【凍結】ひとりぼっちのせんそう (帝都造営)
しおりを挟む

まだ艦娘なんて愛称も、その存在すら認知されていなかった頃
序章の終末


――――『あの日』が訪れなかった世界で。

艦隊これくしょん―AD2022開戦シナリオ―


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前で、銃口が鈍く光った。

 

 

「……おいおい、巫山戯(ふざけ)るなよ?」

 

 

 銃口というのは便利なものだ。それを向けるだけで敵対意志の表明となるし、仮に薬室に弾丸一つ収まっていないとしてもコケ脅しにはなる。

 

 しかし今の『彼女』にはそんなものなんの意味もない。初速も大したことがなく、直ぐに減速してしまう9mm弾が『彼女』に通用するとでも? 先ほど蹴り飛ばした人間が構えていた小銃が放つ7.62mm弾の方がよほど脅威になる。

 

 

 ――――それにしたって、まさか旧式の24式小銃が使われているとは。

 

 

 24式小銃というのは1964年制式採用、7.62mmSEATO(・・・・・)弾を使用する小銃である。旧式の、それも半世紀以上前から使われている兵器(シロモノ)だ。第二次世界大戦でも同様に三八式銃を使っていた日本軍ではあるが……やはり帝国軍から自衛軍に名前を変えただけで、組織は何も変わらないらしい。

 ……いや、違うか。

 

 それほどに物資が不足しているのだ。

 旧式兵器でもなんでも、とにかく使えるならば戦線に投入する。それほどに追い詰められているのだ。

 

 そんなことを頭の片隅で考えるほど『彼女』には余裕があった。周囲にはまだ数人とはいえ人影が見える。しかし余裕だ。それぞれが構えている武器は確認したし、いずれも『彼女』に致命傷を与えうるものではない。

 

 そしてなにより、状況から彼らに引き金を引くことは叶わないだろう。

 『彼女』は今、彼らの上司の目の前に立っているのだから。それこそ、ちょっと跳躍すれば喉を掻き切ることができるぐらいに。

 

 

「ふざける?」

 

 だから『彼女』は、余裕ぶっておどけた様子。

 

「ふざけたつもりなんてこれっぽっちもないわよ?」

 

 首を傾げてみせる。それに反応した目の前の銃口、ほんの僅かに揺れる。

 

「ならもう一度言ってみろ、さもなければ……」

 

 目の前の男。海軍の佐官服を教科書通りに身につけている彼は、腹の底からひねり出すように脅し文句を並べる。彼だって、自身の武器では『彼女』に傷ひとつ負わせられないことぐらいは知っているだろうに。

 

 しかしそれでも彼は『彼女』に銃口を突きつける。突きつけねばならないのだ。

 

 

「さもなければ、なに? 私の脳天をぶち抜くの?」

 

 だから余計に『彼女』は嗤う。何故か?

 

「あぁ……そうだとも」

 

「久々の再会じゃない? もっと友好的にやりましょうよ?」

 

 

 人に話を聴かせるなら、対等な関係が最も理想的だ。だがしかし、それは互いのプライドを尊重するという意味でもある。対等な対話は、妥協点を探る対話。これでは純粋に話を聴いてもらうことは出来ない。

 

 だからこそ、徹底的にそのプライドを砕く。もはやヒトと異なる段階に達している『彼女』にとって、それは余りにも簡単、かつ単純なことであった。仮に相手が軍人、それも百戦錬磨の自衛軍が相手だとしてもだ。

 

 そして、その「作業」は既に終わっていた。周りには何人もの人間が倒れており、少なくとも一、二個分隊は無力化したはずだ。

 

 

 そして目の前の彼が、この期に及んで抵抗を試みるほど愚かでないのも知っている。

 

 だから『彼女』はもう一度、そしてより一層笑みを深めるのだ。

 

 

 

 

 

 ――――どうして、こうなったのだろう。

 

 米軍の、さもなくば東側の新兵器? 宇宙人の侵略? 人類に変わる新たな種の出現?

 いやそんなことはどうでもいい。考えるだけ無駄だ。大事なのは事実だ。

 

 領海は消え、国土は燃えた。領空すら犯され、そして国民は消え去った。国が滅びたのだ。いくつも滅びた。

 

 

 今回の敵は、海だ。

 海が人類に牙を剥いたのだ。

 

 

 人類には選択肢があった。小銃、大砲、航空機。正規軍、傭兵、民兵。対抗策は山ほど在る。奴らには触れられる、鉛玉を撃ち込めば痛がるかのように鳴き声をあげる。殺すことは可能だ。各々の国家が、その誇りと生存権を賭けて、死地へと兵士を送り出した。

 

 だが、勝てない。

 

 無意味に長い言い回しも、神だの審判だの原罪など、そんな超現実的な言葉にはなんの意味はない。とにかく海が敵に回って、そして人類は連敗し続けている。

 

 

 

 

 

 

「友好的? 私の部下を何人も張り倒し、それでも友好を口にすると?」

 

 目の前の佐官が口を開く。よほど異常な精神状態なのだろう。口角は吊り上がり、目は見開かれている。

 

「もちろん。だって私たちは、同じ祖国を持っているでしょう?」

 

 信じられない話だが『彼女』にだって祖国がある。

 だから『彼女』は今日もここにいるのだ。

 

 

 

 祖国であるこの国を護る為。ただそれだけの為に、今日までひとりぼっちで戦ってきたのだ。

 

 

 

 

 戦争。それは外交の一手段。

 

 交易権。領土やそこに含まれる資源。主義主張。様々なモノのために戦争は起こる。互いのプライドを砕き、此方の言い分を飲ませるために。

 

 今回も戦争だ。種としての戦争だ。人類の主張する「人類の生存権」を巡る戦争だ。

 

 

 

 

 

 これは『彼女』の歩んできた……ひとりぼっちのせんそう。

 今その一年と数ヶ月のたたかいが、一つの流れを生み出そうとしている。

 

 余りに長く、そして余りに多くの血が流れた序章(プロローグ)が、今終わろうとしているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――どうして、こうなったのだろう。

 

 

 『彼女』は次の言葉を放つタイミングを伺いつつ、意識を過去の記憶へと飛ばす。

 

 

 

 

 まだ艦娘なんて愛称も、その存在すら認知されていなかった頃へ、と。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

序章の冒頭・前編

この作品ではタグの「通常兵器有効説」が存分に仕事をします。
ご注意ください。


 ――――西暦2022年2月28日。沖縄沖――――

 

 

 甲板を歩くのは役職ごとに色分けされたカラフルな人々の姿。灰色の甲板を彩り、そしてちょこまかと動き回っている。色分けから分かる通り皆それぞれが異なる職務を担っているのだから当然向かう先は異なり、整然とした無秩序を生み出す。

 

 そんな灰色の飛行甲板。給油車や牽引車なども走る広大な甲板の上を進んでいく一機の航空機。周囲にパトランプで注意を促す牽引車にひかれて進んでゆく。収納の関係から翼は折りたたまれ、認識されないように鈍い色で塗装されていた。

 

 牽引車は三番カタパルトの前まで航空機を移動させる。飛行甲板上には多くの航空機が露天駐機されており、一番と二番のカタパルトを平時に使用することはできないからだ。

 

 発艦位置に付いた航空機、これまでその誘導を担ってきた黄色の作業員が離れ、代わって射出装置要員である緑色が足元へと取り付く。十秒ほどで機体とカタパルトを繋いだ彼らは、安全な場所へと素早く退避。牽引車もとうの昔に退避済みだ。

 

 そして、折りたたまれていた羽がアングルドデッキの滑走路いっぱいに広げられ、先程まで隠されていた翼上の国籍マークが沖縄の太陽に照らされる。

 

 それはミートボールと呼ばれることもある……白に縁どられた赤の円章。日本国を示す国籍マーク。

 

 既に火の入っていたエンジンがその出力を上げ、甲板上にその呼吸音を轟かせ始める。

 

 

 

 ところ変わって右舷艦橋構造物(アイランド)内の戦闘指揮所(CDC)。この艦艇の指揮を預かる男が後ろを振り返った。

 

「司令、哨戒機の発艦用意、完了致しました」

 

 艦艇の指揮を預かるとなればそれは艦長と呼ばれるポストであるわけで、艦のトップである。そんな彼が報告に敬語を使う。即ち、艦長の報告は彼の上位――――戦隊司令に向けられたものであった。

 

 艦長の視線の先には第一種軍装。服装を見れば将官であることは直ぐに分かる。米海軍の空母打撃群司令が少将であるように、彼の階級章も海軍少将。詰襟に桜が一つ。

 

「ん、哨戒機を発艦させろ」

 

 戦隊司令は一つ頷いてから直ぐに命令。

 厳密には哨戒機の発艦命令を出すのは航空戦隊司令ではなく、その上位の機動艦隊司令なのだが、ここ第二機動艦隊ではこの海軍少将が機動艦隊司令と航空戦隊司令を兼任している。そのため彼が号令を出したわけだ。

 

 それにしても、日本海軍の主力たる連合艦隊。それを構成する機動艦隊の司令職は原則として海軍中将が配置されることになるはずなので、この人事は例外的なものだった。

 

 ともかく、海軍少将から命令は下された。ほの暗いCDCにて艦長が復唱、別室にある管制室へと伝達されてゆく。

 

 

 そんな当たり前な風景を目の当たりにしつつ、艦長はそれに違和感を覚えていた。

 

 

 今回の哨戒機の発艦は普段と変わらないものだ。別に何かの大作戦が始まるわけでもない。もちろん呉を母港とするこの艦隊がここまで出張ってきたのは特殊な事情が有ってのことだが、所詮は政治的なアピールに過ぎない。

 

 しかし、後ろの男。この艦隊の指揮権を持つ彼はなぜCDCにやってきたのであろうか。艦長にはそれが不思議でならなかった。

 

 彼はCDCよりか司令部艦橋や航海艦橋を好み、演習の時はわざわざ露天戦闘指揮所に移動する人間である。

 そんな彼がここ(CDC)へ降りてきたのは僅か数分前、物言いたげな艦長を無視して哨戒機の発艦を命じた彼は、一応用意されている最高位の為のスペースに陣取っていた。

 

「発艦、完了しました」

 

 そう報告があり、一部のモニターに艦隊より離れた哨戒機の位置情報が表示された。ゆっくりと離れてゆく。

 

「艦長、言いたいことがあるんだろう?」

 

 不意に、後ろから声がかけられる。もちろん声の主は司令だ。

 

「……いえ、特には」

 

 不満はない。むしろありがたいぐらいだ。主力艦である空母の艦長と艦隊の司令、担当範囲こそ違うものの、いずれもこの艦隊における上位の人間。その二人には緻密な連携が求められる。しかし片桐少将が作戦中に艦橋という外に晒された場所にいる限り、艦長は彼と同じ場所にいる訳には行かなかった。理由はもちろん、攻撃を受けた際に指揮官を一斉に失う事態が想定されるからだ。

 当然ながら平時は二人共艦橋にいる。食事も共にする。

 

 だが、今は作戦行動中だ。確かにこの作戦の性質を考えれば、艦隊が直接攻撃を受けることは想定されない。しかし、作戦行動中に変わりはない。

 

 

 だから、念には念を入れて。それが日航空母艦「日向」を預かる艦長の考え方であった。

 

 

 現在は戦闘行動中。司令だってそのつもりだろう。だからこそ、彼がCDCに降りてきたのは意外であった。彼が自身のやり方をそう簡単に変えるとは思えないからだ。

 さてどう言ったものかと艦長が思案していると、それを察した片桐海軍少将――――この艦隊の指揮権を預かる男――――は笑った。

 

「なに、私がCDCに降りてきたって、槍は降らないさ」

 

 普段通りのどっしり構えた様子。

 

 しかし、直ぐにその声は低く抑えられることになる。

 

「……今日ばかりは、ここにいるべきと思ってね」

 

 

 

 艦長がその言葉の意味を知るまでは、あと一時間と十二分が必要だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本第二機動艦隊より出撃した艦上哨戒機のQ14‐C。青い海を眼下に進んでゆく。

 

《……了解》

 

「なんて?」

 

 操縦士の八洲海軍中尉は通信手と爆雷手を兼任する樋川少尉へと問うた。

 直ぐにインカム越しの返事。

 

《進路変更の命令です、2‐9‐0へ変針せよと》

 

「変針?」

 

 そう訝しみながらも命令は命令、八洲中尉は操縦桿を操って進路を変更する。彼らの愛機はその操作を忠実に実行し、Q14‐Cは計画での道筋から外れた。

 

《なにか通報でもあったんですかね?》

 

「……さあな」

 

 ともかく、仕事が増えたのは間違いないだろう。八洲中尉の頭の中では既に時間ロスの計算が始まっていた。

 

《夜間着艦……なんてなりませんよね?》

 

 不安げな樋川少尉の声。Q14「海鳥(うみどり)」は平成25年に制式採用された対潜哨戒機で、C型である本機は艦上運用を可能としつつも艦上機としてはかなり大型の部類に入る。

 

「そうならないことを祈ろう」

 

 八洲中尉に出来る返答はそれだけだった。彼らの所属する第四五七航空隊は基本地上配備の哨戒機部隊で、空母への着艦経験はまだ二回しかない。それも真昼の着艦だ。

 もしもこの時間ロスで夜間着艦となってしまったら……ある程度の不安は残る。しかし着艦しない訳にもいかない。

 

 まあ、その時はなんとかしよう。そう思った八洲中尉が計器類を再確認し始めたとき、耳に入ったのは樋川少尉の声だった。

 

《っ! これは?》

 

「どうした、樋川」

 

《監視窓の映像を回します》

 

 その言葉とともにヘッドマウントディスプレイ(HMD)に映し出される映像。対潜水艦戦闘を重視している「海鳥」の水上監視カメラのものだ。

 

「……?」

 

 眼を疑ったというよりか、何が変なのか八洲中尉は理解できなかった。

 

 なんせ映し出された映像に映されているのは一面の海面だ。別に潜水艦のものと思しき影もないし、インド洋や紅海に派遣されたとき目にした海賊の姿もない。

 

 ただ、深い色をしていた。海の色だ。

 

 

《おかしいんですよ、ここら一面の色だけやけに暗い》

 

 そう言われれば、確かにその通りかもしれない。

 しかし、何があるというのだ。は八洲中尉は計器類を確認しつつ確認を進める。

 

「電磁反応は?」

 

《いや、ありません》

 

「……樋川少尉は、何がいると?」

 

 「何かいる」なんだか変な表現であった。しかしそう言ってしまったのは、彼自身「何かいるかもしれない」という予感に苛まれていたからであった。

 

《……魚群、でしょうか?》

 

 返答に疑問符が混じる部下の声。

 魚群を見たことのない八洲中尉には魚群がどう見えるかよく分かっていなかったが、海の中になにか蠢く群れがいる。ともかくそんな表現なのだろうと受け取った。

 

「ともかく艦隊司令部に報告、海保に問い合わさせろ」

 

《了解、問い合わせます》

 

 海で何らかの異変があるなら、通報はむしろそっちの方に行くだろう。もし本当に魚群なら、漁に関する届出が海保に回っているはずだ。

 

《……了解。中尉、問い合わせてくれるそうです。それまで旋回して待機》

 

「よし、待とう」

 

 八洲中尉の空間はエンジンの奏でる音に支配される。計器類は何度見ても正常な値を示し、風防越しの景色は綺麗なものだ。沖縄にはサンゴも多く生息しているという。どこかで生きているのであろう珊瑚虫に思いを馳せる。そのぐらいには平和な時間であるはずだが、彼はなにか気味の悪いモノが真後ろにいるような気分だった。

 

 

 

 

 返答が返ってきたのは数分後のことだ。やはりというべきかこの季節に遊弋する魚群は存在せず、ともかくは規模を確認せよとのこと。

 

「高度を一旦上げるぞ」

 

《了解》

 

 

 海鳥は空へ舞い上がる。遥か遠くに水平線。春先の海は青く、その空の蒼と混ざってしまいそうだ。空の中は平穏そのもので、太陽の光が装備一式を照らす。

 

「写真撮影」

 

 指示を飛ばせば応答、音は聞こえなかったが海鳥の下腹部に設置されたカメラがシャッターを切る。その情報は母艦上空に旋回する警戒機を通じ母艦、艦隊司令部……必要があればそのさらに上位の機関に転送されることだろう。

 

 

《はえぇ……ほんとにデカイですね》

 

 樋川の声が聞こえる。水平条件下で撮影された写真は撮影高度に応じてその大きさを推測することが可能だが、そんなことをせずとも「デカイ」と言い切れる景色が眼下に広がっている。

 

 黒く澱んだ、いや澱んだという表現すら適切ではないかもしれない。偵察機乗りとなれば状況把握能力を買われてここにいる訳だが、今の八洲中尉にはこの状態を表現する言葉が全くもって見つからなかったのだ。

 

「……海の『癌』みたいだな」

 

 十数年の学歴で培ってきた語彙を探り、そして捻り出した言葉がこれである。確かに無秩序に増殖するさまこそ癌のそれに通じるかもしれないが、全く的を射ていない。

 そういう不気味さではないのだ。

 

 

 

 

 

 八洲中尉はまだ知らない。

 

 その不気味さが、祖国、いや……人類という種の存続を脅かすことになることなど。

 

 

 

 

 

 




<架空兵器紹介>
・日向(ひゅうが)型航空母艦
日本の保有する7万t級正規空母。2022年2月時点では同型艦二隻。

・Q14海鳥(うみどり)
日本の哨戒機。対潜水艦戦に特化した設計となっている。
通常型であるA型、早期警戒能力を持たせ肥大化したB型、艦載運用が可能な海軍向けC型の三種類が存在する。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

序章の冒頭・後編

 ――――西暦2022年2月28日。沖縄沖――――

 

 

 

「で? 海保の回答はまだか?」

 

 日航空母艦「日向」。航空機を運用するために設けられた広大なアングルドデッキはそれでも広さが足りないようで、小さなビルほどの大きさを誇る艦橋構造物を極限まで右舷へと追い詰めていた。

 そんな艦橋の奥、艦内戦闘指揮所(CDC)にて呟いたのは艦長職を務める海軍大佐。知ってのとおりこの大量の電子機器が組み込まれた空間はこの艦の頭脳であり、指揮を執るにはもっとも適した場所である。

 

「あぁっと……まだ来てないです」

 

 通信担当の曖昧な返事。当然艦長は顔をしかめる。

 

「もう二十分経ったぞ? 何をやってるのだ……」

 

「大方、いきなりの質問に慌てふためいているんだろう……なんせ質問者は海軍。それも主力の主力、機動艦隊からだ」

 

 ことの異常性、また重大性も理解してるんだろう。そう言って艦長を宥める片桐少将。しかし彼も余裕を持っているわけではない。言い終わってしまえばその口は閉ざされ、何かを思案するかのように固く結ばれる。

 

 

 

 哨戒機が『魚群』とやらを発見して早くも二十分。哨戒機の要請を受けて海上保安庁に魚の分布などを問合わせた第二機動艦隊の司令部は、只々報告を待ちわびていた。

 

 念のため問い合わせた潜水艦隊司令部からは、すでに”該当海域において活動中の潜水艦は存在しない”との返答を貰っている。まあ友軍潜水艦を『魚群』と勘違いするようでは海軍の恥さらしだ。まさかそんなことはないだろうとは思っていたが、その通りだったらしい。

 

 しかしとなると、一体全体『魚群』とはなんなのだろうか。不幸なことにこのCDC内に海洋生物に詳しい人間はいない。海保の回答しだいでは本当にただの魚群である可能性も否めなかった。

 

「……」

 

 しかし、だ。哨戒機からの映像はこちら(日向)でも確認済み。その映像を見る限りでは……とてもじゃないが海洋生物には思えないのだった。

 

「司令は、あの映像をどう思われますか?」

 

 艦長は少し迷ってから振り返り、そして片桐少将へと問いかけた。片桐は艦長の方へ目を向けると、しかしすぐに逸らしてしまう。

 

「……逆に艦長、貴様はなんだと考える?」

 

 質問を質問で返された艦長はやや戸惑ったが、その様子を見せずにすぐ答える。

 

「磁気探知機に反応しないにも関わらず、目視による認識が可能である。この時点で東側の未確認兵器である可能性はかなり低いと言えます。また広範囲に渡って分布するのを見る限り、民間によるものとも思えない……仮に民間のものであったとしても、それなら海上保安庁に届出があるはずです」

 

 

 東側の新兵器。その可能性はゼロではないし、仮想敵国による謀略を疑うのは至極当然の流れだった。ましてやこの艦隊(第二機動艦隊)の派遣理由は昨今激しくなってきている貨客船への破壊行為。これの犯人を突き止め、そしてこれ以上の被害拡大を食い止めるためである。この『魚群』とやらが東側の作り出した新兵器とすれば、これほど簡単な話はないだろう。

 

 だが果たしてその新兵器が、こうも簡単に見つかるものだろうか……いやありえなかった。貨客船の破壊行為に対する東側の発言は”無関与”の一点張り、ならばその新兵器を西側が発見できないという確固たる自信があるはずなのだ。

 だから、『魚群』は民間の新規事業かなにかなのでは? そう艦長は考えたわけだ。

 

 

「つまり、海上保安庁から返事があるまでははっきりしない……」

 

 違うか? そう言って片桐少将は艦長を再び見据える。

 

「……確かにそう、ですね」

 

「なら待とう。それしか手はない」

 

 そしてCDCは沈黙に沈む。

 もちろん、それは一瞬のことだ。

 

 

 

 入る報告。艦長はそちらのほうを見遣り、司令は制帽を被り直した。

 

 

「海保より回答がありました!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 軍組織というものに対して抱かれるイメージというのは、燃え盛る戦場や勇猛かつ筋肉隆々な軍人がロケットランチャーなどをブッ放すシーンなどだろう。

 

 だがしかし、その内実というのは案外細かく、また活動の域は多岐に渡る。何故か? 簡単だ。軍組織というのは国体の護持のために国家によって認められた暴力集団であり、即ち合法的な”殺し屋”である。その力が無闇に、ましてや守るべき国民に向けられる事態は許されない。

 

 ゆえに、軍組織ではなによりも規律が優先される。何十、いや何百項目に及ぶ内部規則や交戦規定。厳格に定められた指揮権やその序列。それは極限まで洗練された最新兵器と同じくらいに精密なシステムとして働かねばならない……部品が工業製品でなく人間である以上、設計図通りに動くかは怪しいものだが。

 

 

 ……とまあ大仰に言ってみたが、結局のところ言いたいことは一つ。

 

 上からの命令は絶対だ。

 

 

「……了解」

 

 そんな訳で司令部からの命令を受け取った哨戒機(Q-14C)の操縦桿を握る八洲中尉は、その命令に背く権利を持ち合わせていない。

 

「樋川、聞いたな?」

 

《もちろんですよ》

 

 確認すれば即座に耳に入ってくる声。彼の部下であり相棒である樋川少尉。Q-14C(うみどり)に課せられた対潜哨戒任務には欠かせない爆雷手。彼は命令を受け、その準備に入っているのであろうが……。

 

 八洲は迷った。今自身の中で渦巻いている嫌な予感を樋川と共有していいものかと迷った。不気味な『魚群』とのにらみ合いっこは終わり、待ちわびていた命令は来た。しかしそれは常識とは異なる命令だった。

 

「なあ、樋川……」

 

 別に上申するつもりはなかった。確かに八洲機は「日向」の常用艦載機ではない。地上配備の四五七空(第四五七航空隊)より貸し出されたものだ。現在自分らを指揮している片桐少将がどんな人物か、それを詳しく知っているわけではない。だが彼も同じ日本海軍の軍人。そして命令は一緒に理由も説明してくれるほどの丁寧さだ。上だって理解しているのだろう。

 だがそれでも。

 

「……ソナブイの投下なしでいきなり音響弾。おかしいとは思わないか?」

 

 音響弾。それは言葉通りの兵器だ。水中に落下し、高周波数の音を立てる。ただそれだけ。水中で聞き耳を立てるソナー士以外には全く無害な兵器。

 しかし攻撃的と言われれば、まあ否定はできまい。

 

《……でも司令部の言うとおり、アレにソナブイは勿体無いと思いますよ?》

 

 樋川は司令部の意向に賛成のようだった。いや八洲だって賛成ではあるのだ。間違いなくアレは潜水艦ではないわけで、海保からの情報によれば魚群でもない。民間のロボットという訳でもない。

 しかしそれでも、なんだか違和感があるのである。未確認のそれに接したのであれば、接触はもっと慎重にやるべきではないのだろうか。

 

 

 とはいえ命令は命令だ。多少の違和感は無視するしかない……そう思い直した八洲は、確かめるように操縦桿を握り直す。

 

 

「投下ポイントに移動する……ど真ん中にブチ込むぞ」

 

《了解っ》

 

 

 

 

 

 

 

 

 1990年代に就役し、長いこと日本海軍の主力を務めてきた村雨型駆逐艦。その七番艦「雷」。

 

 幾多の作戦に従事、長いこと一級線で活躍してきたこの(ふね)は今日も変わらず波を切り裂いている。

 背後には航空母艦特有の平べったいシルエット。ここ数年「雷」の仕事は「日向」の護衛であり、それは今日も変わらなかった。

 

 

「なんだと? 司令部にもう一度確認しろ」

 

 そんな古参艦の艦橋。毎日丁寧に磨かれている窓の奥では、小さな混乱が生まれていた。

 問合わせていたらしい士官が受話器を置くと、困った様子で佐官の方を見る。佐官の制帽の庇には金色の桜葉模様(スクランブルエッグ)。彼がこの場で唯一の中佐であり、即ちこの艦の長であることを示していた。

 

「間違いありません……「雷」及び「時雨」は艦隊より分離、海域の調査に向かえ……と」

 

「海域の調査……片桐閣下の目的はなんだ?」

 

 「雷」の艦長は訝しげに呟く。本来なら調査の目的ぐらい教えてくれてもいいはずだが、問い合わせてみれば”変わった魚群がいる”としか返されない。魚群の調査なんて測量艦でも担わない仕事、なにか裏があるに違いなかった。

 副長はその様子を黙って見ていたが、やがて口を開いた。

 

「艦長、CICに聞いてみますか?」

 

「ん? あぁ、そうだな。そうしてくれ」

 

 艦長はそう言い。副長が了解と小さく頷いて受話器を取り上げた。

 

「艦橋CIC、指定された海域で何かあった形跡は?」

 

 即座に反応が返ってくる。恐らくは向こうも同じことを考えていたのであろう。艦橋のスピーカーが砲雷長の声を瞬時に再生する。

 

《CIC艦橋、三十分ほど前まで二機艦(うち)哨戒機(うみどり)がフラフラしてたみたいです》

 

「それが『魚群』を見つけた、と……潜水艦か?」

 

 艦長と副長は顔を見合わせる。

 

「さぁ……分かりませんね」

 

 潜水艦なら脅威である。護衛の対象である空母にそれを近づけさせるわけにはいかない。米海軍なら潜水艦を追っ払うのは潜水艦であるのだが……悲しいかな、今の日本にはその潜水艦が圧倒的に不足していた。近海の警備と、そして戦略配置だけで精一杯なのである。従って潜水艦狩りも駆逐艦の仕事。

 村雨型はこの艦隊の中では最も旧式。つゆ払いを勤めるのは当然のこと。だから潜水艦を相手にするなら役が回ってくるのは理解できる。

 

 しかしだ。仮に潜水艦だとしたら、なぜそれを言わないのだろう。

 考えてみるが、まあ分かるはずがなかった。情報は無いに等しいのだ。

 

 

 

 ともかく、規定に従い「雷」並びに「時雨」は臨時編成の二一(にいいち)駆逐隊を編成。駆逐隊司令は「時雨」艦長に任せられ、この二隻は艦隊を離れた。

 

 ……これが「雷」最後の艦歴になるとも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 




<架空兵器紹介>
・村雨(むらさめ)型駆逐艦
日本の保有する4000t級駆逐艦。2022年2月時点では同型艦十二隻。
今話登場の「雷」は七番艦。「時雨」は十番艦である。

※全く関係ない話だが、現実の海上自衛隊には”むらさめ型護衛艦”なるものが存在する。保有数は2016年4月時点で九隻。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Phase0
00_覚醒《メザメ》


 ――――西暦2022年3月1日。沖縄沖――――

 

 

 

 

 ……いやな、感触。

 

 

 『彼女』がまず自覚したのは、五感のうちの一つである触感であった。それはある意味で当然である。いかなる生物においても表皮と表現される存在は自身と外界を決定的に隔てるものであり、触覚は外界との接触に用いられるモノとしてはもっとも普遍的なツールと言えるからだ。

 

 しかし、それにしたって不快である。

 

 

 ……不快?

 

 

 そうだ、不快だ。『彼女』は次に不快という感覚を覚えた。いや感覚というよりは気分というやつだろうか? 不快とは即ち、触覚が異常を検知し、それを異常事態としてダイレクトに伝えているということだ。つまり警報だ。

 

 

 ……なら、何が正常なの?

 

 

 『彼女』は考え、そして初めて『彼女』を自覚した。『彼女』の外には何かがあって、自身の触覚がそれが異常だと伝えている。つまり『彼女』の外には何か、『彼女』にはどうしようもないモノ、自分以外の何かが存在するということだ。触覚は『彼女』に全方位から不快感――――異常を伝えてくる。つまり『彼女』は得体の知れない何かに取り囲まれている訳だ。

 

 その瞬間、『彼女』は理解した。()()()()()()()()と。

 

 

 ……抜け出さなくちゃ。

 

 

 自身が自身である。それはつまり、自身を思うがままに動かせるということだ。

 

 ならば選ぶのはこの不快感からの脱出。『彼女』は自身の触覚から、自身の身体を朧げながらに把握することができていた。頭部、胴体、四本の足……ごく一般的な哺乳類に与えられたツール。その四肢を動かし、脱出を試みる。

 

 

 ばしゃん。

 

 

 触覚が伝えてくる不快感が一部緩和された。それと同時に聞こえる……聞こえる? 『彼女』は聴覚を自覚した。聞こえたのは水音だ。自身の頭部がなにかとぶつかることで水音を立てたのだ。つまりぶつかったのは水だ、水面だ。『彼女』は、さっきまで水の中にいたのである。

 

 

「……っ!」

 

 

 ――――次の瞬間、『彼女』が自身の底から制御できない()()が沸き上がってくるのを自覚することになる。

 

 

「ケホッ、ケホッ……!」

 

 

 制御できない。頭部と胴体を繋ぐ部位が暴走し、胴体よりなにかを汲み上げる。次の瞬間に頭部の穴――――(くち)のことだ――――から液体が飛び出し……「水を吐いた」のだと理解する。

 

 途端に苦しくなる。この時の『彼女』は理解していなかったが、肺が全て水で満たされていたのだ。唐突に呼吸を必要とされた肺が、身体が、全力でその異物を排除すべく行動を開始ししたのである。

 

 

「ゲホッ、げほっ……!」

 

 

 咳は止まる気配を見せず、『彼女』は自身を守るように身体を縮こまらせた。自分自身を自覚したところで、こういった防御反応は全自動だ。止めたくても止められない、過ぎ去る嵐を待つように、耐え忍ぶしかない。

 咳をすれば痛み伴う。『彼女』は自覚したばかりの身体が思い通りに動かないもどかしさと共に、痛覚にも耐えねばならなかった。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

 そして、何事にも永遠というものは存在しない。一通り吐き出せば咳は収まり……正常運転を開始した呼吸で肺が膨らみ、萎む。

 

 『彼女』は無意識のうちに複雑な顔の筋肉を操り、瞼を開いた。

 

 

「……」

 

 

 そう、ついに『彼女』は最後の五感、視覚を自覚したのだった。

 

 そこから先は早い、三半規管があるべき姿勢を『彼女』に伝え、彼女はむくりと起き上がる。身体全体を包囲していた不快感からは脱出したはずだったが、しかし身体まだ纏まりつく不快感。可能な範囲で身体を見回せば……身体を布か何かが覆っていて、それが大量の水を吸収していたようだ。

 

 服だ。服に水がまとわりついていたのだ。

 

 

「服……?」

 

 

 『彼女』は疑問を持った。

 何故、自分は服を着ているのだろう、と。

 

 そして疑問は変形する。

 何故、自分は「服」という単語を知っているのだろう。

 

 

 ここまでだってそうだ、水? 三半規管? 筋肉? 瞼? 肺? なんでこんな単語を知って、そして理解しているのか?

 ましてや感覚の名前を『彼女』は知っていた。全て自覚したばかりのことなのに、でも使いこなしている。

 

 

「なん、で……?」

 

 

 そう発声した『彼女』。慌てて自身の口を押さえる。今の声は自分の口から出たもの? なんで発声の仕方を、言語を知っているの?

 

 

 

 疑問は頂点に達した。

 

 

 

 そして、全ての回答が与えられる。

 

 

 

 

 

 

 ――――紛れもない、()()()()として。

 

 

 

 

 

 

「――――!」

 

 

 『彼女』は全てを受け止めた。自身が何者かは当然のこと、自身に関わる全てを強制的に吸収させられた。

 

 そして――――理解するよりも早く、『彼女』は海へと()()()()()

 

 再び襲い来る不快感。

 洋上に引き戻そうとする浮力。

 

 だがそんなの、知ったこっちゃない。

 

 『彼女』は慣れた様子で素早く潜り、そして海中で目を見開いた。

 

 

 

 

 ――――いない。

 

 

 ――――いない。

 

 

 いない。いない。いない!

 

 

 

 息が詰まるのを感じて急速浮上。必要最低限かつ十分な量の空気をその小さな肺に吸い込み、もう一度潜る。今度は別の場所を探す。

 

 

 ――――いない。誰もいない!

 

 ――――誰か、返事をして!

 

 

 『彼女』は探した。いなくちゃいけない存在たちを、必死で探した。

 

 

 ――――松原艦長!

 

 彼は若い艦長だった。大学にて優秀な成績を収め、そして任官後も十分に職務をこなしてきた。現在の海軍幕僚長とは師弟関係でもあり……まさに出世街道、そのど真ん中を歩んでいる人間だった。『彼女』の艦長職なんて、彼の彩られた道のりの一ページでしかないはずだった。なのに彼は艦長に就けたことをとても喜んでくれ、そして誇りに思ってくれていた。それがとても嬉しかった。

 でもいない。彼の未来は消えたのだ。

 

 ――――木村副艦長!

 

 副長と航海長を兼任。そんな彼は艦長の三期上だった。後輩に階級を抜かされ、そして指揮下に入ることに当然妬みもあっただろうが、しかしそれ以上に真面目な人間であった。職務をこなすことを第一義とし、そうすることで必ず報われると信じてもいた。艦長は独身だが、彼には家庭がある。二人の息子は来年から兄が大学生、弟が高校生だ。

 でもいない。子供の将来は見届けられない。

 

 ――――荻窪砲雷長!

 

 彼もまた二年とはいえ艦長より年長であった。実力重視のアメリカ式を貶してはいるが、しかし自身の背の丈を知らないわけではなかった。愛煙家であり、家では娘に煙たがられ、艦では艦長・副長ともに煙草を嗜まないといった具合で喫煙環境はよくなかった。

 でもいない。彼の煙が舞う戦闘指揮所(CIC)はもう存在しない。

 

 ――――菅道船務長!

 

 彼は優しい人間に見えた。常に柔和な笑みを浮かべ、そして文句も言わずに職務をこなす。本当は艦で一番艦長を嫌っていた。何が気に食わなかったのかは分からなかったけれど、今は手を伸ばすだけでその理由が分かる。

 本当なら、いつか二人でちゃんと話して、それで解決して欲しかった。

 

 ――――高西飛行長!

 

 寡黙な人だった。でも熱い人だった。幼い頃から空母が大好きで、空母乗りを目指して海軍に入った。適性は回転翼機(ヘリコプター)だったけれど、彼はそれも気に入っていた。飛行長になり、飛べなくなったのを悔しがるくらいにだ。

 彼にも教官となるべき素質があった。そしたらまた飛べた。

 

 ――――菊池機関長!

 

 仮に艦長(あの若造)が逃げても俺だけは残るね……そう常々言っていた。機関科の指揮権継承順は昔ほどではないがまだ低い。それが彼に冗談とはいえそう言わせたのだろう。

 そんな冗談やめて欲しかった。それが現実になってしまった。

 

 ――――山田大尉!

 

 尉官のトップ。それが影響したのだろう。とてもやる気に満ち溢れていた人だった。お付き合いしてる人がいたのに彼は案外不器用だったから、絶対に結ばれて欲しかった。

 

 ――――東山一

 

 

 ――――川原

 

 ――――内

 

 ―――

 

 ――

 

 ―

 

 

 

 全員の名を呼んだ、探した。

 

 彼らは全て『彼女』であり、そして『彼女』は彼らであった。

 

 

 にも関わらず、誰もいない。骸すらも見つけることは叶わない。

 

 

 

 海の中じゃ声も上げられない。でも海上に出る時間こそ無駄。

 

 だから『彼女』は海中で哭いた。

 

 諦めず、最後まで、しらみつぶしに探した。

 

 

 ()()()()()()を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれほど時が過ぎたのだろう。

 

 

 綺麗な星が散りばめられている宇宙(そら)。その瞬きは不規則そのもので、しかし何か意味を感じさせるような不思議な配列をしている。

 

 その下に『彼女』はいた。いや『彼女』だけではない。ありとあらゆる存在が星の下にいる。

 

 

 『彼女』は、理解した。

 

 

 自身に宿るすべてを。

 自身に託された全てを。

 

 

 それは信じられないことであった。「記憶」もそう言っている。

 

 状況だってそうだ。こんな小さな女の子に過ぎない『彼女』が、まさか海に「立つ」はずがない。

 

 

 でも、そうなのだ。

 

 『彼女』は理解した。いや違う、理解せねばならなかったのだ。先ほど自身に叩き込まれた全てを。なぜ『彼女』という存在が現れたのかも。

 

 そして、結論も出ていた。

 何を為すべきか。それはもはや強制であった。

 

 拒否権はない……為さなかった時、祖国にどんな災厄が降りかかるのかが見えるから。

 

 全て見えたのだ。

 

 

 

 だから、『彼女』は前を向く。宇宙の下には水平線、あの先には……守るべき祖国。

 

 

 

「機関、原速……」

 

 

 そう命じれば、身体はその通りに動いた。『彼女』もそれを新しい感覚として理解していた。

 

 

「……針路0‐2‐0」

 

 

 

 

 

 はじまる。

 

 ひとりぼっちのせんそうが。

 

 護国のための、ながいながい道のりが。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Phase1―『事変』の勃発―
01_撤退《ハジマリ》


H34.3.1
沖縄の知り合いとの連絡が途絶える。死亡とかそういうのでなく、情報封鎖が行われているらしい。いざ、第三次世界大戦……というわけでもないらしい。
明日明後日には一大ニュースになっていることだろうから事件自体の情報は大手報道社に任せるとして、安否確認の準備だけはしておこう。南西方面軍の知人さんに連絡しておかないと。
それにしても、こんな事件で仕事がくることを想定している私はどうかしてる。守銭奴になったつもりはないんだが……まあ仕方ない。



 ――――西暦2022年3月1日。沖縄沖――――

 

 

 甲板には人で溢れていた。数時間前までは所狭しと並べられていた航空機は消え去り、今はヒト、ヒト、ヒト。厳密に担当を分けられ、そして色分けされていた乗組員たちも、航空管制や誘導に関わる人員以外の全員が同じことをしていた。

 まあつまり、民間人の救護活動である。

 

 

「……進捗は?」

 

 

 そんな甲板から目をそらした航空母艦「日向」の艦長は、艦橋構造物(アイランド)の奥へと戻りながら部下へと声をかける。彼に追従する士官は、間髪入れず報告した。

 

「はっ、高齢者及び乳幼児とその家族を優先的に艦内へと回していますが……なにぶん場所が足りません」

 

 既に百名程度が甲板上に立ち往生しています。そう報告は続いた。

 

「……そうか」

 

 そして艦長は恐らく今日初めてのため息をつく。既に艦長室も、士官の居住区も開放済み。これ以上入る隙間などない。

 

 しかし、輸送ヘリはさっきからひっきりなしにこの「日向」へと戻ってきては、ヒトだけを吐き出して帰ってゆくのだ。数はどんどん増え、既に一部には艦内ではなく甲板に腰を下ろすことを受け入れざるを得ない者も出てきていた。

 

 陽も沈み、洋上は暗い。いくら南とは言えまだ3月。海の上を吹く風も冷たい。

 

 彼らの絶望をかき消すために甲板上は作業用の照明により明るく照らされ、優先的に温かい食事が振舞われていたが……。

 いっそのこと司令部艦橋やCICも開放してしまいたい。そんな叶わぬ思いにとらわれつつ歩みを進める艦長。

 

「艦長」

 

 そんな彼に、声を掛ける人物。この艦内において唯一の将官服。胸に飾られた多くの略綬と、桜の階級章。

 

「……司令」

 

 第二機動艦隊の司令、片桐海軍少将その人である。

 

「民間人を受け入れているんだ、艦の長がそんなんでどうする」

 

 それだけ言うと、彼は180度回頭。艦長の先を歩く。どうやら艦長に用があったらしい。もちろん艦長の向かう先を把握しているであろう彼は、水先案内人のように離れず付かず歩いてゆく。

 

「……」

 

 艦内は男二人が並んで歩けるほど余裕を持って設計されていない。注意すれば問題なくすれ違える程度だ。だから艦長は自身の司令の背中を追う形で、彼の次の言葉を待つ。艦長が見た片桐の背中は、いつもどおりのそれだった。

 

 片桐が呟いた。しっかりと、その小さな発言に重みを持たせて。

 

「那覇が、陥落したそうだ」

 

 司令部は首里を放棄、最南端の糸満まで後退した。そう情報が続く。

 

「そう……ですか」

 

 糸満まで後退。即ち……那覇付近の防衛線はズタズタであり、既に抗戦叶わぬ状況、ということである。突発的と言える沖縄での”謎の武装勢力との戦闘行為”は、日本国自衛陸軍の大敗として終わろうとしている。

 

 

 その報告は来るだろうとは思っていた。別段驚くべき情報ではないし、だからといってどうすることも出来ない。「日向」は確かに優秀な航空母艦だ。しかし航空母艦に過ぎない。航空母艦とは言うならば刀の鞘だ。収める刀がなくては戦えない。

 

 航空隊は既に発艦済み。持てる弾薬を全て沖縄の守備隊を援護するために消費し、そして今頃は九州への基地に収容されているはずだ。航空機の指揮権は向こうに投げてあるので、再出撃しているとしても問い合わせない限り報告はない。

 別にそれが悪いわけではないのだ。航空隊が「日向」(ここ)に帰ってきていたならこれほどの民間人を収容することは叶わなかっただろうし、そういう意味ではむしろ航空隊を九州へやったのは正解である。司令の采配にはやはり先見の明が……。

 

 

 ……先見の明?

 

 

 そこまで考えを回した艦長は気づいた……いや気づいた訳ではないのだ。ただ考えないようにしていたのだ。それをたまたま思い出してしまっただけなのだ。

 艦長は司令に昨日今日という最悪の二日間が始まって何度目かになる疑問の目を向ける。片桐司令はそれに気づかず、もしくは気づかぬ体を装い、言葉を続ける。

 

 

「糸満での避難活動に関しては船舶を中心に行うそうだから、支援は必要ないとのことだ。海軍による避難活動の主軸は北部に移される。ウチのヘリは全部そちらに回せ」

 

「了解しました」

 

「ようやく佐世保の四戦(第四戦隊)が駆けつけてくれた。北部の避難民はあちらで収容するだろうから、これ以上こちらに避難民が来ることはない」

 

「……」

 

「ひとまずはこれで一段落、だ」

 

 まだ状況は終わってないがな。

 単なるひと段落であり、収束した訳ではない。故に片桐はまだ労いの言葉をかけない。しかし二機艦の仕事がこれで殆ど終わったのは事実だった。後は混乱のないよう、避難民を移送するのみ。

 

「司令……」

 

 艦長がそう言えば、片桐は背中の気配で続きを促した。

 しかし促されずとも艦長は言葉を紡がずにはいられなかっただろう。今というこの瞬間。後ろの士官を除いて人目の殆どないこの瞬間。ここで疑問をぶつけなければ二度とチャンスは巡ってこない。無論疑問(それ)を飲み込むべきなのが軍人なのかもしれなかったが、今回は”そういう域”を超えた疑問だった。

 

 

「司令は、この事態を想定……いえ、事前に知っていたのですか?」

 

 

 そうでなければおかしいのである。

 

 確かに航空隊への指示は理解ができる。情報が揃っていた。

 悔しいが「雷」は喪失され、それに呼応するようかのに沖縄本島ではおぞましい光景が繰り広げられていたからだ。

 

 

 だが、それまでは?

 

 

 全ての始まりとなった哨戒機への変則的な指示。これがなければ『魚群』を発見することなどあり得なかった。

 そして『魚群』を発見したという報告を受けた時のあの異様な沈黙。

 

 

 それが全ての始まりだった。

 

 Q-14Cが音響弾を投下する。すると信じられないことに『魚群』が()()してきたのである。

 艦長が、いや現場含めそれを確認した皆が自身の耳と目を疑った。しかしこの時からもう、片桐の反応は違っていた。

 

 彼はなんの迷いもなく箝口令を出すと、即座に二隻の駆逐艦を艦隊から分離、調査という名目で向かわせ……そして、彼らに具体的なことは何も教えぬまま、『魚群』に対しての攻撃命令を出した。

 

 確かに()()()()()()()()()()以上、ある程度の交戦は許されるとは思う。しかしどうして、駆逐艦二隻という大戦力を投入できよう。どうして謎の勢力を躊躇いもせずに攻撃できよう。

 

 結果を見れば片桐は大非難の最中にいるはずなのである。なんせその攻撃命令により、駆逐艦が一隻沈んだのだ。

 

 しかし事態はそれでは済まなかった。見ての通り『魚群』は沖縄本島へと”上陸”。多数の避難民を生み出した。

 

 

 これを知っていたのではないのか?

 

 『魚群』が大きな脅威になると。

 哨戒機を向かわせた先に『魚群』が()()()()を。

 

 そしてなにより……百万の沖縄市民が犠牲になることを。

 

 

「少将……いや二機艦司令部(あなた方)は、()()()()()()を知っていた。そうですね?」

 

 

 二機艦の司令官は足を止めた。そして振り返る。

 

 

 

「そうだ。そのための二機艦(われわれ)だ」

 

 

 ……いや”だった”というべきかな。そう訂正する片桐。

 

 艦長は自身の上に立つ男を見据えた。

 彼は知っていたのだ。この異常な事態が起きると。異常といえば派遣の名目も異常であった。最近増加していた貨客船の破壊行為、それは東側によるものだと巷では囁かれている。だがそんなはずはない。少し頭を捻れば分かるはずだ。

 

 ならば何故、海軍はこんな馬鹿げた派兵を命じた? 四国沖でもやれるような航海を、どうして沖縄沖でやらせたのか?

 

 言葉が出ない、いや言葉を口に出したくない艦長。片桐は僅かに俯いてから、言葉を探すように口を開いた。

 

「……”ある筋”から情報があったらしい。3月の1日に、沖縄へ大規模な侵攻があるとな」

 

 それは最近の貨客船の破壊行為とも密接な関係があるらしい。そう続ける片桐。

 対抗するように、艦長も言葉を出す。

 

「つまり今回の派遣は……まさに表向きの理由そのものだった、と」

 

 

 二週間ほど前、艦長は会議の席で問うたことがある。

 

 沖縄は確かに遠い。だが沖縄に進出した程度では、とてもじゃないが東側への牽制にはならない。

 ならどうして沖縄なのか、そこへ何のために行くのか。そう聞いたのだ。

 

 それを問われた時、片桐は確かに言葉を濁していた。

 こういうことだったのだ。この派遣には目的も理由もあったのだ。

 

「そうだ、私は保坂(ほさか)長官から密命を受け……そして結果はこうだ」

 

 片桐は肩をすくめてみせる。形式的にだが表情も動く。

 

「……」

 

 艦長は押し黙る。いや逆に、ここで何を言えというのだろう。

 保坂長官と言えば保坂秀樹(ひでき)連合艦隊司令長官、即ち海軍の現場におけるトップである。()()()()()()()

 

 艦長が押し黙るのは想定済みだろうし、まさかここで慰めの言葉を要求しているわけでもない。

 

 

「なぜこうなったか。理由は簡単だ」

 

 ”我々”は敵の脅威を見誤ったのだ。そう片桐は言う。そして続ける。

 

「……君だって『アレ』を見ただろう?」

 

 その言葉を聞いた艦長ははっとして、それから悔しげに顔を歪める。

 

「……見ましたとも、ええ」

 

 『アレ』……沖縄県読谷村、「奴ら」が()()を仕掛けたその大地に並べられた、異様な地上絵。

 今回の異常性を説明するなら、多分あれが一番適任だろう。「奴ら」が東側陣営の生物兵器でない証拠であり、またそれ以上に脅威となる存在であることの証明だ。

 

 

「……そう言えば司令、『アレ』の破壊命令も即断でしたね」

 

「そうとも……そうだとも」

 

 それだけ言うと、片桐は目を伏せ、そして即座に背を向ける。

 その背が、全てを訴える。出来ることはやったのだと訴えていた。

 

 しかし艦長は言いたかった。片桐司令に対してではない。自分自身に対してだ。

 

 

 

 なぜ、これだけしか出来なかったのだ――――?

 

 

 

 何を思おうと時は平等に流れる。平等さは残酷さに等しい。二人の海軍将校は歩みを進め、たちまちCDC前に佇む鋼鉄の扉へとたどり着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どんな時であれ時間は等しく流れる。

 

 航空母艦「日向」で民間人の救助活動が行われるのと並行し、「日向」の護衛を担当する駆逐艦や巡洋艦でも同様の風景を見ることができる。後部の飛行甲板以外は人で埋め尽くされ、少しでも絶望をかき消そうと照明が灯されていた。

 

 しかしその随伴艦の中に、やけにひっそりとした艦艇が一つ。

 

 

 

「艦長」

 

 控えめな声だった、しかし艦橋は無音。よく通る。

 

「……どうした?」

 

 気怠そうに、いや疲れきった様子で振り返るのは軍帽を被った佐官。背中にヨダレ掛けのように垂らされた識別布には蛍光塗料で『艦長』の二文字。吸収した光によってぼんやりと光る。

 

「艦隊司令部より、呼び出しです」

 

「……そうか」

 

 恐らく避難活動がひと段落着いたに違いない。それは即ち沖縄の陸軍が全滅したことを示している。

 そして、事後処理が始まるのだ。胸糞悪い事後処理が。

 

 

「終わったな……長い一日だった」

 

 そう小さく呟き、ポケットを弄る。それをしながら指示を飛ばす。

 

SH-60K(ロクマル)を用意しろ、艦及び二一(にいいち)駆逐隊の指揮は副長に任せる」

 

 

 信じられない話だが、この艦にはヘリが残されていた。100万以上という膨大な救出対象を抱えているにも関わらず、遊んでいる航空機がいるのである。

 しかもそれだけではない。この艦が属する臨時編成の二一(にいいち)駆逐隊、避難民を一人も収容していないのである。傲慢にも程があるというもの。

 

 しかしそれに一番憤っているのはこの艦であった。ふざけた箝口令が、彼らに民間人との接触を一切禁じていたのである。

 

 

 そんなこの艦の艦長である彼が取り出したのは、小さな小箱であった。察したように副長が手を動かし、ライターを取り出そうとする、しかし艦長はそれを遮った。

 

「変な気を使うな、大丈夫だ」

 

 それだけ言うと彼は空いている方の手に銀色のオイルライターを装備。さっとひと振りで箱から一本の細い棒が飛び出し、彼はそれを咥えた。

 それから思い出したように周りを見回す。

 

 

「……外で吸ってこようか?」

 

 それを聞いた副長は、呆れたように笑った。

 

「艦長こそ、今更変な気を使わないでください」

 

 艦長も釣られて苦笑。艦橋要員も似た表情を浮かべる。パチンと火打石(フリント)が火花を上げ、点火。

 

 

 無音。

 

 

 艦橋は原則禁煙であるはずなのだが、艦橋に煙が舞う。艦長は何故か常備されている灰皿を取り出し、そこに半分も燃えぬ煙草を押し付けた。

 

「さて、行ってくる……「時雨」を頼むぞ」

 

「はっ」

 

 

 そして艦長は艦橋より下がる。目指すは後部構造部のヘリ格納棟。

 

 

 

「……何が、二一(にいいち)駆逐隊だ」

 

 通路に部下の姿は見えない。それをいいことに駆逐艦「時雨」の艦長、西園(にしぞの)海軍中佐は毒づいた。

 

 『魚群』とやらの発見報告を受け、臨時編成されたのがこの二一(にいいち)駆逐隊。総勢二隻。構成する艦艇はいずれも村雨型駆逐艦。十一番艦「時雨」及び……七番艦の「雷」。

 

 

 「雷」は沈んだ。海の底へと引きずり込まれた。

 

 

 西園は「雷」の艦長を思い浮かべる。彼は二期下の後輩だ。118期の主席でもあり、将来を約束された人間だった。自分のことも慕ってくれてもいた。

 

 

 だから悔しい。何もできなかった自分が、ただ撤退を選択した自分が。

 

 駆逐艦は空母の随伴艦じゃない。死地に進んで飛び込み、多種多様な任務をこなす海のエキスパートだ。死をも恐れぬ勇猛さが必要なのである。それが誇りなのである。

 

 勇猛果敢でない艦長に、まさか用があるはずがない。

 

 この憤りを放出したかった。しかし自身がいるのは「時雨」の胎内。間違っても彼女は悪くない。子供のように壁に八つ当たりすることもできず、彼はただ歩く。

 

 

 靴底の床に触れる音が、通路空間に反響する。「時雨」に責め立てられる気にもなる。

 

 そんな幻想を振り払い、西園は歩みを進める。自身が失格だとしても、少なくとも今はこの(ふね)の長である。やるべきことがある。

 

 

 

 

 駆逐艦の喪失。

 

 沖縄県への大規模武力攻撃。

 

 そして許してしまった……市民の虐殺。

 

 

 

 

 

 

 認めざるを得ない。

 

 これは戦争だ。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

02_中央《ジジョウ》

H34.3.2
沖縄での一件が政府より報じられる。私の勘は正しかったようで、これは有史以来の大事ではないだろうか? 一日で百万近い(越える?)犠牲が出たなんて、信じられるはずがない。
ともかく、準備のおかげでお得意さんに素早く安否情報を流せたのは幸運だった。これで私の株も上がってくれるといいのだが……無理か、今回の件に関しては、私の情報はダメ押しでしかなかった。



 ――――西暦2022年3月2日。沖縄沖――――

 

 

 

 時代区分。それは様々な基準で誰かが決めるものである。とある国の政権が倒れた日で、もしくは大国同士のパワーバランスが傾いた日、あるいは戦争が終わった日で区切ったりするかもしれない。

 だが恐らく、もっとも多くの人間が疑いなく受け入れてくれる時代の区切れ目は、やはりその時代を象徴する技術、テクノロジーであるはずだ。蒸気機関や内燃機関、原子力といった新しいエネルギー。そういうもので人々の生活は大きな影響を受けてきた。

 

 では、現代を象徴するテクノロジーとはなんだろうか?

 

 それは間違いなくインターネットであろう。インターネットとはそこに物質として存在するものではない。電子回路の組み合わせによって作られた計算機であるコンピューター、それを幾重にも接続し、拡張することで組み立てられた広大な通信網のことである。

 その網は架線ゲーブルを、海底ケーブルを、もしくは衛星通信を用い……まさに網のように広げられている。世界中を覆っている。

 

 

 とはいえ、そんな今では日常と化したインターネットも、元はといえば軍事目的の情報共有システムであった。インターネットが民間向けに解禁された今でも、その性格は変わらない。

 

 

 

 だから、『彼女』は念じた。

 

 

 『彼女』には確信があった。海軍にも情報共有システムが存在する。各艦艇の所在地や、またレーダーに映し出された未確認もしくは敵性の飛行物体。それらを瞬時に共有し、そして海という余りに広すぎる戦場を一人の指揮官が把握できるようなシステムが存在する。

 

 そのシステムに、無論駆逐艦「雷」も参加していた。だから()()()()()()()()()()()()()()()。海の上に立ち、そして()()()()()()()()()という確信がある以上、出来ない訳がない。そう考えたから念じたのだ。

 

 

 果たして予想通りになった。日本国が保有する幾多の衛星、そのうち最も近い衛星との通信が開始され、『彼女』は瞬時に詳細な現在地、友軍艦艇の配置……。

 

 

 

 そしてなにより、自身が所属していた「第二機動艦隊」の居場所を把握することが出来た。

 

 

 

 『彼女』はどう考えても特異な存在である。

 

 そして『彼女』もそれを認識しつつあったし、それを認識するにつれ、ますます自身だけが出来ること、また自身には出来ないことを自覚していった。

 

 

 海に立ち、そして駆逐艦「雷」としての機能も持つ。なにより()()を、駆逐艦「雷」を沈めた奴らが()()()()()()()()()()()()()()()()……これほど特異な存在なのだ。出来ることは多々あるに違いない。

 

 しかし一方、『彼女』は駆逐艦でしかない。つまりどういうことかというと、補給を受けなくてはならないのだ。

 艦を動かすために必要な燃料弾薬、あと水・食料も必要だ。

 

 それが意味することは、支援が必要であるということ。祖国の支援が必要なのだ。

 

 

 とはいえ、『彼女』の見た目はどこからどう見ても小さい女の子。果たして『彼女』の台詞に耳を傾ける阿呆がどれほどいるだろうか?

 

 そう考えたとき、()()()()が出した結論は自身の所属部隊、第二機動艦隊であった。

 

 話を聞いてもらえる可能性は低い。だが身内なら、自身の喪失を嘆いているであろう仲間なら、少しは耳を傾けてくれるかもしれない。

 

 

 その可能性に、賭けよう。

 

 

 そう決めた『彼女』は、南国の海を離れたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――西暦2022年3月2日。高知沖――――

 

 

 

 呉を母港にし、主として沖縄諸島からマリアナ諸島までの制海任務を担当している日本国自衛海軍の第二機動艦隊。沖縄での戦闘――――政府はこれを、琉球諸島事変と呼称することにしたらしい――――から早くも17時間。大量に救出した避難民を志布志湾で降ろした各艦艇は、見かけ上は平穏な航海を続けている。

 

 とはいえ母港の呉に帰るわけにはいかない。なんせこの艦隊はなんの反撃も行えずに「雷」の喪失を許してしまったのだ。いかにその後精力的に働こうと、その事実は覆らない。

 

 今の時代、駆逐艦は立派な主力艦である。今の時代の駆逐艦はすごい、最高だ。そんな駆逐艦を損失、それも一方的に損失したというのだから、これは大問題である。

 

 

 このまま呉に戻れば、まず間違いなく批判の嵐に晒される。

 だから、ともかくは民間の目に付きづらい場所へ。第二機動艦隊は目下、上層部が指定した辺境の海軍基地へと回航中であった。

 

 

「幽霊?」

 

 そんな二機艦(第二機動艦隊)の旗艦、航空母艦「日向」、その士官食堂。既に避難民のために解放されていた艦内の片付けは係の手によって終わっており、一等客室を思わせる内装は落ち着いた雰囲気を放っていた。

 

「ええ、幽霊です」

 

 そう言うのは二機艦の通信参謀である。この部屋には司令の片桐少将以下司令部要員が勢揃いしており……艦長などと共に談笑しつつの昼食時であった。

 いきなり何変な話をしているのだ……と怪訝な表情を浮かべる「日向」艦長に対し、通信参謀はいやいや、と弁明するように両手を軽く上げる。

 

「幽霊っていってもあくまで比喩表現ですって、まあ聞いて……」

「比喩にしたって不謹慎だ」

 

 話を続けようとする通信参謀を遮る声。それを発したのは航空参謀だった。食事の手を止め、そしてトントンと苛立たしげに机をナイフの持ち柄で叩く。

 

「これだけの犠牲者が出た直後だ。それだから幽霊が出ると? 犠牲者の方々を馬鹿にしてるんじゃないのかね?」

 

「……不謹慎などと言う前に、航空参謀にはまずテーブルマナーを守っていただきたいものですね」

 

 話を遮られたのが不愉快なのだろう。通信参謀はせせら笑いを浮かべながら指摘する。

 言うまでもないが、火に油を注ぐ行為だ。

 

「不謹慎発言の次はいちゃもんか、なにが言いたい」

 

 航空参謀と通信参謀の間に流れる剣呑な空気。やれやれといった様子で参謀長が仲裁に入る。

 

 

「おい津島、気持ちは分かるが一旦落ち着け……河凪も、なんでだって幽霊の(オカルト地味た)話をするんだ。ここは海軍だぞ?」

 

 

 なんだか悪い雰囲気。高級士官でなかったゆえに別の卓にいた尉官達はその空気を飲み込まないように食事を摂り、同じ卓に居合わせてしまった艦長以下の佐官たちは関わりを持たぬように目を逸らす。

 

 軍隊組織を動かすために絶対欠かせない士官。彼らの間に漂うこの雰囲気は、つまり空母「日向」の士気が最低であるということを示していた。

 

 

 と、そこで一つの影が食事の手を静かに止める。彼は手に持っていた食事器具を置き、そして言い放つ。

 

 

「……作戦の失敗は、ひとえに指揮官の責任」

 

 その横からの声に航空参謀と通信参謀は、驚いた様子でその声の方を見る。卓の最上位が座るべき場所に陣取った彼は、それから続ける。

 

 

「艦隊の士気に関してもそうだ。これは指揮官が管理すべき重要事項……即ち、私の責任だ」

 

「片桐司令」

「司令、滅多なことを仰らないでください」

 

 二人の参謀に参謀長、そして沈黙を保っていた補給参謀までも彼を止めようとするが、しかし二機艦司令を務める片桐少将は言葉を止めない。

 

「沖縄の防衛命令が出され、我が艦隊はそれに参加した……」

 

 なぜここまでも空気が険悪なのか。それには理由がある。それは通信参謀が口にした幽霊ではないし、もちろん航空参謀のテーブルマナーでもない。

 

 沖縄陥落。

 

 

 周囲の島もいくつか落とされ、行方不明者は数える気も失せるほど。この事実は、第二機動艦隊司令部に大きすぎる衝撃を与えていた。

 今朝までは避難民への対応に追われるばかりで気にかける時間もなかったが、一通り終わってしまえば仕事もなくなる。司令部要員それぞれが事実を飲み込む頃には……司令部の空気は最悪なものとなっていたのだ。

 

 

「……」

 

 食器の横に沈黙が並んだ卓。この状況の責任が片桐少将にあるとして、だから何だというのだろう。そんな責任を告白したところで何も改善しないし、それどころか上官の評価が下がることで余計に士気は下がる。

 

 だから、片桐少将の告白がこれで終わるはずがなかった。

 

 

「……諸君には、今のうちに話しておこう」

 

「片桐!」

 

 遮ったのは参謀長。片桐は参謀長を一瞥。しかし呼び捨てを責めることはしない。どころか片桐も参謀長を呼び捨てで呼んだ。

 

平垣(ひらがき)……艦長“たち”にはもう話してある」

 

「……そうか」

 

 顔色を変えたのはそれを聞いた艦長だ。

 “艦長たちには話してある”この言葉を理解するのに、大して時間はかからなかっただろう。

 

 

 片桐は立ち上がった。

 

「今回の我が二機艦の派遣、その異常性に気付いている者も多いことだろう」

 

 その場の全員が片桐へと注視したのは当然のことだろう。一言も発せず次の言葉を待つ。

 

「我が自衛海軍は今回の件を事前に察知。保坂連合艦隊司令長官より鎮圧命令が下った」

 

 これがすべてだ。片桐はそう言って座り、参謀長は両手を結んで目を伏せる。極秘であったとはいえ命令は命令。突発的戦闘ではなかったのである。場の反応を見る限りでは“知っていた人間”は片桐司令のほかに参謀長と補給参謀、このぐらいだろうか。

 

「……全て、ね」

 

 吐き捨てるように言ったのは航空参謀だった。すぐに参謀長が応じる。

 

「津島航空参謀、何が言いたい」

 

「発言しても?」

 

 航空参謀は参謀長を無視する形で艦隊司令……片桐少将を睨み付ける。本来の艦隊司令は中将であることからも分かるように、片桐が司令職に就いているのはあくまで一時的な措置に過ぎない。そこに津島航空参謀は典型的な空母主兵派、対する片桐司令は水雷決戦派寄りであることも相まって、両者の関係は決して良いものではなかったのだ。

 派閥を職務態度に影響させないのは無理な話だろう。だがそれでも、こういったところで噴出されると困るものである。

 

 片桐は仕草で許可を出した。

 

「極秘司令であった……なるほど説得力がある。あなたが司令職に就いているのも、義兄弟にあたる保坂長官の手回しという訳だ」

 

 その言葉を聞くと片桐は、その首を僅かに傾げた。

 

「もう少し……かみ砕いて説明してくれないか?」

 

 対する津島は俄かに語気を強める。

 

「えぇもちろんですとも、あなたの奥方は保坂GF(連合艦隊)長官の実の妹であらせられる。そしてあなたの例外的人事を押し通したのも、今回の極秘命令も、いずれも保坂長官によるもの」

 

「つまり?」

 

 続きを促す片桐を、津島は鼻で笑った。

 

「ここまで説明してまだ分かりませんか……保坂長官の意向は“それで全てではない”と言いたいんです――――あなたが貰った極秘命令とやらは、()()()()()()()()()()()()()?」

 

 今度は片桐が笑う番だった。

 

「いや? 鎮圧命令だけだが?」

 

「それはないでしょう……あり得ない」

 

 

 片桐と津島。二人の間で視線が交錯。微妙な間を置いてから、片桐は小さくため息をついた。

 

「保坂長官だって、そのくらいは弁えているヒトだろう……もう少し意味のある発言を期待したんだがな、君の言っていることは憶測まみれ……」

 

 まるでさっきの幽霊の話じゃないか。そう続けられた言葉に、津島は顔を歪めた。バツが悪そうに立ち上がると、カツカツと扉の方へ向かう。

 

「……食欲がなくなった。従兵(ボーイ)! あとで私の部屋に何か持ってきてくれ」

 

 

 扉がバタムと閉まる。

 

 

「司令……」

 

 参謀長は咎めるような口調。終わった後に命令のことを言うのが片桐の考えであったが、平垣参謀長はこれに反対だった。今しがたの会話はまさに、平垣の予感が命中した形だろう。

 

「いや、これでいい」

 

 片桐は両目を閉じると椅子に座りなおす。そして閉じた目を開く。

 

「うちの司令部要員が恥ずかしい姿を晒して済まないな、艦長」

 

「いえ、お気になさらず」

 

 と言いつつ艦長の思考はそこになかった。先日緊急で開かれた艦長会議。片桐少将は極秘命令のことを彼の指揮下にある九隻の艦長に明かした。また今後この第二機動艦隊が“この戦争”の尖兵となり、恐らくは最前線に立つことになるだろうとも。

 ……そしてまた、必要あらば尉官以上にはこのことを話しておくように。そう伝えたのだった。

 

 

「この場にいない当直の士官たちには、私から話しておこう」

 

「分かりました。司令」

 

 

 最前線というのがどこなのか。それは分からない。

 

 

「……ところで通信、さっき言いかけた幽霊って何なんだ?」

 

「え、その話まだするんです?」

 

「話題がなければ暗いままだろうが」

 

「は、はぁ……」

 

 

 

 

 

 しかしこれだけは確実だ。

 

 どうも、戦争が始まったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――西暦2022年3月2日。東京――――

 

 

 

 都市の光。それは即ち文明の光でもある。世界に数箇所しか存在しない千万人を超えるメガロポリス、東京。内湾の奥という安全保障上の利点はもちろん、干拓が容易という理想的な立地。周囲に大河川を抱え、洪水に悩むことはあれど水不足にはそうそうならない関東平野。徳川氏がここで隆盛を極めたのは偶然か……はたまた必然か。そんなことも考えてしまうほど豊かな土地。

 

 しかしもはや土壌などは関係ない、現代における繁栄とはすなわち都市化。東京がいかなる土壌の上にあろうと人はそこに家を建て、アスファルトで無造作に舗装してしまう。かの新宿が半世紀前チョイまで田んぼの広がるのどかな田園地帯だったといえばどれほどの若者が信じるだろうか。

 まあ何はともかく、それほどに繁栄を謳歌している街、それが東京であった。

 

 

「……あぁ、話はキレイに纏まった。何の心配もいらない」

 

 

 しかし、そんな東京の街並みを眺める男の表情は暗い。室内の照明は落とされ、外の光が彼を照らす。

 手に持っているのは携帯電話……いや、今の時代あんなデカイ携帯電話なんてない。あれは衛星電話だ。ともかく電話先には相手が居るのだろう。呟くように台詞を吐くと、相手の返事を待つ。

 

『そうか、それはよかった』

 

 もちろん状況は何一つ良くなどないのだが。しかしそれでも言いたくなってしまう「よかった」という言葉。

 だから男は返事をせず、沈黙で答えた。

 

『……それにしても、残念だったな』

 

「何がだ?」

 

 男は眉をひそめる。残念、沖縄が化物に占領されたことが残念? いや、違うだろう。そんなことで残念だったなと言うような奴ではないはずだ。

 電話先がため息の気配。

 

『松原のことだ、計画に引き込むつもりだったんだろう?』

 

「あぁ、それか……」

 

 

 松原とは、駆逐艦「雷」の艦長のことである。

 「雷」は沈んだ。化け物どもの餌食になった。

 

 

「……確かに残念だった。確かにな」

 

『どうするんだ?』

 

 どうする、ね。男は考え込むように一度目を閉じる。外のネオンの輝きは瞼程度の薄い部位なら容易く通過し、目を閉じても光が入ってくる。

 男は目を開いた。視界に入り込む景色は当然ながら寸分も変わらない。

 

「代役は、なるべくならば若い人間がいい。かといって若すぎはダメだ……松原の二期上である西園(にしぞの)か、もしくは松原(アイツ)と同期の飯田(いいだ)だな」

 

 そう男が言うと、電話先は数瞬ほど沈黙。それから尋ねるように返事が返ってきた。

 

『……「新水研」以外のメンバーから抽出する手は?』

 

「不可能とは言わない」

 

 対する男は即答であった。

 

「だが身内なら素早く動ける……確かに化け物どもは海から来る。しかし、(おか)にだって敵がいないわけじゃない」

 

 分かりきったことを言わせるな。そう言う男。

 「新水研」とは、彼が中心人物を務める海軍の有志による集まりのことだ。正式な名称は「新時代水雷戦の研究会」。表向きも裏向きもただの新戦術、特にミサイル艇を用いた戦術の研究会だが、男が信頼に値すると見た将校が集まっている場所でもある。

 

『まあいい。君が問題ないと思うようやれ……』

 

 二人の付き合いは長いし、別に仕事だけでの付き合いというわけでもない。男は諦め半分様子の電話相手が、その実全く納得していないことに勿論気付いていた。

 とはいえこればかりは仕方がない。一年以上その片鱗を見せ隠れしつつ進んでいた事態は、沖縄への攻撃という確かな事象によって新たなステージへと移ったのだ。

 これからが肝心なのだ。

 

 内部崩壊だけは避けねばならない。

 

 だがしかし、ここで親友の忠告に耳すら傾けないのもアレである。男は口を開いた。

 

「……飯田のことを懸念しているんだろう? あいつは優秀だ。十分に役立つし、陸軍(りく)とのパイプも強い……表の長は彼でいいと、君も言ってくれたじゃないか」

 

『だからこそだ。()()飯田啓介の息子だぞ?』

 

 計画本体に引き込んでみろ、泣きを見るのは明らかだ。と電話の相手は言う。

 

「……」

 

 中東戦線で名を挙げた飯田啓介(けいすけ)退役陸軍少将。そんな親の七光りを避けるように海軍に入ったその息子こそが今話題に上がっている「雷」艦長(まつばら)の同期で、新水研に属する――――つまり、男が信用している――――若手将校、飯田孝介(こうすけ)であった。

 

『……僕だって彼が優秀なのは把握している。この件は後日話そう』

 

「そう、だな……」

 

 

 そして男はもう一度外に意識を飛ばす。よくよく目を凝らしてみると、窓ガラスには自分の姿も映っていた。何列にも並んだ略綬はこれまでの名誉を示す。帝国海軍から自衛海軍への体制改革期に採用された幹部用常装第一種軍装ならばネクタイもきちっと締められ、金のボタンも鈍く光る。袖の甲種階級章には桜と太い金章。

 

 その本数の多さが示すのは、「統合・海軍幕僚長たる海軍大将」という特殊な階級であった。

 

 

『それにしても……始まったな』

 

 男の沈黙をどのように捉えたのだろう。電話相手はどこか感傷を漂わせるように行った。

 

「あぁ始まった。我々の最後の、そして最大の奉公が」

 

 決意を再確認するように言えば、向こうも頼もしげに笑う。

 

『ふん、これのために僕はGF(連合艦隊)長官を一度は断っているんだからな? しっかりやってくれたまえよ』

 

「言われずとも、だ」

 

 

 

 

 それから二人は二三言葉を交わし、そして通信は終わる。

 

 

「……最後の奉公、か」

 

 男は自身の言葉を笑った。最後にするつもりなど毛頭ない。これは副産物に過ぎないのだ。予想より遥かに状況は悪いが、副産物は副産物。さっさと終わらせ、そして本当の奉公を完遂せねばならない。

 

 

 だから男……大迫(おおさこ)海軍幕僚長は自信気に笑うのである。

 

 

 

 

 

 

 




やけに登場人物が多い……すまぬ。
後に説明いれるので覚えなくても大丈夫です。

ちなみにストックはここまでです。ここからは週一程度を目安とした不定期更新となります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

03_接触《サイカイ》

H34.3.3
今日はひな祭りである。まあ世間はそんな様子じゃないが……まあ私には関係ないことだ。実際情報源として役立てる期間は終わったし、そもそも謎が少ない時点で活躍の場はなかった(沖縄を占拠した武装勢力の解明は仕事ではないからだ)。
仕事が終われば後はのんびり休むのみ。さっさとお雛様を仕舞おう。
不肖青葉、これでも、お雛様を仕舞いそびれることで嫁に行き遅れるなんて事態は避けたいのである。
嗚呼、なんだかんだでもう数年で30かぁ……。いやいや、まだ二十の春は終わらない!
青葉よ乙女であれ!なんてね。

馬鹿なこと書いてないで旅支度でもしますか。仕事が終わったと言ってもそれは一つの仕事が終わっただけ。次の仕事は久々の満州、精々楽しみませんとね。


 ――――西暦2022年3月3日。千葉沖――――

 

 

 

 データリンクを行った『彼女』は自身の居場所を把握していた。

 

 確かにデータリンクから既に数十時間が経過している。だが航海術というのは数世紀という長い歴史を持つ実用的な学問だ。ある時刻での自身の正確な位置さえ把握できれば、まず自身の位置を見失いことはない。

 まあ流石に水平線の向こうは見えないため、目指すべき第二機動艦隊の実際の位置は分からないのであるが……『彼女』だって伊達に随伴艦を二十年務めてきたわけではない、確認した航路と位置情報から予測する限り、母港の呉に向かっていないことは明確だった。

 

「やっぱり……隔離されているわよね」

 

 そう『彼女』はひとりごちる。言葉を使うというのは不思議なもので、頭でだけ理解していた事柄が身体中に広がっていくのを感じる。こういうのを……虚無感というのだろうか。

 

 とにかく、いかなきゃいけない。

 

 ただそれだけだった。『彼女』を動かす衝動は、ただそれだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――西暦2022年3月3日。宮城沖――――

 

 

 まずその“異変”に気付いたのは、金剛型巡洋艦「鳥海」であった。

 

 そもそも第二機動艦隊は今現在も輪形陣を組んでおり、配置も第二種戦闘配置と気を緩めたわけではない。そのため現在も灯火管制が敷かれており、見張り員もある程度は配置されていた。

 いつの時代も役に立つのは己の感覚のみ。歴戦の金剛型の実力をもってすれば、その「十何ノットで追尾してくる浮遊物」を発見するのにたいした時間はかからなかったわけだ。

 

 

 

 そして、それは即座に伝達される。

 

「……浮遊物?」

 

 数分も経たぬうちにその情報は第二機動艦隊を率いる片桐海軍少将へともたらされた。しかし彼はオウム返しに部下の報告を確認するだけ。

 

「それだけか」

 

「はい、我が艦隊の後方三キロ、相対二ノットで接近中です」

 

 それもそうだ。これだけの情報で対策が決まるはずもない。

 

「……ふむ、分かった。報告ありがとう。下がり給え」

 

「はっ」

 

 というか普通に考えれば、たかが「浮遊物」程度を発見しただけで報告が上がるはずもないのである。片桐は部下が礼をして下がり、扉が閉まったのを確認すると振り返る。

 

「戦闘配置は出さない、ひとまずは傍観だ。異存はないな?」

 

 片桐の目線の先に控えているのは平垣参謀長。すぐさま頷くことで肯定する。

 

「雷の被撃沈にも関わらず、時雨は無事だった。これは間違いなく雷単艦で攻撃を行ったからでしょう。海鳥(Q-14)が攻撃を受けたのも音響弾を投下したため……無闇な手出しは危険です」

 

「よし」

 

 そして片桐は壁の受話器へと手を伸ばす。

 

「私だ……司令部要員を集めろ、五分以内だ」

 

 カチャリとプラスチックの触れ合う音。壁から手を離した片桐は、椅子にどかりと座った。

 

 

「……平垣、お前はどう思う?」

 

 片桐はその問いを平垣参謀長へと投げかける。この部屋には片桐と平垣の二人だけ。ついさっき淹れたばかりの珈琲の香り漂う司令室。

 平垣はため息ひとつ。それから軍帽を僅かにずらし、それから言った。

 

「具体的とも言えない報告……鳥海は先日の事変で気がたっており、正常な判断が出来ていない……そう考える」

 

 普通なら、そう付け加えた平垣。やはり片桐同様深刻な顔つきだった。

 

 

 整理しておこう。

 

 先日、沖縄県に謎の武装勢力が殺到した。

 殺到とは文字通りの殺到であり、遺された映像には海岸を多い尽くさんばかりの異形の軍が上陸を仕掛ける姿が映されている。

 その数と巨体をもってしてやつらは現地の守備隊を圧倒。沖縄本島を隅から隅まで歩き回り……百万人を蹂躙した。これも文字通りの蹂躙である。人口・非人口物に構わず体当たりをかまし、そして多くの犠牲者を飲み込んだ。

 

 ……そして何よりも衝撃的であったのは、この惨劇が繰り広げられたのが「沖縄」という場所であったことである。

 沖縄は日本が東南アジア条約機構と共に推し進める反共政策の要石(キーストーン)であり、そこにはレーダーサイト、大規模通信傍受施設、戦略爆撃機基地、ICBM施設……とにかくそういう場所なのである。

 

 だからこそ、そこには万単位の地上戦力が展開していたのである。常々コマンド攻撃を警戒している沖縄がまさか準備不足であったはずがなく――――それは正規軍の完全敗北を意味していた。

 

 犯行声明もなし、一体どこから持ち込まれたのか、やつらは自律兵器なのかそれとも生物なのか……それすらも分かっていない。そんな異常事態が起きているのだ。

 

 

 しかも第二機動艦隊はその異常の渦中にある。

 

「鳥海も、このニ機艦に雷と同じ運命をたどって欲しくないのだろう……だから丁寧に報告してくれた」

 

 あくまで冷静に、状況判断を行う片桐。平垣は珈琲を一気に煽ると、さも苦そうな顔をする。

 

「……それは私だって同じです、ですが」

 

 そこで言葉は止まり、口ごもる平垣。

 

 口ごもるのも当然だった、なんせ――――

 

 

 

「――――ああ、()()()()

 

 

 

 あくまでも冷静に、そう冷静に。ゆっくりとそう言う片桐。

 

 沈黙が流れる。二人は沖縄の件を事前に知っていた。片桐からその情報を聞かされた平垣は第二機動艦隊の、日本を守る矛の参謀長として尽力した。

 

 平垣の表情がまた歪む。そうだ。いかに彼が尽力しようと結果はこうだ。彼は押さえきれぬと言うように空になったステンレスのコップを握り締めると、力強くゆっくりと机に押し付けた。

 

 次に浮かぶ感情は、焦り。

 

「なあ片桐、本当に保坂長官を信じていいものだろうか?」

 

 保坂長官というのは、もちろん連合艦隊司令長官である保坂秀樹海軍大将のことである。

 それを聞いた片桐は、即答せず椅子に座ったまま。

 

「分からん」

 

 それから一瞬。

 

「……保坂さん自身、分かってないのかもしれん」

 

「……」

 

 もの言いたげに片桐に視線を注ぐ平垣。片桐はそれに応じない。

 

 

 

 というよりか、応じようがなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――西暦2022年2月11日。広島――――

 

 

「……今、なんと?」

 

 呉。それは日本を代表する海軍都市。瀬戸内海という波の穏やかな恵まれた海に育まれたこの街で、片桐は遥々横須賀より出向いてきた保坂と向かい合っていた。

 

 会議や査問といった類ではなく、両者の間には穏やかな雰囲気が流れている。保坂(ほさか)秀樹(ひでき)連合艦隊司令長官と片桐吉次(よしつぐ)第二機動艦隊司令には親密な付き合いがあった。片桐は保坂の妹と結婚しているのだ。それゆえ、二人は義理の兄弟であることになる。

 だから、二人の間に穏やかな雰囲気が流れるのは当然だった……つい数瞬前までの話だが。

 

 

 凍りついた部屋。保坂は食事から目を離し、目を見開いた片桐を見据えた。

 

「そのままの意味だ。3月の1日、沖縄県は大規模攻撃にさらされる」

 

 固まってはいたが、片桐はことの重大性を即座に理解していた。彼が自分にこの案件を託そうとしているのも。

 

 だがしかし、頭は全くついてこない。

 

 大規模攻撃はいい。いやよくはないのだがこのご時世ならよくあることだ。東西宥和の時代とはいうが、それは冷戦が大国同士の緊張にすり変わっただけのこと。そもそも冷戦時代だって幾度とない戦乱に核保有国たる我が国は巻き込まれてきたではないか。

 

 だがしかし、どうしても分からない。

 それは攻撃目標が沖縄であるということ。日本本土への攻撃など、70年代の樺太以来である。加えて樺太には資源があったが、沖縄には資源などない。あるのは堅固な要塞と、万単位の陸軍、さらに同盟諸国の遠征軍も少なからず駐屯している。

 

 

 押し黙った片桐。保坂は片桐に酌を注ごうとする気配を見せ、辛うじて応じた片桐を見据えつつ言った。

 

「沖縄を攻めるなんて、百害あって一理なし……君もそう考えていることだと思う」

 

 僕もそうだ。片桐を先回りするような保坂の発言。

 

「……」

 

 片桐は次の言葉を待つ。

 

「だが疑いようもない……これは本物だ」

 

 そう言ってファイルを鞄より出す保坂、誰にも見られることがないように厳重に守られているのだろう。その革製のファイルは厳重に閉ざされ、数カ所が結ばれて開かないようになっている。

 まあ結ばれているとは言えど所詮は紐。簡単に開くのだろう。

 

 ……それでも、これが物語ることの重大性は、片桐に開くのを躊躇わせるのには十二分だった。

 

 

「……」

 

 片桐は無言で保坂を見上げる。やはり無言で頷く保坂。

 

 開けろ、そして読め。そう言っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――西暦2022年3月3日。宮城沖――――

 

 

「……保坂さん、いや保坂長官からこの話を聞いたのは最近のことだ」

 

 司令室に流れた重たい沈黙を、押しのけるように片桐は口を開く。

 

「彼は言った。沖縄を防げれば状況は改善すると」

 

 分かるかね、片桐は平垣を見据える。

 

「我々は、恐らく保坂長官のいう惨劇を止められる最良の方法で失敗した」

 

 片桐はそれだけ言って視線を逸らす。その先は丸窓だった。艦である以上その窓は小さく、そこに既に日が沈んでしまった真っ黒な水平線とほの暗い空が同居している。

 

「……想定を超える事態だった。仕方がない」

 

 平垣がそう言えば、片桐はにわかに振り返る。口調も唐突に激しくなる。早口にまくし立てる。

 

「仕方なかったで済まされないのが軍組織だろう、我々は現に失敗したんだ。沖縄で一体何人の犠牲者が出た。確かにこの艦隊は数千人、希望的にいうなら万の人を救っただろう。だが我々は人を運ぶ輸送船なんかじゃない。国民を守る盾だ、国民が避難しなくてもいいようにするための組織だ」

 

「片桐、落ち着け」

 

 平垣は宥めるようにゆっくり言う。彼自身、落ち着いているかと言われればそれは嘘だろう。だがしかし、目の前の片桐は司令である。この艦隊を率いる長である。こうして激しい口調となるのは目の前にいるのが平垣()()だからだろうが……彼がこうして感情を顕にするのも珍しい話だった。

 

 

「……すまんな、少し取り乱した」

 

「いやなに、これも参謀の仕事だ……同期のよしみとも言う」

 

 平垣は小さく笑った。片桐は目配せだけで感謝の意を示す。

 

「で、だ……平垣参謀長、保坂長官の話が正しいとして、まずこの状況の異常性を挙げてくれ」

 

 そして艦隊司令は状況を解決すべく参謀長と動き出した。艦隊の女房役である参謀長はもちろんそれに応じる。

 

「鳥海の報告通りならばその『浮遊物』というのは常に海上に浮いているということでした。ですが”情報”では『水上型』の出現は沖縄以降、それも”X-Day”の直前だということでした」

 

「……その”X-Day”の直前が今という可能性は?」

 

 片桐はその信じたくもない可能性を口にした。

 

「考えにくいとは、思いますが……」

 

 平垣も口ごもる。考えにくい。というよりか、考えたくないのが実際のところだった。彼らが口にする『X-Day』というのは、内容を知る者には重く深く突き刺さる言葉だ。

 

 これを防ぐことが出来なければ大変なことになる。それこそ、沖縄で繰り広げられた以上の惨劇が。

 

「……沖縄は防げなかった。なら既に、保坂長官のシナリオからは外れているはずだ」

 

 思えば、あまりに情報は薄いものだった。しかし情報源がどうであれ密命は下された。第二機動艦隊は沖縄に展開し、やつら……あの化物と対峙した。

 そして負けた。

 

 

 よく言われる話であるが、戦争においての予定が予定として成立するのは一回目の作戦までである。それ以降の作戦はその前に起きた戦闘結果――――敵軍に与えた損害や、自軍の被害――――を元にして立てられるし、そもそも勝てるかなんてやってみなければ分からないのだ。

 

 

 だから保坂長官も沖縄以降のシナリオをハッキリ持っているわけではないのだろう。

 しかしだ。彼だってビジョンは持っているはず。ある程度の流れは見えているはずだ。

 

 そして彼は第二機動艦隊()()()()()と判断したはずなのだ。

 

 

 だがその予測は外れた。完敗だ。なにか大きな問題があったわけでもなし、守備隊の展開が間に合わなかったわけでもなし。

 

 それはつまり保坂長官の予測が、つまり片桐と平垣に共有されているこの情報自体が間違っているということである。

 

 

「ですが司令、それならなぜ攻撃を受けないんです?」

 

 ”情報”によれば沖縄を引き金としてやつらの行動は活発になるとされている。それならば大型空母である日向型が攻撃の対象とならないはずがないわけで、追尾してくるだけというのもおかしい話だ。

 

 

「分からん」

 

 だがこちらから手出しをする訳にもいかない。Q-14や「雷」が証明してくれた通り、攻撃を仕掛ければ反撃を受ける可能性が高くなる。これ以上艦艇を失うわけにはいかないのだ。加えて今は夜。艦載機を放つにはある程度のリスクがあるし、「鳥海」の報告があるまで気付かなかったとは余程の小目標ということである。有効打を与えられるとは思えない。

 

 

 少し考えた片桐は、腕時計を確認すると口を開いた。

 

「考えていても仕方がない。司令部にいくぞ」

 

「……分かりました」

 

 そうして司令室を出る二人。扉を開けるとそこに、向こうから走ってくる人影が。

 

「司令!」

 

「そんな慌ててどうした」

 

 平垣が伝令に落ち着くよう言う。だが伝令の眼は見開かれ、走ってきた以上に呼吸は荒れている。一体何があったというのか。

 

 そんなことを冷静に分析できたのも伝令が口を開くまで。次の瞬間に平垣の眼は見開かれ、片桐の表情はより一層重苦しいものとなる。

 

 

「ふ、浮遊物から――――発光信号が!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「一体全体どういうことだっ!」

 

 司令部に入るなり耳に入ってきたのは罵声である。もちろんその主は航空参謀だった。

 

「津島、落ち着け」

 

 平垣は一応宥めるが、その程度で収まるならそもそも怒鳴ってなどいないだろう。

 

「落ち着けるものですかっ! 参謀長、あなたは状況を知らんからそんなことが言えるのです!」

 

「……私も参謀長も話は聞いているよ」

 

 片桐が割って入る。

 

「で? 状況は」

 

「はっ」

 

 応じたのは航海参謀だ。

 

「『浮遊物』は現在、「鳥海」後方300m地点にて我が艦隊に張り付いております。相対速度はきっかりゼロです」

 

 きっかりゼロ。ということは『浮遊物』はこちらの速度に合わせているということだ。

 

「それと先程から同一の発光信号を「鳥海」へと送っています……和製モールスに直すならば、”ワレイカツチ”と」

 

 通信参謀が言葉を繋ぐ。

 

「”我、雷(ワレイカツチ)”……か」

 

「ありえない……司令、これは雷への冒涜ですよ。断固無視すべきです」

 

 津島航空参謀の意見は最もである。「雷」は4000tの駆逐艦だ。駆逐艦と聞くとついつい小型の艦船と認識しがちではあるが、その実4000t”も”あるのである。立派な大型艦……とまでは言えないが、少なくともレーダーにも引っかからないほどの小型ではない。というか軍用レーダーになれば木造の漁船だって見逃さないのだ。

 

 

 「雷」の幽霊。

 

 そんな馬鹿げたことを喉の奥に引っ掛けた片桐は、もちろんそれを口に出さない。彼の持論によれば幽霊というのは人が見る記憶の片鱗であり、そのキッカケ自体は科学的に説明のつくものだ。

 つまり今第二機動艦隊は「雷」の幽霊を見ているわけだが、それは沈んだ「雷」の記憶を思い起こしているだけであり……そのキッカケの発光信号は科学的でなければならない。

 

 しかしどうして、自然が和製モールスなど理解するというのだろう。

 

 

「それに司令、『浮遊物』は我が艦隊にしっかりとついて来ています、しかも全く同じ速度で。もしも沖縄から追尾してきたのであれば相当な速さであってしかるべきで、即ちあれには速度を調節する能力があるということです」

 

「つまり何がいいたい」

 

 事細かに『浮遊物』を分析する航海参謀に食って掛かる航空参謀。航海参謀はそちらの方へ向き直り、はっきりと言い切った。

 

「沖縄のやつらとは根本的に違います。それが言いたいだけです」

 

 

 

 片桐は何も言わずに押し黙っていた。この事態は全くの想定外であるし、また対応を協議するほどの余裕も時間もない。

 

 つまり、次の瞬間には決断を下さねばならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自身の名を明かし、そして祈るように待つ。

 

 『彼女』にとってはこれが最初で最後の希望だ。そして『彼女』が恐れるのは拒絶されることではない。

 拒絶されるのは当然の対応。だがそれで祖国が自身と同じ運命を辿ってしまったら?

 

 それはもはや『彼女』の存在意義を根本から否定することである。

 だから祈るしかない。どうか、話を聞いてくれと。

 

 

 そして――――回答はもたらされた。

 

 前方の「鳥海」より発光信号の返信。それは『彼女』と同様に平文だった。

 

 

 

 そうして『彼女』は、永久の別れと思われた自艦隊(かぞく)との再会を果たしたのである。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

04_対話《セツメイ》

更新遅れてすみません……難産でした。

ところで昨年より進んでいた合作が完成しましたので、ご報告いたします。
普段からお世話になっている方々と共に共同執筆、なかなか楽しい経験ができました。

艦隊これくしょん~抜錨! 戦艦加賀~
URL:https://novel.syosetu.org/83620/

※日付が変わっていないため、日記帳はお休みです。


 ――――西暦2022年3月3日。宮城沖――――

 

 

 

 爆音を立てながら、回転翼機(ヘリコプター)のブレードが空気を切り裂く。

 

 頼もしくも騒々しいその音を奏でるのは、一機や二機ではなかった。闇夜をかき乱す何十枚のブレードが毎秒何十回転することにより数トンの巨体は宙に浮き、そして互いの死角をカバーしあうかのように取り付けられた照明で照らす。

 

 陽が落ちて真っ暗な世界。そこで照らされ輝く対象は――――もちろん『彼女』であった。

 

 

 

 

 

 東北地方の3月上旬。それも夜間となれば相当に寒いわけで、海上となれば尚更だ。

 

 しかし『彼女』がそれを寒いと感じることはない。当然だ、なんせ村雨型は汎用駆逐艦。あらゆる海域での運用を想定されている。

 それは『彼女』が五感を得ても変わらない。暑いとも寒いとも思わないのだから、それはきっとちょうどよいということに違いなかった……許容範囲内ともいう。

 

 『彼女』は意識を爆音の方へ向ける。攻撃目標を定めさせないためだろうか。回転翼機はあっちからこっちへと目まぐるしく高速で『彼女』の頭の上を飛び交っている。そしてそれらが『彼女』を全力で照らし続けるのだから、当然『彼女』の周囲は夜も忘れて輝いている。産毛の穴すら見えるほどだ。海原が黄金の道に変わり、『彼女』に道を与える。

 

 

 しかし、海で道を”与える”というのもおかしな話ではある。言うまでもないが海に道などは存在しない。海における道というのは(ふね)を預かる長が創り、また同時に破壊されてしまうものであるはずだ。航海の自由という言葉ぐらい、誰でも知っている。

 

 だが『彼女』の先には道がある。

 照らされた道筋のすこし先、そこで『彼女』を誘導するように小型艇が前を進んで行く。第二機動艦隊が寄越した水先案内人だ。

 

 もちろん『彼女の』は迷うこともなくそれに続く。別に反抗する意味もないし、こうして輪形陣の中に入れてくれたということは、少なくとも話だけは聞いてくれるに違いないからだ。

 

 ……とはいえ、気持ちが良いわけではない。

 

 

 今の『彼女』には第二機動艦隊の面々が自分に対してどんな想いを抱いているのかを推測することが出来た。それは『彼女』が特別優秀だったからではなく、相手の立場になって考えてみればすぐ分かることだった。

 

 

「だからって、砲門を向けなくたっていいじゃない……」

 

 『彼女』はそう呟いた。

 先ほどから並走している高波型の127mm砲は、しっかりと照準を『彼女』へ向けている。もちろんそれが”防犯”なのは分かっている。しかし味方に銃口を向けられるなど、まさか嬉しいはずがない。銃口を向けるということはつまり、あの高波型が『彼女』を味方と思っていないという証明なのだから。

 

 しかし文句など言えないし、言わない。この段階に至れただけでも感謝感激なのである。なんせこっちは()()()()()()()()不気味な女の子である。沖縄を襲い、『彼女』から全てを奪い取ったやつらの仲間と思われてもおかしくなかったのだ。

 

まあ、そうは分かっていても……というやつだ。感情というものは知っていた。皆これに振り回されるのだ。しかし実際に振り回されたのは初めてだった。理屈はよく分かっているのに、どうにも抑えられない。

 

 

 そんな風にもやもやを抱えた『彼女』はしかし、誘導されるがままに明るい闇の中を進む。レーダーを作動させるという選択肢もあるにはあったが、それは『彼女』の方針に反するものだ。となれば頼りになるのは己の眼、目視ののみである……しかし困ったことに、眩しい照明がそれを阻む。この過剰な照明の嵐は『彼女』を見失わないことだけでなく、『彼女』の視界を奪う役割も果たしているのだ。もしも『彼女』がこの艦隊の所属でなかったなら、併走しながら敵意を向けてくるのが高波型であることは分かっても、高波型十二番艦の「早波」であることまでは分からなかったであろう……これだけ親しいはずなのに、とても遠い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本国自衛海軍。その主力である連合艦隊を構成する第二機動艦隊。

 

「陸戦隊第二分隊、編成終わり!」

「艦長、全陸戦隊、編成完了しました」

「……武器庫開放終了。要項に基づき、各員配置に付け」

「格納庫内の器具固定はまだか?」

「間もなくです!」

 

 その旗艦を務める日向型航空母艦の一番艦「日向」は今、マストのてっぺんから艦底までの大騒ぎになっていた。掲げられた「不関旗」が、この艦が平常でないことを示している。

 

 ことの始まりはもちろん、片桐第二機動艦隊司令が放ったとんでもな決定……「雷」と名乗る正体不明の『浮遊物』、それの受け入れを決定したことだ。司令部要員は当然――――「雷」と接触を図るべきだとしていた人間すらも――――反対したが、そこは片桐が押しきった。

 

 それは艦載機をほとんど持ち合わせていない「日向」が実質的な戦力になりえないことや、”最悪の場合”でも七万tの「日向」はそんな簡単に沈まないだろうということ……なにより、時間がなかったことが理由だった。

 

 

 そして第二機動艦隊の所属各艦が飛ばせるだけ飛ばした艦載ヘリに監視されつつ(みまもられつつ)、その『浮遊物』はどんどん近づいてきていた。一緒にやってきた「早波」が「日向」との接触を避けるために『浮遊物』との並走をやめる。もう「日向」との距離は数十メートルほどだ。

 

 本来なら地上で使うのが目的のはずのタラップが降ろされる。上空のヘリがそれも含めて照らすことで『浮遊物』に道を示し、『浮遊物』もそれに従うのだった。

 

 

 

 

 

「すまんな、遅くなった」

 

 それだけ言いながら入ってきた男の姿に驚いたのは、『彼女』ではなく監視(ごえい)の兵士だったことだろう。完全武装の陸戦隊員をつけるほどだ。”話し相手”は高くもなく低くもなく、そんな地位の人間が行うのだろうと思っていた兵士は、入ってきたのが片桐海軍少将であることに眼を疑ったのだ。

 

 しかしまあ、彼らも今更危険だなどと上申するつもりもない。片桐本人が出てきた以上、彼も譲る気はないのだろうから。

 片桐は陸戦隊員に席を外すように命じると、応接セットの一方にどかりと腰を落とした。

 

「ここは海軍だ……盗聴機の類いはないから安心してくれ」

 

 

 沈黙。

 

 

 片桐は品定めをするように『彼女』を眺めた。

 

「……随分と」

 

 幼い。

 それを言いかけた片桐は言葉を飲み込む。幼いは流石に不味いだろう。娘に幼いと言ってみろ、彼女らは烈火のごとく怒るに違いない。女性の扱いは丁寧に、だ……まあ姿が人間とはいえ、ヒトとは根本的に異なる存在なのは間違いないから、女性という概念を当てはめていいのかは知らないが。

 

「随分と……小さいな」

 

「そりゃあ、この「日向」と比べれば小さいに決まってるでしょ?」

 

「そういうつもりで言った訳ではないんだがな……」

 

 片桐は笑い、制帽をずらして頭を掻いてみせる。一応無防備の証拠のつもりだ。

 

「さて、お嬢さんはどうしてまた、私の二機艦に遊びに来たんだい?」

 

「もう、遊びにもなにも、帰ってきたんだけどぉー?」

 

 分かってないなぁ、そんな顔をする『彼女』。少なくとも嘘を吐いているようには見えない。だが子供というのは、生存のために常々嘘をつくものだ。

 

 ……乗ってやるか。

 片桐は思い返す。この『浮遊物(かのじょ)』が打ってきた信号を。

 

 ――――我、雷(ワレイカツチ)

 

 しかし目の前の彼女はあくまで見た目相応の少女の振る舞いを見せる。

 それなら、それになにか目的があるのなら、『彼女』はいったいどんな反応を望むのか。それを片桐は実行することにしたのだ。

 大丈夫。もし何かあっても、平垣に任せてある。状況の異常性からあらゆる安全策を施したつもりだし……直感だが、『彼女』が害をなす存在には全くもって見えなかったのだ。

 

 

「よく戻ってきたな、「雷」」

 

 身を乗り出し、その小さな身体にちょこんと乗っかった頭を撫でてやる。先程まで海の上に居たとは思えないほどの柔らかい髪の感触。

 

「……ただいま、しれーかん」

 

 『彼女』は目を細め、撫でられるままになっていた。

 

 

「……」

 

 優しく撫でてやりつつも、片桐は困惑していた。なにに、とは言うまい。もはやどこから突っ込めばいいとかそういうレベルの話ではないのだ。この状況は既に一から百まで異常であり、一旦仕切り直しを宣言したくなるほどだ。

 しかしこれが現実だ。全ての発端となったのであろう沖縄より逃げ去ってから、恐らくずっと『彼女』はこの艦隊を目指していたのである。ここまで積み上げた結果がこれなのだ。

 

 片桐はもう一度『彼女』を見つめ直した。服装はセーラー服にスカート、まるで在り来りな私立学校の制服だ。身長は小学生くらいと表現するのが適切だろうか。膝の上にちょこんと据えられた二つの手や細い首から、身体のあちこちが未発達なのがよく分かる。

 

 それにしても不思議なのは……今片桐が撫でている頭、その髪が()()()()()()だ。

 もしも『彼女』が本当に「雷」だというのなら、彼女は沖縄からここまで千数百キロの旅をしてきたという事になる。それは長時間潮風に身を委ねるということであり、このような柔らかい髪を保つことはまず不可能である。

 万歩譲って『彼女』が海の上を歩いてきたとしても、妥当な線で泳いできたにしても……これだけは説明がつかない。

 

 

 触れれば触れるほど増す不気味さ。しかし一方で、『彼女』の温もりは確かにそこにある。それが奇妙な愛しさとなり伝わって……愛しさ? 片桐はそれに冷や汗をかく。飛び退きそうになるのを辛うじて抑えた彼は『彼女』から手を離し、ゆっくりゆっくりと腰をソファへと戻す。

 こいつは化け物だ。何がどうであれ化け物だ。沖縄に関わっていようといなくとも、その事実だけはテコでも動かせない。

 

「……コーヒーでも淹れようか?」

 

 そう言いながら立ち上がる片桐。

 

「お願いするわ」

 

「砂糖は?」

 

「むぅ、そんなの要らないわよ」

 

「本当に?」

 

 すると流れる僅かな沈黙。『彼女』は迷うように視線を泳がせると、小さく吐き出した。

 

「……お願い、します」

 

「そうかい」

 

 その反応は予想していたものだ、普通の子供を()()()気なら当然そうなる。大波による揺れなどに対応できるようロックのかけられた棚を開き、適当なカップなどを用意しつつ、片桐は思案を巡らせる。

 

 考えるべきは状況と心証……最後に物証。

 今片桐の脳裏には、いくつかの可能性が浮かんでいた。

 

 まず一つ目の可能性。それは沖縄を粉砕したやつらと同族であること。つまり『彼女』はこの片桐率いる第二機動艦隊に一撃を与えるべく進撃してきた、という可能性。

 沖縄で大規模武力攻撃が起こったという状況。やつらが海から来たという証言と証拠映像。そして海から謎の『浮遊物』がやってきたという報告……これらを組み合わせるならしっくりくる。

 

 しかしこれはあり得ないだろう。なんせそんな目的のためだけになら「第二機動艦隊における最高位」……つまりこの片桐を前にした時点で噛み付いてしまえばいいからだ。見た目相応の筋肉しかなかったとしても、やりようによれば片桐を倒すことも――――もっとも、片桐には負けない確信があるからこそ『彼女』の目の前に現れたのだが――――出来ただろうからだ。

 また潜入といった類の破壊工作も、保坂長官の情報を()()()()()可能性は低い。これはまだ観察と警戒が必要である。

 

 

 二つ目の可能性。それは『彼女』が沖縄の件とは全く関係のない存在であるということだ。つまり東側や米国、はたまた自国(にほん)の実験機であるという可能性。

 

 はっきり言って信じたくない。「雷」を喪失したばかりの艦隊に「雷」と名乗る無人機(ロボット)を潜入させるなど……しかし可能性が可能性である以上、それを否定することは許されない。

 

 

 

 片桐はインスタントのドリッパーを開封し、適温とされる80度代を保ったお湯をコップへと注ぐ。それと同時にグラニュー糖(さとう)の入ったスティック、そしてコーヒーミルを取り出し、トレーの脇へと置く。

 まるで会社のオフィスで繰り広げられる風景だが、ここは厳戒態勢の海軍艦艇。作業をしているのはまさかの海軍少将だ。

 

 説明書通りにコーヒーを淹れ、それを乗せたトレーを運ぶ。

 

「はい、おまちどうさん」

 

「ありがと、しれーかん」

 

 『彼女』は勝手を知っているらしかった。スティックの先端を破り、コーヒーミルの蓋を剥がす。手慣れた……とまではいかないが、やりかた自体は理解しているようだ。

 

 

 

 そんな『彼女』に目をやりつつ片桐は思考を戻す。最後に残ったのは三つ目の可能性……『彼女』は沖縄と関係してはいるが、やつらとは関係していないかむしろ敵対関係にあるという考え方。

 

 こんな可能性を最後に強調したがる自分の脳みそは随分お気楽なものらしい……片桐の自嘲も的を射ていた。『浮遊物』が「雷」を名乗る理由を、どうしても都合のいいものとして解釈したいのだ。

 そしてその願望は、実際に触れた温かさのせいで心証に変わってしまっていた。

 

 

 ――――だがこれが、心身掌握術の一環だとしたら?

 

 

 『浮遊物』の確認。名乗った「雷」という名前。先程は「乗ってやった」などと理由は付けたが、あの”おかえり”に嘘偽りはなかった。「雷」の亡霊であったのならば、今すぐにでも謝りたかった。

 

 だが、そんな仕合わせな現実は存在しない。彼は軍人だった。

 

 

 

「なあ、()()()()

 

 声音をあえて変える。

 

「しれい、かん?」

 

 当然察したことだろう。『彼女』の眼にあからさまな不安が宿るのが見て取れた。それが演技かどうかは、今はどうでもいい。

 

「君が、『雷』なのはよく分かったよ()()()()。でもな、皆を説得するには証拠が必要だ」

 

 分かるよね。子供に語りかける口調。無言の強制。

 

「……松原昌平。国防大百十八期。昭和五十二年四月十三日東京都文京区に生まれる。平成十二年四月主席卒業、少尉任官、空母榛名乗組。平成十三年八月海軍省軍需局勤務。平成十五年五月第二機動艦隊司令部勤務。平成十七年九月東南亜細亜条約機構……」

 

 

 そうきたか。それが片桐の正直な感想だった。意識を向けなければ奇怪な呪文にしか聞こえない言葉の羅列は、紛れもない経歴である。ちなみに松原昌平とは「雷」の艦長の名前。大学を主席で卒業。任官と同時に当時一航戦だった空母「榛名」へと配属され……といった要するに経歴である。

 恐らく『彼女』はそれを把握しているのだろう。ついでに言えばそれを全員分話すつもりなのだろう。

 

「……所詮は、調べれば分かることだ」

 

 『彼女』の詠唱が止む。片桐は小さく息を吸い込むと、抑えるように言葉を紡いだ。

 

「質問を変えよう……艦長は独身だったかな?」

 

 片桐のその言葉に、『彼女』はピクリと肩を震わせる。

 

「そう……だったわね」

 

「副長はどうだ? 彼に家族はいたか?」

 

「……」

 

 無言。『彼女』は俯いたまま。その口はきゅっと閉じられているのは分かるが、しかし表情全部は見えない。

 

「やめようか、私も個人的な付き合いがあったのはこの二人だけだ……あとついでに、今の質問も調べりゃ分かる」

 

「……信じて、くれないの?」

 

 片桐は身体を背けた。空虚で冷たい鋼鉄の天井に視線を注ぐ。

 

 

「愚弄しないでくれ。栄光の軍艦(かん)雷を」

 

 今の時代、駆逐艦にも「軍艦」の栄誉は当てはまる。東西宥和の色が見えていた時代に生まれた「雷」は、期待と裏腹に混迷した新世紀を最新鋭として活躍した艦だ。同盟諸国を、もしくは友邦を守るために海を駆けてきた。

 

 だからこれだけ言えば伝わるはずなのだ。

 

 

 次の瞬間、片桐の耳に飛び込んできたのは異常な音。それが()()()()()()()()()()音だとは思いもしなかった。

 思わず振り返る。

 

「……」

 

 彼女は、泣いてはいなかった。ただ堪えているだけだった。コップに入った亀裂から茶色く変わったコーヒーがぽたりぽたり零れ落ち、『彼女』のスカートにぽつぽつと染みを作る。

 

 

 

 ――――よしつぐオジサン……おとうさん、どこ?

 

 

 

「……」

 

 どうして脳裏にそんな姿が浮かぶのだろう。あの日の養娘(むすめ)の姿が浮かび、そして重なってしまうのだろう。

 

 『彼女』()言っているのだ。助けてくれと。もう片桐(あなた)以外にアテがないのだと……また一方で分かっているのだ。助けを求めちゃいけないと。

 

 両者の言い分は寸分の違いもなく、また同時に本心にも相当な部分で一致を見ていた。

 そもそも海軍というのは互いを疑い合う組織ではない。確かにトチ狂った共産主義者を抓みだす機構は必要だ。だがそれは一介の水兵やありふれた将校の役目ではない。もしも艦隊を構成する人間全員が告げ口役となれば、途端に艦隊は生命あふれる有機体から血税をすってズブズブ沈む無機物に成り下がる。だからこそ海軍情報局という組織が設けられた。汚い仕事は全部そこが担ってくれる。

 

 故に、片桐の役目は本来疑うことなのではないのだ。

 

 しかし片桐は海軍少将だった。疑う必要はないが誇りを汚すものは排除せねばならない。今すぐにでも目を見開き、そして「雷」を名乗る詐欺師を罵倒することが求められているのである。それが全てであり、また彼が彼である理由だ。

 

 またここで片桐が情けを見せたなら、銃後に控える聡明な国民はたちどころに察するだろう……片桐司令が化け物に誑かされている、「雷」を失った彼の心につけ込んでいる、と。

 

 

 だがしかし、片桐は震える『彼女』に寄り添った。片膝をついて、横からその腕で包み込んでやる。震えが収まるよう、そっと力強く。

 

 

 『彼女』の震えが嗚咽に変わり始めた。片桐は無言でそれを護る。

 

 

 

 なんせ彼は、二機艦(かぞく)艦隊司令(だいこくばしら)なのだから。

 

 

 

 




<架空兵器紹介>
・高波(たかなみ)型駆逐艦
日本の保有する4000t級駆逐艦。2022年2月時点では同型艦十二隻。
今話登場の「早波」は十二番艦。

※全く関係ない話だが、現実の海上自衛隊には”たかなみ型護衛艦”なるものが存在する。保有数は2016年4月時点で五隻。




目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。