見える世界が歪んでる (藤藍 三色)
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賢者の石
第一章





 生まれたときから自分の運命を知っている者などいない。

 すでに知っていたとのたまう者は、ただの知ったかぶりか諦めの早い愚か者である。
















 祖母は薬の臭いがする女性で、母も薬の臭いがする女性だった。父は分厚い眼鏡をかけた穏やかな男で、見た目に反してとても強い人だった。

 子供は女で、母親ゆずりの美しい顔立ちと父親ゆずりの髪色と髪質を持って生まれた。瞳の色は左右で異なり、右はヴァイオレット、左は黒色であった。

 ヴァイオレットは母と同じ色で、叔父も同じ色をしていた。なんでも母の生家の血が現れている証拠であるらしかった。

 母は父を愛していたし、父は母も娘も愛していた。祖母は一人きりの孫を可愛がった。

 娘が五歳の時だ。小学校に入学する一年前に父が死んだ。刑事であった彼は仕事中に追跡していた容疑者に抵抗され、ナイフで刺殺されたそうだ。

 たくさんの人が父の葬儀に参列した。人目もはばからず棺桶に入った父の遺体に縋り付いて泣く母を、祖母に抱きしめられながら娘は見ていた。いくら娘が泣いても母はちらりとも見なかった。

 その半年後に祖母が亡くなった。病死だった。葬儀は身内だけで済まされ、家には母と娘だけになった。

 娘がもう少しで十二歳となる夏に、物語は始まる。







 

 

 

 水無月(みなづき)(ゆづる)はさらさらとした指通りの良い黒髪に、分厚いレンズの黒縁眼鏡をかけた少女だ。しかし恰好は中性的で、男と間違われることも多い。

 そんな彼女は口調も男っぽくぶっきらぼうで多くは語らない。学校での彼女はいつも本を読んでいて、先生がびっくりするほど勉強ができて、運動もできる成績はつねに学年で一番だった。しかしその外見と態度から遠巻きにされるような存在で、いじめられても相手をコテンパンにしてしまうような気の強い少女だった。

 

 弦の家族は母一人だけだ。父は死んでしまったし、少し離れていたところに住んでいた祖母も死んでしまった。

 二人だけの家族だからと言って、弦とその母であるレティシャは決して仲良い親子とは言い難かった。二人の間で会話らしいことは滅多になく、弦が一方的に話しかけることなど日常茶飯事だった。

 

 レティシャはイギリス人で、公言はできないが魔女だ。いつも何かの研究に没頭している彼女は、実の娘である弦に欠片の興味も示さなかった。だから弦は自分で料理をし、洗濯をし、掃除をし、買い物をした。お金だけは用意してくれていたために、弦が生活に困ると言うことはなかった。

 

 弦の生活は家にいれば家事か勉強か読書をし、学校に行けば読書か勉強をするというものだった。母に愛情を与えてもらえなかった彼女ができることと言えばそれぐらいで、十一歳で彼女は一人で成し遂げるだけの耐性も落ち着きも身に着けていた。

 

 夫を亡くしてから家から一歩も出なくなった母のことを周囲は遠巻きにしたが、娘である弦が頑張っていればどうしても大人の力が必要なときは力を貸してくれた。たとえば地域の交流や学校のことだ。母に近づくことがなければそれでよかった。魔女だと知られるわけにはいかなかったのだから。

 

 小学六年生の夏休み間近に、弦のもとに一羽の梟が訪れた。それが西洋の魔法界の伝達手段だと知っていた弦はその足にくくりつけられた封筒をとり、中身を読む間に長旅をしてぼろぼろの梟を休ませた。水と梟フーズと呼ばれる専用の餌を用意したのだ。

 手紙の差出人はホグワーツ魔法魔術学校となっていて、中には二枚の手紙が入っていた。一枚は入学許可の通達。もう一枚は学用品のリストだった。

 

 弦は「とうとうきたか」と思うのと同時に、母に伝えなければと少し憂鬱になった。レティシャが嫌いなわけではない。自分の母だ。だがあの人には無視されることが多く、入学準備だって手伝ってもらえるとは到底思えなかった。

 母がいつも閉じこもっている部屋の扉を三回ノックし、弦ははっきりと言葉をかけた。

 

「お母さん。開けるよ」

 

 開ける許可はとるだけ無駄だ。これに答えてもらったことは一度としてないのだから。

 中の空気は薬の臭いで満たされ、たくさんの本や紙、薬の材料に散らかった部屋の真ん中で母は大鍋を正面にぶつぶつと何か呟いていた。

 西洋の魔法界には魔法薬学という学問があり、それにおいてレティシャは天才であると叔父は明言していた。父が死んでからレティシャはこの部屋に閉じこもり、怪しげな魔法や魔法薬の研究に従事している。

 

「ホグワーツから手紙が届いた。入学準備のことで相談をしたいんだけど」

 

 母が振り返ることはなかったが、珍しく言葉が帰ってきた。ホグワーツといえば母の出身校でもあるので、気になったのだろうか。

 

「勝手にしなさい」

「……一人でロンドンまで行けないから相談してる」

「コンラッドにでも頼めばいいでしょう」

 

 コンラッドとは叔父の名前だ。母の年子の弟であり、現在はフランスに住んでいる。しかし育ちはイギリスで、母と同じホグワーツを卒業していた。

 やはりこうなったかとため息を吐いて「わかった」と部屋を出る。はなから期待していなかった分、それほど堪えてはいなかったがやはりどこか虚しかった。

 一晩梟を休ませて、弦は叔父に手紙を送った。

 

 

 

 

 

 七月三十一日に弦はホグワーツへ行くことになった。母と叔父の間で何度か口論があったが、結局自分をロンドンに連れて行ってくれるのは叔父のようだ。ホグワーツへの返事も叔父が代筆してくれた。

 

「すまない、ユヅル」

「コンラッド叔父さんが気にすることじゃないです。私は連れて行ってもらえるだけで十分だから」

 叔父は申し訳ないという顔をしていたが、弦が「早く行こう」と促すと笑顔になって手をとった。

 

「じゃあ、行こう。準備はいいかい?」

「うん」

「よし。一、二、三!」

 バチンという音のあとに周囲の景色が歪み、パイプのような細い場所に押し込まれたような感覚があったあと、再び同じ音がしたと思ったら知らない場所にいた。日本の家からあっという間にイギリスのロンドンへと来てしまった弦は、しばし目を瞬いた後に叔父を見上げる。

 

「姿現し?」

「そうだよ。弦は平気そうで良かった。こればっかりは慣れるしかないから」

「ふうん」

「さあ、学用品を揃えに行こう。まずは“漏れ鍋”だ」

 

 手はつないだまま、コンラッドはどうにもさびれたようにしか見えない店へと入って行った。非魔法族――マグルよけでもしてあるのか、往来を歩く人々はこの店をちらりとも見ないし、その店に入ろうとしているコンラッドや弦でさえも気にしていない。

 店内はパブのようで、お客は明らかにマグルではない恰好をしていた。魔法族特有の非現代的なローブを着ていて、中には尖がった帽子をかぶる者までいる。

 

 コンラッドはどこからか深い紺色のローブを取り出すとそれを着た。弦はどうすると聞かれたのでこのままでいいと返す。

 店主のトムに挨拶をした二人は裏口から外へと出た。煉瓦の壁に閉ざされたそこは、コンラッドが壁を杖で三度手順通りに叩くとまるで意思があるように動きだし、一つのアーチを造りだした。その先に広がるのは魔法界だ。

 

「ようこそ、ダイアゴン横丁へ」

 少し芝居がかった叔父の様子を見て、弦はダイアゴン横丁に視線を巡らせた。魔法に溢れたそこに初めてきた弦は物珍しさからあちこちを見て、それから叔父に言う。

「まずはどこから?」

「グリンゴッツ銀行へ行こう。レティシャから君の金庫の鍵は預かっているから」

「はい」

 グリンゴッツ銀行とはダイアゴン横丁にある銀行で、魔法界唯一の銀行と言っても良い。そこは多くの小鬼(ゴブリン)がいて、神経質そうな顔で仕事をしていた。

 

 金庫に行くまでのトロッコはとても早くスリルのある絶叫マシーンのようだったが、弦は平気だった。コンラッドは「お気に入りなんだ」と始終楽しそうにしていて、案内役のゴブリンから訝しげな視線をもらっていた。

 金庫はレティシャが所有しているうちの一つをそのままもらったらしく、中には金貨が溢れかえっていた。それを必要の分だけ詰めて、二人は銀行をあとにした。

 

「何から買いますか?」

「うーん……それじゃあ、まずは鞄を見てみよう。トランクと旅行鞄は持っていないだろう? 授業道具をいれて持ち運ぶための鞄もいるだろうし。それは入学祝にプレゼントさせてくれ」

「いいんですか?」

「もちろん。弦はよく本を読むから、見た目よりたくさん入って、いくらいれても重たくならないものがいいね」

 

 鞄屋へ行く途中も、コンラッドは話を絶やさなかった。横丁に並ぶ店の説明をしてくれ、さらに彼の息子であるシアンが共に行きたがっていたと話していた。

「けど僕も日本からの付添姿現しは二回が限界だからね。すごく疲れるし。シアンには遠慮してもらったよ。お土産を買うって約束してしまったから、ユヅルが選んでくれるかい?」

「わかりました」

 

 それから鞄屋へと入った二人は、整理整頓に困らないトランク、そして見た目よりもずっと物を入れられて重くならない肩掛け鞄を買った。もう一つ旅行鞄を買う予定だったが、その見た目の四倍も五倍も物が入るトランクを見つけてそれだけ買った。肩掛け鞄はやはりコンラッドが買ってくれ、さっそく弦はそれを肩にかけた。

 空のトランクを先に家に送ると杖を振ったコンラッドは、空いた片手で再び弦の手を引いた。

 

 しかし少ししてコンラッドのもとへ一羽の梟が飛んできた。それが持って来た手紙を読んで、コランッドは顔をしかめる。

「くそ、魔法省からの呼び出しか。誰かここに来てるって告げ口したな…」

 恨めしそうなその声に、弦は彼を見上げた。するとコンラッドはすぐに申し訳なさそうな顔をする。

 

「すまない、ユヅル。魔法省に呼ばれたから行かなきゃいけない。漏れ鍋で待っていてくれるかい?」

「いえ、あとの買い物なら一人で出来ます。さっきお店の場所を教えてもらいましたし」

「そうかい? でもなあ…」

「この横丁の外には行きません。買い物が終わったら漏れ鍋で待っています」

「……わかった。変な大人もいるから、気を付けるんだよ」

「はい」

 コンラッドは名残惜しげに弦の手を離すと、姿眩ましを使って行ってしまった。

 

 ダイアゴン横丁での初めての一人だけの買い物が始まった。

 

 

 

 

 まずはマダム・マルキンの洋装店で制服を買うことに決め、弦はそこへ向かった。中に入ると丸眼鏡をかけたくしゃくしゃの髪の男の子が台の上に立って採寸されていた。

 新たなお客に店員が笑う。

 

「お坊ちゃんもホグワーツ?」

「あー、えっと、はい。あと女です、一応」

「あら、ごめんなさい! それじゃあ、お嬢ちゃん。この台に立って」

 少年の乗っている台の隣の台に乗る。同じマグルの恰好をしている弦に少年が視線を向けてきたので、見ると彼はちょっとだけ安心したような顔をして話しかけてきた。

 

「君もホグワーツなんだね」

「うん」

「名前は? 僕はハリー・ポッター」

「ユヅル・ミナヅキ」

 簡潔にそれだけ答えた弦に、ハリーは面食らった顔をした。

 

「何?」

「いやっ、その……君は僕の名前を聞いても驚かないんだと思って」

「名前……ああ、そういうこと。対して親しくもない相手にとやかく言う趣味はない」

「そ、そう……ユヅルって呼んでいい?」

「好きにしたら」

 

 弦の言葉にハリーは嬉しそうに笑うと「僕もハリーって呼んで」と言った。それからすぐにハリーの採寸は終わり、彼は「またね」と手を振って店を出て行く。

 ハリー・ポッターといえば近代魔法史にその名前が載る魔法界の有名人だ。生まれて一年と少しで誰もが恐れた「名前を言ってはいけないあの人」を打ち倒した「生き残った男の子」。名前だけは知っていた。

 

 しばらくして弦も採寸が終わり、制服をもらってお金を払った。それから順番に学用品を揃えていき、残ったのは杖と教科書だ。まずは杖から行こうとオリバンダーの店を目指す。

 杖を売っているところはいくつかあるようだが、コンラッドが薦めてきたのはオリバンダーの店だった。彼もそこで買ったらしい。

 

 店は古ぼけていて地震でも起こったら簡単に倒壊してしまいそうだった。中に入るとカウンターがあり、その奥に杖が入っているのだろう箱が入れられた背の高い棚が並んでいる。

「すみません」

 店主が見当たらないので奥まで届くようにそう声をかければ少しして一人の置いた男性が出てきた。彼がオリバンダーだろう。

 

「これはこれは……見かけない方だ。ホグワーツの新入生かな?」

「はい。杖を買いに来ました」

「そうでしょうとも。お名前は?」

「ユヅル・ミナヅキです」

「ミナヅキさん……不躾で申し訳ない。その眼鏡を取って顔をみせてくれませんか?」

「……」

 

 それに何の意味があのだと問いたかったが、弦は言葉を飲み込んで眼鏡を取った。

 小さな顔の半分を覆っていた分厚いレンズの黒縁眼鏡をとると、オリバンダー老人は息を呑んだ。それほどまでに弦の顔は整い、そして左右の色の違う両目の輝きは強かった。

 

 弦の母であるレティシャは誰もが息を呑むほど顔立ちが整っている。その母にそっくりな顔立ちをしている弦もまた、美形だった。それに加えて彼女は右がヴァイオレット、左が黒色のオッドアイであり珍しく、父親譲りのさらさらとした黒髪と相まって神秘的な美しさを発する。

 

 弦が自身の顔を覆い隠してしまう眼鏡をかけているのは、単純にそれが父の形見だからだ。その証拠といってはなんだが、眼鏡のレンズはただのガラスでありかける必要など本来ならばない。父を心底愛していた母のための行動なのだが、誰にもそれを一から説明したことはなかった。

 

 ただはっきりと言っておくなら、弦は自分の顔を隠したいわけではない。母や叔父との血の繋がりを感じさせる自身の顔を弦は嫌ってはいなかった。

 

「なんと、その顔、その右目の色……アクロイド家の方で間違いない」

 アクロイドとは母の実家の名だ。今は叔父が当主として継いでいるらしい。

「もしやレティシャ・アクロイドさんの娘さんなのですか?」

「母をご存じなのですか?」

「ええ、それはもう! 彼女の魔法薬の才能は素晴らしいものです! 杖選びだって大変だった。いやはや、あなたも大変そうだ」

 

 まるで腕がなるとばかりにオリバンダー老人はうきうきとしているように見えた。それから彼は弦に利き腕(彼は杖腕と言った)を出させると、勝手に採寸するメジャーで手のひらの大きさ、手首の太さ、腕の長さを測らせた。メジャーがそれ以上に弦の身体を測ろうとしたときは思わず浮かんでいるそれを叩き落としてしまったが、オリバンダー老人は気にした様子もなかった。

 

 彼は様々な杖を差し出し、ああでもない、こうでもないと唸る。そうしているうちに店内のあらゆるものが壊れた。

 少ししてから彼が持って来たのはヴァイオレットに色づけられた箱だった。その中から取り出されたのは紫紺色をした細い杖で先端に向けてとがっている。まるで小さな細剣(レイピア)のようだった。

 

「紫檀にグリフォンのかぎ爪、三十センチ。堅く、強力な杖じゃ」

 

 それを手渡され、弦はしっかりとそれを握った。するとそれは熱を持ったように熱くなり、先端から光を溢れさせた。柔らかく温かいその光は洪水のように店の中を飲み込み、おさまったときには壊れたものは元通りになっていた。

 

「素晴らしい! まっことに素晴らしい! いやはや、その杖はあなたをお選びになった!」

 感極まった様子で声高くそう言ったオリバンダーは、笑顔で弦を祝福した。

「その杖はアクロイド家の方のために作られたものと言われています。強い力をもつグリフォンのかぎ爪を杖芯にし、杖木はアクロイド家の庭にある紫檀の枝を使用しています」

 オリバンダーは九ガリオンだと値段を告げると、きっかりお金を受け取って恭しく頭を下げた。

 

 杖を鞄の中にしまったあとで弦はいつまでも鞄の中に入れるだけでは不便だと思った。ポケットにいれるには長すぎるそれを入れる丁度いいものを捜しておこう。叔父は杖をいれるためのホルダーを腰につけていたから、それを捜そうとあたりを見回す。

 すると小物屋を発見した。店先にそれらしきものを見つけて近づく。どうやらホルダーにも色々なタイプがあるらしい。店員は弦を見て分厚い眼鏡をかけたその外見に身を引いたが、それでも笑顔を浮かべた。

 

 それを相手にせず、弦は品物をよくよく吟味した。中には杖の長さに関係なく入るものや、持ち主しか取り出せないものもあるようだ。それを二つとも備えたものもあったがやはり少し値が張った。

 

「……」

 

 そこで思い至る。これ、杖以外も棒状の物なら入るんじゃないだろうか。

 少し値の張るほうの中から、腰だけでなく足にもつけかえられるものを二つ買った。色は黒と藍を選ぶ。母はレイブンクローだったらしいから自分も入るならそこだろうが、もし違ったら藍色のほうは学校で色を変えよう。

 

 二つのホルダーを鞄の中にしまい、最後に残っていた書店へと行った。フローシュ・アンド・ブロッツ店はたくさんの本があり、目移りしてしまうがまずは教科書を確保しなければ。しかしそれは定員に言えばすぐに用意してくれたので、他にも買いたい本を見繕う。

 

 弦が一番関心があったのは魔法薬学と薬草学だ。

 

 母であるレティシャが西洋の魔女で魔法薬の天才であったのに対し、父の母である祖母・水無月蓬は東洋魔術師であり優秀な薬師だった。彼女は漢方薬のエキスパートで、その知識と技術を弦に教えてくれた。その死後も彼女の残したたくさんの書や薬師の道具は弦の勉強道具として大いに役立っている。

 

 母と祖母の影響で小さいころから薬に触れてきた弦が魔法薬学と薬草学に関心を持つのは当たり前だった。家にほったらかしにされている母はもう使っていない本もたくさんあり、それ以外のものを探す。辞典のようなものがないのは残念だったが、参考になりそうなものはいくつか見つかった。あとは学校の図書館でどうにでもなるだろうと思い、会計をすませる。

 

 漏れ鍋に戻るとコンラッドはまだおらず、弦はさっそく買った教科書を開いた。それを読み込んでいれば、トムがサービスだと言ってアイスティーを出してくれありがたく頂く。

 コンラッドが漏れ鍋に戻ってきたのは夕方になってからだった。なかなか解放してもらえなかったのだと彼は愚痴り、それから日本へと送ってくれた。弦が夜中になっていてもかまわないと言ったからだ。彼は家に招きたがっていたが、はっきりと断った。

 

 すでに日付を変えていた家で弦は自室に入ると鞄を置いて寝間着代わりにつかっているラフな格好に着替えた。すぐにベッドに戻り眠る。遠出をしたからか、すぐに意識は落ちて行った。

 

 






 ご指摘がありましたので、弦さんの言葉を少々いじりました。直し忘れていたようで、失礼いたしました。


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第二章

 ダイアゴン横丁に行くには付添姿現しをしてもらうしかなく、レティシャがそうしてくれるわけはないので弦はコンラッドが送ってくれた梟通販のカタログで欲しい本を頼むことにした。

 未成年の魔女および魔法使いは基本的に魔法は使えない。就学中の人達は学校外での魔法使用は禁止である。法律でそう定められ、一度目は警告、二度目は学校を退校処分となってしまう。それでも緊急時、つまり命の危機的状況下での防衛目的ならば無効とされる。杖を所持していない幼子が魔力を使うのは癇癪として扱われるようだ。

 

 警告をされるのも嫌なので杖を持つことはしなかった。その代わりといってはなんだが読書と書き取り練習、魔法薬の練習に費やすことにした。

 弦はもともと学校の友だちと休日に遊ぶことをしない。友達と呼べる友達はいないというのもあるが、家事をしなければならないという理由もある。大前提に弦のドライな性格ゆえというのもあるが。

 

 毎日の買い物で外にでる以外は、弦は家に籠った。家事をし、(本人は勉強のつもりなど毛頭なかったが)予習をした。幸いにも弦は母の魔法薬の才能を受け継いでいたようで、本人もその学問が嫌いではなかった。弦は根っからの理系女子だったために理論的な考え方は好きだったのだ。

 もちろん他の科目の教科書だって見たし、参考書程度にいくつかの本を読んだ。羊皮紙や羽ペンに慣れるために、さらにいえば英語の書き取りに慣れるための練習だってしたし、コンラッドとの手紙のやりとりも以前より頻繁にした(彼の家族からのも同封されていることが多かった)。

 

 弦の唯一の不安要素は、自分が学校に行っている間のレティシャのことだ。自分がいなければご飯を食べることも身体を清潔にすることさえしなくなるだろう。それらすべて弦が促してさせていたのだから。

 それはコンラッドとその妻のヴェネッサが請け負ってくれることになった。母は日本を離れたがらないから二人がこちらにきてくれるらしい。主にヴェネッサがここに滞在し、コンラッドはフランスと日本をいったりきたりの生活になるようだが、そこは水無月家とアクロイド家を繋ぐ「移動キー」を設置するとのことだ。

 

 「移動キー」とはポータスと呼ばれる魔法を使った魔法道具の一種だ。それに触れ起動させれば(設定した条件をクリアすればよい)あらかじめ設定しておいた行先に行くことができる。それを応用した魔法道具を設定するとのことなので、自身で姿現しをするよりは随分楽になるそうだ。またそれを作っておけば弦もいつでもアクロイド家に来れると彼が言っていた。

 ただしこの夏中に完成させるのはぎりぎりだということで(日本の水無月家と繋ぐのはイギリスとフランスそれぞれのアクロイド邸らしく、二つ用意しなければならないし移動キーを管理するところに手続きをしなければならないため時間がかかる)、弦はずっと家にいなければならなかった。

 

 勉強の合間に贔屓にしている作家たちの小説を読んでいれば時間はすぐに経っていった。ちなみに弦は創作された物語を読むのが好きだ。推理ものや時代もの、純文学と呼ばれるものまで彼女の許容範囲は広い。学校から帰ってきたらシリーズで購入しているものの続きが販売されているはずだから、まとめて購入することを考えれば楽しみだった。

 そういえばコンラッドが魔法界にもさまざまな小説があると言っていた。幼子が楽しむ童話もあるらしい。学校で時間に余裕があればそれを楽しみたいと弦は考えていた。

 

 

 

 九月一日。キングズ・クロス駅にホグワーツ特急が停車する日である。前日に漏れ鍋に宿泊していた弦は一人で駅に辿り着いていた。昨日のうちに行き方はコンラッドに教わっている。

 

 コンラッドとヴェネッサは息子のシアンの見送りのためにフランスにいる。彼も今日から学校が始まるのだ。結局シアンとはこの夏に一度も会えなかった。最後に会ったのは弦の父の三回忌だっただろうか。残念ながら七回忌の今年、父と祖母のそれに弦は出られない。コンラッドたちが請け負ってくれた。母は参加するだろうか。もしかしたら参加しないかもしれない。

 

 弦は見えてきた九番線の四つの柱のうち九番線から三番目の柱に向かって進んだ。そこが“入口”らしい。

 思いきっていくことが重要だと念押しされたために弦は走った。トランクの乗ったカートを滑らせ突っ込む。するりと柵を取りぬけ、弦はその目にホグワーツ特急の赤い車体を見て感嘆の息を漏らす。

 

 蒸気機関車を初めて目にし、弦は先ほどまでの沈みかけた気持ちを持ち直した。別れを惜しむ人はいないのでさっさと列車に乗り込む。コンパートメントと呼ばれる対面式に座席が設置された小部屋の中の空っぽの場所を探しそこに入る。トランクの中から読んでいない文庫本小説を三冊ほどとりだした。

 一昨日のうちに読みたかったシリーズを最新刊までまとめ買いし、トランクにいれていたのだ。母国語を見ると少しだけ安心するのはやはりここが異国だからだろうか。

 

 さらにトランクの中から制服を取り出した。先に着替えておけば気兼ねなく読書ができる。窓と扉のカーテンをひき、着替えはじめる。ローブを着る前に腰と左の太腿にホルダーを装着した。腰につけた藍色のホルダーには杖が入れてあり、太腿につけた黒色のホルダーには警棒が入れられている。警棒を太腿のホルダーはスカートで隠れるためか気付かれないだろう。

 

 警棒は父からもらったものだった。父は生前、弦が自分の身を守れるようにと護身術を身に着けさせた。女であることは力で不利なので、警棒などの得物を扱う術と合気道など相手の力を利用する技や、柔道など力をもちいらず相手を抑え込む技をたくさん教えてくれた。

 父が死んでからは父の同僚や自衛隊に所属する知り合い父に頼まれていたと様々なことを教えてくれたりしたのだが、魔法学校で発揮する日がこないといい。

 

 座席に身を預け小説を開く。江戸時代を舞台にしたそれは同心が主人公のそれは下町に起こる不可解な事件を始まりとして展開していく物語だった。このシリーズは最近話題になっているもので、同心が独身で変り者というのがみそだ。

 一巻目の半分にさしかったところで列車が動き出した。気が付けば車内もだいぶ騒がしくなっている。

 それにかまわず読書を続けた。読み終わったときちょうど昼時で用意していたサンドイッチと紅茶をトランクから出した。食べながら読書にふける。車内販売がきたから瓶詰飴を買った。中に入っている大玉の飴は舐めていると味が三回変わるらしい。

 

 二巻目の三分の一あたりでコンパートメントの扉がノックされた。顔を上げたのと同時に扉が開かれる。

 

「ちょっといいかしら?」

 

 開けたのは栗色のボリュームの多い癖のある髪をもった女の子だった。すでに制服に着替えている。後ろにはやはり制服に着替えたちょっとぽっちゃりとした少年が立っていた。少女は気の強そうだが、少年はオドオドと気弱そうだった。

 

「カエルを見なかった? ネビルのカエルが逃げたの」

「見ていない」

 

 きっぱりとそういうと少女の気にさわったようだ。しかしそうと気付いていながら弦はネビルというらしい少年に声をかける。

 

「どんなカエル? 魔法生物なのか?」

「あ、う、うん……ばあちゃんが買ってくれたペットなんだ。ヒキガエル」

「ふーん……見かけたら教える。列車が発車していなくなったならいるだろ。それに乗客が降りたら点検があるはずだ。魔法生物は頭が良いし、自分で戻ってくるかもしれない。自分のペットならあまり不安になることもない」

 

 弦の言葉にネビルは少しだけ元気が出たようで、ハーマイオニーもちょっと意外そうにこちらを見ていた。そんな二人に瓶詰飴を三つずつ渡すと二人は次のコンパートメントに行ってしまう。

 やはりペットは買わなくてよかったと思っていることをあの二人は知らないはずだ。

 

 

 

 

 小説を三冊ほど読み終える頃にホグワーツについた。トランクに全ての荷物を入れて外に出る。到着五分前のアナウンスで荷物は置いておけば寮に届けておくとあったので、名前札をよく見えるようにしておいた。

 一年生は身の丈が二メートル以上ある大男に案内された。二年生以上は別ルートがあるらしい。

 

 よく滑る整備されていない山道のような道を進み、それぞれ小舟にのせられ湖を渡る。見えてきた大きな城に目を奪われたり、葦のカーテンに頭を下げたりと忙しない一年生たちは、城の玄関につくと女性の教授に引き渡された。

 女性はマクゴナガルというらしく、エメラルド色のローブとひっつめられた黒髪、三角帽子、そして厳格そうな顔。女性にしては背の高いのもあって、とても厳しそうな印象を受ける。

 

 その先生は生徒達を中に招き入れると小部屋に通し、そこでこれから行われる儀式の説明を始めた。

 組分けと呼ばれるそれはそれぞれがこれから卒業まで所属する寮を決めるらしい。寮は全てで四つあり、ホグワーツでの家はそこだと彼女は言った。善い行いは寮の得点となり、悪い行いは寮の減点を招く。学年末までに一番得点を稼いだ寮には寮杯が贈られるとのことだ。

 

 準備ができるまで待機を言いつけたマクゴナガルは先に会場である大広間へと入ってしまう。そこに全校生徒がいるようで、ざわめきは壁を通過して小部屋まで聞こえてきていた。

 待機していた一年生の中には組分けの方法を知らずに不安がる者とすでに知っているのか落ち着いている者、まったく関係ないと言う顔をしている者、さまざまだ。列車の中で言葉を交わした少女は呪文のおさらいをぶつぶつと繰り返しているし、ネビルという少年はさきほど見つかったカエルを抱いて真っ青な顔をしている。

 

 弦は緊張などしておらず、入学したからにはいずれかの寮に入れるだろうと考えていた。レティシャはレイブンクローに所属していたそうだし、叔父はスリザリンだったそうだ。なんとなく自分はレイブンクローのような気がした。もしそこだったら、腰のホルダーの色を変えなくてもいいなと思った。

 

 何人もの半透明のゴーストが壁をすりぬけ小部屋を通過し、大広間へと入って行った。ハッフルパフのゴーストと名乗った者は安心させるような温かい態度で新入生たちに話しかけた。

 それからすぐにマクゴナガルが戻ってきた。一列に並ばされ、とうとう大広間へと入る。

 

 入り口から奥に向かって四つの長いテーブルが伸びるように置かれていた。四つの寮それぞれのテーブルなのか、座っている人たちネクタイの色は面白いくらいに揃っていた。天井は魔法がかけられ外の天気をそのままうつしだしているようだったし、空中には何本ものキャンドルが浮かんでいた。テーブルの上には金色の食器がきらきらと光を反射ししながら並べられている。広間の奥には寮のテーブルとはちがい横に置かれた長テーブルがあった。中央に座るのはダンブルドア校長だろう。左右に教員が座り、新入生はそのテーブルの前に横一列に並ばされた。

 

 マクゴナガルが一脚のスツールと古ぼけた帽子を持ってくる。新入生たちの真ん前にスツールを置き、その上に帽子を乗っけた。

 黒の三角帽子はぴくぴくと動き、そして突然歌いだした。

 

 

 私はきれいじゃないけれど 人は見かけによらぬもの

 私をしのぐ賢い帽子 あるなら私は身を引こう

 山高帽子は真っ黒だ シルクハットはすらりと高い

 私はホグワーツ組み分け帽子 私は彼らの上を行く

 君の頭に隠れたものを 組分け帽子はお見通し

 かぶれば君に教えよう 君がいくべき寮の名を

 

 グリフィンドールに行くならば 勇気ある者が住まう寮

勇猛果敢な騎士道で 他とは違うグリフィンドール

 

 ハッフルパフに行くならば 君は正しく忠実で

 忍耐強く真実で 苦労を苦労と思わない

 

 古き賢きレイブンクロー 君に意欲があるならば

 機知と学びの友人を ここで必ず得るだろう

 

 スリザリンではもしかして 君はまことの友を得る

 どんな手段を使っても 目的を遂げる狡猾さ

 

 かぶってごらん! 恐れずに!

 興奮せずに、お任せを!

 君を私の手にゆだね(私は手なんかないけれど)

 だって私は考える帽子!

 

 

 どうやら組分けの儀式を行うのはあの帽子らしい。歌い終わった帽子に盛大な拍手が送られる。弦も普通に両手を叩く。帽子は広間中にお辞儀した後、再び沈黙した。

 マクゴナガルが巻かれた羊皮紙を取り出した。それを広げ、アルファベット順に名前を呼んでいく。弦の苗字は水無月なのでイニシャルは「M」だ。ということは中間あたりになる。

 

「ミナヅキ、ユヅル!」

 

 半分ほど組分けされた頃に弦が呼ばれた。何の気負いもせず列から外れスツールに座る。頭に帽子が乗せられた。

 

「ふーむ……君はアクロイド家の血をひいているな?」

 

 直接頭に響いてきた声に弦は少しだけ驚いた。寮の名前を叫んでいるだけのように見えたが、こうやって話しかけていたのだろう。妙に時間が長くかかっていた人もいたし、すぐに決まった人もいた。ちなみに弦のすぐ前にいた金髪の少年――マルフォイだったか。彼は触れるか触れないかというとても短い時間でスリザリンと叫ばれていた(本人もそれを当然のように振る舞っていた)。

 

 帽子は少し唸った後に「レイブンクロー!」と声高に叫んだ。青いネクタイをした人達から拍手が起こり、帽子をとられた弦はスツールから降りてそのテーブルに向かった。空いている場所に座る。

 

 残りの組分けも無事終わり(あの有名なハリー・ポッターのときだけはちょっと騒がしくなったけれど)、校長がわけのわからない言葉を短く言ったあとにテーブルの食器に食べ物が溢れた。量もある豪華なそのイギリス料理に新入生たちは歓声をあげ、上級生たちは我先にと手を出す。

 弦はまず野菜からとサラダをとる。イギリス料理というのは世界の中でもまずいと言われるが、慣れてしまえば平気だろう。慣れるまでが問題なのだ。それにときどきは和食が食べたい。厨房のような場所があるならその場所を知りたいところだ。

 

 おしゃべりをしながら物を食べるというのはかなり賑やかなことのようだった。家では一人で食事をとっているのとかわらないので話すこともなく、弦はただ無言で空腹を満たした。すると隣にいた黒髪の少年がこちらに目を向けた。同じ新入生だったはずだ。

 

「俺、テリー・ブート」

「……ユヅル・ミナヅキ」

「ユヅルでいいか? 俺もテリーでいいから」

「かまわない」

 

 テリーは快活な少年で、弦が話さなくとも隣で勝手に話しているような人だった。弦も頷いたり短く返事をしたりしているから遠慮せずに話し続けている。

 

「ユヅルは東洋人だよな?」

「ん、まあ……でも片親がイギリス人なんだ」

「ハーフか! やっぱり親もホグワーツに?」

「母がそうだって聞いてる」

 

 満腹になってきたころにテーブルの上から料理が消えた。代わりにさまざまなデザートが並ぶ。その中から弦はカットフルーツをもらった。爽やかな酸味がすっきりとして美味しい。

 テリーの話はクディッチに移っていた。彼はクディッチが好きらしく、弦が知らない国ごとのチームの特徴などを熱く語った。幸いにも弦はクディッチのルールにおおまかに知っていたから相槌を打つことができた。

 

 デザートがテーブルから消えたと思ったら、ダンブルドアが立ち上がった。注意事項をいくつか話す。禁じられた森は生徒が立ち入ってはいけない。四階の廊下の奥は立ち入り禁止。この二つが弦の頭に残る。

 それからメロディが定められていない校歌を斉唱し(定められていないおかげで終わりはばらばらだった)、生徒達は就寝のために一斉に寮へと帰ることになった。一年生は五年の監督生に率いられる。

 

 寮は隣接していないために廊下が四つの寮で渋滞するようなことはなかった。レイブンクローは四つの寮の中で一番高い場所にあるらしい。上へと伸びる螺旋階段を上ると鷲の形をしたブロンズ製のドアノッカーのついた扉があった。そのドアノッカーが出した問題に正解しなければ扉は開かないらしい。監督生がそれに答え扉が閉じぬように抑えると、新入生は談話室の中に次々と足を踏み入れた。

 

 談話室はレイブンクローのカラーであり青色を基調としており、天井と床には星が装飾されまるで星図盤のようだった。部屋の角には大理石製の女性の像があった。あれがレイブンクロー寮を創ったロウェナ・レイブンクローだろう。

 女子寮と男子寮、規則を説明した監督生は最後に「レイブンクロー生として誇りを持って授業に挑んでくれ」と締めくくり解散を言い渡した。

 

 弦はテリーと別れるとすぐに女子寮の階段を上り自分の部屋を捜した。扉のネームプレートを見て判断する。どうやら自分は三人部屋らしい。中に入ると四つのベッドと勉強机、椅子、棚が置かれ、部屋の中央にはストーブがあった。やはり青が基調とされている。三人分の荷物の中から自分のトランクをとると、端のベッドをとった。こういうのは早い者勝ちだと思う。

 

 トランクを開き、棚や勉強机に荷物を置くとさっさと制服を着替えた。就寝時に使っているラフな服は長そでの薄いTシャツに短パンだった。イギリスの夜は過ごしやすいみたいだ。その分冬は寒いのだろう。考えるだけで嫌になる。

 薄手のカーディガンを羽織ってベッドの上で本を広げていれば、二人ほど部屋に入ってきた。ルームメイトだろう。確か自分以外のネームプレートには「P.Patil」「L.Turpin」となっていたから、彼女たちがパチルとターピンだろう。

 

 どっちがどっちかはわからなかったが、黒髪のいかにもオシャレに気を使っていますという方は弦を見て眉をしかめた。自分が大衆受けするどころか遠巻きにされると言うのは自覚しているのでかまわない。

 結局二人と話すことはなく、ベッド一つあけて二人は自分達の場所を決めた。

 

 あとに黒髪のほうがパドマ・パチル。もう一方の金髪のほうがリサ・ターピンだと知った。

 

 

 





 誤字報告がありましたので、四か所ほど誤字を訂正いたしました。
 ありがとうございました。
 これからもよろしくお願いします。


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第三章

 

 

 授業内容は考えていたよりも難しくなく、弦は変に焦ることもなかった。一年生は必修科目ばかりなのでほぼテリーと共に行動し、授業以外の時間は図書室で勉強か読書をするようになった。

 談話室や寮の部屋はあまり居心地が良いとは言えず、それは自分の容姿が原因なのだとわかっていても変える気はさらさらなかった。それに授業で点さえ稼いでおけば友達も作らず一人でいても一匹狼なのだと認められたようなので気にしなかった。

 

 というか、談話室に居づらい原因はなにも弦にだけあるわけじゃない。

 

 弦はともかくどの授業でもその優秀さを評価されていた。薬草学では扱う植物に誰よりも詳しかったし、魔法史ではほとんどが寝てしまう中でもしっかりノートをとって最初から最後まで眠らなかった。呪文学では呪文を一発で成功させ、変身術ではマッチ棒を銀色のとがった針に変えた。闇の魔術に対する防衛術では先生の質問によどみなく答え、天文学では綺麗な星図をかいた。魔法薬学では誰よりも素晴らしい薬をつくったし、飛行訓練では難なく箒を乗りこなした。

 

 弦からすれば薬草学や魔法薬学はできて当然のことだし、呪文学や変身術だって今はそこまで難しくない。闇の魔術に対する防衛術や天文学は知識でどうにかなる。みんなの眠りを誘う魔法史は手を動かしていれば眠くはならない。箒だって自信を持てば初心者でも乗りやすかった。というか運動神経は生まれつきのものなので優秀だと言われてもどうしようもない。

 

 今のところ死角なしの彼女に同寮同輩のマイケル・コナーはプライドを刺激されているらしく、つっかかってくることはなくてもかなり敵視してくる。だから談話室には居づらいのだ。図書室で一人でいるほうが何倍もいい。

 

 そういえばもう一人、グリフィンドールのハーマイオニー・グレンジャーにもライバル視されているようだ。まあ、彼女の場合はいくらか友好的なのだけど。

 

 テリー以外とたいした交流もなく二か月たち、ハロウィーンの日になった。日本でも限定的な場所がお祭り騒ぎ(伝統もクソもないただの祭り)になるこの日はホグワーツも例外ではないらしい。ここは本場だからそれなりにみんな楽しみにしているらしく、城内も甘いお菓子の臭いがどこからか漂ってきていた。

 

 甘いものが苦手なわけではないが、やはりイギリスのお菓子は甘すぎる。列車の中で買った飴玉はフルーツ味で好みだったが、クッキーやミルクチョコレートといったものは日本の一般的な製菓よりも甘かった(甘い臭いを辿れば厨房に行けるかとも思ったが、どこも甘い臭いがして断念した)。

 テリーに「トリック・オア・トリート」と言われ通販で定期的に補充している飴を渡せば彼はその場で口にいれた。透明な包み紙を無造作にポケットに入れる。

 

「ユヅルは?」

「いい。自分のがあるし」

「ふーん」

 

 別に誰もテリーのように言ってこないだろうと高を括っていたのだ。それにハロウィーンでも変わらず図書室にいるつもりだった。あそこは飲食禁止なので心配はいらない。

 授業後に図書室で課題を終わらせ読書にふけっていれば夕食が始まる時間を大幅に過ぎていた。早くしないと甘ったるいデザートの時間になってしまうと図書室をあとにした。途中でお手洗いに行きたくなったので手近の女子トイレに入る。

 

 しかし入ってすぐ失敗したと思った。いくつかある個室の一つからすすり泣く声が聞こえてきたのだ。扉がしっかりしまっている。入っているのは生徒だろう。

 ともかく用を済ませようと一番離れた個室に入った。弦が入ってから声は潜められたがこらえきれない嗚咽が続いている。

 手を洗ったあとに弦は嗚咽の声がハーマイオニー・グレンジャーであることに気が付いた。気の強い彼女が泣いているのは単純に珍しいなと思いながら、気まぐれに声をかける。

 

「早くしないと喰いっぱぐれるぞ」

 

 その声に「ユヅル…?」とか細い声が帰ってきた。弦は仕方ないとしまっている個室に近づきもう一度声をかける。

 

「ハロウィーンだろう。もったいないんじゃないか?」

「ほうっておいて! あなただって私のこと悪魔みたいだって思ってるんでしょう!」

 

 被害妄想がすぎる。

 

「誰かにそう言われたのか?」

「……」

「無言は肯定とみなすぞ」

 

 弦は小さく息を吐きだした。まったく、なんともデリカシーのない発現をした馬鹿がいるものだ。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーはグリフィンドールに所属する優等生だ。規則に厳しく、勉強が好きでとても優秀。彼女はグリフィンドールでなければレイブンクローに入っていただろう。頑固で自他共に厳しいようだが、それだけ規則を重んじているということである。ともかく真面目なのだ。気も強く物言いもちょっと気取っているからぶつかる奴とはぶつかるだろう。友達と言える友達もいないようだったと弦は考えた。

 

「君は確かに真面目で規則を重んじる。気も強いし頑固だ」

 

 だが彼女の本質はどこまでも優しい。周りに規則のことを言うのだって、寮の減点を少しでもなくそうとしているだけだ。全体を見ている証拠である。

 

「だが君は自分本位じゃない。周りを思って行動することもある。それをわからない周りが悪い。かといって君に非がないわけじゃない。話を聞いてほしいならもう少し穏やかな物言いにしろ。意見を押し付けるだけじゃ伝わらない。そうやって泣くだけ自分を追いつめていたんだ。もう少し勉強以外に時間を割け。本を読むのが好きなら物語でもいい。勉強以外の本を読めば少しは気分を張れるだろ。君にお勧めなのは旅行記だな」

 

 弦がそう言い終えるころには彼女は落ち着いていた。そっと扉が開けられおずおずと顔を出す。目が腫れていた。

 

「……いつからいたんだ。すっかり目が腫れてる。今夜は冷やしながら寝るしかないな」

「わかってるわ……ユヅル、ありがとう。あなたってしゃべるときにはしゃべるのね」

「それが必要なことだったらな」

 

 すっかり時間をくってしまったわけだが、別に悪い気分ではなかった。

 

 

 

 

 ハーマイオニーに顔を洗うように促せば彼女は従った。ハンカチで顔を拭う彼女をなんとなしに待っていると、異臭が鼻につく。

 

「あ?」

 

 思わず訝しげな声をあげた弦が鼻を覆えば、ハーマイオニーも気付いたのか同じように鼻を覆う。次いでドシンドシンと重い足音が聞こえてくる。

 

「ね、ねえ……ユヅル。私、なにがいるのかわかるわ」

 

 ハーマイオニーの声は震えていた。

 弦も硬い表情で言う。

 

「私はわかりたくなかったよ」

 

 トイレに入ってきたのは二人の身長を足しても足りないくらい大きなトロールだった。鼻につく異臭は彼らの特徴の一つであるし、巨体の足音は重く響く。

 二人は獣のような雄叫びをあげたトロールから全速力で離れた。ハーマイオニーは悲鳴を上げつつ壁に張り付き、自分を守るように前に立つ弦の背中を掴む。弦は右手で杖を抜き、トロールに向けた。しかし一年生が使える呪文などたかが知れている。あんなに大きなトロールには警棒だって無駄だろう。

 

 さてどうしようかなと他人事のように考えたところでトイレに突入してきた無謀な二人組がいた。

 ハリー・ポッターとロン・ウィーズリーだ。

 二人はトロールが破壊したものの残骸から投げれるものを拾い上げてトロールの気を反らす。二人に気付いたトロールが背を向けたので、弦はチャンスとばかりにハーマイオニーの腕をつかんで走り出した。

 

 引きずられそうになりながらも懸命に足を動かすハーマイオニーをつれて弦はトロールのすぐわきをすり抜け、ハリーたちのもとへ駆けこんだ。

 トロールが棍棒を振り上げる。それに向けてハリーとロンが同時に魔法をかけた。浮遊呪文だ。二人の詠唱が重なり、完成した時には棍棒はトロールの手から奪われていた。それが脳天に落とされトロールはふらりと膝をつき、頭を抱えるように背中を曲げる。

 

 その隙を弦は見逃さなかった。左太腿のホルダーから警棒をぬき、折りたたまれたそれを一振りで形態変化させる。三段式のそれは縮めた状態の三倍の長さとなった。

 警棒を扱う護身術は所謂「特殊警棒術」と呼ばれ日本の警察などに取り入れられている技術だ。父からそれを伝授され、さらに彼の死後はその同僚たちに鍛えられた弦はその手によく馴染む警棒を技も何もなく思いっきり振り上げ、そして振り下ろす力に自重を加えながらトロールの脳天に叩きこんだ。

 

 トロールは完全に気を失った。弦は後ろに跳んで距離をとり、トロールが起き上がらないことを確認すると警棒を縮めてホルダーにしまう。

 ハーマイオニーがへなへなと座り込み、ロンとハリーが大きく息を吐きだしながら力を抜いた。

 

「これ……死んだの?」

「いや、ノックアウトされだだけだと思う」

「縛れれば一番いいんだが、この巨体にそれは難しいな」

 

 こんなことなら縛り呪文も縄を出す呪文を覚えておけばよかった。

 弦は徐々に血色を取り戻していく三人を見て、これだけ騒いだらただでは済まないなと思っていた。その証拠に何人かの足音がこちらに近づいてきている。

 まず最初にトイレに入ってきたのはマクゴナガルで、それを見た弦はどう弁解したものかと小さく息を吐きだした。

 

 

 

 結局、減点されたのはハーマイオニーだけだった。彼女がマクゴナガルと、そのあとにきたクィレルとスネイプに向かって堂々と(この場合は躊躇いもなくと言った方が正しいか)嘘をついたためだ。

 

 彼女は自分がトロールを倒せるのだと考え、トロールを探しに来たのだと言った。しかし本で読んだ以上に実物は大きく恐ろしく、逃げこんだトイレにユヅルがいたのだと彼女はうそぶく。そこで弦と共に追い詰められ、そこに助けに来てくれたのがハリーとロンだったとはっきりと証言したのだ。二人がトロールに膝をつかせるほどのダメージを与え、弦がトドメをさしたことまで彼女は明言し、三人はなにも悪くないのだと、悪いのは自分一人なのだとマクゴナガルに示した。

 

 マクゴナガルはその場でハーマイオニーを五点減点し、先に彼女を帰した。それからハリーとロン、そして弦にも事実を確認し三人がさもそれが事実ですというふうに頷くと納得して、一人五点ずつ与えてくれた。

 弦がなぜトイレにいたのかという理由についてスネイプが怪しがっていたが生理現象ですと告げれば沈黙した。マクゴナガルはもう少し恥じらいを持てとばかりに顔をしかめたが、弦は痛くもかゆくもなかった。

 

 三人もすぐに寮へと帰された。弦はハリーとロンとなんの惜しげもなく別れ、さっさとレイブンクロー寮にむけて歩き出してしまう。その背中をロンが呆然と見ている横で、ハリーが「ユヅルって本当にドライだよね…」と呟いているなど知らずに。

 

 寮に帰った弦は談話室で賑やかにハロウィーン・パーティーを楽しむ寮生たちを見てさっさと部屋に引っ込んだ。

 早々にベッドにもぐりこみ、さきほどの戦闘経験を振り返る。

 

 あのトロール、もう一発くらい殴っておけばよかった。

 

 

 

 

 

 あのトロール事件以来、ハーマイオニーはハリーとロンの二人組に加わり、すっかり三人は仲の良い親友となっていた。

 その三人(主にハーマイオニーとハリー)は弦にも親しげに接してくれるため、弦は図書室で彼らの課題を手伝うことが増えてしまった。多くは弦が読書する横でハリーとロンが課題に苦戦しそれをハーマイオニーが教えるという状況が出来上がるのだが。ちなみにハーマイオニーが困ったら弦が口を出す。

 

 その三人のもっぱらの興味はグリンゴッツから盗み出されたものと、四階の廊下の先にいる三頭犬のことだった。なんでもその三頭犬は何かを守っているらしく、その何かがグリンゴッツから盗み出されたものだと三人は考えているようだった。

 ぶっちゃけ弦は面倒事だと煙たがったが、彼女が無視できずにいた不確定要素があった。

 

 少し前にあったグリフィンドール対スリザリンのクディッチ戦で、ハリーの箒が暴れたのだ。呪いが欠けられたとしか思えないその暴れように会場中が肝を冷やしたのは記憶に新しい。そのハリーのデビュー戦にはテリーに引っ張られて弦も渋々観戦していた。

 生徒達が箒を惑わすほどの呪いをかけられるとは思わず、弦はまっすぐ教員席を貸してもらっていた双眼鏡で見た。するとそこにはハリーを凝視して口を動かすスネイプ、そしてクィレルがいたのだ。

 

 グリフィンドールにいたハーマイオニーたちはスネイプしか見ていなかったようだが、弦には確かに二人とも口を動かしていたように見えた。つまりどちらかが呪いをかけ、どちらかが反対呪文を唱えていたのだ。

 ハリーたちはスネイプを犯人だと断定しているようで(それぐらいハリーたちグリフィンドールに対するスネイプの態度は理不尽)、弦に熱心にその話をしてくれた。そしてハグリットから聞きだしたニコラス・フラメルという人物が今回のことに関わっているということも教えてくれたのだ。

 

 弦はまず三人に可能性としてスネイプ犯人説は正しいとは言いきれないと言った。

 

「なんでだよ!」

 

 ロンがすぐに意を唱えたが、弦は冷静だ。もともと彼はレイブンクロー生という理由でハリーやハーマイオニーより弦に親しげではなかった。

 まるで「スネイプが犯人ではないと断定した」と彼は思っているようだったのでそれを訂正する。

 

「誰もスネイプが犯人じゃないと言ったわけじゃない。可能性の話をしているだけだ」

「可能性?」

「あのときクィレル先生も口を動かしていた」

「それは反対呪文を……」

「落ち着け。まずは話を最後まで聞いてくれ。別に君達の考えを否定しているわけじゃない」

 

 弦は一つ溜息をつくと、とつとつと自分の考えを話しだした。

 

「まずあの場で呪いとその反対呪文がハリーの箒にかけられたことは間違いない。呪いのほうはハリーの箒を暴れさせ、反対呪文はそれを抑えていた。反対呪文がないとハリーは箒から振り落とされていただろう」

 

 ハリーは顔を青くしたが、彼は弦の言葉の続きを待った。

 

「そのあと教員席でおきたボヤ騒ぎで呪いは止まり、同時に反対呪文を止まった。ここでよく覚えておいてもらいたのが、ボヤのせいで二人ともハリーから眼を離したからどちらが呪いをかけていたのか断定できないことだ」

 

 呪いをかけるには対象をよく見ていないといけない。それは呪いをかけるときの基本だ。

 

「そこで可能性の一つ目。スネイプ先生が呪いをかけ、クィレル先生が反対呪文を唱えていた」

 

 三人がうんうんと頷く。

 

「可能性の二つ目。クィレル先生が呪いをかけ、スネイプ先生が反対呪文を唱えていた」

「それはないよ!」

 

 ハリーが我慢ならないとばかりに声をあげた。それに弦は「言うと思った」と呟く。

 

「スネイプは僕が嫌いだ!」

「だろうな。君がスネイプ先生の標的にされていることぐらい知ってる。だが私がそう考えたのには根拠がある。もう一度言うが最後まで聞け」

 

 とりあえず落ち着かせるために三人に瓶詰飴を渡した。すぐに三人がそれを口にいれるのを見届けてから再び口を開く。

 

「呪いや反対呪文に関してはクィレル先生は防衛術の担当教授だからどちらを知っていても不思議じゃない。反対呪文を覚えるならそれの対となる呪いを知っていなければ意味ないからな。防衛術の教授になるくらいだ。防衛術と同じくらい闇の魔術について知っているだろう」

 

 弦に三人は反論できないようだった。

 

 毒は人を害することもあるが薬にもなる。それはどんなことでも言えた。魔法にだって毒となるものも薬となるものもあり、ようは使い方が重要なのだ。魔法が悪いわけではない。使う人間が悪いのだ。

 

「スネイプ先生のほうは長年、防衛術の教授になりたがっているという噂を聞いた。それならそれだけ自信があるとみて間違いない」

 

 個人的には、あの人の才能は魔法薬学にこそあると思うけれど。

 

「つまりスネイプ先生はクィレル先生と同じくらいかそれ以上に防衛術も闇の魔術も知っていると言う事だ。二人とも犯人になりえるのはこれで理解してもらえたか?」

「うん……それはわかったけど……」

「不満そうだな。まあ、それはいい。問題は二人ともそれだけ実力があるってことだ。どちらが犯人にしても警戒していたほうが良い」

 

 最後の言葉に三人は眼を見開いた。どうやら三人が三人ともスネイプを弁護したがっていたように聞こえていたらしい。

 

「教師だって犯罪者になることもある。可能性の三つ目。二人がタッグを組んでいて、わざとそうしている」

「まさか!」

「真実は紐解かなければわからない。その紐のときかたを私たちは知らない。可能性として頭に留めておけばいい」

 

 そう言った弦にハリーが尋ねた。

「ちなみにユヅルはどの可能性がいちばんあり得ると思う?」

「二番目。クィレルのどもり方はちょっとひっかかる。わざとらしい」

 

 ロンが鋭く切り返す。

「その根拠は?」

「勘」

 あっけらかんとそう言った弦にロンはぽかんとした。

 

 ちなみに言わせてもらえばただの勘じゃない。刑事だった父から教わった人間観察に基づく勘だ。しかしそれを説明するのも面倒だし、所詮は勘なのでそれで押し通す。

 ともかく三人は弦を仲間だと決めたらしい。なんでもかんでも相談してくる。勘弁してくれ。

 

 図書室で課題をするハリーとロンの横でハーマイオニーは本をめくる。冬休み間近で十二月に入ってから一番寒いのではないかと思うぐらい、今日は朝から寒かった。

 膝にかけた厚いストールがずれたのでひきよせていれば、ハーマイオニーは本を閉じて息を吐きだした。どうやらその文献でもニコラス・フラメルについて見つけられなかったらしい。

 

「ねぇ、ユヅル。ニコラス・フラメルって誰だと思う?」

「知らない。ダンブルドアの関係者ならダンブルドアの功績でも調べて見たらいいんじゃないか? 共同研究でもしてれば名前ぐらい載ってるだろうよ」

「あれっ?」

 

 ハリーが声をあげた。聞けば彼はもともとニコラス・フラメルという名前にひっかかっており、いま弦が言った「共同研究」という言葉にも覚えがあるらしい。

「どこだったっけ?」

「君が見るものと言えば教科書か……あとはクディッチ関係、お菓子のパッケージだな。そう言えばカエルチョコのカードにダンブルドアもいるんだろう。見てみたらどうだ?」

 弦の言葉にハリーは笑顔で頷いた。

 

 

 



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第四章

 

 

 あれからネビル・ロングボトムが足縛りの呪いをかけられて飛び跳ねながら移動しているのを見かけ、弦はその呪いを解除し、彼に飴を上げた。彼は泣きながらお礼を言う。どうやらマルフォイにやられたらしい。あのお坊ちゃんは今日も通常運転のようだ。

 

「僕、本当はわかってるんだ。自分がグリフィンドールにふさわしくないって」

「グリフィンドールの誰かにそう言われたのか」

「ううん、違うけど……」

「ならいいじゃないか。同じ寮の人は君を認めてる。組分け帽子が君をグリフィンドールに組分けたのを同じグリフィンドールの人は納得してるんだ。自分を信じられないのなら、周りを信じろ」

 

 ネビルは最後まで泣きっぱなしだった。それでも寮へと変える足取りはしっかりしていたので大丈夫だろう。

 それから少し間を空けて弦は三人がニコラス・フラメルに辿り着いたことをきいた。なんでも高名な錬金術師で、ダンブルドアとの共同研究で「賢者の石」を造りだしたらしい。

 

 「賢者の石」と言えばマグルの間の小説でも錬金術の名が出れば関連して出てくる名称だ。「大エリクシル」、「第五実験体」などいろいろ呼び方はあるようだが、中身は一緒だ。血色のように赤い石で、完全な物質とされている。つまりは高エネルギー体。ほかにも錬金術と関連して有名なのは「フラスコの中の小人(ホムンクルス)」か。これは「人造人間」ともいう。

 

 「賢者の石」といえば金をつくることと不老長寿が連想される。その認識は間違っていないらしい。現実にニコラス・フラメルは「賢者の石」からつくられる命の水で生きながらえているらしく、昨年で六六五歳だそうだ。その妻も高齢(六五八歳)だというのだから、そこまで生きていれば人の世に飽きそうなものだと弦は思った。

 

 ニコラス・フラメルのことがわかったことで三人はすっきりしているようだった。クリスマス休暇を迎え、帰宅する生徒は大勢いる。テリーも帰るようだ。弦は帰らないことにした。コンラッドにもそうすすめられたのだ。

 はっきり言って家に変えれば家事とレティシャの世話というものが付きまとうので願ってもないことだった。別に嫌いなわけではないが、学校にいる間は自由に過ごしたいと言うのも本音だった。どうやら自分で思っている以上に抑圧されていたらしい。

 

 残る生徒は本当にわずからしく、レイブンクローで残るのは話したこともない上級生だった。監督生らしい。ハッフルパフではやはり上級生数名で中に監督生がいた。七年生らしいので試験のために残ったのだろうか。スリザリンでは上級生と二人と同学年一人。同学年の名前がセオドール・ノットであるということはロンから聞いて知った。グリフィンドールでは在学するウィーズリー四兄弟とハリーが残るらしい。

 

 休暇中、弦はやはり図書室にいた。ハリーたちは遊びほうけているらしく、弦も誘われたが寒いからいいと断った。弦が寒さを嫌っていることを二人はよくわかっていた。

 日本はイギリスよりも緯度が低いために、イギリスよりも夏が熱い。しかし逆に冬はイギリスのほうが断然寒い。まあ他にも違うところはあるが、ともかくイギリスの冬は日本の比じゃなかった。保温呪文をわりと必死で覚えたのは十月の終わりだったか。

 

 室内でも藍色のマフラーを手放さない弦はその日も手ごろな本を探していた。魔法史の棚でそうしていれば、隣に人が立つ。数少ない居残り組かと視線を向ければ、スリザリンのセオドール・ノットが同じようにこちらを見ていた。

 クリーム色の柔らかそうな髪に、藍色の瞳を持った彼は同い年の中では背が高めのようだ。見下ろされても威圧感は感じないが。

 

「……」

「……」

 

 お互い無言で視線をあわせていたのは数秒で、どちらからというわけではなく視線を本棚に戻した。

 そう言えば彼の眼は自分の片目と同じ色だし、ということはアクロイド家の特徴と一致する。魔法族の純血はみんな親戚と言うぐらいだから、案外ノット家の先祖にアクロイド家の血でも混ざっているのかもしれなかった。

 

 結局言葉を交わすことなかった。

 

 

 

 

 

 クリスマス・イヴの御馳走に満足して眠りについた翌朝、弦は自分のベッドの上で目を覚ました。そしてベッドカーテンを開けて、そのさきにつみあがっていたプレゼントの小山に目を数回瞬かせる。

 

 イギリスといえばハロウィーン同様、クリスマスの本場だ。日本のなんちゃってクリスマスとは違い、イエス・キリストの降誕祭としてキリスト教の信仰者たちには最も重要な祭りとされる。イギリス流のクリスマスは米国にも広がったもので、クリスマスの前日にクリスマスにちなんだ絵葉書やカードを送る習慣があったり、二十五日に届くようにクリスマスプレゼントを送ったりするようだ。シアンに手紙で色々教えてもらった。

 

 一方で日本と言えば明治維新以前までキリスト教が禁止されていたので、キリシタン以外に受け入れられることはなかった。そのためその本質を知っているのはキリスト教を信仰してきた信者のみであり、明治時代に商社がクリスマス商戦としてそれに乗っかったことで徐々に広まった。習慣になったのは昭和にこの日が大正天皇祭として休日に制定されたときだろうか。サンタクロースは子供達にとってプレゼントをくれるヒーローになった。法律が変わったのちは休日ではなくなったが、すでに年間行事として定着していたために人々はクリスマスを祝った。

 

 イギリスでは家族と過ごす日。日本では恋人と過ごす日。意味合いは違うが祭りごとというのは人間が共通して好むものらしかった。

コンラッドやヴェネッサ、シアンがクリスマスプレゼントを送ってくれるのは毎年のことだった。日本のクリスマスに慣れていたために三者三様の三つのクリスマスプレゼントはもらいすぎだと思っていたが、こちらでは普通のことなのだと九歳ぐらいの時に納得した。

 

 コンラッドは魔法薬を収められる見た目よりも多くのものが入る「小さな魔法薬戸棚」。ヴェネッサはその日の星空を映し出す「星図盤ポスター」。シアンは小さな箱の中の小さなリスのカルテット(ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、クラリネット)が思い浮かべた曲を奏でてくれる「リスたちの四重奏(カルテット)」。

 

 しかしプレゼントはそれだけではなかった。テリーは味が七回に変わる「虹色瓶詰飴」をくれ、ハリーは決して壊れることのない「魔法界一頑丈な眼鏡ケース」、ハーマイオニーは魔法界で最も有名な童話集「吟遊詩人ビードルの物語」、ロンは藍色と白の「ガラス製チェスセット」をくれた。

 

 もちろん弦もプレゼントを送っている。テリーには世界中のクディッチチームについてわかりやすく写真つきで歴史や傾向、伝統を説明する「クディッチ大典」。ハリーにはクディッチのときに仕えるどれだけ水をかけられても弾き飛ばし視界をクリアにする「ニンバス特性防水ゴーグル」。ハーマイオニーにはインクが自動充てんされるだけではなく自分の思った色にインクが色づく「七色の羽ペン」。ロンにはクディッチの応援の際に使える「ニンバス社がお勧めする双眼鏡」。

 

 クリスマスカードを送った人ももちろんいる。その人達も送ってくれていたことには驚いた。同室のリサやパドマもそうだし、二つ上で比較的よく気にかけてくれるペネロピー・クリアウォーターもくれた。最も意外だったのはマイケル・コーナーの友だちのアンソニー・ゴールドスタインからだった。彼にはクリスマスカードを送っていなかったので遅れたお詫びにプレゼントもつけた。四季の移り変わりを映す「絵画のような栞」だ。

 

 魔法薬棚にはすぐに作りためていた魔法薬を収納し、星図盤のようなポスターは自分のベッドの天蓋に張り付けた。リスたちのカルテットは枕もとにおき、その横に瓶詰飴を置く。眼鏡ケースは童話集とともに鞄の中にしまい入れ、チェスセットはトランクの中にしまった。テリーが学校に戻ってきた時に一緒にしようと誘ってみるのもいいだろう。

 

 クリスマスの食事はいつもよりひどく豪華なもので、誰一人としてつまらないと思っている様子はなかった。スリザリンの生徒や、あのスネイプ先生でさえもだ。

 弦はいつもよりお腹いっぱいになった充足感でひどく眠かった。いつもより少し早く寝て、いつもの時間に起きた。快眠だったと大きく伸びをし、いつものように支度を終える。

 

 それからの冬休みは弦にとって絶好の読書日和が続いた。寒いのを嫌う彼女にとって談話室の暖炉の前を陣取れる休暇中はまさに天国だった。おおげさか。

 しかしそれもロンが顔色を悪くして彼女に駆け寄ってきたことで儚く崩れ去った。ガラガラという瓦解音が聞こえたように気がして、弦は浅く息を吐きだした。

 

「ハリーの様子が変なんだ! クリスマスの夜からなんだけど……変な鏡を見つけて、」

「変な鏡?」

「うん。大きな姿見なんだ」

 

 ロンの話を要約すると、クリスマスの夜にハリーのもとにひとつのプレゼントが届いたらしい。それは透明マントで、ハリーの父親のものだったそうだ。ということはポッター家に代々伝わる遺産かなにかだと考えてまず間違いないだろう。差出人の名前はなかったようだが「上手に使え」と丁寧に書かれていたそうだから預かっていた者からと見当をつける。ダンブルドアあたりだろうか。あの人なら完全な透明マントなどなくても呪文でなんとかできそうなものである。

 

 そのマントを使ってハリーは深夜徘徊をしたらしい(褒められたことではない)。そこからいろいろ省いて、結果的に変な姿見がある部屋に辿り着いたと言う事だ。彼はその姿見の中に自分と両親を見たという。三人が並んでいる姿だ。ハリーの姿は今の十一歳のままで、両親はそんな彼に微笑んでくれたと教えてくれたそうだ。

 

 次の夜にロンもついて行ったが、ロンは姿見に自分の姿しか見なかったらしい。それが自分がもっとも理想としている姿らしかった(もちろん、ロンはそんなことを一言も言わず、何が映ったかを事細かに話してくれただけだ。そこから弦が勝手に解釈した)。どうやらその姿見は心の中の望みを映してくれるらしい。

 

 さて、そんな魔法道具があっただろうかと考えを巡らせる。少し前に「魔法道具大典~現代に残る奇跡の遺産~」を読んだ。その中にそんな道具があったような、なかったような。

 

「……あ」

 急な閃きに漏らした呟きをロンは聞き逃さなかった。

 

「覚えがあるんだね!?」

「……それは君達よりも大きな姿見だったんだろう?」

「うん。天井まで届くくらいの背の高い立派な鏡だったよ。金色の枠だった」

「ならそれは『みぞの鏡』で間違いない」

「『みぞの鏡』?」

 首を傾げたロンに弦は頷いた。

 

「鏡の前に立つ人の心の底からの望みを映し出す鏡だ。だから『みぞの鏡』。鏡は姿が反転するだろう? 名前を反転させると『みぞの』は『のぞみ』になる」

「あ…!」

「ハリーが両親を見たのは、彼が心の底からそれを求めているからだ。ロン。君が自分の姿をみたのは、その映った状況に憧れているからだろう」

「そうなんだ…」

 弦の博識に随分と感心した様子のロンを放って、弦は考え込んだ。ひとつだけまずいのは、『みぞの鏡』には一部の人間にとって中毒性があることだ。

 

 ロンのように未来の憧れを映すならまだいい。しかしハリーのように過去の、叶わない望みを映すのはたいへん危険だ。叶わないとわかっているからこそ、心の底からそれを求めてしまうのだ。

 

「ユヅル……ハリーは大丈夫なの?」

「……わからない。鏡に中毒性があるのは確かなんだ。だけどハリーは透明マントを持っているんだろう? いくら君が同室だからってそれをかぶられたら止められない……その透明マントをくれた人はわからないんだったか?」

「うん」

「なら可能性があるのはやっぱりダンブルドアあたりか……うん、よし。しばらく様子を見よう」

「ええっ?!」

 声を上げたロンに弦は動じなかった。予想できていたからだ。

 

「でも食事だってまともにとろうとしないんだ!」

「なら休暇中に倒れるな。医務室にでもぶちこめる。休暇中でよかったな」

「そんな呑気な……!」

「そういうのは一回、痛い目をみたほうがいい。じゃないとこれからハリーはあの手の魔法や魔法道具にひっかかり続けるぞ。あいつの望みはもう叶わないんだ」

「それは、そうだけど……」

 

「ならロン。君がしっかり見張ってろ。君が持つ幸せを、ハリーは知らないんだ。それはハリーが引っかかる罠に君がひっかからないということだ。君が傍にいれば、ハリーは正気に戻れる」

「……うん、わかった。僕、ハリーの傍にいるよ」

 決意を胸に足早に去って行ったロンを見送って、弦はすっと眼を細めた。

 

 ハリーは叶わない望みを鏡に映した。自分は何を映すのだろう。それを見たとき自分は立ち直れないかもしれないと、弦は大きく深呼吸をしてその考えを振り払った。

 

 

 

 

 

 ハリーの様子は数日して元に戻った。ロンは本当に嬉しそうだったし、どうして戻ったのかを弦に教えてくれた。どうやらダンブルドアが気にかけてくれたらしい。やはりあの人は素晴らしく、そして怖い人だ。

 

 新学期が始まり城内が生徒の賑わいを取り戻した。ハリーたちはニコラス・フラメルのことがわかったけれどこの先に進みがようがなかった。賢者の石が立ち入り禁止の廊下の先にあることはわかっていたけれど、スネイプが犯人なのか、クィレルが犯人なのか、はたまたグルなのかわからなかったからだ。

 

 そうしているうちにまたクディッチの試合が近づいていた。ハリーはどうやらしごかれているらしく、二人もそんなハリーのサポートに手いっぱいでフラメル関連の諸々は手を付けられそうになかった。弦も三人から次の試合の審判がスネイプだと知ってひどくグリフィンドールに不利な状況だと悟った。

 

 次はハッフルパフとの対戦だったとテリーが言っていたし、フェアプレー精神が全面に出た試合になるだろう。見に行く価値はあるかもしれない。これがグリフィンドールとスリザリンだったら目も当てられないことになるので、弦は少しだけ試合が楽しみになった。

 

 

 

 

 休日のその日、弦は図書室で本を借りた。これはいつものことだが、それを入れるための鞄を彼女は持っていなかった。平日は授業があるから肩にかけているけれど、ちょっと図書室で本を借りるくらいならと部屋に置いてきたのだ。今日はパチルもターピンもいないようなので、まだまだ寒いし部屋に閉じこもることに決めていた。

 

 弦は廊下の角を曲がろうとした。しかし前方からの衝撃にしりもちをついてしまう。誰かとぶつかったようだ。相手のほうが身体が大きかったから一年生で小柄な弦など簡単にふっとばされてしまった。衝撃で眼鏡も顔から飛んでいってしまい、手の中の本も床に落ちる。

 

「ご、ごめん! 大丈夫かい!?」

 

 ぶつかった相手を見上げる。立っていたのは男子生徒だった。ネクタイの色からハッフルパフ生だとわかる。背も弦より頭一つ半分ほど高いから上級生だろう。ちなみに弦は一年生の内では中ほどの身長だ。

 少年は黒髪で灰色の瞳をしていた。顔立ちは整っている。慌てる相手にかまわず、弦は床に落としてしまった本と眼鏡を拾い上げた。しかし眼鏡を見て眉を寄せる。ガラスにひびがはいっていた。

 

 杖を取り出し「レパロ」と唱え、眼鏡を元通りにする。それをかけて視界が良好なことを確認すると、弦は少年を見上げた。

「ぶつかってすみませんでした」

「こちらこそ、ごめん。急いでいるからって廊下を走るべきじゃなかった」

 本当に申し訳なさそうにする少年は、不意に言葉を留めて弦の顔をじいっと見た。それに弦は内心首を傾げつつ尋ねる。

 

「あの、何か?」

「え、あっ……いや、なんでもないよ。本当にごめん! お詫びをしたいんだけど今は本当に急いでて……名前を教えてくれるかい? 次会った時にお詫びしたいんだ」

「お詫びは別に結構です」

 本当に弦はお詫びなどいらなかった。きっぱりとそれを断って寮に向かって歩き出す。

 

 その後ろ姿を少年が見えなくなるまで見ていたことに弦は気が付かなかった。

 

 

 

 

 それから数日して、弦は図書室で本を読んでいた。その日の授業はすでに終わり、テリーは一足先に談話室に戻って行ったから一人だ。

 黙々と本を読み棚に戻してまた次の本を読む。それを二回繰り返したところでトントンと肩を叩かれた。振り向けばあのときの上級生が立っていた。

「やあ。やっと会えた」

 

「……どうも。何か御用ですか?」

 言外にさっさと要件を言えと醸し出す弦に少年は苦笑しつつ口を開く。

「この前のお詫びがしたいんだ」

「それは断ったと思いますけど」

「うん。でも僕の気が済まない。女の子にぶつかっておいて何もなし、じゃあね」

「はあ……」

 

 さすが紳士の国。彼はまっとうに育てられたようだ。スリザリンのお貴族坊ちゃんにも見習ってほしいところである。今のところ弦に害はないけれど。

「……」

 弦は何かないかと考えたあと、一つ閃いた。

「厨房の場所ってわかります?」

「厨房?」

「ええ。私、故郷が遠いから休暇中は帰省しなかったんですけど、そろそろ本当に故郷の料理が恋しくて。厨房のはしっこでもいいんで借りたいんですよね」

「ああ、成程ね。オーケー。 案内するよ」

 さすが上級生。聞いてみるものである。

 

 彼はセドリック・ディゴリーと言うらしい。ハッフルパフの三年生だそうだ。弦もちゃんと名前を名乗り、厨房まで案内してもらった。

 

 グリフィンドール寮のように絵画が入口のようで、絵画の中にある洋梨をくすぐるとドアノブになるのはおもしろい仕掛けだと思った。

 厨房の中は忙しなく屋敷しもべ妖精が動きまわっていて(初めて彼らを見たがちっともメルヘンじゃない)、弦とセドリックを手厚く歓迎してくれた。

 

 弦のお願いを妖精たちは快く受け入れてくれた。材料のほうは叔父に頼めば送ってくれるだろう。次に来たときに彼らと一緒に料理をすることを約束した。

 お詫びには十分どころか過ぎることだ。だってこれから卒業まで弦は好きな時に和食が食べられるのだから。

 そのことをセドリックに告げると、彼は笑って「じゃあ何か頼みたいことができたら尋ねるよ」と言った。それに頷いて別れる。

 

 まさか上級生、しかも他寮生に知り合いができるとは思わなかったとあとになって考えた。

 

 

 



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第五章

 

 セドリックから厨房の場所を教えてもらった弦の機嫌は良かった。そのままを保てればよかったのだが、そうは問屋がおろさない。

 ハリーが挑んだグリフィンドール対ハッフルパフ戦をいつものようにテリーにひっぱられて見に行った。そこでセドリックがハッフルパフのシーカーだと初めて知ったのだ。どちらを応援するわけでもなく成り行きを見守っていると、やはりスネイプはグリフィンドールに不利な審判をした。あのマクゴナガル先生だって我慢するように身体を震わせていたくらいだ。

 

 そんな試合はすぐに終わった。ハリーが最短記録でスニッチを掴んだからだ。呆気にとられた会場は次の瞬間に爆発したような歓声をあげ、ライバルのセドリックは心底感心していたようだった。それでも悔しいそうではあった。

 弦の機嫌が落ちたのはこの後だ。ハリーが試合後にスネイプとクィレルの会話を聞いたと言う。二人は禁じられた森の中で脅し脅されの状況だったようで、もちろんこの場合脅していたのはスネイプだ。

 

 二人の会話からハリーたちは自分達の推理(弦も含められた)が正解だと言うことを確信したらしい。三人は今度こそスネイプが犯人だと断定した。状況をきく限りはスネイプが大変怪しいので弦も反論はしなかった。納得など毛頭してないが。

 三人がクィレルをひそかに応援している間に日はたち、進級のかかった試験が十週間後にせまっていた。先生たちは山のように宿題をだし、ハーマイオニーは予定表を作って燃え上がっていた。

 

 復活祭と呼ばれるイースター前後の休暇はほぼ宿題に追われた生徒が多く、テリーも面倒くさそうに片付けていた。休暇の半ばで全ての宿題を終えた弦は彼を手伝いつつさまざまな本を引っ張り出して読書に励んだ。

 ハリーたちがこれ以上賢者の石に関わるのなら、とてつもなく面倒くさい状況になりそうだった。ハロウィーンのときのようにトロールと戦闘なんてことになった日には、次こそ死んでしまうと弦は役立ちそうな呪文からそうじゃない呪文まで知識を漁った。

 

 縛り呪文や縄を出す呪文、失神呪文に麻痺呪文、武装解除呪文などなど役立ちそうな呪文の中でも特に目を引いたのが守護霊の呪文だった。自信の守護霊を呼び出すその呪文は主に吸魂鬼(ディメンター)と呼ばれる魔法生物に有効なのだそうだ。吸魂鬼は魔法界の牢獄<アズカバン>の監修をしている生物で、人間にとっては悪しかならない「魔」そのものだ。さすれば守護霊の呪文は魔を祓うためのものだろう。

 

 しかし守護霊の呪文はとても難しいようで、五年時にある普通魔法レベル試験(略してO.W.L)以上であり、その威力は三つの段階にわかれているようだった。初め杖先から出る霞が盾の形をとり、それが有体、つまり自身の守護霊の形に変化する段階に持っていくまでがすでに高度だと記述され、さらにその上に守護霊に伝言を預け届けさせることができると書いてあった。ぜひとも覚えたい。

 

 けれど今の段階では弦は覚えられないだろうとそれは諦めた。先に初歩的な呪文から順々に覚えていくしかないだろう。来年こそはと心に決めて呪文集をめくる。

 杖から縄を出したり、それで物を縛ったりという呪文は上手くできるようになったが、失神呪文や麻痺呪文、武装解除呪文は相手がいなければ練習にならなかった。動物を捕まえて試すと言う少々倫理にかけたやり方は実行したくなかったので杖先から呪文が出て、それが目標物に問題なくあたるかという練習をした。命中率は徐々にあがっていった。

 

 そういう秘密特訓はすべて一人で行っていた。比較的一人で行動する弦が少しの間姿を消しても誰も疑問に思わなかった。

 そうして二週間ぐらいたつと、弦はハリーたちの様子がどこかおかしいことに気付いていた。しかし彼らが弦に言ってこないのならと放っておいた。巻き込まれないならいいやという思いがあったことは認める。

 

 しかしとうとう巻き込まれた。どうやらハグリッドが自身の森小屋でドラゴンを秘密裏に飼っているらしいのだ。聞いてすぐに弦は顔を手で覆った。そして叫びたいのを我慢した押し殺した声で「馬鹿か!」と唸った。

 

「ドラゴンの飼育は法律で禁止されているんだろう」

「そう言っても聞かないんだよ」

 三人はひどく疲れていた。ばれたらハグリッドは間違いなくクビになるからだ。ドラゴンはあと数週間もすれば小屋と同じかそれ以上に大きくなってしまうとロンは言った。「あの阿呆……」と弦は心底呆れてしまった。

 

 ともかくなんとかしようとハリーたちはロンのお兄さんの一人にドラゴンキーパーがいるからとその人に連絡したらしい。返事待ちだという。懸命な判断だと弦は思った。

 ここ最近は頻繁にハグリットの小屋を出入りしている三人に加え、弦までそこに加われば疑われる原因になると弦はハグリッドのもとを訪ねなかった。ドラゴンを見たいとは思ったけれど、ハグリッドがクビになるのは忍びない。彼がどんな人なのかはハリーたちからよく聞かされていたのだ。

 

 だから弦はハグリッドの説得にしつこくダンブルドアの名前を出すことを勧めた。ダンブルドアに心酔している彼ならその名前に反応すると考えたのだ。三人はそれに納得し、次からの説得に必ずダンブルドアの名前を出した。ハグリッドがとうとう陥落したと言う報告を聞いたのはアドバイスをして一週間後のことだ。その頃になるとロンの兄であるチャーリーからの返事も来た。彼は快くドラゴンを引き受けてくれると言う。

 今回の件は弦はノータッチを決め込み、弦は勉強に専念していますという体を崩さなかった。マルフォイがなにやらこそこそと嗅ぎまわっていると思ったからだ。それはその通りだった。

 

 ハリーたちはドラゴンをちゃんとルーマニアのチャーリーのもとに送れたようだが、その代償は大きかった。ハリーとハーマイオニー、そしてネビルの三人は深夜徘徊として一人五十点減点されてしまったのだ。ネビルはハリーたちにマルフォイが企んでいることを教えようとしたようだが同じく深夜徘徊とされ、さらに現行犯にしようとしたマルフォイも同様に深夜徘徊と扱われ減点されたようだ。四人には罰則が与えられる。

 

 グリフィンドールが一晩で百五十点も失ったことは学校中を駆け巡り、そしてそれはハリーとその馬鹿な友達がしでかした大失敗としてかなり非難されることになった。スリザリンも五十点失っていたが、誰もがハリーたちの失点に目を奪われ気にしなかった。マルフォイが有力な貴族であることもその要因だろうと思う。でないとマルフォイがスリザリンでいつものように過ごせるはずがない。

 

 ハリーとハーマイオニーはすっかり落ち込んでいた。ロンはそんな二人にいつも付き添っていたし、ネビルはもう失敗しないように神経を張り巡らせているようだった。

 いつも加点するハーマイオニーが何もしなくなれば一年生での加点は主に弦だけとなった。ハリーとハーマイオニーのあまりの落ち込み具合に弦はどう声をかけようかと迷ったが、ロンが助けを求めるかのようにこちらを見るので行動を起こすほかなかった。ちなみにロンはドラゴンに負わされた指の怪我で医務室に居たので無関係となっている。

 

 図書室の隅で大人しく勉強する三人に弦は加わった。変わらず彼女が話しかけ勉強を教えてくれることにハリーとハーマイオニーは心底救われていたようだ。ハリーは同じクディッチチームからも冷たい対応をとられているとロンに聞いた。

 弦だって彼らと仲良くすることは同寮で一番仲のいいテリーにさえも良い顔はされなかったがかまわなかった(そうしていれば彼は諦め弦の好きなようにしろと言った)。

 

「ひどいもんだな」

 

 弦の言葉にハリーもハーマイオニーも顔を俯けた。

「イギリスがここまで薄情な国だとは知らなかった」

 続けられた言葉に二人はさっと顔をあげた。その顔が驚きに染まっているのを見て弦は首を傾げる。

 

「だってそうだろう? なんで責めてばかりなんだ。励ますならまだしも。私たちはまだ一年生だぞ。年上の余裕とやらを見せる絶好のチャンスだろうに。それにうちの寮もそうだが、グリフィンドール以外の寮も君達を責めるのはおかしい。寮杯獲得のチャンスだと燃え上がってもいいだろうに」

 

 弦の言い分に二人は今度こそ口をあんぐりと開けた。ロンまでもそうするので弦は顔をしかめる。別に変なことは言ってないのに。

 

「二人とも責任を感じているなら点を稼げ。ハリーはクディッチで、ハーマイオニーは授業で加点されるだろう」

 大人しく頷く二人に弦は頷きかえす。それを見ていたロンは弦に問いかけた。

「いいのかい? 君の寮だって寮杯獲得のチャンスなんだろう?」

「興味ない。そもそも私はこの学校の蹴落としあおう精神が気に入らないんだ。それが競い合う精神に変わらない限りはレースに出る気さえないね」

 

 はん、と鼻をならす弦に三人は「ユヅルらしい」と声を揃えた。

 

 

 

 

 ハリーたちの処罰は禁じられた森で行われたそうだ。ハグリッドの手伝いをしたと聞いた。

 最近、禁じられた森ではユニコーンが襲われているそうで、傷ついたユニコーンを探したと彼らは言った。そこでハリーは怪しげな何者かに襲われ(その者はユニコーンの血をすすっていた)、ケンタウルスに助けられたそうだ。

 

 何者かはヴォルデモートで間違いないとハリーはひどく興奮した様子で言い切った。賢者の石を手に入れるまであいつはそれで命を繋いでいるという意見に弦も納得した。

 さて、そうしているうちに試験になった。弦は焦ることもなく全科目の試験を終えた。さすがに叡智のレイブンクローだとしても試験はぐったりするものならしく、一年生でけろりとしているのは弦だけだった。ハーマイオニーは自分で答え合わせをしている間は百面相だった。

 

 弦は外に飛び出して行ったテリーを見送りハリーたちを捜した。特にハリーの顔は一目見ておこうと考えていたのだ。ヴォルデモートがいつ襲ってくるか戦々恐々していた彼は試験に集中しようとも全ての神経をそちらにむけることはできなかったようだから。

 三人は湖の木陰にいた。弦に気付くと三人が三人とも手を振ってくれる。

 

「やあ、ユヅル」

「どーも。ぐったりしてるな」

「そりゃ試験があったからね」

 ロンは疲れるよとため息を吐き、その横でハーマイオニーは弦と答え合わせしたくてうずうずしていた。しかし彼女が口を開く前にハリーが言葉を紡ぐ。

 

「弦はぴんぴんしてるね」

「まあな」

 弦も草の上に座った。ハーマイオニーは答えあわせを諦めたようでうずうずすることはなかった。

 

「ねえ、ユヅル。ハリーの傷が痛むんですって。何か思い当たることはないかしら?」

「傷が?」

 ハリーが頷いた。確かに少々顔色が悪い気がする。

 

「今まで傷が痛んだことは?」

「何度かあるよ。でもこんなに長い間痛むのは初めてなんだ。きっと警告だよ」

「だから言っただろう? ダンブルドアがこの学校にいる限り大丈夫だって」

「そうよ」

「でも…」

 ハリーは納得していない様子で唸る。それを見て弦は彼の中で無意識のうちに何かがひっかかっているのかもしれないと思った。

 

「……額の痛みはその傷をつけた奴に反応しているのかもしれないな。魔法によってつけられた傷なら一種の呪いだ。そうであっても何もおかしくはない」

「そうかなあ」

「『例のあの人』とやらは強力な魔法使いだったんだろう。十年以上も持続する呪いが使えても不思議じゃないさ」

 

 弦の言葉にようやくロンもハーマイオニーも顔を青くした。あの人が復活せずとも、その残した傷跡はいたるところに残っているのだ。

 

「問題はハリーが何にひっかかっているか、だな。ハロウィーン、クディッチ、クリスマス……あとはハグリッドのドラゴン、か?」

「ドラゴン……そう、そうだよ! ハグリッドだ!」

 急に立ち上がったハリーに他の三人は眼を丸くした。速足にどこかへ向かうハリーに慌ててついていく。

 

「ハリー、どこに行くんだい?」

「ハグリットだよ。今、気付いたことがあるんだ。すぐハグリッドに会いに行かなくちゃ」

「どうして?」

「おかしいと思わないか?」

 ハリーは息をきらすのもかまわず続けた。

 

「ハグリッドはドラゴンが欲しくてたまらなかった。でも、見ず知らずの人間が、たまたまドラゴンの卵をポケットに入れて現れるかい?」

 

「ちょっと待て!」

 弦がたまらずに声をあげた。

 

「どういうことだ? ハグリッドは卵をどうやって手に入れたって?」

 

 彼らは一様に「あっ」と顔をしかめた。ドラゴンの卵に気をとられすぎて、ハグリッドがどうやってそれを入手したのかと言うことを省いて彼女に説明していたのだ。ハリーはあのときにそのままそっくりハグリッドから聞いた話を伝えていればその場で弦が気付いていたはずだと後悔した。

 

「ハグリッドは賭けで卵を手に入れたって言ってた」

 ロンの言葉に弦は「底なしの阿呆だ」と毒づいた。

「法律で禁止されているならそんなほいほい卵を持ち歩いているやつがいるわけない! ハグリッドのやつ、何かしでかしてるぞ!」

 弦の言葉を三人は否定できなかった。三人もそう思い至ったところなのだから。

 

 ハグリッドは小屋の外でオカリナを吹いていた。弦は直接的な面識はないので少し離れたところで様子を伺うことにした。

 しばらくして三人が慌てて戻ってきて、城に戻ろうと言う。

「ハグリッドってば、あの三頭犬の宥め方を漏らしてたんだ!」

 弦はとうとう言葉を失った。三人はそのまま城に戻ってマクゴナガルあたりに話をするという。弦は寮が違う自分は行かない方がいいと言って一人自寮に戻ることにした。

 

 頭の中で考えを駆け巡らせる。きっと先生たちは三人の話を聞かないだろう。ダンブルドアだって校長だから学校外に仕事に行く日があるはず。賢者の石はその日にきっと盗まれる。門番の三頭犬がなだめられてしまえば入り口は鍵が開けられているのと同じだ。

 ハリーはきっと賢者の石を守ろうとするはずだ。彼がそういう性格だと言うことを弦はよくよくわかっていた。ハーマイオニーやロンはきっとハリーと共に行く。そこで三人に勝手にしろと言うことが弦はできないだろうとわかっていた。

 

 だからその日の夕食の間に忍んで渡された紙切れに「今夜、石を手に入れる」と書かれているのを見て弦は腹をくくった。

 

 寮の自室に戻り、ローブのポケットに役立ちそうな傷薬やもろもろの薬の瓶をいれた。鞄は重荷になるかもしれないと持っていかない。二つのホルダーにそれぞれ杖と警棒が入っていることを確認し、ベッドのカーテンをひく。彼女が早く寝て早く起きることを同室の二人は知っているから問題はなかった。

 

 就寝時間の二時間も前に寮を出て立ち入り禁止の廊下の近くの空き教室に潜んだ。見回りにでている監督生が通るたびに息を潜め、人の気配がなくなったころにそっと教室を出て立ち入り禁止の廊下に近づく。

 そっと奥に続く扉を押し開ければ、中で三つの顔を持つ大きな黒い犬が寝ていた。ケルベロスと呼ばれるその魔法生物を初めて見て弦は図鑑とたがわぬその姿に目を丸くした。

 

 犬の傍にはハープが置かれ、魔法がかけられているのか独りでに曲を奏でていた。弦は扉の横の壁に背中をあずけ、眠る三頭犬を観察した。大きな頭は弦の頭などくわえられそうなほど大きい。ハグリッドはこれを手懐けたのかと感心する。魔法生物において彼は人並み外れた才能があるらしい。それが大衆にとってためになるかというとそうでもないけれど。

 

 

 

 

 



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第六章

 

 

 少ししてハリーたちがやってきた。先に部屋の中にいた弦に三人は眼を丸くしたが、それでもどこかほっとしたように少しだけ肩の力を抜いた。

 ハープは賢者の石を狙っている奴が置いていったと見当をつけ(スネイプだと言ったのはスルーした)、ハリーはもう一度三人に行くかどうかを確認した。躊躇いもなく頷く三人をハリーは認め、三頭犬の傍にある床の仕掛け扉に近寄った。

 

 扉を開けるとどこまでも下に暗闇が広がっていた。それを覗き込んでごくりと喉を鳴らす三人の傍で、弦は不意に違和感を覚えた。

 

「……っ!」

 ハープの音色が止まっている。咄嗟に弦は口を開いた。

「“かごめ、かごめ”」

 ついて出たのは日本の童謡だった。歌いだした弦に三人はぎょっとしたがハープの音色が止まっていたことにようやく気付いて弦に礼を言った。

 

 歌っている弦を最後にして四人は下へと飛び降りた。

 飛び降りた先に会ったのは得体のしれない植物のようだった。それがクッションになったおかげでスプラッタな状況にはならなかったが、その植物が問題だった。

 それは「悪魔の罠」だったのだ。

 動けば動くほど締め付けてくるその植物についてハーマイオニーと弦は必死に頭を巡らせた。撃退する方法は必ずあるのだ。杖を握る手に力がこもる。

 

「……火だ!」

 閃いた弦にハーマイオニーもはっとする。ハリーとロンは早くしてと叫ぶ。

「そうだわ……それよ……でも薪がないわ!」

「気が変になったか! 君はそれでも魔女か!」

 今回ばかりはロンの言葉に同意するほかなかった。焦りよりも呆れが勝って弦は平静になれ、そのまま杖をかかげる。それに合わせてハーマイオニーも杖を振り上げた。

 

「インセンディオ!」

 

 二つの杖先から火が飛び出し植物にあたる。四人の身体を捕まえていたツルがするすると解けその下の床に落とされた。

 四人はほっと息を吐きだしながら先に進んだ。ロンがぐちぐちと何か言っていたが、誰も答えなかった。

 

 それからはもうあっという間だったと言うしかない。跳びまわる無数の羽の生えた鍵の中から次に続く扉の鍵を見つけ出し捕まえた。ハリーの箒技術がここで大いに発揮された。

 

 次にあったのは巨大なチェス盤だった。ここでロンの才能が発揮されたが、彼はここでリタイアとなった。勝つためにはそれしかなく、ロンは自ら犠牲になったのだ。

 気絶したロンに弦は自身のローブをかけた。ポケットの中の傷薬をその傍に置いて、残りの薬品はスカートのポケットと腰のホルダーにわけた。

 

 次の試練はトロールだったが、すでにそこは機能していなかった。トロールがその巨体を床に投げ出して気絶していたのだ。

 

 その次の部屋は炎に囲まれたまま謎解きをしなければならなかった。これはハーマイオニーと弦が二人で考え、先に進むための活路を見出した。しかし先には一人しかいけなかった。炎を抜けるための薬がどう見てもひとり分しかなかったからだ。ここは犯人が複数だった場合の対策も講じてあるのだと弦は思った。

 

 先にはハリーが進むことになり、ハーマイオニーは感極まったように抱き着いた。ハリーは彼女を安心させるように一言二言重ね、そして弦を見た。弦はその視線をしっかり見返して頷く。

 

「頑張れ」

「うん」

「終わったら好きな日本のお菓子、取り寄せるよ。八つ橋、気にいってたろう?」

「やった、そうこなくっちゃ」

 わざと気軽に送り出す弦にハリーは同じように軽く返した。

 

 この部屋から元の道を引き返す薬も一人分しかなく、先に戻ってロンの様子を見るのは弦が引き受けることにした。炎の中でハーマイオニーだけが置き去りになってしまうが、時間が経てば薬は元に戻るはずだと弦は二人に言った。でないと犯人が通った時点で先に進む薬はなくなっているはずだから。

 

 弦は戻るための薬を飲み、氷のように冷たくなった身体を動かして炎の中をつっきった。トロールはまだ寝ていたから速足に巨大チェスの間にもどろうとする。

 

 しかし背後で何かが動く気配がした。

 振り向き、絶望する。

 

「嘘だろ……!」

 

 最悪の展開すぎてそれしか言えない。

 

 トロールがその巨体を起き上がらせていた。のっそりと立ち上がったトロールは頭をふるような仕草をしたあと、弦を認めて大きな叫び声をあげた。

 

 咄嗟に杖と警棒を抜く。右手で持った杖の先をトロールにまっすぐにむけ、左手に掴んだ警棒を背中に隠す。もくろみ通りトロールは杖ばかりに意識が向いているようだ。警戒している。その様子に弦はさっとトロールの全身を観察した。

 外傷はない。何故トロールは気絶していたのか。杖を警戒している。魔法で一発KOされたのか。それほどまでに強力な魔法の使い手ならばハリー生存の確率は大幅に引き下げられるが、仕方ない。彼なら無事だろうと楽観視することにする。

 

 今は目の前の危機を切り抜けなければ。ハーマイオニーが戻ってきた時にパニックになってしまう。ハロウィーンのときのことは思い出したくもない恐怖だろう。

 トロールが棍棒をふりあげる。それを横にとびのけ、トロールの足元を爆破呪文で爆発させた。それは小規模なものだったがトロールの意識をさらうのには十分で、弦は即座に縄を杖からだし、縛り呪文をかけた。しかしトロールはそれを意図も容易く引きちぎってしまう。思わず舌打ちがこぼれた。

 

 トロールが気絶してから拘束しないと無駄らしいと思い直し、いったん警棒を腰のベルトにさし空いた片手で薬瓶を取り出した。弦が魔法を使える回数は少ない。まだまだ未熟な彼女が威力の強い魔法を連続で使うのは命とりだった。だからこそ数々の薬品を持参していたのだ。

 

 青色と緑色をした薬品がいれられている薬瓶をトロールの足元に投げつけた。瓶は二つとも割れ、中の薬品が零れだし混ざりあい、次の瞬間に爆発した。下からの衝撃にトロールはひっくり返る。

 余波を耐え忍んだ弦はすぐにトロールに向けて第二波を放った。目隠し呪文をとなえ、さらにその作用のある闇色の薬をトロールの顔面に投げつけた。魔法耐性があるトロールでも魔法と魔法薬のダブルパンチは効くらしい。

 

 狂ったように暴れだしたトロールの振り回す棍棒が体のすぐわきを過ぎてひやりと背筋が凍る。棍棒によって破壊された床や壁の破片が肌にかすかな傷をつけていったが、弦は意にもかえさなかった。トロールの一挙一動からは決して目が離せず、神経は最高潮に高ぶっていた。

 

 トロールの背後をとったあと、膝裏、腰、首裏と連続して警棒で攻撃した。最後に後頭部を殴っても気絶しないのだからそのタフさには脱帽する。

 唯一成功していた魔法力増幅薬を取り出し飲み干す。試験などで使ったら不正になるが、危機的状況ならかまわないだろう。魔法の威力が大きくなるそれを飲んだ実感を確かに覚えながら、弦は杖を振り上げ、叫んだ。

 

「ステューピファイ!」

 

 最もポピュラーで、最も効果的な呪文だ。他にも失神させる呪文や麻痺させる呪文はあるけれど、二つの効果をもつこの呪文は覚えていて損はないものだった。

 紅い閃光がトロールの喉にぶちあたり、その巨体が後ろに倒れた。ぴくりとも動かなくなるトロールをよくよく観察し、三分くらいたったころにようやく弦は肩の力を抜いた。

 

 もう一度縄を出して壁や床に縫い付けるようにして巨体を固定する。引きちぎれないように何度も何度もそれを繰り返し、トロール自体が縄の隙間に辛うじて見えるくらいにまでするとようやく安心できた。

 

 壁に背中を預けてずるずると座り込む。体力はすでに底をつき、気絶しているはずのロンのもとへ行く気力も根こそぎ奪われていた。というか魔法を使いすぎたようだ。疲労が全身を襲い、指を動かすのも億劫だった。

 

 今度からは試験管をひっかけられるようホルダーを改造しよう。試験管なら細いし、幾本もつけられるはず。今回のことで薬品も使いようによっては魔法と同じくらい攻撃に使えるとわかったのだ。使わない手はない。

 

 そこまで考えて急激に目の前が暗くなったような気がした。落ちていく意識を繋ぎとめようとして、失敗した。

 

 

 

 

 

 

 

 眼を覚ましたとき医務室のベッドの上で寝ていた。あの夜の出来事から半日ほど経っており、彼女の意識が戻ったことにマダム・ポンフリーは安堵していた。

 ハーマイオニーとロンは医務室で手当をうけたあと寮に返されたらしく、弦が目覚めたと知らされすぐに見舞いにかけつけた。

 

「ああ、ユヅル! あなたが無事で本当に良かった!」

 

 抱きしめられ泣き声でそう言われた。彼女は本当に心優しい少女である。

 一方でロンは感心しっぱなしだった。

 

「君って本当にすごいよ。トロールを一人で倒しちゃうなんて。ハロウィーンのときのやつよりも大きかったんだろう?」

「さすがに絶望したけどな」

 必死だったと言えば二人はしきりに頷いた。どうやってトロールを倒したのかと聞かれ、弦は魔法薬に頼ったと説明した。攻撃系の呪文は上手くいかず、それを薬で補ったのだと。

 

「魔法薬が得意な弦だからできることね」

「あ、そうだ。君が置いて行ってくれた傷薬よく効いたんだ。ありがとう」

「どういたしまして」

 それからすぐ二人はマダム・ポンフリーに追い出されてしまった。話しすぎたらしい。

 

 一つ向こうのベッドでハリーはこんこんと眠っていた。彼が目覚めたのはあの夜から三日後のことだ。その一日に前に医務室から去ることを許された弦は、テリーから大いに心配され(ハーマオニーとロンの二人がきてから面会謝絶にされていたため、彼は医務室の前でおい帰された)何があったのかとしつこく聞かれた。大方は噂となって知っているようだったけれど。

 

 別れてからのハリーの様子は知らなかったので、箇条書きのようにかいつまんで話して終了させた。テリーはくわしく聞きたがったが、五回目の質問を無視したところで諦めた。

 ハリーが目覚め、ハーマイオニーとロンの二人とお見舞いに行けば彼は自身のお見舞いの品の中から三人にお菓子をわけ、そして炎の先のことを話した。彼はダンブルドアと目覚めてすぐに話したらしくそれもつけくわえてくれた。

 

 炎の先に待っていたのはクィレルで、彼はみぞの鏡を前に万策尽きていた。賢者の石は鏡の中に隠されていたのだ。そこで奴は一年間のネタ晴らしを懇切丁寧にしてくれ、そしてスネイプが犯人ではないことを教えてくれたそうだ。

 クィレルの頭に寄生していたらしいヴォルデモートはハリーを使って石を取り出そうとしたが、ハリーは石を取り出しても渡さなかった。ヴォルデモートを強く強く拒絶し、そしてクィレルごと滅ぼす結果になった。

 

 のちのダンブルドアの話で、鏡から賢者の石を取り出すには「石が欲しい」と考えなければならず、「石を使いたい」クィレルたちが取り出せないように仕掛けられていたようだ。ハリーは石を守ろうと手に入れるつもりだっただけなので、ダンブルドアの仕掛けに見事合致したようである。またハリーが彼らを倒せたのは(クィレルはハリーに触れると皮膚がただれ最後には灰になったそうだ)、彼の母親の愛の魔法が彼を守っているからだという。それによってハリーは十年前も今回も守られた。

 

 賢者の石はニコラス・フラメルとダンブルドアの間で話し合われた結果壊された。残りの命の水がつきるまで、フラメル夫妻は生きるだろうが、そのあとは死ぬのだろう。

 ダンブルドアはそれを「次の大いなる冒険」と呼んだそうだ。的を射ている。

 

「ねぇ、ユヅル。君はダンブルドアの言葉がどういうことかわかる?」

「そうだな……『死』っていうのはそもそも今の『生』との決別だからな。生物なら誰にでも訪れるものだし、受け入れるべきものだ。それが世界のルールで、それがなければ生きる喜びも辛さも意味のないものになる。校長の言う事は正しいよ。フラメル夫妻は六百年っていう長い時間を生きぬき、やりたいことをやり遂げ、次の冒険に行くために『死』を迎えるだけだ。『死』の後なんて誰も知らない未知の領域だ。冒険だろうさ」

 

 それに六百年も生きてればこの世に飽きても仕方ない。

 弦の言葉に三人は笑った。

 

 それからハリーは彼の知らない間のことを三人に聞き、透明マントがダンブルドアからの贈り物であることや、スネイプがハリーの父と犬猿の仲であったことを教えてくれた。過去の怨恨を関係のないハリーにぶつけるなんて、どうしようもない大人である。スネイプはやはり魔法薬学しか尊敬できないと弦は再認識した。

 

 

 

 

 

 

 学年末のパーティーは大盛況だった。スリザリンカラーの広間よりもハリーとその仲間が起こしたことのほうがみな気になるらしく、ハリーたちは視線の的だった。もちろん弦も見られたが、気にしなかった。

 

 ダンブルドアが話し始めると意識はそちらに集中した。その口から飛び出る寮の順位は予想通りで、弦の属するレイブンクローは第二位だ。一位に呼ばれたスリザリンのテーブルから歓声があがり、しかしそれは続けられたダンブルドアの言葉に静まり返った。あの人は最近のことも勘定にいれなければならないと言ったのだ。つまりどこかの寮が加点されるということである。

 

 一つ咳払いをすると、ダンブルドアはまずロンの名前を読んだ。そのチェスの手腕をほめたたえ、五十点の加点がされる。ロンは遠目でもわかるくらい顔を真っ赤にした。

 広間はグリフィンドール生だけではなくハッフルパフやレイブンクローの者達の歓声に包まれた。天井の魔法を吹き飛ばしてしまうのではないのかという威力に弦は耳をふさぎたくなった。

 

 次に名前を呼ばれたのはハーマイオニーだ。その知識とそれを扱う手腕を褒められ、ロンと同じく五十点の加点がされた。ハーマイオニーは机に伏せた。うれし泣きだろう。

 

 さらにグリフィンドール生は狂喜した。百点ももらえたのだ。

 次にダンブルドアは弦の名前を呼んだ。

 

「ユヅル・ミナヅキ嬢……膨大な知識と卓越した推理力、そしてどんなときでも冷静さをかかない精神力と魔法の正確さ、魔法薬学の優秀さを称え、レイブンクローに五十点を与える」

 

 今度はレイブンクローが爆発した。弦はテリーに横から突撃されひっくりかえりそうになった。レイブンクローが首位に立った。

 しかし彼らは忘れない。まだ呼ばれていない名前がある。

 

 ハリーの名前が呼ばれた。その完璧な精神力と多大なる勇気を称えられ、六十点が与えられた。ハリーは喜んでいたがもう少し点が欲しそうだった。

 グリフィンドールとスリザリンが並び、かろうじてレイブンクローが勝っていた。今年の寮杯はレイブンクローかと思われた時、もう一人名前が呼ばれた。

 

 呼ばれたのはネビルだ。あとで聞いたことだが、ハリーたちは談話室を出る時ネビルに止められたらしい。それを強引に振り払ってあの廊下に来たそうだ。ネビルは味方に立ち向かったその勇気を称えられ、十点の加点がされた。

 

 グリフィンドールが首位に立った。ネビルは多くのグリフィンドール生に押しつぶされるように囲まれて見えなくなった。

 レイブンクローはさらに爆発しそうだったのを直前で沈下されたわけだが、誰も不満げではなかった。ハッフルパフと一緒にグリフィンドールを称え拍手を贈る。弦もそうした。

 

 ダンブルドアが杖を振った。広間はグリフィンドールカラーに染め変えられ、三つのテーブルから生徒達の帽子が投げあげられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 学年末パーティーのあと弦は談話室でテリーに引き止められていた。ほかの寮生たちもちらちらと二人を気にする。

 そこへずんずんと近づいたのがマイケル・コーナーだった。その後ろにはアンソニー・ゴールドスタインもついてきている。

 

「なんだよ」

 テリーは少々喧嘩腰だ。マイケルはそのことに顔をしかめつつも、弦を見据えた。

「試験でどの教科も君が一番だと聞いた」

 

 そうなのだ。弦は今回、どの教科も満点以上を叩きだし学年主席となった。次席はハーマイオニーである。ちなみに三席はあのマルフォイだった。腐っても貴族。英才教育は万全らしい。

 

「五十点の加点も……はっきり言って僕は君を馬鹿にしていた。そのことは謝る」

 ああ、そうですか。弦の心に浮かんだのはその言葉だ。だが口にはしなかった。それよりも先にテリーがマイケルに噛みついたからだ。それで謝っているつもりかと。

 

 この一年、マイケルに睨まれ続け談話室を追われていた身としては謝られている気がしないのだが、まあ仕方ない。彼はそういう性格なのだろう。現にアンソニーは仕方ないと言いたげにマイケルを見ているし、マイケルはマイケルでテリーと言い合っている。彼ら三人は同室だった記憶していたのだけれど、もしかしていつものこうなのだろうか。

 

 そこへターピンとパチルがやってきた。二人は何か弦に言いたげだったが、それよりもマイケルとテリーの言い合いに気を取られてしまっていた。

 その間に弦は一人紅茶をすすっていた。カップから立ち上がる湯気が眼鏡のレンズを曇らせる。眼鏡はこういうとき不便だと、弦はそれを手に持ってハンカチを取り出しレンズを拭った。

 

「ユヅル! お前もなんか言えよ!」

「どーでもいい」

「おい!」

 心底どうでもよさそうな弦の声色にテリーの目がこちらに向いた。それを追うように他四人の目もこちらを向く。弦は眼鏡を手に持ったまま顔をあげた。五人の顔が驚愕に染まる。

 

「ユ、ユヅル……?」

「なに、幽霊見たみたいな顔して……あ、ゴーストは普通にいるんだった」

 日本じゃこういう言い回しするからなあ、と呑気に呟く弦に、パドマが真っ先に声をあげた。

 

「あなた眼鏡は!?」

「紅茶の湯気で曇った」

 吹き終わった眼鏡をまたかければ、五人はようやくいつもの弦だと混乱していた頭を落ち着けた。誰だって急に整いすぎた顔立ちを見せられれば驚く。

 

「ユヅル……あなた眼鏡かけないほうがいいわよ、絶対」

 パチルのその言葉に同じ女であるリサだけではなく、テリーたち男三人も深く頷く。その様子に弦は何を今さらといった態度だ。

 

「これ伊達だからかけてもかけなくても変わんない」

「じゃあ外しなさいよ! それかけてるから色々言われるのよ!」

「かけてるのはそれなりに理由がある。必要がなくなれば外すさ」

 

 きっぱりとそう言った弦にパチルは脱力した。テリーは弦らしいと苦笑いだが、他三人は弦の性格を知って驚き気味だ。

 

「……私、あなたに謝り来たのよ。外見で判断してごめんなさいって」

「慣れてるから別にいい。わかってやってる私も悪いしな」

「あなた、結構イイ性格してるのね」

「よく言われる」

 

 何がおかしかったのか、パチルは笑った。それから「パドマでいいわ」と言った。これから仲良くしましょ、とも。リサはその様子にほっとしたように「私もリサって呼んで」と言った。

 二人は先に部屋に戻っていると弦に手を振って寮の階段を上って行った。それを見送った弦はまたカップを手に取り口をつけた。

 

「良かったな」

「んー、まあ、いい結果だな」

 弦の様子にくすくすと笑ったのはずっと沈黙していたアンソニー・ゴールドスタインだった。

「ふふ、君っておもしろいね。僕もユヅルって呼んでいいかい? 是非とも名前で呼んでくれると嬉しい」

「わかった」

「ありがとう」

 

 アンソニーは柔らかく笑うと、隣にいたマイケル・コーナーを促した。

「マイケルもユヅルにちゃんと謝りなよ。変に意地張ってばっかなんだから」

「ぼ、僕は別に……」

「はいはい、もうわかったから」

 

 二人の様子にテリーは何かを察したようで、にやにやと意地の悪い顔をした。

「マイケル。お前って素直じゃないんだなあ」

「っ!」

「そうなんだよ。変にプライド高いし」

「なーるほど」

「くっ……悪かったよ! 僕もマイケルって呼んでいい。その代わりユヅルって呼ぶからな」

「どーぞー」

 

 また言い合いを始めるテリーとマイケル、そしてそれを見守っているアンソニーを放って弦は自室に戻ってベッドに潜った。

 すぐに眠り落ちた弦は、次の日、特急に乗ってロンドンの駅で叔父に迎えられたのだった。

 

 

 

 

 

 家に戻ってくると母は相変わらずこもって薬を作っていた。ヴェネッサによくよくお礼を言って見送り、弦はよしと気合を入れた。

 家中の点検次いでに掃除をし、食材を買いに外に出た。商店街の人たちは弦を覚えていてくれたので帰省を喜んでいろいろおまけしてくれた。

 

 うちに帰り夕飯を作り、母に食べさせ自分も食べる。片付け終わって入浴し、ようやく荷解きをした。完全に片付けを終えるころには日付を跨ごうとしていて、ベッドにもぐりこむ。久しぶりの我が家はとても安心した。

 

 

 

 





 見える世界が歪んでる
   -賢者の石-
     完結


「賢者の石」終了です。

これからどんどん長くなります(笑)


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秘密の部屋
第零章


.



 差別だなんだと騒ぐ者達は、一番にそれを意識しているからこそそれを声高に問題視し、大げさに言う。

 差別認識から抜け出せない者達は、一生そうやって他を差別し続けるのだろう。







 

 

 水無月(みなづき)と彫られた暮石の前に膝をつき、(ゆづる)は手を合わせていた。

 

 八月の半ば、十一日から十七日の一週間、弦は生家を離れている。お盆の前後を含めたこの七日間は、弦にとって特別な日だった。

 

 水無月家には<本家>と呼ばれる場所が存在する。山を三つも含める広大な敷地は水無月の故郷として、平安時代から存在していた。

 旧家と言えば聞こえはいいが、残された財産は本家の土地の維持にとっておかないといけないし、その土地だって薬草のためのものだから手を入れることもしない。表の世界で事業をしているわけではないし、裏の世界でだって祖母が亡くなってからは彼女独自の繋がりも消え、開店休業状態だ。そもそもまだ祖母の作る薬の質には届いていないのだから、人様に渡せる商品などないのだが。

 

 お盆の前後も含めた一週間、弦は本家で過ごしていた。これは祖母である水無月(みなづき)(よもぎ)が存命の時から続けていることで、後継者が代々行ってきた慣習でもある。先祖の魂を弔い、土地の現状確認をするための期間なのだ。

 

 そもそも本家は便利が悪い。急激な発展をとげた日本で生活していくにあたって、ここまで不便な場所も少ないだろう。超がつくほどド田舎で、本家から五キロメートルほど離れたところにある人里は集落と呼んだほうがしっくりくるくらい小さく、過疎化が進んでいる。学校もない。昔はその村ともかすかな交流をもっていたらしいが、弦が生まれたときにはそれもなくなっていた。

 

 この本家から出ることを決めたのは先々代だ。それ以来、それぞれの後継者によって住む場所は変えられている。だがこの本家の位置だけは変わらず、生活に必要な設備を加えただけで他は昔と変わらない姿形を残していた。

 その本家に来ることは祖母が死んでからも弦は続けていた。維持管理は“手を貸してくれる者達”がいるし、ここには代々の薬師が残してきた貴重な資料が多く残っている。またそこから学んだ薬の調合方法がすでに実践できた。薬草は山にたくさんあるのだから。

 

 山の中には水無月家の墓がある。一つだけの立派な暮石。その下にある遺骨部屋には水無月家の者の骨が治められていた。祖母のものも、父の(いつき)のものもここに眠っている。弦も死んだらここに入るのだ。

 

 弦は青みがかった黒色の数珠を合唱した手にひっかけていた。数珠はまごうことなきサファイアという鉱物であり、宝石細工のように煌びやかではないが、弦が一生使うものとして彼女の祖母が用意してくれたものだった。

 

 合掌を止めて弦は立ち上がった。ゆらゆらと細い煙をあげる線香をしばし見つめてから、供え物を片付ける。

 昨日のうちにしたためた手紙にはこの一年の出来事が書き連ねてある。それを神前に供え、十六日の送り火のさいに共に燃やすのだ。祖母と父が死んだ翌年から毎年続けていることだった。

 

 倒れないよう短く切った花とあと少しで燃えつきる線香だけを残して弦は墓の前に立った。心の中で「また来るね」と言ってから踵を返す。

 さわさわと風に揺れてなる葉の音を聞きながら、木立の中をゆっくりと進んだ。

 

 

 

 この土地の空気は、水無月の血によく馴染むのだった。

 

 

 

 






「そもそも本家は便利が悪い。」
 この部分に誤字の報告がありました。
 けれどもここはこの言い回しをあえて使っていますので、誤字ではありません。
 誤字報告、ありがとうございました。
 これからもよろしくお願いします。


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第一章

 

 

 七月の頭から八月の終わりまでの二か月間の夏季休暇は弦にとってどう過ごすか少し考えさせるものだった。

 

 七月の半ばか三週目あたりまで日本の多くの学校は平日に登校しなければならない。つまりは平日の日中に出歩いていれば補導される可能性が高いと言う事だ。結果的に弦は平日の夕方まで家を出ることを控えた。出された課題は最初の一週間で終わってしまい、それから二週間は読書か魔法薬の練習に費やされた。

 母は相変わらず部屋に閉じこもって大鍋を前に淡々と薬を作りつづけていて、弦との会話は休暇に入って一度も成立していない。そもそも父が亡くなってから七年、成立したのは数えられるほど少なかった。

 

 ふくろう通販をほぼ毎日利用しながら、弦は日刊預言者新聞の購読も続けていた。叔母がこちらに滞在していたときの名残で新聞が届くのだ。九月からはまた叔母が弦の代わりに母の世話をするため滞在するのでそのままにしている。

 三週間目に入ったころになってハーマイオニーとロンから手紙が届いた。それぞれの手紙を届けた梟はへとへとになっていて、あの二人はイギリスと日本の距離を勘違いしているのではないのかと弦は呆れた。日刊預言者新聞はアクロイド家にまず届き、そこから弦の家のポストに直接送られる。叔父との手紙のやりとりもこれでしているために、梟が直接届けに来ることは滅多になかったのだ。

 

 梟たちを丁重にもてなし(水と餌をたっぷりとあたえ、その羽毛を綺麗に整えた)、弦は彼らの手紙を開いた。まずはハーマイオニーだ。

 彼女は近況を語り、弦がどうしているかを気にかけた。それから今年の教科書のリストがまだこないことを嘆き、どんな本が参考になるかと尋ねてくる。最後に「ハリーから手紙がこないの」と不可解なことが書かれていた。

 

 次にロンの手紙を読めば、やはり近況報告から始まり、そして弦のことを尋ねた。それからすぐにハリーのことになった。やはり彼もハリーからの手紙が来ないことを書いていた。自分達から送っても返事もないのだと。ロンは弦の知恵を強く求めていた。

 ともかく弦はハーマイオニーとロンに返事を書くことにした。

 

 日本の夏はイギリスよりも湿気が多くて少々過ごしにくいこと(慣れているけれど)。宿題はすでに終わってしまったこと。ハーマイオニーのほうには彼女が興味を抱きそうな本の題名をリストアップし、それから二人にハリーの状況についての推測を教える。

 

 一つはハリーのヘドウィグが使えないのではないかと言うこと。ハリーの叔父さん家族が真っ白で綺麗な梟であるヘドウィグを使っての手紙のやり取りを禁じている可能性は十分にある。だって普通じゃないから(ハリーからあの家族が普通でないことを嫌い、まともであることを好むことはすでに聞いて知っていた)。

 

 一つはこちらかの手紙はもしかしたら取り上げられてしまって読んでいないのかもしれないこと。帰ってきた梟たちの足に手紙がないなら、ハリーが返事を書かないように先に取り上げて燃やしてしまっているのかもしれない。

 

 最後にハリーのことについては梟便とは別の方法でコンタクトをとってみると約束し、弦は二通の手紙をそれぞれの梟の足に間違えないようくくりつけ、送り出した。一晩休んだからか、梟たちは力強く飛んで行った。

 

 それから弦は行動を起こした。まずは叔父であるコンラッド・アクロイドのもとを訪ね(ポートキーで日本の水無月家、イギリスとフランスそれぞれのアクロイド邸は繋がっている)、彼に魔法をかけてもらった小箱に非常食と水、それから日持ちする和菓子を入れた。非常食も水も日本製の商品だ。その上にハリー宛の手紙を置き、綺麗に包装する。手紙には箱の使い方と中に収納されている食べ物と水の量を記し、さらに箱は食べ物の臭いを盛らなさないからばれないだろうと書いた。

 

 紅い包装紙に包まれた小箱と、赤ワインの入った木箱、さらにイギリスの高級チョコレート店いちおしの商品、いい香りのする瓶詰のポプリを全て同じ段ボールに入れ、マグルの宅配便でハリーがいるダーズリー家に送った。電話番号と住所を彼から聞いておいて良かったとこのときばかりは思った。

 

 それが届く前にダーズリー家に電話をかけた。電話口に出たのは女性だった。

『もしもし?』

「もしもし。そちらはダーズリーさんで間違いないでしょうか」

『ええ、そうですが……』

「初めましてユヅル・ミナヅキと言います。ハリー・ポッター君の同級生です」

 

 ハリーの名前を出すと夫人はあからさまに声を固くしたが、弦はかまわなかった。

「実は学期中にハリー君に“大変”お世話になりまして、そのお礼に贈り物をさせていただいたんです。××日ごろの昼に届くと思いますので、先にお知らせしようとお電話させていただきました」

『それはどうもご丁寧に……』

「いえ、ほんのお礼の気持ちです。ハリー君だけではなく、ダーズリーさんたちにも心ばかり包ませてもらいました。叔父と共に選んだものなので気に入っていただけると嬉しいです」

 

 最後は本当に心からそう思っていると言う風に言えば、ダーズリー夫人は弦が可愛らしい“まとも”な女の子であると考えたらしい。声を柔らかくしてお礼を言ってから、弦がハリーと代わってほしいとお願いしても快くそうしてくれた。

 

『もしもし? ユヅル?』

「やあ、ハリー。久しぶり」

『久しぶり! うわあ、すっごく嬉しいよ! 君から電話をくれるなんて!』

「喜んでもらえてなによりだ。ハリー、あまり時間がないからできるだけ静かに聞いてくれ。そちらにあまり不審に思われるんじゃないぞ」

『わかった』

 

 ハリーがそう素直に頷いてくれたので、弦は少しだけ声を潜めて今回の計画を全て話した。ハリーのあてに届く荷物の中でハリーのものは紅い包装紙のものだけであり、他は全てダーズリー家のご機嫌取りのためだけの品物であること。包装紙の中の手紙に詳しいことが書いてあるのでその包みだけ部屋に持っていくこと。

 

「マグルの贈り物ばかりだから問題はないはずだ。包装紙は小さ目だし、すぐに持ってあがれ」

『うん、そうするよ』

「ああ、それと、君の所に手紙は届くか?」

『ううん、それが……誰からも手紙が来ないんだ。一通も』

「叔父さんとかに手紙を取り上げられているわけじゃないんだな?」

『うん』

「……そうか、わかった」

 

 誰かがハリーあての手紙を奪っている。ダーズリー家ではないのなら十中八九魔法界関連だ。今年も何かに巻き込まれているらしい。トラブル吸引体質か。

 

「ハリー。ハーマイオニーとロンは君に手紙を出しているけれど、返事がこないって心配してる。手紙のことは私から二人に伝えてみるよ。もしかしたらロンが何か行動を起こしてくれるかもしれない」

『うん……うん、わかった。本当にありがとう』

「礼はいらない。来学期まで生き延びてくれ。どうしても助けが必要なときは電話しろ。番号のメモは持ってるか?」

『うん。大丈夫』

 

「よし。じゃあ、切るぞ。あ、ダーズリー夫人に『突然のお電話、すみませんでした』と伝えてくれ」

『わかった……ねぇ、ユヅル』

「ん?」

『叔母さん、機嫌がいいんだけど、何を言ったの?』

「社交辞令だ。じゃあな」

 

 ハリーが言葉を続ける前に電話を切った。彼が長電話していて良い顔をする人達ではないだろう。

 叔父に聞きかじった処世術が役に立ったと弦は疲れた様に息を吐きだした。

 

 

 

 

 

 

 八月に入って弦のもとになんとハリーから手紙が来た。例のごとく手紙を運んできたヘドウィグはへとへとに疲れ切っていた。可哀そうな彼女を精一杯お世話すればひどく懐かれた。どうやらダーズリー家でひどくストレスをためていたらしい。なんて家だ。

 ハリーの手紙にはロンと彼のすぐ上の兄の双子(彼には五人の兄と妹が一人いる)が助け出してくれたらしい。手紙にはここ数日の出来事が全て書いてあった。

 

 まとめるとこうだ。家に訪問客がきた夜のこと、部屋に一人の屋敷しもべ妖精がいた。妖精はドビーと名乗り、ハリーにホグワーツに戻らないよう説得した。話を聞いてみればその妖精がハリー宛の手紙も、ハリーが送った手紙もすべて奪っていたらしい。 ドビーはハリーのためだと何度も繰り返したらしく、強硬手段にうってでた。ハリーの杖を使って魔法を使い、逃亡。ハリーは魔法を使ったと濡れ衣を着せられ、魔法省から警告が届いたらしい。

 

 就学中の未成年魔法使い(杖を所持している)が学校外で魔法を使うことは法律で禁止されている。一回目は警告文で済むが、二回目は退校処分となり杖もとりあげられるという。中には魔法省の監視の目から逃れる細工を家に施している仄暗い貴族連中もいるみたいだ。ちなみにアクロイド家はこの法律ができてから有事以外は絶対にこれを犯していない。法律だって緊急事態である場合は魔法使用を容認すると明記されているのだ。

 

 ハリーは魔法を使ったために(それによって訪問客との会食はめちゃくちゃになった)部屋から一歩も外に出ないよう閉じ込められたらしい。扉は何重にもロックされ、窓には鉄格子が取り付けられたと書いてあった。そこまでするのか、ダーズリー家は。

 学校に行かせないと宣言されたハリーは弦が送った食料品で食いつなごうとし、そして一週間もしないうちにロンたちに助けられたらしい。そこでどういう手段を使ったのか事細かに書いてあって弦は呆れてしまった。彼らが行動を起こしたのが深夜で良かったとそれ以上考えるのは止めたが。

 

 弦は返事をしようとペンをとり、便箋にアルファベットを綴った。

 

 

 

 

 

 

 ハリーはこんなにも楽しい夏休みは初めてだと喜んでいた。ロンの家である“隠れ穴”の毎日は楽しく、魔法に溢れた生活はまさに楽しいものがいっぱい詰め込まれたおもちゃ箱のようだった。

 ウィーズリー家に温かく迎え入れられ、そこでお腹いっぱいご飯を食べた。ユヅルにもらった非常食やお菓子はおやつとして双子とロンにほとんど食べられてしまったがかまわなかった。

 

 ハリーは次の日にすぐ弦に手紙を書いた。ずっと閉じ込めて不機嫌だったヘドウィグの機嫌はまだ直っておらず、彼女は手紙を足につけられてすぐ飛び立った。つんとした態度にはさすがに落ち込んだ。

 それから三日後の朝に、ヘドウィグは帰ってきた。少しだけ機嫌がいいようでハリーの手元に手紙を落とすと、彼の皿からベーコンをくわえて休みに行った。

 

「ユヅルから?」

「うん」

 隣にいたロンがスクランブルエッグをかきこみながらそう尋ねてきたので頷く。ハリーはさっそく封を開けた。

 彼女の書く文字は相変わらず綺麗だなと思いながら読み進める。全て読み終わって、ハリーは朝食を再開させた。

 

「ユヅル、僕が無事で良かったって」

「そりゃそうだよ。水と食べ物も送ってくれたし、本当にユヅルって未来でも見えてるみたいに行動するよな」

「そうだね」

 ユヅルの頭が良いことは学年首席だったことでも証明されているし、去年の騒動を通じてハリーもロンもよくよく理解していた。彼女は人の行動を読むのが物凄く上手い。

 

「それと手紙のやりとりがしたいなら宛先を変えろって書いてあったよ。直接運ぶのは梟たちが可哀そうなくらいへとへとになるからって」

「僕も最初の手紙を送った時にそう返事に書いてあったよ。ハーマイオニーもそうみたい。そのときはもう送るなって書いてあったけど」

「僕達が手紙を送るのを止めないって思ったんだよ、きっと。えっと……そうそう、叔父さんに送って貰えればすぐに届くんだって」

「叔父さんって誰だい?」

「待って……」

 

 ハリーもロンもユヅルの家族のことには詳しくなかった。聞く機会もなかったし、弦も自ら話そうとは一度たりともしなかったからだ。

 手紙を読み返し、ユヅルの叔父の名前を捜す。

 

「『コンラッド・アクロイド』って書いてあるよ」

 

 ハリーの言葉にロンよりも早く彼の父であるウィーズリー氏が驚きの声をあげた。

 

 

 

 

 

 

 叔父経由でまた手紙が届いた。ハリーとロンの連盟だ。それとは別にハーマイオニーのもある。ハリーに手紙の返事を送った後、ハーマイオニーにも叔父宛に手紙を送ってくれれば届くと書いて出したのだ。

 ハーマイオニーの手紙には本のリストのお礼と手紙のやりとりを続けたいと書かれており弦も了承の意をしたためた。

 

 問題はハリーとロンの手紙だった。それには「『アクロイド家』との関係について弦にくわしく聞きたい」と書いてあったのだ。ウィーズリー家は純血の魔法使いの家だから叔父の名前を出したのは失敗だったかと弦は面倒くさそうにペンを握った。

 

 

 

 

 

 

「ロン! ユヅルから返事が来たよ!」

「本当か!?」

 ユヅルからの返事は手紙を出した次の日の夜に届いた。すぐに封を開けてロンと二人で顔を寄せ合って読む。

 

『ハリーとロンへ

 まず手紙はこっちに無事に届いていることを書いておく。このまま叔父あてに出してくれればすぐ返事も返せると思う。

 君達が聞きたいことを簡潔に説明すれば、コンラッド・アクロイドは私の母の弟だ。アクロイド家を継いで今はフランスにいることは大人が誰か知っているんじゃないか? イギリスの古い家柄だってことは知っていたけど、そこまで驚かれるとは思わなかったよ。

 学用品の買い出しは叔父に相談して調整中だ。運が良かったらダイアゴン横丁で会えると思う。

 ユヅル・ミナヅキ』

 

 便せん一枚の内容にロンだけではなく双子のフレッドとジョージも「おったまげ~」と眼を丸くしていた。

「アクロイド家っていったら純血名家の中でも有名だぜ」

「『例のあの人』が全盛期のころはずっと中立を貫いてたって話だ」

 双子の話はウィーズリー氏からの情報だろう。

 

 話を聞いていたらしいパーシーがウィーズリー氏に尋ねる。

「アクロイド家のご当主とはお知り合いなんですか?」

「ああ、何度か顔を合わせて話したことがあるよ。コンラッドはとても気のいい男だ……そうか、ロンがよく話してくれたユヅルって子は彼の姪なのか……ということは彼女の娘か……いやはや……」

 最後の方はほぼ独り言だった。ぶつぶつと何事か呟いている父親にロンが声をかける。

 

「パパ、ユヅルのママのこと知ってるの?」

「あ、ああ……きっとその子の母親はレティシャ・アクロイドで間違いないだろう。コンラッドの姉は彼女しかいないから。コンラッドもそうだが、レティシャとは同じ時期にホグワーツに通っていてね。それはそれは優秀なレイブンクロー生だったよ。とくに魔法薬学では上級生でも彼女には敵わなかった」

「ユヅルが優秀なのは親譲りなんだ!」

 ハリーとロンは少しだけ誇らしかった。

 

 しかしウィーズリー氏の顔は少ししかめられていて、まるで苦い魔法薬を呑んだときのような顔だった。

「あら、どうかしたのですか?」

 ウィーズリー夫人が台所から戻ってきた。追加の料理をテーブルに置きながら夫の顔を見て首を傾げる。

 

「アー、モリー。レティシャ・アクロイドのことを君は覚えているかな?」

「レティシャ? あのアクロイド家の問題児と言われた、あのレティシャ・アクロイドですって?」

 夫人は盛大に顔をしかめた。怪しい雲行きに子供達は顔を見合わせ、そして話を遮ってしまわないようただただ聞く態勢に入る。

 

「ああ、彼女のことだよ」

「ええ、ええ、もちろん覚えていますよ。それはもう優秀で、常に学年首席だった彼女のことでしょう。彼女がどうしたのです?」

「いや、なに……ロンがよく話してくれるユヅル・ミナヅキさんが、どうやら彼女の娘さんなんだ」

「なんですって!?」

 ウィーズリー夫人は眼をカッと見開いてロンを見た。ロンがびくりと肩を跳ねさせる。

 

「ロン! 本当なの?」

「ウ、ウン、僕もパパから聞いて知ったんだ。ユヅル、家族のことまったく話さなかったから」

 その言葉に夫人は鼻息荒く席に座った。

 

「まさか、あのレティシャの娘だなんて!」

「ね、ねえ、ユヅルのママってそんなに“ひどい”の? ユヅルってすっごくしっかりしてるし、優しい所もあっていい友達なんだ。僕もハリーも、ハーマイオニーだって何度も助けてもらってて……」

「ええ、わかっていますよ。ずっとそう聞いていましたから。どうやらユヅルはレティシャに似なかったようだわ」

 夫人の最後の言葉にウィーズリー氏も頷いて見せた。まったくそうだと言わんばかりのその表情をしている。

 

「ああ、本当、そうと分かればユヅルって子が心配になってきたわ。あのレティシャがまともに親をしているとは思えないし、大丈夫かしら……」

「モリー、そんなに心配することはない。コンラッドがいるんだ」

「ええ、ええ、わかっていますとも。ねえ、ロン。その子、ちゃんと食べているようだったかしら? まともな生活ができていた?」

「それは大丈夫だよ。それにユヅルにはパパだっているはずだし、そんなに心配する必要はないんじゃないかな」

 夫人はそれからもぶつぶつと何か呟いていた。その声はとぎれとぎれハリーたちに聞こえていたが、夫人は気付いていなかった。

 

「……あのレティシャと結婚した男よ……きっとまともじゃないわ……」

 

 苦々しくそう呟いた夫人の言葉が、ハリーの頭の中でまわっていた。

 

 

 

 






 誤字報告がありました。ありがとうございます。

×名残で新聞 を 届くのだ。
○名残で新聞 が 届くのだ。

 失礼いたしました。
 これからもよろしくお願いします。


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第二章

 

 

 

 八月に入って十日になるころ、ホグワーツから手紙が届いた。今年用意すべきもの――教科書のリストを見る。実際に見て参考書も探すことを考えれば直接書店に行ったほうが良い。やはりダイアゴン横丁のあそこだろうか。

 叔父に会いに行こうと準備を始めた手はすぐに止まった。

 

 のそのそと部屋から母のレティシャが出てきたからだ。

 

 弦の母であるレティシャは金髪に青紫色の目をした美しい女性だ。目の下にはっきりとした重たい隈があるし、目は剣呑な光をしているところがもともとの美しさと相まって不気味ではあったが、それでも母は人の視線を集めるだろう。弦の顔立ちは母親譲りで、いつもかけている大きな黒縁眼鏡がなければ母のように視線を集めることになる。

 

 レティシャは弦を認めると、無感動に言った。

「ダイアゴン横丁へ行くわ。あなたも行くの?」

「え、あ、うん。教科書買わないといけないから……」

「そう。すぐに準備しなさい。姿現しで行くわ」

「わかった」

 

 弦はすぐに頷いた。母と会話が成立するなんていつぶりだろう。そして母が家の外に出るのはいつぶりだろう。

 部屋に駆け込むと弦はマグルと魔法界とわけて使っている財布を二つとも魔法がかかった鞄に突っ込む。それから薄手の長そでの上着も入れ部屋を飛び出した。階段を駆け下り、叔父にメモ書きのような伝言を送って母の傍による。

 

「手」

「うん」

 ずいっと差し出された手をしっかりと握り、弦は初めて母に付き添い姿現しをしてもらった。冷たいこの手に触れたのはいつぶりだろうか。

 

 

 

 

 

 

 ダイアゴン横丁の端の方につくと母は「買い物終わったら“漏れ鍋”で待ってなさい」と言いおいてさっさと行ってしまった。

 弦は当然置いて行かれることは予測していたので(しかし帰りのことまで言ってくるとは思わなかった)、まずはグリンゴッツで教科書代をおろそうと銀行に向かう。

 その入り口でハーマイオニーとその両親に会ったのは偶然の出来事だった。

「ユヅル! 久しぶりね」

「やあ。ハーマイオニー」

 

 ハーマイオニーはにこにこと弦のことを両親に紹介し、弦にも自分の両親を紹介した。歯科医らしい。

 弦は丁寧な態度で名乗った後、彼女達とわかれた。金庫に案内する小鬼【ゴブリン】が現れたためだ。彼らは仕事の邪魔をするのを嫌うから、きびきびと動くのがいい。

 

 教科書代とこれから一年分のお金を袋にわけてつめる。素早く作業を終えた弦はそれをいれた鞄をしっかりと持ったまま行きと同じようにびゅんびゅん飛ぶように走るトロッコに乗って地上に戻った。

 ハーマイオニーたちはまだ銀行にいた。どうやらマグルのお金を魔法界の通貨に変える手続きが終わっていないらしい。

 

 弦は一声かけてから買い出しに繰り出した。弦の性格をすでに知っているハーマイオニーは快く送り出してくれ、時間があったらアイスでも食べましょうと言ってくれた。アイスと言えばフローリアン・フォーテスキュー・アイスクリームパーラーだ。あそこのアイスはとにかく種類が豊富で弦が好む味もある。

 

 制服は去年少し大きめの物を買っていたので買い直す必要はなかった。羽ペンや羊皮紙、インク瓶をそろえ魔法薬学の材料も必要な分と自分の練習用にまとめ買いした。薬問屋に長くいたからか随分と時間が経っていて、母はもう用事を済ませてしまっているかもしれないと慌てて教科書を買いに行く。

 フローリシュ・アンド・ブロッツ書店はすごい人だかりだった。御婦人方がなにやら色めきだった様子で入り口らへんから人垣を作り、背伸びをして中を覗きこもうとしている。去年とは違うその光景に弦は驚き、何かイベント事だろうかと観察した。

 

 どうやら何某さんのサイン会らしい。弦が知らない作家さんだった。そんなにすごい人なのだろうか。どうでもいいけど早く終わってくれと思いながら少し離れたところで人が少なくなるのを待った。

 看板にのせられていた名前は教科書リストに無駄に多く並んでいた名前だ。新しい防衛術の教師はその人のファンか、その人自身だろう。後者の場合、教科書として自分の本を買わせるなんてろくな人柄ではないと思う。

 

 しばらくして喧騒の具合が変わった。色めきの声が悲鳴に変わり、問題が起きたようだと推測する。弦は一人、母はもうすでに“漏れ鍋”にいるかもしれないと焦っていた。置いて帰られると非常に困る。その場合は叔父に連絡をとってアクロイド邸に行けばいいのだけれど、叔父たちに迷惑をかけたくなかった。

 喧騒が大きくなる。何かが落ちる音が続けて聞こえてきた。誰か暴れているのだろうか。

 

 そんなことを考えていた弦の視界に突然何かが割って入った。その背中は見覚えのありすぎるもので、弦は眼を見開いた。

 

 

 

 

 

 

 ハリーたちは書店の人だかりの中にいた。ギルデロイ・ロックハートという無駄に笑顔を振りまく男のサイン会というイベントの真っただ中で、ハリーは無理やり彼との写真を撮られて少々気分が落ちていた。そこへ宿敵のマルフォイと顔を合わせ厭味を言われればさらに気分は落ちていく。

 

 けれども予想外だったのはウィーズリー氏とマルフォイの父であるルシウス・マルフォイ氏が殴り合いを始めてしまったことだ。

 

 そしてさらに予想外だったのはそこに乱入者が現れたことだ。

 

 その女性ははっとするほど綺麗な顔立ちだった。さらりとした金髪に青紫色の瞳。寝不足なのか目の下には隈があり、顔色は悪かったがそれでも眼を惹く美人顔だった。

 

 その人は颯爽と現れるとその足でマルフォイ氏を蹴り飛ばした。あまりの出来事にウィーズリー氏も目を丸くし、そして女性を見て声をあげる。

 

「レティシャ!?」

 

 その名前にハリーたちは聞き覚えがありすぎた。彼女が弦の母親なのかとハリーは女性を凝視してしまう。

 レティシャと呼ばれた女性はマルフォイ氏を冷たく見下ろしていた。

 

「私の視界に欠片でも入るなと言った気がするけれど、お忘れかしら?」

 その声は冷たく、またナイフのように鋭かった。

 

 マルフォイ氏ははっきりとわかるくらいに顔を青ざめている。

「二度と私にその存在を認識させるなと言った覚えがあるのよ、私は。損得勘定はできるのに昔のことは忘れてしまうなんて、私にすごく失礼だとは思わない?」

「れ、レティシャ……」

「私は名前も呼ばれたくないとはっきり言ったわ」

 

 レティシャがもう一度マルフォイ氏を蹴ろうと足を動かした時、彼女の身体に飛びついたのは子供だった。

 

 

 

 

 

 

「母さん!」

 

 弦は今までにないくらいに焦っていた。母が目の前を横切ったかと思ったら騒動の中に自ら分け入ったのだ。母が通ったそこは一本の道となり弦の視界を遮ることはなかった。

 

 レティシャは喧嘩をしていたらしい二人の男性の内、金髪のほうを蹴り飛ばした。その時点で弦の挙動は完全に止まった。あまりの出来事に思考が追いつかなかったのだ。

 彼女が二撃目を繰り出そうとしたときにようやく我に返り、弦は走り出した。その勢いのまま母に飛びつき言い募る。

 

「母さん! 人様を蹴り飛ばすなんて!」

「邪魔よ」

 レティシャは自分とマルフォイ氏の間に身体を割り込ませてきた娘を無感動に見降しそう言った。しかし弦は怯まない。

 

「お願いだから落ち着いて! たくさんの人に迷惑がかかるんだから!」

「離しなさい!」

 弦の右頬をレティシャの拳が横殴りに打った。その衝撃に弦は地面に転がり痛みに呻く。眼鏡はどこかへ飛ばされてしまったし、痛みに頬を押さえて弦はしばし顔をあげられなかった。

 

「ユヅル!」

 そんな弦に駆け寄ってきたのはハリーとロン、ハーマイオニー、そしてここにはいないはずの叔父・コンラッドだった。コンラッドは弦のすぐそばに膝をつき、抱きかかえてレティシャを睨みつける。

 

「レティシャ! ユヅルを殴るなんて、よくもそんな酷いことを! ユヅルが君に何をしたっていうんだ!」

「うるさい!」

「貴方って人は……! この子がどんなに君のことを、」

 コンラッドの言葉の途中でレティシャはバチンと音をたててその場から姿をくらました。

 

「ああ、もう……ユヅル、大丈夫かい? ああ、こんなに腫らして……」

 コンラッドの言う通り、弦の右頬は赤く腫れていた。痛々しい患部に触れることはせず、彼は弦を立たせた。その手で飛んでいってしまっていた眼鏡を拾いあげ傷を治し弦に手渡す。

 

「手当をしなければ……“漏れ鍋”に行こう」

「はい…」

 口を動かすだけで痛む患部に弦は溜息を吐きたくなった。母に手を出されたのは初めてのことだったし、置いて帰られたことも堪えた。最悪の日だと顔を俯ける。

 

 コンラッドはマルフォイ氏に一言「身内がすまない」と詫びると弦の手を引いた。ハリーたちもそのあとに続き全員が“漏れ鍋”に入って店の一角に座った。

 弦は鞄の中に入れていたお手製救急箱から塗り薬と清潔な布きれを取り出すと、布に薬を塗ってそれをそのまま頬に張った。湿布だ。

 

 痛むので眼鏡はかけられない。去年のクリスマスにハリーがくれたケースの中におさめて救急箱とともに鞄の中にいれる。

「口の中は切ってないね」

「大丈夫」

「うん、良かった……まったく、レティシャは……」

 

 深く重い溜息を吐いたコンラッドに、弦は顔を俯けた。きっと弦が家を出る前に連絡を入れたから気にしてきてくれたのだろう。それなのにひと騒動を起こしてしまったことが申し訳なかった。

 

「ユヅル、大丈夫?」

 ハーマイオニーが気遣わしげにそう心配してくれるので、余計に弦は気落ちした。弦が家族の話題を避けたのは母のことをどう話せばいいのかわからなかったからだ。今回のことでレティシャをどう思うか、想像に難くない。

 弦は緩く首を左右に振って大丈夫だと示した。

 

「アーサーたちにも恥ずかしいところを見せてしまって……」

「いや、そもそもあんな往来で騒ぎを起こした私達が悪いんだ」

 ウィーズリー氏の言葉に、まったくですと言わんばかりにウィーズリー夫人が頷くのでコンラッドは苦笑した。

 

「アーサーとルシウスの仲が険悪なのは今に始まったことじゃないが、あまり騒ぎは起こすものじゃない。あそこには新聞記者もいたようだし」

「ああ、全くその通りだ……そういえばコンラッド。君はフランスにいると私は思っていたんだが…」

「ああ、いつもはね。ただ今日は珍しくレティシャが外に出るってユヅルから連絡がきたから心配になってきたんだよ」

「……すみません」

「ああ、ユヅル。君が気に病むことはないんだ。すまない」

 

 コンラッドは心底すまなそうに眉をよせると弦の頭を撫でた。肩につくくらいになった髪がさらさらと揺れる。

「ユヅル、今日は私達のところにきたほうがいい」

「ううん、大丈夫。やることもあるし……」

 明日から一週間家を空けるのだ。

 

「母さん、ああなったらしばらく閉じこもるから、食事のこと、お願いします」

「ああ、わかっている……君がイツキに似てくれて良かったと思わない日はないよ」

 

 水無月(みなづき)(いつき)。それが弦の父の名だ。穏やかで頭が良く、魔法なんて欠片も使えなかったけれど、心も体も強かった人だ。

 父が死んで弦に見向きもしなくなったことに心を痛めたのは祖母だけじゃない。コンラッドだってヴェネッサだって、そして当時すでに隠居生活を送っていたアクロイド家の先代ご当主夫妻だってそうだ。夫妻はすでに絵画の住人となってしまったが、今でも弦が姿を見せれば優しく気にかけてくれていた。

 

 父親譲りの黒髪に、黒色の左目。そして彼から受け継いだ武術と推理力。弦が父からもらったものは数多くあり、それらすべてが弦をレティシャのようにならせなかった要因だ。

 いくらレティシャに似た外見を持とうと、彼女譲りの魔法薬学の才覚を持とうと、弦は決してレティシャのようにはならない。そんな思いが心の奥底にあるということは、弦の中で母への想いは愛情と憎悪が入り混じっているのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 弦の家庭の事情をハリーたちは訊かなかった。訊けなかったのかもしれない。弦も冷静で客観的な説明ができるとは思えなかったから避けた。

 

 あの日からやはりレティシャは部屋に閉じこもって一歩も出なくなった。食事の世話にきたヴェネッサは部屋の前に置かれているテーブルに毎食栄養バランスの良い食事を置いた。全てとは言わないが食べてくれているのでそれを見て安心する日々が続いたそうだ。それは本家から帰宅した弦が交代してもそうだった。

 

 ホグワーツに行く一日前になってもレティシャは顔を見せず、扉越しの弦の声にも応えてくれなかった。叔父はその姿にひどく怒っていたが弦の前では彼女だけのことを考えキングズ・クロス駅まで送ってくれた。入り口まででいいと見送りは断った。早くに来たため今なら彼の息子の見送りに間に合うだろう。

 

 二か月前に見た赤い列車をちらりと見て弦は乗り込んだ。空いているコンパートメントに入り着替え、去年と同じように読書にはいる。

 窓の外は少しずつ賑わいを見せていった。

 

 

 

 



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第三章

 

 

 

 コンパートメントの中で一冊の本を読み終える頃に出発の時刻となった。本を閉じ、息を吐きだす。窓の外は列車に乗り込む生徒とその家族で溢れかえっていた。幾人もの人たちが別れを惜しんで抱き合い、いくつもの言葉を交わしていた。その光景を見て、弦はまたひとつ溜息をついた。

 

 母との関係は一度こじれると尾を引く。長いときは半年もの間拒まれた。今年の冬に帰らなければ一年近く会えないのだ。その頃には母は弦を殴ったことなんて忘れているかもしれない。忘れて大鍋を目の前に自分の研究をしているのだろう。

 

 去年の一年を思い出してみる。母に手紙など一度も出さなかった。返事が返ってこないことなど明白だったのだから。叔父とだけ手紙のやり取りをし、一年ぶりに家に帰った時、確かに少しだけ胸を高鳴らせていた。もしかしたら、母が出迎えてくれるのではないかと。

 

 そして弦は失望した。

 

 母はいつも通りすぎるほどいつも通りだった。部屋から一歩も出ず、一年ぶりの娘に声をかけることすらなかった。

 諦めていたつもりだった。諦め、受け入れていたつもりだった。けれどそうではなかった。

「……若いなあ」

 もうすぐ十三になる。たった十三年生きた程度で、自分は大人になったつもりだったのだ。若すぎる。

 

 十三歳の時、母はどんな人だったのだろう。父はどんな人だったのだろう。何も知らなかった。

 ああ、そうか。私はちゃんと見ていなかったのだ。ただ自分を守るために殻に閉じこもっていただけなのだ。

 なんて恥ずかしいことだろう。一歩身を引いて、他人の事情に図々しく口を出して。なんて愚かなことだろう。ただ駄々をこねて、母が手を伸ばしてくれるかもしれないとありもしない希望にすがっていたのだから。

 

 弦はもう一つ出そうになった溜息を飲み込み、瞼を閉じた。

 再び瞼を開いたとき、弦の気持ちはすでに切り替わっていた。

 

 

 

 

 

 コンコンとノックの音に扉を見れば、ガラリとそこが開いた。立っていたのはテリー・ブート。弦と同輩同寮であり、友達だ。

「よ、ユヅル。久しぶり」

「久しぶり」

「ここいいか?」

「うん」

 テリーは自分のトランクを荷物棚に押し上げると、弦の向かい側に座った。

 

「お前、手紙出すなって言うからこうやって会うまで元気にやってるか心配してたんだ」

「私のところまで手紙を運ぶ梟が可哀そうだと思ったんだ。実際、すごくへとへとになってたし」

「手紙来たのか?」

「送るなって言い忘れてた。解決策はできたよ」

「それって俺も利用できる?」

「できると思うけど」

 

 テリーと、それからやはり同輩同寮のマイケル・コーナー、アンソニー・ゴールドスタイン、パドマ・パチル、リサ・ターピンには夏休みに手紙のやりとりはできないとはっきり言っていた。だから彼らから手紙は来なかったのだ。ハリーたちにはうっかり言い忘れてしまったけれど。

 

 弦の言った解決策を聞こうとしたテリーを遮ったのはノックの音だった。ついで引かれた扉がガラリと音をたてる。

「やあ、ユヅル。テリー。久しぶり」

 入ってきたのはアンソニーとマイケルだった。

 

「ここいいか?」

「構わない」

「おう」

 マイケルは了承をとると荷物棚に荷物を押し上げた。アンソニーもすぐにそうして、マイケルはテリーの隣に、アンソニーは弦の隣に座る。

 

「ユヅルは本当に久しぶりだね。元気そうで良かった」

「本当にそうだ。手紙はどうにかならないのか?」

「それそれ。そのことを今話してたんだよ。ユヅル、さっき言ってた解決策ってなんだよ?」

「ああ、うん」

 弦はハリーたちにも教えた叔父に送る方法を教えた。それなら梟たちも平気だと思うし、何より直接弦に送られるより早いのだ。

 

 そして叔父の名前を口にしたとき、やはり三人は驚いた。

「アクロイドって……マジか」

「大真面目」

「まさかユヅルがアクロイド家の血縁だったなんて……」

「君はまるでびっくり箱だな」

「そりゃどーも」

 失礼なマイケルの物言いに弦は無感動にそう返した。不機嫌になったわけではない。

 

「俺、ユヅルのことずっとマグルーマルの娘だと思ってた」

 マグルーマルとは非魔法族(マグル)に生まれた魔女や魔法使いのことだ。これとは反対に魔法族の血だけを継いで生まれた魔女や魔法使いを純血と呼ぶ。ウィーズリー家やマルフォイ家などはそうだ。もちろんアクロイド家も。少しでもマグルの血が混ざっていれば混血と呼ばれている。ここから派生して親が純血とマグルーマルの場合、半純血と呼ぶこともあるそうだ。

 

 だがこんなことは弦にとって心底どうでもよいことだった。

「どうでもいい」

「言うと思った」

 今度は嫌悪感を全面に出した声色にテリーたちは笑った。ここで笑うあたり、彼らもそんな区別が無用のものだとわかっているらしい。

 

「ユヅルは俺と同じ半純血か」

 テリーの言葉に頷いておく。マイケルやアンソニーは純血の家系らしく、その縁から二人は幼馴染なのだそうだ。そうなるとマルフォイたちとも知り合いと言うことになるが、彼らはスリザリンの家系、一方でマイケルたちはレイブンクローの家系と細かな区別があるらしい。そこで弦は面倒になって読書に入った。

 

 テリーとマイケルがチェスに興じ、アンソニーは日刊預言者新聞を読む。しばらくして車内販売が廊下を通った。弦は去年と同じように瓶詰飴を買う。他の三人は昼食分と夕食に差し支えない程度のおやつを購入したらしい。時計を見れば針はちょうど十二を指して重なっていた。

 

「そろそろ昼食にしようか。ユヅルは買ってなかったけど、持って来たのかい?」

「ん、一応」

 持って来たのはおにぎりだ。去年の経験で和食がひどく恋しくなることはわかっていたからそうした。まあ、厨房の場所はわかっているのでいつでも食べれるけど。思い出して湧き出る食欲は止められない。日本人のめしうま文化にどっぷりとつかってきた十三年間は伊達ではないのだ。

 

 風呂敷に包んだ重箱を取り出しそれを紐解く。漆塗りのそれは紅葉と銀杏が彫られ色づけられていて、秋にはぴったりの品物だ。その蓋をあければ一段目におかず、二段目に俵型に握られたおにぎりが顔をだした。

 三人が興味深そうにそれを見るので、弦は「食べる?」と問いかけた。頷いた三人に塩鮭のおむすびを渡した。三人がおむすびを口に入れて味わっている間に弦はお茶を用意した。魔法瓶にいれたほうじ茶をコップに注いでいく。

 

 初めて食べたおにぎりを三人は気に入ったらしい。もともと作りすぎていたこともあって弦はおかかのおにぎりをもう一つずつとおかずの卵焼きと肉巻牛蒡をあげた。お礼に大鍋ケーキをもらった弦はそれをデザートにした。

 

「ユヅルは料理が上手だったんだな」

「普通」

「でも美味しかったよ。また食べたいくらい」

「あ、俺も俺も」

 純粋に褒められることに悪い気はしない。

 

「ホグワーツの厨房を借りてときどき作ってる」

「厨房?」

「うん。去年知り合ったハッフルパフの先輩に教えてもらった」

「へえ! じゃあ、そのとき俺らも一緒に食べていい?」

「構わない。それに一人分より数人分作った方が作りやすいし」

「やった!」

 テリーは手をたたいて喜び、アンソニーも弦にお礼を言った。マイケルも満足そうだ。

 

 弦はそのことに満足し、おにぎりに噛みついた。

 

 

 

 

 

 昼食を終えまた読書に戻った弦を訪ねる者がいた。ハーマイオニーだ。彼女は弦が一人でないことに怯んだが、気を持ち直して弦を廊下へと引っ張り出した。

 

「ユヅル。ハリーとロンを見なかった? 列車のどこにもいないの」

「どこにも? 乗ってないのか?」

「駅までは一緒にきたの! でもいなくなってしまって……」

「……」

 顔を少しだけ俯けて考える。乗り遅れるぎりぎりに駅についたそうだから乗り遅れている可能性は十分にありえる。

 

 ふと弦はコンパートメントの中を見やった。三人が窓の外を見ている。その食い入るような視線を追って弦も窓の外を見た。

 

「………はぁ?」

 

 思わずあげた声にハーマイオニーが眉をあげた。そしてその目で窓の外を見る。

 青い空の中をトルコ色の車が飛んでいた。しっかり視認できるそれを見て弦はハーマイオニーを見た。

 

「ところでハーマイオニー。ロンはどうやってハリーを連れ出したんだっけ?」

「……車だって聞いてるわ」

 空飛ぶ車。ハーマイオニーはただただ呆然としていた。

 

 それから弦はハーマイオニーを正気に戻すと、誰かに梟を借りるように言った。マクゴナガルあたりに連絡を入れておかなければ。もしかしたら変な気を起こして車で行くかもしれません、と。

 ハーマイオニーはすぐに走って行ってしまうから弦はコンパートメントに戻った。

 

「あの車、知ってるのか?」

「少しだけ」

 あの馬鹿ども、退校処分になりたいのか。それから待っているのはどちらにとっても地獄のようなものだろうに。

 乱暴に座席に座り重く息を吐きだした弦にテリーたちは顔を見合わせた。

 

 

 

 

 

 その夜のパーティーにハリーとロンの姿はなく、二人が車をとばしてホグワーツにきたという噂は学校中に広まっていた。またその日の夕刊に空飛ぶ車をマグルが多数目撃していることがばっちりと載り、魔法省は記憶操作にてんてこ舞いだったとも書かれていた。

 

 そして次の日の朝にロンのもとに吠えメール(名前の通り吠える手紙。怒りをぶつけたいときに使用するとテリーに聞いた)が届いたのだった。お祭り騒ぎに浮かれていた彼らの熱がこれで覚めることを願うしかなかった。

 

 

 

 



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第四章

 

 

 ハリーとロンはあと一つでも問題を起こせば退校処分となるそうだ。自業自得である。

 二年生で新しく始まる教科はない。それどころか飛行訓練がなくなったので一つ減るのだ。授業数は少しばかり増えたが、科目が増えないのなら関係のないことだった。

 去年と同じように加点ラッシュの弦にレイブンクローの同輩たちが声をかけてくるようになったのだけは去年と違っていた。

 

 どの授業が最高だったかと聞かれれば答えられないが、どれが最悪だったかと聞かれれば答えられる。そのときは迷わず闇の魔術に対する防衛術だと言うだろう。それほどまでに今期の教師は最悪だった。去年よりもひどい。

 去年の担当だったクィレルは授業中にひどい悪臭がして、さらにひどくどもっていたが授業内容は比較的まともだった。

 

 しかし今年の担当であるロックハートはまともじゃない。自分の出した教科書ではない本を教科書とし(この時点ですでにおかしい)、一番初めの授業ではその七冊もの本を読んでいるかのチェックテストが行われた。そのテスト内容はゴミ屑にも劣るので割愛。

 

 ロックハートの容姿に惹かれている女生徒をのぞいてレイブンクロー生の中で彼の信用は地に落ちていた。授業もピクシーを使って失敗してからは(レイブンクローの授業ではなかったのでその事件に関しては又聞きだ)ただの朗読会と変わらないし、勉強にならない。パドマは夢中のようだがリサも弦も決して同意はしなかった。

 

 談話室の片隅でパドマが同様のロックハートファンと盛り上がっている間にリサがそろそろとこっちへ来て弦の隣に座った。

「ユヅルはロックハート先生のこと、どう思う?」

「教師には向いていない」

「ははっ」

 テリーが声をあげて笑う。それからよく言ったとばかりに弦にウィンクをした。ロックハートがすると嫌悪感しかわかないのに、テリーがすると普通だ。

 

「今年も外れだ。七年生と五年生の先輩達はひどいことになるな」

 マイケルの言葉にアンソニーは苦笑した。

 

 ホグワーツでは五年生と七年生の学年末に魔法省から試験官が来て学年末の試験が行われる。受験のようなものだ。五年生では通称O.W.L(ふくろう)と呼ばれ六年生以降の科目選択に影響する。七年生では通称N.E.W.T(いもり)と呼ばれ魔法界での一部の就職に影響する。

 先輩方にはご愁傷様としか言いようがなかった。

 

「でも、これでわかった」

「何が?」

 首を傾げる面々に弦は言った。

「防衛術の教師はあてにならない。念入りな自習が必要だ」

「確かに」

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニーがロックハートのファンだと知ったのは新学期が始まって一週間目のことだった。図書室で本を物色していた弦にハリーが声をかけたのだ。

「ユヅル!」

「ハリーか。こうやって話すのは久しぶりだな」

「うん」

 

 司書のマダム・ピンスに見咎められないよう棚の陰に隠れつつ、小声で言葉を交わした。

「派手な入城だったみたいだな」

「……ユヅルまでお説教?」

「しないっつの。どうせこってり絞られてるんだろ?」

「ウン、まあね」

「なら必要ないだろ。そんな暇もないしな」

 弦が会話の間にも探していた本を手に取り、ぱらぱらとページをめくった。

 

「暇がないって……忙しいの?」

「ああ、少しな」

 防衛術の自習をするなんて言えばハリーたちが興味を示すのはわかっていた。だから内容は言わずただ忙しいと言葉を濁す。

 

「僕、ユヅルに宿題手伝ってもらいたかったのに」

「ハーマイオニーがいるだろう?」

「うーん……ハーマイオニー、ロックハートに夢中で……」

「……まあ、好みは人それぞれだろ」

 意外だったが、本に書いてあることが全てだと信じ込む面がある彼女らしいことだと弦は妙に納得した。

 

「ああいうのはボロボロとメッキが崩れていくもんだ。ほっとけ」

「でもすごいからまれるんだ」

「自分より目立つ奴を牽制したいんだろ。流せ。相手にしないのが一番だ」

 相変わらず容赦のないその性格にハリーは苦笑しつつも「またね」と言って去っていく。

 

 しばらくその棚の前で本の物色を続けていればトントンと肩を叩かれた。今日は来客が多いなと思いながら振り返れば、そこに立っていたのはセドリック・ディゴリーだった。

 黒髪に灰色の瞳。ハンサムな顔立ちをしたセドリックはハッフルパフの四年生だ。去年、弦とは廊下でぶつかったという場合によっては最悪の出会い方をし、わざわざそのお詫びに厨房の場所を教えてくれた好青年だ。弦の中で彼は良い人と位置付けられていた。

 

「やあ、ユヅル。久しぶり」

「どうも、ディゴリー先輩」

「セドリックでいいよ」

「気が向いたら」

 つれない返事にもセドリックは穏やかに笑ってる。そんな彼を見て弦は首を傾げた。

 

「随分、機嫌が良さそうですけど、何かありました?」

「えっ」

「?」

 ただの興味本位で聞いただけの弦に他意はない。けれどもセドリックは妙に焦ったようにする。きょとんとする弦にセドリックは誤魔化すように苦笑しながら言った。

 

「防衛術の本、探してるの?」

「ええ、まあ……今年は期待できそうにないので」

「あー……」

 セドリックもそれは思っていたのか、曖昧に頷いた。真面目な彼のことだから先生を悪く言う事などできないのだろう。こういうところはハーマイオニーと共通している。

 

「自習するってことかい?」

「はい。生徒である以上、教師は選べませんから。足りない分は自分で補わないと……来年も期待できるかはわかりませんし」

 持っていた本と新たに抜き取った本を抱えて弦はセドリックを見上げた。

 

「じゃあ、これで」

「あ、うん。勉強、あんまり無理しすぎないようにね」

「注意します……あなたも、クディッチで怪我しないように気をつけて下さい」

 それからすぐに踵を返した弦は知らない。残されたセドリックが頬を赤くして立ち尽くしていることなど。

 

 

 

 

 適当な空き教室に入った弦は、覚えたばかりの防音魔法で教室を隔離し、その中で図書を開いた。目次から目当てのページを見つけ出し、そこを開く。

 

「ふむ……」

 文字を眼で追っていく。

 ページに書かれていたのは<守護霊の呪文>だった。去年は習得を諦めたこの呪文は、とても強力で使える気がしていた。なにより自分の守護霊がどんなものかとても気になる。

 

「よし」

 読み込んだところを頭の中で反芻し、杖を握る。必要なのは魔力と幸せな記憶。明確な幸せな気持ちが、魔法をより強くする。

 幸せな記憶と考えて、初めて祖母に教えを施されたときのことを思い出した。あのときの成功はとても嬉しかったし、何よりも祖母が褒めてくれたことが幸せだった。

 

「エクスペクト・パトローナム」

 

 ゆるゆると白い靄のようなものが杖先から出た。それは杖からそう遠くない位置で空気にとけて消えてしまい、守護霊を創りだす気配はない。

 もう一度、呪文を唱えればその靄は丸く盾の形を創った。一応、成功はしているらしい。だが守護霊の前段階の盾でさえなんだか頼りない。

 幸せが弱いのか。もっと何か別の記憶を、と考える。だがいくら試しても白い靄が盾以外になることはなかった。

 

「……難しいなあ」

 ぼやき、今日は止めようと防音魔法を解除する。魔法を使うための力は問題なかった。幸せな記憶だけが課題のようだ。

「幸せ、ねぇ……」

 深く考えこめば考え込むほど哲学的になりそうで、弦はとりあえず夕食のために大広間に向かうことにした。

 

 

 

 

 夜になってベッドに入り、再び幸せの記憶について考えた。

 

 最初の祖母との記憶は四歳になったばかりのころだ。はっきりと言葉が話せるようになったということで調合をやらせてもらい、初歩的な薬を完成させたのだ。その出来がどうであったかはもう覚えていないが、祖母の満足気な笑顔は今でも記憶に残っている。

 それ以外の記憶も嬉しいと思い、幸福感に満たされたものだったが足りず、弦はすっかり行き詰った。

 

「…………寝るか」

 思い浮かばないなら仕方ない。他に覚えたい魔法だってあるし、そのうち丁度いい記憶を思い出すかもしれない。他にやりたいことをやろう。

 

 

 

 

 

 

 ホグワーツの温室には様々な不思議な植物がある。

「ミス・ミナヅキ。そろそろ朝食に行きなさい」

「はい、スプラウト先生」

 温室の管理は薬草学を教えているスプラウト教授がしている。そのスプラウトと薬草について語り合った結果仲良くなり、ときどき温室での世話を手伝うようになった。

 

 今朝もナグリラ草の収穫を手伝ったのだ。あれは早朝に薬効が高まるのでそのときに摘み取れば質のいいものが手に入る。ナグリラ草は精神安定の効果のある魔法薬を材料に使えるし、他の精神系統の魔法薬のレシピとも相性が良く、効能を高めてくれる。温室にあるものの半分はスネイプに渡されるそうだ。

 手伝ったお礼にといくつかもらえたので、魔法薬の練習に使わせてもらおう。

 

 大広間はすでに賑わいを見せはじめており、弦はレイブンクローのテーブルに座って手招いているアンソニーを見つけた。呼ばれるがままにそこに近づき、彼の隣に腰かける。目の前にはまだ眠そうなマイケルと、日刊預言者新聞を見ているテリーが座っていた。

 

 全員と挨拶を交わし、弦は今日の予定を考えた。土曜日だから授業はない。ちょうど同じことを考えていたのか、テリーが「今日はどうする?」と言ってきた。

「俺とマイケルはクディッチの練習はねぇし」

 そうなのだ。テリーとマイケルはクディッチの選抜試験を受けて見事、ビーターとなった。二人は筋がいいらしく、言い合いをしながらもコンビネーションが決まるのだ。選抜を応援観戦していた弦とアンソニーが二人の口喧嘩に呆れたのは言うまでもない。

 

「課題も終わっているし、どうする?」

 ようやく頭が回るようになったマイケルが、けれども眠気の残る声色でそう言った。確かに課題は昨日までで終わっている。となれば自習だが。

 食事を続ける弦にアンソニーが問いかけた。

「ユヅルはどうするつもりだったの?」

「ん? そうだな……読書か自習かな」

「お前に遊ぶという考えはないんだな……」

 テリーのうめくような言葉に弦は首をかしげた。

 

「学校にいる間は魔法が使いたい放題だから。家に戻るとそうもいかないし」

 家じゃ、学校でできないことをやっているし。

「ああ、なるほど。確かにそうだね」

 未成年の就学中の魔法使いや魔女が学校外で魔法を使うのは法律で禁じられている。だから弦は学校で覚えられるだけの魔法を覚えていた。去年のようなことがあると思いたくはないが、備えあれば憂いなしともいう。

 

「そういや、ふらっといなくなることあるな。なにやってんだ?」

「魔法の実践。使ってみないとわからないものもあるし」

「俺もやりたい!」

 テリーが俄然やる気になった。

 

「別にいいけど……」

「じゃあ、僕もいいか?」

「あ、もちろん僕も混ざりたいな」

 弦が了承の意を込めて頷けば、三人は楽しみだと笑った。テリーなんかは「秘密の特訓みたいだよなぁ」とのんきである。

 まあ、ちょうどいい。一人でやるより何人かでやれば楽しいだろう。ゆくゆくは決闘とやらもできるかもしれない。なぜかマイケルがぶるりと身体を震わせた。

 

「ユヅル!」

 食後のお茶を楽しんでいるときに、後ろから声をかけられた。ハーマイオニーとロンだ。ハリーがいない。

「おはよう」

「おはよう。ハリーがいないな」

「クディッチの練習なんだ。ウッドがはりきってて」

 ロンの言葉に「ふぅん」と返す。一年のころから期待されている彼は今年も大いに活躍を求められるらしい。ご愁傷様である。

 

「私たち、今から見学に行こうと思ってるの。ユヅルも来ない?」

「あいにくと、先約がある。それに他寮生(わたし)が見に行くものじゃないだろう。二人で行ってきたらいい」

 弦の言葉に二人は残念そうだが、自分をつれていってあとあと文句を言われる可能性がある。今年からビーターになった二人の友達なのだから、クディッチで熱くなっている者からはスパイと疑われかねなかった。グリフィンドールのオリバー・ウッドはクディッチにうとい弦でも知ってるクディッチ狂だ。

 

「練習してお腹が空いているだろうから、簡単に食べれるものと、熱い飲み物を持って行ってやったらどうだ?」

「そうね。そうするわ。ありがとう、ユヅル」

「どういたしまして」

「またね」

「ああ」

 二人はさっそくグリフィンドールのテーブルに戻って準備を始めた。それを最後まで見届けることなく、弦は立ち上がる。

 

「さて。私たちもいくか。まずは空いている教室探しだ」

 

 

 

 

 空き教室は割とすぐに見つかり、弦は防音魔法をかけた。その慣れた手つきに三人は感心していた。それを横目に教室内の環境を手早く整えていく。

 

「ユヅルっていっつもこんなことしてたのか?」

「割とね。できる時間はほとんどあててるよ」

「君は努力してばかりだな」

「できないことを嘆くより、できるようになるまで足掻くほうがいい」

「成程な」

「さ、何から始めるんだい?」

 アンソニーの言葉に弦は少し考えた。

 

「私は好きなところから始めているからなぁ……」

「ちなみに最初に覚えたのは?」

「縛り呪文と縄だし呪文、加えて麻痺と失神呪文」

「物騒!」

「まあ、ユヅルは一年の時にあんなことがあったからね……」

「覚えたのはその一年の時だけど」

「…………」

 なぜ無言になる。

 

「……今は何をしているんだ?」

「とりあえず覚えられるものは片っ端から。一番最初に覚えようとしたものに挫折した」

「ユヅルが?」

「テリー、私をなんだと思ってるんだ。失敗もするさ」

 少々むっとした弦に、テリーは笑いながら「だってユヅルができないってところ見たことねぇもん」とのたまった。失礼な奴だ。

 

「はぁ……守護霊の呪文を覚えようとしたんだ。一年の時にもろもろ調べていて見つけて。そのときは時間の関係で諦めたから今年こそはって考えたんだけど……まあ、うまくいかなかった」

「守護霊の呪文って、できたら七年の先輩もびっくりだよ……」

「あ、やっぱり?」

「びっくり通り越して感心するわ。あくなき探究心。叡智の奴隷。さすが我らがレイブンクローのエースだな」

「まったくだ」

「褒めてんのか貶してんのか……」

 深く息を吐き出した四人は、のろのろと練習を始めた。

 

 人に向けての練習はリスクが高すぎるので、弦が一人でしていたように的当てを中心に進めていく。狙い通りにうつというのは難しいようで、三人は競争しては喜んだり悔しがったりと忙しい。

 

 そんな三人にちょこちょこアドバイスをしてやりつつ、弦は自分の課題と向き合っていた。そのために座禅をしている。

 靴と靴下は脱いでいる。スカートのまま足を組むといろいろうるさいのがいるので七分丈のスラックスに履き替えていた。ローブとネクタイをたたんでわきによけ、目をつむったまま黙考する。

 

 幸せな記憶とは何か。四歳の時のものは駄目だった。ならば別の記憶を。初めて受けたテストの点が満点だったのも駄目。父に誉めてもらったのも駄目。父の友人たちとの記憶も駄目。

 幸せとは何か。生きていくうえで、心があれば感じられる幸福感。それは人それぞれだ。弦にとってそれはなんだろうか。

 

 祖母と過ごした思い出。父と過ごした思い出。母と過ごした思い出。幸福な記憶と聞かれれば家族との思い出が頭に浮かぶ。最近は冷え切ってしまった母との関係を諦めきれないのは、かつての日々があまりにも輝いているからだろう。

 ふと思い出したのは、古い記憶だ。おぼろげで儚く、思い出さなければ思い出す方法も忘れてしまいそうな、それでも今まで残っていた記憶。

 

 春の麗らかな日差しが包み込む庭で、弦は祖母と土をいじっていた。植えたばかりの薬草も、父が子供のころから根付いている木々も、庭の植物はすべて祖母が育ててきたものだ。一心不乱に土をいじっている弦に父から声がかかる。縁側で母と共に娘を見守っていた父は、そろそろ休憩が必要だろうと手招いた。素直にそれに従った弦は、水道で手を洗うと両親のもとへと駆け寄る。父はそんな娘を抱きしめあとに両手で抱え上げ、自分の膝の上に乗せた。母はそれを微笑んでみつつ、麦茶の入ったグラスを差し出す。父はそれを受け取り、弦に与えた。父の手に支えられたままグラスを手に取り喉を潤した弦は、残りを祖母に差し出した。ゆっくりと引き上げてきた祖母は笑顔でお礼をいい、グラスを受け取る。庭先の桜からちらちらと花弁が舞い落ち、弦の両掌の中に落ち着いた。

 

 ゆっくりと瞼を押し上げる。遠のいていた周囲の音が急激に戻ってきた。三人の騒ぐ声が聞こえるが、弦はそれに構わず目の前に寝かせていた杖を拾い上げ立ち上がる。

 

「エクスペクト・パトローナム」

 

 次の瞬間、杖の先から飛び出したのは白銀の大虎だった。

 

 

 

 

 守護霊の形は術者に大きく左右される。自分の守護霊が虎であったこと、しかも普通の虎よりも大きいというのはどう受け止めればいいのかわからなかった。

 これは私の内面が虎のように狂暴だということだろうか。喧嘩売ってんのか。

 

「う、わ……」

 テリーは思わずと言ったように声をもらし、アンソニーもマイケルも目を見開いたまま虎を凝視する。

 虎は弦の前に行儀よく座ると、その鼻先を近づけてきた。思わず右手でそこを撫でれば、気持ちよさげに目を細めた。

「思ったより大人しいな」

 

「いやもっと他に言うことあるだろ!?」

 君は本当にびっくりさせるな!

 マイケルの言葉に頷きつつ、テリーもアンソニーも苦笑いをにじませている。つくづく失礼な奴らだ。

「できたもんは仕方ない」

 弦のあっけらかんとした態度に、三人はそろってため息を吐いた。むかついたので虎をけしかけておいた。

 

 

 

 






 誤字報告がありましたので訂正しました。
 ありがとうございました。
 これからもよろしくお願いします。


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第五章

 

 

 

 

 次の日になって、弦はハリーに捕まった。まさしくこの表現が的確である。そばにはロンとハーマイオニーももちろんおり、弦に気が付いたハリーがトップスピードで彼女に突撃してきたのだ。お前は猪かなにかかと弦は言いたくなった。

「ユヅル! ちょっと聞いて!」

「……何かあったのか?」

 どうせ面倒なことだろう、そうだろう。嫌そうな弦にすでに慣れていたのかかまわずハリーは中庭のベンチまで彼女を引っ張った。それについていくほか二人。もういい、諦めた。とことん付き合ってやる。

 

 どうやらハリーが憤っているのはスリザリンに対してらしい。グリフィンフォールの連中はあいつらが大嫌いだなと再認識させられた。まあ、弦も好きか嫌いかで聞かれたら嫌いだし、関わるのが面倒そうなタイプばっかだなと失礼なことを常日頃感じているわけだが。

 クディッチの朝練をしている最中にスリザリンが割り込んできて、しかもその目的が新人シーカーの育成だったという。それがかのドラコ・マルフォイであり、彼の父がスリザリンチーム全員にニンバス社の最新箒<ニンバス2001>を寄贈したそうだ。

 

「うわ、きったねえ」

 思わずそうつぶやいた弦に「だよね!」とハリーもロンも頷いている。ただハーマイオニーだけは「言葉遣いが悪いわよ」と弦に怒っている。君は私の親か何かか。

 かまわず続きを促せば、ハーマイオニーが彼らに物申したのだそうだ。いわく「グリフィンドールはお金ではなく才能で選ばれている」と。スリザリンも顔負けの素晴らしい嫌味だ。

 

「そしたらマルフォイのやつ、ハーマイオニーに『穢れた血』だって言ったんだ!」

 ロンの言葉に弦は眉をひそめた。それは弦も一年のころにスリザリンの生徒から何度か言われたことがある。意味がわかったのは叔父に教えてもらったときだが、ひどい侮蔑の言葉だ。

 マルフォイにロンが呪いをかけようとしたが失敗し、自分に跳ね返った―――彼の杖は今ひどく壊れているから仕方ない―――のでナメクジを吐き出すのが止まらなくなりハグリットのもとに急いだという。それからそこで少し過ごして、城に戻りハリーとロンは罰則を受けたそうだ。

 

「『穢れた血』ねえ……」

 呆れたように弦が息を吐き出せば「ひどいだろ!」とロンは息巻く。

「私も去年何度か言われけど、くだらないな」

「言われたの!?」

 ハーマイオニーがなんてことと口を手で覆った。彼女は言われてひどく傷ついたらしい。だが弦はそうでもなかった。

 

「最初は意味がわからなかったが叔父に教えてもらって理解したよ。あれはくだらない差別用語なんだって。そもそも血がああだこうだとこっちはこだわっていないんだ。言われても痛くもかゆくもない」

「それは、まあ、そうだけど」

「相手にしない方がいい。私は自分の両親に誇りを持ってるし、なにより父の血が流れていることのほうが重要だ。こっちの純血の魔法族の血が流れていようがいまいが関係ないね」

 弦にとって血とは水無月の血だ。母の血による縁もあるが、なにより水無月の子として生まれたことに誇りを持っている。

 

「それに常々おもうんだが、スリザリンのやつらは親の権力つかって威張って楽しいのか? 自分で手に入れたものでもないのにあそこまで堂々とできるのは一種の才能だと思うけど」

 その言葉に三人はポカンとしたあと盛大に笑い声をあげた。

 

 

 

 

 

 

 笑いが収まったハリーから聞いた話を思い出す。罰則の最中に彼は声を聴いたそうだ。それは「殺してやる」と言っていたそうで、気味の悪いものだったという。ハリーの面倒なことはまだ続いているようで、弦は今年もなにかしら巻き込まれるのだろうかと一人気落ちした。

 そんな気分のまま薬草学の温室へと行けば、すでにテリーたちは来ていた。そのまま混ぜてもらい時間になって授業が始まる。

 

 薬草学の授業ではレイブンクローはスリザリンと合同になる。グリフィンドールはハッフルパフとだ。二年になって温室での勉強が増えて弦は嬉しい限りだが、スリザリンをあまりよく思っていないテリーやマイケルなんかは合同授業はいまだに慣れないようである。アンソニーは害がなければ別に誰と一緒だろうがかまわないと言っていた。三人の中じゃ彼が一番強かだ。

 

 マンドレイクは順調に育っているようで、あれの植え替えのときはある意味阿鼻叫喚だったと思い返す。気絶する者はいなかったがみんな耳が痛そうだった。かくいう弦も痛かった。

 早々に課題を終わらせた弦はスプラウトに許可をもらってほかの植物の世話をする。普段の手伝いの一環だ。

「ユヅルは薬草学と魔法薬学の授業が一番楽しそうだな」

 すでに課題を終わらせていたマイケルが弦の作業を見学しつつそういう。彼には許可が下りなかったので見学のみだ。テリーもアンソニーも同様である。

 

「まあ、家柄かな。私は薬師の家の出だから」

「へえ、弦が薬草や薬に詳しかったのはそういうことか」

 作業を終えるころに授業も終わった。スプラウトに挨拶をして温室を出る。植物の育ち具合に上向きだった気分は、進路をふさいだマルフォイに再び下向きにされた。解せぬ。

「教師に媚びを売るのが得意なようだな、ミナヅキ」

「あれがそう見えたのならひねくれているな。可哀そうに」

 

 間髪いれずに辛辣な言葉を返した弦にマルフォイは動揺したようだ。背後でテリーたちが「あーあ」と笑いをかみ殺している気配がする。

「み、身なりもろくに整えられないくせに……!」

 苦し紛れにつぶやかれた言葉に弦があきれてものも言えない間に、マルフォイの頬がぶっ叩かれた。思わず驚いて手を追えば、そこに立っていたのはリサだ。いつも柔らかい眦をつりあがらせ、怒りで顔を赤くしている。

 

「ドラコ・マルフォイ! 女性に対しての礼儀も満足にできないなら純血だなんだと威張り散らすのをやめなさい!」

 

 リサってここまで怒れるんだな。呑気にそうつぶやいた弦に「ユヅルって本当にマイペースだよね」とアンソニーが苦笑した。それに片眉をあげつつ、リサに言う。

「リサ。何をそんなに怒っているんだ?」

「何をって……ユヅル、あなた馬鹿にされたのよ!?」

「気にしていない。よって君が怒る必要もない。そんな時間も無駄だ。寮に戻ろう」

 さっさと歩きだす弦に吠えたのはマルフォイだ。

 

「半純血のくせに、なんだその態度は!」

『……はあ。めんどくせぇなあ、おい』

 思わず日本語でぼやき、マルフォイに向き直る。

「血だなんだとこだわっているのはそっちだろう。私には関係ないし興味もない。心底くだらん。時間の無駄。そんなものなくたって私の優秀さとやらは成績で証明されている。文句があるなら首席になってから言うんだな、三席さん」

「うっわ、容赦ねー」

「口でユヅルに勝つのは不可能に近いからな……」

「二人ともいっつも言い負かされてるもんね」

 そういうアンソニーは口喧嘩などしたことない。穏やかなものだ。前者二人は諭すということで言い負かしている。

 

「そもそも君がそちらでいう純血であるのは君が勝ち取ったことじゃないだろう。君の両親がそうであるからそうなったというただの現象だ。自分で身に着けたものでも、ましてや君の両親が身に着けたものでもない。親が用意したものを当然のように受け入れて、あたかも自分で手に入れたと言わんばかりに見せびらかして楽しいのか? まったくもって理解ができん。理解したくもない」

 彼が何の努力もせずにここまで来たということはないだろう。現に成績は三席だ。それなりに頭は良く、それ相応の勉強を重ねているはずである。

 

 ただその根性が気に入らん。

「自分で手に入れて誇れるもの以外、私に見せびらかすな鬱陶しい」

 最後にそう言い捨てて、弦は今度こそ寮へと歩き出した。

 

 

 

「ユヅルってマルフォイのこと嫌いだったっけ」

「別に。好きだ嫌いだと断じるほど知らん。ただあの根性が気に入らない」

 すっぱりとそういう弦にアンソニーたちだけではなく、リサやパドマも納得したように頷いた。

「確かにユヅルってマルフォイと正反対よね。なんでも自分でできますって感じ」

 パドマの言葉にリサも「マルフォイは完全に親がいないと駄目だわ」と毒づく。男子三人は女子二人の意見に顔をひきつらせた。どこの世も女の評価と言うのは北極の寒さよりも厳しい。

「何でもはできないよ。ただできるように努力してきたし、これからもそうだ。母国にいたんじゃ学べないことをここに学びに来ているのに、ああいうふうに水をさされるのは我慢ならない。なんなんだアイツは」

 

 今回のことは普段の鬱憤が爆発したようなものだ。時間は限られているというのに、邪魔をされて失いたくはない。

「ま、スリザリンの連中に何かされたら言えよ」

「私が泣き寝入りすると思う?」

「まったく思わない」

 声をそろえて答えるんじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その騒ぎが起きたとき、弦はホグワーツのハロウィーンは何かに呪われているんじゃないかと疑った。去年も今年も、てんでいいことがない。

 ハリーとロン、ハーマイオニーからゴーストの絶命日パーティーに誘われたのは十月の頭だった。首なしニック主催のそれにハリーが誘われ、興味を示したハーマイオニーがロンも巻き込んだらしい。彼女は弦にも声をかけたが、弦はそこまでニックと親しくないし興味もないのでお断りした。

 

 ゴーストのパーティーと聞いて思ったのは生者とは随分様変わりしているだろうということだけだった。彼らは食事もしないし、汚れなども自分たちが汚れないから気にしない。何でもかんでもすり抜けてしまう身体というのは人間だったころに気にしていたことすべてを素通りしてしまうらしかった。

 生者にとってはあまりよくないパーティーだろうとあたりをつけ、弦は参加を辞退したことに後悔はなかった。それを持ったのはどうやらハリーとロンで、彼らは大広間でのパーティーの準備が着々と進んでいることを目の当たりにして後悔し始めたようだ。だが約束は約束だとハーマイオニーは譲らない。

 

 あの三人が楽しむか楽しむまいかは行ってみないとわからないが、パーティーの料理とデザートをバスケットにつめて渡してやるかと厨房の妖精たちに頼んでおいた。はて、自分はここまで世話好きだっただろうか。

 ハロウィーンが終わりに近づいたところで弦は席を立った。あらかじめやることを教えていたテリーたちもついてきてくれる。

 

「骸骨舞踏団はすごかったなあ」

「確かに」

「ギターの絃とかで指の先の骨とんだりしたことないのかな」

「ありそう」

 くだらない話をしながら厨房にたどりつき、そこで例のバスケットを受け取った。あとはハリーたちにうまいこと会えばいい。バスケットは二つあり、マイケルとテリーが持ってくれた。紳士だ。

 

「どうするんだ?」

「人探しの呪文をこの前見つけた。それ使う」

 杖を取り出して呪文を唱える。杖の先から出た淡い光がふよふよと飛んでいく。それについていけば、玄関ホールに続く階段のところに彼らを見つけた。

 

「ユヅル!」

 ロンのあげた声にハリーとハーマイオニーもこちらを見る。

「どうしたの? パーティーは?」

「もうそろそろ終わりだろう。君らにこれ、渡そうと思って探してたんだ」

 ふよふよと飛んでいた光が霞のように溶けて消える。それを見届けたあと、マイケルとテリーが二つのバスケットを掲げて見せた。

 

「広間に出たご馳走とデザートの一部。幽霊のパーティーはろくな食べ物がないだろうと思って」

「わあ、いいの? ありがとう、ユヅル!」

「本当にろくな食べ物がなかったんだ……」

 ハリーとロンが諸手をあげて喜び、ハーマイオニーも困ったように笑った。どうやら予想はあたっていたようで安心する。

 

「骸骨舞踏団はどうだった?」

「彼らの骨が損傷するか損失した場合、再生するのかどうかが気になった」

「ユヅルってちょっとずれてるよね」

 僕らが聞きたいのはそういうことじゃないよ、とハリーは苦笑する。それに首を傾げた。他人と違うのは当たり前だろうに。

 

 不意に、ハリーがよろけ石壁に手をついた。その顔から徐々に血の気が引いていく。その顔のままぐるぐると周囲を見回し始めたハリーに全員が訝しげな顔をした。

 ハリーは言った。またあの声がすると。不気味で残忍なあの声が。

 少しの間混乱したように声がすると繰り返すハリーは、ばっと身を翻した。

 

「こっちだ」

 駆け足のハリーに真っ先に続いたのは弦だった。そのあとをテリーが追いかけ、一歩遅れてほかの面々が動き出す。

 ハリーの足取りに迷いはなかった。ただ立ち止っては耳をすませているので不可解な行動ではあった。

「誰かを殺すつもりだ!」

 不穏なその言葉を発したすぐあとにハリーは三階へと走る。その階をくまなく動き回るハリーに全員が振り回されつつもついて行った。そしてその結果、あまりにも不可解で不気味なものを見つけてしまう。

 

 その廊下には壁に赤い、まるで血で書かれたような文字がおどろおどろしい雰囲気を放っていた。床は水浸しで独特の音をたて、それが余計に暗く陰鬱な雰囲気をつくりだす。

 

 

   秘密の部屋は開かれたり

   継承者の敵よ、気をつけよ

 

 

 松明の炎によって照らされた文字は鈍く光っていた。

 その松明の腕木に何かがぶらさがっていた。

「なんだろう、下にぶら下がっているのは」

 ロンのつぶやきが嫌に響く。近づいて確かめようとするロンとハリー、そしてハーマイオニーを弦が手で制した。その横顔はいつになく厳しい。

 

「近づくな」

 発せられた声も固かった。

「ユヅル?」

「……ミセス・ノリスだ」

 驚愕に目を見開くのはテリーたちもだ。それがなにかをようやく理解し、全員の動きが鈍くなる。ロンが絞り出すように言った。

「ここを離れよう」

 

 しかしハリーはそれに戸惑いを返す。

「助けてあげるべきじゃないかな……」

「いいや、ここにいることを見られる方がまずい」

 間髪入れずにマイケルがそう断言し、アンソニーもそれに頷く。しかし弦は首を横に振った。

「もう手遅れだな」

「え?」

 遠くから生徒たちのざわめきが聞こえてきた。パーティーが終わったのだ。時間的になんら不思議はない。

 

 わっと廊下に生徒たちが溢れてくる。先頭にいた生徒が廊下の惨状に気が付き、そして少し離れた場所に固まる七人を見つけた。喧噪は静まり返り、違うざわめきがひそやかに広がり始める。

 その空気の中、声を上げた奴がいた。

「継承者の敵よ、気をつけよ! 次はお前の番だぞ、『穢れた血』め!」

 ドラコ・マルフォイだった。

 

「すっこんでろ、七光りの馬鹿野郎」

 抑える間もなく飛び出た罵倒の鋭さに、びくりと肩を跳ねあげたほか六人以外には弦の呟きは聞こえなかったようだ。しかしマルフォイは弦の発する不穏な気配に紅潮していた顔を若干青ざめさせていた。

 

 そのあとすぐに教師たちがきて、現場の第一発見者である七人は事情聴取されることになった。ハリーが一番に疑われたのは管理人フィルチの私怨だったが、怪しまれるのも仕方ないと弦は落ち着いていた。なにもやましいことなどないので堂々としていればいいのだ。

 ミセス・ノリスは石にされ、マンドレイクが育って魔法薬になるまでそのままであるとダンブルドアは言った。ちょこちょこでしゃばるロックハートがうざったかったし、ねちねちとしたスネイプも相変わらず面倒くさかった。

 

 無罪放免で解放された面々はそれぞれの寮に帰るために別れる。

「にしても、ポッターはトラブルひきよせる体質なんかな?」

「違いない。おかげで巻き込まれた」

 すっかり気分を持ち直したテリーとうんざりとした表情のマイケル。アンソニーは「今回はポッターのせいじゃないんじゃないかな?」と苦笑している。

 

「ユヅル? 怖い顔してんぞ」

「どうかした?」

「いや……『秘密の部屋は開かれたり。継承者の敵よ、気をつけよ』……それにあのマルフォイの言葉……」

 マルフォイははっきりと「次はお前の番だぞ、『穢れた血』め!」と言った。

「秘密の部屋……継承者……穢れた血…………サラザール・スリザリンの『秘密の部屋』か……?」

「おーい、ユヅル。俺たちにもわかるように説明してくれよ」

「『秘密の部屋』なんてホグワーツにあるのか?」

「……まあ、ほぼ夢物語だけどね」

 

 寮への道はまだあるし、別にいいかと弦は語った。<ホグワーツの歴史>からの知識を引っ張り出す。

「ホグワーツの創始者は四人いた。ゴドリック・グリフィンドール、ヘルガ・ハッフルパフ、ロウェナ・レイブンクロー、そしてサラザール・スリザリン。寮の名前は彼らからとられ、そして学校は始められた。最初こそ四人は力をあわせていたけれど、サラザール・スリザリンはやがてほか三人とぶつかるようになった。サラザール・スリザリンが魔法族の純血だけを学校で教育するべきだという主張したためとされている。ようは純血主義およびマグル排斥だな。その結果、サラザール・スリザリンはホグワーツを去ることになった」

 

「なんか、まんまスリザリンって感じの奴だな」

「史実っていうのはその時々によって変えられる。当時の権力者の都合の良いものに、な。そのことが事実だったかはわからない。ただサラザール・スリザリンは学校にあるものを残した。それが『秘密の部屋』だ。部屋の中にはサラザール・スリザリンが何らかの恐怖を閉じ込めたとされている。だいたい考えられているのは怪物だな。サラザール・スリザリンの真の継承者がいつかその部屋を開くまで、怪物は部屋の中で眠っているんだとさ」

「ということは、その真の継承者が現れたってことになるのか?」

 

「そうとも限らない」

「どういうことだ?」

 長い階段を上る。

「継承者そのものかもしれないし、継承者に操られたものかもしれない。はたまたただの真似事かもしれない。ただ言えるのは、」

 立ち止り、弦は言葉を切った。

 

「あの校長にもとけない魔法を使える、またはそんな魔法がかけられる怪物を従えられる人間が学校内に潜んでいるなら、これはとんでもなく危険だ」

 その人間が、マグル排斥を抱いているなら余計に。

「これから…………いや、なんでもない」

「ユヅル?」

「言葉にしたら現実になりそうだから止めとく。さっさと帰って寝よう」

 マグルーマル狩りが始まるかもだなんて、冗談でも言えっこなかった。

 

 伝承は事実をもとにつくられる。どこまでが本当でどこまでが嘘なのか。千年も時が経った今では、誰もわかりはしないだろう。たとえそれが、継承者だとしても。

 

 

 

 次の日からフィルチの目はつねに血走っていた。ミセス・ノリスが石にされた事件が学校中に広がる中、事件現場に何度も足を運び、その周囲をうろうろと見張り続けた。そして八つ当たりとばかりに理不尽な罰則を誰彼かまわず言い渡すようになった。ほとんどの場合、教師陣によって罰則はないものとされた。

「あ、ユヅル!」

 図書館でいつものように本を探していると、ハーマイオニーに声をかけられた。

 

「どうかしたのか?」

「ねえ、『ホグワーツの歴史』っていう本、持ってないかしら? ここの本、ぜーんぶ貸し出されてるの。二週間後まで予約でいっぱい。私のは家にあるし」

「ああ、『秘密の部屋』についてみんな調べてるのか」

 なるほど。うわさ好きなホグワーツ生ならそうなるだろう。

 

 ハーマイオニーは<秘密の部屋>がなんなのか、弦が知っていると判断したのだろう。説明してほしいとハリーとロンが課題に四苦八苦しているところまで引っ張っていった。

 そこで弦は昨晩、テリーたちにしたような話をした。

「確証がほしいなら、誰か教師に質問してみると言い」

「わかったわ」

「ユヅルって本当、なんでも知ってるんだね」

「なんでもは知らない。それにこの史実が事実かどうか、私は判断できないし」

「どういうこと? 本にあったことなんだろ?」

 ロンがわけがわからないという顔をするので、弦は浅くため息をついた。

 

「本に書いてあることが真実とは限らないよ。歴史は特にそう。私たちはもう生きている人がいない時代まで歴史を遡ろうと思ったら、その時代から残っているものからしか読み取れない。その時代の人が残した書記、遺跡の壁画、口で伝えられる伝承……それらがすべて真実を伝えているかどうかは判断できないよ。いくつもの事象を照らし合わせて一致したところから真実をくみ取るしかない。その当時の権力者によって都合よく変えられるって話も珍しくない」

 

「つまり……どういうこと?」

「サラザール・スリザリンが生きていた時代で何が起こったのかは、誰もわからないってこと。彼らの記述は少ないしね。残っている者もすべて一連の流れを記したものばかりだ。その内容まで詳しく書いてあるものはないだろう。私は歴史学者じゃないが、それでも今語られている歴史の全てが過去の真実の全てだとは思わないよ」

 

 

 

 

 

 <スリザリンの継承者>の噂が学校中に広まった。石化事件がその勢いに拍車をかけたらしい。あの場にいた七人の中で最も疑われているのはハリーらしかった。

 

「ホグワーツ生の頭の中はお花畑か」

 マイケルが辛辣な毒を吐く横で、テリーが爆笑している。アンソニーは全員分の紅茶を入れるのに真剣だ。弦は叔母が送ってくれた日本の和菓子を人数分用意していた。紅茶にあうと叔母が太鼓判を押した逸品だ。リサとパドマはリサの両親が送ってくれたハニデュークスのチョコレートを準備していた。

 

「ポッターが誰の脅威とされているか、みんな忘れたのか? 『例のあの人』こそスリザリンの継承者だろうに」

「だけどその人はこの学校にいないじゃないか。だからみんな去年あの人を打ち破ったポッターがそうだと思ったんじゃないかな。闇の魔法を打ち破るのは闇の魔法しかないって。ポッターはとばっちりだね」

 マイケルをなだめるようにアンソニーが穏やかな口調でそう言う。紅茶は全員分行きわたった。

 

「その話が本当なら、俺らにもとばっちりきそうじゃないか?」

「それがポッターにだけ向いているのが現状だよ。同寮のグレンジャーもウィーズリーもいたのにポッターだけが話に上がってる」

「あー……確かに花畑だな」

「だろう」

 マイケルが苛々したまま和菓子を口に入れた。味わうごとに表情が和らぎ「美味いな」とこぼす。テリーたちも同じように口にして笑顔になる。

 

「やっぱり日本のお菓子は美味しいわ。繊細な美味しさっていうのかしら」

「私、日本の食事はヘルシーだって聞いたんだけど、本当?」

「ものによる。だけど確かにこっちに比べればヘルシーかな。このチョコレートも美味しい」

「よかった。ユヅルってあんまり甘すぎるもの食べないじゃない? これ、ちょっと甘さ控えめなの」

 リサの気遣いにお礼を言う。

 

「さっきの話に戻るんだけど、私もポッターは継承者じゃないと思うわ。だって彼の性格はグリフィンドール生って感じだもの」

「そうね。私もパドマの意見に賛成。彼、間違ってもスリザリンではないわ」

 二人の意見にみんな頷く。確かに彼の性格はグリフィンドールにふさわしい。勇気があり、ときに無謀だ。

 

「ってことはやっぱりスリザリンの誰かか?」

「マルフォイ……は、ないな。絶対ない」

「それはありえないわ」

「坊ちゃんにできるわけないもの」

「……君達ってマルフォイに厳しいよね」

「だってマルフォイが私の友達を馬鹿にするんですもの」

「はーい、馬鹿にされた友達その一です」

「その二」

 パドマと二人で軽く手を上げる。パドマはマグルーマルということが、弦もやはりマグルの血が入っていることが彼の何かをくすぐるらしい。いい迷惑だ。

 

「ユヅルは誰が継承者だと思う?」

「誰もそうだとは思わない」

 弦はカップをソーサーに戻し、話を続けた。

「理由は主に二つだな。一つは生徒の誰かが継承者の場合、校長がそれを見逃しているはずがない。組分け帽子の存在もある。あれは対象の頭の中を覗くから、それを防ぐほど力を持っている生徒がいたら校長が目をつけているはずだ」

 あれはある意味、門番だ。ホグワーツに入る異物を拾い上げ、追いやるための。ただしそれは入学時点でのことなのでそこに限定される。入学後の思想の変化へは対応できない。

 

「もう一つはミセス・ノリスを石化させたのは人間じゃない。十中八九、魔法生物だろう。あの校長にも解けない魔法を習得するには七年間の就学では足りない。それに魔法生物が持つ魔法はどれも強力で複雑だ。彼らの場合は体質が起こす現象に近いからな。まず間違いなく、ミセス・ノリスは魔法生物と対峙して石化した」

 ゆっくりと考えれば自然とどういう相手なのかは見えてくる。教師陣は違う。古株はもちろんのこと、新しく入ってきたロックハートは論外だ。

「強力な魔法生物が操れるほどの力を持った生徒はいないだろうな。そうなれば考えられるのは『傀儡』だな」

 傀儡(くぐつ)傀儡(かいらい)とも読めるそれ。操り人形の糸の先が、犯人だろう。

 

「去年よりも厄介だ。被害が出てる。もし誰かを操って事件を起こした輩が次も企んでいるなら、マグルーマルが狙われる。相手はスリザリンの継承者を謳っているのだから」

 そして相手が敵視しているのがハリーならば、きっと彼は今年もすでに巻き込まれている。夏休みにきた妖精が忠告したことも流れに過ぎない。

「パドマは一人にならないほうがいい。私とテリーも注意が必要だろうな」

 

 今年のホグワーツは、間違いなく荒れる。

 

 

 

 



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第六章

 

 

 

 

「……ここ、女子トイレなんだけど?」

「それ、パーシーにも言われたよ」

 ハーマイオニーに三階の女子トイレに呼ばれたと思ったら、ハリーとロンがいた。

 

「ここは嘆きのマートルがいるからほぼ誰も来ないけどな」

「知ってるなら言うなよ」

「悪かった。で? 何の用だ?」

 どうやら三人はマルフォイが怪しいと思っているらしい。

 

「ユヅルはどう思う?」

「マルフォイはない」

 こんなこと、前にもあったなあと思いながらテリーたちと話したことを三人に話す。だがあくまで自分の考えというところは念をおした。

 

「それにしてもポリジュース薬か……なるほど、興味深いな」

「でしょう? ユヅルならそういうと思ったわ。それでね、その作り方が載ってる『最も強力な薬』っていう本、読んだことない?」

「ないな。魔法薬学の本はうちに一通りそろっているけど母が管理している。私は触れない。叔父にも危険なものは禁止されていたし」

 弦の返答にハーマイオニーは少しがっかりしたようだ。期待に応えられずに申し訳ない。

 

「あとは禁書の棚ね」

「教師のサインを頼むならロックハートにしとけ」

「なんで?」

 うげっという顔をしたロンとハリーに弦はことも何気に答えた。

「ハーマイオニーが頑張って誉めれば簡単にとれると思うから」

 二人が納得し、ハーマイオニーがちょっとだけむっとしつつも嬉しそうな顔をしたのは言うまでもない。

 

 

 

 弦はマートルと雑談しながら三人を待っていた。どうやら本を借りられたそうなので、さっそく調合の準備に入るらしい。まずは材料集めだろう。調合の手助けの対価として弦は本を読むことを要求した。又貸しは規則違反だが、こんな機会はめったにない。興味があるレシピは写すつもりだった。

 やってきた三人はマートルと難なく会話している弦に驚いたが、弦はかまわずハーマイオニーに本を要求した。あっさりと手渡されたそれのページをめくり、ポリジュース薬のレシピを見る。

 

「……作るのに一か月か。十分だな。問題は材料か」

「ええ、そうなの。『二角獣の角の粉末』とか難しいのよ」

「スネイプの研究室ならあるだろうが、バレたらことだぞ。ハリーとロンは問題起こしたら退学なんだろう? 薬をつくることも十分それに抵触するし……よし、材料はこっちでなんとかする」

「本当!?」

「ああ。ただし私は材料集めと調合にしか手を貸さないぞ。たぶん、叔父になにをしようとしているか見破られるだろうからそこまでしか手を貸せない」

 怒るとすごく怖いのだ、あの人は。

 

「大丈夫よ。ユヅルがいれば失敗なんてことはならないから十分だわ」

「よし。二日後にまたここで」

 頷き返す三人に背を向け、弦は頭を巡らせた。日本の“伝手”を使えば材料は難なく揃うだろう。問題はやはり叔父だ。先手をうって事情を説明すれば納得してくれるかもしれない。

「……」

 絶対に次に顔を合わせたら怒られるだろう。そのときのことを考えて弦は深くため息を吐いた。

 

 

 

 日本に手紙を出したのは翌日の土曜日だ。あて先は叔父ともう一つ。今日の夜か明日の朝には材料が届くだろう。

 今日はクディッチの日だ。グリフィンドール対スリザリン。テリーとマイケルは敵情視察、アンソニーはその付き添いで試合観戦に行くと言っていた。リサとパドマもいくそうだ。弦はマダム・ポンフリーからの要請で医務室待機となった。

 

 早朝に温室で薬草の世話を手伝い、朝食を食べて医務室に向かった。マダム・ポンフリーへ弦を推薦したのはスプラウトだ。薬草の扱いと魔法薬の知識の広さがその理由だった。成績も問題ないし、適任だと後押ししたのはフリットウィックとマクゴナガルだ。その結果、弦は医務室の手伝いもするようになった。マダム・ポンフリーは優秀な癒者だ。学ぶべきことがたくさんあって楽しい。

 

「ミス・ミナヅキ。ベッドの準備はできましたか?」

「はい」

「ええ、ばっちりです……まったく、あんな野蛮で危ないスポーツ、校長はなぜ廃止なさらないのかしら」

 彼女は怪我人が増えることを嫌がるので(医療に携わる者としては至極当然)毎回、愚痴をこぼしているそうだ。

 

「特に今日は荒れそうですし、布と包帯をもう少し出しておきますね」

「お願いします」

 しばらくはいもり試験やふくろう試験でノイローゼ気味になった上級生ばかりだった。みんな根を詰めすぎだろう。当たり前のように眠り薬を処方されていく光景は怖かった。いや、日本の企業戦士もこんな感じかもしれない。

 試合が終わったのか選手が運び込まれてきた。その中で最も重症だったのがハリーだ。

 

「まっすぐ私のところへ来るべきでした!」

 マダム・ポンフリーが怒る横で、弦は興味深そうにハリーの“骨の無くなった腕”を見た。だらりと垂れさがった腕はぐにゃぐにゃとしていて軟体動物のようだった。

「なるほど、筋肉がつながってるから血管とかがちぎれてないのか。あ、下手に動かさないほうがいいんじゃないか? 支える骨がなくなってるから最悪ちぎれるぞ」

「嘘っ!?」

「さあな。こんな症状、初めて見る。にしてもあの野郎、ろくなことしないな」

 骨を無くしたのはロックハートだという。骨折したところを治そうとしてそうなったらしい。でしゃばりで能力がないとか最悪すぎる。

 

「で、でもユヅル、誰にだって失敗はあるわ」

 ハーマイオニーはそう擁護するが、ロンはその横でそんなことないと首を振る。

「ハーマイオニー。医療行為はプロがやるべきだ。なによりホグワーツ(ここ)にはマダム・ポーフリーがいるんだから、骨折だったならなにより先にここにつれてくるべきだし、教師ならそう判断するべきだった。今回は骨が無くなっただけで済んだけど、もし無くなったのがハリーの心臓だったら? 脳だったら? 他の臓器だったら? 取り返しがつかないだろう。マグルの世界だって医療行為は免許のあるプロがやるんだ。ロックハートの行為は押さえつけてでも止めるべきだった」

 

 弦の言葉にハーマイオニーは落ち込んだし、ハリーもロンもそして傍で話を聞いていたグリフィンドールのクディッチメンバーも顔を青くした。誰もあのろくでなしのとんでも医療行為もどきをあまり重く受け止めていなかったらしい。

「ミス・ミナヅキ。あっちにいるスリザリンの選手たちの手当をしてください。一番怪我がひどいのはミスター・マルフォイなので彼から」

「わかりました」

 骨を再生する薬をとってきたマダム・ポンフリーにそう声をかけられ、弦は頷いた。指示通りスリザリンの選手が固まっているところへ行く。

 

 マルフォイは確かに痛みに呻いていたが、弦を見ればぐっと眉を寄せた。

「なんでお前が……!」

「マダム・ポンフリーの臨時助手だよ」

 傍に置かれたカルテを見て、それから傷薬と包帯を用意する。右腕を一番ひどく打ったらしい。あとは背中だ。背中のほうは痛み止めを飲むぐらいでいいだろう。右腕は骨にひびが入っているようだ。これも薬でどうにでもなる。

 

「な、なにをする気だ?」

「手当」

「嫌だ! お前、絶対まともな手当てしないだろう!」

「馬鹿か。医療行為でそんなことするわけがない」

「信じられるか! マダム・ポンフリーに変われ!」

「……仕方ないな」

 弦は深くため息を吐いた後、声をあげた。

 

「マダム・ポンフリー! ミスター・マルフォイは自分がこうなったのは全部自分の練習が足りなかったからだから痛み止めはいらないそうですよー」

「なぁっ!?」

「いやあ、実に謙虚ダナー!」

「悪かった! 僕が悪かったから手当を任せる!」

「あ゛? 『お願いします』だろ、怪我人」

「お、お願いします」

「よろしい」

 笑いをこらえて肩を震わせているハリーたちにぐっと親指をたてたあと手当にうつる。

 

 腕を水をふくませた清潔な布でふき、傷薬を塗った後、布を当て手早く包帯を巻いていく。ピンで包帯がとけないようにすれば終了だ。

「あとはマダム・ポンフリーが出してくれる薬を飲めば完治だ」

「……」

 マルフォイがぽそぽそと何か呟く。

「なに?」

「あ、ありがとうと言ったんだ!」

「あー、はいはい。どういたしまして」

 

 他にも擦り傷をこさえた選手がいたので手当をし、今日の手伝いは終了だ。

「ミス・ミナヅキ。もう結構ですよ。ありがとうございました」

「いえ。勉強になりました。失礼します」

 最後まで残っていて追い出されたハーマイオニーとロンの二人と共に医務室を出る。

 

 その二人からハリーがあんな怪我をしたのはブラッジャーのせいだと聞く。ハリーばかりを追いかけていたらしい。何かに操られていたようだ。

 ハリーを直接狙うよう魔法をかけたブラッジャー。これまでとは手口が違う。継承者とやらではないだろう。何か別の思惑が動いている。それも、ハリーをなんとか大人しくさせたいという思惑が。それがハリーを死なせたいのか、それとも危険だからホグワーツから遠ざけたいのか、どちらだろうか。前者なら敵、後者ならハリーが会ったというドビーという妖精の仕業かもしれない。

 

 情報が少ない。判断がつかない。こういうときはすべてをリセットするのがいい。

 調合中の鍋の中身を決まった回数、決まった向きに混ぜる。調合は順調だった。

 魔法薬というのは本当に面白い。決まった材料は決まった大きさに切り、決まった順でいれ、そのつど決まった回数と決まった向きに混ぜる。すべて決まり事。それはまるで魔法式を書いているようで、ゆっくりと魔法をくみ上げていくようだった。だから好きなのだ。だから楽しい。

 

 誰も使わないからと個室に少々細工して並んだ個室を三つほどつなげた。真ん中の個室の両脇の壁を扉のように開けるようにしたのだ。その絡繰りにハリーたちは弦の本気の度合いを見た気がして戦慄した。マートルも呆れていたが、気に入ったようだ。調合が終わっても残しておくよう言われた。

 完治したらしいハリーが弦たちに合流した。そこでブラッジャーがドビーの仕業と聞き、弦は内心やっぱりと納得する。拒絶したならドビーがこれ以上何かをすることはないだろう。

 

 問題なのは二番目の被害者が出たことだ。グリフィンドールのコリン・クリービーがミセス・ノリスのように石にされた。とうとう生徒が被害にあったのだ。

 ロンはマルフォイを疑い続けており、彼の父であるルシウス・マルフォイが過去にここの生徒であったころ<秘密の部屋>を開いたのだと断じたようだ。そしてマルフォイが部屋の解除方法を教えられたのだと。ポリジュース薬を作る理由がまた強まった。

 

 弦はともかく薬を成功させるだけなのでそこは考えない。そもそもマルフォイではないと考えているし。ただなんか一枚噛んでいそうだなとは思う。お抱えの屋敷しもべ妖精がいそうなお貴族様ではあるし、ドビーがマルフォイ家の妖精と言う場合もあるだろう。深読みし過ぎだろうか。

 

 

 

 掲示板に<決闘クラブ>をするという予告が張り出された。

「へえ、決闘クラブか。我らが寮監の出番か?」

 テリーの言葉をマイケルは否定した。

「いや、違うだろう。それなら僕たちに何かほのめかしていてもおかしくないし、別の教師じゃないか?」

「決闘チャンピオンだったっていうフリットウィック先生以外の先生かあ。どの先生だろう。マクゴナガル先生とか?」

 

「ユヅルはどう思う?」

「嫌な予感がするからパス」

「そうは行かないぜ。こそこそしてんのは知ってんだ。今回は俺たちに付き合ってもらうぞ」

「そうそう。ついでに最近なにしてるのか教えてね」

 テリーとアンソニーに両脇を固められる。解せぬ。

 

「……私は魔法薬の調合を手伝ってるだけだ」

「うんうん。報酬になにをもらったのかな?」

「……禁書の棚にある本を読ませてくれるって」

「へえ、おもしろかった?」

「それはものすごく」

「テリー。聞くべきところはそこじゃない。あとユヅル。そこだけ即答するな」

 

 マイケルの呆れたため息にテリーと二人で肩をすくめた。アンソニーはそれを見て笑い、それから弦の背を押す。

「さあ、決闘クラブに参加してみようよ。楽しいかもしれないし」

「嫌な予感しかしない」

「そのときは、そのとき」

 にっこりと笑ったアンソニーに弦は溜息をついて諦めた。

 

 大広間はいつもとその装いを変えていた。片方の壁に沿って作られた金色の舞台を見て弦はくるりと体の向きを変える。しかし両脇にいたマイケルとテリーに腕をとられてそのまま引きずられることになった。

「寮に帰る」

「駄目」

 声をそろえて笑う三人に恨めし気な視線を送っていると、その視界の端にハリーたち三人を見つけた。向こうもこちらに気付き寄ってくる。

 

「どうしたの?」

 当然の疑問にアンソニーがにこにこと答える。

「ユヅルが来たくないって言うから」

「嫌な予感がする。とくにその舞台とかからビシバシと」

「放っておいたら勝手に帰るからこうやって捕まえてるんだ」

 大人しくしたらマイケルは腕を離してくれ、テリーはゆるく腕をからませたままだ。それに舌打ちを漏らせば、マイケルが「淑女らしくしろ」と苦言をくれる。余計なお世話だ。するときはしてるって。今する必要が感じられないだけで。

 

「ま、いーじゃんいーじゃん。俺ら仲良しだからなー」

 そう言ってテリーがけらけらと笑うので、弦もマイケルも肩をすくめた。アンソニーもくすくすと笑っている。

 そろそろ始めるだろうと舞台に身体を向ける。

「いったい誰が教えるのかしら?」

 ハーマイオニーの言葉にアンソニーが「うちの寮監ではなさそうだよ」と答える。

 

「あら、そうなの? フリットウィック先生は若い頃、決闘チャンピオンだって聞いたんだけど」

「そうらしいな。だがレイブンクロー生に今日のことをほのめかしたりしてないんだ。上級生も誰も噂してなかった」

「だから違う先生だって話になったんだ。ユヅルは嫌な予感がするって来たがらないし」

「こんなときにお祭り騒ぎを起こそうとする先生にはあいにく一人しか思いつかない。この趣味の悪い舞台を見れば嫌でもわかる」

「ああ……」

 ハーマイオニーの顔は輝くが、男子の顔はげんなりとしたものになった。ここまで違いが顕著だと笑えてくるな、と無表情の下で思った。

 

 舞台にロックハートがあがった。その後ろになんでかスネイプを連れて。前のロックハートの輝き具合に比例する様に暗さに磨きがかかっている。その顔もいつにもまして凶悪だ。

「後ろの人は予想外だわ」

「同感」

「どうやって引っ張り出したんだろうね?」

「……公衆の面前でぶっとばせるからじゃない?」

「それだ」

 テリーたちがうんうんと頷けばハリーとロンが顔をひきつらせた。ハーマイオニーには聞こえていなかったのかきらきらとした目でロックハートを見ている。幻想とは打ち砕かないのが優しさだがこの幻想は打ち砕いてしまいたい。主に心の平安のために。

 

 ロックハートはなんの面白味もない演説を披露した後、スネイプと模範演技をすると宣言した。この時点でスネイプは怒髪天だ。

「ロックハートが動けなくって医務室送りにチョコレート一箱」

 ぽつりと呟いたテリーが思いつきの賭け事が始めた。

「僕は気絶で女生徒の悲鳴にクッキー一缶」

「僕は大広間の壁にめり込むに虹色飴を一瓶かな」

「顔を激しく損傷すればいいにきび団子三箱」

 次回のお茶会は良いものが揃いそうだ。今日の夜にでも叔父に頼んでおこう。

 

 こういう賭け事は初めてではない。娯楽の一環だ。暗黙のルールとして金はかけない。今のところ食べ物しか賭けられたことはないが、そのうち別のものが賭けられるようになるかもしれない。

 ロンが相打ちになればいいと囁いたことも知らず、ロックハートは朗々と話を続けている。

 ロックハートとスネイプが礼をして杖を構えた。お辞儀の仕方に性格と気分が現れている。この二人わかりやすいな。

 

「三つ数えて、最初の術をかけます。もちろん、どちらも相手を殺すつもりはありません」

「僕にはそうは思えないけど」

 ハリーの呟きに同意したところでロックハートがカウントを始めた。零になった時、スネイプの声が鋭く大広間の空気を割く。杖の先から放たれた武装解除呪文はロックハートにぶちあたり、その身体を壁にまで押しやった。

 

 無様に大の字になって床に転がるロックハートにファンの女生徒の悲鳴とそれ以外の歓声が降りかかる。

 ロックハートは気丈にも立ち上がると全然平気ですという様子で模範演技は十分だと言った。スネイプは物足りない様子で殺気だっているが見ないことにしたらしい。

「続いてたら賭けになったのになあ」

「次のお茶会のお菓子が決まっただけでいいじゃない」

「どっちにしろ無様な結果だな」

「帰っていい?」

「駄目」

 なんで声を揃えるんだ。

 

 生徒同士で組んで実戦形式でやることになった。自分達で組めるのかと思えばスネイプがわざわざこちらに近づいてきて指示をとばしている。どう考えてもハリーのとばっちりだ。

 マイケルとアンソニーが組まされ、テリーはレイブンクローの上級生と、ロンは同寮のフィネガンと組まされた。ハリーはマルフォイと、ハーマイオニーと弦はスリザリンの女生徒と組まされる。弦の相手はパンジー・パーキンソンだ。ハーマイオニーがいつしかパグ犬のような顔と称していたが、確かにこちらをぎんと睨みつけている姿はそっくりである。睨まれるような覚えは、結構あった。顔を見て思い出したこともある。

 

 ロックハートの合図で大広間のあちこちでみんな向かい合う。パーキンソンと向かい合ったとこで隣り合ったのはセドリックだった。

「やあ」

「どうも」

「参加してたんだね」

「友達に無理やり……始まりますね」

「お互い、頑張ろうね」

「ソウデスネ」

 正々堂々やる気なんて相手にはなさそうですが。

 

 カウントが始まる。細長く鋭い印象を受ける杖をパーキンソンに定める。

 カウントの途中でパーキンソンが呪文を唱えた。身体をずらしてそれを避け、パーキンソンに武装解除呪文をあてた。弾かれた杖は弦の手に納まった。

 そこで終わっていれば良かったのだが、パーキンソンはこちらにつかみかかってきた。武装解除に成功したセドリックとは逆隣でハーマイオニーも掴みかかられている。ハッフルパフのスリザリンの性格の差は比べるまでもないようだ。

 

 せまってきた手を避けて腕を掴み床に転がす。そのまま掴んだ腕に腕拉十字固を決めた。遠慮のないそれにパーキンソンが悲鳴をあげる。

「無様だねえ」

「離しなさいよ!」

「やなこった。一年の頃に『穢れた血』だと言われたことは今年になってよく思い出すんだ。ありがたくもない記憶のお礼だと思って存分に味え、能無し」

 無感動にそう言いつつ技を決めていると大広間にスネイプの呪文解除の声が響き渡り、弦は技をかけるのを止めた。立ち上がって埃をはらい、転がっているパーキンソンの上に彼女の杖を投げ捨てる。

 

 周りを見れば広間の中はなかなかに酷い状況だったようだ。魔法の影響でのびている者や座り込んでいる者続出である。あーあ、こりゃ失敗だろう。

「だ、大丈夫かい?」

 セドリックのひきつった声に弦はもちろんと頷いた。

「ユヅル、ちょっとは気晴らしになったみたいだな」

 見ていたのかにやにや笑うテリーに弦は微笑しハイタッチしてお互いの成功を喜ぶ。テリーも武装解除を成功させたようだ。

 

「アンソニーとマイケルは周りがすごすぎて見学になったみたいだぜ」

「これは仕方ない。あのろくでなし、欠片の役にも立たないじゃないか」

 教師止めればいいのに。うんざりと吐き捨てる弦にテリーは声を出して笑い、手をひいてマイケルたちのところへと向かう。弦はセドリックに軽く会釈して大人しくついていった。

 

 さすがにこれだけ被害が出るのはまずかったらしい。ロックハートは生徒達に声をかけつつ壇上に上がった。一組選んで模擬戦をさせるようだ。たしかに一組だけなら収集をつけられるだろう。スネイプが。

 選ばれたのはハリーとマルフォイだった。最初はネビルとハッフルパフの生徒だったが、スネイプがネビルにいちゃもんをつけてこの二人にさせたのだ。明らかに公衆の面前でハリーに恥をかかせる腹積りだ。相変わらず性根がひん曲がっている。

 

「どう見る?」

 マイケルの言葉にアンソニーもテルーもこちらを見た。だから弦は正直な感想を言う。

「五分五分。マルフォイは基本的に成績は良いし、頭の回転も悪くない。性格がそれを大いに邪魔しているだけで。一方でハリーは防衛術の素質がある。本人も防衛術自体は好んでるから呪文の扱いは長けているほうだと思うよ。戦術の問題かな」

 だがここで普通にどちらかが勝ちました負けましたと終わらないのがハリー・ポッターとその取り巻く環境である。

 

 模擬戦は呪文の応酬にはならなかった。マルフォイが初撃で蛇を呼び出す魔法を使い、舞台上に蛇が現れたのだ。ドスンと質量のある音を響かせた蛇に舞台に近くよっていた生徒達がさーっと離れる。

 スネイプが悠々と一歩踏み出したが、そこでしゃしゃり出てきたのがロックハートだ。杖を振り上げなにかの魔法を放つが、それは蛇を一度跳ね上げさせただけで追い払うことにはならなかった。それどころか蛇は興奮し、敵意を振りまき威嚇を始める始末である。

 

「つっかえねー」

 弦は低く低く呟き人混みをかき分け前へと進んだ。テリーがついてくるが、マイケルとアンソニーはその場で待機のようだ。

 ポケットを漁っている間に蛇はハッフルパフの生徒に狙いを定めたらしい。一番近くにいたのが仇になったようだ。

 

 ふとハリーが動いた。その口から断続的なかすれた音が漏れる。それが恐怖によるものなのか、はたまた蛇を威嚇しているだけのものなのかは判別がつかなかった。ただ弦にはそれが明確な言語であるように思えたし、ハリーの漏らしたそれを聞いて蛇は威嚇をぱたりと止めた。その姿はいっそ従順でさえある。

「いったい、何を悪ふざけをしてるんだ?」

 ハッフルパフの生徒がハリーにむかってそう言った。どうやら怒っているようである。ハリーはその態度にひどく驚いた様子で、そのことから彼が行った行動は彼の善意なのだろうと推測できた。なにをしたのかはまったく分からないが。

 

 ようやく人垣を超えられた弦は迷いのない足取りで蛇に近づいた。まだなにか喚こうとしていたハッフルパフ生の前に出てポケットの中から一本の試験管を取り出す。栓を外し、うっすらと青い液体を蛇の頭にぶっかけた。

「ユヅル!?」

 ハリーが驚いたように声をあげるが、弦は気にした様子もなく蛇を見ている。

「何かかけたの!?」

「ただの眠り薬だ。ほら、もう寝てる」

 即効性の薬だ。よく効いているのだろう、弦が抱えても起きる気配はない。

 

「森に放してくる。ここじゃあ、寝心地も悪いだろう」

「ぼ、僕も行く」

「勝手にしろ。先生方、今夜はこれで失礼します」

 軽く会釈した弦にならってテリーも頭を軽く下げる。ハリーはそんなことをしなかったが、すたすたと歩き出す二人についてきた。いつのまにか広間の扉付近にいたアンソニーとマイケルも共に広間を出る。少し遅れてハーマイオニーとロンもついてきた。

 

 広間から完全に遠のいたところでロンが言った。

「君はパーセルマウスなんだ。どうして僕達に話してくれなかったの?」

「僕がなんだって?」

「パーセルマウスだよ! 君は蛇と話ができるんだ!」

 ハリーが「そうだよ」と頷いた。けれど今回が二度目の出来事で、一度目は動物園で大蛇と話したらしい。

 

 蛇と話せると言う事態を重く受け止めているのはハリーと弦以外のみんなのようだ。ハーマイオニーはマグルーマルだけれど本で読んでパーセルマウスがどんな存在なのかよく知っているようだ。

 ハリーは心底不思議そうに問いかけた。蛇と話せるのがどうしてそんなにおかしいのだろう。ここにはそんなことできる者はいくらでもいるだろうに。

 

 しかしそれをロンは否定した。そんな能力を持っている人はこの学校にはいない、と。それを持っていることは非常にまずいことだと。

 ハリーが何を言ったのか、彼と蛇しか分からない。彼が話したのは蛇語(パーセルタング)だ。奇妙なあの音はおよそ言語とは思えなかった。規則性がありそうだと思ったのは弦くらいだろうか。

 なにがなんだか本当に理解していない様子のハリーにマイケルがじれたのか、口を開いた。腕の中の蛇はまだ寝ている。

 

「サラザール・スリザリンがパーセルマウスだったという話はとても有名なんだ。スリザリンのシンボルが蛇にされたのはそれが由来だったともされている」

「つまり、みんな君のことをサラザール・スリザリンの子孫だって考えちゃうわけ」

 アンソニーの言葉にハリーは「だけど、僕は違う」と否定する。しかしそれは証明しにくいことだとハーマイオニーが左右に頭を振った。千年前の人と血が繋がっているかどうかなんて、証明しようがない。ハリーだという可能性も十分にありえるのだから。

 

「ま、ポッター家は純血の家系だからなあ。スリザリン家系との婚姻もあるし、一概に違うとは言えないんじゃないか? というか純血の家はどこも親戚みたいなもんなんだから、全員創始者の子孫じゃん」

「その理屈で行くと魔法族の血が混ざっている奴はみんなそうだろうが」

「そりゃそーだ」

 テリーとマイケルの言葉にハリーはちょっとだけ嬉しそうにしたし、ロンは「スリザリンの血かぁ」としかめっ面だ。ハーマイオニーだけはマグルーマルなので関係ありませんという顔をしている。

 

 城の外に出た。そこで蛇がちょうどよく起きたので放してやる。蛇は何事かシューシューと鳴いた後、するすると森のほうへ消えていった。

「ユヅルにありがとう、って」

 ハリーがそう訳してくれるので、弦はひとつ頷いて踵を返す。

「……ユヅルは僕がパーセルマウスでも何も言わないんだね」

「別に。蛇と話せた人の中に悪さをする奴がいたってだけだろう。全体を見ればきっとそう言う人のほうが少数だ。それにさっきみたいに蛇にお礼を言われたとしても、私はそれがわからないからハリーが訳してくれて嬉しかった」

 弦の言葉にハリーはようやく笑った。はにかむようなそれに弦も少しだけ口角を上げる。

 

「それに動物と話せるなんていかにも魔法使いらしいじゃないか。これでアマゾンにいっても毒蛇に襲われない」

「そもそもアマゾンなんて行かないよ……」

「でも確かに動物と話せるって便利だよなー。俺、梟と話したい」

「……僕は犬がいい。家にいるんだ」

「僕は猫かなあ。ユヅルは?」

「別に分からなくていい」

「どうして?」

「魔法薬の材料に使いにくくなる」

「ああ……」

 爽やかに挨拶してきた蛇を材料になんて、とても使いにくいじゃないか。

 

 

 

 



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第七章





 

 

 

 クリスマス休暇までの間に、生徒一人とゴースト一人が襲われた。生徒はハッフルパフのジャスティン・フィンチ=フレッチリーで、ゴーストはニコラス卿だ。一度に二人も襲われたことにみな混乱し恐怖し、現場に居合わせていたハリーが現行犯だなんだと騒がれた。

 ハリーの間の悪さやホグワーツ生の単純さはなんとかならないのかと若干苛ついていた弦は、当然至極とばかりに自分の考えを推理としてふれまわるハッフルパフのアーニー・マクミランのどや顔にぶちりと頭の中の何かが切れた。

 

 その時間は魔法薬の時間で、レイブンクローはハッフルパフとの合同授業だった。魔法薬が苦手なハッフルパフのアンナ・ハボットとは一年のころからの付き合いなのでそのときもいつも通り彼女と組んでいた。同じテーブルにはテリーとマイケルのペア、アンソニーとハッフルパフのスーザン・ボーンズがいて、なんの問題もなく薬をつくっていた。

 ことが起きたのはスネイプが弦たちのテーブルから別のテーブルに移った直後のことだった。すでにスネイプの監査を終えていたアーニーがわざわざこちらに来てアンナやスーザンだけではなく弦たちにまであちこちで触れ回っていた話をし始めたのた。

 

「―――だから、僕はポッターで間違いなと思うね!」

「アーニー!」

 もうその話は止めてとばかりにアンナが彼を制止する。どうやら弦がハリーと仲がいいから気にしてくれているようだ。優しい子だなあと思う一方でこいつ魔法薬はどうしたと弦は無言で出来上がった魔法薬を瓶に詰めた。

「なんだい、アンナ。状況証拠だってあるし、もうポッターで間違いないじゃないか。なんで校長はあんな危険人物放っておくのか、僕は不思議でならないよ」

「アーニー、言い過ぎよ」

 スーザンもそう言うのでアーニーはいささか気分を害したようだ。

 

「二人ともどうしたんだい? もしかしてミス・ミナヅキを気にしてるのかな」

「アーニー!」

「別にいいじゃないか。さっきから反論してこないってことは彼女だってそう思っているってことだろ!」

 弦は頭の血管が切れたような錯覚を起こした。

「あーあー……俺しーらね」

 そうテリーが瓶に入った薬を弦の手からとり自分のものと合わせて提出に行く。

「僕も提出してくる」

 そそくさとマイケルがテーブルを離れた。

「僕はちょっと先生に質問してくる」

 アンソニーがスネイプの気をひきにいった。

 

 弦は自分の道具を片付け始める。その手つきは淡々としており、目つきはひどく冷ややかなものになっていた。

 アーニーはスーザンやアンナにとめられてもまだ話しており、最終的には「君もマグルーマルなら十分に気を付けたほうがいい」と親切ぶって忠告をくれた。弦は片付けの手を止め、アーニーに視線を向ける。

「言いたいことはそれだけか、アーニー・マクミラン」

 自分の発した声がどれだけ冷たく響いたのか弦には判断がつかなかったが、アンナとスーザンがそろって顔を青くしたことから相当なものだったのだろうと後で思い返すことになる。

「君がしているのは推理じゃない。ただの拡大解釈と被害妄想だ」

「なっ……!?」

 

「現行犯って言うのはそもそもそ事を起こした現場を見ていた場合に言う言葉だし、君が言う状況証拠っていうのは不確定すぎて話にならん。君がハリーをどういうふうに見ているのかは知らないが、彼が闇の魔法を使えるだと? 馬鹿も休み休み言え。闇の魔法は強力だが扱うのはそう簡単じゃない。それが使えるのなら彼が学年首席だろうよ。赤ん坊のころにそれを使えた? なわけないだろう。杖も持っていないのに。君がいう推理は穴だらけのただの空想だ。そういうのは名推理っていうんじゃなくて迷推理っていうんだよ。君の頭の中がお花畑なのはかまわないが、周りに種を撒き散らすな迷惑だ」

 

 パタン。教科書を閉じる音がやけに響き、弦はそこでようやくあのスネイプさえも黙らせていることに気が付いたが、どうでもいいと素知らぬ顔をし続けた。

 

 クリスマス休暇に帰省しようとホグワーツ特急の予約を入れる生徒は多かった。テリーたち三人も親に帰ってこいと言われているようで帰省すると残念そうだ。今年は居残って休暇中に防衛術の自習をたっぷり行いたかったようなのだ。

 弦はやはり今年も叔父から帰省のお誘いが来たが断って残ることにした。ポリジュース薬のこともある。自習と読書で有意義に過ごせそうだと思ったのは内緒だ。

 

 クリスマスの日に薬は完成した。その見た目も臭いもひどいものだったが、なんとか手に入れた相手の一部をそれぞれ自分のゴブレットに注いだ薬の中に投入し、三人はそれを飲みほした。弦は全員が気分の悪さに悶えるのを見届けたあと、見事変身しスリザリン寮へとスパイしに行くハリーとロンを見送った。残されたのは弦とトイレに引きこもったハーマイオニーだけだ。

「あー……ハーマイオニー? あまりいい予感がしないんだが」

 自分は無理だと二人に言っていた彼女は未だ個室から出てこない。

 

「ユ、ユヅルの魔法薬は完璧だったわ!」

「ということは最後に入れた変身する相手の一部に問題があったわけだな。なに入れた?」

「………」

 そろりと顔を出したハーマイオニーにすぐさま自分のローブをかぶせて医務室に駆け込んだ弦は、確かに彼女が半猫に変身してしまっているところを見た。どうやら彼女が薬に入れてしまったのは猫の毛だったらしい。ポリジュース薬は動物変身には使ってはいけない。効果時間が過ぎても元には戻らないからだ。

 

 マダム・ポンフリーには魔法薬の練習中の事故と言うことを説明し(ある意味では不幸な事故だった)、弦はハーマイオニーのために薬の中和剤を毎日作ることになった。もちろん、マダム・ポンフリーの指示のもと作られた薬は確実にハーマイオニーの姿を元のままに近づけて行った。

 クリスマス休暇が明けてもハーマイオニーは医務室から出られなかった。彼女はマグルマールということで帰省していた生徒の大半が襲われたと思い込んだし、一時期は医務室の中の様子を探ろうとちらほらと野次馬がいた。弦はマダム・ポンフリーに進言してハーマイオニーのベッドのカーテンを常に閉め、人目に触れぬようにした。マダム・ポンフリーも顔に毛が生えている状態の女の子を多くの目にさらすのはよくないというお考えだった。

 

 ハリーとロンだけ見舞いが許されていたので、彼らは毎回の授業のノートをハーマイオニーにお願いされていた。弦はそれをもとに授業の内容を一緒におさらいする役目をお願いされた。彼女がこうなったのは弦にも落ち度があるので甘んじて受け入れている。

 マルフォイが何も知らないことがよくわかって、三人は犯人が誰かわからなくなったようだ。絶対にマルフォイだと睨んでいたロンはとにかくがっかりしていた。

 一方で弦のショックはそこまでではなく、マルフォイも犯人を知らないならスリザリンには犯人がいないのだろうと考えた。スリザリンの連中は純血だと威張ってはいるが、誰が犯人かわからない不気味さは感じているようなのだ。

 

「犯人がスリザリン連中じゃないっていうなら、次に怪しいのはレイブ()ンクロー()かなぁ」

 防衛術の自習で空き教室にいた弦たちは、ちょっとした休憩をはさんでいた。その中で呟かれたアンソニーの呟きに三人はおのおのの反応を返す。

「それを言うならグリフィンドールだってありえるじゃないか」

「ハッフルパフはなさそうだよなあ。あの寮に入る人間にこんな悪事できないだろ」

「決めつけるのはよくないけど、確かにハッフルパフはないだろうね。私もレイブンクローかグリフィンドールの中にいると思う。ただうちの学年じゃないな」

「どうして?」

 

 手の中にある紅茶の入ったカップには濁りのないものが注がれている。そこには目に見える大きさの茶葉は入っておらず、綺麗なものだ。今の状況のように、何も見えない。

「誰も嘘をついていないからだよ」

 何も知らないと言うマルフォイも、彼に何も教えないその父も、ハリーもロンもハーマイオニーも、レイブンクロー生もハッフルパフ生も、誰一人として嘘はついていない。

 

「ただ疑問なのは相手がハリーの行動を把握しているかのように事件現場を合わせていることだ。ある程度ハリーと交流していなければ、そうはいかないだろう」

「ということは彼の周りに犯人がいるってこと?」

「うん。魔法をかけてまで追跡しているとは思わないから。だが誰かまではわからない。隠れるのがうますぎる。何か見落としている気もするし……」

 まだだ。まだ足りない。なにを知らなければならないのだろう。なにに注目しなければならないのだろう。

 

 ハリーが得体のしれない日記を拾い、それによってハグリッドが五十年前に秘密の部屋を開けて女生徒一人を殺した犯人だと分かったのは、バレンタインの夜のことだった。

 

 

 

 

 

 英国のバレンタインは花やカードを送るのが主流らしい。女性から男性へ、または男性から女性へ。今年のホグワーツではところどころで珍事が起きた。ロックハート以外ははた迷惑な、彼自身が起こしたとんでもない珍事が。

 ド派手なローブを見に纏ったロックハートはわざわざカードやプレゼントを運ぶ悪趣味な小人たちを用意した。彼らは生徒達の中を巡りに巡り、カードやらプレゼントたちを運ぶ愛のキューピッドとなった。逃げる相手を転ばせるわ、歌のプレゼントだと調子はずれの音程で歌いだすわでその成果は散々なものだったけれど。

 

 弦はカードや歌ではなく花を一輪だけプレゼントされた。ミヤコワスレだ。まさか日本の花をプレゼントされるとは思わなかった。色は青みがかった淡い紫色で、茎には黒色に銀の刺繍がされたリボンが結び付けられていた。花言葉は「強い意思」。褒められているんだろうか。

 珍事件の話に戻ると、教師の中で二人ほど被害をかぶった人がいる。スネイプとフリットウィックだ。前者へは<愛の妙薬>、後者には<魅惑の呪文>の指南を求めた女生徒が殺到した。馬鹿馬鹿しい話である。魔法で心を手に入れて嬉しいのだろうか。

 

 そのバレンタインの夜にハリーは三階の女子トイレで拾った日記で五十年前の情景を見たらしい。日記はハリーにハグリッドが犯人だと教えてくれたそうだ。ハグリッドが当時飼っていた毒蜘蛛のアクロマンチュラであるアラゴクがやったと。ハグリットは退校処分となり、ダンブルドアの温情で森番となって現在に至る。

「胡散臭い」

 その話を聞いた弦の感想はそれにつきる。

 

「その日記の持ち主はハグリットを捕まえてホグワーツ特別功労賞をもらったのか。さぞ優秀だったんだろうね」

 半ば棒読みのその科白に加えて弦は半目だった。それにハリーたちはたじろく。

「ユヅルは信じてないの?」

「まったくもって。顔を合わせて直接話したこともない相手をよくそこまで信用できるな」

「だって、過去を見せてくれたんだ」

「その過去とやらを捏造していないありのままの真実だという証拠はどこにもないだろう。魔法道具にしても怪しすぎて得体の知れない。五十年前の記憶と言うなら五十年前も教師だったダンブルドアにでも提出するべきだな」

 

 ハリーはトラブルを自ら招くような真似を平気でする。招かなければ近づきもされないのに、ご苦労な事だと弦は溜息を吐いた。先ほどから見せられている日記にはいっさい触れていない。

「それにハグリッドのことならダンブルドアに相談するのが最も適切だ。彼をこの学校に残したのはダンブルドアだろう。五十年も森番として雇って来たんだ。ハグリッドの為人(ひととなり)も十分に知ってるはずだし、五十年前の真実に気付いているかもしれない」

「……」

「友達のことなんだろう。君達が彼の無実を信じなくて誰が信じる」

 はっとした三人の顔を順繰りに見て、弦は「とりあえず」と鞄の中を漁った。そこから一枚の札を取り出す。

 

「これは?」

「封印のための御札だよ。張ったものの力を無力化する」

 人間に張れば魔法は使えないし、魔法道具に張ればその効力を発揮しなくなる。一時凌ぎだが、十分だろう。

 黒い日記が開かないように札を張りつけ、剥がさない様にと注意した。もしものときのために持っていた御札たちがこんなところで役に立つとは。使う気は一切なかったんだけど。

 

「そんなものがあるんだ……」

「まだ私じゃ作れないからストックが少ないんだ。剥がさないでいてくれると助かる」

「わかった」

 頷いて見せたハリーになんとなく不安が残ったけれど、自分ができるのはここまでだと弦はそれを胸の奥に閉まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三月になりマンドレイクの成長が謙虚に現れた。第三号温室にいた何本かのマンドレイクが乱痴気騒ぎを起こしたらしい。あいつら植物なのになにやってんだ。

 

 そして復活祭(イースター)の休暇中に三年になってから始まる選択科目を決めるよう二年生は言い渡された。今までの授業に加え、新しく占い学、数占い、マグル学、古代ルーン文字、魔法生物飼育学の五つの中から選択するのだ。

「ユヅルはどうするか決めたか?」

 テリーの言葉に弦はすでにチェックを終えた自分の選択表を見せる。つけられているのは古代ルーン文字と魔法生物飼育学の二つだ。

 

「この二つかあ。ちなみに理由は?」

「そもそも私は占いがあまり好きじゃない。だから占い術と数占いは受ける気がない」

「そうなの?」

 アンソニーが首を傾げたあと、マイケルが「女は占いが好きなものだろう」と言った。

「別に女だから好きでないといけないなんて決まりはないし、何より占いは理論よりも才能の比重が大きいからな。数占いは理論的だがそれでも占いだし不確かだ。だから好きじゃない」

「ふーん」

 

「それに日本だと自分のことを自分で占うのは禁止(タブー)とされてるんだ。私自身も占術の才能はないと思うし、するとしたら本職に頼む」

「ユヅルらしいね」

「じゃあ、ほかの二つは?」

「古代ルーン文字のほうは読めるようになれば古代書の解読に役立つかなと思って。魔法生物飼育学は薬関連だな。材料で魔法生物のお世話になることが多いから」

「なるほど」

 テリーは弦に選択表を返し、自分のものにさっさとチェックをつけた。

 

「俺も占い学とマグル学はパス。三つに絞るわ」

「僕も占い学は止める。先輩たちの反応がどうも極端すぎる。マグル学もユヅルやテリーがいるから必要ないな」

「じゃあ、僕もそうしようかな。ユヅルも数占い受けてみようよ。案外、楽しいかもよ」

「遠慮しておくよ。他に勉強しておきたいこともあるし、三人がその授業を受けている間にしておく」

「ほかの勉強?」

 三人がなんだなんだと顔を寄せてくる。

 

「言っておくけど、魔法界関連じゃなくてマグル関連のことだぞ」

「マグル関連? マグルの学問ってこと?」

「なんで?」

「……卒業後は日本の大学に進学するつもりなんだ。入学試験を受けるのに勉強していないと受かるものも受からないだろう」

「ユヅルはもう卒業後のこと考えてるんだな」

 感心した様子のマイケルに弦は「別に」と返した。

 

 もともとホグワーツに入る前からそのことは決めていたのだ。日本で薬剤師の資格をとるにはそれが一番適切だし、最も多く勉強ができると思ったから。

「今日日、薬を扱うには資格がいるんだよ。薬師の家系だけど法律には逆らえないからな。公然と仕事するには必要なものだし、祖母も持っていた資格だ。家を継いで仕事をするのに必要だからとる」

「でもそれだと大変じゃない? ここで習う科目とはまったく別のものなんでしょう?」

「卒業するまでにあと五年はある。夏休みの間にいくらか勉強はしてるし、それをホグワーツでするだけだから間に合うさ」

 忙しくなるのは仕方ないが、なんとかなるだろう。できないことに甘んじていてはいつまでたってもできないままだ。

 

 選択表をフリットウィックに提出して日が経ち、クディッチの試合が近づいていた。対戦カードはグリフィンドールとハッフルパフだ。ハリーは練習で忙しそうにしている。テリーたち三人は観戦に行くそうだ。

 その中で事件が一つだけあった。ハリーの私物が暴かれたのだ。かなり荒らされていたようで、あの黒い日記だけがなくなっていた。犯人はグリフィンドール生しか考えられない。各寮はその寮生しか入り方を知らないのだから。

 

 クディッチの試合の日は弦は図書室にいた。今日の試合はそこまで荒れないだろうと、医務室の手伝い要請は来なかったのだ。読書をしていると図書室にしては慌ただしくうるさい足音に顔をあげる。マダム・ピンスに睨まれているのはハーマイオニーだ。彼女はせわしくなく本棚の中に消えていった。急ぎの調べものだろうかとまた手元の本に視線を落とした。

 しばらくしてまたあの足音だ。ハーマイオニーはやはり忙しなく図書室を出ようとしている。その顔に少しの達成感を見て弦は首を傾げた。何か気になるので追いかけようと図書をもとの場所に戻して図書室を出る。

 

 廊下を少し急ぎ足で歩き、角を曲がる。そこで弦は息は数秒止まった。

「……っ!」

 人が、廊下に倒れている。二人も、だ。それぞれ時間を止められたように不自然な格好で転がっている。その二人に弦は見覚えがあり過ぎだ。

 そこから自分が何をしたのか、弦ははっきりと記憶していたわけではなかった。だが近くの絵画に先生たちへの連絡を頼み、状況を明確に説明したことは覚えていた。その足でマダム・ポンフリーの制止も振り切って図書室にとって返したことも覚えている。

 

 目的の図書を持って医務室に戻ったとき、医務室にはマクゴナガルとハリー、ロンが増えていた。そして弦に遅れて医務室にスネイプとフリットウィック、スプラウト、ダンブルドアが入ってきた。

 ベッドは新たに二つほど埋まっていた。ハーマイオニーとレインブクローの五年生のペネロピー・クリアウォーターの体はぴくりと動かない。彼女たちは石にされてしまったのだから。

「ユヅル!」

 ハリーとロンが弦に駆け寄ってくる。ハリーが弦の手を取って眉を下げた。

 

「君が発見したって聞いたんだ」

「だ、大丈夫……?」

 ロンは気遣うように声をかけてきた。それを見て、弦は少しだけ肩の力を抜いた。

「……私は大丈夫だよ」

 自分が石にされたわけじゃない。考えていたよりも落ち着けている。

 ペネロピーはレイブンクローの監督生だった。会えば言葉を交わしていたし、勉強を見てもらったことも何回かある。優しくて周りよりも落ち着いた先輩だ。

 

 ぐっと歯を食いしばる。まだ死んでない。まだできることはある。諦めてはいけない。私は水無月の子なのだから。

「スプラウト先生。前から探していたものが見つかりました」

「まあ、それは本当なの!?」

 図書室の奥から引っ張り出してきた図書を開いて目当てのページをスプラウトに見せる。

 

「この方法なら、マンドレイクの成長速度を速めて薬効も高められます」

「ええ、ええ、よくやってくれました! 校長、私はすぐに温室へ行かなくては!」

「よろしくお願いしよう。ミス・ミナズキもスプラウト先生を手伝って差し上げなさい」

「はい」

 少しでも早くマンドレイクを収穫して石化を解く薬を作らなければ。それが今、自分にできることだ。

 

 落ち込むのも怒るのも後悔するのも全部終わってからでいい。

 

 

 

 

 

 学校は続けられるけれど、規制が多くかけられるようになった。その中で最も弦にとって煩わしかったのは六時までに生徒は各自寮に戻らなければならないことだった。門限が早まったことで寮にとどまる生徒が増え、弦は談話室に居辛くなった。ついこの前の事件の第一発見者である弦に話を聞きたがる者が続出したためだ。弦は終始無言を貫き、テリーたちが寄ってくる生徒を追い払ってくれた。

 

 マンドレイクの世話の手伝いを続けながら、弦はずっと考えて続けていた。

 ハーマイオニーは確かに何か見つけたのだろう。では何を見つけたのか。彼女がなんの本棚を漁っていたのか弦は見ていない。彼女が消えていった方向にある本棚はたくさんあって絞りきれはしない。だが確かに何かを掴んだのだ。今回の事件に関する何かを。

 では、それは何か。

 

「ユヅル……」

 気遣うようにアンソニーが肩を撫でる。閉じていた目を開け、弦はふっと息を吐き出した。

「……ごめん。もう寝る」

「うん……いい夢を」

 思いつめすぎた。感情に引きずられすぎている。これでは冷静な判断はできない。くしゃりと前髪を握って、足早に部屋に戻った。まだ戻ってきていないパドマやリサがいない部屋はひどくがらんとしている。ベッドのカーテンをひいて頭から布をかぶった。

 

 

 夢を見た。記憶を掘り返し整理するようなそれに静かに身体を委ね、現実世界ではできないほどまでに深く思考の海に潜る。

 始まりは夏休み。ハリーのところへしもべ妖精のドビーがきた。そしてハリーへ学校に戻らないように警告をした。

 

 次はハロウィーンに起きたミセス・ノリスの石化事件。壁に描かれた文字は『秘密の部屋は開かれたり。継承者の敵よ、気をつけよ』。

 

 次はクディッチの試合でのブラッジャーの暴走。ハリーを執拗に追いかけた。

 

 次はその日の夜に再び現れたドビー。彼はなんとしでもハリーをホグワーツから追い出したいようだった。ブラッジャーの暴走は彼がしたと本人が自白している。

 

 次はグリフィンドールのコリン・クリービーが襲われた。

 

 次はハッフルパフのジャスティン・フィンチ=フレッチリーが襲われた。

 

 次はクリスマス休暇にマルフォイが犯人でないことがわかった。

 

 次は五十年前に起こった秘密の部屋の騒ぎでは女生徒が一人だけ死んでおり、その犯人がハグリッドされたことがわかった。それを暴いたのがトム・リドル。

 

 次はハリーの日記が盗まれた。犯人はグリフィンドール生しか考えられない。

 

 次はハーマイオニーとペネロピーが襲われた。ハーマイオニーは何かをつかんでいたようだが、わからずじまいだ。

 

 今回の犯人を知っているのはドビーとマルフォイの父親だろうか。しかし彼らも誰が何をしているのかまでは知らないかもしれない。ただ彼らはそれがハリーにとって危険なことだとわかっている。

 秘密の部屋の怪物はその犯人に従っているのだろう。その怪物は人知れず現れ管理人の猫と生徒を襲った。最初の猫は実験とみて間違いない。試運転とでも言えばいいのか。それが成功したために生徒を襲い始めた。

 

 なぜ石化させたのだろう。純血主義ならばマグル追放を考えてもおかしくはない。恐怖で魔法界から遠ざけようとした? それとも単純に目障りだった?

 

 もしかして着眼点を間違えているのだろうか。

 

 純血主義でもマルフォイ家はマグル排斥派と言っても過言ではない。彼らはホグワーツにはマグルーマルが必要ないと考えているし、自分たち魔法族のほうが素晴らしいと考えている。ならば彼らは、マグルなどいらないと思っているのかもしれない。

 

 もし、殺してやろうとした結果が石化なのだとしたら? 死人が運よく出てないだけだとしたら?

 

 現場の共通点はなんだ。壁に描かれた赤い文字。石化した被害者。ミセス・ノリスのときは床が水浸しだった。コリン・クリービーはカメラをもっていたようだし、ジャスティン・フィンチ=フレッチリーはゴーストのニコラス卿と襲われた。ハーマイオニーやペネロピーは手鏡を持っていた。

 

 ゆっくりと意識が浮上する。まだ考えていたいのに、それを許しくれない何かが弦の身体を思考の海から引っ張り上げた。

 

 しかし完全に抜けきる前に、弦は海の底に沈んでいる事実を見つける。

 

 

 五十年前に死んだのが女生徒なら、その女生徒はゴーストになっていないのだろうか。

 

 

 

 

 

 目を覚ます。いつもの起床時間だ。普段よりも多く睡眠をとったからか、頭がすっきりしている。

 

 ベッドのカーテンを開けて窓の外を見た。まだ薄暗い。パドマとリサはまだ寝ているのか、それぞれのベッドのカーテン越しに二人の寝息が聞こえてきた。穏やかなそれに耳をすませて、それから最近、ハグリットが世話している鶏の時の声を聴いていないと思う。確か狐か何かに襲われてすべて殺されてしまったのだったっけ。ハリーたちから聞いたような気がする。

 

「………五十年前の事件で死んだ女生徒」

 ぽつりと口からこぼれた言葉に弦ははっとした。憑きものが落ちたように、一つの事実が見えてくる。

 

 ベッドを下りてなるべく音をたてないように身支度を整えた。その足で女子寮を出て男子寮に侵入する。

 五十年前に一人の女生徒が死んだ。トイレで、だ。ハグリッドが秘密裏に飼っていたアラゴクという毒蜘蛛のせいらしい。アクロマンチュラという種類の蜘蛛だったか。肉食で毒性は強い。

 女生徒は本当に蜘蛛の毒で死んだのだろうか。即死だったと言うが、毒ならそれらしき痕跡が残っていてもおかしくはない。アクラマンチュラの毒は他とは違う特徴もあるだろう。なんでそこに気が付かなかった!

 

 目的の部屋に入り、一番入り口に近いベッドのカーテンを引いた。

「テリー、起きて」

 気持ちよさげに寝ているテリーの身体を遠慮なく揺さぶった。

 この数日で状況は大きく変わっている。ハグリッドは重要参考人としてつれていかれてしまったし、ダンブルドアがホグワーツから消えた。理事会で懲戒免職が下されたのだ。今はマクゴナガル先生が代理として中心で指揮をとっている。

 

 テリーがうっすらと目をあけ、弦を認めて飛び上がらんばかりに驚いた。

「ユヅル!?」

「シッ、静かに」

 素早く身を起こしたテリーはまだ早い時間帯ということを理解したのか声を潜めて弦に詰め寄った。

「どうしてお前が俺らの部屋にいるんだよ……!」

「相談したいことがある。マイケルとアンソニーを起こそう」

 

 テリーと同じように二人をたたき起こす。マイケルは「男子寮に来るんじゃない!」と弦を怒ったが、アンソニーは「ユヅルって行動力あるよねぇ」と関心していた。

 三人が完全に覚醒し、なおかつ支度を整えたところで弦は相談事を持ちかけた。

「三階の女子トイレに行って確認したいことがある」

「女子トイレ? 忘れ物でもしたのか?」

「違う。そこにいるゴーストに聞きたいことがあるんだ」

「そこのゴーストって『嘆きのマートル』のことかい?」

「そう」

 

 弦はどうしてそうしたいのかすべて語った。秘密にしたまま協力してもらえることではないし、何より三人に秘密にしておくには事態が進み過ぎている。

 

「つまり、マートルが五十年前の被害者で、もしかしたら犯人も怪物も見てるかもしれないってことか?」

「うん。死因さえわかれば怪物の正体が特定できる。特定できれば移動手段もわかるはずだ」

「……わかった。ユヅルが抜け出せるように上手く立ち回るのは僕とアンソニーが適任だろう。テリーはユヅルと一緒に行動してくれ」

 マイケルの指示にアンソニーもテリーも頷いた。弦もお礼を言う。

 

 話がまとまったところでアンソニーが口を開いた。

「何か連絡手段をもてないかな? せめて危険な状況かどうかわかる手段がいるよ」

「そうだな……」

「ユヅル、何かないか?」

「…………古い手法になるけど、『両結(ふたむす)び』を使おう」

 杖を振って四本の糸を出した。それを手繰り合わせ、一本の太い糸にし、四つに分断する。それぞれ糸に三つの結び目をつくった。それを手首に巻きつけ腕輪とした。

 

「誰かの糸が切れれば、この結び目が解かれて誰かになにかがあったって知らせることが出来る」

 もともとは遠くに離れてしまう夫婦間で行われていた(まじな)いの一種だ。古い古い呪いだが、ホグワーツという特殊な環境ならその効力は確かなものになるだろう。

「よし。作戦決行は今日の午後だ。僕たち、今日の午後は授業が一つしかないから、一度寮にすぐに戻れば時間はつくれる。マイケルと僕がテリーやユヅルと行動していると思わせ、その間に二人は三階の女子トイレへ行く。ユヅルはできるだけ早く用を済ませて寮に戻ってきて」

「わかった」

「了解」

「問題ない」

 

 ことを起こしたその日に、事件は動いた。

 

 

 

 



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第八章

 

 

 

 午後になって寮に戻った。それぞれ部屋に戻った弦たちは、各々準備を整える。弦はいつもの鞄を肩にかけ、部屋を出た。自然なその恰好が一番の準備なのだ。

 談話室におりるとテリーたちがすでにいた。テリーが気が付いてそろりとこちらに近づき、そのまま談話室の入口へと近づく。二人の姿に気づく者はいない。テリーの案で市販の悪戯グッズの一つを使用しているためだった。姿を人に認識させ難くさせるそれは、目立つような行動をとらなければ姿を隠してくれる。ただ本当に子供のおもちゃなので大人の魔法使いはごまかせないというのが難点だった。子供同士にしか通用しないのだ。

 だから七年生と六年生が授業でいないこのときしか使えなかった。

 

「よし、抜けれたな」

「うん。行こう」

「おう」

 階段を駆け下り三階の女子トイレへと急ぐ。先行したのはテリーで、弦は左右後方に注意を向けた。足早に進み、目的のトイレへ辿り着く。

 

「よし、誰もいない。テリー、入ってきていいよ」

「えっ! それは駄目だろ!」

「大丈夫、大丈夫。ここで薬作ったからハリーもロンも入ってる。マートルいるから女生徒来ないし」

「え、えー……」

 そろりと入ってきたテリーはさすがに躊躇っている。成程、紳士だ。入り口の横に待機してもらっておいて、弦は「マートル」と問いかけた。

 

「あら、ユヅルじゃない。どうしたの?」

「君に会いに来たんだ。学校の現状があまりよくないから一人では来れなかった。彼がいることは見逃してくれると嬉しい」

「ふーん……まあ、いいわよ」

 マートルはテリーの顔をわざわざ正面にまで行ってまじまじと観察した後、弦の傍に寄り添うように浮かぶ。

 

「それで? 私に聞きたいことって?」

「君の死因を聞きたいんだ。君がどうやって、どのように死んだのかを、できるだけ詳しく」

 そう言った弦にマートルはまるで英雄譚を語るかのように腕を広げ跳びあがり、大きな声で答えた。

「いいわ! 教えてあげる。そのかわり、私のお願いも聞いてちょうだい」

「お願い? 叶えられることなら」

 

「簡単な事よ。その眼鏡、とってちょうだい」

「これ?」

「ええ。私、あなたの友達なのに一度もあなたの素顔を見たことないんだもの」

「……わかった。かまわないよ」

 眼鏡をとって手に持ったままマートルを見る。彼女は触れそうになるぐらい顔を近づけてきて、少しして満足したのか満面の笑みで離れた。

 

 そしてマートルはトイレを跳びまわりながら語った。自分がどうして死んだのか、何があったのか。

 マートルは虐められ、トイレに引きこもって泣いていたらしい。そこへ誰かが入ってきた。なにを言っているのかわからなかった。外国語のように思えたその声は確かに男子だった。それが嫌で嫌で仕方なくて、マートルは個室から飛び出した。そしてそのままそいつに出て行けと言おうとして。

 

「死んだの」

 

 突然の死だった。すうっと痛みもなく、マートルは死んだ。そして地縛霊のようにこのトイレに住み着くようになった。自分を虐めた男子生徒を呪いながら。

「顔はわからなかったわ。ただ黄色い大きな目玉が二つ、しっかりと見えたの」

「……黄色い目玉」

 犯人は男。傍には魔法生物。黄色い目玉。それを見た瞬間、マートルは死んだ。

 

「マートル。話してくれてありがとう。最後に一つ。その目玉はどこに見えた?」

「あそこよ」

 マートルが指さしたのは手洗い台のところだ。そこに歩み寄りぐるりと見回す。

「ユヅル?」

「蛇の意匠を捜して! 絶対にどこにある!」

 

 弦の中で一つ一つ事実が合わさり、纏められ一つの真実となっていく。

 

 眼鏡をケースにしまって乱暴に鞄につっこみ、端から手洗い台をじっくりとみる。反対側からテリーが探し始めた。

「サラザール・スリザリンはパーセルマウスだ。くそ、それにもっと注視するべきだった!」

「どういうことだ!?」

「秘密の部屋の怪物はスリザリンが操れるものだったってことだ。怪物は蛇なんだよ! それも目玉を見て死ぬなんてあの『バジリスク』しかいない!」

「はあ!?」

 

 バジリスク。毒蛇の王様。鶏の卵から生まれ、ヒキガエルの腹の下で孵化する。個体によっては巨大化し、何百年も生きながらえることもある。その牙の毒は多くの他生物にとって致命的だ。そしてバジリスクと視線を合わせたものは確実に死んでしまう。蜘蛛はバジリスクを嫌い、バジリスクは鶏の時の声のみ嫌う。

 

「犯人はバジリスクをいつでも動かせるように鶏を殺した。今回誰も死ななかったのは、誰も直接バジリスクの目を見てないからだ」

「ミセス・ノリスのときは水浸しの床にうつったバジリスクの目を見て、コリン・クリービーはカメラ越しに見たってことか」

「フレッチリーはニコラス卿ごしにみたし、ニコラス卿はもうゴーストだ。死ぬことはない。ハーマイオニーは怪物の正体に気付いて、それで鏡越しに確認した結果、石になったんだ。ペネロピーは廊下を曲がるときは鏡を見るようハーマイオニーに忠告されていたんだろう」

 

 だから誰も死ななかった。それが犯人の失敗なのか目的なのかはわからないけれど、次の被害者が出る前に見つけなければ。同じ事か続くとは限らないのだから。

「ハリーが聞いた声は壁の中からしていたはずだ。壁の中のパイプを通っていろいろな場所に出現していたんだから。誰にも見つからないはずだ」

 意匠を探し続けていると、校内放送が響き渡った。マクゴナガルの声だ。

「生徒は全員、それぞれの寮にすぐに戻りなさい。教師は全員、職員室に大至急お集まりください」

 テリーと顔を見合わせる。

 

「……誰かが、また襲われたのか?」

「……今までと対応が違う。なにかあったんだ」

 最悪の展開が頭に思い浮かぶけれど、それを振りはらって弦は手がかり探しを再開させた。テリーも倣い、そして少しして「あった!」と声を上げる。

 銅製の蛇口の側面に小さくひっかいたような蛇の意匠が彫られていた。

 

「ここが入り口……?」

 信じられないという顔をしているテリーは思わずと言ったふうに呟いた。

「女子トイレに入り口つくるか? 普通」

「つくったから狂った変人だったんじゃないの」

「ああ……」

 この何とも言えない気持ちをどう説明すればいいのだろうか。ただ一つ言えることは先人の性癖みたいなものを知りたくなかった。

 

 テリーと微妙な顔をしていると、ばたばたと廊下で足音がする。その音にはっとし、テリーと入り口を凝視すればあろうことか足音の持ち主たちはトイレに入ってきたのだ。

「えっ、ユヅル!?」

 ロンがそう声をあげ、弦の横にテリーを認めると「ここは女子トイレだぞ!」を言った。それにテリーは冷静な声色で「そりゃお前もだろ、ウィーズリー」と返す。

 ハリーとロンはなぜかロックハートを連れていた。ロンはずっと自分の壊れた杖をロックハートにつきつけており、無理やり連行してきたようだ。

 

「二人はどうしてここに?」

「ユヅルがマートルに用事があるって言ったから授業終わってすぐにここに来たんだよ。で、さっき『秘密の部屋』の入り口らしきもの見つけた」

「ホント!?」

「これでジニーを助けられる!」

 喜ぶ二人に弦とテリーは首を傾げた。

 

「ジニー? 彼女がどうかしたのか?」

「それが……」

 どうやら先ほどの放送はやはり誰かが襲われたためのものらしい。しかも今回は女生徒が一人連れ去られた。それがロンの妹のジニーなのだそうだ。

 二人は怪物の正体もマートルが五十年前の被害者だとも突き止め、さらにジニーを助けられると豪語しながらも逃げ出そうとしたロックハートをここまでつれてきたらしい。

 

「まあ……肉壁くらいにはなるか」

「ユヅル、心の声がダダ漏れだぞ」

「別に秘めてない」

 ロックハートの顔色は悪い。それを無感動に見た弦はついと視線を外して、蛇の意匠が施された蛇口を示した。

「ここに入り口があるのは間違いない。蛇の意匠が入ってるのはここだけだから」

「ハリー、何か言ってみろよ。何かを蛇語で」

 ロンの言葉にハリーは少し躊躇ったあと、「開け」と言った。しかしそれは人の言葉だ。手洗い台に変化は訪れない。

 

「……ハリー。その蛇口の蛇も、自分のことも蛇だと思ってやってみろ」

「え?」

「蛇になりきれ。君が話したいのは蛇の言葉だ。蛇に話しかけるようにしてみればいい」

「……わかった。やってみるよ」

 次にハリーが発した音はやはり言語とは言い難いものだった。シューシューというかすれた断続的な音の羅列が終わった後に洗面台に変化が現れた。一つだけ沈み込んだ手洗い台の向こうに太い大きなパイプが顔をだした。人ひとり簡単に飲み込めるほどの大きさのそれを覗き込んでも暗闇が広がるばかりだ。

 

「深いな」

 テリーがそれを覗き込んだ後、ハリーを見た。

「で、どうするんだ? この先に事件の首謀者とウィーズリーの妹がいるんだろ」

「もちろん、僕はここを降りていく」

「僕も行く! ジニーを助けないと」

 ハリーとロンの言葉に弦は一つ頷いて「私も行く」と言った。

 

「戦力は多い方がいいだろうから」

「俺も行くわ。ユヅルと行動するのが今日の決まりだしな」

 テリーはそう言って手首の糸を切った。パチンと弦の糸から結び目が一つ消える。

「さて、私はほとんど必要ないようですね」

 ロックハートが失敗作のような笑顔を浮かべながら退場しようとする。それをロンとハリーが杖をつきつけて押しとどめ、先に降りろと身体を押し出した。

 

「ねえ、君たち。それがいったい何の役に立つというんだね?」

「何って……なあ?」

 テリーが見せつけるように肩をすくめてみせた。その顔の意地の悪さと言ったら。ああ、これは面白がっているなと弦は肩の力を抜いた。彼のこういうところはとても尊敬している。

 しかし、ロックハートはまだごちゃごちゃとうるさい。その背を容赦なく足蹴にさせてもらった。悲鳴をあげてロックハートがパイプの中に落ちていく。

 

「さっさと行けよ、面倒くさい」

「……弦ってほんとロックハートが嫌いだよね」

「好きになる要素がない。先に行くぞ」

 ロックハートが何かに襲われた様子もないし、弦は躊躇いなく穴へと飛び込んだ。滑り台のようにパイプを滑り降り、どんどん下がっていく。三階の高さ以上に降りているだろうなあと呑気に考えていると出口にたどり着いた。

 

 そこはトンネルのようだった。大人が立ち上がっても十分なほど余裕のある高さのトンネルの床は湿っており歩くたびに水音を響かせる。杖先に光を灯したところでテリーが滑り降りてきた。

「箒に乗って急降下するよりドキドキした」

 はあーっと大きく息を吐き出したテリーは杖をロックハートにつきつけながら長い滑り台の出口から離れる。その直後、ハリーが降りてきて、最後にロンが降りてきた。

 

「学校の何キロもずーっと下の方に違いない」

「湖の下だよ、たぶん」

 暗闇の中で光を灯した杖をもつのは弦とハリーだけだ。ハリーが先行し、弦がしんがりを務めた。テリーとロンはロックハートの左右から彼に杖をつきつけて進んでいる。

 

「バジリスク出てきたら目をつぶるか」

「それが一番安全だな。どこかに目が映って石化するよりマシだろう」

「頭からぱくりといかれなけりゃあね」

「うええ、死因が蛇に丸飲みとか冗談じゃないよ」

 そろそろと足を進めていると、カーブにさしかかりそこを曲がった。ロンが何かに気が付く。

 

「あそこ、何かある」

 テリーが杖をロックハートから外して光を灯した。ハリーと共にそれがよく見えるように照らし出す。

「なんてこった」

 ロンの力ない声がトンネルに響き、ロックハートもすとんと腰を抜かしてしまう。それも仕方ないことだろう。杖の明かりが照らし出したのはてらてらとにぶく光る毒々しい緑色の蛇の抜け殻だったのだから。その長さはゆうに六メートルはあり、蛇の大きさを物語る。

 

「脱皮したってことはこれよりでかいってことだよな?」

 弦は最後尾から前に出た。抜け殻をまじまじと観察し、そして言う。

「固そうだ。直接的な攻撃はある程度防がれそうだな……」

 それなりに攻撃力のあるものを頭の中で手段を組み立てる。やはり爆撃が一番効きそうだ。

 蛇の抜け殻の衝撃に全員の意識はロックハートから外れていた。それを好機とばかりに、次の瞬間ロックハートはロンに飛び掛かった。ロンの体が横殴りに床にたたきつけられ、彼の杖がロックハートの手に渡る。

 

 弦は素早く警棒を左手に握り、倒れたロンの前に立った。テリーは反対側からロックハートに杖を向けている。

 ロックハートはハリーを正面に肩で息をしつつ、彼自慢のスマイルを浮かべていた。

「坊やたち、お遊びはこれでおしまいだ! 私はこの皮を少し学校に持って帰り、女の子を救うには遅すぎたとみんなに言おう。君たち四人はずたずたになった無残な死骸を見て、哀れにも気が狂ったと言おう。さあ、記憶に別れを告げるがいい!」

 

 ロックハートが他者の記憶を奪って功績を我が物にしてきたことは先ほど聞いたが、この状況でそれをするかと弦は盛大に舌打ちをした。杖から呪文が飛んだ瞬間になんとか無力化しなければとその一挙一動に集中する。

 スペロテープで折れないように補強された杖が振り上げられる。ロックハートの声がトンネル内に響き渡った。

 

「オブリビエイト!」

 

 忘却呪文は杖先から発射されることなく、杖の中で小型爆弾並みに爆発した。弦はとっさにハリーの体に体当たりをしてトンネルの奥へと押しやった。

 トンネルの天井が崩れる。瓦礫が降り注ぎ、耳を覆いたくなるような轟音を響かせて湿り気を帯びた地面に衝突した。あっというまに形成された岩の壁を前に弦とハリーは立ち上がる。

 

「ローン! ブート! 大丈夫か!?」

「大丈夫! 誰も瓦礫の下敷きにはなってないよ!」

 ハリーの叫びにロンの叫びが返ってくる。そのあとにテリーが続けた。

「こっちはウィーズリーの杖が駄目になって、ロックハートが気絶してる程度の被害だよ」

 鈍い音が聞こえ、それからすぐに何かが倒れるような音がする。

 

「俺は杖が無事だし、ウィーズリーとここで壁を崩す! お前ら先に行け!」

「……本当に大丈夫なんだな!?」

「おう!」

「わかった!」

 手首の糸を切る。これで二人の糸が切れたことがマイケルたちに伝わるだろう。あの二人が異常事態に気付いてくれれば上々。

 

「二人とも気を付けて!」

 ハリーは自分を奮い立たせるように声を張り上げると、弦を見た。それに一つ頷き返し、奥を見る。

「ユヅル」

「ん?」

「僕、帰ったらまた日本のお菓子食べたいな」

「わかった。取り寄せる」

「うん」

 

 足を踏み出す。トンネルは曲がりくねっており、現在位置があっというまにわからなくなった。ハリーはひどく緊張している様子で、弦は警棒をしまって杖を左手に持ち替えた。開いた右手でハリーの左手をとる。

「ユヅル?」

「なんとかなる。去年もなんとかなったし、な?」

「……うん。そうだね」

 

 ぎゅっと繋がれた手を握るハリーに弦は微笑んで、それからもう一つ曲がり角を曲がった。その先にはようやくトンネルの終わりである壁が見え、そこには二匹の蛇が絡み合うように施された彫刻があった。大粒のエメラルドがはめ込まれた目はきらきらとまるで生きているように輝いている。

 

 ハリーは立ち止まって一つ咳払いをすると、その口から再びかすれた音を発した。それ先ほどとまったく同じ音で、パーセルタングで「開け」という意味をもつ言葉なのだろうと予想する。

 絡み合っていた蛇がわかれ、一匹がするすると移動する。がちりと鍵の開くような音がして、閉ざされていた壁が二つに分かれて左右に消えていく。開かれたその先に、大きな部屋が現れ、弦たちは覚悟を決めて足を踏み出した。

 

 

 

 



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第九章

 

 

 部屋は厳粛とした空気の中に言い知れない不気味さを感じさせた。左右に一対となって等間隔に並ぶ蛇の柱は威圧的だったし、薄暗い壁に足音が反響して耳の裏でわんわんと鳴っているようだった。

 最後の柱を超えた先には巨大な石像が壁を背にたっていた。その顔は猿のようにしわくちゃで、長い顎鬚はその石像の足元まで伸びていた。上から下へと視線を動かし、ようやくその石像の足元に赤毛の少女が横たわっているのに気が付く。

 

「ジニー!」

 ハリーが小声で叫び弾けるように駆け出していく。ハリーが跪く反対側で弦も膝をつき、ぴくりとも動かないジニーを見た。

「ジニー! 死んじゃだめだ! お願いだから生きていて!」

 杖を脇に投げ捨ててハリーは両手でジニーの両肩を掴んだ。仰向けにしたあとその顔に触れて、驚いた様に手を離す。それもそのはずだ。彼女の肌はまるで体温が感じられないくらいに冷たく、そして白くなっていたし、目はやはり固く閉じられていた。石にはされていないが、それでも生きていると自信をもって判断できる状態ではなかったのだ。

 

「ジニー、お願いだ。目を覚まして」

「ハリー、揺さぶるな。今、診てる」

 手首に指をあてて脈を図り、それでも十分じゃないと首に手をあてる。弱い。次にその胸に右耳を押し当て、しっかりと心臓が動いていることを再度確認した。

「心臓は動いてる。ただ体温が異常に低い。まるで冬眠しているみたいだ」

 弦はそこではっとした。ハリーの向こうに誰かいる。

 

「その子は目を覚ましはしない」

 その存在は静かすぎる声でそう言った。背の高い黒髪の少年は、すぐそばの柱にもたれていた。その両目から読み取れる感情が決して良い物ではないと感じ取った弦は、背中に嫌な汗がつたうのを自覚した。

 ハリーは彼のことを「トム・リドル」と言った。これがあの日記の持ち主か。目の前にして朧気だったトム・リドルという存在を認識する。成程、この少年は確かに見目麗しく、それだけでこちらの警戒心をほぐしてしまう。飲み込まれるような雰囲気に弦はジニーをかばうように身を乗り出した。

 

「目を覚まさないって、どういうこと? ジニーはまさか、まさか」

「その子はまだ生きている。しかし、辛うじてだ」

 トム・リドルはハリーに集中している。ならば、と弦はジニーに意識を集中させた。鞄を漁って薬品を取り出し、ジニーの首と手首にその薬品を塗った。体温を高めるそれは肌に塗ることで血液を通して全身を温めていくのだ。

 

 その間にも二人の話は続く。

「君はゴーストなの?」

「記憶だよ。日記の中に五十年間残されていた記憶だ」

 記憶を定着させた? 日記に? そんなことができるのだろうか。日本で恨みつらみを閉じ込められた品物を見たことあるけれど、あの日記はそんな感じはしなかった。それにこうして一人の人間として話せるなんて、まるで分身のようだ。憑依させた式神でもあるまいし、そんなことができる魔法がここには存在するのだろうか。五十年経った現在でもこんなに明確に存在を維持できるものなのだろうか。

 

 トム・リドルがハリーの杖を持っている。それを手で遊ばせながら、彼は落ち着きをはらった態度のままハリーとの話を続けていた。

 バジリスクは呼ばれるまで来ないと彼は言う。杖がハリーには必要ないと彼は言う。

「僕はこの時をずっと待っていたんだ。ハリー・ポッター。君に会えるチャンスをね。君と話すのをね」

「いい加減にしてくれ。君にはわかっていないようだ。いま、僕達は『秘密の部屋』の中にいるんだよ。話ならあとでできる」

「いま、話すんだよ」

 トム・リドルは譲らない。余裕のある表情を崩さない。彼は時間が経つのを待っているのだろうか。ゆっくりとした会話は時間を稼いでいるようにも見えた。

 

 ふっと息を吐きだして、弦は意識を額に集中させた。二人には聞こえない音量で真言を唱える。

 

「おんそうはんば どばんばやそわか」

 

 第三の目の開眼。霊能力者にとって必要な能力のひとつだし、なければ危険だ。生まれたときから開眼している感受性の強い者もいるが、弦は水無月の守り神の加護が強いため自分から解放しなければ開眼することはない。

 ジニーに見える力がとても弱い。魔力と呼ばれるそれは魔女であることを考えれば驚くほど少なかった。そしてそのジニーの魔力から一本の糸がのび、トム・リドルに繋がっている。糸を辿ってトム・リドルを見たとき、弦はまるで全身の毛を逆立てた猫のように身体を強張らせた。

 

 魔力にはそれぞれ固有の色がある。個性とも言えるそれは日本もイギリスも変わらない。自分とハリー、そしてジニーがいるだけでこの場に三色の魔力が存在することになる。そしてトム・リドルが憑依やら分身やらでここに存在しているなら彼の魔力は四色目となる。

 しかし、トム・リドルの魔力はジニーの色が混ざっていた。それは、つまり。

「お前! ジニー・ウィーズリーから魔力を奪ったな!」

 

 弦の怒声にハリーが肩を跳ね上げ、トム・リドルはそこでようやく第三者の存在を認識したようだ。その目にちらりと赤い色がのぞき、まるで理解できないと言う表情を睨みつけて弦は怒りのままに言葉を紡ぐ。

「ジニーがこうなったのはそいつのせいだ、ハリー! そいつはジニーから魔力を奪って実体化してる。日記に記憶を宿した程度で、実体化できるわけがない。他人の魔力を食い物にしてるだけだ!」

 他者の魔力を奪い自分の力にするなんてものは禁忌の術だ。傷を癒し、病を癒し、人が生きるために手をかしてきたのが水無月家で、弦が祖母から教わったその信念が最も嫌い厭う術だ。

 

「闇の魔術を扱うお前がジニーをどうやって惑わした!?」

「……成程。あの時のへんな紙切れと言い、君は僕の知らない魔法が使えるみたいだね」

 そう、僕はジニーの心を惹きつけた。何カ月もの間、彼女の話を聞き続けた。

「彼女の望む答えを、彼女の望む言葉を与え、辛抱強く絶えた。十一歳の小娘のたわいのない、くだらない悩み事を聞いてあげるのは、まったくうんざりだったよ」

 その整った顔立ちには似つかわしくない笑顔はいっそ醜悪なほどだ。

 

「自分で言うのもどうかと思うけど、僕は必要なればいつでも誰でも惹きつけることができた。だからジニーは、僕に心を打ち明けることで、自分の魂を僕に注ぎ込んだ」

 ああ、ジニーは自ら招いたのか。この闇を。この悪を。この人間にしては邪悪すぎる得体の知れない何かを。

「ジニーの魂、それこそ僕のほしいものだった。僕はジニーの心の深層の恐れ、暗い秘密を餌食にして、だんだん強くなった。おチビちゃんとは比較にならないぐらい強力になった。十分に力が満ちた時、僕の秘密をウィーズリーのチビに少しだけ与え、僕の魂をおチビちゃんに注ぎ込み始めた……」

「どういうこと?」

 ハリーがちらりと弦を見た。弦は答える。

 

「そいつがジニーを操ってこの一年の事件を起こしていたんだよ。学校でバジリスクが問題なく動けるよう鶏を殺したのも、ミセス・ノリスに、四人の生徒にバシリスクをけしかけて石にしたのも、全部そいつがジニーを操り『秘密の部屋(こ こ)』を開けて行ったことだ」

「まさか」

「そのまさかだ」

 弦の言葉をいともたやすくトム・リドルは肯定する。

 

 ジニーは始め、なにも自覚していなかった。まったく、これっぽっちも自分が事件を起こしている事なんて知らなかった。他の生徒と同じように謎につつまれた犯人に怯え、怪物に怯えていた。しかし、それはいつしか疑念への怯えへと変わってしまった。

 記憶がないことに気が付いた。ローブに鶏の毛がついていた。ハロウィーンの夜に自分が何をしたか覚えていない。ローブの前に赤いペンキがべったりとついていた。パーシーに顔色がよくないと心配された。なんだか様子がおかしいと事あるごとに言われる。きっと疑ってる。きっと怪しまれている。

 

 あたしは、気が狂ってしまった。

 

「バカなジニーのチビが、日記を信用しなくなるまでに、ずいぶん時間がかかった。しかし、とうとう変だと疑いはじめ、捨てようとした。そこへ、ハリー、君が登場した。君が日記を見つけたんだ。僕は最高にうれしかったよ。こともあろうに、君が拾ってくれた。僕が合いたいと思っていた君が……」

「それじゃ、どうして僕に会いたかったんだ?」

 怒りをその身に押し込めているハリーに、再びトム・リドルの意識が集中し始める。その隙に弦はジニーの脈を図った。先ほどよりも体温が上がって脈拍が少しだけ多くなっている。少しずつ回復している。ジニーとトム・リドルの間の繋がりはまだあるし、弦にそれを切る術はないが意識がない今が好機だ。

 

 鞄の中から小瓶を取り出す。それを隠し持ちつつ、蓋を外して時を待つ。

「そうだな。ジニーがハリー、君のことをいろいろ聞かせてくれたかね。君のすばらしい経歴をだ」

 貪るような、餓えた視線がハリーの稲妻の傷痕を舐める。

「君のことをもっと知らなければ、できれば会って話をしなければならないと、僕にはわかっていた。だから君を信用させるため、あのウドの大木のハグリッドを捕まえた有名な場面を見せてやろうと決めた」

「ハグリッドは僕の友達だ」

 ハリーの声は震えていた。

 

「それなのに、君はハグリッドをはめたんだ。そうだろう? 僕は君が勘違いしただけと思っていたのに……」

 トム・リドルの甲高い笑い声が部屋に響き、弦は眉をよせた。耳障りなそれはもうほとんど彼の性格そのものように見えた。人とは身体を捨てれば、その心のありようがもっとも顕著に表れる。彼の姿はまさにそれだった。

 五十年前のそのとき、彼とハグリッドを比べたさいに彼を信じた者は多かったようだ。何せ彼は“優等生”だったのだから。問題児だったハグリッドの信頼と彼の信頼は比べるまでもないだろう。

 

 ハグリッドの無実を信じ、トム・リドルを疑ったのはダンブルドアだけだった。『秘密の部屋』を五年間の月日を費やして自力で見つけたトム・リドルは残りの学生生活の全てをダンブルドアに監視されるようになった。部屋を再び開くことはできず、彼は日記に十六歳の自分を保存しようと決めた。いつの日か、誰かに自分の足跡を追わせ、サラザール・スリザリンの崇高な仕事を成し遂げるために。

「君はそれを成し遂げていないじゃないか。今度は誰も死んではいない。猫一匹たりとも。あと数時間すればマンドレイク薬が出来上がり、石にされたものは、みんな無事、元に戻るんだ」

 ハリーの反論をトム・リドルの態度は崩れない。

 

「まだ言ってなかったかな? 『穢れた血』の連中を殺すことは、もう僕にとってはどうでもいいことだって。この数か月間、僕の新しい狙いは君だった」

 トム・リドルはハリー・ポッターに多大な興味を示していた。だからもう、ほかはどうでもいい。ジニーが死んでも関係ない。たとえその魂が自分に日記から飛び出せるほどの力を与えていたとしても。

 彼はハリーに聞きたいことがあると言った。

 

「これといって特別な魔力も持たない赤ん坊が、不世出の偉大な魔法使いをどうやって破った? ヴォルデモート卿の力が打ち砕かれたのに、君のほうは、たった一つの傷痕だけで逃れたのは何故か?」

「僕がなぜ逃れたのか、どうして君が気にするんだ? ヴォルデモート卿は君よりあとに出てきた人だろう」

「ヴォルデモートは」

 

 僕の過去であり、現在であり、未来なのだ。

 

 ハリーの杖が空中に光の文字を生み出す。

   TOM MARVOLO RIDLE

 杖が振られ、文字が並び替えられる。

   I AM LORD VOLDEMORT

 

「アナグラムか……!」

 ミドルネームを知っていれば、気付けただろうか。いや、もしもの話などどうでもいい。まだ、その瞬間は来ない。逸る気持ちを抑える。

 

「この名前はホグワーツ在学中にすでに使っていた。もちろん親しい友人にしか明かしていないが。汚らわしいマグルの父親の姓を、僕がいつまでも使うと思うかい? 母方の血筋にサラザール・スリザリンその人の血が流れているこの僕が? 汚らしい、俗なマグルの名前を、僕が生まれる前に、母が魔女だというだけで捨てたやつの名前を、僕がそのまま使うと思うかい? ハリー、ノーだ。僕は自分の名前を自分でつけた。ある日必ずや、魔法界のすべてが口にすることを恐れる名前を。その日が来ることを僕は知っていた。僕が世界一偉大な魔法使いになるその日が!」

 

 弦にはとんと理解できなかった。この少年の言っている意味が。それはまるで幼い子供が癇癪を起こして支離滅裂な、意味すら通らない言葉を喚いているように感じられ、そうと納得してしまえば理解することすら放り投げてしまいたくなるほどくだらないことのように思えた。

 自分にとって名前とは最初に親にもらった愛情の証で、姓とは誇りだった。自分の両親を、生まれた家を誇ることこそ当然であり人が生きて死んでいくのと同じくらいに自然なことだった。それは弦がもとからそうだったゆえかもれしないし、水無月という家がそうさせたのかもしれない。

 

 けれど、弦が心の底から両親と祖母と家を愛しているのは純然たる事実だった。

 だからトム・リドルのことを理解することはできないし、共感もできない。したくもない。彼の境遇がいかようであれ、それが人の命を奪っていい理由にはならないのだから。

「違うな」

 ハリーの声には計り知れないくらいの憎しみと、それを上回る決意が宿っていた。

 

「何が?」

「君は世界一偉大な魔法使いじゃない。君をがっかりさせて気の毒だけど、世界一偉大な魔法使いはアルバス・ダンブルドアだ。みんながそう言っている。君が強大だった時でさえ、ホグワーツを乗っ取ることはおろか、手出しさえできなかった。ダンブルドアは、君が在学中は君のことをお見通しだったし、君がどこに隠れていようと、いまだに君はダンブルドアを恐れている」

 トム・リドルの顔から微笑みが消えた。ようやく、感情的で醜悪な面が出始める。

 

「ダンブルドアは僕の記憶にすぎないものによって追放され、この城からいなくなった!」

「ダンブルドアは、君の思っているほど、遠くに行ってはいないぞ!」

 睨みあいのさなか、どこからともなく場違いなほど美しい音楽が聞こえてきた。鳥のさえずりにしては壮麗で、楽器が奏でる音にしては生きる力がみなぎりすぎている。この世のものとは思えない旋律は背筋をぞくぞくと刺激し、そして心臓を早鐘のようにする。

 

 その場に介入してきたのは深紅の鳥だった。白鳥のように大きく、それ以上に美しいその鳥は最後まで優雅にとびきり、ハリーの肩にとまった。歌が止む。

「不死鳥だな……」

 トム・リドルが鳥を睨みつけた。

 あれが、不死鳥。なんて綺麗なんだろうと弦は目を瞬いた。そのときばかりは怒りも何もかも忘れ、ただ単純に目の前の動物の美しさに目を奪われる。

 

 不死鳥は魔法生物だ。この世の生物の中でも美しく、重い荷物も軽々と運び、ペットとなったからには主人にこの上ない忠誠を捧げる。またその涙には癒しの力が宿るのだ。炎の中で死に、灰の中から再び生まれてくる彼らは生と死、どちらであってもその姿は美しい。

 トム・リドルの反応から見て、あれはダンブルドアのペットのようだ。ハリーの足元に不死鳥から落とされたのは古い組分け帽子だった。ぴくりとも動かないそれが贈られた真理はまだわからない。

 

 敵の嘲笑の中で、ハリーは思ったほど頭を混乱させてはいないようだ。考えを必死に巡らせている。しかしあまり話を長引かせては、ジニーが危ない。応急処置として体温を上げてはいるが、魂を握られているのだから根本的な解決にはなっていないのだ。元凶を絶たなければ、ジニーは助からない。まだバジリスクさえ出していない相手は、話をするだけの余裕がある。

 

「二回も――君の過去に、僕にとっては未来にだが――僕達は出会った。そして二回とも僕は君を殺し損ねた。君はどうやって生き残った? すべて聞かせてもらおうか」

「君が僕を襲った時、どうして君が力を失ったのか、誰にもわからない」

 ハリーは話を長引かせることにしたらしい。ならばと弦はジニーの傍でその身から魔力を奪わせないよう、慎重に力を注ぎ始めた。気付かれないようゆっくりと、ひそかに、そして確実に。

 

「―――この身に宿る神聖なる加護の御力をお貸し頂けるよう、かしこみかしこみお願い申し上げます―――」

 今は遠く、直接言葉を交わすことはかないませんが、どうかどうかその御力をお貸しください。どうか私に、友を救う手助けをさせてください。

 握ったジニーの手が熱を持つ。自分の中から微かに流れ出た力が彼女の中の魂をゆっくりと覆い始めた。

「僕自身にもわからない。でも、なぜ君が僕を殺せなかったのか、僕にはわかる。母が、僕をかばって死んだからだ。母は普通の、マグル生まれの母だ」

 怒りを押さえつけようと微かな震えを滲ませるハリーの声が聞こえる。

 

「君が僕を殺すのを、母が食い止めたんだ。僕は本当の君を見たぞ。去年のことだ。落ちぶれた残骸だ。辛うじて生きている。君の力のなれの果てだ。君は逃げ隠れしている! 醜い! 汚らわしい!」

 トム・リドルが少しだけ動揺した気配が伝わってきたが、弦はそれを見ずにただただ祈りを続けた。ジニーを死なせないよう、願い続けた。あの方の力を異国で請うのはひどく不作法で無礼だったけれど、それでも続けた。帰ってしっかりと頭は下げるつもりだし、罰も受ける覚悟はできていた。

 

「そうか。母親が君を救うために死んだ。なるほど。それは呪いに対する強力な反対呪文だ。わかったぞ。――結局君自身には特別なものはないわけだ。実は何かあるのかと思っていたんだ。ハリー・ポッター、なにしろ僕達には不思議に似たところがある。君も気付いただろう。二人とも混血で、孤児で、マグルに育てられた。偉大なるスリザリン様ご自身以来、ホグワーツに入学した生徒の中で、蛇語を話せるのはたった二人だけだろう。見た目もどこか似ている……。しかし、僕の手から逃れたのは、結局幸運だったからにすぎないのか。それだけわかれば十分だ」

 

 話が終わる。それがわかって、弦はいつのまにか閉じていた目を開いた。しかし視線はジニーに固定したまま、可能な限り気配を殺す。トム・リドルの意識は今やハリーにしかない。弦がジニーに何をしているのか、気付きもしないのだから。

「さて、ハリー。少し揉んでやろう。サラザール・スリザリンの継承者、ヴォルデモート卿の力と、有名なハリー・ポッターと、ダンブルドアがくださった精一杯の武器とを、お手合わせ願おうか」

 

 トム・リドルが動く気配がしたあと、その口からかすれたシューシューという音が漏れた。それはハリーがやったのと同じような、けれどまったく違う蛇語であった。ハリーには意味がわかったのか、わかりやすく身構えた。それに怪物がようやくお出ましになることを確信し、弦はそっと鞄の中に手をつっこんだ。目当てのものを引き出す。

 

 石像が動き、その口から巨大な蛇が出てくるのが弦にもわかった。またトム・リドルが蛇語を発する。バジリスクが動き、ハリーにずるずると迫った。ハリーが逃げ出し、バジリスクがそれを追い、飛び上がっていた不死鳥が動くのを感じて弦は手に持ったそれを床に叩きつけた。

 瞬時に意識のないジニーの周りを半球の結界が覆う。護りの御符は弦の意図通りジニーを守ってくれるだろう。ある程度は。

 

 自分の身体能力を高めるもの魔法薬を飲み干し、空になった小瓶をトム・リドルに向かって投げつけた。それと同時にフォークスがバジリスクの両目を潰してしまう。それを横目で確認し、弦はようやくこちらを認識したトム・リドルと向かい合った。

 彼は投げつけられた小瓶を手で払いのけており、無傷だ。不快そうにこちらを見てくれるが、弦はその五割増しの視線で彼を睨みつけているだろう。

 

「君は僕との決闘がお望みかな?」

「まさか。決闘なんて伝統的で正統性のあるものを望むわけがない。そもそもそれは、人間同士の間でのみ成立するものだ」

 言外にその相手にも値しないと言ってやれば、相手は信じがたい侮辱を受けたと言うふうに顔を歪ませた。

「小娘風情が、随分と生意気な口を聞く」

「死にぞこないはよほど短気と見える」

 緑色の閃光が飛んできた。それを身を翻すことで避け、走り出す。二度三度と同じものが放たれるが、弦は呪文で相殺するか交わして見せた。

 

「エクスペクト・パトローナム!」

 

 杖先から銀色の大虎が飛び出し、トム・リドルに襲い掛かる。それにはさすがに驚いたのか避けた彼は、自分を超えてバジリスクへと向かう大虎に呪文を放った。しかし身軽にそれらを交わして、バジリスクの胴体へと大虎は突進する。

 不死鳥と合わせてバジリスクを混乱させる大虎にトム・リドルは舌打ちすると、蛇語で強くなにかを言った。バジリスクへの指示だろう。それを待ってやる必要は弦にはない。

 

 取り出した試験管をバジリスクの近くに投げつけ、落下して割れた瞬間にそこへ呪文が行くよう杖を振る。魔法薬と呪文が合わさって部屋を揺らすほどの爆発が起き、バジリスクの胴体の一部を吹き飛ばした。

「貴様っ!」

「決闘なんてお綺麗な競技(スポーツ)やる気は端からないんでね。泥臭く殴り合いましょうか、先輩」

 強く床を蹴ってトム・リドルに肉薄し、左手で抜いた警棒でその顎を狙う。咄嗟に避けたトム・リドルが呪文を放とうとするが、蹴りでその腕を反らして放たれるものを明後日の方向へ飛ばす。それを見届ける暇など与えず、呪文を放ちつつ警棒を打ち付け蹴りを繰り出すという肉弾戦へと持ち込んだ。

 

 魔法使いとしての自分を誇っている相手に、マグルの体術を織り交ぜたこの戦法はひどく煽られ冷静さを欠くことだろう。

 トム・リドルの腹に警棒を叩き込んだところで、弦は一度距離をとった。咳き込みはしたが、杖を手放すには至っていない。

「げほっ……君は、あまりにも淑女らしくないようだ」

「敵を前にしても黙って粛々と座っているだけなら、淑女なんてなりたくもない」

「口の減らない後輩だ!」

「そりゃどーも!」

 

 相手の呪文が頬すれすれをとんでいき、自分が放った呪文が相手の足元を爆発させる。飛び散る破片をそのままこちらへと飛ばしてくるので警棒で叩き落としながら再び相手に近づこうとするが、破片と共に襲来した呪文が弦の身体を後方の壁に叩きつける。衝撃に息がつまり、床へと落ちるまえに態勢を整えたが痛みで膝をついてしまった。

 トム・リドルが一歩こちらに踏み込んだが、その目がバジリスクの方へ向けられたので弦もそちらを見た。

 

「ハリー……!」

 バジリスクが大口を開けてハリーを飲み込もうとするが、彼はどこから取り出したのかわからない剣をその口蓋に突き立てた。バジリスクの巨体が横様に床に倒れて、フォークスも大虎も痙攣するその身体から離れる。

 フォークスがハリーの傍に行く一方で、大虎は弦の傍にやっきた。その身体を弦の身体にぴとりとくっつけ、まるで支えるかのようにしてくれる。

 

 壁にもたれたハリーがずるずるとしゃがみこんだ。その腕に刺さっている一本の牙を見て、弦はなんとか彼の傍に行こうとする。しかしそれはリドルに杖を向けられることで断念せざるをえなかった。ハリーが牙を傷口からぬき、そこから鮮血があふれ出る。

「ユヅル、と言ったかな。君はそこでその虎と共に大人しく見てるといい。ハリー・ポッターは死ぬ。ダンブルドアの鳥にさえそれがわかるらしい」

 

 バジリスクの牙には猛毒がある。確実に死んでしまうそれは、確実にハリーの身体を蝕んでいるんだろう。傍による不死鳥を撫でることもなくぐったりとしているハリーの腕に、不死鳥の涙が落ちた。

 それを見てもトム・リドルはなにも思わないらしい。弦はそっと虎を撫でた。その理知的な瞳がわかっていると告げてくる。

 まだ、勝機はある。

 

 朗々と何かを語っていたトム・リドルがようやくそのことに気が付いたとき、ハリーの腕には傷痕はなかった。

 不死鳥の涙には癒しの力が宿る。そのことを忘れていたトム・リドルに大虎が襲い掛かり彼の意識を一瞬だけかっさらった。その一瞬だけあればいい。弦はずっと放置され、静かに床の上に鎮座する日記をハリーの元まで蹴っ飛ばす。

 

「ハリー、やれ! それが本体だ!」

 ジニーとの繋がりが絶たれたトム・リドルの身体が明確にしたのは日記との繋がりだ。存在を固定するために日記に溜めていた魔力を求めたために、弦にはその繋がりがはっきりと見えた。トム・リドルは気付いていないのだろう。無意識化のことは隠さないがゆえに最も顕著にそれを見せてくれた。

 ハリーが牙を日記に突き立てた。耳をつんざく悲鳴が響き渡り、おそろしいそれが強くなるたびに日記から黒々としたインクのようなものが溢れ出る。あれがトム・リドルの禍々しい力そのものなのだろう。

 

 牙の毒が紙を溶かし、日記に大きな穴を開ける頃には部屋のどこにもトム・リドルの姿はなかった。しばしの静寂が部屋を包み込み、そしてハリーが日記から弦に目を向けたときお互いがお互いの無事を確認して大きく息を吐きだした。

 弦はジニーを覆う結界をとき、虎を消した。ハリーはバジリスクから剣を引き抜くと、組分け帽子と日記を拾い上げてこちらへと歩み寄ってくる。

 

「終わった、ね」

「そうだな。ほら、これとこれ飲んで」

 満身創痍のハリーに二つの小瓶を差し出す。

「なに、これ?」

「一つは解毒効果のある薬草のエキスだ。不死鳥の癒しの力はわかってはいるけど、一応。もう一つは単純に言えば体力回復の薬だよ。身体、重たいんだろう?」

「ありがとう」

「うん」

 

 体力を回復させるほうは弦も飲んだ。動き回ってさすがに疲れている。もう一つあったので不死鳥にも差し出せば飲んでくれた。

「賢い鳥だね。名前は?」

「フォークスだよ。ダンブルドアの部屋で会ったんだ」

「そっか。フォークス、来てくれてありがとう。バジリスクの目を潰してくれて助かった」

「うん、本当に。ありがとう、フォークス」

 フォークスがぴゅるると鳴いて、撫でる弦の手に頭をすりつける。綺麗な体毛だと思っていると、ジニーがその身体を震わせた。

 

 彼女はとろんとした寝ぼけ眼のまま身を起き上がらせると、ハリーと弦を見た。とくにハリーの手のなかの日記を認めた途端、顔を青ざめさせてその両目から涙を溢れさせる。

 ジニーは嗚咽交じりに言った。その間、ハリーはしっかりとジニーと目を合わせて話を聞き、弦はその背を撫でさすった。

 彼女は全てを自覚していた。全て自分でやった。トム・リドルに乗り移られていた。打ち明けようとしたけれど、パーシーの前ではできなかった。

 トム・リドルの行方を聞くジニーに、ハリーは優しい声色で言った。

 

「もう大丈夫だよ。リドルはおしまいだ。見てごらん! リドル、それとバジリスクもだ」

 大穴のあいた日記をジニーに見せて笑うハリーにジニーは顔を手で覆った。

「あたし、退学になるわ!」

 悲痛なそれに弦もハリーも顔を見合わせた。しかし気付かずジニーは続ける。

「あたし、ビ、ビルがホグワーツに入ってからずっと、この学校に入るのを楽しみにしていたのに、も、もう退学になるんだわ。パパやママが、な、なんて言うかしら!」

 

 さめざめと泣くジニーに、弦は口を開いた。

「馬鹿なことを言うんじゃない。君の両親が、君が無事だったことを喜んで泣くことはあっても、どうして戻ってきたんだと怒ることがあるわけがないだろう。君が無事で、生きていることをみんな喜んでくれる。退学になんてならないよ。全て悪いのは日記のトム・リドルで、君じゃない」

「で、でも」

「誰も死ななかった。いい? 誰も死んでないんだ。石になった人は元に戻る。君は誰も殺していないし、君自身もこうして生きていられる。大丈夫だよ、ジニー。さあ、これを飲んで。身体がまだ冷たい」

 

 渡した薬をジニーは泣きながら飲んだ。感情を安定させ、身体を温める効果のあるものだ。本来なら白湯で割って飲むのが一番いいけれど、取り乱しているジニーには十分効果があるだろう。

「それに怒られるっていったら、勝手に抜け出してこんなところまで来た私とハリーだろうよ」

「それにロンとブートもね」

 

 

 

 






 誤字報告がありました。ありがとうございます。
×I AM VOLDEMORT
○I AM LORD VOLDEMORT
 失礼しました。
 これからもよろしくお願いします。


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第十章

 

 

 

 部屋を出てきた道を辿る。この道を通ったのが随分昔のことのように思えて弦は内心溜息をついた。その顔にはいつもどおりの分厚い眼鏡がのっている。第三の目を開眼させたのはいいものの、見えすぎているのだ。体の中で力が活性化しすぎて落ち着かない。十分な休息をとるまで元には戻らないだろう。ガラス一枚はさむだけで見えようが違うから無いよりマシだ。

 ハリーはバジリスクを倒した剣を組分け帽子から取り出したらしい。助けを強く願えば出て来たそうだ。

 

「それ、グリフィンドールの剣なんじゃないか?」

「グリフィンドールの剣?」

「真のグリフィンドール生と認められた者はゴドリック・グリフィンドールの剣を組分け帽子から取り出すことができるらしい。ほら、ここにゴドリック・グリフィンドールの名が刻まれてる」

「本当だ……」

 嬉しげに破顔するハリーを見て、弦は何かふっきれたかなとほほ笑んだ。手を繋いでいるジニーはまだめそめそと泣いているけれど、しっかり歩けているところを見れば体は心配するほどではないらしい。

 

 崩れたところまで戻ると、岩壁にはしっかりと穴が空いていた。その向こうにロンとテリーが見え、ハリーと共に足を速める。

「ロン!」

「ハリー! 無事でよかった!」

「うん! ほら、ジニーも無事だよ!」

 ロンは一度ジニーを抱きしめると怪我をしていないか、無事でよかったと声をかける。それにジニーがさらに泣けばわたわたと慌て始めた。それを見てハリーは笑っている。

 

「お疲れ」

「そっちもね」

 疲れた様に歩み寄ってくるテリーが片手を上げるので同じように片手をあげてハイタッチをかわす。

「下手にさわってさらに崩れたら目も当てられないから、結構大変だったんだぜ」

「うん、ありがとう……ロックハートは?」

「ああ、あれ? あそこで夢見心地だよ」

 

 どうやらロックハートは壊れた杖で忘却呪文を使ったために逆噴射が起きて自分に呪文が返ってしまったらしい。自分が誰で、ここはどこで、そして弦たちが誰なのかまったくわからなくなってしまっているようで、こちらを見て軽い調子で「やあ、変わったところだね。ここに住んでるの?」と聞いてきた。

 アホが本当に阿呆になった。弦は深々と重たい息を吐きだし、病院行きだと喜べばいいのか呆れればいいのかわからない。疲れが増した気がした。

 

「ともかく、上に上がろうか。どうする?」

「フォークスに頼んでみるか? 不死鳥はとんでもなく力持ちだ」

 弦の言葉にフォークスがみんなの前でぱたぱたと羽を動かす。不死鳥と聞いてロンもテリーも驚いていたが、全てを説明するにはここはふさわしくなかった。さっさと上に上がってしまおうと全員で手を繋いだ。一本の縄のようになり、ハリーがフォークスの足を掴んで一気に引っ張り上げられる。

 

 軽々と自分達を運ぶフォークスはぐんぐんパイプの中を上っていき、あっというまに三階の女子トイレに辿り着いてしまった。全員が無事にトイレの床に足をつけるころには入り口はもとの洗面台が並ぶトイレの一角に戻っていた。

「生きてるの」

 マートルが残念そうにハリーと、そして弦を見る。

 

「そんなにがっかりした声を出さなくてもいいじゃないか」

 ハリーは真顔でそう言い、弦は無言でマートルから視線を外した。

「あぁ……わたし、ちょうど考えてたの。もしあんたたちが死んだら、わたしのトイレに一緒に住んでもらったらうれしいって」

「勘弁してくれ……」

 思わずもれた言葉は存外疲れを滲ませていて、テリーが気遣うように弦の肩を叩いた。

 

「さて、怒られに行くか」

 気を取り直して言った言葉にハリーは苦笑し、ロンとテリーはうへぇと顔を歪めた。ジニーは相変わらずめそめそと泣いていたし、ロックハートは物珍しげにきょろきょろしていた。

 

 

 

 

 

 その部屋にはダンブルドアの他にマクゴナガルとウィーズリー夫妻がいた。

「ジニー!」

 夫妻はジニーを抱きしめ、その無事を喜んで涙を流した。

 フォークスが暖炉の傍にいたダンブルドアの元へと飛んでいき、その肩にとまる。その顔はにっこりと笑顔を浮かべており、その反対側に立っていたマクゴナガルは何度か深呼吸をして落ち着こうとしているらしかった。

 

 全員を代表してハリーがことの顛末を語った後、直前までは別行動だった弦も全て話した。二人の考えが同じ結論に辿り着いたことや同じ日に行動を起こしたことは幸運だったと思い知らされる。

 続きはハリーが引き継ぎ、部屋に辿り着き、その中で犯人と怪物に対峙し戦い、その結果生き残って戻ってきたことをハリーは全てつとめて正確に語った。その後に補足するようにいくつか弦が言葉を付け加える。

 そこでようやくダンブルドアが口を開いた。

 

「わしが一番興味があるのは、ヴォルデモート卿が、どうやってジニーに魔法をかけたかということじゃ。わしの個人的情報によれば、ヴォルデモートは、現在アルバニアの森に隠れているらしいが」

 その言葉にウィーズリー氏が「な、何ですって?」と声をあげる。

「『例のあの人』が? ジニーに、ま、魔法をかけたと? でも、ジニーはそんな……ジニーはこれまでそんな……それともほんとうに?」

 困惑が広がるその場でハリーは日記を指さし、それはリドルが書いたものだと証言した。十六歳のそのときに書き、それでジニーを操っていたと。弦もしっかりと頷く。

 

「見事じゃ」

 ダンブルドアは静かな賛辞のあと「たしかに、彼はホグワーツ始まって以来、最高の秀才だったと言えるじゃろう」と続けた。そしてウィーズリー一家のほうに向きなおる。

 

「ヴォルデモート卿が、かつてトム・リドルと呼ばれていたことを知る者は、ほとんどいない。わし自身、五十年前、ホグワーツでトムを教えた。卒業後、トムは消えてしまった……遠くへ。そしてあちこちへ旅をした。……闇の魔術にどっぷりと沈み込み、魔法界でもっとも好ましからざる者たちと交わり、危険な変身を何度も経て、ヴォルデモート卿として再び姿を現した時には、昔の面影はまったくなかった。あの聡明でハンサムな男の子、かつてここで首席だった子を、ヴォルデモートと結びつける者は、ほとんどいなかった」

 

 ダンブルドアの言葉を聞いて弦の中でトム・リドルという少年が一人でいる様がつくりだされた。ヴォルデモート卿という存在が世に伝わるたびに、その少年は薄くなっていく。それはきっと奴にとって喜ばしいことだったはずだ。だが、弦にはとても可哀そうなことに思えた。生まれ持った姿を憎み、授かった名を憎み、過去さえ切り捨て、トム・リドルという少年はヴォルデモートとなった。歪で、どうしようもなく醜い存在へと成り果てた。

 

 ヴォルデモートが人を殺すたびにその魂は穢れていく。穢れは破滅を生み、ハリーの母がそれを速めた。なにもハリーの母の思いだけが奴の力を砕いたわけではない。積み重なった愚行も関係しているだろう。

 ジニーが泣きながら日記のことを白状している。そのことにウィーズリー氏が彼女を叱りつけた。

「パパはおまえに、何にも教えてなかったというのかい? パパはいつも言ってただろう? 脳みそがどこにあるか見えないのに、独りで勝手に考えることができるものは信用しちゃいけないって、教えただろう? どうして日記をパパやママに見せなかったの? そんな妖しげなものは、闇の魔術が詰まっていることははっきりしているのに!」

 

 知らなかったとしゃくりあげるジニーの言葉を、ダンブルドアが切った。きっぱりとしたその口調は多分な優しさをふくんでいる。

「ミス・ウィーズリーはすぐに医務室に行きなさい」

 過酷な試練だった彼女の処罰はない。ジニーが騙されたのは仕方のないことだ。もっと年上の、それこそ大人だってヴォルデモートに騙されたのだから。

「安静にして、それに、熱い湯気の出るようなココアをマグカップ一杯飲むがよい。わしはいつもそれで元気が出る」

 

 マダム・ポンフリーはマンドレイクの薬を石化した生徒に飲ませたところらしい。それを聞いて弦は軽く手をあげつつ言った。

「あの、校長先生。私も医務室に向かってもいいですか?」

「ああ、もちろん。ミス・ミナヅキはマンドレイクの育成に随分尽力してくれた。結果が気になるじゃろう。じゃが、君もしっかりと休養するように」

「はい」

 ほら、行こう。弦がそう促せばジニーはそろそろとついてきた。その手が弦の片手をぎゅうっと握る。好きにさせて医務室へと向かった。

 

 

 

 医務室でマダム・ポンフリーに迎えられた弦は無茶をしてと彼女に怒られ、ジニーは温かい飲み物を手渡された。大人しくしていろという言葉を聞き流してマンドレイクの薬や、石化が解けた生徒を見て効果を確認する弦にマダム・ポンフリーは呆れていた。

 目を覚ましたハーマイオニーはことの顛末を弦から聞き、あとから医務室にきたロンやハリーを褒め称えた。その三人を見つつ、弦は自分が去った後のことをテリーに聞く。

 

 どうやらダンブルドアは弦たち四人に『ホグワーツ特別功労賞』を与え、一人二百点の加点をしてくれるらしい。

「今年も二位だな」

「ま、いいんじゃないの。誰も死ななかったんだし」

「だな」

 その夜はそのまま大広間で宴会となった。パジャマ姿のままおりてきた生徒は無事に戻った生徒に喜び(一部はなんとも微妙な顔をしていた。どの寮の生徒かは言うまでもないだろう)、騒動を解決した四人を生徒達は囲んだ。

 

 弦はテリーと共にマイケルとアンソニーに迎えられた。二人は制服姿で、ずっと談話室で待ってくれていたようだ。それぞれ結び目をひとつのこした糸を手首から外して二人の無事を喜んでくれた。

 寮杯は二年連続でグリフィンドールとなり、学年末の試験は撤廃された。ふくろう試験といもり試験は事情が事情のために日を改め夏休みに入ってから行われるらしい。

 終業日まで防衛術の授業がなくなったりという変化はあるものの、学校生活は穏やかなものだった。マルフォイの父は理事を辞めさせられたそうで、その理由と言うのもあの日記をジニーの私物に紛れ込ませたのは彼だと言うのだ。あの家はまだ闇の勢力だと言う事だろう。

 そのマルフォイ家からそこのやしき僕妖精であったドビーは解放された。ハリーがそうするよう仕組んだらしいのだ。なんだかんだと優しい妖精だったのだから、自由になれて幸せだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホグワーツ特急がキングズ・クロス駅につく。出迎えてくれた叔父に弦は痛いほど強く抱きしめられた。

「ユヅル、君が無事で本当に良かった。去年といい、今年といい、心臓が止まるかと思ったよ」

「ごめんなさい、叔父さん」

「なにがあったか、聞かせてくれるかい?」

「はい、もちろん」

 そのままアクロイド邸に連れて行かれ、叔母と従兄のシアンも交えて全てを語り終える頃には夕方になっていた。夕食もごちそうになって姿現しで日本に連れて帰って貰えば、約一年ぶりの我が家だ。

 

 ただいまと言っても返答の声はなく、弦はやっぱりかと肩をすくめるだけで自分の部屋に荷物を運び入れた。そして着替えてベッドに沈む。

 眼鏡を外して久しぶりの天井を見上げれば、視界の端で星空が見えた。そのまま目を閉じ、ゆっくりと微睡につかる。

 

『弦。可愛い水無月の子。そなたが無事に帰ってきてくれてよかった。あまり無茶をしないでおくれ』

 

 優しい声が聞こえる。

 

『そなたは大事な子。ずっとずっと心配していたよ。近いうちにその顔を見せに来ておくれ』

 

 

 

「はい……水樹(みずき)様」

 

 

 

 そう呟いたあと、弦は完全に意識を手放した。その額をなにかが優しく撫でた気がして、自然と頬が緩んだ。

 

 

 

 






 見える世界が歪んでる
―秘密の部屋―
      完結


次はもっと長いです(笑)


アドバイスをいただいたので、分けずに1つにまとめました。
ありがとうございました。



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アズカバンの囚人
第零章


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 友を信じぬ者は断罪され、友を信じた者は熱い鉄を飲まされる。友を疑った者はその身を擦り減らし、友を疑わなかった者は何も知ることはできない。

 そして友を持たない者は、やがて心を悪鬼へと変えてしまうだろう。









 

 

 

 

 

 水無月(みなづき)(ゆづる)にとって母である水無月レティシャは、何故生きているのかわからない存在だった。

 

 父である水無月(いつき)を心底愛していたレティシャは母であり、母ではなかった。父が死んでからろくに世話をされた記憶がない弦にとって、親代わりだったのは自身が死ぬまでの半年間、精一杯の面倒をみてくれた祖母と、今でもずっと気にかけてくれている叔父のコンラッド・アクロイドだけだ。

 

 髪と左目の黒色、その他いろいろは父からもらい、右目の青紫色(ヴァイオレット)と容姿、そして魔法薬の才能は母からもらった。弦にとって母が母であるという認識は自分の目と顔と魔法薬の才能だけによるもので、それ以外はてんで似ていないと思えるほどだ。弦の推理力や運動神経、観察眼などの彼女を構成するほとんどを目の当たりにして、父を知る人は必ずこう言う。

 

「斎によく似てきた」

 

 だからこそ、弦は思うのだ。

 もし自分が父そっくりな容姿で、なおかつ男だったら、弦は母に愛されていたのだろうか。

 母は父しか愛さなかった。それこそ自分の家族すら、彼女は愛さなかった。魔法薬の才は一等素晴らしかったが、性格や考え方、その気性は決して褒められるものではなかった。そんな母を見て育った弦は、記憶の中の父をいつもお手本にし、そして祖母を目標にすることで母に背を向けていた。反面教師というやつだ。

 

 母は自分を愛してくれない。

 母は自分を見てくれない。

 母は今日も部屋に閉じこもっている。

 

 あの人が何をしていたのか、なんとなくわかっていた。父が死に、葬儀では人目をはばからず泣き崩れ、父を失って泣く弦を見もせずにあの人は父の入った棺桶に縋り付いていた。

 その次の日から部屋に籠るようになったレティシャは、昼も夜も関係なくなにかを研究し続けていた。弦は部屋に入ることはしなかった。できなかった、というのが正しいかもしれない。

 

 それまで笑顔を向けてくれていた母は、あの日から笑顔を見せてくれなくなった。同じ食卓を囲まなくなった。手を繋いで買い物へも行ってくれなくなった。話を聞いてもくれなくなった。抱きしめてもくれなくなった。

 幼いながらに聡明だった頭は理解した。母は父がいたから自分を愛してくれていたのだと。娘を愛する母親として父に愛してもらいたかったのだと。生まれたときから、母は自分など欠片も見てくれていなかったのだと。

 

 父が死んで半年後。母の行動にようやく慣れたその頃に、祖母が死んだ。病死だった。傍で最期のそのときまで祖母の傍にいた弦は泣いた。一人で泣いて、葬儀では泣き腫らした顔のまま出席した。通夜にも葬儀にも母は参加しなかった。弦は父の眼鏡のレンズをガラスに変えてそれをかけ、髪を短くした。母はちらりとも見なかった。

 

 まだ五歳であった弦は家にいることに決めた。料理も洗濯も掃除も、叔父夫婦の手を借りながら自分一人でできるようになり、小学校に通い始めた。授業参観や行事に母を呼ぶことはなく、面談のあるときは叔父に頭を下げて頼んだ。そんな弦のことを心配した教師は何人かいて、直接家に来た大人もいたが、弦は全て玄関先で追い返した。魔女である母の姿を見せるわけにはいかなかったし、なにより家の中に入ってきてほしくなかった。

 

 家の中は、弦が唯一安心できる場所だった。誰の目もない。母が傍にいる。自分の力を隠すことはない。父と祖母の思い出をいたるところで思い起こせた。

 

 泣かないと決めた。弱くないと言い張った。父の眼鏡に勇気をもらって、めそめそ泣くことのないように髪を切って女の子らしく振る舞わなくなった。

 少年のようになっても母には見てもらえなかったけれど、父の眼鏡をかけていれば、弦はいくらでも幼いころの父に近づけた。そうしていれば、母は父のようにいなくならないのではないかと縋っていた。

 

 弦は不思議だったのだ。何故、あんなにも愛している父がいなくなったこの世界で母が生きているのか。父以上に大切なものなんてないこの世になぜ未だに留まっているのか。自殺と言う知識を得てから、弦は毎日のように母が死ぬのではないかと考えた。

 けれど母は死ななかった。弦がホグワーツに入っても、次の学年に進級しても、死ななかった。

 

 それが救いのように思えた。会話なんてこれっぽっちも成立しないけれど、顔を合わせる日がないこともあるけれど、ぶたれたけれども、母はまだ生きている。このまま、自分が大人になるその日まで生きてくれるのではないだろうか。自分の寿命がつきるその日まで生きてくれるのではないだろうか。

 

 魔法薬学者である母と、いつか魔法薬について話ができたら。母もまだ研究していない部分を研究して、なにか結果を残せたら。母は自分にも欠片の興味を持ってくれるのではないか。

 

 未来への希望は、周りから見えればとでも些細なことで、とても母親に願うようなことではなかったのかもしれない。だから誰にも話さず、胸の奥に閉じ込めて弦は成長していた。

 だからこそ。十四歳の誕生日の二か月前。十三歳十カ月。七月九日。弦は絶望に近い感情を、この日抱くことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 母が、死んだ。毒薬を飲んで自殺した。使われた毒薬が魔法薬だったので表の警察には届けず、裏に連絡を回して内々に処理してもらった。

 

 最後まで、母親になれない女性だった。

 

「ユヅル。フランスへ来ないかい? そこで一緒に暮らそう」

 

 いいえ、行きません。

 私は母の子だけれど、それ以上に水無月の子だから。

 この家を出て、郷で暮らします。

 

 ポツリポツリとそう返す弦は、感情が麻痺しているようだった。だけどポロポロと両目から涙は溢れて止まらない。その手にもった手書きの、それこそメモのような短さの遺書は少しだけ皺が寄っていた。

 

 

   水無月弦へ全ての財産と権利を譲渡する。

   水無月レティシャ

 

 

 少し崩れた日本語の文字。遺書ってこんなものだっけと言うくらい短くてぶっきらぼうで簡潔なもの。ああ、母さん。私の名前、憶えていてくれたんだ。漢字、書けるんだ。

 

 叔父さん。

 

「……何だい?」

 

 母さん、私の名前、憶えていたみたいです。ほら、漢字でしっかり書いてある。

 

「ああ……本当だね」

 

 一度も呼んでくれなかったのに、覚えてはいてくれたみたいです。

 

「うん」

 

 ひどい、です。

 

「うん」

 

 死ぬ前に一回くらい、呼んでくれればよかったのに。

 

「うん」

 

 それだけで私、幸せだったのに。

 

「……うん」

 

 呼んでくれたら「母さん」って返事したのに。

 

「……うん……っ」

 

 ひどい、なあ。

 

「そう、だね……ひどいね……っ!」

 

 

 

 痛いくらいに抱きしめてくる叔父のせいで、もっと涙が溢れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









 母さんへ

父さんのところへ行けましたか?
父さんに会えましたか?
父さんと笑っていますか?

私は、とりあえず生きています。
これからも生きていきます。

いなくてもなんとかなってるので、大丈夫です。
だから、父さんのところへ行けてよかったね。

部屋の中の研究、失敗ばっかだったから捨てた。
成功しなくて本当に良かったと思う。

今まで、生きてくれててありがとう。
こういうのも変だけど、死んでおめでとう。
父さんとそっちで存分に過ごしてください。

私は絶対、もっとずっと長生きするから。
まだまだ、この世界で知りたいことがたくさんあるから。
当分、そっちには行けません。

生まれ変わってもいいけど、父さんも一緒に行ってね。
母さんは生まれ変わってもそのままだろうし。

さようなら。
私の、たった一人のお母さん。

 水無月 弦






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第一章

 

 

 母が死んで家を引き払うことにした。丁度いいから遺品整理もすべて済ませてしまおうと家中の物を掘り起こすことを決意する。

 

 母の私物は魔法薬に関する本と重要と思われる権利書だけもらって、あとの母の研究書やら薬やらは全て処分することに決めた。母のしていた研究はどうにも怪しいものばかりで、その全てが失敗していることに安堵しつつ、徹底的に処分した。母の持つ財産と権利はすべて弦に譲渡されるため、その手続きは叔父に手伝ってもらうことで完了した。

 

 次に父と祖母の遺品だ。どちらも今まで手つかずの状態だった。父の遺品は本やアルバム、着物だけをもらいあとは全て処分した。もともと父の本は読んでいたものだし、アルバムは弦が小さいころのものもある。着物に至っては水無月の家のものだ。

 祖母の遺品が一番厄介だった。薬に関する書物やら道具やらはもちろんもらいうけたし、着物もやはり水無月の家のものだから当然もらった。ただそれらを掘り起こしたときにたくさんの「祖母の物ではない物」が出てきたのだ。ご丁寧に誰々から借り受けた物、または譲り渡す物と書き記された帳も一緒にだ。

 

 おかげで引っ越しを終え、家を引き払ったあとに弦は日本各地を跳びまわらなければならなくなった。祖母が死んで九年。もう忘れている人もいるかもしれないが、祖母がそうしようとしていたものだ。弦が引き継いでやらない理由などない。

 幸いだったのは、弦には交通手段があったことだった。それも一般の電車やバス、タクシーが行けないようなところに行ける手段が。

 

 

 

 

 日本にイギリスのような魔法省は存在しない。ああいう政府というものはないのだ。あるのは大規模な自治団体のみ。その団体は「異能協会」と呼ばれている。魔法と言う単体の才能ではなく、異能と呼ばれる、それこそ超能力もふくまれる科学文化からはみ出した能力を持つ者達が集まってできた場所だった。

 協会の発足は第二次世界大戦後であり、その当時各地にあった陰陽師の家系や巫女の家系、占術師の家系や祓魔師の家系など、異能を受け継ぐ家の次男以下と突発的に異能に目覚めた個々の異能者が集まって出来上がった。

 

<異能協会は政府に非ず>

 

 あくまでその行動理念が今でも続く協会をつくりだし、さらには日本中の異能者が利用している。水無月家もその一つだ。

 

 そもそも水無月家は平安時代から続く旧家だ。千年以上の歴史を持つ水無月の薬は異能者の間ではそれなりに役立っているようで、祖母も協会を通じて細々とだが商売をしていた。その祖母が死んで、当主となった弦にももちろん繋がりはある。

 異能協会という団体の職員は異能者の一部だ。その職員は家柄も能力もばらばらであり、協会自体は職員の採用条件を担当職ただ一つを除いて成人であること以外に定めていない。もちろん表裏関係なく犯罪者であるなら門前払いどころかとっつかまって牢屋行きだ。

 

 異能協会が主にしているのは異能者たちの仲介と異能者たちの発見、および不遇な環境にいる者の保護、そして異能者たちへの仕事の依頼だ。

 異能者たち、とくに旧家には一つの家に一人の担当人がついており、協会への窓口になる。またその担当人は個々に異能に目覚めた者の担当を掛け持ちすることができる。しかし旧家と旧家の掛け持ちは原則許されていないし、旧家の人間が自分の家であってもそうでもなくても担当人となることはできない。担当を通していろいろな繋がりを持つこともでき、弦は情報に精通した担当人だったために情報収集の際はお世話になっている。担当人の特技も十人十色だ。

 

 一般の家に生まれた異能者は「天啓型異能者」と呼ばれている。また逆に血筋が連なっている場合は「継承型異能者」と呼ぶ。突然変異のように先天的および後天的に能力が覚醒したものは前者、能力者の両親および祖父母を持っている場合は後者となる(曽祖父母あたりが能力者でも継承型と言われる)。

 異能者としての自覚がない、または自覚があっても周りに手を貸してくれる異能者の存在がいない者をすみやかに見つけ対応するのも協会の仕事の一つだ。異能者として登録してもらえばさまざまな手助けを行うことができる。

 

 また協会の職員ではなく異能者が異能者を発見した場合も協会に連れて行くことが多い。旧家の中にはその能力が自分達の家に合っている場合は自分の家に引き入れたりすることもある。わざわざ後継者を探す異能者もいるが、まったく探さずに一代限りの者も少なくない。

 協会も能力に合わせて流派などを紹介したり、個人でも生活できるよう色々とサポートし、本人が望めば異能をコントロールし抑えるための方法を提示することもある。十四歳までの子供を集めた孤児院も存在する。その子供たちは十四歳以降は能力に合わせて用意された異能者のもとへ弟子入りする形になるのだ。

 

 最後に異能者たちは協会から依頼を出されるときがある。「災厄」と呼ばれる甚大なる被害を及ぼすものへの対処だったり、それそのものの討伐だったり。または外国からの依頼だったりと内容は様々だ。仕事に見合った報酬も出るので受ける異能者は多いのだ。

 異能者にとって、協会に自身を登録しておけばかなり利点がある。協会の本部がある空間は「表」と呼ばれる主に人間が住んでいる空間とは別の空間に在り(表の裏側に存在するから「裏」と呼ばれる)、すこしずれた場所であるがゆえにときどき一般人がひょいっと足を踏み入れたりする。その場合はたいてい本部の周りに広がる町の住人やらそこを訪れた親切な異能者たちが構い倒してお帰りいただくのだ。

 

 協会本部のある街は日本で一番大きい異能者の街だ。本部と言っているが支部があるわけでもないので、このような街はここだけなのだけれど。本部を中心に円系に広がった街は雑多であべこべでいつでも賑わっている。それこそ夜中でも。

 そして街にはさまざまな店があった。どんな野菜でも売っている八百屋に、どんな魚でも売ってる魚屋、どんな肉でも売ってる肉屋。その他に穀物屋や呉服屋、時計屋に靴屋などなど。ここに来ればたいていのものは揃うどころか全て揃うのではないかというくらい揃う。病院だって薬局だって、薬問屋だってあるし、街の治安を守る自警団もいる。火消屋もいるし大工もいる。全国各地どこへでも物を運んでくれる運送屋もいるし、空飛ぶ列車や道路を走っても信号にひっかからないバス、どこへでも運んでくれるタクシーなど運行業も様々だ。ただし外国に連れて行ってくれるところはない。その場合は転移術か表の飛行機および船をご利用ください。

 

 その街へ行くには時間や日付、さらに月の満ち欠けに影響される入り口を使うか、協会が発行している木札を使って(ゲート)を開いて利用する。この木札は個々で違い、異能者一人ひとりに発行可能である。身分証明書にもなるものだ。年齢は関係なくもつことができ、本人の記名と血判が必要な契約書で契約すればすぐにもらえる。ただし契約書の縛りで一人二つは持てない。たいていの異能者は十四歳のときに取得する。かつて元服とされた年であることが影響されているようだ。十四歳未満でもっている者のほうが珍しく、弦の場合は五歳のときに祖母が死んだという特殊な例だ。水無月の当主として持たないわけにはいかなかった。

 

 また、木札は協会からの連絡にも使われる。担当からの連絡だったり、異能者全員に向けての緊急連絡だったり。携帯のように使用することはできないが、それでも十分便利な端末だ。個人契約印【識別コード】が刻まれた木の板だけれど。

 

 それがあれば大抵の施設は利用できた。財布代わりのカードにもなる。その木札にあわせた口座をつくってくれる銀行も街には存在し、ひと月に一度の引き落とし日までにお金を振り込んでおけば自動的に引き落とされるのだ。貯金ももちろんでき利子もつく。銀行を運営しているのが協会ができる前から金貸しをしてきた家だから、利息や利子はきっちりしている。安くもなければ高くもない絶妙なラインをついているのだ。その家は白蛇を守り神としているので経営が傾いたことはないそうで、異能者たちは信頼している。なんせ唯一の銀行だし。税金などの法的なものもきっちりかっちりだ。

 

 人間だけではなく妖怪も半妖も住んでいるからいつでもどこでも賑やかで、街が出来た理由が理由のために怪しげな通りも店もない。

 誰かを助け、自分も助けられ、義には義を、善には善を返すこの街は、異能者にとってとても良い場所だった。

 

 

 

 今日はどうなるだろかと思いながら、弦は協会本部の建物の中にいた。街一番の大きさを誇るこの建物は街のシンボルだ。中には協会が公開している図書や資料がつまった大図書館もあるし、列車やバス、タクシーの乗り場もある。なにより木札が開ける門の出口側がある。

 

 たくさんの門が並ぶ大回廊は青い大理石で床も壁もできている。表面には星空のようにきらきらとした光が宿り、天井を見上げればアーチ状に張られた無数のガラスの向こうによく晴れた青空が見えた。ときどき雨や雪以外に花びらが降ったり光の粒が降ったりすることもある。

 大回廊のあちこちの門から利用した者がぞくぞくと現れ、弦と同じように外へ向かって歩いていた。大回廊が通称「青の間」と呼ばれているのと同じように、それぞれの区画には色の名前がつけられていた。

 

 玄関口であり受付であり交流の場でもあるところは床や壁に白い大理石が使われていることから「白の間」。多くの蔵書を所有する博物館でもある図書館は床に使われた赤いカーペットから「赤の間」。会議に使われる大小さまざまな会議室がある一角は一番大きな会議室に太陽の光が最も入ることから「黄金の間」。茶会などにも利用される広大な温室は「緑の間」。交通手段の集結した乗り場は黒い大理石がしきつめられていることから「黒の間」。

 

 すべての間が「白の間」に繋がっている。十階はぶちぬいたのではないだろうかというほど高い天井。空間を自由に使い過ぎだろうと言いたくなるくらい無数の円盤が宙に浮かんでいて、そのうえで職員たちが仕事をしている。床に面している受け付けのすぐそばには各円盤に運んでくれる縦にも横にも動く浮遊器がいくつもあった。

 今日は担当に用もないので「黒の間」へ移動する。そこからバスを使って目的地へと向かうのだ。ここ最近は毎日これを繰り返していた。

 

 担当に調べてもらった人達はご存命である人が多く、そうでない人はその家族や弟子に渡すことにした。事前に全員に手紙を出して全員から了承の返事をもらっている。

 バスが来たのでそれに乗り込む。運転しているのは猫の顔をした男だった。木札を認証機械におしつけて認証されたので席へと座る。十名を超える人が乗ったが、弦の目的地では弦しか降りなかった。

 家や流派、または能力にわかれて里を持つ者達も少なくない。特に里は街のようにちょっとずれた狭間に造られることが多く、今回の目的地もそこだった。

 

 従術者ばかりが集う「主元(しゅげん)の里」は、深い森の中にある。バス停は森の端にあるため里まで道なき道を歩くしかない。それでも(しるべ)がないわけではなかった。

 返事と共に送られてきた蛍を籠から放す。通常の蛍よりも一回り大きいその虫の足には籠にくくりつけた紐が結ばれていた。この蛍は帰巣の本能があり、里から離れても里に帰ってくるのだという。そのことから「帰り蛍」と呼ばれているこの虫が飛んでいく方向に行けば里につくはずだ。

 

 深い森の中を歩く。狭間空間だから昼夜の感覚は表の世界とは違う。昼と夜は二日ごとに交代するらしく、今は夜の時間のようだ。暗い森の中を蛍以外の光がふよふよと地面から浮かび上がって頭上の枝葉の間に消えていった。一本いっぽんの木がもはや大樹と言えるほどの大きさをしており、大人五人がぐるりと手をつないでようやく一つの幹を囲めるくらいだろう。水無月の山にも同じような大きさの木やさらに大きな樹はあるが、それも一部だ。大きな森にある全てがこのぐらいの大樹だとするとすさまじい。ここは何千年の時間を超えているのだろう。

 

 地形がそうなのか、大樹の根がそうさせたのか、地面はでこぼこだ。高低差も激しく、膝ぐらいの高さの段差もあれば、二メートルにも及ぶ段差もあった。飛び出た根っこや突起した地面を足場にひょいひょいと身軽に進んでいれば、ふと気になる音を耳が拾った。

 聞いていたら哀れに感じてしまうような、情けない鳴き声。子犬だろうかと音の発信源を探せば、暗い森の中に同化するような黒色の小さな子犬が木の根の隙間にいた。

 

「……」

 金色の瞳がこちらを見上げている。不安でいっぱいのそれには涙がにじんでとろけそうだ。

 絶対に普通の犬ではない。

「……独り?」

 しゃがみこんでそう尋ねれば、犬はまた「クゥンクゥン」と鳴いた。

 

「迷子かな? おいで。里まで一緒に行こう」

 そっと伸ばされた手に恐る恐る近づいた子犬は、指先をちょっと舐めたあと、全身をすりつけるように手にすり寄ってきた。それを抱き上げ、上着のフードの中に入れてやる。上手くバランスがとれたのか、右肩のほうに前足をおいて顔を出した子犬を撫でた。

「落ちないようにね」

 わんっと元気よく鳴くその声にちょっとだけ口角があがった。

 

 

 

 

 「主元の里」は従術(じゅうじゅつ)を扱う者たちが集ってできた里だ。従術はその名の通り従えるための術。獣や妖怪など、人ではないものを操るそれは獣隷術であり契約術であり召喚術である。召喚士(サモナー)死霊魔術(ネクロマンシー)を使う死霊魔術師(ネクロマンサー)もそうだし、猛獣使い(ビーストテイマー)竜使い(ドラゴンテイマー)もそうだ。

 そういう従えるという術を持つ者たちを総称して従術師(じゅうじゅつし)と呼んでいた。

 

 実は水無月の薬師はこの従術師としての素質もなければならない。その薬の製法ゆえに妖精や精霊という存在に力を借りなければいけないからだ。水無月の薬師は水無月の土地に住む妖精や精霊と契約を結び、必要なときに召喚することで力を借りる召喚士でもある。

 

 木々の間から暖かな光が見えた。次いで、里が現れる。岩肌がむき出したでこぼこの地形にあわせて建物をたてているせいか整頓されておらず、けれども自然と上手く同化している印象を受ける。木でできた家々の窓からこぼれる光や、道を照らす花の行燈。その蜜を求める帰り蛍たち。電気の光はいっさいないのに、里の中はとても明るかった。

 

「おや、見ない顔だね」

 露店で花篭を売っている女性に声をかけられる。

「こんな森の奥深くに何の用なんだい?」

「人を訪ねに」

「成程ねぇ……そろそろその蛍を離しておやりよ」

 ああ、忘れていた。蛍の足から糸を外してやれば、蛍はふよふよといずこかへ飛んで行き明かりに紛れてわからなくなった。

 

「その籠、かしてみな」

 女性がずいと手を差し出すので、蛍が入っていた籠をそこに乗せる。ものの数秒で籠の中に花が溢れた。綺麗に飾り付けられた籠に少しだけ目を見開いて驚いていると、女性は笑って「歓迎の品だよ」と言う。

「外から来る人間なんて少なくてねえ。きたとしても無愛想な男か無礼極まりない男ばかりだ。あんたのように子供は少ないよ」

「そうなんですか……ああ、そうだ。これ、お礼にどうぞ」

 

 籠を受け取って、その手の上にハンドクリームをのせた。水無月印のそれは家でつくったものだ。叔母のヴェネッサに贈ろうと練習していたもので、いくつか成功した中の一つを鞄にいれていた。

 女性はにっこりと笑ってお礼を言ってくれた。ついでに弦が訪ねたい人の住まいを教えてくれた。手を振って別れ、教えてもらった方向へ歩き出す。

 そのあとすぐに女性が入れ物の底に押された片喰(かたばみ)の家紋を見て驚きの声をあげるのだが、弦の耳には届かなかった。

 

 

 

 これから尋ねる人間は磐佐(ばんさ)九野助(くのすけ)という男性だ。祖母と同年代だったそうで、ということは六十歳を優に超している。従術師としては古株のはずだ。そして異能者としても人間としても弦より先輩である。

 親切なお姉さんに教えてもらった道順どおりに足を運べば、磐佐と書かれた札の下がった門を見つける。トントンとそこを叩けば、少しして返事の声と共にゆっくりと戸が開いた。

 

「はいはーいっと」

 出てきたのは少年だ。弦と同年か、一つ二つ上の男の子。

「こんにちは。水無月と言います。磐佐九野助殿はおられますか?」

「こんにちは。水無月ってーと、今日くるって客人か。どうぞどうぞ。ジジイならいるから」

 あっさりと通してくれたことに拍子抜けしつつ、弦は少年についていった。子犬が動き出したので降ろしてやれば、一生懸命ついてくる。

 

 家の中は思ったよりも広い。壁の一部に岩肌が顔を覗かせおり、その隆起を利用して燭台が置かれていたり、別のものが置かれていたりとなかなか賑やかだ。どうやらこの里の家は地形の上に建てられているというよりも、地形にくっつくように建てられているようだ。家を覆うように植物がのびている様をみれば、同化しているという印象が一番しっくりくる。

 

 案内される横で良い里だなあと思っていると少年が立ち止った。

「ジジイ、客だぞ」

 がらりと遠慮なく開けられた引き戸の向こうには、一人の老人が座っていた。この人が磐佐九野助だろう。

「やれやれ、騒がしいの。お前はもっと静かに動けんのか」

「うるっせーな。別にいいだろうが」

「日々の積み重ねがいざというときの武器となる。何度言ったらわかるのだ」

「へいへい」

 

 聞く耳を持たない少年は部屋を出て行ってしまい、男性は深々と溜息をついた。そして弦に向き直り、一度頭を下げる。

「馬鹿な孫で申し訳ない。お座りください、水無月殿」

「失礼します」

 示された座布団に座らせてもらい、改めて名乗った。子犬は横で大人しくお座りしている。

 

「水無月弦です。まずはお礼を。手紙の返答と今日の招待、ありがとうございます」

「なあに、(よもぎ)殿の孫と聞けば会ってみたいと思うのも当然。ようやく水無月の後継者が立ってくれたのだと分かれば、国内で噂になりましょう」

「祖母には到底、およばないうちから噂になるなどお恥ずかしいです」

 まだ、何もしていないのに。ただ祖母の名前と水無月の名前が弦という“水無月の子”を目立たせているだけ。

 

「焦ることはないですよ。あなたはまだ若い」

「……はい」

 優しく笑った磐佐に弦は一つ頷いた。そこで今まで大人しくしていた子犬が動き出す。弦と磐佐の間を行ったり来たりして両方の顔をきょろきょろと見ている。

「すみません。実は里に来る前に森の中で拾ったのです。ここの里の子ではありませんか?」

「いや、見たことがありませんね……ふむ……」

 

 磐佐の目がじっと子犬に定められたまま動かない。弦も改めて子犬を見てみた。第三の目はすでに真言を使わないでも開けるようになっている。

 その力は澄んでいる。あまりにも清らかで無垢なそれは生まれたばかりだからなのか、それともそういう存在だからなのか。

 

「成程……どうやら森に迷い込んだようです。ときどきいるのですよ。ここは狭間ですから」

「迷い込んだ?」

「ええ。この子は狛犬に近い存在のようですね」

「狛犬、ですか」

 だがこの子犬は黒い。弦の思ったことを察したのか、磐佐も一つ頷いた。

 

 神社を守る守護者である狛犬。それと対となる獅子。どちらも神に仕える神聖な獣だ。その清らかさを表すかのようにその体毛は白い。

「だが狛犬とはまた違う。どうやら獅子が少し交じっているようですね。体毛が黒いのもその影響でしょう。いわば狛犬の亜種というところですか」

 磐佐の話によれば、狛犬などの神使と呼ばれる存在は一つの社に二体が原則だという。片方が消えれば、新たなものがやってくる。そうやって役目を継いでいるのだそうだ。

 

 だがこの子犬は存在が明確ではない。狛犬の姿でありながら、獅子の力も持っている。神使にはどうやってもなれない。それすなわち、守るべき神域も持たず、守るべき神も持っていないことになる。

「こういう存在は穢れに弱い。すぐにでも魔に堕ちてしまうでしょう」

「……」

 そうなれば、この子犬はどうなるだろう。魔となれずに消えていくのか、それとも完全に魔となって人に討たれるのか。

 

「……あなたが使役してみてはどうです?」

 磐佐の言葉に弦ははっとなる。しかしすぐに迷うように視線を巡らせた。

「水無月家の者は十分、従術の素質がある。この子を見つけ、哀れに思うなら手を差し伸べてはどうですか?」

「……私はまだ、未熟です」

「そうでしょうとも。しかし、それを理由に逃げてはいけません。そして、別のことを理由に逃げてもいけません」

「っ……」

 

 迷っている。だって、未熟で、まだまだ一人の足で立つことすらできていないのだから。そんな自分が一人で生きていくことすらできないこの小さな存在を守りぬけるのだろうか。

 それだけじゃない。家族を失って、一人になった。あの静かな山の中にいて、涙が止まらない夜もある。ずっと孤独なような気がしてたまらなく寂しくなる時もある。不安定で、情けなくて、失った痛みが心に残っている。また、そんな思いをしたら。また、大切にしていた存在を失ったら。

 

 確かに逃げだ。母以外にも大切な存在はいるくせに、さらに増えることに怯み、失うことに脅えるなんて。逃げでしかない。

 

 逃げるな。

 力を尽くしてこその生。

 

 逃げるな。

 意思を持たないのは既に死んだのも同然。

 

 逃げるな。

 戦え。

 

 逃げるな!

 

「私は、水無月です」

 

 誰かの痛みを、苦しみを和らげ、そして生きる力を取り戻してもらうために手を貸してきた一族の末裔。

「この子が生きたいと願っているのなら、それに手を差し伸べるのは自然なことです」

 そして、水無月弦個人として生きようとしている小さき存在に手を貸さないということはない。

「磐佐殿。私とこの子に契約の儀を施してくださいませんか」

 

 

 

 

 人ではないものと契約するのは初めてではない。年を重ね、力を増すたびに契約できる数は増え、薬をつくるために妖精や精霊と契約を結んできたのだ。それは守り神である水樹(みずき)様の助けがあってこそできたもの。

 けれど聖獣との契約はその範囲ではない。水樹様の手を借りることは端から視野に入っていなかった。

 召喚する際の入り口でもあり、従者として従える契約書のそのものである契約印は、磐佐が用意した青く雫型に整えてある石に刻まれた。

 

 子犬に与えられた名は「弓獅狛玄丸(きゅうしはくげんまる)」。しかしこれでは力が野放しになるために仮名を与え、普段はその力を抑えておかなければならない。だから弦は黒い子犬に「レグルス」という名を与えた。狛犬の姿をしているけれど獅子の力も持つ半分ずつの子犬だから名前に獅子を入れた。獅子座の恒星。小さな王という意味もあるらしい。獅子の心臓は確かに鼓動をうちつつ成長していくだろう。

 

 蜂蜜のような甘い金色が喜色を示して見上げてくる。

「よろしくね、私の小さな家族」

 一つ鳴いたレグルスに、弦は嬉しげに笑った。

 

 

 

 

 

 

 



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第二章

 

 

 

 

 夏休みに入った三人の少年は、その日も時代劇に出てきそうなおんぼろの木造建てに来ていた。「極楽堂」と言う名前の薬屋は、店主のおやじが妖怪じみていて、その飼い猫のガラコも人間が笑っているように「ヒヒヒヒヒヒ」と不気味に鳴く。入り口の横のガラスケースに入った人体模型や、薄暗い店内の左右に備え付けられた棚に並ぶ不気味な品がより一層恐怖を煽り、そこはもっぱら「地獄堂」と呼ばれていた。

 

 金森てつし、新島良次、椎名裕介はおやじが座る店の奥のさらに奥にある和室で、おのおの好きな恰好で本を読んでいた。

 ちょっと前まで、三人は行動力のある悪ガキだった。「町内イタズラ大王三人悪」なんて呼ばれては町中を跳びまわって色々なことをしていた。

 

 小学生から五百円を巻き上げた高校生を火のついた2B弾と臭い牛糞でこらしためたその日に、三人は桜の木の下から女の白骨死体を掘り上げた。そのときにこの世には科学でも言葉でも説明しつくせないほどの不思議な力があるのだということを知り、そして今ではそれぞれその不思議な力が使える。まだまだ半人前どころか三人で一人前のできだけれど、それでも三人は毎日お腹一杯ご飯を食べて、遊んで笑って、地獄堂へ来てはおやじが持っている本を読み漁り知識を深めているのだ。

 

 白骨死体以外にも、三人はいくつかの不思議な出来事にあった。そのたびに振り回されて、成長してきた。おやじはいつも笑うばかりだが、三人にとっては最高の師だ。だからと言って、馬鹿にされて笑われるのは我慢ならないが。

 

 ガラリと店の戸が開いた。クーラーもないのに涼しい店内にむあっとした外の暑さが入ってくる。幸いにもお客はすぐに戸をしめてくれ、入り込んできた暑さは霧散して部屋はもとの涼しい空間に戻った。

 誰だろうとてつしは顔をあげた。椎名も、良次ことリョーチンも同じように本から顔をあげる。

 次の瞬間、三人はこれでもかというほどの美人に目を見開くことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後の尋ね人は弦でも知っている人だ。

 

 曰く、日本で最も強い術師。

 曰く、東洋の術師の祖。

 曰く、すでに人間ではない。

 曰く、全能ではないが万能である。

 

 その人を現す噂は数多くあるが、ここ最近は大きく動くことをしなかった人なので若衆の中で知っている人たちは少ない。その中に弦が入っているのは祖母に聞いたことがあるからだ。

 

 祖母はその人に敬意を持てと言った。そして同時に決して油断してはならないとも言った。あの人は長く生きているからこそ、多くのものが見えてしまう。多くことをわかってしまう。正しく生きていれば敵に回るような人ではないけれど、気安く接していい人でもない。

 我らはあの人と対等でなければならないのだから。

 

 言葉が耳の裏で反響しているようだ。それに緊張が増して一つ息を吐きだす。それから目の前の木戸を引いた。

「ごめんください」

 声をかけつつ戸を閉める。

 目的の人物は店の奥にいた。左右の棚に並ぶ不気味な品と現代的な品に違和感を抱きながら奥へと進む。

 

「来たか」

 鋭い眼がこちらを見て、尖った歯の並ぶ口がそう言った。それに一つ頭を下げる。

「水無月弦と言います。まずは返答と招待の礼を」

 そう告げてから、返品するべき本を三冊と返答に同封されていた依頼の薬を渡す。

「祖母が借り受けていたものと依頼の品です」

「確かに受け取った」

 返品の遅れと招待の対価と依頼されたものはお眼鏡に適ったようだ。

 

 弦が訪れたこの店の名は「極楽堂」。しかしその景観と店内の様子、そして店主と飼い猫の不気味さから「地獄堂」と呼ばれていると聞いている。店主である彼の名は知らない。ただみんな「おやじ」と呼ぶ。ちなみに飼い猫は「ガラコ」だそうだ。

 

「水無月の後継者か。ひひひ、すでに噂になっている」

「存じています。力の足りぬうちからお恥ずかしいことですが……」

 きらりと光るおやじの目に弦は一度口を閉じた。それからまた開く。

「ですがそこまで作れるようになりました」

「品物としては合格だろうよ……しかしこれでは対価に足りん」

「わかっています。お約束どおり、向こう五年はおやじ殿の言う薬を納めるつもりです」

「ならばよい」

 

 無事に終わったと心の中で安堵し、そしておやじのさらに奥にいる三人の少年に目を向ける。今の今までじっとこちらを凝視していた六つの目は合っても逸らされることはなかった。

 おやじの弟子か何かだろうかとあたりをつけつつ彼らに会釈し、それから再びおやじに向き直った。

「私はこれで失礼します」

「三日後に同じ薬を同じだけ頼む」

「……」

 

 早速か、このおやじ。

 

 口には出さない。けれどもきっとばれている。かまうものか。その不遜ささえもばれているのか「ひひひひひ」という笑い声が大きくなった。不気味である。

 何も言わずお辞儀だけして弦は店を後にした。成程、油断ならない相手だ。

 

 

 

 

 

 三日後の夕方、弦は薬を持って地獄堂のおやじのもとへ向かっていた。蒸し暑いが気にはならない。フードの中におさまっているレグルスはきょろきょろとあたりを物珍しげに見ていた。この間は影の中で大人しくさせていたから、それもあいまってはしゃいでいるようだ。

 

「あっ、この間の!」

 そう声をかけられたのは商店街だった。前に住んでいたところには無かったから弦自身も表の商店街を意識したのは初めてだ。裏の街の商店街とは違って、普通のものが並んでいる。当たり前か。

 

 「あげてんか」という看板をかかげているお店の前にその三人はいた。昨日見たおやじのところの弟子(かもしれない)だろう。傍に弦と同い年くらいの少年も合わせて今日は四人のようだ。

 何も挨拶なしはさすがに失礼だろうか、と足を止める。

「こんにちは」

「こんにちは」

 元気よく返したのは半分、もう半分は静かながらもきちんとしたものが返された。

 

「知り合いか?」

 弦と同い年くらいの少年の言葉に、三人の中で一番活発そうな少年が応える。

「この前、地獄堂で会ったんだよ。えーと、確か……」

「水無月弦さん、だよね」

 うろ覚えだったのか頭をひねる活発そうな少年と少しだけ気弱そうな少年とは反対に、はっきりと覚えていたのは利発そうな少年だった。彼の言葉に頷く。

 

「この間は名乗りもせずに失礼だった。水無月弦です」

「俺は金森てつし!」

「俺は新島良次」

「俺は椎名雄介」

「俺は金森竜也。てつしの兄貴なんだ」

 なるほど、兄弟か。どちらかというと椎名裕介と兄弟っぽいけど、見比べてみれば細部がちょこちょこ似ている。あと人を惹きつけそうな雰囲気とか。

 

「今日もおやじに用なのか?」

「そう。それじゃあ……レグ?」

 フードの中に大人しくしていたレグルスが肩より前に身を乗り出した。しきりに鼻をひくひくと動かしている。

「そいつ、もしかして『あげてんか』のコロッケが気になるんじゃない?」

 裕介の言葉に弦は店を見た。見た目にも美味しそうなコロッケを始め、揚げ物が各種揃っているようだ。

 

 だがしかし、弦は悩んだ。

 レグルスは基本的に人間が食べる食べ物は何を食べても問題はない。そもそも食事からの栄養補給を必要としていないからだ。食べなくてもお腹は空かないし、食べても満腹にはならない。そんなレグルスに弦は少し自分の食事をわけるだけだった。

 

 ならば今回もそうすればいいという話なのだが、ところがどっこい。弦はこういうお店の惣菜と呼ばれるものを食べたことがなかった。レストランや定食屋などの料理を出す店での食事経験はあるけれど、惣菜を見はしても買ったことはなかったのだ。外食より圧倒的に自分で作ることが多い弦にとって惣菜はまさに未知の領域だ。

 

 無言で考え込む弦を見かねたのか、竜也が言う。

「『あげてんか』のコロッケは美味いから、買ってみたらどうだ?」

「……惣菜を買ったことがないから、よく分からない。これ、一つでも買えるの?」

「買えるよ」

「じゃあ、一つ買ってみる」

 

 コロッケを一つだけ買い、半分をレグルスにわけた。ぺろりと食べ終えたレグルスは満足したのか、お礼を言うようにすりよってくる。いったん地面に降ろしていたレグルスをまたフードの中に戻し、弦もコロッケを一口かじった。

 

「……美味しい」

「だろ?」

 笑う四人に弦はかすかな笑みを返し、残りを手早く食べ終えた。包み紙をいじりながら、改めてお礼を言う。

「美味しいもの、教えてくれてありがとう」

 正方形の包み紙が折鶴へと変わる。それはコロッケの油など吸わなかったように白く綺麗なものだった。てつしの手に置かれたそれは一度ぱたぱたと翼を動かしたかと思うと、自ら身体を折り畳んだ。

 

「お礼にあげる。一度だけあなたたちの怪我や病を代わりに受けてくれるから。好きに使って」

 また縁があったら、そのときはよろしく。

 おやじの仕事も今年はこれで仕舞だろう。会うとなったら来年の夏だ。少しは成長しているだろうと思いつつ、弦は微笑んだ。この国の術師は、まだ滅びるには至らないようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 面倒なことに、異能協会は年に何度か会議の場を設ける。顔合わせと言うのが主な目的なので、そう時間がかかるわけではない。話す内容も予測される「災厄」のことや、表の政治の動きのことだから決して実のない話と言うわけでもない。

 それでも曲者が集うので話一つも油断ならないから面倒なのだ。正式な場だからそれなりの恰好をしなければならないし。

 

 水紋が描かれた着物を身に着ける。越後上布(えちごじょうふ)だったかと祖母に教えられた知識をひっぱりだしつつ、てきぱきと着付けていった。着物や装飾品の勉強もある程度しておかないといけないだろう。憂鬱だ。そもそもお洒落への興味がないのだから身も入らない。必要な教養なのだからしなければいけないとわかっている。どうしたものか。

 ここ数年で伸びた髪を結い上げ簪を選ぶ。木槿(むくげ)の花が控えめにあしらわれているものがちょうどいいだろう。

 

「レグルス、お前は影の中に。出てきては駄目だよ」

 くうんと不満げに鳴くのでひとしきり頭を撫でてなだめる。あの場にこの子犬をつれていくのは酷だろう。

 髪を上げたことで見えるようになった両耳。そのどちらにも耳飾り(ピアス)が揺れた。右は水無月の家紋である片喰をかたどった銀色のもの。左はレグルスとの契約印が刻まれた滴型の青いもの。どちらもここ数日で見慣れたものになった。

 

 レグルスのことはすでに寮監であるフリットウィック教授に連絡してあった。ホグワーツのペットで許可されているのは基本的に梟と猫、そしてカエルだ。それ以外は持ち込み不可。ならば許可をとってしまえと直接寮監に手紙を送った。幸いにも二年連続で首席をとっていれば信用はあるようですんなり許可は下りた。レグルスがただの犬ではなく契約した契約獣であることは一切合切話していないが、まあ大丈夫だろう。バレなければ。

 

 ゲートを通って協会本部にたどり着けば、弦と同じようにそれなりの恰好をした者たちが一様に「白の間」に向かっている。それに続いていれば、会議のためか「白の間」はいつも以上に慌ただしかった。

「水無月さん!」

 上から声がかかる。顔をあげれば円盤の一つから男性が一人、身を乗り出していた。弦の担当である月見里(やまなし)達太(たつた)だ。

 

 月見里は軽い身のこなしで円盤から飛び降りると、弦の前にふわりと着地した。

「会議の時間が一時間、遅れることになりました」

「遅れる?」

「ええ。詳細は応接室を一つ押さえてますから、そこで。こちらです」

 彼の後について「金の間」に入り、いくつもある部屋の一つに案内される。対面するソファを進められ、二人掛けのほうに座れば、反対にある一人用が二つ並んでいる方へ月見里は座った。自分が座らないほうに持っていた資料を置く。

 

 月見里という男の容貌に特筆すべきところはない。さりげなく周囲に溶け込める地味なそれは、他人に警戒されない雰囲気を持っていた。悪く言えば目立たない。良く言えば誰とでも不思議なく打ち解ける。それこそが月見里の最大の武器だと言えるだろう。

 彼は異能のコントロール能力が非常に高い。さらにいえば隠遁術や隠密術などが得意な超特化型の異能者だ。この国に汎用型の異能者などいないが、その特化能力は頭一つ抜きんでているのがこの男なのだと弦も理解している。

 

 誰にも悟らせない動きが得意な彼は、気が付けばいるし気が付けばいない。まさに神出鬼没。それゆえに情報収集が得意だ。彼ほど優秀な情報屋を弦は知らない。祖母から引き継いで担当してもらえてありがたいとこちらが頭を下げたいくらいなのだから。

 ちなみに年齢不詳。本人はまだまだ若輩だと言っている。外見年齢は信用ならないのでたとえ彼が二十代後半の見た目をしていても判別できない。独身であることは間違いないようだ(彼女ができないと泣きそうな顔で言っていたことがある)。

 

「それで、どうして遅れるようなことに?」

「ええと、その……水無月さんが今回の会議に参加するということが広まったみたいで。思わぬところから参加者が……」

「…………」

 二の句が継げないというのはこういうことか。

 

「もともと水無月さんが跡を継がれたというのは広まっていましたから。最近は先代と交流のあった方々のところを回っていたでしょう? あれが裏付けとなったようで」

「……つまり私が後継ぎとして方々に挨拶して回っている、と」

「そういうことです」

 いや、遺品整理の延長だったんだけど。

 

 二人してため息をつく。なぜこうなった。

「まあ、ご老人方の物見遊山とでも言いましょうか」

「はた迷惑な」

「そんなはっきり」

 苦笑いする月見里は、資料の中から数枚の書類を弦に渡した。

 

「今回の議題です。十月に“災厄”の討伐が決定しました。つきましては二枚目が薬の依頼になります。規模が大きくなりそうなので、必要な薬の量も多くなっています。学校のことは承知していますが、始まるまでに用意できますか?」

 二枚目の納品リストをざっと見る。確かに量は多い。

「……問題ないと思います。ただカシギ草とユグラの実が用意できるかどうか。あれは冬にとれるものですから。温室で栽培したものは質が落ちますし」

「材料はいつもどおりこちらが……けど、本当に大丈夫ですか? 学友たちと約束事もあるでしょうに」

 

 月見里の気遣いに弦は微笑む。この人はこういうところの気遣いもできるのだから、本当にいい担当である。水無月の当主であるのと同様に、弦を子供として扱うのだから。

「大丈夫です。それぐらいの余裕は持てますし、なにより向こうも私が気軽に会えないくらい遠い異国の出身であることを知ってますから。お気遣いありがとうございます」

 こういう人たちがいるから、弦はこの国が好きなのだ。

 

 

 

 会議がきっかり一時間遅れで始まった。政治に関しては問題はあるが早急に片付けなければいけないことはない。日本は総理大臣が変わり過ぎたと思うのだ。任期ぐらいまっとうできる環境でないと駄目だろうに。

 

 さらっと流されたあとにはやはり「災厄」の話になる。十月に予定される大規模討伐戦の場所や、編成、作戦などのおおまかなものが話され、いくつかの家から適度な意見が出た。それを議論している間、参加できない弦は始終だんまりだ。学校にいないときに討伐戦があれば弦だって後方支援として医療部隊に組み込まれるだろう。だが十月はイギリスだ。

 

 二時間で終わった会議の間、弦は一つも発言しなかった。何も弦だけではないし、発言しないことは悪いことではない。弦が口をはさむような内容にならなかったことが素晴らしいのだ。なるほど、会議はこういうふうに進むのかと勉強になった。

 

「水無月の」

 そう声をかけられたのは、弦が席を立った直後のことだった。

 男の老人がこちらに近づいてくる。それに続くのは中年ほどの男一人と、まだ年若い青年二人だ。老人の来ている着物の胸元に刺繍された家紋を見て、弦はそれが誰であるかを理解する。すぐに一礼した。

 

火醒(ひざめ)の方とお見受けします。何か御用でしょうか」

「いかにも。なに、蓬殿の孫が大きゅうなったと思ってな。いやはや、時が経つのはあっという間じゃのう」

 しゃんと背筋を伸ばしている火醒の御当主はまだまだ現役のようだ。武の家「猛き焔(たけきほむら)」らしいと言えばらしい。

 

「英国の魔法学校とやらに通っておるのじゃろう? 不自由しておらんかの?」

「お気遣い、痛み入ります。叔父もおりますので、不自由はありません」

「ほうかの。ならばよい。励みなさい。さまざまな知識はこれからの歩みの妨げにはならんじゃろう」

「はい、しかと」

「うむ」

 

 満足したのか、一つ頷いて去っていく老人を見送る。青年二人がふいにこちらを振り向いた。片方はひらひらと手を振って笑いかけてくる。もう一方はただじっと弦を見つめていた。それに一礼を返し、弦も帰るために動き出す。

 

 あの青年二人は、きっといつか顔を合わせた火醒の後継者とその側近だろう。本家生まれの後継者と、分家出身にもかかわらず本家の者と遜色ない強い力を持って生まれた側近。どちらも弦同様、成長していた。悪い性格ではないのは知っているが、“あの”火醒の家の者だ。厄介な人たちだという印象は変わらなかった。

 

「……まあ、これも縁か」

 燃やされることがないよう、気を付けねば。

 

 

 

 

 

 



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第三章

 

 

 

 七月三十一日。ハリーの誕生日だ。プレゼントは送ってある。ハーマイオニーが「箒磨きセット」を送ると言っていたので、弦はクディッチで使えるグローブとゴーグルを送ったのだ。どちらもサイズフリー、つまりは装着者に合わせて大きさを変えてくれる品物だ。雨にも耐久があるというのでそれにした。前に贈ったものはそろそろ消耗がひどくなっているだろう。

 

 その日に届いた手紙の中にはホグワーツからのものもあった(アクロイド邸と繋いだポストはそのまま使っている)。教科書リストを見る。必修科目と選択したルーン文字学と魔法生物飼育学のものを用意すればいい。ただ飼育学の「怪物的な怪物の本」だけがひっかかった。名前からして物騒なものなんだが。

 封筒にはさらに昨年まではなかった三枚目の紙が入っていた。見ればホグズミード村への外出許可証だ。

 

 ホグズミードはホグワーツにもっとも近い場所にある村だ。毎年、三年生以上の生徒が外出日に利用するためさまざまな店があるらしい。叔父から聞いたことがある。

 

「……」

 

 しばし悩み、弦はそれをそっと封筒に戻した。今年はホグズミード村に行く気はおきない。母の喪にふすと言ったら大袈裟かもしれないが、ホグワーツは母の母校だ。ホグズミードに行って母もここに来たのだろうかと考えるくらいなら、一年待って気持ちを落ち着かせてから「自分のため」に遊びに行きたい。テリーたちには行く必要がないと言いつくろっておけば渋々だろうが納得してくれるだろう。

 

「……ああ、もう」

 ごろりと畳に身を投げ出す。まったくもってふっきれない。当然だ。母の死からまだ一か月も経っていないのだから。慌ただしく動いていたから考える暇がなかっただけで。

 レグルスが心配してよってきたので、その頬を撫でつつ思う。ホグワーツに言ったら、今年はことあるごとにこうなりそうだ。面倒くさい。だが仕方ない。

 

 思考を切り替えるためにほかの郵便物も見る。テリーたちのものにはホグワーツに行く前に一度会えないかというものだった。遊びの誘いだろう。八月五日か。まあ、問題ないだろう。返事を書こうと便箋とペンを用意した。

 

 その三日後の八月三日に、弦は叔父に頼んで日本まで迎えに来てもらい(前の家に設置していた移動キーは引っ越しと同時に撤去した。二年と言う短い寿命だった)、イギリスのアクロイド邸から「漏れ鍋」に煙突飛行ネットワークを使ってとんだ。

 店主のトムにいらっしゃいと声をかけられたので挨拶を返し、さっさと買い物を済ませてしまおうと動き出す。しかしそれは思わぬ人物によって止められた。

 

「ユヅル!」

「ハリー?」

 ハリー・ポッターの姿に弦は素直に驚きをあらわにした。

 どうやらハリーはホグワーツに行くまでこの「漏れ鍋」に滞在することになったようだ。魔法大臣の計らいだそうで、弦は首を傾げる。随分とVIP待遇だ。

 

「僕、おばさんふくらませちゃって、それで退学処分になるかと思ったら大臣が事故だから仕方ないって取り消してくれたんだ」

「そりゃまたラッキーだったね。二度目はないだろうけど」

「まあね。ふくらませちゃったあとすぐに伯父さんの家を飛び出しちゃったからここにいるんだ」

「ふーん」

 

 それにしても妙だなと思う。家出は保護者のもとに帰すのが一般的な対応だし、なにより法律を曲げてまでハリーをホグワーツに戻すなんて。

 これはまた何かあったな。ハリーに関して。巻き込まれ体質は健在のようだ。

 

「ユヅルは眼鏡かけるの止めたんだね」

「必要がなくなったから」

「へー。でもそっちのほうがいいと思うよ」

「そう? まあ、いいけど。それよりハリー。学用品の買い物は済ませたか?」

「まだだよ」

「なら一緒に行こう。私も教科書を買いに来たんだ」

「行く!」

 

 まずはグリンゴッツでそれぞれの金庫から必要な分のお金をおろした。弦の金庫は母の遺産が統合されたからか前来た時よりも金貨が山ほど積まれており、さらに手つかずの金庫があと三つほどあるらしい。母の研究はよほど儲かるようだ。使い道があまりないのだけれど。

 

 薬問屋で魔法薬学の材料を探し(それ以外のものも買う弦にハリーが信じられないものを見る目をしていた)、マダム・マルキンの洋装店ではそれぞれ背が伸びて丈の合わなくなった制服に変わる新品を買った。スカートは丈を調整すればいいが、カッターシャツまではどうにもならん。

 

 最後に教科書を買いにフローリシュ・アンド・ブロッツ書店へ行った。そこで二人は驚きの光景を目にする。魔法生物飼育学の必修本、つまりは教科書である「怪物的な怪物の本」が百冊も檻の中に入れられ、さらに互いに互いを食い合うような状況になっているのだ。びりびりと紙が破れる音や本の鳴き声がやかましかった。店員なんかは涙目になって必死になだめている。

 

「あの本、僕、ハグリッドから誕生日プレゼントでもらったよ……」

「今年の魔法生物飼育学の教師、ハグリッドなんじゃないか……」

 そんなこと言っている場合ではない。問題は、あの涙目の店員に弦があの本が欲しいと言わなければいけないということだ。

 ふと影の中からレグルスが顔を出した。

 

「うわっ! えっ、なに!?」

「レグルス。ペットみたいなものだよ。レグ、どうした?」

 レグルスは子犬の姿のまま「怪物の本」を見つめていたかと思うと、弦に向かってしっぽで背を撫でる仕草をした。それを何度も繰り返すので弦はぴんとくる。

 

「……ああ、背表紙を撫でればいいのか」

 一つ鳴いて肯定するレグルスはよじよじと弦をよじのぼろうとするので抱き上げて肩に乗せる。それから店員に声をかけ、弦は「怪物の本」を頼んだ。店員は絶望した。

「背表紙、撫でると落ち着くと思いますよ」

「えっ!」

 おそるおそる背表紙を撫でる店員は、すっかりおとなしくなった本に驚いたあと、すばやくそれをベルトで縛った。それから感極まったように弦にお礼を言う。

 

「ありがとうございます! これでもう安心です!」

「どういたしまして。ハリー、本を探そう」

「あ、うん」

 ハリーは占い学と魔法生物飼育学を選んだらしい。教科書を揃えるとハリーはクディッチの雑誌を、弦はいくつか気になる本を買った。あとは学校の図書館でも探せば十分だろう。ふくろう通販もあるし。

 全ての荷物を鞄の中に収めていく弦を見て、ハリーは首を傾げた。

 

「その鞄、何か魔法がかかってるの?」

「検知不可能拡大呪文だな。私の持ってるトランクにも同じものがかかってる。市販でも売られている品物だな。魔法を覚えれば自分でかけれるようになる」

「ユヅルはできるの?」

「まだできない。便利だから覚えたいんだけどな」

「できるようになったら僕の鞄にもかけてほしいな」

「自分で覚えろ」

 

 それにもしあげるとしてもハーマイオニーが優先だ。彼女の鞄は年を重ねるほどに哀れになっているような気にする。

 

 

 

 

 

 五日となって再びダイアゴン横丁にやってきた弦は待ち合わせ場所のフローリアン・フォーテスキュー・アイスクリームパーラーに向かった。そこのテラスにはすでに三人が座って雑談に興じている。テリー・ブートにマイケル・コーナー、そしてアンソニー・ゴールドスタイン。みんな弦にとって唯一無二の親友だ。

 

 久しぶりだと挨拶しあい、弦は蜂蜜バニラを頼んだ。そこからは学校にいるのと変わらない。

「日刊預言者新聞、見たか?」

「いや、見てない。なにがあった?」

「アズカバンから脱獄だと。シリウス・ブラック」

 マイケルが新聞の一面を見せてくる。写真の中にやせこけたギラギラと目つきの悪い男が動いていた。ひどく凶暴な様子だ。十二年前、彼は呪い一つで十三人も殺したらしい。まさに虐殺である。

 

()()ブラック家出身の男だよ」

「ブラック……純血の一族だったっけ。『聖28一族』の」

 『聖28一族(Sacred Twenty-Eight)』は、カンタケラス・ノットによって書かれた「純血一族一覧」に出てくる用語である。1930年代の時点で「間違いなく純血の血筋」と認定されたイギリスの魔法族の一族を現す呼び方である。

 

 弦たちの同級生で言えばハンナ・アボット、ミリセント・ブルストロード、ネビル・ロングボトム、ドラコ・マルフォイ、セオドール・ノット、パンジー・パーキンソン、そしてロン・ウィーズリーがその縁者である。ただしウィーズリーはこれに分類されることにひどく反発したと言う記録が残されている。“穢れた血”と言われた時についでに純血家系も調べて得た知識だ。心底どうでもよかった。

 

 この二十八家の中にアクロイド家は含まれていない。何故ならこのときアクロイド家は「うちは純血とは言い難い」と曖昧な家系図を理由に辞退しているからだ。これはアクロイド家がイギリス国外からも伴侶を受け入れていたことからも本当に純血であるかどうかを考えさせたようだ。その当時の当主の嘘っぱちだと思うが、それほどに分類されることを嫌がったのだろう。

 

 ウィーズリー家は多くの家と親戚関係でもあり、その血に様々な一族の要素を取り入れていたのと同時にマグルへの偏見もなかった。それどころか友好的であったことから、反発を期に純血主義者たちからは「血を裏切る者」と言われるようになったと言う。

 

 その一方でブラック家は純血にこだわってきた一族だ。従兄妹や再従兄妹同士の結婚を繰り返していたとされる。近しい者同士の婚姻はあまりにもよくない。それほどまでに純血にこだわるのはもはや狂気だ。実際、ブラック家の者はどこか凶暴な一面も持っているとされている。この一族もまた、純血の一族と広く親戚関係にある。

 

「ま、純血の一族なんてみんな親戚同士みたいなもんだけど、ブラック家はやりすぎ。ブラック家直系はそのシリウス・ブラック以外は残ってないらしいぜ」

「一人っ子?」

「いや、二人兄弟らしい。父に聞いた話だが、歳の近い弟がいたと聞いている。そいつも生死不明だけど」

「そう考えると、あの家って恐ろしい謂れとかいっぱい残ってるよね。ほぼ滅んだのも自業自得というか、なんというか」

「ふーん」

 もう一度、写真の中のシリウス・ブラックを見る。

 

「で、このブラックさんはどういう人物だったわけ?」

「くわしいことは知らん。だけど“例のあの人”の手下だったって話だ」

「あの人の失脚後すぐに虐殺事件おこして捕まったらしいけど。なんで今になって脱獄したんだろうね」

 アンソニーの言葉にマイケルもテリーも「さあ?」と肩をすくめた。

 

「……ああ、成程。だからハリーが“漏れ鍋”にいるのか」

「どういうこと?」

「ハリーは今、漏れ鍋にいる。家で問題起こしたみたいでな、家出中。普通ならすぐに家に帰されるのに、ハリーは魔法大臣じきじきに保護されている」

「魔法大臣が保護ぉ?」

「そう。不自然な対応だから不思議だった。でもシリウス・ブラックが関係しているなら理解できる。つまり、彼からハリーを守るなら魔法界にいたほうがハリーは安全だ」

 

 シリウス・ブラックがヴォルデモートの手先であったのなら、その脱獄目的が闇の帝王を倒したハリーであっても不思議はない。

「少なくとも魔法省はそう考えているんだろう。だからハリーはホグワーツに戻ることが望まれている。あそこにはダンブルドアがいるから」

 法律を曲げてまでハリーを学校に戻したいのだろう。

 

「今年もポッターがらみでいろいろありそうだな」

「まったく……ユヅル、また僕らは君のフォローか?」

「私がすすんで巻き込まれているみたいに言わないで欲しい」

「ユヅルはいっつも面倒臭そうだもんね」

 

 ただ気になるのはどうしてそこまでシリウス・ブラックを警戒しているか、だ。それほどまでに強力な相手なのだろうか。相手は杖を持っていない。彼の杖は取り上げられとっくに処分されているだろう。それに脱獄生活で弱っていることも考えられるはずだ。まあ、狂気は思いもよらない力を呼ぶけれど。

「少し洗ってみるか……」

 ぽつりと零された弦の言葉を耳ざとく拾ったテリーが「一人であれこれするの禁止!」と言った。

 

「で、うちの主席殿は何をする気なんだ?」

「別に。ただ脱獄囚がどんな人物だったのか謎だから調べてみようと思って。魔法省の警戒する理由がまだ足りない気がする」

「じゃあ、僕とマイケルはブラック家について調べるよ。二人よりも調べやすいと思うし。ユヅルは叔父さんに知られたくないでしょ?」

「うん」

 

「俺はブラック個人のプロフィールでも調べるかな。ブラック家ならホグワーツ生だろ。そっち調べるわ」

「なら私は脱獄方法でも考えるかな。あとは当時闇の勢力に加担していた人達についても調べてみる」

 あのアズカバンを脱獄したのだ。誰かの手引きがあってもおかしくはない。自力で脱獄したのならそれはそれで方法が気になるところだ。

 

 

 

 

 

 カシギ草は三日間乾燥させたものを粉末状にする。真夏草の花蜜は少し煮詰め、そこにカシギ草を加え、さらに灰をいれてよく混ぜる。

 呼び出した火の精におこしてもらった妖精の火をつかって鍋を温めていく。混ざったものが煮詰まる前に火から鍋をおろし、そこでユグリの実を砕いて粉末にしたものを入れ混ぜる。

 

「≪癒しの風よ 歌え 歌え 怒りの雷よ 鎮まれ 鎮まれ 小さな燈火に温められた治りの水は 止まり木の役目を果たすだろう≫」

 

 足下に円系の光陣が現れる。幾何学的な模様を浮かび上がらせたそこから光り輝く蔓が伸び、芽吹いた葉がきらきらと光の粒子を散らした。葉の一枚をとり、それを鍋の中にいれる。葉はすぐに溶けてしまい、薬の色は白色に代わった。

 次の瞬間に陣も蔓も消えてなくなってしまう。弦は鍋に蓋をすると二日間寝かせるために地下の貯蔵庫に向かった。

 

 水無月の薬は他のどの家も真似できない。それは水無月の血に宿る力を秘術として使い作り上げているからだった。先ほど現れた蔓こそがそれで、あれは弦の持つ力が具現化したものである。地球上のどこにもない、弦だけの植物。同じ水無月の者であっても個人個人で植物は違う。祖母の蓬は白い木だった。ただし花だけはどんな形でも五枚花弁であり「水無月の花」と呼ばれている。

 

 その植物の葉や花、エキスなど様々なものを薬に混ぜることでより強力な薬を作るのが水無月の秘術だ。そしてその植物の具現化には水無月の血が覚醒していなければならない。

 血はおよそ十五歳までに完全に覚醒する。覚醒し始めたころから具現化した植物を使って薬師として修行が開始するのだ。弦が具現化できるようになったのが十歳の頃で、それまではひたすら書を読み知識を身に着け薬草を育てることしかできなかった。

 

 この覚醒ができるのは一代に一人まで。たとえ子供が二人いたとしても片方しか覚醒しない。序列は関係なく、覚醒したほうが家を継ぐのだ。そしてその覚醒だって必ず現れるわけではない。弦の父がそうだった。

 水無月の土地に来れば覚醒する者は覚醒する。だから水無月の家は血を重要視していない。たとえ一般人と結婚して子供ができても、覚醒すれば家は継がれる。覚醒しなければ次の世代にかけるしかない。そうやって細々と繋いできたのだ。

 

 だから弦にとって血は繋ぐものであって濃くするものではない。純血主義を理解し共感することは一生ないだろう。根本の考え方が大いに違うのだから。

 

 ちなみに、水無月の秘術を扱うにはさきほどのような「祝詞」と呼ばれる詠唱が必要になる。これは水無月の血が覚醒していないと何を言っているのか理解不可能で、神の言語ではないかと問われることもあったそうだ。そんなことは知らん。ただ代々そうやって祝詞を捧げて薬をつくってきたのだ。このことから水無月の家の薬師は“さえずるもの”と呼ばれてきた。祝詞は不思議な抑揚を持っているそうで、はたから見えれば歌っているようだ、さえずっているみたいだと言われた結果そう呼ばれるようになったらしい。たいそうな呼び名だ。

 

 貯蔵庫に薬を納め一息ついた。依頼された薬はあれが最後だ。

「薬草園管理用式神の確認、屋敷管理用式神の確認、敷地結界の確認、防衛機能の確認……水樹様への挨拶」

 今日は八月二十八日。家を出るのは三十日だからそれまでにできる限りのことはしておかないといけない。

 

 くうんと足下でレグルスが鳴いた。頭を撫でる。

「お前もしっかり挨拶してね。水樹様はお前を守護者にしてくれたのだから」

 水無月の敷地全ての土地神である水樹様は、弦が従えたレグスルを土地の守護者つまりは自身の眷属として迎えてくれた。レグルスもまた水樹様のもとで色々なことを学んでいるようだ。

 

「ゆづる」

 その証拠に彼は少しずつ人語を介し始めた。

「おなかすいた」

「そう言えばもう三時か。お八つにしよう」

「おやつ」

 幼くつたない話し方だけれど、おかげで弦は毎日会話ができる。それはとても嬉しいことだった。

 

 

 

 

 

 



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第四章

 

 

 

 

 ホグワーツ特急に乗り込んだ後は、いつものように本を開いた。レグルスは興味深そうに窓の外を行きかう人を見ている。ときどき弦の膝にきて撫でてくれとせがんできた。

 出発時刻の三十分前にテリーが来た。そのすぐあとにマイケル、ぎりぎりになってアンソニーが合流する。

「乗り遅れるかと思ったよ」

「アンソニーが遅れそうになるのは珍しいね。何かあった?」

「家の書庫をぎりぎりまで漁って写してきたんだ」

 

 彼が取り出したのは家系図の模写だった。

「僕の家は親戚関係の記述が多く残ってたんだ。一族の何人かが魔法省で戸籍管理の仕事してたから。それで魔法族の相関図作ろうとした人がいてね。今も作り続けてる」

「気が遠くなりそうな話だな……」

「まったくだよ。だから僕はそっちをあたって、マイケルは過去の犯罪記録を探ったんだ。マイケルの家の書庫は過去の新聞とかずっと残してあるから」

 

「朝刊から夕刊までとってあったからこっちも埋もれて死ぬかと思ったぞ。情報誌もあったしな」

「お疲れさまです」

 苦労した様子の二人に紅茶を差し出す。二人とも満足気に受け取った。

「俺んとこはそこまで収穫なし。ただ俺の親父が同時期にホグワーツ通ってたからさ、アルバムあさってみた。で、これがでてきた」

 

 テリーが見せてきたのは一枚の写真だった。魔法がかけられているその中では人が動き回っている。グリフィンドールとレイブンクローのクディッチチームだろうか。一般生徒も一緒になっている。

「クディッチのグリフィンドールとレイブンクロー戦だな。このとき、グリフィンドールがスニッチをとったけど引き分けで終わったらしい。そのときに撮ったんだと」

「それは珍しい試合だね」

 

「だろ。これが親父。キーパーだったらしいぜ。それで、こっちのグリフィンドールのチーム見てみろ」

 指さされた場所を三人で覗き込む。そこには二人の少年が肩を組んで笑っていた。どちらもビーターの棍棒を持っている。その手前には背の低い少年と、顔に傷跡のある少年が笑っていた。

「これ、ブラックだろ。それにその隣の奴、ポッターにそっくりだ」

 選手の二人はテリーの言う通り片方はブラックに、もう片方はハリーに似ていた。

 

「俺の予想はこっちがポッターの父親。で、ブラックはその友達だった」

「はあ? だがブラックは闇の帝王の手下だったんだぞ?」

「このときはまだ違うかもしれないじゃん。手前の二人とも仲好さげだし、この四人組は絶対なんかあるって」

「うーん……ユヅルはどう思う?」

 

「……クディッチ選手だったならトロフィー室に記録があるかもしれない。テリー、頼んだ」

「了解」

「この二人が友人関係だったかは保留。情報が少なすぎる。とにかくブラックがなんでこんなに脅威だと思われているのか探ろう。危険がない程度に」

 それにしても友人関係か。ハリーに全部教えたら発狂しそうだ。よし、黙っていよう。

 

 昼時になって持参した弁当を広げ(四人で四当分した)、車内販売で買った大鍋ケーキをデザートに思い思いに過ごす。弦は読書、テリーとマイケルはチェス、アンソニーは日刊預言者新聞の購読だ。

 空模様は生憎の雨だ。風が吹いて雨粒を窓に叩きつけている。雨雲に光が遮られているせいか、暗くなるのが早い。コンパートメントの中と廊下に灯りがついた。

 

 雨の中も列車は快調に進んでいるかに思えた。しかし、ゆっくりと停止する。

「ん?」

「あれ?」

「まだ着いてないよな?」

「……到着時刻ではないよ」

 

 唐突に灯りが消える。一瞬で暗闇にその場で、低くレグルスが呻いた。威嚇のそれに弦は素早く杖を抜く。それから魔導式の小さい懐中電灯をつけた。これは魔法の影響を受けないために魔力を込めた魔石で動く機械だ。裏街で見つけた便利道具だ。ホグワーツでは魔法の影響で電気機械が使えないため使えるものを捜した結果見つけたものだ。これをつくる魔導技師はいろいろ面白い人だ。つくる者もつくられる物も。

 

「お、なにそれ?」

「その名も魔導式懐中電灯。魔法の影響をうけない便利道具です。中の魔石がエネルギー切れになるまで明かりを保ちます。ヘッド部分をまわせば光量を調整できます」

 テリーの疑問に諳んじたのは商品説明の部分だ。あといくつか持っているのでテリー、それからマイケルとアンソニーにも渡しておく。

「一応、うちの国でつくられた輸出厳禁の商品だから大切にしてね。とくにウィーズリーズにはとられないように」

 

 とりあえず何が起きているのかわからないので弦たちは監督生がいる先頭車両まで行くことにした。全員が片手に杖、もう片方に懐中電灯を持っている。円筒型の直系三センチメートルだから握りやすい。長さは十センチメートルと小さ目だ。

 レグルスがくんくんと臭いをかぎながらあたりを警戒し続けている。先頭歩く姿は子犬ながらに勇ましい。いや、実際はもっともっと大きいけど。

 

「なんか寒いね……」

 アンソニーがそう言って腕をさする。窓を見れば水滴が凍結していた。

「気温が下がってる。何故?」

「魔法か?」

「わからない。でもこれは……」

 即座に第三の目を開眼させる。魔力の色が闇の中に浮かぶ。数多の輝きに意識が奪われそうになるが、それよりももっと気になる色を見つけた。

 

「……ああ゛?」

 思わず漏れた声は盛大に不機嫌なもので、びくりとテリーたちが肩をはねさせる。

「ゆ、ユヅル?」

『なんであんなのがここにいるんだ……』

 禍々しい魔の気配に無意識のうちに日本語となってしまう。こんなところにいるはずのないそれは、闇の住人なのだろう。分が悪い。非常に分が悪い。弦は退魔師でも祓魔師でもないのだから。

 

「予定変更」

「え?」

「交戦準備。ただし相手には近づかないほうが良い」

 近づいたら、きっと喰われてしまうから。

 杖を振る。

 

「エクスペクト・パトローナム」

 

 現れた白銀の大虎に「行け」と示す。駆けだした虎を追いかけるレグルスに続いて弦も走りだした。テリーたちも慌てて駆けだす。

「去年も見たけど、やっぱりユヅルの守護霊って迫力あるなあ」

「守ってる本人が強いからじゃないのか」

「聞こえてるよ、マイケル」

 

「ていうか俺達なんで最後尾らへんのコンパートメントとっちゃったんだろうな」

「確かに。おかげで全力疾走しても先頭まで五分かかる」

「しょうがないでしょ。誰かさんがいつも最後尾らへんにいるんだから」

「真ん中らへんよりは静かだからね」

 なんでこう、いつも緩いんだろう。私のせいか?

 

 通路の向こうになにか見える。大虎がそれに襲いかかった。レグスルはちゃんとわかっていたようでしっかり立ち止っている。盛大に威嚇しているけれど。

 虎はずたぼろの汚い布をかぶったそれに体当たりをしかけると、吹き飛ばされたそれにむかって吠えた。

「うわ、なにあのボロ布……つーか寒い!」

「あれが原因だな。『吸魂鬼(ディメンター)』がこの特急になんの用なんだか」

 

 脚にブレーキをかけて立ち止る。吸魂鬼は何かを襲っていたらしい。二人の男子生徒のようだ。その片方はマルフォイである。もう一人の生徒は顔に覚えがあった。確か、セオドール・ノットだったか。

「おい、マルフォイ。ノット。大丈夫か?」

「ええっと吸魂鬼に遭ったときは……」

「チョコレートが最適だ。あとはしっかり身体を温めてやればいい」

「さすがだね、ユヅル」

 

 チョコレートを取り出したアンソニーは容赦なく二人の口にそれをつっこんでいる。容赦ないな。

「それにしても、なんで吸魂鬼が?」

「吸魂鬼はアズカバンの監修だ。大方、ブラックを捜しにきたんだろう。魔法省の管理はどうなってるんだ」

 一般人が襲われるなんて本末転倒だろう。

 

 近くのコンパートメントからウィーズリーズともう一人グリフィンドールのクディッチ名解説者であるリー・ジョーダンが顔を覗かせていた。

「丁度いい。アンソニー。マイケル。ウィーズリーズのところをちょっと借りて二人の介抱してやって。とりあえず今はチョコレートをとらせることと、寒さを和らげることを優先的に頼む。あとは他の生徒にもチョコレートをとるように呼びかけてくれ。吸魂鬼は近くにいるだけで影響がある」

 

 現にテリーたちも少々調子が悪そうだ。気丈に振る舞ってはいるが、顔色が悪い。弦の場合は魔に対する耐性がある程度あるのでまだまだ平気だが、好んで近づこうとは思わない。

「テリーは私と……」

「ユヅル、後ろだ!」

 マイケルがそう叫んだのと同時に視界の端にボロ布が泳いだ。背後をとられたか!

 振り向く回転を利用して上段回し蹴りを放つ。手ごたえはあった。

 

「……思ったより軽いな」

 

「吸魂鬼蹴った感想がそれ!? 脚はなんともないよな!?」

「大丈夫。それより逃げられた。あれを列車の外に追い出さないと次の被害者が出る」

 それに列車に侵入したのはあれだけとは限らない。大虎はすでに後を追っている。

 

「テリー、ついてきて。二人とも、あとは頼んだ」

「わかった」

「怪我はするなよ」

「ああ、もう。すぐこうなる!」

 吸魂鬼は侵入してきたところから出ていったようだが、まだ列車の中には同じ気配がしていた。大虎もそれを感じているのか弦たちが追いついたところですぐに駆け出してしまう。

 

「まだいるのかよ!」

「もしかしたら数体でチームを組んで捜索していたのかもしれない。あれは人の感情を好むから大人数の人間の気配に引き寄せられたのかも」

「魔法省ロクなことしねぇな」

「同感」

 魔法省の株は大暴落である。もともとそんな高くないけど。

 

 

「……いた!」

 通路の向こうにコンパートメントに入り込もうとしている吸魂鬼がいた。それに大虎が襲い掛かりはじき出す。吸魂鬼はそれで逃げていき虎は追ったが、弦たちは立ち止った。コンパートメントの中から「ハリー!」という叫び声がしたからだ。

 

 中を覗き込むと、そこにはハリーとロン、ハーマイオニー、ジニー、ネビル、そして知らない男性がいた。えらく大状態だ。

「おい、どうした!?」

「ユヅル!」

「ハリーが急に倒れたんだ!」

「はぁ!?」

 

 弦はすぐに膝をついてハリーの目を確認した。瞼を押し上げライトを当てる。わかる範囲での異常は見受けられない。脈は少々早いが、体温は低い。

「吸魂鬼にやられたな。ただの気絶だ。椅子に寝かせてなにか上にかけたほうがいい。体温が下がってる」

「ハリーは無事なの?」

「接触時間が短かったのが良かった。吸魂鬼は見境がないから、たとえ一般人でも襲い掛かる危険性がある。チョコレートはあるか? 遭遇した時はそれが一番薬になる」

「ああ、それなら私が持っているよ」

 

 チョコレートを取り出したのは男性だった。この列車に乗っていると言うことはホグワーツの関係者だろう。新しい教師だとしたら闇の魔術に対する防衛術のはずだ。

 男性の身なりは決して上等とは言えなかった。継ぎはぎのローブとくたびれたような雰囲気がとくにそうだ。しかし悪い人ではないのはなんとなくわかる。彼の中の魔力は綺麗な色をしているのだから。

 

「ありがとうございます。ほら、みんなも食べたほうがいい。気分は最悪だろ?」

「そうだね……当分、楽しいことは考えられそうにないよ」

「今日の宴のことでも考えておけばいい。さっきも一体いたんだ。早いとこ全員にチョコレートを食べさせないといけない」

 もう一体という言葉にハーマイオニーが「まだいたの!?」と悲鳴をあげた。

 

「列車の外に出たのは確かだ」

「そうそう。それにユヅルが蹴っ飛ばしてたから」

「蹴っ飛ばした!?」

「思ったより軽かった」

「感想なんて聞いてないよ!?」

 

 ロンの叫びにテリーが笑い声をあげる。それに疑念を持ちながら、弦はもらったチョコレートをかじる。そこへ大虎が戻ってきた。どこか不機嫌そうでもある。

「ああ、逃げたんだ。お疲れ様。もういいよ」

 鼻筋をかいてやれば満足そうに消えていく虎を見送る。仕留め損ねたことで不機嫌になるなんて、誰に似たのだろうか。

 

「さて。車内販売の人は先頭車両にいるはずだったか。チョコレートを全員に配ってもらえるか相談してきたほうがいいな」

「それなら私が行こう。車掌にも話があるからね」

 申し出てくれた先生(仮)に頷き、ロンたちを見る。

「そうですか。なら私たちは戻ります。ここに来るまでに襲われそうになった生徒もいますし……ハリーが起きたらチョコレートをゆっくり食べさせてやって」

「うん」

 

「それと吸魂鬼は嫌な記憶を呼び覚ます。もしかしたら本人も忘れている辛い記憶を呼び起こしたかもしれないから、できるだけ傍にいたほうがいい。傍に誰かがいるだけでも十分、助けになる」

「わかったわ」

「よし。テリー、戻ろう。マイケルたちが気になる」

「おう。じゃあ、お大事に」

 

 今まで走ってきた廊下を小走りで戻る。目的のコンパートメントのドアは全開だった。

「あ、ユヅル。お帰り」

「無事だったか」

 ほっとした顔をする二人に頷き、吸魂鬼がもう一体いてどちらも列車の外に出たことを話した。

 

「すぐに列車は復旧するだろう。車内販売のチョコレートをわけてもらえるよう、教授がかけあってくれるって」

「教授? 誰か乗ってたのか?」

「新任の教授だと思うよ。防衛術の。車掌とも話すってさ。とにかくそこの二人はどう?」

「体温は平常に戻ったよ。チョコレートもとらせたし」

「そう」

 

 念のため二人の脈を診る。あまりにもショックが強かったのか大人しい二人にこれ幸いと眼球の動きも見せてもらった。問題はないように見受けられる。

「ホグワーツについたら一応、マダム・ポンフリーに診てもらったほうがいいな」

「どうする? 付き添うか?」

「スリザリンの生徒に頼んだほうが面倒がない」

「違いないな。俺とアンソニーが送ってくる。パーキンソン当たりに頼めば喜んで付き添ってくれるだろうよ」

 

「頼んだ。パーキンソンとは馬が合わん」

「あいつ、ユヅルに物凄い敵対心持ってるもんな。持つだけ無駄なのに」

「結局こてんぱんにやられちゃうのにね」

「ユヅルに勝てるわけないだろう」

「さすがの私も怒るぞ」

 

 好き放題言いやがって。思わず杖を手に持てば三人はそろって両手をあげた。冗談だってと弁解してくるけれど、この三人は絶対にまたこんなことを言うのだ。主に弦をからかうために。気の置けない連中だ。自分もそこに含まれるのは重々承知している。

 

 ともかくウィーズリーズとジョーダンにはチョコレートを食べるよう列車内を行進してもらった。ついでに暗い雰囲気を吹き飛ばす騒ぎをいくつか起こしたようで、列車がホグワーツに到着するころには生徒達は喧騒を取り戻していた。

 マイケルとアンソニーはマルフォイ達を、パーキンソンをはじめとした同年のスリザリン生にまかせてさっさと戻ってきた。喜んで引き受けてくれたと言う。

 

「なんだかんだいっても学校に来る前から顔を合わせてきたからな」

「純血だってことで彼らの態度もいくらか柔らかいしね」

 だが、この二人は完全に仲間意識をもたれているわけではない。半純血のテリーや、未だマグルーマルと思われている弦と常に行動を共にしているのだ。あの人達のお門違いな不満は留まるところをしらない。

 

「これで弦があのアクロイド家の血筋だって知ったらどうなるんだろうな、スリザリンの連中」

「さらに悪化するに一票」

「それ本人が言っちゃうの?」

「ま、どっちにしろユヅルが眼鏡とったことで騒ぐ連中は多いだろうなあ」

「あー……」

「そうだな……」

 なんでそんな疲れた顔をされるのかがわからない。弦が「何?」と言えば三人は首を振って「何でもない」と声を揃える。何なんだ。

 着替えを済ませる頃になって、ようやく列車は駅に到着した。

 

 

 

 

 

 馬車乗り場まで来ると百台にも及ぶ馬車に生徒達は迎え入れられる。馬がいないとされるこの馬車は乗り込んで扉を閉めれば独りでに動いて城まで運んでくれるのだ。生徒達は馬がいないと受け入れているが、馬はちゃんといる。セストラルと呼ばれる天馬だ。死を見たことある者だけに視認できる魔法生物で、骨ばった体にドラゴンのような翼を持っている。生徒のほとんどはセストラルを視認できないため、馬がいない馬車などと言っているのだ。

 

 しかし弦は始めから見えていた。去年もそうだ。しかし今年はセストラルをより強く感じているような気がする。

 レティシャの死体を見たからだろうか。

 

「ユヅル、乗らないのか」

「……いや、乗るよ。城まで歩くのは面倒くさい」

 天馬から視線を外して馬車に乗り込んだ。馬車は城の門をくぐって玄関の前に運んでくれた。馬車を降り立ったところでハリーたちを見かける。良かった、ハリーは平気そうだ。ちゃんと自分の足で立っている。

 

 そのことにほっとしてすぐ、弦は顔をしかめた。マルフォイがどこで聞きつけたのかハリーの気絶をからかったのだ。ロンまで気絶したのか煽る彼にテリーが後ろから声をかけた。

「お前も人のこと言えないだろうが、マルフォイ」

 呆れを全面に押し出したその声にマルフォイがぎくりと身体を揺らした。

 

「何もできてなくてユヅルに助けられたのはお前だろ。さっさと医務室いってマダム・ポンフリーに診てもらえよ」

「なっ……!」

 ぐっと言葉につまったマルフォイはちらりと弦を見てから足早に去った。

 

「一言は文句言われるかと思ったんだけど。意外だ」

「さすがに助けられたってところは認めてるんだよ」

「本当、どうしようもないな」

「マルフォイがどうしようもないのは今に始まったことじゃないだろ。それよりポッター、平気か? あんな不気味な奴に襲われたんだ。早く医務室行けって」

 

 テリーの言葉にハリーは強がっていたがハーマイオニーと一緒にマクゴナガルに呼ばれてしまった。二人が行ったあとで「なんであの二人だけ?」とロンが言ったのを弦が「ハリーは医務室。ハーマイオニーは授業のことじゃないか? 全科目履修するって聞いてるけど」と返した。それにロンも納得する。

 

 広間は毎年のように光り輝いていた。一年生は吸魂鬼のせいで盛大にケチがついたみたいだが、この広間とあとから出てくる御馳走に元気になるだろう。

「しょっぱなから散々だなー」

 テーブルに顎を乗せて愚痴るテリーはその姿勢のまま弦を見た。

 

「それにしてもユヅルの守護霊、前見た時よりも強そうに見えたんだけど、練習したのか?」

「いいや? 夏休みはいっさい魔法が使えないからまったくしてない。呪文と言うより私自身が成長してるからじゃないか? 力の大元がレベルアップすれば必然的に呪文もレベルアップするさ」

「前々から気になってたんだけど、ユヅルってどういう夏休み送ってるの?」

「……普通?」

「それは絶対普通じゃない」

 なんてことだ。聞いてもいないのに否定された。

 

 組分けが終わり、ダンブルドアが立ち上がって挨拶を始めた。そこで列車に吸魂鬼が出た理由が語られる。ようはブラック対策だ。厳粛な空気の中で彼らの危険性がしっかり説明され、監督生と首席は他の生徒に目を配るよう言い渡された。監督生は面倒臭そうだ。

 

 その話が終わると一転して楽しげな口調で校長は新任の先生を紹介しはじめた。列車の中のあの先生はやはり闇の魔術に対する防衛術の担当だ。リーマス・ルーピン。魔法薬学のスネイプが射殺さんばかりの視線で見ていた。

 

「先生、写真の手前の男子生徒じゃない?」

 弦の言葉に三人はそういえばという顔をする。

 

「随分スネイプに敵視されてるな」

「ハリーから聞いた話だけど、ハリーの父親とスネイプは同学年だったらしい。険悪の仲だったって。あの先生が仮にハリーの父親と友人関係にあったならスネイプとも関わりがあったんじゃないか?」

「そこで何かしてスネイプの恨みを買った、と。それはご愁傷様だな」

「ずっと根に持ってそうだよね。それこそ死ぬまで」

「違いない」

 

 防衛術と同様に魔法生物飼育学の教授も変わった。前任のケルトバーン教授は手足が一本でも残っている間に余生を楽しみたいのだそうだ。その理由に弦はどういうことだと首を傾げた。物騒すぎないか。

 新たな教授にはハグリッドが就任した。そのことで一番湧きったのはグリフィンドール生だ。盛大な拍手が沸き起こる。一方で弦たちは「不安だ……」と拍手をしつつも心境は微妙なものである。

 それ以上の注意ごとも祝い事もなく宴会はいつものように終わった。

 

 

 

 



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第五章

 

 

 

 

 始業式の次の日。同室の誰よりも先に起きた弦は早々に身支度を整えたあと髪を髪紐で結い上げた。その藍色の結い紐は、実は贈り物だった。火醒の次期当主と側近からだ。早い誕生日プレゼントだそうで、明保能(あけぼの)家の次期当主に作らせた護りの呪いつきだと手紙には書いてあった。結界師の総本山を継ぐ人に何をさせているのか。確かあそこの次期当主は火醒のところと同い年だったはずだ。彼からも一筆祝いの言葉があった。ありがたく使わせてもらっている。お返しを考えておかなければ。

 

 鞄の中身を確認しているところで同室のリサ・ターピンが置きだしてきた。

「おはよう、ユヅル。やっぱり早いわね」

「おはよう。まだ遅れるような時間じゃないからゆっくり準備すると言い」

「そうするわ。パドマを起こしてあげてくれる?」

「わかった」

 

 三人のルームメイト最後の一人であるパドマ・パチルは一番起きるのが苦手だ。ほうっておけば簡単に遅刻してしまう。少々苦労しながら揺さぶり起こし、覚醒したと思ったら身なりを念入りに整え始める姿に弦もリサも苦笑した。

 

「ユヅルは眼鏡すること止めたのね」

「うん。必要がなくなったから。もともと目が悪いわけじゃないし」

「そっちのほうが断然いいわ! きっと男共が騒ぐわね」

 自分のことのようにはしゃぐパドマは「化粧もしましょう!」と言って来たので早々に退散した。もともと化粧は苦手だ。正式な会議ぐらいしかしていこうとは思わない。有事のさいは邪魔でしかないし、なによりすぐ崩れる。

 

 談話室に下りるとすでにテリーたちはいた。揃って広間へと朝食をとりにいく。

 それぞれ上級生から配られた時間割を見て一日の予定を決めた。

 必修科目のうち魔法薬学と薬草学だけは去年までと同じように二つの寮合同で、選択科目は全寮合同だ。初日の一限目は占い学か数占い学かマグル学である。弦はどれもとっていないので空き時間だ。次の闇の魔術に対する防衛術まで時間を潰さなければならない。さてどうしたものか。

 

 朝食後、すぐに三人は数占いの教室に行ってしまったので、弦は図書室にでも行って大学受験の勉強でもするかと目的地を決める。しかし廊下を曲がったところでルーピンに出会った。

「おや、君は列車のときの」

「おはようございます、ルーピン先生」

 穏やかに「おはよう」と返してくれるルーピンに弦はそういえば名乗っていないことを思い出す。

 

「私はユヅル・ミナヅキです。三年生でレイブンクローに所属しています」

「レインブンクローの三年生! なら私の初授業を受けてくれる生徒だね」

「そうでしたか」

 成程。つまりは自分の三年目の初授業はこの人がしてくれるというわけである。

 

「一限目の授業はいいのかい?」

「私はこの時間の選択授業をとっていませんから。今も図書室に行こうと思っていました」

「さすがレイブンクロー生だね。勉強熱心だ」

「ありがとうございます」

 だがホグワーツで役に立つ勉強ではない。

 

 そのままルーピンとは別れ、弦は図書室へと向かった。生徒が驚くほど少ない。弦同様、授業のない勉強好きがいる程度である。

 図書室の奥の方へ行ってひっそりこっそり勉強できるところを捜した。マグルの学問を堂々とやる気はない。スリザリン連中が面倒くさいのだから。彼らに弦が持ち込んだ日本語の参考書が読めるはずがないけれど。

 丁度いいところを見つけて、弦は参考書とノートを広げた。まずは数学だ。

 

 

 

 

 

 授業終わりの鐘が鳴る。それに合わせて勉強道具を片付けた。防衛術の教室に向かわなければ。防衛術の教室の近くでテリーたちと出会い、そのまま一緒に教室へ入る。

 北の塔の最上階で占い学を受けていた生徒が最後にやってくるかと思ったのに、彼らはすでにそこにいた。まだ先生は現れないし、なにより授業が始まるまで数分ある。

 

 テリーたちに数占いの授業がどういうものだったのか聞いていると、パドマとリサが弦の前の席に座った。パドマがひどく気落ちしているように見える。

「パドマ。なにかあった?」

「ユヅル……あのね、すごく言いにくいんだけど」

 心底気の毒ですという顔をしている。リサを見ればこちらは困り顔だ。

 

「さっきの占い学でお茶の葉の占いをやったの。そうしたら死神犬【グリム】が出たのよ。トレローニー先生がハリーに死の予兆があるっておっしゃったの」

「…………ええっと、それで?」

 正直、だからなんだ。弦の反応がお気に召さなかったのか、パドマは勢いのある口調で言った。

「だから! ハリーが近く死んでしまうかもしれないってこと!」

 

「たかだか占いだろ?」

 軽く受け止めたテリーにパドマは噛みつく。

「テリー! あなたもグレンジャーみたいなこと言うの?」

「グレンジャー?」

「ええ。彼女、トレローニー先生につっかかっていたかと思ったら、先生から占いの才能はないってきっぱり断言されていたわ」

 

 ふんと鼻をならすパドマ。何故か不可解ですという顔をする男三人。アンソニーに「ユヅル。ちょっとあとで話したいことがある」と耳打ちされ頷き返した。

「それで今日の授業はおしまい。先生は結果を撤回なさらなかったわ」

 リサの言葉に「きっとあたるわ」とパドマは身震いしている。

「……グリムねぇ」

 

「ユヅルまで占いを馬鹿にするの?」

「馬鹿にしてはいない。才能のある人がいるのも確かだし。ただ当たるも八卦、当たらぬも八卦だから。人間万事、塞翁が馬とも言うしね」

 なにが幸福でなにが不幸かなんてそのときの状況でころころ変わるものだ。

 

「それに死神犬なんて呼ばれてるけど、グリムについて説明できるの?」

「説明って……死を招く犬でしょう?」

「先生は墓場に憑りつく亡霊って言ってたかしら。出会ったら死んでしまうって聞いたことあるわ」

「正解だけど足りない」

 グリム。またの名をブラックドッグ。ヘルハウンド(Hellhound)とも、黒妖犬とも言う。

 

「ブラックドッグについては諸説あるんだ。ただ墓に憑りつくっていうのはきっと『ヨークシャーの墓守グリム』から来てるんだろうね。あそこらへんだと、新しい墓をつくったとき埋めた一人目の死人が天国には行かず墓守となる伝承があるんだ。だから新しい墓地をつくるときは黒い犬の死体を埋めて墓守にする。これがグリムだと言われている。墓を荒らす不届きものを追いかけ回す墓守犬(チャーチ・グリム)だ」

 教室が静かになったような気がしたが、嫌な空気ではなかったので弦は続けた。

 

「もう一つ。こっちはギリシャ神話だ。女神ヘカテーは再生と共に死を司る。その眷属は犬や狼で、ヘカテーは新月の女神とも呼ばれているから夜の常闇の黒色が眷属たちの色だとされているんだ。その眷属たちをブラックドッグという。彼らは死の先触れや死刑の執行者としての一面も持ってるね。見たら死ぬと言うのはここからきてるんだろう」

 こうして考えてみると、いろいろごちゃ混ぜである。

 

「さらにグリムを墓守犬とした場合、彼らは妖精に分類されるね」

「妖精?」

「そう。教会に住み着いて、夜になると現れる。けれどよほど陰鬱な嵐にならない限りは決して動こうとはしない。真夜中に鐘を打ち鳴らすとも言われているね。牧師が通夜のお勤めをしているとき、教会の窓に現れることもある。そのときの顔つきで弔っている死者が天国に行ったか地獄に行ったかわかるそうだ」

 

「嫌な妖精だな」

「人間に都合のいい妖精なんていないよ。彼らはおもしろがって興味を示してくれるけど、無条件に優しいわけではないから……あと関係ありそうな話はエジプトのアヌビス神かな」

「エジプト? かなり離れたな」

 

「まあね。でも墓守と言う点ではかの神は有名だよ。医学の神でもあるし。アヌビス神は王の墓であるピラミッドの中のミイラを守る神だ。そのことからミイラ作りの神とも言われている。その姿は頭部が犬またはジャッカルの半獣人。それか完全にジャッカルそのもの姿だったとされている。これは古代エジプトにおいて墓場の周囲を徘徊する犬またはジャッカルが死者を守っていたと考えられたためだ」

 この話を知った時、実際は死肉を漁っていたのだろうと弦は思った。

 

「まあ、すでに絶滅した動物だという説もあるけど、今回大切なのはその身体が黒色だということだね。これはミイラの防腐処理に使われるタールの色が黒色であることが関連しているそうだ。アヌビス神は冥狼神とも言って、冥界でオシリス王の補佐として罪人を裁いている。ラーの天秤に罪人の心臓を乗せて罪の重さを図る役だ。その様子は死者の書や墓の壁に描かれているね」

 

 またアヌビス神はエジプトの都市であるリコポリスの守護神とされている。他にも「聖地の主人」、「自らの山に居る者」、「ミイラを布で包む者」という異名を持っている。

「それで、そのアヌビスがグリムとどういう関係があるんだ?」

「君らはピラミッドといえば何を思い浮かべる?」

 

「でっかい墓」

「王の墓、かな」

「権力の象徴」

「……お墓と言うぐらいしかわからないわ」

「呪いかしら」

 

「パドマは知ってたか。そう、呪いだ。『ツタンカーメンの呪い』。まあ、これは当時のマスコミがオカルト的な話をおもしろおかしく丁稚上げたのが大半なんだけど。ピラミッドの発掘者が発掘後に死んでしまうことが昔あったから」

 

「死んだのか?」

「死んだよ。だいたい七十過ぎの御老人がね」

「それ寿命じゃん」

「まあ、そうだろうな。けれどここで気に留めるべきなのは『発掘者』ってところだ」

 

 そこでアンソニーがはっとする。

「まさか墓荒らしってこと?」

 

「その通り。現に彼らはピラミッドからミイラと一緒におさめられていた金銀財宝を持ち出しているんだから立派な墓荒らしだ。墓守のアヌビス神は黙って見てるわけにはいかなかっただろうね。ピラミッドに入ってきたものを呪ってもおかしなことじゃない。それがかの神の役目だから。ここでグリムに繋がるんだよ。死の呪いをかけるアヌビス神は黒い犬の頭を持っているんだから」

 

「成程。いろいろ混ざって死神犬の出来上がりというわけか」

 

「そういうこと。最後のアヌビス神の話を抜きにしても、墓守犬と女神ヘカテーの眷属の話があわさって死神犬が出来上がる。墓でグリムを見ると死ぬって言うのは、墓を荒らした者の末路だろう。あとはもう少しで死んでしまうような人達だろうね。死が近づくと見えなかったものが見えるようになることがあるから」

 

 実は見えるようになったと思ったら死んで幽体離脱していましたなんて話もあるくらいだ。死に近づけば人間の世界から離れ、より魔の世界に近くなる。

 

 

 

 

「ハリーのカップに出たって言う黒犬はグリムかもしれないし、そうじゃないかもしれない。決めつけるのは良くないよ。占いはあくまで未来への選択肢の一つだ。捉え方一つで景色は変わる。それにグリムだと見分ける方法は一つあるし」

「え、あるんだ」

 

「ある。グリムの目は赤いんだ。闇の中で妖しく光る赤い目はそうそう見間違えない。黒犬に会ってその目が赤色じゃなかったらそれはグリムではないね」

 それにしてもグリムだと断言して生徒に死を予言するなんて変な先生だ。その人なりの歓迎か洗礼の印だろうか。どちらにしろ、はた迷惑な話である。

 

「占い学って言うのは確かに占いのことを学ぶんだろうし、理論じゃない技術を鍛える場所だろう。それと同時に様々な見方ができるよう自分を鍛える場所だと私は思うよ。一つの未来が出来上がるには様々な事象が重なるから、一つでも違えばまったく違う未来になる。並行世界(パラレルワールド)ってやつだね。だから一つの物事に対して様々な方向から見る視野の広さが必要になってくる。不確かなものを扱うんだから、決めつけて視野を狭めることは避けたほうが良い。近すぎたら見えるものも見えないだろう?」

 

 適度な距離を保って全体を見ることが大切なのは占いだけじゃないはずだ。

 

「何よりリラックスして素直に受け止めることだ。怖がっていたら悪い所しか見えなくなるし、自信を持ちすぎて傲慢になっては良い所しか見えなくなる。良い所も悪い所もよく見て、しっかり考える。これは全てのことに通じている重要なことだと私は思うよ」

 

 そう締めくくると、教室の中に拍手が響いた。見ればいつ来たのかルーピンが壁に背を預けた態勢で手を叩いているではないか。

「素晴らしい話だったよ、ユヅル。まるで授業を聞いているようだった」

「……授業時間に入ったのに私語をしていてすみませんでした」

「ああ、いや、厭味のつもりじゃないよ。本当に勉強になる話だった。この後に私の授業をしなければならないなんてプレッシャーだな」

 

 生徒達から笑いがおきる。弦は一人だけ微妙な顔だ。出鼻をくじいてしまったことを謝ればいいのか、それとも自分の話を聞いていてくれたことを喜べばいいのか。

「今の話はとてもためになる話だった。レイブンクローに五点あげよう。さて、それでは私も授業を始めるとするよ。教科書は一度は読んでるかい? そうか、さすがレイブンクローだ。予習はばっちりというわけだね。今日やるのは―――」

 思わぬ加点にほっとしつつ、始まった授業に集中した。

 

 

 

 

 昼食の時間になって、広間で会ったハリーに先ほどの話をしたら、彼はささくれだっていた気持ちが落ち着いたらしい。家出した夜に黒い犬を見たそうだが、目は赤くなかったと言うのだからどこぞの徘徊していた犬だろう。

 

 ロンは信じきっている様子だったが、ハーマイオニーはトレローニー先生が気に入らないようだった。マクゴナガルも占い学については「魔法界において最も不確かな学問」と言ったそうだ。ちなみに彼女の話だと、トレローニーは毎年生徒の誰か一人に死の予言をプレゼントしているらしい。くだらん。

 

「やっぱり、おかしいなぁ」

「だよな」

「ああ」

 ハーマイオニーを見ながら三人がこそこそしているので、弦は「どうしたの」と顔を近づけた。

 

「さっき話があるって言ったでしょ。あれ、グレンジャーのことなんだ」

「あいつ、数占いの授業に出てたんだよ。ちゃんと発言もしてたし間違いない」

「なのに占い学にも出てる。いくら占い学が早く終わったとしても、数占いの授業に始めからいるなんて不可能だ」

「……」

 

 なんとも奇妙な話だ。だがここでハーマイオニーに尋ねても答えてはくれないだろう。ハリーやロンも知らないようだし。

「なんか理由があるはずだけど、触れない方向で」

「了解」

 理解が早くて助かる。

 

 午後の授業は魔法生物飼育学とルーン文字学だ。飼育学の方は野外活動だと言うことで「怪物的な怪物の本」を手に実地場へ案内してくれるハグリッドの後を追う。

 そこは放牧場のようだった。ハグリッドが教科書を開けと言うので弦はすぐに背表紙を撫でて大人しくした後、ページを開く。周りも同様だった。弦があの本屋で店員にした助言は店員から買った者にちゃんと伝わっているらしい。

 

 だがしかし、問題があるのは教科書だけじゃなかった。さすがハグリッド。しょっぱなからアクセル全開である。

「今日、お前さんらに会わせるのはヒッポグリフだ」

 なんてものをド素人に触れさせようとしているのか。

 ハグリッドがヒッポグリフを連れてくる前に、本の内容をざっと読み返す。マルフォイがハリーになにか言っているようだが少し距離が離れているので口出しはしなかった。

 

 ヒッポグリフ。身体の前半分が鷲、後ろ半分が馬。グリフォンと雌馬の間に生まれた生物とされ、グリフォンよりも気性は荒くない。騎乗することも可能。ただし非常に誇り高いため認めた者しか背にのせない。

 

 ふいに歓声が上がった。見れば放牧場の向こうからヒッポグリフの群れをつれたハグリッドが戻ってきている。ヒッポグリフは頑丈そうな皮の首輪を太い鎖で柵につなげられる。その色はさまざまだ。一等綺麗な灰色のヒッポグリフは雄々しく堂々としている。

 

「まんず、一番先にヒッポグリフについて知らなければなんねえことは、こいつらは誇り高い。すぐ怒るぞ、ヒッポグリフは。絶対に侮辱してはなんねぇ。そんなことしてみろ、それがおまえさんたちの最後の仕業になるかもしれねぇぞ」

 

 真面目に聞く生徒がいるなかで、不真面目はよく目立つ。マルフォイとその取り巻きがコソコソにやにやしていることに弦は眉間に皺をつくった。嫌な予感がする。

 ハグリッドの説明は続いた。

 

「かならず、ヒッポグリフのほうが先に動くのを待つんだぞ。それが礼儀ってもんだろう。な? こいつのそばまで歩いていく。そんでもってお辞儀する。そんで、待つんだ。こいつがお辞儀を返したら、触ってもいいっちゅうこった。もしお辞儀を返さなんだら、素早く離れろ。こいつの鉤爪は痛いからな」

 

 次にハグリッドは誰が一番先にやってみせるか生徒達を促したが誰も手をあげなかった。鎖に繋がれて嫌そうに首を動かしたり羽を広げたりしているヒッポグリフたちを前にして戸惑っているのだ。次に問いかけられて誰も行かなかったら行くと決めて成り行きを見守る。

 

 次の問いかけで手をあげたのはハリーだった。グリフィンドールのブラウンとパチルが何事かハリーに言っていたが、彼はそれを無視してハグリッドの傍に寄った。大方、占いことだろうがハリーはあれがすでにまやかしであることを知っている。

 

 ハリーにあてがわれたのはバックピークと言う名前のヒッポグリフだった。一番綺麗なやつだ。

 群れから離されたバックピークがハリーの正面に立つ。ハリーがバッグピークと目を合わせてゆっくりとお辞儀した。しかしバックピークはしない。ハグリッドが心配そうにハリーを下げようした時になってようやく、バックピークは前足を追ってお辞儀を返した。

 

「やったぞ、ハリー!」

 ハグリッドの喜びの声と生徒達に歓声が重なる。ハリーがバッグピークの嘴を撫でるさまに弦たちは拍手を贈った。

 そこで終わらないのがハグリッドだ。背に乗せてくれるからとハリーをけしかけてその背に乗らせる。しっかりつかまっていることを確認したら、バッグピークの尻を叩いて送り出した。

 

 ハリーを乗せたまま軽々と飛翔したバックピークは放牧場の真上を一周する。

「何あれ超楽しそう」

 テリーの呟きに頷きつつ、地上に戻るまでしっかり見守った。幸いにもハリーが振り落とされるようなことはなく、再びハリーは歓声に迎えられた。マルフォイとその取り巻きは今もさっきもひどくがっかりした様子だったが。

 

 ハリーのおかげで怖々としながらも生徒達は放牧場に入っていく。一頭ずつ解き放たれたヒッポグリフを前にして何人かのグループへ別れた。弦はテリーたちと一緒だ。

 栗色のヒッポグリフを前に弦がお辞儀をすれば、すぐにお辞儀を返してくれる。その嘴と首筋を撫でれば機嫌良さそうに鳴いてくれた。

 

 その後にテリーたちも挑戦し、全員一発合格だ。そのあとは怪物の本を開いて内容と実物を比べていることにした。

「やっぱり実物見てないとわからないことも多いな。魔法生物はとくに」

 マイケルはそう言いながら何やら書き込みをしている。くすぐったいのか怪物の本がふるふると震えて書き辛そうだ。

 

 弦は放牧場を見回して、そしてマイフォイたちがバックピークを前にお辞儀していることに気が付く。バックピークはお辞儀を返したが、なんとなくさきほどより嫌な予感が強くなった気がして怪物の本をベルトで閉じた。

「ユヅル?」

「ちょっと向こうに行ってくる」

 

 脚はそのままマルフォイたちのほうへ向かった。ハリーたちも近くにいる。そのハリーに見せつけるようにマルフォイが尊大な態度でバックピークの嘴を撫でた。近づくにつれて彼の言葉が聞こえてくる。たまらずに弦は走り出した。

 

「醜いデカブツの野獣君」

 その罵りと弦がマルフォイへ手の届く距離に来たのは同時だった。襟首を掴んで後ろに引き倒す。間一髪、バックピークの鉤爪はマルフォイに致命傷は与えなかったが、その片腕に一本の切り傷をつくった。深くはない。

 

 怒り狂ったバックピークを静めたのは先ほどまで弦の相手をしてくれていた栗色のヒッポグリフと革製の首輪を持ったハグリッドだ。

 マルフォイが痛みに悲鳴をあげた。

「死んじゃう!」

「運ぶの手伝って!」

 

 弦は駆け付けたテリーとマイケルにマルフォイを放牧場の外まで運んでもらい、鞄の中にいれていた救急セットで応急処置をした。杖先から出る水で傷口を綺麗にし、傷薬をかけて布をあてる。止血のために布の上から包帯できつく縛ればまた痛みに悲鳴をあげる。

「あいつ僕を殺そうとした!」

 わめくマルフォイに弦の何かが切れた。

 

「いい加減にしろっ!」

 

 その怒号は空気をびりびりと震わせていたと近くにいたテリーはあとに語る。

 

「言葉も常識も家柄も地位も通じない相手にあんたの何が通用すると思った!? 魔法生物は私達人間とは生き方が違うんだ! それを知識として教科書から学んで、教師を手本に実際に触れ合うのがこの授業の目的だろう! 最初から真面目に取り組まず学ぶ意欲のない君がこの授業を受けなければこんなことにはならなかったんだ! 学ぶ気がないなら授業を受けるな! お互いを傷つけずに共存することを学ぶ場所で、あんたみたいな馬鹿で考えなしに問題を起こされるのは迷惑だ!!」

 

 私はこいつに何回怒ればいいのだろうか。

 

 どうにも怒りが収まらなかったので、弦はそのまま授業を早退することにした。どうせこんな騒ぎになったら中断せざるを得ないだろう。

 そのあとマルフォイは医務室にいったらしいが、弦は「どうでもいい」と切り捨てた。

 

 

 

 

 



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第六章

 

 

 

 

 

 その日最後の授業を終えても弦は不機嫌なままだった。

「ユヅルが怒鳴るところって初めて見た」

「俺も」

「怒ってはいるがいつもは静かに話すからな」

 夕食の席でデザートに手をつけずに何かを書いていた弦は、それを終えて顔をあげた。封筒にそれをいれて鞄の中にしまう。

 

「それで、ユヅルさんの機嫌はなおったわけ?」

「考えるのは止めた。だけど腹立つ」

「相当だな」

「勇敢と無謀を勘違いして怪我する奴と、考えなく馬鹿やって怪我する奴は嫌いだ」

 チョコレートプリンにスプーンを刺しながら、弦は苛ついた溜息をついた。

 

「薬だってタダじゃない。植物にしろ動物にしろ命を恵んでもらって人間に役立つように作ってるんだ。その命の重みをわかってないことに腹が立つ」

「命の恵みか……そういやそうだよな。俺らが食べてる物だってそうだし。でもマルフォイに怒ってるのってそれだけ?」

 テリーが「だったら去年みたいに静かに怒るじゃん」と続ける。

 

「……マルフォイはわかってない。自分の影響がどこまで広がるのか」

 あいつは貴族だ。それもマルフォイという純血名家の一人息子。ようやくできた子宝をたいそう大切にしていると聞く。

「自分が怪我をして、さらにいえば一方的に攻撃されたとき、どれだけ周りが動くかを知らな過ぎる。自覚が足りない。すごく無責任で、とんでもなく甘えてる」

 

 きっとマルフォイの負傷は家に連絡が入っているだろう。学校側はそういう措置をとらなければならないだろうし、マルフォイ自身が言わなくても取り巻きが自分の親に連絡してそこからマルフォイ家に伝わる。そうなればハグリッドは糾弾されるし、実害のあったバックピークへの制裁は免れない。

「自分の言葉一つで失われる命があるってことを知るべきだ」

 

 次の日からマルフォイの腕は布でつられるようになった。スリザリンの取り巻き達はマルフォイを英雄のように扱ってハグリッドがいかに愚かな教師もどきか詰ったが、弦が傍を通ればとたんに口をつぐんだ。あの弦の恫喝は「鷲寮の眠れる虎を激怒させた」と言われているようだった。あほらし。

 二回目の闇の魔術に対する防衛術の授業ではまね妖怪(ボガート)を使った実践的なものが行われた。

「さて、まね妖怪について説明できる人はいるかな?」

 

 迷わずに全員が手をあげるのでルーピンは笑って弦を指名した。

「まね妖怪は形態模写妖怪で、せまくて暗いところを好みます。出会った相手の一番怖いものを判断しそれに姿を変えますが、相手が二人以上いる場合は恐怖の対象が複数となるのでその真価を発揮することはできません。またすぐに姿を変えてしまうため、その本当の姿を見た人はいません」

「うん、そこまででいいよ。わかりやすく素晴らしい説明だった。レイブンクローに五点」

 

 ルーピンはそれからまね妖怪を退治するための唯一の方法を話しだした。肝心なのは恐怖に代わる笑いだ。目の前のまね妖怪が愉快な姿に代わることを思い浮かべて「リディクラス(ばかばかしい)」と呪文を唱えればいいのだ。

 一度呪文を復唱した後、生徒は一列に並ぶよう言われた。そこから一人ずつまね妖怪がいる洋服箪笥の前に出て相手をするのだ。古い蓄音器が奏でる軽快な音楽の中、一人ずつまね妖怪に挑戦していく。

 

 まね妖怪が大蛇になった者もいれば、大百足になった者、いかついおじさんになった者、古ぼけたシーツをかぶったお化けになった者、激怒した母親になった者、怪物的な怪物の本になった者、ホグワーツの司書のマダム・ピンスになった者もいた。

 弦の番がきた。直前にアンソニーが凶暴な豚を逆さ吊りにしたところだ。その前に立つと、まね妖怪はぐるぐると渦を巻いて姿を変え始めた。さて、何になることやら。

 

 まね妖怪の動きが止まる。それは背の高い人間のようだった。黒いマントのようなもので全身を覆い、頭部らしきところには正面に鬼の面、右側面に翁の面、左側面におかめの面をつけていた。

 

 

「ああ゛ん?」

 

 

 やばい、最近沸点が低くなっているような気がする。

「ユヅル、落ち着けー」

「最近怒りすぎだぞ」

「まね妖怪を木端微塵にしちゃダメだよ」

 なんかあの三人も慣れてきたな。

 

 ともかくアンソニーの言うように木端微塵にするわけにもいかないので(していいなら遠慮なくしたい)、呪文を唱えて杖を振った。その途端に三つの面が砕け散り、布は無様にひらひらと舞って箪笥の中に戻っていく。

 嫌な記憶だ。弱かったときの忌々しい出来事が思い起こされる。ぎりっと歯を食いしばってそれを断ち切った。九年経ってもあれは弦の心の奥深くに突き刺さったままだ。

 

 弦で最後だったから生徒は全員まね妖怪を相手にしたことになる。失敗した者はいなかったので一人五点ずつ与えられた。

「ユヅル」

 授業が終わった後にルーピンに声をかけられた。

 

「はい」

「大丈夫かい? さっきのまね妖怪はずいぶん君の心を乱したようだけど」

「……まあ、思い出したくないことを思い出しましたけど、平気です。ずっと前のことですから」

 忘れることなどできないだろうが、もうずいぶん前から平気なのだ。思い出すたびに恐怖よりもむかつきが湧き上がるけれども。

 

「ハグリッドの授業のことは聞いたよ」

「ああ、聞きましたか……」

「随分、迫力があったって」

「あれは怒ったっていうより叱ったって言ったほうが正しい気がします」

 叱るほど価値があったかどうかは言わないが。

 

 防衛術の授業は瞬く間に全校生徒の間で人気になった。ルーピンは教師としての才能が十分にあるらしい。一方で魔法生物飼育学ではハグリッドがすっかり自信を無くし、レタス食い虫【フローバーワーム】の世話ばかりになった。その幼虫の見た目から女生徒の多くは気持ち悪がり、男子生徒もつまらなそうにしている。弦はレタスをあげる傍らひたすら読書の時間となった。

 

 また占い学のトレローニーは三年生の何人かを信者として取り込んだようで、特にブラウンとパチルは熱狂的なようだった。ハリーをいつも痛ましげな目で見るのだ。あれは可哀そうで仕方ない。双子の姉がはまっていてもパドマは冷静だった。というかレイブンクロー生は冷静だった。それは弦の言葉があったからなのだが、弦は「自寮は平和で良いね」と思っている程度だ。

 

 そして来たる休日。弦はかなり機動性のある恰好をしていた。それはテリーたち三人も同じである。

「それでは、秘密の部屋への侵入経路捜索計画を進行しようか」

「本当にするのか……?」

「もちろん。あそこあるバジリスクの死体はまだ綺麗に残っているはずだから余さず回収する」

 そのためにあの量が入る鞄をもう一つといくつもの大小さまざまな採取瓶を用意したのだから。

 

「でももう何カ月も前のものだろ? 腐ってるんじゃないのか?」

「魔法生物はその体に貯まった魔力の影響で通常の生物より腐敗が遅いんだ。バジリスクなら半年はそのまんまだね」

「うわあ」

 

 弦はレグルスを影の中から出した。この子犬のことはペットとして知られている。パドマやリサにも可愛がられているようで何よりだ。

『レグルス。少し大きくおなり』

 子犬サイズのレグルスが大型犬サイズに大きくなる。それに目を丸く三人に「実は犬じゃなくて魔法生物でした」と暴露する。

 

「うちの国では神様の領域を守る聖なる獣なんだ。秘密ね」

「いや、うん……」

「影の中に入る時点でただの犬じゃないって思ってたけど」

「まさか大きくなるなんて」

「実際はまだ大きいよ。成長途中だし」

「嘘だろ!?」

 

 レグルスは弦がとっておいたバジリスクの毒つきの布を嗅ぐと、次に大気を嗅いで森の中へと入っていった。それを追いかける。

「バジリスクはあの地下室で永い間寝ていただろうけど、ときどきは起きて食事をしていたはずだ。脱皮には栄養が必要だろうし。ということはどこかで狩りをしていたことになる。でも私達が入った場所からは学校の中に出てしまう」

 

「あの地下には他にもパイプがたくさんあったよな」

「そのうちのどれかが外に通じてるはずだ。そこから侵入する」

 主のいないあの部屋は薬物の材料があるというだけで弦にとっての宝物庫である。

「レグルスは今、バジリスクの毒からあの蛇の魔力を追ってる。感知能力が私よりも数倍高いからあの子に任せれば付くよ」

 

 現在の時刻は午前七時。今日中に全て片付けば上出来だが、道のりがどれほどのものなのか予測はつかないし、バジリスクの巨体は解体するだけ手間だろう。

 森の奥に侵入すればするほど野生の気配が強くなる。初めて入ったがなかなか立派な樹がたくさんある。水無月の山とはまた違った雰囲気だ。こっちのほうがどこか禍々しい。

 

 レグルスは迷うそぶりを見せずに進んでいった。それを難なく追いかける弦。テリーとマイケルはクディッチ選手というだけあって体力がある。アンソニーはこの中で一番体力はないが、それでも十分ついてきていた。

 一時間ほど歩き続けるとむき出しの岩肌が見えてきた。近づけばそこが谷であることがわかる。切り立った崖の谷間に洞窟を発見した。レグルスはそこを示している。

 

「あそこか」

「……雨が降ったら水が流れ込みそうなところだ。天気は大丈夫そうだけど、警戒しておいたほうがいいか」

 谷底まではおよそ十五メートル。でこぼことした岩場を軽い足取りで降りていくレグルスを追って、弦も降りようと踏み出しかけて振り返った。

 

「ロープいる?」

「いるよ!?」

「なんでいらないと思った!?」

「いや、跳んでいけるかなって」

「いけねーよ!?」

 

 しっかりと根を張っている大木に丈夫なロープを結び付け、それを洞窟のほうへ垂らす。降下はあっというまだった。

「次どうぞ」

「おーう」

 

 場所を空けるために洞窟の中に一歩入った。レグルスも傍で待機している。片手に魔導式懐中電灯を持って中を照らしだせば、洞窟は緩やかに下方へ向かっているようだった。案外広い。鍾乳洞のようだ。

 全員が降りてきたところでそれぞれ懐中電灯をつけて手に持った。レグルスを先頭に弦とテリー、マイケルとアンソニーの二列で進む。途中いくつか段差はあったが夜目のきくレグルスが対応してくれたので誰も落ちることはなかった。

 

「……」

「ユヅル、どうかしたのか?」

「灯り、消しても大丈夫かも」

「え?」

 懐中電灯を消す。他の三人もわからないままそれに倣った。全ての灯りが消えても洞窟内は闇には包まれない。

 

 眼前に広がったのは満点の星空だった。

 

「うそ、なんで?」

「壁に光る鉱物が混ざってるんだと思う」

「星みたいだな」

「ああ……あそこは運河みたいだ」

 天井だけではない地面も同様に光る石が混ざっている。まるで宇宙に飛び込んだかのような神秘的な光景で、弦たちは懐中電灯を消したまま先に進んだ。

 

 満点の星空を抜けても、その先に自然のつくりだす幻想的な光景は続いた。まるで大樹のような床と天井を繋ぐ石柱の森に、見渡す限り水を満たした千枚皿の広間、巨大なシャンデリアのような氷柱状の鍾乳石、風が削ったかのように滑らかな流華石の彫刻。奥に行けば行くほど、見たこともない光景を見ることができた。

 

 どんどん高度を下げていることはわかるが、どの変なのかはわからない。ふいにレグルスが立ち止った。確かめるように大気を嗅いだ後、別れた道の中から一つを選んだ。その先は鍾乳洞ではない。冷たく暗い岩壁が続く、秘密の部屋まで続くトンネルのような場所だった。

 

「今までの道はバジリスクの大きさなら通るのは十分だった」

「……ちなみにバジリスクってどれだけ大きかったの?」

「それは見てのお楽しみ」

 胴体は一部爆破されて四散してるけどな。

 時計を見れば午前九時。ここまで片道二時間か。疲労も考えれば帰りは多く見積もって三時間だろう。

 

「ちょっと休憩にしようか」

「賛成」

「さすがに疲れた」

「お茶でも入れる?」

「クッキーもあるよ」

「なんであるんだ」

「アンソニーもユヅルもどこでもお茶しようとするよな」

「魔法って便利だよね」

「学校だと自分で準備できるから楽しいよ」

 

 あっという間に出来上がった茶会(ティーパーティー)にマイケルとテリーは呆れ気味だ。それでもアンソニーは紅茶の準備の手を止めないし、弦もクッキーの缶を開ける手を止めない。

 

「とりあえずここまでで二時間。結構降りてきたはずだからもう少しだと思う」

「正午までにつくといいよね。解体作業がどれだけ時間かかるかわからないし」

「そこからまたこの道を戻るんだろ? 疲労も考えてだいたい1.5倍くらいかかるか」

「クディッチの練習が始まる前の準備運動にしてはハードだな」

 そういえばそろそろクディッチチームはシーズンに向けて張り切る頃合いか。

 

「二人は変わらずビーター?」

「そうだな。先輩方はそのつもりらしいぜ」

「シーカーの補欠は変わりそうだ。ほら一つ上のチョウ・チャン」

「ああ、あの先輩。そんなに上手いの?」

「まあ、速いな」

 

「俺としてはユヅルに出て欲しいんだけど」

「興味ない」

「言うと思った」

 スポーツをするより勉強がしたい。本が読みたい。その気持ちが顔に出ていたのか三人は笑った。

 

 

「そういえば、ユヅル。この前、デイビースに声をかけられていなかったか? ほら、六年のロジャー・デイビース」

「……ああ、あの人か」

「あの人、かなりナルシストだよな」

「だな。あとついでに自分の容姿にあう女を捜してる」

「二人とも、同じクディッチチームの先輩なんだよね?」

 

「プレーはセンスあるぞ。ただ性格がな……」

「チームプレーは上手い。他のメンバーが女子なら尚更」

「ああ、うん、なんとなく想像できるね」

「それでなんの話だったの?」

 

「次のホグズミードに一緒に行かないかっていうお誘い」

「……はぁあ!?」

 三人の声が洞窟に反響してぐわんぐわんと鼓膜をゆする。

 

「っ、何?」

 うるさいんだけど。耳を抑える弦にかまわず三人は身を乗り出した。

 

「おま、お前っ!」

「断ったんだろうな!?」

「あの先輩に何もされなかった!?」

「いや、とりあえず落ち着けば?」

 

 三人の口にクッキーをつっこんで塞ぐ。それを咀嚼し終わる頃に紅茶を渡し四人で同時に口を付けた。ふう、落ち着く。

 

「話は断ったよ。そもそも今年はホグズミードには行かない予定だったんだ。許可証にサインももらってない」

「え、ユヅル行かないのか?」

「行かない。気分じゃないから。あそこで買いたいものもないし、だいたいは梟通販で揃うから」

「ええ、俺この四人で行くって楽しみにしてたんだけど」

 テリーの不満そうな声に弦は「来学年以降よろしく」と返す。

 

「たとえ行ったとしてもあの人の話は断ったよ。ろく話したこともなかったし」

「それは正解だ。というかあの先輩は眼鏡をとったからユヅルに話しかけたんじゃないか?」

「……そういえば『どこに隠れていたんだい?』って言われたな」

「なんて返したの?」

 

「『もともといましたけど』」

「あははは!」

 行かない理由はなんとか流せたか。別に話してもよかったんだけど、気をつかわれるのもなあ。今年中には話そう。たぶん。

 

 

 

 

 

 探索はやはり順調だった。邪魔するようなものが少ないのがその理由だろう。バジリスクのあの巨体を通してきた道は余計な障害などない。

「あ、パイプ!」

 テリーがそう声をあげ、そこを照らしだす。確かにそこにはパイプがあった。

 

「この先が秘密の部屋かあ」

「ちょっとわくわくするな」

「スリザリンの銅像あったよ」

「お、うちの銅像と比べてみようぜ」

 談話室にあるレイブンクローの銅像とはまた一味違う雰囲気なのだが、まあそれは造った者の性格だろうな。

 

 パイプはほんの少しの上り傾斜があるくらいで、あとは曲がると言うこともなった。ただひたすらまっすぐだったのだ。

 いくつかのパイプと合流する地点へときて、そこからさらに奥に進むと目的の部屋に辿り着いた。相変わらず陰気な場所だ。

 

 対となっている柱が並ぶ薄暗い部屋。明かりが不十分だと杖を振っていくつかの光球をつくりだすと部屋の全貌がよく見えた。

 まず天井は高い。およそ三階分。薄暗いままだと見えなかったが、画が描かれていた。

 

「おい、これ……」

「ホグワーツの歴史……?」

「創世記か……?」

「…………ああ、なんだ」

 

 なんだ。あのサラザール・スリザリンも、ホグワーツを愛していたのか。

 

 別々の場所から来た四人が出会い、共に切磋琢磨して一つの城を築きあげる。次第に人は集まり、けれども思想の違いから反発しあい、最後はサラザール・スリザリンとゴドリック・グリフィンドールの決闘となった。木はなぎ倒され、地面は抉れ、水は吹き飛び、炎が揺らめくその決闘はグリフィンドールの勝利となり、スリザリンはこの部屋にバジリスクを残して学校を去る。約千年前の物語。

 

「あそこ。二人が杖を重ねてる。『断琴の交わり』の情景じゃないかな」

 アンソニーが指さした場所を見れば、確かに男二人が杖を重ねている。日本で言う武士が刀の峰を打ち鳴らす金打(きんちょう)と同じようなものか。あれは堅い約束をするときにするものだが。

 

「というか、なんでそこまでして決闘? グリフィンドールとスリザリンって最初っから仲悪そうだけど」

「いや、そうでもないよ。マグルへの差別意識がなかったのはヘルガ・ハッフルパフだけだって言われてる。あの当時は魔女狩りもあっただろうし、マグルに対して良くない感情を持っていたはずだ」

 ただ純血至上主義か、そうでなかったかの違いだけだ。

 

「仲のいい人間が、一度ひどく仲違いすると関係修復には時間がかかる。信頼している相手ほど特に。可愛さ余って憎さ百倍って言われるぐらいだからな」

「そうか……何も最初から、仲が悪かったわけじゃないんだな」

「思想の違いはしょうがないよなあ。ただそれを他人に押し付けるのはやっぱ違うし」

 

「それだけわかってれば十分だよ。さて、バジリスクの状態を確認する」

「あ、目的忘れてた」

 光球をバジリスクの周囲に集める。その遺骸は朽ちている様子はなかった。

 

「うわ……うわあ……」

「でかい。え、こんなでかいのと戦ったのか?」

「おい。バジリスクと部屋の一部が抉られてるんだが」

 

 上手く言葉の出ないアンソニーに、バジリスクの大きさを目の当たりにして驚くテリー、そして冷静に部屋の様子とバジリスクの意外を観察して疑問を口にするマイケル。その三人の様子に弦は解体準備をしながら丁寧に答えた。

 

「戦ったのはハリーとダンブルドアのペットの不死鳥と私の守護霊の虎だ。トドメをさしたのはハリーだって言っただろう。私はその間、日記のトム・リドルとやりあってた」

「なんでそれで抉れるんだ!」

「爆破しちゃった」

 軽く言ってみたのが悪かったのか。三人がドン引きしている。

 

「なんだ。爆破は有効な攻撃手段だぞ。魔法薬を合成するだけで起こるし。ああ、でも去年は魔法薬と呪文を合わせて爆破したんだっけ。私の爆破呪文はまだ威力が弱いからなあ……」

 せいぜい威嚇ぐらいしか使えない。

 

「いや、もう、ほんと……俺、お前が戦ってるところは見たくないわ」

「巻き込まれて爆死とか嫌だな……」

「……ユヅル。お前の持ってる薬の中で混ぜれば爆発するのはいくつだ?」

「ばっ、聞くなよ!」

 

「半分」

「そして答えるな! しかも半分!? お前、いくつ薬持ってると思ってんの!?」

 テリーが頭を抱えて「やだもうこの子! 人間凶器!」とうずくまった。

 

「なんで。試作品をもったいないから有効活用してるだけなのに」

「その有効活用が爆破か……」

「それだけ聞くとユヅルってば爆弾魔みたいだね」

「……そもそも私は戦闘向きじゃないんだ。本業は薬師なんだから」

「俺たちの常識の薬師とユヅルがあまりにも違いすぎるんだよ!」

 マイケルの渾身の叫びにアンソニーもテリーも頷いている。それにはさすがにむっとして、弦も言い返した。

 

「そもそも私の代わりに前衛に出る人間がいなかったから私が戦ったんだ。私以外に適役がいたらサポートに回る」

「サポート? そう言って火炎瓶的な何か(それよりもはるかに凶悪)を投げるんだろう!」

「というか普通、サポート役は前衛で戦えるほど強くないからね!?」

「私の国では私より強い人間なんてごろごろいる!」

「お前の国なんなの!?」

 

 最終的に四人は肩で息をきる状態だった。ぜいぜいと荒い息遣いだけが部屋に響き、それを整えた頃に弦は時計を見た。昼には少し早いが、もうこのさいお昼にしてしまおう。

 

「昼食にしよう」

「ここで? まあ、いいけど」

「解体はいいの?」

「解体を見たあとで食欲がわくならやるけど」

「昼食にしよう」

 

 光球がなくならないよう順番に補充しつつ、早起きして厨房でつくった弁当を広げた。和食である。

「解体にはどれくらい時間がかかりそうだ?」

「……多く見積もって二時間かな」

「ここまでくるのに片道四時間ちょっとだから、夕食に間に合うぎりぎりってとこかな」

「間に合わなかった厨房行こうぜ」

 

 昼食を食べ終わって、解体用の手袋をつける。どんな劇薬でも解けないすぐれものだ。ただしその耐久力は消費期限があるので注意。解体ナイフも同様に。回収するのは血と内臓の一部と骨と牙、そして鱗だから、消費期限期間が一年のこの二つのアイテムは十分にもつだろう。

 

 解毒作用のある薬を全員で服用し、なおかつ口と鼻を布で覆う。この布には解毒薬が染み込ませてあった。至近距離で解体する弦だけゴーグルをかけ、さらに服の上からつなぎを着こむ。準備は万端だ。

「それじゃあ、明かりを切らさないようにお願い」

「了解」

「レグは周囲の警戒ね」

「ワン」

 さて、やりますか。

 

 

 

 

 

 血液をできるだけ瓶につめてその都度、劣化防止札を張っていく。内臓もおなじ処理をした(毒袋が回収できたことには思わずガッツポーズを決めてしまった)。鱗は傷がつかないよう丁寧に剥がし、牙は全て抜く。

「ふう……」

「終わったか?」

「いや、まだ骨が残ってる」

 

 肉は使い道がないので回収しない。だが肉が邪魔で骨がとれないのだ。そこで使うのが用意していた御札だ。

「それは?」

「劣化を促進させる札だよ。こういう大型生物の解体のさいに使われるものなんだ。ほとんどの生物の肉は食用になっても薬用にはならないから。骨とかのほうがまだ使い道があって、それを取り出すために肉を排除する。そのときに使われるのがこれ。要は遺骸の時間だけを早めて肉を腐らせて骨だけにする札」

 

 人間に使えば言わずもがな、骸骨の出来上がりである。

「そ、それ、かなり危険なしろものなんじゃ……」

「そうだね。解体以外で使われるのは禁止されてるし。作るのもすごく難しい札なんだ。これは私の家に残ってたもの。祖母が作り貯めていたやつからもらってきた」

「つまりお前の家にはそういう品物がごろごろあると?」

 

「万一にも盗まれちゃいけないから厳重に保管してる。私もこういうの作れないとやっていけないから夏休みはひたすら修行だね」

「ユヅルも大変そうだな」

「まあまあかな。楽しいことも多いし」

 

 札をバジリスクの額に張りつけ素早く離れる。蒸気をあげて遺骸は腐っていった。杖を振って腐敗臭を集めて瓶に閉じ込める。蓋の上から密閉するために札を張れば臭いは外に漏れない。

 部屋に残されたのは大きな骨だけだ。

 

「……刺激臭爆弾」

 腐敗臭のつまった瓶を見つめてぽつりと零した弦の後頭部をマイケルがはたいた。

「止めろ」

「何でも武器にするの止めようぜ」

「しかも刺激臭って地味にキツイよ」

「んー」

 

 それでもいそいそと鞄にしまいこむ弦に三人は諦めたような遠い目をしていた。されている本人はまったく気付いていないし、気付いたとしても意にも介さないだろう。

 あとは骨だけなので三人も手伝ってくれるという。手袋をしっかりしていることを確認し、弦はナイフで大きすぎるものを切り刻んでいく。

 

「そのナイフの切れ味おかしくない!?」

「おかしくない。だって解体用のものだから。頑丈な骨も切断できる優れもの」

「やっぱお前の国っていろいろおかしいって……」

「僕はもう常識に当てはめることを諦める」

 解体作業は思ったよりも早く終わった。時刻は午後二時。上々だ。

 

 バジリスクの遺骸が無くなった部屋はとても広く感じる。所々が破壊されているのはしょうがない。あれは死闘だったのだ。

 最後にサラザール・スリザリンの銅像に黙祷を捧げ(これ本当に本人かと首を傾げていた三人を黙殺)、足早に秘密の部屋を去った。

 

 帰りでもやはり途中で休憩をいれる、かと思えば全員一致でさっさと地上に帰ろうということになった。普段は高い所で寝起きしているからか、穴倉生活には向かないようだ。

 パイプ、洞窟、鍾乳洞すべてを抜けてようやく戻ってきた時、空は夕暮れに染まっていた。

 

「腹減ったー!」

「もう広間に行ってようよ」

「そうだな。ユヅルもいいだろう?」

「うん。鞄の中身さえ見られなければ」

「それ見られたら俺ら全員謹慎じゃ済まないな」

 

「俺、退学になったらいっそのことユヅルの国に行こうかな。楽しそう」

「あ、いいかも」

「いいんじゃない。こっちよりは色々自由だよ」

「それはいいな」

 協会に個人登録してしまえば伝手もできる。個々の特性にあった仕事も山ほどあるし。

 

 広間に行って夕食をとり、寮に戻って回収したものが詰まった鞄をトランクに投げ入れる。シャワー浴びてベッドに入れば泥のように眠ってしまった。

 

 

 

 

 



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第七章

 

 

 

 十月に入ればクディッチの練習が本格的になった。テリーとマイケルはクディッチの競技場に行く回数が増え始め、その日の休日も二人は競技場で練習していた。そこへ差し入れということでアンソニーが弦を引きずって現れたのだ。

 

 二人はアンソニーと弦が用意した特性のスポーツドリンクと檸檬のはちみつ漬けをチーム全員に差し入れた。レシピはすべて弦考案である。

「うまー」

「ああ、身に染みる」

 

 レイブンクローのうりは編隊飛行だ。緻密な連携が強さの基盤で、夏季休暇の間にずれた息をあわようとなかなかにスパルタらしい。

「二人ともどう? うまくブラッジャーを操れてる?」

「んー、勘を取り戻すのにもうちょっとかかりそうだな」

 

「……ねえ」

「どうかしたか?」

「ブラッジャーって棍棒で打ったらそのまま真っ直ぐ飛ぶの?」

「力加減によるが、大体はそうだな」

「それがどうかしたのか?」

 

「ならお互いに打ち合うっていうのはルール違反か?」

「んん?」

「いや、だからさ」

 

 打ってまっすぐ飛ぶのなら、それをもう片方のビーターのほうへ打って、ブラッジャーを打ちあってコントロールすればいいのではないかと弦は言った。彼女が思浮かべたのはテニスである。いや、イギリス伝統競技じゃん、あれ。

 

「できるのか、それ」

「そもそも思いつかなかったからなあ。マイケル、おもしろそうだからやってみようぜ」

「……味方の打ったブラッジャーで負傷とか嫌だからな僕は」

 

 とりあえず言い出しっぺは弦だからと参加することになり、アンソニーもついでにと引っ張り込まれた。久しぶりの箒だ。感覚に十分なほど慣れてから、全員が棍棒を持ってとりあえずブラッジャーひとつだけでやってみる。

 

「そぉら!」

 向かって来たブラッジャーをテリーがマイケルの方に叩く。それをマイケルが打ち返した。テリーより右へずれているが、テリーがすぐさま追いついて打ち返す。

 

「おー、上手くいってるね」

「実際はもう一つブラッジャーがあるし、なにより選手が飛びまわってるからブラッジャーだけに気をとられているわけにはいかないみたいだけど」

「うん、でもいいと思うよ。奇策は相手の動揺を誘うし、何よりマイケルもテリーも楽しそうだ」

 

「……楽しそうって言うか、あれは素手で殴り合ってるのと変わらないだろう」

 笑っているが手に力がこもっている。あの二人のああいうところはいつまでたっても変わらなそうだ。

「ユヅル、パス!」

「うわ、こっち来た」

 

 マイケルから来たブラッジャーをテリーに返す。「巻き込まれた」と呟く弦にアンソニーはくすくすと笑っているが、そのアンソニーに向けてテリーはブラッジャーを打つ。

 

「なに一人で笑ってるんだよ!」

「そうだぞ!」

「僕関係なくない!?」

「高見の見物している人ほど引きずり下ろしたくなりたくなるよね」

 見下ろすのはいいけど見下げられるのは嫌だ。

 

「いろいろと理不尽だね!?」

 慌てつつもしっかり打ち返すところが彼らしい。この中で大人しくされるがままなんてことはないし。

 

 回数を重ねればブラッジャーが自ら機動を変える前に叩いてしまえるようになった。そうして遊んでいるとどこからかクアッフルが飛んでくる。どうやら練習を再開した先輩達のほうからのようだ。それがテリーの意識をほんの数秒奪った。それによって迫るブラッジャーに対する反応が遅れる。

 

「テリー!」

「うぉっ!?」

 間一髪、テリーは顔面に迫ったブラッジャーを叩き落とすことに成功したが、その方向がまずかった。シーカーの練習をしていた補欠選手チョウ・チャンのほうへいってしまったのだ。

 

「危ない!」

 アンソニーが注意を投げつけるが、チャンが動いてからでは遅すぎる。弦は迷わず箒の先を下に向けて急降下した。

「ユヅル!?」

 なるべく身体を箒と平行にして空気抵抗を少なくする。追いつけない。この箒は学校の予備備品だからそこまで性能はよくない。

 

 箒を蹴って自分だけ加速。ブラッジャーに追いついて横から叩きとばした。そのまま先回りしていた箒をしっかり掴み態勢を整える。

 自分でやってよく命があったものだと思った。

 

「ユヅル!」

「大丈夫、無事だ」

 弦が「心配かけて悪かった」と言えばアンソニーは「無事ならいいよ」と笑った。マイケルとテリーはブラッジャーをあしらいながら寄ってくる。

 

「まったく。ひやひやさせる」

「フォローありがとな」

 マイケルの呆れ顔とテリーの苦笑に弦は頷いて返した。テリーはチャンに謝りに行き、弦とアンソニーは観客に戻る。ブラッジャーを使った打ち合い作戦は取り入れられることになったそうだ。凶悪な作戦だとテリーもマイケルも笑っていた。

 

 

 

 

 

 クディッチ選手に勧誘されること以外はおおむねいつも通りに日々は進んだ。薬草学ではピンクの鞘のなかから艶々の花咲か豆の収穫をしたし、防衛術はまね妖怪に続き赤帽鬼(レッド・キャップ)をやった。

 

 赤帽鬼。イギリスのイングランドやスコットランドの伝承で、国境地帯に多く伝わっている。長く薄気味悪い髪に燃えるような赤目、突き出た歯と鋭い鉤爪を持った醜悪で背の低い老人の姿をしている。赤い帽子をかぶり、鉄製の長靴を履き、そして杖を持っているそうだ。

 

 その性格はひどく残忍で、獲物としている斧で人間を襲い惨殺すると言う。その人間の血で帽子は赤く染まっているのだ。それが名前の由来だろう。弱点は十字架。捕まった時に聖書の文句を言えばいなくなるとも言われている。

 

 彼らは人が殺された場所に住み着く。主に廃墟。国境付近に伝わっているのは、国境は絶えず戦争のあった場所だからだ。

 邪悪な妖精と言われているが鉄製の靴を履いている時点で妖精ではない。ゴブリンやオーガなどの類いだろう。言うならば悪鬼か。

 

 ちなみに加虐性の強い妖精や悪鬼のことを「アンシーリー・コート(Unseelie Court)」という。逆に慈愛溢れる聖なる妖精や天使のことを「祝福された者」という意味の「シーリー・コート(Seelie Court)」というそうだ。

 

 どの授業も弦にとってはさしたる問題ではなく、課題だって難なくこなせる程度の量だ。おおむね順調だった。

 そして十月三十一日がきた。ハロウィーンの朝。いつも通りに起きてテリーたちと朝食へ行く。今日はホグズミードへ行ける日だからか、ハロウィーンであるということ以上に生徒達は笑顔を絶やさないでいた。

 

「ユヅル、お土産何が言い?」

「私が食べれるお菓子」

「了解」

「ついでにインクも買ってきてやるよ。変わったヤツ」

「羊皮紙もおもしろいのを捜してくる」

「頼むから悪戯グッズだけは止めてくれ」

 

 玄関先でマクゴナガルとフィルチが許可証と名簿を確認している。ロンとハーマイオニーの二人も確認されていた。しかしハリーがいない。そういえばもらえなかったと言っていた。もらえていたとしてもブラックがうろついているならすんなり許可が下りたかどうかは謎だが。

 ハリーはどこかと周りを見回し見つけた。ロンとハーマイオニーの見送りか端の方に立っている。

 

「今日はハリーと一緒にいる」

「わかった」

 テリーたちと別れ、ハリーのもとへ向かう。

「居残りか、ポッター?」

 マルフォイが厭味ったらしくそう言うのが聞こえ、弦はまたかとため息をついた。また彼が何かを言うまえにハリーに声をかける。

 

「ハリー。私も行かないんだ。せっかくだし一緒に過ごそう」

「ユヅル! え、本当に?」

「ああ」

 ちらりとマルフォイをみれば目が合った途端そそくさと言ってしまう。根性無しめ。

「でも、どうして?」

「サインをもらってないんだ」

 大理石の階段を上りながらそう答えた。

 

「叔父さんからもらえなかったの?」

「いいや、頼んでない。今年はホグズミードには行かないつもりだ」

「ええっ、どうして?」

 心底信じられないと言う顔をするハリーに弦は笑った。そんなに衝撃的だろうか。

 

「私の母、今年の夏に亡くなったんだ」

「え……」

 ハリーの表情から感情がごちゃまぜになっていることがうかがい知れる。

 

「喪に伏すってわけじゃないけど、母もこのホグワーツにいたし、ホグズミードに行って母のことを思い出して暗くなるよりかは城に残った方がいいと思った。行くなら母のことを気にせず楽しめるようになってからの方がずっといい」

 だがそれにはもう少し時間がかかる。だから今年は行かない。

 

「ユヅル。その……」

「気にするな。それより何をする? そのへんぶらぶらするか?」

「……うん、そうだね。少し散歩しよう」

 歩く中で、ハリーからハーマイオニーとロンが最近喧嘩することが多いと聞いた。

 

「ハーマイオニーのペットのクルックシャンクスが、ロンのスキャバーズを追うんだ。しつこく何度も」

「だが猫の習性だろう」

「うん。でもロンはずっと怒ってる。なんだかんだでスキャバーズのこと大切にしてるみたいだから」

「……スキャバーズがぐったりしてるなら、連れ歩かないでいたほうがいいだろう。これから寒くなるし、一か所に留めてしっかり休ませてやったほうがいい。籠に猫避けの呪文をかけてその中で療養させたらどうだ?」

 

「猫避けの呪文! そっか、そうだね。言ってみる」

「そうしてやれ。動物の本能は人間が言ってもどうこうなるもんじゃないからなぁ。クルックシャンクスに言い聞かせることも大切だけど、スキャバーズがしっかり休める環境を作ることも飼い主の役目だ。にしても、随分長生きなんだろう? ぐったりしてるのは寿命もあるんじゃないか?」

 

「ああ、だよね。もう何歳なんだろう、スキャバーズ」

「魔法生物のネズミだったとしてもかなりの長生きのはずだ。ロンもそろそろ覚悟を決めないといけないかもな」

 

 そこまで話したところで少しの沈黙が続いた。どちらが話すと言うわけでもなく、ただ廊下を進む。そしてとある部屋からルーピンが顔をだし、二人の存在に気が付いた。

「やあ、ハリー。ユヅル。何をしているんだい?」

「ルーピン先生」

 ルーピンの部屋の近くだったのか。

 

「珍しい組み合わせだね」

 その言葉に顔を見合わせる。そうだろうか。

「先生。ユヅルはロンやハーマイオニーと同じくらい、僕の親友なんです。寮は違うけど。いっつも助けてくれます」

「そうだったのか。寮を超えた友情とは素晴らしい。二人とも、少し私のところに寄って行かないか? ちょうど次の授業ようにグリンデローが届いたところだ」

 

 グリンデローという言葉に聞き覚えがないのか、ハリーが首を傾げた。

「何ですって?」

「グリンデロー。水魔だよ」

 弦はそう言いつつお言葉に甘えて部屋に入る。ハリーも慌てて追って来た。

 

 部屋の隅に置いてある大きな水槽の中にそいつはいた。藻の影に見えたのは薄い緑色の身体を持つ水魔だ。小さな歯と角、そして細長い手足を持っている。

「これがグリンデロー?」

「そう。藻が繁茂する湖の底に住んでるんだと。ホグワーツの湖にもいる魔法生物だな。子供を水の中に引きずり込んで捕食する」

 

「えっ」

「掴まれた指をいかに解いて脱出するかが鍵だな。異常に長くて強いけど、脆いみたいだ」

「正解。ユヅルはさすがだね。これはそこまで難しくないよ。河童の後だし」

 ルーピンはそう言って笑った。

 

 水魔(グリンデロー)はイギリス北部のペグ・バウラーに近い妖怪だ。伝承や民話に登場する。河童にも近いと言われるがそれは日本出身の弦にとっては嘘である。

 

「こっちの人の河童の認識はどうなってるんだ……」

「ユヅル。どうかしたの?」

「いいや、別に。ただこっちの河童についての記述は嘘ばかりだなって」

「えっ!?」

 さすがのルーピンも驚いたようだ。

 

「そうなの?」

「私も聞きたいな。詳しく話してもらっていいかい?」

「かまいませんよ」

 ルーピンは紅茶を出してくれたので、弦は鞄の中から茶うけになりそうなものを出した。厨房で作った大学芋である。秋の味覚、薩摩芋の定番お八つだ。ハリーもルーピンも気に入ってくれた。特にルーピンは甘いものが大好物だそうだ。

 

「私の国では河童って鬼や天狗と並んで有名なんですよ」

 別名「河太郎」。他にもいろんな呼び方がある。そして彼らの存在にはいくつかの説があった。

「国の西側では中国から渡ってきた妖怪という説が、東側ではもともと国にいた妖怪と言う説があります。真偽はわかりませんが。ただ河童は水の神として崇められている部分もあるんです」

 河童は水神の依代、はたまた仮の姿と言われているくらいだ。神社や墓も存在する。

 

「体格は子供くらいで、色は緑か赤です。頭頂部には皿がのってきて、これは乾いたり割れたりすると力が失われて最悪の場合で死に至ります。口には短いくちばしが合って、背中には亀のような甲羅、手足には水かきがついています。外見的な特徴は教科書に載ってるので間違いないです。ちなみに河童の両腕は甲羅の中で一本の紐のように繋がっていて、片方を引っ張るともう片方も引っ張られて抜けることもあるそうです」

 

「そうなの!?」

「うん。私は見たことないけど、河童たちが笑って話してたの聞いた」

 ルーピン先生、紅茶いれるの上手いな。

 

「……ねえ、ユヅル」

「なに」

「今の話だと、君が河童と会って、なおかつ言葉がわかることになるんだけど」

「会ったし、言葉わかるよ。彼ら、人間の言葉を話すから」

 そりゃ鳴き声で鳴かれたらさっぱりだが日本語を話してくれるのでわかるのだ。

 

「日本の妖怪の多くは人語を介せます。だから理性的に話すことも可能です。河童はどちらかというと義理堅い種族なので話は通じやすいですね」

 むやみやたらと人を襲うことない。ちょっと悪戯好きなだけだ。悪意はこれっぽっちも持っていないらしい。

 

 そこで扉がノックされた。ルーピンが返事をすれば扉が開く。入ってきたのはスネイプだ。彼を見てハリーは「げっ」という顔をした。

「ああ、セブルス。どうもありがとう。このデスクに置いていってくれないか」

 スネイプが持っていたのは煙をあげるゴブレッドだ。魔法薬の臭いが部屋に広がる。それを嗅いで、弦はちらりとゴブレッドを見た。ふむ、なるほど。

 

 スネイプはそそくさと行ってしまい、ルーピンも気にした様子はない。ただ魔法薬に砂糖はどうかと思います。いくら甘党だからって良薬は口に苦い物なんだから。

 ルーピンは最近調子が悪いらしい。けれども利く薬はただ一つ。そしてその薬をつくれるのはスネイプほど優秀でなければならないらしい。残念ながら服用者であるルーピンは魔法薬が大の苦手なのだそうだ。

 先生にも仕事があるだろうからと弦はハリーと共に退室した。

 

 薬を渡しに来たスネイプも、少しだけ薬のことについて話したルーピンも悪いわけじゃない。ただそこに弦が居合わせたことは主にルーピンにとっては不幸な事だろう。病気について言葉を濁していたのだからなおさら。

 

 弦が臭いだけで薬の判別がつく少女でなければ、きっと気付かなかった。幼いころから薬草を育て、薬に親しんできた彼女だからこそ持つ一種の才能。積み重ねた努力の証。魔法薬の臭いを嗅いで、弦はそれがどんな薬であるかを見抜いてしまった。

 

 まあ、言いふらすようなことはしないけれども。

 

 

 

 

 

 夕方になってテリーたちが戻ってきた。悪戯グッズは買っていないが、それでも魔法界らしい商品ばかりだ。文字が躍る便箋に、色が変わっていくインク。紙の上に置いたときだけ重くなる文鎮。花の香りがする青紫色の封蝋用の蝋。思い浮かべた模様をそのまま刻み込んでくれる印璽(ただし一回使うと模様はそれで固定される)。きらきらと光の入る角度によって色の変わるガラスのペン。

 

 よく手紙を書いているのを見てこれだけのものを集めてくれたのだろう。うん、いいね。

「ありがとう」

「ユヅル、今年は結構手紙書いてるからさ」

「まあ便箋とインクはジョークグッズだけど」

「封蝋と印璽とペンはいいだろう?」

「ふふ、そうだね。便箋とインクは叔父家族にでも使うよ」

 

 さて広間に行こうかとなったところで、弦は声をかけられた。見ればノットが立っている。テリーたちは怪訝な顔を隠しもせず、弦はただその真意を見定めるために黙ったまま。そんな四人の目の前、正確に言えば弦の目の前で膝をついた。まるで騎士のように。

 

「特急で助けてもらったのに、しっかりと礼が言えなかった。すまない。そしてありがとう。あのとき、俺は君に救われた」

 すっと差し出されたのは正方形の箱だった。綺麗に包装され青紫のリボンで飾り付けられている。その色は弦と、そして目の前の少年の目と同じ色だ。

「確かに命を助けられた。君には俺を従える権利がある」

 

 俺の忠誠を君に捧げよう。

 

 すっと胸に手をあてて頭を垂れたノット。すごく様になっている。様になってはいるが、されている方はたまったもんじゃない。

 弦の表情が死んでいることに気が付いたのか、テリーがノットの頭を叩いた。マイケルが彼を立たせ、アンソニーが弦の肩を抱いて広間の方へ押し出す。

 

「ユヅル。とにかくちょっと座ろうか。そんなこの世の終わりみたいな顔しなくていいから」

「おいノット。うちの主席の頭をパーンさせるんじゃねーよ」

「そうだぞ。ショックのあまり引きこもったらどうするんだ。引きこもったら二度と出てこないぞ、あいつは」

「何かおかしなことを言ったか?」

「駄目だこいつ天然だ!」

「……ちょっとお前もこい。落ち着いて話せばわかる。きっと」

 

 レイブンクローのテーブルに座った途端、鞄の中から調剤道具を取り出して無心に何かをすりつぶし始める弦。ただただ無表情でゴリゴリとしている。そしてそれにいくつか加えると、水と何かの薬草が入った瓶の中に粉をいれて蓋をし振る。しっかり混ざったことを確認したら、蓋を取り換えた。いくつか穴があいているものだ。その上から薄手の布をかぶせて紐で縛る。

 

 ほわんと心地の良い臭いが弦たちを包み込んだ。嗅いでいるだけでリラックスできる香りだ。

「ユヅル、これは?」

「……鎮静作用のある薬草に、リラックス作用のある木の実と臭いのバランスをとってくれる花を乾燥させたものを混ぜた。中にそのままいれた植物は水を浄化し続けてくれる水草だから汚れとかを取り除いて効果期間を伸ばしてくれる。即席リラックスフレグランス」

 状況を受け止める前に自分の心を落ち着けさせた弦は道具を片付け、ちゃっかり隣に座っているノットを見る。

 

「それで、あなたは何がしたいの?」

「ユヅルの傍にいたい」

「……」

「ユヅルが黙るのって珍しいよね」

「あれは黙るだろう」

「おい、ユヅル。しっかりしろ」

 ノットの言葉に嘘はないのだろう。目に揺らぎはない。

 

「さっき行ってた忠誠っていうのはいらない」

「なら友達で」

「切り替え早っ!」

「最初からそう言えばいいだろう……」

「無理難題を押し付ければ次の条件は受け入れやすいかと思って」

「うわあ……こういうところスリザリン生って感じだね」

 一気に脱力した様子の弦たちにノットは首を傾げた。そんな彼にテリーが言う。

 

「というか、お前いいのか? 俺らと一緒に居ても」

 ノットといえば純血一家。しかも「聖28一族」に連なる家だ。マイケルやアンソニーはまだしも、テリーは半純血だし、弦にいたってはマグルーマル扱いされている。

「かまわない。俺は純血主義じゃないし」

「そうなの?」

「口だけならなんとでも言えるだろ」

 マイケル手厳しいな。しかしノットは別段気にした様子はなかった。

 

「優秀な奴は優秀だし、そうでない奴はそうでない。個人の資質に純血だからとかマグルーマルだからとか関係ないだろう。現に生粋のマグルーマルであるグレンジャーは優秀だ」

 あまりにもスリザリンでは奇特な考えにマイケルたちは驚いているが、弦はそうでもなかった。弦にとってスリザリンの考えこそ嫌悪するべきものであって、ノットの考えは当たり前だと思っていることだ。

 

「俺は思想や歴史を学ぶのは好きだけど差別が好きなわけじゃない。認めるべきところを認めておかないと愚かな人間になるから」

「……」

「だから俺はユヅルの傍にいたい。君は賢いし強いし、何よりその考え方が素晴らしい」

 

「……純粋に友情目的、か?」

「……天然の考えることは恐ろしいな」

「……ユヅルってこういう人達ホイホイ釣り上げそうだよね」

「同感」

 声を揃えるな。

 

「まあ、友達なら……」

「! そうか……よかった」

 ぎゅっと両手を握って微笑するノットは是非ともセオドールと呼んでくれというのでそう呼ぶことにした。あと「ユヅルの友達ならそう呼んでくれてかまわない」と言ったのでテリーたちも名前を呼び合う関係になった。

 

 繋がれた手はテリーが解放し、セオドールはハロウィーンの宴が終わるまで弦の隣にいた。スリザリンでも彼はかなり特殊な立ち位置のようで、スリザリン生は視線を向けてくるものの連れ戻そうとしている者はいなかった。あのマルフォイでさえも。

 スキンシップ過多なのがたまに傷だが、悪い少年ではない。

 

「そういえば」

「?」

「ユヅルと俺は従姉弟関係になるんだけど、知ってた?」

「……はあっ!?」

 衝撃な事実をさらりと落とされ、見事に弦たちは振り回されるのだった。

 

 

 

 

 



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第八章

 

 

 

 

 セオドールの話だと、彼の母親はアクロイド家の人間なのだそうだ。しかも本家。弦の母であるレティシャ、叔父のコンラッド、そしてセオドールの母であるカレン。

 闇の全盛期、アクロイド家はやはり中立を貫いていた。しかし闇に傾倒していた純血一家たちはそれを許さず、血を絶やさないためにという名目でいくつかの縁談をアクロイド家に持ちかけた。政略結婚である。

 

 しかし長女で嫡子のレティシャはそもそも他人に興味がない。そしてその縁談話が舞い込んできた時期はイギリスにはいなかった。各地を回っていたのだ。両親もあの子を嫁に行かせられないとばかりに彼女に来る縁談はことごとく断った。いわく「あの子を本当に制御できるのか」と脅して。

 

「……」

 自分の母親がいかに問題のある女性かということを聞かされて弦はテーブルに撃沈した。

 

「長男のコンラッド伯父さんは家督を継がなければならない。普通ならそのまま縁談を結ぶのがいいんだろうけど、勢力中枢の家と婚姻を結ぼうものなら夫であると言うことで巻き込まれる。だからイギリス国内の純血の家ではなくフランスの血筋を選んでそちらに移ったと聞いている。問題は俺の母だ」

 

 三番目のカレンはコンラッドがフランスに移ることを許す代わりに寄越せと言われた。もちろん先代当主夫妻とコンラッドは激怒したが、当のカレンが了承したそうだ。

 

「俺の母は、なんというか、とても強かな女性なんだ。ノット家に嫁いできたその日に『自分はアクロイド家の一人として中立を誇りといたします』と宣言したそうだ。夫として俺の父を慕いはするが、闇の勢力に加担するのは別の問題だと。屋敷に閉じこもって一切外出しなかったそうだ」

 

 そしてセオドールが生まれた年に闇の帝王は倒れた。ノット家当主は家名存続のために奔走し、カレンとセオドールは屋敷で二人きり。屋敷僕妖精たちは主人一家には逆らえない。

 カレンの「セオドール育成計画~純血主義に染めてあげない~」が始まったのは仕方のないことだったのかもしれない。

 

「父が奔走する必要がなくなったときにはもう遅かったらしい。俺はすっかり母の考え方に染まっていたから。父は母と俺のことは現状、割と諦めている」

「……アクロイド家の女はとても強いんだと叔父が遠い目をしていた理由がよくわかった」

 

 カレン・ノット。すごい女性だ。そのおかげでセオドールはわりと自由に過ごせているらしい。純血主義ではないのにスリザリンの中では名家だからと優遇されているし、そもそも性格が一匹狼気質で自由なため遠巻きにされている。

 

「それでもやっぱりアクロイド家と母が交流を持つことは許されなくて、俺は一度も従姉弟と会ったことがなかった。母は甥と姪がいることを秘密裏に届いた手紙で知っていたそうだから、いつも話に聞かされていたんだ」

 

「ユヅルがその従姉だって気付かなかったのか?」

「今年までは半信半疑だった。顔があの分厚い眼鏡で隠れていたし。列車で見て気付いたんだ。ユヅルの顔は母が持っていた写真のレティシャ伯母さんにそっくりだったし、その右目の色はアクロイド家の血筋の色だから」

 

 だから弦とこうして話が出来て嬉しいのだとセオドールははにかんだ。その頭をなんとなくよしよしと撫で、弦は言う。

「もう一人の従兄のシアンもきっと喜ぶ。私達より三つ年上なんだ」

「そっか。楽しみだな」

 ぎゅっと抱き着いてきたセオドールはやはりテリーが引きはがし、宴が終盤となるころにはすっかり五人は打ち解けていた。セオドールはやはりちょっと天然だ。振り回される。

 

 テリーが「懐いたな」と言ったので弦は無言で肩をすくめた。ちょっと弟が出来た気分になったのは秘密だ。

 賑やかなまま宴会は終わった。しかし宴が終わって満足した気分の生徒達を襲ったのは、シリウス・ブラックが城の中に侵入したと言う恐怖だった。

 

 ブラックはグリフィンドールの寮に侵入しようとしたらしい。入り口の門番である太った婦人が目撃し、さらに彼女の絵が傷つけられた。別の絵で発見された彼女はすっかりおびえ、次の日からグリフィンドールの門番は占い学の教室がある北の塔にあったカドガン卿となる。

 

 それぞれの寮に帰り始めていた生徒は広間に再度集められた。一人ひとりに寝袋が与えられ、その一夜はそこで過ごせと言う。教師陣はブラック捜索のために散り散りとなり、ゴーストや絵画たちもそれに協力すると言う。広間の入口を見張るため監督生たちが交代で門番となった。今年の首席はその指揮をとっている。消灯時間が近いと監督生が注意を叫べば、生徒達はさまざまな憶測をひそひそと話すために身を寄せ合った。

 

「ユヅル、どう思う?」

 パドマとリサが手をとりあって眠る横で天井の星空を見つめていたユヅルにテリーがこそこそと問いかけた。二人と頭を向い合せて寝転がっていたマイケルやアンソニーもずりずりと頭を寄せてくる。

 

「ブラックはきっと抜け道をしっていたはずだ。誰も知らない、それこそ生徒達の間で細々と受け継がれるような秘密の抜け道。この城は古いからあながち間違いじゃないだろう。ただ疑問なのは、どうして今日なのかということだ。狙ってやったのか、たまたまそうなったのか……」

 

「たまたまだったら不運だな。宴会があるから生徒は広間に留まっている。ポッターもそうだ。戻るときは生徒が一塊になって動いていたから目撃者も多くなってしまう」

 マイケルの言葉に弦も頷いた。

 

「うん。私もそうであれば不運で片づけられた。ただもし、この日を狙っていたのだとしたら……」

「どういうこと?」

「ブラックは卒業生だからハロウィーンの夜の宴会を知っていて、そこを狙ったってことか?」

「……もし、そうだったら。ブラックが狙っているのはハリーの命じゃないかもしれない」

 

 もっと別のものを彼は狙っているのかもしれない。それこそ、誰にも考えられないような、彼にとっては重要な物を。

「そうだとしたらこちらからブラックの足取りを掴むのはほぼ不可能だろう。目的がわからないんじゃ対処のしようもない」

 

 夜は更けていく。明かりが消され暗くなった広間には一時間ごとに教師が出入りした。スネイプがダンブルドアに誰かが手引きしていると疑うようなことを言っていたが、ダンブルドアは教師全員を信じていると言う。

 

 吸魂鬼は入れないこのホグワーツだったら、見つからなければ外よりも安全だろう。ブラックはどこに潜伏しているのか。変そうするにしても姿を隠すにしても魔法だと限界があるはずだ。

 姿形を変えても長い間、平気な魔法。それがもしかしたら脱獄の方法に繋がったのかもしれないと考えながら眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 それ以降、生徒の間ではブラックの話題でもちきりだった。そんな中、弦たち四人は空き教室で去年もやっていた自主特訓をしながらブラックについて話し合う。

 

「トロフィー保管室にハリーの親父さんの名前が入ったトロフィーがあった。クディッチの優勝杯だ。ビーターだったらしい。それで、もう一人のビーターのところにシリウス・ブラックの名前があった」

「ということは、親友の線は濃厚そうだな」

「じゃあ、どうして寝返ったんだろうね?」

「……ブラックの人格について少し考えてみるか」

 

 シリウス・ブラック。ブラック本家の嫡子として生まれた純血の魔法使い。

 

「ブラック家なら学校に入る前からたくさん教育されるはずだよ。純血主義に関しても」

「ならなんでグリフィンドール? スリザリンに入ってもよさそうなのに」

「組分け帽子は本当に本人が望む寮をくみ取ってわけてくれる。ブラックはグリフィンドールに入りたいと強く願ったんじゃないか?」

 

「スリザリンとは正反対のグリフィンドールに入るってことは、ブラックは純血主義を否定していたのかもしれない。だからスリザリンを、ひいては家を嫌っていた」

「そういえば、父さんが気になることを言っていたかも」

 アンソニーが言うには、ブラック脱獄の記事を見たときアンソニーの父親は「闇側につくような男じゃなかった」と言っていたらしい。

 

「ブラックの経歴についても調べはついた。事件を起こす前、あいつは闇払いだったんだ。それにすでに家から勘当されてる」

「それじゃあ、ますますおかしいな。ブラックはどうして闇側に寝返ったって言われてるんだ?」

「…………ブラックはもしかしたら、裏切り行為をしたと考えられているんじゃないか?」

 罪人の言葉が意味をもつことは少ない。真実を知らない者達からしてみれば結果が全てだ。

 

「ポッター家が強襲されたのがブラックのせいだと思われているなら、寝返ったと思われてもおかしなことじゃない」

「情報を流したとか?」

「あの当時の情報のやりとりはかなりひどかったはずだ。スパイ合戦みたいなものだろう。ブラックだけが特別なわけじゃない。なにより十三人惨殺したことはどうなるんだ?」

 

「だよね……ううん。もしかしてブラックってとても重要な立ち位置にいたんじゃないかな」

「それも考えられる。変わりがいないような、特別な立ち位置にいて、情報も誰よりも持っていたとしたら……」

 だがそれは本当にブラックだけか? 誰よりもそうであったのはダンブルドアとヴォルデモートだろう。自陣の情報には誰よりも詳しかったのは勢力トップのあの二人だ。

 

「ヴォルデモートがハリーを狙っていて、そのことでポッター家が隠されていた。その居場所を知っていたのはダンブルドアとブラックだけか、はたまたまだ何人かいたか……とにかくポッター家が襲撃されたのはその情報が漏れたからだとみて間違いない」

 

「問題はそれをやったのがブラックかってことか。確かにグリフィンドールに入ることを心の底から願うような人間が闇側につくとは考えにくいな。少なくとも家を勘当され、闇払いに入って闇側と戦うくらいには反発してたはずだ」

 

 テリーがそこでううーんと首を傾げた。

「だけどやっぱり十三人惨殺したところがひっかかるよな。マグル大量に殺してんだぜ?」

「そこにいたのってマグルだけ?」

 

「いや、魔法使いが一人いたらしい。確か……そう、ピーター・ペティグリュー。ブラックを追いつめたと新聞に書いてあった。ただ最後にはブラックに殺されたらしいが。残ったのは小指一本だと」

「小指だけ?」

 それはなんとも不自然な話だ。あとは跡形も残らなかったというのか。

 

「…………」

「ユヅル?」

「そのピーター・ペティグリューってどういう人だったか調べた?」

「いいや、調べてない。調べるか?」

「うん」

「あ、俺も気になることある。この写真のこっちの小さい人」

 

 テリーが示したのは例の写真に写った少年だ。ルーピンの横にいる小柄でそばかすの目立つ冴えない少年もまたグリフィンドールの制服を着ている。

「この人も親友だったなら調べる価値あると思う」

「そうだね。なら僕は当時のポッター家について調べてみるよ。彼らがどういう立ち位置にいたのかわかれば何か発見があるかもしれないし」

「なら私は魔法を調べるかな。ブラックの脱獄方法と潜伏方法は同じはずだ。どちらも吸魂鬼に気付かれていない。長時間続けていても平気な姿の変わる魔法を調べてみる」

 

 そう宣言した通り、弦は図書室でひたすら変身術の教科書を読み漁った。だがどれもイマイチだ。そもそもブラックは杖を持っていない可能性もある。もしかして魔法ではないのだろうか。

 ふっと息を吐きだして本から顔をあげる。時計を見ればもう少し続けられそうだった。

 

「やあ」

 小さな声でそう呼びかけられる。見ればセドリック・ディゴリーが立っていた。

「ああ。こんにちは」

「こんにちは。今日も勉強?」

「少し調べものを。ディゴリー先輩は課題ですか」

「うん。変身術のね」

 

 五年生となってますます背が伸びただろうか。ハンサムな顔立ちにも磨きがかかっている気がする。

「五年生はどんな課題がでるのか聞いても?」

「かまわないよ。僕達はふくろうがあるからそれに向けて勉強と今までやったことの復習が主かな」

 ふくろう試験は五年生の学期末に行われる魔法省のテストだ。その成績しだいで六年生からの授業の選択肢が広がったり狭まったりする。

動物もどき(アニメーガス)のレポートが課題に出されたんだ」

「動物もどきですか」

 

 不意にそこでディゴリーは苦笑した。どこかくすぐったそうな顔だ。

「できれば敬語は止めてほしいな。どうにもくすぐったくて。あと名前も」

「……まあ、とれというならとるけど」

「そっちのほうが僕は嬉しいよ」

「そう」

 それからセドリックは課題をするからと本を捜しに行った。それを見送って、弦はぽんと手を打つ。

 

「動物もどきか」

 それは調べていなかった。あれはたしか魔法省に登録しなければいけないが、何も登録した人だけということはないだろう。見落としだ。

「不法な動物もどきなら周囲には秘密にする。魔法省がそうである可能性を切り捨てて捜索しているのなら見つかる可能性はぐんと下がるな」

 これはあの三人に報告しなければ。足取り軽く弦は図書室を去った。

 

 

 

 

 

 

 動物もどき。変身術のなかでも高度なこの魔法は、ひとつの動物に姿を変えることができる。なんの動物になるかは人それぞれでなってみるまでわからないそうだ。魔法省に登録されている動物ものどきは現在マクゴナガルを合わせて七名。そこにブラックの名前はない。

 

 未登録の動物もどきは違法だ。見つかれば捕まってしまう。ブラックがそうであるなら罪が重くなるだけだ。

 

 だがしかし、何故彼はそれを習得したのだろうか。現状を想定していたわけではないだろう。それに高度な技術を必要とするこの魔法を習得できたと言うことは栄誉に数えられるはずだ。登録をしないということは発表しないということ。何故、隠したのか。いつ身に着けたのか。

 

「身につける必要性があったから身に着けたと考えたらどうだ? 動物もどきになることがそのとき必要だった」

「習得したのは学生のときじゃないかな。闇払いは入れても数年は修行しなくちゃいけないし、それからも闇の勢力との争いが激化しているんだからそんな暇ないと思う。学生の時なら打ちこめただろうし」

「問題はなんで必要だったか、だよな。動物もどきになる必要があるなんてこと、ホグワーツで起こるか?」

 

 弦は一つだけ心当たりがあった。しかしそれを言っていいものか悩む。これはルーピンの問題だ。むやみやたらと吹聴するような三人ではないし、きっと秘密にするならよほどのことがない限り口にしないだろう。

 

 弦は心を決めて、口を開いた。

「みんなに話しておきたいことがある。ブラックがルーピンと親友だったとしたら、無視できないことだ」

「なに?」

「ルーピンは……彼は、人狼だと思う。これは十中八九間違いじゃない」

 

 三人が息を呑んだ。仕方のないことかもしれない。人狼は魔法界では迫害されている存在だ。変身しているときは理性がなく、人間を傷つけてしまう。さらにそのとき噛みつかれた者も人狼となる。

 

「この間、ルーピンにスネイプが脱狼薬を渡しているところを見た」

「……間違いないことなんだな?」

「私が魔法薬の判別を間違えると?」

「確かにユヅルは魔法薬を見分けるの得意だけど、本当に間違いないのか?」

「間違いない。あの臭いは脱狼薬のものだ」

 

「……ルーピンが満月の日の前後に体調を崩していたら、確定だね」

 ルーピンが人狼だった場合、彼の親友であると仮定したハリーの父親やシリウス・ブラックが動物もどきとなった理由そのものとなる。人狼は人間に対して凶暴だが、動物に対してはそうではないからだ。

 

 人狼である力を厭う者は、変身するとその凶暴性を自らに向けてしまう。嘆きや悲しみが自傷を繰り返させるのだ。それを落ち着かせるために動物もどきとなってルーピンを止めようとしていたなら、彼らが難しいとされるその魔法を習得したことも頷ける。

 

 ルーピンが人狼であることは言わずとも他言してはならないと三人もわかっているのだろう。堅い表情で言った。

「ルーピンのことは良い先生だと思ってるし、ホグワーツから追い出したいわけじゃない。ただこれがばれると大事になるぜ」

「保護者は黙っていないだろうね。うちの親も騒ぎそう」

 

「闇の勢力の被害者の人狼がいるとは聞いていたが、こうも近くにいるとは……あの人にとって今の時代は生きにくいだろうな」

「同感。こちらの人は呪われた人間に対して厳しすぎるね」

「ユヅルの国にもルーピン先生みたいな人達っているの?」

 

「いるよ。彼らの場合、完璧に封印するか、自分の力に変えてる。異形を体に宿す人達は決して少なくない」

 封印し続ける人もいれば、戦う力に変えて利用している人達もいる。個人でそのありようは違うが、共存できていた。害意がない相手に石を投げあらぬ疑いをかけるのは愚か者のすることだ。

 

 そこでクスリとテリーが笑った。

「ルーピン先生こそ、ユヅルの国に行くべきかもな」

「先生が教師を止めることになったら言ってみるさ。叔父が上手く紹介してくれるかもしれない」

「先生って甘い物好きなんでしょ? 和菓子で釣り上げてみればどうかな」

「いい考えだな」

 すっかり固い表情が抜け、四人はお互いにこのことは秘密だと誓い合ったのだった。

 

 

 

 



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第九章

 

 

 明日はとうとう今年最初のクィディッチの試合がある日だ。対戦はグリフィンドールとハッフルパフ。本当はグリフィンドールとスリザリンだったのだが、スリザリンはシーカーであるマルフォイの腕の怪我を理由に対戦を変えてくれと願い出たらしい。それが通ってスリザリンがハッフルパフにかわったのだ。

 

 レイブンクローはなんの痛手もなかったが、スリザリンのやり方は気にくわなかった。マルフォイはもうすっかり怪我が治っているはずだと応急手当をした弦が証言したのも大きい。

 テリーもマイケルも明日は見た方がいいというので、弦は珍しくクィディッチの試合に行くことになった。もしかしなくても初めてのことだ。これで弦がクディッチの試合を見に来てくれるようになればと三人が考えていることを弦は知っている。

 

 その日は金曜日で、通常なら午後一番の授業はハッフルパフと合同の魔法薬の時間だった。しかしルーピンが体調を崩してしまい代役となったのがスネイプだったため、急遽レイブンクローとハッフルパフの生徒も防衛術の授業を受けることになったのだ。

 

 四クラス合同というのはなかなかないことだ。ハーマイオイーとロンには手を振り合うことで挨拶をし、レイブンクローが固まっている席に座る。全体で言えば右寄りの前らへんだ。

 始業時間より少し遅れてスネイプがやってきた。教壇で今日の代役の理由を話し、ルーピンを厭味たっぷりに嘲笑しはじめたのにはスリザリン以外の一部以外は良い顔はしなかった。

 

 授業が始まって十分後、ハリーが遅れてやってきた。遅刻したこととすぐに座らなかったことで十五点も減点されたのには同情する。

 それからスネイプはルーピンのことを話しの端々で蔑みながら人狼について授業を始めた。まだそこまで進んでいないと言うハーマイオニーもでしゃばりだと五点減点される。

 

 弦はルーピンの正体を知ってしまっているからか、スネイプがわざとこの授業をしているように思えてしまう。どれだけのことが二人の過去にあったのかは知らないが、これではあまりにも幼稚だ。同僚にすることとは思えない。

 テリーたちもそう思っているのか、どこか面倒くさい様子で授業を受けている。

 

 一通りの話が終わり、スネイプは教科書を写すよう言った。羊皮紙にペンを走らせる音が響く中で、スネイプは生徒達の間をいったりきたりしてルーピンが教えた内容を調べて回る。

「実に下手な説明だ……これは間違いだ。河童はむしろ蒙古によく見られる……ルーピン先生はこれで十点中八点も? 吾輩なら三点もやれん……」

 

 ふいに弦は手を挙げた。それに気が付いたスネイプが訝しげな顔をする。

「何かね? ミス・ミナヅキ」

「河童の生態や生息地域について、教科書の記述が大幅に間違っていることを進言したのは私です。ルーピン先生はそれ聞いて、後に授業で間違いを認めて正しい知識を再度教えてくださいました」

 

 弦の発言に教室中が驚いたようだった。確かにルーピンは水魔の授業をし、余った時間ですでに教えた河童のことを再度とりあげた。そのときに教えたことが自分の間違いであったことを認めていた。

「それではなにかね? 君の知識のほうが教科書よりも正しいと君は言い、それをルーピンは馬鹿正直に聞き入れ教えたと?」

 

「こちらの書物に記される河童はお世辞にも正しいとは言えません。まったく別の生き物のことを言っているようでしたので」

「ミス・ミナヅキは教師の教えより自分の知識が正しいと思い込んでいるようだ」

 スネイプの発言にレイブンクロー全体が怒りを露わにした。今にも立ち上がって罵詈雑言を浴びせそうな雰囲気だ。そうなる前に弦は立ち上がる。

 

「確かに私は教えを受け、知識を与えられる立場です。しかしこの教科書に載っている河童についての知識はお粗末で間違いだらけ。このことを正しい知識として広めることには我慢できません」

「よろしい。レイブンクローは十点減点する」

 

「減点したいならどうぞご自由に。私は自分の国で神として崇められる河童が、こちらではとるにたらない害意のある存在と扱われていることに腹が立っている言っているんです!」

 バン、と勢いよく机を叩く。しんとなった教室の中で弦は言葉を続けた。

 

「河童はわが国では水の神の一柱。なのにこの教科書では人間を襲う悪い生物だと書かれている。駆除するべきだと書いている書物も図書室にはありました。そもそも河童が人間を襲うという噂が広まったのは、マグルの間で水死体の様子があまりにもひどく、河童がやったのではないかと言われたからです。ですが河童はそのようなことはしません。彼は確かに悪戯もすることがあります。けれど恩があれば義理堅くそれを返してくれる存在です。間違った知識で彼らを貶めるのを止めて頂きたい」

 

 河童は水神そのもの、または零落した姿と言われるくらい神に近い。胡瓜が大好物なのだって、初なりの野菜が水神信仰の供え物として欠かせないものだからだ。

 それに河童は子供が好きだ。背丈の同じくらいの子供と相撲を取って楽しそうにしている。彼らが人間を嫌う理由はまずない。

 

「人間と敵対しているわけでもない。人間に悪意があるわけでもない。なのにこちらでは人間にとっての悪だと言われている。こんなおかしな話があっていいはずがありません。教科書に載っている河童の知識があっているのは外見の記述だけです。それを理解してルーピン先生は間違いを正してくださいました。先生が間違った知識を教えたという発言の撤回を求めます」

 

 弦がここまで教師に食ってかかるのは珍しい。だが引くわけにはいかなかった。こと水神の問題について彼女は引けない。

「……そこまで言うなら撤回しよう。だが君の言う河童の正しい知識とやらの詳細なレポートを提出したまえ。内容次第では魔法省にそれを送り、来年度からの教科書制作の参考にしてもらえるよう、吾輩が進言する」

 

 スネイプの言葉に弦は頷いて頭を下げた。そこで授業が終わる。スネイプは人狼の見分け方と殺し方についてのレポートを羊皮紙二巻きぶん月曜日の朝までに提出するよう課題を出した。

 

「あなたがあんなに言うなんて思わなかったわ」

 教室を出てすぐにハーマイオニーがそう話しかけてきたので弦は肩をすくめて見せた。

「河童は私の国ではとても有名だし、なにより気のいい連中だからどうも我慢できなくて。それに私の家は代々水の神を信仰してきたんだ。同じ水の神の河童が悪いように言われるのは腹が立つ」

 

 水無月家の守り神である水樹様は水の神だ。そして水とは命を意味することもある。薬師の家として続いてきた水無月家にとって水の神は最も敬うべき神様なのだと教えられた。

「レポートのことはきっとルーピン先生に言えば撤回してくれるよ。書いたとしても評価してくれるだろうから訴えてみるといい」

 それにしても課題の内容も悪意がこめられているような気がする。あの人、どれだけルーピンが嫌いなんだ。

 

 次は薬草学の授業なのでレイブンクローとスリザリンは温室へと向かった。セオドールがよってきて弦の手をとるのでマイケルが解いて彼から弦を遠ざけた。セオドールが気にした様子はない。

「ユヅルは物知りだね」

「知っていることを話しただけだよ。知らないこともある」

「それでも俺には知らないことをいっぱい知ってるから」

 

「それならセオドールの知っていることで私の知らないことはたくさんある」

「そういうもの?」

「そういうもの」

 そう、人によって持っている“知識”は違う。弦が詳しいのは彼女が経験し、身に着けたことに関連するものばかり。弦は確かに薬学に置いては専門家(エキスパート)かもしれない。それだけの研鑽と鍛錬を積んできた。しかしそれ以外の学問に置いては素人だ。

 

 だから弦は学んでいる。自分の可能性を見つめて、その力に自身が喰われないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 土曜日のこの日、クィディッチの初戦が行われた。転校は生憎の大雨。風もでていて雷もある。嵐だ。

 観客席で防水魔法をかけたローブを頭からかぶり、同じ魔法をかけたゴーグルをつけて弦たちは試合開始のホイッスルを待っていた。最前列のためよく見える。

 

「ユヅルはクィディッチの試合初めてだよね」

「うん。ルールは大まかになら知ってる」

「実況席は今日もジョーダンだから点数のやりとりはわかりやすいと思うぞ」

「グリフィンドールびいきだけどな」

 

 選手たちが出てきた。グリフィンドールのシーカーはハリーで、ハッフパフはセドリックである。

「あ、始まった!」

 弦たちはハリーがいるのでグリフィンドールの応援だ。試合は乱気流の中で選手たちの果敢な攻防が続き、グリフィンドールが五十点リードしたところで、グリフィンドール側がタイムアウトをとった。

 

「こんな嵐の中でよくやる……寒さで手足の感覚がなくなってるだろうに」

「クィディッチには天候関係ないからねえ」

「だが早くスニッチを見つけないと夜にもつれこむぞ」

「もっと天気が荒れそうだし、ポッターかディゴリーのどっちかがとってくれたほうが観客(おれたち)のためにもなるな」

 寒さで震えている下級生たちに温かい炎を詰めた瓶を渡してやりながら、弦たちは試合再会を待った。

 

 再会され少ししてディゴリーが急上昇した。ハリーがそれを追う。

「おいおい! 見えなくなったぞ!」

 テリーが双眼鏡を構えたが、追いきれなかったようで舌打ちを零す。弦たちの視線は会場よりも上空に固定された。

 

 突然、腕の中にいたレグルスが唸りだした。

「っ、レグルス? ……まさか!」

 急いで上空に視線を戻し第三の目を開眼させた。魔の気配が集まってきている。

 

「あいつらが来た……っ!」

「あいつら? あいつらって……まさか吸魂鬼か!?」

 上空から何か落ちてくる。あれはハリーだ。それに追いすがるようにひらひらと布をはためかせた存在が迫る。吸魂鬼がハリーを襲おうとしているのか!

 

「エクスペクト・パトローナム!」

 

 杖を抜いて呪文を唱えた。杖先から白銀の大虎が飛び出し、嵐の風に負けない速さで宙を駆け抜けていく。そのまま大虎は吸魂鬼に襲いかかった。ハリーから引き離した後も彼の周りに集おうとする吸魂鬼を追い払うように駆け回る。

 

「ポッターが激突するぞ!」

「ええっと、こういうときは!」

「クッション!」

「それだ!」

 四人で一斉にハリーに向けて呪文を唱える。空気を固めてクッションに変えるものだ。薄く青い光がハリーを四重に包み込む。

 

 ハリーを助けたのはそれだけじゃない。教員席でダンブルドアが立ち上がって呪文を唱えた。ハリーの落下速度が遅くなる。次に校長の杖先から白銀の大きな鳥が飛び出し、波のように光を放って集いつつあった吸魂鬼を遠ざけていった。

 

 弦は自身が出した大虎にまだ空にいるだろうセドリックの護衛を念じ、それからピッチに降りるために駆けだした。テリーたちもそれに続く。

 ゆっくりと落下してきたハリーはどうやら気絶しているようだった。青い膜がまだ彼を守っており、弦たちが魔法をとけば地面へと横たわる。

 

 喧騒の中で弦はいち早くハリーの傍に膝をついて脈を確かめた。危篤ではない。しかし以上に体温が下がっている。そこへダンブルドアもやってくる。彼はすぐさま担架を出すと、ハリーをその上に乗せた。弦は自分のローブを脱いでハリーにかぶせる。その上からさらにテリーたちのローブ三人分がかぶせられた。

 

 大虎が戻ってきた。見ればディゴリーが地面に足をつけている。大虎はそこで消えず、弦としばし目を合わせていたかと思うと城のほうへ駆けて行った。白い残像が残るほど早く。

「ミス・ミナヅキ。このまま医務室に運んでやりなさい」

「はい! 医務室へ急ぐぞ。マイケルは私と保温呪文を持続させてくれ。テリーとアンソニーは雨よけを」

「了解!」

 

 ダンブルドアの浮遊呪文のおかげで浮いている担架をテリーとアンソニーが片手で引っ張りつつ空中に壁をつくって雨を弾く。弦とマイケルは担架の両側で手足から順に保温呪文を施し持続させ続けた。

 

 城の医務室に駆け込むと、マダム・ポンフリーはすでに準備を終えていた。

「ポッターをこちらへ!」

 すぐにベッドに移されたハリーにマダム・ポンフリーが処置を施していく。弦はその助手として彼女の指示に従い医務室内を慌ただしく動き回った。

 どうやらマダム・ポンフリーは、伝言に来た大虎の守護霊のおかげで早々に準備を整えることができたらしい。その大虎は弦の守護霊だ。伝言ができるようになったのか。

 

 ハリーの処置が終わると、大虎は満足げに消えて行った。

「ミナヅキのおかげで早くに準備することが出来ました。応急処置も的確でしたし、本当によくやりましたね」

 その言葉にほっと息を吐きだす。

 

 多少濡れていた衣服を完全に魔法でかわかしたところで、グリフィンドールの選手と生徒が押し寄せてきた。そのあとにハッフパフの選手たちも入ってくる。全員ひどく濡れて汚れていたし身体を冷やしていたので、テリーたちに衣服を綺麗にしてもらい、弦はホットチョコレートを配った。

 

 あの試合のスニッチはセドリックがとったらしい。ハッフルパフの勝利だ。

「はい、どうぞ。勝利おめでとう」

「ありがとう……でもあれは事故だよ。正々堂々の勝利じゃない」

 セドリックは試合の結果が気に入らないようだった。吸魂鬼が彼よりもハリーに集ったことで彼は勝てたのだと言っている。

 

「それでも勝ちは勝ちだ。勝敗は運にも左右される。今回、ハリーには運がなかった」

「……来年はもっと違う試合にしたいよ。今度こそ、正々堂々」

 ぐっと顔を引き締めたセドリックはホットチョコレートに口をつけたところで、思い出したように弦に言った。

 

「あの大きな虎の守護霊、ユヅルの守護霊なんだろう。ありがとう。地上に下りるまでずっと傍にいてくれた」

「そうお願いしたから。あなたが無事でよかった」

「ユヅル! ポッターが目を覚ました!」

「わかった……それ飲んだらもう寮に帰っていい。お疲れ様」

 セドリックは何か言いたげだったが、それでも一つ頷いて最後にもう一度「ありがとう」と言ってくれた。それに軽く手をふって答えて、ハリーのもとへ行く。

 

 ハリーは試合の結果を聞いて落ち込んでいるようだった。

「ハリー。気分はどうだ?」

「ユヅル……最悪だよ」

「そうだろうな。とりあえず口開けろ」

 開いた口の中にチョコレートを押し込む。ハリーはゆっくりとそれを食べ始めた。

 

 ゆっくりとハリーが身体を起こすのを手伝い、その両手にホットチョコレートのマグカップを握らせる。

 選手たちはしばらくハリーに声をかけたあと医務室を出て行った。残ったのはハーマイオニーとロンだけだ。テリーたちは選手たちがつくった泥の筋を魔法で綺麗に掃除している。

 

 弦もホットチョコレートのマグカップを洗い終わったことでマダム・ポンフリーから今日はもうすることがないと言われた。見舞いに徹していいとのお達しである。

「ダンブルドアは本気で怒っていたわ」

 身体を温める作用のあるハーブティーをいれてハリー以外の全員に配った弦は「当然だ」と返す。

 

「吸魂鬼は校内には入ってこない決まりだったのに、それをやぶられたんだ。いくらブラックが捕まっていなくて飢えているからといって、クィディッチに熱狂している生徒達を襲っていい道理にはならない」

「やっぱりあれは熱狂する生徒達(ぼくたち)が目当てか」

「間違いない。吸魂鬼は人間の感情の高まりが大好物だから」

 

 もっとも忌まわしい生物のひとつとされる彼らは、凋落と絶望の中に栄える。平和や希望、幸福を周りから吸い取り、人々を恐怖へと突き落す。彼らの傍に生物は生きられない。

 

「ダンブルドアがあんなに怒っていらっしゃるのを見たことない」

「ユヅルたちも君を助けたんだ。君の周りに青い膜を張って守ってくれた」

「そうなの?」

「正確にはハリーの周りに空気のクッションをつくったんだ。ダンブルドアがその上から落下速度を大幅に落としてくれたから軟着陸できた」

 

「それだけじゃないわ。ユヅルもダンブルドアも吸魂鬼を追い払ってくれたの。杖から銀色のなにかを出して」

「これのことか」

 再び守護霊の呪文を唱える。杖先から大虎が現れ、行儀よく弦の傍に座った。

 

「うわっ!?」

「ロン、これは襲わないよ。私の守護霊だ」

「守護霊の呪文。自分の守護霊を呼び出す魔法だ。下級で盾を形作れる。中級で実体化、上級で伝言を預けて飛ばせる。ユヅルはもう上級者だな」

「私も伝言を預けれるって今さっき気付いたけどね」

 

 実はこの呪文、マイケルたちも盾までなら習得したのだ。持続時間はまだ少し短いし、実体化には程遠いが。

 

「これは現状、吸魂鬼を追い払える唯一の呪文だ。あれはマイナスの塊だから、守護霊のようにプラスの塊のやつを最も苦手としている。ダンブルドアの魔法も守護霊の呪文だろう」

「そ、それを覚えれば、吸魂鬼を追い払える?」

「遠ざけるだけだ。滅することはできない」

 

「それにこの呪文、かなり難しいよ。防衛術でも最難関クラスの呪文だから。ふくろう試験でしたら絶対最高成績叩きだせるくらいの」

「ユヅルも習得するまで行き詰ってたし」

 弦でも躓く呪文と聞いてハリーは目に見えてがっかりした。自分よりはるかに優秀な弦が手こずる呪文を次の試合までに習得できるとは思えない。

 

「……ルーピンに教えてもらえるよう頼んでみたらどうだ? あの人もこの呪文習得しているだろう。汽車で銀色の光を出してたみたいだし。そうなったら私も手伝えることもあるだろう」

「本当? うん、頼んでみる」

 少しだけ気分を持ち直したハリーにここで、さらなる残念なお知らせがあったようだ。

 

 ハリーの箒は彼が落下した時に吹き飛ばされた。そして校庭の端にある暴れ柳にぶつかってしまったらしい。あれはぶつかられるとひどく暴れる。近づかれるのも嫌がるのだ。その結果、ニンバスは壊れた。それはもう修復不可能なくらいに木端微塵に。

 

 フリットウィックが取りかえしたと言う残骸を前にハリーが呆然とした。あまりのありさまに同じクディッチ選手のテリーやマイケルも顔を覆って天を仰ぐ。

 ハリーがふさぎ込んでしまったのも、無理のないことだっただろう。

 

 

 

 

 



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第十章

 

 

 

 マダム・ポンフリーは一週間もハリーを医務室に入院させた。心ここにあらずのハリーはそれに従い、弦は毎日のように医務室でマダム・ポンフリーの仕事を手伝うことになった。主にハリーの精神的安寧のために。

 

 たくさんの見舞客と品はハリーの心を救い上げることはできなかった。それでも日にちが経つにつれて彼は呆然自失の状態から回復していった。

 弦はハグリッドの持って来た虫だらけの花束から虫を駆除したり、ジニーがもってきたお見舞いカードから四六時中キンキンと出る音を沈黙呪文で黙らせたりとしながらハリーの様子を見守った。

 

死神犬(グリム)を見た?」

「うん。競技場に居たんだ……」

 なんとハリーは、あの嵐の中でその黒い犬を見たらしい。

 

「目は赤かったのか?」

「遠すぎてわからなかった。でも本当、あれを見るたびに僕は命が危険にさらされてるみたいで」

「去年も一昨年も君の命は危険だっただろう」

「それはそうだけど!」

 どうやらハリーは吸魂鬼のことも心底まいっているようだった。誰もがあいつらを恐れるけれど、気絶するのは自分だけだと。

 

「あいつらが傍にくるたびに両親の死ぬ間際の声がする。母さんの叫び声が聞こえる気がするんだ。あのときもヴォルデモートに僕の命を懇願する声が聞こえた」

「…………」

 記憶の中の両親の声が死の間際の言葉だなんて、どんなに苦しいだろうか。弦はまだハリー以上に両親の記憶も祖母の記憶も持っている。楽しかったころの思い出も。

 

「クディッチの試合も初めて負けた……最悪だ……」

「……ハリー。勝負ごとに関しては、負けることは必要だ」

「ユヅル……」

「負けなければ自分の劣っているところが見えてこない。今回は君の運が悪かったこともあるけど、初めて負けを経験したんだ。次こそは勝ちたいと思うだろう?」

「でも、もうニンバスは……」

 

「物には魂が宿る。大切にされれば大切にされるだけ」

 唐突なその言葉に、ハリーは自虐よりも疑問の気持ちが強くなったようだ。

「私の国には『八百万信仰』と呼ばれる考え方があるんだ。かんたんにいえば、神様は数えきれないくらいたくさん存在しているってことだ」

 

「たくさん?」

「そう。自然に存在するあらゆるものには神が宿っている。そんな神々の中には『付喪神』と呼ばれる神様がいるんだ。物に宿る神様だ」

 人間に愛され大切にされた物は九十九年の時を経て付喪神となる。「付喪」とは「九十九」とも書くのだ。

 

「ハリーとニンバスの付き合いは二年だけど、その間、君はニンバスを大切にしてきた。その思いにいつもニンバスは答えてくれたはずだ」

「うん」

「だから今回そのニンバスが折れたのは、もしかしたら君のためかもしれない」

「僕のため?」

 

「君の成長した力にもう自分は相応しくないから、どうか君の実力に合った箒を選んでくれ、っていうね」

 弦の言葉にハリーはポカンと口を開けた。それを見て弦は微笑む。

「ものは考えようだよ。起こった出来事をどう受け止めるかは人それぞれだ。占い学のトレローニーみたいに極端に受け止める人もいれば、私みたいにいろいろ考えて、屁理屈をこねてまで良い方向に受け止めるやつもいる」

 

 ニンバスはもう壊れてしまった。それはもう戻らない。

「落ち込むなとは言わない。嘆くなとは言わない。でも、少し休んだんだ。次を見据えろ。うずくまって落ち込むだけじゃ、前には進めないからな。まず君がすることは、退院したらルーピンに突撃することだ」

「突撃って、あはは、なにそれ!」

 自分がルーピンの腹にでも突撃することを思い浮かべたのか、ハリーは声をあげて笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 ハリーは退院したら弦の助言した通りルーピンに突撃もとい頼みにいったらしい。ルーピンはそれを受け入れて、来学期までに準備をすると言ったそうだ。それまで待ってほしいと。弦も直接協力を請われてそれを了承した。

 

 冬の休暇まで一カ月を切った。そんなとき、弦のもとに一通の手紙が舞い込む。それは月見里が地獄堂のおやじから預かったものだそうだ。

「金森竜也……」

 その名前を数回頭の中で繰り返し、夏休みに一度だけ会ったあの少年かと思い至る。

 彼の手紙は謝罪から始まっていた。

 

『水無月弦さんへ [改行] 突然の手紙を許してほしい。夏休みに一度会った金森竜也だ。今回、どうしても相談したいことがあって地獄堂のおやじさんにこの手紙を預けた。弟のてつしとその友達のことだ』

 金森てつしら三人は地獄堂のおやじを師として竜也にはわからないことを学んでいると言う。それの関係で、この秋一つの出会いがあった。

 

『彼女は西崎由宇という名前で、西崎夫妻の養女だった。俺のクラスに編入してきたその子は、辛い過去があって記憶がない以外には本当に明るい子だったんだ。』

 だがしかし、竜也にはその子がときどきそこにいないように見えたと言う。存在感が希薄と書かれていた。

 

『俺はそれが記憶という経験がないから、積み重ねてきた時間がないからそう見えたのだと思った。けど、実際は違ったんだ。彼女はてつしたちが学ぶ常人には理解できない世界の事件にかかわっていた』

 

 結果、西崎由宇は消えた。竜也とてつしたちの前で、藤門蒼龍という術師によってそのことは隠蔽され、西崎由宇は鬼籍に入った。そもそも藤門蒼龍は彼女のことを追って上院の町に来たらしい。

 

 藤門蒼龍と言えば亡き藤門龍雲の生涯唯一の弟子で、さらに言えば日本の中でも高位の術者だ。かなり危険な仕事もしていると聞く。ヨーロッパにも顔がきき、さらに現世ではなくあの世にも伝手を持つと言う。

 

 その人がかかわっていたとするなら、自身が犯した過ちか、それとも亡き師匠の尻ぬぐいか。今回は後者のようだった。

 

『西崎はすでに一度死んだのだと俺に言った。そう言って消えて行った。全てを思い出して受け入れて笑顔で消えた。てつしたちは全ての事情を知っていたようだ。』

 

 藤門龍雲は従術の一種である傀儡術の使い手だ。彼が操る人形は生きている人間と区別がつかないほどだと聞いている。

 西崎由宇はその傀儡術によって死んでいたところを繋ぎとめられたのか。けれどそれは禁術だ。世界の理を歪める、侵してはいけない領域。

 

『てつしたちによれば、西崎はすぐに西崎夫妻のところに生まれ変わってくるらしい。藤門さんという人がそう取り計らってくれたと聞いた』

 

 まあ、あの人ならできるだろう。

 

『ここからが本題になる。俺はてつしたちが関わる世界が危険なものだと知っている。だからこそ不安なんだ。本当に関わらせていいのか。止めなければならないんじゃないか。俺にはその判断がつかない。』

 

 竜也は言う。弟たちは人の死に関わることが多くなった。いつか、とんでもなく傷ついてしまうかもしれない。

 

『俺にはそちらの世界の事情はわからない。だからといっててつしたちに教えている地獄堂のおやじさんに聞くことはてつしたちのためにもできないし、藤門さんもそうだ。だから君に手紙を送った。返事がもらえるなら、俺がどうするべきか教えてくれないか。 [改行] 金森竜也』

 

 最後まで読んで、弦はふっと息を吐きだした。

 てつしたちは天啓型異能者だ。地獄堂のおやじという師を持って後天的に能力を目覚めさせた。もともと素質があったのだろう。その彼らを一般人で事情を知る竜也は心配している。

 頭の中で考えをまとめて、弦はペンをとった。

 

『金森竜也君へ [改行] 突然の手紙で驚いたけれど、迷惑ではないよ。君の弟のてつし君たちは、日本の術師という大きなくくりで私の後輩と言うことになる。彼らが正しい限り、私達がそれを切り捨てることはないと断言できる。』

 

『地獄堂のおやじ殿も藤門蒼龍殿も信頼に足る強い方達だ。特に前者は日本の中で最も強いと言われているから、てつし君たちを守る存在としてあの方より安全な人は今の日本にいないと思う。そこは安心していい。』

 

『ただ、てつし君たちが自らこちらの世界に来たのなら、君の言う危険な目というのはどうしてもあってしまう。そして時には命の危機にも遭うだろう。だけどそれはてつし君たち自身が選んだから起こることだ。それは誰のせいでもない、彼ら自身の問題になる。はっきり言って、一般人の君が物理的に助けられることではないだろう。』

 

『だから君がすべきことは、彼らを信じて待つことだと私は思うよ。彼らの帰る場所であること。これはとても大事なことだ。絶対に帰ろうと言う意思が時として彼らの命を繋げることになるはずだから。それに君のように理解のある人間が傍にいることは絶対に彼らの助けとなっている。気にしすぎて、逆に彼らを心配させないように。 [改行] 水無月弦』

 

『追伸 日本に術師は思ったよりもたくさんいる。そして私たちは同胞の死の危機を黙って見ているだけと言うことはない。君の弟たちはもう私たちの仲間だから、私たちのことも信用してくれるとありがたいかな』

 

 封筒にいれて蝋でとめる。印璽の型は水無月の家紋にした。片喰の紋がくっきりと蝋を形作って封をしてくれた。

 手紙と一緒に守りの御符を四枚ほど入れておいた。弦が作ったものだが祖母と同じ効力であるのは実験済みなので問題ないだろう。

 

 翌朝になって、弦は竜也の手紙を運んできた大鷹にそれを託した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 休暇が始まる前日、ホグズミードへ行ける日がまたやってきた。弦はその日、ヒッポグリフの群れのところに来ていた。ここにバックピークはいない。問題をおこしたあの子は隔離されている。

 栗色のヒッポグリフがよってきた。挨拶をしてからその毛並を撫でる。この子は雌でシャタンという名前なのだそうだ。フランス語で栗色を意味する。

 

「お前もバックピークに会いたい?」

 同意する様に鳴くシャタンの羽毛に頬をつけながら、弦は静かに目を閉じた。温かい。

「お前、ユヅルか?」

「ハグリッド」

 大きな身体を揺らしながらハグリッドがやってきた。その手にはヒッポグリフたちの餌がある。

 

「お前さん、ホグズミードには行かねぇのか?」

「三年生の間は行かないことにしたんだ。私も餌をやらせてもらってもいい?」

「おお、いいぞ。お前さんはシャタンによく懐かれちょる」

 小動物の死体を彼らに与えていく。シャタンは一匹食べるたびに弦に催促した。脇の下に嘴をつっこんで頭を出すのだ。甘えた声にハグリッドが大笑いした。

 

 レグルスがシャタンと遊ぶさまを見ながら、弦はハグリッドと少し話をした。まだバックピークの処遇は決まらないらしい。だが彼は覚悟していると言う。マルフォイ氏が息子が傷つけられてかんかんなのだ。ダンブルドアはハグリッドを守ってくれるだろうが、元凶となったバックピークまではどうにもならない。

 

「俺ぁ嬉しかった。ユヅルがマルフォイのやつに怒鳴ってくれた。それを見ていたからシャタンもお前さんによく懐いているんだろう」

「……私は、ただマルフォイが許せなかっただけだ」

 全部が全部、バックピークのためじゃない。

 

「私はこれでも、国ではマルフォイ家みたいな名家とよばれる家の生まれなんだ。ううん、うちはマルフォイの家よりずっと歴史が深い旧家だ。一番古い記録は千二百年前のものだし」

 家の蔵に残っている家系図はひたすらまっすぐ弦の名前まで記録されている。分家を許さない一子相伝の家。その家系図を見るたびに、弦は歴史の重さをその肩に感じた。

 

「私は早い段階で家を継ぐことになって、そのぶん自分の行動に責任を持たなくてはいけなくなった。でもそれは、家柄が高ければ高いほどそうだと思う。私達みたいな人間は自分の行動がどれだけ周りに影響を与えるかしっかり理解して、自分の行動に責任を持たなくちゃいけない」

 

 けれどマルフォイはそんなこと考えてない。甘ったれで、自分勝手なお坊ちゃんだ。

「だから私はマルフォイを見てるとすごく苛つく」

 ハグリッドの大きな手が弦の頭を少々乱暴に撫でた。見ればにっこりと笑っている。

「ユヅルはユヅルのままでええ」

「うん」

 

「もう城に戻れ。これからもっと寒くなるぞ」

「わかった。またね、ハグリッド」

 翌日の休暇一日目、かすかな生徒を残してほとんどの者が帰省した。テリーたちも親からせっつかれて帰っていき、レイブンクローには弦しか残らなかった。

 

 その日の夕食でグリフィンドールにはハリーとロンとハーマイオニー、ハッフルパフの一年生が二人とスリザリンの五年生が一人残っていることがわかった。

 夕食のあと、弦はグリフィンドールの談話室に招かれた。誰もいないからと引っ張られたのだ。そこで喧嘩するクルックシャンクスとスキャバーズを見つけて飼い主の二人が騒ぐので、弦はそれぞれ二匹を籐の籠の中に捕まえた。

 

「ハーマイオニー。クルックシャンクスを部屋に置いておいで。しっかり扉をしめてくるといい」

「わかったわ」

 渋々部屋に持って行ってすぐに戻ってきたハーマイオニーは、スキャバーズの入った籠に猫避けの呪文をかけてやる弦を見て「あなたもクルックシャンクスが悪いって言うの?」と不貞腐れた。

 

「違うよ。鼠を追いかけるのは猫の本能だ」

「じゃあスキャバーズが悪いって言うのかよ!」

「なんでそうなる……動物の本能は人間がどうこう言ってどうなるわけでもない。こういうのは飼い主が気を付けるしかないんだよ。ハリーから言われなかったか? 私はスキャバーズを部屋に留めてゆっくり療養させてやれと言ったんだが」

「それは……」

 押し黙ったロンに弦は溜息をついた。ハーマイオニーと並んで座らせる。

 

「スキャバーズは弱ってる。だから外に出していてもクルックシャンクスから逃げれず捕まってしまう。そうしたらさらに弱って悪循環だ。だから部屋に留めてゆっくり休ませてやることが大切なんだよ。それがたとえ閉じ込めることになっても、まずは完全に回復させたほうが良い。自分で面倒がみれないようなら家に送ることも考えるべきだ。飼い主として責任をもつっていうのはそういうことだと思うよ」

 

「……うん」

 しゅんと項垂れたロンの背をハーマイオニーが慰めるように叩く。二人が喧嘩しないで済んだことにハリーはほっとしていた。

「そういえば弦は聞いた? ハグリッドのところに魔法省から手紙が来たんだ。マルフォイのお父さんの訴えでバッグピークが『危険生物処理委員会』で裁かれるんだ」

 

 危険生物処理委員会は魔法省魔法生物規制管理部動物課の中の委員会だ。魔法生物規制管理部は魔法生物を管理・保護を管轄し、学術的な調査研究も行っている。彼らは危険度と稀少性を考慮して生物を五段階に分類しており、ヒッポグリフでいえばXXX(レベル3に該当)だ。また魔法生物の一部にはここに許可をとらなければ飼育できないものもいる。

 

「ハグリッドは、あそこはひどいところだって言ってたわ」

 

「魔法生物規制管理部っていうのはその名の通り魔法生物に関して管理しているところだ。言い換えるなら人間と共存できるよう魔法生物の稀少性や危険度を分類してレベルをつけて公表している。そして動物課の危険生物処理委員会は人間に害をなした生物の処理をまかされているところだな。ハグリッドが三年生の初授業で選んだヒッポグリフは魔法省の分類で言えばレベル3だから不適切なんだ。そのこととマルフォイが怪我をしたというところ大きく取り上げられているんだろう」

 

 マルフォイの父親は大々的に被害者の保護者として訴えただろう。

「裁判までに私達、弁護のための材料を捜そうと思うの。ユヅルも手伝ってくれる?」

「かまわないよ」

 そこまで話したところで、ふいにハリーの表情に影が落ちた。そして数秒躊躇ったあとに意を決して口を開く。

 

「ユヅル。僕、昨日ホグズミードに行ったんだ」

 なんでも彼はウィーズリーズから「忍びの地図」と呼ばれる魔法道具をもらったらしく、それをつかってホグズミードまでの抜け道を使って城を抜け出したらしい。そして「三本の箒」というパブで、マクゴナガルとハグリッドと魔法大臣の話を聞いた。

 

 シリウス・ブラックはハリーの父であるジェームズ・ポッターの学生のころからの親友だった。そしてポッター家が隠れ住んでいる時、彼はその場所の秘密を守るための「秘密の守り人」だったのだ。

 「秘密の守り人」。それは「忠誠の術」を使用して秘密を封じられた生きた人間のことを表す言葉だ。この守り人が秘密を口にしない限り、秘密が外部に漏れることはない。守り人が死んだ場合でもその術は解けず、封じられた秘密は永遠に漏れないという。

 

 秘密の守り人だったブラックはあろうことかヴォルデモート卿にポッター家の居場所を漏らしてしまった。その結果、ポッター家は襲撃されハリーの両親は死んだ。

 しかしヴォルデモートは幼いハリーの前に倒れ、それを知ったブラックを追いつめたのは彼と同様にジェームズ・ポッターの親友だったピーター・ペティグリューだった。彼は落ちこぼれだったけれど勇敢にブラックに立ち向かい、そしてこの世に小指一本を残して死んだ。

 

 ブラックはアズカバンに投獄され、十二年後の今年に脱獄したのだ。

「ブラックは僕を殺しに来たんだ!」

 話しているうちにハリーはひどく興奮していった。

 

「あいつは父さんの親友だった! なのに裏切って、そのせいで母さんも死んだ! そしてもう一人の親友はその手で殺した! あいつのことを大臣はなんて言ったと思う? 僕の名付け親だって言ったんだ! 両親を殺した奴が僕の名付け親!? 冗談じゃない!!」

「シレンシオ」

 

 今にも爆発しそうな様子なので黙らせてみた。沈黙呪文のせいで声が出せなくなったハリーを接着呪文で座っているソファにくっつけ動けなくさせる。

「落ち着け。とりあえずお前がブラックを憎んでいることはよぉくわかった……わかったけどな」

 

 弦はすっと立ち上がった。その雰囲気ががらりと威圧的なものになる。思わずロンとハーマイオニーが「ヒッ」と喉をひきつらせ、真正面のハリーは顔を青ざめてさせている。

 

「抜け出したのは感心しないな、ハリー」

 

 血の底から響くような低い声にハリーの身体が振動する。ロンがかばうように言い募ったが、弦は一蹴した。

「黙れ。ハリーがどうしてホグズミードに行けないのかわかっているだろう。きっと許可証にサインがもらえていても、ハリーの外出許可は潰されたはずだ」

「そんなっ!」

 

「大人たちが必死になってハリーを守っているんだ。魔法省もホグワーツの教員もだ。ハリー。君が顔を知らない大人たちが必死になってブラックを捜して、君が狙われていると思っているから君を守っている。なのに君は自分の都合でそれを崩したんだ。今日、ブラックがホグズミードを襲撃していたらどうしていたんだ! 怪我していたのは君かもしれないし、君の周りにいた人間かもしれないんだぞ!」

 

 ぐっとハリーが唇を噛み締めた。そんなことはわかっていると言いたげな顔だった。しかし弦はそこで終えなかった。ハリーはわかっていない。

「ハリー。今から私は君には非常に耳が痛い話をする。だが話し終わるまでそこから解放するつもりはないからよく聞け。ロンとハーマイオニーもだ」

 じろりと二人を見れば二人はさっと居住まいを正した。

 

「どうして君が何一つ説明されずに、ホグワーツに閉じ込められていると思う。それは君が非力で無力な子供だからだ。君は大人たちにとって守るべき庇護対象で、失いたくない存在だからだ」

 だから魔法大臣は夏休みにハリーを家に帰さずに漏れ鍋に留めた。

 

「何も教えなかったのは君が自らブラックを捜すのを危惧したからだ。君に全てを教えたとして、今のように復讐心に支配されてブラックと対決したとしても簡単に殺される。魔法省はブラックが強いと考えている。十三歳の魔法使いの少年を簡単に殺せるくらいには強いと」

 そして魔法省のかかえる実行部隊だけでは足りないからアズカバンの吸魂鬼まで駆り出されているのだ。

 

「いいか。君は弱い。ブラックに比べてはるかに弱い。ブラックを追いかける大人たちに比べてはるかに弱い。未熟な未成年魔法使いなんだ。それがわかっているから大人たちは君を守っている。君のもつ安全は、大人たちが必死になって考えて努力して出来上がった守りの中にあるんだ。自分ばかりが大変な思いをしていると思うな。現状で君を守りつつ、一般の人達の安全を確保するために奔走している大人たちのほうがはるかに大変なんだ」

 

 彼らはブラックを捕まえるために組まれた編成で動いているだろう。しかしブラックと出会ってしまえば死ぬかもしれない。十二年前の闇の勢力全盛期のときのように。

 

「なんで君がホグズミードにいけないんだと思う。そこはホグワーツの敷地外で、ホグワーツの中よりかはブラックが侵入しやすいからだ。そして生徒以外の魔法使いや魔女たちがいてブラックが紛れやすいからだ。休日で浮かれている生徒達がいくその場所で、君がのこのこ出て行ってブラックの襲撃を受けたらどうなる? 危険は君だけじゃなく、他の生徒にもホグズミードに住む人達にも襲いかかるんだ。未熟な生徒達はすぐにパニックになるだろう。そのパニックが場をさらに混乱させてしまう。そういう危険性があるから君はホグズミードに行けないんだ。みんな君に意地悪をしたいわけじゃない」

 

 みんな、ハリーの安全を考えてそうしているのだ。

「なあ、ハリー。ルーピン先生がどうして君に吸魂鬼を追い払う魔法を教えてくれる気になったと思う。ブラックを追って君を守る手段の一つであった吸魂鬼が君の命を脅かしているからだ。このままだと君が危険だから自衛を身に着けさせようとしてくれている。でもそれは吸魂鬼から君を()()()守ってくれる手段であって、ブラックを倒すための手段じゃない」

 

 そこで弦は膝をついた。下からハリーを見上げる態勢をとる。

「私の父は警察だった」

「けいさつ?」

「魔法界で言う魔法慶察のことよ」

 首を傾げたロンにハーマイオニーがそう答えた。

 

「そう。父はその中でも人を傷つけたり殺したりした犯罪者を捕まえる仕事をしていた。優秀な人だった。優しい人だった。強い人だった。でも私が五歳の時に死んでしまった」

「っ!」

 

「殉職だった。犯人を追っているときに、その犯人に殺されたんだ。マグルの中で、父は強い部類だろう。でもそれでも死んだんだ。相手は一人だった。今もまだ刑務所に入っている」

 弦が強いと信じていた父はあの日死んでしまった。弦をずっと守ってくれた絶対的な存在はいなくなってしまった。

 

「あの頃の私は弱かった。無力で無知で、どうしようもないくらい弱かった。だから私はずっと守られていたんだ。今の君は、あのころの私とよく似ている」

 犯人を呪った。憎くて憎くて、でも殺しても父が帰ってくるわけじゃない。子供だった自分が、大人に勝てるわけでもなかった。

 

「ハリー。ブラックを憎むなとは言わない。きっと呪って殺してやりたいぐらいに憎いだろう。でも君はホグワーツにいるべきだ。守ってくれている大人たちの気持ちを無駄にするな。君の両親が君を生かしたなら、その命をみすみす投げ出すな」

 

 接着呪文はともかく、沈黙呪文は途中で効力が切れていた。それなのに最後まで黙っていたと言うことは、そういうことなのだろう。

 

 

 

 



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第十一章

 

 

 すっかり落ち込んだハリーをつれてロンは男子寮に上って行った。残された弦はハーマイオニーに誘われてその日はグリフィンドール寮に泊まることにした。いつも持ち歩いている鞄の中には着替えも入っているから問題はない。

 

 ハーマイオニーの部屋ではクルックシャンクスが大人しくしていた。その頭を撫でる。

「ごめんね、閉じ込めて」

 そう言うと、クルックシャンクスはひとつ鳴いて尻尾を振った。彼女とレグルスが寄り添って眠り始めるので、弦は入浴の準備をする。

 

 お湯をバスタブに溜めながら、手持ちの薬草や木の実を調合して入浴剤をつくった。それに合うキャンドルも用意する。

「ユヅル、もういいかしら」

「いいよ」

 ハーマイオニーがひょっこりと顔を出して、浴室内の香りに顔を輝かせた。

 

「わあ、いい香りね」

「特性の入浴剤とアロマキャンドルだ。シャンプーとトリートメント、ボディソープも自家製だよ」

 それらは無添加で天然素材の人体に無害すぎる品物だ。効能もばっちり。大手化粧品会社の商品に負けないと自負している。

 

 せっかくだから二人で入りたいというハーマイオニーと一緒にまずは髪と身体を洗い、湯船につかった。ハーマイオニーはほうっとため息をつく。

「気持ちいいわ。ユヅルはすごいわね」

「ふふ。日本人のほとんどお風呂大好きだから。お風呂と食べ物へのこだわりはものすごいよ」

 

 色のついた湯をすくって肩にかける。その様子を見ていたハーマイオニーの顔の赤みが増す。

「それに、ユヅルすごく綺麗になったわ」

「ん? そうか?」

「ええ。きっと恋とかしたらもっと綺麗になるわね」

「恋ねぇ……」

 

 そう言われても、と思う。恋というものを弦はどこか忌避していた。あの母のことを思えば、どうにも苦手意識と言うか恐怖観念と言うものが消えないのだ。

「今のところその予定はないな。ハーマイオニーは?」

「えっ!?」

「ロンか」

「ちょっ!」

 

 ばしゃりと湯が波立つ。慌てるハーマイオニーに弦は声をあげて笑った。少しだけ拗ねたような彼女の顔が眩しくて目を細める。

「ロンはきっと気付かないだろうな」

「……そうね。きっと気付いてくれないわ」

 鈍感で子供っぽいんだからと口を尖らせるものだから、弦は「いつか気付くよ」とだけ言っておく。

 

「ハーマイオニー」

「なあに?」

「君、全部の授業を受けるのに魔法道具使ってるだろう」

 ぴたりとハーマイオニーが挙動をとめた。弦は平然と続ける。

「誰にも言わないよ。ただ気になっただけだ」

 

 ハーマイオニーが全科目履修するのは時間割的に無理だ。弦たちの学年で全科目履修するのはハーマイオニーだけ。彼女一人のために時間割は組まれていない。彼女以外のその他大勢に合せた結果、今の時間割となっているのだ。

 

 ならばどうやってハーマイオニーは履修しているのか。魔法しかあるまい。ただ時間を遡る魔法はハーマイオニーには使えないだろう。ならばそれを可能にする魔法道具を使っているはずだと弦は推理した。

 心当たりがあるのは逆転時計(タイム・ターナー)だ。あれは魔法省が管理しているが、特例として学校側がかけあって許可が下りれば使える。

 

「ユヅルにはかなわないわ」

「どーも。それにしても、大丈夫か?」

「え?」

道具(それ)使って平気かって聞いてる」

 時間を遡るのはかなり危険だ。過去の人間に未来からきていると知られるのもそうだし、過去の自分に会ってしまえば何が起こるかはわからない。

 

「全部の時間割を気にして周りに気付かれないようにするのは大変だったろう。それがまだ学年末まで続く。だから平気かと聞いた」

「……正直、少しだけ疲れているわ。でも自分で決めたことだもの。最後までやりたい」

 しっかりとそう言い切るハーマイオニーに弦も頷いた。

 

「声をかけてくれれば課題を手伝うくらいはできる。それに心を落ち着かせる作用のあるハーブを調合するよ。ハーブティーにしたり、臭いを楽しんだりして気持ちを落ち着けると良い。夜、枕元に置けばよく眠れるやつもつくる」

「ありがとう、ユヅル」

「うん」

 

 少しだけ泣いたハーマイオニーを見ないふりして、その涙が止まったころに湯船から出た。お互いに髪を乾かしあってから同じベッドで眠る。

 翌朝、ハーマイオニーはすっきりとした顔をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、弦は昨日言わなかったことをハリーに告げた。

「そういえばハリー」

「なに?」

「あの『忍びの地図』は持っていてもいいけど絶対落とすなよ」

「? うん」

 

「……あれがブラックの手に渡って、もし使い方がわかったらどうする。お前の居場所筒抜けだぞ」

「絶対落とさない!」

 ぶんぶんと首を上下に振るハリーと、顔を青ざめるロンとハーマイオニー。その様子に弦は苦笑した。

 

 その日はバックピークの裁判の弁護に使う資料集めとなった。弦は記憶している限りのあの日の会話を書きおこし、一連の流れの記録を作る。ハリーたちは図書室でありったけの本を借りてくると、談話室の暖炉の前でそれを広げて過去の裁判記録を調べ始めた。

 記録を作り終った弦もそれに加わった。何か関係のありそうなものを見つめるとみな声に出してその文章を読み上げた。

 

「これはどうかな……一七二二年の事件……あ、ヒッポグリフは有罪だった。うぅー、それで連中がどうしたか、気味悪いよ」

「これはいけるかもしれないわ。えーと、一二九六年、マンティコア、ほら頭は人間、胴はライオン、尾はサソリのあれ。これが誰かを傷つけたけど、マンティコアは放免になった」

 

「そりゃそうだ」

「え? ……あ、そうね、だめだわ。なぜ放たれたかというと、みんな怖がってそばによれなかったんですって」

「マンティコアは獰猛で気性が荒いから。それに尻尾はサソリよりもはるかに強力な猛毒だ。体もでかい」

 

 これといったものが見つからないまま、クリスマスとなった。その朝に弦はいつもどおりの時間に目を覚まし、まだ薄暗い部屋の明かりをつける。ベッドの足元にプレゼントが山をつくりだしていた。レグルスが興味深そうに鼻先を近づけている。

 

「……?」

 なんだか量が多い気がする。

 ともかく一つ一つ手にとり、それから仕分けた。知り合いとそうじゃないものにだ。知り合いのものはさらにこちらから送った人と送っていない人のもわける。

 

 叔父家族、テリーたち、ハリーたち、リサとパドマ、それからセオドールやハッフルパフの幾人かにはこちらから送っている。セドリックやチョウ、デイビースなど送っていない顔見知りもいたので、お返しにクッキーを包もうと決める。ウィーズリー夫人の手編みマフラーもあって驚いた。藍色のそれはとても暖かい。クッキー増量決定。

 

 問題は知り合いでもない人達からのプレゼントとカードだ。いちおう、全て中を見たが嫌がらせと言うことはなかった。はて、どうしたものか。

 部屋にいつのまにか届けられていた朝食を食べ、クリスマスカードのお返しのカードをつくり大鷲が羽ばたいて青い花が咲くようしかけを施した。プレゼントを送ってくれてくれた人には瓶詰飴クリスマスバージョンを送っておく。クリスマスカードつきだ。甘い物が苦手な人はもうしわけないが諦めてほしい。

 

 昼食の時間になって大広間に下りれば、広い大広間の中央にテーブルがおいてあった。普段使われる寮ごとの長いテーブルは端によせられている。先生と生徒の食器と椅子が人数分置かれていて、すでに弦以外はそろっているようだった。さきにフリットウィックに連絡して遅れることを言っておいてよかった。

 しかしなにやらもめているようだった。一人だけ女性が立っている。スパンコールをめいいっぱいつけた緑色のドレスがきらきらと輝いている。

 

「校長先生! あたくし、とても座れませんわ! あたくしがテーブルに着けば、十三人になってしまいます! こんな不吉な数はありませんわ! お忘れになってはいけません。十三人が食事をともにするとき、最初に席を立つ者が最初に死ぬのですわ!」

 

「シビル、その危険を冒しましょう。かまわずお座りなさい。七面鳥が冷えきってしまいますよ」

 マクゴナガルの言葉は苛々としていた。成程、彼女がシビル・トレローニーか。占い学教授の。これは確かに難儀な性格をしているようだと思ったところで、ハリーたちが弦に気が付いた。だから弦もこの空気に割って入ろうと決める。

 

「遅れて申し訳ありません。席はありますか?」

 弦の声に全員の視線が集まった。しかし臆することなくテーブルに近づく。

「おお、ミス・ミナヅキ。お待ちしていましたよ」

 フリットウィックの言葉にもう一度遅刻を詫びる。テーブルの席はもともと十三。トレローニーが来て十四となった。空いている席の内、ハーマイオニーの隣に躊躇いなく座る。

 

「まあ、あなた!」

 トレローニーが金切声をあげた。

「十三人目になりましたわ!」

 ハーマイオニーが苛々した様子でトレローニーを睨んだが、弦は平然と言葉を返した。

 

「ではトレローニー先生、あなたが十四人目となってください。そうすれば私が十三人目として不吉に見舞われることはないでしょう」

 あまりの衝撃だったのか、トレローニーはぴしりと固まった。その手をマクゴナガルがひいて椅子に座らせる。

「ありがとうございます、トレローニー教授」

 にっこりと笑ってお礼を言ってから、弦は自分の皿に料理をとった。

 

 食事中、トレローニーは幾度か弦に話しかけた。

「あなたは私の授業にはおりませんでしたわね?」

「ええ。占い学はとっていません。私にはその才能がありませんので」

「そ、そうなの」

 そうなんです。才能ないんです。占い結果をそのままそっくり信じると言う才能が。

 

 ルーピンは病気のためいないとのとことで、満月のせいかと弦はちょっとだけ気の毒になった。いくら薬で変身を抑えられるからと言って全てが上手くいくわけではない。体調はすこぶる悪いだろうし、気だって立っているだろう。

「ユヅル、どうして遅れたの?」

 ハーマイオニーの向こうにいたハリーが弦に問いかける。そのさらに向こうにいたロンもこちらを見ていた。

 

「クリスマスプレゼントのお返しの準備が予想以上に手間取ったんだ」

「そうだったんだ」

「何故か顔もわからない人達からのものが多くて」

 どうしてだろうかという弦の言葉にハーマイオニーがくすくすと笑った。

「ユヅル、モテるわね」

「顔も知らない相手に? 面倒臭いな」

「あなたらしいわ」

 

 トレローニーはいつのまにか調子を取り戻していろいろ不吉なことを言ったがみんな相手にはしなかった(ルーピンが水晶玉を見て逃げたのは満月を思い出すからだろう)。ダンブルドアは自ら一年生に声をかけてその顔を真っ赤にさせていた。

 

 一番最初に席を立ったのはロンとハリーだった。それをハーマイオニーがとどめて、デザートまでしっかり食べ終わった弦もつれて広間の端につれていく。よせられていた長椅子に並んで座った。

「あのね。ハリーに『炎の雷(ファイアボルト)』が贈られたの」

「『炎の雷』…………ああ、テリーとマイケルが話してたやつか。現存する箒の中で最高峰ってやつ」

「そう、それ!」

「誰から贈られてきたかわからないんだ。ハーマイオニーが心配してて」

 

 大げさだとロンは言う。ハーマイオニーはそんなことないと顔をしかめた。ハリーは半分といったところか。ロンのように喜びもあるけれど、ハーマイオニーの疑う気持ちもわかる。

「確かに匿名にしてはプレゼントが高価すぎるな」

「でしょう? やっぱり先生に言うべきだわ」

「そのほうがいい。何も問題がなかったら先生達も返してくれるさ。とくにマクゴナガル先生はクディッチに関してはかなり熱心だから、つぎの試合までには必ず」

 

 ロンは最後まで不満そうだったが、それでもハリーが決心すれば文句は言わなかった。二人は箒をとってくると駆け出していく。その間にハーマイオニーと弦はマクゴナガルにことのしだいを説明した。

 彼女はハリーたちが持って来たファイアボルトに一瞬だけ目を輝かせたが、それをすぐにひっこめて慎重な手で箒を受け取った。

 

「確かに預かりました。しっかり調べて、問題がなければお返ししましょう……ポッター。正しい判断でした」

 最後の言葉は穏やかなほほ笑みと共にハリーに贈られ、ハリーも嬉しげに「はい、先生」と返した。

 広間を出たところで、弦がハリーの背中を叩く。

 

「ほら。君は守られているだろ」

「うん」

 マクゴナガルの微笑みの理由をくみ取ったハリーは、袖で両目をこすったかと思うと三人に向けて元気よく言った。

「バックピークの弁護がんばろう!」

 

 

 

 

 





 二か所、誤字訂正しました。
 失礼しました。 
 報告ありがとうございました。


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第十二章

 

 

 

 

 休暇が終わった。戻ってきたテリーたちに、誰もこないよう人避けをして防音呪文を施した空き教室で弦はハリーから聞いた話を話した。

 

 シリウス・ブラックとジェームズ・ポッターは学生時代誰もが知っている親友同士だったこと。ピーター・ペティグリューはその二人のあとをついてまわるような友達で、落ちこぼれだったこと。ポッター夫妻の隠れ家を守る秘密の守り人がブラックだったこと。その裏切りを知ったペティグリューがブラックを追いつめ、小指一本を残して死んだこと。

 

「ハリーには少し話をして、今は落ち着いている。むやみやたらとブラックを追いかけるような様子じゃないよ」

「なら当分は大丈夫か。今週から始まるんだろう? 吸魂鬼対策」

「うん。木曜の午後八時に魔法史の教室で。私も呼ばれてる」

 ホットチョコレートを準備していく所存である。

 

「それにしてもこの写真のちっこいやつがペティグリューねぇ」

 例の写真を眺めてテリーはぼやいた。写真の中の四人は確かに友達に見えるのだ。

「二人は死んで、一人は脱獄犯、もう一人は教師かぁ。この中だとルーピン先生が一番不憫だね」

 言われてみればそうかもしれない。きっと四人はルーピンが人狼であることを知っている。それでも友達だったのだ。その唯一無二の親友を二人も失い、それが残った親友の仕業だと知ったルーピンの気持ちはどんなものだろう。

 

「……あっ!」

 そこで弦は声を上げた。突然のそれに三人が驚き弦を凝視するが、彼女は苛ついたように綺麗にしたテーブルを叩いて「私は馬鹿か!」と嘆いている。

「どうした?」

「ペティグリューが親友だったなら彼も動物もどきだった可能性がある!」

「ああっ!」

 今度は三人も「俺たちは馬鹿か!」と嘆いた。

 

 三分ぐらい自虐してから気持ちを落ち着け、話し合いを再開させた。

「よし。ここまでで私が感じた不可解な点が二つある。一つはペティグリューの殺され方」

「爆死が不満か?」

「そうじゃないよ。殺し方があまりにも綺麗じゃないことが問題なんだ」

 何故、わざわざ目立つ爆発を起こして殺したのか。

 

「ペティグリューはブラックよりも弱かったはずだ。闇払いに入れたブラックには到底敵わなかっただろう。ならブラックは爆発なんて目立つ真似をしなくても、『死の呪文』一つで簡単に殺せたはずだ」

「それは……確かに」

死喰い人(デスイーター)ならそうするよな」

「逃亡中だったんだからそうしたほうが自然だね」

 

「うん。だからそこがひっかかる。それに死体が小指一つしか残らなかったこともおかしいんだ。クレーターが起きるくらいの爆発で全身が四散しているなら、大量の血が残っているはずだし。何より周りのマグルの死体が残っているのにペティグリューだけ消し飛んでいるのは不自然すぎる」

「……なあ」

 ふいにテリーがあまりにも不快ですという顔をした。

 

「どうしたの、テリー」

「あのな。考え付いた俺でも気分のよくない話なんだけど……もし、ペティグリューが動物もどきだと仮定して、小指を切り落として動物になって逃亡したってことならその説明にならないか?」

「ああ、それは私も考えた。つまり、ペティグリューは死んでいなくて、生きているってことだろう。まあ、その話はあとだ。たぶん合ってるし」

 

 そう考えたら不思議と全部繋がるような気がするのだ。

「不可解な点の二つ目は、ブラックが秘密の守り人だったことだ」

「それが不可解?…………もしかしてあまりにも単純すぎるってこと?」

「その通り。ブラックとハリーの父親が親友であることは周知の事実だ。ポッター夫妻が隠れたのなら、親しい関係だったブラックが居場所を知っていると誰もが考えただろう。とくに闇側は」

 

「僕なら意表をついて別の人間を秘密の守り人にするな……まさか」

 マイケルが「ペティグリューがそうなのか?」と言った。それに弦も頷く。

「あくまで推理だけど、それが一番しっくりくる気がする」

 ブラックではなくペティグリューが秘密の守り人で、裏切ったのはブラックではなくペティグリューだったら。

 

「ペティグリューはブラックに罪をきせるためにブラックの前で死を偽装して、さらには周りのマグルを巻き込んで罪を重ねさせたってことか」

 なんて人だとアンソニーが顔を青くする。テリーもマイケルも嫌な奴と言いたげに憮然としている。弦も同感だ。

「もしかしたらペティグリューはもともと裏切っていたのかも。だからあの日、ポッター家を襲撃した闇の帝王が倒れたと知ったから自分は死んだことにしたのかもしれない」

 

「闇の帝王の死を招いたと知られたらかつての仲間に報復されるのは間違いないな」

「でもすべての真実を知っているブラックが十二年もの時を待って脱獄した。あとはその理由だけか」

「なんで今なんだろうな。それとどうしてホグワーツまで来てるのか、か」

「ペティグリューが紛れ込んでるとか?」

「生徒のペットに?」

「探すのは時間がかかりそうだな」

 

 冤罪のシリウス・ブラック。裏切りを選んだピーター・ペティグリュー。何も知らないリーマス・ルーピン。そして死んだジェームズ・ポッター。この中で救われるのは二人だけだ。

 

「ブラックが脱獄したなら、彼が再び捕まるか、それともペティグリューを追いつめるか。どちらにしろ事態は動く。私はハリーたちが無事ならそれでいい」

 

 そう、弦にとっては大人たちの争いなどどうでもいいことだ。ただ、子供である自分達がその争いのせいで命を落とす事なんてあってはいけない。死にたいなんて誰も思っていないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 木曜日となって、弦はハリーと共に魔法史の教室へやってきた。部屋は暗く弦は燭台に炎をともして室内を明るくした。五分ほどでルーピンがやってくる。その手には荷造り用の大きな箱があり、彼はそれをビンズ先生の机の上に置いた。

 

「何ですか?」

 ハリーの問いかけにルーピンはマントを脱ぎながら応える。

「またまね妖怪(ボガート)だよ。火曜日からずっと、城をくまなく探したら、幸い、こいつがフィルチさんの書類棚の中に潜んでいてね。本物の吸魂鬼に一番近いのはこれだ。君を見たら、こいつは吸魂鬼に変身するから、それで練習できるだろう。使わない時は私の事務室にしまっておけばいい。まね妖怪の気に入りそうな戸棚が、私の机の下にはあるから」

 

 なるほど、まね妖怪か。確かにいい練習台だと弦は思った。しかしハリーは自分の恐怖が吸魂鬼であることを少し気にしているようだった。その肩を叩きつつ、ルーピンの説明をしっかり聞くよう促す。

「さて……ハリー、私がこれから君に教えようと思っている呪文、非常に高度な魔法だ。いわゆる『普通魔法レベル(ふくろう)』資格をはるかに超える。『守護霊の呪文(パトローナス・チャーム)』と呼ばれるものだ。ユヅル、お手本をみせてもらえるかな」

「はい」

 

 杖をかまえて呪文を唱える。

「エクスペクト・パトローナム」

 杖先から白銀の光が飛び出し、大きな虎へと姿を変えた。虎は従順に弦の傍に控える。

 

「呪文がうまく効けば、守護霊が出てくる。いわば吸魂鬼を祓う者―――保護者だ。ユヅルの守護霊は虎の形をとった。この呪文のおもしろいところは、人によって守護霊の形が違うことだね」

 大虎が弦の手を強請るので、弦はその鼻の筋を撫でた。

 

「守護霊は一種のプラスのエネルギーで、吸魂鬼はまさにそれを貪り食らって生きる。希望、幸福、生きようとする意欲などを。しかし守護霊は本物の人間なら感じる絶望とうものを感じることができない。だから吸魂鬼は守護霊を傷つけることはできない。ただし、ハリー、一言言っておかねばならないが、この呪文は君にはまだ高度すぎるかもしれない。一人前の魔法使いでさえ、この魔法にはてこずるほどだ……うん、そのはずなんだけど」

 

 ルーピンが弦とその隣の守護霊を見た。

「あ、大丈夫です。ユヅルは規格外ですから」

「いい度胸だな」

「じゃあ、ユヅルってそれいつ習得したの?」

「二年生の半ば」

「ほらやっぱり! 君ってちょっと普通じゃないよ!」

「『生き残っ()た男の子()』には言われたくないね!」

 二人の様子にルーピンはくすくすと笑った。それから教えの続きを施す。

 

「呪文を唱えるとき、何か一つ、一番幸せだった想い出を、渾身の力で思いつめたときに、初めてその呪文が効く」

 ハリーは少し考えた後、何か思い浮かんだようだった。それから呪文を幾度か唱えれば杖先から白銀の煙のようなものが出た。それを見てハリーの顔に喜色が浮かぶ。

 

 次にまね妖怪で実戦練習となった。弦は少し離れた場所で、いつでも虎が動かせるように準備をする。その手はホットチョコレートの入った魔法瓶をしっかりと持っていた。

 箱から吸魂鬼の姿をしたまね妖怪が出てきた。そっくりである。即座に第三の目を開眼させる。成程、本物のほうが禍々しい魔力である。なにやらその中心に別の形が見えるが、それがまね妖怪そのものの姿なのかはわからなかった。

 

 ハリーが床に倒れた。虎がまね妖怪に襲いかかり、箱の中に戻した。蓋をしめたルーピンがハリーに駆け寄る。

「ハリー!」

 幾度かの呼びかけで気絶していたハリーが目を覚ました。起き上がるので椅子に座らせ、マグカップにホットチョコレートを注ぐ。

 

「はい、どうぞ」

「ありがと……」

 もう一度挑戦したが、ハリーはやはり倒れた。今度弦が叩き起こしてその口にチョコレートを突っ込む。

「父さんの声が聞こえた」

 ぽつりと零したハリーの呟きにルーピンが反応したが弦は無視した。ハリーも自分のことに一杯いっぱいで気付いていない。

 

「父さんの声は初めて聞いた。母さんが逃げる時間を作るのに、独りでヴォルデモートと対決しようとしたんだ……」

「うん。それがあったから君が生きている。続ける? それとも止めるか?」

「続ける! 僕が考えた幸せは、ちょっと足りなかったみたいだ。別のことを考えてみる」

「よし」

 

 次の挑戦で、ハリーは守護霊を盾の形にしてみせた。それはまね妖怪の動きを完全に阻んだ。弦の虎がまね妖怪を再び箱の中に押し込み、きっちり蓋がしまった。

「よくやった!」

 ルーピンが心底嬉しげに声をあげた。

「よくできたよ、ハリー! 立派なスタートだ!」

 

「もう一回やってもいいですか? もう一度だけ?」

「いや、いまはだめだ」

 今日はこれでおしまいだとルーピンは言う。弦も頷いた。もう始めてから二時間が経過していた。

「ハリー。今日はもうやめよう。君の身体が限界だ」

 その日、ふらつくハリーをグリフィンドールまで送ってから弦は寮に戻った。

 

 ハリーの守護霊の盾は確かに機能していた。ただしそれは弦が呼び出した守護霊より弱い。もしかしたらこれから先、彼は苦労するかもしれない。弦がそうだったように。

 弦の予想通りハリーは次からの対吸魂鬼訓練で行き詰った。

「高望みしてはいけない」

 生チョコを食べるハリーにルーピンは言った。

 

「十三歳の魔法使いにとって、たとえばぼんやりとした守護霊(パトローナス)でも大変な成果だ。もう気を失ったりはしないだろう?」

 確かにハリーは気絶することはなくなった。しかしハリーの盾は吸魂鬼が近づくのを阻むだけで、その盾の形を維持するだけでかなりのエネルギーを消耗するようだった。弦のように守護霊を実体化できず、吸魂鬼を追い払えないことにハリーはがっかりしていた。

 

「僕、守護霊が吸魂鬼を追い払うか、それとも連中を消してくれるかと、そう思っていました」

「本当の守護霊ならそうする。しかし、君は短い間にずいぶんできるようになった。次のクディッチ試合に吸魂鬼が現れたとしても、しばらく遠ざけておいて、その間に地上に下りることができるはずだ」

 

「あいつらがたくさんいたら、もっと難しくなるって、先生がおっしゃいました」

「君なら大丈夫だ。さあ、ご褒美に飲むと言い。ユヅルもだ。『三本の箒』のだよ。今までに飲んだことがないはずだ」

 

 ルーピンが鞄から三本の瓶を取り出し、ハリーと弦に一つずつ渡してくれた。それを受け取ってハリーが「バタービールだ!」と言い、思わず口を滑らせた。

「ウワ、僕大好き!」

 馬鹿だ。案の定、ルーピンが不審そうに眉を動かしている。すかさず弦がフォローに入った。

 

「ハーマイオニーやロンがわざわざ上級生に頼んで買ってきてくれたんです。これは飲まないと損だって。ありがとうございます、ルーピン先生」

 さらりと嘘を言って笑った弦の横でハリーも慌ててお礼を言った。

 

 納得したルーピンが仕切り直す。

「それじゃあ、グリフィンドールとレイブンクローの健闘を祈って。私は先生だからどっちかに味方できないんだ」

「ルーピン先生はグリフィンドール出身だって聞きましたよ。出身寮なのだからそっちを応援してもいいと思います。私、選手ではないですし」

 

「ユヅル。そんなこと言ったらブートとコーナーに怒られるよ」

「あの二人は私がクディッチにそこまで熱狂的じゃないことを知ってるから問題ないよ。ハリーこそ、明日のブラッジャーには気を付けたほうが良い」

「わかってる。あの二人、ジョージとフレッドぐらい手ごわいから」

 弦は初めてバタービールを口にした。うん、確かに美味しい。

 

「吸魂鬼の頭巾の下には何があるんですか?」

 ハリーがおもむろにそう尋ねた。ルーピンは考え込むようにしてから答える。

「うーん……本当のことを知っている者は、もう口が利けない状態になっている。つまり、吸魂鬼が頭巾をとるときは、最後の最悪の武器を使うときなんだ」

「どんな武器なんですか?」

 

「『吸魂鬼(ディメンター)接吻(キス)』」

 前に読んだ本からの知識をなぞれば、ルーピンは頷いた。

「その通り。吸魂鬼は、徹底的に破滅させたい者に対してこれを実行する。たぶんあの下には口のようなものがあるのだろう。やつらは獲物の口を自分の上下の顎で挟み、そして餌食の魂を吸い取る」

 

 霊的な視点から見れば人の口は入り口の一つに過ぎない。死んだら魂が口から出ていくと言うマグルの創作にもその影響はおよぶほど昔から言われてきたことだ。ルーピンの言う通りあの襤褸の下に口のようなものがあるなら、それを使って魂を吸い取るのは納得がいく。

 

「殺されるんですか?」

「いや、そうじゃない。もっとひどい。魂がなくても生きられる。脳や心臓がまだ動いていればね。しかし、もはや自分が誰なのかはわからない。記憶もない、まったく……何にもない。回復の見込みもない。ただ、存在するだけだ。空っぽの抜け殻となって。魂は永遠に戻らず……失われる」

 

 ハリーはぎゅっとバタービールの瓶を握った。

「シリウス・ブラックを待ち受ける運命がそれだ。今朝の『日刊預言者新聞』に載っていたよ。魔法省が吸魂鬼に対してブラックを見つけたらそれを執行することを許可したようだ」

 それは購読を続けているアンソニーから聞いていた。「もし冤罪なら魔法省の汚点がまた一つ増えるな」とマイケルの言葉に揃って溜息をついたのだ。

 

「……」

 ハリーはぎゅっと目をつぶった。そして絞り出したような声で言う。

「ねえ、ユヅル」

「ん?」

「ブラックは、そうなるべきだと思う?」

 

 このとき彼が何を思っていたのかは、弦にはわからなかった。だから正直に自分の考えを話す。

「思わないよ。ブラックが大勢の人を殺したなら、寿命が尽きるその時まで、生きて苦しむべきだ。簡単に殺すべきじゃない」

 父を殺した男のことを弦はそう考えている。顔を見たことがない、話したこともない男が簡単に死んでしまうことを弦は望んではいなかった。

 

 その身が擦り切れ心が砕けるまで苦しんで苦しんで、そのまま死んでいけばいいと心底願っている。

 

「人は魂とそれを入れる器を持って生まれてくる。このとき与えられる名前は器の、つまり身体の名前だ。だから名前を知られれば身体が縛られ操られることもある。だが完全じゃない。一方で魂のほうの名前を知られてしまえば、その人間は魂そのものを掴まれて思うがままにされてしまう。これを日本では『真名』と呼んでいる」

 

 水無月弦というのはあくまで体の名前で、弦の魂の名前は別にある。弦は自分の魂の名前を知らなかった。

「生まれながらに『真名』を知っている人は少ない。その人達はそれがどれだけ大切なものかを知っているから決して口にしたりはしないし、他人に教えることはない。とても危険だから。もちろん、身体の名前も使いようによってはとても危険だ」

 

 このとき弦は告げなかったことがある。名付けによる縁のことだ。ハリーの名はシリウス・ブラックがつけた。名付け親と名付け子という縁が二人の間には確かにできているのだ。

 

「名前と魂は密接な繋がりがある。そして魂は巡るものだ。死んだら冥府へ導かれ、そこで裁かれる。罪を犯していないなら次の生へ、犯したならそれを償う。でも『吸魂鬼の接吻』はその巡りを切って、魂そのものを消滅させるんだ。だからとても怖いことなんだよ」

 彼らのような存在は輪廻転生の巡りを壊してしまうものだ。だから忌々しく、そして同時に恐ろしい。

 

「どんな生物にも魂は存在する。それは大きな巡りの中をそれぞれの速さで巡っているから、この世界が成り立っている。私の命も、ハリーの命もその巡りの一部にすぎないんだ。途方もなく大きくて広い世界の話だけど、そう考えてみればちょっとした悩みは吹っ飛ぶよ」

 気が滅入ったら空を見上げてみればいい。そう言った弦にハリーは笑って頷いた。それをルーピンは微笑んで見つめていた。

 

 

 

 

 



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第十三章

 

 

 

 

 次の日になって、ハリーがかなり複雑な顔をして弦のもとへ突っ込んできた。その両手はハーマイオニーとロンに繋がれていて、無理やり連れてきたようだった。

 時間は朝食の時間で、弦はいつも通りテリーたちと座っていたのだ。

 

「ユヅル、聞いて! 僕の箒は戻ってきた!」

「うん、おめでとう」

「それとロンのスキャバーズが消えた!」

「は?」

 

 ファイアボルトは厳重な検査を終えたのか、良かった。そう思ったのもつかの間、ハリーはロンのペットが消えたことの詳細な説明を勢いよく話し始めた。

 スキャバーズは影も形もなく消え、代わりにロンのシーツは血で汚れ、床にオレンジ色の毛が落ちていたらしい。

 

「あのいかれた猫がスキャバーズをとうとう食べたんだ!」

 ロンが怒る横でハーマイオニーは明らかに落ち込んでいる。ハリーは昨日からずっとこの調子なんだと困っていた。

 弦は少し考えてから口を開いた。

 

「それ、クルックシャンクスのせいじゃないと思うけど」

「えっ!?」

 ばっと顔をあげたハーマイオニーの目はすでに涙で潤んでいた。それをハンカチでぬぐってやりながら、説明を続ける。

 

「猫の習性の問題だ。猫の狩りは血を流さない。あと、飼い猫は仕留めた獲物をかならず飼い主に見せる。以前、ハーマイオニーのところに何か獲物を持ってきて、見せびらかせてから食べたりしなかったか?」

「そういえば蜘蛛をとってきていたよね」

「うん……それはよく覚えてる」

 ロンが嫌そうに頷いた。蜘蛛嫌いは治らないようだ。

 

「だろう。もしクルックシャンクスがスキャバーズを食べているならハーマイオニーに見せに来たはずだ。それがないってことはクルックスシャンクスじゃないだろう。まあ、毛が落ちていたならロンたちの部屋に入ったのは間違いないだろうけど……そういえば、ロン。私が用意したスキャバーズ用の籠に猫避けの呪文かけ直したか?」

「あっ!?」

 これは忘れていたな。その額を強めにチョップする。

 

「自分の飼い主としての責任能力をまず考えろ。前にも言ったけど、猫が鼠を追いかけるのは本能だ。どうしようもないんだから飼い主同士が気を付けるしかない。一方的にハーマイオニーを責めるな」

「うん……ごめん、ハーマイオニー」

「いいえ、私こそクルックシャンクスのことちゃんと見てなくてごめんなさい」

 喧嘩両成敗になったところでハリーがほっと息を吐きだした。

 

「ユヅル、ありがとう。どうしていいかわからなかったんだ」

「まあ、たまには大喧嘩もいいんじゃないか。友達なんだし」

「そうそう。俺とマイケルなんかしょっちゅう言い合ってる」

「そうだな。四人で言いあうこともあるし」

「そのときは結構やかましいと思うよ」

 成り行きを見守っていたテリーたちがそう言うので、ハリーたちも合せて全員で笑った。

 

 クディッチの試合を明日に控えているからか、テリーもマイケルも頻繁にクディッチチームのメンバーに引っ張り込まれていた。

「なんでも、明日はチョウ・チャンのデヴュー戦なんだって」

 アンソニーが言うには、正シーカーの先輩が前の試合で負傷してまだ全快ではないらしい。その七年生の先輩の猛烈なプッシュで補欠だったチャンが出場するそうだ。

 

「明日勝てれば、グリフィンドールは首位争いから落ちるからチームの指揮は鰻登りだね」

「私はテリーとマイケルの“あれ”が試合で機能するかを視れればそれでいいや」

 ブラッジャーを打ちあうあの手法はグリフィンドールの人間ブラッジャーであるウィーズリーの双子にこそ使うべきだというデイビースの主張で温存してきたのだ。お披露目である。

 

「楽しみだね」

「うん」

 そして土曜日。からりとした晴の空と気持ちの良い気温。クディッチ日和だとテリーもマイケルも気合十分だ。

 応援席の最前列で弦とアンソニーはレイブンクローの応援旗を持ち開始を待つ。

 

 試合に出てきた選手の中で一番目立っていたのはハリーだ。その手にあるファイアボルトが理由で、今日になって駆け巡った「ハリ・ポッターの新しい箒はファイアボルトだ」という噂の裏付けとなった。

「ファイアボルトかあ。残念だけとシーカー勝負だとうちに勝ち目はないね。点をたくさんいれてもらわないと。相手のキーパー凄腕だけど」

 アンソニーはこれといって勝敗に興味がないようだ。弦と同様、テリーとマイケルのブラッジャー打ち合い作戦を楽しみにしているようだ。

 

 試合が始まった。レイブンクローは息の合ったコンビネーションでゴールを多く決めている。こちらはやはりレイブンクローに軍配があがったが、スニッチを狙うシーカー対決はやはりハリーが抜群の技術と最高の箒でリードしていた。チャンはなんとかついていけている。

「そろそろか」

「そうだね」

 

 ハリーがスニッチを見つけて急降下したところをテリーが阻んだあとすぐ、別のブラッジャーがジョージ・ウィーズリーからお見舞いされた。それを一回転で避けたテリーの顔があきらかに「やってやる」と言う表情である。その手の棍棒が箒の柄を叩く。それを見たマイケルも棍棒で箒の柄を叩いた。それが合図だ。

 二人がブラッジャーめがけて飛ぶ。そしてほぼ同時に棍棒で打った。お互いに向けて。

 

「おおっと、これはどういうことだ!?」

 解説のリー・ジョーダンがファイアボルトの宣伝を止めてレイブンクローのビーター二人の様子に注目する。

「レイブンクローのビーターがブラッジャーを打ちあっている! 今までこんなことをしたビーターがいたか!? グリフィンドールの選手混乱! チクショウ! やってくれたぜ!」

「ジョーダン! 解説は公平になさい!」

 

 マクゴナガルの叱責がとんだが解説者の勢いは衰えなかった。いつも通りだ。

「上手くいってるね」

「かなり練習してたからな」

 グリフィンドールの混乱の間にレイブンクローは次々と点を入れていく。

 

 しかしハリーが三度目のスニッチを見つけたところで試合は急展開となった。ハリーがスニッチに向けて猛スピードで飛ぶ。しかしそのハリーが片手で杖を持った。見れば、頭巾をかぶった三つの影が待ち受けている。

「あれ!」

「っ……いや、あれは……?」

 

 弦もすばやく杖を抜いたが、呪文を出す直前で手を止めた。なんとなく妙な気がする。その迷いの間にハリーが叫んだ。

「エクスペクト・パトローナム!」

 白銀色の影が杖から噴きだし、頭巾の集団に直撃した。ハリーはそれらを気にせずスニッチに一直線。そして金色のそれを掴み、高々と腕を空へ突き出した。

 

 審判のマダム・フーチが鳴らすホイッスルを弦もアンソニーもどこか呆然と聞いていた。その視線の先には崩れ去った頭巾の集団。その正体はスリザリンの生徒四人だった。スリザリンのクディッチチームキャプテンのマーカス・フリントに、ビンセント・クラッブとグレゴリー・ゴイル、そして知らない誰か。折り重なるように倒れている。

「……あいつらは馬鹿か」

 心底呆れた弦の呟きは負けたことで静まったレイブンクローの観客席によく響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 スリザリンが五十点減点されたことでレイブンクローチームが負けたことはあまり問題にはならなかった。ハリーがあと少しスニッチをとらずにいたら、チェイサーたちが稼いだ点でこちらが勝っていたという試合の様子も相まって、よく健闘したとみな口ぐちに選手たちをねぎらった。

 

 とくに奇天烈な作戦に打って出たマイケルとテリーは寮生に囲まれ、そこでうっかりこの作戦は弦のアイディアだと口を滑らせてしまったのだから、もう大変。弦も巻き込まれた。

 

「次こそは勝てる。とくにフリントの馬鹿ひきいるスリザリンチームには! ミス・ミナヅキには感謝してもしきれない!」

 デイビースがどさくさに紛れて弦の手をとるのでテリーとマイケルが蹴っ飛ばした。アンソニーなんかはとられた手をハンカチでぬぐっている。

 

「ユヅルに近づくな女タラシ!」

「悪影響だろう!」

「ユヅル、ちゃんと消毒しようね?」

「ゴールドスタイン! 俺はばい菌か何かか!?」

「あまり変わらないでしょう」

 

 次の日になって、ハリーのファイアボルト以上の驚きの噂がホグワーツ内を巡った。昨日の深夜、グリフィンドール寮にシリウス・ブラックが侵入したと言うのだ。襲われそうになったのはロンだという。そのことで朝からロンは話を聞きたがる生徒に囲まれた。

 

 いつもハリーばかり注目されているから、自分が注目されて嬉しそうなロンのことをハリーもハーマイオニーもつける薬はないとばかりに放っておいている。

「ポッターと間違えられたっていうのはないだろう」

 マイケルがぼそりとそう言い、弦たちもそれに同意した。

 

「今回はロンが狙われたんだ。何故?」

「ポッターの友だちだからっていうのはブラックが知ってるかどうかわからないし……」

「ペットは? 動物もどきかもしれないって考えただろ?」

「成程。スキャバーズとかいう鼠がペティグリューだったらそうなるな」

 

 だがスキャバーズはロンのところにはいない。ブラックが本当にあの鼠を狙っているのだとしたら、またくるだろう。ロンのところにはいないわけだが。

 

 ホグワーツでは警備がさらに強化された。フリットウィックはありとあらゆる教室の入り口にブラックの手配書を張って人相を生徒達に覚えさせようとしたし、フィルチはいつもあちこち駆けずり回って鼠しか通れないような小さな穴まで板で塞いだ。トロールの警備兵も配置され、廊下には彼らのズシンズシンという足音とブーブーという奇妙な声が響くことになった。

 

 先生たちもかなり神経をとがらせているようで、ただ廊下を歩くだけでも生徒達は緊張せねばならなかった。

 

 そんな中で、弦はテリーたちと図書室にいた。ハリーとロン、ハーマイオニーも混ざって課題を片付けているのである。片付いたものからバックビークの弁護のための資料探しだ。ハーマイオニーはたくさんの課題に追われていて、弦たちはそれを快くサポートした。

 

 そこへセオドールがマルフォイを引っ張ってやってきた。そのことにハリーたちは驚いて顔をしかめるが、弦たちは平然としている。そもそもセオドールにそれを頼んだのは弦だ。

 

 土曜日の試合、ハリーへの嫌がらせにマルフォイは加担していなかった。それどころかスリザリン生がファイアボルトのことでハリーにちょっかいをかけているのにマルフォイはそれをしていなかったのだ。最近、よく考え込んでいるとセオドールからも聞いていた。

 

 だから今日このときにマルフォイを呼び出したのだ。

「頭は冷えた?」

 弦の問いかけにマルフォイは「何のことだ」と堅い声で言った。

「バックビークは金曜日に裁判にかけられる。魔法省の『危険生物処理委員会』で、だ。父親から知らされているだろう」

 

 ぐっとマルフォイが唇を噛んだ。

「……知ってる。先週の水曜日にそう知らされた」

「そうか。おかげで弁護の資料探しを急がなくちゃいけなくなった。諦めるつもりは毛頭ないが、それでもかなり厳しい。九割方、有罪になるだろう。そうなればバックビークは処刑される。それが委員会のやり方だから」

 

 弦の言葉にハーマイオニーが俯いた。手で羊皮紙に皺がつくくらい力をこめて握っている。それをちらりと見て、弦はマルフォイに問いかけた。

「ドラコ・マルフォイ。君の思い通りになったか?」

「違う! 僕はこんなこと望んでなかった!」

 マルフォイが思わずといったふうに声をあげた。それでも大声をあげなかったのはここが図書室だからだろう。

 

 彼の言葉にハーマイオニーが「でもあなたのせいよ!」と言い返した。

「あなたがバックビークを侮辱しなかったらこんなことにはならなかったわ!」

「っ……そうだ。僕のせいだ」

 後悔の色しかないマルフォイの顔を見て、弦は言った。

 

「これで分かっただろう。自分の言葉一つが、行動一つがどれだけ周りに影響を与えるか。自分がどれだけの位置にいて、周りがどう扱ってくるのか。純血の名家に生まれたと言うことはそういうことだと本当に理解できていたのか? いなかっただろう」

 だが今回のことでわかったはずだ。自分の訴え一つで失われる命があるということを。

 

「裁判はもう止められないし、君の父親も止めてはくれないだろう。ダンブルドアに切り込むいい機会だろうから」

「ああ。父上はそのつもりだ。僕では止められない」

「なら弁護資料揃えるのを手伝え。やらないで後悔するより、やるだけやってから後悔する方がまだマシだ」

 マルフォイはしっかり頷いて、裁判記録を手に取った。

 

 

 

 

 

 

 ハリーたちとはまだぎくしゃくとしているものの、マルフォイはしっかり取り組んでいた。その途中でハーマイオニーを「穢れた血」と侮辱したことも、さんざん弦につっかかったことも謝っている。二人がそれを快く受け入れたのでロンも何も言えないようだった。ちなみにセオドールはあっさりハリーたちも名前呼びしている。

 

 裁判の前に弁護のときの台本はハリーたちからハグリッドに渡された。結果は彼が持ち帰るかマルフォイの父が手紙をよこしてくれるまでわからない。

 その週の土曜日はホグズミードの日だった。今回も弦は城に残る。しかしロンはハリーを連れていくようだった。「忍びの地図」に載っている抜け道を使うようだ。ハーマイオニーは反対していたが、ロンとハリーはきかなかった。彼女はそのことに怒って、ホグズミードには一緒に行かないと決めたらしい。

 

 玄関でテリーたちを見送った弦を捕まえ、ついでになぜか残っていたマルフォイを捕まえて空き教室で盛大に愚痴ったのだ。

 巻き込まれたマルフォイは呆れた様子で弦のいれたハーブティーを飲んでいる。

「うまいな、これは」

「特製だから。精神安定の作用もあるけど、ハーマイオニーは落ち着いた?」

「おかげさまで。でもあの二人ったら本当に考えなしなんだから!」

 

 ぷりぷりと怒るハーマイオニーにマルフォイが言う。

「一度痛い目をみないとわからないだろう、こういうことは」

「マルフォイみたいに?」

「……悪かったな。馬鹿で」

「いやいや、学年三席が何をおっしゃる」

「お前たちは首席と次席だろう!」

「自分で言うのもなんだけど、変な組み合わせよね」

「確かに」

「まったくだ」

 

 しばらくそうしていると、こつこつと梟が窓を叩いていた。それを見たマルフォイが表情を硬くする。

「うちの梟だ」

 マルフォイ家の梟はその足にマルフォイの父親からの手紙を括りつけていた。その内容は「バックビークの敗訴」という内容だった。

「そんな……」

 ハーマオニーが顔を覆う。マルフォイは「……父上のせいだ」と言った。

 

「委員会を脅したんだ。マルフォイの名前を使えば言いなりにできる。くそっ……」

 怒りの拳が壁を打った。その音に驚いて梟は飛び去ってしまう。

「まだ控訴がある。とにかくさらに弁護材料を捜そう」

「僕は父上に嘆願の手紙を書く。これ以上、手出しはしてほしくない……あと」

 ハグリッドとバックビークに謝る。そう宣言したマルフォイにハーマイオニーは「付き添うわ」と言った。

 

「今日は無理だから、次の魔法生物飼育学のときに一緒に行くわ。きっとハリーもロンも来てくれる。ね、ユヅル」

「そうだな。テリーたちも手伝ってくれたし、みんなでハグリッドのところに行くか。セオドールも連れていこう」

 

 次の魔法生物飼育学で、宣言通りマルフォイは授業が終わるとハグリッドに謝った。そのことにハグリッドは大いに驚いたが、ハリーたちが弁護のための資料探しを手伝ってくれていたと訴えればそれを信じて謝罪を受け入れた。バックビークに会うことはかわなかったが、それでもマルフォイはこれでさらに父親への手紙を書けるだろう。セオドールの話だと、毎日手書きの文書を父親あてに送っているらしい。色よい返事はないようだが。

 

 季節はイースター休暇を迎えようとしていた。

 

 

 

 



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第十四章

 

 

 イースター休暇ではたくさんの宿題が出された。その中でもハーマイオニーの量はすさまじく、見かねた弦はそれを手伝った。

 幸いだったのは彼女が占い学を止めたことだろうか。休暇前にトレローニーと一悶着をおこしてしまったらしい。本人はせいせいしているので良かったとする。

 

 このとき課題の合間でバックピークの控訴準備を目一杯できたのは弦とロンとテリー、マイケル、アンソニー、そしてセオドールだった。ハーマイオニーは大量の課題、ハリーとマルフォイはクディッチの練習にそれぞれ追われていた。特にハリーとマルフォイは試合が近いのでかなり練習して疲れているようだった。クディッチも残るはグリフィンドールとスリザリンの試合のみ。この勝敗が優勝を決めるのだ。

 

 問題だったのはそれぞれが互いの寮に嫌がらせを受けている事だろうか。ハリーはロンが、マルフォイはセオドールが注意を配っていたので怪我はないようだった。それでも集まったときはぐったりとした様子で机に突っ伏している。

 

「マルフォイ……スリザリン(きみら)どうなってるの……」

グリフィンドール(おまえたち)だってすごいぞ……」

 テリーとマイケルが二人の肩を叩いて慰めるのを弦たちは苦笑いで見つめたのだった。

 

 そしてグリフィンドール対スリザリンの試合当日。天候に問題はなかった。せっかくだからと弦も観戦に行くことにした。

 会場は今までにないくらいの盛り上がりを見せ、ほとんどの生徒が見に来ているようだった。

 試合はスリザリンの反則が多く、その中でただただスニッチだけを捜しているマルフォイが浮いて見えるほどだった。ハリーとマルフォイが会場中を飛び回るたびに観客はその様子に目を凝らした。

 

 結局勝ったのはグリフィンドールで、スニッチをとったハリーにマルフォイが悔しげに、それでも仕方ないというふうにどこか晴れ晴れとした顔をしているのが印象的だった。そんなマルフォイにハリーも握手を求めて空中で両シーカーが握手してお互いの健闘をたたえ合うと言う光景に弦たち以外は驚いているようだった。

 

 ピッチがグリフィンドールの色に染まる。グリフィンドール生がなだれ込んで選手たちを持ち上げ、ダンブルドアが自らキャプテンのオリバー・ウッドに優勝杯を渡した。レイブンクローとハッフルパフから拍手が送られ、スリザリンも形式的に拍手する。

 

 それから一週間はグリフィンドールは喜びに満ち溢れているようだった。しかしその気分も六月に入れば途端に引き締まる。学年末の試験が近づいているからだ。とくに五年生と七年生は O.W.L(ふくろう)試験と N.E.W.T(いもり)試験のためピリピリし始めた。

 

 そして同様にハーマイオニーもかなりとげとげし始めた。だから弦は鎮静と安眠の作用のあるハーブを調合し、におい袋にしてハーマイオニーにあげた。枕元に置いておけばよく眠れるからと。

 

 バックピークの控訴裁判の日は決まったが、それまで誰もハグリッドのもとへは行けそうになかった。警備はいっさい緩んでいないからだ。裁判の日は死刑執行人も一緒に来ると言うことですでに判決を決めているのだとハーマイオニーは憤慨していた。マルフォイはとうとう父親から最終宣告が来たらしく、裁判の結果は裁判官次第だと言った。

 

 試験が始まり、生徒達は朝から夜までそれのことで頭がいっぱいになった。弦は同じ寮の者だけではなくハッフルパフの同輩たちに追いかけ回されて勉強を請われることもあった。

 変身術ではティーポットを立派な陸亀に変え、呪文学ではマイケルとお互いに元気の出る呪文をかけあった。呪文学の後にはマグル学と数占い学があったようだが弦はとっていない。一日目はそれで終わった。

 

 魔法生物飼育学は全ての試験の中で一番楽だと誰もが思った。レタス食い虫(フローバーワーム)のお世話という名の放っておけばいいだけだったからだ。ハグリッドは心ここにあらずのようだった。魔法薬学では弦が完璧に混乱薬をつくった同じテーブルで、ハッフルパフのハンナ・アボットが自分の魔法薬と弦のものを見比べて半泣きになった。彼女は魔法薬が苦手なのだ。弦は試験が終わってすぐにそれを慰め、その日の夜にある天文学に意識を切り替えさせた。

 

 水曜日の朝は魔法史だ。ただひたすら記憶した歴史の知識をもとに問題を解いていく。午後の薬草学では温室の中であった。終わる頃にはその日の日差しが強すぎたため首裏を日焼けにひりひりさせる生徒が多かった。弦はあらかじめ日焼け止めを塗っていたためそうでもなかった。その日の試験は古代ルーン文字学を最後に終わった。

 

 木曜日の闇の魔術に対する防衛術の試験が全科目の試験の中で一番人気があっただろう。障害物競争だったのだ。野外に設置された水魔(グリンデロー)の入った深いプールを渡り、赤帽子(レッドキャップ)があちこちに潜んでいる穴だらけの場所を横切り、おいでおいで妖精(ヒンキーパンク)が道を迷わせようとしてくる沼地を抜け、最後に最近捕まったまね妖怪(ボガート)が閉じ込められている大きなトランクに入り込んで戦うというものだった。このクリアタイムを競うのである。

 

 弦は水魔を麻痺呪文(ストューピファイ)で退け、赤帽子はプロテゴを応用して出てくる端から穴に押し戻した。おいでおいで妖精は彼らよりも強い光を杖から出すことでその鬼火の効力を弱めた。

 「おいでおいで妖精(ピンキーパンク)」は旅人を迷わせて沼地に誘い込み、沼に沈めてしまう妖精である。またの名を「ウィルオウィスプ」。「ウィル・オー・ザ・ウィプス」とも言う。彼らは鬼火の妖精だ。そのため 「愚者火(イグニス・ファトゥス)」とも呼ばれ、世界に様ざまな別名がある。

 

 その正体は生前罪を犯し昇天できずに現世を彷徨う魂や洗礼を受けずに死んだ子供の魂、よりどころを求めて彷徨っている死者の魂、ゴブリン達や妖精の変身した姿などと散々な言われようである。

 実際はとある伝承に残っているままだ。一掴みの藁のウィリアム。転じて松明持ちのウィリアム。つまりはウィル・オー・ザ・ウィプス。死後の世界に向かわず現世を彷徨い続けるウィルという名前の男の魂なのだ。

 

 伝承によれば、生前は極悪人だったウィルは遺恨によって殺され、冥府で地獄へ行けと言われる。しかしそこで言葉巧みに自分を裁いた者を説得し、再び現世に生まれ変わった。けれどもウィルは第二の人生でも悪行三昧で再び死んだあとで冥府にて裁くことはできないと言われる。天国にも地獄にも言えず煉獄の中を漂うウィルを哀れに思った悪魔が地獄の劫火から轟々と燃える石炭を一つだけウィルに明かりとして与えた。これがのちに恐れられる鬼火の正体である。

 

 おいでおいで妖精は「鬼火のように幽かで儚げな一本足の生き物」と言われているが、これは実は間違いだ。石炭を入れたランタンの長い柄が一本足に見えるだけなのである。ウィル自身はすでに妖精へと転じたためかとても小さく、その姿は頭から足先まで覆うローブによって隠されていた。その小さな身体はランタンの柄の中腹にくっつくようにしてしがみついている。そのまま撥ねるように動くので、一本足ではねているようにみえるわけだ。暗闇の中で儚く武器に揺らめく鬼火を見ればそちらにばかり気を取られてしまい、正確に妖精の姿を確認できないのは無理もない。

 

 その鬼火をつくりだしている石炭は冥府のものだ。燃え尽きることはなく、ウィル・オー・ザ・ウィプスが一番大事にしている。温かく消えない炎は時として旅人の命を救うこともあるそうだが、たいていは沼地で沈む。

 ようは鬼火の光に惑わされなければいいので、弦はそれが霞むくらいの光を生みだした。予想通り鬼火は霞み、誘惑の効力は薄まったのだ。

 

 まね妖怪が潜むトランクに入ると、まね妖怪はやはりあの不気味な姿へと変わった。三種類のお面とひきずるほど長い漆黒の布。リディクラスと唱えてその姿を花柄の愉快なものへと変えてやれば恐怖はない。

 トランクを脱出した後、ルーピンは弦のクリアタイムの速さを褒めた。ハリーと同列一番だと言う。

 

 最後の試験は占い学だったが、弦たちはとっていなかったので防衛術の楽しい試験の後の清々しい気持ちのまま一足さきに解放された。

 

 その日の夕食で、弦たちはハーマイオニーがさりげなくよこした手紙でバックピークの処刑が決まったと書かれていた。ハリーたちは三人で夕食後、ハグリッドのもとを訪ねると言う。弦はすぐさまセオドールに頼んでマルフォイに夕食を早めに切り上げさせた。二手に分かれてホグワーツの厨房に集まる。

 そこで弦は簡単な軽食をつくりながら計画を練った。

 

「ハリーたちがハグリッドのところへ行く。処刑が決まったからバックピークは必ず殺されるだろう。だからその前にバックピークを逃がす」

 こんなこともあろうかと準備をしていたのだ。

 

「私とテリーがまずバックピークを連れ出す。だからマイケルとアンソニーはヒッポグリフの放牧場でシャタンを捜しておいて。魔法薬でこげ茶色に染めたバックピークを彼女にまかせる。マルフォイとセオドールはその間、裁判官たちを見張っていてほしいだ」

 軽食を籠にいれて鞄の中に収め、行動を開始する。

 

 弦がテリーとマルフォイ、セオドールと共にハグリッドの小屋のすぐ傍に繋がれているバックピークのもとへ行ったとき、裁判官と処刑人、そして一緒に来ていた魔法大臣はハグリッドの小屋の中にいた。ハグリッドだけではなくダンブルドアも一緒だ。

 

 杭に繋がれた鎖を慎重に外し、餌でバックピークを誘導する。マルフォイとセオドールはここに残って処刑人たちの見張りだ。彼らが城に戻ったら放牧場に来る手はずになっている。

 放牧場に向かう道すがらでバックピークの毛に魔法薬をつけた。そこからあっというまに焦げ茶色に染まったバックピークはまるで別のヒッポグリフのようだ。

 

 アンソニーとマイケルはシャタンをしっかり確保していてくれたらしい。二匹のヒッポグリフが身を寄せ合って落ち着くと、全員が一気に脱力した。しばらくしてマルフォイとセオドールがやってくる。

「いなくなったことで騒ぎになったけど、逃げたのなら仕方ないからって大臣たちは城に戻った」

「ヒッポグリフは翼があるからな。空に逃げたと思い込んでいるようだ。ここにいればしばらくはばれない」

 

 二人の言葉に弦も頷く。

「叔父に頼んでこの二匹を引き取ってもらうよ。私の国でヒッポグリフを面倒見てくれるのに丁度いい人がいる」

 こうなることを見越して、染色薬と引受人を捜しておいて良かった。

「いったん、城に戻ろう」

 

 三手にわかれて別々の入り口から城に戻る。そこで弦とテリーはスネイプが何かを手に持ってルーピンの部屋に入っていくところを見た。なんとなく身を隠す。

「例の薬か?」

「たぶんね……あれ?」

 

 勢いよくスネイプが部屋から飛び出した。その手には何もない。扉を閉めるのも忘れて駆けていくスネイプに二人で首を傾げた。

「なんだ?」

「さあ……ルーピン先生が部屋にいなかったのかもしれない」

 

 空いた扉から部屋を覗くとそこには誰もいなかった。試験に使われた魔法生物がいる。机の上には煙をあげるゴブレットが置きっぱなしで、そのそばには見たことのある地図が広げられていた。

「地図?」

 テリーが首を傾げる横で、ざっと全体を見る。ハリーたちの名前が地図のどこにもない。スネイプの名前が走っていた。その向かう先を指で辿って、暴れ柳のところをルーピンがくぐったところを見つける。そこから先、彼の名前は見えなくなった。

 

「テリー、来て!」

 すぐさま弦はゴブレットの中身を瓶に移し変えるとすぐさま駆けだした。テリーが慌てて追いかけてくる。

「何だ!?」

「ちょっと事態が悪い方向にいってるかも!」

 

 走りながら守護霊を呼び出し、アンソニーたちに伝言を任せる。このまま寮に戻るはずだったのに、弦もテリーも戻らなければ同寮の二人は何かあったと思うだろう。

『緊急事態発生。戻らないからあとは任せた』

 この伝言でなんとかしてくれることを祈るばかりだ。

 

 校庭にでて暴れ柳に向かう。影からレグルスが飛び出した。暴れ柳が暴れるのでそれを上手いぐらいに潜り抜け、何かを察して根元のこぶの上に乗る。ぴたりと暴れ柳が止まった。

「レグルス、良くやった!」

「すげぇ。暴れ柳ってこれやれば大人しくなるのか」

 

 二人が根元の穴に滑り込めばレグルスはそれを追ってきた。穴の先はどこかに繋がっているようで地下洞窟が続いている。

「この先って方角的に叫びの屋敷か」

 ホグズミードの外れにある屋敷は誰も住んでいないのに夜な夜な叫び声が聞こえるという噂があるそうだ。だから「叫びの屋敷」と呼ばれ、呪われていると怖がられている。

「うん。さっきの地図はホグワーツ校内にいる人間全ての居場所を知ることができるものなんだ。確かハリーがルーピンに没収されたって言ってた」

 

 ロンと二人でホグズミードに出かけた日に、ハリーが抜け道を使って帰ったところをスネイプに見つかったらしい。そこで持ち物を検査され、忍びの地図は怪しい品として没収された。それから専門分野ということでルーピンにわたったらしい。ハリーは彼に地図を隠し持ち、ホグズミードに言ったことをこっぴどく叱られたと言う。

 

「その地図、もとは誰のものなんだ?」

「さあ。つくり手は知らない。ウィーズリーの双子がフィルチの没収品から盗み出したらしいよ」

「あの双子の悪戯が成功するわけだ」

 道はやはり叫びの屋敷に繋がっていた。二階から話し声が聞こえる。弦とテリーはお互いに杖を持った。

 

 魔法で二人と一匹の発する音(足音や衣擦れ、息遣いなど)が消し、そろりそろりと二階へ向かう。話の内容が聞こえてきた。スネイプの声だ。

「吾輩が人狼を引きずっていこう。吸魂鬼がこいつにキスしてくれるかもしれん」

 次いでばたばたという足音がする。

 

「どけ、ポッター。おまえはもう十分規則を破っているんだぞ。吾輩がここにきてお前の命を救っていなかったら、」

「ルーピン先生が僕を殺す機会は、この一年に何百回もあったはずだ」

 スネイプの声を遮ってハリーの声がする。弦たちはタイミングを慎重に推し量った。

「僕は先生に、何度も吸魂鬼防衛術の訓練をしてもらった。もし先生がブラックの手先だったら、そういうときに僕も一緒にいた弦も殺してしまわなかったのは何故なんだ?」

 

 レグルスに指示をだし、部屋の入口近くにいるスネイプの背後に飛び出せるよう構えさせた。

「人狼がどんな考え方をするか、吾輩に推し量れとでも言うのか」

 音を消していた魔法を解く。弦たちは一歩踏み出した。

 

 

 

 






 誤字報告がありましたので、訂正しました。
 失礼しました。
 報告、ありがとうございました。


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第十五章

 

 

 

「いいえ、結構です」

 弦が声を発するのと同時に、レグルスがその身体を一番大きくした。それは成人男性であるスネイプの身長よりも大きい。その口がスネイプの後頭部に位置する姿勢のまま、レグルスは動かない。

「指一本でも動かしたら、頭と胴体がおさらばしてしまうのでお気を付け下さい」

 

 弦が室内に踏み込めば、そこは混とんとしていた。ロンは怪我をしているし、それをかばうようにハーマイオニーが傍にひかえている。ハリーはスネイプと対峙していたし、ルーピンは縄で縛られていた。そしてシリウス・ブラックもまた縛られ床に転がされていた。

「はい、失礼」

 テリーがスネイプの手にある彼の杖をとった。

 

「ブート、貴様……!」

「睨まないでくださいよ。今、先生に動かれると都合が悪いだけですって」

 スネイプの地を這うような声も射殺さんばかりの睨みもテリーには訊かない。その杖をもったまま、テリーはスネイプから身を引いた。そして自分の杖でルーピンを縛る縄をほどく。

 

 その間に弦はロンたちの傍に寄った。脚の怪我を見るためにズボンを膝までまくり上げ、光をあてて傷口を観察した。

「ユヅル、私達、あの」

「いいよ。だいたい状況はわかってる。まずはロンの治療が先だ」

 獣に噛まれたような傷口をまず綺麗に洗い、細菌を殺す薬をかけてから止血用の塗り薬を塗る。布をあてて包帯を巻き、ロンに丸薬と水の入ったコップを渡した。

 

「痛み止めだ。丸飲みしろ」

「これを?」

「なんだ。苦い魔法薬を飲むのは嫌だろう?」

「わ、わかった」

 

 黒い丸薬を飲み干すところを見届けてから振り向くと、テリーが椅子にスネイプをくっつけているところだった。辛うじて両腕は動くようだが、杖はテリーにとられたままだし、何より傍にはレグルスが備えている。

 

「テリー……何してんの」

「いや、いつまでも立たせとくのもあれじゃん。レグルスも疲れるだろうし、ならいっそのこと椅子とくっつけて動けなくさせたほうがさ」

「やるなら保険に縄も巻き付けなきゃ駄目だろう」

「そっち!?」

 

 ハリーの声を無視して弦は杖を動かしてスネイプの胴体と椅子を一緒に縛った。

 さて、と弦はロンが丸薬を飲むためにハーマイオニーの手の中に移動したスキャバーズを見る。鼠は必死にもがいており逃げ出そうとしているようだ。その手の指が一本欠けているのを見て、弦はハーマイオニーに笑いかけた。

 

「ハーマイオニー。ここに丁度いい籠があるからスキャバーズをいれておくといい」

 彼女は素直に従った。網目の細かい籠の蓋を開けるとその中にスキャバーズをいれた。素早く蓋を閉めて弦は言う。

「ピーター・ペティグリュー、捕まえた」

 

 その瞬間、籠を封印術が覆い尽くした。これで蓋は弦が良いというまで外れず、さらに中では魔法はいっさい使えなくなっている。それすなわち、ペティグリューは外に出れないということだ。

 籠を持った弦をテリー以外の全員が驚きの目で凝視する。弦はそれに気が付いて「とりあえず」と口を開いた。

「ゆっくりお茶しながら話すか」

 

 

 

 

 

 

 

 テリーが汚い床を魔法で少しばかり綺麗にし、やはり魔法でまっさらに近く綺麗にされた絨毯を弦が広げた。その中央につくった軽食と缶詰クッキー、そして人数分の紅茶を並べる。スネイプは椅子に座っているのでテリーがテーブルをその横におき、その上にクッキーと紅茶の入ったカップをおいた。

 

「それで、どこまで聞いたんだ?」

 弦の問いかけにハリーたちは答えあぐねている。上手く説明できるまで待っておこうと思ってすぐ、ルーピンがチョコチップクッキーに手を伸ばすのが見えた。

「ルーピン先生ストップ」

「え?」

「先生はこれ飲んでからじゃないと紅茶にもお菓子にも手をつけないでください」

 

 鞄の中から瓶を取り出してルーピンの傍に置いた。テリーも思い出したのか「あ、それ」と言う。

「それは?」

 ハリーが首を傾げるので弦はさらりと答えた。

「脱狼薬。先生の部屋に置きっぱなしにされてたからもってきた」

 それはさらなる衝撃を生んだようだった。

 

「ユヅル、気付いてたの!?」

「ハーマイオニーだけだと思ってたのに!」

「ハーマイオニーも気付いたのか」

「ええ。私はスネイプ先生が人狼のレポートを課題に出し時とからだけど、あなたは?」

「スネイプ先生がルーピン先生に薬を持ってきた時だな。あれはハロウィーンのときか。臭いで分かった」

「君の鼻どうなってるの……」

「薬に関しては判別がつくくらいには優秀なつもりだ」

 

 これにはスネイプも驚いたようだ。

「別に言いふらす気はなかった。ただ今回の一連のことを考えるに当たってテリーたちには話したけど」

「先生が人狼じゃなかったら説明がつかないことがいくつかあったもんな」

 人狼と聞いても怯えた様子のない二人にロンが「君達、怖くないの!?」と言った。テリーはクッキーを手に取る。

 

「べーつーにー。俺らに被害があるわけじゃないし。ただ生き抜くいだろうなぁとは思った」

「ルーピン先生は早くその薬飲んでくれませんか。今日は満月ですよ」

 満月と言う言葉にルーピンは素早く瓶の中身を煽った。全て飲み干したあとその味に顔をしかめている。口直しに今度こそチョコチップクッキーを手に取った。

 

「満月って、危ないんじゃ……」

「最終手段は考えてるから大丈夫だ」

「それってルーピン先生をどうにかするってことじゃないよね……?」

 ハリーの怖々とした物言いに弦は「失礼な」と眉をよせる。

 

「雨を降らせるんだよ。空を雲で覆ってしまえば満月を見ることはないだろう」

「できるの?」

「なんなら嵐を呼んでやろうか? 言っとくけど制御が難しいからかなりひどいの呼ぶ自信あるぞ」

 天候を操るのはひどく難しいのだ。雨の度合いを細かく制御することはまだできない。

 

「とにかく、三人ともルーピン先生が人狼であることは聞いたわけだ」

「あ、そうだった」

 ハリーたちは落ち着いたようで、ハリーが代表して何があったか話してくれた。

 

 ハグリッドの元へいったあと、三人はハグリッドの家にいたスキャバーズをつれて城に戻ろうとした。しかしそこでスキャバーズはロンの手から脱走。再び捕まえたところに黒い大きな犬が襲いかかかってきた。犬はロンの足を噛んでいずこかへ引きずっていく。それを追いかけたハリーとハーマイオニーは暴れ柳に苦戦しつつもこの叫びの屋敷に辿り着いた。そこでその犬がブラックだということを知り、さらにルーピンが追いついてきてブラックの味方だということを知る。そこへスネイプが乱入したと言う事だった。

 

「成程」

「うわ、俺らの推理もしかして大当たり?」

「そうなったな」

「推理?」

 ハリーたちが首を傾げるので、簡潔に弦は軽食を食べている痩せ細ったシリウス・ブラックを示した。

 

「私達、その人が冤罪だと推理したんだ」

「はあ!?」

 揃って声をあげる三人と驚く大人たち。弦は続ける。

「順を追って話す。夏休みの時にハリーが漏れ鍋に保護されていただろう」

「う、うん」

 

「そのときにただの魔法使いの家出にしてはハリーの待遇が良すぎると思ったんだ。私には魔法省が法律を曲げてまでハリーをホグワーツに戻したいように見えた。そこでシリウス・ブラック脱獄の話を聞いて、納得した。ブラック家は純血主義で有名だからな。そのときは闇側の人間が脱獄したんだろうと思った。闇側の魔法使いは言うならば闇の帝王の配下だ。アズカバンを脱獄するくらいだから、ハリーを狙うだろうと考えた」

 

 だがそれにしてはハリーの扱いがおかしい。マグルの家にいてもブラックがその居場所を知るはずないのに、わざわざ漏れ鍋にいるのだ。

 

「なぜそこまでブラックに対して魔法省が警戒しているのかわからなかった。だから調べてみたんだ。それにテリーたちも協力してくれた。マイケルとアンソニーは純血の家の出だからブラック家そのものについて調べ、テリーはシリウス・ブラック個人について調べた。私は脱獄方法に使えそうなものを調べた。それでまずわかったのが、シリウス・ブラックとハリーのお父さんであるジェームズ・ポッターが交友関係にあったんじゃないかと言う事だ」

 

 テリーがそこで一枚の写真を出した。例のクィディッチ選手が集まったものだ。

 

「これ、うちの親父のアルバムにあったヤツ。ここにブラックとポッターにそっくりな男子生徒が肩組んでるだろ。で、その手前にルーピン先生がいる。その横の奴がペティグリューな」

「この写真を見てまずは固有関係を疑った。そしてホグワーツにルーピン先生がきたことで、先生もそうだったんじゃないかと考えたんだ。ただ、ペティグリューに関してはそのときはまだわからなくて、もう一人仲が良い男子生徒がいたという認識だった。あ、ついでにスネイプ先生とハリーのお父さんが仲悪かったって聞いたことあったから、ルーピン先生たちも敵視されてるんだろうなとも思った」

 

 そしてブラックとハリーの父親が同じクディッチ選手であったことはトロフィー室のトロフィーで知ることができ、そこから親友だったという線は濃厚になった。

 

「だからそこで、シリウス・ブラックの人格について考え始めた。ブラック家はかなり強い純血主義をかかげている。マグル排斥派だな。この家に生まれたらホグワーツに入る前からそれなりの思想教育は受けているはずだ。けれどグリフィンドール生だった。このことは家に対する強い反発心の現れじゃないかと思った。だからここで、シリウス・ブラックは純血主義ではないかもしれないと予想をたてた」

 

 そのためジェームズ・ポッターとも友達になれた。

 

「ブラックの経歴を調べるうちに彼が家を勘当されていることや闇払いに勤めていたことがわかった。だけどクリスマス休暇にハリーから話を聞くまで友達であるという確証が得られなかった。さらにいえばなんで闇側についていたのかも。一つ奇妙だったのは、ホグワーツ生だったのにハロウィーンの日にグリフィンドール寮に侵入したことだな。夜の宴会があって生徒はいつもより寮に戻るのが遅いと知っていてもおかしくはない。なのに侵入しようとしたことがひっかかった。日付の感覚がおかしくなっていることや考えなく侵入したことも考えたけれど、もしそうじゃないなら狙いはハリーじゃなくて別の何かじゃないかって」

 

 そして推理を進めていくうちに、十二年前の事件で死んだピーター・ペティグリューという魔法使いのことも気になった。

 

「彼と、写真のもう一人の男子生徒について調べたんだ。そのときはまだこの二人が同一人物だとは思わなかった。死んだピーター・ペティグリューの写真があれば気付いただろうな。でもクリスマス休暇にハリーが教えてくれた話でこの二人が同一人物であることも、ハリーのお父さんと親友であったこともわかった。シリウス・ブラックが『秘密の守り人』だったことも」

 

 その裏切りを知ってハリーはブラックを憎んだ。しかし真実はそうじゃない。

「ハリーのお父さんが親友であるシリウス・ブラックに『秘密の守り人』を定めるのは不自然じゃない。だからこそ、おかしいと思ったんだ」

「え?」

「私が敵なら考えるよ。ポッター家の隠れ家をシリウス・ブラックなら絶対に知っているはずだ。なにせ彼はジェームズ・ポッターの唯一無二の親友なのだから」

 さらにいえばシリウス・ブラックは家に勘当されるくらい闇側に反発心を持っているのだ。

 

「あの当時、『秘密の守り人』という存在はとても重要なものだったはずだ。その人が口を割らなければずっと秘密は守られる。ブラックは狙われただろう。そして敵の意表をつくために『秘密の守り人』にならなかったとしたら? 私たちは本当はそれがピーター・ペティグリューだったんじゃないかと考えた。落ちこぼれだと言われていた彼が大事な守り人だなんて誰も考えない」

 

「そんな……でもそれは全てユヅルたちの勝手な推理だろ!?」

 

「そうだよ。ここでルーピン先生じゃなくペティグリューじゃないかと思ったのはわけがある。一つは彼が動物もどきかもしれないと思いたったからだ。きっかけはルーピン先生が人狼だったことと、アズカバンからの脱獄方法だな。杖が取り上げられている状態で、どうやって脱獄したのか本当に謎だった。でも動物もどきなら杖が無くても変身できるし、魔法省に未登録なら誰もシリウス・ブラックが動物もどきだなんて思わない。そして動物もどきを習得した理由はあった。ルーピン先生だ」

 

 彼が人狼だからこそ、シリウス・ブラックは動物もどきとなった。

 

「人狼は満月の夜に変身し、理性を失って人間に攻撃的になる。それは脱狼薬で少しは抑えられるけど、苦しみは残ってしまう。自分自身をひっかいたりして傷つけてしまうほどの苦しみだ。ただ、変身した人狼は人間でないなら攻撃的にはならない。だから先生の親友であるシリウス・ブラックとハリーのお父さん、そしてピーター・ペティグリューの三人は動物もどきを習得したと考えた。満月の夜に先生と一緒にいても大丈夫なように」

 

 そしてそれが事実なら、あの事件の不可解な点も説明がつく。

 

「私は十二年前のあの事件がとても不自然だった。シリウス・ブラックは裏切り、それをピーター・ペティグリューが追いつめた。しかし彼は小指一本を残して消し飛ばされ、その爆発はマグル十二人を巻き込んだ。おかしいと思わないか? 何故、マグルの通りでそんな大騒ぎを起こしたんだ。死の呪文を使えば、落ちこぼれのペティグリューなんて一発で殺せるのに。ブラックは一番に疑われたから逃げなければならなかった。逃亡中に身を隠すでもなくそんな騒ぎを起こすのはあまりにも不自然だ。そして、ペティグリューが小指一本遺して死んだことも不自然だった。マグルが十二人も殺された爆発だぞ。ペティグリューの身体が粉々になったとして、残された血痕が少なすぎる。逆に言えば、小指といくばくかの血を残して消し飛んだなら周りへの被害が小さすぎる」

 

 もっと大参事になっても良かったのに、それはあまりにもおかしかった。

 

「小指も小指と判別できるくらいに綺麗に残っていたんだろう? 身体の他の部位は全て消し飛ぶくらいの爆発だったのに、あまりにも不自然だ。だから小指だけ切り落として、動物もどきとなって逃げ、ブラックに全ての罪をかぶせたと考える方がとてもしっくりきたんだ。ブラックは冤罪で捕まり、ペティグリューは動物もどきの姿のままウィーズリー家で十二年の間を過ごした。姿を現さなかったのは、現せなかったんだ。ポッター家を襲撃した闇の帝王は倒れ、闇の勢力は衰退した。その原因はペティグリューがポッター家の場所を教えたことだと言われればその命を闇側の連中から狙われる。だから全て死んだことにして自分はいないことになれば、誰にも狙われない。全ての真実を知るシリウス・ブラックがアズカバンでそのまま死んでいれば、ペティグリューは誰にも害されない日々を送ってただろうな」

 

 けれどブラックは脱獄した。

 

「―――というわけだ。最後まで謎だったのはブラックがどうして十二年経った今、脱獄したことだな。最初からペティグリューを狙っていたのなら、居場所がわかったのは何故か、それだけがわからなかった」

「新聞だ」

 弦の疑問に答えたのはブラック本人だった。

 

「日刊預言者新聞でペティグリューが映っているのが見えた。指のかけた鼠がな。アズカバンにきたファッジが持ってきていた新聞をもらったんだ」

「あっ、エジプト旅行の時の!」

 ロンがそう声をあげた。なんでもウィーズリー家は宝くじがあたってその賞金で長男がいるエジプトに旅行に行ったらしい。そのときの家族写真が日刊預言者新聞に掲載されたそうだ。ロンの腕の中にはスキャバーズがいた。

 

「成程。これで繋がった。以上、私たちの推理は終わり」

 紅茶で喉を潤す弦に、ブラックは心底感心したというふうな声色で言った。

「君達の推理はあたっている。十二年前、『秘密の守り人』はピーターだった。私がジェームズにそうするよう言ったんだ。リーマスと私は当時、お互いのことを敵のスパイなのではないかと疑っていた。ピーターしかいないと思ったんだ。しかし奴は裏切った」

 そしてあのマグルの往来で、彼はことを起こした。

 

「全て正解だ。あの日、追いつめたのは私の方だ。しかしピーターは姑息にも小指を切り落として逃げた」

 彼によれば、このホグワーツで犬の姿のブラックを最初に見つけたのがクルックシャンクスだという。彼女は賢く、ブラックの話を聞いてくれた。そしてブラックのために執拗にペティグリューが変身した姿のスキャバーズを追い回し、なんとかブラックのところにつれていこうとしてくれていたらしい。

 

 憎々しげにペティグリューの入った籠を睨むブラックの横で、ルーピンが弦に言った。

「よく、そこまで考えたね。君の推理力には恐れ入ったよ」

「ハリーが狙われているなら他人事はすみませんから。いつも巻き込まれてこっちの命が危なくなる」

 その言葉にハリーは「僕のせいじゃないのに」とこぼすので、弦も「知ってる」と返す。

 

「私は大人の都合に子供が振り回されているのが馬鹿げてると思っただけだ。闇の帝王たった一人の影響でハリーはずっと嫌な目にあう。子供が大人のために命を落とすなんて愚かなことはあってはいけないんだよ。たとえそれが親子でもね。子供のために親が死ぬことは愛かもしれないけれど、親より先に死ぬ子供はただの親不孝ものだ。そして大人のために子供が死ぬような社会は正しいとは言えない」

 

 子供が笑って、健やかに大人になれるまでの環境を人は素晴らしい社会と言うのだ。

 ふとハーマイオニーが疑問を漏らした。

「でも、どうしてペティグリューは寮の部屋でハリーと三年間も一緒だったのに、ハリーを傷つけなかったのかしら?」

 

「さっきも言ったけど、闇側に狙われるからだろうな。闇の帝王が力のない今、闇側についても命が危ないだけだ。自分の居場所がばれるくらいなら、ペティグリューは沈黙を守って自分の命を守ったんだろう。そして闇の帝王が復活したら、真っ先にハリーを殺してそれを手柄に闇側に戻るつもりだった」

 それは当たっているだろう。人の腰巾着ばかりのこの男の考えそうなことである。

 

「ただ、そうしても闇の帝王に殺されるだろうな。去年のトム・リドルの様子をみるにそれで間違いない。ハリーは自分の手で殺したいと考えるような奴だ。ペティグリューが戻ったとしても、もう用済みだと言われて始末されそうだ。いつ裏切るかわかったものじゃないし」

 結局のところ、ペティグリューに安息の日など来ないだろう。死ぬその直前まで、強大な力に怯えて生きる。

 

「積み重ねた業が深すぎる。断言しても良い。ピーター・ペティグリューはろくな死に方をしないだろう。巡り巡って、全部自分に返ってくる」

 愚かで可哀そうな人だ。こんな生き方しかできないなんて。

 そう言ってとんとんと弦は籠を指で叩いた。

 

「これは私がペティグリューの名前をフルネームで言って『解放する』と言うまで開かない。それにすべての魔法が無効化されているから、動物もどきの姿も解けているだろう。ダンブルドアの前で出したら、冤罪もとけて真犯人のこいつはアズカバン行きだな」

 その言葉にハリーも頷いた。

 

「うん。真相は白日のもとにさらさないと。僕の両親が殺される原因をつくったのがこの人なら、魔法省につきだしてアズカバンに行ってもらう。僕はそれがいい」

 ハリーの言葉に、ブラックは「本当にそれでいいのか?」と何度も問いかけた。けれども絶対にそこは譲らないと言うハリーに折れて、ブラックもそれに同意する。

「ユヅル。これでいいんだよね?」

 確かめるようなハリーの問いかけに、弦はしっかり頷いて見せた。

 

「君は正しい。十分だ。よく頑張った」

「うん……」

 涙をにじませるハリーの頭を軽くぽんぽんと叩き、それから「そういえば」と言った。

 

「バックピーク、処刑されてないぞ」

「えっ!?」

「本当!?」

「どうやって!?」

 途端に食いついた三人にテリーと二人で笑った。

 

「君らがハグリッドの小屋を出てすぐに逃がしたんだ。私とテリー、マイケル、アンソニー、そしてセオドールとマルフォイの六人で協力して。体毛の色をかえて放牧場の群れの中にまぎれこませてる。叔父に頼んで、あともう一頭と一緒に譲ってもらうつもりだ。そのまま日本に送って、そこで面倒を見てくれる人に渡す。稀少な魔法生物たちを集めて絶滅しないよう世話をしている人だから安心してまかせられる。ちょうどペティグリュー捕縛に一役買ってるし、ダンブルドアも了承してくれるだろう」

 

「やった!」

 喜んで手を叩きあう三人。他の四人にお礼を言わなくちゃとはしゃぐ彼らに「内密にしろよ」と言っておいた。

 

 

 

 

 






 誤字報告がありました。ありがとうございます。
×ジェームズ・ブラック
○ジェームズ・ポッター
 失礼しました。
 これからもよろしくお願いします。


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第十六章

 

 

 

 

 それから吸魂鬼に襲われる前にと全員で城に戻る。ブラックだけは用心してハリーの透明マントをかぶった。スネイプは全ての真相を知れたからかブラックを睨むだけだった。減点しなかったのは今回の真実がスネイプにとってもかなり重たいものだったということだろう。

 

 空模様は弦が雨を呼んだために悪く、分厚い雨雲が月だけではなく空全体を覆っていた。弦が「あ、やりすぎた」と言った瞬間に土砂降りとなってしまったのだ。別に悪気があったわけじゃない(濡れないよう魔法で防御した)。

 

 全員で校長室に赴き、そこで弦が籠からペティグリューを解放した。すぐに捕縛されたペティグリューは駆け付けた闇払いによってアズカバンへ護送された。そのときしっかりと鼠の動物もどきあることを言ってあったので、護送中に逃亡を図ることはかなわなかったようだ。

 

 シリウス・ブラックが冤罪だったことはその場にいた大臣も認め、諸々の面倒なことは残っているが彼が自由の身になるのも近いだろう。ブラックが動物もどきであることは黙秘されたが、ダンブルドアにだけは全ての真相が明かされた。

 

 そのときちゃっかりヒッポグリフ譲渡のことも弦はとりつけたので、さっそく叔父に手紙を送った。ハグリッドにもダンブルドアから全ての詳細が語られるだろう。

 弦たち生徒はロンの怪我のこともあって医務室に連れて行かれた。そしてそこで一夜を明かしたのだ。

 

 次の日になって先生から知らされたのだろう。マイケルとアンソニー、そしてセオドールとマルフォイが医務室にやってきた。他の生徒はホグズミードに行っていて城に残っているのはわずからしい。

 朝刊でブラックが実は冤罪であることが発表されたと彼らは教えてくれた。だから昨日のことを全て包み隠さず話したのだ。

 

 ただ一つ残念だったことがある。スネイプがスリザリン生にルーピンが狼人間であることを話してしまったことだ。それによって彼は自ら辞任した。ハリーに忍びの地図を渡してくれたと言う。学校を出たらブラックと共に暮らすそうだ。十二年の歳月の穴を埋めるように彼らは過ごすのだろうなと思った。

 

 ルーピンと、それからその後ダンブルドアと話したその日の夕方、ハリーたちは湖の傍にいた。弦たちレイブンクロー組もマルフォイとセオドールのスリザリン組も一緒である。

 ハリーはそこで、試験の日のトレローニーの様子を聞かせてくれた。

 

「そのとき、トレローニー先生はなんだか普通じゃなかった。しわがれた声で言ったんだ。ええっと……」

 細部までは思い出せないと言うので、弦は一つの魔法道具をハリーに渡した。記憶を写してくれるメモ帳である。悪戯グッズだとテリーたちがホグズミードのお土産に買ってきてくれたものだ。一週間以内の記憶なら鮮明に記してくれるらしい。

 

 メモ帳に記されていたのはこうだ。

『闇の帝王は、友もなく孤独に、朋輩に打ち棄てられて横たわっている。その召使いは十二年間鎖につながれていた。今夜、真夜中になる前、その召使いは自由の身となり、ご主人様の下に馳せ参ずるであろう。闇の帝王は、召使いの手を借り、再び立ち上がるであろう。以前よりさらに偉大に、より恐ろしく。今夜だ……真夜中前……召使いが……そのご主人様の……もとに……馳せ参ずるであろう……』

 

 このことをダンブルドアは「トレローニー先生の本当の予言」と言ったそうだ。これが二つ目だと。

「『召使い』はペティグリューのことだな。動物もどきのままの状態から戻れなかったから『十二年間鎖につながれていた』だ。あのときペティグリューを捕まえなかったら、その予言があたったことになる」

「でも、トレローニー先生だよ?」

 

 ロンの言葉にハーマイオニーがうんうんと頷いた。他も同意しているような雰囲気なので、弦はしょうがないと言っていなかったことを告げる。

「ずっと言っていなかったけど……トレローニー先生は物凄い降霊体質だぞ」

 

 降霊術。霊をその身に降し、占いによる信託を授かる者である。ネクロマンシーという言葉の本来の意味はこっちだ。それが現代になって死者を甦らせる死霊術を表す言葉となっている。日本で言えば「こっくりさん」も降霊術の一種だ。

 

「霊を降ろしやすい体質の人っているんだよ。トレローニー先生は占いの腕はまあまあだけど、降霊術に関してはその体質のおかげで一級品のはずだ。本人に自覚はないようだけど。あの人を初めて見たときは驚いた。日本でもあそこまでの人ってなかなか見かけないから」

 

 その手の家系の人でもなかなか見ないくらい、かなりすごい体質だったのだ。本当に驚いた。そしてその素質には一目置いている。その素質には。

 

「確かトレローニー先生の祖先ってすごい予言者がいたんだろう。きっとその祖先を降ろしてるんだろうな。二度目ってことは過去になにか予言を残していて、それは当たったんだろう。今回の予言も当たったらすこぶる面倒くさいな」

 だって闇の帝王が復活って。しかもさらに強力に。面倒くさいことこの上ない。

 

 弦のあまりの物言いに顔をひきつらせたハリーたちは絶対に予言の通りになりませんようにとそれぞれ口にした。特にハリーと必ず闇側に巻き込まれるマルフォイは心底そう願っているようだ。

 

「あと、ダンブルアは僕とペティグリューの間に縁が結ばれたって言ってた。もし、予言通りペティグリューが逃げ出したなら、僕は闇の帝王のもとに借りのある者を腹心として送り込んだんだって」

 

「だろうな。縁っていうのは、特に魔法使いとか魔女とかそういう力を持つ人間にとってはすごく重要なものだ。ペティグリューは今回、君の判断でブラックに殺されることなくアズカバン送りにされた。それは言い換えれば、君が命を救ったことになる。ペティグリューの運命を変えた君は大きな借りが奴にあるんだ。その借りを持ったまま、のうのうと自分の下に来たペティグリューを闇の帝王が歓迎するとは思わない。ペティグリューがそれに思い至っているかどうかは知らないけど」

 

 ともかくそうしてできた縁は決して途切れない。

「一種の呪いだな。『命を助けられた』ということは必ず奴の中に残っている。それがいつか、奴の足枷になるだろう。ハリーにとっては良い方に転ぶさ」

「だといいけど……やっぱり嫌だなあ」

「良縁も悪縁も、全部ひっくるめて縁だ。諦めろ」

 

 言い切った弦にハリーは渋々納得したようだ。そんなハリーの気分を変えるように、弦は「幸せか?」と問いかけた。

「え?」

「いいから答えろ。幸せか?」

 少し黙った後、ハリーは「幸せ、かな」と答えた。それに一つ満足してから弦は杖を出した。

 

「ハリー、杖を出せ。同時に守護霊の呪文だ」

「ええっ」

「ほら、すぐに。テリー、十秒カウント」

「任せろ。十、九、八」

「わああ、待って待って」

 慌てて杖を引っ張り出したハリーと同時に杖を構える。

 

「三、二、一―――零!」

「エクスペクト・パトローナム!」

 二人の杖先から銀色の光が溢れた。弦のもとからは大虎がいつものように飛び出す。

 そしてハリーの杖からは力強い雄鹿が飛び出した。立派な角に、しなやかな身体。その四肢でしっかりとハリーの目の前に立っている。

 

 虎と鹿は自由に宙を駆け回った。その様子に全員が見入った。

 ハリーの守護霊がハリーの父親と同じ姿であることはこのときは誰も知らなかった。

 

 彼は母の愛だけでなく、父の愛にもしっかりと守られていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学期の最終日に試験結果が発表された。弦は必須科目だけで言えば例年通り首席で、さらに言えばすべて満点以上の点数を叩きだしていた。次席がハーマイオニー、三席がマルフォイだった。当然、選択科目をいれればぶっちぎりの一位はハーマイオニーだ。

 

 寮杯は三年連続グリフィンドールが獲得した。クィディッチの成績が存分に影響したらしい。レイブンクローはまた二位だった。

 ハーマイオニーはマグル学も止めてしまった。全科目履修と言うのは本当に大変だったようだ。逆転時計も返したと弦だけこっそり教えてくれた。来年から彼女はもっと楽に、それでもしっかりと勉強に打ち込むだろう。

 

 ハリーは夏休みの半分をダーズリー家、もう半分をブラックやルーピン先生と過ごすそうだ。ハリーの親権は未だダーズリー家にあり、ダンブルドアが完全にそこから切り離すことはできないとブラックを説得したらしい。ハリーは半分だけでも必ずダーズリー家を出られることを喜んでいた。

 

 弦はただひとり、それはハリーの中の母親の愛が関係しているのではないかと思った。彼の母親が自分の命と引き換えに施した愛の魔法が、彼女の親族という血縁者の存在で強く保たれているのではないか、と。だからハリーはあのマグルの家に預けられたのだろう。確証はなかったからハリーには告げていない。ただ、ダンブルドアはこのことを知っているような気がした。

 

 ロンは足の怪我もすっかり治り、怪我をさせたお詫びにブラックから豆梟が贈られた。小さなその梟はとても元気でまだ若いそうだ。新しいペットにロンはおおいに喜んだ。

 

 テリーは親に見つからないようアルバムに写真を戻さなければならないと言っていた。そしてさらに、夏休みにクィディッチワールドカップがあることを教えてくれた。絶対に身に行くのだと息巻いている。

 

 マイケルはブラック関連の心配事がなくなると、数占い学の試験中に知った自分の運命を気にしているようだった。なんでも「運命の出会い」を予感させるようなことだったらしい。とうとうマイケルにも春か。三人で見守ることにした。

 

 アンソニーは伸ばしているというゆるふわの髪を結ぶようになった。なんでも家のスタイルらしい。そんな彼は「ユヅルくらい伸ばさなくちゃいけないのかなぁ」と苦笑した。ちなみに弦の今の長さは腰を過ぎたところだ。

 

 セオドールは家に戻ったらまた弦の話を母にするという。それから叔父から弦に送られてきた手紙に隠されていた彼女宛の手紙を届けてくれると言うのだ。しばらくはセオドールが送ってくる手紙には彼の母親の手紙が隠されるだろう。それを弦が叔父に渡すのだ。

 

 マルフォイは家に帰ったらきっと父に小言をいろいろ言われると言っていた。けれどももう気にしないと。何かあれば母親はわかってくれるから、彼女と一緒にアクロイド家に逃げ込むそうだ。父親のいないところで母親と根気よく話し合うと決心していた。

 

 弦はまた、叔父にことの顛末を全て話すことになるだろう。バックピークのことも含めて。別にかまわなかった。きっと叔父は受け入れてくれるし、見事推理してみせた弦を父の斎のようだと褒めてくれるかもしれない。

 

 ホグワーツ特急はいつものように走っていた。今度は吸魂鬼たちが止めることはない。いつもの速さで線路の上を駆け抜け、そしてやがてキングズ・クロス駅に辿り着いた。

 テリーたちと別れて迎えに来てくれた叔父に姿現しでアクロイド邸へと連れて行かれた。そこで一夜明かした後に日本に戻る。

 

 レグルスには活躍してもらったからとしっかり休んでもらい、この一年のことを守り神の水樹様に伝えた。弦の記憶から全てくみ取った神様はただただ弦を労い、そしてその無事を大いに喜んだ。

 

 季節は廻って、気が付けば母が死んでから一年が経過しようとしていた。

 

 

 

 

 

 






 見える世界が歪んでる
  -アズカバンの囚人-
     完結


とりあえずまとめ投稿終了です。
次回作はまだ執筆中で、すでに今回より長い……。

ここまでお読みくださり、大変うれしく思います。
また、次の機会に。
ありがとうございました。



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