パラレルワールドの女神達 (藤川莉桜)
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その1

「なんじゃこりゃあ……」

 

「飛鳥君やん。お疲れ様ー」

 

扉を抜けると、そこは不思議の国でした。

 

「あのー……先輩?これは一体何事でございますでしょうか?」

 

扉を開ければ見知っているはずの『超常現象研究会』の部室が待っているはずだった。のだが、何故かそこは異次元空間と化していた。そもそも部屋の前に来た時から扉から漏れ出る大量の煙に我が目を疑ったものだが、いざ中を見てみればさらに壮絶の一言。

床にはアボリジニだとかネイティヴアメリカンだとか先住民族の文化を彷彿させる怪しげな木製の不気味な人形が所狭しと並べられていて、壁を見渡せば同じく不気味な仮面が均等に飾られていた。

さらには隅に置かれたCDコンポからはこれまた似たようなセンスの胡散臭い民族音楽が流れている。

こんな狂気じみた光景、とてもじゃないが先生はおろか他の生徒にすら見せられない。

唯一の救いは大量の煙の正体はただのドライアイスだったことくらいだろう。

 

「飛鳥君、見てわからんの?」

 

恐らく、というかほぼ確実にこの不可思議な事態の元凶であろう、部長席に座っている長い髪をおさげにした少女を凝視する。

少女は衣服こそ我が音ノ木坂学院高校の指定制服であるブレザーとネクタイとスカートの組み合わせそのままであるが、頭部に極彩色の羽根飾りを乗せ、顔には奇妙な赤いペイントを施し、全身にはこれまた怪しげな木製アクセサリーをジャラジャラと装備しており、一言で評すればただの不審人物。

そんな少女の姿を見て俺の返答は一つしか無かった。

 

「全くわかりません」

 

「はー、仮にも超常現象研究会員がそんなんとか、この先が思いやられるわー。これはね。アフリカのジャングル奥深くに住んでいる先住民族、ブイラブラ族に古より伝わる神降ろしの儀式なんよ」

 

「いや、ブイラブラ族なんて名前すら聞いたことないですけど」

 

なるほど。やっぱりよくわからん。

 

「ブイラブラは古代マヤ文明の末裔と言われてるらしくてね。太陽と月の運行を解析して最もスピリチュアルパワーが高まる日時を算出し、豊穣の神カノーホとの交信することで農作物の豊作や子沢山を確実なものにしとったらしいんよ。なんせブイラブラの男性は強靭にして長寿、女性は皆絶世の美貌の持ち主にして子沢山らしいからね。その効果は折り紙付きだと思うんよ!」

 

『らしい』とか『思う』を使いすぎじゃねえか。つーかそのブイラブラとかカノーホとか実在すんのかそれ。という疑問は一先ず飲み込んでおく。とりあえず、

 

「希先輩……古代マヤ文明は……アフリカじゃなくて中米です」

 

明らかにおかしい部分だけ指摘しておく。

 

「えー?おかしいなー。掲示板サイトに書いてあった内容を一字一句間違えずに覚えたはずなんやけど……」

 

「そのサイトの書き込みがおかしいんじゃないですかね」

 

「まあでも効果さえあればルーツがアフリカでもインドでも南極でも問題ないんやないかな、うん」

 

「いや、大いに問題あるでしょ。起源がデタラメなら効果だって眉唾なわけで……」

 

「んもう!飛鳥君のイジワル!せっかくそれっぽい勧誘文句思いついたのに全部台無しやないの!」

 

おさげの関西弁少女ー東條希先輩は憤慨した様子で顔の水性ペイントをタオルで拭う。プンスカという表現が似合いそうな怒り方だ。顔立ちの愛くるしさが災いして怒っててもいまいち威厳が足りない。

 

そもそも俺には叱責を受ける道理など全く無いが。

 

「いや、マジで意味わからないですよ。なんで僕が悪いみたいになってるんですか」

 

「知らぬが仏って言うやろ?効能を信じてる人に『マヤ文明は中米です』なんて細かい事はほんまに無粋すぎるんよ。ウチのスピリチュアルパワーで幸せになれるなら起源の正しさなんてほんの些細な問題や!」

 

「それ思いっきりインチキ宗教の理屈じゃないですか!」

 

「こんな霊験あらたかで効果抜群なウチの祈祷をインチキ宗教だなんて言いがかりも良いとこやね。希ちゃんは君をこんな不躾な後輩に育てた覚えは無いで!」

 

「いや、誰がどう見てもインチキ宗教ですから!まさかこれで変なグッズ使った商売を始めるつもりだったんじゃないでしょうね⁉︎」

 

ヤレヤレと言わんばかりにわざとらしく肩をすくめる希先輩。美人だから似合ってはいるが、ちょっと腹が立つ。

 

「まっさかー、いくらなんでもそんな人聞きの悪いマネするわけないやろ?ただ、ウチはこの我が校最弱最小にして今にも潰れそうな超常現象研究会に救いの手を差し伸べてくれる優しい人に……」

 

鞄から一枚の書類を出す希先輩。会員登録と書かれたその紙には希先輩と俺のフルネーム『桜井飛鳥』の名前が書き込まれている。その下の欄は何も書かれていない真っ白の空白だ。

即ち、この超常現象研究会には現状、俺と先輩しか部員が存在しないということを示している。

 

「幽霊部員でも良いから名前を貸してもらいたいだけやからね!」

 

ニッコリと蔓延の笑みを浮かべながらVサインを決める希先輩。一応唯一の後輩である俺は、占いや風水といったオカルト趣味に傾倒しまくっているこの部長さんのとてつもないポジティブシンキングに溜息しか出てこない。

 

「そんな物好きそうそういるわけないでしょ……」

 

というか、こんな胡散臭い活動内容を目前にしたら、逆に裸足で逃げ出す生徒が続出してしまうだろう。

この人って行動力の高さに反して、内容のズレ具合が凄すぎるんだよなあ。

本気で部員を増やしたいと思っているのか、ただ単に馬鹿騒ぎしたいだけのなのか、先輩とはかれこれ一年近い付き合いになるはずなのだがいつもニコニコはしゃいでるだけによく分からなかった。

 

「そんな物好き、いるやないの」

 

「……っ!?」

 

そう言って先輩は俺の目と鼻の先まで顔をグイッと近づけてきた。先輩と俺の視線が交差する。磨かれた翡翠を思わせる淡い色彩を放つ大きな瞳が俺の視界に飛び込んできた。

 

(いつ見ても綺麗な目だな……)

 

二つのライトグリーンの宝石をもっと奥まで覗き込みたい衝動に駆られてしまいそうだ。おまけに年頃の女性特有の華やかで甘そうな香りが俺の嗅覚と感情を刺激する。

魅力的な少女にここまで距離を縮められた場合、女性慣れした男ならば何かしらのアプローチを決行しただろうか?

無論俺はそんな人生経験は皆無。次に移した行動は……重なり合った視線を全力で逸らすという思春期の小・中学生染みたものだった。

 

「ここに……ね!」

 

あまりの気恥ずかしさに目を背けてしまった俺の胸元をツンツンと人差し指で突く希先輩。

ちょんと押されただけであって力が篭もっていたわけでもないのに、貧弱を地で行く俺の体は、先輩の急接近で少々冷静さを失っていたのもあって容易くフラついてしまった。

 

「そ、それは仕方ないでしょ。帰宅部よりどこかに所属している方が内申点で有利になるし、でも練習を強要される部活には入りたくなかったし……勧誘の際に『名前貸してくれるだけで良いから』って言ってたのは先輩ですよ!」

 

「あれー?そうやったっけー?」

 

口元に人差し指を当てながら首を傾げる。

 

「まあ、でも飛鳥君、幽霊部員を自称する割には思ったより部室に来てくれるし、ウチの手伝いも結構やってくれるし、これでもウチ感謝してるんよ?」

 

くすくすと笑いながら言われても信じれません。

 

「とにかく!僕が超常現象研究会に入ったのは偶然だし、先輩の手助けをやってるのも僕の気まぐれでしかないんですから!本気で超常現象研究会を存続させたいのなら、もうちょっと真面目に考えてみて下さい!」

 

「えー?これでもウチの頭を全力で捻って用意したベストなアイデアだったんやけどな〜」

 

ベストどころか潰れかけの弱小同好会にトドメを刺さんばかりの勢いですわ。

 

「全力で捻って何故胡散臭い新興宗教紛いの勧誘になっちゃうんですか……」

 

「まあ焦らない焦らない!ウチと飛鳥君で二人!あと三人集めれば部に昇格するんやから!たった三人よゆーよゆー!」

 

と、ここで俺はようやく先輩への用事を思い出す。俺は本来伝えたいことがあって部室に顔を出したはずだったのだ。が一連の謎の儀式のせいですっかり忘れてしまっていた。

先輩の『部に昇格』発言でようやく遥か彼方へ消えていた記憶を取り戻せた。

 

「あー……それがそうも言ってられなくなってるんですよ」

 

少々言いづらい内容だけにどうしても歯切れが悪くなってしまう。そんな俺の様子を不審に思ったのか先輩が眉を顰める。

 

「先輩も見ましたよね。廃校の告示」

 

俺は数日前に職員室前の掲示板に貼り出されていた『廃校……?』と痛烈な見出しで煽るに煽っていた校内新聞を回想した。

 

「ん……まあね。さすがにあれはおったまげたわ」

 

普段は脳天気を絵に描いたような女性であるはずの希先輩の表情が一気に曇る。そりゃそうだろう。自分が今在籍してる学校が数年後には更地になりますって言われたら戸惑うしかない。例え予想の範囲内であってもだ。

 

ここ国立音ノ木坂学院高校は近年、少子化と近辺地域のドーナツ化現象の煽りを受けて急激に生徒数を減らしている。特にここ二、三年は毎年クラスが一つづつ減っていく有様。今年の新入生に至ってはギリギリ一クラスを構成できる人数しか集まっていない。来年はもしや四十人も受験者がいないのではないかと言われている。職員室の先生方は今頃来年度入学希望者の予測に戦々恐々としているに違いない。

 

「飛鳥君の代で共学化してもこのザマやからなあ……今年の一年は一クラスだけだし、この調子ならいずれはその日が来るだろうとは思ってたけど、まさか自分の代で死刑宣告を突きつけられるとは想像もしとらんかったから」

 

死刑宣告ってのは流石に表現が大袈裟だが気持ちは分からないでもない。俺だって自分ではそこまでこの学校に愛着を抱いてなかったつもりだが、いざ自分の母校が消えて無くなるのだと面向かって宣言されても一切ショックを受けてないなんて言ったら嘘になる。

どうやら自分で思っていた以上にこの学校で過ごしてきた一年間は自分の中で大切な物になっていたようだ。ましてや俺より長い間、二年以上音ノ木坂の生徒として高校生活を送ってきた希先輩ならその想いは一層強くなっているはずだろう。

 

しかし、廃校を阻止しようと立ち上がった有志達の頑張りにも関わらず、古い伝統位しか誇る部分が見当たらないこの学校においては具体的な打開策も何一つ用意できずにいる。

インターハイ出場だとかT大合格者誕生だとかそんな中途半端な内容では駄目だ。なんせここ数年で急速に廃校に追い込まれた理由は"少子化だけではない"のだから。

 

と、まあ我が校に迫る危機について解説してみせたが、今ここで重要なのはそこではない。

 

「実は廃校の煽りで部活動全体の予算縮小と弱小部の廃統合が決まってしまいまして……同好会から部に昇格するには所属部員が九人以上と規則が変わってしまったんです」

 

「ええええええええええええっ!!!!!!」

 

希先輩の叫びが部室中をこだまする。ずいぶんとショックを受けているようだが、あいにく悪いニュースはこれだけじゃない。

 

「ですから、僕らが集めないといけないのは七人なんですよ。おまけに今後は弱小同好会に関しては強制廃部という可能性もあるらしくて」

 

「き、強制廃部?まさか決定事項なん?嘘やろ?嘘だと言ってよバーニィ……」

 

先輩の表情が青ざめていく。なんせ超常現象研究会は自他共に認める弱小部活。いざ淘汰が始まってしまえば真っ先に白羽の矢が立つのが目に見えているのだからこの反応も当然だ。

 

「いや、まだ決まってませんけど、生徒会長と先生がそう話してましたから……」

 

この世の終わりを見たかのように目から光を失った先輩がへなへなと床に倒れこむ。廃校よりもダメージ大きいんじゃないだろうか。

 

「あの……先輩……まだ決まったわけじゃないですよ!あまり気を落とさず……」

 

「そんなの……」

 

希先輩はゆっくりと立ち上がると、拳をぎゅっと握りしめて何かを決意したかのように叫ぶ。

 

「そんなのあかんよ!」

 

翡翠のような美しさだと比喩したライトグリーンの瞳には今、とてつもない火力の豪炎が燃え盛っている。

 

「これは我が音ノ木坂学院超常現象研究会始まって以来最大の危機や!このまま手をこまねいて見てるわけにはいかん!もっと頑張って部員を集めんと!」

 

部室を魔改造して大騒ぎしたり、激しく落ち込んだり、かと思えばすぐ復活してやる気を爆発させたりと本当に忙しい人だ。

 

「いや、先輩の場合、行動はしてるけど方向性がおかしいだけで……」

 

「飛鳥君、こんな重大な機密情報を教えてくれてサンキューな!生徒会に優秀なスパイを放っておいた甲斐があったというものやね!」

 

はい聞いてなーい。全力スルー。というかいつから俺は希先輩専属のスパイになったのだ。別にこんなの機密情報でもないし、近日中に全ての部活へ通達が行くだろう。それがほんの少しだけ早まっただけの話だ。

しかし、もはやツッコミに疲れつつあった俺は力無く適当に返事するしかできなかった。

 

「はあ……どうもありがとうございます」

 

「ふふふ……飛鳥君みたいな優しくて良い『後輩』がいてくれて助かったわ〜。やっぱり持つべきは『友達』やね!」

 

「『後輩』……『友達』……」

 

「俄然燃えてきたわ〜。早速新しい会報を作るための資料を集めんと!そうと決まれば、まずは秋葉原周辺のパワースポット巡りやな!なあに!ようするに残りの部員を七人集めればええってだけの話なんやろ?元よりガンガン部員が増えるなら三人も七人も大差ない!そうやろ?」

 

「……そうなんでしょうかね」

 

「じゃあウチは取材に行ってくるから飛鳥君は部室の片付けよろしゅうな!」

 

俺の返事を待つ間も無く、希先輩はバタバタとド派手な音を立てながら部室から出て行った。何やら面倒ごとを押し付けられた気がするが、今の俺はそれどころではない。

なんせ俺の心は酷く手痛いダメージを受けているのだ。

中学時代の友人が皆、近年誕生したオシャレで綺麗な学校に進学する中、俺だけが家庭の事情で音ノ木坂に行かざるをえなくなった時よりも重症かもしれない。

もはやオーバーキルと表現しても良いだろう。

 

「『後輩』……『友達』……」

 

何度も繰り返して呟く。

俺は希先輩から『異性』として見られていないという非情な現実を噛み締めている。

 

「はあ……」




漫画版をベースにした話を書いてる人が圧倒的少数派だったために一念発起して作ってみました。なお参考のために電子書籍をスマホにダウンロードしています。改めて見ると巻が進む毎に絵や言動がアニメに近くなっているかな?という印象はありますが、このまま独自の結末を迎えて頂きたいところ。近い内に連載再開とのことで楽しみです。


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その2

先日発売された電撃g'sマガジンで休載中だった漫画版の連載再開しましたね。まあ、あの雑誌他に読むの無いから買うの迷ってますけど。


「えーっと、数学は小テスト、古典は宿題の答え合わせが中心でしたまるっと」

 

とある放課後。オレンジ色に染まった教室の中で俺は一人黙々と日誌と向かい合っていた。早い話が日直の仕事って奴だ。

俺個人はこの役目は嫌いじゃないが、ダラダラと長引かせる理由もない。日誌以外の仕事にも早く手をつけるため、丁寧さを心掛けつつも迅速に空欄を埋めていく。

そんな俺の元へとトコトコ歩いて近づいてくる小柄な女子生徒が一人。

 

「ねえねえ桜井君、桜井君にばかり仕事させちゃってるの良くないと思うから、せめて戸締まりだけでも私がしておこうと思うんだけど」

 

あいうえお順で"さくらい"の一つ前の"こうさか"であるために俺と日直のコンビになっているクラスメイトの高坂穂乃果女史が俺に話しかけてくる。俺は日誌から目を離さずに記入作業を続けつつ、左手で振って彼女の提案を断っておく。

 

「ああ、いいよ。後は全部俺が一人でやっとくからさ」

 

別にフェミニストを気取って女の子からの印象を良くしておきたいわけでもない。俺は単に日直の仕事のような地味で細々とした作業が大好きなのだ。

特に黒板を消したり、教室の戸締り確認なんかは典型的なルーチンワークって感じで楽しい。これイマイチ周りに理解してもらえなんだよね。なんでだろう。

 

「え、いくらなんでもさすがに悪いよそんなの。桜井君って確か生徒会に入ってるんだよね?遅れちゃうんじゃない?」

 

これが希先輩なら大喜びで俺に任せて帰っていきそうなものだが、高坂さんは他人に仕事を押し付けることに躊躇いを感じるお人好しのようだ。

 

「いいっていいって。どうせ今日は急いでやらなきゃならない仕事なんて無いからさ。それに日直の仕事も大して残ってないんだし」

 

全ての記入欄を埋めたのを確認した俺は日誌をパタンと閉じる。後は黒板をみっしりと埋め尽くしているチョークで書かれた英文を綺麗さっぱり消し去り、教室にの戸締まり確認をして鍵を掛ける。そして、この日誌を担任の机に置けば、俺は晴れて日直の仕事からお役御免ってわけだ。

 

「うーん。でも」

 

まだ遠慮してんのか。

 

「高坂さんこそ、一年生が沢山入ってきて剣道部大変なんじゃないの?」

 

普段のほんわかとした雰囲気に反して意外や意外、この高坂さんは去年は一年生にして秋の大会を制覇した剣豪だったりするから世の中わからないもんだ。

運動場を一周走るだけで息が上がってしまう超絶貧弱もやしっ子の俺が言うのもなんだが、高坂さんは他の同世代女子と比較しても華奢な部類に見える。そんな彼女が竹刀でバッタバッタと敵を薙ぎ倒していくなんていまいち想像がつかないな。

 

「早く行きなよ。次の大会も期待してるからさ」

 

てっきり『そうだね。じゃあお願い』みたいな返事が来ると思っていたのだが、返ってきたのは予想と違う彼女の取り乱した姿だった。

 

「えっ!?えええっ!け、剣道!?あー、剣道……かあ。あははは……」

 

「ん?」

 

普段は竹を割ったような快活な言動が持ち味の彼女らしかぬ歯切れの悪い反応に、俺は思わず疑問符を浮かべてしまう。

 

「いやー、実は私、ちょっと前に剣道部辞めちゃったんだよね……」

 

「えええ!?なんで!?次のインターハイ出場も夢じゃないとか言われてたのに勿体ない!」

 

思わず声が裏返ってしまった。

正直言って俺は高坂さんのことはよく知ってるわけでもないし、日直以外ではまともに会話すら無い程度の関係でしかない。が、彼女がよりにもって剣の道を捨てる選択をしたと聞いて驚かない二、三年生などおそらく校内には存在しないだろう。

クラブ活動で特に目立った功績を持たない我が校において、突如現れた天才剣道少女の『二人組』の片割れ、学校の名を全国に轟かせるであろう希望の星として大々的に表彰されていたのはまだ記憶に新しいからだ。

というか校門や廊下には未だ高坂さんの業績を讃える垂れ幕が掛かっているしな。あれで彼女に憧れて剣道部に入った新入生もいるのではなかろうか。

 

「ええっとね。それがね。私、これからはスクールア……」

 

高坂さんの話は教室の扉が突如開けられたために途中で途切れた。入ってきたのは一人の少女だ。教科書でも忘れてたのか?

 

「……」

 

少女の腰まで届く綺麗な黒髪が、少しだけ空いた窓から吹き込むそよ風によってさらりと揺れる。

突如現れた闖入者は不審人物でもなんでもなく、俺も知っているクラスメイトの一人だ。

人形のように整った容貌に収められた琥珀のようにきらびやかな瞳はまっすぐ()()()()()捉えている。

 

「あれ?園田さん?もう教室閉めるから何か用事なら早めに……」

 

一枚の紙を手にしている園田さんは、表情を一切変えず高坂さんに向かってゆっくりと突き進む。

 

「海未ちゃん……」

 

剣道部期待のツートップのもう一人、園田海未さん。彼女と高坂さんはここにはいない後もう一人の女子生徒も合わせて、いつも行動を共にしている。詳しくは知らないが、どうやら高校以前からの付き合いらしかった。

が、今の二人にはそんな仲良しの雰囲気は全く感じられない。

なんせ園田さんはさっきから表情を強張らせたまま高坂さんを睨みつけてるし、高坂さんは怯えた目をしながら戸惑っている。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

え?なにこれ?むっちゃ空気重いんですけど。

ちなみに今の俺は外野らしく、なるべく呼吸も抑えて教室に存在しないかのように振舞っているよ。藪蛇はごめんだし。

教室が静寂に包まれ、時計の針だけが無限に進んだかのように思える中、園田さんが手に持っていた紙を黙って高坂さんに突きつけたことでようやく俺達の時が動き出した。

 

「これって……」

 

俺は二人に気づかれないように横から視線だけ変えてこっそりと用紙に覗き込む。内容は一週間後に行われる新入生歓迎会や五月の他校との練習試合。どうやら剣道部のスケジュールが書かれているようだ。

二人の間に走る緊張感から一体何事かと思ったが、こんなもんを渡すだけでここまでギスギスした空気になるものだろうか。まだ四月だというのに教室の気温が急激に氷点下まで低下している気がする。

 

あれ?そう言えばさっき高坂さんは剣道部を辞めたって……

 

「顧問の先生から穂乃果にこれを渡すように頼まれただけだから……穂乃果は剣道を辞めたんだからもう関係無いと言ったんですけどね」

 

「……っ」

 

「てっきり校庭でことり達と『例のアレ』でもやっているのだろうと思っていたのですが、穂乃果だけいなかったので。今日は日直だというのを失念していました」

 

教室に入ってきてからようやく口を開いた園田さん。元よりクールなイメージを与える人ではあるけど、今の彼女は寄らば斬りますと言わんばかりに鋭利な刃物を持って近づく者全てを拒んでいるかのようだ。

相変わらず話全体の流れは読めていない俺だが、それでも高坂さんの退部は決して円満な形ではなかったのだろうということは理解できた。

 

「先生や部長達はどうやら退部は一時の気の迷いですぐに戻ってくると思ってるみたいです。私としては、こんな浮ついた気持ちで今更練習に参加なんてされても、逆に部のみんなに迷惑を掛けるだけだと思うのだけれど」

 

完全アウェイのはずなのに何故か二人に挟まれる位置にいる俺。とても俺が口を挟める雰囲気ではないし、だから早く逃げたいけど下手に動いて物音を立ててしまうのも想像するだに恐ろしいというもどかしさ。

 

「海未ちゃん!私……!」

 

高坂さんが何か言いかけるが、園田さんの氷よりも冷たいひと睨みがそれを制止する。あまりの迫力に言葉を失ってしまったようだ。俺だって怖いと思った。

 

「悪いですけど、これから新入生の指導を行わなければなりません。誰かさんが急にいなくなったために穴埋めが必要になりましたから」

 

園田さんが教室を出て行く際の扉を閉める音は、俺と高坂さんしかいないこの部屋でかなり派手に鳴り響いた。うーん、あの様子だと彼女は相当御立腹と見える。クールでお淑やかな美人は怒らせるとギャップが凄いんだな。

俺だってあまりに恐くて軽く足が痙攣してるもの。冷や汗も軽く垂らしてるし。園田さんを追いかけようとしていたはずの高坂さんに至ってはビクッと体を震わせ後、その場で動けなくなっている。

 

「海未ちゃん……」

 

女性の扱いに長けたコミュ力の高い男ならば、ここで悲しみに打ちひしがれている高坂さんに何かしら気の利いた慰めでも掛けてやれたかもしれない。

しかし、あいにく俺という男はそんな立派な甲斐性は持ち合わせておらず、彼女との単なるクラスメイトという関係を突破できるような勇気も備えていないのだ。

よって偶然居合わせた目撃者Aにして、ただの同級生A以外の何者でもない俺がやってやれるのことは僅か。せいぜい自分で考える時間をほんの少し分けてあげることくらいのものだ。

 

「あのさ……やっぱり俺が日直の仕事全部やっとくよ。こういう時は一人でボーッとして時間が過ぎるのを待つのが一番だと思うから」

 

「うん……ありがとう……」

 

いつも仲の良い園田さんとの仲違いは相当堪えたのだろう。普段の脳天気な姿からは想像できない程に俯いている高坂さんは、そう言ってトボトボと意気消沈した様子で教室から出て行く。

 

結局何が何だかさっぱりわからなかった俺だが、女の喧嘩って恐いという人生の教訓だけは得ることができたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあ……」

 

日直の仕事を終えた俺は、今度は生徒会室にて生徒会役員として与えられていた仕事に向き合っていた。別に難しい内容ではないはずなんだが、さっきの高坂さん達の喧嘩を目の当たりにしたのがまだ尾を引いているのかイマイチ集中できない。

おかげで予定とズレて俺と人一倍の量で仕事を担当している生徒会長以外の生徒会メンバーは早々に自分のノルマを終わらせて帰ってしまった。

当事者でもないのに園田さんの迫力に精神を削がれるとはどんだけナイーヴなんだよ俺。

 

「ほんとにどうしたの桜井君?さっきから何度もため息なんて吐いちゃって。もしかして任せてた同好会予算まとめの作業が嫌になっちゃったとか?」

 

幾度もペンの動きが止まってしまっている俺の様子が心配になったのか、我が校の生徒会会長、絢瀬絵里先輩が自分の作業を進めつつも俺の顔を覗き込んでくる。

 

「いえ、そういうわけじゃないです。ただ、まあ個人的に憂鬱になりそうな事態に直面してしまいまして……」

 

「まあ、それはいけないわ。せっかく新年度がスタートしたばかりなのに災難だったわね。でも、ため息は駄目よ。よく言うでしょ?ため息を吐く度に幸せが逃げてしまうって」

 

ポニーテールで纏めた鮮やかな金髪が印象的な絢瀬先輩は人差し指を立てながらウインク。もしも俺が同じポーズを決めたらあまりの似合わなさに噴飯物だろうが、外国人の血が成せる日本人離れした容姿の持ち主であるこの人の場合は逆に野太い声と黄色い歓声が飛び交いそうな程似合っている。

 

「そんなんじゃ見てる周りの人までも気持ちが沈んでしまうわよ。一人で抱え込まないでたまには吐き出しなさい」

 

歴代最高の人気を誇っていると言われる生徒会長が俺個人を心配してくれている。この場に校内に存在するという絢瀬絵里親衛隊(構成員は全員百合の花を咲かせた女)に見つかったら全く容赦ないリンチを受けるであろうレベルの幸運な出来事には違いない。

だが、ダメだダメだ。ただでさえ多忙極まりないこの人に、俺のせいで余計な気を使わせるわけにはいかん。

 

「そう言う会長は新学期が始まってからずいぶんと上機嫌ですよね。何か良いことがあったんですか?」

 

「もう話を逸らさないの。あ、でも、わかる?実は今年の新入生に仲の良かった後輩が二人もいるのよ〜。まあ後輩というか小学校の頃から妹のように面倒見てた近所の幼馴染達なんだけどね」

 

「へえ、それはすごいや」

 

うん、普通にすごいと思う。

今年の一年が一クラス分しか入ってきてないことを考慮すれば二人だけでも多いくらいじゃないかな。俺なんて中学時代に付き合いあった連中すら、みんな別の高校行っちゃったもんね。

 

「これで二年生の子も足したら全部で五人の幼馴染がこの音ノ木坂に来てくれたことになるわ!」

 

絵里先輩が指をパチンと鳴らす。さっきのウインクといい、芝居掛かった仕草がお世辞抜きで様になっている。

 

「ははっ、会長……楽しそうですね」

 

「もちろんよ。音ノ木坂であの子達が最高の高校生活を送れるように、私ももっと頑張らなくっちゃね!」

 

だから、と続ける絵里先輩。

 

「桜井君もいつまでも暗い顔してちゃダメよ。あなただって私達と一緒にこの学校で苦楽を共にする仲間なんだから。私の後輩にまで移っちゃうじゃない」

 

「うわ、結局そこに戻るんですか」

 

「当然よ。これはあの子達のためであり、あなたのためでもあるんだから」

 

上手く誤魔化したつもりだったんだが、俺の誘導程度はお見通しだったか。流石は賢いと名高い人だ。

それにしても、会長その幼馴染とやらが同じ高校に入学したのがよっぽど嬉しいんだな。俺が無理矢理話題を変えたら一瞬不機嫌そうな顔をしたのに、すぐに嬉々として幼馴染の話を始めたのだから。

 

彼女の笑顔を見ていると、去年廃校の噂が流れてきた頃に責任感の強い絢瀬先輩は一時期暗く俯いていたのが嘘のようだ。最近ではすっかり元の明るくて爽やかで頼りになるお姉さんの姿を取り戻しているわけだが、流石絢瀬先輩は立ち直りと切り替えの早い大人って感じだな。この落ち着きを自由人の希先輩も見習って欲しい所である。

 

「ふふっ、言われたくないなら次からは幸せを逃す前に相談しなさい♪はい、これはいつも遅くまで手伝ってくれてるお礼よ」

 

そう言って絢瀬会長は自分のバックから一本の缶コーヒー取り出し、俺の手元へと忍ばせた。おお、ミルク無しの微糖タイプ。ブラックが嫌いで、かつ甘ったるいのも好みではない大変わがままな舌をお持ちの俺にぴったりの絶妙なチョイスだ。

 

「ありがとうございます生徒会長。機会があったらいずれ僕の人生相談にでも乗ってください」

 

ありがたく受け取った缶コーヒーの蓋を開けて一気に飲み干す。そんな俺の姿を絢瀬会長は不服そうに眺めていた。

 

「もう、そう言って悩みを相談せずに適当にはぐらかして一人で抱え込むわよね。茶化して逃げるには君の悪い癖よ」

 

責めるような口調だが、それ以降会長は追及してこなかった。お節介焼きな面もあるが、なんだかんだで当人の自主性を重んじるタイプなのだ。積極的な人間関係構築を好まない人種の俺としては、この適度な距離感の維持はありがたい。

 

俺の気も多少は晴れたのか、さっきまでとは打って変わってペンの動きも進み、日が沈む前には書類を完成させることができたのだった。




次回はにこにー登場。漫画版基準なのでアニメ版のツンデレ弄られキャラ要素は皆無です。上手く再現出来てるか不安……


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その3

可愛いけど、アニメ版と全然違う漫画版にこ先輩登場回です。おかげでこの話はかなりの難産でした。作っては納得できずに破棄して最初から作り直しというの繰り返しています。それでも不安ですが、少しでも再現が出来てれば良いな、と。むしろ違和感はどんどん指摘して頂きたい。


「希先輩、また今日も来てなかったな」

 

放課後になっても部長の姿が見えないのを確認した俺は踵を返した。希先輩がいないのなら超常現象研究会入り浸る理由はない。ぶっちゃけ俺ってオカルト興味無いし。まあ先輩の手伝いをしてる内に都内の有名神社仏閣の名前はあらかた脳みそに叩き込んではいるのだが。

 

「あの人マジで秋葉原のパワースポットの研究に集中してんのか。まったく……その情熱を少しでも勉強に割けば、慌てて後輩に宿題手伝わせたりせずに済むんじゃないか」

 

部員獲得のために会誌を作ると高らかに宣伝して飛び出してから、俺は一度も先輩を見かけていない。今時珍しいと思われるだろうが俺は自分のケータイを所有していないし、男子が一人もいない三年生の教室にわざわざ足を踏み込む勇気だって持ち合わせていない。

つまり希先輩とコンタクトを取れる唯一の手段は部活に参加する事。なのだけれども、当の先輩が顔を出さないのならどうしようもない。部室の整理整頓で暇を潰しながら様子見しつつ、30分ほど経っても来ないなら諦めて退却。

今日は生徒会も休みだから、珍しくお日様が元気な内に校門を出れるな。

 

「ていうか先輩、あの怪しい占いグッズはいい加減持って帰ってくんないかな。部室を圧迫してるんだけど」

 

とりあえず下校前にトイレに行っておこう。

些細な不満だが、この学校は元女子高なだけあって男子生徒が使える場所がかなり少ない、というか無いに等しい。教室と文化系部室が並ぶこの校舎の場合は最上階の一角だけが男性用トイレに改造されて使用を許されている。廃校が決まった今では増設も絶望的だろう。

ようするに俺のような音ノ木坂の天然記念物達は卒業までの間、尿意が高まる度にわざわざ最上階を往き来しなければならないわけだ。ほんと些細な不満だからわざわざ生徒会長に訴える気力は無いんだけどね。いや、ほんと。体力の無い俺にはいちいち階段上がるのも辛いから何とかして欲しいとか思ってないよ?

 

さて、始めようか。この果てしない階段との戦いを。

だが、そんな大げさな決意を秘めた俺の耳に大声が飛び込んでくる。

 

「いけなーい!新しく配信されたUTXのスクールアイドルの動画見てたらこんな時間になっちゃったよ!」

 

声は上の階から聞こえてきた。合わせて何かが近づいてくる気配。

 

「あぶなーい!君!どいてどいてー!」

 

それは黒髪を揺らしながら接近してくる小さな影だった。バタバタと大きな足音を立てながら俺とは反対に猛スピードで階段を駆け下りてくるそれは減速することなく、あまりに突然の事態に回避どころか待ち構える余裕すら与えられなかった俺の眼前まで迫り、

 

「へ?」

 

当然のように正面衝突した。

 

「きゃっ!」

 

「うおっ!」

 

俺も影も小さな悲鳴をあげながらすってんころりん、見事に床下へと倒れこんだ。

 

「イテテテ……」

 

「うわ〜、もうビックリした〜」

 

小さな影、長い黒髪を希先輩のようにおさげで結んだ音ノ木坂の女生徒は座り込んだ姿勢のまま胸を押さえている。俺も一瞬心臓止まりそうになったわ。

 

「もう、だから私危ないって言ったじゃない〜。君大丈夫?」

 

ぶつかったのが丁度廊下なのが不幸中の幸いだった。おかげで階段を転げ落ちるなんて最悪の事態は免れた。心配そうに声を掛ける女の子に無事を伝える。

 

「ああ、とりあえず大丈……」

 

ん?いや、ちょっと待った。

 

「い、いや、大丈夫というか全く大丈夫じゃないというか……」

 

むしろ最悪の状況かもしれない。なんせ今の俺は廊下の床に寝そべっている状態で腹部を目の前の少女に馬乗りされているのだから。

 

「え……きゃあっ⁉︎」

 

女の子もようやく気付いたようだ。飛び起きるように慌てて俺のマウントポジションから離れた。

 

「ご、ごめんね……」

 

顔を赤くした少女は立ち上がると未だ倒れたままの俺にサッと手を差し伸べる。

正直その手を取るのは躊躇ってしまう。少女の腕と指は小柄な彼女の体格と同様にあまりにもか細く色白で、大の男である俺が触れてしまえば容易く折れてしまいそうに思えるから。

 

「どうしたの?ほらっ!」

 

しかし、俺の葛藤中に女の子は不思議そうな顔をして首を傾げる。どうやら俺がいつまで躊躇しているのを不審に思い始めているようだ。俺は慌てて少女の小さな手を握り返した。

 

「っ!」

 

まずい。思わず変な声が出た。元女子高に入学したにも関わらず、同世代の女の子の手に触れるなんて去年生徒会に入って最初に絢瀬会長と握手をして以来だ。あの人の意思の強さを体現した女性らしくも力強さを秘めた感触と違い、目の前の少女の場合、この手は柔らかさだけで作られてますって感じで、なんなんだろうかこれ。

 

「本当に大丈夫?あ、頭打ったりとか……」

 

「う、うん。まあ平気だよ。ちょっと驚いたくらいだし」

 

起き上がった俺は少女の手の柔らかい感触が呼び起こすおかしな衝動を抑えて平静を装う。実際、尻もちは付いたし、女の子に跨がられるという非常事態には陥ったものの、見た限り目立つような怪我を負ったわけでもない。

 

ついで周囲を見渡しておく。ーーーよし、誰にも見られてないな。生徒が少なくなる放課後なのが幸いした。ほぼ女子しかいないこの学校で、もしも女の子に馬乗りされたなんて噂が広まったら俺の世間体が終わってしまう。

 

「良かった〜。急に飛び出してくるんだもん。ビックリしたよ〜」

 

改めて少女の姿を見直す。同年代の少女と比べてもさらに華奢な体躯。どう少なく見積もっても高校生には見えない。陶磁を思わせる色白の肌はそんな印象をより強めていて、赤い瞳と合わせて小学校時代に世話をしていた小さな白ウサギを彷彿させる容姿だった。

髪は希先輩同じ二つに分けたおさげ。まあ希先輩と違って圧倒的に足りないとある部位が存在するのだが。

 

「って君のズボンすごく汚れちゃってるじゃない。全然平気じゃないよっ!」

 

そんな白ウサギさんはいきなり憮然とした表情で俺の脚を指差した。

 

「へ?」

 

ああ、尻までは見えないけど、確かにちょっと埃がついてしまってるみたいだ。まあ、でもこの程度なら別に気にするまでもーーー

 

「ほら、動かないでね」

 

女の子は俺の背後に回ると、ポンポンと手でズボンを叩き始めた。その動きに合わせて少々の埃が宙を舞う。

 

「あ、いや、そこまでしなくても自分で……転んだのも俺の不注意だし」

 

「いいの気にしない気にしない!さっきはニコだっていきなり飛び降りたのが悪かったしね」

 

いやいや、君が良くても一応思春期の男である俺としてはめっちゃ恥ずかしいんですよ。それに年頃の女の子が見知らぬ男に平然と密着するのはどうかと思うね。世の中は俺みたいな紳士的な男ばかりじゃないんだ。馬鹿で短絡的なケダモノ共に同じことをしてみろ。変な勘違いされちまうじゃないか。

と、内心でお説教なんてしてみたが、やたらと真剣な面持ちで俺のズボンを綺麗にしてくれようとする彼女の姿を見てると無理に振り払うのにも躊躇ってしまう。

 

いや、決して少女の柔らかさや甘い香りを堪能できるからなんて不埒な考えがあるわけではないぞ。

 

「はい、綺麗になったよ!」

 

女の子は腰に手を当てて胸を自慢げに張っている。うん、確かに、ぱっと見てもズボンの汚れは目立たなくなったようだ。

 

「あ、ありがとう……」

 

「どういたしまして〜」

 

今度はニコニコと屈託の無い笑顔を披露しながらビシッと敬礼する女生徒。

この子やたらオーバーアクションだな。

と、内心苦笑いしていたら今度は眉根を寄せて一心不乱に俺に視線を送り始めた。

 

「ジーっ」

 

いや、それ口にするとこですか?

ルビーのように鮮やかな深紅色の瞳が俺を捉えて離さない。いや、そこまでマジマジと見つめられるといくらなんでも恥ずかしいんだが。

 

「……あの、なんで俺をそこまで真剣に眺めて……」

 

そこで俺は今更のように気づいた。この女の子、付けてるリボンの色って三年生のじゃねえか。

 

「……るんですか?」

 

最後を無理矢理敬語に変えた。ごめんなさい。だって下手したら中学生以下にしか見えないくらい小柄なんだもの。まさか先輩だなんて思いもしなかったのです。仔ウサギみたいだなんて失礼なこと考えて申し訳ない。

 

「あ、ごめーん。私の学年は男子いないからつい物珍しくてー」

 

珍しい。まあ、そりゃそうですね。だって共学化したの俺の代からだし。だから当然三年生には一人も男子生徒は存在しない。

 

「ああ、なるほど。去年入学した頃はよく似たようなこと言われてましたよ。最近は前ほどじゃなくなりましたけど」

 

一年生の頃は上級生のお姉様方の興味津々な視線が突き刺さって辛かったもんだよ。

 

「みんな男の子なんて中学以来なわけだからねー。おまけに共学化したと言っても男子は今年の新入生を合わせても片手で数える程度のレアな存在!そりゃもうついつい気になっちゃうんだと思うにこ」

 

「ふーん、そういうもんなんですかね?」

 

にこ?なんだよ、この変な語尾。

 

「それにしても背高いねえ君。何を食べたらここまで伸びるのかな?」

 

そう言いながら先輩は小さな体と腕を精一杯伸ばして俺の頭頂部に触れようとする。さすがにそこまで過剰なスキンシップは恥ずかしいからやめてくれ。俺は頭部を触られないようにそっと距離を取った。

 

「い、いや、別に俺は特段大きいわけじゃないですよ。せいぜい男子の平均くらいです」

 

おまけに背がそこそこあるだけで筋肉も体力も無い典型的なひょろ長ノッポって奴だ。

 

「へえ〜そうなの〜?ニコは同じ歳位の男の子のことは全然わかんないから君が特別なんだと思っちゃったにこ」

 

さっきから気になって仕方なかったけど、この『にこ』とか付けるあざとい語尾といい、わざとらしい甘ったるい喋り方(声は意外とハスキーだけど)といい、この人あれだよね。

 

所謂『ブリっ子』て奴だ。

ここまで極端なのはテレビに映ってるタレントくらいでしか見たことないよ。

そんな絵に描いたようなブリっ子の小さな先輩さんは実にブリっ子らしく、人差し指を咥えて甘えるように体をくねらせている。

 

「あ〜ん、ニコももっと身長欲しいな〜。みんなニコのこと小さくて可愛いって言ってくれるけど、やっぱり背があってスタイル良くて足が長くて超美人って子の方が人気あると思うんだよね〜。例えば生徒会長さんとか〜他にはUTX学園の〜」

 

絵里先輩か。確かに女性としてはかなり背が高いし、顔立ちもスタイルもそんじょそこらのモデル顔負けな抜群のレベルなのは確かだ。実際校内の人気は女子生徒の間でも凄いみたいだしな。ただあの人の場合あまりにも日本人離れしすぎて、一般的な女性の理想像を語る上での参考資料としては不適切な気もするけど。

 

生徒会長は本来なら手の届かない高嶺の花って感じで、俺だって一緒に生徒会の仕事してなかったらとてもじゃないが身近な存在と言えなかったんじゃないだろうか。俺個人としては気軽に相手できる希先輩の方が……

 

「ねえねえ!君もそう思ってたりするんでしょ?男の子的にはどうなの?」

 

「え?いや、俺は、えっと」

 

いきなり意見を求められて困惑する俺。

さあ困ったぞ。この状況で俺に与えられた選択肢は二つ。生徒会長みたいなモデルばりの美人と、目の前の先輩のような愛くるしさを押し出したタイプのどちらが理想なのかを答えなければならないわけだ。

しかし、残念なことに俺は女心が読める気の利いた男ではないから、どっちを選んだ方が彼女の機嫌を損ねずに済むか判断がつかない。

 

にしても、ほんと女って流行に合わせた『可愛い』に拘る生き物なんだな。無茶なダイエットを決行して逆に体を壊してしまう女性が後を絶たない昨今だが、そこまでして自分の見た目を他人好みに変えようとするのはどうも理解できん。

この幼い外見の先輩だって、俺からしたら方向性こそ違うものの充分に美人の部類だと思うけどなあ。わざわざ絵里先輩みたいな完全に別ベクトルの女を目指さなくてもいいじゃないか。

オシャレや流行の類に疎い俺には理解できない複雑なコンプレックスを抱えてるんだろうか。

 

「えーと、えーと」

 

そんないつまでも答えられずにいる俺に助け舟。突如ピピピッとシンプルな電子音が夕焼けに染まった廊下で軽快なリズムを刻む。

俺より先に先輩が反応して懐からケータイを取り出した。電子音の発生源もどうやらそのケータイのようだ。先輩がちょこちょこと操作したら音も止まった。なるほど、アラーム機能か。

 

「あ、やばい!そろそろ行かないとバイトに遅れちゃうよ〜!」

 

ケータイをポケットに戻した先輩は慌てて下の階段を降り始める。そう言えば俺とぶつかった時もなにやら急いでたよな。どうやらすっかり失念していたようだ。

 

「じゃあね後輩くん!機会があったらまた会おうね!」

 

嵐のように過ぎ去って行く先輩。俺は力無く適当に手を振って返す。

 

「あ……そういや、名前聞いてないや」

 

まあ俺も教えてないけどね。あの人一人称が『ニコ』だったから、ニコが名前なのかな。

 

「あ、そういやトイレ」

 

おっと俺もトイレに行こうとしてたんだった。あの先輩のペースに飲まれてついつい俺も忘れてたわ。窓の外に目を向けると、いつの間にか太陽が沈み掛けて世界がオレンジ色に染まっていた。今日は早めに帰るつもりだったはずが、なんだかんだでこんな遅くまで……

 

「おりょ?」

 

ふと、窓から見える校庭の風景の中でとある一角が気になった。下校する生徒達と、掛け声と笛に合わせてランニングをしている運動部だけだったら、見慣れた変哲の無い光景に気にも留めなかったかもしれない。

いつもと違うのはその中に、校門の隣にそびえる大きな桜の木の下には知った顔がいたからだ。

 

「あれって園田さん?」



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その4

園田海未。

容姿端麗、成績優秀、友人からの人望も厚い、日本武術の達人、さらには実家は日本舞踊では有名な家系の嫡子という非の打ち所がないプロフィールの持ち主だ。

改めて見ると、まるで小説や漫画の登場人物みたいな超人。なんでこんなパッとしない学校を進学先に選んだのかよくわからないレベルだよ。

まあ少なくとも俺とはクラスが一緒にならなければ本来接点すら生まれなかったであろう存在であるのは間違いない。

 

「あ、あの……」

 

だから、俺がそんな有名人から突然呼び止められるなんてちょっと驚いた。いや、俺も性別のおかげで一応は校内の有名人かもしれないが、それは俺の実力一切関係ないわけだからね。

校門の外に出ようとしていた俺は一旦足を止めて、大きな桜の木の下で立ち尽くす園田さんの方に振り向いた。

 

「こ、この前は……その……」

 

園田さんは口元を袖で隠し、言いづらそうに、たどたどしく、それでもゆっくりと言葉にしていく。

 

「みっともない姿を見せてしまい……申し訳ありません!」

 

「……ああ、あれね」

 

すぐに思い当たった。この前の教室で高坂さんを威嚇してた時のことだろう。てっきり俺のことなんて眼中に無いとばかり思っていたが、全く気にしてなかったわけじゃないんだな。

 

「あの時の……あの時の私はおかしかったんです。昂ぶる感情を抑えられなくて……」

 

わざわざ謝るほどの物でもないのに律儀な人だな。元より園田さんに謝罪を求めたりしていないのだし、震えながら必死に頭を下げられたらこっちが逆に罪悪感を抱いてしまうじゃないか。

 

「いやいや、俺は全然気にしてないよ。別に俺が園田さんに怒られたわけでもないしね」

 

実際『彼女』が受けたショックに比べたら大したものじゃないだろう。だから俺はどうしても指摘したくなった。

 

「ていうかさ、謝る相手が違うんじゃないかなあ」

 

「え?」

 

俺の脳裏に蘇るのは、今のみたいな夕陽に照らされる中で意気消沈しきっていた高坂さんの後ろ姿だった。

 

「園田さんが教室が出て行った後の高坂さん、相当落ち込んでたよ。いつも元気に大はしゃぎしてる彼女らしくなかったと思う」

 

翌日にはいつも通りの元気な高坂さんに戻っていた。あれから気になって時々彼女の様子を眺めているのだが、どうやら剣道の代わりに始めた『何か』について精力的に活動しているらしく、むしろ以前に増してバタバタと学校中を駆け回っている姿が印象に残っている。表向きは。

 

「あの後高坂さんとはどうしたの?ここ最近教室じゃ全然口きいてみたいだけど?」

 

そう、俺の見ている範囲内では高坂さん自身はいつも通りだ。教室の中でも園田さんとは一言も喋っていないことを除いて、なわけだけど。正確には何度か声を掛けようとして園田さんがそれを無視しているのだが。

 

「あ、あの……穂乃果とは……その……」

 

あからさまにしどろもどろになる園田さん。俺の視界の外でも関係修復が全く上手くいっていないのが丸わかりじゃないか。

 

「絶交?もう二度と顔も見たくないとか?」

 

絶交というキーワードが俺から飛び出した途端、園田さんは目の色を変えて俺に食いかかってきた。

 

「そんなわけないじゃないですか!今こうして校門で立ち往生しているのも、穂乃果に会いに行こうかと迷っているからなのです!」

 

「え、う、うん」

 

お、おおう……いきなり血相変えて迫ってきたから驚いてしまったぞ。

 

「私と穂乃果は幼い頃からずっと一緒だったんです。今までだって何度もケンカしてしまうこともありました。けど、だからって縁を切るだなんて選択はありえません!絶対に!」

 

必死になって一気にまくしたてる園田さん。教室では見せない、感情を露わにしたその姿に俺は思わず面食らってしまった。

俺は両手でとりあえず落ち着いてとジェスチャーで応える。

 

「なんだ、本当は園田さんも仲直りしたいんじゃないの」

 

「あっ……」

 

顔を真っ赤にしながら俺から目を逸らす園田さん。この人もっとクールなイメージだったんだけど、今はわかりやすい程に表情が面に出ているな。もしかすると追い詰められると感情を隠せなくなるポーカーフェイスが不得手なタイプなのかもしれない。案外ババ抜きとか苦手だったりして。

 

「だったら速攻で会いに行って速攻で仲直りすりゃいい話じゃない。答えは決まってるわけだし」

 

おそらく園田さんは関係修復の是非を問いたいわけじゃないはず。本当はすぐにでも仲直りしたいけど、踏ん切りが付かないだけ。

 

「……そう易々と出来ないからここで立ち往生しているのですよ。それに私は……やはり穂乃果が剣の道を捨てたのが納得できずにいるのです。いえ、もしかしたら『裏切られた』と憎しみすら抱いてるのかもしれません」

 

おいおい、さすがにそれは大げさすぎんだろ。高坂さんが剣道部辞めた理由は知らないけど、いくらなんでも彼女に裏切りなんて意図があるわけないだろうに。

そんな俺の考えを読んだのか、園田さんは慌てて首を横に振る。

 

「も、もちろんそんなの身勝手な逆恨みだというのは理解しています!ですが、私の中で『許せない』という感情が渦巻いていて、どうしても消えてくれないんです。もし穂乃果に向き合ったら、私はこのどうしようもない思いをあの子にぶつけてしまうんじゃないかと想像すると恐くて……!」

 

そう言うと園田さんはまたもや俯いてしまった。うーん、この人、意外に結構な依存体質だな。全ては高坂さんが大好きすぎる反動、絵に描いたような『可愛さ余って憎さ百倍』て奴だ。

自覚があるのかはわかんないけど、高坂さんとの関係が崩壊したらとことん心が壊れてしまう気がする。ここは慎重に言葉を選ばないと悲劇が待ち受けているぞ。

 

「えっと、とりあえず……園田さんとしては高坂さんを何が何でも剣道部に復帰させたい、と願ってる?……て感じ?なのかな?」

 

慎重に進めようとするあまり最後は疑問符を乱発してしまった。それはともかく園田さんはまだまだ無反応。

 

「それとも本当は彼女を追いかけたいとか」

 

今度はピクッと体を震わせた。

 

「……今の私には穂乃果とどう接すればいいのか判断がつかないのです」

 

園田さんは顔を上げて遠くを見ているようだ。

 

「確かに幼少時より、突飛な言動と行動力で周囲を振り回し続けてきた人でした。物陰でひっそりと過ごしていた私を無理矢理かくれんぼに引き込んだり、隣町への冒険に連れて行かれて挙げ句の果てに迷子になったり、あるいは『綺麗な光景が見えるから』と高い木に強引に登らされたり……」

 

その時の光景が蘇っているのだろうか。園田さんはこの学校でも最も大きな桜の木に寄り添い、手のひらでそっと撫でている。

 

「武道の心得を持たない彼女が突然剣道を始めた時もそうです。おかげで元々は弓道部志望だった私も共に剣道部に入って世話を焼くようになったのですよ。追いかけさせられる身としては、あの子の行き当たりばったりはいい迷惑です!いつだって穂乃果は勝手なんだから!」

 

手のひらを握りしめる。我が校の桜の木の中でも最も齢を重ねている樹皮は少女の小さな拳に触れるだけでパラパラと崩れ落ちていく。

 

「今回だって!せっかく人一倍努力して私を追い抜いて大会で優勝したというのに、何が『剣道じゃこの学校を救えない』ですか!私と共に歩んできた剣の道は無駄だったと言いたいのですか!これからも穂乃果とずっと一緒に剣道を続けていけることが些細な願いだったのに……結局、あの子はそんなことお構いましに先にいつも全力で突き進んでしまう!」

 

園田さんの強く握りしめた拳は、小さな肩は、ワナワナと震えていた。

 

「ほんとに……ほんとに自分勝手な人!いつもいつも巻き込まれる羽目になる私やことりの気持ちを考えて下さい!」

 

……うん。それまで黙って聞いていた俺だが、今の彼女の叫びとは裏腹に別の思いを感じた。

 

「園田さんはさ……高坂さんの無茶に付き合わされるのが嫌なの?」

 

「え?」

 

さっきは高坂さんに振り回されるのは迷惑だと言い切っていたが、俺にはむしろ満更でもないように見える。なんせ嫌な思い出というのは記憶の奥底に封印してしまうのが人の性ってもんだ。なのに園田さんは幼少期の思い出をスラスラと淀みなく語っている。

 

本当は……楽しかったんじゃないのか?

 

「い、いえ、どうしても嫌だなんてそういうわけでは……ただ、単に迷惑千万というだけで……」

 

ハッとした様子で俺から視線を逸らす。意味は大して変わらないと思うんだが、今の歯切れが悪くなった園田さんにそんな判断は難しいようだ。明らかに動揺している。

 

「じゃあ今度も一緒に付いて行ってあげたらどう?頼りない高坂さんを助けに行ってあげるって感じで」

 

「そんな簡単に言わないで下さい!それに半端な覚悟で剣を捨てた穂乃果に続く道理などありませんよ!」

 

「うーん……半端な覚悟……本当にそうなのかな?本当に軽い気持ちで剣道部を辞めたのかな?」

 

園田さんの目が大きく見開かれた。

 

「いえ、だって……」

 

俺も高坂さんの真意を知らないけど、それは園田さんも同じことだったわけだ。

 

「俺は高坂さんがなんで剣道辞めたか知らないけどさ。今度もまた本気なのかもしれないよ。だって園田さんの言うことが正しいなら、彼女はいつだって()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんだよね。だったら、剣道の代わりに始めたことにも相変わらず真剣な思いで向き合ってるのかもしれない。それってさ、剣道部を辞めた今の高坂さんもいつもと変わらなくないかもしれないってことじゃない?園田さんが大好きな高坂さんと……ね」

 

「べ、別に私は穂乃果が大好きだとかそういうわけでは……」

 

これだけ思い悩んでる姿を見せつけてたら説得力無いぞ。顔を真っ赤にして否定している園田さんにはお構いなしで俺は続けた。

 

「だから園田さんも今までみたいに、ひたすら全力で突っ走る彼女を追いかけていくのも選択肢の一つだと思うんだよね。ああ、俺は選択肢の一つを提示しただけだよ。最後に決めるのは園田さんだからね」

 

我ながら卑怯な誘導だ。俺は『園田さんの望みは既に決まっている』と確信している。選択肢を提示しただけと言いながら、実際には彼女が高坂さんの後を追いかけれるようにその準備を着々と進めてるわけだ。でも仕方ないよな。本人がそれを望んでいるんだから。

 

「園田さんが危惧してる通りに、もしかすると高坂さんは中途半端な気持ちで動いてるだけかもしれない。高坂さんは園田さんにとっての理想の高坂さんじゃなかったのかもしれない。だけど、せめて高坂さんが本気で『何か』取り組もうとしているかくらい、園田さん自身の目で確認してあげてもいいと思うんだよね。だって園田さんの知ってる高坂さんはいつも全力のはずなんだから。もうちょっと信じてあげていいじゃないの」

 

「私自身の……目で……」

 

今まで張り詰めていた様子の園田さんから憑き物が落ちていくのがわかる。ポカンと呆けた姿は隙を全く見せない普段の彼女とのギャップが大きい。

 

「高坂さんの思いを判断するのはそれからでも遅くないんじゃないかな、うん」

 

そして、その先から園田さんがどう行動するかも……

 

それから俺達は互いにしばしの沈黙を守っていた。園田さんは桜の木を真剣に見つめ続けている。

どれ程の時間が経ったか。いや、正面の時計を確認する限り大して過ぎてないようなのだが、俺としては体感的に無限の時が流れたように思えて仕方なかった。

 

「……そう……ですね」

 

園田さんがゆっくりと口を開き、俺達の沈黙は破られる。

 

「私、今から見てきます!この私の目で、穂乃果が成そうとしていることを!穂乃果の思いが本気なのか!」

 

もはや彼女から蔓延していた負の感情は感じられない。

 

「そして、もしもそれが剣に代わって選ぶ程の道であったのなら。穂乃果の思いが本物だったのなら。その時、私は……」

 

今まで彼女の感情を表すように色褪せていた、琥珀を彷彿させる黄金の瞳が輝きを取り戻していた。ここから見える夕陽の光にすら負けない程に眩い。

 

「桜井君」

 

園田さんが、俺に向かって微笑みかけている。……こんな優しい笑顔ができる人だったのか。背後の夕日が彼女の可憐さをより引き立てている。

……なんかすごい。手作りの日本人形のようだとか、怜悧な印象を与える整ったとか、余計な修飾語なんて一切必要ない。本当に、とにかく綺麗だ。そう表現するしかないって感じだった。

そして、そんな笑顔を向けている相手が俺自身なんだぞ?いったい何が起きてるんだって誰かに聞きたい。

ああ、まずい。まずいぞ。園田さんに対してこんな変な事考えてると、異性間交遊には潔癖性であろう彼女に知られたら俺の立場は……

 

「ありがとうございます!」

 

俺の苦悩は完全な杞憂だった。気づいた頃には園田さんは何処かへと駆け出していたからだ。

迷いを捨てたと思わしき園田さんは意を決したように校門の外へと飛び出していく。俺はそんな彼女を黙って見送る。

姿が見えなくなる頃には、園田さんと話している間は感じていなかったはずの気恥ずかしさが濁流となって急激に込み上げてくるのだった。

 

「う〜自分でも臭い説教を連発してしまった……恥ずかしい」

 

「うんうん。でもねえ、それもまた若さの特権なんやないかな〜」

 

ポリポリと頭を掻いている俺と、その隣でポリポリと鯨を模していることで有名な某スナック菓子を頬張っている希先輩。

いやー、そう言われてもドラマや映画みたいな輝かしい青春ごっこは柄じゃないと思ってるんだけどなあ。俺はただ静かに生活を送りたいだけなんだ、なんつって……

 

て、ん?ん?ん?

 

「いやー、青春してるねえ〜」

 

俺のすぐ横には当然のように希先輩がいた。

 

「ってええええ希先輩!」

 

「若いって良いよねえ〜。いや〜あんな可愛くて美人な女の子と桜の木の下でイチャイチャできるなんて全米が嫉妬せざるをえんわ〜」

 

先輩は袋に入っている最後の一個と思わしきスナック菓子を口の中に放り込むと、空になった袋をバックに回収しながら満面の笑みでこちらを向いた。口元はやけに釣りあがっている。

 

「よっ、憎いねこの色男!」

 

そんな……いつの間に……忍にでもなったのか……

 

「ぜ、全然気づかなかった!」

 

「ふっふ〜ん♪なんせオーラの出し入れは希ちゃんと2016の技の一つやからなあ」

 

断言して良いが、この人絶対残り2015も技を持ってないと思う。

て、そんなことより!

 

「まったく……いったい、いつから見てたんですか」

 

俺と希先輩は校門を出てから揃って同じ道を歩いていた。この人も俺も同じ秋葉原方面に家があるから途中までは一緒になるのだ。ただし俺は生徒会があるし、先輩は先輩で自分の予定に合わせて好き勝手やってるせいで一緒に歩く機会など極稀なのだが。

そんなせっかく貴重なチャンスも、今は怒りばかりが沸き起こっているせいで堪能する気分にもなれない。

 

「あの子が頭下げてた辺りからだよ♪一文字一句全て聞かせてもらったからね。覗き見はよくないなあと思いつつもついつい♪」

 

だったらほぼ全部じゃねえか。愉快そうにニコニコしてるくせして何がついついだ。うわ本気で恥ずかしい。いや、ここは敢えて堂々としているべきか。なんせ俺は迷える子羊に導きの光を届けてあげただけなのだから。何一つ後ろめたいことはない。

 

「だったらそんな色気づいた話題じゃなかったって先輩にもわかるでしょ。ただのお友達との仲の修復を手伝っただけの人生相談室ですよ」

 

「んもー、あっくんノリが悪い!」

 

誰があっくんだ。誰が。俺はジト目で睨みつけるが、この他人を引っ掻き回すのが大好きな先輩は全く悪びれない。

 

「あの子、二年の園田さんやろ?まさか飛鳥君とあんな仲良いとは知らんかったなあ」

 

やたらニタニタと笑っている希先輩。いけない。これは徹底的に弄られる流れだ。それは全力で抵抗させてもらう。

 

「いや、ただのクラスメイトですよ。俺がお近づきになるなんて恐れ多い」

 

「えー、普段はあんなにクールでお淑やかな子があそこまで怒ったり泣いたり笑ったりしてるんよ?君が特別な存在でなきゃ感情を晒したりせんと思うけどなあ」

 

そんなこと言われても今まで園田さんとは特に接点無かったんだから仕方ないだろう。本当にただのクラスメイトでしかないんだから。だいたい彼女が怒ったり泣いたりしていたのは高坂さんに対してだ。俺にも感情を晒したのは親友絡みの話題だったからに他ならない。もし園田さんにかけがえの無い特別な存在がいるとしたら、それは間違いなく高坂さんなのだろう。

 

「特別もなにも、まともに口をきいたのすらさっきが初めてです。というか彼女のことよく知ってますね」

 

「そりゃあ、あんなに可愛くて美人で勉強もできてしかも武道の達人で、おまけにやんごとなき日本舞踊一家の跡取り娘ときたら校内でも知らん方が珍しいくらいやん?ウチのクラスにもあの子をお姉様って呼びたいとか言ってる人いるんよ」

 

園田さんの方がその三年生より年下じゃねえか。まあ気持ちはわからなくもないけど。さっきはか弱そうにしてたけど、普段はすげえ頼りになりそうな凛々しい人だしな。

ぶっちゃけ俺なんかよりカリスマ性もあって生徒会向いてそうな気がする。

 

「そんな有名人と青春をエンジョイするだなんて、さすがウチの自慢の後輩やね!あ、でもあそこで『俺が代わりに君の心の傷を埋めてあげるよ』と言えなかったのは大きなマイナスやなあ。恋敵に塩を送るようなマネはあかんて」

 

なんで俺と高坂さんでトライアングラーしなきゃならないんだ。畏れ多いなんてもんじゃないぞ。そもそも俺は恋にドラマチックなんざ求めちゃいない。

いや、でも恋自体が既にドラマチックなのか?俺って彼女いない歴イコール年齢だからよく分からないけど。

 

「それより、なんで希先輩は例のなんちゃら巡りはどうなったんですか?」

 

露骨な話題逸らしだったが、意外にも先輩は待ってましたと言わんばかりに食いついてきた。

 

「ふっふーん、実は件の秋葉原パワスポ巡りの資料が集まったんよモテ男君」

 

「モテ男君は余計です」

 

俺の反論は聞こえないと言わんばかりに、希先輩はカバンから紙束を取り出す。紙束を持たないもう片手は腰に当てて、やたら胸を張っていて自慢げである。

 

「いやー難儀やったわ〜。神田明神を筆頭に最高のスピリチュアルパワーを得られる優良なパワースポットの情報は山のように見つかったけど、そこから会誌に収まるように取捨選択するのはかなり手間が掛かってねえ。おかげで自分でも胸を張って送り出せる物が作れたつもりや。なんせ模試も近いのに勉強する余裕も無かった程やからね」

 

おい、最後に受験生としてマズい話が聞こえんたが。

 

「んで、大まかなレイアウトはもう決めてあるから、今回も飛鳥君にちょいちょいっと完成させてもらいたくて〜。それで丁度君の姿を見つけたら、なんや大和撫子さんと青春してるやないの。これは見逃すわけにはいかんとこっそり観察させてもらったというわけなんよ」

 

俺は希先輩の煽りを全力でスルーしながら、先輩謹製の会誌下書きを受け取った。うん、パラパラと数ページ確認してみたが結構本格的だな。毎度手伝ってきたのだから既知とはいえ、すごい情熱だ。このエネルギーを別のことにも活かせればいいのに。

 

「……別に構いませんけど、これで本当に部員が増えるんですかね?」

 

努力と結果が比例しないのは世の常。どんなに出来の良い会誌を完成させたところで、世間がオカルト趣味に対し共感を持っていなければ評価されることはない。

 

「当然やないの!なんせ希ちゃんがオススメする霊験あらたかな超優良パワースポットなんやからね!」

 

先輩は鼻息を荒くしながら俺が開いているページの一角を指差す。俺も名前だけは知っている秋葉原の神社仏閣だな。電気街として有名な秋葉原にこんな格式高い寺社があるなんて意外だ。きっと希先輩みたいにこの手の話が好きな輩には面白いんだろう。

オカルト興味無い俺にとっては、マジでいらない無用の長物な知識が脳の容量を圧迫してるだけだが。

 

「特にここ!この神社なんて良縁祈願に効果抜群なんよ!飛鳥君もどう⁉︎学院随一の美少女、園田さんとの仲の進展を祈って!」

 

さっきからこのネタしつけえな。しかもよりによって()()()に言われてんだぞ?俺の中で行き場のないフラストレーションがどんどん蓄積されて沸々と腸が煮えたぎっていくのが自分でもわかる。

 

「結構です!彼女とそんな関係は望んでいませんから」

 

「えー、勿体無いやない」

 

俺は自分の中の不快感を伝えようと露骨に不機嫌そうな顔をアピールしながら、キッパリと手で遮った。しかし、この人はこれくらいで引くような押しの弱い人間じゃない。胡散臭い関西弁も合わさって、まるで大阪の商売人だな。本人は生まれも育ちも秋葉原の江戸っ子とか言ってるけど。

 

「まあまあそう言わず。ここは滅多に無いチャンスなんやからー」

 

俺の中で堪忍袋の緒が切れた。

 

「だから、俺と彼女はそんなんじゃないって言ってるでしょうが!」

 

ついボリューム大になってしまった怒声が周囲に響いた。通りすがりの散歩中の爺さんがこちらを振り向いている。ごめんなさい、いきなり驚かせてしまって。自分でやらかしておいてなんだが、めっちゃ恥ずかしい。

 

「な、なにをそんなに怒ってるの?」

 

眉を八の字にして怯えたような目で俺を見つめる先輩。いつものおちゃらけた態度ではなく、図体のデカい男に怒鳴られて怖がっている小動物の如き弱った姿見せている。うう……ちょっと罪悪感。

 

「すいません」

 

「うーん、ウチもちょっとしつこく茶化しすぎたわ。ごめんな」

 

珍しく神妙な面持ちの希先輩。いや、反省してくれてるなら良いんだ。俺こそ苛立ちをぶつけて悪かったよ。という俺の罪悪感は次の先輩の台詞で容易く吹っ飛んだ。

 

「あ、でも実際ここって縁結びの御利益で有名なんよ?飛鳥君が本当に好きな人がいたら、その人とのご縁を祈っといて損は無いと思うなあ〜」

 

呆れた。只では転ばないとはまさにこの事か。なんてポジティブシンキングだ。つい下手に出たのをちょっと後悔してきたぞ。

 

「にひひ」

 

しかし、先輩がこうやって白い歯を覗かせながら屈託なく笑う姿を見ていると、何故だかもう仕方ないから今度だけは水に流してしまおうという気になってしまう。まあ結局は毎度毎度、今度だけは、が続いてしまうわけなんだけど。この手の憎めないキャラってほんと得だなって思うよ。

 

「あれ?」

 

先輩が笑うのを止めて訝しげに辺りを見渡し始めた。

 

「何か聞こえてきいへん?」

 

一瞬また先輩が変な事を企んでいるのかと警戒したが、どうやらその様子は無い。俺は先輩に合わせて聞き耳を立てた。

 

……確かに聞こえてくる。音楽かな?

 

「本当ですね。公園の方?」

 

謎の音楽の出処を探っていると、桜並木が咲き誇る手前の公園が目に付いた。

 

一見真新しく綺麗だが、なかなか曰く付きの公園。

 

俺はここ、秋葉原に隣接する古い街並みを残す都内の下町『淡路町』に住んでいるわけじゃないからチラッと話に聞いているだけだが、この近辺の過疎化は相当悲惨な状況らしい。その象徴がまさにこの公園だと言えた。

どうやら元々少子化の煽りを受けて廃校になった小学校の跡地らしく、次の建築が始まるまで一時的に公園として開放しているのだと聞いている。俺の出身校は一応まだ健在とはいえ、同じく少子化が進んでいるために予断は許されない状況だから他人事じゃない。

奇しくも高校の方が先に廃校決まってしまったけどね。

 

それはともかく希先輩の言及した音楽は公園の奥から聞こえてくようだ。そこには意外な顔ぶれが並んでいた。

 

「あれは園田さん……と高坂さん?」

 

だけじゃない。二人といつも一緒に行動しているクラスメイト。それと見知らぬ少女が二人。制服のままの園田さん以外はみんなTシャツとジャージというラフな格好をしているために断言はできないが、同じ音ノ木坂の生徒か?

少女達は満面の笑みを浮かべながら抱きしめ合っている。中心にいるのは仲違いしていたはずの高坂さんと園田さんの二人だ。その光景を見ただけで俺は安堵した。

 

「良かった良かった。あの二人、仲直りができたんだな」

 

ついつい俺も嬉しくなってうんうんと頷いてしまった。これで迷える子羊が二匹救われたわけだ。ここは功績を讃えてスネイプ先生から百点くらい貰いたい気分。

そんな悦に浸る俺の心境を一変させたのは、再び聞こえてきた謎の音楽だった。

 

「あれえ?これって今流行りのアイドルソングやん?」

 

「はえ?」

 

思わず変な声が出てしまった。いや、だってそうだろう。高坂さん、園田さん、そして二人と仲良しグループであり、同じ俺のクラスメイトの南さんを含めた五人の少女達は、CDラジカセから流れ出る軽快なメロディに合わせて突然踊りだしたのだから。

あまりの突然のことに固まった俺に対し、隣の希先輩は愕然とした様子で震えていた。

 

「も、もしかしてあの子ら音ノ木坂の新しいダンス部か何かなん⁉︎うわあああ!こうしていられへん!ただでさえ今年は新入生は少ないのに、このままオシャレな新興クラブに新入部員を取られたりしたらあかんよ!」

 

突然握り拳を作りながら何処かへと走り去っていく希先輩に目もくれず、俺が完成品作るのにどうするつもりだというツッコミを入れる余裕も無く、俺は眼前に広がる光景に言葉を失って呆気を取られていた。

 

四月も既に終わりが迫っているこの時期、並木に囲まれた小さな公園では風が吹く度に桜の花びらが舞い落ちる。五人の少女達は夕暮れの中で、桃色の花吹雪に彩取られながらステップを刻んでいく。迷いなきその姿は、美しく、気高く、まるで……

 

「まるでアイドルじゃないか」

 

俺の小さな呟きは夕暮れの公園を支配する旋律の中で容易く掻き消されていったのだった。




どうして今回一万字超えてしまったんだ。ぶっちゃけこの作品は恋愛物書いた経験の無い私にとって練習を兼ねた実験台でもあったんですがね。もっとスピード重視で作ってパッパと更新するつもりだったのに。


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その5

どうもお久しぶりです。半年の空白だというのに全くお気に入りが減っていないのはありがたい限り。
今回は漫画版知ってる人にはわかるでしょうが、セリフの内容をかなり改変してます。文字媒体の小説と絵が中心の漫画ではそのまま同じにしても厚みが違いすぎますからね。全体的に長くしてます。


「ばっかじゃないの!俗物!いつもいつもお金とか地位の事ばっかり考えて!」

 

 自分で言うのもなんだが、俺は俗物と呼んで差し支えないと思う。

 俺は金が好きだ。だから一円たりとも無駄にするのが許せない。

 俺は地位が好きだ。なんせ生徒会に入ったのは教師達に気に入られるためだからな。

 そして、旨い食物も好きだし、異性にも人並み程度には興味がある。

 創作の登場人物達のように無償で愛を振り向いたり、驚異的な無欲っぷりを発揮したり、そんな器は全く持っていない。

 

「……」

 

「あ、あ、あ……」

 

 しかし、まさか朝っぱらから見知らぬ赤毛の少女から正面きって俗物呼ばわりされるとは思わなんだ。

 朝登校していたら、突然横道から現れた美人から罵られるなんて滅多に味わえないシチュエーションだ。まあ、俺はさすがにこんなことで喜ぶマゾヒストではないけどな。

 

「……」

 

「いや、あの……そんなつもりは……」

 

 俺と同じ音ノ木坂の制服に袖を通している少女は仰天している様子で何か言いかけているが、混乱のせいか口籠っていて聴き取りずらい。

 少女が固まっている間に、俺は改めて少女の全身を一瞥した。十代の日本人女性としては高めの身長、鮮やかな赤色の癖っ毛、そして形の綺麗なツリ目。ずいぶんと目立つ容姿をしている割には俺の記憶に全く無い。制服も真新しいようだし、たぶん一年生か。

 

 そうだな。先輩として高校デビューで浮かれている新入生に少し教訓を与えてあげないと。

 

「大丈夫だよ、俺は気にしてない。でもさ、いくら事実でも、女子高生が朝っぱらから見知らぬ相手に俗物だなんて正面から言うもんじゃないぞ?常識と品性を疑われてしまう」

 

 いや、本当は決して全く気にしてないわけじゃないんだけどね。痩せ我慢って奴です。

 

「まあ頑張れ」

 

 顔を引きつらせたまま固まって動けない少女の肩をすれ違いざまにポンと叩いて俺は通り過ぎていく。

 

「あ、あれは……アンタに言ったんじゃないわよおおおおお!!!!」

 

 少女の叫びが辺り一帯にこだました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うへえ〜着いた着いたー。あーだる〜」

 

 既に一年近く目にしてきた校門にようやく到着した。ただそれだけのはずなのに、貧弱さゆえ体力を凄まじく消耗してしまった俺は腕を高く伸ばして軽いストレッチ。秋葉原の有名私立に通っている旧友は毎日バスによる送迎なのだから羨ましい限りだ。

 しかし、往来で独り言を呟きながらストレッチに励んでいる俺は端から見たらどう映るんだろうか。少し気になった俺は背後に首だけ回して視線を移す。と、その時だ。余計な奴まで俺の視界に飛び込んできた。

 

「ちょっと二年のあんた!待ちなさいよ!」

 

 先程、人を俗物呼ばわりした一年生が肩が揺れる程に呼吸を乱した状態で俺を呼び止める。この学校周辺は結構に坂道が多いせいで、慣れない新入生に対して通学という名の試練を例年与え続けている。かく言う俺も今でこそとりあえずは平気な顔して校門に辿り着けるようにはなったが、入学したばかりの頃はヒイヒイ喚きながら通学コースに毎日立ち向かっていたものだ。

 

「なんだよ鼻息を荒くして。ストーキングか?」

 

「違うわよ!変な誤解されたままじゃ嫌なだけだってば!」

 

 ちょっと軽くからかってみただけなのに、こんなにまで怒り心頭で反論してくるとは。派手な容姿に反して、意外と冗談の通じない程の真面目な性格の持ち主なのかもしれない。

 それにしても他人を弄るのってこんなに楽しいのか。少しだけ希先輩の気持ちがわかってしまったのが悔しい。

 

「誤解って……別に俺は気にしてないって言っただろうに」

 

「だーかーら!俗物ってのはあんたに言ったんじゃないの!アレは私のパパとママに……」

 

「すいませーーーーーーーーーーーーんっ!!!!!!!!!」

 

 赤毛の少女はまだ何か言いことが残っていたようだが、突然校門より外側から聞こえてきたその声に俺の意識は持っていかれた。

 

「そこの人達ちょっと退いてくださーーーーーーいっ!!!!!」

 

 俺のクラスメイトにして、公園にてダンスを披露していた少女の一人、高坂穂乃果さんだ。

 この間の暗く沈んだ姿は何処へやら、すっかり以前の元気な彼女に戻っていた。元気すぎてむしろ注目を浴びまくっているのはご愛嬌。俺以外の生徒達もなんだなんだと視線を飛ばしている。

 

「おっと!」

 

「きゃっ……ちょっと何よ危ないわね!」

 

「ごめんなさーーーーーーいっ!!!!!」

 

 俺と件の一年生の間を潜り抜けるように全力疾走する高坂さんは、そのまま減速することなく校庭の端へと向かって行く。あまりにも鬼気迫った様子に俺達は反射的に道を譲った。

 

「み、みんなおまたせ〜!」

 

 彼女が立ち止まった場所には、先日公園でダンスを披露していた五人組が集まっていた。

 

「ぜえ……ぜえ……遅れてごめんなさい!朝がちょっといろいろ揚げまんじゅうでーー」

 

息を切らしているからか、焦っているからか、何やら支離滅裂になってしまっている。

 

「あ!揚げまんじゅう?いいなあ……花陽も大好きです!」

 

「かよちんはほっぺがもうセルフ揚げまんじゅうだよね!ぷっくりぷにぷにしてて、とってもおいしそ〜」

 

「り、凛ちゃん?」

 

「いっただっきまーすっ!」

 

「ひえ〜ん!やめてよ凛ちゃん!ダレカタスケテー!」

 

 ショートカットのボーイッシュ少女が大人しそうな女の子にかぶりつくこうとした瞬間、誰かが手を伸ばして二人の頭を撫でた。

 

「ほらほら、もう時間があまり無いんですから、いつまでもじゃれ合ってたら駄目ですよ」

 

「あ、海未ちゃんごめんなさい!それもそうだね!よーし!」

 

「た、助かりました……ありがとう海未ちゃん……」

 

 ショートカットの少女は両手を握り締める。その瞳には炎がメラメラと燃え盛っているかのような情熱に満ち溢れていた。

 

「学年では海未ちゃんが上だけど、アイドルとしては凛達の方が先輩なんだからね!今日は必ず良いとこ見っせるにゃー!」

 

 あざとさ全開の猫語を駆使しながら少女は拳を振り上げた。気合は十分のようだが、さっきのやりとりからして既に園田さんに世話を焼かれているようにしか見えないのだが……

 

「ふふふ……では、お手柔らかにお願いしますね凛先輩」

 

「えー、一応冗談で言ってるんだから、真面目に返されても凛困っちゃうにゃー」

 

「ほんの数日なんだから先輩って程でも無いと思うけど……そう言われるとなんだか緊張しちゃうよ〜」

 

「まあ、なにはともあれ!ミュージックスタート!」

 

 遅れてやってきた高坂さんの号令と同時にCDラジカセから大音量のダンスミュージックが流れてきた。少女達のダンスも始まる。概ね通行人達は興味津々な様子で彼女達をチラチラと眺めている。しかし、一方で満面の笑みと共にダンスに興じる彼女達に対し、胡散臭い物を見るような目をしながら疑問符を浮かべている人物もいた。俺の目の前にいる赤毛の少女だ。

 

「……何あれ?」

 

「何って、アイドルの真似だろ?」

 

 TVでも最近頻繁に流れる()()()()アイドルが歌う軽快なメロディに合わせて、五人の少女達が華麗にステップを刻んでいく。素人の俺から見ても技術面は拙いとはいえ、その姿はアイドルそのものに思えた。俺はそんな感想をストレートに伝えたつもりだったのだが、赤毛の女の子にとっては不満な回答だったらしい。

 

「そんなのは言われなくてもわかってるわよ。私が言いたいのはなんであの子達がアイドルの真似事なんてしてるのかって話。新入生歓迎会もこの前終わったし、校内のイベントはしばらく無いはずでしょ」

 

 それに関しては俺も疑問なんだよな。

 加えてもう1つ気がかりな点がある。それはつい最近になって高坂さんが突然剣道部を辞めたということだ。そんな彼女がかつての朝練の時間を歌とダンスのレッスン費やしているわけで……

 

「あ!一昨日発売されたばかりのUTXの最新シングルだー!」

 

 特に身にもならない問答を繰り広げていた俺達の間をぬってひょっこりと顔を出す女生徒が一人。その少女は俺が知ってる人物だった。

 

「この前の……」

 

「誰?」

 

 歳上とは到底思えない小さな体と童顔が特徴的なおさげの先輩は、流れる音楽に合わせてリズムを取り始めた。そして、ひとしきり高坂さん達のダンスを鑑賞した後、大袈裟にクルリと回ってこちらに向き直った。

 

「『A-RISE』素敵だよね!あの人達が出してるナンバーはどちらかと言うとクールでカッコいい系のダンスミュージックが多いんだけど、今回の新曲は可愛さを前面に押し出してて意外性満載!特にサビの部分を歌ってる時のツバサちゃんのキュートさはいつもとのギャップが大きくて、にこもメロメロになっちゃいそうにこ♪」

 

 俺には理解不能な謎の言語で一気にまくし立てた小さな先輩は、にこやかな笑顔を見せながら視線を俺に合わせる。

 

「ね!後輩くんもそう思うよね?」

 

「へ?」

 

 え?なんでよりによって俺に話振ってくるの?

 

「バッチリ眺めてたみたいだから、もしかして後輩くんってアイドルに興味あるのかなーって。真面目そうな顔して、なんだかんだやっぱり年頃の男の子なんだね〜」

 

 おさげの先輩は腕を組んでうんうんと頷く。

 

「でも、後輩くんや今踊ってる子達が憧れちゃうのも仕方ないと思うにこ。だってUTXって本当に可愛いんだもん。あーあ、にこもUTX行きたかったな〜」

 

「いや、俺は……」

 

「あらいず?つばさ?」

 

 突然話題を振られて言い淀む俺にとってある意味助け舟になったのは、わけがわからないと言いたくて仕方ない様子の赤毛の少女。

 

「ま、まさか……よりにもよって新設校のUTX学園からデビューしたあの大人気スクールアイドルユニットの『A-RISE』を知らないにこ!?」

 

 疑問符を浮かべている彼女を見て、おさげの先輩はまるでこの世の終わりに直面しているかのような驚愕している。

 

「……私、アイドルとか興味無いし」

 

 あれだけ毎日テレビに映り込んでるあのA-RISEを名前すら知らないとは逆に凄い。芸能界や流行に疎い俺ですら曲は知らずともグループの名前だけはわかるのに、どんだけ世間一般から乖離しているというのだ。

 

「ふーん、でもその割にはさっきからチラチラと見てるにこ。素直じゃないにこ」

 

「べ、別に見てなんかないわよ!ていうかさっきから気になって仕方ないんだけど、その『にこ』って語尾なんなわけ⁉︎どういうキャラなのよ!」

 

 髪のように頬を赤らめながら少女が異議を唱えると、先輩は待ってましたと言わんばかりに両手を広げながらクルリと一回転する。見事にポーズも決めて、Vサインを俺達二人に突きつける。

 

「だってにこはにこだもーん。三年の矢澤 にこ。気軽に、にこちゃん、にこにーて呼んでくれたら嬉しいな♪」

 

「へ?」

 

 赤毛の少女は口をポカンと開けて間抜け面を晒している。言わんとしていることは大体予想がつく。俺と同じ感想を抱いたのだろう。

 

「さ、三年?まさか……嘘でしょ?」

 

「ネクタイの色を見ればわかるだろ。正真正銘、俺達の先輩だよ」

 

「てっきり同い年とばかり……」

 

 赤毛の少女は同世代の女子生徒達に比べて背も高くて顔立ちも大人びている。リボンさえ隠せばむしろ三年生でも通じるだろう。それだけに、隣にいるこの矢澤にこ先輩の容姿もより幼い印象を抱かせているのだ。

 

「むー……後輩くんも真姫ちゃんもちょっと失礼じゃない?あ、でもー。ようするにそれだけにこが可愛いってことだよねー!二人共ありがとにこー!」

 

 一瞬頬を不満げに膨らませていた矢澤先輩だが、見事なまでのポジティブシンキングですぐさまとびっきりの笑顔に戻っていた。

 

「ちょ……ちょっとちょっと!そんなことより、なんで私の名前知ってるのよ!」

 

 そう言えば、俺こいつの名前知らなかったな。いつまでも形容詞で呼ぶのもアレだから、脳内で赤毛の少女のデータにその名を書き加える。よろしく頼むぜ真姫ちゃん。第一印象最悪だからぶっちゃけあんまり関わりたくないけど。

 

「だって学校の中じゃちょっとした有名人だよ、新入生の西木野 真姫ちゃん。あの西木野総合病院の跡取り娘で、すごく頭良くて、すごく美人だって評判!」

 

「西木野総合病院って……」

 

 ちょっとだけだが軽く驚いてしまった。だが、そうならない方が珍しいだろう。この一帯に住んでいる人間ならば。

 西木野総合病院はこの近辺では一番大きく、最新の設備が整っていることで有名な病院だ。そこの院長の娘だというのが本当なら相当なお金持ちのお嬢様だ。

 しかし、だったら何故わざわざこんな学費の安さだけが取り柄みたいな学校を進学先に選んだのだろうか。勉強も出来るってんなら有名私立だって選び放題だろうに。

 

「……家と私は関係無いわよ。別に病院も私の物じゃないし」

 

「でも、いずれは真姫ちゃんが継ぐんでしょ?すっごーい」

 

「そ、そりゃあ、一応今はそういう予定だけど……」

 

 褒められるのは満更でもないらしい。髪を弄りながら、目を背ける。その時だ。矢澤先輩の目がキラリと光ったように見えた。

 

「隙あり!はい、にっこにー!」

 

 カシャッ

 

 スマホに内蔵されたスピーカーから本物のカメラを模したシャッター音が鳴り響く。いつの間にか真姫とにこ先輩の二人が横に揃って写真を撮っていた。

 

「や、やだ……ついうっかりピースサインしちゃった……」

 

「やーん!真姫ちゃんったらすっごく可愛く撮れてるにこ!まるでアイドルみたい〜。これはにこだけの物にしてたらもったいないよね!」

 

「え、ちょ……」

 

 戸惑う真姫を尻目に、にこ先輩は目にも留まらぬ速さでスマホのキーボードで文章を書き込んでいく。

 

「『にこの新しいお友達を紹介しまーす!美人で頭良くてスーパーお嬢様な真姫ちゃんでーす!みんなも今後ともよろしくお願いしますにこ♪』っと。はい、送信!」

 

 一瞬スマホの画面が見えたが、幸せを運ぶという青い鳥をトレードマークにした某有名SNSが表示されていた。

 

「ちょっと!なに勝手をアップしてるのよ!肖像権の侵害よ!」

 

 真姫は顔を真っ赤にしながら先輩に詰め寄る。そのままスマホを奪い取ろうとしたようだが、先輩にはすんでの所で避けられてしまった。

 

「別に減るもんじゃないし、真姫ちゃんのお尻のように大きい心で許してにこ〜」

 

「減るわよ!寄越して!さっさと消しなさい!それとお尻の大きさは余計でしょ!」

 

 ますます憤慨した様子の真姫はがむしゃらに掴みかかろうとしている。それに対して、追われているはずのにこ先輩は余裕綽々で真姫の追撃をひらりと躱し続けていた。ペロリと舌を出して真姫を挑発して満足気な先輩はそのまま俺の方に振り向いた。

 

「もう遅いよ〜。ささっ!次は後輩くんの番にこ!」

 

 突然スマートフォンのカメラを向けられる俺。

 

「え?俺?」

 

「はい、にっこにー!」

 

 あまりにも唐突だったために、素っ頓狂な声をあげながら自分を指差すことしか出来ない。

 

カシャッ

 

 同意も拒否も表明する余裕を全く与えられないまま、先輩のスマートフォンからシャッター音が鳴った。

 

「『今日はにこにーの大ファンだって言ってくれる男の子と会っちゃいましたにこ!にこの学校の後輩なんだけど、真面目そうに見えて可愛い女の子が大好きなんだそうです♪でも残念!にこにーはみんなのアイドルだから、いくら可愛い後輩くんでも独り占めされるわけにはいかないの!ごめんね♪』っと」

 

 な、なにいいいいっ!?その文章じゃ、どう考えても俺は危ないムッツリ変態野郎にしか映らないだろうが!

 

「お、お願いします!どうかそれだけは!それだけは勘弁して下さい!」

 

 冗談じゃない!このままじゃ俺の世間体は崩壊するじゃないか。

 

「えー、せっかく素敵な写真が撮れたのにー」

 

「全然素敵じゃない!」

 

 俺は先程の真姫と同じようにスマホを奪おうと手を伸ばすが、結局は同じように小さな先輩の体躯と身のこなしに翻弄されるばかりだ。

 

「そいつなんてどうでもいいけど、私の写真はダメよ!絶対!」

 

「それはこっちのセリフだっての!」

 

 俺だって先輩に対して欠片程にも敬意を払わない傲岸不遜女なんざどうでもいいわ!図らずも共同戦線を張るはめになった俺達二人は先輩のスマホへと同時に手を伸ばす。

 

「きゃっ、二人共怖〜い。早く逃げるにこ〜!」

 

「ちょっと待ちなさい!コラァッ!」

 

 とても年頃の少女とは思えないドスの効いた怒声を放ちながら先輩を追いかける真姫。しかし、その振り上げた拳は突如としてゆっくりと下された。

 

「え?何よアレ……」

 

「アレ?」

 

ぴゅーーーーーーん

 

ぼふっ

 

 真姫が指差した先に顔を向けた瞬間、俺の視界は暗転した。

 

「ぶふっ!」

 

 塞がれたのは視界だけじゃない。鼻と口までもが何かに覆われている。よくわからないが、感触的にビニール製でモジャモジャした感じの何かだ。

 

「わー!わー!なんだよこれ!何も見えないぞ!」

 

 あまりにも突然のことに冷静さを失ってしまった俺は、思わず手足をジタバタと動かす。

 

「ぼ、ボンボン?」

 

「ご、ごめんなさーい!失敗して飛ばしちゃいました!……って、あっ、桜井君だ。おはよう桜井君。何してるの?」

 

 俺はようやく冷静さを取り戻し、顔に引っ付いた物を引き剥がした。チアガールや小学生がダンスでよく使う、ビニール製のボンボンだ。話の流れからしておそらく高坂さんが投げ飛ばしたボンボンが、俺の顔面にジャストヒットしたのだろう。

 

「何してるも何も、君のボンボンを顔面から受け止めたんだ」

 

 静電気で俺の髪を見事なまでに乱してくれたボンボンを高坂さんに突き返す。高坂さんは面目無いと言わんばかりに笑いながら頭の後ろを掻き始めた。

 

「あーそうなんだー。いやー、ごめんねー。つい勢い余っちゃって」

 

 勢い余ってとは一体どんな状況のダンスだったんだ。

 しかし、びっくりした。俺は内心の動揺を見せないようにするため、何事も無かったかのように無表情を貫いたままズレてしまった眼鏡を直した。

 

「『つい勢い余って』でここまで飛ばしちゃうなんて、流石は元気印の穂乃果ちゃんにこ!」

 

 俺がボンボンを顔面から被る羽目になった原因を生んだ戦犯が、よりにもよって俺の背後からぴょこんと顔だけを出した。いつの間にそこへ移動したんだ。

 

「あれ、あなたとは初対面……のはずだよね?どうして私の名前を?」

 

「あれれ?もしかして自覚無いの?穂乃果ちゃんは学校の中じゃ有名だよ〜。老舗和菓子屋の跡取り娘で、いつも元気で、剣道も強くて、しかも可愛い!」

 

 矢澤先輩はぴょこぴょこという擬音が似合いそうな軽い足取りで高坂さんに迫る。自身の名前通りにニコニコ笑顔で距離を詰めていく彼女の遠慮ないスキンシップとストレート過ぎる賛辞の数々に、流石の元気娘も恥ずかしくなってしまっているようだ。軽く頬を紅色に染めている。

 

「そ、そうなの?た、大したことないと思うけどな〜」

 

「あなた……よくそこまで知ってるわね」

 

 感心、というより呆れたといった様子の真姫。俺も同感だ。同級生の俺でも老舗の和菓子屋云々の下りは知らなかった。真姫の個人情報といい、この小さな先輩はどうやらずいぶんと優れた情報網をお持ちのようだ。

 

「なんせ校内の可愛い女の子はみんな隈なくチェックしてるからねー。にこのことは美少女ハンターにこにーと呼んでくれても構わないにこ」

 

「なにそれ、意味わかんない」

 

 もはや呆れすらも通り越したのか、真姫は頭を抱えるようなポーズ取っている。

 

「可愛いのはあなたの方だよ!えっと、にこちゃん……だっけ?ねえねえ!良かったら穂乃果達と一緒にスクールアイドルやらない?今メンバーを募集してるんだけど、なかなか誰も来てくれないの!」

 

 高坂さんの口から『アイドル』という単語が出てきた時、矢澤先輩の瞳はキラキラと星のような輝きを放ち始めた。

 

「スクールアイドル!?すごーい!まるでUTXみたーい!んー……でも、にこにアイドルなんてやれるかなー?穂乃果ちゃんも他の四人もみんな美人過ぎて気遅れしちゃいそうにこ」

 

「そんなことないよ!穂乃果よりもにこちゃんの方がすっごく可愛いし……ってよく見たら先輩!?」

 

「あ、学年とか気にしなくて良いよ。気軽に、にこって呼んでね。それともう一人、アイドルやれる位可愛い女の子がいるんだけど」

 

「本当!?誰々!?」

 

「しかもー♪その子ったらアイドル活動に興味津々でー♪」

 

 ここまで来れば誰を指しているのかくらいは俺でも察しがつく。そして、そんな当のアイドルをやれそうな可愛い女の子さんも俺と同じだったらしい。

 

「あ、もうホームルームが始まるわ!急がなくちゃ!」

 

 全力でこの場からそそくさと逃げ出す真姫。運動苦手そうだけど逃げ足は早いんだな。さらばだお嬢様。面倒くさいからもう会わないことを祈る。

 

「穂乃果ちゃーん!もう時間だよ!そろそろ教室行かないと!」

 

「わかったよことりちゃーん!じゃあね、にこちゃん!もし興味があったらアイドルの件はよろしくお願い!」

 

 五人のアイドル軍団も早々と退散を始める。他の生徒達も早足で校舎へと駆け抜けていってるようだし、今ここで悠長に残っているのは俺と矢澤先輩だけだ。無論、皆勤賞を狙う俺も遅刻するわけにはいかない。俺は皆と同じく鞄を抱えて歩き始める。

 そして、隣には何故か俺と歩行速度を同調させる矢澤先輩の姿があった。

 

「ねえねえ、後輩くんはにこのアイドル姿見てみたいと思う?」

 

 なかなか答えに困る質問である。

 

「えー、まー……似合う似合わないの話だったら間違いなく似合うと思うし、アイドルなんて好きなようにやれば良いんじゃないですかね?」

 

 俺はお茶を濁すように当たり障りの無い言葉を選んだつもりだった。しかし、この先輩にとっては大いに不満な返答だったようだ。

 

「ぶー!後輩くんが見たいかって聞いてるのにー。まあいいや。後輩くんは真姫ちゃん並のツンデレ属性持ちってことにしておくからね!」

 

「いや、意味わかんないから!なにこの理不尽⁉︎」

 

 勝手に俺に変な特徴を付け足した矢澤先輩は、あまりにも理不尽な仕打ちに打ちひしがれる俺に目もくれず、そのまま先に校舎の中に入っていった。

 

「音ノ木坂学院スクールアイドルかあ。ふふふ……面白くなってきたにこ」

 

 一瞬見えた兎を思わせる彼女の赤い瞳に、怪しい光が灯っていたのは見なかったことにしておこう。きっと気のせいだ。うん。

 

「な、なんだかどっと疲れが出てきた。早く俺も教室に行こう……」

 

 ただ登校してきただけなのに滅茶苦茶精神を磨耗してしまったようだ。おまけに謎のアイドル集団といい、新学年早々俺のこの先が思いやられるわ。

 

「あれ?そういや俺なんか忘れてないか?」

 

 あ、そう言えば……矢澤先輩に撮られた俺の写真消してねえなあ⁉︎



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その6

久々の投稿ですが、あまり話進みません。この作品はのぞにこのシーンが一番楽しいんですが、まだ出番に時間かかりそう。


 赤毛の新入生に俗物と罵られるところから始まり、勝手に写真を撮られたり、頭からボンボンを被るなどの希少なアクシデントはあったものの、それ以外は普段と変わらず何気ない日常として時間が過ぎていった。

 気づけば放課後。俺はいつものように生徒会室の自席にかじりつき、今回は教師から頼まれていた生徒会新聞の校正に没頭していた。

 誤字や脱字、文法の間違いがあれば赤のボールペンで印を付けて修正内容を書き込む。何度も言っているが、俺はこういう細かい作業が好きだから苦にならない。特に今日は邪魔する輩がいなくて作業が捗るのなんのって。

 なんせ普段は無駄話に興じる上級生達が全員席を外しているおかげで今の生徒会室はシンと静まり返っているのだから。おかげで集中してルーチンワークを進めるにはもってこいである。

 

 ちなみに余談だが、希先輩の書く文章は誤字脱字がやたら多い。大雑把かつ豪快な彼女の気質を体現するようにパッと見のレイアウト構築は上手いのだが、その小さなミスの多さから俺は超常現象研究会の会誌を製作する際には細やかな修正をかなり入れていたりする。

 

コンコン。

 

 ドアをノックする音が俺一人しかいないゆえに静けさを保っていたこの部屋で一際大きく響いた。

 無論客人に対応するのはお留守番役を任された俺の役目だ。

 

「はいどーぞ」

 

「失礼しまーす!!!!」

 

 不必要な程の元気な挨拶を引っ提げて勢い良く扉を開けたのは高坂さんだった。

 続けて入ってくるのはクラスメイトの園田さん、南さん、それと二人の一年生らしき女子生徒。明らかに見覚えのある顔ぶれ。

 

……今朝、校庭でダンスをしていたメンツですね。

 

「ってあれ?桜井君だけ?絵里ちゃ……生徒会長は?」

 

 高坂さんは拍子抜けした様子で部屋の隅から隅まで眺め回している。当然、生徒会長はおろか俺以外の役員すら見つかるはずがない。

 

「絢瀬会長なら先生との会議で職員室行ってるよ。もしかしたら遅くなるかもって言ってたなあ」

 

 俺は手の中でクルクルと赤ボールペンを回しながら答えた。

 

「今はほぼ全員出払ってるから、生徒会室に残ってるは今俺だけ」

 

「うーん、そうなんだ」

 

「どうやらタイミングが悪かったようですね。出直しますか?」

 

「話だけなら俺が聞くよ」

 

 それまで手の中で遊ばせていたボールペンを机の上に転がす。そして、椅子の背もたれにゆっくりと寄りかかった。

 

「つーか校内の規定は一応殆ど把握してるし、何か学校に申請したいことがあるのなら俺でも充分対応できるからね」

 

 実際学年が上がってからは生徒からの要請の殆どは俺が受付を行うようになってきている。来るべき二学期からの引き継ぎを念頭に置いた練習、前準備も兼ねているのだろう。

 とはいえ、大きな権限を持たされてはいないのだから俺の一存で何でも許可出来るという話じゃない。時折来る、誰の目にも明らかに滑稽無踏な要求をやんわりとお断りするのが俺に与えられた仕事内容なわけだ。

 

「創部届の提出に来ました!」

 

 俺の手元に一枚のB4サイズ用紙が置かれた。

 

「アイドル部の設立許可……お願いします!」

 

 俺は渡された紙を上から下まで目を通す。()()()()の校則に書かれていた、部の設立に必要な五人のメンバーが記載されている。

部長・高坂 穂乃果

副部長・園田 海未

南 ことり

星空 凛

小泉 花陽

 

「高坂さん達が剣道部を辞めてまで始めたいことってスクールアイドルだったんだね」

 

「あれ?あまり驚かないんだね?まだ学校の中でもあんまり宣伝してないはずなんだけど」

 

 意外といった様子で高坂さんの背後に控える南さんが首を傾げた。実際赤毛の女はダンス部や学校の催しか何かだと勘違いしていた。少なくとも校内で浸透していないのは間違いない。

 

「ふっふっふーん!実はねー。桜井君は今朝の練習見てたんだよ!ついでに彼の近くにいた可愛い女の子もグループに勧誘しておいたから!おかげで宣伝はバッチリ!」

 

「ああ、そうだったんだね」

 

 そうそう。ボンボン頭に被らされたりさ。

 

「この調子でギャラリーを集めたなら有名になるのもきっとあっという間だよね!目指せ日本一のスクールアイドルっ!」

 

 両手を握りしめ、目を燦々と輝かせながら謎のポジティブ思考を垂れ流す高坂さん。それに対し、園田さんは呆れたと言わんばかりに深いため息を吐きながら、幼馴染に釘を刺す。

 

「あのですね……昨日今日始めたばかりなのですよ。公園でのファーストライブも観客の人達から散々な評価だったのに、そんなわけないでしょう」

 

「だよねー……」

 

「そもそもダンスの練習を始めて数日でライブを開催するだなんて貴女は無謀すぎます。おかげでことり達にまで余計な恥をかかせてしまったではありませんか。あの件はもう少し反省すべきですよ」

 

「はぁーい……」

 

「良いですか?今後は勢いだけで行動を起こすばかりでなく、もっと計画性を持って……」

 

 高坂さんが意気消沈していくのと反対に、園田さんのお説教はエスカレートしていって止まることを知らない。口を挟むタイミングを見出せない俺に代わって南さんが仲裁してくれなかったら、いつまでも終わらなかったかもしれない。

 

「あのね海未ちゃん?ええっと、今は……一応人前なんだし……」

 

「あ……」

 

 園田さんは顔を赤らめて俯く。そして、その隣で力なくうなだれている高坂さんと苦笑いしている南さんが並ぶ構図がどうにも笑いを誘う。とりあえず我慢はしているけど。

 

「そのファーストライブとやらは知らないけど、実は俺、公園でダンスの練習やってる君らを偶然見ちゃったんだよ。その……園田さんが転倒するところとか」

 

「あ、あれを見ていたのですか?うう……生き恥を晒してしまいました……」

 

 日本舞踊なら得意なのですが、と消え入りそうな声でぼそぼそと呟いている。

 

「海未ちゃんは初めてのダンスだったんだから仕方ないよ!それにあれくらいの失敗で恥ずかしがってたらアイドルなんてやれないと思う!」

 

 いつの間にか復活を遂げていた高坂さんが、ますます顔を赤く染めていく園田さんに発破を掛ける。

 

「た、確かに……それはそうですが……」

 

「でも、練習を見てくれてるんだったら話は早いよね!クラスのみんなにも今まで内緒にしてたけど、これこそが私達が思いついた、この学校を廃校から守るための最高のアイデアなの!」

 

 些か不服そうな園田さんを無視して、急に本題を進める高坂さん。

 

「ええっと……ようするに……スクールアイドルを結成して高坂さん達が客寄せパンダになろうって計画なんだよね?そんでもって入学希望者を増やすって感じで」

 

「そうだよ!すごいでしょ!」

 

 すごいと言うか、すごく……獲らぬ狸の皮算用です……。いやいや、考え甘すぎだろう。ぶっちゃけ嫌な予感しかしねえ。

 

「スクールアイドルって言ったら今雑誌やテレビでも取り上げられる位に盛り上がってるらしくて!特にこの間私が見に行ったUT……」

 

「ああ、うん、わかってるから大丈夫だよそこは」

 

 キラキラと目を輝かせながら自慢気に熱弁を始めた高坂さんを俺は手のひらを向けて制止する。

 スクールアイドルくらいなら俺も知ってるよ。なんせ一応俺も思春期の男の子ですからね。

 まあ、そりゃあ同世代の連中に比べたら流行に疎い自覚はある。でも、女の子がフリフリの服着てダンスしてたら目が行く程度には典型的な男子高校生です。

 

「というわけで……改めてアイドル部の創部、よろしくお願いしまーす!」

 

「……うーん」

 

「どうしたの?難しそうな顔して唸って」

 

 ……うん、なんというかさ。正直な話、君達のアイドル活動やりたいって気持ち、個人的には応援してあげたいよ?

 今まで特に接点無かったとはいえ、同じ学校で同じ授業を受けてきたクラスメイトではあるし、オシャレな服着て流行歌に合わせてステージでダンスをしたいってのも年頃の少女なら当然の欲求だとも思う。

 

「アイドル部とやらの設立、俺は難しいと思うね」

 

「えええっ、なんでえ⁉︎」

 

「なんでって、『長い歴史と由緒正しい伝統を誇る我が校において、生徒による芸能活動への参加は校内の風紀を乱し、著しく校名を貶める非模範的行為である』という説明以外いるかな?」

 

 本当に心の底から応援してあげたい。うん。

 でも、生徒会の仕事に絡んだら話は別ってもんだ。なんせ女の子の夢よりも校内の風紀って奴を優先して守るのが俺の役目なわけだから。

 俺は目の前の少女から渡されていた創部届をそのまま当人に突き返した。

 

「えええっ⁉︎そこをなんとか……」

 

「調べたところスクールアイドルは営利目的の芸能活動ではなく、あくまで形を変えた吹奏楽部や軽音部やダンス部等の文化系部活の亜種として周知されているはずです。芸能事務所に所属して金銭契約を結ぶわけではないのですから、それは杞憂なのではないでしょうか」

 

「え?そうなの?すごいよ海未ちゃん!よく知ってるね!」

 

「何を言ってるのですか。この程度ならちょっと調べればわかります」

 

「そうなんだ!よくわからないけど、そうらしいから大丈夫!」

 

 流石園田さん。学校側から反対されるのは想定内で、いざという時の反論も予め用意しておいたのだろう。

 

「でも、だったらさ、別にアイドルに拘らなくて良いよね」

 

歌が歌いなら軽音部や合唱部が既に存在しているし、ダンスがしたいならダンス部だってある。わざわざアイドル部なんて胡散臭い活動内容を表明しているクラブを新設する必要は無い。

 

「よりにもよって君らが選んだのはスクールアイドルだよ?スクールアイドル。この学校、潰れそうとはいえ俺達のお爺ちゃんお婆ちゃんより長い時代を生きてき由緒正しい伝統校って奴だよ?そんな最近出来たばっかのUTXのまねごとなんて認められるわけないじゃないの。下手したら保護者会からクレーム来ちゃうよ」

 

 少女達の顔色が暗くなっていく。少し心が痛むが、俺の口は止まらない。

 

「それに廃校決まってからいたずらに部を増やせなくなっちゃってさ。予算の関係で設立の基準そのものも厳しくなってるんだよ。そんでもって、こんな切羽詰まった状況で先生達に予算の使い道を説明すんのは俺ら生徒会なわけ」

 

 つまり先生に『学校の予算をアイ活に使います』と説明する役目は俺や会長が負わなきゃならないわけだ。やる気のある無し関係無く、学校側からの印象悪化は避けられないだろう。教師達の機嫌を損ねたくない俺としては、そんな役回りは真っ平御免だ。

 

「そんなだから、この際だし大人しく二人共に剣道部に戻った方が良いと思うんだよね、俺としては。学校の宣伝ならそっちでもやれるでしょ?」

 

 頼むからさっさと諦めてくれるとありがたいのだけど。だが、そんな俺の願いを真っ先に粉砕したのは意外にも真面目な優等生であるはずの園田さんだった。

 

「……剣道部には戻りせん。私達の決心は固いのです」

 

 園田さんは拳を強く握りしめている。その表情に先日の迷いに満ちた感情は残っていなかった。

 

「穂乃果は……いえ、私達は本気なんです!お願いです!創部を認めていただけないでしょうか!」

 

「はあ……まさかよりによって園田さんがここまで肩入れするとはね」

 

 全く、誰だよ。園田さんにアイドル活動なんざ勧めたのは。余計な真似しやがって。

 

「私を後押ししてくれたのは桜井君、貴方だったではありませんか!貴方自身の目で私達の思いを見てもらえないのですか!」

 

 そうですよねー。俺でしたよねー。いやでもさ、知ってたらさすがに高坂さんを止める方向で諭してたと思うよ?だってあの時はまさか二人がスクールアイドルなんてもんを始めるなんて想像すらしてなかったもんだから。

 

「それは……まあケースバイケースって奴だよ。それに二人とも剣道凄いじゃない?別にアイドルなんてやらなくても、これからもそっち方面で頑張ればきっと……」

 

「……剣道じゃ駄目だったんだよ」

 

 なかなか折れない園田さんを諭そうとする俺の続きを高坂さんが遮る。

 

「アイドルじゃなきゃ駄目なんだ!私、UTXのスクールアイドルのライブを見て思ったの。確かに音ノ木坂学院は素敵な学校だけど、ここには足りない物がある!」

 

「足りない物?」

 

「それは……ドキドキとワクワク!夢と希望!」

 

 そう言って彼女は胸を抑えながら天井を仰ぎ見る。

 

「この学校に入ったらどんな楽しい高校生活が待ってるんだろう!どんな素敵な出会いが待ってるんだろう!そんな夢を受験生の子達に……ううん、受験生だけじゃない。今音ノ木坂に通ってるみんなや沢山の人達にあげたいんだ!だからお願いっ!」

 

「だから、無理なものは無理だって」

 

 可哀想ではあるけど、今までにも直談判に来た生徒を追い払った経験は一度や二度じゃない。

 

「お願いです桜井君!」

 

 ううむ、お互いに話が平行線染みてきたな。このままじゃ埒があかない。

 

「でしたら生徒会長と……」

 

「先輩は忙しいんだよ。こんな結果がわかりきってるものにわざわざ目を通す必要なんて……」

 

「穂乃果先輩をイジメるにゃ!!!」

 

「り、凛ちゃん?」

 

 突然、今の今まで高坂さん達の後ろで黙って見ていたはずの一年生の一人が俺を睨みつけながら食って掛かってきたのだ。あまりの唐突なことに高坂さん達二年生も唖然としている様子だ。

 

「だ、駄目だよ凛ちゃん……」

 

 隣の大人しそうな八の字眉毛の少女が制止しようとするが、ショートカットの一年生はそんなのお構い無しといった調子で高坂さんを押し退けながらズンズンと突き進み、俺の眼前まで迫ってきた。

 歳下の少女とは思えぬ迫力に俺は思わず面食らってしまう。

 

「は……はは?何か用ですかな?」



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その7

他にも作品を複数抱えてると更新頻度ゲキ落ちしちゃいますよね。本当は進めたいんですけどね。最近SIDを一気見したので、アニメと全然違うにこちゃん早く書きたくなって本作のモチベーション上がって来た次第です。


「さっきから黙ってれば穂乃果先輩が一生懸命考えて始めたアイドル活動をさんざん馬鹿にして!もう我慢できないよ!」

 

 眉間に皺を寄せながら、ショートカットの一年生は大股歩きでずんずんと迫ってくる。

 

「いや、俺は別に馬鹿にしてるわけじゃ……」

 

 ボーイッシュな外見とはいえ、やはり体格は中学を出たばかりの少女に過ぎない小柄な部類。俺が同世代の中でも痩身長躯なのを考慮しても、俺達の身長差はかなりの物。

 にも関わらず、俺は彼女の迫力に思わず身を仰け反らせる。よっぽど気が立っているようだ。ギロリとひと睨みすることで俺の弁解を容易く遮った。

 

「穂乃果先輩のこと……ほのかちゃんのことなんて何も知らない癖に馬鹿にするにゃっ!このわからず屋のイジワル男ー!!!」

 

「凛ちゃん落ち着いてよお……」

 

 イジワル男だと?別に何処の学校の生徒会だってこんなもんだろ。学生の好きなように任せる自由な環境なんて漫画の世界でしか保証されていないのが現実だ。

 とはいえ、それをストレートで言ってしまうのも可哀想だしな。ここは世間知らずで夢見がちな少女にコンコンと諭してやるとするか。

 

「ああん?んだとこら。先輩に対して口の聞き方がなってねーんじゃねえのかこら」

 

 と思っていたはずなんだが……

 つい怒気を含んで漏らしてしまった。確かに俺は高坂さんことは剣道が強いのと授業中の居眠りで先生によく叱られている以外は何も知らないが、よりにもよって今日会ったばかりの一年小僧なんぞから好き勝手コケにされる謂れは無いぞ。

 ったく、今朝の赤毛といい、このにゃーにゃーうるさい猫娘といい、今年の一年生の礼儀はどうなってるんだ?

 

「ふーんだ!お前みたいな性悪男なんて先輩扱いするもんか!ほのかちゃんは凛が入学するずっとずーっと前からこの学校を守ろうとして頑張ってたんだにゃ!」

 

 不機嫌さ全開にした俺にも臆することなく、逆に睨み返してくる。

 

「凛知ってるよ!ほのかちゃんは泣いてた!この学校を有名にするために、剣道の大会で優勝して新入生に来てもらおうと思って、辛くても毎日剣道の練習だっていっぱい頑張ってたんだよ!でも、それでも駄目だったから!だからほのかちゃん……いっぱいいっぱい泣いてたにゃ!」

 

 そう言うこの猫娘自身が目元に涙を溜めていた。

 

「ほのかちゃんは今度こそ音ノ木を守るためにアイドルを目指してるんだよ!それもこれも、先輩のような音ノ木のことなんてどうでもいいと思ってるいい加減な人が生徒会にいたからでしょ!生徒会は不甲斐なさ過ぎるんだにゃ!先輩みたいなやる気の無い人はきっと絵里ちゃん……じゃなくて生徒会長にもたくさん迷惑かけてるに違いないにゃ!!」

 

 ガンッ!

 

 俺の机に両手を叩きつける猫娘。

 

「一生懸命になってるほのかちゃんの邪魔をするなーーーーー!!!」

 

 生徒会室の窓がビリビリ震えるほど音量の怒声が響き渡る。隣でそわそわしながら事の成り行きを見守っていた園田さんは、とうとう見かねたのか猫娘の肩に手を置いた。

 

「凛、いくらなんでもそれはあまりに失礼で……」

 

「はああ……」

 

 猫娘を諌めようとする園田さんを遮る形で、俺は猫娘に負けじと音量を最大ボリュームにしたため息を吐き散らした。我らが生徒会長は『ため息を吐いたら幸せが逃げる』と苦言を呈していたが、そんなの構ってられない。

 

「言うじゃねえか猫娘」

 

 半泣きで思いの丈を必死にぶつけてくる姿は正直涙ぐましいが、俺だって一方的に馬鹿にされていて黙ってはいられない。

 

「俺が何もしてないだと?なら、こいつを見ろ」

 

 俺は無数の資料が敷き詰められた棚から一冊のクリアファイルを取り出し、アイドル部の五人によく見えるよう机の上に広げた。しばらく放置されていたためか少々埃の被っているクリアファイルの中に入っていたのは、昨年度の日付が書かれていた一枚のパンフレット。タイトルは『国立音ノ木坂学院高校・学校案内』

 

「現生徒会長の絢瀬絵里会長が就任して最初に始めた企画だ。一応俺も雑用とはいえ、参加させてもらった。毎日遅くまで残って、資料集めて、構成を何度も練り直して、プレゼンの練習もひたすら繰り返していたもんだ」

 

 広げたパンフレットの内の一冊を開く。そのページでは俺や会長、そして、既にいなくなったメンバーを含めた当時の仲間達の写真が残っていた。今となっては楽しくも、もう思い出したくない辛い記憶でもある。だけど、

 

「それを何もしてないだあ?俺を馬鹿にするのはいくらでも構わねえけどな。仲間達の努力を馬鹿にされて看過できる程、俺は人間できてねえんだよ」

 

 正直思い出したくない。それでも侮辱されて我慢できるわけでもない。

 

「生徒会もな……お前が呑気にお受験勉強やってる間にもひいこら言いながら必死に打開策探ってたんだよ。そっくりそのまま返してやる。俺達のことを何も知らねえ癖して馬鹿にしてんじゃねえぞ。泣いてるのは高坂さんだけじゃないってことだ」

 

「……っ!」

 

 件の猫娘が苦々しそうに顔をそっぽ向いて俺から目を逸らす。

ふん、ざまあみろ!……なんて爽快感はあいにく湧いてこない。このパンフレットを見るだけで俺の方こそ苦い思い出が蘇ってくるからだ。

 去年の新生徒会が発足した時、あの頃は新会長に抜擢された絵里先輩の呼び掛けに応えて役員全員が確かに一致団結していた。

必ずやこの学校を守ろう。

 

 必ずやこの学校を廃校から救おう。

 

 その思いを胸にみんなで頑張った。本物だったんだ。あの熱意は。少なくともあの頃は。

 で、その結果どうなったか?むしろ……新入生は去年よりもさらに減ってしまった。生徒会の努力なんて何の意味も無かった。いや、無意味な努力でしかなかったならまだ良かったかもしれない。

 

『自分達が余計なことをしたせいで音ノ木坂学院を逆に追い詰めてしまったのではないか?』

 

 そんな行き過ぎた自責の念が生徒会メンバーの間で蔓延してしまったのだ。おかげで俺以外の当時一年生役員は精神的に思い詰めて、ほぼ全員が活動から脱退。残った上級生メンバーも廃校阻止など忘れて惰性的に通常業務に従事している。

 もはや誰も廃校を止めようだなんてしていない。そんなことを決して口にしたりもしない。また淡い期待を抱いた反動で傷つくのは嫌だから。

 俺は軽くため息を吐いて五人に改めて向きなおる。思わず激情に駆られてしまったが、少しだけ頭が冷えてきた。この人らだって、あの頃の生徒会が持っていたのと同じ情熱を抱えてきたのだって理解できる。だから、また同じように傷つくのを見るのも忍びない。

 願っても奇跡は起こせなかった。

 

 奇跡なんて起きなかった。

 

 だから、これからも奇跡なんて起きやしないのだ。きっと。

 

「……廃校決まってやるせない気持ちなのは君らだけじゃないんだよ。生徒会の人間だってやるだけやって、みんな燃え尽きたんだ。もう廃校阻止のために頑張ることに疲れてしまってるんだよ。もう『頑張っても無駄だ』なんて現実を突きつけられて苦しむのはこりごりなんだよ。きっと会長もそう思ってるはずだ」

 

 むしろ一番葛藤していたのは絵里先輩だろう。あの人の母校への愛は当時しっかり伝わったし、協力していたメンバーが揃って傷ついてしまったことも責任を感じていたようだった。そんな彼女が今ではようやく無理の無い笑顔を見せてくれるようになったのだ。

 

「俺なんかよりずっと悔しい思いをしたはずの絢瀬会長は今、この学校を悔いの無いよう『綺麗に終わらせたい』と願っている。俺はあの人の任期が終了するまでの間、いや、卒業するまでの間に思い残すことが無いように、滞りなく学校生活を送らせてあげたいんだよ。あの人が望むままにね」

 

 チラッと横目で俺の前に立つ少女達の様子を窺う。全員がやるせない表情で呆然と立ち尽くしていた。

 

「高坂さん達もそこの一年生の子も、スクールアイドルを通して学校を守りたいってのが本気なのはわかった。だからさ、ここは同じ思いを持ってる者同士で気持ちを汲んでさ。我慢しようじゃない。スクールアイドルなんて奇抜な活動が失敗して、この学校の評判がさらに落ちたら、一番傷つくのは君らなんだし」

 

 高坂さん、いや、アイドル部設立を目的にここへとやって来た五人の少女達全員が暗く沈み込む。これでようやく諦めてくれるだろう。そう確信した俺だったが、

 

「桜井君……今言ってたよね?絵里ちゃんの望むようにしてあげたいって。絵里ちゃんが思い残すことが無いようにしたいって。気持ちを汲んであげようって」

 

 顔を上げた高坂さんの目は、まだ死んではいなかった。

 

「だったら、やっぱりスクールアイドルを諦めない!だって絵里ちゃんが本当に望んでるのは『綺麗に終わらせる』ことじゃないんだもん!」

 

 はあ?なぜ、そういう結論に至るんだ?という俺の反論は喉から飛び出さなかった。高坂さんから滲み出る迫力は俺に口を挟ませる余裕を与えなかったのだ。

 

「絵里ちゃんは生徒会長になったから無理にしてるだけだよ!本当は今だって何がなんでも音ノ木坂を廃校から守りたいって思ってる。穂乃果にはわかる!」

 

 力こぶしを作って力説する高坂さん。あまりにも力強く言い切る彼女の勢いに、俺の方こそが逆に飲み込まれそうになってしまう。折れない意志を示すような輝きの灯った瞳が向けられた俺は、つい目を逸らしてしまった。

 いけない。このままだと負けているようにしか見えない。

 

「あのさ……さっきから高坂さんは会長のことを絵里ちゃん絵里ちゃん言ってるけど、会長の個人的な知り合いか何か?そんなに会長のことをよく知ってるわけ?」

 

 俺は眼鏡の位置を直すと、歯を食いしばりながら負けじと彼女と視線のぶつけ合いを再開する。長期戦を覚悟していた俺だが、それは予期せぬ形ですぐに終了した。

 

「ええ、よ〜く知ってるわよ。お互いにね」

 

 



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