怠惰を求めて勤勉に (生物産業)
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第一話 レイジー・ディリジェント

「ぐふっ!」

 

 鋭い拳。

小柄な少女から放たれたとは思えないものだった。

 迷いなく放たれたその一撃は分厚い肉の塊を大きく揺らす。

 ぽよんという擬音が付くくらいには地面を何度も跳ね上がり、ボテと嫌な音を立てて止まった。

 吹き飛ばされた少年は吹き飛ばした相手が真横に見えた。

 頬には砂が付いており、不快感が嫌でも残る。

 地面に寝転んだまま起き上がらない少年を心配し、少女が慌てて駆け寄ってきた。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 わざわざ膝を折って目線を合わせようとしてくれた少女の問いかけに、少年は身じろぎ一つさえしなかった。

 視線だけを少女に向けている。

 うっと表情には出さなかったものの怯んだ少女は、もう一度尋ねてみる。

 

「あの……身体、起こせますか?」

 

 少年からの返答は相変わらずなかった。

 変わらない表情の裏で必死に現状を打破しようと、少女は頭を回転させていた。

 少年を吹き飛ばしたのは別に嫌いだったからとか、弛んだ腹を見てイラついていたとか、そう言うものではない。

 授業の一環として、模擬戦を行い、正々堂々と吹き飛ばしたのだ。決して少女に非があるわけではない。

 むしろ、防御も回避も取ろうとしなかった少年の方に問題があり、見ていた担当教師もハァーと呆れていた。

 そんな教師に助けを求めたい少女だったが、いかんせん距離が開いている。

 あまり大声を出すことを得意としないので、視線を向けて訴えるしかなかったのだが、どうにも教師の方は少年の不甲斐なさに呆れるばかりで、手で顔を覆い天を仰いでしまっているため、視線には気づいてくれなかった。

 仕方ないと、少女が少年に向かって手を差し出した。

 

「立てますか?」

 

 差し出された手に少年は視線を向ける。そして逡巡してから少女の双眸をみた。

 虹彩異色の瞳が見つめられていた。少年の瞳に自分がはっきりと映っているのが分かり、少女は少したじろいでしまった。

 心の中であわあわしていると、少年が重そうに身体を動かした。

 

「……面倒」

 

 それだけ言ってそのまま歩いて校舎の方に向かって行ってしまった。

 ぽかんと目を見開いて少女は立ち尽くす。

 少年が校舎の影に消えてしまって初めて、彼女は気づいた。

 

「まだ、授業中なんですが……」

 

 少女が振り返ると、呆れ顔のまま担任教師が少年の後を追おうとしているところだった。

 クラスメイト達はいつものことだと、軽く笑っていた。

 

「レイジー・ディリジェント」

 

 少女は少年の名前を呟いた。

 

 ■

 

 模擬戦の授業以来、アインハルト・ストラトスの視線はなんとなく教室の隅に向くようになっていた。

 授業前の休み時間は基本的に寝ている男。クラスメイトが話しかければ受け答えをするが、あまり人としゃべっている姿はない。

 では授業中も寝ているかと言えばそうではなかった。しっかりとノートを取り授業内容を理解しようと務めていた。

 

(不真面目なわけではないようですが)

 

 アインハルトはひっかかりを覚えた。

 ふとした時に見せる行動は怠け者そのものであるが、世間的に言われる怠惰な人間とは少し違うようにも見える。

 学院には休まず登校しているし、テストの成績も悪くはない、良くもないが。

 教師受けが良いわけではないが、目の敵にされている訳でもない。

 結局レイジーという人物に関してアインハルトは確かな答えを持つことはできなかった。

 

 だからという訳ではないのだが、アインハルトは観察行動を行うことを決めた。世間的にはストーキングとも言う。

 

(……初めてです。異性に興味を持ったのは)

 

 それが恋愛感情ではないのははっきりしていたが、彼女の心はどこか楽しみを得ていた。

 彼の体型はしゅっとした細身の男子――ではなくポッチャリとした肥満体型。

 

(痩せていれば、顔立ちは整っていると……いえ、わかりませんね)

 

 痩せていない現状ではその顔つきに何かを言うことはできなかった。

 ぽよんと弛んだお腹に、肉で膨れ上がった顔面がどうしても顔の造形値を大幅に下げている。

 イケメンにときめく乙女思考をアインハルトが持っている訳ではないのだが、だからと言って中等科1年にして30を超えたメタボリックを体現する人間を許せるわけでもない。

 接する機会があれば、痩せた方が良いとアドバイスを送ろうと彼女は思った。

 

 放課後になっても少女のストーキングは続く。運よく帰り道の方向が同じであったため、途中まであとを付けることにしたのだ。

 一定の距離を保ち、だらけきった背中を追う。重りでも引きずるような足取りを見ていると、自然と自分も重くなっているのではないかと錯覚してしまう。

 少しばかり歩くと、少年がキョロキョロと周りを確認する。咄嗟に身体を隠すことで気づかれることはなかった。

 壁からちょこっと顔を出して少年の様子を窺うと、

 

「え……?」

 

 次の瞬間、少年が高速で移動していた。

 というより跳ねていた。

 着地の度に揺れる贅肉。ぷるんぷるんと上下に激しく揺れる。そのありえない光景を目撃したアインハルトは口を大きく開けて見入ってしまった。

 ゴムボールが弾むようにぴょんぴょんと軽快に移動していく。

 授業で相手をした時も確かに弾むように動いていたが、あれは自分の攻撃を受けて吹き飛ばされたからだ。

 自ら弾むような動きができるとは到底思えない……主に身体のせいで。

 

「ディリジェントさん、やはりただ者ではなさそうですね」

 

 あっという間に消えた肉の塊を思い出しながら、少女は小さく笑った。

 

 ■

 

 レイジー・ディリジェント。

 中等科一年。

 性別、男。

 身長、160㎝程度。

 性格、真面目な不真面目。

 特徴、メタボリック。

 

 アインハルトは自室で観察対象のことをノートにまとめていた。

 本来の自分はこんなことをしている場合ではないと思いつつも、やはり興味の対象が近くにいて放置するというのは難しい。

 ならば、早めに解決してしまえと、ノートを取りだして分析を始めたのだ。

 

 結論、ほぼ何も分からない。

 

「今年からクラスメイトになっただけですし、初等科時代は鍛錬に明け暮れていたので、他人を気にする余裕はありませんでした。張りだされる成績上位者のランキングで彼を見たことはありません……未知です、全く分かりません」

 

 これほどまでに異性を考えたことが今までの人生で有っただろうかというほどアインハルトは悩んでいた。

 正直、きっかけは授業で組手をしただけなのだから気にする必要などないのだ。

 だが違和感がぬぐえない。

 それが彼女には気になってしょうがなかった。だから途中で放り出すことはできない。

 

「今日のあの動きは一体どういうことだったのでしょうか?」

 

 今日見た光景を思い返してみる。

 ぶよんぶよんと嫌な効果音が付きながら飛び跳ねる少年の光景が鮮明に蘇る。

 クスと笑いそうなものだが、動きの核心が分からない以上笑ってばかりもいられない。

 

 もし、あの動きで迫られたら回避できただろうか?

 もし、あれ以上に動けるとしたら付いていけるだろうか?

 もし、彼が本気で戦ったら……。

 

 そう考えてしまうと、どうしても答えを知りたくなった。ふと、机に置いてあったバイザーに目が向く。

 

「不本意ではありますが、いざとなったら……」

 

 ■

 

「ハァー疲れる……人間だもの」

 

 正眼に構え、右足を振りあげる。たったそれだけの動作だが、前方に置かれていた大きめの岩がピキリと音を立てた。

 数秒後、バラバラと崩れ、全壊した。

 

「帰ろう」

 

 散らばった石の塊をそのままにして、森を後にした。

 太陽が登りきる前の早朝の出来事である。

 

 

 

 

 

 

 

 シャワーを浴びて制服に着替える。玄関から「行ってきます……」と小さく呟いて家を出る。

 学院に向けて歩く。それだけで気分はマイナスに向けてぐんぐんと進んでいった。

 

(部屋でゴロゴロしたい。アイス食べたい。ゲームしてテレビ見てマンガ読んでダラダラしたい)

 

 何度も何度もくだらない事を考えて、学院に向かう。隣を通り過ぎていく学院生たちの爽やかな雰囲気が少年には鬱陶しかった。

 

(今日は魔法学と作法の授業が面倒だな。ちゃんとしてないと説教が長いから)

 

 頭の中に浮かんだ時間割表を思い出しただけでうげっと顔を変化させた。

 白と黒に色分けされており、サボっていい授業とそうでない授業に分類されている。

 今日は黒が二つかと大きなタメ息を吐く。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 背後から声が掛けられる。

 向き直るのが面倒だったので、首だけぐぎぎぎと動かした。ボキッと嫌な音が鳴った。

 

「…………」

「顔色が悪いですけど」

「中等科の先輩ですよね?」

「ここからなら学院の医務室より病院に行った方が近いですよ」

 

 3人の小さな女の子たちが心配そうな表情をしていた。

 見知っている訳ではない。完全に他人であるが、少女達は純粋に体調が悪そうにふらついている人間を見て心配になって声をかけて来たのだ。

 

(大丈夫だと言う、心配される、押し通す、付いてくる、変な目で見られる、面倒、却下。気分が悪いと言う、一人で病院に向かう、学院に報告される、担任が来る、説明する、面倒。適当に誤魔化す……最善)

 

 わずかゼロコンマ1秒でそんなくだらない事を考えた。

 

「低血圧なんだ。いつもの事だから心配ないよ」

「そうなんですか?」

 

 軽めのツインテールの女の子がくりっとした瞳を向けながらそう言った。左右で瞳の色が異なる虹彩異色。最近、そんな目をした人を見たような気がすると少年は記憶を辿ろうとしたが、面倒なのでやめてしまった。

 

「そう。だから先に行ってくれると嬉しい」

「わかりました。それじゃあ」

 

 そう言って少女達は去って行った。

 心優しい少女達の背中を見ながら、少年はポツリとつぶやく。

 

「コーラ飲みたい」

 

 ■

 

 午前の授業を何とか乗り切り、昼以降は医務室でぐっすりと睡眠。起きた時には、日が暮れ校舎も静まり返っていた。

 

「……このままここで寝てしまうのも」

 

 自分を放って帰った教師がいるのだから、もう学院に泊まってしまおうかとも考えたが、事情説明を家族にするのが面倒になったため、のそのそとベッドから起き上がった。

 あまりにも不用心な鍵のかかっていない医務室を出てそのまま昇降口に向かう。

 そしてそのまま学院を後にした。学院の危機管理の無さに少しばかり驚いたが、それを教員に指摘するのも面倒になったので気にしない事に決めた。

 

 暗がりの湾岸沿い。不審者がでてきたら面倒そうだなと思いながら歩いていると、前方から激しい打撃音が聞こえた。「路上で格闘とか……」と呆れつつ、巻き込まれないように少し遠回りして歩く。

 

「ジェットエッジ!」

 

 遠目から見る二人の戦い。薄暗くて分かりづらいが、赤毛で短髪の女性とこんな暗がりでも光って見える碧銀の長髪の女性が戦おうとしている。

 距離を開けて構えをとって、互いが互いを睨みつけている。

 どちらも無手であり、遠距離での攻撃手段を持っているようには見えなかったが、構えをとったということは、攻撃手段があるのだと判断した。

 

(ゲームなら手からビーム)

 

 ちょっと、ドキドキしながら二人の様子を見ていたのだが、淡い期待は儚く散ったのだった。

 

「ちっ!」

「ハッ!」

 

 長髪の女性がたった一歩の踏み込みで相手の間合いに入る。相当な脚力であるが、見ていた少年はがっくりと肩を落とした。

 攻撃を受けることになった女性は上手くいなして態勢を整える。

 もっと熱いビームの撃ち合いを期待した少年は、視線を前方に切り替えて、その場を立ち去ろうとしたが、

 

「この、バカったれがッ!」

 

 そんな声が聞こえて来て、視線を横に戻してしまった。

 

「ベルカの戦乱も、聖王戦争も、もうとっくに終わってんだッ!」

 

 短髪の女性が自分の思いのたけを叫ぶ。

 だが、相手の女性はそれを聞き入れない。聞き入れるわけにはいかなかった。

 自分の目的を果たすため、どの時代の王たちよりも自分が強いと証明するため、彼女は止まらない。

 魔法による道、エアーライナーを展開した短髪の女性が突撃の態勢を取った。

 来る、そう予感した長髪の女性が構えをとったがそれが仇となる。魔法による拘束、バインドによって利き手である右腕、そして行動の要である両足を封じられてしまった。

 

 溢れる魔力。短髪の女性を纏っていた魔力が今までの倍以上となった。

 手足を縛られた方は必死にその拘束を解こうとするが、時間が短すぎた。

 魔力を放出して爆発したかのようにやってきた相手の攻撃に無防備なその身を晒してしまう。

 そのまま痛烈な一撃を食らった。

 だが、顔を悪くしたのは攻撃をした側の女性だった。

 

「終っていません。私にとってはまだ何も――」

 

 防御を捨て、バインドの解除とカウンターに備えていた長髪の女性は、攻撃してきた相手を今度は逆にバインドで縛りつけた。

 練り上げる力、それは断空。彼女の流派を支えるその力が、完全な状態で拳に宿った。

 振り上げられたその拳を、真っ直ぐにためらいなく敵に向かって振り下ろす。

 空を断つ、その言葉通りの剛撃が短髪の女性の身体に刻み込まれた。

 轟音、そして沈黙。短髪の女性には起き上がれるだけの力がなかった。

 

「弱さは罪です。弱い力では何も守れない」

 

 そう言って長髪の女性は去って行ってしまった。

 完全なる敗北。

 ルールなしの野試合とはいえ、完璧なまでに打ち負かされてしまった。「私もまだまだだな」と呟きながらも、素直に笑っていた。

 

「えっと、大丈夫ですか?」

 

 光り輝く星を眺めていると、視界に全く心配そうにしていない少年の顔が見えた。

 

「……見てたのか?」

「まあ。ストリートファイトは他人に迷惑が掛かるので――あ、良いです、やっぱり」

 

 指摘しようとした少年は話を途中で止めてしまった。「面倒」ともれた言葉が女性の耳には届いていた。

 

「お前、学生か?」

「はい」

「悪いんだが、私のデバイスで連絡を取って欲しいんだ」

「それくらいなら」

 

 どこかに連れていけと言われた場合、断りそうな雰囲気が少年にはあった。

 女性の指示を受けて通信を繋げると、倒れた女性と髪の色は違うがよく似ている女性が通信画面に出て来た。

 双子かと思っていると、倒れていた女性が画面の女性に話しかける。

 

「悪いスバル、頼まれてくれ。ちょっとしくじった」

「え、どうしたのノーヴェ!? もしかして喧嘩?」

「まあ、間違っちゃいねぇな。例の連続襲撃犯と戦ってやられちまった。でも、ちゃんと重いのをぶち込んだし、発信機も取りつけた。今なら後を追えるから、ソイツを捕まえて来てくれないか? できれば、管理局に連れて行かずに」

 

 スバルはノーヴェの表情からただ事ではないと判断した。近くにいた友人に話しを通すと、「ノーヴェは私が迎えに行くから」と通信を切った。

 

「悪いな。お前は帰っていいぞ」

「はい。一応あっちのベンチに運んだ方が良いですか?」

「すまねぇ」

 

 ひょいっとノーヴェを少年が持ち上げると、そのままベンチの方に向かって歩いて行く。

 

「…………」

 

 お姫様抱っこの状態に気分を害したのか、ノーヴェは眉をひそめていた。

 自分はこんなキャラじゃない、そんなことを言うのかと少年も彼女の表情を見て考えていたのだが、もしかしたら暴言を吐かれてしまうかもと、内心びくついていた。

 自分の容姿が優れていない自覚はあるし、体型も女子受けがいいとは言えない。

 丸い、キモい、臭いと罵られてしまうようなポッチャリ体型にお姫様抱っこはハードルが高すぎたのだと後悔した。

 

「お前、なんだこれは?」

 

 かろうじて動いたノーヴェの右手がふくよかで余計でもある少年のお腹に吸い込まれた。

 ぽよんというよりズボ。

 右手首までノーヴェの拳が飲みこまれて行った。

 

「お肉。脂肪。癒し」

「いや、最後のはおかしい――ってそうじゃなくて、これ、ただの脂肪じゃ、つうより脂肪じゃねぇだろ。これは魔力の塊だ」

「そうですけど、何か――いや、やっぱ良いです。じゃ、僕はこれで」

「ちょっと待て、今説明するのが面倒だから話を切っただろ」

「面倒なのは嫌い、人間だもの」

「だものじゃねぇよ」

 

 ノーヴェがバシバシと叩こうとするのだが、残念ながら鉄壁の脂肪と言う鎧により衝撃が少年に伝わることはなかった。

 

 

「ノ~ヴェー!!」

 

 急いでやって来たのが分かる。息を切らせながらスバルが走って来た。

 それを見た少年は帰ろうとするのだが、それをノーヴェが許さなかった。

 むぎゅっとお肉を掴んで離さない。

 

「待て」

「離して」

「ダメだ」

「……はい」

 

 頭の中でどれだけの葛藤があったのかは分からなかったが、少年は出会ったばかりではあるが、ノーヴェという女性の本質を一発で見抜き、抗うことを諦めた。

 

「もうノーヴェ、人が急いで来たのに、年下の子を苛めてるなんてダメだよ」

「もっと言って」

「あれ? そう言えば君は? ノーヴェの知り合い?」

「通りすがりの学生」

「アタシが倒れてるのをここまで運んでくれたんだよ」

「そっか、ありがとうね。私はスバル・ナカジマ。この子のお姉さんです」

 

 ニッコリと笑うスバル。胸を張ったことでたわわに実った二つの果実がぷるんと音を立てて揺れた。

 

「レイジー・ディリジェント。暗いから帰ります」

 

 踵を返そうとした時、スバルのデバイスに反応が有った。

 画面が展開され、オレンジ色の髪をしたツリ目の女性が映った。

 

「あ、ティア、そっちはどう?」

「居たわよ。倒れてたわ」

 

 抱きかかえられている少女が画面に移り、レイジーが目を少しだけ開いた。

 

「アインハルト・ストラトス」

「え、もしかして知り合い?」

「クラスメイト。学院でも優等生で有名。ということは、さっきの人がストラトスだったのか」

 

 へぇーという割に、レイジーからは興味の欠片も感じられなかった。

 

「ティアナ、悪いんだけど、スバルの家までソイツを運んできてくれないか? なんか事情があるみたいだし」

「分かったわ。じゃあ、後でね」

 

 そう言って通信を切った。

 自分には関係のない話だとレイジーはぺこりと頭を下げてから帰ろうとしたのだが、いつの間にか体調が戻っていたノーヴェによってまたしても阻まれてしまった。

 今度は両手で、背中の肉を掴まれている。

 

「知り合いなんだよな?」

「クラスメイトってだけ。よくは知らない。あとお肉から手を離してください」

「ちょっと話を聞きたい」

「話せることは何もない」

「クラスメイトだろ? 心配じゃないのか」

「……別――いえ、僕は無力なんで」

「お前、相当面倒くさがりなんだな。顔からにじみ出てるぞ、面倒だって」

「分かっているなら帰して。帰って宿題をやらないと明日怒られちゃう」

「……意外と真面目なんだな」

「怒られて説教される疲労感と宿題をして感じる疲労感を天秤にかけて前者の方が辛いと思っている」

「真面目じゃねぇな――ま、しゃあねぇか。お前、通信端末は持っているか?」

「……持ってません」

「もう少し、顔に出さない努力をしろよ。あんだろ、さっさと出せ」

 

 レイジーの嘘は簡単に見抜かれてしまった。

 言い訳をするのも面倒になり、素直に通信機を出す。

 

「よし、これでOKだな。そのうち連絡するから、絶対に出るんだぞ」

「……気づいたら」

「出なかったら、嫌がらせのようにずっと呼び出し続けるからな」

 

 この人なら本気でやってくるだろうなとレイジーには確信的なものがあった。

 

「それと、運んでくれてサンキューな。気を付けて帰れよ」

 

 レイジーは再度頭を下げると、向きを変えてゆっくりと歩きだしていった。

 遠目にレイジーの後姿が見えるようになってようやく、今まで黙っていたスバルがニシシと笑みを浮かべるていることにノーヴェが気づく。

 

「ノーヴェ、ああいう子が好きなんだ。連絡先まで強引に教えちゃって。もう、大胆♪」

「ばっ、違げぇよっ!!」

「これは家族会議が必要だね。皆に連絡しておこうっと」

「バカスバルっ!!」

 

 顔を真っ赤にしたノーヴェと笑顔のスバルの鬼ごっこが始まった。

 そして二人の追いかけっこが意外と長引いてしまい、待ちぼうけを受けたティアナが二人に説教したのは別の話。

 

 

 



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第二話 怠け者の力

 アインハルトは学院を休んでいた。

 だからだろう。

 授業終わりを狙ったかのようにピピっとアラーム音が鳴った。

 表示される名前は、ノーヴェ・ナカジマだった。

 目の前で鳴り続ける通信端末を非常に嫌そうに見つめる。

 手を伸ばそうとしてはやめ、ハァーと深いタメ息。

 よしと気合を入れて、通信映像を開いた。

 

【……はい】

【初っ端からその顔は止めろ】

【……なんですか? 用件がないという用件を希望します】

【用事がなかったら通信なんてしないだろ。アインハルトに聞いた。授業は終わったんだろ? ならさ、ちょっと足を運んでみねぇか?】

【みないです。僕は帰ってベッドでゴロゴロして、お菓子食べて、コーラ飲んで、テレビを見て、ぐっすりと寝たい】

【お前、中等科一年の生活じゃないぞ、それ】

【堕落した生活が大好きなんです】

 

 ノーヴェはその言葉を聞いて呆れていた。

 だが、すぐに表情を戻す。

 

【その割には身体鍛えてるよな? 重心の取り方で分かった】

【精一杯だらけるためには、それ相応の対価が必要なんです】

【なんだよ、それ。まあ、いいや。とりあえず、お前も来いよ。たぶん、面白いものが見れるからさ】

【嫌です。面倒くさい】

【アイス奢ってやるぞ】

【コーラも】

【分かったよ。今から来る場所を……あ、いいや校門のところに向かってくれ。案内役がいるからさ】

【言っておきますけど、アイスとコーラを貰ったら帰ります】

【少しは付き合えよ】

【ご飯を奢ってくれたら考えます】

 

 そう言って通信を切る。

 ノーヴェは何か言いたそうだったが、これ以上は面倒だと強制的に話を終わらせた。

 帰り支度を整えると、ノーヴェに言われた通りに校門に向かう。

 だが、そこであることに気づく。

 一体、どんな人が案内役なのか分からないということだ。

 ノーヴェに聞こうかとも考えたが、カバンの中にしまった通信機を取りだすのも面倒くさいレイジーは、少し考えそして諦めた。

 

「しょうがないよ……人間だもの」

 

 縁がなかったのだとレイジーは帰宅することに決めた。後で来るであろう非難の通信をどうやって回避しようかと考えながら歩いていると、右手が誰かに捕まれた。

 そちらに視線を向けると、いつか会った少女達がこちらを見ているのに気付いた。

 

「あのー、ノーヴェから話を聞いてますか?」

「……うん」

 

 金髪の少女が少し不安そうに話しかけてきた。

 

「私達が案内役なんです」

「そう」

「先輩、今明らかに帰ろうとしてませんでした?」

「うん」

 

 少女達3人の中で一番元気そうな女の子がそう尋ねた。

 

「案内役の人が分からなかったし、聞き直すのも面倒だから、今日は良いかなって」

「約束を破るのは良くないですよ。あ、私はコロナと言います。コロナ・ティミルです」

 

 三人の中で一番大人しそうな女の子がはっきりと指摘した。

 

「私は高町ヴィヴィオです」

「リオ・ウェズリーです♪」

 

 ヴィヴィオはぺこりとリオは元気よく挨拶をする。

 それに対し、レイジーはというと、

 

「レイジー・ディリジェント」

 

 普段通り全く抑揚のない声で返した。

 

「それじゃあ、行こうか。案内をよろしく頼むよ」

「はい!」

 

 元気に答えたのはヴィヴィオだった。

 4人は待ち合わせ場所に向かって歩き出した。

 前方をコロナとリオが歩き、その後ろをレイジーとヴィヴィオが歩く。

 3人とは違って元気が欠片もないレイジーが女の子たちと歩いていることがかなり異質だった。

 

「あのー、レイジーさん」

「なに?」

 

 あまり人見知りしない性格なのだろう、ヴィヴィオがレイジーに話しかけていた。

 

「レイジーさんも武術をやっているんですか? ノーヴェがそう言ってました」

「全然やってない」

「ですよねー」

 

 リオがレイジーのどぼんと出たお腹を見ながら納得していた。

 身体を動かしている人間の体型には全く見えないレイジーが武術をやっているとは到底思えないのだ。

 だがヴィヴィオは、迷っている。

 自分の格闘技の先生でもあるノーヴェが、「アイツは何かしらの武術をやってるな。たぶん普通じゃねえ」とそう言ったのだ。

 師の眼力を疑うつもりがないので、レイジーが嘘をついているのだと思った。

 

(足運びは……普通。感じられる魔力も普通。眠たそう。もしこれがただの演技だとしたら……。きっと今、何か凄い事を考えているんだろうな)

 

 思い込みとは怖いもので、だるんだるんに緩み切ったレイジーをヴィヴィオは高く評価していた。

 師への信頼の証とも言い換えてもいい。

 だが、現実は常に残酷なのだ。

 

(早くアイスが食べたい。チョコ味が良いな。それでコーラを飲んで家に帰る。シャワー浴びたら、部屋でゴロゴロして寝る)

 

 隣を歩く少女の予想をはるか先を行く。

 もしヴィヴィオが人の頭の中を読める能力を持っていたら、間違いなく拳を繰り出していただろう。私の純粋な思いを返せと。

 

 誤解を引きずったまま4人は待ち合わせ場所に到着した。待ち合わせ場所にはスバルやティアナがいた。ノーヴェはまだいないようだ。スバルたちの周りには他にも人がいて楽しそうに話している。

 それに気づいたヴィヴィオは笑顔で走っていった。

 

「スバルさん、ティアナさん、お久しぶりです」

「うん。ヴィヴィオ、また背伸びた?」

「そんな急には伸びないでしょ。でも、ホント久しぶりね、ヴィヴィオ」

 

 本当の姉のように優しくヴィヴィオの頭を撫でる二人。

 そうしていると、遅れてやって来たコロナとリオもヴィヴィオの仲介を経て自己紹介をした。

 

「あ、レイジーも来たんだ」

「はい」

「もー元気がないよ。笑って笑って」

「疲れるので嫌です」

「笑う体力すら惜しむってアンタどれだけ物ぐさなのよ」

「ミッドで一番になることが夢です」

「それはダメでしょ。あ、そう言えば私の自己紹介をしてなかったわね。私はティアナ・ランスター。スバルやノーヴェの友達よ」

「はい」

 

 ここで自分の自己紹介をしないところがレイジーである。既に知っているであろうノーヴェやスバルから聞いているんじゃないかと説明を省いたわけだ。

 レイジーの面倒くさそうな視線を理解したのか、ティアナは苦笑した。

 

 

「おう、遅れて悪いな。病院に行ってきたんだ」

 

 少しばかり皆でしゃべっていると、ノーヴェがやってきた。そして彼女の後ろには銀髪の少女がちょこんと立っていた。

 

「アインハルト・ストラトス、参上しました」

 

 優雅に一礼。レイジーと比べると天と地ほどの差が品格という面に表れる。

 

「でな、アインハルト、この子が例の」

 

 そう言ってノーヴェがヴィヴィオを紹介しようとする前に、アインハルトは足を進めていた。

 スバルに奢ってもらったアイスを食べている少年の元に彼女は真っ直ぐに歩いた。

 

「ディリジェントさん、本気でお手合わせしてもらってよろしいでしょうか?」

「よろしいわけがない。嫌」

「いや、アインハルト、今日はソイツじゃなくてこっちの子が」

「あ、あの、私、高町ヴィヴィオって言います」

 

 ヴィヴィオがばっと椅子から立ち上がると、アインハルトの元に駆け寄る。

 そしてノーヴェが話し始める。

 

「二人とも格闘経験者だからな。多くを語るより、拳を交えた方がお互いの事が分かるだろ。それとレイジー、お前も付いて来いよ」

「まだコーラを奢ってもらってないから当然です」

 

 即行で帰りそうなレイジーに釘をさすノーヴェだったが、何を言っているんだという顔でレイジーは返答した。

 

「あの、アインハルトさん、レイジーさんってやっぱりすごく強いんですか?」

「いえ、分かりません。私も気になっているところです。ヴィヴィオさんには申し訳ないですが、私としては彼と戦いたいと思っています」

 

 やはりという目でヴィヴィオがレイジーを見た。

 

「まあ、とりあえず移動しようぜ。話はそれからだ」

 

 

 

 

 

 

 

 区民センター内にあるスポーツコート。着替えを終えたヴィヴィオとアインハルトは軽く準備運動を始めていた。

 その間、ノーヴェは奢ってあげたコーラをちびちびと飲むレイジーの横に並んだ。

 

「どっちが勝つと思う?」

「同級生」

「なんでだ?」

「……勘」

「お前、説明するのが面倒になっただろ」

「後輩の方が動きが変」

「へぇー」

 

 ノーヴェは素直に感心していた。レイジーがヴィヴィオの違和感に気づいたことに。

 アインハルトもそうであるが、ヴィヴィオも戦う場合は変身をする。大人モードと呼ばれるもので、体型を一時的に成人女性まで引き上げるのだ。

 ヴィヴィオの準備運動を見ただけで、それを見抜いたレイジーの観察眼にノーヴェはやはりという印象を受けた。

 

「お前ならアインハルトに勝てるか?」

「無理」

「戦わないからというのは無しだぜ?」

「…………」

「お前、もう少しやる気出した方が良いと思うぞ」

「これが僕の全力」

「ダメだろ、それ」

 

 呆れてノーヴェは二人の元に向かった。

 

「二人とも準備は良いな?」

「はい」

「はい」

 

 ヴィヴィオもアインハルトも頷いた。

 

「スパーリング、4分1ラウンド。射撃もバインドもなしの格闘オンリーな」

 

 ノーヴェがそう言うと、二人から少し距離をとった。

 

「始めっ!」

 

 ノーヴェが開始の合図を告げると、二人は高速で接近した。

 

「はっ」

 

 先制はヴィヴィオ。右拳を真っ直ぐに繰り出す。

 だが、そんな愚直な攻撃はアインハルトには通用しない。軽くいなされて体勢を崩される。

 体勢が崩れたところに一撃、それで勝負が終了するはずだったが、器用に身体を回転させてヴィヴィオがアインハルトの一撃をかわす。

 周りからはお~と歓声が沸いた。

 

 たった一度のやり取りで相手の力量を理解する二人。ヴィヴィオはニッコリと笑い、アインハルトは困惑の表情を浮かべた。

 

「行きます」

 

 素早く動いて相手をかく乱しようとするヴィヴィオだったが、アインハルトが視線を外すようなことはなかった。

 トリッキーに動き、相手の間合いに入ろうとするヴィヴィオ。ヴィヴィオの意図を読み、わざと間合いの中にアインハルトは彼女を招き入れた

 連撃。間合いに入ったヴィヴィオはただ真っ直ぐに攻撃をし続けた。防がれるなら、その上からでも。そう言わんばかりに、何度も何度も拳を繰り出す。

 

(真っ直ぐな拳。それに技。きっと相当な努力をしてきたんだと思う)

 

 ヴィヴィオの攻撃を防ぎながらアインハルトはそんな事を考えていた。

 

(だけど違う。私の拳を向けていい子じゃない)

 

 落胆した瞳がヴィヴィオを捉えた。そして、それはヴィヴィオも気づいた。

 拙い。そう思ってヴィヴィオが後退しようと思った時には、すでに勝負はついていた。

 

「はっ!」

 

 腹部への掌底。威力はそれ程でもなく、ただヴィヴィオをリング外に弾き飛ばしただけのものだ。

 だが、その行為には勝敗を決定するのに十分なものがあった。

 

「勝負あり、アインハルトの勝ち」

 

 そう宣言されたが、アインハルトの気持ちは全く晴れなかった。

 だからだったのだろう、ヴィヴィオへの挨拶も済まさずにレイジーの方に視線を向けてしまっていた。

 

「あ、あの、私、弱すぎました?」

「いえ、趣味と遊びの範囲内なら十分すぎるほどでした」

 

 無情の言葉。少なくとも本気で格闘技をやっていたヴィヴィオにとってそれはあまりにもショックな言葉だった。

 ノーヴェがそれとなくフォローすることで遺恨が残るようなことはなかったが、場の空気は微妙に暗かった。

 

「おいレイジー。晩飯は好きなもん奢ってやるからアインハルトと戦ってみてくれないか」

 

 レイジーの性格をよく理解したノーヴェは食事というエサを付けながらお願い事をした。

 

「なんでも?」

「あんま高い物は勘弁な」

「……ノーヴェさんに頼まれたら嫌とは言えない」

 

 面倒さと食欲を天秤にかけて後者が勢いよく下がった。

 

「ヴィヴィオ、お前の再戦はまた今度だ。そのためにアイツに少し働いてもらう」

「ノーヴェ……」

「大丈夫だ。だから、しっかりと見学しておけ。特にレイジーの方をだ」

 

 ヴィヴィオの頭を優しく撫でながらノーヴェはそう言った。言いたいことはあったがヴィヴィオも興味はあった。だからこそ、素直に頷いて皆の元に歩いて行った。

 

「戦いの場を用意してくれたことを感謝します」

「いんや、私もアイツの戦うところは見たかったところだ」

 

 アインハルトとノーヴェが話していると、レイジーが制服のままやってくる。

 

「お前、着替えは?」

「着替えるのが面倒」

「ディリジェントさん、それは私をバカにしているのですか?」

 

 表情に変化がなかったが、アインハルトの瞳に怒りの感情があった。

 

「勝敗は関係ない。戦えば良いだけ」

 

 レイジーの意図を理解したアインハルトは怒りを収め、真摯にお願いする。

 

「本気でお願いします」

「…………」

 

 無理って説得してという視線をノーヴェに向けた。

 

「そんな目で私を見るな。お前、その面倒くさがる性格直さないと将来大変だぞ」

「勝っても負けても変わらないなら頑張るだけ無駄」

「分かりました。なら、私が負けたら一週間、学食を奢らせていただきます。だから本気でお願いします」

「全力って尊い言葉だと思う」

「お前が言うと重みがあるな」

 

 上着を脱いでアップを始める。

 屈伸するだけでお肉がぼよんと揺れる。それを見ていた何名かは声を出して笑っている。

 だが、アインハルトに油断はない。

 彼女は知っているのだ。レイジーが想像以上に動けることを。

 ノーヴェもまた注意深く観察していた。レイジーの纏っている脂肪が魔力で出来たものだと知っている彼女はその枷を外した時にどんな動きをするのか興味があった。

 

「よし」

「構えは取らないのですか?」

「腕を上げるのが面倒」

 

 コート中央で二人が向かい合う。

 レイジーの発言にムッとしたアインハルトだが、舐めているなら全力で叩き潰せばいいと集中した。

 

「じゃあ、1ラウンドな。良いのを一発もらうか、場外に弾き出された方が負けな」

 

 そう言ってノーヴェが開始の合図を告げた。

 全く構えをとらずに、ただアインハルトを見つめるレイジー。顔に真剣さはなく普段の緩んだ顔だ。

 一方、アインハルトはレイジーの挙動を注意深く観察する。かすかな筋肉の動きにさえ、彼女は反応する気だ。

 

(放課後見たあの動き。あれがどういう原理かはわかりませんが、出だしに気を付けていれば反応できるはずです)

 

 射撃がない以上、接近するしかない。

 そしてレイジーの接近方法は見ている。

 膝だ。膝の動きに集中すれば反応できる。

 アインハルトはそう考えて、視線をやや下に向けようとしたその時、

 

「ぐっ!?」

 

(え、嘘?)

 

 自分の身体が後方に飛んでいるのは分かった。

 だが、なぜ吹き飛ばされたのかが分からない。

 飛ばされながら向けた視線の先にはなぜか、腹を押さえてうずくまっているレイジーがいた。

 訳が分からない。

 

「そこまで。場外により、レイジーの勝ち――なんだが」

 

 ほぼノーダメージに近いアインハルトと違ってなぜか脂汗を浮かべ苦しんでいるレイジーが勝者とはおかしな話だ。

 ノーヴェや見ていた観客も一体何が起こったのか分からなかったため、説明を彼に求めているのだが、肝心のレイジーが苦しみと戦っているため、話が進まなかった。

 

「あのー、大丈夫ですか?」

 

 いつぞやの光景がよみがえる。

 か細く真っ白な手が目の前に差し出されたあの時を、レイジーは思い出していた。

 

(あの時は、手を取った後のことを考えていたな。手を取る、重すぎて持ち上がらない、クラス爆笑……まで想像して自分で起き上がったっけ)

 

 またここでも同じような結果になるんじゃないかと、レイジーはのそのそと起き上がる。

 差し出した手が全く相手にされなかったアインハルトは少しばかり拗ねていた。

 

「で、お前は何をしたんだ?」

「説明は面倒……人間だもの」

「お前、それを言ってれば許されると思ったら大間違いだぞ」

 

 ぐいっとレイジーのたわわな太っ腹を掴んだノーヴェ。「吐け、キリキリと吐け」とお肉に向かって攻撃を仕掛ける。

 魔力で作り出したもので、痛覚があるわけじゃないので痛くはないのだが、引っ張られるのがうざくなって、しょうがなく口を開いた。

 

「普通に蹴っただけ」

「はぁ?」

「どうやら本当みたいよ」

 

 ティアナが歩み寄って来た。そして先程の戦闘シーンをディスプレイに表示してみせる。

 開始から少しの間は何も変化がなかったが、しばらくしてアインハルトが吹き飛ばされた映像が映った。そしてお腹を押さえながら倒れ込むレイジーの姿も映しだされていた。

 

「これをスロー再生すると」

 

 スロー再生された映像でレイジーの姿を捉える。アインハルトが吹き飛ぶ少し前に右足が異様にブレていた。

 さらに速度を落としていくと、レイジーが蹴りを放っているのが見えるようになった。

 

「おいおい、マジか? コイツ、蹴圧をぶつけたのか? しかも私達にも見えない速度で」

「どうやらそうみたいね。お腹を押さえていたのも蹴り上げた足で、でっ腹の部分を巻き込んだみたい。無駄にあった贅肉に膝が当たってその衝撃が内部の身体に伝わったみたいね」

 

 相手を倒して自爆する。共倒れの必殺技だ。

 

「頑張った。だからちょっと失敗した」

「つうか、その脂肪を無くしてやればもっと楽にやれただろ」

「あ……」

「あ、じゃねぇよ。お前マジで一回その贅肉魔力を全部取れ」

「嫌です」

「あのーすみません。ちょっとよろしいでしょうか?」

 

 蚊帳の外に置かれていたアインハルトが小さく手を上げた。

 

「先ほどから言っているディリジェントさんの、その……」

 

 言い辛そうだった。

 心優しい彼女だ、ノーヴェのように脂肪だ、豚だと罵ることができなかったのだろう。

 

「この無駄肉はホンモノじゃねぇぞ。魔力だ」

「え?」

「おそらく筋力強化と魔力強化のためだろう」

「後は相手の油断を誘うため。いかに楽して勝つかを追求した結果がこれ。きっと将来ミッドで流行ります」

「流行んねえよ!」

 

 ミッド人が贅肉を揺らしながら闊歩する……異世界から来た者たちがみたら相当ショッキングな光景だろう。

 肉の密林が完成しているのだから。

 

「でも、ちょっと興味ある。アンタの素顔」

「顔は大して変わらない」

「でもこれが無くなるんでしょ?」

 

 びよーんとレイジーの下あごに付いているお肉を引っ張るティアナ。

 止めてくれとレイジーが彼女の手を叩いた。

 

「それじゃあ帰る」

「いや待て。正体を晒して行け」

「ここで僕にストリップでもさせる気ですか? 元に戻ったら服がぶかぶかすぎて、着られない」

「……バリアジャケットを展開すればいいだろ?」

「デバイスはもってません」

「じゃあ魔法でなんとか」

「変身魔法も使えません」

「こんな脂肪をつけているのにか?」

「これは魔力をちょちょいっと変えてるだけ。服みたいに細かい細工はできない」

「面倒だからとは言わないよな?」

「……もちろんです」

「その間はなんだ、その間は!」

「……とりあえず帰らせて――いやご飯奢ってください。ドラゴンのひれ肉1キロ、ライスとスープ付で」

「だぁー! ドラゴンの肉なんて高いもん要求すんなっ!」

「じゃあ普通の肉で良いです」

 

 それ以上は言うことがないと、レイジーは皆が集まっている方に歩いて行った。

 ティアナもそれに合わせて戻る。

 レイジーは質問攻めにあう訳だが、疲れたと言ってすべて無視した。

 

「あれでどの程度加減していたのでしょうか?」

「さぁな? 全力かもしんねぇし、半分も出してないかもしれねぇ。あの緩んだ顔から判断するのは難しいからな」

 

 アインハルトはぐっと拳を握りしめた。

 

(私はまだ弱い)

 

「まあ、全力っていうのは分かりづらいもんだからな。ヴィヴィオもそうだしな」

「彼女も手加減を?」

「いや、アイツはアイツの全力を出していたと思うぞ」

 

 表情の変化がないが、アインハルトが怒っているのが分かり即座にフォローをいれた。

 

「ただ、アイツは気持ちで戦う奴だからな。今日がアイツのMAXって訳じゃないんだ」

「つまり、ヴィヴィオさんともう一度戦えと?」

「んーまぁ、そうだな。頼めるか?」

「……了承しました。次は全力で来るように伝えておいてください。そして」

「分かってる。レイジーの方にも言っておくよ。たぶん断ると思うけど」

「ディリジェントさんは何か目指すものがあるのでしょうか?」

「まぁあるだろうな。でなきゃ、身体を鍛えている意味が分からない。あの性格ならひたすら怠けまくるだろ」

「確かにそうですね。学院でもよく分からない行動を時々とっています。不真面目な勤勉と言えばいいのでしょうか?」

「アイツから最も遠い言葉だろ、勤勉なんて」

「そうなのですけど、よく分かりません」

 

 二人の視線がレイジーに向かう。

 横になって寝ていた。

 どこまでも怠け者である。

 寝ているレイジーのお腹をリオが面白そうに掴んでは伸ばしていた。

 本当によく分からない男である。

 



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第三話 乙女の観察

「へぇーそんなことがあったんだ」

 

 ヴィヴィオは夕食に母、なのはと今日起こった出来事について話していた。

 アインハルトと戦って簡単に負けたこと。そして自分がまだまだ弱いのだと気づかされたこと。

 そして、そんな強いアインハルトに勝った先輩がいるということ。

 

「レイジー・ディリジェントさんって言う人なんだ」

「レイジー? んーなんかどこかで聞いたことがあるようなないような……」

 

 なのはは人差し指をあごに当てながら、自分の記憶を辿ろうとする。

 だが思い出せない。

 

「ママはレイジーさんと知り合いなの?」

「ううん。でも、その名前を聞いたことはあるんだよね」

「お仕事関係?」

「んー違うと思う。誰かと話してた時に……あ、思い出したっ!」

 

 良かったーとニッコリと笑うなのは。「私、まだまだ若いもん」と愛娘にはっきりと伝えていた。

 

「シスターシャッハだよ。シスターシャッハがその子の名前を良く言っていたと思うよ。私の所で見てくれないかって頼まれたこともあるし」

「へぇー。レイジーさん、シスターシャッハと知り合いなのかな?」

「確か、親戚とか言っていたような……。ヴィヴィオは聖王教会によく行くんだよね? なら本人に聞いてみれば良いんじゃないかな?」

「うん、そうする。それに私ももっと頑張らないと思ってたから。シスターシャッハに稽古でも付けてもらおうかな」

「あはは、シスターシャッハは厳しいよ?」

「大丈夫。なのはママの子だもん。不屈の闘志で頑張るよ」

「あ、なんか生意気~♪」

「きゃー♪」

 

 その日の高町家の食卓はいつもより、ちょっと賑やかだった。

 

 

 翌日、授業を終えたヴィヴィオは聖王教会を目指した。

 レイジー本人に話を聞くのが一番早かったのだが、連絡先もどこのクラスなのかも分からなかったため、なのはの助言通りにシャッハの元を訪れることを決めたのだ。

 教会に着くと、中庭でティータイムの準備をしている人物が見えた。

 ヴィヴィオはニッコリと笑って駆け寄る。

 

「オットー、御機嫌よう」

「ああ、これは陛下。今日もイクスお嬢様のお見舞いですか?」

 

 教会で働く執事の男性、実際には女性なのだが、短髪で執事服を着ていることもあって良く間違えられる。オットーと呼ばれた女性はヴィヴィオの顔を見ると、少し微笑んで見せた。

 

「うん。でも、シスターシャッハにも用があるの」

「シスターシャッハですか? もしや、来週の模擬戦に備えて特訓ですか?」

 

 ノーヴェのおかげでアインハルトとの再戦が決まったわけだが、オットーはヴィヴィオがその練習に来ているのだと考えた。

 シャッハは教会きっての武闘派シスターである。管理局で査察官を務める人物によれば、「暴力シスター。あ、シャッハ、なんでそんなに腕を回して、うわあああ!」と語るほどの人物。当然、その話を聞いていたシャッハによって査察官は強制的に訓練場に引っ張られるわけだが、暴力は別としても周囲の人間が戦闘狂だと思うくらいにはシャッハは武闘派として認識されていた。

 

「それもあるんだけど、ちょっと聞きたいことがあって。ごめんね、オットー。私、シスターシャッハの所に行ってくるから」

「はい。帰りに寄っていただければ、温かい紅茶とクッキーをお出ししますよ」

「ありがとう!」

 

 ヴィヴィオはオットーに手を振ると、そのまま教会の中に入って行った。

 何度も来ているはずなのに、綺麗に並べられた調度品の数々にわぁーと感嘆の声をもらしてしまう。

 自分がどこぞの城のお姫様になったようなそんな錯覚を受けながらしばらく歩くと、目的の人物の後姿が視界に入った。

 

「シスターシャッハ!」

 

 ヴィヴィオの声に反応したシャッハはくるりと向きを変える。

 走ってくる少女に凛とした表情を崩し優しく微笑みかける。

 

「御機嫌よう、ヴィヴィオ」

「御機嫌よう、シスターシャッハ」

 

 二人してふふっと小さく笑った。

 

「今日もイクスの元へ?」

「それもあるんですけど、シスターシャッハに聞きたいことがあって来ました」

「私に?」

 

 シャッハが小さく首を傾げる。

 

「シスターシャッハはレイジー・ディリジェントさんのことをご存知ですか?」

 

 ヴィヴィオがそう言うと、今まで穏やかな笑みを浮かべていたシャッハに変化が生じた。

 

「あの子が何かをしましたか?」

 

 時折起こるシャッハの説教モード。比較的この対象になる人物は少ないのだが、レイジーがその数少ない人物の中の筆頭であることはシャッハの笑っていない目が物語っている。ヴィヴィオもアハハと言いながら、半歩後ろに下がった。

 

「レイジーさんは何もしてないですよ! ただ最近知り合ったので、ちょっとお話を――」

「そうですか。また何もせず自堕落な生活を……。これは久しぶりに私が……」

「待って! シスターシャッハ、待ってください!」

 

 ヴィヴィオに抱き着かれ、荒ぶる魂が少しばかり静まる。ぎゅっと必死にしがみつく少女を見て冷静さを取り戻したようだ。

 

「ふぅーどうもあの子とロッサの事になるといけませんね」

 

 完全に怒りを収めたシャッハは話をするならと、空き部屋にヴィヴィオを招いた。

 

「それで、ヴィヴィオはレイジーと私の関係を――ああ、なのはさんから聞いたのですね?」

「はい。なのはママは親戚だって言ってましたけど」

「レイジーのお母様と私の母が姉妹なのです。ですから私とレイジーは従姉弟の関係になります」

「へぇー意外です」

「同じ血を引く者としてはあの子にはもう少し活力ある生活を送ってもらいたんですが」

「もしかしてレイジーさんって昔からああなんですか?」

「ええ、親族としては恥ずかしいのですが」

 

 ヴィヴィオもレイジーという人間をよく知るわけではないが、知る限りの情報で判断する限り怠け者というイメージが付いてくる。

 アインハルトを容易く倒したので、それだけではないというのは分かるが、ボーっとした表情や普段の言動を見るとそのイメージを拭うのは難しかった。

 

「疲れる、面倒、ダラダラしたい、人間だもの、大抵これらの言葉を言っていますね」

「それは全部聞きました。まだ2回くらいしか会った事ないんですけど」

 

 シャッハが額に手を当てながら呆れた。

 もう少し後輩に良いところを見せられないのかと嘆いてみたが、自分の知る従弟がそんな殊勝な心がけを持っているはずがないと諦めてしまった。

 

「でも、レイジーさん強いですよね?」

 

 ヴィヴィオが一番知りたかったこと。今現在もっとも気になる存在、アインハルト・ストラトスを破った男だ。彼の強さに秘密があるのなら、それを少しでも知りたいと思った。

 

「ヴィヴィオは、何をしているのが楽しいですか?」

 

 予想と違う答えにヴィヴィオは困惑したが、うーんと考えた後、一つひとつ思い出しながら答えた。

 

「なのはママやフェイトママと一緒にいる時とか、友達と話している時とか、教会でこうやって皆で一緒にいる時とか、とにかくいっぱい楽しいです♪」

「レイジーにもそうあって欲しいのですが……」

「レイジーさんは違うんですか?」

 

 シャッハが眉をひそめながら、ヴィヴィオにこう答えた。

 

「あの子は小さい時からダラダラすることが大好きだったんです。それ以外では食べることですかね。ゴロゴロして、好きなものを食べて寝る、そんな生活をこよなく愛する子でした」

 

 なんとなく想像できてしまうヴィヴィオが苦笑する。

 

「さすがに将来が心配になったレイジーのご両親が私に面倒を見てくれないかとお願いしに来たことがあったんです。教会でも不真面目の申し子と呼ばれたヴェロッサの教育係を務めていたことが耳に入ったのでしょう」

 

 ロッサを完全に更生させることができませんでしたがとポツリと嘆くも、シャッハは話を続ける。

 

「私がレイジーと初めて会ったのはあの子が7歳の時です。今のヴィヴィオより小さい頃ですね。7歳にして既に元気という言葉から縁遠い雰囲気を纏っていました」

「あはは……」

 

 乾いた笑いしかヴィヴィオにはできなかった。

 

「ただ少しばかり話して分かったことが、意外とちゃんと考えている子なんだなということです」

「考えている?」

「そうです。まあ、考えていた内容は最低なんですが」

「一体どんな……」

「将来、ずっとダラダラした生活を送るにはどうすればいいのか、あの子は7歳にしてそんなことを考えていたんです」

「今とあんまり変わりませんね」

「そこはそうなんですよね。ただ、あの子は怠惰に生きるために勤勉になることを決めていたんですよ」

「怠惰に勤勉?」

 

 おかしいですよねとシャッハが苦笑した。

 

「あの子はグータラな子ですが決してバカじゃありません。あのままダラダラした生活を送ってもいずれはそれができなくなることを分かっていました。だから選んだんです。最大限ダラダラできる生活をするために最短の努力をすることを」

「何か……凄いですね」

「素直にダメ人間と言ってもいいですよ。怠惰に生きるためにはどう頑張ってもお金が必要です。でも、一生懸命働いて稼ぐという思考があの子の中には存在しない。だから、あの子は武術大会で出る懸賞金に目を付けたのです。世界大会で優勝するとなれば相当な金額を手に入れることができますから」

 

 プロの格闘家になれば、試合をするだけで収入が得られる。当然甘い世界ではなく、試合をする以上勝たなければいけないのだが、そのための努力は惜しまないのだとシャッハは語った。

 

「決して天才と呼ばれるような存在ではありません。できないこともたくさんあります。ですがあの子は自分にやれることとやれないことを理解しその長所だけを確実に伸ばしていける子です」

 

 シャッハ続ける。

 

「何をすれば相手に勝てるのか、そして負けるのかを分析し一つの結論に至ったんです」

「えと、えと……」

「相手が何かをする前に倒す。当たり前と言えば当たり前ですが、それが出来るほど世界の魔導師や騎士たちが弱くないのはヴィヴィオも分かりますね?」

「はい」

「でも、あの子はそれができるなら、それが一番楽ならとその道を進むことにしたんです。それからはずっと鍛錬です」

「凄いですね」

「ええ、そこだけはあの子の美徳です。最終的ゴールが情けないのですが、目標のために努力していることは良い事です」

 

 今まで歯がゆい表情をしていたシャッハがこの時ばかりは優しく微笑んでいた。

 

「あの子の戦闘スタイルまではお教えできませんが、これだけは言っておきます。あの子が研鑽を積んで3年。そうですね、ちょうど今のヴィヴィオと同じころです。私は10歳のあの子に瞬殺されました。開始の合図と同時にほぼ何もできずに敗北しましたね」

「……え?」

 

 シャッハは陸戦ランクAAAの凄腕の騎士だ。潜在的な能力は別としても、今のヴィヴィオではシャッハに勝てる気がしない。

 そうだというのに、自分と同い年の頃に目の前の豪傑を倒したという先輩がヴィヴィオには想像できなかった。

 

「初見であったこと、私があの子の戦闘スタイルをしらなかったこと、理由はいくつかありますが、当時は本当にあっという間でした。もちろん、今なら私が勝ちます、勝って見せます。あの子にとって私や、そうですね、セインなんかは非常に相性が悪いです」

 

 ヴィヴィオは首を傾げた。

 シャッハが言おうとしていることがよく分からなかったのだ。

 

「明日の朝5時に、ミッド山、座標は後で送っておきますから、行ってみてください。あの子が怠けてなければいるはずです」

「そんな朝早くからやってるんですか?」

「あの子は怠けるために必死に努力する子なんですよ。朝晩と、時間こそ膨大とは言いませんが、密度は濃いですよ」

 

 怠惰を目指して勤勉に行き着く。なかなかおかしなことだとヴィヴィオは思った。

 

 ■

 

 翌朝、早起きしたヴィヴィオはいつも朝練をしている場所から少し足を延ばして、シャッハに教えられた場所に向かった。

 霧が出ており、辺りは暗い。自分の愛機、クリスが目からライトを出して道を示してくれたが、状況が状況なためちょっと怖かった。

 普通の宝石型のデバイスと違い外装が可愛いウサギの人形であるため、つぶらな瞳が怪しく光る姿がかなりホラーだった。

 少しばかり歩いていると、バシ、バシっと何かの音が聞こえた。物音を立てないように、その音の方へ近づく。

 

 視界に入って来たのは巨大な岩山に向かって正対するレイジーの姿だった。

 

「…………」

 

 そしてヴィヴィオが言葉をなくしたのは、レイジーがその場にいたからではない。

 彼の目の前にある大きく削られた岩山があったからだ。

 レイジーが触れている訳ではないのに、バシっと音が聞こえるとボロボロと削られて行くのだ。

 

 レイジーが何をしているのかは、ヴィヴィオには予想がついていた。

 アインハルトとレイジーの一戦。それをスロー再生で見た映像にその答えが映っていたのだ。

 

 魔力で目を強化してかすかに残像が見える程度。レイジーの圧倒的な蹴速にヴィヴィオは自分の目を疑った。

 

 同時に嫉妬もしていた。

 自分にできないことを他人がする。素直に凄いと感心はできるけれど、羨ましいなと思ってもしまう。

 

 ――趣味と遊びの範囲なら十分かと

 

 頭の中によぎったアインハルトの言葉。

 あの場は笑って誤魔化したが、悔しかったという気持ちがなかった訳ではない。

 少なくとも自分は一生懸命やって来た、それは胸を張っていえることだった。

 格闘技を教えてくれているノーヴェにだって尊敬と感謝をしている。

 ただそれでも、今の光景を見ると自分が甘かったのだと感じさせられた。

 

 疲れる、面倒と常に口にしているレイジーですら額に汗をかいて必死に鍛錬している。

 よく辺りを見渡せば崩された岩々が何十と見える。彼の努力の証だ。

 そしてこれが本気の覚悟なのだと痛感させられた。シャッハから聞いた十という年齢。今の自分と同じだ。比べられるわけではないが、少なくとも自分の先には行っている。

 当然、アインハルトもだ。

 

 ――私の本気は全然足りなかったのかな。

 

 そんな風に思えてしまう。

 ぐっと奥歯を噛みしめてヴィヴィオはレイジーの訓練を見つめた。

 

「……疲れた」

 

 どのくらいの間レイジーがそうしていたのか分からないが、顔からしたたり落ちるほど汗が流れ出ていた。

 ポツリとつぶやくと同時にレイジーが前のめりに倒れる。

 その様子を見ていたヴィヴィオは慌てたが、様子を見に行こうとしたその時、地面から離れていた足を止めた。

 急いで茂みに隠れる。

 

「気持ち悪い」

 

 びっしょりと汗でぬれたTシャツをばっと脱ぐレイジー。その時弛み切ったデッ腹がぶよんと大きく揺れた。

 さすがのヴィヴィオもうわぁーと顔をしかめた。

 だが、またしてもヴィヴィオは驚かされることになる。

 

「……川に行こう」

 

 そう言った彼の身体は完全に別物になっていた。全身を脂肪という名の肉布団で包んでいたはずなのだが、立ち上がった時にはそれが無くなりレイジー本来の体型を現出させていた。

 

(はわわわ)

 

 ヴィヴィオは顔を真っ赤にしていた。レイジーは上半身には何も纏っていない。下はぶかぶかだが紐で止められているようでずり落ちるようなことはなかったが、上半身は裸なのだ。片親である彼女にとって父という存在を知らないため、裸の男というのを初めて見たのだ。顔を赤らめるのも無理はない。

 これが緩みっぱなしのメタボ体型であるなら、そう言った反応も起こらなかった。

 事実、さきほどレイジーが服を脱いだ時は、恥ずかしいというより気持ち悪いと言った感じだった。

 

 だがどうだろう?

 目の前のレイジーはメタボではない。

 均整のとれた肉体を見せている。

 まだ自分とそう歳が変わらないため、背が青年男性のように大きくはない。

 あと数年もすれば自分と顔一個半くらいは離れそうなものだが、今はそれほど離れていない。

 

(エリオより小さいのに、身体はがっしりしてる。あれがレイジーさんの本当の姿)

 

 自分の知る男性の友人。歳はレイジーよりも二つ上だが、背はぐんぐん伸びておりパートナーを務める同年の少女の成長成分を吸って大きくなっているのではと冗談を言われるほど背がでかい。

 

 だが、身体から感じるプレッシャーはレイジーの方が大きかった。

 硬い、そう感じさせるほどにレイジーの背中は頑強そうに見えた。

 ゆっくりと歩いて行くレイジーの後を、こそこそと追って観察する。

 

(普段の状態が重りを背負っている状態なら、どれくらいの負荷がかかっていたのかな?)

 

 イメージするのは普段のレイジー。ぶよぶよな体型と今の彼を同一人物には見えない。

 つまりそれほどの負担を常に負っているということだ。今の筋肉の様子から考えても相当な負担だということは想像がつく。

 

(ノーヴェが言うにはあれは魔力の塊。なら魔力強化も行っているはず)

 

 脂肪として貼り付けている魔力を常時纏っているということは当然、魔力操作にも長けているということ。感じられる魔力は抑えられているため推測の域でしかないのだが、常時魔力を運用しているということから考えてもAランク以上の魔力量はあるのではないかとヴィヴィオは予想した。

 自分の周囲にAランク以上の魔力を持つ者たちが溢れているため、感覚がずれているのだが、学院で学んだ知識から考えれば、Aランクの魔導師は武装隊に所属すれば部隊長クラスなのだ。十分に貴重な存在である。

 

(Aランク以上の魔力に、見えない攻撃、それも動きづらい状態で。負荷をなくした状態ならもっと速く動けるはず。レイジーさんの本気……見てみたい!)

 

 自分を圧倒したアインハルトをルールを利用したとはいえ、簡単に倒したレイジー。それも枷をはめた状態でなのだから、全力がどれほどのものかは格闘少女なら気になるのも当然だ。

 

(聞こう。お話すれば何か分かるかも)

 

 そう思って尾行を解除し、川辺で顔を洗うレイジーの元に近づこうとしたのだが、次の瞬間レイジーはヴィヴィオの前から姿を消した。

 

「え……?」

 

 キョロキョロと辺りを見回すとようやくレイジーを発見する。水の中だ。レイジーは川に飛び込んでいた。

 そのまま下流の方に向かって泳いで行く。後を追おうにも陸地がない為、自分も川に入るしかない。

 着替えを持ってきていないので、ヴィヴィオはそのまま流れていくレイジーの後を見ているしかできなかった。

 

「学院でなら……あ、クラスも連絡先もしらないや」

 

 うーんと唸りながらヴィヴィオはどうやって接触しようかと考えるのだった。

 

 ■

 

 ストーキング二日目。

 結局学院でレイジーを見つけることができなかったヴィヴィオは、翌日も人間観察を行うために朝早くに山を登っていた。

 時間は5時。レイジーは当然のようにそこにいて昨日と同じように岩に向かって蹴りを放っていた……ヴィヴィオには見えないが。

 邪魔しないように、ヴィヴィオはレイジーが休憩する時間を狙う。

 その時が勝負なのだと集中する。

 

 

 

 

 

 

 

 一時間経った。

 だが、レイジーが訓練を止めるような様子はなかった。ただ岩が削られ、砕ける音が延々と続く。

 練習に工夫があるわけではない。ずっと同じなのだ。

 岩に向かって蹴りを繰り出す。それが一時間という時間の間、何回も、何十回も何百回も繰り出されるのだ。

 他にもやらなければいけないことはあるのではと、ヴィヴィオが疑問を抱くがレイジーは動作を止めない。

 そして、昨日のように力尽きるまで蹴りを放つと、また昨日のように川辺に向かい、同じように川に流されて消えて行った。

 

「また話せなかった」

 

 よしっと気合を入れてヴィヴィオは家に戻るために山を駆け下りて行った。

 

 

 ストーキング三日目。

 

 今日もヴィヴィオは山にやって来ていた。今度こそという思いで、ヴィヴィオは熱い視線をレイジーに向ける。

 

「……疲れた」

 

 前のめりに倒れるレイジー。ここまでは昨日と同様だ。だが、今度は違う。

 レイジーが川辺に行ってしまう前に話しかけようとした。

 しかし、彼女の作戦は脆くも破られてしまった。

 

「え……?」

 

 寝た態勢のままレイジーがはじけ飛んだ。

 肉体が爆発したとかそう言う訳ではない。

 一瞬何が起こったのか分からず、ヴィヴィオはポカンとしてしまった。

 ハッと気づいた時にはレイジーははるか頭上にいた。そして、そのまま落下しぼよんぼよんとバウンドしていく。

 明らかに人間の動きではなかった。

 急いで後を追いかけたが、想像以上に速くヴィヴィオが辿り着いた時にはすでにレイジーは着水し、川を流れて行った。

 

「……明日は、絶対お話するもん!」

 

 少女は本気になった。

 

 

 ストーキング四日目。

 

 またしても山を登った。話すだけならもっと早めにくるとか、訓練を邪魔してでも話しかければ済むことなのだが、なんか負けた気がしてヴィヴィオはその手段を取らずにいた。

 よしっといつもの場所にやってくるとやはりというか、レイジーはいつものように同じ動作を繰り返していた……ようやくかすかに見えるようになった程度だが。

 ここから一時間、ヴィヴィオは必死にレイジーの動きを見続けた。

 足の動きだけではなく、全体を捉える。どこを動かそうとすれば、あのような動きになるのかヴィヴィオは注意深く観察する。

 

(上半身はあんまり使ってない。でもあれだけのスピードを脚力だけで再現するなんてできるのかな?)

 

 そこでヴィヴィオは考えた。

 というか思い出した。

 昨日有った、レイジーの奇妙な行動。べたっと横になった状態から何のアクションも起こさずに飛び跳ねるという珍現象。その後、ゴムボールのように弾みながら移動する異様な光景。

 結論、魔力による何かを行っている、ヴィヴィオはそう考えた。

 

(全っ然わからない)

 

 愛機クリスに頼んで魔力解析を行ってもらっているのだが、全くヒントらしいヒントは見つからなかった。

 魔力の変動も起こっておらず、魔力を使ったような跡がまるで見当たらない。

 

 そのまま観察したが、結局何も分からなかった。あまりにも観察に集中し思考に没頭してしまったため、いつの間にかレイジーは居なくなっており、慌てて下山するヴィヴィオであった。

 

 ストーキング五日目。

 

 アインハルトとの再戦を明日に控えるヴィヴィオだったが、レイジーの事がどうしても気になってしまい、今日も自分の練習そっちのけで山までやって来ていた。「放課後頑張るもん」と心の中で言い訳をする。

 もう慣れてしまったというべきか、茂みに隠れてレイジーの動きを観察した。

 このストーキングを始めて良かった点は、レイジーの動きがうっすらと見えるようになってきたことくらいだ。

 

「ねぇ、クリス。レイジーさんがやっているような魔力負荷ってできる?」

 

 浮遊する人形型デバイスが手でばってんを作り、申し訳なさそうな顔を浮かべた。

 

「そっか、ちょっと興味はあったんだけど」

 

 自分がポッチャリ体型になって帰宅したら、二人の母はきっと卒倒するだろうなとヴィヴィオは想像しながら小さく笑った。

 ヴィヴィオが考えた結果、レイジーのありえない動きを支える根幹にあのメタボリック技法が関わっているのだとヴィヴィオは確信していた。

 その事について、話を聞きたいヴィヴィオだったが、レイジーの鍛錬の邪魔をする訳も行かず、ただ黙って観察を続ける。

 こんなに熱心に誰かを観察したことが今までにあったかなと振り返るほどに、ヴィヴィオはレイジーに熱中していた。

 

「……まさか、これが恋?」

 

 いやいやと首を振る。

 自分の母親ですら幼馴染の無限書庫の司書長を務める人間と休日に買い物に出かけて、「デートじゃないよ~。ユーノ君と買い物に行ってきただけ」と能天気な事を言っているのだ。

 

 恋愛に関して、そんな反面教師を母に持つ身のヴィヴィオはそれなりに敏いと自負している。周りにそう言った話題に興味を持つ人間がいるからとも言えるが、恋をしたらしたで分かるはずなのだ。

 

 別にレイジーを見つめていてもドキドキはしない。むしろ、アインハルトと向かい合った時の方が心臓の鼓動は速くなる。

 メタボリック状態を解除したレイジーに見つめられでもしたら、話は変わるかも知れないが現状の彼は余計なお肉をプルンと揺らしながら必死に汗を流しているのだ。ときめく要素が見当たらない。

 

「レイジーさんの本当の顔ってどんなだろ?」

 

 がっちり締まった身体を見たことはあるが、背を向けていたということもあり痩せたレイジーというのがイメージできない。

 想像の中のレイジーにはライオンの鬣のようにお肉がまとわりついてしまうのだ。それを頭の中で削いで行こうとも、本来の顔に至ることができなかった。

 

「pipi!」

「何、クリス? って、あれ?」

 

 あまりにどうでも良い事に悩み過ぎたのか、レイジーはいつの間にか居なくなっていた。

 

「うぅ~また何も分からず終わっちゃったー!」

 

 そっと少女の肩に手を置く小さなウサギ。ぴゅーと冷たい風が少女の頬を撫でたのだった。



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第四話 かっちーんと恐怖

 再戦の日がやって来た。

 少女アインハルトはこの日を心待ちにしていた。

 

「ディリジェントさんに雪辱を果たします」

 

 ぐっと胸の前に握り拳を作り、固い決意をその胸に抱いて少女は部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

「わりぃ」

 

 気分は高揚していた。自分よりも強い相手、それを倒すことで自分が高みに登ることができる。

 そして、今日はその日であった。

 だが、ノーヴェによって告げられた内容は、少女にとってあまりにも残酷なことだった。

 

「ディリジェントさんが来ない……?」

「ああ。なんでも父親の結婚式とかで」

 

 ノーヴェから告げられたその内容に絶句する。そして、それ以上にノーヴェに対して本気で疑問を抱いてしまった。

 

「ノーヴェさん、親戚の結婚式ならともかく、自分の父親の結婚式なんて嘘以外の何もでもありません」

「いや、私もそう言ったんだが、再婚して舞い上がってる父親を祝福したいって言うからさ……」

「ディリジェントさんのご両親が離婚されていたのですか?」

「知らないから、困ったんだよ。こういう話題だと聞きづらいだろ?」

 

 確かにとアインハルトは納得した。

 そして心の中でノーヴェに謝罪もした。バカではなかったのだと。

 

(まさか、そこまで見越した虚言ということですか? やはりディリジェントさんは侮れませんね)

 

 アインハルトはレイジーへの評価を上方に上げた。

 

「まあ、アイツが来なくてもヴィヴィオと戦ってくれよ。なんか朝早くから猛特訓していたみたいだからさ」

「今回は全力で来てくれるようですね」

 

 ヴィヴィオが特訓してきたという言葉を受けて、少し沈んでいた気持ちを引き締める。

 一度は勝った相手だが、それゆえに負けは許されない。

 自分は覇王の血を引く者。例え、模擬戦であっても敗北することなど有ってはいけない。

 

 救助隊の訓練にも使われる廃倉庫。すでにノーヴェが隊から許可は取っている。

 誰に気兼ねなくやれる状況で、観客もいる。

 猛特訓を行ってきたという情報も得ているアインハルトは結構やる気があった。

 

 対するヴィヴィオはアインハルトに見えないようにタメ息を吐いていた。

 

(うぅ~、ここ数日、山に行って帰るだけしかしてない……)

 

 特訓をしようとヴィヴィオが決心したのは約一週間前。それからレイジーという男に振り回されて無駄に時を過ごしてしまった。

 目の前でメラメラと闘志を燃やしているアインハルトを見ると、申しわけない気持ちでいっぱいになってくる。

 

「クリス」

 

 ばしっと一発頬を叩いて気合を入れる。今から自分の全力をぶつけるのだ、余計なことを考えている場合じゃないと、バリアジャケットを展開する。

 大人モードと呼ばれる変身魔法を使い、自分の姿を大きく成長させた。

 

「武装形態」

 

 アインハルトも準備を整える。彼女もまた変身魔法を使い自分の姿を大きく成長させた。

 対面する二人はバリアジャケットを纏っているものの、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる立派な成人女性。初等科4年生と中等科1年生などとは初めて見る人物であるならまずわからないだろう。

 

「ルールは相手を戦闘不能にするか、参ったと言わせた方が勝ち。射撃もバインドもありの完全戦闘。ただし明らかな危険行為があった場合は私が止めに入るからな」

 

 審判を務めるノーヴェの言葉に二人が小さく頷いた。

 

「――始めっ!」

 

 その瞬間、二人が激突する。

 ほぼ同時の突撃。距離にして5Mがたったの一瞬でゼロに変わる。

 先攻はヴィヴィオ。深く落とした膝により、下から上へ伸びあがるようにアッパーを見舞う。

 それを冷静に見ていてアインハルトはアッパーの軌道を右手で逸らすと、無防備を晒したヴィヴィオの右側腹部へ回し蹴りを繰り出す。

 拙いと思ったヴィヴィオ。だが、奇妙な感覚に襲われる。

 

(あれ、遅い?)

 

 自分に近づいてくる蹴りの脅威を感じ取るも、どこかゆっくり見えるその攻撃にヴィヴィオは違和感を感じていた。

 アインハルトが手加減しているとも考えたが、試合開始前の彼女の雰囲気からそれはないと判断する。

 なぜ? というのは頭に残ったが、これなら防げると右足を上げてアインハルトの蹴りを防ぎそれと同時に支えていた左足の力を抜いてわざと吹き飛ばされた。

 

「驚きました。完全に入ったと思ったのですが。猛特訓してきたというのは嘘ではなかったようですね」

 

 距離を開けたヴィヴィオに称賛の言葉を送る。

 

(ごめんなさい。山登りしかしてないんですっ!)

 

 心の中で泣きながらアインハルトに謝る。

 だが、それと同時に先程の攻撃が加減されたものでないということも理解した。

 

(でもなんでだろ? 何もしてないのに、私って強くなった?)

 

 いやいやと首を振る。何もせずに強くなれるなら、今までの努力は何だったのかとその考えをすぐに捨てた。

 

(私がしてたことなんて、山登りとレイジーさんの練習を……あ!)

 

 そこで気づいた。

 そうだ、あの人だ。あの人の尋常でない足の動きをずっと見続けて来たから自然と蹴りに対する反応が早くなっていたのだと理解する。

 

「無駄じゃなかった……」

「努力に無駄なことなんてありませんよ?」

 

 微妙にかみ合ってない二人のやり取りだが、ヴィヴィオはホッとする。

 この一週間、自分の目を実は鍛えていたんだと言い聞かせる。無意味な時間を過ごしていないのだと、全力で否定する。そうでなければ悲しくて泣いてしまう。

 

「行きますっ!」

「ええ」

 

 

 

 

 その後の戦いは結局地力で勝るアインハルトが勝利した。だが、終始自分の攻撃に反応してきたヴィヴィオには驚きを隠せなかった。

 前回戦った時よりも確実に速い動きで攻撃しているのになかなか直撃を与えられない。

 それが焦りとなり一発もらってしまった点は反省しないとと思いつつも、一週間で見違えるような向上を見せたヴィヴィオにアインハルトは少なからず興味を持った。

 

 彼女の努力と熱意に敬意を表し、気絶しているヴィヴィオの元に近づき寝ていた彼女の手を取った。

 

「初めまして、ヴィヴィオさん。私はアインハルト・ストラトスと申します」

「それ、起きてる時に言ってやれよ」

 

 ノーヴェが笑いながらそう言うのだが、「恥ずかしいので嫌です」と頬を染めながらアインハルトは拒否した。

 それを見ていた周りの面々が小さく笑う。

 

「とにかくヴィヴィオさんを治療できるところへ」

 

 そう言ったアインハルトがヴィヴィオを背負う。ヴィヴィオの友達のコロナとリオが「よろしくお願いします」と笑顔で頼んだが、アインハルトは恥ずかしくて二人から顔を背けた。

 逸らした先ではノーヴェがニタニタ笑っていたのだが、何も言ってこなかったので、キッと睨みつけるだけで終わってしまった。

 

「後はあのメタボか」

「……さすがにそれは失礼じゃないかと」

「いや、たぶん面と向かって言ってもアイツは気にしないと思う。反論するのが面倒とか言いそう」

「……容易に想像できます」

「お前は学院でアイツと同じクラスなんだろ? 話とかしないのか?」

「以前、試みようとしたんですけど、ディリジェントさんは休み時間中は机に突っ伏して寝ているんです。昼食時なんかもいつの間にか居なくなっていてなかなか話す機会というのが……」

 

 ノーヴェとアインハルトは歩きながらレイジーという人物について話し合った。

 

「誘っても来ねえからな。食事をちらつかせても、面倒さが勝った瞬間に拒否するからな」

「そうですね。私も約束を果たそうとお誘いしようとしているのですが、会話が成立しないので」

「アイツぐらいの歳の男ならお前みたいな女の子から話しかけられたら狂喜乱舞しそうなもんだけどな」

「それは私が褒められてますか?」

「まあな。アイツを振り向かせられないすげぇ美少女だと思うぞ」

「バカにしてますか?」

 

 アインハルトは、むっと怒りを示したが、ノーヴェに頭を撫でられてうやむやにされてしまう。

 

「ったく、メタボ野郎について頭を悩ませないといけない日が来るとは思わなかったぜ」

「私も異性の人にここまで真剣に悩んだことはなかったかもしれません」

「その部分だけ考えると、私達、もの凄く女の子してるよな」

「否定はしません」

「でも一切、恋愛系に発展しなさそうなのはなんでなんだろうな」

「……格闘技に生きているからです」

「アインハルト、素直にアイツに問題があると言ってやれ」

「そ、そんなことは思ってません!」

「じゃあ、アイツが付き合ってくれって言ったら付き合うのか?」

 

 年下をからかうノーヴェはいやらしい笑みを浮かべていた。

 

「何を言ってるのでしょうか?」

「……お、おう」

 

 無表情だった。無表情すぎた。ゆえにノーヴェは後退してしまう。

 アインハルトの、「は?」というメッセージの籠った眼光がノーヴェを下がらせたとも言う。

 いくら過去の記憶を持って生きているとは言え、アインハルトも年頃の女の子だ。

 実際そうであるかは別として、油ギッシュな見た目をしているレイジーを受け入れるには彼女たちの関係はあまりにも浅すぎる。

 興味のある異性という意味では間違ってないが、それはあくまでもレイジーを一人の格闘家として見た場合であって、そこに恋愛が絡むようなことは断じてない。

 

「う、う~……う? うう?」

「起きたんならまず人間としての言葉をしゃべれ」

「な、なな、なんで!?」

「ヴィヴィオさん、あまり耳元で叫ばないでくれると助かります」

「あ、すみませ――そうじゃなくて、なんで私がアインハルトさんに背負われて!?」

「お前が無残に散ったから」

「散ってないよっ!」

 

 気絶から目覚めたヴィヴィオ。元気そうだと分かり、アインハルトは彼女を背中から下した。

 

「まぁ、それだけ元気なら心配なさそうだな」

「うぅ~なんか恥ずかしいっ」

 

 ほんのりと頬を染めるヴィヴィオの頭をノーヴェが優しく撫でた。

 アインハルトは普段通りのヴィヴィオを見て、少しばかりホッとしていた。

 アインハルトを見るたびに赤面するヴィヴィオだったが、時間も経つと気持ちに整理がつくようで、ようやく平常モードで話せるように回復した。

 

「そう言えば、ヴィヴィオ? お前、どんな特訓をしてきたんだ? やたらと攻撃に対する反応が良かったけど」

 

 審判をしながらヴィヴィオの変化に疑問を持っていたノーヴェは直接聞いてみることにした。

 

「うー」

 

 ヴィヴィオが唸る。ちらりとアインハルトの方を見て首をプルプルと振った。

 明らかに挙動不審なヴィヴィオにノーヴェが落ち着けと、優しく肩を叩いた。

 

「……実は」

 

 ヴィヴィオは語る。

 朝早く山を登っていた事。レイジーを観察していた事。それだけで一週間近く過ごしてしまった事。

 そして、「ごめんなさい」とアインハルトに謝った。

 

「謝ることはありませんよ。ヴィヴィオさんは確かに成長していました。なるほど、ディリジェントさんの動きを見ていたからこその反応だったのですね。納得です」

「ア、アインハルトさんの動きも速かったですっ!」

「それでもディリジェントさんのスピードには及ばないということが分かりました」

「うぅ」

 

 ちょっと意地悪してしまったかと、アインハルトはヴィヴィオの頭に軽く手を置いた。

 アインハルトがそんな行動を取るものだから、ヴィヴィオは一人おたおたし始める。「可愛いらしい方」と表情には出さなかったが、アインハルトは微笑んでいた。

 

「ただ、おかしなことがあるんですよね」

 

 再三調子をおかしくしていたヴィヴィオだったが、立ち直るとすぐ、思い出したかのようにレイジーの事について語りだした。

 

「私が見ていたレイジーさんの訓練はずっと同じだったんです」

「自分で考えたメニューをこなしているだけじゃねぇのか?」

「ううん。レイジーさんがやってたことは岩に向かって蹴りを放つだけだった。その速さは驚いたけど、それ以外の練習は見なかった。ずっと倒れるまで蹴り続けていた」

「蹴りの練習だけなのですか?」

「はい」

 

 アインハルトもノーヴェもその事について考える。一人の訓練であるが故に対人を想定しての練習は難しいというのは想像がつく。

 だが、そうであっても蹴りのみというのは異常だ。防御は無理としても回避訓練などはできるのだから、それを混ぜてメニューを組むのが普通だ。

 

「もしかして、蹴り以外の練習が面倒だからとか言わねえよな?」

「…………」

 

 ヴィヴィオとアインハルトは沈黙した。

 

(ディリジェントさんなら……)

(レイジーさんなら……)

((あるかも))

 

 結局、考えはまとまらなかった。

 

 ■

 

「ディリジェントさん」

「zzz……zzz」

 

 寝ているクラスメイトに話しかけるアインハルトだったが、机にうつぶせになる少年は微動だにしなかった。

 最初はためらったが、やはり話をしておきたいと寝ているレイジーの肩を軽く揺する。

 

 その様子を見ていたクラスメイト達は、「え、ストラトスさんがあの……」や「デブ専?」等、好き勝手に話しだしていた。

 その声が聞こえていたが、特に親しくもない人間にどう思われようと気にしないアインハルトはレイジーを起こすことに集中した。

 

「んん……んーん?」

 

 揺すられたことで目を覚ましたレイジーは机に突っ伏したまま、首をくいっと動かして視線を自分を起こした人物、アインハルトの方に向ける。

 

「こんにちは?」

 

 昼時のあいさつとしては間違いなかったが、寝ていた人間にこのあいさつはどうなのだろうかと考えてしまったため、疑問形になった。

 

「…………」

 

 何かを考えて数瞬、レイジーは向けていた視線を再び自分の腕に戻し、目を瞑った。

 その態度に少しばかりムッとしたアインハルトはちょっと強めに肩を掴む。

 

「……何?」

 

 視線を向けることはせず、レイジーは尋ねた。この人はきっと怠け星の怠け族なんだと自分に言い聞かせたアインハルトはその状態のまま話すことに決めた。

 

「今日の放課後はあいていますか?」

「ません」

「ノーヴェさんが焼肉パーティを開いてくれるとの事なのですが?」

「行きます。行かせてください」

 

 ばっと起き上がったレイジーはアインハルトの手を取って懇願した。

 それを見ていたクラスの一部からは奇声が、また別の方からは歓声が上がった。

 

「トレーニング後ということですが」

「……トレーニングが終わったら参加する」

「トレーニングに参加しない者には食べさせないとおっしゃっていました」

「……わかった」

 

 網の上で踊る上カルビが頑張ってと応援していたため、レイジーは断腸の思いでトレーニング参加を表明した。

 

「では、放課後。ヴィヴィオさんたちも御一緒すると思うので、待っていてくださいね」

「うん」

 

「牛、豚、ドラゴン」ぶつぶつと呟くレイジーはそのまま夢の世界に旅立って行った。そんな彼を見てアインハルトはハァーとタメ息を吐く。

 

「私は何をしているんでしょうか?」

 

 少女の悩みは尽きない。

 

 

 

 

 放課後になって、レイジーは行動を起こした。

 すべては焼肉のためだと、動こうとしない自分の身体に鞭を打って、教室を出ていく。

 昇降口に着けば、既に授業が終わっていたのか、ヴィヴィオ達が待っていた。

 レイジーの姿を見てニッコリと笑ったヴィヴィオはすぐさま駆け寄って来た。

 

「レイジーさん、アインハルトさんはどうしたんですか?」

「星になった。さあ行こう」

「勝手に人を抹消しないでください」

 

 レイジーの後を追って来ていたアインハルトは背後から声をかける。その声には少しばかりの怒気が含まれていた。

 

「さあ行こう」

「少しは話くらい聞いてくださいっ!」

 

 マイペースと言えば聞こえがいいが、実際はただの自己中。そんなレイジーに苦笑する初等科の面々と表情を歪ませる中等科の少女。

 歩くたびに上下に揺れるバラ肉が先頭を進む。

 そんな彼に並ぼうとヴィヴィオが小走りで隣まで行き、レイジーに話しかけた。

 

「レイジーさん」

「お肉は大好きです」

「聞いてませんよ~」

「……何?」

「そのテンションの下がり方は、私としてはちょっと傷つくんですけど……」

「何?」

 

 少女の負った心の痛みなど知らんとばかりに、レイジーは用件だけ話せと促す。

 

「実はですね、シスターシャッハが――」

「シャッハちゃんは死んだんだ。死者の話はしないことにしている」

「死んでませんよっ!」

 

 明らかに動揺を見せるレイジー。そして、ヴィヴィオはその理由が考えるまでもなく分かっていた。

 真面目と怠惰、まったく真逆の性質を持っている二人に問題がないなんてことがあるだろうか? いやない。

 

 特に素行不良の人間を許すようなタイプではないシャッハはレイジーにとってまさに天敵と言える。

 そんな名前が挙がってしまえば、彼が挙動不審になるのはヴィヴィオにも簡単に理解できた。

 

「……僕、今日、焼き肉食べたら死ぬんだ」

「なんでそんな絶望感漂ってるんですか!?」

 

 顔を真っ青にしたレイジーががっくりと肩を落とす姿に、さすがのヴィヴィオも焦った。

 シャッハが襲ってくるわけではないと必死にレイジーを説得し現実世界に引き戻した。

 

「レイジーさん、シスターシャッハが苦手なんですね」

「だって、シャッハちゃん、怒ると怖いから」

「でも、ちゃん付けなんですね」

「一度、シャッハおばさんと呼んだら叩きのめされた。それ以来ちゃんで通している」

 

 シャッハは従姉であるため叔母ではないのだが、そこのところがよく分かっていないレイジーは初めて会ったと時にそう呼んだ。年齢が離れていたとは言え、シャッハが初めてレイジーに出会った時は青春時代真っ只中である。おばさんと呼ばれてキレても仕方がない。

 

「……そ、それでですね、シスターシャッハからレイジーさんが特訓していることを教えてもらったんです。それで、失礼だと思ったんですけど、その特訓を私、見てたんです」

「へぇー」

「怒らないんですか?」

 

 自分の訓練を勝手に覗いていたことを咎めないのかとヴィヴィオは尋ねたつもりだったが、返って来た答えは無関心だった。

 

「別に」

「もしかしたら、レイジーさんの技の秘密を知ってしまったかもしれないんですよ」

「知られてどうこうなるようなもんでもない」

 

 だからどうしたと言わんばかりのレイジーはあくびを掻くだけだった。

 

「じゃ、じゃあ、図々しいかもしれないんですけど、レイジーさんの技の秘密を教えて――」

「ヤダ」

「で、ですよねー」

 

 あははと乾いた笑いを浮かべるヴィヴィオ。聞き耳を立てていたアインハルトやリオ達も同様だった。

 

「それじゃあ、質問良いですか?」

「…………」

「無言で拒否するのやめてください」

 

 本気で嫌そうな顔をしたレイジーに対してヴィヴィオはうっすらと涙を浮かべてしまった。

 

「ヤダ」

「うぅ~」

 

 明確に拒否されてヴィヴィオは完全に怯む。年上でそれほど親しくもない相手。人当たりの良いヴィヴィオは、大抵の人間と上手くやっていける。

 だがそう言う器用さがあるからこそ、相手が話をしてくれないという経験があまりない。

 拒絶される事に慣れていないので、涙をこぼしそうになる。

 だが、それに待ったを掛けたのが頼れる先輩、アインハルトであった。

 

「ディリジェントさん、あまり下級生を苛めるのはいけませんよ」

「苛めてない。話すのが面倒だっただけ」

「質問に答えてあげるくらい良いのでは?」

「質問を断るくらい良いと思う」

 

 間違ってはいない。

 だからこそ、アインハルトはそのまま引いた。「アインハルトさん!?」とヴィヴィオはしょんぼりする彼女に駆け寄った。頼れる先輩時間、わずか10秒。

 

「先輩は練習とか好きなんですか?」

 

 そんな中、純真無垢な笑顔を浮かべたリオがレイジーに話しかける。

 実家が道場をやっているということもあり、ヴィヴィオから聞いたレイジーの訓練に興味があったようだ。

 

「大嫌い」

「えー。でも、毎日やってるんですよね?」

「嫌いな事を嫌いと言っているだけの生活は許されなかっただけ」

「よく分からないです」

「嫌いなのとできないのとは違う。好きだからと言ってそれができるわけじゃないのと同じ」

「つまり、嫌いだけどできるからやってると?」

「うん」

「でも、それってつまらなくないですか?」

「楽しいことだけやれる生活ができないから仕方ない。だから嫌なことでもやるしかなかった」

「まぁ、そうですよね」

 

 勉強にしろ、仕事にしろ、自分が望んだことができるというのはなかなかまれである。望んだことを望んだとおりに実現できる人間が才能のあるものなのだ。

 少なくとも、レイジーにはそう言った才能はなかった。

 

「先輩、センターに着いたら私と組手してくれませんか?」

「「え?」」

 

 声を上げたのはレイジーではなくヴィヴィオとアインハルトだった。

 自分がやりたかったのに先を越されたという単純な思いが声となって出てしまったのだ。

 

「…………」

 

 アインハルトとヴィヴィオを見る。そしてレイジーは少しばかり考えてから、「いいよ」と了承した。

 

「な、なら私もっ!」

「是非、私も」

 

 はいはいとヴィヴィオは手を上げて、アインハルトはずいっと前に出た。

 

「一日一回しか人と戦えない病気なんだ」

「はい、それ嘘!」

 

 べしっとリオがツッコんだが、鉄壁とも称されるレイジーの肉布団がそのツッコミを無効化した。

 お肉を叩くなとリオの方に視線を向けると、リオはなぜか怒っていた。

 鋭い観察眼でレイジーはその意味を理解し、タメ息を吐いた。

 

「先輩の考えたことを当ててみましょうか? ヴィヴィオとアインハルトさんと戦うのと私と戦う方で私の方が楽だと思ったんですよね?」

「うん」

「かっちーん」

 

 迷いのない返答にリオの目に炎が宿る。

 

「絶対にそのお腹に16連コンボ決めて見せます」

「どうぞ」

 

 だって魔力の塊だもんとはレイジーは言わなかった。

 

 

 

 区民センターについて早々、リオは着替えを済ませ入念なアップを開始した。

 やはり舐められたというのが彼女の格闘家としてのプライドに火をつけてしまった。

 対するレイジーは学院指定の体操着にゆっくりと着替える。着替えを終えるとノーヴェの元に向かい、練習後の焼肉パーティーについて相談しようとしていた。

 

「それは後だ。今はきっちり練習しやがれ」

「分かった」

 

 短く答えると、レイジーはぶよんぶよんとお肉を弾ませる。その光景を見ていた周りの人間はクスクスと笑いだす。

 場違いだ、口には出さなかったが彼らはそう言っているのだ。

 

「先輩、よろしくお願いします」

「おー」

 

 間の抜けた返事がただでさえ苛立っているリオを余計に苛立たせた。

 ノーヴェが審判として二人の間に入る。コート中央に引かれた二つの線。立ち会いの位置を示したその場所に二人が構えをとって立った。レイジーはだらんと腕を下げているが。

 およそ5M、それが二人の距離だ。

 そしてレイジーの勝利への必要条件。

 

「射撃なしの格闘技オンリー。3分1ラウンドで良いな?」

 

 リオはしっかりとレイジーはかすかに動いたと分かる程度で頷いた。

 

「――始めっ!」

 

 その言葉と同時にリオは吹き飛ぶことになる。

 レイジーたちの事を知らない観客たちは驚愕の表情を浮かべた。

 

「――!」

 

 だが、あらかじめ予想していたリオはしっかりとガードをしており、アインハルトが食らったような場外負けにはならなかった。

 

「スポーツ格闘技なら僕は負けない」

「ぐっ!」

 

 ガードしているその上から強烈な攻撃が何重にもなってリオに襲いかかる。

 レイジーは何もしておらず、リオが苦悶の表情を浮かべるだけ。傍から見ている人間にはそうとしか見えないが、アインハルトやノーヴェと言った実力者はレイジーの足の動きをかすかに捉えていた。

 攻撃方法を事前に知っていたのも大きかった。

 

(速ぇ。マジで速ぇな。普通に見えねぇ)

(足下を注視してようやく残像が見える程度だなんて)

 

 二人の感想はそれぞれ称賛するものであった。

 防御に徹し、踏ん張っていたリオの足が徐々に浮き始める。止まることのない連続攻撃。始まって1分と経たないが、リオが防御以外の動作を行うことができなかった。

 

(痛い、痛い、痛い)

 

 ガードしている腕がじんじんと痺れだし、脳に警告を発するのをリオは感じていた。

 終わる時は来る、そう信じて持ち堪えているが、それも限界に近い。

 踏ん張っていた膝は力を失くし徐々に伸び始める。

 

「きゃっ!」

 

 とうとう吹き飛ばされてしまったリオはそのまま場外まで蹴り飛ばされて敗北を喫した。

 

「……疲れた」

 

 汗一つ掻かずにレイジーはそう呟いた。

 

「リオ、大丈夫か?」

 

 うつぶせのまま起き上がってこないリオを心配したノーヴェが急ぎ足で駆け寄る。

 だが、リオの肩が小さく震えているのを見て、ノーヴェは抱き起すのを躊躇った。

 

 何もできずに敗れる。格闘家としてこれ以上に悔しいものはないのはノーヴェにも分かる。

 自分の力を一切見せることができずに敗れるのは、今までやって来たすべてを否定されたような気分になるからだ。

 敗北が格闘家を強くする、道理であるが、敗北が格闘家を弱くするのもまた事実だ。

 

 フォローを間違えれば、立ち直れない可能性があると感じ、ノーヴェは悩んだ。

 師の真似事をしているが、こういったメンタル面への配慮というのは経験が物を言う。だが、ノーヴェにはその経験があまりにも乏しい。

 こんな時に何も出来ない自分に苛立ちつつも、ノーヴェはリオの肩に優しく手を置いた。

 

「大丈夫か?」

 

 ありきたりだなとノーヴェは思う。

 だが、それしか言うことができなかった。

 

「す……い」

「リオ、怪我でもしたか?」

 

 ズキズキと感じる腕の痛み。

 久しぶりの感覚をリオは思い出した。

 格闘技を始めた頃は、当たり前の感覚。上達するにつれて薄れて行ったものだが、それが今確かに腕にある。

 

 何もできなかった。

 

 開始と同時に攻められるだけだった。事前情報がなければガードすることすら不可能だった。

 圧倒的な力量差、自分とレイジーの間にはそれだけの差があることを実感した。

 

 お世辞にもトレーニングしているとは言えない体。練習嫌いを公言し、自分と違って格闘技を好いているようには見えなかった。

 物ぐさな態度もあってか、舐められていたことに怒りを感じ、本気で倒すつもりだった。

 

 だけど、完敗した。

 悔しかった。自分の今までの努力を完全に否定されたような感じがした。

 

 でも、それは違う。

 

 彼は言った。「嫌なことでもやるしかなかった」、その言葉の意味を自分ははき違えていたのだ。

 嫌々やっているのだから身に付いてはいない、そう思っていた自分をリオは恥ずかしく思う。

 ヴィヴィオは言っていた。「ずっと同じ練習を倒れるまでやっていた」、そう言っていたのだ。

 

 同じ練習しかしないのは彼が怠け者だから、そう決めつけていた。だからこそ、大事な部分、倒れるまでやっていたという部分に気が回らなかった。

 

 自分がぶっ倒れるまで練習をしたことが一体どれだけあっただろうかと考えると、なんてバカなことを考えていたのかと思う。

 そしてその差がいま如実に表れているのだ。

 悔しいと思う反面、純粋に凄いと思った。身体が自然と震えるほどに。

 

「凄いっ! 凄いよっ!」

 

 目を輝かせたリオはバッと起き上がるとレイジーの元へ走っていく。

 予想外の反応を見せたリオにノーヴェは呆気にとられてしまった。

 

「先輩、凄いです。何がどう凄いとかは言えないんですけど、凄いんですよっ!!」

 

 ほらほらと痣がついた腕を見せながら、嬉しそうにリオが飛び跳ねる。 

 それを見たレイジーは思った。

 

(この子、頭のネジが外れてる……)

 

 試合をする前は怒っていたはずだ。バカにしたような態度を取ったのだから、怒っている理由くらいレイジーにだってわかる。

 だがしかし。

 試合を終えた途端のこれだ。540度回って自分への評価が好転している。

 

 ボコボコにされて喜ぶ人間をレイジーは二次元という空想の世界でしか知らなかったため、完全に引いてしまった。

 面倒嫌いを公言する彼が珍しくリオという少女の将来を心配してしまった。

 

「お、落ち着いて」

 

 びくついた手でリオの頭を押さえる。当事者二人以外からすれば、頭を撫でているように見える。微妙にレイジーの手が震えているのが撫でている動作に似ているのだ。

 

「にゃは~」

「…………」

 

 猫のような声を上げるリオにぶるっと鳥肌を立てるレイジー。この子はヤバい、そう感じ取った。

 この状況を脱するには年上に頼るのが一番だ、そう考えてすがるような思いでノーヴェの方に視線を向ける。

 

「まあ、仲良くなって何よりだな」

 

(ええ~!!)

 

 あまりの事に声にならなかった。年上は意外と頼りにならないのだとこの場で学んだ。

 

「先輩! 私のフォーム見てもらっても良いですか!?」

 

 ゆさゆさお腹の肉を揺らされるレイジーは人生で初めての苦難にどう対応していいか分からず呆然とするのだった。



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第五話 合宿所到着

 もう何なんだとレイジーは思った。

 

「コロナ、これ教えて」

「これはここをこうすると……」

「アインハルトさん、すみません、ここを教えてもらえますか?」

「ヴィヴィオさん、ここの計算を間違っているので答えが合わないだけです。やり方は合ってますよ」

 

 なぜ、自分がこんな所にいなければいけないのか、レイジーは本気で思った。

 

「ディリジェントさん、ボーっとしている暇はありませんよ」

 

 目の前に広がる本の壁。学院に設けられた図書室という聖域。読書は漫画と言い切るレイジーにとって今まで関わりを持たなかったこの場所に腰を落ち着けているという現実を受け入れるのはなかなか難しい。

 

「……なんで僕はここに居るんだっけ?」

「それは私が帰ろうとする先輩を強襲して、ここに連れて来たからです。ちなみにアインハルトさんはヴィヴィオとコロナが行きました」

 

 ニコっと笑うリオがレイジーには忌々しく見えた。

 中間試験が近い為、赤点を取って補習などという拷問を受ける気がなかったレイジーは自宅で平均そこそこの勉強はする気ではいた。

 

 しかし、現実には図書館という牢獄に連行され、初等科、中等科でも優秀な生徒で通っているアインハルトやヴィヴィオ達と共に勉強することになってしまった。

 すでに自分よりも賢いであろう後輩三人と、比べることすら失礼に値するアインハルトと同じ勉強をさせられている。

 

 同じ勉強というのが気を付けなければならないところだ。

 

 テストは満点を狙うのが当然と考えてそうな優等生軍団に、50点を取れば赤点はないと考えるおバカさんが付いていけるわけがない。

 加えて、周囲からの「あの人、何?」という奇異の視線が向けられる。

 美少女達と勉強をする肉ダルマ、明らかに異質だ。

 そういった違和感に周囲が反応するのはもっともで、ちらちらとレイジーに対する視線が向いている。

 勉強という苦痛と周囲から囁かれる精神的な苦痛が二重になって襲う。

 帰っていいですかといつ切り出してもおかしくはなかった。

 

「そう言えば、レイジーさんとアインハルトさんはテストが終わった後の連休に予定がありますか?」

 

 帰ろうと思っていた時に、ヴィヴィオからそんな話が振られる。

 

「私は鍛錬をするくらいですね」

「親戚の家にちょっと」

 

 面倒を察知する能力に長けるレイジーはヴィヴィオがこれからどんな会話をするのかだいたい予想が出来ていた。

 だからこそ、先手を打ったのだ。

 

「実は私達は合宿をする予定なんです。アインハルトさんたちも一緒にどうかと思いまして」

「合宿ですか? 私は……」

「あ、ちゃんとノーヴェも来ますし、他にも優秀な魔導師の人たちも来るんですよ。訓練用の施設とかも有って、かなり練習になると思います」

 

 優秀な魔導師という言葉を聞いてアインハルトの食指が動いた。

 訓練施設があるということは訓練をするということである。彼らの訓練、あわよくば模擬戦を行えれば自分のレベルアップにつながる。

 

 レイジーは面倒だと思った。そして自分の判断が正しかったとホッとした。

 事前にこちらの予定――嘘であるが――を伝えているのだから断っても、なんら問題にはならない。

 連休をふかふかベッドで過ごすという素晴らしき計画が潰されることにならなくて安堵した。

 

「それは良いですね。レイジー、貴方も行ってきなさい」

 

 急に背後から聞こえた声。その声だけで背筋がぴんっと張ってしまう。

 奴だ、奴が来たと脳内で警笛がけたたましい音を鳴り響かせた。

 だが、時すでに遅しである。

 

「あ、シスターシャッハ」

 

 ヴィヴィオがレイジーの背後に立つ女性、シャッハに気づく。

 教会所属でかつこの学院の卒業生でもある彼女は教鞭を取ることがある。彼女に限らずシスターや神父が教鞭を取ることもあるので、別段彼女がここに居ることに対して驚きはない。

 だが、レイジーは違う。驚かないという点では他の面々と同じだが、受け入れるという点で全く異なっている。

 振り返ることすらしない。

 この状況を切り抜ける最善の方法は一体何なのかと必死になって考えていた。

 

(逃げる、捕まってから説教。言い訳をする、この場で説教。嘘をつく、アーメン)

 

 選択肢はすべて潰された。

 

「貴方は予定などないでしょう?」

「親戚の方に――」

「貴方が外出なんてしないことは分かっています」

「ごめんなさい」

 

 シャッハの威圧感にレイジーは敗れた。

 

「折角のヴィヴィオからのご厚意なのですから、素直に受けるのが紳士ですよ、レイジー」

「シャッハちゃん、僕面倒そうなことは大嫌いなんだ」

「ぶっちゃけすぎです。皆さんが苦笑しているでしょう。そう言ったところを直さないと大変になるとずっと言って来たでしょう!」

「今のところ、大変になってないから大丈夫」

「そうですか……」

 

 すっと流れるような動作でシャッハが腕をまくった。

 後ろを振り返ってはいないが、音で何をしているのかは分かった。

 レイジーは考える。

 

(このまま行けば確実に実力行使……いや、待て、閃いた)

 

「と思ったけど、やっぱり参加するよ、合宿」

「…………」

 

 シャッハが無言でプレッシャーをかける。理由の説明を求められているのだと、レイジーは空気で察した。あまりしゃべるのが好きではないのだが、この場を乗り切るために口を動かした。

 

「ここで何を言っても強引に話を進めるのがシャッハちゃん。最悪、両親を使って来ると言う可能性がある。お小遣いを減らされたら買いたいゲームも買えないからね。素直に言うことを聞くよ」

「……企みがありそうですが、良いでしょう」

 

 心の中でガッツポーズをするレイジー。自宅でゲーム三昧という道は断たれたが、それは合宿先でやればいいだけの話。腹痛でもなんでも使って部屋に引きこもれば良いのだ。

 ニヤけそうになる顔を必死に隠して、レイジーはヴィヴィオ達の提案に了承した。

 

 レイジーは知らない。

 そんなレイジーの性格を完全に読み切って、シャッハがとある人物に面倒を頼もうとしていることを。

 赤点をとって補習を受けていた方が、まだ平和だったということをこの時のレイジーは分からなかった。

 

 ■

 

 52、63、47、50、78と並べられた数字。赤点はなく平均点の前後をうろついた。特に目立った成績もなく、上位20名が載せられる成績優秀者の欄に名前があるわけもない。

 とりあえずは終わった、レイジーはそんな感想を抱いてから、次の事を考える。

 旅行先は異世界、カルナージ。そこで四日間の時を過ごすことになる。

 待ち合わせの場所に行くと、ノーヴェとアインハルトが居た。少しばかり会話して、移動する。

 向かう先は高町家。ヴィヴィオの家であるが、そこで一旦集まってから次元空港に向かう手はずだ。

 ヴィヴィオの家が分からないレイジーとアインハルトはノーヴェに案内をお願いしたのだ。

 

「ディリジェントさん、今回の旅先ではよろしくお願いしますね」

「うん」

「手合せをお願いできますか?」

「無理」

 

 運転座席の後方で繰り広げられた会話は約5秒で終了した。「お前らもう少し仲良くなれよ」とノーヴェが運転しながら呆れた声を出していた。

 高町家に着くと、ノーヴェが二人を先導し呼び鈴を鳴らす。「はーい」と綺麗な声が聞こえ、現れたのは「今まで美人って何百回言われましたか?」と尋ねてしまうほどの美人さんだった。

 そして、レイジーは「あれ?」と違和感を覚えた。

 

「ノーヴェ、いらっしゃい。それに、アインハルトとレイジーで良かったかな? いらっしゃい」

「フェイトさん、お世話になります」

「お世話になります」

 

 ノーヴェに合わせて、アインハルトがあわあわしながら挨拶した。

 しかし、レイジーはこてんと首を傾げる。首周りのお肉が豊富すぎて、ほとんど動いていないが。

 

「フェイト・テスタロッサ・ハラオウンさん?」

「あ、うん。私達、どこかで会ったことがあったかな?」

 

 レイジーが急に名前を呼び出したので、フェイトは記憶をたどったが、彼女の優秀な頭脳を持ってしてもメタボな少年など記憶にはない。

 記憶から抹消したという可能性はあるが。

 

「会ったことはないです。僕が知っているだけです」

「お前も年頃の男らしい反応があったんだな。フェイトさんは管理局でもかなり美人で通ってるから分からなくもないけどさ」

 

 ノーヴェが茶化すと、フェイトはほんのり頬を赤くしながら苦笑する。ただレイジーはノーヴェの言葉に対して反応はしなかった。

 

「そういうのとは違う。ただ戦い方を参考にした人ってだけ」

「え?」

 

 レイジーが珍しく自分の事について話し出した。

 

「身を削るような思いで体を鍛えようと決心した7歳の時……」

「引きこもりからすれば、外出は辛いわな」

 

 ノーヴェは正しくレイジーの言葉を理解した。

 

「親戚のシスターに戦闘狂(バトルジャンキー)がいて、その人に相談したら、何本か戦闘映像を見せてもらった。その中でこの人の映像が有って僕は天啓を得た」

 

 レイジーに後光が差す。

 そして神からの啓示を告げた。

 

「速いもん勝ち」

「んまあ、間違ってはいねえけど、お前の言い方だとなんかしょぼいな」

「ということでサイン下さい」

「意外とまともな趣味持ってんだな」

 

 どこから取り出したのか、ノートとペンを取りだすとフェイトに渡す。

 フェイトもこう言うことを頼まれるのが初めてではないようで、ささっと書いてレイジーに渡す。

 

(オークションでいくらになるかな?)

 

 あまりにも最低な事を考えるレイジーであった。戦い方を参考にしたと言っても憧れの存在ではなかったようだ。

 

「フェイトママー、玄関で何を……」

 

 フェイトが客の応対に出て行ったきり、戻ってこないことを心配したヴィヴィオがトタトタと走って来た。

 アインハルトとレイジーが来ていることが分かるとぱっと笑顔になって二人を中に招く。

 

 ヴィヴィオに案内される形でリビングに入ると、そこにはリオやコロナ、そしてヴィヴィオの母、高町なのはがいた。「あれがビーム使い」とレイジーは自分の記憶にある映像を即座に思い出していた。

 

「あ、いらっしゃい。二人がアインハルトちゃんとレイジー君だね」

「アインハルト・ストラトスです」

「ども」

 

 二人はぺこりとなのはに向かって頭をさげる。

 そんな二人を見てニッコリと笑うなのはは、ずいっとアインハルトの元に近づき彼女の手を取った。

 

「格闘技強いんだよね? 凄いね!」

「あ、あの……」

 

 勢いのある人間があまり得意じゃないアインハルトはおろおろとするばかり。

 見かねたヴィヴィオが二人の間に入り、なのはを諌めた。

 

「なのはママ、アインハルトさんは物静かな方だから」

「あ、ごめんね」

「い、いえ」

 

 ヴィヴィオに手を引かれ、アインハルトはリオ達の元に行く。

 

「レイジー君はシスターシャッハの知り合いなんだよね?」

 

 興味の対象を娘に奪われてしまったなのはは標的をレイジーに変更する。

 なのはの言葉を正しく理解したレイジーの脳細胞が「拙い、拙いぞ!」と警報を発令した。

 

「今回の合宿でレイジー君の面倒を見るようにシスターシャッハにお願いされてるんだ。頼りないかもしれないけど、これでも管理局で戦技教導官を務めているから、心配しないでね」

「いや、あまり関わらないでくれた方が――」

「あは、シスターシャッハの言った通りだね。レイジー君はすぐに遠慮するって言ってたよ。大丈夫、人に物を教えるのは好きだし、迷惑とかじゃないから。私も全力全開で頑張るよ」

 

 ぐっと胸の前で拳を握り、決意表明をするなのは。張り付けた魔力脂肪の所為で表情変化はなのはに伝わらなかったが、その脂肪に隠された下の表情筋は大きく引き攣っていた。

 

(やめて、やめてください、やめてっちゃ、やーめて、どれを言えば止めてくれるかな)

 

 ビシビシと伝わってくるのがなのはの善意。

 シャッハもそうであるが、決して悪意があるわけではない。自分のために頑張ろうとしていることが分かるからこそ、面倒なのだ。

 レイジーが何だかんだでシャッハの言うことを聞くのはそう言った心からの善意には弱いからだ。譲れないことはあるが。

 

 仮病を使うことを決めて、この場では一応を了承しておく。

 部屋に引き籠るのも大変だと改めて実感した。

 

「ダラダラしたい、人間だもの」

 

 

 

 

 合宿先であるカルナージに着くと、レイジーは早速行動を起こした。

 

「痛たたたた」

 

 お腹を押さえて苦しみ出す。

 ヴィヴィオ達子ども組は純粋にレイジーを心配し、レイジーを大分理解しているノーヴェは呆れてタメ息を吐いた。

 

「これは拙い。四日ほど部屋で寝てないと治らない」

「仮病を使うならもう少しうまくやれよ」

「ノーヴェさんに腹痛者の気持ちは分からない。この苦しそうな顔を見て」

「脂肪が分厚すぎて表情の変化なんてわかんねぇよ」

 

 レイジーは仮病、放っておけと大人組は目的地に向かって足を進める。

 

(このままここでのた打ち回るのも……ダメだ、サバイバルなんてできない)

 

 付いて行くしかないとわかり、レイジーは諦めモードで先を行く大人たちの後を追った。

 しばらく歩くと、大きめの建物が見える。『オフトレツアー御一行様』と掲げられた旗が無駄に風でなびいていた。

 

「いらっしゃい、皆さん」

「メガーヌさん、お世話になりますね」

 

 なのはがそう言うと、フェイトやスバルが後に続いて挨拶を済ませる。

 今回の宿泊先の主であるメガーヌはニコニコしながら一人ひとりの様子を確認していく。

 

「あ、ルール~!」

 

 メガーヌを少しだけ小さく女性が現れると、ヴィヴィオが勢いよく駆けだした。

 そのままがばっと抱き着くヴィヴィオを受け止めた女性は優しく頭をなでた。

 ルーテシア・アルピーノ。メガーヌの娘である。

 今回なのは達が合宿先にこの無人世界カルナージを選択したのは何も宿屋があるからではない。

 彼女、ルーテシアは才能の宝庫と言われており、魔法はもちろんのこと、建築やデバイス製作、さらには古代ベルカについての豊富な知識といったなんでもござれの万能人間なのである。

 陸戦魔導師用に築かれた訓練場や大人子供問わずに楽しめる巨大なアスレチック、適当に掘ったら出て来たと言われる天然の露天風呂など各種設備がここには取り揃えられている。

 合宿地としては申し分ない。

 

「すみません、体調がすぐれないので休んでて――」

「よし、チビ共は川で遊ぶぞ。レイジー、お前も強制参加だ。アインハルトもこっちで良いな?」

「は、はい」

「僕は嫌だ」

「なら大人組に混ざって特訓することになるけどいいか?」

「わーい、川遊びだー」

 

 特訓という言葉にレイジーはすぐさま拒否反応を示す。

 

「よし、着替えて川に集合!」

「はーい!」

 



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第六話 重くて速い奴が最強

「日陰……素晴らしい」

 

 ヴィヴィオ達お子様メンバーは川の中できゃっきゃと遊んでいた。

 アインハルトもノーヴェに背を押される形で彼女たちの遊びに参加している。

 競泳、ボール遊び、素潜りと次々にメニューをこなしていくチビ達。

 体力に自信のあったアインハルトだったが、途中から付いていけなくなり、今は川岸で休んでいる。

 当然ながら、レイジーは最初から参加しておらず日陰でぐでっとなってサボっていた。

 

「水中だと使う筋肉が違うからな。慣れてないとすぐにバテちまうんだ」

「ヴィヴィオさんたちは普段からああいう運動を?」

「まあ、週に2、3回はジムのプールで遊んでいるな」

 

 自分の経験にない訓練方法を聞いてアインハルトが関心を向けていた。

 そんな彼女を見て、ノーヴェはもう一つの遊びを見せることにした。

 

「おーい! ヴィヴィオ、コロナ、リオ、ちょっと水切りをやって見せてくれねぇか」

「はーい」

 

 元気よく答えた三人は川の中で構えをとる。

 コロナ、リオ、ついでヴィヴィオが拳を繰り出すと、彼女たちの前方にあった水が二つに割れた。

 綺麗なフォームで繰り出される拳は容易く水を両断する。威力はそれぞれで、3人の中ではヴィヴィオが一番であった。

 

「アインハルトも格闘技やってるんでしょ? やってみれば?」

 

 ルーテシアの提案、それに何より純粋にやってみたいと思っていたアインハルトは掛けていた上着を脱ぐと、川の中に入って行った。

 ヴィヴィオ達のように構えを取る。

 

(水の抵抗が有って、普段のようには拳は振るえない。極力脱力した状態から、一気に力を込めて――)

 

 スバンっと撃ち抜かれた拳は前方にある大量の水を吹き飛ばした。

 ヴィヴィオ達のように綺麗には割れず大きな津波のように水柱が出来上がった。

 アインハルトがおかしいと首を傾げていると、ノーヴェが彼女の元までやって来た。

 

「お前のは初速が速すぎるんだ」

 

 そう言って一つひとつ身体の動きをレクチャーしながら、ノーヴェは足を振るった。

 川が自分の意志で動いたかのように、真っ二つに割れた。

 

「どうよ?」

「さすがです。ちなみにディリジェントさんがこれを行うとどうなるのでしょうか?」

「本人にやってもらえば分かるだろ」

 

 ノーヴェが木陰で爆睡しているレイジーの元まで行き、「おら!」とレイジーの巨体を川の中に放り込んだ。巨大な肉の塊が隕石のように落下したため、川底まで見えるほど大量の水をまきあげる。

 

「天然シャワーだっ!」

 

 子供たちはそれを楽しみ、わーと騒いでいる。

 そしてレイジーの方は、いきなり水の中に叩き込まれたため、テンパって溺れていた。

 幸いにも足が着くところであったために、なんとか平静を取り戻し、この状況を作ったであろうノーヴェをキッと睨みつけた。

 

「危ない」

「ちゃんと足が着く所に投げただろ」

「投げるのが危ない」

「まあ、それは悪かった。お前のだらしない寝顔をみたらムカッとしたんだ」

「全然、謝ってる感じがしないんだけど」

 

 ノーヴェに文句を言いながら、川から出ようとしたレイジーだったが、ここであることに気づいた。

 

「水着が……ない」

「え?」

「え?」

「え?」

「え?」

「え?」

「え?」

 

 その場にいた女性人達が言葉を失った。

 元々レイジーは上に何も来ておらず、だらしない肉体を惜しげもなくさらしている。

 下にはちゃんと海パンを履いていたのだが、水中に叩きつけられた衝撃でどこかに流されてしまったようだ。

 不幸中の幸いであるが、レイジーと女性陣たちとは距離が離れており、レイジーのレイジー君を見るというハプニングは起こらなかった。

 

 だが、このまま状態が続くことは決して良い状況ではないため、レイジーの水着を探さないといけない。

 水中にもぐった拍子にレイジーのぱおーんが視界にはいるとも限らないため、少女たちは細心の注意を払う必要があった。

 

 ヴィヴィオやコロナと言った純真無垢な少女達は顔を真っ赤にし、リオやルーテシアと言った小悪魔的な性格の持ち主はニヤニヤと笑っていた。

 アインハルトは呆れていたが、ほんのりと頬を赤く染めている。ノーヴェも「私の所為だしな」とレイジーの海パンの捜索に協力することにした。

 

 川の流れから言って下流の方に流されて行ったのは当然。レイジー以外の面々はそちらの方に向かって泳ぎだす。

 

「実はうーそ」

 

 彼女たちが下流の方に集まった時、レイジーはそう言った。そして全力で蹴りを繰り出した。

 

「うぉい!」

「きゃー!」

「おー」

 

 アインハルトの拳とは比較にならないほどの水柱。

 レイジーの前方10M内にあるすべての水を蹴り上げたのではないかと錯覚させるほど、上空には水柱が上がっている。

 レイジーは性格や見た目のこともあって他者にバカにされることも慣れているため、あまり怒ったりもしない。

 だからと言って全く怒らないわけではない。

 

「もう少しで、10段アイスを食べ切れるところだったのにっ!」

 

 怒っている理由はどうしようもなくしょうもない事であるが、折角の夢を台無しにされたレイジーは元凶でもあるノーヴェに仕返しをすることに決めたのだ。

 関係のないチビッ子たちがレイジーの起こした津波に巻き込まれたことは悲劇でしかないのだが。

 

「すごーい。波のプールだ」

「波は波でも津波だけどな」

 

 リオは大量の水にまきこまれるのが面白かったのか、わーいとはしゃいでいる。

 コロナは水酔いしたらしく目を回していた。

 ノーヴェが無事な様子を見て、レイジーは舌打ちする。

 これは戦争だと自分に言い聞かせ、またしてもノーヴェ目掛けて大量の水を蹴り飛ばした。

 

「チビ共、反撃するぞっ! 戦争だ」

「おー!」

 

 レイジーVS女子の壮絶な戦いが始まった。

 

 

 

 結果は無関係に大量の水をぶつけられたルーテシアがバインドを駆使してレイジーの動きをとめ、そのまま水没させた。

 

「魔法とか反則だ」

 

 戦争にルールなどない。

 

 ■

 

 午前を終了すると揃って昼食。バーベキュー形式となり、レイジーはこの中で唯一同性であるエリオの前を陣取った。

 男がいなくて寂しいとか、エリオがイケメンすぎてホが付く方に目覚めたとか、そう言うことではなく、エリオが一番大量に肉を焼いていたためである。

 

「おかわり」

「はい」

 

 豚に餌付けをするように、エリオはせっせと肉やらや野菜やらを焼いて行った。

 

「レイジーが居てくれて助かったよ。もし君がいなかったら僕一人だけ男ってことになるからさ。いつもザフィーラとかがいるから良かったんだけど」

「お肉」

「はいはい」

 

 エリオの話を全く聞かずに肉だけ要求する。そんなレイジーに苦笑するエリオだったが、普段、自分よりも年上の人間を相手にしているため、年下であるレイジーをなんとなく構ってしまう。

 弟が居たらこんな感じかなとちょっと楽しくなっていた。

 

「レイジーは午後の訓練には参加するんだよね?」

「ううん、しない」

「あれ、なのはさんがメニューを考えていたはずだけど」

「勘違いだよ。午後はベッドでぐっすりの予定だから」

「食べてからすぐに寝ると身体に悪いよ。それにレイジーはもう少し鍛えた方が良い」

 

 だらしないレイジーの出っ腹をエリオは暗に指摘した。レイジーの見た目が実際とは違うということを知らされていないなかったので、エリオはあくまで善意の気持ちでアドバイスしたのだ。

 

「これが僕の限界」

「いや、もっと頑張ろうよ」

「努力はしたんだ」

「そうは見えないんだけど……」

 

 エリオが呆れていると、フェイトがおにぎりを持ってやって来た。

 

「エリオ、焼くの代わろうか?」

「大丈夫です、フェイトさん」

 

 エリオの言葉にちょっとだけ残念そうにするフェイト。エリオの分に持ってきたものだったが、忙しそうにしているので、近くにいたレイジーにそれを見せた。

 

「レイジー、おにぎり食べる?」

「頂きます」

 

 フェイトが差し出したおにぎりにかぶりつくレイジー。「自分で食べてくれるかな」とフェイトは苦笑いを浮かべた。

 

「エリオとレイジーは何の話を?」

「今日の午後訓練の話です。レイジーも参加すると思ってたんですけど、違うらしいんで」

「4日間、部屋に引きこもる予定」

「ダメだよ。ちゃんと運動しないと」

「大丈夫、日課はこなすから。というかそれ以外で体を動かしたくない」

 

 フェイトもエリオ同様、レイジーの魔力脂肪のことは知らないため、レイジーに動くように促した。

 

「レイジー君、午後の訓練の予定なんだけど」

 

 三人で話しているところになのはがやってきた。フェイトもエリオもなのはを見て、良かったと胸を撫で下ろす。

 

「昼食後、ぐっすり寝て、夕食に目を覚まして、ご飯を食べたらお風呂に入って、その後は携帯ゲームしてから10時には寝ます」

「レイジーがその体型になった理由がわかった気がするよ」

 

 エリオが完全に呆れていた。

 フェイトも口には出さなかったが、表情はエリオと同じだった。

 なのはのみがにゃははと笑ってから首を横に振る。

 

「ダーメ。シスターシャッハからお願いされているんだから。少しはこのお腹をへこまそうか?」

「無理です」

「私に任せて。この4日間で5キロ減は達成してみせるよ」

 

 使命感に燃えるなのはに、レイジーはうげぇーと声を上げた。

 

 

 昼食を終えた面々は午後の活動のために移動を開始する。レイジーは強制的になのはに連れて行かれてしまった。

 

「まずは軽くランニングから。いきなりきつい運動しちゃうと身体を壊しちゃうからね」

「ランニング……なんて過酷な特訓なんだ」

「一番軽いメニューなんだけど」

 

 レイジーは両手両膝を突いて絶望に染まった。レイジーの背後は無駄に暗い……ように見えるのは彼の絶望感を表しているからかもしれない。

 

「さ、頑張ろうか」

「……はい」

 

 トボトボと走り出すレイジー。秒速1Mの超速で動き出す。

 なのははこめかみに青筋を立てる。人差し指に魔力を込めるとその指先をレイジーの方に向けた。

 

「歩いてると、撃っちゃうからね」

「全力で走ってる」

「ううん、それは歩いているって言うの」

「歩きも走りも足を動かすという点では変わらない。つまり歩きは走り」

 

 ばんっとなのはが軽めの魔法弾をレイジーの足元に打ち込んだ。

 

「ちょっと真面目な話をしよっか?」

「頑張ります」

 

 シャッハと同じにおいを感じたレイジーはゆっくりとだが走り出した。

 なのはは他の大人組の訓練を見ながらもレイジーの行動を観察している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へっほ、へっほ、へっほ」

 

 お肉様を上下に揺らすレイジーを見て、どうやってあの身体を絞ろうかと考えるなのは。

 どれくらい走れるのかを見るために、根を上げるまで待っているのだが、意外とレイジーは走り続けていた。

 

(あと、5分でちょうど一時間。呼吸も乱してる感じがない)

 

 レイジーの様子を見ながら違和感を覚えた。

 短い会話ながら、彼がとても怠け者であるのは分かっている。それはシャッハからも聞いている。

 だが、目の前を走り続けるレイジーの動きは想像した彼と別だった。

 おかしい。何がおかしいのかとなのはは、サーチャーをレイジーの方に飛ばして、彼の身体を検査し始める。

 そして気づいた。

 

「……何これ」

 

 なのはの目が大きく見開かれる。

 訓練を終えて、休憩に入っていたフェイト達もなのはの様子がおかしいと駆け寄って来た。

 

「どうしたの、なのは?」

「フェイトちゃん、これ見て」

 

 なのはがディスプレイが見えるように拡大した。

 

 身長、160㎝

 体重、160キロ

 心拍数、1分あたり70回で安定。

 魔力量、AAAランク以上

 体脂肪率 7%

 

 魔力量もそうであるが、もっとも驚くべき部分が体脂肪率である。

 見た目は明らかに肥満。であるが、データで見るそれは理想的な身体なのだ。

 

「レイジーがあんな見た目なのは、魔力で造った脂肪を付けてるからなんですよ」

 

 事情を知っているティアナがレイジーの身体について説明した。

 それを聞いたなのはとフェイトは一瞬声が出なかった。

 レイジーの生活態度の所為というのが多分にあるのだが、完全に誤解していたということ。

 わりと失礼なことを言ってしまったと二人は申し訳なさそうな表情を浮かべる。

 後で謝ろうと二人は同時に頷いた。

 謝罪の事は一旦置いておいて、レイジーの身体について話し合う。

 

「常時で魔力を使っているにも関わらず、魔力変化がほとんど見られない。これって」

「魔力を手や足と同じように扱えるって事だよね」

 

 なのはの指摘にフェイトが答える。

 ありえない事だ。いや、不可能ではない。だが、実際にやろうとするとなると生活に色々と支障をきたす。

 今、自分がそれを行えば、間違いなく明日の練習には参加できないと断言できる、なのはの感想はそうだった。

 

「レイジー君、ちょっと良いかな」

 

 走り込んでいるレイジーはようやく終わったと、ふぅーと息をもらした。

 だが、様子がおかしい事に気づく。なのは、フェイトに加え、ティアナやスバル、エリオにキャロと自分を除くトレーニング組が勢ぞろいしている。

 集団リンチかとも考えたが、さすがに幼気な少年にそんな事はしないだろうと皆の元に近寄った。逃げる準備は整えているが。

 

「ちょっとレイジー君について聞きたいんだけど」

「好きな食べ物は骨付き肉です。将来は一日、10時間以上は漫画やゲームをして過ごせるようなダラダラライフを送りたいと思っています」

「もの凄くあれな決意表明だね……」

「人それぞれです」

 

 聞いていた面々は呆れていた。

 

「あのね、聞きたいことはそういうんじゃなくて」

「アンタの身体の事よ。そのダルダルに緩んだ脂肪を取りなさいってさ」

 

 言い辛そうにしていたなのはに代わり、ティアナが要点を話す。

 

「嫌です」

「何でよ」

「ここぞって場面で変身するのが週刊ジャトプのお決まりなんです」

「何よそれ?」

 

 漫画をあまり読まないティアナはレイジーの言っていることが分からなかったが、スバルは漫画を読むようで、うんうんと頷いていた。

 

「ちなみに高級ドラゴンのひれ肉を食べ放題にしてくれたら、見せます」

「バカ言ってじゃないわよ、一体いくらかかると思ってんのよ」

 

 ドラゴンの相場は高級牛の10倍である。

 

「うーん、それじゃあ、レイジー君、私と一本やろうか? それでレイジー君が勝ったら、さすがに食べ放題は無理だけど、ミッドにある専門店で奢ってあげるよ。もちろん、私が勝ったらレイジー君の本当の姿を見せてくれるかな?」

「……ハンデをちょうだい」

 

 高級ドラゴン肉、無料、美味しい、レイジーの頭の中でそんな文字列が津波のように押し寄せてきた。

 だが、冷静な部分も残っており、勝利の方程式を組み立てる。

 

「魔力をレイジー君に合わせるよ」

「手足と目を縛って欲しい」

「それはハンデを負いすぎでしょ!」

 

 ティアナがばしっとレイジーを叩いたが、ぽよんとお腹の肉が揺れるだけだった。

 

「じゃあ、スポーツ格闘技の公式ルールでお願いします。ただ場外負けは有りということにしてください。相手が気絶するまでとか面倒」

「うん、分かった。それで良いよ」

 

 なのはの了承にレイジーは小さくガッツポーズする。

 

 

 ルーテシアが用意した訓練スペースには1対1を行える場所もある。四角いリングが設置されていた。

 なのはとレイジーは訓練場で構えを取り、他の者たちは少し離れた場所で様子を見ていた。

 

「スバルとティアナはレイジーの戦い方を知っているんだっけ?」

「ええ。公平を喫してなのはさんには教えてないですけど、あの子は物凄い速度で蹴りを放つんですよ。注意してないと全く見えないですね」

「近接戦が得意って事?」

 

 フェイトの疑問にスバルが答える。

 

「違います。蹴りの風圧を相手にぶつけるんです。まあ、おそらくって言葉が付きますけどね」

「よく分かってないの?」

「私もティアも見たのは一度きりですから。ノーヴェなら何か知ってるかもしれないけど」

 

 スバルたちから情報を聞きながら、フェイトは二人の方に視線を向けた。

 

「開始の合図は、ディスプレイで表示するから」

「リング外に叩き落とせば、僕の勝ちですよね?」

「うん。でも簡単に落ちないよ」

 

 なのはは可愛く笑った。

 だが、なのはは気づいていない。レイジーが模擬戦をする気が全くないということに。

 

【カウント5】

 

 無均質な機械音が告げるカウント。

 なのは愛機レイジングハートをしっかりと握る。一方でレイジーは相変わらず構えをとらない。

 しいて言うならボーっと立っているのがレイジーの構えだ。

 

 4、3、2、1

 

【スタート】

 

 二人の激突が始まる。

 

 ■

 

 速攻のレイジー。相手がオーバーSランク魔導師であっても、彼は必ず先手を取る。

 一瞬にしてなのはに向かって三発の蹴撃を見舞った。

 

「速いね、フェイトちゃんと戦ってるみたい」

 

 レイジーが相手にしてきた今までの相手ならこれで終りだった。だが、なのはは違う。

 一瞬でシールドを展開し、レイジーの攻撃を容易く防いだ。

 

(映像で見た通り、防御が硬い)

 

 レイジーにはなのはの戦い方の記憶がある。過去に映像で見ているからだ。彼女のバインドや防御のレベルの高さは理解しているが、それでもレイジーは気にせず攻撃を続ける。攻撃こそ最大の防御なのだ。

 一方でレイジーの攻撃を全く受けないとは言え、シールドを張り続けるしかないなのはは攻撃に移ることができない。

 バインドで縛ろうとなのはが行動に移ろうとすると、レイジーの攻撃の圧力が増す。

 お互いが攻め手を欠き、こう着状態に入った。

 

 そびえ立つ巨大な城壁を蹴り続けているような感覚がレイジーを襲ってくる。

 微動だにしないなのはがとても忌々しく見える。

 だが、それも想定の範囲内。

 魔法競技戦にはさまざまなタイプの魔導師や騎士たちが存在するだろう。その中で優勝を攫い、賞金をゲットしようとしているのだから、当然対策は積んでいる。

 レイジーが扱える魔法など片手の指の数にも満たない。だが覚えた魔法はすべて相手に脅威を与える物である。

 

「え!?」

 

 なのはが大きく声を上げた。

 今までなんの苦も無く防いでいたレイジーの攻撃。そんな攻撃だったはずが、今まさに自分のシールドにひびを入れたのだ。

 そしてレイジーの攻撃は止まらない。叩きつけるように何度も何度もシールドに向かって攻撃がぶつけられる。その度になのはは苦悶の表情を浮かべた。

 

 時はやってくる。

 

 パリンと砕け散ったシールド。完全に無防備を晒したなのは。そこに襲いかかる蹴撃の弾幕。

 なのはは容易く吹き飛ばされた。

 だが、ここでは終わらない。リング外に落ちようとしたその時、なのはは飛翔する。

 当然だ、彼女は空戦魔導師。空で戦うのが本分なのだから。

 

「…………」

 

 本来ならここで終了なのだ。レイジーの襲撃の射程はそれほどあるわけではない。せいぜい20Mほど。公式大会で採用されているリング場をカバーするくらいしかできないのだ。

 実戦であれば、なのはははるか頭上から雨のような弾幕をお見舞いすればお終いである。場外負けか魔力弾によるノックアウトか、過程は違えど結果はレイジーの敗北で決まる。

 

 しかし、これは実戦ではない。空戦魔導師は飛翔時間、そして飛ぶ高さは制限されている。そしてその制限はレイジーの攻撃範囲内なのだ。

 ルールがあるスポーツ格闘技ではどんなに優れていても意味はないのだ。そのルール内で最高の力を出した者が最強であり、勝者なのである。

 実戦なら負けなかった。レイジーはそう言われても素直に認める。実戦の勝敗など彼には意味がないのだから。

 

「運動エネルギーは速度の2乗に比例し、質量に比例する。つまり、重くて速いポッチャリ系が最強!」

 

 訳の分からない事を言い出したレイジーは頭上を飛ぶなのはに狙いを定める。

 身体は自然体のままだ。予備動作が特にない。なのはもそう思った、思ってしまった。何かするのであれば構えを取る。経験的に身体に染みついてしまった感覚を即座に切り捨てるのは難しい。

 

 故に、なのはは反応が遅れる。

 脱力状態のレイジーがいつの間にか眼前に迫って来ていた。いつ移動したのかは分からないが、自分の目の前に巨大な肉の塊が突っ込んできているのだ。

 風圧で真横に間延びしたお腹周り。原型を留めていないほどの顔。

 

 そんな物体が猛スピードで向かって来ると言う恐怖。娘がいるとは言え、なのはは今だ若い乙女なのだ。

 もっと破壊力のある攻撃を経験してはいる。だが、女としての生理的嫌悪感が彼女に逃げろという警笛を鳴らした。

 

「む、無理ーっ!」

 

 悲鳴を上げたなのはだったが時すでに遅し。

 豊満なダイナマイトボディが彼女の身体を包み込む。

 文字通り肉のベッドにダイブしたなのはは、この時点で気分を悪くする。

 

 だが、それも長くは続かない。

 限界までめり込んだ後は、解放だ。自分の意志と運動法則によってなのはは肉布団からぽよんという音と共に弾け飛ぶ。

 異様な効果音に反して、なのははありえない速度で打ちだされて行ったが。

 

「きゃー!!」

 

 なのはとぶつかったレイジーは跳ね返ってリング上へ落下した。

 肉クッションにより何度かバウンドしてからようやく地面に足を着ける。

 フィールド外に出されたなのははほぼ無傷であったが、ルール違反を犯したため反則負けとなった。

 

「お肉ゲット」

 

 Vサインを観戦していたティアナたちに向ける。彼女たちの表情は何とも言えないもので、呆れて半笑いしているティアナが特にそうだった。

 

「うぅ、負けちゃったー」

 

 教導官というプライドもあるためか、なのはが悔しそうな顔を浮かべた。

 ただ、レイジーに手を差し出した時は素直にレイジーを称えニッコリと笑う。

 教官としてと大人としての二人の彼女がそこにはいた。

 

「さすがに、跳んで来た時はビックリしたよ」

「僕の数少ない必殺技『ぽよんしよう』です」

「……怖かったよ」

 

 精神的な恐怖を味わったなのはの心からの言葉だ。

 

「ちなみにもっと強力な技があったりします」

「……もの凄くいやな予感」

「説明が面倒なので、省きます」

 

 ずるっとこけるなのは。「そこは説明してよー」とレイジーに言った。

 

「疲れました。アイスが食べたいです。コーラも飲みたいです。ベッドでゴロゴロしたいです」

「一気にダメな子になったね」

「一生懸命だらけるを信条にしてるんで」

「それはダメだと思うよ」

 

 疲れていたのは事実のようで、レイジーはその場に座り込み、ハァーと息を吐く。「もういいや」とそのまま倒れ込んで石畳のひんやりとした感触を堪能していた。

 

「どこで寛いでんのよ」

「もう、動きたくない、人間だもの」

「だものじゃないわよ、全く」

 

 レイジーの元にやってきたティアナは地面に転がる彼を見てことさらに呆れた。

 スバルが、「よいしょ」と巨漢のレイジーを持ち上げる。体重は160キロあるとはいえ、魔力持ちの魔導師ならこれくらいは造作もない。

 幼く可愛いヴィヴィオ達が「えぃ」と牛一頭を持ち上げるなんて光景は普通に見せることが可能なのだ。

 

 

 

 遊びを終えたヴィヴィオ達がなのは達の元にやって来た。

 

「ママ、なんでレイジーさんがスバルさんに担がれてるの?」

「ちょっと疲れちゃったみたい」

「なのはと模擬戦をしたからね」

「ええ!?」

「あっさり負けちゃったー」

 

 眉をハの字に曲げながら、なのははそう言った。それを聞いてヴィヴィオは再度驚く。

 

「レイジーさんってなのはママより強いの?」

「うーん、状況によるって感じかな。少なくとも仕切られたフィールドで戦うとなると勝つのは難しそう。フェイトちゃんなら勝てるかな」

 

 そう言ったなのははフェイトの方を見る。

 フェイトは苦笑し、首を横に振った。

 

「たぶん無理かな。私はスピードタイプだけど、レイジーの方が出だしが速いから。防御を抜かれて終わっちゃうよ」

「ええ!? フェイトママより、レイジーさんは速く動けるの!?」

「最大速度は私の方が上だけど、先手は絶対にレイジーがとるかな」

「何でですか?」

 

 ヴィヴィオの後ろで話を聞いていたリオが首を傾げる。フェイトが答えようとしたのだが、それより先にアインハルトが口を開いた。

 

「ディリジェントさんの魔力操作が恐ろしく速く自然なんです。私達のような魔導師はどうしても魔力のスイッチのオンオフがあります。ただレイジーさんにはそれがないため、どうしたって私達より速く攻撃を仕掛けることができるんです」

「正解。レイジーが普段から魔力を纏っているのはその練習だと思うよ。今みたいに寝てても体の状態が変わらないのは無意識のレベルで魔力を扱える証拠。生半可な努力や覚悟じゃできない。ヴィヴィオ、あの子は凄く意志が強いよ」

 

 スバルとノーヴェに手足を持たれながらも、寝ているレイジー。そのまま焚火でも焚けば豚の丸焼きが出来そうだ。

 だが、フェイトはべた褒めする。それまでにレイジーに対する偏見があり、彼女に負い目があったとしても、相当な評価だ。

 やっぱりレイジーさんは凄い人なんだと、ヴィヴィオは改めて思った。

 

「レイジー君は他にも隠し玉があるみたいだし、明日の練習試合はちょっと楽しみ」

「練習試合ですか?」

 

 なのはの言葉にアインハルトが首を傾げた。

 

「あ、ごめんなさい、アインハルトさんにはまだ言ってませんでした。明日は私達子ども組も大人組に混ざって模擬戦をするんですよ」

 

 ヴィヴィオが慌てて説明する。

 

「人数少ないから1対1の勝負が増えると思うよ」

「1対1」

 

 アインハルトがよしという拳に力を込める。

 ようやくだ。ようやく戦える。

 今の自分とどれほどの差があるのか、これで分かるとアインハルトは瞳に強い意志を宿した。

 

「でも、先輩が素直に参加すると思いますか?」

「あ……」

 

 リオの指摘でその場に居た者たちが気づく。だらけるのが大好きで面倒な事が大嫌いなレイジーが模擬戦などというものに参加するわけがない事は、接した機会が少ないなのは達でさえ分かってしまう。

 食べ物で釣るのは難しいだろう。すでに予約済みであるし、それ以上のものを要求された場合、家計への大打撃は確実だ。

 

「誠意を持ってお願いすれば」

「アインハルトさん、たぶん先輩は誠意とか目に見えないものは全く気にしないと思いますよ」

 

 どうやってレイジーを参加させようか、なのはたちは頭を悩ませるのであった。

 



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第七話 真のレイジー

「レイジー、お風呂行こうか」

「うん」

 

 エリオが誘い、レイジーが了承する。これから禁断の世界へ……ということはなく、先に入っていた女性陣が出たため、数少ない男性陣に順番が回って来たのだ。

 露天風呂は男女で別れているわけではないため、先に女性陣が入り後にエリオとレイジーが入ることになったのだ。

 

 脱衣所で服を脱ぎ、風呂に入る準備を整える。エリオは腰にタオルを巻いた状態だ。

 一方のレイジーはがばっと服を脱ぎ捨てた後、

 

「お風呂♪ お風呂♪」

 

 と言いながら普段着ている物を脱ぎ捨てた。

 服ではない。ぶよぶよとした何か。レイジー的に言えば癒しである。

 身体からスライムのように剥がれるそれは一種のホラーである。「先に行ってるね」と声を掛けようとしたエリオは、あまりの光景に声を失ってしまうほどだった。

 

「背中を流してね」

 

 レイジーはそれだけ言うと、露天風呂に向かって行った。

 脱衣所に残ったのは呆然と立ち尽くすエリオとスライム化した魔力脂肪が霧のように消える光景だった。

 

 

 

 

 

 

「えーっとレイジーさん?」

「なんで急に敬語?」

「レイジーだよね?」

「僕以外にレイジーがこの場にいなければそうだね」

 

 エリオはレイジーの背中を半ばテンパりながらも洗っていた。

 初めて見た時はただの肉の塊だった。

 だが目の前にいるレイジーはメタボ型ではなくきっちりと引き締まった体である。

 背は自分の方が高いが、男らしい身体つきと言われれば完敗だとエリオは本気で思っていた。

 

「僕の知っているレイジーはもっとポッチャリしたというかボッチャリしていたんだけど」

「さすがに魔力つけたまま風呂に入ってもしょうがないじゃん。身体洗えないんだし」

「いや、うん、まあそうなんだけど」

 

(別人なんだよね。特に顔)

 

 体型が変化するならまだ良い。だが、顔が完全に別物になるとなるとそうも言ってられない。普段分厚い脂肪に隠されたレイジーの顔のパーツなど目ぐらいしか残っていない。

 それにしたってヴィヴィオ達のような虹彩異色というような特徴的なものではないのだから、印象に残らない。

 

 つまり、お前は誰なんだとエリオは言いたかったのである。

 

「身体が軽い、素晴らしい。今なら5分くらいの散歩はしても良いかなって思える。これは快挙だよ」

「僕的には君の今の姿が快挙なんだけどね」

「やはり愛嬌あるポッチャリ体型の方が良いの? エリオってデブ専? キャロが可哀想だよ。縦に伸びないからって横に伸ばそうとするなんて。まさかのキャロ育成計画……エリオ、怖ろしい子」

「ごめん、殴っていいかな」

 

 温厚なエリオでも怒ることはある。

 

「僕はゆっくり風呂につかるね。エリオは身体を洗ってから入ってよ。お湯が汚れるから」

「君は僕の背中を流してはくれないんだね」

「当たり前。背中は流してもらうもので流すものじゃない」

 

 エリオの右手に紫電が走る。彼は雷の魔力変換資質を持っており、魔力を電撃に変えることができる。

 湯船につかり、「ふぅー」と声を上げるレイジー。無言で湯船の縁に立つエリオは、紫電を帯びた右手をそのままお湯の中に入れた。

 

「あ、ああ、あ、あ、あああ」

 

 電気風呂の完成だ。少しイラついていたので、ビックリさせるくらいの電流を流したのだが、予想外なことにレイジーは「いぃ~きぃ~か~え~るぅ~」と声を震わせていた。

 普段から魔力を身に着けているため、魔力に対する親和性が高い。いくら魔力変換といっても結局は魔力で出来たものであるため、レイジーにはあまり通用しなかった。

 バカらしくなったエリオは身体を洗いに戻り、洗い終えると温泉に入った。

 

「ふひぃー」

「確かに、良い気持ちだね」

「エリオが禁断の道に……ちょっと離れてくれる?」

「気持ち悪い事言わないでよ。僕は普通だから」

「キャロ育成計画を始めているくせに」

 

 お前は普通じゃないぞと暗にレイジーは言っていた。

 

「君の中の僕はどうなってるんだよ」

「デブ専」

「うん、まず誤解を解くところから始めようか」

「もう熱いから出る」

「よし、決闘をしよう」

「ゲームでなら良いよ」

 

 そう言ってレイジーはお湯から上がり、脱衣所の方に向かって行った。

 まだ身体が温まりきっていないエリオはレイジーの背中を忌々しく見つめた。

 

 ■

 

 食事を終え、各自が自由に過ごしている。レイジーは既に与えられた部屋で携帯ゲームに勤しんでいた。

 レイジーとフェイト、なのは、メガーヌを除く除く面々はリビングに集まって明日の予定について話そうとしていた。

 だが、エリオの「レイジーって実は凄いんです」の発言に話は大きく変わることになる。

 

「何、エリオ? まさかキャロを捨ててレイジーという開けてはいけない扉を開ける気?」

「え!?」

「ルー、変なことを言わないでくれるかな」

 

 キャロが動揺し、お子様たちは色めき立ち、エリオはげんなりした。

 

「なら何?」

「レイジーと風呂に入った時に見たんですけど、ルー、ニヤつかない。別に変な意味じゃなくて、レイジーの身体をみたんだ。魔力を纏ってない状態の」

「え!?」

 

 今度はエリオを除くほぼ全員が驚いた。

 

「……あれは詐欺だと思うんだ」

 

 男の裸体を思い出しながらという危険な状態のエリオであったが、彼がそう言うのも無理はない。

 ヴィヴィオやアインハルトが大人モードと呼ばれる変身魔法を駆使しても面影は十分残っている。確かに彼女たちをそのまま大人にしたような容姿だ。

 それなのにレイジーはどうだろうか? 変身魔法ではないとは言え、メタボリックレイジーとスリムレイジーではすべてが異なっている。

 ミッドで流行っている人気漫画『ドラゴン○ール』で例えれば、ゴテン○ス失敗からゴテ○クス成功くらいの変化だ。クリ○ンから天○飯だったら許せたかもしれない。

 

「あのー、私もレイジーさんの後姿だけですけど、本当の姿を見たことあるんですよ」

「ああ、そう言えばお前はアイツをストーキングしてたんだっけな」

 

 ノーヴェが茶化し、ヴィヴィオが「違いますっ!」と強く否定する。

 コロナに落ち着いてと言われ、ヴィヴィオは冷静さを取り戻した。

 

「私はエリオみたいに顔を見たわけじゃないけど、確かにレイジーさんは別人に見えました」

「二人にそこまで言われると、ちょっと気になるわね」

 

 ティアナの言葉に未だレイジーの本来の姿を知らない面々は小さく頷いた。

 

「でも、お風呂を覗くわけにもいかないし、どうやって見れば」

「エリオに写真でも撮ってもらえば」

「いや、さすがにそれは拙いです」

 

 リオの言葉にスバルが答えたが、エリオがすぐさま断った。

 

「あ! もしかしたら明日、チャンスがあるかもしれません」

 

 ヴィヴィオに皆が耳を寄せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、のそりとベッドから起き上がった男はまるで何かに操られるように自室のドアを開ける。

 ペンション周りの動植物が静まりかえっており、動いている者は男だけだった。

 リビングを抜け、玄関を出ると眠たげな眼のまま、トボトボと歩き出した。

 

「行った?」

 

 ペンションからドタドタと人が出て来た。

 男の背中が見えなくなったのを合図に、現れたのだ。

 

「レイジーさんって実はもの凄く真面目なんじゃないかな」

 

 コロナの言葉に皆が微妙に首を傾ける。「真面目ってなんだっけ?」とそれぞれが思っていた。普段のレイジーと今早朝トレーニングに向かったレイジーとではギャップがありすぎるのだ。

 

「シスターシャッハの話が正しければ、レイジーさんは毎日のトレーニングを欠かしてないはずなんです。私がスト――観察してた時だって必ずやってました」

「それより皆さん、早く追いましょう。見失ってしまいますよ」

 

 レイジーの正体というより、レイジーの訓練そのものに興味を持っているアインハルト。

 逸る気持ちを抑えられないのか、非常にそわそわしていた。

 人の秘密特訓を覗くというのは本来なら許されないことだが、その事についてヴィヴィオがレイジーに確認を取った時に、気にした様子を見せなかったということから罪悪感が薄れてしまい、今の状態になっている。

 いずれ何かでお返ししたいと自分への免罪符を発行し、レイジーの後を追う。

 

「結構な距離を移動するわね」

 

 ティアナがサーチャーでレイジーの位置を確認する。なのはとの対戦でも見せた異様な動きを使っているのか、ありえない速度でペンションから離れていることがわかった。

 

「スバル、ノーヴェ、お願い」

「はーい」

「おう」

 

 スバルとノーヴェがウイングロードとエアライナーを発動して、上空からレイジーの追跡を開始する。

 

「あのレイジーさんの急に消えるような動きって魔法なんですか?」

 

 ヴィヴィオがティアナに尋ねると、ティアナはうーんと首を捻ってから横に振った。

 

「ごめん、よく分からないわ。アイツのトレーニングを見れば分かるかもしれない」

 

 レイジーの動きが止まったことで、ヴィヴィオ達も地上に降りた。

 気づかれないようにレイジーの元に近づいていくと、バシンという何かを叩く音が聞こえてきた。

 先頭を行くティアナが後方を手で制す。ピタっと足並みを揃え、茂みの中に皆が身を隠した。その動きは軍隊のそれであった。

 

「アイス、アイス、アイス、アイス」

 

 アイスしか言えない呪いを掛けられたように、レイジーは一心不乱にアイスと唱え続ける。そして彼の死んだような表情とは対照的に、足下は恐ろしい速度で動いていた。

 20Mほど離れた岩がレイジーの一撃ごとに表面を崩していく。

 幾度も攻撃をぶつけたことで、岩が砕け散ったが、レイジーは別の岩を見つけるとまた同じ行動を取り続けた。

 

「牛、豚、鶏、ドラゴン」

 

 食べ物を口にしないと理性が崩壊してしまうのか、レイジーはまた狂ったように攻撃を続ける。罪もない岩が非難をするかのように、砕け散りながら悲鳴をあげるのだが、レイジーにその嘆きは届かず、石屑が大量に生産されて行った。

 

 

 レイジーのトレーニングを見ていた者たちは言葉を失う。

 面倒、疲れたと情けない事ばかり言っているレイジーが延々とトレーニングを続けている。

 その様子は鬼気迫ると言っても過言ではなく、分厚い脂肪で覆われた表情ですら必死さが伝わってくる。

 

 より速く。もっと速く。いや疾く。限界を、壁を乗り越えろとレイジーは動き続ける。

 悲願を達成するために。

 人に理解されるようなものではない。だが、彼の覚悟は本物だ。少なくともレイジーの鍛錬を見た者たち全員がそれを理解した。

 

 止まる事ないの蹴撃にぐっとアインハルトは口を真一文字に結んだ。自分は何をやっているのだと叱咤する。

 遠い。力ではなく目標への思いが、自分とレイジーでは格段の差があるのだと思い知らされた。

 

 昨日フェイトは言っていた。

 レイジーは意志が強いのだと。

 その言葉の重みをこの場にいる全員が理解する。

 普段の言動からは考えられないが、レイジーが努力型の人間であることは誰もが納得した。

 特別な才能ではなく、何かを成し遂げるための強い意志を彼はもっている。

 

 必死に努力する姿を見てか、レイジーを見守っていた少女たちの中で、一人ぐっと拳を握る人間がいる。アインハルトだ。

 

「焦るなよ。前だけ見て走っても必ず転ぶ。アイツはアイツでお前はお前なんだ。お前はお前のまま今できることを精一杯やっていけばいい」

 

 表情を固くしていたアインハルトにノーヴェが静かに告げた。

 微笑んだノーヴェを一度見た後、アインハルトは再び視線をレイジーの方に移した。

 ノーヴェの言いたいことは分かる。分かるが、どうしても押し寄せてくる焦燥感というのは感じてしまう。

 

 他人と努力を比べても仕方がない。すべては結果。あの人より頑張ったけど、負けてしまったでは意味がない。

 だが、自分より頑張っている者に焦りを感じない戦士などそれは戦士ではない。

 もっと強くという思いは格闘技をやるなら皆そうなのだ。

 ノーヴェですら、アインハルトに諭した一方で歯を食いしばっているのだから。

 

「頑張りましょう。今はそれだけです」

 

 ヴィヴィオが真っ直ぐな瞳でそう言った。聞いていた者がうんと強く頷いた。

 自分たちはまだまだなのだから、今はそれを認め、精進するだけなのだと。

 レイジーに負けないように、他のどんな者たちにも負けないように、今は頑張るしかない。そう心に誓った。

 

 

 

 レイジーがトレーニングを開始してちょうど一時間が経過した時、ふとレイジーが倒れだした。

 彼の周りの地面は汗で黒く変色しており、レイジーが倒れた時にはべちゃりと嫌な音を立てていた。

 

 気絶したように横になるレイジーはピクリとも動かない。何かあったんじゃないかと心配になったコロナが助けに行こうとするが、スバルとティアナがそれを止めた。

 

「レイジーの身体をよく見て」

 

 スバルの言葉に皆が素直に従う。

 

「……なんかもぞもぞ動いてる?」

 

 よく見てみるとレイジーの身体は動いていた。というより、レイジーの脂肪が動いていると言った方が良いかもしれない。

 

「アイツ、あんなこともできんだな」

「ノーヴェ、あんなことって?」

「あれは魔力を使ったマッサージだ。身体のツボなんかを刺激したりして回復を促すもんだ。本物の魔法整体師になろうとしたら、資格を取る必要があるんだ」

 

 ノーヴェの言葉に皆がへぇーと感心していた。

 

「ふぅー。汚れちゃった」

 

 レイジーが起き上がり、そしてもぞもぞ服を脱ぎだした。お腹周りのお肉が邪魔すぎて服を脱ぐにも苦労しているが、何とか脱ぎ終えるとそのだらしない姿態を晒した。

 うげぇっと声を上げるものが多数おり、女性陣の評価は決して高くなかった。

 

 だが、次の瞬間にそれも変わる。

 レイジーがふくよかな鎧を脱ぎ捨てたのだ。

 まるで幻術にでも掛けられていたかのように、ぶよぶよスライムが霞のように消えた。

 それにより女子たちの目が大きく見開かれる。

 

「……嘘でしょ?」

「へぇー」

「あわわ」

「はぅ」

「…………」

「指の間から見えてんぞ」

「すごい」

「エリオ、完全に負けてるじゃん」

「それを言われると……」

「え、エリオ君の方が背は大きいよ」

 

 痩せて見える筋肉などではなかった。胸板は厚く、腹筋は綺麗に割れている。とても12歳の身体つきではない。背が小さいのがマイナス点ではあるが、普段見ている豚のような体型とのギャップを考えれば、かなり評価は向上する。

 

 女性陣の反応が顕著だった。

 ティアナはありえないと首を横に何度も振る。スバルは職場で鍛えられた男というのを見ているためか、反応は薄かったが、素直に感心していた。

 ヴィヴィオとコロナは顔を真っ赤にして変な声を上げる。アインハルトは何も言わずに手で視界を覆ったが、ノーヴェに指摘されて、顔中を真っ赤にしていた。

 道場で育ったリオは、鋼のような筋骨に称賛をおくる。

 ルーテシアはエリオを茶化し、エリオは微妙な顔を作り、キャロがフォローに回った。

 

「あれは誰よ?」

「レイジー?」

「違うわ。別人よ」

「レイジーさん、学生証とかってどっちの姿で撮ってるでしょうか?」

「少なくとも普段の姿で撮ってたら、身分詐称で私が逮捕してやるわ」

 

 エリオをイケメンとするならば、レイジーは(おとこ)というべきであろう。雰囲気が格好良いのだ。

 男らしい顔だと言われれば、皆が素直に頷く。エリオは女装さえさせれば美少女にも変身できるため、美的に格好良いのだ。

 

「……川。あっちだっけ」

 

 昨日川遊びをした方向にレイジーが身体を向ける。そして屈伸することなくレイジーは跳躍して行った。

 弾丸のように飛び出して行ったレイジーをティアナたちは唖然として見送った。

 

「あの動きは」

 

 ティアナがぶつぶつと考えを始める。昨日のなのはとの戦いで見せた動き。そして、レイジーの魔力操作の技術、そして今の人としてありえない動きだ。

 それらをすべて統合して出た結論は一つ。

 

「アイツは魔力変換資質、ううん違うわ、魔力変形資質を持っているわね」

「魔力変形資質?」

 

 ヴィヴィオが聞きなれない言葉に首を傾げる。

 

「エリオみたいに魔力を電気に変えるのを魔力変換っていうじゃない?」

「はい」

「たぶん、アイツは魔力の形状を変化させることができるのよ」

「でも、それって私達にもできますよね?」

 

 リオがティアナの答えに疑問を挟む。

 

「そうね。ただアイツは形状と共にその強度も変えられるんだと思うわ。普段身体に着けてるような柔らかいものから、今みたいに弾力性の高い魔力に変えることもできる」

「弾力性?」

「あんな一直線に動くってことはそれくらいしか考えられないもの。たぶん足裏とかの魔力の弾力を限界まで強めて、弾け飛んでいるんだと思うわ」

 

 ティアナの説明にヴィヴィオやアインハルトが納得する。自分たちの知るレイジーの動きはほとんどが直線的で高速移動魔法ソニックムーブのような屈折も可能にしたものではない。

 奇妙な体勢で移動することもあったことから、弾力性を利用したものだったのかと納得したのだ。

 

「レイジーさんの異常な蹴りの速さも弾力性を使ってるって事ですか?」

「多分そうじゃないかしら? モーションを取らずにありえない速度で攻撃できるなんて反則に近いけど」

「でも、それだと先輩の魔力に変化が起きないのっておかしくないですか?」

 

 リオの質問に答えたのはルーテシアだった。

 

「レイジーは普段から魔力を流してるのよ。だからそれが平常なの。その状態から足下に魔力を集めても魔力の変化はない。場所を変えているだけだもの。ヴィヴィオが変身魔法を使っている時に魔力変化が起こらないのと同じ理屈よ」

「それって先輩の全力ってありえないほどの威力を秘めてるってことになるんじゃ」

「それはどうかしらね? 100ある魔力のうち、50を常時運用しているなら、いざって時の100の魔力は強大だけど、80を使っている状態ならそんなに変化しないわよ。まあ、足の筋力量は相当なものでしょうけどね。身体強化とプラスしているなら多少無茶な体の使い方をしても怪我はしないんじゃないかしら。魔力だけじゃなくて身体もちゃんと作っているのは感心ね」

 

 つまりレイジーが半分の魔力で生活を行っているのか、80%の魔力で生活を行っているかによって上限は変わってくるのだとティアナが言った。

 

「慣れるまでには相当な時間と労力が必要だろうけど、レイジーが魔法を使うことを決めた時からそういう生活をしていたのなら不可能じゃない。常時80%に身体が慣れているって事ね。ただ」

 

 ティアナはそれ以上言わなかった。

 皆が理解したからだ。

 もし普段が50%、いや、もっと少ない魔力しか使っていなかったら?

 走るのにいくら慣れていると言っても8割の力で走っていれば簡単に息も上がってしまう。だが力を抑えていれば、走れる距離はぐんっと伸びる。

 

「後はアイツの練習法が疑問だな」

 

 蹴りの練習しかしなかったレイジーのおかしさをノーヴェが指摘した。

 

「たぶん、それは今日の模擬戦で分かるわ」

 

 ティアナはその答えが分かっているようだった。

 含んだように言うだけでそれ以上は何も言わなかった。

 

「さ、戻りましょう。皆がいないとなのはさん達が心配しちゃうから」

 

 先を行くティアナにヴィヴィオたちが慌てて追いかけて行った。

 

「レイジーさんが模擬戦に参加してくれるかは分からないと思うんですけど」

 

 この中で唯一冷静にレイジーという存在を分析していたコロナの言葉は誰の耳にも届かなかった。

 



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第八話 勝つために

「ガンバ」

 

 そう言って自室に戻った少年、その名はレイジー。

 やはりというか当然のことだが、朝食の席で告げられた模擬戦開催に不参加を表明した。

 理由は簡潔にして明瞭だった。

 

「面倒臭い」

 

 なのはとフェイトと言った大人組は苦笑し、他の面々は何とか説得を試みようとしたが、会話にすらならずレイジーは面倒の一点ばり。引きこもりと化した。

 そんなレイジーに未だ説得を続けようとする美少女、アインハルト。

 ベッドに寝そべり携帯ゲーム機に熱中するレイジーに真摯な気持ちを伝えようとする。

 

「ディリジェントさん」

「嫌だ、嫌です。いやーん。どれがお好み?」

「私は貴方と本気で戦ってみたいのです」

「僕は貴女と本気で戦いたくないのです」

 

 アインハルトの説得は全く以って無意味だった。

 目に見えて落ち込むアインハルト。それを気遣ったのかは分からないが、レイジーは彼女に向けてこう言った。

 

「集団戦では僕は無力」

「どういう意味ですか?」

「そのままの意味。僕は個人戦競技者であって、チーム戦の心得もなければ戦い方もない」

「それは私も同じです」

 

 アインハルトとてヴィヴィオ達と出会う前まで一人で鍛錬を行い、一人で戦ってきたのだ。チーム戦の経験など有るわけがない。

 

「違うんだよ。君と僕とでは全く違う。僕は君のように器用には戦えない」

 

 アインハルトが真っ直ぐ見つめる。

 

「格闘技を始めてから今まで、僕は蹴ることだけをやって来た」

「鍛錬を続けて来たと? それなら私だって……」

「違う、そうじゃない。努力がどうとかじゃない。僕はずっと蹴りだけをやって来たってこと」

「……」

 

 アインハルトは考えた。

 レイジーの鍛錬は確かに奇妙だった。攻撃、防御、回避、それらをどの割合でやるかは個人の自由である。攻撃が得意な人間は当然その練習に時間を割くし、逆に防御が苦手という理由でそこに重点を置くかもしれない。

 

 だが、レイジーは違う。

 

 攻撃は蹴りのみ。格闘技を行うなら拳だって使う。手足を使うのだから自然と型が出来ていき、それを反復して身体に馴染ませる。自分の覇王流がそうであるように、大抵は決まった型をより自然に出せるように練習していくのだ。

 型がある以上、攻撃だけではなく防御や回避の動作も同時に鍛錬しなければならない。本来はそうなのだ。

 

 例えば右拳を繰り出す時、相手にかわされるもしくは受け止められることもあるのだから、次の行動を想定しなければならない。連続攻撃か、それとも防御か、そう言ったことを考えられたことによって型はできあがっていく。

 だが、レイジーにそれはない。

 すべてが攻撃。それも蹴りのみの練習。格闘技を行うものならこの異様さが容易に分かってしまう。

 

「僕は自分にできないことを研究した。そして気づいた。どんなに速く動けても、どんなに精密な魔力操作であっても、それを実行できる頭がない」

「矛盾していませんか? 貴方のスタイルは速さと圧倒的な魔力操作によるものだと思うのですが」

「それは違う。僕が近接戦闘をしない理由が分かる?」

「……面倒だからですか?」

 

 レイジーという人間を考えればそう答えるのも仕方がない。

 

「確かにそれもある。でもそうじゃない。高速戦闘を行う上で必要なのは当然スピードだけど、それ以外にも情報処理能力が必要なんだよ。速く動けば動くほど、考える時間は少なくなる。目まぐるしく変わる状況の変化に頭が付いて行かなければただ速いだけで終わる」

「そうですね。扱い切れない速さは、自分を弱くするだけですから」

「射撃型もそう。どんなに魔力を制御出来たって、何十もの誘導弾を操作するにはそれを使えるだけの頭が必要。僕にはそれがない」

 

 速さや魔力制御を極めて行ったとしてもそれを使えるだけの頭脳を持っていなければ何の意味もなさないということ。

 超高性能なコンピューターを持っていても、扱い方をしらなければただの鉄くずになるだけだ。

 

「だから諦めた。高速での近接戦闘も、誘導弾を駆使する射撃タイプも僕では無理なんだ。難しいのと不可能では意味がまるで違う。自分に合ってるかどうかというレベルじゃないんだ。努力してどうこうなるものじゃない」

 

 出来ない事をどれだけやったところで出来るようにはならない。

 出来なさそうな事なら出来るかもしれないが、出来ない事はできないのだ。

 

「僕は自分に出来ないことはやらない。出来ることと勝つために必要なことをやっているだけ」

「それが蹴りだけの練習に繋がるのですね」

「そう。相手がどうするとか、自分がどうするとかを考えずただ相手に蹴りをぶつけるだけ。それだけじゃダメだと言われたこともあるけど、どうにもならなかったら諦めるしかない。僕はそう思って練習してる」

 

 ダメだと分かっているならそこを改善する。普通はそうだ。

 だが、アインハルトは思う。

 

(ディリジェントさんは、どうにもならない状況を許す気はないのでしょうね。一芸を本当の意味で極めようとしている)

 

 極めるとは誰にも負けないことを。その点において負けを許してはいけないということ。

 何かで補うものではなく、それ一つで頂に立てるものである。

 アインハルトの覇王流がそうであるように、レイジーの蹴り技もまたそれを目指している。

 少なくともアインハルトにはそんな風に感じられた。

 

「いついかなる状況においても最強なんて人は歴史上存在しない。でも、この分野なら負けないという人は少なからず存在する」

「だからディリジェントさんは個人戦競技者という言い方をしたのですね。格闘家ではなく」

 

 アインハルトもレイジーの言葉の意味を理解した。

 

「公式の大会や試合で個人戦であれば、例外なく審判が居て、リングが有って、ルールがある。なにより、始まりの合図をお互いが対峙した状況で聞くことになる。だからこその僕のスタイル」

 

 集団戦であるなら陣地があるため、その中での配置はチームの自由だ。

 だからこそ、スタート開始時点で相手の姿を必ず見れるという状況ではない。

 背後からの奇襲なんてことも起こってくる。

 だが、個人戦に背後から襲われる、相手を見失うなどという状況はない。少なくともスタート時点では。

 

「開始と同時に蹴撃の連打。試合であるなら開始距離がすべてディリジェントさんの攻撃範囲内だから、相手は防ぐ以外の手が打てない」

「そう。フィールドが広すぎると攻撃が届く前に避けられる。あの仕切られた檻のような空間でこそ僕の力は最大限発揮されるし、発揮しなければいけない」

「他のどんな状況よりも、個人戦でのみ最大効果を生む力」

「スポーツ格闘技で僕は負けないよ。必要な力はちゃんと身に付けてる。バリアもバインド対策もね」

 

 レイジーは決して人生のすべてを鍛錬に費やしてきたなどと言えるような努力をしている訳ではない。

 だが、やるべき事を、やらなければいけない事をやってきた。

 それが人よりも時間という意味で少ないものであっても密度が違う。同じ行為をただひたすらに繰り返してきたのだ。

 

(余程の覚悟があるのでしょう。同じ練習では自分が成長しているかどうかで悩むことがある。それでも今まで続けて来たのですから、ディリジェントさんには確固たる意志というのがあるのですね)

 

 アインハルトが一度目を閉じて、そして開く。虹彩異色の瞳がレイジーを貫く。

 

「ディリジェントさん。貴方はなんのためにそれほどまでの努力を?」

 

 強き王を目指すアインハルト。きっと自分以上に強い想いを持っているだろうディリジェントにアインハルトは真っ直ぐ尋ねた。

 

「ダラダラとした生活を送るため。20歳になるまでには一生ダラダラできるだけの賞金をゲットするつもり。それからは日がな一日ベッドでゴロゴロ。夢のような生活」

 

 これ以上ない笑顔。纏った魔力脂肪さえ張り艶がでるほどニッコリと笑う。

 レイジー・ディリジェント、渾身の笑顔である。

 

「…………」

「夢を成し遂げようとする意志が大切。夢の内容じゃないよ」

「分かってます。ただ、ちょっと、えーっと、素直に驚いたというか」

 

 目標の優劣が勝負を決めるわけではない。世界一を目指そうが、過去の思いを成し遂げようが、大切な人を守りたいと思おうが、自堕落した生活を目指そうが……。

 それに込めた想いがどれだけ強いか、それが勝敗を決める。

 アインハルトもそれは分かっている。

 ただ、分かっていても納得できない事はあるものだ。

 表情には出さないように努めたが、やはり出てしまうものだ。

 

「いいさ。分かってもらおうとは思わない。僕だってそう。君が何をしたいのかなんて知らないけど、聞いたところで分からないと思う」

 

 初代覇王、クラウスの成し遂げられなかった思いを、必死に成し遂げようとしているアインハルト。

 生活空間は自室、起きても寝てもベッドの上を成し遂げようとするレイジー。

 どちらの夢がより尊いか? 100人に聞けば、99人はアインハルトと答えるだろう。

 だが、100人の一人、自分だけは自分の夢を尊いと言い切れる。レイジーはそう思っている。

 誰がどう思うかではなく、自分がどう思うか。

 

「つまり、僕はコーラを飲んでゴロゴロする。分かった?」

「つまりの使い方は分かりませんが、ディリジェントさんの思いは分かりました。お手数をおかけしました」

 

 完全に納得したわけではないが、集団戦の中でレイジーと戦うのは不可能、何より無意味だと判断したアインハルト。

 レイジーが集団戦というものを全く意味のないものだと考えているのは分かったし、彼が個人戦でしか戦えないのも理解した。

 彼と戦うなら個人戦でしかない。

 アインハルトはぺこりと頭を下げると、そのまま部屋を出て行った。

 そんなアインハルトに目もくれず、レイジーはゲームを再開する。

 この二人が互いを理解することなどこれから先ない可能性の方が高い。

 

 ■

 

「おー」

 

 画面に表示される映像を見ながら、レイジーは感嘆の声を上げた。

 

「レイジーは参加しなくて良いのか?」

 

 昨晩、教会からやって来たセインがレイジーと同様に椅子に腰を下ろす。

 まだ、レイジーという人間をよく理解できていない彼女の発言にレイジーは首を力一杯横に振る。首周りの邪魔なお肉の所為でピッタリ30度で止まってしまったが。

 

「こういうのは見てるのが楽しいんです。アクション映画そのものじゃないですか。コーラにポップコーンがあれば最高です」

「あらあら、コーラしかなくてごめんなさいね」

 

 メガーヌが空になったレイジーのグラスにコーラを注いだ。セインは「コイツ、怠け者だ」と本能的に理解した。

 

「まずは前衛同士の戦いね」

 

 ディスプレイに映し出されたノーヴェとスバル、アインハルトとヴィヴィオの激突だ。

 スバルとノーヴェは戦闘スタイルが似ている。鏡に映るように拳や足を互いが繰り出しぶつけ合う。

 火花が飛び散り、激しさが増していく。

 それでも姉妹の勝負、それが楽しいのか二人とも笑っていた。

 

 一方でヴィヴィオとアインハルトの戦いは静かだ。距離を離して構えを取ってにらみ合う。

 互いに戦略を練り合っている状態だ。

 

「レイジーはどうみる?」

 

 セインが問いかける。

 

「目からビーム」

「いや、それ人間じゃない」

「魔法なんだからどっから出て来たっておかしくない」

 

 わくわくと声に出しながらレイジーが熱い視線を送ったが、ヴィヴィオが人間らしく手から速射で砲撃を放った。

 

「…………」

「そこまで落ち込むなよ」

 

 二人の戦いに興味を見いだせなくなったレイジーは他の戦いに視線を向ける。

 

 リオの攻撃をかわしながらコロナが体勢を整える。そして、巨大な魔法陣を発動させた。

 

「おお!!」

 

 沈んでいた気持ちが復活する。コロナが使った魔法「創成(クリエイト)」が発動し、地面から岩の巨人ゴライアスが登場した。

 

「出るぞ、出るぞぉー! 必殺のロケットパンチぃっ!」

 

 今度こそという思いでレイジーはコロナを応援する。

 リオは小柄な体を活かしてゴライアスをかく乱する。かく乱しつつ距離を詰め、必殺の一撃を放とうとしていた。

 背後を取った。高速で接近し、ゴライアスの背中に炎を纏った右拳を繰り出そうとする。

 だが、ゴキっと嫌な音を立ててゴライアスの胴体が高速で回転した。

 うげっとリオが驚愕する。まさかの回転パンチになすすべなく吹き飛ばされ、壁に勢いよく叩きつけられることになった。

 

「予想と違ったけど、良い!」

 

 コロナの戦いぶりにレイジーが拍手を送った。巨人は男の浪漫なのだ。

 

「今の何だ!?」

 

 セインもセインでテンションを上げていた。ヴィヴィオとアインハルトの戦い。

 相手の行動を制限するために放ったヴィヴィオの射撃魔法をアインハルトが回避も防御もすることなく、相手に返したのだ。

 

「受け止めて投げ返した。やっていることは至ってシンプルよ」

「そ、そんなのできるの?」

「真正古代ベルカの術者なら理論上は可能よ」

 

 だが、それに至るまでにどれだけの修練を積んできたのか。それを考えて、メガーヌが表情を曇らせた。

 アインハルトの歳不相応な技術がどれだけの思いで身に付けられたのかと考えてしまう。

 

「あんなの普通にできる」

 

 だが、そんなことを思わなかった者がいる。レイジーだ。

 

「シスターさん、ちょっと魔法を撃ってみて」

 

 言われたセインが指先に魔力を集めて、レイジーに向かって魔力弾を放った。

 全くためらわずに撃つあたり、セインの性格が知れる。

 

 レイジーの自己主張しすぎるお腹に魔力弾が当たる。

 ぽよんと可愛い音を立てた後、魔力弾は音速を超えてセインの元に跳ね返った。

 耳元をかすめたセインが「危ないだろっ!」と叫ぶが、頼まれたとはいえ、躊躇なく魔力弾を放った人間のセリフではない。

 

「魔力を包んで返す。こんなの誰にだって出来る」

 

 メガーヌが唖然とし、セインは騒ぎ立てる。

 何事もなかったようにレイジーはコーラを飲み始める。

 

「レ、レイジー君? す、凄いのね……」

「魔力操作は基礎中の基礎。というか魔導師なんだから魔力の扱いができるのは当たり前」

 

 普段からそれを実践しているレイジーの言葉には説得力があった。

 

「あ、コーラお願いします」

 

 アインハルトがどれだけ苛烈な修練を積みかさねて来たのか、そう考えていたメガーヌだったが、レイジーの言葉を聞いて少しばかり反省する。

 

(年齢なんて関係ない。そう言われたみたい。そうよね、魔導師に子供だからなんて言えないものね。ごめんなさいね、アインハルトちゃん。それにレイジー君)

 

 魔法を扱える者は早熟で、幼いころから仕事についている者もいる。悲観的に考えるのはアインハルトにも失礼だとメガーヌは心の中で謝罪した。そしてレイジーにも。

 

(正直、ただの太った子だと思ってたわ)

 

 謝った理由はアインハルトとは違うものであったが……。

 

 ■

 

 模擬戦は大戦争で決着がついた。

 なのはとティアナの収束砲合戦により両チームともほぼ壊滅。ギリギリ残ったヴィヴィオとアインハルトも相打ちで終了。引き分けで勝負はついた。

 

「もぐもぐもぐもぐ」

「で、なんで模擬戦に出てねぇお前が一番がっついているんだよ」

「人間は食べる生き物」

 

 口一杯にお肉を頬張るレイジーにノーヴェは呆れかえる。

 

「二戦目は出ろよ」

「無理」

「1on1じゃなきゃダメってことか?」

「そう。僕が生きていくうえでチーム戦なんて行う機会もないし、必要もないから。無駄無駄」

「なら、団体戦にしてみようか?」

 

 なのはがやって来た。

 レイジーは「同じ意味では?」と視線を送るがなのはがニッコリと笑って説明する。

 

「プロの大会だと、団体戦って言うのが有って、方式は1対1。先鋒、次鋒、中堅、副将、大将を決めて、その勝敗で決めるんだ」

「2チームに分けたとして、10人ですよ? 僕の参加する余地がない。いやー残念です」

「大丈夫。セインを入れれば14人いるから、7人制の方で試合ができるよ。ちょっと変則的にテニスみたいにしよっか。(シングルス)1、S2、S3、(ダブルス)1、D2みたいな感じで。」

 

 謀ったなとレイジーは唇をかむ。

 さすがだなとノーヴェはなのはを尊敬し、なのははチームを分けなきゃとフェイトの元に向かった。

 

「お望み通りの1on1だぜ」

「望んでない。まあいいや、適当に……」

「あ、負けた方が罰ゲームがあるからね」

 

 一瞬で戻って来たなのはがレイジーの耳元でそう囁いた。エースオブエースは完全にレイジーの動かし方を理解したようだ。

 

「もうやだ……」

 




連続投稿です。次の話は少し時間がかかるかもしれません。


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第九話 必殺技

 レイジーが嘆いてから10分後。なのはとフェイトによって団体戦のチーム分が発表された。

 模擬戦チームにレイジーとセインを追加するだけなので、特に問題は発生しなかった。

 レイジーは青に、セインは赤チームに入った。

 作戦タイムが設けられ、だれがどの場所で出るかが話し合われる。

 

「S1はやっぱりなのはさんかな」

「いやここは勝利を優先して、僕がS1を務める」

「レイジーさん、ただ試合をしたくないだけですよね?」

 

 ヴィヴィオの鋭いツッコミ。ダブルス2試合とシングルス2試合で3勝してくれれば最後に回ることはない。レイジーはそれを願っての発言だ。

 まあ、そんな自己中心的な提案が認められるわけもなく、作戦参謀のルーテシアが両腕で×を作って却下を出した。

 

「レイジーはシングルス確定として、問題はダブルスかな」

 

 砲撃魔導師であるなのはに、サポートが得意な召喚士のルーテシアはダブルス向きと言える。

 スバルとエリオは機動六課で苦楽を共にしてきた仲間であり、互いの戦闘方法を知り得ている。

 だからコンビを組むという意味では可能であるが、どちらも突撃型なため後方支援ができない。

 そうなるとダブルスとして機能するかは難しい。

 ヴィヴィオは射撃魔法や速射砲撃と言った中距離支援も可能にするオールラウンダー型の格闘タイプだが、魔力値は決して高い方ではなく火力に乏しい。

 悪く言ってしまえば器用貧乏なので、ダブルスで出場する場合は突破力のあるスバルかエリオと組むのが望ましい。

 ヴィヴィオ以外をよく知らないリオに他の面々と息を合わせろというのは酷である。必然的にシングルス。

 

 リオとレイジーでシングルスが二つ埋まるが、やはりダブルスをどうしようかと悩んでいると、ルーテシアが楽しそうに笑った。

 

「なのはさん、母娘で行ってみます? 私はスバルさんと組みますから」

「ヴィヴィオ、ママと一緒に戦ってみる?」

「なのはママと? うん♪ やってみる!」

 

 ヴィヴィオの目標はなのはを守れるくらいに強くなること。まだそんな力を身に付けた訳ではないが、今回はチャンスとも言える。後衛としてではなく前衛としてなのはを守るのだ。そのチャンスが巡って来たことにヴィヴィオは静かに闘志を燃やしていた。

 

「S1がエリオ。たぶん、向こうはフェイトさんだと思う」

「任せて。僕の所まで回って来たら、必ず勝ってみせるよ」

 

 上手くいけば親子対決。フェイトに育ててもらったと感じているエリオは、自分の成長ぶりを見せようと目が真剣だった。ヴィヴィオと同じようにすでに戦闘モードである。

 

「S2にレイジー君、S3にリオちゃんかな。向こうはたぶん、アインハルトちゃんかセインが来ると思う」

 

 なのはの読みでは赤組のダブルスはティアナ&ノーヴェ。キャロ&コロナと見ている。スバルと長年コンビを組んできたティアナであれば同タイプのノーヴェと組むことも可能。

 キャロの単独での戦力は高い物ではないので、シングルスに出ることは難しい。

 コロナもレイジーと当たってしまえば創成魔法を発動させる前に潰されてしまう。

 レイジーが必ずシングルスで出場することは赤組にも分かっているであろうから、コロナを単独で出すリスクは冒さないとなのはは予想した。ティアナならそう考えるだろうと。

 消去法で考えれば、残ったアインハルトかセインがシングルスに回ってくる。

 

「ちなみにセインはシスターシャッハと同じ、透過可能な移動スキルを持ってるよ」

「げっ」

 

 露骨に嫌そうな顔をするレイジー。

 セインのIS『ディープダイバー』は地面や壁の中を移動でき、隠密行動に優れる。

 相手の攻撃に対してほぼ無防備を晒すレイジーに取って相性の悪い相手と言える。

 

「でも負けるわけにはいかないんだよなー」

 

 なのはが言った罰ゲーム。負けた方は勝った方のお願いを一つ聞かなければならない。

 向こうには面倒そうな注文をしてきそうな者が若干名いる。ノーヴェ然り、アインハルト然りだ。

 

「3勝しないといけないからレイジーだけが勝っても無駄なんだけどね」

「はい、そこ! モチベーションを下げるようなことは言わない! これは僕のこれからの生活が懸かってるんだ。もし負けたら、全員メタボリック体型にするから」

 

 ピキリと固まるなのはとルーテシア。いやいやと顔を青くしながら首を横に振る。

 ふくよかな自分、今の三倍以上の体重で、上下に肉を揺らしながら生活する自分、そんな自分を想像して身体を震わせる。

 ありえない。それはありえない。

 今まで培ってきたものがすべて失われるかもしれないとなのはやルーテシアは本気になった。

 リオは「ちょっと面白そう」と興味を示しているが、当然負けるつもりはない。道場で育ってきたため、勝ち負けにはどん欲だ。

 スバルはあまり気にしていないようだった。

 青組の勝利への執念は一部を除き、異様に高まるのだった。

 

 ■

 

 審判を務めるメガーヌにメンバー表を両チームが渡した。

 

「それで、順番はどうする? ダブルスを2試合してからシングルスに行く? それともダブルス、シングルスと交互に行く?」

 

 キャプテンを務めるなのはとフェイトが少し話し合って、交互に試合を行うことに決定した。

 

「じゃあ、最初はS3の対決ね。あら、これはお互いの予想が外れたのかしらね?」

 

 青組、リオ・ウエズリー。赤組、フェイト・T・ハラオウン。

 

「確実に勝ちを拾いに来たみたいだね」

 

 ルーテシアがやられたという表情をする。先勝されれば後続のプレッシャーは高まってしまう。

 リオには申し訳ないが、さすがに分が悪い。管理局でも凄腕で通っているフェイトに、初等科4年生が勝てると思うほど、ルーテシアは甘い読みはしない。

 頑張って欲しいところだが、結果は見えていた。

 

 

 

 

「あーあ、負けちゃったー」

 

 リオが悔しそうな声を上げた。

 第一試合は周囲の予想通りフェイトの勝利で終わった。リオも健闘したが、同じ雷の魔力変換資質を持つがゆえに、経験値という意味で一日の長があるフェイトにほぼ雷撃を無効化されてしまう。

 高速戦闘を得意とするフェイトの土俵に上げられてしまったため、攻撃の度にスピードが上がるフェイトについていけず敗れた。

 大人としての威厳を保ったフェイトは地面に座ったままのリオを抱きかかえる。

 頑張ったねと健闘をたたえたが、やはり負けず嫌いなのかリオは目に涙を溜めていた。

 よしよしとリオの頭を撫でて慰めるフェイト。きっとこの子は強くなるなと、そう思った。

 

「まずは一敗ね」

「次負けると後がないんだけど」

 

 レイジーからルーテシアへのプレッシャー。ルーテシアも自分のイメージ崩壊が懸かっているため、負ける気はさらさらない。

 

「スバルさん、マジでお願い」

「なんか私と反応が違わない?」

「……名前、忘れちゃったんだ」

「……ルーテシアよ。ルー様と呼びなさい」

「ルー様、ふぁいと」

「いや、冗談よ。レイジーには男としてのプライドみたいなものはないの?」

「ない」

 

 きっぱりと断言した。

 

「ルーテシア、レイジーに男らしさを求めるのは可哀想だよ」

 

 スバルがフォローに回ったが、彼女の言葉は決してレイジーを擁護するものではない。

 

「まあ、良いわ。スバルさん、頑張りましょうね」

「サポートお願いね」

 

 二人がリングに向かう。

 赤組チームはコロナとキャロのチビッ子コンビだった。

 

 タッグマッチ第一戦はリオとフェイトのような一方的なものにはならなかった。

 ルーテシアとキャロが牽制し合い、スバルがコロナの創り出したゴライアスと激しい戦闘を始める。

 動きの遅さが欠点であるゴライアスはウイングロードを展開し、縦横無尽に動き回るスバルに苦労するが、キャロのトラップバインドがスバルに炸裂し、動きを封殺。破壊力だけならトップクラスであるゴライアスのロケットパンチがスバルに直撃しかけるが、そこはルーテシアがチェーンバインドでゴライアスのパンチを止めてスバルを救う。

 

 キャロのバインドを解除したスバルは右手を失っているゴライアスに突撃。リボルバーナックルで上部を破壊すると、操作主のコロナに襲いかかる。

 キャロもサポートに回ったが、ルーテシアに妨害されてしまい防御が間に合わなかった。

 コロナはスバルのディバインバスターを食らってしまい、気絶した。

 青組の勝利である。

 

「勝ったよ」

 

 戻って来たスバルとレイジーが手を合わせる。ぱちんと小気味よい音がした。

 

「全力全壊の精神。大切だと思う」

 

 気絶し目を回すコロナ。腰より上が無くなったゴライアス。レイジーの称賛の言葉に、スバルは「あははは……」と乾いた笑いを浮かべた。

 

「私への祝福がないけど?」

「ルーよくやった」

「なんで急に上から目線?」

「ルーちゃん、よくやったよ♪」

「キモ」

「ヨクガンバリマシタ」

「普通に褒めなさいっ!」

 

 ばしっとルーテシアがレイジーを叩くがぽよんと肉の弾力に負けて逆にしりもちを突かされた。

 

「レイジー、その邪魔なお肉はちゃんと取りなさいよ」

「分かってるよ。負けられない戦いなんだ。僕だって全力全開だよ」

「なんか私の時と言葉のニュアンスが違わない?」

「気のせい」

 

 スバルは微妙な顔をしながら納得した。

 

「じゃあ、次の試合を始めるわよー!」

 

 メガーヌから声がかかる。

 

「青組、レイジー君、赤組、アインハルトちゃん」

 

 同学年対決。

 そして何より、アインハルトが待ち望んでいた試合だ。

 赤組陣地で闘志をたぎらせるアインハルトがレイジーには見えた。おそらく幻覚だろうが、彼女の背中にメラメラと炎が見える。

 

「むむ。ストラトスが相手なら、このままの方が良いかな」

「アインハルトを舐めてると痛い目を見るわよ」

「別に舐めてるわけじゃない。まあ、見てて。僕の必殺技が火を噴くから」

 

 ルーテシアにそう告げるとレイジーはリングに向かった。

 

「ディリジェントさん、手合せお願いいたします」

「穏やかな日常のために負けてもらうよ」

 

 二人の戦いが始まる。

 

 ■

 

 リングで向かい合うレイジーとアインハルト。アインハルトはすでに大人モードになっており、やる気満々だった。

 一方のレイジーは相変わらずと言って具合で、ジャージ姿のままバリアジャケットを展開するようなことはなかった。

 

「準備は良い?」

 

 メガーヌの言葉に二人が頷く。

 右手を上げ、メガーヌは勢いよくそれを振り下ろした。

 

「始め!」

 

 アインハルトは攻撃をもらう覚悟で、左に走り出した。先手はレイジー。それは現段階では防ぎようがない。

 防御を固めたところで、手詰まりは確実だ。試合終了まで蹴りを放っていられるであろうレイジーのバカみたいな体力に防御という選択肢はない。

 ならば、1、2発を受ける覚悟でアインハルトは回避に回った。

 

(あれ?)

 

 違和感に気づく。

 レイジーの速攻に備えていたが、攻撃はやってこなかった。

 なんの妨害もなく走り出してしまった事に、アインハルトは困惑した。

 

(舐められている?)

 

 その考えがよぎったが、それはないと否定する。

 試合前には勝つとレイジーは宣言している。勝つ気であるのは間違いない。

 では、なぜ攻撃を仕掛けてこないのか? アインハルトは全く動こうとしないレイジーにただただ不気味さを感じていた。

 

(このまま距離を開けていても、勝ちはありません。ここは迷ってる場合じゃない!)

 

 覇王流が最強であると証明する、その思いで今まで生きてきたアインハルト。相手が何を企んでいようと、ここで退いては覇王流は名乗れない。

 行く。そう覚悟を決めて、アインハルトは足先をレイジーの方に向けた。

 フェイトを彷彿させるような鋭い走り。レイジーの攻撃を受けないように左右へのフットワークで狙いを定めさせない。

 レイジーはアインハルトを捉えているものの攻撃をしようとしない。近づいてくる彼女に対して全く動作を起こさないのだ。

 

「はあああ!」

 

 その結果、レイジーはアインハルトの右拳を食らうことになる。

 レイジーのお腹に文字通り突き刺さった拳。アインハルトの肘から先が肉に包まれて行った。

 

「やっぱり、走りながら覇王流は上手く使えないみたいだね」

 

 レイジーの言葉にぞっと全身が震える。

 アインハルトの本能が下がれと全細胞に告げた。だが遅い。

 

「あげるよ」

 

 レイジーは笑う。アインハルトは苦悶の表情を浮かべる。

 めり込んだ右腕を引き戻そうとしても、何かに掴まれているようでできなかった。

 レイジーとの密着状態。左拳をレイジーの顔面に向かって振るおうとしたが、それは叶わない。

 全身が鉛のように重くなったのをアインハルトは感じた。

 

「え?」

 

 一瞬の事だった。

 目の前のレイジーは本来の姿に戻っていた。引き締まった身体が目の前に現れる。

 魔法で構築したのか、ちゃんと服は着ていた。

 

 半袖短パンと言ったラフなものであるが、それは今はどうでも良い。

 アインハルトは視線を自分の身体に移す。そして見なければ良かったと後悔した。

 ぶくぶくと膨れ上がった肉の塊が、腕だけでなく全身に纏わりついていた。ご丁寧に服まで作られている。

 これが勝負中だということも忘れて、鉛のように重くなった右手を頬に添える。

 

 ぽよん。

 

 嫌な音だ。非常に嫌な音だ。

 出るとこは出て、引っ込むところはない。

 ダイナマイトボディが完成していた。メダボリックアインハルトが現出したのだ。ごっつぁんですとでも言って、ちゃんこに舌鼓を打っていれば、どこぞの世界で大活躍できたかもしれない。

 

「くっ!」

 

 必死になって邪魔な肉の塊を取ろうとする。彼女とて立派な乙女だ。今の状況が許されるわけがない。

 だが、引きはがそうにも身体は言うことを聞かず、魔力を全開にして吹き飛ばそうにも魔力を上手く操作できない。

 

「変わり身の術。相手に僕の癒しをプレゼント。まあ、重いし僕の魔力で作ってあるものだから、一度身に付けるとずっと魔力阻害に遭うよ。つまり、君はただのサンドバックになったわけだ」

 

 ニヤリと笑みを浮かべたレイジー。余計な脂肪が付いてない分、彼本来の笑みがそこには有った。

 

「お望みの全力だよ」

 

 その言葉を最後にアインハルトの意識は飛んだ。

 レイジーの渾身の蹴撃がアインハルトの身体を吹き飛ばしたのだった。

 見ていた者達は口を揃えて言う。レイジーの最後の攻撃は

 

 ――集束系魔法(ブレイカー)だったと。

 

 ■

 

「ぶぃ」

 

 Vサインをして戻ってくるレイジー。身体が軽いのか、スキップするほどの軽快さを見せている。

 笑顔なレイジーに対して、女性陣は冷ややかな視線を送っていた。

 同性として、アインハルトにした行為が許せないようだった。

 エリオのみ、苦笑しつつもレイジーの帰還を受け入れていた。

 

「僕の必殺技、その2『いっしょにブートキャンプ』はどうだった?」

「もしかして、私達が負けたらあれになるの?」

「無理無理無理無理」

 

 ルーテシアの言葉にリオが拒絶反応を示した。試合が始まる前は興味を持っていた彼女だが、現実の残酷さを目の当たりにして受け入れることができなかったようだ。

 

「あはは、さすがに私もあれはちょっと」

「ママ、ヴィヴィオは健康的に生きてます」

「ヴィヴィオが……ヴィヴィオが……」

 

 スバルもレイジーの技はダメなようだ。表情にいつもの天真爛漫さがない。

 高町母娘は遠い目をして空を見上げている。

 青組チームの戦意がほぼ崩壊しつつあった。

 勝ちを拾ってきたにも関わらず、全く祝福されないレイジーはエリオの横に座り膝を抱える。

 エリオは「頑張ったね」とレイジーの大好きなコーラを渡して励ます。

 レイジーの機嫌が20上昇した。

 

 その後、負ければ最悪の状況になると改めて再確認した青組の面々は軽々と限界突破した。

 ダブルス二試合目は高町母娘VSティアナ&ノーヴェだったのだが、開始早々になのはとヴィヴィオがディバインバスターを狂ったように乱射。それが見事ティアナに直撃し、勝負は呆気なく終わった。三勝した青組チームの勝利となり、レイジーの穏やかな生活と女性陣の尊厳は守られることになった。

 

 げに恐ろしきはレイジーの必殺技である。



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第十話 やべ、なにこれ……カッコイイ……かも?

 団体戦を終えた後、最後の一本ということでチーム戦を行った。当然、レイジーは参加していない。

 それも終わり、ホテルにあるリビングで皆がだらっとくつろいでいた。

 子ども組は一日に三度も試合をしたためか、全身筋肉痛で動けず、ルーテシアの召喚獣、ガリューによってマッサージを受けている。

 この場で唯一元気なレイジーはキッチンにいるメガーヌの元へアイスを集りに行っていた。

 レイジーが居なくなったことで、皆が話を始める。

 

「レイジー、凄かったわ」

「うん、今と全然違う」

 

 レイジーの本当の姿をみたルーテシアとスバルの言葉だった。団体戦の最中は乙女の尊厳を守るのに必死でルーテシア達は気づいていなかったが、均整のとれたレイジーの肉体が露わになった時、彼本来の姿を知らなかったフェイトやなのはは、ぶぅーっと飲んでいたドリンクを勢いよく吐き出してしまったものだ。

 彼女達らしからぬ失態である。

 

「それにしてもレイジーの技の方が――ああ、ごめん、アインハルト」

 

 ティアナがレイジーの技を口にすると目に見えてアインハルトが落ち込んだ。「私は豚さんです」という言葉が背中から浮き出るように、アインハルトは負のオーラを纏っている。

 慌ててティアナが慰めに行くが効果は薄かった。

 

 あまりにもアインハルトが不憫だったため、レイジーに関する話を終了し別の話題をルーテシアが振った。

 

「アインハルト、今日の模擬戦が良かったら、こういうのに出てみない?」

 

 DSAA公式魔法戦競技会の映像が出された。白熱するバトルが映像内で繰り広げられている。

 アインハルトはその映像を夢中になってみている。答えを聞かなくても分かった。

 

「こんなものがあったなんて……出たいです。出られるのであれば」

 

 その答えにヴィヴィオ達年少組が嬉しそうにする。

 

「年齢は大丈夫ですし、コーチ登録の方はノーヴェが任せろって言ってくれてます」

 

 アインハルトは、照れながらも少し強気に出るノーヴェを見る。「べ、別にコーチ面するわけじゃねぇからっ!」と真っ赤になっていて、ノーヴェらしいと思った。

 

「レイジーは興味ある?」

 

 アイスを食べながら戻って来たレイジーがルーテシアの言葉に反応する。

 映し出された映像を見て、「ああ、懐かしい」と呟いた。

 

「レイジーさん、もしかして出たことあるんですか!?」

「去年出た」

 

 その言葉に絶句したのは質問したヴィヴィオだけではなかった。

 全員だ。その場に居た全員が合わせたかのように動きを止めた。

 ティアナも、スバルも、ノーヴェも、皆レイジーを見て止まった。

 

「いやん?」

 

 とおどけて見せたが、皆からの反応は返って来なかった。

 それが不満だったのか、どすんと開いていたソファーに腰を下ろし、アイスにかぶりつく。

 その時になってようやく起動し始めた面々はすぐさまレイジーに話しかけた。

 

「レイジーが大会に? 嘘でしょ?」

「ないない、ありえないって」

 

 ティアナとノーヴェの会話は話しかけるというより、独り言に近かったが、レイジーには聞こえており、二人の言葉を否定して、

 

「出た。一応、男子の部の都市本戦出場」

「す、凄いですっ!」

「ホント、ホント!」

「先輩、やれば出来る子じゃないですかっ!」

 

 ヴィヴィオとコロナ、そしてリオはレイジーの言葉を疑うことなく素直に褒め称えていた。

 半信半疑どころか、9対1の割合で疑っているティアナとノーヴェとはえらい違いだった。

 

「ディリジェントさんはどうしてこの大会に?」

 

 アインハルトが誰もが知りたかったことを尋ねた。

 レイジー・ディリジェントと言えば怠け者の代名詞的な存在だ。

 そんな彼が、賞金のかからない、言うなれば記録が残るだけの大会に出るとは思えない。

 一体、どんな利があったのか? アインハルトは皆を代表してそれを尋ねた。

 

「賞金が出る大会には、こういった公式戦競技の成績が参加資格に求められたりするの。都市本戦まで出場すれば、参加資格は満たすから、本戦では戦ってないんだけどね」

 

 都市本戦には出たが、途中で棄権した。レイジーは端的に自分の成績を説明した。

 それを聞いて、納得する面々。やはりどこまで行ってもレイジーなのだなとうんうん頷く。特にティアナとノーヴェ。

 

「今年は、インターミドルと同時期に、ミットチルダ個人魔法格闘大会が何個か開かれるからそっちに出ようと思う。賞金は凄いってほどじゃないけど、10代で強い人はインターミドルの方に出ていて、いないから。まあ、大人世代の人もいるから楽って訳じゃないけどね」

 

 一口サイズになったアイスを口に放り込む。満足そうな笑顔を浮かべて、そのままソファーに埋まるように深く座り直しくつろぎ始めた。

 

「あれ、でもレイジー、デバイス持ってなかったんじゃなかったか? インターミドルには規定を満たしたデバイスがないと出場できないはずだぞ」

「シャッハちゃんから借りた。バリアジャケット構築するだけだし、なんとかなった」

「お前、そんな適当で都市本戦出場って、冗談だろ?」

「ノーヴェ」

 

 ノーヴェが呆れるが、ティアナが首を振りながら、ノーヴェにモニターを見せた。

 

「レイジー・ディリジェント(11)都市本戦1回戦棄権」

 

 ティアナの出したモニターにはそう映し出されていた。それはネットで検索した去年のインターミドルの成績だった。

 

「マジか……」

 

 モニターに映しされた写真には目の前の少年と全く同じ顔があった。

 眠たげな瞳に、ふくよかな顔つきがそっくりである。

 これで別人ですと言われれば、ノーヴェは都市伝説を本気で信じようと思った。

 

「あのー、実は私もデバイスを持ってないです」

 

 申し訳なさそうに手を上げたアインハルト。彼女は真正古代ベルカ式の使い手なため、専用のデバイスが必要だ。だが、真正古代ベルカ式は扱う人間が少なく、オーダーメイドになるため普通に店では購入できない。

 王族血統であるとはいえ、今はただの一般人のアインハルトに手に入れられるような代物ではなかった。

 

「ふふふ、どうやら私の出番のようね」

 

 待っていましたと言わんばかりにルーテシアが不敵な笑みを浮かべる。

 彼女の人脈はかなり広いらしく、古代ベルカ式のデバイスを作成してくれそうな人物に心当たりがあるらしい。

 

「今は夜も遅いから、明日通信してみましょうか。アインハルトもその時、顔見せするから一緒に居てね」

「は、はい! お願いします」

 

 ぺこりと頭を下げる。彼女のインターミドル出場はどうやら大丈夫そうのようだ。

 アインハルトの事が終了すると、ヴィヴィオがレイジーに話しかける。

 今年、参加をする気の彼女は、やはり経験者の感想が知りたいようだった。

 

「んー? よくわかんない。時間切れまで蹴ってただけだし。都市本戦までだったらそれで十分だった」

「あははは。そうですか」

 

 あまり参考になるような事はないらしい。

 レイジーの戦い方は相手の実力は概ね関係ない。速攻からの連続攻撃でKOもしくは判定勝ちに持って行く戦い方のため、相手がどうだったという感想などないに等しいのだ。

 

「まあ、でも、後輩達3人とストラトスだと本戦までいけないと思うよ」

 

 何気なしに言った言葉であるが、それに鋭く反応する4人の少女達。

 その理由を4人全員が求めていた。

 

「全員微妙だから」

「お前、もう少し言葉を選べ」

「でも事実」

 

 レイジーの言葉にノーヴェは反論しなかった。彼女も分かっているのだ。4人が今のまま大会に出場しても都市本戦までは残れないだろうということが。

 

「ディリジェントさんから見て、私達は何が足りないと思いますか?」

 

 悔しさはあるだろうが、レイジーに勝てなかったアインハルトは平静に努めて彼のアドバイスを仰ぐ。ヴィヴィオたちもレイジーの言葉にしっかりと耳を傾けているようだ。

 

「知らない」

 

 だが、そんな面倒なことを語るレイジーではない。彼は面倒なことが嫌いなのだから。

 

「可愛い後輩とクラスメイトだろ? アドバイスくらいしてやれよ」

「ふぁいと」

「それはアドバイスとは言わねぇよ」

 

 レイジーのお肉をぎゅっと掴んで引っ張るノーヴェ。レイジーが止めてと抗議すると、今度はあごの肉をたぷたぷし出した。

 

「しょうがないなー」

 

 ノーヴェを無理矢理引きはがして、レイジーは4人がちゃんと見えるように座りなおした。彼女たちもレイジーをしっかり見つめる。

 

「端的に言うと、全員魔力の扱い方が下手。特にヴィヴィ男」

「なんか発音がおかしくありませんか?」

「おかしくない。4人の中で一番魔力操作が巧いのはコ……コロコロだけど」

「コロナです。名前くらい憶えてくださいよ~」

「あ、ごめん。で、コロナが一番とは言っても僕からしたら大差なんてない。遅すぎる」

「レイジーさんが速すぎるんですよっ!」

「そりゃー練習してるからね。で、そうやって練習している人間が大会に出てくるわけだけど、どう?」

 

 レイジーの言葉に4人は何も言えなかった。レイジーのようなタイプが他にいるとは思えないが、もし存在していたらヴィヴィオたちに勝つ手段はない。

 だが、はいそれまでと言うわけにはいかない。何かないかと、レイジーの次の言葉を待った。

 

「魔力操作は基礎の基礎。ヴィヴィ男のママんは速かったよ。初見でシールド張られたのは初めてだったし」

 

 攻撃を仕掛ける動作がレイジーの方に分があっても、攻撃が届くまでの時間がある。それでもコンマ何秒という世界の話だが、なのははそれにしっかりと対応していた。

 管理局のエースオブエースと呼ばれるだけのことはある。

 

「後は、そうだね、これだけは絶対に負けないというものが君らにはない。コロナは確かに4人の中では魔力操作が巧い方だけど、逆に言えばそれしか取り柄がない。その得意分野でさえ、他の3人と比べてちょっと勝ってる程度」

 

 レイジーは後輩を思うやるような人間ではない。コロナの心に言葉という巨大なナイフを突き刺す。幼気な少女が半泣き状態だ。

 そしてそんな彼女に追い打ちを掛ける。

 

「そして何より、僕はコロナが理解できない」

「え?」

 

 コロナは困ったように首を傾げる。

 

「どういう意味ですか?」

「そのままだよ。コロナはなんで格闘技をやってるの?」

「…………」

 

 コロナは沈黙した。

 

「お世辞にもコロナが格闘タイプに向いているとは思わない。コロナの本領は、ゴーレムでしょ? コロナ自身の格闘能力向上よりもゴーレム操作にもっと集中した方が良いと思う。それに、頭も良いんだからゴーレムを複数創成して指揮官としてフィールドに立った方が効果的だと思う。ゴライアスは夢があるけど、生成速度を考えたら非効率。ゴライアスを出すための時間を稼ぐための格闘術だとしても、コスパは悪い。それならゴライアスは出した瞬間に勝利を確定するようなものじゃないと意味がない。もう一度聞くけど、なんで格闘技をやってるの?」

 

 レイジーからすればごくごく当たり前の質問だった。苦手分野にあえて飛び込む人間を彼は理解できないのだ。勝ちたいというのなら最も効率の良いスタイルを貫くべきではないのかと、彼はそう問いかけている。

 コロナは俯く。そして、ちらりと視線を隣に座っていたヴィヴィオたちを見て、また俯いてしまった。

 

「まあ、これはあくまで僕の疑問だから、そこまで深く考えないでいいよ」

 

 コロナは小さく頷くだけだった。コロナへの話が終わると続いてリオの方に顔を向ける。

 

「ガオは」

「リオです!」

「ご、ごめんなさい。リオは、魔力変換資質を二つ持っているとは言え、ただそれだけ。そのどちらも決定打としては使えてない。珍しさ選手権なら上位に入れるよ。格闘レベルは決して高くないとだけ言っておくね」

 

 リオはうっと胸を押さえて床に倒れ込む。

 胸が「痛いよ~、痛いよ~」と泣いていた。

 

「ヴィヴィ男はもうあれ、全部が中途半端。火力はないし、防御も巧くないし、回避もダメ。うん、良いところなし」

 

 ヴィヴィオの涙腺は容易く決壊する。

 

「それにコロナと同じだけど、ヴィヴィオもタイプ的には前衛アタッカーじゃないと思うよ」

 

 それはヴィヴィオも分かっているのか、「はい」と小さくこぼすだけだった。

 

「ストラトスも同じ。不完全。覇王流だっけ? ご先祖様が残してくれた技術を大切にするのは分からないわけじゃないけど、バカみたいに影を追っても無駄だよ。君とご先祖様は同じ人間じゃないんだから。ご先祖様の覇王流とやらを自分用に改良くらいしないと。まあ、改良以前の問題だけどね。今は技法の模倣すらできてないみたいだし。ストラトスが見せた覇王流があれで完璧だって言うなら、それまでだけど、そしたら覇王なんて御大層な名前を撤回することをおススメするよ」

 

 覚悟していたとは言え、アインハルトも目に涙を溜める。自分自身、初代覇王クラウスに追いついていない自覚はあるが、それでも論外と言われるとは思っていなかった。

 レイジー相手に何一つ良いところを見せられていないのだから、彼の評価も当然だと分かっているのだが、辛いものは辛い。

 無表情を目に見えて暗いものに変化させた。

 

「以上」

「以上じゃねぇよ。出場前から心を折ってどうすんだ」

「これくらいで諦めるくらいなら、お肉は食べられないんですよ」

「おめぇのことじゃねぇよ!」

 

 オラオラとレイジーのお腹の肉を引っ張るノーヴェ。

 

「れ、レイジーさん。それじゃあ、今から猛特訓すれば、私達にも可能性がありますか?」

「ない」

 

 ヴィヴィオが絞り出した言葉に、レイジーはバッサリ否定の言葉を述べた。

 

「努力しているのが君たちだけなはずがない。現時点で都市本戦に出場する選手と君たちでは大きな差がある。それをちょっと頑張ったくらいで埋められたら、僕は努力なんてしない」

 

 不断の努力を続けてきたレイジーの言葉は少女達には重すぎた。

 

「でも、君達は頑張るんでしょ? 他人に言われた程度で諦めるような目標ならそれまでだけどさ。少なくとも僕は諦めなかったよ。無理も無茶もデブも言われてきたけど、僕はこうしてここにいる」

 

 全く威厳のない姿のはずのレイジーが、ヴィヴィオ達にはとても格好よく見えた。リオに至っては本気で、「先輩やばっ」と興奮している。彼女の美的感覚が相当おかしくなってしまったようだ。

 

 さんざんな批評をされた後であるが、和やかな雰囲気ではあった。

 ただ、彼女たちはレイジーの言葉をしっかりとかみしめている。

 

 ――僕はここにいる

 

 その言葉がどれだけの意味を持つのか、彼女たちはそれを知っている。

 決して最強と言われるような能力じゃない。条件を、状況を選べば現時点のヴィヴィオ達でも倒すことができる相手。

 

 だが、個人戦格闘技者としてはこの中の誰よりも強い。彼はそれだけの事をやって来たのだから。

 そう思うと、ハハとヴィヴィオ達が笑いだす。

 そうだ、そうなんだ。結局やるしかない。無理だと言われたから諦めていては、これから先に望みなんてない。

 君たちなら出来るよと言われて安心したかった。少し前まではそんな言葉を望んでいた。

 だけどそれは容易く砕かれ、無理という言葉を押し付けられた。

 

(でも、今の方がずっといい)

 

 望んでいたのは安心などではない。

 勝ちたい、強くなりたいという気持ち。

 それなくして成長などありえないのだから。

 

(私達はまだまだなんだ。私の春光拳も、コロナの創成魔法も、アインハルトさんの覇王流もヴィヴィオのストライクアーツだって)

(頑張ろう。もっともっとうまくゴーレムを操れるように)

 

 レイジーがどういう意図でヴィヴィオ達に話したのかは分からないが、少なくとも彼女たちの闘志には火が点いた。

 やってやる、そんな気持ちが彼女達全員に宿った。

 

(ディリジェントさんのあの目。きっと心に秘めた熱い思いがあるのでしょう。面倒なことが嫌いだという割に、ちゃんと私達に話をしてくれるなんて……)

 

 アインハルトはレイジーに感謝の思いを抱く。だが、そんな彼女の思いをレイジーは容易くゴミ袋に放り込む。

 

(ハァー、話してたら喉が渇いた。コーラ飲みたい)

 

 少女達がレイジーの思いを知ったら、おそらくこの場で一時的な力の上昇があったことだろう。

 



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第一一話 助言と教会

 アインハルト・ストラトスは悩んでいた。

 

(どうしましょう……?)

 

 帰りの次元航行船、一つ席を空けた先でぐっすりと眠る少年を見ながらアインハルトは考えていた。

 

 ――覇王流を改良しなくちゃ

 

 少年の言葉に少女は激しく動揺していた。

 

(クラウスが作り上げた覇王流はオリヴィエ亡き後は間違いなく最強だった)

 

 だが、どうだろうか? 覇王流を修めていない、言ってしまえばそれまでだが、仮に覇王流を極めたとしてこの時代で最強の称号を手に入れることができるのだろうか。

 いや、レイジー・ディリジェントに勝つことができるのだろうか。アインハルトの頭の中はその事でいっぱいだった。

 

(私はクラウスに縋っていた。最強である彼に辿りつけば、自分も最強になれるのだとそう思っていた)

 

 でもそれをレイジーは否定した。アインハルトとクラウスは同じ人物ではない。だから、同じことをやっても強くはなれない。

 覇王流は絶対だ。それはアインハルトの中でも変わらないが、クラウスの覇王流が本当に自分の覇王流となるかは分からない。

 クラウスの無念を晴らすという生きる意味。だが、それはクラウスの強さを真似ろという意味ではない。

 

(私はまだまだです。ですから、変わらないといけません)

 

 よしとアインハルトは決意を新たにする。この船がミッドに着いたらお願いしてみようと、二つ離れた席で眠るボッチャリ少年をみた。

 

(私の覇王流。私だけの覇王流。きっと身に付けて見せます)

 

 アインハルトはゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レイジーさん、あのーインターミドルまで私の訓練に付き合ってくれませんか?」

 

 まさか、アインハルトはそう思った。

 自分と同じことを考えていた者がいたなんて、そして先を越されてしまうことになるなんてと、アインハルトは目の前で起こっている光景に驚きを隠せなかった。

 

「拒否、拒絶、無理、やだ。お好みの答えをどうぞ」

「どれも同じじゃないですか」

 

 左右で瞳の色が違う少女はがっくりと肩を落とした。

 

「やっぱり面倒だからですか?」

 

 うるんだ目でレイジーを見るヴィヴィオ。それが普通の感覚を持つ一般男子なら効果はあるのだが、相手はやはりレイジー。思ったまま答える。

 

「そうだね」

「で、でも、レイジーさんも別の大会にでるんですよね? だったら練習相手が居た方が良いと思うんです」

「君が僕の練習相手になるとは思えない。シャッハちゃんに頼めば嬉々として付き合ってくれるからそこは問題なし」

 

 ヴィヴィオの最後の提案もにべもなく断られてしまった。

 

「じゃあ、せめて魔力操作のコツだけでも教えてくれませんか?」

 

 ヴィヴィオの放った言葉だったが、アインハルトもリオもコロナも聞き耳を立てていた。

 

「気合と根性」

 

 ノーヴェがレイジーの肉を掴んで超高速で揺らした。

 真面目に話せということらしい。

 

「普通であることを捨てることだよ」

「普通を捨てる?」

「そ。リンカーコアという異物を持っている以上、普通の感覚で生活しててもダメ。呼吸する時に、今呼吸しているな、なんて考えないでしょ? でも、魔力を使う時はどうしても意識しちゃう」

「つまり、日常的に魔力を使えって事ですか?」

 

 レイジーは一度首を縦に振り、そして横に振った。正解でありはずれであるということだ。

 

「いきなり魔力を使っての生活ができたら、僕は泣いて引きこもってコーラを飲んでダラダラする。魔力を無意識に使うって言うのはそう簡単じゃないんだ」

 

 簡単そうに聞こえるのは発言者がレイジーだからである。

 レイジーの言葉で自分たちでは無理なのかと思う少女たちに、レイジーは決め事をすればいいと提案した。

 

「決め事ですか?」

「そう。ノーヴェさん、腕を組んでもらえますか?」

 

 首を傾げながら、ノーヴェは腕を組んだ。彼女の豊満なバストがやけに強調されることになった。それを見たアインハルトが少しだけ表情を変え、自分の胸と見比べていた。ない、決定的にない。

 

「例えば、練習中にノーヴェさんが今のポーズをしたら、それがどんな時であっても魔力を全身に流すようにする。最初は意識しないとダメだけど、徐々に無意識に反応できるようになるよ。要は反射と同じ」

 

 梅干をみれば唾液が出てくるように、ある一定の行動は無意識にできるものである。

 レイジーはその動物的な習性を活かせと言っているのだ。

 

「自然と魔力を流すという感覚をそれで身に付けたら、対象を広げていく。最終的には寝てても普通に魔力を使えるのが理想。ちなみに僕はその状態になるまでに2年かかった。僕は最初から魔力を使って生活するようにしてたけど、その所為で学院はかなり休んでたかな。近くて設備が良いから選んだ学院なのに、通えすらしなかった時はさすがに笑った」

「全然笑い話にならないんですけど……」

 

 魔力を流した生活、ちょっとくらいなら出来るかもと安易に考えていたヴィヴィオ達は現実を理解した。

 思い出せば、フェイトですら無理と言っていたのだ。レイジーがあまりにも普通にやっているから、なら自分たちもと思ってしまったのだが、現実はそんなに甘くはなかった。

 

「だから、今は条件付きで無意識を作りなよ。いきなり休み出すと不登校を疑われるから」

「そ、そうします」

 

 想像してた以上に辛そうだと、ヴィヴィオは暗い表情になったが、少しすると元気を取り戻した。

 彼女の前向きな姿勢はこういう時にはプラスに働く。

 

「ディリジェントさん」

「やめて、よして、触らないで、アンタなんて大嫌いだわ」

「いつから私達はそんな別れ際のカップルのような関係になったのでしょうか? しかも本来ならそれは私のセリフでは?」

「なんとなくこの言葉が出て来た。つまり、嫌だ」

「つまりの使い方が全く理解でませんが、ディリジェントさんの言いたいことは分かりました。ですが、そこを曲げてお願いします。私の、私達の特訓に付き合ってくれませんか?」

 

 美少女が頭を下げる。

 頭を深く下げる。

 整ったその顔立ちで真摯に頼み込む。

 普通の男なら二つ返事で了承しそうな光景だ。

 

「やーだ」

 

 だが、レイジーは普通の男というカテゴリーに入っていない。

 

「私達では練習相手にならないということですか?」

「うん。正直、時間の無駄」

 

 全くためらいなく言い切る。

 レイジーに必要な相手は圧倒的な防御力を持つ魔導師か、シャッハのような特殊能力持ちである。

 アインハルトやヴィヴィオ達はそのどちらのカテゴリーにも入っていない。

 だからこそ、レイジーは彼女たちを求めることはない。

 

「君達4人の中で練習パートナーが務まりそうなのはヴィヴィ男くらい。ヴィヴィオはたぶん目が良い。それに学習能力も僕なんかに比べれば全然高い。補佐という意味でなら間違いなくコロナだけど、相互に高めあうパートナーとしてならヴィヴィオかな」

「じゃあ、なんでダメなんですか?」

 

 少しだけヴィヴィオが不満そうにする。

 

「レスポンスが遅いから。目で分かってても身体が反応するところまではいかない。魔力操作がもう少し上手ければ、わざわざ身体を動かさなくても魔力シールドの部分展開で攻撃を防げると思うけど、今のヴィヴィ男にはそれができない。つまり役立たず」

 

 ずーんとヴィヴィオが落ち込み、リオとコロナが慰める。

 レイジーのあまりの発言に気づかなかったようだが、レイジーは彼女にはっきりとアドバイスをしていた。ノーヴェが「もう少し傷つけないように言え」と睨むが、レイジーはどこ吹く風だった。

 

「ということで僕は帰ります。4日間お世話になりました」

 

 ぺこりと頭を下げ、レイジーは空港から帰宅しようとして

 

 ……戻って来た。

 

「家まで送ってください」

 

 実にシンプルな理由だった。

 さきほどまでの会話など彼の中では抹消されているのだろう。かなり図々しかった。

 

「自由すぎるだろ」

 

 ノーヴェはレイジーに心底呆れた。

 

 ■

 

「シャッハちゃん、練習付き合ってくださいな」

「……貴方は誰ですか? 私の知るレイジーはそんな前向きな会話をするような子ではありません」

「ボケるのが面倒」

「私の知っているレイジーでした」

 

 シャッハがホッと胸を撫で下ろした。

 レイジーがやって来たのは聖王教会。本日、学院に出勤することになっていなかったシャッハを探して、ここまでやって来たのだ。

 合宿での出来事など話す内容などいくらでもあるのだが、自分の用件だけ告げるのはやはりレイジーだった。

 

「貴方の訓練に協力するのは構わないのですが、今日は少し忙しくて付き合えそうにありません」

「まあ、それならしょうが――」

「ですが」

 

 シャッハはレイジーの言葉を遮った。

 

「私の弟子にあたる見習い修道女がいます。その子に貴方の相手を頼むことにします。私が見てないと仕事をよくサボるので、暇している時間を貴方との特訓に当てさせます。あの子もインターミドルに出るかもしれないので、貴方だけのためということにもならないでしょう」

 

 シャッハ優しく微笑むと、「ちょっと探してきます」とその場から去った。

 一人教会に放置されたレイジーは、何もすることがないので、整備された庭で仮眠を取ることにした。

 

「お、なんだレイジーじゃんか」

 

 庭先に出ると、教会のシスター、セインが気軽に話しかけてきた。

 その後ろには顔立ちの似た二人がおり、執事服を纏う執事と修道服を纏うシスターが居た。

 

「お休みなさい」

 

 すべての会話をぶった切って、レイジーは整地された芝の上にぼてっと寝転がった。

 すでにレイジーという人間を理解しているセインは「相変わらずだな」と笑ったが、残りの二人はその行動に驚きを隠せない。

 最低でも自己紹介なりなんなりがあると予想していたからだ。

 

「レイジーが教会に来るなんて場違いにも程があるな」

「セイン姉様、失礼では?」

 

 ぶよぶよと寝ているレイジーの腹をいじくるセインをたしなめるシスター。

 レイジーが礼を失すっているとはいえ、さすがに姉の態度を問題だと判断したようだ。

 だが、セインは構わずレイジーのお肉をいじくり回す。

 

「うざい」

「うざ――うざいって言った!? わ、私は精神的には幼いんだぞっ! もっと言葉に気を付けろよっ! 泣いちゃうんだからな」

 

 騒ぎ立てるセインを本気で鬱陶しく思ったレイジーは寝返りを打って、完全にシカトする。

 セインに対する扱いはそれで良いのか、後ろで控えていた二人はレイジーの行動に何も言わなかった。

 

「セイン姉様、彼はあの時の……」

 

 執事服を着た少年――実際は少女――のオットーはレイジーの事を思い出していた。

 レイジーは完全に忘れているのだが、二人は面識がある。アインハルトとレイジーが区民センターで拳を交えた時だ。

 

「あの時のって言われても、私には分からないけど。でも、オットーの記憶にあるレイジーで間違いないよ。こんなぶよぶよな奴がそうそういる訳ないし」

 

 そんな会話をしていると、庭先の方で賑やかな声が聞こえた。

 賑やかというか怒鳴り声であるが、シャッハがオレンジ色の髪をした少女の首根っこを捕まえて登場したのだ。

 声の大きさから分かる通り、説教しながら歩いてきている。

 

「全く貴方はすぐそうやって仕事をサボろ――」

「あーはいはい。分かりました。分かりましたよ。そんな耳元で何度も――」

 

 そんな二人の会話にセインたちは「またやってる」と苦笑していた。

 荷物を運ぶようにシャッハが少女を連れてくると、レイジーの前までやってくる。「起きなさい」と声をかけたが、レイジーは全く反応せずスヤスヤと気持ちよさそうに夢の世界の住人になっていた。

 ハァーとタメ息を吐いたシャッハは、捕まえていた少女を一旦放して、レイジーの耳元に顔を近づける。

 そして、そっと一言。

 

「今起きたら、お肉が食べ放――」

「げっとあっぷ!」

 

 レイジーには珍しく素早い反応だった。肉食べ放題という言葉に身体が無意識に反応したようだ。

 だが、現実にはシャッハの呆れ果てた表情があるのみで、肉などどこにもない。

 しょぼんとなったレイジーはふて寝をしようとするのだが、それはシャッハによって止められた。

 

「どこまで怠ける気ですか。ここに来た目的を忘れないように」

「……おっと」

 

 そう言えばそうだったとレイジーは眠りそうになった身体を起こして、座りなおした。

 

「この子がさっき言っていた私の愛弟子に当たる子です。シャンテ、自己紹介をしなさい」

「……シスターシャッハ、本気なの? これが私より強いって?」

 

 シャンテと呼ばれた少女をはレイジーを指さしながらそう言った。

 そういう態度はいけませんとシャッハにたしなめられるが、レイジーの見た目から判断すれば少女がそう思うのも仕方がない。

 一応は師匠であるシャッハに自己紹介をと言われてはしない訳にはいかない。

 シャンテは不満そうに自分の名前を告げた。

 

「シャンテ」

「レイジー」

 

 全く友好的ではない自己紹介が終わった。お互いが名前だけという酷い有様だ。

 

「まあ、シャンテがレイジーの実力を疑うのも無理はありません。ですので、一戦してみるのが一番早いでしょう」

 

 バトルジャンキーと周囲から思われているシスターシャッハらしい解決策だった。

 

「え、いいの? たぶん瞬殺しちゃうよ?」

「コーラが欲しい」

「シャンテ、甘く見ていると痛めに遭いますよ。レイジー、貴方はもう少しやる気をみせなさい。コーラはありませんが、後で紅茶とクッキーを用意しましょう。もちろん、シャンテに勝てたらの話ですが」

「ふぁいとー」

 

 クッキーと聞いてやる気を出したレイジー。そんなレイジーの態度にシャンテの癇に障った。

 

(このデブは私を舐めてくれやがりますか……ぶっ飛ばす!)

 

 シャンテもやる気スイッチがオンになる。

 デバイスを取り出し、武器を取りだした。

 

「アンタ、武器は?」

「ない。強いて言えば、このお肉」

「それは武器じゃなくて弱点だから」

「僕のチャームポイントだよ」

 

 おそろしく会話がかみ合わない二人。シャッハも本日二度目のタメ息を盛大に吐くことになった。

 

 綺麗な庭を荒らされてはたまらないので、教会内にある訓練場に移動する。

 審判を務めるのはオットー。

 レイジーとシャンテは距離を開けて構えを取った。

 

「勝負は一本。相手に有効打を入れた方を勝ちとします」

 

 シャンテの表情には笑みがこぼれる。

 目の前の肉の塊に負けるはずなどないという完全な油断が有った。

 一方でレイジーも笑う。この後、出されるであろうクッキーの事を考えて既に頬が緩んでしまっていた。こちらも完全に油断している。

 お互いが完全に油断しきった状態での勝負。

 勝敗は……。

 

「始めっ!」

 

 ■

 

 シャンテは得意技で攻めるつもりだった。開始の合図の前から得意の幻術を駆使して、本体を隠し、分身体をレイジーの前に立たせた。

 シスターシャッハが、自分よりも強いと言った相手だ。いくらなんでも見た目通りということはない。

 始めの合図で、後方に回り込み、分身体を倒して油断している相手に一撃を食らわせる。

 シャンテは試合が始まる前は、そんな事を考えていた。

 だが。

 

「ん? 蹴った感じが違うな……そっちね」

 

 分身体を消されるまでは良い。その攻撃方法が分からなかったのは失態だったが、分身体が消されるのは予想していた。

 だが、予想は大きく外れる。

 ミラージュハイドを使って、姿を消したまま背後から強襲するはずだったのだが、まるで見えているかのように正対されてしまった。

 器用に右足を軸にしてくるりと回転し、自分の正面に立たれてしまう。

 

(デブの癖にっ!)

 

 思いのほか俊敏な動きをしたレイジーにシャンテは舌打ちをする。おそらく動物的な勘か何かで自分の場所を察知したのだと判断し、一旦距離を取る。

 姿を消したまま、レイジーの周りを移動し、攻撃に備えようとする。

 だが。

 

「ぐっ!」

「かすったかな? 声が聞こえた」

 

 レイジーの見えない攻撃が右下腹部をかすめて行った。だらんと締まりのない顔と身体を晒すだけのレイジーなのだが、シャンテは今、激しく動揺している。

 

(なんで、なんで、なんで!? あのデブは私の場所が分かるの!? それにアイツの攻撃が全然見えないんだけどっ!)

 

 心の中で叫ぶ。

 取り立てて構えを取らないレイジーが不気味でしょうがない。

 近づこうとする度に、レイジーはそれを察知し攻撃を仕掛けてくる。

 一体なぜ? シャンテは混乱と戦いながらも、状況を修正しにかかる。

 

(10Mだ。アイツの周り10Mに踏み込もうとすると反応される。何かの魔法? いや、今はそんなのどうだっていい。とにかく私がしなきゃいけないことは、アイツの反応スピードを超えて、攻撃を加えないといけない。私はそんなに速くないから)

 

 シャンテは分身体を3体まで増やした。

 スピードでかく乱できないなら、幻術を駆使するまで。レイジーの先ほどの発言から、幻術と本体を見分けてはいないと判断できる。

 ならば、分身体を突撃させ、そちらに気を向かせているうちに、一撃をぶつける。

 勝利の道筋を思い描いた。

 

 観戦していたシャッハは、それではダメだと思った。

 シャンテの意図を理解はしたが、それではレイジーには届かないと確信する。

 シャンテは気づかなければいけなかった。レイジーの攻撃方法が分かっていないということに。

 それが分からずに数体の分身程度でかく乱しようなどという無謀さ。

 

 レイジーとは血縁でもあるが、やはり愛弟子の方が可愛いというもの。アドバイスを送ってやりたいと思うシャッハだったが、練習試合とは言え勝負は勝負。

 出そうになる言葉を何とか、飲みこんで戦況を見守る。

 

(行ってやる!)

 

 そう思ったシャンテだったが、彼女がレイジーに攻撃をすることはなかった。

 一瞬だ。一瞬にして3体の分身が消え、そして自分の顔面に衝撃が走ったのを感じた。

 そして同時に後方に飛ばされ、そのまま地面を転がった。

 

「勝者、レイジー!」

 

 幻術で隠れていたはずのシャンテの身体が露わになる。地面を転がったためか、折角の修道服は土でいたる所が汚れてしまっていた。

 頬に食らった攻撃がまだ色濃く残っており、ひりひりとして痛々しさを見せている。

 だが、シャンテにはそんな事はどうでもよく、自分がなぜ無様に地面に転がされているのか、それが知りたかった。

 

「な、なんで……」

「大丈夫ですか、シャンテ」

 

 駆け寄って来たシャッハが優しく、シャンテの赤くなった頬に触れる。

 ディードを呼んで、回復魔法を掛けるようにとお願いした。

 治療を受けながらも、シャンテは自分の敗因について考える。

 なぜ自分は負けたのか。

 そもそも、相手は何をしたのか。

 考えてもシャンテは答えを見つけられなかった。

 

「顔に当たっちゃったんだ……ごめん」

 

 感情のないレイジーの謝罪だったが、ぺこりと頭を下げるその姿が、微妙に愛らしかった。

 

「勝負だからそれはいい。けど、アンタ何したの?」

「目標をセンターに入れてスイッチ」

「意味わからないんだけど……」

 

 面倒だからレイジーは説明する気がないようだ。

 

「シャンテ、後で映像を検証すればわかりますよ。それより、自分の現状を理解しましたか?」

 

 シャッハの言葉にシャンテはぷいっと顔を背ける。

 

「確かに貴女は強くなりましたが、最近調子に乗りすぎです。相手を見下しながら戦ってこうして足元をすくわれる。貴女の悪いところです」

「ぶーうるさいなー」

 

 不満を漏らすシャンテだったが、シャッハの言いたいことは理解した。いや理解させられた。

 相手は格闘技をやっているかも怪しい体型だ。

 まず負けはない。

 そう思って戦った結果が惨敗だ。

 これでシャッハの言いたいことが分からないようでは、ただのバカでしかない。

 

「相手に敬意を払うことは、相手のすべてを考えることです。油断は慢心を招き、そして敗北につながります。シャンテ、敬意を持ってください。貴女の戦うすべての人が、貴女の成長の糧になってくれるのですから」

「……わかったよ」

 

 顔は背けたままだが、シャンテは小さく頷いた。

 

「シャッハちゃんが……先生みたい。暴力以外に教え方があったんだ」

 

 心底驚いたとレイジーの口から思わず言葉が漏れた。

 

「レイジー、そう言えば貴方も油断をしていましたね? これからその性根を叩き直してあげましょう」

「シャッハちゃん、忙しいとか言ってなかったっけ? あ、もしかして、その見習いシスターさんの相手を僕にさせるためにわざと嘘をついたの? なんてあくどい」

「お黙りなさい。さ、試合を始めましょう」

 

 それからレイジーはシャッハと模擬戦を延々と行う羽目になった。

 レイジーの苦手とする物理透過の能力を持つシャッハはスタート時こそ、レイジーの攻撃を食らいはしたものの、その反動を利用して地面内にエスケープ。

 壁貫きなどの高等技術を身に付けていないレイジーはシャッハの下からの攻撃に逃げの一手を打つしかなかった。

 そして、もういいやと諦めてしまい、そのままシャッハに撲殺された……死んではいないが。

 無残に散った子豚が教会の訓練場に転がることになった。

 

「アイツ、マジで何なの?」

 

 シャンテは倒れたレイジーを見ながらそう呟くのだった。

 



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第一二話 人気者?

 教会での訓練を終えた次の日。

 

「先輩!」

 

 帰宅途中に野生のリオが現れた。

 コマンド選択……逃げる。

 回り込まれた。

 エサを与える……自分で食う。

 呆れられた。

 

「辛い、今日は早く帰って寝よう」

「ちょっと!」

 

 リオはレイジーを掴んだ。レイジーのお肉を掴んで引っ張った。

 それにより、レイジーは帰宅することができなかった。

 

「何か用?」

「今空いてますか? 空いているなら私の特訓に付き合って欲しいんですけど」

「残念ながら空いてません」

「お願いしますっ!」

 

 ぱちんと手を合わせて頼み込む可愛い後輩。

 普通なら、これで一発で落ちる。

 特にレイジーのように、特に予定のない人間ならなおさらだ。

 だが、怠け者の精霊に憑依されたレイジーはただ短く、

 

「嫌」

 

 そう告げる。

 さすがはレイジーである。

 

「え~」

「僕は人に教えるとかできないから。リオはリオの道を歩んでいけばいいと思うよ」

「何気に良い事言ってるけど、実際は?」

「面倒だから」

「先輩らしいお言葉です」

 

 リオは大きく肩を落とす。

 

「そもそもなんで僕? ノーヴェさんがいるじゃん」

「ノーヴェ師匠は私達のことを考えて指導してくれます。それには感謝してるんですけど、ノーヴェ師匠は優しいから、言葉を濁したりする時があるんです。でも先輩ならダメならダメってはっきり言ってくれるから」

 

 ノーヴェの優しさに感謝はする一方で、リオは小さな不満を抱えていた。

 自分たちを傷つけないように言葉を選んでくれているのは分かるが、時には本当のことを伝えて欲しいとも思うのだ。

 多感なお年頃のリオ達の指導はそう言った面で難しい。

 

 だが、リオも道場で育った身だ。指導者の苦労はなんとなくだが分かる。

 だからこそ、ノーヴェの負担にならないようにリオはレイジーを選んだ。

 

「私、先輩の事を尊敬しているんです」

「それは頭の病院に行った方が良いよ。末期だ」

 

 自分が正常からどれだけ外れているかをレイジーは理解している。理解したうえで、それを受けいれている。

 そんな自分に対して尊敬など全く縁遠い言葉を口にする少女をレイジーは本気で心配する。

 そう言えば、この少女は頭がおかしい奴だったんだと、会って間もない頃を思い出した。

 

「ぶーぶー。だって先輩は凄いじゃないですか」

「確かに僕以上のお腹周りをしている学院生はいないね」

「そこじゃないですっ!」

 

 ばしっとリオの手がレイジーのポッチャリに直撃するが、鉄壁とされる分厚い脂肪がリオの手を弾き返した。

 

「本当に尊敬してるんですよ」

 

 リオは頬を膨らます。

 

「しょうがないなー」

 

 珍しくレイジーが折れた。

 あまり気にしてないとは言え、向けられる好意は素直に嬉しい。

 それで過労働が発生するようなら、断固として拒絶の意志を示すが、後輩の相手をするくらいなら良いかと了承することにした。

 

(頭がぱーんしてるし、下手に追い払って何かされるくらいならここは頷いておく方が良いかな)

 

 などとかなり打算的なことまで考えているが。

 

 

 

 

 

 

 

「で?」

「でとは何?」

「ここはどこですか?」

「マイハウス。そしてマイルーム」

 

 レイジーがそう言うと、リオは無言でお腹の肉を引っ張った。

 無理もない。

 練習に付き合ってくれると言ったのだから、リオとしてはジムのような施設に行くと思っていたのだ。

 それがどうだ?

 やって来たのは、レイジーの部屋だという。

 想像していたゴミ屋敷ではなく、割と整頓されているところは素直に驚いたが、なぜここにやって来たのかを考えてしまうと怒りの感情がふつふつとわき上がってしまう。

 これはつまりあれだ。

 

 騙されたのだ。

 

「練習に付き合ってくれるって言ったのに……」

 

 恨めしくリオが言う。

 

「だから、ここに来たんだよ」

「はい、ウソっ! 先輩はここでダラダラするだけなんでしょっ!!」

 

 怒りの感情を爆発させたリオはレイジーの太っ腹を「この、この!」と叩き始めた。

 リオは勘違いをしている。レイジーはそう思ったが、普段の自分の行動を思い返せば、リオが誤解するのも無理はないとも思った。

 

「落ち着いて」

 

 すとんと落とすようにリオの眉間に手刀を繰り出す。「う~」と涙目で睨むリオを無視して、レイジーはベッドの前に座るよう指示を出す。

 大きなテレビがそこには置いてあり、レイジーがちょこちょこ操作すると映像が映し出された。

 

「さっきノーヴェさんに送ってもらったリオとヴィヴィオの模擬戦の映像。ストラトスやコロナとのもあるけど、とりあえずこれが一番分かりやすい」

「あれ? もしかして、ちゃんとした練習?」

「これ以上うるさくすると、追いだすよ?」

「あ、嘘です、嘘です。静かにしてます」

 

 リオは慌てて、姿勢を正す。

 画面に映し出されたのは合宿3日目に行われた子ども組の模擬戦だった。

 なのは監修の下、子供たちに指導役としてフェイトが混ざって模擬戦をいくつか行ったのだ。

 

「あの時も言ったけど、リオの格闘技は正直言ってお粗末。初等科にしては良いのかもしれないけど、インターミドルに出てくる選手相手では全く話にならない」

「ぐすん」

 

 リオが膝を抱える。

 

「それで、何が拙いかをこっちの映像と比べてみよう」

 

 画面を2分割すると、左側にリオとは別の戦闘映像が映し出された。

 リオも見たことがない人物だ。

 

「去年のインターミドル男子の優勝者。リオと同じ魔力変換持ちの格闘タイプ」

 

 拳に炎を宿し、敵を殴りつけ吹き飛ばす。戦闘スタイルはシンプルだが、動作の一つ一つが正確で速い。

 

 確かにとリオは思う。

 

 これを見てしまえば、隣で流されている自分の動きはひどく拙く見えてしまった。

 

「ここを見て」

 

 リオとチャンプが似た攻撃を仕掛ける部分でレイジーは映像を止めた。

 

「リオは春光拳特有の身体の連動が巧い。(チェン)って言うんだっけ?」

「先輩、よく知ってますね」

「僕がインターミドルに出た時に春光拳の使い手が出るって噂で聞いたから、調べて映像を何本か見たんだ」

 

 へぇ~と言いながらリオは相づちを打った。

 

「でもこの映像みたいに、決まった動きでしか威力を乗せられないから、ヴィヴィオみたいに目の良い人間にはなんとなくで避けられてしまう。右足の踏み出しで左突きが繰り出される、みたいな感じで意外とバレちゃう。逆にチャンプの拳は、愚直に見えるけど、その実、重心の取り方が巧すぎて、予想と違う攻撃に見える。観戦者からすれば、ただの左ストレートだけど、この対戦相手の反応を見る限り、右側頭蹴りを予想したんじゃないかな。意識がそっちに行っているように見える」

 

(……凄い。映像で見ただけなのに、私の癖やチャンプの動きの本質と対戦相手の思考までちゃんと読んでる)

 

 レイジーの観察眼にリオは改めて感心した。

 部屋を見渡せば、棚には映像を収めたであろうDVDが何本も並んでいる。なのはやフェイトのような管理局でも凄腕で通っている者から、ミッドで開かれる魔法戦競技の映像が数十本はラベルを見て分かった。

 

(いつも、部屋でゲームとかテレビを見てるって言ってたけど、先輩が見てるのってもしかして戦闘映像なんじゃ……)

 

「ヴィヴィオも分かりやすい型をしているけど、近代格闘技の利点である型の多さでそれをカバーしている。ある程度までは次の攻撃の予測はできるけど、確実にこれだと断定はできないね。でもリオは違う」

 

 レイジーはリオが掌底を放とうとした動作でいったん映像を止めた。

 

「この後、右足を踏んで後方にバク転」

 

 レイジーが再生ボタンを押すと、画面に映ったリオは指摘された通りの動きをした。

 

「掌底に使った剄を次の動きに繋げられないから、後方に回避。本来ならもう一歩踏み込んで左腹部に蹴りを入れなればいけないのにそれができずに退避。リオにはこう言った部分が多すぎるから相手側は怖くない」

 

 子ども組三人の中で、もっとも力を有しているリオであるが、それはあくまで、いちにのさんで力を発揮した時に限られる。

 その攻撃も読みやすいから躱されやすい。

 レイジーがリオの格闘術は残念と評したのはこれの所為であった。

 とてつもない力を生み出す春光拳ではあるが、今のリオでは十全に使いこなし切れていないため、動きが単調になってしまうのだとレイジーは再度リオに告げた。

 

「魔力変換の雷で強制的に身体能力を底上げしてるんだろうけど、魔力操作が不十分だからフェイトさんのように消えるわけじゃない。反応される。格闘戦の得意じゃないコロナは別としても、ヴィヴィオに軽々と反応されるのはさすがにまずいよ。ストラトス相手に一発で吹き飛ばされているのはそう言うこと」

 

 アインハルトとの模擬戦の映像を見せながら、レイジーはタメ息を吐いた。

 

「私、春光拳に向いてないのかな……」

 

 小さい頃から学んで来た技術が扱えていないと指摘され、リオは少し自信を失いつつあった。

 ここで気遣いができる人間なら励ましの言葉の一つもかけてあげるのだが、レイジーは淡々と結論だけを述べる。

 

「YESでもありNOでもあるかな」

 

 リオは不安そうな顔のまま、レイジーを見た。

 

「さっきも言ったけど、剄の使い方だけは普通に巧い。一部分だけを切り取れば、春光拳のお手本となるものだと思う。例えば、これ」

 

 ノーヴェとの組手の映像だった。

 練習のため、ノーヴェが受けに徹していると分かりきっているから、リオも大胆に攻めている。

 相手の攻撃が来ないと分かっている分、多少危険となる場面でも引かずに攻撃を繰り出せていた。

 

「左足の踏み込みを上手く使って側面への回り込み。自然な動きだからノーヴェさんの反応がやや遅れた。この後に雑になったせいでクリーンヒットは与えられなかったけど、もしここでもう一回剄を使えていたら、有効打になっていたと思うよ」

「でも、ノーヴェ師匠との組手は私が攻めるだけだったから……」

「うん。だからYESでもありNOとも言ったの。リオは春光拳の真髄である剄を使うことに才能を持っているけど、春光拳を使う上で必要不可欠な技の繋ぎが下手すぎる。プラスかマイナスで言えばマイナスだね」

「あぅ」

 

 しゅんと小さくなるリオ。

 

「だから、この繋ぎの部分をどう克服するかが、リオの課題であり、春光拳に向いているのかどうかの答えになる。克服できれば向いているし、できなければ向いていない」

 

 爆発的な力を生み出す春光拳。力比べ選手権であれば、リオは世界チャンピオンになれるかもしれない素質を持っている。

 だが、それを格闘技に当てはめるとイコールではない。リオは格闘技としての春光拳を全くものにしていなかった。

 

「僕が言えることは身体の使い方を覚えましょうって事くらいかな。リオはバランスが悪すぎる。重心移動が下手だから、動作に無駄が出るし、それをカバーするために動きが大きくなって遅くなる。つまりは雑魚」

「うぅ~また雑魚って言われた~」

 

 膝を抱えて丸くなる。

 すすり泣く声が隣から聞こえるが、レイジーは全く気にしなかった。

 

「ということで、これとこれを目に焼き付けて体に覚えこませて。お前はこうやって動くんだって言い聞かせながらね。体捌きが巧い人の映像だから」

「…………」

「そんな期待した目で見られても僕は教えられないよ? 僕は近接戦闘を理解できるけど、実践できるわけじゃないから」

「ノーヴェ師匠と相談します……」

「うん。それじゃ、ご帰宅をお願いします」

「言いたいことだけ言って、可愛い女の子を追い返すなんて、先輩は鬼畜です!」

「どっちかって言うと家畜なんだけどね。見た目的な意味で」

 

 少女に非難されるという本来なら耐えがたい攻撃を軽く流して、「ばいばい」と手を振った。

 キッと睨みつけ、小さく涙を溜めるリオは何度か振り返りつつも、最後にはお礼を言って部屋を後にした。

 

「さてと、ラストサムライと砲撃魔の戦いでも見よう。粉砕、玉砕、大喝采の大血戦だからな」

 

 リオが帰った後、レイジーはベッドに横になった。彼の放課後は大抵DVD鑑賞だったりする。

 

 ■

 

 時として、人は抗えない波に襲われることがある。それを回避するには普段の行いを良くし、神様にアピールするしかなかった。

 その点で言えば、自分は大丈夫だと自信を持って言えるレイジーだったが、彼の思いとは裏腹に神様は試練を与えた。

 

 つまり、面倒な状況になったということだ。

 

「ディリジェントさん?」

「レイジーさん!」

 

 虹彩異色なんてなかなかお目にかかれない瞳を持つ少女達。二人であるところがポイントが高い。

 

「#$%#%&&WW」

「未知の言語を話して誤魔化さないでくださいっ!」

 

 ばんっという音とともにレイジーの机が揺れた。

 たださえ、見た目から評価の決してよろしくないレイジーが、このクラスで最も優秀と言っても過言ではない人間に詰め寄られている。

 後輩もセットとなれば、明らかに問題行動を起こしたのだろうと周りの人間は理解した。

 ストーカーでもやったのかと、周りからちらほらとささやかれ始める。

 

「怒ってる人間との接し方が分からない……人間だもの」

「怒ってません」

 

 その言葉通り、少女は努めて冷静であろうとしていた。残念ながら拳は力強く握られているのだが。

 

「レイジーさん、リオにコーチングしたってホントですか?」

「ううん、してない」

「リオがレイジーさんから参考資料のDVD借りたって言ってたんですけど」

 

 初等科の少女は自分が頼んだときはすぐに断ったのに~と不満そうに友達から聞いた内容を告げる。

 

「まあ、ちょっとだけね。組手してとか言って来たら追い払ったんだけど」

「そこはレイジーさんらしいです」

 

 少女は納得する。

 

「というか、二人はなぜ? ストラトスは同じクラスだから良いとしても、ヴィヴィオはわざわざ中等科まで来て」

「だってリオが自慢するんですもん」

 

 ぷく~と頬を膨らませる少女。普段、子供とは思えないような理知的な考え方をする彼女であるが、やはり見た目通りの部分もあるらしい。

 

「別に僕と模擬戦をしても得るものなんてないでしょう? すぐ終わるし」

「いえ。自分がどれほど成長したのかを測るためにはディリジェントさんは打ってつけの相手です」

「いや、それは対策を講じただけで、成長したわけじゃないから。だから気にしないで。僕はコーラを飲むからさ」

 

 カバンの中からコーラを取りだすと、ぷしゅっと蓋を開けてごくごくと飲みだした。

 会話のキャッチボールを魔球で行う気のようだ。

 

「あのー」

 

 レイジーが大暴投を放つ中、少し興奮気味のヴィヴィオとアインハルトに話しかけてきた子がいた。

 

「あ、いいんちょー。この二人を何とかして」

 

 レイジーは救援投手の登場によって、バトンを渡すことにした。

 ユミナ・アンクレイヴ。アインハルトとレイジーのクラスで委員を務める女の子である。

 清楚な雰囲気を持ちつつも、人当たりの良い性格であるため、男女から人気が高い子だ。

 レイジーは「いいんちょー」と呼んでいる。

 

「なんか最近、ストラトスさんとレイジー君ってよく話してるよね?」

「ううん」

「クラスでは一番話していますね」

 

 二人は全く違う答えた方をした。

 

「えーっと、アンクレイブさんは――」

「ユミナでいいよ。私もアインハルトさんって呼ばせてもらっていいかな?」

「は、はい」

 

 少し詰め寄ったユミナにアインハルトは赤面する。そんな彼女を見てユミナはニッコリと笑った。

 

「それで質問は何かな?」

「ユミナさんは、ディリジェントさんと親しいのですか?」

「うーん……どうだろう?」

 

 人差し指をあごに当てながら、ユミナは視線をやや上に向けていた。本人も良く分かっていないらしい。

 

「いいんちょーはよくコーラをくれるから良い人。このクラスで一番好感度が高い」

「私の価値ってコーラなんだ……」

 

 苦笑するユミナ。

 

「ユミナさんは気配りが上手なイメージがありますね。あまりお話をしたことがありませんでしたけど、そういう光景を何度も見ました」

「アインハルトさんからそう言われると照れるな~」

「ヴィヴィオ、そろそろ昼休みが終わるから帰った方が良いよ」

「あ!」

 

 時計を見たヴィヴィオは、ぺこぺこと頭を下げて、教室を出て行った。

 

「レイジー君って意外と周りを見てるよね」

「気遣いができる子なんです」

「ディリジェントさん、嘘はよくありません」

 

 普段から相手を傷つけるような発言をしているレイジーに気遣いなど無縁の言葉。

 

「寝る」

「でも、次の時間はシスターアンジェラの作法の授業だよ」

「寝れない……」

 

 こと礼儀ということに関して学院一厳しいと噂されるシスターの名前を聞いて、レイジーは嫌そうに突っ伏した。

 

「それで、ディリジェントさん、今日の放課後は空いてますか?」

「空いてません。それに会話が繋がってない」

「それを貴方には言われたくないです」

 

 確かに普段から脈絡のない会話をするのはレイジーの方だが、だからといってアインハルトがその手法を使っていいわけではない。 

 説明を求めようとしたレイジーだが、アインハルトという人間の面倒くささを考慮して彼女に返答するようなことはしなかった。

 だが、そこで終らせなかった人間がいる――ユミナだ。

 

「あ、やっぱりアインハルトさんもレイジー君の事知ってたんだ」

「ということはユミナさんも?」

 

 あまり格闘技に興味のなさそうなユミナだが、えへへと笑って説明する。

 

「私は格闘技ファンなの。まあ、やる側じゃなくて見る専なんだけど。レイジー君はたまたま去年のインターミドルを見てて印象に残ってたんだ。圧倒的だったもん。ただ本戦まで行ったので途中棄権しちゃったのは残念だなーって思った。あのまま行けば絶対に優勝できたよ」

 

 ユミナが称賛するが、レイジーは特に反応を示さなかった。ハァ~とあくびをするばかりである。

 

「同じ学校だって分かって今年同じクラスになったから、ちょっと話してみようと思ったんだけど、レイジー君はこれでしょう?」

 

 レイジーの普段の態度を指摘したものなのか、レイジーの体型を指摘したのかは定かではない。

 ただ、ユミナは制服のズボンからこぼれた腹の肉を優しく掴んでいた。

 

「本物のレイジー君になって欲しいなって思うよ。実際に正面で見たとき、吹いちゃったもん」

「その気持ちは分かります」

 

 てへっと笑うユミナに、深く頷くアインハルト。

 それからレイジーのことで二人が盛り上がろうとした時、担当のシスターが入って来て話はお開きになった。

 

「じゃあ、放課後に続きを話しましょうね」

「はい」

「僕を巻き込まなければどうでもいい」

 

 まあ、レイジーの願いは叶わないわけだが……。



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第一三話 レイジーの疑問

「はい、コーラだよ」

「ありがとう」

 

 ユミナからさも当然のようにコーラを渡されるレイジー。買収され、簡単にユミナとアインハルトと共に行動することになった。

 と言っても、レイジーの用事に二人が付き合うという形であるが。

 

「ストラトスは天瞳流の道場に行ったことがあるんだよね?」

「はい。そこの師範代を務めておられるミカヤさんとは何度も模擬戦を行っています」

 

 そう口にしたアインハルトの表情は暗かった。彼女の手足には痛々しく包帯が巻かれており、それがミカヤとの練習で付いたものであることは容易に想像できる。

 自分の実力がまだまだであることを実感しているようで、いつもの彼女とは少し違っていた。

 まあ、だからと言ってレイジーが何かをする訳ではないのだが……。

 

「レイジー君はそこに行くの?」

「うん」

「もしかして模擬戦とかしたりするの?」

「うん」

 

 レイジーは短く答えるばかりであるが、格闘技ファンであるユミナにとってみれば高レベルの選手の対戦だ。目をキラキラと輝かせて、見学させてほしいと訴えている。

 

「相手の許可をとれば良いと思う」

 

 自分は構わないとレイジーは言った。

 ユミナの隣を歩くアインハルトも「お供します」とやや興奮気味だった。

 

「それにしても意外でした。ディリジェントさんは、模擬戦のようなことはあまりしないと思っていましたから」

「うん。でも、試合が近い時はやるようにしてる。ノーヴェさんに頼んだら今日の人を紹介してもらった。抜刀居合を使う人らしいからちょっと楽しみ」

 

 あまり戦うことに積極的でないレイジーが楽しみと口にした。それはアインハルトにとって驚きに他ならない。

 そして自分では楽しんでもらえることすらできないのだと強く痛感した。

 それからしばらく歩いて、道場にたどり着く。

 静かな感じを想像していたレイジーだったが、想像とは違った。

 

「はっ!」

「雑に振るなっ!」

 

 門下生たちが師範代の下で、素振りに勤しんでいる。

 自分の動きを確かめるように、ゆっくりと、それでいて力強く振っている。

 型が乱れるような者がいれば、師範代が直接行って指導する。

 集団が一つの個となるような、凄まじいほどの練度だった。

 なんどかこの場を訪れたことのあるアインハルトにとって、もう驚くようなことではないのだが、この光景を初めて見たユミナは言葉がでないようで、ただただその光景に魅入ってしまっている。

 

「レイジー・ディリジェントです。ノーヴェ・ナカジマさんの紹介でやってきました」

 

 ぺこりと頭を下げる。

 

(ディリジェントさんがおじぎを……)

 

 その行動に驚いたのはアインハルトだった。ユミナとは別の意味で言葉を失っている。

 

「君がレイジー君か、ノーヴェちゃんの言った通りだね。おや、アインハルトちゃんも来たのか。それと後ろの――」

「ユミナ・アンクレイブです。レイジー君とアインハルトさんのクラスメイトです。不躾だと思うのですが、今回の練習を見学させてもらいに来ました。私は格闘技ファンなんです」

 

 レイジーの下にやって来たのは、この道場で師範代を務めるミカヤ・シェベル。艶やかな長髪と凛とした雰囲気を持つ、気品ある女性だ。

 同タイプのアインハルトとは違い、しゃべり方に親しみやすさを感じる。

 実際、性格的にも大らかなのか、ユミナのお願いを快く受け入れた。

 

「私はミカヤ・シェベルだ。よろしく頼むよ」

「はい」

「早速で悪いけど、レイジー君とは一手ご指南いただこうか。ノーヴェちゃんの言うことを疑う訳じゃないけど、やはり自分の目でみないとどうもね」

 

 それはレイジーの体型を指摘したものであった。

 明らかに武道をやる人間の身体つきをしていないので、ミカヤがそう思うのも無理はない。

 門下生たちも、「あれは何だ?」と怪訝そうな顔でレイジーを見ている。

 

「分かりました。ご指導をお願いします」

 

 周りの視線を気にせずレイジーは再度頭を下げた。

 基本的に我が道を行くレイジーであるが、それなり節度はもっている。それを普段使ってないだけで、状況が状況ならちゃんとした対応をとるのだ。

 この場で普段のような行動を取れば、門下生、ひいては目の前のミカヤから叱責を受けるのは容易に想像がつく。

 だからこそ、レイジーはその後を考えて常識ある人間の行動を取った。

 この光景をシャッハがみたら、泣いて喜んだかもしれない。

 運動着に着替えると、軽く身体を動かす。

 前屈をしてもお腹が邪魔で全く伸ばせていないが、「へっほ、へっほ」と変な声を上げながらレイジーは準備を整えて行った。

 

「準備が整いました」

 

 道場の隅で見学するアインハルトとユミナは普段とは違うレイジーに違和感があった。

 ただ、純粋にどんな勝負になるのかの方が気になるので集中して道場中央を見ている。アインハルトは特にだ。

 

「試合形式で、相手に有効打を入れるか、リング外まで吹き飛ばすかで決着とします。双方宜しいか?」

「ああ」

「はい」

 

 審判の言葉に二人が頷いた。

 そしてお互い距離をとろうとしたところで、レイジーが思わぬ行動に出た。

 

「これはどう言うことかな?」

「ちょっとした確認です。純粋な速さ勝負です」

 

 対峙する位置が、普段よりかなり近い。

 居合を扱うミカヤの間合いにレイジーはためらいなく入った。

 出だしの速攻が持ち味である二人。斬撃を飛ばす能力を持たないミカヤのために、レイジーがわざわざ切れる範囲まで足を進めた。

 

「ふふ、面白い」

 

 ミカヤが笑う。

 レイジーの意図を理解したようだ。

 お互いが攻撃の間合い。開始の合図と同時に決着がつく。

 どっちがより速いのか? この勝負は単純にそれを競うことになる。

 

「さすがにこの距離だと手加減はできない。治療係はいるので心配はないが、怪我をさせない保証はできないよ」

「構いません」

 

 勝つのは自分だからと言っているようだった。

 そんなレイジーを見て、ミカヤは笑みをより深めた。

 

 審判はただならぬ空気に額に汗する。

 自分の開始の合図と同時に決着という本来ならありえない勝負だ。

 

「そ、それでは」

 

 声がどもってしまう。

 ゆっくりと旗を持つ手を振り上げ、そして――

 

「始めっ!」

 

 力強く振り下ろした。

 そして。

 決着は一瞬だった。

 

 ■

 

「いやー参った、参った」

 

 あははと笑うミカヤは治療を受けていた。腹部には青あざが色濃く残っており、治療を行っている門下生が「師範代、静かにしていてくださいっ!」と怒っている。

 

 つまり、勝者はレイジーであった。

 

「ぶぃ」

 

 見学していたアインハルトとユミナに向かってVサイン。驚きと歓喜でもうおかしくなりそうなユミナはぴょんぴょんと飛び跳ね、その後自分の行動を顧みて顔を真っ赤にして静まった。

 アインハルトは素直に称賛した。初めて自分がミカヤと戦った時は実戦だったら一体何度切り殺されただろうと思えるほど圧倒的な力を見せつけられたものだが、レイジーはそんな相手に勝利した。

 上手く喜べないのは、やはりレイジーという存在をライバルとして認識しているからだろう。

 

「いやーノーヴェちゃんの言うことは正しかった。最速こそ最強を謳う天瞳流がこうも容易く負けるとはね。しかも速さ勝負で」

 

 治療を終えたミカヤがレイジーたちの下にやってくる。笑ってはいるが、その表情に悔しさがにじみ出ているとアインハルトは感じ取っていた。

 

「あれで君は全力じゃないのだろう?」

「はい」

「はっきりと言ってくれる。泣いちゃうじゃないか」

 

 そう、そうなのだ。

 レイジーは全力を出していない。

 彼の全力は肉の鎧を脱ぎ捨ててこそであって、今の状態では力を十全に発揮しきれないのだ。

 その証拠に。

 

「でも、少し切られてしまいました」

 

 レイジーの右わき腹に切り傷が見えた。魔力でコーティングされているとは言え、レイジーの肉体に初めて刃が届いていた。

 まさかとアインハルトは思うが、レイジーの右側に回って確認を取ると、しっかりと痕が残っているのが見えた。

 

(これが、都市本戦のレベル……)

 

 自分と二人との距離をまた実感した。

 

「さて検討を行おうか。君から見て私の何が悪いと思う? ノーヴェちゃんから聞いているよ。君は優れた観察眼を持っているって」

「レイジー君の観察眼?」

 

 あまり信じられないのか、ユミナは首を傾げる。

 だが、そんなユミナにアインハルトが補足をする。

 

「人の見方が独特で、指導者の道を歩んでもおかしくないと言っていたよ」

「指導者なんて無理、無理」

 

 レイジーは即座に否定した。

 そしてアインハルトもそれには同意する。

 

「確かにそうですね。ディリジェントさんは指導者というよりアドバイザーの方が似合っていると思います」

 

 自ら技術指導を行えないレイジーには、そちらの方が合っていると指摘する。

 

「まあ、この際レイジー君の指導者としての適性は置いておいてくれないか? 私は彼の意見が聞きたい」

「そ、そうですね、すみません」

 

 アインハルトがペコペコ謝る。

 

「えーっと大変失礼な事を言ってしまうので、遠慮させてください」

 

 レイジーの話す番になって、ようやくかと言うところで、そんな発言が飛び出した。あまり他人の気持ちと言うものを考えないレイジーが遠慮するのだから相当まずいということだろう。

 しかもここは相手方の道場だ。いらぬことを言って、門下生から袋叩きに遭うなど笑い話にもならない。

 

「批判的な意見はむしろ歓迎だよ。そこをどうとらえるかはこちら側の問題だ。誓って言うが、私は、私たちは君の言葉に怒りを向けたりはしない。だからお願いする」

 

 ミカヤは天瞳流の師範代としてそう答えた。彼女の意見はこの場では皆の総意であるということだ。少しいやそうにしたものの、ミカヤが頭を下げたままだったので、レイジーは小さな声で語り出した。

 

「疑問と言う形でいいますね。一つは刀を使う意味が分からないこと、もう一つは抜刀をする必要があるのかと言うこと」

「一つ目の答えは二つ目を答えることに繋がるね。抜刀をする上で刀が最も都合が良いからだ。そして、抜刀は最速を目指す我が流派に最も向いているものだと思う」

 

 ミカヤの答えにレイジーは小さく首を傾げた。

 

「抜刀が最速に向いている? 確かに状況を考えればそうなるかと思いますが、普通に両手で振った方が速くありませんか? ストラトス、ちょっとその猫さんを貸してくれ」

 

 アインハルトの相棒ともいえるデバイス、アスティオン。通称、ティオは外装が猫――実際は豹――のぬいぐるみであるため、レイジーからは猫扱いを受けている。アインハルトが合宿で連絡を取った八神家から最近譲り受けたものである。

 見た目は子猫だが、当然デバイスであるためそれなりの機能を持っている。レイジーはティオに撮影をお願いしたいのだ。

 

「ティオ、お願いできますか?」

「にゃあ♪」

 

 準備ができると、レイジーがミカヤに抜刀と上段切りをお願いした。言われたミカヤは、始めに居合切り、次に上段切りを実演して見せる。

 ふむふむとレイジーがその映像を見て納得したような表情を浮かべた。

 

「やっぱり、剣速自体は上段切りの方が速いですよ。両手で振ってるから当然でしょうけど」

「何も剣のスピードだけが最速ではないさ。納刀された状態から放つ一撃と、上段に構えてから振り下ろす一撃では前者の方が動作が少ない分、相手に届くまでの時間が早い」

「でも、最初から上段に構えた状態で剣を振ったら、上段切りの方が速いですよね? 納刀している方が間合いを誤魔化しやすいから、相手に気づかせないという点までの時間を含めれば、抜刀の方が速いのかもしれません。でも、今回の対戦みたいに用意ドンでの速さ勝負だと、居合切りの方が遅いです。さっきの勝負が上段からの攻撃だったら、もう少し切られていたかもしれません」

 

 まあ、肉体には届かないんですけどと言おうとしたが、説明が面倒になりそうなので止めたレイジーであった。

 

「あと実戦で使わない以上、切れ味に重きを置いている刀って特性が死んでいませんか? スパッと切れれば確かに凄いですが、実際は刃引きの魔法がかけられるから、性能は十全じゃない。そんな中で一撃で決められないとカウンターを食らって負ける可能性が高くなるから利点があまりないと思います」

 

 魔法戦はあくまでもスポーツ格闘技だ。安全面と言うものは当然考慮されている。不慮の事故がないというわけではないが、人体を真っ二つにするようなことは起こることはない。

 刀は切ることに特化している。故にそこに制限を掛けられては刀を使う意味があるのかと言うレイジーの主張である。

 

「となると、居合切りのために刀を使う意味があるのか、それが僕には疑問です。この流派を否定するわけじゃないですけど、掲げている目標とやっていることがちぐはぐな感じがします」

「天瞳流の最速の定義か。それによる武器選択。これはちょっと考えさせられるね。相手に届くスピードを優先するか、相手を切るまで時間、つまり相手に気づかせないことまで含めて最速とするかか。なんか自動車の停止距離の考え方に似ているな」

 

 ミカヤは怒った様子もなく、自分の流派を別の面から見ようとしている。そういう考えもあるのかと。

 

「あくまで、今思ったことなのでそこまで気にしないでください。連綿と受け継がれてきた武術の考えと言うのもあると思いますから」

「うん、確かにそうだね。でも、過去に縋ってばかりいても進歩ない。最速で最強を目指すなら思考は柔軟にしておかなきゃね。まあ、それで天瞳流から全く別の物ができてしまったら、それもまた武術の奥深ささ。新天瞳流とでも名付けるよ」

 

 天瞳流を名乗る意味はあるのかと、レイジーはツッコみたかったが疲れるので止めた。

 

「他に意見はあるかな?」

「しいて言えば、太刀筋ですかね。分かりづらいのはそうですけど、来る方向は片側からだけなので、腕の動きを見ていれば回避はできると思います。刀の長さは見ればわかりますしね。まあフェイントとかあるとちょっと困りますが」 

 

 だが、鞘の位置と、刀の間合いを把握していれば決して回避は不可能ではないと、レイジーは指摘する。

 間合いに踏み込むふりをして、ミカヤの動作に合わせ一歩後退すれば回避は可能。その後、ミカヤが二撃目を放つ前に踏み込んでしまえば決着は簡単についてしまうという。

 

「まあ、回避された後の対処法もあるのでしょうが、近接格闘を主体としている相手に間合いに入られたら勝ち目はないと思います」

「むむ、なかなか痛いところを突いてくるね。確かにその通りだ。以前、それで右手を砕かれたことがあるからね」

 

 ミカヤの発言にユミナが顔をしかめた。その状況を想像してしまったのだろう。

 そんな彼女に今は大丈夫だと手をぷらぷらさせてみせるミカヤ。

 そして核心的なことをレイジーに尋ねた。

 

「でも今の私は自分の居合が最速になることを信じている。だから居合の速度を最速まで上げたいと思っている。もし、レイジー君なら居合の速度をどう上げるかな?」

「武器に関してはよく分かりません」

「ならちょっとレイジー君の攻撃法を見せてもらっていいかな? 実をいうと先程はほとんど見えなかったんだ。情けないことだが」

「……コーラを飲んでいいですか」

 

 会話の流れをぶった切って、ここに来る前にユミナにもらったコーラを取りに行った。

 

「彼はいつもああなのかい?」

「マイペースというか、おバカさんなんです」

「レイジー君がおバカでごめんなさい」

 

 アインハルトとユミナがぺこりと頭を下げる。

 コーラを美味しそうに飲むレイジーはとても幸せそうだ。

 ほっと息を吐いてから、レイジーが戻ってくると端的に言葉を述べた。

 

「面倒です」

「こちらは頼んでいる身だからね、そう言われたらそれまでなのだが、そこを曲げてお願いしたい。どうか」

 

 年上が頭を下げる。

 普通なら良いですよというところだが、当然レイジーは普通ではない。断ろうとすると、

 

「実はこの後、門下生たちとバーベキューをしようってことになっているんだ。お礼と言ってはなんだが――」

「わかりました。ミカヤさんに言われたら断れません」

 

 あまりにもレイジーすぎる心変わりだった。

 レイジーの性格をノーヴェから聞いていたのだろう、彼を釣る方法を心得ているようだ。

 

「レイジーさん、私も見学させていただきます」

 

 アインハルトが真剣な表情でレイジーを見つめる。

 

「お肉はあげない」

「……見学させてもらえれば大丈夫です」

 

 微妙に会話がかみ合わない二人だった。

 アインハルトが肉を狙っているのではないと分かったレイジーは一安心し、飲み終えたコーラのペットボトルを道場中央に置いた。

 

 そして幾分距離を取ると、いつもと同じようにだらりとした構えを取った。

 

 パンッ!

 

 まさに一瞬。ペットボトルが高速で回転し、上方に飛んで行く。

 集中していたミカヤは目を見開き、アインハルトは少しばかり悔しそうにした。

 何が起こったのか分からないユミナは、ただただ驚いていただけだった。

 

 最高地点まで上がったペットボトルは、重力に従って落下してくる。

 だが、その落下は自然なものではなく、今度は右側に逸れて行った。

 高速の二撃目である。

 

 パンッ、パンッ、パンッ、パンッ

 

 まるでダンスをするかのように、ペットボトルが空中で何度も何度も弾かれる。

 中身を失ったペットボトルは軽い、レイジーの攻撃がまともにヒットしていれば、吹き飛んで行ってしまいそうなものだが、ペットボトルはいまだに原型を留め、くるくると回っている。

 右に弾かれた次の瞬間には左に弾かれ、さらに瞬きするころには上方に弾かれている。

 恐ろしく速く正確な攻撃を、何十回と続けているのだが、レイジーの蹴りのスピードが落ちることはなかった。

 

 それはアインハルトの表情が変わらぬままで、ユミナの目にもレイジーがただ立っているだけにしか見えないことからも明らかだ。

 同じ速さを主体にするミカヤでさえ、攻撃を放った数瞬後のレイジーしか捉えることはできない。

 

「ひゃくー」

 

 そう言って最後に上方に吹き飛ばしたペットボトルを取りに行くレイジー。

 そのあまりに鈍重な動きはさきほどの攻撃を行っていた人間と同じには見えない。

 

「いて」

 

 落ちてきたペットボトルをキャッチし損ね、顔面に直撃させる。

 なんとも締まらない格好だった。

 

「脱帽だね」

 

 ミカヤの心からもれた言葉。

 彼女が十数年生きて来て、これ以上に驚かされたことはなかった――世界チャンピオン、ジークリンデ・エレミアと戦った時でさえ、これ以上の衝撃は受けなかったのだ。

 

「合宿からそう日数が経ってないはずなのに、ディリジェントさんの攻撃速度が上がっているような気がします」

 

 オフトレツアー二日目の朝。

 盗み見たレイジーのトレーニング。

 あの時は、全力で集中すれば、なんとか見えるくらいであったはずだった。だが、それが今では、区民センターで対戦した時の様に全くと言っていいほど見えなくなっている。

 アインハルトはその事実に悔しさを感じていた。

 

(蹴りだけにすべてを捧げる練習スタイル。他の格闘家が防御や回避に当てるはずの時間をディリジェントさんはすべて蹴りに費やしている。これが彼の本気。極めるとはこう言うことなんだと教えられた気がします)

 

「私にはペットボトルがぽんぽん弾かれているようにしか見えなかったけど、あれってレイジー君がやったんだよね?」

「はい。恐ろしく速い攻撃です。ディリジェントさんもやはり成長しているということですね」

 

 実戦的な練習を繰り返すことで、自分が成長しているという実感を持っていたアインハルトだが、同じようにレイジーも成長していることに称賛とちょっとした安堵を感じていた。

 

「お肉を食べましょう」

 

 だらしない顔をしながら戻って来たレイジーにその場に居た皆が笑う。

 先程までとは全く違うその様が彼女たちにはおかしく感じられたのだった。

 



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第一四話 とある日常

「今日でいいですか?」

 

 その言葉が告げられた時、教室は一気に騒がしくなった。今、クラスの視線はぽっちゃりと呼ぶには膨れすぎの少年と美少女と言って差し支えない初等科少女に向けられている。

 

「ドラゴン……じゅるり」

 

 普段のだらしない顔をさらにだらしなくするレイジー。クラスメイトは聞き耳を立てているのだが、レイジーの言葉だけでは意味がよく理解できない。憶測から出た言葉がクラスを駆け巡る。

 事実は単純で、合宿の時の約束を少女の母親が守ろうとしているだけ。少女はそれを伝えに来たのだ。

 

「あ、なのはママの他にもフェイトママもいますけど、大丈夫ですか?」

「無問題」

 

 だが、誤解は広がる。

 親公認!? などと誰かが叫んだ。それはヴィヴィオにもレイジーにも聞こえたが、レイジーは面倒くさがって説明をする気がない。ヴィヴィオは上級生のクラスだからなのか、聞こえてくる話の内容を理解しつつも否定できるほどの勇気がなかった。だから無視をする。

 

 そして状況は悪化していく。

 

「あの子、弱みでも握られてるんじゃないかしら?」

「えーでも、ディリジェント君ってやる気がないだけで、基本的には無害だよ」

「いや、待て。確か、あの野郎はストラトスさんとも話をしていたはずだ。俺たちなんて話しかけても、二言くらいで会話が終わるのに。もしかして、何かしらの魔法でも……」

「あ、そうだ! あの子、前にここに押しかけてきた子じゃない?」

 

 あーだ、こーだと会話が続く。

 彼らは子供とはいえ、多感なお年頃だ。恋愛沙汰には多分に興味があるし、何か怪しげな行為があるのではないかとありもしない妄想を膨らませることだってある。

 それをいちいち否定すれば、さらに賑やかになってしまう。

 教室の端で、クラスメイトの会話を聞いていたアインハルトもまたシカトを決め込んだ。ユミナは「いいの?」と彼女に視線を送っているが、「構いません」と視線で返していた。

 

「じゃあ放課後、校門の前で待ち合わせをしましょう」

「うん」

 

 それだけ言ってヴィヴィオは去っていった。

 

 少女が去ったことで、さらに喧騒が増した。いろんな意見が飛び交ったが、どれも納得のいくものではなかった。しかし、とある言葉が会議の場に投げ込まれる。

 

「レイジー君って実は格好いいんじゃない?」

 

 まさかの言葉に、皆が呆気にとられたがもしかしたらと、一人一人が意見を言い始めた。仕掛け人のユミナは何事もなかったかのように、アインハルトの席まで戻ってきている。

 いつの間にいなくなったのかと、アインハルトも驚いていた。

 小さく舌を出して、「ちょっと面白くしてみたよ」と言う少女に、さすがのアインハルトも無表情ではいられず、苦笑を浮かべていた。

 

(皆さん、頭がおかしいです)

 

 アインハルトは盛大にため息を吐いた。本来なら議論になるはずもないことにクラスメイト達が言い争っているのを見て彼女は本気で心配になっていた。

 一方、肝心のレイジーはすでに夢の世界に旅立っており、健やかな寝顔で寝息を立てていた。

 

 

 

 放課後になって校門前に向かう。その足取りはいつもより相当軽い。当然だ、待ちに待ったお肉様を食べられるのだから、レイジーの気分が高揚しても仕方がない。

 

「行きましょうか」

 

 校門に着くと、ヴィヴィオが既にやって来ており、レイジーを待っていた。

 うん、とだけ返事をしてレイジーは歩き出す。ヴィヴィオはレイジーの後に小走りで続いた。

 

「ママたちはまだ仕事なんで、ちょっと時間を潰しませんか?」

「ちなみにトレーニング的なことはしないよ」

「ぶーわかってますよ~」

 

 ヴィヴィオもレイジーと言う人物が分かってきたようで、ただおしゃべりをしたかっただけのようだ。

 歩くのがつかれたと情けないことを言うレイジーのせいで、二人は公園のベンチに座ることにした。

 

「レイジーさんは、なんでそんなやる気がない感じなんですか? 練習は真面目にやってるのに」

「逆に僕が聞きたい。ヴィヴィオはなんでそんなに無駄に元気なの?」

「無駄って……」

 

 から笑いするヴィヴィオ。

 

「うーん、私は小さい頃とか泣き虫だったんですけど」

「今も十分に小さい子供」

「そ、そうなんですけど! もっと小さい時です。その時、いろいろと問題がありまして、あ、そういえば私が聖王オリヴィエのクローンだってことはレイジーさん知ってますよね?」

「ううん、全然知らない。へぇーそうなんだ」

 

 ヴィヴィオも話した記憶はなかったのだが、自分の顔を知っている人間が周りに多く、アインハルトとのこともあって、すでに知られていると思っていた。

 だが、レイジーは全く知らないという。まずいのではないかとヴィヴィオは思った。

 

「……あのー、レイジーさん」

「大丈夫、大して気にならない」

 

 それはそれでとも思わなくないが、レイジーがレイジーらしくてヴィヴィオはほっとした。

 

「で、ですね、ちょっと生まれのこととかあって、問題とかも起こったんですけど、それを解決してくれたのが、なのはママや皆なんです。なのはママとは喧嘩っぽいこともしちゃいましたけど、生まれは関係ないよって。親子になろうって言ってくれたんです。だから、自分の生い立ちとか気にしながら生きていくのもあれかなと思いまして、元気でやっている次第です」

「……重いよ。しかも僕より人生経験豊富そう」

 

 一人の少女の人生談にちょっとげんなりするレイジーだった。

 

「ご、ごめんなさい。そ、それで、レイジーさんはどうして今のような生活を? シスターシャッハは何度も更生させようとしたって言っていましたけど」

 

 現実はまさしく今のレイジーだ。レイジー育成計画は失敗に終わっていた。

 

「うーん、なんだろ? 生まれたからには何かを成し遂げなきゃいけないみたいな哲学的な思想は僕にはないんだよね。ただ、ぼーっと何もしないでいるのが好きで、ゴロゴロベッドで寝そべっているのが好きってだけなんだよね。別にヴィヴィオみたいな元気な子を否定しているわけじゃないよ。ただ、人の趣味、嗜好はそれぞれなんじゃないかと思う」

「まあ、そうですよね。レイジーさんが楽しいならそれでいいと思います。人に迷惑をかけているわけでもないですしね。ただ、私的にはもう少し活動的になっていただいて、一緒に遊べたりした方が楽しいです」

「考えておくよ……50年くらい」

「……もしかして、私って嫌われてます?」

 

 ヴィヴィオが不安そうに、それこそ泣きそうな目でレイジーを見ていた。

 

「ちょっと面倒だなって思ってる。僕なんかが言えることじゃないけど、別に嫌いじゃないよ」

 

 レイジーは自分の社会的立場と言うものを理解している。見た目や性格が万人受けしないのも分かっている。そんな彼が美少女とも呼べるヴィヴィオに対して言う発言ではないのだが、正直に思っていることを言った。

 ヴィヴィオはほっとした半面、少し落ち込んでもいる。

 そんなヴィヴィオを見て、一応は気を使ったのかぽんぽんと頭を軽く撫でた。撫でる前にかなり躊躇していたが。

 ヴィヴィオも撫でられて、満足したようで笑顔を取り戻した。

 

「さて、まだ時間もあるし……寝ようか」

「いやいや、その選択はおかしいですよ。ここは公園です。寝るところじゃないです」

「僕はどんなところでも寝れる」

「常識的な話ですっ!」

「むむ、じゃあ、ぼーっとしよう。うん、それが良い」

「どうせなら、少し遊びませんか?」

 

 シュ、シュっとシャドウを開始する彼女は、殴り合いと言う野蛮な遊びがあると思っているようだ。レイジーはそれを見て、「この子の将来の方が心配」とちょっと憐みの視線を向けた。

 

「じゃあ、ヴィヴィオは一人で遊んで」

「二人で……じゃんけんしましょう。二人で遊ぶって言ってもレイジーさんは断るでしょうから、じゃんけんして勝った方の意見を採用と言うことで」

「ええー……まあ、良いか。じゃーん、けーん」

「ま、待って!」

 

 慌てたヴィヴィオが、咄嗟に出したのはチョキだった。レイジーが出したのはパー。負けたのはレイジーの方だった。

 

「人は慌てると咄嗟に力を込めるから、絶対にグーを出すと思ったのに」

 

 相手から余裕を奪い、勝利する作戦だったがヴィヴィオの咄嗟の判断が良かったことで、レイジーは敗北した。

 

「あはは、なんかピースって癖になりません?」

 

 レイジーなんかと違って写真を撮ることが多いヴィヴィオは、グーよりもチョキを出しやすかった。もしかしたら、彼女はいついかなる時でも綺麗に写真に写るように特訓しているのではと、レイジーはしょうもないことを考え出した。

 

「じゃあ、私が勝ったんで一緒に遊びましょう。何します?」

 

 一緒に遊ぼうと提案するも、二人で、しかも公園でやることとなると、実際ほとんどない。コロナやリオがいれば、遊びの幅も広がるのだが、二人とも用事があるのでこの場にはいない。

 さて、どうしようかとヴィヴィオが考えていると、レイジーが一つの提案をしてきた。

 

「かくれんぼをしよう」

「意外ですね」

 

 活力とは無縁の男が体力を必要とする遊びを提案する。この時点で、ヴィヴィオは嫌な予感がした。

 

「二人でかくれんぼはかなりの技術を要求する」

「そ、そうでしょうか?」

 

 ヴィヴィオは一抹の不安を抱えていた。二人でかくれんぼをする場合、片方、まあレイジーなわけだが、確実に動かないことが明白だ。

 もしレイジーが鬼になった場合、自分を探さずにそのまま寝入ってしまうという可能性も十分にある。いや、絶対にやるきだとヴィヴィオは確信に近いものがあった。

 

「僕は動くのが嫌だから、ヴィヴィオが鬼になってね」

 

 これはどういうことだ? ヴィヴィオの頭に疑念がよぎる。おかしい、非常におかしい。

 レイジーが自ら、逃げる役に徹するなど、余程の心境の変化がなければならない。

 面倒なことはやらないと公言している彼が、面倒な逃げ役を選ぶ。つまり、どこかに隠れて寝続ける気なのだとヴィヴィオは悟った。

 

「レイジーさんを寝かせはしません!」

 

 聞く人が聞けば、少女の言っていいセリフではないのだが、二人とも全く気にすることはなかった。

 レイジーの意図を読み切ったと思っているヴィヴィオは全力で捜索する気が満々であった。

 

「一応、結界を張ってくれる? 範囲が広すぎると探すのが大変になるから」

「何か企んでませんか? レイジーさんからすれば、範囲が広い方が良いと思うんですけど」

 

 じっととした目でヴィヴィオが見た。

 

「もし僕が見つかった場合は交代することになるわけだから。僕は範囲が狭い方がいい」

 

 怪しい、かなり怪しいとヴィヴィオは思ったが、レイジーの性格ならそう言うだろうということも事実なので、ヴィヴィオは素直に結界を張った。

 

「じゃあ、10数えてね」

 

 そう言われたヴィヴィオは目を塞ぎ、数を数える。

 レイジーはニヤリと全く動かない表情筋を動かして、準備に取り掛かった。

 時間は、10秒しかない。だが、自分には10秒あれば十分だと魔力をひねり出す。

 

 ヴィヴィオは目を開ける。

 そして、目を開けた瞬間、目の前の光景に唖然とすることになる。鳩が豆鉄砲を食らったようなお顔だ。

 

「えー……」

 

 ヴィヴィオの目の前には球体が5つ。

 それだけであれば良かったが、その5つの球体が超高速でぶつかり合っている。

 壊れることなく、互いが互いを弾き飛ばしている。

 まさかの隠れ方に、ヴィヴィオは驚きを隠せなかった。

 

「うぅ~どれにレイジーさんがいるか全然見えない」

 

 人影らしき者が、どの球体からも見えない。ただ、結界が張られている以上、この球体の中にレイジーはいるはずなのだ。ヴィヴィオは集中して、球体の動きを見る。

 

(一つだけを追いかけてもダメ。全体を一枚の絵のように見て、5つ全部を俯瞰するように見る!)

 

 周辺視野。ヴィヴィオは今それをやっている。ヴィヴィオは目が良い。これは、レイジーもノーヴェも認めている。そのヴィヴィオですら動き回る5つの球体を一つ一つは捉えきれていない。

 なら、一つではなくすべてを見る。視野を広く……。

 

 

 そして、1時間が過ぎた。

 

「うぅ~、どれにもレイジーさんがいるようには見えない」

 

 ヴィヴィオは全く見つけられていなかった。どれだけ集中してもレイジーの人影すら見えてこない。

 もしかして球体に特殊な魔法でも掛けている、そう思ったとき、

 

「ん~、ふぅーよく寝た」

 

 ヴィヴィオの後方。結界のちょうど角の位置から声が聞こえてきた。

 何の変哲もない芝生がそこにあるだけ……ではなかった。まるで地面がはがれるように、その芝生は捲られた。

 まるで掛け布団をとるようにして、レイジーが現れた。

 

「え」

 

 思わず、声を漏らした。

 

「あ、良い時間だ」

 

 ゆっくりと伸びをしながら起き上がったレイジーはぶつかり合う球体を何事もなかったかのように消して、パンパンと自分の衣服に着いた芝を払う。

 

「さ、行こうか?」

 

 ヴィヴィオは頬を膨らせた。ぷーとおかんむり状態だ。

 自分が必死になってレイジーを探していたのに、当の本人は魔力脂肪の応用で芝生型の魔力で身体を包んで、隅っこでぐっすりと寝ていたのだ。

 球体の中に人影が見つかるわけがない。実際にいないのだから。

 

「僕はかくれんぼって言ったよ?」

「そ、そうですけどっ! 普通、あのボールみたいの中に入っていると思いません?」

「思い込みは視野を狭める。うん、今いいこと言った」

 

 反論できないヴィヴィオはレイジーを可愛らしく睨みつける。

 

「そんなに睨んだって、お肉はあげないよ?」

「違いますっ!!」

 

 その後、レイジーにいいようにあしらわれたヴィヴィオが終始不満そうな顔をしていることに、なのはやフェイトは首を傾げるばかりだった。

 レイジーは、ドラゴン肉を満面の笑みで頬張り、ヴィヴィオなど全く眼中に入れることはなかった。

 

 ■

 

「お金♪ お金♪ お金♪」

「お前、それだけ言ってるとただのおっさんにしか見えねぇぞ」

「むふふ♪」

「気持ち悪いわッ」

 

 バシッと叩いたはずなのに、ぽよんとした音で返ってくる。相変わらずの絶対防御にノーヴェはハァーと呆れた。

 

 二人は管理局陸士部隊にやってきている。

 ことの発端はノーヴェからの提案だった。

 

「ちょっとバイトしてみねぇか?」

 

 そんな通信が入った時、レイジーは全く考えることなく「嫌」と返答したのだが、ノーヴェが待て待てと事情を説明すると、レイジーは話に乗って来たのだ。

 

 ノーヴェがレイジーに依頼したのは、カートリッジシステムで用いるカートリッジへの魔力提供。

 献血ならぬ献魔力という訳だ。

 ただでなら動かないレイジーだが、カートリッジ本数×20ミッドという給料にごくりと唾を飲みこんだ。

 

(気合を入れて、500本くらいやれば、それだけで1万ミッド。買いたかったゲームソフトが2本買える。やたっ!)

 

 毎日規則的に、それこそ仕事として行ってくれと言われれば、拒否する彼なのだが、こうした臨時バイトなら首を縦に振る。

 ようは現金なやつなのだ。

 

 管理局までやってくると、ノーヴェの案内で技術課に通される。

 そこで簡単な説明を受けた後、レイジーは作業に取り掛かった。

 

「この機械の音がなったら満タンになったって証拠だから、そしたら別のカートリッジと取り替えてね。飲み物を持ってくるけど、何が良いかな?」

「コーラで」

 

 そう言って局員が、部屋を後にした。

 

「珍しく頑張っちゃうぞ」

「珍しくとか自分で言うな」

「僕は魔力切れを起こすかもしれない」

「止めろ。気絶したお前を誰が運ぶと思ってんだよ」

「ふぁいと」

「ぶっ飛ばすぞ」

 

 そうは言いながら、ノーヴェもレイジーと同じように作業を開始する。

 隣にいる人間は魔力の扱いに秀でている。日常的に魔力を使っているのだから当然だ。

 だが、実際問題それがどの程度なのかはノーヴェは分からなかった。

 だから、バイトという名目で呼び出し、それを確認するつもりでいる。

 

(普通に検証させてくれって言っても、絶対に断るからな。それにこのやり方なら魔力濃度も分かるし、なにより本数で差が分かる。私も全力でやるけど、一体どれくらいの差がつくか……)

 

 思考を一旦止め、作業に集中する。握ったカートリッジに魔力を込め、音が鳴ったら止めて、別のカートリッジと取り替える。それを延々と繰り返す単純作業。頭で考える必要はない。

 

 だが、どうしても隣の男の作業が気になってしまう。ちらりと横目でみると、その作業スピードに愕然とした。

 

「魔力を込めて交換、魔力を込めて交換、魔力を込めて交換」

 

 ぴ、ぴと一定のリズムで機械音がなる。

 

(おいおい、マジか?)

 

 右手でカートリッジを握り、魔力を注ぎ込むと器用に左手に放る。そして空いた右手は次のカートリッジに伸びていた。

 その流れるような動きは、ノーヴェとは比較にならなかった。

 

 ノーヴェが一本作る間に、レイジーは5本、いや6本作り終えている。

 速さにして6倍。

 それだけのスピードで魔力を込めているのだから、相当疲れているかと思えば、全くそんなことはない。

 いつもと同じようにやる気のない顔のままだった。

 

(練習の時もそうだが、こういう単純作業が好きなのかもな)

 

 レイジーの鍛錬法と照らし合わせてノーヴェはそう考えた。単純な事にはまるタイプ。

 実際に、レイジーは単純作業を得意としている。

 ゲームでもやり込みプレイを延々とやっていられる集中力を持っている。

 新しい何かを成し遂げて満足するタイプではなく、同じことをより速く正確にすることに満足するタイプなのだ。

 レーシングゲームなどはコンマ数秒のタイムが常に更新されている。

 常人には理解しえない感覚をレイジーは備えていた。

 

 それから用意されたカートリッジが無くなるまで、作業は続いた。

 ノーヴェが289本。レイジーは1924本だ。途中、ノーヴェが手を止めたことも大きいが、レイジーが全くスピードを落とすことなく作業したのがこの差になった。

 

「4万だよ、4万! 僕、今ちょっとした大金持ち」

「まあ、中等科生ならそうだろうな」

「欲しいゲームを買ったら後は貯金」

「倹約してるのか浪費してるのか分かりづらいな」

 

 一仕事終えたレイジーは満足そうにノーヴェの横を歩く。これから夕食を奢ってもらえるというのも彼の笑みを深めさせる要因になっているかもしれない。

 陸士部隊からほど近いファミレスに二人は入った。椅子に座ると、レイジーは嬉しそうにメニューを見る。

 

「予算は?」

「今日のバイト代」

「つまりは安くて量のあるものを食べろってことだね」

 

 納得すると、レイジーは大盛りと付いた品を注文する。量があるが、あまり値は張らないものであった。当然のようにドリンク飲み放題も頼んでいたが。

 ノーヴェも適当に注文すると、ふぅーと一息ついた。

 

「今日はサンキューな。技術部の人も喜んでたよ。また頼むことがあるかもってさ」

「その時の気分しだい」

「まあ、そうだろうよ」

 

 ノーヴェはコップの水を飲みながら、今日の事を思い返してた。

 

(まさか、魔力操作がなのはさんより上だったなんて驚いたな)

 

 ノーヴェは作業を終えた後、局で過去のデータを参照した。管理局に所属する魔導師には訓練という名でカートリッジの補充を行わせ、そのデータを局のデータバンクに登録する。

 前線から退いたとは言え、現在でも教導官としてバリバリ働いているなのはが最近登録したデータは924本。それもレイジーより多く時間がかかってその本数なのだ。

 魔力純度もレイジーの方が高いとなると、レイジーの実力は冗談で済ませられなくなるレベルである。

 

(上司からはスカウトしろって言われたんだけど、さすがに無理だよな。まあ、私は管理局の協力者って立場だし、無理にやる必要はないか)

 

 ドリンクバーからすでに3杯目を取って戻って来たレイジーを見ながら、どうしたものかと考えて、そしてすぐに諦めた。

 レイジーが何を目指して特訓しているかは知っているし、その意思が固い事も十分すぎるほど分かっている。

 自分の説得程度で真面目に局勤めなどありえないだろうと、ノーヴェはスカウトの話を切り出すことすら諦めた。

 言うだけ無駄だと分かっているからだ。

 

「幸せ」

「そうかい」

 

 ストローでちびちびドリンクを飲む姿はどう見ても子供だ。見た目がボッチャリしすぎて最近忘れがちだが、まだ12、13の子供なのだ。お子様だと思っているヴィヴィオ達と2歳程度しか離れていないのだと思うと、レイジーの子供らしさは普通なんだなと思えてしまう。

 

「アインハルトと同い年に見えないな」

「むしろ、アイツがおかしい。常在戦場を地で行くような子供がいるわけがない」

「まあ、そうだな。でも、おかしさで言ったら、中等科1年でそんな怠け思考をするお前も同じだからな?」

「価値観の相違」

「常識はずれって言うんだよ」

「なんでも良いや。いちいち反論するのも面倒」

 

 そう言ってレイジーはジュースを飲む。

 

(こんな奴でも、毎日の鍛錬を欠かさねぇんだから、世の中って不思議だよな)

 

「お前ってやっぱ真面目なのかもな」

「なんか言った?」

「あ? なんでもねぇよ。お前の将来が心配になったんだよ」

「大丈夫。世話をしてくれる人を探すから」

「居ねえだろ、そんな酔狂な奴」

「居る。世界にはきっとポッチャリを愛してくれる人が」

「お前、二十歳になって賞金獲得し終えたら、格闘技やめるんだろ? だったらその体型もなくなるんじゃないか?」

「あ」

「あ、じゃねぇよ。お前、考えてそうで実際何も考えてないよな」

「難しいことを考えるのは嫌いなんだ」

「人間だもの、てか?」

 

 口癖をノーヴェに取られ不満そうな顔する。対するノーヴェはやってやったぜと笑みを深めた。

 

「アインハルトたちの中にタイプはいないのか?」

「お食事をお持ちしました」

「あ、適当に置いてください」

 

 ノーヴェが話し出した所で、二人の料理がやって来た。

 

「で、なんだっけ?」

「ああ、アインハルトとかの中に好みのタイプとかいないのかって話だよ」

「なに言ってんの?」

 

 こんなやり取りをしたなとノーヴェはかつてのアインハルトとの会話を思い出していた。

 

「僕に選択権なんてあるわけがない。選んでくれたらラッキーくらいなんだよ。誰が良いとか、向こうに失礼」

「お前、卑屈になりすぎだろ」

「ポッチャリは女の子の敵」

「まあ、間違ってはないな」

「というか、こういう話好きなの? あむ」

 

 料理を頬張って嬉しそうな顔を浮かべる。ちょっと可愛いかもとノーヴェは考えてしまった。

 よく見るとそんな事はなく、ぶんぶんと首を横に振る。

 

「ないわけじゃないってところだな。私も女だし」

「僕的好感度で言えば、ノーヴェさんは最上位にくるよ」

「バ、バカな事言ってんじゃねぇ!」

 

 ノーヴェが顔を赤くする。

 年下で基本ダメ人間であるが、彼女は好意を向けられることに慣れていないので、どうしても大きく反応してしまう。

 

「御飯を奢ってくれる人は皆良い人、あむ」

「そんなことだろうと思ったよ」

 

 別にレイジーに好かれたいという気持ちがあるわけではないが、ノーヴェは何だか自分がバカみたいで深くタメ息を吐いた。

 

「ちなみにその好感度ランキングはどんな感じだ?」

「んー、ノーヴェさん、いいんちょー、スバルさん、なのはさん、フェイトさん」

「それだけ聞いてるとお前が相当高嶺の花を狙っているように聞こえるな」

「皆、ご飯を食べさせてくれる人」

「言わんでも分かる。ちなみにワーストは?」

「ストラトス、ヴィヴィオ、リオ。割と面倒くさい」

「お前、本人たちの前で言うなよ、それ。あれ、でもシスターシャッハは?」

「シャッハちゃんは苦手だけど嫌いじゃないよ。付き合いも長いし」

「基準がよく分からねぇな」

「お腹を満たしてくれる人か、そうでないか」

「そう言われると、なんか私がお前に貢いでるみたいだ」

「どんまい」

「どんまいじゃねぇよっ!」

 

 げしげしとレイジーの足元に蹴りを入れるノーヴェ。

 

「いたーい」

「嘘つけ」

 

 レイジーは最後の一口を食べ終えると、ジュースに手を伸ばしごくごくと喉を潤した。

 

「どうもありがとうございました」

「礼儀があるんだか、無いんだか」

「最低限の礼儀は持ってるつもり。それじゃ、もう帰るね。明日の準備があるから」

「なんかの用事か?」

「うん、明日が試合。小さい大会だから4連勝すれば賞金10万ミッド。いぇーい」

「お前、そういう事はもっと先に言っておけ。ヴィヴィオ達が応援に来れないだろ」

「あ、そういうの要らない。普通にやって普通に勝つだけだから」

 

(普通に勝つだけ。コイツ、それがどれだけ難しいか分かってんのか? いや、分かっててこの発言か)

 

 個人競技で負けない。それはレイジーがよく口にする言葉だ。

 相手の技量に関係なく勝利を収める戦闘スタイル。

 弱いとか強いとか関係がないのだ。

 

「ま、優勝したらまた何か奢ってやるよ」

「そう言うと思ってた。さすがはノーヴェさん。アイスギガマックス盛りを所望します」

「少しは遠慮しろ」

「じゃあーね」

 

 明日はヴィヴィオ達を連れて行かなきゃなとノーヴェは彼女たちへの連絡を考えながら、レイジーの背中を目で追うのだった。



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第一五話 そっちだったか……

 レイジーがウォームアップをする様子を、ヴィヴィオ達は観客席で見ていた。

 自分たちが出場するインターミドルのような広い会場ではなく、広場と言った方が正しい場所だ。

 彼女たちがいる観客席も実際には席があるわけではなく、仕切られた場所の外というだけで立ち見の客が多かった。

 賞金が出ると言っても、地元開催であるためあまり認知度は高くない。

 インターミドルに比べれば雲泥の差であろう。

 

「レイジーさんはどうしてこの大会に出たのかな?」

「そんなの決まってるだろ」

 

 ヴィヴィオの疑問にノーヴェが答える。

 

「賞金が出るからだ。それ以外の理由があるわけがない」

「もしかして、先輩は賞金のランクとか関係なくすべての大会に出る気なんじゃ……」

 

 リオの言葉にノーヴェが当たり前だと頷く。

 一生働かなくても良いお金を稼ぐことを目標にしているレイジーだ。

 獲れるものはすべて獲る気でいてもおかしくない。

 

「でもそんなに頻繁に出てたら、もっと大きな大会に出る時大変じゃないですか?」

「コロナの指摘はもっともだが、それは覚悟しているだろ。一番最短で金を稼ぐ気なんだ。普通の奴なら大きな大会で勝利した方が効率的なんて考えるんだろうけど、アイツはバカだから大きな大会でも小さな大会でも勝った方が良いに決まってるとか思ってんだろ」

 

 本来、そんなに連戦を繰り返せば身体が悲鳴をあげるはずなのだが、レイジーはそれを考慮している様子はなかった。

 獲れるものを獲れる時に獲る。単純にして明瞭な答えで彼はこの大会に参加している。

 

「ちなみに調べたんだけど、今月クラナガンで行われる賞金が出る大会は全部で3つ。すべて小さい大会で今日がその中でも一番小さいが、すべての大会で優勝すれば総額500万近くが手に入る」

「一か月で3大会……一体何戦する気なんですかね」

「そこら辺を考えていたら、アイツはこの場にいねぇよ」

 

 ゆっくりと体を動かしながら、珍しくやる気を見せているレイジーを見て、一同は呆れとそしてそこはかとない尊敬を見せていた。

 

(レイジーさんって、もの凄い単純なんじゃ)

(さすが先輩。ある意味超一途です)

(うぅ、私じゃ絶対無理だよ~)

(むむ、ディリジェントさん、こうして自分を高めているのですね)

(アイツならマジで全部の大会を優勝しかねない。プロが出てくる大会は多いけど、初見でアイツの攻撃を受け切る奴がどれくらいいるんだ? ある意味、ヴィヴィオ達の今後の指標になりそうだから、ちょうど良かったけどよ)

 

 参加者がアップを終えると、審判からの説明と対戦カードの発表が有った。

 

「あ?」

 

 ノーヴェが対戦カードを見て、眉間にしわを寄せる。

 

「どうしたの、ノーヴェ?」

 

 ノーヴェの様子が変わったのを見て、ヴィヴィオが尋ねる。

 

「一人、実力者がいるな。ただ――」

 

 ノーヴェは言葉に詰まる。

 

「イービル・ノート。歳は17だったか。一昨年のインターミドル都市本戦男子準優勝者だ。だが、その記録は既に無効になっている」

「無効ですか?」

 

 実力者と聞けばアインハルトが反応しないわけがない。

 だが、無効とはどういうことだろうか?

 アインハルトを含め、他の面々はノーヴェの次の言葉を待った。

 

「不正が発覚したらしい。試合前の魔力ドーピングに、対戦者に対する闇討ち。物理的なものから、飲食物に下剤を投入と言った陰湿なものまでな。実行犯はあいつじゃないらしいが、それでも自分の仲間を使って相手を不利にしたのは確かだ。それが大会後にバレて、インターミドルへの参加は不可能となった」

 

 ノーヴェの言葉に聞いていた4人が憤慨する。

 なんて卑怯な奴なんだと、皆が一様に思っていた。

 だが、ノーヴェの説明は終わらない。

 

「それでもアイツが実力者なのは確かだ。魔力のドーピングが有ったとはいえ、格闘技そのものは自前の能力。そして勝つためには手段を選ばない勝利への執着心。まさか、小さな大会なら検査が甘いと見ての参加か? レイジーの奴やべぇぞ」

 

 レイジーは個人戦競技者としては一流だ。実力を発揮すれば、優勝は確実だとノーヴェは断言する。

 だが、それはルールが存在する中での話だ。

 もし、対戦相手の中にルールを破るような者がいて、よしんば破らずともルール違反すれすれの行為をしてくる者がいた場合、レイジーの勝率が著しく減るとノーヴェは考える。

 

(アイツは一つを極めることに重点を置いた。だから、柔軟な対応はできない。もし、リング外のところで何かを仕掛けられたら、まずいかもしれねぇ)

 

「大丈夫です。ディリジェントさんならきっと」

「そうですね」

「うん、うん! 先輩って神経図太いし」

「リオ、それって大丈夫の理由にならないんじゃ……」

 

 子ども組はレイジーの勝利を信じて疑わない。純粋であるが故に、人の悪意というのに鈍感なのだ。

 彼女たちが出場するような大会ならそれも良いだろう。

 だが、賞金がかかった試合というのは程度の差はあれど、皆真剣だ。

 生活が掛かっているのだから当然と言える。

 そして、そのためには真っ向から戦わないという選択肢を取る人間がいるのも確かなのだ。

 

 ルール内であればそれを悪い事とも思わないが、ルールを犯しそれを上手く隠蔽するようなスキルの持ち主に当たれば純粋な者こそ簡単に敗れる。

 そして、レイジーは純粋だ。ノーヴェはそれを危惧している。

 

「ま、何かコソコソ変な行動を取る奴がいたら、私らで注意しとけば良いさ」

「不埒な輩は成敗です」

「はい、頑張ります!」

 

 聖覇王コンビはなぜかやる気をたぎらせる。純粋さで言えば、この二人も間違いなく最高クラスだ。

 まあ、どこぞの覇王様も過去に似たようなことをしていたのだが、ノーヴェはあえてツッコまない。

 

(だけど、もしこれでレイジーが負けるとなると、アイツ精神的に大丈夫か? ああいう手合はホントに何を仕掛けて来るかわからねぇからな)

 

 今だ負け知らずのレイジーの精神状態に何かしらの変化がある。負けた時を思うとそれが不安でならないノーヴェだった。

 

 ■

 

 レイジーは苦も無く勝ち続けた。

 大人が参加していると言っても、プロではない。条件さえそろえば、管理局でも上位に位置するなのはにすら勝利を収めるのだから、レイジーが苦戦する理由はなかった。

 

 ――ここまでは。

 

 決勝にたどり着くと、毛色が違うように感じた。

 盛り上がっていたはずの観客が、一様に静まり返る。

 ヴィヴィオ達は頑張れと声を張り上げているが、他の面々は興味がなさそうであった。

 無名の選手という意味ではレイジーは全く以ってその通りだろう。

 さらに言えばレイジーの戦い方が問題であった。

 ユミナが良い例であるが、レイジーの戦い方は一般人からすれば意味の分からないものだ。

 開始と同時に相手が吹き飛び、その後はガードを固めている姿しか見えない。

 レイジーの動作は速すぎるため、スロー再生をされてようやく何をしているのが見える程度。

 一般人が楽しめるわけがない。

 

 例えば、なのはのように砲撃を撃てばそれだけで凄さが伝わってくるし、レイジーと同じスピードに主眼を置くフェイトのように消えて見えるように移動すれば観客の心は十分掴める。

 だが、レイジーは開始位置からほとんど動かず、構えも取らない。

 ゆえに観客の反応はあまりにも微妙すぎた。

 人は自分に理解できない現象には反応できない。貴方の後ろに幽霊がいますよと言われても、見えなければ気になどしないのだ。

 

 これで対戦相手が地元でも知られる有名人なら、盛り上がったかもしれない。

 しかし、相手はイービル・ノート。

 インターミドルで不正の証拠を押さえられ、記録を抹消された男。

 知る者であれば知っている嫌われ者だ。

 

 どちらも応援する気になれない観客は、ただ静観して見ているだけ。あまり多くの観客がいないことが、静けさに拍車をかけた。

 応援しているヴィヴィオ達も周りの雰囲気を感じ取ったのか、徐々に声が小さくなっていく。

 異様だ。とても決勝戦の空気ではなかった。

 

「えーそれでは決勝戦を始めたいと思います」

 

 地元の大会に駆り出された審判が、かなりやる気のなさそうに言葉を発する。

 盛り上がりもなく、賞金も多い大会ではない。

 決勝の舞台に立っている二人は、人気という意味でどちらもない。

 地元の活気を促すのが目的なため、ここまで盛り上がらないと主催者側としても早く終わらせたいというのが、正直な感想だった。

 

「両者、構えを取って」

「すみませーん」

 

 審判が開始を告げようとした時、レイジーの対戦相手から手があった。

 ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて。

 

「あのですね、審判様にご質問があるのですが」

「なんだね?」

 

 慇懃無礼な態度に審判が明らかに嫌悪感を示す。だが、そこは審判。自分を律し、相手の質問に答える。

 

「彼、レイジー君でしたっけ? 彼の戦いって反則じゃないんですか?」

 

 その言葉に会場がざわついた。

 反則? いや、それはないでしょ。そもそも何もしてないしと周りで見ていた観客がそれぞれ似たようなことを口にする。

 

「開始の合図と同時に対戦相手が吹き飛ぶなんて普通じゃありえません。攻撃をぶつけるにしたって速すぎる。常識的に(・・・・)おかしいと思うんですけど」

 

 わざわざ最後の部分を強調していうイービル。

 

「もしかして、開始前におかしなことをしてるんじゃないですか?」

「僕にやましいところはありません。言いがかりは止めてください」

 

 レイジーは反論する。

 なんなら検証してくださいと、自分は潔白であると主張した。

 今までの試合のデータは大会側で記録されているため、映像で確かめればレイジーが不正などしていないことが分かる。

 それは審判もチェックしているため、何も問題はないとイービルに返した。

 

「でも、やっぱりおかしいですよ。まあ、私も冤罪を過去にかけられたので、レイジー君の気持ちは察することができますが、やはりルール違反はルール違反でしょう」

「ノート選手、試合のデータはこちらでチェックしている。確かにスロー再生しない限り見えない程の動きだが、彼は何一つルールを犯していない。これ以上相手を侮辱するようならペナルティを与えるぞ」

 

 審判が強い口調で言うと、ノートはすみませんと一言。ただの顔の笑みが変わることはなかった。

 

「大会ルール23。試合前に使用する魔法は、バリアジャケットの展開とそれに伴う変身魔法のみとする。これは合っていますか?」

「合っている」

「それだと、彼はおかしいですよね? 彼の身体を覆っている魔力の塊、まあ調べればわかりますけど、それって変身魔法ではないですよね」

 

 イービルは審判にではなく、レイジーに尋ねた。

 

「はい。自分の魔力です」

「審判、彼の発言でわかりましたね? これは明らかに不正行為です。私も過去に魔力を纏って試合に臨んだのですが、それが魔力ブーストだと非難され、大会記録を抹消されてしまったのですよ。魔力ドーピングだと言われた時は、さすがの私も心が痛みました。変身魔法は良いのに、魔力を身体に纏うのはダメだと、インターミドルでは言われてしまったので」

 

 事実は違うが、この場でそのような確認はできない。だから、イービルの発言の真偽はともかくとして、たしかに彼の指摘する面ではレイジーがルール違反を犯していることになる。

 レイジーの場合、魔力を纏っていること自体、日常的で当たり前の事だが、それを言ってもここでは何の意味も持たない。

 

「まさか、ペナルティーなんて事はないですよね? 私はあの時の審判様のジャッジによって、インターミドルから記録を抹消され、敗者とされました。ここで、彼だけ減点というのは私としては納得いかないものです。審判は公平であるべきですよね?」

 

 念を押すようにイービルは言う。

 審判はやりきれないような顔をしていたが、左手を上げ、イービルの方へ下した。

 

「ディリジェント選手の反則行為により、勝者をノート選手とする! さらにディリジェント選手のこれまでの勝利はすべて無効とする」

 

 決着はあまりにもあっけなくついた。

 レイジーが勝つ気で臨んだ試合で、初めて敗北した瞬間だった。

 

 ■

 

「…………ふぅー」

 

 レイジーが膝を抱えて落ち込む姿に、ヴィヴィオ達はなんと声をかけていいか分からなかった。

 今回の件に関しては、向こうが最初から勝負をする気がなかったというのは分かる。

 卑怯だ、ずるい、と思うことはできても、それはヴィヴィオ達が普段のレイジーの生活を知っているから言えるものであって、傍目にはレイジーが不正に魔力ドーピングをしているように映ってしまう。

 だから、何も言えない。

 

「そっちかー、そう来ちゃったかー」

 

 がっくりと落ち込むレイジーはタメ息を吐くばかりである。

 ヴィヴィオ達は励まそうとするのだが、負けて落ち込んでいるレイジーを見たことがなかったので、どうしていいか分からない。

 見かねたノーヴェが彼女たちの代わりにレイジーの下に歩み寄った。

 

「まあ、今回の事は、あれだ」

 

 声をかけたものは良いものの、ノーヴェもなんて言ってやればいいのか分からないでいた。

 

「いやーうっかりって怖いね。インターミドルでは大丈夫だったから気にしてなかったけど、これって違反だったんだね」

 

 落ち込んでいる割には、元気のある声にノーヴェは「あれ?」と違和感を覚える。

 

「お前、落ち込んでたんじゃ……」

「うん、かなりがっかり。10万がパーだよ。昨日の稼ぎがなければ暴飲暴食をしていたかも」

「いや、それはいつもしてるだろ!」

 

 ノーヴェのツッコミがぽよんと音を立てて防がれる。

 

「でも、良かった。これがもっと大きな大会だったら最悪だよ。事前に審判に確認をとるのを忘れた僕の落ち度だね。うん、あの人の方が正しかった。言いがかりをつけないでくださいとか、恥ずかしいことを言っちゃったよ」

「…………」

 

 あまりダメージを受けていない。脆い面もあるのではないと思っていたノーヴェだが、そうではなかったレイジーに素直に感心する。

 

「ルールの把握は基本中の基本。それを怠ったのが敗因。確かにディリジェントさんの落ち度です」

 

 当たり前のことだとアインハルトは非難する。日頃の鬱憤を晴らそうとしているのでは決してない。

 

「ですが、私は悔しいです。ディリジェントさんを倒すのは私の予定でしたので」

「僕にはその予定はないかな」

「あの方の言い分は言いがかりに近かったものですが、それでもルールを上手く活用したということですね。私も勉強になりました」

「負けて傷心中の僕に酷い言葉だ」

「ディリジェントさんはいつも私達にきつい言葉をかけていると記憶してますよ」

 

 アインハルトの後ろで子供組がうんうんと深く頷いている。

 

「負けても次があります。だから、頑張ってください」

「何、その負けたら僕が格闘技をやめてしまうみたいな言い方は。僕は、無駄に体力を使った事を悔しがってるの。別に負けたから悔しがってるわけじゃないやい」

「まあ、ディリジェントさんがルール違反を犯したのは事実ですから」

「何、喧嘩売ってるの? 今日は買っちゃうよ?」

「望むところです」

 

 なぜか喧嘩をおっぱじめようとする二人。リオとヴィヴィオは「はいはーい!」と参戦しようとする。

 コロナだけは、「落ち着いて~」と必死に場を収めようとしてた。

 こいつら、やっぱりガキだなとノーヴェは呆れのあまりこれ以上ない程のタメ息を吐く。

 でも、それと同時に良かったと安堵した。

 

「よし、お前ら喧嘩はとりあえず置いとけ。これからレイジーの敗戦祝いにでも行くぞっ!」

「ちょっと!」

「あ? いつもこいつらに雑魚だとか、時間の無駄だとかさんざん言ってるじゃねぇか。今日はお前が敗者として、色々言われろよ」

「面倒だから、帰る」

「そうか、焼き肉でも行こうと思ったんだけどよ」

「参加させていただきます」

 

 首を垂れるように、レイジーは即座に発言を撤回した。

 

 

 

 

 

 そして、その後、とある焼肉店で、少女達のダメ出しを聞き流しながら、黙々と肉を頬張る少年が居たという。

 

 ■

 

「いいんちょー、付き合って」

「はい?」

 

 ユミナ・アンクレイブはあまりのことに困惑した。

 クラスから奇声と歓声が聞こえる中のことである。

 

 目の前の男の子は、親しいとも親しくないとも言える微妙な存在。

 ちょっとしたきっかけがあって話すことはあるが、友人関係を築いているかと言えば正直首を傾げたくなる。

 彼のおかげで気になっていたアインハルトと話せるようになったことは感謝しているのだが、まさかこんな発言をされるとはとユミナはかなり動揺していた。

 

 見た目はあれであっても、本当の姿ではないと分かっている。去年たまたま見た彼本来の姿は、年頃の乙女がときめくには十分なものだった。

 彼の性格と普段の外見のこともあって、恋愛感情が芽生えたなどということはないが、やはりこう言った言葉を掛けられると乙女として少しばかり考えてしまう。

 

(レイジー君の実際は結構……。普段の行動がマイナス点だとしても、これは――)

 

 頭の中で必死に考えを巡らせる。

 目の前の男が嫌いか? 答えはNOである。

 目の前の男が好きか? その答えもNOである。

 そんな相手に告白に近い言葉を掛けられた。乙女としてはどう返答していいか分からない。

 このぐらいの年代で付き合うのは早いとも遅いとも言える。少なくとも自分の周りの人間にそういう関係の人はいない。

 なら自分が……とも考えたが、それはあまりにも打算的過ぎて相手に失礼だ。

 まだそれほどレイジーのことを詳しく分からないユミナは、とりあえず好意的な返答をした。

 

「お、お友達から」

「いいんちょー、勘違いしてる。別にそっち系のことをお願いしてるわけじゃなくて、ちょっとここら辺の大会のルールを詳しく教えて欲しい。格闘マニアのいいんちょーなら知ってるはず」

「……とりあえず、一発ビンタさせて。私の勘違いだってのは分かるけど、今回はレイジー君が悪いと思うの」

「うん、どんとこい」

 

 痛くないしとはレイジーは言わなかった。

 

 

 

 

 

 

 頬にもみじマークを作ったレイジーはユミナに相談する。

 状況を見守っていたクラスメイトたちはなーんだとつまらなそうにしていた。

 

「僕さ、昨日大会で負けちゃったんだけど、ルール上の問題だったんだ。で、自分で調べてみたんだけど、変身魔法の定義って何?」

「魔力を使って身体に変化をもたらすことじゃない?」

「でも、それだとこの状態も有りだと思うんだけど」

「私的には無しかな」

 

 だるんだるんに緩み切ったレイジーの身体を見てユミナは即答した。

 

「ヴィジュアルは置いておいて欲しい」

「うーん、身体強化魔法も一応変身魔法に定義されているみたいだし、別に大丈夫だと思うんだけど」

「じゃあ、なんで僕は失格にされたんだろう?」

「たぶん、その審判さんがルールをよく把握してなかったんじゃないかな? アマの審判だとよくいるって話を聞くよ」

「なん……だって」

 

 がくりと肩を落とす。

 レイジーは昨日、家に帰ってから過去の大会で失格になった選手の案件を調べていた。

 ただ、変身魔法に関する規定は特になく、不思議に思う。

 格闘技マニアを自称するユミナなら知っているかと思い尋ねてみればこれだ。

 

(審判が適当だったなんて……。納得してたじゃん。ルールとしてあるって頷いてたじゃんっ! はっ! もしかして、審判がルールをよく理解していないのを分かってて、あの人はそれを利用したのか?)

 

 そう考えると、相手のしたたかさに素直に頭を下げるしかない。

 自分が知らないということは、相手に騙される可能性があるということだ。つまり、昨日はイービルという男にレイジーも審判も騙されたということになる。

 

「頭も武器ということだね」

「なんか格好よく言ってるみたいだけど、ちょっと見た目が……」

「いいんちょー、さっきから言葉に棘があるよ」

「刺してるから」

 

 ニッコリと笑うユミナに、レイジーは何も言えなかった。

 

「それにしても昨日は大会に参加してたんだ。私も見に行けば良かったなー」

「ストラトスと後輩ズは来てたよ」

「……私だけ誘われてない」

「心の距離だと思う」

「え……もしかして私って嫌われてるの? アインハルトさんと話すようになってから、ヴィヴィオちゃんたちとも話したり、お弁当を一緒に食べたりもしたんだけど」

「単純に忘れられてただけじゃない?」

「ちょっと、ショック……」

 

 まだ仲良くなっていないのかと、ユミナはダメージを受けていた。

 ここにアインハルトがいれば話も変わってくるが、残念ながらインターミドルの選考会に参加しているため、今日は学院を欠席している。

 インターミドル出場者は公欠扱いとなるため、無断欠席ではないのだが、学院としていかがなものかとレイジーは疑問に思った。

 

(まさか、売名行為……いいや、考えるのが面倒)

 

 学院の裏を探ろうとして、2秒で諦める。それがレイジーという男だ。

 

「本戦は見学に行けるみたいだから、皆には勝って欲しいな」

「レイジー君は学院をサボりたいだけでしょ」

「うん」

「はっきりと言っちゃダメだよ」

 

 ハァーと呆れるユミナは、簡易端末を取りだして、インターミドルの速報がないかを確認する。

 まだヴィヴィオ達の試合は行われてないようで、少し不安そうな顔をしていた。

 

「勝てるかな?」

「さぁ?」

「もう!」

「じゃ、席に戻るね」

 

 レイジーが立ち上がる。だが、その時、不幸な事故が起こる。

 レイジーの言葉に少しだけ怒ったユミナが軽く彼を叩こうとしたら、逆に彼女が後ろに倒れてしまった。

 お肉様の鉄壁の防御力を、乙女の力では破れなかったようだ。

 倒れた時に見えた白い物は、乙女の恥じらいである。

 かぁーっと顔を真っ赤にしたユミナは、ささっと翻ったスカートに手をやって、レイジーを睨んだ。

 

「どんとこい」

 

 レイジーは今日、両頬にもみじマークを作って帰宅するのだった。

 



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第一六話 たこ焼き屋さんになりませんか?

 選考会で予選を突破したという報告をレイジーは受けた。だからと言って、何かが変わるわけではないが、とりあえず報告を受けたのだ。

 彼らの特訓に協力するわけでもなく、レイジーは湾岸沿いを歩いていた。

 今回紹介された模擬戦相手はどこぞの貴族様らしく、ノーヴェの紹介ではなくミカヤの紹介だった。

 相手もインターミドルに参加している選手で、実力も都市本戦に出れるほどである。

 かねてよりレイジーが探していた防御力が高い選手ということもあって、レイジーには珍しく気合を入れている。

 

「ヴィクターはかなりのお嬢様だからね。ちょっと戸惑うこともあるかもしれないけど、頑張ってくれ」

 

 レイジーの隣を歩くのはミカヤ。相手に紹介する以上、全く面識がない者同士では話もしづらいと考えてついてきているのだ。

 レイジーの動き出しの速さの秘密を知りたいというのもあるだろうが。

 

 それから普段はどんな生活を送っているのかと、ミカヤがレイジーに話を振りながら足を進めた。

 予想とは違い、レイジーの怠惰な日常生活が語られただけで、全く武術の秘訣などなかった。

 そう簡単には本当のことを教えてもらえないなと、ありもしない妄想をミカヤが抱いたところで、大きな屋敷が見えた。

 

「ずるい」

 

 嫉妬。

 レイジーには珍しく、その感情を前面に出していた。

 

 将来、怠惰な生活を送ることを目標としているレイジーにとって何でもやってくれる執事やメイドのいる生活はまさに夢の世界と言っていい。

 そんな非現実をはっきりと見せられてしまうと、素直に感情を出してしまってもおかしくはない。

 

 レイジーが嫉妬心をむき出しにしている隣で、ミカヤは屋敷内の人間に連絡を取っていた。

 ミカヤが通信を切ると、すぐに身なりのいい青年が礼儀正しくやってくる。

 執事服を着ていることから、この家の執事であることは理解できるが、その所作があまりにも自然で、「きっと365日執事服を着てるんだろうな」とレイジーが考えてしまうほど執事姿が似合っていた。

 

「お待ちしていました。ミカヤ様、レイジー様」

「お、おお~」

 

 レイジーはこんな丁寧な扱いをされたことがないので、かなり感動していた。

 いつか自分もこんな執事さんを……と考えたところで、お金がかかりそうだからとすぐに諦めてしまった。

 

「ヴィクターはどうしてます?」

「お嬢様なら庭で身体を動かしておられます」

「なら、私たちもそっちに向かった方が良いですね」

「ご案内します」

 

 執事に案内される形で、屋敷の外側を回っていく。自分の家の倍じゃきかない大きさに、レイジーの嫉妬心は3倍増した。

 

 そんな中見えてきたのは身体の動きを確かめるように、ストレッチをする金髪の女性。

 お嬢様は金髪でないといけないのかとレイジーが考えてしまうほど文句の言いようのないブロンドヘアーだった。

 

 ちょうど前屈をしているときに、レイジーたちが見えたのか、いったん動きを止めて身なりをただす。

 そして執事同様に優雅に一礼して、名乗りを上げた。

 

「私はヴィクトーリア・ダールグリュンです。ミカヤさんはお久しぶりですね。貴女から連絡をもらうとは思いませんでした」

「私の知る中で防御力が高いって言ったらヴィクターだからね。ハリーはどちらかというと気合で粘るタイプだし」

「あんな不良娘と一緒にしないでください!」

「お嬢様はハリー様と去年、泥仕合をなさったと記憶しております」

「お黙りなさい、エドガー」

 

 似ていますよと執事が微笑んで見せるが、ヴィクターはお気に召さないようでご機嫌ななめだ。

 

「あの不良娘と当たるようなことがあれば、きっちりと負かすことにして――……えーっとミカヤさん、貴女を疑うような真似はしたくないのですけど、もしかして私の練習の邪魔をしに来たのかしら?」

「心外だな~。私はヴィクターのためになると思って彼を連れてきたのに」

「そ、そうなのでしょうけど……」

 

 ヴィクターはミカヤの背後でいかにも眠そうな男、レイジーをみる。

 明らかに格闘技をやる人間の体つきではなく、覇気もない。ヴィクターの練習妨害のためにミカヤが工作したのではないかと疑ってしまうのも無理はない。

 

「レイジー・ディリジェントです。今日はよろしくお願いします」

 

 ぺこりと頭をさげたが腹がつっかえてしまい、跳ね返るように下げた頭が勢いよく戻ってきた。

 そのままバランスを崩して倒れる。

 かつて、自己紹介で自爆した人間はいただろうか?

 

「本当に、妨害工作ではないのですね?」

「……も、もちろんだよ」

 

 ミカヤの中ではレイジーは自分を負かした実力者なのだが、いかんせん腹の弾力で後方に倒れこむ男を実力者として紹介していいのかと彼女の中で葛藤が生まれてしまった。

 自分が負けたという事実が残っていたため、返答はなんとかできたが、レイジーのダメ人間な部分を見て、ヴィクターが疑うのも無理はないなと思ってしまった。

 

「気を悪くしないで欲しいのだけど、貴方はここに訓練しに来たのですよね?」

「はい」

「その体型は格闘技を行う者としてありえませんわよ」

 

 ミカヤが模擬戦で負けたという情報を先に聞いていなければ、ヴィクターは間違いなく屋敷から追い出していたはずだ。

 レイジーの見た目は普通に考えれば、スポーツ格闘技をする人間には許容できない。

 

「意外とこの体は便利」

「デメリットしかないと思いますけど?」

「癒しの効果が絶大です」

「ま、まさか回復魔法とでも?」

 

 さすがにそれはないだろうと、ヴィクターもミカヤも目を見開いた。

 執事のエドガーだけは軽く微笑んでいる。

 

「マスコットの位置を狙えると思う」

「…………無理ですわ」

「…………不可能だね」

 

 女子二人の意見は真っ向からの否定だった。エドガーに視線を向けるレイジーだったが、微笑まれるばかりで答えは得られなかった。

 癒し効果は全く望めないらしい。

 

「よろしくお願いします」

「いきなりすぎますわっ!」

「僕はここに模擬戦をしに来た」

「……貴方、会話の流れをもう少し読んだ方が良いと思います」

「よろしくお願いします」

 

 面倒になって、レイジーは会話をすることをあきらめた。

 ヴィクターがこめかみを押さえる。

 

(やりにくいですわね。独特というか自分勝手というか。ただ、それでもミカヤさんに勝ったという事実がある)

 

 ミカヤはインターミドルでは強者として知れ渡っている。実際、その成績も素晴らしいものだ。

 最強の存在がいるため、都市戦優勝はできていないが、実力は間違いなく優勝候補なのだ。

 そんな彼女を負かした少年。

 見た目に疑問が残ることはあっても、やはり実力は気になってしまう。

 お嬢様と呼ばれるに相応しいヴィクターであるが、やはり武芸者として強い人間と戦いたいという思いは人一倍強いのだ。

 

 とにかく実力を確かめる。

 レイジーに言いたいことはたくさんあるが、まずはそれを果たしてからだと、ヴィクターは切り替えた。

 それを察したのか、レイジーはアップを始め、ミカヤとエドガーは邪魔にならないように、二人から距離をとった。

 

 ヴィクターは騎士甲冑を身に纏い、レイジーは準備が整ったと構えをとる。傍から見たらだらけているようにしか見えないが。

 審判役のエドガー右手を上げる。庭が訓練場並みの広さになっているため、辺りに迷惑をかける心配はない。

 魔法障壁も張られているようで、二人とも全開でやれる。

 

「それでは、始めっ!」

 

 二人の戦いが始まった。

 

 ■

 

 レイジーは普通に驚いた。

 いや感心したと言っていい。

 

「さすがはヴィクターだな」

 

 ミカヤの声が聞こえてきた。

 そしてレイジーもさすがという部分には激しく同意した。

 

 いつものように開始と同時に蹴り技を放つ。そしていつもと同じように相手に直撃させ、そしていつもと同じように連撃を加えた。

 ただいつもと違っていたのは、相手が吹き飛ばなかったこと。

 そして、全くダメージを受けていなかったという点だ。

 恐ろしい程の防御力の高さである。

 

「騎士甲冑の防御力が半端じゃない」

「私も驚きました。そして先ほどの貴方に失礼なことを言ってしまいました。この場で謝罪します」

 

 ヴィクターは頭を下げる。素晴らしい気品を備えて。

 そして抑えていた魔力をゆっくりと解放した。

 

「ですが、先ほどの攻撃が貴方の全力であるなら、私に負けはありません」

 

 ヴィクターは騎士甲冑を魔力で強化し、防御力を引き上げた。

 

(レイジー君は速さに重きを置いている。私のような軽装備のファイターになら十分だが、ヴィクターに通じるかどうか)

 

 ミカヤの予想では、レイジーが手詰まりになりなにかしらの別の一手を打ってくると思っていた。

 格闘家なら一つの技を封じられれば、別の技で対応するのは当たり前だ。

 臨機応変に対応してこそ、トップファイターなのだから。

 

 だが、レイジーは違う。

 

「ふー」

 

 ゆっくりと息を吐くと、気を引き締めた。

 レイジーに蹴り技以外の攻撃法などない。ゆえに、彼の考えはシンプルだ。

 蹴って、蹴って、蹴りまくる。

 通用しなければそれまで、そう考えて今までやってきた。

 ならば、それを貫き通すまで。

 

 先ほどの攻撃を巻き戻すように、レイジーは蹴りを放つ。ヴィクターはノーモーションの状態からいきなり衝撃がやって来たことで、やはり驚いてしまう。

 だが、焦りはなかった。

 自分の防御力を越えてくるはずがないという自信と事実。それが彼女に冷静な思考を与える。

 

「行きます!」

 

 槍斧を高く持ち上げると、それを回転させていく。

 

「うぅ……痺れる」

 

 バチ、バチと嫌な音がレイジーの耳に届いた。そして、大きなため息をつく。

 ヴィクターがやっていることはレイジーにとって最悪の相性ともいえる。

 振り回す槍の遠心力が生み出す攻撃力と防御力。接近することは頭上を除いて不可能であり、またレイジーは空戦機動能力など皆無なので、事実上攻撃手段がなくなった。

 

 お互いの魔力が尽きるまでの追い掛けっこという状態だが、それもヴィクターの放つ雷撃が阻止している。

 飛び散るようにヴィクターから小さな雷が迸る。そして、それは周囲を傷つけることなく、レイジーに向かっていく。

 大きなダメージではないが、何度も食らえば痺れて動きが悪くなり、ヴィクターの槍の餌食になるのは明らかだった。

 

(レイジー君の実力はこの程度なのか?)

 

 速さは確実に自分の上を行っている。それはミカヤも分かっている。

 レイジーとの勝負になれば、自分が負ける可能性が高いのは同タイプであるから理解できる。

 だが、あまりにも偏りすぎている。足を使えば、ヴィクターを翻弄することもできるはずだ。

 だが、それをしないレイジーにミカヤは首を傾げていた。

 

 そして同じことをヴィクターも考えていた。

 

(この子、偏りすぎではないのかしら? 速い攻撃以外何もできないのではなくて?)

 

 レイジーの攻撃でダメージをほとんど受けないヴィクターはこの試合が自分の勝利であるとほぼ確信していた。

 あとはフィールドの隅に追いやってとどめをさせばいいだけ。

 驚きはあったが、得られるものはあまりなかったと、少し落胆していた。

 

 そんな彼女の油断を狙うように。

 勝負は最後まで分からないと言うように。

 レイジーの攻撃がヴィクターを襲う。

 ヴィクターがハァーとため息を吐きそうになった瞬間だった。

 

「ぐっ!」

 

 腹部に大きな衝撃を感じた。

 いきなりのことにヴィクターは激しく動揺する。

 なぜ、そう考えている間に第二撃が襲い掛かってきた。

 腹部に受けた二撃目を利用してヴィクターは後方に下がる。

 

(単純に威力を上げただけ? なら、上限は一体……)

 

 レイジーの動きをじっくりと見る。魔力を集中させ、その出だしをヴィクターは捉えようとしていた。

 

 ぱっと見て変わったところは見受けられない。気だるそうな顔も、ぼてっとした身体も変化はない。

 何かの詠唱をしているわけでもないので、魔法という線はない。

 やはり、単純に蹴る速度を上げてきたとヴィクターは結論付けた。

 

(ならこちらも防御力を上げるまで。そのまま接近すれば、私の勝ちだわ)

 

 ヴィクターは再度勝利を確信した。

 

(きっとあの子なら、もっとスマートに勝つのでしょうね)

 

 ヴィクターはある人物を頭に浮かべる。

 目標である。

 歳は下であっても、尊敬に値する人間。

 レイジーの速さには驚いたが、それもそれだけだ。

 自分があの子にそうされたように、未来ある少年に一つ現実を教えるのが先輩の役目。

 そう言い聞かせて、ヴィクターは行動に出た。

 

 魔力変換資質で魔力を電気に変えて、肉体を活性化させる。電気で刺激した筋肉と魔力による身体強化によって、ヴィクターは速さと力を手に入れた。

 これで終わりだ。

 一撃で終わらそうと、ぐっと武器を握った次の瞬間、再度違和感に襲われる。

 

(なに?)

 

 本能とでも言えばいいのか、咄嗟にヴィクターは真横に飛び込んだ。

 振り返ったその場は、地面が大きくえぐれていた。

 

 一体何だこれはと、考えた次には、またしても嫌な感じがヴィクターを襲い、彼女に防御を固めさせた。

 だが、それでは甘かった。レイジーの攻撃に脅威を感じていなかったヴィクターの様子が明らかに変わった。

 

 横で見ているミカヤにもエドガーにもレイジーが何をしているのかは分からない。

 今まで通り、変わらず攻撃をしているだけのはずだが、ヴィクターの表情が今までとは違うということをはっきりと物語っている。

 

「ん?」

 

 ヴィクターの状況が変わる中、ミカヤは何かに疑問を持った。

 

「どうかなさいましたか? ミカヤ様」

「あ、いや。私の勘違いだと思うんだけど、レイジー君、なんか痩せたような気がするなって」

 

 隣で見ていたエドガーにミカヤが疑問に思ったことを告げてみる。

 注意しては見ていなかったようで、エドガーもレイジーの方に顔を見やった。

 そして、首を傾げる。

 

「確かに、一回り小さくなったような気が……」

 

 そうエドガーが思ったとき、防衛に徹していたヴィクターが咆哮する。

 

「はあああああ!!!」

 

 紫電が地面を伝いレイジーに襲い掛かる。その電撃はレイジーの蹴撃を少しばかり鈍らせた。

 その間に、ヴィクターはレイジーから距離をとった、とろうとした。

 だが、麻痺して動きを鈍らせていたはずのレイジーから強襲があった。

 

 がん、がん、がん。まるで金属を素手で殴っているようなそんな異様な音が鳴りだした。

 距離を取ろうとしたヴィクターに対して、レイジーは攻めの一手。それしか手段がないのだから当然だが、ここで目に見えてレイジーに変化が見える。

 

(ヴィクターが完全に防御態勢に入った……まさか、これがレイジー君か)

 

 以前、レイジーの攻撃速度に脱帽したと賞賛の言葉を送ったミカヤだったが、それがレイジーの力量を正しく測れていなかった自分の拙さなのだと今思い知らされた。

 必死に防御態勢をとるヴィクターは気づいていないが、横で見ているミカヤとエドガーにははっきりと見えていた。

 常に表情を崩さず、余裕をもった笑みを浮かべるエドガーですら目を大きく見開き、口元を小さく開けている。

 ミカヤはそこまでの醜態はさらさなかったが、エドガーと同様にかなり驚いているのは確かだ。

 

 引き締まったウエスト。服の上からでもわかる岩をも思わせる筋肉。だが、どこかしなやかさを残している、ただ固いだけの筋肉ではないように見える。

 数々のアスリートの体を見てきたミカヤですら、思わずときめいてしまうほど、レイジーの現した本来の体は美しかった。

 

「個人競技で僕が負けるはずがない」

 

 ぶよぶよだった1分前の彼ではない。完全なまでのアスリートとしての体が存在している。防御に徹し、状況を把握しきれていないヴィクターをミカヤは残念だなと思った。

 

「なっ!?」

 

 吹き飛ばされる。

 まさにそれだ。魔力を高め、防御の態勢をとってなお、吹き飛ばされてしまった。

 一撃の重さが、速さが、先ほどの比ではなくなった。一撃、一撃が全身に響く。騎士甲冑に亀裂が走り、ぽろぽろと鎧部分がそぎ落とされていく。

 骨が軋むような錯覚。ああ、これがこの子の実力なのかと理解したときには、ヴィクターの時間は終了していた。

 

(今までの攻撃はすべて手加減をしていたということですか。意外としたたかなのね)

 

 吹き飛ばされながら、ヴィクターはその考えに至った。

 レイジーの攻撃力が先ほどのままなら、少し本気になって防御をすれば全く脅威にはならない。

 だが、もしそれ以上の攻撃力があるというなら話は別だ。

 ちょっとやそっとの上昇ならなんとか対応できた。だが、倍、いや3倍にも感じる攻撃力にヴィクターの意識は徐々に失われていく。

 

 インターミドルでは上位選手と知られる彼女ではあるが、まだ若い。

 レイジーの攻撃を一度は完全に防いだと思った後で、完全に上を行かれたのだ。精神的にやられれば集中力も霧散してしまう。

 そして、レイジーはそこを見逃さない。

 ここで完全に潰すと言わんばかりに、グラついたヴィクターに怒涛の連続攻撃を見舞った。

 

 途切れ行く意識の中で、ヴィクターは最後に呟いた。

 

砲撃(バスター)の連撃なんて反則ですわ……」

 

 ■

 

「う……私は」

「目が覚めたかい?」

「……ミカヤさん?」

 

 目覚めたときにいつもいるのは、執事のエドガーであるはずだ。

 それがミカヤだというのだから、ヴィクターも驚いてしまったが、

 

「模擬戦のことを覚えているかい?」

 

 そう言われて自分がなぜベッドで横になっているのかを思い出した。

 

「私は負けてしまったのですね」

 

 レイジーを舐めてかかった結果がこれだ。自分の情けなさに怒りを感じて、ぎゅっと掛けられていた毛布をつかんだ。

 

「彼はどこに?」

「厨房だよ。いまエドガーさんの料理を食べているところさ」

「なら、そこに行きましょう。彼には聞きたいこともありますし」

 

 さっとベッドから出ると、ヴィクターはスタスタと歩いて行ってしまった。

 気になることが彼女には重要なのかもしれない。

 

「まあ、あの子がちゃんと話を聞いてくれるとは限らないんだけどね」

 

 ミカヤは苦笑しながら、お嬢様の後を追った。

 

 

「すごく、すっごく美味しいです」

「ありがとうございます」

「私の話を聞いているかしら?」

「今は炭水化物の方が大切」

 

 ヴィクターが厨房にやってきて、レイジーに詰め寄ったが、レイジーは彼女を全く眼中におさめていなかった。

 目をキラキラさせて見つめるのは、目の前に広がる絶品ともいえる料理の数々。しかもタダ。

 狂喜乱舞しそうなレイジーの耳にヴィクターの話が入ってこないのも当然と言える。

 純粋な子供のような目をするレイジーにさすがのヴィクターも怒る気にはなれなかったようで、レイジーの食事が終わるのを待つことにした。

 

 それからしばらくして、ようやくレイジーの食事が終わると、待ってましたと言わんばかりにヴィクターが話を切り出す。

 

「お聞きしたいことがあります」

「生まれて初めて食べたたこ焼きはすごく美味しかったです。執事さん、たこ焼き屋さんになりませんか?」

「人の話を聞きなさい」

 

 さすがというべきか、レイジーにはヴィクターの話など全く耳に入っておらず、エドガーに新たな職を求めていた。

 だが、エドガーもさすがは執事。うまくレイジーの話をかわし、ヴィクターの話を聞くようにと促した。

 しぶしぶという感じではあるが、ヴィクターの方に生気のこもっていない視線が向けられる。

 

「何ですか?」 

「ぐっ、その顔はおやめなさい」

「顔は生まれつきです。文句は親に言ってください」

「そうじゃありません。その興味が全くありませんという顔をお止めなさいと言っているのです」

「……エスパー?」

「その顔を見れば誰でもわかりますっ!」

 

 全くもってレイジーのペースなのだが、話が進まないので、遅れてやって来たミカヤが話の進行役を務める。

 

「レイジー君、ちょっとヴィクターの質問に答えてくれないかい?」

「できれば遠慮したいです。もう、お腹はいっぱいだし、帰ってゴロゴロしたい。人間だもの」

「貴方のその体型が本当の姿と言われても納得できるような言葉ですわね」

「おや、ヴィクターは気づいていたのかい?」

「当然ですわ、と言いたいところですけど、最後に意識を失う瞬間に見えたのです」

 

 模擬戦に必死でレイジーの本来の姿には気づいていないだろうと思っていたミカヤだったが、どうやら違うようだ。

 我関せずなレイジーにハアーとため息を吐いてから、ヴィクターは心を落ち着かせ、表情を変える。

 真っすぐな目で、レイジーに頭を下げた。

 

「まずは、謝罪を。貴方を舐めてしまって申し訳ありません。負けたこの身で情けない話ですが、謝罪だけは受け取ってくださいな」

「大丈夫、気にしてない。よくあること。むしろ、相手が油断をしてくれる方が僕としてはラッキー」

 

 全く動じることなくレイジーは答える。

 その返答にいささか複雑な気持ちを抱いたヴィクターだったが、ひとまず自分の愚かさにけじめをつけた。

 

「恥を忍びますが、聞きたいことがあります」

「い……ご飯、食べさせてもらったからいいよ」

 

 本当は嫌そうな顔をしていたが、エドガーが隣でたこ焼きを作り始めていた。

 お土産用に作成してくれているのだと分かると、レイジーは嫌だの言葉をぐっとこらえた。表情はまったく隠さなかったが。

 

「貴方のその体型……というかその状態は防御に特化させるためですか?」

「うん」

 

 レイジーの即答に、ヴィクターはやはりという表情を浮かべた。

 

「電撃を浴びても特に動じた様子はなく、おかしいと思っていたのですが、その状態は避雷針の役割も担えるのですね」

「うーん、というか魔力を受け流す感じです。いくら魔力変換されているとはいえ、魔力は魔力。防げない道理はない」

「まさか欠点だと思っていたその状態が実は理にかなった防御型だとは。その魔力を脱ぎ捨てた状態が、攻撃特化型なのですね」

「そう。これをはずすと、さすがに魔力の受け流しは無理。だから、全力で蹴るしかできない」

「それで砲撃の連発はたまったものではありませんけどね」

 

 ヴィクターは苦笑するが、その表情はかなり引きつっていた。

 

「でも、その状態だと大会によっては反則を取られるんじゃないかい? 普通は欠点にしか見えないけど」

「うん。そう思って昨日、知り合いにルールを聞いて、その後こういうことを扱っている審判団に確認の連絡を取った」

「連絡を取ったのはノーヴェちゃんかな?」

「おお~」

 

 ぱちぱちとレイジーは拍手を送る。

 

「地元の大会で反則負けを食らったんだけど、僕のこれは術式を編み込んでいるわけじゃないから変身魔法として定義されるんだって。インターミドルの時に確認したときに何も言われなかったから、大丈夫だと思ったんだけど、ダメだった。でも実際は審判の勘違いってことになって、僕の反則負けの記録は取り消し。優勝者もなしって扱いになったから、賞金も没収だって」

「随分とひどい裁定だね。再試合とかはなかったのかい?」

「大会って名はあるけど、世界公式大会に載るようなものじゃなかったらしいから、再試合はしないんだって。地元の有志によるものらしく、決勝に上がった僕たちの知名度もあるわけじゃないから盛り上がらないんだってさ。だから、なし」

「それは、随分とグダグダですわね」

 

 ヴィクターもレイジーの話を聞いてかなり呆れている。

 

「とりあえず、他の大会に参加できなくならなくて良かったよ」

 

 レイジーは満面の笑みを浮かべた。それがどうしようもなく子供ぽくてミカヤとヴィクターは顔を見合わせて笑った。

 そして話を終えたレイジーは帰りの支度を整える。

 

「防御力が高い人にどこまで通用するかの確認もできたし、今日は来てよかった……本当に来てよかった」

 

 レイジーの視線はエドガーの手元に注がれていた。

 すでにお土産用にたこ焼きが箱の中に入れられている。

 レイジーの言葉の意味を正しく理解したヴィクターは、自分が情けなくなり、がっくりと肩を落とした。

 

「貴方にはあの子といつか戦ってもらいたいですわね」

「うん?」

「いえ、何でもありません。今日は私もいい勉強になりました。感謝します」

「うん」

「貴方、もう少し会話を続ける努力をなさった方が宜しいわよ」

「面倒くさい、人間だもの」

 

 そんなレイジーにヴィクターは困り顔だが、手のかかる弟ができたようで嫌ではなかった。ぽんぽんと軽くレイジーの頭を撫でてから、再度別れの言葉を告げた。

 

 

 

 

 レイジーは今日、大きな収穫を得て屋敷を出ていった。大きな箱を大事に抱えるようにして……。

 

 

 

「ミカヤさん、今日はどうも」

「私は何もしてないさ。それにヴィクターにもいい経験になっただろうしね」

「執事さんと仲良くなれたのはとても大きい。食べっぷりが素晴らしいって褒められた」

「そこはヴィクターと仲良くなるべきなんじゃないかな?」

「執事さんの方が重要度が高い。急がばまっすぐ」

「そんな諺は存在しないんだけどね」

 

 帰り道、ミカヤとレイジーの二人は何気ない会話をしていた。

 ただ、ミカヤの方は聞きたいことがあったようで、レイジーと会話をしつつも、そのタイミングを計っているようだった。

 それにレイジーが気づいたわけではないが、ミカヤの話が途切れたため、少し首をひねる。ひねれるほど、首周りの肉は少なくないのだが。

 

「君はどうして格闘技をやっているんだい? こう言っては何だけど、君の性格と一致しない気がしてね」

「お金を稼ぐためです」

 

 レイジーはためらうことなくそう言った。魔法は尊いもの、そう考える者がこの世界には少なからず存在する。

 そういう人間の中には魔法によって金銭を獲得することを忌避する者もいるのだ。

 そのため、レイジーの発言は割と非難されることが多いものだが、ミカヤはどこか納得したように頷くだけだった。

 

「格闘技は楽しいかい?」

「もしかして、説教的なあれですか?」

 

 レイジーはとても嫌そうな顔をする。

 

「違うよ。私は別に、魔法を崇拝しているわけじゃない。レイジー君の考えも、立派だと思うよ。ただ、君は格闘技を楽しんでいるのかなって思っただけさ」

「全然、面白くないです」

「それなのによく続けられるね」

「本当はダラダラしたいし、ベッドの上でゴロゴロしてコーラ呑んで、お菓子を食べるような生活をしたい。でも、だらだらするにはお金がかかるんです。お金がかかるんですよ」

「心からそう言っているのが分かるよ」

 

 レイジーの心の嘆きに、ミカヤは少しばかり気圧される。

 

「でも、大会でいっぱい賞金を手に入れれば、20代からでも夢のような生活ができるんです。だから、僕は身を削る思いで格闘技をやっています。楽しいとか楽しくないとかそういうレベルの話じゃないんです。僕の今後のドリームライフがかかっているんです。全力で、必死で、もう言葉にできないくらい頑張ってます」

「切実なんだね」

 

 自分とは違う気迫であったが、ミカヤはレイジーの力の根源を見た気がした。

 

「ダラダラしたい。人間だもの」

 

 同意はできないなと、ミカヤは軽く肩をすくめた。

 




前回の敗戦に関してご指摘がとても多くあったので少し修正を加えました。ご感想ありがとうございます。あまり深く考えていませんでした。現時点で負ける方法はこれくらいかなって……。


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第一七話 レイジーとコロナ

「ディリジェントさん、お昼を一緒にどうですか?」

「移動するのが面倒、人間だもの」

「そうですか、では」

 

 少女、アインハルトは何事もなかったかのように教室を後にした。その後ろにはユミナの姿もあり、二人とも弁当を持っているので、どこかに食べに行くのだとわかる。

 美少女の誘いを断ったレイジーはごそごそと動き出して、自分の鞄の中をあさる。

 親に頼んで作ってもらっているちょっと人より多めの弁当箱を取り出した。

 嬉しそうに「いただきます」と言うと、箸を手に取り弁当の中身に手を伸ばす。もぐもぐと定番のから揚げを食べてレイジーはとても満足そうな顔をする。

 

 クラスメイト達はひそひそと会話を始める。最近ではよくある光景だ。

 

「やっぱりストラトスさんってデブ専なんじゃ」

「いや、俺は信じないぞっ! 彼女はただ優しいだけなんだ」

「その優しさを台無しにしているデブがいるんだが」

「よし、粛清しよう」

 

 思春期男子たちはあーだこうだと話し合っていた。そんな男子たちを女子たちは冷たい視線で見る。まだ子供と言って差し支えない年齢ではあるが、彼らは立派に男と女をしていた。

 

 教室が騒がしい中、レイジーはあることに気づく。そうだ、コーラがない。

 鞄の中に常備しているものだが、先ほどの授業の前に飲み干してしまっていたことを忘れていた。

 これはいけないと、レイジーは弁当箱を抱えて教室を出る。美少女との昼食は断るのに、コーラのためには動けるのだ。

 レイジー・ディリジェントとはそういう男だった。

 

 院内にある自販機までレイジーがたどり着くと、見知った顔が近くにやってきた。

 

「レイジーさん」

「うん」

 

 弾んだ話がこれから……なんてことはなく、レイジーはコーラを買うと「じゃあね」とだけ言って、その場を立ち去ろうとした。

 

「ま、待ってください。ちょっとお話良いですか?」

「弁当を食べながらで良いなら。でも珍しいね、コロナが話しかけてくるなんて」

 

 レイジーに近づいてきた人物はコロナだった。

 

「もぐもぐ」

「話というか相談なんですけど」

「ごくん。僕は人生相談できるほど素晴らしい人間じゃないよ?」

「あ、そんな重い話じゃないです」

 

 ベンチでばくばくと弁当を頬張る少年の横で、少し思いつめたような顔をする少女。「好きですっ! 付き合ってくださいっ!」などと桃色な展開があれば学園らしいが、この二人にそんな未来はない。

 

「あのですね、私にレイジーさんの練習の手伝いをさせて欲しいなと思いまして?」

「え、あ!」

 

 コロナの言葉に驚いたレイジーはフォークでつかんでいたエビフライを落としてしまう。さすがに地面に落ちたものまで食べる気にはなれず、がっくりと肩を落とす。

 ゴミとならないようにティッシュでエビフライを包むと、弁当箱の蓋の上に置いた。公共の場を汚すような真似はしない男なのだ。

 それから、コロナの方に視線を移す。

 

「なんで?」

「合宿の帰りの時にレイジーさんが言っていたじゃないですか。サポートならコロナだって」

「うん。実際、そっちからそう言ってくれるのは非常に助かる。コロナも大会で忙しいそうだから、頼まないようにしてた」

「あ、それは全然大丈夫です。むしろレイジーさんの特訓に興味がありますし、何か得られるものもあると思うんです」

「言っておくけど、僕の練習に付き合ってもらうだけだよ? 別段、コロナの練習に付き合う気はないから。それでも良いの?」

 

 結構最悪な条件だなと自分でも思いつつ、そして思ったからこそレイジーは尋ねた。

 だが、コロナは大きく首を縦に振った。彼女としても今の現状になにかしらのアクセントを付けたいようだ。

 

「そう、それなら良かった。とりあえず、よろしく頼むよ。実はコロナの能力は羨ましいと思ってた。男の子の憧れだよね」

「そ、そうですか?」

 

 少し照れくさそうにコロナははにかむ。

 

「あ、ストラトスとヴィヴィオたちには言わないでね。なんか面倒なことになりそうだから」

「なんだか、秘密を共有するってドキドキしますね」

「そう?」

 

 全くそんな事はないと言わんばかりにレイジーは無表情で返す。

 

「むー」

 

 可愛らしく頬を膨らませるコロナ。

 

「コロナは可愛いんだから、ちゃんとした男の子を見つけた方が良いよ?」

「あ、あの真顔で言われると照れるんですけど、全く感情がこもってないと誤解も何もないですね」

 

 レイジーとのときめきの展開など存在しなかった。

 

「それじゃあ、今日の放課後で良いかな?」

「あ、はい」

「じゃあ、校門前で待ち合わせて、僕が普段使っている練習場に行こう」

「分かりました。ヴィヴィオやアインハルトさんには内緒にですね?」

 

 コロナは子供らしくニッコリと笑った。どこかリオを思わせるちょっとイタズラっ子な笑顔でもあった。

 

 授業を終えて二人はミッド山を目指す。レイジーが毎日お世話になっている山だ。

 山道をトボトボと登ると少し開けた場所にである。あちらこちらに削れた岩々が散乱しているのがコロナには見えた。

 

「コロナにお願いしたいのは散らばった石くずを使ってゴーレムを作ってもらいたい」

 

 コロナは小さく頷くと、魔力の核となる結晶を地面の中に投げ入れる。

 結晶に反応するように、ゴトゴトと石くずたちが集まりだした。

 コロナの真骨頂はこれだ。

 魔力によって無機物を動かし、自在に操る。今回のように核となるクリスタルを使えば、巨大な岩の巨人すら作り出すことができる能力。

 レイジーが憧れたのはそこだ。

 大巨人がキックやパンチを繰り出す姿は小さな子供の誰もが憧れるものだ。

 コロナには小さい頃に描いた少年たちの夢を実現する力がある。レイジーは一点に関しては彼女を高く評価していた。

 

「おおおお!!」

 

 珍しくレイジーが興奮する。石くずたちが集まって巨人になる様はロボットの変形合体に通じるものがある。

 コロナの美的センスがなせる技なのか、デザインも巨人兵『ゴライアス』にふさわしいものになった。

 

「この後どうすればいいですか?」

「ぼ、僕が全力で壊すから、コロナは頑張って再生して」

 

 興奮さめやらぬレイジーは攻撃態勢に入った。と言ってもただだらんとしているだけだが。

 コロナも間近でレイジーの動きが見れるということで、愛機に映像を取るようにお願いする。

 レイジーの魔力速度の秘密の何かしらが分かれば、コロナとしてはこの練習の付き合う意味を大きく持つことになる。

 

 すぱん! ゴライアスの右肩がブリキのおもちゃが壊れるように吹き飛んだ。

 コロナは驚きつつも右肩を生成しなおす。そして、コロナが右肩を直している間に、今度は巨人の右手首から先が消え失せた。

 

(は、速いよ~)

 

 コロナが泣き言を言い終わると同時に、今度は首が吹き飛び、そして上半身もバラバラに砕け散った。子供の憧れの巨人が見るも無残に変形してしまった。

 

「うん、コロナ遅い」

「ご、ごめんなさいっ!」

「まあ、巨人を倒すといういい思い出も出来たし、真面目にやるよ」

「え?」

 

 今までは真面目ではなかったのかとコロナが首をかしげる。

 

「今のコロナの生成速度じゃ、復活するまで待ってるしかないからね。実際の試合だとそんな時間はない。というか実用性を考えるならわざわざ形にこだわる必要なんてないんだ」

 

 レイジーは言う。岩の塊のまま操作してくれと。レイジーに投げつけるように、岩をぶつけて欲しいと。

 

「目標をセンターに入れてスイッチ」

 

 レイジーの言葉に訳が分からないコロナだったが、言われた通り魔力の通った岩を人の顔程度の大きさに分けて準備を整える。

 傍から見たらかなり危険な的当てゲームが開始される。

 

(雪合戦……みたいな感じかな?)

 

 コロナは射撃魔法の要領で、複数の石弾をレイジーに向かって放つ。

 

 ぱん、ぱん、ぱん。コロナが放った石の弾丸は一つずつ潰されていく。

 正面からだけではダメだと、コロナは上空に向かっていくつかの弾丸を飛ばそうとしたが、それもレイジーに潰されてしまった。

 

(先輩は回避ができない、というかしない。だから、射撃魔法は出だしから潰す気なんだ)

 

 弾幕を展開、そして発射。概ね、射撃魔導師はこの行動をとる。

 威嚇の意味合いもある。最初に大量の魔法弾が見えれば、相手からすれば非常に嫌なものになる。

 

 だがそれはレイジーには通用しない。

 

 魔法を展開する、この段階でレイジーは潰しにかかる。相手より早く攻撃ができるというその力を最大限に利用している。

 よしんば、レイジーの攻撃をかわし、魔法弾を展開することができても今度は展開している本人が狙われてしまう。

 つまり、レイジーに射撃戦を挑む場合、ノーモーションからの魔法射撃に加えて圧倒的弾速で制圧。この難関を突破しなければならない。

 防御を固めてから、射撃の形を取るのが理想形ではあるがそもそも防御シールドを展開させてもらえるかも怪しい。

 管理局で上位者として知られるなのはでギリギリなのだから、レイジー相手に先にシールドを展開できるものなどそう多くはない。

 

 当然コロナにそれはできない。

 だから、考える。この練習と言う場を自分に最大限生かすために。

 

 コロナは動いた。狙いは単純に足元だ。

 ゴーレム生成に使った結晶はまだその効力を残している。石の塊でけん制しつつ、コロナはレイジーの足元の地面を隆起させた。

 

 ぐらりとレイジーの体が崩れる。

 今がチャンスだと、コロナは弾丸を殺到させる。とどめと言わんばかりに岩を使ってレイジーの四肢を抑える。

 よしっ、練習だということを忘れてコロナはガッツポーズまでした。

 

「お、おもい……」

 

 レイジーは潰れたカエルのように小さなうめき声をあげていた。

 それを聞いたコロナは慌てて魔法を解除する。

 

 ごめんなさいと謝りつつも、コロナは緩みそうになる顔を抑えることができなかった。

 コロナの表情をつまらなそうにレイジーが見る。少し睨んでいると言っても良い。

 

「なんでいきなり戦闘モード?」

「えーっと……つい」

 

 舌を少しだけだしてこてんと首を傾げるその動作は可愛いものであったが、岩を使っての圧殺攻撃に加えて、地面を隆起させるといったからめ手まで使用する容赦のなさ。とても初等科生の発想ではない。

 

「これは僕の練習」

「あはは、すみません」

 

 レイジーにじっと見られて、さすがにコロナも反省する。

 そして分かったことがあった。

 

(レイジーさん相手でも条件があれば、勝つことはできるんだ)

 

 今回は練習。実際の大会になれば、コロナが攻撃態勢を整える前にレイジーはコロナを吹き飛ばすことができる。まず、負けることはない。

 だが今回のように、コロナを攻撃しないなどと言った制限を掛けるとレイジーは途端に弱くなる。

 応用力のある戦闘スタイルではない。

 地面を魔力によって動かされただけで、簡単にバランスを崩してしまう。初めからそういう攻撃があると分かっていれば、レイジーの鍛えられた体幹で持ちこたえることはできるだろうが、やはり不意を打たれるとダメなのだ。

 

(大会で勝つためだけの戦い)

 

 コロナは思う。凄いなという反面、もったいないなと。

 しかし、レイジーにはあれもこれもと考えながら戦うことはできない。

 ほぼ反射の域で相手の攻撃を跳ね返しているのも、相手の攻撃を考えて回避などできないからだ。

 出だしで猛攻を仕掛けるのも同じ。順序立てて相手に攻撃していくことなどできない。

 魔導師は優れた頭脳を持つ者が多いが、多いというだけですべてがそうであるわけではない。

 レイジーのように頭の回転が決して早くない者は、戦い方に制限がかかる。

 そういう意味では、コロナやヴィヴィオは恵まれているともいえる。レイジーにはなかった才能を持っているのだから。

 

(頑張ろう。自分にできる戦い方で)

 

「コロナ、今度はちゃんとやってよ?」

「あ、はい」

「……また良からぬことを考えてる」

 

 じーっとコロナを見るレイジー。誤解だ、えん罪だとコロナは叫びたかったが、レイジーは先ほどの敗北で少し機嫌を損ねてしまったようだ。

 子供だなと、コロナは苦笑した。

 

「コロナにも制限を掛けてやる」

 

 そういうと、レイジーはコロナの肩に手を乗せる。そして、自分の腕から少しだけ魔力を移した。

 

「あ、あれ?」

 

 レイジーから渡された魔力はコロナを補助するものではなかった。手負いの獣のように、彼女の体の中を暴れまわる。

 それが良い具合にコロナを混乱させる。ダメージを受けているわけではないが、思うように魔力操作をすることができなくなった。

 

「僕の必殺技の応用。魔力を阻害する僕の魔力をコロナは上手に防ぎながら、ゴーレム生成してね。ちょっとでも油断してたり、生成が遅かったら、コロナにも攻撃するから」

 

 あ、まずい。コロナはそう思った。

 

「あ、あのーもしかして、レイジーさん、怒ってます?」

「うん」

 

 レイジーははっきりとそう答えた。

 

「大丈夫、別に嫌がらせしているわけじゃない。コロナのためにもなる。コロナの魔力操作のスピードが僕を超えればいいだけの話」

「ちょっとそれは――」

「問答無用」

 

 レイジーは消えるように後方に飛び退いた。正確には足元の魔力を弾いて下がっただけだが。

 

「さ、特訓を始めよう」

「あはは……」

 

(う~やりすぎちゃったよ~。で、でも頑張れば私もレベルアップできる……はず!)

 

 この後、コロナは屍のような状態になるまで、追い詰められるのだった。

 コロナの努力もむなしく、はかなく散る。

 大人げないとコロナは思うが、レイジーは子供だからと何食わぬ顔で返す。

 ああ、そうだ。自分たちはまだまだ子供なんだと、コロナは改めて思い、そのまま目を閉じた。

 

 ■

 

「…………」

 

 コロナが気絶していた時間は、そう多くはなかった。日頃からの鍛錬の賜物か、気絶してからの立ち直りを体が覚えているようだ。

 文学少女と言っていい彼女だが、ヴィヴィオたちに付き合ってトレーニングをした結果、そんな体を手に入れてしまったのだ。

 

 どん、どん、どん

 

 ぼんやりする意識の中でも、はっきりと聞こえてくる轟音。その発生源に自然と目が行ってしまう。

 

(あ、いつものポッチャリ体型じゃない)

 

 コロナから見えるのは後ろ姿だけだが、均整のとれた体がはっきりと見えた。

 普段の彼を知っている彼女からすれば、そのあまりの異様さにどうしても困惑してしまう。

 

(絶対、今の方が良いと思うけど、レイジーさんは実利最優先って感じだし)

 

「あ、起きた?」

「は、はい」

 

 コロナは横になっていた体を起こす。そして、その時になってようやく自分の体に服が掛けられていることに気づいた。レイジーの上着だ。

 

(もしかして、私に上着を掛けるために、魔力付加を解除してくれたのかな)

 

 そう思うと、優しいなとコロナは小さく笑う。普段は雑魚と罵られることがあるが、気遣いはちゃんとできるのだと感心した。

 

「あ、上着が掛かってたんだ。ごめん。ちょっといつもより体を動かしたかったから。服が邪魔だったから投げ捨てたんだ」

「私の感動を返してくださいっ!」

「え、その返しは予想外。僕は理不尽に怒られるのが苦手なんだ、人間だもの」

 

 レイジーはなぜコロナが感動していたのか、そしてなぜ怒ったのかが分からなかった。コロナは、「どうも、ありがとうございました」とレイジーの上着を返す。返す際に、ぷいっと顔を背けるが、レイジーにはその理由が分からない。

 

(顔を背けたいときもある。人間だもの)

 

 コロナが落ち着くと、二人は腰を下ろした。レイジーはすでにポッチャリ型に戻っており、いつでも帰れる準備を整えている。

 

「レイジーさんのその状態って、やっぱり大会で優勝するためですよね?」

「うん」

「そ、その……辛くありません?」

「辛くなかったら訓練にならない。最近困っているのは、ベッドが耐えられそうにないこと。ベッドを魔力強化しながら寝るのは、僕には無理」

 

 レイジーは落ち込む。「ベッドっていくらするかな」と、その内容はコロナではどうすることもできないものだが、訓練の弊害が出てきて困っているのだというのは分かった。

 ただ、コロナが言わんとしたことは、金銭的な辛さの話ではない。もちろん、肉体的な事でもない。

 

「皆に……」

「馬鹿にされて辛いかってこと?」

「……はい」

「うーん、特には。テレビであるような、物が隠されたり、校舎裏に呼び出されて殴られたりとかがあるわけじゃないし。デブとか、豚とか呼ばれるくらいだよ」

「それはもう苛めなのでは?」

「そう?」

 

 レイジーはどうでも良さそうに答えた。

 

「強いですね。私なら耐えられそうにないです」

「感性の違いじゃない? 僕は人とずっと一緒にいるより、美味しいものを食べたり、ゴロゴロしてた方が幸せなだけ。コロナは友達と一緒にいたりする方が楽しいってだけでしょ? 状況が違うんだから、それで強いとか弱いとかはないんじゃない? もし、僕が人の群れの中に放り出されて友達100人作れ、なんて言われたら、それこそ泣いてふて寝するよ?」

「泣かないでくださいよ」

「でも、友達を作るって強さならコロナの方が上なのは事実。お肉をいっぱい食べるって強さなら僕の圧勝。勝負をする場所が変われば勝敗は大きく変わるさ」

 

 すべての勝負で勝利できる奴など存在しない。レイジーはそう言っている。

 

「でも、もしもレイジーさんが友達をたくさん作らなきゃいけない勝負になって、それでヴィヴィオに勝たなきゃいけないってなったら、どうします?」

 

 人は勝てる勝負だけをするというわけにはいかない。むしろ、負けを覚悟するような勝負の方が多い。

 そして、コロナにとって格闘技とはそうなのだ。同学年のヴィヴィオやリオとの勝負では負けを覚悟しているのが常だ。

 

「普通に諦める。無理」

「え?」

「だってヴィヴィオだよ? 僕みたいのにも普通に話しかけてくれるし、ストラトスみたいな面倒そうな奴にも普通に声かけてくれる子だよ。勝てるわけないじゃん」

「えー……」

 

 コロナは期待していた。努力を惜しまないこの少年なら、きっと解決策を見つけるのではないかと。

 だが、返ってきた答えはあまりにも潔く、そして情けないものであった。コロナの中で、レイジーという少年の評価が急降下した。

 

「僕はね、何をやってもそれなりにできるなんてそんな万能な才能はないんだよ。スポーツだってできないし、勉強もできない。むしろ、コロナたちの方が凄いと思うよ。人としての能力なら間違いなく僕なんかより上だ」

 

 情けないことを言っているのに、レイジーにはそれに対しての悔しさはないように見える。

 

「でも、スポーツ格闘技なら君たちには負けない。その一点で言えば僕の方が上だ」

 

 見栄でもなんでもなく、当たり前のようにレイジーは言う。

 

「そして僕の人生の中でそれはすごく大切な事。他の何で負けても良いけど、格闘技でだけは負けられない。毎日をベッドの上でゴロゴロして、美味しいものを食べて幸せな人生にするためには、そこで負けちゃダメなの」

 

 レイジーは才能が豊かと言うわけではない。何をやっても人並み以下でしかない。それは本人も自覚している。

 でも、彼はダラダラして暮らしたいという思いは人一倍強い。

 もし、コロナが提示したような勝負がこの世界で主流となるようなことがあれば、レイジーは詰んでいた。勝ちを得るために明確な方法がなく、その勝負の判定も審判に委ねることが多い。

 芸術点のような個人の主観が影響する審査では、どんなに頑張っても報われないことがある。そんな勝負しかない世界では、勝つことはできない。

 

 その点、格闘技にその縛りはない。圧倒的に強ければ、審判の主観など入りようがなく、判定勝負にもならず、KO勝利を収めることができる。

 だからこそ、レイジーは格闘技を頑張るのだ。

 

「レイジーさんは凄いですよね。私なんて、あれもこれもって手を出しちゃうのに」

「あれもこれも手を出せるコロナの方が凄いんだけどね。戦い方だってもっと絞れば強そうなのに」

「……やっぱり、私ってストライクアーツの才能がありませんか?」

 

 コロナ自身、ヴィヴィオたちとの特訓でそれは感じていたことだ。

 

「うん」

 

 そして、レイジーがはっきりと言ってくることも彼女は分かっていた。

 ただ、やはり辛いのか、どこか表情は硬い。

 

「コロナは頭の回転が早い。これは生まれ持った十分な才能だ。僕にはなかったものだよ。だけど、身体の動かし方が上手いわけじゃない」

「やっぱり、ゴーレム操作をもっと極めるしかないってことですか?」

「うーん、それは分からない。もしこの先身体の使い方をコロナなりに理解すれば、劇的に状況が変わるかもしれない。そこはコロナの可能性だから、僕が言えるのはあくまで僕の視点から見たコロナってだけだよ。僕の意見が必ずしもコロナにとって正しいわけじゃない」

「それじゃあ、もしレイジーさんが私だったら、どんな風に鍛えていきますか?」

「えーそんなの分からないよ。だって僕はコロナじゃないんだもん。コロナの頭の中がどうなっているのか分からないし、判断しようがない」

 

 見えている景色が違えば、導く答えも違ってくる。レイジーが今見えている世界は、今の彼だからである。それがコロナと入れ替わることで全く同じ景色が見えるとは限らない。そして、分からない物に対してレイジーは答えなど出せない、そう言っているのだ。

 

「でも、今のコロナの能力が僕に備わった場合、確実にやることが一つだけある」

「巨大ゴーレムの生成ですか?」

 

 憧れると言っていたのだから、たぶんそうだろうとコロナはあたりを付けた。だが、レイジーは首を横に振る。

 

「身体能力の強化。ゴーレム操作に使っている魔力を自分に使う」

「そ、それは……」

 

 自分も考えていた。コロナは思わず口に出そうとしたが、レイジーが自分ならやると言った言葉を思い出し、押しとどまった。

 

「僕はそれなりに身体を鍛えてきたつもりだし、魔力操作にも自信がある。もし、内面だけでなく外面からも魔力操作をできるとしたらそれはとても都合が良い。でも、コロナは止めた方が良い」

 

 はっきりとレイジーはそう言った。考えていた作戦のうちの一つであるが、コロナとしても起死回生の一打になるのではと思っていただけに、それを否定されると、やはり疑問が残ってしまう。

 

「なぜですか?」

「まず一つ、体への負担がでかい。もともと格闘タイプじゃないコロナがそんな裏技みたいな能力を使えば、まず間違いなく体が悲鳴を上げる。次に、攻撃パターンの低下。無理やり身体を動かす以上、どうしたって普段とは違う動きをしなければならない。コロナの今の魔力操作技術では事前に攻撃パターンをセットして、あとは自動で動くくらいしかできないと思う。僕みたいに一芸に特化しているならまだしも、コロナにそれはない。近接戦闘を仕掛けるしかないけど、相手がそれなりの実力者なら、早いうちに対応される」

 

 対応される前に倒しきるにはコロナの体と魔力が持たないのだと、反論しようとしたコロナにレイジーが無情の言葉を告げた。

 

「コロナは前線で戦う戦士じゃない。後ろで軍を統率する司令官。それさえ間違えなければ、ストラトス程度になら勝てると思うよ」

「アインハルトさん程度って……。アインハルトさんは私たちの中では一番強い人なんですよ?」

「僕からすれば大差なんてない。開始5秒で終わるか、10秒で終わるかの差」

 

 あまりにも自信のありすぎる言葉だった。

 

「レイジーさんならそうかもしれないですけど」

「ストラトスの覇王流は似非も良い所。あれで最強になれるなら僕のドリームライフは確定するよ」

「なんかアインハルトさんに対して厳しすぎません?」

「そう? 別に思ったことを言っているだけだよ」

 

 何かおかしい? と首を傾げるレイジーにコロナは少し顔を引きつらせる。

 

「コロナとストラトスが戦うことになったら」

 

 二人が予選で同じブロックになっているのを知らないレイジーは、コロナが何かを言う前に対策を伝えた。

 

「ゴライアスを壊されればいいよ」

 

 へ? と変な声を上げてしまうコロナだった。



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第一八話 ストーカーの心と少女の敗北

 ため息を大きく吐いた。

 

「レイジー・ディリジェント選手、イービル・ノート選手。一回戦を始めますので、B会場にお越しください」

 

 世の中狭いものだ。レイジーはそう思った。

 二週間前に負けた相手。審判のミスによるもので、その試合結果自体は無効になったが、レイジーにとって因縁のある相手だ。

 それが、まさか別の大会で、しかも一回戦から当たるなんて、作為的なものを感じなくもない。

 だが、そんなマンガみたいな展開はないかと、気にすることをやめてレイジーはぱちんぱちんと頬を叩いて気合を入れた。

 

 会場に着けば、すでに相手がリング上で腕組みをしながら待っていた。

 前回のようなミスを避けるために、レイジーは審判に自分の状態が不正にあたらないかを確認した。

 返答は不正にあたるかも知れないであった。

 なんでも、匿名でそういう訴えが事前にあったということで、術式を組んでいない変身魔法は、魔力付与という扱いになるのではないかと疑問の声が上がった。

 基本的に自分に魔力負荷を掛けて試合に臨む輩はいないので規則などはなかったのだが、疑わしきものは罰せよという扱いになってしまった。

 

 だから、レイジーは素の状態でリングに上がることになる。それをレイジーにとってマイナスだと感じているのか、対戦相手であるイービルは不敵な笑みを浮かべていた。

 

「久しぶりだね、レイジー君?」

「どうも」

「その姿を見るのは久しぶりかな」

 

 試合開始前のたわいのない会話。だが、イービルはニヤニヤと笑うばかりだ。

 

「レイジー君は防御に自信がないのかな? だから、あんなみっともない格好をして試合に出ていた」

「まあ、そうですね」

 

 イービルは挑発のつもりだった。ポッチャリ体型のレイジーがみっともない格好というか見た目なのは事実で、否定できることではない。相手が厭味の一つとして言っているのがわかるので、特に腹立てることはない。そんなことは何度も言われてきたのだから。

 だが、レイジーの態度がイービルには面白くないようで、小さく舌打ちをしている。

 防御力を下げられて困っている、そんな顔を彼は見たかったようだ。

 

「両者、準備は宜しいか?」

 

 審判が試合の開始を促そうとしている。

 レイジーは普段通りに小さく頷き、イービルは微笑むようにして頷いた。

 どこか作ったように見えるのは、彼の嫌な部分が表に出てきてしまっているからだろう。

 

「君の出方は分かっているよ」

 

 そう言ったイービルは立ち合いの位置から少し後ろに下がった。あまり下がりすぎると審判に注意を食らってしまうため、注意を受けないギリギリのラインまで下がったのだ。

 イービルは距離が取りたかった。少しでもレイジーの攻撃を受けるまでの時間を稼ぐために。

 そして半身になる。これでレイジーからの攻撃を受ける面積が大きく減った。

 さらに、側面を守る盾をデバイスとして展開する。レイジーとの対戦のために準備していた戦闘スタイルだ。半身になっていた彼の体が完全に隠れるほどその盾は大きかった。さらに言えば形状も特殊だ。

 突き出るような先端が顕著で、螺旋の跡でもあればドリルと言ってもおかしくはない。レイジーの攻撃は一点集中型なため、誘導弾のように左右からの攻撃などと言ったものはない。

 点を点で壊す。レイジーの攻撃が蹴撃であるのに対して、先端の尖ったイービルの盾はレイジーの攻撃を四方に拡散しながら崩すことができる。

 蹴撃が盾にぶつかった瞬間、空気の塊がバラバラになってしまうのだ。そうなってしまえば、レイジーの攻撃はイービルに届かない。

 

 イービルは笑う。勝った、これは自分の勝ちだと。

 彼の戦い方は、相手によって柔軟に対応できるその器用さにある。魔力量は決して優れておらず、エースと呼ばれるような存在ではないが、生まれ持った器用さと狡猾さで相手によってスタイルを変化させることができる。

 すべての能力が一流には及ばないが、二流を超える。一流と呼ばれる相手にも、相手が苦手なスタイルで戦い勝利をもぎ取る。

 彼を知る者は言う、魔力さえあれば超一流になれたのにと。

 

 この世界は技術だけではどうしようもないことがある。どんなに優れた技術を持っていようと、Sランク魔導師の砲撃には無意味だ。魔力が拮抗しているなら、まだやりようがあるが、イービルの魔力はBランク。どうしようもない才能の差が存在する。

 周囲から、残念な才能、二流の中の一流と囁かれ、鬱屈した日々が続いていた。若くして、世界の現実を知った彼は歪み、そして妬むようになった。

 

 反則をしてでも一流に勝ちたい。

 

 彼の心の中にあるのは、それだけだった。

 イービルがレイジーを初めてみたとき、大した存在ではないと思った。だが、そんな彼はインターミドルの都市予選を容易く突破し、理由は不明だが、本選を棄権した。

 訳が分からなかった。

 自分に持っていない魔力と言う才能を持っている少年が、一流と呼ばれる相手を容易く薙ぎ払う。レイジーが地区予選で下した相手の中には、一昨年の優勝者も含まれており、当大会でも優勝候補筆頭だった。

 誰もが思った。彼が優勝するだろうと。

 だが、その予想を裏切り、レイジーは棄権と言うふざけた行為で大会を去っていった。

 

 許せなかった。反則行為までして、勝利という栄冠を掴もうとしている自分をあざ笑うかのような行為が。

 絶対に負かしてやろうと思った。例え、反則と言われようとも、必ず敗北の文字を突き付けてやろうと思った。

 少年が次にどんな大会に出ても良いように、各大会の出場リストをくまなくチェックした。

 インターミドルから約一年後だったが、根気強く探した甲斐があった。

 少年が出場しようとしたのは、地元の、しかも公式戦とも言われないような小さな大会だ。賞金が出ると言っても、他と比べれば微々たるものであった。

 イービルにとって賞金は二の次だ。彼にはレイジーに負けという現実を叩きつけることが大事なのだ。

 そして、一年ぶりにレイジーを見て感じ取った。ああ、これは普通にやっては勝てない。

 そう思わせるほど、レイジーはより速くなっていた。だから、審判が素人という点を有効に使って勝利をもぎ取った。

 落ち込んでいるレイジーを見て、溜飲が下がる思いだった。

 

 その勝敗は取り消しになったが、レイジーを落ち込ませただけで気分はよくなった。

 そして、またレイジーを大会名簿で見つける。またやってやろうという気になる。邪魔してやろうと思う。

 前大会では準備不足で、使用を諦めたが今回は時間もある。準備を整えて、少年に今度こそ完全な敗北を与えてやる。

 イービルは目の前のレイジーを見ながら、ニヤリと笑う。

 

 レイジーがイービルの心の内を見抜くことができれば、ドン引きすることになるだろう。

 逆恨みだと思うだろう。

 そもそも、ルール違反を犯している時点で、何をどう言っても、正当性などない。

 気持ち悪いのでお引き取りくださいと、声を大にして叫んでしまうかもしれない。

 知らぬが仏とはよく言ったものだ。

 

 大会に出てくるものすべてが立派な志を持っているわけではない。

 単純に勝利と言う栄冠を欲している者、レイジーのように金銭を目当てにしている者、イービルのように相手が嫌がるのを見て喜ぶもの、色々だ。

 

 だが、どんな理由があれ、等しく勝敗は着く。レイジーとイービルの勝負もそうだ。

 そして、思いが強い方が勝敗を決定するというのなら、レイジーに対して意味の分からない嫌がらせを本気で行おうとしているイービルの方が勝つのかもしれない。

 

「それでは、試合開始っ!!」

 

 意識を失う、それだけは分かった。自分が何をされたのかは全く分からなかったが、少なくとも目の前が真っ黒になっていくのは分かった。

 イービルの失敗は、レイジーを甘く見たこと。その一点に尽きる。

 レイジーの全力の攻撃を受けきれるものなど、世界中探してもそう多くはない。

 

「イービル・ノート選手、戦闘不能により、勝者、レイジーディリジェント選手っ!」

 

 イービルが用意した策は、あっけなく散った。

 特殊な形状な盾は、まるで巨人の一撃を食らったように、アルミ缶のごとく押しつぶされていた。

 その衝撃をまともに体で受ければ、意識を失うのは当然なのかもしれない。

 実力が違った。言ってしまえば、それまでだが、レイジーに労いの言葉でもあれば、イービルも救われたかもしれない。だが、そんなことは起きない。

 

「コーラ飲みたい、人間だもの」

 

 レイジーはぽつりと呟いた。これをイービルが聞いていたら……。

 

 †

 

「くっ!」

 

 アインハルトは苦戦していた。試合開始の合図と同時に駆け出す。相手のゴーレム生成を潰すための策としては当然だ。

 だが、その強襲は、部分生成という器用な一手で潰される。

 巨人すべてを生成するのではなく、右腕だけを生成し、それを魔力を使って操作する。

 走り出してしまっていたため、カウンターの形になりあっさりと一撃をもらってしまう。

 上手く両腕をクロスさせて防御体勢を取ったが、相手の攻撃は予想以上に速くて重い。そのまま後方に吹き飛ばされて、相手との距離を空けてしまった。

 

「叩いて砕け、ゴライアスっ!!」

 

 少女の声を聞いた時には、もう遅かった。石の巨人ゴライアスが、その姿を現した。

 

「行って!」

 

 リングを揺らしながら、巨人がアインハルトに襲い掛かる。だが、彼女は慌てなかった。努めて冷静に巨人を見据える。

 相手は巨大なれど、動きは鈍重。懐に入ってさえしまえば、なんとかなる。

 それに、自分の最大の武器は攻撃力だ。石の巨人程度なら、破壊することも可能。

 アインハルトは一つずつ頭の中で、戦略を組み立てていく。自分よりもはるかに大きいものが腕を振り上げながらやって来ているのだ、普通なら恐怖を感じる。

 

 だが、彼女にそれはなかった。

 

 振り下ろされた巨大な拳をしっかりと見つめて、サイドステップで華麗に躱す。

 その勢いを利用し、踵を起点に回転を始めて素早くターン。相手の懐に完全に入り、足元までやって来た。

 ちょうどその時になって、もう一つの拳が横からアインハルトに襲い掛かる。

 それに気づいた彼女は、膝に力を入れて、得意技の一つを繰り出した。

 

「覇王――断空拳!」

 

 巨人の左腕が少女のか細い腕とぶつかった瞬間、内部で爆発が起きたかのように四散した。

 会場が大いに沸き立つ。

 片腕を失った巨人は、とても弱弱しく、戦意を失っているようにも見えた。

 

(おかしい。コロナさんはどこへ?)

 

 巨人の操り主、コロナがアインハルトの視界から消えた。巨人への対応を優先してしまったため、小柄な少女を見失ってしまっていた。

 首を振って確認するが、コロナの姿は見えない。

 

(つまりは――)

 

 アインハルトは上を見上げた。そして、見つけた。ちょうど野球のピッチャーが投げ終わったような、そんな体勢の彼女の姿を。

 飛来する小さなクリスタル。コロナから投げ出されたそれはアインハルトに真っすぐ飛んでくる。

 攻撃なはずはない。この程度でアインハルトがどうにかなるとはコロナも思っているわけがない。

 狙いは何か、そう考えてアインハルトはハッとしてしまった。

 

「集え、ゴライアスっ!!」

 

 咄嗟の反応でアインハルトがクリスタルをかわす。それを見越していたかのように、コロナが大きく叫ぶ。

 片腕を失って、今にも崩壊しそうだったゴライアスが、本当に壊れてしまった。

 

 否。

 

 そうではない。バラバラになったゴライアスが、まるで合体ロボットのように中心に向かって集まりだす。

 中心、この場合はクリスタルだ。コロナの魔力をため込んだクリスタルに、ゴライアスであった破片が、集まろうとしていた。

 

 これは拙い。

 

 アインハルトは状況を理解したが、逃げ場がない。ゴライアスを破壊するために、懐まで入り込んでしまっている。加えてゴライアスはアインハルトよりもはるかにでかい。手を伸ばせば簡単にアインハルトまで届いてしまう。

 回避は困難。故に彼女の選択は迎撃に回ることだった。

 

「行きますっ!」

 

 迫りくる石弾。クリスタルに集まっているだけなのだが、そのクリスタルが彼女の足元にあるのだ。つまりはアインハルトに襲い掛かってくることと同義。

 コロナは空中で体勢を整えて、アインハルトの後方に回っている。彼女の逃げ場を完全になくそうとしていた。

 背後のコロナを警戒しつつ、アインハルトは飛来物に拳を素早く繰り出していく。

 

 シュ、シュ、シュ

 

 魔力が通っているとはいえ、所詮はただの石の塊。少し拳を魔力で纏えば、どうと言うことはない。

 アインハルトの足元には粉々になった石くずが転がっている。

 コロナの作戦は見事であったが、火力が足りていない。アインハルトを倒すにはもう一手が必要だった。

 

「再召喚! 叩いて砕け、ゴライアスっ!」

 

 アインハルトには珍しく、焦りの表情が浮かんだ。分かっていた。当然、この程度で終わるわけがないのだと。この程度の作戦で自分を倒せると思っているなどと、コロナを過小評価する気はアインハルトにはなかった。

 どこかのタイミングでゴライアスが来る。それは分かっていた。それでも、自分の全力の一撃を繰り出せば、破壊、そして無防備になったコロナへの直接攻撃が可能となる。

 少なくともアインハルトの頭の中ではそうなる予定だった。

 

 だが、それを崩したのがコロナだ。

 

 ゴライアスの再召喚は、アインハルトを巻き込むように起こっている。

 アインハルトの体を地面から這い出た土が覆うように纏わりつく。

 包み込むように見えなくもないが、その実、圧迫されて身動きが取れない。

 ゴライアスのちょうど腹部に当たるところに、手足を引っ張られるようにして拘束されたアインハルトの姿が見えた。

 

「これでとどめです!」

 

 部分生成。コロナの右腕にはゴライアスの巨腕があった。魔力を十分に注ぎ込んだのか、ハア、ハアと息切れを起こしていたが、最後に一発を打ち込む余裕は残っている。

 身体を捻るようにしてアインハルトは抜け出そうとするが、ゴライアスの身体から離れることができない。

 覇王流を完全にものにしていない彼女では超密着状態から高威力の攻撃を放つことなどできないのだ。

 つまり、手詰まりとなる。

 

「必殺、ロケットパーンチ!!」

 

 できれば、この技で倒してほしいと、コロナに作戦を授けてくれた先輩の願いをコロナは叶える。

 渾身のロケットパンチがアインハルトの全身に襲い掛かり、防御体勢を取れなかった彼女は容易く意識を失った。

 

 アインハルトが初めてコロナに負けた瞬間だった。

 

 †

 

「ねぇ、どう声を掛けたら良いかな?」

「うー? 普通にすれば」

「で、でも昨日試合に……」

「負けたの? 相手は?」

「聞いてないの? コロナちゃんだよ」

 

 知らされた事実に、ピクリとレイジーの肩が反応した。そう言えば、対策とまではいかないまでも、それらしいことを話したなと、今になって思い出す。

 

「レイジー君、何かしたの?」

「ううん、してない」

 

 なんとなく面倒そうになると思い、レイジーは何もなかったと平静に努めた。

 

「そういえば、コロナちゃんがレイジー君にアドバイスをもらったって」

「え、初耳だけど?」

 

 話し相手、ユミナの誘導尋問にレイジーは完璧な対応をした。早々漫画のように騙されたりはしないのだ。

 じとっとレイジーを見るユミナだったが、レイジーが無表情を貫いたので、本当に何もなかったのだと気にしないことにした。

 

「変な事聞いてごめんね、私の勘違いだったみたい」

「いいんちょーだって間違うことはあるよ、どんまい」

「なんかレイジー君に励まされると、モヤモヤするね」

「かなり失礼」

 

 二人が漫才をしている中、アインハルトは窓の外をぼーっと眺めている。昨日の敗戦を気にしているようで、無表情なれど、悩んでいるのが一目でわかる有様だった。

 友達でもあるユミナは心配して声を掛けようとしているのだが、どう声をかけて良いか分からない。それでレイジーに助言を求めたわけだが、聞く相手を間違えているため進展はなかった。

 遠くで見ていることしかできない。

 

「レイジー君、アインハルトさんに何か、言ってあげられないかな?」

「99%の努力と1%のひらめきが天才なら、100%の怠惰は怠け者だと思うんだ」

「まさしくその通りで疑いの余地はないんだけど、アインハルトさんに掛けてあげる言葉ではないよね」

「ならストレートに負けたんだと心を抉ってみる」

「それをしたら、私は友達じゃいられなくなるよ」

 

 ユミナは苦笑した。

 

「しょうがない、こうなったら寝よう」

「それはいつものことだよ」

 

 結局二人は――正確には一人――解決策を見つけることができなかった。

 悩む少女を見守ることしかできない。

 




前半はなんとなく書いてしまいました。これから先も彼が出てくることが……


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第一九話 コーラを出しますわよ

 ――僕はここに居る

 

 なんとなくその言葉を思い出した。合宿で彼がそう言っていた。

 普段の気だるそうな感じがまるでなく、その時だけは強く逞しく見えた。

 

「私はここに居るのでしょうか?」

「にゃ~」

「ティオ……」

 

 鼻をこする様にアインハルトの頬に寄せる。そんな愛機をアインハルトは優しく撫でるが、表情は晴れない。

 コロナに敗北してから、前にもまして悩むようになっていた。ヴィヴィオたちと出会って、自分が成長したように感じていたが、幼い少女に負けてしまった現実が、その実感をあいまいにさせる。 

 成長はしていないのではないか、弱くなったのではないか、悩めば悩むほど、頭がこんがらがる。

 よく分からない。本当に自分がよく分からない。働かない頭を振りながら、アインハルトは学院に向かった。

 

 学院に続く道がいつもよりも暗く見えているのは自分の気持ちを反映しているからかもしれない。

 しっかりしなくてはと気合をいれようとするも、どこか気が入らず無気力に足だけが前に進む。

 このままサボってしまおうかと良くない思考に至った時、伝統あるSt学院の制服をだらしなく、そしてきつそうに着ている少年の後ろ姿が見えた。

 学院に行くのが少し億劫になっている自分よりもはるかに重たい足取りの彼に追いつくのは決して難しいことではなかった。

 友人であると言えるほどの関係は築けてはいないが、よく話す相手ではある。一応の礼儀としてアインハルトはレイジーに話しかけた。

 

「おはようございます、ディリジェントさん」

「んー? おは」

 

 最後まで言わないのはレイジーが怠け者だからである。友達同士の軽いやり取りではない。

 

「にゃー」

「ふむ」

 

 アインハルトの鞄から愛機であるアスティオンが可愛らしく鳴き声を上げた。デバイスであるのだが、外装が子猫のようなものでできており、温もりも持っているため、本当に生きているように見える。

 鞄の隙間から一生懸命に頭を振って出ようとする姿は非常に和むものである。

 

「にゃーん」

 

 可愛く声を上げるとアスティオンがレイジーの突き出たお腹に飛びついた。小さな前足をちょこちょこ動かしてレイジーと言う肉壁を登っていく。

 アインハルトは止めようとしたのだが、アスティオンが楽しそうにしていたことと、レイジーが特に気にした様子を見せなかったために、そのまま成り行きを見守っていた。

 

「にゃー」

「ふむふむ」

 

 レイジーの肩までたどり着いたアスティオンは小さく話しかけた。

 

「にゃーん、にゃん」

「なるほど」

「にゃー」

「へぇー」

 

 まるでアスティオンの言っていることが分かっているかのようにレイジーは相槌をしばしば打っていた。

 

「あのーディリジェントさん? 失礼ですが、ティオの言っていることが分かっているんですか?」

「もちろん。僕はこう見えても猫好きでね。意思疎通くらい簡単さ」

「ティオは一応豹なんですけど……」

「猫科だから問題ない」

 

 レイジーは肩の上で鎮座していたティオを自分の正面に見えるように抱きかかえる。

 つぶらな瞳と目が合って、レイジーはすべてを理解し口を開いた。

 

「肉が食べたい。魚よりも牛。ドラゴンがあると最高に嬉しい。コーラを飲みながらブレイクダンスをしちゃうよ……みたいな感じ?」

「にゃー!」

「え、惜しいって? やっぱり牛より魚派? ちょっと僕とは仲良くなれそうにないな、残念だ」

「ティオは自己紹介していただけです。自分の名前はアスティオンで、よろしくと言っていたんです」

「にゃーとにゃーんでそんな複雑なことを……。やはり猫検定8級の僕には、まだ意思疎通は早かったか」

「そんな検定はありません」

 

 アインハルトは呆れた。コミュニケーションを成立させているかと思っていたが、全くそんなことはなく、レイジーの独りよがりであった。

 こんなボケボケのポッチャリが試合では圧倒的な力を見せるのだから、世界は摩訶不思議である。

 

「ディリジェントさん」

 

 レイジーからアスティオンを受け取りながら、アインハルトが話しかけた。

 いつもの無表情な彼女ではなく、視線が少しを下を向き、悩んでいるのが分かるようだった。

 気の遣える男であるなら、ここで相談にでも乗るのであるがレイジーにそんなイケてる男子要素は存在しないので、ものすごく面倒そうな顔で返事をした。

 

「何?」

「ディリジェントさんは、試合で負けた経験はありますか? 前回のような不戦敗や棄権と言ったものを除いて」

「鍛え始めた頃はシャッハちゃんにボコボコにされたけど、最近はないかな。勝とうと思った試合には全部勝ってるよ」

 

 全く誇ることなく、それが当たり前であるかのように淡々とレイジーは告げた。

 

「私は負けてしまいました」

「聞いた。コロナにでしょ?」

 

 こくりとアインハルトが頷いた。

 

「まあ、しょーがないんじゃない? ストラトスはあんまり強くないし、対策を立てれば今のコロナでも勝機はあるよ」

 

 その対策らしきものを自分が教えたとは言わない。言うと面倒になるからだ。

 

「私は弱いですか……」

「少なくとも僕よりは。今のストラトスなら何回やったって負ける気がしないもん」

 

 思いやりという言葉を母親のお腹の中に置いてきてしまったようだ。悩み落ち込んでいる美少女をさらに追い詰めた。

 

「弱い……」

 

 しょぼーんと肩を落とすアインハルト。アスティオンが苛めるなとレイジーに向かって声を上げたが、「にゃ!」としか認識されず、お腹が空いたのかと勘違いされる始末である。

 

 それから二人で無言のまま歩いていたが、学院の門が見える頃になって、アインハルトがぽつりと呟く。

 

「私の覇王流は弱いですか?」

「うん」

「覇王流が弱いと思いますか?」

「うーん、それはちょっと不明。実物を見たことがないから」

「ディリジェントさ――」

「模擬戦ならやらないよ」

「まだ何も言っていませんが」

「こうビビっと来た。僕の面倒センサーは高性能だから」

「では本日の学食、日替わりランチセットを対価にどうでしょうか?」

 

 日替わりランチセット。そして今日は木曜日。木曜日に出てくるのは……肉! 丼ぶり物で、ご飯の上にこれでもかというくらいに肉を乗せる。ご飯と肉の比率は驚愕の2:8。肉好きにはたまらない逸品で、育ち盛りの生徒が好んで食べるものだ。

 他のランチメニューよりも高額なため、レイジーも財布に余裕がある時にしか食べない。

 

「僕を食べ物で簡単に釣れると思っているな?」

 

 全く失敬だとレイジーが肩をすくめる。

 

「はい」

「ごちになります」

 

 ただプライドや見栄ではお腹はふくれないので、ものの見事に頭を下げるレイジーだった。

 アインハルトはレイジー検定を5級くらい獲得しているかもしれない。

 

 †

 

 昼に肉料理を堪能したレイジーは上機嫌だった。そして気持ちの良いまま帰ろうとしたのだが、さすがに奢ってもらってさようならなど外道のそれなので、アインハルトの練習に付き合うことにした。アインハルトと昼食をともにしたことで、ヴィヴィオたちにも知られてしまい合同練習をすることになっている。ただレイジーはアインハルトの相手以外するつもりはないとはっきりと告げている。

 だが、校門を出た時に意外な人物に出くわした。

 

「久しぶりね」

「お久しぶりです」

 

 レイジーは手を取って挨拶をする。それはもう崇拝するように。

 隣にいる雇い主には目もくれない。レイジーの円らな瞳に映るのは最高の料理人。実際の仕事は違うのだが、レイジーには大した問題ではなかった。

 凛とした佇まいに、滲み出る気風。さわやか笑顔と端正な顔立ち。完璧だ、そう心の底から思えてしまうその人物にレイジーは少しばかり興奮していた。

 

「私に挨拶をなさい」

 

 さすがにないがしろにされるのは嫌だったのか、お嬢様が話しかける。

 

「レイジー様、お嬢様がお怒りですので、私ではなくお嬢様に」

「……お久」

「貴方は相変わらずですね」

 

 急に表れた来訪者は、ヴィクトーリアだった。レイジーはヴィクトーリアよりも執事であるエドガーを最優先していた。

 彼の中ではお嬢様はエドガーのおまけ程度の認識でしかない。大切なのは――料理が作れる――エドガーなのだ。どちらを大切にするかなど考える価値もない。

 

「れ、レイジーさん! この方はもしかして」

 

 ヴィヴィオたちが一斉に反応した。今年は参加しているとはいえ、去年までは見る側だったのだ。インターミドルで成績上位者として毎年上がってくるヴィクトーリアをヴィヴィオたちが知らないわけがない。

 有名選手に出会ったファンのように彼女たちは目をキラキラさせている。レイジーに彼女を紹介してくれと目で訴えていた。

 彼女たちの視線を理解したレイジーはエドガーの前に立つ。やはり年頃の女の子。イケメンに飛びついてしまうのだなと納得していた。

 

「うん、彼がたこ焼き作りでおそらくミッド一の執事、エドガーさん」

 

 ヴィヴィオたちはぺこりと頭を下げるが、そうじゃないと視線で訴える。言葉に出さないのは、エドガーに対して失礼であるからだ。ただエドガーも彼女たちの言わんとしていることは分かっている。レイジーにさわやかな笑みを向けて、主であるヴィクトーリアの方を見るように促した。

 

「そこは私を紹介なさい」

 

 呆れるヴィクトーリア。

 

「えーっと、エドガーさんの雇い主のお嬢様。名前は確か、ヴィ、ヴィ……ヴィーさん」

 

 ヴィヴィオと言いかけたが、それは別人だと思いとどまる。本人が目の前にいるのだから必ず騒がれてしまう。ちゃんと気遣いができるんだと心の中で胸を張ったが、人の名前を覚えていない人間に気遣う心などあるわけがなかった。失礼ここに極まれり。

 

「ヴィクトーリア・ダールグリュンよ。貴方はこの学院で失礼って言葉を学んでいるのかしら?」

「教育プログラムが悪いと思うんだ」

「悪いのは貴方よ」

 

 学院生たちは深く、深く頷いた。自分たちの学び舎は正しいのだ。間違っているのはお前だと視線で訴えている。

 ただその中で一人だけそんなことはどうでもいいのか、目を輝かせる少女が居た。リオだ。

 

「先輩、せんぱーい!」

 

 リオがはいはいと飛び跳ねるように質問をする。

 

「先輩とヴィクトーリア選手はお知り合いなんですか」

「うん」

「もしかして対戦したことがあるとか」

「ありますわね。恥ずかしながら私の惨敗でしたけど」

 

 おお~と子供たちから声が上がった。インターミドルの強者として知っているヴィクトーリアをレイジーが倒した。その事は彼女たちにレイジーの強さを再認識させたようだ。

 

「それで何の用ですか?」

 

 もう帰っていいですかと言わんばかりにレイジーが尋ねる。

 

「本当に変わらないわね。まあいいわ。今日ここにやって来たのは貴方と」

 

 ヴィクトリーアは視線をレイジーの後ろに向けた。ヴィヴィオとアインハルトと目が合った。

 

「彼女たちをお誘いにあがったの。会って欲しい子がいるのよ」

「お断りです。今日は先約があります。すでに対価も貰ってしまっているので、契約不履行で犯罪者になるのはごめんです」

「そこまで大げさなものではないんですが、ディリジェントさん、私との約束であれば日を改めてもらってかまいませんが」

「嫌。なんで僕の予定を急に変えなきゃいけないの? 事前連絡もなく急に来て、付いて来いなんて常識のある人ならまずしない。お嬢様はお嬢様だから常識がないんだ」

「……貴方に正論を説かれるとかなり心が痛みますわね」

 

 ヴィクトリーアの瞳は心なしか潤んでいるように見えた。胸を押さえ苦しそうにもしている。

 自分が間違っていることも分かっているため、反論もできない。

 模擬戦でレイジーと戦って敗れた時以上のダメージをヴィクトーリアは負うことになった。技名はレイジーの正論。

 

「その約束というのは、デートの類なのかしら?」

 

 自分の心の平穏を取り戻すために、ヴィクトーリアは大人な会話に持って行こうとした。自分も決してその手の経験が豊富なわけではないが、家が貴族であるということから社交の場には何度も言っている。男性に誘われることも多くあったため、そちら側の話に持っていけば少しは経験の差を見せれると思った。

 

 ただヴィクトーリアの予想は大きく外れる。

 

「ううん」

「そうですね。ただ練習に付き合ってもらうだけです」

 

 全く動揺することなく二人はそう返した。むしろ聞いていたヴィヴィオたちの方が顔を赤くしている。

 レイジーとアインハルトで男女の関係が構築されたことなど一度もない。

 アインハルトやヴィヴィオたちはレイジーを一人の格闘家として尊敬しているが、人としての評価は決して高くはない。この人はダメだなと何度も思ったことがある。

 レイジーの方も、綺麗だなとか可愛いなと思うことはあっても、それは美意識的な話で、別段恋愛感情などない。芸術作品に恋をしないのと同じだ。

 

 期待していた反応と違ったため、ヴィクトーリアは少し困った。少しばかりからかって自分のペースに持っていきたかったのだが、からかうどころかツッコミの要素も起こらない。

 困った、非常に困ったと考えていると、はっとアインハルトの言葉を思い出した。

 さすが貴族ねと自分を褒めたたえることも忘れない。

 

「練習というのはどこでやるのかしら?」

「区民センターを予定していますが、別段どこというのはありません」

「そう……それなら私の屋敷に来ないかしら? それなら私の用件も済ませられるし、貴方たちの練習もできる。お互いに損はないと思うの」

「お嬢様の屋敷は広いから嫉妬心で5キロくらい痩せそう」

「貴方はその方が良いんじゃないかしら?」

 

 レイジーの本来の姿を知っているヴィクトーリアであっても、今のレイジーの印象がかなり強いため、そう返答してしまう。無意識だったと思う。アインハルトもこくこくと頷いていた。

 

「もちろん、私も訓練相手になるのはやぶさかではありませんわ。こちらが迷惑をかけているわけですし」

 

 インターミドル上位者との訓練。これはアインハルトにとっても願ってもないことだ。より強い相手と戦って自分を磨いていく。今の自分に必要なことだと思える。

 

「お嬢様は防御が固いから、今のストラトスじゃ手も足も出ないよ」

「それでもです。今は強くなりたいですから」

 

 その言葉には明確な意思があった。ただヴィヴィオにはそれが少しだけ悲しく聞こえた。

 まるで自分たちとの練習では強くなれないと言われているかのようだった。

 

「コーラもお出ししますわ。エドガー特製の」

「行かせていただきます、ぜひ」

 

 コーラに特製も何もあったわけではないが、エドガーが用意するという点がレイジーを無性に引き付けた。

 

「あのー私たちも付いて行っていいですか?」

「ええ、構いませんわ」

 

 リオとコロナが尋ねて、ヴィクトーリアが了承する。

 いったい誰に会うのか、皆が気になってこそこそと話し出した。レイジーは全く気にすることなく、ヴィクトーリアが乗ってきた車の中でくつろいでいる。

 そうして一同は、ヴィクトーリアの屋敷を目指すことになった。



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第二十話 素敵な贈り物だと思う

 30分もなかった。ただそれだけの時間があればレイジーが夢の世界の住人になるのは十分だった。

 皆が和気藹々と話している中、暇だからと言って瞼を閉じた。

 

「レイジーさん、着きましたよ」

 

 ゆさゆさとヴィヴィオがレイジーを揺らして起こす。目をごしごしと擦ってレイジーが目を覚ます。

 

「あれ、なんか人が増えてる。ノーヴェさんとミカヤさんもいるし」

 

 車から出ると、学院で一緒にやって来たメンバーの他に、ノーヴェなどの知り合い、そして全く知らない人達が居た。きっと彼女たちがヴィクトーリアの会って欲しい人間なのだろう。

 だからと言って自ら進んで友好関係を築くなんてことをするわけがないが。

 

「さて着替えてやることをやってしまおう」

 

 見知らぬ人が居る。会って欲しい子がいるとも聞いている。訓練が目的でここに来ているとはいえ、少なくとも自己紹介は済ませるのが人として当たり前の行動だろう。

 

 だが、レイジーはしない。

 

 アインハルトとの訓練、そして終わった後のたこ焼き。それが今日こなさなければならないミッションだ。それ以外はどうでもよくて、関わる気もない。

 だから、アインハルトに着替えを済ませるように促した。

 

「ポンコツお嬢様、コイツか? なんか全然そんな風には見えねぇんだけど」

「そう思うならご自由に。別に貴女は呼んでいないのだし、むしろ帰ってもらって全然かまわないのだけど」

「なんだと! お前なんかこんな奴に負けたくせにっ!」

「へぇー、それは私のことも中傷しているのかな? 私もレイジー君には惨敗してしまったのだけど」

「ミ、ミカ姉……」

「それにレイジー君に失礼だ、ハリー。レイジー君は立派な格闘家(ファイター)なのだから」

 

 ミカヤに諭され、ハリーと呼ばれた少女は深々と頭を下げた。

 

「すまねえ。オレはハリー・トライベッカだ。今日は面白そうだからジークにくっ付いてきた。よろしくな。まあ、そのジークは屋敷に付いて早々姿を消したんだがな」

「ども」

 

 ぺこりと頭を下げる。ハリーの話を何も聞いておらず、何事もなかったかのように、レイジーはアインハルトに練習の準備をするように言った。

 

「コイツってもしかして失礼な奴か?」

「それを貴女が言うんじゃありませんわ、不良娘」

「全くだ」

 

 そう言ったのはヴィクトーリアとミカヤだった。

 

「ただ、レイジー君が気を悪くしてハリーを無視したわけじゃないよ。彼はいつもああなんだ」

「そうですね。貴女の言葉などさして気にしていないでしょう」

「よく分からない奴ってことか?」

「いや、彼は分かりすぎるくらい真っすぐで純粋な子さ」

「自分の欲望に忠実とも言えますわね」

 

 ヴィクトーリアとミカヤの話を聞いてハリーはますますよく分からなくなった。

 レイジーに興味がないなんてことはないのだ。話を聞けば、ミカヤを瞬殺し、一応ライバルともいえるヴィクトーリアをも難なく倒したということだ。

 見た目の印象だけで言えば、何の冗談だと笑いそうになるが、ミカヤとヴィクトーリアがそれぞれ小さくはない敬意をレイジーに払っているところを見ると冗談を言っているということはなさそうだ。

 

(うし! ごちゃごちゃ考えるのはオレの趣味じゃねえし、ここはいっちょ)

 

 腕まくりをしてハリーはレイジーに近づいていく。

 

「おう、レイジーって言ったか? ちょっとオレと勝負しなねぇか?」

「しないです。ストラトス、早くして。時間は有意義に使わないと。たこ焼きさんが僕を待っているんだから」

「ディリジェントさん、ハリー選手が落ち込んでいるように見えるのですけど」

「お、落ち込んでねぇよっ。格闘家だったら挑戦されたら受けるのが普通だろ。即答で断られるとは思わなかったから、驚いたというかショックを受けただけだっ!」

「というか誰? とりあえず邪魔なんで、どっかに行っててください。僕はストラトスと練習をしなければいけないので」

 

 さきほど自己紹介されているはずなのに、すっかりと忘れているあたりかなり失礼な奴である。ハリーは少し瞳に涙が溜まっている。砲撃番長(バスターヘッド)という異名があるにもかかわらず、彼女はかなり泣き虫である。レイジーに冷たく扱われただけで涙腺が崩壊しかけていた。

 

「くっ! な、ならオレもその練習って奴に付き合ってやるぜっ!」

「どうぞご勝手に」

「よ、宜しいのでしょうか?」

「おう!」

「で、ではよろしくお願いします」

 

 ハリー参戦である。そしてレイジーの実力を知ることになる。

 

 †

 

「あの不良娘はもう少し考えて行動をできないのかしら?」

「まあ良いじゃないか、少し面白そうだし。私としては興味深いよ」

「そうですけど……それとジークはどこに行ったのかしら?」

「私が居るからかな?」

 

 ミカヤが苦笑する。昨年の大会でジークと呼ばれた少女とミカヤは対戦しており、その戦いでミカヤは拳を砕かれてしまった。

 本来、肉体的なダメージを負うはずのないインターミドルの大会でそんな重傷を与えてしまったことをジークは気にしていた。

 執事のエドガーが探している最中だから、そのうち見つかるはずなのだが、ジークが逃げている理由が分かる分、ミカヤは苦笑いしかできなかった。

 

「大丈夫ですわ。屋敷には来たのですから、会う気はあるのでしょう。今は心の整理をつけているだけです」

「そんな深く考えなくても良いんだけどね。魔法戦なんてやる以上は怪我は付き物だし、ジークが悪いわけはない。誰が悪かったのかを考えれば、それは私だ。私が弱かっただけなのだから」

 

 ミカヤの言葉からジークを恨んでいる様子がないと分かり、ヴィクトーリアは少しほっとした。

 ヴィクトーリアとジークは血筋のこともあって、古くからの付き合いだ。やはり幼馴染が良いように思われていないとなるとちょっと苦々しいものがあるのだろう。

 ミカヤが気にしていないと言っているので、この後を安心して見ていられる。

 

 それからしばらく二人でレイジーたちの練習を見ていたのだが、ミカヤが呆れた顔で何かを指さした。

 

「それにしても、あれは何だい?」

「……何でしょうね」

 

 二人の視線の先には、サンドバックとなったレイジーの姿があった。

 

「ふぁ~あ、眠い、人間だもの」

「その余裕を後悔させて見せますっ!」

 

 アインハルトの拳に力が入る。膝から上へ、力を伝達して重い一撃をレイジーの腹部に叩き込む。

 

 ぽよん

 

 嫌な感触とともにアインハルトがはじき出された。自分の攻撃をそのまま返されたように大きく後ろに後退した。

 

「おい、覇王様。アイツ、マジでなんなんだ?」

 

 吹き飛ばされた先で、息を荒げていたものが居た。ハリーだ。

 アインハルトに先んじて、ハリーはレイジーに攻撃を仕掛けていた。腕試しにと、得意の砲撃をレイジーに向かって叩き込んだ。ぞんざいに扱われたことに対しての仕返しのつもりもあったかもしれない。

 直撃と同時にガッツポーズを決めるが、それがいけなかった。無防備状態のところに、自分が放った攻撃と同程度の砲撃が飛んできて直撃してしまう。

 

 レイジーがやったことは単純で、普段纏っている魔力をさらに肥大化させ、相手の攻撃を魔力弾性を使って返しただけ。ハリーが油断していたこともあって、大ダメージを与える結果となった。

 

「ストラトスは、はっきり言えば攻撃力がしょぼい。君は自信を持っているようだけどね」

 

 レイジーがそう言ってアインハルトを怒らせて、攻撃をさせた。アインハルトも手加減するつもりは全くなく、全力で攻撃を叩き込んだ。その結果が先ほどである。

 本体であるレイジーの肉体には全く届かず、簡単に押し返されてしまった。

 

「まあ、確かに本来の覇王流の威力があれば、アイツの魔力弾性を越えて一撃を入れることが可能なはずだ」

 

 ノーヴェが横から助言を入れる。

 

「覇王流の本来の力……」

「魔力を速く使えば良いよ」

「魔力を速く?」

 

 ぽよんぽよん状態のレイジーがいつの間にか普段の――それでも十分ぽよんだが――姿に戻っており、アインハルトの横に腰を下ろした。大して疲れていないはずのなのに、まるでフルマラソンを完走したかのような疲労感を見せる。

 

「覇王流と原理が違うかもしれないけど、僕的な方法で良いなら」

「良いのですか? ディリジェントさんからすればそれは秘伝のようなものなのでは?」

「別に。というか普通は誰でもやっているはずなんだけどね」

 

 レイジーが手のひらに魔力を集め出した。アインハルトもノーヴェも、そして近くに居たハリーもその手を黙って見ている。

 

「そもそも威力の高い攻撃ってどうやっていると思う?」

「単純に込められた魔力量ではないでしょうか?」

「なら魔力量の大小が勝敗を決定するってことになる?」

「いいえ。いくら扱える魔力が多くてもそれを十全に扱えなければ宝の持ち腐れです」

「じゃあ、少ない魔力で威力の高い攻撃をすることは可能?」

「不可能です」

 

 例えば10ある魔力に対して3しかない魔力で、相殺することになるか? 答えは否である。

 それでは10ある魔力に対して3の魔力で攻撃を防ぐことは可能か。答えは是。そしてそれを可能にするのが技術。

 でもどんなに技術があっても、3の魔力が10の魔力の攻撃力を越えることは絶対にない。

 

「そう不可能だ。魔力が少ない人間、それこそEランクの魔導師とAランクの魔導師の打ち合いになれば、絶対に前者が負ける。では、Eランク魔導師が高ランクの魔導師に勝つことは不可能か?」

「可能でしょう。かなり困難だとは思いますが」

「じゃあ不可能ではないならどうするか。一つは圧倒的な技術力による制圧。そしてもう一つは速攻による奇襲」

「それで魔力速度ですか」

「そう。技術の道を進もうとも僕みたいなスタイルを目指そうとも魔力速度は必要になってくる。人間だって血の巡りが悪い時は、身体は動かない。酸素が足りないから。でも血が十分に全身に巡っていれば身体は動く。同じ血液量でも全身に回るスピードが違えば身体のキレも大きく変わる。魔力だって体内で循環させているんだから、理論上は同じ」

「そうですね。初等科の最初の授業でもそこから教わります。そして魔力速度を高めていけば瞬間的に放出する量も増えていくと」

「瞬間放出量はセンスなんて言葉があるけど、きっちりと練習してればできると思う。センスだ何だなんて言葉はやることやって、それでできなかった時に言う言葉だ。僕が言うんだから間違いない」

 

 レイジーの才能は決して豊かではない。それはアインハルトもそう思っている。

 強いことと才能があることは必ずしもイコールではない。魔法の習得や知能レベルといった点で、アインハルトはレイジーに負ける点など何一つない。

 

 だけど、勝てない。

 

 そしてその事実が何よりも重要で、レイジーの言葉にアインハルトが耳を傾けるには十分だった。

 

「見てて」

 

 レイジーが右の手のひらを上に向けるようにして出す。そこには先ほど出した魔力弾があった。

 そして空いていた左手も同様に前に差し出す。

 

「あ!」

 

 次の瞬間、右手にあったはずの魔力弾が、左の手のひらに移動していた。

 

「右手で出した魔力を左手に出す。やっていることはそれだけ」

「確かにすげぇーけど、それがなんか意味があんのか?」

 

 ハリーは単純な疑問をぶつける。魔力を速く扱うことが一体どうだというのだと。センスで砲撃を行っているハリーだからこその質問だ。

 そしてレイジーは確信した。この人は自分より馬鹿なのだと。

 

「砲撃魔法の欠点は?」

「砲撃を打つまでにかかる時間だろ」

「なら魔力を速く扱えれば、その時間も短縮すると思わない?」

「おお~なるほどな」

 

 納得がいったようで、手をぽんと叩いた。アインハルトは、そんな彼女をちょっと悲しそうな目で見る。

 

「魔力速度を上げていけば、当然瞬間的に放出する量も増える。感覚でやれる人もいるけど、これは訓練でどうとでもなる。魔力量の大小で勝敗は決定しない。でも威力が高い攻撃には魔力が相当量必要。だから魔力量がある僕たちのやることはシンプルなんだ」

「圧倒的魔力で超攻撃力による制圧。魔力量をそのまま勝敗に直結させる」

「そう。そして大きな威力を出すための魔力をいかにして確保するか、僕はその答えに速さを求めた。でもね」

 

 レイジーはアインハルトの方を見る。眠たげであるのに、どうしてかアインハルトには彼の瞳が綺麗に見えた。

 

「覇王流は技術で持ってくることを選んだ。幸いにも僕は魔力量はそれなりにある。だから体内で高速運用することを目指した。でも、覇王流は必要な魔力分を外から持ってきて、自分の魔力に上乗せするようにしている。どちらが良いかは分からないけど、僕には体外から魔力を練り上げるなんて高等技術はないから、今のやり方しかできない」

 

 やれればやった。レイジーはそう言っているが、自分の才能がそれを許してくれなかったのだと続けて告げた。

 

「だからストラトスのやるべきことは一つ」

「いかに速く魔力を練り上げて、自分の魔力を上乗せするのか」

「内と外、それに加えて自分の魔力とは違う魔力を扱うのは本当は至難の業。砲撃魔導師が少ないのは、魔力量以前に、この技術が会得できないから」

 

 高ランクになれば砲撃魔導師が多い。それは魔力量が多いからであるというのは一つの要素に過ぎない。

 低ランク者であっても砲撃を撃つことは可能なのだが、それは自分の体外から魔力を集束するという技術を会得したものにしかできないのだ。

 そしてその難易度が純粋に高い。低ランク者では集束魔法で集めなければならない魔力が高ランク者に比べて多い。

 集束するのに相当な技術が必要で、さらには集束する量も多いのだから、低ランク者が砲撃魔導師を目指さないのは当然のことと言える。

 

「ストラトスはご先祖様に感謝した方が良い。記憶を受け継いでいるんだっけ? 力を練り上げるなんて普通の人では得難い才能だよ。それに伴う苦労は僕には想像できないけれど、素敵な贈り物だと思う。もちろん、君の努力の賜物とも言えるけれどね」

「…………」

 

 素敵な贈り物。そう思ったことは一度もなかった。

 初代覇王の記憶は、辛く、悲しく、苦しいものであった。後悔が無念さが、まるで自分が体験したかのように色濃く残っている。なぜ、どうして自分がと思ったことがなかったわけではない。

 

 でも、素敵な贈り物……そう言われると不思議な感じがした。レイジーからしてみれば、アインハルトの現状を気にしたわけではないただの言葉。もしかしたら不快にさせる言葉だったかもしれない。

 だけど、今のアインハルトが感じているものは嫌なものではなかった。

 

「君は面白い考え方をするんやね」

 

 背後から声が聞こえてきた。独特のイントネーション。アインハルトは思わず後ろを振り返る。

 

「おおージークじゃねぇか。逃げるのはやめたのか?」

「番長、うちは逃げてたんやないんよ。ただちょっと心の整理を……ミカさんとはちゃんと話し合えたし」

 

 ジークと呼ばれた少女の後ろには、ミカヤとヴィクトーリアが居た。

 

「ジークリンデ・エレミア」

 

 意外だった。アインハルトは横に視線を移す。ジークリンデの名前を呼んだレイジーを。

 

「あれ? うちのこと知ってるん?」

「うん。僕が初めて勝てないと思った相手」

「え?」

 

 レイジーから漏れた言葉がアインハルトには衝撃的だった。

 

「ディリジェントさんが勝てないと思った?」

「そう。一昨年だったかな? 映像を見た時、やばいなって思った人。初めてだった」

 

 普段から個人戦なら最強を公言しているレイジーが自ら敗北を認める相手。それが過去のことであっても、アインハルトは驚きを隠せない。

 

(私はそれほどまでに、ディリジェントさんを強いと思っていたのですね)

 

 アインハルトはどこか心がモヤモヤしていた。

 

「おいおい、それは何か? オレと戦えば勝てるってことか?」

 

 番長ことハリーがやけに挑戦的な笑みを浮かべていた。

 

「え? 僕が負ける要素があるの?」

「い、言ってくれるじゃねぇか」

 

 レイジーが本気で不思議そうにしているのを見て、ハリーの肩が大きく震える。

 

「ば、番長、子供の言ってることなんやから冷静に、な?」

「ジークは黙ってろ! こんな体型している奴に舐められたとあっちゃ、砲撃番長の名折れだっ!」

「いや、それは関係ない思うんよ」

 

 ジークリンデのツッコミを無視して、ハリーはアップを始める。今から戦いを始める気が満々だった。

 

「あの人は誰かと戦う気なの?」

「君やと思う」

「え?」

「さっきの会話の流れから分からん?」

「分からん。戦えとも言われてないし、戦うとも言ってない。僕は人の心が読めるほど気が利く人間ではないんだけど」

「いや、番長はああなったら止められへんよ」

「まあ、僕はやる気がないから関係ないけど」

 

 至極当然のようにレイジーはその場で寝転がった。他人を怒らせるだけ怒らせて、知らないとはさすがレイジーである。そんなレイジーをジークリンデはきょとんした目で見た後、くすくすと笑った。

 

「なんか、面白いな君は」

「人を見て面白いとは失礼」

 

 波長が合うのか、レイジーはいつになく軽快なトークだ。レイジーが初対面の人間でこれほどまでに馴れ馴れしいのはとても珍し――くはなく、いつものことだった。ミカヤ達と一緒にやってきたヴィヴィオはインターミドルチャンピオンのジークリンデに気軽に話すレイジーに対して凄いと感心していた。

 そしてその横で驚いていたのはヴィクトーリアだった。ジークリンデは格闘戦をさせれば最強だが、こと人付き合いという点になれば最弱と言っても良い程、人見知りが激しい。年下であるとはいえ、レイジーと和気藹々と話す光景を見て、ヴィクトーリアはじーんと感動する。この成長を見守る親のような心境だ。

 

「で、番長の相手はどうするん?」

「パス。ストラトス、任せた」

「私としては構わないのですけど、ハリー選手が納得しないのでは? それに私は……」

 

 アインハルトの目がジークリンデに向く。その瞳は強く、そして鋭い。

 

「うちに話があるんやね」

 

 ジークリンデにはアインハルトの強い視線の意味が分かっていた。

 

「貴女はエレミアですか」

「うん、うちはエレミアや」

 

 何を当たり前のことをとレイジーは首を傾げるが、アインハルトとジークリンデのやり取りは少し違っている。アインハルトが聞いたのは、「貴女は過去を受け継いだのか」ということだ。そしてそれに対して「そうだ」と答えた。

 

「エレミア」

 

 アインハルトの全身が震える。今にも襲い掛かりそうだった。

 その時だった。

 

「喧嘩するなら離れてからやって。迷惑」

「……ディリジェントさん」

 

 アインハルトの身体から怒気が霧散した。抑揚のない声を聴いて、少しばかり冷静になれたようだ。レイジーは素直に思ったことを言っただけだが、アインハルトには彼の意図とは違って聞こえていた。

 

「喧嘩やないんよ。ちょっと昔の話や」

 

 ジークリンデが努めて明るくそう話した。

 アインハルトも冷静になったことで、それを否定することはなかった。

 

「アインハルト――んーハルにゃんでええかな?」

「ハ、ハルにゃん!?」

 

 そんな呼ばれ方はしたことがないとアインハルトが動揺したが、別に名前の呼び方など何でもいいと、呼ばれたら自分のことなのだと反応することをジークリンデに伝える。

 

「ちょっと話そうか」

「はい」

「レイジーも聞くか?」

「え、なんで?」

 

 本気で困惑したレイジーだった。乙女の話し合いになぜ自分がと割と普通のことを考えている。

 

(ま、まさか僕に女子力が……いやないな、うん、ない)

 

 自分のどこにそんなものがあるのかと、すぐさま否定した。

 

「君はハルにゃんの友達やないん?」

「友達なのかな?」

「どうなんでしょう?」

 

 レイジーもアインハルトも首を傾げる。お互いに友達というものが少ないため、何をもって友達なのかが分かっていなかった。

 

「二人して首を傾げて、おかしな子達やな。まあええか。じゃあ、ハルにゃん、向こうで話そうか」

「はい」

 

 二人は立ち上がり、レイジーは眠りに入った。

 そして、一人アップをしているハリーを誰も気に留めることはなかった。



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第二十一話 なんとなくクライマックスな感じ

「おいコラ!」

 

 お腹を揺すられて、レイジーは目を覚ました。

 

「う、うー? ごはん?」

「なに寝ぼけてんだ?」

 

 レイジーの目の前に居たのはハリーだった。

 

「他の奴らは?」

「さあ? 話があるとか言って移動したよ」

「じゃあ、なんでお前はここに居んだよ」

「寝てたから。見れば分かるでしょ?」

 

 やっぱりこの人はおバカさんなんだと、ハリーの評価がもともと低かったのにさらに下がる。

 

「まあ、良いか。おし、じゃあ早速やるぞ」

「何を?」

「はぁ!? なに言ってんだよ! 模擬戦だ、模擬戦っ!」

「何で?」

「お、お前、自分の言ったことを覚えてねぇのかっ! お前がオレに勝てるとか言ってきたんじゃねぇかっ!」

「うん。ちょっとしか見てないけど、貴女に負ける要素が見当たらない」

「くそ~年下のくせに生意気な~! だ、だけど、そんなのやって見なきゃわかんねぇだろがっ!」

「まあ、そうだね。勝負事に絶対はないし」

「だろ? だったらやろうぜっ!」

「ヤダよ。面倒」

 

 ハリーを無視してレイジーはまたしても眠りに入ろうとする。本当に失礼な男だ。

 ただ、ハリーはそれを許さない。

 こめかみに青筋を残していた彼女は肩を震わせていた。怒っているからだ。だが喚き散らすようなことはしない。ぴかんと光のついた電球のように何かをひらめく。ニヤリと口元を小さくゆがめてこう言った。

 

「なんだ、口だけか? 口だけならなんとでも言えるからな」

「うん、まあそれでいいよ」

 

 ハリーはレイジーの男としてのプライドを刺激しようとした。

 男は見栄を張って生きていく。世のすべての男性に当てはまるわけではないが、そういう男が多いのは事実。挑発される、しかも女性だ。プライドの高い男なら間違いなく乗る。

 

 だが残念。そもそもレイジーにそんなものは存在しない。

 

「お、お前、男だろっ! 悔しくないのかよ」

「全然。というか一般的に男よりも女の人の方が魔導師として強いじゃん? 男女の身体的差なんて魔法の前では微々たるものだし」

 

 魔法が発達した世界では、男女の強さは逆転する。管理局で働いている魔導師を調査すればわかることだが、優秀な魔導師ほど女性の方が多い。

 格闘技戦が男女別に行われるのは身体的なハンデがあるからというわけではなく単純にモラルの問題。タッチして訴えられてしまいましたでは笑い話にもならないから。

 

「お前情けないな」

「僕の人生に勇ましさが必要ないだけ」

「ぐぬぬぬ」

 

 レイジーに言い返されてハリーは口を真一文字に結ぶ。ハリーの知能ではレイジーに言い負かされてしまうのだ。そもそも言い負かされる内容ではないのだが、それがハリーには分からない。

 

「お前、そんな風に生きてて楽しいか?」

「なんか最近よく人生論を語られる気がする。説教は嫌い」

「別に説教をしてるわけじゃねぇよ。オレだって人様に誇れるような人間じゃない。ただ単純な興味だ」

「楽しいか楽しくないかで言ったら楽しい。ダラダラしたり美味しいご飯を食べるのは僕にとって至福」

「友達と一緒にいるのは楽しくないのか?」

「睡眠と食事に比べれば楽しくない」

 

 はっきりと言い切った。

 

「別に人が嫌いなわけじゃない。ただご飯とか食べてる時の方が嬉しいだけ。僕はよく食事に釣られて頼みごとを受けるけど、頼みごとを受ける苦痛よりもご飯食べて得られる幸せの方が上なの。だから釣られると分かってても引っかかる、人間だもの」

「だものじゃねぇよ、ったく」

 

 がしがしと頭を掻きながら、ハリーはポケットにある財布を取りだす。ミッド紙幣が数枚見えた。そして数瞬の葛藤の後、よしと頷いた。

 

「オレと模擬戦してくれたら、帰りに奢ってやる。もちろん、勝ったらだがな」

「よし、やろう。1キロステーキ……じゅるり」

「だぁー! 遠慮しろよっ! オレは学生なんだから、そんなに金はねぇぞっ!」

「大丈夫。安い所を知っているから。お肉にサラダ&ライス、さらにスープもついてなんと1000ミッド。通常なら2000ミッドするところだよ」

「……それくらいなら大丈夫か」

 

 二人は準備を始める。レイジーは立っただけだが、ハリーはバリアジャケットを展開する。

 

「お前、バリアジャケットは?」

「そんなものはない」

「デバイスは?」

「ない」

「お前、よくそれでポンコツお嬢様を倒せたな」

「デバイスは補助であって、必須なものじゃない。昔はなかったんだし。それに僕の戦闘スタイルにデバイスは要らない」

「へぇーそれは楽しみだ。ちゃんと全力でやれよ」

「ごめん、一瞬だよ。楽しむ時間もない」

「へっ、言ってろ」

 

 レイジーは怠惰ではあるがゆえに、行動原理は単純だ。勝てたら奢りと言われているのだから、当然勝つ。そして万が一などは起こさせない。至福の時間を逃がすような生ぬるい発想はしていない。

 

 二人が距離を開けて、すぐにレイジーに異変が起こる。ぽかんとハリーは口を大きく開けた。

 目の前で起きたことが信じられない。霧のように消えていく魔力脂肪。現れたのは鋼をも思わせるがっしりとした肉体。魔力で服を形成しているとはいえ、その身体にハリーは一瞬ドキっとなった。

 

「さ、やろうか」

「お、お前誰だよ」

「じゃあ、小石を投げるから落ちたら試合開始ね」

 

 ハリーとのやり取りに面倒さを感じ取ったので、ささっと試合を始める。

 

 そして開始と同時に試合は終わった。

 

 †

 

「……とんでもねぇな」

「むふふ、お肉♪ お肉♪」

 

 気絶したハリーが目を覚ましてすぐ、レイジーにそう言った。すでにレイジーは癒し体型に戻っていたが、ハリーの目にはレイジーを馬鹿にするようなものはなかった。

 

「お嬢様に、ミカ姉さん、さらにはオレか。一応オレたちはインターミドルでもそれなりの成績を残してんだけどな」

 

 がっくりと肩を落としたハリー。少なからず、レイジー相手にやるという自信はあったのだろう。少し涙目だ。

 

「お土産にたこ焼き貰って。炭水化物にタンパク質……なんて素晴らしい」

 

 ハリーを完全に忘れ、既に妄想の世界に入るレイジー。「むふふ」と笑うレイジーにドン引きのハリーは、気味悪がったのか、視線を逸らしていた。

 

「お、話が終わったみたいだな」

 

 視線を逸らしていた先で、アインハルト達の姿を見つけた。表情は明るいものではなかった。

 

「お待たせいたしました」

「うん。さ、訓練の続きをやって、帰ろう。僕はお肉が食べたい」

「お肉の話は分かりませんが、訓練の話は了解しました。ですが、今日はもう結構です。こちらからお願いしたことですが、申し訳ありません」

「そっちが良いというなら、僕は構わないよ。契約は履行されたわけだし、よし帰ろう」

「……あのですね」

 

 レイジーが帰ろうとしたとき、アインハルトが彼の肩に手を掛けた。

 

「なに? 炭水化物とタンパク質が僕を待ってるんだけど」

「少しお話しませんか? 相談とも言います」

「…………」

「無言で断るのは止めてくれませんか?」

「僕が語れることなんてそんなにないよ? お肉の事とか、お肉の事なら任せてほしいけど、君がその手の相談をするとも思えない」

「確かにそういう相談ではないのですが」

 

 アインハルトがあわあわと困っていると、横から助け舟が入る。ノーヴェだ。

 

「デートしようって言ってんだ、男なら誘いに乗るもんだぞ」

「ノーヴェさん、違いますよ」

 

 慌てるそぶりすら見せない美少女に、まったく無反応な男。周りで見ていた人間たちも、「あ、これは違う」と

 

「というか、なぜに僕? 本当に何度も言うようだけど、僕は人様の相談に乗れるほど、上等な人間ではないよ」

 

 緩みきったレイジーの表情とは対照的に、アインハルトは真剣な表情でこう言った。

 

「私が貴方を尊敬しているからです」

「…………」

「なぜ私がそんな蔑まれるような目で見られているのでしょうか?」

「いや、きっと訓練ばっかりで頭がおかしくなったんだなって。頭のネジがはずれているのはリオだけで十分」

「ちょっとっ!! そこでなんで私が出てくるんですかっ!」

 

 リオがぎゃーと騒ぎ、ヴィヴィオたちに宥められる。レイジーの中ではリオは完全に危険人物のリストに入っている。そしてこの場でリスト入りしたアインハルトはひどく困ったようにノーヴェの方を見た。助けてくださいと。

 

「アインハルト、コイツは意外というかなんというか、自分が世間的にどう見られているかをちゃんと分かっている。だからこその答えだ。あたしらはコイツの練習の姿勢とか、試合での強さとか良い点を知ってはいるけど、見知らぬ他人だったらレイジーはただのダメ人間。そしてそう思われるのが当然だとコイツは思っているから、お前の言葉はコイツにはおかしく思えたんだと思う」

 

 敬意を払った相手に蔑まれる。そんな貴重な体験をしたアインハルトは腑に落ちなかったが、自分が接しているこの男は普通の人と違うのだと無理に納得した。

 

「私の知る中で、アインハルト・ストラトスとして知る中で貴方は最強だと思います。でも貴方はエレミ――チャンピオンには勝てないと言っていました。だからと言って貴方が何もしないとは思えない。私は知りたいんです。自分より強い相手にどう戦っていけば――」

 

 まるで泣いているかのようだ。アインハルトの瞳に涙こそないものの小さい子がどうしていいか分からず、ただ泣いている、そんなように周りからは見えた。

 自分の生い立ち。ジークとの対話。過去の記憶。そして目標とする存在。色んなものがアインハルトの中でごちゃごちゃになっている。

 本来ならレイジーに話すようなことではない。少なくとも二人の関係はそこまで深くない。アインハルトが話し出したのは、混乱し動揺しているからに他ならない。

 

 ――私は弱いから。

 

 過去と今が重なって、彼女は完全に立ち止まってしまっていた。

 

「うーん、とりあえず勘違いしているようだから言っておくけど、勝てないと思ったのは昔の話。今なら勝てるよ。あとなんか重そうな話は止めて欲しい。僕は友達がほとんどいないから悩み相談は苦手なんだ。本当に最近は困ってる」

 

 悩める少女に救いの手を伸ばす。美少女ならなおさらだ。特に男なら。だがどうだろうか? 最先端ポッチャリ男子を自称するこの男は相談することすら拒否してきた。

 泣きそうになっている少女に手ひどい一発だ。

 

「今なら勝てる?」

 

 ただアインハルトはレイジーの最初の言葉が気になった。勝てないと言っていたはずが、勝てるという。何を言っているんだと言いたくなる。

 

「なら勝負しよか?」

 

 アインハルトの後ろで話を聞いていたジークリンデが気軽にそう提案した。ジークリンデを除く人間はレイジーのが次に放つだろう言葉が予測できたが、実際はまさかの言葉が返ってきたのだった。

 

「いいよ」

「え?」

「え?」

 

 首を傾げたジークリンデ以外の面々。レイジーは面倒なことが嫌いだ。だからこそ、勝負しようと言われて無条件で了承するなどありえない。

 そんな皆の予想を裏切る答えがレイジーの口から出たのだから、二人が不思議がるのも無理はない。

 

「貴女に勝てれば、10代では文句なしに最強。つまり、僕のお腹は安泰。これはもう勝つしかない」

「ごめんな、意味が分からん」

 

 レイジーの夢など知らないジークリンデは素直に答えるが、レイジーは気にもせず準備を開始した。

 

「よーし、全力全開で行っちゃうぞ」

「え?」

 

 今度驚いたのはジークリンデだった。おそらくこの場で彼女だけが、レイジーの本当の姿を見たことがない。

 全力で行くと告げてからレイジーは重荷を解除する。本日二度目の完全体だ。

 

「レイジーなんか?」

「うん。あとこれ以上は面倒だから質問しないで」

 

 アインハルトと練習をした時、ハリーと対戦した時、レイジーは身体をほぐす程度で、まるで身体を温める様子はなかった。

 身体を温める必要もなく勝負が決まってしまうと分かっていたら、アップなど軽めにしかしなかったのだ。

 それは今はどうだろう。

 

「ふー」

 

 ゆっくりとだが、ランニングを開始して、辺りを走り出した。時折、足を蹴り上げる動作を入れるなど、かなり本格的に身体を動かしている。

 魔力脂肪がなくなったことで、レイジーの額からうっすらと汗が流れているのが見えた。

 

「オレの時なんか、汗すら掻いてねぇぞ。くそ~」

「ハリー選手はディリジェントさんと試合をしたのですか?」

「ああ、お前らが話してる時にな。瞬殺だぜ、ちくしょう。帰りは肉を奢らなきゃならねぇしよ」

 

 拳を握りしめて、悔しがるハリーを見て、アインハルトはやはりレイジーはそうだなと思った。

 インターミドルでもトップランカーに入るハリーには勝負の対価を要求している。彼の中では、ハリーは自ら戦いたいと思えるほどではないということだ。それは自分にも言えることだと心の中でため息を吐いた。

 だが、ジークリンデは違う。

 

「ウチも全力で行かんとあかんな」

 

 レイジーのアップを見て、ジークリンデがバリアジャケットを装着した。

 アインハルトには見覚えのある、漆黒の戦闘服。

 物々しく着けられた両腕のガントレット。エリミアの真髄を内包した腕。

 

「ハルにゃんはしっかり見ててな。私の戦いを、そしてレイジーの戦いを」

「はい」

 

 アインハルトの握る拳が少しだけ強まった。

 

「ストラトス、君に一つだけ言っておくよ。僕は変身をあと1つだけ残している」

「え?」

 

 戸惑うアインハルトをよそに、レイジーは戦いの場に足を進めた。



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第二十二話 最終形態

(もう一つの変身を残している……一体どんな?)

 

 アインハルトは頭の中で変身したレイジーの姿を考えていた。

 

(ぽっちゃりさんから、がっちりさん、残すところはガリガリさんでしょうか?)

 

 いや違うなと首を振る。流石に弱くなるような変身はしないはずだと、痩せてげっそりしたレイジーのイメージを頭の中から消し去った。

 戦う前から勝負が決まっているような気がするからだ。

 

「あんまり深く考えないほうが良いぞ。アイツのことだからしょうもない変身かもしれねぇし」

 

 ノーヴェがアインハルトの肩に手を置きながら、そう言った。

 

「確かにそうかもしれませんが……」

「どうしても期待しちゃいますよね」

「先輩はやる時はやる人ですからっ!」

 

 ヴィヴィオとリオがアインハルトの言葉に続いた。会話に参加しなかったコロナもワクワクといった様子で試合が始まるのを見ている。

 

「始まりますね」

 

 ヴィヴィオの声と同時に、審判を務めているミカヤの手が上がる。

 だが、レイジーが待ったをかけた。

 

「チャンプ、僕がこの勝負に勝ったらお願いがあるんだけど、良い?」

「ん? ええよ」

 

 ジークリンデは何も考えることなく、そう答えた。レイジーの口角がわずかばかり吊り上がる。

 

「それでは良いか? 始め!」

 

 ミカヤの合図と同時にレイジーが仕掛ける。どんな対戦相手であれ、先手は必ず取る。レイジーの高速の一撃がジークリンデの腹部に入る。

 

「やっぱりか」

 

 腹部に入る。少なくともレイジーにはその感覚はあった。だが、ジークリンデは立っている。

 見えないレイジーの速攻、それが初めて躱されたのだ。

 アインハルトたちの反応はまさに驚愕。防御でも反撃でもなく、単純な回避。

 ジークリンデは右足を後ろに引き、半身の態勢を取るだけでレイジーの攻撃をかわして見せた。

 不可視の一撃をまるで見えているかのように、いや事実見えているのだろう。余裕があると言えないが、それでも完全な回避であった。

 

「その反応の速さは反則だと思う」

「レイジーに言われたくない。そっちの攻撃も十分反則やね。ウチがエレミアじゃなかったら躱せなかったかもしれんな」

「それってオート? 明らかに人間の反応速度を超えてると思うけど」

「見えない攻撃を撃てるんやから、ありえない回避ができてもおかしくない。まあこれは身体に染み付いた癖みたいなもんやね」

 

 ジークリンデは特殊な人間だ。別に人体に改造が施されているというわけではない。

 アインハルト・ストラトスは初代覇王クラウスの記憶を受け継ぐ記憶継承者。対してジークリンデ・エレミアは初代だけではなく、数多くの『エレミア』の戦闘経験を受け継いでいる。

 ジークリンデの意思に関係なく、危険と身体が反応すれば発動する『エレミアの神髄』。

 レイジーが初めて見たとき、その反応のあまりの早さに攻撃が通じないと痛感させられたほどだ。

 

「でも、このままやとこう着状態やね。ウチが何かしようとすればレイジーは反撃して来るやろ?」

「それは当然。この状態の僕の攻撃速度はそっちを上回っている。近づけさせないし、攻撃もさせない」

「ウチも攻撃はできんけど、回避に専念すればレイジーの攻撃も当たらん。どないしようか?」

「そっちが全力で来ればいいと思うよ」

 

 レイジーが珍しく提言した。ジークリンデはくすっと小さく笑う。

 

「危険や」

「大丈夫。問題なし」

 

 本来レイジーの戦闘スタイルは先手必殺。相手が何かをやる前に勝ちに行く。

 そんなレイジーがジークリンデに何かをする機会を与えようとしている。これが練習試合であるというのが一番の理由だが、レイジーは確かめたかった。自分の現在地を。

 だから、ジークリンデに求めた。全力で来てくれと。

 

「そか」

 

 笑みを浮かべていたジークリンデは何かを決意したかのように表情を変える。ちらりと視線をアインハルトの方に向け、

そしてすぐジークリンデの瞳から穏やかさが消えた。雰囲気も様変わりする。

 スポーツ格闘技では味わえない濃厚な殺気。ただの庭の練習場がはるか昔のベルカの戦場となった。

 

「こわーい」

 

 レイジーの軽口にジークリンデは反応を示さない。装着されたガントレットが禍々しく漆黒に染まっていく。

 おちゃらけて見えたレイジーもその危険度は理解しているのか、視線だけはジークリンデから外さなかった。

 試しにと牽制の意味で攻撃を仕掛ける。先ほどと同様、まっすぐにレイジーの攻撃がジークリンデに向かっていく。

 

 一方のジークリンデは先ほどとは違う。右腕を無防備に突き出した。

 衝突。魔力負荷を解除したレイジーの攻撃は一発一発が速射砲撃を上回る。下手な攻撃など無意味なのだが、ジークリンデが突き出した右腕はレイジーの蹴撃を粉々に破壊した。

 霧散する攻撃。流石のレイジーもパンチ一発で砲撃を破壊されるとは思わなかったのか、目を見開いた。

 

 それが油断となる。

 

 だらりと構えを解いたジークリンデが文字通り消えた。観客もそのスピードには驚きの声を上げる。

 

「ちっ」

 

 観客の誰も反応できなかった攻撃にレイジーは反応していた。上方を見やる。

 レイジーは元来ヴィヴィオのような生まれ持った天賦の才、つまりは先天的な動体視力など備わっていない。だが普段から自分の攻撃を行う上で速さには嫌というほど慣れている。人は慣れる生き物だ。自分の攻撃が見えないなどそんなおかしな話はない。だからこその反応だった。

 

(頭上が一番僕の攻撃がしづらい場所。なんか目が人形みたいになったから、何も考えていないのかと思ったけど、冷静だな)

 

 一瞬で上方に攻撃を飛ばすが、ジークリンデが器用に身体を回転させて攻撃をかわす。人としての反射神経を軽く超え、

レイジーを間合いに捉えた。

 

 ――ガイスト・ナーゲル

 

 猛獣の爪。ジークリンデの漆黒のオーラが形を変え、レイジーの肉体をえぐる。

 まずいと判断したレイジーは足裏の魔力を弾いて後方に素早く退避。近接戦闘などできない彼はただ全力で後方に逃げた。その数瞬後、地面の一部が爆散するように消滅した。

 

「おいおい、今のはやべぇだろ」

 

 ハリーの言葉が伝播する。子供組は顔を青ざめて、レイジーを心配しながら見ていた。

 それもそのはずである。ぎりぎりでの回避、だがレイジーの服はバッサリと肩口から避けていた。うっすらとだが血も流れている。エレミアの神髄がクラッシュエミュレートを超えてレイジーにダメージを与えたのだ。

 

「いたい」

 

 線のように裂けた傷が痛々しく見える。

 嫌な汗を額に掻き、膝から力が抜ける。がくっと落ちた身体を何とかこらえて、レイジーはジークリンデを見据えていた。

 

 レイジーの状態にアインハルトは歯をぐっと噛みしめる。

 

(ディリジェントさんが、初めてまともに攻撃を食らった……)

 

 今までレイジーの対戦を何度か見ているが、ふざけている時を除けば、レイジーが誰かの攻撃をまともに食らったことはない。アインハルトでさえ、覇王流を食らわして、自分がポッチャリ型に変えられるというトラウマしか残らない攻撃しかできていない。

 そんなレイジーが回避行動をとり、かつダメージを負うなどとは信じたくとも信じられなかった。

 自分が認めた相手が、自分より強者だと痛感させられた相手が、膝を地に突け苦しそうにしている。

 その光景がアインハルトには堪らなく嫌だった。

 

(ディリジェントさん……)

 

 アインハルトが不安そうにする中、審判のミカヤから待ったが入る。

 

「レイジー君、これ以上やると危険だ。今日はここまでにしよう」

 

 見ていたヴィクトーリアはエドガーに治療をするように指示をする。ダメージが生身に伝わってしまった以上、誰もがここまでだと思った。

 

「大丈夫。というかこの程度なら僕の方が強い」

「……え?」

 

 命の危険がある。誰もがそう思った状況で、レイジーは高らかに暢気にそんなことをのたまった。

 次元世界最強の十代女子、ジークリンデ・エレミアに向かってその程度と言い放った。

 一番近くで聞いていたミカヤですらレイジーの言葉を理解するのに少し時間がかかった。

 

「僕のお肉パラダイスは最終段階に移行する」

 

 誰もが困惑する中、レイジーが魔力を開放する。そして、レイジーを包み込むように発光を始めた。

 

「最後の変身……」

 

 試合開始前に言っていた言葉をアインハルトは思い出していた。

 

 ――僕は変身をあと一つだけ残している

 

(やっぱり私は貴方に期待してしまう。クラウスの記憶と身体を受け継いだ私とは違って、貴方はただの人。でも、私よりずっと強く、私の目指す先に一番近い人。ディリジェントさん、貴方には誰にも負けて欲しくないです。私が勝つまで)

 

「武装形態」

 

 凛とした声が辺りに響く。レイジーから聞こえたにしてはかなりの違和感が残った。

 

「なんかおかしくなかったですか?」

 

 ヴィヴィオの疑問に他の面々が頷いた。おかしい、なんか変と辺りから声が上がる。

 だが、困惑もつかの間だった。眩いばかりの発光をしていたレイジーの姿が、徐々に皆の前に現れ始める。

 

 すらりとした手足、きゅっとしまったウエスト。ぷりっとしたヒップ。邪魔にならない程度の膨らんだバスト。ぼさぼさだった髪は艶のあるショートヘアへ。

 

「な、なななな」

「予想外すぎるだろ」

「さすが先輩っ!」

「わ、私なんかよりずっと……」

「…………」

 

 ヴィヴィオが動揺し、ノーヴェが呆れ、リオが喜び、コロナが嫉妬し、アインハルトが絶句した。

 ヴィクトーリアとハリーも驚き、声を失っている。

 

 それくらいレイジーが美人すぎた。そう美人すぎたのだ。

 

 ポッチャリ型の下に隠された鋼の肉体。そしてさらに最終形態に達し、性別を超越する。表情に力がないが、見方を変えればクールビューティーに見える美少女。

 レイジーの最後の変身がまさかの魔法少女だった。

 

「この形態はそう長く維持できないから――行くよ」

 

 透き通る声が波面のように広がってすぐ、魔法少女が行方をくらませる。

 

「み、見えない」

 

 動体視力に自信のあるヴィヴィオでも、レイジーの姿が見えない。天才ジークリンデ・エレミアでさえも。

 辺りを見回すがレイジーの姿を捉えることはできなかった。

 単純な速さではなく、流麗な動きにジークリンデの身体ですら反応しきれなかったのだ。

 

 

――怠惰な世界(ぼくのゆめ)

 

 ジークリンデの頭上にレイジーは居た。ジークリンデが先ほどやったように最も防ぎにくい上方を制する。

 溢れ出るレイジーの魔力。魔力球体がレイジーの身体の周りに現れる。数は108。ジークリンデの視界がレイジーの魔力光で覆われた。

 拙い、そう判断した時にはジークリンデはレイジーの領域の中に入ってしまっていた。

 

「行くよ」

 

 声は凛としているのどこか緊張感のない。そんな言葉と共に放たれるレイジーの攻撃。

 彼の最大にして唯一の攻撃法、蹴りによってジークリンデに襲い掛かる。

 周囲を浮遊している魔力球体をサッカーボールのように蹴り飛ばす。ゴールはジークリンデ。ボールの数は108個。完全に別のスポーツになった。

 超高速の蹴撃による雷獣シュート。エレミアとしての本能が回避ではなく、防衛を選択させた。

 

 肩幅に開いた足。じっくりと腰を落として、頭上からの攻撃に備えるジークリンデ。両腕に漆黒のオーラを纏い、来る攻撃をすべて消滅させる気である。

 触れるものすべてを破壊する鉄腕。エレミアに砕けぬものなどない。

 

 消し飛ばす一撃(イレイザー)に分類される攻撃がレイジーの必殺技と激突する。

 

「なっ!?」

 

 声が出たのはヴィクトーリアだった。

 このメンバーの中で最もジークリンデに近い存在である彼女は、ジークリンデの強さを誰よりも分かっている。

 完全に戦闘モードに入っていたジークリンデがレイジーの術中にはまったのだ。ヴィクトーリアにとってそれは、久方ぶりに見た光景だった。

 レイジーの攻撃は削られた。だが、削られただけで消滅には至らない。飛散した魔力がゲル状となりジークリンデに纏わりつく。

 次々に襲い掛かるレイジーの攻撃。ジークリンデは技の性質を理解したようで、攻撃の一発一発を完全に消し去るようにシフトする。

 

 だが、それでは遅い。

 

 全力全開の状態のジークリンデよりレイジーの攻撃の方が速い。一撃の破壊力なら圧倒的にジークリンデだが、繰り出す技の速さならレイジーだ。

 

「総合力なら圧倒的にレイジーが負けている。でも」

「勝てる戦い方を見つけてそれを貫き通してきたレイジーさんはとても強い」

 

 ノーヴェの言葉にヴィヴィオが言葉を繋げる。アインハルトは張っていた表情を少し崩して、頬をうっすらと赤く染めながら、レイジーを見ていた。

 

(ああ、やっぱり貴方は貴方なのですね。私は貴方という強さにきっと惹かれているのでしょう。覇王(クラウス)聖王(オリヴィエ)に惹かれたように)

 

 迎撃しきれなくなったレイジーの攻撃にジークリンデは飲み込まれた。一発一発が身体に負荷になって襲い掛かる。

 以前、アインハルトが食らった『いっしょにブートキャンプ』の発展形である。

 108回の攻撃を用いてレイジーが目指す至福の世界、空気のように柔らかく、それでいて弾力も残っている、最高のベッド。ウォーターベッドにも負けない夢の世界。

 やられる方は魔力ゲルの中に放り込まれるので、身動きが一斉取れず、呼吸すら困難になる。

 レイジーのベッドという牢獄に捕らわれることになる。

 

「勝てる方法で勝つ奴が一番強い」

 

 攻撃を終えたレイジーがベッドの上に上品に降り立つ。透明であるため、ジークリンデが苦しみもがいているのが分かるが、女性らしさをもってして嬉しそうにベッドの上に横になった。

 

「ふふ、これで僕の勝ち」

 

 満面の笑みを浮かべたレイジーはそのままゆっくりと瞼を閉じる。

 ジークリンデは意識を失って瞼を閉じた。

 次元世界最強の十代女子を相手に完勝を収めたレイジーだったが、

 

「なんか終わり方が……」

 

 誰の声だったが分からないが、皆一様に頷いていた。

 

 †

 

「説明をお願いします」

 

 既に美少女とは程遠い姿になったレイジーは庭のちくちくした芝生の感触を感じながら、のほほんと横になっていた。

 ヴィヴィオがはいはーいと手を挙げながらレイジーに説明を求めた。

 

「女子強い」

 

 実に簡潔に説明を終える。当然それで納得するような者はおらず、詳細を話せと抗議を始める。

 

「僕は過去の映像で知った。ムキムキわんこ耳男と腹出しケモノ耳お姉さんは互角だったということを。明らかに腕も足も身体もわんこ男の方が大きいのに、ほっそりしてるお姉さんはパワー負けしていなかった。つまり女子になれば強くなれると僕は学んだ」

 

 レイジーが言うわんこ耳男と腹出しケモノ耳お姉さんに心当たりのある人物が苦笑する。ヴィヴィオに至っては片方は私の師匠ですと言いたげだった。

 

「で、変身してみたってのか?」

「そう。ほっそりしていながらもしなやかな筋肉が僕の蹴りの速度を大幅に上げた。これは僕の予想でしかないけど、男よりも女の人の方が魔力を身体の細部に取り込みやすいんじゃないのかなって思う。魔力濃度がずっと高いんだ。だから女性体を選んだ。変身魔法の凄いところは骨格すら変えるところにある。それが僕に神秘の力を与えてくれたんだと思ってる。ヴィヴィオたちみたいな大人になる変身や、動物なんかになる変身もあるから、男が女になる変身だってできるわけだ」

 

 ああそう言えば、フェレットに変身できた人が居たなとヴィヴィオはとある無限書庫司書長を思い出していた。

 

「魔力の放出をする分、余計な出費は避けたい。そんな僕の思惑と一致したから変身してみました」

「そんな理由で女装をためらわないとか、お前の心の強さに驚きだよ。しかもそれで強くなってるんだからさらに驚きだ」

「あれって先輩のイメージですか?」

「うーんと、参考にしたのはフェイトさん。僕が知る中で最も速い人だから。髪は邪魔そうだから短くした」

「あ、そう言えばレイジーさんって古代ベルカ式の使い手だったんですか? 武装形態ってアインハルトさんと同じですよね」

「実は僕はこんなふざけた生活を送ってるけど、血筋はそれなりなんだよね」

「シスターシャッハと同じですよね。あれ、でもシスターシャッハは近代ベルカ式ですよね?」

「そこはあれ、シャッハちゃんがミーハーなだけ。昔のレトロな良さを分からず、流行りに乗ったんだよ」

「どうせ、自分の術式を弄るのが面倒だから、最初に習った形をそのまま使ってるだけだろ」

「ノーヴェさんはやはりエスパー」

 

 ぱちぱちと拍手をし説明は終わったとレイジーはそれ以上は話をしなかった。あとは勝手にしてくれと投げ出してしまった。

 それからしばらくして、気絶していたジークリンデが目を覚まし、レイジーの元にやってきた。負けたのは久しぶりだったのか、かなり悔しそうに眉をハの字にしていた。

 

「起きたんだ。それで寝起き早々悪いんだけど、試合前に約束したこと覚えてる?」

「うん」

「僕の願いはただ一つ、もう二度と試合をしたくない」

「へ?」

 

 呆気にとられたジークリンデから短く音が漏れる。

 

「だってチャンプ強いじゃん。僕の夢を叶える上で、やらなくて済むなら強い人とかとはやりたくないんだよね。疲れるし」

 

 今回はレイジーがジークリンデに勝った。だが、次も勝てるとは言わない。今までアインハルト達にはさんざん雑魚と罵ってきたのだから、ジークリンデに対する評価は過去最大級と言っていいだろう。

 

「僕が出る大会には出ないでくれるとありがたい」

「格闘家として言っちゃいけない言葉を平然と吐くな」

 

 バシッとノーヴェがレイジーの頭に平手をかます。

 

「何言ってるの? 僕は一生だらだらできるだけのお金が欲しいだけであって、格闘家としてのプライドなんて無いに等しいんだよ。それに目的のために障害を排除するというのは僕の生き方に沿っていると思う」

「……そうだった、そうだったな。お前はそういう奴だった」

 

 ハァーと呆れつつも、ノーヴェはわしゃわしゃとレイジーの頭をなでる。手のかかる弟に世話をやく姉の構図だった。

 

「ということで、よろ」

 

 レイジーが右手を差し出す。

 

「んー……それはできんよ」 

 

 ジークリンデはレイジーの手をがっちりと握りながらも、彼の言葉を否定した。

 

「や、約束は……」

 

 がーんと激しく落ち込むレイジーにジークリンデは表情を崩す。先ほどまで不満そうにしていたが、今ではすっかり笑顔だった。

 

「負けたままではエレミアの名前に傷が付いてまうよ。だからウチはレイジーとまた戦いたい」

「名前に傷なんて付けとけばいいって、とある教会の暴力シスターが今際の際で言ってたよ。命尽きる前、最後に言ったんだ――もっとやれと」

 

 ばしんっ! 今度は先ほどとは違って遠慮などせず、ノーヴェはレイジーの頭に平手を叩き込んだ。

 

「勝手にシスターシャッハを亡き者にするな。それにあの人は絶対にそんなことは言わねぇよ」

「シャッハちゃんなんて言ってない、ノーヴェさんの勘違い」

「言ってるようなもんだろ。お前、嘘をつくにしてももう少しマシな嘘をつけ」

「……いや、だってチャンプがガンガン行こうぜ的な精神を出しているから、僕は命を大事にで対応したんだ」

「全然大事にしてねえだろっ!」

 

 ゲームをやらないノーヴェには元ネタが通じなかったようだ。

 

「別に大会でなくたって戦えるやろ。今みたいに」

「それはチャンプは大会にでないってこと?」

「出れる大会は出るよ。やっぱりエレミアの技を磨いていくのがウチの目的やし。それにはやっぱり人と戦うのが一番やから。まあでも、約束してしまったし、レイジーが出る大会には極力出ないようにする」

「僕、ミッドで開かれる賞金のある大会には全部出る気でいるんだけど」

「……ウチは賞金の出る大会はまだ出ないから大丈夫や。それよりレイジー、あまり無茶すると身体壊してまうよ」

「身体のケアは万全。全身筋肉痛で動けなかった昔に嫌というほど身体については調べた。今では激戦の次の日でも絶好調で戦える」

 

 魔力マッサージは極めているとレイジーは自信満々に告げる。

 

「チャンプと戦わないなら今のところは安泰。後は上の世代。皆僕が出るときだけ、体調不良とかにならないかな。そうすれば戦わなくて済む」

 

 他人の不幸を願う最低の男に、ノーヴェはバシッと背中を叩く。

 

「レイジーは戦うのは好きやないの?」

「うん。疲れるのは嫌い。野蛮だし、戦闘が好きとか言っている人の気が知れない」

 

 周りで聞いている者たちが一斉に微妙な顔をする。ヴィヴィオに至っては、視線を思いっきりそらしていた。

 

「痛い思いはしたくないし、疲れるようなこともしたくない。でも、ダラダラしたいから、そういうのは我慢しないといけない。世界は僕の敵だ。もっと甘やかしてほしい。僕が苦労せずにお金が稼げるようなそんな素晴らしい制度を要求する」

 

 格闘技に思い入れのある少女たちの前で暴言に近いことを吐き、挙句の果てに世界批判。

 ただあまりにもレイジーらしくて、誰も反論しなかった。

 

 一人を除いて。

 

「でも、それだと私も困ります。私もディリジェントさんともっと戦いたいと思ってますから」

「嫌なり」

「先ほどのチャンプとの戦い、終わり方はちょっとあれな感じでしたけど、ディリジェントさんの凄さを改めて感じました。ですから、これからもよろしくお願いします」

「いやーん」

「まだまだ覇王流を収めていない未熟者ですが、レイジーさんの好敵手になれるように頑張ります」

「ノー」

「お前ら、相変わらず恐ろしくかみ合ってないよな」

 

 この二人の関係は出会った時からほとんど変わっていない。

 

「貴方はいつだって貴方です」

「……? 当たり前」

 

 何を言ってるんだとレイジーはアインハルトをおかしな目で見る。

 

「私は私。クラウスではありません。そんな単純なことに気づくのに随分と時間がかかりました」

「病院でも行けば?」

 

 脈絡もなく意味不明な内容にレイジーは医者に行くことを勧める。

 アインハルトは少し苦笑しながらも、小さく首を横に振る。

 

「別におかしくなったわけではありません。貴方を見ていたら悩んでいる自分がバカらしくなっただけです。私は貴方のその一途さがありませんから、羨ましいです」

「褒めてる? バカにしてる?」

「褒めています」

「ストラトスのその無表情な顔で言われても信じられないな。まあ良いや、とりあえず話は終わり、コーラを飲もう」

 

 こんなやり取りも随分慣れたなとアインハルトは口元をほんの少しだけ緩める

 

「ディリジェントさん」

「話を聞いてくれない。僕、ストラトスのこと嫌いなんだ」

 

 そういうことを言うなとノーヴェが軽くレイジーの頭を叩く。

 言われたアインハルトの方は、一瞬きょとんとしながらも、彼女には珍しく表情に出るほどわかりやすく微笑みながら、

 

「そうですか? 私はディリジェントさんのこと好きですよ」

 

 爆弾を投下する。お子様たちがキャーと騒ぎ立てるが、言われたポッチャリは平然と流した。

 二人の関係は本当に出会った時と変わらない。




適当なねつ造があります。気にしないでくれるとありがたいです。次回でラストです。


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第二十三話 名前を呼びませんか

 

「決まったー!! ミッドチルダベルカ杯、優勝は新星、レイジー・ディリジェント選手っ!! 圧倒的、圧倒的な勝利でした。1R25秒でのKO勝利です!」

 

 決勝の舞台。格闘家に限らず、スポーツの世界を生きるものなら誰もが望む舞台。普通であるなら湧き上がる歓声が舞台上の優勝者を称える。

 照れくさそうにはにかめば、純粋な子なんだと観客に思われる。

 ガッツポーズでも繰り出せば、闘争心のある強い子なのだと印象づく。

 では、気怠そうに腕を下げ、弛んだお腹を引き締めようともしなかったのならどうだろうか? 

 

 結果、しーんと静まり返っていた。

 

 初優勝に歓喜する姿を見せもしなければ、自分は強者なのだと絶対的な自信を見せる様子もない。

 優勝インタビューにやってきた者をかなり嫌そうに見ながらため息を漏らす。

 

「もう帰っていいですか。お腹がすきました」

 

 嬉しいですとも、自信になりましたとも言わない。優勝した感想が「お腹がすきました」である。あまりのことに観客は押し黙る。

 少年はスタスタと舞台を下りて、控室のある通路に消えていった。

 

 小規模とはいえ歴史ある大会で初の優勝者インタビュー拒否で締めくくることになった。

 

 †

 

「何ですかっ! 先ほどの態度はっ!」

「シャッハちゃん、顔が近い。耳がきーんとする。あと目が怖い」

 

 耳を押さえて苦しそうにするレイジーは、控室に超高速でやってきたシスターに説教を食らっていた。

 

「レイジー、優勝したことは立派です。私としても非常に嬉しい。最後のことがなければ感動のあまり泣いていたかもしれません」

「勝手に泣けばいいんじゃないかな。僕はその横でコーラでも飲むよ」

 

 バッグをごそごそとあさり、大会中は気を遣って飲めなかったコーラを取り出す。本当に嬉しそうにごくごくと喉を潤していった。

 

「貴方はいつになったら行儀というのを覚えるのですかっ!」

「別に失礼な態度を取ったわけじゃない。相手が負けて悔しがっている中、コンサートを開いて熱唱したわけでもないし、バカにしたコメントを残したわけでもない。優勝コメントは残したから問題なし」

「お腹がすきましたなんて優勝コメントがありますかっ!!」

 

 シャッハがいつもの穏やかさをすべて捨て去って怒り狂う。まあ落ち着いてと宥めるレイジーの行動がさらにシャッハを苛立たせるが、試合後で疲れているのか、シャッハの話をまともに聞こうともしていなかった。

 

「レイジーさん、お疲れですか?」

 

 観戦に訪れていたヴィヴィオが心配そうにレイジーにタオルを渡す。

 レイジーは下を向いたまま、ヴィヴィオの言葉に返事をしない。

 ほぼ一方的な戦いとなった決勝戦でレイジーがケガを負うような場面はなかったはずだが、人知れず負傷していたのかもしれないと周りにいた者が慌てだす。

 

 ただ長年の付き合いであるシスターシャッハはレイジーがなぜ黙り込んでいるのが分かった。

 先ほどまで怒りで荒げていた呼吸を正常に戻してから、大きくため息を漏らす。肩もがっくりと落ちる。

 

「レイジー、賞金は貯金です。ちょっと夕食を贅沢にしようかなど考えてはいけませんよ」

「なのはさん達に食べさせてもらったドラゴンの味が恋しくて」

 

 ずてっと子供組がずっこける。

 

「ご飯のこと考えていたんですね」

「先輩らしいと言えば先輩らしいけど」

「あははは……」

 

 マイペースという特殊能力をレイジーは高いレベルで習得していた。

 

「そう言えばアインハルトさん来ませんでしたね」

「何か用があるって言ってたよね」

 

 いつものメンバーであるアインハルトの姿はこの場にはいなかった。レイジーを目標にしている彼女なら観戦に訪れて当たり前なのだが、ヴィヴィオが昨夜連絡した時には用事があるとだけ告げて今回の観戦を断ったのであった。

 

「ストラトスが居てもいなくても何かが変わるわけじゃないし、良いんじゃない」

 

 いつの間にか着替えを済ませ、帰る準備を整えたレイジーは特に気にした様子もない。

 

「シャッハちゃん、今日のことは僕の両親には内緒にしてほしい」

「なぜですか? 喜んでもらえるでしょうに……貴方、もしかして」

 

 レイジーの両親はレイジーの将来を心配しシャッハに教育係を頼もうとしたほど、息子に愛情を注いでいる。

 そんな両親に優勝報告を隠す意味はない。しかし、レイジーがそう頼んできたことでシャッハは頭を回転させる。

 

「お小遣いをまだもらう気ですね?」

「子供だもん。正当な権利。それに優勝賞金はシャッハちゃんの言った通り貯金するから、生活は今までと変わらない。お小遣いを止められると、僕が空腹で死んでしまう」

 

 本当に泣きそうな顔をするレイジーを見てシャッハは思わず笑ってしまう。

 ぽんぽんと優しく頭をなでながら、大丈夫だと伝えた。

 

「貴方のお母さまやお父さまは貴方が稼ぎを得ても、成人するまでは面倒を見るとおっしゃっていました。親の義務であるからと」

 

 ホッとするレイジー。

 

「ですが、成人後は問答無用で働かせると言っていました。貴方が怠惰な生活を送り続ければ」

「その点は大丈夫。その頃には僕の懐は生涯ダラダラしても大丈夫なほど潤っているはず。僕が働くなんてありえないの」

「自信満々に言うことじゃありません」

 

 レイジーの濁り切った瞳には自堕落な生活を送る自分の姿が見えている。

 シャッハには心配でたまらないが。

 

「それじゃ、僕は帰るね」

「皆で一緒に帰りませんか?」

 

 ヴィヴィオが提案するが、レイジーは全力で首を横に振った。

 

「家の近くのクレープ屋さんが僕が優勝したらただでなんでも食べ放題にしてくれるって言ってたんだよね。僕の身体を見て優勝は無理と思ったんだろうけど、甘いね、クレープのように。ふふふ、後悔させるくらい食べるんだ」

「止めなさい」

 

 シャッハの注意を聞き流し、カバンを背負った。小さく手を上げてスタスタと控室を出ていく。

 

「優勝しても、レイジーさんはレイジーさんだね」

 

 ヴィヴィオの言葉に皆が笑ったのだった。

 

 †

 

「いちご、みかん、チョコ、普通に生クリーム、むふふ」

 

 ほっこりと笑顔を浮かべて路上を歩く少年。その容姿と相まって非常に薄気味悪い。

 

「St.ヒルデ魔法学院中等科」

 

 行きつけのクレープ屋が見えた時だった。時刻は5時。まだ夕食前であるが、ミッドは日が落ちるのが早く、既に辺りは薄暗い。

 そんな中、バイザーで目元を隠した何者かが、少年の前に立ちふさがった。

 

「1年生、レイジー・ディリジェントさんですね?」

「…………」

 

 無言のレイジー。

 声をかけてきた人物に非常に心当たりがある。

 いくら目元を隠しているとはいえ、何度も見てきたバリアジャケットに、碧銀の長髪。あまり人を覚えることが得意ではないレイジーでもさすがに目の前の人間を忘れるわけがない。

 

「私は覇王流(カイザー・アーツ)正統、ハイディ・E・S・イングヴァルトと申します。ベルカ杯で優勝をした貴方に――」

「…………邪魔」

 

 問答無用だった。

 おそらく大会でもこれほどまで清々しい蹴り技を放たなかったのではと思えるほど、綺麗な一撃がアインハルトに決まる。

 

 目に見えるところにご褒美が待っている。時間も良い頃だ。ここで無駄に時間を浪費するのは、レイジーのお腹具合が許さない。

 邪魔者は排除する。相手にどんな事情があれ、至福の時間を阻害するのだから敵だ。本能的にそう判断したレイジーは、事情のありそうなクラスメイトを考慮することなく吹き飛ばして歩を進めた。

 

「クレープをいっぱいくださいな。約束通り優勝してきました」

「……いや、兄ちゃんよ、あの子は良いのかい?」

 

 クレープ屋について早々、レイジーは注文をしたのだが、屋台の親父さんがレイジーに吹き飛ばされ、壁にめり込んだアインハルトを指さして心配している。

 

「通り魔みたいなもの。僕に罪はない。さあ、いっぱい頂戴」

「さっき何をしたのか分からなかったが、兄ちゃん、本当に強いんだな。テレビで見てたが、本当に優勝しちまうしよ」

「そういうのはいい。ぷりーず」

「まあ、約束だから。好きなだけ食ってくれっ!」

 

 屋台の親父が準備するからちょっと待っててくれというと、レイジーは屋台の前に置いてあったベンチに腰を下ろす。吹き飛ばしたクラスメイトに見向きもしないあたり、さすがといったところである。

 

 そしてクレープの甘い匂いがレイジーの鼻孔をくすぐり始めたころ、アインハルトが意識を取り戻した。

 レイジーが壊したと言っても過言ではないのに、めり込んだ壁を魔法で修復すると、トボトボとレイジーの元に歩いてくる。

 がっくりを肩を落とした彼女の姿は悲壮感にも似たものだった。

 

「ディリジェントさん」

「おは」

 

 加害者と被害者、襲った者と襲われた者、それが一致していればここまで微妙な空気にならなかったのかもしれない。

 クレープをせっせと作りながらも、屋台店主が二人の何とも言えない空気に、表情が引きつっていた。

 

「私は今日、貴方を倒すための訓練をしていたんです。初撃をしのぎ、懐に入り込む練習をずっとしていました。ノーヴェさんにも手伝ってもらって」

「その話長い?」

 

 まったく興味がない。レイジーはそう言ったのだ。

 

「……私は貴方にとってはまだその程度。歯牙にもかけられない相手だということですね」

「それはいつものこと。1日特訓したくらいで僕と君の差が埋まるわけがない。ストラトスってさ、勉強できるのに、バカだよね」

 

 恥ずかしくなったのか、手で顔を押さえてうつむくアインハルト。耳がほんのりと赤くなっている。

 

「兄ちゃん、お待ちよ」

 

 わーいとレイジーはクレープを受け取る。視線でもっと焼いてと訴えた後は、もぐもぐとクレープを堪能し始める。

 

「ディリジェントさん」

「上げないよ」

 

 断固拒否の構えを見せる。アインハルトから皿を遠ざける徹底ぶりだ。

 

「そうではありません。今日は正式に交際を申し込みに来たのです」

「ごめん、意味が分からない」

 

 バカなものを見るようにアインハルトの方を向いた。

 

「ディリジェントさんとチャンプと戦ったあの時から――いいえ、きっともっと前から私は貴方に惹かれていたんだと思います。異性を好きになるというのが初めてなので、確証は持てませんが」

 

 ほんのりと頬を赤く染めるアインハルトは、いつもと違ってかなり乙女だった。

 屋台店主は空気を読んでフェイドアウトする。

 

「凡人の僕には理解できない思考が君にあるんだろうけど、これだけは言わせて……頭大丈夫?」

 

 もしや先ほどの一撃が頭部を直撃していて、脳になにがしかの問題を抱えてしまったのではと本気で心配するレイジー。

 レイジーにとって女性、それも美少女からの告白など絶対にありえないこととして認識しているので、表情には出していないが、かなり動揺しているのだ。普段はほとんど気に掛けることのないアインハルトの容態を気にしてしまうほどに。

 

「別に頭を打ったわけではありません。正常です」

「いや、異常だと思うよ。病院に行ったほうが良い」

 

 レイジーが目に見えて動揺していることが、アインハルトにはおかしかったのか、くすっと小さく笑った。

 

「ディリジェントさん、貴方はもう少し自分の評価を正しくしたほうが良いですよ」

「僕以上に、僕を評価している人なんていないと思うけど」

 

 アインハルトは肩をすくめてから、優しく微笑んだ。

 

「私はですね、これまでずっとクラウスの無念を晴らすために生きてきました。他者を気にすることなく、覇王流が最強なのだと証明するためだけに、拳を鍛えてきたんです」

「え、なんの話?」

 

 会話が成立しないなと、レイジーは思った。

 

「そんな私が、初めて異性を意識しました。貴方と授業で初めて対戦して、そして区民センターで敗北して、私は貴方を意識し始めました。私がですよ?」

 

 おどけて見せる。

 アインハルトは美少女であるが、他人を寄せ付けない雰囲気から周りに男っ気などない。クラスの男子の中には彼女に話しかけようとしている者もいるのだが話しかけるには至っていない。

 唯一会話を成立させる男子がレイジーなわけだが、彼からアインハルトに話しかけることは滅多にないため、クラスでアインハルトが男子と会話をすることなどほぼ皆無なのだ。

 だから、というわけではないが、アインハルトの周りに男はいない。彼女自身も異性に興味はなかった。

 

 でも、レイジーが現れたのだ。

 

 最初は異性として意識したというより、格闘家としてだった。

 ノーヴェに何度かそういうことを聞かれたこともあったが、その時も格闘家として気になるだけだと思っていた。

 だが、レイジーがジークリンデと戦っているとき、はっきりとしたものがアインハルトの心に芽生えた。

 格闘家として敬意を持っている、確かにそうだが、それ以外の気持ちもあった。

 クラウスがオリヴィエに惹かれたように、強き者に惹かれるのが覇王の血筋なのかと考えたときには笑ってしまった。

 

 レイジー・ディリジェントはアインハルト・ストラトスにとって特別な男かもしれない。そう考えると、自然と笑みが深くなっていた。

 格闘技以外に、自分が何かを意識している。今まではありえなかったことだが、それが今自分の身に起こっていると思うと、不思議で違和感ばかりだが、嫌ではないとアインハルトは感じていた。

 

「最近は、貴方の事ばかり考えていました。不思議な気分でした。そして今日、貴方に挑んで勝てばこの思いも何かが変わるのかと思いましたが、敗れてしまいましたから、変わりません」

「……僕とストラトスがラブ展開になるようなイベントは発生していなかったと思うんだけど」

「私も分かりません。もしかしたら本当におかしくなってしまったのかもしれません。ですが、私は貴方を好きになりました。これだけは事実です」

 

 美少女からはっきりと好きだと告白される。衝撃だ、これはかつてないほどの衝撃だとレイジーは考える。

 目の前の少女、つい今しがたまでまったくそういう対象としては見ていなかった。

 可愛いと思うし綺麗だとも思うが、それはあくまで美意識的な話でしかない。

 レイジーの周りには美少女が、それこそバーゲンセールのように安売りされている。

 では、その女性たち全員に胸が高鳴るような想いをしたことがあるか、答えはNOである。

 アイドルに心ときめくファンもいるのだろうが、大抵のファンは夢と現実を分けて考えている。

 

 レイジーもそうだ。

 

 だから、レイジーは今思っていることをはっきりと彼女に告げる。

 

「ごめん、ストラトス。僕は今まで君を恋愛対象に見たことがないんだ。好きです、良いよと簡単に答えられるものじゃない。不誠実だしね」

「やっぱりそうでしたか。なんとなく断られる気はしていました」

 

 アインハルトは気にした様子はなかった。

 少女にとってみれば相当な勇気を出しての告白だったのかもしれないが、フラれた彼女の表情はとても穏やかだった。

 

「貴方はそういう人です。一時の感情で動いたりはしないと思っていました」

「僕にとっては生涯君のような人から告白されることはないからチャンスなのかもしれないけど、僕はあんまり君のことが得意じゃないんだ。ごめん」

「はっきりと拒絶されると、心が痛みますね。泣いてしまいそうです」

「笑ってるけど?」

 

 アインハルトの顔は確かに笑っていた。

 

「女の子は辛い時でも笑えるんです」

「僕はえんえん泣くよ。恥も外聞もなく」

「そこは改善した方が良いかと。やはり男性は逞しい方が、好まれますよ」

 

 そうは言うものの、アインハルトがレイジーがそんなしっかりとした人間になるとは全く思えなかった。

 この人は、自分の欲に忠実に生きる。そしてその生き方が自分を惹きつけたのだと分かっているから。

 

「今は諦めます」

「これから先はないと思うけど」

「分かりませんよ。人の心は変わっていくものです」

「僕の人生計画だと、僕が怠惰に生きる生活費しか計算に入ってないんだけど」

「そこは頑張ってもらうしかありませんね。貴方ならきっと大丈夫です」

「誰かのためにお金を稼ぐなんて、思ったことはない。きっとそう思える人と僕は結婚したいと思うんだ。ストラトスには今のところ思えないかな」

「それも今はです。明日には変わっているかもしれません」

 

 アインハルトは立ち上がった。

 

「私はクラウスの血を引いています。彼がどれだけ執念深いか、私はよく知っている」

「僕も君がしつこいのはよく知ってるよ。たぶん、君について唯一はっきりとわかることだ」

「では、覚悟してください。私はとてもしつこいですから」

 

 ニッコリとアインハルトが笑った。その表情にレイジーは一瞬だが、ドキッとしてしまう。

 

「僕は君が求めるような人間じゃないんだけど」

「それは貴方の考えです」

「仲良くできないかもしれない」

「できるようになっていきたいと思います」

「強引な子と仲良くなる方法を知らないんだ、人間だもの」

 

 久しぶりに聞いたなと、アインハルトはレイジーの口癖に苦笑した。

 

「では、一つだけ。これはヴィヴィオさんから教わったことです」

 

 恥ずかしいんですけどと、断りを入れてから、アインハルトは口を開いた。

 

「名前で呼び合いませんか? まずは友達からということで」

 

 少女と少年はしばらく見つめあった。

 かつて、ヴィヴィオの母である高町なのはが、親友であるフェイト・T・ハラオウンと友達になった時に言った言葉だ。魔法の言葉である。

 

「うーん、それじゃあ――」

 

 レイジーがこの後、アインハルトの名前を呼んだかは定かではない。




これで完結です。今まで読んでくださってありがとうございました。強引に終わらせてしまったことは申し訳ありません。これ以上は……


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