オーバーロード 御伽噺 ("A")
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プロローグ 死の支配者

この世界に伝わる伝承の一つ

今となっては嘘か真かわからない。

あるものは子供に聞かせる御伽噺と笑い、あるものは信ずるに値する信仰の対象だと畏敬の念を抱く。

その伝承の始まりを知るものは少ないが、英雄譚とは斯くも似たような始まり方なのである。








 森と平野の境界から飛び出した少女を前に、その少女を見下ろす程の巨体を持った獣の亜人が、剣を振りかぶった。

手入れのされていない錆と刃毀れが目立つ粗雑な剣は、今まさに目の前の獲物の命を一撃で奪うように、されど亜人の表情には一切の慈悲は浮かんでいない。

 

少女は背後から迫り来る殺意に目を閉じ、その十数年の生涯を奪うであろう、わずか数瞬の出来事を覚悟した。

その表情には、この世界で人という種族に生まれた者が持つ特有の絶望感が浮かんでいる。

彼らは人食い大鬼(オーガ)豚鬼(オーク)の様な身体的強さはなく、山小人(ドワーフ)の様な優れた技術力を持ち合わせているわけでも、森妖精(エルフ)の様に魔法に秀でているわけでもない、人間という滅び行く種族であるだけ。

 

だからこそ結末は一つしか残されていない。

少女はここでその生涯を終えるであろう。あくまでその結末にたどり着くのに早いか遅いかというだけ。

 

剣が振り下ろされ――

 

――しかし痛みは訪れることはなかった。

 

 

すでに剣を振り下ろされる痛みを覚悟していた少女の体は、今まで全力で前に出していた足を動かすことが出来ず、走ることを放棄したまま転がるように地面に倒れこむ。

後を追うように大きな物が倒れる音が、先ほどまでの恐怖と転倒した痛みで閉ざされた瞳を慌てて開かせて、少女の命を奪うはずだった追跡者に顔を向けた。

 

そして――絶望を見た。

 

そこには闇があった――。

 

 

夜の闇をさらに濃くして闇と一体化するような漆黒のローブを纏い、死の神を体言した様相の白骨化した頭蓋骨の眼窩には今まで奪い去ってきたであろう魂の炎が揺らめいている。

漆黒のローブから覗く骨の手には自身の尾を飲み込んだ蛇を象った剥製の腕輪と、漆黒のローブとは対照的に闇を照らす黄金に光り輝く杖を握りしめていた。

 

少女は目の前に突然と現れた異形の存在と、その足元で先ほどまでと何も変わらない見た目のまま骸となった獣の亜人――ビーストマンを交互に確認し、やはり先ほど死ぬはずだったか、今から死ぬかの違いでしかないと悟る。

 

「ひぃ!」

覚悟をしたはずの死を再び――むしろ先ほどよりもより明確に感じて、少女は思わず引きつったように声を出す。

 

少女の怯える視線を受けた死の神は、ビーストマンを跨いで一歩近づいた。

一歩、また一歩と足を前に出す死の神は、命の終焉を迎える秒針のように止まることはない。

窪んだ眼窩の中で少女を見下ろすように赤い炎が動き、そのまま死の冷気を感じる程の距離で足を止めた。

 

呼吸の仕方を忘れたのか、それとも無駄なことと知ってなお、僅かでも音を出す手段を止めることで死の神から逃れようとしているのか。

少女は息を止めて呼吸音を出さず、目の前で歩みを止めた存在と目を合わせないように努めるが、極寒の中を肌着一枚で投げ出されたような体の震えだけは抑えることが出来なかった。

 

死の神は杖を持っていない方の皮も肉もない骨の手を差し出す。そして顎の骨が開く音と共に口を開くと、異形の姿からは似つかない耳障りの良い滑り抜けるような音を発した。

 

「―――っ!?」

魔法の言葉か、呪詛の言葉か、または死者の悲鳴でも発するのかと、一瞬だけ身構えた少女は、聞いたことのない”言語”の様な音を発した死の神の頭蓋骨に戦々恐々と視線を向ける。

 

なおも死の神は同じような、もしかしたら先ほどと違うような気もする音を発して、その白骨化した手を差し出したまま動かない。

 

――もしかしたらもう少しだけ生きる時間が延びるのかもしれない。

目の前に差し出された手を見て、少女はそんな淡い期待を抱き、乾ききった口を開く。

「助けて・・・いただけるのでしょうか?」

 

そんな少女の問いに、死の神は驚愕の顔――骸骨に表情はないが・・・――を浮かべて、半歩身を引いた。

死の神が動いた意味を理解することは出来なかったが、手を差し出した状態から動いたという事実だけは、少女の過敏になった緊張の糸を切るのに十分だろう。

「やだっ!ごめんなさいっ!殺さないで!」

 

目の前の死の神を相手に、頭を抱えてうずくまる。その無意味さを少女は頭の片隅でわかっているし、それはあくまで防衛本能的な行動の結果でしかない。

うずくまって視線を外した少女の耳に、再び死の神の言語が聞こた。

音がするから視線を向けるという生物の性に従い、少女はうずくまったまま音の発生源である死の神に視線を移す。

頬を掻くような動きの後、杖を持った腕にある蛇の剥製の腕輪を見て溜息のように息を吐き出した死の神は、杖と共に腕を天に掲げて、先ほどとは違う力強い音を発した。

 

風で草木が揺れる音、動物や虫といった生き物の息づく音もしない。一瞬の静寂が周囲を包み込んだ後、空気の振動と酷いめまいが少女を襲った。

死の神によって命を刈り取られたのかとも考えたのか、何も変化のない辺りを見回し手のひらの表と裏を眺めて生きていることを確かめる。

 

唐突に発生した衝撃を受けても死が訪れていないことに疑問を感じた少女は、この事態の発生源であろう死の神に視線を移し、その光景を見る事になった。

 

――世界蛇。

 

死の神が天に腕を掲げた先、10m程の高さに蛇が浮かんでいた。果たしてその存在をただの蛇と呼んでいいのか。

尾を咥えた頭部から互いに正反対の方向に伸びた胴体は樹齢数百年の大樹から切り出された丸太のような太さで、その艶やかな光沢の鱗が脈動するように波打ち、

少女が確認できる視界内よりも先まで伸びている胴体の長さをうかがい知ることが出来ない。

そんな神々の起こす奇跡とも異常とも言える光景を目にした少女の耳に、先ほどから何度か聞いた”声色”が意味を持って耳に届いた。

 

「動画でしか見たことなかったけど、いざ自分で世界級アイテム(ワールドアイテム)を発動させてみると感動するな」

突然の言葉に少女には死の神が何を言っているのか理解することは出来ないが、何を言っているのか聞くことは出来た。

そして少女が何もかもが理解できないまま、頭上に浮かんでいた巨大な蛇は光の雫となって地に降り注ぎ、跡形もなく消えうせる。

 

「あぁ二十が消えた、攻略サイトも情報掲示板もないこの世界で再取得条件探すの大変そうだなー」

片手で額を押さえ、悩ましげに、しかし何も考えていないかの様に軽く頭を振る死の神は、頭蓋骨に穴だけ空いた耳元にもう片方の手を添えて、独り言を続ける。

「ごめん、”永劫の蛇の腕輪”(ウロボロス)使っちゃった。一応自己判断で許可受けてたけど、報告だけ先にしておく」

見えない騒音から避けるように、耳元に添えた手と反対側に頭を傾けて、死の神はその場には存在しない誰かに謝罪を重ねた。

 

「ごめんごめん。でも"この世界に存在する者全てが種族の垣根なく会話をできる様になる"っていい願いだと思うんだけど。このままじゃ情報収集も出来ないしさ。それにまた取得できる可能性もゼロじゃないだろうし」

そのまま再び少女へと向き直った死の神は、先ほどと同じように見下ろす。

「それじゃあこれからもう一度現地住民の少女に声かけ――いや、事案じゃないから。ちょっと黙っててくれ。会話が出来るようになってるか確認して、ちゃんと世界級アイテムの効果があったかどうか報告するよ。――見た目?普通の村娘って感じの子だけど。はいはい、わかったから。じゃあ後でな。」

 

独り言のように続いた寸劇が終わりを迎え、死の神は先ほどより己の理解できる範疇を超えた出来事が続き、怯えたままの少女に手を伸ばした。

「大丈夫か?こっちの言ってる言葉わかるよな?」

コクコクと首が揺れる人形のように縦に振って、少女は死の神の言葉に肯定を繰り返す。

ようやく意思疎通が出来るであろう死の神の言動に、少女は自らの命を賭けた綱渡りで、綱の上を全力で走り抜けるように少女は矢継ぎ早に声を発する。

「殺さないで!どうかお慈悲を・・・死の神様」

「まさか助けた相手に命乞いをされるとは・・・。何でそんなに怖がる?異業種はこの世界にはいない?」

少女の命を簡単に奪うことが出来るであろう存在から、恐怖に怯える理由を聞かれても、死を体言したような見た目だとか、神か化け物が起こす理解不能な現象が原因だとか、正直に口にすることが出来なかった。

 

「神を前に恐れ多い態度をとってしまい、申し訳ございません。」

「神ではないんだけどね。別に捕って食うわけじゃないんだから、普通に話してくれないか?」

頭蓋骨の前でひらひらと手を振る死の神は、神である事を否定し、友人と話す様に柔らかい物言いで少女を落ち着かせる。

目の前の死の神を体言する存在から薄れ行く死の気配は、まるで今しがたまで死が少女の背後まで迫っていたことが嘘であったかの様に、現実的に、理知的に言葉を発した。

「神ではないのだとしたら、なんとお呼びしたらよろしいでしょうか?」

死の神は少し考え事をする様に頭を左右に揺らし、顎の骨に添って撫でるように指を動かす。

「私のことは、そうだな――」

一拍置いて、これから発する言葉を品定めするように溜めた死の神は、自らを卑下するように目を伏せて頭を垂れる少女に自らの名を名乗った。

 

 

「――気軽にスルシャーナとでも呼んでくれ」

 



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1章 最後の日と始まりの日1





西暦2138年 数多開発されたDMMORPGの中で参禅と輝くタイトルがサービスを終えようとしていた。

 

YGGDRASIL(ユグドラシル)

 

それはプレイヤーの自由度が極端に広いシステム性と、別売りの外部ツールによってあらゆる外装から設定まで自由にクリエイト可能な日本人の“ものづくり魂”をくすぐる22世紀を代表する革命的なゲームであった。

 

しかし、サービス開始から12年の歳月が過ぎ、それは最早過去の遺物と成り果てている。

全盛期は満員で入れないサーバーが過半数以上を占めていたが、世界樹を模したサーバー選択画面には過疎という言葉にふさわしい人数しかアクセス人数が表示されていない。

 

「ついに最終日か。明日から何のゲームやろう」

ログイン直後に移転する広場で、死の支配者が誰に言うでもなく呟いた。疎らではあるが周囲に他のユーザーが居る中で口を開いても、誰もそれに気がつくことはない。発言範囲をギルドのみで設定しており、その呟きは周囲の者に決して聞かれることはない。

 

「早くも次のゲームに頭を切り替えている辺り、ギルド長はネトゲ廃人ですな」

死の支配者にそう返答してきた年期の入った声は、乾いた笑いを含んでいた。その寂しさを含んだ声から察するに、彼がユグドラシルに費やしてきた時間も、ギルド長に負けず劣らずといった廃人であろう。

「そう言われても、10年続けた生活の一部がなくなるんだから、無理やりにでも別のゲームを始めないと生きていけないって。おすすめゲーム何かある?」

「そんなものがあったらー、あたしら最終日までここに居ないよー、ギルマス」

横になりながら発したような間延びした、いまひとつ魅力を感じられない疲れきった女性の声が、死の支配者の問いに答えた。

当たり前のことではあるが、他にやりたいことがあればサービス最終日まで好き好んで残っている者も居ないだろう。

 

――サービス終了の日に皆さんで集まりませんか?

 

ギルドメンバーそれぞれがユグドラシルより優先することを見つけていれば、そんな連絡も必要だったかもしれない。

果たしてそれが幸いなことなのかは人それぞれの判断があるだろうが、彼らは最終日を迎えるまで毎日生活の一環としてユグドラシルをプレイし続けた。

 

6名しか居ない無名の小規模ギルドに所属する彼らであるが、一番短い者でもユグドラシルを始めて7年という古参の廃人であり、最盛期にさまざまなギルドが乱立していた群雄割拠の時代に6名で200位以内を維持する程度には人生を捧げていた。

そんな彼らは惰性もあるが衰退した現状でも昔と変わらずに続けており、最盛期よりは入手が容易になったとはいえ”ぶっ壊れアイテム”と名高い世界級アイテムも所持している。

 

 

年期の入った声――アーラ・アラフは聖職者(クレリック)の職業を持った人間種のプレイヤーである。ギルド長の次に長いユグドラシル暦で、10年間は続けているが、『アクションゲームは苦手』と自負しており、戦闘の主体も回復やステータスアップ付与、天使召還といったサポートに特化していた。

アバターを自由にクリエイトできるユグドラシルの中で、黄金の糸で刺繍が施された純白の祭服に飾り気のない眼鏡をかけて顎に白髭を蓄えた中年の司教といえば彼のことだろうと名前が出る程度には顔を知られている。

後何年かで定年を迎えると言っており、日がな一日をユグドラシルに費やしたいと豪語している年長者ではあるが、連休で孫が遊びに来ると数日ログインしなくなる一面も持ち合わせていたりもする。

 

「年頃の娘なんだからもっとシャキッとしないか。レディーの名が泣くぞ」

姑が小言を言うようにアーラ・アラフは疲れた声の女性を嗜める。

「あたしに女性らしさがあれば、今頃”ネトゲの姫”にでもなってるよー」

 

冗談めかしに言って見せた女性――レディー・ロッテン舞矢は学生時代に弓道部だったという単純な理由で弓兵(アーチャー)の職業になり、社会人になった年からユグドラシルをプレイしている。

社会人なりたての頃は、今より元気なハリのある声で将来の展望を語っていたものだが、今ではすっかり日々に疲れた社会人が板についていた。

年齢にかかわることなので、ユグドラシル暦が何年なのかは名言を避けることにしよう。

魔法詠唱者を取得して得られる上位職の魔法弓兵(マジックアーチャー)として、風を操って超長距離から敵を射るプレイスタイル。

ステータスも物理攻撃力と魔法攻撃力に極振りした特化型ビルドになっている人間種で、全体的なキャラクタービジュアルとして”和”を感じさせる。

クリスマスの夜に自然に同化する緑色の袴をモチーフにした防具に”嫉妬する者たちのマスク”を装備して、金貨1枚で購入できる聖なるシャンパンを投げつけて回った女性として匿名掲示板に名を残した事がある。

 

「姫って・・・年齢を考え――」

「おい、ナポリたん今なんか言おうとしただろ」

「ナンデモゴザイマセン」

 

棒読みで返答する男――ナポリたんは一番新しく入った職業軽戦士(フェンサー)の人間種。レディー・ロッテン舞矢の努める会社の後輩として7年前から紹介されて入団した。飄々とした性格と、愛される後輩とはどのように動けば良いかを考えて動く様は、世渡り上手とも言える。

ちなみにナポリたんは”嫉妬する者たちのマスク”を持っていない為、毎年聖夜の翌日に出勤した際にレディー・ロッテン舞矢から先輩からの指導という名の教育(いじめ)がある。

赤いマントをなびかせて盾と剣を使った戦闘スタイルは堅実であり、アタッカーにもタンクにもなれる器用人。

 

「明日以降、決済案件は全部中間承認者で却下してやるから覚えて置け」

「ヒデヨシ~、ちょっと僕を助けると思って舞矢さんを正室にしてあげてよー」

ナポリたんはレディー・ロッテン舞矢からの殺意を一身に受けた状態で、仲間に助けを求める。

「いやー、そのー、本当に勘弁してください。側室でもちょっと・・・」

火に油を注ぐように、その男――芋豊T・ヒデヨシはおどけて見せる。ナポリたんとは良い友情関係を築いているようで、大体はナポリたんと共にレディー・ロッテン舞矢から折檻を受けているところを目にしていた。

見た目がいいからという理由でエルフとして始めて、これまたかっこいいからという理由で中途半端なステータスになる魔法を使える戦士を目指した愛される馬鹿。

武士(モノノフ)の職業を取得した者が装備可能な、全体的に古臭い茶色の鎧を身につけ、自身のセンスのみで数多の戦闘を乗りきっている。

 

 

そんな彼らの掛け合いに苦言を呈するべく、レディー・ロッテン舞矢と同性のギルドメンバーが口を開いた。

「舞矢さんは女性なんですから、そんなこと言ったらダメなんです!」

「エンクちゃんかわいいprprしたい」

そんな彼女のフォローも空しく、残念系女子のレディー・ロッテン舞矢は息を荒げてエンクと呼んだ彼女を愛でる。

エンクは最年少のギルドメンバーで、ガーディアンの職業を取得した人間種である。

ユグドラシルを始めた頃は中学生だった彼女は大学生まで成長し、開始当時の自分をモチーフにしたという起伏の少ない控えめな見た目のキャラクターデザインのまま変わることなく――当時はあったはずの左目の眼帯がなくなっている気もするが――現在まで使い続けていた。

いざ戦闘になると全身に水色の紋章が施された重装備を纏い、戦士職に許された両手持ちの武器である十字槍の形をした戦鎌を振り回しながら突撃して敵からのターゲット(ヘイト)を稼ぐという意外と戦闘狂な一面もある。

 

「エンクちゃんprpr」

「エンクちゃんprpr」

ナポリたんと、芋豊T・ヒデヨシもエンクを愛でる流れに乗り、協力関係になった3人によって弄られる対象が移り変わった。

「いーやー、助けてくださいスルシャーナさんー」

嫌々と声を上げながら助けを求めるエンクの声に嗜虐心を擽られてますます熱が篭る3人の変質者。

 

そんな状況を耳にしながら、ギルドマスターであるスルシャーナは終焉を迎えるゲームの余韻に浸っていた。

異形種である彼は種族として死の支配者(オーバーロード)まで取得した後、魔法詠唱者と他にいくつか取得した職業によりワールド・ガーディアンという職業を得ている。

バランスブレイカーだのと言われた職業ではあるが、情報が出揃ってからデスペナルティーを繰り返して得た産物でしかない。

スルシャーナにとってこの世界で過ごした時間は10年以上になるが、最早その残り時間も30分を切っていた。

 

ユグドラシル時間23:30

 

「ついに最後の30分か・・・」

ギルド内の会話も疎らになったころ、ギルドマスターのスルジャーナは一つの提案をする。

「今日は最終日だし自由に行動してたけど、どうせなら最後の終了時間くらいはギルドで集合して終わりにしない?」

一日ぼんやりと眺めいた広場では、アイテムや金貨をばら撒いて走り回るプレイヤーがお祭り騒ぎを起こしていた。

ユグドラシルではプレイヤー同士のバザーシステムで全てのアイテムが売買可能だが、サービス終了に伴い、わざわざ購入する人もいない中で暴落したアイテムの投売りすら出来ない。

だから文字通り広場でアイテムを投げて回っているのだろう。

買い取り手の居ないバザーを眺めていたら世界級アイテムが売られているのを見つけたくらいだ。

 

「了解ギルマス。150連発花火でも買って行くよ」

レディー・ロッテン舞矢の返事は、普段と違った哀愁漂う声色を含んでいる。

「なら最後にスクリーンショットで記念写真でも撮ろうかね?」

子を育て、孫を愛する中年男性であるアーラ・アラフは最後という記念行事に写真という考えを持ち出す。

コンソールのボタン一つで動画投稿サイトに動画をアップロードできる時代で、動きのないスクリーンショットを残したところでどうなるのか。

普段ならばそんな返答を出すであろう芋豊T・ヒデヨシやナポリたんも、今日ばかりは文句を言うこともない。

「アラフ爺さん、撮影したら後で送って」

「いいね、みんなの名前入りでさ」

そんな仲間たちの声を耳にしながら、スルシャーナはコンソールを開いてギルドに移転を選択する。

”NOW LOADING”の表示の後、僅かに暗転した視界が戻ると、目の前には前線基地の作戦室とも思える飾らない質素な作り部屋に飛ばされた。

残る5人の仲間たちもどこからともなく現れ、大きめな地図や周辺の地形を立体化した模型が置かれた木製の長机を囲むように6人が顔を揃える。

 

ギルド拠点”アントゥールダウン城砦”。主要な狩場からも遠く、メインストーリーでも近づかないこの地にある城砦をギルド拠点として占拠したのは、今から6年前。

彼らの様な少人数の無名ギルドにとって、他の大型ギルドに拠点を襲撃されるのは厄介なことであり、人気のある場所でギルド拠点を設立しても防衛も難しい状態であった。そのときに探し出したのがアントゥールダウン城砦である。

効率のいい狩場が近くにあるわけでもなく、絢爛豪華な建物ではなく、強大な力を持った防衛モンスターが自動沸きするわけではないこの拠点は、狙われるリスクも少ないことから彼らの様な拠点からメインに動かないギルドにとっては十分にギルド拠点としての役目を果たしていた。

 

ユグドラシルの公式サイトに記載された設定には『ゴブリンやオークの軍勢を監視する最前線の城砦として200名の人間種兵士が駐屯している』とだけ記載されており、実際に城砦の有効範囲内に現れるモンスターと自動沸きの兵士が小競り合いを起こす様子も目撃する。

 

そんな城砦をこのギルド拠点に選んだ際に与えられたNPCレベルは合計700で、ギルド長が200、他の5人は100を使用することで、各自が自由にNPCを作り上げていた。

 

「ここにも久々に来たよ。ギルド対抗イベントの報酬を貰うくらいしか来てなかったけど、サービス終了が予告されてからはイベントも一切やってなかったしなー」

スルシャーナの言葉に、同様の意見だと頷く5人は揃って会議室から外へと出る。一見すると質素だが、きちんと整えられた絨毯や壁のタペストリーが目に入り、会議室に隣接する城主の間に足を踏み出す。

 

そこには創造主の帰りを待ちわびるように1体NPCが佇んでいた。

 

程よくついた筋肉と、後ろに撫で付けられた髪型を持つその男は、アントゥールダウン城砦の防衛責任者として設定された。

”城主シュトルフ・ラズナー”は表情を変えることなく6人の前に立ち尽くす。

僅か200名ばかりの城砦ではあるが、その城主である彼の装備品は、伝説級(レジェンド)アイテムで全身を固めていた。

 

如何なることがあろうとも城砦を死守する事を最優先とするように設定されて創造された、このギルドを守護するLv100のNPC。

ギルド長スルシャーナが作り出した彼は、ギルドのメンバーが拠点に戻らない期間もこの地を護り続けることになる。

 

 



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1章 最後の日と始まりの日2

「シュトルフ久しぶりー」

彼の周りをくるくると回って挨拶をするエンクだが、当然のようにNPCは表情を変えることなく、その場から動くことはない。

ギルドメンバーの中にSEの仕事をしているものがいないこともあり、多彩な反応を示してくれるようなNPCの行動を広げるためのAIは組み込まれていなかった。

公式で配布されている簡単な挨拶程度の反応しか返されず、少し味気ない部分はあるが、彼らが精魂込めて作り上げたNPCである。 

 

「久しぶりにシュトルフを見たら自分のNPCも確認してきたくなったなー」

「どうせなら、各自の作ったNPCも連れてきませんかね?」

哀愁漂うレディー・ロッテン舞矢の発言に対して、”最後ですし”と付け加えて芋豊T・ヒデヨシは提案を出す。

「え・・・・・・いや、あの」

その提案にたいして、しどろもどろになりながら冷や汗を流すエフェクトを出したのは最年少女性メンバーであるエンク。

「全NPCを連れてくるにも時間があまりないんじゃ・・・・・・」

「まぁ小さな拠点ですし、数分もあれば各NPCの待機場所から連れてこれるんじゃないですかね」

ナポリたんが小さな拠点と言った様に、実際のこ拠点は何階層にも分かれているわけでもなく、会議室の他には正門の城壁上と城城砦の中央広場、各NPCの待機箇所しかない。

乗り気ではなさそうなエンクの否定は空しくも却下されることになる。

 

「そしたら各自NPCを連れて中央広場に集合ってことで」

残された時間も僅かしかないため、ギルド長の短めな指示で各自が目的の場所に動き始めた。

ギルド内を自由に転位する指輪でも使えば早いのだろうが、普段立ち寄ることの少ないギルド拠点内を転位するだけのアクセサリーに貴重な装備スロットを使うことは出来ない。

スルシャーナは自らが作り上げたNPCであるシュトルフの前に立つと、コンソール画面を起動させる。

NPC設定と各種ステータスや装備が確認できる画面を開き、目的のボタンを発見した。

 

――”追従せよ”

 

NPC命令(オーダー)の一覧から選んだコマンドを実行すると、シュトルフは自身の胸に軽く手を添えて会釈をする。

スルシャーナの3歩後ろに移動すると、先ほどと同じように立ち尽くした。

しかし先ほどと一点だけ立ち姿が異なっており、咄嗟の自体でも自身の創造主を護れるよう左手が彼の腰にある長剣の鞘を握っている。

その姿を確認したスルシャーナは、先ほど自らが告げた集合場所である中央広場に向かうべく、目的地へと急いだ。

 

 

 

 

アントゥールダウン城砦内で最も広い中央広場には、自動POPで毎日一定数まで補充される人間種の兵士が駐屯する場所となっている。

駐屯しているとは言っても、設定されたAIの通りに同じところを行き来するだけの兵士で味気なさはあるが、ギルド内の貴重な戦力になることに変わりはない。

そんな兵士の中に黒衣の装備に身を包んだ者と、その前で周囲のキャラよりも小さなエンクがこちらを見ること無く顔を伏せながら待機していた。

「NPC待機場所が中央広場のエンクちゃんが一番乗りか」

周囲を見回しながら他のメンバーが来ていないことを確認して声をかけたスルシャーナだが、その問いに答えず地面を見つめるエンクの視線は泳ぎ、どこか落ち着きがなく体を揺すっている。

「ザ・フォース・テ・リーヌ・ブラッドロード・・・・・・だっけ?」

「もうだめ死んでしまいたい・・・・・・」

 

胴帯のような細めの鎖が装飾された漆黒のロングコートを風に靡かせ、片目が軽く隠れる程度に長い銀髪は後ろで結わってある。

髪とは対照的に満月をそのまま映した輝きの瞳と前髪に隠れた鮮血の紅い瞳、口の端から僅かに覗く長めの犬歯が、創造主が望んだ様に美しく整った顔を作り上げる。

両手には異なるデザインの短剣が逆手で握られ、左腕には少し薄汚れてほどけかけた包帯が巻かれているが、怪我をしている様子はない。

吸血鬼(ヴァンパイア)Lv15、始祖(オリジン・ヴァンパイア)Lv15と、その他合わせてLv40を種族レベルに振っており、吸血鬼という種族の中で第4位(ザ・フォース)の血統という設定の(ロード)の名を冠する貴公子。

 

エンクの掻き消えそうな憔悴しきった声が、当時15歳だった彼女の力作NPC(黒歴史)であることを物語る。

 

「別にそんな事言わなくてもかっこいいじゃないの」

「あぁ、なんだか動悸とめまいがしてきました」

「まぁ最後なんだし」

スルシャーナは最後という言葉使った後で、もう数十分も経てば二度と見ることが出来なくなるとエンクに認識させた。

「厨二臭いデザインを恥らうエンクちゃん・・・・・・お姉さんそれだけでご飯2杯いけるわー」

横から割って入り、からかう様に二人へ声をかけてきたのはレディー・ロッテン舞矢。彼女も自身の後ろにNPCを追従させながら、中央広場に入ってきた。

 

エンクよりも少し小さな身体のデザインと、背中まで伸びた濡烏の髪以外は全体的に白を基調とした無垢な色合い。

そんな全体的に白い見た目の中で、小さな唇とぷにっとした頬は林檎のように紅く染まっている森妖精(エルフ)の少女。

一見すると麦藁帽子が似合うワンピースにしか見えない防具を纏い、少し風が吹けばふわりと舞ってしまいそうな裾を小さな手で必死に握って押さえつけている。

創造主と同様に弓を背負っているが、ハープ様な見た目のそれは、彼女のサイズに合わせた小さめな弓。

 

「ホワイト・リラを連れた舞矢さん・・・・・・どことなく犯罪臭が」

「失礼な。あたしがこの子の保護者だ」

レディー・ロッテン舞矢が彼女のNPCであるホワイト・リラを手を繋いで連れて来た様は、傍から見たら親子のように見えるだろうし、彼女の内面を知っていれば変質者のようにも見えるだろう。

 

「私もこんな妹が欲しかったなぁ」

少し膝を曲げてホワイト・リラの顔の細部まで覗き込むエンクは、自身の黒歴史に視線を向けることなく羨ましげにそう言った。

「エンクちゃんがあたしの妹になれば、ホワイト・リラはエンクちゃんの妹になるんじゃないだろうか」

神妙な声で訳のわからない暴論を言い出すレディー・ロッテン舞矢を放置して、ギルド長のスルシャーナは時計を確認する。

 

 

ユグドラシル時間23:40

 

 

ギルド拠点に集まろうと提案してから10分が経ち、彼らに残された時間は20分しかなかった。

 

「お待たせしてしまいましたか」

「ギリギリセーフ?」

アーラ・アラフとナポリたんが同時のタイミングで中央広場にやってきたのは、それから5分後のこと。

彼らに追従するのは大槌を背負った大柄な男と、褐色肌の発育が良い4人の妖精。

 

――スティーブン・ジャッジメントはアーラ・アラフが作りあげた聖騎士の人間。属性(アライメント)が極善に振られたNPCは、対魔法防御が上がる純白の防具と、物理攻撃力に特化した大槌を持つ。

後衛職の創造主が作り上げた”前衛職だった場合の自分”として、アーラ・アラフは彼を気に入っていた。

聖騎士の兜の下にはアーラ・アラフと同じ顔が作られているが、普段は兜を外すことはない。

 

――4人の闇妖精(ダークエルフ)は、ナポリたんが精魂込めて作りあげたマルゲリータ、カプレーゼ、リモンチーノ、スフォリの4姉妹。

ハーレムを築くといってNPC1体に3ヶ月、合計1年かけて作った4姉妹はそれぞれが異なる性格と職業を持っており、ギルド内の通称は『ナポリの4姉妹』。

レベルは低いので、防衛戦があった場合は役に立たず観賞用に近いが、そもそも辺境の拠点まで攻めにくるギルドも居なかったので問題はない。

 

スルシャーナは少しだけ離れた場所から、ギルドメンバー各自がそれぞれのNPCを見ては何か会話をしている光景を眺めつつ、集合したギルドメンバーと彼らのNPCの人数を確認する。

 

 

「後はヒデヨシさんだけか」

 

「こいつら隠れてたから、連れてくるのに時間かかったよー」

スルシャーナが再度時間を確認しようとした時、最後の一人が中央広間に入ってきた。

”隠れていたから”といって親指を立てて、肩の後ろを指差すと、2体の追従するNPCが影から現れた。

 

――石川五百衛門。野伏(レンジャー)盗賊(ローグ)の職業を所得した二重の影(ドッペルゲンガー)の異業種NPC。

人間の姿に変化しているが、動かすことが出来ないゴム手袋に空気が詰まった様に不自然な人間の手と、その手首の辺りから生えた、奇妙に細長い本物の指が3本ある様は異質に感じる。可もなく不可もない顔の下には吸い込まれそうな3つの穴があるだけの卵頭。

 

――佐助。暗殺者(アサシン)、忍者の職業を所得した蜘蛛人(アラクノイド)の異業種NPC。忍者装束に身を包んで人の形を保ってはいるが、人間の手足にあたる4本の擬態した足の他に、背中に4本の蜘蛛の足が生えている。その全てが自由に動く為、暗殺者や忍者といった飛び道具を扱う職業に適していた。

 

「何とか時間までに揃ったね」

満足そうに頷くスルシャーナは、5人のギルドメンバーと、10人NPCを見回す。

「最後は皆でこの花火を打ち上げて・・・・・・」

レディー・ロッテン舞矢は取り出した打ち上げ花火を中央広場一杯に設置している。

「年長者の私が言うのも恥ずかしいものですが、今までこのギルドをまとめてくれてありがとう」

アーラ・アラフは真剣な声で礼を言い、スルシャーナに握手求めに近づくと、彼らは2,3度強く手を握り合った。

「アラフさんこそ、今まで支えてくれて助かったよ」

小さいながらもギルドの長として彼らをまとめて来れたのは、スルシャーナだけの力ではなく、周りも彼を支えたからに違いない。

「ユグドラシルⅡが出たら、今度こそキャラ育成ちゃんとしようかな」

芋豊T・ヒデヨシはコンソール画面で自身のステータスを確認して溜息をつく。

「ヒデヨシさんがそんな頭使ったことなんて出来るわけないでしょー」

そのステータス画面を横から覗き込みながら、ナポリたんは芋豊T・ヒデヨシの肩に手を乗せて首を横に振る。

「楽しかったなぁ・・・・・・」

ゲームのシステム上、表情が変わることはないが、すすり泣きが聞こえるエンクの顔は、どこか困ったような悲しげな顔にも見えた。

 

ユグドラシル時間23:50

 

スルシャーナと彼のギルドは、彼らが作り上げた拠点内で最後の時を迎えるべく、10年近い思い出話に花を咲かせた。



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1章 最後の日と始まりの日3

「それで、その超強かったギルドに俺にそっくりな人がいるみたいでさ」

「あたしもそこのギルド知ってるー。でも昔有名だったけど、最近活動してる噂聞かないね」

時間さえ許してくれるのであれば、このまま彼らのユグドラシルでの思い出話は尽きることなく続けることは出来ただろう。

 

分針が秒針のように時を進める中で、無常にもその時は近づいている。

「そんなギルドでもサービスが終了する中でいつもまでも残っている人の方が少ないだろうねぇ」

誰に言うでもなく答えたアーラ・アラフの言葉に返答できるものはおらず、沈黙がその問いを肯定することを物語った。

 

 

ユグドラシル時間23:59

 

 

「いつでも連絡待ってるよ」

沈黙を破ったのは、長い間彼らをまとめ、友人以上に彼らと接してきたギルド長スルシャーナ。

どんな連絡をしたらいいのか、何の連絡を待っているのかは言わなかったが、それはきっと別れの挨拶である。

「皆さん長い間ご苦労様でした」

皆が、そして自身が費やした年月に対して、いつもより丁寧な口調で手短に労いの言葉を述べた。

今生の別れではない。今やネットが生活に密接に結びついている情報社会の中で、一介のゲームがサービスを終了したところで、一切の連絡が取れなくなることは決してありえない。

ユグドラシルは終わりを迎えるが、多少離れている場所に住んでいても、日帰りでも会うことも可能な間柄であることに変わりはないだろう。

 

「先ほど保存したスクリーンショットは、編集してから全員に送ろうかね」

アーラ・アラフはコンソール画面から保存されたファイルを確認する為にクラウドにアクセスしている。

 

23:59:30、31、32、33・・・・・・

 

「いい?エンクちゃん。困ったことがあったら、まずお姉さんに相談するのよ」

「はい!今度お会いする時に、また一緒に美味しいお店探しましょう!」

女性陣二人は現実での約束を取り交わしている。

 

23:59:40、41、42、43・・・・・・

 

「舞矢さんはエンクちゃんと二人で遊べて羨ましい」

「現実でも仮想でも、あなたの隣にナポリたん」

「了解、今週末飲みに行きますか」

馬鹿な男性二人組みは、会話にならない会話で週末の予定確認をし始めた。

 

23:59:50、51、52、53・・・・・・

 

 

「ありがとうユグドラシル」

明日から訪れる灰色の日常を考えながらも、スルシャーナが最後に発言したのは感謝の言葉。

 

 

23:59:58、59――

 

――12年の歴史を持つDMMORPGの終わりに立ち会えた。

一つの人生が終わる様に、画面が暗転し、ブラックアウトが起きる・・・・・・――

 

00:00:00・・・・・・01、02、03

 

そんな当たり前のことが起きるはずだった。

 

『あれ?』

 

何人かの男女の声が重なって、疑問を真っ先に口にする。

 

「まさかのサーバーダウン時間延期?」

拍子抜けとはまさにこの事だろう。スルシャーナは締りの悪い終わり方に、少しだけ苛立ちを感じながらも心を落ち着かせてコンソール画面を開いた。

いや、それは間違った表現で、いつものようにコンソール画面を開く行動をした。

 

「コンソールが開かない・・・・・・?」

 

見慣れた視界の左上に表示された時間は、告知されているサービス終了時間からそろそろ30秒過ぎようとしてる。

ログアウトのための画面を開こうとしたまま、スルシャーナは固まっていた。

 

「これは一体どう・・・・・・――」

 

カーン、カーン、カーン・・・・・・――

 

その言葉を遮るように響き渡る警鐘。音につられて視線を向けると、城壁の上に立てられた物見櫓では、見張りの兵士が必死に鐘を鳴らしている姿が目に映る。

 

「はて、何が起きたんでしょうね」

横に居たアーラ・アラフは同様に首をかしげて疑問の表情を浮かべて(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)いた。

何かいつも見る風景と変わっているような気がする違和感を感じながら、スルシャーナはさらに周囲を見渡す。

 

城砦内では思い出話に花を咲かせてい状況から一変していた。

警鐘を聞いた兵士たちは足早に動き回り、中央広場内には土煙が舞う。それは決められたルートを不規則に動き回るAIではない。

歴史という知識のみで知っている1000年前の欧州に居たであろう兵士の見た目を模した彼らは、規律を持った部隊としての動きを見せる。

舞い上がる土煙に埃っぽさ(・・・・・・)を感じながら、突然の出来事に混乱するスルシャーナは一人の男と目が合った。

 

 

 

「ご安心を、我が主」

 

 

 

それはありえないことだった。

現代の技術を持ってしても、不可能な存在が目の前に居た。

 

「ここは常に最前線で戦ってきた歴戦の精鋭達が守護する拠点。いかなる敵が攻めてこようとも、このシュトルフ・ラズナーが創造主たる御身の前で、アントゥールダウンを落城させるなどありえません」

 

先ほどと変わらず同じ場所に佇む、しかし先ほどとは違う表情を見せるNPCは、野太い声でそう答えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「嫌な臭いがするな」

夜半の行軍最中、いつの間にか赤茶けた荒野に聳え立つ城砦を横目に見て、獣の亜人は追従する配下達の足を止めさせた。

 

先ほどまではなかったはずだと思いながらも、注視していたわけではないので確信は持てない。

配下の獣の亜人より大きな鬣(たてがみ)が逆立つ様に、獣としての本能が彼を慎重にさせる。

5年前にビーストマンの戦士長の座を賭けた決闘をした際に、前戦士長から浴びせられた死の臭いよりも濃い、鋭利な刃物が首元にまとわりつくような死の臭い。

 

 

「戦士長、なぜ行軍を止めたのじゃ」

 

それは贅沢な暮らしをして老いた豚鼻のような見た目のビーストマン。

ビーストマンという圧倒的な身体能力を持ち合わせた種族も老いには勝てない。そもそも戦闘を好む種族である彼らが老いるまで生き残ることは少ないので、その言葉を発したのは珍しい存在だろう。

「パーシアン元老、この辺りにあんな城があったとは聞いたことがない」

「なぁに、餌小屋に変わりはなかろうて」

危機感が欠片もない老いた獣人は、戦士ではない自らに迫る死の気配を察知が出来ないのだろう。

でっぷりと太った腹は、周囲に主張するかの如く、空腹の音を鳴らす。

「ふむ、目的地の町はまだ先じゃから・・・・・・先に小腹を満たすとしよう。良いか戦士長、肉の柔らかい女子供は儂に届けよ」

厭らしく口角を上げて目じりを下げた顔は、他の引き締まった身体を持つ戦士と比べて、卑しく醜い獣人。

 

「・・・・・・愚者が」

戦士長は本人には聞こえないように呟いた。

「戦士長、どうしますか?」

すぐ脇に控える黒い毛並みの戦士は耳元で支持を仰ぐ様に言葉を発する。

部族としての権力があるのは元老と呼ばれた獣人だが、この部隊の実質的な指揮官は戦士長である。

 

「目的地の場所は色々な場所から人間共が集まって来ていると聞く。雑魚が幾ら群れても意味はないが、こんな所で時間を使うのは勿体無い。ここで隊を分けるぞ」

 

この世界のあらゆる場所に生息し、集団生活を可能とする以外に取り柄のない人間は、近年その数を減らしつつある。

ビーストマンの様な身体能力もなく、亜人種に張り合う優れた技術があるわけでも、圧倒的な力で君臨する竜族のように魔法詠唱に秀でているわけでもない淘汰される種族。

最後の足掻きとばかりに、各地で生活をしていた人間は多種族より劣る個の力を補うために圧倒的大多数の集団として生きることを選ぶ。

多くて数百程度の集団生活をしていた人間は、視界が開けた広大な平野で数万という数で集まることで生存圏の確保を目指した。

 

”人間が大勢集まっている”

その情報は、ビーストマンの種族が住まう場所とそれほど離れていない森にすむ牛頭人(ミノタウロス)からもたらされた。

友好的でも敵対的でもない種族同士である彼ら2種族は、人間を食料とする共通点があることから、今回手を結んで人間狩を行う。

 

「ここに残すのは50人程で良い。450人はお前が引き連れて目的地に向かえ」

戦士長に耳打ちした戦士――部隊の副官に、指示を与える。

「いいか、クーガー。我らビーストマンの名誉に賭けて、彼の地に牛共より遅く到着することは許さんぞ」

「かしこまりました」

クーガーと呼ばれた副官は、背後で控えた屈強なる戦士達に振り返った。

「レオパルド隊はリオン戦士長と共に。他は俺について来い」

 

指揮官を変えて再び行軍を開始したビーストマンの部隊は、元老パーシアンと彼の移動に使う椅子式駕籠の担ぎ手2人、戦士長リオン、50人隊長レオパルドと彼の部下をあわせた55人を残して、人間狩の目的地へと赴く。

 

夜目の利く眼前に見据えた城砦の城壁の上には、人間の兵士が忙しなく動き回る様が伺えた。

弓や持った兵士が警鐘を鳴らしている姿を確認出来るが、数百メートルは離れているので遠距離攻撃は届かないだろう。

 

僅かに吹き出した向かい風がリオンの髭を揺らし、この先の狩場から漂ってきたであろう食欲をそそる人間の匂いを運んできた。

 

「レオパルド、さっさと終わらせてあの豚の腹を満たすぞ。クーガー達に追いつかないと、獲物がなくなるかもしれんからな」

「了解ですボス。一番槍はあっしが頂やすよ」

腰の二刀を抜き去って、斑模様の毛並みを靡かせるレオパルドと50人の部下は風を切った。

彼らなら1000人の人間とも問題なく戦えるだろう。リオンもそう信じていたし、実際に戦士ではないビーストマンでも人間10人の身体能力と同等の力と言えるくらいに脆弱な生き物を相手にするのだ。

彼らがこれから起きる戦闘をいかに早く終わらせるかということしか考えていないことを責める者は居ないだろう。

 

 

狩人と獲物

 

 

圧倒的強者が圧倒的弱者を嬲り殺す戦闘が幕を開けた。

 

 

 

 



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1章 最後の日と始まりの日4

警鐘が鳴り止んだ砦内に、野太いながらもよく通った響き渡る。

「リラは弓兵の指揮を、五百衛門と佐助は城壁から確認して状況報告だ。」

スルシャーナは表情の変わらないはずの骸骨の顔を唖然とさせていた。

無論、その反応を見せているのはスルシャーナだけではない。

 

「ナポリ4姉妹はジャッジメントに各種支援魔法をかけてサポートに徹しろ。いいかジャッジメント、状況を見て打って出る際には歩兵隊の指揮は任せたぞ」

指揮官(コマンダー)の職業を遺憾なく発揮するシュトルフが、アントゥーダウン内のNPC、各種兵士の統制を取り始めたのは、警鐘が響いてから直ぐのこと。

状況把握を出来ていない創造主達を置いてけぼりにしているが、シュトルフに設定された最優先事項はアントゥーダウン城砦の防衛。

たとえアントゥーダウンが元々ニヴルヘイムの渓谷に存在していたのに、周囲の風景が荒野に変わっていても、シュトルフには関係のないことだった。

 

「テ・リーヌ卿は最悪の事態を想定して我らが主達の護衛を頼む。無論私とてこの砦を突破させる気は毛頭ないがな」

ユグドラシル時代の指揮官(コマンダー)は、NPC、召還(サモン)モンスターや傭兵モンスターへの指示内容が細かくなる効果があった。

元々の指示が可能な『攻撃』『防御』『回復』『待機』といった単調な物が、指揮官が指示する際には『対象を選択』、『ヘイトを集める』、はたまた『使用する魔法の選択』等、簡単に言えば『ターン制RPG』の様な指示が可能になる。

それがどうだろう。指示対象が意図を理解する事を前提に大雑把な指揮を取りつつ、要所では戦況分析を行い布石を投じる。

 

シュトルフからの指示を受けたNPC達は、創造主達からのコマンドもなく持ち場に動き出した。

 

その姿はまるで――

「意思を持って動いているのか?」

スルシャーナの言葉は仲間達の言葉を代弁していた。

 

つい先程までそこに存在していただけのNPCが、設定されていない言動を見せる。

サービス終了の時間を迎えても強制ログアウトされなかった異常事態が、目の前で明確に形として現れていた。

「むぅ、GMコールも強制終了もできないみたいですな」

アーラ・アラフは冷静を装いつつも、先ほどから何とかして外部との連絡を図ろうとしていたが、芳しくない表情を見せる。

「頭おかしくなってるのかな。アラフ爺さんの表情が読み取れる」

額に手を当てて蒼白な顔の芋豊T・ヒデヨシは、ユグドラシルはおろか現在のゲーム技術では不可能な現象を目の当たりにして、困惑な面持ちのまま固まっていた。

まさにそれはシュトルフが言葉を発した時にスルシャーナが感じた違和感の正体そのもの。

表情の変化というありえない事象と、現在の置かれた状況を理解出来る者など誰もいない。

 

視界の左上に映る時刻は、00:05へと時を進めており、サービス終了から5分が経過している事を指し示す。

恐らくその5分は、彼らの人生にとって最も長く感じ、しかし状況把握に必死でいつの間にか過ぎ去ったであろう5分間。

「ギルマス、あたしらはどうしたらいい!?」

「・・・・・・俺にも何がなんだかわからない」

スルシャーナに切迫な表情を浮かべて問いかけるレディ・ロッテン舞矢だが、スルシャーナ以外もその問いに答えられない。

彼ら6人が理解不能な状況に取り残された中でも、アントゥールダウン内の様相は刻々と変化していた。

 

『敵はビーストマンと思しき姿!総数500!そのうち一部がこちらを目指して進行中!数は・・・・・・約50!そんな数でアントゥールダウンを攻めた事を後悔しやがれ!』

『あ…あの、皆さん、だ…第一射いきます。《ターゲティング/目標狙撃》』

城壁の上からは状況報告のむさ苦しい怒号と、かき消えそうな少女の声が聞こえる。

 

弦を引き絞る音の僅か後、矢は弾ける様に燦然と煌く夜空目掛けて飛び出した。

 

月夜が照らすだけの淡い光源の中で放たれた矢は、弓兵を指揮するホワイト・リラの狙撃用特殊技術(スキル)によって目標を寸分違わず狙い撃つ。

 

しかし、ただの人間が放つ弓矢など、強靭な肉体を持つビーストマンの分厚い筋肉を貫く事は出来ないだろう。

 

それは人間と言う種族が滅びゆく戦いの中で、覆る事のない事実。

 

無論、城を目指して疾走するビーストマン達も、弾かれた弦の音を耳にした所で、今まで通り気にも止めなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「対弓防御!テメーら足緩めんじゃねーぞ!」

部隊長を先頭にレオパルド隊50名は、隊の中心を前衛、両翼を後衛に下げた偃月の陣で突撃する。

目的地の砦まで数百メートルはあるが、彼らの身体能力を持ってすれば、その距離はすぐに詰めることが出来るだろう。面倒なことは早く終わらせたいという気持ちが自然と足を速くさせる。

 

歴戦の戦士たちは僅かに聞こえた矢が迫りくる風切り音を耳にし、陣形の前衛に居る者は片腕を顔の前に出したまま速度を落とさず走り続けた。

ビーストマンとて幾ら貧弱な人間の弓矢だろうと、目だけは護らねば戦いに支障が出る。

 

これから始まるいつも通りの狩りを、いつも通りの弓矢対策をしながら突撃する戦士たちだが、そこにいつもと違うことが起きた。

「グガッ・・」

全力で走り続ける集団の中でどこから発した声かわからない。

一瞬だけ出されたくぐもった声の直後に、水分を多めに含んだ泥を詰めた麻袋が地に落ちるような音が聞こえた。

 

音のした方向を見たレオパルドの視界には、眼窩を貫く矢が頚椎から上を奪い去って大地に突き刺さり、そこから数歩だけ進んだ先に、赤黒い水が溢れる噴水となって仰向けで倒れこむ途中の部下の胴体。

「――なッ」

 

”何が起きた”その言葉が口から出る前に、その惨劇は始まった。

僅かに遅れて到達した数十本の矢が、理解する間もなくビーストマンの戦士50名に襲いかかる。

命を刈り取る雨が降った。

 

 

まさに阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっている。

顔から僅かにそれた矢に耳を引きちぎられて、その場にうずくまる者。

顔を護るための腕を貫いた矢が、顔面まで突き刺さり悶絶してのた打ち回る者。

首に突き刺さった矢を押さえて、口元から不快な水音が聞こえる者。

胸部に刺さった矢が、肋骨の隙間から心臓に到達し絶命した者などは、苦しまない分まだ恵まれている。

 

第一射の攻撃により6名が命を奪われ、11名が戦線復帰が出来ない程の重症を負った。

 

突然の壊滅的打撃を受け、瀕死の傷を負ったものを助けようと部隊はその場で立ち止まる。

「レオパルド!止まれば狙い撃ちだ!」

迫りくる矢を両手に握る二刀弾いて無傷ではあるが、大槌を受け止めたような痺れが残る腕は力なく垂れ下がり、呆然として惨状を眺めていた。

ビーストマンの種族でも上から数えたほうが早い実力者であるレオパルドは、戦意を一瞬で奪い去られている。

茫然自失な彼を叱責し部隊後方から追いついた戦士長リオンは、一気に部隊前方まで駆け抜けると、背に携えた大剣の柄を利き腕で握り締める。

「ヌゥッ!」

疾走してきた速度を乗せた剣筋は、地面に叩き付けるように振り下ろし、乾燥した荒野の土を大きく抉りとった。

爆発音に似た地響きの後、赤茶けた土煙が舞い上がり周囲一体を覆い隠す。

 

「ボス・・・・・・どうしやすか」

憔悴しきった表情を浮かべたレオパルドはすぐさまリオンに近づき、指示を仰いで周囲を見渡した。

「あっしの隊も動けるのは7割、戦えるのは半分くらいってところです」

「腕の立つ戦士を5名見繕え。我らで殿を務めて、部隊撤退の時間を稼ぐ」

地面に突き刺さった大剣を抜き、軽々と振り回して剣に付着した土を落とし、リオンは土煙の奥に佇んでいる砦を睨みつける。

 

「人間に背を向けるんで?」

「その人間相手に過信した結果がこれだ」

自ら言外に負け戦であることを認め、部下へ辛辣に告げた敗因は、戦士長とて予想だにしないものであり、だからこそ自身が殿となり傷ついた者を護る行動を選んだ。

「すまねぇ・・・・・・」

下唇をかみ締め、俯いて悔しそうな表情を見せたレオパルドは、踵を返して自らの部隊に撤退の指示を出す。

負傷者を担いで撤退の準備を始めた部隊内を巡回し、傷が深いものには自ら肩を貸し、部隊の長として二言三言の言葉をかわした。

そして部隊内でも実力がある無傷な者達の何人かに声をかけ、リオンの元に引き連れて戻った。

 

周囲を覆う土煙は薄っすら視界を鮮明にしてその役目を終えようとする。

剣や鉈、レオパルドと同じ二刀の武器を構える戦士5名はリオンとレオパルドの左右に展開した。

 

「いいか、矢を弾き返すことだけに集中しろ」

姿が視認された事で再び砦から放たれた矢を確認して、リオンは共に殿(しんがり)を務める戦士たちに指示を出す。

そして大剣の柄を両手で握り、半身を翻して顔の横で地面と水平に構えた。剣先は砦を捉え、視線は夜空に飲み込まれた矢を追う。

鈍く反射する鏃が見え、先ほどと同様に矢の雨より一寸だけ先に到達した1本目。瞳の中に映る凶弾が大きさを変えて死期を知らせる時、リオンはそれを身体を反らして避けながら、矢の()を叩きつける様に一閃で叩き折った。

「ハハッ!これは痺れるなぁ!」

牙をむき出しにしながら興奮気味に笑い、次に襲い掛かってきた矢を逆袈裟斬りで弾き、身体を一回転させてから横薙ぎ一閃で同時に数本の矢を弾き飛ばす。

1本でも多く防ぎ、1秒でも長く立ち塞がることが、傷ついた仲間の、部下の窮地を救うことが出来る。

左右からも雄叫びと襲い掛かる矢を叩き折った生存を告げる音が聞こえ、戦士たちの奮闘を耳にしながら、ビーストマンの戦士長は降り止まない矢の雨の中で演舞を魅せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

鋸壁(のこかべ)の上に二人の影。一人はしゃがみながら遠くを眺めるように目の上に八本指の手のひらをかざし、もう一人は胸部で2本、背中4本ので腕を組んで直立不動で戦場を眺める。

「殿を残して撤退中!」

「潰スベキカ?」

「まぁ落ち着け佐助。追撃の指示は出てないし、奴らも馬鹿じゃなさそうだ」

ホワイト・リラの弓兵隊による2射目で撤退を始める敵を見て、石川五百衛門はつまらなそうに報告の声を上げた。

砦に近づくことさえ許されないほどに弱いが、激情せずに的確な判断で撤退を選ぶ辺り統率の取れた部隊なのだろう。そう判断した彼は自らの主に同時に生み出された片割れを抑える。

 

「あ、二人死んだ」

「殺スベキカ?」

「わかったわかった。殿に聞いてやる」

佐助の問いに対して、石川五百衛門はゆっくりと立ち上がって伸びをした後、背後の中央広場に向かって軽く跳躍した。

小さな砦とは言え、見張り台のある塔の上は六階建てに相当するが、城壁でさえ三階建ての高さだろう。

その城壁から背を見せて飛び降りた姿は、水泳の飛び込み台から落ちる選手のように身体を回転させ、それでも羽毛が地面に舞い散るように音もなく着地する。

それは《フライ/飛行》を使用した魔法の働きによるものではなく、単純に盗賊の身軽な身のこなしによる技術だ。

しなやかに膝を曲げるだけで衝撃を分散させた石川五百衛門は、目の前で驚いた顔を見せる自らの主に膝を折って頭を垂れる。

 

「殿、発言をお許し頂きたい」

「うへぇ?・・・・・・・・あ・・・・・・俺?」

尻尾を踏まれた犬のように間抜けな声を出したのは、芋豊T・ヒデヨシ。個性豊かな周囲の仲間たち、城主シュトルフ・ラズナーの顔をそれぞれを順番に眺めた後、目の前の存在は自身がロールプレイの一環として嬉々として創り上げたNPCであると気がつく。

「五百衛門、主達に対して不敬であろう」

突然の登場に叱咤の言葉を発するシュトルフだが、それを芋豊T・ヒデヨシは茶色の鎧を揺らして金属音を鳴らし、篭手を装備した片手を上げて制した。

「あぁ、いいんだシュトルフ。どうかしたか?」

子を見守る親の視線に気がついた盗賊は、再び深く頭を下げた。自らの君主はなんと慈悲深いのだろう。そんな感情が僅かに潤んだ瞳の中に見て取れる。

幾らシュトルフがアントゥールダウンの防衛責任者であろうとも、創造主たる6名の言葉を無碍に出来る地位にはいない。

 

「敵は壊滅、殿(しんがり)を残し撤退中に御座います。佐助と共に追撃の許可を頂戴したく参った次第。どうか我らにも活躍の機会を・・・・・・」

「えー・・・・・・あーそういうことか。どうしましょうスルシャーナさん」

忠臣から提言された言葉を受け、優柔不断に目を泳がしながらギルド長に助けを求める。

勿論ユグドラシルではロールプレイをしていたとは言え元来一般人である男には身が重い案件であり、第一砦の外で何が起きているのかもわからない状況でおいそれと決断できないことは仕方ないだろう。

 

「とりあえず、俺たちが今何に巻き込まれて、今何が起きているのかを確認するのが最優先だろう。実際に城壁の向こうで何が起きているのかを確認してから決めようと思う」

まさにそれは本心である。

唐突に異常事態が起きたと思ったら、NPC達が動き出し、理解するまもなく勝手に戦闘を開始していた。

そしてその戦闘相手も何者かすら確認出来ていないのだ。

スルシャーナは普段は使わない頭で全力で思考を巡らせながら、普段は余り昇ることがない城壁への階段に向かう。

階段を上りきった先では一定の間隔で弦の音を奏でる弓兵たちの演奏会場が待っているだろう。城壁の向こう側はどうなっているのか、どんな世界が広がっているのか。

僅かでも現状の手がかりになることを期待して、城壁に続く階段を上りきった6名のユグドラシルプレイヤーは、その時から新たなる世界と係わりを持つことになった。

 

 



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1章 最後の日と始まりの日5

赤茶けた荒野は、人目を避ける妖精達が年に1度の輪舞曲を踊る舞踏会場の様に。

青白く照らす月光は、生前を憂う死霊達が鎮魂歌を唄うオペラ劇場のスポットライト。

 

外を歩く為に人工心肺が必要な汚染された空気と、空気中を漂う粒子に長期的に曝される事による失明防止のフルフェイスマスク

"曇らないクリアな視界と人工心肺の負担軽減"をキャッチフレーズに、最大手の防塵・防毒マスクメーカーが販売する売上第一位のマスク越しでも、現実世界では決して見ることが出来ない景色。

 

青々と茂った木々、川底を見る事が出来る渓流の様な大自然を見た訳ではない。

どこまでも広がる視界の先まで赤茶けた荒野が広がるだけだが、それでも彼らは思わずにはいられなかった。

 

『本物の景色とは、何と美しいのだろう』

 

スルシャーナは澄んだ空気と光害の無い夜空という存在を始めて知った日の事を思い出す。

義務教育が撤廃された中で通わせて貰った小学校の頃、歴史の授業だったか理科の授業だったか。

教科書に載っている昔の夜空を見て、そんな時代もあったのかと達観的に捉えていた事だけは覚えていた。

 

それから20年は過ぎた今、目の前に広がる光景はあの当時よりも彼の心をくすぐる世界。

ほとんど手の加えられていない荒削りな大地には、どんな生き物が息づいているのだろう。

 

感傷に浸っていたスルシャーナだったが、城壁の上にいた下僕達が伏していることに気が付き、慌てて口を開く。

「すまない、楽にしてくれ」

僅かに顔を上げ、次の言葉を待つ彼らに、スルシャーナと仲間達は狼狽していたが、アーラ・アラフは代わりに一歩前に出た。

「私達は今の状況を直接確認してする為にこの場所に来た。この場の責任者はリラで良いのかね?」

決して飾ってはいないのだが、それでいて上に立つ者の態度を持ってアーラ・アラフは尋ねる。

自然とそんな態度が取れる辺り、定年間近まで勤めた会社では、それなりの地位に居るのかもしれない。

 

「は…はい。あの…わたしでお答え出来る事なら…」

伏し目がちにどこか自信無さげな表情のリラは、アーラ・アラフの問いに答えて立ち上がった。

小さな手で弦楽器に似た弓を持ち、指で軽く摘む程度に片手でワンピースの裾を握っている。

まるでこれから叱られる様な様相を見せる幼子に、孫を持ち高齢者に片足を突っ込んたアーラ・アラフは無性に罪悪感に駆られた。

 

「おー大丈夫、大丈夫。おじいちゃんは怒ってないよー」

咄嗟と言うよりも自然に出た小さな子供をあやす様は、ユグドラシルでは一度も見たことがない言動だが、ゲーム時代に設定した聖職者の姿に違和感を感じさせないもの。

先程まで響かせていた弦の音はなく、静かな城壁の上でアーラ・アラフは弓兵隊を指揮していたリラの、絹とも思える肌触りであろう黒髪を愛玩動物の様に撫でようと手を伸ばす。

祖父と孫と言えば違和感はない姿だが、そんな感傷的な場面に浸る事を許さない存在がいた。

 

「ちょっと爺様。あたしより先にこの子の髪に触れようとはいい度胸じゃない?」

いつの間にかという表現が正しいのだろう。

袴姿の変質者は、リラの後ろから両腕で抱きついて、その赤みを帯びた柔肌の頬に頬ずりしている。

当の幼女はくすぐったそうに目を細め、しかしその行為に何の疑問も抱いてる様子はない。

 

「舞矢……まったく君はどんな状況でもその名(レディー)に相応しい振る舞いを見せてくれる」

眼鏡を外しながら目尻を抑えるアーラ・アラフは皮肉を込めて告げる。

もちろん長い付き合いの中でレディ・ロッテン舞矢の性格を知っており、この程度の皮肉では彼女が傷付く事がないのも理解していた。

状況や場面を考えない彼女の行動は褒められたものではないが、だからこそ仲間達はいつも通りの彼女の言動に少しだけ気が楽になる。

 

「結局のところ、ここはどこで、何が起きたんだかわからないな」

城壁の上に来たことで、周囲の状況を掴めたスルシャーナは、ギルド拠点がが元来あった場所とはかけ離れた位置にあると理解した。

ただし、理解したのはそれだけで、他のあらゆる理解不能な状況を解決するにはいたらない。

遠方に僅かに確認出来るのは、複数の死体と思しき物体と、未だに立っている様に見える物体。

 

「遠すぎて見えないですね」

芋豊T・ヒデヨシは遠くを見る様に目を細めているが、戦場後がどうなっているのかを把握するには至っていない。

「生存者は一人……いや、一応二人おります。処置は如何致しますか?」

五右衛門は野伏としての視力を以って、その問いに答えた。

細長い骨の指で顎骨を撫で、黙して考えていたスルシャーナは唐突にその手を広げ、前方に伸ばす。

「行動してから考えよう。―――《ゲート/異界門》」

ユグドラシルで使用可能な転移魔法の中で、最上位の魔法。

それを発動させるのに、一切の迷いは無かった。

どうやれば魔法が発動するのか、自らのMP量と使える魔法の種類はどれくらいあるのか、どの魔法を使えばMPをどのくらい消費するのか。

まるで初めからそうであったかの様に、何の問題もなく発動した魔法を見ても、スルシャーナに感情の変化は無かった。

楕円の下半分を切り取った闇が現れ、城壁から覗む視界一杯どこまでも広がる荒野と、拡大鏡越しに感じる目の前に存在する地表が脳に錯覚をもたらす。

 

一泊置いて周囲の反応は蜂の巣を突付いた状態へと変化した。

「お待ちくださいスルシャーナ様!御身自ら動かずとも――」

慌てふためくシュトルフの言葉を最後まで聞くことなく、スルシャーナは大地の感触を踏みしめる様に一歩踏み出した。

 

僅かに体重をかけると柔らかな地面が沈み、先程までは聞こえない悲しげな虫の音が小さいながらも耳に届く。

命を散らした獣人達が死屍累々と周囲の大地をさらに赤く染め上げ、彼らにもたらされた惨劇を物語る。

その中で動く影は2つ。

大地に身を委ねてはいるが、一定の感覚で胸部が動く為に、辛うじて生きている事はわかる。

数える気が起きない程、その斑模様の身には矢が突き刺さっていた。

 

そしてもう1体、この場でスルシャーナを除いて唯一二の足で踏みとどまる存在。

鬣を血に滴らせ、身体中至る所から出血をしているが、致命的と言える傷はない。

肩で粗い息をしながら、目の前に現れた脅威に対してなお鋭い眼光で威嚇するビーストマン。

粗雑な造りの大剣を構える腕が小刻みに震えるのは、果たして酷使した肉体の疲労からくるのだろうか。

それとも死を間近に感じた一方的な攻撃が止んだ後、突然目の前の闇より零れ落ちる様に這い出た存在に対する恐怖だろうか。

 

「――――」

獣が言葉を発した。

正確に表現するなら言葉を発している様に吠えた。

 

「何か言いたいのか、たた吠えてるだけなのか。相手は人間じゃないし、理解出来るわけもないか」

その様子を観察し、スルシャーナは目の前の生き物を意思疎通が出来る種族では無いと判断する。

「…何もわかって無い中での独断専行は褒められたものじゃないですよ」

背後からかけられた言葉には諦めの口調が含まれており、闇の隙間から這い出たナポリたんはやれやれとでも言いたげな態度でスルシャーナの横にお目付け役として並ぶ。

「何があっても大丈夫だから、自ら強行偵察が出来るってもんじゃないの」

 

その言葉を裏付けするのは、ユグドラシル時代からスルシャーナがギルドの最大戦力であり、人数制限がある職業(クラス)を保持している事が証明している。

「あそこのビーストマンがワールドエネミー級だったら……まぁありえないですけど」

自動POPのモンスターにすら手こずる存在など、ワールドエネミーであるはずもない。

一切警戒する様子もなく、満身創痍のビーストマンを前の談笑する二人は、傍から見るとどう見えるのだろうか。

闇と混沌をもたらす死を体現する様な偉業な存在と、動きの妨げにならない適度に身軽な鎧を着て、紅い套をなびかせる、物語から出てきた様な人間の男。

その二人が今しがたまで、ビーストマンの戦士達を一方的の虐殺していた場で肩を合わせて会話をしている。

希望も絶望も何もない、圧倒的で理不尽で不条理な世界のパワーバランス。

 

「さてどうするか。そこで死に掛けてるのと、威嚇してくる2体しか生き残ってないけど。・・・ナポリ君良い案ある?」

「意思疎通が出来る種族ではなさそうですし、捕まえても意味がなさそうな・・・。ビーストテイマーの職業(スキル)でもあれば別ですけど」

冷静に会話を進める二人を前に、唯一動けるビーストマンは剣を構えつつ、自身の背で瀕死の仲間を庇えるようような位置にゆっくりと移動した。

その動きは勿論彼らの視界には入っているが、一切気にかける様子はない

 

「瀕死な方を助けて、捕らえておくってのはどうだろう。あいつが仲間を呼びに本隊と合流してくれれば、後をつけて俺達の拠点を目撃した奴らを一網打尽でPK・・・じゃなくて始末できる。」

「ついでにどこかで人間が見つかれば、情報を聞けるんですけどね。ただこの世界でのレベル基準がどの程度なのか、まだはっきりとはしてないので、無茶なことをするのも考えものですけど・・・」

普段の飄々とした態度とは違い、ナポリたんはいつになく慎重な考えを吐露する。

彼の意見はもっともなことであり、仮に今の状態で同格以上の存在と戦闘をして死んだ場合、復活できる保障はないのだ。

 

「この異常事態から現実に戻るのが最優先だと考えると、無茶でも何でもやってみるしかないんじゃないかな」

その心情をを見据えてか、スルシャーナは最優先事項を明確にした上で再度選ぶべき道を示す。

何もせずアントゥールダウンで引きこもっていたところで、結局は事態は解決しないだろうし、遅いか早いかの違いで動かないといけないことになるだろう。

 

ナポリたんは説得を諦めて肩をすくめながら首を横に振ると、片手で軽く頭を掻きむしった。

「あー、まったくこの人は・・・。まぁ、この良くわからない状況で何をするにしても――」

 

そこで言葉を止め、視線の端での動きに反応して腰の長剣に手を伸ばす。

親指ほどの赤い金剛石が彩る柄を握ると、鞘と柄が別れの挨拶を告げるように僅かに金属の摩擦音を鳴らした。

 

「――僕らはあなたについていくだけですよ」

抜刀状態から振りぬいた刀身はフランベルジュのように炎を纏い、その美しい剣と比べると目の前に迫る大剣など無骨な鉄の塊と表現してもいいだろう。

突然の出来事にも関わらず表情を崩さないナポリたんは、身の丈程の大剣を目の前で火花を散らしながら、刀身に沿って滑らせるように衝撃を横に受け流した。

 

「このケダモノは、実力差もわからないのか!」

決して細くはないが、ビーストマンに比べたら骨と皮しかないに等しい人間。それであれば近接で倒せると思ったのか、それとも別の理由があったのか。

背に受けた月光の影に覆い隠せる程の体格差がある人間ですら、全力の不意打ちを受け流す力を持っていると知った獣人の瞳は何を思う。

 

「これで大人しくしてくれよ!《インサーサリィ・ダンシング・ケルビム/絶え間なく踊る智天使》」

ナポリたんは特殊技術を発動させると、刀身に纏う炎が使い手の意思により触手の様に無数に伸びて、受け流した大剣を攻撃対象として突き刺した。

近接武器として質の差は歴然で、攻撃に耐え切れず穴を空けながら形を変える無骨な鉄の大剣は、焼きたてのトーストに乗せたバターを思わせる。

一方的な攻撃は、大剣が無残にも柄の部分のみになるまで続いた。

 

神器級武器、世界樹を守護する回炎剣。

ナポリたんの主要武装であり、軽戦士の武器としても上位の性能を持っている。

モンスターがドロップするクリスタルの中でも最上位の物を複数個使用し、長剣1本分の超希少金属と共に作り上げた一品。

その至高の宝剣で武器だけを狙うという圧倒的実力差を見せ付けられたビーストマンは、先ほどまで膨れ上がっていた闘志を失っており、力なくその場に座り込んだ。

 

「やりすぎじゃないか?これ仲間を呼ぶ気力もなくなってるだろ」

「・・・いやぁ、身の程知らずな行動についカッとなりまして。とりあえず、あっちの奴は人質にする前に死んでも困るので回復させますよ。《ライト・ヒーリング/軽傷治癒》」

照れくさそうに笑いを浮かべるナポリタンを上から下まで見返した後、スルシャーナは先ほどまでの慎重な男との違いを探そうとする。

全身に矢が突き刺さりハリネズミ状態の中で、ギリギリ生きているのが不思議なビーストマンに手を伸ばして治癒魔法をかける表情は、先ほどまでと違い不安が感じられない。

 

「色々と吹っ切れたみたいだな」

「スルシャーナさんが初めから吹っ切れすぎなんですよ。こんな状態に陥ったら普通の人は怖いもんです。」

鋭い返しに少しだけ反応して、胸に刺さった小さな棘がその存在を主張した。

骨の手を何度か閉じて開く。スルシャーナにとって、初めからそうであったかのようにこの身体に違和感はなく、異変が起きたこの状況でも恐怖や絶望、はたまた3大欲求を感じていない。

治癒魔法をかけながら、無造作にビーストマンから矢を抜いている目の前の男は、現実と同じ人間の身体を持っている。

ナポリタンだけではない。スルシャーナ以外のメンバーは全て人間種である。

彼らが死の恐怖を持っているのは当たり前で、消極的な行動しか出来ないのもようやくスルシャーナは理解できた。

 

「《スリープ/睡眠》。・・・さて、こいつを人質にして戻るって事でいいんですよね」

治癒が終わったのか、慌てて起き上がったビーストマンに状態異常魔法をかけて眠らせたナポリたんは、再度確認するように尋ねる。

眠ったビーストマンの片腕を掴んで脇の間に頭をくぐらせると、軽く見ても1.5倍はある体格差を微塵も感じさせることなく軽々と持ち上げた。

その問いに頷いて返したスルシャーナは、仲間を連れ去るのに、僅かな抵抗を見せようとしたもう一体のビーストマンに向けて手を上げて静止させ、《ゲート/転移門》を発動する。

「まぁ、何言ってるかわからないだろうけど、望み通り動いてくれたらこいつは返してあげるよ。後は精々頑張って仲間の下に逃げてくれ」

「まさに魔王の所業。攻め込んできた敵に容赦ないですね」

「そうそう正当防衛だって。戻ったらうちのNPC達にも無闇に戦うなって言っておかないと」

再び現れた転移門に足を踏み出したスルシャーナとナポリたんは、他愛のない会話をしながらアントゥールダウンへと繋がる闇の中に消えていった。

 

彼らはまだ知らなかった。

この世界では魔法を使えるものは竜族の他には、ごく僅かしか居ないこと。

そんな魔法の発展状況で、魔法を使えるモンスターは存在しないこと。

つまりスルシャーナの姿、死者の大魔法使い《エルダーリッチ》はこの世界にはまだ存在しない、未知の異形である事を知るのは、もうしばらく先のことになる。

 

 



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1章 最後の日と始まりの日6

闇の世界に続く扉が再び城壁に顕現したとき、彼らの思考は働くことを放棄する。

つい先ほど、彼らのギルド長が独断専行で動いたことに、仕方がないと諦めたことも、ユグドラシルがゲーム時代から慣れ親しんだものだった。

仲間の一人がお目付け役で同行したことも、まぁ現状の状況を鑑みれば珍しくもないことだ。

 

だがそんな彼らが戻ってきた時はどうだろう。

まるでちょっとしたハイキングから帰ってきたかのように、何も問題はなかったと言わんばかりの態度を見せる彼らのギルド長。

普段は飄々とした態度のお目付け役が、いつにない真剣な表情でそれを背負ってその場に運んできた。

 

「ただいまー」

周囲の氷結した表情を気にすることなく、あっけらかんと言ってのけるスルシャーナの図太い神経はほとほと理解は難しい。

「おいナポリたん・・・そこに直れ」

現実でも聞きなれた声に、担いでいた大きな毛玉を放り投げ、餌を知らせる鈴を耳にした犬のように条件反射でその場に正座をするナポリたん。

見知らぬ世界と関わるべく固めていたはずの男の決意は、冷酷な表情と声を聞いてあっさりと打ち砕かれた。

 

大企業に支配されたと考えても差し支えない現実世界では、持つものと持たざるものがはっきりと分けられるようになってから久しい。

21世紀前半頃では男女雇用機会均等法なる法律や、女性の立場向上といった流れが世間に浸透しつつあったという。

22世紀も中盤に差し掛かり、義務教育の撤廃で労働者の思考能力を奪い去った世界にとっては、意味を持たない労働基準法外でどれだけ時間的拘束をしても壊れにくく、人生の大半を労働に費やしても世間からの反論がないという点で、男性の労働者人口が90%を占めている状況である。

上流階級として持つものの立場として生まれた男性は、政府すらも牛耳る企業での管理職になるべく育てられ、女性は学業や教養を得ることで、より優秀な上流階級の家と繋がるべく育てられる。

そんな上流階級の女性が自身を高めるために必要な施設では、上流階級以下の持たざる立場で生まれた女性達が働く受け皿となっており、その職場環境に男性は求められていない。

死に絶えた惑星の人類、そんな腐敗しきった社会構造を形成する国としては珍しく希少な女性の中間管理職。

そんな生活を送るだけの能力があったからこそ、レディー・ロッテン舞矢の精神構造は”サービス終了後に現実の常識が一切通じない世界”に飛ばされても壊れるほどやわじゃなかった。

 

「ギルマスはまだしも、お目付け役で行ったお前も一緒になって突拍子もないことをしてどうする。馬鹿なのか?その獣臭い物を連れ帰って来た理由はなんだ?」

普段の疲れきった声とは違う、上司が部下を叱責する為に声を張り上げることを是とした声。

「あー、それは俺の提案で・・・」

「ギルマスには聞いてない。慌てなくても次の番はギルマスだから待ってなさい」

「あ、はい」

仲間やNPC達の前で本気目のトーンで怒られて、口出しを許されなかったスルシャーナは、借りてきた猫のように大人しくなる。

「舞矢さんかっこいい・・・」

零したように呟いて、鬼気迫る様相で大の大人を叱り付ける同性の姿を眺めるエンクの目には、どことなく憧れの感情が含まれている。

城壁より遠方を眺めるアーラ・アラフと芋豊T・ヒデヨシは何やらシュトルフや他のNPCと今後のことについて話していた。

風と虫の音が耳に入るほどには静けさを取り戻した荒野で、この地に不釣合いな城壁だけが喧噪を保っている。

そして、それは地平線の果てから白き来光を確認するまで 続いたという。

 

 

 

「さて、これまでの話し合いの中でわかったことをまとめよう」

疲れが浮かぶ表情の仲間を前に、スルシャーナは朝陽を背にして議論を終わらせる。

「ユグドラシルの時間を信じるなら今はAM5:30を過ぎた頃だ」

違和感がない程度に慣れた視界の端に表示される時間は、まだ早朝と言える時間を示していた。

少し早めに出勤する際の時間なので、別段早いとは感じないのだが、このご時勢で大学生という身分のエンクにとっては慣れない時間なのだろう。

 

眠そうな目を擦りながら、一切頭に入らない言葉に対して相槌を打っている姿を見て、スルシャーナは咎めることなく言葉を続けた。

「どうにも俺には疲労と眠気がない。ゲームの続きなのだからと思ったけど、みんなを見るとそうとも思えない。そうなるとこれは恐らくアンデッドの種族特性によるものだと考えられる。」

「食欲はどうですかな?そろそろ朝食を摂ってもいい時間でしょう」

アーラ・アラフの疑問に対し、スルシャーナは首を横に振って否定する。

「空腹でもなければ食欲もない。正直この身体なら24時間働ける気がするよ」

「ですが、僕らは疲れも空腹も眠気も感じます。スルシャーナさんと言うとおり、恐らく違いはアンデッドか否かだということでしょう」

スルシャーナの案に同意するように答えたナポリたんの右目の周りは、薄っすらと赤黒く内出血していた。

ユグドラシルがゲームであった頃のダメージエフェクトでは、擦り傷や痣といった表面上の変化はなかったが、舞矢からの鉄拳制裁を受けて情けなくも中国大陸で絶滅した白黒の動物のよな顔になっている。

 

「こうしてリラが寝ているし、他のNPCも同様に疲労や空腹を感じるんじゃないの」

階段に腰掛けていた舞矢がナポリたんの言葉に付け足すように口を開くと、聖母の眼差しで、自身の膝に頭を乗せて寝ているホワイト・リラの頭を撫でた。

「そうだなー。とりあえず、皆も疲れてそうだしNPCにも今から休養を取らせようと思う」

「我らに寛大なお心遣い痛み入ります」

各NPCを代表してにシュトルフが一礼するが、この場には彼とリラ以外のNPC達おらず、アントゥールダウン内での各持ち場に戻っている。

リラは舞矢が手を離さなかったので、膝の上が定位置ということになったが・・・。

 

「さて、つまるところ俺たちの予定だが・・・まず1つ、当面の目標は言葉が通じる人間を探して、この世界の情報を得ること。何をするにも情報が足りなさ過ぎる状況に立たされている中で、これは最重要な目標になる。次に、生活圏の確保。これは情報提供をしてくれる人間との相談になる。ここに居てもいいが、何かあった場合の逃げ場がないから、ギルド拠点を知られないようにしたい。最後に、これらを同時遂行しつつ、現実世界に戻る手立てを探す。死に行く惑星だけど残してきたものがある以上、帰りたい。他に何か意見のある人は?」

長々と語ってみたが、簡単に言ってしまえば、来るべき日までこの世界で生き残ること最優先に考える、ということの他ない。

何しろわからないことが多すぎるのだ。ネットワーク情報が発達した世界において、普通に生活をしていた彼らには、検索して調べることが出来ない世界での生活など未知数だろう。

 

「付け加えるなら、なるべく周囲と敵対しない事を選ぶべきだろう」

「それについては、『なるべく』だな。ここを危険に晒す可能性は排除しないと」

暗に先ほどの獣人共をどうするのか言ってのけたスルシャーナは、骨の手で何かを潰すように握って見せる。

魂を求め彷徨う死神の如く。

 

 

 

それから程なくして、盛大に眠りこけたエンクを見て彼らは休息を取ることになった。

或る者は残した家族を想い

或る者はまだ見ぬ新世界に夢を馳せ

或る者は窮屈な日常からの脱却を喜びながら

 

 

 

仲間たちが城内の各所で眠っている状況で、スルシャーナは見張り台になる塔の上で思案に耽っていた。

NPCも交代で休みを取っている場内では、シュトルフ指揮下の元で最低限の警備体制が整えられている。

すっかり日が昇り、周囲がより遠くまで見通せるようになったことで、この世界はどこまでも続く荒野ではない事が理解できた。

青々とした森林が遠方にあり、周囲にはいくつかの山脈が連なっている。

初めはそんな景色に見入っていたスルシャーナだったが、3時間ほど経ち少し飽きてきた頃、塔を上ってくる足音に気がついた。

質素という言葉で言い表せる木製の小さな丸い机の上に、無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴアサック)からいくつかのスクロールを出していたが、作業を中断して来訪者に顔を向ける。

「あぁ、ブラッドロードか」

「スルシャーナ様、ブラッドロード()ではなく、テ・リーヌとお呼びつけ下さい」

一礼して入ってきたのはエンクのNPC(黒歴史)であり、スルシャーナと同様にアンデッドの身を持つ吸血鬼の始祖。

設定上での吸血鬼としての身分は高いが、創造主達に対する敬意は他のNPCと変わらず持ち合わせているようだ。

 

「そうかテ・リーヌ。お前も睡眠を必要としない身体だったか」

そういってから少しだけスルシャーナの心に親近感が沸く。眠ることさえ出来なくなった身体でも、心は未だに残っている。

この先も一人で長い夜を過ごさなければならないと考えていたが、同族がいるということに僅かながら気分が晴れた。

「御身と同様この身は既に永眠しております(ゆえ)。それよりも、今から何かされるのでしょうか?」

テ・リーヌ・ブラッドロードは冗談交じりに答えると、机の上で仕事の書類のように乱雑に置かれたスクロールの束を見る。

上質な羊皮紙や竜の皮(ドラゴンハイド)の紙には魔力系の情報収集魔法が込められており、当該魔法が詠唱可能な職業さえ取得していれば、MP消費なしで魔法を使用できる使い切りのアイテム。

それを出していたということは、何か魔法を使用するのだろうが、それ以外のことはテ・リーヌに理解できなかった。

 

「先程逃がしたビーストマンを探そうと思ってな。時間的にもそろそろ本隊と合流しててもおかしくない頃だろ」

スルシャーナはテ・リーヌの疑問に答えながらも、再び無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴアサック)からスクロールを取り出しては机の上に投げつける。

 

「対抗魔法に対する防御もこんなもんでいいだろ」

「獣共はそこまで用心する相手なのでしょうか?」

消耗品であるスクロールの束を前に、眉をひそめながらも、スルシャーナの用心深い行動に疑問を呈した。

圧倒的な力を以って薙ぎ払った相手に対する事前準備とは思えない慎重な対応だが、スルシャーナは至って当然との声で返答する。

「この世界の情報が少なすぎる中で、探知魔法に対するカウンター能力がわからない相手に、使い捨てとは言え腐るほどあるスクロールで安心が買えれば安いもんだ。何せ戦闘能力以外はこの目で見てないんだし」

そうして無造作にスクロールの束から1本掴み取ると、もう片方の手の平で何度か叩いてポンと軽快な音を鳴らす。

 

「無茶な事もするかもしれないけど、流石に最低限度の確認くらいは怠らないって」

楽しげな声色で顎の骨を開口させて細かく震わせる姿は、どこか呪いの類を思わせ、テ・リーヌですら僅かに畏怖を覚える。

恐らく笑っているのだろうが、表情がない頭骨からはその真偽を確認出来なかった。

 

「やはり我らを統べる御方。強大な力を有していながらも、決して油断をなされない心がけ、感服致します。」

胸に手を当てて頭を垂れ、優雅に片膝を地につける様は貴族を思わせるが、その実態はルーマニアの串刺し公に近いだろう。

エンクがベッドの上で枕を抱えて悶絶したくなる見た目を除けば、テ・リーヌには貴族社会の教養があると言えるのかもしれない。

「ユグドラシルのテンプレ通りにやってるだけさ…」

小さく呟いた言葉に、わからないと言った具合で首を少しだけ傾けたテ・リーヌを見て、スルシャーナは一言"何でもない"と返答した。

 

「さて、捜し人はどこにいるかな」

豪華な夕食を前にした子供を彷彿とさせる、どこか楽しげに様子でスクロールを発動させる。

 

「<偽りの情報(フェイクカバー)>、<探知対策(カウンター・ディテクト)>、<偽の映像(フォールス・ヴィジョン)>、<所くらまし(ディスプレイスメント)

。………っと、まぁこんなものか」

続け様に複数のスクロールを使用すると、手の平の上で開いた消耗品は淡い炎に包まれて燃える様に消える。

封じ込められた魔法が開放され、探知魔法に対する対抗魔法に更に対抗する為の無数の防御魔法を纏い、ついに竜の皮(ドラゴンハイド)で作られた最後のスクロール<位置同定(ディサーン・ロケーション)>を発動させた。

 

 

 



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1章 最後の日と始まりの日7

 

「なんとしても救わねば・・・・・・」

濃厚で濃密で凝縮された命を略奪される感触が体中に纏わりついて離れない。

圧倒的強者なんて生易しい表現では言い表すことの出来ない、この世を創造した神に近い必然の力。

先ほど行われた戦闘とすら呼べない出来事は、蟻を潰すよりも簡単にビーストマン戦士長という力の象徴を打ち砕いた。

既に得物として何の役にも立たない愛刀を大事そうに握ったまま、両手を大きく振って疾走する速度は、彼の人生で最も早く走っているだろう。

鉛の鉄球を鎖で繋いでいる奇妙な感覚が足に残り、何度も転倒しそうになっているが、仲間の下に辿り着くまでは止まることは出来ない。

無力な自身の目の前で堂々と連れ去られた部下を救う手立てを考えるも、思いつく全ての案を試そうとも切り伏せられる様相が目に浮かぶ。

 

急がせたとはいえ部隊を率いて行軍している仲間との合流に予想よりも時間が掛かっていることに焦りを感じた。

しかし、自らが課した指示を忠実に護っている辺り指揮代行を任せた副官はやはり優秀なのだろう。

全力で駆け抜ける森林の中で眼前に広がる青々と茂った草木の奥に、自身が率いていた部隊の最後尾が確認できた時、彼はようやくその足を緩めた。

 

「戦士長!」

最後尾に居た戦士が気がついて声を上げると、その存在は部隊全体に周知されることになる。

「すまない、今戻った。急ぎ副官のクーガーを呼んできてくれ」

”傷の手当を”といいかけた戦士を押しとどめて、部隊の指揮代行を任せた副官を呼ぶよう矢継ぎ早に答えた。

ビーストマンの部族で最も強い者がその地位を得られる戦士長。その英雄ともいえる領域にいるリオンの力を以ってして、満身創痍の相手とはどのような存在なのか。

後方部隊から波のように動揺が広がりを見せる中で、中央部隊から黒い毛並みの戦士が慌てた様子でリオンの元に駆け出してきた。

 

「ご無事でしたか。撤退してきた者達から話は聞いておりますが・・・・・・他の者は?」

「すまないクーガ、レオパルド以外は死んだ。俺の目の前で、瀕死だったレオパルドを魔法かなにかで治した後、堂々と連れ去られるのを見せつけられたから捕虜になっている可能性が高い」

「癒しの魔法・・・ですか?敵には竜族がいたということですか」

「いや、違う。魔法を使ったのは人間だ。・・・・・・見た目だけしか人間とは思えない存在だったがな」

「人間が魔法を!?」

「不可思議なアンデッドと共に、目の前の空間が裂けて闇の穴から突如這い出てきた存在が、人間と言えるのであろう。何より接近して切りかかった結果がこの様だ」

そういって、リオンは握ったままの柄とほんの僅かに残った刃を見せる。

ひしゃげて食い破られた大剣は、戦闘と言う行為で破壊されたとは思えない圧倒的暴力の被害を受けた武器の亡き骸。

 

「捕虜となったレオパルドを救出する」

やろうと言うのは簡単だが、この世界最強の竜族に素手で挑むかの如く、それが無茶なことは本人も自覚をしている。

「無論仲間を見捨てるつもりは一切ありませんが、そのような人間が待ち構える場所に攻め入っても、同じ轍を踏むことになるのでは?」

「そうじゃ、馬鹿を申すでない」

クーガの返答に対して同調するように答えたのは、でっぷりとした腹部が目立つ権力に溺れる醜い豚猫。

命からがら逃げ出すレオパルド隊の生き残りに連れられた事もあり、多少毛並みが乱れているが怪我をしている様子はない。

「パーシアン元老・・・・・・ご無事で何よりです」

リオンは見たくもないものを見たとでも言う態度ながらも、最低限の礼節はわきまえて身を案じるそぶりを見せた。

パーシアンの小腹を満たすという我侭によって、彼の地で無駄な命を散らせてしまった戦士達のことを考えると、その礼節すら放り投げてしまいたいと。

「部隊長の一人の命なぞ、元老たる儂の安全を第一に考えたら些細な犠牲じゃろう。・・・そもそも貴様らが人間なぞに遅れを取るような弱兵でなければ、こんなことにはならなかったんじゃないのかね?んー?どうなんじゃ?」

「・・・・・・パーシアン元老、ここは戦場であって集落内ではない。もしかすると・・・って話なんだが、あんたが言う、その、何だ? ”弱兵”・・・である我らの守りを突破されて、人間共が身なりの良い権力者に襲い掛かる可能性だってゼロではない」

部族内の権力者と、現場上がりの叩き上げが反目しあうのはどこの世界でも起きる。

 

両者沈黙の中で一触即発の睨み合いが続くが、その膠着を破ったのは前方の集団からの駆けつける一人の伝令だった。

僅かに高ぶった息を整えてクーガーの元に近づくと、リオンとパーシアンの二人を横目で確認しながら伝令としての仕事を全うすべく報告を始める。

「先陣部隊のオセロット部隊長より、『目的地を発見、攻撃開始の指示を待つ』との伝令です」

その報告を受け、いがみ合う両者は互いに顔色を変えた。

目的の人間たちが集団で暮らす場所を見つけた以上、本来の目的とレオパルド救出部隊の手はずをどのように整えるか、リオンは苦難の表情を浮かべる。

変わりに愉快で楽しげだとも言う表情を受かべるのはパーシアン。

リオンの苦悩など馬鹿馬鹿しいと言いたげに首を振りながら、指示を待つ伝令に口を開く。

「さっさと攻撃を開始せよ。よいか、腹の大きな人間の女は絶対に生きたまま捕らえて儂の元につれて来るんじゃ。・・・・・・あの珍味を食べる為に来たようなものじゃからな」

下卑た笑みを浮かべるパーシアンは、これから行われる晩餐会に向けてゴロゴロと喉を鳴らす。小さな猫がやれば愛玩動物に早代わりだが、愛玩されうる要素が欠片もない見た目がそれをやるのだから性質が悪い。

伝令はその指示を受けて、先陣の部隊に戻ろうと踵を返そうとした。

彼にとってその指示に対して疑問を抱く余地すらないし、それが部隊の指揮代行を担っているクーガーよりも権威がある元老からの言葉であれば尚更だろう。

だからこそリオンは伝令の動きを止めようと一瞬手を伸ばすも、思いとどまるように宙を握って押しとどまった。

 

「クーガー、部隊を二分すると言ったら、どのくらいがこちら側に来る」

離れていく伝令を見送った後、唐突に口を開いたリオンに対し、一体何を言っているのかわからないと言う表情でパーシアンはその言葉を投げかけられた部隊の副官とリオンを交互にを見据える。

「貴様・・・何を」

「仲間の救出のためだと戦士長が仰れば全部隊が」

それに対してパーシアンに一瞥もなくあっけらかんと答えた副官の姿に、陸に揚げられた魚の様に口を開閉させて、段々とどす黒い顔色になるのは攻撃を伝令に命じたパーシアン。

ビーストマンと言う部族の権力順位を無視する算段を目の前でされ、怒りに打ち震えるように歩行の補助に使う杖をきつく握り締めた。

「それだとまずいな。今回の目的は牛頭人(ミノタウロス)との共同戦線で人間を狩ることだ。そちらに一切の戦力がないと部族の面目も立たないだろう」

「ふっざけっるな!!」

パーシアンはついに耐え切れなくなって杖を二つ折りにして怒りをあらわにする。

「大丈夫ですよパーシアン元老。こちらに100名は残すから、人間狩はあなたが指揮を執って構わない。いいかクーガー、先陣のオセロット隊とレオパルド隊の生き残りはここで残って貰う。他の部隊には5分後に出発すると伝えろ」

その怒りを意にも返さず早速指示を出すリオンの姿に、赤黒くなった顔をさらに歪め、口から泡を飛ばしながら罵詈雑言を浴びせるパーシアンは、折れて役に立たなくなった杖を投げつけた。

「貴様ッ! 部族に帰れると思うなよ! 成り上がりの戦士風情が・・・・・・この、儂の、顔に、泥を塗りおって! 貴様らも見てないで早く奴を捕らえよ!」

周囲の戦士たちに捕らえろと簡単に言ってみたところで、最も強いものが戦士長となるビーストマンにおいて、無手とはいえ戦士長リオンと、遠征500名の部隊の中で戦士長の次に高い地位にいる副官クーガーに挑む者はいない。

「それではパーシアン元老、我らはこれにて失礼しよう。・・・・・・それとたまにはご自分で食事の用意をされないと、腹を空かせて泣き喚く赤子となんら変わりませんな」

そう言って部隊再編の為に動こうとした瞬間、背筋を得体の知れない何かが走り回るおぞましい不快感。

空を仰ぎ見ることが出来ず、光が零れる程度に鬱蒼と生い茂る森の中で、突き刺さるように天上から一挙手一投足を覗き見るような視線。

首元に鋭利な刃物を撫で付けられるような、心だけを雪原に置き忘れた焦燥感。

 

咄嗟に縮こまるように肩を竦めて周囲を見回したが、何か見受けられるほどの怪しい変化はなく、クーガーに不思議な顔をされながらも”なんでもない”と返答する。

リオンは少しだけ、未だ抜け切らない恐怖を思い出しながらも、急いで捕虜となった仲間の救出をしなければと心を切り替えた。

 

 

 

 

 

「なんとか無事に合流してくれたみたいだ」

手のひらの上で燃え尽きるスクロールは、視覚の効果もあって僅かな温かみを感じる。

幾重の防御魔法と共に目的の情報収集魔法を使用したことで、先ほど逃がしたビーストマンの動向が確認できた。

予想通りではあるが抵抗魔法の類も一切感じられなかったので、防御魔法は無駄になってしまったが、それでも情報収集魔法に無防備で抵抗魔法を使えない可能性があることを知れたのは十分にその消費に見合った情報だと思える。

手のひらに残った灰は、他に遮る建物がない塔の上で吹いた強い風に乗ってどこかに舞って消えた。

「お目当てのものは見つかりましたか?」

「あぁ、どうにも思ってた以上に動きがありそうだ。早速皆が起きたら行動しようと思う」

「畏まりました。シュトルフには私がお伝え致します」

「そっちはよろしく頼むよ」

承ったとばかりに一礼をしたテ・リーヌ・ブラッドロードは、一切の迷いなく塔の柵に足をかけて飛び降りた。

粗雑に腕に巻かれた包帯と漆黒のロングコートを広げて降りる様は、重力で徐々にスピードをあげて落下する。

既に死体となって久しい、戦士職としての丈夫な身体を以って地面に着地すると同時に土煙を大きく舞い上げる。

NPCたちへの連絡はテ・リーヌ・ブラッドロードに任せるとして、少々早いが仲間たちに与えていた休息を早めに切り上げて起こす必要があるだろう。

位置同定(ディサーン・ロケーション)>で確認した位置と、合流した部隊規模を思い出し、部隊が二分され多様に見えたビーストマン達が取るべき行動を予測する。

考えるための脳みそが入っていない空っぽの頭蓋骨を抱えて、脳内で今後の作戦会議を開くスルシャーナの様子は、傍から見たらどう感じるのだろうか。

場合によっては、彼らを殲滅してアントゥールダウンの隠匿を最優先にする事を念頭に置いておく。

 

「圧倒的な力でねじ伏せて、生き返らせてやれば手駒にならないかな。でも言語が通じないことが問題か・・・・・・。何とかして人間を見つけないと」

ぶつぶつと呟いて、頭の中で浮かんでは消えていく考えを廻らせるが、最終的には当初の目的通りの案に落ち着いた。

結局、スルシャーナにも今の状況ではやれることが限られており、とりあえず仲間たちを起こさなくてはと、先ほど目の前で飛び降りたNPC同様に塔の柵から身を乗り出して降りようとする。

ただ、なんとなく無事である確証が得られなかったので、《フライ/飛行》の魔法を発動させてゆっくりと飛び降りてみた。

ふわりと身体が浮き上がる感覚と、地に足が着いていないので踏ん張ることが出来ない不安定な感覚が襲い、慌てるように手を前に出してばたつかせてしまうが、落ちることがないとわかってみると体勢を整えることが出来る。

現実世界では希少な水を大量に使用した、上流階級御用達の施設で泳ぐという行為をした事がないスルシャーナにとって、水中に浮かぶような名状しがたい感覚を味わった。

 

地面が近づくにつれて徐々にコツを掴んでいたので、無様に着地することはなく、周囲のNPC達の視線を感じながら中央広場に降り立つ。

じたばたしていた様子を見られていたかと思うと、精神が安定化している中でもどことなく気恥ずかしさを感じるような気もするが、軽く咳払いをして気持ちを切り替えた。

近くにいる直立不動の兵士シモベに声をかけると、仲間たちの就寝場所を確認する。

声を掛けられたことでより一層の背筋を伸ばした姿勢を見せる兵士からの受け答えを聞きながら、それぞれの就寝場所を頭の中に叩き込む。

女性陣の就寝場所に起こしに行くと色々まずい気がするので、先に問題ない奴から起こしにいこうと考えつつ、スルシャーナは城内の地図を思い出しながら行動を開始した。

 

 

 



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1章 最後の日と始まりの日8

毎週日曜日更新が無理だった成れの果て
独自解釈が加速する


仲間たちの就寝場所を聞いたてから、半刻程経っただろうか。

意外と知らない場所が多い城内に戸惑いを覚えつつ、あちこちに顔を出しては迷いながら、無理やり起こした同性の仲間たちを後ろに引き連れたスルシャーナ。

初老という言葉が当てはまる最年長のアーラ・アラフは起きた後に朝食の準備に向かい、疲労が抜け切らない寝不足のナポリたんと芋豊T・ヒデヨシという若手の男衆が後に続く。

 

目的地までの足取りが重いスルシャーナだが、仲間たちを探し回りながらユグドラシルとの変更点について考察していた。

 

疲労と空腹という状態異常は存在していたが、それはステータスの低下というバッドステータスに含まれ、放置しても死ぬことはない。

そういったバッドステータスを回避する為のアイテムも、もちろん存在しており、維持する指輪(リング・オブ・サステナンス)という飲食と疲労蓄積がなくなるアイテムがあった。

 

しかしこの世界ではどうなのだろうか。

現実世界で空腹や疲労蓄積を放置する事が出来ない様に、この見知らぬ世界でもそれは当たり前の道理となっているに違いない。

スルシャーナのように、既に死して屍となった存在でなければ、生きる為に必要な行為は何も変わらないだろう。

 

そしてもう一つ、ユグドラシルというゲーム的機能が残っていることについて。

 

未だ夢心地の女性陣を直接起こしに行くのは紳士にあるまじき行為だと諭す天使と、睡眠不足の女性を直接起こしに行くのは身の危険だと告げた悪魔が、脳内会議の中で珍しく同意見を出したことで、ユグドラシル時代の便利な機能を試そうとした。

いわゆる伝言(メッセージ)と呼ばれる通話機能を使用して、睡眠中の彼女らを起こす結論に至ったスルシャーナ。

無駄に仲の良い馬鹿な男コンビが『エンクの寝顔を拝み隊』なる物を結成して騒いだりもしたが、それを抑えつつレディ・ロッテン舞矢にモーニングコール代わりの伝言(メッセージ)を使おうとした。

 

その機能が使える事自体は、既に検証しており、今回も同様で脳内に直接響く会話が始まると考えていた矢先、通話が繋がらないという現象に見舞われる。

ユグドラシル時代にオフラインの相手へ伝言(メッセージ)を使った様な、回線が繋がらない反応が返ってきた。

 

この事から考えられることは、眠っている、もしくは意識がない相手には伝言(メッセージ)が繋がらないというゲーム機能の変化。

殴られて目に痣を作ったナポリたんを見て、フレンドリーファイアーが解禁されていることをスルシャーナが指摘し、他にも変化がないかを探している最中でもあった。

 

何かを握るように両手の指を気色悪く動かし、眠る女性陣を起こさないよう、静かに騒ぐという器用なことをする二人に先導され、スルシャーナ一行は目的の部屋の扉を見つける。

いきなりの突撃をしなかったのは幸いだが、扉の前でナポリたんと芋豊T・ヒデヨシは二人して考え込んだ。

 

「どうした?扉を前にして、いきなり善なる心が生まれた?」

寝起きのレディ・ロッテン舞矢に出会うのを回避しようという危険察知能力とも言えるかと、スルシャーナは一人心の中で呟いてみる。

お目当ての寝顔を拝見するには、共に入るであろう女傑をなんとかしないといけないことに気がついたのだろうか。

 

「エンクちゃんはどんな格好で寝ているのだろうか」

顎に手を当てながら真剣な表情でそんな事を言ってのける芋豊T・ヒデヨシと、その問いに返答することなく、目じりに皺を寄せながら力強く目を閉じて何かを想像しようとするナポリたん。

 

どんな状況でも変わらぬ仲間の姿に、この先の心配で状態異常が無効化されているのに空っぽの頭骨に頭痛が起きるが、少しだけ安心感を得る。

「何やってんだか・・・・・・」

ネグリジェなのかパジャマなのか論争を始めだして埒が明かないと察したスルシャーナは、仕方なしに扉の前で騒ぐ二人を抑えようと動いた。いや、正確には動こうと思った。

質素ながらも全体的に装飾が施されたの木製扉が、淑女が就寝する部屋の前で騒ぎ立てた二人と共に吹き飛ばされたのを見て、動くことを止めたと言い換える。

 

寝起きで不機嫌なレディ・ロッテン舞矢に罵詈雑言を浴びせられた二人を回収し、シュトルフの待機する玉座の間で朝食を用意する旨を伝え、スルシャーナは被害を受ける前に早々と立ち去ることを決めた。

 

姐御はキャミソール派かと意味深な発言をする二人を両手で引きずりながら移動していると、城内を徘徊する下僕兵士達が驚いた表情を浮かべる。

壁際に寄って一礼したままスルシャーナ達が通り過ぎるまで待機する。

「済まないが兵士諸君、玉座まで案内してくれ」

 

「「承知致しました!」」

2人1組の兵士に声をかけ、目的地までの案内を頼む。

最敬礼と共に返答をすると、先導する為にスルシャーナの前に立ち、兵士は足並み揃えて歩き出した。

 

「スルシャーナさん、また迷ったんですか?」

兵士の誘導されて歩みを再開すると、右手で引きずっている片割れ、からかい半分の声でナポリたんが声をかけてくる。

今まで城内の隅々を確認したことがなく、散々迷って居たことは事実なのだが、まるで方向音痴の様に言われて心外だとスルシャーナはムッと答えた。

「指揮権があるか確認したかった。迷ってたことだけが理由じゃない」

 

NPCには指示を出せるが、末端の兵士までに干渉出来るかがわからず、試そうと考えていたのは事実である。

防衛責任者はスルシャーナが創造主のシュトルフであり、その下に仲間たちが作り上げた他のNPC、さらにその下に兵種によって分けられた下僕兵士達となっている。

プレイヤーである彼らが直接創り上げたのはNPCだけなので、彼等以外に対する指揮系統が検証が出来たことは大きい。

不明確な状況を一つずつ繋ぎ合わせて情報を得ながら、スルシャーナは伝言(メッセージ)を起動した。

「アラフさん、今から向かうよ。朝食の用意は順調?」

「うーむ、それがどうにも……」

 

自身は食事を必要としない身体となったが、仲間達は生身の身体であり、生きていくには必要な食事。

伝言(メッセージ)で連絡を入れるも、アーラ・アラフからは歯切れの悪い返事が返された。

現実世界でもやっていたから簡単な朝食なら作れると豪語していたはずだが、何か料理を妨げる問題でもあったのだろうか。

そもそも下流層には栄養価のみを考えた味気ないゼリー状の流動食か、濃い目の味付けが人気の趣向品に分類されるヌードルか、高価だがクリーンルーム完備の食品工場で生産され、温めるだけで調理済みの真空パック入り料理くらいしかない現実世界で何を調理したのだろうか。

アーラ・アラフは定年前まで勤めているし、そこそこの役職についていそうだから食材を買って料理を作れる環境に居た可能性は高い。

 

「食材なら宝物庫にいくらでもあるはずたけど」

「そうじゃなくてだな……」

食材がないのかと考えてみるスルシャーナに、どうにもアーラ・アラフは口を濁したいようだ。

とりあえず何かあったのだろうと考えるのを止め、目的地まで案内をしてくれる兵士達をぼんやりと眺めながら、NPCや下僕兵士達の食事はどうしているのだろうと疑問が浮かんだ。

 

「兵士達は普段食事ってどうしてんの?」

前を先導する二人の兵士に、名前を知らないスルシャーナはどちらともなく問いかけて確認をしてみる。

「はっ!我らは給仕婦が作る食事を頂いております!」

「食堂の使用時間は各部隊で決められております!」

どちらともなく話しかけると、両方から交互に返答を受ける。

アーラ・アラフの用意したであろう食事次第では、仲間たちの体調を想い、兵士達の利用する食堂に連れて行く決意を固めた。

 

 

 

しかし、ある程度の予想と覚悟はしていたが、アントゥールダウンの栄光ある玉座の間は悲惨なことになっていた。

壁に掲げられたギルドシンボルの戦旗は焦げ付き、赤と金色を基調とした上質な絨毯は破れ、室内を飾る調度品が散乱している。

 

敵に攻め落とされた直後のような荒れ果てた玉座を目の当たりにし、スルシャーナは何か威力の高いマジックアイテムが爆発したのではないかと思い始めるが、配信したときに運営がトチ狂ったと言われる全職種装備可能な<4000年の歴史>という攻撃力1の代わりに鍋底が接地していればどこでも料理が出来るという趣味特化武器を手にしたアーラ・アラフを見つけた。

 

「いい年して何やってんの」

既に無い肺から吐き出すように深い溜息をつき、疲れるはずの無い眼窩を手で揉みながら辛辣に言ってみる。

「昔食べた事がある目玉焼きを作ろうとしたんだがな、ちょっとだけ上手くいかなかった」

目の前の年寄りはこの惨状を見ても失敗を認めようとしない。料理よりも爆発系の超位魔法でも使ったと言ったほうがまだ信じられるだろう。

 

「このやけにデカイ殻はもしや・・・・・・」

「・・・・・・赤竜(レッドドラゴン)の卵でしょうね」

ナポリたんと芋豊T・ヒデヨシが引火点が低いと設定される赤い斑模様の卵の殻を見つけて、爆心地で何が起きたのか事態を察した。

「まぁこんなことだと思ってたし、食堂に行こうか」

後でシュトルフと相談して片付けの手配をしなければと、頭の片隅で考えて女性陣に伝言(メッセージ)を送り、食堂集合に変更だと一言だけ告げる。

 

 

 

朝食には大分遅めの時間だが、食堂の給仕婦達は城の主達を最上位の対応で受け入れた。

NPCとして作った者はいないので、彼女らも下僕としてアントゥールダウンに初めから居るべく設定された存在であろう。

頭巾と給仕服が似合う妙齢の給仕婦長が手作りで出す料理は、兵士達の胃袋と心を鷲掴みにしているに違いない。

 

「初めてこの身体であることを悔やんでる」

きちんとした食材を使用して作られた食事を大興奮で食べる仲間達を見て、灰色の靄がかかった心の内を吐露するスルシャーナは、当人の知らぬ間に食事を求めて口が開いている。

芳ばしい胡桃の香り漂う楕円のパン、薔薇に似せて皿に盛りつけられた生ハム、薄く切り分けられたチーズが3種類と、肉厚なベーコンと色どり豊かな野菜がこれでもかと入ったポトフ。

現実世界では大企業役員クラスの上流階級が食べれるであろう食事風景が目の前に広がっているのだから、既に食事を必要としないとは言え、ゼリー状の経口食ばかり摂取していたスルシャーナが匂いだけで我慢するのも酷と言えるだろう。

 

「週1くらいでしか固形の食事食べてないけど、味は到底比べられないものね」

「この料理と比べたら、舞矢さんと行った父のホテルにあるお店で出たのは、サプリと添加物の塊みたい」

さらりとエンクの家庭事情が垣間見える会話たが、女性陣二人にも好評な様で会話が弾んでいた。

ナポリたんと芋豊T・ヒデヨシはハムスター並に食事を詰め込んだ両頬を膨らませて無言で食べ散らかし、アーラ・アラフは納得いかない表情だが食事を口に運ぶ手は止まらない。

 

「主様方のお口に合えばよろしいのですが、私共の料理では不安ですわ」

頬に片手を当てて困った表情を見せ、給仕長は凄い勢いで料理が減っていくテーブルの上を見て呟いた。

 

 

 

朝食後、6人は中央広場に移動し、各NPCを呼び出した。

城壁の上でギルドマークが刺繍された戦旗が城内を見下ろし、スルシャーナ達6名の前にNPC達10名、常駐下僕兵士200名が整列する。

シュトルフを代表に、後ろに9名のNPCが控え、更に彼らの後ろに1列20名の下僕兵士が10列待機。

兵士達の外套には、6本の蝋燭を灯したキャンドルと台座より両翼に生える月桂樹の葉が描かれ、スルシャーナを長とする彼らの御旗ギルドマーク。

城主シュトルフが跪くと、アントゥールダウン配下200余名が音を重ねてそれに続いた。

 

「アントゥールダウン常駐兵士200名、騎兵、歩兵、弓兵、各兵種指揮官、魔法詠唱者、隠密の9名並びに防衛責任者。古往来今、兵どもが創造主たる御身らの前に侍う」

 

 

 

 

22世紀初頭に栄華を誇ったDMMORPGの金字塔『ユグドラシル』の最後を共に過ごした6名のみのギルド

 

スルシャーナ(Sulshana)

レディ・ロッテン舞矢(Lady・Rottenmaiya)

アーラ・アラフ(Ala・Aruf)

芋豊T・ヒデヨシ(ImotoyoT・Hideyoshi)

ナポリたん(Napolitann)

エンク(Enq)

 

ギルド『SLAINE(スレイン)』は新たなる世界の始まりを迎えた。



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1章 最後の日と始まりの日9

毎週日曜日更新(大嘘)
読み返す度に誤字が見つかる節穴です


眼窩の奥で赤く揺らめく魂の炎が、死の支配者の前で忠誠を示す生者の軍隊を捉える。

 

理解不能な事態でギルド拠点が転移する以前より、亜人種の進行を食い止めてきた精鋭の古参兵共は、ギルド長が命じれば世界を敵にして戦い、世界の全てに勝ってのけるだろう。

ユグドラシルがゲームだった頃では、その立地の悪さ故に拠点を欲しがるプレイヤーもおらず、一度も攻められた事がなかったアントゥールダウン城塞。

世界が変わった今となっては自動POPの兵士を消耗したことがないという事実だけが残り、レベルが上がる事はないが公式設定として残された亜人種との戦闘経験が、この世界の強さに於いて上から数えた方が早い200名を作り上げた。

 

この集団の統括を務める男は、頭を下げた拍子に額を流れる汗を感じつつ、身体の奥からフツフツと湧き上がる歓喜の震えを抑える。

創造主にそうあれと生み出され、如何なる事があろうとも与えられた職務と城主として全てのNPCの頂点として、創造主達の戻らない場所を守護し続けた。

恋い焦がれ、気が遠くなる程に待ち望んだ創造主からの命令は、普段の冷静沈着さを容易く打ち破り、この世のどんな物よりも甘美な言葉として脳を揺さぶるだろう。

 

栄えあるアントゥールダウンを攻めるなどと言う愚行を行った獣人共を滅ぼせと望むのであれば、牢獄に叩き込んだ捕虜を血祭りに上げ、世界の果ての草の根を掻き分けて獣人共を追い立てる事も問題はない。

属性(アライメント)が0の中立である男であっても、敬愛すべき創造主からの命令であれば悪魔に魂を売る覚悟はあった。

 

「良く集まってくれた。これから軽く戦闘が起きるから、顔を上げて話を聞いてくれ」

「各員傾聴!」

絶対なる支配者たる創造主の言葉を受け、NPCの統括者は待ち望んだ言葉を聴き逃すまいと、背後に控える配下達に短く指示を発する。

無論、そんな指示を出さなくても、彼ら皆が待ち望んだ言葉を聴き逃すよう愚者は居ないだろう。

 

「これから数時間もすれば、捕らわれた仲間を取り戻さんと、慈愛の精神に満ち溢れたビーストマン共が再びこの城を襲撃してくるだろう。野蛮な獣でも仲間を想う気持ちは我らと変わらない。その行為は素晴らしいものだが、残念ながら奴らが先に拳を振り上げた事実は変わらない」

そこで一度言葉を切って、スルシャーナは目の前の200人分の視線と目を合わせる様にゆっくりと見渡す。

湧き上がる感情を抑える様に、皮膚が白くなるほど拳を固く握り締めているシュトルフを筆頭とし、一挙手一投足を逃すまいと皆が一様に真剣な表情で続きを伺っていた。

命令一つで剣にも盾にもなる精鋭達の光景に何を感じたか、表情を作る肉のない頭蓋骨からは読み取ることが出来ない。

 

冥府より顕現した死の象徴は、両手を左右に伸ばして漆黒のローブを広げると、骨と歯だけの顎を開口。

「力を魅せつけろ」

手の平に乗せた見えない命を握り潰すように、左右に広げた両手の拳をギュッと握り、神が定めた命運を無慈悲に宣告した。

「ただし、指揮官は生かせ。その先の使い道は考える」

「御身の望むままに」

創造主より与えられた伝説級(レジェンド)アイテムの統一装備の胸当てに手を添えて、シュトルフは臣下の礼を捧げる。

王が臣下に対する自然な振る舞いで、まるでそうすることが当たり前の様に軽く手を上げて答えた。

「それと一部のビーストマンはこちらに来ないみたいだから、戦闘時の城砦内NPCの指揮はシュトルフに任せた。俺は《位置同定(ディサーン・ロケーション)》で確認した残りを叩きに行く。……ということでギルド長代行は舞矢さんお願い」

「はい?何言ってんのギルマス」

「スルシャーナ様……またお戯れを申されても」

 

日々を生きるだけの世界から、突然突きつけられた生きるか死ぬかという世界で、恐れも迷いもなく自らの行動を選ぶ。

死に最も近い存在というのは、生ある存在の周りから見れば死に急いでいる様に見えるのだろうか。

しかし、スルシャーナの表情が変わらない頭骨からは恐れも不安も伺いしれない。

「別にゲームの頃(今まで)と何も変わらないって。俺がこのギルドのアタッカーであり、タンクであり、指揮官であるのはワールド・ガーディアンを所得してから変わることのないギルド指針。この世界に来て尚更、生身の身体を持ってる皆を危険な目には会わせられない」

金細工や宝珠等の細かな装飾が施され、夜の闇をさらに濃くして闇と一体化する様な漆黒のローブを纏い、白骨化した細腕の持つ黄金の杖と言う、生きとし生けるもの全ての死を司る見た目に反して、死の支配者(オーバーロード)は仲間を守護(ガーディアン)せし魔法詠唱者(マジックキャスター)

 

「それはそうなのかもしれないけど・・・・・・。それなら前衛やれるナポリたんかヒデヨシを連れて行きなさいよ。勿論エンクちゃんは連れてっちゃダメだから」

身長差で覆いかぶさる様に見えるが、レディー・ロッテン舞矢はエンクの後ろから両手を前に掛けてがっちりと掴んで離さない。

ギルド内で3人の前衛職のうち、残った2人を同行もとい、お目付け役にすべくナポリたんとヒデヨシを顎で示した。

「私も戦いたいのに・・・・・・」

元々の好戦的なプレイスタイルからか、舞矢の腕の中で不満げな表情を浮かべる少女は、その赤みがかった頬を少し膨らませた顔で文句を言う。

 

「「・・・・・・さいしょはグー」」

ナポリたんとヒデヨシは未だ見ぬ場所への同行に思いを馳せながら、嬉しそうにどちらが着いていくかを決める為のジャンケンを始めた。

「君にとっては護るべき頼りない仲間かも知れないが、一人だけで背負うことも無い。大丈夫、元の世界に帰る為にも皆で助け合えばいい」

最年長者のアーラ・アラフは優しげな声で年下の長に声を掛け、ゴツゴツとした大きな手を肩に乗せる。

 

「主様方以外にも、我らからも共をお連れください。Lv100のジャッジメントとテ・リーヌ卿なら前衛が勤まります。後衛のリラもいざと言うときは盾になりますので、せめて一人同行するお許し頂きたい」

自らの創造主たるスルシャーナに絶対の忠臣を誓う城主は、同行を申し出たくても己に課せられた城砦の指揮官と言う立場がそれを許さない。

他のLV100の拠点防衛用NPCである3名の誰かから、もしもの時の壁を連れて行って欲しいと嘆願する。

「あら、リラを連れてく事はあたしが許さないけど」

同性愛者(レズビアン)少女性愛者(ロリコン)なのかと考えてしまう厄介な変質者が、矮小な存在を相手にするように提案者を冷たく睨みつけた。

その視線を向けられたシュトルフは一礼をして了承の態度を見せるが、その表情に叱責を受けた焦りは無い。

無論、シュトルフ以外のNPCもそうだが、ギルドメンバーは敬愛すべき主達一人ではあるが、創造主がその最たる対象であり、他の何よりも創造主の身を案ずるべき行動を是としていた。

未だスルシャーナに同行する権利を勝ち取るべく、ジャンケンを引き分けては次の手を考え直すナポリたんとヒデヨシ。

そしてその勝負の行方を心配そうに見守るのは、彼らの作り上げた2人組の隠密型NPCと4姉妹の闇妖精(ダークエルフ)のNPC。

彼らはギルドメンバーに与えられた各Lv100のレベルを分割された拠点防衛用NPCであり、創造主達に同行しても足手まといにしかならないことを理解している。

 

「そんなに心配するなら、とりあえず今回はギルド武器を持っていくよ。あとは皆に言ってなかったとっておきのアイテムもあるし何とかなる」

「ギルド武器は別に良いわよ・・・・・・。元々、拠点に置かないで一番強いギルマスが常に持ってたものなんだし、壊されるとも思えない。でも、こそこそ隠してたのが何なのかは教えてくれてもいいでしょ」

「……別に隠してたって程でもないけどさ。最終日にバザーで大枚叩いて手に入れたものだし」

ギルド長代行を任せるられる程度にはレディー・ロッテン舞矢との付き合いが長く、スルシャーナは彼女との交渉で落としどころを提示した。

そうは言っても当人も少し興奮気味に何も無い空間に手を差し込み、子供が親に自慢をするかの如く高ぶった態度を見せながら、空間の狭間から抜きアイテムを見せ付ける。

差し出した白骨の手には、自身の尾を飲み込む蛇を象った剥製の腕輪が握られ、その鱗が少し高く上った太陽からの光を鈍く反射していた。

 

「何それ気持ち悪い」

コレクター心をくすぐる一品を、自信満々な男の浪漫を、道具鑑定に関する探知魔法を使えないレディー・ロッテン舞矢はバッサリと一言で切り捨てる。

いつの世も女は男の収集癖を理解してくれないらしい。

「これこそが彼の有名な二十の一つ永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)だ!運営お願い系アイテムは使えなくなったらしくて、最終日にバザーの設定最高額で売り出されてたから思わず買ってしまったのだよ!・・・・・・フゥ」

呼吸さえしていれば鼻息荒く語っていたであろうが、今の骸骨姿では不思議と感情を抑制されて興奮を上手く表現できない。

しかし本人の興奮が抑制されるのとは間逆に、アントゥールダウン内では波のように喧噪が広がる。

 

「すげー!スルシャーナさんすげー!」

「触っていいですか!?うはっ!かっけー!」

いつの間に勝負は終わったのか、虫取りで大物を前にした少年のように興奮を表に出せるナポリたんとヒデヨシが羨ましいと感じ、少しだけ興奮とは別の感情が揺らぐ。

レディー・ロッテン舞矢の腕の中に納まるエンクも、新たな世界級(ワールド)アイテムを目の当たりにし、目を輝かせている。どうやら彼女はこちら側のタイプみたいで少しだけ安心した。

「もう1つの世界級(ワールド)アイテムと合わせて2個もある。なかなか贅沢なものじゃないか」

そう言ってアーラ・アラフは目を細めながら年寄りに似合う笑い方で喜びを表現する。

ユーザーが減り続けた晩期にとは言え、ギルドメンバー6人で1つの世界級(ワールド)アイテムを獲得しており、彼ら秘蔵の一品としてスルシャーナの管理下にあった。

「まぁそういうことだから、なんかあったら自己判断でこれを使って対処するよ。運営お願い系アイテムだからこっちで使えるのかわからないけども」

不満げな表情のギルド長代行に、永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)を装着しながらそう告げる。

 

「ジャッジメントは貴重なタンクだから、連れて行くならエンクちゃんところのNPCを借りていきましょうよ」

どうやらジャンケンの真剣勝負に勝ったのはヒデヨシだったようだ。

全体的に茶色の古臭い甲冑はやかましく音を鳴らし、顎紐をキツく結んだ兜は雄鹿の角が装飾されている。

ガチプレイよりロールプレイが好きだった男は、実力もスルシャーナに遠く及ばない。

しかし、器用貧乏な浪漫を追求した結果、前衛と後衛に何か有った際の2番手や補佐役になれる中衛的な立ち回り。

人数が少ないギルドだからこその役割があり、純粋なタンク職のエンクが前衛としているからこそ、ナポリたんとヒデヨシは中衛でサブタンクとして動くことが出来た。

 

「それじゃエンクちゃん、テ・リーヌを借りてく。行こうかヒデヨシ」

「スルシャーナ様の仰せのままに」

エンクに軽く手を上げてNPCを借りる許可を得ると、彼女の黒歴史である銀髪の始祖吸血鬼(オリジン・ヴァンパイア)が迷うこと無く追従。

スルシャーナはそれを確認すると何もない空間より羊用紙のスクロールを取り出し、青みがかった淡い炎と共に込められた魔法を発動させる。

「《クレアボヤンス/千里眼》」

先ほど探し当てた捜索地点を探知系魔法のスクロールで視界に映すと、目の前の景色とは別に、青々と茂った森林の中を二重に見る事が出来る何とも言えない感覚に見舞われた。

しかし、その場所には先ほど見たビーストマンの部隊の姿はなく、喧騒とは程遠い木々の様相しかない。

「さすがに何処か別の場所に移動したのか。とりあえず3人で虱潰しに探せば……。《ゲート/異界門》」

お目付役兼同行者をさらりと別行動させようと口にして、死の神さながらのスルシャーナは、楕円形の下半分が地に埋まった闇の入口を顕現させた。

地獄に繋がっていると言っても信じられる漆黒の空間が死神の名代を吸い込む。

 

続いて芋豊T・ヒデヨシは右腕を内側に曲げてこめかみに伸ばした手を添えると、ナポリたんに軽く敬礼をして異界門に一足飛びで吸い込まれて行った。

テ・リーヌはエンクを腕の中に収めるレディー・ロッテン舞矢に一礼すると、端麗な容姿で儚げに表情を変える。

「どうか我が麗しの姫をお守り下さい」

自身の設定した言動に思い当たる節があるのか、ギャーギャーと喚きながらジタバタと動いて公衆の面前から隠れようと両手で顔を隠すエンク。

唯一確認出来る耳は林檎と見間違う色に変化させており、女子大生の元厨二病は実態を持って彼女を攻め立てる。

そしてそれを涎を垂らさんばかりに口元を歪め、辱めを受ける年下の仲間を逃さない様に抑えつけながら興奮に身を震わす変質者を尻目に、始祖吸血鬼(オリジン・ヴァンパイア)は闇の空間に身を委ねた。

 

 

 

木々で覆われた森の中は薄暗く、現実では聴くことの無くなった鳥や動物の鳴き声が響き、不思議と耳に染み渡る。

水分量が多く、少し柔らかい足元の地面には無数の人より一回りは大きな足跡が残され、つま先の向いた方向から目的の集団が進んだ方角を読み取れた。

「これが自然の匂いか……。なんか湿っぽいというか、思ってた様な良い匂いじゃないですね」

背後から喧しく鎧を鳴らして続いてきた芋豊T・ヒデヨシは、初めて体験した自然にどんな想像を持って居たのだろうか。

 

「お待たせして申し訳御座いません。何なりと御命令を……」

テ・リーヌがその纏わりつく闇の中から現れ、3人が揃ったことで話を始めようとスルシャーナは一歩前に出る。

そして片膝立ちとなり、二人を近くに呼び寄せた。

「いいか野郎ども。ビーストマン共は既にこの先に向かった様だ。正直、奴らがどこに行こうとしてるのか全くわからん」

目先の色々な欲望に捕らわれているのか、芋豊T・ヒデヨシは地面を指で突付いて指を擦り合わせて土の感触を確かめている。

NPCであるテ・リーヌは、当たり前の様に真剣な表情でスルシャーナの言葉の続きを待った。

 

見敵必殺(サーチ&デストロイ)といこうじゃないの。3人でバラけて敵を探し、見つけたらこいつで報告を」

そう言って、伝言(メッセージ)が込められたスクロールを両名に2本ずつ手渡した。

羊用紙を受け取る二人からは、その作戦を咎める意見は出ない。

外の世界を見れれば良いという思いで着いてきたギルドメンバーで、特段危機管理に関して深い考えは持っていない芋豊T・ヒデヨシ。

ギルド内で誰よりも強力な力を持つスルシャーナが負ける相手はいないと考える、NPCであり同族のアンデッド、始祖吸血鬼(オリジン・ヴァンパイア)テ・リーヌ。

お目付役には向かない最悪な二人は、方や消耗品の様に乱雑に、方や王より賜ったアイテムのように、スクロールを受け取ると軽く頷いて足早に立ち去った。

「終わったら舞矢さんに言わない様、ちゃんと口止めの約束しておかないと」

二人が立ち去った方向と眺めながら呟くと、行き先が被らない様に、黄金に煌くギルド武器を二、三度撫でながら、さながら死者の行軍を開始した。

 

 



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1章 最後の日と始まりの日10

プロローグに追いついたので、この話数で1章終わらせるつもりでしたが、書き終わってみたら1万字超えたので分割しました。
残りはそのうち投稿します。


少女にとって、その日はいつもと変わらない日常の始まりだった。

近くの森林から伐採した薪が小気味良い音を立てて炎に変わり、木目の紋様が浮かぶ包丁が一定のリズムで食材を切り分けて調理台とぶつかる。

ぐつぐつと湯気を上げる鍋の中には豆のスープが煮込まれ、両手に収まる量に切り分けられたカブが具材として投入されると少しだけ鍋の沸騰が落ち着いた。

既にテーブルの上にはライ麦のパンが切り分けられて、家族4人の分は用意されているが、少女はこの黒く固いパンが好きではない。

無論、好きではないから食べないなどと言う贅沢なことは出来ないが、スープに浸して僅かな野菜の味と柔らかさを堪能するくらいは許されるはずだと、まだ控えめな胸を張って主張したくなる。

 

身体の大きな父親と兄は、少女にとって固くて顎が疲れるパンでも既に形も無く胃に収めており、兵士として働く二人が満足する量の食事を用意する母親は、毎日朝と夜の食事の準備に大鍋の前から離れられない。

木製のコップを持たずに口だけで行儀悪く傾け、山羊のバターミルクを飲んで空腹を紛らわせる少女は、父親と兄が小さな樽のようなジョッキで林檎酒(シードル)を飲む姿を眺めた。

平原には綺麗な水源はなく、日頃の生活で綺麗な飲料水を飲むことは難しい。

果実を醗酵させて保存の効くアルコールにするか、搾りたての動物の乳からバターやチーズを作った残り汁のミルクを飲むか。

林檎酒(シードル)蜂蜜酒(ミード)はアルコール度数も低く、町の子供も飲料水代わりに常用的に飲んでいるのだが、栄養価があるからと少女はバターミルクしか許されていない事も不満であった。

やがて朝食の残りを準備し終えた母親に行儀が悪いと怒られるであろう未来も、早く大人になりたいと願う少女にとっては日常の一つである。

 

 

 

「いってきまーす」

背中まで伸びた少しくせっ毛のある赤髪を後ろで結んで、少女は背負子を担いで家を出発する。

外での活動は汗ばむ時期になっているが、伸縮性のある羊毛で作られたロンググローブと、足首まで隠れるスカートの丈は森の中で切り傷を防ぐ為にも必要な服装であり、それを怠って傷口が破傷風にでもなったら目も当てられない。

子供とは言え、少女も町の住人として日々の仕事があり、街を囲む北側の城壁の外に出て、子供の足で30分程歩いた場所にある森から薪に使えそうな木や、傷の治療に使用する薬草を採取することである。

それには勿論危険が無いよう、町の兵士が決められた採取場所の近くを定期的に巡回していた。

草木で引っかいて怪我をする程度に多少の危険はあるが、街の子供達でもやれる仕事である以上、そこに貴重な働き手である大人を割くことなく、絶対に決められた場所以外では採取を行わないという決まりの元で、人々は自然の恵みを得つつ生活を営んでいる。

 

「おはよーございます!クランプさん」

城壁内での生活と、定期巡回する兵士という存在により、人を捕食する亜人の脅威から離れて暮らせるようになって何年経つのか、その脅威を知らない世代になる少女は、町の外に出る前に呑気な声で毎日顔を合わせている城壁の兵士に声を掛けた。

「あぁ、嬢ちゃん。変なところに行かないで暗くなる前に戻ってくるんだぞ」

真面目な兵士なのだろう、自身の子供と同じくらいの少女が、危険が少ないとは言え町の外に出る姿に毎日同じように注意を促す。

そんな他愛もない挨拶もいつも通りの日常であり、兵士も少女の遠ざかる背を眺めると、引き続き門の警備に意識を戻すことになる。

 

そこから先は区域外だという意味を表す、赤い布が巻きつけられた木々を熱にうなされた頭でぼんやりと眺める。

森の中は直射日光に当たらない分、街中より僅かに涼しいが、全身の露出が少ない服装では蒸して暑く、薄っすらと浮かぶ額の汗を淡い青色のロンググローブで拭い、ふーっと一息。

今日は母親から貰ったお気に入りの髪留めで髪を結んでいるので、朝食の時に怒られたことも忘れて機嫌が良い。

決められた区域内であれば森の中と言えど比較的安全が確保されているので、少女は特に緊張することもなく、与えられた日常の仕事をいかに早く終わらせて家に帰るかを考えていた。

森は広いが安全圏内では毎日誰かが薪や薬草を採取しているので、なかなか上等な物は見当たらない。

1時間ほど散策しても少女の片手で握れる位の細い枯れ枝が数本見つかるだけで、薪に使えそうな物は手に入らなかった。

「暑い・・・・・・」

動き回ったことで喉の渇きを覚え、腰にぶら下げた竹筒から朝食でも飲んだバターミルクを口に含む。

生ぬるさが飲み込むたびに不快感を引き起こすが、脱水で倒れるよりは幾分ましだと言い聞かせて、少女は全て飲み干した。

 

毎日来ている少女にとって、森の中にはいくつか秘密の場所がある。

そのうちの一つに綺麗な湧き水が出るスポットがあった。

動き回れば少し汗ばむ時期だが、湧き出る水は氷のように冷たく、白くて濁った生ぬるいバターミルクと違い、水源の底が透き通って見える綺麗でおいしい湧き水だ。

 

汗で張り付いた服の胸元をつまんで風を取り込むように扇ぎ、ぬるいバターミルクの味が残った不快な喉をゴクリと鳴らす。

母親がいれば、また行儀が悪いと怒られでもしただろうが、生憎とここには少女以外に誰もいない。

少しばかり採取区域から外れるが、ほんの少し歩くだけで戻ってこれる程度しか採取区域から外れない場所なので、少女はその場所を誰にも教えた事がないし、他に誰も来たことがなかった。

「まぁ、大丈夫よね」

誰に言うでもなく許可を求めるように呟く少女は、暑さで熱を持った頬を紅く染める。喉の乾きと避暑を求め、草木の合間を縫う少女の小さな背丈はあっという間に森の奥へと消えていった。

 

 

太陽が真上に上がった頃だろうか。

熱が引いた身体に、汗で湿った服は不快感が沸くが、直射日光が当たらないのだから少し暑い程度の気温では乾きようがない。

背中まで伸ばした湿った赤毛を髪留めで結び直し、ぼんやりと午後の薪拾いについて考えている時、少女の耳は微かに金属音を捉えた。

金属音と言うことは、鎧を着て巡回しているであろう街の兵士だろうか。

この場所を隠している大きなヤシの葉の隙間から、音のした方角を確認しようと様子を伺う。

草木が生い茂って遠くまで見通すことは出来ないが、採取区域内近くの葉が揺れているのだけは確認できた。

「もしかして・・・見られちゃった?」

少女は涼しむ前の暑さにうなされた時よりも頬を赤く染め、騒いで気づかれない様に足元だけ動かしてジタバタとする。

急いで採取区域内に戻るべく背負子を背負ったところで、背後より先ほどよりも大分近い場所で細枝を踏んだ音と草を掻き分ける音が聞こえた。

怒られるだろうか、それだけではなく少女の親にも報告されてしまうのか。

「あはは・・・迷っちゃてごめんな――」

とりあえず見られなかったことに一抹の望みを掛けて、少女は振り返り様に謝罪の言葉を述べ、それを見た。

 

腰に下げた鞘と、黒の皮手袋に握られた長剣。胸部と関節に僅かな金属を拵えただけの鎧。それはこの街の兵士の一般的な格好であった。

しかしながら、少女にとってそれは瞬く間に広がる恐怖の対象。

腹部から溢れる血と突き出した槍先、土気色に変化しつつある顔は先ほどまで生きていたであろう。地面から少しだけ浮いた身体は槍の持ち主が歩くたびに上下に動き、その度に腹部から行き場を無くした赤い内容物が溢れ出る。

そんな非日常的な状況の中で槍の持ち主と目が合ってしまった。

 

――化け物だ。

そう思うよりも早く、少女はその存在から背を向けて走り出す。

余りにも余裕が無さ過ぎて、どこに向かって走りだしたのかわからないまま、1秒でも早く、1mでも遠く、その人間の様な獣の様な生き物から離れたかった。

 

――ドサッ

何か重いものを捨てるような、そんな聞きたくない音が背後から聞こえる。

続けて、少女を追いかけるべく歩み出した足音が、脳内に警笛を鳴らす。

ただ、その音だけを確認した少女は後ろを振り返る勇気は無く、生まれて十年ちょっとの人生の中で最も全力を出して走り出したが、進む先がどの方角かもわからなかった。

街の子供がやるそれとは大きく異なる、捕まればどうなるかがわかりきった追いかけっこに、少女は涙を流しながらも走り続ける足だけは緩めない。

 

本来は数分だが、実感として果てしなく長い時間を逃げ回って、少女は背後に迫る存在の息遣いを聞いてしまった。

全力で逃げてなお、振り向けば目の前にいるであろう距離まで迫られる。

しかしそれでも振り向かず、奥歯をかみ締めてただ前のみを見据えていると、木々の奥には逆行で見えない昼間の明るさが広がっていた。

 

その先がどこに出るのかわからないが、足元が悪い森の中よりは全力で走れるだろう。もしかしたら運よく街の方角に進んでいて、城壁が見えるかもしれない。

だが、その全てが願っていることと違い、悪い方向に向かっているのではないかと一抹の不安を覚える。

全力で走り続けた少女の身体はとっくに限界を超えており、既に肺が潰れるほどに苦しい。

 

やっとの思いで森から逆行の世界に飛び込んだ時、心臓を冷たい氷で掴まれたような気配を背後から浴びせられた。

そして少女は理解する。今から殺されるのだと。

昨日までの日常を、慎ましくも幸せに暮らしていたはずの日々を思い、食物連鎖の下層である自らの存在という不条理を恨み、人間種の未来を憂い、諦めて目を閉じる。

 

兵士である父親や兄は無事だろうか、街まで襲撃されたらいつも怒ってばかりの母親も無事ではすまないだろう。

残された家族は、泣き喚き、悲しみ崩れ落ち、壊れる。

「ごめんなさい・・・・・・」

少女は謝りの言葉を呟くと、背中から訪れる命を奪う一撃を覚悟して、涙を浮かべる瞼を閉じた。

 

一瞬は永遠となり、いつまでも訪れないその時に、恐怖だけが支配した心を投げ捨てて気を失いたくなる。

 

死ぬこと以外の可能性を考えていなかった少女は、覚悟していた痛みの逆側、前方からの衝撃を受けて混乱した。

土と草の香りが鼻腔一杯に広がり、少女は自分がまだ生きていることを理解する。

それと同時に背後から巨大な存在が地面に倒れる音を聞き、慌てて、そして始めて少女は振り返った。

 

「ひぃ!」

そこには生も光も希望もなく、ただ闇があった。

絶望はより一層の死を振りまき、恐怖の対象が獰猛な獣から死を司る存在そのものに変わっただけ。

まさしく闇と死を統べる神を体言した骸骨が、明確な存在となって少女の目の前に現れた。

 

死ぬことには変わりはないのに、なんと酷く残酷な世界なのだろう。

わざわざ死の淵の中で一陣の光を見せておいて、光をともしたのは死の存在そのものだったとは。

少女の恐怖は先ほどの逃走中など比べ物にならないほど、ピークを迎えていた。

 

混乱した頭の中で、視線を合わせずに呼吸を止めれば死体と勘違いしてくれるのではないかと、淡い希望を抱いてみるが、息が出来ずに苦しいだけで、心臓を氷で握られた感覚のまま身体の震えを抑えることが出来ない。

 

少女は眼窩の奥に赤い魂が揺らめく深淵を覗き込んだ。

 



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1章 最後の日と始まりの日11

分割した残りの分。
1章はここまでです。
次から2章になるので、少しくらいは書き溜めてこようと思います。


現実世界には存在しない自然の森林浴を楽しみつつ、むき出しの岩や樹齢が不明な大木の根っこに気を配る。

仲間と別れてから足場の悪い中を歩き回って半刻程は経過しただろうか。

青々と茂った森の中で存在が不釣り合いな死の支配者(オーバーロード)が手にした杖で木々をかき分けて足を進めている。

本来は求愛であったり危険を知らせる為に、やかましく鳴いているはずの小動物や鳥達が、死を垂れ流す骸骨に命を刈り取られまいと必死に存在を秘匿する。

一面緑で覆われてはいるものの、周囲には動く気配や人型の大きさを持つ生物は確認できない。

ビーストマンの捜索を始めた際に一日20体ま使用可能な《下位アンデッド創造/骨のハゲワシ(ボーンヴァルチャー)》を発動させ、森の上空から地上を監視させているが、木々に覆われた森は目標の捜索を阻害していた。

森は全体で5㎞四方だろうか、《ゲート/異界門》で直接転移したのは丁度森の中心部とも言える場所で、ビーストマンの部隊は移動に邪魔になる大きな枝だけが切り分けられた、おおよそ道とは思えない獣道を移動していたと考えられる。

 

「《センス・エネミー/敵感知》にも反応がないし、どうしようかな……」

羊用紙を燃やしてスクロールを発動させ、込められた探知魔法を使用するが対象は見つからず。スルシャーナは消費アイテムが空振りに終わり、どうしたものかと次の手を考え始めた。

既にビーストマン達が森から抜けていると仮定する場合は《フライ/飛行》を使って上空から森の外まで移動するし、未だに森の中を彷徨っていると仮定する場合はMP消費無しで1日の使用回数に制限がある種族スキルのアンデッド創造を限界まで使用して森中を物量で探す。

同行してきた二人に渡したスクロールの伝言(メッセージ)が使われてこないことから、仲間たちもビーストマンの居場所がわかっていないようだ。

 

「とりあえず、森を抜けている場合のことを考えて、骨のハゲワシ(ボーンヴァルチャー)に抜けた先を確認させるか」

感覚的な繋がりとでもいうのだろうか、ゲームの様にあれこれと命令を出さなくても、創造したアンデッドが希望の動きを始めたことを感じる。

首の周りだけ羽毛を残し、剥き出しの骨の鳥が空を滑空する様はいささか滑稽であり、獲物を求める空虚な眼窩が見下ろす大地に死を求めていた。

 

森の先に広がる平野は、アントゥールダウン城塞の存在する場所の周囲を囲むように、地平線の彼方にそびえ立つ山脈の一角まで続いている。

 

森の南方面に注意を向けると、張りぼての様な粗雑な城壁が確認出来た。

ビーストマンの拠点か、はたまた別の生物の根城か。

僅かな期待を胸に、移動距離無限、成功率100%の転移魔法《ゲート/異界門》を発動させた。

目的地はギリギリ森と平野の境界付近に定め、現れた楕円形の下半分を切り取った闇の中に身を委ねる。

 

そこには手に持つ粗悪な剣を握り、振り上げんとするビーストマンがいた。

数瞬の後、視界が開けた先にはスルシャーナの予想を全て上回った状況。

 

ビーストマンの目と鼻の先にいる獲物はただの村娘とも思える人間の少女。

 

この世界で始めて出会う未来への可能性。

 

死の支配者(オーバーロード)たる存在は、考えるよりも先に命を刈り取る骸骨の指を伸ばした。

《フィンガー・オブ・デス・7th/第7階位死神の指》

自身のレベルに応じたダメージを与える死霊系魔法は、不明瞭な部分が多いこの世界に於いて確実な攻撃手段。

哀れな獣はLv100の魔法攻撃に耐えられる筈もなく、すぐ目の前の得物に対して掲げた剣を振り下ろすことも出来ずに前のめりに崩れ落ち、死神に命を刈り取られた。

 

助けが間に合わなかったのかと勘違いする程に、少女は同時に足をもつれさせて倒れる。

ギュッと目を閉じたまま、受け身を取れずに地面にぶつかっては、さぞ痛いことだろう。

自分がまだ生きていることに驚いた様子で目を開けると、一瞬だけ倒れたビーストマンに視線を向け、すぐに異色な存在に気がついた。

少女はこの世の終わりよりも深い絶望的な表情を浮かべると、息を飲む様に上擦った声が零れる。

 

――いくら襲われている相手とは言え、いきなり死体に変わったら驚くか

 

スルシャーナは感情に任せた行動に多少の反省をしつつ、ようやく見つけた人間の少女を友好的に助け起こそうと、倒れたビーストマンを跨いで少女に近付こうと動いた。

だが、未だに死の恐怖から抜け出せないのか、零れ落ちるギリギリまで大粒の涙が溢れ、やがて一筋の雫が頬をなぞると少女の瞳は大きく広がる。

いつまでも起き上がらない少女に多少の苛立ちを感じながらも、ギルド武器を持っていない手を伸ばし、倒れたままの少女を引っ張り起こそうと考えた。

「なんだ…せっかく助けたってのに、礼も無いのかい」

「―――っ!?」

少女はビクリと1度だけ身体を大きく反応させ、防衛本能に従い元々小さな身体を更に小さく丸める。

そして一瞬で瞼を閉じて顔を背けると、両手を顔を隠すように前に出し、開いた指の間から恐る恐る閉じた瞼を開いた。

スルシャーナとしては、少女が何をそんなに怖がるのかわからない。

異形種だからと言っても、死の間際から助けた上に優しく声をかけて手を差し伸ばした存在に対して、そこまで怖がることもないだろう。

別段、言語を話す異形種モンスターなんてユグドラシル時代では珍しくもないし、この世界でも死の支配者(オーバーロード)は見ないにしろ、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)くらいならいるはずだろう。

ビーストマンが居るということは、ユグドラシルにいる他の種族も存在している可能性が大きいのだから。

 

しかし、そんな甘い考え事をしていたスルシャーナは、口を開いた少女の言葉に驚愕することになる。

「―――?」

目の前の少女から紡がれた言葉は、常日頃から聞きなれた日本語でも、大陸の抑揚に特徴がある近隣諸国の言葉でも、欧州の詩を奏でる様な言葉でもない。

一つも聞き取れない言語を返されたスルシャーナは、表情を作る機能が残っていれば、非常に間抜けな表情だっただろう。

返答された不思議な言語に、思わず一歩後ろに引いてしまった彼に対し、少女は見えざる何かに恐れ泣き喚く。

「――!――!――!」

綺麗な赤毛の頭を抱え、確かに少女ではあるのだが、それよりも幼すぎる行動を以ってうずくまった。

 

死者の身体を持ち、圧倒的な力を備えた死の支配者(オーバーロード)は、そこでようやく己の失態に気がつく。

自分を捕食対象としか見ない圧倒的強者をいとも容易く屠る人外の骸骨が、意思疎通の出来ない言葉を発して近付いてきたら、十代前半の少女が一体何を感じるか。

今はまだ怯えきった態度で済んでいるかも知れないが、もしもビーストマンをただ単純に殺すだけではなく、その死体を弄ぶような凶行に出ていたら、目の前の少女に恐怖から涙以外の水分を流させて、女性としての尊厳を辱めるような状況になっていたかもしれない。

 

別に痒くはないのだが、なんとなく人間の頃の癖で頬を掻きながらそう考えて、非常に悪いことをしたのだと冷静になると共に、言語の壁について解決策を模索する。

目の前の少女は、この世界に来たばかりの彼らが求めてやまない情報の塊であり、何が何でも人間種とは友好的に、かつギルド拠点を隠匿するためにも居住地を紹介して貰いたかった。

 

一部の趣味に近い魔法には言語を持たない種族との意思疎通が出来るようになるという、戦闘の約に立たないものがあったと記憶しているが、スルシャーナの魔法には言語の壁と言う不可能を可能にする神の力は無い。

そんな力はないのだと思っていたときに、彼はふと腕に絡みつくように装着している蛇の腕輪を思い出した。

最終日に彼自身の所持するユグドラシル硬貨を使用して手に入れた、ユグドラシルにおける最高峰のアイテムの存在。

 

運営お願い系アイテムである永劫の蛇の腕輪は(ウロボロス)は、果たしてこの世界に於いても使用可能なのだろうか。

勿体無いという猛烈な葛藤と戦いながら、それでも現状を鑑みて必要な最善の手段を講じるべきだと自分自身に言い聞かせた。

永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)よ、俺は望む(I hope)。”この世界に存在する者全てが種族が垣根なく会話を出来るように”。神の名代(この世界の運営)よ、二百の世界級(ワールド)アイテムの1つを以って俺の望みを聞き入れよ!」

スルシャーナは杖を持ったまま腕輪を空に掲げると、声高らかに宣言する。

恐らく後々に思い出すと、ベッドの上でももんどりうって後悔するくらい、すごく恥ずかしい台詞を言っていることは自覚していた。

それでも今は、10年近く苦労して続けてきた自らの手でユグドラシルに200個、さらにその中で破格の性能を持つ二十のうちの1つの世界級(ワールド)アイテムを発動させた余韻に浸りたいという興奮が勝った。

 

空っぽなはずの脳を揺さぶる衝撃が走る。

静寂が世界を包み、空を覆い尽くすように唐突にそれは現れた。

 

――世界蛇。

 

腕を掲げたスルシャーナの掲げた頭上、3階建ての建物相当、10mほどの高さだろうか。

生と死の象徴、自らの尾を食べ永遠(とわ)の循環となる完全な存在。

この世のどんな宝石よりも光沢を持つその鱗のひとかけらでも手に入れることが出来たなら、子孫繁栄、永劫の富を得ることが出来るだろう。

世界の奇跡を目の当たりにした死の支配者(オーバーロード)は、ただ一人のユグドラシルと言う人生を捧げたゲームをプレイしていただけの男に戻っていた。

「動画でしか見たことなかったけど、いざ自分で世界級(ワールド)アイテムを発動させてみると感動するな」

仲間たちと追い求めた最高峰が、走馬灯のように思い出として浮かび上がる。

 

やがて大地に芽吹くための種のように雫となって地に降り注ぎ、一つの伝説が跡形も無く消えうせた。

 

「あぁ二十が消えた、攻略サイトも情報掲示板もないこの世界で再取得条件探すの大変そうだなー」

既に無いはずの頭が痛み、片手で額を押さえながら軽く頭を振るスルシャーナは、しぶしぶと言う感じでギルド拠点で待っているであろう仲間へとギルド通話(チャット)を飛ばす。

 

「ごめんごめん。”永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)”使っちゃった。一応自己判断で許可受けてたけど、報告だけ先にしておく」

『はいぃぃ!?馬鹿なの!?』

すぐに返答したギルド長代行(レディー・ロッテン舞矢)からの第一声は予想していたものであり、だからこそスルシャーナの報告は謝罪と言い訳を含めたものだった。

いや、この世界との関わりを持っためには仕方がないのだと彼自身に言い聞かせる部分もあったかもしれない。

 

「ごめんごめん。でも"この世界に存在する者全てが種族の垣根なく会話をできる様になる"っていい願いだと思うんだけど。このままじゃ情報収集も出来ないしさ。それにまた取得できる可能性もゼロじゃないだろうし」

頭の中でギャーギャーと仲間たちが喚いて響く声から逃げたいのだが、ユグドラシルの不変の原理は、今しがた圧倒的な力でビーストマンを骸に変えた死の支配者(オーバーロード)にも支配することは出来ない。

『ふむ、使うような事態になったと言うことか』

神父が罪を告白する罪人を受け入れる様に、アーラ・アラフは優しげな声でスルシャーナが陥った事態を理解する。

「それじゃあこれからもう一度現地住民の少女に声かけ――」

『少女に声掛け事案!』

言葉を遮ったのは若い男の声だが、ふざけた事を言うのはどちらの馬鹿だろうか。

どちらも可能性があるから、最早どちらでもいい。後でギルド長という権力を振りかざすと心に誓う。

 

「いや、事案じゃないから。ちょっと黙っててくれ。会話が出来るようになってるか確認して、ちゃんと世界級(ワールド)アイテムの効果があったかどうか報告するよ」

『可愛い女の子なの?』

ごちゃごちゃと五月蝿い脳内に段々と怒りが湧いてくる。

少女の見た目なんかを興味津々に聞く女は、彼の仲間に一人しかいない。

「見た目?普通の村娘って感じの子だけど」

『ギルマスその子連れて――』

「はいはい、わかったから。じゃあ後でな。」

簡単な報連相もままならない仲間たちのはしゃぎ様に、思わず苛立ちを隠せなかった。

 

無いはずの肺から深い溜め息が出るのを感じながら、スルシャーナは細長い骨の指を再び少女へと伸ばす。

世界の理を変えるべく、天地創造に等しい望みを告げた永劫の蛇の指輪(ウロボロス)の効果を祈り、仲間たちとの不毛なやり取りで溜まった苛立ちを感じさせないようにゆっくりと優しげに声をかける。

 

「大丈夫か?こっちの言ってる言葉わかるよな?」

人間の頃の名残りだろうか、緊張から唾を飲み込もうとするが、骨の身体は唾液など分泌しない。

少女はその死をもたらす見た目とは違う声色に目を丸くさせながらも、スルシャーナの問いを理解して首を縦に動かした。

余りに上下に動かすので、そのまま少女の首が取れてしまうのではないかと心配してしまう。

 

「殺さないで!どうかお慈悲を……死の神様」

予想通り、圧倒的な死を撒き散らす存在に対し恐怖に怯えていた様で、少女は今にも平伏しそうな勢いで全力の命乞いを始めた。

ある程度の予想をしていたとはいえ、スルシャーナは年端も行かない少女に恐怖を与えていた対象が自分だった事に落胆する。

「まさか助けた相手に命乞いをされるとは……。何でそんなに怖がる?異業種はこの世界にはいない?」

 

ユグドラシルをゲームとしてプレイしていた頃から、スルシャーナは普段から余り堅苦しい言葉では話さない男だった。

特にそういった信条がある訳ではないが、他人行儀な会話は現実だけで十分だと感じていたし、長年の付き合いになる気心しれた仲間たちとの会話には無粋な物だとも感じていた。

アーラ・アラフがレディー・ロッテン舞矢のNPCであるホワイト・リラに対して、幼い見た目から子供をあやす様な話し言葉で対応していたのを見て、歳はとりたくないものだなと。

 

だが実際に、目の前で儚くも懸命に生きている少女を相手に言葉を伝えようとすると、自然と柔らかい口調の言葉を発してした。

あどけ無さが残る少女に死の支配者(オーバーロード)たる絶対的強者が触れよう物なら、簡単に壊れてしまうだろう。

 

「神を前に恐れ多い態度をとってしまい、申し訳ございません。」

刺突武器耐性はあるはずの骨の身体に、恭しい態度をとる少女の姿がチクリと突き刺さる。

本来であれば、活発で少しくらいお転婆な年頃の少女を、そこまで平伏させてしまったのが自分自身という事に対し、スルシャーナは己を卑下したくなった。

「神ではないんだけどね。別に捕って食うわけじゃないんだから、普通に話してくれないか?」

現実世界であれば悲しげな表情で愛想笑いをしていただろう。

手と指の関節をカタカタと鳴らしながら手を振り、少女を宥める様に物腰の柔らかい口調で続けた。

 

僅かに少女の目から恐怖の色が薄らぐのを感じる。

このまま目の前の少女を皮切りに、人間種との良好な関係を築ければ、喉から手が出る欲するこの世界の情報が手に入るだろう。比喩ではなくスルシャーナの今の身体なら本当に喉から手が出せるかもしれないが。

 

「神ではないのだとしたら、なんとお呼びしたらよろしいでしょうか?」

少女の純粋な疑問が耳に届き、空っぽの脳味噌で考えていた思考は現実へと引き戻された。

果たしてここで名乗るべき名前は『どちらの名前』にするべきか。

社会の歯車となり鬱屈した日本で生活していた頃の名か、新たなる身体と自由な世界に放り出されてからも名乗り続けた名前か。

少し考え事をする様に頭を左右に揺らし、顎の骨に添って撫でるように指を動かす。

「私のことは、そうだな――」

一拍置いて、これから発する言葉を品定めするように続ける言葉を溜めたスルシャーナは、自らを卑下するように目を伏せて頭を垂れる少女に自らの名を名乗った。

 

「――気軽にスルシャーナとでも呼んでくれ」

 

 

 

 

六大神の中でも最強たる死の神スルシャーナ

 

 

骸骨の顔、身に纏う漆黒のローブは闇と一体化するほど大きく、相反する様にきらびやかに光輝く杖を手にしたその姿は、幾多の時を経てなお、吟遊詩人(バード)たちが御伽噺の中で語り継ぐ。

 

 



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2章 幕間

果たして誰が知恵をもたらしたのかわからないが、窓が少なく、建物の角に細長い石造を垂直に積み上げた長短工法による石造建築は、この世界に於ける一般的な建物として広まっている。

 

装飾品のみならず、そういった様式美を持った建造物は山小人(ドワーフ)が得意としており、だからこそ彼らが多種多様な種族と敵対することなく関係を維持できているのだろう。

 

強さこそ全てとも言える強靭な肉体を誇示するビーストマンの国も、限りある国土で年々増加する人口をまかなうために、高床式の木造建築などから生活様式が変わって1世代ほどは経った。

 

推定人口10万人というビーストマンの住まう国土の中でも有数の都市。

その地を治めるのは、国王にも匹敵する権力を保持した元老が治める領地であり、東の山脈の麓一帯に広がる土地だった。

 

そんな長い年月を経て発展してきた都市は、光源のない夜分にあっても周囲を照らす明かりが街中から零れている。

さすがは夜行性も多い種族も抱える都市だと普段なら関心するものだが、その温かみを感じる明るさとは対照的に、街の住人達は喧噪や悲鳴交じりの鎮魂歌を奏でていた。

 

「こんなことが・・・あって良いはずがないのじゃ」

贅沢を極めていたであろう、でっぷりとした腹部を苦しげに揺らして、卑しい目つきの獣人のうつろな表情で街から遠ざかる。

 

背にして振り返ろうとしない街並みからは、大地を震わすひときわ大きな嘶きが3つ。

とても生者が発するとは思えないそれは、逃げる獣人の足を早くさせる。

「儂の・・・元老たる儂の治める地でこのような・・・・・・」

 

紡ぐ言葉は呪詛となり、恨みで相手の命を奪えるのであればどんなに容易いことか。むしろ、あれ程の怪物を野に放った彼の者が呪詛を紡げば、恐らくは本当にあらゆる生命を刈り取ることが出来るだろう。

 

最早、都市に住まう住人は一人残らず助からないだろうことから、元老パーシアンが逃げ延びねばこの大虐殺が誰によって引き起こされたものなのかも隠されてしまう。

真実とは勝者が作り上げるものである。この世界で2〜3指に入るビーストマンという種族の栄光の歴史も、まさにそれを物語っているのだ。

 

今回の元老パーシアンが統治する都市への襲撃で、大幅に勢力を失うことになった彼らが、この先の世界で強者として君臨し続けるのは困難であろう。表面上は表立ってぶつかり合うことの無かった牛頭人(ミノタウロス)も、この気を逃すことなくビーストマンを滅ぼしに動く可能性も大きい。

 

彼らの種族に待ち受ける絶望的な未来を悲観する元老パーシアンは、既に都市部からの喧噪が聞こえなくなった場所にたどり着いていた。

このまま何とかして生き残るにはどうするべきか、豚の様な鼻から息荒く呼吸を整えながらビーストマン国の首都に情報を持ち帰る方法を模索する。

 

贅沢により溜め込んだ脂が排出されるよう、醜い顔中に湧き出る汗を脱ぐうべく一息を着く。フーフーと短く呼吸を繰り返し、近くにあったちょうど良い大きさの岩に腰掛るために手を伸ばした。

しかし、体重を支えてくれるはずの腕は力が入ることなく前のめりに岩に倒れみ、顔面を強打すると共に激痛が走る。

 

一瞬、何が起きたのか自身でも理解できないパーシアンは、少し重めの何かが地面に落ちる音を耳にすると、岩に押し付けた顔に生暖かい液体がかかった。

 

それが何か理解する前に、何十年も調律をしてこなかった弦楽器を無理やり弾き鳴らした様な、不快な音が馬上ほどの高さから発される。

 

「貴様が最後の一人だ。我主の命に従いその命を頂戴する」

どことなく高潔な口調を思わせる言葉が死刑宣告を告げると、そのおぞましい声色も相まって一気にパーシアンから体中の体温を奪った。

 

肘から先が無いことにようやく気がついたのは、視界が揺れて醜く太った身体を正面から見ることになってからだった。

元老パーシアンが最期に耳にするのは、街に死を告げた馬の嘶き。

 

 

それは6柱の神が降臨してから1週間後に起きたとされる伝承の一幕である。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

太陽が真上に頂く真っ青な空を、純白の天使達が賛美歌を奏でて舞う。

その日、強大な軍事力を誇るビーストマンは牙を失った。

 

 

 

 

 

 

スルシャーナが死の神として顕現した時と同刻、ビーストマン約350名からなる救出部隊はアントゥールダウン城砦を襲撃した。

種として劣る人間の守る拠点などを攻めるのは、本来ビーストマンから考えれば攻防とは言えない一方的な虐殺である。

だが、襲撃と同時に彼らの誰もがそのような甘い考えは捨て去った。

 

 

城壁の上から群がる獣共を見下ろした聖職者は、袂を揺らして両手を広げると、低めの声量で周囲一体に声を響かせる。

 

「《アーマゲドン・グッド/最終戦争・善》」

 

虫の鳴き声、風の切る音、ビーストマンの足音、息遣い、武器や防具の打ち鳴らす喧騒、それら全てを含めて戦場から音が消え去った。

 

 

ドの全音。金管楽器の音が響く。

大気から零れ落ちる様に淡い光の玉が現れた。

 

レの全音。金管楽器の音が響く。

淡い光の玉は周囲を覆い尽くすべく、無数に、どこから現れるのかわからないまま無尽蔵に生み出された。

 

ミの半音。金管楽器の音が響く。

周囲を覆う淡い光の玉は大小様々な大きに変わり、空気中の見えない流れに乗って漂い始めた。

 

ファの全音。金管楽器の音が響く。

淡い光の玉は、その形を残したまま隣り合った光と結合を始めて、大きさを変えていく。

 

ソの全音。金管楽器の音が響く。

淡い光の玉は無数に人型を形成し、召喚主の真上に位置する1体のみがその大きさを増していた。

 

ラの全音。金管楽器の音が響く。

人型の淡い光の玉は4属性の上位天使(アークエンジェル)となり、悪魔を滅する聖なる存在として召喚された。

 

シの半音。金管楽器の音が響く。

最後に召喚主の真上で、神の啓示を伝えるべく召喚されたのは、巨大な天使。

右手に剣を、左手に秤を手にした無数の天使軍を率いる軍団長。最高位天使である太陽の熾天使(セラフ・ティファレト)は静かに戦場を見渡す。

 

生み出された天使たちは歓喜、感謝の賛美歌を神に捧げ、召喚主は祝詞をあげる。

それと同時に喧騒が舞い戻り、ビーストマン達は目の前で起こされた神の身技が、部隊中で恐怖となって伝染した。

 

召喚魔法で生み出される汚れなき聖なる存在は、それと初めて相対するビーストマン達にとって生命を感じられない不気味な種族。

 

唯一、それくらいの事を成し遂げると予想していたビーストマンの戦士長は、周囲の動かない仲間たちを鼓舞すべく野性的な遠吠えを上げる。

もしかすると、挫けそうな己の心を奮い立たせる為の物だったか、それは定かではないが、ビーストマン達は彼らの英雄による鼓舞を耳にした。

 

戦場で赤子の様に泣いていては強靭な肉体を持つビーストマンの名が廃る。何より彼らの行動原理は強者への追従。

自らが認める戦士長の一喝が、この世の物に思えない目の前の光景よりも今はまだ強者であると信じている。いや、信じていたかった。

 

果たしてどれほどの数が居るのかすら把握出来ない天使の軍勢は、アーラ・アラフが得意とする第10位階の召喚魔法。

人数が少ない彼らのギルドにとって、それを補うタンクの大量召喚は、幾度もユグドラシルのイベントを攻略する際に使用された。

 

天使の最高位熾天使級、Lv95の太陽の熾天使(セラフ・ティファレト)

Lv95相当の召喚モンスターにしては自身のステータスは乏しい。しかし、自軍構成員の攻撃力、防御力を大幅に引き上げ、自らも上位天使(アークエンジェル)監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)等、第6位階以下の召喚魔法で召喚出来る天使を、MPがある限り回数制限なく召喚が出来る。

そして、回数制限はあるが第7位階から第9位階の召喚魔法が必要な天使を、MP消費がない代わりに各位階3回〜1回召喚可能であるが、総合的に見ると熾天使の中では下から数える方が早い強さ。

 

 

未だ恐慌状態の残る中で体制を立て直す前のビーストマンに向け、太陽の熾天使(セラフ・ティファレト)が右手に持つ剣先を向けると、天使の軍勢が行動を開始した。

 

いくら第10位階召喚魔法で呼び出した天使の軍勢と言っても、冷静に見ればビーストマンの人数の方が3倍近くはいるだろう。

しかし、彼らにとって初めての事象である、無から天使を生み出す未知なる魔法は、数の利を得てなお、圧倒的な力への恐怖を与える。

 

大きく広げた2枚の羽根と、ドワーフの名工すら霞む美しき甲冑を身に纏い、収穫時期の重く垂れた麦穂を思わせる金色のしなやかな髪。

天使の中でも熾天使(セラフ)級という一際神の寵愛を受ける神に似た者は、深緑の瞳に敵を映しだした。

 

行動を開始した天使という死の概念がない存在は、待ち構える形となるビーストマン達へと切り込む。

 

上位天使の振りかざした剣の一撃は、最前線でビーストマンの持つ得物とぶつかり合った。

戦場特有の喧騒が舞い戻り、金属を打ち付け合う鍔迫り合いの音が至る所から奏でられる。

 

勢いのまま切り込んだ上位天使のほうが、やや押していると見えるが、ビーストマン達は上位天使とのレベル差が然程離れていなかった事もあり、開始早々圧倒的な殲滅戦にはならなかった。

 

「《サモン・エンジェル・4th/第4位階天使召喚》」

拮抗した前線を見て、絵画の様な美しき顔に影を落とした太陽の熾天使(セラフ・ティファレト)は、賛美歌を奏でる聖歌隊を思わせる声で第4位階の召喚魔法で監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)を召喚する。

 

アーラ・アラフ以外は皆同じ様に城壁の上で佇んで、天使が織りなす未知なる戦場を見つめたまま、それ以上手を出す素振りも見せない。

 

濁流の如く襲いかかる天使を相手に善戦するのは、部隊長と思わしき数名の獣人達。

更にその中で飛び抜けた動きを見せて、監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)によって強化された上位天使達を屠るのは、興奮気味に笑みを浮かべ、血に濡れて黒く染まった(たてがみ)を揺らす、まさに獅子奮迅のビーストマン戦士長リオン。

千切っては投げるという表現が相応しい働きで、ビーストマンの戦士達が倒れる数より多くの上位天使を、着実に両断していく。

 

目の前を塞ぐ上位天使を横薙払いで倒すと、血路を開くべく上位天使の奥に控える監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)へと突入。

障害の無い場所であれば10秒とかからない、おおよそ100m程度の距離だが、それを阻止すべく2体の上位天使も進路を塞いだ。

 

そんな状況を打破しようと、黒の毛並みを所々出血で赤く染めたビーストマン副官のクーガは、リオンの脇を抜けて一人で天使2体の足止めをする。

この戦闘自体には勝利など無い。彼ら自身、攻撃を仕掛ける前から理解していた事だが、それでもまだ目の前の脅威から逃れる事はしない。

捕らえられた仲間を救う、ただその1点がビーストマン達の勝利条件。

 

僅かな時間になるだろうが、命懸けでリオンの進路を作り上げた部下の働きが一切無駄にならぬよう、地を蹴る足に尚更力を込める。

 

迫りくる対象を認識した監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)は、目の前で跳躍した戦士長リオンを迎撃すべく、手にしたメイスを振り下ろした。

 

 

 

 

疲れを知らない天使とは違い、次第に蓄積される疲弊によって苦悶の表情を浮かべるビーストマン達を尻目に、太陽の熾天使(セラフ・ティファレト)は減った分だけ再詠唱時間(リキャストタイム)の少ない第3位階召喚魔法を用いて上位天使の補充をした。

 

力尽きた前線に楔を打ち込む様に、戦場に僅かな綻びが見受けられ始め、少しずつ、すり潰されるビーストマンの部隊。それはジリ貧とでも言うべきか。

血と砂塵の舞う戦場は赤茶けた大地を、より妖艶な淑女の口化粧色へと染め上げる。

 

そんな光景を目の当たりにするアーラ・アラフ達が、先遣隊の受けた一方的な蹂躙との違いを感じ取ったのは、風に乗って微かに耳に届くビーストマン達の断末魔。

半日前までは獣が吠えるだけの鳴き声だった物が、意味を持った言葉として頭の中に入り込む。

 

元々ただの一般人でしかないアーラ・アラフ達にとって、それを耳にしてからは更なる追撃の魔法を戦場へもたらす事を躊躇させた。

 

無論、召喚魔法によって生み出された太陽の熾天使(セラフ・ティファレト)にとっては、そんな召喚主の抱く感傷など無関係であり、天軍を率いる軍団長は慈悲など微塵もなく、戦場に天使を送り込む為に攻撃の手を緩めない。

やがて訪れる終焉の時は、着実に数を減らしていくビーストマンのすぐ目の前まで近づいていた。

 

 

 

 



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