鶴賀の初日の出 (五香)
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01.藤村初日という少女

 ここは鶴賀学園の保健室。

 入学式当日だというのに、早速一人の生徒がお世話になっていた。

 

「ついてねぇ……」

 

 不機嫌そうに眉を顰め、藤村 初日(ふじむら はつひ)は零した。

 

「そんな顔しないの。あなたすごい表情してるわよ」

 

 左手首にシップをテープで固定しながら保険医の女性が注意する。

 初日が備え付けられている鏡を覗き込むと、不快感を露わにした自身の顔が映っていた。

 やさしそうな印象を他人に抱かせるやわらかな曲線を描いている瞳と眉、ショートボブに揃えられた黒髪もまた丸いフォルムである。

 そんなどこか小動物を連想させる様なかわいらしい顔つきのせいで、半泣きになっている様にも見えた。

 

「はい、終わり。自分の教室の場所はわかる?」

「……大丈夫です。ありがとうございました」

 

 自分の運のなさはいったい、いつから始まったのか。

 その答えは――生まれたその日と決まっている。

 一月一日。それが彼女の誕生日。その名前は初日の出から取ったものだと両親から聞いた。

 これを聞くと、大抵の人は「へえ、縁起のいい日に生まれたんだねぇ」という感想を持つ。

 しかし、彼女はその日に生まれるためだけに一生分の運を使い果たしたのではないかと信じていた。

 

 

 

 鶴賀学園入学式の当日、藤村家の前にはどこからか大量のカラスが現れ、たむろしていた。

 ゴミ収集所が近いという訳でもないのに、一体何の用事があるというのか。不吉である。

 初日は玄関先からその光景をどこか達観した様子で眺めていた。

 

(わかっていたけど、こっちでもあたしはこうなのか……)

 

 靴を買った当日に靴ひもが切れる、週に一回は茶碗が割れる、などというのは日常茶飯事。

 茶柱など一度も立った試しがない。

 今も昔も藤村初日はとにかくツイてない少女だった。

 この体質はどうやら母から受け継いだらしく、母が自身と同じ様な不吉な事態に直面しているのを何度も見てきた。

 

「初日~! ゆっくりしていると間に合わないわよ~!」

「わかってる! いってきます!」

 

 少しボーっとしていると、玄関先から急げと言う母の声が聞こえた。

 初日は駆け足で玄関を潜り、学校へと向かう。

 

(少し感傷に浸っていただけなのに……。ま、仕方ない)

 

 入学式は父に車で送り届けてもらう予定だった。

 しかし、なぜかタイヤがパンクしており、入学式の朝をのんびり過ごすという計画は破綻。

 のんびりするどころか、朝食を流し込む様に掻き込むことを強要された上、その後にはランニングと来た。

 

(ついてねぇ……)

 

 初日は汗だくになりながらも何とか遅刻を免れた。

 しかし、入学式に備えピカピカに磨かれた体育館の床で悲劇が起きた。

 

「のわっ!」

 

 ツーっとまるでスケートリンクの上に立っているが如く、初日の足は滑る。

 足を滑らした彼女は思わず床に手をついてしまい、無事? 捻挫を果たす。

 結局入学式には参加できず、保健室へ直行となった。

 

 

 

 入学式を保健室で過ごすという輝かしい高校デビューを飾った翌日、初日は麻雀部の部室へと足を運んでいた。

 

(よし! がんばろう!)

 

 高校デビュー、嫌でも気合いが入る。

 ドアをノックして、どうぞという返事を聞いて中に入った。

 部屋では自動卓を三人の女性が囲んでいた。

 一人は薄紫色の髪をした少女。切れ長の瞳が知的な印象を与えた。

 もう一人は濃いピンク色の髪の小柄な少女。笑顔の似合う大らかなイメージを持たせるタイプだった。

 どちらも部活説明会で見た顔である。

 自身と同じく入部希望者と思われるのは黒髪をポニーテールにしている少女。この娘は一緒のクラスの津山睦月、それなり以上に整った顔立ちの隠れ美人である。

 

「君は入部希望者で良いのかな?」

 

 そう口を開いたのは薄紫色の髪の少女。

 その問いにYESと答えると「立ったままでは落ち着かないだろう、空いている席に座ってくれ」と言われ、初日はその指示に従った。

 

「ワハハ、二人目かー。初日から入部希望者が来るとは嬉しい誤算だなー、ユミちん」

「ああ、あと一人で団体戦にも参加できるな」

 

(ちょっ、団体戦には五人必要だから……部員はここにいる4人だけかい!)

 

 入部希望者が来たにも関わらず、誤算というのはどういった意味なのだろうか。

 無茶苦茶だと初日は思わず突っ込みたくなったが、以前通っていた学校の様に廃部になっているよりはマシかと思い直す。

 ゼロより一、一より二、二より三、それよりもさらに条件は良くここは四なのだ。

 

「あ、奈良産のドジっ娘だ。左手は大丈夫?」

 

 睦月がからかう様な目線で話しかけてきた。

 ニヤニヤとしたその笑みは人によっては大層腹立たしく見えるだろうが、睦月がすると不思議と絵になっている。

 美人は卑怯だと初日は口をとがらせながらも、大丈夫だよと左手をひらひらとさせた。

 

「ちょっと痛いくらいで麻雀は問題なく打てるよ。でもドジっ娘は止めて、津山さん」

 

 派手に転倒して入学式をスルーするという荒技を見せた初日はクラスでドジっ娘認定をされていた。

 知り合いがいればまたいつもの不幸かとスルーされるのだが、あいにく高校入学と同時に越してきた長野に知り合いはいない。

 

「津山とは知り合いなのか? なら都合が良い。説明会でも自己紹介したからもう知っているかもしれないが、私は二年の加治木ゆみだ、よろしく頼む。こっちが……」

「同じく二年で部長の蒲原智美だ。ワハハ、よろしくなー」

 

 薄紫色の髪の少女が加治木、小柄で濃いピンク色の髪の少女が蒲原と名乗った。

 

「一年の藤村初日です。よろしくお願いします」

「なら早速入部届に署名を……と言いたいところだが、なあユミちん」

 

 蒲原は意味ありげに途中で言葉を切って、加治木に流し目を送る。

 すると加治木は好戦的な笑みを浮かべ、初日達にこう言った。

 

「ん、そうだな。せっかく4人揃ったんだ。麻雀部員らしいことをしようじゃないか」

 

 

 

東風戦 アリアリ 喰い替えなし 25000点持ち30000点返し

東家 蒲原智美

南家 津山睦月

西家 加治木ゆみ

北家 藤村初日

 

東一局0本場 ドラ:{3} 親 蒲原智美

 

一巡目蒲原手牌

{二三六八③⑥⑦⑧2367白} ツモ{3} 打{白}

 

(ワハハ、ドラ2枚にタンピン三色まで伸びそうな好配牌。部長としていいとこ見せるぞー)

 

 麻雀部設立から約半年、その間は自身の相棒と二人っきりの時間が多かった。

 待ちに待った新入部員。それが二人も来てくれたのだ。

 否が応でも蒲原に気合いが入る。

 

二巡目蒲原手牌 

{二三六八③⑥⑦⑧23367} ツモ{赤5} 打{③}

 

 自身の気持ちに牌が応えてくれているのか。

 そう思えるくらいにツモも良かった。

 

三巡目蒲原手牌 

{二三六八⑥⑦⑧233赤567} ツモ{四} 打{2}

 

(最低でもオヤマンはもらったぜい、ワハハ)

 

 嵌{七萬}待ちでタンヤオドラ3聴牌。

 出和了りなら40符4翻、ツモ和了りなら5翻でどちらにしても満貫。

 8索引きで三色、五萬引きで一四七萬の3面待ちに移行できる良型の牌姿。

 

(リーチはいらないなー)

 

 あまり良い待ちとは言えないし、リーチをかけなくても打点は十分。

 東風戦で親の満貫を和了れば、その後ノー和了でも一位になれる事も少なくない。

 しかし七巡目、{赤五萬}を引いた事で蒲原は考えを改めた。

 

七巡目蒲原手牌

{二三四六八⑥⑦⑧33赤567} ツモ{赤五}

 

(リーピンドラ4で親ッパネ確定。{四七萬}ならタンヤオが付いて一発かツモで親倍。これを和了って東風戦でまくられることはない! ……たぶん)

 

 三面張、その内二種では倍満もありえる絶好の待ち。

 この場面で確実性を取るのが本来の蒲原の麻雀だが、今日ばかりはそのスタイルを崩す。

 

「リーチ!」

 

 心なしか強めに{八}が河に置かれた。

 

捨て牌

東家 蒲原智美 {二三四赤五六⑥⑦⑧33赤567}

{白③21⑥南}

{横八}

 

南家 津山睦月 {■■■■■■■■■■■■■}

{西北九9一二}

 

西家 加治木ゆみ {■■■■■■■■■■■■■}

{②①發東86}

 

北家 藤村初日 {■■■■■■■■■■■■■}

{西北東5⑤南}

 

睦月 {⑥}

加治木 {1}

初日 {2}

 

(全員現物切り……。親リーに突っ張ってくれるわけないか。なら自分でツモるだけだ!)

 

 山へと手を伸ばす。

 高鳴る胸の鼓動が心地よかった。

 

「一発くるかなー?」

 

 するりと牌の腹へと親指を滑り込ませる。

 伝わってくる感触は複雑怪奇な彫り込み。

 

(ワハハ! マジで来た!)

 

 蒲原は笑みを深めた。

 これは萬子で間違いない。

 

「ツモ! リーヅモ一発平和ドラ4、裏は……なし。8000オール!」

 

八巡目蒲原手牌 ドラ:{3}

{二三四赤五六⑥⑦⑧33赤567} ツモ{一}

 

蒲原智美 49000(+24000)

津山睦月 17000(-8000)

加治木ゆみ 17000(-8000)

藤村初日 17000(-8000)

 

 

 

東一局1本場 ドラ:{東} 親 蒲原智美

 

一巡目初日手牌

{二五八①②⑦⑨59南西白中} ツモ{白} 打{南}

 

(麻雀牌の感触が懐かしい……)

 

 藤村家は家族全員が麻雀を打てるものの、父が母との同卓を頑なに拒否する。

 その為、通っていた麻雀教室が潰れて以降は、ネット麻雀をたしなむ程度だった。

 

二巡目初日手牌

{二五八①②⑦⑨59西白白中} ツモ{一} 打{西}

 

(しかし、ついてねぇ……。いきなり32000点差か。こんな理不尽は久々だ……)

 

 不思議な力の作用しないネット麻雀では、東パツにここまで離される事はあまりなかった。

 だけど、実際に牌を触り、その空気を吸うこのリアルの対局というのは魅力的だった。

 ここまで不利に立たされていても――でも、やっぱりおもしろい。そう感じ、初日は思わず口元が緩めていた。

 奈良に住んでいた頃(といっても牌を握っていたのはさらに昔になるが)、しばしばこんな苦境に立たされていた記憶があった。

 

三巡目初日手牌

{一二五八①②⑦⑨59白白中} ツモ{九} 打{5}

 

『ツモ! ツモドラ7、8000オールです!』

 

 最初に自身を麻雀教室に誘ってくれたドラ爆女を思い出した。

 本当に良い精神訓練になったものだ。

 しかし、あの先生はリハビリ代わりにと言っていたが、逆に症状を悪化させたのではないかと勝手に心配した。

 

四巡目初日手牌

{一二五八九①②⑦⑨9白白中} ツモ{9} 打{五}

 

『そんなオカルトありえません!』

『確率の偏りです!』

 

 次に、そう言って理不尽に憤慨していた一つ年下の友人の姿を思い出す。

 小学六年生とは思えないすばらしい「おもち」をお持ちだったピンクブロンドの少女。

 

(そういえば長野に引っ越したんだっけ……。案外近くに住んでいたり)

 

 丁度一年前、あっさりとした別れを済ませた。

 彼女は親が転勤族らしく、引っ越しは慣れていたらしい。

 そして、田舎育ちの初日は友人が遠くに行ってしまうという経験がなく、どうにも現実感が湧かなかった。

 

五巡目初日手牌

{一二八九①②⑦⑨99白白中} ツモ{三} 打{中}

 

(でも、あの娘は中三。中学と高校では接点がないからなあ……って余計なことを考えとらんで対局に集中せんと)

 

六巡目初日手牌

{一二三八九①②⑦⑨99白白} ツモ{七} 打{②}

 

七巡目初日手牌

{一二三七八九①⑦⑨99白白} ツモ{白} 

 

 {①筒}切りで白チャンタ聴牌。

 ツモなら満貫、出和了りなら5200。リーチをかければ一発ツモで跳満になる手だ。

 

(嫌な予感がする……。大抵トントン拍子に手が進むときはどこかに落とし穴がある)

 

 あぶれた牌が他家の当たり牌だったというのは良くあること。

 初日はあらためて河を眺める。

 

捨て牌

東家 蒲原智美 {■■■■■■■} {横②③④} {横546}

{南北⑨④⑨⑤}

{西}

 

南家 津山睦月 {■■■■■■■■■■■■■}

{⑨9④5④1}

{中}

 

西家 加治木ゆみ {■■■■■■■■■■■■■}

{北21發89}

{9}

 

北家 藤村初日 {一二三七八九①⑦⑨99白白白}

{南西五中}

 

 蒲原は2フーロで喰いタン濃厚、睦月は字牌と萬子が河に少なく染め手の気配。

 この二人に{①筒}はほぼ間違いなく通るし、{⑧筒}を掴めば出す可能性は高い。

 加治木は公九牌と辺張の処理をしている最中に見える。

 初日はそう判断した。

 

(いざ――勝負!)

 

 千点棒を取り出し、{①筒}を曲げて河に置いた。

 

「リーチ」

 

 しかし、それに待ったの声が加治木から発せられる。

 

「ロン」

「へ?」

「東混一ドラ3、12000の1本場は12300」

 

加治木手牌

{①①②③⑥⑦⑧⑧⑧⑧東東東} ロン{①}

 

({①筒}-{④筒}の両面だけど{④筒}は4枚切れだから、実質{①筒}単騎待ち……)

 

「この待ちなら蒲原か津山が吐き出してくれると予測していたが……お前から出てくるとは」

 

 初日は項垂れながら加治木に点棒を差し出した。

 

(ついてねぇ……。そもそも{⑧筒}全部持たれとる……)

 

蒲原智美 49000

津山睦月 17000

加治木ゆみ 29300(+12300)

藤村初日 4700(-12300)

 

 

 

 東2局では睦月が4000オールをツモり、続く1本場では加治木が500・800をツモ。

 東3局は加治木が11600を蒲原に直撃させるが、続く1本場で蒲原が5500を加治木から取り返した。

 そしてオーラスに突入した。

 

 

蒲原智美 38400

津山睦月 28200

加治木ゆみ 33200

藤村初日 200



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02.そして日は昇る

 津山睦月が麻雀を始めた理由はありふれたものだった。

 家族の誰だったかが買ってきたプロ麻雀煎餅。

 付属しているカードのプロ雀士達が堪らなくかっこよく見え、少年がプロ野球選手に憧れる様に、ただ純粋な気持ちを抱いた。

 

「この人達みたいになりたい」

 

 そして高校デビューを期に麻雀部の門を叩いた。

 憧れの雀士達に少しでも近づくために。

 

東四局0本場 ドラ:{1} 親 藤村初日

 

一巡目睦月手牌

{一二三六七③赤⑤⑧⑨135西} ツモ{⑨}

 

 配牌は上々。しかし、トップの蒲原とは10200点差。睦月が逆転するには5200の直撃か跳満ツモが必要である。

 面前で進めるとして、リーチドラドラだと5200、ツモでも8000。

 リーチを掛けた上で直撃を奪うのは困難であり、最低でもあと一翻足さないと厳しいだろう。

 

(現実的なのは……123の三色、平和、西というところかな)

 

打{⑧}

 

 まずは雀頭を固定して進める。

 

二巡目睦月手牌

{一二三六七③赤⑤⑨⑨135西} ツモ{2} 打{5}

 

三巡目睦月手牌

{一二三六七③赤⑤⑨⑨123西} ツモ{⑦} 打{⑦}

 

四巡目睦月手牌

{一二三六七③赤⑤⑨⑨123西} ツモ{①} 打{西}

 

(よしっ! {五}・{八}萬引きで三色、{④}筒引きで平和、{②}筒引きなら両方付く)

 

 手応えのあるツモに心を弾ませた。

 

十巡目睦月手牌

{一二三六七①③赤⑤⑨⑨123} ツモ②

 

 打{赤⑤筒}で平和三色ドラ1聴牌。

 ツモなら満貫、出和了りなら7700。リーチを足せばツモで跳満。

 ツモるか蒲原直撃以外だと届かない。

 だが、

 

(両面待ちだしチャンスは十分ある……)

 

 そう判断した睦月は{赤⑤筒}を曲げた。

 

「リーチ」

 

 

 

十巡目加治木手牌

{四赤五七八③④⑤⑥⑦⑧123} ツモ{五}

 

({赤⑤筒}切りリーチか……)

 

 睦月の強気の闘牌に加治木は思案にふける。

 

捨て牌

東家 藤村初日 {■■■■■■■■■■■■■}

{④北⑥一白南}

{發八中二}

 

南家 蒲原智美 {■■■■■■■■■■■■■}

{北北九⑦東一}

{中④東九}

 

西家 津山睦月 {■■■■■■■■■■■■■}

{⑧5⑦西68}

{西4西横赤⑤}

 

北家 加治木ゆみ {四赤五五七八③④⑤⑥⑦⑧123}

{南二一西①7}

{9北9}

 

 自身は{四萬}切りなら平和ドラドラ聴牌。

 だが、睦月の河には萬子が1枚も見えていない。

 

(危なすぎるな……)

 

 加治木は{四萬}へと伸ばしていた指先を引っ込めた。

 トップ蒲原との点差は5200。

 追っかけリーチを掛ければ出和了り、ツモ和了り関係なく文句なしのトップが取れる。

 だが、

 

打{⑧}

 

(一旦回す……自分自身の事ながら、あまり賢い選択とは言えないな)

 

 加治木は、張り直しが比較的容易な筒子へと手を掛けた。

 待ちに待った新入部員(候補)が来て、気合いが入っていたのは蒲原だけではない。

 加治木とて、同じである。

 だから、リーチに対して一発で放銃、逆転負け等という無様な真似は避けたかった。

 

(序盤に妙な捨て牌をしているからやりたくはないが……最悪の場合、藤村に差し込んででも他二人には和了らせない)

 

 

 

十一巡目初日手牌

{①⑨⑨東東南南白白發發中中} ツモ{五}

 

(オーラスで残り200点。これ以上なく“ついてねぇ”場面で、あたしがど真ん中をツモれる訳がない。ということは……これは誰かの当たり牌を掴まされたということ)

 

 一番あやしいのは直前でリーチした睦月。加治木は放銃を恐れての現物切りならまだ張っていない。

 蒲原は手出しの九萬切りだったから張っているかも知れないが、恐らくタンヤオ。

 なら、自身の手にある牌はどれでも通る。

 そう結論を出して初日は{①筒}を切った。

 

(混一七対子混老頭が七対子のみに下がるけど仕方ない。想像通りなら、次ツモる牌はまた当たり牌)

 

 良くある両面待ちなら{二五}か{五八}のどちらか。

 厳密には違うが、次順、二分の一の確率で和了れるはずだと初日は考えた。

 

十二巡目

{五⑨⑨東東南南白白發發中中} ツモ{五}

 

(やった!)

「ツモ。ツモ七対子、1600オール」

 

 初日が手牌を倒し、和了宣言をすると同時に、睦月と蒲原が目を見開いた。

 

「うそっ!」

「混一混老頭を捨てての{五萬}待ち!? ワハハ、これはしてやられたなー」

 

蒲原智美 36800(-1600)

津山睦月 25600(-1600)

加治木ゆみ 31600(-1600)

藤村初日 6000(+5800)

 

 

 

東四局1本場 ドラ:{九} 親 藤村初日

 

一巡目初日手牌

{①①⑧⑨119東東西白發中} ツモ{白} 打{⑧}

 

(さっき和了ったとはいえ打点を下げるのを余儀なくされた。まだ“最高についてねぇ”状態をキープできているはず……。その証拠に中張牌が一枚しか来ていない)

 

二巡目初日手牌

{①①⑨119東東西白白發中} ツモ{①} 打{9}

 

(たとえ前局、①筒で和了できていたとしてもトップには届かない。中途半端についてしまうよりは良かったはず。トップとは30800点差。倍満ツモで逆転トップの目が出た分、状況は好転している)

 

三巡目初日手牌

{①①①⑨11東東西白白發中} ツモ{白} 打{1}

 

(間違いない。さっきと同じでまったく中張牌を引かない……。ホントは引けないと言った方

が正しいんだけど)

 

四巡目初日手牌

{①①①⑨1東東西白白白發中} ツモ{東} 打{1}

 

(勝つのは……あたしだ!)

 

 順調に進む手を見て、初日は一人ほくそ笑んだ。

 

 

 

四巡目蒲原手牌

{九九九⑤⑤⑦2346北北北} ツモ{6}

 

(ワハハ、無駄に高い手が来た……。あんまり笑えないなー)

 

 1000点のノミ手でも和了れば勝ちという状況でドラ3ツモり三暗刻を聴牌。

 しかし、現状では役なし。

 

({④⑥}か{57}を引いて両面待ちになってからリーチするか……。いや、オーラスだし、他三人は引くに引けない状態だから……)

 

「リーチだ。ワハハ、もし私が負けたら三人に学食オゴってやるぞー」

 

 蒲原は{⑦}をくるりと半回転させて河に置いた。

 

(こっちも押してみるかー)

 

 蒲原の選択は不退転のリーチ。

 押す場面では押す、引く場面では引く。自分で決めたラインを忠実に守るのが蒲原智美という雀士である。

 それを大物手が和了れそうだからという理由だけで、曲げてしまうのもまた蒲原智美という人間なのだが。

 

 

 

八巡目初日手牌

{①①①⑤66東東東白白白中} ツモ{⑤}

 

(やられたっ! 蒲原部長は{⑤6}のシャボ待ちっ……。こっちも張ったけどほぼ間違いなく待ちが被ってる)

 

 ツモり四暗刻を聴牌だが、和了り目はゼロパーセントだろう。

 他家の当たり牌を掴まされるという特性がある故の初日の読みだった。

 

(中張牌を引けない以上、あたしには七対子しか和了り目が残されていない……)

 

打{白}

 

 初日は聴牌を崩す。

 {⑤6}を全て使い切り、それでもなお和了するには、七対子以外の道はなかった。

 

 

 

「テンパイ」

「テンパイ」

「ノーテン」

「ノーテン」

 

テンパイの声は蒲原と初日のもの。

 ノーテンの声は睦月と加治木ものだった。

 

蒲原智美 37300(+1500)

津山睦月 24100(-1500)

加治木ゆみ 30100(-1500)

藤村初日 7500(+1500)

 

流局時蒲原手牌

{九九九⑤⑤23466北北北} 

 

流局時初日手牌

{一①①⑤⑤66東東白白中中}

 

「な、なんだお前の手は……ワハハ……」

 

(わ、笑えない。さっきは混一混老頭を捨て、七対子のみ。今回は{①東白中}を手出しで切っていた。つまり、ツモり四暗刻を捨て、七対子のみ。こいつどっかおかしいぞ……)

 

 蒲原は顔が引きつると同時に、背中に嫌な汗がタラリと流れた。

 

(安い定食でがまんしてくれよー)

 

 麻雀とは不思議なもので「あっこりゃ負けだな」と思った時は、例えどんなにリードがあろうとも十中八九負ける。

 しかし「これは確勝級だろう」と思った時には、逆にあっさり負けてしまう事があるのも麻雀である。

 

 

 

東四局2本場 供託:1本 ドラ:{③} 親 藤村初日

 

一巡目初日手牌

{①⑨⑨⑨1東南西北白白發中} ツモ{9} 打{⑨}

 

(今回はドラが中張牌。ついてねぇあたしはドラを引けない……)

 

 全て幺九牌で埋め尽くされているというあまりにもバカげた配牌。

 だが、初日にとってはそうめずらしくもない光景だった。

 

二巡目初日手牌

{①⑨⑨19東南西北白白發中} ツモ{九} 打{⑨}

 

(なら、さっきまでとは違い、全ての幺九牌は)

 

 0本場のドラは{1}、1本場のドラは{九}。

 何故と聞かれても当人は困惑するだけだろうが、初日にはドラを自力でツモる事が出来なかった。

 だから、前二局は狙えなかった。

 

三巡目初日手牌

{九①⑨19東南西北白白發中} ツモ{白} 打{白}

 

(――あたしの元に集まる)

 

 無駄ヅモ――だがそれはやはり幺九牌。

 だからこそ、初日の自信は揺るがない。

 

(ゴチになります! 蒲原部長!)

 

 山へと手を伸ばし、牌を掴む。

 出来もしないのに盲牌をし、口元をつり上げた。

 

「ツモ! 国士無双、16000オールは16200オール!」

 

四巡目初日手牌

{九①⑨19東南西北白白發中} ツモ{一} 

 

蒲原智美 21100(-16200)

津山睦月 7900(-16200)

加治木ゆみ 13900(-16200)

藤村初日 57100(+49600)

 

 

 

 一同は学食の入り口にある食券販売機の前に移動していた。

 

「ワ、ワハハ、さあみんな好きなのを頼んでいいぞ」

 

 蒲原は後輩の前で格好悪いところは見せられないと、表面上は平静を取り繕っていたが、内心冷や汗ものだった。

 

(今月は懐事情がちょっとあれだからなー……)

 

 日替わり定食300円を四人前ならともかく、DX幕の内750円を四人前だと財布が死んでしまう。

 蒲原は日替わり、日替わり、日替わりと言え、頼むから言ってくれという意思を込めた視線を三人に送る。

 

「何かオススメはありますか?」

 

 その声なき悲痛の叫びを感じ取った初日が蒲原に助け船を出そうとメニューの選択権を差し出した。

 

(ワハハ、優しい後輩を持って幸せだなー)

 

 蒲原はその優しい後輩が元凶であることを忘れ、思わず涙ぐむ。

 

「そうだなー、日替わ……」

「DX幕の内は絶品だぞ」

 

 蒲原が言い切る前に加治木から死刑宣告が下された。

 

(ユ、ユミちん!?)

 

「日替わりはどうなんですか?」

「悪くない……いやむしろおいしい部類だ。だが、DX幕の内は今日が半ドンだから残っているが、通常授業が始まると瞬く間に売り切れてしまう。だから私はDX幕の内を薦める」

「……ならあたしもそれで」

 

 すみません蒲原部長と心の中で謝罪しながら、初日は加治木に追従した。

 

「ちょっ……」

「あの……私は自分で出しますよ? ラス引いてしまいましたし……」

 

 明らかに予算オーバー。

 固まっている蒲原を見て睦月はおずおずと自腹を提案した。

 

「津山、遠慮は無用だ。私達からのささやかな入部祝いだと思って受け取ってくれ」

 

 さらっとそう言ってのけるあたり、加治木には無自覚フラグ乱立能力があると見て良さそうだ。

 なんとも男らしい。女だけど。

 

(私達……達ってことは……ユミちん)

 

 何だかんだで面倒見の良い相棒に目頭が熱くなる。

 

「なあ、蒲原」

「もちろんだ。遠慮なく言ってくれ!」

 

 加治木の問いかけに威風堂々とした態度で蒲原は答えた。

 

「わかりました。私もDX幕の内をいただきます」

 

 そこまで言われると断れば逆に失礼に当たってしまう。そう思った睦月も好意に甘えることにした。

 

「だそうだ。私は二人を連れて席を確保してくる。後は頼んだぞ」

「へ? ユミちんも半分出してくれるんじゃなかったのか? 私“達”ってさっき……」

「ああ、そうとでも言わないと津山が断りそうだったからな」

 

 加治木はニヒルな笑みを浮かべ、背を向けてそのまま藤村と睦月を引き連れ食堂の中へ消えた。

 

「ワハハ……そりゃないぜ、ユミちん」

 

 蒲原の背後に古典的な空っ風が吹いた。

 見る人によっては、枯れ葉すら幻視したかも知れない。

 

 

 

(しかし、こいつがあんな打ち方をする様なやつには見えないな)

 

 自身の前の座席でうまいうまいと、一心不乱にDX幕の内を掻き込んでいる初日を見て加治木は思う。

 同世代の女子と比べ、蒲原ほどではないにしろ低い方に分類されるであろう身長。

 顔立ちにもまだあどけなさが残っている。

 その食事風景はリスが木の実を頬張っている姿につながり、ほほえましさを感じさせられるものだった。

 

(東四局0本場、混一混老頭を捨て{五萬}待ちに構えていたが……恐らくあれは津山の当たり牌。蒲原もやけにおどろいていたから、同じく{五萬}待ちだったのかも知れない。でもこれは理解できる範疇だ。私も萬子は危ないと思い、聴牌を崩して安牌を切った)

 

「ユミちん、その肉団子貰い受けるっ!」

 

(しかし1本場はおかしい。出和了りで三暗刻対々ダブ東白、ツモ和了りで四暗刻の手を捨て七対子のみに構えた。そしてその面子で蒲原の当たり牌を完全に押さえていた。比較的読みやすい両面待ちならともかく、捨て牌からの予測が難しいシャボ待ちを完璧に読み切っていたということだ)

 

「ギャー」

 

(2本場では四巡目であっさり国士無双をツモ和了って終局。まくりきって藤村の勝ちになった)

 

「冷たい! 冷たい!」

 

(そして何よりもおかしいのはツモ。あいつの和了形を見る限り、東四局では誰かの当たり牌以外の中張牌をほとんど引いていない。ありえるのか……そんなことが)

 

「ハ、ハンカチどこにしまったっけ!」

 

(いや、逆に考えたら良いのか? 誰かの当たり牌以外の中張牌を引けないからあの打ち筋になった……そう考えれば辻褄は合う。しかし、それは完全にオカルトの領域だ。いずれにせよ結論を出すのはもっと藤村と打ってからだが……。今日のあれは偶然なんかじゃない。ただの勘だが、あれはあの状態が普通なんだろう)

 

 そう加治木が納得し、前を見ると目に入ったのは上半身がびしょ濡れになっている初日。

 おろおろしながらハンカチで藤村を拭いている睦月。

 ワハハと笑っている蒲原と、何故か肉団子がなくなっているDX幕の内。

 

「……何があったんだ」

 

 幸か不幸か、加治木の脳はこの様な結末に至るまでの過程をはじき出してくれなかった。

 

 

 

 一同は再び部室に戻っていた。

 

「ありがとうございます。助かりました」

「気にするな、今度体育がある日までに返してくれれば問題ない」

 

 上の制服がお茶でダメになった初日は加治木にジャージを借りていた。

 

「やっぱりドジっ娘だよ。初日は」

「だからそれは止めてって。睦月」

 

 いつの間に仲良くなった、睦月と初日は名前で呼び合う様になっていた。

 

「ワハハ、お茶を注ごうとしてどうやって頭から被るんだ? 完全無欠のドジっ娘だなー」

「ぐはぁっ! やるな勇者蒲原よ……。しかしあたしが倒れても第二、第三のあたしがお前の前に立ちふさがるであろう……」

「お前みたいなのが二人も三人もいたら鶴賀学園が崩壊しそうだな、ワハハ」

「何バカなことをやっている」

 

 加治木は漫才を繰り広げる二人の頭を軽く小突いた。

 しかし、加治木の表情は呆れ返ったものではなく、どこかこの状況を楽しんでいる様だった。

 

(今でも名目上の部員はいたが、実質二人だったからな……。こんな空気も)

 

 楽しげに談笑している蒲原と初日、それに翻弄されている睦月の姿を加治木は今一度見る。

 

(――悪くないな)

「これを忘れていないか?」

 

 加治木はコホンと咳払いをすると入部届を差し出す。

 それと同時に一年生コンビと蒲原が反応を見せた。

 

「あ」

「い?」

「う。って違う! 流石ユミちん頭が回るなあ! あまりに内容の濃い東風戦をやったからすっかり忘れていたなー」

「ノリツッコミとはやりますね部長。関西人の才能がありますよ!」

「関西人って才能でするものなんだ……」

 

 三度、頭に拳骨が落ちる音が響いた。

 

 

 

 入部届けに必要事項を記入した後、加治木から麻雀部の活動について説明を受けていた。

 

「活動は月~金曜日の放課後だ。今まで土日はやってなかったが……どうする蒲原?」

「土曜日はやっても良いんじゃないかー? どうせ補修で学校にいるしなー」

 

 ワハハ、と笑う蒲原に再び加治木の拳骨が落ちた。

 

「それはお前だけだ、私まで一緒の扱いにするな。まあ、土曜日は午後から部室に集合ということにするか」

「はい。わかりました」

「二回目~っ! ユミちん私だけ扱いが悪くないか? 効果音も私だけおかしかったし」

「私の肉団子はどこに消えたんだ? 蒲原」

「ワハハ……」

 

 その問いかけに蒲原は乾いた笑いを返すことしかできなかった。

 

「以上、今日はこれで解散とするか。私たちは戸締まりをしてから帰るから先に行ってくれ」

「気を付けて帰れよー。ちびっ子達」

 

 四人の中で最もちびっ子といえる見た目の蒲原に、今の台詞ひどく似合ってなかった。

 

 

 

 二人っきりとなった部室で蒲原と加治木が話し込んでいた。

 

「二人とも中々の打ち手だったなー」

「ああ。津山は一度も振り込まなかったし、和了がれなかったとはいえ逆転手も張っていたっぽいしな」

「藤村の不可解な打牌には気が付いているか?」

「ワハハ、完璧に待ちが読まれていたなー。リーチを無茶苦茶な形で躱された時点で負けたと思った」

 

 今思い返しても寒気がする。

 蒲原は自分を抱きしめる様に肩を抱いた。

 

「私達はもしかすると凄い化け物を身内に引き込んだのかも知れない」

「化け物って……ユミちん?」

 

 珍しくひどい言い方をするなあと思い、蒲原は加治木の顔をのぞき込むと心ここにあらずという様子。

 

「全国出場。今日、あいつと対局するまでは夢物語とばかり思っていたが……。今は、行けるんじゃないかと思える様になっている。バカだと思うか?」

「バカだと思うなー」

 

 蒲原はそう投げ掛けた加治木に対して即答した。

 加治木はそんなにはっきり言い切らなくても良いじゃないかと顔を引きつらせるが、蒲原はさらに追撃を仕掛ける。

 

「お、お前」

「行けるんじゃないかじゃない」

「は?」

「行けるに決まってるからなー」

「……」

「私は部長だから、部員を信じてる。全国へ行きたいと思うのなら、行けるんだ。本当にユミちんはバカだなー」

 

 一瞬固まっていた加治木だが、言葉の意味を理解すると抱腹絶倒とはこのことを示すのかという勢いで笑い始めた。

 

「ユ、ユミちんが壊れた……ワハ……笑っちゃだめなのか?」

「ククッ。いや笑っていいぞ。私は何てバカだったんだとおかしくなってきた。フフっ……だめだ、まだおさまらない」

 

 その後、蒲原と加治木の笑い声が部室内で響き渡った。

 

「はー。一生分笑った気がする」

「ワハハ、ユミちんがバグったのから思ったなー」

「しかし、団体戦出場には後一人か……来ると思うか?」

「……麻雀に本気で取り組もうと考えているやつは同じ私立なら風越に行くからなー」

「……」

「でも、」

「でも?」

「後一人なら思い当たるフシがある。まあ来なかった時はそこに頼るさー」



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03.最後の一人

「やばいっ! やばいっ!」

 

 長閑な朝の住宅街に流れる静寂をぶち破る声が響いた。

 丁度、通勤・通学の時間が終わった事もあり、人っ気のない道路の中心を走る少女がその声の主だ。

 

「あぁあぁあぁあ――っ!」

 

 それはとても年頃の乙女が発するとは思えない声であった。

 

 春眠暁を覚えず。

 唐代を代表する詩人、孟浩然(もうこうねん)が残した言葉だ。

 春の夜は眠り心地が良いので、朝が来たことにも気が付かず、寝過ごしてしまう。ということらしい。

 なるほど確かにそうだと初日は一人納得する。

 

 つまるところ――寝坊したのだ。これ以上なく完璧に。

 

 

 

 入学式から二週間の時が流れ、学校生活にもなれてきたかという頃の朝。

 初日は鳴り響く携帯電話の着信音に目を覚ました。

 

「誰? こんな朝早くに電話しやがって……ニワトリか何か?」

 

 口汚く発信者を罵りながらも ベッドからのそのそと起き上がり、充電器にぶっ差してあるそれを開いた。

 ディスプレイに表示されていたのは津山睦月という発信者を示す文字。

 いったい何の用事なんだ。

 初日は機嫌の悪さを隠そうともせず、舌打ちしつつ通話ボタンを押す。

 

「もしもし?」

『あ、やっとつながった。どうしたの? 今日学校休むの?』

「へ? 行くよ? アホか。睦月こそこんな朝早くのどうしたの? 春だから頭に妖精さんでも沸いたの?」

『アホ!? 妖精!? 初日こそ妖精さんにいたずらされたんじゃない? あと五分でホームルームなんだけど』

 

 睦月は、被っていた猫が二~三匹剥がれ落ちている初日の言葉に驚きながらも事実を伝える。

 

「は……? ちょっと待って」

 

 電話を耳から離し、ディスプレイを覗き込むとそこには八時二十分と示されていた。

 

「え、うそ……」

『確か、一時間目が始まる前に教室に入れば遅刻扱いにはならなかったと思う』

「それって……あと十五分で学校に着けってこと?」

『うむ。あ、先生来たから電話切るね』

 

 通話口から流れるツーツーという音をBGMに初日はいつもの台詞を吐いた。

 

「ついてねぇ……」

 

 

 

「うぅん……」

 

 昼休みの教室。

 初日と睦月が机を付き合わせ、食事を取っていると隣の席で妹尾佳織がうなっていた。

 普段はほんわかした表情を浮かべている癒し系美少女の佳織だが、今は珍しく口を真一文字に結び、真剣な表情で手に持つ紙と睨めっこをしている。

 

「妹尾さんどうしたの?」

「あ、津山さん……えっと実は……って言っちゃダメなんだった。えと、ごめんなさい。何でもないです」

「ならいいんだけど……」

 

 佳織はそう思わせぶりな態度を取ってまた手に持つ紙と格闘を始めた。

 細かい文字が読み辛いのか、メガネを上げたり下げたりしながら、時折「むむむ……」などと、声にだしているあたりがあざとい。いや、かわいらしい。

 睦月は「って言っちゃダメなんだった」という部分が非常に気になったが、本人が何でもないと言っている以上突っ込んだらダメなんだろうと引き下がることにした。

 

「何見てるの?」

 

 しかし、空気を読まない(読めない?)初日が、佳織の背後に回り覗き込もうとすると、佳織は紙の表面を抱きかかえる様にして、内容をひた隠しにする。

 

「な……何てものを……」

「み、見ましたか……?」

「うん。綺麗な顔をした男と男が裸で抱き合っている絵を」

 

 初日の爆弾発言で隣に座る睦月の顔が引きつった。

 

「ああーその何だ。えっと……趣味は人それぞれ多種多様にあるものだと思うぞ。うむ」

 

 傷つけてしまってはいけないと再起動を果たした睦月がフォローに入る。

 すると佳織は顔を真っ赤に染め上げ、紙の束を睦月に突きだした。

 

「違いますっ! これですっ! これっ!」

「や、止めろっ! 変なものを見せるなっ!」

「変じゃないですっ! ちゃんと見てくださいっ!」

 

 佳織は慌てて目線を逸らそうとする睦月の顔を左手で押さえ、右手に持つ紙へと向けさせた。

 

「ん……これは麻雀の役の一覧表?」

「そうですっ! 決して男の人同士が抱き合っている絵じゃないですっ!」

「何だ……びっくりした。言ってくれたら私達が教えてあげたのに。それよりも初日っ! またいいかげんなことを言ってっ!」

「いや、あまりにも反応がかわいかったから……つい、からかいたくなって……その、ごめんなさい」

 

 睦月の怒りの鉄槌が初日の頭に振り下ろされた。

 

 

 

 頭頂部を押さえ、机に突っ伏し微動だにしない初日を余所に、二人は話を再開していた。

 

「……あの、智美ちゃんから聞いてませんか? 部員を一人勧誘したって話。あ、智美ちゃんっていうのは私の幼なじみで麻雀部の部長の」

「うむ。そう言えば部長が後一人だけなら何とかなるかもって……」

「たぶん、それ私のことです」

「ん? じゃあ何でさっきあんなに隠してたの?」

「二人には秘密にしておいた方がおもしろい反応が見られそうだからって智美ちゃんが……」

「ああ、なるほど。確かにあの人ならそんなことしそうだ。改めてごめんね、これのせいで」

 

 睦月は器用に初日の頭をひじで突きながら手を合わせ陳謝した。

 

 

 

 結局、放課後部室には三人で向かうことにした。

 

「ついてねぇ……」

 

 その道中、まだ傷むんだけど、と初日は恨みがましい目で睦月を睨み付ける。

 

「自業自得だ」

「あはは……」

 

 その視線に睦月は我関せずと腕を組んだままそっぽを向いて言葉を返し、佳織は気まずそうに頬をポリポリとかきながら苦笑した。

 

 

 

「やっぱりバレてたみたいだなー、ワハハ」

 

 三人で部室に入るや否や蒲原は作戦の失敗を悟った様だった。

 

「やっぱりってどういうこと、智美ちゃん」

「ワハハ」

「答えてよ、もうっ」

 

 このままではいつまで経っても夫婦漫才が終わりそうにない。

 そう判断した加治木が二人ストップをかける。

 

「幼なじみ同士仲が良いのは大いに結構。だが、そろそろ自己紹介させて欲しいのだが……」

「おお、そうだった。ユミちんは佳織とは初対面だったかー。ワハハ、失敬失敬」

 

 蒲原は口でそういいつつもこれっぽっちも悪びれたそぶりを見せない。

 

「加治木ゆみだ。蒲原から聞いているかも知れないが、こいつの友人兼仲間として良くさせて貰っている」

 

 加治木は佳織の正面へと立つと、よろしく頼むと右手を差し出す。

 佳織は初対面で緊張しているのか、及び腰になりながらも右手を握り返した。

 

「妹尾佳織です。えーと……麻雀のことはまだ良く解らないのですが、がんばって覚えるのでよろしくお願いします」

「ああ、何でも聞いてくれ。初心者だと聞いたが、麻雀を打ったことはあるのか?」

「えっと、智美ちゃんと一緒にパソコンでやったことがあります。役はタンヤオに役牌、トイトイ、七対子くらいしかまだ覚えてないですけど……。点数計算も全然できませんし……」

「誰だって最初はそんなもんだ。私も去年まで点数計算はおろか役なぞ一つも知らなかった。今からでも、インターハイ予選までに、それなりの打ち手に仕上げてみせる」

 

 佳織の手を握りしめ、真摯な表情で理路整然と話し続ける加治木の姿は、まるで愛の告白をしている様にも見える。

 真っ赤になりながら「私がんばります」と言っている佳織の姿もそれに拍車をかけていた。

 

「ユミちんに佳織を盗られちまったなー、ワハハ」

 

 思い返せば、初日にしろ睦月にしろ麻雀歴は加治木より長いか同じくらいかというところ。

 後輩に対し、あまり教育的なことを行った記憶がなかった。もしかすると完全な初心者が入って来たことが嬉しいのかも知れない。

 

(ユミちんって、意外と世話好きなんだなー)

 

 普段の仏頂面をどこかに放り投げ、熱心に場決めの方法を教えている自身の友人の姿を見て、蒲原はそう思った。

 

「良し、なら早速打ってみるか。蒲原は妹尾のうしろでフォローを頼む」

 

(ワハハ、知らない間に佳織に打たせることになってるしー)

 

 

 

東風戦 アリアリ 喰い替えなし 25000点持ち30000点返し

東家 加治木ゆみ

南家 津山睦月

西家 妹尾佳織

北家 藤村初日

 

東一局0本場 ドラ:{東} 親 加治木ゆみ

 

(智美ちゃんが私を頼ってくれたんだ……)

 

 よーし、がんばるぞと佳織は拳を握りしめ気合いを入れた。

 

一巡目佳織手牌

{一二四七九③④⑦⑧229東} ツモ{八} 

 

({七八九}で面子ができちゃったからタンヤオは難しいよね……。どうしよう……)

 

 ネット麻雀での自身の十八番、タンヤオが今回は使えそうにない。

 頭を悩ませながらも{9}を切った。

 

(リーチしたら役なしでも和了れるから……。みっつずつ、みっつずつ……)

 

二巡目佳織手牌

{一二四七八九③④⑦⑧22東} ツモ{④} 

 

(待ちが被っているところから削っていくんだよね……ってことは)

 

打{一}

 

三巡目佳織手牌

{二四七八九③④④⑦⑧22東} ツモ{五}

 

(えっと……ここはさっきと同じで……)

 

打{二}

 

四巡目佳織手牌

{四五七八九③④④⑦⑧22東} ツモ{⑥}

 

(ドラの役牌は切っちゃダメって智美ちゃんが言ってたけど……)

 

 熟慮の末、佳織は河に{東}を置いた。

 

打{東}

 

(これ……いらないよね)

 

 その瞬間、対面の加治木が動きを見せる。

 

「ポン」

 

加治木手牌

{■■■■■■■■■■■} {東横東東}

 

(あわわ、加治木先輩が二枚持ってたんだ……)

 

五巡目佳織手牌

{四五七八九③④④⑥⑦⑧22} ツモ{六}

 

(えっと……この場合は両面待ちになる様にするんだっけ)

 

「で、できました……。リーチします!」

 

 佳織は{④}を曲げて河に置き、ゴクリと喉を鳴らした。

 そして1000点棒を取り出そうとすると、加治木から声がかかる。

 

「そのリー棒、出さなくて良い」

「えっ?」

「ロン。ダブ東ドラ3、12000」

 

加治木手牌

{③⑤⑨⑨567北北北} {東横東東} ロン{④}

 

(うぅ……いきなりロンされちゃった……)

 

加治木ゆみ 37000(+12000)

津山睦月 25000

妹尾佳織 13000(-12000)

藤村初日 25000

 

 

 

東一局1本場 ドラ:{⑦} 親 加治木ゆみ

 

「ツモ。リーヅモ一発平和、1300・2600の1本場は1400・2700です」

 

十一巡目睦月手牌

{二三五六七③④⑤66678} ツモ{一}

 

 続く1本場は睦月がツモ和了った。

 

「また和了れなかった……」

「ワハハ、惜しかったなー」

 

同巡佳織手牌

{三四五②②②⑤⑤33} {横⑦⑦⑦}

 

(もう少しだったのに……)

 

 佳織の目尻には涙が溜まっていた。

 

加治木ゆみ 34300(-2700)

津山睦月 30500(+5500)

妹尾佳織 11600(-1400)

藤村初日 23600(-1400)

 

 

 

東二局0本場 ドラ:{8} 親 津山睦月

 

八巡目佳織手牌

{二三四六六八⑦⑦⑦赤5688} ツモ{4}

 

(できた。タンヤオに……えっと、ドラもみっつある)

 

「リーチですっ!」

 

打{八}

 

 佳織、今日三度目の聴牌。

 今度こそと意気込んでリーチをするが、

 

「ロン。白ドラ1、2000」

 

 再び加治木の餌食となった。

 

加治木手牌

{六七九九123} {横③④赤⑤} {横白白白} ロン{八}

 

「あわわわっ」

「ユミちん容赦ないなー」

 

(またリーチした瞬間、加治木先輩にロンされちゃった……)

 

加治木ゆみ 36300(+2000)

津山睦月 30500

妹尾佳織 9600(-2000)

藤村初日 23600

 

 

 

東三局0本場 ドラ:{}五 親 妹尾佳織

 

一巡目佳織手牌

{四赤五七八①②⑥⑦⑧77東北} ツモ{東} 

 

(親番だ……。点が1.5倍になるから、ここで差を縮めないと!)

 

 北が力強く河に置かれた。

 トップとは26700点差。

 どの程度和了れば良いのかはわからない。

 だが、明らかに自分一人が凹んでいるのは理解できている。

 自然と打牌に力が入った。

 

二巡目佳織手牌

{四赤五七八①②⑥⑦⑧77東東} ツモ{④} 打{①}

 

 

 

(ワハハ、佳織焦ってるなー)

 

 普段のおどおどした態度はどこへやら。

 自身の幼なじみは鼻息を荒くして一心不乱に自分の手牌を覗き込んでいる。

 

三巡目佳織手牌

{四赤五七八②④⑥⑦⑧77東東} ツモ{六} 打{②}

 

({三六九7東}待ちの一聴向。{東}を重ねるのがベスト、次点は{三六九}引き。{7}はあんまりうれしくないなー。三面張でドラドラがあるけどダブ東捨ては……点差的にちょっと)

 

四巡目佳織手牌

{四赤五六七八④⑥⑦⑧77東東} ツモ{東}

 

(おおっ! 一発で一番良いのを引いた! ワハハ、この局は佳織がもらったかー)

 

 

 

「リーチですっ!」

 

 {④}が佳織の力強い宣言と同時に河に置かれた。

 

(っ早い! リードもあるし、この局はオリたいが……)

 

加治木手牌

{四五六八九九4455889} ツモ{東}

 

佳織捨て牌

{北①②横④}

 

 自身の手元には現物どころか、スジすらない。

 状況から相手の手牌を読むのが得意――というか好き――な加治木だが、この巡目ではどうにも出来なかった。

 

(まいったな、安牌が一枚もない。……とりあえず隅から落とすか)

 

打{九}

 

 字牌は安全度が高いが、振れば二翻ついてしまう連風牌の{東}は切れない。

 {9}捨ても考慮に入れたが、一巡でも多く凌ぐ為、二枚持っている{九}から捨てた。

 

 

 

「あ、それです!」 

「なっ!?」

 

 驚きの声を上げる加治木をよそに、佳織は満面の笑みを浮かべ、手牌を前に倒した。

 

佳織手牌

{四赤五六七八⑥⑦⑧77東東東} ロン{九}

 

「リーチ一発に……ダブ東ドラ2つでしょうか」

 

 佳織は一転不安げな表情になりつつも、役を読み上げていく。

 

「ワハハ、やったなー佳織。それで合ってるけど裏ドラの確認を忘れてるぞー」

「あわわっ! 裏ドラは……ドラ表示牌の下の牌だっけ」

 

 佳織はハッとして王牌に手を伸ばし、おぼつかない手付きで裏ドラをめくる。

 そこに眠っていたのは{北}だった。

 

「ワハハ、裏3を足すと9翻。親の倍満は24000点。これで佳織が逆転トップだ」

「やったあ! 麻雀って楽しいね智美ちゃん!」

 

 肩を落とす加治木を尻目に、二人はハイタッチを交わし喜びを分かち合った。

 

加治木ゆみ 12300(-24000)

津山睦月 30500

妹尾佳織 33600(+24000)

藤村初日 23600

 

 続く1本場では睦月が平和のみを初日に直撃。

 佳織はトップをキープしたままオーラスへと進む。

 

加治木ゆみ 12300

津山睦月 31800(+1300)

妹尾佳織 33600

藤村初日 22300(-1300)

 

 

 

東四局0本場 ドラ:{②} 親 藤村初日

 

「ロン」

 

初日手牌

{一九①⑨19東南北北白發中} ロン{西}

 

「ふぇっ!?」

「国士無双、48000」

「……よん、まん、はっせん?」

 

加治木ゆみ 12300

津山睦月 31800

妹尾佳織 -11400(-48000)

藤村初日 70300(+48000)

 

 ほんの数分前、満面の笑みを浮かべていた彼女だが、今そこにあるのは妹尾佳織の抜け殻であった。

 

「ふふふ、智美ちゃん、麻雀って楽しかったね……」

「ワハハ、過去形になってる……」

 

 しなやかできめ細かさのあった金砂の髪が今はどこか煤けて見える。

 睦月の「やりすぎだ、バカ」という声に初日は以下の通り答えた。

 

「あたしの通ってた麻雀教室では、タンヤオドラ8の直撃でぶっトぶのが通過儀礼だった」

 

 初日曰く「オーラスまで持っただけマシ」ということらしい。

 一同はそんな麻雀教室には死んでも通いたくないと心を一つにした。

 

 

 

 ――十数分後。

 

「あっそれです、ロンで良いのかな? 間違ってるかも……」

 

 早くも立ち直った佳織は再び卓についていた。

 そして、初日が捨てた牌を見て、少し自信なさげに手を晒す。

 

「え~と……面前のチンイツなので12000点でしょうか」

 

佳織手牌

{一一一二三四五六七八九九九} ロン{九}

 

「んなアホな……」

 

 佳織の手牌を目にし、初日が信じられないと零した。

 跳満どころではないその役に、開いた口が塞がらない。

 

「お前が言うな!」

 

 異口同音に、蒲原、加治木、そして睦月が叫んだ。



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04.――行くぞ、全国まで

 インターハイ県予選が間近に迫る、五月下旬のある日。

 

「これよりインターハイ県予選に向けミーティングを開始する」

 

 加治木はホワイトボードの前に立ち、上部にデカデカと目指せ優勝と書き込んだ。

 一方、他四人は長机に横に並んで座っている。

 蒲原と睦月はついにきたかと緊張した面持ちで固まっていた。

 ここに居るメンバー以外と打ったことがない佳織は緊張半分楽しみ半分という様子。

 自分が負けるとは毛頭思っていない初日はわくわくしていた。

 

「まずは机の上に置いてある大会ルールに目を通してくれ」

 

 加治木のその声で全員が手元のプリントの束を覗き込む。

 

「まずは一枚目を。団体戦は100000点を全員で持ち回す。一、二回戦は半荘一戦ずつ、決勝戦は半荘二戦ずつを行うことになる。個人戦は25000点持ち30000点返しで東風戦を二十戦。その上位六十四名が決勝進出。決勝では半荘を十戦。その上位三名が全国大会出場となる。まあこれが大まかな流れだ」

「100000点を持ち回し……つまり、最終的に点棒が最も多いところが勝ちになるのでしょうか?」

 

 佳織の率直な疑問に加治木が答える。

 

「そうだ。他の競技では三勝二敗なら勝ちとなるだろうが、麻雀ではそうとも限らない。むしろその二敗の部分で大きく点を失っていたら最下位すらあり得る。逆に一勝四敗でもその一勝で点を稼いでいれば勝つことができる」

「これぞ本当の総力戦という感じだなー」

「うぅ……ちょっと緊張してきた」

 

 自身の一敗がチームに致命傷を与えるかもしれない。

 そう思うと胃がキリキリと痛む。

 佳織は青い顔をしてお腹をさすった。

 

「飛ばなければ他の四人でカバーできる。気にしすぎることはない」

 

 佳織の入部から既に一月の時が流れた。

 部員達の熱心な指導により、同じ卓を囲んで打っている分にはとても初心者だとはわからない程度までレベルアップさせることに成功した。

 打ち筋にはまだまだ荒さが残るが、それは牌譜を見なければ解らない程度。

 ()()()()()()()()は未完の大器に繋がるロマンがあった。

 

「大体理解して貰えただろうか。二枚目以降は細かいルールの説明になっている」

 

 一同納得し、プリントをめくる。

 

「大三元大四喜四槓子のパオあり。役満の複合なし。ダブロンは頭ハネ。トリロン、四人リーチは流局、親の連荘とする……」

 

 つらつらと気になる部分を読み上げていく睦月。

 その傍らで初日と蒲原は安堵の息を吐いた。

 

「赤ドラなし、国士無双の暗槓和了りはあり。……助かりました。あたし向きのルールです」

「ワハハ、赤ありで初日とやると相手の打点がおかしいことになるからなー」

 

 初日は自身の性質上ドラをツモることができない。

 赤ありならドラは都合八枚。

 つまり、対局者に和了時二~三翻のアドバンテージを与えるのと同じである。

 それに槓ドラが加われば、途方もない数のドラを他家に集中させてしまうことになってしまう。

 

「ああ、初日の幺九牌ばかり引くという特性は安牌を抱えやすく、本来は守備にも向いているはずだ。しかし、ドラを引けないという制約がある為、赤ドラがあるといまいち目立たなかったが……」

 

 この条件なら思う存分その力が振るえるだろう。

 そう加治木は締めくくった。

 

「大体理解して貰ったところで団体戦の布陣を発表する」

 

 加治木は背を向けホワイトボードに名前を書き込んでいく。

 

先鋒 蒲原智美 三

 

次鋒 妹尾佳織 五

 

中堅 加治木ゆみ 二

 

副将 津山睦月 四

 

大将 藤村初日 一

 

「名前の横の数字は部内の対戦成績の順位だ。さて、色々異論はありそうだが……。反論は私の説明を聞いた後にしてくれ」

 

 蒲原は苦笑いを隠し切れない様子、意味することがよく分かっていない佳織はとりあえず愛想笑いを浮かべている。

 睦月は困惑を顔全体で表しており、初日は当然でしょと胸を張っていた。

 

「まず先鋒の蒲原だが、この中で一番麻雀歴が長く、経験に基づく押し引き判断の巧さは部内一だ。最強者の初日は特殊だし、私は蒲原と比較して勝率も高いがラス率も高い。安定感がある蒲原がこのメンバーの中で一番先鋒向きだろう。各校のエースクラスが相手となるが、お前なら安心して任せられる」

「ワハハ、ユミちん照れるなー」

 

 加治木の言葉に蒲原は頭をかいた。

 

「次鋒はエースの後となるだけに守備能力に秀でた比較的堅実な打ち手が置かれることが多いポジションだ。だからこそ五位の佳織はここ据えるのが最善のはずだ。それなりのレベルに仕上げたつもりだが、まだまだ単純なミスもある。しかし、守備型の打ち手が相手なら大量失点の可能性は低くなるだろう」

「うぅ……ごめんなさい」

 

 自分が情けなく感じられた佳織は消え入りそうな声で答えた。

 

「気にすることはない。そもそも佳織が居なければ団体戦に出られていないんだ。私はお前が入部してくれたということ、ただそれだけでも幸せだ」

「うぇっ!?」

 

 加治木の言葉に佳織は顔をリンゴの様に染め上げてうつむく。

 かわいいやつめと加治木は口元をほころばした。

 

「そもそも団体戦の条件なら、大量失点さえしなければ()()()()()()()。さて、次は大将の説明する。初日はビハインドの状況でこそ本領を発揮するタイプだ。最強者は先鋒に置くのがセオリーとされているが、初日に限っては点数差の付いている状況の方が活躍しやすいだろう」

「全校まくりきって見せます!」

 

 初日は立ち上がって誇らしげに答えた。

 

「ビハインドでのスタートをだけ前提にするなよ。大量リードからの逃げ切りを任すこともある」

 

 全く失礼なヤツだと口では言いつつも、その心行きや良しと加治木は満足げに頷く。

 

「中堅に戻るが、私をここに置いたのは不測の事態が生じた場合を考慮したからだ。先鋒が別格の相手だったり、次鋒に攻撃型の選手が配置されていたりで大量失点をするとかなりの重圧がのしかかる事になる。そんなポジションに後輩を置くというのは忍びないからな」

 

 遠回しにだが睦月に中堅は務まらないという内容を少し気まずそうに加治木は話す。

 

「ありがとうございます。私は……私なりの精一杯で初日に繋いで見せます」

 

 自分には蒲原の様な経験や、加治木の様な読みの鋭さ、まして初日の様な特異性はない。

 だが、それでもできることをするだけだと睦月は固く誓う。

 

「ワハハ、みんな頼もしいな。ユミちん、戦いに向けて音頭を取って気合いを入れるかー」

「あ、今の台詞すごく部長らしかったよ智美ちゃん」

「そ、そうかー照れるな……」

 

 それ普段は部長らしくないって言ってる様な物だよねと他三人は思ったが当人達が気にしてない様なので黙っていた。

 

「んんっ、そこの二人そろそろ良いか?」

「ワハハ、すまんすまん。頼んだユミちん」

「今年のインハイ――全部勝つ!」

「オーッ!」

 

 加治木のその声に一同は右手を挙げ答えた。

 

 ――行くぞ、全国まで。

 

 

 

 インターハイ県予選の前日。

 一年生トリオの姿が藤村家に揃っていた。

 

(おっきい初日だ……)

(大きくなった初日さんです……)

 

 睦月と佳織の目の前で変化自在のヘラ捌きでお好み焼きを焼いている女性を見て、二人は心を一つにした。

 成人女性としては若干低い方に分類されるである身長、そしてどこか小動物を連想させる様なかわいらしい顔つき。

 自身達の対面に座る少女と見比べても、髪型こそ大きい方がセミロング、小さい方がショートボブという違いがあるが、くりくりとしたかわいらしい目といい、身長にそぐわない胸部装甲の厚さといいそっくりだった。

 

「あら、どうしたの? もしかしてお好み焼きはそんなに好きじゃなかった?」

 

 あまりにもじっと眺めていた為か、大きい方が手を止めてこちらに目をやって話しかけてきた。

 

「あ、いえ! こんな本格的な作り方をするとは思ってなかったので、ビックリして……。お店みたいですね」

「す、すみません……」

「うふふ、そんなに期待されたら照れちゃうわ睦月ちゃん。佳織ちゃんも今日は自分の家だと思ってもっとリラックスしてね」

 

 まさか、「あなたの顔を観察していました」とは言えないのでとっさに言い訳をするが、言われた本人はうれしかったらしく顔を大きくほころばした。

 しかしそれにしても、

 

(初日に似てるなあ……)

(初日さんに似てます……)

 

 

 

 ――同日の鶴賀学園麻雀部の部室内。

 

「さて、いよいよ明日からインターハイ予選が始まる。現状で出来る限りのことをやったつもりだが、私達には後一つ何が何でもやらなければならないことが残っている」

 

 真剣な表情でやり残したことがあると語る加治木。

 一同はツバを飲み込む。

 

「それは……初日をどうやって会場に送り届けるかだ」

「へ? あたし!?」

 

 自分を指さして驚愕の表情を浮かべる初日を尻目に加治木はさらに続ける。

 

「こいつの持っているドジっ娘属性と運のなさを鑑みると……一人で向かわせて無事にたどり着けるとは毛の先ほども思えん。道中でバナナの皮に滑って転び、骨折しました。などというギャグ漫画みたいな話があってもおどろけない」

 

 そう言って大げさに頭を抱える加治木に初日以外の三人はうんうんと同調した。

 

「さ、さすがにそこまでついてねぇことはないと思います!」

 

 初日は必死に否定するが、

 

「うむ。転んで入学式を欠席したドジっ娘のエリートはどこの誰だったかなぁ」

「ワハハ、今から五回ジャンケンをして初日が勝ち越したら考えてやるぞー」

「ご、ごめんなさい」

 

 という三人の意見に押し黙った。

 睦月と蒲原はニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべ、佳織は心底悪そうに謝った。

 加治木はコホンと咳払いをして仕切り直す。

 

「そこでだ……睦月と佳織に頼みがある。当日、こいつと一緒に会場に向かって欲しい。私達は先に向かってオーダーの登録を初めにすることがたくさんあるからな」

 

 そこから先の話は早かった。

 場所の確認の為に三人で初日の家に向かうと、偶然にも買い物に出かけようとした藤村母と遭遇。

 事情を説明するや否や、「なら家に泊まっていけばいいじゃない」という初日の母の案が三対一の多数決で採用され(もちろん反対票の一は初日)、睦月と佳織は一時帰宅。

 そして、着替えと荷物を持参して再登場となった。

 

 

 

 夕食を終え、入浴を済ますと三人は初日の部屋へと移動していた。

 まだ眠るには早すぎる時間帯。

 睦月と佳織は他人の家で行う暇つぶしランキング、第一位アルバムあさりを開始していた。

 

「初日さん、これいつ頃の写真ですか?」

 

 佳織が取り出してきた写真には初日を挟む様に左右に二人ずつ、合計五人の少女が並んでいた。

 

「ん? ああ、それは中学入学直後かな」

「あっ、私にも見せて。麻雀クラブにて……ってことはここが初日が言ってた初心者の心を全力でへし折りにかかる麻雀教室?」

「大当たり。加害者は……この娘。『ツモ。ツモドラ7、4000・8000です』って具合に」

 

 そう言って左端の黒髪ロングの少女を指さす。

 

「へー、どちらかというと優しそうな印象を受けるんだけど……。人は見かけによらないというやつか」

 

 実際、優しく頼りになる面倒見の良い娘である。

 だが、ドラ爆被害に遭った初日は睦月の勘違いを訂正せず、受け流した。

 

「主な被害者が……この娘」

 

 今度は右端のポニーテールの少女に初日の人差し指が伸びていた。

 

「すごい格好……。この娘、ジャージの上しか着てない様に見えます」

「……露出狂?」

「世の中には……知らない方が幸せなこともあるって」

 

 初日は放心状態の二人の肩に手を置いてこれ以上追求しない方が良いと諭した。

 

「このお姫様みたいな娘は?」

 

 佳織は初日の右隣に写っているフリフリの服を着たピンクブロンドの少女が気になる様だ。

 

「『確率の偏りです!』とか言いながら良く直撃を貰ってた……。でも、この中で一番麻雀は上手だったと思う。確かあたしより一足早く長野に引っ越したよ。案外近所に住んでるかも」

「な!? マズイじゃないか、麻雀を続けているとしたら敵として出てくる可能性がある」

 

 この中で一番上手だったという部分に反応して睦月は険しい顔になる。

 

「大丈夫、この娘一つ年下だから……今は中三のはず」

「え!? ってことはこの写真の彼女は小学六年生? 智美ちゃんがかわいそうだよ……」

 

 大きく盛り上がっている少女の上半身の一部を凝視し、ありえないという顔をして佳織が呟いた。

 

「そんなおっぱいありえません……」

「それ……部長に直接言ったら絶交されるレベルだと思う……」

 

 ナチュラルに黒い発言をする佳織に睦月は顔を引きつらせた。

 その後、左隣のツインテールの少女に話が移っていたところで、コンコンと部屋のドアがノックされる。

 

「ねえ、県予選の前に腕試し、やってみない?」

 

 そこには麻雀マット持った初日の母がいた。

 

「え、あたしは良いけど……」

 

 思えば母と卓を囲むのはこれが初めてになるのか。

 藤村家は家族全員が麻雀を打てるものの、父が母との同卓を異常なまでに忌避する。その為、麻雀を教えて貰ったことこそあれど、勝負したことはなかった。

 そう思い返しつつ、初日は二人はどうなの? と睦月と佳織に流し目を送る。

 

「うむ。よろしくお願いしたい」

「よ、よろしくお願いします」

 

 鶴賀学園は大会にすら出場したことのない弱小校ということもあり、練習試合の類が全く組めなかった。

 貴重な部員以外との対戦、睦月と佳織は一も二もなく了承した。



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05.塩味とタレ味のどっちが好き?

 インターハイ長野県予選会場。

 オーダー登録を終え、加治木は観戦室の席取りに向かった。

 蒲原は一年生トリオと合流する為、待ち合わせ場所へと向かう。

 そこに居たのは青い顔をした少女と逆に頬を赤く染め興奮気味の少女。

 

(……終わったかー?)

 

 一人足りない……。蒲原の頭に最悪の事態が過ぎた。

 

「智美ちゃん、おはよう」

「……おはようございます、部長」

「おはよう。で、あいつはどこに消えたんだ?」

 

 正直、蒲原はあまり尋ねたくはなかった。

 知らない方が良い現実に、直面してしまうのではないか、という不安が先行していた。

 

「えっと、初日さんのお母さんの運転が遊園地のアトラクションみたいですごかったんだよ。でも、初日さんちょっと気分が悪くなったみたいだから……」

「仮眠室に放り込んで来ました。まさか一時間かからず到着するとは思いませんでした……」

 

 嬉しそうに話す佳織の後に、顔面蒼白の睦月が続く。

 睦月の様子を見るに、メリーゴーラウンドの様な穏やかなものではないのは明白だった。

 コーヒーカップの様に回転したり、絶叫マシンさながらの急加速と急停止があったのだろうと蒲原は推測する。

 そもそも長野市(鶴賀学園)から、塩尻市(予選会場)まで八十km以上離れているのだ。

 道中、長野道(高速道路)を通るとはいえ、ICに入るまでの区間、どんなスピードを出していたのか考えたくない。

 

「ワハハ……」

 

 蒲原は乾いた笑いを零すことしかできなかった。

 佳織は普段は気弱そうに見えるくせに妙に肝が据わっている。

 案外自分よりも勝負事に向いているのかも知れないとも思った。

 

 

 

 その後、三人は観戦室に向かい加治木と合流、事情を説明した。

 

「無事? かどうかはさておき、たどり着けた様で何より。睦月、佳織、本当にありがとう」

 

 加治木は二人に労いの言葉を掛ける。

 佳織はいえ当然のことをしたまでですよ、楽しかったですしと純粋に喜んでいる。

 睦月は疲れ切った顔で明日は電車とバスで来ます……とだけ話した。

 

「ところで、組み合わせはどうなったんですか?」

 

 その睦月の疑問に加治木が答える。

 

「ああ、幸いにも風越とは別ブロック。決勝までは当たらない良い場所を引いたよ」

 

 加治木はこれを見てみろとトーナメント表を睦月に手渡した。

 

「えっと一回戦の相手は……稲荷山・高瀬川・北天神? どこも聞き覚えのない学校ですね」

「ワハハ、長野は風越の一強状態になってもう六年。まあどこと当たっても似たようなもんだろー」

 

 長野県の団体戦は過去6年に渡って風越女子が全国大会への切符を手にしている。

 蒲原の説明に睦月はそれもそうだと納得した。

 

『まもなく、一回戦先鋒戦が始まります。各校の選手は、指定の対局室に向かってください』

 

 そうこうしている内に、一回戦開始のアナウンスが流れた。

 

「ワハハ、お呼びがかかったな。行ってくるぜい」

「頼んだぞ、蒲原」

「まかせとけ、初陣は先鋒戦だけでケリを付けてやる」

 

 蒲原は自分を鼓舞する言葉を発し、不敵な笑みを浮かべ、対局室へと向かう。

 しかし、ネットの海に毒された少女達にとってその姿はひどく痛々しいものに見えた。

 

「死亡フラグだな」

「智美ちゃん……最後の一言余計だよ……」

「うむ。部長、かませキャラみたいですよ……」

 

 

 

 蒲原が対局室へと入ると既に他三校のメンバーと審判の男性が揃っていた。

 かるく挨拶をするとすぐさま場決めを行い、各々の席へと座った。

 

(ワハハ、テレビカメラに囲まれてる……。緊張するなー)

 

東南戦 アリアリ 喰い替えなし 100000点持ち

東家 稲荷山

南家 鶴賀学園

西家 北天神

北家 高瀬川

 

東一局0本場 ドラ:{9} 親 稲荷山

 

一巡目蒲原手牌

{一四八①①②⑤⑨368北北} ツモ{⑤} 

 

 蒲原は配牌と第一ツモを見て気が遠くなった。

 

(な、何だこりゃー。ワハハ、初日の配牌みたいだ……)

 

 蒲原は字牌をお守り代わりに抱えつつ七対子か対々を狙い、他家が聴牌した気配があればベタオリが最善と判断。

 頭を抱えたい衝動に駆られながらも一萬を切った。

 

(勝負する場面じゃないなー)

 

 そして迎えた九巡目、親の稲荷山からリーチがかかる。

 

捨て牌

稲荷山

{南西八九南二}

{三1横⑤}

 

鶴賀学園

{一八六3⑨6}

{85}

 

北天神

{南⑨發①發四}

{4七}

 

高瀬川

{九中七七⑦⑨}

{中⑧}

 

九巡目

{三三①①②②③⑤⑤東北北白} ツモ{9}

 

(ワハハ、ドラ引いちまった……)

 

 意外と手の進みが早く、和了り目もありそうだ。そう思い直した矢先に親リー。

 回し打ちしようにも浮き牌が、無スジの{③}、生牌の{東白}、ドラの{9}。

 どれも危ないと感じる牌だ。

 

(これはベタオリ確定だなー)

 

 蒲原は一聴向を崩し、稲荷山の現物である{⑤}を河に置いた。

 

(まずは{⑤}の対子落とし、次は{三}の対子落とし。これで四巡は凌げる)

 

 その間に、安牌も増えるだろうし、安牌を引く可能性も十分。

 オリきれると蒲原は判断した。

 

 

 

 観戦室で対局室の映像を眺めていた加治木が顔をしかめる。

 

「まずいな……」

「何がですか? 振り込みはしないと思いますけど」

 

 佳織は加治木の言葉の意味がわからず不思議そうな顔をして尋ねた。

 

稲荷山手牌

{四五六六七八⑥⑥⑥99東東}

 

 ドラの{9}と連風牌確定となる{東}のシャボ待ち。

 出和了りの場合、{9}ならリーチドラ3、{東}ならリーチドラドラ連風牌でどちらも満貫。

 ツモ和了りの場合、{東}なら跳満になる大物手。

 しかし、一月前までの佳織の様な初心者ならともかく、蒲原ほどの熟練者が引っかかる待ちではない。

 

「高瀬川を見てみろ。まだ張ってはいないが……」

 

九巡目高瀬川

{四五34567789白白白} ツモ{二} 打{二}

 

「あっ、すごく待ちが多いです」

 

 {三四五六23456789}待ちの一聴向。

 {9}は山に残っていないが、都合11種類もの有効牌が存在している。

 

「萬子引きで張ってくれれば問題ないが……二巡以内に{3467}を引かれると」

 

 ――蒲原が{三}で振り込む。

 さすがに打{白}リーチなら、蒲原も警戒して振らないだろう。

 だが、ダマだとどうだろうか?

 リーチ者の現張りなら、あっさり出してしまう可能性が高く思えた。

 

「でも、親にツモられて4000~6000オールを喰らうよりはマシじゃないですか?」

「確かにそうではあるが……」

 

 4000オールならトップと16000点差、6000オールなら24000点差。

 それに比べ、白ドラ1の40符2翻なら2600点、つまりトップと5200点差で済む。

 得失点差を考え佳織はそう意見するが、加治木はまだ浮かない表情だ。

 

十巡目稲荷山手牌

{四五六六七八⑥⑥⑥99東東} ツモ{⑥}

 

『カン』

 

ツモ{九} 打{九} 新ドラ:{白}

 

「高瀬川の白ドラ1が白ドラ4の満貫手に化けました……」

「……」

 

 見間違いだと思いたい現実だが、ご丁寧に佳織が実況してくれている。

 どうやら夢ではないらしい。

 加治木は頭痛を抑える様にこめかみに手を当てた。

 画面の中の蒲原は順調に{⑤}を捨てている。

 そして高瀬川のツモ番。

 

高瀬川手牌

{四五34567789白白白} ツモ{6} 打{7} 

 

 {三六}待ちで白ドラ4、当然のダマ聴。

 リーチすれば跳満が確定するとはいえ、和了率に天と地ほど差が出る。

 一か八かの跳満よりも、高確率の満貫を選ぶのが、大抵の場合正解となる。

 

「あいつがここに居ればこう言うんだろうな……」

 

 加治木は画面から視線を外し、大きく溜息を吐いた。

 そして消え入るような声で呟く。

 

「ついてねぇ……」

 

 次巡、蒲原はきっちりと{三}を切り、高瀬川の満貫に振り込んだ。

 

『ロン! 8000』

『ワハッ!?』

 

稲荷山 99000(-1000)

鶴賀学園 92000(-8000)

北天神 100000

高瀬川 109000(+9000)

 

 

 

 佳織は仮眠室で初日に声を掛けながら揺さぶっていた。

 

「起きて、起きてください」

 

 誰かに呼ばれている様な気がする……。

 初日は目を開くと、視界を金砂の煌めきが占めていた。

 どうやら先ほどの声の主は佳織らしい。

 

「ま、まだ世界が回ってる気がする……」

「地球は回り続けてるから間違ってはないと思うよ……ってそういう問題じゃないです。副将戦が南入しましたから、そろそろ起きないと間に合いませんよ!」

 

 布団に身を包んだまま初日は上半身を起こした。

 それに、佳織がどこか的外れな答えを返す。

 

「もうそんな時間?」

「そんな時間です。顔を洗って観戦室に向かいましょう」

 

 半荘一戦が一時間程度とすると……三時間半も眠っていたということか。

 

「あと十分……」

 

 初日はお決まりの台詞を吐いて顔を布団で覆う。

 しかし、佳織は問答無用と掛け布団を無理矢理引き剥がす。

 そこには生まれたままの姿の初日が転がっていた。

 

「何で服を着てないんですかー!」

「いや、寝るときは全裸派やし」

「昨日家では着てたじゃないですか!」

「友達の目があるところで全裸は……」

 

 変態みたいでイヤ。と初日は恥ずかしそうに続けた。

 友達どころか赤の他人の目のあるここで脱ぐ方が変態の様な……。

 そう佳織は突っ込みたくなったが、そんなやりとりをしている暇はないと我に返る。

 

「とにかく急いでください。そのままの姿で放送されたくないですよね」

 

 遅れそうなら着替えを待たずに対局室に放り込みますよ。

 黒い笑みを浮かべて迫る佳織に、初日はコクコクと頷いた。

 いつの間に佳織は自分に対してこんなにアグレッシブになったのだろう。

 オドオドしている娘だったが、唯一幼なじみである蒲原に対してはそんな面をあまり見せなかった。

 しかし、気が付けば初日に対してもそんな面を見せなくなっている。

 入部したその日に国士でトばしたのを根に持っているのか。

 その後も情け容赦なく全力でトばし続けたのがいけなかったのか。

 

 

 

 着替えを済ました初日と佳織は、観戦室の扉を開き、蒲原と加治木の元へと向かった。

 

「ワハハ、重役出勤だなー」

「事情は聞いた。災難だったが、たどり着けただけマシだ」

 

 たどり着けただけマシとは自分はどこまで信頼がないのだろうか。

 初日はがっくりとした。

 

「す、すみません……。それで、今の状況は?」

 

 初日は遅刻の謝罪をすると同時に戦況を尋ねる。

 しかし、それに誰かが答える前にアナウンスが流れた。

 

『まもなく、一回戦大将戦が始まります。各校の選手は、指定の対局室に向かってください』

 

「点棒を見ればわかる。行ってこい」

「ワハハ、頼んだぞー」

 

 至極当然のことをのたまう加治木。

 部長の蒲原は全てを任すと一言。

 

「へ?」

 

 初日が困惑していると、佳織が手を引っ張っくる。

 

「行きますよ、初日さん」

 

 初日は心の準備をする間もなく、佳織によって対局室へと引きずられていった。

 

「ついてねぇ……」

 

 肩をいからせて大股で歩く佳織を見て、途中ですれ違った睦月はギョッとした顔でこちらを見ていた。

 

 

 

 観戦室に愉快そうに笑う蒲原の声が響いていた。

 

『ツモ。白対々混老頭、4000オール』

 

初日手牌

{一一九九白白白} {9横99} {①①横①} ツモ{一}

 

 東四局の親番、初日は満貫をツモ和了った。

 東三局に続き、大将戦二度目の混老頭に他家は唖然としている。

 白と対々和は良く見かける役だ。

 しかし、混老頭なぞそうそう見られるものではない。

 

「これは貰ったも同然かー」

「……油断は禁物だ」

 

 緩みきった顔をしている蒲原に加治木が注意する。

 しかし、当の加治木ももう勝ったものと勘定していた。

 

一位125700 鶴賀学園 

二位96300 高瀬川 

三位91800 稲荷山 

四位86200 北天神 

 

 残り五局で32100点のリード。

 よほどの大物手を喰らわない限りは逃げ切れる。

 

「ワハハ、鶴賀の秘密兵器の力、とくと見よ!」

「智美ちゃん、全然秘されてないと思うよ……」

 

 初日のツモの偏りは牌譜を見るまでもなく一目瞭然。

 とても隠しきれるものではない。

 

「相手はビビってるだろなー。何て言ったって二回目の混老頭だからなー」

 

 なあユミちんと蒲原は同意を求める様に、隣に座る加治木をちらりと見る。

 

「そうだな。わかりやすい死亡フラグを立てて、先鋒が四万点近く失った時もビビったな」

「ワハ……ハ」

 

 加治木の絶対零度の言葉で蒲原が凍り付いた。

 

「麻雀は実力以上に運の要素が強いから……智美ちゃんは悪くないよ」

 

 気にしちゃダメ。

 そう言って励ましの言葉を掛けるのは+13000の佳織。

 

「うむ。部内の対戦成績では私は大幅に下回ってますし……」

 

 たまたまですよと+10300の睦月が続く。

 

「ところで、焼き鳥は塩味とタレ味のどっちが好きなんだ?」

 

 塩も良いが、やはりオーソドックスにタレだなと+17200の加治木。

 

「……や、焼き鳥は見たくもないなー」

 

 もはや笑うことすら出来ない。

 -36700の蒲原はガクッと肩を落とす。

 そして2回戦での巻き返しを誓った。




塩味とタレ味のどっちが好き?
→ 塩味 と タレ味 の どっちが好き?
→ 塩味 と タレ味のどっち が好き?

?「私はどんな味でも和ちゃんが好きだよ!」
PN嶺上開花さんからのお便りでした(大嘘)


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06.オレはしくったのか――!?

一位119700 鶴賀学園 

二位94800 稲荷山

三位92600 高瀬川  

四位92900 北天神 

 

 東四局時点と比べ、持ち点は多少減った。

 だが、他家がつぶし合ったおかげで、オーラスに入って二位と24900点差。

 リー棒さえ余分に出さなければ、跳満直撃を喰らっても逆転されないセーフティリードともいえる点差をキープすることができた。

 しかし、初日の表情は浮かないものだった。

 

南四局0本場 ドラ:{2} 親 鶴賀学園 

東家 鶴賀学園

南家 北天神

西家 高瀬川

北家 稲荷山

 

一巡目初日手牌

{一五九①⑨7東南北白發中中} ツモ{⑨} 打{五}

 

(“ついてねぇ”にも程がある……)

 

 配牌で国士無双の二聴向。

 今が崖っぷちのピンチなら何もおかしくなく、初日らしい配牌と言える。

 しかし、大量リードの場面で何故こうなるのか。

 一応、過去の実体験から、一つの可能性が浮かんでいた。

 

二巡目初日手牌

{一九①⑨⑨7東南北白發中中} ツモ{1} 打{7}

 

 それは、他家が圧倒的に格上だったという場合。

 初日の考えであるが、流れや運というものは雀力に比例して、付いて来るものである。

 つまり、相手が抜けて強ければ、本来初日に来るはずだった流れや運を持っていかれてしまうという事態が起こる。

 

三巡目初日手牌

{一九①⑨⑨1東南北白發中中} ツモ{中} 打{⑨}

 

 その場合、他家に大物手がバンバン入り、高火力の撃ち合いになる。

 だが、この半荘では跳満以上の手を誰も和了していないので、その可能性は低い。

 

四巡目初日手牌

{一九①⑨1東南北白發中中中} ツモ{南} 打{中}

 

(どうしてこうなる……)

 

 順調に手は進み続ける。

 だからこそ、不自然な“ついてねぇ”状態に初日は首をかしげた。

 

五巡目初日手牌

{一九①⑨1東南南北白發中中} ツモ{9} 打{中}

 

(張っちゃった……)

 

 

 

 ――同時刻の観戦室。

 

「相手が可哀想になってきました……」

 

 佳織は悲しげに目を伏せる。

 

「うむ。初日は“最高に絶不調”だね」

「ワハハ、トラウマにならなければいなー」

 

 反対に睦月と蒲原は少し楽しげな様子だ。

 

五巡目北天神手牌

{三五22223478西西西} ツモ{西}

 

 西を切ったらアウト。国士無双だからカンしてもアウト。

 しかし、切らなければ聴牌できない。

 正に八方塞がりである。

 

『カン』

 

北天神手牌

{三五22223478} {■西西■}

 

 北天神の大将が選んだのはカンだった。

 現状では聴牌したとして、裏ドラを考慮に入れなければ、最高がリーチ一発ドラ4で跳満。

 逆転手に仕上げるにはカンドラを乗せるか、索子を引いて混一に移行するかが必要。

 裏ドラ次第ではこのままでも逆転の目がゼロではないが、それはあまりにも運だのみの側面が強すぎる。

 もちろん、カンをしたところで、カンドラが乗る保証はない。

 だが、裏ドラも増えることを考慮すれば、決して間違った選択ではなかったのだろう。

 

『ロン! 国士無双、48000!』

 

初日手牌

{一九①⑨19東南南北白發中} ロン{西}

 

 しかし、無情にも初日から希望を打ち砕く宣言が成された。

 北天神の大将は泣き崩れている。

 

「エグい……」

 

 その姿を見た加治木は思わずそう零してしまった。

 喜ばなければならない場面ではあるが、やりすぎである(無論、手抜きを良しとはしないのだが)。

 

(勝ち続ける度に……この想いを背負う必要があるのか)

 

 そして、ふと現実に帰る。

 何も、これが国士無双でなくとも結果は同じ。

 勝ちは鶴賀で他三校は負け。

 今もなお顔を俯かせる三校の生徒達、その想いを背負うことになる自分達は勝ち続けなければならない。

 

(蒲原は――平気そうだな。だが、佳織と睦月は……)

 

 蒲原は、以外と大人びた精神構造で、少々のことでは動じない。

 だが、蒲原よりも大人びた容姿をしている佳織と睦月だが、その中身はごく普通の女子高生。

 余分なプレッシャーを背負わせる必要はないだろう。

 そう思い、加治木は何も言わないことを選んだ。

 

 ――勝利とはおもいものである。

 それが「重い」なのか、「想い」なのか、今の加治木には判断出来なかった。

 

一回戦終了時

一位167700 鶴賀学園(+48000)

二位94800 稲荷山

三位92600 高瀬川  

四位44900 北天神(-48000)

 

 

 

 ――同時刻。予選会場の外にある大型ビジョン。

 

「奇怪千万!」

 

 その前で一人の少女がはしゃいでいた。

 小学生と言っても自然なほど低い身長。

 物語のお姫様のようにフリフリがふんだんに使われた制服らしき衣装。

 ウサ耳を模した赤いカチューシャは、その姿を実年齢よりもかなり幼く見せた。

 

「いんたあはいなぞ座興でしかないと思ったが」

 

 ひとしきりはしゃいだ後、一転落ち着いた顔になり、顎に手をあて思案にふける。

 

「――居るではないか衣と同根の傍輩が」

 

 そして悪魔の様に、口元を三日月の形に歪めた。

 

 

 

 ピクニックで良く起こる悲劇ランキング、第一位といえば何を思い浮かべるだろうか。

 休憩所と休憩所の中間で催すことか? 

 否。お花を摘みに行くとでも言って、母なる大地に全てを委ねれば問題ない。

 突然の悪天候? 

 否。それに備え、折りたたみ傘や雨具を持っている人は多いだろう。

 

 今、藤村初日に魔の手が迫っていた。

 

 予選会場の外にあるベンチ。

 一回戦突破を果たした鶴賀学園麻雀部の五人は、昼食を取ろうとそこに並んで座っていた。

 

「ワハハ、うまそうだなー」

「わぁ……」

「うむ。これは……」

 

 五つ積み重ねられた重箱の蓋を開け、蒲原が感嘆の声を漏らす。

 中身を覗き込んだ佳織と睦月もごくりと喉を鳴らした。

 だし巻きたまごにタコさんウインナー、そしてきんぴらゴボウにミニハンバーグ、隅にはプチトマトが置いてあり、見る者の食欲をそそる綺麗な彩りで飾られている。

 

「しかし、私達の分まであるとは……ありがたい限りだ」

 

 思わぬ差し入れに加治木も頬が緩んだ。 

 

「初日のお母さんにはお礼を言いに行かないとなー」

「そうだな。だが、まだ会ったことはないが、その人となりはおぼろげに理解できた」

「ワハハ、私も何となくわかった気がするなー」

 

 蒲原と加治木はお弁当を食べるのに必要な、あるものを探すが見当たらない。

 そして二人は初日に向かって異口同音に質問した。

 

「お箸は?」

 

 そう、入ってなかったのだ。お箸が。

 

「コンビニで買ってきます……」

 

 初日はついてねぇといつもの言葉を吐き捨て、ダッシュでコンビニへと向かった。

 

 

 

「う~ん、うまい!」

 

 コンビニからの帰り道、初日は一回戦突破記念の自分へのご褒美として、割り箸のついでに購入したソフトクリームにかぶりつく。

 初日はエアコンの効いている会場に合わせ、冬服を着ていた。

 だが、屋外に出ると暑くて堪らない。もう六月なのだ。ソフトクリームは、とかく冷たい物を欲していた体にとって、何よりの清涼剤だった。

 しかし、それに夢中になるが故に前方への注意がおろそかになり、初日は人にぶつかって尻もちを付いてしまう。

 

「わりィ、小さくて見えなかった。大丈夫か?」

 

 失礼なことを言いながら、中性的なかっこよさに溢れる女性が手を差し出してきた。

 ショートカットの銀髪と、百八十cmは超えているだろうという長身が爽やかさを演出している。

 

(デカッ!? しかもクールビューティ……)

 

 低めの身長がコンプレックスの初日にとって、存在自体がイヤミとも言える相手。

 思わず顔が強ばった。

 

「大丈夫です。慣れとるし……」

「……イジメにでもあってるのかお前?」

 

 不機嫌そうに答える初日。

 長身の女性は少し心配するそぶりを見せた。

 

「ち、違います! あたし、ついてなくて、こんなことが良くあるんです!」

「そ、そうか。それは悪かったな」

 

 一転、初日はないないと身振り手振りを混ぜながら否定する。

 あまりの必死さに少し引き気味になりながらも、相手は勘違いを謝罪した。

 

「ってあたしのソフトクリームがっ!」

 

 そして次に初日はアスファルトと熱い抱擁を交わすソフトクリームを見て、悲鳴を上げる。

 その様子を見かねた相手が五百円玉を財布から取り出した。

 

「悪かったな。これで足りるか?」

「良いです。前を見てなかったあたしが悪かったんで」

 

 初日は断るが、胸ポケットに無理矢理お金を突っ込まれた。

 

「気にすんな、お互い様だ。ここで会ったのも何かの縁だろう。オレは龍門渕の井上純。お前は?」

「鶴賀学園の藤村初日です」

 

 初日の自己紹介を聞いて、純は小声で何度も初日、初日と呟く。

 

「よし覚えた! 昼飯買いに来てるということは勝ち抜いたんだろ? またどっかで会う時はよろしく頼む」

 

 純は、またなと言って颯爽と立ち去った。

 

「えっ、あの見た目で高校生!?」

 

(二十代やと思った……)

 

 初日は、本人が聞いたらショックを受けるであろう感想を持っていた。

 

 

 

「しっかし、さっきのは何だったんだ? ブルッときたぜ」

 

 あのロリ巨乳――初日を目にすると同時に、雷に打たれた様に体が動かなくなり、うかつにも咥えていたフランクフルトを落としてしまった。

 

(まさか……)

 

 純は同じ様な寒気を感じた以前の経験を思い出す。

 あれは忘れたくとも忘れられない。

 ある満月の夜だった。

 

(透華に連れられ、別館で衣と初めて会った時と同じ……)

 

 無明の闇に引きずり込まれる――あの恐怖。

 

(違うとは思うが……念のため智紀に聞いてみるか。データ派のあいつなら、出場者の牌譜くらい一揃え持ってそうだ)

 

 純は携帯電話を取り出した。

 

「あーオレだ。調べて欲しいことがあるんだが」

『……何?』

「鶴賀学園の藤村初日というヤツの今日の牌譜とってねぇか?」

『……ちょっと待って、今調べる』

 

 一瞬の沈黙の後、携帯電話の奥からキーボードを叩く音が響く。

 

『……あった』

「わりィけどプリントアウトしといてくれ」

『……わかった。ところで、衣は見つかった?』

 

 智紀の一言で純の顔色が変わった。

 

「あっ」

 

 純は、迷子のお姫様を捜していたことをすっかり失念していた。

 

(オレはしくったのか――!?)

 

 意外とおっちょこちょいの様である。

 

 

 

 観戦室の一角で一人の少女が叫び声を上げていた。

 

「智紀、この牌譜はどういうことですの!?」

 

 少女――龍門渕透華は、普段の優雅で気品に溢れる態度を投げ捨て、怒髪、天を衝くという形相で、沢村智紀に迫る。

 積み重ねられていた対戦予定校の牌譜。

 暇を持て余した透華が、何となく眺めていると明らかに異質なものが混じっていた。

 

「混老頭二回、さらに国士無双……。これでは……これでは……」

 

 牌譜に目を落としながら、手をわなわなと震えさせている。

 

「わたくしが目立てませんの――!」

 

 そして、休火山が活火山になったかの様に感情を爆発させた。

 

「ぐぬぬ……藤村初日……おぼえてらっしゃい――!」

 

 地団駄を踏むその姿は優雅さとは無縁に見えた。

 だが、彼女はお嬢様である。

 それも筋金入りの。

 

 

 

 ――同時刻、初日は無事に仲間の待つベンチへと戻っていた。

 

「ワハハ、お前と一緒に居ると退屈しないなー」

「ど、どうも……」

 

 蒲原の台詞は皮肉なのか、それとも本心なのかさっぱりわからない。

 初日は苦笑いで答えることしかできなかった。

 

「すまないな。弁当を用意してくれたのが初日だから、本来は私達が買いに行くべきだった」

「気にしないでください。箸を入れ忘れたお母さんが悪かったんで」

 

 申し訳ないと頭を下げようとする加治木を初日は制止した。

 

「初日さんが急に走っていったからビックリしました」

「うむ。言ってくれたら付いていったのに……」

「ごめん、ごめん。よくあることだから」

 

(ワハハ、よくあるかー?)

(よくあるのか……)

(やっぱり、よくあったんだね……)

(うむ。初日らしい)

 

 初日の台詞に蒲原は疑問符を顔に浮かべ、他三人はさもありなんという表情だった。

 

「そういえば二回戦の相手はもう決まったんですか?」

 

 初日は意味ありげに頷きだした仲間達に疑問を持ちながらも、対戦相手の情報を聞いた。

 麻雀は時間制限がある競技ではない。

 極論だが、全局、全員がテンパイかノーテン流局でいくら待てども決着が付かないということもあり得る。

 なので、自身の対局が終わっていても、相手校の対局が終わっているとは限らないのだ。

 

「ん……Dブロックは篠ノ井西、Eブロックは岡山第一、Fブロックはうち、Gブロックは」

 

 初日の質問に蒲原はトーナメント表に目を落とす。

 

「――龍門渕だ」

 

 

 

 その後、場所は再び観戦室に戻る。

 ガラガラだった一回戦時とは違い、満員とは行かないまでも人影が増えた。

 試合を間近に控える鶴賀学園麻雀部の面々の姿もそこにあった。

 

「だ、だいぶ人が増えてきたね……」

 

 佳織は落ち着かないそぶりを見せる。

 

「まあ今回は強豪の龍門渕がいるからなー。相手が無名高とはいえそれなりに人も入るさー」

 

 その無名高にうちも入ってるんだがなーと蒲原は笑い飛ばす。

 

『まもなく、二回戦D~Gブロックの先鋒戦が始まります。各校の選手は対局室に移動してください』

 

 蒲原はそのアナウンスが流れると同時に気を引き締める。

 

「ワハハ、行ってくる。ここを勝てば誰もうちを無名高とは呼ばないだろー」

 

 決意の炎を燃やし、対局室へと向かった。



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07ズラしてやれば良いんだろー

(何かすごそうなのがいる……)

 

 対局室に入った蒲原の目を引いたのは、イスに胡座を組んで座っている長身の女。

 その姿は仏閣に鎮座する神仏の様にも見え、見る者に独特の威圧感を放っていた。

 既に揃っている篠ノ井西と岡山第一の選手は一歩引いているというか、怖じ気づいている様にも見える。

 蒲原もその空気に飲まれそうになるが、

 

(ワハハ、これから全国に行くんだ。これくらいでビビってどうする)

 

 心を覆い始めた闇を内なる炎が掻き消した。

 

(私は部長だから――例え他のみんなの心が折れても、私だけは真っ直ぐに立っていなきゃならないんだ)

 

 

 

東南戦 アリアリ 喰い替えなし 100000点持ち

東家 篠ノ井西

南家 龍門渕

西家 岡山第一

北家 鶴賀学園

 

東一局0本場 ドラ:{西} 親 篠ノ井西

 

一巡目蒲原手牌

{三四六八⑥⑧⑨445南北白} ツモ{北} 打{南}

 

(まずまずってとこかー)

 

 第一ツモで自風牌が対子になった。

 打点を考慮しなければ、和了るのは難しくないだろう。

 

二巡目蒲原手牌

{三四六八⑥⑧⑨445北北白} ツモ{五} 打{⑨}

 

三巡目蒲原手牌

{三四五六八⑥⑧445北北白} ツモ{4} 打{白}

 

四巡目蒲原手牌

{三四五六八⑥⑧4445北北} ツモ{二}

 

(ワハハ、変な形になった……)

 

 {一四七⑦}待ちの一聴向。

 ドラもなければ役もない手。

 

({⑦}引きならリーチ、{一四七356}引きなら{⑥⑧}を落として{北}の目を残すかー)

 

 そう考えて蒲原が{八}を捨てると対面の純が動きを見せた。

 

「ポン」

 

 

 

 観戦室で佳織が目をパチクリさせていた。

 

「何であのタイミングで鳴くんですか!?」

「さっぱりわからんな」

 

 加治木も首をかしげるしかなかった。

 

捨て牌

篠ノ井西 {■■■■■■■■■■■■■}

{南一九①}

 

龍門渕 {七七九九567西西發發} {八横八八}

{1①東3}

 

岡山第一 {■■■■■■■■■■■■■}

{一東九中}

 

鶴賀学園 {二三四五六⑥⑧4445北北}

{南⑨白}

 

五巡目純手牌

{七七九九567西西發發} {八横八八} 打{九}

 

 {西發}シャボ待ちの一盃口ドラドラを崩す鳴き。

 常識的に考えればまったくメリットのない行動だ。

 次巡、純は篠ノ井西の捨てた{八}をチー。

 そして、岡山第一の捨てた{發}で和了った。

 

『ロン! 發ドラドラ、3900』

 

純手牌

{567西西發發} {横八七九} {八横八八} ロン{發}

 

東一局終了時点

一位103900 龍門渕(+3900)

二位100000 篠ノ井西

二位100000 鶴賀学園

四位96100 岡山第一(-3900)

 

 

 

東二局0本場 ドラ:{6} 親 龍門渕

 

十二巡目蒲原手牌

{123566789南西白白} ツモ{西}

 

(ワハハ、良いとこ引いたっ!)

 

 {467西白}待ちの一聴向。

 うまく嵌れば倍満も見える大物手だ。

 蒲原は表情にこそ出さなかったが、内心小躍りしたいほど喜んでいた。

 

(残り六巡……間に合うかー?)

 

打{南}

 

 一回戦で晒した醜態。

 今回はそれが霞むくらいに活躍してやる。

 そう蒲原は気持ちを入れた。

 

 

 

(鶴賀のアホ面の手が進んだ――!)

 

 純の研ぎ澄まされた勘が、危険信号を発する。

 

同巡純手牌

{一七八九①③⑦⑧⑨89南南}

 

捨て牌

龍門渕 {一七八九①③⑦⑧⑨89南南}

{2六中4⑥四}

{6發東1四東}

 

岡山第一 {■■■■■■■■■■■■■}

{北八中九北二}

{發⑦東④五7}

 

鶴賀学園 {■■■■■■■■■■■■■}

{一⑦⑨三九中}

{七東七⑤六南}

 

篠ノ井西 {■■■■■■■■■■■■■}

{北中發914}

{⑥一四北3}

 

(捨て牌からして明らかに染め手……)

 

 蒲原の河には一枚たりとも索子が見えていない。

 

(――ほっとけねぇ!)

 

「ポン」

 

{一七八九①③⑦⑧⑨89} {南横南南} 打{一}

 

 

 

 初日が無用のトラブルに巻き込まれるのを避ける為、大将戦開始直前まで再び仮眠室に放り込むことに当の本人を除いて麻雀部一同は意見が一致。

 その役目を終えた睦月が観戦室に戻ると、辺りは騒然とした空気に包まれていた。

 

「ただいま戻りました……って何かあったんですか?」

 

 自身の席に戻ると、隣の席で驚きに目を大きく見開いている佳織に尋ねた。

 

「あっ、お帰りなさい。……龍門渕の選手が変な鳴きをするんです」

「ああ。今の{南}を鳴くのなら、一巡前に岡山第一の捨てた{7}をチーすれば三色チャンタ聴牌だった」

 

 言葉足らずだった佳織の説明に、加治木が補足した。

 そして、河と手牌を見ればわかると続ける。

 

「{南}をポンだと一聴向のままで、何のメリットもないですよね……」

 

 いったい何がしたいのだろうか? 

 事態を把握した睦月も頭を悩ませる。

 

「……いや待て、井上のツモを見てみろ」

 

十四巡目純手牌

{七八九①③⑦⑧⑨89} {南横南南} ツモ{7} 打{③}

 

 {①}単騎待ちで三色チャンタを聴牌。

 

「あの鳴きがなければ、この{7}は蒲原がツモっていたはずの牌だ。結果論にすぎないが、井上は蒲原のチャンスを潰し、自分は聴牌するという最高の状態に持ってきている」

 

 敵ながら見事と言う他ないと加治木は目を細める。

 

「無茶苦茶です……相手の手牌と山の中が見えないと、そんなことできません」

 

 佳織は信じられないと零す。

 インターハイにはこんなに非常識な存在が、かように溢れかえっているものなのか。

 

「そこまで見えているとは思わないが、少なくとも相手の手の進み具合はわかるのだろう。鳴きを入れるタイミングが絶妙すぎる」

 

 私も信じたくはないがなと加治木は眉をよせる。

 

『ロンだ! 三色チャンタ、2900』

 

純手牌

{七八九①⑦⑧⑨789} {南横南南} ロン{①}

 

『ワハハ……』

 

「智美ちゃん……」

 

 佳織が画面を見れば、自身の幼なじみは純に放銃し、力無く笑っていた。

 

東二局0本場終了時点

一位106800 龍門渕(+2900)

二位100000 篠ノ井西

二位97100 鶴賀学園(-2900)

四位96100 岡山第一

 

 

 

東二局1本場 ドラ{二} 親 龍門渕

 

(二局続けて鶴賀の流れを奪った……。そろそろデカイのが来そうだ)

 

 一つ一つはちっぽけで軽い麻雀牌。

 だが今は、ずっしりとした重みがある様な気がする。

 純は確かな手応えを感じつつ、配牌を開いた。

 

一巡目純手牌

{二二三四五⑤⑨357東東東} ツモ{④} 打{⑨}

 

(この勝負、負ける気がしねぇ)

 

 配牌でダブ東ドラドラ確定。

 さらに、345の三色の目が見える絶好の手だ。

 

二巡目

{二二三四五④⑤357東東東} ツモ{③}

 

(一気に突き放させてもらう)

「リーチ」

 

打{7}

 

岡山第一 打{7}

蒲原 打{⑨}

篠ノ井西 打{4}

 

「ロン! リーチ一発ダブ東三色ドラドラ、24000は24300!」

 

純手牌

{二二三四五④③⑤35東東東} ロン{4}

 

東二局1本場終了時点

一位131100 龍門渕(+24300)

二位97100 鶴賀学園

三位96100 岡山第一

四位75700 篠ノ井西(-24300)

 

 

 

 ――観戦室。

 大活躍する純を見て、透華は漫画に出てくるお嬢様キャラの様に高笑いをあげた。

 その隣に座る一は頭の後で手を組んでのんびりと構えている。

 

「わたくし達が圧倒的一位! このままトバしてしまっても良いですのよ!」

「純くん三連続和了かー。ボク達の出番なかったりして」

 

 一はからからと笑いながら告げた。

 透華はその言葉を聞いて、中堅の一に出番がないということは、副将の自身には当然出番が回ってこないという事実に気が付く。

 これでは目立てない――透華はクワッと目を見開いて、一に向き直り口を開いた。

 

「それではいけませんの!」

 

 そして再びディスプレイを正面に入れ、本人が聞いたら「オレは女だ!」と必死になって反論しそうな忠告をする。

 

「純、男なら弱い者いじめは差し控えるべきですわ!」

「純くんは一応女だよ?」

 

 擁護している様に見せかけて、地味に落ち込みそうな訂正を入れた一。

 これが迷彩か!? と智紀は愕然としながらも、フォローを入れる。

 

「……一応は余分」

「キィィ――ッ! 何なんですのー!」

「透華、ボク達すごく目立ってるから止めて……」

 

 しかし、ボソッと呟かれた小さなツッコミは、完全にヒートアップしている透華、それをなだめようと必死になっている一には届いていなかった。

 

 

 

南二局3本場 ドラ北 親 龍門渕

 

「ロン! タンヤオのみ1000は3本場で1900」

 

蒲原手牌

{五六七②③④3466} {8横88} ロン{2}

 

(ワハハ、リーチをかいくぐって何とか止めた……。それに突破口も見えたぞー)

 

 純の快進撃は続き、龍門渕は圧倒的だった。

 二位に77900点差をつける首位。

 残り二局での逆転など到底考えられない。

 だが、まだ蒲原の目には闘志の炎が燃えていた。

 

南二局終了時点

一位163000 龍門渕(-2900)

二位85100 篠ノ井西

三位80100 岡山第一

四位71800 鶴賀学園(+2900)

 

 

 

南三局0本場 ドラ:{南} 親 岡山第一

 

一巡目蒲原手牌

{一一二四六七九九③⑨4南南} ツモ{中} 打{⑨}

 

(前局で確信した。コイツは場の流れを鳴きで操作する、オカルト打ちだなー)

 

 初日が入部する以前の蒲原なら、「ないない」と笑い飛ばしていただろう。

 しかし、オカルトな打ち手の存在をこの目でしかと確認した。

 純には事実、流れやツキというものが感じ取れるのだろう。

 それが蒲原の結論だった。

 

二巡目蒲原手牌

{一一二四六七九九③4南南中} ツモ{一} 打{4}

 

(ならチャンスはある……)

 

 南二局3本場、ものは試しとリーチを仕掛けてきた純の{8}を鳴いた。

 すると見る見るうちに手は進み、連荘を止めることができた。

 

三巡目蒲原手牌

{一一一二四六七九九③南南中} ツモ{八} 打{③}

 

(ワハハ、逆転は無理だとしても、さっきと同じ方法で一泡吹かせてやるかー)

 

 

 

五巡目純手牌

{五六②②③③④④34567} ツモ{6}

 

 打{7}で{四七}待ちのタンヤオ平和一盃口を聴牌。

 だが、純は少し手を休めた。

 

(南二局、鶴賀に止められたせいで流れが二分されちまった……どうする)

 

 蒲原の手にも自分と同じくらい、良いものが来ているはずだ。

 純はそう肌で感じている。

 

(……リーチでゆさぶるか)

 

 蒲原は逆転の目なぞもうないと評しても過言でない、大差の最下位。

 敗戦の責任が自身だけに及ぶ個人戦ならともかく、これは団体戦なのだ。

 普通の人間なら、これ以上大きな失点はできないと判断し、オリる。

 

「リーチ!」

 

打{7}

 

捨て牌

岡山第一

{西89北⑤}

 

鶴賀学園

{⑨4③九東}

 

篠ノ井西

{東北21⑧}

 

龍門渕

{⑨南⑧二横7}

 

岡山第一 打{南}

 

(まっ全員オリるか)

 

 無難に現物を切ってきた岡山第一を見て、純がホッと一安心していると、対面の蒲原が動きを見せた。

 

「ポン!」

 

蒲原手牌

{■■■■■■■■■■■} {南横南南}

 

(なんだと!?)

 

 

 

(ワハハ、かかったぁ!)

 

六巡目蒲原手牌

{一一一二四五六七八九中} {南横南南} 打{中}

 

(張った! {二三}待ちの混一ダブ南ドラ3……高め倍満の大物手)

 

 二巡目に純が捨てた{南}。

 のどから手が出る程欲しかったが、涙を忍んで見逃した。

 もし鳴いていれば、恐らくこの目ざとい対戦相手は蒲原の手の進みを感じ取り、また不可解な鳴きで流れを断ち切ってしまうのだろう。

 だから、待った。

 純がリーチをかけて、身動きを取れなくなるその瞬間を。

 

(私には流れが誰の元にあるか何てわからない。でも、お前がリーチするのは、お前自身に流れがある時)

 

 実際には蒲原に対する威嚇の意味もあったので、蒲原が出した答えは、マルではなく部分点のサンカクであった。

 しかし、それは決して間違いではない。

 事実、純の思惑とは違う結果をもたらすことになる。

 

(――なら、それをズラしてやれば良いんだろー)

 

篠ノ井西 打{7}

龍門渕 打{三}

 

「ロン! 混一ダブ南一通ドラ3、16000!」

 

蒲原手牌

{一一一二四五六七八九} {南横南南} ロン{三}

 

南3局終了時点

一位146000 龍門渕(-17000)

二位88800 鶴賀学園(+17000)

三位85100 篠ノ井西

四位80100 岡山第一

 

(ワハハ、二位まで追い上げたぞー)

 

 

 

 南四局は純がノミ手で流し、あっさり終了。

 鶴賀学園はトータル-11200で次鋒へバトンタッチとなった。

 

先鋒戦終了時点

一位147000 龍門渕(+1000)

二位88800 鶴賀学園

三位84100 篠ノ井西(-1000)

四位80100 岡山第一



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08.お姉ちゃんなら

 二回戦開始までの待ち時間。

 佳織は対局室のイスに座り、先鋒戦の内容を思い返していた。

 残り二局でトップと91200点差の最下位という絶体絶命のピンチ。

 そんな状態から倍満を直撃させ、一気に二位まで持ち直す。

 蒲原の闘牌は佳織に大きな衝撃をもたらしていた。

 半荘終了時点で-11200点とはいえ、異能者と呼称した方が正しいだろう強敵が相手。

 同じ立場に自分が置かれたら、その程度で済ませられるとは思えない。

 

(すごかったなぁ……智美ちゃん)

 

 エースは先鋒に据えるのが主流である。加治木はそう言っていた。

 ならば純は正真正銘、強豪龍門渕のエースだったのだろうと、佳織は思う。

 だから、今後は純以下の腕前の雀士しか出てこないという可能性が高いとも判断できた。

 つまり、ここで差を詰めることができれば……少し特殊ではあるが、エースを一番後に持ってきている自分達が優位に立てるはず。

 自分がターニングポイントになるんだと、胸の前で拳を握りしめる。

 

(勝ちたいな……)

 

 佳織は今まで、体育祭や受験、テストなど勉強以外で他者と競争することはなかった。

 両親、そして幼なじみの蒲原という、一部の親しい間柄だけに捕らわれて生きてきた。

 鶴賀学園に進学したのも、蒲原がいるからというのが理由である。

 そんな流され続ける人生も、麻雀部で揉まれる内に、秘められた闘争本能が刺激され、少し変わった。

 以前の佳織であれば、ここで例え大敗を喫したとしても、残念だとは思うだろうが、それほど気にしなかっただろう。所詮、自分はその程度なんだと諦めて。

 しかし、今は違う。もし、大量失点でチームの足を引っ張ってしまえば、三日三晩涙で枕を濡らすだろうし、その後、鬼の形相でリベンジに向け練習に励むだろう。

 自分が変わったのは、大トリを務める一風変わった友人の影響が大きかった。

 

(初日さん……)

 

 第一印象はドジな人。

 入学式当日、転倒して保健室送りになったその姿を見て、結構ドジである自分のことは棚に上げ、そう思った。

 第二印象はずうずうしい人。

 麻雀部に入る為にこっそり勉強していると、それを後から覗き込まれ、あることないこと言われた。さらに、初めて卓を囲んだ時は役満でトバされた。苦手なタイプかも思った。

 

(でも今は違う)

 

 麻雀部に入り、ともに過ごす時間が増えると、部活以外の時間でも彼女に注目する様になった。

 そして、気が付いた。彼女が意外と孤独であることを。

 睦月以外のクラスメートと談笑する姿を見た記憶がないのだ。

 彼女は何をするに当たっても、持ち前の不運でトラブルを巻き起こしていた。最初のうちは周囲の人間も「気にしないで」と済ましていたが、何度も続くうちに「またか……いい加減にしろよ」という態度に変化していた。

 今では「めんどくさいヤツ」というレッテルを貼られ、一歩距離を置かれている。

 

(寂しかったんだよね……)

 

 佳織自身も引っ込み思案な性格故に、親友とまで言える存在は幼なじみの蒲原ただ一人。寂しいと感じたこともある。

 だからこそ、自分にちょっかいを出してきた初日の行動が理解できる。

 昨日、初日の家で見たアルバムでさらに確信を深めた。

 家族以外と写っていたのは、麻雀教室の生徒達だけ。

 麻雀を通してなら、人と分かり合える。そう初日は思っていたのだろう。

 だから、麻雀を始めようとしていた自分を見て、声を掛けてきた。

 好きな子の気を引こうと、ついいじわるしてしまう小学生を見ている様で、ほほえましさを覚える。

 妹ができたみたいだと佳織は思った。

 そして、蒲原が自分が独り立ちするまで守ってくれたのと同じで、初日を支えてやるんだと決意する。

 今回の半荘が勝負だった。

 

(お姉ちゃんなら良いところを見せないと!)

 

 

 

 ――同時刻の対戦室。

 パタンとノートパソコンが閉じられる音が聞こえた。

 一が振り向くと、そこにもう持ち主の姿は見あたらない。

 

「ともきー行ったみたいだね」

(大丈夫かなぁ)

 

 一は智紀を心配する声色で透華に話しかけた。

 智紀は元々、所謂ネトゲ廃人と言われる人種で麻雀とは無縁の生活を送っていた。

 ネトゲで養われた瞬間的判断能力に目を付け、強引にスカウトしただけで龍門渕高校麻雀部の中では最も経験が浅い。

 その分伸びしろがあるとも言えるが、小学生時分から既に麻雀にどっぷり浸かっていた自身達と比較すると、どうしても現時点での腕前は一枚落ちる。

 

「大丈夫、あの子のがんばりはわたくしが一番知ってますわ!」

 

 心配する一に、智紀は問題ないと透華は太鼓判を押した。

 

「でも……」

 

 まだ不安そうなそぶりを見せる一に、対局室から戻ってきた純が一言付け足す。

 

「あいつは分析厨だからな。データのある相手にはそうそう負けねーよ」

「純くん……」

「だから勝つことを信じて、どっかり構えてりゃ良いんだよ」

 

 そう言って純は背もたれに体を預けた。

 

「そうだよね」

 

 仲間を信じる。何と単純な事だったのか。

 

(ボクはそれを一度壊してしまったから……)

 

 と一は関心しつつ、戻れぬ過去に思いを馳せるが、

 

「さすが殿方。言うことが違いますわ」

「オレは女だっ!」

 

 そんな空気をぶちこわす漫才を透華と純は繰り広げていた。

 

(締まらないなぁ……)

 

 

 

東南戦 アリアリ 喰い替えなし 先鋒戦の点数を持ち越し

東家80100 岡山第一 

南家88800 鶴賀学園

西家147000 龍門渕

北家84100 篠ノ井西

 

東二局0本場 ドラ:{五} 親 鶴賀学園

 

「リーチします!」

 

 六巡目、親の佳織からリーチがかけられた。

 

「チー」

 

 智紀はその牌をすかさず鳴いて、一発消しを行った。

 

捨て牌 

鶴賀学園 {■■■■■■■■■■■■■}

{二東①三9}

 

龍門渕 {四六七③④⑤55666} {横六七八}

{一東8西9}

 

篠ノ井西 {■■■■■■■■■■■■■}

{⑧⑨九白五}

 

岡山第一 {■■■■■■■■■■■■■} 

{21白中4}

 

(鶴賀の人は素直な打ち手……)

 

 解析した一回戦の牌譜、そして二回戦のここまで、佳織が意図的に捨て牌に迷彩を凝らした様子はなかった。

 恐らく今回も純粋に当たり牌が多い待ちか、打点を考慮した待ちに構えているはず。

 {三六}が切れており、{四五}の形はまずない。

 かなり強引な読みだが、{五六六}か{六六七}の状態から{六}を切り出した可能性が高いと智紀はヤマを張った。

 

六巡目智紀手牌

{四六七③④⑤55666} {横六七八}

 

({四七}か{五八}待ち……。オナ聴になる可能性も高いけど)

 

打{5}

 

 智紀は打{四}で聴牌にとらず、無スジの{5}を切りトバした。

 何とも中途半端な打牌である。

 いくら一発が消えているとはいえ、打点の見込めない手牌で親リーに押すのはどうかしている。

 現物の{六}を打ってオリるのが大抵の場合は正着だろうし、攻めるのなら{四}切りで聴牌をとるべきだろう。

 だが、誰に何と言われようと、読みを駆使して攻めるのが智紀のスタイルだった。

 

(振り込むよりはマシ)

 

 

 

 ――観戦室。

 鶴賀学園麻雀部一同は三者三様の困惑を表した表情を浮かべていた。

 

「完璧に待ちを読まれてますね……」

「早まったか……。別段即リーで問題ない手牌だが、打点は十分ある。ならば、いっそ三色目の出る{5}を引くまでダマでも良かったかも知れない」

「ツモれば問題ないし、曲げれば一発と裏が乗る可能性があるから、佳織は間違ってないと思うけどなー」

 

佳織手牌

{五六②②⑤⑥⑦234678}

 

 メンタンピンドラ1、出和了りなら11600、ツモ和了なら4000オール。

 加治木が言う通り、{5}引きで高め三色の目もあった。

 だが、親番ということもあり、佳織は待たずにリーチをした。

 親リーのプレッシャーというのは計り知れないものがある。この局で和了れないとラスが確定する等、特殊な状況を除けば子は中々勝負には行けない。

 

「げっ……」

 

 蒲原が表情を引きつらせた先には智紀の手牌が写っていた。

 

九巡目智紀手牌

{四六七③④⑤5666}  {横六七八} ツモ{四} 打{5}

 

「めくり合いになったな」

 

 {五八}待ちのタンヤオ。

 佳織の当たり牌である{四七}を引いても、シャボ待ちや単騎待ちに移行することができる。

 そして十巡目。

 

『ツモ。タンヤオドラ1、500・1000』

 

智紀手牌

{四四六七③④⑤666}  {横六七八} ツモ{五}

 

「あっさりツモられちまった……」

 

 画面の中の佳織は目に見えて落ち込んでいた。

 それを目にして蒲原も表情を曇らせる。

 

「でも、あまり気にしなくてもいいんじゃないですか?」

「そうだな。今日、佳織はまだアレを和了っていない」

 

 しかし、睦月と加治木はのうのうと構えていた。

 緊張感のかけらもなく、第三者の試合を観ている様でもある。

 彼女達にとっては、ある意味今日一番安心して観られる試合だったから。

 

「ワハハ、むっきーとユミちんの頭がおかしくなってしまった……とは言えないんだなー、これが」

 

 少し焦りすぎたかと、蒲原は二人の態度を見て落ち着きを取り戻した。

 一番付き合いの古い佳織が相手になると、どうしても冷静さを欠いてしまう。

 身近に規格外(はつひ)が居る為、あまり目立たなかったが、佳織も十分規格外であるのを思い返した。

 

「大船に乗ったつもりでドンと構えておくかー」

 

 

 

 その頃の仮眠室内。

 初日は布団に寝転がりながらも、スピーカーのボリュームを上げ、実況中継に耳を傾けていた。

 夜更かしをした訳でもなく、朝っぱらから3時間半も余分に睡眠を取ったのだ。

 眠気なぞ毛ほどもない。

 

『リーチですっ!』

『鶴賀学園妹尾、三局連続の先制リーチとなりました! 龍門渕の独走を止めたい鶴賀、この局こそという気持ちが入っているでしょうが……どうでしょう、解説の南浦(なんぽ)プロ』

『鶴賀が真っ正直すぎるのもあるが、龍門渕を筆頭に他三校は読みが鋭い。出和了りはあまり望めないだろう』

 

 この場では声しか聞こえないが、佳織が今どんな表情をしているのか、初日は鮮明に思い浮かべることができた。

 三局連続で張っていながらも、躱されて和了られるというのは、麻雀部に始めてきたあの日と被る。

 ポーカーフェイス? 何それおいしいの? と言わんばかりに鼻息を荒くして打ち込んでいるのだろう。

 佳織の麻雀には全ツッパとベタオリの二つしかない。

 相手に楽をさせることになるから、回し打っている様に見せかけながら、ベタオリしろと加治木に指導されているので、牌譜を研究しない限り同卓者にはわからないだろうが。

 だからこそ、守備型の相手との相性が抜群である。

 常に安牌を抱えつつ打っていると、どうしても棒聴即リー少女である佳織にスピードで負けることが多くなる。

 後手後手になると、佳織の勢いは止められない。

 

『ロン。發のみ、2000』

『龍門渕沢村、三連続和了! 三度、鶴賀学園妹尾のリーチを躱しました!』

 

 だが研究熱心な相手や、観察眼に優れる雀士が相手になると少し立場が悪くなる。

 真っ直ぐに和了りに向かっていることがバレてしまうと、捨て牌からある程度手の予測が付く。

 そうなれば、危険牌を止め回し打つことが容易になり(比較的にという言葉が付くが)、スピードの差を埋められてしまう。

 

(相手は前者か後者か、はたまたその両方か……)

 

 どちらにせよ厳しいことに変わりはない。

 初日は枕に顔を埋めて、脚をバタバタさせる。

 

(でも……今日はまだ佳織爆発していないって、言ってたっけ)

 

 お昼休みにみんなでお弁当をつついていた時、一回戦の内容を聞いたが、佳織は普通に勝った様だった。

 なら大丈夫と、初日は胸をなで下ろす。

 

(四万点差までなら、どこかで……)

 

 

 

南三局終了時点

一位168500 龍門渕

二位81000 篠ノ井西

三位75700 岡山第一 

四位74800 鶴賀学園

 

 終始、智紀のペースで進められた次鋒戦。

 龍門渕が他校に圧倒的大差を付けてオーラスへと入った。

 そして配牌を各校が開いた時に、観戦室が大きくどよめく。

 

「やれやれ、今回は遅かったな」

「何なんですのーっ!」

「オイオイオイ! あんな配牌初めて見たぞ……」

「透華……落ち着いて……」

「何だありゃ?」

「智紀ーっ! 智紀ーっ!」

「ワハハ、笑えてくるなー」

「ここで叫んでも伝わらねぇよ」

「部長はいつも笑ってますよね……」

 

南四局0本場 ドラ:{6}

 

佳織配牌

{九7東東東南南南西西白白中}

 

 字一色、ツモ次第では小四喜や四暗刻も複合しかねない牌姿。

 佳織に、一日一度だけ許される奇跡の塊だった。

 

 

 

九巡目智紀手牌

{七八九九②③④666北北北} ツモ{9}

 

(……鶴賀の人が張ったかな)

 

捨て牌

篠ノ井西 {■■■■■■■■■■■■■}

{九①2中七發}

{3七1}

 

岡山第一 {■■■■■■■■■■■■■}

{中⑨①3④5}

{六9一}

 

鶴賀学園 {■■■■■■■}  {■東東■} {■南南■} カンドラ{九}/{九}

{中⑧三⑥五發}

{六中7}

 

龍門渕 {七八九九②③④6669北北北}

{①⑧⑨一西五}

{四⑨}

 

({9}……いらないけど、これは捨てられない)

 

 染め手は、染め色の数牌が出てくれば聴牌と考えるのがセオリーである。

 九巡目、手出しでこれまで一枚も見えていなかった索子が捨てられた。

 佳織が聴牌していないと考えるのは、あまりにも楽観的すぎるだろう。

 

({北}の暗刻落とし……? いや、念のため止める)

 

 出和了りを考え、{北}単騎に待ち構えている可能性もある。

 ここまで自分のペースで引っ張り続け、元々多かったリードをさらに増やした。

 既にオーラスを迎え、攻める必要もない。

 振り込まず、次へと回すことが重要だと考え、智紀は{九}萬に手を伸ばした。

 {八}は自分の手に一枚、王牌に二枚見えている。

 なので{九}はワンチャンス。さらに、篠ノ井西の現物でもある。

 ドラとはいえかなり安全度は高いし、聴牌も維持される――最良の手段。

 そう判断した智紀が、{九}を河に置いた瞬間、佳織の手牌が倒された。

 

「ロン!」

 

 佳織の天真爛漫な笑顔が、このときばかりは悪魔の笑みに見えた。

 

佳織手牌

{九西西西白白白} {■東東■} {■南南■} ロン{九}

 

「――四暗刻単騎! 32000です!」

 

次鋒戦終了時点

一位136500 龍門渕

二位106800 鶴賀学園

三位81000 篠ノ井西 

四位75700 岡山第一

 

 

 

 観戦室は静寂に包まれていた。

 あまりのことに誰も声が出てこないらしい。

 聞こえるのは、スピーカーから流れるアナウンサーと解説のプロ雀士の会話だけだった。

 

『鶴賀学園妹尾、オーラスで役満炸裂! 龍門渕との差を一気に詰めました! 南浦プロ、今のはどう思います?』

『九萬単騎に待ち構えたのは良かったな。あの配牌なら字一色を見据え、数牌から落としたくなるが、よく我慢した』

『なるほど、他には何かありますか?』

『暗カンも中々いやらしい。二副露された状態であの捨て牌なら、誰もが混一を疑う。当人にその意図があったのかは微妙だが、あえて見せることによって染め手の幻影を作り出した』

 

 佳織の特異性は、日に一度だけ役満を和了ることができる、という単純なもの。平日に半荘五戦やっても、休日に十五戦やっても結果は変わらず、佳織は一度だけ和了る。

 ある日、佳織には伝えない様に全員で示し合わせ、半荘一戦だけで止めにすることにして対局すると、やはり佳織は役満を出した。

 そして全員が確信したのである。これはこんな生き物なんだと。

 強力ではあるものの、狙って出すことはできないので、計算には入れられない。地の雀力の未熟さも手伝い、エースポジションとはほど遠い存在。

 一日一回という制限があるので、日に十~二十戦も対局する個人戦ではそれほど役に立たない。少しスコアを稼げるだけだ。

 でも、残り一戦しかない状況なら――魔物にすら打ち勝てる可能性を持つ鬼札。

 無論それはあくまでも可能性止まりである。

 今の佳織の腕前なら、32000点以上を失う確率の方が高いので、次鋒に甘んじているのだが。

 

「私も後輩に負けてられないな」

 

 加治木は良いもの見せてもらったよと、満足げな表情をして立ち上がりスカートの裾を払った。

 興奮冷めやらぬという様子で、ほんのり頬を桜色に染めている。

 

「ユミちん、もう行くのか?」

「あんなものを見せつけられたら、居ても立っても居られない。早めに席に着いて頭を冷却しないとな」

 

 鶴賀学園の頭脳担当――加治木ゆみが立ち上がる。



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09.これが! これが! これが、龍門渕透華ですわ!

東南戦 アリアリ 喰い替えなし 先鋒戦の点数を持ち越し

東家106800 鶴賀学園

南家136500 龍門渕

西家75700 岡山第一

北家81000 篠ノ井西 

 

東一局0本場 ドラ:{6} 親 鶴賀学園

 

一巡目加治木手牌

{一一四五①④⑧⑨3西北發中} ツモ{②} 打{①}

 

(ここを勝てば決勝進出か……)

 

 たった二人で作った麻雀部。

 今年は三人増え、団体戦に参加できる様になった。

 それだけでも信じられないことなのに、後一歩で決勝進出というラインまで来ている。

 夢を見ている様だと、加治木は少し上の空になりながら、自摸と打牌を繰り返した。

 

七巡目加治木手牌

{二三四五②④⑦⑧⑨235西} ツモ{③} 打{西}

 

(蒲原やみんなに、どうお礼をすれば良いのかわからないな)

 

 部の設立の為、奔走してくれた蒲原。

 彼女と友誼を結んでいなければ、麻雀部は存在していなかっただろう。

 おおらかで交友範囲の広い蒲原は、部の設立に必要な人員をあっという間に揃えてくれた。

 そのメンバーは全て幽霊部員だが、口下手で無愛想な自分では、それすら集められなかった可能性が高い。

 そして入部してくれた一年生トリオ。彼女たちが居なければ今この場に自分の姿はなく、個人戦に向け、家で一人寂しくテレビ観戦をしていただろう。

 

八巡目加治木手牌

{二三四五②③④⑦⑧⑨235} ツモ{五} 

 

 平和を聴牌。高め三色のある好形だ。

 

({⑥}引きでタンヤオが付く……。まだリーチはしない)

 

打{5}

 

「ロン。タンピンドラドラ、7700」

 

 加治木が何げなく捨てた牌に、一が声を上げた。

 

(しまったっ!?)

 

一手牌

{四五六六七八②②66778} ロン{5}

 

一捨て牌

{⑨一九東二⑤}

{4}

 

(ドラ側を無警戒で切ってしまうとは……何をしているんだ私は)

 

 他家の河に注意が届かず、放銃してしまうという初心者の様なミスを犯した。

 とはいえ今回の場合は、注意を払っていたとしても放銃していただろう。

 {6}が四枚見えていて平和も付かない牌姿なら話は別だが、わざわざ{2}を打って嵌{4}待ちに構える事はない。

 だが、「危険を承知」で放銃することと「無自覚」で放銃することでは意味が全然違うのだ。

 

(結構精神的にクるものがあるな……)

 

 内面の動揺を表にはおくびにも出さないが、部活での対局とは違う後がない勝負の緊迫感。

 それは確実に加治木の精神を追いつめていた。

 負けられないというプレッシャーは、計り知れない重さを持っている。

 

(落ち着け……)

 

 冷たく堅い点棒の感触が、加治木を現実に引き戻した。

 そして自身の役割を認識し直す。

 

(今の私は繋ぎ役。稼ぐに越すことはないが、失点しないのが一番重要なんだ)

 

東一局終了時点

一位144200 龍門渕(+7700)

二位99100 鶴賀学園(-7700)

三位81000 篠ノ井西 

四位75700 岡山第一

 

 

 

東二局0本場 ドラ:{東} 親 龍門渕

 

一巡目一手牌

{一三四七②④⑥⑨789東東} ツモ{中} 打{⑨}

 

(やっぱり緊張するなぁ)

 

 7700を和了ったというのに、一は浮かない表情だった。

 両手首から腰へと伸びる鎖に目をやる。

 装着された手枷――それは自身と透華を繋ぐ糸であり、自身を過去に縛る鎖でもあった。

 これを見る度、過去からは逃げることが出来ないと、暗示されている様で胸が痛む。

 

二巡目一手牌

{一三四七②④⑥789中東東} ツモ{中} 打{一}

 

(全部ボクが悪いんだけどね)

 

 そう自嘲しながら、視線を卓の上へと戻す。

 小学生大会、チームのピンチを救う為、牌のすり替えを行ってしまった。

 そのシーンは映像に残らなかったが、牌姿が変わっていたのは明らか。

 結局チョンボ扱いとなりチームは敗退、そして自分は信頼を失った。

 

三巡目一手牌

{三四七②④⑥789中中東東} ツモ{五} 切{七}

 

(この大会で勝てば、本当の意味で変われる気がするんだ……)

 

 そんな自分を透華は拾い上げてくれた。

 彼女の期待に応えられれば、過去に縛られてる自分を、開放できるのではないか。

 何の根拠もないが、一はそう信じていた。

 

「チー!」

 

四巡目一手牌

{三四五⑥789中中東東} {横③②④} 打{⑥}

 

(だから、透華――正攻法(まっすぐ)なボクを見てて!)

 

 

 

『ツモ! ダブ東ドラ3、4000オール!』

 

一手牌

{三四五789中中東東} {横③②④} ツモ{東}

 

 観戦室では一の活躍を見た透華が、自分のことの様に喜びを爆発させていた。

 

「その調子ですわ、一!」

「国広くんノってるなぁ」

 

 純もそれに相づちを打っている。

 

「……四……単騎……込み……役立たず」

 

 その隅で、幽鬼の様な表情の智紀が呪詛を呟いていた。

 

東二局0本場終了時点

一位156200 龍門渕(+12000)

二位95100 鶴賀学園(-4000)

三位77000 篠ノ井西(-4000)

四位71700 岡山第一(-4000)

 

 

 

東二局1本場 ドラ:{8} 親 龍門渕

 

一巡目加治木手牌

{七九①②③1238西北白發} ツモ{白}

 

(手強いな……点差もあるし、まともにぶつかり合うと厳しいか)

 

 連続和了であっさり突き放され、加治木は思案にふける。

 こんな状況はさして珍しくもなく、日常的に見られるものだが、感じられる空気が違った。

 浮き足立っている自分とは違い、相手には大会慣れしているような風格があった。

 実力差以上に、精神面での差が如実に表れていると自己分析した。

 

(少し策を凝らしてみよう)

 

 セオリー通りに打っても恐らく今の自分ではかなわない。

 だから、一見デタラメにしか映らない打ち方をするのもまた一興。

 

(麻雀は元々はギャンブルとして栄えた。だからこそ精神面は重要だ)

 

 揺さぶって相手を自分と同じ場所まで引きずり下ろす。

 

(帰ったら蒲原達に笑われそうだな……)

 

打{③}

 

 加治木は薄く笑い、おもむろに面子を崩した。

 

 

 

「リーチ」

 

 十巡目、加治木の捨て牌が静かに曲げられた。

 

(何なの……この人の捨て牌)

 

十一巡目一手牌

{三四五六⑤⑥45678東東} ツモ{④}

 

捨て牌

龍門渕 {三四五六④⑤⑥45678東東}

{南北一九白②}

{⑨1發2}

 

岡山第一 {■■■■■■■■■■■■■}

{六西九西①③}

{發5四北}

 

篠ノ井西 {■■■■■■■■■■■■■}

{北⑨三2六七}

{南4⑧⑥}

 

鶴賀学園 {■■■■■■■■■■■■■}

{③南3七①2}

{②1八横北}

 

(不規則な捨て牌は、チートイかチャンタを疑えが基本だけど……)

 

 {①②③}と{123}が手出しで捨てられている。

 そうなればチャンタの可能性はかなり低く思えた。

 

(でも、いくら対子が手元にあったとはいえ、順子を二面子も落とすかな)

 

 七対子を狙うにしても、効率が悪すぎる。

 何がしたいのかさっぱり理解できず、一の頭を悩ませた。

 

(親だし、リードもある。オリる場面じゃない……ボクは攻める!)

 

 ここで回し打ったり、オリるのは自分の打ち筋ではない。

 一という文字のように、真っ直ぐ和了りへの道を歩むのが自身の姿。

 

「とおらばリーチ!」

 

 一は{三}を河に置いた。

 そして、千点棒を手に取るが、

 

「……リー棒はいらない」

「なっ!?」

「ロン。リーチ一発七対子ドラドラ、12000の1本場は12300」

 

加治木手牌

{三九九⑨⑨88西西白白發發} ロン{三}

 

 その十二倍もの点棒を支払うことになってしまった。

 

(どうしてっ!? {①②③}と{123}を残せばチャンタ、混老頭が狙える形だったのに!)

 

 加治木の不自然な選択に、一はじわりと額に汗を垂らした。

 

東二局1本場終了時点

一位143900 龍門渕(-12300)

二位107400 鶴賀学園(+12300)

三位77000 篠ノ井西

四位71700 岡山第一

 

 

 

東三局0本場 ドラ:{九} 親 岡山第一

 

「ツモ。リーヅモタンヤオ七対子、2000・4000」

 

十五巡目加治木手牌

{四四七七②③③④④4488} ツモ{②}

 

加治木捨て牌

{九五六三⑥南}

{白七7北63}

{東横⑧九}

 

(また滅茶苦茶な和了り方っ! その形でどうして序盤に{三五六}を出すんだろう……)

 

 再び見せられた加治木の不可解な河に、一は疑心暗記に陥ってしまっていた。

 そして、自身の知っている同じ様な手合いと姿を重ね合わせる。

 

(まさかこの人……衣レベルではないと思うけど、純くんぐらいのレベルで変人をやっているのかな)

 

 でも、決して勝てない訳ではない。

 打つ手はあると、次局での巻き返しに闘志を燃やした。

 

東三局終了時点

一位141900 龍門渕(-2000)

二位115400 鶴賀学園(+8000)

三位75000 篠ノ井西(-2000)

四位67700 岡山第一(-4000)

 

 

 

東四局0本場 ドラ:{九} 親 篠ノ井西

 

一巡目一手牌

{一三六六七⑤⑥⑧369白白} ツモ{2} 打{9}

 

 一は理牌を終えると、深く深呼吸をした。

 平常心というものが勝負事においていかに重要か。

 それは身をもって知っている。

 

(攻略法は単純明快、相手より早く聴牌する)

 

 加治木が迷彩をかけているつもりなのか、それとも常識では考えられない何らかの法則(オカルト)に従い打っているのか、一には解らない。

 

(何もまともに勝負する必要はないんだ。今、ボクに求められているのは勝ちに行く麻雀)

 

 だが、純然たる事実として、面子落としをやっている。

 牌効率を無視したその打ち筋では、当然聴牌スピードが下がる。

 ならば、その隙をついてやれば良い。

 

「ポン!」

 

 一は岡山第一が捨てた{白}をすかさず奪い取る。

 

二巡目

{一三六六七⑤⑥⑧236} {白白横白} 打{⑧}

 

(喰いタンでも、役牌のみでも良い。とにかく早くゲームを進めるだけだ!)

 

 

 

中堅戦終了時点

一位141700 龍門渕

二位112000 鶴賀学園

三位79900 篠ノ井西

四位66400 岡山第一

 

『中堅戦は+5200点で鶴賀学園と龍門渕が分け合った形で決着! 首位龍門渕と追い掛ける鶴賀学園の差は縮まりませんでした』

『加治木はトリックプレーに走りすぎたな。どうしても速度で劣る分、先制されると苦しい』

 

「ワハハ、ユミちんでも詰められなかったかー。こりゃあ、むっきーの責任重大だなー」

「う、うむ」

 

 蒲原は冗談っぽく笑いながら言ったが、睦月はそれがジョークに聞こえていない様で、青い顔をして固まっていた。

 そして、オイルの切れたロボットの様なカクカクとした動きで、対局室へと向う。

 

「おどかしちゃダメだよ……智美ちゃん」

「ワハハ、発破を掛けたつもりだったんだがなー。すまんすまん」

 

 佳織はフグの様に頬を膨らまし、抗議の視線を向ける。

 蒲原は苦笑を浮かべながら、失敗だったかと頭をかいた。

 

「逆効果だよ……。睦月さん、右手と右足を同時に前に出して、歩いていったんだから!」

「ロボットみたいだったなー」

「……」

 

 場を和ませようと、蒲原はどこかずれた返答をしてみる。

 佳織から返ってきたのは、三点リーダとため息だった。

 

「……じゃあ、私は初日ちゃんの回収に行ってくるね」

「おう、任せたぞー」

 

 蒲原は「私、怒ってます」と背中に書いた佳織を見送りつつ、先ほどの会話に何かおかしな点があった様なと、頭を捻らせた。

 

(なんだろー? 何かひっかかってるんだよなー……。ん? 初日“ちゃん”?)

 

 

 

 副将戦はあっという間に、オーラスへと突入していた。

 それほど大きな点数移動はなく、岡山第一が若干浮いている程度。

 

南三局終了時点

一位132700 龍門渕(-9000)

二位110900 鶴賀学園(-1100)

三位80100 篠ノ井西(+200) 

四位76300 岡山第一(+9900)

 

南四局0本場 ドラ:{北} 親 龍門渕

東家 龍門渕

南家 鶴賀学園

西家 岡山第一

北家 篠ノ井西

 

「ツモ! リーヅモドラ3、4000オールですわ!」

 

透華手牌

{二三四五六七99白白北北北} ツモ{9}

 

(差を広げられてしまった……)

 

 睦月は虚脱感に包まれていた。

 自分の詰めの甘さが、あまりにも情けなく感じられてしまう。

 南三局終了時点では、自身はマイナス収支だったものの、他家が削ってくれたおかげで龍門渕と二万点差あまりまで接近できていた。

 しかしそれが、オーラスで一気に四万点近くまでリードを増やされてしまったのだ。

 

(情けないな……)

 

 焦燥感にも似た気持ちが睦月を苛ませるが、これ以上自分にできることはない。

 オーラスで持ち点トップの親が和了ったのだ。

 

(私の対局はもう終わり)

 

 睦月はありがとうございましたと一礼し、立ち上がり背を向けるが、

 

「お待ち下さいまし!」

 

 透華から制止の声が飛んできた。

 

「えっ?」

「連荘しますわ!」

 

 振り向いた先には、 連荘1本場という意味なのか、それとも狙うは一位のみという意味なのか人差し指を立て、好戦的な笑みを浮かべた透華が立っていた。

 頭頂部のアホ毛もピンと真上に伸びている。

 

(……チャンスなのかな?)

 

 思わぬ形で転がり込んできた巻き返しの機会。

 睦月は起死回生の一発をこれに期待した。

 

南四局0本場終了時点

一位144700 龍門渕(+12000)

二位106900 鶴賀学園(-4000)

三位76100 篠ノ井西(-4000)

四位72300 岡山第一(-4000)

 

 

 

(このままでは地味な印象で終わってしまいますの)

 

 +3000とはいえ、現時点での副将戦の収支1位は+5900の岡山第一で自身は2位。

 チームは圧倒的首位に立っているとはいえ、目立ってナンボが身上の透華としては、現状は受け入れられないものだった。

 ならば、あがり止めとする訳にはいかない。

 

(ふふふっ、華麗なるわたくしの闘牌、見せつけて差し上げますわ!)

 

 他家に和了られ、差を広げられる可能性は一毛たりとも考慮していない。

 勝負の場に置いては、天上天下唯我独尊を貫くのが龍門渕透華の姿であった。

 

 

 

南四局1本場 ドラ:{一} 親 龍門渕

 

「ロンですわ! メンタンピン三色、12000の1本場は12300!」

 

透華手牌

{四五六④⑤⑥2345688} ロン{4}

 

 透華は岡山第一から直撃を奪い、副将戦のプラス収支者を自身のみとさせた。

 

(まだまだ、これでは終わりませんわよ!)

 

南四局1本場終了時点

一位157000 龍門渕(+12300)

二位106900 鶴賀学園

三位76100 篠ノ井西

四位60000 岡山第一(-12300)

 

 

 

 ――同時刻の観戦室。

 

「あいつらしーな。普通、この状態で連荘は選択肢にねーだろ」

「うわー……。点数差を考慮して、安手で流したボクは何なんだったんだろう」

 

 純は心底楽しそうに笑っている。

 反面、隣に座る一は複雑そうな表情であった。

 

「鶴賀のとガチでやり合いたかったのか?」

「まあね、おもしろい人だったから。個人戦で当たったら、正面からぶつかってみるよ」

 

 そうするのが最善だったとはいえ、一本来の打ち筋を変えてまで挑んだ中堅戦。

 本来のスタイルならどんな勝負になったのだろうかと、少し思い残しがあった。

 

「私は……リベンジしたい」

 

 智紀は瞳の中に炎を宿らせている。

 次鋒戦、役満直撃を喰らいリードを増やす事ができなかった。

 今度は、同じ事をさせるつもりはない。

 

 

 

南四局2本場 ドラ:{三} 親 龍門渕

 

「ツモ! リーヅモ三暗刻ドラ1、4000オールの2本場は4200オールですわ!」

 

透華手牌

{一一一二三⑧⑧⑧999西西} ツモ{西}

 

(これが! これが! これが、龍門渕透華ですわ!)

 

南4局2本場終了時点

一位169600 龍門渕(+12600)

二位102700 鶴賀学園(-4200)

三位71900 篠ノ井西(-4200)

四位55800 岡山第一(-4200)

 

 

 

 辺りはすっかり夕闇に包まれていた。空には夕月が浮かんでいる。

 会場の外で、衣は半月を眺めていた。どこか憂いを帯びたその表情は、帰れぬ故郷を忍ぶかぐや姫の様でもある。

 その傍らには、執事服に身を包んだ端正な顔立ちの若い男が、気配を消して佇んでいた。

 

「衣様、そろそろお時間です」

「むっ、ハギヨシ何時の間に……透華達は終わらせられなかったのか」

「はい。副将戦のオーラスで透華様が連荘中ですが、他校は五万点以上残しております」

「……そうか、アレは残ったか」

 

 衣は笑いをかみ殺そうとして、変な表情になっていた。

 それを疑問に思ったハギヨシが質問する。

 

「何かあるのですか?」

「行くとしようか。今宵、新たな鵺塚が信濃国に誕生するであろう!」

 

 衣はハギヨシの疑問に、鵺退治に向かう源頼政もかくやという威圧感で答える。

 そして会場の張りつめた空気を切り裂きながら、会場内へと脚を進めた。

 

 

 

南四局3本場 ドラ:{中} 親 龍門渕

 

(まずい……デッドラインに達した)

 

 睦月は額から流れる汗を袖で拭った。

 現時点で66900点差。親の役満ツモでも2900点届かない。

 いくら初日が規格外でかつビハインドに強いとはいえ、半荘一戦でこの差をひっくり返すのは難しい。

 

(何がチャンスだ、むしろピンチになってる)

 

 これ以上離されれば、その時点で勝負あったになってしまう。

 自分にとっての天王山はここだと、睦月は気合いを入れた。

 

一巡目睦月手牌

{一三五八九②3689西中中} ツモ{1}

 

(……ドラの中が対子だけど、辺張と嵌張だらけ)

 

 狙えそうなのは中ドラ3か、チャンタドラドラ。

 睦月は{9}ではなく、{②}を落とした。

 

(鳴いて鳴いて鳴きまくる! バレバレだろうけど、むしろ牽制になると考えよう)

 

 ただの開き直り、だがそれは睦月の力を十全に発揮させるカンフル材となった。

 中級者になると、ある時点で以前の自分より弱くなったような錯覚に陥ることがある。

 それは抱負な知識と中途半端な経験からくる実譜との差であり、実際に下手になっているケースは少数。

 むしろミスに気づけるようになっただけ強くなっているのである。

 だが、自分は下手だと萎縮していては、和了れるものも和了れなくなることも少なくない。

 

 

 

六巡目透華手牌

{一三三四四①①⑦⑦⑨⑨南發} ツモ{一}

 

(うむむ……動けませんわ)

 

捨て牌

龍門渕 {一一三三四四①①⑦⑦⑨⑨南發}

{北②四}

 

鶴賀学園 {■■■■■■■} {横七八九} {横213}

{②五6西三}

 

岡山第一 {■■■■■■■■■■■■■}

{北⑧東⑨4}

 

篠ノ井西 {■■■■■■■■■■■■■}

{九白西七五}

 

 下家が明らかにチャンタもしくは役牌バックの手。

 南か發を切れば聴牌だが、透華の目からはどちらも超が付く危険牌に見えた。

 

(残念ですが、ここで打ち止めでしょう)

 

 透華は頭頂部のアンテナをシュンと萎えさせながら、打{三}とした。

 ベタオリである。

 

 

 

「ツモ! チャンタ中ドラ3、2000・4000の3本場は2300・4300」

 

八巡目睦月手牌

{一一789中中} {横七八九} {横213} ツモ{中}

 

(これが……今の私なりの精一杯)

 

 53700点。残り半荘一戦では、普通の打ち手だと絶望的にも思える差だ。

 しかし、常軌を逸した雀士である初日ならギリギリ射程圏内。

 本当に最低限ではあるが、自分の仕事はこなせたかと、睦月は大きく息を吐いた。

 

(後は……初日に全てを委ねる)

 

副将戦終了時点

一位165300 龍門渕(-4300)

二位111600 鶴賀学園(+8900)

三位69600 篠ノ井西(-2300)

四位53500 岡山第一(-2300)



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10touka.omochi

 初日が対局室に入ると、そこにはまだ他校の選手の姿はなかった。

 まだ大将戦開始まで時間に余裕がある。

 手持ちぶさただった初日は、おもむろに点棒を数えて、龍門渕との差を実感した。

 

(遠いな……。しかし、廊下ですれ違った龍門渕の副将の人は、何で恐い顔をしてあたしを見とったんやろ)

 

 副将戦はどっからどう見ても龍門渕の圧勝。

 対戦相手とはいえ、そこまで露骨に敵意を向けられる様な覚え、ましてや恐怖を抱かれる様な覚えはない。

 いったい何が原因なのか、初日は脳みそをフル回転させる。

 

ローカルディスク(face)を検索中……検索の結果ファイルが1つ発見されました。

ファイル名 サイズ 種類   更新日時

touka.ahoge 10cm  アンテナ 今さっき

 

 違う、これは関係ないだろう。

 

ローカルディスク(body)を検索中……検索の結果ファイルが1つ発見されました。

ファイル名 サイズ 種類 更新日時

touka.omochi a72   夢  中学二年生

 

 ――これか!

 更新日時を見るに、今後のアップデートは行われない可能性が大なのは明らかだった。

 

(……あれは持たざる者(ひんにゅう)の視線か)

 

 失礼な理由で勝手に納得した初日は、神妙な表情で深く頷く。

 

『今日もまたつまらないおもちをさわってしまったですのだ』

 

 ほんの二カ月前まで、毎日顔を合わせていた親友を思い出す。

 こんな口調ではなかった気もするが、おおむね間違っていないだろう。

 「ならさわってんじゃねえよ」というツッコミを待っていたのかも知れない。

 そして、再び点数差に目をやった。

 

一位165300 龍門渕(+65300)

二位111600 鶴賀学園(+11600)

三位69600 篠ノ井西(-30400)

四位53500 岡山第一(-46500)

 

 もしこれが25000点持ちなら、既に篠ノ井西と岡山第一のトビで勝負が終わっている。

 自分達はプラスとはいえ一位とは53700点差。完全に独走を許している形だ。

 そして初日は、毎度の如く「ついてねぇ」と心の中で呟く。

 だが、その顔には絶望の色は見えなかった。

 むしろ何とかしてやるという熱意が感じられる。

 この口癖は古い友人からの受け売りであり、初日にとってはおまじないの様なものだった。

 

『“ついてねぇ”って笑い飛ばせば良いんですよ!』

 

 その言葉に出会ったのは、初日が中学一年生の時。

 それ以来、自身は不運――運がない――と思った事は何度もあれど、それを不幸――幸がない――とは不思議と思わなくなっていた。

 

 

 

 まだ奈良に住んでいた頃のある日。

 夕日に照らされながら、初日はジャージ姿の少女と麻雀教室からの帰り道を共にしていた。

 観光地が近い為、辺りには住宅よりも土産屋の方が目立っている。

 ジャージの少女は、栗色のポニーテールをぴょんこぴょんこと揺らしながら、初日の前を歩いていた。

 

『ゴメン……またあたしの不幸に巻き込んだ』

『いやー、不注意だった私が悪かったんですよー』

 

 どうして自分はこんなにもダメなんだろうと、初日は暗い顔をして謝る。

 それとは対照的に、ジャージの少女はあっけらかんとした態度だった。

 

『初日さんは運がありません!』

『そんなにストレートに言わんでも……』

 

 あまりにも直球なその台詞に、初日は目尻に涙を浮かべる。

 しかし、おかまいなしにジャージの少女は言葉を続けた。

 

『でもそれは、不幸であるという事と、イコールになるとは思わないんです!』

 

 ジャージの少女が言ったのは、言葉遊びの様なもの。

 不運であるという事は、必ずしも不幸であるという事ではない。

 だがそれは、初日の凝り固まった頭を、叩き割るのに十分な威力を持ったトンカチだった。

 思わず初日はその場に脚を止める。

 

『だから、こんなことがまたあった時は……』

 

 その気配を察してか、ジャージの少女も立ち止まった。

 

『“ついてねぇ”って笑い飛ばせば良いんですよ!』

 

 そしてジャージの少女は、この世で誰よりも人生を謳歌しているぞという笑顔で振り向く。

 その笑顔と言葉が、初日の厭世的な価値観を百八十度変化させたのだ。

 

 

 

 これほどまで、麻雀を打つのを楽しみに思えたのは、おそらく自身の両親が健在だった頃以来だろう。

 

(斯様に奇幻な打ち手と相見えるとは……)

 

 衣は早足で対局室への道を駆け足で進んだ。

 

『県予選、全国、そして世界! あなたと楽しく遊べる相手がどこかに必ずいるはずですわ!』

 

 そんな透華の口車に乗ってインターハイに参加したが、衣はそれほど期待していなかった。

 これまで衣の相手になった雀士は、この世の終わりを見たかの様な絶望の表情を浮かべた。

 例外として透華達、龍門渕高校麻雀部のメンバーという存在があったが、それでも自身が勝つのは予定調和。負けることなぞほとんどない。

 一はこれを逃れられぬ運命だったと表現したが、なるほどその通りだと衣自身も納得した。

 だが、今回はどうだろう。

 

(匂う……美味そうな匂いがする!)

 

 衣は匂いと表したが、それは嗅覚で感じ取れるものではない。

 それは、気配だとかオーラだとか、そんな第六感を発揮させないと受け取ることができない感覚だった。

 たどり着いた、対局室へと繋がる扉。

 選手が出入りしやすい様、半開きになっているそこへと、濁流の様にドス黒い瘴気が吸い込まれている。

 間違いなく、この先には、自身と同格の異能を持ちし打ち手がいるはずだ。

 極上の獲物を目の前に、衣の心臓が動悸を早める。

 

(衣を楽しませてくれよ……?)

 

 扉をすり抜けた衣の視界に飛び込んだのは、黒髪をショートボブに揃えた小柄な少女。

 一般人の目から見れば何の変哲もないかわいらしい少女。

 だが、衣を目には、少女の体に漆黒の霧が渦を巻く様に、まとわりついているのが確かに見えた。

 

(――藤村初日!)

 

 

 

 対局室には四校の選手が揃い、対局開始まであと僅かとなった。

 観戦室ではギャラリー達が、今か今かとその時を待ち構えている。

 それは龍門渕高校麻雀部のメンバーも一緒だった。

 

「ついに始まるね、透華」

「……ありえませんわ」

「透華?」

「……アレは衣に匹敵する……」

 

 一は、返事がないのを不思議に思い、透華の表情を窺った。

 恐ろしいものを見たかの様に、顔を強ばらせながら、何やらブツブツと呟いている。

 

「ダメだ、完全に故障してるぜ。二、三発叩いたら治るんじゃねぇか?」

「純くん、透華はオンボロテレビじゃないんだから……」

「……」

 

 どうしようと不安になっている一に対し、純はどうでも良さそうな態度で提案した。

 智紀は我関せずと黙々とキーボードを叩いている。

 

(誰も頼りにならないなぁ……)

 

 まいったと、一が途方に暮れていると、純が腕まくりして透華の頭へと手を差しのばした。

 

「……良し! 仕方ない、アンテナを弄ってみっか」

「はい?」

 

 何が仕方ないなのか、さっぱりわからない。

 一が思考停止に陥っている間に、純は素早く行動に出ていた。

 透華の頭頂部から一房伸びているアホ毛。

 今は、萎えたり立ち上がったり回転したりと、忙しそうに動き回っている。

 純はそれをむんずと掴み、おもむろに引っ張った。

 

「ちょっ! 純君なにしてんのさ!」

「いや、受信状態が悪いんじゃねえかと思って……な?」

「わかるだろ? みたいな視線を向けないでよ! ボクは常識人でいたいんだ!」

 

 まあ一が常識人ではないのは、昨夏の彼女の私服姿を見たときに誰もが知っているのだが。

 そんな一の叫びもむなしく、透華の瞳に理性の色が戻っていた。

 

「アレ? わたくしはいったい何を……」

 

 そして、何食わぬ顔で画面に見入っている純、マイペースにノートパソコンに向かっている智紀、口をあんぐりと開けている一へと目線を移動させる。

 

「な、治ったー!?」

「何なんですの? いきなり大声を出して……。はしたないですわよ、一」

 

 先鋒戦から今の今まで、画面に向かって叫んでいたのは他ならぬ透華であった。

 

(透華にだけは言われたくないよ!)

 

 思わずツッコミを入れたくなった一だが、何とかすんでのところで踏み止まる。

 

(ボクもう疲れたよ……)

 

 どうして、麻雀部という文化系の部活の大会で、こんなにも体力を消耗しなければならないのか。

 一は、不条理と常識外の塊である仲間達に心底ダメ出しをしつつ、彼女達を嫌いにはなれない自分をバカだと思った。

 

 

 

東南戦 アリアリ 喰い替えなし 副将戦の点数を持ち越し

東家53500 岡山第一

南家69600 篠ノ井西

西家111600 鶴賀学園

北家165300 龍門渕

 

東一局0本場 ドラ:{西} 親 岡山第一

 

一巡目初日手牌

{一三九九②⑧⑨⑨119東南} ツモ{9} 

 

(中張牌は三枚……最高についてねぇ状態に間違いない)

 

 配牌と第一ツモを見た初日が、安堵の息を漏らす。

 一回戦、大量リードにも関わらず、何故か最高についてねぇ状態に入った不可思議な現象。

 二回戦、副将戦終了時点で大量リードを許しているという光景を見て「不運の先取り」でもしたのか? という懸念が浮かんできていた。

 今までに経験したことはなかったが、もしそうであれば、ついてねぇ状態なしで挑まねばならぬのかと、内心戦々恐々していた。しかし、それは杞憂で終わったらしい。

 

(どう攻めるかな……)

 

 配牌は七対子の二聴向。

 最高についてねぇ状態の今ならツモは全て幺九牌になる。ドラの{西}が引けないのなら、初日がツモれるのは都合十二種類しかない。

 重ねて和了するのは難しくないが、対子四つ全てが幺九牌の数牌。

 どうせドラも裏ドラも乗らないのだ。混老頭七対子ではリーチをしても満貫~跳満にしかならない。五万点を超える龍門渕との差、それを詰めるには満貫~跳満では不十分であった。

 

(もっと高めを……今のあたしならできるはず)

 

 初日の第一打は{南}。

 {九⑨9}の三色同刻や純チャンも見える手だが、

 

(――本線は清老頭)

 

 狙うは逆転手のみ。

 チマチマ削るのは、和了率が決して高くはない初日の性質に合わない。

 

衣 打{南}

岡山第一 打{九}

 

(仕掛ける!)

 

 二巡目、岡山第一が捨てた{九}に初日は飛びついた。

 

「ポン」

 

二巡目初日手牌

{一三②⑧⑨⑨1199東} {九横九九} 打{東}

 

(一歩たりとも引いてやらない!)

 

 全力で、全速で、役満へと向かう。

 守備がどうでもいいとは言わないが、初日は軽視していた。

 リーチ者に対してなら、どうにでも対処出来る自信があったから。

 

 

 

二巡目衣手牌

{三四五③④34579白白白} ツモ{1}

 

(鵺の鳴く夜の恐ろしさ、それを衣に訓育するつもりか?)

 

 早々に鳴きを入れてきた初日を、衣は訝しげに眺める。

 そして、その意図がどこにあるのか瞬時に弾き出すと、{白}へと手を伸ばした。

 

打{白}

 

(闇は衣の縄張り……まやかしには包まれんぞ)

 

 

 

『えっと……龍門渕高校天江選手、{}白を落としました。これは……どうなんでしょうか』

『三色と一通の両天秤で、どちらも捨て切れなかったのだろう。だが三色は{⑤}引きで確定するのに対し、一通は{268}と三枚引かなければならない。この手なら、大多数の打ち手は{1}をツモ切りするけどなぁ……』

 

 観戦室のスピーカーからは困惑気味のアナウンサーの声が流れていた。

 応対する南浦もいささか歯切れが悪い様子。

 

「ワハハ、龍門渕にはバレてるみたいだなー」

「うむ、{1}はツモ切り一択ですよね。……初日のことを知らなければ」

 

 衣の選択に、蒲原と睦月は顔を渋らせた。

 {1}を捨てていれば、初日は鳴いて清老頭へとまた一歩進んでいただろう。

 自身の手を低くしてまで{1}を切らなかったという事は、初日の特性に気が付いているということの証左に他ならない。

 

「だが、その程度であいつは」

「――止まりません!」

 

 不敵な態度を取る加治木と佳織の視線の先には、初日の手牌が映っていた。

 三巡目、初日は{⑨}をツモり、{②}を切る。

 そして、四巡目。

 

四巡目初日手牌

{一三⑧⑨⑨⑨1199} {九横九九} ツモ{9} 打{⑧}

 

『鶴賀学園藤村、{二}待ちの三色同刻純チャンを聴牌しました』

『篠ノ井西が遅かれ早かれ振り込みそうだな』

 

同巡篠ノ井西手牌

{一二五六七③⑤3578西西}

 

『なるほど。この牌姿なら{二三四}を引かない限り、{一二}を払います。なので{二}は出てきそうです』

『点差がなければチャンタを警戒して残すかも知れんが、龍門渕以外は後がない状態。おそらく出してしまうだろう』

 

 

 

四巡目衣手牌

{三四五③④134579白白} ツモ{二}

 

(鶴賀から感じられる気配は満貫という所か……そして待ちは{二})

 

 ()()()()()当たり牌を見て衣は一瞬顔を顰めた。

 どうやら初日も自身と同じく、麻雀においては常識外れも甚だしい存在らしい。

 だが、序盤から積極的に仕掛けたのが、この程度の手を作る為だったのなら興ざめだ。

 

(まだ奥がある)

 

 卓に着いたその時と変わらず、衣の中では警笛が鳴り響き続けていた。

 そんなレベルの打ち手ではないはずである。

 

(衣が直々に試すのも悪くないが……)

 

衣 打{五}

 

(次の機会を待とう)

 

 {二}を打って初日がどう動くのか。

 それを見たかったのだが、満貫止まりとはいえ、トップから直撃を取れるのなら和了ってしまいそうな気がした。

 だから、自分からは仕掛けられない。

 他家に対し、初日がどう対処するのかを観察することにした。

 

岡山第一 打{發}

篠ノ井西 打{二}

 

(出た……!)

 

 篠ノ井西が捨てたのは、間違いなく初日の当たり牌。

 衣は、初日の一挙手一投足を見逃さまいと視線を上家に座る少女へと向ける。

 

(如何とする? これを和了る様な痴れ事をするつもりではあるまいな)

 

 衣が戦いたいのは魔物の卵ではない。

 自分自身の様に、殻を破った化け物と評される打ち手と戦いたいのだ。

 ここで巫山戯た闘牌をするのならば、様子見はもう終わりだ。

 その時を以て、大将戦は半荘戦から東風戦に変わる。



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11.もう誰も抗えない

 初日は篠ノ井西が捨てた{二}を何事もなかったかの様に見送り、誰からも発声がないのを確認すると静かに山へと手を伸ばした。

 そして、ツモった牌を手元に持ってくると、手牌の中から河へと牌を打つ。

 

初日 打{三}

 

 その瞬間、初日を中心に闇の暴風が唸りをあげて吹き荒れた。

 巻き込まれれば即破滅を思わせる、深淵の嵐。

 しかし、その渦中に置かれながらも衣はうれしそうに口元をゆるめた。

 肌にビリビリと伝わる波動が初日の手の高さを示す。

 

(無上の喜びとはこの事を言うのか……)

 

 想像した通り、いやそれ以上の存在。

 自身が探し求めて止まなかった、極上の打ち手(おもちゃ)

 今それが目の前にあった。

 

(簡単に壊れてくれるなよ?)

 

 どうやって調理(あそ)ぼうか。

 

(んー……んにゅ?)

 

 必死に考えるが、何も思いつかない自分に疑問を抱く。

 

(――忘れていたよ)

 

 今、衣の左手側に座る少女は一方的に嬲られるサンドバックではない。

 そんな、()()()()()相手と対局するのは透華達を除くと久方ぶりの体験だった。

 衣にとって、そこら辺に転がっている打ち手を相手にする事は、CPU相手に麻雀を打っているのも同然。つまらない対局でしかなかった。

 和了への道のり、たどり着くまでの過程に多少の差異はあれど、それは決して大きく道を外れる事はないひどく退屈な遠足。

 だが、今回は違う。

 

(――此奴は今までの木偶の坊(おにんぎょう)とは違う。此奴“で”何をするかではない。此奴“と”何をするか、か)

 

 

 

 ――同時刻。

 観戦室では誰もが口を閉じて画面に見入っていた。

 

『鶴賀学園藤村、清老頭を聴牌! 藤村選手は一回戦で国士無双を和了しているので、この局で和了すれば本日二回目の役満となります!』

『長く麻雀を打っていればこんな日もあるが……鶴賀は次鋒も役満を和了っていた。半荘十戦で役満三回は異常だと言う他ないな』

 

五巡目初日手牌

{一⑨⑨⑨111999} {九横九九}

 

(おいおい、マジかよ……やっぱりオレの勘が正しかったんだな)

 

 ままならないものだと、純は苦笑を浮かべる。

 昼間、会場の外で初日を目にした瞬間、感じ取った異能者独特のオーラ。

 実際に話してみると、ごく普通の少女といった具合で、勘違いだったのではないかと思った。

 だが、一回戦の牌譜、そして今回の打ち回しを見て、やはり魔物の一種だと認識を改めた。

 

(五巡目で役満聴牌ってありえねぇ……)

 

 早い巡目で役満を聴牌するという経験がない訳ではない。

 だが、それが二戦連続だとどうだろう?

 確率的にはゼロではないが、そうとう低い。

 少なくとも、ただ運が良いだけの相手に、自分はビビったりする事はない。

 

(――間違いなく、衣のお仲間か)

 

衣 打{④}

岡山第一 打{北}

篠ノ井西 打{一}

 

『ロン! 清老頭、32000!』

 

初日手牌

{一⑨⑨⑨111999} {九横九九} ロン{一}

 

『決まったー! 鶴賀学園藤村の清老頭が炸裂っ! トップを独走する龍門渕の背中が見えてきました!』

『七局残して21700点差……跳満か親満直撃で入れ代わる。逆転も現実的なラインに達したな……』

 

東一局終了時点

一位165300 龍門渕

二位143600 鶴賀学園(+32000)

三位53500 岡山第一

四位37600 篠ノ井西(-32000)

 

 

 

東二局0本場 ドラ:{4} 親 篠ノ井西

 

初日配牌

{一五七九②⑦⑨399白發中} ツモ{東}

 

(中張牌は五枚……ピークではないにしても、ついてねぇ状態には違いない)

 

 まだまだ点差はあるとはいえ、役満を和了った後。最高についてねぇ状態をキープすることはできない。

 だが、不運でも幸運でもないフラットな状態には至っていない。

 初日の運はまだ十分ついてねぇといえる範囲にあった。

 それを証明するのが、幺九牌が八種九枚という普通の打ち手なら卓をひっくり返したくなる様な配牌。

 通常の人が幺九牌を引く確率は13/34=約38%、三回に一回はツモる計算になる。

 それが初日の場合、点差のないフラットな状態で約50%、今のそこそこついてねぇ状態なら約75%、最高についてねぇ状態なら、ほぼ100%のツモが幺九牌になる。

 ならば、この局はまだ大物手が狙える。勝負に行くべきとだろう初日は判断した。

 第一打は{五}。容赦なく中張牌から切り出す。

 

(国士とチートイの両天秤……間に合えば良いけど)

 

 

 

『チー』

 

四巡目衣手牌

{一三五八九123西西西} {横②①③} 打{五}

 

『龍門渕天江、チーで一歩手を進めました』

『{一}ならチャンタ自風牌、{二七九}ならさらに三色の付く良い鳴きだ』

 

 何も間違っていることを言っている様には聞こえない解説だが、それを透華は鼻で笑った。

 

(問題はそこではありませんわよ? 観点がちゃんちゃらおかしいですわ)

 

 その鳴きの真意はそんな部分にはない。

 衣が自分のテリトリーへと獲物を引きずり込んだのだから。

 ――月が迫ってくる。

 

「海底コースっ! ねぇ、透華これってアレだよね……?」

 

 アレと呼ばれるものに怯えているのか、か細い声で一が透華に問いかけた。表情も少し固いものに変わっている。

 

「ええ、一の考えている通りですわよ。夜の帳がとっくに降りている今、海面に映る月は衣のもの。今日は半月とはいえ、有象無象の雀士の手を止めるくらい容易いですわ」

 

 だから――もう誰も抗えない。

 

(昏く深い海の底で、もがき苦しむ道しか残されていませんわよ?)

 

 

 

十巡目初日手牌

{二九九⑦⑨99東東白白發中} ツモ{二}  

 

(誰か張ってる……?)

 

 初日は九巡目、十巡目と二回連続で{二}をツモ。

 たまたま引いたのではなく、掴まされたのではないかと疑い、注意深く河を観察した。

 

捨て牌

篠ノ井西 {■■■■■■■■■■■■■}

{南98⑦北②}

{⑥①南⑤}

 

鶴賀学園 {二二九九⑦⑨99東東白白發中}

{五3七一西北}

{6北}

 

龍門渕 {■■■■■■■■■■} {横②①③}

{⑨⑧白五北5}

{74東}

 

岡山第一 {■■■■■■■■■■■■■}

{南⑦⑨中⑧六}

{八七中}

 

(ドラを切り落とした龍門渕があやしいかな)

 

 鳴き方を見るに、役牌やチャンタの目もあるが、123の三色を狙っている可能性が最も高い。

 ということは自ずと待ちも読める。{二}単騎、{二}と役牌の片和了りのシャボ、{一三}の形から{二}の嵌張待ち、この三パターンのどれかで聴牌しているはずだ。

 

(これは間違いなく通るはず……)

 

 篠ノ井西と岡山第一の現物である{⑦}を河に放った。

 

十一巡目初日手牌

{二二九九⑨99東東白白發中} ツモ{二} 打{⑨}

 

(三枚目引いちゃった……残り七巡、和了り目は薄いけど、龍門渕の手は止めた)

 

 まだまだついて行ける、いや追い越せるんだと初日は手応えを掴んだ。

 しかし、結局手がこれ以上進むことはなく、最後のツモと捨て牌を終える。

 

(この局はノーテン罰符か……)

 

 ここまで何も掴まされないという事は三人ノーテンだろう。

 前を行く龍門渕との差が四千点広がるという事実は決して軽くはない。

 

(でも和了られるよりはマシ)

 

 そう思った初日が一息ついていると、下家から「テンパイ」ではない言葉を発した。

 

「――ツモ、海底摸月」

(え?)

 

「チャンタ三色自風牌、2000・4000」

 

十八巡目衣手牌

{一三九九123西西西} {横②①③} ツモ{二}

 

(ありえない!?)

 

 {二}を三連続で引いて、待ちを潰したと確信していた初日は驚愕で目を大きく開いた。

 相手にツモられない限り、初日は他家の当たり牌を掴まされる。

 それはドラが待ちに含まれていない限りは絶対のものだった。

 だから{二}は、本来なら残っているはずがない。

 

(もしかして……この娘、何か持っとる?)

 

 自身や母、そして奈良時代の友人の様に、常識の外に居る存在なのか。

 そう思い、下家の少女を眺めるも、衣はうつむき加減で表情は詳しくうかがい知れない。

 初日が確認できたのは、悪魔の様に歪めている口元だけだった。

 

東二局終了時点

一位173300 龍門渕(+8000)

二位141600 鶴賀学園(-2000)

三位51500 岡山第一(-2000)

四位33600 篠ノ井西(-4000)

 

 

 

東三局0本場 ドラ:{中} 親 鶴賀学園

 

衣配牌

{一三五七七八⑧127中中中} ツモ{九} 打{2}

 

(水月は衣にしか掬い揚げられぬ……)

 

 初日は目を白黒させながら第一打を終わらせた。

 動揺を隠し切れないその様子を、衣はつまらなそうな視線で貫く。

 

二巡目

{一三五七七八九⑧17中中中} ツモ{六} 打{7}

 

(……王よ、過ぎたる欲は身を滅ぼすぞ?)

 

 古代から近代まで、権力者の暴走によって崩れた国家は数え切れないほど存在する。 

 国士無双とは、国内にならぶ者のないすぐれた人物という意味合いを持つ言葉である。

 それを容易に集めることが出来るにも関わらず、他人の当たり牌という矮小なものにまで手を伸ばすのは分不相応と言わざるを得ない。

 

九巡目衣手牌

{一三四五六七七八九⑧中中中} ツモ{二}

 

(本来、王を諫めるのは臣下の役目だが)

 

 打{⑧}で{一七}待ちの面混中ドラ3高め一通、黙聴でも最大で倍満になる大物手を聴牌できる。

 しかし、衣の選択は違った。

 

衣 打{七}

 

(――今宵は衣が善導してやろう)

 

 

 

『龍門渕天江、{一七}待ちに取らず、{⑧}単騎待ちを選択しました。打点を下げることになりますが、これはどういった理由からでしょうか』

『出和了りを考慮しての打牌だろう。点差からして大きい手に構える必要性は薄い』

 

捨て牌

鶴賀学園

{五八西4④1}

{79發}

 

龍門渕

{271⑤②3}

{④西七}

 

岡山第一

{南③⑥西③②}

{⑥三}

 

篠ノ井西

{二②一西發3}

{東四}

 

『なるほど。捨て牌は、萬子の染め手に見えなくもないですし、{⑤}が切れているので、スジの{⑧}は安全度が高そうに見えます』

『しかし、この選択は吉ではなく凶と出る可能性が高そうだな』

 

岡山第一手牌

{234566789北北白白} ツモ{④} 打{④}

 

篠ノ井西手牌

{六七八⑤⑥⑦⑧6789白白} ツモ{4} 打{4}

 

初日手牌

{一①⑦⑨⑨⑨東東東南南南北} ツモ{⑧} 打{一}

 

『既に他家が{⑧}を二枚、面子として使っている。残り一枚となるとどうだろうか』

 

 観戦室で蒲原と佳織は複雑そうな表情で画面に見入っていた。

 

「ワハハ、この局は天江だけじゃなく初日にも、ちと厳しそうだなー」

「{①⑥⑨}と{北}待ちだけど、{①}以外は、各一枚ずつしか山にないね……」

「うむ。だけど、下手にここで追いつくよりは、少しリードを許した状態でラス親まで持っていった方が、初日にとっては良いんじゃないかな」

 

 睦月の言葉を聞いた蒲原と佳織はそれもそうだと表情を和らげる。

 ただ一人、加治木を除いて。

 

(違う……そんな問題じゃない)

 

 東二局、「山に他家の当たり牌が存在する限り掴まされてしまう」という初日の能力が破られた。

 今回も聴牌直後のツモで当たり牌を持ってきたが、次巡残りの{⑧}を掴めない様なら……。

 

十一巡目初日手牌

{①⑦⑧⑨⑨⑨東東東南南南北} ツモ{九} 打{九}

 

({⑧}じゃない――っ!)

 

 天江衣に初日の一部能力は通じないということになる、いや今は「なった」という方が正しいか。

 それだけに止まらず、もう一つ加治木には懸念材料があった。

 

(先ほどの海底、それは偶然だと考えたいが……このまま進めば天江に回ってくる)

 

 麻雀では34種×4枚=136枚の牌を使う。

 その内、配牌の13枚×4と王牌の14枚を除いた70枚を四人でめくり合うのだ。

 最中で鳴きが入らなければ、東家と南家が18回、西家と北家が17回ツモる。

 つまり70枚目(海底牌)をツモるのは南家(天江衣)になる。

 

(まさか、海底で確実に和了れるということだったりするのか?)

 

 そうであれば、初日が{⑧}を掴めなかったことに説明が付く。

 初日の「山に当たり牌が存在する限り掴まされてしまう」という能力より、衣の「海底で確実に和了れる」という能力の方が優先されている、という簡単な答えだ。

 

(……外れていてくれよ)

 

 加治木は祈る様に画面を見つめる。

 だが、こんな時に限って自身の勘は「勘違いなんかじゃないぞ」と強く警告を発していた。

 

 

 

十七巡目初日手牌

{①⑦⑧⑨⑨⑨東東東南南南北} ツモ{一} 

 

(ダメだ……手が進まない)

 

 十巡目にこの牌姿になって以来、今回を含めると七回連続でツモ切りを繰り返していることになる。

 たった十三種類しかない幺九牌。初日のツモはそれに偏る。

 巡り合わせの悪い時というのはこんなものだろうが、{①}×三枚、{⑨}×一枚、{北}×三枚、合計七枚も幺九牌の有効牌があるのに、初日が全く重ねられないというのは珍しいケースだった。

 

(誰かにまとめて持たれとるのか……もしかして、この娘の力?)

 

 前局から感じるまとわつく様なねっとりとした空気。

 思い返せば、それ以来、手が進まなくなった様な気がする。

 その空気の発生源が下家に座る少女――天江衣なのだろうか。

 自身と同じ、常識外の生き物なのでは? という疑念を深めた初日は、{一}を河に置くと衣へと目を向けた。

 

(まさか……ね)

 

 衣は山からツモってきた牌を確認することもなく、河へと叩きつけた。

 そして、千点棒を取り出し、妖気漂う怜悧な表情で宣言する。

 

「リーチ」

(残り一巡でツモ切りリーチ!?)

 

 何を考えているんだと、初日は驚愕を露わにすると同時に、東二局の衣の和了役を思い出した。

 

(海底――そんな無茶苦茶なっ!)

 

 声なき叫びをあげながらも、本能は既に答えを出している。初日の内に眠る魔物の血が教えるのだ。

 海底でツモれると確信しているからこその打牌なのではないかと。

 確実に海底で和了れるのなら、リーチ一発ツモに海底摸月が付いて最低でも四翻増える。

 仮に衣の手が満貫だとして、それを足せば最低でも倍満になる。 

 自身の性質を考慮すれば、なるべく今の点差を保ちながら南入し、親番かオーラスで一気にまくるというのが理想。

 近づき過ぎても、離され過ぎてもならない。

 

(何とかズラさないと――っ!)

 

岡山第一 打{⑥}

篠ノ井西 打{九}

 

(……逆なら鳴けたけど)

 

 でも、まだあきらめるのは早計。河に{⑨}と{東}は見えていない。ということは、カンができる可能性が残っている。

 ドラが乗らない初日は、よほど有効牌が欲しい時か、死にかけの他家を助ける為にしかカンをしないが、この時ばかりは何が何でもという気持ちであった。

 

(来い!)

 

十八巡目

{①⑦⑧⑨⑨⑨東東東南南南北} ツモ{1}

 

(やられた……) 

 

 初日は{1}をツモ切りしながら唇を噛みしめた。

 そして、迎えた海底の順番。初日はツモらないでくれと祈る気力すらなかった。

 衣はツモった牌が何だったのか確認することもなく、手牌の横に置き、静かに口を開く。

 

「ツモ。海底摸月」

 

 そして王牌からドラと裏ドラ表示牌を取り出した。

 

「リーチ一発ツモ一通中ドラ3――裏3、8000・16000」

 

衣手牌 ドラ{中}/裏ドラ{中}

{一二三四五六七八九⑧中中中} ツモ{⑧}

 

東三局終了時点

一位205300 龍門渕(+32000)

二位125600 鶴賀学園(-16000)

三位43500 岡山第一(-8000)

四位25600 篠ノ井西(-8000)



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12.衣は子どもより親の方が好きなのに!

東四局0本場 ドラ:{2} 親 龍門渕

 

 初日は山から牌を持って来ながら、深くため息を吐いた。

 一通中ドラ3の跳満手、それを一瞬で数え役満に化けさせるとは桁違いにも程がある。

 他人が聞けば「お前は人のこと言えねえよ」と一蹴されるだろう感想を持っていた。

 

(まあ、おかげであたしもこんなん来たけど……)

 

初日配牌

{四九①⑨1789西北白發中}

 

 配牌は国士無双の三聴向。

 現時点で約八万点差と親の役満直撃以外では逆転不可能な状態。

 だからこそ、初日の配牌もうまい具合にバラバラになるのだが、

 

(直撃させても逆転不可か……情けないなぁ)

 

 あまりにも開きすぎた点差が重くのしかかる。

 初日は自嘲気味にくつくつと喉を鳴らした。

 

衣 打{⑥}

岡山第一 打{東}

 

「ポン」

 

衣手牌

{■■■■■■■■■■■} {東横東東}

 

 一巡目、篠ノ井西の捨てた{東}を衣はすかさずポン。

 

(うぇ!? いきなりダブ東確定……しかもツモ飛ばされた)

 

衣 打{一}

岡山第一 打{九}

篠ノ井西 打{一}

 

一巡目

{四九①⑨1789西北白發中} ツモ{1}

 

({東}が三枚使われている以上、国士は狙いづらい……)

 

 残る一枚の{東}を自分でツモるか、他家にツモられる前に聴牌しなければ国士無双は和了できない。

 役満を和了られたのなら、役満を和了り返せば良いじゃないかと、非常識な計画を立てていたが、いきなりそれが頓挫して初日は肩を落とした。

 {東}が一枚しか残っていない現状では、七対子か{1}の対子と{789}の順子がある索子の混一狙いに移行するのが最善だろう。

 自風牌と三元牌を抱えているし、重ねれば打点もそれなりに稼げるはずだ。

 そう判断した初日は不要な萬子へと手を伸ばす。

 

打{四}

 

「チー」

 

衣手牌

{■■■■■■■■} {横四二三} {東横東東}

 

 衣は初日の捨てた{四}を奪い、自身の右側に叩き付けた。

 

({一二三}の形から{一}を切って、{四}をチー……?)

 

 三色狙いをするとしても、{一}を落とすのが早すぎる。

 ダブ東が確定している以上、無意味な鳴きに見えた。

 何故そうするのだろうと、初日は頭を捻る。

 

(……また海底コースッ!)

 

 ツモは、ポンをすることで、ポンをされた側と入れ替わり、チーをすることで、東→北→西→南→東と本来のツモから前へと一つずつずれて行く。

 今回の場合、ポンで西家のツモ順になっていた衣は、チーをしたことで南家のツモ――海底コースへと再び入ったことになる。

 

(止めないと……)

 

 これ以上の独走を許す訳にはいかない。

 初日の表情に焦りの色が混じり始めた。

 

十二巡目初日手牌

{1189南西西北北發發中中} ツモ{南} 打{8}

 

(今回は手が順調に進む……)

 

 前局まで場を包んでいた、まるで水中に引き込まれたかの様な空気。

 それが今は感じられない。

 

(これなら海底までもつれない!)

 

 今回のツモで混一七対子(満貫)に混老頭がプラスされ跳満、ツモなら倍満まで伸びる。 

 

(直撃……はどうやろ……)

 

 初日はふと衣に視線を向けた。

 矮小なその体からは想像できない存在感――威圧感と言い換えた方が良いかも知れない気迫を放っている。

 “今のままでは”彼女に放銃させるヴィジョンを思い浮かべることができなかった。

 

(相手が親番で助かった……)

 

 しかし、倍満を親被りさせられれば24000点分は差を詰められるはずだ。

 そう考えれば決して悪くはない。

 そして再び移りゆく卓上へと視線を移す。

 

衣 打{5}

岡山第一 打{南}

 

「ロン」

(えっ?)

「――三色ダブ東ドラ1、11600」

 

衣手牌

{②③④234南} {横四二三} {東横東東}

 

(掴まされてた――っ!)

 

 衣の前巡はツモ切りだった。

 初日の性質を鑑みれば、二巡前に聴牌していたということだろう。

 

(普通に出和了りもあり!?)

 

 海底だけに気を付ければ良いのではなく、出和了りもありとなれば、一時たりとも気を抜ける瞬間はない。

 ――正に死闘。

 

(ついてねぇ……のんびり手作りする暇はなさそう……)

 

 初日はいつものようにそう愚痴る。

 その瞬間、不思議と悲壮感は消え去って、何とかしてやるという熱意が心から溢れ出た。

 

(――それでも負けるつもりはない!)

 

東四局0本場終了時点

一位216900 龍門渕(+11600)

二位125600 鶴賀学園

三位31900 岡山第一(-11600)

四位25600 篠ノ井西

 

 

 

『東四局、親の龍門渕が11600点を重ねました! このまま決まってしまうのかーっ!』

『91300点差、親の役満直撃以外で逆転は不可能。普通なら勝負あったと言えるが……』

 

 ――観戦室。

 期待はずれだと言わんばかりに、純はつまらなさそうに唇を尖らせていた。

 駄々をこねる子供の様なその仕草は、大人びた外見とミスマッチであること甚だしかった。

 

「思ったほどじゃねぇなぁ」

「何がですの?」

 

 初っ端に役満こそツモられたが、東二局以降は衣の独壇場と言える内容。

 数え役満まで和了しているというのに、何故期待はずれなのかと、透華は少し目尻をつり上げながら純を見やる。

 

「いやいや、お前が考えていることとはたぶん違うぜ。藤村だよ、藤村初日、鶴賀の大将の。東一局だけだったか……」

「確かに清老頭にはおどろきましたが、衣に敵う相手がそうそう居るわけがありませんわ」

 

 透華は何を当たり前のことをと真顔で答えた。

 

「いや、昼間にあいつと会った時……衣に初めて会った時と同じ様な感覚がしたんだ。あれは気のせいなんかじゃねぇ、恐ろしい何かの片鱗……衣と対等に遊べる相手が見つかったのかなとも思ったんだがなぁ……」

「……」

 

 透華は純に言葉を返せなかった。

 自身も感じた圧倒的存在感、それは衣に通じるものがあった。

 

(このまま飲まれて終わっちまうのか……?)

 

 やっと見つけた衣の同類。

 彼女でも衣には勝てないのだろうか。

 

(はっ、それは俺が決めることじゃねぇな)

 

 あと三十分もあれば、全てがわかる。

 それまで落ち着いて見守っていようじゃないかと純は画面に視線を移した。

 

 

 

東四局1本場 ドラ:{九} 親 龍門渕

 

(このまま進むとまた海底コースか……)

 

 三副露させて海底コースに乗せてしまったのは初日自身。

 だが、海底で一翻付けられると確信している衣は、役なぞ無視した鳴きを入れる為、絞って抑えることは難しいし、そもそも絞ろうとすれば自分が和了れないので一人では止められない。

 

十五巡目初日手牌

{一一一①①⑤⑤⑤⑧⑧⑧⑨北} ツモ{一}

 

(普段なら{一}はツモ切りかカンで安定……でも、今回は残しとくか)

 

打{北}

 

『他の人と分かち合うの』

 

 昨日の晩、母の言っていた言葉が脳内でリフレインされる。

 

(お母さんがやってた“アレ”……再現しようにも、いまいちタイミングが掴めない……というか、あたしにそこまで読み切れるだけの雀力ないし)

 

 今、自身が行っているのは手術や投薬といった治療ではなく、痛み止めを処方するだけの対症療法。

 いや、延命と言い換えた方が適切かも知れない。

 だが、強大な病巣を相手に、黙って死ぬことだけは避けたかった。

 

(まだ……諦めない。あたしの不運を唯一認めてくれた麻雀で……諦められない!)

 

 

 

『鶴賀学園藤村、{一}を残し、{北}を捨てましたが……これは?』

『海底対策か……』

『このままだと、確かに龍門渕の天江選手に回ってきますが……それは偶然です……よね?』

『どうだろうな……しかし……鶴賀の藤村』

『何か他にも?』

『いや、どっかで見た事がある様な気がするんだよなぁ』

『……えー、手元の資料によると、藤村選手は公式戦への出場は今回が初となっております』

 

 ――観戦室。

 試合は龍門渕で決まったと判断され、観客はまばらになっていた。

 そんな中、鶴賀学園の面々は最前席で画面に食い入っている。

 

「あれ? 初日ちゃん何で{一}を残すんだろう」

「南浦プロの言う通り海底対策だろう。天江の上家なのが助かったな。最後の一巡でカンをすれば、天江にツモが回ってこない」

 

 佳織の疑問に加治木が説明を入れた。

 

「ワハハ、やっぱあれ狙ってやってたのかー」

 

 何て非常識な、とあきれた様に蒲原が零した。

 

「でも……それじゃあ」

「うむ。聴牌できたとしても、和了るチャンスは、嶺上牌をツモる一回きり……」

 

 

 

(最後のツモ……このままだと海底牌を引くのはこの娘。でも、こうすれば)

 

初日手牌

{一一一一①①⑤⑤⑤⑧⑧⑧⑨} ツモ{⑨}

 

「カン」

 

 初日は微笑を浮かべながら{一}を倒し、右端に並べた。

 同時に衣は目を大きく見開き、顔を驚愕の色で染める。

 

(――海底牌は王牌に補充されてなくなる。これ以上、好き勝手はさせない)

 

 

 

(衣の海底牌が引き込まれた……!?)

 

 すぐそこまで近づいていた勝利の瞬間。

 衣はそれがするすると手から抜けていったのを感じ取った。

 

衣手牌

{①①⑦⑨} {横八七九} {横213} {横978}

 

(浅薄な真似を!)

 

 

 

初日手牌

{①①⑤⑤⑤⑧⑧⑧⑨⑨} {■一一■} ツモ{東} 打{東}

 

(嶺上開花ならず……。そこまでうまくは行かんか)

「流局……かな? テンパイ」

「テンパイ」

「ノーテン」

「テンパイ」

 

初日手牌

{①①⑤⑤⑤⑧⑧⑧⑨⑨} {■一一■}

 

衣手牌

{①①⑦⑨} {横八七九} {横213} {横978}

 

岡山第一手牌

{②③④⑤⑥東東白中中中發發}

 

篠ノ井西手牌

{五六七⑥⑦22556677}

 

東四局1本場終了時点

一位217900 龍門渕(+1000)

二位126600 鶴賀学園(+1000)

三位28900 岡山第一(-3000)

四位26600 篠ノ井西(+1000)

 

 

 

東四局2本場 ドラ:{6} 親 龍門渕

 

初日手牌十二巡目

{一一四四四①③⑨⑨東東南南} ツモ{一}

 

(もしかしなくても……張ってるよね)

 

 九、十、十一巡目と三連続で{四}をツモ、そして今回は{一}をツモってきた。

 

衣捨て牌 {■■■■■■■} {横五四六} {横七八九} 

{北九發7②北}

{5⑦中五西9}

 

 初日から見える範囲では、衣の手は見え見えの一通狙い。

 自身が掴まされた牌からすると、{二三■■■■■}から{一四}待ちに構えているはずだと確信を深めた。

 今までの初日なら、この場合は打{③}だっただろう。

 {一四}を抱え込んで、四暗刻や対々和を狙いに行ったはずだ。

 でも今回は違う。

 

『こう……何というか……その……ガーっと牌を持ってきて……シュルルルルって感触で……』

『擬音が多すぎて何が言いたんかわからん』

『でもお母さんがお祖母ちゃんに教えてもらった時はこんな感じだったんだけど』

『……』

 

 ものすごくアバウトな母の教えをどうにかこうにか理解した。

 

(こう……ぎゅっと詰め込む感じで……)

 

 初日は“当たり牌だと確信している”{一}を、数瞬念じる様に握りしめた後、静かに河に捨てた。

 

(これは先行投資……後で何倍にもして取り返してやる!)

 

 

 

(……何を考えている?)

 

 ここまで見えバレの待ちに振り込む阿呆が、二回戦まで上がってこれる訳がない。

 そもそも一回戦の闘牌を観戦していた限り、こいつには当たり牌を感じ取れる才覚があったはずだ、と衣は訝しむ。

 

「チー」

 

(此度の海底牌は{白}――急がば回れ、危険な近道を採択することもない)

 

衣手牌

{66白白白} {横一二三} {横五四六} {横七八九} 打{白}

 

 衣はロンの発声はせず、海底コースに入れるチーを選択した。

 しかし{一}を手元に持ってきて、{白}を河に置いたその瞬間、彼女の肢体におぞましい悪寒が駆けめぐった。

 腕にはぷつぷつと鳥肌が立ち、自身の意思とは関係なく体は震え、奥歯がカタカタと音を奏でる。

 

(気色悪い――っ! そもそも触れてはならなかったのか!? あの一萬に)

 

 そして自身の判断ミスに気づきハッとして、左側に座る初日へと顔を向けた。

 

(何だその間抜け面は……?)

 

 そこには大口を開け、不思議そうな表情を浮かべている少女の姿があった。

 

 

 

十三巡目初日手牌

{一一四四四①③⑨⑨東東南南} ツモ{⑨} 打{③}

 

(あれ……? 和了らんの?)

 

 和了られると思っていた初日は、自身のツモ順が回ってくるまでの間、呆然としていた。

 ロンにせよポンにせよチーにせよ手元にさえ入れてくれれば問題なかった訳で、点数を無駄に失わなかっただけ僥倖かと思い直す。

 

十四巡目初日手牌

{一一四四四①⑨⑨⑨東東南南} ツモ{南} 打{①}

 

(良し……! ツモり四暗刻聴牌!)

 

 

 

(む、追いつかれた……此奴の手は{一}と{東}のシャボ待ちか)

 

 初日が{①}を打ったその瞬間、衣は目ざとく聴牌気配どころか、待ちまで完全に読み切った。

 透視とも言えるレベルに達している観察眼は、衣を魔物たらしめている要素の一つである。

 

十五巡目衣手牌

{66白白} {横一二三} {横五四六} {横七八九} ツモ{一}

 

(掴まされた――っ!)

 

 衣は手元の{一}を見て愕然とするも、すぐに正気に戻った。

 

(いや、これはフリテン……衣がこれを切っても此奴は和了れない)

 

打{一}

 

「ポン」

 

 初日はその捨て牌にすかさず手を伸ばした。

 

十六巡目衣手牌

{66白白} {横一二三} {横五四六} {横七八九} ツモ{東}

 

(また当たり牌――っ!?)

 

打{東}

 

「ポン」

 

 再び初日は衣の捨て牌に鳴きを入れる。

 

十七巡目衣手牌

{66白白} {横一二三} {横五四六} {横七八九} ツモ{⑨}

 

(まさか……裸単騎になるまで続けるつもりか!?)

 

打{⑨}

 

「ポン」

 

十八巡目衣手牌

{66白白} {横一二三} {横五四六} {横七八九} ツモ{南}

 

(また――っ!?)

 

「ポン」

 

 

 

初日手牌十九巡目

{四} {南南南横} {⑨⑨⑨横} {東東東横} {一一一横} ツモ{9} 打{四}

 

(これでフリテン解消!)

 

 

 

二十巡目衣手牌

{66白白} {横一二三} {横五四六} {横七八九} ツモ{9}

 

(この9索……間違いなく当たり牌、今回はフリテンでもない)

 

 このまま誰も鳴くことなく進めば、自身がツモれるのは二回だけ。

 その間に{9}か{78}をツモれば、海底牌の{白}で和了れる。

 だが、あの{一}を奪い取って以来、流れ――いや、運命が変わった。

 何度やっても自分は当たり牌を掴まされ続けるのだろう、と衣の感覚が訴えている。

 つまり、待ちを変えられれば聴牌が間に合わない。

 すなわち、この局で衣の和了り目はなくなった。

 

(衣にオリろと言うのか――っ!)

 

 そして、それは親番の終わりをも意味する。

 

(衣は子どもより親の方が好きなのに!)

 

「ノーテン」

「ノーテン」

「ノーテン」

「テンパイ」

 

 ただ一つ開かれた手牌は初日のもの。

 東四局2本場は、初日の一人聴牌で衣の親は流れた。

 そして、勝負は後半戦――南場へと移る。

 

東四局終了時点

一位216900 龍門渕(-1000)

二位129600 鶴賀学園(+3000)

三位27900 岡山第一(-1000)

四位25600 篠ノ井西(-1000)



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13.――衣は今、麻雀を打っている!

 ――前夜、藤村邸。

 

『まだまだ私も捨てたもんじゃないわね』

 

 藤村母――藤村霧香(きりか)は、ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー……と手元にある万点棒を数えながら、ころころと笑った。

 その前には、情け容赦なく打ち倒された戦士達の屍が転がっている。

 

『三戦連続でトップ取られた……ていうか、お父さんが一緒に麻雀したくないって言うのが何でか良くわかった……』

『……また……負けた』

『……ふぇぇ』

 

 二着-二着-二着と善戦を続けた初日はまだ軽傷で済んでいるが、三局連続で三、四着を引かされ続けた睦月と佳織の傷は深そうだ。

 睦月は虚ろな目ですっからかんになった自身の点棒入れを眺め、佳織は雀卓に顔面からダイブしてピクリとも動かない。

 

『まだまだね』

 

 そう述べるのは、柔和な笑みを浮かべつつ、えげつない和了を連発し続けた霧香。

 唯一現世に止まっている初日は、その意見に乾いた笑いを返す事しかできなかった。

 

『その顔は何でそんなに強いのって聞きたいのかしら? 安心してね、初日にも同じ事ができるはずだから』

 

(何か語り出した……)

 

『私が三連続でトップを取れたのは、卓上の“厄”を支配していたからって言えばわかりやすいかしら』

『何となくわかるけど……』

 

 霧香の言葉を聞いて、先ほどまでの対局の内容を思い返す。 

 三局とも、睦月と佳織のどちらかが常にカモになっていた。

 河に幺九牌が溢れ、たまに中張牌が出てきたかと思えば、それは誰かの当たり牌。 

 そう、それはまるで初日の様だった。

 厄を操る事によって、擬似的についてねぇ状態に陥らせていたというのなら説明は付く。

 

『厄のお裾分けって言えば良いのかしら? ほら、あるじゃない、節分とかで。豆とかおもちに厄を移して、拾ったみんなで分け合うってやつ。それと同じで“牌に厄を移して”他の人と分かち合うの。まあ、拾ってくれなかったら意味がないんだけどね。あ、それと幺九牌以外では出来ないの。“厄の乗り”がいまいちなのよねぇ』

 

 初日のついてねぇ状態には普通についてねぇ→そこそこついてねぇ→最高についてねぇと三段階のギアが存在している。

 霧香曰く、その“厄”を一段階分、ポン、チー、ロンをさせる事によって相手に分け与える事が出来るというらしい。

 その影響下に置かれると、相手が厄を祓いきるまでの間、ツモの半分くらいが幺九牌になるし、他家が聴牌すると当たり牌を掴まされたりと――普段の初日の様な状態になってしまう。

 それだけを聞くと相手を一気に弱体化させる反則的な能力に思えるが、仕掛ける側にも当然リスクはある。

 ツモの75%が幺九牌になるそこそこついてねぇ状態で仕掛けると一段階下がりツモの50%が幺九牌になる初日にとって普通の状態になり下がる。

 最高についてねぇ状態から仕掛けると、そこそこついてねぇ状態になり下がる。

 一局につき最大で二回しか仕掛けられないし、失敗すれば、その間自身は置物と化す。

 

『理屈は何となくわかるけど……ミスったらバカバカしいにも程があるよね……そもそも鳴いて貰えるかどうかが』

『そうでもないわよ? 場風牌とか三元牌とか、幺九牌でも鳴いてもらいやすい牌はあるし、それに……振り込んでもいいし』

『本末転倒の様な……下手しなくてもトブ気がする……』

 

 確かに、当たり牌を掴まされるという初日の特性を持ってすれば、相手に厄を乗せた幺九牌を送り込む事は難くない。

 しかし、前提条件が枷になる。

 “そこそこついてねぇ状態”“最高についてねぇ状態”になっていないと能力を発動することができないのだ。

 つまり、自身の点棒が減っていてかつ、相手に点棒が渡っている状態で振り込まないといけないという事である。

 相手が小さい手だったら良いものの、大物手だったら耐えられるだけの点棒は残っていない場合が多い。

 

『普通の半荘戦ならそうかもね……でも、十万点持ちの団体戦だったらどうかしら? 相手が親で、しかも役満だったとして最大で五万点弱。それすら残ってないって事は少ないんじゃないかな』

 

 まあ、流石に役満に振り込んだら取り返すのが大変だけどねと霧香は締め括る。

 そして、ノックアウトされている佳織を強制的に再起動させて、無理矢理卓に着かせる。

 

『じゃあ今から特訓しようか。はい! 佳織ちゃん起きて~!』

 

 その様子を見て、初日と何とか復帰した睦月はただ一言残した。

 

『鬼だ……』

 

 

 

南一局0本場 ドラ:{②} 親 岡山第一

 

初日配牌

{①⑤⑧⑧245699白發中} ツモ{白}

 

 今、手元にある牌の丁度半分が幺九牌。

 点差からして初日としてはありえない配牌だが、それは自身の策がうまく嵌っていることの証左であった。

 

(第一ツモが中張牌……やっぱり分け合った分、“ついてなさ”は下がるか)

 

 ――でも、まだまだ勝負になるレベルだ。

 絶対に追いついてやる! 絶対に追い越してやる! と決意を新たに、浮いている{①}筒を河へと捨てた。

 

 

 

衣配牌

{一二六九①③127東北北北} ツモ{發}

 

(何だ……これは!?)

 

 自風牌の暗刻こそ揃っているものの、その他はてんでばらばら。

 実際に打っていてこんな配牌を目にすることは少なくないが、衣にそんな常識は通じない。

 早く和了りたいと思えば、軽い手が来るし、高打点が欲しいと思えば、それなりの手が来る。

 ――まるでそう定められているように。

 だからこそありえない。

 親番を蹴られたうっぷんを晴らそうと、大物手を決めようとした今回の配牌が四聴向――この形から狙えるとすれば三色とチャンタ程度、それも鳴きを入れないと厳しいだろう。

 

(衣に厄を押しつけたというのか――っ!)

 

 何と無様なと衣は顔を歪めながら、東を切った。

 

 

 

(……微妙なところが来た)

 

 初日はその性質上、多面張の待ちに構えられることは殆どない。

 国士無双十三面待ちという例外中の例外を除けば、23や78といった隅牌での両面待ちが関の山だ。

 そういう意味ではレアなケースだが、初日は素直に喜べなかった。

 

九巡目初日手牌

{2456999白白白發中中} ツモ{3}

 

 {發}切りで{147}待ちの白混一、最低でも満貫になる手だが、{發}を引くか{中}を鳴くかで小三元に届く。重なり次第では大三元まで見えるこの手を捨てるのはもったいなく感じられた。

 

(……じっくり手役を追いますか)

 

 点差を鑑みればとにかく高い手が欲しい。

 初日は打{9}を選択した。

 

十巡目初日手牌

{2345699白白白發中中} ツモ{發} 打{9}

 

(来い……)

 

十一巡目初日手牌

{234569白白白發發中中} ツモ{中} 打{9} 

 

(良し!)

 

 {147}待ちの小三元混一を聴牌。

 出和了りなら跳満、ツモ和了りなら倍満まで伸びる。

 

(ベストは直撃、最悪ノーテン罰符でも良い……とにかく点差を詰める、そして逆転してやる)

 

 

 

十一巡目衣手牌

{一二三①③③123發北北北} ツモ{1}

 

(また掴まされた――っ!)

 

 全て初日の思い通りに進んでいるのかと、衣は悔しさに唇を噛んだ。

 自身の手は{②③}、{發}待ちの一聴向。

 衣には、初日の待ちが{147}である事、跳満~倍満程度である事が分かり切っている。

 聴牌に繋がる牌種の多さを考えれば、打{發}が適当だろうが、状況がそれをさせてくれない。

 

捨て牌

岡山第一

{西⑧四西①南}

{85南六一}

 

篠ノ井西

{北8南五2五}

{七九74九}

 

鶴賀学園

{①⑤一⑧⑧南}

{東九999}

 

龍門渕

{東九東六7西}

{西七八東}

 

(河に三元牌が一枚も見えてない……)

 

 そして、上家の手牌から感じられる波動が、衣に一つの可能性を提示している。

 

(大三元……いや、今は小三元か)

 

 發を落とした所で振り込むことはない。

 だが、もしかすると大三元を完成させてしまう事になるのではないか。

 だから――{發}は切れない。

 

(……二、三局もすれば全て霧散しそうだが)

 

 動きを阻害するように、衣の周りにまとわりついている瘴気。

 それは徐々に流れ出し、本来の持ち主――初日へと戻って行っている。

 

(――それまでの間、此奴はどこまで詰めてくる?)

 

 今、衣が攻勢に出られない以上、この場を支配しているのは間違いなく初日である。

 衣は悔しさで体を震わせながら、{①}を捨てた。

 

「ロン! メンチン一通ドラ4、24000!」

(何!?)

 

 ノーマークだった対面の篠ノ井西からの発声により、衣は硬直した。

 

篠ノ井西手牌

{②②②②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑨⑨} ロン{①}

 

(有象無象の分際で……三倍満だと? 既に聴牌していたというのか!?)

 

 自身の支配に抗えるのは、同じく何らかの支配能力を持っている者でしかありえない。

 衣にとって初日以外の二人はただの数合わせでしかなかった。

 

(そうか! 衣の幸運が此奴らに流れているのか……!)

 

 衣が持つ人並み外れた運――豪運とも言えるそれが今回は完全に裏目に出てしまった。

 二分されるだけで、凡庸な打ち手は瞬時に、自身と同じく煌めく運気を纏った非凡な打ち手に成り代わる。

 

(衣は今、衣をも相手にしているのか)

 

南一局終了時点

一位192900 龍門渕(-24000)

二位129600 鶴賀学園

三位49600 篠ノ井西(+24000)

四位27900 岡山第一

 

 

 

 ――観戦室。

 

「衣が……振り込んだ……?」

「そんな……ありえませんわ!」

 

 放銃という衣らしくない失態。

 智紀のキーボードを叩く手が止まり、透華は思わず叫んでしまっていた。

 

「……東四局から何か別人みたいだよね」

 

 比較的平静を保っていた一は、そう呟くと純へと顔を向けた。

 ツキだの流れだの、そんなオカルトは専門家に聞くのが一番だろうと。

 

「十中八九、鶴賀が何かやったんだろうな。ちと面白い展開になってきたじゃねぇか」

「面白いって……衣が負けちゃったらどうすんのさ」

「何だ? 負けたら何か問題あんのか? 衣が家族で友達……そんな関係が崩れるとでも?」

「当然ボクもそう思っているけど……衣はどうなんだろ……。ちょっと恐いんだ。衣が、どこか手の届かない場所に行ってしまうんじゃないかと思って」

 

 

 

南二局0本場 ドラ:{西} 親 篠ノ井西 

 

初日配牌

{二三九⑧11379東東發發} ツモ{九} 打{⑧}

 

(篠ノ井西に放銃してくれたのは計算外やったけど、少しやりやすくなったかな)

 

 嬉しい誤算に初日は口元を緩ませた。

 前局までは初日は出和了りを封じられているも同然の状況だった。

 この点差をまくるには役満和了が不可欠であろう。しかし、衣以外から直撃を取ると、その時点でトビ終了となってしまう。

 そんな窮地から脱することができた。先ほどの和了で点差も縮まった上に、篠ノ井西から出和了りが可能になった事は初日にとって有利に働く。

 

二巡目初日手牌

{二三九九11379東東發發} ツモ{1} 打{3}

 

三巡目初日手牌

{二三九九11179東東發發} ツモ{東} 打{7}

 

(うまく重なる……スッタン狙い一直線!)

 

 

 

十二巡目衣手牌

{一③④⑤南南南} {横三四五} {横345} ツモ{二}

 

 当たり牌を掴まされ、衣は苛立ちを露わにする。

 

(ぐっ……しつこいぞ!)

 

 だが、聴牌は維持できる。

 衣は打{一}とした。

 

(しまった――っ!)

 

 しかし、その直後に大きな失態を犯したことに気が付く。

 衣に厄を移したとはいえ、当たり牌を掴まされるというのは初日の性質は失われていない。

 {二}待ちで聴牌している他家が存在する以上、山に{二}が残っていれば初日は自動的に{二}を引かされる。

 

(……そもそも、今の状態なら衣より藤村の方が早く聴牌できるはず……であるにも関わらず衣が先に聴牌した……いや聴牌させられた!)

 

 ――完全に手のひらの上で転がされている。

 

(そんな巫山戯たことが……ッ!)

 

 

 

十三巡目初日手牌

{二九九九111東東東發發發} ツモ{二}

 

「ツモッ! 四暗刻単騎、8000・16000!」

 

(イケる……まくれる……勝てる!)

 

南二局終了時点

一位184900 龍門渕(-8000)

二位161600 鶴賀学園(+32000)

三位33600 篠ノ井西(-16000)

四位19900 岡山第一(-8000)

 

 

 

南三局0本場 ドラ:{⑧} 親 鶴賀学園

 

(月に翳りがある……今の衣に感じられるのは海底に眠る一牌だけ)

 

 暗雲の隙間から木漏れ日の様に、覗く僅かな月明かり。卓上を照らしているのは、ただそれだけ。

 何もわからない……何も感じ取れない。

 だが、それを恐いとは思わなかった。

 闇こそ衣の領域であり、衣の唯一の味方であった。例え自身の視界を覆おうと、それもまた闇の一面。

 

(これが本当に麻雀なのか……?)

 

 運命という名のシナリオに従って、相手を再起不能になるまで叩きのめす。それが天江衣の麻雀だった。

 だが、今は違う。

 何一つ自分の思い通りに進まない。

 容赦なく不要牌は引くし、必要ないと思って捨てた字牌を次巡にツモってくる。あげくには他家が聴牌したその瞬間、当たり牌を掴まされ続ける。

 

(だが、何故だ? 不可思議にも……胸の内から暖かいものが流れ出ている)

 

 それは点差に余裕があるからか? 

 否、今の自分に流れはない。運気が戻るまでの内に全て溶けていてもおかしくない。

 無数に存在する、勝利と敗北へと繋がる細い迷路の様な道。

 勝利へと繋がる道、いつもは月明かりに照らされていた。だが、今の月光はあまりにも弱々しく、出口から差すその光は衣が立つ地点まで届かない。

 だから、衣は暗闇の中を手探りで進む。他家を躱し、自身が和了る道を探し求めて。

 

(……)

 

十四巡目衣手牌

{一二三四七八九①②③123} ツモ{五}

 

 {}八、{}五と連続で引いた。普段なら特段気にも留めない何でもないツモだが、厄を纏っている今なら別。

 恐らく誰かが{}五八待ちで張っているのだろう。

 そして、一矢報いる為に、衣か初日へと直撃させてやろうとダマで待ち構えているのだ。

 南三局の親が二位の初日、南四局の親が一位の衣である以上、衣と初日以外の二人にトップ目は残されていない。

 なので、試合は諦めざるを得ない、いや諦めるしかない状況だが、勝負を諦めている訳ではなかった様だ。

 

(下家は……違う。ということは、対面か)

 

 気配を探るように辺りを見回すと、すぐに誰が仕掛けてきているのか察知した。

 

(まだ折れてないのか……? 衣と麻雀をして)

 

 衣にとって麻雀とは自分の存在意義を確認する為に、他者を叩きのめす事でしかなかった。

 そもそもそれは麻雀である必要すらない。

 有象無象と侮っていたが、三倍満を直撃させたのは偶然ではなかったのかも知れない。

 やけに輝いて見えたのは、衣の運気が流れたからではなく、無意識の内に、その気迫を感じ取っていたのかも知れない。

 ならば、その気持ちに応え、真っ正面から完膚無き敗北を叩き付けてやらねばならない。

 等と考えていると、先ほどから胸を高鳴らせ続けているこの感情の正体がわかってきた。

 

(そうか……衣は嬉しいのか……)

 

 それは他者を打ち倒す事によるものではなく、他者と卓を囲む事による喜び。

 

 

 

 ――観戦室。

 

「楽しそうだね」

 

 一のその言葉に誰も返事をしなかった。

 それほどにまで、龍門渕高校の面々は画面の衣の表情に釘付けになっていたのだ。

 そこに映っているのは獲物を嬲って愉しんでいるサディスティックな表情を浮かべた衣ではなく、見た目相応の可愛らしい柔らかな笑みを浮かべた少女だったからだ。

 衣は“トクベツ”だった。

 魔性に魅入られているとでも表せば良いのだろうか、とにかく普通とはかけ離れた存在だった。だが、その“トクベツ”が他者と衣との距離を遠ざけた。

 まだ、両親が健在だった頃はその“トクベツ”にも耐えられた。衣の両親は“トクベツ”である衣の事を普通の子供の様に可愛がり、愛し接した。だから、孤独ではなかった。

 しかし、両親が事故死して以来、理解者を失った衣は一人ぼっちになった。

 もしかすると、透華達は自分の“トクベツ”を理解してくれているのかも知れない。

 だが、もし違っていたら立ち直る自信がなかった。

 だから、本音を打ち明けず、ただ今のままの関係を続けていた。

 そんな折に出会った衣を同じく“トクベツ”な少女――藤村初日。

 彼女なら衣を“トクベツ”から救ってくれるかも知れない。

 

 

 

「リーチ!」

(礼を言うぞ藤村初日!)

 

十四巡目衣手牌

{一二三四七八九①②③123} ツモ{五} 打{四}

 

 衣が四萬を河に叩き付けた瞬間、暗闇の雲の隙間から光の波動が少し漏れた。

 

「ツモ! リーチ一発ツモ三色、2000・4000!」

(――衣は今、麻雀を打っている!)

 

十五巡目衣手牌

{一二三五七八九①②③123} ツモ{五}

 

 勝ち気な瞳をした衣が点数申告をすると同時に、溢れんばかりの光の波動が、まだ燻っていた昏く黒い瘴気を全て吹き飛ばした。

 

「さあ、雌雄を決しようぞ!」

 

南三局終了時点

一位192900 龍門渕(+8000)

二位157600 鶴賀学園(-4000)

三位31600 篠ノ井西(-2000)

四位17900 岡山第一(-2000)



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14.でも……あたしもアホなんだよね

南四局0本場 ドラ:{四} 親 龍門渕

 

衣配牌

{二三五六④⑤⑦6788西北} ツモ{四}

 

(征くぞ……)

 

 衣の配牌はタンピン系の軽い手。

 待ち受けは広いし、第一ツモでドラを引いた。

 和了れば勝ちの確定する条件としては、かなり良い牌姿と言えるだろう。

 勝利へと突き進む為に、不要である字牌は初日の自風牌となる{}北から先に落とした。

 

(衣は当たり前の事を忘れていた……)

 

 思い出すのは在りし日の母親の言葉。

 

『長期的自己実現で福楽は得られない。幸せは刹那の中にあり』

(母君……衣は幸せだ)

 

二巡目衣手牌

{二三四五六④⑤⑦6788西} ツモ{2} 打{西}

 

(配牌の良し悪しに一喜一憂し)

 

三巡目衣手牌

{二三四五六④⑤⑦26788} ツモ{③} 打{2}

 

(有効牌を引いて顔をほころばせ)

 

四巡目衣手牌

{二三四五六③④⑤⑦6788} ツモ{1} 打{1}

 

(不要牌を掴んでしかめっ面を浮かべる)

 

五巡目衣手牌

{二三四五六③④⑤⑦6788} ツモ{①} 打{①}

 

(和了って破顔一笑する事もあれば)

 

六巡目衣手牌

{二三四五六③④⑤⑦6788} ツモ{8}

 

(時には振り込んで慟哭する。……そんな刹那のやりとりに興ずるのが――麻雀)

 

 {⑦}切りで平和ドラ1、{一四七}待ちを聴牌。{四七}ならタンヤオが付き、{四}ならさらにドラが増える。

 和了れば勝ちが確定する状況ではダマで構えるべきだろうが、

 

「リーチ!」

 

 衣は{⑦}を曲げて、千点棒を取り出した。

 

(仮初めの勝利は必要ない……! 衣はこの手で掴んでみせる――真なる勝利を!)

 

 一見、無益に映るリーチ。

 だが、衣にはそうしなければならない理由があった。

 

 

 

六巡目初日手牌

{一九⑨1289東南西北白發} ツモ{七}

 

(一歩……いや、三歩遅かった)

 

 引いてきた{七}の姿を目にして、初日は眉を寄せた。

 今の手牌は国士無双の二聴向。

 しかし、当たり牌である七萬を掴まされた以上、国士無双の和了り目はゼロも同然だった。

 逆転するには三倍満以上の直撃かツモが必要。リー棒が一本出たとしても焼け石に水、逆転に必要な翻数に変わりはない。

 

(でも……諦めない。残り十一巡、四暗刻に大三元、小四喜なら聴牌できる可能性がある)

 

 初日は{2}を捨てながら河を眺め、役満成立に必要なだけ牌が残っているか確認した。

 都合良く二枚以上切れている字牌は存在しない。

 面子の一部を当たり牌で埋められたとしても、四暗刻ならそのまま流用すればいいし、大三元なら八枚分、小四喜なら十枚分残っていれば成立させられる。

 

(あたしの麻雀を貫いて、そして行くんだ……全国に!)

 

 

 

八巡目衣手牌

{二三四五六③④⑤67888} ツモ{七}

 

『龍門渕高校天江選手、見事掴みました――っ! 決勝戦に進むのは風越・城山商業・裾花そして龍門渕となった……』

 

打{七}

 

『模様です……えっ!? 天江選手、何故か{七}をツモ切りしました……』

 

 ――観戦室。

 今日何度目になるのか数えるのもバカらしくなる透華の金切り声が、静寂を破った。

 

「何してますのーっ!」

 

 ツモった当たり牌を衣は平然と河に捨てた。

 その光景を目の当たりにした透華は、額に青筋を浮かべ立ち上がった。

 

「満貫ツモじゃ足んねぇからなぁ……」

「足りる足らないの問題じゃなくて、うちは断然の首位ですのよ!?」

「トータルならな。でも、大将戦だけの収支だと」

「……+46000で鶴賀がトップ」

 

 得点推移を良く見てみろよと、純は顎で促し、智紀がフォローを入れた。

 

「そっか、衣は+27600で二位なんだ」

 

 一は衣の真意に気が付きなるほどねと頷いた。

 その差は18400点。

 

ドラ:{四}

{二三四五六③④⑤67888} ツモ{七}

 

 この牌姿だと、タンヤオ、平和、ドラ1にリーチ、ツモが付いて親の満貫。

 それでは12000-(-4000)=16000。2400点届かない。

 衣が初日を逆転するには9600以上の直撃か、跳満以上のツモ和了りが必要である。

 {}七なら一発ツモが必須条件だったのだ。

 

「がんばれ……衣。お前は今、まさに麻雀を打っているんだ」

 

 画面に映る衣を、力強く暖かい視線で眺める純の姿は、さながら父親の様であった。

 

 

 

 ――観戦室の最前列。

 

「ワハハ、どうやら敵さんは完全な形での決着をお望みの様だなー」

「試合よりも勝負を取ったか。その気高さには敬意を表するよ。私ならツモの宣言をしていただろう」

 

 敵ながらあっぱれだと、蒲原と加治木は目を細め、賞賛の声をあげた。

 

「これでフリテンだから……」

「うむ。おかげで初日が、引かされた当たり牌を捨てられる……!」

 

 一年生コンビは現金なもので、逆転のチャンスが生まれたことを純粋に喜んでいた。

 佳織は目をキラキラと輝かせ、睦月は拳を握り締めた。

 

 

 

八巡目初日手牌

{一一七九⑨19東南西北白發} ツモ{中} 

 

(どうして和了り放棄したのかはともかく、追いついた……っ!)

 

 初日は高ぶる心を静める為、目を閉じて深く深呼吸をした。

 六巡目にツモった{七}、七巡目にツモった{一}、それぞれの情報から考察するに、衣の待ちは{一四七}の三面張だと初日は考えた。

 

捨て牌

龍門渕

{北西21①横⑦}

{八七}

 

岡山第一

{四七二一南①}

{中⑦}

 

篠ノ井西

{一②七⑧四⑥}

{①發}

 

鶴賀学園

{五623⑧2}

{8}

 

 その内、{一}は初日の元に二枚、他家の河に二枚、{七}は初日の元に一枚、他家の河に一枚ずつと全て目に見えている。

 残る{四}はドラ――初日には掴むことができない幸運の塊。

 そこまで順序立てて考えれば、初日にもだんだん相手の意図する所が分かってきた。

 

(……誘っとるんかな?) 

 

 どうやら相手はこちらの性質を看破して、手袋を投げつけてきた様だ。

 初日はドラを引けない――だからこそ、ドラ待ちで聴牌すれば、初日に当たり牌を全て握られる事はない。

 

(めくり合い……か)

 

 {一四七}の三面張ということは、{二三四五六}の面子が存在しているはずだ。

 {四}が二枚河にある以上、山に最大で一枚しか残っていない。フリテンの衣は、他家に握られていればその時点でジ・エンドだ。

 対する自身の{①}も同じく残るは一枚だけ。これだけ国士無双を匂わせる捨て牌をしていれば、出さない可能性も高い。

 それでも有利なのは初日だ。初日は自身がツモる他にも、衣がツモった時にも和了れる。

 しかし、衣は自身でツモれなければ和了れないのだ。

 

(この娘……アホなのかな?)

 

 そう考えながらも、初日の胸の奥からは、マグマのように赤く熱く煮えたぎった闘争心がふつふつと溢れ出ている。

 

(でも……あたしもアホなんだよね)

 

 初日は獰猛に口元を歪める。

 こちらが有利なのに関わらず、背を向けて逃げるという選択肢をとるのは卑怯者の様な気がしたのだ。

 

(その決闘――受けて立つ!)

 

 そして、

 

「リーチ!」

 

 河に力強く{七}を捨てた。

 

 

 

 ――観戦室の最前列。

 

「何をやってるんだあいつは……」

 

 加治木は思わず手で顔を覆い天を仰いだ。

 

「青春って感じがしていいじゃないか。負けたらカッコワルイけどなー」

 

 まあその時は、部室の掃除当番一カ月ってところが適当か、と蒲原はいつもの様にワハハと笑った。

 

「二人とも山に残るのは後一枚……」

 

 大丈夫かなあと不安げに漏らす睦月に、佳織は自信満々に答える。

 

「大丈夫だよ! 最高についてねぇ初日ちゃんだもん!」

 

 

 

九巡目

衣 ツモ切り{②}

初日 ツモ切り{九}

 

 もう誰も止める事が出来ないめくり合い。

 

十巡目

衣 ツモ切り{⑥}

初日 ツモ切り{⑨}

 

 常識的に考えれば、フリテンで出和了りの封じられた衣が圧倒的に不利。

 

十一巡目

衣 ツモ切り{3}

初日 ツモ切り{東}

 

 しかし、衣が抱いた感情は絶望ではなく、歓喜だった。

 

十二巡目

衣 ツモ切り{1}

初日 ツモ切り{南}

 

(もっと)

 

十三巡目

衣 ツモ切り{五}

初日 ツモ切り{西}

 

(もっと……)

 

十四巡目

衣 ツモ切り{5}

初日 ツモ切り{北}

 

(もっと……!)

 

十五巡目

衣 ツモ切り{⑥}

初日 ツモ切り{⑨}

 

(――麻雀を打ちたい!)

 

 止むことのない渇望が、アドレナリンを分泌させ、衣の体を突き動かす。

 

十六巡目

衣 ツモ切り{4}

初日 ツモ切り{白}

 

 叶うことならば、このままいつまでも続けていたいくらいだった。

 だが、麻雀というゲームに引き分けはない。

 必ず勝者と敗者で分けられる、残酷で非情な遊戯なのだ。

 

十七巡目

衣 ツモ切り{西}

初日 ツモ切り{中}

 

 ――そして迎えた十八巡目、衣の最後のツモ。

 

(海底は{四萬}でも{①}でもない……つまりこれがどちらかの――当たり牌)

 

 自然と心臓の鼓動が早まる。

 緊張からか、歓喜からか、はたまた恐怖からか、正真正銘最後の一牌を目前に、様々な思考が入り乱れ、不思議と手が震える。

 ――もうここで終わりなのか。

 呼吸を落ち着け一拍置くと、衣は山へと手を伸ばし、しっかりと牌を掴んだ。

 

(全て王牌に入っている可能性もあるが……何故だろう、この局で全てが決すと思ったのだ)

 

 ゆっくりを牌を手牌の上に置いて、その柄を確認すると

 

(そうか、そうきたか)

 

 ――静かに手牌を閉じた。

 そして、衣は河に牌を置く。

 

(これもまた、麻雀)

 

 その瞬間、上家から気持ちの良い透き通る様な声の和了宣言が流れた。

 

「ロンッ! 国士無双、32000!」

 

初日手牌

{一一九⑨19東南西北白發中} ロン{①}

 

(――衣の負けだ)

 

終局時

一位190600 鶴賀学園(+33000)

二位159900 龍門渕(-33000)

三位31600 篠ノ井西

四位17900 岡山第一

 

 

 

 終局後、あいさつも早々に篠ノ井西と岡山第一の選手はその場を去った。

 そして二人残された初日と衣。

 先に口を開いたのは初日だった。

 

「何であの時、{七萬}で和了らずに勝負してきたの?」

 

 その疑問に、何だ気が付いていなかったのかと、きょとんとしながら衣が答えた。

 

「確かに、然すれば龍門渕高校としては勝ちだっただろう。……だが、一人の打ち手、天江衣としては負けだった。お前が+46000で衣は+27600、跳満ツモが必要だったのだ」

 

 だから、あれは和了らなかったのではない。和了れなかったのだ。そう続けて衣は初日の目を、まんまるなサファイアの様に蒼い瞳で真っ直ぐに見つめた。

 そして、さらに言葉を続ける。

 

「また、衣と麻雀を打ってくれないか?」

「もちろん!」

 

 初日の快諾に、衣はパアっと表情を明るくさせた。蛍光灯の光を反射して煌めく金の髪はあまりにも幻想的で、ファンタジー世界から抜け出して来た妖精の様だった。

 そして、少し逡巡しながらも絞り出す様に、恐る恐る言葉を投げ掛ける。

 

「じゃあ……衣と友達になってくれないか?」

「大歓迎だよ!」

 

 月がいくら美しい造形をしていようと、恒星の存在がなければ人はその目で捉える事はできない。

 月の少女――天江衣。

 彼女にも照らしてくれる誰か――友達という名の恒星が必要だった。

 しかし、その心配はない。

 そもそも彼女の周りには、光り輝く恒星がいっぱいあったのだから。

 

 

 

 対局室の入り口には龍門渕高校の麻雀部員達(光り輝く恒星)が集結していた。

 

「何か入り辛ぇな……なぁ透華」

 

 お~い、オレも混ぜてくれよ~、とか言いながら突入しようとしたものの、不思議な暖かい空気の流れる空間を目に、足がすくんでしまった。純は居心地悪そうに頬をかく。

 そして後へと振り向くと、ハンカチを目にあてがい、ぷるぷると体を震わせている透華の姿があった。

 

「衣が……衣が自分から友達を……」

「うぅ……透華が泣くからボクにまで涙が出てきたじゃないか……」

 

 その隣で一まで目をこすっていた。

 

「……よかった」

 

 一番後に控えている智紀は優しそうな微笑みを浮かべ、その様子を見守っていた。

 

 

 

 さらにその後に控えていた鶴賀学園の麻雀部員達は、突入するタイミングを逃して棒立ちになっていた。

 

「何かアレ……ここで初日ちゃんの元に行って喜ぶのは鬼畜ってレベルじゃないよね……」

 

 ぽろっと佳織の口から零れた台詞が全てを表していた。

 天江衣を取り巻く事情を知らない彼女達には、悔し泣きしている他校の生徒が入り口にたむろしている様にしか見えなかったのだ。

 

「観戦室に戻るか……」

 

 いつもの様にワハハと笑うことなく、蒲原が呟いた。



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15.ステルスサトミの独壇場っすよ……

 ――決勝戦の朝。

 緑芽吹く初夏、早朝の新鮮な風が人を心地よい気分にさせる。

 会場前で待ち合わせをしていた初日達は、蒲原と加治木の姿を見つけると声を掛けた。

 

「……おはようございます」

 

 初日のあいさつは地獄の淵から這い上がってきたかの様なものだった。

 

「おう、今日は早かったんだなー……ってどうしたんだ」

「緊張して眠れなかったのか? こと麻雀に置いては鋼のメンタルだと思っていたが、お前も人間だったんだな」

 

 目は虚ろで、クマが彩っている。頬は心なしかこけており、髪の毛もいつもの輝きを失っている。足取りもどこか危なっかしい。

 初日は一晩でどうやればそんなにやつれる事ができるんだという、疲労困憊の相貌だった。

 

 

 

 ――原因は昨晩にさかのぼる。

 会場から藤村邸へと戻ると、既に時計の針は午後十時を指していた。 

 遅めの夕飯を終わらせ、入浴を済ますとあっという間に午前零時を過ぎ、急ぎ就寝の流れとなった。

 疲れていた睦月と佳織は布団に倒れ込むと泥の様に眠ったが、初日だけは爛々と眼を輝かせていた。

 

『じゃあ……衣と友達になってくれないか?』

 

 大将戦終了後、衣がかけてきた言葉を思い出して、初日はベッドの上でニヘラと表情を歪ませる。

 長野に引っ越して以来、同学年の友人は睦月と佳織の二人だけという、灰色の青春を送っていた。

 そんな初日にとって何よりも嬉しい申し出であった。

 友が増える喜びを噛みしめる、午前一時。

 

『明日は応援に来るからなっ! 衣に勝ったんだ、絶対に負けるなよっ!』

『もちろん!』

 

 そう交わし笑顔で別れた。

 しかし、その言葉を聞いて勝ち上がったという事が、どういう意味を持っているのかを実感する事になる。

 チームメイトの想いだけじゃない。

 一、二回戦の対戦相手の六校、いやその六校に負けた九校、合計十五校の麻雀部員達の想い(青春)を背負っているという事だ。

 

(絶対に負けられない……)

 

 プレッシャーが重くのしかかる、午前二時。

 

(羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……おっとオオカミが突入、羊さんの運命やいかに!?)

 

 早起きしなければならない時に限って、何故か眠れないということは多々ある。

 睡眠にはストレスから解放される事こそが一番重要であり、休日やけにすっきりと早起きできるのはそれが原因らしい。

 仲間を殺された怒りで闘争本能に目覚めた羊達と、多勢に無勢、哀れなオオカミが織りなす一大スペクタルを脳内で繰り広げる午前三時。

 

(やばい……英語の課題全然やっとらん)

 

 週明けが提出期限の宿題を思い出し、顔面蒼白になる。

 しかし、最早どうにもならない。

 絶望感に身を苛まされる、午前四時。

 

「綺麗……」

 

 やうやう白くなりゆく山ぎは少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる。

 カーテンを開くと、外には枕草子の一文を引用したくなる光景が広がっていた。

 今が春ではなく初夏なのが残念だ。山の陰から差す、黄金の陽光が目に染みる。

 気分は平安貴族な、午前五時。

 

「朝だ……徹夜だ……」

 

 身支度を調える為、睦月と佳織が洗面所に向かい、初日は部屋に一人残された。

 何となく、とある大物作家のペンネームの由来となったと言われている台詞を呟いた。

 玄人(バイニン)になったつもりの、午前六時。

 

「……行ってきまーす」

 

 長野駅まで車で送ってくれた父、そして付き添ってくれた母に、初日は別れを告げた。

 袋に入れて右手にぶら下げている五人分の重箱の重さで、袋の持ち手が指に食い込む。

 ずっしりとした重量感が両親の愛情の深さを感じさせた。

 ちなみに今日もしっかりと箸を入れ忘れている。

 

(……玄は元気にしとるかな?)

 

 電車に乗り込み、流れる景色に目を落とす。

 足下に置いたナップサックに詰め込まれたMY枕とタオルケットの存在を忘れ、ふと郷愁にかられる、午前七時。

 

 

 

 ――そして、現在へと繋がる。

 極限まで溜まった疲労と眠気で半死半生の、午前八時。

 ナップサックは一人電車で揺られている。

 

「きたぞー」

 

 幼女の様なかわいらしい声色が一同の耳に届いた。

 振り向くと、おとぎ話のお姫様然とした、フリフリで装飾されたワンピース姿の衣がそこに居た。

 さらにその背後には、龍門渕透華を始めとした、純、一、智紀、そして執事のハギヨシと龍門渕高校の面々が揃っている。

 

「君達は龍門渕の……応援に来てくれたのか」

 

 加治木が鶴賀学園を代表して、ありがとうと礼を述べた。

 凛とした佇まいはまるで部長の様だが、部長は蒲原であり、加治木ではない。

 

「衣が来たいと言うから……し、仕方なくですのよっ! わたくし達に勝ったのだから、優勝しないとタダじゃ済ましませんわよ」

 

 衣と同じく、白を基調としたワンピースに身を包んでいる透華がそっぽを向きながらそう返す。

 ほんのり頬が赤く染まっており、ツンデレお嬢様にしか見えなかったが、そんなしおらしい姿もつかの間、

 

「ってゾンビが一人混じっていますわっ!?」

 

 ビシッと初日を指さして驚愕の声を放った。

 ころころと表情を変える忙しい透華であった。

 

「ああ、眠れなかったらしい」

「そうか! そんな事もあろうかと思って……ハギヨシ! あれを」

 

 加治木の言葉を聞いて、衣が嬉しそうに執事のハギヨシを呼んだ。

 

「これをどうぞ」

 

 眉目秀麗な執事は、朗らかな笑みを浮かべながら、小型のクーラーボックスを加治木へと差し出した。

 

「これは一体……?」

 

 加治木はずっしりとした質感が来ると身構えていたが、クーラーボックス意外と軽かった。

 傾けてみるとビン状のものが入っているのか、ゴロゴロと何かが中で転がる音がする。

 

「我が龍門渕グループで開発している栄養ドリンクですわ! 試合前に飲めば、これ一本で眠気や疲れはナッシング! 人数分用意していますから、精々有効活用するが良いですわ!」

「効果は保証するぜ、そこのロリ巨乳と同じ様な顔をしていた衣がこの状態だからな」

 

 透華が中身を説明すると、純が衣の頭を撫でながら言葉を足す。

 

「言うなーっ!」

 

 衣は目を吊り上げて純に抗議をするが、加治木はその姿を見て効果の程を推測した。

 

「なるほど、期待できそうだ。本当にありがとう」

 

 そして、深々と頭を下げた。

 

「そういう湿っぽいのはなしだ。まあ、ちょちょいと優勝してくれや。それに」

「それに?」

「――個人戦はオレ達が上位を独占するから、ここで勝てないと全国に行けないぜ」

 

 個人戦の全国行きの切符は三枚。

 純は指を三本立てていたずらっぽく笑った。

 

「それは困った、何が何でも優勝するしかなさそうだ」

 

 加治木はどこか芝居がかった仕草で肩をすくめた。

 

「そういうこった。まあ、がんばってくれ」

 

 そう言い残すと、純は観戦室へと向かっていった。

 

「……絶対勝って」

「う、うん!」

 

 智紀が自分なりの激励の言葉を佳織に掛けた。

 

「個人戦楽しみにしてるよ」

「ああ」

 

 一が加治木に好戦的な笑みを向けた。

 

「わたくしの連荘を止めたからには、決勝で活躍してもらうしかありませんわ!」

「う、うむ。私なりに精一杯……」

 

 透華が天を指さしながら睦月に発破を掛けた。

 

「鏖殺だー!」

「……おうさつ?」

 

 衣が無邪気な顔で皆殺しにしろと物騒な言葉を初日に残していった。

 

「眩しいな」

 

 光り輝く四つの太陽、そして美しく照らされる月。

 誰かが零したその言葉が、龍門渕ファミリーの全てを表していた。

 

「ワハハ、ステルスサトミの独壇場っすよ……」

 

 その影で蒲原は沈んでいた。

 初日とあいさつを交わして以来、会話に加わった記憶がない。

 何かを堪える様に体がプルプルと震えていた。

 

「って私は何を言ってるんだー? ……このくらいでは泣かないぞ」

 

 

 

「おおー、これが勝者の特権かー」

 

 鶴賀学園ご一行と書かれているドアを開いて中を覗くいた、蒲原は興奮を隠せぬ様子。

 控え室として与えられたのは、まるでホテルの一室の様な、簡素ながら上質なものだった。

 彼女自身、比較的裕福な家の育ちではあるが、学校行事でここまでの待遇を受けたのは修学旅行を除くと経験がなかった。

 

「ほんとだー、すごいね~」

 

 続いて中に入った佳織も感嘆の声を漏らす。

 辺りを見渡すと、コーヒーや紅茶が入れられるポットが目に入った。

 対局室の様子が映るモニターの正面には、三人掛けのソファーが中央のテーブルを囲む様に四脚置かれており、観戦が快適に行える様になっていた。

 さらにルームサービスや浴場でも設置してあれば完全にホテルだが、さすがにそこまでは用意されていない様だ。

 

「これがテレビのリモコンかー、ポチッとな」

 

 蒲原がテーブルの上に置かれていたリモコンを拾い上げ、テレビの電源をオンにした。

 すると、丁度出場校の紹介が行われている場面だった。

 

『さァ! ついにインターハイ長野県予選、四強が揃いました! 注目を集めるのは王者風越女子! 全国大会への切符を手中に収めること六年連続! 今年は、副将に昨年一年生ながらレギュラーを務めた福路美穂子、大将にルーキー池田華菜を据えるフレッシュさの溢れるオーダーとなっております! これが王者の余裕なのかーっ!』

 

 画面の中では、女子生徒がインタビューに答えている。

 どうやら、各校のチームリーダーが抱負を述べている様だ。

 

『続くのは毎年安定した成績を収めている城山商業! 今年こそ王者風越の壁を破ることができるのでしょうか! カギを握るのは二年生のエース市川望! 悲願の決勝進出を果たした裾花高校! 一年生のダブルエース志波令、雨宮須摩子! 王者風越にどこまで食らいつけるか注目です!』

 

 残るは後一校、ついに鶴賀の出番かと画面を見やれば加治木がインタビューに答えていた。

 

『ダークホースと言えばこの学校、初出場の鶴賀学園! 一年生三名、二年生二名の若いチームです!  一、二回戦で数えること五回の役満和了! その豪運が三度発揮されることはあるのでしょうか!』

 

「あれ?」

 

 これは各校の部長が抱負を述べる場面じゃないのかと、佳織が不思議そうな顔を浮かべた。

 当の部長は「ワハハ、フシギダナー」と他人事の様に笑っている。

 

「しかし、ずいぶん風越寄りの紹介ですね」

「仕方ないだろ……何と言おうが相手は六年連続インターハイ出場、他の学校はその間、何をしていたんだという話になるからな」

 

 正直取材が来るとは思わなかったから驚いたぞと、睦月の疑問に加治木が答えた。

 

「でも、それも今夏が最後……」

 

 蒲原は栄養ドリンクを一気飲みすると、立ち上がり、スカートの裾を払う。

 

「次からは鶴賀一強だと言われる様になるからなー」

 

 そして、二カッと笑って対局室へと脚を進めた。

 

「……智美ちゃん……毎回毎回、死亡フラグを立てるのはワザとなの?」

「『鶴賀の先鋒wwwwwwww』とかいうスレが乱立しそうな気がするな」

 

 ――その頃の初日。

 一人控え室に入らず、廊下で携帯電話を手に取っていた。

 

『お電話ありがとうございます、お問い合わせセンターです』

「あの……車内に忘れ物をしてしまったんですけど」

『はい、それでは……』

「七時発のしなの○号の×号車なんですが……」

『えー、内容物は枕とタオルケットで間違いないですね?』

「はい」

『承りました。発見次第ご連絡差し上げますので、お名前とご住所、お電話番号をお願いいたします』

「えっと080……」

 

 

 

(ここまできちまったかー)

 

 決勝進出――ここを勝ち上がればインターハイ出場という場所まで上り詰め、流石の蒲原も緊張を隠せずに居た。

 部長として、勝ち上がれるものと部員を信じていたが、いざ自身が先鋒として席に着くと、張りつめた場の空気にすぐにも背を向けて逃げ出したい衝動に駆られる。

 

(一回戦、二回戦と散々だったからなー)

 

 -36700点、-11200点と合計47900点もの点棒を吐き出してしまった。

 しかし頼もしいチームメイトは一、二回戦ともに副将戦終了までにプラス収支まで戻し、大将戦で突き放し勝利を収めてくれた。

 今回、再び自身が大量失点したとしてもどうにかなるのかも知れないが、――このままやられっぱなしで居られる程、厚顔無恥になった覚えはない。

 

(撃ち落とせば良いんだろー、風越を!)

 

 蒲原の意地とプライドを賭けた先鋒戦が――今、始まる。

 

(引くときは引く、押すときは押す……私の麻雀で勝って見せるぞー)

 

 

 

東四局0本場 ドラ{二} 親 風越女子

東家 風越女子

南家 鶴賀学園

西家 裾花

北家 城山商業

 

 東一局から東三局はノミ手と流局の応酬で点棒に大きな移動はなかった。

 転機が訪れたのは東四局、親の風越女子からリーチがかかり他家は完全にオリている様相。

 しかし、蒲原はだからこそオリない。

 

十二巡目蒲原手牌

{二二二二三三四②②④234} ツモ{四}

 

捨て牌

風越女子

{九七67三南}

{白3北横五八9}

 

 打{④}で{五②}待ちのタンヤオドラ4高め一盃口に構えるか、打{②}でタンヤオ一盃口三色ドラ4に構えるか。

 最低でも倍満になる後者も良いが、前者はリーチ者の現物で待てる。

 打点は下がるが出和了りしやすい分、前者も悪くない。

 捨て牌を見ると、序盤に中張牌が落とされており、中盤に字牌が落とされている。

 そこだけを見れば筒子の染め手にも映り、{②④}は危険牌にも思えたが、蒲原の読みは違っていた。

 

(私は、ユミちんみたいに特別優れた観察眼はないけど……こいつの待ちは嵌{二}だと思う)

 

 五巡目の{三}、リーチ牌の{五}は手出し。

 やや強引な考えではあるが、それから見るに、{一三三五}の状態から{三}を落とし両嵌に構えていた可能性が高く思えた。

 待ちはドラの{二}となるが、リーチ牌のスジとなるので、全く出ない事もないと考えたのだろう。

 

(――なら、和了り目はもうない)

 

 {}二萬を四枚持っている以上、自分が切らない限り、和了する事はできない。

 

(オリなくて良い理由を探して振り込むのが三流……どんな良い手を張っていてもオリられる様になって二流……オリなくて良い場面を見つけられる様になって一流! これは通る!)

 

「リーチ!」

 

十二巡目蒲原手牌

{二二二二三三四②②④234} ツモ{四} 打{②}

 

 蒲原、{②}切り追っかけリーチ。

 強気の打牌に他家が一瞬動きを止め、風越女子へと視線を移すが、和了の発声はない。

 

(どうせ他家はオリてるんだ、わざわざ低めで済ます気はさらさらない……。自分でツモるか風越から直撃を取る……。この局、私がもらったぁ!)

 

裾花 打{⑤}

城山商業 打{南}

風越女子 打{③}

 

「ロン! リーチ一発タンヤオ一盃口三色ドラ4……裏1、24000!」

 

蒲原手牌

{二二二二三三四四②④234} ロン{③}

 

(バッチリ嵌ったぞー!)

 

 

 

『先鋒戦終了――! 波乱の幕開けとなりました! 現時点での首位は初出場の鶴賀学園、前半戦の三倍満の点棒を守り切り二位の風越女子に約一万点のリード!』

 

先鋒戦終了時

一位114900 鶴賀学園(+14900)

二位105200 風越女子(+5200)

三位96100 裾花(-3900)

四位83800 城山商業(-16200)



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16.Heavenly Hand

「どうだー見たか私の勇姿を!」

 

 控え室に戻ってきた蒲原は得意げに胸を張った。

 例年の風越女子はエースを先鋒に据える傾向が多かった。

 今年も同じ様に部内最強者が置かれていたのならば、蒲原の+14900は最良とも言える結果である。

 蒲原はどちらかと言うと守備型の打ち手。

 一回戦こそ大量失点を許したが、二回戦の様に数少ない攻撃のチャンスを見つけて突破口を開くのが本来の姿。

 だがらこそ、今回も大崩れはしないだろうが、苦戦は免れないと覚悟していただけに、加治木も少し驚くと同時に、表情を緩めた。

 

「ああ、文句の付けようがない内容だった」

「そうだろー、楽勝だーっ! ……と言いたい所だけど、正直後半はちょっとビビったなー」

「-25000から+5200まで追い上げられましたからね」

 

 冷や汗ものだったよと蒲原は振り返った。

 最大五万点あった差を一万点差まで詰められた。

 最中に直撃を貰ってたら順位は逆だっただろう。

 しかし、それを許さないのも蒲原を強者たらしめている要因である。

 

「まあそれが王者たる由縁だろう……だが」

「――今のトップは私達」

「下克上の時は来たれり……。佳織、一発かましてこい」

「は、はい。が、がんばりますっ!」

「……ちょっと待て」

 

 背を向け対局室へと脚を運ぶ佳織を加治木が呼び止めた。

 

「念の為に聞いておくが、捨て牌に少し小細工しようと考えてたりしないか?」

「ひぅっ! な、何でそれを……」

「……やっぱりか」

 

 ビクンッと体を震わせわかりやすい反応を示す佳織に、加治木は嘆息する。

 

「昨日は龍門渕に狙い撃ちされたが、あれは忘れろ」

「そ、それは……」

 

 そう言われても佳織には簡単に忘れる事なぞできなかった。

 役満和了でプラスには持っていったが、それがなければ大幅なマイナスで終局しただろう。

 もし二回戦ではなく、一回戦で役満を和了っていればどうなっていたかを想像すると、身震いしてしまう。

 

「良いか、よく聞け」

 

 加治木は渋る佳織の正面に立ち、両肩を掴むと、ずいと顔を近づけ、真っ直ぐに見つめながら言葉を続ける。

 

「待ちを読まれたとしても、ツモ和了りが封じられる訳ではあるまい。うちは一人例外がいるから気にするのもわかるが、早い巡目で、当たり牌の残り枚数が多ければ聴牌即リーで構わない。佳織は佳織の麻雀を貫け」

「ひゃ、ひゃい。がんばります……」

 

 佳織は顔を真っ赤に染めながら、頷いた。

 そしてトテトテという効果音が鳴っていそうな可愛らしい走り方で駆けていった。

 

「ワハハ、ユミちんは女たらしだなー」

「女の私が女をたらしてどうするんだ……」

 

 加治木は何をバカな事をと抗議の視線を蒲原に向けた。

 

「無自覚かー……いや無自覚だから良いのか?」

 

 狙ってやっているのならば、今後の付き合い方を考え直さないといけないなと蒲原は一人頷いた。

 

 

 

次鋒・前半戦

東一局0本場 ドラ:{②} 親 鶴賀学園

 

「ロン」

「っひぃ!」

 

 九巡目、{三}を何げなく捨てるとまったが掛かり、佳織は小さく悲鳴をあげた。

 

「タンヤオドラドラ、5200」

 

九巡目風越女子手牌

{二四五六六七七八②②⑥⑦⑧} ロン{三}

 

(いきなり振り込んじゃった……でも、一盃口と平和に移行する前の仮聴。親だし完成した後にツモられるよりはマシだったのかな)

 

 仮に一盃口と平和が加われば、最低でも跳満を親被りする事になる。

 放銃してしまったとはいえ、5200点ならそれほど悪くはないと感じられた。

 

(止まったらダメ……加治木先輩に言われた通り、私の麻雀を貫こう)

 

東一局終了時

一位110400 風越女子(+5200)

二位109700 鶴賀学園(-5200)

三位96100 裾花

四位83800 城山商業

 

 

 

 その後、佳織は攻めの麻雀を続けるが、一度トップを奪い返した風越女子は堅実な打ち回しで失点を許さない。

 結局大きな点棒の移動がないまま、オーラスへと突入した。

 

次鋒・前半戦

南四局0本場 ドラ:{⑨} 親 風越女子

 

佳織配牌

{五七③④⑥⑧南南白白發發中} ツモ{③}

 

(ダブ南に役牌二つ……うまくいけば大三元も見える……)

 

『お前には一日に一度だけ役満を和了れる不思議な力がある』

 

 そう告げられた時は驚いたものだ。

 それ以来、好配牌の時に深く思考の海に潜り込むと、何となくだが、それが和了れる時なのか、そうでない時なのかが感じられる様になった。

 和了れる時であれば、すうっと気持ちが落ち着いて、自分でもビックリするくらい冷静に闘牌ができる様になる。

 そして、今回はどうなのか。神経を静めて深層心理を探る。

 

(……違う気がする)

 

 答えは否。

 どうしよう、どうしようと思考は迷路を彷徨い、心臓は鼓動を早め続けている。

 

(役満じゃないって事は……三元牌は揃わない。なら、これ要らないよね……)

 

 佳織が第一打に選んだのは{中}。

 それが河に置かれると同時に城山商業から声が掛かった。

 

「カン」

 

(うわっ三枚持たれてたんだ)

 

 そのまま小三元、はたまた大三元を見据えて抱え続けていれば、間違いなく徒労に終わっていた。

 佳織は自分の判断は間違っていなかったと安心すると同時に、少し残念な気がした。

 そして城山商業が河に牌を捨てると、カンドラがめくられた。

 そこにあったのは――{發}。

 中ドラ4、満貫が確定した瞬間であった。

 

(あっ……)

 

 カンドラモロ乗り。

 その光景を目の当たりにし、役満にはならないとはいえ好打点が期待できそうだと、期待に高鳴っていた胸があっさり静まった。

 

(……この局はオリよう)

 

 そして、ツモ和了してくれればトップとの差は縮まるという冷静な思考を以て、佳織の方針はベタオリに決定された。

 前半戦のオーラスは、最下位の城山商業が混一中ドラ4をツモ和了って終了した。

 

次鋒戦・前半終了時

一位107700 風越女子(-6000)

二位102800 鶴賀学園(-3000)

三位95100 裾花(-3000)

四位94400 城山商業(+12000)

 

 

 

次鋒・後半戦

東一局0本場 ドラ:{六} 親 鶴賀学園

 

佳織配牌

{二九⑤①①三九①西西⑥四⑦西}

 

({西}が三枚もある……オタ風牌が暗刻になってても……幺九牌ばっかりでドラもない)

 

 後半戦で巻き返すぞと意気込んでいた所、配牌が一見いまいち好打点が望めそうにない姿。

 佳織は顔を伏せ口を尖らせた。

 

(理牌しないと……)

 

 いつまでも落ち込んではいられないと、佳織は気を取り直して牌を並べ直す。

 

(あれ? おかしいな)

 

 しかし、ふと牌に伸びた手の動きが止まった。

 理牌もせずに、パッと牌姿を眺めただけで、だいたいの理解が出来るほど自分の観察眼は優れていない。

 

(まさか……)

 

 不要牌が……ない。

 もう一度、端から端まで目を通す。

 

(揃ってる……?)

 

 

 

『ツ、ツモッ! 16000オールですっ!』

 

佳織配牌

{二三四九九①①①⑤⑥⑦西西西}

 

『にわかに信じられない出来事が起こりました! 鶴賀学園妹尾選手、何と何と天和です!』

『驚いたな……見たのは初めてではないが、まさか今日見られるとは思ってもいなかった』

 

 観戦室は阿鼻叫喚といった様相だった。

 観戦している客、マスコミのほとんどが風越寄りの人間。

 あちらこちらから悲痛な叫びが聞こえている。

 そんな中、鶴賀の応援に来たという少数派に属する龍門渕のメンバーは、揃いも揃って大口を開けて固まっていた。

 

「……すげぇ、初めて見た」

 

 最初に言葉を出したのは純だった。

 手からつまんでいたポップコーンがポロッと零れ落ちた。

 

「……三十三万分の一」

 

 ボソッと呟く様に、天和の出現確率を呟いたのは智紀。

 ズレ落ちたメガネの位置を人差し指でクイッと直した。

 

「奇幻な打ち手がもう一人いたのかっ!」

 

 楽しそうな声をあげたのは衣。

 好きなものを目前に捉えた子供の様に目をキラキラと輝かせていた。

 

「ありえませんわ……ありえませんわ……ありえませんわ……」

「透華……? 透華!? 透華ーっ!?」

 

 あまりの出来事に思考回路がショートした透華は、一の呼びかけにも反応を見せず、壊れたテープレコーダーの様に何度も同じ言葉を繰り返していた。

 

 

 

『次鋒戦終了――! 何と初出場の鶴賀学園がさらにリードを広げました! その点差は何と四万! 逃げ切りが視野に入って来ました! 何とか独走を止めたい他校ですが、ここで昼休みとなります。英気を養った各校が、中堅戦でどの様な闘牌を見せてくれるのか注目です!』

 

次鋒戦終了時・前後半トータル

一位140000 鶴賀学園(+25100)

二位98400 風越女子(-6800)

三位84100 裾花(-12000)

四位77500 城山商業(-6300)

 

 ――鶴賀学園控え室。

 

「凄いですね……天和なんて初めて見ましたよ、どうぞ」

 

 地和は何回かありますけど。

 お弁当を配りながら睦月がそう零し苦笑した。

 当然、地和を見せつけてくれたのは、先ほど天和をぶちかましてくれた同級生である。

 

「本当にありがたいな」

「ワハハ、今日も美味そうだなー」

 

 昨日と同じく重箱からは食欲をそそる良い香りが漂っている。

 加治木はまだ見ぬ初日の母へと感謝の念を送り、蒲原は鼻腔をくすぐられ思わずヨダレを垂らした。

 しかし、箸は入っていない。

 

「ただいまー」

「佳織ー凄いじゃないかー! 圧勝だぞー、圧勝!」

「わあっ! 今日もおいしそうなお弁当!」

 

 控え室に戻ってきた佳織は、蒲原から熱烈な歓迎を受けながらも、机の上に並べられているものを目に入れて瞳を輝かせた。

 しかし、箸は入っていない。

 

「初日はどうする? 起こすか?」

 

 許可は得ているとはいえ、弁当を用意してくれた本人を放置したままで良いのだろうかと、加治木が提案した。

 

「副将戦の前半が終わる頃まで寝かせてあげましょう。話を聞く限り、一睡も出来ずにここまで来たみたいですから……」

「そうか。その方が良さそうだな」

 

 ソファーに埋もれ、眠りの淵へと旅立っている初日の代わりに、睦月が答えた。

 佳織が初日の姉であれば、睦月は差し詰め近所の世話焼きおばさんといった所だろうか。半保護者的な意味合いで。

 

「ワハハー食べるぞー」

「いただきまー……っ!?」

 

 そしてお弁当を口にしようとした時点で全員が気が付いた。

 ――今日も箸が入っていない。

 

 

 

 中堅戦前半は思うように手が入らず加治木は焼き鳥、さらに親被りする不運も重なりまさかのマイナス二万点。

 しかし、後半に入るとツキが戻ったのか、怒濤の和了で東場だけでほぼプラマイゼロまで戻し南場を迎えた。

 

中堅戦・後半

南一局0本場 ドラ:{③} 親 風越女子

 

『ロン。リーチ一発平和ドラドラ、8000』

 

加治木手牌

{二三四七八③③⑤⑥⑦123} ロン{九}

 

捨て牌

{北東八①68}

{横④}

 

『鶴賀学園加治木、後半戦も半ばという場面で満貫和了! 前半戦の借金を完済し、貯金を作りました!』

『先切りか……中々いやらしい和了り方をするな』

『と言いますと?』

『三巡目に捨てた{八}は{七八八}の形からだ。普通その形で持っていれば、暗刻になる可能性を考慮して{八}は残す。だからこそ、他家から{九}は比較的安全そうな牌に見える』

 

 ――観戦室。

 

「この人の河は信用できないなあ。でもその方が」

 

 これは骨が折れそうだと、一は呟いた。

 しかし、その表情に憂いの色は見られず、むしろ喜色すら浮かんでいた。

 

「――やりがいがあるってか?」

「ま、そういう事かなー」

 

 そして、その後も加治木は隙を見せず、中堅戦は終わりを迎えた。

 風越女子も収支こそ区間トップであったが、点差はまだまだ大きい。

 

中堅戦終了時・前後半トータル

一位149900 鶴賀学園(+9900)

二位117200 風越女子(+18800)

三位75100 裾花(-9000)

四位57800 城山商業(-19700)

 

 

 

 朗らかな表情で佇む風越女子の副将――福路美穂子。

 その女神の如く慈愛に満ちた在り方に睦月はすっかり毒気を抜かれてしまった。

 

(勝負っていう空気じゃないなあ……)

 

『よろしくお願いいたしますね』

 

 試合前、自身は三万点を追い掛ける厳しい状況に置かれているというのに、まるで気にしてないとばかりに落ち着き払っていた。

 優しさと気品の良さを全面に出した柔和な顔つき、肩口で切り揃えられた金髪が清楚さをアピールしている。

 何故か片目を閉じているが、それを不自然に感じさせないほどの風格――包容力とも言える何かを漂わせていた。

 

(そう……何ていうか……お母さんって感じ)

 

 エプロンと三角巾が似合いそうなランキングがあれば上位間違いなしだろうと睦月は結論を出した。

 

副将戦・前半

東一局0本場 ドラ:{1} 親 城山商業

 

六巡目睦月手牌

{一二三七八九④⑤⑥⑥⑧23} ツモ{⑧}

 

(平和のみ……普段なら即リー安定だけど……)

 

 これ以上が望み薄な牌姿。

 タンヤオに移行するにしても、{}四六と二枚引かなければならない。

 

(点差もあるし……場を早く流す事に専念しよう)

 

 ドラを足そうにも{1}は待ちに含まれているし、聴牌を知らせるリーチは愚策にも思える。

 睦月は静かに{⑥}を捨てた。

 そして三巡後、裾花が捨てた{1}で和了った。

 

「ロン。平和ドラ1、2000」

 

九巡目睦月手牌

{一二三七八九④⑤⑥⑧⑧23} ロン{1}

 

(とりあえずは成功……この調子で突っ走る!)

 

東一局終了時

一位151900 鶴賀学園(+2000)

二位117200 風越女子

三位73100 裾花(-2000)

四位57800 城山商業

 

 

 

副将戦・前半

東二局0本場 ドラ:{④} 親 裾花

 

八巡目睦月手牌

{三四五④⑤⑥2224南中中} ツモ{南}

 

(これも……ダマかな。リーチをすれば私の自風牌である南は出にくくなる)

 

 その睦月の判断が功を奏し、次巡再び裾花から直撃を取る。

 

「ロン。南ドラ1、2600」

 

九巡目睦月手牌

{三四五④⑤⑥222南南中中} ロン{南}

 

東二局終了時

一位154500 鶴賀学園(+2600)

二位117200 風越女子

三位70500 裾花(-2600)

四位57800 城山商業

 

 

 

副将戦・前半

東三局0本場 ドラ:{④} 親 鶴賀学園

 

(……ちょっと恐くなってきた)

 

 逃げ切りを要求されている場面での親番ほどうれしくないものはない。

 早く局を進めたいが流局を度外視すると、その為には他家が和了る必要がある。

 他家から他家への放銃なら問題ないが、ツモ和了だと親被りする事になるし、自身が放銃するのは論外だ。

 

睦月配牌

{二三三八③⑤45568北發發}

 

(無駄に早そうな手……)

 

 發を重ねるか、落としてタンピン狙いに走るか。

 どちらに向かっても良さそうな配牌。

 とりあえず必要のない客風牌の{北}を第一打とした。

 

二巡目睦月手牌

{二三三八③⑤45568發發} ツモ{六}

 

(む……)

 

 聴牌に繋がる牌の枚数を考慮すれば{8}を落とすのが適当だろう。

 だが、睦月は少し考え込んだ。

 今、一番避けたいのは他家への放銃だが、親被りも御免被りたい。

 副露すればするほど手牌構成がわかりやすくなり、同時にある程度打点の予測も付く。

 そして、例え振り込んだとしても大勢に影響がない安手だとバレると、他家はオリるという選択肢を取らなくなる。

 

({發}を重ねるとして面前が大前提……鳴いたら安手なのがバレて攻められる)

 

 残り二枚しかない{發}を引ける可能性と、その間にタンピンに繋がる有効牌を引ける可能性。

 両者を天秤にかけると、睦月には後者が沈む様に思えた。

 ならばと、{發}へと指を動かす。

 

三巡目睦月手牌

{二三三六八③⑤45568發} ツモ{發} 打{發}

 

(裏目った……)

 

 度々ある事ではあるが、理不尽なツモに思わず睦月は顔をしかめた。

 

 

 

(あらあら……そんなに感情を表に出していると、裏目ったのが丸分かりよ)

 

三巡目美穂子手牌

{④④⑤⑦⑨45668東東南} ツモ{5} 打{南}

 

(立ち止まっている間に、のんびり手作りさせてもらおうかしら)

 

四巡目美穂子手牌

{④④⑤⑦⑨455668東東} ツモ{東} 打{8}

 

 

 

十一巡目睦月手牌

{二三三六七八②③45566} ツモ{九} 打{九}

 

(……一聴向から進まない)

 

 やはり發の扱いを失敗したのが痛かったかと睦月は唇を噛む。

 

十二巡目睦月手牌

{二三三六七八②③45566} ツモ{發} 打{發}

 

(四枚目の發……全部自分で引いてしまうとは……)

 

 {①④47}と自身で使っているのを除く四種十五枚もの有効牌が存在するにも関わらず、ツモ切りを繰り返している。

 こんな時は有効牌が単純に山の深い場所に固まっている事もあるが、他家にごっそり持たれていたり、王牌に眠っていたりする事も多い。

 

十三巡目睦月手牌

{二三三六七八②③45566} ツモ{⑧} 

 

(和了れそうな気がしない……というかいやな予感がする)

 

 また不要牌かと肩を落としながらも、だんだんと焦りの気持ちが大きくなってきた。

 この{⑧}で捨て牌も三列目に入った。

 そろそろ他家が聴牌していても良い頃合いである。

 ツモ切りを繰り返すのは危険であり、連荘する事にそれほど意味のない今、必要とあらば聴向落とし、いやベタオリをしても良い。

 

(風越は……?)

 

 そして、目下の敵である風越女子の捨て牌に睦月は注目した。

 

捨て牌

風越女子

{九一南8⑤北}

{四五7白九西}

 

(現物が一枚もない……嫌がらせか、でも)

 

 ――スジの{⑧}は安全そうだ。

 睦月がそう考えて素直にツモ切りすると、

 

「ロン。東ドラドラ一盃口、8000です」

 

 見事に期待を裏切られた。

 

美穂子手牌

{④④⑦⑨445566東東東} ロン{⑧}

 

(何でその牌姿で{⑤}を早めに切るの!? 狙い撃ち……?)

 

東三局終了時

一位146500 鶴賀学園(-8000)

二位125200 風越女子(+8000)

三位70500 裾花

四位57800 城山商業

 

 

 

 徹底して早和了りを狙う睦月、大差を付けられている城山商業と裾花は大物手に頼るしかなく、それを止められるのは風越女子の福路美穂子のみであった。

 そして、東場と同じ様な流れで南場も進み、前半戦のオーラスも睦月の和了で終了した。

 

副将戦・前半

南四局0本場 ドラ:{2} 親 風越女子

 

「ツモ。タンヤオのみ、300・500」

 

八巡目睦月手牌

{三四五六七⑤⑥⑦⑧⑧} {横③②④} ツモ{二}

 

副将戦前半終了時

一位150600 鶴賀学園(+700)

二位133700 風越女子(+16500)

三位58100 城山商業(+300)

四位57600 裾花(-17500)

 

 前半戦が終了し、睦月は大きく息を吐いた。

 

(かなり詰められたけど、このペースで凌げばリードは残せる。それに……)

 

 東三局の放銃がなければ、自身は+8700で相手は+8500。

 200点ぽっちとは言え競り勝てていた計算になる。

 

(何だ……私でも通用するじゃないか)

 

 風越女子、恐るるに足らず。

 睦月は確かな手応えを噛みしめ、後半戦へと意気込んだ。

 

 

 

「福路せんぱ~いっ! お疲れ様ですっ!」

 

 美穂子が一休止しに廊下へと出ると、鈴を鳴らす様な声が聞こえた。

 後を振り向くと、どこか猫を連想させる様なかわいらしい少女がアツシボを持って立っていた。

 

「華菜? どうしたの?」

「快勝祝いに控え室を抜け出して来ました!」

「あらあら、まだ半荘一回残っているのよ」

「なら尚更負ける訳がないですよね! だって一半荘分相手の観察が出来ましたし」

「うふふ、華菜はせっかちね。そうね、見せてあげましょう」

 

 ――私達が最強なのだと。



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17.――津山睦月を舐めるな!

 副将戦・後半は再び睦月の早和了りで始まった。

 東一局、東二局と連続で300・500をツモり、局を進める。

 そして、睦月の親番である東3局を迎えた。

 

副将戦後半東二局終了時

一位152800 鶴賀学園(+2200)

二位133100 風越女子(-600)

三位57300 城山商業(-800)

四位56800 裾花(-800)

 

副将戦・後半

東三局0本場 ドラ:{③} 親 鶴賀学園

東家 鶴賀学園

南家 風越女子

西家 裾花

北家 城山商業

 

八巡目睦月手牌

{二三三四②③④234東白白} ツモ{東}

 

(来た……! 三色ドラ1にダブ東か白が付いて最低でも満貫)

 

 睦月はゴクリと唾を飲み込んだ。

 意図的に早和了に徹していたとはいえ、ここまでまったく高い手が入らなかったのも事実。

 思わず顔を緩めてしまいそうになったが、僅かながら残っていた自制心が辛うじて働き、鉄面皮のままで居られた。

 

(リーチはいらないけど……)

 

 ダマで12000点を稼げる手。

 聴牌を知らせ和了率を下げる必要は感じられない。

 だが、睦月には一つ懸念材料があった。

 

(対面の捨て牌……筒子がない)

 

裾花捨て牌

{九七三48二}

{五}

 

 大差を付けられた状態で逆転をしなければならない。

 そんな状況に陥った場合、手っ取り早く好打点を狙う手段として混一色、清一色が筆頭に挙げられる。

 

(ドラ色の筒子……一枚は私が持っているとしても、残り三枚の在処は不明。最悪の場合、メンチンドラ3で倍満……牽制する意味で押す……!)

「リーチ」

 

八巡目睦月手牌

{二三三四②③④234東白白} ツモ{東} 打{三}

 

睦月捨て牌

{西⑧⑨8⑦六}

{①横三}

 

(さあオリろ!)

 

 守りの体勢から攻めの体勢に転じた睦月のリーチ。

 それに対して、美穂子はノータイムで{四}を切り出した。

 

 

 

 ――観戦室。

 

美穂子手牌

{四六⑦⑨⑨456799發發} ツモ{⑧} 打{四}

 

「はぁ!? 親リー相手に第一打がリーチ牌の裏スジ!? 自分は愚形の二聴向……何考えてますのあの女!?」

 

 頭頂部のアホ毛をビンビンに立たせ、透華が吠えた。

 

「裾花は染め手っぽいし……私ならオリる」

「誰でもオリるに決まってますわっ!」

 

 そもそも一発アリのルールであれば、よほどの勝負手でない限り、リーチに対しての第一打は安牌を選ぶべきだと考えている打ち手は多い。

 危険牌を押すのならば、一発の消える(一翻下がる)次巡以降にした方がリスクが減るからだ。

 透華、智紀というデジタル打ちにとってはなおさらその傾向が強い。

 

「風越のあの女から何か感じるか?」

「いや……何も」

 

 純の問い掛けに衣はフルフルと首を横に振った。

 

「突っ張る様な手でもねぇし、ってこたぁ純粋に技量だけであそこまで読み切ってんのか、すげぇな」

「やばげ! あの女何かやばげですわっ!」

 

 純は簡単の声を漏らした。

 透華は眉にしわを寄せ、視線は強く美穂子を貫いていた。

 

 

 

(だいたい掴めたわ)

 

 美穂子は今の今まで、他家のクセを把握する為、視線移動、切り出し方等の観察に徹していた。

 前半戦の後半でそれを確認する様に試し打ちし、そして後半戦に入った今は推測を確信に深めた。

 

(彼女の理牌のクセと視点移動からして、左四枚は字牌。他家の捨て牌から読み取れる情報を総合すると、{東}×2{白}×2という所かしら……)

 

睦月手牌(美穂子視点)

{■■■■■■■■■東東白白}

 

美穂子手牌

{七⑦⑧⑨⑨456799發發} ツモ{①}

 

(この状態で私が和了るのは……無理。だから、他家にがんばってもらわないと)

 

 そして、自身の左側に座る裾花の選手へと視線を移す。

 

裾花手牌(美穂子視点)

{萬■■■■■■■■■■■■}

 

(隅の一枚を除いて全部筒子……。直前に{五}を切り出してきたという事は、その周辺の牌を持っていたはず……それがもし{三六}なら現物だし躊躇無く捨てる……私が{四}を出しても合わせてこなかったと言う事は……)

 

裾花手牌(美穂子視点)

{七■■■■■■■■■■■■}

 

(残る一枚は{七}……っ! 裾花がツモるか、鶴賀から直撃を取ってくれれば差は詰まる。点差を縮めて……ううん、逆転して、華菜が楽に打てる様にしてあげないと)

 

打{七}

 

(それは通るの……だから、お願い)

 

 ――私の代わりに鶴賀を撃ち落として。

 

 

 

「リーチ」

 

裾花捨て牌

{九七三48二}

{五西北横七}

 

(追っかけられた……っ!)

 

 睦月はドキンッと心臓が跳ね上がり、背に冷たい汗が流れた。

 十万点近く差を付けられた最下位が親リーに対して不退転の追っかけリーチ。

 ほぼ間違いなく染め手、それもドラ色の筒子――間違いなく安くはない。

 

(先に……ツモるしかない……っ!)

 

睦月手牌

{二三四②③④234東東白白} ツモ{⑧} 

 

(な……っ!?)

 

 

 

 画面の中の睦月は危険牌を掴んで一瞬硬直するも、リーチを掛けている以上どうしようもなく、恐る恐るツモ切りしていた。

 

 ――鶴賀学園控え室。

 

「ワハハ、むっきー大ピンチだなー」

「だが辛うじて躱したな。何とか先にツモってくれれば良いんだが……」

 

裾花手牌

{②③③③④④④⑤⑤⑥⑦⑧⑨}

 

 {③⑥⑨}待ちのメンチンドラ3。

 {③⑨}は山に残っていないが、{③⑥}なら平和、{⑥⑨}なら一盃口まで付く。

 リーチを掛けているから最低でも11翻で三倍満が確定。

 ツモなら数え役満になる。

 それでも蒲原が笑いを止めないのは睦月への信頼感からか、それとも……。

 

「も……もう少し落ち着いて食べたら?」

「ふむっ! ふぁふぃふぉーふ!」

 

 ガツガツもきゅもきゅと弁当を口の中に放り込んでいる、この生物への信頼感からなのか。

 

『ツモッ!』

 

 そしてさほど時間を置かずに、和了の発声がスピーカーから流れた。

 

「げっ……」

 

 その声が誰のものだったのか。

 控え室内の誰かが零した言葉が全てを明白に語っていた。

 

『リーヅモ清一平和一盃口ドラ3、8000・16000!』

 

裾花手牌

{②③③③④④④⑤⑤⑥⑦⑧⑨} ツモ{⑥}

 

副将戦後半東三局終了時

一位135800 鶴賀学園(-17000)

二位125100 風越女子(-8000)

三位89800 裾花(+33000)

四位49300 城山商業(-8000)

 

『裾花が息を吹き返した――ッ! 鶴賀と風越、二校のマッチレースに待ったをかける役満和了! 副将戦が五局、そして大将戦の半荘二戦が残っています! 四万点差ならまだ手が届く範囲と言えるでしょう!』

 

 

 

副将戦・後半

東四局0本場 ドラ:{6} 親 風越女子

 

(フルボッコされるのは慣れてるんだけど……初日とか佳織とかに)

 

 卓の中央でサイコロが回る様を睦月はどこか虚ろげに眺めていた。

 牌山へと伸びる指先が自身の意思とは関係なくカタカタと震える。

 副将戦開始時点では三万点以上あったリード。

 それが今では僅か一万点あまり、相手は格上である事が明白で親番二回を残している。

 最早逃げ切りは不可能、攻めなければと思うものの、それがいかに難しい事か。

 麻雀は先行逃げ切りが最も簡単で、差し切りが最も難しいゲーム。

 自身より巧みな雀士が相手でも、圧倒的リードからの逃げ切りならば容易い(飽くまでも比較的であり簡単だという訳ではない)。

 

(……まずい、まずすぎる。風越の人……どこかおかしい)

 

 だが、一度追いつかれれば再度の逆転の目は薄い。

 いや突き放される一方だろうと、今しがた肌で感じている。

 

(さっきのはさすがに私でも分かる。親リーに突っ張って来たのは他家を支援する為……)

 

 裾花の数え役満。

 あれは{七}が通るという確信が持てなければ実現していなかっただろう。

 清一色でなくともドラが三枚ある手、現物を落としまわし打って萬子待ちに構えても十分な打点を得られていたはずだ。

 

(でも……それが数え役満にまで伸びたのは、風越の支援があったから……か。クソッ!)

 

 行き場のない感情が内心で悪態をつかせた。

 

(とにかく私に出来る事をするしかない。子の時は早和了りに徹して場を早く進める。親の時はある程度打点を狙いつつ、理想は風越と他二校の撃ち合いだけど、最悪ノーテン流局で終わる様にじっと我慢する)

 

 自身に言い聞かせる様に胸の内で呟き、感情を宥め落ち着かせる。

 そして配牌を開いた。

 

睦月配牌

{一二六八①①⑤⑦69南西西} ツモ{3}

 

(これは……何?)

 

 何よりも早く終わらせる必要がある風越の親番。

 そんな大事な場面の配牌が早和了りに向かないチャンタ系の手。

 ドラが一枚あるが、活かせる形でないと何の意味もない。

 

(あんまりだ……。これが“ついてねぇ”って事なのかな……。初日は凄いや、毎回毎回こんな配牌なんだから)

 

 睦月は早和了りは不可能だと判断し、打{6}。

 後々危険牌となるのが明白なドラを先に落とし、チャンタ決め打ちに向かった。

 そして十一巡目。

 

十一巡目睦月手牌

{一二三①①⑧⑨⑨123西西} ツモ{⑨}

 

(何とか形になった……)

 

 三色も平和も一盃口も付かないチャンタのみの手だが、{⑧}切りで客風牌の{西}と{①}のシャボ待ち。

 ツモ和了りは厳しそうだが、リーチさえ掛けなければ出和了りの期待は十分。

 そう考えた睦月は{⑧}を河へと置いた。

 しかし、

 

「ロン。タンピンドラ1、5800です」 

 

美穂子手牌

{二三四③④⑤⑥⑦22678} ロン{⑧}

 

 ――それと同時に美穂子の手牌が倒された。

 

(何で三面張なのにダマ聴……っ! しかも、二巡前に裾花の捨てた{⑤}を見逃し……この人私への直撃だけを狙ってる……!)

 

副将戦後半東四局0本場終了時

一位130900 風越女子(+5800)

二位130000 鶴賀学園(-5800)

三位89800 裾花

四位49300 城山商業

 

 

 

『風越福路、一位の鶴賀津山に5800直撃――ッ! ついに順位が入れ替わりました! これが六年間連続で全国出場を成し遂げた風越女子の底力なのか――ッ!』

 

 ――観戦室。

 

「終わったな。副将戦は風越で決まりだ」

 

 純はそう呟いてハンバーガーを噛みちぎった。

 

「……純、何を言ってますの。まだ五局も残っているというのに……」

 

 そう言って否定する透華だがその顔に余裕はなく、鶴賀劣勢の色を隠せていなかった。

 

「東三局……あの数え役満は風越に和了らせてもらったもの。そして今回の逆転和了、流れは完全に風越へと向いた。この激流を止めるにはそれ相応の力が要るぜ。ほら、そう言っている間にも……」

 

『ツモ。平和ツモドラ1、1300オールは1400オールです』

 

 スクリーンの向こう側で、美穂子が和了の声をあげていた。

 

副将戦後半東四局1本場終了時

一位135100 風越女子(+4200)

二位128600 鶴賀学園(-1400)

三位88400 裾花(-1400)

四位47900 城山商業(-1400)

 

 

 

 美穂子に独走を許してはならないと、睦月は再びギアを最速に入れ、場を早く進めた。

 しかし、勢いの差は明白であり、睦月や他二校の和了数と美穂子の和了数はほぼイコール。

 点差は縮まるどころかジワジワと開き続け、風越女子のリードはオーラスを迎え一万点近くに上っていた。

 

副将戦後半南三局終了時

一位138500 風越女子

二位128600 鶴賀学園

三位84200 裾花

四位48700 城山商業

 

(……このまま失点した方がチームにとっては良いんだろうけど)

 

 オーラスを迎え、睦月には「もういいや」という諦めにも近い感情が漏れだしていた。

 大将に座するのは逆境でこそ持ち味全開となる初日。

 だからこそ、ビハインドのまま繋いだ方がある意味都合が良いとも捉えられた。

 でも、それでは自分がここに座っている意味はないのではないか。

 

(こんなので私の――私なりの精一杯を本当に出来ている事になるのかな)

 

 このままでは点数調整役、悪い言い方をすれば、ただの数合わせ要員。

 自分はそんな存在になってしまうのではと思えてきた。

 

(うむ、私は納得できない)

 

 経験に裏打ちされた安定感ある打牌に定評のある蒲原。

 まだまだ未熟な面は残るが、役満に愛された佳織。

 麻雀歴は浅いものの、鋭い読みと臨機応変なフットワークの軽さがある加治木。

 ドラに嫌われ中張牌に嫌われ、余り物(幺九牌と他家の当たり牌)を押しつけられた初日。

 来年度、そこにまだ見ぬゴールデンルーキーが加われば――果たして、その間に自分が食い込む余地は残されているのだろうか。

 

(……分かり切ってる)

 

 ない。

 今のままでそんなものがありえるはずがない。

 だから証明する必要があった。

 

(私は数合わせとは違う……!)

 

 牌を持つ右手に力が入る。

 

(例えそれがただの自己満足でも……自己満足すらできない自分が全国に行ってもみんなの足を引っ張るだけだ)

 

 千点でも二千点でも……いや、百点でも良い。

 風越にリードを許す事なく、大将戦へと繋ぐ。

 

(――津山睦月を舐めるな! 絶対に、絶対に一位に戻してバトンタッチしてみせる!)

 

南四局0本場 ドラ:{①} 親 風越女子

 

睦月配牌

{一四六②③③⑤78東北白白} ツモ{五}

 

(手が……軽い。和了るだけなら簡単そうだけど……)

 

 白が対子になっている上、第一ツモで嵌張が埋まった。

 鳴きを入れれば十巡も必要ないかも知れない。

 しかし、それでは意味がない。

 今、自身が成し遂げたいのは風越女子の点数を上回る事。

 それには、満貫ツモか、5200以上の直撃が必要である。

 

(ドラが重ならない限りは面前にこだわる……)

 

六巡目睦月手牌

{三四五六②③③⑤678白白} ツモ{白} 打{⑤}

 

(白……っ! 一翻確定、これは嬉しい)

 

七巡目睦月手牌

{三四五六②③③678白白白} ツモ{④} 打{③}

 

(張った……でも{三}は残り二枚、{六}に至っては一枚しかない)

 

 河を眺めて睦月は嘆息する。

 

(点は欲しいけど、リーチはできない……か)

 

 一発か裏が乗れば逆転が可能。

 しかし、{四}か{二五}を引いて{四七}待ちか{二五}待ちに移行させるべきだろう。

 さらに{①}を引いて{④}と入れ替えれば、ドラを足すことができる。

 そう結論を出して{③}は曲げずに捨てた。

 

(これは……! いや……しかし……どうする)

 

 そして次巡、ツモった牌を見て睦月の手が止まった。

 

(……決めた)

 

 熟慮の末、河には{六}が置かれていた。

 

 

 

(待ちを変えたのかしら……? 一巡前までの彼女の待ちは{三六}の延べ単)

 

一巡前睦月手牌(美穂子視点)

{三四五六■■■■■■白白白}

 

(この形から{六}を切り出すのなら、考えられる変化は{二}を引いて{二五}の延べ単、{五}を引いて{二五}の両面かしら。引っかけになる{九}単騎、残り枚数を考慮して{七八}というのあるけど……ここまでの彼女の打ち筋からするとその可能性はかなり低い)

 

睦月手牌(美穂子視点)

{二三四五(三四五五)■■■■■■白白白}

 

八巡目美穂子手牌

{二三七②②④④⑧338西西} ツモ{二} 打{⑧}

 

(どちらもしても{二五}待ち……私が振り込む事はない)

 

「リーチ」

 

 そして次巡、睦月の捨てた牌が曲げられた。

 

睦月捨て牌

{北一32南⑤}

{③六横④}

 

({④}切りリーチ……{②③④}から{①}を引いて{①②③}に入れ替えたのかしら?)

 

睦月手牌(美穂子視点)

{二三四五(三四五五)①②③■■■白白白}

 

 出和了りならリーチ白ドラ1で3翻40符5200点、ツモ和了りなら満貫。

 直撃かツモ和了か、はたまた他二校からの出和了りでも、裏が二枚乗れば……。現在、風越女子と鶴賀学園の間にある9900点差が逆転される事になる。

 

(この局はさっさと流して終わらせたかったんだけど……)

 

 配牌がいまいちで、早和了りは鬼ツモでもない限り不可能。

 睦月以外に和了ってもらうか、流局させるかでオーラスを乗り切ろうと、一応七対子を狙っていたものの、オリ気味に打っていただけに美穂子には少し苦しい態勢だ。

 

九巡目美穂子手牌

{二二三七②②④④338西西} ツモ{五} 打{8}

 

(ツモらない事を願ってオリても良いかも知れないけど……)

 

 睦月の待ちが{二三四五}か{三四五五}ならば、美穂子が三枚抑えている以上、当たり牌は僅か三枚のみ。

 ツモれる可能性はそれほど高くないが、無視できるレベルではない。

 

(それではちょっと無責任よね)

 

十巡目美穂子手牌

{二二三五七②②④④33西西} ツモ{三} 

 

(あら、一番引きたくないのを引いたわね……)

 

 睦月の当たり牌全六枚の内、四枚を潰せる{五}引きがベスト、二番手は{七}引きだった。

 どちらにしても完全安牌とも言える{三}を切り出せる。

 しかし、{七}は僅かながら放銃の危険性が残る牌だった。

 

(でも、ここまでの彼女の打ち筋を見る限り、{七}待ちにはしないはず……)

 

 美穂子は自身の観察眼に信頼を置いて向聴戻しは行わず、{}七を切り出した。

 

「ロン」

 

(……えっ!?)

 

「リーチ白ドラ1、5200……ッ!」

 

睦月手牌

{三四五七①②③678白白白} ロン{七}

 

副将戦終了時

一位133800 鶴賀学園(+5200)

二位133300 風越女子(-5200)

三位84200 裾花

四位48700 城山商業



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18.お見せしよう……伝統の闘牌を!

東一局0本場 ドラ:{9} 親:裾花

東家:裾花

南家:風越女子

西家:城山商業

北家:鶴賀学園

 

「ロン、8000」

 

初日手牌

{②③⑨⑨中中中} {横⑧⑦⑨} {白横白白} ロン{④}

 

初日捨て牌

{五6六4一南}

{西北五中⑥⑨}

 

(露骨な染め手かチャンタの捨て牌……親番とはいえ普通出すか!?)

 

 あまりにも不用意な打牌に、池田は驚くとともに若干の不快感を露わにした。

 

(白中混一……{④}じゃなくて{①}だったらチャンタも付いていた。やっぱり鶴賀のは幺九牌で手作りしたがるみたいだな)

 

 特定の役にこだわりを持つ雀士は少なくない。

 池田は初日もその類だと考えた。

 少しでも三色の目があれば狙ってしまう打ち手、強引に染め手に持っていく打ち手等は枚挙にいとまがない。

 前二者を三色厨、染め手厨と呼称するならば、差し詰め初日はチャンタ厨だろうか。

 別段、手役を追う事が悪い訳ではない。

 聴牌を崩してでも好打点を狙わなければならない場面もある。

 

(今まではバカヅキと相手がバカだったから和了れたけど……二副露しながら聴牌したのは多分十一巡目。どうしても刻子系が多くなるから手の進みが遅い)

 

 だが、効率や期待値の面から損しかしないというのが明白でも特定の役を作りに走る。

 そこまで行けばこだわりではなく縛りに近い。

 そんな打ち方をしていれば、ツイている日は大勝ちする事もあるだろうが、基本的には大敗する事が多い。

 初日がそんな打ち手の一人であると池田は結論を出した。

 

(あたしが取るべき戦法は速攻――超攻撃的な麻雀で突き放す! 気負う事はない……いつもの通りだし!)

 

 目ざとく初日の手牌と河を一瞥し、さらに確信を深めた。

 

(行くぞ、全国。福路先輩と一緒に!)

 

 池田がネコの様な笑みを浮かべると、髪がネコミミを模る様に逆立った。

 

東一局0本場終了時

一位141800 鶴賀学園(+8000)

二位133300 風越女子

三位76200 裾花(-8000)

四位48700 城山商業

 

 

 

東二局0本場 ドラ:{3} 親:風越女子

 

池田配牌

{二三四七③⑤⑤3334679}

 

(絶好の配牌だし!)

 

 タンヤオドラ3の二聴向、池田は迷わず打{9}を選んだ。

 

五巡目池田手牌

{二三四七③④⑤333467} ツモ{5}

 

(……来たっ! 一番良い場所が埋まった!)

 

 三巡目{④}、そして五巡目{5}と引いて{24578}待ち――脅威の五面張――の完成である。

 そして打{七}。

 牌は曲げなかった。

 

({五}か{②}で高め三色の可能性……! まだリーチはしないでおいてやるし!)

 

 そして移りゆく卓上へと目線を落とす。

 

城山商業 打{二}

初日 打{六}

裾花 打{西}

 

五巡目池田手牌

{二三四③④⑤3334567} ツモ{北}

 

(残念……)

 

 池田は{北}をツモ切りして再び卓上へと目を向ける。

 

城山商業 打{發}

初日 打{5}

 

(……まだ仮聴だけどトップ目から出た)

 

 池田は親の満貫を仮聴と言ってのけた。

 それだけの火力を有した、一発の大きい打ち手である。

 

(――見逃す理由はないし!)

「ロン! タンピンドラ3、12000!」

 

池田手牌

{二三四③④⑤3334567} ロン{5}

 

(逆転逆転……このまま押し切ってやるし!)

 

東二局0本場終了時

一位145300 風越女子(+12000)

二位129800 鶴賀学園(-12000)

三位76200 裾花

四位48700 城山商業

 

 

 

 ――鶴賀学園控え室。

 

「初日リード時であそこまでの好配牌……一年で風越の大将を務めているだけの実力があるんですね」

 

 睦月は忌々しげに画面を見つめた。

 同じ一年生だというのに、方や名門風越女子の大将、方や無名校鶴賀学園の副将……それも消去法で選ばれた、だ。

 

「初日の悪い面が全開になっているなー」

 

 池田の手牌を目にして蒲原が苦笑いを浮かべた。

 初日のドラが引けない、ツモが幺九牌に偏るという特性は、マイナスな面がかなり大きい。

 他家にドラを集中させ、中張牌を多くさせるという効果を誘発――他家は自ずとドラ絡みのタンヤオ系という軽い手が作りやすくなる。

 そんな初日の特性は、初日が不利になればなるほど増大する。

 リード時や点差がフラットな状態ではドラが来やすい事に変わりはないが、指摘されて初めて配牌やツモに若干中張牌が多いかなとようやく感じる程度だ。

 だが、それも相手関係次第では違ってくる。

 対戦相手の雀力が初日を大幅に上回っていれば、運をつなぎ止める力の弱い初日の運はそちらに流れてしまい、ビハインド時以外でもそれなりの恩恵にあずかれる。

 

「池田華菜は昨年の全中でもかなり良い所まで進んだ打ち手だ……風越の新入生で唯一の特待生という話もある」

 

 有名校の選手は一通りリサーチしていた加治木が説明した。

 池田華菜という雀士の凄さは巧さとはまた違った所にある。

 類い希なる勝負勘ともう一つ――運を掴む力があるとでも言えば良いのだろうか、一発がデカい。

 初日がまだ麻雀教室に通っていた頃、最大のライバルとして君臨していたドラ爆少女に近いものがあった。

 純粋に相性があまり良くないというのもあるが、池田は自身の力で絶好の配牌を掴んだのは確かだ。

 一昨日までの初日であれば、勝率は五分……いや、スピードで劣る分、それを下回っていたかも知れない。

 

「ほぇ~凄いんですね」

 

 いまいち状況を理解していない佳織はのんきに感嘆の声を漏らす。

 

「ああ凄いさ。凄いとも。だが……」

 

 加治木はそこで口をつぐみ画面へと顔を向けたが、その後に何と続けたかったのかは全員理

解していた。

 

 ――初日はもっと凄い。

 

 

 

東二局1本場 ドラ:{1} 親:風越女子

 

池田配牌

{一三五②②③④⑥⑦111白發} 打{白}

 

(にゃ~……配牌でドラ3、今日は絶好調だし!)

 

 二局連続の好配牌に池田は目を輝かせる。

 まるでどこからか運が流れてきている様な……そう思わせる程ツイていた。

 

(萬子の両嵌を埋めて即リー……このまま一気に突き放す!)

 

二巡目池田手牌

{一三五②②③④⑥⑦111發} ツモ{⑤} 打{發}

 

(よしよし!)

 

三巡目池田手牌

{一三五②②③④⑤⑥⑦111} ツモ{⑧} 

 

(筒子が来たか……って三巡目にテンパっておいて文句を言ってたらバチが当たるし)

 

 {②⑤⑧}の三面張で待てる{二四}引きがベストだっただけに、池田は一瞬気落ちするも、ツイている事に変わりはないとすぐ持ち直した。

 

(お見せしよう……伝統の闘牌を!)

 

「リーチせずにはいられないな」

 

 {五}が静かに曲げられた。

 

 

 

『早い! 早すぎる! 風越池田、僅か三巡目での聴牌! それも前局と同じく最低でも満貫の大物手です!』

『モロ引っかけだが、未だ三巡目……リーチに対しての情報が少なすぎる。現物を切らすと他家はスジに頼るしかない。そうなれば二萬は出て来るだろう』

 

 観戦室は歓声に包まれていた。

 東二局0本場、池田のあまりにも鮮やかな満貫直撃での首位奪取。

 これが、これが見たかったのだと観客のボルテージは一気に上昇、そして今、僅か三巡目での先制親リーに今年も決まりだとさらに熱気が上がっている。

 しかし、そんな中冷静に試合の進行を見守っている少女達がいた。

 

「初日に……むぐ……当たり牌の少ない……もぐ……リーチをするのは……自殺行為だ」

 

 衣は「これがはんばぁがぁなるものか」としきりに関心しながら両手でハンバーガーを掴みかぶりついている。

 

「食うかしゃべるかどっちかにしろよ……」

 

 そう注意する純も片手にハンバーガーを持っているのだから説得力が皆無である。

 

「その通りですわ。はしたないわすわよ?」

 

 口の回りにべったりとケチャップを貼り付けた透華が口を挟んだ。

 

「お前の方がはしたねぇよ……」

「今回ばかりはボクも純君に同意するよ」

「……同上」

 

 純、一、智紀と三人に突っ込まれ、さらにハギヨシに「お嬢様、これを」とナプキンを手渡され、透華はようやく事態に気が付いた。

 そして真っ赤になりながらも口元を拭う。

 

「風越に残された時は四巡……それまでにツモれなければ――その命脈尽き果てるぞ」

 

 衣の視線はただ真っ直ぐに初日を貫いていた。

 

 

 

(出ない……おかしいな)

 

 リーチして三巡、未だに{二}は顔を覗かせない。

 捨て牌から動向を探るに城山商業と裾花はベタオリ。現物かスジ、それすらなければ幺九牌を切っている。

 唯一初日だけがガンガン中張牌を切り出しているが、どうせまたチャンタ系狙いだろう。

 ならば、二萬を持っていたとしても複数枚必要なケースは少ない。

 あるとすれば一盃口で二枚使うくらいか。

 

七巡目池田手牌

{一三②②③④⑤⑥⑦⑧111} ツモ{八}

 

(ハズレ……)

 

 ツモって来たのは{八}。

 逆だよと強めに叩き付ける様に捨てた。

 

(深い場所に眠っているのか?)

 

 そう池田が考えていると、対面から「カン」という声が流れた。

 

(……は? 今……何て言った?)

 

 親のリーチに対してカン。

 あまりにもリスキーすぎて普通の神経をしている打ち手は、終盤でラス目等、特定の状況を除くとまずやらない。

 しかも――

 

初日手牌(池田視点)

{■■■■■■■■■■} {■二二■}

 

 並べられているのは二萬――当たり牌が絶対に手が届かぬ場所に四枚並べられたのだ。

 池田は目の前に広がる光景が見間違いだと信じたかった。

 

(ふざっっっけんな!)

 

 そしてカンドラが捲られ、初日は手牌の中から{四}を切り出した。

 カンドラ指標牌は{9}――新たなドラは{1}。

 

(ドラ6だけど……和了り目がないから意味ないし!)

 

 

 

『鶴賀藤村が風越の唯一の当たり牌である{二}を暗カン――! 和了り目が完全に消え失せました――ッ!』

 

 ――鶴賀学園控え室。

 

「ワハハ、卓をひっくり返したくなるレベルだなー。うちじゃ良くあった光景だけど」

「うむ、やってられなくなりますよね。うちでは良くあった光景ですけど」

 

 少々げんなりした様子で蒲原と睦月が零した。

 

「四枚全部山に残っていたとして、実質三巡しかチャンスがないからな。それを破るにはダマで放出を待つか、最終形を多面張にして先にツモるかしかない。それに気が付くかどうかが初日攻略のキー……」

「僅か半荘二戦の団体戦では無理だろー。牌譜も一、二回戦の分しかないしなー」

「そういう面では天江の異質さには助けられたな。海底牌が固定されているから、初日の当たり牌を全て引かされるという特性がばれている可能性は低い。まあ油断は禁物だが……」

 

 負けるつもりは毛頭ないと加治木は付け加えた。

 

「あっ! 初日ちゃん聴牌しましたよ」

 

 そして、佳織の発言を聞いて全員が初日の手牌へと目を移す。

 十一巡目、初日の河にある{六}が曲げられたいた。

 

「うむ……リーチする必要あるんですか? あれで」

「そこも初日の穴だな……いかに当たり牌を押さえる力があろうと、二家、三家同時聴牌となると捌ききれない。だからリーチで威嚇して他家をオリさせる必要がある」

 

 

 

十八巡目池田手牌

{一三②②③④⑤⑥⑦⑧111} ツモ{七}

 

(……ここに来て引きたくないのを持ってきたし)

 

 海底牌でよりにもよって超ド級の危険牌を掴んで池田は硬直した。

 

初日捨て牌

{24⑥北6北}

{南⑧9④横六南}

{東一白39}

 

 露骨に染め手を匂わせる汚い捨て牌であった。

 リーチ前までに役牌と萬子が一枚足りとも切り出されていない。

 放銃すれば河底で一翻足される状況の今、{七}は切り出したくない牌の一つであったが、

 

(そもそもリーチしている以上、ツモ切る以外選択肢が残されてないし!)

 

 池田は戦々恐々といった動きで{七}を河に置いた。

 

(来んな、来んな、来んな……)

 

 そして、何事も起こらず流局、連荘となる様、必死に祈る。

 しかし、初日は無造作に手牌を前に倒した。

 

(テンパイと言え、テンパイと言え、テンパイと言え……)

 

 最早牌の構成を確認する気力も残されていない池田は、自身の手牌も同時に倒し「テ、テンパイだしっ」と口を開こうとしたが、その前に初日の口が先に開かれた。

 

「ロン」

(やっぱし――ッ!)

 

初日手牌

{八九九九①①①西西西} {■二二■}

 

「リーチ三暗刻自風牌河底、8300」

 

 和了形を目にして池田は目を大きく見開いた。

 

(染まってないけど高めスッタン――ッ! 危ない……少しずれたら死ぬとこだったし)

 

 しかし、その目には安堵の色……いや、それ以上の何かがこもっていた。

 

(本当にツイてない時なら{八}で振り込んでいる……{七}で振ったのはまだまだ華菜ちゃんに流れが残っているという証だしっ!)

 

 猫は紛れもない肉食獣――かぶりついた獲物(うん)をそう易々と離したりはしないのだ。

 池田は鼻を鳴らし、獰猛な笑みを浮かべる。

 

(ありがとよ、おかげで冷静になれた……)

 

 今、池田の野生に火が点いた。

 

東二局1本場終了時

一位139100 鶴賀学園(+9300)

二位136000 風越女子(-9300)

三位76200 裾花

四位48700 城山商業

 

 

 

 そして迎えた南4局(オーラス)――前半戦の終了を合図したのは池田だった。

 

南四局0本場 ドラ:{八} 親:鶴賀学園

 

「ツモッ! メンタンピンドラ1、2000・4000だしっ!」

 

池田手牌

{二二三四五六七③④⑤456} ツモ{八}

 

 初日がトイトイ混老頭を直撃させれば、池田がメンタンドラ3をツモる。

 といった具合にその後は池田も盛り返し、前半戦は鶴賀学園と風越女子が大物手の応酬を繰り広げる展開となった。

 そんなシーソーゲームを制したのは意外にも池田であった。

 軽い手が来やすく、聴牌速度、和了率で勝る池田は徐々に点棒を増やし、風越女子が三万点のリードを奪い後半戦へと続く事になったのだ。

 

大将戦前半終了時

一位169300 風越女子(+36000)

二位138000 鶴賀学園(+4200)

三位67300 裾花(-16900)

四位25400 城山商業(-23300)

 

 

 

(う~ん……もの凄く疲れたし)

 

 前半戦の後、お疲れ様でしたと挨拶を交わし終わると、池田は一度大きく背伸びをし、再び椅子へと深く座り込んだ。

 全身の力を抜き、目を閉じて思考の海へと没頭する。

 

(何か……変なんだよなぁ)

 

 対局中に覚えた違和感……それを未だに拭えずにいた。

 稼いだ点数だけを見れば、自分はツキにツキまくっている。

 誰も寄せ付けず、36000点もの点棒を増やすことに成功したのだ。

 東二局の放銃――それが浮き足立ってた自分を落ち着かせてくれた。

 そして、その後は快進撃、そう言えるくらいに和了を重ねてきた。

 そのつもりだった。

 だが、池田は後半になるにつれ、どうも焦りにも似た感情を抱いていた。

 なぜならば、

 

(25000点スタートだとして……誰もトんでない)

 

 池田華菜――彼女は高火力型のプレイヤーとして名をはせてきた。

 今回の様にツキに恵まれている時は、風越の部内の対戦でも、OGとの対戦でさえ……誰かをトばして終わらせてきた。

 なのに関わらず、今回は収支最下位の城山商業でさえ-23300点。

 25000点スタートなら、1700点ぽっちとはいえ踏みとどまっている計算になる。

 

(ツイているんじゃなくて……ツカされている……? いやそれはない……このツキはあたしが掴んだ物だし)

 

 手応えは悪くなかった、むしろ抜群だったと言って差し障りない。

 ならば、いったい誰が他家を踏ん張らせているのか……考えるまでもない、鶴賀だ。

 

(前半戦でヤツが和了ったのは四回……冷静に考えるとおかしい。半荘一戦で四回和了する事がおかしいんじゃない。チャンタ、役満縛りに近い枷を付けていながら四回も和了するのは絶対におかしい!)

 

 池田は、今は空席となっている自身の対面の座席に目をやった。

 

(鶴賀の……確か、藤村初日とかいったっけ)

 

 彼女の様な打ち手は、風越にはいなかった。OGを含めてもいなかった。

 でも、全中では似たようなヤツがいた。

 一般人では届かない遙か高い峰――そこに最初から居座っているバケモノが。

 

(イメクラナース女とはまた違うんだろうけど……警戒は……しておこう。ヘボだという評価は取り下げだ)

 

 僅かながら感じられた人外の可能性……池田はそれを流さず、事実として真摯に受け止める事を選んだ。

 

(藤村が本性を現すとすれば次の半荘……それも後半になってからだろう。それまでにあたしは徹底的にリードを伸ばす)

 

 だが自身に出来る事に変わりはない。

 池田はただ愚直に己が運と力を持って、獣の如く点棒をかっさらう。

 

(遅いんだよ、お前は――追いつけるものなら追いついてみろ!)

 

 自身を鼓舞し、池田は後半戦へと気合いを入れた。

 ひた、ひた。闇はもう足下まで迫って来ている。



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19.風越なだけに風前の灯火

「ツモ! 3000・6000だし!」

 

池田手牌

{二三四六六②③③④④234} ツモ{⑤}

 

 ――東三局0本場。

 リーチツモタンヤオ平和三色、跳満の和了を告げたのは池田だった。

 

(……ついてねぇ……早いにも程がある)

 

 初日は嘆息した。

 前半戦と同じく、信じられない程浅い巡目で牌を曲げ、初日が当たり牌を喰い尽くす前に池田は地力でツモってくる。

 

(……手積みやったらイカサマを疑われるレベル)

 

 最もそれは自身や、麻雀教室で最大のライバルであった少女、他にも最近では佳織にも言える話であったが。

 麻雀に置いては単純に運が良いヤツというのが最強者である。

 牌効率に始まり、副露判断、状況判断、捨て牌読み、山読みと言った技術も、牌に愛されたと評されるレベルの幸運の前では何の役にも立たない。

 極論だが、毎局天和を和了る事が出来るのならその打ち手に勝てる雀士は存在しないのだ。

 初日の幸運(不運)を最大限に活用しているのが池田であるが、流石にそこまで理不尽な存在にはなっていない(捨て牌が二列目に入るかどうかという巡目でほぼ毎局リーチ宣言が行われているとはいえ)。

 

(……次が最大の山場……ここを乗り切れなければあたしの負け)

 

 次局の東四局は池田の親番。

 初日としては絶望的な点差ではなかったが、池田の火力に耐えうるだけの防御力を備えていない他家が居る。

 

(10100点……親の30符4翻、子の跳直で終わらされる)

 

 ハコ下ありなら如何様にも出来るという自信が初日にはあったが、生憎今回はハコ下なし。

 誰かの持ち点が0点を割ってしまえば即ゲームセットとなる。

 だから何が何でも池田の親は流さなければならない。

 

(今は……自分の点数は関係ない。ただ終わらされなければ良い)

 

 理想は池田からの直取り、若しくは城山商業が池田から和了ってくれても良い。

 

(厄を……厄を移すチャンスさえ来れば……)

 

 とにかく池田を止める事が最優先事項である。

 スピードさえ落とす事に成功すれば、あとは自分自身の火力で決着を付ける。

 

(――あたしが勝つ!)

 

 

 

大将戦・後半

東四局0本場 ドラ:{6} 親:風越女子

東家:風越女子 194500(+25200)

南家:鶴賀学園 133700(-4300)

西家:裾花 61700(-5600)

北家:城山商業 10100(-15300)

 

池田配牌

{二三七八④⑤⑤⑨234669}

 

(ちょーしノッて来たし!)

 

 第一ツモで急所が埋まり、残るは両面搭子が3つ。

 そう時間を掛けず聴牌にこぎ着けそうな牌姿である。

 さらに雀頭候補がドラと来た。

 絶好の配牌に池田は顔を綻ばせる。

 第一打は当然の{9}。

 

(突き放して逃げ切り――それが作戦だったけど……逃げる必要性はないな)

 

 今の手が順調に進めば、平和ドラドラにリーチを足して11600。

 ツモって一発か裏が乗れば6000オールの完成だ。

 

二巡目池田手牌

{二三七八④⑤⑤⑨23466} ツモ{⑥} 打{⑨}

 

三巡目池田手牌

{二三七八④⑤⑤⑥23466} ツモ{6} 

 

(そっちかぁ……)

 

 {一四六九}待ちの一聴向だったが、ここでドラの{6}が重なった。

 すかさず池田は{⑤}を打った。

 

({一二三四六七八九}待ちの一聴向……負ける気がしないし!)

 

四巡目池田手牌

{二三七八④⑤⑥234666} ツモ{7} 打{七}

 

五巡目池田手牌

{二三八④⑤⑥2346667} ツモ{②} 打{②}

 

六巡目池田手牌

{二三八④⑤⑥2346667} ツモ{八}

 

「リーチだしっ!」

 

 力強く{7}が曲げられた。

 

 

 

六巡目初日手牌

{一一九①⑨⑨1東南西北白白} ツモ{四}

 

(きっちり六巡目、スピードは衰える気配なし……か。でも、このツモは……)

 

 初日は一瞬眉を寄せるが、すぐに自身がツモった{四}が意味する事を考えた。

 

({一四}か{四七}の両面待ち……後は{四}と何かのシャボ……わざわざ中寄りの牌で待つ必要性はないから単騎の可能性は低い)

 

 これが池田の当たり牌であるのはほぼ間違いない。

 最高についてねぇ状態の初日が、配牌以外で中張牌を引き入れる事は、誰かの当たり牌を掴まされる以外ではありえないからだ。

 

(――試してみる!)

 

 そう決意した初日はおもむろに一萬を取り出して、数瞬念じる様に握りしめた。

 他人からその姿は、当たらないでくれと祈っている様に見えたが、その実は真逆。

 当たってくれと祈っているものだったという事を知っているのはただの数人だけだった。

 

打{一}

 

 {一}が河に置かれたその時、キィンと空気が凍り付く音が鳴り響いた様な気がした。

 

 

 

『ロン! リーチ一発ドラ3、12000!』

 

池田手牌

{二三八八④⑤⑥234666} ロン{一}

 

東四局0本場終了時点

一位206500 風越女子(+12000)

二位121700 鶴賀学園(-12000)

三位61700 裾花

四位10100 城山商業

 

『ああっと! 鶴賀学園藤村、一発で放銃してしまいました――! これでついに八万点差、風越の独走を誰も止められないのか――!』

 

 ――観戦室。

 

「……終わりだな」

 

 ポツリと言葉を漏らしたのは純だった。

 

「ええ、鶴賀の勝ちですわね」

 

 意味深にニヤリと笑みを浮かべながら透華が答える。

 てっぺんのアホ毛がうにょんうにょんと摩訶不思議な動きをしており、一体どういう仕組みで稼働しているのか誰もツッコまないのが奇妙だ。

 

「衣が受けたという、藤村さんの支配――今、この瞬間、風越へと伝わったのかな。衣ですら抜け出すのに数局を要したその力に」

 

 一はそこで区切って衣へと視線を投げ掛ける。

 

「――凡人が抗える訳なし。風越の命脈は風前の灯火、既に末期を迎えたも同然だ」

 

 妖艶な笑みで衣が答えた。

 

「……風越なだけに風前の灯火……プッ」

 

 そしてそれを少し離れた位置から眺める智紀が居た。

 

(えっ、私の台詞これだけ……?)

 

 

 

東四局1本場 ドラ:{一} 親:風越女子

 

(何……だよ……これがトップ目の配牌か?)

 

 配牌を開いて池田の顔が引きつった。

 

池田配牌

{六九九①②⑤⑨199南西西北}

 

 先ほどまでのメンピン系の軽い手とは真逆のチャンタ系、それも対子の多い重い手である。

 3対子0面子という目眩がする様なゴミ配牌。これには流石の池田も落胆の気持ちを隠しきれなかった。

 

(落ち着け……リードはたんまりあるんだ。ここは最初からオリに入って、最小限の被害で親を終わらせる。そして南場を4局……たった4局だけ乗り切れば……あたしが優勝だ!)

 

 そう開き直った池田はさっさと危険牌になりそうな{⑤}を打つ。

 

二巡目池田手牌

{六九九①②⑨199南西西北} ツモ{⑨} 打{六}

 

 

 

 ――鶴賀学園控え室。

 

「風越は配牌オリかー、無難な選択肢な気がするけど――」

「妙な所で常識的な判断をしたな。普通なら幺九牌は安牌となりやすいが……」

「うちのアレにとってはド本命もド本命。むしろ中張牌を抱えてた方がオリやすいくらいだからなー」

 

 いつもと変わらず、笑みを貼り付けた顔で蒲原が話す。

 対する加治木は思案顔で画面に見入っていた。

 

七巡目初日手牌

{①①⑧⑨北北白白發發發中中} ツモ{①} 打{⑧}

 

 四暗刻大三元と二種の役満が見える手。役満でなかったとしても、メンホン小三元で跳満は確定だ。

 

「……後から見ていてこれほど恐い手も珍しいよね」

「私は結構こんな感じの時あるけど?」

 

 苦笑いを浮かべる睦月に、不思議そうに首をかしげながら佳織が返した。

 

「……」

 

 控え室を静寂が包み込んだ。

 結構は、ない。

 

 

 

十二巡目池田手牌

{九九①②③⑨⑨999西西北} ツモ{西}

 

(にゃ~……あのゴミ配牌がチャンタ、そしてツモり三暗に化けたし!)

 

 ただ後々の危険牌になりそうなものを切り出しただけだったのが、思わぬ形に手牌を変身させていた。

 

捨て牌

東家:風越女子

{⑤六三53南}

{二南七南東}

 

南家:鶴賀学園

{三七二西②8}

{⑧發⑨東⑥}

 

西家:裾花

{一④⑦七⑧②}

{⑤七一二東}

 

北家:城山商業

{4③③21⑧}

{⑥東白北三}

 

({九}、{⑨}どっちも一枚場に見えてるけど……前者は{七}が四枚切れ、後者も{⑧}が三枚切れならまだ山にありそうだし!)

 

 どちらも面子には使えない(使い難い)牌である。

 ならば山に残っている可能性は高いし、誰かが掴めば出る――そう確信できるだけのものがあった。

 だが、所詮は出和了りだと40符2翻3900点(場棒を足して4200点)止まりの手。

 無理をして他家に突き刺さったら元も子もない。

 北は通るのかどうか、いくら安全度の高い客風牌とはいえ慎重に慎重を期して河を確認する。

 

({北}は、二巡前に上家が捨ててるし……その間、あたし以外はツモ切り……大丈夫だし)

 

 池田はそう判断して{}北を打った。

 

「それ――」

(え?)

 

 その瞬間、下家から声が掛かった。

 

「ロン。32300ッ!」

 

初日手牌

{①①①北北白白白發發發中中} ロン{北}

 

(なんだ……その手……無茶苦茶すぎるだろ! メンホン三暗刻トイトイ小三元混老頭……合計13翻できっちり数え役満……迂闊だった……二巡前、城山商業の北を見逃したのはそれだと負けになってしまうから……まだ張ってなかったからとは違う!)

 

 己の失態を悟り、池田は天を仰ぐ。白い照明の光が眼に染みた。

 

(でも……でも……まだ負けた訳じゃないしっ! リードも残ってる! 南場でもう一度突き放せば良いだけだ!)

 

東四局1本場終了時点

一位174200 風越女子(-32300)

二位154000 鶴賀学園(+32300)

三位61700 裾花

四位10100 城山商業

 

 

 

南一局0本場 ドラ:{④} 親:鶴賀学園

 

一巡目池田手牌

{一五七九③⑨14西白發中中} ツモ{1}

 

(……えっ? また?)

 

 二局連続のゴミ配牌。池田の背中に冷や汗が流れた。

 中の対子があるが、それ以外には両嵌形が一つ、対子が一つあるだけというあまりにも酷い牌姿。

 都合良く序盤に中を鳴けたとしても、和了出来る気がさらさらしない。

 

(でも、あたしは前に進むしかない。藤村の親……これさえ流せれば残り3局。逃げ切れる)

 

打{西}

 

二巡目池田手牌

{一五七九③⑨114白發中中} ツモ{白} 打{一}

 

(白も対子になった! これでどこからでも仕掛けられるし!)

 

三巡目池田手牌

{五七九③⑨114白白發中中} ツモ{3} 打{⑨}

 

四巡目池田手牌

{五七九③1134白白發中中} ツモ{九} 打{發}

 

五巡目池田手牌

{五七九九③1134白白中中} ツモ{①} 打{九}

 

 

 

六巡目初日手牌

{①①1東南南西西西北北白中} ツモ{東} 打{1}

 

「それポォン!」

 

 初日が捨てた{1}に池田が喰らい付いた。

 初日は、厄が移されている現状では池田はとても和了れる様な牌姿になっていないはずだと思っていたが、鳴きが入った事で考えを改めた。

 

池田手牌(初日視点)

{■■■■■■■■■■} {11横1}

 

({南北白中}……多分この中から二種類の対子を持っているか……)

 

 池田の河には、前局とは違い序盤から幺九牌が切り出されている。ならば、チャンタはないと考えるのが自然だった。

 恐らく役牌対子を二つ抱えているのだろうと当たりを付ける。四巡目に{發}が捨てられているがそれは手出しだった。

 カンツをずっと抱えていたのならば第一打で出てくるはずなので、その可能性はない(それをブラフに使ったのかも知れないが、池田の性格上なさそうだと初日は思った)。

 

(この親番終わらせる訳にはいかない)

 

 裾花と城山商業が勝負を諦めていないのならば、自分の親番では連荘を狙ってくるはずだ。

 そうなれば、スピード負けする可能性が高い。

 だから、それまでに池田との差をしっかり付けておきたかった。

 

七巡目初日手牌

{①①東東南南西西西北北白中} ツモ{3}

 

(……いらないけど)

 

打{西}

 

 初日は打{3}とせず、{西}を切り出した。

 池田の手牌が想像通りの姿ならば、自身が抱えている字牌の内どれかが握り潰されているだろう。

 そうなると持ち持ちになって、どちらも和了できない状況が作り上げられる。

 ならば、二枚しか使えなくても和了出来る役でどうにかするしかない。

 

八巡目初日手牌

{①①3東東南南西西北北白中} ツモ{發} 打{3}

 

裾花 打{③}

城山商業 打{八}

 

「チーッ!」

 

 再び池田が動く。

 今度は城山商業が捨てた{八}に飛びついた。

 

池田手牌(初日視点)

{■■■■■■■} {横八七九} {11横1}

 

池田捨て牌

{西一⑨發九①}

{③五}

 

(この巡目で二副露……ついてねぇ状態で常識的な考えを持ち込むのはどうかだけど、親相手にここまで攻めてるって事は張ったと考えた方が良さそう)

 

九巡目初日手牌

{①①東東南南西西北北白發中} ツモ{白}

 

(聴牌……場に一枚切れの{發}待ちの方が出和了り率は高くなりそうだけど……そうなると生牌の{中}を打つ事になる。役牌待ちが見え見えの相手に打ち込んだらアホすぎるし……なら……)

 

打{①}

 

十巡目初日手牌

{①東東南南西西北北白白發中} ツモ{中}

 

(――跳満で終わらせる気はさらさらない!)

 

 

 

十巡目池田手牌

{234白白中中} {横八七九} {11横1} ツモ{發}

 

(いらないし……)

 

初日捨て牌

{⑥4三一41}

{西3①①}

 

(鶴賀は対子落としって事は……まだ大丈夫かな)

 

 手出しで{①}連打。初日のその行動からまだ聴牌はしていないはずだと池田は判断した。

 そして、{發}へと指を伸ばす。

 それが大きな罠であるとは欠片も気づかずに。

 

「ロン」

(は……?)

 

 

 

『ロン』

 

 無情な和了を告げる声が卓上に流れた。

 

 ――風越女子控え室。

 試合の様子を見守る部員達とコーチ、その誰もが言葉を発せずにいた。

 

(……華菜っ)

 

 それはかの池田と最も懇意にしているであろう福路美穂子でさえ同じだった。

 麻雀に置いて、“楽しむこと”・“ヘコまないこと”この二点が一番重要な事なんだと常々池田には話してきた。

 麻雀は運の要素が大きく絡むゲームである。だからこそ、正着打を続けても必ずしも勝利を得られる訳ではない。

 実力者と評される打ち手でも、時に信じられない様な大敗を喫する事があるのが麻雀だ。

 

(でも……)

 

『――48000』

 

初日手牌

{東東南南西西北北白白發中中} ロン{發}

 

(こんなのってあんまりだわ……)

 

 連なる七つの星――大七星。

 今まで築きあげられてた風越の勢いを打ち壊すには十分の威力を持っていた。

 

『珍しい役満が飛び出しました――! 字一色七対子、これを大七星と呼んでダブル役満扱いするローカルルールもありますが、その性質上面前でしか作れないので出現率はかなり低い役満です!』

『……これで三回目か鶴賀の役満は。数え役満は一発カンドラ裏ドラありの今のルールだとさして珍しくないが、天和に大七星……まるで夢を見ているようだ』

『これで最大八万点以上開いていた差が入れ代わりました! 現在のトップは初出場の鶴賀学園! 後半戦の南1局の時点で七万点ものリードを奪う事に成功しています!』

 

南一局0本場終了時点

一位202000 鶴賀学園(+48000)

二位126200 風越女子(-48000)

三位61700 裾花

四位10100 城山商業

 

 

 

南四局0本場 ドラ:{發} 親:風越女子

東家:風越女子 112300

南家:鶴賀学園 201100

西家:裾花 71000

北家:城山商業 15600

 

(何なんだよ……どうしてだよ……ふざけんなよ……)

 

 池田の心を満たすのは空虚感だった。

 自身の親番であるオーラスを迎えたが、点差は縮まるどころか九万点を超えている。

 四槓子、天和は別格としても、まず見られないであろう役満への放銃。そんなもの予測出来る訳がない。

 手は震え、喉は渇き、眼からは涙が溢れる。どうすれば良いのかわからなくなってしまっていた。

 

池田配牌

{四六九①①①279南北白白中}

 

(またこれかよ……)

 

 どうにもならない配牌に強く拳を握りしめた。

 {①}の暗刻がある他、{白}の対子があるが、{白}はドラ表示牌として既に一枚見えている。

 和了までの道のりがどうしようもなく遠い。こんな配牌が南場に入ってからずっと続いている。

 客風牌の{北}、孤立牌の{九}、そして他家の連風牌となる{南}とお手本の様な手順で不要牌を落としていく。

 

四巡目池田手牌

{四六①①①25799白白中} ツモ{中}

 

(また……この手か)

 

 順調に進めば、白中のシャボ待ちになる牌姿。

 今の窮地に陥れられた南一局0本場の牌姿と重なって見えた。

 

(くうぅ……)

 

 思い返すだけで腹立たしい。あの放銃さえなければまだ勝負は拮抗していたはずだ。そう考えているとふつふつと空虚感とは違う感情が芽生えてきた。

 立ち向かった闘争心の残り火が、まだ胸の中で燃え続けていた様だ。

 

(でも――今度は和了ってやる……このまま終わる気は毛頭無い、連荘に連荘を重ねて逆転してやるし!)

 

打{2}

 

 池田の目に再び力が宿った。

 

五巡目池田手牌

{四六①①①5799白白中中} ツモ{發}

 

(ドラ――何か久々に見た気がするし!)

 

 その池田の感覚は間違いではなく、南場に入ってからドラが池田の元に姿を現したのは今回が初である。

 そしてそれは初日の支配を打ち破った事の証左でもあった。

 

(華菜ちゃんの選択は……これ)

 

打{5}

 

 そして次巡、初日が捨てた{白}に飛びついた。

 

「ポン!」

 

六巡目池田手牌

{四六①①①799發中中} {白白横白} 打{四}

 

 さらに次巡、再び初日の捨て牌に手を伸ばす

 

「それもポン!」

 

七巡目池田手牌

{①①①799發} {中中横中} {白白横白} 打{六}

 

 

 

七巡目初日手牌

{一二⑧⑨⑨112399北北} ツモ{2}

 

({白}と{中}をポン? 大三元いや……親番だから純粋に連荘狙いかも知れんけど)

 

 ここまでわかりやすい仕掛けも少ない。

 {發}が生牌で{白}と{中}が叩かれているのだ。

 小三元か大三元か、全く関係なく白中で和了する可能性もあるが、厄が晴れてしまった以上、ドラである發は池田の手牌にありそうに思えた。

 

(急がないと……チンタラ手作りしてる暇はない)

 

 面子手だと{三}、{⑦⑨}、{3}、{北}と急所が多すぎる。

 初日は打{3}として七対子の一聴向に構えた。

 

八巡目初日手牌

{一二⑧⑨⑨112299北北} ツモ{九} 打{二}

 

九巡目初日手牌

{一九⑧⑨⑨112299北北} ツモ{①} 打{⑧}

 

十巡目初日手牌

{一九①⑨⑨112299北北} ツモ{九} 

 

(追いついた……! 風越はずっとツモ切りを繰り返している、という事はもう張っているはず。そしてあたしが当たり牌を掴まされないという事は……待ちは{發}単騎か片方が枯れているシャボ待ち。ほぼ互角だと思って良いかな……)

 

打{①}

 

「それカン!」

 

池田手牌(初日視点)

{■■■■■} {①①①横①} {中中横中} {白白横白}

 

打{7}

 

 そして、それと同時にカンドラがめくられる。

 そこにあったのは{⑨}――新ドラは{①}となった。

 

十一巡目初日手牌

{一九九⑨⑨112299北北} ツモ{6}

 

(手出しで{7}? まだ張ってなかったか……それとも{67發發}みたいな形から{6}を引いて{7}を落としたのか……どちらにせよ{}6は危ない)

 

打{一}

 

(悔しいけど……勝負は避ける)

 

 

 

 そして南四局0本場、最後の摸打が終了した。

 

「テンパイ」

 

 そう宣言した池田の表情はどこか誇らしげだった。

 

池田手牌

{99發發} {①①①横①} {中中横中} {白白横白}

 

「……テンパイ」

 

 少し遅れて宣言した初日はその声に疲労の色を隠せていなかった。

 

初日手牌

{九九⑨⑨1122699北北} 

 

「ノーテン」

「ノーテン」

 

 そして裾花と城山商業が手牌を伏せる。

 

南四局0本場終了時点

一位202600 鶴賀学園(+1500)

二位113800 風越女子(+1500)

三位69500 裾花(-1500)

四位14100 城山商業(-1500)

 

 

 

南四局1本場 ドラ:{一} 親:風越女子

 

「ツモ。800・1400」

 

初日手牌

{①①99} {横發發發} {九横九九} {横⑦⑧⑨} ツモ{①}

 

 混迷を極めた0本場と違い、1本場はあっさりと終了した。

 ポンを駆使して池田のツモを飛ばし、下家であるという点を最大限に生かした初日が浅い巡目で發チャンタをツモ和了った。

 

大将戦終了時点

一位205600 鶴賀学園(+3000)

二位112400 風越女子(-1400)

三位68700 裾花(-800)

四位13300 城山商業(-800)

 

『大将戦終了――! 激戦を制したのは初出場の鶴賀学園! 風越女子の団体戦優勝は六連続でストップ、新たな時代の幕開けとなるのでしょうか!』



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20.レジェンドロン

 ――昼休み。

 食事を取り終わった初日・佳織・睦月の三人は、屋上に居た。

 ぼんやりと空を眺めながら流れる雲を数えている。

 

「優勝……したんだよね」

「うむ」

「したねー」

「実感……ないね」

「うむ」

「ないねー」

 

 団体戦決勝戦が終わり、時は流れ気が付けば既に金曜日。

 実際、県大会で優勝したからといって、学校生活で変わった事がある訳ではない。

 授業免除の特例措置がある訳もなく、課題を白紙で提出した初日は英語教師にしこたま叱られたし、最初の二・三日はクラスメイトも騒いだが、今ではそれまでとなんら違いのない対応に戻っている。

 普段となんら変わらぬ日々を送っているのだ。

 

「明日から個人戦だよね」

「うむ」

「だよねー」

「東風二十戦とか残れる気がしないよ……」

「うむ……」

「よゆー」

「うむ?」

 

 佳織は一日一度限りだが、役満を確実に和了れるという団体戦においては強力なカードだった。

 しかし、舞台が東風二十戦となると内一戦を高確率で勝てるというだけで、残り十九戦を地力でなんとかしなければならない。

 麻雀歴二カ月未満の初級者には明らかに荷が重い。

 睦月も、鶴賀学園の麻雀部内では麻雀歴が長い方ではあるが、特別強い訳ではないと自覚しているだけに表情は暗い。

 そんな中、初日は自信満々に答えた。

 

「えいっ」「うむぁ」

「ぐえぇぇ!?」

 

 その態度にイラッと来た佳織と睦月が、初日のお腹を指でぐいっと押した。

 

「つ……ついてねぇ」

「……という訳で」

「短期間に強くなれる方法を教えて」

「個人戦の前日に言われても……とりあえず臨死体験すれば良いんじゃない? うまくいけば一巡先とか見えるようになるかも」

 

 もちろんうまくいかなければ死ぬ。

 妙に具体的な初日の説明に「止めぃ! 私と能力が被るわ!」と、どこからか妙に強気な病弱少女の叫びが聞こえた気がした。

 

「ていうか、そういうのはあたしより加治木先輩とか部長に聞いた方が良いと思う。あたし普通の麻雀は大して強くないし……」

「加治木先輩はどうみてもオカルトに片足突っ込んでるし……智美ちゃんはアレだもん」

「うむ……部長はアレだしね」

 

 一日に役満を必ず和了れるというオカルトの塊みたいな人が何を。

 その内「御無礼、それロンです。48000」とか言ったりしないだろうか。

 回想シーンに現在と変わらぬ姿で出演したり、他人の夢に出張してみたり、亡霊と麻雀を打ち始めればもう手遅れである。

 

「確かに部長はアレだね。でもあたしはオカルトに全身浸かってるんだけど……まあ、阿知賀こども麻雀クラブに通えば誰でもある程度は強くなるよ……」

 

 メンタルが。

 ドラ爆と役満地獄が待ち構えている卓に座っていれば、少々の事では動じなくなる。

 ちなみに、当のドラ爆本人や役満地獄本人は自分がメンタルを鍛える要因になっているとはこれっぽっちも自覚していない。

 お互いに「ドラ爆(役満地獄)があるから大変だね」くらいにしか認識していないのだ。そんなオカルトありえません。

 だから、単純に比例するかどうかはともかく初日の感覚の倍は生徒達のメンタルに付加がかかっていた。

 

「今はもうないんだよね……あったとしても遠すぎるし」

 

 さほど残念そうな様子は見せずに佳織が答える。

 実際期待していた訳ではないのだ。急に強くなる方法なんて都合の良い物が転がっている訳がない。

 それは自身が異能を持っているからこそわかっていた。

 ただ、気を紛らわしたかっただけなのだ。

 

「うん、そうだね……あっ」

 

 それもそうだと頷く初日が、突然顔を真っ青にして固まった。

 不信に思った佳織と睦月は初日の顔を覗き込む。

 

「どうしたの」

「玄……向こうの友達を二カ月放置してた。こっちに越してから連絡取った記憶がない」

「ええぇぇぇぇ!? それ早く連絡しないと! メールだけでも良いから送らないと可哀想だよ!」

「わ、わかってる! わかってるから頭を揺らさないで!」

「私達以外に友達いたんだ……」

 

 佳織は初日の襟元を掴んで、早くしろと急かす。

 その横で地味に睦月が辛辣な言葉を零した。 

 

 

 

to:新子憧(ako_cute_gogo@xxx.ne.jp)

sub:久しぶり、玄は元気やった?

[本文]

あたしは元気です

 

 

 

 ――奈良県、阿太峯中学。

 とある教室の一角で、桃色ロングの髪をツーサイドアップにまとめた少女が携帯を取り出した。

 

「ん? ハツヒ? 何で唐突に……ってクロと間違えたのか。返信するついでに転送しておいてやろう。あたしは優しいからね」

 

 うんうん、と一人頷きながら、憧は眼にも止まらぬ指捌きで携帯に文章を打ち込む。

 

「……これでよしっと。そう言えば最近クロはおろか、シズとすら連絡とってなかったなー。あの頃が懐かしいや。みんな元気にしてるかなー?」

 

 

 

 ――三年前、阿知賀こども麻雀クラブでの一幕。

 和気藹々といった様子で小学生中学年とおぼしき女子の群れが麻雀を楽しんでいる。

 その中に高学年~中学生くらいの少女が数名混じっていた。

 

「ロン! タンヤオドラ7、24000!」

 

 内一人が、今和了宣言をした黒髪ロングの少女――松実玄。

 とても中学一年生のものとは思えないおもちをお持ちの少女である。

 

「ぬぎゃー! やっぱ勝てないかー」

 

 悔しさを全身で表すのは小学六年生――新子憧。

 ショートカットをツーサイドアップにまとめている可愛らしい少女だ。

 

「私はみんなよりおねーさんですから!」

 

 玄は得意げに胸を張った。

 

「ドラさえ……ドラさえなければ……」

 

 ぶつぶつと呪詛を吐くように憧は零した。

 タンヤオのみ――親で二千点の手がドラにより倍満に化けたのだ。

 

(悔しい……っ!)

 

 憧は、麻雀というゲームの奥深さに魅了されていた。

 その熱の入りようは、進学先に麻雀の強豪校を選んだ程である。

 だからこそ、麻雀クラブ最強の座に君臨している玄を何が何でも倒したかった。

 

(――そうか!)

 

 どうすれば勝てるのか……そう考えているとふとアイデアが降ってきた。

 憧は眼を光らせて玄へと向き直る。

 

「玄、赤なしで勝負しよう!」

「……? 私は良いけど……本当に良いの?」

「フフン! ドラがなければ玄なんか置物だからね! あたしが勝つに決まってるよ!」

 

 何故か憧を心配するようなそぶりすら見せた玄に、憧は自信満々に挑戦状を叩き付けた。

 

「わ、私は抜けようかなー」

「わ、私も今回は見学する所存ー」

 

 それと同時に、先の半荘で同卓していた中学年の女の子達がそそくさと席を離れた。

 まるでこの後悲劇が起こると確信しているかのように。

 

「ちょっとー卓割れちゃうじゃん! シズと和はさっき違う卓に混ざったところだし……」

「ならあたしが入るよ」

 

 そこに入ってきたのは先程まで玄の後で観戦していた少女。

 身長は憧とそれほど違わず、140cm台中盤というところだろうが、その胸部は憧と違い確かな膨らみがあった。

 

「げっ……ハツヒ」

「げっ?」

「いや、何でもないよー」

(あんたが混じると玄が有利になるでしょーが!)

 

 混ぜるな危険。この一言に全てが集約される。

 初日が混じると当たり牌が喰らい尽くされるので、ツモ和了が難しくなる。

 だが、その制限に引っかからずに打てる方法が一つだけあった。

 初日はドラを引けない――つまりドラ待ちにすれば初日の能力の影響外で麻雀が打てる。

 しかし、ドラを独占し他家に一枚も渡さない玄が混じるとその方法も使えなくなるのだ。

 必然的にツモ和了が狙えるのは玄と初日だけになり、他二名は出和了りに頼らなければならない。なので、リーチも出来ない(和了率が圧倒的に下がる為)。

 ドラなしという低打点の闘いをを強いられる上に、貴重な一翻役であるリーチすらツモれる自信が持てる程の多面張でない限り使用できないのだ。

 

「私も混ぜてもらおうかな」

「ハルエまで……」

 

 最後の一人には、この教室に存在する唯一の大人――麻雀教室の講師を務めている赤土晴絵が名乗り出た。

 

 

 

東風戦 赤ナシ アリアリ

東一局0本場 ドラ:{西} 親:藤村初日

東家:藤村初日

南家:新子憧

西家:松実玄

北家:赤土晴絵

 

五巡目憧手牌

{二三四④⑤⑥⑦234588} ツモ{②}

 

(うしっ! 聴牌)

 

 リーチをすれば満貫になる手。

 平場で序盤なら即リーで問題ない。

 

打{5}

 

(……だけどダマで。その内ハツヒが零すでしょ)

 

 だが、憧はダマ聴を選択した。

 待ちが一種四枚しかない形で初日を相手にリーチするのは無謀。

 麻雀教室の生徒達にはそれが良くわかっていた。

 無論、憧がそれを理解していない訳がない。

 

玄 打{2}

晴絵 打{白}

初日 打{③}

 

「ロン! タンヤオ三色で5200!」

 

憧手牌

{二三四②④⑤⑥⑦23488} ロン{③}

 

「まずは軽くリードさせてもらうわ」

 

 むふふ、と憧は不敵に笑った。

 

東一局終了時点

東家:藤村初日 19800(-5200)

南家:新子憧 30200(+5200)

西家:松実玄 25000

北家:赤土晴絵 25000

 

 

 

東二局0本場 ドラ:{白} 親:新子憧

 

三巡目憧手牌

{三四五七⑥⑥⑥⑧123東中} ツモ{4} 

 

 東か中を重ねられなければ面前にするしかない少し重たい牌姿。

 しかし、{4}を引いた事でタンヤオが見える様になった。

 

(……さくさく連荘と行きますか!)

 

打{中}

 

「ポンッ」

 

玄手牌(憧視点)

{■■■■■■■■■■■} {横中中中}

 

「へ?」

(玄が……鳴いた?)

 

 憧は今までにない不可解な打牌にしばし呆然とした。

 玄はドラを捨てるとその後数局ドラが手元に来なくなってしまうというデメリットを抱えている。

 なので、実質ドラは捨てられない。

 赤ありだとドラで手牌が都合八枚分埋まってしまうのだ。

 副露している状態でカンをされるとドラを捨ててしまう事になる可能性が高い。

 だから副露をする事はほとんど無いと言ってよかった。

 

「……ん?」

 

 そして何かを察しプルプルと震え出す。

 

(あたし何やってんのー!? よーく考えてみれば玄って赤なしの方が強いじゃん!)

 

 {赤五}・{赤⑤}・{赤5}の内、萬子と索子は玄の手牌を縛る枷となる。

 二枚ある{赤⑤}は雀頭候補として使用できるが、{赤五}と{赤5}は周囲の牌がくっつかなければ浮き牌となってしまうからだ。

 配牌が明らかに{五}や{5}が必要ない姿だとその局はほぼ和了れない。

 ドラは打点を高める武器である反面、手牌を狭める鎖だったのだ。

 

「カン!」

(あっ……)

 

玄手牌(憧視点)

{■■■■■■■■} {■白白■} {横中中中}

 

「憧ちゃ~ん、カンドラめくって~」

「う、うん」

 

カンドラ:{中}

 

(ドラ7確定!? やばい……マジでやばい)

 

 ――五巡後。

 

憧手牌

{二三四⑥⑥⑥⑧234} ツモ{⑤} {横六五七}

 

(……どうしよう)

 

玄捨て牌 {■■■■■■■} {■白白■} {横中中中}

{四5二九西三}

{③}

 

 {⑧}と{⑤}を入れ替えればタンヤオのみとはいえ三面張で待てる。

 しかし、ドラ7、それも筒子の染め手らしきものを相手にするには明らかに打点不足であった。

 

(……押す)

 

 どうせドラ7を和了られたら逆転の目は薄い。

 危険は承知で勝負するしかないと憧は判断した。

 

打{⑧}

 

「ロン!」

「ふぇっ!?」

 

玄手牌

{⑥⑦⑧⑧⑧發發} {■白白■} {横中中中} ロン{⑧}

 

「ホンイツ小三元ドラ7――32000!」

「{⑤⑧}どっちも当たりかー……どうあがいても役満……反則でしょそれ……」

「憧ちゃんのトビで終了だねー」

「ぐぬぬ……」

 

一位57000 松実玄(+32000)

二位25000 赤土晴絵

三位19800 藤村初日

四位-1800 新子憧(-32000)

 

「アハハ! 玄相手に赤なしはダメだぜー、憧」

 

 晴絵がからからと笑う。

 

「ハルエも知ってたならもっと早く言ってよー」

 

 赤なしだと玄がさらに強くなるのはわかった。

 だが、だからと言って赤ありに戻すのは負けを認めたみたいでプライドにさわる。

 憧は現行ルールでもう一勝負挑む事にした。

 

「も……もう一回やるわよ!」

 

 

 

東一局0本場 ドラ:{西} 親:松実玄

東家:松実玄

南家:藤村初日

西家:新子憧

北家:赤土晴絵

 

「ロン。2000」

 

憧手牌

{二二五六七⑤⑦333} {横756} ロン{⑥}

 

「うっ……」

「相変わらず喰い仕掛けに弱いわね……ちゃんと捨て牌見てる?」

「……余裕があれば」

「なくても見ろ!」

 

東一局終了時点

東家:松実玄 25000

南家:藤村初日 23000(-2000)

西家:新子憧 27000(+2000)

北家:赤土晴絵 25000

 

 

 

東三局0本場 ドラ:{③} 親:藤村初日

 

「ツモ。リーヅモ一発ドラドラ、2000・4000」

 

玄手牌

{七八九③④⑤⑥123678} ツモ{③}

 

「アンタだけ平然とリーチ掛けられるのは何か釈然としないわね……」

「そう言われても……ドラは私の元に集まるから……」

 

東三局終了時点

東家:藤村初日 19000(-4000)

南家:新子憧 25000(-2000)

西家:赤土晴絵 23000(-2000)

北家:松実玄 33000(+8000)

 

 

 

東三局0本場 ドラ:{西} 親:新子憧

 

「ツモ。トイトイホンロウはえーと……2000・4000」

 

初日手牌

{①①①99中中} {横南南南} {横北北北} ツモ{9}

 

「何よその非常識な手牌は……! もう慣れたけど」

「……そう言われてもあたしはこんなんでしか和了れんし……」

「知ってるわよ!」

 

東三局終了時点

東家:新子憧 21000(-4000)

南家:赤土晴絵 21000(-2000)

西家:松実玄 31000(-2000)

北家:藤村初日 27000(+8000)

 

 

 

東四局0本場 ドラ:{③} 親:赤土晴絵

東家:赤土晴絵 21000

南家:松実玄 31000

西家:藤村初日 27000

北家:新子憧 21000

 

一巡目憧手牌

{一二四六七九②④234西北} ツモ{北}

 

(うにゅ……これはキツイ……ここから4翻を作るのか……)

 

 234の三色が見える牌姿だが、今回のドラは{③}。

 玄以外は引く事の出来ない牌なので、そこに向かうのは愚策でしかない。

 逆転トップに必要なのは、ツモなら7900、玄からの出和了りなら6400。

 後者はチートイ以外では殆ど出現しないので、現実的に可能な30符4翻の和了を目指す事になる。

 

打{④}

 

(萬子のホンイツしかないわね……面前なら北とイッツーのどっちか……鳴きを入れたら両方付けないと足りない)

 

晴絵 打{二}

玄 打{東}

初日 打{五}

 

「チーッ!」

 

二巡目憧手牌

{一二七九②234西北北} {横五四六} 打{4}

 

(一歩前進……とはいえ遠い……ハルエがクロを少し削ってくれれば楽になるんだけど……)

 

 まだまだ形の見えない牌姿。そして聴牌出来たとしても、初日に当たり牌が喰い尽くされる前にツモらなければならない。

 前途多難といえる門出だった。

 

三巡目憧手牌

{一二七九②23西北北} {横五四六} ツモ{八} 打{3}

 

「ポン」

 

玄手牌

{■■■■■■■■■■■} {3横33}

 

 

(うっ……鳴かれた……でもあたしのツモが増えるから悪くはない。何とか間に合わす)

 

初日 打{6}

 

四巡目

{一二七八九②2西北北} {横五四六} ツモ{東} 打{②}

 

 ――五巡後。

 

「カン!」

 

玄手牌

{■■■■■■■■} {■③③■} {3横33}

 

 玄が手牌から{③}を四枚さらすと同時に、カンドラがめくられる。

 そこに眠っていた{2}が表に晒された。

 

(またポンした牌にモロ乗り!? いい加減にしてよ!)

 

初日 打{一}

 

十巡目憧手牌

{一二三七八九東西北北} {横五四六} ツモ{東} 打{西}

 

(――来た!)

 

 打{西}で{東北}のシャボ待ちでホンイツ一通役牌――30符4翻を注文通り聴牌。

 出来過ぎなツモに気を緩めそうになるも、憧はただ真っ直ぐに卓上を見つめる。

 

(さあ勝負よ……これから三巡、ハツヒが潰す前にあたしが掴むか、クロが掴むか)

 

晴絵 打{⑥}

 

「もう一つカン!」

 

玄手牌

{■■■■■■■} {■③③■} {3横33} ツモ{3}

 

 十一巡目、玄はツモった{3}を加カンしようと自身の右側へと叩き付けた。

 

「――ッ! ドラ8っていい加減にしなさいよアンタ!」

「むふふ、ドラは恋人なのです」

「とっとと振られてしまいなさい!」

 

 憧と玄はむむむ、ぐぬぬとお互いの視線で火花を散らせる。

 

「盛り上がっているところ悪いんだが……玄、そのカンは成立しないぜ?」

「……みょ!?」

 

 嶺上牌へと手を伸ばしていた玄の動きが止まった。

 そして、晴絵の手牌が倒される。

 

「ロン――チャンカンだ。タンヤオ三色ドラ1、12000」

 

晴絵手牌 ドラ:{③} カンドラ:{3}

{七七七⑦⑦⑦2444} {横777} ロン{3}

 

一位:赤土晴絵 33000(+12000)

二位:藤村初日 27000

三位:新子憧 21000

四位:松実玄 19000(-12000)

 

「――支配者が必ずしも勝つとは限らない。勉強になっただろ?」

 

 決め顔で晴絵が呟いた。

 誰もが信じて疑わなかった玄の勝利。

 それが覆えされ、教室は奇妙な静寂に包まれた。

 

「で、出たー! 赤土さんの『レジェンドロン』! 玄さんの加カンを狙い打つスナイプショットだ!」

 

 その空気を切り裂いたのは、穏乃だった。

 

「すげー! レジェンドロン!」

「私もレジェンドロンしたい所存ー」

「レジェンドロンすごい」

 

 それにならい、他の子供達も次々に驚嘆の声と憧れの感情を晴絵に向けた。

 

「恥ずかしいから止めて……ホント無理だから止めて」

 

 その晴絵のお願いは全く聞き入れられず、小一時間程レジェンドコールが鳴り響いた。

 

「レジェンドロンッ!」

「レジェンドー!」

「ちょ……止め」

「レジェンドツモッ!」

「レジェンドー!」

「マジで……恥ずい」

「グランドマスターもイチコロだぁー!」

「それは無理」

「レジェンドー!」

「ハルちゃんどうしてこんなこと……」

「レジェンドー!」

 

 

 

「玄……穏乃……憧……みんな元気にしとるかな?」

 

 初日は東の空を見上げた。

 

「初日ちゃん、そっち東京方面だよ」

「うむ」

 

 

 

 ――そして時間は流れ、五時間目の授業中。

 初日の携帯からメールを受信した事を知らせる着信音が流れた。

 

「藤村さァァァァァン? 授業中、携帯の電源は切るようにッて習ッてなかッたかしらァ?」

「ヒィッ!」

「愉快なオブジェになるのと、廊下に愉快なオブジェとして飾られるの……どッちが好み?」

「ゆ、愉快なオブジェになるのは確定ですか!?」

「うン」

 

 ――つ、ついてね……ぎにゃぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁ!

 

 

 

fm:おもちマイスター(omochi_a-z_all.love@xxx.ne.jp)

sub:Re:Fw:久しぶり、元気やった?

[本文]

お久しぶりなのです。

もう! 憧

ちゃんとアドレスを間違えるなんて失礼なのですプンプン! 

何でもっと早く連絡くれなかったの? 私は

センチメンタルな気持ちに浸っていたよ・゚・。 。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン



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21.死因、リーチタンヤオ三暗刻――裏ドラ9

インターハイ県予選女子個人戦、優勝候補に迫る

 先週の団体戦では、これが麻雀なのかと目を疑いたくなるような光景が繰り広げられた。

 初出場で優勝を成し遂げた鶴賀学園。

 その業績を讃えこそすれ、卑しめるつもりは全くないが、その試合内容は褒められたものではなかった。

 特に大将に据えられた藤村初日選手の闘牌は酷く、大雑把なものだった。

 対局数が少なく運の要素が大きい団体戦ではたまたま活躍できたが、予選で二十戦、本戦で十戦と計三十戦をこなさなければならない個人戦では全く活躍できないだろうと筆者は予測する。

 やはり、注目は風越女子高校の選手だろう。

 中でも筆者が注目しているのは二年・福路美穂子選手だ。

 団体戦では目立った収支を残していないが、強豪風越で一年からレギュラーを張っていたその地力は個人戦の長丁場でこそ発揮されるだろう。

 同じことが言えるのは一年・池田華菜選手だ。

 インターミドルで大活躍し、鳴り物入りで風越に入学。

 団体戦では前述した藤村選手に負けてしまったが、決して実力負けではないと筆者は断言する。

 風越女子が絶対王者として君臨していた理由――それが個人戦の結果を持って証明されるだろう。

(取材・文 西田順子)

 

「……」

 

 ――グシャ。

 初日は読んでいた麻雀雑誌を不機嫌そうに丸め、ゴミ箱へとダンクシュートを決めた。

 

「――全部勝つ」

 

 そして殺気を振りまきながら会場へ向けて脚を進めた。

 

「ワハハ、珍しくマジ切れしている件ー」

「というか初日が怒っているのを初めて見たような……」

 

 

 

 ――六日前、風越女子の控え室。

 

『すみませんでしたっ!』

 

 入り口で土下座する少女――池田華菜。

 取り返しが付かない事をしてしまった。

 それゆえに、自身はひたすら謝る以外の何も出来ない。

 頭を上げてくれ、お前はがんばったと言う先輩の声を無視し、池田は額を地面にこすりつけた。

 その時――、

 

『起きろ』

 

 いつもと同じく強い意志を感じさせるコーチ――久保貴子の声が聞こえた。

 貴子の指導方針は鉄拳制裁も辞さない、超スパルタ。

 池田はすぐに立ち上がった。

 そして、ああ、またぶたれるんだろうなと思いながらも貴子の前へと移動する。

 普段なら絶対にお断りだが、今は進んで殴られたいとすら思っていた。

 罰を受けていれば、今のこのみじめな気持ちを少しでも紛らわせる。

 そんな気がしていた。

 目を閉じて歯を食いしばりやがて訪れるであろう衝撃に身構えていた池田をふわりとやわらかい何かが包む。

 

(……え?)

 

 恐る恐るまぶたを開いた池田の視線に飛び込んだのは、悲痛な表情を浮かべてこちらを眺める貴子の目だった。

 このやわらかい感触は貴子の胸の様だ。

 自身の頭の後に回された貴子の両腕で池田の顔はそこに押しつけられているらしい。

 

『すまない』

『……は?』

 

 貴子の口から漏れた予想外の一言に池田は疑問符を浮かべるしかなかった。

 そして池田は、自身の感情をぶつける。

 

『な、何で……何でぶってくれないんですか!』

 

 今の自分が欲しかったのは、やさしい言葉でも励ましの声でもない。

 どうしてお前はそんなに弱いんだと厳しく責め立てる叱咤だった。

 

『あたしは! あたしは風越の伝統に泥を塗ったんですよ! どうして誰もあたしを責めてくれないんですか!? まるで――』

 

 まるで、アレに勝てないのは当たり前だと言っているみたいじゃないか……っ!

 そう続けようとした池田の口を、

 

『……何も言わなくて良い』

 

 自身の胸に押しつける事により貴子は塞いだ。

 

『――でもっ!』

 

 いつもみたいに叱って欲しかった。

 悪いのは自分で、他の誰かなら勝てていたんだと。

 そう言ってくれれば、また立ち上がり、もしも――次のチャンスがあるのならば打ち倒してみせる。

 

『……すまない』

 

 池田の悲痛な叫びに貴子はただ一言だけ返す。

 その声はどうしてか震えていた。

 

 

 

(みじめだな……)

 

 あの日の事を思い出し、震える自身の手を見て池田は笑う。

 

(今の自分には勝てない打ち手――それが存在している事を一年前知った)

 

 インターミドルでぶつかった、ナースの様な服を着た少女を思い出す。

 だが、

 

(――それはいつか乗り越えられる壁、今は勝てなくても、あたしが努力すれば勝てる様になる相手。そう思ってた)

 

 力の差は歴然だった。

 でも絶望はしなかった。

 

(……だけど、だけどあいつは)

 

 ――あたしがどんだけ努力しても届かない場所に居るんじゃないか?

 今は届かない存在ではなく、今も未来も届く事のない存在だったのではないか。

 そんな思考を始めた脳にストップをかけるべく、思いっきり自分で両の頬を平手で打つ。

 

「もう一度藤村と戦う、そして勝つ――あたしが池田華菜である為に!」

 

 絶対にあきらめない、逆境でこそ燃える女、それが池田華菜。

 自分が自分であると証明する為に、池田は牌を握る。

 

「その為に、福路先輩には悪いけど――」

 

 個人戦の予選は学校の所在地により、北ブロック・南ブロックに分けられて行われる。

 北ブロックの鶴賀学園と南ブロックの風越女子がかち合うことはまずない。

 なので、初日との対戦があるとすれば翌日の本戦が最初で最後のチャンスであろう。

 

「予選くらいトップで抜けないとな」

 

 まだまだ弱々しい、だが確実に池田の中で火が点いた。

 

 

 

「今日は初日と打てるぞー!」

 

 会場の入り口で衣は声を弾ませる。

 その姿は見た目相応の幼女にしか映らなかった。

 

「楽しみにしている所に水を差す様で申し訳ありませんが、予選は人数が多いので藤村さんと対戦できるかは微妙ですわよ?」

「透華のケチー」

「そうだそうだ、透華のケチー」

「……そう、透華はケチ。私の携帯を解約してプリペイド式に変更する必要はない……少し課金しただけで……」

 

 風情というものがわかっていないと、衣は頬を膨らませた。

 それに便乗して純と智紀も透華をおちょくる。

 

「黙らっしゃい! 誰がケチですって!? わたくしより心の広い人間は探すのが大変でしてよ? それに智紀、十万円は少しとは言いません」

 

 片手を腰に当て残った手を胸に置き、自身の心の広さを表現する透華だが、母性の象徴たる膨らみは慎ましやかだった。

 

「……全て自分の給料でまかなっている、問題ない」

「食費を削ってまでゲームの課金をする事に問題がない訳がありません!」

 

 そもそも智紀は――と、透華が説教を始めた横で、一と純は笑い合った。

 

「楽しそうにしてるよね、衣」

「ああ。何だかんだで鶴賀のロリ巨乳のおかげだな」

「ま、でも――」

「試合では容赦する気はねぇ。全力で叩きつぶす」

「だね」

 

 

 

長野県女子個人戦予選ルール

・学校の所在地により北ブロックと南ブロックに別れて行う(鶴賀・龍門渕は北、風越は南)

・喰いタンあり、後付けあり、喰い替えなし

・東風戦25000点持ち30000点返し

・順位ウマなし

・二十戦の総合収支上位64名が本戦出場

 

 

 

 長野県女子個人戦予選、東風二十戦という長丁場の折り返し地点での事だった。

 十戦を消化して+156と好成績を残していた純はホクホク顔で次の対局へと向かう。

 しかし、対局室の扉へと手を伸ばした瞬間、純の体が硬直した。

 

「――っ!」

 

 ――衝撃だった。

 現実に何かをぶつけられた訳ではない。

 しかし純は、殺気の塊とも言える何かが自身に向けられている様な錯覚に陥った。

 ゾクリと背筋に冷たい感覚が流れる。

 

「あら? オレが当たっちまったか……」

 

 感覚を凝らすと、中から何やら瘴気の様なものが溢れ出て来ている。

 無論、実際に目に映る訳ではない。

 だが、何故だか理解できる。いや、理解させられると言った方が自然かも知れない。

 純はそういうものに不慣れな人間なら卒倒してもおかしくないソレを浴びたのだが、

 

「ま、衣には悪ィが先に同伴させてもらうぜ」

 

 大して気にした様子も見せず扉を開いた。

 国広一・沢村智紀・井上純、衣の友達候補として透華が集めた三人には共通点があった。

 それは尋常ではない精神力。

 この先には自身では勝てないかも知れない相手が居る――だからどうした。今は勝てなくても、いつか勝てる様になってやる。

 全員が全員そう思えるだけのある種のハングリーさ、悪い表現をすれば蛮勇、世間知らずとも言える精神構造を持ち合わせていた。

 

「よう、恐い顔してどうしたんだ?」

 

 鬼気迫った表情で佇む初日が卓に着いていた。

 顔立ちが顔立ちなので、それほど迫力はないのだが。

 

「あっ……えっと、井上……さん?」

 

 予想外の相手が入ってきたからか初日は純を見て目を白黒させている。

 

「おう、井上さんだ」

 

 路上で激突するというベタな出会いをした二人だが、間柄は友達の友達という関係が適切。

 初日はどうやら距離感を掴めずにいるらしく、ぎこちない笑顔を浮かべている。

 そのかわいらしい見た目からは、圧倒的オーラを放っていた張本人とは想像出来なかった。

 

(それはうちのお姫様にも言える事なんだが……)

 

 魔物達は不思議と見た目が良い。 

 衣に初日、両者とも大人っぽさが足りない分マニア向けの様な気がしなくもないが。

 しかし、中身を考慮すれば、甘い蜜で獲物を誘い込む食虫植物にしか思えない。

 

(あっち系のやつにモテそうだな……何だっけ智紀が言ってたな……そう大きなお友達だ)

 

 そう失礼な事で納得しながら、純はニカっと白い歯を見せて初日に話しかける。

 

「純で良いぜ」

「じゃあ純さん」

「さんもいらねぇ」

「うん……純!」

「おうっ! これでオレ達はダチだ。でも勝負にゃ手加減は無用、全力で掛かってこい」

「もちろん!」

 

 満面の笑みで初日は答えた。

 轟。

 瘴気がうなりをあげた。

 

(しくった……お友達宣言は対局後にした方が良かったのか?)

 

 地雷を踏んだ――訳ではないが、どうも相手に必要以上のやる気を出させてしまった様だ。

 純は自身のフレンドリーさに文句を付けながら、空いた席に座る。

 

(でも――手加減されるよりはイイよな)

 

 そう純が結論を出すと同時に残り二人が姿を現した。

 

 

 

東一局0本場 ドラ:{四} 親:藤村初日

東家:藤村初日(鶴賀学園高校・一年)

南家:中山栞(西原山林高校・二年)

西家:市川望(城山商業高校・二年)

北家:井上純(龍門渕高校・一年)

 

(ん……ツイてるのかツイてねぇのか微妙だな)

 

 その性質上、後半追い上げ型になる初日が起家になったのは純にとって朗報だった。

 しかし、自身がラス親という点に不安がある。

 

(デカいのを親被りさせられたらたまんねぇ……)

 

 長期戦になればなる程、形勢は初日に向く。

 最悪のケースはオーラスの時点でトップ目と離された位置に自身が居る状態だ。

 その場合は当然、親で連荘、逆転を目指す事になる。

 

(局数が増えれば増える程、あいつに和了られる可能性が上がる……)

 

 25000点持ちで役満を和了されればほぼ逆転は不可能。

 

(決勝の猫娘と被って嫌なんだが……オレに取れる作戦は速攻逃げ切りしかねぇ)

 

 舞台は東風戦とお膳立てされてある。

 短期決戦に持ち込んで逃げ切るのが最良の策だろう。

 

一巡目純手牌

{二四五六①③③1488北北} ツモ{6} 打{1}

 

(……ありがたい。どこからでも仕掛けられる良い牌姿だぜ)

 

 {三萬・②③筒・578索}、そして{北}と仕掛けられる場所は多い。

 役牌バックか喰いタンか、どちらにせよ聴牌まではそう遠くないだろう。

 

初日 打{⑤}

栞 打{西}

望 打{8}

 

「ポン」

 

二巡目純手牌

{二四五六①③③46北北} {横888} 打{①}

 

 何の逡巡もなく、純は{8}を鳴く。

 東パツで安手を和了るのを躊躇する打ち手も居るが、和了れないよりはマシなのだ。

 そして何よりも、均衡状態を破るということに意味がある。

 

(流れに乗って、そのままズドン……だ。まあ今回はそうしないんだがな)

 

初日 打{5}

栞 打{東}

望 打{三}

 

「チー」

 

三巡目純手牌

{五六③③46北北} {横三二四} {横888} 打{北}

 

 ――数巡後。

 

「ツモ。1000・2000」

 

純手牌

{五六③③} {横234} {横三二四} {横888} ツモ{四}

 

(思ったよりも高くなったな。リードが必要ではあるんだが……)

 

 タンヤオドラドラで30符3翻の和了。

 上々の立ち上がりで流れを掴んだかに思えたが、

 

(離しすぎるのもまずい……こいつは逆境に……というか逆境で強いタイプだ)

 

 気を緩めず、右手側に座る初日に警戒の視線を送る。

 理想は四者横ばいのままでオーラスに突入、そして自身が和了って勝利する事だ。

 

(安そうなら差し込んでも良い、とにかく平らなまま進める。一局たりとも気は抜けねぇ)

 

東一局終了時点

一位29000 井上純(+4000)

二位24000 中山栞(-1000)

三位24000 市川望(-1000)

四位23000 藤村初日(-2000)

 

 

 

東二局0本場 ドラ:{④} 親:中山栞

東家:中山栞(西原山林高校・二年)

南家:市川望(城山商業高校・二年)

西家:井上純(龍門渕高校・一年)

北家:藤村初日(鶴賀学園高校・一年)

 

一巡目純手牌

{五五七②④④④1369西北} ツモ{④筒}

 

(どうかしてるぜ……)

 

 配牌でドラ3、第一ツモでドラが全部出そろった。

 通常なら狂喜乱舞したくなる様な牌姿だが、今回に限ってはあまりうれしくない。

 

(流れが……おかしい。オレが掴んでいるのは確かだが、ここまでツイているのは不自然だ)

 

 流れ麻雀を信条としている純だからこそ、何らかの意図が作用している様に感じられた。

 まるで、突き放してくれないと困ると言わんばかりに。

 

(このままじゃ和了れねぇ……あいつの思うつぼにはならない――なれない)

 

 そして純は{④}へと指を伸ばすが、一瞬考え込むとすぐに引っ込めた。

 {④}四連打までは行かなくても、わざと落として打点を下げるのは流れに逆らう事になる。

 それは純の信義の反する打牌であり、論外と言わざるを得なかった。

 ならばどうするのか――

 

「カン」

(こうするんだよ)

 

 純はドラを全てさらけ出した。

 流れを押しつけてくるのなら、全部受け止めてやる。

 それを勝利に結びつけるのが井上純の闘牌だ。

 

(前言撤回――タイマン張ってやるぜ)

 

 

 

「ノーテン」

「ノーテン」

「テンパイ」

「テンパイ」

 

 テンパイの声は純と初日のものだった。

 

流局時 ドラ:{④} カンドラ:{4・七}

純手牌

{五五七七444678} {■④④■} 

 

初日手牌

{五五九九九南南中中中} {■八八■}

 

(――っ! あっっっぶねぇ)

 

 倒された初日の手牌を見て純は冷や汗を流した。

 中途半端に高い点で和了するのがいけないのであって、勝負が決する程の高打点なら問題ないだろう。

 そう判断した純のドラ爆作戦はタンヤオドラ九を聴牌と悪くない様にも思えたが、欠点があった。

 

(あいつはドラが引けない……つまり好き放題手作りが出来るって事だ)

 

 ドラ待ちにすると、初日に当たり牌を喰われる心配はない。

 だが、逆に初日を足止めする事も出来ないと言えた。

 他家は純の満貫確定を目にすると早々にオリを選択し、初日に対する抑止力とはならなかった。

 

(……どうやっても綱渡りになるな)

 

 渡り合う事は出来る――だが、あまりにも分が悪い。

 しかし、不思議と純の口元はつり上がっていた。

 

(おもしろいじゃねぇか。こうやって策を練るのは智紀の領分だが――オレも嫌いじゃない)

 

東二局終了時点

一位30500 井上純(+1500)

二位24500 藤村初日(+1500)

三位22500 中山栞(-1500)

四位22500 市川望(-1500)

 

 

 

東三局0本場 ドラ:{⑨} 親:市川望

東家:市川望(城山商業高校・二年)

南家:井上純(龍門渕高校・一年)

西家:藤村初日(鶴賀学園高校・一年)

北家:中山栞(西原山林高校・二年)

 

(やりづらいな……)

 

一巡目純手牌

{一三四七④⑦⑨⑨⑨24白發} ツモ{②} 打{一}

 

 変わらず流れは自身の元にある。

 押しつけられている感がひしひしとするが、ドラ3が配牌と抜群だ。

 

(三色か役牌の両天秤……と行きたいんだが)

 

 ――満貫では小さすぎるし大きすぎる。

 初日から逃げ切るには少ないし、初日にブーストをかけるには十分な打点だ。

 後者についてはおぼろげにしか理解していないが、ただ何となく良くないだろうと純の感覚が訴えている。

 

(危険は承知――もう一度ドラ爆で攻める)

 

 しかし、それを実現するならば、カンをする必要がある。

 山のどこかに眠る{⑨筒}。

 初日がツモれないにしても、自分がツモれる確率は三分の一でしかない。

 その三分の一の抽選をくぐり抜けたとしていつツモれるのか。

 浅い場所で待ち構えているのか、深い場所に眠っているのか。

 あまりにも不確定要素が強すぎて作戦とも言えないレベルの策。

 だが、純には自信があった。

 

(何にせよ流れはオレと共にある……だから)

 

 流れの存在を確かにこの身で感じる。

 「オカルトだ、ありえない」そう一蹴される事も多かったが、今の今までその感覚は確かに純を助け続けてくれている。

 

(――オレがツモる)

 

二巡目純手牌

{三四七②④⑦⑨⑨⑨24白發} ツモ{⑨}

 

「カン」

 

 そして再び、遙か高き峰へと手を伸ばす。

 同時にめくられたカンドラ表示牌は{八}、新ドラは{九}となった。

 

(悪くねぇな――)

 

純手牌

{三四七②④⑦24白發} {■⑨⑨■} 嶺上ツモ{九}

 

(これもオレが全部もらう)

 

 

 

 ――六時間後。

 巨大掲示板の前で銀髪の麗人が頭を抱えて絶叫していた。

 

「ぐあああああああ!? オレが一番下かよっ!」

 

4位 龍門渕透華 龍門渕高校 +275

5位 国広一 龍門渕高校 +262

6位 池田華菜 風越女子高校 +261

7位 加治木ゆみ 鶴賀学園高校 +259

8位 沢村智紀 龍門渕高校 +238

9位 井上純 龍門渕高校 +230

 

「……次鋒に負ける先鋒(笑)が居ると聞いて」

「うるせー! 智紀もほとんど変わらないじゃねぇか!」

「……勝ちは勝ち。負けは負け」

「ちくしょう! 何も言い返せない……」

 

 珍しく饒舌な智紀に純が必死で反論するも即撃沈。

 純は一へと助け船を求めた。

 

「純くんは十一回戦の-33がねぇ……あれがなかったら透華の位置に居たかもよ?」

「うわあああああああ!? その話は止めてくれ!?」

 

 一はケラケラと笑う。

 女性にこの表現はどうかと思うが、男気溢れる頼りになるお姉さんだった友人。

 珍しく見せた弱み――本気で思い出したくないらしい傷口を抉るのは何だか楽しかった。

 

「……もう一つカンだ」

「ぎゃあああああああ!?」

 

 ボソッと純の耳元で智紀が呟いた。

 

「も、もう止してくれ……」

「わかった。これを見て」

「何……ぬわああああああああ!?」

 

 智紀が差し出したノートパソコンの画面に映っていたのはある一局の終末。

 

十一回戦結果(南家井上純のトビにより東3局にて終了)

一位55500 中山栞(+33000)

二位24500 藤村初日

三位22500 市川望

四位-2500 井上純(-33000)

 

「バカの一つ覚えみたいにカンをするから、ノーマークの相手に出し抜かれるんですわ」

「ぐはぁ!?」

 

 透華の台詞が止めとなり、純は言葉を発しなくなった。

 

 

 

 ――十巡目。

 純の対面の少女――中山栞がリーチ宣言をした。

 

「リーチ」

 

栞捨て牌

{南西白八七}

{北7中横⑤}

 

十一巡目純手牌

{三四九九九②②④24} {■⑨⑨■} ツモ{九}

 

(ここで引いたら腰抜けだぜ)

 

 未だ一聴向ではあるが、八枚目のドラを掴んで純は不敵に笑う。

 

「もう一つカンだ」

 

十一巡目純手牌

{三四②②④24} {■九九■} {■⑨⑨■} 嶺上ツモ{3}

 

 めくられたカンドラ表示牌は{①}、新ドラは{②}となった。

 

(ドラ10! 誰かにぶち当てればその瞬間オレの勝ちだ――!)

「リーチ」

 

 純はなんらの躊躇も見せず、無スジの④筒を打ってリーチをかけた。

 三倍満が確定した手ならリーチが相手だろうが引く必要はない。

 

十二巡目純手牌

{三四②②234} {■九九■} {■⑨⑨■} ツモ{六} 

 

(あいつもいるしツモには期待してねぇ……誰でもいい――出せ)

 

打{六}

 

 ノータイムでツモ切られた六萬に対面から声が掛かった。

 

「ロンです」

「げっ……」

「リーチタンヤオ三暗刻」

 

中山栞手牌

{三三三四五③③③⑧⑧⑧22} ロン{六}

 

(満貫か……ちょっと厳しくなったな……)

 

 相手の手牌はリーチタンヤオ三暗刻の満貫。

 純がもったいなかったなと現実逃避していると、目の前で裏ドラがめくられていく。

 

(まあ何とかするしか……)

 

 オーラスに向けて気持ちを切り替えていると、予想外の事態に思わず声をあげる。

 

「何ィ!?」

 

 裏ドラ表示牌一枚目、{二萬}。

 合計7翻で跳満。

 

(っ!? 跳満だと!?)

 

 裏ドラ表示牌二枚目、{二萬}。

 合計十翻で倍満。

 

(……え?)

 

 裏ドラ表示牌三枚目、{二萬}。

 合計十三翻は――数え役満。

 

(……は?)

 

「――裏9。32000!」

 

 死因、リーチタンヤオ三暗刻――裏ドラ9。

 

 

 

 ――龍門渕高校麻雀部による寄席が開かれる時間から遡る事数分。

 

「ワハハ、酷い蹂躙を見た……」

 

 いつもの半笑いを浮かべながら蒲原が見つめる先には、個人戦一日目の順位表があった。

 

1位 天江衣 龍門渕高校 +945

2位 藤村初日 鶴賀学園高校 +416

3位 福路美穂子 風越女子高校 +282

4位 龍門渕透華 龍門渕高校 +275

5位 国広一 龍門渕高校 +262

6位 池田華菜 風越女子高校 +261

7位 加治木ゆみ 鶴賀学園高校 +259

8位 沢村智紀 龍門渕高校 +238

9位 井上純 龍門渕高校 +230

26位 蒲原智美 鶴賀学園高校 +191

63位 津山睦月 鶴賀学園高校 +84

64位 妹尾佳織 鶴賀学園高校 +82

 

 正に龍門渕無双。

 向かうところ敵なしといった様子である。

 

「あっ、あった……」

「ギ、ギリギリセーフ?」

 

 ランキングに自身の名前を発見した睦月は安堵の吐息を漏らし、佳織は微妙な表情を浮かべる。

 両者ともに殆ど強者とぶつからなかった事が好成績に繋がった様だ。

 また、県内屈指の部員数を誇り、その質も高い風越が別ブロックだったのも良い方向に働いた。

 

「なあユミちん」

「何だ?」

「私さー、今日はかなり調子良いなーって思ってたんだ」

「奇遇だな蒲原、私もだ」

「でもさー上の方を見ると……+945って二十連勝しても無理じゃ……」

「……理論上は可能だ。毎回六万点近く叩き出せば……だが」

「それは無理だろー。やっぱり夢なのか? むっきーと佳織の名前がなぜかランクインしてるし……」

「蒲原、これは現実だ。それに睦月と佳織の二人は良くがんばったと褒めるべきだろう」

「……今日は早く寝てこの事は忘れよう、ワハハ」



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22.あきらめの悪い女

長野県女子個人戦本戦ルール

・喰いタンあり、後付けあり、喰い替えなし

・東南戦25000点持ち30000点返し

・順位ウマなし

・十戦の総合収支上位3名が全国行き

 

 

 

(今頃、福路先輩は魑魅魍魎の巣窟へと入ったのかな……)

 

 敬愛する先輩が、魔物達の巣へと旅立った。

 一刻も早く自身も駆けつけたい所だが、それは叶わない。

 

(ま、どうせどっかで当たる。その時まで、その後も)

 

 ――勝ち続ければ良い。

 

(風越の底力、見せつけてやるし!)

 

 先週、完膚無き敗北を叩き付けられた。

 だからもう負けられない。

 勝ち続ける事で信頼を取り戻し、実績を積み重ねる。

 

長野県女子個人戦本戦・一回戦・B卓

東一局0本場 ドラ:{一} 親:加治木ゆみ(鶴賀学園高校・二年)

東家:加治木ゆみ(鶴賀学園高校・二年)

南家:沢村智紀(龍門渕高校・一年)

西家:池田華菜(風越女子高校・一年)

北家:国広一(龍門渕高校・一年)

 

 この組み合わせは、残念賞みたいなものである。

 それをこの卓に座る誰もが理解していた。

 

A卓 ①②③④

B卓 ⑤⑥⑦⑧

C卓 ⑨~~~

D卓 ~~~~

・卓 ~~~~

・卓 ~~~~

 

 初戦は上記の様に予選順位で組み合わせられる。

 今回の個人戦、勝ち抜けるのは誰なのか。

 誰もがそれを否応なく理解させられていた。

 破竹の二十連勝を飾った天江衣、+400オーバーの好成績を残した藤村初日。

 この二人が、東風戦から東南戦に変わった程度で成績が落ちる訳もない。

 だから残された席はたった一つ。

 その残された席も、予選三位の福路美穂子、四位の龍門渕透華が押さえてしまう可能性が高い。

 というのが大方の見解だった。

 

(……どいつもこいつもあきらめの悪い女だ)

 

 無論、そのあきらめの悪い女には池田自身も含まれているのだが。

 右にも左にも正面にも、闘志で目をギラつかせた少女が座っている。

 彼女達もわかっているはずなのに――あいつらは次元が違う――と。

 

(だからどうした、負けられない戦いがある)

 

一巡目池田手牌

{二四五②⑨146799北發} ツモ{西}

 

(ちょっとキツイし……)

 

 染めるには遠く、しかしそれ以外の役は付けられそうにない牌姿。

 

(とりあえず……これか?)

 

 池田は{⑨}を打った。

 

(ツモ次第だな……染められそうなら{四五}落とし、無理っぽかったら字牌を落とそう)

 

 

 

一巡目一手牌

{一一二五六七①②④⑨3北發} ツモ{③} 打{⑨}

 

 手牌へと手を伸ばすと、ちゃりちゃりという鎖の擦れ合う音が鳴った。

 一の両の手は、腰から伸びる鎖によって動きに制限が加えられている。

 

(んっ……この不便さにも何だか慣れてきたなあ)

 

 ボクってヤバイ趣味があるのかも……と自身に危ない属性が付いて来た事を自覚し、一は苦笑した。

 安心して欲しい、「あるのかも」ではなく「ある」のである。

 布きれの様にしか思えない奇抜な私服、間違いなく彼女以外には着こなせないであろう。

 

二巡目一手牌

{一一二五六七①②③④3北發} ツモ{⑥} 打{發}

 

(透華と離れるのって久しぶりだなあ……)

 

 昨夏、身売りだかスカウトだか誘拐だか、自分でもよく分からない事情によって龍門渕家に入った。

 そして衣の遊び相手兼透華の専属メイドとして勤め上げてきた。

 どこに行くにも一緒で、当然学校でも同じクラスだった。

 

三巡目一手牌

{一一二五六七①②③④⑥3北} ツモ{5} 打{北}

 

(新鮮な様で……何だかちょっぴり寂しいかも)

 

 思い返せば、一年近く透華と離れた事はなかったのかも知れない。

 

四巡目一手牌

{一一二五六七①②③④⑥35} ツモ{6} 打{3}

 

(でも――ここに透華を感じる)

 

 鎖に目を向ける。

 恥ずかしい麻雀は打たない――打てない。

 

五巡目一手牌

{一一二五六七①②③④⑥56} ツモ{⑤}

 

「リーチ!」

 

 一は{二}を曲げる。

 

(最初っから全力で――正攻法なボクで行く!)

 

 

 

六巡目智紀手牌

{二三五③④④④⑧⑧⑧789} ツモ{6}

 

(タンヤオ……)

 

 智紀は{9}を逡巡する事なく切った。

 幺九牌とはいえ無スジの危険牌だが、智紀には関係のない事だった。

 待ちは{一四・14・25}のどれかだと決めつけていたから。

 智紀の麻雀は意外と攻撃的である。

 他家から聴牌気配が漂って来ても、基本的にベタオリはしない。

 一点読みなぞまず不可能、それを数点に増やした所で結論は同じである。

 それを智紀も理解はしている。

 だが、それでも彼女は他家の手牌を想像し、絶対に切れないと自分で決めた牌以外は問答無用で打つのだ。

 当然、放銃率は高くなるが、その反面和了率も高くなる。

 

七巡目智紀手牌

{二三五③④④④⑧⑧⑧678} ツモ{一}

 

「リーチ」

 

 三面張とはいえたかが2600点の手、それでも片スジの{五}を打つ事に躊躇はなかった。

 

「――ッ」

 

 誰かの声なき叫びが聞こえた。

 だが、それは和了の発声ではない。

 

池田 打{五}

 

 池田が苦渋の表情で五萬を合わせ打った。

 

(勝った……)

 

 その時、智紀は己の勝利を確信した。

 この局、和了るのは自分だと。

 智紀が麻雀というゲームに触れて、ほんの数か月の時間しか経っていない。

 だがその中で、自分なりの麻雀の本質というものを智紀は見つけた。

 

(――麻雀はいかに相手をオリさせるかというもの)

 

 だから、これで良い。

 例えこの局、振り込んだとしても、自分の中では間違いではないと結論が出ていた。

 

一 打{②}

 

「ロン。一発で5200」

「うっ……やるね」

 

七巡目智紀手牌

{一二三③④④④⑧⑧⑧678} ロン{②}

 

 目の前に置かれた点棒を手にし、智紀は少しだけ表情を緩める。

 それは、見慣れない人からするとただの無表情に映ったが、見知ったものからは最大限のしたり顔であると認識されてた。

 

東一局終了時点

一位31200 沢村智紀(+6200)

二位25000 加治木ゆみ

三位25000 池田華菜

四位18800 国広一(-6200)

 

 

 

長野県女子個人戦本戦・一回戦・B卓

東二局0本場 ドラ:{九} 親:沢村智紀(龍門渕高校・一年)

東家:沢村智紀(龍門渕高校・一年)

南家:池田華菜(風越女子高校・一年)

西家:国広一(龍門渕高校・一年)

北家:加治木ゆみ(鶴賀学園高校・二年)

 

十巡目池田手牌

{三四五九九②②③⑦⑧666} ツモ{⑨}

 

(追いついた……! 子のリーチにビビる訳にはいかないし!)

 

 ドラは自身で二枚使っている。

 もし、加治木の手に残り二枚があったとしても、他に手役がなければ打点は知れている。

 

(さて問題はどちらを切るか……)

 

加治木捨て牌

{南③西一東7}

{白横5西}

 

 加治木の現物である{③}を打てば振り込みの心配はゼロだ。

 だが、当たり牌が二種四枚しかなく、追っかけリーチをするには心許ない。

 今回が安全でも、次巡以降、自身が和了る牌を引く確率よりも、放銃する牌を引く確率の方が高くなりそうだ。

 危険性はあるが{②}を打てば、{①④}の二種八枚と、当たり牌は倍増。和了率も当然高くなる。

 

「通らばリーチ!」

(当然、和了れそうな方だし!)

 

 池田は勢いよく{②}を打った。

 しかし、同時に加治木が手牌を倒す。

 

「ロン。裏1で7700」

「……はい」

 

加治木手牌

{二三四五六七③④⑥⑦⑧33} ロン{②}

 

(……昭和かよ。何でその牌姿で{③}を序盤に落とすんだ?)

 

 疑問符を付けているが、池田自身理解出来ていない訳ではない。

 「序盤に切られた牌の外側は比較的安全である」というセオリーを利用して出和了りを狙う先切りだろう。

 だが、それは現代のデジタル麻雀では悪手と言われる打ち方である。

 例え出和了り率が上昇したとしても、聴牌率そのものが下がったのでは意味がないからだ。

 

(化石に負ける訳にはいかないし)

 

東二局終了時点

一位32700 加治木ゆみ(+7700)

二位31200 沢村智紀

三位18800 国広一

四位17300 池田華菜(-7700)

 

 

 

長野県女子個人戦本戦・一回戦・B卓

東三局0本場 ドラ:{⑨} 親:池田華菜(風越女子高校・一年)

東家:池田華菜(風越女子高校・一年)

南家:国広一(龍門渕高校・一年)

西家:加治木ゆみ(鶴賀学園高校・二年)

北家:沢村智紀(龍門渕高校・一年)

 

四巡目池田手牌

{一二三五六七④⑤⑤⑨⑨33} ツモ{2}

 

(ん……これは)

 

 池田は少し考え込んで、{3}を打った。

 この牌姿なら、最良の手は{⑨}を重ねてリーチドラ3、もしくは{③⑥}を引いてのメンピンドラドラだろう。

 どちらにせよ、両面待ちで最弱の部類に入る{③⑥}待ちと、逆に最強の部類の{14}待ちなら、後者を最終形にしたい。

 だから、{④⑤⑤}が先に埋まる確率を上げる為に{3}を打ったのだ。

 しかし――

 

「ロン。5200」

「……はい」

 

 一が手牌を晒す。

 

四巡目一手牌

{1255789北北北} {横東東東} ロン{3}

 

(早い! スピードには自信がある方だけど、ここまで早いとどうにもならないし!)

 

 冷や汗が流れる。

 どうにも巡り合わせが悪い。

 決して自分の手牌が悪い訳ではないのだが、それよりも先に他家が聴牌してしまう。

 そして自分の余剰牌がことごとく当たり牌となってしまう。

 

(半ヅキってやつかなあ……でもまだメゲない。あの時と比べりゃずいぶんマシだし)

 

 オーラスで九万点差という絶望的状況。

 それと比較すれば、今回は僅か二万点とちょっとの差である。

 

(ちょっと感覚が麻痺してる気がするけど……)

 

 楽しむ事・へこまない事。

 大事な先輩に教えて貰った心構え。

 そのどちらも忘れはしない。

 

(福路先輩……華菜ちゃんはあきらめません)

 

 すうっと大きく息を胸に溜め込んだ。

 そして、全てを解放する。

 

「にゃああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 思いっきり叫ぶ。

 ただそれだけで、体が軽くなった。

 

「さあ、東ラスと行こうか!」

「……うるさい」

「うるさいよ……」

「あー、気持ちはわからなくもないが……うるさい」

「ご、ごめんなさい」

 

東三局終了時点

一位32700 加治木ゆみ

二位31200 沢村智紀

三位24000 国広一(+5200)

四位12100 池田華菜(-5200)

 

 

 

 ――時を十数分遡る。

 第一回戦のA卓には、誰もが同卓を躊躇したくなる様なメンバーが集っていた。

 そこには、金色の頭が三つ、黒色の頭が一つ。

 

 一人は、おっとりとした表情の下に、燃えたぎる闘争心を隠し持つ少女。

 風越が敗退したという事実、それは仕方がない。

 稼げなかった自分が悪かったのだと無理矢理気持ちに整理を付けた。

 だが、大事な後輩が傷ついた事、それだけはどうしても許せなかった。

 

(華菜の敵討ち……させてもらいましょうか)

 

 一人は、童女の様に柔らかい笑みの下に、獰猛な魔物を隠す少女。

 久しく忘れていた麻雀が楽しいという感情。

 それを思い出させてくれた新たな友、そして見守ってくれた家族。

 恩に報いる為にも、自身は最強である必要があった。

 

(……奇幻な打ち手が揃ったな)

 

 一人は、苦笑いを浮かべつつも、悪くないなと口元を吊り上げる少女。

 自分を変えてくれた麻雀というゲーム。

 不運な体質を生かせる唯一と言っても良い舞台。

 そこで負けて帰る等という情けない真似は出来なかった。

 

(ついてねぇ……周り強すぎやろ……)

 

 一人は、優雅に髪をかき上げて、好戦的な笑顔を向ける少女。

 ただ自分の道を突き進むゴーイングマイウェイなお嬢様。

 孤独な従姉妹を助けるという目的は達成された。

 後は自分自身の力を証明するだけである。

 

(イケてますわ! このメンバーを相手に華麗なる勝利を収めれば、わたくし目立ちまくりですの!)

 

 四人が四人、確信していた。

 

 ――勝つのは自分だ。

 

長野県女子個人戦本戦・一回戦・A卓

東一局0本場 ドラ:{六} 親:福路美穂子

東家:福路美穂子(風越女子高校・二年)

南家:天江衣(龍門渕高校・一年)

西家:藤村初日(鶴賀学園高校・一年)

北家:龍門渕透華(龍門渕高校・一年)

 

 達人が、魔物達が、山へと手を伸ばす。

 大地は裂け、

 

「ロン。9600」

 

{六六九②②③③5588中中} ロン{九}

 

東家:福路美穂子 34600(+9600)

南家:天江衣 25000

西家:藤村初日 15400(-9600)

北家:龍門渕透華 25000

 

 ――東一局1本場。

 風が哭き、

 

「ツモ。3100・6100」

 

衣手牌

{1115557999} {中中横中} ツモ{7}

 

東家:福路美穂子 28500(-6100)

南家:天江衣 37300(+12300)

西家:藤村初日 12300(-3100)

北家:龍門渕透華 21900(-3100)

 

 ――東二局0本場。

 雲は吹き飛ぶ。

 

「ツモ。6000・12000」

 

初日手牌

{一一一東東白白} {發横發發} {横中中中} ツモ{東}

 

東家:天江衣 25300(-12000)

南家:藤村初日 36300(+24000)

西家:龍門渕透華 15900(-6000)

北家:福路美穂子 22500(-6000)

 

 ――東三局0本場。

 そんな死闘の最中、

 

(――ッ! わたくし……わたくしこのままじゃ完全に空気ですの!)

 

 燃えたぎる感情とは裏腹に、彼女は氷の様に冷たくなる。

 

(そんな事……絶対に我慢出来ません――!)

 

 地中深くで眠れる龍が目を覚ました――。



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23.前傾姿勢

長野県女子個人戦本戦・一回戦・B卓

東四局0本場 ドラ:{3} 親:国広一(龍門渕高校・一年)

東家:国広一(龍門渕高校・一年)

南家:加治木ゆみ(鶴賀学園高校・二年)

西家:沢村智紀(龍門渕高校・一年)

北家:池田華菜(風越女子高校・一年)

 

(心機一転……とは言っても点棒が戻ってくる訳ないんだけど)

 

 それはそれ、これはこれ。

 ダンラスとはいえ、点差は二万点をちょっと超える程度。

 調子が悪いときというのは何をしてもうまく行かず、逆の場合は何でもうまく行く。

 それが麻雀というものである。

 

一巡目池田手牌

{七八③⑧⑧⑨12567北中} ツモ{6}

 

(……わるくないじゃないか)

 

 池田は笑う。人はそれを空元気と言うのかも知れない。

 だが、まずは形から入る――気持ちだけでも優位に立つ――というのは、心理戦の要素が含まれる麻雀では重要な点だ。

 自分が逃げ出そうとする度に、呼び止めてくれる先輩の姿が網膜に焼き付いている。

 

(どんな苦境に立たされていようと、前に進まなきゃ何も解決しない)

 

 何の変哲もない三聴向の配牌。

 平和ドラ1が精一杯だろうという牌姿。

 

(リーチして一発でツモって裏のせりゃ――ほら、跳満まで見える)

 

 あまりにも馬鹿げた仮定。

 だが、池田は不可能だとはこれっぽっちも思っていない。

 

(和了るぞ~跳満!)

 

 少し、出遅れた。

 だが、それを挽回するだけのスピードを彼女は秘めている。

 静かに目覚めた野生が、卓上を駆けめぐる。

 

 

 

(やっかいなのが立ち直ったな……折れてくれていれば大助かりだったんだが)

 

 あの咆哮により、折れかけた心がすっかり立ち直ってしまった。

 麻雀歴一年にも満たない自分と卓を囲んでいるのは、名門である風越や龍門渕の選手。

 

(格上しかいない環境……せめて精神的には優位に立っておきたかった)

 

 とはいえ、現時点でのトップは加治木である。

 点数的に優位な立場にいる現状で、これ以上を願うのは高望みというものだろう。

 

二巡目加治木手牌

{二三六九⑤⑥⑥⑧157西白} ツモ{4}

 

(幺九牌の処理が終わる頃に何とか勝負が形になってくれれば良いが)

 

打{西}

 

 

 

二巡目智紀手牌

{四五五七八②④⑥⑥3東白發} ツモ{發}

 

(……重なった)

 

 喰いタンか役牌か、両天秤に構えていた手牌が役牌に大きく傾いた。

 {六}を鳴ければ、喰いタンが勝るかも知れないが、現状では發バックが優勢だろう。

 

(……發叩いてドラくっつき待ち)

 

打{東}

 

 

 

三巡目一手牌

{一一四五②③⑦⑧⑨4479} ツモ{3}

 

(面子オーバーでぶっくぶく……こんなときって大抵他家が早いんだよね……)

 

 悪くはない牌姿だが、何とも嫌な予感が一を襲った。

 喰い仕掛けの効かない平和系の手牌。

 いくら有効牌の枚数が多いとはいえ、スピード負けしてしまいそうな不安があった。

 

({79}を払っても良いんだけど――ドラ生かしたいしこっちで)

 

打{4}

 

 

 

「きたきたきた~! リーチだし!」

 

 八巡目、池田が勢い良く牌を曲げた。

 

捨て牌

東家:国広一 {■■■■■■■■■■■■■}

{八中4西97}

{⑦東}

 

西家:沢村智紀 {■■■■■■■■■■} {發横發發}

{南東9白②①}

{二⑥}

 

北家:池田華菜 {■■■■■■■■■■■■■}

{北中③⑨1南}

{①横2}

 

(くっ、先制されたか……)

 

同巡加治木手牌

{二三六七⑤⑥⑥⑧45567} ツモ{四}

 

(現物なし……さて、どうする)

 

 押すか、引くか――。

 両スジの{⑥}、三枚壁の{⑧}と安牌らしきものは三枚ある。

 一般的に安牌がこれだけあればオリ切る事が可能だと言われる枚数だ。

 常識的に考えれば、オリるべきだろう。

 振り込みさえしなければ、三倍満以上のツモ和了りをされない限り、加治木はトップのまま南場に突入できる。

 

(だが、相手はあの池田華菜だ)

 

 全中で大活躍し、先週の団体戦でも前半は初日を押さえて大立ち回り。

 凡人である(と加治木は思っている)自分には持っていない何かを秘めている打ち手。

 ベタオリすれば流れに乗せてしまうのではないかと、加治木は憂慮した。

 

(そうなれば、私は追いつけない。だから、攻めの姿勢を貫く必要がある)

 

 トップに立っていようと、逆転されるのが決まり切っているのならば意味はない。

 だから一歩たりとも退いてはならない。

 池田に誇示する必要がある。

 私はお前から逃げないぞと。

 加治木は、自身が運が悪い方だと思っていた。

 だからこそ、他人から見れば出和了りに固執しているかのような打ち方を好む。

 ツモ和了りは運に左右される。だが、出和了りは技術でどうにでもなると。

 

(押し通す――!)

 

打{⑤}

 

 危険を承知で、{⑧}ではなくあえて{⑤}を打った。

 不合理的な行動だとはわかっている。

 だがこれが加治木に出来る精一杯の抵抗。

 表情は動かさない。

 「危険を承知で攻めている」ではなく、「完全に安牌と思って{⑤}を打った」ように周りに見せる。

 発声は――なかった。

 

(これで、良い。例え一発でツモられようと、ヤツの心にほんの小さなしこりが残れば)

 

 ――私の勝ちだ。

 

 

 

「一発ツモ! メンタンピン一盃口」

 

 高らかに、したり顔で池田が宣言する。

 そして、手元に持ってきた裏ドラ表示牌を表側へひっくり返すと露わになったのは{⑦}。

 

九巡目池田手牌 ドラ:{3} 裏ドラ:{⑧}

{五六七七八⑧⑧556677} ツモ{六}

 

「裏々で4000・8000――仕切り直しだ」

 

東家:国広一 16000(-8000)

南家:加治木ゆみ 28700(-4000)

西家:沢村智紀 27200(-4000)

北家:池田華菜 28100(+16000)

 

 

 

長野県女子個人戦本戦・一回戦・B卓

南一局0本場 ドラ:{九} 親:加治木ゆみ(鶴賀学園高校・二年)

東家:加治木ゆみ(鶴賀学園高校・二年)

南家:沢村智紀(龍門渕高校・一年)

西家:池田華菜(風越女子高校・一年)

北家:国広一(龍門渕高校・一年)

 

 池田の言う通り、場は平たくなった。

 唯一国広一――自分自身――を除いて。

 

(好き勝手してくれるなあ、もう)

 

 目を爛々と輝かせる池田を少しばかり鋭い視線で睨む。

 そして、息を大きく吸い込み、自身の手牌へと目線を落とした。

 

(ボクは自分を曲げない……仲間に信じてもらえるような人間になるために、まずは自分自身を信じる)

 

 たった一度のあやまちにより、全てを失った小学生時代。

 そんな自分が、今再び卓に戻ってきた。

 もう間違えない、真っ直ぐに突き進むんだと胸に刻む(胸はないが)。

 

(セオリーとしては大きめの手をトップ目に親被りさせたい場面だけど……)

 

一巡目一手牌

{五七①①③⑧⑨1357南中} ツモ{4}

 

(この牌姿でどうしろって言うのさ……)

 

 第一ツモで一面子完成したとはいえ、良形搭子は存在しないバラバラの手牌。

 とても面前で和了まで辿り着けるとは思えず、{⑧⑨}を払って役牌の重なりに期待するしかなさそうだが、

 

(いいさ、やってみようじゃないか)

 

一 打{中}

 

 一はその貴重な役牌を第一打に選択した。

 

(親が残っているとは言っても、この点差で千点の手を和了るのはごめんだね)

 

 あくまでも一の目標は面前で進めてのリーチ、そしてツモだ。

 だからこそ有効牌の少ない字牌は邪魔者でしかない。

 

(なんでだろうね……どうしようもないピンチだっていうのに、異様なくらい冷静に場を視られる)

 

 

 

「リーチ!」

 

一捨て牌

{中南西③1白}

{1横五}

 

 このときを待っていたと言わんばかりに一が牌を曲げる。

 その双眼は加治木を強く射抜いていた。

 

(先制された――が、スピードだけなら私も負けていないっ!)

 

 加治木は素早く手牌を倒す。

 

「チー」

 

九巡目加治木手牌

{二三四六①②③④456} {横五六七} 打{①}

 

(待ちは悪い……だが、張っているのと一聴向では天と地ほどの差がある)

 

 どんなに愚形だろうと聴牌さえしていれば和了れる可能性がある。

 だが、いくら良形だったとしても一聴向では和了れないのだ。

 

 

 

(一発消し?)

 

 即座にリーチ宣言牌を奪い取った加治木。

 被ツモ失点の大きい親が一発を消すのは当然の行動にも思えたが、

 

(いや、そんなに素直な人じゃないな。たぶん追いつかれた)

 

 ――だけど、勝つのはボクだ。

 

「ツモ」

 

一手牌

{七九①①⑦⑧⑨345789} ツモ{八}

 

「残念、裏は乗らず――2000・4000」

 

 未だ一は最下位のまま、だがそれでもトップとの差はたったの2100点。

 

(捕まえたよ)

 

 確かな手応えとともに点棒を回収した。

 

東家:加治木ゆみ 24700(-4000)

南家:沢村智紀 25200(-2000)

西家:池田華菜 26100(-2000)

北家:国広一 24000(+8000)

 

 

 

長野県女子個人戦本戦・一回戦・B卓

南二局0本場 ドラ:{⑧} 親:沢村智紀(龍門渕高校・一年)

東家:沢村智紀(龍門渕高校・一年)

南家:池田華菜(風越女子高校・一年)

西家:国広一(龍門渕高校・一年)

北家:加治木ゆみ(鶴賀学園高校・二年)

 

六巡目池田手牌

{三四九九③⑤⑤111345} ツモ{④}

 

(おっ、良いとこ引いたし!)

 

 三色確定となる{五}、良形の待ち確定となる{④}が理想だったが、思惑通りに進む手に池田は顔を綻ばせる。

 

捨て牌

東家:沢村智紀 {■■■■■■■■■■■■■}

{九南⑦西④①}

 

西家:国広一 {■■■■■■■■■■■■■}

{北南白西東}

 

北家:加治木ゆみ {■■■■■■■■■■■■■}

{北中③二四}

 

(曲げない手はないし!)

 

 幸い誰も仕掛けていない。

 安目だとリーのみだが、それでも序盤ならイケイケである。

 ピンッとネコミミを立たせ、{⑤}を手に取った。

 しかし――

 

「いよっし、リー」「ロン。2000点」

 

同巡加治木手牌

{一一二二三三④④⑥⑦678} ロン{⑤}

 

「うっ……はい」

 

 捨て牌一列目という序盤にも関わらずダマを選択した加治木の平和・一盃口に突き刺さった。

 

(どうして高め3900止まりの手でリーチしない?)

 

 

 

(とか思ってそうな顔だな)

 

 確かにドラ含みの好形の待ちである。

 リーチして他家がオリても十分ツモが狙えるし、満貫まで十分見える。

 

(だが、沢村の打{⑦}……あれはドラ含みの面子を固定したものだろう。両面固定ならまだしも、雀頭固定だったり、暗刻持ちだったら目も当てられない)

 

 第一打、第二打で浮いている一九牌字牌を処理。

 それは至って普通の捨て牌だが、その次の{⑦}があまりにも不自然。

 ドラ側を序盤に捨てたということは、よほど早いか、既にドラを複数持っているかのどちらかだ。

 すなわち、{⑤⑧}が山には非常に薄い待ちだった可能性も高いと加治木は読んでいた。

 だからリーチはかけない。

 他家がこぼすその瞬間を狙い撃つために。

 

(役有りでリーチされると満貫~跳満、それを和了られると親番のもうない私では巻き返せなくなってしまう)

 

 また一つ危機を乗り越えた。

 加治木は、ふぅ、と安堵の息を漏らす。

 

(残り二局、全力で駆け抜ける!)

 

東家:沢村智紀 25200

南家:池田華菜 24100(-2000)

西家:国広一 24000

北家:加治木ゆみ 26700(+2000)

 

 

 

長野県女子個人戦本戦・一回戦・B卓

南三局0本場 ドラ:{⑧} 親:池田華菜(風越女子高校・一年)

東家:池田華菜(風越女子高校・一年)

南家:国広一(龍門渕高校・一年)

西家:加治木ゆみ(鶴賀学園高校・二年)

北家:沢村智紀(龍門渕高校・一年)

 

「リーチだしっ!」

 

 七巡目、池田から親リーがかかった。

 

捨て牌

東家:池田華菜 {■■■■■■■■■■■■■}

{東9發南横三}

 

南家:国広一 {■■■■■■■■■■■■■}

{北南東中8}

 

西家:加治木ゆみ {■■■■■■■■■■■■■}

{7③⑥發}

 

北家:沢村智紀 {■■■■■■■} {横六六六} {22横2}

{9西南白西8}

{五}

 

一 打{西}

 

加治木 打{1}

 

八巡目智紀手牌

{⑤⑤44456} ツモ{⑦} {横六六六} {22横2}

 

(安牌なし……だけど、親の待ちは{一四}、{二五}、{36}のどれか。他は全部押す)

 

 智紀は池田の捨て牌から牌姿を想像、そして待ちを読むと容赦なく{⑦}を叩き切った。

 

(……攻めるためには勇気が必要)

 

 そうだ、誰だって敵陣に乗り込むのは恐い。

 

(……勇気を出すためには根拠が必要)

 

 そうだ、根拠なき勇気は蛮勇に他ならない。

 

(だから私は根拠を作る――それが合っているかどうかは関係ない!)

 

 

 

(ちょっとは逡巡したりしないか? フツー)

 

 ドラ側の{⑦}を躊躇なく捨てた智紀に若干の畏怖を覚えた。

 

(とはいえ華菜ちゃんピンチだしっ! オリてくれた方が出やすい待ちなんだよなあ……)

 

八巡目池田手牌

{一一五六七七九⑥⑦⑧333} ツモ{二}

 

 智紀のポンでできた壁により、当たり牌の{八}は一見安全そうな牌に見える。

 現物や字牌を切らした他家が零すのは時間の問題にも思えたが、攻めてくるものがいるのなら話は別だ。

 待ちの枚数の少ない池田が相対的に不利になってしまう。

 

(こんのバーサーカーめ! 親リーが恐くないのか!?)

 

 

 

(……恐い、すごく恐い。でも、だからこそ私は――)

 

「ツモ。300・500」

 

九巡目智紀手牌

{⑤⑤44456} ツモ{7} {横六六六} {22横2}

 

(――前に進むことができる)

 

東家:池田華菜 22600(-1500)

南家:国広一 23700(-300)

西家:加治木ゆみ 26400(-300)

北家:沢村智紀 27300(+2100)

 

 

 

 頂点に座する少女達。

 彼女達への挑戦権を得ようと頂点へと登り詰める少女達。

 その決着のときがすぐ側まで迫っていた。



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24.開眼、そして決着

長野県女子個人戦本戦・一回戦・A卓

東三局0本場 ドラ:3 親:藤村初日

東家:藤村初日(鶴賀学園高校・一年)

南家:龍門渕透華(龍門渕高校・一年)

西家:福路美穂子(風越女子高校・二年)

北家:天江衣(龍門渕高校・一年)

 

 感情のない機械そのもののような平坦な声で和了が告げられる。

 

「ツモ、1300・2600」

 

透華手牌

{一一二二三三④④④⑤⑥34} ツモ{5}

 

 だが、それを受けた三人の心中は平坦ではなかった。

 

 

 

(――手牌が、読めない?)

 

 美穂子は、突如様子の変わった透華を訝しがる。

 人間は感情を抑えきることができない動物である。

 例えば、役牌対子を持っている場合。河に字牌が出るたび、視線が手元と河を行き来する。

 そんな視線移動から、手牌を予測(というか美穂子の場合、最早透視である)していたが、今は透華に対しそれができない。

 それは、相手が人間である以上、ありえないことであり、あまりにも不可思議であった。

 

(人間なの……?)

 

 今、美穂子が透華に対して取れるのは、相手の切り出し場所からの手牌の予測のみ。

 これは一昔前の打ち手なら誰もがやってきたものだ。

 その程度しかできなくなっている。

 

(それでも、一番有利な立場にいるのは私)

 

 衣の手牌も初日の手牌も、美穂子からは透けて見える。

 三者の内、二者の手牌が見えるというのはいかほどのアドバンテージなのか。

 それは考えるまでもなく、相当なものであると理解できるだろう。

 

(――勝たせません!)

 

 

 

(――治水、龍が眠りから目覚めたか)

 

 それは予定調和だったのかも知れない。

 透華がその身に宿す龍を起こしてしまうというのは。

 遅いか、早いか、それは些細な問題でしかなく、いつかは訪れる運命。

 龍門渕の血に脈々と受け継がれてきた、つい先日まで衣を孤独たらしめた忌まわしい古の力。

 だが、衣は透華がそれに開眼したことを嬉しいと思った。

 

(当面、退屈することはない、初日に透華に、衣にはたくさんの同輩がいる。全国にも――きっといる)

 

 衣の両眼は、欲しかったおもちゃを目の前にした子どものように輝いていた。

 衣のため、麻雀部を占拠した透華が言った。「全国で友達を捜しましょう」と。

 それは大層魅力的な言葉であったが、衣は毛ほども信じていなかった。

 麻雀で友達ができる訳がない。どうせ、また孤独になるだけだ。

 だけど、今はそれを信じている。

 共に卓を囲むことで友になれる人間がいると。

 

(麻雀は、楽しい)

 

 希望と期待。

 なによりも自分に親身になってくれた透華がそうなるのは、衣にとっては喜ばしいことでしかなかった。

 

 

 

(――ドラが、ある?)

 

初日手牌

{四四五六七八①①13456}

 

 ネット麻雀以外で、手元にその幸運の固まりが来た試しはない。

 自分にも幸運を掴むことができる――その気持ちは歓喜。

 だが、それは今までの自分がなくなってしまったことに他ならない――その気持ちは不安。

 不運であることというのは、初日にとって当然のことであり、それは必ずしも不幸とはなりえなかった。

 

(ついてねぇ……のかな? よくわかんない)

 

 自身の不運を指針に、戦略を組み立てていた初日からすれば、幸運になったことは不運でしかない。

 

(やっぱり龍門渕さんが何かしたんやろか?)

 

 比較的異能に対する感度の鈍い初日でもわかるほどの透華の変質。

 龍門渕透華は表情豊かな少女であった。

 それは、麻雀の最中であっても変わらない。

 好配牌に顔を綻ばせ、危険牌をツモれば露骨に眉を寄せる。

 それは麻雀打ちとしては損な気質でしかなかったが、類い希なる彼女の頭の良さはそれをカバーしてあまりあるほどであった。

 それが今は、ただただ麻雀を打つ機械のようになっている。

 

(穏乃に会うまでは、あたしもこんな風に見えたのかな)

 

 お世辞にも、力(不運)をコントロールしているとは言えない初日だが、それでも主体は自分にある。

 自分が不運を利用している。

 だが、透華は力に利用されている。

 力が主体にあり、自分はそれに振り回されているだけ。

 今の透華が、初日からはそんな風に映った。

 

(負けられない)

 

 目指すところは変わらない。

 一位になる。

 どうしようもなく運の悪い自分でも、頂点に立てることがあると証明する。

 だから、

 

(――勝つ)

 

東家:藤村初日 33700(-2600)

南家:龍門渕透華 21100(+5200)

西家:福路美穂子 21200(-1300)

北家:天江衣 24000(-1300)

 

 

 

長野県女子個人戦本戦・一回戦・B卓

南四局0本場 ドラ:{⑨} 親:国広一(龍門渕高校・一年)

東家:国広一(龍門渕高校・一年) 23700

南家:加治木ゆみ(鶴賀学園高校・二年) 26400

西家:沢村智紀(龍門渕高校・一年) 27300

北家:池田華菜(風越女子高校・一年) 22600

 

 一は、瞳を閉じて、深く息を吸い込んだ。

 ひとたび失敗すれば、即敗北。

 和了りトップである加治木と智紀は、なりふり構わずスピード勝負に出てくるだろう。

 親の一、そしてラス目の池田を和了らせまいと。

 

一配牌

{一三五①①1334668北白}

 

(これは……いくらなんでもハードだね)

 

 うぐぅ、と呻き声を漏らしつつ、顔を引きつらせる。

 麻雀の神とやらは、よほど自分のことが嫌いらしいと、一は嘆息した。

 

(タンヤオは無理、例え{白}が重なっても一度でまくりきるには打点が足りない……とはいえ、ボクにできる最善な行動をするしかないんだけど)

 

 ほんの一瞬の逡巡を挟み、一は牌を打つ。

 

打{北}

 

(リーヅモで1000オール。これが一番正攻法(まっすぐ)な手段。連荘もある……とはあまり考えたくないけどね)

 

 

 

(親はよほど手が悪いのか? それは好都合、こちらは)

 

 もしも、あらゆる職種の中で、もっともポーカーフェイスが上手な職業を決めるとすれば、それは詐欺師か魔術師だろう。

 その魔術師の娘である一の表情を加治木が読み取れたのは、マジックを決して麻雀に使わないと決めた一自身の制約があったからに他ならない。

 

加治木配牌

{二九③⑧12557東發發中} ツモ{發}

 

(――第一ツモで特急券。面子こそないが、ツモ次第でどうにでもなる範疇だ)

 

 静かに、手牌を眺める。

 そして流れるように優雅に牌を抜いた。

 

打{九}

 

(とはいえスピードだけを優先するのも芸がない。総合収支が重要になるのだから染め手まで考慮する)

 

 

 

智紀配牌

{一二四八②②③④⑥⑦25南} ツモ{⑤}

 

(軽いタンヤオ系の配牌……! これなら……)

 

 最速和了からの逃げ切り。

 それが現実味を帯びる好配牌だった。

 喰ってよし、じっと筒子が伸びるのを待ってもよし。

 いずれにせよ、聴牌まではそう時間がかからないだろう。

 

(……いける)

 

 静かなる大山が、確かに動き始めた。

 

打{一}

 

 

 

池田配牌

{六六①⑤⑧⑨⑨49南西白} ツモ{二}

 

(ドラ対子! 良形ターツのないクズ手だけど、これなら戦えるし!)

 

 最早、空元気としか言えないような虚勢。

 とても聴牌まで辿り着けるとは思えない配牌だが、池田は気丈に笑う。

 絶対にあきらめない。

 最後まで麻雀を楽しんだものが、勝つ。

 そう、教えてくれた美穂子の想いに応えるために。

 

打{西}

 

 

 

 一、打{白}。

 加治木、打{二}。

 智紀、打{2}。

 池田、打{白}。

 一、打{①}。

 加治木、打{⑧}。

 智紀、打{八}。

 池田、打{9}。

 一、打{①}。

 加治木、打{⑥}。

 智紀、打{5}。

 

 静かに繰り広げられる格闘戦。

 誰かが一枚牌をツモるたび、誰かが一枚牌を捨てるたび、誰かが勝利へと、誰かが敗北へと進んでいく。

 緑の絨毯に牌が置かれるその音は、まるでボクサーのジャブの応酬のような鋭い殺気を放っていた。

 

「ポン」

 

加治木手牌

{■■■■■■■■■■■} {55横5}

 

 打{東}。

 加治木が一歩踏み込んだ。

 それは、必殺の一撃が放てる間合いであり、同時に自身も倒される危険性のある相手の間合い。

 全員に緊張が走る。

 もう小手調べをしている余裕はない。

 

 

 

(――来た)

 

五巡目 智紀手牌

{二三四②②③④⑤⑥⑥⑦南南} ツモ{④}

 

 {②}を打てば{⑤⑧}の両面聴牌、ただし役はない。リーチが必要だ。

 {⑥}を打てば嵌{③}待ち、ただし一盃口が確定する。リーチが必要ない。

 

(こっち)

 

 智紀は瞬時に{⑥}を抜いた。

 リーチをかけるという発想はない。

 2位の加治木とは900点差、場に1000点棒を出すことは、自身の2位転落をも意味した。

 さらに、3着目・4着目両者の逆転条件を緩和することにも繋がる。

 現状では嵌{③}待ちとはいえ、南をポンできれば{②⑤⑧}の三面張に以降することも可能。

 

(最低限のリスクで最高の結果を求める……)

 

 キラリと眼鏡の置くの両眼が光った。

 

 池田、打{4}。

 一、打{1}。

 加治木、打{2}。

 智紀、打{七}。

 

 智紀本人以外、聴牌に気が付くとこなく摸打が繰り返される。

 そして――池田、打{}南。

 

「ポン」

 

智紀手牌

{二三四②②③④④⑤⑥⑦} {南南横南}

 

 打{④}。

 小さな小さな地雷が卓に埋め込まれた。

 

 

 

七巡目 池田手牌

{一二三六六①③⑤⑤⑦⑧⑨⑨} ツモ{⑨}

 

(受け入れ枚数だけなら打{⑧}だけど……)

 

捨て牌

東家:国広一 {■■■■■■■■■■■■■}

{北白①①一九}

 

南家:加治木ゆみ {■■■■■■■■■■} {55横5}

{九二⑧⑥東2}

{1}

 

西家:沢村智紀 {■■■■■■■■■■} {南南横南}

{一2八⑥七④}

{9}

 

北家:池田華菜

{西白94①}

 

(序盤から中張牌ガンガン切ってきてる沢村の最終手出しが{④}……{③⑥⑨}は否定されている、だけど{②⑤⑧}を打って大丈夫なのか?)

 

 {⑧}の前で池田の指が止まる。

 

(仕方ない、遠回り)

 

打{六}

 

({②⑤⑧}を一枚も切らないで和了れるように構えるしかないし)

 

 

 

八巡目 一手牌

{三三五六七12334668} ツモ{四}

 

(手は進んでるけど苦しいね……{2-5}は残り2枚……)

 

打{8}

 

(だからといってここからの迂回はできない。例え僅かでも可能性が残っているのならそれを手繰り寄せる――それが麻雀)

 

「チー」

 

加治木手牌

{■■■■■■■■} {横867} {55横5}

 

 打{北}。

 

({5}ポンしておいて{8}チー? でも十中八九これで聴牌……待ちは{④⑦、②⑤、四七}あたり……役牌バックの可能性も残るけど、ここまで強引な仕掛けをしてる以上その可能性は低い)

 

 なんて不自由な麻雀を強いるんだと、一は笑った。

 

(ともきーも聴牌してるっぽいし……でも、だからこそやりがいがあるってね)

 

 智紀、打{3}。

 池田、打{六}。

 

九巡目 一手牌

{三三四五六七1233466} ツモ{五}

 

(やっぱりそっちから埋まるよね、でも――)

 

「リーチ」

 

打{三}

 

(ボクは退かないよ)

 

 現時点で自分を除いても二者聴牌、流局となる可能性はかなり低い。

 それならば、自分も前線に出て戦いに参加するまでだ。

 

 加治木、打{9}。

 智紀、打{中}。

 

 そして、――

 

「リーチ」

 

 池田は{①}を曲げる。

 

(これで全員聴牌――誰も後には退けない。正真正銘の真剣勝負。おもしろい、おもしろいよ麻雀って!)

 

 全身が熱い。

 喜びと興奮、そしてこの場に連れてきてくれたことに対する感謝。

 一は、たまらなく心地よかった。

 

 

 

十巡目 加治木手牌

{③④發發發中中} {横867} {55横5} ツモ{西} 打{西}

 

(ここまで来れば――)

 

 四人を包むのは不思議な一体感。

 

十巡目 智紀手牌

{二三四②②③④④⑤⑥⑦} {南南横南} ツモ{西} 打{西}

 

(技術は関係ない――)

 

 相手の気持ちがまるで自分のことのように感じられる。

 

十巡目 池田手牌

{一二三②③④⑤⑤⑦⑧⑨⑨⑨} ツモ{8} 打{8}

 

(勝つのは――)

 

 いつまでも味わっていたい。

 

十一巡目 一手牌

{三四五五六七1233466} ツモ{八} 打{八}

 

(気持ちが強い人――)

 

 そんな至福のときだった。

 

打{1}

打{七}

打{⑦}

打{四}

打{7}

打{③}

 

 ――ツモ。

 

 そして、終焉の鐘を鳴らしたのは、誰よりも麻雀に向き合い続けた時間が長かった少女だった。

 

{一二三②③④⑤⑤⑦⑧⑨⑨⑨} ツモ{⑥}

 

 ――2000・4000。

 

 

 

一位:池田華菜(風越女子高校・一年) 31600(+9000)

二位:沢村智紀(龍門渕高校・一年) 25300(-2000)

三位:加治木ゆみ(鶴賀学園高校・二年) 24400(-2000)

四位:国広一(龍門渕高校・一年) 18700(-5000)



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25.奇妙な静寂

長野県女子個人戦本戦・一回戦・A卓

東四局0本場 ドラ:{二} 親:龍門渕透華

東家:龍門渕透華 21100

南家:福路美穂子 21200

西家:天江衣 24000

北家:藤村初日 33700

 

一巡目初日手牌

{二二六②337889南中中} ツモ{6}

 

(また、ドラがある……)

 

 初日は首を傾げつつ、理牌した。

 本来なら初日の元に来るはずのない幸運の象徴。

 二局連続で配られてきた以上、間違いなく透華の影響だろう。

 

(力の無効化? それとも運を平坦にコントロールしてる? まだ材料が少なすぎてわかんない……)

 

打{南}

 

(今は普通に進める。わかんないこと考えても仕方ない)

 

ツモ{二}

打{②}

ツモ{西}

打{西}

ツモ{④}

打{④}

 

五巡目初日手牌

{二二二六3367889中中} ツモ{八}

 

(ん、いい感じ……タンヤオか中、どっちにしろリーチかけずに満貫が狙える)

 

打{9}

 

 しかし、そのタイミングで下家から横やりが入る。

 

「リーチ」

「ッ……!」

 

 初日は喉まで上がってきたうめき声をどうにか飲む込んだ。

 そして、いつものように心の中で呟く。

 

(ついてねぇ……)

 

捨牌

東家:龍門渕透華 {■■■■■■■■■■■■■}

{北⑧④九三横8}

 

南家:福路美穂子 {■■■■■■■■■■■■■}

{北9一西①}

 

西家:天江衣 {■■■■■■■■■■■■■}

{621一九}

 

北家:藤村初日 {二二二六八336788中中}

{南②西④9}

 

美穂子 打{南}

衣 打{發}

 

(衣が生牌の{發}……? 筒子染めやろか?)

 

 それなりに安牌はありそうに思える親のリーチ。

 わざわざ生牌、それも役牌を切ってきてる以上、最低でも一向聴、聴牌の可能性だって十分ある。

 

六巡目初日手牌

{二二二六八336788中中} ツモ{⑤}

 

({⑤}――! これが当たり牌? 龍門渕さんには通りそうやけど……)

 

 透華の河には⑧が切られており{⑤⑧}待ちはない。{④}切りが早く{②⑤}の可能性も低い。

 だが少なくとも、普段の状態ならこの{⑤}は誰かの当たり牌を掴まされていると判断した方が無難である。

 しかし、初日の性質上来るはずのないドラが手元に来ている以上、そうは断定できず初日の頭を悩ました。

 

(わからない……何も見えない、麻雀ってこんなに難しいものやったっけ)

 

 ゴクリと唾を飲み込み、渋い表情で{8}を打った。

 

(保留……)

 

透華 打{南}

美穂子 打{南}

衣 打{一}

 

七巡目初日手牌

{二二二六八33678中中⑤} ツモ{⑦}

 

(連続で筒子――! {8}でベタオリ? 中筋の{六}? いや……)

 

打{中}

 

(こっち!)

 

 この巡目なら役牌が持ち持ちになっている可能性はそれほど高くないだろう。

 読みが当たっていたかどうかはともかく、ロンの発声はかからなかった。

 

ツモ{4}

打{中}

ツモ{9}

 

(ぬ、索子は……龍門渕さんに切れない)

 

打{六}

 

十巡目初日手牌

{二二二八3346789⑤⑦} ツモ{⑥}

 

(追いついた! 何もわかんないし、良い待ちでもないけど……!)

 

 今までアテにしてきた自身の性質が、どういう訳が綺麗さっぱり消え去った。

 見知らずの土地に放り出されたような孤独感、不安感に襲われる。

 自分を奮い立たすために、小さく深呼吸した。

 

(引いたら勝てない――! それだけはわかる!)

 

 そして、牌を曲げる。

 

「リーチ」

 

打{八}

 

 腹をくくった初日のリーチ。

 だが、

 

「ツモ」

 

透華手牌

{五六七②③④12356中中} ツモ{7}

 

「1000オール」

 

 ――それはあっさりと流された。

 

(ぐ、空振り……)

 

東家:龍門渕透華 25100(+4000)

南家:福路美穂子 20200(-1000)

西家:天江衣 23000(-1000)

北家:藤村初日 31700(-2000)

 

 

 

 和了った勢いのまま、透華は親番で連荘を続ける。

 

「ツモ、1300オールは1400オール」

 

「ツモ、1000オールは1200オール」

 

「ロン、2900は3800」

 

 打点が高い訳ではない。

 特別早い訳でもない。

 だが、誰も動けなかった。

 淡々と単純作業のように透華が和了りを重ねたのだ。

 

 

 

長野県女子個人戦本戦・一回戦・A卓

東四局4本場 ドラ:{東} 親:龍門渕透華

東家:龍門渕透華 36400

南家:福路美穂子 17700

西家:天江衣 20500

北家:藤村初日 25400

 

(東三局から龍門渕さんの四連続和了で、あっという間に彼女がトップ……ちょっとまずいわね)

 

 まだ東ラスとはいえ、トップ目の透華と二万点近い差がある美穂子に多少の焦りが生まれた。

 

一巡目美穂子手牌

{一三六⑤⑥⑨3568西北發} ツモ{③}

 

(この手で止められるかしら……)

 

 お世辞にも和了りに近いとは言えない牌姿。

 とりあえず親の透華が捨てた{北}を合わせ打った。

 

 

 

 

十一巡目美穂子手牌

{六六①②③⑤⑥335566} ツモ{⑥}

 

(七対子の一向聴……)

 

捨牌

東家:龍門渕透華 {■■■■■■■■■■■■■}

{北91白3發

②②4八白}

 

西家:天江衣 {■■■■■■■■■■■■■}

{南西南發8⑧

2發5五}

 

北家:藤村初日 {■■■■■■■■■■■■■}

{北中二六南一

二白29}

 

(二人とも染まってはいないけど、天江さんは萬子に寄った手牌、藤村さんは索子に寄った手牌でドラも持ってる……聴牌は時間の問題。余裕はないわね。そして――)

 

 ちらりと透華に目を向ける。

 

(龍門渕さん……未だに彼女の手が読めないわ……こんなこと、今までなかったのに)

 

 完全に読み切るというレベルになるとまた話は別であるが、数局も打てばだいたいの打ち手のクセは見抜けた。

 それほどの観察眼を持つ美穂子だが、透華のクセは現時点で全く見抜けていない。

 

(悔しいけど、お手上げね。それでも――)

 

 初日と衣の手牌は読めている。

 

打{②}

 

 面子から二枚見えている{②}を抜いて七対子へと決め打った。

 

(龍門渕さんがよほど筒子を固めてない限り、山に眠っているはず!)

 

十二巡目美穂子手牌

{六六①③⑤⑥⑥335566} ツモ{③}

 

 美穂子の読み通り、筒子はすぐに重なった。

 

「リーチです!」

 

 そして流れるような動作でリーチをかける。

 

美穂子捨牌

{北西⑨發西8

一三北9②横⑤}

 

 

 

十二巡目衣手牌

{一二二三三七七八九九456} ツモ{一}

 

(む、入ったか……ならば)

 

「リーチ」

 

(勝負と行こうか)

 

 静かに曲げられる{七}。

 まだまだ月が見えるには早すぎる時間帯。

 卓の支配権は完全に透華に握られており、衣にはいつもの超常的な勘の働きもない。

 恐らく、少し前までの衣ならば、この状態で麻雀を打つことは怖いと感じていただろう。

 だが、今は違う。

 

(ままならぬのもまた一興、それもまた麻雀。初日が思い出させてくれた大切なこと。さあ楽しもうぞ!)

 

 

 

十二巡目初日手牌

{⑦⑦⑨1234777東東東} ツモ{①}

 

(うぅ……二人に無筋の{①}……だけど、この手は崩したくない。ワンチャンスだしこれくらいは……)

 

 間違いなく自分のことを嫌いであるだろう神様にも祈りつつ、初日は引きつった顔で{①}を河に置く。

 が、美穂子の手牌が倒された。

 

「ロン、6400は7600ですっ!」

 

美穂子手牌

{六六①③③⑥⑥335566} ロン{①}

 

「はい……」

 

 知ってた。やっぱり。などとぶつぶつ呟きながら点棒を置いた。

 

(タンヤオ拒否してワンチャンスの{①}待ち――結果的に一発が付いて打点は同じ……してやられた)

 

東家:龍門渕透華 36400

南家:福路美穂子 26300(+8600)

西家:天江衣 19500(-1000)

北家:藤村初日 17800(-7600)

 

 

 

長野県女子個人戦本戦・一回戦・A卓

南一局0本場 ドラ:{6} 親:福路美穂子

東家:福路美穂子 26300

南家:天江衣 19500

西家:藤村初日 17800

北家:龍門渕透華 36400

 

美穂子配牌

{三三四七九①④⑦347東北發}

 

(五向聴……ドラもないし、ちょっと厳しい配牌ね……)

 

打{北}

 

(ん、ドラ……?)

 

 違和感が美穂子の思考に引っかかる。

 

(そう言えば、東三局以降、ドラのほとんどが藤村さんに流れてるわね……)

 

 透華が四連続和了した際も、ドラを使ったのはただ一度だけ。

 初日以外にドラは1枚流れるかどうかという偏りが発生している。

 

(藤村さんは、ドラを使えない代償として、不思議な和了をする力を持っているかも……なんて仮説を立てていたんだけど)

 

 プロファイリングをやり直す必要があるのかも知れないと締めくくる。

 

(それにしても静かね……)

 

 牌が卓に置かれる音が、子守唄のように流れ続ける。

 不思議な調和が衣の「リーチ」という声に破られるまで続いた。

 

「ツモ、1000・2000」

 

衣手牌

{五五九九九②③⑤⑥⑦345} ツモ{④}

 

(一発だけど、表も裏もなし。やっぱりおかしいわ……牌譜を精査する時間はなかったけれど、天江さんは高火力が自慢の打ち手……)

 

 ドラが来ないはずの初日にドラが集まり、衣からは火力という牙を抜き、美穂子はその目を十全に活かしきれていない。

 そして、奇妙な静寂。

 その全てが龍門渕透華の変貌を起因としている。

 

(ああ、何て、何て)

 

 ――面白いことになっているのかしら。

 

 親かぶりでトップとの点差が離れてしまったというのに、美穂子の顔は自然と笑みを象っていた。

 

東家:福路美穂子 24300(-2000)

南家:天江衣 23500(+4000)

西家:藤村初日 16800(-1000)

北家:龍門渕透華 35400(-1000)




長くなりそうなので、A卓決着は二話に分けることにしました。
次話は割と早く投稿できると思います。
あと、美穂子さんはドMだと思います。


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