互いを守り、世界を共有した。

 そしていつしか兄は「王の印」を継承し、弟は皇帝となっていた。

 

 

『シャルル、覚えているよね。僕達の契約を』

『もちろんです、兄さん。神を殺し、世界の嘘を壊す……私達の契約』

 

 

 嘘ばかりの世界、嘘ばかりの現実、嘘ばかりの人間。

 彼らは嘘を憎んだ、だから嘘を消し去ろうと誓いを立てた。

 妻を娶ろうと、魔女と組もうと、その誓いは変わらない。

 変わらない、はずだった。

 はずだった、のに。

 

 

『――――兄さん。兄さんは私に嘘を吐いた……』

 

 

 ――――気が付くと、青鸞はそこに立っていた。

 鼻をつくのは(ひのき)の匂いだ、そして足元に感じる木材の床が軋む感触、涼やかな夜風が通り抜ける開放された空間。

 青鸞はその空間の名を知っていた、神を祀る舞を奉納する場所(かぐらでん)だ。

 神事として舞と歌を神に奉納し、加護を願う神聖な場所。

 

 

 四隅の柱以外に壁は無く、ただその代わりに、中央に立つ青鸞を取り囲むように無数の本が積まれている。

 本とは言っても綺麗な装丁をされているわけでは無く、紐で縛った古めかしい本だ。

 音は無く、四方で焚かれる篝火の爆ぜ音だけが耳に届く。

 枢木神社の神楽殿にも似ている気がするが、違う気もする、不思議な空間だった。

 

 

「ここは……」

 

 

 自分は確か、饗団の最奥部にいたはずなのに。

 だが何故か、直前のことを思い出そうとするとこめかみのあたりがズキリと痛んだ。

 我慢できない程では無いが、無視できる程でも無い、そう言う痛みだ。

 

 

 そして、一陣の風が吹き抜ける。

 風に煽られて目を閉じ、そして開けば、目の前の状況に変化があった。

 人がいたのだ、それも青鸞と同い年くらいの少女……いや。

 

 

「――――ようこそ」

 

 

 姿だけでは無い、声すらも。

 

 

「継承者よ」

 

 

 青鸞と、全く同じ容姿をしていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「貴女は……誰?」

「『私』はιλε管理者」

 

 

 青鸞と同じ容姿をした彼女は、名前らしきものを口にした。

 だが青鸞にはそれを聞き取ることは出来なかった、いくつかの言語を話す青鸞でも、その言語が何なのかわからなかった。

 だが相手は――便宜上、管理者と呼ぼう――そんなことを気にした様子も無かった。

 

 

 檜の床の上に正座をした姿勢で、目の前に立つ青鸞を見上げている。

 容姿は本当に青鸞と同じだ、髪も瞳も肌も、造りも何もかもが同じだ。

 ただ、瞳に浮かぶ光が静か過ぎる。

 ひたすらに、深い蒼の湖のような静けさがそこに広がっていた。

 

 

「…………」

 

 

 そして名乗り以降、管理者は何も言わない。

 これには青鸞も戸惑った、どうすれば良いのかわからない。

 とは言え、このまま立ち尽くすわけにもいかない。

 

 

「あの、ここは……?」

「ここはコードの記録、全ての知識が眠る場所」

 

 

 次の瞬間、また風が吹いた。

 吹き抜けていく風が四方の篝火を揺らし、同時に積み上げられた書物のページが音を立ててめくっていく。

 その全てに膨大な情報が眠っていく、左胸を突くような痛みに襲われて、青鸞は僅かに呻いた。

 

 

「余計な情報は受け流せば良い、貴女に必要な情報だけを選べば」

「ひ、必要な情報……?」

「そう、貴女は何を求めてここに来たの?」

 

 

 何を求めて、と言われて、青鸞は困った。

 来たいと願って来たわけでは無い、ただ気が付いたらここにいたのだ。

 だが管理者は静かな瞳で青鸞を見上げるばかりで、何かを語ることは無い。

 

 

 彼女は言った、ここはコードの記録が眠る場所だと。

 ならばここには、青鸞の知らないコードの秘密があるはずだった。

 だから彼女は一歩を前に進んで、管理者に問うた。

 

 

「……教えて、コードって何なの?」

「コードは、願いを永続化させるためのもの。世界の願いそのもの、根源に人を、塵を、戻さないためのもの」

「え、と……」

 

 

 どうしよう、わからない。

 管理者の説明は非常に観念的で、青鸞にはわからない。

 そもそも根源とは何か、塵とは何か。

 だがその疑問を感じたのか、管理者はさらに言葉を続けてきた。

 

 

「人は根源から分かたれた塵、人はやがて死に、塵へと戻り根源と還って行く」

「……輪廻転生って、こと?」

 

 

 こくり、と管理者が頷く。

 

 

「人は輪廻の輪の中で巡る存在。塵は塵に消えていく定め、人はその運命から逃れられない。けれどコードはそれを可能にする、根源の創る輪廻の輪からコード保持者を切り離し、固定化する。それが不死という形で現れるのは、不死という形で無ければその願いを叶えられないから」

「願い?」

「そう、根源の願い。塵として離れた人を戻さず、そのままに留め置くこと。そしてギアスとは、コードを通じて根源が人を永遠に留め置こうとするもの。ギアスは他者と溶け合う力、その一端を見せる。けれどそれは刹那であり一瞬でしかない、コードの力の一部しか発現できないギアスでは根源の願いは叶わない……根源の願いを叶える、その契約の証がコードであり、叶える存在がコード保持者、つまり」

 

 

 す……と指先を伸ばし、管理者が青鸞を指差した。

 

 

「貴女」

「ボク?」

「そう」

 

 

 指を下ろし、管理者が頷く。

 コードとは、根源と人を繋ぐ存在。

 コード保持者とは、根源の願いをギアスと言う形で人に伝える存在。

 根源の願いとは、塵となって離れた人が自らに還らぬこと。

 

 

 管理者の言葉は非常に観念的で、やはりわかりにくいものだった。

 それでも自分なりに噛み砕き、整理することで、青鸞は少しだけ理解することが出来た気がした。

 つまり巫女なのだ、コード保持者とは。

 神たる根源の意思を人に伝え、人の想いを根源に届ける神事、それを司る巫女。

 そして、根源の願いとは。

 

 

「継承者よ」

 

 

 管理者が手を差し伸べる、周囲に舞う書物のページの音を聞きながら。

 

 

「手を」

 

 

 その手を取れば、どうなるのだろうか。

 青鸞にはわからない、わからないが、しかし青鸞は手を伸ばした。

 何かに引き寄せられるように、指先を、管理者の掌に。

 

 

 そして、世界が崩れた。

 

 

 檜の床が抜け、篝火が崩れ、書物のページは千切れて飛んだ。

 視界が歪み、どうしようも無い程の崩落感が青鸞の身を襲った。

 だがそれは世界が崩れたのでは無く、崩れることこそが世界なのだ。

 崩れ落ちていく世界、その闇の向こう側、そこで管理者の唇が動くのが見えた。

 

 

「――――継承する」

 

 

 動いたのは管理者の唇、なのに。

 それなのに、声は青鸞の口から漏れた――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――そして再び気が付けば、青鸞はまた別の場所にいた。

 檜の香りが遠くに去り、代わってかび臭い独特の匂いが鼻についた。

 両脇に聳え立つ巨大な本棚、中には分厚い装丁の本が詰め込まれていて、道の先までずらりと並んでいる。

 

 

 どこかの図書館のようにも見えるが、青鸞はそこもやはり知っていた。

 いや正確には、青鸞の中にあるセイラン・ブルーバードの記憶だ。

 ブリタニアの帝都ペンドラゴンにある、帝国図書館に酷似している。

 最も、酷似しているだけで本物かはわからないが。

 

 

「……ここは、また違う場所?」

「その口ぶりからすると、キミは自分の管理者に会ったんだね」

 

 

 不意に声が響く、そして本棚が移動を始めた。

 鈍い音を立てて自動ドアのように本棚の群れが位置を変える、すると青鸞の目の前に1人の少年が姿を現した。

 3メートルはある高い脚立の上に座し、本棚を背もたれに座る金髪の少年。

 V.V.が、傷一つ無い状態でそこにいた。

 

 

 そして2人が出会った瞬間、それぞれのコードが輝きを発した。

 共鳴するように赤い輝きを明滅させ、耳鳴りのような共鳴音が周囲に響く。

 それを受けて、V.V.が己の右掌のコードを見つめた。

 掌を握って光を遮り、笑みを浮かべて青鸞を見つめる。

 

 

「ようこそ、枢木青鸞。僕の世界へ」

 

 

 V.V.の世界、帝国図書館、無数の書物に囲まれたこの世界。

 だが今の青鸞には、その本の一つ一つが記録であることがわかった。

 コードに刻まれた、千年を遥かに超える長い物語の記録だ。

 自分のコードを通じて、それがわかる。

 

 

「枢木青鸞、到達人として管理者と邂逅した今のキミなら……そしてその過程で僕のコードと混線し、僕の記憶に触れたキミなら、僕の……僕達の目的がわかるはずだ」

「……世界の、嘘を」

「そう、壊すんだ」

 

 

 世界の嘘を壊す、在り方を変える、貴方と此方の境界を無くす。

 塵と散った人々を、再び一つに戻す。

 あるべき姿に、混沌の海に、確固たる独り子へと還るのだ。

 皆が一つになれば、自分を守るために仮面はいらなくなる、嘘を吐く必要が無くなる。

 

 

「さぁ、枢木青鸞」

 

 

 再び、V.V.が青鸞に手を差し伸べる。

 誘うように、導くように、願うように、手を。

 その手をじっと見つめて、青鸞は視線を上げてV.V.と目を合わせた。

 V.V.、哀れな永遠の囚われ人。

 弟のために永遠の獄に自ら繋がれた、育たぬ子供。

 

 

「僕と一つになろう、僕とキミのコード、そしてもう一つのコードを合わせることで……僕は、いや僕達は完全な存在になれる。新たなる神の物語が幕を……」

「――――違うな」

 

 

 そして、第3の声が響く。

 それに対して、V.V.は視線を左へと向けた。

 するとまた本棚が移動を始める、道を作るように移動したその先から1人の少女が姿を現す。

 ここはコードの継承者しか入れぬ世界、管理された箱庭、ならばその少女もまたコード保持者だ。

 すなわち、永遠の放浪者――――「魔女」、C.C.。

 

 

「間違っているぞ、V.V.……そいつが手を取り、溶け合う相手はお前では無い」

 

 

 緑の髪を靡かせて、少女……C.C.は、3人の中で最も長い時間を歩んだ放浪の魔女は、儚げに首を傾げて見せた。

 さぁ、と口調を整えて。

 

 

「始めようか」

 

 

 第3の共鳴が、始まった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 かつて、饗団がまだ形すら生まれていなかった古代。

 各地に散っていた「何か」の信仰母体が、お互いの存在を認識したその時。

 「何か」と繋がることの出来る巫女や司祭が、お互いの存在を認識したその時。

 彼らは異なる者同士でありながら、しかし一目でお互いを理解することが出来たと言う――――。

 

 

「く……ふふふ、まさかC.C.、キミまでCの世界に入り込んで来るとはね」

「無駄口を叩いている余裕があるのか?」

「む……」

 

 

 C.C.の額の輝きが増し、V.V.が表情を消す。

 彼の右掌もまた輝きを増す、互いのコードの輝きが相乗するように共鳴を強めていく。

 根を同じくするその力は、まるでお互いを飲み込もうとしているかのようだった。

 

 

「忘れたのか、V.V.……私はお前よりも遥かに長く、コードと共に生きている女だぞ。お前にコードの基礎を教えたのは私だ」

「忘れてなんていないさ、けれどキミも忘れているんじゃないのかい?」

 

 

 笑んで、V.V.が青鸞へと視線を向ける。

 すると、青鸞は己の左胸が熱を持つのを感じた。

 そして頭の中に、さっきのようにV.V.の記憶が流れ込んでくるのを感じた。

 V.V.側から情報が流れ込んできて、青鸞が眉を顰める。

 

 

 だが不意にその圧力が弱まった、V.V.側からの情報の流入の勢いが弱まった。

 本能的に、C.C.の方を見る。

 すると案の定、C.C.が青鸞の方へと視線を向けていた。

 顔はV.V.の方を向いたままだが、目は青鸞の方へと向いていたのだ。

 そして額のコードの輝きが、やや弱くなっているように見えた。

 

 

「流石のキミも、お荷物を抱えたままじゃ僕を圧倒できないだろう?」

「どうかな、意外と何とかなってしまうかもしれんぞ?」

 

 

 挑発に挑発を返す、ついていけていないのは青鸞だけだった。

 V.V.もC.C.も説明しない質だから、いやしても自分に都合の良い説明ばかりだから、無理も無かった。

 

 

「それにしてもC.C.、キミもわからない人だよね。キミはシャルルの理想に共感して、僕達の仲間になったはずじゃないか」

「え」

 

 

 青鸞が驚きの声を上げるとV.V.は笑みを深くした、一方でC.C.は冷静な表情を崩さなかった。

 だが青鸞の方はそうは行かない、それだけのことをV.V.は言ったのだから。

 それを見て流石に説明の必要を感じたのか、C.C.はちらりと青鸞を見やった。

 

 

『私は、かつて饗団のトップの地位にいた』

 

 

 頭の中に直接声が響いた、いや、これは声と言うよりは音声イメージと言った方が正しいかもしれない。

 コードを通じた通信、繋がるという感覚がその答えだ。

 それによると、C.C.はV.V.の前の饗主だったと言うのだ。

 

 

 まぁ実権は無く、ほとんどお飾りのトップだったようだが。

 ただ現状の饗団を知った青鸞には、やや受け入れにくい情報ではあった。

 それを感じたのだろう、C.C.は僅かに口元に笑みを浮かべた。

 

 

『それで良い、お前は私を許すな。私は確かにお飾りで、饗団の活動にもまるで興味は無かったが……何かをしようと思えば、出来た。出来たはずだ、だがしなかった』

 

 

 逃げた、とは、少し違う。

 薄々勘付いてはいたのだ、もしやと思うことも何度もあった。

 だけど、見ないふりをした。

 自分を受け入れてくれた人達と、完全に違えてしまうことが怖かったから。

 

 

 しかしそうした郷愁めいた想いは、今は少し薄れていた。

 何故ならば、彼女は知っていたからだ。

 かけがえの無い……かけがえの無いと想っていた友を。

 

 

「……確かにな。V.V.、私はお前とシャルルの誓いに同意した。だがV.V.、その誓いを破ったのは他ならぬお前だろう……マリアンヌを殺した、お前が」

「なっ……!」

 

 

 始めてV.V.が動揺した、その際にコードの輝きが途切れる。

 そして自らも額のコードの輝きを鎮めて、長い髪を指先で梳きながらC.C.は言った。

 

 

「お前はマリアンヌを殺した、私はそれを知っている。そしてお前はそれをシャルルに伝えなかったな……嘘を吐いたんだ、お前は。シャルルに、世界で唯一嘘を吐かないと誓った相手に嘘を吐いた」

「……違う」

「お前は嘘を吐いた、V.V.。誓いを立てておきながら……だから私は饗団を去った、お前達の下から去った」

「違う……」

「違う? 何が違うんだ?」

「違う……違う! 違う! 違う!!」

 

 

 V.V.は叫んだ、彼の心の動きを表すかのように、周囲の本棚がドミノ倒しに倒れていく。

 本棚が零れ、足元が地響きのように揺れていた。

 

 

「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウッッ!!」

 

 

 あまりの剣幕に、青鸞が気圧されたように表情を固くした。

 引いている、と言う表現が一番正しいだろう。

 青鸞には状況が読めない、C.C.とV.V.の間にかつて何があって、今何があったのか、わからないから。

 

 

「僕は……僕はシャルルに嘘を吐いてなんかいない! あの女が……あの女がシャルルを誑かすから!」

「シャルルとマリアンヌは、形はどうであれ……互いの絆を大切に想っていた」

「だから何だ!? シャルルにとって僕との誓いが! 僕との絆が! 1番であるはずじゃないか! 世界から嘘を無くす、そのための契約じゃないか!」

 

 

 憤怒の表情で、唾を飛ばしながらV.V.が叫ぶ。

 

 

「それをあの女が、あの女がシャルルを誑かして……僕を排除しようとした! シャルルに人とわかり合う楽しみを教えて!!」

「それの……それの何が、いけないの?」

 

 

 事情が読めないなりに、わからないなりに、青鸞は疑問を感じた。

 他人と理解し合う喜びを知る、そのことに悪いことなど無いように感じた。

 

 

「いけない……いけない? いけないに決まってるだろう!? シャルルに僕との契約を無かったことにされたら、僕だけが置いていかれてしまう……!」

 

 

 そんなことは、断じて許されない。

 許されるはずが無い、少なくともV.V.はそう考えた。

 だから、あの女……マリアンヌを殺した。

 テロリストの暗殺に偽装して、ナナリーやルルーシュを偽の目撃者に仕立て上げて。

 

 

 そのおかげで、どうなった?

 シャルルは再びV.V.のみを頼みとするようになった、各地の遺跡を手に入れるための戦争も、必ずV.V.に相談して助力を乞うようになってきた。

 もちろんV.V.は持てる力の全てを捧げてシャルルを支えた、その結果が今の強大なブリタニアだ。

 シャルルを支えるのは自分だ、だって自分は――シャルルの、兄なのだから。

 

 

「――――でも、そうだね、C.C.。キミに……ああ、枢木青鸞、キミもだね」

 

 

 ゆらり、と身を揺らして、V.V.はC.C.と青鸞を見下ろした。

 その瞳は明らかに正常では無い、どこか歪んでいた。

 ぞわり、と、肌が……いや、コードが震えた。

 

 

「あの女のことを知られた以上……ここから出すわけには、いかないよねええええぇぇぇっっ!!」

 

 

 V.V.が右掌を掲げる、赤い輝きが生まれ、そして飛翔した。

 目も嘴も無い赤い鳥が、赤い軌線を描いてV.V.の右掌から飛び立ったのである。

 それは――――青鸞に向けて放たれていた。

 

 

(え――――……!)

 

 

 青鸞はそれに対して反応できない、だが代わりにコードが反応した。

 左胸の輝きが増し、飛翔する赤の鳥へと伸びていった。

 飛翔する鳥は、足を緩め……しかし、止まることは無かった。

 

 

 肌が泡の中にいるかのようにザワめく。

 アレは不味い、ダメだ、不味い。

 本能が叫ぶ、あの光は絶対に不味いと。

 だがどうすることも出来ない、力が弱すぎてV.V.のコードの力を跳ね付けることが出来ない。

 物理的に避けることも出来ず、青鸞は……。

 

 

「馬鹿! 避けるな、受け止めろ!」

「……!」

 

 

 駆け寄ってきたC.C.に背中を支えられて、V.V.の力を受け止めることになった。

 次の瞬間、頭が裂けた。

 頭が裂けたかと思える程の衝撃が、青鸞の頭を……脳を貫いた。

 

 

 頭の中に浮かび上がるのは、憎悪のイメージだ。

 殺意のイメージ、負のイメージ、憎しみのイメージ、膨大な情報が津波のように青鸞の中を駆け巡った。

 肉体を引き裂かれるのでは無いかと思える程の衝撃に、青鸞は喉を引き攣らせた。

 

 

「うぁ……っ、あ、ああああああああああああああああああぁぁぁっっ!?」

『落ち着け、自分を見失うな!』

 

 

 C.C.の声が聞こえる、だがもはや前後左右すらわからない。

 傍に誰がいるのかも、自分が誰であったのかも、まるで何かと溶け合うように失われていく。

 流出していく、いや膨大な情報の中に溶け込んでいく。

 自分の身体が溶けていく心地に、青鸞は悲鳴を上げた。

 

 

 理屈はわかる、おそらくV.V.は青鸞の力を得てC.C.に対抗するつもりなのだ。

 V.V.の力だけではC.C.に勝てない、だが青鸞と合わせて2つのコードならば。

 そう言う理屈はわかる、一番弱いのはコード保持者最年少の青鸞なのだ。

 しかし片隅のその思考すらも、徐々に薄れて……。

 

 

『思い出せ、枢木青鸞! お前は何のために戦ってきた!?』

 

 

 何の、ために。

 薄まる意識の中で、青鸞はC.C.の声を聞いた。

 

 

 

 

『国の独立のためか!? 日本人のためか!? お前を信じる民や仲間のためか!? アイツの……ルルーシュのためか!?』

 

『思い出せ、それらはどんな感情に起因するものだったのかを!』

 

『父の贖罪のためか!? 兄への復讐のためか!? ルルーシュや仲間への義理立てのためか!?』

 

『違うだろう!』

 

『私は知っているぞ……V.V.のことと同様、知っているぞ!』

 

『お前とコードで触れ合った、私だけが知っている!』

 

『お前の本心を、お前の本質を! お前のコードを!!』

 

『答えろ、枢木青鸞!!』

 

『お前は!!』

 

 

 

 

 ――――何のために、戦うのか。

 いや、違う。

 何を原動力として、どんな心の力を源として、戦場と言う地獄を駆け抜けて来たのか。

 

 

 痛い思いをして、苦しい思いをして、辛い思いをして。

 傷ついて、傷ついて、傷ついて。

 プライド、意地、傲慢、虚栄、それら全ての余計な感情の皮を剥ぎ取った先にあるものは何か。

 枢木青鸞と言う存在の、その本質は何か。

 

 

 ……――――「わたし」、は――――……。

 

 

 その時、声が聞こえた気がした。

 泣き声だ。

 子供の泣き声が、聞こえた気がした。

 

 

(……あ……)

 

 

 その子供は、泣いていた。

 どうして泣いているのかはわからない、ただ、泣いていた。

 助けて、助けて……そう、泣いていた。

 

 

(どう、して……泣いて、いる、の……?)

 

 

 怖いんだ、と、子供が言った。

 周りの声が聞こえなくて、周りの景色が見えなくて、同じものが傍にいなくて。

 何もわからなくて、怖いんだ、と。

 

 

 怖い、助けて、そう泣いている子供に青鸞は頷いた。

 わかるよ、と、頷いた。

 自分も、皆も、一緒だから……と、頷いた。

 皆も? と聞いてくる子供に、頷く。

 

 

(……一緒、だよ……)

 

 

 誰もが、他者のことがわからなくて、怖がりながら生きている。

 だから、貴方だけがおかしいんじゃない。

 大丈夫、そうやって手を差し伸べた。

 自分がされたように、手を差し伸べた。

 

 

 大丈夫、そんな気持ちを込めて右手を差し出した。

 子供は、おずおずと……涙を湛えたまま、それでも。

 嘘じゃない? そう不安そうに聞いてくる子供に、青鸞は微笑んだ。

 

 

(……嘘じゃない、よ……)

 

 

 一緒にいる、嘘じゃない、だから泣かないで。

 そして、その子供は。

 子供は――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 不老不死であるV.V.はともかく、その他の饗団員は生身の人間である。

 まして軍人では無く研究者、あるいは信仰者である彼らは戦う術を持たない。

 であれば当然、V.V.周辺の幹部メンバーは脱出と言う行動を取ることになる。

 

 

「饗主V.V.は……」

「あの方は不死身だ、問題ない」

「むしろ危険なのは我々だ、一刻も早く研究データと共に……」

 

 

 施設の地下にはリニアトレインがある、「門」の力を利用した脱出艇とも言うべき乗り物だ。

 ただ幹部のみの脱出艇であるため乗員は10人未満、一般のメンバーは存在自体知らない。

 だがそれで良いのだ、重要なのは研究データと組織運営のノウハウであって下っ端の科学者では無いのだから。

 

 

 とにかく、彼らは地下の通路を急ぎ足で歩いていた。

 先頭を行く男の手には数枚のディスクが握られている、言葉の通り過去の研究データが詰まった圧縮情報媒体だ。

 饗団はここや神根島の遺跡のような場所があればどこでも存在できる、彼らはひとまずEU方面に逃げるつもりだった。

 

 

「それにしても、どうしてここの座標が知られたのか……」

「誰かが裏切ったのだろう」

「だが誰が、そんなことをして何の得がある」

「無駄口を叩くな」

 

 

 不安になると口数が多くなるのは誰でも同じらしい、怖れを含んだ声で囁き合う幹部連を先頭の男が叱咤する。

 そうこうする内に脱出艇のある場所に出た、広い空間だが照明が落ちている。

 主電源が落ちたのだろうと踏んだ彼らは、手探りで入り口近くの端末を弄った。

 程なくして独立した予備電源が入り、薄暗いながらも照明がついた。

 

 

「ふぅ…………ッ!?」

 

 

 ほっとしたのも束の間、彼らは息を呑んだ。

 何故ならば彼らの目の前にあったのは脱出艇などでは無く、1機のナイトメアだったからだ。

 ナイトメアで潰されたのだろう、脱出艇のコックピット部分が破壊されているのが見えた。

 そしてそれを成したのは、まさに彼らに武装を向ける濃紺のナイトメアだ。

 

 

 さらにその足元には、見覚えのある2人の人間がいる。

 1人は女性、手に銃を持った銀髪褐色の女だ。

 そしてもう1人は男、禿げ上げた頭と片眼鏡(モノクル)、でっぷり太った身体を軍服に無理やり押し込めたような体系の男だった。

 ヴィレッタ、そしてバトレー、共にブリタニアの軍人である。

 

 

「お、お前達、何を……」

 

 

 うろたえる饗団員の前で、ナイトメア……ラグネルのコックピットが開いた。

 中から出てきたのは、深紅の軍装に身を包んだ美女だった。

 ボリュームのある紫の髪にルージュ、引き締まった身体。

 誰が見ても、その女性が誰かわかる圧倒的な存在感。

 

 

「こ、コーネリア……!」

「ど、どうして第2皇女がここに」

「ふ……脆弱者共め」

 

 

 自分の姿にうろたえる饗団員達に皮肉気な笑みを見せた後、コーネリアは愛用の剣型の銃を構えた。

 銃口を向けられ恐怖の声を上げる饗団員達にピクリと眉を顰めた後、彼女は。

 迷うことなく、引き金を引いた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――え?

 と、ナナリーは心に一瞬の空虚を作った。

 それは純粋な驚きから来るもので、彼女は思わず後ろを振り向いた。

 

 

 だが、それは少しおかしな行動だった。

 何故ならナナリーは誰よりも奥に、つまり扉の側にいたはずなのだ。

 それなのに後ろを振り向くのは、彼女よりも後ろに人が現れたからだ。

 そしてその人物の髪先を頬に感じて、通り過ぎていくのを感じた。

 

 

「何……?」

 

 

 ルルーシュも目を見張っている、ただ彼の場合は妹とは少し事情が違う。

 何故なら彼の目には、2人の人間がコードの輝きと共に姿を消したように見えたからだ。

 そしてその一瞬の後、3人の人間が門の前に出現したのを見た。

 瞬間移動か、いや違う、もっと他の何かだと本能的に感じた。

 

 

 消えたのは、V.V.と青鸞。

 そして現れたのは、V.V.と青鸞、そしてC.C.。

 どうしてC.C.がここに、と言う疑問には意味が無い。

 だがそのC.C.が青鸞を支え損ねたような体勢でナナリーの横を掠め、階段を転げ落ちてくる姿を見て、ルルーシュは駆け出した。

 

 

「C.C.!? ……青鸞!? これはいったい……」

「……うるさいぞ童貞、前後不覚の女の耳元で騒ぐな」

「なっ!?」

 

 

 ちなみに返事をしたのはC.C.である、これが青鸞だった場合、ルルーシュの衝撃はさらに大きなものになっていただろう。

 そしてその青鸞だが、どうやら気を失っている様子だった。

 だがそれほど深刻な気絶では無いのか、ルルーシュが何度か呼びかけると、うっすらと目を開いた。

 

 

「青鸞、どうした。大丈夫か!?」

「あ……ルルーシュ、くん?」

「ああ、俺だ。いったい何があった?」

「おい、どうして私には心配の言葉をかけないんだ?」

 

 

 ヴェンツェルや彼女に肩を貸されたジェレミアが見守る中、青鸞はルルーシュに半ば抱えられるようにしながら、己の右掌を見た。

 そこには、刻印が刻まれていた。

 赤い、鳥が羽ばたくような刻印が。

 

 

「青鸞、お前、それは……」

 

 

 それは、コードだ。

 だが青鸞のものでは無い、青鸞のコードは変わらず左胸にあり、淡い輝きを放っている。

 ならばそれは、他人のものだ。

 そして右掌にコードを持つ者は、世界に1人だけ。

 

 

「そ……そんな、馬鹿な……」

 

 

 呆然と呟くのは、門に寄りかかるようにして立っていた少年だった。

 V.V.、彼は信じられないようなものを見る目で自分の右掌を見ていた。

 そこには、あったはずのものが無い。

 コードが、無かった。

 ブリタニアの血統が伝えていたはずの刻印が消えて、綺麗な肌が見えていた。

 

 

「ぼ、僕の……僕のコードが、そんな……そんな馬鹿なぁっ!?」

「……コードは人を渡る。そうだろう、V.V.」

「ふざけるな! こんなことが……こんな、ことが」

 

 

 膝から床へと崩れ落ち、揺れる瞳で階下の青鸞を睨むV.V.。

 その視線を受けて、青鸞はルルーシュの胸を押してその場に立った。

 自分の足で立ち、V.V.と視線を交し合う。

 

 

 だが、V.V.の言うことは理不尽なのだ。

 自分だって青鸞の持つクルルギのコードを、より言えばC.C.のコードすら奪おうとしておいて、いざ自分のコードを奪われて狼狽するなど、身勝手極まるというものだった。

 だが、それが人と言うものなのだろう。

 エゴで、身勝手で、我侭で……そして、だからこそ。

 

 

「……愛だ、V.V.」

「何……?」

 

 

 C.C.の言葉に、V.V.が眉を顰めた。

 

 

「枢木青鸞の本質、そのコードは……『愛』なんだ、V.V.」

 

 

 C.C.やV.V.には、けして理解できない感情だ。

 コードにはそれぞれ司るものがある、例えばC.C.のコードは「移ろい行く時」を、例えばV.V.のコードは「虚偽と真実」を司る。

 そして青鸞のコードが司るのは――――『不朽の愛』。

 

 

 愛とは、全ての活動の原動力となる心の力だ。

 国を愛することも、家族を愛することも、友人を愛することも、異性を愛することも。

 そして国や家族や友人や異性への憎しみも、それは元々あった愛情が反転したものであると言える。

 憎しみもまた、愛を種として育つ。

 それが枢木青鸞、それがコード『ιλε』。

 

 

「枢木青鸞は最後にお前の力を受け入れた……否定せず、受け入れた。コードを、運命(さだめ)を、そして……コードが、根源が、青鸞を選……」

「そんなに……難しい話じゃ、無い」

 

 

 よろめきながら一歩を進み、青鸞はV.V.に弱々しい微笑を見せた。

 憔悴している様子だが、足取りはしっかりとしていた。

 そう、そんなに難しい話では無い。

 

 

 救ったとか、受け入れたとか、そんな話では無い。

 ただ、手を差し伸べただけだ。

 V.V.と言う少年への憎しみは消えていない、消えるはずも無い、だが。

 だがそれでも、目の前で怖い、助けてと泣いていた子供を。

 

 

「……認めないよ……」

 

 

 低い声で、崩れ落ちたV.V.が……身体の端から砂のように風に溶けて、いや扉の向こう側へと吸い込まれているように見える少年が、青鸞を見つめた。

 その瞳には、確かな憎悪があった。

 憎しみ、悔しさ、理不尽への反発。

 

 

「愛? ……そんなもの、僕は認めない。信じない……」

 

 

 サラサラ、サラサラと……コードを失い、「塵」となっていくV.V.。

 

 

「そんな目に見えない、感じられないもの……僕は信じない。僕が信じるのは……」

 

 

 その時、青鸞がV.V.に手を差し伸べた。

 右手を、さっき幻視した世界でそうしたように、V.V.に。

 誰も信じられなくて、怯えている男の子に。

 

 

「ふん、同情なんて、いらない、よ……」

 

 

 捧げられたその手を、V.V.は鼻で笑って拒絶する。

 

 

「僕が信じるのは、たった1人だ……シャルル、僕の弟。ああ、シャルル。最期まで傍にいてあげられなくて、ごめ……ん……」

 

 

 ――――サラッ。

 そして風に吹かれるように、衣服すら残さずに。

 V.V.と呼ばれた不死の少年は、根源へと還っていった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その時、豪奢な衣装を纏った白髪の男が、ピクリと眉を動かした。

 

 

「――――先に逝きましたか、兄さん……」

 

 

 男は、瞑目するように顔を伏せ、嘆息すると、玉座から立ち上がった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ガタンッ、と、入り口の方から音が響いた。

 何かと思って振り向けば、そこには饗団の黒いローブに身を包んだ者達がいた。

 どうやらルルーシュがガウェインで崩した瓦礫をどけて、中に入ってきたらしい。

 何人……いや何十人もの饗団の信者達がそこにいた。

 

 

 これには流石のルルーシュも舌打ちした、饗団のメンバーが乱入してくるとは思わなかったのだ。

 どうやら非戦闘員のようだが、それでも数は脅威だ。

 ギアスを使うかどうか悩んでいると、ふと気付いた。

 信者達が呆然とした、信じられないものを見たような顔をしていたからだ。

 

 

「き、饗主V.V.様が、お隠れになられた……?」

 

 

 誰かが呟いた言葉に、ルルーシュはさらに舌打ちした。

 本当に面倒な、V.V.の消滅を見られていたらしい。

 今の所信者達は茫然自失としているが、きっかけさえあれば暴発して……。

 

 

「し……C.C.様!」

 

 

 その時、さらに誰かが叫んだ。

 信者達の目が一斉にC.C.を捉え、彼らは安堵の表情と共にC.C.の……つまりルルーシュ達の下へと殺到した。

 しかし必要以上に近付くことは無く、2メートル程離れた位置で先頭の者達が膝をついて跪いた。

 まるで、神や神の代行者に傅く信徒のように。

 

 

「お戻りになられたのですね、C.C.様!」

「C.C.様、どうか我らをお救いください!」

「我らをどうか、お導きください……!」

 

 

 どうやら彼らは、V.V.に救いを求めてここに来たらしい。

 それはつまり黒の騎士団の制圧が上手くいっていると言うことだったが……いや、これはこれで好都合だとルルーシュは思った。

 このままC.C.を饗主として祭り上げれば、労少なく饗団を手中に出来ると考えたからだ。

 ところが……。

 

 

「……悪いが、私はもう饗主では無い」

 

 

 当のC.C.が、あっさりとその可能性を否定してしまった。

 ルルーシュは心の中でC.C.を「馬鹿か」と罵った、形だけでも合わせておけば良いものを。

 ただ思い返せばC.C.がルルーシュの思惑通りに動いたことなど無いのだから、ある意味では順当と言えるのかもしれない。

 

 

「そ、そんな……」

「C.C.様……」

 

 

 ただC.C.も、救いを求めるような表情を浮かべる信者達に思う所はあったらしい。

 僅かに痛ましそうな表情を浮かべる、が、それでも彼女自身が饗団に戻ると言う選択肢は無かった。

 だって、ここに彼女が求めるものは無かったから。

 元々、本当に饗団の活動には興味が無かったのだ。

 

 

 しかしそんな彼女の代わりに、信者達の前に出る少女がいた。

 枢木青鸞、V.V.からコードを奪い取った存在。

 青鸞は右掌を掲げた、そして左胸のコードの力も強めて赤い光を放った。

 それを見て、信者達の間にどよめきが走る。

 

 

「――――ボクが、なるよ」

「何……?」

 

 

 ルルーシュが声に出して、そして声にこそ出さないがC.C.も、疑問の感情を顔に出していた。

 だが意味はわかる、青鸞が新たなる饗主としてギアス饗団のトップになると言う意思表明だろう。

 饗団のトップに立つための絶対条件は、コード保持者であることだ。

 根源と繋がり、信者を導き、解明と革新と理解をもたらす。

 それが、饗主。

 

 

「……本気か?」

「うん」

 

 

 問うたのはC.C.、かつて饗主だった女。

 頷くのは青鸞、これから饗主になろうとしている少女。

 

 

「どうしてなろうとする? 日本の独立のために利用するためか」

「……」

「それとも哀れんだのか、こいつらを。寄る辺が無ければ立てもしない、弱い者達を」

「…………」

「……お前が思っている程、饗主の座は座り心地の良い物では無いぞ」

 

 

 今なら、それが心配の感情から来ているものとわかる。

 コードを通して繋がったから、青鸞にもC.C.の本質が見えている。

 だから、青鸞はさらに一歩前に出た。

 ルルーシュとC.C.、それにジェレミアやヴェンツェルが見ている前で、青鸞は信者達を見た。

 

 

「ボクが次の饗主になる。出来るかはわからないけれど、貴方達と一緒に行く」

 

 

 コードの輝きが、温かく信者達を包み込んでいく。

 おお……とざわめく信者達に、青鸞は「でも」と言葉を重ねた。

 

 

「その代わり、条件がある」

「条件……?」

「貴方達は……」

 

 

 首を傾げる信者達に、青鸞は息を吸った。

 一瞬だけ、ルルーシュへと視線を向ける。

 それは彼女が、今から彼の言葉を使うからかもしれない。

 すなわち。

 

 

 

「貴方達は――――正義の味方になれっ!!」

 

 

 

 一瞬、間が空いた。

 信者達は意味がわからずぽかんとしていたし、ルルーシュ達にしても難しい顔をしていた。

 ただ1人、C.C.だけはにやりと笑みを浮かべていたが。

 

 

「V.V.が進めていたやり方は、全て捨てる。コードを解明するための人体実験はしない、子供を攫うこともしない、誰かを傷つけることもしない」

 

 

 ロロのような、哀しい子供を生み出す方法は全て捨てる。

 そう告げた青鸞に、信者達は困惑したような表情を見せた。

 彼らにとってはコードの、そして根源の謎を解明することが存在意義だ。

 V.V.が示した方法は一つの手段でしか無いにしても、ではどうやって、と言うのが素直な感情だった。

 

 

「これまでの方法で、何か具体的な進展があった? 無かった、そうでなければいつまでもギアスの実験なんてしない。なら、今後は別の手段で進めていけば良い」

 

 

 成果の出ない方法を捨て、別の方法を試す。

 代替わりはその良い機会だと、青鸞は言った。

 

 

「だから貴方達には、正義の味方になってほしい。ギアスと言う他には無い力を、もっと世の中を良くするために使ってほしい。哀しい力じゃ無くて、もっと幸せな力にするために。ギアスが不幸を呼ぶ時代を終わらせて、新しい時代を創るために。だから……」

 

 

 枢木青鸞が――――いや。

 新たなる饗主……『A.A.(えー・つー)』が命じる。

 お前達は。

 

 

「正義の、味方になれ……!」

 

 

 一瞬、再び間が空いた。

 驚きと困惑のための時間、理解と浸透のための時間だった。

 そして、最初に反応を返したのは。

 

 

「……イエス」

 

 

 ヴェンツェルだった、彼女は僅かに首を傾げて微笑すると、ジェレミアから肩を外してその場に膝をついた。

 

 

新たな饗主の(イエス・ユア・)意のままに(ホーリネス)

 

 

 そしてそれが、始まりだった。

 急なことに動揺していた信者達も、互いに囁きと頷きを交し合った後に青鸞に身体を向けて跪いた。

 

 

「「「「「新たな饗主の(イエス・ユア・)意のままに(ホーリネス)!!」」」」」

 

 

 ギアス饗団が、枢木青鸞を新たな饗主に戴いた瞬間だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そして、ここにただ1人……当事者でありながら、何も理解できないでいる少女がいる。

 言うまでもなくナナリーだ、流されるばかりの彼女は、誰も説明してくれない事象について理解できるほど聡くは無かったのである。

 ナナリーの立場から見れば、この状況、どう見えるのだろうか。

 

 

 まず意味もわからず誘拐され、見知らぬ騎士に救われ、誘拐犯らしき少年が現れて、兄と幼馴染と居候が来て、何だか良くわからない内に誘拐犯の気配が消えて、無数の人間が現れたかと思えば、幼馴染の少女に従う……という理解で良いかはわからないが、とにかくそう言う方向で話がまとまったように思う。

 流石のナナリーも、いい加減不満を持ち始めていた。

 いくらなんでも、これは……と、考えた矢先、後ろで鈍い音が響いた。

 

 

「……?」

 

 

 車椅子を手で操作して振り向けば、頬を風が撫でるのを感じた。

 そしてそこにいたのは、ナナリーも知っている気配だった。

 その気配に、ナナリーがはっとした表情を浮かべる。

 彼女の耳には、小さな金属音も聞こえていた。

 

 

 

「ルルーシュ……我が不肖の息子よ、それでこの父の手足をもいだつもりか?」

 

 

 

 予想外の声に、ルルーシュは息を呑んだ。

 まさか、と言う思いが強かった。

 何よりもあり得ないと言う思考が走った、まさか、「あの男」が自らここへ、と。

 しかしそれは、現実だった。

 

 

「ほう、そう簡単に振り向いてしまって良いのか? 我がギアス、知らぬわけでもあるまい」

 

 

 ぐ、と、ルルーシュはその声に振り向きかけた足を止めた。

 皇帝のギアスに対抗できるのはジェレミアのギアスキャンセラーぐらいだろうが、今はそのジェレミア自身が不調だ。

 皇帝のギアスはルルーシュと異なり回数制限が無い、それこそコード保持者でも無ければどうすることも……。

 

 

 甲高い、それでいて乾いた音が、響いた。

 

 

 次いで、何か重い物が倒れる音が響いた。

 カラカラと言う車輪が空回りする音が混じったそれは、ルルーシュが良く知る音だった。

 より具体的に、表現するのであれば。

 車椅子が、転ぶ音。

 

 

「……ッ、ナナ……!」

 

 

 ナナリー、と、最後まで呼べなかった。

 何故なら、倒れた車椅子の陰から見える小さな手に力が無かったから。

 何故なら、皇帝の手の中に銃が握られていたから。

 最初の音がいわゆる銃声と呼ばれるもので、目の前の状況から読み取れる現実は、つまり。

 

 

 がくん、と、ルルーシュが床で膝をつくのを青鸞は見た。

 彼女自身の身体も震えていた、あのC.C.でさえ目を見開き、目の前の異常な状況を見ることしか出来ないでいる。

 ――――皇帝が、父親が、ナナリーを、娘を撃ったと言う事実を。

 

 

「……せめて本国で葬ろう、母親と、同じ場所に」

 

 

 皇帝が低い声でそう言って、倒れ伏したナナリーへと近付いていく。

 それを見たルルーシュは我に返った、咄嗟のC.C.の制止をも振り切って立ち上がり、駆け出す。

 しかし、その伸ばした腕が届くことは無かった。

 第二の銃声が響く、それはルルーシュの左肩を正確に撃ち抜き、彼はその場に無様に倒れた。

 

 

「が……っ!?」

「ルルーシュくん!?」

 

 

 肩から血を流して倒れたルルーシュに、青鸞が駆け寄る。

 だがルルーシュは己の傷などまるで構わずに、唸りながら腕を上げていた。

 手を、皇帝の腕の中の妹へと向けていた。

 だが妹は、ナナリーはぐったりとしていて、ルルーシュに何の反応も返さなかった。

 

 

「――――良かろう。それでこの父を倒せると言うのであれば、挑んでくるが良い。全てか無か(オール・オア・ナッシング)、戦いとは本来、そう言うものだ」

「ま、待て……ッ」

 

 

 だが、皇帝が待つはずも無い。

 ナナリーを抱きかかえたまま、皇帝の背が扉の向こうへと消えていく。

 今にも飛び出して行こうとするルルーシュを、青鸞は押さえた。

 ルルーシュが非力で無ければ、振り払えていたかもしれない。

 だが現実としてルルーシュは皇帝を、妹を追いかけることが出来なかった。

 

 

 そして、門が閉じていく。

 光の中に消えていく妹の姿に、それでもルルーシュは手を伸ばし続けた。

 守りたくて、守りたかった、守るはずだった、たった1人の肉親。

 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの、魂の宝。

 だから……それ、なのに。

 

 

「ナナリイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッッッッ!!!!」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――洛陽近郊。

 もうすぐ夜闇に包まれるだろうその戦場には、無残な鉄の残骸と焦げた肉の塊が幾重にも折り重なって倒れ伏していた。

 国の命令に従った、あるいは国を守るために戦った英霊達だ。

 

 

「ば、馬鹿な……!」

 

 

 ドス黒い煙で覆われた戦場の空で、星刻は戦慄に身を震わせていた。

 損害は明らかに中華連邦軍の方が多い、だがそれは覚悟の上だった、敵の方が装備の質で遥かに上回っていたのだから。

 だから星刻は非情な策として物量戦に訴えたのだ、過去の侵略者達がそうだったように、中華の懐に収めて喰らおうとしたのだ。

 

 

 だが、その策はもう瓦解しようとしていた。

 ブリタニア軍が予測よりも強大だった? 違う、ブリタニアの強さは星刻の想像の範囲内だった。

 ラウンズが予想よりも厄介だった? 違う、物量と陽動で消耗戦に持ち込むことで威力を半減させた。

 ならば何が、星刻の戦術を瓦解させたのか。

 

 

「たった1機のナイトメアで、戦局が……」

 

 

 斑鳩の艦橋で、藤堂も呆然とした声を上げていた。

 それだけ目の前のことが信じられないのだろう、藤堂にしては珍しく、二の句が告げないでいる。

 艦橋のメインモニターには、戦場の空、最も高い位置で中華連邦の地上軍を睥睨している1機のナイトメアが映し出されている。

 

 

 白い西洋鎧を着た騎士を思わせるデザイン、天使を思わせる薄緑の翼。

 飛翔滑走翼とは明らかに違うその翼の正体を知るのは、反ブリタニア陣営ではただ1人。

 斑鳩に乗る技術者、ラクシャータだけだった。

 

 

「エナジーウイング……」

 

 

 バキッ、とキセルを握り折りながら、ラクシャータは悔しげに唇を噛んだ。

 

 

「……第9世代KMF、完成してたのかい……」

 

 

 第9世代KMF、『ランスロット・アルビオン』。

 神聖ブリタニア帝国の技術の粋を注ぎ込んだ究極のKMFであり、唯一の第9世代KMFにして世界最強のKMFである。

 中華連邦の地上軍の一部をたった1機で壊滅状態に陥れたそのパイロットは、「帝国の剣」ナイトオブラウンズの第7席。

 

 

「……………………」

 

 

 枢木スザク。

 スザクはただ、ランスロットのコックピットの中から戦場を見下ろしていた。

 超越者のように、何も言わず、ただ。

 哀しそうな眼で、見下ろしていた。

 




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 ふふふ、はたして誰が予測できたでしょうか?
 この私が、ハーメルン及び小説家になろう屈指のリアルシスコン(え)である私が、そして今まで数々の妹キャラクターを描いてきた、この私が!

 ナナリーと言う、コードギアス随一の妹キャラにあんなことをするとは!

 私ですらも予想できませんでした、何しろ面白そうと言う理由で、あと読者の度肝を抜けるかもと言う理由で、まさかナナリーを撃つとは。
 ふふふ、さぞや驚いたことでしょう。
 もしこれで後に私がやりたい展開が読めた方は、もう作家として小説を描かれることをお勧めいたします。
 読まれたらどうしよう……。

 そんなわけで、次回予告です。


『ナナリーちゃんは、ルルーシュくんの宝物。

 ルルーシュくんは、ナナリーちゃんのために戦ってきた。

 ナナリーちゃんのための叛逆、ナナリーちゃんのための黒の騎士団。

 ルルーシュくんの、全てだった。

 でも、ボクは知ってる……ボク自身がある人に気付かされたから、知ってる。

 けして、それだけじゃないって』


 ――――TURN19:「哀しみ の 恋歌」



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TURN19:「哀しみ の 恋歌」

ルルーシュは○○の嫁! と言う主張をお持ちの方はご注意ください。
また、性描写が苦手な方はご注意ください。
では、どうぞ。


 南京、中華連邦本国江蘇省に位置する大都市だ。

 過去の中華帝国において首都になったこともある伝統ある都市であり、東西を長江に貫かれる特殊な構造から、守るに易く攻めるに難い堅牢な軍事拠点でもある。

 なお南京を要する江蘇省の沖合いの海上には、蓬莱島と言う潮力発電用の人工島があるのだが、それはあまり知られていないことである。

 

 

 そして今、歴史ある南京の街は崩れ落ちようとしていた。

 河南省……北部から撤退してきた中華連邦軍本隊と、南下するブリタニア軍による撤退・追撃戦が繰り広げられているからである。

 どちらが優勢なのかは、もはや誰の目にも明らかだった。

 

 

「だぁ……しつこいねぇ、まったく!」

 

 

 その地獄の撤退戦の中にあって、朝比奈が毒吐いた。

 彼は『暁』と言う飛翔滑走翼(フロートユニット)装備のナイトメアに乗っている、指揮官用にカスタムされたその機体は黒の騎士団の新型量産機だった。

 だが今は正面・側面を問わず、モニターには敵機と敵の火線しか見えない。

 

 

 制空権、それが中華連邦に無くブリタニアにあるものだった。

 戦闘機を始めとする航空機の性能はもちろんのこと、ヴィンセント等の航空戦用ナイトメアを大量に投入するブリタニア軍は、終始中華連邦の地上軍を圧倒していた。

 中華連邦は航空戦用ナイトメアを保有していない、例外は朝比奈達、黒の騎士団だ。

 だが相手は、黒の騎士団の10倍の航空戦用ナイトメアを投入している。

 

 

「負け戦には良い加減慣れてるつもりだけど、これは僕の人生でもベスト5に入る酷さだよ……」

 

 

 ヴィンセントの編隊の攻撃を回避しながらぼやけば、眼下にはブリタニア軍に占領された中州が見える。

 長江の真ん中に浮かぶ陸地、それは河を渡って撤退する中華連邦にとっては落とされてはならない場所だった。

 現に、中州の中華連邦軍を支援していた朝比奈が敵中に孤立してしまった。

 

 

「仙波さん! 千葉! ……あーあ、通信まで寸断されて!」

 

 

 これは本格的な負け戦だな、と朝比奈は思う。

 南京の空はこんなに澄んで青いのに、どうして自分はこんな所で敵に囲まれているのか。

 ……青と言えば。

 

 

「青ちゃんいなくて、良かったかもね……!」

 

 

 操縦桿を押し込んで急上昇し、ヴィンセントの編隊を振り切りにかかる。

 急激なGがパイロットスーツ越しに身体を潰そうとしてくる中で、朝比奈はそんなことを呟いた。

 青鸞がここにいれば、朝比奈の代わりに殿を務めようとしただろうから。

 

 

 朝比奈を始めとして、旧日本解放戦線のメンバーで青鸞がブリタニアのスパイだったなどと信じる者はいない。

 まして告発したのがあのディートハルト、旧日本解放戦線から毛嫌いされていた男である。

 自分とゼロの組織内の基盤を強めようとした結果だろう、大体がそう判断している。

 むしろ青鸞の失踪のせいで下がった士気の方が問題で、派閥抗争に倒れた日本解放戦線の二の舞になりかねなかった。

 

 

『おやぁ……? 活きの良い獲物がいるじゃないかぁ』

 

 

 急上昇する暁の隣に、明らかに量産機では無いナイトメアが姿を現した。

 暁と併走するように飛翔するその機体は『パーシヴァル』、頭部に鶏冠(トサカ)のような装飾を備えたKMF。

 ナイトオブテン、ルキアーノ・ブラッドリー卿の愛機だった。

 

 

「よりにもよって、吸血鬼かい……!」

質問(しつもぉん)だぁ……お前の大事なものはなんだぁ?』

「冗談!」

 

 

 操縦桿を倒し、急上昇から急旋回へと移行する。

 すでにヴィンセント隊は振り切った、こんな所で強敵とやり合うつもりは無かった。

 まして自分は孤立している、朝比奈はそこまで猪では無いつもりだった。

 

 

「何……っ!?」

 

 

 だがそこへ、朝比奈の道を遮るように別のナイトメアが回り込んで来ていた。

 濃い緋色のカラーリングが施されたシャープな機体で、その機体――ナイトオブテン直属『グラウサム・ヴァルキリエ隊』の副官機『モリガン』――が振り下ろしたトンファーを、廻転刃刀で受け止めた。

 しかし火花を散らせて鍔迫り合いを演じたのは一瞬、暁の機銃掃射から逃れるように離れていった。

 

 

 そして代わるように、背後からピンクにカラーリングされた派手なヴィンセントが4機、朝比奈の暁を半包囲するように迫ってきていた。

 正面には、今の一瞬で回りこんだパーシヴァル。

 右手の4本のクローを回転させてドリルとしたその機体に、朝比奈としては溜息を吐かざるを得ない。

 

 

「……嫌になるなぁ、もう」

 

 

 とは言え、死ぬつもりは無い。

 力の抜けた表情を一息に改め、朝比奈は再び操縦桿を強く前に倒した。

 生き残る道は、常に正面にある。

 朝比奈は、そう信じていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 枢木青鸞の人生とは、いったい、どう称されるべきものだろうか?

 日本の旧家に生まれ、兄に父を殺され、テロリストとして生き、戦いの最中にブリタニアに囚われ、皇帝の剣となり、幼馴染の少年に救われ、再び抵抗の象徴となり、しかし仲間だったはずの男に嵌められ、今こうして饗団のトップに収まっている。

 

 

 はたして、彼女の人生をどう表現すれば良いのだろう?

 たかだか十数年の人生でここまでを経験した彼女を、どう評価すれば良いのだろう?

 しかしそれは結局、後の歴史家に委ねられるべきものなのかもしれない。

 真実を知らず、情報の断片と己の判断で「歴史」と言う本にペンを走らせる歴史家と言う生き物の手に。

 

 

「えー……っとぉ、つまり?」

 

 

 そしてギアス饗団の最奥部、神殿のような設えが成された「黄昏の間」。

 かつては饗主以外に入ることを許されなかったその場所に、青鸞と、旧日本解放戦線の時代から彼女を守護してきた護衛小隊のメンバーがいた。

 正確には生き残りだ、護衛小隊は人員の補充を長らくしていないから、今や10人程度しか残っていない。

 

 

「つまり青鸞さまは、宗教団体のトップになっちまったってわけですかい?」

「何か、そう言う言い方をされると……考え直したくなってくるかも」

 

 

 山本のあけすけの無い物言いに、階段の上で青鸞が苦笑する。

 青鸞は今、旧日本解放戦線時代からの仲間に事情を説明していた所だった。

 少し前のように誤魔化しを入れず、何から何まで、コードからギアス、ブリタニアとの関係まで全てだ。

 草壁が聞けば、また怒るかもしれない。

 

 

「それで、あの……青鸞さまは我々に何を?」

 

 

 実際、上原を始めとする大多数の面々は困惑と不安を同居させている。

 それはそうだろう、ギアスと言う超常の力――実際に見せてもらったが――の研究をしている機関のトップの座に青鸞がついたとなれば、普通は「自分達にもギアスの実験を?」と思うだろう。

 青鸞のことを信じていても、そうなるのは仕方が無い。

 

 

「うん……まずは、これまでと同じように、ボクと一緒にブリタニアと。ブリタニア皇帝と戦ってほしいんだ」

「それは、日本の独立のためですか?」

「……それも、あるね」

 

 

 階下から自分を見上げて問うてくる雅に、青鸞はやや寂しげな顔で応じる。

 事実、今でも青鸞は日本の独立と復興を願っている。

 しかし同時に「セイラン・ブルーバード」は、祖国と主君の間違いを正したいという欲求を持っている。

 

 

 そして饗主としての青鸞――すなわち「A.A.」にとっては、饗団と言う組織のための行動だ。

 コードに刻まれた記憶と情報により生まれたその人格(かんりしゃ)――あえて、「人格」と言う言い方をするが――は、自分に従わず饗団を脱出し、ブリタニア皇帝の下へ走ったギアス関係者の存在を無視できなかった。

 

 

「それでは、何を? 饗団などと言う代物とは一切合切関係が無い私達に、どのような立場で、貴女は何を頼むと言うのでしょう?」

 

 

 雅の言葉は厳しいが、それは事実を突いていた。

 雅達にとって、饗団などと言う組織はどうでも良い存在なのだ。

 だが青鸞は彼女達に頼んだ、彼女達に頼みたかったのだ。

 これはエゴだ、強くそう思う。

 

 

「……饗団の子供達の、「先生」になってほしい」

 

 

 別に教師になれと言っているわけでは無い、自分にとっての藤堂のような存在になってほしい。

 外の、人間の世界で生きていけるように。

 自分で道を見つけて、自分で何かを掴み、そして自分の失敗の責を自分で受ける。

 そんな、普通の人間としての人生を歩めるように。

 ギアスの瞳を抱えたまま、歩んでいけるように。

 

 

「……お願いします」

 

 

 我侭を、身勝手を、エゴを自覚しながら。

 青鸞は卑怯にも、自分が信じる人達に頭を下げたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「ギアスを抱えたまま、生きていけるように……か」

 

 

 護衛小隊の面々が去った黄昏の間に、静かな声が反響した。

 柱の陰から現れたのは緑の髪の少女、つまり先々代の饗主C.C.だ。

 彼女は1人で佇む青鸞を見つめると、口元にふふっと皮肉げな笑みを浮かべた。

 その目は、まったく笑っていなかった。

 

 

「ギアスを得た子供が、普通の世界で生きていけると?」

「…………」

 

 

 答えない青鸞に歩いて近寄りながら、C.C.はそう言った。

 ギアスは……王の力は人を孤独にする。

 いずれは暴走を始めて、自分ではどうすることも出来ない被害を周囲にもたらす。

 人の形をした災害のようなものだ、手の施しようが無い。

 

 

「それにV.V.が造り上げたギアスの戦士団をどうする? ロロとか言うお前の弟、アレと同じように殺しと破壊しか知らない。それをお前はどうする? どう使う?」

「C.C.さん」

「……何だ?」

 

 

 饗団にいる子供達、少年少女達は饗団の教えしか知らない。

 饗主に従い、その命令に忠実であることしか知らない。

 ギアスと言う超常の力を持ちながら自分の意思も幸せも知らず、ただただ短い人生を実験と破壊に捧げるだけの……人形のような子供達。

 

 

「ボクは契約したんだ、あの子供達を救うと」

「……それが、お前がコードに捧げた願いか」

「うん」

 

 

 コード保持者は、己のコードに誓いを立てる。

 それは世界に留め置かれる不死性の源となり、コード保持者に力を与える。

 世界、すなわち根源との契約。

 青鸞の立てた誓いは、饗団と言う組織の変革、在り方の変化。

 それこそが、新たな饗主「A.A.」の契約。

 

 

 教義を奪うわけでも、価値観を押し付けるつもりも無い。

 人形ではなく、人間として生きてほしい。

 ただそれだけが、青鸞があの子供達に願うことだった。

 ――――コードは、ギアスは、願いに似ている。

 

 

「……やれやれ」

 

 

 それに、C.C.は溜息を吐いて首を横に振った。

 未だ己の契約内容を誰にも伝えていない魔女は、己とは対照的な位置にいる年若いコード保持者に呆れのような感情を感じていた。

 そして視線を流すと、黄昏の間にもう2人、人間がやってきたことに気付いた。

 

 

 青鸞を饗主の座に祭り上げた張本人、ヴェンツェルとジェレミア。

 どうも昔に何らかの縁があったらしい2人は、しかし仲睦まじくつるむわけでもなく、ビジネスライクな関係を維持している様子だった。

 まぁそれについては、C.C.にとってはどうでも良いことだったが……。

 

 

「残った信者達の掌握については完了したよ、饗主A.A.。後、中華連邦の戦況についても」

「出来ますれば、我が君にご報告申し上げたいのですが……」

「……うん」

 

 

 ヴェンツェルの言葉には素直に頷いた青鸞だが、ジェレミアの進言には表情を暗くした。

 我が君、その相手が誰なのかを考えれば、おのずと理由も明らかになるだろう。

 彼は、あの少年は、今……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 しかしそうは言っても、2日や3日で饗団の体質が変わるわけでも無い。

 そもそも青鸞は饗団に来てまだ日が浅い、組織自体の掌握はヴェンツェルなど古参の幹部の仕事だ。

 青鸞の仕事は、言うなれば……ここでも、「象徴」なのだった。

 

 

「ヴィヴィアンと零番隊については、何とか私が押さえてる。でも藤堂さん達が南京でピンチって情報は統制できて無いから……それに、私だって」

「うん、わかってる。でも」

「そうね……ゼロが、ルルーシュがいないんじゃね……」

 

 

 はぁ、と溜息を漏らすのはカレンだ。

 今は零番隊を率いて饗団施設の治安維持や実験データの管理・抹消などを行っているのだが、内容が内容だけに、精神的にも肉体的にも疲労している様子だった。

 現に今も、ヴィヴィアンの会議室の一室にやってきた青鸞の前で、椅子にぐったりと座り込んでいた。

 

 

 手入れの暇も無いのか、髪と肌がやや荒れていることに気付く。

 前髪をかき上げるように右手で顔の上半分を覆い、背もたれにもたれかかれば、緩められた赤いパイロットスーツの胸元から豊かな胸が僅かに見えた。

 青鸞の視線に気付いたのか、カレンは青鸞を横目に見てふと笑った。

 

 

「……似合わないね、それ」

「うん」

 

 

 否定せずに頷くのは、青鸞自身も己の格好を似合っているとは思っていなかったからだ。

 蒼の司祭服、コードの紋章が刻まれた右掌と左の胸元が見えるようにデザインされたそれは、東洋人の青鸞にも良く似合ってはいた。

 しかし、カレンや青鸞が笑ったのは外見の話ではなかった。

 

 

「まぁ良いよ、零番隊の方は私が何とかする」

「……ありがとう」

「良いよ……おままごとした仲だしね」

「ふふ、頼りにしてるよ、お姉ちゃん?」

「はいはい、任せて妹さん」

 

 

 最後にはクスリと笑い合って、青鸞はカレンと別れた。

 そしてそのまま、少し前まで自分が使っていた部屋のフロアへと足を進めた。

 誰もいない、誰も来ないフロア。

 

 

 それでも足を進めていると、1人のメイドに出会った。

 東洋人、いや日本人のメイドだ。

 露出の少ないシックなメイド服に身を包んだ彼女、咲世子は、青鸞を見て丁寧に礼をした。

 青鸞が頷きを返すと、扉横の機器を操作して部屋の扉を開けた。

 ……そこはかつて、ナナリーが使っていた部屋だった。

 

 

「――――……ルルーシュ、くん?」

 

 

 照明のついていない部屋は、酷く暗い。

 だが通路の照明のおかげで、部屋の中を窺うことは出来る。

 白いレースのカーテン、小物入れの引き出しのついた鏡台、壁にかかったはと時計、丸みを帯びたベッドの上にはぬいぐるみがいくつも置いてあって、いかにも少女趣味な造りの部屋だった。

 

 

 そして、青鸞の声に返事は無い。

 だが、見えた。

 妹が眠っていたベッドの上に腰掛ける背中が、見えた。

 背後で扉が閉まる音を聞きながら、青鸞は小さく息を吐いたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 さらに幾日かが過ぎて、中華連邦軍本隊は大陸から叩き出されるまでに追い詰められていた。

 中華連邦有数の島である台湾島を背にする大小金門島と周辺の島々から成るその地域に、中華連邦軍本隊は逃げ込んでいた。

 花崗岩の島々は居住には向いていないが、一般観光客の入島を制限した軍事拠点である。

 

 

 そこに、十万余にまで目減りした中華連邦軍本隊がすし詰め状態で押し込められている。

 要塞の至る所で負傷した兵の悶える声が響き、血と汗と泥の匂いが充満し、それを吸った空気は重く湿っているように感じた。

 無傷の者を見つけるのが難しい、それくらいに傷ついた軍勢がそこにいた。

 

 

「……酷い……」

 

 

 花崗岩の地面に足をつけて声を震わせたのは、1人の小さな少女だった。

 しかしただの少女では無い、中華数十億の民の上に君臨する「天子」こそが彼女だ。

 4つの髪飾りで纏められたシルバーブロンドの髪に薄い赤の瞳、大きく開く紫の腰添えと一体化した翡翠色の衣装が小柄な身体を覆っている。

 最高級の生地で設えられたその衣装は、今は埃と泥でやや汚れていた。

 

 

「申し訳ありません、天子様」

「え、え……し、星刻? 何故謝るのです?」

 

 

 兵達の無残さに心を痛め、それを表すかのように胸に手を当てた天子……その目の前で膝をついたのは星刻であって、だからこそ天子は慌てた。

 どうして星刻が深刻な表情で謝ってくるのかがわからなかったし、それがわからない自分が情けなくもなり、天子の大きな瞳に透明な雫が溜まり始める。

 

 

 しかし星刻にしてみれば、こうした惨状を天子に見られること事態が屈辱だった。

 天子に朱禁城の外の世界を見せる、かつて交わしたその誓約は確かに果たされた。

 だが、これは違う。

 星刻が見せたかったのはこんな世界では無かった、だから彼は天子に頭を垂れたのだ。

 

 

「し、星刻、あの……あの、私は、そんな、えと」

「……有難きお言葉。しかし天子様、このような苦境を招いたのは我が不明。こうなれば、我が身に変えても天子様を」

「そんな顔色の殿方にそう言われて感動する女性はおりませんよ、大司馬殿」

「何……ぐはっ!?」

「し、星刻!?」

 

 

 鈍い音が響き、星刻がその場にうつ伏せに倒れた。

 慌てて縋り付いて星刻を呼ぶ天子の姿を、葵文麗は溜息を吐きながら見つめていた。

 所々に泥をつけた女官服は周囲の兵の姿と比べても遜色は無い、温和そうに見えて過激な所がある彼女は、傍にいる近衛の張凛華に星刻を気絶させた所だった。

 

 

 何しろこの1週間、星刻はほとんど寝ていなかったのだ……ただでさえ体調が悪いと言うのに。

 まぁ、それでも槍で殴ることは無いだろうと周囲の兵は思ったりしたのだが、文麗がちらりと視線を流すと慌てて顔を背けていた。

 宮殿の至高の花(てんし)を守る薔薇の存在を知らぬ者はいない、わざわざ不興を買うことも無かった。

 

 

「……それにしても」

 

 

 周囲の兵の無残さを見て――別に目を逸らされて気にしているわけでは無い――文麗はもう一度溜息を吐いた。

 

 

「この十万余の民と兵、どうやって台湾まで逃がすか……」

 

 

 制空権をブリタニアに握られている現在、大陸沖の台湾島までの撤退行がどれ程苦しい物になるか、想像に難くない。

 そこではおそらく、想像を絶する地獄が展開されるはずだった。

 絶望的な作戦、だがそれを実行しなければ滅びるだけなのだ。

 

 

 そして、文麗は空を見上げた。

 そこには夜空の中に佇む黒の航空戦艦がある、同盟者の船だ。

 ――――作戦の成否を決める、船だ。

 

 

「次の台湾への撤退戦、インドの援軍は間に合わないだろう」

 

 

 その航空戦艦、「斑鳩」の艦橋では、藤堂が騎士団のメンバーに向けて訓示している所だった。

 次の作戦の確認と、そしてそれ以上に気構えの話を。

 それを聞く面々の表情は暗く厳しい、それだけ苦しい状況だと言うことだった。

 中華連邦よりも遥かに戦力の小さい彼らにとっては、特に。

 

 

「畜生、ゼロはいったいどうしちまったんだよ!」

「……それはこっちが聞きたいね、また逃げ出したんじゃないの?」

「んだと!? ゼロは俺達を置いて逃げたりなんか……!」

「どうかな、キミ達だってセキガハラで僕達のことを置いて……」

「よせ!」

 

 

 頭に包帯を巻いた玉城と、顔の左半分を包帯で覆った朝比奈の間に不穏な空気が流れる。

 藤堂の制止で一応は止まるが、感情的な尖りが失われたとは思えない。

 千葉が溜息を吐き、首を横に振っているのが良い証拠だった。

 普段なら茶化しの一つも入れてくるラクシャータですら、椅子に寝転んだまま何も言わない。

 

 

「……でも藤堂さん、実際、ゼロからは何の連絡も無いんでしょう?」

「…………」

 

 

 朝比奈の言葉に、藤堂は何も言わなかった。

 ただ流石に眉が僅かに震えて、それを見逃さなかった朝比奈の右眼に不穏な気配が宿る。

 玉城が泣き言を口にしているのが聞こえたが、何と言ったかは誰も覚えていなかった。

 

 

 いずれにしても、彼らは危機にあった。

 このまま何の要素も介入も無ければ、どうなるかは火を見るよりも明らかだった。

 そんな彼らにとって必要なのは一つしか無い、希望だ。

 だが、奇跡の源となるはずのそれこそが……今、一番不足しているものだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――皇帝陛下が?」

 

 

 珍しく驚いたような声を上げて、シュナイゼルはカノンに視線を向けた。

 中華連邦……いや、旧中華連邦領福建省、その省都である福州市の市庁舎を仮宿としているブリタニアの帝国宰相は、柔和な微笑の中に困惑の色を見せていた。

 副官カノンの報告は、それだけの価値があった。

 

 

 現在、シュナイゼルは文字通り中華連邦を攻略している所だった。

 圧倒的な兵器の性能差と制空権の確保により南下しつつ、中華連邦軍のゲリラ部隊による補給の寸断に対処しながら、中華連邦軍本隊への最後の攻勢のタイミングを図っている。

 今はそう言う時期だった、だから意外だった。

 

 

「……陛下が自ら太平洋艦隊を率いて、こちらへ?」

「正確には、エリア11です」

 

 

 落ち着きを取り戻したシュナイゼルに、カノンもまた淡々と返す。

 書類を手にシュナイゼルに報告するその姿はいつもと変わらない、違う点があるとすれば、部屋がブリタニア調では無く中華風の造りになっている所だろうか。

 しかし外の環境が変わろうと、内の関係が変化するわけでは無い。

 

 

「皇帝陛下はナイトオブワン、ビスマルク・ヴァルトシュタイン卿と共にエリア11に向かうそうです。名目上は中華連邦に降伏を迫るためとのことですが、実際はエリア11代理総督ユーフェミア皇女殿下の誅滅のためでは無いかと……」

「ユフィは、皇籍を剥奪されてしまったからね」

 

 

 中華連邦でシュナイゼルが動いている間、エリア11でも情勢の変化があった。

 本国の命令を聞かずにナンバーズ制度の改革を進めるユーフェミアに対し、皇帝シャルルは謀反を認定、この時期すでにユーフェミアは一人前の反逆者になっていた。

 皇籍を剥奪され、ユーフェミアの実家は母后も含めて一族郎党皆殺しにされたと言う。

 

 

「それと、アフリカ方面とアラビア半島方面からイラクへ進出したエルンスト卿とクルシェフスキー卿が、中華連邦領ペルシア軍管区を陥落させたとのことです。ラウンズのお二方はそのまま、それぞれ一軍を率いて中央アジアの攻略に向かうそうで……」

「ふむ、そうなると……本国に戻ったアールストレイム卿と、枢木卿に代わって南太平洋の押さえをしているエニアグラム卿以外のラウンズが、全員中華連邦攻略に参加したことになるのかな?」

「いえ、エニアグラム卿はすでにニューギニアに進出していて……そのまま、太平洋上で陛下と合流なさるそうです」

「ほぅ……」

 

 

 帝国の剣、ナイトオブラウンズ。

 戦死が伝えられているセイラン・ブルーバード卿を除く8人の内、7人までもが極東の戦争に参戦。

 EUがすでに半壊状態とは言え、イタリアやドイツはまだまだ踏ん張っている、随分と戦力を偏らせるものだとシュナイゼルは思った。

 中華連邦を下せば世界はブリタニアの物、とは言え、疑問は感じるのだった。

 

 

「……私はいったい、何を望まれているのかな……」

「は?」

「ああ、いや。何でも無いよ」

 

 

 シュナイゼルは取り繕うように微笑むと、話題を変えるように「それで?」と言った。

 

 

「金門島への攻撃準備は、どうなっているのかな?」

 

 

 金門島とは、福建省南部の対岸にある小さな花崗岩の島である。

 大陸と僅か数キロしか離れておらず、しかも人の居住に向かないが故に中華連邦軍の一大軍事拠点として要塞化されている。

 現在、撤退した中華連邦軍本隊が大金門島を含む12の島々に逃げ込んでおり、ブリタニア軍としては攻略しないわけには行かなかった。

 

 

 本当なら今すぐに攻撃を開始したいが、そうもいかない事情がある。

 それが先程言っていた中華連邦軍――と言うより、それに呼応した数億の農民――のゲリラ活動により、補給線の一部が寸断されたためだ。

 ブリタニア軍は都市と言う点を押さえてはいるものの、都市間の鉄道などの線を確保しきれていない面があった。

 

 

「そちらについても、枢木卿が中心となって進めているようです」

「……枢木卿、か」

 

 

 ナイトオブセブン、枢木スザク。

 世界唯一の第9世代KMFの騎士にして、対中華連邦戦の勲功第一。

 しかし彼の名を口にする時、シュナイゼルの表情にやや陰が生まれた。

 それに対し、カノンが首を傾げる。

 

 

「枢木卿に、何か気になる点でも?」

「いや、そう言うわけじゃないよ。ただ……」

「ただ?」

「…………」

 

 

 カノンの再度の問いかけに、しかしシュナイゼルはそれ以上は何も言わなかった。

 何も言わずに椅子から立ち上がり、市庁舎の窓から外を見る。

 夜の闇に飲まれた中華の街に視線を下ろし、その灯の下にいる人々の生活はブリタニアと変わらぬものなのだろうか、などと思った。

 

 

 そして、嘆息する。

 だがその嘆息の意味を、彼の心を知る者は誰もいない。

 誰も、いなかった。

 ……シュナイゼル本人を含めて、誰も。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 饗団には、多くの子供がいる。

 100人規模の子供達の面倒を見るのは容易では無いことだ、だがここでは割と簡潔に見ることが出来る。

 何故ならその子供達は、饗主を頂点とする饗団のピラミッド構造に忠実だからだ。

 それが、当たり前だったからだ。

 

 

「ロロ、どう?」

「あ、姉さん」

 

 

 青鸞の声にぱぁ……っと顔を輝かせたのはロロだ、V.V.に受けたダメージはすでに回復している。

 

 

「わぁ、やっぱりその衣装、似合うね」

「そう? ありがとう、ロロ」

「ううん。僕は本当に嬉しいんだ、姉さんが饗団のトップになってくれるなんて!」

 

 

 本当に嬉しそうな顔をするロロに苦笑しながら、青鸞はロロの隣に立った。

 そこはドーム型の大きな部屋で、所狭しと簡素な服を着た子供達がいる。

 子供が集まった時特有の騒がしさはそこには無く、静けさだけがそこにあった。

 例外があるとすれば、青鸞のコードに反応して顔を上げた時だけだ。

 そして顔を上げた際、何割かの子供の眼には赤いギアスの紋章が浮かぶのだ。

 

 

「それで、どう?」

「え、あ、うん……正直、難しいかな。僕は暗殺者って仕事柄、外と接触する機会が多かったから姉さんと家族になれたけど……ここにいる子供は、ほとんど実験動物扱いで外を知らないから」

 

 

 子供らしい感情も、人らしい心も、何も無い。

 虚ろな目と、そしてギアスの瞳を持った子供達の姿に青鸞は哀しそうな顔をした。

 ゲットーの子供達と異なり彼らは健康だ、実験のために栄養状態に気を配っていたのだろう。

 だがゲットーの子供達以上に、心が死んでいた。

 いや違う、かつてのロロと同じだ……まだ、生まれてすらいない。

 

 

「正直、この子達がまともに生きていけるなんて思えないけど」

「ロロ」

 

 

 自分のことを棚に上げてそんなことを言うロロに、青鸞は哀しそうに言った。

 

 

「そんなこと言わないで。それにここにいるのは皆、ロロの妹や弟でしょ?」

「え……」

「違う?」

 

 

 覗き込むようにして言えば、ロロは戸惑ったような表情を浮かべた。

 彼にとっての家族は、姉だけだ。

 しかし姉は、饗団の子供達をロロの弟や妹と言った。

 それは、饗団を一つの家とする考え方だ。

 

 

 ふわりと微笑し、頭を一撫でして去っていく青鸞の背中をロロは見送った。

 そして、思う。

 気付く。

 青鸞が饗団をどうするつもりなのか、そしてその中でどう在ろうとしているのか。

 ロロには、わかってしまった。

 

 

「……姉さん、またアイツの所に行くのかな……」

 

 

 撫でられた頭に手を置いて、そんなことを呟く。

 するとその時、自分の服の裾を引く子供の存在に気付いた。

 ……見上げてくる無垢な瞳に、ロロはどんな表情を向けたのだろう?

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞が触れても、その少年は何の反応も返さなかった。

 日がな一日、倒れて眠るまでただぼうっとベッドに腰掛けている少年。

 目は隈が出来て落ち窪み、頬は何ヶ月も絶食したかのように痩せこけて見える。

 憔悴、悲嘆……それらの単語が脳裏を掠める程に、今のルルーシュは弱く、小さかった。

 

 

「……包帯、変えるね」

 

 

 そんな彼のシャツのボタンを外して、上半身を裸にする。

 左肩にキツく巻かれていた包帯の結び目を解き、ゆるゆると解いていく。

 1週間程度では治りようの無い銃弾の痕が目に入るが、何度も見ているため、騒いだりはしない。

 消毒液に浸した清潔な布で傷口を拭う、痛みもあるだろうにルルーシュは反応しない。

 

 

 新しい包帯を巻くために腕を持ち上げても、声をかけても、何の反応も返さない。

 最初の内は何かにつけて話しかけていた青鸞も、今では諦めて何も言わない。

 一日に一度、包帯を変えに来るだけだ。

 だがそのことについて不満を述べるでもなく、青鸞は毎日この部屋に来ている。

 たとえ、ルルーシュが何の反応も返さないとしても。

 

 

「……どうして、俺に構う……」

 

 

 だが今日は、いつもと違った。

 本当に久しぶりにルルーシュの声を聞いたので、一瞬、誰の声かわからなかった程だ。

 

 

「……もう、放っておいてくれ」

「そ……そう言うわけにはいかないよ」

「どうして?」

「ど、どうしてって……それは、心配、だから」

 

 

 ナナリーを、最愛の妹を失って、ルルーシュの胸中はどうなってしまっているのだろう。

 そう思えば、心配しないわけにはいかなかった。

 そして今、ルルーシュの傍にいる人間でそれを一番わかっているのは、幼馴染の自分だ。

 勝手な思い込みかもしれないが、青鸞はそう思っていた。

 

 

「心配? はは、冗談はよせ。どうせお前も、俺の……ゼロの存在が必要だから、俺に立ち直ってほしいだけなんだろう?」

「……ッ、ルルーシュくん、ボクは」

「ならお前が仮面を被れば良い。ゼロはただの記号だ、他の誰にでも出来る。別に俺でなくても良い、俺でなくてはならなかった理由は、もう……」

「そんなこと無いよ! ルルーシュくんがゼロだったから、ルルーシュくんがゼロじゃなかったら、出来なかったことが、たくさん……!」

 

 

 ゼロがいなければ、ナリタが落ちた段階で日本の反体制派は壊滅していた。

 ルルーシュがいなければ、誰がブリタニアの手から青鸞を救えたと言うのだろう。

 だから、青鸞にとってゼロはルルーシュでなくてはならないし、そうあるべきなのだ。

 そう言う意味では、最初のルルーシュの言葉は図星を突いていた。

 

 

「たくさん? たくさん、何だ? たくさん守れた? たくさん救えた? は、はは、ははは……何の意味も無かった。これまで守ってきた何かも、救ってきた何かも、もう何の意味も無い」

「そんなことは」

「あるさ、だってそうだろう? 俺は他の何かは救えたかもしれない、守れたかもしれない。だが一番大切なものを守れなかった、救えなかった……」

「でも、皆は貴方に救われた! 守られた! ボクだって」

「それに何の意味がある!?」

 

 

 顔を上げて怒鳴ったルルーシュに、青鸞は息を呑んだ。

 端整な顔をくしゃくしゃに歪めたルルーシュの顔に、言いようの無い衝撃を受けた。

 そんな青鸞にはまるで構わず、口から唾を飛ばしながらルルーシュは叫んだ。

 

 

「ナナリーを守れなければ、救えなければ何の意味も無い――――意味が無いんだっ!!」

「る、ルルーシュく……」

「そのための黒の騎士団! そのためのゼロ! そのための俺なんだっ、なのに、なのに……!!」

 

 

 それなのに、ナナリーは守れなかった。

 何も知らず、何も得られず、ただただ流されて、そして。

 失われてしまった、永遠に。

 掌の中から零れ落ちてしまった宝石、それは砂の中に埋もれてもう見つけることは出来ない。

 

 

 そんな事実に、現実に、ルルーシュは悲鳴を上げた。

 頭を掻き毟りながら下を向き、全てを拒絶するように唸る。

 肩に置かれそうになった青鸞の手を跳ね除ければ、傷の痛みに顔を顰めた。

 

 

「ルルーシュくん、傷が」

「五月蝿い、どうでも良いんだそんなことはぁっ!!」

「良くないよ! ナナリーちゃんだってきっと」

「お前にナナリーの何がわかる!?」

 

 

 わかる、少しは。

 青鸞だってナナリーの幼馴染だ、あの少女の気質は、性格は良く知っている。

 だからわかる、ナナリーが今のルルーシュを見たらきっと哀しむと。

 

 

「……ッ、出て行け、俺に関わるな!!」

「嫌だ!」

「邪魔なんだよお前は、1人にしてくれ! お前を見ていると、お前なんか放っておいてナナリーの傍にいれば良かったと思ってしまう……!」

「……それでも良いよ」

 

 

 それでも良いと、青鸞は思った。

 それに極端な話ではあるが、間違いでは無い。

 自業自得と言うべきかはわからないが、ルルーシュはあまりに手を広げすぎた。

 

 

 妹の守護と皇帝への復讐、両立し得ない2つの目的。

 ギアスの力を得た時点で妹の守護に傾倒していれば、あるいはナナリーを守れたかもしれない。

 かもしれない、としか言えないのは、哀しいことではあるが。

 だが、それでも。

 

 

「今のルルーシュくんを1人にしたら、ボクがナナリーちゃんに顔向け出来ない……!」

 

 

 そうだとしても、あの場には青鸞もいた。

 いや、もっと前から、ナナリーの傍にいたのに。

 それなのに何も言わなかった、伝えなかった、自己満足の言い訳だけして。

 幼馴染を、ナナリーを守れなかったのは青鸞も同じなのだ。

 

 

「……だったら」

「え……」

 

 

 不意に近付いて来たルルーシュの顔に、青鸞は瞬間的に身を固くした。

 しかし硬直は停止に繋がる、相手は止まらない、なら結果はおのずと知れた。

 

 

「んっ……んっ!?」

 

 

 乾いた唇の感触に驚き、そして視界一杯に広がるルルーシュの顔に声を上げようとした。

 だがその声はくぐもった音を立てるだけに終わり、代わりに青鸞は眉を顰めてルルーシュの肩を……掴もうとして、怪我を思い出して止めた。

 だから、圧し掛かってくる少年の身を支えることが出来なかった。

 

 

 ベッドの上に、身体を押し付けられる。

 妹のために設えただろうそれは柔らかく少女の身体を受け止めて、鼻腔を微かな花の香りが擽った。

 だがそんなことに心地よさを感じる暇も無く、青鸞は己の身にかかってくる重みに呻いた。

 唇を塞がれ、押さえつけられる肩は痛く、ベッドから零れた細い足が居場所を探すように揺れる。

 

 

「ん、んぅ……っ。む、んっ、や……!」

 

 

 それでも顔を横に振って唇を離し、ルルーシュの右肩を押すように彼の身体を押さえる。

 いつもの彼からは想像も出来ない程に力が強く、それが本能的に青鸞を怯えさせた。

 まして、見下ろす瞳を見てしまえば。

 その目にまるで情欲の色が浮かんでいないことに気付いてしまえば、嫌でも。

 

 

「ちょ、何……!?」

「出て行かないと言うのなら……」

 

 

 頬を触れ合わせるようにして耳元で囁かれて、ビクリと身体を震わせる。

 怖かった、いつもの優しさはそこには無かった。

 気遣いも、心も、青鸞を微笑ませてくれる何もかもが存在しなかった。

 

 

 司祭服のロングスカート越しに、太腿を触る掌に気付いた。

 青鸞が「ひっ」と息を呑む音が聞こえたのだろう、ルルーシュが太腿を強く掴んだ。

 そんなことはあり得ないのに、痕が残ってしまうのではないかと思った。

 ルルーシュは、囁いた。

 

 

「……慰めろ、女なら出来ることがあるだろう?」

 

 

 その言葉に、青鸞は今度こそ震えた。

 どうして、と心が告げる。

 どうしてこんなことになってしまうんだろうと、心が泣く。

 そして、そんな心の涙に合わせるように。

 

 

 青鸞の瞳から、一筋の涙が零れ落ちた――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 言うまでも無いことだが、枢木青鸞はキョウトの血筋の娘だ。

 それもキョウト宗家の一つ、枢木家の現当主である。

 そしてキョウトは、現在でも黒の騎士団を始めとする反ブリタニア勢力の支援者だ。

 当然、黒の騎士団の活動はある程度、彼らの意思に添う必要がある。

 

 

「どういうことか、納得の行く説明を」

 

 

 そして皇神楽耶もまた、キョウト宗家の一つ、皇家の代表である。

 外でキョウト宗家の血を遺す選択をした青鸞と対を成す彼女は、また別の形でキョウトの血を遺すために生き続けていた。

 その神楽耶は今、キュウシュウ・カゴシマにいた。

 

 

 旧ブリタニア軍のカゴシマ基地、すなわち現在の黒の騎士団の本拠地である。

 最大の支援者である神楽耶の訪問、騎士団サイドからすればVIP待遇で迎えなければならない。

 だが今は戦時中、そして訪問の目的が表に出せないものであるため、今回は極秘での訪問となった。

 それ故に、末端の兵などは神楽耶の訪問を知らない。

 

 

「枢木青鸞はキョウトの人間、それをキョウトに一切の断りも無く更迭するとは。黒の騎士団は、我らキョウトを蔑ろにするつもりですか?」

「いえ、けしてそう言うわけでは……」

「では納得の行く説明を」

「それは……」

 

 

 神楽耶に対しているのは、カゴシマ基地の留守を預かる扇だ。

 しかし苦しそうに眉根を寄せる扇とは対照的に、神楽耶は眉を吊り上げていた。

 

 

「事前の断りも無く、納得の無い説明も無い。我らキョウトは黒の騎士団の走狗に堕した覚えはありません、それとも自分達に資金を出すのが当然だとでもお思いですか?」

「ですから、そうでは無くて。その……あくまでも任意での聴取と言う形で」

「嫌疑をかけたと言うこと自体が、問題だと言っているのです!」

 

 

 黒の騎士団、その内の旧日本解放戦線は、あくまでも青鸞を象徴――元祖強硬独立派――としてまとまる、派閥の一つとして形成されている。

 そこから青鸞を排除すれば当然、派閥は分裂する。

 もしディートハルトが健在なら芋づる式にそれらを粛清することも出来たかもしれないが、現実にはそうはならなかった。

 

 

 だから現在、黒の騎士団は分裂の危機にある。

 青鸞がゼロの風下に立ち旧日本解放戦線の面々を宥めると言う構図は崩壊した、二度と戻らないだろう。

 現にフクオカの草壁達は扇達の意思とは離れて行動しつつある、悪い流れだった。

 

 

「枢木青鸞はキョウトの貴重な血を持つ者。それを失わせるようなことをするのなら……キョウトは、血を守るために手を引くこともあり得ます」

「そ、それは……」

「大体、何故ゼロ様と連絡が取れないのですか? この件に関してゼロ様が関わっているとは思いませんが、それでもキョウトに対して説明をする義務があるのでは?」

 

 

 そして、ゼロだ。

 中華連邦やインドで活動していることはわかっているが、ブリタニアがモンゴルに侵入してくるのとほぼ同時に連絡が途絶えた。

 それは扇やキュウシュウの居残り組も同じなのだが、それについては神楽耶は知らない。

 

 

 だからこそ、扇としても言葉に詰まらざるを得ない。

 しかし、ディートハルトの虚に実を与えたのは彼なのだ。

 争い続けることの出来ない彼は、ある意味では、青鸞よりは彼に近かったのかもしれない。

 あの少年、枢木スザクに。

 

 

(……青鸞)

 

 

 そして、神楽耶。

 彼女と青鸞、そしてスザク……これ程近しい出自の存在もいない、そしてこれ程にバラバラの道を行く者も。

 だからこそ哀しいまでに交錯して、哀しいまでに……。

 

 

 ……この後、皇神楽耶が枢木青鸞と会ったと言う記録は残っていない。

 この後の彼女達の顛末についてはもう少し後で語るにしても、公式の記録ではそうなっている。

 あの日、あの場所、あの時間、あの瞬間。

 

 

『――――私が殿方だったら、貴女をお嫁さんに出来たのに――――』

 

 

 唇を重ねたあの夜に、2人の少女の運命(さだめ)は分かたれてしまったから。

 異性では無い、たったそれだけの理由で。

 皇神楽耶と枢木青鸞の人生は、交錯のポイントを見つけることが出来なくなってしまったのだから。

 だからこの後、神楽耶は青鸞に二度と会えなかった。

 

 

 そう言う星の下に生まれたのだと、諦めるしかない。

 この恋は、この愛は。

 叶うことも、届くことも無い、そう言うものだった。

 

 

 ――――ほんとうに?

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 姫と言う立場で言えば、コーネリア・リ・ブリタニアもまたそうである。

 ただし彼女の場合、行動理念の大半を動的な部分が占めている。

 

 

「父上は……罪を犯した」

 

 

 饗団の施設が地下に隠された岩山、神殿のような設えがされた石畳の上でコーネリアが呟いた。

 片眼にギアスの赤い輝きを宿した彼女は、砂漠の夜空を見上げていた。

 肌寒い砂漠の夜、空気が澄んで空が高い。

 

 

 そんな彼女の傍には、ブリタニアの軍服を纏った2人の人間がいる。

 ヴィレッタとバトレー、数奇な運命から饗団に関わることになった者達だ。

 この2人が今こうしているのは、まさに奇妙だと言える。

 本来ならば、ブリタニアのエリート軍人として階梯を上がって行っただろうに。

 そしてそれは、皇女としての階梯を上っていたコーネリアにも当てはまることだった。

 

 

「はい……皇女殿下。私は皇帝陛下に召し出されてここに、そしてここでおぞましい実験に参加させられておりました……」

「だがその前は、クロヴィスの命令で、か」

「……はい」

 

 

 バトレーは、皇帝が饗団の非人道的な実験に関与していたと言う生き証人だった。

 そしてクロヴィス、彼自身の罪――同じく、不死者たる魔女C.C.を再現しようとした人体実験――についても同様であり、そして皇帝がそれすら知っていたと言うこと。

 皇帝とそれに連なる者達の、罪。

 

 

 そしてもはや、コーネリアもその一端に足を乗せているのだ。

 瞳に刻まれたギアスの刻印は、もはや消えることは無い。

 だがこの刻印は、もはや契約の証となった。

 ――――ルルーシュ=ゼロとの、契約の証に。

 

 

「その……コーネリア殿下。よろしいのですか、ゼロと手を組んで」

「ふ、ゼロ……か」

 

 

 ヴィレッタの問いに、コーネリアは失笑のような笑みを浮かべた。

 その笑みが誰に向けられたものかはわからないが、だが不思議と悪意は感じなかった。

 ゼロ、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア、コーネリアの義弟、クロヴィスの仇。

 だがゼロがルルーシュとわかった時にはもう、コーネリアはその点に重きを置いていなかった。

 それはクロヴィスよりルルーシュの方を好んでいるとか、そう言う話では無い。

 

 

(クロヴィスの器が、ルルーシュのそれに及ばなかった、それだけのことだ)

 

 

 ブリタニア皇族は、互いに次の帝位を争うライバルだ。

 それは生まれた時からそうで、生まれた順番がどうとか、廃嫡がどうとか、関係ない。

 弱ければ淘汰され、強ければ生き残れる。

 それだけのことだ、それだけのことなのだ。

 

 

 コーネリアがクロヴィスの仇とゼロを狙ったのは、あくまでゼロがナンバーズのテロリストだと思っていたからだ。

 だがゼロの正体がルルーシュ、つまりブリタニア皇族であるならば……それは対等の勝負の結果だ。

 その結果に、コーネリアは一切の私情を挟むことは無い。

 

 

(……最も、ルルーシュに親近感を覚えていたのは確かだがな)

 

 

 幼い頃に憧れたマリアンヌ后妃の息子、その血を受けた聡明な頭脳をコーネリアは評価していた。

 そしてそれ以上に、何をおいても妹を守るという姿勢に共感を覚えていた。

 それは、妹を愛していると言うだけでは無く。

 手を汚した自分達に無いものを持つ妹を、光り輝く宝と思っていたからだ。

 その意味において、コーネリアとルルーシュは似ていた。

 

 

「……だが、その(ナナリー)はもう……」

 

 

 バトレーにもヴィレッタにも聞こえない程の小さな声で、コーネリアはそっと呟いた。

 僅かに目を細めたその時、砂漠の空を小さな流れ星が駆けた。

 それはまるで、幼い頃を共に過ごした……もう1人の妹の流した涙のようだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 衣擦れの音と、行われている行為に比べて静かな吐息が室内で聞こえる唯一の音だった。

 包帯を変えるためにつけていたスタンドライトの薄い明かりに照らされて、ベッドの上で動く少年の影が壁に映し出されている。

 そして影と同じように、ベッドの上で動いているのは1人だけだった。

 

 

 組み敷かれた少女の側は、少しも動いていなかった。

 柔らかなベッドに身を沈めて、ただ少年に……ルルーシュにされるがままになっている。

 流した涙は最初の一筋だけで、その後は、苦労して自分の司祭服に手をかけているルルーシュを見上げるばかりだった。

 

 

「くそ……っ」

 

 

 青鸞の衣装に手をかけていたルルーシュが、眉を顰める。

 脱がせ方がわからないのか、あるいは冷静で無いからか、それとも両方なのかはわからない。

 青鸞はただ、ルルーシュが自分のケープを取り、衣装の留め紐を解くのを見上げているだけだ。

 ただ、ルルーシュの顔を見つめ続けている。

 

 

 しかしそんな時間も、そう長くは続かなかった。

 やがて衣装の留め紐を全て解き終えたルルーシュは、衣装のワンピーズ部分の襟元に手をかけた。

 そして一呼吸置いた後、一気に衣装のワンピースを引き下ろした。

 非力さがたたったのか、あるいはベッドと背中の間の摩擦に負けたのか……それは肩や鎖骨を完全に晒しはしたが、それだけだった、胸の上半分が見えるか見えないか程度のラインで止まっている。

 

 

(……寒い、な)

 

 

 ふと、そんなことを考えた。

 衣装ごと腕を押さえられる形になっているから、いつかのように隠すことも出来ない。

 そしてそのいつかの時には死ぬほど恥ずかしかったのに、今はどうしてか、そう感じなかった。

 ただ、寒い、そう感じた。

 

 

 その時、胸元に熱を感じた。

 それは人肌の温もりにしては小さくて、そして熱かった。

 何かと思えば、それは涙だった。

 涙の雫が、青鸞の胸元を濡らしていた。

 

 

「……どうして」

 

 

 見上げて、息を呑んだ。

 ……泣いていた。

 ルルーシュが、泣いていた。

 瞳から零れた涙が頬を伝い、顎先から落ちて青鸞の胸元に落ちていた。

 

 

「どうして、抵抗、しないんだ……!」

 

 

 随分と身勝手なことを言うなぁ、と、青鸞は思った。

 慰めろと言ってキスしてきたのは、ルルーシュの方だろうに。

 だが聞かれたことには答えようと、青鸞は口を開いた。

 

 

「無かったことに、出来ると思ったから」

「何……?」

 

 

 言葉の意味がわからず、ルルーシュは訝しげに眉を顰めた。

 そんなルルーシュに小首を傾げて見せて、青鸞は小さく微笑した。

 

 

「ルルーシュくんに、抱かれても……無かったことに出来ると、思ったから」

 

 

 ……今の青鸞は、不老不死だ。

 どのような傷を受けても再生し、例え塵と化そうとも元通りに復活する。

 そしてそれは、乙女の……純潔の証でも、同じことだった。

 だから彼女は、永遠に乙女のままなのだ。

 何が、あっても。

 

 

「……馬鹿な」

 

 

 それを聞いて、ルルーシュはくしゃりと顔を歪めた。

 そして顔が、身体が降りて来て、青鸞の身体に重なった。

 今度は、青鸞も怯えなかった。

 胸元に降りてきたルルーシュの頭を抱き締めるように、ゆっくりと腕を回した。

 

 

「馬鹿な、ことを……言うな……!」

「……ごめんね。ボク、ルルーシュくんみたく賢く無いから」

「馬鹿な……こ……!」

 

 

 ぎゅっ、と、抱き締めた。

 すると、ルルーシュは静かになった。

 しばらくの間、互いの吐息と鼓動の音だけが聞こえる状態が続いた。

 晒された胸元の肌に直接ルルーシュの吐息を感じて、青鸞はほぅ、と息を吐いた。

 

 

 先程まであった静けさとは別の感覚が、その胸に芽生えつつあった。

 冷たさとは逆の、温かな感情が。

 やがて、青鸞の耳にはルルーシュの嗚咽が聞こえてきた。

 

 

「りぃ……ななりぃ、ななりぃ……!」

「うん……」

「ななりぃ、すまな……すまなぃ……!」

「……うん」

 

 

 抱き締めて、何度も頷いた。

 ルルーシュがナナリーのことをどれだけ想っていたのか知っていたから、青鸞はそれを受け入れた。

 もしかしたら、青鸞も一緒に泣いていたかもしれない。

 

 

 青鸞にとっても、ナナリーは大切な友人だった。

 大好きで、少しだけ苦手な、そんな幼馴染だった。

 過去形で語らねばならないことが、哀しくて仕方が無かった。

 10分ほど、そうしていただろうか。

 落ち着いたらしいルルーシュが、非常にバツの悪そうな顔で青鸞の胸元から顔を上げた。

 

 

「……青鸞、その。すまな…………んんっ!?」

 

 

 その顔が白い手に挟まれて、引き寄せられた。

 ルルーシュはそれに逆らうことが出来ずに、引かれるままに唇を重ねられた。

 目を見開くルルーシュの視界には目を閉じた青鸞の顔があって、勢いのままに重ねられたせいか、前歯が少し痛かった。

 数秒後、じんじんとした痛みを残しながら、唇が離された。

 

 

「せ、青鸞……?」

 

 

 呆然とルルーシュが名前を呼ぶと、頬を染めた笑顔で青鸞は彼を見上げた。

 瞳は先程の涙とは別の涙で濡れていて、その黒瞳にはルルーシュの顔が映りこんでいる。

 

 

「お返し……これで、お相子、だよ」

「いや、でも、俺は!」

「好き」

「……!」

 

 

 その言葉に、今度はルルーシュが息を呑んだ。

 そして今さらながらに、ルルーシュは自分が組み伏せていた少女のことを見た。

 女性特有の曲線を描き始めたその身体は、柔らかさとしなやかさを併せ持つ日本刀のように輝いて見えた。

 完全に花開く直前の蕾のような、青い果実のような張りのある白い肌が、ルルーシュの目に飛び込んで来た。

 

 

 慌てて顔を逸らそうとするが、それは青鸞の掌に遮られて叶わなかった。

 そんなルルーシュの反応に、青鸞は微笑を浮かべた。

 目だけでは無く、ルルーシュの……「身体の反応」を足のあたりに感じて、嬉しくなった。

 良かった、ちゃんと「そう言う対象」に見てくれていた、と。

 

 

「……好き、ルルーシュくんが、好き……」

「お、俺は……青鸞、俺は!」

「ごめんね。ボクみたいな子にそんなこと言われても、迷惑……」

「そんなことを言うな!!」

 

 

 不意に怒鳴られて、青鸞は身を固くした。

 すると我に返ったルルーシュは、「あ、いや」と目を泳がせた。

 その時、青鸞はルルーシュが自分の腕で自分の体重を支えていることに気付いた。

 青鸞に負担をかけないように、そうしているのだろう。

 そんな少年の優しさに、さっきまで無かった思いやりに、青鸞は嬉しくなった。

 

 

「……ルルーシュくんが、好きです」

「青、鸞……」

「好き、好きなんです……ごめんなさい、大好きです。子供の頃からずっと、好きでした。トーキョー租界で再会できた時、凄く嬉しかった。チョウフや神根島で助けてくれた時、また好きになりました。ペンドラゴンに助けに来てくれた時、もっと好きになりました……」

 

 

 好き。

 その言葉を、何度も口にする。

 

 

「妹のために、家族のために一生懸命になれるルルーシュくんが、好きです。頭が良くて何でも知ってるルルーシュくんが、好きです。予想外のことに弱くて、何だか放っておけないルルーシュくんが、好きです。いつも自信たっぷりで、でも不安に負けそうになって1人で泣いちゃうルルーシュくんが、好きです」

 

 

 強い所も、弱い所も、カッコ良い所も、情けない所も。

 全部、全部、全部。

 好き。

 

 

 そっと、もう一度キスをした。

 今度はゆっくりと、だけど引き寄せる力は弱く、ルルーシュが避けようと思えば避けられる程度に。

 だけど、ルルーシュは避けなかった。

 乾いているはずの唇は、熱く湿やかな潤みを持っていた。

 

 

「一度だけで、良いの……好きだって、言ってほしい」

 

 

 唇を重ねる合間に、短い言葉が交し合わされる。

 

 

「……馬鹿なことを、言うな」

 

 

 最初は2秒にも満たない短いキスだったが、回数を重ねるごとに長くなっていった。

 

 

「ごめんなさい……」

 

 

 長くなればなる程に、忘却の一瞬が長く感じられるようになっていく。

 

 

「ル、ルーシュ、くん……ルルーシュくん、ルルーシュくん……っ」

「……青鸞!」

 

 

 唇を重ねて、抱き締め合って……少年と少女の身体が、その影が、重なる。

 やがて灯かりが消えても、静かな衣擦れの音が響くだけ、とはならなかった。

 互いの名を呼ぶ声が、途切れることなく響いていた。

 

 

 少年の労わりの声と、少女の泣くような声、交換される熱が冷たいベッドの上を温める。

 そしてその温もりは、少年と少女の心をも癒してくれた。

 少なくとも、2人にとってはそうだった。

 この夜、1組の少年少女は……本当の意味で、心を合わせることになった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――翌朝のことである。

 睡眠時間を削って零番隊の状態を維持しているカレンは、ヴィヴィアンの士官専用食堂で久しぶりにルルーシュを見た。

 立ち直ったのかと思い、ここは一発殴っても良いだろうと進めた歩みを「おや」と止めた。

 

 

 何故なら、ルルーシュと同じテーブルに見覚えのある少女の姿を認めたからだ。

 昨日と同じ服装をしていて、カレンは疑問符を浮かべながら青鸞のことを見た。

 その時、コーヒーに入れる砂糖を取ろうとしたのだろう、砂糖の入った小壷に手を伸ばした青鸞の手が、同じようなタイミングで伸びて来たルルーシュの指先に触れた。

 

 

「「あ……」」

 

 

 すると、お互いにぽっと頬を染めるのをカレンは見た。

 しかしそれは急に気まずそうな表情に変わり、互いに目を逸らした。

 ルルーシュはどこか情けなさそうに、そして青鸞は触れた手を胸に抱いて申し訳なさそうに。

 

 

「す、すまない……」

「う、ううん、ボクの方こそ……」

「いや、俺が」

「ううん! ボクの方が!」

「「あ……」」

 

 

 ……何だろう、あの空気は。

 甘ったるさと同時に、微妙な遠慮や気遣いが透けて見えるあの空間は。

 正直、近付きたくなかった。

 

 

「失敗したんだそうだ」

「は?」

 

 

 不意にC.C.が来て、ニヤニヤしながらそんなことを言ってきた。

 失敗? 何の話だと首を傾げる。

 

 

「いや、流石は童て……ルルーシュと言うべきかな。流石の私もまさか、はは」

「何よ、意地の悪そうな言い方して」

「ん? いやいや、簡単な話さ」

「ちょっと、くっつかないでくれる?」

 

 

 ぐい、と肩を組まれて、しかし抵抗はしないカレン。

 そんなカレンの耳元に口を寄せて、目はルルーシュ達の方を見つつ、C.C.は言った。

 

 

「……緊張のあまり、出来なかったらしい。出来る状態にならなかったと言うべきか、いやはや、私の予想の斜め上を平然と駆け抜けてくれる坊やだよ」

「だから、何の話よ」

「知りたいのか?」

「……やっぱり良いわ、遠慮しとく」

 

 

 目を輝かせるC.C.から視線を逸らして、カレンは未だに微妙な空気を醸し出している2人を見やった。

 そして、ふ、と微笑む。

 何だか知らないが、とにかくルルーシュは立ち直ったらしい。

 そうと決まれば、カレンがやることは一つだった。

 C.C.から離れ、くるりと踵を返すカレンに、C.C.は不思議そうに声をかけた。

 

 

「おい、どこに行くんだ」

「決まってるでしょ」

 

 

 立ち止まって、パタパタと手を振りながら、カレンは言った。

 

 

「寝るのよ、もー眠くて眠くて」

 




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 ついにやりました……やってしまいました。
 まぁ、卒業は出来なかったみたいですけど(何が!?)。

 思わず2万字を超えてしまうくらい頑張りました、いや楽しかった。
 誘い受けって、こう言うので良いんでしたっけ……?
 まぁ、それはともかく本編も佳境に入りつつあります。

 ここからは怒涛のボス戦ラッシュになります、最終的に世界がどんな形に収まるのか、私にもわかりません。
 願わくば、「優しい世界でありますように」。
 それでは、次回予告です。


『戦況は苦しい、引っ繰り返すなんて無理かもしれない。

 けど、希望はある。

 希望がある限り、ボクは戦いをやめない。

 貴方と一緒なら、どんなことだって』


 ――――TURN:「希望 への 撤退」


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TURN20:「希望 への 撤退」

 帝都ペンドラゴンは、騒々しさの中にあった。

 皇帝の極東親征は一大イベントではあるが、それすら問題にならない程のことが起こったのだ。

 それは皇帝シャルルが枢密院を通じ、極東親征と共に臣民に発表したある事柄についてだった。

 

 

 ――――次期皇帝の発表。

 

 

 皇帝シャルルは皇族の中で最も優れた者を次期皇帝に指名すると公言していた、だからこそ皇族・大貴族達は次期皇帝の座を巡って醜くも壮絶な後継者レースを繰り広げていたのである。

 そして皇帝が太平洋艦隊を率いて出陣する今日、国中の皇族・大貴族が皇宮ペンドラゴンに召集された。

 第一皇子オデュッセウスはもちろん、皇帝候補と目される人物はほとんどいた。

 

 

「うーん……シュナイゼルはいないのかい、ギネヴィア?」

「はぁ、急なことでしたし。それに中華連邦では連絡も……」

 

 

 一同の先頭に立つオデュッセウスの疑問は最もだった、この場には第二皇子シュナイゼルがいない。

 次期皇帝を発表するこの場にシュナイゼルがいない、能力的に最も次期皇帝に近いと目されていただけに、集まった者達の視線は嫌でも第一皇子であるオデュセウスに集まる。

 能力的にはいまひとつとの評価もあるが、他の皇族と違い温和な性格で敵が少ない。

 そのため、彼ならば皇帝の座についても不満が噴出することも無いだろうとの判断があった。

 

 

 はたして皇帝は、オデュッセウスに次期皇帝の座を約束するのか?

 あるいは他の皇族の名を告げるのか、それとも皇族の枠組みに囚われず他の名を出すのか?

 式部官が皇帝の入来を告げる頃には、謁見の間に集まった一同の胸中のザワめきは最高潮に達していた。

 

 

「……皆、良く集まった。大義である」

「「「イエス・ユア・マジェスティ!!」」」

 

 

 玉座に座りながらの声に、緊張した声が唱和する。

 今か今かと皇帝シャルルの言葉を待つ一同の様子を、皇帝はゆっくりと見渡した。

 その瞳は冷たく、射抜かれた者は緊張に喉を鳴らさなければならなかった。

 そんな者達を、皇帝はどんな心境で見下しているのだろうか。

 

 

「では、次代の皇帝の名を告げよう――――」

 

 

 皇帝の言葉と共に、宮廷楽団によって荘厳な音楽が奏でられ始める。

 重厚にして力強いそれはブリタニアの国歌であり、聞く者の身を引き締めさせる効果があった。

 曲の最中、皇帝の視線が己が歩いてきた壇上の道をそのまま戻っていった。

 それを追うように一同が視線を向ければ、案の定、そこから現れた。

 次代の皇帝、第99代神聖ブリタニア皇帝となるべき人物が。

 

 

「なっ……!」

「まさか!」

 

 

 皇族の中から――特に皇女――驚きの声が上がり、それを待っていたかのように皇帝が玉座を空ける。

 立ち上がって自分を出迎えてくれた皇帝に、次代の皇帝は微笑んで手を差し出した。

 その手に己の手を重ね、皇帝は己が子達へと視線を向けた。

 そして、告げる。

 

 

「紹介しよう、この者こそが我が後継者、次代の皇帝――――」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ブリタニア皇帝の親征軍がブリタニア本国を進発したとの情報を受けてから数日後、金門島を巡る情勢もいよいよ逼迫してきていた。

 福建省の対岸にシュナイゼル率いるブリタニア軍の1個師団が集結しつつあり、晴れた日には金門島からでも並べられた砲列やナイトメアの姿を確認することが出来る。

 

 

 シュナイゼル軍の全面攻勢が未だ始まっていないのは、星刻が撤退行の最中に本隊から切り離した小部隊が占領地各地でゲリラ戦を展開し、補給線の一部を寸断しているからだ。

 だがその問題を解決し、かつ船舶の徴用に目処が立てば一気に攻め寄せてくるだろう。

 何しろ向こうは、金門島側からの逆攻勢の心配をほとんどしなくて良いのだから。

 

 

「台湾軍管区と話はついた、軍管区所属の海軍艦艇60隻がこちらに向かっている」

 

 

 黒の騎士団の旗艦「斑鳩」の会議室、立体映像式のモニターに映し出された台湾海峡の映像を前に、星刻はそう言った。

 話の内容は台湾への撤退戦についてで、台湾側から救援の艦隊が来る手はずの説明だった。

 それを聞いているのは、藤堂や朝比奈など黒の騎士団の幹部である。

 

 

「ただ、対岸の航空基地はほぼ全てシュナイゼルの手に落ちている。我々が船に分乗して撤退を始めれば、対岸からの砲撃だけでなく、航空機やナイトメアによる空爆も開始されるはずだ」

「そうなると、それを防ぐのは我々の仕事か……」

「頼めるか、藤堂」

「正直厳しいが、何とか努力してみよう」

 

 

 自分を見る星刻の目に縋るような色を感じて、藤堂は僅かに微笑を浮かべた。

 ただその微笑も明るいものでは無い、だから星刻も軽く目礼するだけに留めた。

 航空戦力は黒の騎士団しか持っていない、だからこれは順当な役割分担であると言えた。

 

 

「それで、藤堂……ゼロとはまだ連絡は?」

「…………」

「……そうか」

 

 

 黒の騎士団のトップであるゼロとの連絡が途絶えて久しい、藤堂は星刻の目に明らかな失望の色が浮かぶのを感じた。

 藤堂自身はゼロの才覚に期待しただけで人となりを認めたわけでは無い、だから失望は無かった。

 だが星刻はそうは行かない、彼はゼロに天子を救われた恩ありと見て協力を約した存在だ。

 その肝心のゼロが彼の信義を裏切るような真似をするなら、それは失望に繋がる。

 

 

 特に今のような危機にあって、それは致命的な意味を持つ。

 いくらブリタニア戦のための行動を取っているはずだと擁護しても、もはや無意味だ。

 何しろ黒の騎士団の内部にもゼロへの不信感は漂っていて、藤堂の力をもってしても押さえきれない所まで来ていたのだ。

 特に、青鸞の件があってから積み重なって来た旧日本解放戦線メンバーの不信感は強かった。

 

 

「む……?」

 

 

 その時、立体映像に乱れが生じた。

 それに藤堂が目を瞬かせていると、台湾海峡を映し出していたそれが、全く別のものを映し出そうとしていることに気付いた。

 何を映し出そうとしているのかに気付いて、藤堂が軽く目を見開く。

 

 

『私は……』

 

 

 映し出された姿に、藤堂や星刻を始めとするメンバーが息を呑んだ。

 漆黒の仮面、漆黒の衣装、全身を覆う象徴色の黒。

 黒。

 すなわち。

 

 

「「「ゼロ!?」」」

 

 

 黒の騎士団のトップ、ゼロがそこにいた。

 彼は立体映像の状態で周囲を見渡し、藤堂や星刻、朝比奈や玉城などの幹部メンバーを見やった。

 そして、一つ頷くと。

 

 

『諸君、待たせたな。状況は把握している、さっそくだが私の作戦案を伝えたいと思う』

「ちょっ……いきなり!? まず謝罪から入るのが筋ってもんで……」

「朝比奈!」

「っ、ちょ……ああ、もう! わかりましたよ!」

 

 

 朝比奈を叱責した後、藤堂は立体映像のゼロを睨むように見た。

 仮面越しの表情は読めない、だが揺らぎがあるようにも見えない。

 だから彼は、何も言わずに問うた。

 

 

「ゼロ、この状況を打開する策があるのだな?」

『無論だ。私はゼロ……奇跡を起こす男だ!』

 

 

 奇跡か、と、かつては己の異名だった言葉に藤堂は目を細める。

 そんな彼に対して、いやその場にいる全員に対して、ゼロは言った。

 

 

『待たせただけのことはあると、思わせてみせよう……!!』

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞は、常に肌寒さと共に目覚める。

 それはもちろん例の癖のせいなのだが、ここ数日は肌寒さとは無縁の目覚めが続いていた。

 何故なら、肌を晒して眠る彼女にわざわざ毛布をかけ直してくれる人がいるからだった。

 

 

『ああ、そうだ星刻。私の策は守ることでは無く攻めることで初めて成立する、だから台湾へ撤退すると言う認識をまず捨てなければならない。ああ、今の私とヴィヴィアンの現在位置がこの座標、だから合流ポイントは……』

「……ん……」

 

 

 毛布の中で欠伸をし、身体を伸ばしていると、マイク越しの独特の声が聞こえてきた。

 丸みのある柔らかなベッドの上で上半身を起こすと、半分寝ぼけ眼で声の方を向いた。

 片腕で毛布を胸元に引き寄せて、ベッドの縁からそちら側へと足を下ろす。

 

 

 するとちょうど通信が終わったのだろう、仮面の男が通信画面を閉じている所だった。

 漆黒の仮面、その姿に青鸞は微笑を浮かべる。

 良かった、と、少女の表情がそう物語っていた。

 そんな青鸞の気配に気付いたのか、仮面に手をかけながら少年が振り向いた。

 

 

『ああ、起きたのか青鸞……着替えならそこにあるだろう?」

「え、あ……ありがとう?」

「ああ」

 

 

 見れば、確かにベッド脇のサイドボードの上に一抱え程の籠が置いてあった。

 中に丁寧に畳まれているのは蒼の司祭服、饗団における青鸞の仕事着のような物だ。

 問題は代えの下着まであることで、その点に関しては恥ずかしさを覚える。

 だが当のルルーシュはそんなことをまるで気にしていなかった、と言うか。

 

 

「しかしお前、本当に寝てる間に服を脱ぐんだな。何度止めても無意味だったから、最後には毛布を被せて放っておくことにした」

「あ、あー……うん、まぁ、癖、みたいな?」

「みたいな、じゃなく、癖なんだろ?」

「う……」

 

 

 ぎゅう、と毛布を抱きながら青鸞が顔を赤らめる。

 ベッド周りを見渡せばわかるだろうが、そこには青鸞が脱ぎ捨てたはずの衣服やら何やらが見えない。

 つまりそれもルルーシュが回収していたと言うわけで、その事実に気付いてしまうと、頬に感じる熱がどんどん強くなる青鸞だった。

 

 

「それよりも青鸞、饗団の移転に関しては昨日の段階で目処がついたんだな?」

「あ、うん……まぁ、元々すぐに移転できる体勢は整ってたらしいしね」

「……何だ?」

「別に……」

 

 

 当のルルーシュに全く気にした様子が無いので、ジト目で睨む。

 だがその視線の意味にはまるで気付かず、椅子に座って端末の操作を始める。

 いやそれ以前に、目の前に半裸の少女がいることに少しは動揺して欲しい。

 

 

(あ、ち、違うよ? 別に見てほしいとかじゃなくて、あくまで気にしてほしいってだけで……!)

「青鸞、悶えていないで真剣に聞いてくれ。寝起きで大変なのはわかるが」

「……………………ウン、ゴメンネ」

 

 

 現在ギアス饗団は、組織の掌握と同時に移転の準備が急ピッチで進められている所だった。

 理由は単純で、この位置がブリタニア側に知られているからだ。

 神根島のような遺跡のある場所ならば、饗団はどこででも活動することが出来る。

 重要なのは人とデータの移動であって、現在の場所に何かの執着があるわけでは無い。

 

 

 移転自体は饗主である青鸞の名で布告されていて、ヴェンツェルが実務を担当している。

 移転先はブリタニアの支配権の及んでいない欧州地域、あくまでとりあえずの移転先だ。

 落ち着いたら、またどこかに移転するかもしれない。

 とにかく、事態がすでに動いているのだった。

 

 

「だが、良いのか青鸞。この戦いが終われば、お前は……」

「大丈夫」

 

 

 ルルーシュの言わんとしている所を察して、青鸞は微笑んだ。

 

 

「今でも、ボクの心は日本にあるから。だから、大丈夫」

「……そうか」

 

 

 そんな青鸞に、ルルーシュも笑みを見せた。

 自然と伸ばされた手は少女の頬に触れて、くすぐったそうに身をよじる青鸞に、ルルーシュの瞳が優しく細まる。

 少年の手に手を重ねるようにして、青鸞が僅かに首を傾げる。

 

 

「ならば、取りに行こう。日本へ――――お前の心を」

「……うん」

 

 

 柔らかく、それでいて嬉しそうに笑う青鸞に、ルルーシュは温かな気持ちを抱いた。

 妹や仲間達に感じるのはまた少し違う温かさに、少しだけむず痒さを感じる。

 そして眠るように目を伏せた少女に、少年はゆっくりと身を屈めて……。

 気付いた。

 

 

「…………おい」

「ん? 何だ、私のことは気にするな」

「……えっ!? あ、ちょ……な、ななな!?」

「落ち着け落ち着け、私のことは空気扱いしてくれれば良い」

 

 

 いつの間にそこにいたのか、それとも最初からいたのか、部屋の扉に背中を預けるようにして1人の魔女が立っていた。

 言わずと知れた、C.C.である。

 彼女はひらひらと手を振りながら、何とも言えない真顔でルルーシュと青鸞を見ていた。

 

 

「いや、すまなかったな邪魔をして。まさか朝からとは、いや若いって良いな」

「誰だお前は!? と言うかいつから!?」

「坊やがクサいセリフでそいつを口説いている所からかな」

「つまり最初から!?」

 

 

 慌てる年若い少年と少女の姿に、C.C.は笑った。

 数百年生きているが、まさか自分がこんな役割を負うとは、と。

 ……優しい笑顔では無く、意地の悪そうな笑みを浮かべている所が、魔女らしかったが。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 きちんと身嗜みを整えた後、朝食の席で改めて騎士団と饗団の今後の行動について話し合った。

 まぁ話し合うとは言っても、基本的にはルルーシュの作戦案に従って動くため、確認のような物だ。

 ルルーシュが作戦を立てている、それこそが彼が立ち直ったと言う証のように思えて、青鸞にとってはそれが嬉しかった。

 

 

(……完全に恋を自覚した乙女の顔だな……)

 

 

 そんな青鸞の様子に、C.C.はピザにタバスコを山ほどかけながらそう思った。

 C.C.もそこまで辛いピザは食べないのだが、今に限っては辛いものが食べたくて仕方が無かった。

 甘々な状態の青鸞にルルーシュの気障ったらしい対応が妙に噛み合っていて、正直C.C.の耳にはルルーシュの作戦案の説明などほとんど届いていなかった。

 

 

「C.C.、聞いているのか? お前が言っていたように、皇帝に狙いがギアスの……いや、根源にあると言うのは」

「あ? ああ……そうだ。ブリタニア皇帝シャルル、あいつは、世界の再構成を望んでいる」

 

 

 C.C.がV.V.と、そして皇帝シャルルと同志であったことはすでにバレていた。

 まぁ、あれだけ堂々とV.V.が告げていれば誤魔化すことは出来なかったし、そしてC.C.にも積極的に黙っている気は無かった。

 皇帝シャルルとV.V.、そしてC.C.、加えて……。

 

 

「……母さんが、そんなことを」

「ショックか?」

「ショックでは無い、と言えば、嘘になるか……」

 

 

 マリアンヌ、ルルーシュとナナリーの母もその計画に参画していた。

 饗団で行われて人体実験にも関与し、「アーカーシャの剣」と言うシステムを造り、根源に干渉することで世界を……いや、人を再構成させようとしていたのだ。

 計画名、「ラグナレクの接続」。

 

 

 俄かには信じ難い話だ、だがC.C.やV.V.がそんな嘘を吐くとは思えない。

 計画の詳しい内容を聞いても、すぐに受け入れるのは難しい話だった。

 まして、ナナリーを失ってまだそう日も経っていない。

 今まで信じていた母の姿が嘘だった、などと……信じたくは無かった。

 

 

(……いや、それも甘え、か)

 

 

 ふと視線を感じてそちらを向けば、青鸞の視線とぶつかった。

 心配ししているのだろうか、不安の混じった目をしている。

 だからそれに対して、ルルーシュは仮面を被った。

 

 

 格好を、つけた。

 

 

 自信たっぷりな笑みを浮かべ、足を組み、味の感じない紅茶のカップに口をつけた。

 だがそれは逆効果だったらしい、青鸞はますます心配そうな顔になった。

 心理学は得意だが、こういう場合にはまるで役に立たない。

 だからルルーシュは得意技を使った、つまりは話題を逸らすことにしたのだ。

 

 

「それより青鸞、お前は大丈夫なのか?」

「え……?」

「コードを2つも抱えて、何の変調も無いのか?」

「ああ……うん。普通にしてれば大丈夫、でも2つのコードを一度に使おうとすると、流石にキツいけど」

 

 

 ルルーシュの言葉の通り、青鸞は未だ己の身に起きた変化の全てを掌握できてはいない。

 管理者から正式に継承を受けたとは言え、それで全ての知識が使えると言うことにはならない。

 それこそC.C.のように、長い時間をかけて理解していくべきことだからだ。

 

 

「そんなことより、ルルーシュく……っ!?」

 

 

 言葉を終えるよりも早く、何かを感じて青鸞は明後日の方向を向いた。

 C.C.はそれよりも早く、しかし視線を向けただけだったので目立たなかった。

 ルルーシュがどうしたのか問うよりも早く、答えが衝撃となって床を揺らした。

 それは先日、饗団本部を襲った衝撃に良く似ていた。

 

 

 すなわち、襲撃である。

 ルルーシュと青鸞は頷き合って席を立ち、C.C.は動かずにそれを見送った。

 ここを攻撃してくる相手など、一つしか心当たりが無かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 饗団本部に攻撃を仕掛けてきたのは、台湾海峡に圧力を加えているシュナイゼル軍では無かった。

 それは中央アジアの攻略に向かっていたナイトオブラウンズの部隊であり、率いているのは2人のラウンズだった。

 帝国の剣が2人、中央アジアの砂漠地帯を攻撃している。

 

 

「第38野砲大隊はそのまま砲撃を続けろ! 第302旅団支援大隊は砲撃効果を観測しつつ、遺跡内の敵戦力の掌握に努めろ!」

『『『イエス・マイ・ロード!』』』

 

 

 地上部隊を掌握するのはナイトオブフォー・ドロテア・エルンストである。

 長い黒髪を頭の後ろで纏めた褐色の肌の女性騎士で、シグナルカラーは薄い青だ。

 登場する機体は第七世代相当KMF『ペレアス』、左腕にランドシールドを固定装着した近接用の機体で、装甲の基調色はやはり薄い青。

 

 

 彼女の号令一下、ブリタニアの中央アジア侵攻軍の砲兵部隊が遺跡への砲撃を続行した。

 断続的に続く砲撃が砂の柱を幾重も立たせ、岩山を削り、神殿のような設えの柱や石畳を砕いていった。

 ドロテア自身はフロートユニット装備の愛機に乗り、空から砲撃の様子を見ていた。

 

 

「砲撃の外側から包囲します、各機散開!」

『『『イエス・マイ・ロード!!』』』

 

 

 そして航空部隊を率いるのが、ナイトオブトゥエルブのモニカ・クルシェフスキーだ。

 長い金髪を赤いリボンで2つに分けた欧州系の女性騎士で、シグナルカラーは黄緑。

 愛機は射撃戦特化のKMF『ユーウェイン』、フロートユニット装備のヴィンセントやグロースターを広く展開して遺跡の空を封鎖している。

 

 

 彼女達の兵力展開は基本に忠実で、まずは遠距離砲撃を叩き込んで敵の経戦能力を削ぐ所から始めていた。

 その後にナイトメア部隊を突入させ、次いで歩兵を投入して内部を制圧する。

 強大な軍事力に物を言わせた戦術であって、それだけに破るのは難しい。

 

 

『それにしても、陛下は何故こんな遺跡を攻撃させるのかしら……?』

『それなのだが、一つ気になることがある。この遺跡、我々の攻撃前にすでに砲撃を受けた痕跡が残っていたと、斥候班が報告を上げてきている』

『私達の前に……?』

 

 

 ドロテアとモニカも、この遺跡を攻撃する理由は知らない。

 だがそれが皇帝の勅命である以上、彼女達はそれに従い行動しなければならなかった。

 そしてそのことに対して疑問を持ち、手を緩めるような軽い忠誠心は持ち合わせていない。

 皇帝の勅命は絶対、だから彼女達は疑問に思いつつも全力で攻勢をかける。

 

 

『エルンスト卿! 遺跡地下から高エネルギー反応が!』

「何……?」

 

 

 ドロテアが観測班からの報告を受けるのと同時、遺跡近くの砂山が連続で爆破された。

 いや、違う。

 爆破では無く、内側から吹き飛ばされるように弾け飛んだのだ。

 間の悪いことにそこには地上部隊の一部がいて、しかも後退の指示を出す前に砂山が崩れた。

 

 

「……違う! 爆破でも砲撃でも無い!」

 

 

 高度から見下ろしていたモニカが気付く、砂山は崩れたのでは無く落ちたのだと言うことに。

 ナイトメアが地上の不自然な音を拾う、砂山の下に隠されていたハッチが開いていく。

 徐々に広がる隙間から下へと砂が落ちていき、そしてその砂の中から1隻の艦船が姿を現した。

 ブリタニア軍にとっては識別する必要すら無い、それはアヴァロン級の航空戦艦『ヴィヴィアン』だ。

 その艦首が、砂の下から姿を現したのだ。

 

 

「……ッ、照準変更! 陣形を変化させつつ、あの艦に砲撃を集中させろ!!」

『『『イエス・マイ・ロード!!』』』

「包囲範囲変更! 艦の前方を押さえる! 第602航空支援中隊、回り込んで!」

『『『イエス・マイ・ロード!!』』』

 

 

 ドロテアとモニカが即座に反応する、その直属部隊の動きも素早い。

 グロースター・エア12機がヴィヴィアンの発艦を押さえるかのように艦首前方に展開し、艦体の腹を狙うように地上部隊の砲撃が始まった。

 ドロテアとモニカ自身も機体を翻し、ヴィヴィアンを沈めるべき移動を開始する。

 

 

「ん……?」

 

 

 そして、やはり高度から見下ろすモニカが先に気付いた。

 ヴィヴィアンのカタパルト・ハッチから、KMFが数機出撃してきたのである。

 ユーウェインの識別装置がその機体を調べても当然「アンノウン」、つまりは敵だ。

 特に先頭以外のナイトメアには覚えが無い、新型機だろうか。

 

 

 不意に、その先頭の機体がヴィヴィアンを追い越して加速した。

 加速の勢いがエネルギーの輪となって目に見える、だがそれを認識すると同時に、その機体は艦首方面に展開していたグロースター・エアの編隊を突破した。

 それにモニカは目を見開いた、まさか単純な加速だけで12機の間を抜くとは!

 パイロットの精神は、鉛か何かで出来ているのだろうか?

 

 

「……なっ!?」

 

 

 さらに驚くべきは、先頭の機体と掠め合った4機のグロースター・エアが、フロートの翼を斬られて中破したことである。

 浮力を失い落下していく4機、入れ替わるように後続の敵ナイトメア編隊が突っ込んでくる。

 いずれもグロースターの動きを圧倒している、機体性能は向こうの方が上らしかった。

 

 

『く、クルシェフスキー卿!』

『た、助け……ぐああああああああっ!?』

 

 

 グロースター・エアのパイロット達の悲鳴に、モニカは唇を噛んだ。

 その時、別の通信が開かれた――相手は、ドロテアだ。

 

 

『モニカ! 私が行く!』

『……ッ、仕方ないわね……!』

 

 

 ドロテアと位置を交代しながらも、モニカは敵先頭の機体を睨んだ。

 濃紺のカラーリングが施された、追加装甲と刀を多く持った無骨な機体。

 その機体の名を、『月姫(カグヤ)』と言った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 パイロットスーツに身を包んでそこに入ると、青鸞は己が「帰って来た」と感じることが出来た。

 己の気配に満ちた月姫の操縦席、オートバイ式のそこに(もも)を挟み、掌全体で操縦桿を掴む。

 足先でペダルを操作し、彼女の意思に従って動く機体。

 正面・側面のモニターには青空が回転しているように映り、時折、敵のナイトメアの姿が目に入る。

 

 

『……青鸞さま!』

「……!」

 

 

 通信機から上原の声が響く、注意喚起と同時にコックピット内に警告音が響き渡った。

 右の操縦桿を引くと同時に、月姫が掲げた廻転刃刀が敵の一撃を受け止めた。

 衝撃がコックピットの中を駆け抜ける、新しいパイロットスーツはそのGを問題なく受け流したが、質量のある機体そのものはそうは行かない。

 そして青鸞は、自分に襲い掛かってきたそのナイトメアを知っていた。

 

 

「『ペレアス』……エルンスト卿!」

 

 

 ナイトオブイレヴン・セイランとしての知識だった、そしてそれは正しい。

 敵はペレアス、そしてドロテア・エルンスト卿だ。

 ペレアスの突撃の勢いに負けて、月姫が護衛小隊とグロースター・エアの編隊を逆方向に押し込まれる。

 

 

 廻転刃刀の刃を回転させ、火花を散らしながら敵の実体剣を弾き飛ばす。

 さらに左手にも廻転刃刀を持つ、腰から抜いたそれを合わせて二刀の刀で下から斬り上げる。

 それに対してペレアスは身を半分引いて左腕を前に出した、盾の表面に刃を滑らせ、やり過ごす。

 やり過ごした所でフロートを噴かせて加速、月姫に体当たりを喰らわせた。

 

 

「……っ、流石は……!」

 

 

 流石は、ナイトオブラウンズ。

 それも貴族でも何でも無い、実力だけで帝国最強の騎士にまで駆け上がった本物の騎士だ。

 咄嗟に飛翔滑走翼のシステムを切り、月姫を瞬間的に自由落下させる。

 ふわりと揺らいだその頭上を、細く鋭い実体剣が擦過した。

 レイピア、ペレアスの近接武装は刺突に優れたレイピア型の剣だった。

 

 

 しかもしっかりとMVS、刺されれば易々と月姫の装甲を貫いてくるだろう。

 正直ぞっとしない、飛翔滑走翼に再び火を灯しながら距離を取る。

 だがペレアスはそれを許さない、薄青と濃紺の機体の追走戦が始まった。

 透き通った砂漠の青空を、2機のナイトメアが舞うように飛翔する。

 

 

「やるじゃないか」

 

 

 ペレアスのコックピットの中で、ドロテアが感嘆の声を上げた。

 グロースター・エアを撃墜した手際と言い、自分と渡り合う機動と言い、なかなかの腕前だと感じた。

 だが自分はまだ本気でも全力でも無いし、それで凌げる程度の相手であるとも言える。

 相手が本気かどうかはわからないが、おそらく10回やれば9回は自分が勝つだろうと思う。

 

 

「まだまだ、楽しませてくれ……!」

 

 

 まぁ、その1回が今来ないとは限らない。

 だからドロテアは油断などしなかったし、その意味では青鸞にとっては厳しい時間が続くことになった。

 ただ惜しむべきはドロテアが正規の騎士であって、将軍では無いと言う点だろうか……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞と楽しげに斬り結んでいるドロテアの様子を、もう1人の指揮官であるモニカはやや表情を苦くして見ていた。

 ドロテアは熱くなると周囲に気を配れなくなる所がある、モニカもドロテアの闘争心の高さは頼りにしていたが、こう言う場面ではむしろ邪魔に思えた。

 

 

『クルシェフスキー卿、部隊の再配置が終了致しました』

「良し、ならドロテアがあの機体を撃墜次第、敵アヴァロン級に総攻撃をかけます」

『『『イエス・マイ・ロード!!』』』

 

 

 そしてモニカは、ドロテアとは対照的なタイプの騎士だった。

 どちらかと言うと部隊指揮の方に才能があり、ナイトメアでの決闘や肉弾戦は好まない。

 だから愛機も遠距離戦仕様であるし、今もこうして中衛に留まって地上・航空の両方の部隊を掌握している。

 

 

 その時、突如としてコックピット内に警告音が鳴り響いた。

 左側、いきなり無数の熱源が生まれた。

 何かと思えばそれはミサイルだった、操縦桿を引いて急上昇するモニカ。

 だがラウンズである彼女は反応できても、部下達はそうはいかなかった。

 

 

『な、何だ!?』

『いきなり……ぐぉあっ!?』

『こ、こちら第1001管制小隊、敵の攻撃を……!』

「これは……!」

 

 

 何が起こった、と、モニカは自問した。

 愛機『ユーウェイン』のモニターとセンサーは、ナイトメアサイズの小型ミサイルが展開部隊の左側から無数に放たれている様子が映し出されていた。

 熱源はある、だが敵ナイトメアの姿が見えない。

 

 

 おかげでモニカの航空部隊の一部が壊乱状態に陥っている、面白いはずが無かった。

 姿が見えない敵からのミサイルによる奇襲、御伽噺かSFのような話だ。

 だがモニカはナイトオブラウンズ、並みの騎士では無い。

 目を吊り上げて操縦桿を倒し、ユーウェインの持つ長銃「リュネット」を構える。

 コックピット上部から降りてきた照準機を覗き込みながら、物の数秒で引き金を引いた。

 

 

「ラウンズを……舐めるな!!」

 

 

 薄緑色のエネルギー色に包まれた磁力反発式の弾丸が放たれる、1度、2度、3度。

 1度に2発ずつ、しかも微妙にポイントを外した射撃が戦場を疾走した。

 3発は何の変化も無くそのまま駆け抜け、そしてポイントを外した残りの3発が途中で爆ぜた。

 直撃はしていないだろう、何しろ相手は見えていないのだから。

 

 

『うぉあっ……ちゃあっ!?』

 

 

 何も無い空間に紫電が走り、ガスが風に吹かれて消えるようにナイトメアが姿を現した。

 濃い緑の塗装が施されたその機体の肩には日本の国旗がペイントされており、そのナイトメアがどこの所属であるのかを一目で証明していた。

 ただ形状としては月下系列では無く、どちらかと言うとブリタニアの……ヴィンセントに近い形状を備えていた。

 

 

 純日本製KMF『烈震《れっしん》』、世代としては第六世代に相当する強襲戦用の機体だ。

 人間を模した基礎骨格に月姫に似た強化装甲を備えた無骨な姿で、騎士と言うよりは武者に見える。

 全長は4メートルと極めて小型で、複眼型のカメラアイが極めて特徴的だ。

 だが最大の特徴はあらゆる武装を換装して使用できる汎用性の高さと、装甲表面に鏡面に似た粒子を展開して姿を消す高度なステルス機能……だったのだが。

 

 

『ヤバい、もうバレた!』

『隊長! 落ち着いてください!』

 

 

 そのステルス性は、完全では無い。

 光学迷彩にも似た強力な兵装だが、モニカは手動での計器操作により、センサーが関知した景色の「歪み」を発見したのである。

 並みのナイトメアパイロットならば見逃していただろうが、モニカ程の騎士に小細工は効かない。

 例え機体は隠せても、機体が溶けて消えるわけでは無いのだから。

 

 

「各機! カメラを近接に切り替えて使いなさい! 索敵のセンサーに頼ると敵が消える!」

『『『イエス・マイ・ロード!!』』』

 

 

 そして並みのパイロットでも出来る対策を即座に周知する、展開が早い。

 種が割れてしまえば護衛小隊のナイトメアは僅か3機、殲滅されるのも時間の問題だった。

 当然、それに気付いた青鸞が焦ったように声を上げる。

 

 

「皆!」

『――――青鸞! 時間だ!』

 

 

 その耳をルルーシュの声が打つ、それに対して青鸞は即座に反応した。

 機体を翻し、鍔迫りあっていたペレアスの腹を蹴って距離を取る。

 ペレアスの中で蹴りの衝撃に顔を顰めたドロテアは、次の瞬間にはさらに顔を顰めた。

 

 

 ――――煙幕――――

 

 

 古典的だが有効な手だ、しかもチャフを含んだチャフスモーク。

 ヴィヴィアンの各砲塔が無秩序に放ったミサイルが一斉に爆発し、戦場の一部を分厚い雲で覆った。

 そして月姫も烈震も、その雲の中に身を隠した。

 さらに数十秒後、雲の東側から巨大な艦体が姿を見せた。

 言わずと知れたヴィヴィアン、ドロテア達に背を向けるようにして、加速しようとしていた。

 

 

「逃げる気か!? ……だが!」

「背中を晒すとは、愚かね……全砲門、目標、敵か――――!?」

 

 

 この状況で敵に背中を見せるなど愚の骨頂、だからモニカとドロテアは己の部下達に一斉砲撃を命じた。

 いや正確には、命じようとした。

 だがその命令と同時に、地上で異変が起こった。

 

 

 爆発。

 それも先ほど砂山に偽装したハッチを開いた時とは比べ物にならない、大きな爆発だ。

 それが断続的に、連続で、容赦なく響き渡った。

 次いで、地響き。

 

 

「な、何だ……?」

 

 

 地上部隊の誰かが怯えを含む声で呟いた、足裏に感じる地響きに不安を覚えたからだ。

 そしてその予感は、敵中する。

 それも、最悪の形で。

 

 

「何だとぉっ!?」

 

 

 ――――饗団は、地下にある。

 正確には地下都市の広い空間を形成する岩盤の上に砂が乗っているような状態だ、その状態でもし、岩盤が大量のサクラダイトで爆破されたらどうなるだろう?

 地下十数階、それだけの深さのある空間が、天井を――砂の上に立っている者にすれば、地面――失い、そのまま落ちたと、したならば。

 

 

 そこに、地獄が生まれはしないだろうか?

 

 

 そしてそれは、現実に起こった。

 地面が崩れ、足場が失われ、ドロテア・モニカが率いてきた地上部隊ごと崩落した。

 流砂などが生優しく思える程の勢いで砂が落ちる、まるで大地を飲み込むベヒモスのように。

 航空部隊の通信機から、夥しい数の悲鳴が聞こえてきた。

 砂に、崩落する地面に飲み込まれる人々の……数千人の断末魔の叫びが、響き渡った。

 

 

「ば、馬鹿な……」

 

 

 部下達の救いを求める声に、その断末魔の声に呆然としながら、ドロテアが呟いた。

 動けなかった、物理的にも心理的にも。

 目の前の出来事が信じられなかったし、仮に受け入れられたとしても、もはや追撃は不可能だった。

 地上部隊は壊滅した、そして航空部隊の補給物資も地下へと消えた。

 こんな状況で、追撃など出来るはずが無い。

 

 

 そしてその様子を、立ち上る巨大な砂の嵐を、青鸞はヴィヴィアン後部のハッチから見ていた。

 3機の烈震の回収を終え、開いたコックピットに立って直接その光景を目にしている。

 数千人のブリタニア兵が砂の下に沈む様を、静かに見つめていた。

 そして一旦目を閉じて、次に開いた時には東を向いていた。

 

 

「待っていて、皆……!」

 

 

 同胞のいる、遥か東を。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 中央アジアで異常な撤退戦――と言うより、突破戦――が行われていたのと時を同じくして、中華連邦軍本隊10万余のいる金門島周辺でも、戦火が開かれていた。

 周到な観測と斥候の結果、2日後にブリタニア軍の全面攻勢ありと読んだ黎星刻が、かねてから計画していた台湾への撤退作戦を強行したのである。

 

 

「ふむ……カノン、どうやら私達の予想は外れてしまったようだね」

「申し訳ありません、シュナイゼル殿下」

「構わないよ。どの道、万全の準備を整えてから……などと言うのは、現実には起こり得ないことなのだから」

 

 

 ブリタニア軍中華連邦方面軍旗艦、アヴァロンの艦橋には、戦場とは思えない程の穏やかな空気が漂っていた。

 それは圧倒的優位な戦況に弛緩している、と言うわけでは無く、指揮官であるシュナイゼルが自然に発する優雅さに起因するものと思われた。

 実際、シュナイゼルの金門島への攻撃は容赦の無いものであった。

 

 

 金門島に台湾軍管区の救援艦隊が近づくのを察知すると、即座に金門島並びに台湾艦隊への砲撃・空爆を指示した。

 その苛烈さたるや凄まじく、戦闘開始2時間余りの間に4万発の砲弾と2000トンの爆弾が金門島と台湾艦隊の頭上に降り注いだ。

 

 

「ふむ……」

 

 

 顎先に指を添えて、シュナイゼルは小首を傾げる。

 

 

「先日までの撤退戦と違って、敵に崩れる部分が無いね……どうしてかな?」

 

 

 その姿はまさに優雅の一言だが、目の前では彼自身の命令によって地獄が展開されている。

 砲弾の炸裂で腹を割かれ悲鳴を上げる女性兵、爆撃によって沈没する船に取り残されて母の名を叫ぶ少年兵、中破したナイトメアの中で鋼鉄の塊に手足を挟まれ呻き声を上げる熟練兵、ミサイルの爆発に身を半分焼かれ助けを求める士官……。

 それらは全て、シュナイゼルの命令によって行われているものだった。

 

 

 それなのに彼の思考は、この絶望的な撤退戦の中で「どうして敵が崩れないのか?」に向けられている。

 ブリタニア軍の指揮官としては正し過ぎる程に正しい、敵が感じている地獄に気を遣っていては戦争など出来ないからだ。

 彼がいる限り、ブリタニア軍将兵の多くは生きて故国の家族や恋人に再会できるだろう。

 

 

「怯むな! 台湾にまで退けば、まだ活路はある!」

 

 

 そして一方で、自分に従う将兵の多くを故国の家族や恋人の下へ帰せないだろうことを知る指揮官が、血を吐くような思いで叫んでいた。

 黎星刻、中華連邦軍本隊10万の命を預かる司令官である。

 彼は大陸から金門島への撤退の際にも使用した大竜胆(ター・ロンダン)――黄金のピラミッドのような形状の巨大移動艦――の上空を直掩しつつ、全体の指揮を執っていた。

 

 

 迫り来るヴィンセントを剣で斬り伏せ、飛来する砲弾を両腕のワイヤーハーケンを回転し盾とすることで弾き落とし、胸部の荷電粒子重砲でブリタニア軍の砲兵陣地の一部を吹き飛ばす。

 まさに獅子奮迅の活躍だが、それでは天子の座乗艦である大竜胆を守ることが精一杯だった。

 同胞達の遺骸の上に、彼は己の忠誠を積み重ねていく。

 

 

「台湾まで、退けば……!」

 

 

 空と地上では最強を誇るシュナイゼル軍だが、唯一、ロシアからの侵攻軍であるため海軍を持たないと言う弱点がある。

 台湾まで退けば砲弾は届かず、空爆はあるだろうが台湾軍管区の防空装備で何とか対応できる、そして上陸部隊の輸送にはもう少し時間がかかるはず。

 そして、台湾の向こうには――――。

 

 

「我らにとっての、勝機がある!!」

 

 

 叫び、峰部分にブースターを備えた大型制動刀でグロースター・エアを両断する藤堂。

 操縦桿を握る手に力がこもるのは、ほとんど成す術なく倒されていく中華連邦軍将兵を救えぬことへの憤りか、ブリタニア軍への怒りか。

 藤堂はこの撤退戦、斑鳩の指揮を他国人の星刻に委ねて最前線に出ていた。

 

 

 専用機は『斬月』、ラクシャータ製の最新鋭機である。

 系列は月下シリーズ、基本カラーは黒、赤い二房の衝撃拡散自在繊維が特徴的な機体だ。

 特に輻射波動エネルギーを防御に使う障壁兵装は秀逸で、攻防一体の戦闘が可能な万能機だった。

 

 

『藤堂さん!』

「朝比奈、千葉、仙波! 敵左翼の広がりを押さえるぞ! 我が方の航空戦力は限られている……一騎当千の気構えで当たれ!!」

『『『承知!!』』』

 

 

 台湾まで退けば、勝機がある。

 中華連邦の指揮官達は口々にそう唱え、現場の兵卒達の士気を維持する。

 ゼロを信じろ、ゼロは必ず奇跡を起こしてくれる。

 黒の騎士団の中級指揮官達はその「魔法の言葉」を発し、団員達のテンションを高める。

 

 

 台湾まで退けば、台湾まで行けば、台湾に辿り着ければ、勝てる。

 ブリタニアに、勝てる。

 ――――勝てる!!

 

 

 希望への撤退と言う名の地獄は、まだ始まったばかりだった。

 




採用兵器:
黒鷹商会さま(小説家になろう)提案:烈震。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 やはりルルーシュの作戦と言えば爆弾でドカンですよね。
 いよいよ騒がしくなって参りました、ラストスパートです。
 このまま一気に、連戦と行きたい所。
 まぁ、そう上手くは行かないでしょうけど……。
 頑張ります。

 あ、誤解の無いよう言っておきますが……ルルーシュはまだ卒業していません!(だから何を!?)


『台湾へ向かえ、そこに勝機がある。

 その言葉を信じて、皆が戦う。

 その先に何があるのか、誰にもわからない。

 だけど、ボクはルルーシュくんを信じてる。

 きっと、ルルーシュくんなら……』


 ――――TURN:21「台湾沖 の 戦い」


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TURN21:「台湾沖 の 戦い」

 黎星刻率いる中華連邦本隊が澎湖諸島の港を経由して台湾近海に入ったのは、金門島放棄から2日と半日が経過した後のことだった。

 少なくない損害を出しつつもシュナイゼル軍の砲撃から逃れ、兵達はまさに不眠不休で動き続け、やっとの思いで辿り着いたのが基隆の港だった。

 

 

 台湾軍管区の主都台北(タイペイ)を背後に持つ基隆港は、軍管区内では最大級の設備を整えていた。

 60近くの埠頭に大規模な船隊を収容できるドック、武器弾薬を納めた倉庫や兵士宿舎、水に食糧……例えベッドが足りず艦船の床で雑魚寝することになろうと、死地を抜けてきた兵士達にとっては十分過ぎる程の休息の地だった。

 

 

「ええ、これらは全て兵士の方々に供与します。食糧は厨房担当者に……」

 

 

 中華連邦軍旗艦、大竜胆(ターロンダン)の最奥、中華連邦の象徴「天子」の部屋であってもそれは同じだった。

 艦内にあっても砲撃の振動とは無縁ではいられないし、断続的に響く戦闘の音は天子付きの女官達を怯えさせていた。

 高級官僚や富裕層の子女が多いので、そう言う意味でのスタミナも少ない。

 

 

 そんな女官達も基隆港に入ってからは少し落ち着きを取り戻し、今では女官の長たる葵文麗の矢継ぎ早の指示に従って慌しく動いている。

 止まっていると不安が増すばかりなので、そう言う意味でも効果的だった。

 そして文麗が今やっているのは、天子に優先的に回ってくる物資、それらの兵士への供与だった。

 

 

「……その他の物資も、それぞれの担当者に遅滞無く届けるように!」

「「「は、はいっ」」」

 

 

 国家元首である天子には、どれだけ物資不足だろうと十分な水・食糧・薬・衣類が回ってくる。

 だが度重なる慰問の中で兵士達の窮乏を見た天子は、己だけが豊かに物資を使うのはおかしいと主張した。

 傷つき痩せ衰えた兵士達の手――その兵士の大半が、すでにこの世に亡いだろう――を握って泣いた彼女は、もはやただの箱入り娘では無かった。

 

 

「ふぅ、ふぅ……」

「天子様、少しお休みになられては……」

「だ、大丈夫です。これくらいは……」

 

 

 そして今も自分の部屋のシーツやカーテンを切って繕い、簡易の包帯や三角巾を作っている所だった。

 もちろん、天子として育てられた彼女に繕い物の経験などあろうはずも無い。

 お世辞にも良い出来とは言えないし、白魚のように綺麗だった手指は今や傷だらけだ。

 

 

 それでも、一生懸命だった。

 少しでも助けになるようにと繕い物をし、兵士達が僅かでも安らげるならばと陣営を歩き回り手を取って語りかける、寝る時間を惜しんで。

 今も近衛の凛華が心配の声をかけるが、ふぅふぅ言いながらも手を動かしている。

 

 

(……侍医としては、気絶させてでも休ませるべきなのだろうけれど)

 

 

 不敬なことを考えながらも、文麗は心の底で喜びを感じてもいた。

 大宦官の下で人形のように扱われていた天子が、今では自分に出来ることを探して頑張れるようになっている。

 もちろん、小娘1人に出来ることは少ない。

 

 

 今回提供した物資にしても、鶏卵80個に豚肉などの缶詰45個、野菜類15キロ、ベッド10床分のシーツ……兵士全てにはとても行き渡らない。

 加えて、天子の傍にいれば非常時でも多少の贅沢が出来ると踏んでいた女官達の間には不満もあった。

 それでもこの行いで救われる兵は、確実に何人かはいるのだ。

 

 

(……あの人の耳にこのことが届いたら、どう思うでしょうか?)

 

 

 そして文麗言う所の「あの人」……星刻の下に、斑鳩の藤堂から緊急の通信が入ったのは、その頃だった。

 内容は、シュナイゼル軍が空挺部隊で澎湖諸島を制圧し、占領した空港から台湾南部高雄(カオシュン)への侵攻の構えを見せているとのことだった。

 

 

「そうか……流石に速いな」

『うむ、高雄を占領されれば、台北まで目と鼻の先だが……そちらの準備は?』

「急ピッチで進めている。空爆や空挺部隊には注意が必要だが、基隆までは今少しかかるだろう……後は」

 

 

 厳しい表情で告げる星刻に、通信画面の向こうで藤堂が重々しく頷いた。

 

 

「後は……」

『ゼロ次第、か』

 

 

 ――――この1週間後、シュナイゼル軍が台北・基隆へと侵攻した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 シュナイゼル軍の台湾侵攻は、楔形の台湾島を南から北へ切り裂くように進められた。

 その手法はまず大規模な絨毯爆撃により敵の防空戦力を削ぎ、その後大量の航空戦用ナイトメアや陸専用ナイトメアの空挺部隊を投入すると言うものだった。

 それにより高雄、左営、台南、台中、桃園などの軍事的・経済的拠点は次々に降伏させられ、シュナイゼル軍は1週間もかからずに台湾島の6割を手中に収めたのである。

 

 

「……おかしいね」

 

 

 しかし当のシュナイゼルは、驚異的とも言える戦果を前にして疑問を感じていた。

 それはシュナイゼル軍と共に従軍するナイトオブラウンズ、枢木スザクとジノ・ヴァインベルグにも共有されている考えだった。

 つまりこうである、中華連邦軍の抵抗が予測よりも弱い。

 

 

「カオシュンや他の都市には、申し訳程度の守備隊しかいなかった。対空防御も大陸程じゃなかった。まぁ、地方の島の兵力が大陸より弱いってのは当たり前だが……」

「あまりにも弱すぎる」

「だな」

 

 

 シュナイゼル軍が侵攻の前段階として、基隆港と台北市内に空爆を加えている様子を――数百万の人間が暮らしているだろう場所――ラウンズ専用の待機室で巨大モニター越しに見ながら、ジノとスザクは戦況についての感想を述べ合っていた。

 2人の見解はやはり、敵の抵抗が弱すぎると言う点で一致している。

 

 

 こちらの空爆や砲撃に対する反撃が薄いのだ、反撃する力が無いと見るのが普通だろうが、金門島での決死の撤退戦を見ている2人がそう思うことは無い。

 まして捕虜からの情報では、敵の司令部は兵に「台湾に退けば活路がある」と言っていたらしい。

 兵の士気を高めるための方便と言う可能性もあるが……。

 

 

「相手には黒の騎士団、つまりはゼロがいる」

「また何か裏技を使ってくる?」

「それはわからない、けど……」

 

 

 ゼロの仮面の下、そしてその傍にいるだろう彼女。

 2人の顔を思い浮かべながら、スザクは戦況を見守っていた。

 戦況は、唯一出陣しているナイトオブラウンズ、ルキアーノ・ブラッドリーと直属部隊が圧倒的な突破力で敵の防空ラインを切り裂いている所だった。

 性格はどうあれ、ルキアーノの強さは本物だ。

 

 

 同時に、日本で数々のテロや反乱を見てきたスザクから見れば、やはり抵抗が弱いと感じる。

 祖国を失いゆく人々の抵抗の力は、もっと激しく強いものだと知っていたから。

 ずっと、見てきたから……敵の側から。

 ――――彼女を。

 

 

『タイワン島東沖、太平洋側に無数の熱源を感知! 潜水艦を含む複数の艦影と思われます!』

「何だぁ? もう太平洋艦隊が来たのか?」

 

 

 突然アヴァロン内に響き渡った報告に、ジノが首を傾げた。

 皇帝が自ら率いる太平洋艦隊が近くまで来ていることは知っていたが、台湾近海にまで来る予定では無かったはずだ。

 中華連邦本隊の戦力も基隆に集結している今、そんな位置に大型艦船を含む艦隊がいるとは思えない。

 

 

「……いや……」

 

 

 モニターから目を離さず、す……と目を細めながら、スザクはジノの疑問に否と答えた。

 確信に近いものが、あった。

 ただそれは論理的でも具体的でも無く、何故か「そう」感じると言うだけのものだった。

 あえて、無理矢理その感覚を表現するのであれば。

 

 

「……違う!」

 

 

 枢木の血の、成せる技だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ナイトメアのコックピットは、同タイプであってもパイロットに合わせて微妙に調整がされている。

 例えば月姫はバイクのように跨るオートバイ式コックピットだが、オートバイ式コックピットと言ってもパイロットごとに細やかな調整が行われているのである。

 手足の長さから座席自体の大きさ、果ては計器の位置やモニターの光度まで。

 

 

 それら全てを含めての「専用機」であり、乗ってみて「手が届かない」と言わずにすむように作られている。

 パイロット達が技術部や整備部に出す要望が最優先で叶えられるのは、それがパイロット達の生存率に直結するためだ。

 すなわち月姫のコックピットには、整備士達の想いが詰まっているのだ。

 

 

『ヴィヴィアン、ステルス航行から戦速航行へ移行! 総員、耐衝撃体勢を!』

 

 

 通信機から響くのは、ヴィヴィアンが光学迷彩の衣を脱ぎ捨て戦場に突入すると言う報告だ。

 インド洋から台湾沖まで、インドの潜水艦隊と合流しつつ東南アジアを航破し、来た。

 星刻と藤堂が苦心して稼いだ時間は10日余り、だがそのおかげで彼らが間に合った。

 

 

『黒の騎士団、総員に告げる! この戦いの目的はシュナイゼル軍の殲滅では無い!』

 

 

 戦闘速度への以降と同時に、メインモニターに光が見えた。

 長い長いカタパルト、ヴィヴィアンの艦体に備えられた艦載機射出用のカタパルトだ。

 艦体から専用のプレートが伸びて、重い金属音と振動がコックピットにまで伝わってくる。

 

 

『一撃を与え退かせることが目的だ! 故に深追いはせず、斑鳩と中華連邦軍本隊と合流し――――勝利へと、突き進め!!』

(――――勝利!!)

 

 

 勝利、言葉にすればたった2文字で終わるその言葉。

 しかしその言葉に奮い立たない兵士はいない、青鸞もまた同じだった。

 操縦桿を握る手に力を込め、カタパルトの先にある青空を、月姫のメインモニター越しに見つめる。

 それは勝利へと続く空か、それとも絶望への扉か。

 

 

 コックピットに振動が伝わる、専用のリフトで移動していた機体が固定されたのだ。

 金属が合わさるような感触を、身体中で感じる。

 計器のスイッチを次々に入れ、モニターされる数値を声に出して確認しながら、射出に向けた手順を踏んでいく。

 

 

『月姫、正常位置へ』

「了解。月姫、正常位置へ」

 

 

 オペレーターの言葉を復唱する、モニターに映る文字とスイッチ下のボタンの色は全て緑色。

 オールグリーン、機体には何の問題も無い。

 古川達の整備の賜物だ、青鸞は心の中で謝意を述べた。

 

 

「オペレーター、優先事項の有無を確認」

『了解。現在ヴィヴィアンは第2戦速度で航行中、月姫は速度の相対化に留意しつつ、射出後に加速に入れ。推奨は左舷寄りルート、障害物――――無し』

「了解。左舷寄りルート、障害物無し」

 

 

 月姫の下側、つまり足元に新たな金属の合致音。

 カタパルトの電磁射出装置に青いエネルギーの光が灯る、同時に機体が僅かに押し上げられた気がした。

 月姫の踵部分に足裏を支えるフックプレートが出現し、また背後に衝撃緩衝用の壁が立った。

 

 

『射出重量確認、通常装甲・装備での出撃と認証』

「了解。認証確認、射出ルート入力」

 

 

 メインモニターに照準装置にも似た赤い十字マークが生まれる。

 縦の線と横の線が微妙にズレているそれは、時間が経つごとに中心へと寄って行く。

 方位・距離・風速・艦の速度・機体重量……複雑な計算を短時間で終了させる。

 

 

 出撃承認が出て、青鸞は操縦桿をゆっくりと前に倒して行く。

 飛翔滑走翼を完全起動、心地良いフロート音が青鸞の耳に届いた。

 そして、モニター上に信号機のようなマークが映し出された。

 3つある赤色のマークが1つずつ消えて、そして最後に緑のマークへ。

 

 

「……月姫! 操縦者・枢木青鸞!」

『射出許可認証! 貴女に、天照の加護がありますように……!』

「――――行きますっ!!」

 

 

 操縦桿を一番奥まで勢い良く倒し、同時に機体の射出が始まった。

 凄まじいGが身体を押し、操縦桿にしがみつくようにしながら歯を食い縛った。

 何かの壁を突き破るような音と共に、一息に蒼天へと押し出される。

 

 

 パイロットスーツがGを吸収して血液を循環させ、おかげで意識を保ちながら操縦を続けられる。

 ゆっくりと回転するメインモニターの向こうに目標を見つけて、青鸞は目を細めた。

 そして後から続く仲間達の機体と共に、さらに加速する。

 蒼天の世界を、日本の青き姫が舞う――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ヴィヴィアンとインドの潜水艦隊は、前者は山脈を超えて真っ直ぐに、後者は台湾島を迂回しつつ基隆港の北を目指して潜行した。

 つまり戦場に乱入したのはヴィヴィアン1隻であって、その意味では戦力的には大したことが無かった。

 少なくとも、勝敗を決定付ける程の要因にはなり得ない。

 

 

『な、何だアレは!?』

『ば、化け物ぉっ!?』

 

 

 しかし、局所的な混乱を引き起こすことは出来る。

 特に大きな効果をもたらしたものが2つある、1つはジェレミアの『ジークフリート』である。

 全高25メートルにも及ぶオレンジ色の鋼鉄の塊、強力な電磁装甲に守られたナイトギガフォートレス。

 饗団内にあったほとんど唯一の兵器で、神経電位接続によりジェレミアにしか扱えない。

 

 

 通常のコックピットのように操縦桿があるわけでは無く、オレンジ色の文字が浮かび上がる小部屋のような空間がその代わりだった。

 全方位型モニターに囲まれる座席に腰かけて、ジェレミア・ゴッドバルトは腕を組んでいた。

 彼は動いていない、だがジークフリートは巨大な駒となって、ブリタニア軍の航空部隊の只中に突撃をかけた。

 

 

「同じブリタニアの同胞に剣を向けることになろうとは……しかし! 今は! 忠義が勝る!!」

 

 

 そしてもう一つ、精神的にはこちら側の方が衝撃が大きかっただろう。

 それはかつてのナイトオブイレヴンの愛機、ラグネルの登場に端を発するものだ。

 濃紺にカラーリングされたその機体に乗っているのは、もちろんナイトオブイレヴンでは無い。

 彼女の存在を公表するにあたって、黒の騎士団の中で一悶着も二悶着もあったことは事実だ。

 

 

 何しろ彼女はブリタニアの皇族で、多くのナンバーズを虐殺した軍司令官で、つまりは敵だった。

 ジェレミア卿に対してもそうだったが、黒の騎士団はあくまで反ブリタニア勢力であって、その意味ではブリタニア人への風当たりはやはり強い。

 だが最終的にルルーシュ=ゼロは押し切った、黒の騎士団は復讐のための組織では無く、ブリタニアとは違うことを示す……矜持の証明だと、そう言って。

 

 

『我が名はコーネリア・リ・ブリタニア――――』

 

 

 その声と顔がブリタニア将兵の間に流れた瞬間、ブリタニア軍に衝撃が走った。

 立場としては黒の騎士団への亡命者であり、交渉者であり、そして統治者であった。

 エリア11――旧日本の、総督。

 

 

『ブリタニア帝国第2皇女にして、エリア11の正総督! コーネリア・リ・ブリタニアの名において、ブリタニア軍全将兵に告げる……ただちに兵を退け!!』

 

 

 突如現れ、凛とした声で命令するその声に、ブリタニア軍の攻撃が一瞬、緩んだ。

 

 

『この戦いに正義は無い! 全ては第98代皇帝シャルルの私欲による暴挙だったのだ。それ故に私は今ここに宣言する。今上陛下即位以降の全ての戦争を否定し、全植民エリアの解放を支持することを!』

 

 

 そこには当然、エリア11……日本も含まれている。

 これにはブリタニア軍だけでなく、黒の騎士団の将兵も衝撃を受けた。

 何しろ正規のエリア総督が自ら日本の独立を支持したのだ、その裏にどのような意図や取引があるにせよ、その事実だけは変わらない。

 

 

 だがそんな静止した戦場において、唇を歪めて笑う存在もいた。

 ナイトオブテン、ルキアーノ・ブラッドリーである。

 彼は己の愛機『パーシヴァル』をふわりと浮遊させると、フロートの出力を微妙に変化させて機体の向きを変えた。

 その先には、コーネリアのラグネルがいる。

 

 

『アルトぉ、アレをやるぞぉ』

『アレ? ああ、あのラグネル? 本当に皇女様なのかは怪しいけどね』

『構わないさぁ、本当に皇女ならさぞや血が美味いことだろう。それにぃ……』

 

 

 副官にして幼馴染、そんな立場の相手と部下を引き連れて、ルキアーノはラグネルへと向かう。

 コックピットの中、ブリタニアの吸血鬼は凄絶な笑みを浮かべていた。

 

 

『アレは、あの雌豚の機体じゃあ無いかぁ? 嬲り甲斐がある……!』

『はいはい、キミの趣味も大概だね…・・・っと、ルキア君!』

『おぉ?』

 

 

 それを遮る形で、1機のナイトメアが立ち塞がった。

 全身を赤い装甲に覆われながら、右腕だけは剥き出しの銀。

 輻射波動の不規則な輝きを銀の右腕から放つその機体は、黒の騎士団のエース。

 

 

『ここから先は……通さないっ!!』

 

 

 零番隊隊長・紅月カレンの、『紅蓮』。

 まさかブリタニア皇族を守る日が来ようとは……皮肉げな苦笑を浮かべて、カレンは帝国最強の騎士の1人に対して、突撃を敢行した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「右翼部隊、切り崩されて行きますっ!」

 

 

 ブリタニア軍の旗艦、アヴァロンの艦橋にオペレーターの悲鳴のような声が響き渡った。

 副官であるカノンは気遣わしげな視線をシュナイゼルへと向ける、だがシュナイゼル自身にまるで焦りの色が無いことを知ると、ほっと胸を撫で下ろした。

 まぁ、シュナイゼルが慌てふためいている所など想像も出来ないが。

 

 

 しかし戦況は、あまり良いとは言えないものになっていた。

 奇襲への備えをしていなかったわけでは無いが、基隆・台北を落とせば終わりだと考えていた将兵にとって奇襲はやはり衝撃的だったろう。

 まして、相手に戦女神とまで称された<閃光の>コーネリアがいるのだから。

 右翼部隊が混乱し、その混乱が中央と左翼まで浮き足立たせている。

 

 

「殿下、ここはヴァインベルグ卿と枢木卿に出撃を要請されては……」

「個人の武に頼れ、と?」

「それだけの価値はあるかと……」

 

 

 洛陽攻防戦を決したラウンズの戦力、それをここで投入すれば状況は逆転する。

 カノンの提案は個人の武力に頼りすぎているとも言えるし、逆に使えるものは使うと言う合理主義の策にも見えた。

 実際、シュナイゼルも頬に手の甲を当てて考え込んでいる。

 ただその目は、目の前の戦場以外の方を向いているように見えた。

 

 

「殿下?」

「……ん、ああ。いけないね、目の前の戦場を制してもいないのに……別の場所に意識を飛ばすなんて」

「いえ」

 

 

 にこりと微笑するシュナイゼルに、カノンは苦笑のような笑みを見せる。

 主人と部下、僅かながらそれ以上の空気が2人の間を漂った。

 だがそれに浸ってもいられない、シュナイゼルは意識を今の戦場へと向ける。

 

 

 その時だった。

 

 

 アヴァロンの前方、航空部隊の主力が展開されているあたりを、赤黒い太い2つの柱が引き裂いた。

 シュナイゼルの目には、それがハドロン砲に似ているように思えた。

 そういえば黒の騎士団にはガウェインがあった、だがそれにしては砲撃が強力に過ぎる。

 数秒後、ハドロン砲を追いかけるようにオレンジの爆発光が連なった。

 艦橋スタッフがそのエネルギー源を探れば、それは正面から来ていた。

 

 

「ほぅ……まさか、そんな玩具を用意しているとは」

 

 

 シュナイゼルの笑みの向こう、そこにもう1隻の航空戦艦があった。

 全体を黒く塗られ、艦首に黒の騎士団のエンブレムを白く染め抜いた航空戦艦。

 斑鳩の名前を与えられたその航空戦艦の両側に、巨大な主砲の姿がある。

 遠目に見ても、砲撃直後特有の熱と煙、そして紫電を放っているのが見える。

 戦艦クラスの重ハドロン砲、そしてその影に隠れるようにして基隆の港から次々と離脱しているのは。

 

 

「中華連邦艦隊、戦線から離脱していきます!」

 

 

 斑鳩を殿に、中華連邦艦の熱源が次々と基隆から離れていく。

 それはそつなく、そして秩序だった見事な離脱行動だった。

 とは言え、ブリタニア軍が損害を無視して攻めればまだどうとでもなる、そんな戦況だった。

 だがその時、オペレーターがさらなる悲鳴を上げた。

 

 

「本艦直上、レーダーに感あり! ナイトメアクラスのミサイル群です!」

「迎撃しなさい!」

 

 

 オペレーターの声にカノンが叫ぶ、即座にアヴァロンの上に薄緑色のブレイズルミナスの盾が展開された。

 同時に艦体側面から迎撃ミサイルが射出され、上空から迫るミサイルを撃ち落としていく。

 何事が生じたのかと言えば、それは少し前にドロテア・モニカのラウンズ軍が浴びた奇襲と同じものだった。

 

 

『オラオラオラオラオラァ――――ッ!』

 

 

 枢木青鸞の護衛小隊、ステルスとミサイルポッドを抱えた3機の烈震が展開されていた。

 使い捨てのミサイルポッドを両肩に乗せ、ミサイルを撃ち尽くすまで放ち続けている。

 それにより、アヴァロンの注意を上に引きつけることに成功する。

 そして逆方向、すなわち下から。

 

 

「はあああああぁぁぁ――――ッ!!」

 

 

 青鸞の月姫が、来る。

 ジークフリートがこじ開けた穴を縫うように飛翔し、スラッシュハーケンでアヴァロンのフロートシステムを穿つ。

 巻き戻しの勢いのままにフロートシステムを積んだオレンジの外壁に足をつけ、高周波振動により鋼鉄すら両断する刀『雷切』を突きたて、そのまま振り切る。

 

 

 メインモニターにフロートの部品が散るのを見た次の瞬間、艦体下部の火器の照準が合わされる前に艦体から離れた。

 飛翔滑走翼を翻し、護衛小隊の3機を連れてアヴァロンの射程圏から離脱する。

 フロートから火を噴くアヴァロンを後方に見ながら、青鸞は口の中で何事かを呟いた。

 そして、彼女らは一目散に逃げ出した。

 

 

「……ここまでだね」

 

 

 艦橋スタッフが必死に艦の姿勢を立て直そうとする中、シュナイゼルが冷静に告げた。

 黒の騎士団・中華連邦の連合軍はすでに戦線を離脱しようとしているが、ブリタニア軍がここまで混乱している中での追撃が危険だと判断したのだ。

 それよりは台北・基隆を確保し、部隊の体勢を整えることを優先すべきだと言う考えだった。

 

 

『シュナイゼル、貴方ならそうするだろうと思っていたよ……』

 

 

 そしてヴィヴィアンの艦橋で、ルルーシュ=ゼロはそう呟いていた。

 ルルーシュはシュナイゼルの性格を、その本質を読んでいた。

 シュナイゼルは優秀で、そして空虚な男だった。

 誰かに望まれるままに自分を定義し、それが失われることを本能的に防ごうとする。

 

 

 つまりは勝利することより敗北しないことを優先するタイプで、前進よりは停滞を、革新よりは保守を、その本質としていた。

 だからルルーシュ=ゼロは、一定以上のダメージを短時間に与えれば追撃は無いと踏んでいた。

 まして、ルルーシュ=ゼロ達が一時的に捨てることになる台湾の掌握も済んでいないのに。

 そして、その予測は見事に的中したのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 スザクは、モニターに映る濃紺のナイトメアの背中をいつまでも見つめていた。

 そこにいるだろう少女のことを想って、静かに目を閉じる。

 彼の心の奥底にかけられる「妹を守れ」と言う言葉(ギアス)は、今も生きている。

 ともすれば駆け出しそうになる足を、スザクは己の精神力でもって押し留めていた。

 

 

「おいおい。やられすぎだろ、これは」

 

 

 高度が落ちる振動を足裏に感じながら、ジノはそう評価する。

 いくら奇想天外な奇襲を重ねて受けたとしても、これは無い。

 最近のブリタニア軍では珍しい事態であると言えたし、何より自分の出番が無かったことが不満なのだろう。

 

 

 不満、もしかしたらそれはスザクの中にもあるのかもしれない。

 ただそれは、ジノが感じているような不満とはまた違うものだった。

 不満と言うよりは、もどかしさと言った方が正しいのかもしれない。

 アヴァロンに乗っている人員、いやシュナイゼル軍の中で、彼ほど事情を知っている人間はいない。

 ゼロのこと、ギアスのこと、皇帝のこと、妹のこと……。

 

 

「……青鸞」

 

 

 どうして、と問うてきた妹は、もはや手の届かない所にまで行ってしまった。

 そして今、自分はブリタニアの侵略に手を貸している。

 テロを否定し、暴力を嫌い、妹達のやり方は間違っていると言い放っておきながら。

 今や帝国の尖兵として、欧州や中華の人々をナンバーズへと蹴落としている。

 

 

 言動と行動の不一致も、ここまで来れば大したものだった。

 ブリタニアの騎士としては正しい行動だ、だが日本人としては……。

 スザクが己を日本人だと言って、誰がそれを信じてくれるだろう?

 

 

「僕は……」

 

 

 だからと言って、彼はブリタニア人でも無い。

 そしてジノやアーニャと言う個人のブリタニア人を知った彼は、ブリタニア人でさえ明確な悪では無いことを知っている。

 日本人と差など無い、ではどうしてこんなに両者が憎み合わなければならないのか。

 

 

「……どうして、か」

「ん? どうかしたのか、スザク」

「いや、何でも無いよジノ」

 

 

 もはや戦友となったジノに笑顔を見せて、スザクは改めてモニターを見た。

 そこにはもう、黒の騎士団の姿も妹の姿も無い。

 台湾と言う、本来なら彼とは(えん)(ゆかり)も無い人々が暮らす土地が見えるだけだ。

 これから彼の所属する国が、軍が、植民地化する土地だ。

 

 

 思う。

 それでもなお、自分はこの道を歩くのだろうと。

 そうするだけの理由もある、が、それは恐ろしく自己満足に近い何かだった。

 

 

(自分の満足のために他人に痛みを押し付けて、死ぬことも出来ずにみっともなく足掻き続ける……ああ)

 

 

 父を殺し、妹を裏切り、多くの同胞や他国の人間を踏み躙って。

 ふ、と自虐めいた笑みを浮かべて。

 

 

「醜いな、『俺』は……」

 

 

 そう、呟いた。

 その声には、恐ろしい程に力が無かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ヴィヴィアンは斑鳩と合流後、海上で中華連邦艦隊に追いつく、そしてインドの潜水艦隊とも合流して、一路カゴシマへと進路を取った。

 基隆港で補充できた物資には限りがある、ルルーシュ=ゼロが設定する戦場に向かうまでにあと一度、本格的な補給を受ける必要があった。

 

 

 青鸞は護衛小隊の烈震3機と共に、しばらくはヴィヴィアンと斑鳩の上空で直掩に当たっていた。

 2時間程してエナジーを気にし始めた頃、ヴィヴィアンから斑鳩へと連絡用の小型艇が発進した。

 それにはルルーシュ=ゼロが乗っていて、青鸞はそれについて斑鳩へと入った。

 正直、緊張しなかったわけでは無い。

 

 

(ボク、騎士団の中での扱いってどうなってるんだろう……)

 

 

 頬に一筋の汗を流しながら、青鸞はルルーシュ=ゼロの乗る小型艇に続いて斑鳩の後部ハッチに入った。

 彼女の弟ロロがディートハルトと憲兵隊を撃ち、その彼と共に騎士団から逃亡したのは事実だ。

 つまりは逃亡兵だ、普通、銃殺刑に相当する罪だろう。

 普通なら、何食わぬ顔で戻るなど出来ない。

 

 

『問題ない、青鸞。キミは堂々と月姫から降りて来れば良い』

「とは、言ったものの……」

 

 

 月姫の動力を落としながら、相も変わらずのルルーシュの無茶振りに溜息を吐く。

 まぁ、ルルーシュが大丈夫と言うなら、それは大丈夫なのだろうが。

 5割の緊張と4割の不安、神頼みもとい仮面頼みの1割を胸に、青鸞は月姫のコックピットを開いた。

 そして。

 

 

『彼女に罪は無い――――罪ある者がいるとすれば、それは私だ!』

 

 

 ルルーシュ=ゼロのそんな叫びが、彼女を迎えた。

 コックピットの上に立ち上がって周囲を見れば、そこには騎士団や旧日本解放戦線の人間達がいる。

 彼らの視線が、一斉に自分へと向かったのを青鸞は理解した。

 彼女が出てくるまでに何を話したのかは知らないが、ルルーシュ=ゼロはどこか劇場めいた動きで青鸞に手を伸ばした。

 

 

『枢木青鸞……日本の抵抗の象徴! 今一度、我々に力を貸してほしい!』

 

 

 いや、本当にどんな話をしたらそんな展開になるのだろう。

 まるで天岩戸に隠れた天照(アマテラス)のような扱いでは無いか、ルルーシュ=ゼロの裸踊りなど想像も出来ないが。

 第一、彼は西洋圏の出身である。

 

 

 ちなみにルルーシュ=ゼロが騎士団の人間に話したのは、青鸞の出奔――ロロに関しては巧みに話題を逸らしていたが――に関して、全ての責任がディートハルトにある、と言うことだった。

 ディートハルトはもういない、そのためいくらでも責任を押し付けられる。

 それに、彼が独断で行った陰謀に端を発しているのは事実だったのだから。

 そしてルルーシュ=ゼロは、その上で監督責任が自分にあると認めたのである。

 

 

(でも、これは無いよね……)

 

 

 ワイヤーを使ってコックピットから折りながら、内心で苦笑する。

 だが、悪くない。

 悪くないと、そう思えた。

 

 

 だから青鸞はルルーシュ=ゼロと同じ地面に足をつけると、ゆっくりとした足取りでルルーシュ=ゼロに近付いた。

 そして、差し伸べられた手を取る。

 仮面の向こう側の顔が、僅かに苦笑したように思えた。

 後で2人きりの時にいろいろと言おう、そう思いながら……手を、取った。

 

 

『勝利の女神が戻った! 皆、最後の戦いに向けて……一致団結してほしい!』

 

 

 握った手を掲げて、ルルーシュ=ゼロが一同に向けて言う。

 流石に恥ずかしさを覚えたが、それを表情に出しはしない。

 むしろその後に起こった拍手の方が、よほど恥ずかしかった。

 

 

 だがその拍手は、ほとんどが旧日本解放戦線側からの物だった。

 黒の騎士団は元々ルルーシュ=ゼロの信奉者の集まりだし、旧日本解放戦線はそもそもルルーシュ=ゼロに心から従っているわけでは無い。

 そう言う意味で、今の黒の騎士団は特異な組織であると言えた。

 2人の主に従っていると言う、そう言う意味で。

 

 

「青ちゃん、おかえり……って、これ何度目かな?」

「省悟さん、皆……って、省悟さん、顔……」

 

 

 近くに寄って来た朝比奈に向けた笑みは、彼が顔の半分を包帯で覆っていることで消えてしまった。

 だが当の朝比奈は特に気にした風も無く、むしろ小首を傾げて。

 

 

「うん? まぁ、気にしないで良いよ」

「そうだな、むしろ面構えがマシになっただろう」

「ええ? それは酷いんじゃない?」

 

 

 などとおどける朝比奈と千葉に、青鸞は複雑な気持ちを感じた。

 自分がいれば、などと自惚れるつもりは無い。

 それでも傍にいればと思ってしまうのは、人としての度し難い感情なのだろう。

 いずれにしても、それほど時間は経っていなくとも。

 彼女は、いるべき場所に帰って来たのだった。

 

 

『黒の騎士団、総員に告げる!』

 

 

 青鸞の手を離して、ルルーシュ=ゼロが全ての仲間に向けて告げた。

 

 

『今日この時、この瞬間をもって、黒の騎士団と旧……いや、日本解放戦線の合同を解消する』

 

 

 場が沈黙した、ルルーシュ=ゼロの言葉の意味がわからなかったのだろう。

 だがこれは必要なことだった、元より騎士団と解放戦線のメンバーの亀裂は覆しようが無い程に広がっていた。

 いくらルルーシュ=ゼロが青鸞と和解――外見の問題――したとしても、どうしようも無い程に。

 

 

 それだけ、ディートハルトが残した傷は大きかった。

 

 

 だから一度分かれる、別々の勢力になることでガス抜きを図る。

 だがバラバラになってしまってはブリタニアとは戦えない、そこで活きてくるのが中華連邦・インドとの同盟関係だ。

 独立国家共同体と言う連合、その中で新たな関係を構築する。

 そう、日本解放戦線・黒の騎士団・中華連邦・インドを主軸とする新たな同盟。

 

 

『我らはこれより、対ブリタニア大同盟の同志となる!』

 

 

 対ブリタニア大同盟、文字通りブリタニアの覇権に挑戦する諸国・勢力による同盟だ。

 これは後の歴史家には「第二次対ブリタニア大同盟」と呼称されることになる、EUと中華連邦の同盟を第一次と見る考え方からだ。

 

 

 しかし対抗では無く挑戦としているあたり、この同盟は特異である。

 EUと中華連邦が事実上の敗北を喫しつつある今、ブリタニアは文字通りの世界帝国になりつつある。

 そのブリタニアに挑戦するのだから、その場にいる人間の顔が引き締まるのも無理は無い。

 

 

『これより我らはカゴシマに戻り、補給を受ける! エリア11統治軍の妨害を受ける可能性もあるが、それらは全て無視する! 我らが狙うのは――――』

 

 

 再び劇場にいるかのような身振りで、ルルーシュ=ゼロは東を指差した。

 その場にいる人間の顔が、ルルーシュ=ゼロの指先を追うように東を向く。

 その先にあるものこそ、黒の騎士団と中華連邦軍本隊、そして日本解放戦線が目指すもの。

 すなわち。

 

 

『――――ブリタニア皇帝の、首だ!!』

 

 

 絶望的な状況を打破する、唯一の道だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 数百キロ南西で多くの人間が血を流している頃、1人の少女が海岸線にいた。

 コンクリートで綺麗に整備されたそこからはトーキョー湾が望める、この湾はエリア11最大の船舶通行量を誇るトーキョー港を擁している。

 現在でもエリア11の海運の中心地であり、3000万の域内人口を支える動脈であった。

 

 

 少女は、そのトーキョー湾……コートー・ゲットーにいた。

 彼女の背後ではブリタニア軍による炊き出しが行われており、配給を待つゲットー住民が長蛇の列を成していた。

 皆ボロ布のような衣服に身を包んだ貧民だが、穏やかな表情で大人しく順番を待っている。

 そこには暴動も略奪も、争いも差別も、日本人もブリタニア人も、何も無かった。

 

 

「はい、並んでくださーい!」

「ありがたや、ありがたや……」

「子供と高齢者が先です、病気の方は医療テントの方へどうぞー!」

「あの、赤ちゃん用のミルクは頂けますか……?」

「もちろんです、どうぞー!」

 

 

 ブリタニア兵が、笑顔で日本人に物資を手渡している。

 無数のコンテナに満載されている物資は、トーキョー租界の富裕層が無償で提供してくれた寄付によるものだ。

 豊かな者が貧しい者に分け与え、余裕のある者が持たざる者に譲り渡す。

 理想の世界が、当たり前のように存在していた。

 

 

「人は皆、慈しみの中で穏やかに生きるべきなのです」

 

 

 海の彼方から来るだろう父に向けてか、あるいは南西の海で血を流す兄に向けてか。

 白いドレスを海風に揺らしながら、ユーフェミアはそう言った。

 表情は穏やかな笑顔だが、口調は哀しい。

 

 

 どうしてわかってくれないのだろう、ユーフェミアは本当に哀しんでいた。

 心の底から、哀しんでいた。

 争い、戦い、多くの人々を悲しみと苦しみの底に追いやる戦争。

 戦争をやめない人達がいることが、ユーフェミアには哀しくて仕方が無かった。

 どうしたら、わかってくれるのだろう?

 

 

「もっと、強くお願いする必要がありますね」

 

 

 両眼のギアスは、毒々しいまでの赤い輝きを放っている。

 舞い上がる鳥の羽のようなその紋章は、以前に比べてより色濃くなっているように思えた。

 より色濃く、より力強く、より広く。

 

 

「優しい世界で、ありますように」

 

 

 世界中の人々が、平和に、穏やかに、命の危険を感じることなく、互いを想い合って生きていけますように。

 心の底からの願いを、ユーフェミアは海の向こうへと向けていた。

 ただただ純粋に、世界の平和を願い続けていた……。




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 原作では黒の騎士団がルルーシュを見限る頃ですけど、ここでは自らへの反対派をあえて切り離す方向へ動いたルルーシュ。
 原作で彼が統一された組織にこだわったのは、つまりそれだけ信頼できる人材がいなかったということなのだろうな、と私は思っています。

 なので、この物語の中では分派を認めると言う行動を取らせてみました。
 まぁ結局、同盟の名前で統一された行動を取らせるんですけどね!(台無し)
 ちなみに世界史に詳しい方なら気付いているかもですが、対ブリタニア大同盟の元ネタは対仏大同盟です。
 さて、あの同盟の結末はどうなったのでしょうね……?
 興味が湧いた方は、一度調べてみてはいかがでしょうか。

 そしていよいよクライマックス、あるいは結末まであと少しです。
 コードの源である根源、ギアス、その意味。
 それらの事象に対して、オリジナルの設定を加えて自分なりの結論を出したいと考えています。

 エピローグまで見えているので、後はそこに到達するだけ。
 それでは、次回予告です。


『決戦前夜。

 いろいろな人が、いろいろな人と過ごしていく。

 戦いが終わった時、生きていられるかはわからない。

 だから悔いが無いように、過ごすのかもしれない。

 その時、ボクはどうしたいと思うんだろう』


 ――――TURN22:「決戦 前夜」


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TURN22:「決戦 前夜」

オリキャラ間のカップリングがあります、ご注意ください。
では、どうぞ。


 カゴシマ基地を攻略した時、実の所、青鸞はここが独立派の恒久的な拠点になるとは思っていなかった。

 まして、諸外国の勢力も入り乱れる反ブリタニアの拠点になるとは想像もしなかった。

 だが今、カゴシマ基地は国際反ブリタニア勢力の最後の正規拠点になりつつある。

 

 

『我々は今、反ブリタニアと言う一点で同盟の契りを交わしている』

 

 

 カゴシマ租界の旧市庁舎、ブリタニアが欧州調の迎賓館を改装して使用していたその大ホールに、ルルーシュ=ゼロの独特の声が響く。

 彼はいつものように仮面を被り、紫と黒の貴族趣味な衣装を纏い、ワイングラスを持っていた。

 ワイングラスの中で、赤い液体が揺れる。

 

 

『しかしそれは非常に危うい繋がりだと私は考える、友であり敵でもあると言う関係は、すぐ側にまで迫ったブリタニアとの戦いにおいては致命的な隙になりかねない』

 

 

 ブリタニアとの戦い。

 すでにブリタニアはEUと中華連邦の領土の大半を飲み込み、七つの海はブリタニア皇帝の支配下に落ちつつある。

 敵はもはや、世界全てと言っても過言では無い。

 世界地図とブリタニア帝国の版図が重なる日も、そう遠くは無いはずだった。

 

 

『我々は団結しなければならない。個々ではもはやブリタニアには敵わないと言うことを謙虚に認め、一致団結し、ブリタニアの覇権主義を打倒しなければならない』

 

 

 日本には三本の矢と呼ばれる逸話がある、正確には別の名が正しいのだが、世間一般に伝わるのは「三本の矢」だろう。

 一本の矢では折れぬが、三本の矢を折ることは容易では無い。

 要するに団結を促す言葉だ、団結した勢力を打ち破ることは簡単では無い。

 ……最も、団結を維持することも同様に困難なことなのだが。

 

 

『ブリタニアとの戦いを明日にも控えた今宵は、互いのことを知り、絆を深める良い機会だ。ブリタニアとの決戦ではもちろん、その後も互いを友として、いや同じ戦場で血を流した兄弟国として、善隣友好の道を歩んでいけることを祈って……』

 

 

 そこで、視点をルルーシュ=ゼロから広げてみよう。

 ホールの中央に立つ彼の周囲には、反ブリタニアを掲げる全ての人間がいた。

 ルルーシュ=ゼロが率いる黒の騎士団、枢木青鸞を象徴に据える旧日本解放戦線、天子を戴く中華連邦軍本隊、アイヤバ・ナヤルを司令官とするインドの潜水艦隊、そしてルルーシュ=ゼロが秘密裏に呼び寄せた東南アジアの小規模武装勢力……。

 

 

 反ブリタニアの枢軸と言えば聞こえは良いが、強大なブリタニア軍に比べて見劣りすることは事実だった。

 だがそれでも、今や世界にブリタニア軍と正面から戦える戦力は彼らしかいなかった。

 彼らが持つのは、それでも人々が「よもや」と思える程の力なのだから。

 

 

『……乾杯!』

「「「乾杯っ!」」」

 

 

 最初で最後の、宴が始まった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 物資に限りがある中、宴と言っても出来ることは少ない。

 場所こそ旧ブリタニア軍の施設で何とかなっているが、格好だけと言う面がどうにも拭えない。

 立食形式と言う形で誤魔化してはいるが、料理はとても参加者全員の腹を満たすには足りず、配られたワインやドリンクは最初の一杯以外は水だ。

 

 

 だが、それでも構わなかった。

 必要なのは「同じ釜の飯を食う」と言う行為そのものであって、内容は求められていない。

 むしろ物資不足の現状では精一杯だろう、兵や民を飢えさせないことを優先するなら特に。

 本当の「仲間」と食べるご飯なら、何であれ美味しい。

 つまりは、そう言うことだった。

 

 

「こ、この度は、このような席にお、お招き頂き、御礼を申し上げます」

「こちらこそ、今後とも末永い友誼を」

「は、はい、す、末永い、平和の園を」

 

 

 つっかえつっかえ、まさにそんな表現がぴったりな声が、小さな唇から紡がれる。

 それに笑みを浮かべて、青鸞は僅かに頭を下げて礼とした。

 身に着けているのは濃紺の振袖だ、窮状にある組織や民を意識して中振袖の三つ紋。

 枢木の家紋のみを染め抜いた簡素な振袖だが、生地は良く青鸞の黒髪に映えていた。

 

 

 彼女は今、ルルーシュ=ゼロにエスコートされて各国各勢力の代表と挨拶を交わしている所だった。

 最初はもちろん、中華連邦の皇帝である天子とその司令官、星刻だ。

 最大戦力を抱えるのが中華連邦である以上、最初に言葉を交わす相手は中華連邦以外にあり得ない。

 ルルーシュ=ゼロと星刻が儀礼的に握手をしている横で、青鸞は天子と言葉を重ねていた。

 天子は翡翠色のイブニングドレスに身を包んでいた、薄く白い肩が儚げで美しい。

 

 

「こ、この国難に際し、立場や生まれを近しくするわた、私達が、手を取り合って」

「……ええと、普通に話して頂いて結構ですよ?」

「す、すみません……」

 

 

 慣れない社交場で義務を果たそうと、あわあわする天子は可愛らしかった。

 だから青鸞は笑みを見せて、天子の手をとった。

 作法には反するが、相手の過ごしやすさを考慮するのも日本式だ。

 手を取られた天子は、微笑を浮かべて指を握ってくる。

 

 

「あの、枢木さまは」

「青鸞で構いませんよ、天子様」

「あ、はい……青鸞さまは、自分で戦場に出ることに出来る方なんですよね?」

「ええ、まぁ……でも、戦場に出れたからと言って」

 

 

 ふ、と微笑を浮かべて。

 

 

「……守れないことの方が、多いですよ」

「それでも、尊敬します。私は、何も出来ないから……」

「そんなことは、無いですよ」

 

 

 戦場に出て守れるもの、守れないもの。

 戦場に出ないことで守れるもの、守れないもの。

 先程天子は「立場や生まれを近しくする」と言ったが、そんなことは無い。

 そこに、差など本当は無いのだ。

 

 

「中華連邦の皆さんは天子様を戦場に出さずに済むよう、必死に戦っているのでしょう」

 

 

 天子の手を取って星刻を見れば、彼は小さく頷いてきた。

 皆、天子のことが好きだから。

 天子が「天子様」だからでは無い、同じ艦に乗り、砲弾の雨に耐え、自分に回された物資を兵のために使い、傷つき倒れた兵士の姿から目を逸らさずに手を取って涙する。

 そんな天子だから、中華連邦の兵士達は天子を守るために戦うのだろう。

 

 

「だから、そんなことを言わないで」

「……はい」

 

 

 はにかむように笑った天子には、可憐という言葉が良く似合った。

 本当に、中華連邦の人々が守りたいと思う理由が良くわかる。

 時間が来たのだろう、星刻に促された彼女は青鸞の手をぎゅっと握ると。

 

 

「あ、あの、もし良かったら、その……私と、お友達に」

「……はい。よろしくお願いします、天子様」

「あ、ありがとう、青鸞」

 

 

 少し驚いた後に笑って頷いた青鸞に、天子も輝くような笑顔を見せてくれた。

 お友達、それはとても美しい響きだった。

 青鸞はふと、自分を「初めてのお友達」と呼んでくれた少女のことを思い出した。

 幼い頃を共に過ごし、今でも自分を助けてくれている親友のことを。

 

 

『青鸞嬢、インドの代表者が待っている』

「……そうですね」

 

 

 中華連邦の人々の中に消える天子の後ろ姿を見送りながら、青鸞は頷いた。

 ルルーシュ=ゼロの手を取り、指先を引かれるように次へ。

 

 

「これはゼロ、そしてクルルギのお嬢さん、久しぶりだね」

「――――今宵はお招きくださり、どうもありがとう」

 

 

 インドのナヤルとシュリー、資本家と聖職者の組み合わせ。

 これまた心強い味方との再会に、青鸞は心からの微笑を浮かべた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 宴と言えば、余興がつきものである。

 それも出征前の宴となれば、余興の一つも無ければテンションを維持できないだろう。

 そしてそれは、大体にしてホストする側が用意するものだ。

 

 

「ほぉぃっ!」

 

 

 軍服を脱ぎ、前掛け姿の仙波がホールの中央で仙波が蕎麦を打っている。

 藤堂や青鸞などの日本解放戦線組は知っていたが、仙波は蕎麦が打てる。

 何でも実家が蕎麦屋だったとか何だとかで、これが結構な腕前だったりする。

 物資不足の中、ナリタでも何度か子供達に振舞っていた。

 

 

 そして仙波が打った蕎麦は、千葉が茹でて次々と赤いお椀の中に放り込んでいく。

 いわゆるわんこ蕎麦と言う物で、有体に言えば大食い対決のようなものだ。

 とは言え量には限りがあるので、日本・中華連邦・インドの代表者がそれぞれ挑戦している。

 ちなみに日本の代表者は、玉城である。

 

 

「玉城ー、しっかりしなよー!」

「おぅっ、任しときなぁ! おおっと」

 

 

 わんこ蕎麦はお椀をしまわない限り半永久的に追加を入れられる、なので玉城は追加の蕎麦を慌ててかき込んだ。

 そしてそれを食べきると、朝比奈が次の追加分を入れている間に隣を見た。

 そこには中華連邦の軍人、洪古(ホン・グ)と言う大柄な男がいた。

 

 

 彼は玉城の倍、お椀を積み上げていた。

 そんな玉城の視線に気付いたのだろう、彼は横目で玉城の方を見た。

 そして玉城のお椀の数が自分に及ばないと見ると、どこか馬鹿にしたように「ふっ」と笑った。

 玉城は、カチンと来た。

 

 

「上等だぁゴルァッ! 蕎麦に関しちゃ日本人の方が上だってことを教えてやるぁっ!」

「はっ、ソバを大陸からの伝来品とも知らない日本人が生意気を言う」

「上等だぁっ!」

 

 

 勢いを増すわんこ蕎麦対決、日中の代表者の後ろにどんどんとお椀が積み上がっていく。

 70を超えたあたりで流石に苦しくなってきたのか、玉城も洪古も一旦箸を止めた。

 ちょうどその時、インドの代表者がお椀を置いた。

 玉城も洪古も内心で笑みを浮かべると共に安堵した、これでビリは無いと思ったからだ。

 彼ら2人はまぁせめて慰めてやろうと、どや顔でインドの代表の方を向いた。

 

 

「まぁ、あんま落ち込むなよ。インドにゃ蕎麦なんてねーだろうしな」

「左様、やはり文化圏の違いという物は大きいであろう」

「――――そうですね、私もまだまだ修行が足りません」

 

 

 インドの代表者は女だった、その向こうで「あははー」と苦笑するナヤルの姿が見える。

 金髪褐色、閉ざされた瞳に額の包帯。

 シュリー・シヴァースラの後ろには、玉城と洪古の2人の合計を足してなお足りぬ程のお椀が積み上げられていた。

 玉城と洪古は、言葉を失った。

 

 

「――――物珍しさから、ついつい食べ過ぎてしまいました」

 

 

 耳に残る奇妙な言葉遣いでそう言って、口元をナプキンで上品に拭いつつ、シュリーは笑った。

 

 

「皆、盛り上がってるなぁ……」

 

 

 わんこ蕎麦対決の輪の外側、ホールの壁際でそんなことを呟くのは林道寺だ。

 警備要員なのだろう、宴の席にも関わらず背中に十文字槍を背負っている。

 とは言え、具体的にやることがあるわけでは無い。

 彼は賑やかな会場を何となく見つつ、巡回も兼ねて歩き続けて……。

 

 

「おっと」

 

 

 その時、何かを踏みそうになって足を止めた。

 何かと思えば、それは槍だった。

 反射的に背中を確認する、自分の分はそこにあった。

 ならば誰のだろうか、刃が潰れている所を見ると儀礼的な槍らしいが。

 とにかくも、彼がしゃがみ込んで拾おうとした時。

 

 

「「あ……」」

 

 

 声と共に、手が重なった。

 槍の手で重なった手を負えば、中華風の赤いぶかぶかした衣装が目に入った。

 アジア系の美女がそこにいた、肩口で束ねた長い黒髪の近衛兵だ。

 張凛華、天子の護衛役としてここに来た中華連邦人だった。

 

 

 運命の出会いを果たしている者がいる一方で、いつも通りの者達もいる。

 例えば護衛小隊の面々、寡黙な榛名大和は額に鈍い汗をかいていた。

 何故かと言うと、彼もまた第一種礼装扱いの軍装を纏っているのだが、その腕に妹である雅が自分の腕を絡めているからだった。

 イブニングドレスに覆われた柔らかなそれが、むに、と大和の腕に押し当てられて形を歪めていた。

 

 

「どうかなさいました、お兄様?」

「い、いや……何も」

 

 

 耳元で囁く声が妙に熱っぽく、危ない、妹が非常に危なかった。

 特に主人には無い豊かな膨らみを押し付けてくるあたり、狙っているとしか思えない。

 鈍い汗を流しつつ大和が妹から目を逸らすと、別の人間と目が合った。

 インド人だろう、褐色の肌にがっしりとした身体つきの男だった。

 

 

 彼の名前はクリシュナ・シン、インド軍のKMFパイロットだ。

 なお、大宦官との戦いでスパイとして活躍したカンティ・シンの義兄であり、今も義妹であるカンティと宴に参加している様子だった。

 そして大和と同じようにモデル体系の義妹に腕を組まれて、いや気のせいでなければ足先を絡められているように見えるが、とにかく。

 

 

((……大変そうだなぁ))

 

 

 人種が違っても、似たような状況に置かれれば通じ合うらしかった。

 まぁ、それは別に人種によって変わるものでも無いのだろうが。

 

 

「もう、隊長……食べすぎじゃありませんか?」

「良いじゃねぇか別に、今の内にたらふく食っておいて損はねぇだろうよ」

 

 

 こちらは2人とも軍装、山本と上原である。

 ナリタから延々と戦い続けて、各地を転戦し、それでも生き残ってきた2人である。

 いつ死んでもおかしくないと言う意味では皆がそうだが、この2人もまた、いつ戦死してもおかしくない2人だった。

 

 

 だから、実はいろいろと考えていた上原だった。

 だが隊長であり士官学校の先輩でもある山本が料理に夢中で、自分の方など全く見てくれない。

 それに対して声に不満を乗せてみてもなしのつぶてだ、彼女は諦めたように溜息を吐いた。

 実は千葉に無理を言って化粧道具も借りて頑張ってみたのだが、どうも徒労に終わりそうで……。

 

 

「ほれ」

「え?」

「いや、お前も食ってみろよ。薄味だがなかなかイけるぞ」

 

 

 目を丸くして、差し出されたフォークとフォークに刺さった魚のムニエルを見る上原。

 しばらく逡巡していたが、山本に促されて、大人しく口を開けた。

 むぐ、と料理を押し込められる。

 味は、ほとんどしなかった。

 

 

「美味いだろ?」

「え、ええ……まぁ」

「そうだろそうだろ、美味いだろ?」

「はぁ……」

 

 

 まぁ、こうも快活な笑顔を見せられてしまうと、文句の一つも言えなくなってしまう。

 こう言うのも良いか、上原はそう思って笑顔を浮かべた。

 と、そんな時に。

 

 

「あ、今夜お前の部屋行くから」

「あ、はい……………………はいっ!?」

 

 

 それぞれの夜が、更けていく。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ふぅ……と息を吐きながら、青鸞はホールの外に出た。

 すでに公的な挨拶の時間も終わり、参加者がそれぞれ自由に過ごし始めたと言うのもあるが、少し外の空気を吸いたかったからと言うのもある。

 後は、普段から気にしている相手の姿が見えないので、探しに……という感じだ。

 

 

「あれ……?」

 

 

 何気なく人気の無い通路を――最低限の照明しかついていない、薄暗い――歩いていると、意外な組み合わせの2人組を見つけた。

 背中しか見えなかったが、それが誰かなどと見間違えることは無い。

 せっかくなので、声をかけようとした所で。

 

 

「草壁君は、本当に青鸞お嬢様のことを大切に想っているのだな」

 

 

 何だか聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がして、青鸞は柱の陰に隠れた。

 柱の陰からこそっと顔を半分覗かせて、通路の長椅子に並んで座る草壁と三木の様子を窺う。

 薄暗くて2人の表情は見えないが、2人の間に2つのお猪口と熱燗の瓶が1本あるのは見えた。

 日本酒など、どこから持ち込んだのだろう。

 

 

 ……それにしても、大切に想われている、と言うのは新鮮だった。

 普段から叱られてばかりで、しかも最近では信頼を裏切るような真似ばかりしてしまっている。

 声をかけられることもめっきり減ったし、てっきり愛想を尽かされたものとばかり思っていた。

 だが思えばナリタ時代からの付き合い、愛弟子として愛着の一つも。

 

 

「はぁ? 馬鹿も休み休み言って頂きたいですな、三木大佐。私があんな小娘を大切に想う? はっ、臍で茶が沸かせてしまいそうですな」

 

 

 泣きたくなってきた。

 でも、心のどこかで「ですよねー」と思う自分もいた。

 そして同時に、想像以上に気分が落ち込んでいる自分にも。

 

 

「第一、私は最初からあんな小娘を使うことに反対していたではありませんか。独り善がりで思い上がりが甚だしく、鼻高々な天狗で世間も知らず、腕も足りなければ頭も足りず、自慢できる物と言えば家の名前と顔ぐらいのもの。後、ついでに言うなら身体のメリハリが足りん、女としても未熟で泣けてくるわ」

 

 

 そ……と、何となく自分の胸元を撫でてみた。

 たぶんそう言うことでは無いのだろうが、何となく溜息を吐きたくなった。

 実際、未成熟だ。

 そして今後、もう成長の見込みも無い……コード的に。

 

 

「て、手厳しいな、草壁君は」

 

 

 何故か青鸞のいる方向をチラチラ見ながら、三木がやや引いていた。

 こちらを見ているのは、おそらく気のせいだろうと青鸞は思った。

 正直もう逃げたいのだが、下手に動くとバレてしまいそうで動けなかった。

 

 

「あの小娘と来たら、ナイトメアの操縦はそこそこ出来るが、それ以外のことはまるでなっておらん。そもそも指揮官に向いておらんのですよ、ああ言う手合いはすぐに死にます。上に歯向かい下に甘い顔をしておりますし、いざと言う時に泣き喚く顔をしておりますし、打たれ弱く目が離せない、と言うか実際に目を離した隙に攫われたり逃げ出したり……」

(すみません、もう本当、何かすみません……)

 

 

 本気で泣きたかった、三木など引くのを通り過ぎて顔を引き攣らせている。

 柱に額を擦り付けてプルプルと震えていた青鸞だが、不意に後ろから肩を叩かれて、「ひゃわっ」と変な声を上げてしまった。

 振り向けば、そこには精悍な顔立ちをした青年がいた。

 三木の副官、前園である。

 

 

「あの、こんな所で何を……」

「え? あ、あ~、いや、その……はっ」

 

 

 背後に殺気を感じて、青鸞は着物の下で滝の汗を流していた。

 

 

「こぉむぅすぅめぇ~~……」

「ご、ごめんなさぁ――いっ!」

 

 

 振り向く勇気は持てずに、青鸞はそのまま一目散に駆け出した。

 振袖を左右に振りながらの女の子走り、着物のせいか速度は無いが、しかし誰も追いかけなかった。

 

 

「全く、小娘めが……!」

「ははは、まぁまぁ」

 

 

 苦笑する三木の横、草壁が「ふんっ」と鼻を鳴らす。

 全くもって厳しいが、三木は少し違う感想を抱いているのだった。

 何だかんだ言いながら、草壁は青鸞のことを良く見ている。

 何しろ、草壁が他の人間をあそこまで批評することは無いのだから。

 

 

『草壁中佐っ!』

 

 

 そして、あんな声で草壁を呼ぶ少女も。

 だから草壁も、全く無視をしたり見捨てたりも出来ないのだろう。

 こう見えて、意外と面倒見の良い性格なのだ。

 

 

「あの小娘は全く、盗み聞きなどと日本人のすることか。後で呼び出して6時間は説教を……」

「……せ、せめて3時間にしてはどうかな?」

 

 

 ……少々、捻くれているようだったが。

 これもまた、一つの情の形だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 一方でルルーシュ=ゼロもまた、ホールを抜け出していた。

 ただ彼の場合、誰かを探すと言うよりは……こんな時でも、準備や根回しに余念が無いと言った所だろうか。

 実際、人気の無い部屋に入って秘密で通信を行っているのだから。

 

 

『ではルルーシュ、私はジェレミアとヴィレッタと共に現地の測量を済ませておく。だが本当に父上達はあのルートで来るのだろうな?』

「その点に関しては信じて貰って結構ですよ、姉上。あの男は必ずあの島に向かう、だから」

『……良いだろう。では』

「ええ」

 

 

 通信の相手は、コーネリアだ。

 彼女はカゴシマ基地にはいない、むしろキュウシュウから遠く離れた海の上にいる。

 ルルーシュ=ゼロが来るブリタニア皇帝の親征軍との戦場に設定した地で、勝利のための布石を打っている所なのだ。

 

 

 最終的な、勝利のために。

 お互いの、契約のために。

 まぁ、ルルーシュ=ゼロとコーネリアの契約の完遂のためには、いずれにしてもブリタニア皇帝を打倒しなければならないのだが。

 

 

「相も変わらず、裏であれこれ手を回すのが好きな男だな」

「黙れ魔女」

 

 

 いつもの返しをしてから、ルルーシュは後ろを振り向いた。

 するとそこには想像の通りの少女がたっていた、緑の髪の魔女C.C.である。

 彼女はいつものように感情の無い目でルルーシュを見つめていた、その視線をルルーシュも受け止める。

 しばし、沈黙があった。

 

 

 ……聞きたいことは、山のようにあった。

 

 

 例えば、皇帝と母親のこと。

 例えば、どうして自分と契約したのか。

 例えば、そもそもC.C.の契約、願いとは何か。

 例えば、例えば、例えば……挙げ連ねれば、キリが無い。

 

 

「一つだけ礼を言っておきたいことがある、C.C.」

 

 

 そう言うと、C.C.は少しだけ驚いたような表情を浮かべた。

 その顔が見れただけでも、今までを過ごしてきた甲斐があった。

 何故かルルーシュはそんなことを思った、嘘吐きで非協力的で裏切り者で秘密主義的な魔女を相手に、そんな温かさを含んだ感情を抱くとは自分でも不思議だった。

 

 

「お前はどう言う風の吹き回しかはわからないが、青鸞にコードのことを教えた。おそらくはそのことが、V.V.のコード侵食から青鸞を守る一助になったのだろう。そのことについては、礼を言っておこう」

 

 

 本当に、どう言う風の吹き回しだったのだろう。

 C.C.は当初から青鸞のことを気にしていた、コードを発現してからは特にそうだ。

 今にして思えば、いつか青鸞を殺そうとしたのはコード発現の予兆を感じ取ってのことだったのかもしれない。

 

 

 やり方は最悪だったが、青鸞を救おうとしての行動だったのかもしれない。

 不死という地獄に落ちる前に、何とかしようとしたのかもしれない。

 優しい、などと言う生半可なことでは無いのだろう。

 ただそれでも、ルルーシュは一度だけ礼を言った。

 青鸞を、大切な幼馴染を救ってくれて、ありがとうと。

 

 

「……底抜けにお人好しな坊やだな、お前は」

 

 

 それに対して、C.C.は僅かに微笑んで見せた。

 数百年を独りきりで生き続け、時として誰かの傍で何かを願い続けてきた魔女の微笑み。

 それは、魔女と言うにはどこか穏やかに過ぎるものだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「あ、こんな所にいた」

 

 

 不意に聞こえた声に、旧市庁舎の書庫の奥からぼんやりと外を見ていた少年は振り向いた。

 エネルギー消費を押さえるためだろう、宴が催されている大ホール以外は照明が薄い。

 いくつもの本棚に囲まれた書庫も今は薄暗く、窓から漏れる月明かりだけが光源だった。

 

 

 少年……ロロが振り向いた先にいたのは、本棚に手をかけるようにして立つ姉だった。

 つまり、青鸞だ。

 大ホールにいるはずの彼女は、ロロを見つけると優しく微笑んだ。

 何だか気恥ずかしくなって、ロロはまた窓の外へと視線を戻した。

 クスリと笑んで、青鸞はゆっくりとした足取りでロロの隣に立った。

 

 

「……良くわかったね、僕がどこにいるか」

「お姉ちゃんだからね」

「……本当は?」

「姿が見えないから、心配になって見に来た。でも割と探した、ちゃんとわかりやすい所にいなさい」

「ごめんごめん」

 

 

 クスクスと笑った後、ロロは元通りの静かな表情に戻った。

 その隣で、青鸞もまた静かに窓の外に視線を向ける。

 何があるわけでも無かったが、そうした。

 ただ傍にいる、それだけのことでロロは幸福を感じている自分に気付く事が出来た。

 

 

 考えていたことがある。

 それは姉が、饗団の子供達を自分の「弟や妹」だと言ったこと。

 正直、そんな風に感じたことは無かった。

 たまたま同じ組織に育てられただけの関係で、それ以上でもそれ以下でも無い。

 饗団の子、ただそれだけ。

 

 

「あ……」

「え? 何、姉さ」

「こっち、隠れて!」

 

 

 急に姉に手を引かれて、ロロは青鸞と共に本棚の影に隠れた。

 何だろうと思っていると、書庫に誰かが入って来たのだと気付いた。

 そしてそれは、ロロも知っている人間だった。

 

 

「どうした、千葉。こんな時に話など……」

「す、すみません……あの、時間は取らせませんから」

「いや、まぁ、別に構わないが」

 

 

 藤堂と、千葉だった。

 黒の騎士団、そして旧日本解放戦線における武官の代表とも言える2人だ。

 2人とも第一種礼装の軍服姿で、千葉は両手で帽子を握り締めているようだった。

 何だか様子がおかしいが、いったい何なのだろう。

 と言うか、隠れる必要性があるのだろうか。

 

 

「ねぇ、姉さ」

「しっ、静かに……!」

 

 

 上から頭を押さえつけられて、ぐ、と中腰になるロロ。

 背中で姉を支えているような状態だ、正直に言えば少し重い。

 

 

「あ、その……いよいよ、ですね」

「……そうだな、近く決戦だ。正直、戦況は厳しいものになるだろうが」

「そう、です……ね」

「ああ、はたして何人が生き残れるか……」

 

 

 そこだけはロロにもわかる、実際、ブリタニアとの戦力差は如何ともし難い。

 もちろんロロは命に代えても姉だけは守るつもりだったが、それと戦況は別問題だった。

 ロロがそんなことを考えていると、どうやら千葉は何かを決意したらしかった。

 

 

 しかし随分と言いにくいことを言おうとしているらしく、口を何度も開けては逡巡する、と言うことを繰り返していた。

 対する藤堂は首を傾げつつも、根気良く千葉の言葉を待っていた。

 そして何故か、青鸞が自分の衣服の背中を強く握り締めてきた。

 

 

「藤堂……藤堂教官、私」

「あ、ああ」

 

 

 千葉が顔を赤くしていて、それに伴い自分にくっついている青鸞の体温が上がったような気がした。

 本当に何なのだろう、ロロにはわからなかった。

 ただ、何だろう、楽しいと感じた。

 

 

「私、千葉凪沙は……藤堂教官、いえ、藤堂鏡志朗を」

 

 

 ハラハラしている様子の姉と一緒に隠れて、誰かの秘密を覗く感覚。

 それは本当に楽しくて、そして。

 

 

「……1人の男性として、愛しています!」

 

 

 そしてもし饗団の「弟妹」達も一緒にいれば、もっと楽しいのだろうか。

 ふと、そんなことを考えた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 何だか、今日は誰かの秘密を良く覗き見する日だった。

 そんなことを思いながら、青鸞はほぅ、と息を吐いた。

 先に入ったお風呂のせいでは無いだろうが、身体がポカポカと火照っていて暑い。

 

 

 草壁から逃げ、ロロと一緒に藤堂と千葉の睦言の現場から()()うの(てい)でさらに逃げ出したのはすでに3時間以上前の話だ。

 もう宴も終わり、旧市庁舎も今では静まり返っている。

 中華連邦やインドの要人達も、それぞれ自分達の母艦へと戻っていた。

 

 

『……青鸞?』

 

 

 聞こえた声に、青鸞は腰掛けていたベッドの上でビクリと両肩を竦ませた。

 そんな彼女に首を傾げ、仮面を外しながら入室してきたのはルルーシュだ。

 それもそのはずで、ここは青鸞のために用意された寝室では無く、ルルーシュの寝室であったためだ。

 だからルルーシュは、自分の寝室にいる青鸞に意外を感じたのである。

 

 

 何やら慌てている様子の青鸞を見ると、どうもいつもと様子が違うように見えた。

 髪は香油でも塗ったかのように艶やかさを増していたし、肌はいつも以上にキメ細やかで、身に纏っている衣服も以前に見た着物とはまた違うようだった。

 白百合の花弁が薄く染め抜かれた、白絹の小袖長襦袢。

 ……ああ、とルルーシュは頷いた。

 

 

「ああ、なるほど。そう言うことか」

「う、うん。いやでも、そんな声に出して言われるとちょっと」

「そうか、まぁ、そうだろうな」

 

 

 何とは無しに頷いて、ルルーシュは室内へと歩を進めた。

 緊張して身を固くしたらしい青鸞に微笑を見せて、彼は言った。

 

 

「扇のことだろう?」

「…………アー、ウン、ソウダネ」

 

 

 何故か声まで固くなってしまった、ルルーシュは内心で首を傾げた。

 だが青鸞も、扇……より言えば、ディートハルトの行動に許可を与えた扇のことは気にはなっていたのだ。

 宴の席にはいなかったし、そう言えばカゴシマ基地に戻った時にもいなかった。

 

 

「扇は今、キョウトに行っている」

「キョウト?」

「ああ。我々が戻る直前に、キョウトが……皇神楽耶が連れていったらしい」

「神楽耶……」

 

 

 ぽつり、と、その名前を呟く。

 今回の青鸞に対する騎士団内の動きに対してキョウトがどういう行動に出たか、何となくはわかる。

 特に神楽耶が自ら足を運んだと言うことは、今回の件についてキョウトが激怒していることを表している。

 

 

 今、キョウトからの支援を切られるわけにはいかない。

 だからルルーシュとしては、扇の身柄引き渡しについて了承の意を見せなければならなかった。

 ただこのタイミングで扇を更迭することも出来ないので、表向きはキョウトとの協議としている。

 元々、扇は前線指揮官タイプでは無い。

 だから突然の出張にも、騎士団内部から異論や疑念の声は出てこなかったのだ。

 

 

「扇さん、どうなるの?」

「少なくとも、黒の騎士団にはいられないだろう。とは言え闇に葬られる程でも無いから、謹慎の後、また別の形で復権することになるだろうな。どんな道を選ぶかは、扇自身だが……」

 

 

 軽く頭を振って、ルルーシュは述懐するように言った。

 

 

「……扇は、テロリストには向いていなかった。それだけのことだ」

 

 

 人が良すぎる、ルルーシュはそう締めくくった。

 そしてその意見に、青鸞は頷きはしても否定はしなかった。

 扇要と言う男は、およそテロとか戦争とか、そんな血生臭い世界に適応できる性格をしていなかった。

 心根が優しく、だからこそ優柔不断で、戦いや抵抗を延々と続けることに疑問を持ってしまった。

 扇要は、そう言う男だったのだ。

 

 

(……神楽耶)

 

 

 そして、皇神楽耶。

 青鸞の幼馴染、彼女がいなければ青鸞の抵抗はもっと以前に終わっていたかもしれない。

 だが彼女は、青鸞が戻る前にキョウトへと帰ってしまった。

 これをどう受け取るべきなのか、青鸞には聊か自信が無かった。

 

 

「まぁ、心配することは無い。お前のことは俺が守ってみせる、俺が……」

 

 

 ふと何かに気付いたように、青鸞は顔を上げた。

 ルルーシュは壁際のサイドボードに仮面を置き、自らが作り出した仮面と向かい合うように、青鸞に背を向けていた。

 サイドボードに両手をついているその様は、どこか項垂れているようにも見える。

 

 

「…………お前、だけは」

 

 

 危うい、と、思った。

 ナナリーを、最愛の妹を失ったルルーシュは、時折こう言う雰囲気を纏う。

 何かを守り抜きたい、でも自分にそれが出来るのか、はたして選んだ道は、策は正しいのか。

 1人きりで抱え込んで、独り、重圧に泣いているような雰囲気。

 

 

 そんな姿を見る度に、青鸞は胸が締め付けられてしまう。

 そして、卑怯な自分が顔を覗かせることも自覚する。

 だって、そうでは無いか。

 何故なら自分は、自分がそう言う時にすることは、出来ることは。

 

 

「……ルルーシュくん」

 

 

 囁くように名前を呼んで、青鸞はベッドの端から立ち上がった。

 小袖の襦袢の裾がシーツと擦れる音が僅かに聞こえて、ルルーシュが僅かに肩を揺らした。

 次いで、そっと……柔らかな温もりが、ルルーシュの背にふわりと触れた。

 

 

「ボクね……ずっと、考えていたことがあるんだ」

「……何だ」

「……ボクは、誰なんだろう?」

 

 

 一瞬、言葉の意味がわからなかった。

 だがその後に続けられた言葉に、ルルーシュは目を見開いた。

 

 

「ボクは、誰なんだろう。キョウトの枢木青鸞なのか、ナイトオブラウンズのセイラン・ブルーバードなのか、それとも……ギアス饗団のA.A.なのかな?」

 

 

 ――――解離性同一性障害、所謂「多重人格」だ。

 ただ通常の解離性同一性障害は外的なストレスから逃れるために自己を解離、つまり記憶や感情が切り離されて人格へと成長するのに対し、青鸞の障害はより深刻なものだった。

 何故ならそれは、コードとギアス、人智を超えた2つの力によって無理矢理起こったことだからだ。

 

 

 皇帝の記憶操作のギアスによって生まれた、セイラン・ブルーバードの人格。

 これはロロと言う偽物の弟への愛情や、ラウンズの元同僚を前にした時などに強くなる。

 そして饗団でのコード覚醒に伴い生まれた、A.A.の人格。

 これはギアス饗団のメンバーといる時に強くなる、コードの数千年の記録に押されてだ。

 ゆらゆらと揺らぐそれは、枢木青鸞と言う主人格を常に苛んでいる。

 

 

「青鸞、お前は」

「本当に?」

 

 

 ルルーシュの言葉を遮って、彼の背中から身を離す青鸞。

 何かを解くような音が、続いて聞こえた。

 それに合わせるように振り向いたルルーシュは、しかし言葉を紡げずに息を呑んだ。

 

 

「本当に、そう思うなら……ボクに」

 

 

 緩められ、少女の足元へ落ちたのは淡い色合いの帯だった。

 帯を説かれた白百合の襦袢は、押さえられることも無く、花開くように表を解く。

 白百合の下には、透けるような白い肌のみがあった。

 すでに幾度も見たそれは、ほんのりと朱色に染まっている。

 そしてそれ以上に、青鸞の頬が赤く、恥らうように朱に染まっていることに気付く。

 

 

 ルルーシュは、言葉を続けることが出来なかった。

 こちらを迎えようとするかのように両側に小さく開かれた手、その先にある柔肌から目を逸らすことが出来なかった。

 そしてそれ以上に、少女に不安に揺れる潤んだ瞳から視線を外すことが出来なかった。

 

 

「……私に、「ボク」を教えてください」

 

 

 はしたない娘と、思ってくれても良いから。

 そう呟いた青鸞に、ルルーシュは首を横に振った。

 そして彼は、何かを堪え切れなくなったかのように少女の細い身体を抱き締めた。

 抱き締め、そして少女の唇に己のそれをぶつけた。

 

 

 口吸い(キス)と言うには聊か雑なそれは、お互いの歯がぶつかる音で始まった。

 繊細な少年らしくも無く荒々しいそれに、青鸞の閉じた目の端から涙の雫が散った。

 するりと床へと落ちる襦袢、脱ぎ捨てられる漆黒の衣装、重ねられる肌、熱。

 その場で、床で、そして白く滑らかなシーツの上で、2人は。

 忘却の時間を、得ることが出来た。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ……青鸞が人目を憚るように、こそこそと自分にあてがわれた寝室に戻ってきたのは朝日が昇る直前、早朝だった。

 本当ならそうも素早く動けなかったかもしれないが、不死の身体はこう言う時に便利だった。

 だから使っていないベッドの端に腰掛けて、雅が起こしに来るのを待つことが出来た。

 

 

 そして、そっと胸元を撫でた。

 どこか満足そうで、愛しい何かを思い出すような表情。

 目を閉じて思い出すのは初めて受け入れた時の記憶、枢木青鸞としての記憶だ。

 自分の身に感じた重さと熱さ……そして心配そうに、それでいて何かを堪えるように歪む愛しい少年の顔……。

 

 

『青鸞さま、雅です』

「あ、ああ、うん。お、起きてるよ?」

『まぁ、珍しいですね。私が来るよりも早く……』

 

 

 雅がやってきて、青鸞は居住まいを正した。

 

 

「おはようございます、青鸞さま。昨夜は良くお休みなれましたか?」

「う、うん! もう、もの凄く良く眠れたよ!」

「は、はぁ……」

 

 

 完璧だ、青鸞はそう思った。

 何しろ彼女の身体は不死・停滞の塊のようなものだ、いつかルルーシュに述べたように、全てが昨夜以前と同じ状態に戻っている。

 故に後は精神的な動揺さえ気取られなければ、誰に知られることも無く過ごすことが出来る。

 そう思い、青鸞は内心でほっと胸を撫で下ろした。

 

 

「……左様でございます、か」

 

 

 しかし当の雅はと言うと、青鸞を鏡台の前に座らせながらそっとベッドのシーツを確認した。

 横目に見たそれが、一晩眠っていたにしては妙に綺麗に整えられている。

 そして彼女は、自分が櫛を通している青鸞の髪に自分の知らない香油の香りを感じた。

 ……ふむ、と頷くと、雅は青鸞の耳元に唇を寄せて。

 

 

「……昨夜は」

「え、あ、うん」

「……お楽しみでしたね?」

 

 

 数秒、時間が止まった。

 ただ止まったのは青鸞の時間だけで、雅はその後も変わらず青鸞の髪に櫛を通し続けていた。

 と、停止から櫛を通してちょうど三度目で。

 

 

「いやっ、なななな、何を言ってるのかなぁ雅は! ボ、ボクはずっとここで、ね、寝てたから」

「今朝はお召し物を着たまま、起床なされたんですね」

「え、あ、あー……そう! み、雅が来る前に起きてたから!」

「……青鸞さま」

 

 

 ふぅ、と溜息を吐きながら、雅は言った。

 

 

口吸い痕(キスマーク)と言うのは、髪や衣服で隠れる場所にしないと……」

「えっ!?」

 

 

 そんなはずは、と首の後ろあたりを押さえる。

 ぱちんっ、と乾いた音が響いたのだが、その音と同時に青鸞ははっとした。

 雅がクスクスと笑う声が聞こえてきて、かぁ、と頬が熱を持つのを感じた。

 そんな痕が残っているはずが無いのに、つい反応してしまった。

 

 

「み……雅っ!」

「うふふ、申し訳ありません。青鸞さまが、いつになく可愛らしいものですから」

「む、むむむ……!」

 

 

 恥ずかしい、とにかく恥ずかしかった。

 キョウトの娘が嫁入り前に、と言う貞操観念以前に、とにかく恥ずかしかった。

 だから青鸞は後ろを振り向くと、びっくりした表情を浮かべる雅に飛び掛った。

 

 

「きゃあっ!? せ、青鸞さま、お戯れを……!」

「み、雅だって、昨日は何かやけに大和さんにくっついてたし! 実はお楽しみだったんじゃ無いの!?」

「あっ、おやめになってくださいまし青鸞さま。そこはっ」

「ふふふ、よいではないか、よいではない……か……」

 

 

 まぁ、飛び掛ったとは言っても、抱きついて雅の着物の袷を緩めただけだ。

 それくらいならスキンシップと言うか、悪ふざけの範囲内で終わると思った。

 だが何故か、雅の着物の首元を緩めた青鸞は、急に動きを止めた。

 

 

 そして、雅の着物を直して……青鸞は何事も無かったかのように鏡台の前に座り直した。

 雅もまた、何事も無かったかのように青鸞の髪に櫛を通し始めた。

 先程とは違う意味で顔を赤くした青鸞は、視線を左右に動かしつつ。

 

 

「……お楽しみ、だったんだ……」

「ええ、まぁ♪」

 

 

 今気付いたのだが、鏡台の鏡に映る雅の顔は、やけにツヤツヤしているように見えた。

 いや、まぁ、兄と妹だろうとか何だとかいろいろあるが、近親婚が無いでも無いキョウトの家ではままあることだが、いやそれにしても。

 ……ああ言う痕のつけ方は、無いのではないだろうか。

 

 

 こうなってくると、青鸞としては何も言えなかった。

 雅は完全に青鸞が「お楽しみ」だったと思っている様子なのだが、しかし実の所、内容にかなりの違いがあるのでは無いかと青鸞は思っていた。

 そして青鸞は知らない、今この時、ルルーシュがC.C.により「ヘタレ童○」と連呼されて屈辱に耐えているだなどと。

 

 

「まぁ、首輪のような物ですわね」

「言わないでよ! 我慢してたのに!」

「申し訳ありません、うふふ……」

「はぁ、もう……ふふ、ふふふ」

 

 

 正直どうかと思うが、青鸞は笑った。

 雅も笑う、クスクスと押し殺した少女達の笑い声が寝室に響く。

 それは酷く平和な時間で、だからこそ。

 青鸞は、自分が「自分」を取り戻したことに気付いた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――ブリタニア海軍太平洋艦隊と言えば、世界最強の艦隊と名高い艦隊である。

 航空母艦2隻、巡洋戦艦4隻、駆逐艦14隻、揚陸艦8隻、医療艦5隻、潜水艦7隻、航空機約130機、陸戦用ナイトメア約300機が基本構成であり、必要に応じて増強される。

 そして今回は、ブリタニア皇帝直属の艦隊が加わっている。

 

 

 ブリタニア皇帝の直属艦隊は全てがログレス(重アヴァロン)級・カールレオン(軽アヴァロン)級の航空戦艦であり、全部で12隻、艦載されている航空戦用ナイトメアは200機を超える。

 まさに絶大な戦力であり、少なくとも他国の艦隊にこの艦隊は破れないと言われている。

 そしてその自らの艦隊の威容を、皇帝シャルルは自らの座乗艦『グレート・ブリタニア』の艦橋から見下ろしていた。

 

 

「おはようございます、陛下。昨夜は良くお眠りになられましたか」

「うむ……ビスマルク、何か変事はあるか」

「いえ、全て順調です。我が艦隊はすでにイズ海域に達しており、すでにエリア11域内に入っております。気候のせいか、やや朝靄がかかっているようですが……」

 

 

 ナイトオブワンにして腹心、ビスマルク・ヴァルトシュタインが階下からそう告げる。

 数段上の玉座に座した皇帝は、寝起きとは思えぬ程に苛烈な瞳で艦橋を見渡した。

 艦橋スタッフが朝の挨拶として「オールハイルブリタニア」と叫ぶのを興味も無さそうに受けて、それから外を確認する。

 

 

 電子窓を通じて、艦橋周囲に広がる海の様子は良く見える。

 そこには確かに白い朝靄がかかっていて、味方の艦隊の姿を視認するのがやっとだった。

 外の様子を首を左右に振ってゆっくりと確認した後、皇帝は唇の両端を上げた。

 そして、皇帝は不意に哄笑を始めた。

 

 

「へ、陛下?」

 

 

 さしものビスマルクも面食らった様子で、驚きに目を見開きながら皇帝を見上げている。

 大きく口を開いて哄笑していた皇帝は、始めた時と同じくらい不意に哄笑を止めた。

 しかし口元に浮かべた笑みはそのままに、大きく息を吸い込むと。

 

 

「全軍、第一種戦闘配備をせよ……!」

「陛下、いったい!?」

「ビスマルク、お前には見えぬのか。我らの敵は……ほれ、すでにすぐそこにまで来ておるではないか」

 

 

 皇帝の言葉にはっとしたビスマルクは、皇帝に背を向けて正面モニターを見た。

 オペレーターに気候データを入力させ、画面上から朝靄を消させた。

 予測値を頼りに計測と計算が成され、熱源を元に正しい映像を出現させる、するとそこには。

 

 

「挑んで来るが良い、ゼロよ。勝利か敗北か(オール・オア・ナッシング)、元来、世界とはそう言うものなのだからな……!」

 

 

 朝靄の晴れたその先、水平線の向こう側から上ったばかりの太陽の光に照らされる物があった。

 角のある、あるいは丸みを帯びたそれらは太陽光に鈍く煌き、ブリタニア海軍太平洋艦隊の行く手を阻むかのようにそこにいた。

 そしてその中心にいるのは、太陽にさえ染められぬ漆黒の軍勢。

 すなわち。

 

 

「黒の騎士団……!」

「ふ、ふふふ、ふふははははは、はーっはははははははははははははははははははははははっ!!」

 

 

 皇歴2019年、伊豆諸島沖。

 世界の覇権を巡る争いが、今まさに始められようとしていた。




採用キャラクター:
ATSWさま(小説家になろう):クリシュナ・シン
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 今話はオリキャラ同士のカップリングも絡めてみました、ほとんどは今までの話の中で絡むことの多かったキャラクター達ですね。
 今後もそう言う場面はあるかと思います、最終決戦ですから。
 でも最終決戦だけに、誰も死なない、と言う風に持っていくべきか、と言う悩みが無いでも無いわけで……うーん。

 そして私は、ルルーシュくんを卒業させないことにしました(え)。

 今話はアレです、古い言い方をするなら、ABCにおけるBです。
 ルルーシュ、キミは私の期待通りの男ですよ……と言っても、まだ高校生ですものね。
 本来なら、最後まで行ってしまうのはダメダメですものね。
 頑張って20歳まで生きて、それからですよ。
 どんまい、ルルーシュ(酷い)


『敵は、強大なブリタニア本国軍。

 規模は膨大、質は精強、おまけにボクらの後ろにはシュナイゼルとユーフェミア。

 正直、勝てる見込みはほとんど無い。

 だけど、ボク達は戦いをやめない。

 侵略者に対して膝を屈するくらいなら、最初から抵抗なんてしなかったから……!』


 ――――TURN23:「皇帝 を 討て!」


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TURN23:「皇帝 を 討て!」

 伊豆諸島沖で対ブリタニア同盟軍がブリタニア皇帝シャルルの艦隊を待ち伏せ出来たことには、いくつかの要因が存在する。

 まずは黒の騎士団のリーダー、ルルーシュ=ゼロが皇帝軍の進路をほぼ100%正確に読んだこと。

 ルルーシュ=ゼロはその理由を誰にも語らなかったが、少なくとも2人の人間は理由を知っていた。

 

 

 神根島。

 

 

 その島の存在を知っている者ならば、皇帝がエリア11に向かったと言う情報を得た段階で、まずその可能性に行き着くだろう。

 事実、皇帝シャルルは帝都出立後、ほとんど真っ直ぐにエリア11の伊豆諸島を目指した。

 シュナイゼルの後詰めと言う表向きの理由にしろ、ユーフェミアの討伐と言う裏向きの理由にしろ、まず目指すべきはトーキョー租界であろうに。

 

 

『この戦いこそが、世界の趨勢を決定する戦いとなるだろう……!』

 

 

 通信機の向こうから聞こえてくるルルーシュ=ゼロの声に、青鸞は操縦桿を握る手に力を込めた。

 彼女はすでに空に在り、もちろん彼女だけでは無く、左右に視界を広げれば友軍の航空用ナイトメア数十機が見える。

 そして眼下には、日本・中華連邦・インドを中軸とした混成艦隊がその威容を見せ付けている。

 

 

 母艦機能を持つ大竜胆(ター・ロンダン)1隻、及び竜胆3隻、日中混成の駆逐艦・フリゲート艦14隻、医療艦2隻、インドの潜水艦5隻……そして、航空戦艦『斑鳩』と『ヴィヴィアン』。

 航空機はヘリコプターを含めておよそ50機、航空戦用ナイトメアおよそ80機に陸戦用ナイトメアがおよそ500機。

 陸戦用ナイトメアが多いのは主力が鋼髏(ガン・ルゥ)だからだが、とにかくもこれが全てだ。

 

 

(反ブリタニア勢力が出せる戦力は、これで全部……!)

 

 

 だがブリタニアは違う、目の前の艦隊以外にもブリタニア軍は戦力を持っている。

 けれどブリタニアは今、世界中で戦争をしている。

 自分達だけに戦力を集中できない、そして中にはエリア11統治軍のように皇帝の命令に従わない軍もいる。

 そしてそここそが、ブリタニア皇帝の弱点になり得る。

 

 

 実際、ルルーシュ=ゼロがエリア11の領域内で皇帝軍を待ち伏せ出来たもう一つの理由が、エリア11代理総督ユーフェミアの沈黙なのだ。

 エリア11統治軍が背後から撃ってくることはあり得ない、そのある種の信頼が可能にした待ち伏せ。

 そう、すなわちルルーシュ=ゼロが立てた逆転の策とは。

 

 

『皇帝さえ倒せば、我々の勝利だ!』

 

 

 皇帝シャルルの首を取ること、それだけである。

 ブリタニア皇帝シャルルは未だ後継者を立てていない、そして皇帝自身の方針により、有力な皇子・皇女達は様々な大貴族の後ろ盾を得て宮廷闘争に明け暮れている。

 皇帝シャルル亡き後、皇帝の座を巡って争うだろうことは目に見えていた。

 すなわち、神聖ブリタニア帝国の分裂である。

 

 

 後継者争いにエネルギーを使い始めたブリタニアは自然、外への膨張を抑えざるを得なくなるだろう。

 そうすれば各エリアで反ブリタニア勢力が盛り返す芽も出てくる、窮地にあるEUも反撃に出るだろう。

 何しろ遠征に出ている皇族や将軍は一刻も早く本国に帰り後継者レースに参加しなければ、次期皇帝の座を逃すばかりでなく新皇帝に逆賊の汚名を着せられてしまうかもしれないのだ。

 それは、中世の皇族・貴族支配体制を色濃く残すブリタニアならではの弱点だった。

 

 

『恐れることは無い……未来は! 我らの手の中にある!!』

 

 

 朝靄に潜んでの奇襲こそ失敗したが、待ち伏せには成功した。

 だから青鸞は、ルルーシュ=ゼロの声に眦を決した。

 

 

「山本さん、上原さん、大和さん……皆」

 

 

 不安は、ある。

 何倍もの規模を持つ敵に対して、いったい何人が生き残れるだろう。

 死なない、死ねない自分だからこそ、そう思った。

 願うように、想った。

 

 

 でもそれは、ナリタの時代から……いや、前の戦争の時から変わらない、日本と言う国の戦略上の宿命のようなものだった。

 他国と戦争をする時、日本はいつだって劣勢だった。

 いつだって劣勢で、だからこそ必死に、日本と言う国を残そうと戦ってきたのだ。

 だから。

 

 

「――――行こう!!」

『『『承知ッ!』』』

 

 

 だから、自分達も日本を取り戻すために戦うのだ。

 呼びかけに小隊の皆が応じてくれた時、月姫のセンサーが熱源を捉えた。

 顔を上げて正面を見れば、ブリタニア艦隊がミサイルを撃ち、砲撃を放ち、航空機や航空戦用ナイトメアを出撃させている様子が見て取れた。

 

 

『全軍――――』

 

 

 自らも月姫の腕部内蔵火砲を掲げながら、青鸞はルルーシュ=ゼロの声を聞いた。

 

 

『―――-状況を、開始せよっ!!』

 

 

 始まりだ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「暁隊は前に出ろ! 敵ナイトメア隊の頭を押さえる! 朝比奈! 仙波! ……千葉!」

『『承知!』』

『……はいっ!』

 

 

 藤堂の号令に、廻転刃刀を手に十数機の暁が先頭に踊り出る。

 敵の前衛を押さえるためだ、互いの艦隊の空を取った方が自然、優位になる。

 黒の騎士団の最新鋭機である暁は、性能だけならばヴィンセントにも負けない。

 

 

 しかし、如何せん数が足りなかった。

 開発はラクシャータら技術開発部の頑張りで何とかなっても、製造や訓練までは間に合わなかった。

 だから暁はほんの一部、ほとんどは先年の戦いで主力を張った月下に飛翔滑走翼を装備したタイプのナイトメアである。

 ブリタニア軍に当てはめると、グロースター・エアだろうか。

 

 

「質で劣るのは承知の上! だが我らの狙いはあくまで敵の旗艦、『グレート・ブリタニア』……!」

 

 

 中華連邦艦隊の旗艦、大竜胆の前で星刻が吼える。

 側面から攻め寄せてきた敵の航空戦用ナイトメアを斬り伏せ、スラッシュハーケンで僚艦を狙うVTOL機を撃ち落とす。

 中華連邦のナイトメアはほとんどが鋼髏(ガン・ルゥ)、つまりは陸専用だ。

 それため竜胆の上に固定砲台として配備され、対空砲火の一翼を担っている。

 

 

「懐に入り込めれば……ぬぅっ!?」

『……貴様が敵将か……!』

 

 

 中華連邦軍にあって獅子奮迅の活躍を見せる星刻に対し、直上の空から大型のナイトメアが襲いかかってきた。

 剣を横に構え受け止めるが、それだけで神虎の両腕から紫電が走った。

 衝撃がコックピットを抜け、星刻が呻く。

 

 

 睨みつけるように正面のモニターを見れば、白騎士に漆黒の鎧を着せたような外見のナイトメアがいた。

 デュアルアイに光を灯らせるその機体の手には巨大な剣があり、それが星刻の剣を断ち切らんとしていた。

 識別された機体名は『ギャラハッド』、すなわち。

 

 

「ナイトオブワン……ビスマルク・ヴァルトシュタイン卿か!」

『いかにも。皇帝陛下の命により……貴様らを、殲滅する!』

 

 

 ギャラハッドと鬩ぎ合う神虎の横を、緑色の塗装をされたヴィンセント隊が擦り抜けていく。

 皇帝直属のロイヤル・ガード機だ、防衛ラインを抜かれた星刻としては歯軋りして見送るしか無い。

 鋼髏(ガン・ルゥ)と竜胆の対空砲火では対抗しきれない、簡単に砲火の間を抜けられてしまう。

 

 

「行かせるかああぁ――――っ!!」

 

 

 そこへ飛び込んで来たのが、真紅のナイトメア『紅蓮』だった。

 思い切り操縦桿を前に倒したカレンは、迷うことなく先頭のヴィンセントに特攻をかける。

 右腕で頭を掴み、空中を引き摺るように飛翔し続けた。

 そしてそのまま、右腕に輻射波動のエネルギーを流し始める。

 

 

「弾けろ、ブリタニアァッ!!」

 

 

 叫び、トリガーボタンを押す。

 次の瞬間には、内側から赤く爆砕したヴィンセントを投げ捨て、次を潰すために振り向いた。

 操縦桿を引いたのは、ただの勘だ。

 しかしその勘が彼女を救った、真上からランス型MVSを突き出してきたヴィンセントがいたのだ。

 胸部装甲が僅かに削れ、紫電が走る。

 

 

『ひゃはははははっ、良く避けたなぁ女ぁっ!』

 

 

 睨み合う形になったヴィンセントから、下品な男の声が響く。

 カレンは覚えていないのだが、そのヴィンセントに乗っている男とカレンは一度見えたことがある。

 以前、ブリタニアからナナリーを攫った時に襲いかかってきた男。

 囚人兵のジェラルド、それが名前だった。

 

 

『知ってるぜぇ、グレンのパイロット。カレン=コウヅキ! お前だけは俺の獲物だからなぁ!』

「下品な男は……嫌いよ!」

 

 

 ジェラルドの話には付き合わず、カレンは操縦桿を前に倒した。

 そうしてヴィンセントと切り結んだ場所よりもややズレた先、赤黒い二本の柱が空をかけた。

 ルルーシュが、斑鳩の重ハドロン砲を撃ち放ったのである。

 射線上にいたブリタニア軍の航空部隊を薙ぎ払ったそれは、敵航空艦隊の最前列にいた軽アヴァロン級の艦首に直撃し、これを爆散、轟沈させた。

 

 

「……直進! このまま本丸に斬り込む!」

『『『承知っ!』』』

 

 

 そうやって開かれた穴に、青鸞と護衛小隊が抜刀しつつ飛び込む。

 高いステルス性を利用して懐にまで入り込む、そのために。

 だがそれを許す程にブリタニア軍は甘くなかった、中でも。

 

 

『青鸞さまっ!』

「何……上っ!?」

 

 

 上からの奇襲は基本だ、基本であるが故に多用される。

 振り下ろされたのはMVSの双剣だ、青鸞は月姫の長刀を横にして受け止めた。

 ガクン、と威力と重量に高度が下がり、通信機から上原達の心配の声が飛ぶ。

 

 

 しかしそれには答えることも出来ず、青鸞は内心で舌打ちした。

 何故ならメインモニターで青鸞に押し込んで来ている敵ナイトメアはヴィンセントのような量産機では無く、紫の装甲を基礎にした専用機だったからだ。

 機体の名を『ベディヴィア』、もちろん青鸞はそのパイロットのことも知っていた。

 

 

『ははぁ、お前がジノとやり合ったって奴か。悪いけど、私はジノみたいにお上品には出来ないんでね……』

 

 

 何故なら、相手はナイトオブラウンズの――――。

 

 

『……情け容赦なく、叩き落とさせて貰うよ』

 

 

 ――――ナイトオブナイン、ノネット・エニアグラムなのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 カレンと紅蓮と言う障害が失われたことで、皇帝直属のロイヤル・ガード隊は大竜胆へ取り付くことが出来た。

 何しろ鋼髏(ガン・ルゥ)などヴィンセントの敵では無い、瞬く間に4機のヴィンセントで12機の鋼髏(ガン・ルゥ)を屠ってしまった。

 

 

「B-06、確保完了。これより確保したエリアを敵軍より守りつつ、味方の取り付きを援護します」

『『『イエス・マイ・ロード』』』

 

 

 ブリタニアのナイトメアパイロットには若者が多いが、ロイヤル・ガードを率いるベルタ・フェアギスもその1人だった。

 若干22歳、鮮青色のセミロングが特徴的な美女である。

 容貌がやや幼く見えるため美少女で通りそうだが、その実、部隊の動かし方は堅実にして大胆だった。

 

 

 潰した鋼髏(ガン・ルゥ)を踏みつけながら、迎撃に来た敵のVTOL機に腰部のスラッシュハーケンを放って吹き飛ばす。

 その間に他の3機が内部へ続くナイトメア用の通路を一本確保し、付近の砲台や鋼髏(ガン・ルゥ)を潰しながら味方が大竜胆へ取り付くのを支援している。

 最前線も最前線、並みの部隊に出来ることでは無かった。

 

 

『フェアギス卿、内部への通路を確保しました』

「わかりました。中から敵の増援が出てくる可能性がありますから、そのまま警戒を」

『イエス・マイ・ロ』

 

 

 その時、ブツンッと通信が切れた。

 何事かと眉を顰めた途端、ベルタのヴィンセントの背中を雷鳴が走り抜けた。

 それはもちろん比喩であって、実際には電磁式の散弾が爆発した音だ。

 電磁式の、拡散弾。

 特徴的な攻撃に、ベルタはまさか、と敵の正体を想像した。

 

 

雷光(サンダーボルト)……!」

『ふふふははははははははははっ、ブリタニアの豚共め! ナリタの戦いから何も学んでおらんと見える!!』

 

 

 ナイトメア用の通路、その奥には4機のグラスゴーを合体させた大型リニアキャノンが設置されていた。

 グラスゴーだけは、無頼だけは日本とインドが資源と資金に物を言わせて大量生産できた。

 だからこの大竜胆のナイトメア用通路28本、その全てにこの兵器が配置されている。

 ブリタニア軍がサンダーボルトと呼ぶ、その兵器が。

 

 

「超電磁式榴散弾重砲、次弾装填(じだんん、そうてぇん)っ!!」

「了解であります、中佐殿ぉっ!」

「ブリタニアの豚共に、日本の魂と言うものを見せてやるわぁ!!」

 

 

 雷光の中で草壁の怒声が響き渡り、それに応じるように威勢の良い声が響く。

 ナリタの戦いの時よりも遥かに改良された雷光は、短いチャージで弾丸を放つことが出来る。

 電源は大竜胆からの直結だ、いくらでもある。

 ブリタニア軍の内部への突入は、今しばらく後のことになりそうだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 この戦場において、最も経験豊富な軍はどの部隊だろうか。

 世界最強を誇るブリタニア軍だろうか、世界最大を誇った中華連邦軍だろうか。

 あるいは、ルルーシュ=ゼロが率いる新興の黒の騎士団だろうか?

 ――――否。

 

 

日本(にっぽん)、ぶぁんざああああああぁぁぁいっ!!』

 

 

 日本、解放戦線である。

 

 

『汚らわしいイレヴンが……っ! 皇帝陛下の慈悲を理解できぬ犬畜生めっ!』

『おうおう、皇帝陛下の騎士様がやってきたぜ!』

『おいでくださった、ってぇべきだろうぜ! 何しろ騎士ってのは美人のスカートを捲るために命張ってんだからなぁ!』

『下劣な奴ら! 品性を持たぬ、汚らわしいナンバーズ……!』

『悪いなぁ……こちとら、騎士様と違って学がねぇもんでしてねぇ!』

 

 

 オープンチャネルを飛び交う悪口雑言の数々、だが外の戦況とは裏腹に、こちらでは反ブリタニア派の方が優勢なようだった。

 何しろスマートな物言いを好むブリタニアの騎士達に対して、反ブリタニア派……特に日本解放戦線の面々が放つ言葉は何と言うか、遠慮が無かった。

 

 

 その原因は日本解放戦線の面々がある種、生きて帰れると思っていない所にある。

 ナリタの頃から、いやそのずっと前から、彼らは常に劣勢の中で戦い続けていた。

 兵の質も、兵器の量も、食糧も衣類も住環境すらも、ブリタニアには遥かに及ばない中での戦い。

 戦場に出ればまず負ける、まず死ぬ、だから彼らは常に全力なのだ。

 悔いを、悔いだけは残さぬよう、言いたいことを言うのだ。

 

 

『うわあああああぁぁっ、母さあああああああああああああぁぁぁんっっ!!』

「か、艦長! 翼を撃たれた航空機が……こっちに!」

「た、体当たりだと!? 脱出もせず、命が惜しくな……そ、総員、衝撃に備えろぉっ!!」

 

 

 ブリタニアの部隊のように、疲れれば下がって補給を受けられるわけでも無い。

 中華連邦の部隊のように、膨大な部隊を交代させつつ戦えるわけでも無い。

 彼らは常に前線にあり、補給も交代も無い中で戦い続けてきた。

 だからこの戦場に限って、しかも純粋な戦闘時間と言う括りにすれば。

 日本解放戦線の兵士達は、他のどの兵よりも経験豊富な兵士達だった。

 

 

「怯むな! 突撃ぃぃいいいいいぃぁああああぁぁっ!!」

「日本、ばんざああああああぁぁぁいっ!!」

「「「うぁあらあああああああぁぁぁっっ!!」」」

 

 

 翼を撃たれ回転しながら、VTOL機がブリタニアの駆逐艦の横っ腹に体当たりする。

 ヴィンセントに胴体を斬られた飛翔滑走翼装備の月下が、上半身だけで敵に抱きついて道連れにする。

 駆逐艦の艦橋を射撃粉砕したグロースター・エアの足元に、手榴弾や地雷を身体に巻きつけた兵士達が幾人も突撃をかける。

 正気の沙汰とは思えない行動に、ブリタニア軍はぞっとした。

 

 

「……何ですか、これは」

 

 

 一部で引き起こされている惨状に――全体に影響を与えられない所が、悲しい――ブリタニア軍の参謀の1人、アルファ・ジーニアスと言う女性将校が呟いた。

 淡々とした声音の中に、呆然とした色を見て取ることが出来る。

 彼女自身は軽アヴァロンの艦橋にあり、つまり空にあるため安全なのだが、それでも呆然としてしまう有様だった。

 

 

「自分の命を捨ててまで、敵を倒すだなんて……」

 

 

 コンプレックスである童顔を僅かに顰めて、長い銀髪を揺らしながら呻く。

 名門貴族に生まれ、持ち前の頭脳を活かして理論的に戦場を見るのがアルファと言う参謀だ。

 しかしその彼女をして「異常」と言わしめる程に、日本解放戦線の戦い方は異常だった。

 追い詰められた者の戦い方ですら無い、自棄にでもなったかと思う戦いぶり。

 そんな戦い方は、アルファの知る戦いでは無かった。

 

 

 だが、日本解放戦線にとってはそうではないのだ。

 8年前の戦争でもそうだった、1隻でも侵攻を止めれば、特攻してでも止めれば、その艦の兵器や人が殺すはずだった人々を救うことが出来るのだ。

 その中に家族が含まれていないなんて、どうして言える?

 だから彼らは自分の命を盾とすることを恐れない、矛とすることを恐れない。

 それが、それこそが――――「日本兵」と言う「生き物」なのだ。

 

 

「――――そうとも!!」

 

 

 真上から振り下ろした廻転刃刀でヴィンセントを縦に斬り伏せながら、戦場の空で千葉が吼えた。

 モニターに映るオレンジの光で顔を照らしながら、眉を斜めにした彼女は言う。

 

 

「貴様達にはわからないだろう、私達が。わからないものは、怖いだろう!」

 

 

 その怖れこそが。

 

 

「日本人の魂、そのものだ……!!」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 無論、中華連邦軍もインド軍も日本に負けるなとばかりに奮闘している。

 5隻の潜水艦でもって参戦するインド軍は、海中を侵攻するブリタニアの潜水艦や水中用ナイトメアの侵攻を何とか押し留めていた。

 それでも全ては防ぎきれず、今、『シャンクシュ』と言う名の潜水艦が爆散した。

 

 

『ふん、下等な黄色人種の操る艦など大したことは無いのだ! 総員、攻撃を強めろ!!』

「……イエス・マイ・ロード」

 

 

 どことなくやる気の足りない声で、ウィンチ・ラビズは自分の部隊の隊長に応じた。

 引き締まった身体つきはまさに軍人らしく、ナイトメアの中でも特に狭苦しい水中用ナイトメア『ポートマンⅡ』の中に大柄な身体を収めている。

 水中でのナイトメアの操縦にはある程度の器用さが求められるので、手先の器用さに自信のある彼にとっては天職だった。

 

 

 その一方で、モニターに映る敵潜水艦に小型魚雷を撃つ作業に虚しさを感じてもいる。

 敵はあと4隻、せめて早く終わってくれればと思う。

 だがその時、4隻の内2隻の潜水艦に変化があった。

 インド艦隊から見て左斜め前に位置していたウィンチは、それを見ることが出来た。

 潜水艦の後部がハッチのように開き、そこから海中へと進み出てきた人型の機械人形を。

 

 

『――――耐圧装備、順調に機能』

 

 

 ポートマンに比べ遥かに人に近いそのナイトメアは、グラスゴーだった。

 耐圧のための追加装甲と水中を移動するためのスラスターを装備したそれは、ブリタニア軍以外で初めて投入される水中戦用の機体。

 率いるのは白亜の装甲に包まれた六本腕のグラスゴー、つまりシュリー・シヴァースラである。

 

 

『それじゃあ、エスコートよろしく。商人階級(ヴァイシャ)聖職者階級(ブラフミン)に命令できるとは、良い時代になったと言うべきかな?』

『――――私達(ブラフミン)貴方達(ヴァイシャ)を守ることは、何ら伝統に抵触しませんよ』

 

 

 ――――では、と呟いて操縦桿の引き金を引く。

 直後、ポートマンが放っていたものをそう違わない物が、インド軍からブリタニア軍へと返された。

 それは、非常に過激な返礼だったと言う。

 

 

「良し……まずは戦線を構築できたな」

 

 

 そうした各所の状況を見て、自らも戦場に身を置きながらコーネリアが頷く。

 彼女もラグネルで出撃し、すでに何機もの敵を屠っていた。

 ある意味でルルーシュよりもブリタニア皇族として完成している彼女には、旧主の軍であるとか実の父が相手であるとか、そうした理由で手を抜くことは無い。

 

 

『コーネリア殿下! お下がりください、前に出すぎです……!』

「うん? 何だヴィレッタ、ギルフォードのようなことを言うな」

『恐れながら、それが普通です!』

 

 

 ギルフォードにしろヴィレッタにしろ、コーネリアに付き合わされる人間は大変だ。

 もちろんコーネリアにも自覚はある、あるが、だからと言って改善されるかはまた別問題だった。

 その時、ラグネルのモニターに識別信号が生まれた。

 それはラグネルに元々入力されていたものであって、後から入力された黒の騎士団の識別信号とは違うものだ――――つまり。

 

 

「来たのか、兄上……!」

 

 

 アヴァロンである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 アヴァロン、それはもはや言うまでも無いことだが、シュナイゼル軍の旗艦である。

 僚艦は軽アヴァロン2隻のみ、他の援軍はいない。

 エリア11統治軍が無視を決め込んでいる以上、通過は出来ても援軍は頼めなかった。

 またシュナイゼル軍本隊は、大陸と台湾の統治に忙しい。

 

 

 だが艦隊や戦艦以上の援軍が、アヴァロンには備わっていた。

 ナイトオブラウンズの3番(ジノ)10番(ルキアーノ)、そして中央アジアから中華連邦本国へと進み合流した4番(ドロテア)12番(モニカ)、さらに……7番(スザク)

 枢木スザクと第九世代KMF、『ランスロット・アルビオン』が――――。

 

 

『何だ!? ブリタニアの新手か!』

『ぶ、ブリタニアの白兜……!』

「うろたえるな! 囲んで仕留めるのだ!」

 

 

 ――――戦場に、舞い降りた。

 動揺する月下隊を叱咤するのは仙波だ、暁に乗る彼は頬に汗を滴らせながらその機体を睨んだ。

 ランスロット、幾度も煮え湯を飲まされてきた相手。

 だがどうも、以前とはやや形状が違うように見えた。

 

 

 実際、その機体はランスロットの名前を冠するだけにデザインはほぼ同じだが、以前のランスロットそのままでは無い。

 背部に装備された薄緑のエネルギー翼は明らかに通常のフロートでは無い、エナジーウイングと呼ばれる全く新しい兵装だ。

 このランスロットはエナジーウイングに合わせて作られた、新たなるランスロット。

 

 

「この、ランスロット・アルビオンなら……!」

 

 

 呟き、操縦桿の引き金を引く。

 花開くようにランスロットの背中でエネルギー翼が開く、飛び散ったエネルギーの端はまるで羽のようだった。

 だがそれはただの羽では無く、刃状の粒子となって正面へと放たれる。

 無数の刃が、月下隊を飲み込んだ。

 

 

「な、何ぃ……!」

『せ、仙波隊長! たいちょおおおおおおおおおおおおぉっ!?』

 

 

 メインモニター一杯に迫るそれから逃れる術など無い、月下隊は瞬く間に撃破された。

 手足とフロートを撃ち抜かれた3機の月下が海へと落下する、仙波の暁も例外では無かった。

 回避行動すら取れずに撃墜されることに、仙波は心の中で仲間に詫びた。

 不覚、その言葉が脳裏を過ぎる。

 だが何故だろうか、仙波の暁も月下隊も、コックピットは破壊されていなかった。

 

 

『あん? 何だぁ……って、あ?』

 

 

 そのまま高速で飛翔するランスロット・アルビオンは、途上にいる敵をMVSの剣で悉く斬り伏せていった。

 玉城もその1人であり、彼が気付いた時には暁の上半身と下半身は別れを告げていた。

 ぽかん、とした表情を浮かべたままコックピットが自動で射出され、暁が爆発した。

 だが彼だけでは無く、他の月下のパイロットも似たようなものだった。

 

 

 道を遮る者を力でねじ伏せ、しかし誰も殺さない。

 それはまさに枢木スザクと言う少年の気質を表しているようで、単機で戦場を制圧する姿はその象徴のようだった。

 手を汚すのは自分だけで良いという、その傲慢さが。

 

 

「……本当に凄いね、枢木卿とランスロットは」

「まぁ、僕の持てる技術の全てを注ぎ込みましたからねぇ」

「いえあの、エナジーウイングはほとんど私ですよ?」

 

 

 アヴァロンの艦橋、黒の騎士団の背後を突いた形になったシュナイゼルは、指揮シートからスザクとランスロットの活躍を見ていた。

 事実上、中国大陸制覇の立役者とも言える機体とパイロットだ、目立ち方は尋常では無い。

 開発者達の趣味で作られたものにしては、凶悪に過ぎた。

 

 

 だがもちろん、スザクとランスロット以外にも目立つ戦力はある。

 ナイトオブラウンズは個々が一騎当千だ、そしてこの戦場にはラウンズが7人いる。

 すなわち、7000機のナイトメア部隊が来たも同然なのである。

 極端に言えばシュナイゼルに出来ることはもう無い、だから彼は静かな瞳で戦局を見つめ続けた。

 

 

「くっ……スザクッ!」

『おぉっとぉ、俺を忘れて貰っちゃ困るぜ女ぁ!』

「……アンタ、邪魔!」

 

 

 いつまでも付き合っていられない、カレンは紅蓮を翻して斬り結んでいたジェラルドのヴィンセントを弾いた。

 焦っての行動だろう、ジェラルドはまさにこのタイミングを狙っていたのだ。

 紅蓮の輻射波動の右腕をかわし、左肩の部分に蹴りを入れた。

 

 

 カレンが衝撃に歯を食い縛るも、紅蓮がバランスを崩して高度を下げる。

 そこへジェラルドが、振り向き様にスラッシュハーケンを射出する。

 かわせないタイミング、勝利を確信したジェラルドは歓喜の声を上げた。

 

 

『死ねよぉ、女ああぁっ!!』

 

 

 ブリタニアの追走劇で撃たれた肩が疼く、だが次の瞬間、ジェラルドは目を剥いた。

 何故なら距離を取った紅蓮が、輻射波動の右腕をこちらへと掲げていたからだ。

 届きもしないのに何のつもりだと笑う、だが笑った次の瞬間。

 ――――赤黒い砲撃が、彼のヴィンセントを包み込んだ意。

 

 

『な、なぁんだとおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?』

 

 

 輻射波動砲弾、それが紅蓮可翔式の切り札だった。

 簡単に言えば輻射波動のエネルギーを無反動砲として活用した武装だ、これにより零距離射程でしか仕えなかった右腕の輻射波動はロングレンジにも対応できるようになった。

 輻射波動の光の中に消えるジェラルドのヴィンセントに鼻を鳴らして、カレンは機体を翻そうとした。

 

 

『おぉっと、キミの相手は俺ですよっと』

「な……っ!?」

 

 

 咄嗟にショートナイフを抜き、直上からの一撃を受け止める。

 それはハーケンタイプのMVSだった、火花を散らすその先にトリコロールのナイトメアがいる。

 トリスタン、ナイトオブスリー。

 ジノ・ヴァインベルグは、愛機のコックピットの中で笑みを浮かべた。

 

 

 一方でコーネリアも、スザクを止めるための行動が取れないでいた。

 原因は、彼女の所にもラウンズが来ていたからだ。

 鶏冠のような頭部が特徴的なそのKMFは、ナイトオブテンのパーシヴァル。

 すなわち、ルキアーノ・ブラッドリーである。

 

 

『さぁて、裏切り者の皇女様の大切なものは何かなぁ?』

「命とでも言えば満足か? 残念ながら……違うなぁっ!!」

 

 

 ラグネルの大剣を振るい、迫るドリルクローを弾く。

 だが実際、コーネリアの大切なものは命では無い。

 大切なものは、他にあるからだ。

 

 

「コ、コーネリア殿……ぐぁっ!?」

 

 

 当然、傍にいたヴィレッタはコーネリアを援護しようとした。

 だがそれは出来なかった、何故ならルキアーノは単機では行動しないからだ。

 気が付いた時、ヴィレッタの機体の頭部が弾け飛んでいた。

 メインカメラを失い、モニターが一瞬だけブラックアウトする。

 

 

 そしてモニターが復活する数秒の間にフロートを破壊され、復活したモニターでは空が回転していた。

 撃墜された、モニターの中に敵らしき濃い緋色のナイトメアとピンクのヴィンセントを見た時、それに気付いた。

 純血派、今では過去となったその言葉が脳裏を過ぎる、そして。

 

 

『千草』

 

 

 こんな時に思い出すのは、あの汚らわしいイレヴンの男だった――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 アヴァロンの参戦と言う事実を得てもなお、ルルーシュ=ゼロは全く動揺していなかった。

 それはルルーシュ=ゼロにとってシュナイゼルの介入――そして、ラウンズの介入――があることを織り込み済みだったためであって、対策もいくつか立ててはいた。

 だが、スザクとランスロットに関しては予想外だった。

 

 

「エナジーウイング……ふん、何度見ても面白くないね」

 

 

 黒の騎士団の旗艦『斑鳩』、ラクシャータの呟きをルルーシュ=ゼロはやや憮然とした心地で聞いていた。

 スザクの強さは知っていた、が、これは異常だ。

 たった1機でこちらの陣形が切り裂かれる、迎撃部隊は悉く全滅。

 

 

 手の打ちようが無い、いや、手を打っても意味が無い。

 戦術で戦略が覆される、いや、軍勢が騎士によって蹂躙されている。

 いずれにしても、面白いものでは無かった。

 何とかしなければならないのだが、流石のルルーシュ=ゼロも「純粋に強い」と言う相手にすぐには妙策を思いつけなかった。

 

 

「……左舷! ラウンズと直属部隊が来ます! 『ユーウェイン(ナイトオブトゥエルブ)』! 『ベレアス(ナイトオブフォー)』!」

『迎撃部隊! ……ジェレミア!』

『はっ! ゼロ様の御心のままに……!』

 

 

 ジェレミア卿の駆るナイトギガフォートレスが、オレンジの巨体を回転させながら左舷の敵部隊を迎撃に向かう。

 マリアンヌの遺児であるルルーシュにジェレミアが従った結果だが、他の黒の騎士団のメンバーからは「何でアイツが?」と言う扱いを受けている。

 ルルーシュ=ゼロの寄行は今に始まったことでは無いが、やはり戸惑いは大きかった。

 

 

 だがそれも、戦時となれば抑制される。

 今はとにかく皇帝軍に勝利し、今日を生き残らなければならないのだ。

 特に重要なのはスザクへの対策、今、スザクは斑鳩とヴィヴィアンに急速に接近しつつあった。

 すぐに手を打たなければ、いかに斑鳩・ヴィヴィアンと言えども危ない。

 そしてルルーシュ=ゼロの作戦には、この2隻が必要不可欠なのだが……。

 

 

『……ゼロ! ボクが行く!』

 

 

 その時、通信に少女の声が響き渡った。

 前線でナイトオブナイン、ノネット・エニアグラムと激しい戦闘を繰り広げている彼女は、ルルーシュ=ゼロの苦境とスザクの登場を知り、戦闘の最中に通信をかけて来たのである。

 それに驚いたのは、ルルーシュ=ゼロだ。

 

 

『青鸞! だが、その状態では……!』

「いやまぁ、そうなんだけどね!」

 

 

 振動の耐えないコックピットの中、通信に声を返しながら青鸞は言った。

 そしてその次の刹那、ノネットの『ベディヴィア』と青鸞の『月姫(カグヤ)』は、すでに何度目かわからない衝突をさらに繰り返した。

 火花を散らす二刀と二剣、一瞬でも気を抜けばその瞬間に撃墜されてしまうだろう。

 斑鳩とヴィヴィアンを守るにしても、ノネットを無視することは出来ない。

 

 

「でも、あの人を止めるなら……!」

 

 

 それは自分の役目だと、青鸞は思う。

 いろいろな物を見て、聞いて、知って、その上で妹である自分が止めなくてはいけないと思う。

 止まれないと言う感情を少しでも抱いたことがあるならば、なおさら。

 

 

『姉さん!』

 

 

 その時、ノネットの何度目かの突撃を止めた者がいた。

 月姫の前に割り込む形でその攻撃を止めたのは、黄金のヴィンセントだった。

 そしてフィールドが広がる、時間停止の結界が。

 

 

『な、何だ、こ』

 

 

 体感時間を止められたノネットの機体が、操縦が停止したために落下していく。

 それを視界の端に入れつつ、青鸞が顔を上げた。

 

 

「ロロ、ギアスは駄目!」

『大丈夫だよ、姉さん』

 

 

 通信画面の中で、パイロットスーツ姿のロロが笑っていた。

 首を傾げるようにしながら、穏やかに。

 眼下、海面直前でノネットが体勢を整えたのが見える。

 だが青鸞がそちらへと意識を向ける前に、ロロのヴィンセントがMVSを抜いてノネットへと向かった。

 

 

「ロロ!」

『だから行って、姉さん! 姉さんのしたいことが、僕のしたいことだから!』

「……ッ」

 

 

 ロロのギアスは彼自身の心臓をも止める、だから心配だった。

 だが当のロロには迷いが一切なかった、そこに自分への信頼を感じてしまえば彼女には何も言えなかった。

 ただ無事を祈るために一瞬だけ目を閉じ、開くと同時に背を向けた。

 そして、戦場の空を全速力で駆け抜けた。

 

 

『青鸞! くっ……』

 

 

 青鸞が戻る、その事実に対してルルーシュ=ゼロは仮面の下で唸った。

 確かに青鸞が出てくれば、「妹を守る」ギアスに縛られているスザクは攻撃を躊躇うかもしれない。

 しかしだからと言って止められるかと言うと、微妙な所だった。

 

 

「おい、どこへ行く?」

『ふん……南! 斑鳩の指揮は任せる!』

 

 

 隣に立っていたC.C.の声に応じることも無く、ルルーシュ=ゼロは艦橋を後にした。

 元々、斑鳩に篭っていては全体の戦況が読みにくい。

 自分に言い訳でもするかのようにそんなことを考えて、ルルーシュ=ゼロは足早に歩き出した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ランスロット・アルビオンの進撃は止まらない。

 単機先行にも程がある、それ程までにスザクは敵陣深くに切り込んでいた。

 普通なら撃墜されてもおかしくは無い、が、今のスザクとランスロットを止められる者などいない。

 

 

「モニターから、消える……!?」

 

 

 何だか前にも似たようなことを言った気がするな、そんなことを思うのは林道寺と言う男だった。

 乗っている機体は月下、無頼よりかは遥かに性能が上だけれども、何の意味も無かった。

 何故なら次の瞬間には、撃墜の衝撃が彼の月下を襲ったからだ。

 月下では追いつけない程の速度で上昇したランスロットは、上空からスラッシュハーケンを放って月下の両肩を破壊、巻き戻しのままに近付いて両足を斬り飛ばした。

 

 

 胴体だけになった月下の中で林道寺が表情を引き攣らせるよりもなお速く、ランスロットは飛ぶ。

 道中のナイトメアや航空機を悉く粉砕し、あっと言う間にヴィヴィアンの上をとった。

 剣をしまい、右肩に担ぐように強化型のヴァリスを構える。

 砲塔が変形し、ヴァリスの銃口とも言うべき場所から放たれたのはハドロン砲だ。

 それはヴィヴィアンのブレイズルミナスと数秒鬩ぎ合った後、フロート部分に直撃した。

 

 

「…………」

 

 

 2つあるフロートの内、1つを破壊するだけでアヴァロン型は姿勢を保てなくなる。

 だがすぐに墜落することも無い、中の人間が十分に脱出できる時間くらいはあるだろう。

 だからスザクはモニターの照準状態を維持しつつ、ヴィヴィアンの隣へと銃口を向けた。

 すなわち、漆黒の艦『斑鳩』へ対して。

 

 

「終わりにしようルルーシュ、青鸞……!」

『勝手に、終わらせないで……っ!!』

 

 

 しかしその行動は、言葉と共に防がれてしまった。

 防がれたとは言っても、ダメージを受けたわけでは無い。

 警告音と同時に反応し、しかもランスロットは違わずそれに即応し、動いた。

 スザクの反応に、ランスロットがついてくる。

 それはつまり、自分の手足と同じだけの速度を持っていると言うことだった。

 

 

『兄様……貴方は、ボクが止める! ゼロには、彼には手を出させない!!』

「……青鸞」

 

 

 正面から向き合うように、スザクはその機体を見た。

 濃紺の月下型KMF、月姫を。

 もう何度戦場で見たかわからないその機体に、スザクは目を細めた。

 かつて自分が救いたいと願い、そして傷つけなければならなかった少女を。

 

 

 だがそれでも、スザクは妹に何も語らない。

 語ろうとしない。

 真実を、全てを、語ろうとはしない。

 その代わりに彼は、妹を裏切り続けることを選択していた。

 

 

『……止める? 僕を?』

 

 

 通信機から聞こえる声は冷たくて、青鸞は眉を挙げた。

 この時の青鸞の胸中を、どう考えるべきだろう。

 最初は素直に恨んでいた、父を殺した兄を恨んでいた。

 その感情は、今も心の奥で醜く蠢いている。

 

 

 だが客観的に見た時、そして彼女個人の事情に限定した時、どうなのだろう。

 自分達にコード発現のための人体実験をし、自分の政治的権威の拡大のために娘を海の向こうの国に身売りさせようと画策し、そのために日本そのものをブリタニアに売った父、枢木ゲンブ。

 他人から見た時、父を殺した兄はどう見えるのだろう。

 その後の行動を除いて、その時その瞬間、そのことだけに限って見れば、どうなるのだろう。

 どう考える、べきなのだろう。

 

 

『残念だけど青鸞、キミには僕は止めることは出来ない』

「……止める! 止めて、兄様に聞かなくちゃならないことがある!」

『答えることなんて何も無いよ、青鸞。だから……』

 

 

 え、と、青鸞の唇から驚きの声が漏れたのは数秒後だった。

 不意に右の操縦桿が軽くなった、側面モニターを見れば、あるべき物が無かった。

 その代わり、宙を舞う月姫の右腕が見えた。

 攻撃された、認識した瞬間に青鸞は動いた。

 

 

 コックピット横の刀を射出して左手に備え、振り向くようにして振るう。

 高周波ブレードは、しかし何も捉えることなく空振りに終わった。

 残像でも残るのでは無いかと思える程の速度で、ランスロットが動く。

 

 

「な……っ」

 

 

 それはかつて、ナリタで感じた以上の衝撃だった。

 あの時も世代差・性能差に衝撃を受けたものだが、今はそれ以上だった。

 世界でたった1機の第九世代KMF、ランスロット・アルビオンの強さは。

 

 

「……このっ!」

 

 

 反応しても、次の刹那にはランスロットは別の場所にいる。

 それ所か、いつの間にか月姫の左脚が斬り飛ばされていた。

 違いすぎる。

 マシンポテンシャルが、違いすぎる。

 

 

 勝てない、敵わない、止められない。

 そんな絶望感が青鸞の胸を埋め始める、目の前でランスロットが剣を振り上げているのはわかっているのに、それに対する防御行動がまるで間に合わない。

 やられる、そう思った時。

 

 

『枢木スザク……!』

 

 

 廻転刃刀を振り下ろし、上から割り込むように1機の烈震がランスロットに斬りかかった。

 ランスロットは悠然とそれを受け止めた、ビクとも動かない。

 つまり、新型である烈震の推進力でさえランスロットを押すことも出来ないのだ。

 そして青鸞を守ったのは、護衛小隊の大和であった。

 キョウト宗家に仕える、分家の青年。

 

 

『枢木家の誇りを捨ててナンバーズになった、敵に媚び諂う売国奴……!』

『その口ぶり、キョウトの人間かい? でも』

 

 

 だがそれも、ほんの数秒の時間を作っただけに終わった。

 弾かれる所か廻転刃刀をMVSの剣で叩き折られ、バランスを崩した烈震の両腕をそのまま斬った。

 次いで身を回し、背部を蹴られてフロートを破壊される。

 声を上げる間も無い、撃墜劇だった。

 

 

『にゃろ……っ!』

 

 

 続けて山本機が来た、だが彼の攻撃は受け止められることすら無かった。

 あっさりとかわされ、後ろから斬られてフロートを破壊される。

 墜落の瞬間、2基のスラッシュハーケンが山本機の両肩を粉砕した。

 

 

『た、たいちょ……きゃあああああああああぁっ!?』

 

 

 コックピットに走った振動に上原が悲鳴を上げる、両足を失ったKMFがバランスを崩したのだ。

 そして次に顔を上げた時、上原は表情を引き攣らせた。

 上原機の首が、飛んだ。

 頭部を失った上原機が墜落するのに、10秒も時間はいらなかったろう。

 

 

「あ……あ……」

 

 

 ナリタからずっと、共に戦ってきた仲間達。

 常に自分を守ってくれていた護衛小隊の主力メンバー、その3人が反撃らしい反撃も出来ずに撃墜された。

 今、自分を守るものは何も無い。

 その事実に、青鸞は本能的に恐怖を覚えた。

 

 

(だ、だめ……やられる……っ)

 

 

 どうしようも無かった、そんな次元をとっくに超えている。

 そうして動けずにいると、機体に衝撃が走った。

 悲鳴を噛み殺しながら俯く、が、次の来るだろう爆発の衝撃は無かった。

 その代わりに、機体に異様な圧力がかかっている旨を知らせる警告音が鳴り響いた。

 

 

「な、何……って、これは!?」

 

 

 ランスロットのスラッシュハーケンが、そのワイヤー部分でもって月姫を縛っていた。

 ご丁寧にコックピットブロックまで巻き込んでいて、脱出も出来ない。

 いったい、何が。

 

 

『青鸞、キミを捕虜にする』

 

 

 聞こえてきた兄の声に、ぞっとした。

 ブリタニア軍の捕虜になる、その事実に怯えを感じたのだ。

 ナリタの時にも言ったが、テロリストである青鸞がブリタニア軍の捕虜になればどうなるかなど考えるまでも無い。

 だがスザクは、そんな彼女の心境を察しているのかどうなのか。

 

 

『ナリタの時とは違うよ、青鸞。ラウンズには捕虜の扱いに関する裁量権がある、だから……キミの身の安全については僕が保障する』

「……そんな!」

『投降してほしい、青鸞』

 

 

 ――――あるいは、スザクはこの場で青鸞を撃墜すべきなのだろう。

 ラウンズと言う立場なら当然、そうすべきだ。

 どの道彼女に待っているのは死刑判決しか無い、だがラウンズには司法に拠らずに捕虜の扱いを決められる特権がある。

 

 

 そしてスザクには、青鸞を殺すことは出来なかった。

 それは「妹を守れ」と言う漠然とした、だが強制力のあるギアスのせいか、それとも自分の意思なのか。

 だが、出来なかった。

 父親を殺したその手で、妹を殺すことが出来なかった。

 

 

「キミに……これ以上、戦ってほしくないんだ。青鸞」

 

 

 目を閉じてそう言うスザクの耳に、あの声が届いてきた。

 哀しみと、怒りと、そしてそれ以外の何かで揺れる声。

 告げられる言葉は、すでに何度も聞いたもの。

 

 

「……どうして……」

 

 

 どうして、今さらそんなことを言うのか。

 この兄はいつだって、後になってから何かを願ってくるのだ。

 スザクのそんな所が、青鸞は大嫌いだった。

 

 

 どうしてと言う問いにはいつだって答えてくれないくせに、いつだって自分の願いだけこちらに押し付けてくる。

 独善的で自分勝手で、いつだって、そう、いつだって……!

 操縦桿を握り締めた時、機体が揺れた。

 

 

「あ……」

 

 

 自分は動かしていない、だがモニターの外の光景は動いている。

 答えはすぐに知れた、スザクのランスロットが月姫を牽引しているのだ。

 反射的に操縦桿を引いたのは、当然だった。

 

 

「動け……」

 

 

 操縦桿を動かしても、機体は思うように動いてくれない。

 ワイヤーで押さえられているのだ、軋むような音が聞こえてくるだけだ。

 それでも、青鸞は操縦桿を引き続けた。

 

 

「動け、動け、動け……!」

 

 

 ガチャガチャと虚しく操縦桿を引きながら、呪文のように呟き続けた。

 だが動かない、幼馴染がくれた力では届かない。

 届かない。

 その現実に、目の端に透明な雫が生まれた。

 

 

 ……ふざけるな、と、思った。

 こんなことで良いのか、こんな所で終わって良いのか、このままで良いのか。

 良いわけが無い、良いわけが無い、良いわけが無い。

 だがどうすることも出来ない、無力だ、それが許せない。

 自分が、許せなかった。

 

 

「動け、動いて……っ、こんな、所で! ここで! まだ……っ」

 

 

 まだ、やるべきことがあるのに。

 

 

「だから……!」

 

 

 だから。

 

 

「動いてえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇっっ!!」

 

 

 その時。

 

 

『良いだろう――――』

 

 

 空から声が、降りてきた。

 はっ、と顔を上げれば、次に衝撃が来た。

 

 

『叶えよう、その願いっ!!』

 

 

 全てのモニターが、紫の光で照らされた。

 いや違う、光線だ。

 紫色に輝くレーザーが無数に空から降り注ぎ、ランスロットと月姫の周囲を駆けた。

 それは巧みに騎士団側の味方を避け、周囲にいたブリタニア軍のみを撃破した。

 

 

 それだけでは無い。

 青鸞が身の自由を感じたのは、その直後だった。

 紫のレーザーはランスロットのスラッシュハーケンも断ち切っていたようで、月姫が拘束から解かれて自由になった。

 

 

「あ……」

 

 

 視線の先、正面モニターに漆黒のナイトメアの背中があった。

 どこかガウェインを彷彿とさせる、黒と金、そして紫のナイトメア。

 両腕を聖人のように広げ、青鸞には見えないが、胸部の紫色のクリスタルを露出させた状態で浮遊していた。

 そのナイトメアの背中を、青鸞は呆然と見つめていた。

 

 

『ナイトオブセブン、枢木スザク。並びにブリタニア軍に告げる――――キミ達はまだ、この私と』

 

 

 その声に、青鸞は目を大きく見開いた。

 驚きのあまりに声を出せない、何故ならその声の主は、その少年は、こんな前線に出てくるようなタイプでは無かったのだから。

 だから、まさか。

 

 

『私達と……すなわちこのゼロと、そして』

 

 

 まさか、助けに来てくれるなんて。

 一方でそのナイトメア、『蜃気楼』の中にいる少年は悠然と足を組んでいた。

 広々とした座席型の操縦席の中、足を組んで肘を置き、そして高きから傲然と相手を見下すように、言った。

 

 

「枢木青鸞嬢と、戦うつもりだろうか?」

 

 

 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは、自信たっぷりな笑みと共にそう告げた。

 




採用キャラクター:
ユミノさま(ハーメルン):ベルタ=フェアギス。
相宮心さま(小説家になろう):アルファ・ジーニアス。
樹術師さま(小説家になろう):ウィンチ・ラビズ。
ありがとうございます。

 次々と倒れていく仲間達、ヒロインの危機!
 そしてそこへ颯爽と登場するヒーロー、未だかつて無いくらいにルルーシュが輝いているような気がします。
 でもルルーシュが調子に乗ると、次の瞬間には失敗するフラグに思えてなりません。

 たぶんあと数話で終わるような気がしますので、最後までお付き合いくださいませ!


『奇跡。

 そんなもの、特には信じていなかった。

 奇跡で何とかなるくらいなら、誰も苦労なんてしないから。

 だけど、彼と……ルルーシュくんと一緒なら。

 奇跡を、信じてみたくなるんだ』


 ――――TURN24:「奇跡 を 起こす 男」


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TURN24:「奇跡 を 起こす 男」

 そのナイトメアの名を、『蜃気楼』と言う。

 黒を基調色としたシャープなデザインのその機体は、ガウェインのドルイドシステムを流用した制御システムを持つ指揮官仕様の機体だ。

 機体制御はコンピュータ任せであり、パイロットはキーボード型の操縦桿で通信・解析に専念することが出来る。

 

 

『ルルーシュ……なのか?』

 

 

 正面モニターに映るランスロット・アルビオンから響く声に、ルルーシュは足を組んだまま笑みを浮かべた。

 だがスザクも答えを期待などしていなかったのだろう、即座にエナジーウイングの翼を羽ばたかせた。

 そして飛来する無数の刃状粒子、当たれば先の仙波達のように無残に撃墜されることになる。

 

 

『ルルーシュくん!』

 

 

 背中で聞く少女の声に心地良ささえ感じながら、ルルーシュは大仰な仕草で両腕を上げた。

 側面からキーボード型の操縦桿が展開され、即座に指を走らせる。

 それだけでこの蜃気楼は動く、ドルイドシステムが周囲の環境データを受けて最適な行動を選択する。

 そして、エナジーウイングの射撃をまともに受け爆発した。

 

 

『……な!?』

 

 

 だが爆煙が晴れた時、そこには何の変化も無い蜃気楼と月姫がいた。

 背後の月姫を守るように両腕を広げた蜃気楼、その前面に紫色の障壁が出現していた。

 蜃気楼のエネルギーによって形成されるそれはブレイズルミナスすら超える強固なバリアであり、その内側はいかなる者の侵入も防ぐ絶対守護領域と化すのである。

 今もランスロットの攻撃を軽々と受け切り、無傷で2機を守った。

 

 

『ふふ、ふふふ……どうかな枢木スザク、私のナイトメアの能力は』

『……確かに強力な機体だ。だがゼロ、それだけでこの戦局を逆転できるとでも思っているのか?』

 

 

 それは無理だ、損傷した月姫の中で青鸞は思った。

 今はルルーシュの絶対守護領域の盾に守られている彼女だからこそ、改めて全体の戦況を見ることが出来る。

 余裕が出来たと、言い換えても良いだろう。

 

 

 一部においては反ブリタニア同盟の混成軍が優勢なのだが、それは逆に言えば大部分で押されていると言うことだ。

 特に水上艦艇が不味い、海上での艦隊戦は物量差を跳ね返すのが極めて難しいのだ。

 とどのつまり、このままでは殲滅されるまでそうはかからないだろう。

 何しろ、撤退の選択肢が取れないのだから。

 

 

『いいや? 戦局を決めるのは個人の武では無い……戦略だ!』

 

 

 その時、月姫のモニターに蜃気楼からの暗号通信が来た。

 通信と言うよりメッセージ、メッセージと言うよりは作戦パターンを伝えるものだった。

 だがそれは航空戦艦やナイトメアパイロットに向けられたものでは無い、海上で密かに密集隊形をとりつつあった水上艦艇に向けられらものだ。

 

 

 大竜胆を中心に集まった十数隻の艦は、ここで不可思議な行動に出た。

 あと少しで衝突するのでは無いかという距離にまで艦同士が近付き、かつ互いをアンカーで繋いだのだ。

 古代中国史において、船同士を鎖で繋いで揺れを防ごうとした指揮官がいる。

 これは、それを現代の技術で再現しようとしたものだ。

 

 

『始まったか、頼むぞゼロ……!』

『むぅ、これは……』

 

 

 ビスマルクと斬り結ぶ星刻も、眼下で行われている不可思議な艦隊行動に気付いていた。

 それはビスマルクも同じだ、だが相手の意図が読めずに眉を顰めただけだ。

 多くのブリタニア兵は、ビスマルクと同じ反応をするだろう。

 密集すればその分、攻撃の的になると言うのに。

 

 

 その中で、1隻だけ動く艦があった。

 水上では無く水中、つまりは潜水艦だ。

 だがインド軍では無く、数日間ずっと海底に潜んでいた潜水艦。

 漆黒の艦体を持つそれは、黒の騎士団所有のあの潜水艦だった。

 

 

「機関最大! 最大戦速!」

 

 

 副官である前園の声を耳に聞きながら、黒の騎士団の後方司令――とは言え、ここは最前線だが――である三木は、見えもしない正面を睨み据えるように屹立していた。

 狭苦しい司令室の中央に立ち、胸を張って両足を踏ん張っている。

 薄暗い周囲では旧日本解放戦線の兵達が緊張した面持ちで計器に向かっており、それでも水圧と海流が艦体を撫でる音だけしか聞こえない程に静かだ。

 

 

 ――――伊豆諸島、その海底にはある化石燃料……資源がある。

 サクラダイトと並んでエリア11の重要産出資源であり、ここでも開発されている資源。

 サクラダイトと異なり非常に不安定であるが故に、専用の設備とパイプラインを海底に敷かなければならない資源。

 

 

「これより、メタンハイドレート回収設備の破壊作戦を行う……!」

「「「了解!」」」

 

 

 メタンハイドレートである。

 エリア11周辺の海に埋蔵するこの資源は、伊豆諸島周辺にも存在していた。

 海底で一時的にガスを溜める設備を作り、パイプラインで伊豆諸島の海上精製施設にまで引っ張っる構造になっている。

 

 

 三木達の任務は、ルルーシュ=ゼロの指示があるまでじっと海底に潜み、指示があれば即座に行動することだった。

 そしてそれは、すでに半ば成功していた。

 インド艦隊ばかりに目が行っていた海中のブリタニア軍は、突然の三木達の登場に驚き、しかし即座の行動を取れずにいたのだ。

 

 

「魚雷1番2番、発射よぉ――――いっ!!」

 

 

 ポイントに到達すると同時にアンカーを射出し、艦体を艦艇に固定する。

 そして三木の意を受けた前園の指示で、潜水艦の艦首魚雷発射口が開いた。

 内部の魚雷室では、2人の兵が重い魚雷を必死に発射口につめ、互いに状態を確認し合いながら準備を整えていた。

 

 

『魚雷1番2番、発射準備ぃよぉ――しっ!』

「……っ、てえぇ――――っ!!」

 

 

 通信筒から響いた声に、前園が大声で発射を命令する。

 数秒後、2発の魚雷が発射された。

 

 

「総員、衝撃に備えよ……!!」

 

 

 低く三木が命令し、しかし自らはその場から動かなかった。

 周囲の兵が手近な物に捕まって身構える中、三木だけが直立不動の体勢で正面を見据えていた。

 そして……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――海は、穏やかなままだった。

 海上の各艦ソナー担当者は海底で魚雷が爆発したことを察知したが、それだけだった。

 海の上はまるで何の変化も無く、そのままの状態が続いていた。

 原因は三木達の潜水艦が狙った先、つまりメタンハイドレートの関連設備の方にこそあった。

 魚雷が爆発して数十秒後、僅かに土煙が晴れたその先に薄緑の輝きが見えた。

 

 

「ブレイズルミナス……!?」

 

 

 司令室で誰かが呻いた、艦外カメラと計器の算出するエネルギー総量がその答えだった。

 薄青のエネルギー障壁、ブレイズルミナス。

 あらかじめ設置していたのか、あるいは装置を積んだナイトメアを伏せていたのか。

 いずれにせよ魚雷数発でどうにかなるシステムでは無い、血の気が引くとはこのことだろうか。

 

 

 海底のメタンハイドレート設備を破壊して噴出させ、暴発させると言う策。

 その前段階として互いを連結した反体制派の艦隊は、今は良い的でしか無い。

 つまり、敗北の気配がすぐ背後まで来ていた。

 どうするか、と三木が奥歯を噛んだその時、ソナー担当官と通信担当官がほぼ同時に叫んだ。

 

 

「ほ、本艦右舷を通過する艦アリッ!」

「艦種・艦名照合――シンドゥゴーシュ級『シンドゥシャストラ』!」

「何……?」

 

 

 その艦は、インド艦隊の旗艦であるはずだった。

 それが三木達の横を通り抜けて、真っ直ぐにブレイズルミナスに守られるメタンハイドレート設備へ向け直進していた。

 何故そうしているのか、と言う問いに答えるのはインドの青年ナヤルだった。

 

 

『借りを返すよ、ゼロ!』

 

 

 デカン高原での借りを返す、ナヤルはそう言った。

 インドの独立と言う現象は、黒の騎士団とゼロの助力が無ければ成し遂げられなかった。

 もちろん、独力で可能にするだけの力と手段はあった。

 だが借りは借りだ、インドの商人階級(ヴァイシャ)にとって借りとは何としても返さなければならないものだ。

 

 

 機関最大、最大戦速。

 インドの潜水艦が海底スレスレの所を直進し、そのまま制動をかけることなく。

 むしろどこか楽しげな雰囲気さえ漂わせて、ナヤル達は自らの艦をメタンハイドレートの設備に衝突させた。

 ブレイズルミナス発生装置の手前、海底の土を盛り上げるような形で斜めに衝突する。

 潜水艦の動力であるサクラダイトが、臨界点を超えた。

 

 

『『『自由インドに、栄光あれ……!』』』

 

 

 自由、それは何にも代えがたき物。

 彼らはそれを勝ち取るために逝く、そのために戦った。

 すなわち、聖戦。

 

 

「――――聖戦の果てに、男達の魂が神々の御許で称えられますように」

 

 

 六本の腕とスラッシュハーケンで海底の岩場に固定したインド製グラスゴーの中で、聖職者(ブラフミン)・シュリーが祈りの言葉を紡いだ。

 そして、結果だけが残る。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 メタンハイドレートは、一定以上の圧力によってメタンガスと水に分解される。

 要するに凍結ガスであって、燃料資源として活用するには特殊な設備が必要になる。

 そして伊豆諸島のガス精製施設まで敷かれていたメタンハイドレートの海中設備とパイプラインに、今、火がついた。

 

 

 一瞬、海が凪いだような気がした。

 だがそれは本当に一瞬のことであって、数十秒後には不気味な鳴動が始まった。

 最初にそれを知ったのは水上艦艇の担当官であり、彼らは海の底から凄まじい勢いで迫ってくる存在に気付いていた。

 そして彼らが顔を青くして、艦の上層部に危機を知らせた時には全てが遅かった。

 

 

「う、海が……!」

 

 

 その呟きが誰の物だったのかは、記録が無いためわからない。

 だが事実だけは確かに残った、白く、まるで海が巨大な洗濯機にでもなったかのように白く、海面が白い何かで覆われたのだ。

 それは水上艦艇のバランス・システムの許容量を遥かに超える勢いで海面を波立たせ、船上に立っていた全ての人間を床に叩きつけた。

 

 

 最も軽いフリゲート艦がまず横倒しに倒れた、そして倒れた艦が引き起こした悲鳴と波が次々と伝播していく。

 波の勢いに舵を取れなくなった駆逐艦が巡洋艦に衝突し、大きく揺れる飛行甲板から無数の航空機やナイトメアが海中へと放り出された。

 そしてそれらを成している存在は、たった一つ。

 

 

『だ、誰か助けてくれ! 艦の姿勢が保てない……!』

『あ、泡が……泡が!』

「泡っ!?」

 

 

 味方の通信回線に阿鼻叫喚の地獄絵図を感じ取ったスザクは、その中に含まれる言葉に反応した。

 そしてそれは彼の目にも見えている、海中から夥しい量の泡が噴き上がってきているのだ。

 ガス化したメタンハイドレートの泡が、周辺数キロに渡って噴出している。

 その勢いは凄まじく、海底の掘削穴から無尽蔵の勢いで溢れ、留まる所を知らなかった。

 

 

「で、連結してた黒の騎士団の艦隊だけ無事ってことかい……!」

 

 

 カレンとの戦闘を中断――中断せざるを得ない――して、ジノが呻いた。

 他のラウンズも衝撃を受けている、まさかこんなことが、と。

 眼下ではブリタニアの水上艦艇が次々と泡に飲まれて消えている、通信回線にはブリタニア兵の断末魔が響き続けている。

 壊滅、いや水上艦隊は全滅に近い、しかもどうすることも出来なかった。

 

 

 一方、先程までただの的だった騎士団側の艦隊は違う。

 大竜胆を中心に連環した艦隊は、泡と波に煽られながらも未だ健在だった。

 アンカーが軋む音がここまで聞こえそうな程だが、メタンハイドレートの暴発に対する損害率は雲泥の差だった。

 これで、互いの戦力差はひっくり返った。

 

 

「これはこれは……」

 

 

 航空艦はもちろん、メタンハイドレート暴発のダメージを受けていない。

 だがそれでも、流石のシュナイゼルも言葉を続けることが出来なかった。

 作戦のスケールの大きさ、タイミングの的確さ、前準備の周到さ、予想外の事態に対する対応力、そして何より同盟の強固さ。

 

 

 もしかしたならこの時、シュナイゼルは初めてゼロと言う人物を認めたのかもしれない。

 これまで特に興味も関心も無かった、一エリアの反政府指導者と言う「小物」に過ぎなかった仮面の男。

 ルルーシュ=ゼロを、この時初めてシュナイゼルは認めたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『ナヤル、お前の犠牲……無駄では無かったぞ』

 

 

 通信機から響くルルーシュ=ゼロの声を、青鸞は半ば呆然とした心地で聞いていた。

 眼下ではブリタニア艦隊が地獄絵図を展開していて、しかもそれを成したナヤル達の識別信号は途絶えている。

 その事実に、青鸞は言葉を作ることが出来なかった。

 

 

『目を逸らすな、青鸞。ナヤル達は死ぬために逝ったのでは無い、何かを成すために逝ったのだ』

『けれど、こんなに大勢を死なせて……それでキミ達は、笑って日本の独立を祝えるのか?』

 

 

 ルルーシュとスザク、2人の声が青鸞の耳に届く。

 そして青鸞は、ふと彼女のことを思い出した。

 ギアスの力で強制的に穏やかな優しい世界を作り出し、あらゆる闘争を否定した皇女を。

 こんな時に思い出すのは、彼女のことだった。

 

 

 海上の戦いには勝った、駆逐艦の対潜戦闘の支援で海中の戦いも制するだろう。

 ブリタニアに残されたのは、航空艦隊とナイトメア部隊のみ。

 当然、反ブリタニアの混成軍はすぐ傍まで来た反撃の気配に士気を高めていた。

 各所で反撃の命令が飛び、動揺するブリタニア軍を討ち果たすべく行動を開始する。

 

 

『朝比奈! 千葉! 戦線を押し上げる! 両翼から上がれ!』

『承知!』

「承知! ……っと」

 

 

 藤堂の声に千葉と共に応じて、朝比奈は背中を見せたグロースター・エアを背後から斬り伏せた。

 脱出するコックピットブロックはそのままに、朝比奈は自分の部隊を纏めて戦線を押し上げようとした。

 数は未だに敵が多いが、士気と勢いの面ではこちらが押しつつある。

 

 

 勝てる、反ブリタニア勢力が最後のチャンスで勝利を手に出来る。

 皇帝を倒し、日本を取り戻せる。

 先の片目を負傷しながらも戦場に出続けて良かったと、朝比奈は思った。

 自分の手で、などと言う程自惚れてはいないが、その一部を担ったとは思える。

 だから朝比奈は、胸の奥の興奮を抑えながら暁を操縦していた。

 

 

「日本が独立したら、か!」

 

 

 敵のナイトメアを斬り、撃ち、倒す。

 それだけを繰り返しながら、左翼から前進する。

 まさかナイトメアで航空戦を演じることになるとは、あの頃は思ってもいなかったが。

 それ所か、実は「日本が独立したら」などと考えたことも無かった。

 

 

 心のどこかで、無理だと思っていたからだ。

 

 

 だが今は違う、敬愛すべき上官に従い、いけすかないが能力は認めざるを得ないゼロに従い、こうして皇帝の喉下にまで喰らいついている。

 ナリタにいた頃には、まず不可能だったろう。

 思えば遠くまで来たものだと年寄りじみたことまで考えて、朝比奈は戦闘を続けながら苦笑を浮かべた。

 

 

(……そう言えば)

 

 

 あの子はどうするのだろう、と、そんなことを考えた。

 青鸞、枢木ゲンブ首相の娘、日本の抵抗の象徴。

 大人しく象徴として座るだけの少女なら、朝比奈も認めはしなかったろう。

 最初にナリタに来た彼女に、自分は何と言ったのだったか……もう、それすら覚えていない。

 

 

 ああ、あの子はどうするのだろう?

 軍人にでもなるのか、政治家になるのか、それとも御簾の向こうに帰るのか。

 あるいは、それこそただの女の子になるのだろうか。

 藤堂道場の妹分、数年の付き合いで随分と濃い思い出ばかり作ったものだ。

 ……出来れば、幸せになってほしいと思う。

 

 

『朝比奈隊長!』

 

 

 その時、部下の声と暁の警告音が耳に届いた。

 それは見えない片目の方から来ていて、だから反応が遅れた。

 戦闘以外のことに思考を裂いていたことも、不味かったのかもしれない。

 そして、結果だけが残る。

 

 

『――――ラウンズがいる限り、ブリタニアに敗北は無い』

 

 

 接触通信の声が聞こえるのと、朝比奈の視界が白く染まるのはほぼ同時だった。

 だが実はこの時には、すでに朝比奈の肉体はその活動を停止していた。

 コックピットをナイトメアの剣で貫かれれば、生きてはいられないだろう。

 

 

 そして敵が……モニカと共に左翼を攻めていたナイトオブフォー、ドロテア・エルンストが、暁のコックピットカラレイピア型の実体剣を引き抜いた直後、朝比奈の暁が爆発した。

 オレンジ色の爆炎は、反ブリタニア勢力の反撃の気運を削ぐには十分な威力を持っていた。

 だからそれを成したドロテアの功績は大きかったし、事実、ブリタニア軍はこの後に続く彼女の叱咤で勢いを盛り返した。

 

 

『あ、朝比奈……』

『朝比奈が……やられた……?』

 

 

 そして、黒の騎士団にも衝撃を与えた。

 朝比奈は旧日本解放戦線のメンバーにとっては柱のような存在だった、支えだった。

 それは上官である藤堂や、僚友である千葉にとっては特にそうだった。

 言葉を失い呆然とするのも、無理からぬことだったろう。

 

 

 ……そして、1人の少女にとっても。

 いやもしかしたなら、藤堂や千葉以上に衝撃を受けていたかもしれない。

 大きく見開かれた目が、カタカタと震える指先が、頬を流れた一筋の雫が。

 

 

「う、ぁ……あ……し」

 

 

 その、全てだった。

 

 

「省悟さあああああああああああああああああぁぁぁぁんっっっっ!!!!」

 

 

 その瞬間、月姫のコックピットの中が紅の輝きで満たされた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そこは、不思議な世界だった。

 真っ白な霧に覆われている世界、それでいて霧は奥へと引き込まれているかのように流れている。

 そしてその流れに従うようにして、無数の人影が歩いていた。

 まるで黄泉の国へ続く坂を歩く、亡者のようだった。

 

 

『省悟さん……っ!』

 

 

 その世界を、青鸞は駆けていた。

 どこかから突如現れた彼女は、列を成して歩く人影達の間を縫うようにして駆けた。

 ふわりと浮かぶように着地し、駆ける少女は何も身に着けていなかった。

 半透明の身体はまるで幽霊のようで、だが必死の顔が生気を証明していた。

 左胸と右掌から赤い輝きを放ちながら、駆けた先で掴んだのは。

 

 

『省悟さんっ!!』

 

 

 人影の腕を掴む、するとその人影は明確な形を持つようになった。

 黒い髪に黒い瞳の日本人、少女よりも背が高い、鍛え上げられた身体は細いががっしりとしていた。

 腕を掴まれたことに驚いた様子で、彼……朝比奈は、青鸞を振り返った。

 彼もまた、一糸纏わぬ姿だった。

 

 

『青ちゃん……?』

『省悟さん、逝っちゃダメだよ。そっちは……!』

 

 

 腕にしがみ付いて、朝比奈の足を止める。

 普段なら様々な意味で恥ずかしくて出来ないだろうが、今はそうしなければならなかった。

 そうしなければ、朝比奈が逝ってしまう。

 もう二度と、会えなくなってしまう。

 

 

『そう、か……青ちゃん、キミは』

『……ごめんなさい』

 

 

 謝る、「この世界」では隠し事は出来ない。

 青鸞の身に起こったここ数ヶ月の変化の全ても、今の朝比奈には伝わってしまう。

 コードのこと、ギアスのこと、饗団のこと、ブリタニアのこと、ルルーシュのこと。

 全部、全て、何もかもが、ダイレクトに伝わってしまう。

 

 

 それは、逆もまた然りだ。

 朝比奈が考えていたことも、感じていたことも、思っていたことも、何もかもが青鸞の流れ込んでくる。

 心配されていたことや、想われていたこと、そして……申し訳なく思われていたことも、全部。

 

 

『省悟さん、戻ろう? 戻ったら、ちゃんと自分の口で全部話すから。そうしたら叱ってくれて良いから、だから!』

 

 

 だから、逝かないでほしい。

 子供に戻ったかのように我侭を言う青鸞に、朝比奈は穏やかな笑みを見せた。

 優しい笑みだった。

 彼は自由な方の手を伸ばし、青鸞の頭を撫でた。

 

 

 この世界では、言葉は二次的な意味しか持たない。

 だから青鸞は顔を歪めた、目尻から涙が零れるのを止めることが出来なかった。

 朝比奈は、戻らない。

 還る、「彼女」の下へ還ってしまう。

 そして青鸞には、それを止める力が無かった。

 

 

『嫌だよぅ……省悟さん、嫌だよぉ……!』

『……ごめんね、青ちゃん。でもここに来てわかったんだ、僕は逝かなくちゃいけない』

 

 

 人は、根源から分かたれた「塵」だ。

 塵はいずれ根源へと還る、今の青鸞はそのループを理解していた。

 朝比奈が顔を向けている先、白い霧の世界の先に「誰が」いるのか理解していた。

 だから、止められない。

 

 

 ああ、だからこそV.V.は戦うことを選んだのだろうか。

 「神」を殺し、新たな世界を創ろうとしたのだろうか。

 今ならば、少しだけ理解できるような気がした。

 

 

『正直、心残りが無いでも無いけれど……でも、僕は逝かなくちゃ』

『……省悟、さぁ……ん……』

 

 

 えぐえぐと泣きじゃくる青鸞を、朝比奈は苦笑しながら撫でる。

 生前……あえて生前と言う言葉を使うが、生前には恥ずかしくて出来なかったことだ。

 その時、別の人影が2人の前を通り過ぎた。

 一瞬だけ形を取り戻したその人影は、インドの青年の姿をしていた。

 

 

 笑顔をで軽く手を振った彼は、周囲の人影――これも一瞬、インド人の集団に見えた――と仲良さそうに奥へと歩いて行った。

 その背中を、朝比奈もじっと見ている。

 予感がして、青鸞は朝比奈の腕を抱き締める力を強めた。

 だが涙で濡れる瞳で見上げても、朝比奈が振り向くことは無かった。

 

 

『逝かないと、卜部さんや皆が待ってるから』

『ま、待っ……省悟さ、し』

 

 

 振り向いた朝比奈の厳しい瞳に、青鸞は言葉を飲み込んだ。

 叱られた心地で腕を離せば、朝比奈は表情を緩めた。

 

 

『……良い子だ』

『省悟、さん……省悟さん、省悟さん省悟さん、省悟さぁん……っ』

『困ったな、もう逝かなくちゃいけないのに。そんなに泣かれたら、向こうに逝っても心配になっちゃうよ』

 

 

 言われて、青鸞は笑おうとした。

 上手く笑えるはずも無いのに笑おうとしたそれは、酷く不格好だった。

 可愛くも無ければ美しくも無いそんな顔に、しかし朝比奈は優しい笑みを見せた。

 安堵したような顔をして、一歩を離れた。

 

 

『ありがとう、青ちゃん』

 

 

 何に対するお礼なのか、わからなかった。

 ありがとうを言うなら自分の方だと、崩れ落ちながら青鸞は思った。

 人影へと戻る朝比奈の背中に何事かを叫びながら、泣き喚きながら、青鸞は朝比奈省悟と言う男のことを想った。

 

 

 ナリタで自分を妹のように可愛がってくれた、本当のお兄ちゃんなら良かったのにと何度も思った。

 格好良い所も、みっともない所も、失敗した所も、上手くいった所も、全部見てくれた。

 優しくしてくれた、厳しくしてくれた、甘えさせてくれた、困らせてくれた。

 朝比奈省悟と言う兄貴分のことが、青鸞は大好きだった。

 

 

『僕は見れなかったけれど、青ちゃん。キミは』

 

 

 自分が知らないことやわからないことを教えてくれる朝比奈が、好きだった。

 何か嘘を教えたり悪いことを自分に教えようとして、千葉に怒られる朝比奈が好きだった。

 藤堂のことを尊敬して、草壁らに悪態を吐く朝比奈が、好きだった。

 枢木青鸞は、朝比奈省悟のことが。

 

 

『キミには、平和になった日本を見てほしいな――――』

 

 

 ――――大好き、だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 唸り声。

 突如として響いて来た唸り声に、誰もが顔を上げた。

 だがそれは通信機から聞こえてきた物では無く、頭の中で反響するように響いていた。

 多くの者が戦場が見せる幻聴かと首を傾げた時、彼らは気付いた。

 

 

 それは、少女の泣き声だと。

 

 

 そしてそれを最も近くで聞いていた2人の少年は、頭痛を引き起こす程の思念に顔を歪めた後、そちらを見た。

 スザクは蜃気楼の絶対守護領域の向こう側を、ルルーシュ=ゼロは己の後ろを。

 しかしその時にはもう、月姫は濃紺の軌跡を残して消えていた。

 

 

『『青鸞ッ、待て……ッ!』』

 

 

 2人の少年の制止の声さえ振り切って、月姫は飛んだ。

 己を守る僚機も持たず、たった1人、単機でブリタニアの航空艦隊を目指して飛翔した。

 並み居るブリタニアのナイトメア部隊の中で、しかし誰も彼女を止めることは出来なかった。

 それどころか彼女を止めるべく前に割り込んだナイトメアのパイロットは、己の中をおぞましい何かが駆け巡るのを感じた。

 

 

 言うなればそれは、イメージ、とでも言おうか。

 情報の海に投げ出され、無数の意識に包まれるおぞましい感覚。

 突如として体内に入って来たそれに、ブリタニア兵は悲鳴を上げて意識を失っていった。

 受け止めきれない情報はショックイメージとなり、おぞましい何かを連想し、脳が己を守るべく意識を途絶えさせたのだ。

 

 

「何だ……!?」

 

 

 濃紺の軌線が過ぎた後には、穴が開くようにブリタニア軍の陣形が切り裂かれていく。

 それはまるで、先のランスロット・アルビオンを思わせる進撃だった。

 斑鳩から見て左翼に向けて伸びた連なりは、そのままブリタニアの左翼艦隊を目指しているように見えた。

 

 

『ええい、全機下がれ! 私が相手をするっ!!』

 

 

 味方の体たらくに激昂したのか、味方のヴィンセントやグロースター・エアを下がらせて、ドロテアが前に出た。

 朝比奈機を撃墜した彼女はそのまま左翼にいて、ジェレミア隊と交戦中のモニカ隊と連携していたのだ。

 ドロテアは自らの愛機ベレアスを駆り、高速で迫り来る濃紺のナイトメアを迎え撃った。

 

 

『イレヴンごときに遅れを取る……ラウンズでは無いっ!!』

 

 

 レイピア型の実体剣、濃紺のKMFの胸を目掛けて刺突する。

 対する濃紺のKMF、月姫は、残った左腕で刀を振るいレイピアを外側へと弾いた。

 乱雑な動きだ、そして狙い通りの動きでもある。

 ドロテアは笑みを浮かべ、そのまま機体の身を勢いのままに回転させた。

 いや、正しくは「回転させようとした」だ。

 

 

『な……?』

 

 

 戸惑いの声が響く、操縦桿を動かす手が止まったのをドロテアは自覚した。

 自覚して困惑した後、おぞましさが来た。

 瞳孔が開く程に目を見開き、魂を刺すような情報の奔流に飲まれる。

 

 

『な、何だ、これは……ぐ、あああああああああああああぁっ!?』

 

 

 脳を犯されると言う未だ経験したことの無い衝撃に、ドロテアは悲鳴を上げた。

 そして現実においては、その一瞬でベレアスは月姫に両足を斬り飛ばされていた。

 だがそれ所では無く、ドロテアは意識が落ち、機体ごと落下していった。

 しかし外から見ると、それは「ドロテアが、ラウンズが敗北した」ようにしか映らない。

 

 

『エ、エルンスト卿が……』

『ラウンズが負けた! うわあああああぁぁっ!!』

 

 

 恐れ戦いて月姫の軌道上から逃げるブリタニア軍、逆に左翼の騎士団の兵達は歓声を上げた。

 どうしてそんなことになっているのかはわからないが、枢木青鸞と言う彼らの象徴がラウンズを下したらしいことはわかったからだ。

 

 

「何と、これは……」

 

 

 モニカ隊と対峙していたジェレミアも、ジークフリートのコックピットの中で驚嘆の息を吐いていた。

 そして同時に饗団の一員でもあった彼は、今何が起きているのかの予想も出来ていた。

 意味についても、何と無くは。

 

 

「……いかん! 枢木青鸞、その力は……!」

 

 

 だがジェレミアのその声は届かない、今の青鸞には届かない。

 むしろ彼女はジェレミアのいる空域さえそのまま通過し、ブリタニアの艦隊を守るモニカ隊の中へと突っ込んで行った。

 そして、ドロテア隊との戦いと同じ光景が繰り返される。

 

 

『こ、こんな……こんなことがあってたまるかぁっ!』

 

 

 ドロテアの撃墜に衝撃を受けていたモニカも、己の矜持を懸けて愛機ユーウェインの銃を上げた。

 そして、撃った。

 月姫の残った片足を撃ち抜いたそれに、モニカは安堵したような笑みを浮かべる。

 だが月姫が速度を緩めないと知るや、慌てて次撃を装填した。

 

 

『……ガァッ!?』

 

 

 衝撃に、モニカが悲鳴を上げた。

 何故なら異常なことに、月姫は減速せずにそのままモニカに衝突したからだ。

 普通、避けるか何かするだろうに、そのまま制動も減速もせずにぶつかってきた。

 だがチャンスだ、モニカは近接用の武装を展開しようとした。

 

 

『……ッ、あ、あああああああああああああぁっ!?』

 

 

 そうする前に、彼女もドロテアと同じように情報の波を叩き付けられた。

 脳が沸騰するのではないかと思える衝撃に意識を手放し、ユーウェインが落ちていく。

 月姫はそれすら興味が無いかのように飛び続け、そのままブリタニアの艦隊に突っ込んで行った。

 斑鳩から見て左翼にいる敵艦隊は3隻、重アヴァロン1隻に軽アヴァロン2隻だ。

 

 

 アヴァロンは強力な航空戦艦だが、懐に飛び込まれると対応できないと言う弱点があった。

 対空砲とブレイズルミナスの内側に入り込み、月姫は左腕に持っていた刀『雷切』を軽アヴァロンの第2フロートに突き刺した。

 高周波ブレードがフロート外壁を斬り裂き、内部のシステムをぐちゃぐちゃに破壊する。

 火を噴くと同時に刀が半ばから折れて、柄を捨てながら月姫が飛んだ。

 

 

『な、何だアレは!?』

『撃て、撃てぇっ!!』

 

 

 呆然としていたもう1隻の軽アヴァロンも、月姫が続いて自分達に迫っていると知って血相を変えた。

 対空砲が空を過擦し、月姫を叩き落そうとする。

 だが月姫は対空砲の悉くを直線的な動きで凌いだ、真下に出ると同時に急上昇する。

 そして、腰から抜いた廻転刃刀を第1フロートに突き刺した。

 回転する刃が奥深くまで刀を進め、致命的な部分を破壊する。

 

 

 フロートの外壁を蹴って離れると、月姫は再び急上昇する。

 高速で飛翔し、残った重アヴァロンの上を取ると、そこで一旦止まった。

 そしてコックピット横の刀を射出し、左腕で掴む。

 桜色の刀身から煙が噴き出し、サクラダイトの熱暴走によって得られるエネルギーが迸った。

 

 

「う、ううう、ぅ、ぅうううう……!」

 

 

 唸り声。

 月姫のコックピットの中で、青鸞は唸り声を上げていた。

 それは泣き声だった、歯を食い縛っているために唸り声のように聞こえているのだ。

 左胸と右掌からは未だ赤い輝きが溢れ続け、気のせいでなければ瞳さえ紅に染まっているように見える。

 

 

「ううううう、ううううううううううぅううううぅ」

 

 

 ギリギリと歯を食い縛る音が響き、操縦桿を握り締める音が響く。

 赤い瞳からとめどなく涙が溢れ、犬歯を剥き出しにした唇からは血の雫が垂れていた。

 急激すぎる機動に、少女の肉体がついてこれていないのだ。

 だが、そんなことは関係が無かった。

 

 

 青鸞は今、己の中から溢れる衝動を感じていた。

 苦しいとすら思える程の衝動、それに振り回されていた。

 怒りとも憎しみとも違う、何かの衝動。

 胸の奥から競り上がってくるそれを発散しようとするかのように、真下に向けて月姫を飛翔させた。

 重力さえも味方につけて、重アヴァロン目掛けて飛ぶ。

 

 

「うぅあああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁっっ!!!!」

 

 

 叫んで、『桜花』の刀身を振り下ろした。

 薄青の輝きがそれを阻む、ブレイズルミナスだ、高純度のサクラダイト特殊錬造合金が放つエネルギーがブレイズルミナスの障壁を中和した。

 刀身に罅が入る、だが構わずにそのまま斬り裂いた。

 

 

「か、艦隊が……エルンスト卿と、クルシェフスキー卿が……」

 

 

 そして重アヴァロンのフロートが火を噴く様子は、他の艦にも見えていた。

 ブリタニアの中央艦隊、旗艦であるグレート・ブリタニアの艦橋は静まり返っていた。

 海上艦隊の壊滅に続き、敵左翼を攻めていた味方の艦隊が壊滅させられたのである。

 彼らが絶望的な気分になるのも、無理は無かった。

 

 

 しかもそれを成したのがたった1機のナイトメアとなれば、もはや笑うしか無い。

 だが現実に笑える程の精神力の持ち主はいなかったし、いるはずも無かった。

 ……いや、ただ1人だけ、いた。

 

 

「くく、くくくくく……ふははっ」

「へ、陛下……?」

「ふふふ、ふははは……ふふはははははははははははははははははっ!!」

 

 

 ブリタニア皇帝シャルル、彼だけは違った。

 壊滅した味方の様子を見て、意気上がる敵の様子を見て、なお轟然と哄笑してみせたのである。

 胸を逸らし、本気で面白いものを見たように笑う彼を、艦橋スタッフは流石に気味悪げに見つめていた。

 

 

 だが皇帝はそんなことは露とも気にせず、笑い続けていた。

 その瞳には、両眼には、赤いギアスの紋章が浮かび上がっている。

 ギアスの瞳で世界を見渡す皇帝は、なおも哄笑しつつ言った。

 

 

「ふふはははは……あやつめ、やりおるわっ!」

 

 

 あやつ、と言うのが誰かはわからない。

 少なくとも艦橋のスタッフにはわからない、本来は許されないことだが、狂人を見るような目つきで皇帝を見つめていた。

 だがそれを咎められる前に、彼らは意識を現実へと引き戻された。

 

 

「ぬぅ……っ!?」

 

 

 グレート・ブリタニアの第2フロートが爆発すると言う、その衝撃によって。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 潜入工作、そして破壊工作。

 それはいつの時代にもあり得る策の一つであり、正面からぶつかる軍隊が剣だとすれば、人の目を忍ぶ暗器のような物だろう。

 そして、だからこそ効果がある。

 

 

「フロートの破壊を確認、これより脱出行動に入ります」

『了解、どうか無事で』

 

 

 小型端末の画面に映るのは、インド情報部のカンティ・シンだ。

 褐色の肌に編み上げられた長い金髪の美女の顔が画面から消えると、端末を持っている女、咲世子は軽い音を立ててそれを閉じた。

 懐に仕舞いながら前を見れば、グレート・ブリタニアのフロートが火を噴いている様が見えた。

 

 

 彼女が今いるのは、グレート・ブリタニア下層の対空砲の射撃室だ。

 無数にある対空砲の一つを奪い、それでフロートを撃って破壊したのである。

 ただもちろん、1人で全てを行ったわけでは無い。

 

 

「さぁ、戻りましょう。時間をかけすぎると脱出の機会を逃してしまいます」

 

 

 咲世子が振り向いて声をかけると、元々この射撃室にいたブリタニア兵数人を縛っていた2人の女性が頷きを返してきた。

 2人ともが中華連邦の兵士であり、咲世子のグレート・ブリタニアへの潜入と破壊工作を支援してくれた仲間だった。

 

 

「そいじゃまぁ、またいっちょうやってやるかねぇ」

 

 

 1人は20代半ばの女性で、黒の短髪と男勝りな雰囲気が特徴的な人物だった。

 名前は張葉青(チャン・イェチン)、諜報員としてのスキルに優れており、特技は声帯模写とハッキングである。

 戦争や国家には特に興味は無いのだが、特技を活かせる職を探していたら軍の諜報部にいつの間にか入っていたと言う経歴を持つ。

 

 

「わかりました、道をつけます」

 

 

 そしてもう1人、こちらは10代後半の少女だった。

 長い黒髪を二つ縛りにした小柄な少女で、中華風の意匠が施された直剣二刀を両手に握っていた。

 敵中に孤立していると言う状況下でも冷静なのは、幼く見える外見によらず肝が据わっていることを印象付けていた。

 名前を李小鈴(リ・シャオリン)、立ち居振る舞いは生真面目な少女のそれである。

 

 

「では……参ります!」

 

 

 そして咲世子はそんな2人を率いて、射撃室の外に飛び出した。

 驚いて銃を向けてくるブリタニア兵に対してクナイを投げ、驚異的な体術で通路を駆け抜けていく。

 その姿は続く2人も感嘆せざるを得ない、と言うより、ここに来るまでに十分に認識していた。

 ただ1つ、2人が咲世子に対して隔意を感じる部分があるとすれば。

 

 

((……あの衣装は、何なんだろう……))

 

 

 レオタードとマフラーと言う、咲世子の奇抜な衣装に対してだけだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ……青鸞の意識が回復した時、まず目にしたのは黒い計器だった。

 オートバイ式のコックピット・シートにうつ伏せに倒れていたのだ、青鸞は腕に力を入れて身を起こした。

 正面のモニターには、空があった。

 

 

「……?」

 

 

 状況が読めずに、首を傾げた。

 普通なら空と共に海も見えるはずなのだが、今は空しか見えない。

 つまり海側に背中を向けて空中にいることになる、彼女ははっとして周囲を確認した。

 そして、側面モニターにオレンジ色の装甲を見つけた。

 

 

『気付いたか、枢木青鸞』

「え……?」

 

 

 それは、ジェレミアのジークフリートだった。

 重アヴァロンを落とした後、青鸞が気を失い落下する月姫をジェレミアが受け止めたのだ。

 だからこうして、ジークフリートで月姫を運搬しているわけだ。

 まさかかつての純血派のリーダーが日本人である青鸞を助けるとは、運命とはおかしなものである。

 

 

 それに、青鸞は溜息を吐いた。

 頭と胸の奥に鈍痛が残り、右腕が痺れている。

 おそらくはコードの力を使いすぎたのだろう、朝比奈の死と言う衝撃で起こった反応と言える。

 そんな彼女の心境を察しているのかいないのか、ジェレミアが言った。

 

 

『気をつけろ、キミに何かあれば我が君が哀しむ』

「……ありがとう、ございます」

『何、礼には及ばん。これも忠義の……む?』

 

 

 ジェレミアの怪訝な声に、青鸞は再び顔を上げた。

 その時には月姫のフロートを再起動させて自分で飛んでいる、だからジェレミアと同じものが見えた。

 見えるのは海上に向けて――この頃には、メタンハイドレートの噴出も弱まって来ている――徐々に高度を下げているグレート・ブリタニアだ、どうやらフロートを損傷しているらしい。

 

 

 だがそれよりも、グレート・ブリタニアの巨大な艦体中央部に異常が見えた。

 装甲が罅割れているのである、もちろん艦が重みに耐え切れず割れているわけでは無い。

 内側から爆発するように、艦体中央部の装甲が爆裂した。

 何か巨大な質量を持つ物が、無理矢理に艦体をこじ開けて外に出ようとしているらしい。

 それはまるで、母の胎内を蹴る赤子のようにも見えた。

 

 

『ふふふふ……ふふふははははははははははははははははははははっ!!』

 

 

 そして、不快な哄笑がオープンチャネルで響き渡った。

 老人の物なのだろう、だがどこか老人離れした力強さを感じるその哄笑を、青鸞は知っていた。

 耳にしたら離れない、それは勝利者の哄笑だった。

 

 

『人は、平等では無い。だからこそ人は争い、競い合い、そこにぃ……進化が生まれるぅっ! すなわちぃ……!』

 

 

 その言葉、知っている。

 世界中の人間が知っている、勝利者、世界帝国の頂点に立つ男だからこそ許される傲慢な理論。

 その言葉を吐いたのは、1人だけだ。

 だからわかる、「それ」に乗っている人間が誰なのか。

 

 

 ナイトメアでは無い、ジェレミアのジークフリートよりもなお巨大なそれはナイトギガフォートレスだ。

 黄金色に輝く装甲は太陽に煌き、神秘的にすら見える。

 装甲の中央に刻まれたのは青地に赤十字、獅子と蛇が絡み合う意匠を施された旗だ。

 すなわち、神聖ブリタニア帝国の国旗。

 

 

『オオオオオオオオオオォゥルゥハァイィル・ブリィタァアニアアァァァァァッッ!!」

 

 

 第98代唯一皇帝、シャルル・ジ・ブリタニアの声が、まるで世界へ宣戦布告するかのように響き渡った――――。

 




採用キャラクター:
佐賀松浦党さま(ハーメルン):張葉青。
光堂司さま(小説家になろう):李小鈴。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 青鸞がコードの力を戦闘に転用した結果、兄スザクと共にチートの領域に足を踏み入れると言う結果になりました。
 枢木の家は、もうダメかもしれませんね。

 そして朝比奈さん、悩んだぁ……悩みました。
 でも描いてる時に聞いていた音楽のテンションがアレだったので、最終的にこんな感じに。
 将来的な根源の描写のためにも、一役買ってくれてるかもしれませんからね。
 と言うわけで、次回も頑張ります。

『ブリタニア皇帝シャルル、世界最強の権力を持つ独裁者。

 強さこそを正義に据え、争いこそ人の進化の道と説き、それでいて世界の嘘を壊そうとしている求道者。

 そして、ルルーシュくんとナナリーちゃんのお父さん。

 力を使い果たしたボクに、はたしてあの巨人が倒せるだろうか』


 ――――TURN25:「皇帝 の 仮面」


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TURN25:「皇帝 の 仮面」

今話は難産でした……。
そしてオリキャラの出演シーンがあります、苦手な方はご注意ください。
……私の作品では、今さらかもしれませんけどね。


 ピンチと言う物は突然にやって来る、いつだってそうだ。

 例えば自分が乗っている艦がフロートにダメージを受けて、徐々に高度を下げている時。

 あるいは攻撃の余波で格納庫が吹き飛んで、崩れた壁が瓦礫となって落ちてきた時なのだ。

 

 

「ゆ……雪原さん! 大丈夫!?」

 

 

 爆発の衝撃でどこかへと消え失せた工具箱や端末など気にも留めずに、古川は叫んだ。

 聴覚制御用のヘッドホンだけは守ったらしい彼は、護衛小隊の技術担当兼ラクシャータの部下だ。

 まぁ、今は立場についてはどうでも良い。

 

 

 重要なのは落ちてきた瓦礫の方であって、物資搬入用のクレーンやナイトメア固定用のアームまで上に乗っている。

 しかも一つや二つでは無く、そこかしこで負傷した兵達の呻き声が聞こえる。

 ヴィヴィアンに退艦命令が出た矢先のことで、誰も彼もの気が急いていた時の出来事だった。

 そして古川は、瓦礫の山の一つに膝を突いていた。

 

 

「雪原さん! 返事して! 雪原さぁんっ!」

「……五月蝿いです、五月蝿い人は嫌いです」

「よ、良かった……雪原さん、怪我は!?」

 

 

 小さな鉄板や柱の欠片を脇によけて作った小さな隙間に、古川は無理矢理に肩までを押し込んでいる。

 その先には小さな空洞があって――まぁ、鉄柱などでジャングルジムのようになっていたが――古川の視界で、長いストレートの黒髪が揺れていた。

 うつ伏せに倒れていた雪原が身を起こし、意識を確かめるように頭を軽く振ったのだ。

 彼女は自分の現状を把握したのか、深々と溜息を吐いた。

 

 

「ま、待ってて! すぐに……ふっ、むむむむむむっ!!」

「……無駄です、小柄な貴方では。と言うか、生身の人間が鉄柱を持ち上げられるはずがありません」

「あ、諦めちゃ……ダメッ……だ、よぉ……!」

「聞きなさい、もう退艦命令が出て時間も経ちます。貴方は先に行って、避難しなさい」

「そ、そんなこと……っ」

 

 

 古川が瓦礫を持ち上げようとしてもビクともしない、雪原はその後も何度か避難するように告げた。

 合理的に判断して、助かると思えなかったからだ。

 だが古川は雪原の言葉を聞かなかった、どこかから鉄の棒を持ってきて瓦礫に差し込み、体重を乗せて持ち上げようとする。

 

 

「いい加減にしてください、聞き分けの無い人は嫌いです」

「だ、だったら、嫌いで良い! 雪原さんを、キミを置いて行くくらいならぁ……!」

「どうしてですか、合理的ではありません」

「ど、どうしてって、そ、そんなの……そんな、のっ!」

 

 

 全身で鉄の棒を押し下げるようにしながらも、流石に古川はそこで逡巡した。

 だが雪原の納得していない雰囲気を瓦礫の中から感じて、意を決して、言った。

 

 

「ゆ、雪原さんの、こと、がっ……んんっ……す、好きだから、に、決まってるでしょ……!」

「私は貴方が嫌いです、だから早く行ってください」

「あ、あれ?」

 

 

 古川の全身から力が抜けた、即座の「ごめんなさい」に足を滑らせたのである。

 映画や小説ならここで良い雰囲気になるだろうに、古川はあっさりとフられた。

 まぁ、自分にモテる要素があるとは思っていなかったが、それにしても秒殺だった。

 

 

「嫌いです、嫌い。だから私を見捨てて早く逃げてください」

「い、いやいや、でもやっぱり見捨てるなんて」

「貴方のような背が低くてオドオドしていてモゴモゴ喋るような男性、少しもタイプではありません」

 

 

 別の意味で死にたくなってきた。

 だが、はて、と古川は首を傾げた。

 

 

「ほんの僅かも可能性は無いので、さっさと行ってください。その方が私も清々します。大体、私のような愛想の無い女に好意を抱くなんて、一時の気の迷いに決まっています。もう少し論理的に考えてください」

 

 

 雪原は、こんなに饒舌に喋る女性だっただろうか?

 

 

「貴方みたいな人、嫌いです。優柔不断な癖に聞き分けが無くて、いつも鬱陶しく傍にいて。おかげで私は、貴方がいないと妙に落ち着かなくなってしまって困ります。だから嫌いです、だから」

 

 

 言葉を返さずに、古川は唇を引き結んだ。

 そして、もう何も言わずに瓦礫をどかす作業に集中する。

 それに気付いたのか、雪原が声をやや高くした。

 

 

「だから……早く、行きなさい」

「ふ、んんんんんんんんんんんんっ!!」

「行きなさい」

「ぬ、ぐっ、うううううううぅぅ~~っ」

「嫌いだって、行きなさいって、言ってるのに……!」

 

 

 唸りながら鉄の棒に体重を乗せる、瓦礫は動かない。

 その下にいる女性を助けないといけないのに、動かない。

 非力な自分が本当に憎い、勉強ばかりでなくもっと鍛えておけば良かった。

 鉄の棒を握る掌の皮が捲れるのと、雪原が甲高い声で叫んだのはほぼ同時だった。

 

 

 そして、がくん、と古川の身体が揺れるのも同時だった。

 驚いて後ろを見る、するとそこに1人の女性兵がいた。

 長い髪を一本に束ねた、身体に無数の傷痕を持つ女性兵だった。

 周囲の兵も古川に気付いたんだろう、口々にこちらを気遣いながら駆け寄ってくる。

 

 

「あ……」

「……どうした、助けるんでしょう?」

「は……はいっ!」

 

 

 護衛小隊の仲間、茅野の言葉に勇気付けられて、古川はもう一度力を込めた。

 それから集まって来た他の仲間達の手も借りて、彼は瓦礫の下から最愛の女性を救い出すことに成功した。

 ……そして改めて、面と向かって「嫌い」と告げられたと言う。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そのナイトギガフォートレスの名を、『ファーヴニル』と言う。

 全高45m、総重量90トン、質量的にはジェレミアのジークフリートよりも2倍近くある計算になる。

 ブリタニア帝国の技術の粋を集めて作られたこのナイトギガフォートレスは、神経電位接続と言う特殊なシステムによってパイロットと一体化、ナイトメアでは不可能なレベルでの戦闘を可能にしている。

 

 

『ふふふふ……ふぅはははははははははははははははははははははっ!!』

 

 

 すなわち、ブリタニア皇帝シャルル・ジ・ブリタニアとの直接神経接続によって。

 とは言え彼自身はジェレミアと違い生身の人間であるから、体内に針を刺すわけでは無く、登録した生体情報によって機体を制御する形を取っている。

 ギアスと言う誰にも真似の出来ない生体情報を持つ男、シャルル。

 

 

 そしてその巨大で黄金の輝きを放つナイトギガフォートレスの登場に、黒の騎士団もブリタニア軍も動揺を隠せなかった。

 ブリタニア軍には友軍の識別コードがあるためまだマシだが、黒の騎士団には何の前情報も無いのだ。

 ただ敵であると言うことだけはわかった、だから。

 

 

『……囲めッ!』

 

 

 だから藤堂とその直属部隊がまず動いた、8年前の戦争から藤堂に従っている猛者であり、機体も量産機ながら最新鋭の暁だけで構成された部隊だ。

 斬月がまず正面から斬りかかる、刀身のスラスターを噴かしながらファーヴニルに制動刃を振り下ろした。

 しかしその攻撃は通じない、薄緑の障壁が制動刃を受け止めたからだ。

 

 

「……ブレイズルミナスか!」

 

 

 だが、とコックピットの中で藤堂が眦を上げる。

 元より彼は陽動だ、本命はファーヴニルを囲んだ部下達の方である。

 廻転刃刀を抜き、一斉に飛び掛ろうとする暁。

 それに対してファーヴニルが取った対応は、限りなく過激だった。

 

 

『オォオオオォルハァイル・ブリタアアアァァァニアアアアアアアアアアアッッ!!』

 

 

 皇帝の声と共にファーヴニルの側面装甲がスライドした、中から現れたのは砲門だ。

 小型のレーザー砲塔が24連5列、それが左右に展開され、次の瞬間には全て火を噴いた。

 正面の藤堂の攻撃を防ぎながらの迎撃、黄金色のレーザーが溢れ出した。

 僅かに変化しながら進むそれは、周囲を囲んでいた暁を次々に貫いていった。

 

 

 そして、容赦の無い爆発の連続。

 通信に断末魔の悲鳴が響き渡る、藤堂は操縦桿を握る手に力を込めた。

 それ程の衝撃だった、最新鋭のナイトメアが一度に全て撃墜されたのである。

 

 

 

「馬鹿な……ぬぅっ!?」

 

 

 ブレイズルミナスの向こう、フーヴニルの先端装甲が左右に開くのを見て藤堂は離れた。

 次の瞬間にはそこから太いビームが放たれ、藤堂がいた場所を薙いだ。

 砲撃直後の白煙を吐くそれはハドロン砲だ、まるで竜が口から火を噴くかのような攻撃だった。

 事実、藤堂の後ろにいた暁や月下が数機巻き込まれ、撃墜されてしまった。

 その爆発の光を見て、藤堂は歯噛みする。

 

 

 だがその直後、赤黒い巨大なビーム砲が斬月の足元を擦過した。

 味方を巻き込まないようなルートで放たれたそれもハドロン砲だ、それも二条のビームがファーヴニルに突き刺さった。

 藤堂はその砲撃を知っていた、斑鳩の主砲、重ハドロン砲である。

 途上のブリタニア軍を薙ぎ払いながら進んだそれは、間違いなくファーヴニルに直撃した。

 

 

『やった……!?』

 

 

 誰かの声が聞こえたが、藤堂の顔は晴れなかった。

 何故なら最も近くにいた彼には、ハドロン砲の爆発の中から悠然と姿を現すそれが見えていたからだ。

 すなわち薄緑の障壁に守られ、傷一つついていない巨大な兵器の姿を。

 

 

『ふふふはははは……その程度の攻撃で、このわしに対抗しようとは。かぁたはら痛いわあああああぁぁぁぁぁっっ!!』

 

 

 そして再び降り注ぐレーザーとビーム、そしてミサイルと実弾。

 まるで死神のように周囲に死を振り撒くそれに、黒の騎士団は飲み込まれようとしていた。

 重ハドロン砲さえ軽く防ぐそのナイトギガフォートレスの存在には、それだけの威力があった。

 

 

 たとえ、そこに乗っているのがブリタニア皇帝だとわかっていても。

 それでも反撃らしい反撃も出来ず、部下や仲間達が次々と撃墜されていくのを前にして。

 藤堂は、奥歯を噛み締めることしか出来ずにいた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――皇帝が、自ら前線に!?

 その事実に衝撃を受けたのは何も兵士達だけでは無い、ルルーシュ=ゼロとてその1人だった。

 だが彼の場合、驚愕や動揺よりも大きな感情が去来した。

 

 

(ナナリーを……!)

 

 

 ナナリーを撃たれた時の感情が、ルルーシュ=ゼロの胸を埋め尽くした。

 憎悪、無力感、復讐心、虚脱感……ありとあらゆる感情。

 皇帝の声を耳にし、皇帝が乗っているらしいナイトギガフォートレスを目にするだけで、そうした感情が次から次へと溢れてくる。

 

 

 だがそれだけを考えているわけにもいかない、皇帝のナイトギガフォートレスによって黒の騎士団の航空戦力は著しく減少している。

 たった1機のナイトギガフォートレスが戦況を変えつつあった、そして皇帝の戦果にブリタニア軍の士気が向上している。

 青鸞や友軍の決死の努力によって傾いた戦況を、再逆転させるわけにはいかない。

 

 

『……行かせない!』

「スザクッッ!!」

 

 

 様々な感情と事情によって皇帝の下へ向かおうとしたルルーシュ=ゼロの蜃気楼の前に、白騎士が立ちはだかる。

 薄緑の翼を持つランスロットの姿に、ルルーシュ=ゼロが怒声を上げた。

 ランスロットの中にいるだろう幼馴染の少年を睨むつもりで、彼はブリタニアの白騎士を睨んだ。

 

 

「スザク、お前はそうまでして……あんな男を守るのか!?」

『自分はブリタニアの軍人! 皇帝陛下の騎士だ! 僕にはそうする義務がある!』

「義務だと!? それはいったい何の義務だ!? 己の頭で考えようともせず、ただルールに従っているだけだろう!」

『それでも、ルールを破るよりは良い!』

「何がルールだ!!」

 

 

 眦を上げ、ルルーシュ=ゼロは叫んだ。

 ルールとは何か、法か、社会的な規範か、権威か、それらはどれ一つとして人類誕生の時から存在する不変のルールでは無いと言うのに。

 何を持ってルールとし、正義と成すのか。

 それは結局自分で考え決めることだ、他人の正義(ルール)に唯々諾々と従うことでは無い。

 

 

『なら、キミに正義があると言うのか!』

 

 

 怯まず、スザクも叫び返す。

 自分の思想や行動がエゴの結果だなどと、言われなくてもわかっている。

 だが定められた秩序やルールを破った所で、そこに何がある?

 何が残る、何も残りはしない、何も得られはしないでは無いか。

 ただただ、無数の哀しみと虚しさを残すばかりで。

 

 

「それは、敗者の考え方だ!」

『なら勝利とは何だ!?』

 

 

 負けるとは、勝つとは何だ。

 善とは、悪とは何だ。

 何をもって正しいと言い、何をもって間違っていると言うのか。

 

 

 誰がルルーシュを否定できる? 枠組みの外で仮面を被り嘘を吐き続けてきた少年を。

 誰がスザクを否定できる? 枠組みの中で正しく在ろうと自分を殺し続けてきた少年を。

 誰が彼らに、100%の、不純物の無い正しさを見せることが出来る?

 出来はしない、誰にも出来はしないのだ。

 何故なら、それが「世界」と呼ばれるモノだからだ。

 

 

『答えろルルーシュ、どうして僕にギアスを――――青鸞(いもうと)を守れとギアスをかけた?』

 

 

 あのギアスは、スザクの信念を捻じ曲げた。

 スザクは示された枠組みの中で青鸞を守るよう行動するようになった、ラウンズにいた時は間接的に、そして青鸞が日本へ戻ってからは直接的に。

 他の誰かに囚われる前に、自分の手で……と、己の課したルールを歪めてまで。

 

 

「……その問いに答える前に、スザク、お前にも答えてもらいたいことがある」

 

 

 質問に質問で返す、これもまたルール違反ではある。

 だがルルーシュ=ゼロにとっては、ルールと言うのはその程度のものでしか無い。

 ルールよりも何かを上位に置ける、彼はそう言う少年だった。

 ……そう、少年なのだ、彼らは。

 

 

「お前は、何故父親を殺した?」

 

 

 少年だからこそ完璧では無く、不完全さを持って歩いていくのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 双剣とランス、2つのMVSが衝突して火花を散らす。

 だがたったそれだけのことに、ヴィンセントの中でロロは歯噛みしていた。

 本来ならあり得ないことで、それだけのことでロロは顔を顰めている。

 

 

「この……っ!」

 

 

 右眼にギアスの輝きが宿る、その瞬間に一定範囲の時間が停止する。

 より正確に言えば、敵であり一騎打ちの格好になっているナイトオブラウンズ、ノネット・エニアグラムの体感時間を停止させる。

 そしてその停止空間の中でロロだけが動き、背後からトドメを刺すべく斬りかかった。

 

 

(……また! どうして!?)

 

 

 そしてランスを振り下ろしたその先には、ノネットが逆手に持った双剣があった。

 ロロが振り下ろした攻撃に対する防御、停止時間の中でどうしてか動き、ロロの攻撃を受け止めた。

 その驚きで停止結界が解け、次の瞬間には反撃が飛んで来た。

 それを後ろに飛翔することで回避しながら、ロロは再び奥歯を噛み締めた。

 

 

「どうして、僕のギアスの中で動ける……まさか、ギアス使い!?」

『ぎあす? また何か変なことを言う奴だな。瞬間移動するし……まぁ』

 

 

 ナイトメア『ベディヴィア』に軽い駆動音を響かせながら、ノネットは言った。

 

 

『次にどう動いてくるか、何となくわかる。お前……』

 

 

 実は、素人だろう。

 そう言われて、ロロはぐっと詰まった。

 事実、彼はあくまでもギアスの力を頼りとした戦士であって、ナイトメアのパイロットでは無い。

 正規の訓練を受けたことは無く、ただ暗殺者の経験で動かしているだけなのだ。

 

 

「そんな……」

 

 

 だからその意味で、彼の動きは読まれやすいのだ。

 当然だろう、ギアスの停止結界を前提としている以上、相手の隙を狙うような真似は必要ないのだから。

 そこが目の前のノネットや以前のジノのような歴戦の猛者からすると、読みやすいのである。

 

 

 加えて、ロロのギアスは無機物……つまり物理法則に対しては効果が無い。

 あくまで人間の体感時間を止めるだけなので、ナイトメアの動き自体を止めるわけでは無い。

 普通はパイロットが停止すればナイトメアも止まるのだが、ノネットは並みのパイロットでは無かった。

 体感時間の停止直前、敵の次撃を予測してナイトメアを動かしているのだ。

 

 

「そんなことが……!」

 

 

 あり得ない。

 それこそ人間の反射速度を超えている、少なくとも今まで暗殺してきた人間の中にそんなことをした人間はいない。

 

 

『そぉらぁっ!』

「っ、しま!」

 

 

 衝撃を受けている場合ではなかった、振り下ろされた双剣をランスで受け止める。

 しかし後手に回ったためだろう、先程より押し込まれる形で鬩ぎ合っている。

 メインモニターを火花とスパークで埋め尽くされながら、ロロはコックピットを襲う衝撃に呻いた。

 ギアスを、と思った次の瞬間には、まるでそれを読まれたかのように蹴りを入れられた。

 

 

 衝撃に悲鳴を上げつつ後退し、体勢を整えた時には次撃が来た。

 受け止める、そしてギアスを使う間も無くさらに次が来る。

 疾風怒濤、まさにその四文字が似合うような連続攻撃だった。

 斬撃でも刺突でも無い、殴りつけるような剣撃がロロを襲う。

 

 

『さぁて! そろそろ終わりにさせて貰おうか!』

「くっ……!」

 

 

 負けるわけには行かない、自分が負ければこいつは姉の所に行くだろう。

 それをさせるわけにはいかない。

 それだけは許すわけにはいかない。

 姉の行動を、願いを、邪魔させるわけにはいかない。

 そして。

 

 

 蹴りの衝撃、揺れるメインモニターにはノネットのベディヴィアが双剣を構えている姿が見える。

 両腕を左右に広げ、赤いMVSの剣が陽光を反射して燃えている。

 それをやや後ろに振りかぶるようにしながら、ベディヴィアが突撃してきた。

 機械とは思えない滑らかな動きは、彼女が帝国最強の騎士の1人であることを証明するかのようだった。

 

 

(姉さん……!)

 

 

 嫉妬が無いと言えば、嘘になる。

 あの姉が自分以外の者に心を動かすことに、嫉妬しないわけが無い。

 自分には姉だけなのに、姉は自分だけでは無い。

 それが悔しくて妬ましくて、だからロロは姉の周りにいる人間が嫌いだった。

 ゼロ、そしてスザクとか言う姉の実兄のことも。

 

 

 だが、今は少し違う。

 

 

 少しだけ、違う。

 何故なら、姉が言ったのだ。

 饗団にいる子供達は、自分の弟や妹だと。

 だから。

 

 

(……姉さんが創る、創ってくれる、新しい……!)

 

 

 饗主A.A.が創る、新しいギアス饗団。

 否。

 

 

(新しい、僕の饗団(かぞく)を……僕は!)

 

 

 ロロの右眼に、赤いギアスの輝きが宿る。

 それを感じ取ったのだろう、ノネットが「次の次」を読んだ動きをナイトメアに伝える。

 停止結界の中で背後に回り込んだロロの前に、防御のために突き出されたベディヴィアの双剣がある。

 逆手に持たれた剣、だがロロはそこに攻撃を当て無かった。

 

 

「……ああぁっ!!」

 

 

 代わりに、ヴィンセントそのものを当てた。

 ベディヴィアの剣が、ヴィンセントの腰部とランスを持つ右腕の肩部に突き刺さった。

 モニターとスピーカーからやってくる警告音と警告色、ロロはそれに構わなかった。

 停止結界が解ける、顰めた顔のまま、しかしロロは左の操縦桿を前に押し込んでいた。

 

 

『な……』

 

 

 ギアスが解けたのだろう、ノネットが驚く声を上げた。

 何しろ自分の剣で串刺しにした敵が、背中から抱きつくような体勢になっているのだから。

 自殺志願者か、と、ノネットが驚くのも無理は無い。

 同時に、ノネットはぞっとした心地に陥ることになった。

 だが彼女はその結果を防ぐことは出来なかった、何故ならロロが連続でギアスを発動させたからである。

 

 

 度重なるギアスの使用に、心臓の停止にロロの顔色が青白くなっていく。

 目の下に出来た隈は隠しようも無く、途切れそうな意識をそれでも繋ぎ止めた。

 全ては、姉の……新しい家族達のために。

 暗殺者の少年は、今、ようやく。

 

 

「ニードル……ブレイザー……!」

 

 

 折り曲げたヴィンセントの左肘に、白い輝きが生まれた。

 ブレイズルミナスのエネルギー発生理論を応用したその兵装は、槍状に変化したエネルギーをベディヴィアの腰部に叩き込む。

 後ろから抱きつき、押し付けた左肘だ。

 次の瞬間、爆発と共にベディヴィアの上半身と下半身が分かたれた。

 

 

 しかしその刹那、ベディヴィアの剣が外へと向けて斬り振られた。

 結果、ロロのヴィンセントもまた両断され……2機は、共に海へと墜ちていくことになった。

 もはやモニターも死ぬ、警告の明かりのみになったコックピットの中、ロロはそれでも空を見上げるように上を見た。

 そして、微笑むように笑みを浮かべた。

 

 

「ああ、姉さん……僕は……」

 

 

 そして心を得た暗殺者の少年の姿は、コックピットの計器の爆発の煙に飲まれて見えなくなってしまった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『お前は、何故父親を殺した?』

 

 

 その問いかけに、枢木スザクは答えられなかった。

 答えたくなかった。

 いや、答えるべきでは無いと思った。

 

 

 今さら何を言った所で、何も変わるわけではなかったからだ。

 それに8年前のことはスザクにとって忌むべき記憶で、そして。

 罪だった。

 

 

『……スザク、お前は知っていたんじゃないのか』

「何を」

『お前の父親が、自分の娘に何をしていたのかを』

 

 

 操縦桿を、握り締めた。

 だがスザクは心の動きをコックピットの外にまで見せようとは思わなかった、必要が無いからだ。

 そして、思う。

 

 

 ルルーシュはきっと、8年前に自分と父親の間にあったことを知っている。

 気付いている、予想できてしまっている。

 頭の良いあの幼馴染のことだ、青鸞やC.C.などから得た情報で自分なりの仮説を組み立てでもしたのだろう。

 昔から、本当に頭の良い奴だったから。

 

 

『答えろスザク、お前には答える義務があるはずだ――――青鸞に対して』

「……日本とブリタニアの戦争を止めるためだよ、子供の勘違いだ」

 

 

 国のトップがいなくなれば戦争は止まるなどと、まさに子供の考えることだ。

 実際、父の死でむしろ混乱は増した。

 混乱の中、死ななくて良い人々が死んでいった。

 

 

 ――――どうしてですか、父さん。

 

 

 今は妹が自分にする問いかけを、かつて父にした自分。

 その時に返って来た答えを聞いて、父を止めなくてはならないと決意した自分。

 殺さなければならないと、決めてしまった自分。

 子供の、考え。

 

 

(……青鸞)

 

 

 血を分けた妹、たった1人の妹、今では道を違えてしまった妹。

 スザクは、ふと夢想することがある。

 あの時、8年前のあの時、もしきちんと話せていたなら、何かが変わったのだろうかと。

 1人で決めず、ちゃんと話し合っていたら、今とは違う今日を生きていたのだろうか、と。

 

 

 だがそれは、今となっては何の意味も無い想像だ。

 今スザクは青鸞の敵で、憎まれていて、彼女を苦しめている元凶なのだ。

 1人の少女の人生を狂わせた、許されざる咎人なのだ――――。

 

 

『――――嘘を吐いているな、スザク……』

 

 

 だから、そんなルルーシュの言葉に。

 スザクは、ビクリと小さく肩を震わせたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 カレンは、己が狭間の者であると理解していた。

 青鸞が日本人として己を定義しているように、あるいはルルーシュが己をブリタニア人と理解しているように、彼女は己のルーツについて確たるものを持っていない。

 日本人とブリタニア人、その狭間に立っているのが自分だ。

 

 

『名前を聞いておこうか、一応』

 

 

 ハーケンタイプのMVSをショートソードで受け止めた際、接触通信で敵パイロットが声をかけてきた。

 思ったよりも若く、そして明るい声だった。

 自分よりは年上だろうか、それでも言う程離れていない年齢層の男だろう。

 それに対してカレンは一度顔を伏せた、そして顔を上げた。

 

 

「紅月カレン……日本人よ!」

『へぇ、日本人か。ならこっちも……ジノ・ヴァインベルグ、ブリタニア人だ』

「そう、なら……!」

 

 

 紅蓮を翻し、トリスタンを蹴り話して距離を取る。

 そして右腕を掲げ、同時に赤い輝きを宿らせる。

 眦を決して操縦桿のトリガーボタンを押せば、赤黒い輻射波動砲弾が一直線にトリスタンへ向けて放たれた。

 

 

 だが直進する破壊の力に、トリスタン……つまりジノは回避の選択を取らなかった。

 むしろ正面から迎え撃った、自分のハーケン2つを連結し、その中央から青白いエネルギー砲を放射したのだ。

 それは輻射波動砲と正面から衝突し、2機の中間でエネルギーを迸らせながら炸裂した。

 そんな、と思った次の瞬間には、炸裂の衝撃が機体を襲った。

 

 

「……っ!」

 

 

 それでも目を閉じなかったのは凄まじい、だから次の瞬間の撃墜を防いだ。

 ハーケンを避け、MVSを凌ぎ、機銃の雨を回避した。

 躍動的な機動、野生的ですらあるその動きにジノは感嘆の口笛を吹いた。

 

 

『やるねぇ、才能だけならラウンズ並みかもな』

「馬鹿にして……!」

 

 

 武装が少ない、それはいつか青鸞が感じたことだったろうか。

 輻射波動砲弾のおかげで遠距離戦も出来るようになったとは言え、それでもやはり紅蓮は輻射波動のみのピーキーな機体だ。

 トリスタンのような多彩な武装や形態を持つ相手は、どうしても苦手になってしまう。

 

 

 おまけにだ、認めざるを得ないことだが相手は自分よりも格上のパイロットだ。

 機体性能はそれでも五分としても、パイロットの技量はジノの方が上。

 いくら才能があっても、それでも、カレンとて正規の訓練を受けていない我流のパイロットなのだ。

 衣を変えても、所詮はテロリストでしか無い。

 

 

(何とか、輻射波動を叩き込めれば……!)

 

 

 直接で無くても良い、紅蓮にはそれしか無い。

 最強にして唯一、それが紅蓮の輻射波動なのだから。

 

 

「ふぅん……」

 

 

 一方でジノもまた、コックピットの中からそれを見ていた。

 声からして相手はまだ少女、にしては恐ろしく才能があるが、でも自分よりは弱い。

 そう判断していたのだが、遊ぶように首を傾げたその顔は真剣そのものだった。

 口元に浮かべた微笑、だが青の瞳は冷たく静かだ。

 

 

 本来であれば、今すぐ撃破して皇帝の守護に向かうべきだろう。

 何故か最前線で暴れている主君の下へ馳せ参じ、それに群がる――一方的に蹂躙されているようにしか見えないが――黒の騎士団を殲滅しなければならない。

 しかし、右腕を高く掲げる奇妙な構えを取る紅のナイトメアから視線を外すことが出来なかった。

 ブリタニアの名門ヴァインベルグ家の三男坊として、挑まれた決闘には応じる義務があるからだ。

 

 

『――――七手だ』

「何?」

『七手、それだけで決着をつけよう。ああ、馬鹿にしてるわけじゃないんだ。ただ……』

 

 

 ぞわりと、肌の上を戦慄が撫でたのは気のせいだろうか。

 ナイトメア越しにでもわかる程に、相手の纏う雰囲気が変化したように思えたのだ。

 自然、操縦桿を握る手に力が込められる。

 ……七手、か。

 

 

『こっちの、流儀でね』

「……良いわよ」

 

 

 長期戦はこちらも望まない、だからカレンは応じた。

 七手勝負、相手の流儀とやらに合わせてやろうでは無いか。

 それでもしばらくは、静かに睨み合ったままだった。

 数秒かもしれないし、数分だったかもしれない。

 そしてオートバイ式の操縦席に跨るカレンの顎から、一雫の汗が落ちた時。

 

 

『……勝負!』

「はぁああああああああああああああああああぁぁっ!!」

 

 

 ――――1手目。

 輻射波動砲弾とハドロンスピアー、赤黒と青白のエネルギーの砲弾が正面から衝突した。

 最初から最大攻撃、奇しくも互いに選択した攻撃は同じだった。

 再び巻き起こる衝撃、しかし今度は紅蓮もトリスタンも同時に動いた。

 

 

 ――――2手目。

 衝撃が抜けると同時に戦闘機に形態変化したトリスタンが大きく飛翔する、輪を描くように旋回したそれを追って紅蓮も身を回していく。

 そして放たれたトリスタンのハーケン、1本目はショートソードで弾き、2本目を右掌で掴み止めた。

 迸る赤黒い輻射波動のエネルギー、トリスタンはハーケンをパージして攻撃をいなした。

 

 

 ――――3手目。

 紅蓮がバランスを崩した、パージしたハーケンの爆発に紛れてそのまま突進したトリスタンによって。

 胸部に突撃を許してバランスを崩した紅蓮に、すかさずナイトメアモードになったトリスタンがMVSを振り下ろした。

 紅蓮が苦し紛れにスラッシュハーケンを放って刃の機動を変える、だがMVSの刃は紅蓮の左腕を肩から斬り落とした。

 

 

 ――――4手目。

 半ばから斬り落とされた左腕を省みること無く、いや逆にそれを囮として、紅蓮が右手でトリスタンの左腕を掴んだ。

 攻撃から戻る一瞬の隙を突いて、掴み、そして再び輻射波動の赤い輝きが放たれる。

 だがトリスタンはそれをかわした、左腕をパージして再びいなしたのだ。

 

 

 ――――5手目。

 左腕の爆発の中、身を低くしたトリスタンがMVSを右腕一本で横に薙いだ。

 それによって、紅蓮は両足を失うことになる。

 再び牽制に放ったスラッシュハーケンもかわされ、逆にトリスタンの膝が紅蓮の胸部に叩き込まれた。

 装甲がヘコみ、軋みを立てて悲鳴を上げた。

 

 

 ――――6手目。

 再度、輻射波動砲弾の輝きが空を引き裂く。

 至近距離で放たれたそれにさしものトリスタンも装甲を溶かされて、よろめくように下がる。

 その際に牽制に振るわれた右腕を、紅蓮が掴む。

 パージしようとしたのだろう、右肩部分から火花が散った。

 だが先の輻射波動砲弾で装甲を溶かされたためか、不具合が生じてパージが行われなかった。

 

 

 ――――7手目。

 貰った、とばかりに輻射波動の輝きが放たれる。

 だがそれも不発に終わった、立て続けの輻射波動の使用のためか、エナジー切れを起こしたのだ。

 少女の絶望の叫び、少年の安堵の吐息。

 トリスタンが紅蓮にトドメを刺すべく、必要な動きを取り始める。

 ――――しかし。

 

 

「ごめんね、紅蓮……」

 

 

 カレンが哀しげにそう告げたのは、目の前の強敵をルルーシュや仲間のいる場所に行かせるわけにはいかなかったからだ。

 自惚れを承知で言えば、自分は黒の騎士団のエースだ。

 その自分を軽く倒してしまえるような相手を、このまま野放しになど出来ない。

 だからせめて、戦闘継続を不可能な状態にまでしなければならなかった。

 

 

「おいおい、冗談だろ」

 

 

 機体から離れていく紅蓮のコックピット部を見て、ジノが表情を引き攣らせる。

 そしてその次の瞬間、紅蓮が爆発した。

 自爆、それが紅蓮が――――カレンが選択した、8手目の行動だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 スザクは嘘を吐いていると、ルルーシュは確信にも似た感情を抱いていた。

 何の根拠も無い、ただそう思っただけだ。

 そして同時にルルーシュは、スザクが自分に何かを話すことは無いだろうとも気付いてもいた。

 何かを話すとして、その相手は自分では無いと考えていたからだ。

 

 

 そしてその上で、やはりスザクは嘘を吐いていると思う。

 心理学などと言い出すまでも無い、スザクは誰かに罰されたがっているのだ。

 あれほど苦悩しながらも生き続けているのはそのためだろう、人々に後ろ指を差されるような生き方をしているのも、妹の憎しみや失望を招くような言動も、全てそのために。

 だがその生き方は、ルルーシュには認められない。

 

 

「スザク、お前はどうして父親を殺した?」

 

 

 だから彼は、何度でもスザクにそう問いかけるつもりだった。

 彼を……こんな自分を愛してくれた少女が、常にそうしていたように。

 ルルーシュは、問いかけ続ける。

 

 

 答えを期待してのことでは無い、ただ、思い出させたかった。

 ルルーシュは今このような時になっても、スザクを信じていた。

 そう、信じている。

 8年前、この幼馴染がその後の人生を後ろ向きに生きるために行動したのでは無いと信じている。

 だから。

 

 

「スザク!」

 

 

 ルルーシュは、声をかけ続ける。

 

 

「お前が今、何を思って黙しているのか俺にはわからない。だが! 黙したままでい続けることは出来ない!」

 

 

 枢木スザク。

 ナイトオブセブン、最も上位まで駆け上がったナンバーズ、日本人の誇りを捨てた「裏切りの騎士」。

 戦場を稲妻のように引き裂いた強さは、まさに鬼神のようだった。

 掛け値なしに、最強のナイトメア乗りの1人だと思う。

 

 

 ランスロット・アルビオン。

 その名の元になった騎士もまた、裏切りの騎士と呼ばれていた。

 そして最強の騎士だ、伝説によれば、彼は他の誰よりも強く……そして、気高かった。

 裏切りの騎士と呼ばれる彼、だが彼にはもう一つの顔がある。

 

 

(彼は最後まで、己の主君に対して忠誠の念を持っていた)

 

 

 裏切りの騎士、最強の騎士、そして信念の騎士。

 その全てに符合する少年は、ただルルーシュの言葉を聞いていた。

 周囲を戦場と言う地獄に囲まれながら、しかし彼らの間だけは静かだった。

 

 

『……全ては』

 

 

 ただ静かに、お互いの声だけを聞いていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ルキア・A・C・ロレンスと言う女性から見て、ルキアーノ・ブラッドリーと言う男性は完璧だった。

 ただそれは男女関係がどうとか言う話では無く――(はた)からどう見られているかはともかく――あくまでもルキアーノの在り方や生き方、そう言うものを尊いと思ってのことだ。

 だって、彼は戦場でしか生きられないから。

 

 

 ルキアには嫌いな物がある、香水臭い女性、プリン以外の甘い物、意に沿わない押し付けの3つ。

 そしてそれ以上に嫌いなものが、「戦場以外に生き場がありながら戦場に出る人間」だ。

 その意味でルキアーノは完璧だった、ブリタニアの吸血鬼、血を啜ることでしか快感を得られない性格破綻者、戦場と言う地獄を遊び場にしか見れない異常者、狂った殺人鬼。

 戦場以外に彼が生きていける場所があるのなら、むしろ聞いてみたいくらいだった。

 

 

「まぁ、部下の衣装だけは無いと思うけど……」

 

 

 呟いて苦笑する、ナイトオブテン直属「グラウサム・ヴァルキュリエ隊」の隊員はルキアを含めて10代、20代の女性……自惚れを承知で自分も含めて言えば、容貌の整った者ばかりだ。

 それだけなら「好きなんだなぁ」と思って苦笑するだけなのだが、衣装がほとんど裸のレオタードみたいなスーツになると好色を通り越して「変態だぁ……」と思うわけである。

 よって、副官である彼女は謹んで家で用意したパイロットスーツに身を包んでいる。

 

 

 黒生地を金で縁取りしたインナーに、濃い緑の軍服状の上着を重ねたデザインだ。

 上着と一体化した下はロングスカートのような形状をしているが、動きを阻害しないために深いスリットが入っている。

 むっちりとした肉感的な太腿が露になっているのは、ルキアーノがしつこかったからだ。

 どうやらあの男は女性の足に対して深い思い入れがあるらしい、やはり変態だった。

 

 

『キャアァ――――ハハハハハハハァッ!』

 

 

 一方でその男……ルキアーノは、皇女の血を啜るために空を舞っていた。

 ブリタニア軍? 皇帝? そんなことは関係ない。

 ただ戦場で戦い、出来るだけ多くの人間を殺す、それだけだ。

 それだけが、ルキアーノ・ブラッドリーと言う殺人狂の自己証明(アイデンティティ)なのだから。

 

 

 ラグネルの大剣とパーシヴァルのクローが打ち合い、まるで血のように火花を散らしながら殺し合いを演じている。

 世代的には互角だが、試作機と言う性格を持つラグネルの方がやや性能面では劣るかもしれない。

 だからか、ラグネルのコックピットの中でコーネリアは舌打ちしていた。

 

 

「ちっ、鬱陶しい……」

 

 

 こんな所で足止めを喰らっている場合では無いのだが、性格破綻者でも流石はラウンズ、強い。

 さしものコーネリアもルキアーノ程の相手を前に他所に意識を向けることは出来ないし、ましてルキアーノは1人で戦っているわけでも無い。

 パーシヴァルから距離を取っても安心できないのはそのためだ、コーネリアは機体を翻して背後からの攻撃を防いだ。

 

 

『……前々から聞いてみたかったんだけどね、皇女さま』

 

 

 モリガン、隙あらば奇襲をかけてくるルキアーノの副官のKMF。

 聞いた所によればラウンズ候補でもあったとか、だがそれはこの際あまり関係が無かった。

 

 

『貴女はどうして、わざわざ皇宮と言う生き場から出て戦場に来たの?』

「――――知れたこと」

 

 

 敵の戯言を鼻で笑い、大剣を振るって軽量級のモリガンを弾き飛ばす。

 その上で、コーネリアは吼えた。

 

 

「皇族が戦を率いずして、誰が戦を率いるのか!」

 

 

 ノブレス・オブリージュ、高貴なる者の責務。

 高貴なる者はその豊かさに応じた義務を負う、弱き領民を慈しみ、外敵から守らなければならない。

 その中でも下々の者に範を示す者、それが皇族だとコーネリアは思っている。

 

 

 玉座の後ろから戦争を賛美し指揮するような存在にはならない、そんな卑怯者に誰がついてくると言うのか。

 奇しくもそれは、ルルーシュ=ゼロの掲げる理念と重なる部分でもあった。

 皇族が戦争を命じる以上、戦場の先頭には皇族がいなければならない。

 それがコーネリアの信念であり、譲れない部分だった。

 

 

『――――くだらないね』

『いやぁ、私は嫌いじゃあ無いなぁ。戦場は戦場と言うだけで行きたくなってしまう、そんな場所だからなぁ……だから私は、皇女様の意見に賛同を示すものであります。あぁはははははああああぁぁぁ?』

 

 

 別に戦場が好きなだけでは無い、攻めかかってくる2機を前にコーネリアはそう思った。

 それに本当は、皇族の義務だ何だとかは二次的な物でしか無いのだ。

 彼女は本当は、たった1人の妹の視線だけを気にしていたのだから。

 自分の背中に向けられる妹の、憧れの眼差しだけを気にして生きてきたのだから。

 だから。

 

 

「……それより、不思議には思わないのか?」

 

 

 ルキアーノとルキア、そしてその部下達が首を傾げるのを感じながら、コーネリアは言った。

 

 

「それだけの多勢を頼みとしてなお、私を倒せないと言う事実に」

『はぁっ……まさか、自分の強さを鼻にかけるつもりかぁ?』

「いいや、違うさ。ただ……」

 

 

 吸血鬼の言葉に笑んで――どこか皮肉そうな、つまらなさそうな笑み――コーネリアは、己の左眼に触れた。

 そこには、ギアスの赤い輝きがある。

 ……そう言えば、まだ説明したことが無かっただろうか。

 

 

 コーネリア・リ・ブリタニア、V.V.が彼女に与えたギアスがいかなる力を持つのか。

 そのギアスに与えられた名は、『守護誓約』。

 掲げた誓約を違えぬ限り、何人たりとも彼女を傷つけることは出来ない。

 妹をギアスの呪縛から解放する、その誓約をコーネリアが諦めない限り、彼女のギアスが彼女を守る。

 

 

(……皮肉だな)

 

 

 それはユーフェミアのギアスと、極めて良く似た干渉型のギアスだった。

 ただユーフェミアが自分の感情を他者に与えるのとは違い、コーネリアのギアスは他者に自分を尊重させる。

 ギアス饗団のアジトを抜け出してから今まで、多くの敵に囲まれた。

 だが誰も彼女を汚し傷つけ、まして殺すことなど出来なかった。

 

 

 今も、ナイトオブテンとその部下達に囲まれ多勢に無勢の今も、そうだ。

 ルキアーノがあれ程にコーネリアの血を求めても、何故かトドメを刺せない。

 それは彼女のギアスが彼の無意識に干渉し、溶け込み、今一歩の所で攻めを止めているためだ。

 

 

(こんな所でも、私達は姉妹なのだな……なぁ、ユフィ)

 

 

 だからコーネリアは、皮肉を込めた笑顔を浮かべたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 全てを取り戻すことはもう出来ない、スザクはそう思う。

 ルルーシュはそれを知らないだろう、彼が失ってきたもの。

 そして、捨てて来たものを。

 スザクの手には今でも、父を刺した時の感触が残っている。

 

 

 肉を裂き血が噴き出すあの感触、今でも夢に見る、夢で見る自分の手は常に血に塗れていた。

 そうしなければならないと、そう決意して。

 だがより絶望的なのは、自分がそうしたことでより多くの日本人が死ななければならなかったことだ。

 

 

「もう何も取り戻せない、取り返しのきかないことだから」

 

 

 忘れられるはずも無い、癒されるはずも無い。

 過去に成したことで現在を潰すのは間違っている、そんなことはわかっている。

 わかっていて、それでも一歩を超えられないからこその過去なのだ。

 消せない事実がそこにあるのに、そこから目を逸らして生きるなんて出来ない。

 

 

「甘えるな!!」

 

 

 だが、ルルーシュにも言うべきことはあった。

 彼自身、腹違いとは言え兄を1人殺しているのだから。

 兄以外にも、より多くの人々を殺して歩いて来た。

 幸福になる資格があるかと問われれば、なるほど、無いのかもしれない。

 

 

「お前は俺や青鸞に言ったな、俺達の都合に他者を巻き込んで良いわけが無いと。だが、それならお前はどうなんだ! お前が過去にこだわり今、ブリタニアの騎士として戦うことは! それは、多くの他者をお前の都合や満足のために巻き込んでいることにならないのか!?」

 

 

 スザクが過去に囚われ罰を求めるのは、結局はスザクの都合でしか無い。

 罪を犯したと言うのであれば、償えば良い。

 償えば許されるわけではない、だが誰かの未来を奪った者には、誰かの未来を守る義務があるはずだった。

 そうでなければならないと、ルルーシュは知っていた。

 

 

 前へ。

 一歩でも、いや半歩でも良い、引き摺ってでも良い、前へ。

 ただ前へ進むことが、コードを持たない常命の存在に許された唯一の方法。

 責任、言えば一言で済んでしまうその言葉。

 だがルルーシュは、そのことを1人の少女のおかげで思い出すことが出来た。

 

 

「……ならどうすれば良かったと言うんだ、過去を悔いて反体制派に協力でもすれば良かったと言うのか」

 

 

 青鸞のように。

 だがそれは出来なかった、スザクにはどうしても出来なかった。

 何故ならば、スザクが反体制派に身を投じてしまえば。

 

 

「怖いのか、スザク」

 

 

 そしてそれを、ルルーシュはもはや正確に洞察していた。

 何故スザクが反体制派に身を投じなかったのか、何故裏切り者と呼ばれてもブリタニアの軍人になったのか。

 もちろん人々のための最善と信じたのもあるだろう、不器用な正義、そのためでもあったろう。

 

 

 だが一番は、嫌だったからだ。

 反体制派に属することで、「自分は贖罪をしている、だから良いんだ」と思うことに耐えられなかった。

 だから、反体制派に身を投じることだけは出来なかった。

 だから、だから、だから……だから?

 

 

「だからお前は、誰かに罰せられるまで今の在り方を続けると言うのか」

 

 

 自分を罰してくれる誰か、その最もわかりやすい相手が誰かなどと言うまでも無い。

 だからルルーシュは、かっと両眼を見開いた。

 毒々しいまでの赤い輝きに満ちた瞳を見開き、言う。

 

 

「甘えるなっ!」

 

 

 今度は別の意味でスザクの甘えを糾弾する、自分に出来ないことを他者に求めるその意思を弾劾する。

 

 

「彼女は、お前の採点係では無い……!!」

 

 

 そんなことに彼女が生きているなどと、ルルーシュは思いたくも無かった。

 そしてそんなことのために彼が生きているなど、思いたく無かった。

 だって、そうでなければあまりにも救いが無い。

 

 

『――――俺は行くぞ、スザク』

 

 

 そしてルルーシュのその言葉を聞いても、スザクは止めなかった。

 今度は、止めなかった。

 だって、これまでの問答でまた一つ、確信が持てたからだ。

 彼は、ルルーシュは、スザクが信じた幼馴染の少年は。

 

 

 どうすれば良いのか、誰もが常にその問いかけに苛まれている。

 だが誰も教えてはくれない、誰も救ってはくれない。

 何故なら人は、決定的なまでに「1人」なのだから。

 何もかもが違う、「他人」と「他人」なのだから。

 

 

「……ルルーシュ、ありがとう」

 

 

 だからスザクは、自分の妹を救うために飛ぶ友の背を見て微笑んだ。

 その微笑みは、どこか泣いているように思えた。

 だが、ルルーシュのおかげでスザクはまた一つ決めることが出来た。

 彼女のために怒れる、怒ってくれる彼だから。

 だからスザクは、決めた。

 

 

 ――――今一度、罪を犯す覚悟を。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ブリタニアの海上艦隊こそ壊滅したものの、戦闘は海上でも未だ続いていた。

 ナイトオブワン・ビスマルク率いるロイヤル・ガードと、中華連邦軍総司令・星刻率いる中華連邦軍本隊との戦闘である。

 旗艦である大竜胆を中心に行われているその戦闘は一見、消耗戦に陥っているように見えた。

 

 

『退くな! 敵の反撃のピークはすでに過ぎている!』

 

 

 ビスマルクの怒声が戦場に響く、そして事実、大竜胆周辺の反撃は弱まっていた。

 理由は砲弾とエナジーの不足だ、数時間に及ぶ戦闘で反体制派は戦力を使い切りつつあった。

 情け無い話だが元々補給が足りず、戦闘力は70%程度しか発揮できていなかったのだ。

 そこをルルーシュ=ゼロの奇策で埋めていたのだが、その効果もここに来て切れつつあるようだった。

 

 

 それでもギリギリで踏みとどまっているのは、海上艦隊壊滅と言う尋常ならざるダメージを受けたブリタニア軍の窮状を示してもいた。

 今後の補給に不安を持っているのはブリタニア軍も同じだ、だから今が勝敗と生死を分ける分岐点であると言える。

 そう、苦しいのは両軍共に同じなのだ。

 

 

『ここが正念場だ! ゼロが皇帝を倒すまで……!』

 

 

 星刻もまた、神虎を駆って戦場を縦横無尽に駆けていた。

 ビスマルクと斬り結びながら、時に他の部隊に指示を出し、時に大竜胆の内部と連絡を取り。

 まさに獅子奮迅の活躍を続けている彼だが、数時間続く戦闘の負荷は確実に彼の身体を蝕んでいた。

 唇の端から流れる赤い血がその証拠で、それは外傷によって溢れたものでは無い。

 

 

 病。

 ルルーシュと伍する知略、スザク並みの武勇――かつてルルージュ=ゼロは彼をそう称したが、それは過剰でも何でも無く事実だった。

 枯れることの無い知の泉、長い鍛錬に裏づけされた強靭な力。

 だがそんな溢れる才覚も、病魔の前には無力だった。

 

 

「ぐ……ごほっ」

 

 

 嫌な咳をして、再び血を吐く。

 それは星刻には止めようの無いことであって、精神力ではどうにも出来ないことだった。

 だがまだ倒れるわけにはいかなかった、今言ったように、ゼロが皇帝を倒すまでは軍を支えなければならなかったからだ。

 

 

 撤退の選択肢は取れない、撤退しても今回以上の戦力と機会を得ることはおそらく出来ない。

 もう、チャンスは無い。

 だから星刻は、カゴシマに残していた己の主君のためにも。

 しかしそれは、あくまでも星刻の都合であって。

 

 

『隙あり……!』

 

 

 数時間に渡り戦闘を続けて来たビスマルクが、星刻の動きの衰えを察知できないはずも無い。

 彼が星刻のために手を緩める義理は無い、振りかぶった大剣エクスカリバーを聊かの躊躇も無く振り下ろした。

 そして今の星刻にはそれをかわす力は無かった、発作の後ならまだしも今は。

 

 

 エクスカリバーの刃が神虎の肩を捉え、そのまま袈裟懸けに下ろされる。

 通常であればそのまま真っ二つにされる所だろうが、そこは流石に星刻、斬られながらも機体を大きく後退させた。

 それでもエクスカリバーの斬撃はコックピットまで及び、メインモニターのあたりを剣先が薙ぐのを星刻は直接見ることになった。

 

 

「不覚……!」

 

 

 九死に一生、まさにそれが正しい状況だが素直には喜べなかった。

 何故ならこの一撃で神虎は戦闘力を完全に失ってしまった、だから星刻は血を吐きながら歯噛みする。

 心の底で、己の主君の心配そうな顔が浮かんでいた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『大丈夫か、枢木青鸞』

「うん、ありがとう……ジェレミア卿」

 

 

 正直、お礼を言うにはやや複雑な相手だが、今となっては気にするだけ無意味かもしれない。

 とは言え、青鸞の状態は「大丈夫」と言うには聊か頼りない状態だった。

 月姫はブリタニアの左翼艦隊との戦いで武装のほとんどを失い、そしてスザクとの戦いで損傷を受けている。

 右腕と両足、戦闘を継続すると言う意味では厳しい状況だろう。

 

 

 それでも、青鸞は退くつもりも無かった。

 まだ左腕もあるし、内臓された銃器も、そして追加装甲を外せばあのシステムもある。

 ただ青鸞自身については、コードの力を使いすぎたせいか身体が重かった。

 だが自分のことだけを考えてもいられない、何故なら。

 

 

『はぅははははははははははははははははははははははああああぁぁぁっ!!』

 

 

 戦場の中央で暴れている、あの皇帝のナイトギガフォートレスを何とかしなければ。

 藤堂や千葉が頑張っている様子だが、戦況は芳しくない。

 むしろ戦力を磨り潰されて危機的状況だ、このままでは黒の騎士団は虎の子の航空戦力を全て失ってしまう。

 そうなれば、反ブリタニア派は敗北を余儀なくされるだろう。

 

 

 それだけは避けなければならない、ジークフリートの傍で機体を浮遊させながらそう思った。

 表にしろ裏にしろ、反ブリタニアの連合軍の敗北は彼女にとっても看過できない事態なのだから。

 だから、彼女はもう一度飛ぶことを決めた。

 ボロボロの身体とガタガタの機体を使い、抵抗を続けようとしていた。

 

 

「ん……?」

 

 

 しかしその時、戦場に変化が生じていた。

 戦場の中心で猛威を振るう皇帝のナイトギガフォートレスに対し、どこかから艦砲が撃ち込まれたのだ。

 斑鳩の重ハドロン砲では無い、どちらかと言うとヴィヴィアンの主砲に近い。

 だがそのヴィヴィアンは今にも海面に着水しようとしていて、皇帝に砲撃など出来る状態では無かった。

 

 

 ならば、何者が。

 そしてその疑問はすぐに氷解することになる、何故ならすぐに姿を見せたからだ。

 それは黒の騎士団から見て背後、ヴィヴィアンの抜けた穴を埋めるように浮かんできた航空戦艦によって行われた砲撃だった。

 誤爆でも誤砲でも無い、今も明確な意思を持って皇帝を撃ち続けている。

 

 

「あ、あれは……?」

『――――どう言うつもりか!』

 

 

 青鸞が訝しむのと、皇帝の轟音のような声が響くのはほぼ同時だった。

 だがそれは、その場にいる誰もが思っていることでもあった。

 そう、いったいどう言うつもりでその艦は皇帝を撃ったのか。

 まるで藤堂達を援護するかのように行われるそれは、しかし青鸞達の味方ではあり得ない存在だった。

 

 

 

『――――シュナイゼルよ!!』

 

 

 

 航空戦艦、アヴァロン。

 艦の主は神聖ブリタニア帝国宰相にして第2皇子。

 主君であるはずの皇帝の声を静かに聞き流しながら、彼はアヴァロン艦橋の指揮シートに深く座っていた。

 彼は……。

 

 

「…………」

 

 

 シュナイゼル・エル・ブリタニアは、静かな顔で戦場を見つめていた。

 ――――瞳の輪郭を、赤く輝かせながら。

 




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 最後のはオチが読めてしまうかもしれませんね、でもタイミングはいろいろあったので、ルルーシュくんがそれを見逃すはずが無いわけで。
 と言うわけで、我らがゼロ様はちゃんと仕込んでいました(え)。

 それにしても、最近のルルーシュは輝いてますね、かなり主人公です。
 逆にスザクさんは描きにくいです、くそう、もっとこう輝いてほしいのに。
 さて、次回予告……あれ、何だか通信の調子がガガガ、ピー!


 ……ザザッ……


????:『オォオオオォルハァイル・ブリタアアアァァァニアアアアアアアアアアアッッ!!』

 ――――TURN26:「凱歌 を 遮る 者」


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TURN26:「凱歌 を 遮る 者」

残酷な描写があります、苦手な方はご注意ください。


 ――――数ヶ月前、帝都ペンドラゴン。

 数多の離宮群の内の1つで、2人の皇子がチェス盤を挟んで向かい合っていた。

 1人は第2皇子シュナイゼル・エル・ブリタニア、そして今1人は第11皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。

 白の皇子と、黒の皇子である。

 

 

「……父上と、ゼロが?」

「そう、対決・対峙……状況は千差万別あるだろうが、ブリタニア皇帝とゼロが戦場で見えた時、貴方にはゼロの味方として行動してほしい」

 

 

 掌の中の黒のキングを弄びながら、左眼を赤く輝かせたルルーシュがシュナイゼルと話している。

 対するシュナイゼルの瞳も赤い、ただこちらは輪郭が赤くぼやけていると言ったような形で、表情もどこか感情が見えない。

 まるで、催眠状態になっているかのような表情だった。

 

 

「……味方と言うと?」

「方法は任せる、貴方にはそれだけの技量があるはずだ。条件としては、皇帝の旗艦または本人が戦場にいて、かつこのKMFが戦場に出ていること、そして戦闘の開始から5時間が経過していること」

 

 

 シュナイゼルの前に映し出されているのは、この時点では未だ開発中のKMF「蜃気楼」のデータだ。

 状況、時間、極めて限定された状況下で発動するギアス。

 発動しない確率の方が高いそのギアスは、数ヶ月の後に発動した。

 そしてそれは、帝国宰相シュナイゼルのクーデターと言う形で現出することになる。

 

 

「――――今の皇帝陛下に、ブリタニア帝国の頂点に立つ資格は無いよ」

 

 

 そして現在、アヴァロン艦橋においてシュナイゼルはそう告げていた。

 瞳の輪郭は赤い、だが常と同じ冷静沈着な表情が理性を感じさせてもいた。

 ただ周囲はそうでは無い、あのロイドでさえふざけ半分に「良いんですかぁ?」などと聞いている。

 セシルや他のスタッフなどは、青白い顔でシュナイゼルを見ていた。

 

 

「キミ達も知っているだろう、皇帝陛下は近年、何かと玉座を開けることが多い。だがそれは公式発表のような視察でも公務でも無い、皇帝陛下はいかがわしい研究にのめり込み、政務を疎かにしていたんだよ」

 

 

 それはブリタニアの皇族や大貴族なら誰もが知っている、今上陛下の秘密だった。

 ブリタニアを世界帝国に伸張させた鉄血皇帝の、ほとんど唯一の汚点だ。

 いや、それでなくとも、皆心の底では思っていたはずだ。

 あの皇帝は英雄だ、だが、同時に恐ろしいと。

 

 

 ブリタニア国民にしてみれば、なるほど今の皇帝の政策は素晴らしいものかもしれない。

 確かにブリタニア人の生活水準は格段に上がったし、世界最強の軍隊を持つ超大国と言う地位は数々の恩恵を彼らに与えてくれた。

 だが同時に、ブリタニア国民は皇帝シャルルと言う独裁者が作る檻の中に囚われたような感覚も感じていたのだ。

 

 

「それに陛下は中華連邦への宣戦布告の際、私に言ったよ。帝国への侮辱は皇帝への侮辱だと、逆では無く、あくまで自分の顔に泥を塗ったことが問題だと」

 

 

 誰も皇帝に逆らえない、誰も皇帝の政策を否定できない、誰も皇帝の命令を拒否できない。

 主義者の末路を見ると良い、同じブリタニア人なのに、皇帝の政策を批判しただけで公開処刑される彼らの末路を見ると良い。

 およそ普通の精神構造をしている人間なら、眉を顰めるだろう。

 だがそれを口に出来ない、口にしたら一族郎党に至るまで拘束されて処刑されてしまう。

 

 

 世界最強の超大国、ブリタニアの栄華の時代。

 だがそれは同時に、ブリタニア人にとっての暗黒の時代でもあった。

 独裁者シャルルと言う一個人と、数億人の奴隷で構成される国家。

 それが、今の神聖ブリタニア帝国の実情なのだった。

 

 

「帝国は皇帝の私物では無く、帝国の兵は皇帝の私兵では無い。それがわからない今の陛下に、玉座に座る資格は無い!」

 

 

 騒然とする場の中で、ただ1人、シュナイゼルの副官カノンだけが静かな顔で彼を見ていた。

 

 

(やっとご決断なされた、でも……)

 

 

 カノン自身は、ようやくシュナイゼルが「我」と言う物を出してくれたと喜んでいた。

 むしろ今まで良く我慢したとさえ言える、それだけあの皇帝は異常だった。

 だがシュナイゼルは自分から彼に叛逆しようとはしなかった、何故なら興味が無かったから。

 自分にさえも執着しない空虚さが、シュナイゼルの中には広がっていたから。

 

 

 だから成否はともかく、シュナイゼルが自分の意思を見せてくれたのは嬉しかった。

 だが、疑問も感じるのだ。

 どうしてシュナイゼルは、このタイミングで突然反旗を翻したのだろう?

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 第2皇子シュナイゼルの叛乱、それはブリタニアの海上艦隊壊滅や皇帝のKGFの登場などに次ぐ衝撃だった。

 中でもブリタニア兵の衝撃は凄まじかった、何しろ相手はあの帝国宰相シュナイゼルである。

 EUと中華連邦と言う二強国を直接的に倒したのは皇帝では無くシュナイゼルだと言うことを、ブリタニア将兵は良く知っていた。

 

 

 そしてシュナイゼルは全ての通信回線で宣言したのだ、「シャルルに皇帝たる資格は無い」と。

 これほど直接的に皇帝を弾劾した者はいない、誰がどう見ても明確な叛逆だった。

 だが、である。

 シュナイゼル自身の名声はあくまで「皇帝の宰相」としての物であって、彼自身に心服しているとは限らない。

 

 

『シュナイゼル殿下はご決断なされた! 帝国を私物化する皇帝を討つべし!』

『『い、イエス・マイ・ロード!』』

 

 

 だから、クライド・ゲーテルハイドのような者は極めて少数派であると言える。

 髪を水色に染めた20代後半の男で、彼はシュナイゼルの下で若いナイトメア乗りの教導を担当する士官だった。

 軍隊において教官と生徒の関係は厚い、場合によっては皇帝への忠誠をも上回るだろう。

 だがそれでも、あくまで一部に限定された話だ。

 

 

 全体として、戦況に影響を与える物では無い。

 ましてナイトオブワンを始めとするロイヤルガードは崩れない、周辺の部隊の動揺を抑えて戦線を立て直している。

 度重なるダメージからの回復は、流石は世界最強のブリタニア軍と言うべきか。

 

 

「ふむ……海上部隊と航空艦隊の連携が薄いね。砲撃の仰角をマイナス10度、2つの部隊を分断して」

「「「い、イエス・ユア・ハイネス!」」」

 

 

 そして流石はシュナイゼルと言うべきか、ブリタニア軍の連携のウィークポイントを的確についてくる。

 およそ全体を見る視力と言う意味で、彼に及ぶ者はいない。

 戦力の過小を承知の上で、皇帝側の戦力を効率良く削ぎ落としに来ている。

 

 

 それに対して、黒の騎士団側の動きは急激だった。

 シュナイゼルが何故皇帝に反旗を翻したかはわからない、が、この好機を逃すべきでは無い。

 藤堂はそう判断した、だから海上から敵の援軍が来る前に――シュナイゼルがそれを防いでいる間に――残存する戦力の全てを、皇帝のナイトギガフォートレスへと叩き付けることにした。

 

 

『ぬぅあああぁぁ……ッ!』

 

 

 制動刀がブースターと共に翻り、ファーヴニルのブレイズルミナスに再び衝突した。

 レーザーとハドロン砲が飛ぶ、しかし藤堂はそれを回避した。

 斬月が離れると同時に斑鳩が遠距離砲撃を行う、それも当然のように防がれる。

 周囲の暁も波状攻撃に加える、3班に別れて射撃を続け、ファーヴニルをブレイズルミナスの中に閉じ込めようと言うのだろう。

 

 

『無駄無駄無駄無駄無駄あああああああぁぁぁぁっ!!』

 

 

 だがそれも、皇帝のファーヴニルには通用しない。

 艦砲クラスであればともかく、電磁装甲に守られた機体はブレイズルミナス無しでも暁の実弾射撃程度であれば防ぐことが出来るのだ。

 解除されたブレイズルミナスの向こう側から、再び無数のレーザー砲が一斉に撃たれた。

 

 

 くっ、と顔を顰めて斬月を飛翔させ、回避する藤堂。

 だが暁隊にそこまでを期待するのは酷だった、逃れきれずにレーザーに貫かれて爆散していく。

 輻射波動障壁で自身を守る者もいたが、それも完璧では無い。

 

 

『全ては無駄、全ては無意味。弱き者は強き者に支配され、蹂躙されるが世界の理! 貴様らゼロの走狗も、小賢しいシュナイゼルも、まとめて我が支配の下に屈服させてくれるわぁっ!』

 

 

 傲岸なる意思、それを感じて藤堂はまた顔を顰めた。

 以前から好んではいなかったが、この独裁者は本当に異常だ。

 いったい何を見れば、ここまで他者を見下せるのだろう。

 その時、コード不明のデータ送信が行われてきた。

 

 

 それはアヴァロン、つまりはシュナイゼルから黒の騎士団に提供された情報だった。

 すなわちブリタニア軍の機密情報、具体的には皇帝専用KGFファーヴニルのデータだった。

 シュナイゼルは未だ権限を失っていない、それ故に最高機密情報をも閲覧することが出来る。

 だからこうして、黒の騎士団に情報を流すことも出来たのだ。

 

 

「良し、これなら……ぐっ!?」

 

 

 その時、藤堂は己のナイトメアが自由を失ったことに気付いた。

 ファーヴニルの頭部の横、人間で言う肩の部分からクローハーケン――スラッシュハーケンの鍵爪のような武装――が放たれ、斬月の腰部を正面から掴んだためだ。

 嫌な音を響かせて、斬月の機体がスパークを迸らせる。

 

 

「不覚! く……っ」

 

 

 叫んで歯噛みして、藤堂は脱出装置の発動したコックピットの中で拳を操縦桿に叩きつけた。

 せっかくの反撃のチャンスだと言うのに、こんな所でヘマをするとは。

 藤堂のコックピットを確保して声をかける千葉の言葉も、今の藤堂には届いていなかった。

 どうするべきか、と藤堂は思う。

 

 

 だが撤退の選択肢が取れない以上、部下には攻撃を命じるしかない。

 波状攻撃を仕掛けて隙を見出す、だがそのための戦力が足りない。

 どうするか、藤堂程の戦術家をしても打開困難な道がそこにあった。

 藤堂がその道の険しさに眉を厳しく上げた、その時。

 

 

『藤堂さんっ!!』

「――――青鸞かっ!?」

 

 

 その時、直上から濃紺のナイトメアがファーヴニルの上に着地した。

 左腕に罅の入った紅の刀を持ち、月姫はそれを黄金の装甲に突き立てた――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 KMF用加熱刀「桜花」は、サクラダイトの熱暴走を活用した高純度サクラダイト鋳造合金によって製造されている。

 キョウトの技術の粋を極めて作られたそれは、キョウトの姫のみが使うことを許された秘刀だ。

 243秒間鞘内での加熱時間を経た後、37秒間、あらゆる物を切り裂く刃となる。

 

 

「ぐっ……く、う~……っ!」

 

 

 着地と言えば聞こえは良いが、足が無い月姫に着地など出来ない。

 残った脚部装甲を杭と見立ててファーヴニルの上に飛び乗った、いや落下したと言うのが正しい、だからコックピットの衝撃が凄まじかった。

 何しろ腕で身体を支えきれず、一度ならず顔を強かにシートに打ちつけてしまった。

 

 

 それでも桜花の刃をファーヴニルの装甲に突き立てたのは根性と言うべきか、意地と言うべきか。

 僅かに乱れるモニターの向こうで、黄金の装甲を赤い刀と火花が彩っている。

 月姫の出力が上がらないため斬り裂くことが出来ない、半ば桜花の刀身を杖代わりに身を起こしている状態だ。

 

 

『ほおぉう? 枢木の娘か。良くぞ我が下に戻った、我が騎士セイランよ』

「誰が!」

 

 

 コードによって統合された記憶、失われたわけでは無いそれは今でも青鸞の中にある。

 メインモニターに映る桜花破損までのカウントダウンを確認しながら、青鸞は月姫をファーヴニルの上で身じろぎさせた。

 火花がその追加装甲を照らし続ける中、接触通信によって皇帝の声が響く。

 

 

『しかし、皇帝の身を汚した罪は重い。よって……罰をあたぁえるるううううううっ!!』

「……ッ!?」

 

 

 嫌な予感を覚えるのと同時に、青鸞は月姫をもう一度飛翔させた。

 そのコンマ数秒後、ファーヴニルの機体をブレイズルミナスの輝きが覆った。

 逃れ切れなかった腰部の一部と太腿部が盾の内側に巻き込まれ、桜花の刀身と共に切断されてしまった。

 折れた刀身の先を残して、バランスを崩した月姫が落下していく。

 

 

「……ッ、足なんて……ッ」

 

 

 操縦桿を引き、手動でシステム入力を行いながら青鸞がぼやく。

 飾りとまでは言わないまでも、脚部が無くとも何とかバランスは保てると思った。

 しかしどうやらそうでも無いらしい、ただでさえ難しいフロート技術にとって機体のバランスは無くてはならない物だった。

 

 

 その時、機体が大きく揺れた。

 ファーヴニルのクローハーケンが3本、月姫の腰部と左腕、頭部を掴んだのだ。

 ガクンッ、とコックピットが強く揺れ、青鸞は操縦桿から手を離して座席の後部に背中を打ち付けられてしまった。

 背中と後頭部を強く打ち、仰向けの状態で息を詰まらせる。

 

 

『我が下へ戻れ、クルルギのコードを持つ娘よ。お前はわしのモノだ』

「……ッ、誰が!」

 

 

 痛みに片目を閉じ身を起こしながら、先程と同じ答えを返す。

 元々ブリタニアに戻ると言う選択肢は無い、ラウンズの元同僚に対してはともかく、枢木青鸞と言う個人にとって皇帝の下へ戻ると言う選択は無い。

 何故なら、青鸞の心にはもう別の誰かがいるのだから。

 

 

「生憎だけど、ボクはもう貴方のモノじゃない!」

『ほぅ?』

 

 

 嘲笑の気配を感じさせる声の後、皇帝は言った。

 

 

『あやつに抱かれでもしたか、モノに情を移すとはあやつも情けない男よな』

 

 

 カッ、と顔が紅潮したのは羞恥と怒りの両方の感情のためだろう。

 だがその後に言葉を続けられなかったのは、己を戒めるクローハーケンの根元、つまりファーヴニル側の射出口にエネルギーのスパークを見たからだった。

 嫌な予感がした、猛烈に。

 

 

 だから青鸞は急いで身を起こした、半ば重力に逆らうような体勢で操縦桿を掴む。

 しかし月姫自体がクローハーケンに戒められているため、自由には動けない。

 腕はパージすれば行けるかもしれないが、頭部と腰部はどうするか。

 そして最後の腕をパージした後はたして戦えるのか、その判断の遅れが月姫の動きを鈍らせた。

 

 

「……ッ!」

 

 

 そして。

 

 

『――――青鸞ッ!!』

 

 

 紫色の無数のレーザーが、再び月姫を戒めから解き放った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 クリスタルの乱反射を利用して放つ蜃気楼の主砲は、元々は広域殲滅のための武装だ。

 しかしそれを膨大な計算の末に精密射撃に使用出来てしまうのが、ルルーシュと言う少年の卓越した所だった。

 皇帝のクローハーケンから月姫を解放した後、彼はその月姫の前に蜃気楼を踊り出させながら。

 

 

「――――意外だな!」

 

 

 倒すべき敵、妹ナナリーの仇、そして実の父……ブリタニア皇帝シャルル。

 ファーヴニルの姿をメインモニターに捉えた時、ルルーシュは明らかに眦を上げた。

 憎悪と憤怒、その感情が明らかに顔を出ていた。

 

 

「貴様自らが、前線に出てくるとは!」

『真の王者たる者、何者をも恐れることは無い。またこの世界は遍く全てがブリタニア唯一皇帝の所有物である。故に、わしがどこにおろうとも不思議はあるまい』

「この世界に、貴様の所有物など何一つ無い!」

『ほぉう、言うではないかゼロよ。仮面に隠れコソコソと陰に潜むしか出来ぬ愚か者よ、女に慰められ勇気でも得たか』

 

 

 嘲るような声に、ルルーシュは奥歯を噛み締めた。

 耳の奥で響く皇帝の声があまりにも不快に感じられて、蜃気楼の胸部装甲が開く。

 そこから覗くのは紫色のクリスタル、主砲を放つべくエネルギーが充填され始める。

 

 

『遅おおおおぉぉおいぃぃっ!!』

 

 

 だがそれよりも早く、ファーヴニルの全身の砲塔が火を噴いた。

 レーザーの束が蜃気楼目掛けて放たれて、ルルーシュは舌打ちしながら主砲の展開を中止し、絶対守護領域の展開によって己と後ろの月姫を守った。

 無尽蔵に放たれ続けるレーザーの束、その出力に顔を顰める。

 この出力、明らかに通常のナイトメアとは違う。

 

 

 ナイトメアやナイトギガフォートレスの出力は、コアに使用しているサクラダイトの量と純度によって決定される。

 その意味で考えると、ファーヴニルはよほど純度が高いか、あるいは大量のサクラダイトを使用しているのだろう。

 レーザー砲撃が止まる、しかし次の瞬間にはファーヴニル自身が突っ込んできた。

 

 

「っ、ええいっ!」

 

 

 やむを得ずに絶対守護領域の出力を上げる、それ以外のことが出来なくなる程に上げる。

 ファーヴニルの突進を絶対守護領域で受け止める、それだけで衝撃がコックピットに来た。

 だがルルーシュが顔を顰めたのは衝撃のせいでは無く、絶対守護領域と鬩ぎ合うファーヴニルの先端部分が開き、中からハドロン砲の姿が見えていたからだ。

 絶対守護領域を不用意に解けば撃たれる、そう言う状況だった。

 

 

「皇帝……貴様は、この世界に必要の無い人間だ……!」

『お前にそれを決める権利があるのか? いや無い、誰にも無い。何故ならば人は皆、神に虐げられし哀れな塵芥よ。塵に塵を否定する権利は無い、あろうはずも無い。故に許される、わしと言う存在は』

「権利を持たないと言うお前の存在を、誰が認める!?」

『わしが認める。塵の中で最も神に近い位置にいるわしが、わし自身を認める』

 

 

 権利が無いと言ったその口で、皇帝はあっさりと自分を認めて見せた。

 相手を馬鹿にした論法だ、少なくとも対等に見てはいない。

 

 

「人は皆塵芥、そう言ったな」

『ああ、それがどうした』

「……ナナリーも、塵芥だったと言うのか……!」

 

 

 ナナリー、彼の妹、そして彼の娘。

 優しい世界をただ願ったルルーシュの宝、彼女の存在があればこそルルーシュは戦うことが出来た。

 今も、ナナリーの笑顔は記憶の中にある。

 宝石のように、輝いている。

 だが皇帝は、そんなルルーシュを嘲弄するかのように鼻で笑った。

 

 

『ふん、何を言い出すかと思えばくだらん。ナナリー、あの愚かな小娘もまた、皇帝の所有物である。よって、その器を壊そうがどうしようが、皇帝の意思に従うことこそが重要、唯一、必然』

「何ぃ……!」

 

 

 ユラリ、とルルーシュの瞳の奥で炎が揺れたように見えた。

 

 

『そのような些事を気にして泣き言を言うとは、真、貴様は愚かな男よ』

 

 

 ――――些事だと!?

 この瞬間、ルルーシュの理性が吹き飛ばされた。

 些事、実の娘を、妹を撃っておいて些事と言ったあの男、皇帝。

 憎かった。

 

 

 あまりにも憎かった、憎んで憎んで憎んでなお余りある程に憎かった。

 憎悪などと言う言葉では足りない、腹の底が煮え滾るマグマになったかのような、吐き気すら覚える程の憎しみの感情がルルーシュの頭と心を支配した。

 あれ程までに心優しく、清らかなナナリーを平然と殺して些事と言えてしまう皇帝、その存在。

 その存在を許すことは、ルルーシュには出来なかった。

 

 

「……ッ、きさまあああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっっ!!」

 

 

 彼が行った行動は3つだ、まず後ろの月姫の機体を突き飛ばし、次いで絶対守護領域の展開範囲を変えた。

 そして最後に、蜃気楼を突撃してきたファーヴニルの下へと滑り込ませた。

 ファーヴニルのハドロン砲が空を裂く、だがそれは何者をも貫くことは無かった。

 

 

「これが――――報いだッ!!」

 

 

 そして改めて胸部装甲を開き、主砲を撃つ体勢に入る。

 ファーヴニルは前後左右と上に対しては無双の力を持つが、その機体特性から下へはブレイズルミナスを展開できない。

 だから真下は死角だ、その意味でルルーシュの判断は間違ってはいない。

 

 

 だがやはり冷静さを欠いていた、普段の彼なら気付いていたはずなのだ。

 下にブレイズルミナスを展開できない、それを欠陥と読むことに間違いがあった。

 展開できない、システムを置けない理由があるはずなのだ。

 それは、下部装甲が左右に大きく開かれたことでわかる。

 

 

「何……!」

 

 

 バチッ……下部装甲の内側に格納されていたのは、音響装置のような円形の突起物だった。

 縦に4つ並んだそれは一つ一つが電気のような物を放っており、それは次第に威力を増しているように見えた。

 蜃気楼が捉えた外部環境の変化に、ルルーシュが表情を変える。

 

 

『皇帝の罰を受けよぉ……ゼロ、智者を気取る愚か者よぉっ!!』

 

 

 不味い、とルルーシュが思った時にはもう遅い。

 回避行動を取るには遅すぎる、藤堂や千葉の部隊は壊滅状態で救いには来れない。

 それでも声を上げることだけは堪えようと、ルルーシュが歯を食い縛ったその時。

 

 

『ルルーシュくん!』

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 危ない所だった、と、青鸞は思った。

 何しろルルーシュはそれほど体力がある方では無いから、あんまり無茶をしてしまうと倒れてしまう。

 その点、自分は平気だ。

 何しろコード保持者、不死身の饗主A.A.なのだ、ルルーシュなどとは頑丈さが違う。

 だから。

 

 

「う、ぐ……っ、く、ぁ、あああぁあああああぁぁああああぁあぁあああああああぁぁっっ!?」

 

 

 だからルルーシュがこんな目に合わなくて良かったと、心の底から思った。

 今、明らかに青鸞の状況は異常だった。

 コックピットの中が青白い輝きに満たされていて、気のせいで無ければ計器からも火花とスパークが飛んでいるように見える。

 

 

 電子レンジ、と言う物を知っているだろうか。

 あれは電磁波を利用して内部の物を加熱しているのだが、ファーヴニル下部装甲の装備も似た理屈だった。

 まず下部のクローハーケンで相手を捕らえ、引き寄せた後に昆虫の脚のような腕で抱き締め、そして電磁波……マイクロ波によって生じるプラズマによって相手を焼くのだ。

 

 

「うぅぁあああああぁ、あ、あぁっ、あああああああぁぁぁっ!? ああぁあがああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁっっ!!??」

 

 

 肌を……いや、身体の中を焼かれ続ける感覚をどう表現すれば良いのだろう。

 だが奇しくも青鸞自身が言っていたように、彼女は完全なコードを身に宿している。

 本来なら細胞を破壊されてすぐさま死ぬ絶えるものを、彼女のコードが細胞を、肉体を再生し続けるために責め苦は永遠に続くのだ。

 永遠の責め苦、それはまるで人の生そのもののようにも思えた。

 

 

『ああああああああああああああああああぁぁっっ!?』

「青鸞ッ!!」

 

 

 皇帝の攻撃に捕まる直前に突き飛ばされ、庇われた形のルルーシュは自分の迂闊さを呪っていた。

 自分が感情に任せて不用意な行動をしてしまったが故に、自分の代わりに青鸞が苦しんでいるのである。

 何とかしなければならない、が、このままの位置から主砲を撃てば月姫ごと撃ってしまう。

 ならば、とルルーシュは蜃気楼を急上昇させた。

 

 

「……何ッ!?」

 

 

 だがそれは途上で不可能になった、側面から何者かが斬りかかって来たためだ。

 ブリタニアの部隊の動きは承知していたから、まさに不意を打たれた状態だった。

 咄嗟に右腕を掲げて絶対守護領域を発生させて防いだが、タイミングが遅かった分、相手のパワーに押される形で右腕ごと絶対守護領域を破られた。

 ヘシ折られた右腕に顔を顰めて後退すれば、そこには黒と白の装甲を持った巨大なナイトメアがいた。

 

 

「『ギャラハッド』!? 星刻が敗れたのか……!」

 

 

 そこにいたのはナイトオブワン、ビスマルク・ヴァルトシュタインだった。

 皇帝の腹心中の腹心、股肱の臣と言っても過言では無い男だ。

 それが今、エクスカリバーを構えて蜃気楼の前にいる。

 だが今は、ビスマルクなどに付き合っている場合では無かった。

 

 

『どぉしたゼロ、この愚かな娘を救うのでは無かったのか?』

 

 

 不意に響いた皇帝の声に、ルルーシュははっとした。

 つい先程まで聞こえていた青鸞の悲鳴が聞こえなくなっていた、代わりに小さな呻き声のような物が聞こえる。

 気を失ったのか、あるいは悲鳴を上げることも出来なくなってしまったのか……。

 

 

『結局、貴様は何も救うことなど出来ない。貴様にはこの娘を使いこなすことなど出来ぬ、故に、この娘はわしが貰い受けるとしよう。元々、8年前にわしのモノになるはずだった娘だ』

「何……!」

 

 

 また俺から奪うのか、とルルーシュは胸の奥で思った。

 妹だけでなく、青鸞までも奪うのかと。

 許せない、それだけは許せない。

 その時、蜃気楼のセンサーが捉えた相手に対してルルーシュは呼びかけた。

 

 

「――――ジェレミアッ!』

『イエス・ユア・ハイネスッ!!』

 

 

 直上の空からジークフリートが飛来し、ルルーシュの行く手を塞いでいたギャラハッドを押し潰した。

 そしてそのまま海上へと落ちて行く2機を横目に、ルルーシュはファーヴニルの上へと回った。

 真下へ見下ろす位置へと飛翔し、胸部装甲を展開して主砲を晒す。

 

 

「貴様などが、青鸞に触れるなど……ッ!」

『ふははは、片腹痛いわ。世界も、女も、奪ってこそ価値があるモノよ。一度抱いただけで自分のモノにしたつもりとは、まさに愚かしい小僧よ』

「……ッ、皇帝えええええええええええええええええぇぇぇっっ!!」

 

 

 クリスタルが煌き、非拡散状態で主砲が放たれる。

 それは寸分違わずにファーヴニルの正面を捉えたが、前面に集中展開したブレイズルミナスがそれを阻んだ。

 いくつもの線に分かれて後方へ流れる紫のビームに、ルルーシュは歯噛みする。

 元々ブレイズルミナスを回避するために下に回ったのだ、防御力を貫くには火力が足りない。

 

 

 どうする、頬に汗を流しながらルルーシュは自問した。

 未だ青鸞は皇帝に囚われている、青鸞に被害が出ない形で皇帝を倒せるルートは限られている。

 だがそれについては皇帝も承知しているだろう、ならばどうするか。

 どうする、どうするルルーシュ・ヴィ・ブリタニア、と自問する。

 時間は無い、数秒で決断し行動しなければならない、どうする、決めろ、と。

 

 

(……どうする!?)

 

 

 ギリッ、噛み締めた歯が音を立てる。

 だが彼の頭脳を持ってしても、正面にブレイズルミナスを集中展開したファーヴニルを、しかも条件付きで倒す方策を瞬時には思いつけなかった。

 こんな時に回らない頭に何の意味があるのかと、ルルーシュは己の無能を呪う。

 

 

 皇帝は勝ち誇り、仮面の皇子は敗北感に歯噛みする。

 その構図が固定化されようとしたその時、再び状況が変化した。

 それは、ファーヴニルの背後から奇跡のようにやって来た。

 薄緑の刃状の羽根が無数に飛来し、ファーヴニルの背を穿ったのである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『青鸞! 青鸞!』

「……ぅ……」

 

 

 愛しい少年が自分を呼ぶ声に、青鸞は目を開けた。

 コードによって再生されたばかりの身体はやや重く、呻くような吐息を漏らして顔を上げる。

 すると、白く波打つモニターの向こうに白い背中と薄緑の翼を見た。

 知らず、目を見開く。

 

 

 どうやら彼女のナイトメアは、片腕を失った漆黒のナイトメアに抱えられているらしい。

 だが今は正直、青鸞の意識はそちらには向いていなかった。

 ただただ、目の前にある事実に手を伸ばす。

 何かを求めるように、コックピットの中で……手を、伸ばした。

 

 

「どうし、て……?」

 

 

 掠れる声で、そう問いかけた。

 もうそれは何年も自問してきた言葉で、何度も繰り返し口にした言葉で。

 そして一度だって、答えを得ることが出来なかった言葉だ。

 この期に及んでもなお、青鸞はその言葉を口にした。

 

 

「……どうして、どうして……」

 

 

 口にせざるを得なかった、それ以外に出来ることが無かった。

 ぼやける視界の中で、同時に頬に熱を感じた。

 自分が泣いていることに気付くのに、数秒を要した。

 

 

 涙の理由は何だろう、咄嗟にはわからない。

 だけど、哀しくて仕方が無かった。

 だって意味がわからなかったから、「どうして」なのかわからなかったから。

 どうして、どうして、どうして。

 繰り返しの問いかけに、しかし答えは返っては来ない。

 

 

『……どうしてぇ……!』

 

 

 接触通信で聞こえる声に、ルルーシュは口を噤んだ。

 少女を呼ぶことをやめて、彼女が見ているものと同じものを見るために顔を上げた。

 そこには、事実だけがある。

 ルルーシュはその事実から目を逸らすことも無く、そして「どうして」と問うようなこともしなかった。

 

 

「……そうだな、お前はそう言う奴だ」

 

 

 昔からそうだった、ルルーシュは懐かしい気持ちとともにそう思う。

 昔から彼は、妹の望まないことをするのだ。

 鬱陶しげにしていて、嫌っていて、でも邪険にすることは無かった。

 煩わしく思ってはいても、疎んだことは一度も無かった。

 

 

 本当は面倒見が良いくせに不器用で、自分から損ばかりする馬鹿だった。

 それは今も変わらない、きっと彼は変わっていない。

 だからルルーシュは、言った。

 

 

『だからお前は、妹を守れ……! スザクッ!!』

「……ああ!」

 

 

 通信機から聞こえてきた声に、しかし自分は通信を用いず、それでもスザクは頷いた。

 その両の瞳の輪郭に、赤い輝きが生まれる。

 それは呪いだ、スザクの意思を捻じ曲げるギアスの呪い。

 だが今、スザクは自らそれを受け入れていた。

 

 

 妹を、青鸞を守れと言うギアスを受け入れた。

 それは自然に出来たのは、彼の今までの生き方と重なるからだろう。

 何故なら、スザクは、彼は。

 

 

 ――――いつだって、青鸞(いもうと)のことを想っていたのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 枢木スザクと言う少年がブリタニアに「転向」したのは、2つの理由からだった。

 まず1つには、先にルルーシュが指摘したように罰を求めたからだ。

 日本人の多くからは裏切り者と呼ばれ、ブリタニア人からは名誉(イレヴン)と差別される名誉ブリタニア人と言う立場は、スザクにとっては好都合だった。

 

 

 最もそれは、スザクがランスロットのデヴァイサーとなり、かつラウンズへと階梯を一足飛びに飛び上がったことでいくらか意味の薄いものになってしまった。

 それでも彼はブリタニア人では無く、また日本人からは親近感を得られない立場だった。

 だから、スザクにとってブリタニアへの転向は意識的にも無意識的にも救いのあるものだった。

 

 

『枢木よ、貴様もブリタニア皇帝に弓を引くか』

「驚かないのですね、陛下」

『驚く? 何を驚くと言うのだ、人間は嘘を吐く生き物だと言うのに』

 

 

 スザクの裏切り――最も、彼は以前から「裏切りの騎士」と呼ばれていたが――を前にしても、不思議と皇帝に動揺は見られなかった。

 それは皇帝が最初からスザクを、いや人間を信じていないと言う点に帰結する。

 最初から信用していないのだから、たとえ裏切られても「ああ、そうか」としか思わないのだ。

 あまりにも哀しく、そしてあまりにも寂しい思考だった

 

 

 だが客観的に見れば、このスザクの裏切りは最悪のタイミングだった。

 ブリタニア軍はすでに海上艦隊と左翼の航空艦隊を失い、ビスマルクを除くラウンズも撃墜され、皇帝のKGF「ファーヴニル」が孤軍奮闘しているような状況だった。

 だから今後スザクはブリタニア人からも後ろ指をさされることになる、「世界最悪の裏切り者」として歴史に名を残すことになるかもしれない。

 しかしそれは、彼にとっては本望だった。

 

 

「皇帝陛下、自分を取り立ててくれたことには感謝しています。ですが貴方には、3つの罪がある」

『ほう?』

 

 

 まるで興味の無い返答に、しかしスザクは無表情を貫いた。

 だが外では戦闘が続いている、ファーヴニルがブレイズルミナスでランスロットのヴァリスの弾丸やエナジーウイングの弾幕を防ぎ、ファーヴニルのハドロン砲とレーザーの群れをランスロットが機動力のみでいなす。

 戦闘の激化に伴い、しかし互いの声は冷たくなっていった。

 

 

『まず第一に、己の持つ力を最も愚かな方向へ向けたこと』

 

 

 平和に対する罪、そして人道に対する罪。

 国家が不当に戦争を起こし、そして侵略した相手国の人間を奴隷化・大量殺人すると言うのがその罪の定義だ。

 世界帝国の主である皇帝シャルルは、その即位期間のほとんどを戦争に費やした皇帝だ。

 彼がその気になればそのエネルギーをもっと人類の進歩へと振り向け、よりよい世界を築けたはずだ。

 

 

 だが皇帝はそうしたことに恐ろしい程に無関心だった、むしろ「争え、奪え」と差別を奨励した。

 ルルーシュの叛逆にしても、その思想にこそ根がある。

 皇帝がルルーシュやナナリーを捨てなければ、少なくとも黒の騎士団など存在すらしなかったろう。

 ルルーシュの絶望や失望も、もっと別の形で現れていたはずだ。

 

 

『そして第二に、ギアスの力を悪用したこと』

 

 

 ギアスと言う力に対してスザクは、兄妹故なのか何なのか、青鸞と同じ結論に達していた。

 すなわちギアスは世界に数多くある手段の一つに過ぎず、その善悪は使う者の心によって決まると。

 だから彼は、けしてギアスを憎まなかった。

 だがその代わり、その力を侵略や破壊に使用する皇帝の行為を糾弾した。

 

 

 スザクは、皇帝がギアスを使った人体実験をしていたことも知っている。

 黄昏の間などと言うオカルトじみた場所も知っているし、皇帝の関心が現実の世界よりそちらにあることも知っていた。

 人権、ブリタニアでは過小評価されるその概念に、皇帝は何らの価値も見出していなかった。

 

 

『それが罪だと? 愚かなり枢木、賢しげな愚者よ。そのような俗事に皇帝は囚われぬ、皇帝とはこの世の汚濁と快楽の全てを知り、それでもなお空虚である者を言う。弱者の叫びなど、皇帝の空虚の中で響く虫の音のようなもの』

「だから無視して良いと? ルルーシュやナナリーの慟哭も、貴方には聞こえないと?」

『慟哭? ふふははは、あの程度を慟哭と言うなら枢木よ、貴様も所詮は幸せ者よ。この世に親に捨てられる子など他に何億もいると言うのに。偽善、あまりにも醜く愚かで、救いようが無い』

 

 

 確かに、とスザクは認めた。

 スザクは自分の偽善を認め、自分の矛盾を認め、自分の愚かさを認めた。

 奇しくも彼の妹が言ったように、彼の言葉と行動には矛盾と齟齬があった。

 だがそれでも、スザクは己の主張を変えるつもりは無かった。

 

 

 暴力やテロリズムでは何も解決しない、正当な手続きに沿わない結果はいつか脆く崩れ去るだけだ。

 不当・不法な方法で得た結果は、より不当で不法な方法で覆されるから。

 だから、ブリタニアを中から変えるという主張を変えるつもりは無い。

 そして世界に戦争を仕掛け、民族差別を助長するブリタニアを変革させるには。

 

 

「……そして、第三の罪」

 

 

 皇帝シャルル、彼を斃すしか無い。

 

 

「貴方は、僕に嘘を吐いた」

 

 

 そして皇帝もまた、兄V.V.と同じように嘘を吐いていた。

 嘘の無い世界を創ろうと誓い、嘘を吐く人間を信用しないと言ったその口で嘘を吐いたのだ。

 その嘘とは、スザクがブリタニアに転向した第二の理由に密接に繋がっている。

 

 

 

「――――青鸞に手を出さず、その生殺与奪を僕に一任すると言う契約を破ろうとした」

 

 

 

 スザクは皇帝と契約していた、皇帝のギアスで記憶を奪われ気を失った妹の隣で彼は契約した。

 皇帝の手先として働く代わり、皇帝は青鸞について何もしないと。

 青鸞、実は彼女の存在がスザクをブリタニア側へと押しやった第二の要因だった。

 ルルーシュのギアスに犯される前から、彼は常に妹のことを頭の片隅に置いていた。

 ナリタの戦場で再会した時には、流石に驚いたものだが……。

 

 

「そして、貴方は彼女の大切なものを返すと言う契約をも破った」

 

 

 青鸞が奪われた大切なものを取り返す、そのためにスザクはブリタニアに転向した。

 偶然により大きく階梯を昇る過程でその思いは強くなり、そして奇跡的に皇帝に直接謁見することが出来る地位にまで上った。

 だから彼にとって、これは運命だった。

 

 

 だが青鸞には言えなかった、あらゆる意味で言えるはずも無かった。

 妹を言い訳にするつもりは無い、そこはルルーシュとは違う点だった。

 彼はあくまで咎人で、いずれ誰かに――彼女に――罰せられるのを待つ囚人であれば良かった。

 罰せられる理由はいくらでもあるのだから。

 

 

『そのような雑事、興味も無い』

 

 

 皇帝はそんなスザクの言葉を一蹴した、何故なら皇帝にとって、もはや現実に起こることは何の意味も無かったからだ。

 スザクの妹が奪われたものやら、殺された者やら、それら全てに意味が無くなるのだ。

 スザクがそのことの意味を知るのは、もう少し後のことになる。

 

 

『だが貴様にとってはそうでもあるまいに、それでもなお皇帝に弓を引くか……愚かだな』

「……そうですね」

 

 

 確かに愚かだ、これでは青鸞の大切なものを取り返せない。

 だが、それももう良いと思えた。

 何故なら、彼が、ルルーシュが。

 

 

「……ルルーシュが、妹を愛してくれている。あんなにも」

 

 

 妹のために自分の前に立ち、妹のためにあんなに必死に怒ってくれた彼。

 過去にもそう言うことはあったが、だが今回は質が違った。

 スザクはそれを敏感に察知した、察知した上で、皇帝の寝首を掻くなら今だと判断した。

 青鸞のことはルルーシュに任せる、そう決断することが出来た。

 

 

『スザクッ!!』

 

 

 そしてそんなスザクの耳にルルーシュの声が届く、彼はスザクに叫んだ。

 

 

『青鸞の刀を狙えッ、あそこがウィークポイントだッ!!』

 

 

 ファーヴニルの背、そこには桜花の折れた刀身がそのままになっている。

 そしてそこはファーヴニルの構造上の弱点でもあった、ファーヴニルのレーザーの群れを急上昇で回避したスザクは、ランスロットを高速旋回させてファーヴニルの直上を取った。

 ヴァリスを変形させ、フルバーストでの砲撃を行う。

 

 

 ブレイズルミナスとの鬩ぎ合い、だが桜花の刀身と言う不純物を負ったファーヴニルの防御は完璧では無かった。

 歪むような不快な音が響き、ブレイズルミナスの発生装置が過負荷に耐えかねて爆発した。

 同時にエネルギーの放射を停止したヴァリスを捨て、スザクの雄叫びと共にランスロットが急降下する。

 瞳の輪郭を赤く輝かせたスザクは、ファーヴニルの反撃を全て回避して到達した。

 

 

『愛? ふふ、ふははははは……くだらぬ、そのようなものに何の価値があるか』

「……ッ、それがわからないから、貴方は」

『それをわかったと錯覚しておるから、貴様は愚かなのだ』

 

 

 2本のMVSをクロスさせ、ブレイズルミナスの盾の下の柔らかい肌――硬い装甲の比喩表現――を斬り裂き、破片や爆発を撒き散らされる中、それでも皇帝の声は静かだった。

 彼は、脱出の気配をまるでさせなかった。

 ランスロットの剣に七度斬り裂かれても、それは変わらなかった。

 

 

『愚かなり枢木、貴様の行為には何の意味も……』

 

 

 それ以降は、通信が途切れたためにわからなかった。

 しかしその次の瞬間には、一つの事実が現実になった。

 それはブリタニア皇帝シャルルを乗せたまま、ファーヴニルが爆発四散したと言う事実だ。

 恐ろしい程にあっさりと、黒の騎士団を蹂躙した皇帝専用KGFは爆散して、消えてしまった。

 

 

 皇帝の命のように激しい爆発の中、ランスロットの操縦桿を握ったまま、スザクは目を閉じた。

 それは皇帝の言葉を反芻するための瞑目であり、そして背中に感じる妹の視線を受けないために行われたものだった。

 同時に彼は、少しだけ昔のことを思い出していた。

 それは彼が決定的に道を違えてしまった、あの瞬間のことで……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――今から8年前、日本とブリタニアの戦争が始まる1ヶ月ほどの前のことだ。

 ある場所に、生まれが少々特殊な少年がいた。

 とは言えそれでも特殊な能力も背景も無い、普通の少年であった。

 

 

 少年には友がいた、異国の地から来た人質だった。

 少年の友には妹がいた、異国の友が命よりも大事にする、目と足を失くした少女だった。

 少年にも妹がいた、出来の良い妹で、少年はあまり好きでは無かった。

 

 

『……スザク、頼む……ナナリーを、ナナリーだけは……』

 

 

 ある時、少年と異国の友の国が戦争を始めることになった。

 少年の父が異国の友の妹を攫い、異国の友が少年に頼んだ。

 妹を救って欲しいと、少年はそれに是と答えた。

 何としても救わなければと意気込み、少年は父の下へ駆けた。

 

 

 父は、いつもいる書斎にはいなかった。

 それどころか屋敷には誰もいなかった、少年は不吉に思い足を早めた。

 程なくして、見つけた。

 父を見つけた、妹も一緒にいたので少年は声をかけられなかった。

 でも、妹は眠っているようだった。

 

 

『……ああ、移植は成功した。後はコレにブリタニア皇帝の子種を入れれば、純血に近い子が産まれるだろう』

 

 

 父のベッドの上に寝かされた妹は裸だった、桜色の浴衣を布団代わりに身体の上に置かれている。

 顔色が青白くてまるで死んでいるようだった、その傍で父は誰かに電話をしている。

 何の話をしているのか、少年にはまだ全ての意味を図ることは出来なかった。

 

 

『何、全てはコードの発現のためよ。費用はかかったが……お前達の所で薬液強化とギアス因子の投与。正直、臓器がそこまで長く保つものかとも思ったが……実際に見て驚いたぞ、抜糸の痕も残らんとは。ギアスの医療とはいやはや……まぁ、皇帝の子を産み落とした後は用済みだ、コレも』

 

 

 コレ、と言う言い方に少年は違和感を覚えた。

 おそらく妹のことを言っているのだろうが、父は妹のことを少年よりずっと大切にしていた、少なくともあんな冷たい声で「コレ」などとは呼ばない。

 

 

『貴様にそんなことを言われる筋合いは無いな、饗団。お前達にとっては保険でも、私にとっては本命なのだ……植民地化した後の日本での私の地位の保障、忘れたとは言わせんぞ。そのために、コレの発現率の高さを見越して担保に出したのだ』

 

 

 もっとも、と、そう言う父の声は悪魔のようだった。

 

 

『実の母親の心臓と子宮だ、コレも嬉しいだろう』

 

 

 言葉の意味が、わからなかった。

 いや、わかりたく無かった、言葉の意味を受け入れたくなかった。

 父が電話を終えてこちらに来た、少年は思わず身を隠した。

 そして父をやり過ごして、眠る妹の傍へ寄った。

 

 

『青鸞……?』

 

 

 呼びかけると、妹が小さくむずかった。

 もうすぐ目が覚めそうに思えて、少年は不器用な手つきで妹に浴衣を着せた。

 その際に妹の身体の隅々まで確認したが、少年に目には何が違うのかわからなかった。

 ただ気のせいか、妹の左胸と下腹部が不自然に小さく膨らんでいるように思えた。

 

 

 少年は逃げるように父の寝室を後にした、そして父を書斎まで追いかけた。

 手に、刀を握り締めて。

 そして少年は父に言った、異国の友の妹を解放しろ、戦争をやめろ、と。

 拒絶する父に、少年はさらに問うた。

 

 

『アイツに、青鸞に、何をしたんですか』

 

 

 どうしてと問うた、妹はあんなにもあなたを愛しているのに、と。

 それなのにどうして、あなたはそんな酷いことが出来るのか。

 どうして、ブリタニアに売り下げるような真似をするのか。

 

 

 もし、己の保身と躍進のためだと言うのなら。

 自分のために妹の身体を切り、そしてもし、母を……妻を、死なせたと言うのなら。

 もし、もし、もし――――もし。

 もし、そんなことを言うのなら。

 あなたは……おまえは。

 

 

 

『おまえは、いきていちゃいけない……!』

 

 

 

 世界を裏切った。

 自分を裏切り、妹を裏切った。

 世界から弾き出された憎むべき男を、実の父を、少年は刃にかけた。

 

 

 手に、かけた。

 

 

 何やら喚いている醜い口を黙らせるために、師に教わった技で腹を裂いた。

 臓物と血が周囲に飛び散るまで、何度も刺した。

 何度も何度も、何度も何度も何度も何度でも。

 妹が奪われたものを取り戻そうとするかのように、少年は父の腹を裂いて開いた。

 ――――そして、全てが終わった後。

 

 

『……ブリタニア……』

 

 

 妹が奪われたものが見つからなくて、全てが終わって立ち尽くす少年がポツリと呟いた。

 ブリタニア、父が取引をしようとしていた相手。

 そして、妹の大切なものを持って行った相手。

 ――――この時、少年は決めた。

 

 

 

『どうして……?』

 

 

 

 咎人として生きることを、罰を求めて生きることを決めた。

 そしてやはり起きたのだろう、桜色の和服を着た少女が自分を見ていることに気付いた。

 父の死体の上に立つ、自分を見ていることに気付いた。

 

 

 妹の瞳が憎悪に歪むのを見て、少年は思った。

 ああ、キミはそれで良い……そう、思った。

 妹は自分を恨めば良い、それで良い、それで妹が知らずに済むのなら。

 妹にとって父が「愛すべき父」のままでいられるのなら、自分が恨まれれば良いと思った。

 だって、自分は実の父を殺した咎人なのだから。

 

 

『……どうしてええええええええええええええぇぇぇぇぇっっ!?』

 

 

 だからこれで良い、少年(スザク)はそう思って微笑んだ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 主君である皇帝の死を、誰よりもまずビスマルクが理解した。

 ギアスの絆によって皇帝と繋がる彼は、それによって計画が次の段階に進んだことを知った。

 ジェレミアの駆るジークフリートとたった1人で――あの、セキガハラで十数機のナイトメアを同時に相手取った超兵器を――戦いを繰り広げていた彼は、皇帝の死に時間を止めた戦場を傲然と見下ろしていた。

 

 

「ふ……」

『主君を失い、何を笑う!』

「ふふ、ふ。いや何、これで勝ったと喜ぶお前達がおかしくてな」

 

 

 ジェレミアの言葉にもビスマルクは笑う、そこには主君を守れなかった敗残の騎士の姿はどこにも無かった。

 あるのはただ、主君の勝利を確信した栄光の騎士の姿だ。

 最も長くラウンズとしてシャルルに仕えてきた男の余裕に、ジェレミアは内心で首を傾げた。

 

 

 しかし、この2人の対峙もまた過分に運命的ではあった。

 何しろこの2人の騎士の忠誠の対象は、シャルルとブリタニア皇室を除外してしまえばたった1つに帰結してしまうのだから。

 同じ、たった1人の女性へと。

 

 

『ふ……ビスマルク・ヴァルトシュタイン。強がりにしては、皇帝シャルルの一の騎士としては聊かユーモアのセンスに欠けているようだな』

 

 

 その時、上空から蜃気楼が降りて来た。

 コックピットの中からルルーシュ=ゼロがビスマルクを見下ろし、おそらくはゼロの正体を聞いているだろうビスマルクもルルーシュ=ゼロを見上げた。

 直接の関連性は何も無い2人だが、戦場では珍しいことでも無かった。

 

 

「皇帝シャルル亡き今、そしてラウンズも殆どが撃墜の憂き目に合った今、ブリタニアは国家としての機能を著しく喪失した。シャルルの後継も無く、ブリタニアにはもはや、外部と戦争をする力は残されてはいない」

『なるほど、ゼロ……お前は我が国の弱点を良く心得ている。あるいはそれを頼りに、ここで陛下と我らを待ち伏せたか』

 

 

 その通り、ルルーシュ=ゼロは深く頷いた。

 シャルルは良くも悪くも巨人だった、世界帝国を築き上げた才に代用は効かない。

 ましてその小粒とも言える皇位継承候補は何十人もいて、誰が後継に立っても他の誰かがそれを認めない状況が長く続くだろうことは疑いなかった。

 むしろシャルルが即位する前には、それがブリタニアの日常だったのだから。

 

 

 だからその意味で、ルルーシュ=ゼロの戦略は何も間違っていない。

 皇帝を倒し、ブリタニアの分裂を誘い、その隙に力を蓄え政戦両略を仕掛ける。

 何も間違っていない、だがそれはある一つの前提条件が確保されていて初めて意味を成す戦略だった。

 ルルーシュ=ゼロも万能では無い、故に彼は気付かなかった、知り得なかった。

 だからビスマルクは笑っていた、ルルーシュ=ゼロの失策に気付いて笑ったのだ。

 

 

『ふ、ふふふ……ゼロよ、愚かな男よ。お前は陛下の張り巡らせた罠に嵌まったのだ』

「何……ッ!?」

 

 

 ルルーシュ=ゼロが怪訝そうに眉を顰めたとき、異変は起こった。

 皇帝のKGFの爆発の余波と破片の散乱が未だ続く中、その場にいる全てのナイトメアと艦艇のモニター、いや世界中のモニターと言うモニターにそれは映った。

 電波ジャック、無数の灰色の線が走った直後、それを行った者が見せたい映像が強制的に流される。

 

 

 そこに映っていたのは、戦場とは無縁そうな場所だった。

 どこかの庭園のようにも見えるが、屋内であるのか空などは見えない、自然光に意図的に似せられた照明の輝きが庭園を照らしていた。

 放された蝶が何匹も飛び交う庭園は、無数の花々と相まって天上の楽園のように見えた。

 

 

『――――初めまして、全世界の皆様』

 

 

 鈴の音のように軽やかな声が響く、それは少女の小さな唇から紡がれたものだった。

 そう、少女である。

 天上の楽園の中心にいるのは、1人の少女だった。

 そしてその少女の姿を目にした時、ルルーシュ=ゼロは絶句した。

 馬鹿な、との呟きはきちんと音として外に出ただろうか。

 

 

『私はこの度、父である神聖ブリタニア帝国第九十八代皇帝シャルル・ジ・ブリタニアより禅譲の意を受けることとなりました。この勅命は、父シャルルの死と同時に効力を発揮します』

 

 

 さらにその言葉で、全世界が絶句した。

 誰もが「まさか」と呟き、誰もが「いつの間に?」と呟いた。

 そしてそれ以上に、「この少女は誰だ?」と呟いた。

 その少女は過去に有力視されていた皇子や皇女の誰でも無く、知る者のいない無名の人物だったからだ。

 

 

 外見は、本当に可憐な少女のそれだ。

 軽くウェーブのかかった腰までの髪、日の光を浴びた経験が少なそうな白い肌、重い物を持ったことが無いだろう綺麗で細い身体、身を覆うのは白とピンクの可愛らしいドレス。

 誰も知らない、秘密の花園の少女。

 とてもでは無いが、世界帝国の皇帝になるような人物には見えなかった。

 

 

『そして父シャルルは、本日、たった今、現時刻をもって、太平洋上でテロリストと戦い、華々しい死を迎えました。すなわち、今、この時刻、この瞬間をもって、私は父シャルルの後継者となりました』

 

 

 故に改めて自己紹介させて頂きます、と少女が言う間に、世界にどれだけの衝撃が走っただろう。

 あの巨人シャルルが死んだ、これから世界はどうなるのだろうと誰もが不安を胸にした。

 だが少女は、その不安を包む込むような柔らかな笑みを浮かべた。

 品良く口元を綻ばせ、目を猫のように細くしながら。

 

 

『初めまして、全世界の皆様。私は神聖ブリタニア帝国第九十九代唯一皇帝――――』

 

 

 ブルブルと身を震わせるルルーシュ=ゼロに見せ付けるように、少女は両手を広げた。

 世界の何もかもを迎え入れようとするようなその姿は、まさに天使のようだった。

 だがその少女は、人が持つべき翼……すなわち、足が不自由なようだった。

 可愛らしい意匠が施された車椅子が、その証拠だった。

 

 

 玉座では無く、車椅子に座る少女。

 その少女の姿を、ルルーシュ=ゼロは震えながら見ていた。

 そしてそんなルルーシュ=ゼロの目の前で、少女は自分の名前を次げた。

 世界帝国の後を継ぐ、唯一にして神聖不可侵であるべき人物の名前を。

 

 

『――――ナナリー・ヴィ・ブリタニアです』

 

 

 青に見える薄い紫の瞳。

 青に見える薄い紫の瞳が、世界を射抜くように開かれていた。

 過去8年間開かれていなかった瞳が、今、確かに開かれていた。

 ナナリー・ヴィ・ブリタニアの瞳が、確かに世界を見つめていたのだった。

 ――――両の瞳に、赤い輪郭を纏わせながら。

 




登場キャラクター:
いろは歌さま(小説家になろう)提案:クライド・ゲーテルハイド。
ありがとうございます。

 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 コードギアスを描いていると、思うことがあります。
 ……ルルーシュのギアスって、便利ですよね。
 話が詰まっても「ふふふ、実はすでにギアスをかけていたのだ!」とすれば大体の無茶は通せます、何だこの公式チートさんは。
 流石は正統派「勝てば良かろうなのだぁ――!」主人公、汚いさすが汚い。

 と言うわけで、もしかしたら予想できていた方もいるかもですが……。
 神聖ブリタニア皇帝ナナリー、爆誕。
 全世界のシスコンが忠誠を誓いそうな皇帝陛下ですが、もちろんただナナリーを皇帝にしたわけではありません。
 詳しくは次回、そして次回予告は皆のお兄様ルルーシュ。


『ナナリーが生きていた。

 彼女はもはや思い出の中にしかいない、儚い花の君だと思っていた。

 だが、そうじゃなかった。

 目の前で微笑む少女は、紛れもなくナナリーだった。

 ナナリーがブリタニア皇帝、尋常で無い何かがそこにある。

 それを知った時、俺は……。

 ――――俺は』


 ――――TURN27:「皇帝 ナナリー」


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TURN27:「皇帝 ナナリー」

 今話が本編最終話となります、ようやくここまで来ました。
 これも皆様のご声援・ご指摘のおかげです、本当にありがとうございます。
 それでは、どうぞ。


 「それ」を感じた時、C.C.はついと顎先を上げた。

 場所は斑鳩の艦橋だ、彼女以外の人間は全てメインモニターに映る少女皇帝の姿に魅入っている。

 その中にあって、C.C.だけが違う方向を向いていた。

 彼女は音も立てずに皆に背を向けると、ゆっくりと艦橋から出て行った。

 

 

「……とうとう、来たか」

 

 

 誰もいない通路――第一種戦闘配備の状態であるため――で、C.C.は立ち止まった。

 戦闘の余波が未だ続く中で、彼女は己の肌の上を撫でられるような不快さを感じていた。

 彼女はその理由を明確に気付いている、おそらくは彼女だけが気付いているだろう。

 だから彼女は溜息を吐いた、そして遠き日を思い出すかのように顔を上げて。

 

 

「贖いの、時が」

 

 

 その額が、額に刻まれたコードが、強い輝きを放っていた。

 まるで何かの脈動に呼応するかのようなその明滅に、C.C.は小さく唇を震わせた。

 その後に何と呟いたのか、それは誰にもわからない。

 

 

 ただ、彼女の運命が……いや。

 世界の運命が動き出したことだけは、確かだった。

 それが誰にとっての運命かは、天上の神にもわからないことだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 この世は驚愕の連続だと、青鸞はつくづく思った。

 不死の身になろうともそれは変わらないようで、その映像を見た瞬間、青鸞は己の中の時間が止まってしまったのでは無いかと錯覚した。

 それ程の衝撃だったのだ、彼女がブリタニア皇帝になったと言う事実は。

 

 

「ナナ、リー……ちゃん?」

 

 

 饗団の……中央アジアの遺跡、黄昏の間で命を落としたはずの少女。

 幼馴染で、大切な友人で、罪悪感の向け先で、そして彼の最愛の妹。

 メインモニターの中、天上の花畑で微笑む少女は紛れも泣くあのナナリーだった。

 ただし、瞳が開いている。

 

 

 青に誓い紫の瞳(アメシスト)が、世界を射抜くように開かれていた。

 そう言えばと、青鸞は思う。

 幼少の頃に思った不思議を思い出す、ナナリーが瞼を開かない理由を知りたがった昔を。

 普通の盲目の人間は目が見えとしても開きはする、そうすることで光を受けるからだ。

 だがナナリーはそうしなかった、何故か瞼を開くと言う行為をしていなかった。

 

 

「……ッ」

 

 

 その時、青鸞は不快感を感じた。

 他に誰がいるわけでも無いのに、肌の上を何者かに嘗め回されるかのような感覚に陥ったのだ。

 遠慮呵責なく肌の上を駆け抜けて行ったその不快感に、青鸞は己の身を抱き締めるようにして眉を顰めた。

 理由はわからない、が、何かが起こっていることだけはわかった。

 

 

 その時、ふと気付く。

 己の右掌、そして左胸、そこに刻まれたコードが赤い輝きを放っていることに気付いた。

 自分の意思では無い、まるで何かに共鳴するかのように明滅している。

 何故そうなっているかはわからない、だが不快感は続いている。

 何だ、これは。

 

 

「どうして、ナナリーが皇帝に……?」

 

 

 青鸞が感じている不快感は、当然ながらスザクには感じられていない。

 だが彼もまた、シャルルの後継者を名乗るナナリーの存在に驚愕していた。

 彼はその事実を知らされていなかったし、実はシュナイゼルもその事実は知らない。

 知っている者がいるとするなら、それはペンドラゴンの皇族・大貴族達だろう。

 

 

 だが何故、このナナリーの宣言に対して何らの行動も起こさないのか?

 今初めて知ったならともかく、皇帝……いや、前帝シャルルの勅命・遺言であるなら事前に聞いていた可能性が高い、それでもブリタニアは分裂しなかった。

 八十七位などと言う下位の継承権しか持たず、しかも後ろ盾も無いナナリーの即位を認めるだろうか?

 あり得ない、必ず反発する、なのに何故。

 

 

『皆様の中には、私の皇位について不安を抱かれている方もいらっしゃることでしょう』

 

 

 そんなスザクの疑問に答えるように、ナナリーは微笑みながらそう言った。

 そう言った彼女の傍に、画面の脇から十数人の人間が姿を現した。

 豪奢な衣装を纏ったその人物達の姿に、スザクは目を見開いた。

 

 

『しかし、その心配はありません。私の即位は……』

 

 

 そこには第一継承権保持者だったオデュッセウスがいる、ギネヴィアがいる、カリーヌがいる、皇位を争っていた有力な皇族・大貴族達がいる。

 皇位を争い、そしてナナリーの即位をけして認めないはずの彼ら彼女らは、一様にナナリーの周囲を固めていた。

 まるで、新たな主君であるナナリーを守ろうとするかのように。

 

 

『……このように、全ての皇族・大貴族の方々に認められたものだからです』

 

 

 しかし、何故彼ら彼女らは無名の皇女の即位を認めたのだろうか?

 スザクだけでなく世界中の人間が首を傾げるだろう疑問に答えるためには、少しだけ時間を遡る必要がある。

 それは前帝シャルルが神根島に向けて進発するよりも前、全ての皇族・大貴族を謁見の間に集めたあの時に遡る――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 最初は何の冗談か、と思われた。

 だが皇帝シャルルが宣言したことが真実で、本気なのだと気付いた時、皇帝の前にも関わらず人々は騒然とざわめきだした。

 あろうことか皇帝シャルルの後継、次代の皇帝が……足の不自由な、年端も行かぬ少女だとは!

 

 

「こ……皇帝陛下?」

「何か、オデュセウス、余の息子よ」

 

 

 一同の困惑を代表したつもりは無いだろうが、先頭に立っていた第一皇子オデュッセウスが皇帝に問いかけた。

 これはいったい、何の冗談なのかと。

 

 

「冗談? 意なことを言うなオデュセウスよ。わしが嘘など吐かぬことはお前が一番良く知っておることだろう、そしてわしが前言を撤回するような男でも無いことを」

「で、では、本気で……?」

「先程からそう言うておる、それとも……」

 

 

 車椅子の少女、瞳を見開いて微笑むナナリーの傍で、皇帝は瞳にギラリとした輝きを宿しながら言った。

 

 

「それとも、ナナリーが皇帝では不服か」

「ふ、不服と言うか……いえ、ナナリーの生存と帰還は喜ばしいことですが」

 

 

 そこだけは本心だろう、オデュッセウスはナナリーに微笑みかけた。

 これを本心で言っているからこそ、彼は凡庸ながら善良な皇子として皆に信頼されているのだ。

 だがそうは言っても、受け入れられることと受け入れられないことがある。

 

 

 ナナリーが皇帝になる、やはり何度聞いても冗談としか思えない。

 別にナナリー個人がどうと言うわけでは無い、ただ、ナナリーに皇帝が勤まるとは思えないだけだ。

 能力云々では無く、周囲の皇族や大貴族がそれを認めないだろう。

 ギネヴィアやカリーヌなどはあからさまな不満と嫌悪を隠そうともしないし、他の皇族や大貴族にしても、皇帝シャルルの前だから表立って不満を口にしないだけだ。

 

 

「ほぉう……そうか、オデュッセウス。お前は皆が納得しないと言うのだな、皇帝の言葉を聞かぬか。なるほど、ならば……」

 

 

 そこで一旦、皇帝は言葉を切って眼を閉じた。

 オデュッセウスとしては頬に一筋の汗を流さなければならなかった、次に皇帝が眼を開いた時にどんな言葉が飛んでくるのかわからなかったからだ。

 それに今の口ぶりだと、皇帝は自身への不服従を咎めてオデュッセウス達を排除するとも取れる。

 温厚なオデュッセウスと言えども、恐れは抱くのだった。

 

 

 そして数十秒の後、皇帝は眼を開いた。

 赤い。

 皇帝は赤い両眼でもって、謁見の間を埋め尽くす人々を睥睨した。

 すなわちそれは。

 

 

「シャルル・ジ・ブリタニアが、刻ぁむぅ……」

 

 

 ギアスの、輝き。

 

 

「こ、皇帝陛下? 何を……」

「――――新たなる偽りの記憶を!!」

 

 

 オデュッセウスの声を無視して、皇帝は雷のような声量で言った。

 その声は謁見の間の隅々まで届き、かつ人々の目を皇帝へと向けられた。

 だから、その場にいた全員がそれを受けた。

 皇帝の両の瞳から飛び出したその輝きが、人々の眼に飛び込んだのだ。

 

 

 すなわち、刻まれる。

 偽りの記憶を、まるで最初から持っていたかのように埋め込まれる。

 そして、全てが噛み合った時。

 

 

「……イエス・ユア・マジェスティ」

 

 

 オデュッセウスの表情に穏やかさが戻る、だがその両眼の輪郭は赤く輝いていた。

 それは彼だけでは無い、周囲の、いや謁見の間にいる全ての人間がそうだった。

 皆瞳を赤く輝かせて、オデュッセウスと同じように胸に手を当てて背筋を正した。

 それは皇帝へ忠誠を示す姿勢としては正しい、だが彼ら彼女らの視線は皇帝には向いていない。

 

 

「「「オール・ハイル・ナナリー!!」」」

 

 

 次代の皇帝ナナリーを称え、忠誠を誓約するものだった。

 今までナナリーのことを知らなかった、あるいは知っていても毛嫌いしていた人間達が皆、一様にナナリーを次代の皇帝に相応しい人物だと認めた瞬間だった。

 ナナリーこそ、ブリタニアに率いるべき器だと。

 

 

「いや良かったよ、ナナリー。まさか陛下が存命中にキミを後継者に推すだなんて。でもこうなった以上、私も出来る限りキミの治世に貢献するからね」

 

 

 オデュッセウス「だった」誰かがそんなことを言う、温厚な笑顔で第一継承権保持者「だった」誰かは心の底からナナリーの将来の即位を喜んでいた。

 第一継承権保持者で誰かに恨まれることの少ない彼が支えれば、ナナリーの政治基盤はかなり安定するだろう。

 何しろ「幼い頃から自分以上の才覚を示していた妹」が即位するのだ、これをサポートするのは兄としての義務にも思えた。

 

 

「ナナリー、いやナナリー陛下、そなたは何も心配せずとも良い。我と我が家がそなたを支える限り、全ての貴族階級はそなたに忠節を尽くす故に」

「そうそう、うちの実家だって協力するんだから、またグズグズ言うんじゃないわよ! あっ……べ、別に貴女のためとか、そう言うわけじゃ無いんだからね!? ブリタニアのためよ! あくまで!」

 

 

 おそらくナナリーを、いやマリアンヌ后妃縁の者を最も嫌っていただろうギネヴィアとカリーヌも、それぞれの立場でナナリーへの協力を約した。

 ブリタニアの皇族・貴族に多大なネットワークを持つギネヴィアの協力は宮廷工作に不可欠なものだ、そしてギネヴィアは「幼少時から何かにつけ面倒を見てきた妹」の即位を本心から喜んでいた。

 

 

 年齢の近さから「実の姉妹のように仲良く育って来た」カリーヌも、「いつものように」素直では無いものの、ナナリーの治世を支えると明言した。

 他の者達も、オデュッセウス達と同じようにナナリーに忠誠を誓っていった。

 それを見て皇帝が笑う、だがその笑みはどう見ても嘲笑にしか見えなかった。

 

 

「うふふ……」

 

 

 そしてナナリーも笑った、だがその笑みはかつてのような優しいものでは無かった。

 その笑みは、どこか相手を見下し、哀れみ、馬鹿にするような笑みだった。

 ここに、ブリタニアの宮廷世界はナナリーの手に落ちたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ナナリーが生きていた、その事実に最も衝撃を受けた者は誰だろうか。

 言うまでもなく、実の兄であるルルーシュである。

 一時は妹を失った喪失感から塞ぎ込んだ彼は、しかし今目の前に無事な妹の姿を見て、大きく眼を見開いていた。

 

 

「な、ナナリー……何故」

 

 

 ナナリーが生きていたことは素直に嬉しかった、それは揺るぎの無い事実だった。

 可能ならばすぐにでもナナリーの下へ行き、その身を抱き締めて無事を確信したかった。

 だが彼の理性が、疑問を感じさせずにはいられなかった。

 どうしてナナリーが次のブリタニア皇帝などになっているのか、どうしてほとんどの皇族・大貴族がナナリーの玉座の担ぎ手になっているのか、まるでわからなかったからだ。

 

 

 そもそも、眼が。

 ナナリーの眼が開いている理由が、わからなかった。

 彼女は盲目で、しかも瞼を開くことすら出来なかったのに。

 

 

『……戦争』

 

 

 不意にナナリーの声が聞こえて、ルルーシュは顔を上げた。

 蜃気楼のメインモニターの中に映るナナリーは、どこか聖女を思わせる微笑を浮かべていた。

 ナナリーが両腕を開く、すると画面の中の花畑に異変が起こった。

 まるでパズルをバラバラにするように花壇や床、壁が動いていくのだ。

 

 

 そして現れた光景に、ルルーシュは息を呑んだ。

 何故なら花畑の後に姿を現したのは、古びた神殿のような場所だったからだ。

 どこかの地下なのだろう、薄暗く靄がかった場所だ。

 ナナリーの背後に短くも高い石階段があり、その向こうに不可思議な紋様の描かれた石の扉がある。

 ……遺跡だ。

 

 

『戦争と革命、飢餓と貧困、差別と腐敗……誰もが無くしたいと思いながらも、誰にも消すことの出来なかった哀しみ』

 

 

 訴えかけるような声音で、ナナリーが言う。

 饗団のアジトや神根島の地下にあったものと同じ石の扉の前で、ナナリーは言った。

 

 

『それをもし無くす方法があるとしたら、人々が本当の意味で一つになれるとしたら、どうしますか?』

 

 

 それは夢物語だ、とルルーシュは即座に思った。

 話し合いで何もかもが解決するのなら、軍隊も戦争も生まれていない。

 わかり合えないから、分け合えないから、軍隊と戦争が生まれたのだ。

 嘘が生まれ、差別や格差が生まれたのだ。

 自分で無い誰かとわかり合うことが出来ないから、人は自分を守ろうとするのだ。

 

 

 だがそれは、罪だろうか?

 当たり前のことだ、誰もが自分を守るために悪を胸に抱える。

 しかしそれは自分を守るためだけじゃなく、誰かを守るためでもある。

 それを憎んで否定することは、同時に人間と言う種そのものを否定することに繋がる。

 

 

『皆が一つになること、それはとても素晴らしいことです。私はそんな世界で、誰もが……誰もが』

 

 

 そこで、ナナリーは笑顔を浮かべた。

 だがそれにルルーシュは違和感を感じた、妹の笑顔に違和感を感じたのだ。

 見る者を魅了する可憐な、優しい笑顔の中に違うものを見た気がした。

 

 

 そしてその後ろで、石の扉が開いていく。

 向こう側の光をこちらへと届かせるそれは、メインモニターを白く染める程に輝いていた。

 誰もが目を庇うようにする中、しかし声は続いている。

 

 

『誰もが一つになることで、世界は――――』

『ルルーシュッ!!』

 

 

 その時、通信では無い声がルルーシュの頭に響いた。

 まさに頭の中で鐘が鳴ったかのような衝撃に、ルルーシュは顔を顰める。

 だが彼はその声の主を知っていた、だから彼は声を上げた。

 

 

「C.C.ッ!?」

『説明している時間は無い!』

 

 

 次いで、身体を強く引かれるような感覚に陥った。

 これはあの時と同じだ、セキガハラから神根島まで飛ばされた時のあの感覚に。

 どこかへ飛ばされるのかと思い、ルルーシュは言った。

 

 

「待てッ、C.C.――――」

 

 

 だがC.C.は待たなかったようだった、次の瞬間にはルルーシュの視界がブラックアウトしたからだ。

 瞼の裏に焼きついた妹のおかしな笑顔を見つめながら、ルルーシュの意識は飛んだ。

 遥か遠く、それでいてとても近い所にあるその場所へと。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞が気が付いた時、彼女は夕焼けの神殿にいた。

 周囲を雲に覆われた不思議な場所で、まるで空の上にいるかのようだった。

 赤い夕焼けに染まった神殿、神秘的と言えばこれほどに神秘的な場所も無いだろう。

 

 

「ここは……」

 

 

 青鸞はこの場所を知っていた、いやこの景色は知らないが、存在は知っていた。

 Cの世界と言うその場所のことを、青鸞は知っていた。

 どうやら彼女がいるのは石階段の一番下で、そこから先には……。

 

 

「……ルルーシュくん!?」

 

 

 石階段の途中にうつ伏せに倒れる少年を見つけて、青鸞は駆け出した。

 

 

「ルルーシュくん、大丈夫!?」

「う、うぅ……青鸞、か?」

 

 

 青鸞に抱き起こされて、ルルーシュは呻きながら目を開けた。

 特に外傷は無い様子だが、それでもCの世界に飛ばされたために意識が朦朧としている様子だった。

 意識をはっきりさせるために軽く頭を振ると、ルルーシュは立ち上がろうとした。

 しかしそれを果たせず、よろめくようにして青鸞に支えられるハメになった。

 

 

「何をしている、ルルーシュ」

 

 

 そこへC.C.が現れた、柱の陰から姿を見せた彼女をルルーシュは睨んだ。

 だがそんな視線などでたじろぐC.C.では無い、彼女はルルーシュの睨みを無視して階段の上へと視線を向けた。

 

 

「良いのか、ナナリーのことは」

「……ッ、ナナリーだと!?」

「上にいる」

 

 

 ナナリーの名前にそれまでの態度を全て捨てて、ルルーシュは立ち上がり、そして駆けた。

 C.C.の言葉を疑ってもいるだろうし怪訝に思ってもいるだろうが、それでもナナリーの名前は無視できなかったのだろう。

 自分から離れて駆け行くその背中を、青鸞は少しだけ寂しい気持ちで見つめていた。

 

 

「……良いのか、お前は」

「……仕方ないよ」

 

 

 そう、仕方ない。

 ルルーシュにとってナナリーは特別だ、あまりにも特別だ。

 だから青鸞は、それを仕方ないと思った。

 階段を駆け上がるルルーシュの背中を見つめる青鸞、そしてその横顔を見つめていたC.C.は、そんな青鸞の顔を見て溜息を吐いたのだった。

 

 

 一方、階段の上では少し状況が違っていた。

 本来ならギアスとは――直接的には――関係の無い少年が1人、いたからである。

 スザクだ、どうやら彼もC.C.によってCの世界に連れて来られたらしい。

 それでも彼が混乱せずに済んだのには2つの理由がある、まず彼がこの場所を知っていたことだ。

 Cの世界とは知らなかったものの、過去に一度だけ皇帝と共にこの神殿を訪れたことがあったのだ。

 

 

(ならここは、ブリタニアなのか……いや、それよりも!)

 

 

 がくん、と脇腹を押さえるようにしながら膝をつくスザク。

 僅かに苦悶の表情を浮かべるスザクの視線の先には、3つのものがある。

 まず一つは夕焼けの神殿、その祭壇エリアだ。

 石造りの床が夕焼けに染まるその世界に、スザクはいる。

 

 

 そして二つ目は、漆黒のフードとローブで全身を隠した4人の男だった。

 男と思うのはスザクがすでにこの4人と格闘したからであって、スザクが膝をついているのは脇腹に蹴りを受けたためだった。

 4人はそれぞれが強く、それでいて人間離れした力を持っているようだった。

 ……ローブの胸元には、鳥が羽ばたくような独特のマークが刻まれていた。

 

 

「けど……!」

 

 

 痛みを堪えて立ち上がる、そんな彼の前では2人の少女が拘束されていた。

 神殿の祭壇に鎖で戒められている2人の少女は、どちらもスザクの知る少女である。

 1人はアーニャ、ラウンズの同僚の少女で、両腕を頭の上で鎖に縛られている。

 そして、もう1人は……。

 

 

「ナナリーッ!?」

 

 

 そう、ナナリーだった。

 瞳を閉じ、眠るように俯く少女の身に痛々しく鎖が巻きつけられている。

 ちなみに今ナナリーを呼んだのはスザクでは無い、呼んだのはスザクの後ろの階段を駆け上がってきた黒髪の少年であった。

 

 

「スザク? それにこいつらはいったい、いや、それよりも何故ナナリーが拘束されている?」

「……ルルーシュ」

 

 

 さっきの今と言うことで、流石にやや表情が固い。

 だがスザクがより表情を強張らせたのは、その後にやってきた少女を見てからだ。

 C.C.と共に階段を駆け上がってきたその少女もまた、スザクを見ると表情を強張らせた。

 スザクはそんな少女、青鸞から目を逸らした。

 話すことは何も無いと、伝えようとするかのように。

 

 

 

「あら、ようやく全員揃ったのね」

 

 

 

 青鸞が兄の背中に声をかけるよりも早く、横から声をかけてきた者がいた。

 それは女だった、豊かで美しい黒髪が薄いオレンジのドレスに映えている。

 背は高く、ややタレ目ながら鋭さのある黒瞳は悪戯っぽく細められていた。

 その女性が誰なのか、それを正確に知っているのはおそらくこの場の半分。

 

 

「……母さん……!」

 

 

 マリアンヌ・ヴィ・ブリタニア。

 かつて「閃光」と称えられたブリタニア帝国の元第五后妃は、実の息子の声ににっこりと笑った。

 それは、先程までナナリーが浮かべていた笑顔と全く同じように見えた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 答え合わせをしよう。

 皇帝シャルルが、V.V.が、そしてマリアンヌが、それぞれに命を失ってまで遂行しようとした計画の全容について、答え合わせが必要だ。

 そもそも、彼らの「計画」とは何か?

 

 

 それは、神を殺すことだ。

 饗団が長い長い歴史の中で蓄え続けてきた知識と技術、それを用いて思考エレベーターと『アーカーシャの剣』をもって、この世の理を書き換えることだ。

 かくして人は仮面を失い、互いに嘘を吐けぬ「自分」となる。

 人々の意識が一つになる、生者はもちろん、死者すらも。

 

 

「……だから俺とナナリーを捨てたんですね、母さん。生きていようと死んでいようともはや意味が無い、なら守らなくても問題は無いと考えたんだ」

「あらルルーシュ、母さんにそんな口を聞くなんて……まったく、誰にどんなことを吹き込まれたのかしら」

 

 

 そう言ってマリアンヌが視線を向けるのはC.C.だ、かつての同志、理解者、友人。

 だがC.C.は肩を竦めるばかりだった、それ以上のことはしない。

 それはどこか、どちらか一方に加担することはしないと言う意思表示にも見えた。

 自分は何もしない、何もしないことをする魔女なのだと。

 

 

 だが、魔女と言う称号はマリアンヌにこそ相応しいのかもしれない。

 義兄たるV.V.に殺害された――V.V.の抱いた嫉妬によって――瞬間に発動した、人の心を渡るギアスによってアーニャの内面に潜み、そして今ナナリーの身体に宿っているのだから。

 それは一つの事実を証明している、ナナリーは光を失ってなどいなかったのだ。

 

 

「ナナリーはね、ルルーシュ。貴方とは別の意味で、飛び抜けたギアス特性を……いえ、コード特性を持っていたの」

 

 

 マリアンヌはかつて、幼いルルーシュとナナリーに対してギアスの実験を行っていた。

 もちろんルルーシュやナナリーは知らない、だがその実験のおかげで2人は才能を得た。

 兄ルルーシュには、ギアスに関する適正と才能が。

 妹ナナリーには、コードに関する適正と才能が。

 そう、ナナリーはコード保持者になれる可能性を持っていたのだ。

 

 

 だからマリアンヌは考えた、面白い可能性を考えた。

 極めて高い――V.V.や皇帝シャルルよりも遥かに高い――コード適正を持つナナリーの身体に、全てのコードを集めたらどうなるか?

 内面に宿ったマリアンヌがナナリーの身体を使い、根源……神と繋がったなら、何が起こるだろう?

 そう考え、そして実行に移したのだ、マリアンヌは。

 

 

「『アーカーシャの剣』で神は死ぬ、そして此方で私が、彼方であの人(シャルル)が。私達が新たな根源となって全ての人と繋がる。3つのコードを得たナナリーの身体はその楔になるの、素敵でしょう?」

「実の娘を……っ!」

「あら、実の娘が世界を救う聖女になれるのよ? 親として応援するのが当然じゃない?」

 

 

 誰もが言うだろう嫌悪の言葉を受けても、マリアンヌは笑う。

 だって、皆が一つになることは良いことなのだから。

 押し付けだろうと何だろうと、最終的に結果が良ければ良いのだ。

 わかっている者がわかっていない者を導く、わからない者がわかるようになるのを待つのは無駄だ。

 そう言い切るマリアンヌに、スザクは目を細めた。

 

 

 戦争は終わる、差別は終わる、犯罪は無くなる、腐敗は無くなる。

 良くなる、世界は確実に良くなる。

 何故なら心が一つになると言うことは、「貴方」が「私」になると言うことだからだ。

 自分を傷つける人間はいない、つまりはそう言うことだった。

 そして第3のコードの現出で、シャルルとマリアンヌは計画を修正したのだ。

 

 

「枢木青鸞、だったかしら? 呼びにくいから(ブルー)ちゃんって呼んでも良いかしら?」

「いや」

「そう、じゃあ(ブルー)ちゃんって呼ぶわね」

 

 

 何だ、この強烈な押しは。

 青鸞は不快感を感じたが、マリアンヌはそんなことを意にも介さなかった。

 鼻歌さえ歌い出しそうな程上機嫌に、マリアンヌは顎を上げた。

 見下ろすような視線が、青鸞を見る。

 

 

「貴女が目覚めてくれたおかげで、私とシャルルは新たな神になれる。人は救われるの、だからお礼を言ってあげる――――だから、頂戴?」

 

 

 にっこりと笑うマリアンヌ、何故かそれに青鸞は怯えにも似た感覚を覚えた。

 すでに自分の肉体を失い、ナナリーの才能を頼りにアーニャから実の娘の肉体に乗り移った女は、まるで子供が菓子をせがむように手を青鸞に向けていた。

 そして言うのだ、頂戴、と。

 

 

 直後、重厚感のある音がマリアンヌの背後、祭壇の後ろから聞こえてきた。

 エレベーターが動いているような重厚な機械音は、まさにエレベーターが上がる音だった。

 思考エレベーターの機動音、そして不可思議な形をした、捻れた柱のような何か。

 『アーカーシャの剣』が、天へと向けて伸び始めたのだ。

 次の瞬間、夕焼けの祭壇が砕け散った。

 

 

「何、これは……!」

「これこそが思考エレベーター、私とシャルルの、私達の夢の結晶」

 

 

 夕焼けの祭壇が失われ、代わりに現れたのは機械的なドームだ。

 隙間から薄緑の光がいくつも漏れている外壁は、機械でありながら神性を備えているように見えた。

 

 

「さぁ、頂戴、(ブルー)ちゃん、C.C.。貴女達の持つ3つのコードを得ることで、私達は完全になる。此方と彼方、雌雄同体の完全なる神に。私達が……」

 

 

 ……私達こそが、新しい理に相応しい。

 手を伸ばすマリアンヌ、だが実の所、青鸞はマリアンヌの言葉を聞いていなかった。

 と言うのも、彼女の視線は『アーカーシャの剣』に注がれていたからだ。

 そんな青鸞を、C.C.が後ろからじっと見ている。

 

 

 声が、するのだ。

 

 

 どこかから声が聞こえる、囁き声のようにも叫び声のようにも聞こえる。

 それが何かはわからない、だが怖い。

 あの装置、『アーカーシャの剣』が恐ろしい。

 アレは、良くないモノだ。

 

 

(何、何だろう、この気持ち……怖い……?)

 

 

 あの装置が直接、自分に何かをするわけでは無いだろう。

 だが何故か、まるであの剣に殺されるかのような恐怖を感じた。

 内面からでは無く、外から。

 ――コードを、通じて。

 

 

「……ッ」

 

 

 それに気付いた時、青鸞は顔を上げた。

 するとそこに、いた、薄いオレンジの球体のような物が天井とも呼べる場所で渦巻いている。

 青鸞の左胸と右掌でコードが輝きを放つ、流れ込んできた情報に青鸞は理解した。

 アレが、世界の人々の意思と繋がった集合無意識なのだと。

 すなわち、マリアンヌ達が「神」と呼ぶ何者かなのだと気付いた。

 

 

 声が、強くなった。

 何かを叫んでいる、何かはわからない、だが確かに聞こえる。

 集合無意識の、神の声がコードを通して聞こえる。

 

 

「……止めて!」

 

 

 思わず、青鸞は叫んだ。

 悲鳴のような声で叫んだ。

 

 

「あの剣を止めて! お願い!」

 

 

 唐突とも言える青鸞の言葉、それに最初に動いたのは意外なことにスザクだった。

 一足で地面を蹴り、マリアンヌへ向けて駆け出す。

 だがそれをローブの男達が妨害した、人間離れした動きでスザクに襲い掛かる。

 フードの間から漏れる一対の赤い輝き、それは。

 

 

「ギアス!?」

「饗団の戦士団、その中でも精鋭の4人よ。そう簡単に突破は出来ないわ……さぁ」

 

 

 恍惚とした表情で、マリアンヌは両腕を広げた。

 

 

「さぁ……『アーカーシャの剣』が、神を殺すわ」

「や……」

 

 

 天井で剣が神を貫くその瞬間、青鸞は叫んだ。

 それが彼女の意思によるものなのか、それとも神が彼女を通して言わせたことなのかはわからない。

 ただ確かなのは、青鸞は確かに何かを感じていたのだ。

 言葉に出来ない、形容しがたい何か。

 

 

 それを受けた青鸞は、叫ばずにはいられなかった。

 嬉々として神を殺し、新たな神の座へ昇ろうとする女を見て。

 見えざる「誰か」のために、声を上げた。

 

 

「やめてええええええええええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇっっ!!」

 

 

 そして、神が死ぬ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 『アーカーシャの剣』が神……集合無意識、あるいは根源と呼ばれる存在を貫いた瞬間、青鸞は情報の海へと叩き落された。

 大荒れの嵐の海に生身で放り出されたとイメージすればわかりやすいだろうか、情報と言う波が青鸞を打ち据え、押し流そうとしていると言うことだ。

 

 

『――――何!?』

 

 

 しかしその情報の波から必死に顔を出し、手を伸ばして、青鸞は意識として声を発した。

 溺れかけながら、波の下に幾度も顔を鎮めながら、それでも必死に聞こうとした。

 集合無意識、根源――――神の言葉を。

 

 

 それは情報の奔流、いや暴力だった。

 コード保持者が不死であるのは副産物だ、だが不死でなければ彼らは神の言葉を受け取ることが出来なかったろう。

 だから彼ら彼女らは、巫女として人々の信仰を集めることが出来たのだから。

 

 

『何を伝えたいの!? ボクに……何を!』

 

 

 気の遠くなる程の過去、幾人ものコード保持者が神の言葉を聞いた。

 Cの世界で根源と繋がる彼ら彼女らは、だがそれを正確には受け取ることが出来なかった。

 何故なら足りなかったからだ、コードをもってしても神の言葉を受け止め切れなかったのだ。

 だがここに、枢木青鸞と言う奇跡がいる。

 2つのコードを持つ彼女だからこそ、より深く根源と繋がることができる。

 

 

『ああ……ッ!』

 

 

 その時、一際大きな波が彼女を襲った。

 堪らずに巻き込まれ、青鸞の細い身体が海の底へと引き摺り込まれてしまった。

 気泡の音にも似た水音が響き、目を閉じて衝撃に耐える青鸞。

 ぐるぐると振り回される身体、堪えきれずに空気を吐き出す唇。

 

 

 意識が遠のいていく。

 それは拒絶されているようにも、あるいは引っ張られているようにも感じた。

 海の奥底に沈むような感覚が続く、底に近付くにつれて青鸞の身体から力が失われていった。

 海で溺れる遭難者のように、底へ。

 底へ――――……。

 

 

(……身体が、重い……)

 

 

 鉛のように重い身体は、もはや指一本すら動かせない。

 息も出来ていないような気がする、意識も上手く保てない。

 いや、もはや自分の身体のことさえわからない。

 今の「自分」と言う形すら、どうだったか思い出せない。

 

 

(……ボクは……)

 

 

 誰?

 自分が誰なのか、自分が何者なのか、自分と言う個はどこにいるのか。

 どこから来て、どこへ行くのか。

 自問の先には何も無い、ように思えた……。

 

 

『青鸞ッ!!』

 

 

 ……いや、そんなことは無い。

 自分は確かにここに在る、此方に在る。

 確認する、思い出す、自分が誰なのか。

 ゴポッ、と音を立てて、泥のように身を覆う情報の海の中で眼を開いた。

 右掌と左胸のコードが、自分を主張するかのように激しく輝く。

 

 

 セイラン・ブルーバード、A.A.、複数の名前を持つ少女。

 だが彼女は今、自分が何者なのかを声を大にして叫ぶことが出来る。

 出来るはずだった。

 だって、(ルルーシュ)が教えてくれたのだから。

 

 

『――――ボクは、枢木青鸞!』

 

 

 声を発せぬその場所で、青鸞は己の意識で叫んだ。

 そう、ここは意識の世界。

 ならば己の意識を意図的に感じれば、存在を確かなものに出来る。

 だから彼女は、真っ暗な世界で両手を伸ばした。

 底へ――――そこへ。

 

 

『貴女は何!? 教えて、貴女が何を望んでいるのか……!』

 

 

 自分達に。

 

 

『ボク達に、どうしてほしいのかを……!』

 

 

 そしてその意識に、その声に、「彼女」は応じた。

 これまでずっと呼びかけ続けていた、コード保持者を通じて世界に、人々に言葉をかけ続けていた「彼女」は、応じた。

 優しく、我侭に、楽しく、諦めかけながら。

 神は――――……。

 

 

 伸ばした手に、誰かの手が重ねられた。

 枢木神社の古い神事衣装に身を包んだ管理者の少女が、反対側から沈んで来たのだ。

 その胸には、漆黒の剣が刺さっていた。

 禍々しい黒い何かで出来たその剣を、青鸞は空いている方の手で掴んだ。

 そして、ぐっと力を込めて引き抜く……血は出なかった、ぽっかりと空いた傷口も綺麗に消えてしまう。

 

 

『――――○○○○』

 

 

 すると、今までずっと無表情だった彼女は青鸞の指に己の指を絡めて、嬉しそうに笑った。

 それは本当に綺麗な笑顔で、青鸞は思わず見惚れてしまった。

 そんな青鸞に管理者の少女はまた微笑して、手を握ったまま目を閉じた。

 

 

 目を閉じた管理者の少女は、青鸞に身を委ねるように顔を寄せた。

 驚く青鸞の唇に、管理者の少女の唇が重ねられる。

 そしてその瞬間、世界は祝福されたかのように光に包まれた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「……これは……?」

 

 

 マリアンヌは怪訝な表情を浮かべた、その顔からは疑念が見て取れる。

 その疑念の正体は、『アーカーシャの剣』だ。

 剣は確かに神を、集合無意識を貫いた。

 だが期待した世界の変革は起きていない、塵たる人が被る仮面は剥がされていない。

 

 

 しかし、変化は起きている。

 ドームの外壁に沿うように赤いオーロラが揺れていて、それがカーテンのように揺れる度に全身の感覚が鋭敏になっていくように感じる。

 空気の動きや温度の変化、そうした細やかな情報が頭の中に自然と流れ込んでくる。

 まるで、世界と自分の垣根が急激に低くなったように。

 

 

『……俺は、母さんのことを愛していました』

「ルルーシュ?」

『俺とナナリーを包んでくれた愛を信じたかった、けれど……母さんにとっては、自分の計画が、自分こそが大切だった』

 

 

 頭に響いたルルーシュの声に、マリアンヌはルルーシュの方を向いた。

 だがルルーシュの口は動いていない、ただ静かな瞳でこちらを見るばかりだ。

 それなのに、息子の声が――――心が、届く。

 まるで、人と人とが直接繋がっているように。

 ……繋がる?

 

 

「これは、まさか……」

『母さんにとっては俺やナナリーの存在も、自分を飾る装飾品のようなものだったのですね』

「それは、違うわ」

 

 

 違う、と、マリアンヌは思う、違うはずだ。

 事実としてマリアンヌはルルーシュとナナリーのことを自分なりに愛していた、ただ、それが世間一般が抱く「母親像」とズレていただけだ。

 母親だからと自分より子供を優先する気持ちが、ほんの僅かに足りなかっただけだ。

 

 

 そしてその気持ちは、今はダイレクトにルルーシュへと通じる。

 この「世界」においては、思考や思いが相手にすぐに伝わってしまう。

 互いを遮っていた仮面が、失われているためだ。

 ……失われている?

 

 

「違うよ」

 

 

 ラグナレクの接続が完了する前兆かと考えた刹那、マリアンヌの耳に声が届いた。

 今度は肉声だ、顔を上げればそこに青鸞がいた。

 第3のコード、現代に蘇ったクルルギの血統、そして史上初の複数コード保持者。

 マリアンヌ達の計画に、いやマリアンヌの計画に必要不可欠の存在だ。

 

 

「これはラグナレクの接続じゃない……根源の意思だよ」

「根源の、意思?」

 

 

 何を馬鹿なことをと、マリアンヌは思った。

 集合無意識に確たる意思は無い、何故ならそれは人々の無意識の寄せ集めでしか無いのだ。

 ラグナレクの接続で初めて確たる何かになれるそれが意思を持つなど、あり得ない。

 

 

「違うよ」

 

 

 2度、青鸞は否定した。

 前に愛する者の背中を見、隣に兄を置き、背中を魔女の先輩に見守られる中、少女は言った。

 根源と集合無意識は、違う物だと。

 額に、3つ目の輝きを宿しながら。

 

 

「C.C.のコード!?」

『少し違うな、言ってみれば重なっているだけだ……この空間の中でだけ』

「C.C.、貴女……!」

 

 

 頭の中に響く声に視線を動かせば、C.C.の額には変わらずコードがある。

 重なると言う言葉の意味はわからない、が、枢木青鸞と言うコード保持者が次の段階へと進んだのは間違いが無さそうだった。

 人類として、次のステージへ。

 あくまで、人間として。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ここで一つ、指摘をしておこう。

 マリアンヌ、あるいはV.V.と先帝シャルルは一つだけ解釈を間違っている。

 彼女らは人の意思の集合体を集合無意識と位置付け、そしてその集合無意識こそを神と呼んだ。

 だが、それは少しだけ間違っている。

 

 

 真に神と呼ぶべきなのは、集合無意識の向こう側にいる存在だ。

 数十億の意思と言う膨大な情報の海の向こう側にいる存在、すなわちコード保持者達が「根源」と呼ぶ存在だ。

 まぁ、マリアンヌ達もその存在を知覚し、それを『アーカーシャの剣』によって切り離すことで独立しようとはしていたのだが。

 

 

「……マリアンヌ・ヴィ・ブリタニア。貴女は言った、塵と分かれた人を再び一つにすることで世界から垣根を無くすと。生も死も意味を持たない、新たな世界を創ると」

「……そうよ。バラバラだった皆が一つになるのは、良いことでしょう?」

 

 

 そう、良いことなのだ。

 戦争も差別も無くなる、いや厳密には出来なくなる。

 誰も彼も、どんな差別主義者でも自分だけは大事にする。

 相手も自分になれば、傷つけようとも差別しようとも思わない。

 いや、思えない。

 

 

 それで完成するではないか、平和な世界が。

 死すらも克服した、完全なる世界が。

 どうしてそれを否定するのか、マリアンヌにはわからない。

 

 

『……母さん。母さんは……』

 

 

 ルルーシュは哀しそうな顔で首を横に振った、それは本当に哀しそうな顔だった。

 

 

『母さんはただ、自分が好きなだけだった』

 

 

 マリアンヌが何故シャルルとV.V.の計画に賛同したのか、それは至極単純な理由だった。

 彼女が、自分を愛していたからだ。

 誰よりも何よりも、自分の強さと美しさを愛していた。

 彼女は、究極の自己愛主義者(ナルシスト)だった。

 他人が自分では無い、自分以外の存在がいると言うことが我慢出来ない程に。

 

 

 この世界では、この空間では、それがダイレクトに伝わってしまう。

 3つのコードの共鳴によって形作られたここでは、そう言う場所だ。

 だからルルーシュは哀しかった、この母は、夫への愛に寄り添ったわけですら無かったのだから。

 捨てられた身としては、泣きたいとしか言えない。

 

 

「根源は……神様は、人が、皆が戻ることを望んでいない」

「そんなこと、私には関係ないわ」

「関係あるよ、人間以上に関係のある存在なんていない。だって、神様は……神様は……」

 

 

 そこで、青鸞は言葉を止めて目を閉じた。

 その時、彼女の雰囲気に気付いたのは誰だったろう。

 コードで繋がるC.C.だろうか、常にその姿を視界に入れているルルーシュだろうか、あるいは……。

 

 

「…………」

 

 

 スザクが僅かに目を細めたその時、青鸞は眼を開けた。

 その瞳は、彼女特有の黒瞳では無かった。

 ギアスの紋章、いやコードの紋章を輝かせた瞳だった。

 そしてもはや瞳だけでは無く、肌の上にも赤いラインが輝いている。

 それはまるで、化粧のようにも見えた。

 

 

 ……かつて、古代の昔。

 化粧とは一部の聖職者にのみ許された特権だった、聖職者達は身を彩ることで神に近付こうとしたのだ。

 それはやがて中世において魔女に渡り、今では現代に残る魔術として広く人々の手にあるが、そこには一つの共通点がある。

 化粧には、魔なる者を、神なる者を宿す力があると言うことだ。

 

 

「……貴様……!」

 

 

 本能的に悟ったのだろう、マリアンヌが一歩を下がった。

 その顔には僅かだが怯えが見える、畏怖が見える。

 神への、畏怖が。

 

 

<――――(ヒト)ヨ>

 

 

 神降ろし。

 古代の巫女は祈祷を行うことでその身に神を宿し、人々の神の言葉を伝えたとされる。

 長い時の中でその技術は失われてしまったが、3つのコードによってそれは成された。

 青鸞では無い誰かが、青鸞の身体を使って人に言葉を告げる。

 

 

<――――(ヒト)()テ>

 

 

 次の瞬間、マリアンヌの手に黒剣が出現した。

 影のように這い出たその剣を手に、マリアンヌが一足で跳ぶ。

 それはスザクに勝るとも劣らず、場合によっては超えていただろう。

 閃光、その二つ名に相応しい飛び込みだった。

 

 

 誰も反応できないような速度で行われたそれは、青鸞の眼前で繰り広げられた。

 マリアンヌが憤怒の形相で振り上げた黒剣が、完璧な姿勢で振り下ろされる。

 掣肘線上、身体を真ん中から裂くような軌道で剣が振り下ろされた。

 だがその身に神を宿した青鸞は、それを無感動に見上げているだけだった。

 

 

「青鸞っ!!」

 

 

 誰かが叫んだその瞬間、マリアンヌは目を見開いた。

 甲高い音を立てて、彼女の剣が受け止められてしまったからだ。

 振り下ろした一撃は青鸞の肉体に届いていない、だがマリアンヌが驚いたのはそこでは無い。

 彼女が驚いて動きを止めたのは、他に理由がある。

 

 

「お前……いや、お前達は」

 

 

 C.C.の呟き、珍しく驚きの感情を表情に出している。

 そしてその視線の先には、幽霊の群れがいた。

 けしてふざけているわけでは無い、いや、実体に影響できる幽霊を幽霊と呼ぶべきか。

 

 

(あえて呼ぶのであれば……意思、か)

 

 

 そこまで、とは思わない。

 ただ何となく、「そうか」、と思うだけだ。

 だって、そこにいたのは。

 

 

「……みんな」

 

 

 少しだけ幼い声音で、神降ろしを終えた青鸞が呟く。

 剣を受け止めていたのは、日本軍の軍刀だった。

 だが実体は無い、なのに黒剣を受け止めている。

 意思の力だけで。

 

 

 青鸞の周りには、無数の兵がいた。

 深緑に肩当てのある軍装、旧日本軍の軍服を身に纏った半透明の人の波がそこにあった。

 片瀬がいた、卜部がいた、朝比奈がいた……皆が、いた。

 ラグナレクの接続によって繋がった向こう側から、青鸞が造ったこの異相にやって来た。

 来てくれたのだ、皆が、青鸞に力を貸してくれるために。

 

 

「な、何よ……こいつらは」

「――――ナリタの、皆だ!」

 

 

 マリアンヌの狼狽に、青鸞は叫びで答えた。

 ナリタの皆、ナリタで一緒に戦って、そして戦いの中で死んでいった魂の同胞だ。

 旧……いや、いつだって(ふる)くなど無かった。

 

 

 ――――日本解放戦線――――

 

 

 青鸞にとっての、永遠の家族。

 卜部から軍刀を受け取って、半透明の、意思の力のみで現出する刀を手に青鸞は一歩を前に出た。

 代わりに、マリアンヌが一歩を下がる。

 その目には明らかに畏れがあった、理解できない何かに対する畏れが。

 

 

「マリアンヌ・ヴィ・ブリタニア、こう考えたことは無い?」

 

 

 巫女として根源と、神と、「彼女」と重なった青鸞は言う。

 

 

「神様のことを、「お母さん」だって」

 

 

 人は根源から分かたれた塵だ、そして根源は塵たる人が自らに戻るのを拒否する。

 拒否の結果がコード保持者だ、コード保持者は人と根源に戻さないよう人を導くことを求められる。

 新たな領域へ人を導いてほしいと、根源によって願われるからだ。

 母たる根源が、子たる人の自立を願っているからだ。

 

 

 母が子の独り立ちを願うのは、そんなにおかしいことだろうか?

 

 

 人が死後に根源へ還るのは、母へ甘える子の姿に重なる。

 母の下へ行き、今日何があったのかを必死に伝えようとする子の姿にだ。

 それを受け入れながらも、母は想うものだ。

 いつか独り立ちし、自分の手を離れた立派な姿を見たいと。

 それが、根源の……人類の母たる「彼女」の意思なのだ。

 

 

「……斬るよ」

『……ああ』

 

 

 だから、マリアンヌの計画は認められない。

 コード保持者として、「お母さん」の願いを受けた者として、認めるわけにはいかない。

 今までの人の歩みと成長を否定して、母の胎の中に逃げるような真似を認めることは出来ない。

 だから、斬る。

 

 

『斬ってくれ』

 

 

 そんな青鸞の意思に、ルルーシュは頷きを返した。

 そして駆け出す、青鸞は軍刀を振り上げた。

 日本解放戦線の皆の魂が宿った剣には、無数の兵の叫びと想いが乗っていた。

 それから逃げるように後退しながら、マリアンヌは叫んだ。

 

 

「守りなさい!」

 

 

 マリアンヌの言葉に、ギアスの戦士達が動く。

 

 

「ルルーシュ!」

「――――ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる……!」

 

 

 しかし2人をスザクが蹴り飛ばして倒し、残りの2人はルルーシュがギアスで止めた。

 C.C.は、ただ見ていた。

 静かに傍観するC.C.の目の前で、結果だけが残る。

 

 

「ボクには、ナリタの皆がいる……!」

 

 

 青鸞が、軍刀を振り下ろす。

 

 

「貴女には、どうして誰もいないの……!」

 

 

 受け止めるマリアンヌ、だが彼女の傍には誰もいなかった。

 共に世界をと望んだ夫、シャルルでさえも彼女の傍には現れなかった。

 この世界においては、自分に近しい誰もが現れることを許されるのに。

 

 

 ほんの僅か、ほんの少しだけでもマリアンヌが自分以外を愛していれば、こうはならなかった。

 その少しの違いが、女と少女の間を分けた。

 マリアンヌの黒剣が、青鸞の軍刀によって砕かれる。

 

 

「こ、の……神の狗がああああああああああああああああああぁぁぁぁぁっっ!!??」

 

 

 断末魔の声は、思った以上に醜い物だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 マリアンヌの消失、その事実に僅かの時間を止めたルルーシュは、しかし次の瞬間には再起動した。

 何故ならマリアンヌが消えると同時に、2人の少女が戒めから解放されたからだ。

 ナナリーとアーニャ、マリアンヌの憑依を受けていた者達。

 今にして思えば、あの鎖こそがマリアンヌのギアスの正体だったのかもしれない。

 

 

「ナナリー……!」

 

 

 駆け寄り、その小さな身体を抱き上げる。

 触れる熱は高くて、それが逆にルルーシュに涙を流させた。

 妹の身体が温かい、ただそれだけのこと。

 だがそれだけのことが、ルルーシュにとっては重要だった。

 

 

 それを視界に収めながら、青鸞はアーニャの下へと向かった。

 C.C.は動かない、マリアンヌの消えた虚空へと視線を向けているばかりだ。

 だからと言うわけでは無いが、青鸞はアーニャの傍に膝をついた。

 彼女自身、神降ろしの疲労がかなりあるのだが……これもコードの回復力だろうか。

 

 

「アーニャ……アーニャ?」

「……ん……」

 

 

 ぺちぺちと頬を叩けば、幾許もしない内にアーニャは目を覚ました。

 流石にどこかぼんやりとしている様子だったが、それでもすぐに青鸞の方へ視線を向けて。

 

 

「……セイラン?」

 

 

 手を伸ばし。

 

 

「……ッ! 違う……?」

「……ううん、同じだよ」

 

 

 触れ合った瞬間、繋がった。

 ラグナレクの接続が続いている今、人は仮面を突き破って他人と繋がることは出来る。

 そしてセイランも青鸞も今や同じ人物だ、コードの中に溶けてしまっている。

 記録の一つとして。

 

 

 そして繋がった以上、互いの全てが相手に曝け出される。

 例えばアーニャは、青鸞が人でありながら人の理から外れたことを知った。

 例えば青鸞は、アーニャの記憶の欠落の原因が皇帝にあると確信した。

 少女達は今、互いに互いを識ったのだ。

 

 

「あ……」

 

 

 そして青鸞がアーニャと言葉を交わす前に、アーニャの身体が宙に浮いた。

 スザクだ、彼がアーニャの身を抱き上げていた。

 そのまま青鸞に背中を向けて、祭壇を去ろうとする。

 

 

「あ、アーニャ! あの……」

 

 

 スザクの腕の中から顔を覗かせるアーニャに、青鸞は言葉を投げた。

 

 

「と……友達! 嘘じゃない、から」

 

 

 友であったこと、そこに嘘は無かった。

 ロロに対して抱いていた感情と一緒だ、本気で抱いた感情だ。

 だから青鸞は言葉を投げた、そして受けたアーニャは。

 

 

「…………」

 

 

 ふいっ、と視線から青鸞から外した。

 代わりに、スザクの背に当てていた片手をヒラヒラと振った。

 

 

「……不器用」

「…………かも、しれない」

 

 

 自分に向けられたか定かでは無い言葉に、しかじスザクは頷いた。

 何故なら今のアーニャには、スザクの内面の全てが見えているだろうから。

 そしてそれは、彼の妹にとっても同じことのはずだ。

 

 

「……お兄様……」

 

 

 そして妹と言えば、ナナリーも意識を取り戻した。

 身体の中にマリアンヌを入れるために父に攫われ、無理矢理に瞳を開かされた少女は、その視界に8年ぶりに兄の顔を映していた。

 8年前、いや生まれてから今まで、誰よりも愛しいと感じていた兄の顔だ。

 だがナナリーの瞳には、大粒の涙が溢れていた。

 

 

「……騙していたんですね……嘘を吐いていたんですね……私に、私にも……」

 

 

 ダイレクトに、繋がる。

 兄ルルーシュが今までしてきたことを、ナナリーは全て理解した。

 そしてその行動の大部分、全てとは言わないまでも大部分の理由に、自分がいる。

 その事実に、ナナリーは涙を流した。

 

 

 あまりにも救いが無さ過ぎる、そこまでして、そんな自分を傷つけるような真似をしてなお自分を愛してくれている兄。

 そして兄のもう一つの理由である母、加えて父、2人がしたこと……あまりにも救いが無い。

 ルルーシュにとっても、ナナリーにとっても。

 救いが無い、その事実にナナリーは涙を流した。

 

 

「……ナナリー、俺は」

「許さない」

 

 

 それは。

 それはかつて、どこかの妹がどこかの兄に告げた言葉でもあった。

 

 

「……許さない、ゆるさない……」

 

 

 けれどその妹は、ナナリーのように兄にしがみついたりはしなかった。

 けれどその兄は、ルルーシュのように妹を抱き締めたりはしなかった。

 だから。

 

 

「私は、貴方を、許さない……!」

 

 

 だから、光の中に崩壊を始める祭壇の中で。

 青鸞は、眩しそうにその兄妹を見つめていたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 一方で、現実でも変化が生じていた。

 皇帝のナイトギガフォートレスの撃墜と新帝ナナリーの登場以降、戦闘は小康状態にあったが……今は完全に停止してしまっていた。

 今では、もはや砲弾の一発も放たれていない。

 

 

 一つには、帝国宰相シュナイゼルの停戦発議があるのだろう。

 一つには、反ブリタニア勢力の戦闘継続が困難に陥ったことがあるのだろう。

 しかし単純に、彼らは思い出したのだ。

 

 

「何だ、この光……」

「わからない、だけど……」

「ああ……だけど」

 

 

 戦場に広がる薄い赤の光の中で、思い出したのだ。

 

 

「何だか、懐かしい気がする……」

 

 

 ラグナレクの接続、その一端の効果が現実に及んだために。

 それは人々を完全な意味で「一つ」にすることは出来なかったが、しかし、それでも効果は及んだ。

 おかげで彼らは思い出せた、兵士達は思い出した。

 そもそも一部の例外――ルキアーノなど――を除いて、喜び勇んで敵を殺したがる人間などいない。

 まともな精神を持っているのなら、人殺しを生業とするなど狂気の沙汰だと思うはずなのだ。

 

 

 だから思い出した、自分達が敵と憎み殺し合う相手が自分と同じ人間だと言うことに。

 気付いてしまえば、本当に簡単なことなのだ。

 今、自分が撃とうとしている相手にも家族がいて、恋人がいて、友人がいて、そして正義があるということを思い出すのは。

 相手が自分と同じなのだと気付いてなお引き金を引く指を、人間と言う種は持っていない。

 ……それくらいの救いは、信じても良いだろう?

 

 

『大丈夫か? 俺達が母艦まで運んでやる』

『しっかりしろ、コックピットは無事だ』

 

 

 動けなくなったブリタニアのナイトメアを、ブリタニアの母艦まで運搬する日本機がいる。

 コックピットの上で波に揺られる中華連邦のパイロットに、ブリタニアの兵士が手を差し伸べる。

 戦前にはあり得なかった光景が、各所で起こっていた。

 人種に関係なく、負傷者を助けようと動いていた。

 

 

 先程まで戦争をして殺し合っていた関係で、どんな偽善だと思うかもしれない。

 それでも、これは奇跡だった。

 歴史上初めての、奇跡だった。

 ほんの一瞬だが、しかし彼らは同じだった。

 この瞬間、確かに彼らは、一つになっていたのだ。

 

 

「…………」

 

 

 そしてその様子を、ビスマルクはギャラハッドのコックピットから見下ろしていた。

 もはや戦闘の継続は不可能、それがわからない彼では無い。

 シャルルとマリアンヌがまだ存在していれば、彼1人でも戦おうとしていたかもしれない。

 しかしそれももはや無い、戦う理由を失った騎士は状況を見守るだけだ。

 

 

『……何なんでしょうかねぇ、このふざけた状況は……』

「む、ルキアーノか。お前……」

 

 

 無事だったか、と言う言葉をビスマルクは告げなかった。

 何故ならギャラハッドの近くに寄って来たのはパーシヴァルでは無く、副官機のモリガンだったからだ。

 片腕を失いボロボロのモリガンの腕に、パーシヴァルのコックピットが抱かれている。

 これを見て無事と言えるのは、よほどの馬鹿くらいなものだろう。

 

 

『まぁ、随分殺しましたし? また次の戦場に期待するとしますよ』

「次、か」

 

 

 はたして次などあるのだろうか、眼下の様子を見守るビスマルクはそんなことを思った。

 視線を向ければ、彼の母艦であるグレート・ブリタニアはすでに着水していた。

 しかしグレート・ブリタニアの艦体をモニターした彼は、ふと隻眼を歪めた。

 怪訝そうに歪められたそれには、グレート・ブリタニアの艦体が不自然に桜色に輝いているように見えていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞達が現実へと戻ってきたのは、そう言うタイミングだった。

 戻ってみれば戦争は終息に向かっていて、することが無い。

 そんな、タイミングだった。

 

 

「えっと、皆は……」

 

 

 意識を完全に現実に戻すために頭を降りながら、友軍の識別信号を探す。

 その中にスザクに撃墜された護衛小隊の面々の信号も見つけて、とりあえずほっとする。

 ただ、その何百倍もの被害が出ていることもわかったわけだが。

 だが異常な近さに敵を得ている友軍もいて、それが救助のためだと理解した時、青鸞は自身の身から力を抜いた。

 

 

 ……これで、おしまい、か。

 そんな考えを得て、青鸞は吐息した。

 もちろんこれで何もかもが上手く行くとは思わない、そんなに世界は簡単では無い。

 誰かを悪者にして終われるようなら、そもそも戦争なんて起きないのだから。

 しかしとにかく、ここでの戦争は終わりに向けて……。

 

 

『ずぁ~んね~んでぇしたぁ~♪』

「ロイドさんっ!?」

 

 

 驚きの声は上げたのはスザクだ、緊急回線で声と映像を流した存在がいたからだ。

 ランスロット・アルビオンの開発者、ロイドである。

 おそらくはアヴァロンから回線を繋げているのだろうが、何も通信機を抱くようにして顔を大映しにする必要は無いだろうにと思う。

 

 

『あは☆ ここで皆様にずぁんねぇんなお知らせが……あ、あれ? セシル君? ちょ、何……あばっ!?』

 

 

 最後に何かが起きた際、スザクが画面から慎ましく目を逸らしたのは言うまでも無い。

 ちなみにアーニャはここにはいない、おそらくはナナリーと共にペンドラゴンの黄昏の間に出ているはずだ。

 ナナリー護衛の任務は忘れていないと言っていたし、それでなくともペンドラゴンの人々は皇帝のギアスでナナリーに従う、ナナリーのことは心配いらないだろう……とりあえず、今は。

 

 

『……失礼致しました。以後は代わって私、セシル・クルーミーが説明させて頂きます』

 

 

 取り繕ったような笑顔でそう言ったセシルは、しかし次の瞬間には表情を引き締めた。

 実際、彼女が語った事態は非常に危険かつ緊急性の高い物だった。

 すなわち、海上に墜ちたグレート・ブリタニアに積まれているサクラダイト燃料の暴走である。

 

 

「暴走だと……!?」

『グレート・ブリタニアは我がブリタニア軍が建造した最大の航空戦艦、その搭載燃料はサクラダイト……これまでの使用分を差し引いても、およそ300万ガロンはあります』

 

 

 それが不完全な形で破砕された艦体の中で暴走し、膨張している。

 300万ガロン……重さに換算すれば、1万トン以上だ。

 この量のサクラダイトが逃げ場無く熱を与え続けられればどうなるか、想像したくも無い。

 しかしそれは、現実に起こっていることなのだ。

 

 

 周囲十数キロが吹き飛ぶくらいならまだ良い、問題は二次被害だ。

 具体的に言えば、津波である。

 爆発の衝撃で海が揺れ、それによって引き起こされた波が陸地へと到達するのだ。

 この位置から行けば、エリア11……日本が危ない。

 

 

「止める方法は無いんですか?」

 

 

 スザクはセシルにそう聞いた、と言うより、彼には確信があった。

 ロイドの通信はシュナイゼルの許可を得て行われている物のはずだ、そしてあのシュナイゼルが無駄なことをするはずが無い。

 そして、再び……何故かズタボロのロイドが画面に顔を出した。

 

 

『そこで黒の騎士団に提案があるんだけどぉ。アレ、使えるかなぁ?』

「あれ……?」

『ゲフィオンディスターバーなら使えないよ』

『あはっ☆』

 

 

 ルルーシュが首を傾げた矢先、通信に割り込んできたラクシャータが答えた。

 どうもかなり不機嫌そうなのだが、その理由はわからない。

 ロイドが口調は変えず、しかし笑顔を消した理由と何か重なるのだろうか。

 

 

『ゲフィオンディスターバー。確かにアレをあの船に着ければ、サクラダイトの活動を抑えて爆発の規模を小さく出来るだろうね』

 

 

 ゲフィオンディスターバー、現在では黒の騎士団だけが持つ兵器だ。

 サクラダイトの活動を阻害し、それを活動源とする機器を停止状態に追い込むことが出来る。

 ただこれをグレート・ブリタニアに使うとなると、ややハードルが高い。

 

 

 まず艦に機材を積み込み、電源を確保し、人員を配置し、環境プログラムを入力し……と、複雑な作業工程を経る必要がある。

 正直1日2日は欲しい作業だ、1時間や2時間、ましてや10分や20分では終わらない。

 精密機械とは、「使いたい」と言われて「すぐに」と出せるものでは無いのだ。

 

 

『と言うわけで、無理だよ。大体今は、こっちだって何かと立て込んでるんだし……』

『そっかぁ……じゃあ、もうダメだねぇっ、あはは~』

『軽い!? ロイドさん、もうちょっと真剣に……!』

 

 

 画面の中で科学者達が騒がしい、が、打つ手が無いのは確かだった。

 すぐに使用できて、しかも小回りの効くゲフィオンディスターバーなどと言う都合の良い物が……。

 

 

「……あるよ」

 

 

 ……あった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞の愛機である月姫(カグヤ)は、世界で唯一ゲフィオンディスターバーを標準装備したナイトメアである。

 無骨な追加装甲の下に隠されたそれは月姫の切り札であり、エナジー残量に依存する部分はあるが、強化された分広範囲に効果を及ぼすことが出来る。

 

 

『ブリタニア軍、反ら……じゃない、同盟軍! 双方共に現海域から離脱してください!!』

『早く逃げないと、2000万プロトンの爆発に巻き込まれるよ!』

 

 

 アヴァロンと斑鳩、2隻の航空戦艦からセシルとラクシャータの声が響いているのが聞こえる。

 青鸞の眼下ではその声に応じてか、メタンハイドレートの残滓が残る海上を同盟軍艦艇が懸命に進んでいる姿が見えた。

 回収できる負傷者を敵味方を問わずに回収しているのは、喜ぶべきことのようにも思う。

 

 

「さて、と……」

 

 

 操縦桿を握り、青鸞が息を吐く。

 これから彼女はブリタニア側から提供されたデータを基に海上に墜ちたグレート・ブリタニアの中に突入し、機関ルームへ直行、ゲフィオンディスターバーの発動によってサクラダイトの活動を停止させる。

 作戦は単純だ、いくつかの問題をクリアさえすれば何の問題も無い。

 

 

『ブレイズルミナスか……』

 

 

 グレート・ブリタニア上空、隣の蜃気楼からルルーシュの憎々しげな声が聞こえた。

 確かにグレート・ブリタニアの周囲は未だに薄緑の障壁に覆われている、どうやらシステムが中途半端に生きているらしい。

 そのおかげで艦内への浸水が阻まれて浮いていてくれるのだから、痛し痒しの面はある。

 

 

 しかし、今はとにかくブレイズルミナスの壁を超えて中に入らなければならない。

 今の蜃気楼と月姫ではあの壁は抜けない、さてどうしたものかと思案していた時だ。

 2機の横を、太いビームが抜けていった。

 そのビームの色は知っている、青鸞は後方を振り向いた。

 

 

『…………』

 

 

 そこに、ランスロットがいた。

 フルバーストモードのヴァリスを構えた白騎士が、こちらを見下ろしている。

 デュアルアイの向こう側に兄の瞳を見た気がして、青鸞は息を詰めた。

 

 

 あの時、あの世界で、青鸞はスザクとも繋がりを持っていた。

 だから今はもう、スザクがああした理由を知っている。

 知っているが、それでも許すつもりは無かった。

 許さないことが、救いになると知っているから。

 

 

『青鸞!』

 

 

 代わりに、ルルーシュの声に応えて、行った。

 蜃気楼が絶対守護領域を円形に張り巡らせて、ランスロットが開けた穴が塞がるのを防いでいた。

 そこへ、青鸞は飛び込む。

 

 

『今だ、飛び込め……!』

 

 

 飛び込んだ。

 濃紺のナイトメアがブレイズルミナスの壁を越え、グレート・ブリタニアの内部へ入るのを確認し、ルルーシュは息を吐いた。

 だがすぐに表情を引き締め、絶対守護領域の維持に神経を集中することにした。

 

 

 サクラダイトの活動が停止すればブレイズルミナスも止まるはずだが、予備電源でもあれば面倒だ。

 だからなるべき維持したいのだが、蜃気楼のエナジーも心もとない。

 はたしてどこまで月姫の出口を確保できるか、ルルーシュの頬に一筋の汗が流れた。

 しかしその心配は、杞憂に終わることになる。

 

 

『悪いが……』

 

 

 月姫の直後にもう1機、蜃気楼の脇を擦り抜けた機体がいた。

 濃紺のカラーリングに大剣、コックピットから響く声は凜として透き通っている。

 

 

『私は、そんな悠長に構えるのは苦手でな』

 

 

 ルルーシュは苦笑した、姉の……ブレイズルミナスの発生装置を片っ端から破壊するコーネリアの姿にだ。

 そして、蜃気楼の解析システムがグレート・ブリタニアが発する熱量が減少し始めたことを感知したことに気付いた。

 青鸞がやってくれたのか、ルルーシュは安堵して顔を上げた。

 

 

「青鸞、良くやった」

 

 

 だからルルーシュは通信でそう呼びかけたのだが、返答が無かった。

 理由がわからず、ルルーシュが片眉を上げる。

 その間にもサクラダイトの反応値は下がり続けているが、それに応じて嫌な予感が拡大していった。

 

 

『青鸞?』

 

 

 そして当然、彼の声はちゃんと青鸞に届いていた。

 通信機の不具合でも電波状況が悪いわけでも無い、青鸞の下にまでルルーシュの声は届いている。

 ただ、青鸞が返事を返していないだけだ。

 

 

 機関ルームまでの道のりは、それほど難しい物では無かった。

 皇帝が開けた穴から侵入し、海水を避けつつ飛翔して侵入、ナイトメアサイズの通路が無い場所は力尽くで開け……それでも極めて短時間で、サクラダイトに熱を送り続ける機関ルームに到達した。

 この際、脚部やら何やらを失って機体が小さくなっていたことは幸いだった。

 もちろん、追加装甲についても同じだ。

 

 

『どうした青鸞、何かトラブルか? 返事を』

「……ゴメンね」

 

 

 そっと通信を切って、青鸞はルルーシュに謝った。

 謝る理由は、彼女がある気付きをルルーシュに教えなかったことだ。

 ナナリーの件で一定の安堵を得たためかどうかはわからないが、今回、彼は一つだけ詰めを誤った。

 それは、ここに青鸞を1人で行かせたことだ。

 

 

 青鸞はここに来て気付いたのだ、サクラダイトの熱暴走を止めるだけでは問題が解決しないことを。

 問題はサクラダイトの活動を停止し続けることで、それには月姫のエナジー残量では無理なのだ。

 今は胸部装甲に仕込まれたゲフィオンディスターバーの輝きがそれを抑えているが、いつまでもは続かない。

 必要なのは破壊だ、機関ルームを完全に破壊する火力だ。

 

 

「……月姫にはもう、武装は無いよね……」

 

 

 これまでの戦いで、月姫の武装は尽きてしまっている。

 あるものは一つだけだ、その事実に青鸞は笑みを浮かべた。

 良かった、と安堵する。

 右手でコマンドを打ち込みながら、心の底から安堵の表情を浮かべた。

 

 

 ――――自分が死なない身体で、本当に良かった。

 

 

 そんなことを思って、青鸞はあるシステムを起動させた。

 メインモニターにカウントダウンを表示させたそれは、月姫に積まれた最後の武装だ。

 すなわち、自爆装置である。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 僅かに時間を遡る。

 

 

「ちょっ……草壁中佐、無茶ですよ!」

「ええい、五月蝿い! この程度の傷、何とも無いわっ!!」

 

 

 中華連邦艦隊旗艦、大竜胆。

 ブリタニア軍との戦闘はすでに止まっているため、今は負傷者を収容する巨大病院船と化している。

 だがその中にあって、医療班の下士官の言うことをまるで聞かない男が1人いた。

 言うまでも無く、草壁中佐その人である。

 

 

 彼は上半身裸だった、だが肌の6割近くは包帯で覆われている。

 義手の付け根に巻かれた包帯にも血が滲んでいる所を見ると、どうやらかなり無茶をしたらしい。

 そして彼がいるのは医務室では無く、ナイトメアの格納庫だった。

 最もすでに敵の攻撃を受けて天井や正面の壁が崩れ落ち、半分廃墟のようになっている。

 しかしだからこそ、草壁と医療班の下士官を除く兵はすでに避難しているのだが。

 

 

「その怪我でナイトメアを動かすのは無理ですって! いやそれどころか、輸送機で移動するだけでも傷口が開いて危険です!」

「構わん! わしの身体のことなぞどうでも良い! 今はコイツが必要なのだ!」

 

 

 草壁の視線の先には、1機のナイトメアがあった。

 それは固定翼機とヘリの機能を併せ持つ可変型の垂直離着陸機に連結されていて、見るからに輸送を待っているように見えた。

 操縦自体は自動で行われる無人機のため、離陸の指示をナイトメアのコックピットから出すだけで飛べる航空機だ。

 

 

「ええい、貴様では話にならん! さっさとコイツであの小娘を……む!?」

 

 

 下士官の肩を掴んでどかそうとした所で、草壁は目を見開いた。

 何故なら独特の空気音が響き始め、輸送機が離陸を始めたからだ。

 両翼の上向いたプロペラが崩れた天井などに当たらないよう注意しながら飛ぶそれは、もちろん草壁が飛ばしているわけでは無い。

 

 

「なっ……誰だ!? 勝手に、止まれ! 止まらんか! これは命令だ!!」

「草壁中佐! 危険です、下がってください!」

「止まらんか、貴様ぁ――――ッ!」

 

 

 だが草壁の言葉など意にも介さず、輸送機は離陸していった。

 その懐にナイトメアを抱えたまま、ゆっくりと、しかし確実に。

 

 

「……草壁、私はあまりお前のことは好きでは無かった。が、それでもお前はアイツの心の拠り所にはなっていた……お前は、優しいな」

 

 

 そして輸送機に離陸を命じた主は、ナイトメアのコックピットの中にいた。

 額に赤い紋章を輝かせるその少女は、緑の髪を汗で頬を貼り付かせていた。

 どこか、疲れ切っているようにも見えた。

 

 

「まったく、現出地点の変更(しゅんかんいどう)は今の私でも辛いと言うのに……」

 

 

 だが苦笑を口元に浮かべて、彼女は操縦桿を前に倒した。

 目指すその先、沈み行く海上の艦へと向けて。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 不可解なことが起きた。

 青鸞はそう思った、今、彼女の頬には熱を孕んだ風が触れていた。

 外気だ、つまり青鸞はコックピットの外に出ているのである。

 

 

「え……?」

 

 

 ぽかん、とした表情を浮かべるのも無理は無い。

 彼女は月姫の自爆装置を起動させた、メインモニターには爆発までのカウントダウンが映し出されている。

 だが周囲は外だ、自爆装置の起動と同時にコックピットが開いたためだ。

 

 

 月姫は自爆装置の起動をシステムとして確認した後、コックピットを開いた。

 そして自ら膝をつき、青鸞が降りやすいようにと身を傾けた。

 全て自動で行われたことで、中にいた青鸞としては驚くしか無い。

 月姫にこんなプログラムがされていたなんて、知らなかったから。

 

 

「……ボクに……」

 

 

 この時脳裏に浮かんだのは、1人の少女だった。

 艶やかな黒髪に和装、穏やかさと悪戯っぽさを同居させた幼馴染。

 キョウトの姫。

 

 

「ボクに……ボクに逃げろって言うの? 月姫(カグヤ)……」

 

 

 神楽耶(カグヤ)

 己の名を関した機体を自分に与えた少女は、どんな想いでこのナイトメアを造らせたのだろう。

 分厚い追加装甲で覆い、何本もの刀を積み、ゲフィオンディスターバーを隠し、そして自爆装置の起動に際しての逃亡補助機能。

 その全ては、パイロットである少女を守るための物だ。

 

 

 しかし、それも意味が無いと青鸞は沈んだ。

 何故なら彼女の周囲には1万トンのサクラダイト、熱暴走こそ抑制したが、月姫の自爆と同時に大爆発を起こすだろう。

 想定よりも極めて小規模とは言え、正直、徒歩で逃げるのは無理だ。

 だから青鸞は、その場から動かなかった。

 

 

「はは……まぁ、大丈夫だよね。ボクは不死身だし……」

 

 

 ぶるっ、と身が震えるのは武者震いだと思うことにする。

 痛くないし怖くない、青鸞はそう思って息を吐いた。

 実際、他にどうしようも無いのだ。

 だから青鸞は潔く諦めて、その瞬間を待つことにした。

 せめて、他に犠牲が出ないことを祈りながら……。

 

 

『――――違うな、間違っているぞ――――』

 

 

 え? と顔を上げた次の瞬間だ。

 月姫が開けた侵入口とはちょうど反対側、機関ルームの壁が吹き飛ばされた。

 爆発が始まったのかと思ったが、違った。

 爆風から顔を守るように上げた腕、それを下ろした時、青鸞は目を見開いた。

 

 

 そこに現れたのは、1機のナイトメアだ。

 カラーリングは濃緑ではなく黒に近い濃紺で、頭部にある飾り角は一本、左肩に小さな日章旗のペイント、されに両腕のナックルガードは肘部分まで覆い盾のようにも見える。

 その機体のことを、青鸞は良く知っていた。

 おそらくは誰よりも知っていた、だってその機体は……。

 

 

「――――来い! この大馬鹿が!」

 

 

 コックピットが開いて中から1人の少女が出てきた、緑の髪の魔女C.C.だ。

 彼女は月姫の隣まで機体を走らせると、青鸞へと手を伸ばした。

 飛翔滑走翼の無いそのナイトメアは明らかに世代遅れの機体だが、ここから逃げる分には十分なようにも見えた。

 いや、十分だ。

 

 

「……無頼(ぶらい)……!」

 

 

 泣きそうですらある声で、青鸞はその機体の名を呼んだ。

 無頼、青鸞専用機。

 かつて日本の抵抗の象徴としてナリタの戦場を駆けたナイトメアが今、再び戦場に姿を現した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 コックピットの狭さ、小さなモニター、固い座席、乱雑な機器の配列、小さな操縦桿。

 その全てに懐かしさを感じながら、青鸞は無頼のコックピットの中に身を沈めた。

 ただし1人では無い、身を折るようにしたC.C.がいる、彼女は青鸞の膝の上に尻を乗せながら。

 

 

「急げ! 死ぬぞ!」

「わかってる!」

 

 

 まったく度し難い、青鸞は己に対して呆れにも似た感情を覚えていた。

 先程まで「さぁ死ぬか」と思っていたのに、助かるかもしれないと思った瞬間、それに縋って生き残ろうとする。

 本当に度し難い、が。

 

 

「私達は不死身かもしれんが、痛い物は痛いんだぞ……!」

「……だね!」

 

 

 痛いのは嫌だ、その感情に素直になるのは良いことだとも思う。

 そして青鸞は操縦桿を前に倒した、次の瞬間、無頼のランドスピナーが床を削りながら回転を始める。

 次いでやってくるGの感触は、妙な懐かしさを孕んでいた。

 それから、青鸞は後ろを見た。

 

 

 無頼には後方を見るためのモニターは無い、だから直接見ることは出来ない。

 だがそこには膝をついたままの月姫がいるはずで、青鸞はその姿を脳裏に描くことが出来た。

 お礼を言いたい心地になった、が、それを言葉にすることは出来なかった。

 C.C.が青鸞の胸を叩いて先を促したからで、そこからは一切振り向かなかった。

 ただ前へ、迷わず前へ。

 

 

「急げ!」

「うん!」

 

 

 月姫で開けた道を、無頼で駆け戻る。

 空を飛べないので不便はあるが、それでも慣れ親しんだ感触があった。

 通路にランドスピナーの痕をつけながら駆けるその姿は、自信に満ちているように見えた。

 その時、揺れと共に足場が傾いた。

 

 

「何!?」

「……沈み始めてるんだ!」

 

 

 青鸞の疑問にC.C.が応じる、C.C.は座席を片手で掴むようにしながら計器を操作した。

 狭いコックピットの中で互いに身動きが取れない中、側面モニターに艦の様子が映し出される。

 そこからは艦底で浸水が始まり、徐々に艦体が傾いている様子がわかった。

 沈没、そしてさらに危機が迫る。

 

 

 爆発だ。

 今度は青鸞にもわかった、機関ルームで月姫が自爆した衝撃だ。

 月姫が光の中に消える姿を幻視して、青鸞は操縦桿を前に……つまり、傾き始めた艦体を昇るような機動を取ったのだ。

 背後からオレンジの爆発が通路を押しのけるように走る、それから逃げるのだ。

 

 

「急げ急げ急げ、急げ!」

「わかってる!」

「急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ……急げ!」

「わかってる! 喋らないで集中できないでしょ!?」

「ああ悪かったよ! だから急げ!」

 

 

 言われなくとも、と青鸞は無頼を加速させた。

 オレンジの爆発が桜色の爆発に変わり始めたら危険信号だ、だからそうなる前に外に出なければ。

 

 

 直後、正面で桜色の爆煙の柱が走った。

 

 

 煙でなく炎だったらヤバかった、その煙を擦り抜けて前へ、上へと進む無頼。

 しかしコックピットの中では、2人の少女が真顔になっていた。

 次の瞬間、2人は表情を引き攣らせて。

 

 

「急げぇ――――っ!!」

「うわああああああああああああああああああああああぁぁぁっっ!?」

 

 

 もはや理性的な会話など出てこない、ひたすらに無頼を走らせるだけだ。

 落ちて来る天井や壁の破片を回避し、ランドスピナーで駆けられない所はスラッシュハーケンで登攀し、左右の回転数を微調整しながら幅の狭まった通路を駆け抜ける。

 どこか懐かしさすら覚えてしまうのは、何故だろうか。

 

 

 だがそもそもの距離は大したことが無い、それがせめてもの救いと思っていた。

 しかし、最後の最後まで神は試練を与える物らしい。

 側面、今度は通路だけでなく、通路ごと全ての壁が爆発と共に吹き飛んで来たのだ。

 オレンジと桜色が交じり合うその爆発色は、そしてほとんど垂直に近くなってきた艦体は、もはや時間が無いことを示している。

 

 

(やり過ごす時間は無い……!)

 

 

 止まれば死ぬ、後退なんてもっての他、ならば。

 

 

「行け!」

「……ッ、あああああああああああああぁぁぁっっ!!!!」

 

 

 行くしかない。

 降り注ぐ巨大な鉄の破片、機体を押し流そうとする爆発の奔流、警告音がやかましく耳朶を打つ。

 その中へ、青鸞は機体を突っ込ませた。

 

 

 床が崩れる、スラッシュハーケンを壁に刺して支えとし、爆風を利用して機体を半円に振るように前に進んだ。

 スラッシュハーケンを刺した壁が崩れて支えの機能を失えば、今度は壁に着地するように壁走りのような形で駆ける。

 だが遠心力は切れない、そのため一時的に天井を駆けるという意味のわからない状態になった。

 

 

「「――――――――ッ!!」」

 

 

 もはや何と叫んでいるのかわからない、だが最後に青鸞の無頼はある動きを見せた。

 右のランドスピナーが前に、左のランドスピナーが後ろへと進む。

 モニターに映る風景が横滑りになるその機動を、人は超信地旋回と呼ぶ。

 無頼には出来ないとされたこの機動、これが出来たことで青鸞は戦場へ出ることを許されたのだ。

 

 

 青鸞が覚えた、初めての高等技術(テクニック)

 機体を前に進ませながらターンさせ、降り注ぐ鉄塊と炎と煙を避けながら前へ出た。

 そしてその先に見える外の光、そこに誰かが待っているような気がして。

 だから、それを掴むように手を伸ばし――――。

 

 

 ――――グレート・ブリタニアが、桜色の爆発に飲み込まれた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その日、戦場……戦場だった場所に、夕暮れと同時に桜色の光が生まれた。

 爆風は暴風となって海を駆け抜けた後、逆に収縮するように中心へと渦を巻いて引き込まれた。

 前後に同時に揺れる海水は混乱したように飛沫を上げ、光が消えた痕には一瞬だが、海面を繰り抜いたかのようなお椀型のへこみが姿を現した。

 

 

 そして、雨が降る。

 サクラダイトと巨大艦の爆発で巻き上げられた大量の海水が、雨となって降り注いだのだ。

 晴れた夕暮れに降る雨、それは戦場を洗い流す鎮魂歌(レクイエム)のようにも見えた。

 そしてそれを、多くの人間が目撃したのだ。

 

 

 航空戦艦アヴァロンの艦橋から穏やかにそれを見る皇子、傍で苦笑する側近やほっと胸を撫で下ろしている科学者達、自分のナイトメアの中にいるパイロット達、射出されたコックピットの上で波に揺られるラウンズや騎士の面々。

 

 

 海上戦艦の岸に立つ中華連邦の司令官、海に墜ちた航空戦艦からの脱出艇の反体制派のメンバー、ブリタニア軍のゴムボートに拾われ、海域から離れる護衛小隊の者達。

 彼らは皆、一つの方向を向いていた。

 その方向には爆心地がある、そこにいただろう者の姿を彼らは探していた。

 

 

 だが、誰も現れなかった。

 いくら待っても、そこから誰も現れはしなかった。

 誰も……誰も。

 ――――誰も。

 




採用兵器:
RYUZENさま(ハーメルン)提案:自爆スイッチ(装置)。
ありがとうございます。


 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 今話をもって「抵抗のセイラン」のR2編、つまり本編は終了となります。
 でも、まだ終わりではありません。
 すでにお気づきかと思いますが、少なくとも大きな問題が1つ残っています。
 ですので、もう少しだけお付き合いくださいませ。


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R2編エピローグ:「キセキ ノ オワリ」

 ――――皇暦2019年・冬。

 太平洋上の戦いからすでに数ヶ月が経過し、世界は平穏を取り戻しかけていた。

 そしてこの時、世界で最も平穏な場所はどこかと問われれば、誰もがこう答えただろう。

 それは極東、神聖ブリタニア帝国領エリア11・トーキョーだと。

 

 

『エリア11代理総督、ユーフェミア様のお姿が見えました』

 

 

 良く晴れた、雪も降らない温かな気候のその日、多くの人々がその地に集まっていた。

 何万人と集まっているだろう人々は人種の差別無く並び、赤いロープの仕切りの中でブリタニア人も日本人も無く歓声を上げている。

 その視線の先にあるのは、地面の上に敷かれた赤絨毯の上を歩く1人の女性に向けられている。

 

 

 ヘリコプターのニュースキャスターが言った通り、エリア11代理総督ユーフェミアだ。

 姓を呼ばないのは、彼女がもはやブリタニア皇族の地位を失っているためだ。

 だが少女の顔には優しい笑顔があり、赤絨毯の両側から自分を呼ぶ人々にゆっくりと手を振っている。

 ウエディングドレスを思わせる純白のドレスは、ユーフェミアが歩く度にスカートを揺らし、太陽の光を反射して煌いていた。

 

 

『我々ブリタニア人とイレヴ……失礼致しました。ブリタニア人と日本人の哀しい擦れ違いから起こったナリタ殲滅戦から2年以上が経ち、今日、ようやくナリタ戦没者記念碑の落成式を迎えることが出来ました』

 

 

 そう、ユーフェミアを含む人々は今日、あのナリタの戦いで命を落とした人々の追悼のために集まっていたのだ。

 その中にはナリタで父を失い、母と2人で式典会場に来たシャーリーと言う少女もいるのだが……これは、また別の物語である。

 ナリタで死んだ多くの人間の遺族、その内の1つの側面だ。

 

 

 ナリタ連山、かつてそう呼ばれていた場所の麓にそれは建立された。

 さらに言えばブリタニア軍の本陣が置かれていた場所でもあり、周辺の山や森の中には未だに当時の爪痕が残されていた。

 兵器の残骸や地面の下に埋まった遺骨、あるいは崩れた山の斜面などがそれである。

 だが、あえてユーフェミアはその地を追悼の碑と式典の場所に選んだ。

 

 

『代理総督ユーフェミア様は65万のエリア統治軍の解体を宣言し、エリア11内の反体制派武装勢力との間に不動の信頼関係を構築されました。願わくば、ユーフェミア様の平和の祈りが過去の英霊達の魂を癒されんことを――――……』

 

 

 やがて、ユーフェミアは設置された壇の上に自らの身を置いた。

 その周囲には警備兵の姿は無い、せいぜい壇の傍らに純血派の護衛グループを置いていることぐらいだ。

 先頭にいる金髪の青年は、かつてナリタで戦ったキューエルと言う名の騎士だ。

 だが護衛としては乏しい、しかも他にも異常がある。

 

 

 兵がいない。

 ナイトメアはおろか軍用ヘリコプターや人々を規制する警備員すらいない、ユーフェミアが人々の威圧に繋がると言う理由で来させなかったのだ。

 普通ならテロの格好の的だ、だがユーフェミアに限ってそれはあり得ない。

 少女の両眼が、毒々しい赤い輝きを放っている限りは。

 

 

「……皆さん」

 

 

 だから人々に声を向けるユーフェミアの笑顔は晴れやかだ、幸福に包まれた少女のそれだ。

 争いの無い、差別の無い、人種も生まれも関係なく助け合う人々を前に、喜びを抑え切れていない、そんな様子だった。

 そしてそんなユーフェミアの言葉を、人々は皆安らかな顔で聞いている。

 

 

「今日は私のために……いいえ、ナリタで不幸にも亡くなられた方々のために集まって頂き、ありがとうございます。皆さんが哀しい過去と向き合い、そして今、共に手を取り合っている姿を見れば、この地で眠る多くの人も笑顔を見せてくれると思います」

 

 

 慰霊碑と呼ばずに記念碑と呼ぶのは、そう言う理由なのかもしれない。

 過去の犠牲を悼むだけで無く、未来への希望を訪れる人々に与え、そして平和な優しい世界を願えるように。

 記念碑全体のデザインも、そうした面を考慮したような造りになっていた。

 

 

 御影石やコンクリートで造られた白い広場の両側は12メートル程のアーチに囲まれ、アーチの中にはエリア11の行政区47とトーキョー政庁を象徴する48の柱がある。

 さらに2つのアーチの門にはそれぞれブリタニアと日本の名が刻まれていて、ユーフェミアの背後には戦没者の名前が刻まれた金色のオブジェがある。

 当然、そこには日本人・ブリタニア人の区別は無い。

 

 

「さぁ、祈りましょう……皆の、そして平和のために」

 

 

 そして、一分間の黙祷が始まる。

 黙祷をせずに突っ立っている者は誰もいない、全員がその場に立ち、顔を俯け目を閉じた。

 静かな時間、冬の風が式典会場を吹き抜けても誰も何も言わない。

 ユーフェミアを筆頭とした数万の人間が、今、想いを一つにしていた。

 

 

 これは、現代の奇跡だ。

 例えギアスによる仮初の世界だったとしても、ユーフェミアが本心から望んだことで無ければ実現しなかった世界だ。

 非戦、不平等、共助、友愛……この世の正の部分が詰まった、この奇跡の世界は生まれなかった。

 それが、ユーフェミアと言う少女が起こした奇跡なのだ。

 

 

「え……」

 

 

 声を上げたのは、誰だっただろう。

 黙祷が終わり人々が顔を上げた時、一つの光景がそこにあった。

 少女。

 少女が1人、増えていたのである。

 

 

 数万の人間の中にただ増えただけなら誰も気付かなかっただろう、だが少女は酷く目立つ場所にいた。

 ユーフェミアが歩いた赤絨毯、その中央に両足をつけていたのである。

 これに気付かない者はいないだろう、もちろん壇の上にいるユーフェミアも気付いた。

 だが彼女は、どこからともなく姿を見せた少女に親しげな笑みを浮かべて見せた。

 

 

「何者……ッ」

「おやめなさい!」

 

 

 だからユーフェミアは、慌てて自分の周囲を囲んだ純血派のメンバーを叱責した。

 正面で少女と向き合ったキューエルは叱責に身を竦めると、ユーフェミアを振り仰いだ。

 

 

「その方は私の友人です」

 

 

 肩のあたりで揺れる艶やかな黒髪、意思の強そうな黒い瞳、細身の身体を覆う濃紺の着物。

 その手に持つのは一本の軍刀、胸に抱くは契約の刻印。

 ユーフェミアは、その少女の名前を知っていた。

 

 

「青鸞……!」

 

 

 太平洋の戦いで行方知れずとなっていた少女の登場に、ユーフェミアは顔を綻ばせた。

 無事であったことも嬉しいが、彼女がナリタの追悼式典に来てくれたことも嬉しかったのだ。

 そう、彼女以上にこの場に相応しい人間はいない。

 だからユーフェミアは心の底から青鸞を歓迎した、その気持ちに一点の曇りも無かった。

 

 

 一方で青鸞は、ユーフェミアの後ろに広がる記念碑をじっと見渡していた。

 左から右に、ナリタの麓に築かれた美しい柱とアーチの集合体を見る。

 そして、視線を再び微笑むユーフェミアへと向けた。

 

 

「……綺麗なモニュメントだね」

「ええ、エリア11の皆さんのアイデアでデザインされたんです。落成式まで2年もかかってしまいましたが、ブリタニアの皆さんの寄付と日本人の皆さんの頑張りで、何とかここまでやってくることが出来ました」

「そう」

 

 

 青鸞は静かに頷いた、嘘偽りの無いユーフェミアの言葉に頷いた。

 ブリタニア人と日本人が手を取り合って完成させた追悼記念碑、まさに奇跡としか言いようが無い。

 殲滅戦を行ったブリタニアからの謝罪も無く、一方的に押し潰された日本人は賠償すら求めず、ただただ純粋な善意で築かれたモニュメント。

 白々しい程に、美しく輝かしい平和の象徴だ。

 

 

「ユーフェミア」

「はい」

 

 

 青鸞の呼びかけに、ユーフェミアは笑顔で頷く。

 人々が固唾を呑んで見守る中、対極の思想と生き方を持つ2人の少女が見つめ合っていた。

 ギアスの少女と、コードの少女。

 

 

「ユーフェミア、ボクは貴女を認めるよ。貴女の想いは本物で、貴女は心から優しい世界を望んで、そのために一心不乱に歩んで来たことを、ボクは認める」

「……はい」

 

 

 青鸞は今こそ認めた、ユーフェミアの純粋な想いを認めた。

 ユーフェミアには一点の不純も無い、私欲も無ければ嫌悪も憎悪も無い。

 ただ、本当に平和な世界を求めていた。

 心根の優しい、真っ白な皇女。

 

 

「ありがとうございます、青鸞。貴女にそう言って貰えると、本当に救われた心地です」

 

 

 真っ白な皇女が、青鸞へと手を差し伸べる。

 いつかのように、親しみを込めて。

 

 

「だから、これからは一緒に……手を取り合って、一緒に」

「……そうだね、だから」

 

 

 目を伏せて、青鸞はこれまでを思った。

 ユーフェミアと自分のこれまでを思い出して、そして想った。

 今まで一度も、日本人を自覚的に傷つけなかった皇女のことを想った。

 

 

 誰よりも優しく、愛を尊び、真っ直ぐで真っ白な皇女。

 もし人類が皆、彼女のような考え方をしていたなら、世界はまるで異なるものになっていただろう。

 しかし、世界はそうはならなかった。

 誰も彼もが優しい世界を望める程に、世界は優しくも美しくも無かった。

 ……だから、青鸞は。

 

 

「だからこそ、ボクは……」

「……………………俺は」

「ッ!」

 

 

 その時、ユーフェミアは誰かに肩を掴まれたと感じた。

 振り向けば、そこには純血派の制服を着込んだ1人の少年がいた。

 帽子を深く被っていて顔は見えないが、先程ユーフェミアを守るために散ったメンバーの1人だろう。

 そして帽子の唾の下、2つの瞳が赤い輝きを放っていることにユーフェミアは気付いた。

 少年が誰なのか、それと同時に。

 

 

「……ルルーシュ」

「キミに、『ギアスを忘れろ』と言う言葉を――――」

「どうして」

「――――プレゼントしよう」

 

 

 むしろ優しくすらある声音で告げられた言葉は、力をもってユーフェミアに届いた。

 赤の光が、ユーフェミアの瞳に飛び込む。

 その瞬間、ユーフェミアの中の方程式が書き換えられた。

 何かがカチリと嵌まる音と同時に、ユーフェミアは意識を失った。

 

 

 伸ばした手は、目の前の少年に対して伸ばされたのか、それとも彼女の求めた世界へか。

 それはわからない、確かなのは、もはや何もかもが失われたと言うことだ。

 倒れるユーフェミアを抱き留めながら、ルルーシュはそう思った。

 もうユーフェミアのギアスが発動することは無い、それが彼女にとってどれほどの絶望か、言うまでも無いだろう。

 

 

(それでも……)

 

 

 それでもルルーシュは、そんな彼女を見ていられなかった。

 彼女の本質を知っているが故に、ルルーシュは見ていられなかったのだ。

 頬にかかった髪を指先で撫でて、ルルーシュは目を伏せた。

 

 

 一方で、式典会場の人々の間には混乱が起こっていた。

 ユーフェミアのギアスの効力が失われ、ブリタニア人と日本人の間に再び亀裂が走ったのだ。

 罵り合いが殴り合いに変わり、さらなる騒乱へと拡大するのも時間の問題。

 キューエルら純血派も、兵もナイトメアが無い状況ではどうすることも出来ない。

 だがそこへ、秩序をもたらす声が響いた。

 

 

「うろたえるなッ!!」

 

 

 突如、軍勢が会場に雪崩れ込んできた。

 そこには旧統治軍で地位を得ていた者達がいる、ギルフォード、ダールトン、バトレー、ヴィレッタ、そして彼らの先頭には深紫の軍服を纏った女性がいた。

 ボリュームのある紫の髪に攻撃的な眼光、彼女……エリア11総督コーネリアは、剣型の銃を手に叫んだ。

 

 

「総督命令である、静まれ! この場でのこれ以上の騒乱は、エリア11総督コーネリア・リ・ブリタニアの名において許さぬ! これはブリタニア人・日本人を問わない、どうか私を信じて……この場を預けて欲しい!!」

 

 

 そんなコーネリアの声を背中に聞きながら、青鸞は歩を進めた。

 途中、キューエルと擦れ違った。

 互いに面識は無い、だからそのまま擦れ違うだけだ。

 その擦れ違いにどれだけの意味があるのか、それを知るのは歴史だけだ。

 

 

 青鸞は、壇上から降りたルルーシュの傍に行った。

 そこには気を失ったユーフェミアがいる、ギアスの力を失った少女がいる。

 青鸞はその場に膝をつくと、眠る少女の頬にそっと触れた。

 思想も、生き方も、何もかもが違う相手だった。

 けれど一つだけ、言わなければならないことがあった。

 

 

「ありがとう……おつかれさま」

 

 

 誰にも頼らず、独りきりで、トーキョー租界とゲットーの日本人を救おうとしてくれた、守ってくれた。

 それは、本当だった。

 お礼を言いたかった、ありがとうと。

 独りで頑張ってくれて、ありがとうと。

 

 

 そして、お疲れ様、と。

 

 

 それだけは、言っておかなければならなかった。

 だって、そこには嘘は無かったから。

 嘘では、無かったから。

 

 

 ――――そして、奇跡の時間は終わる。

 





 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 今話をもちまして、「コードギアス―抵抗のセイラン―」本編は終了となります。
 2013年2月から2013年10月まで、およそ8ヶ月の連載でした。
 最後まで完結させることが出来たのは、皆様の応援と声援のおかげです。

 お気に入り登録してくれた方、感想を書いてくださった方、評価を頂けた方、アイデアを投稿して頂けた方、読んでくれた方……この作品は、そんな皆様のお力添えのおかげで完結させることが出来ました。
 本当にありがとうございます、皆様のおかげで最後まで描ききることが出来ました。

 この後、本編とはまるで関係の無いお遊び中編「R3編」がスタートします。
 これは4、5話程度の話になりますが、本編からすると驚くくらいあり得ないはっちゃけた設定になる予定です。
 痛みも哀しみも無い、楽しい笑顔の世界を描きたいです。
 それでは、毎度(?)恒例……。

 もうちょっとだけ、続くんじゃ。


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――After two years――

 もうちょっとだけ続くと、言ったでしょう?


 皇帝シャルルが没した太平洋の戦いから、2年が経過した。

 世界征服を企む悪逆非道な侵略者が倒れ、世界は何か変わっただろうか。

 答えは一つ、何も変わってなどいなかった。

 

 

 神聖ブリタニア皇帝ナナリー・ヴィ・ブリタニアの劇的な方針転換により、ブリタニアは各エリアの放棄を宣言、その中にはコーネリア・ヴィ・ブリタニアの統治するエリア11も含まれていた。

 これによりブリタニアの版図は新大陸にまで縮小し、各地で亡びた国が復興することになった。

 日本、ロシア、エジプト、南アフリカ……次々と独立を回復する諸国。

 だがブリタニアが内向きになったことで、それまで抑えられていた問題が噴出した。

 

 

 民族紛争である。

 日本はそれ程でも無かったが、ブリタニアから解放された国の多くは共通の敵を失い、数ヵ月後には内戦に突入していった。

 新帝ナナリーは過去のブリタニアにも責任があるとして、中華連邦やEUなどと協力しつつ各国に支援と仲介の手を差し伸べている。

 それでも、問題の完全な解決には10年単位の時間が必要だった。

 

 

 そこには戦争があり、紛争があり、差別があり、暴力があり、飢餓があり、貧困があった。

 太平洋上の戦いやそれ以前の戦いなど何の意味も無かったかのように、英雄達の命を賭した戦いも英霊達の死にも意味は無かったとでも言うように、8年前から今までの犠牲など何の関係も無いかのように、世界は何も変わらなかった。

 変わらないように、見えていた。

 

 

 だが、変わっている部分もあった。

 誰の目にも見えない、誰にも感じ取れない程の小さな変化だが、確かに。

 ――――世界は、変わっていたのだ。

 世界を変えようと言う、そう言う想いによって。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 皇暦2021年・春、西アジア。

 ユーラシア大陸西部の内陸部のどこか、山岳地帯と荒野地帯の間に小さな町がある。

 小さいが東西の交通の要衝にある町で、町と呼ぶには小さいが村と呼ぶには大きい、そんな町だ。

 

 

 だがその町は今、大火に襲われていた。

 家々に火が放たれ、町のいたる所で悲鳴と怒声が響いている。

 煌々と燃える炎が、荒野の夜を明るく染めている。

 理由は明白である、町中を闊歩する数機のナイトメアだ。

 

 

『異教徒を殺せ! 教えを守らぬ者共に死を!』

『教えを守らぬ者に死を!』

『『『教えを守らぬ者に死を!』』』

 

 

 型は旧式のグラスゴー、エリア解放と同時に撤退したブリタニア軍から横流しされたナイトメアが武装勢力に渡り国際問題化していたが、彼らもその口のようだった。

 5、6機のナイトメア、軽装備の警察や自警団しかいない町程度ではひとたまりも無かった。

 瞬く間に防備を破られ、機銃や爆弾で町を焼き払われる。

 

 

 彼らは「ヒルザバート殉教旅団」を名乗り、土着宗教の教えを守ることを町側に求めていた。

 戒律が厳しいことで有名な彼らは、国法よりも教えを優先することを強要したが町側に拒否され、ために制裁を加えているのだった。

 つまる所、虐殺である。

 略奪で無い所が肝要で、強盗も強姦もしない代わりに皆殺しと言うどうしようも無い集団だった。

 

 

『教えを守らぬ不信者共に死を、教えを守らぬ……む?』

 

 

 その時、1機のグラスゴーが動きを止めた。

 機体のファクトスフィアを輝かせて周囲を窺う、直後、そのグラスゴーは手にしていた機銃を横薙ぎに振るった。

 3階建ての建物を吹き飛ばし、煙を風に吹かれるままに放置する。

 するとどうだろう、崩れた建物の中に身を丸めている人影を見つけた。

 

 

「ひ、ひっ……!」

「お、おかぁさ……」

 

 

 母親らしき女性と、小さな女の子だった。

 服装は至って普通、ブラウスやワンピースだ。

 だがグラスゴーの操縦者にとっては許されざる服装だった、彼らの教えでは女性は肌を僅かでも見せてはならないとされているからだ。

 異教徒は人間では無い、人間を堕落させる悪魔の遣いなのだ。

 

 

『異教徒め……!』

 

 

 だから彼は僅かも迷わず、機銃をその2人へと向けた。

 母親が悲鳴を上げて娘を抱き締めても、操縦者はまるで意に介さない。

 むしろ悪魔の遣いが自分を惑わそうとしていると信じ、操縦桿を握る手を使命感で強くした。

 そしてやはり迷わず、機銃の引き金を引いた。

 

 

「……ッ!」

 

 

 母親が娘を抱き締めて目を閉じる、次に来るだろう死の衝撃に備えたのだ。

 事実、銃弾が幾度も金属を打つ甲高い音が立て続けに響いた。

 ……甲高い?

 不審に思い、母親は目を開けた。

 

 

「……え?」

 

 

 ――――そこに、蒼い天使がいた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 夜炎に映える濃紺の装甲、頭部に見える飾りの一本角、両腕のナックルガード。

 両手に長さの異なる長短の二剣――極東の島国に置いて「刀」と呼ばれている――を持ち、その背には無骨な濃紺の翼を背負っていた。

 グラスゴーに似ているが、グラスゴーでは無いナイトメアがそこにいた。

 

 

『き、貴様! 異教徒……ッ!?』

 

 

 最後まで言えなかった、何故なら言葉を発し始めた次の瞬間には蒼のナイトメアが目前にいたからだ。

 さらに次の瞬間には手足を斬り飛ばされ、小爆発を繰り返しながら倒れた。

 殺されかけた母と娘は、呆然とそれを見上げることしか出来ない。

 

 

 その時、蒼のナイトメアのコックピットが開いた。

 空気を抜くような音と共に背中の一部がせり上がり、蓋が開くようにスライドした。

 中から出てきたのは、母娘が想像していたものとはまるで違う存在だった。

 

 

「……遅くなってごめんなさい、怪我はありませんか?」

 

 

 聞こえてくるのは流暢なアラビア語だ、だが言葉を発したのはアラブ人では無い。

 肩のあたりで揺れる黒髪、意思の強そうな黒瞳、濃紺のパイロットスーツで覆った細い肢体。

 しなやかさと強さを感じさせるその少女は、明らかにアジア系だった。

 だが何故だろう、母娘はその少女に神々しさにも似た何かを感じた。

 自分達には無い何かを持っていると、そんなことを本能的に思ったのである。

 

 

『姉さん!』

「何、ロロ? 残敵の掃討と消火、救助作業は?」

『そこは問題ないよ、皆も頑張ってるし……でも』

 

 

 一方の少女は、至って普通に通信に応じていた。

 まるで家族からの電話に応じるかのような気軽さで通信に応じた彼女は、今度はブリタニア語を操っていた。

 しかし柔らかな表情も、通信先から来た言葉で引き攣ったような表情に変わった。

 

 

『アイツが来た!』

「げ」

 

 

 そして不意に風が吹いた、自然の風ではあり得ない煽るような風だった。

 原因は明らかだった、少女は風から身を守るようにしながら天を仰いだ。

 そこに、白騎士がいた。

 

 

 薄緑の翼を広げて空に浮かぶそのナイトメアには、以前には無かった物がある。

 左肩にぺイントされたオリーブ冠を巻いた地球儀のマークは、そのナイトメアがここ2年で新たに発足した国際組織の所属であることを示している。

 すなわち各国拠出の軍隊により構成される、国際平和維持軍(ピー・ケー・エフ)――――。

 

 

「――――青鸞!」

 

 

 少女と同じようにコックピットを開いて外に出たのは、やや色素の薄い茶髪の少年――いや、青年だった。

 ちなみに隣に深紫の重装甲KMFが浮いていて、開いたコックピットからピンクの髪の少女がヒラヒラと親しげに手を振って来ているのだが……まぁ、それはこの際無視するとしよう。

 とにもかくにも青年の存在を視界に納めて少女、青鸞は笑みを浮かべた。

 

 

「キミ達の行動は昨年合意されたトーキョー憲章に違反している! それに各国正規軍・平和維持軍に所属しないナイトメアの所持は違法だ、速やかに武装解除して投降してほしい。身の安全は僕が保障する!」

「いやもう本当、毎度毎度言うことに変化が無いと言うか……!」

 

 

 ここまで来ると本当に笑いしか出てこない、だから青鸞は行動した。

 ジャンプするようにシートに飛び乗り、コックピットを閉じてしまう。

 呆然としていた母娘に風を一陣送って、空へと飛翔する。

 

 

 白騎士と向かい合う頃には、彼女の周囲には見たことも無いような無数の航空戦仕様のナイトメアが集結していた。

 その中には見覚えのある金色のヴィンセントもあって、そして眼下の町の火はとっくに消されていた。

 人間業では無い素早い鎮火だ、だが青鸞達には不可能な速度では無い。

 彼女達の機体の左肩に刻まれた飛び立つ大鳥のような紋章が、その証明だった。

 

 

「さぁ、皆……逃げるよ!」

『うん、姉さん!』

『『『イエス・ユア・ホーリネス!』』』

 

 

 蒼の天使が白騎士と一合斬り結んだ直後、青鸞に従うナイトメア達が白いチャフスモークを展開した。

 白騎士に従っていた部隊はそれで混乱する程ヤワでは無かったが、何故か敵を全てロストしてしまった。

 まるで神隠しにであったかのように全てが消えてしまう、物理現象を無視したあり得ない事態だ。

 だが枢木青鸞のグループと関わると、こういうことは良くあることだった。

 

 

『……また逃げられた』

「そうだね」

 

 

 スモークが晴れた後、そこには誰もいなかった。

 眼下には鎮火した町、可及的速やかに治安を回復して負傷者を救助しなければばらない。

 まぁ、そもそも彼らはそのために来たのだが。

 

 

「でも、いつか捕まえて見せるよ……それがルールだから」

『……そう、好きにすれば良い』

「ああ、好きにするさ。それが僕のすべきこと……いや」

 

 

 コックピットの中で微笑んで、青年……スザクは、妹の消えた夜空を見上げていた。

 その瞳は、どこか優しさを孕んでいた。

 この世界のどこかで、饗団と言う家の母となった妹。

 目を閉じれば、饗団の子供達と笑う少女の声が聞こえてくるような気がした。

 

 

「それが、僕のやりたいことだからね」

 

 

 枢木スザクと枢木青鸞、同じ家に生まれながらまるで逆の人生を歩む兄妹。

 2人の間には多くの人間がいて、多くの運命があって、そして多くの関係があった。

 だが生涯、この2人の関係は「敵」と呼べるものであった。

 常に反対の陣営にいて、交わることも無く、互いを鏡にし続けた。

 

 

 しかしそれでも、確かなものもあった。

 それは、2人の関係はある一時から憎悪の一色で染められてしまったが、最後までそれだけだったかと言えば、一考の余地があっただろうと言うことだ。

 そしてそれは、今後数十年間続くことになる。

 

 

 ――――2人の兄妹の宿命は、まだ始まったばかりだった。




 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 そんなわけで、2年後の世界の一幕を描きました。
 世界はまるで何も変わっていませんが、それでも少しだけ良くなりました。
 良くなろうとしている、と言った方が正しいのかもしれませんね。

 何の救いにもなっていませんけど、そう言うことの積み重ねが大事なのでは無いかな、と、そんなメッセージを込めてみました。
 そしてスザクと青鸞の諍いで始まったこの物語は、やっぱりスザクと青鸞の今で締めるのが一番良いかな、と思いました。
 プロローグとエピローグ、さて、どこかに変化があったでしょうか。

 もし変化があったのなら、それがこの物語の全てです。
 ほんのそれだけのために、現実時間で8ヶ月を頑張りました……なんて。
 そんなことを、思ったりして。

 さて、次の更新からは噂の(?)R3編です。
 本編とはまるで何も関係ない中編、と言うより独自設定の短編集ですので、気楽に楽しんで頂ければな、と思います。
 それでは、またお会いしましょう。


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R3編プロローグ:「枢木神社の日常」

 ――――枢木神社。

 古来から続く古い神社であり、この地域の氏神を祭る氏社として周辺住民からも慕われている。

 まぁ現代人にありがちなことだが、今では由来も何も気にされないどこにでもある神社と言う認識だ。

 そんなどこにでもある神社の敷地内にある小さな屋敷、その部屋から、物語は始まりを告げる。

 

 

「青鸞、青鸞! 遅刻するよ!」

 

 

 畳と障子、純和風のその部屋は年頃の少女の部屋のようだった。

 桐箪笥や鏡台の上に置かれたぬいぐるみや化粧品、そして何よりハンガーで壁に吊るされた学校の制服がその証明だった。

 実際、部屋の真ん中に敷かれた布団の中には少女が1人いる。

 長い黒髪を大いに寝乱れさせた少女で、今はむずかるように「うーん」と唸っている。

 

 

 そしてもう1人、傍らで少女を呼び、揺り動かしている少年がいた。

 色素の薄い茶色の髪に琥珀の瞳、黒の詰襟の学生服の上に白の割烹着と言うおかしな格好の少年だ。

 彼は困ったような顔で少女を揺り動かしており、そしてとうとう我慢の限界が来たのか、布団の端を掴んだ。

 

 

「もう、しょうがない……青鸞っ!」

「ん~……?」

 

 

 ばさぁっ、と音を立てて布団が剥ぎ取られる。

 そこから現れた少女の姿に、少年は溜息を吐いた。

 何故なら布団の下から現れた少女は、その身に何も纏っていなかったからである。

 はっきり言えば、頭から爪先まで、何もかもが丸見えであった。

 一方で布団を剥がれた少女はと言えば、寒そうに身を丸めていた。

 

 

「ん~……寒い~……」

「そりゃぁそうだろうね、裸だからね」

「ん~、はだか……はだ……裸っ!?」

 

 

 飛び起きた、少年が呆れたような視線を向ける前で少女が面白いように慌てていた。

 まず両手を広げて自分の身体を確認し、顔を赤くして胸元を隠し、しかし下着すら無いことに気付いて足を折って下腹部を隠し、極めて危ない体勢で少年を……己の兄を睨んだ。

 

 

「スザク兄様!? 妹を剥くって……朝から妹を剥くって!?」

「良いから落ち着いて、青鸞。本当に遅刻するよ」

「遅刻!? ちょ、妹のは、裸見て遅刻って」

「妹の裸くらい、見たって何も思わないよ」

「はぁ!?」

 

 

 スザクと青鸞、枢木神社の息子と娘である。

 正月には神主見習いと巫女をするのだが、スザクの雅楽と青鸞の神楽はご近所では少しばかり有名だった。

 まぁ、今は酷く仲違いをしている様子だったが。

 

 

「ほら早く制服を着なよ。朝ご飯はもう出来てるから、えーと……下着は校則だと白限定だから、箪笥の2段目の右側のから選ぶんだよ」

「こ、子ども扱いしなっ、いや何でボクの下着の場所っ……だから割烹着はやめてって言ってるでしょ、ダサいから!」

「ええ? でもエプロンだと制服の腕に油とか跳ねちゃうし……あ、それより遅刻」

「その前に言うことがあるでしょ!?」

「え……?」

 

 

 プリプリ怒る妹を前にして、スザクは本気で首を傾げた。

 スザクからすれば、本当に学校に遅刻するので早く服を着てほしいと言うのが本音だった。

 裸については毎朝のことだし、子ども扱いについては高校生と中学生と言う関係上仕方ないし、下着の場所についてはスザクが洗濯して畳んでしまっているのだから知っていて当然だ。

 ……結論として。

 

 

「……制服、着たら?」

「あっ、兄様のバカァ――――ッ!!」

 

 

 どうして枕を投げられるのかわからない、そう思うスザクだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 あれから一通りの言い争いをして、髪を梳いて顔を洗って歯を磨いて制服を着て、さらに朝食を食べて……としていたら、本当にギリギリの時間になってしまった。

 枢木神社の朝は、大体がこんなドタバタ騒ぎである。

 基本的には娘が騒いでいるだけなのだが、それも微笑ましく思えてしまうのが中学生と言う年齢だった。

 

 

「青鸞――ッ、本当にもう出ないと!」

「わかってる!」

 

 

 中途半端に食べた朝食――食べずに出ることを兄が許してくれない――の食器を台所の水場に置いて、それから居間の棚の上に置いてある写真に顔を向けた。

 そこには青鸞に良く似た女性が映っていて、隣には若い頃の父と幼い兄がいて、そして腕の中には生まれたばかりの自分がいる。

 一枚しかない、枢木神社をバックに撮った家族全員が映った写真だ。

 

 

「行って来ます、母様!」

 

 

 今はもういない母にそう告げて、青鸞は鞄を片手に駆け出した。

 白い長袖のカッターシャツに桃色に近い薄紫のワンピーススカート、ワンピースと同じ色合いのソックスに濃い茶のパンプス、胸元に校章付きの赤いネクタイ……彼女が通う、アッシュフォード学園の制服だった。

 

 

「あっ、父様、行って来ます!」

「ん」

 

 

 途中、鳥居近くの社務所にいる父に声をかけた。

 神主の格好をしたその男はジロリと駆け抜けていく娘を目で追った後、手元の新聞へと視線を戻した。

 枢木ゲンブ、どことなく陰険そうな顔をしているが、真面目で優しい父親である。

 普段は神社の外に出ることは無く、こうして社務所の中にいたり敷地内を掃除していたりするのだ。

 

 

 そして鳥居を超えて、長い石階段を駆け下りて行く。

 山の上にある枢木神社の石階段はなかなか急だ、だが生まれた時から歩いている石階段、勝手知ったる何とやらで3段飛ばしで駆け下りて行く。

 青鸞はこの石階段から見る景色が好きだった、両側の森の木々の間から見える街並みが、まるで切り取られた自然の絵画のように綺麗だからだ。

 

 

「せいら――んっ!」

「わかってるってば――!」

 

 

 言って、青鸞は階段の下で待つ兄の下へ駆けた。

 スザクは自転車に乗っていた、石階段の下に置いてあって、登下校の際に使うのだ。

 ちなみに青鸞の分は無い、何故なら。

 

 

「ほら、早く乗って。今日はちょっと急がないと」

「兄様が朝ご飯食べろってしつこいからでしょ!」

「えぇ……」

 

 

 何故なら青鸞は後ろの荷台に乗るからだ、学生鞄を兄の鞄と一緒に荷籠に放り込んで、古い座布団が巻かれた荷台へと横座りに飛び乗る。

 がしゃん、と揺れるが、スザクはそれを何でも無いかのように受け止めて自転車を支えた。

 妹の重さくらい、彼にとっては大したことが無い。

 

 

「よっし、良いよ、兄様!」

「うん、じゃあ行こうか。……あ、でも」

「え?」

 

 

 ペダルに足を乗せて力を込め始めたスザクが、ふと何かに気付いたように後ろを振り向いた。

 そして手を後ろに伸ばし、青鸞の手を自分のお腹へと……つまり、青鸞を自分に抱きつかせるようにした。

 な、と青鸞が顔を赤らめさせるのをまるで気にもせずに。

 

 

「ちゃんと掴まっててくれないと、危ないから」

「あ、う……ぅん」

 

 

 いつも言ってるだろ、と言う兄に、青鸞は素直に頷いた。

 それから、頬を背中に押し付けるようにしながら、兄の身体に身をぴったりとくっつけた。

 僅かに頬が赤いのは、恥ずかしいからだろう。

 毎日これで登下校しているのだが、慣れる所か年を追うごとに恥ずかしく感じるようになってきたのだ。

 

 

 人はそれを、思春期とでも呼ぶのだろうか。

 年頃の少女なら誰もが感じる羞恥心だ、その意味では健全に育っていると言える。

 しかしとにかく今は、青鸞はスザクの身体に手を回していた。

 スザクは己のお腹の上で妹が手を重ねるのを確認すると、ふむと頷きペダルを踏み込んだ。

 それはもう、凄まじい勢いで。

 

 

「へ? ちょ、兄……」

「しっかり掴まってるんだよ」

「いや、え……わっ、ひゃあああああああああああああああぁぁぁっっ!?」

 

 

 最初の一漕ぎで「ギュゴォッ」と言うあり得ない音と共に前輪が持ち上がるのはどう言うわけだろう、青鸞は今度は羞恥も感じずに兄の身体にしがみ付きながらそう思った。

 なお、このご近所ではスザクの自転車の爆走音と青鸞の悲鳴がセットで聞こえてくるのが日課となっていた。

 「まぁ、枢木さんトコは今日も元気ねぇ」が、井戸端会議中のマダム達の口癖である。

 

 

 しかしこれが、枢木家の日常である。

 悲劇もドラマも何も無い、平和の中でつまらない悩みに悩むだけの日々。

 枢木青鸞、中学生。

 お母さんはいないけれど、父と兄と共に楽しい毎日を過ごしていた。

 

 

「あ、兄様あああああああああああああぁぁぁっっ!!」

「すぐ着くから」

「と、止まってお願いいいいいいいいいぃぃぃっっ!!」

「すぐ着くからー」

「もおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっっ!!」

 

 

 ……楽しい毎日を、過ごしていた。

 たぶん。

 これは、そんな物語。

 





 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 R3編スタートしました、基本的にこんな緩いノリのお話です。
 本編3話の中編と言うか、短編集みたいな形になるかなと思います。

 本編を読んだ後だと、違う点がありすぎてツッコミ所満載です。
 さて、本編キャラクター達はどんな形で出しましょうか。
 ……そもそも、出せるのでしょうか。

 一緒に面白がって頂けると、私も嬉しいです。
 それでは、また次回。


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CONTINUE1:「身体 測定」

予めご了承ください。
・本編とは関係ありません。
・キャラクター崩壊の可能性があります。
・混乱を避けるため読者投稿キャラは登場しません。
・お遊び要素が強く、整合性・常識を無視する場面があります。

以上のことにご注意頂いた上で、どうぞ。


 私立アッシュフォード学園は、日本でも珍しい大学付属型の中高一貫校だ。

 正式には私立アッシュフォード大学付属アッシュフォード中等教育学校と言い、高校と中学が一体化した6年制の学校となっている。

 大学まで含めると10年制の学校であり、その生徒数は合計すれば万に届くとも言われている。

 

 

 しかし最大の特徴は10年制教育では無く、学費の異常な安さと卒業後の進路である。

 学園のオーナーはブリタニア重工と言う企業であり、海の向こうに本社を置く国際的な多国籍企業だ。

 この学園の生徒の多くは卒業後、このブリタニア重工に入社しえ会社の発展に尽くすことになる。

 言うなればこの学園はブリタニア重工が将来の社員を生み出すための場所であり、学費が安いのはブリタニア重工の未来への投資とも言えた。

 

 

「おはようございまーす!」

「おはよー!」

「おはよう~」

 

 

 とは言え生徒達にとってはあまり関係の無い話のようで、のほほんとした朝の空気が流れていた。

 学園の正門前では生徒達が朝の挨拶を交わし合っている、多国籍企業がオーナーだけあって国際色豊かな所があるが、それでもどこにでもある学校の風景がそこにあった。

 そしてその正門前で朝の挨拶運動なる運動をしているのが、この学校の生徒会である。

 

 

「会長! おはようございまーすっ!」

「おはようございます、会長!」

「はいはい、おはよう~……ほらニーナ、いつまでも袖引っ張って無いでアンタも挨拶しなさいよ」

「で、でも……」

 

 

 会長と呼ばれているのは、輝く金髪が特徴的な美人だった。

 名前をミレイ、そして彼女の後ろに隠れている小柄な少女はニーナ。

 

 

「はいはい、おはよ~! って、あれ、皆さん俺のこと見えてます?」

「ちょっとルル! リヴァルばっかりやらせてないでルルもちゃんと参加してよ!」

 

 

 そして一番元気に(軽いとも言う)挨拶を繰り返しているのがリヴァルと言う少年で、校門の後ろで何やら騒いでいるオレンジの髪の少女がシャーリー。

 全員が生徒会のメンバーであって、世間で言う所の高校生だった。

 この学園では生徒会に立候補出来るのは4年生――つまり高校1年生――からなので、自然、高校生の集まりになってしまうのである。

 

 

 なお、シャーリーが叫んでいる先には1人の少年がいる。

 黒髪に紫水晶の瞳、人形細工のような白い肌と、絵に描いたような美少年だ。

 ただ彼は挨拶運動に参加するでも無く、校門の裏に座ってサボっている様子だった。

 彼の名はルルーシュ、一応、副会長の役を持っている男である。

 

 

「ねぇ、ルル!」

「……何だい、シャーリー」

「寝てたの!?」

 

 

 どうやら寝ていたらしい、胡乱げに目を開けるルルーシュにシャーリーは憤慨したように叫んだ。

 ルルーシュの特技は「起きているかのようにカッコ良く寝る」ことだと今思い出した、彼女は腰に手を当てると眉を上げて。

 

 

「もうっ、ちゃんとルルも挨拶運動に参加してよ」

「ちゃんと参加してるだろ、カレンのように保健委員の仕事に行くわけでも、ジノのようにサボるわけでも無く、スザクのように遅刻するわけでも無く……立派なものじゃないか」

「そう言うの、自分で言えちゃうんだ……」

「およ? 噂をすれば……おいルルーシュ、あれってスザクじゃないか?」

 

 

 眉の上に掌を置いて遠くを見ながら、不意にリヴァルがそんなことを言った。

 するとどうだろう、凄まじい勢いでこちらにやってくる自転車が見えるではないか。

 その上には当然噂のスザクがいる、相も変わらず化け物じみた脚力で自転車を壊しにかかっている。

 通りすがりの女生徒が黄色い声を上げるのは、彼もまた整った容姿の少年だからだろうか。

 

 

「ん……? アイツめ、また」

 

 

 それは本当に凄いスピードで、ルルーシュが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた次の瞬間には校門まで辿り着いていた。

 くどいようだが、本当にあり得ない音を立てて自転車が止まる。

 普通の自転車でマウンテンバイクのような横滑りのブレーキングが出来てしまうのだから、本当に恐ろしい。

 

 

「すみません! 遅くなりました!」

「本当に遅いぞ~スザク君。まぁ、家のこといろいろしなくちゃいけなくて大変なのはわかるから……」

「おい、スザク!」

「って、え? ルルーシュ?」

 

 

 したり顔で理解ある説教を始めたミレイだったが、いつの間にか横に来ていたルルーシュに驚いた顔を向けた。

 先程まで校門の裏でサボっていたはずだが、どういう風の吹き回しだろうか。

 そう思っていたのだが、次に飛び出した言葉で何もかも納得した。

 

 

「お前はまた……後ろを見てみろ!」

「え、後ろ?」

 

 

 ルルーシュに言われ、スザクは後ろを振り向いた。

 するとそこには通学路があり、スザクと同じ学生服姿の少年少女が登校してきている姿が見えた。

 しかしルルーシュが言っているのはそこでは無い、あえて言うならもっと近くの話だ。

 具体的には、スザクの背中に張り付いている物体……いや、人間だ。

 

 

「きゅ~……」

「可哀想に、青鸞が目を回しているじゃないか! お前の運動神経は異常なんだから、青鸞のような普通の女の子がついて行けるわけが無いだろう!」

「酷いな、異常だなんて。普通だよ、普通」

「普通の奴が自転車で時速50キロ出すわけが無いだろう!? 自覚しろ! そして妹をもっと大事にしろ!」

「ははは、ルルーシュは相変わらずシスコンだなぁ」

「笑っている場合か……!」

 

 

 ミレイ達はそれを生暖かい目で見守っていた、シスコンのルルーシュとそうでも無いスザクが言い争うのはこの学園では日常茶飯事である。

 そしてスザクの認識がいまいち甘く変化が無いと見たのか、ルルーシュは目を回している青鸞を抱えて自転車から降ろした。

 非力なので抱き抱えることは出来ないが、それでも抱くようにして支えることは出来た。

 

 

「青鸞、大丈夫か。具合が悪いなら保健室に……ああ、そうか今日は」

「うゆ~……だ、だいじょぶ、だいじょう……ひっ!?」

「……? どうした、やはりどこか」

「い、いやあの……だ、だいじょぶ、です、はい……」

 

 

 意識がはっきりしたのだろう、目を開けた青鸞はルルーシュの顔が間近にあることに気付くと、火がついたかのように顔を真っ赤に染めた。

 どうやら今の自分の体勢に気が付いたらしい、顔を赤くしてモゴモゴ言いながら俯いてしまった。

 そしてその様子ですらも、ハラハラしているらしいシャーリーを覗いて皆が生暖かく見守っているのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 はぅ~、と頬を撫でながら、青鸞は廊下を歩いていた。

 流石にもう熱は引いていたが、それでも羞恥心は残っている。

 ルルーシュとその妹とは10年来の付き合いだが、青鸞はルルーシュのことが少しだけ苦手だった。

 あの綺麗な顔を間近で見ると恥ずかしくて仕方が無い、すぐに顔が熱くなってしまう。

 

 

 他人から見るとそれは一つの事実を示しているのだが、この時、本人はそれに気付いていない。

 それはそれとして、青鸞は自分のクラスに向かっていた。

 道行く同級生達と朝の挨拶などを交わしながら、青鸞は教室の扉を潜った。

 すぐに親しい友人達の姿を認めて、青鸞は表情を明るくした。

 

 

「青鸞っ」

「わっ!」

 

 

 するとその時、1人の少女が青鸞に抱きついてきた。

 ハグと言うにはやや熱烈なそれは、しかし青鸞と同じ純日本人の少女によって行われたものだ。

 青鸞よりもずっと長い黒髪と大きな瞳の可愛らしい少女で、名前を。

 

 

「か、神楽耶、今日も元気一杯だね? おはよう」

「ええ、おはようございます、青鸞。青鸞は……ふむ」

「な、何?」

 

 

 すんすん、と鼻を鳴らす和風美少女。

 青鸞はそれにちょっと身構えてしまった、引いたわけでは無く、もしかして匂うのかと心配になったからだ。

 年頃の乙女らしい悩みと言えるが、神楽耶が気にしていたのは別のことらしかった。

 

 

「……殿方の汗の匂いがしますわね」

「え」

「お兄様ですか」

「何でわかるの!?」

「青鸞のことですもの、当然ですわ♪」

 

 

 予想の斜め上だった、と言うかどうしてわかるのだろう。

 そしてどこからともなく取り出したスプレーとウエットティッシュは何なのだろう、

 まぁ、流石に汗の匂いがすると言われれば放ってもおけないので、有難く受け取ることにするが。

 

 

「せ、青鸞、おはよう……」

「おはようございます、青鸞さん」

「……おはよう」

「あ、皆、おはよー」

 

 

 そこへさらに3人が加わって、青鸞が普段行動を共にするグループが揃った。

 大陸からの留学生であるシルバーブロンドの少女、天子。

 名前はちゃんと別にあるのだが何故か皆から「天子」と呼ばれている、かなり良い所のお嬢様らしく世間知らずだ。

 もう1人はアーニャ、常に携帯電話を手にしていて、声にも表情にも変化の無いピンクの髪の少女だ。

 

 

 そしてさらに1人、こちらは青鸞にとってもやや特殊だ。

 ナナリー、先ほど青鸞が苦手だと言ったルルーシュの妹である。

 つまり10年来の幼馴染でもあるのだが、ナナリーは足が悪く車椅子なので、神社に遊びに来る度にスザクがおんぶで石階段を上がっていたことを思い出す。

 ちなみに青鸞は、車椅子を持ち上げようとして押し潰されているルルーシュを手伝っていた。

 

 

「……あれ?」

 

 

 その時、青鸞はあることに気付いた。

 まず青鸞以外の4人が半袖短パンの体操着姿であること、次いで教室に男子がおらず他の女性が着替えている所だと言うこと、それらに気付いた青鸞は不思議そうに首を傾げた。

 

 

「一時限目って、体育だっけ?」

「え? 青鸞さん、今日は一日中身体測定ですよ?」

「……身体測定?」

「先週のホームルームで千葉先生が仰ってたはずですけど……忘れしまったんですか?」

「……記録、ある」

 

 

 ナナリーにそう指摘されて、青鸞は「あ」と声を作った。

 そうだった、今日は年に一度の身体測定の日だった。

 それに気付いて顔を顰める青鸞に、神楽耶は首を傾げて見せた。

 

 

「もしかして、体操着を忘れてしまったんですの? 元々の時間割では、今日は体育の日ではありませんものね」

「うん……」

 

 

 参ったなーと言う顔をする青鸞に、神楽耶はやれやれと肩を竦めた。

 

 

「仕方ないですわね、私の体操着を貸してあげます」

「え、神楽耶予備とか持って……って、何で脱ごうとしてるの!?」

「え? 大丈夫です青鸞、人肌で暖めてありますから……♪」

「ちょっと待って冷静に何が大丈夫なのか考えてよ」

 

 

 神楽耶の腕を押さえてどったんばったんする青鸞、騒がしいことこの上無かった。

 ただこれもいつものことなので、クラスの面々は誰も気にした風も無かった。

 しかし、純粋な天子だけが少しおろおろしながら。

 

 

「こ、購買に買いに行けば……」

「そうですね、それが一番良いと思います」

「……記録」

 

 

 天子の言葉にナナリーが頷く横で、アーニャが携帯電話で写真を撮っていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 多くの学校がそうであるように、アッシュフォードにも購買がある。

 ただ購買と言うには聊か規模が大きく、どちらかと言うとコンビニと言った方が正しいだろう。

 そして購買で働いているのは職員では無く外部の業者だ、コスト削減と言う世知辛い理由がそこにある。

 

 

「すみませ――ん!」

 

 

 朝のホームルームが始まるまであと幾許かと言うその時間、青鸞は購買を訪れていた。

 奥にいるだろう店員を呼んでいるのだが、なかなか出て来てくれない。

 またどうせサボっているのだろう、ここの店員はそう言う人物なのだ。

 

 

「すーみーまーせーん!」

「だぁ~、んな何回も呼ばなくてもわかってるってんだよ!」

「あ、玉城さん。やっと出てきた、お店の奥で煙草吸うのいい加減やめなよ」

「何でわかんだ!?」

「そりゃそれだけ煙草の匂いさせてればね……」

 

 

 出てきたのは顎鬚が特徴的な男だった、やさぐれたような猫背で、制服代わりの緑のエプロンが購買の店員であることを示している。

 彼の名は玉城、アッシュフォード学園一の問題児――子供では無いが――である。

 

 

「良いだろ別に、今日は杉山の奴が休みで忙しいんだよ」

「ふーん……まぁ良いや。それより、女子用の体操着欲しいんですけど」

「あん? 今日体育なのか?」

 

 

 発想が玉城さんと同レベルだ……青鸞は少しだけショックを受けた。

 しかしショックを受けていても始まらない、青鸞は今日が身体測定の日であることを告げた。

 玉城はふんふんと頷きながら聞いていたが、はたして自分の話を半分も聞いてくれているのか、青鸞には自信が無かった。

 

 

 そしてさらに青鸞が自信を無くしていく要因になっているのは、聞き人である玉城が徐々に静かになっていったからだ。

 腕を組み、何事かを考えている。

 過去の経験上、玉城が何かを考え込んでいる時は大体碌なことが起こらないのだ。

 

 

「あのー、玉城さ」

「あ、いたいた。おーい、青鸞!」

「へ?」

 

 

 嫌な予感に導かれるままに玉城に声をかけようとした所、逆に声をかけられてしまった。

 誰だと思って振り向けば、そこにはスザクがいた。

 手に持った何かを掲げて見せながら、笑顔でこちらに歩いてくる。

 

 

「兄様、挨拶運動は?」

「会長に頼んで抜けさせて貰ったんだ。それより、はいコレ」

 

 

 手に掲げていたそれをぽんっと受け取る、するとそれは見覚えのある薄桃の袋だった。

 まさかと思って中身を確認すれば、思った通りの物が入っていた。

 

 

「ボクの体操着だ……兄様が間違って持って行っちゃったの? あれ、でも朝は持ってなかったよね?」

「うん、家に取りに戻ったんだよ」

「取りに……って、うええぇっ!?」

 

 

 学校に着いてからまだ少ししか経っていない、なのにスザクはもう一往復したと言う。

 まさに化け物だ、どんな体力と脚力をしているのか。

 まぁそれでも、忘れ物をわざわざ取りに戻ってくれたことは有難い……と、そこで青鸞はあることに気付いた。

 

 

「……兄様、この体操着どこから?」

「え? 青鸞の部屋の箪笥から」

「やっぱり! 勝手に人の箪笥開けないでよ! 兄様デリカシー無さすぎ、妹でも女の子なんだから!」

「あ、あー……ごめんごめん、次から気をつけるよ」

 

 

 あははと笑いながらそう言う兄をジト目で睨む青鸞、この兄がそんなことを言うのはもう何度目だろうか。

 

 

「でも探したよ、青鸞。クラスにいないものだから、どこに行ったかと……」

「クラスにも行ったの!? やめてよ恥ずかしいー!」

「ええ? 何が恥ずかしいって……」

 

 

 きゃいのきゃいのと兄妹が言い争いながら――ほぼ妹が一方的に――購買から出て行く、しかしその後においても玉城は何かを考え込んでいた。

 ……彼が考えを終え、ぽむっと手を打った時には、すでにホームルームが始まっていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 格差、それは人間が生きていく上でどうしても直面する悲劇だ。

 口では平等だ一緒だと言ってみた所で、現実はそうでは無い。

 富める者がいれば貧しい者がいる、持つ者がいれば持たざる者がいる。

 そう、それは仕方の無いことなのだ。

 

 

「ナナリーちゃんの裏切り者ぉ――――ッ!!」

「え、えーと……」

 

 

 そして、ここに哀しい事実がある。

 学園の女子測定室、女性教諭や職員が女子生徒達の身体のサイズを測るための場所であるそこは、多くの生徒で賑わっていた。

 特に賑やかなのは車椅子の少女(ナナリー)の周辺だ、ナナリーは体操着の上を測定のために脱いでいる、薄い桃色の下着(ブラ)が可愛らしい。

 

 

 その目の前で床に手をつき叫んでいるのは青鸞だった、彼女もナナリーと同じく半裸姿で、こちらはフリルに彩られた白の下着を身に着けていた。

 血の涙を流さんばかりに項垂れている彼女に対して、ナナリーは困ったような笑みを浮かべている。

 しかし裏切り者呼ばわりされても傷ついていないあたり、どうやら悪い方向の話では無いようだった。

 ちなみに、話の内容はと言うと。

 

 

「トップとアンダーの差が12って……それもうBじゃん! あと一歩でワンランクアップじゃん! 去年までボクと同じランクだったはずなのに、いったいボクに黙って何してたの!?」

「いえ、あの……特には何も。でもほら、青鸞さんだって成長して」

「7.2センチじゃ、最下層からは脱却できないんだよ……!」

 

 

 切実な青鸞の叫び、ナナリーは困ったように笑うばかりだ。

 ちなみに何の話をしているのかについては、少女達の秘密である。

 

 

「こーら、そこー。列を乱さないの」

「あ、ミレイさん」

 

 

 助けが来たと表情を緩ませるナナリー、その視線の先にはミレイがいた。

 知人の登場に青鸞も顔を上げる、だがその顔はすぐに苦虫を噛み潰したような表情に変わった。

 何しろここに来て登場したミレイは、生徒会で……いや学園で最もグラマラスな女性だったからである。

 身も蓋も無い言い方をするなら、敵が増えただけである。

 

 

「なになに、何の話? お姉さんも混ぜてくれない?」

「きしゃー!」

「あん、どうして威嚇するのよー」

「もがっ」

 

 

 からかうように抱き締められて、青鸞はミレイの胸に顔を埋めることになった。

 そのままわしわしと頭を撫でられながら抱き締められれば、あまりに柔らかさと温もりに抵抗する気力も失せてくると言うものだった。

 持たざる者が持てる者に勝てるはずが無い、これもまた世の慣わしだった。

 ちーん、と大人しくなった青鸞に苦笑しながら、ミレイは言う。

 

 

「まったく、良い、アンタ達。世の中には上には上がいるものよ、私はほら、胸とお尻が大きめだからむしろスタイルって意味ではそれ程では無いのよ?」

「こ、この柔らかさのさらに上が……!?」

「そうよ……アレを見なさい!!」

「!?」

 

 

 ミレイが指差した先には、オレンジの髪の少女がいた。

 どうやら測定を終えた直後だったのだろう、体操着の上を持った体勢でびっくりした視線を向けてきている。

 しかしミレイの視線に不純な何かを感じたのか、「な、何ですか!?」と警戒の声を上げながら胸元を隠した。

 

 

 だがそれでも、水泳で鍛えたしなやかな身体の魅力は聊かも損なわれなかった。

 細い手足は引き締まっていて、首や足首は細く、それでいて胸元や太腿の肉付きは十分、腰から下のラインなどは体操着越しでもわかる程に美しい。

 誰が見ても、完璧な造形美だった。

 

 

「わかったかしら、アレが本当の美と言うものよ。大きくなれば良いってわけじゃないの」

「シャーリーさんは綺麗な方ですから、少し妬けてしまいますね」

「……うう」

 

 

 ぺたぺたと自分の身体を触り落ち込む青鸞、言葉程には嫉妬していなさそうなナナリー。

 もし神様がいるのであれば、おそらく後者に味方するだろう。

 ……だから、成長に差が出るのだろうか。

 なお。

 

 

「あの……か、神楽耶、何してるの?」

「成長の記録ですわ♪」

 

 

 何故か女子測定室で堂々とカメラを回すと言う行為に及んでいる少女がいたのだが、撮っている相手が特定の少女と理解されているためか、誰からも注意されなかった。

 大丈夫だろうか、この学園は。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 一方で、当然のことだが男子達も身体測定である。

 女子連と同じように身体のサイズを計り、健康な発育状況にあるかを確認している。

 しかし、正直な所女子と違ってあまり面白いことは無い。

 唯一の例外があるとすれば、学園でも美形が集まっていると評判の生徒会メンバーだろうか。

 

 

「聞いてくれ、スザク。俺は常にナナリーの幸せを祈り、またナナリーが幸せな生活を送れるよう、心を砕いてきたつもりだ」

「知ってるよ、ルルーシュはナナリーのこととなると真剣そのものだからね」

「ああ、俺は真剣なんだ。だがその俺をもってしても、この問題に関しては苦戦を余儀なくされるだろう。そこで同じ兄としてお前の意見を参考にしたいんだが……」

「何だいもったいつけて、僕で良ければいつでも力を貸すよ。友達だろう、僕達は」

 

 

 身長測定の順番待ちの列の中、スザクはルルーシュに微笑みかけた。

 実際、彼ら2人は10年来の親友だ、お互いを掛け替えの無い友だと思っている。

 幼い頃にしていたような喧嘩はしなくなったが、知のルルーシュと勇のスザク、2人が組んで出来ないことなど何も無かった。

 それ程の仲だ、だからスザクは無条件でルルーシュに……。

 

 

「そうか、ではナナリーの測定結果を秘密裏かつ合法的に入手するために協力を」

「あ、もしもし青鸞? ナナリーはいるかい?」

「待て、スザク」

 

 

 がしっ、と携帯で電話をかけ始めたスザクの手を取って、ルルーシュは言った。

 

 

「どうしてこのタイミングで青鸞に電話をかけた? そしてナナリーに代わるよう促したのは何故だ?」

「いや、だって携帯を持っていないナナリーに繋ぐには青鸞を経由しないと」

「なるほど、合理的だ……って、そうでは無く」

 

 

 素直に理由を話すスザク、ルルーシュは携帯の通話を切るのを確認してから。

 

 

「スザク、俺は真剣だと言ったはずだ」

「ああ、僕も至って真剣だよ」

「そうか、お前も真剣になってくれているのか」

「うん、友達だからね」

 

 

 スザクの言葉に満足そうに頷くルルーシュ、それにスザクも力強く頷きを返した。

 繰り返すようだが、2人は固い絆で結ばれた親友同士である。

 未だかつて、2人で協力して出来なかったことなど無い程に。

 

 

「良し、ならばスザク。ナナリーの測定結果をナナリーに知られないように入手する方法を」

「あ、青鸞? 何度もごめん、実は」

「スザアアアアアアアアアアアアアアアアアアァクッッ!!」

 

 

 再び青鸞に電話をかけるスザクにルルーシュが絶叫した、周囲の奇異の視線は無視だ。

 ルルーシュはスザクに掴みかかった、スザクはされるがままになりながら、しかし視線はルルーシュと合わせようとしなかった。

 

 

「ルルーシュ……そう言うの、どうかと思うよ?」

「何故だ!? 俺はナナリーの幸せな生活のためにも、ナナリーの発育・健康状況を知る権利が……いや義務があるんだ!」

「本人に聞けば良いじゃないか」

「……10歳を過ぎたあたりから教えてくれなくなったんだ……」

 

 

 心の底から哀しそうに言うルルーシュに、スザクは溜息を吐いた。

 ナナリーくらいの年頃の少女なら、肉親と言えど羞恥を覚える頃だろう。

 だがどうやらルルーシュにはそのあたりがわからないらしい、難儀なことだとスザクは思う。

 ……この場合、スザクは己のことを棚に上げている。

 

 

「お前だって青鸞の健康状態が気になるだろう!?」

「それはそうだけど、本人の知らない所で勝手に調べるのはいけないことだよ」

「ええい、この石頭め!」

「それここで言う台詞!?」

 

 

 相も変わらず、ナナリーのこととなると思考が暴走するルルーシュである。

 スザク程では無いが、そのことを良く知っている友人であるリヴァルは呆れたような笑みを浮かべていた。

 そしてリヴァルの隣には、今朝いなかった生徒会のメンバーがいる。

 

 

 金髪碧眼、長身、美形と三拍子揃った美男子で、鍛えられていてかつマッチョでも無い完成された身体を持つ。

 ジノ・ヴァインベルグ、ルルーシュとスザクを除けば、この学校で最もモテる少年だ。

 ただ先の2人と違い、彼は進んで己の浮き名を広めているようだったが。

 

 

「何だい、副会長は妹君の身体のサイズを知りたいのかい?」

「らしいねぇ、いやはやルルーシュらしいと言うかシャーリーが聞いたら何と言うかって感じで」

「ふん、じゃあ今度ナナリーを夕食にでも」

「やめとけって、冗談でなくルルーシュに殺されるから」

 

 

 しかし、絶世の美少女であるナナリーの測定結果を欲しがる輩は実の兄だけでは無いだろう。

 他にも美少女揃いの学園だ、身も蓋も無い言い方をしてしまえば需要はあるわけだ。

 とは言え先に言った通り、場合によってはリアルに血を見ることになってしまうため、学園の生徒でそんなことをする人間はいない。

 一度覗き魔が出たことがあるが、その犯人の末路は……リヴァルは思い出すのをやめた。

 

 

「あ、ちなみに俺じゃないから」

「? おいリヴァル、誰に言ってるんだ?」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 午後に入り、身体測定の項目が反復横飛びなどの体力測定に映った頃、女子生徒の間で噂が立っていた。

 曰く、女子の身体測定結果が無くなった、と。

 測定を手伝う保健委員の生徒からの話と言うのが、この噂に信憑性を与えていた。

 

 

「ほ、本当なのかな、測定結果が無くなったって……」

「ど、どうかなー、噂だしねー……っと」

 

 

 不安げに首を傾げる天子に、青鸞が反復横飛びしながら応じる。

 実際、噂は噂だ。

 噂にしては女子達の騒ぎが大きいような気がするが、確認の方法も無い。

 なので、青鸞達としては大人しく測定を続けるしか無いわけである。

 

 

「本当だとすれば許せませんわね! 乙女の秘密を盗み見るだなんて……」

「……記録」

 

 

 自分のことは完全に棚に上げて、神楽耶がプリプリと怒っていた。

 ちなみに未だに手にはカメラがある、ただしこれは盗み見ているわけでは無いので、その意味では泥棒とは違う……のだろうか。

 そしてそんな神楽耶を、アーニャが携帯電話のカメラに収めていた。

 

 

 他の生徒達も、概ね青鸞達と同じような状態だった。

 教職員から中止の話でも来ない限り、生徒達は測定を続ける。

 まぁ、噂話まで止まるわけでは無いが。

 

 

「……でも、私達の測定結果なんて何に使うのでしょう?」

 

 

 ふとそんな疑問を口にするナナリー、彼女に対して他の面々が温かな視線を向けていた。

 まぁ、天子だけは「そうですね」と頷いていたが。

 

 

「ま、きっとただの噂だよ。うちの学園はセキュリティも凄いし」

 

 

 ちょうどその時、青鸞が反復横飛びを終えた。

 そしてそれを見計らったかのように、1人の上級生が声をかけてきた。

 

 

「それがねぇ、どうも本当らしいのよ」

「あ、ミレイさん」

 

 

 ミレイだった、どこか困ったような顔でそこに立っている。

 他の生徒会メンバーの姿は見えないが、はたしてどこに行ったのだろうか。

 というか、逆にどうしてミレイだけがここにいるのだろうか。

 ……実は暇なのだろうか?

 

 

「って、じゃあ測定結果盗まれたって本当なんですか!?」

「まぁ! いったい誰が私の青鸞の……皇家の権力で社会的に抹殺してやりましょうかしら」

 

 

 後ろから聞こえてくる声はともかく、青鸞はミレイの言葉に驚いた。

 噂は本当だったのか、女子の測定結果が盗まれた。

 アーニャは無表情のままだったが、天子とナナリーは意味がわからないなりに不安そうな顔をしていた。

 それだけ深刻な事態だった、その割にミレイの顔は暢気だったが。

 

 

「ちょ、大事じゃないですか! 何でそんな落ち着いていられるんですか!?」

「何でって、いや、まぁ……」

 

 

 噂話ならともかく、流石に自分の測定結果が盗まれたとなると冷静ではいられない。

 が、繰り返し言うがミレイは冷静だった、普段なら自分で陣頭指揮を執ってお祭り騒ぎにするだろうに。

 だが今回に限っては、ミレイは自分が完全に蚊帳の外に置かれていることを知っていた。

 というか、することが無かったのだ。

 

 

「……まぁ、良いんじゃない?」

「何でですか!?」

 

 

 その時、チャイムが鳴った。

 このチャイムは知っている、校内放送が始まる前兆だった。

 そして校内に響き渡ったのは、1人の少年の声だった――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 カレン・シュタットフェルトは引いていた、こんなことなら測定結果の紛失を報告なんてするんじゃ無かったとすら思っていた。

 保健委員である彼女が紛失に気付き、それを生徒会に伝えたのは当然の流れであると言える。

 だが不幸だったのは、最初に伝わった人間がルルーシュだと言うことだった。

 

 

「一応、俺から部活連に話は通したけど……なぁルルーシュ、測定結果が無くなったのって昼休みなんだろ? じゃあ、もう犯人は逃げちゃってるんじゃないか?」

 

 

 携帯電話片手にリヴァルが首を傾げている、彼らは生徒会室にいるのだが、それにしては雰囲気が緊迫しているように見えた。

 理由は、長テーブルを1人で占拠している少年にある。

 やたらに美形だが目がギラついているのでまったく目の保養にはならない、ましてテーブルに直接座ってチェスの駒をゴツゴツ音を立てながら盤に叩き付けていれば、余計にだ。

 

 

 ちなみにテーブルの隅にはニーナがいるが、彼女はパソコンを操作しているので会話には参加していない。

 ただ時折、ルルーシュのチェスの駒の動きを確認しては何かをパソコンに打ち込んでいた。

 それを見つつ、据わった眼差しでルルーシュはリヴァルに応じた。

 

 

「それは無い、学園の監視カメラにはそれらしい人影は映っていなかった。警備員含めて該当時間に学園の外に出た人間はいない。入った人間もだ」

「カメラって……学園に監視カメラいくつあると思ってんだよ」

「およそ450台だな、120の映像に分割して10倍速再生で全て確認した。間違いない」

 

 

 ルルーシュの言葉にカレンが密かに一歩を引いたことには、誰も気付かなかった。

 

 

「じゃあ、生徒の誰かかもしれないだろ。何百人いると思ってるんだよ」

「監視カメラを見たと言ったろう、大学から中等部までの生徒は13437名。その内女子生徒を容疑者から外したとして男子生徒は6599名、さらにその中で測定結果の保管場所付近のカメラで確認できたのは56名。そしてその中の49名がさらに別のカメラで前後の行動を確認できたがそれらしき物は持っていなかった。残った7名についてもすでにアリバイは友人知人職員その他から確認済み、よって生徒の犯行では無い。教師陣についても同様だ、そもそも彼らはその気になればデータベースからデータを引っ張れる、わざわざ紙媒体の測定結果を盗むメリットは無い」

 

 

 カレンは2歩引いたが、やはり誰も気付かなかった。

 

 

「な、何がお前をそこまでさせるんだ……」

「何が? 決まっているだろう!」

 

 

 ダンッ、とチェスの駒を盤に叩きつけて、ルルーシュは叫んだ。

 ギラリと目を輝かせるその様は、まさに悪魔か鬼のようだった。

 逆鱗に触れられた竜でも、ここまでは怒らないだろう。

 

 

「神聖にして不可侵なナナリーの身体測定結果を盗むだなどと……! そんなことが許されるはずが無い! 天が許そうともこの俺が許さん! 必ずや犯人を捕らえ、この世に生まれ落ちたことを後悔させてやる……!!」

「おーい、ナナリー以外の測定結果も盗まれてるってこと忘れんなよー?」

 

 

 相手を呪い殺しそうな程の低い声で唸るルルーシュの声と、どこか諦めたような暢気なリヴァルの声。

 ちなみにカレンはこれで3歩を引いたのだが、その時シャーリーにぶつかってしまった。

 ごめんなさいと謝るカレンに、シャーリーはいいよと言って許した。

 ルルーシュに仄かな想いを寄せる彼女だが、この時ばかりはカレンと同じ気持ちだったからだ。

 つまり、誰も彼もがルルーシュに引いていたのである。

 

 

「――――チェック・メイトだ」

 

 

 まぁ、当の本人はまるで気にせず、片手の指で通信機を弄びながら。

 白のキングを、黒のクイーンで蹴倒していた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「な、何だ何だ何だぁ!?」

 

 

 彼は慌てていた、、背中に大きな風呂敷を背負いながら慌てていた。

 ダダダダッと学園の敷地内を走り回るその姿は、まさに「泡をくった」と言う表現が正しいだろう。

 だがそもそも、彼は夜になってから逃げるつもりだったのだ。

 何しろ量が量である、昼間に持ち出すことが不可能であるということくらい、彼にもわかっていた。

 

 

 最初は興味本位だった、が、アッシュフォードの女子の測定結果ならその筋の人間に高く売れそうだということに思い至った。

 実際、彼の知り合いに真性のロリコンがいる、彼なら特定の生徒のデータを金を積んででも買おうとするだろう。

 誤解の無いよう言っておくが彼自身にはいやらしい気持ちは一切無い、ただお金儲けをしようとしているだけだ。

 

 

「いたぞ! こっちだ!」

「ラグビー部レギュラー、突撃ぃ――――ッ!!」

「な、何で俺が犯人だってわかるんだよぉ――――おッ!!」

 

 

 フル装備のラグビー部員達の突撃に背を向けて逃げる犯人、魂の叫びであった。

 ルルーシュが己の智謀の全てを使って彼を犯人だと特定した理由は、いくつかある。

 まず彼だけが監視カメラに映っていなかったこと、相互監視下にある職員と違いノーマークで自由に動けたこと、そして購買がお昼休みに限って誰もいなかったこと、そして何より。

 風呂敷の間から測定結果の紙が漏れ出ていることだ。

 

 

 わかっている人間もいるだろうから、もうあえて言ってしまうが。

 犯人は玉城である。

 彼はラグビー部に追い回され、馬術部に追い立てられ、科学部により隔離され、あとついでに水泳部のお色気攻撃に嵌められ、面白い程にどつぼに沈んでいった。

 この男、わかりやすすぎである。

 

 

「ぜぇ、ぜぇ……こ、ここには誰もいねぇみたいだな……」

 

 

 校舎と校舎の間の狭い場所に身を隠して、玉城は息をついていた。

 ちなみにかれこれ2時間は追い回されている、データで釣ろうとしたがまるでダメだった、この学園の男子生徒には欲が無いのかと玉城は思った。

 が、部活動の人間はルルーシュの「捕まえたら部費100倍」と言う言葉に目の色を変えていたので、十分に欲深だった。

 

 

「ここまで来たら、とにかく外に逃げてさっさと売るしかねぇな!」

「うーん、その根性は買うんだけどねぇ」

「だ、誰だ!?」

 

 

 不意に聞こえた声に下げていた腰を上げる玉城、すると視線の先に苦笑する美少年がいた。

 金髪碧眼に長身、軽そうな笑み、ジノ・ヴァインベルグがそこにいた。

 校内の有力者の登場に、玉城が警戒心を強める。

 しかし当のジノはと言うと、苦笑しながら上を指差した。

 

 

「こっちのことより上を見なよ、こわーいお兄さんが来るからさ」

「は? 上ったって何も……」

 

 

 しかし素直に上を見る男、それが玉城だった。

 そして彼は見た、上から落ちてくる色素の抜けたような茶髪の少年の姿を。

 彼は回転するように落ちてきて、そのままの威力の右足の爪先を玉城の顔面に打ち込むのだった。

 

 

「いや、やりすぎだろ」

 

 

 あまりにも危ない音が響いたので、ジノは呆れたようにそう言ったのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞達がそわそわしながら身体測定を終えた放課後、また新しい噂が校内に広がっていた。

 曰く、測定結果を盗んだ犯人が捕まったとのこと。

 何でも校門に救急車が来ていたらしいが、それについては直接見ていないので何とも言えない。

 ただミレイが言うには本当のことらしいので、青鸞はほっと胸を撫で下ろした。

 

 

「何か捕まったらしいね、犯人」

「ええ、そうですわね。うち系列の警察官から連絡がありましたわ」

「……あれ、警察に系列とかってあったかな……?」

 

 

 神楽耶の言葉に首を傾げつつ、青鸞は教室で他の皆と一緒に制服に着替えていた。

 体操着のまま帰宅させない所が、名門アッシュフォードらしい所だろう。

 カチカチと携帯電話を操作しつつ、青鸞は脱ぎ捨てた体操着を机の上に置いた。

 畳んでくれようとする天子に良いよ良いよよ答えて、青鸞は今来たメールの内容を確認した。

 

 

「兄様達、今日は遅いんだって。じゃあ、帰りどうしようかな……」

 

 

 やや不満そうにそう言う青鸞に、神楽耶が「なら」と手を打った。

 

 

「まぁ、それなら私の家の車で皆を送りますわ。いえ、何ならお泊りでも」

「あはは、でもボク達、着替えとかお泊りセットとか持ってきて無いから」

「え、ありますわよ? 青鸞のための部屋だって屋敷に用意してありますから」

 

 

 青鸞はスルーした、親友の目が何だか危ない気がした。

 だらだらと背中に嫌な汗が流れている気がするが、それはきっと気のせいだ。

 

 

「そういえば……」

 

 

 何だかんだで青鸞や皆の体操着を畳みながら、天子がふと首を傾げた。

 

 

「どうして青鸞は、自分のことを「ボク」って言うの? 日本だと男の子が使うものなんだよね」

「え、あー……まぁ、何となくかなぁ?」

 

 

 青鸞にとっては幼い頃からの一人称なので何の不思議も無いが、外国人の天子には不思議に思えたのだろう。

 まぁ確かに、自分のことをボク(僕)と言う女の子は少ないかもしれない。

 そんなことを思っていると、青鸞のことを危ない目で見ていた神楽耶が「あら」と首を傾げて。

 

 

 

「青鸞が自分のことを「ボク」と言うのは、お兄様の真似でしょう?」

 

 

 

 違うんですの? と首を傾げる神楽耶、ああーと頷く天子。

 一方の青鸞はと言えば、瞬時に顔を赤くしていた。

 かあああぁ……と、それはもう、火でも出るのではないかと言う程に真っ赤だった。

 あ、あ……と口を金魚のようにパクパクとさせた後、勢い込んで神楽耶の肩を掴んだ。

 

 

「あら、青鸞ったらそんな強引な」

「違うから! そ、そんな兄様の真似とか、そんなんじゃ、違うからね!?」

「私に言われましても……あ、綺麗に撮ってくださいましね?」

「……記録」

 

 

 パシャリ、アーニャが静かに携帯で写真を撮っていた。

 おそらく明日にはブログにされるのだろう、青鸞はますます慌てた。

 アーニャのブログがアッシュフォードでも見ている生徒が多いのだ、「兄の真似をして自分を「ボク」と呼ぶ妹」だなどと書かれた日には、もう翌日から不登校である。

 

 

 だから青鸞は言った、絶対に違うからと。

 だが誰も信じなかった、むしろ青鸞がいわゆるブラコン気味であることは、青鸞のグループで知らない者はいないのだ。

 毎日兄に起こしてもらい、兄の自転車で登校し、休み時間の度に兄とメールをし、一緒に帰れないと不満そうにする……そんな青鸞の姿を見ていれば、嫌でもそうなるだろう。

 

 

「違うからあぁ――――ッ!!」

 

 

 説得力の無い叫びが、教室に木霊した。

 ちなみに、学園一のシスコンとして君臨しているルルーシュはと言うと。

 

 

「ナナリー、やはりその測定結果は俺が保管を」

「ダメです♪」

 

 

 妹にダメだしを喰らっている所だった。

 アッシュフォード学園は、今日も平和である。

 




最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
今回は雰囲気の説明を込めて軽めのお話になりましたが、次回以降も基本的にこのテイストです。
誰も憎み合いませんし誰も敵になりません、皆でほわほわ笑いながら日常のイベントを過ごすと言う、それだけのお話です。

本編があまりにもシリアスで厳しかったので、皆が幸せに過ごせる話を描きたくて仕方がありませんでした。
……玉城さんは、犠牲となったのだ(え)

それでは、また次回。


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CONTINUE2:「水泳 大会」

 夏である。

 気温は連日30度を超え、場所と時間によっては40度もザラなこの季節、学生達も毎日の登下校でげっそりしている。

 例え教室の中が冷房の効いた快適空間であっても、日差しの強さは変わりようが無い。

 

 

 まぁ中には車で快適に登下校するお嬢様や、残像が見えそうな程の速度で自転車を爆走させる兄妹(爆走させているのは兄だが)、さらに学園の敷地内に住んでいる者など様々な生徒がいるが、基本的には条件は同じだった。

 要するに、やっぱり暑いのだ。

 

 

『と言うわけで、今年もアッシュフォード大水泳大会! 始めちゃうわよ――――っ!』

「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉっっ!!」」」」」

 

 

 アッシュフォードの指定水着姿のミレイが飛び込み台の上からマイクで叫ぶと、ちょっとした競技会が開けてしまうような広々としたプール施設に男子生徒達の怒号が響き渡った。

 もちろん彼らも学校指定の水着姿なのだが、男子生徒の水着などどこも一緒である。

 ちなみにこの施設は学園の敷地内にある最新設備だ、水泳部や水泳の授業をするためにしては明らかに過ぎた設備だった。

 

 

 全天型のドームで年中いつでも使え、50メートル級のプールも2つあり、1方には10メートルまでの飛び込み台が備えられている。

 加えて言えば観客席のように2階3階部分があり、4200人までの収容が可能だ。

 ドームとしては小型だが、学校のプールの枠は遥かに超えている。

 

 

「こうして見ると、ワールドクラスの企業経営の学校って凄いって、改めて思うよね」

「う、うん……」

「水泳部としては、嬉しいんだけどね……」

 

 

 飛び込み台の脇、「水泳大会実行委員会(生徒会)」と描かれたテントの下、水着姿のシャーリーとニーナがいた。

 パーカーを着込んだ2人は1000人規模のミレイファンの男子生徒達がプールサイドやプールの中からミレイに手を振っている様子を見ているのだが、正直ついていけていなかった。

 

 

 このプールの恩恵を受けている水泳部の人間であるシャーリーは本来そんなことを言ってはいけないのだろうが、暑いからと言ってこのテンションはついていけなかった。

 何しろ冬には温水プールになるので、他の学校が練習できない時期にも練習できて便利なのだ。

 ただこういうイベントの時には、少々考えてしまうのである……男子生徒の一部の視線が自分の胸元や足に向けられていることに気付いてしまえば、それも仕方ない。

 

 

「すみません、こちらからは生徒会と委員会の管轄になるので」

 

 

 ……が、渋面もパーカー&指定水着のルルーシュが男子生徒を追い散らしたことで、恥ずかしげな笑顔に変わった。

 急にクネクネし始めたシャーリーに変なものを見る目を向けながら、ニーナは手元のパソコンに目を落とした。

 彼女はプール施設の操作などを担当しているのだが、今は少し休憩しているようだ。

 

 

 具体的には、ブログを見ていた。

 そしてそのブログにアップされている画像の中には、彼女達生徒会の妹分達の姿があった。

 つまるところそれはアーニャのブログで、そして画像の中で楽しそうに日常を過ごしている少女達はと言えば……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 アッシュフォード学園には、俗に言う運動会のようなイベントは無い。

 イベント盛りだくさんのこの学園には珍しいことだが、代わりにこの水泳大会が催されている。

 中等~高等、つまり中学生から高校生の各クラスによる対抗戦である。

 まぁそうは言ってもあまり競争意欲のある学校では無いので、内容は極めて緩いものになっているが。

 

 

『優勝クラスには、生徒会からキッスのご褒美がありま――すっ♪』

「「「「「うおおおおおおおおおおおおっ!!」」」」」

 

 

 何かまたミレイさんが変なことを言ってる……と思ったのは、施設の壁際で体操座りをしている青鸞だった。

 当然のことだが、彼女もアッシュフォード指定の紺色の(スクール)水着に身を覆っている。

 胸元から腰までの白いラインが入っていて、左下に校章が入っているデザインの水着だ。

 

 

 青鸞の身体はお世辞にもグラマラスとは言えないが、代わりに均整が取れているのが個性だった。

 顔や身体、足の長さのバランスが非常に良く、柔らかさとしなやかさを同居させた細身の身体は健康的な魅力を放っていた。

 特に体操座りのために腕に抱えられた足、その柔らかそうな太腿から膝にかけての締まり具合などはたまらないと、カメラを回し続ける神楽耶などは内心で断言していた。

 

 

「……神楽耶、流石にそれは近すぎると思うんだけど」

「あ、あら、私としたことが……」

 

 

 おほほ、と上品に笑って誤魔化すのは神楽耶だ。

 だが青鸞は誤魔化されない、今の今まで神楽耶が自分の太腿に5センチの所までカメラを近づけていたことを知っているからだ。

 はたして自分はどうしてこの幼馴染と一緒にいるのだろう、そして5センチってそれほぼ肌色しか映っていないのでは無いだろうか。

 

 

 とは言え、神楽耶もまた類稀な美貌を持つ少女である。

 身体は青鸞よりもずっと小柄だが、絹のようにキメ細かな白い肌と烏の濡れ羽色の髪が映えていて、どこか近寄りがたささえ感じさせている。

 しかも手足は折れそうなくらいに細く、それでいて女性らしく柔らかそうで、同性であっても触ってみたいと思ってしまいそうな危険な魅力を放っていた。

 

 

「と言うか神楽耶ってカメラ係じゃ無かったっけ、ボクしか撮って無くない?」

「大丈夫です、これはプライベート用ですから」

「何が大丈夫なのかさっぱりわからないんだけど!?」

「……記録」

「そ、そうそう、これは大事な成長の記録ですわ! ただちょっと偏りがあるだけで!」

 

 

 どうしてアーニャと神楽耶でここまで説得力に差が出るんだろう、青鸞はそれが心の底から不思議でならなかった。

 ちなみにアーニャは青鸞ばかりを撮るということも無く、神楽耶や他のメンバーのこともきちんと携帯電話のカメラに収めている。

 

 

 アーニャの肢体は、神楽耶のように華奢なわけでも青鸞のようにしなやかなわけでも無いが、完成された美術品のような美しさがあった。

 普段から10キロランニングなどで鍛えているせいか全体の肉が締まっていて、柔肌の下には程よい弾力の筋肉があることがわかる。

 どちらかと言うとアスリート系だが、同時に女の子らしい柔らかさもある、そんな身体つきだった。

 

 

「はぁ……」

「青鸞さん、元気が無いようですけど……水泳は嫌いでしたか?」

「んーん、別に嫌いじゃないよ。泳ぐのは好き」

 

 

 声をかけてきたのはナナリーだった、天子にうんしょうんしょと車椅子を押されながらの登場である。

 ナナリーの車椅子はモーターで動くので押される必要は無いのだが、人が多い場所ではぶつかってしまうので、こうして誰かに押してもらうのだ。

 ちなみに天子とナナリーは水着を着ていない、前者は体調が優れず、後者は身体のためである。

 

 

「ただねー……」

 

 

 じっと視線を向ける先には、ミレイが飛び込み台の上でマイクパフォーマンスをしている50メートルプールがある。

 生徒達の群れでかなり見えにくいが、そこに誰がいるのかはわかった。

 特に今はミレイに熱を上げる男子生徒では無く、目当ての男子を見つけて黄色い声を上げている女子生徒達でプールサイドが埋まっていたからだ。

 

 

 そしてこの学園において、女子に黄色い声を上げられる男子生徒など数える程しかいない。

 まぁトップはジノだろう、何しろ彼は本当にモテるから。

 しかしジノを呼ぶ声に混じって聞こえる黄色い声こそが、青鸞の機嫌を急降下させている原因だった。

 

 

「「「きゃーっ、スザクくーんっ」」」

「……あんなデリカシー無しのどこが良いんだか」

「せ、青鸞さんってば」

「可愛いですわね♪」

 

 

 青鸞に関する話では何故か常に会話に混ざる、それが神楽耶と言う少女である。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 運動系のイベントとなると活躍する人物は限られてくる、変態的な生徒の多いアッシュフォードでもそれは例外では無い。

 対象の人物は年度によって変わるが、ここ数年その人物に変動は無かった。

 すなわち男子はスザクとジノ、女子はカレンとアーニャである。

 

 

「「「きゃあああっ、スザク君カッコ良い~~!」」」

「「「ジノ様ぁ~~ッッ!」」」

「あっはははは~……ってスザク、お前も手くらい振ってやれよ」

「僕は良いよ」

 

 

 男子総合でワン・ツーフィニッシュを決めたスザクとジノ、タイプの違う2人の美少年に女子生徒達が年上も年下も黄色い叫び声を上げていた。

 ただ軽い雰囲気で手を振り返したりするジノと違い、スザクは苦笑するばかりだ。

 どうやら、あまりそう言ったことには関心が無いのかもしれない。

 

 

 そして女子はと言えば、こちらもこちらで高等学年1位と中等学年1位を掻っ攫っていた。

 ただこちらは少し毛色が違う、豊満かつ引き締まった身体を窮屈そうに水着に押し込めたカレンにはミレイに負けず劣らずの勢いで男子生徒のファンクラブがついていた。

 一方でアーニャはと言えば、何故か年長組のお姉さま方に人気だった。

 

 

「……これは、記録しない」

「そうね、それが良いと思うわ」

 

 

 無表情ながら鬱陶しそうにしているアーニャに苦笑しつつ、カレンはポンポンとその頭を叩いた。

 ちなみにその際、アーニャはカレンの胸元と自分の胸を静かに見比べていた。

 しかしこうした面々の活躍の裏では、極端に運動の苦手な生徒と言うのも存在するものだ。

 例えば全校生徒から運動が出来ない――運動音痴というわけでは無く、体力が無いだけ――生徒、ルルーシュなどがそうだ。

 

 

「う、うーん……」

「もう、お兄様ったらしょうの無い人」

 

 

 しかし妹であるナナリーに膝枕で介抱されているあたり、競技中に溺れたことすらわざとでは無いかと思える。

 そうでなくとも、怪我の功名と言うものだろうか。

 シャーリーがどこか羨ましそうに指を咥えて見ているのが、何ともシュールである。

 

 

 そしてもう1人、そんな兄妹の様子をじっと見つめている少女がいる。

 青鸞だ、彼女はルルーシュの髪を優しく撫でているナナリーのことを見ていた。

 シャーリーのように羨ましそうと言うわけでは無いが、何となくつまらなそうではある。

 なお彼女も自分のレースで1位を取ったのだが、カレンやアーニャと言うスーパーウーマンがいることで全く目立っていなかった。

 

 

「……何だよ、デレデレしちゃってさ」

 

 

 そして青鸞の視線は、女子生徒に囲まれている己の兄へと向けられた。

 何やら対応に困っているような顔をしているが、青鸞の目から見ると――多少の偏見はあるにしても――悪い気はしていないように見える。

 それが気に入らないのか、それとも他の何かなのか、青鸞はどんどん不機嫌になっていっていた。

 

 

「ああ、拗ねている青鸞も可愛らしいですわ……」

「……記録」

 

 

 そしてブレない2人であった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 お昼休み、昼食である。

 生徒達は思い思いの場所でお弁当を広げているが、その中にあって青鸞のグループは特に目立っていた。

 何故ならば、お重で城砦が出来ているからだ。

 

 

「今日は皆で食べようと思って、家の者に言って作らせたんです」

「わ、私も、シェフにお願いしてみて」

「いや2人とも、ちょっと所じゃなくやりすぎだから」

 

 

 青鸞の目の前には、自前の小さなお弁当箱が一つ、そして神楽耶が持ってきた和食盛り合わせのお重が49段、さらに天子が用意した中華盛り合わせのお重が33段……幾重にも重ねられたそれは、まさに壁のように聳え立っていた。

 加減と言うものを知らないのだろうか、この2人は。

 

 

 当然だが青鸞と2人では食べきれない、ので、四隅最後の一角であるアーニャが無表情に、しかし凄まじい勢いで食べ物を口に入れている。

 アーニャ・アールストレイム、実はかなり食べる方だ。

 なお、当然だが食べる前にブログ用の写真を撮っている。

 

 

「……美味しい」

「そ、そう……あれ、そういえばナナリーちゃんは? あと神楽耶、ボク自分で食べるからいつまで待ったってあーんはしないからね」

「え?」

 

 

 心の底から「なんで?」と言う顔をする神楽耶は放っておいて。

 

 

「ナナリーはお兄さんと一緒に食べるって、お兄さんが放してくれないみたい」

「ふーん、どうせまたルルーシュくんがフルコース作って来たんでしょ」

 

 

 ルルーシュがナナリーに甘々なのは誰もが知っていることだ、朝夕はもちろん昼食ですら共にするのはそのためだ。

 そしてルルーシュのシスコンぶりに隠れて目立たないが、ナナリーも相当のブラコンである。

 でなければあの距離感はあり得ない、軽く唇を尖らせながら青鸞はそう思った。

 そして彼女の兄はと言えば……。

 

 

『レディースエーンドジェンルトメーンッ、さぁて始まりましたお昼の余興ッ! 10メートルの飛び込みに挑戦してくれるのはぁ、我ら生徒会の美男美女! 枢木スザクとシャーリー・フェネットだ――ッ!』

「「「シャーリーちゃ――んっ!」」」

「「「スザクく――んっ!」」」

 

 

 飛び込み台の上で、生徒会主催のミニイベントを行っている所だった。

 要するに超高校級の飛び込みを見せると言うわけだが、マイクを握るリヴァルは妙に調子が良かった。

 

 

『いやぁ、この距離で見ても2人とも良い身体してますねぇ。おまけに美男美女! もうこのまま付き合っちゃえば良いんじゃないの?』

「ちょ、リヴァル!? 妙なこと言わないでよ!」

『そーよリヴァル、大体シャーリーはルルーシュのことが』「わああああああああっ!? ちょ、ばっ、な、ななな何を言ってるんですかぁっ!?」

「あ、シャーリーあぶな……」

「へ? きゃああああああああああああああっ!?」

 

 

 何だか、実に楽しそうである。

 妹のことなど構いもせず、プールに落ちたシャーリーを慌てて助けに行ったりしている。

 別にルルーシュのようになれとは言わないが、もう少し妹のことを気にしてくれても良いだろうに。

 そんなことを思うわけだが、青鸞はそれを直接口にしたりはしない。

 

 

 だって、何か恥ずかしい上に悔しいし。

 なので青鸞としては、早々に兄と「じゃれる」機会が必要だったのだが。

 その機会は、思いのほか早く来た。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 水球と言うスポーツを知っているだろうか?

 わかりやすく言えば、7名1組のチームが相手のゴールにボールを入れて点を争う競技だ。

 極端に言えば、プールでやるハンドボールだ。

 

 

 高等部と中等部の男女別での試合、普通なら男子側が優位だろうが、この学園に限ってはそうはならない。

 何故なら身体能力的にも精神的にも、アッシュフォードの女子生徒は男子生徒を圧倒しかねないからだ。

 男子が情けないわけでは無い、女子がアクティブ過ぎるだけである。

 

 

「なぁスザク、一つ聞いても良いか?」

「何だい、ジノ」

 

 

 そして当然のように、超人的な身体能力を持つスザクとジノは男子生徒の代表になっていた。

 すでに水中に――水深2メートルの――いる中で、立ち泳ぎのような状態で普段と変わらず会話をするのは流石と言うべきか。

 しかし、当のジノはやや困惑したかのような表情を浮かべていた。

 

 

「……アレ、お前の妹だろ? 何であんな殺しそうな目でお前を見てるんだ?」

「いや、それはちょっと僕にもわからないかな……」

 

 

 ジノが怪訝そうな、そしてスザクが苦笑を向ける先に、青鸞がいた。

 青鸞はアレでスポーツが出来る方だ、もちろんスザク程では無いが、それでも中等部枠の女子代表を勝ち取れる程には運動神経は良い。

 伊達に毎朝、兄の爆走自転車から振り落とされていないわけでは無い。

 

 

 しかしそれはそれとして、スザクからすれば青鸞に睨まれる理由はわからない。

 まぁ幼い頃から何度となく喧嘩を吹っかけられてきた仲だ、今さら睨まれた所でどうとも思わない。

 むしろ年齢差のせいか性格のせいか、「可愛いなぁ」とすら思えるのである。

 あるいは、青鸞の隣で何やらげんなりしているカレンに後で謝っておこうか、とか。

 

 

『それでは、学園代表による水球勝負を始めさせて頂きたいと思います』

 

 

 ちょうどその時、ナナリーが開始の言葉を述べていた。

 その隣には当然の顔をしてルルーシュが立っている、だが妹に膝枕や「あーん」をされていた彼にはもはや誰も注目してなかった。

 シスコンも大変である。

 

 

 いや、それよりも水球である。

 競技のイメージは先ほど言った通りのものだが、それでもスザクやカレンなど人類の運動神経の範囲を限界突破している人材がゴロゴロいる中、並みの競技にはならないだろうと思われる。

 そして、ついにその時はやってきた。

 

 

『えっと、では…………こほん』

 

 

 小さく咳払いをするナナリーの顔は恥ずかしそうだ、開始の号令をかけるにしては様子が変である。

 誰もが首を傾げる中、彼女はニーナが持つマイクに口を近づけた。

 そして、可愛らしく一言。

 

 

『に……にゃあぁん♪』

「しねえええええええええええええええええええぇぇぇぇっ!!」

『あれ!? 青鸞さん!?』

 

 

 本来なら誰もを和ませただろうナナリーの声、しかしそこに被せるようにドスの聞いた少女の声が響いて台無しにしてしまった。

 ナナリー自身が「がびーん」とショックを受けて名前を呼んだ少女は、逆にナナリーのことなど全く気にせずにボールを全力投球した。

 パスをしたカレン、どこか投げやりである。

 

 

 水球ではまず攻撃側に30秒間の攻撃権が与えられる、この間の行動次第で伸びも縮みもするのだが、とにかくまずは女子側の攻撃である。

 最強の攻撃力――ソフトボール部で「紅蓮の右腕」と呼ばれている――を持つカレンを差し置いて投げたボールは、一直線にゴールを目指……さずに、スザクを狙っていた。

 明らかなビーンボールであるが、別にルール違反では無い。

 

 

「え?」

 

 

 ぽかん、とした表情を浮かべるスザクに笑みを浮かべる青鸞。

 勝った……何に勝ったのかはまるでわからないが、それでも青鸞は勝利を確信した。

 が、しかし。

 

 

「よっと!」

「へ?」

 

 

 しかしスザクは凄まじいスピードで放たれたボールを片手で止め、そして止めるだけでは飽き足らず腕の力だけで投げ返した。

 事も無げに行われたそれによって、投げた時の倍の速度でボールが返って来た。

 青鸞が驚愕で目を見開くのも、無理は無かった。

 

 

(そ、そんな馬鹿)にゃふっ!?」

 

 

 思考から声に繋がったのは、青鸞の顔面にボールが直撃したからである。

 「あ」と言葉を漏らしたのは、カレンだったかスザクだったか。

 ちなみにボール自体は上に跳ねて、それはアーニャが水上をジャンプすると言う神業で確保していた。

 

 

「何なのよ、もう……」

 

 

 ぷかー、と水面に浮かぶ青鸞の背中を見て、カレンは疲れたように溜息を吐いた。

 何だかがやがやと賑やかになるプールサイドに、カレンは改めてこの学園に馴染めない自分に気付くのだった。

 まぁ、はたから見れば彼女も立派なアッシュフォード生であるのだが。

 

 

「……なぁスザク、お前の妹って」

「言わないでくれるかい、ジノ……」

 

 

 どこか物珍しげな顔をするジノの横で、スザクはやはり苦笑を浮かべていた。

 あの妹は、昔から突っかかって来てはこんな調子だから。

 それは逆に言えば、兄であるスザクもこの対応を繰り返してきたと言うわけで。

 それはそれで、酷い話ではあった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 幼い頃、青鸞には友達がいなかった。

 神楽耶と言う幼馴染はいたものの、神社の娘と言う特殊な生まれのせいか、外で遊ぶと言うことが少なかった。

 だから青鸞にとって、遊び相手と言えばまず兄だった。

 

 

『ううぅ~、おにぃちゃあ~っ!』

『はいはい、仕方の無い奴だなー』

 

 

 今にして思うと、年上の兄にとっては鬱陶しかったろうなと思う。

 だけど、構って欲しかったのだ。

 母はいない、父は忙しい、年の近いお友達が少ないとなれば、もう青鸞にはスザクしかいなかった。

 だからスザクの後をついて回っては、自分でピンチに陥ってスザクに助けて貰うことを繰り返していた。

 

 

 そんな頃だった、ルルーシュとナナリーと言う外国人の子供が近くに越して来たのは。

 最初の頃はスザクとルルーシュが喧嘩していたようだが、それも次第に無くなってくると、兄妹ぐるみで良く遊ぶようになった。

 その中で青鸞が羨んだのは、ルルーシュのナナリーへの接し方だった。

 

 

『おにぃさま、ナナリーはお昼寝がしたいです』

『何? 仕方の無い奴だな。ほら、おいで』

 

 

 もう、ベロ甘だったのである。

 ルルーシュは常にナナリーを優先した――身体のこともあったのだろうが――それこそ、スザクが呆れるくらいにだ。

 それが、幼い青鸞には羨ましかった。

 

 

 中でも特に羨ましかったのは、境内の木陰でルルーシュがナナリーに膝枕をしていたことだ。

 ナナリーのお昼寝は決まって、その体勢だった。

 羨ましかった、そして今よりもずっと欲求に素直だった青鸞は、兄にねだったものだ。

 スザクの服の袖を引っ張って、自分も、とそうアピールした。

 

 

『ええ、嫌だよ』

『ぐす、なんでぇ?』

『何でって……恥ずかしいだろ。普通の奴はあんなことしないんだ』

『おいスザク、お前今、僕のことを変な奴だって言ったか?』

 

 

 そしてそこからルルーシュとスザクの喧嘩が始まってしまうので、結局、青鸞はスザクに膝枕をして貰えなかった。

 第一次の成長期を迎え、すでにお風呂もお布団もお部屋も別になっていたスザクだ、単純に恥ずかしいと言う気持ちの方が強かったのだろう。

 

 

 ただ、そのことが幼い頃の青鸞にとってしこりとして残っていたことは否めない。

 だがそれはあくまで小さな子供の頃の話で、年を重ねて行くごとに兄妹の立場は逆転していった。

 つまり兄が寛容に、妹が恥ずかしがり屋になっていったのである。

 

 

『おにぃちゃん』

『何だい、青鸞』

 

 

 あの頃から、もう10年近く……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 はっ、と気付いた時、青鸞はまず己の体勢に疑問を持った。

 何故か横向きに寝ている、背中に固さを感じるあたり布団では無いらしい。

 それから、頭に乗せられている冷えタオルに気付いて……。

 

 

「起きたかい?」

「…………っ」

 

 

 パクパクと口を開閉させた後、急激に顔を紅潮させていった。

 それは本当に林檎のように真っ赤だったが、窓から漏れる夕日ですでに赤く染まっていたせいか、傍で妹の顔を覗き込んでいたスザクにはわからなかった。

 ただ彼は、自分の膝に頭を乗せている妹に笑いかけると。

 

 

「気分はどう?」

「え、ぅ……えぅ!?」

「えぅ? って言うのはわからないけど……水泳大会はもう終わっちゃったよ、残念だったね」

「な、なぅっ、なん……っ」

 

 

 軽い呼吸困難に陥りそうな様子で、しかし兄の膝の上から動けずにいる青鸞。

 彼女はパーカーをかけられているが水着姿のままで、しかもスザクは制服のパンツを着ているものの上半身は裸のままだった。

 割れた腹筋がまさに目の前にあって、青鸞はますます顔を赤くして混乱した。

 

 

「ひ、ひざっ、ひざ!?」

「膝? ああ、これ? 良くわからないけど、ナナリーがそうしてあげてって言ってさ。自分がルルーシュを膝枕してるからって、どうして僕までって思ったんだけどね。あ、やっぱり嫌だった?」

「い……いぃ、嫌に決まってるでしょ!? か、固いし……あとちゃんと服着てよ、ダサい!」

 

 

 がばっ、とようやく身を起こして、青鸞はスザクから離れた。

 背中を向けたのは赤くなった顔を隠すためか、それとも単純に恥ずかしかったのだろう。

 事実、口元が微妙にニヤつきそうになっている。

 ただスザクには怒っているように見えたのか、彼はポリポリと頬を掻きつつ謝っていた。

 

 

「ごめんごめん、でもちょっと嬉しかったかな」

「な、なにがぁ?」

「ん?」

 

 

 うん、と頷いて。

 

 

「青鸞にお兄ちゃんって呼ばれるの、凄く久しぶりだったから」

「は? え……あ」

 

 

 青鸞の顔が、今度こそ紅潮した。

 そういえば起きる直前に昔の夢を見ていたような気がする、すると寝言か何かで言ってしまったのだろうか。

 だとすれば、死ぬほど恥ずかしい。

 と言うか、現在進行形で恥ずかしかった。

 

 

「あ、ぅ……うわああああああああああああぁぁんっ!!」

「青鸞っ!?」

 

 

 青鸞は走った、それはもう全速力で走った。

 そしてそのまま誰もいないプールサイドを風のように駆け抜けて、一息でプールに飛び込んだ。

 火照った身体を沈めるように冷水の中に飛び込み、身を丸めるようにして目を閉じる。

 ガボガボと口から空気を出しながら何かを言っているが、何を言っているかは本人以外にはわからなかった。

 

 

「……成長の記録、おいしいですわ♪」

「記録……」

 

 

 後日、撮られた映像とブログに上げられた画像で青鸞がマジギレすることになるのだが、それはまた別の話である。

 アッシュフォード学園は、今日も平和だった。

 

 

「ガボガガーボ――!(訳:はずかしぃよぉ――ッ!)」

「おーい、せいらーんっ!」

 

 

 一部、平和でない心境の者もいたが。

 




最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
もはやギアスでも何でもありませんが、お楽しみ頂けていれば幸いです。
しかしこのお遊び企画も次回とエピローグを残して終わり、つまり「抵抗のセイラン」も終わりと言うことになります。

いつまでも続けていたい反面、きっちり終わらせたいとも思います。
二次創作長編としては4本目になりますが、2月から今まで長かったような短かったような……うん。
それでは、最後までお楽しみくださいませ。


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CONTINUE3:「新たなる 物語へ」

なのはイノセント・モンスターハンター要素があります。
ご注意ください。


 ルルーシュの朝は、ナナリーとの朝食から始まる。

 ほんの数年前までは起こす所からスタートしていたのだが、10歳を過ぎたあたりから部屋に入れてもらえなくなったのだ。

 なおこの件について、ルルーシュは全く納得していない。

 

 

「……ふむ」

「お兄様、お姉様達はなんて?」

「元気でやっているそうだ。まぁ、あの連中が元気で無い所など想像も出来ないが……」

「それはようございましたね」

 

 

 窓から朝の陽光が漏れ入る食堂の中で、2人の兄妹がそんな会話をしていた。

 朝食の席であり、テーブルには彼ら兄妹の給仕である咲世子が作った料理の数々が並べられている。

 そして今は、咲世子が銀盆に乗せて持ってきたエアメールを読んでいる所だった。

 

 

 実はルルーシュとナナリーには年齢の離れた兄姉や弟妹が多くいて、彼ら彼女らはそれぞれ、両親が経営するブリタニア重工の役員になっていたり、ブリタニア重工が運営する他の国の学校に通っていたりするのだ。

 今頃は、世界のあちこちで……。

 

 

『うーん、シュナイゼル。この吸収合併は拙速すぎないかい?』

『いいえ兄上、今こそ欧州市場を切り崩す時。まずはフランスを……』

 

 

 長兄と次兄が、温和な顔をしながら他国の市場を牛耳る戦略を立てていたり。

 

 

『ユフィ! そのエアメールは誰から……はっ、まさかまたあの日本人か!?』

『きゃっ、もう、そんな口うるさいお姉さまは嫌いです!』

『なん……だと……!?』

『主ら、頼むからもう少し世間体を……』

 

 

 アッシュフォード北米本校で過ぎているだろう、次女と三女が、校長を任されている長女を困惑させていたり。

 

 

「そうですか、ユフィ姉様達も楽しそうですね」

「かもしれないな」

 

 

 ナナリーの優しい言葉に、ルルーシュもふっと笑う。

 やはりナナリーの存在はルルーシュの癒しだった、昔から個性がありすぎる兄妹に囲まれていたせいか、穏やかで優しいナナリーの存在は不可欠だった。

 例え……。

 

 

『くぉおおの程度の橋などぉ、我がブリタニア重工の技術を持ってすればぁ……とぅああああいしたものでは無ぁぁいぃっっ!!』

『本当に貧相な村ねぇ、むしろ発電所でも作った方が良くなぁい?』

『社長と社長夫人は、つまり橋梁や発電所を作ることでこの国の発展に尽くそうと仰られているのです!』

 

 

 例え、朝のニュースでどこぞの国で橋をかけるプロジェクトに参加表明している父親と母親、あとその言葉をプレス向けに必死に翻訳(意訳とも言う)している秘書のジェレミアの声が響き渡っていたとしてもだ。

 と言うか、濃すぎるだろうこの家庭。

 

 

「皆、幸せそうで嬉しいです」

「そうだな」

 

 

 ふっ、と笑うルルーシュは気付いていない。

 この異常なキャラクターの濃さを誇る家の中で、あくまで穏やかに笑いながら過ごしているナナリーこそ、実は家族の中で一番神経が太いのだと言うことに。

 妹に対して盲目過ぎる彼は、生涯気付くことが無かった。

 

 

「む、そうだナナリー。俺は今日少し遅くなるかもしれない」

「あ、はい」

「寂しいかもしれないが、俺にも事情がある。わかってほしい」

「はぁ」

 

 

 辛そうな表情でナナリーの手を握るルルーシュと、不思議そうな顔で首を傾げるナナリー。

 そのシュールな対比を目にした咲世子は、笑顔の仮面の下で吹き出しつつ、それを心のメモリアルに深く刻んだのだった。

 ちなみに、ナナリーが遅くなる理由を尋ねると、ルルーシュはこう言ったと言う。

 

 

「アルバイトだ」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「新しいゲーム?」

「はい、そうなんです!」

 

 

 ある日のアッシュフォード学園、休み時間にチョコ菓子を摘みながらの会話だ。

 特に何か学校行事があるわけでも無く、さらに言えば生徒会長であるミレイが何かしかイベントを作るわけでもなく、そんな平和で何の変哲も無い日のことである。

 その中で、神楽耶がグループのメンバーにあるゲームの話をしていた。

 

 

「皇コンツェルン傘下のゲームセンターで、今日から全国展開する最新体感型ゲームなのですわ。先日まで都心部のみの試験展開だったのですが、幸いにも好評だったので全国展開することになったのです」

「へぇ~……会社のこととかは良くわからないけど、面白いゲームには興味あるかも」

「そうでしょう!?」

「わっ」

 

 

 適当に相槌を打ったら、凄まじい喰いつきが来た。

 びっくりしてもたれかかっていた椅子からずり落ちそうになりながらも、青鸞はやたらに近い位置にある神楽耶の笑顔を見つめた。

 何だろう、光のエフェクトが飛び散りそうな笑顔である。

 

 

 なお、神楽耶は両手を丸めて青鸞に迫っているため、青鸞は椅子を45度の角度にまで傾けていて大変危険だった。

 傍で見ている天子などはハラハラしているし、アーニャはブログの足しにと携帯で写真を撮っている。

 この2人の絡みがアーニャのブログでは人気なので、カウンターを上げるためにもチャンスは逃せない。

 そんな中、ナナリーがゆったりと首を傾げながら。

 

 

「それで、それはどういったゲームなのですか?」

「え? ええ、そう言えば説明していませんでしたわね」

 

 

 青鸞から身を引いて、神楽耶はナナリーの方を向いた。

 胸を撫で下ろして椅子を元の位置に戻す青鸞に苦笑しつつ、ナナリーは神楽耶に先を促した。

 しかしいざ説明をしようとした所で、神楽耶はふむと考え込んで。

 

 

「……ええと、どんなゲームだったかご存知ありません?」

「ボクらが知るわけが無いでしょ!?」

「…………」

 

 

 可愛らしく首を傾げる神楽耶に青鸞が衝撃を受ける、その顔をアーニャが静かに撮っていた。

 そこから5分程アーニャと青鸞の「消して」「消さない」の騒動を経て、神楽耶はぽんと手を叩いた。

 自分の家の会社のゲームくらい、と言うか話題に出すゲームの内容くらい知っておけと言う話だが、それを追及する人間はここにはいなかった。

 基本的に、人を責める人材がいないグループだった。

 

 

「では、放課後に皆で行きましょう♪」

 

 

 その意見に対しては、誰も特に反対はしなかった。

 どうやら今日の寄り道は、ゲームセンターになるらしい。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 公道をリムジンで走る経験をしたことがあるだろうか、あるとして、どのような心地だろうか。

 凝った内装や備え付けのドリンクとお菓子に歓声を上げる者もいるだろう、あるいは滅多にあるものでは無い高級車に優越感を持つ者もいるかもしれない。

 が、世の中なかなかそうはならないもので。

 

 

「神楽耶、キミの家の車には二度と乗らないからね」

「え、何故ですの!?」

 

 

 駅前に出来た真新しいゲームセンター(5階建て)の前で、青鸞がげんなりとしていた。

 だが彼女の言葉にショックを受けているのは神楽耶だけで、天子とナナリーは青鸞の言葉に頷いていた。

 そんな彼女達の後ろには黒塗りの細長い車、いわゆるリムジンと言う車が走り去っていく所だった。

 神楽耶が登下校に普段使っているものである、正気の沙汰とは思えなかった。

 

 

 何しろ、目立つ。

 信号で止まろうものなら人が集まり、人が降りてくる所ともなれば「何だ何だ」と視線を感じる。

 神楽耶が登下校する姿を見る時には特に何も思わなかったが、いざ自分が乗ってみると恥ずかしくて仕方が無かった。

 

 

「と、とにかく、お店の中に入りましょう、そうしましょう。ラクシャータ! ラクシャータはどこですの!?」

 

 

 取り繕ったような笑顔でゲームセンターの中に入る神楽耶、青鸞達は溜息を吐いてその後を追った。

 ちなみにグループの中で1人だけ、つまりアーニャだけがその場にいない。

 何でも外せない用事があるとのことで、青鸞達は口々にそのことを残念に思いながら、ゲームセンターの人ごみを掻き分けるようにして進んだ。

 ナナリーが車椅子なので、ややゆっくりとした足取りで進む。

 

 

「あ、青鸞、皆! こちらですわ!」

 

 

 神楽耶を追ってやってきたのは、1階の奥ばった場所にある広い空間だった。

 まず正面に大きなスクリーンとステージがあり、ポールとロープで仕切られた観戦ゾーンらしき物までがある。

 ただ一番目立っているのは、左右に備え付けられた卵型の大きな筐体だった。

 その内の一つに、神楽耶が褐色の肌の女性を連れて立っていた。

 

 

「紹介しますわ、こちらが我が社でゲーム開発を担当しております、ラクシャータ女史です」

「どーも、うちのお嬢様から話は良く聞いてるよ」

 

 

 インド系らしいその女性の名はラクシャータ、皇コンツェルンでゲームの開発を行っているらしい。

 初対面なので礼儀正しく自己紹介を済ませた後、ラクシャータは彼女が開発したと言うゲームの説明をしてくれた。

 

 

「このゲームはね、まぁわかりやすく言えば、ナイトメアって言うロボット兵器に乗ってモンスターと戦うってゲームさ。設定としては古代の恐竜がどーのこーのあるんだけど、そこは文系の考えることだから私は良く知らないけど」

 

 

 タイトルは「ナイトメア・ハンター」、太平洋上のある無人島で恐竜が生きていて、異常進化した姿で闊歩していると言う世界観である。

 プレイヤーは個人個人で異なるナイトメアを駆り、これらの恐竜を討伐する。

 コンセプトとしては非常に簡単だ、だがシステムは尋常では無い。

 

 

 何しろ卵型の筐体の中には最先端技術が詰め込まれている、360度スクリーンやプレイヤーの動きに即座に反応するゲームシステム、ハリウッドが採用する本格的な音響装置など、様々だ。

 それでいてプレイ料金は1回100円と言う低価格、だからこそ初日から多くの人々で賑わうのである。

 今も、ゲームの説明を受けている青鸞達の後ろで多くの客が今か今かとスタート時間を待っている。

 

 

「ま、細かい部分はやりながら覚えるのが良いさ」

「あ、はい……えーと、それでこれ、どうやって遊ぶんですか?」

「それはこれを使うんですわ♪」

 

 

 言って、神楽耶が2枚のカードを青鸞に渡した。

 1枚はどこにでもあるデータカード、要するにセーブデータを保存するための物だろう。

 もう1枚のカードは、濃紺のロボットが描かれたカードだった。

 NAMEと言う枠にはこう書かれている――――「月姫(カグヤ)」と。

 

 

「そのナイトメア・カードとセーブ・カードを中で筐体に刺して遊ぶんです、ナイトメア・カードに描かれている機体が青鸞のナイトメアですよ♪」

「ふぅん……でもこれ、本当はお金がいるんじゃないの?」

「初日特典ですから大丈夫です♪ あ、もちろんナナリーと天子にも……えーと、まずナナリーにはこれです、『マークネモ』!」

「ありがとうございます、でも私は……」

「大丈夫です、バリアフリーゲームですから!」

 

 

 どんなゲームだ、それは。

 などと思いつつ、青鸞は貰ったカードを掲げて見た。

 親友と同じ名前のナイトメア、何だか怪しいが、せっかく用意してくれたものだから良しとしよう。

 とは言え、前情報の無いままやるにしては難しそうなゲームではある。

 

 

「そこらへんは大丈夫さ、初日だからね、ショッププレイヤーがエキシビジョン的にチュートリアルに付き合ってくれるからさ」

「ショッププレイヤー?」

 

 

 そんな青鸞の不安を読み取ったのか、キセル片手に――客商売でそれは良いのか――ラクシャータがそんなことを言う。

 何でも各店舗に所属する公式プレイヤーがいて、初心者にチュートリアルをしたり、指導をしてくれたりするらしいのだ。

 10代のアルバイトが担当するらしく、子供でも気兼ねなく遊べるようにとの配慮なのだとか。

 そして、この店のショッププレイヤーと言うのが。

 

 

「私だよ、青鸞」

「え……えぇ――――ッ!?」

 

 

 意外な人物の登場に、青鸞は驚愕の声を上げた。

 そこにいたのはおそよゲームとは無縁そうな人物で、しかも青鸞の知り合いだった。

 すなわち、彼女はアッシュフォードの……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ナイトメア・ハンターの世界へようこそ、と言う文字がエフェクトとBGMと共に飛び込んで来た。

 ゲームの筐体は意外にもオートバイ式の物だった、大人用とのことだが、それにしても腕が疲れる形態だった。

 だがいざ360度をゲームのスクリーンに囲まれるとやはりワクワクしてしまって、そのあたりは青鸞もまだ子供と言うことなのだろう。

 

 

『青鸞、聞こえる?』

「わっ……うん、聞こえるよカレンさん」

 

 

 そしてショッププレイヤーとは、何とのカレンのことだった。

 何でも試験展開中からアルバイトをしていたらしいが、そんな話聞いたことも無かったので本当に驚いた。

 そして今、青鸞にゲームの進め方を通信……と言って良いのかは微妙だが、とにかく教えていた。

 

 

『とりあえず私がメインでステージ選択まで済ませたから、まずはゆっくり操作を試してみて』

「う、うん」

 

 

 オープニングが過ぎた後、青鸞は息を呑んだ。

 目の前に、巨大な山や森林が広がっていたからだ。

 日本の物とはまるで違う熱帯の山々と森、それが360度に広がっている。

 手を伸ばせば届きそうなその世界に、青鸞は飲み込まれたような気分になった。

 

 

「わ、と……?」

 

 

 不意に筐体が振動した、どうやら青鸞のナイトメア「月姫」の着地を再現したらしい。

 視点が高く、6メートルあるか無いかの視点で青鸞は世界を見ていた。

 ゲームの映像でありながらそうは思えない、美麗なCG世界だった。

 

 

 不意に、その世界に赤い色が加わる。

 青鸞、つまり月姫の正面に回ってきたそのナイトメアは「紅蓮」と表示されている、カレンのナイトメアだ。

 画面下のパートナー欄に映し出されたカレンに、青鸞は思っていたことを言った。

 

 

「カレンさん、何かこれ、いろいろボタンとかついててわかりにくいんだけど……」

『落ち着いて、そのボタンとかペダルは9割がた飾りだから』

「飾りなの!?」

『そりゃそうよ、ゲームなんだから』

 

 

 呆れたような顔をするカレン、彼女は意外と細やかに操作方法を教えてくれた。

 基本動作は操縦桿を模した両手のコントローラーで出来、近接攻撃、射撃、特殊兵装の3種の武器と防御、移動、ジャンプ、そしてスラッシュハーケンと言う武装を使った登攀移動。

 基本的には、それで操作説明は終わった。

 後は応用のみで、そのためのチュートリアル戦闘も行われた。

 

 

「お、おお……って、怖ぁっ!?」

『大丈夫よ、チュートリアルだから。基本操作さえ間違えなければ普通に勝てるから』

 

 

 ティラノサウルスを模した奇妙な恐竜が現れて、威嚇するように咆哮してきた。

 360度から凄まじい咆哮が響き、シートが振動し、気分を盛り上げるBGMが鳴り響いた。

 正面から突進してくるティラノ、だが青鸞はそれを左の操縦桿を下げることで回避する。

 動きが直線的で遅い、タイミングさえ間違えなければ問題なく避けられる。

 

 

『今!』

「うん!」

 

 

 近接攻撃、月姫に備えられている刀で擦れ違い様に斬る。

 妙に生々しいエフェクトと共に、大きな刀で斬られたティラノが呻き声を上げながら倒れる。

 斬りつける際に手にも振動が伝わってきて、まるで自分が本当に斬っているかのような印象を受けた。

 

 

『チュートリアル戦闘クリアおめでとう、後はもう数をこなすだけよ』

「ありがとう、カレンさん!」

『別に、バイトだしね』

 

 

 生々しいのは勘弁だが、正面画面に「Congratulation!」と表示されれば、それでもやはり嬉しい気持ちになった。

 所詮はゲーム、そんなに深く考える必要は無いのである。

 楽しんだ者勝ち、つまりはそう言うことだ。

 

 

 そしてその様子は、筐体の外の人々にもスクリーンを通じてリアルタイムで伝えられていた。

 誰もが巨大スクリーンに映るリアルな世界に圧倒され、臨場感溢れる戦闘に興奮し、叫び声のような歓声を上げていた。

 もちろん、ここにも1人。

 

 

「きゃあ~、素敵ですわ青鸞! やっぱり連れてきて正解でしたわね!」

「ああ……」

「そう言うこと、ですね」

 

 

 両手を可愛らしく握り締めてそう叫ぶ神楽耶に、天子とナナリーが苦笑いを浮かべている。

 2人にとってゲームセンターの喧騒は得意な物では無いが、それでも友人の活躍には嬉しそうに拍手していた。

 しかしその時、場の空気に怪訝な色が加わった。

 スクリーン中央に「CAUTION!」の文字が現れ、不意にBGMがおどろおどろしい物に変わったためだ。

 

 

『こぉんばぁんわぁ~♪』

「げ、ロイドかい」

 

 

 画面隅の枠内に新たに現れた男性の顔に向かって、ラクシャータは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 と言うのも、そこに映っていたのは彼女の同僚だったのである。

 あと1人、セシルと言う女性も含めた3人がこのゲームの開発を行っていて、3人は今、それぞれ別々の店舗で全国展開の作業を行っているのだ。

 

 

『あはぁ♪ 先に始めちゃうなんて酷いなぁ~、でもだーいじょーぶぅ! クエスト機能以外にももう一つ、このゲームには楽しい機能があるからぁ~!』

「ロイド! アンタ、こっちの邪魔してんじゃないよ!」

『ざぁんねぇんでしたぁ! ……もうやっ・ちゃっ・た♪』

「このプリン野郎!」

 

 

 吐き捨てるようにラクシャータ、どうやら随分と嫌っているらしい。

 が、当のロイドはまるで気にしていない様子だった。

 そして、さらなる変化がゲームの世界に訪れる。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 それは、白い騎士のようなナイトメアだった。

 白を基本色に金色の装飾がされていて、細いシャープなデザインの手足などが月姫や紅蓮などとはタイプの違うナイトメアであることを示している。

 空に開いた穴から降りて来たそれは、ゆっくりとした動作で着地した。

 

 

『出たね、白兜!』

「し、白兜?」

『うちの商売敵! そして今は、乱入対戦の時間ってわけ!』

「ら、乱入対戦?」

 

 

 青鸞は首を傾げていたが、意味は読んで字の如くである。

 要するに他のラインから別チームが入ってきて対戦をするという、そう言う物だ。

 設定上は、ハンター同士の利益の衝突と言うことになるのだろうか。

 どちらがこの近辺のモンスターを狩るか、それを決めるための戦いである。

 

 

 そして気が付けば、カレンの紅蓮が白騎士――ゲーム表示によれば「ランスロット」――と戦いを始めていた。

 形としてはカレンが一方的に突っかかって行ったと言う形だが、初心者の青鸞ではついていけもしないようなハイスピードの戦闘が行われている。

 外は随分と騒がしいことだろう、が、青鸞としては「さてどうしようか」と言う心地である。

 

 

「ふぇ? わ、わ、敵?」

 

 

 その時、青鸞……と言うより、月姫の側にナイトメアが降りて来た。

 ランスロットのパートナー機だろう、画面上では「モルドレット」と書かれている。

 赤黒いずんぐりとしたナイトメアで、エネミー表示されているそれに青鸞は身構えた。

 何はともあれ敵である、初心者とは言えそれくらいはわかる。

 と、思った矢先のことだった。

 

 

「へ?」

 

 

 赤黒いナイトメアが親しげに片手を上げていた、まるで「やぁ」とでも言うように。

 さらにそれに加えて画面にある表示がされた、そこには「フレンド登録申請」と書かれていた。

 いくら初心者でも意味はわかる、どうやら「お友達になってください」と言うことらしい。

 そして何より驚いたのは、フレンド申請の中で描かれていた相手プレイヤーの名前だった。

 

 

「アーニャ……って、もしかしてアーニャ!?」

『……うん、よろしく』

「いやよろしくじゃなくて、何でここにいるのー!?」

『……バイト』

 

 

 申請受理と同時に、画面の枠内に見知ったアーニャの顔が出てきた。

 つまり、ロイド側のお店のショッププレイヤーがアーニャだったのである、まさに驚愕の事実だった。

 神楽耶は知っていたのだろうか、いやよしんば知らなかったとしても。

 

 

「なら、さっき言ってくれれば良かったのに」

『……驚かせたかった』

 

 

 いや、確かに驚きはしたが。

 しかしそこでふと気付く、カレンに続いてのアーニャの登場。

 その事実に青鸞は疑念を覚えた、もしかしてもしかして?

 

 

「もしかして、あっちの白いのにもボクの知り合いが乗ってたりする?」

『……うん、スザク』

「ああ、やっぱり。もうこれ、ボクの知り合いしかいないんじゃ……って、誰だって?」

『……スザク』

 

 

 青鸞は息を吸った、上げそうになった声を飲み込んだ。

 今日はもう叫びすぎた、なので今回は抑えていこうと思った。

 カレンがいてアーニャが出て来た、今すらスザクが出てきたから何だと言うのだろう。

 そう、スザクがあのランスロットのプレイヤーだったからと言って。

 

 

「えええええええええええええええええぇぇぇぇっっ!?」

『……うるさい』

「いや驚くでしょうよ! 何で兄様がそんなことしてるの!?」

『……青鸞もしてる』

「いや、そうかもしれないけど! そう言うことじゃなくて……!」

 

 

 その時ふと、青鸞は思った。

 スザクがゲームセンターでバイトしていたと言う話は初めて聞いたが、どうやらアーニャは知っていたらしい。

 同じお店でショッププレイヤーをしていたのだから当然だろう、そして考える。

 ……何だか、ちょっとだけ不満だと。

 

 

 自分の知らないスザクの一面を知っていて、しかもそれを自分に黙っていたアーニャ。

 別にそれで交友関係を見直すつもりは無いが、少しばかり面白くないと感じるのも無理は無かった。

 なので青鸞は十数秒程考え込んだ後、月姫に刀を持たせて。

 

 

「勝負!」

『……何で?』

「良いから、しょぉ――ぶっ!」

 

 

 アーニャが首を傾げている様子が容易に想像できるが、しかし青鸞は武装を下げなかった。

 正直全く勝てる気がしないが、それでもけじめは必要だと思った。

 まぁ、アーニャは少しも気にしていないようだったが。

 

 

 だがその時、さらなるエマージェンシーコールが起こった。

 4機のナイトメアに鳴り響いたそれにプレイヤー達が顔を上げると、空に何かが飛んでいるのが見えた。

 一言で言えば、それはドラゴンだった。

 巨大トカゲに羽根が生えていれば、それはもうドラゴンと言う以外に無いだろう。

 

 

 ――――ただし、それが全長25メートルを超える巨大なものでなければ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「はぁ、ロイドさんも無茶を言うなぁ……」

 

 

 筐体の中で自分のナイトメア「ランスロット」を操作しながら、スザクはぼやいていた。

 ライバル店舗――同じ会社で同じ地域だが――のプレイヤーであるカレンとは試験展開の時から幾度となく戦ってきた。

 今ではランキングの1位と6位である、なお1位はスザクだ。

 そのせいか妙に突っかかられて困る、外にまで持ち込まないのが救いではあるが。

 

 

 そもそも彼がこのバイトを始めたのは偶然である、道端を歩いていたらロイドに引っ張られたのだ。

 ほとんど拉致である、日曜日に1時間ゲームをしてくれるだけで良いというから付き合っているのだが、それはそれでお人好しと言えるのかもしれない。

 まぁ、それもこうして目の前に面倒なレア敵を配置されると若干緩むのだが。

 

 

『はぁ~いっ、この子を先に倒した方が勝ちのイベントレースだよ~!』

 

 

 いつか殴ろうと思うのは、自分が未熟者だからなのか。

 その時、パートナーであるアーニャが声をかけてきた。

 カレンのパートナーを前に何もしていないので、何かあったのかと思っていた所だ。

 

 

『……スザク、青鸞がいた』

「え?」

『……月姫のプレイヤー、青鸞』

「え、ええぇ~~……?」

 

 

 流石に妹のように叫んだりはしないが、どこか困ったような表情を浮かべた。

 青鸞に、と言うか、アーニャ以外には内緒のアルバイトだったからだ。

 特に隠す必要はなかったのだが、面倒事になりそうなので黙っていたのだ。

 

 

 と、それより今はイベントクエストの方だ。

 そう思ってドラゴンの方を見ると、割合地表に近い場所を飛んでいた。

 森の木々が薙ぎ倒されるエフェクトと音響は素晴らしい、まるで本当にすぐ側で森が破壊されているかのようだ。

 ただ、まぁ不思議があるとすれば……何故かベテランプレイヤーであるはずのアーニャがドラゴンを攻撃もせず、逃げている所だろうか。

 

 

「アーニャ? 何してるんだい?」

『……青鸞と一緒』

「意味がわからないんだけど……」

『……逃げる』

 

 

 どうやら青鸞に合わせて逃げているらしい、別に合わせる必要は無いと思うのだが。

 しかしスザクの脳裏には、妹がきゃあきゃあ言いながら逃げている様子が鮮明に浮かんでいた。

 いずれにしろ、とにかくあのドラゴンを討伐しないと話が終わらない。

 

 

「カレン、とりあえずお互いのパートナーを助けよう」

『言われなくてもわかってるわよ』

 

 

 と、ランスロットと紅蓮がパートナー達の救援に向かおうとした時だ。

 彼らの筐体画面にさらなら乱入対戦の文字が映し出されたのだ、そしてその次の瞬間、空を紫色のレーザーが幾重にも疾走した。

 それは光のエフェクトを散らしながらもドラゴンを避け、青鸞達の周囲の身を切り裂いた。

 

 

「な、なになになに――――!?」

『……敵?』

 

 

 ぼんやりと答えてくれるアーニャはともかく、雨のように降って来るレーザーを避ける。

 何度も言うが彼女は初心者である、それにしては濃い内容の初陣だと言えるだろう。

 実際は、何をどうすることも出来ていないわけだが。

 

 

『ふふふふ……ふふはははははははははははははははっ!!』

 

 

 奇妙な笑い声が聞こえたと思った瞬間、その場にいる全員のナイトメアと外のモニターに1人の仮面が現れた。

 別にふざけたわけでは無い、本当に黒の仮面を被った何者かが姿を現したのである。

 その人物は高笑いを終えると、妙に気取った仕草で自分を示した。

 

 

『私は――――ゼロッ!』

「な、何かわかりやすい敵キャラが出てきた――――ッ!」

『何だと!?』

 

 

 率直に感想を告げた所、憤慨された。

 ドラゴンの側にそれはいた、黒と紫のカラーリングのナイトメア――――「蜃気楼」。

 両腕を広げるような体勢で浮遊しているそれは、どこか磔にされた聖人のように見えた。

 

 

『ふん……まぁ、良い。愚かなショッププレイヤー達よ、私は帰って来た!』

「どこから?」

 

 

 どこからかだろう。

 身も蓋も無いことを言ってしまえば、これはゲームセンター側の演出か何かだろうと思う。

 だってあまりにも突然で、その上あまりにもあからさまな悪役だった。

 

 

『モンスターを面白半分に狩る密猟者共め! 私はゼロ、力なき全てのモンスターを守る者だ!』

「何だかよくわからないけど……ねぇアーニャ、あの仮面さんってやっつけて良いの?」

『……良『良いとも!』……』

「良いんだ!?」

 

 

 アーニャの返答に被せで仮面の答えが来た、どうやら設定上、自分を倒せと言いたいらしい。

 何やら「敵対する者同士が共通の敵を前に手を組む、美しい……」とか言っているが、青鸞としては細かな設定は関係が無かった。

 ただ刀を構えて、他の面々と並んで蜃気楼とドラゴンに対峙する。

 

 

 まだ状況を理解できたとは言わない、だがこれはゲームだ。

 別に戦争をするわけでも、殺し合うわけでも、まして傷つけ合うわけでも無い。

 誰かが哀しむわけでもなければ、苦しい想いを強いられるわけでも無い。

 平和な日常の中で、そう、ちょっとしたスパイスを求めているだけのことだ。

 

 

『さぁ来い、ショッププレイヤー達よ……見事この私を倒し、この世』

「ごちゃごちゃうるさいけど、突撃――っ!」

『うおっ!? 待て馬鹿、まだ台詞が残って……!』

 

 

 ここは、それが許される世界。

 それがどれだけ幸福なことで、そして求められていた世界であるのか。

 

 

「うおりゃぁ――――っ!」

『あ、ちょ、待……うおおおおおおぉぉぉっ!?』

 

 

 ――――「彼女(せいらん)達」は、知らない。

 それこそが、幸福の条件。

 




最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
完全になのはイノセントとモンハンの影響です、本当にありがとうございました。
そして完全にネタキャラと化したルル……ゼロ。
どうしてこうなった。

それはそれとして、この物語「抵抗のセイラン」も次回で正真正銘の最終回です。
予定ではもう少し早く終わる予定だったのですが、なかなか予定通りには行かず、長引いてしまいました。
苦節8ヶ月の連載、皆様と一緒に歩んできたつもりです。

それでは、もう一話だけ……お付き合いくださいませ。


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R3編エピローグ:「終焉 と 予兆 と」

 日常と言うものは、変化しないものだ。

 特に学生の間はそうだろう、何の変哲も無い、同じようで僅かに違う毎日を過ごしていくものだ。

 例えば朝、青鸞は変わらずスザクの爆走自転車で登校している。

 

 

「だ、大丈夫ですか、青鸞さん」

「お、おーけーおーけーだよナナリーちゃん……うぷ」

 

 

 校門の陰でナナリーに背中を撫でられつつ口元を押さえる青鸞、年頃の乙女としてどうかとは思うが仕方が無い。

 むしろこの程度で済んでいるのは青鸞だからで、他の誰かであればもっと酷いことになっている。

 まぁ、スザクは青鸞以外を自転車の後ろには乗せないのだが。

 

 

「スザク、お前は毎朝毎朝同じことを言わせて……!」

「いやほら、だって僕らの家遠いから。遅刻しちゃうし」

 

 

 そんなスザクにルルーシュがお小言を言うのもいつものことだし、それを生徒会の面々が挨拶運動そっちのけで見守るのもいつものことだ。

 それどころかアッシュフォードの名物と化していて、校門を通る女子生徒などはクスクスと笑っている。

 いつもの日常が、そこにはあった。

 

 

 そして、どこからともなく黒塗りのリムジンが校門まで乗りつけた。

 言うまでもなく神楽耶の家の車である、中から出てきたのは神楽耶本人と、神楽耶の家にホームステイしている天子だった。

 ただいつもと少し様子が違って、神楽耶は青鸞とナナリーを見つけると駆け寄ってきた。

 

 

「青鸞、ナナリー! 聞いてくださいな、今朝、中国にいる天子の恋人さんからお手紙が来たんですの」

「はぁ、恋人さんから……え!?」

「天子って彼氏さんいたの!? 嘘ぉっ!?」

「ち、違う、違うよ? し、しんくーとは、その……」

「記録」

 

 

 いつの間にか来ていたアーニャが、それを携帯電話のカメラに収めていた。

 どうやら今日アップする画像は、赤い顔でアワアワする天子のようだった。

 年頃の乙女が集まり、まして1人に恋人から手紙が来たとなれば、後はきゃいのきゃいのとお喋りするしか無い。

 兄が1人気にしている様子だったが、それを気にする者はいなかった。

 

 

 楽しい。

 神楽耶達とのお喋りに夢中になりながら、青鸞はそう感じていた。

 小さなことの積み重ね、その日々を過ごすことに幸せを感じていた。

 それだけのことで、満たされる自分がいた。

 

 

「えー、それでそれで?」

「それから、手紙を読んでる時の天子の可愛らしさと言ったら……」

「そ、そんなこと無いってば」

 

 

 兄に困らされて、幼馴染と遊んで、先輩に可愛がられて。

 テストや行事に右往左往したり、外に出てゲームで遊んだり、友達と歩いたり。

 ただただ平凡なその時間が、愛しかった。

 

 

 これからもそんな日々がずっと続けば言いと、心から思っていた。

 願っていた。

 いつか終わる時間なら――実際、ミレイなどは卒業してしまう――もっと長くと、祈らずにはいられない程に。

 だが今日、そんな日常に変化が訪れることになる。

 

 

「――――おい」

「え?」

 

 

 声をかけられて振り向いた、するとそこに絶世の美少女がいた。

 お尻まで伸びた長い緑の髪を白リボンで2つに流し、静かな感情を湛える金の瞳で細く青鸞を見つめ、染みも荒れも無い滑らかで白く美しい肌の上を黒い制服で覆っている。

 肌の露出は少ないのに扇情さを感じてしまうのは、少女が自然と放つ色香のせいだろうか。

 

 

 見ない顔だし、知らない制服だった。

 だが存在感はある、そこにいるだけで全てを引き寄せてしまいそうな、魔女じみた魅力を備えていた。

 とても静かな、人形のようにも見える少女。

 

 

「おい、聞こえているのか?」

「え、あ、ああ、ボク? ええと、何?」

「ああ、ここはアッシュフォード学園で間違いないか?」

「う、うん、そうだけど……えっと」

 

 

 周りが見守る中、青鸞は僅かに首を傾げながら少女を見ていた。

 おそらく年上だろうとは思うが、やはり知らない。

 ここまでのレベルの美少女、一度会えば忘れるはずが無い。

 そして彼女は青鸞の様子に何かを思ったのか、ああ、と頷いた。

 

 

「そうか、まだ私の身分を話していなかったな」

 

 

 1人で得心した後、彼女は言った。

 誰もが忘れないだろう、そんな名前を。

 

 

「私の名前は○○○○――――転校生だ、よろしく頼む」

 

 

 世界は、終わらない。

 彼女達が生き続ける限り、彼女(せいらん)達の時間は続く。

 刹那でしかない時間を永遠に留める、それは願いだ。

 誰もが持つ、切なる願いだ。

 

 

 その願いが永遠の一瞬となるのか、それとも刹那の物となるのかはわからない。

 彼女達にはわからない、わかる者がいるとするならば、それは。

 ……神様、くらいだろうか?

 





最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
今話をもって、「コードギアス―抵抗のセイラン―」は正式に終了となります。
2013年2月から8ヶ月以上の連載、最後までお付き合い頂きまして、本当にありがとうございます。

また完結まで持ってくることが出来たのは、読者・ユーザーの方々の声援があればこそです。
感想やメッセージ、あるいはその他の場での数々のお言葉が、私の背中を押してくれたと感じています。
また、募集に応じて数々の魅力的な提案を頂いた方々にも、改めて御礼申し上げます。

皆様と共に作り上げてきた物語が終わる、何度経験しても寂しい気持ちになります。
しかし終わりあれば始まりがあると申します、今後の予定がどうなるかはわかりませんが、また何か活動できればと思っています。

それでは、またどこかでお会いしましょう。


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