真剣で一振りに恋しなさい! (火消の砂)
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一章
――私は強いです。――


 かつて戦国には一人の剣士がいたという。

 名は「塚原 卜伝」

 幾度の真剣勝負において一度も傷を負わなかったといわれ、彼は伝説となり、剣聖と謳われた。彼の室町時代第十三代将軍足利義輝も彼に師事し、奥義である「一の太刀」を会得したという。

 

 現代、塚原卜伝の名前を知るものは一体どれぐらいいるだろう? 何百万人? 何万人?知らない者の方が多いだろう。

 それでもいいさ――若者そう言った。気崩した和服と洋服を兼ね備えたカジュアル志向の青年は言った。

「俺だって名前は知っているけど、顔なんてわかんないし、知らなくても問題はない。ご先祖様もそう思っているさ」

 歪みのない佇まいから繰り出されるその刀の一振りはまさしく――

 ――「一の太刀」だった。

 

 

「別れよう、つーちゃん」

 

「ふにゃ!」

 

 猫のように声を張り上げたのは巷で話題の納豆小町こと「松永 燕」

 そして燕の肩を両手で掴み、まるで告白するかのように別れ話を切り出したのは「塚原総一郎」

 燕は彼の戦国大名「松永家」の子孫で誰にでも優しく納豆アイドルとして活躍するほどの美少女だが、松永久秀のように腹黒い一面を持つ。

 総一郎は日本歴史上最強と謳われる剣客「塚原 卜伝」の子孫で気崩した和服と洋服のコーディネイト、そしてワカメのような髪と爽やかな顔立ちで巷の女子に大人気である。

 世間は二人のルックスと武人としての実力もあってか「京のツインエース」というちぐはぐな二つ名を持つ。

 そんな二人には共通の秘密があった、二人は付き合っていたのだ。

 

「な、なんでかな!?」

 

「いや~俺、東京行くし?」

 

「え? それだけ?」

 

「ん」

 

「遠距離でも大丈夫だよ! 私が好きなのは総ちゃんだけだから!」

 

「んー……よし、一旦別れて次に会った時、好き同士だったらまた付き合おう」

 

「ううう、なんで総ちゃんはいつもこうかな」

 

 噛み合っていないようでフィーリングがぴったりな二人は、重い会話を笑いながら行っていた。

 

「……じゃあ、気を付けてね。ご飯はしっかり食べてね、毎日納豆送るから。変な女の人についてかないように、それから――」

 

「はいはいはい、毎日納豆送られたら宅配業者が納豆臭くなるからやめてね、向こうでも松永納豆はあるから。変な女にはついていかない、別れるって言っても俺はつーちゃんが好きだからな」

 

 別れ話からの夫婦漫才からの告白で燕はいつの間にか顔が真っ赤に茹で上がっていた。普段の陽気でどこか見透かした彼女からは想像もできない状態だった。

 

「じゃあ、行くな」

 

「う、うん」

 

 総一郎は新幹線に乗り込んだ。大方の荷物は引っ越し先に送ってある、彼の荷物は大き目なリュックと向こうにいる知人へのお土産、そこまで大きくない紙袋だった。

 総一郎は新幹線に乗り込んでも直ぐに座席には着かなかった、入り口付近で燕が動かなかったからだ。

 二人の間には甘酸っぱい沈黙が流れる。しかし出発直前であるが、一つの入り口を占拠するのは青春ドラマの中だけで、普通に人の迷惑になる。

 だから――と言うのは建前で総一郎は燕を抱き寄せてキスをした。

 突然の出来事に燕は混乱した、キスが終わってもそれは続いた。正気に戻ると目の前の総一郎は燕に背を向けて座席へと歩き出していた。

 涙が出かかっていたのか薄ら涙を浮かべて燕は笑っていた。

 

「……らしくない」

 

 総一郎はそんなことを窓際の席で呟いていた。

 

 

♦   ♦   ♦

 

 

「――はま、――新七浜です。お下りの際は――」

 

 アナウンスで肘枕が崩れ、衝撃で総一郎は目を覚ました。

 京都から一切目を覚ますこと無く新幹線が到着してしまったので関ヶ原や富士山を見ることが出来ず溜息をついた。

 

「……乗り過ごさなかっただけましか」

 

 上から荷物を下ろして財布を取り出すと総一郎はシューマイを車内販売のお姉さんから購入した。

 なぜか紙切れが挟まっていた。

 新七浜駅に降りても新七浜には下りはしない、そのまま七浜線から乗り継いで目的地の川神に舞い降りた。

 

「くわー」

 

 殆ど寝ていたとしても数時間も椅子に座っていれば体は固まる、思ったよりも綺麗な空気と美しい自然を前に体を伸ばしてしまう。

 

「さて、取りあえず川神院を目指しますか」

 

 と、意気込んだは良いものの、総一郎の肩には二人の手が置かれていた。

 

「あー君、駄目だよ、長物は袋に入れてもらわないと……というかそれ真剣?」

「ちょっと来てもらうよ」

 

 総一郎の左腰には長い刀――基、太刀が差されていた。

 

「あ、これ許可証です」

 

 一瞬の間があったものの総一郎は胸ポケットから許可証を取り出す。警官二人はそれを受け取ると納得したように許可証を返してくる。

 

「うん、本物だね……まあ、だけど袋にはしまってね、何があるか分からないし」

 

「ああ、すいません。京都から出てきたばかりで、向こうでは普通に持っていても何にも言われなかったので」

 

 そう言って礼儀正しく謝罪して一礼した。その姿勢に警官二人も感銘を受けたらしくそのままお咎めなしで総一郎は解放されることになった。

 

「礼儀正しい子でしたね」

 

「ああ、塚原総一郎か……もしかして――」

 

 警官に解放された総一郎は地図を片手に土手を歩いていた。景色と地図を照らし合わせていると「勇往邁進、勇往邁進」とタイヤを三個つけながら走る少女が通り過ぎる。

 

「……元気な子だ。そう言えばどっかのお弟子さんがタイヤに師匠を乗せて市内を全力で走っている、と聞いたことがあったな」

 

 少女の後姿を見ながらうろ覚えの記憶と照らし合わせてみるが一向に思い出すことは無かった。

 川岸を見ると三姉弟と一人の中年男性が鍋を囲んで今か今かと出来上がるのを待ち望んでいた。すると妹らしき少女とお兄さんらしき男が殴り合いの喧嘩を始める、かなりバイオレンスだが長女と思わしき人間が一喝入れていた。なんとも微笑ましき光景だ。

 

「ん、そう言えば腹が減ったな。どこかで……いや、川神院で食事が出るかもしれんな、しかし出なかった場合は数時間何も食えん……むーん」

 

 などと思惑しているうちに顔を上げてみると大きな門が目の前に聳え立っていた。

 

「……ま、いいか」

 

 開いている門を潜り抜けて総一郎は本殿へ向かう。途中、清掃をしている修行僧を見れば簡易的なお辞儀をして挨拶をしていた。

 

「すいません、こちらに川神鉄心様はいらっしゃいますか」

 

「ン? うん、総代はいるけどモ」

 

「申し遅れました、私、この度川神学園に進学するため京都から参りました塚原総一郎と申します。父からの手紙とご挨拶に参りました」

 

「おお、キミが総一郎君ネ、話は聞いているよ。しかし随分と礼儀正しい、春から高校生とは思えないネ」

 

「ありがとうございます」

 

 総一郎は再度頭を深々と下げた、中国風の男は感心しながら総一郎を鉄心の元へ案内する。

 

「総代、総一郎君でス」

 

 総一郎の前に立つのは川神鉄心。武術の総本山、世界のKAWAKAMIなどと言われる世界でも知らない者はいないとされる川神院総代でかつては世界最強とも謳われた。現在は現役を引退しているが、それでもなお世界屈指の実力を持つ。

 

「おお、信一郎によう似とるわ」

 

「お久しぶりで、鉄心様」

 

「ん? 覚えておるのか」

 

「はい、六歳の夏に一度お会いした記憶があります。印象深い方でしたので」

 

「ほっほっほ、そうか。しかし信一郎から聞いていた人物とは違うわい」

 

「ああ、今までのは塚原家としてで、俺は軽いっすよ」

 礼儀正しい青年から服装の通り崩れた少年に変化する総一郎、しかし鉄心には見えていた、彼の纏う静の気が変化することが無かったことに。

 

「そう言えばそちらのご武人は?」

 

「ん? ああ、ごめんネ、まだ名乗ってなかったヨ。私はルー・イー、川神院師範代だヨ」

 

「ルー・イー……ルール―……ルイ十三世……」

 

「ちなみに川神学園で教師もやっているヨ」

 

「あ、じゃあ、ルー先生で。鉄心様は――鉄っさんで」

 

 鉄心は孫娘よりも下の子供にあだ名をつけられて愉快だったのか笑い声を上げていた。一方ルーは溜息をつくだけ。

 

「そういえばですけど、武神さんっていないんですか?」

 

「モモは今――帰ってきおった」

 

 その言葉を聞く前に総一郎は既に後ろに振り返っていた。途轍もない気を感じた――否、振り撒かれている戦闘衝動に反応した、武人として。

 武神は女と聞いている、名から想像すればどんな屈強な女であるのか、それとも燕のような――

 

「――美少女だな」

 

 美しいロングの黒髪で前髪がバッテンになっている、そこまで身長が高いわけではない、

だがスタイルの良さが錯覚となり高身長見えてしまう。

 美少女と言った通り顔立ちが他を圧倒している。目つきは悪いがそれもチャームポイン

トになっている。

 

「じじい、帰った――と思ったら唐突に私を超絶美少女と言う輩がいるぞ、誰だこいつ?」

 

「こらモモ! 客人に向かって何だその無礼は!」

 

「……初対面でいきなり美少女とか言う奴もどうかと思うぞ」

 

 二人の喧嘩を仲裁するように総一郎は百代に深々と頭を下げた。

 

「これは失敬、私、京都剣客家、塚原信一郎の嫡男で新当流総代の塚原総一郎と申します。春から川神学園に入学するためご挨拶に参りました」

 

 自分よりも年下ではあるがここまで礼儀を尽くして挨拶されたことは無い、百代は鉄心とルーに目で助けを求めていた。

 

「お、おう……た、大変ご苦労であった、楽にしてよいぞ」

 

「あ、そうすか。あざーす」

 

 百代はまるで上様の如く対応するが総一郎の切り返しは予想だにしなかった。

 

「なんだよそれ!」

 

「むーん……百代……もも……よし! モモちゃんで」

 

「は?」

 

「これから顔を合わせることになると思うんであだ名をつけておきました、よろしくお願いしますモモちゃん」

 

 相手のペースを完全に掌握すると総一郎は微笑んだ、百代は確実に総一郎を頭のおかしい奴と判断して一歩引いていた。

 

「そうだ、モモちゃん――」

 

 微笑む顔は変化しなかった。しかしそこに居る三人はその言葉に顔色を明らかに変えていた。

 

「――手合わせしましょう」

 

 

 

 既に時刻は昼を過ぎておやつの時間に差し掛かっていた。川神院は少しばかり騒がしい、本殿にある修練場に多くの修行僧が集まっていたからである。

 目当ては修練場で相対している二人。普段は只の手合わせで修行僧の修行が止められることは無い――しかし相対している者のレベルが違う、見るだけでも修練になる。修行は一時休止されて二人の手合わせが始まるのを今か今かと待ち望んでいた。

 東は武神、川神百代。川神院次期総代は確実と言われ規格外の身体能力と技で他を圧倒し、俗に言う壁を超えた者以外は相手にならない、老いたといえあの鉄心ですら互角と言われている。

 西は剣客、塚原総一郎。この戦いの客寄せパンダは百代ではなく総一郎である。京のツインエース、最年少新当流総代、そして塚原家の先祖で新当流開祖、日本最強の剣客と謳われた塚原卜伝の再来と言われる天才剣客。一体どれほどの実力で、その実力は百代に通じるのか? そもそも殆ど公式戦の記録が無く、その実力は未知数。

 

 本当に強いのか?

 

 その疑問を抱くものが殆どだった。実際この中で総一郎の一片を見たことがあるのは鉄心だけで、ルーですら実力を測り損ねていた。

 東の百代もその一人、むしろ総一郎からは何も感じていなかった。強いことは分かる、だが壁越えには程遠い、自分の相手などにはならない――先ほど「手合わせしましょう」と言われた時は心が少し踊った、強いのかもしれないそう思った――しかし、すぐに考えを改めた、それ所か少し憤りを感じた――舐めているのか?

 

「甘いですね」

 

 百代は対峙しているその相手に何を言われたのか分からなかった。

 

「ここにいる方――鉄心様以外が僕の実力を気で測ろうとしている。気で測ったものが相手の実力でない場合、開始の合図で切り殺されますよ?」

 

 総一郎は木刀を両手で持ち正眼の構えで佇んでいる――目を閉じて。

 体幹が微動だにしない、鉄心は只々感心していた。

 

(うーむ、流石、新当流総代だけある。この若さでここまでとは……)

 

「両者とも準備はいいかネ?」

 百代は頷き、総一郎は「はい」と答えた。

 

「いざ尋常に――始め!」

 

 合図と同時に動き出したのは百代、総一郎は反応が遅れたのか目を開けること無く微動しない。

 

「手始めだ! 無双正拳突き!」

 

 高速で相手の懐へ潜り強力な正拳突きの連打――のはずだった。百代の首には木刀の剣先当てられていた、百代も当てられたことに気が付いて体を止めている。

 ――これ以上踏み込んでいたら首が折れていたかもしれない――

 

「……ま、手合わせですから。次は本気で来てくださいね――これが真剣試合でしたら次はありませんけれども」

 

 首から剣先を離すと百代は片膝を着いた。手合わせであっても油断したとしても一瞬にして勝負が付いてしまった、受け入れらない敗北に立ち上がれなかった。

 それは百代だけではない、門下生の全てルーも例外ではない。総一郎の実力を認めていた鉄心でさえ拳に力が入っていた。

 

「ま、待て……もう一回、もう一本お願いします」

 

 片膝を着いている百代はそのまま頭を下げた、武神と呼ばれる彼女はそう簡単に頭を上げる人間ではない。むしろ土下座紛いなどしたこともなかった。

 

「やだ」

 

「……!」

 

 武神の土下座に応えない総一郎に門下生達は異議を求めるが鉄心の一喝ですべてが収まった。

 武神はそのまま頭を下げている、客観的にみれば総一郎が見下しているようにも見え、門下生にとって屈辱以外の何物でもなかった。

 

「総一郎、もう一度戦ってはくれんか」

 

「別に戦いたくないわけではないですよ、只これが……」

 

 そういって右手にある木刀を軽く拳で叩いた、すると木刀は粉々に砕け散って辺りに散乱してしまった。

 

「武神相手にやると木刀が剣技に耐えられないようです、まず僕も得物が違いますし。それに――」

 

 一時の沈黙が流れる。

 

「――お腹が減りました」

 

 間抜けた答えに百代は思わず声を上げて笑ってしまった、鉄心もルーも門下生も笑っていた。総一郎は不思議そうに後頭部をただ掻くだけだった。

 

「みんなただいまー! ……これどういう状況?」

 

 雰囲気を気にせず元気よく修練場に一人の少女が飛び込んできた。服装は体操服――基、ブルマ、ポニーテールをかっ下げたスポーティー少女。

 

「お、勇往邁進タイヤ少女だ」

 

「ワン子おかえり、ちょっと手合わせしていただけだよ」

 

「おかえり一子、お客さんじゃ挨拶しなさい」

 

一子は総一郎に近づくとお辞儀をしてはち切れんばかりの笑顔で自己紹介をする。

 

「川神一子です! 将来はお姉様のサポートをする為に川神院師範代を目指し勇往邁進中です!」

 

「どもども、新当流総代の塚原総一郎です……ところでいつ頃から鍛錬を始めたのかな?」

 

「えーと、十年ぐらい前からかな?」

 

 健気な少女だ――と思っていた。

 川神院師範代の門の狭さは日本武道界でも屈指を誇っている。確実に壁を超えた者でなければその門を潜ること、いやその門は潜るものではなく超えるしかない、それは川神院の住人だけではなく武道家として頂点に立ちたいものならば理解しているはず、無論この一子という少女も理解している――と思いたい。

 十年でここまで武術家として来れたのは間違いなく努力の結晶だろう、恐らくオーバーワークなど無視して鍛錬をしているに違いない。だがここから先は厳しいだろう、このままでは師範代になる可能性は万に一つ、もっと厳しいかもしれない。彼女はそれを理解しているのだろうか? 否、そんなわけがない。彼女は己の才能が平凡であること知ってはいるが、それは努力で超えられるものだ――と思っている、思いこんでいる。

 今、総一郎は個人でなく新当流総代としてこの少女の行く末を心配し、この川神院の指導者に強く非難の目を浴びせていた。

 鉄心や百代、ルーは一瞬でしかない非難の目を見返すことは出来なかった。

 

「……くんくんくん、何かここからいい匂いがするわ」

 

「え? 何か食べ物でもあったかな」

 

 総一郎の心配に気付くこと無く一子は総一郎が京都で燕から預かってきた紙袋に近づいていった、犬のようだった。

 

「お弁当だわ、えーと……ス、スワルロウよりハート??」

 

「……」

 

 燕からの弁当だった。

 

(全く、いい女だぜ)

 

「あー、それは京都から来るときに作って貰ったものなんだ。よだれ垂らしているけど食べないでね? ほら、ジャーキーあげるよ」

 

「え、ほんと! ありがとう! まぐまぐ」

 

「……俺もワン子って呼んでもいいか? 総ちゃんでいいぜ」

 

「うん、いいよ! よろしく総ちゃん!」

 

 総一郎は無意識に一子の頭を撫でて一子の顔が蕩けだしたところで顎も撫で始めた。

 総一郎は昔近所にいた柴犬を思い出していた。

 

「おっと、こんな時間だ。すみません、寮に挨拶しないといけないのでここで失礼します。ではまた後日」

 

 手首を見て着けてもいない腕時計を確認してキリが良いところで総一郎は川神院を去ろうとする――が、それを許す百代ではない。

 

「おい、待て」

 

 うまくいけば――なんてことを考えていたけれども、総一郎は浅い溜息をついて半身だけ百代に向けて微笑んだ。

 

「心配なさらずとも、次の機会はありますよ。明日死ぬつもりはありません」

 

 総一郎は漠然としたことを伝えて川神院を去った。

 百代はその答えに満足はしなかった。だが、それで充分ではあった、戦える日は来る――それまでに。

 その拳とその表情を見て鉄心は少し穏やかさを感じて、久しぶりに武術家の孫を見ていた。

 

 

♦   ♦   ♦

 

 

 地図を片手に総一郎はのんびりと歩いていた。非常に歩行速度は遅く、狭い路地だと後ろを歩く通行人の邪魔になって仕方がない。加えて三尺を超えている大太刀は目を引く、服装も気崩しているためだらしなく見えてしまう。

 しかし総一郎には関係もないのだろう、その目線は川神の風景、風情が映り込んでいて、どんな奇異な目を向けられていても気にも留めない――気が付いてすらいない、奔放なのか豪胆なのか、いずれにしても彼の精神は同世代よりも数段上であることが分かる。

 

「実に良い場所だ、陰険な京都よりも気持ちの良い気で満ち溢れている」

 

 爺臭さを醸し出しながら総一郎は既に由緒正しそうな民家の前で足を止めていた。

 総一郎がこれから三年間過ごす寮、「島津寮」である。

 




初めまして、火消の砂と申します(本名じゃありませんよ)

今回が小説初投稿となります。

今後この小説が書かれるかどうかは皆さまの反応次第でございます、ですがとりあえずは二、三話書きたいと思います。

どうぞお手柔らかに。

――追記――

評価を付けてくれるとすごくうれしいです!

――追記――
総一郎が東京に行くと言っていますが、それは意図的なものです。川崎から東京近いですしね!
何度か指摘されたので追記しておきます。


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――私は騒ぐ。――

「たのもう」

 

 島津寮の扉を開けるとそこには一人の少年が立ち尽くしていた。

 

「……道場破りなら川神院へどうぞ」

 

 風貌からして武術家の総一郎を見て、先ほどの言葉を聞けばそう返すのも仕方がない。総一郎は後頭部を掻いて初手が不発したことに気が付いた。

 

「ああ、すまん。今日から島津寮にお世話になる塚原総一郎という者だ」

 

「あ、そうなの。俺は直江大和、大和でいい、みんなそう呼んでいるからな」

 

「そうか、よろしく大和。俺のことは総一郎でも総一でも、総ちゃんでもいいぜ」

 

「それはキモイ」

 

 総一郎は大和に近づくと右手を差し出した。

 

「取りあえず三年間よろしく、三年間よろしく出来ることを切に願う」

 

「……いきなり不吉なこと言うなよ」

 

 大和は右手を差し出して総一郎の手をしっかり握った。

 

 島津寮は一階が男子、二階が女子の部屋で区別されていて男子が許可なく二階に上がると袋叩きのさらし首にされるらしい。

 大和に荷解きを手伝ってもらいながら総一郎は他愛のない雑談を楽しんでいた。

 

「え? 女子が男子部屋に来てもお咎めは無いのか?」

 

「ない、酷い話だろう」

 

「区別は当然だとしても差別もあるとは……」

 

「特に俺は実害を受けるからな」

 大和が大きな溜息をつく。何かあるのか? と思い、総一郎は疑問を投げかけるが、玄関の方で声がし始めたので会話はいったん中止となった。

 

「ふう、酷い目にあったぜ」

 

 玄関に居た水を含んだバンダナを絞っているバンダナの男を見ると雨にやられたと見える、大和は男にタオルを渡して総一郎の方を指さした。

 

「キャップ紹介するよ、今日引っ越してきた塚原総一郎、四月から同じ川神学園に通う奴だ」

 

「どうも、塚原総一郎です。以後お見知りおきを」

 

「おう、俺は風のように自由を生きる男、風間翔一だ!」

 

 自己紹介も束の間、キャップは自分がびしょ濡れであることも忘れ総一郎の腰についている刀に目を光らせた。

 

「それってもしかして真剣か!?」

 

 大和が「そんなわけないだろう」とキャップを一蹴するも、総一郎は「そうだぜ」と言えば大和は口を開けて総一郎に視線を移していた。

 

「触らしてくれ!」

 

 と言えば、大和は「ダメに決まってくるだろう」とキャップを窘める、しかし総一郎は「いいぜ」と言い、大和は口を開けて総一郎に呆れ顔の視線を移していた。

 とはいえ、ここは室内でしかも寮、こんな狭いところで刀を振り回してしまえば壁や柱に刀傷が――柱だったら真っ二つになるかもしれない。

 ではどこで刀を出すかといえば、現在雨が降り注ぐ庭しかなかった。

 キャップは先ほど濡れて帰って来たばかりだというのに総一郎と庭に直行して鞘から刀を引き抜いていた。大和が「おいおい」と言うもキャップだけではなく総一郎も乗り気で、二人は雨に打たれながら無邪気な子供のように遊んでいた。

 

 真剣で。

 

 二人は一通り遊び冷えた体を風呂――島津寮は温泉が出ているため温泉で体を温めながら、キャップの冒険譚や総一郎の日本全国武者修行の旅を語り合い、気が付くと一時間以上が経過していた。

 湯あたりなどは全く気にしていなかったが、大和が様子を見に来ると二人の顔は真っ赤になっていたため強制的に風呂から上がることとなった。

 案の定、話の熱が冷め居間で二人は呻き声を上げながらソファに脱力していた。

 

「今日は親睦会なんだからしっかりしてくれよお二人さん」

 

「……親睦会? なんじゃそしゃ」

 

「あーそんなこと言ってたような、言っていなかったような」

 

 苦労人直江大和は本日何度目かの溜息をついて冷たいタオルをキャップと総一郎の頭に置く。

 

「総一には言ってなかったけど、寮生が今日みんなそろうからファミリーを集めて鍋パーティをするって一週間前に言ったろ……というかキャップが言い出しんたんだろ!」

 

 すると大和の大声が発破をかけるように居間の扉が開く、入ってきたのはひ弱そうな細い男と汗臭そうな屈強な男、伏し目がちな髪の短い女。

 

「来たよー、大和大声出してどうしたのさ」

 

「おう、大和、俺様腹をすかしてきたぞ」

 

「……ども」

 

 総一郎は顔にかかっているタオルの隙間から三人を見て「個性強いなあ」と思いながらふらつく足をどうにか立たせようとして近くにあった刀を杖代わりにする。

 無理をして立ち上がったのは自己紹介をするためだ。

 

「皆さんどうも、今日からここでお世話になる塚原総一郎です。今は生まれたての小鹿の様ですがどうぞよろしく」

 

 薄ら笑顔な総一郎を見かねて大和はソファに座らせる。座ってしまえば総一郎は脱力するほかなった。

 そんな総一郎を不思議に思いながらも三人は口を開く。

 

「あはは、何か大変そうだね。僕は師岡卓也、ここの寮生じゃないけど四月からは同じ学校に通うからよろしくね」

 

「俺様は島津岳人、ここの寮母は俺のかあちゃんだ。好きなものはプロテインと筋トレ、それと美人のお姉さんだ」

 

「……直江京、まあよろしく」

 

 律儀な自己紹介に応えたいけれども総一郎は片手を振って「よろしく」とするのが精一杯、キャップと総一郎が回復するのにはまだかかると大和は判断してパーティの準備に取り掛かった。

 取り掛かるといってもこの中で料理が出来るものはいない。

 鍋と野菜を簡単に切って四人はある人物を待っていた。

 

「おう、遅くなった」

 

 そう言うのは少し強面の青年、ここにいるということは大和の知り合いなのだろう。

 

「源さんお帰り、さっそくだけど鍋お願い」

 

「ったく、めんどくせえな……まあ、変に怪我して部屋に来られても困るから仕方ねえ」

 

 渋々――というか適当に理由を付けているようにも見える、源さんと呼ばれる男は荷物を置いて台所に立つ。

 そんな二人のやり取りを見て京は息を荒げるのだった。

 

 

 キャップと総一郎が湯当たりでダウンするというハプニングがあったけれども、鍋は無事完成をまもなく迎え二人も休んだ甲斐があったのか体調は正常になっていた、鍋パーティ親睦会は予定通り行われる。

 

「――肉は?」

 

 はずだった。

 

「肉がないぞ!」

 

「どういうことだ大和!」

 

 キャップと岳人は声を荒げて大和に猛抗議をする。

 

「まあ待て、肉はもうすぐ届く」

 

 二人を両手で窘めて大和はケータイを取り出す、総一郎はきっと肉に催促をしているのだろう――なんて考えていたが。

 

「――あ!」

 

 総一郎に視線が集まる。何事であるか。

 三十分前まで湯当たりのせいで思考回路がおかしくなっていたのか、目の前に食べ物がずらりとあっても気が付くことは無かった。

 

「……ああ、すまん。弁当を食っていないことに気が付いた」

 

 どうしたものか、そう思って頬杖をついた。――どうしたものかではない、あれには納豆が入っている。

 総一郎は部屋へ直行して弁当を確認する。不安は直ぐに拭われた、納豆は入っていたものの、納豆単体ではなく料理としての納豆であった。恐らく腐ってはいない。

 

「どうした総一」

 

 総一郎は両手に居間へ戻る。

 

「俺はこの弁当を食べなくてはならない。勿論、鍋も食う」

 

 大和の返事を待つことなく総一郎は席について両手を合わせた。開かれた弁当を見てみれば殆どが納豆、その場にいた全員が顔を顰めた。匂いにではなく光景に。

 さらには何の躊躇もなく弁当を食べ始めた総一郎は間違いなく異質であっただろう。箸の持ち方や食べ方、背筋が良いこと、食べる姿は良いところのお坊ちゃんの様。

 

「なあ総一、お前の家は金持ちかなんかか?」

 

「ああ、一応旧家だ。金はある、土地もある」

 

 ガクトの問いは妬み半分好奇心半分のようだったが、総一郎は悪意に勘づくこともなくただ箸を進めた。

 

「そうだ、こいつ真剣を持ってるんだぜ! 俺初めて触らしてもらったけど重いのな!」

 

 思い出したようにキャップは目を輝かせた。先ほどのやり取りが余程楽しかったのか、肉のことなど忘れてガクトに自慢話をし始めてしまった。

 

「真剣?! すごいね、流石に僕たちも真剣は見たことないや」

 

 今まで無言だったモロも男の子なのか話に食いついてくる。いつの間にか話は真剣話に変わってしまい、総一郎は居間で刀の自慢をし始める。

 すると今度は自己紹介以来一回も口を開いていない京が口を開いてきた。

 

「……塚原って京都剣客塚原信一郎の塚原?」

 

「わお、まさか同級生が父の名を知ってるとは思わなかった。流石直江さん、大和の恋人だけある」

 

「!……この人いい人かもしれない! 大和結婚しよう!」

 

 別に地雷を踏むつもりはなかった総一郎は突然の出来事に両手を前にして潔白を証明していた。

 

「確かに訂正はしていなかったが……簡単に地雷を踏むな総一!」

 

「すまん」

 

 京が落ち着くまでに数分かかってしまったが話題は刀の話ではなく、直前の話題へ回帰していた。

 塚原総一郎と言う男の話に。

 

「へえ、椎名さんの娘さんか、通りで」

 

「お父さんを知ってるの?」

 

「ああ、一度手合わせしたことがある」

 

 頬杖をついて総一郎はニヤつく。

 

「どうした?」

 

「いやあ、滅茶苦茶強くてさ、三メートル以内に近づけなかったんだよね」

 

 総一郎の強さも京の父の強さも知らない奴が聞いても理解できない言葉ではあったが、京は自分の父の強さを知っている。

 京は瞳孔を開いて驚愕していた。――父の間合いに限界まで近づいてニヤついていられるこの男はなんだ――

 

 そこで何度目かはわからないが、居間の扉が開く。

 そこには総一郎も知っている姉妹の姿があった。

 

「悪い遅くなった。肉をくすねる途中で爺に見つかった、説得するのに――」

 

 大量の肉を片手に言い訳をする美少女――川神百代は居間のある人物へ視線を向けていた。

 先に声を出したのは一子であったが。

 

「あ! 総ちゃん!」

 

 指を指しながら一子は総一郎に近づいてくる、傍に来るなり一子は物欲しそうな顔で

総一郎の懐に視線を集中させていた。

 総一郎は懐から何かを取り出した――ジャーキーだ。

 

「食うか」

 

「くれるの!? ぐまぐま」

 

 先にアクションを起こされた百代は総一郎に文句を言うタイミングを失っていた。一子にジャーキーをあげている総一郎の顔を見てしまえば仕方のないことだった。

 その表情はまるで主人と犬、まずこの二人がなぜ知り合いなのか――ということに突っ込むところだが、そんな二人に全員が呆れ顔だった。

 

「直江、いい加減飯にするぞ」

 

 そんな源さんの声で鍋パーティは始まった。

 

♦  ♦  ♦

 

 

 鍋パーティは戦場だった。腹を空かせた猛獣が食卓に半分以上もいたためである。主にキャップと一子の二人であったが。

 

 一通りの食事が終わり、後は締めのおじやを待つのみ。その間に質問タイムが行われていた。

 

「姉さんと一子は総一と知り合いだったの?」

 

 大和はみんなの心を代弁するかのように一番の疑問を呈した。

 

「……」

 

「ふふ」

 

 総一郎は笑みを溢しても百代は総一郎を睨みつけて一同に沈黙が走る。大和はまるで地雷を踏んだ気分だったが、それをどちらの意味で晴らしたのはファミリーのマスコットだった。

 

「昼にお姉さまと手合わせしてたのよ、その時に会ったわ! 私はジャーキー貰ったの、すごくいい人よ!」

 

 そこで一同は疑問に思った。

 手合わせをしてなぜ百代は不機嫌だったのか、戦闘狂でいつも対戦相手を探しているあの川神百代がなぜ手合わせをして不機嫌なのか。

 勿論、彼女をよく知るものならばその答えは見つからないだろう。

 

「ももちゃん、次の手合わせは何時にしようか? 次は負けないように本気で来てね」

 

 そんな総一郎の言葉に反応できるものは居なかった。次は負けないように――そんな言葉を百代に吐くものは今までに居たことは無い、なぜなら百代は負けないからだ。最強の武神と言う異名は古くからの仲間である彼らが一番知っている。

 ならなぜ彼はそんなことを百代に放ったのか。

 大和は百代が放つ闘気から全てを察した。というか既に総一郎は言っているのだ。

 

「……姉さん負けたの?」

 

「……ちょ、ちょっと油断していただけなんだ! 次は負けない……ぞ」

 

「「「「「「「!?」」」」」」」

 

 ようやく理解した者達は信じられない――地球に太陽が衝突してきた方が信じられる――そんな表情だった。

 

「まあ、本当に手合わせさ。俺もそう簡単に一発貰うわけにはいかないしね、ちょっとした初見殺しさ」

 

「……新当流総代は伊達じゃないようだな」

 

 二人の間に闘気が交わされる。しかしそれは敵意ではなく、まるで握手のようだった。

 そんな総一郎にモロは質問を続けた。

 

「もしかしてだけど塚原ってもしかして塚原卜伝の塚原?」

 

「お、よく知ってるなモロ、そうさ、塚原卜伝は俺の先祖。新当流の開祖だ、そして俺が現新当流総代、有体に言えば川神鉄心と同じだ」

 

「つかはらぼくでん? 誰それ大和」

 

「俺様もわからねえぞ」

 

 総一郎は笑っていたが、自分の祖先を頭ごなしに知らないと言われれば普通であれば傷つく、大和はすかさずフォローを入れた。

 

「塚原卜伝と言ったら戦国時代の剣客で生涯一度も負けたことが無い、と言われている。恐らく最強の剣術家じゃないかな? ワン子にガクトこれぐらい知っていて当然だぞ」

 

 二人は「う」と言って萎縮してまった。大和のフォローに総一郎は気付いてアイコンタクトを取る。気にするな――という表情だが、今度は総一郎が場のフォローに入った。

 

「まあ、最近の人は知らないんじゃないかな? 俺もよく知らないし、祖先がどう思うかは分からないけど、そのために歴史を継ぐものが――俺がいるんだから」

 

 そんな大人びた発言に場の雰囲気は鍋パーティの頃に戻っていた、丁度おじやも出来たことで塚原への質問タイムも自然と打ち切られていった。

 

♦  ♦  ♦

 

 

 鍋パーティは終わったが親睦会は終わらない。片付けが終わり、みんなが風呂からあがると総一郎と源さんを除いた風間ファミリーは居間でキャップを中心に臨時会議を開いていた。

 

「総一をファミリーに入れたい!」

 

 キャップの突拍子もないことはいつものことであるが、今日の今日でこの話題が出るとは思いもしない、それがファミリーの思いだった。

 それもそのはず、このグループはかなり閉鎖的である。

 小学生から続くグループは早々ない、それは季節の変わり目や進路、心境の変化で自然と解散していくものだからだ。しかしこのグループがここまでこの形を保てて来たのはその閉鎖すぎる傾向のおかげともいえる。

 その一つが京の存在だ。

 彼女はファミリー以外に心を開かない。

 彼女が昔受けていたいじめが原因である、そしてそのいじめを助けたのが大和――そして風間ファミリーだった。

 その因果関係のせいか、幾分か改善はされたものの彼女の内向性は変わることがなかった。

 それは京のこと、平均的なことであって全員が内向的なわけではない。

 例えば一子や百代。

 

「私は賛成ね、絶対に悪い人じゃないわ!」

 

「癪な奴ではあるが面白そうなやつだ、私も賛成だ」

 

 開放的な二人は余程なことでもない限りこういう場で人には合わせない、自分に正直だった。

 

「俺様は反対だな、顔がいい奴は憎い!――まあ、良い奴そうではあるが」

 

 こう言う奴は例外中の例外。

 

「僕は反対だな、良い人そうではあるけれども早すぎるし、ファミリーに入るとなると話は別だと思う」

 

「私も反対」

 

 この二人――モロと京がこのグループの防壁となる。京は前述のとおりだがモロは京の意思を尊重するところがある。

 そうなれば後は大和の意見次第となる。

 彼はこの風間ファミリーでは軍師の役目を担っている。

 

 キャップが大将

 

 大和が軍師

 

 ガクトと一子が特攻隊

 

 百代が守護神

 

 京が狙撃

 

 モロは情報処理

 

 軍師であるからこそこういう場面での発言は大事だった。

 

「俺は――反対ではない、良い奴だと思う。正直気が合いそうだ――だけどファミリーに入るならもう少し様子を見ることが必要だと思う、よって俺は保留だ」

 

 キャップ以外の者は全員が大和の言葉に頷いた。

 

 しかしここで諦めるのではキャップとは言い難かった――

 

♦  ♦  ♦

 

 本人がいない間にそんな品定めがされているとは知らず、総一郎は洗い終わった弁当箱を綺麗にしまって椅子に腰を掛けていた。

 

「そうだ」

 

 思い出したように携帯を開いた。

 画面に映し出された名前は「スワロウ」と書かれていた。

 

『もしもし』

 

「よう」

 

『ようじゃない、連絡の一つも寄越さないとは。叔母様も心配してたよ』

 

「悪い悪い、結構ドタバタコメディでさ、やっと暇ができたんだ」

 

『もしかして武神と戦ったの?』

 

「ああ、強かったぜ、つーちゃんよりも」

 

『一言余計』

 

 電話の相手は燕だった。他愛のない会話であるが総一郎の顔はどこか緩んで穏やかな表情だった。

 別に惚気ているわけではない、単純に安心している――そういう表情だった。

 

「なんか安心した」

 

『え?』

 

「つーちゃんの声を聞くと安心するなあ」

 

『きゅ、急にどうしたのさ』

 

「軽いホームシックさ」

 

 総一郎はからかっているつもりだろうが、電話の向こうでは派手に紅潮している燕の姿があった。周りから見られてしまえばすぐに総一郎と電話をしていることに気が付かれるだろう。

 それから今日あった出来事を二人は話す。時間など忘れて――

 

「総一、オールトランプしようぜ!」

 

 恋人との緩んだ電話中の大声で思わず総一郎は携帯を落としてしまう。落ちている間に何度か拾おうとするけれども体勢を崩して椅子ごと倒れてしまった。

 

『――ん、――ん!?』

 

「あー悪い悪い、寮の奴が急に大声出すから」

 

『大丈夫? 大きな音がしたけれど』

 

「へーきへーき、『急に大声で入ってくるなよ、びっくりしただろう』」

 

「悪いな、総一」

 

 キャップの代わりに謝罪したのは大和だった。よく見ればその後ろには寮生どころかモロも百代も一子いた。

 

「なんだなんだ、『悪い、なんかトランプするみたいだ。また明日かけるよ』」

 

『うん、仲が良いことはいいけど体に気を付けて程々にね、お休み』

 

「お休み。――さあて、やるか」

 

 総一郎は大きなテーブルを出して中央に全員が集まった。

 

「おい、総一。さっき話してたのは誰だ!」

 

 と、何故かガクトが声を張り上げた。総一郎以外は何か勘づいている様子だったが。

 

「誰って……彼女だけど」

 

「なんだとー!」

 

 夜に大声を出してしまえば当然注意される。ここでの注意は百代による鉄拳という暴力でしかなかった。

 

「モテそうだもんな総一」

 

「ふふーん」と鼻で笑ってガクトを絶望させた総一郎、そんな総一郎にキャップは口角を釣り上げていた。

 

「総一!……今から風間ファミリー入団試験を行う!」

 

「――へ?」

 




今回はバトル無しです。
まあ、マジ恋はいつも戦っているわけではないですしね。

日常パート――基、自己紹介パートとも言いましょうか。


皆様の感想が励みになっています、完結させるぞ。

――追記――

 評価つけてくれるとなおうれしいです!


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――私の過去。――

予告よりも遅くなりました、すいません。


遡ること五分前――総一郎のファミリー入りが保留となり、臨時会議は解散となるはずだった。

 しかしそれを止めたのは他ならぬ風間ファミリーの長、キャップこと風間翔一だった。

 どうしても仲間に入れたいキャップは一応リーダーとしては保留に肯定を示したが、それも束の間、帰宅の準備を始めるファミリーに一つの提案をする。

 

 ――そして今現在、総一郎の部屋にはファミリーメンバー、キャップ、大和、京、百代、一子、モロ、ガクトが一つのテーブルを囲み、キャップは総一郎に提案をする。

 

「今から風間ファミリー入団試験を始める!」

 

 提案と言うか総一郎は殆ど強制参加の形をとられた。

 

「質問だ」

 

「許可する!」

 

「ファミリーなのに入団試験なのか」

 

「そのほうがかっこいい!」

 

 呆れ顔で総一郎は「さいですか」と言葉を溢し、本質を確かめることにした。

 総一郎から見て閉鎖的なグループがまさか自分に入団試験を受けさせるとは思いもしなかった。

 

「試験内容は? それとなんで俺をファミリーに?」

 

「面白そうだからな! 勿論、俺だけの意見じゃあ入れることは出来ない――だからこの徹夜で川神トランプをして俺達の好感度を上げろ! それが試験内容だ!」

 

 至極簡潔な説明であった。リーダーの気まぐれ法案が総一郎の居ない間にファミリー内で上がったらしい。

 しかし総一郎はその入団を受けることにした、入りたくないならば断わることも出来る、相手に不快な思いをさせない断り方だって総一郎は知っている。

 だが、それ以上に好奇心が勝った。

 至極簡単なことだ――面白そう。

 

「……いいぜ受けてやろうぞ――と、言いたいが、俺は川神トランプなるものを知らない」

 

「私も知らないわ」

 

「俺様も知らないぞ」

 

「僕も知らない」

 

「そんなトランプ今まで聞いたこともない」

 

「大和知ってる?」

 

「……キャップ適当なこと言うなよ」

 

「……おいおい」

 

 意気込んだ総一郎の精神は一気に冷めることになった。

 

「当たりまえだ、さっき考えた!」

 

 キャップが考えた川神トランプ――いわば王様ゲームのトランプ版。

 種目はなんでも良い、大勢で出来て尚且つ勝敗が決まるもの。

 負けた奴が勝った奴の言うことを聞く――ではなく、勝ったやつが負けた奴の言うことを聞く、意地の悪すぎる変則ルールだ――総一郎はそんなふうに思ったけれども、風間ファミリーの反応はいたって普通だった。

 川神の恐ろしさが垣間見えていた。

 

「キャップにしては頭使ったな」

 

「簡単なルールだけど面白そうだね」

 

 ガクトとモロが呑気なことを言っているがファミリー数名の頭の中は既に自己作戦会議状態となっていた。

 

(最悪のシナリオは負けて俺が勝つことだ、慎重に行くぞ、直江大和――ここが俺の関ヶ原だ!)

 

(どうにか大和に……どうするべきか)

 

(これは面白そうだ……弟にとんでもない恥をかかせてやるのもよさそうだな)

 

 そんな思惑のさなか、総一郎は一つの提案を出していた。

 

「まあ、ルールは分かったけどさ、なんか怖いし初めの種目と先行は俺が決めていいか? はっきり言って不安でしかない」

 

「あーまあいんじゃね? いいよな?」

 

 ファミリーはそれを了承した。

 恐らくこの中で一番悪知恵が働くであろう大和が了承したということは恐らく様子見ということになるのだろう。

 だが、大和は勘違い、そして大きな失態を犯していた。

 総一郎は天然ではないのだ。

 

「じゃあ七並べをしようぜ」

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 大人数でやるとトランプといえば「大富豪」「ババ抜き」「七並べ」三大トランプと言うのは些か大げさかもしれないが、総一郎の選んだ七並べはまごうことなき王道であったはずだ。

 しかし、総一郎の提案に大和は反応せざるを得なかった。

 ――ぬかったわ!

 そんなことを心の中で思いながら悔しくも一つの安堵を覚えていた。

 

 カードが配られ中央に「七」が揃えられていく。

 先手は先ほど全員から了承を得た通り総一郎。

 

「――パスだ」

 

 人数も多いため手札が偏ることが七並べでは起こる、その分次の順番が来る頃に出せる手札もあるだろう。

 

「俺もパス」

 

 総一郎に続いて大和もパス。

 二人も連続で出せる札がない、確率として大いにあり得る。

 だが、気付くものもいただろう、二人とも手札を全く見ていないことに。

 

「あ! 卑怯だよ総一! パスを続ければ一番最初に負けられるじゃん!」

 

「ふ、罠にかかったお前らが悪い――ああ、そして椎名……いや、京と呼んでいいかな? これは独り言だ、俺が負ければこの七並べに勝ったものへ絶対順守の命令を下すことになる。わかるか? 絶対に従わなければならない、仕方ないよな? だってそう言う命令何だもの」

 

 多くの者はその言葉を理解できなかった。顔を蒼白にした少年と、悪い笑みを浮かべた少女以外は。

 

「……いいよ、京って呼んでも。私は総一に感謝しきれない」

 

「総一! 貴様、裏切ったなあ!」

 

 大和の抗議も空しいまま、総一郎と京は悪代官のように視線を交わしてただ笑みを浮かべるだけだった。

 総一郎と京の間に妙な絆が結ばれ、風間ファミリー入団試験の最難関は一問目で突破されるのだった。

 

♦  ♦  ♦

 

 入団試験が行われる少し前、川神院で鉄心は孫娘から「今日は泊まることにした、明日には帰る――それと朝練は行けないかも――」と、ぶつ切られ、電話を取るときに「はい、川神院じゃ」なんて言葉しか発することが出来なかった。怒ろうとしても怒る相手は目の前に居ない、溜息をつく他なかった。

 

「総代どうしましタ?」

 

「モモが島津寮に泊まるそうじゃ。明日の朝練には参加しないらしい、恐らく寝ずに遊ぶんじゃろ」

 

「……困りましたネ」

 

 鉄心とルーは顔を合わせて同時に溜息をついた。

 二人にとってはいつものことなのだろう、それでも溜息をついてしまう。肉親であり師である者の定めともいえる。

 

「まあ島津寮じゃし間違いは起きんだろう。まあ、今回は大目にみるかのう――今日から島津寮には信一郎の息子がおることだし」

 

「……塚原家当主「三撃」の塚原信一郎ですカ、彼とは一度だけと手合わせしましたが流石「三撃」と言われるだけあって三手目の攻撃が桁違いでしタ――」

 

 ルーはそう信一郎を評価しているがとても負けたようには見えず、恐らく手合わせとはいえ勝利を収めている。しかし次の瞬間には鉄心の言葉に顔を顰めてしまう。

 

「――そしてその息子である総一郎がモモを一撃で仕留めた」

 

「……正直驚いた――いや、恐ろしかったでス。あれは実力と言うよりも精神的な部分が大きいのでハ?」

 

 ルーの問いは正しかったのだろう、鉄心は庭に出ると月明かりに照らされて天を見上げた。

 

「初めて会ったのはあやつが六つの頃じゃ――」

 

 鉄心の記憶には人よりも多くの記録が残っている、人よりも長い年月を生きているからだ。十年前の出来事など自身にとって現役を退いたつまらない出来事のはずだった。

 しかしある少年との些細な出来事は生涯の中でも恐らく上位に来るような印象深い出来事だった。

 十年前に京都に行ったときのことだ。

 鉄心は当時、塚原家当主兼新当流総代だった総一郎の祖父にあたる旧友、塚原純一郎の元を訪れていた。新当流は歴史が古いため川神院とも歴史の中で交流があった。

 純一郎は鉄心にあうなり息子の信一郎を鉄心に会わせた。

 

「私よりも才のある自慢の息子だ、どうか稽古をつけてやってほしい」

 

 鉄心は純一郎からそのような言葉を聞くとは思いもしなかった。

 純一郎が若い頃は刀一本で戦場を駆け抜け、強き者に片っ端から勝負を挑む鬼のような男だった。鉄心とも武を交えたこともあり、その時の闘いを鉄心は忘れることは無い。待つ――などということはなく、ひたすらに攻撃を続ける――恐れすら感じる獰猛な剣士「鬼太刀」なんて言われていた。

 息子とはいえそのようなことを言うとは――。

 旧友の頼み。無論、稽古をつけてやることにした。稽古が終わると鉄心は思う――昔の純一郎に似ていると。

 だが、信一郎からも信じられない一言が発せられた。

 

「どうか息子にも稽古をつけてやってください、あの子は私よりも才がある」

 

 性格は確かに違う、それでも純一郎に似ている部分、即ち剣術への自負。自分は強い、そう思う心。稽古で信一郎の刀から感じた思いは確かにそうだった。

 鉄心は考える暇もなく信一郎の続く言葉に三度目の驚愕を覚えた。

 

「恐らく開祖――塚原高幹の再来かと」

 

 信一郎の言葉に鉄心は純一郎を見る。純一郎は目を合わせることなくただ頷いた。鉄心から見て信一郎の才は確かに純一郎を超えるものがある、そう感じた――そう感じたが、それを聞いてしまえば、純一郎がそう頷いてしまえば――

 

 ――確かめたくなってしまう。

 

 しばらくすると信一郎の息子はやってきた。

 塚原総一郎――これが鉄心との出会いだった。

 第一印象はその佇まい――まるで自分の孫娘とは違う、体の大きさや力はモモの方が強いかもしれないが、非常に落ち着いていた。大人しいということではない、気が――体から放たれる気が非常に落ちついていた。

 信一郎から総一郎へ鉄心との稽古が言いつけられる。

 鉄心は微笑んで武道場の中央へ歩いていった。しかし総一郎は一向に歩いては来なかった。稽古がしたくないのか――鉄心はそう思った、六歳ぐらいであればそう考えるかもしれない、自分の孫娘もそうだったから――

 

「山に行こうよ」

 

 総一郎が提案したのは武を試すことではなく、己の道を作ること――即ち精神修行だった。

 齢六歳のいうことではない――鉄心は信一郎が叱る前に総一郎の提案を受け入れていた。

 鉄心の言葉を聞いて駆けだす姿は確かに子供、友達と駆けっこをしているように山に向かっていった。

 山でする精神修行と言えば座禅――風で葉が揺れる音や動物が走る音、虫の鳴き声、蚊が頬に止ることが気にならずとも刺された箇所はいずれ腫れ、激しい痒みに襲われる。

 通常の精神修行をしっかりと行っていなければとても出来るものではない。

 

 総一郎は鉄心を連れ川に来た、すると落ちていた棒に袴の解れから作った糸を括り付け、細く尖った木に糸を巻き付ける、石を裏返して虫を見つければそれを返しすらついていないただ尖った木に差して釣りを始めた。

 自分に精神修行を見てもらいたい――そう思って鉄心は山に来た。ところが鉄心などに構いもせず、総一郎は手際よく出来合いの物で釣りを始めてしまった。

 驚きはしたが直ぐに感心に変わる、鉄心も出来合いの釣り竿で釣りを始めた。

 

 ただ釣りをしている。そうにも見える。

 しかし二人は掛かる筈もない魚を微動だにせずただ待っていた。

 集中はしているものの鉄心はほんの少しだけ総一郎へ意識を向けていた。まったく動かない――それどころか精神修行の域は自分と同じぐらいの練度、体がそこにあるにも関わらずまるでそこにある石のよう――自然。そう評価するのが当然だった。

 幾らか分からない時間が経った。

 総一郎の周りには鹿や栗鼠、狸、蛇などが集まってきていた。総一郎に少しだけ意識を向けている自分の周りには近寄ってこない、当たり前といえば当たり前である。

 それから更に時間が進み、ある出来事が起きる。

 

熊が現れた。

 

自分ならば近寄らせること無く撃退も出来る――しかし熊の進行方向には総一郎がいた。熊に気を取られること無く釣りに集中している。

 防御をすること無く熊に襲われれば一溜りもない――鉄心は行動に出ようとする。しかし熊は一向に遅い歩みを変えることは無く、総一郎の周りにいる動物たちも熊に怯えることは無かった。

 それどころか熊は総一郎の隣に来ると寒くなってきた外気から総一郎を守るように――温めるように擦り寄って体を丸めていた。

 

 この少年……!――

 

「彼は僅か六歳で静の極みであるその一つを極めていた、末恐ろしいことじゃ。今回十年振りに彼を見たが……塚原卜伝の再来――いや、精神に至っては卜伝を上回っているのかもしれん」

 

「総代……」

 

 鉄心は語り終わると天を見上げたまま笑った。

 

「あやつはモモにとって確実にぷらすじゃ、力で勝るモモと心で勝る総一郎……久々に血が滾るわ」

 

 口角を上げて微笑みとは言えない笑みを浮かべた表情は百代そっくりであった、ルーはそう思った。

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 なんだか体が重い――目覚めた理由は気怠さだった。目を開けて腹の上をみると総一郎と十字になるように腹を合わせてハの字に寝ている一子の姿があった。

 目覚まし時計をみると、その針は午後二時過ぎを指していた。部屋の中央にはテーブル、床には散乱したトランプ、そして雑魚寝をするガクトとモロ、百代の枕になっている大和と大和に抱き付いて添い寝する京の姿があった。

 天井を見上げると昨日――今日の朝方のことを思い出した。

 結果から言えば総一郎は風間ファミリー入団試験を合格した。京が一番初めに墜ちた、それが大きな要因だろう。

 しかし、入団試験が終わろうともトランプは続いた。

 賭けトランプ――金を賭けた真剣勝負。刀は使っていないが、ここにいる全員が頭脳をフル回転させて己の財布を賭けた。

 総一郎も何度か負けを喫したがトータルで言えば最大の敗北者はガクト。一子は大和と百代のフォローがあり一度も負けることは無かった。

 総一郎の記念すべき初めての川神は最高の友達が七人も出来る最高の結果となった。

 




投稿が遅れたこと、重ねてお詫びします。
そして少しだけ短いです。

少し焦って書いたので誤字があるかもしれません、気軽に言ってください。

それと評価のことです、自分の至らなさが原因あるのですが、低評価を付けるかたはもしよければどうか感想もお付けください。0を付ける際は感想をつけるという規約しかございませんが、ただ低評価を付けられても「荒しかな?」と思ってしまいます。なかには作品に対する矜持みたいなものがある方もいらっしゃるようですが、どんな酷評していただいても構いません。どのような所が至らなかったのか、良ければ感想をお付けください。
飽くまでも僕の提案でございます。感想をつけるのが嫌でしたら無理につけることありません。

長々としたあとがきになりましたが今後ともよろしくお願いします。



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――俺は新当流総代だ――

 入団試験の日――京都から川神に来た日から一週間が過ぎていた。

 一週間の間に何か起きたかと思えばそんなことは無い。

 入団試験後、大和に言われた通り金曜日にファミリーが全て集まることにしている金曜集会へ顔を出すことがあり、集会場所の秘密基地――廃ビルには驚かされたが、それ以上に事が起きることは無かった。

 むしろ初日に全て詰め込まれ過ぎていた。

 

 さて――と気合を入れなおす。

 総一郎は制服のボタンを上から下まで留めてシャツに皺ができないよう丁寧にズボンへ入れていく。京都では学生服だったためネクタイを締める動作が少しぎこちない、何度か絞め直して綺麗な結び目に満足する。

 髭は剃り終わっている――そう考えると忘れていたように髪の毛にドライヤーをかけてワックスを少量手に取る。無造作な髪の毛――と言えば聞こえはいいが、何もしなければただのワカメにしか見えない。天然ワカメの同類に未だ出会うことは無いが、もし出会うことがあれば生涯の友を得ることになる。頭をくしゃくしゃしてそんなことを考えていると洗面台へ大和が所々に乱れを残した制服姿で入ってきた。

 

「おっはー」

 

「おっす」

 

 覚醒しきっていない大和の返事は至極学生らしい返事だろう。

 その後、キャップに続いて源さんと京が歯ブラシ持参で洗面台に集まる、総一郎も歯ブラシを持ってきているため五人は並んで歯磨きを始めた。

 全く緊張感もなくまるで日常であるかのような朝――

 

 ――今日は川神学園入学式だ。

 

「クラス分けどうなるかねえ」

 

「だなー」

 

「一緒のクラスになれるといいね源さん」

 

「なんで俺に言うんだよ、まあ他クラスになってこられても困るから一緒のクラスの方が扱いやすい」

 

「……大和好き」

 

「それはおかしい」

 

 いつも通り会話、メンバー、総一郎は少しばかり張り切っていたのが何だか馬鹿らしくなってきた。別に憤慨する気はないが新生活の初手がこれではやる気が削がれる、これでは京都と変わらない。

 歯磨きを終えればファミリー全員での初登校。靴を履くところで総一郎は忘れ物をしたのか一度部屋に戻った。

 ファミリーが寮の外で寝坊する予定のガクトと総一郎を待つ、先に来たのはガクト、母親の島津麗子に怒鳴られながら息を切らして来た。どうやらめかしこんできたようで、しっかり固められた髪の毛ときつい香水の匂いが漂っている。

 それからすぐに総一郎は島津寮から出てくる。

 

「ごめんごめん」

 

「どうしたんだ――それ、持ってくのか?」

 

 大和の疑問はその視線の先――刀にあった。

 

「一応な、肌身離すなって言われてるし」

 

 刀といっても勿論袋に入っている。傍から見れば竹刀にも見えるだろう。

 疑問に対する返答が満足したのか大和はそれ以上何も言わずにファミリーはそのまま川神学園へ歩き出した。

 多摩大橋に続く河川敷を歩いているとファミリーを待っていたモロが見えた。島津寮を出るのが遅くなっていたため、モロは随分待ったようで河川敷の坂で腰を下ろしていた。

 

「遅いよ」

 

 こちらに気付いての第一声は当たり前だが文句だった。しかし理由が分かっているのだろう、そこまで追及もしてこない。

 モロを引き入れて河川敷を歩くファミリーは漸く高校生になることを実感し始めたのか川神学園の話題が多く出るようになった。

 大和が言うには決闘システムなるものがあるらしい、喧嘩や優劣を争う事柄を教師立ち合いの下、武や知力で競う――普通の学校ではありえないシステム。川神は武士の末裔が多く住む町、血の気が多い者が多いので逆に好まれるのかもしれない。それでも決闘となれば力を行使することを承認することになる、現代社会でそれが通じる川神に総一郎は少し楽しそうだった。

 

「へえ、俺様の力を示せるってことだな」

 

「ワン子やキャップ、総一もなんだか好きそうだね」

 

「うん、楽しそうだな。面白い遊びだ」

 

 大和は総一郎の言葉が少し引っかかった。前の二人とは少し違うニュアンスに聞こえた。

 

「決闘だぞ総一? 結構真剣みたいだが」

 

「教師――といか川神院の者が立ち合い、しかも武器はレプリカなんだろ? 決闘って名前を借りてるだけさ。競い合うことを学んでほしい――教育者的考え、一つのカリキュラムさ」

 

 ファミリーはまだ川神学園の生徒でない、だから川神学園のことは伝でしか伝わることはない。

 だが、大和は知っていた。川神学園生にとって決闘を汚されることは直接のことではなくても侮辱に値する――と。総一郎はそんなことを知らない、仕方がない――当然、そう思う。

 大和は軍師を務めているため人を良く見る。ファミリーのため、自分の人脈構成のために。

 だからファミリーに入った総一郎もこの一週間よく見ていた、一週間見たから言える。

 

 総一郎はそういうことを言う人間ではない。

 

 確かに新当流総代から見れば高校生の決闘などたかが知れるかもしれない。だが、総一郎はそれを馬鹿にするような人間でないはず――川神鉄心や姉さん、ワン子が聞けば心証を悪くしてしまうような侮辱を何故――

 大和は気取られないように総一郎を観察していたが、ふと視界に入った人物が思考を止めてしまう。

 

「美少女登場!」

 

「その妹も参上よ!」

 

 百代は空から、一子は脱兎の如く地上を駆け抜けてきた。

 

「お、モモ先輩おはようっす。今日からよろしく頼むぜ」

 

「すごい登場だね……」

 

「ワン子飴あるよ」

 

「姉さんおはよう、そんなことしたら――」

 

「ははーモモちゃん、黒穿いてるなんて大人だなあ」

 

「――!」

 

 時すでに遅し。

 人生で何度か使ったことはあるが、この時ほどこの言葉が当てはまる瞬間は無かった。

 言い得て妙――そして南無阿弥陀仏――なんて大和とファミリー一同は心で呟いて既に供養までも始めていた。

 

「――危ないなあ」

 

 百代が総一郎の顔に放った拳は避けられていつの間にか総一郎の持つ刀の頭が百代の首筋に当てられている。動くことが出来ず百代は視線を自分の首元へ落とすしかない。

 数秒の沈黙が走って総一郎は首筋から刀を離した。

 

「なるほど……それも一つの理由か」

 

 驚愕の視線など放っておいて総一郎は訳の分からない一言を呟いた。

 

「……私のお父さんと戦ったのとモモ先輩に勝ったってのは本当みたいだね」

 

 今まで一言も口を開かなかった京すら驚き、ガクトやモロは何かに怯える表情をしていた。大和も驚いていたが、一子はどこか尊敬するような視線を総一郎に送っていた。

 

「やっぱすげえ! 俺の目に狂いはなかった! そうだろ大和!」

 

 一番はしゃいでいたのは言わずと知れた少年キャップ。まるで巨大ロボットがドリルでぶつかりあう、その様をテレビで見ている幼稚園生。驚愕のファミリー、異様な雰囲気の総一郎と百代、そんなことを構いもせずに一人テンションの高いキャップ。

 

「私は上泉信綱の生まれ変わり、悪いが私と手合わせしてもらおう!」

 

 雰囲気を破ったのは唐突だった。今ここにいる全員が知らない赤の他人だった。

 いち早く察知したのは大和、恐らく姉さんの挑戦者。百代もそう考える。

 

「お前を倒せば卜伝を倒したも同然、勿論、拒否権は無いぞ!」

 

 卜伝――という単語が出れば大和や百代以外でも分かる、こいつは総一郎へ勝負を挑みに来たのだ。

 

「やだね」

 

「!? なんだと!」

 

 即答。百代であれば即了承して瞬殺――それが当たり前だった。

 しかし総一郎は即答で突き返して闘気など全く見せることは無い。

 

「上泉さんは知り合いだし、お前は弱い。それに真剣を用意しているようだけど――分かっているのか? 真剣同士であれば俺はお前の命を獲りに行くぞ」

 

 温厚な総一郎――天然な総一郎――ノリのいい総一郎――

 

 だが剣術家の総一郎は未だ見ていない――大和は己を恥じて、そして恐怖した。

 一週間で友達を測ろうとした、浅く広く交友関係を持つことに慣れていたせいか、ファミリーに入った総一郎の表面しか測ることをしかなかった。一週間で分かるわけない――

 そして総一郎の知らない部分――剣術家の総一郎を目の前にしたとき、姉さんの放つ闘気とは違う鋭利な何かを感じた。

 初めは何も感じなかった、総一郎の言葉が進むと次第に闘気とは違う物が撒かれていく。

 

「知らないようだから新当流総代として教えてやろう。刀は剣とは違う、拳とは違う。それに乗せるのは魂ではなく命だ。刀を軽く振ってみろ、それで人は死ぬ、漫画のように切られても死なない、刺されても死なないと思ったか?」

 

 がくり――そんな音を立てて挑戦者は膝をついた、恐らく総一郎の――そうだ、これは殺気、挑戦者は総一郎の鋭い殺気に耐えられなくなったのだ。

 闘気でなく殺気。

 

「モモちゃん」

 

「――え?」

 

「川神院に連絡してこの人を運んであげて、外傷はないけど立って歩けないと思う。少し川神院で休ませてもらえないかな?」

 

「あ、ああ、分かった連絡しておく……」

 

「ごめんね、殺気出し過ぎたみたいだ。こんなところで戦ったら迷惑だし、それに入学式に遅れちゃうと思って」

 

 ファミリーの方に振り返って謝罪する総一郎はやってしまった――というように笑顔であっけらかんとしている。

 ガクトやモロと一子、キャップは安心して総一郎に文句を言っているが、京と百代、そして大和は余り良くない表情で総一郎を見ていた。

 それでも総一郎の言う通り入学式に遅れるかもしれない――大和は総一郎のことは後回しで、取りあえずファミリーを諭して学校へ急ぐのだった。

 

 わざとファミリーに見えないよう集団の後ろに回った総一郎は大和や百代よりも苦い表情をしていた。

 

♦  ♦  ♦

 

 

 無事、時間通り川神学園に着いたファミリー一行は入学式を終えた。

 クラス分けのために廊下に貼られたクラス表の前で別れた一行だったが、各々自分のクラスへ入ってみれば百代以外のファミリーが揃っている。数分ぶりに再会した一行はF組所属となった。源さんがいることに大和は大喜びだった。

 

 担任は小島梅子、きつそうな女性教師だ。なぜか鞭を持っている。

 大和の前情報によればF組は成績が悪い者と問題児が集められる個性派集団とされているらしい。頭が悪いと遠回しに言われたガクトは憤慨していたが、梅子の鞭に叩かれて沈んだ。体罰ありの教師とは聞いたことはないが、これでこのクラスは梅子の恐ろしさを知ることになった。

 

 軽い連絡事項だけ伝えられてファミリーは下校となった。

 現在時刻は午後一時。家に帰るには少し早い、百代を除いた一行は商店街に出て軽い昼食を取ることにした。夜は百代を連れて食事することも決まっている。

 

「いやーでかかったなー、もしかしたら変形とかするのかな」

 

「そんなわけないでしょ、どうしたらそういう発想になるの」

 

「まあ、キャップのはいつものことだろう――それよりも結構かわいい女の子多かったな! ついに俺様にも……」

 

「それはないよガクト」

 

 ファミレスに着けばいつも通りの会話、一子はメニュー表を見るだけで涎を垂らしている。

 すると総一郎が一子に言った。

 

「ワン子、奢ってやろうか」

 

「え! いいの!」

 

「おう、皆も千五百円までならいいぞ、朝の詫びだ」

 

「本当か総一郎! お前良い奴だな、彼女がいるのは気に食わないが」

 

「よし、ガクトはいらないみたいだしワン子は上限三千円まで良いぞ」

 

「え! いいの!」

 

「え、ちょ――」

 

 喜びに満ち溢れる一子の頭を撫でて和み、ガクトを見てほくそ笑む総一郎。まだファミリーに入って一週間しか経っていないというのにガクトに対する当たりは既に馴染んでいる証拠だ。

 京はもう気にしていないのか普通に会話している。だが大和は先ほどのことをまだ引きずっていた。

 しかしこの状況で本人に問いただすことは出来ない、恐らく総一郎は誤魔化そうと――違う、皆の心を気遣っている。何故か良い言い方ができない。

 京が手を握ってきた。

 普通であれば取り除けるのだが――本気で心配する京の顔が大和をのぞき込んでいた。

 軍師はもっと堂々としていなければ――今は忘れて寮に帰ったあと二人きりのところで聞いてみよう――

 

「ワン子、俺が一番いいコストパフォーマンスで組んでやろう、どれが食いたい――」

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 一行がファミレスで楽しんでいる頃、百代は呼び出されてもいない学長室へ足を運んでいた。

 急に来た百代を追い返すことなく鉄心は飄々としていた。

 

「どうしたモモ、お前からここへ来るとは珍しい。小遣いはやらんぞ、欲しければバイトでも――」

 

「そんなことはどうでもいい、あれはなんだ」

 

 怒っている――そういうわけでもない。だが凄い剣幕で百代は鉄心に対峙していた。

 

「はて? 何のことじゃ」

 

「とぼけるな! 総一郎のことだ、どうせ見ていたんだろう!」

 

 勿論分かっていた、百代が急に扉を開けてきた時に――いや、朝のうちにここへ来るだろうと確信していた。

 髭を解かしながら鉄心は回答に困っていた。下手に回答すれば彼はあの仲間内にいられなくなるやもしれん――

 

「塚原というのは特殊でな、あやつの祖父が若い頃のことだが、儂と対峙したとき儂のほうが圧倒的に力量が上でもその殺気はとてつもないもの――」

 

「嘘をつくな!」

 

 鉄心はもっともな嘘をついたつもりだった、むしろ事実とも言えるが――それでも百代は納得することは無かった。

 モモの本能が何かを悟った――鉄心は言葉を濁すことになったが一定の回答をした。

 

「おぬしの危惧していることは起きない。あやつの精神は静の極みに至っておる、所謂「無我の境地」じゃからあのように恐ろしい殺気を意図的に出すことも出来る。これ以上の回答が欲しければ本人に聞くがよい。それ以上儂からいうことはない。これは彼のことじゃ、儂が言うことではない」

 

「……くっ」

 

 百代は扉を蹴破って学長室を飛び出していった。

 普段なら怒鳴ることもしただろう、鉄心は咎めることをしなかった。扉を蹴破って壊すのは悪いが、武のことで悩むのは悪いことではない――鉄心はそう思いながら総一郎のことを考えていた。

 

「静の気から放たれる冷たく鋭い殺気――純一郎と信一郎は何を考えている、あの歳の子供に……あの二人に何があったのだ。何故だ……」

 

 鉄心は表情から汲み取れない教育者としての心が痛めつけられる思いだった。

 

 

♦  ♦  ♦

 

一旦、島津寮に戻ったファミリー一行。

百代が来るまで寝る者もいれば勉強する者もトレーニングに励むものもいる。

総一郎は部屋を出て階段を下りる。

 

「あ、総一郎話があるんだが――」

 

 廊下で声をかけられた大和に気付くこと無く通り過ぎて行った。もう一度大和は声をかけてみるが返事や反応は無い。

 そのまま総一郎は島津寮を出ていった。

 大和は嫌な予感を感じ取った、百代のように気を感じることが出来なくても状況を判断するからに何かおかしいと感じた。

 皆に声をかけてすぐに総一郎を追いかけた――しかし総一郎はすぐそこにいたのだ。

 

 百代と対峙していた。

 

「姉さん――」

 

 大和は声を出せなくなった。

 百代の闘気が総一郎の後ろにいる自分達へ飛んできたからだ。見たこともない姉の姿に腰をついてしまった。

 

「どうしたんですかモモちゃん」

 

「お前はなんだ」

 

「塚原総一郎です」

 

「お前の殺気は感じたことのない気だった、なんだ教えろ」

 

 総一郎は先ほどのように殺気を放つことは無かった。ただ自分の薄い気で百代の闘気を受け流していた。

 

「教えろとは乱暴ですね、教えを乞うなら頼むのが常識でしょう」

 

「うるさい、教え――」

 

「俺は新当流総代だぞ、頼み方が筋違いだ――と言っているんですよ」

 

 声質を変えた総一郎から伝わる気はやはり先ほどとは違った。先ほどの殺気は冷たく鋭かったが、今の気は滑らかで涼しい――いつの間にか大和達は百代の気を余り感じなくなっていた。

 

「皆怯えています、気を収めてください」

 

 百代の闘気――動の気と総一郎の静の気がぶつかり合っていた。

 

「収めなかったらどうするつもりだ」

 

「そうですね……」

 

 右手に持っていた袋から総一郎は刀を取り出した。

 普通の刀よりも長い、大太刀と呼ばれる刀身を鞘から抜いていた。

 

「――本気でやってみますか?」

 

 信じられない言葉――大和がそう認識するのは二時間後の話だった。

 

 動と静、二つの気は大和達の前から消えていた。

 




誤字がありましたらお知らせください。
誤字はあるので(確定)

ところでA-5はいつですかねえ、義経のシナリオ先にやっておきたいんですよ。奥義とかあるみたいですし。



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――俺は僕――

ちょっとみじかいです


 島津寮から直線距離で二百メートル程離れた河川敷。およそ三秒前まで何の変哲もない地面だったが、現在は大きな穴凹と鋭利なもので削られたような跡が出現して原型を留めてはいなかった。

 跡が出現してから少し遅れて人影が現れる。

 服と肌に一切の傷がない少年と無数の切り傷が目立つ少女。少年の姿とその刀は夕日と水面の反射光に照らされて一枚の絵を見ているよう。

 反対に浅い傷と深い傷から違う量の血が流れているのにも関わらず、獰猛な笑みを浮かべている少女はまさしくサバンナで獲物を捕らえようとするハイエナだった。

 少女は一歩踏み出す、踏み込むわけでも牽制するわけでもない一歩だが、少年は三尺以上もある大太刀を構え直す、八相の構えと呼ばれる構えだ。

 そこで少女はどこまでも響く高笑いを始めた。

 

「はははははははははは!―――どうだ! 一撃目は避けたぞ!」

 

「化け物結構、確かに初見殺しとは言いましたけれども……あらま」

 

 その出来事に少年は構えを解いた、少女が使った技は少年が構えを解くほど気落ちするに値する者だった。

 

「――瞬間回復という物ですか、単体技としては欠陥だらけですが、それでも恐ろしい――というか、それを考えて習得したあなたが恐ろしいですね」

 

「……欠陥だと?」

 

 驚いたのも束の間、自分の編み出した奥義をいとも簡単に貶された少女は怒りの前に呆れた。

 

「こんな優れた技は無いぞ」

 

「ですね――しかし、攻略法はいくらでもあります。例えば電撃を浴びせて気の流れを悪くさせたり、気の針を刺してしまえば気を練ることすら難しいでしょう。それに首でも斬り落としてしまえば技を使う前に死にます。その技を単体で使えば同格にあなたはすぐ負けますよ」

 

「お前も爺と同じでこの技が慢心に繋がっていると?」

 

「それは間違いです」

 

 構えを解いた少年は目の前に狂暴な猛獣が今にも襲い掛かってくるかもしれない、だというのに大太刀を振り回して力を抜いていた。少女が襲い掛からないのは軽い談義をしているからだが、力を抜いている少年の隙が見当たらない――それも少しばかりの理由かもしれない。

 

「その技は規格外ではっきり言って頭のおかしい技。前面に押し出して使うべきです――ただ、初撃でやられてしまえば意味が無いわけですから、今のあなたが使うようにしていれば駄目なんです。格下には恐ろしい技ですけど同格や対策を知っている者がいれば大したことは無い――つまり同格がいないあなたにとって擬似的な慢心に繋がるわけですね」

 

「……わからん、どういうことだ」

 

「悪いのは貴方の周りです。圧倒的な技を持てば慢心するのは当たり前、その技の使いかたや弱点を教えない無能な指導者が悪い。――過保護に育てたせいですね」

 

 少女は驚いた、そしてなぜか力が抜けた。

 才能がある――と生まれてからすぐ過保護に育てられた。

 友達と遊びたくても優先される鍛錬のせいで鍛錬が嫌いになった。

 強さを制限されて今まで努力してきたことが否定された気がした。

 精神の脆弱性や凶暴性を指摘され、さらに自分が作り上げた自慢の技を否定された。

 

 武術家として否定された。

 

 こんなことを自我で考えたことは無い、心の隅かにどこかあっただけの不満――それだけ存在だったはずだ。

 

 悪いのは自分ではない――そう言われたのは初めてだった。

 

「――お前はなんだ」

 

 いろんな思いや考えが浮かび上がる中で自分が口にしたのは一番初めに少女が少年に突き付けた疑問だった。

 

「俺は塚原家嫡男、新当流総代、京都のツインエース、塚原卜伝の再来」

 

「違う! あれはなんだ! 私の知らない――私の知らない――」

 

 ――辺りはセピア色に変わる――変わった気がした、少女が感じただけだ。

 目の前にいる少年は俯いて大太刀を片手でただ持っているだけ――だけだ、少女はそう見えた。

 ふと、少女の首に鋭い痛みが走った――気がした、首には何も変化はない。

 首を抑えてもう一度少年を見た。

 少年は少しずつ頭を上げて少女を見た。

 少女は顔を上げた少年の目を見た。

 

「これですか」

 

 少年は少女の問いに答えず応えた。

 これだ――少女は確信した。私の知らないこの気――殺気だろうか? 己の闘気をすり抜けるように体に来る。思わず後ずさりしたくなる。怖い――

 

 少年の目は黒に染まっていた。

 

「私はお前のような武術家を知らない、お前のような殺気をだす武術家を知らない……!」

 

「のようですね、初めてですか?――」

 

 少女はその言葉とその表情に恐れた。

 

「――人殺しと出会うのは」

 

 目は何故か黒く、普段両手で持つはずの大太刀は片手で持たれまるで無造作に峰を肩に置かれている。それでいて隙は無い、力を抜いているようには見えない。

 佇まいはまるで先ほどまで八相の構えをしていた少年だった。

 

「構えも型もない、人を切りやすいように立っているだけです」

 

「……人殺しだと?」

 

「ええ、才能があると過保護にされて友達と遊ぶ時間は鍛錬に優先されてそのせいで鍛錬は嫌い――そして人を斬らされました」

 

 少女は嫌悪感に塗れた。別に心を読まれたわけじゃない、少年も自分と同じ天才で途中まで境遇が同じだったというだけだ。

 だから嫌悪感に塗れた。

 

「まさか、まさか自分の剣が人を斬るために育てられているなど思いもしない――、一番恐ろしいのは人を斬ったところで罪悪感など抱かなかったことだ、俺の心は鍛錬中に人斬りになっていた」

 

 少年は苦虫を噛むような表情で少女を見る。

 

「祖父は「鬼太刀」父は「三撃」と呼ばれ剣術家として名を上げている――勿論、二人とも人を斬ったことはあるだろうよ、だがそれは剣術家として人を斬ったに過ぎない。俺は――俺は、「人斬り」として人を斬った」

 

 少年は僅か十歳だった。河原で少年は真剣を持って一人の男に対峙していた――対峙していたわけだ、その男は既に少年の下で横になっている。

 少年が好きだった特注の草鞋は赤く染まっていく、少年は思った「ああ、汚れてしまった」

 次の瞬間嫌悪感に塗れた。

 一番初めに罪悪感を覚えなかったことに嫌悪感を抱いた。

 嘔吐感が襲ってきそうだ――実際に襲ってくることは無い。

 嗚咽に塗れそうだ――涙が出ることは無い。

 隣にいる父が歩み寄ってきて声をかけてくれる。だが、少年が望むような声は掛からない。

 

「よくやった」

 

 そこで悟った。

 俺は剣術家じゃない――人斬りだ、卜伝の再来でも京都のツインエースでもない。

 

「俺は「人斬り」の塚原総一郎だ」

 

「――――――」

 

 声が出なかった。

 

「俺は剣術が大っ嫌いだ、今すぐにでもこの刀を捨てたい。でも駄目なんだ、これ以外の道は無い……だから俺に真剣勝負を吹っかけてくる人間が嫌いだ――俺はこのまま君とは勝負しない、すれば君を斬る。君がファミリーに僕を近づけたくなければいなくなろう」

 

 少女は初めて人斬りに出会った。その人斬りは友達で、仲間でもあった。

 そして恐らく自分を理解してくれる唯一の人物かもしれない。

 自分よりも大人で、強い――

 

「違うな」

 

「……何がだ?」

 

 自分よりも強いかもしれない、自分より強い。

 彼の業は深い――だが、彼はそれに押しつぶされない、どうにか自分を抑えて我慢している。

 少女とは違った。

 そして同じだった。

 

「……はは」

 

「どうしたモモちゃん?」

 

「……はは、ははははははは――違うな」

 

「……」

 

「お前一回も負けたこと無いだろ」

 

 明らかに今までの話と方向性が違う――総一郎は言葉の意図を理解できない。

 

「確かに稽古では幾つも負けたことはあるさ、お前にも負けたな。だが勝負で負けたことはない――仕合でな」

 

 少女は口角を上げて構えた、そして息を吸い込む。

 

「川神院長女、川神院次期総代候補、「武神」川神百代、塚原総一郎に――仕合いを申し込む!」

 

「……」

 

 未だ意図は読めない、百代が交戦準備に入ったことは分かったとしても核心にたどり着くことは出来ない。

 そのままの構えで総一郎も交戦準備に入る――が、百代が言った。

 

「おいおい、仕合いだぞ――死合いじゃあない。私はお前と魂を賭けて戦いたい、私は殺せない――お前の一撃は私が止めてやる」

 

 総一郎の強さは精神に依存した集中力にある。「無我の境地」――付けられた名前は正しく、静の極みの一つで、それだけでも壁越えの要因が半分以上占めている。

 逆に言えば総一郎が使える技は少ない。

 唐竹、袈裟切り、逆袈裟、右薙ぎ、左薙ぎ、左切り上げ、右切り上げ、逆風、刺突――これが総一郎に使える剣技、基本中の基本。

 しかし、基本中の基本が無我の境地によって奥義に変わる。一撃一撃が奥義に昇格するわけだ。

 今の百代では一振りごとに一撃を出されては一溜りもない、当たれば一瞬にして体の一部が持ってかれるだろう。

 総一郎も理解していたし、百代も理解していた。

 だが、百代はそれでも一撃を止めるといっていた。

 

「なあ、無理して殺さなくてもいいだろ?」

 

「それができたら――」

 

「じゃあ行くぞ」

 

 百代の足元が沈んだ。踏み込むための力で地面が抉れたのだ。

 自分の間合いに踏み込んでくる百代が総一郎には見える、見えてしまえば後は急所に刃を当ててしまえば百代は瞬間回復を使うこと無く死ぬだろう。

 

 総一郎の精神が極みに達する、集中力が跳ね上がって超速の拳すら視認していた。

 勿論、百代の表情も見えるわけだが――その視線は明らかに自分の刀に向けられていた――

 驚いて総一郎は迎え撃つことを止めて後方へ退避してしまう。

 

「――どういうことだ」

 

「……違うんだ、違うんだよ。お前は確かに人斬りだ、そういうふうに育てられてきた。だけど違う――お前は人を斬らなくてもいいんだ、お前は人を斬りたくて斬ってるんじゃないだろ――お前の剣技に対応できる奴がいないせいでお前は相手を斬るしかないんだ」

 

「……!」

 

「私と一緒だ。対等に渡り合える奴がいない――なんだかいつもと違うんだ、気持ちが昂っている。興奮しているわけじゃない、今なら――何でもできる気がするぞ」

 

 静の極みである「無我の境地」が心を静めて奥義に昇華された集中力であるならば、その反対は何であろうか――感情を昂らせることにより極みへ到達する動の極み「天衣無縫」昂りによる本能が奥義へ昇華されたもの。

 百代はまさしくその極みへ一時的に到達していた。

 本物の強者に出会えた喜び――境遇への怒り――仲間の悲しみ――これから起こる戦いの楽しさ――

 無我の境地と天衣無縫――対峙するには相応しいものだった。

 

「……はは」

 

「……ふふ」

 

 荒れた大地、殆ど落ちている陽、同格の強者たち――笑うには絶好の状況だった。

 

「化け物だな」

 

「化け物結構さ」

 

 総一郎は左足を前に出して八相の構え。

 百代は天地上下の構え。

 二人は名乗りを上げた。

 

「川神百代!」

 

「塚原総一郎!」

 

 二人の間合いが一瞬でぶつかる――その前に読み合いは始まっていた、間合いがぶつかるまで要した時間はコンマ二秒ほどだったにもかかわらず、二人に構えはその間に三十もの変化を遂げていた。

 間合いがぶつかって利を得るのは総一郎だ、普段の刀よりも三十センチ以上長い大太刀は間合いに置いて有利以外の何物でもない、剣道三倍段と言う言葉の通りだった。

 つまり初撃――それが今現在百代が生きるかどうかの最大の壁だった。

 総一郎は神速の左切り上げを以って百代に斬りかかる。

 始めは見切ることすらできなかった、二度目は見れた、三度目は――

 

――百代の手刀が総一郎の刀に向かっていた――

 

勿論、総一郎にはその光景が見えている。だが驚きもしない、今動揺すれば確実に負けることを理解しているからだ。

一つだけ思う――化け物だ。

先程まで総一郎と百代の優劣ははっきりしていた、それでも――、一時的だとしても、百代がこの土台に踏み込んできた、その才能と武術家的本能に恐れすら抱きそうだ。

これが終わった時にいくらでも思うだろう――川神という血が恐ろしい。

 

 手刀と刀が相見えると二人の間には境界線のような斬撃波が地面と上空に伸びていく。それで終わりではない、二撃、三撃、四撃――と己の武器が重なり合っていく。

 二人の闘いは終わりを迎えようともせず、手刀と刀が相見える数のみ増えるばかり。二人の魂はおよそ千撃を超えてぶつかり合っていた。

 手数が増えていく二人。恐らく二人の実力はこの間だけ極みを超えて極限まで昇華されていた。

 

 そして終わりを迎える――

 

 一人の周りにはぶつかり合っただけの無数の斬撃波が地面に印されている。

 もう一人は斬撃の印しよりも少し離れたところで立っていた。

 二人の攻防は僅か十秒の出来事だった。

 

 斬撃の印しの中心点に居る――彼は言う。

 

「――六撃も喰らってしまった」

 

 体と顔に残る傷をなぞって振り向いた、その先には彼女――川神百代が腹から血を流して倒れていた。

 それと同時に総一郎の刀が粉砕した。

 

「私の負けだな」

 

「僕の勝ちですね」

 

 悔しそうであり、嬉しそうな百代。

 そして総一郎は誰よりも良い表情をしていた。

 





少し遅れました。

少し前からマイコプラズマで体調が悪かったのですが。今回新しく咳喘息が診断されました。
三人目の医者にかかったのですが、どうやら前の二人はヤブ医者だったみたいです。

投稿が遅れたのはゲームをやっていたからです。


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――私の鳥。――

遅くなりました


「腹、大丈夫ですか?」

 

「ああ、瞬間回復で傷一つない」

 

 二人は河川敷の上でもう沈んでしまった空を眺めていた。遠くの方には夜景――というか光がちらほらあって、一瞬だけとはいえ死闘を繰り広げた二人は凄い脱力感に見舞わられていた。

 それもそのはず――確かに、総一郎は人斬り状態になってしまえば取り返しのつかないようなことをしてしまう。だが、普段は常識人。百代もやり過ぎてしまうことがあるが、限度は知っている。

 ――河川敷は崩壊していた。

 何がどうなっているか――百代の瞬発力に耐え切れない地面が無数のクレーターだらけ、総一郎の限度がない斬撃痕、二人の攻撃が衝突すれば衝撃波でその周りに被害が出る。

 無残な光景と到底どうにかできる話でない被害に二人は思考を放棄していた。

 

「なあ」

 

「はい」

 

 適当な問いかけと相槌、声をかけてみたはいいが話すことは無いし、話を膨らまそうとも思わなかった。

 見かねた総一郎が話題を振る。

 

「僕って鍛錬が嫌いなんですよ」

 

「ああ」

 

「僕って精神修行ばかりやってて、普通の鍛錬はサボってばかりなんですよ」

 

「ああ――え?」

 

 ようやく百代が反応して二人は顔を合わせる。

 

「鍛錬をサボってあれなのか! 自信なくすなあ、結局六発しか当てられなかったし」

 

 肩をすくめる百代を総一郎は笑い飛ばした。

「ははは、剣術にとって精神は重要ですから、モモちゃんも精神修行すればいいじゃないですか」

 

「つってもなあ」

 

 どうにか会話が続いてくる、むしろ二人の会話は止まることを忘れてしまう。

 

「座禅なんてしなくていいんです――例えばキャンプとか、鍛錬は集中型にしてみんなで楽しく遊ぶ時間を増やすとか」

 

「はあ?」

 

 寝転び微笑んで空を見上げる総一郎に百代は溜息を投げかける、聞いたこともない鍛錬方だった。

 

「精神修行って別に要らないんですよ、精神修行が必要なのは武に携わる者だけ、武に携わるだけ普通とは違う生き方になります――モモちゃんって同年代と対等な喧嘩とかしたこと無いでしょ?」

 

「……そう、だな」

 

 間抜けなことを言われてから核心をつかれた――考えてみればそうだった。

 私と武で対等なものは勿論いない。同年代で友達はいても――精神で対等なものは居なかった。

 

「子供ってのはいきなり知らない奴らの間に「教育」って形で入れられて何故か友達になっていく。勿論、喧嘩もするし女の子や男の子を好きになったりする、毎日会って外で遊んで――でも、武術家ってのは学校以外武術漬け――それで精神修行?」

 

 武術家は真面目である――そうでない自分は不真面目で、それで鉄心に怒鳴られて、ルーに小言を言われて――

 

「教育者としてそれはどうなんだ?」

 

 武術家は真面目である――それが真理だと思っていた。自分のかつての師匠も危険だと判断されて川神院を破門された。

 武術家はそう言う生き物だと思っていた。

 ――この男がそれを否定した。

 

「新当流総代として言う――阿保だ」

 

 百代は大声を上げ、それから笑った。心の淀みが取れた気がしたんだ

 

「なあ、さっきを出せるようになるのにどれぐらいかかる?」

 

 振り向き様に百代は聞く。

 闘い終わった百代の髪は夜になびいてすごく綺麗だった。

 

「まあ、モモちゃん次第かな。土台はある、効率の良い鍛錬と楽しく生きることを続ければ三年ぐらいで到達できるんじゃないかな――「天衣無縫」に」

 

「天衣無縫――か、なんだかかっこいいな!」

 

「三年後には僕はその上を行くけどね」

 

「お前が鍛錬をサボってる間に私はその上を行ってるよ」

 

 にた――と笑って二人は視線を合わせた。

 ここに永遠ともいえるライバル協定が発足したのだ。

 

「ああ、それと」

 

「ん?」

 

「お前が人を斬ってても、剣術が嫌いでもお前は風間ファミリーの一員だからな! 残念だけど辞めることはできない」

 

 そこで二人の時間は終わる。

 

♦  ♦  ♦

 

 

後日談――

 

 あの後初めに来たのは風間ファミリーだった。河川敷の悲惨さと二人の姿を見て一子は泣き出してしまった。ガクトも薄ら涙を浮かべていたが、それはこの状況下で笑っている二人を見て恐怖を感じたのかもしれない。

 大和とモロは本当に心配して、心配を通り越し怒りに塗れていた。京も心配したらしく、新しく加入したばかりの総一郎に薬箱を渡していた。

 キャップは河川敷の悲惨さにも目をくれず、二人が派手な遊びを自分に内緒でしていたと勘違いして駄々をこねていた。

 

 熱が冷めれば河川敷の現実に白目をむいてしまう。

 少しすれば鉄心が来て百代を叱る――思いきや、時間も遅いため家に帰されてしまった。鉄心曰く「言わねばいかんこともあるが、まず休め。このことは儂に任せて置け」

 考えれば分かることだ、あれほどの闘気をまき散らして鉄心が気付かないはずがない。初めから鉄心はこの戦いを傍観していた、認めた上での決闘だった。

 それに勿論、新当流総代の言葉が聞こえていたはずだった。――総一郎が鉄心の存在に気付いていたのかは分からないが。

 

 非公式であったが、大荒れの河川敷と撒き散らかされた闘気、さらにボロボロになった服の百代を見れば川神院の修行僧もわかる――真剣勝負で武神が負けた。

 そのこと噂は風に乗って全国――世界へ羽ばたいて行った。

 

「MOMOYOが負けた?」

 

「MOMOYOが負けたなんて信じらーれなーい」

 

「一体誰にMOMOYOは負けたんだ?」

 

「TUKAHARA?……OH、ジャパニーズサムライ!」

 

 無敵の武神が負けた――さらに負けた相手が日本の剣術家――サムライであることが噂をさらに広げた。

 勿論、一番広がるのは日本だった。

 

 柄の悪そうな中年武術家は。

 

「百代が負けたか……血の気が疼くぜ」

 

 武道四天王の一人は。

 

「百代が負けた……私が倒すはずだったのに――あ、おにぎりが……」

 

 政界のある人物は。

 

「百代ちゃんが負けたか……これは俺もうかうかしてられねえな」

 

 そして九鬼財閥の極東支部で一人の女性がその話題を取り上げていた。

 

「父上、どうやら川神百代が負けたそうです」

 

「え? マジかよ、こりゃお前もうかうかしてられねーんじゃないの?」

 

「ご安心ください、この老いぼれ赤子に負けるつもりはまだありませんので」

 

 こうして噂は世界に広がり、日本の株価に多大な影響を与えていた。

 

 当の本人である百代は数日休養を取り、珍しく鍛錬に励んだり大和を連れて遠出したり、今までやりたがらなかったバイトをして、入学祝が出来なかったお詫びとしてファミリーに焼肉をご馳走したり。明かな変化が読み取れていた。

 

 して、総一郎がどうかと言えば。

 噂が広まり、数日後。電話をしていた。

 

 塚原家当主――父である信一郎と。

 

『やあ、総一郎』

 

「おう、なんだ」

 

 決して険悪ではない、良好な関係でもない――そう示す第一声だった。

 

『聞いたよ、武神を倒したそうじゃないか、誇らしいね』

 

「ああ、もっと褒めてくれよ、しっかり――倒した――ぜ」

 

『ああ、お爺ちゃんも誉めていた』

 

 皮肉を言ったつもりはない、言われたつもりもない。

 だが、そう聞こえてしまう。そんな言い方をしてしまう、とても親子には感じなかった。

 

『一度挨拶に向かおうと思うよ。非公式であったけれども、本当は公式でやるような二人だからね、新当流総代と川神院次期総代というのは』

 

「そうしてくれ――どうせなら「カガ」と「水脈」も連れてきてくれ、カガには川神院を見せてやりたいし水脈には都会を見せてやりたい」

 

 嫌悪感は見せなくとも好感を出すこともない、恐らく年下であろう知人を連れてくるよう父親に頼む姿は携帯越しだろうと本人を前にしようと変わらない――そういうふうに感じ取れる。

 

『ああ、分かった。行くときに連絡するよ』

 

 そこで電話は途切れた――切ったのは総一郎。

 信一郎の方は総一郎を愛している。どういう理由で息子に人を斬らせているのか分からない。だが、父親として自分を愛していることを総一郎は知っている――祖父である純一郎も同様であることを知っている。

 母親は自分は人を斬っていることを知らない、母親が自分を愛していることは勿論知っている。

 

 では、なぜ、自分は、このように育てられたのか――それは知らない、理解できなかった。

 

 父親との電話が終わってすぐ違う電話番号にコールする。

 一度目では通じなかった、アナウンスが無いので電源が切れているわけではない。

 もう一度その電話番号にコールした。

 それでも出ない、総一郎は何度もコールした。

 

『も、もしもし!?』

 

 七度目のコールで漸く番号主に繋がる。

 

「……」

 

『……おーい、もしもし?』

 

 総一郎は心の隙間が埋まった気がして声が出せなかった。

 自分の言葉に応えてくれる人がいることに驚いた。

 

 一週間の間に色々あった。

 友達が大勢出来たり、入学したり、成熟した精神でさえも経験したことのない決闘――

 

 ――総一郎は疲れていたのだ。

 

「もしもし」

 

 声が出た。

 

『あ、総ちゃん? ごめんねお風呂に入ってて電話取れなかったの』

 

「あ、そうなの。裸を想像したら欲情しちゃいそうだ」

 

『むー、突っ込むところが多くて大変だよー』

 

 総一郎は部屋に寝転んだ、テーブルの角に頭をぶつけて悶絶してしまう。

 

『!? どうしたの大きな音がしたけど!?』

 

心配する声に総一郎は頭に激しい痛みが走っているのを気にも留めず笑っていた。

 

『……どうしたの? なんか辛そう』

 

 見透かされている心――それが心地よい、彼女に――燕に心がを見透かされているのが心地よい。

 息を吸い込んで吐く。

 

「いい女だなこんちくしょうめ!」

 

 電話越しの大声で燕は耳元から携帯電話は離す。

 

『もう! なによ!』

 

「お前のエンジェル――いや納豆ボイスに癒されたかったんだ」

 

『なにそれー、思ってもいなくせに』

 

 不貞腐れている燕を想像してニヤニヤが止まらない総一郎、傍から見れば相当間抜けな顔と動きをしていた。

 

『聞いたよ、真剣勝負で武神に勝ったこと』

 

「やっぱり? これから大変だなー」

 

 燕の声が聞こえなくなる。総一郎は携帯の画面を見るがしっかりそこには「スワロウ」と文字が映し出されている。

 耳を良く澄ましていると燕の深い呼吸が聞こえた。

 

『武神って女の子だよね?』

 

「……ああ」

 

『なんか、こっちに来た噂だと武神と新当流総代は良い関係って話なんだけど――』 

 

「おいおいおい」

 

 総一郎は立ち上がって事について考えだした――いや、考える前にしなければならないことがある。

 燕の対処だ。

 

「どういうことだそれは、違うからな、違うからな。俺が好きなのは暴力女じゃなくて納豆女だ!」

 

 少し間が相手から笑い声が聞こえる、派手な笑い声ではなく口元を手で押さえているような詰まった笑い声だった。

 

「笑い事じゃないぜ」

 

 まだ笑い声は聞こえた。

 少し遅めの時間、笑い声を抑えているのはそのせいなのかもしれない。だから余計に長く燕は笑っていたのだ。

 

『ふふふ、笑わせたのは総ちゃんだよ――ふふ』 

 

「まあ、取りあえずその噂は嘘だからな」

 

『はい、分かってます。……これで終わりなら服着るから電話切るよ?』

 

「ああ、突然悪いな、ありがとう」

 

『どういたしまして。何かあったらいつでも電話して、スワロウはどこにでも飛んでいくのだ――――ほんとに辛かったら言ってね』

 

 「ありがとう」と言う前にそこで電話は切れた。

 たとえ聞こえなかったとしても、総一郎は携帯電話を耳に当てたまま「ありがとう」と呟いて携帯電話を静かに閉めた。

 

 寝よう――風呂にも入らず、歯も磨かず、布団も敷かずに総一郎はその場に横になって、寝息を立てた。

 隣に誰かがいるような安心感に包まれたのだった。

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 夢を見た――既に経験したことの回想だった。

 

 人を斬るほんの少し前の話だ。

 新当流の道場にノルマの修行をするため向かっていた時のこと、美人な母親と釣り合わなさそうだけれども夫婦共々、仲の良さそうな二人に連れられた一人の少女を見た。

 第一印象は我が強そうな女の子――第二印象は武人の女の子――第三印象は女の子だった。

 少女を見た後すぐに手合わせをすることになった。そこで少女が武人だと理解した。

 武の才能は勿論、兵法家としての才能もあったためにこの新当流に顔を出したそうだ、手合わせをすることになったのは少女が僕を指名したから。どうやら年下である僕に勝てそうだと頭が判断したらしい。

 

少女は無敗だった。

 

 第三印象は女の子だった、僕に完敗した少女の親は神妙な顔立ち――少女は膝を着いて顔は俯き、床には一滴二滴ではない涙が落ち続けていた。

 総一郎にはそれがとてつもなく女の子に感じた。

 だからその子に手を差し伸べた、叩かれはしなかったけれど差し伸べた手を取ることはしなかった。無理やり引っ張って少女を持ちあげる、どうしても少女は顔を上げないで俯いている。

 総一郎は顎を掴んで無理やり顔を上げさせた。少女は抵抗して総一郎に拳をぶつけた、先ほどは一回すら当たらなかった拳がなぜか当たった。驚いて顔を上げてしまう。

 総一郎の口からは血が流れていた。

 総一郎と少女は初めて近距離で見つめ合った。総一郎は少女の涙を袖で拭いて頬に口付けをした。

 驚いて少女は距離を取る。

 距離をとって見た総一郎の姿は和服と刀が良く似合うワカメ髪の格好の良い少年だ――と感じた。

 燕と総一郎の出会いはそんな感じだった。

 

♦  ♦  ♦

 

 

 あれから数日がたった。

 総一郎は世間一般で名を轟かせることになったため、武神と同じく挑戦を様々な者から受けるようになっていた。

 決闘となれば相手を殺す――それに変わりはない。

 生憎、総一郎の殺気に耐えれるものはいないため事が起こることは無かった。

 

 一番困ったのは学校だった――決闘制度だ。

 武神を倒して、さらにエレガント・チンクエに選ばれた総一郎は妬みや好奇心から来る挑戦者を相手にしなければならなかった。

 学生にトラウマを植え付ける殺気を出すこともできない、真剣を使う決闘もできない――総一郎にとってやり辛いことこの上ないだった。

 

 学校生活外では基本的にファミリーと遊ぶか釣り――そして川神院での稽古付けだった。

 闘いの後、鉄心に修行僧や門下生の稽古をつけるようお願いされた――精神稽古のみ。かなり年下の若造――しかし新当流総代に言われたのが余程効いたのか、川神院の精神改革を任されてしまった。

 いろいろな思いが総一郎にもあったが、百代のことや自身の将来について――それ以上に一子のことが気にかかったためその任を引き受けたわけだ。

 

 百代には朝練をなくして自主練、修行は主に放課後。精神修行はこれといったことをせず、子供のように遊ばせた。

 修行僧や門下生には座禅や掃除のほかに軽いスポーツをさせて気分転換を図る。

 

 そして一子は――

 

「一子」

 

「は、はい!」

 

 修行場であるここで総一郎は「ワン子」と呼ばなかった。一子もそれを感じたのか少し声が震えていた。

 

「君の修行は別メニューにしておいた、これからは俺の言う通りに鍛錬してくれ」

 

「押忍!」

 

「修行内容を伝える前に言っておくことがある――」

 

 総一郎は修行場の入り口に隠れている三人の気を感じながら一子に言う――否、突き付けた。

 

「――君は川神院師範代になる才能はない」

 




遅くなりました。と言っても三日ですけどね!

やはり週末は忙しいです、書けるときに書いているのでペースは保てていますが・・・・・・

急激にペースが落ちないよう、たまに投稿期間を空けるかもしれません。といっても今回みたいに三日四日程度ですが。

取りあえず頑張ります。


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――私は教える。――

 精神改革と通告から二週間――川神院内の雰囲気は以前よりも活気に満ち溢れる修行僧や門下生で溢れていた。

 小学校の時、授業が嫌な男子もこれならば――と、楽しむことができる体育。それと同じで修業の合間にやるスポーツはモチベーションという意味では非常に効果が現れていた。

 たまにルーや鉄心が混ざればたまの休み時間にやる生徒対教師のドッジボールみたいだ。

 肉体的な鍛錬に総一郎は関わっていない、スポーツをするときも関わることはしなかった。教えることはあっても指導することはしない、あくまでも川神院であることを尊重した。

 例外としてあの二人――百代と一子。

 百代には戦い方の知識を与えた。狡賢い足運びやマジックで使われるミスディレクション――つまり、いかに相手から意識を逸らせるか。初歩的な技術、武術以外にも通じる技。言うなればペーパーテストでどう凡ミスを減らすか――それを武術に置き換えて知識を与えた。

 

 そして一子――

 

「君は川神院師範代になれる才能は無い」

 

 驚いた――というより理解できていなかった顔をしている。今までどうにか頑張ってきた、努力してどうにかここまでこれた。

 始めは朝の鍛錬で何度もバケツにお世話になった。が、今は鍛錬の後に新聞配達だってできる。いつもオーバーワークだって言われて、それでも体を苛め抜いて来た――

 

「――そんなの――」

 

「だろうな、そう思うのが筋ってもんだ。ワン子、君の本能に言おう――君は川神院師範代になれる才能は無い――」

 

 なぜ総一郎が言い直したのかは分からなかったが、その言葉を聞いて一子は爆発した。

 気が――ではない――心――が爆発した。そして心の燃料である言葉が溢れだしたのだ。

 

「きゅ――急にそんなこと言わないでよ! わ、私は――お姉さまと並んで歩くのよ! 私は――私は――私は! 川神一子よ! ワン子じゃない!」

 

 自分とは違うのだな――総一郎は清々しい気持ちで目の前にいる健気で、本能に任せた動の少女を見つめて、そして後ろの三人を少しばかり軽蔑していた。

 この少女は――否、川神一子は――

 

「我が先祖――新当流開祖は生涯六つ度の傷しか浴びることなく、一度も負けることはのうござった、新当流奥義とは特別なことではござらん、ただの一振り――つまりは極めた一振りでござる、この意味がお分かりになりんす?」

 

「え?」

 

「努力だ。一日一万回――それを何十年も続ければ奥義になる。初めは振っているだけで日が落ちる。次は振りながら考えて日が落ちる――そして気が付けば振り終えて、窯から昼時の匂いが漂ってくる」

 

 一万回振ったわけではないが総一郎は懐かしい思い出に浸っていた、数え終わると匂いと共に妹が来て言うのだ――

 

「一子、俺の弟子になれ。壁を努力で破壊させてやる――」

 

「!?」

 

「お前の本能は俺が目覚めさせてやるよ、お前は川神院師範代になるんじゃない。お前は園部秀雄――最強の薙刀使いになるんだ」

 

 次第に一子は涙を流した。嗚咽は聞こえない、涙が零れ落ちないよう上を向いて腕で涙を止めていた。

 嗚咽は聞こえない――聞こえるのは彼女自身が胸に秘めていた叫びだけ、武術家としての葛藤――ずっと思ってきたこと、無理かもしれない――だけどそれでも――

 朝の修行場に美しく透き通った光が伸びていく、扉の隙間や上戸から差し込む光は彼女の心を慰めるように包み込む――いや、心を歓迎していた、彼女が漸く開けた心を。

 

♦  ♦  ♦

 

 

 総一郎に弟子入りした一子はマンツーマンで修業を――受けてはいなかった。それどころか修行することを許可してもらえなかった。勿論、一子にとって不満以外のなにものでもなかった。

 しかしそれは新当流総代塚原総一郎という指導者を知る者ならばよく知ることだった。

 ――彼は武術の基礎の基礎、さらにその下であるカーストの最下層である食事や生活、娯楽、通常である自然体を重きに置く。人間としての自然。

 そして彼はかなりの放任指導者でもあった。

 飽くまで鍛錬はする方でもさせる方でも嫌いなのだ。その証拠に適当な理由を作って川神院での稽古付けは殆どしていない、前述の下りはただの口実だった。

 

「総師! 修行がしたいです!」

 

「もう、やってるよ」

 

「え?」

 

「何もしないことが修行ってやつか」

 

 教室内での出来事、一子の問いを総一郎が答えて補足に入るのは大和、立場としてはあまり変わっていなかった。

 

「でもいいのか? ワン子は修行しないと感覚が鈍りそうだけど、ほらなんというか……犬だし」

 

「そうよ!」

 

 総一郎は一子の同意に困惑していた、大和の話を聞いていなかったのか――それとも本心からそう思っているのか。

 首を振って二人の誤解を解いた。

 

「それは違うさ、ワン子は犬じゃない――豹だ」

 

 大和以外その意味を理解できていなかった、教室は静まり返ってそれを破ったのはガクトだった。

 

「ワン子、女豹のポーズをしてみろ」

 

「? こうかしら?」

 

 その場で所謂セクシーポーズをする一子。凹凸の少ない体でするその恰好は総一郎から見ても残念なものだった。――、一部の人間を除いて。

 

「それはねえだろ、総一」

 

「どういうことよ!」

 

「そんなぺったんこな――」

 

「おい、島津、うるせえぞ」

 

 今の今まで机に突っ伏していたはずの源さんが顔を上げてガクトを睨んでいた、健康優良不良少年の睨みで筋肉達磨は舌が回らなくなって竦んでしまう。総一郎は源さんをなだめて話を戻した。

 

「俺が言いたいのは豹の瞬発力と集中力だ。ワン子はなぜか犬っぽい――大和のせいだろうけど――だから百代にように本能に任せるように見えるが、そうじゃない。どちらかと言うと俺寄りだ」

 

「所謂、静の気ってやつだね」

 

「モロいたの、気が付かなかった」

 

「それは京もでしょ!」

 

 一々横やりの入るクラスだ――と苦笑しつつも総一郎は話を続ける。

 

「まあそうだ、百代や京は動だな。俺やルー先生――もっと言えば大和だって静と言ってもいいぞ。そして意外にもワン子は静の気を持っている――さて何故でしょう?」

 

 唐突の質問に一番早く手を上げたのは飼い主である大和だった。

 

「集中力の凄さ――かな?」

 

「yes! だから今は修行をさせない、動物的な癖を少し抜きたいんだ。その代りに勉強で集中力を鍛えてもらいつつ、今まで培ってこなかった童心を味わって精神段階を引き上げる、それが現在の方針」

 

「え」

 

 一子が固まる、まるでこの世の終わりのように。ガクトやモロも同情する視線を送っている。逆に大和と京は称賛の視線を送っていた――拍手もしていた。

 総一郎の発言、その一部が原因だった。

 

「べ、勉強――」

 

「ははははは、良かったなワン子。強くなる上に頭も良くなるぞ、こういうの何ていうか知ってるか?」

 

「し、知ってるわ……い、一矢報いる――よ!」

 

 ファミリー一同と話を聞いていたクラスメイトは声を揃えて言った。

 

『誰にだよ!』

 

 

「そういやキャップは?」

 

 一子のボケで一通りの話が終わった頃、ガクトはキャップがいないことに気が付いたのか辺りを見渡していた。大和がそれに答える。

 

「朝は居たんだけどな……「俺も気を覚える!」って言いながら原付で走り去って行ったよ」

 

「相変わらずだね……」

 

 総一郎の話を聞いたせいなのかキャップが旅に出る――毎度のことながらもファミリーは呆れ顔で遠くの空を見上げた。

 

「あれ?」

 

 そこでまたガクトが何かに気が付く。

 

「総一はどこ行った?」

 

 先程までいた総一郎がいないことに気が付いたが、ガクトはこの場からもう一人いなくなっていることに気が付いてはいなかった――そのことに気が付いたのは恋する乙女と心配性な軍師だけだった。

 

♦  ♦  ♦

 

 

 一子の話が終わってからすぐ後のこと、総一郎は廊下にはる出っ張りの柱にもたれかかってある人物が通るのを待っていた。勿論、先回りして待ち伏せをしている。

 二分程経ってからその人物が現れる。きっと総一郎が声をかけなければ通り過ぎてしまっただろう。

 

「おっす源さん」

 

「……なんだ塚原」

 

 出会ってから一ヶ月位経つというのに源さんは心をまだ総一郎に開いていなかった。大和達とは明らかに違う、総一郎の中では源さんと言う男は大和以上に慎重な男で信頼に値する人間と言う評価が出来上がっていた。

 

「まあまあ、そんなにつんけんしないで」

 

「用がないなら行くぞ」

 

「あるさ、一子のことでね」

 

「……あんだと?」

 

 源さんは総一郎をできるだけ睨んだ。

 

「源さんは園部秀雄って知ってる?」

 

「……知らねえな、そいつがどうした」

 

「今の一子が目指している人物。名前は男っぽいけど女の人さ――ただ、生涯で二度しか負けたことのない近代最強の薙刀使いだけどね」

 

 一子は川神院師範代を目指している――それが彼ら彼女の認識だったはずだ、しかしこの目の前の男、百代の勝って急に一子の師匠を務めることになったこの男は、事実かどうかも分からない――源さんにとってなんとも言えない発言をしたのだ。

 

「おい、どういうことだ。一子が目指しているのは川神院師範代じゃないのか」

 

「ああ、それは無理だって一子には言ったさ――」

 

 既にもたれ掛かっていたため叩きつけられることは無かったが、総一郎は源さんに胸倉を掴まれていた。凄い形相――というわけでもないが、源さんの睨みは先ほどよりも鋭さを増していた。

 幼馴染――の夢が踏みにじられたと勘違いしたのだ。実際、一子にとっては残酷な話でもあったが、同様に救いでもあったわけだ。

 

「てめえ」

 

「おいおい、自分の気持ちを伝えられないような奴が残酷なことを未来ある若者に伝えなければいけない教育者に抗議しようとするなよ」

 

 思わず源さんは手を離した。

 総一郎が自分の気持ちに気付いて皮肉を言うとは思いもしなかった――それ以上に総一郎が自分を罠に嵌めたことが驚きだった。

 気付いたのだ、総一郎が損な役回りをしていることに。

 

「園部秀雄ってのはな努力家だったんだ。明治時代、女が武術をやるなんて――そんなことを言われている中で薙刀を振り回しどうにか男に食らいついた。才能があったといえば終わりだがな、当時は名だたる剣豪も多かった、その中で二敗しかしなかったというのは間違いなく努力の比率が多いだろう」

 

 流暢に話す総一郎とは反対に源さんはその話の意味を理解できていなかった。

 それでもいつものようにその場を離れることは無かった。

 

「しかし園部秀雄は言った「稽古ばかりに集中して、女性の嗜みである家事を疎かにしてはならない」と、つまり――、一子に女性の嗜みを教えてやってくれってことだな」

 

 二人の間に沈黙が走る――源さんが理解できていなかったのだ。

 そして思考が理解に至ると源さんは赤面に陥る前に総一郎へ怒りを放っていた。思わず総一郎は駆けだして逃げた、源さんは無論追いかける。

 しかし総一郎が放った言葉で歩みを止めた。

 

「これは師匠としての頼みさ、源さんも少しは素直になりな!」

 

 言われた意味は分かった、そして気付いたから歩みを止めたんだ。

 

「あいつ……ワン子って言わなかったな」

 

 なんとなくだが分かった。総一郎と言う人物が。

 源さんは静かに溜息をつくのだった。

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 現在は六月の終わり頃、入学から二か月ほどが経過してた。

 

 川神姉妹改造計画――基、修行は捗っている。

 

「なあ、総一郎。あんまり変わった気がしないんだが」

 

「総師! 私もそう思うわ!」

 

「おいおいおい……」

 

 二人はこう言うが修行は捗っている。ある程度の精神自然化は完成してきている――だが、舐めてはいけない。修業とはそう簡単に成果が出るものではない、百代は例がともいえるが、改革の度合いで言えば百代の方が大きい。だから二人の修行成果はあまり良くないと錯覚してしまう。

 

「なあ、総一! 俺も早く気を飛ばしたいぞ!」

 

「キャップは諦めとけって」

 

「でも飛ばせるって言われたぞ!」

 

「総一、どれぐらいで飛ばせるの? あとどれぐらいで私と大和は結婚できると思う?」

 

「京と大和が結婚できるのは二年後の二月二十日だ、ちなみに大和の誕生日ね。そしてキャップが気を飛ばせるようになるのは、前も言ったけれど二十年ぐらいかかる」

 

「もっと早く飛ばしたいぞー!」

 

 キャップの叫びと大和が総一郎に抗議しながら悲鳴を上げているここは秘密基地、今日は金曜集会だった。

 入学初日に色々あったけれども総一郎とファミリーの関係は良好――既に一部となっていた。

 

「ごめん、遅れた」

 

「お詫びに俺様がお菓子を買ってきたぞ」

 

 モロとガクトが来て、ファミリー全員が揃った。

 今日は夏にどこへ行くか――つまり夏休みのお盆に旅行をする場所を決めるための会議だった。総一郎は金を持っていてもその他のメンバーは一介の高校生、何故だか大和は小金を持っているようだけれども、百代と一子は川神院の娘であっても金は無い。川神院では小遣いというものがなく、自分でバイトしなければ一向に金が入ってくることは無いのだ。

 

「任せろ! 俺が商店街で旅行券を当ててくる!」

 

「それが一番いいかもね」

 

「行き先も決まるしそれでいいだろ」

 

「しかも金が殆どかからないからな」

 

 総一郎はキャップの発言に「おいおい」と突っ込もうとするも、ファミリーの反応がまるで何の疑問も抱いていない様子だったことに一人だけ困惑していた。

 

「あ、総一は知らないんだっけ」

 

「え、何が」

 

「キャップは激運の持ち主なんだよ」

 

 モロと京がそう言うが、総一郎は理解できていなかった。

 

「いやいや、確かにすごい運がいいようだけれども、まさかそんな簡単に福引が当たるわけ――え?」

 

 何かのドッキリか――と思うほど総一郎以外はその話に疑問を呈することは無かった。その後にキャップの激運武勇伝を聞かされて総一郎は半信半疑のまま納得するのだった。

 

 金曜集会はその後何の変哲もない時間を過ごして夜の八時頃解散となった。

 解散間際に総一郎の携帯電話が鳴った。

 その画面には「うぉーたー」と書かれていた。

 

「彼女か!」

 

「ちげえよ!」

 

 総一郎は普通に応答した。

 

「おう、どうした……ああ、わかった。そうだな――カガも連れて来いよ――ああ、気をつけてな。お休み――水脈」

 

 短く、言葉数も少ない電話だった。しかし信一郎と話すときのような違和感や燕と話すときの惚気はない。

 

「やっぱり彼女か!」

 

 ガクトの再三の問いかけに百代が拳を振り上げてガクトは竦む。

 

「誰だ、みおって?」

 

 変わって大和が総一郎に質問を投げかける、単純な好奇心だろう。

 

「ああ、妹だ」

 

「え、総一って妹居たの!?」

 

「言ってなかったか?」

 

 一同は首を振って考えた。きっと和風が似合う清楚な妹なのだろう――と。

 

「で、なんだって?」

 

「ああ――」

 

 携帯電話をポケットにしまって総一郎は言った。

 

「明日朝早くに父親とこっちに来るって、多分川神院への挨拶だろう」

 

 百代はそこで思った、きっと私と総一のことだ――総一郎はそのことに関心を覚えていた。

 「三撃」の塚原信一郎――その言葉を聞いて真っ先に闘気が出ていなかった。

 

 当の本人は気が付く様子もなく、その後すぐに戦闘衝動に駆られていた。

 




どうもです。

ペース落ちてますね、どうにか頑張ります。

皆さまのご感想で僕のモチベーションは上がります!どしどしまってるぜ!


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――私の弟子。――

ケンイチタグ入れときました。




 して。

 朝は九時、総一郎は川神駅ではなく島津寮の前で人を待っていた。

 待ち人は総一郎の父である塚原信一郎と妹である塚原水脈、そして「カガ」と呼ばれる

三人。祖父である純一郎は家預かりの為随行していない。

 川神駅にて待つことをしない、つまり信一郎は京都から川神まで車で来るということだ、

京都から川神までおよそ五時間。総一郎が島津寮前で待っているのはもうすぐここにくる

からだろう、時間を遡ればわかることだが、この時間に到着するためには四時前に出立し

なければならない。新幹線ならば三時間ほどであるのにも関わらず、塚原家一行は何故か

車を選択した。

 大和もそれに疑問を呈した。キャップは「それの方が楽しいだろ!」なんて言うけれど

も四時前に出立するならば起床は三時ほどになるだろうか。

 その答えは。

 

「俺の父親は車好き、そして塚原家にとって三時という時間は酷い苦ではないのだよ」

 

 さすが武士の家系――と、大和は言う。

 勿論、嘘だ。

 朝練というものは確かにあるけれども、朝の三時に起きて素振りをする者は塚原家に

いない。純一郎と信一郎が偶々起きるのが早かったからという理由でするくらいだろう。

 しかし総一郎はそうでもない。

 彼は朝早く起きて山に行くのだ、そして釣りをする、走る、泳ぐ、食べる。これらをす

るために彼は朝の三時に良く起床する、こちらでは一度も起きたことは無いが。

信一郎が車好きだということだけ事実である。それについてくる水脈もドライブを苦に

ない性格だ。総一郎も車ではないがバイクが好みだった、家系的な所で車好きなのかもしれない。

 すると総一郎の後ろからドアをスライドする音が聞こえ、続いて人の声が聞こえた。起床した寝起きの大和と京だった。

 

「……おはよう」

 

「どもども」

 

「お、わざわざ起きてくれたのか、昨日の夜は大変だったようだけど」

 

 大した言葉を交わすことなく京はその言葉だけに反応するように体を震わせた。

 

「そうなの、昨日は凄い乱れちゃった……だって大和があんなことやこんなことをしてくるんだもん」

 

 わざとらしい表情と仕草で総一郎は大和に視線を送った、焦りだした大和に追い打ちをかけるように源さんが外にやってくる、それと同時に総一郎が言った。

 

「え!? ついに京と大和は結ばれたのか!」

 

「そうだよ!」

 

 京はただ同意した。

 しかし効果は覿面だ、源さんは大和と京を交互に見てゆっくりと寮に戻りドアを閉めた。そこで固まっていた大和は事の重大さに気付いて、総一郎に抗議しながら大急ぎで源さんを追いかけるのだった。

 二人は悪い笑みを浮かべながら拳を合わせるのだった。まるで悪代官と癒着した商人のようである。

 

 十分ほどで大和は帰って来た。散々怒られはしたものの、総一郎に悪びれる様子は無く「俺は信念に従ったままだ!」と訳の分からない言い訳に大和もそれ以上いうことは無かった。

 

 夏にはまだ遠いが肌寒さはもうない、かといって照りかえる暑さもなく、三人は薄着で塚原家一行を雑談交じりに待つ。

 頻りに時計を見ている総一郎は言った。

 

「そろそろだな」

 

 その十秒後、九時半ちょうどに白いバンが島津寮に到着する。少しスピードを出していたのか停止するときに少しスリップしていた。

 そして後部座席のドアが開いた。

 

「うう、吐きそう……」

 

「最高にpunkだったぜ!」

 

 姿を見せたのは袴姿の優男そうな少年と所謂パンクロックで髪の色が四色の斑になっている少女だった。そして反対側から少し老けていて、髭が薄ら生えている男が姿を現した。

 

「やあ、総一郎」

 

「おう、親父」

 

 その親子の会話はそれだけ。

 大和はそれに気づかないで総一郎へ一つの質問を投げかけた。

 

「なあ、総一」

 

「どうした」

 

「ど……どっちが妹だ」

 

「左かな?」

 

 と、総一郎は左を指さした。その先には黒く、刺々しい少女がいる。

 大和は天を見上げていた。

 

「あ、兄ちゃん!」

 

「おう、相変わらずイカした格好だな」

 

「でしょ! 折角こっちに来るから新しいの買ってきちゃった!」

 

 言動と、兄に抱き付く行動こそ妹らしく可愛いと言えるが、服装はゲテモノと言わざる格好だった。大和曰く、顔は良い。

 

「ご無沙汰です」

 

 水脈の隣にいる少年は総一郎に声を掛けた。歳はそう変わらないが、総一郎に対して深く頭を下げた。総一郎も微笑んで軽く返事をするだけで、二人の間に何か関係があるように匂わせるやり取りだった。

 信一郎はそこで総一郎の隣にいる大和と京に気が付く。

 

「おや、お友達かね」

 

「ああ、同じ寮生でクラスメイトの直江大和、直江京だ」

 

「そうか、いつも総一郎がお世話になっているね」

 

 信一郎は頭を下げて一瞥した。

 

「いえいえ、こちらこそ、総一郎君のおかげで毎日が楽しいです。それとこいつは――」

 

「どうも、直江京です。実は大和の妻――」

 

「ちがーう!」

 

 慌てて大和は京の口を両手で塞ぐ。信一郎は「何事か」と思ったのか、総一郎に視線を向けるが、総一郎は笑うだけだった。

 大和は塞いでいた手を逃げるように離した、服で手を拭いているところを見る限りどうやら京はここぞとばかりに大和の手を舐め回したようだ。心なしか顔がうっとりしている。

 改めて京が本名を名乗ると、信一郎は興味を示した。椎名性を名乗るものがこの川神に居るのだから勘づいてもおかしくはない。

 話が盛り上がりそうになるが、総一郎は「ここで話しても仕方がない」と言って島津寮に三人を招き入れた。

 京と信一郎の話は他愛のないもので終わり、信一郎は寮母の島津麗子へ挨拶をしにいった。騒がしいのに気が付いたのか、キャップや源さん、母から聞きつけてきたガクトが居間へ来て寮生全員がいつの間にか集合していた。

 ともなれば始まるのは水脈と少年の自己紹介だった。

 

「初めまして塚原水脈でーす、水に頸動脈の脈って書いてみおでーす。好きなものはpunk! 嫌いなものは納豆です!」

 

 大和と京を除いた一同が唖然だった。特にガクトが。

 源さんは似ても似つかない二人を交互に見たり、キャップはストレートで「似てねーな」と、言ったり。

 ガクトはこの世にはこんな女がいるのか――と心で嘆いていた。

 話題が水脈だけに集中していることに気が付いた大和は一同を宥めてもう一人の少年に自己紹介を促した。

 

「初めまして皆さん、し……総一郎さんよりも一つ下で水脈さんと同級生の――足利直輝と申します」

 

 大和と京はその名前に少し反応する。単純に聞き覚えのある名前だったからだ。

 そして一同がその後の言葉に総一郎へ視線を集めることになる。

 

「――総一郎さんの一番弟子です」

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 総一郎の弟子――ということに大して驚くことは無かった。既に一子が弟子のようなものだったからだ。ただ、一番弟子ということが少し引っかかっただけだった。

 二人の自己紹介が終われば後はこちら側の自己紹介、大和と京も改めての自己紹介となった。質問も兼ねて雑談をしていると途中からモロが居間へ入ってきた、入って早々水脈の風貌に度肝を抜かれていたが、そこまで毛嫌いすることもなく、人見知り且つ女性免疫がないモロにしては良く話す方だった。

 一時間ほどして信一郎が居間へ来て皆に挨拶をした、程なくして塚原家一行、何故か源さんを除くファミリーも川神院へ移動することになった。

 元々信一郎の目的はこの度の闘い、そして川神院との交流が目的だったため川神院に移動するのは決まっていたことだった。

 いざ、その川神院の前へ来てみると水脈、そして直輝はその門の大きさに絶句していた。その姿に信一郎は笑い、二人の姿はまさしく上京したての田舎者だった。

 門を潜るとそこに待っていたのは鉄心だった。

 

「おう、遠いところわざわざすまんのう」

 

「いえいえ、娘たちも一度こちらへと思っていましたからいい機会でした」

 

「ほう、中々面白うじゃのう。格好もじゃが、気骨のある顔をしておる」

 

 こんな形の水脈でも鉄心は知っている、彼女も武家の一員である。伝説的な男を前にして緊張している様子だった。

 

「は、初めまして塚原水脈です! 水に頸動脈の脈でみおです! い、一応剣術もやってます!」

 

 そんな姿をみて鉄心は「ほっほっほ」と笑うだけだった。

 信一郎を客間に連れていこうとするその時に鉄心は直輝の存在に気が付く。

 

「……こやつは?」

 

「俺の一番弟子です」

 

「……ほう」

 

 即答する総一郎の返答に鉄心は興味をそそられた。鉄心は直輝をただ見つめ、直輝の一挙一動を見定めていた。

 対する直輝は額から流れる脂汗が止まらなかった、武の世界で生きている直輝にとって鉄心はもはや伝説ではない――神だ。水脈のようにただ緊張するだけでは済まなかったのだ。

 そして総一郎の言葉に直輝は驚愕を隠せなかった。

 

「親父、鉄っさん、お願いがある。百代とカガを戦わせたい」

 

 

 

 

 

 足利直輝――塚原総一郎の一番弟子。一番初めの弟子ということではなく、一番優秀な弟子ということだ。総一郎の弟子は大して多くは無い、だがそれでも直輝ほどの歳で一番弟子を名乗るということは相当な実力、または才能を秘めているという裏付けでもあった。

 ともあれ、あの足利というものが総一郎の弟子であるというのはそれだけでも面白かった。

 足利と言えば室町幕府だろう、有名どころで言えば足利義満や足利義政――そして足利義輝、室町幕府第十三代征夷大将軍、塚原卜伝の直弟子で奥義である「一の太刀」を伝授されている剣豪。大和と京が先程反応したのはそれだった。

 

 そして今その足利直輝が道場で――武神と対峙している。

 

「突然来て突然呼ばれたと思えばこいつは誰だ?」

 

 説明も無しに呼ばれたことに対して百代は機嫌が悪かった。

 

「うわぁ、姉さん機嫌悪いよ」

 

「ねえ、総一、大丈夫なの?」

 

 大和とモロは顔を青ざめて総一郎へ問いかけてくる、総一郎は言うのだ「知らん」と。

 百代の問いには直輝が答える。緊張と目の前にいる猛獣に怯えているのか、心なしか声が震えているようにも聞こえる。

 

「あ、足利直輝です。し、師匠に武神さんと戦いなさい――い、言われました!」

 

 戦い――と辺りで百代の闘気は膨れ上がった。

 

「師匠ってのはもしかしてお前か?」

 

 視線を向けられた総一郎は指を鳴らして言った。

 

「YES!」

 

 そこで百代は闘気を爆発させいつものように獰猛な笑みを浮かべるのだった。

 直輝は意識を持って経つのが精一杯と言わんばかりに腰にある刀に手をかけて震えていた。その様子はまるで猫に怯えるハムスターだった。

 総一郎が二人の間に入る。

 

「これは稽古だ、使う得物も川神特製の模造刀。致命傷となる一撃や気絶、続行不可能とみなした場合は止める――大丈夫だカガ、万が一は起らない――それでは……はじめ!」

 

 両者が睨む――ということは無く、百代は例の如く突進した。

 直輝は腰の刀を握り目を瞑っていた。抜刀はしていない。

 二人の間合いが近づく、刀を使う直輝の方が間合いは長い、つまり有利だ。抜刀していないということは剣術をかじっている者から見れば分かるが――抜刀術ということになる。一瞬で刀を抜き、相手を一閃で斬る。やっていることは総一郎と同じでも、速さと鋭さで言えば最強ともいえる技だった。

 突進してくる百代にとってそれは最悪、初めて総一郎とやった時と同じ状況と言えただろう。

 しかし結果は異なる――いや、経過すら違うと言えるだろう。

 間合いが衝突した瞬間、直輝の一閃は百代を捉えることができなかった。最速の鋭さがあっても当たらなければ意味が無い。

 剣先はあと一ミリ百代の剣先をかすめることが出来なかった。

 衝突する間合いと間合い、総一郎ならば気づくことができたかも知れないが、実際にその間合いは衝突していなかった。気が見えれば分かることだが、百代の姿は一ミリずれて見える、気当たりによる残像――それは質量を持つと錯覚してもおかしくない芸当だった。

 直輝の間合い衝突したのは一ミリだけ先走る百代の残像だった。

 

 一閃を外してしまえば終わる――そんなことはない、外してしまうことも考えれば直輝はそれほど驚くこともなかった。

 決めにくる百代を迎え撃つために直輝はもう一閃を放つ、先ほどは左腰から右手で抜刀したが今回もまた左腰からだった。右手は使えない、ならば左手で左腰にある小太刀を逆手で持つほかない。まるでその持ち方は忍者であったが、百代の一撃をどうにか防ぐには十分と言える。小太刀されども小太刀、剣術家が使う刀はどの様であっても鋭さは変わらない。

 一閃避け、一閃で弾かれた百代は考えることはしなかった。いや、初めから決めていたのだろう。

 勢いが止まらないのであればその攻撃は一撃必殺の鈍器とも言えた。

 

 ――頭突き――

 

 突然の衝撃に耐えられることなく直輝は意識を手放した。

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 終わって見れば百代の圧勝。

 一瞬の出来事でしかないため、傍から見れば直輝が一撃でやられたとも言えるだろう。ある程度目が良い京ですらほとんど見えていない。

 

 直輝は直ぐに部屋へ運ばれて手当てを受けた。夜には目を覚ますと聞いたファミリー一同と水脈は肩の力を抜いて安堵していた。

 信一郎は鉄心と百代の礼をいってまた直輝のところへ戻っていく、その顔は笑顔ではないが満足に近いと言える顔だった。

 

 だが、一番満足したのは総一郎と鉄心だろう。

 自分の弟子が武神に対してやり取りができただけでかなり収穫があった、そう思うのは至極当然。百代にここまで付いてこれる少年がいることに喜びを感じるのも至極当然。

 しかし、鉄心と総一郎が顔を合わせて驚いているのはそれとは違う理由だった。

 先程の戦いを見て挙げるならば、それは直輝の善戦、そして――百代の戦い方だろう。ゴリ押しには変わりない、しかし猪ではない。戦い方を覚えた虎だ。

 特出すべきなのは経過だ、二人はそう考える。

 何が違うのか?

 

「やはり、名称は要らないですね」

 

「口に出すのは良くない――と言うべきじゃろう?」

 

 百代は傲慢知己に技の名前をいうことしなかった。

 




どうもです。

投稿遅れてすみません。
構想を練る――という建前でサボってました。

中々、原作へ突入しませんがそれはご容赦ください。一年生編はまだかかります。
原作に行くと総一郎以外のキャラが沢山出てくるので、今のうちにと。

ファミリーとか結構書くの大変だもん。


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――私の怒り。――

愛、したら?の方を書こうと思って途中から一振りを書いたので遅くなりました。


「怪我はどうだ」

 

「あ、師匠」

 

 百代と直輝の勝負から数時間、夜も更けだした島津寮、その一階にある居間で直輝はテレビを見ながら体を休めていた。先程まで寝ていたとしても武神との傷跡はかなり大きかった。脳震盪と両腕の打ち身。

 風呂上がりに牛乳でも飲もうかと考えていた総一郎は居間にいた直輝に声を掛けたのだった。

 

「両腕は痛いですけど、頭の方は大丈夫みたいです。真っすぐ歩けます」

 

「そりゃなによりだ」

 

 夕食は既に済んでおり午後十時を過ぎる頃、通常ならいつも就寝に入っている直輝は、京都ではやらないテレビにご執心だった。流石にもう一度寝るには二、三時間が必要だった。

 悪いことはない。だが、反省会を開かない訳にはいかない、総一郎はそう考えて牛乳の代わりにお茶をいれることにした。

 

「武神はどうだった?」

 

 お茶を手渡されて直輝は気付いたように総一郎へ体を向けた。そう言われてしまえば二人の関係は正しく師弟だ、邪険にすれば普段は温厚な総一郎でも怒ることに躊躇は無い。

 

「……聞いていたのとは違いました」

 

 口籠ったように言い、反省と悔しさを表すかのように床に正座している膝上で拳を握りしめた。

 

「なんだ、悔しいのか?」

 

「いえ、違います。恥ずかしいのです」

 

「ほう」

 

「武神に勝てないことは承知の上でした。万に一つ、それが僕が武神に勝てる勝率だったと思います。そう、勝つ見込みがあるのは一万戦の初め――、一戦目だと思い、対策を立てました」

 

 椅子に座る総一郎の湯呑みは既に空で、直輝の湯呑みは一口も口を付けられていない、湯呑みからは湯気も消え失せていた。

 

「武神は虎だが、慢心して猪の面を被っている――そう考えた自分が浅はかでした、恥ずかしいです」

 

 そこで総一郎が鼻で笑う。直輝はどうしたのだろう?――と思いながら俯いていた顔を少し上げた。

 いやらしい笑みを浮かべた総一郎が自分を見下ろしていた。

 

「師匠?」

 

「フッ……お前は真面目だなあ、そんでもって自信家だ」

 

「……どういうことでしょうか?」

 

 総一郎は湯呑みを持って立ち上がり洗い流して居間を去る。その際で一つだけ直輝に助言をした。

 

「お前の考えは間違ってない、正しい、ただ勘違いをしただけだ。一万戦の一戦目じゃあなくて、一兆戦の一戦目だろ。……お前は自信家だなあ」

 

♦  ♦  ♦

 

 

 更にその日の夜だった。

 

「総一郎、いいかな?」

 

 自室にいた総一郎がその声を聞いたのは午後十二時に差し掛かる頃だった。

 

「ああ」

 

 興味がない振りをして素っ気なく返事をする。部屋に入ってきたのは信一郎だった。

 

「遅くにすまないね、話しておくことがあった」

 

 言ってしまえば信一郎と純一郎は総一郎にとって嫌な相手だった。この二人がいなければ自分は人を斬ることが無かったはずだからだ。

 肉親であるから憎いとは思わない、そう思っていた。母は好きだ、父は好きじゃない。

 

「あ、ご当主」

 

 信一郎の後ろから直輝が現れた。直輝は今日総一郎の部屋で寝ることが決まっている。

 

「ああ、直輝、こんばんは。すまないね、少し外してもらえるかな?」

 

「え……は、はい」

 

 来たばかりの直輝はそのまま踵を返して部屋の前から出ていった。

 

「なんだ、要件は」

 

 この言い草から察することは容易だろう。信一郎は自分が総一郎から嫌われていることを理解している、恐らくその理由も分かっているだろう。

 いや、そうでなくては困る。

 

「お詫びを言いに来たのに逆に感謝されてしまったよ。やはり川神は良い、陰険な京都とは違う」

 

 意図したことではなかった。それでも反応してしまう総一郎がそこにいた、自分が川神にきた時と同じことを言われてしまえば何か思ってしまう。それも相手は良い感情を抱いていない父親であれば尚更だった。

 

「さて」

 

 前置きが終わりその後要件を伝えられる――と思っていたが、信一郎は一向に話を進めなかった。信一郎へ視線を向けていなかった総一郎は勿論それを不自然に、不思議に思い、首を振って視線を向けてみる。

 そこには刀を腰の左に置いて正座している信一郎がいるではないか。

 

 二人の視線は交差して二人の思考は交わらない。信一郎は何を言うか決めてきている、対して総一郎は何故信一郎が刀を持参してここへ来たのか、何故こちらを見て沈黙しているのか――何故、顔が強張りながら少し笑みを浮かべているように見えるのか。

 

 思考が交わり、総一郎が激高したのは信一郎が口を開く刹那前だった。

 

「お小遣いをあげよう」

 

 椅子に座っていた総一郎は静かに立ち上がって机の右で杜撰に置かれている刀を手にした。

 信一郎の表情がはっきりしているのと対象に、総一郎の表情はくせ毛のある髪の毛で隠れて読み取れなかった。

 

 

 

 

 直輝は一通りの考えが済んで総一郎の部屋へ向かった。するとそこには陰険な雰囲気を出す親子が一組、総一郎と信一郎の仲が悪いことは新当流の間では周知の事実だった。

 

「あ、ご当主」

 

「ああ、直輝、こんばんは。すまないね、少し外してもらえるかな?」

 

 自分に向けられるその笑みはなんら不自然はない、まるで父親。信一郎と仲の悪い総一郎を理解できなかった。

 しかし理解できなくともそこに何かがあること、それは感覚的に理解している。仮にも直輝は総一郎の一番弟子なのだ。

 総一郎を待つためにまた居間へ向かおうとした時、直輝をみた大和は思わず声を掛けた。

 

「足利君」

 

「あ、直江さん」

 

「大和でいいよ……どうした? 浮かない顔してるけど」

 

「え、えーと……今、師匠の部屋に行こうとしたらご当主――信一郎さんと師匠が二人で話していたので、それが少し気になって……」

 

 ああ――という顔で大和は難しい顔をした。大和もあの親子の不仲を目にしている。

 

「とりあえず俺の部屋で話そう、総一郎について聞きたいこともあるし」

 

 年上であることに少し抵抗感があったのか直輝は一瞬言葉に詰まる。部屋から京も出てきて「いいよ」と言えば直輝が断る理由もない、恐らく親子の会話は少し長くなるはずだ、あの二人は塚原家当主と新当流総代だから。

 直輝はお邪魔します――と言いかけて、異変に気が付いた。

 

 

 

 ――川神院。

 

 今日の手合わせを振り返って百代は初めて変化に気が付いた。

 直輝との対戦後、鉄心に呼ばれて言われたが、その前に感じていた。戦いに対する姿勢というものだろうか。

 相手が総一郎と同系で、しかし少しだけ違う。強さの違いではなく、動きに差異が見えた。

 今までならば相手が出てきた瞬間に闘気丸出しで何も考えることなく開始の合図と同時に飛び出していた、だがどうだろうか? 戦いを前にして相手の動きに差異があることを感じ取れた。あの鉄心でさえ今回ばかりは百代を少しだけ誉めていた。

 百代も、そして月明かりの下で空を眺めている鉄心も、彼に感謝することを止められなかった。

 

 そして感じ取った、感謝を述べたい人物が今怒りに塗れている――

 

「じじい!――」

 

「分かっておる!」

 

 川神に静かな激怒が撒かれた。

 

 

 

 

 直輝は焦った。

 目と鼻の先で鋭い怒りが撒かれたのだ、とてもじゃないが止めることは出来ないだろう表すなら圧縮された静の気。一般的に出す怒気は己の中にある動の気があふれ出ている

ことを指す。しかし、それから出る怒気は圧倒されるような爆発を生むことは無く、体に

鋭い痛みが――まるでナイフで刺されるような気が体に突き刺さってた。

 知っている、これは恐らく、総一郎の気だ。

 静の気に慣れ過ぎた者の気。恐らく総一郎しかいない、直輝の中では殆ど確定していた。

 と、なれば。

 どこで、何が、何故こうなったのか。それは考えれば分かることだった。

 

 急に走り出した直輝を大和と京は追う、大和でも感じることのできるこの気に向かって

走っていることは二人にとって一目瞭然だった。

 

「師匠!」

 

 大和が見た光景は刀を持ち、鋭く睨みつけながら父を見下ろしている子、息子から怒気を浴びせられながらも左に置いてある刀に触れていない父が正座で子を見上げていた。

 

「師――」

 

「黙っていろ、直輝。お前が口を出すことではない」

 

 総一郎から発言を止められて直輝はその場にひれ伏した。大和と京からしたら異様な光景だった、だが二人も言葉を発することができなかった。

 

「こらこら、余り不条理な威圧をしてはいけないよ、総一郎」

 

「黙れ」

 

 軽口を叩く信一郎に苛ついたのか総一郎は怒気を強めて行った、恐らくこの気は川神に留まることはない。日本に居る武人ならばこの気を感じることは容易だろう。

 北陸の剣聖や京都の納豆小町、西の天神館に川神の元高弟や修羅に堕ちた元天才――

 一時的に総一郎はこの国の中心となった。

 

「人が集まってしまった、取りあえず私はホテルへ戻る――」

 

「ふざけるな、次は一体だれをやらせるつもりだ!」

 

 総一郎が人斬りである事実を知るのは信一郎しかこの場にいない。重要秘匿であるため一番弟子とはいえ直輝は知らない、百代が言っていないため大和も京も知らない。

 総一郎が言っていることを理解できている人物はいなかった。

 

「……ふう……今回は上泉藤千代ちゃんだ、相手も了承して――」

 

「ふざけるな!」

 

 一番大きな怒声だった。癖っ毛に隠れていない表情は赤く膨れ上がり、額には血管が浮き出ている。

 大和はその人物を知らない。だが、直輝は心当たりがあった。

 上泉藤千代――上泉信綱の子孫で新陰流正統後継者。女性で初めて新陰流を継ぐ新気鋭。そして総一郎の二人いる師の片割れだった。二十代後半で壁を超えていて総一郎の姉的存在だった。

 やる――上泉藤千代――

 直輝は事を理解し始めた。それは剣術に身を委ねている自分だから理解できた、後ろに居る大和や京はまだ気づかないだろう。

 

「――まさか拒否するのか?」

 

 信一郎は驚いたように、疑うように尋ねた。

 

「……ああ……ああ! 断固拒否する!」

 

 一度考え、ぶつけるように言葉を吐く。意を決した――そういう類だろう。

 

「……そうか、では直輝にやらせよう」

 

「――!」

 

 直輝だったか、或いは総一郎だったか。怒号を発しようとしたその時、部屋の前に居た大和を掻き分けて一人の老人がやってきた。大和は声を出そうかと思ったが足が竦んでしまった、緊張状態で立たされていたところに老人が大和の方に手を置いたせいか糸が解れたように足に力が入らなくなって倒れそうになる。それを後ろで支えたのは京――ではなく、百代だった。京も同様、百代に寄り掛かっている。小声で百代は「安心しろ」と言い、大和は安心したのか気を失ってしまった。

 

「いかんなあ信一郎殿、直江が気を失ってしまった」

 

「これは鉄心殿、お見苦しいところを」

 

「見苦しい、のう……それはお主のことを言っておるのか? それとも総一郎のことか?」

 

「それは……」

 

 鉄心は部屋の中央に行くと二人の間に入り、仲裁するように総一郎の気を静めさせ信一郎には心を改めさせる。

 

「塚原には塚原の事情がある――だが、今回は見過ごせぬのう?」

 

 閉じているようにも見える鉄心の目は見開いて信一郎を捉えていた。合わせないように信一郎は慌てて逸らし、間が空いて口を開く。

 

「分かっているならば口を出さなくても良いですよ、塚原には――」

 

「喚くな小童が、儂に口答えするなど百万年早いわ!」

 

 想像だにしなかった怒声が響く。その鉄心の姿に百代も背筋が伸びるほどだった。ここまで鉄心が激怒することは今までなかった。

 

「どのような理由があろうとも、その気もない子供に刀を持たせて人を斬らせるとは……何があったのだ、信一郎?」

 

 軽口を叩くこともなく、先程とはうって変わりその表情は強張ったまま。この場にいる者で全てを理解している者は総一郎と信一郎のみ、場は明らかに混乱していた。

 

 口を開いたのは総一郎だった。

 

「呪いさ」

 

 直輝と百代、京は怪訝に首を傾げ、鉄心は顔を顰めた。

 ただ、信一郎は自分の息子を見て驚きを隠せず、ポーカーフェイスは完全に崩れていた。当の本人である総一郎は視線をただ真っすぐ伸ばし、その先に居る百代がそれを受ける形だった。

 

「親父、退け」

 

「……帰れということかな?」

 

「違う」

 

 一言返答して総一郎は信一郎に向き合った。

 

「塚原家当主を退け」

 

「――!」

 

 目に怒りが灯っている。そして同時に「私は知っている」という考えが信一郎の中に入ってきた。

 

「……お前はまだ――」

 

「――そうしなきゃ俺は何時までも森に囚われているままだ……俺が解いてやるよ――」

 

 声が聞こえた、少女の声が。

 

「俺が解いてやる、塚原流の呪いを」

 

 少女の声が聞こえて、次に自分は刀を持っていた。

 

「爺さんや親父や師匠、そして俺を苦しめてる呪いを斬ってやる」

 

 少女の手には一つの藁があった。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 あの後信一郎は直輝と水脈を残して京都へ帰った。曰く「準備がある」とのこと、準備とは総一郎が宣言した当主襲名のことだ。

 後は大和の手当て、強烈な気に当てられて気を失っただけではあるが、万が一心に傷が残れば一大事、鉄心が大和に手当てを施した。鉄心の去り際に総一郎が深く頭を下げるのだった。

 今思えばあの時、寮に殆ど人がいなかったのが幸いした。源さんは仕事で水脈は川神院、キャップは何故かいなかった。一時の出来事ではあったが総一郎があそこまで取り乱すとは誰も考え付かなかった。

 大和が起きて居間に総一郎、百代、京が集まる。総一郎は皆に――特に大和へ深く頭を下げて取り乱した行為を恥じていた。しかし、それを引きずるファミリーではない。

 

「本当に大丈夫だって」

 

「いや、こちらの自己満足だと思ってくれ。この塚原総一郎、一生の恥だ」

 

「誰だって怒ることはあると思うけど」

 

「そうだ京の言う通りだ。前にも言ったが何があってもお前は風間ファミリーだぞ、総一」

 

 深く頭を下げる総一郎の目頭に熱い物がこみ上げてくる。

 

「私はあんみつでいいぞ」

 

「俺はヤドカリの餌一年分でいい」

 

「私は大和でいいよ」

 

「良し、大和をやる」

 そこで京が大和を襲えばいつも通り、居間には笑いが広がり、総一郎の心にも少し余裕ができてくる。

 意を決して総一郎は言った。

 

「俺は人斬りだ」

 

 突然の告白に三人は反応に困った。百代は既に知っている、京も先程ちらっとでた話を思いだした。大和はそれを聞いて困惑するしかない。

 それぞれの心境は違う。が、総一郎の告白を邪険にするものは居なかった。

 

「百代には話したが――俺は十歳の時に人を斬った。無理やり斬らされた、斬らねば斬られていた。今回の騒動もそれに関することだ」

 

 沈黙。いや、思考ともいえる。

 百代が答えることはない、京は答えるほどのものを持ち合わせていない。ならば後は大和だけだった。

 

「……上泉って人は知り合いなのか?」

 

「ああ、俺の師匠だ。今年二十九になる女性で上泉信綱の子孫だ」

 

「!――そうか」

 

 驚いて納得――したかどうかは総一郎からは判断できなかった。大和という人物を理解していればそう考える。彼は仲間を大事にするために考える人間なのだ。

 

「改めて金曜集会でも言うつもりだ。だが、先に大和と京には言っておこうと思ってな。今回迷惑をかけた、そして―――皆に何て言えばいいのかが分からない」

 

 三人は話を区切ることをしない。大和は聞きに入っている。

 

「正直この話をするのは百代を含めて三人目だ。百代の時は戦いの最中だったし、最初の一人は唯一の仲間だった。そして今回は話さなければならない――だが……」

 

「……ふっ」

 

 萎らしくなって話す総一郎に対して笑い声が響く。顔を上げてみれば大和が笑い声を潰していた。その隣の京と百代も口を押えているではないか。

 こっちは真剣だ――と総一郎は声を上げそうになった。

 

「ご、ごめんごめん。総一の珍しい姿が見れて――ふふふ」

 

「確かに、いつもは能天気な総一がこうなるのは初めて」

 

「ふふーん、また一つ総一の弱みを発見だなー」

 

 いつもは自分のすることだった。

 真剣な話を笑って相手の気を緩め、そして話す。他の奴にやられれば腹が立つ――そう思っていたが、思ったよりも心地が良かった。話を聞いてくれる人に飢えていたのだろうか? 総一郎もしかめっ面ではなく、苦笑交じりに目を麗せていた。

 

「ま、そこは俺に任せてくれ。総一は普通に話して、後は俺と京、姉さんがフォローする。確かに人を殺したことになんとも思わないわけじゃない。だけどだ、自分の師匠を殺すことにあそこまで怒った総一を俺は信じる」

 

「私もだ」

 

「同じく」

 

 大和は力強く言うのだった。

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 深夜二時、直輝は大和の部屋で寝ることになった。総一郎が一人になりたいと言ったためだ。明日は日曜日、多少遅く寝たとしてもあまり問題はない。百代も朝練はなくなっているため「問題ない!」と言っていた。

 

 総一郎が一人になりたい理由は一つだけだ。

 

「もしもし」

 

『……もしもし』

 

 いつも聞こえてくる元気な声は無い、深夜だからというわけでもない。

 

「心配かけた、つーちゃん」

 

『……新幹線があったら会いに行ってた』

 

 総一郎の鋭い静の怒気は燕の居る京都まで見事に届いていた。燕の声は少しだけ震えている、泣いているわけではない。本当に心配だった、ただそれだけ。

 

『何があったの?』

 

「親父と喧嘩した」

 

『なんで?』

 

 松永燕という女は気を使う。表面上は軽くとも相手に思いやってしまう、だから燕は総一郎へ詰め寄るように聞くことはしなかった。

 しかし、今回はそうもいかない。総一郎の事情を知っていたとしても聞かずにはいられなかった。

 

「……斬れ――と」

 

『……』

 

 電話の向こうで息を吐く音が聞こえた。その音は途切れ途切れに聞こえ、総一郎はノイズが走ったと思うようにした。

 

『……誰を?』

 

「藤千代さんだ」

 

『なっ!――』

 

 思わず声を上げても燕は直ぐにそれをしまった。なんだろうか、意地だろうか。

 

 泣かない。

 驚かない

 聞く。

 

 それらを意地でも守ろうとした。総一郎もそれに何かいうわけでもない。

 

「俺は呪いを断ち切るぞ燕」

 

『……総ちゃん、決めたの?』

 

「ああ、俺は雲林院師匠の思いを受け継ぐ」

 

 きっと二人だけが共有する秘密なのだろう。それは信頼と愛、肩を並べて歩く覚悟あるからこその秘密だった。

 

『憑いていくよ』

 

「憑いてくるか?」

 

『うん、どこまでも憑いていきます。誓ったもの』

 

 恐らく二人は同時に笑みを浮かべた。この先に何があるか分からない、呪いとは何なのか――それすらわからない。だけども、二人は同じ道を歩く決意をした。いや、既にし終えている。

 二人は同時に思い浮かべた、一人の剣術家であり武術家の男に誓ったあの日を――

 




どうもです。

投稿遅れました。

とりあえず愛、したら?の方がぼちぼちで一振りの方を主にやってきます。後は恋姫も一個やりたいなあ、と思う今日この頃。


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過去編
――私の意義。――


総一郎の過去編になります。

一万字あります、本編ではないのにwww




 今から三年前の話、総一郎が新当流総代になった経緯を語る。

 

 十三歳の総一郎は荒れていた。行いではなく精神が、だ。

 事の発端は十歳の時に人を斬らされたことだった。

 

 夜――川岸に純一郎、信一郎と共に着くと一人の剣士が笠を被って立っていた、腰には真剣が差されている。異様な雰囲気はここへ来る前に察知していた総一郎だったが、特に断る理由もなく父親について来た。

 この時は鍛錬が嫌いでも剣術は嫌いではなかった、純一郎や信一郎に言いつけられれば鍛錬を欠かさなかったのだ。

 川岸に立っていた剣士は純一郎と言葉を交わして深く頭を下げている、笠で表情は見えないがどこか気が起っていた。その時、信一郎が総一郎の目の前に現れて一つの言葉と共に一つの刀――真剣を手渡した。真剣の重みに驚いて信一郎の言葉が余り耳に入ってこなかった、恐らくこの刀の銘でも言われた――と勝手に思っていた。

 純一郎が引き、信一郎も総一郎から離れる。川岸辺りは二人以外の気配がなく、異様な静けさに塗れて総一郎は目を閉じて周りを察知し始めた。

 目を閉じて感覚に頼っていたのが幸いし、気が付けば刀を抜いていた。しかしなぜ抜いたのか理解していない。気付いた時には刃と刃の共鳴する音が静粛を断ち切っていた。

 相手が斬りかかってきた――漸く気が付いた時には二撃目が自分を襲っていた。

 父はどこだ――祖父はどこだ――

 迫りくる斬撃を躱しながら視界に入るものを選別して助けを求めようとした。居た――そこに見えたのは信一郎だった。しかし、助けに来る様子はない。純一郎も見当たらない。

 失念しすぎた総一郎は相手の斬撃を完全に躱しきれなかった。動脈より下の部分に浅い切れ目ができてそこから血が少量流れだした。痛みが――鋭い痛みが襲い掛かってくる、紙で指を切った時とは比べものにならない痛みが走り、全身に痛みがあるように錯覚して少し過呼吸になる。傷を抑えて袖が赤く染まる、大した出血量ではないはずだというのに死を予感する恐怖を感じた。

 そんなことを考えている間でも相手は何度も斬りかかってきた。

 そんな時初めて気が付いた、喰らった傷のすぐ上には動脈があることに。よく観察してみれば相手の斬撃は動脈や心臓、手首など人体の急所ばかり狙っている。

 ああ――この男は俺を殺そうとしているのか。

 男の笠が取れ、そこには死に物狂いで総一郎を殺そうとしている鬼のような形相が見えた。浅い傷を抉るように錯覚させる鋭い痛みが体に突き抜けていく、剣士の気だった。

 何故誰も助けてくれないのか、自分はこの男に何の理由もなく殺されかかっている、何故父はそこで傍観しているのか、祖父はどこに居るのか、自分は一体どうすればいいのだ。

 

 剣士の刀を総一郎は受け止めて思った。そして間髪入れずに行動へ移す。何故か体はどうすればいいのか理解していた。

 

 気が付いた時には剣士は自分の足元で倒れ、お気に入りの草履と袴の先は赤く染まり、川が少しだけ濁っていた。

 

 

 それから三年、十三歳の総一郎は荒れていた。荒れている理由を周りは知らない、その理由は塚原にとっても新当流にとっても重要秘匿だった。

 荒れて鍛錬をサボる総一郎はそれでも慕われてた。塚原卜伝の再来という肩書がそうしていたのだろう、その時はそれすら父親の策略で、自分が剣術から離れないようにするための留め具だと思っていた。

 留め具と思っていたのはそれだけではない。

 当時の新当流総代だった師匠、雲林院村雨。そして姉弟子の松永燕だった。一時は燕と仲が良かった総一郎も人斬りが切欠で周りとの関係を断ち切り、燕もそれに巻き込まれていた。

 村雨は人斬りなった総一郎を見かねて自身の高弟とし、前々から稽古をつけていた燕も内弟子にしたのだった。

 総一郎を弟子にしてみればそれは悲惨だった。鍛錬を軽々とサボり山に籠っている、久しぶりに鍛錬をするかと思えば稽古相手の燕に容赦ない一撃を喰らわせて全治一ヶ月の骨折を負わせてしまう。村雨も頭を抱えていた。

 自分には無理かもしれないと思う村雨を立ち直らせたのは燕の言葉だった。

 

「分からないけど、総一郎君はあんな子じゃないと思う。もっと笑顔がドキッとする男の子だよ」

 

 理不尽な暴力で傷つけられた女の子が言う言葉ではなかった。痛々しい腕が頻りに視界に入り心が痛む。

 村雨は勿論、総一郎が人斬りであることを知っている、そして燕はそれを知らない。ならば自分がどうにかするしかないではないか。

 

「私は伊達に雲林院を名乗ってはいない。先祖の借り、今返そうぞ」

 

 そう決意したのは総一郎の師匠になってから半年がたった頃だった。

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 すべてが空しい、そして苦しい。

 いつものように総一郎は森で一日を過ごしていた。熊の腹を枕にし、栗鼠を腹に乗せ、横で寝ている鹿の頭を撫でながら空を眺めていた。

 お節介焼の村雨と何度傷つけられようとも刃向かってくる燕に少しずつ心を動かされていくが、それでも胸の靄は取れない。それを分かっているのか総一郎に集う動物は格段に増えていた。

 総一郎、十三歳の夏だった。

 

 

「うっす」

 

 夜、家に戻ると顔も合わせたくない父と祖父がいないときを見計らって、母の作った作り置きの夕飯を食べる。一日山に居たとしても、一日何も食べなければ腹は減った。

 薄暗い食卓で夕飯を食べていると総一郎の妹、水脈がその姿を覗いていた。それに気づけば総一郎は微笑みを見せた。憎いのは父と祖父だけ、何も知らない母と妹にそのような感情は抱いていなかった。それでも初めは微笑み返すことも出来なかった、これは村雨と燕の努力だろう。

 次の日に総一郎は久しぶりの鍛錬を行うことにした。相手は村雨――だったが、急遽燕に変更された。

 不満だった。燕は強い、総一郎も認めていた――だが、一瞬で切り殺せてしまう。才能に努力がまだ追いついていない、彼女にはそういう評価を下していた。

 いざ、手合わせ。だが、いつになっても村雨は道場にやってこなかった。心配した燕と待ちくたびれた総一郎は離れにある村雨の部屋に行く。村雨は結婚しているが、町に住む奥さん、子供と離れてこの塚原家敷地で暮らしていた。

 

「ししょー、稽古したいいんですけど」

 

 襖の前で声を掛けても反応は無かった。

 

「師匠居ないのか? 鍛錬に出ろっていつも言ってる師匠がこの様かよ」

 

 わざと蔑むように言っても反応は無かった。燕は「すれ違ったかもね」と言って道場へ踵を返すが、総一郎はその場で立ったままだった。

 悟ったかのように総一郎は勢いよく襖を開けた。

 そこには煎餅布団から這い出るように倒れている村雨の姿があった。

 

 

 

 

 二日後――新当流が懇意にしている市内の病院にて総一郎と燕は村雨の妻、静が主治医との話を終えるのを廊下にあるソファで待っていた。村雨は昨日の朝方に目を覚まして精密検査を受け、検査結果は本人が知る前に静に伝えられていた。

 総一郎はソファに座らず壁に小一時間寄り掛かっている。視線を右に移せば村雨の娘に絵本を読み聞かせている燕の姿が目に映る。二人がこの場にいるのは正式な内弟子と高弟だったからだ、総一郎は塚原家嫡男であることも関係している。当の塚原家当主は昨日村雨と小一時間話して帰ってから見舞いに来ない、総代であった村雨の代わりで忙しい――もしくは、ということだろう。

 二日前に倒れた村雨を見つけた時は大騒ぎだった。混乱を収めるために塚原家総出で事態に対処していた。新当流総代とはそれほどに大きい存在――それを総一郎と燕は初めて実感していた。

 そして村雨が一命をとり止めたのは総一郎の的確な処置と燕の迅速な通報だったこともあり、一躍時の人となっていた。

 思考に更けていると近く扉がスライドして開く。

 

「ママ!」

 

 燕の膝の上から飛び出して扉から出てきた静に抱き付いた。一時間程ではあったが、母親の意気消沈と父親が病院のベットで寝ていることを幼いながらも感じ取ったのか、寂しいというよりも怖いという気持ちが大きく、五歳になる圭が燕を忘れたかのように静に抱き付く様子はそれを体現していた。

 

「圭いい子にしてた?」

 

「うん!」

 

「燕ちゃんありがとうね」

 

「いえいえ、こういう時は助け合いです」

 

 良く見ると静の目は少し赤みかかって腫れているのが分かる、圭は気が付かなかったが二人にはそれが分かった。

 悲し気な表情で静は圭の頭をできるだけ優しく撫でていた。

 

「圭ちゃん、お母さんはもう少しだけお話があるから、またお姉ちゃんと絵本読もうね」

 

 少し顔が膨れていたが、静と燕の両方に窘められて圭はまた燕の膝上に乗っかる。燕は圭に見えないよう総一郎へ視線を送った。

 

「静さん」

 

 総一郎は誘導して一番奥にあるソファで二人は座った。静は渡されたペットボトルのお茶を両手で強く握りしめ、顔は俯いていた。少し間を置いてから話を切り出そうとした総一郎だったが、それよりも前に肩の力が抜けた静が切り出した。

 

「原因不明だそうです」

 

 不謹慎だが一層のこと癌とでも言ってくれれば分かりやすい。初期の癌ならば助かるケースが多い、心筋梗塞や脳梗塞も程度によっては普通の生活を送ることだってできる。

 しかし、原因は不明。

 静は淡々と言葉を並べた。

 少し辛いことを言うが総一郎は聞くしかなかった。

 

「どれくらいですか」

 

 ソファが軋む程、静は体を震わせた。悍ましい言葉だったのだろう、その反応で総一郎は理解――確信した。

 

「村雨師匠に会えますか」

 

 静は俯いた顔をさらに沈ませて小さく頷いた。

 

 

 

 

「やあ」

 

 総一郎が来たことに気付いた第一声がこれだった。

 軽い口を叩いているが、昨日会った時とは大違いと言えるほどに頬の筋肉が落ちていた。指先や腕も老人のように細くなっている。

 村雨はまだ三十三歳だった。

 

「うちの爺さんよりも皺くちゃですね」

 

「はは、すまない。笑ってくれていいよ」

 

 村雨は笑っているが総一郎は皮肉を飛ばすのが精一杯、とてもじゃないが笑えなかった。人に死を与え、息絶える所は何度も見たが。隣にいる人物が死に行く姿、そしてそれを見て受け止めなければならない愛する者を見たのは初めてだった。

 正直吐き気がした。

 

「どうした、私よりも青色が悪いぞ。お前も私と同じでもうすぐ死ぬつもりか?」

 

 雲林院村雨は天才だ。十代で壁を超え、二十代後半で新当流総代になった。その特徴は剣術と武術を兼ね備えていること、長所と長所を知り短所と短所を知っている。言うことは簡単だが、そのどちらも壁を超えている。塚原総一郎という天才がいなければ若手筆頭の剣術家だっただろう。

 その男がもう刀を握ることも出来ず、死が一瞬で間合いを詰めようとしている。それにも拘わらず笑い飛ばすように不謹慎ギャグを言う村雨を見ていられなかった。

 

「気の流れが殆どない、俺が気が付けばここまで悪化することもなかった。仮にも高弟の俺は立つ瀬がない」

 

 一体それが本音かどうかは総一郎にも分からない。だが、それを村雨は軽々と否定してみせた。

 

「それは無理だ、これは呪いだからな」

 

「……どういうことですか?」

 

「これは呪いだ、塚原流の呪いだ」

 

 理解し難い話だ。

 呪いに罹った、そもそも塚原流の呪いなど聞いたこともない。もう少し言えば「塚原流」など聞いたこともない単語だった。

 それを自分の師――新当流総代で、総一郎よりも塚原の深みに居る人物が言っているのだ、邪険にはできない。

 

「君は剣術が嫌いか?」

 

「――!……憎いです」

 

「そうか」

 

 総一郎が人斬りだということを村雨は知っている。分かっていたことだったが本人から言及されたことはなかった。詰まりながら答えても淡白な相槌しか返ってこない。

 

「君は何故人を斬った?」

 

「それは――」

 

「結果だけ言いなさい、経過は必要ない」

 

「……無理やり斬らされました」

 

 また「そうか」と返って来た。

 

「では何故無理やり斬らされた?」

 

 言葉を返せない。「知らない」とも言えなかった。

 始めの中はそれを考えたこともあったが、ここ二年は思ったこともなかった。諦めた、というよりも仕方がない、と思っていたのかも知れない。

 

「それが塚原流の呪いだ、君を苦しめている」

 

 また理解し難い言葉が村雨から出てくる。今度こそ反発してしまった。

 

「意味が分からない、悟ったようなことを……!」

 

「悟ったのさ、死期を」

 

 用意した言葉は一言で遮られてしまった。医者からの言葉はまだ本人は知らないはず、その言葉から察するにもう村雨は生きようとはしていなかった。

 

「一週間生きればいい方だろう、ならば最後は師として生きよう」

 

 先程まで真っ白だった村雨の顔色は元の肌色に戻っている。無理やりにでも気を戻したのか、そうでもしないと気を保っていられない程に村雨は衰弱していた。

 

「塚原流の呪い――それを調べている途中で私は倒れた。呪いは塚原の不自然に全て繋がっている」

 

 捻りだすように言葉を総一郎に繋げている、全てを総一郎に託すつもりなのだろう。その眼は総一郎が今まで見た中で一番生きようとしている目だった。

 生きるのは今だけでいい――

 

「君が人を斬らねばならない理由、塚原家の当主制度、信一郎さんと純一郎さんが弱い理由」

 

 一つ目は総一郎にとって一番の不自然、二つ目は疑問程度、三つ目は予期もしない言葉だった。

 

「親父と爺さんが弱いとはどういうことですか」

 

「純一郎さんの武勇伝を聞く限り今の実力とは辻褄が合わない、本当だったら私が優に及ばない剣術家だっただろう。信一郎さんもそうだ、彼は純一郎さんを超える才能の持ち主と本人からのお墨付きだった」

 

 それを聞いた総一郎は反論の余地もなかった。確かに信一郎も純一郎もあまり強くはない、信一郎は「三撃」と称されているが、裏を返せば三撃目を外せばそれまでという皮肉を込められている。純一郎も「鬼太刀」と呼ばれた面影は塵一つも残っていない。

 

「私はそれを元にこう推測した――塚原家当主制度には何か裏がある、根拠は信一郎さんの弱体は彼が当主になる頃だったから、そして君の人斬りが強制されたのもその頃だ」

 

 粗末な推測、単純に不自然を辻褄合わせにしただけだった。

 

「そしてそれを調査している時に一つの言葉を聞いた――塚原流とその呪い、だ」

 

「どこで聞いたんですか」

 

 尤もな疑問だった。

 

「笠を被った男に「塚原流に近づくな、塚原以外が近づけば塚原流の呪いがお前から生を奪う」と言われた」

 

「そんな戯言を――」

 

「現に私は原因不明の病で気が止まって、余命は良くて一週間だぞ」

 

 幾らでも反論はあっただろう、村雨の言い分は些か超常すぎる。穴は幾つでもあったはずだ。それでも総一郎は否定できない――否定したくなかった。

 本当であれば師の命を奪い、自ら苦しめている根源が見つかるのだ。

 

「兎にも角にも、私はもう倒れた。もう調べることも出来ない――君を呪縛から解き放つことも出来なくなった」

 

 言葉を疑った――俺を呪縛から解き放つ?

 考えれば分かることだった、何故村雨は塚原流の呪いについて調べる必要があったのか、それは師として弟子に降りかかる不条理を取り除いてやりたかった、ただそれだけだった。

 

「手に負えない――と一度君を突き離そうとした自分が恥ずかしかった、今では君を息子のように思っているというのにね。だから苦しむ君を見るのは心が痛んだ、燕を無表情で痛めつけてその瞳の中には悲しみが宿っている君をどうにかしないといけないと思った」

 

「なんで――」

 

「――師だからね」

 

 一言で全てを纏めてしまうその言葉は初めて聞いた。今まで師だった信一郎からも言われたことはない。何度目も言葉を遮られて分かった。

 この人は俺の師匠なんだ――人斬りの自分を見てくれている人は居る、そう思ったら急に熱いものがこみあげてきた。

 

「俺は師匠に何も出来てない」

 

 思いの丈が一言口から漏れ出た――この人はもう死ぬんだ。

 

「ならお願いを聞いてくれるか?」

 

 その言葉で悟ったのだろう、今までそんなことを言ったこともなかった。少し顔色が悪くなっている。

 

「新当流総代になれ」

 

 絶句した。総一郎は今すぐにでも刀を捨てたいと思っていた、村雨もそれ知る。だからこそ「お願い」と言ったのだろう。信一郎と話していたのはこの件なのかもしれない。

 

「私は剣術家だ、武術家でもある。今回こうして死を間近にして思うことは――無念だ。病に倒れたのは本望、弟子のために死ねるなら幾つだってこの命賭けてやろう。

 だが、無念だ。一人の人間としてな。妻を置いて娘を置いて私はこの世から去る、しかもお前を救ってはいない! 私は悔しい!」

 

 そこで村雨は咳き込んで話を中断した。総一郎は村雨の背中を摩ることしかできなかった、村雨はそんな総一郎を見て言うのだ「すまない」と。

 

「継いでくれないか、私の地位と私の無念を」

 

 できれば継がせたくない――そういう目に総一郎は見えた。総代を継げは呪いに近づくことが分かっている。しかしそれでも村雨は継いで欲しかった。

 これは遺言――我儘なのだ。初めて師と弟子という関係で我儘を言った。それもそうだ、今日が最初で最後だから。

 ならばその師に報いるのも今日が最後の機会であることを総一郎も理解していた。

 

「……そんな目をするなよ」

 

「……」

 

「俺はお前の弟子だ、命令しろよ。そんな目をするな」

 

「……俺を継げ、総一郎」

 

「新当流総代の任、承る――俺が呪いを断ち切る、貴方に報いる」

 

 村雨が微笑んだのを視界の隅に確認しながら総一郎は踵を返した。

 

 三日後、天才雲林院村雨は無念を弟子に託しこの世を去った。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 喪主は静、執り行いは塚原家一同で村雨の葬儀は行われた。

 北陸の剣聖「黛大成」や上泉家、新当流師範代の足利興輝、燕の両親、村雨が生前交流のあった九鬼の者が参列をしていた。武術の総本山川神院は弔辞を送り参列はしなかった。

 式の執り行いを先導したのは次期総代を後日正式に受け継ぐ総一郎と内弟子であった燕。まだ幼かったが、総一郎が信一郎に直訴してそれを認めた。高弟であった総一郎と内弟子の燕が式の執り行いをすることに反対する者など居る筈もなった。

 それでもそれを意外に感じた者は少なからずいた。

 燕は真面目に村雨を師と仰いでいたが、総一郎は内に籠って村雨から碌を受けることをしなかった。それが急に信一郎に対して頭を下げた、不思議と思っても仕方は無い。

 まさしく燕がそうだった。

 

 式が終われば火葬場に着く。棺が焼かれていくと子供の泣き声が聞こえ、母のかみ殺したような嗚咽が周囲の耳に入ってくる。燕と総一郎は並び、総一郎は真っすぐ、燕は顔を俯かせていた。きっと燕は悟られないように泣いているのだろう、気が付いたのは隣にいる総一郎だけ、気付かないようにするのが総一郎のできる精一杯の配慮だ。

 今は胸に刻むよう師の姿を見ていたかった。

 

 全てが終わり、静に挨拶をしてから帰る者が増えてきた。母の腕の中で包まるように眠る圭を撫でて燕もその場を後にしていた。残りの作業は総一郎が引き受けた、総一郎が帰させたというのが正しいだろう。「ここは任せて帰れ」と言われた燕は非常に驚きただ頷いていた。

 片付けの指示や金の計算をしていると気が付く頃にはもう七時だった。流石の総一郎も信一郎に言われて後を任せることにする。

 気分転換に街へ出てあてもなく京都を歩き、気が付いたら川岸にいた。癖なのだろうか、荒々しい上流にはよく行っていたが拓けた下流に来るのは久しぶりだった。

 

「こんな時間に居ると襲われるぞ」

 

 総一郎は岸で寝転んでいた燕に声を掛ける、燕は少し息が乱れて汗が垂れていた。

 偶然燕がいた――なんてことはないが意図したわけではない。少し離れていたところで燕の気を感じたためここへ来た。

 

「おろ? 心配してくれるの?」

 

 笑っていた。周りは暗く、髪の毛で顔は隠れていた。

 

「静さんと圭ちゃんは足利家で預かることになった」

 

「そう……よかった、突然だったからどうなることやらって思ってたよ」

 

 飽くまで平常を装うらしい。ならば、と総一郎は考えた。

 

「なあ、つーちゃん」

 

「ふにゃ!?」

 

 反応は予想通りもいいところだった。

 

「いつからだ、俺が燕って言い出したのは」

 

「え……」

 

「いつからだ、お前が俺に気を使って総一郎君って言い出したのは」

 

 何を思って言ったのか、二人とも理解できていない。言った本人は懺悔のつもりなのか、回心のつもりなのか。言われた側はただ単に言った側の意図を理解できていなかった。

 ただ一つ、総一郎は意を決していた。

 

「つーちゃん」

 

「な、なにかな」

 

 口を開いてただ息が漏れた。意を決しても脳が拒否する、言いたくないと声を出させてくれなかった。

 それでも総一郎は心で脳に抗った、形を持たないが自分自身の脳が作った呪いに対抗した。村雨が総一郎の為に死ぬことになった忌まわしき呪いを断ち切るためには、この呪いに抗い断ち切らねば前に進むことは出来ない。

 心が悲鳴をあげて涙が出た。

 

 家族以外の前で泣くのは初めてだ、恥ずかしかった。

 

 燕にはその総一郎が辛い――いや、とても悲しそうに見えた。

 

「俺――人斬りなんだ」

 

 燕の表情を見たくなかった。どんな顔をしているのか分からなかった、だから見れなった。

 嫌われたくない人だった。

 

「じゅ、十歳の時に人を斬らされた。それから――それからずっと最悪だった、つーちゃんって呼ばなくなったのもつーちゃんを突き放したのもその頃……だった」

 

 涙が止まらず、声も震えて詰まった。

 相槌もなく心が握りつぶされて爆発しそうだった、これが愛の告白だったら気分はまた違うだろう。落ち着かせるように言葉を繋いだ。

 

「俺が人を斬らなきゃいけなかったのは呪い――塚原流の呪いだって師匠は言ってた、師匠はその呪いから俺を解き放つために……死んだ、俺のために死んだんだ。

 だけど俺はしてやれなかった……! だから俺を苦しめた呪いじゃない、師匠を苦しめた呪いを斬る!」

 

 鋭く甲高い音が鳴り響いた――総一郎が自身を鼓舞するために刀を抜いたのだ。三尺を超える大太刀は夜に紛れ輝きを失っている。

 それでもその刀を高く天に掲げ、総一郎は天を仰いだ。上を向いているのに涙が零れて肩や地面に零れた。決意に塗れ心が昂っていく――心は呪いに抗い続けていた。

 

「総ちゃん」

 

 そう聞こえて総一郎は微塵の迷いもなく燕を見た。心が反応していた。

 

「辛かったね」

 

 包み込むような笑顔で総一郎に優しい言葉を掛けてくる、総一郎の話を聞いても尚いつも通りの燕――いや、いつも以上の燕だった。

 彼女もまた解放されたように笑顔のまま涙を流していた。

 

「つーちゃん……!」

 

「総ちゃん、三年もよく我慢したね」

 

 二人とも涙を拭こうとせずに流しっぱなしで数年ぶりに友達以上恋人未満に再会していた、初めて出会った手合わせを思い出しているのだろうか。

 笑い続ける燕に感化されたように総一郎は少しだけ微笑んだ。

 

「お、俺に付いてきてくれるか?」

 

 小さく燕は頷いた。

 

「憑いていくよ、どこまでも」

 

 そして燕はどこからともなく藁に入った納豆を手に取って言うのだ。

 

「君のハートにな、っとう!」

 

 刀を捨てて飛んでくる燕を受け止めた――抱きしめたとも言うだろうか。

 

 鼻に通っていく臭いは心に加勢して呪いに粘り勝ちを決めていた。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 変わって三年後――総一郎が激怒した次の日、信一郎は塚原邸で帰宅して純一郎の元へ急ぎ足で向かっていた、途中で挨拶してくる使用人にも目をくれなかった。

 

「父上」

 

「帰ったか総一郎」

 

 純一郎の襖を開けて名を呼べば待っていたかのように純一郎は正座のまま信一郎と対面した。そんな様子に疑問を覚えないまま要件を切り出した。

 

「総一郎のことでお話ししたいことが」

 

「昨日のことか」

 

 日本全国へ届く気を放ったのが総一郎だと気が付いていたのだろう、祖父であれば当然といえた。

 

「ええ、対戦相手を示したら気を爆発させて……譲位を迫ってきました」

 

「……何?」

 

 由々しき問題だったのだろう、眉間に皺を寄せて信一郎を睨んだ。

 

「で、何と答えた」

 

「……準備がある、と」

 

「ならん!」

 

 怒ったわけではない、その表情はどちらかと言えば困り顔だった。声も怒鳴りはしたが勢いづいたものではない。

 

「すまん、大声を出した」

 

「いえ……しかし、総一郎は呪いの存在を知っていました」

 

「なんだと? 何故だ」

 

「……わかりません、父上と一緒の時以外は口にしたこともありません」

 

 二人は息を吐いて沈黙した。ここにいる二人以外は知る筈もない言葉だったからだ、村雨がその一片を知ることができたのも殆ど偶然だったと言えるだろう。まさか村雨が総一郎に託したなど考えもつかないだろう。

 

「内容は知らないのか?」

 

「そのようです――どうしますか?」

 

 純一郎は数秒目を閉じてから立ち上がって本棚で一つのアルバムを取り出した。その本には「そういちろうせいちょうあるばむ」と平仮名、そして非常に汚い字で書かれていた。

 

「総一郎は儂らを恨んでおるか?」

 

「でしょう、我々に出来なかったことを押し付けているのですから」

 

「そうか」

 

 一枚ずつページを捲っていく――そのページには運動会で一位を取って純一郎と写真を撮る総一郎の姿が、「一位」と書かれた紙でできているメダルを高く掲げ嬉しそうだ。旅行先でコーヒー牛乳を一気飲みする二人の写真、入学式で並びながら涙を流す純一郎と笑顔の総一郎の写真――

 

「……信一郎――」

 

「父上、それは私に言う言葉ではありません。その言葉を受ける資格は私にはありません」

 

「……そうだな、実は先程鉄心殿から電話があってな、私も「どんな事情があろうとお前にあやつの祖父を語る資格は無い」と怒られてしまった」

 

「私も怒られました、肝が冷えるほどの形相でした」

 

 二人は慎ましい笑みを溢し、その後一瞬にして雰囲気は冷たく突き刺さるような気に支配された。総一郎と瓜二つだった。

 

「例え非難され、恨まれたとしても我々は挫けてはいけない。分かっているな信一郎」

 

「はい、父上。どこまでも塚原の呪いを父上と受け続け、父上がいなくなれば私が――そして縛ることがあっても総一郎に呪いを受けさせません、どんなことがあっても」

 

 純一郎は小さく頷いた。

 

「時期は年が明け、春が咲くころだ。後は任せろ」

 

 この会話を総一郎は知ることはないだろう。

 

 ――ただ、この思いが届くことはあるだろう。

 




原作突入はもう少しですね、あと二、三話でしょうか。


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日常編
――私の日常。――


遅くなりました。


 騒動から一週間位が経ちいつも通りの日常に戻っていた。あの場にいなかったファミリーや源さんにも総一郎は自身の過去を話し、それでも友達でいてくれるファミリー達や源さんに感謝した。燕以外に心を開いたのは初めてと言える、京にとやかく言えない程に総一郎は闇を誰にも打ち明けていなかった。実際京にはかなり怒られた、正直意外とも言えたが珍しく眉間に皺を寄せ誰もいないところで色々言われた時、総一郎は本当に申し訳ないという気持ちと少し――かなり嬉しかった。大和に京の閉心傾向の酷さを聞いていたため、心を開いてもらうためにどうにか頑張っていたが、まさかここまで心を開いてくれるとは思ってもいなかった。

 詫びの為に更なる後方支援を確約した契約が、二人の悪だくみをする時に交わされる笑みによって行われたことを知るものはいない。

 実感する者はいたが、それはまた後の話。

 何故なら明々後日には学生生活最大の鬼門――期末考査がある。

 川神学園は文武両道以上に競争心を重きに置いている。だからなのか学力試験の数は少なく、前期後期で一度ずつしかない。つまり「己を磨き、一度で決めろ」という理由で前期後期一回ずつなのだろう、これを聞いた時総一郎を含め川神鉄心という人物を知っている者はその言葉に納得してしまった。

 試験が少なければ喜ぶものも多い。実際、範囲は多いが少しずつやっていけば平均点以上は取れる、それは大和も言っていたが実践できるかと言えばそう簡単には行かない。

 期末考査を明後日に控えた金曜日、金曜集会ではファミリー一同による勉強会――ガクトと一子が赤点を取らないために詰め込み作業を行っていた。

 

「じゃあワン子は俺と京が」

 

「分かった、ガクトは俺が見る。モロも分からなかったら聞いてくれ」

 

 大和と京は一子担当。ガクトとその他は総一郎が担当となった。ファミリー内の学力格付は大和がトップでその次が京、無難なモロ、百代、キャップは試験中に寝る、そしてガクトと一子が同率で最下位だった。

 

「皆大変そうだなー」

 

「そうだなー」

 

 勉強しないキャップとする気もなく教えてくれる奴がいない百代はソファで寝転び何度読んだか分からない漫画を読み漁ってまるで他人事だった。キャップは進学する気はなく、赤点をギリギリ取らないのでファミリー内では放置されている。

 百代もいつもはそう言う立場だったが、総一郎がそれを許すわけもなく、百代が両手で持っていた漫画が視界から消えていた。

 

「……おい総一返せ、私はやることが無い」

 

「漫画がないなら勉強すればいいじゃない」

 

「……いや、誰も教えてくれる奴いないし」

 

 その時百代の前に出されたものはシャーペンと二年用の薄い問題集が十冊ほど、呆気に取られていた百代が視線を総一郎に移すと総一郎は口角が異常に吊り上がった笑顔で百代を見ていた。

 

「え、いや、私わからない――」

 

「大丈夫、俺が教える」

 

「教えるって――」

 

「俺、二年生の授業分かるから」

 

 一歩引けば一歩詰め寄る、二歩引けば三歩詰め寄る。百代に逃げ場はなく、何故総一郎が二年生の授業内容を知っているのか疑問を持つことすら考えなかった。

 

「……なるほど」

 

「よし、二十分後に答え合わせ――はい、始め!」

 

「ちょ!」

 

 百代が問題集と格闘してから三十分程、総一郎の指導は思ったよりも的確で、勉強をするという好奇心を生み出すことは出来なくとも、分からないという苛立ちを覚えることなく百代は予想以上に勉強がはかどっていた。

 

「お姉さまが勉強してる……」

 

「すごい光景だね」

 

「すごい光景だ。だからワン子も頑張るぞ、ほら飴だ」

 

 渡された飴を荒々しい音を立てながら噛んで一子は姉に負けじと集中力をできるだけ勉学に向けた。大和と京は感心していた、百代に勉強を指せている総一郎と一子が勉強に集中力を裂いていることに。一子はどうしても勉強に集中力を転換させることが今までできなかった、鍛錬はあれほど精をかけてやっていても好きなことではない勉強に時間を割きたくなかったのだ。

 

「わかんねえよ!」

 

「なんでだ……」

 

 そんな二人の後ろでガクトが叫んだ、その隣で総一郎は膝を着いている。

 

「どうしたの?」

 

 京が誰に発した言葉でもない、この場にいる者で事情を知っている者に聞いた。答えたのはモロだった。

 

「えーと……ガクトが馬鹿過ぎて総一郎が教えても分からないって言うんだ」

 

 集中している百代と一子は反応を示さなかったが大和と京は明らかにガクトを蔑んでいた。

 

「なあ、大和」

 

 総一郎が言った。

 

「ガクトが裏口入学って話――」

 

「違げえよ! それは只の噂であってな……」

 

 ガクトが狼狽して誰かに助けを求めるも大和、京、モロの三人はガクトの視線から目を逸らした。

 

「誰か否定しろよ!」

 

 悲痛な叫びが部屋に鳴り響く

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 月曜日、期末考査当日。

 

「ガクト、三十点以下だと赤点で補習を受けることになるって知ってるか?」

 

「当たり前だ!」

 

 結果だけ言えば悲惨である。

 百代と一子はなかなかの成果が期待できるだろうが、ガクトはそうもいかない。これは大和、京、総一郎で下した結論だった。

 決して裏口入学ではないが、ファミリー総出でガクト―― 一子もそうだが受験勉強を手伝ったおかげでガクトはこの川神学園に入学できた。そして今回の期末考査はこの学園に入って一番初めの試験、それまでに勉強をしていればいいが入ってから浮かれているのか全く勉強をしていない、そのせいで総一郎の指導も甲斐なくガクトの試験勉強は悲惨無残な結果になってしまった。

 

「どうすればいいんだ総一……!」

 

 総一郎の隣の席でガクトは狼狽えていた。

 

「頼む……! なんかいい案出してくれ、何でもするから!」

 

 恐らくネタではないだろう、この状況で冗談でも言えたならガクトは相当なできる人間だったはずだ。だが、そんなガクトはこの世に存在しない。きっとガクトは赤点を取って補習となれば夏に女の子をナンパする時間が無くなる、と本気で言う奴だ。

 

「補修があると女の子をナンパして水着姿を拝むことも出来ない!」

 

 いい意味でも悪い意味でも総一郎は清々しい気持ちだった。

 

「しょうがない」

 

「……! ほんとか!?」

 

「ああ、待ってろ」

 

 筆箱から総一郎は「9H」と書かれた鉛筆を取り出した。一回も使われていないようでかなり長い、鉛筆削りではなく何かの刃物で丁寧に削られたようでかなり尖っていた。そうして総一郎は右斜め後ろにいたキャップのところへ。

 

「キャップ、気の成果を見るからこの鉛筆を握って気を集中させてみろ」

 

「お、いいぜ! 見せてやる!」

 

 キャップは「うおおおおお」と言いながら鉛筆を折る覚悟で右手に意識を集中させた。

 

「どうだ!」

 

「すごいすごい、天才だ。直ぐに使えるようになるかもね」

 

 「ほんとか!」なんてキャップが言っているうちに鉛筆を貰った総一郎は席に戻った。そして隣にいるガクトへそれを渡した。

 

「なんだこれ」

 

 鉛筆だけ渡されたらそういう反応をするだろう、しかも今まで見ていた行動自体不可思議だった。

 

「困ったら転がせ」

 

「て、てめえ」

 

「英語の時だけだ、それ以外は使うな。わかったな?」

 

 抗議の声を上げたいけれども総一郎の顔が何故か怖かった。

 

 

 

 試験が始まり各々が敵に立ち向かう。川神学園全校生徒が共通の敵を持つのはこの時間だけだろう。

 一時限目の数学が終わり英語へと移る。ガクトは一問目から頭を悩ませてその時諦めかけていた。

 

(くっそう……! どうすればいいってんだ――鉛筆……ええい! 分からないならやるしかねえ!)

 

 隣で小刻みに音が鳴ることに気が付いた総一郎はカンニングと疑われない程度に視線を向けてすぐに戻す。たとえ横を向いたとしても音に反応したとでもいえばなんとでもなる、それはガクトも同じで仮に点数が取れたとしても鉛筆が優秀だったといえば何の問題もないのだ。

 

 

 その週の終わり、金曜集会――そして試験最終日。

 

「試験終了を祝して乾杯!」

 

 秘密基地で期末考査終了の宴会が行われている。学生生活で最も厳しい一週間が終了すれば安堵して宴会も開きたくなる、テーブルにはジュースやお菓子、オードブルなどが盛大に振る舞われている、金は勿論全員から徴収してある。

 

「いやー今回はちょっと点数いいかもな」

 

「お姉さまも? 私も思ったよりできたわ」

 

 ファミリー内学力格付けワーストスリーの二人は何時もならば意気消沈しているはずだが今回ばかりは余裕があった。それには大和も同意している。

 それも意外だが、今回一番意外だったのは紛れもなくガクト。頭を抱えているかと思えばどこか意味ありげに腕を組んで目を閉じている。

 

「……ガクトはどうだったの?」

 

 そんなガクトに恐る恐る聞いたのはモロだった。しかししばらくガクトから返事は帰ってこない、総一郎以外の全員が普段からは想像できないガクトの姿に息を飲んでいた。

 

「……大丈夫かもしれない」

 

「え?」

 

「赤点は免れているかもしれない」

 

「え!?」

 

「え!? ってなんだよ!」

 

 正反対の答えに驚いたのは一子とモロ。それ以外の者も声には出さないが驚きを隠せていなかった。

 ガクトは赤点確定――それが全員の予想だったからだ。

 

「まあ、わからんが。取りあえず月曜日が怖いのは確かだ」

 

「一体どんな手を使ったの総一!?」

 

 一人総一郎は紙コップを片手にトッポを咥えていた。

 

「……秘密」

 

 

 

 試験疲れを癒すためファミリー一同は秘密基地近くの原っぱでその名も「川神式キックベース」に興じている最中だ。特に体を動かすことが好きなファミリーにとっては家で寝ているよりもスッキリすることだった。

 して、「川神式キックベース」とは。

 

「こりゃ一体どういうこっちゃ」

 

 そう不満げに呟いたのは仁王立ちで外野に一人立っている総一郎、内野には百代一人。

 つまり総一郎、百代VSその他モロ以外の風間ファミリーである。

 

「楽しくねえ!」

 

「まあ、そういうな」

 

 ピッチャー無し、総一郎、百代ペアは目隠し、ファミリーチームは何時でも蹴ってよい、制限時間は一時間、五点取れればファミリーチームの勝利、一時間耐えきれれば総一郎、百代ペアの勝利。

 明らかに労力に差がある遊びに不満がないはずがない。しかし百代が乗り気なのはその勝利特典にある。

 

「勝てばみんなが奢ってくれるらしいからなー」

 

「大和覚悟しとけよ!」

 

「なんで俺だけ……」

 

 珍しく総一郎が不満げな中モロの掛け声でプレイボール――

 

「じゃあ俺様が一発かますぜ!」

 

「お、ガクトか。モモちゃん任せろー」

 

「……そう簡単にいかないぞー」

 

「え?」

 

 「行くぜ!」とガクトがボールを蹴る音が聞こえる、予想がつけ辛いが空気の音や発射時の音でどうにか着弾地点を――

 

「な!?」

 

 ガクトの蹴ったボールの着弾地点を予測した段階で総一郎は一つの失念に気付かされた。それは先程百代が言っていたように簡単にはいかないこと、この勝負には百代と総一郎に奢らなければならないという賭けがあるのだ。

 ならば大和が本気にならないわけがない。

 

「悪いが総一、勝たせてもらうぞ」

 

 ガクトの強力なシュートとは別にかなり緩い山なりボール、さらには総一郎自身を狙ったような弾丸ボールが不規則に外野へ襲い掛かってきた。百代は内野で総一郎から送られるボールを待っている、総一郎は一人でこの無数のボールを対処しなければならなかった。

 

「決めた」

 

 そう呟いた言葉はきっと誰にも聞こえなかったが、その行動で今総一郎がどんな心境であるのかが把握できた者は多いだろう。

 ガクトのボールと弾丸ボールをキャッチして地面に落ちてしまった山なりのボールを総一郎は本気で蹴ったのだ、そのボールは一塁に居た百代の右手に轟音を鳴り響かせてすっぽりはまっていた。

 

「さーて、五つ星位で勘弁してやるよ」

 

 頭に血管を浮き出させて清々しいほどにその表情は引き攣っていた。

 

 

 

 ♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

川神学園月曜日、試験の結果が現在廊下に張り出されていようとしていた。不安げに見つめる者もいれば単純に確かめたいという好奇心で張り紙を待つものもいた。成績優秀者五十位までしか張り出されないので一子やガクトモロなどはあまり関係のないことだったが、実力を確かめたい大和や大和の隣に名前が並びたい京は、無理やり連れてきた総一郎とともに廊下で梅子が手に持っている鞭で張り出されるのを待ち望んでいた。

 

「いいか皆の者、よく聞け! 今から試験結果を張り出す、だがよく覚えおけ、ここでは守ってほしいことがある。それは押さない、駆けない――正気を保つだ!」

 

 試験結果程度で、と思うかも知れないが、実際Sクラスの人間は五十位以下になるとSクラスから除名処分となる。その意味での正気を保つだった。

 そして試験結果が張り出される。

 

「えーと、俺は……三十二位か、まあ妥当か」

 

「私は四十位だね、もうちょっと頑張ればよかった」

 

 Fクラスの人間が五十位の中に入っていること自体がすごいともいえる。集団の中にはどうやら正気を保てずに倒れ込んでいる者もいた。そんな中一際目立つものが三人ほどいる。

 

「フハハハハハ! やはりわが友トーマにはまだ勝てんな!」

 

「ふふ、英雄もさすがですよ」

 

「いきなりSクラス落ちとはなさけないのう、ほほほほ」

 

 額にバッテンの傷がある金色の男、褐色でメガネのイケメン、着物を着た傲慢知己にみえる少女。

 

「あれが九鬼財閥の長男、九鬼英雄。葵紋病院の跡取り息子、葵冬馬。日本三大名家不死川家の不死川心か」

 

 どこかの奴そう呟いたのが聞こえた。入ってまだ三カ月ほど、しかもSクラスはかなり選民的な所があるので他クラスとの交流があまり盛んではない、遠目に見ることはあっても間近で声を聞くのは初めてといえた。

 

「む? この三位の者は誰だ、Sクラスにこんな人物がいたか?」

 

「塚原? どこかで聞いた名じゃのう」

 

「ああ、私と同じエレガント・チンクエの一人である塚原総一郎君ですね――ほらそこにいますよ」

 

 冬馬の言葉で生徒の視線が総一郎に集中した。

 

「え、俺三位!?」

 

 そんな間抜けなことを言っているとその三人が総一郎の前に現れる。

 

「お前が塚原か?」

 

 如何にもな態度で英雄は総一郎に名を訪ねている、しかしその隣にいる心とは違ってそこまでの不快に思うことは無かった。俗に言われている九鬼家の王属性と言う奴だろう、と勝手に総一郎は納得した。

 

「ああ、京都の塚原家嫡男、塚原総一郎だ。よろしく」

 

 そこで総一郎は右手を差し出して握手を求めたが英雄はそれを返そうとはしなかった。その前に心が口を挟んだからだ。

 

「どこかで聞いた名前だと思ったら、なんじゃ塚原君か」

 

「どうも不死川――いや、ここちゃん」

 

 どこかで誰かが吹きだす音が聞こえる、後ろにいた大和も背を総一郎に向けて小刻みに肩を揺らしていた。冬馬はただ笑みを浮かべるだけだったが英雄は豪快に笑い飛ばしている。

 勿論、当の本人は顔を真っ赤にして総一郎に掴みかかっている。

 

「どうしたここちゃん? 顔が赤い」

 

「お、お主、止めぬか!」

 

「えーだって昔ここちゃんって呼べって言ったのはそっちだろ」

 

「にょ、にょわーーーー」

 

 耐え切れなくなった心はそのまま総一郎を放り投げて走り去る。投げられた総一郎は軽々と着地して改めて英雄の前に右手を差し出した。

 

「生前は師匠の雲林院村雨がお世話になったそうで」

 

「何? 村雨殿の弟子であったか! 挨拶が遅れたな、我は九鬼英雄! 村雨殿に世話になったのは九鬼の方よ」

 

 村雨が九鬼と関わりがあった程度のことしか本当は知らないが師が人の役に立っていたということが少しだけ嬉しいと思う総一郎だった。

 

「こっちも挨拶が遅れた、よろしくな九鬼」

 

「他人行儀なのはよせ、我のことは英雄と呼ぶがいい!」

 

 そこでようやく英雄と総一郎は握手を交わした。

 

「おやおや、私とはよろしくしてくれないのですか? 妬いてしまいます」

 

 冬馬が総一郎の前に立つ周囲の女子が歓声を上げて急に色めきだした。勉学に興味がないエレガント・チンクエのキャップや源さんは冬馬と会合することが余りない、二年の京極彦一は学年が違うため居る筈もない。冬馬とエレガント・チンクエの一人が会合するのは初めてのことだった。

 褐色メガネの甘いマスクと少し女っぽいワカメのような癖っ毛爽やか系。

 

 そして冬馬はバイだった。

 

「それ以上近づくんじゃあない、冬馬」

 

「酷いですね、英雄とは積極的に関わろうとしているのに。不死川さんとも何かあるようですし」

 

 酷いですね――と言っているのに表情は妖美な笑みを浮かべて少しずつ総一郎に近づいて行っている。どうにか逃げようと後退する総一郎だったが後ろに運悪く壁があり追い詰められ、接近している顔を見ないように目を逸らして両手で壁を作っていた。

 

「い、いや、英雄とは間接的に――間接キスじゃない……師匠が九鬼に関わりがあってだな、ここちゃんは――とうちゃんは勘弁してくれ……不死川とは家同士の繋がりがあったりして――ち、近い!」

 

 総一郎の耳には一切入ってこないが周囲の生暖かい歓声と渇望のまなざしは勢いを増していた。特に京。

 

「おーい若、それぐらいにしとけー」

 

「チョコマシュが困ってるのだ―」

 

 総一郎にとって天からの救いとも言える手を差し伸べたのは髪が白く肌も白い少女とハゲだった。

 

「おや、準にユキ」

 

 二人が現れたことで冬馬はようやく総一郎から離れて二人の元へ歩いて行った。どうやら二人が来るまでの遊びだったようだ、半分ほど。

 

「た、助かったぞ。ユキにハゲ……」

 

「お前絶対感謝してないだろ」

 

「お礼にマシュマロを寄越すのだー」

 

 ハゲの名前は井上準、冬馬の幼馴染で父親が葵紋病院の副院長をしている。ユキと呼ばれる少女は榊原小雪、かなり天然だがそれが愛嬌とも言える。

 

「あれ、総一は三人と知り合いだったのか?」

 

「ああ、少し前にな……」

 

 小雪は大和に「大和、あげるー」と言い、京とも「どう?」「ぼちぼちでんなー」とらしい会話をしている。後から聞いた話によればどうやら一時期一緒に遊んでいた時があったらしい。

 

「ええ、少し前にあんなことやこんなことがありましたね」

 

「変な言い方をするんじゃない!」

 

 いつもはもっとまったりとしている総一郎がここまで動揺している姿も珍しい(怒り狂った姿は見たことがあるが)少しからかってやろうかと思った大和だったが、先日の川神式キックベースで迎えた恐ろしい結末を思い出して言葉が喉から出る寸前でどうにか止めることができた。

 

「エレガント・チンクエが決まった時に若と俺とユキで会いに行ったんだ」

 

「そしたらチョコマシュマロをくれたのだー」

 

「私は総一郎君が欲しいです」

 

「もう……やめてくれ……」

 

 怒涛の攻撃に総一郎はここにいる誰よりも意気消沈していた。

 

「フハハハハ! トーマよそれぐらいにしておけ、もうすぐ授業が始まるぞ」

 

「それもそうですね。では総一郎君、デート楽しみにしています」

 

「ではな総一郎!」

 

「じゃあな総一、正気を保て」

 

「マシュマロはー?」

 

 押しに圧され、駆け足で物事は去り、総一郎に正気は残っていなかった。

 




かなり遅れました。

他の話とか色々読み漁っていたら結構時間が経ってましたすんません。

アンケートでやった奴ですが、取りあえず一話だけ全部上げようかなって思います、ほぼできてるので。

流石に勢いもなくなってきたので多分更新遅れます。初めの頃あんだけの更新が良くできたよなあ。

次も頑張ります。


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――私の寄り道。――

遅くなりました。


「赤点回避よ!」

 

「私もだ」

 

 成績発表後の秘密基地、金曜日ではないがファミリーは全員集合していた。一子の赤点回避に大和と京は一安心、頑張った褒美にローストビーフを食べさせていた。

 

「俺様も赤点回避だぜ」

 

 一同驚愕。

 前回の金曜集会で言ったことはてっきり法螺を吹いたと思っていたのが殆どだろう。聞けば英語以外が全て三十点――英語は六十点だった。

 ここにいる殆どの者が思ったことを大和は代弁する。

 

「カンニングしたのか?」

 

「ちげーよ!!」

 

 慌てて否定したところでその様子は動揺しているようにしか見えない、怪訝な視線を一斉に浴びたガクトが助けを求める人物は一人しかいなかった。

 

「総一!何とか言ってくれ!」

 

「……ガクトは頑張った、それだけだ」

 

「本当にカンニングじゃないの?」

 

 ガクトのカンニングを総一郎が否定すればファミリーにとってそれは真実である。だがそれと同じ位ガクトが英語で六十点取ることは空前絶後なのだ。

 

「ああ、カンニングはしていない」

 

「そうだ!俺はただ総一から――」

 

 ガクトの頭頂部を掠めるように総一郎の刀が飛んでくる。

 

「おっと、ガクト悪い」

 

 幾ら頭の悪いガクトでも自分が総一郎にとって害を生す発言をしようとしていることに気が付いたのか、小さな声で「……お、おう」と呟いて大人しくなってしまった。

 

「一体何したんだ、総一?」

 

「なんもしてない」

 

 そこでキャップは何かを思い出したかのように「あ」と呟いた。

 

「もしかしてあれか? 鉛筆――」

 

「そうだキャップ、圧縮式点火って知ってるか? 普通は摩擦熱や火打石でマグネシウムを削って――」

 

「なんだそれ! 気になるぞ!」

 

 今話そうとしたことなんて忘れたかのようにキャップは総一郎の話にのめり込んで行った。大和も驚くほどに話が逸れてガクトのカンニング疑惑は薄れて行った。

 

 

 

 

 次の日、川神学園は期末考査が終わったせいか気が完全に抜けた状態になっており、特にF組の生徒達からは勉学に励む心意気は全く感じられなかった。

 一子やガクトなどは顕著にそれが現れていて、事前に一子は大和から注意を受けていたが放置されていたガクトは梅子からお仕置きをされるのだった。

 そんな日の昼休み――

 

「一年F組、塚原総一郎は至急学長室へくるように」

 

 校内放送で名前を呼ばれたのはF組で最も優秀な男だった。

 

「なにしたのさ総一」

 

「……いやー」

 

 口籠る総一、明らかに心当たりがあるように見えるが、鉄心に呼び出されてもいつものように飄々としている姿を見た大和は何か対策を持っているかのように思う。恐らく集会で話したガクトの話だろうか、軍師である大和は聞くか聞かないか迷っていた。

 

「大丈夫じゃない? 総一だし」

 

 京にも信頼を置かれている総一郎。大和は一つだけ言葉を掛けることにした。

 

「吐けば楽になる」

 

「お前軍師じゃなかった?」

 

 

 

 目の前に聳え立つはそこそこ大き目な両開きの扉。鉄製でもなくただの木製、良い素材を使っているようにも見えない。それもそう、この先にいる人物は世界でも一、二を争う実力者の一人、悪意ある物がこの学園に入っただけでその人物はすでに終わっている。子の扉は在って無いようなものだ。

 総一郎はなぜここに呼ばれたのか?

 ここ当たりがないことは無い。

 

「失礼します」

 

「おお、きたか」

 

「総一郎、なんで呼ばれたか分かるかイ?」

 

 驚きはしないがそこには鉄心以外にもルーが待ち構えていた。

 

「さあ、見当もつきません」

 

 見当がある、と言わんばかりの言い草だ。

 鉄心とルーは顔を合わせて溜息をつく、そして引き出しから出されたものをルーが総一郎に渡す。

 

「それが何かわかるかイ?」

 

「9Hの鉛筆です、僕がガクトに渡した物ですね」

 

「その鉛筆にはお主の気が纏われているな」

 

「ええ、ガクトが困っていたので迷ったら転がすように貸し出しました、その時に落としても折れないように強化しました」

 

 一見疑わしい様に見えて言い分は最もと言える。気を纏う必要は無かろう――と言われれば「ガクトは力が強いので力んだ時に折ってしまうかもしれない」と弁明すれば隙もない。

 

「鉛筆に気を纏わせてはいけないんですか?」

 

 それもその通り、鉛筆に気を纏わせたところでテストの点数が良くなるはずがない。少なくとも鉄心やルーにはできる芸当ではない。気の使い方が優れている百代でもできない。そもそもそんな運用法は気にはない。

 

「うーむ……」

 

「どうしますか総代」

 

 閉じているように見える鉄心の瞳が総一郎の姿を捉えている。見られているだけだというのに総一郎の体には重りが着けられたような感覚が纏わりつき、鉄心が言葉を発するまでそれは続いていた。

 

「総一郎、この鉛筆は何の変哲もない鉛筆か?」

 

「はい」

 

「……そうか、呼び出してすまんかったな」

 

 意図した即答だったことに鉄心も気が付いていたが、総一郎の隙を突けるようなところがなかったのか鉄心は間を置いてこれ以上の追及を諦めた。

 一礼して学長室を出た先には何故か百代が壁にもたれかかっていた。

 俺を待っていたのか――総一郎は顔を歪ませて精一杯猫背になった。

 

「一体あの鉛筆に何をしたんだ? 状況証拠を黙っててやるから教えろ、そして奢れ」

 

「ぎょえー、この鬼、おっぱいお化けー」

 

「良し分かった」

 

「嘘です」

 

 付きまとわれてしまえば引き時を見極めて言いたいことを言ってやる、そう思っていたのはいいが、百代は思わぬ形で総一郎へアクションを起こした。

 体を目一杯背中に押し付けてきたのだ。

 

「……なんすか」

 

「サービスしてやるにゃん。だからあんみつもつけてにゃん」

 

 時が経てば経つほど上乗せされていくカルマへの代償に総一郎は己の行いを初めて後悔した。

 

 

 

 

「気の刷り込み?」

 

 川神通りの和菓子屋、総一郎と同じ学年の小笠原と言う女子の両親がやっている店で、川神院に参拝する客が良くこの店に来るらしく評判も良い。ファミレスのデザートに比べれば高いが、学生が手を出せるぐらいの値段なので学校帰りに寄っていく生徒も多い。

 かく言う総一郎も今は百代と共にこの店であんみつを食べている。

 

「まあ、簡易的な神聖物とでも思ってください」

 

「意味が分からん」

 

 百代が男子と共にあんみつを食べているのが珍しいのか、周りの女子からの視線が総一郎に突き刺さって総一郎は非常に迷惑していた。

 それに何故か百代はテーブル席だというのに総一郎の向かい側ではなく、隣に座って総一郎の抹茶あんみつを頻りにつまみ食いをしている。

 

「不思議な気を放つ刀とか見たことないすか」

 

「……ああ、そういえば前に川神院に来た剣聖が持っていたあれはそんな感じだったか」

 

「大成さんの刀はまさにそれです。時を経て名だたる剣豪が気を纏わせて振りに振った刀はそれ自体が気を纏う、それを一時的に鉛筆に施したんです」

 

 話が理解できたのか百代は五度ほど頷いた――が、そこで総一郎が言っていたことの矛盾点に気が付いた。

 

「だが、それで点数が高くなることはないだろう。もしそんな仕掛けがあるならジジイやルー先生が気付く、私も気付くぞ」

 

 百代は総一郎の白玉を取ろうとしたが総一郎がスプーンでそれを弾いた、意地になって何度も挑戦する百代だったが鉄壁のスプーンに阻まれて諦めてしまう。

 自分が抹茶を頼めばいいということに気が付いたからだ。

 

「おいおい」

 

「で、どうなんだ、どんな仕掛けなんだ」

 

「……刷り込ませたのは俺の気じゃない、俺の気は纏わせただけっす」

 

「結末を言うにゃん」

 

 百代は上機嫌に抹茶あんみつを口に運んでいる。

 

「キャップの気を刷り込ませた」

 

 流石の百代もその結末に驚いたのか口に運んでいた白玉をそのまま戻している。驚いた理由は幾つかある。

 それは黒に限りなく近いグレーな行為だ、殆どルール違反だ。だが、それは百代にとって些細な驚きでしかない。真面目そうで不真面目な海水に靡くワカメのような男がそんなことをするのか? どちらかと言うと疑問ありきの驚き。

 それ以上に驚いたのは「キャップの気」についてだ。気を習得するには長い年月と才能がいる、百代ですら気を習得するのに五年はかかった。しかし、キャップはまだ気を習得しようとして一ヶ月ほどしか経っていない。

 

「ああ、別にあいつが気を使えるようになったとかじゃないですよ。キャップが持っている気を俺が鉛筆に刷り込んだだけです」

 

「……だが、キャップは気を持ち始めたのか?」

 

「まあ……そうなりますね。伸びしろはあんまりないですけど、結構いけるかもキャップは」

 

 破天荒な男――それがファミリーの風間翔一に対する認識だった。キャップが気を習得しているところを想像した二人は思わず笑ってしまった。

 

 

 その後さらに口止め料として一週間ほど食べ物を奢らされてしまった総一郎であった。

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 夏休みまであと一週間程、期末考査が終わってしまえば夏休みまで川神学園では大きな行事はない。

 あるクラスではナンパをする計画やどこに旅行に行こうか、と言う話もあれば。

 あるクラスでは夏休みをどう優雅に過ごすかの自慢話が繰り広げられていた。

 言わずとも分かるが、前者がF組で後者がS組である。

 

「ああ、ヨンパチ! 俺達の夏が待ってるぞ!」

 

「ああ! 貯めに貯めたこの資金を今解き放つ時が来た!」

 

「いや、解き放つのはまだ早いよ」

 

「く、そうだっだ。ありがとうよモロ、危ないところだったぜ」

 

 F組はいつものような喧騒に包まれている。喧騒と言っても騒いでいるのは一部の男子や女子。窓際にいる大和、京、総一郎、源さんなどは静かに弁当を食ったり本を読んだりしている。

 

「総一郎は夏どうするんだ?」

 

 空気にあてられた大和が総一郎に聞く。

 

「大和は夏、京とどうなるの?」

 

「あ、おい――」

 

 そんな言葉にあてられた少女は言う。

 

「勿論! 交際、婚約、結婚、初夜、懐妊、出産、二人目、三人目、四人目、五人目、六人目――百人でも!」

 

「お、落ち着け!!」

 

「あ、交際したらすぐにヤりたい? もう、大和ったら///」

 

「大和、盛ってるなあ」

 

 顔を赤らめ、笑い飛ばす二人は既にコンタクト無しでアドリブをかませるコンビネーションを築いていた。

 当然大和の抗議が総一郎を襲うが大和の攻撃が始まる前に総一郎は教室を飛び出した。総一郎を追ってこない大和を察するに京が大和を追いかけてどこかに行ってしまったのだろう。

 気が付いたら総一郎はS組の前まで来てしまっていた。

 

「おお、総一ではないか」

 

 そこに聳え立つ金色の男はいつも通りの英雄――とメイドだった。

 

「やあ、英雄……そっちは」

 

「ん? そうであったな、総一郎は初めてであったか。あずみ! 自己紹介せよ!」

 

 一見メイド、しかしその瞳の先にある奥深さが彼女の強さを物語っている。かなりの修羅場を抜けてきた者だろう――と思っていた矢先。

 

「はい、英雄様!☆ 私、九鬼従者部隊序列一位の忍足あずみと申します!☆ 主な仕事は英雄様の専属として尽くすことです!☆」

 

「フハハハハ! あずみ、これからも我に尽くしてくれ!」

 

「きゃるーん☆ 勿論です英雄様!☆」

 

 なんだこれ――口に出さなかったのが総一郎に残された唯一の思考回路だった。自らが行ったプロファイリングがとんでもない大宇宙ボールだったのかと錯覚してしまった。

 

「あずみ、総一郎は村雨殿の高弟であるそうだ。何か積もる話でもあろう、我は一子殿を見てくる、好きに話せ!」

 

「お気遣いありがとうございます英雄様!☆」

 

 高笑いを上げて英雄はF組教室へ進んで行った。廊下の真ん中を譲る人がいるのは気味悪さなのかそれとも威厳なのかは分からない。

 総一郎は視線をメイドに移すとその変貌に驚いた――と言うか安心した。

 

「誰が年増じゃボケェ、殺すぞ?」

 

「いや、言ってない、思ってないです」

 

 クナイを首元に押し付けられた総一郎は両手を前に出して無実を訴える。舌打ちが聞こえてあずみはクナイをメイド服のどこかにしまった。どうやら九鬼のメイド服は戦闘用らしい。

 

「お前武神に勝ったんだろ? それなら村雨さんの弟子って分かるが――」

 

 あずみは横目で総一郎の成りを見た。

 髪はワカメのようで表情からは威厳を感じない、刀の扱いもおざなりで時折地面を擦っている。あずみは記憶にある厳格な剣客を思い出して総一郎と被せてみる。

 

「――見えねえなあ」

 

「ですよねえ」

 

「あん? 自覚あんのか?」

 

「ええ、まあ」

 

 それもそう。総一郎は村雨から学んだことなど殆どない、ほんの二、三個程度だ。だが、それを恥だとは思わない、逆に誇るべきことを学んだと総一郎は思っている。

 

「師匠は何か俺のこと言ってました?」

 

 考えたわけでもなく何故かそんなことを口にしていた。口にして考えてみると師匠が自分のことをどう周りに言っていたのかなんて知らないことに気が付く。

 いい機会だ――と総一郎はそのままあずみの答えを聞くことにした。

 

「……反抗期の息子みたいだ――なんて言ってたな、あんときはヒュームにからかわれてたな」

 

 重く鋭い物が総一郎の胸を貫いた気がした。

 嬉しいのと同時に悲しみや後悔、憎しみが総一郎の心を抉っていく。

 

「そうすか」

 

 こんな言葉しか出てこない、あずみが不審に思う要素はそれだけで十分だった。

 

「なんだ、どうした」

 

「……いや、俺師匠のこと何にも知らないので。九鬼との繋がりがあったのも葬式で初めて知りましたし、九鬼で何をしていたか何て知らないです」

 

 普段はそんな殊勝なことは言わない。

 立て続けに出来事が起こってファミリーにも全てを話したせいなのか、こんなことを初対面の女性に話すことではなかった。

 そんな総一郎を見てあずみは彼の人物像を変化させた。村雨が総一郎について話すとき、彼は少し悲しげだった。反抗期――から読み取るに少し荒れているとも感じていた。

 だが、今ここにいる彼はそんな村雨と同じような雰囲気で自分の師匠を語っている。まるで自分の弟子を語る村雨のように。

 

「なら九鬼にいる奴に聞けばいい」

 

「え?」

 

「九鬼の若手は殆ど村雨のことを知ってる。従者零位のヒュームなんかは村雨をずっとスカウトしていたしな」

 

「いいんですか?」

 

「……ああ、英雄様もお前を気に入っているみたいだしな。村雨さんの弟子ならだれも文句は言わねえだろうよ」

 

 あずみは鼻を鳴らして「この話は終わりだ」と合図した。

 彼女が駆けだした先には英雄がいた。

 




二週間ぐらい経ちました、すいません。

今回短めでしたが、この後九鬼家の話なので少し長くなる――かもしれないと思いここで切りました。


て、ことで

次回は九鬼家メンバーに会います。


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――私の有意義。――

前に九鬼のメンバーと会うと言ったな、あれは嘘だ。


「大和今日暇か?」

 

「ん? あー予定はない」

 

 放課後、総一郎は帰り支度をしている大和に声を掛けていた。大和は勉強のため今日は家にいるつもりだったので総一郎の言葉を軽く聞き流している。

 

「九鬼家にお邪魔することになったんだけどお前もどうだ?」

 

「んーいいや、かえって勉強する」

 

「そうか」

 

 そうして総一郎は帰り支度をしている大和を待たず、教室を出ようと扉に手を掛けたところだった。

 しかし、そこで大和は気が付くのだ。

 

「おーーーい!!」

 

 大声で教室に残っていた数人の生徒がその声の主に向かって視線を向けた。失態に気が付いた大和は鞄を持って急ぎ足で総一郎の元へ駆け寄り、廊下に出て抗議の声を露わにするのだった。

 

「そういう大事な話をまるで「今日の晩飯何がいい?」のように軽々しく言うな! 危うく俺の人脈構成というポリシーが崩壊するところだったぞ!」

 

「えーでもー人の話を聞き流している人が悪いと思いまーす、そう思いませんか川神先輩?」

 

「ああ、実に不誠実な奴だ。罰として私に何か奢るにゃん♥」

 

 と、気が付いた時には百代が大和の背中に張り付いていた。もちろん総一郎は百代の気配に気が付いていたが、大和それに気が付いたのは暴力的なマシュマロが自分の背中に当たっていると認識したときだった。

 

「あー大和、僕にマシュマロくれないのに一人だけマシュマロ背中にくっつけてるー」

 

「こら、見ちゃいけません……大和、年上の霊を除霊するには我がロリコニアに来るのが一番だぞ」

 

「おやおや大和君。私も大和君の下半身に体を擦りつけたいです」

 

 偶々通りかかった三人組に大和は怒涛の攻めを受ける。

 

「ええい! ここぞとばかりに攻め込むな! 葵はそれ以上近づくな!」

 

 「残念です、また楽しいことをしましょう」と言い三人組はその場を去って行く。

 一息ついて総一郎は適当な説明を大和にして九鬼極東本部へ大和と百代を引き連れ向かうのであった。

 

 

 

「「でかい」」

 

 総一郎と大和は口を揃えた。

 世界最大規模の財閥「九鬼財閥」の日本本社、英雄の父が経営しあずみが仕える日本最大の企業である。日本にある物、スプーンから宇宙船まで九鬼財閥が関係していると言われている。

 百代は訳あって何度かここへ訪れたことがあるが、大和は川神に住んでいてもここへ来たことは無かった。勿論、総一郎もここへ来たことは無い、そもそも関東へ出てきたことが殆どない。だからなのか大和よりもその大きさに驚愕して少し顔が強張っていた。

 

「なんだお前達、ここは私有地だお子様は帰れ」

 

「これ以上先へ進むと武力で対処させてもらいます」

 

 ――顔が強張っていた理由は少し違っていたようだ。

 三人の前に現れたのはメイド――だが、一人は重火器を装備、一人は冷たい闘気を纏い服の下に複数の暗器を所持していた。

 重火器を装備している方は金髪で柄が悪く、風貌からして某国を連想させる。もう一人の暗器使いは黒髪でアジア系の顔立ち、鋭い闘気を纏っているのと暗器を使うことから元々そういう稼業だった――と、総一郎は観察していた。

 そんな冷静な総一郎に大和は小声で話しかけてきた。

 

「どうなってんだ、話はついてるんだろう!?」

 

「いや、あずみさんにいつでも来いって今日言われたばっかりで何もアポは取ってない」

 

「おい!」

 

 そんな二人を見て鬱陶しくなったのか金髪のメイドは「ファック」と呟いて三人に銃口を向けてくる。

 

「おい、あんまりヒソヒソしてるとぶっ殺すぞ」

 

「ステイシー、まだ彼らは何もしていません」

 

 銃口を向けられた――ただそれだけで殺意など全くなかった。百代もそれを理解していつでも銃弾を弾けるように体勢を整える。そのうち九鬼の誰かが来る、もしくはこのメイド二人が自分のことに気が付くだろう――なんて考える暇もなかった。

 

 それは本人にとっても意図したものではなく体に染みついた本能だった。

 

「……なっ――」

 

 一体誰の呟きだっただろうか。金髪のメイドか元暗殺者のメイドか、百代かそれとも大和だったかもしれない。

 いや、総一郎の口から出たものだった――総一郎は銃口を向けられたことに反応してそのマシンガンを微塵切りにしてしまった――

 刀を抜いた、攻撃した、九鬼家領内に足を踏み入れてしまった――つまり戦争。

 

「はっはっはっは、やるな総一」

 

 そう百代は笑って呟くのだった。

 

 

 

 総一郎はこれからどうするべきか考えたところで自分が従者たちに囲まれていることに気が付いた。

 ふと、後ろを見てみれば大和と百代の姿は無い。恐らく百代が大和を連れてどこかに隠れたのだろう、押し付けられた形であるが自業自得とも言える――いや、そんなことはない。反射的に動いたが先に銃口を向けた方が悪い。そんなことを考えながら問答無用に攻撃を仕掛けてくる九鬼従者部隊の攻撃を刀も使わずに避け続けていた。

 

「いいか、一人ずついっても意味が無い! 五人一組による一斉攻撃と時間差攻撃だ!」

 

 力の差を実感した金髪のメイドは先程のようにやる気なく振る舞うことはしなくなっている。総一郎の実力を目の当たりにして確実な危機感を覚えたようだ。そして連携された攻撃のなか、元暗殺者のメイドはこちらの隙を伺いながら人ごみに紛れて攻撃の機会を窺っていた。

 闘気が完全に隠され、流石に三桁をを超える実力者の中で彼女を見つけ出すのはかなり疲れる作業だった。しかし疲れるだけ、直ぐにでも捉えることはできる。

 そんな時だった、総一郎は刀を抜かず鞘に入ったままの得物を振り周りにいた従者たちを突如蹴散らした。

 

 革靴の音が正面から聞こえてきた。正面には九鬼家極東本部の正面玄関、革靴の音だけではない、それと共に凄まじい気がこちらへと向かってきていた。

 百代のように撒き散らすような気ではない、動の気に違いはないがそれはどちらかと言うと「滲み出ている」ようだった。

 それも相当に洗練された「動」――総一郎よりもその先に到達している気である。無我の境地や天衣無縫の一段階上、それを滲ませているだけでここまで感じさせていることが総一郎をここまで戦闘態勢に引き上げる要因だった。

 自分の現在到達してる高みとこの気の持ち主が「力を出した」という状態が同等である――と総一郎は認識した。

 そしてそれは向こうも同じだった――正面玄関の自動ドアが開く――

 

「――ジェノサイド――」

 

「……」

 

 総一郎が認識したのは金髪の老人が自分に向かって最強の蹴りを放っている――それだけ。

 

「チェーンソー」

 

「――」

 

人が認識できぬ間に総一郎は遥か彼方へと飛んで行った。

 

 

 

 総一郎が星となり、辺りは言葉を失っていた。

 それは恐ろしさなのか、それとも尊敬の眼差しなのか。

 

「おい」

 

 その言葉は金髪の老人に向けられたもので、闘志をむき出しにしている人物から放たれていた。

 百代――その闘気は「獣」ではなく、確実な「動」であった。

 

「成長したようだな、百代」

 

「お前は確か爺の知り合い……川神院にも何度か来ていたな」

 

「ああ、鉄心とは古い知り合いだ。それにしても戦闘衝動がそこまで抑えられているとは、それに気が変換されているとみえる」

 

 金髪の老人はそんな百代を鼻で笑った。百代にとっては不愉快極まりないものであったが、金髪の老人は笑ったと同時に気を収めてしまう。

 

「安心しろ。あの小僧は無事だ。俺の蹴りを利用して遥か彼方へ飛んで行っただけだ」

 

 と、金髪の老人は踵を返した――が、それを百代が許すはずもない。

 いきなり襲い掛かることはしないが、金髪の老人の間合いに恐れることなく踏み込んでいた。もっと言えば百代は金髪の老人の目の前で対峙している。

 

「悪いのはそっちだ、九鬼を代表して総一郎に謝れ」

 

「……なんだと?」

 

 拍子抜け――と言えばそうにもなる。従者からすればこの男は特別で最強。大和からすれば百代は総一郎に負けたとしても最強と認識されている。

 この二人がここまで近づいてしまえばそれは「一触即発」と言うのが正しいだろう。

 

「総一郎はあずみに「いつでも来い」と言われてきた。だが、そこの金髪メイドがこっちに銃口を向けてきたんだ」

 

「おい! 変なこと言う――」

 

 金髪の老人が睨みを効かせてメイドは口を閉じた。

 だが、そんな理由で頭を下げる男ではない。

 

「要件はなんだ?」

 

「知らん」

 

 挑発的な二人の会話が周辺の空気を重くさせる。

特に大和にとっては死地に迷い込んだウサギであろう。

 

「……九鬼にそちらが攻撃したのも事実だ、ここは九鬼家の敷地内だぞ? 防衛は当たり前だ」

 

「ふざけるな、私たちは――」

 

「が、こちらの不手際があったかもしれん。対処は後日行う、またあの小僧を連れて来い――俺とてあの男の弟子に興味がある」

 

 抗議する百代を除け、金髪の老人は歩みを進めた。

 

「名前はなんだ」

 

 そう聞くのは百代、金髪の老人は一度立ち止まって言う。

 

「ヒューム・ヘルシング」

 

 その顔はこの世界で誰よりも好戦的であった。

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 総一郎は空高く飛び上がっている。

 飛ばされたわけではない、確実に飛び上がっている。総一郎はヒュームの蹴りを受ける際、その蹴りに足の裏を合わせジャンプ台としてそれを受けた。あの場で防御していればその箇所が破壊されていたことは明らか、ならば威力を無力にする他ない。と、言っても軌道が低ければ建物に当たって被害が出るしジャストミートで受けてしまえば一体どこまで飛んでいくかもわからない。なので総一郎は出来るだけ垂直に飛び上がるよう調整するしかなかった、それがこの長い滞空時間を過ごす原因である。

 しかし、いつかは落ちる。そうなればどこに落ちるのか? どう受け身を取るのか? 金髪の老人にいつか復讐してやると誓うのだった。

 

「よっと」

 

 地上との距離がおよそ十メートルまで近づいてきた時、総一郎は刀を抜いて一振り――風圧と気で着地する前に落下のスピードを消していた。

 だが、軽々しく「よっと」で片付くようなものでもない。

 その斬撃を受けた地面は無数の刀傷と膨大な気による陥没により見るも無残なものとなっている。遥か一万メートルからの落下を止める代償に相応しい程に広範囲で地面は抉れていた。

 総一郎が見渡す限り住宅街とは言えない。空気が悪く、有害な煙が排出されている工場があるため、川神市の外れにある工場地帯と推測できる。これが住宅街であれば大惨事になっていたかもしれない。

 

「まあ、全部九鬼のせいにしよう」

 

 そんな独り言を呟き総一郎は刀を収めた。

 しかし、総一郎は平然を装っていたが非常に難儀な状態にある。ここらの地理が把握できていないからだ。川神で治安が悪い「親不孝通り」には出入りしたことは何度かあってもその先――この工場地帯に足を踏み入れたことは無かった。大和に「あそこにはできるだけ近づかない方がいい」と、念を押されていたことも一因だが、それ以上に嫌いな雰囲気だったので近づきたくなかった。

 携帯電話を開いてみるが、何故か壊れている。理由は単純明快だったが、それを気にしても仕方がないということに総一郎は気が付いている。

 兎にも角にもここの住人を探して道を聞きだすことが先決だった。

 

 

 

 歩けば家がある、そこに人がいる――そう思って総一郎は通常よりも少し早く歩いていた。だが、住民が見つからない。

 いくつか家を見つけたが、その中には誰もいない、もしくは居留守をされている。それに住宅の風貌が非常に悪い、とてもではないが親切に道を教えてくれる人がいるとは考えられなかった。

 それから数十分が経った。

 もう夕方であるが、現在は七月下旬であるためかなり暑い。幸い日差しはもう殆どないがそれでも気温は高かった。刀が重いと思ったことはないが今は鬱陶しく思うほどに邪魔だ。そんなことを言えば全ての剣術家に非難されよう、だが生憎、総一郎は剣術家の心など持ち合わせていない。

 とにかく風呂に入るか涼みたい、金はあるからそれを渡してどうにかしよう。何かあれば武力行使、全部九鬼のせいにしよう――と、総一郎はある一軒の家の前で歩みを止めた。

 それほど長けているわけではないが、人並みに武人として探知は出来る。

その家にいる人数は二人。片方は所謂不良と言う奴だろう、気が暴れている。もう片方は静かな気、寝ているのだろうか。

 考えることはいくらでもあったが、取りあえず玄関の呼び鈴を鳴らす。

 ――返事はない。

 もう一度鳴らしてみる、鈴の音が聞こえるので正常に作動している。

 ――返事はなかった。

 これ以上歩くのは御免被る――総一郎は呼び鈴を連打した、不良なら気が短いので直ぐに出てくる。それが総一郎の作戦。

 

「うるせえ! ゲームに集中出来ねえだろうが! ぶっ殺すぞ!」

 

 連打した時間は三秒ほどだった。

 

「お金あげるのでお風呂と着替え貸してください」

 

 相手は赤髪の長髪、さらに子供だったが、総一郎は惜しげもなく頭を下げ一万円を差し出していた。

 

 

 

 

 

「ありがとう、助かったよ」

 

「おう、一万円くれるならいつでも風呂位貸してやるぜ。それにしてもお前気前がいいな!」

 

 総一郎は濡れた髪の毛をバスタオルでまとめ上げ、服は誰のかは分からないスウェット。大方赤髪少女の兄の物だろう。

 

「えーと、名前は何ていうんだ?」

 

「……板垣 天だ」

 

 少し間があったことに違和感を覚える総一郎だったが、恩人の深層に突っ込む気はない。それに気が付かなかったよう話を進めた。

 

「そうか、天ちゃんか。本当に助かった、暑いし道に迷っていたんだ」

 

「迷った? 来た道を戻れば帰れるだろ、一体どこから来たんだよ……えーと」

 

「ああ、塚原総一郎だ、総一とでも呼んでくれ――まあ、訳あってここに空から飛んできたんだ」

 

「飛んできた……?」

 

 天から総一郎は怪訝な視線を受けてしまう。空から飛んできた、と急に言われれば疑心暗鬼になるのも当然ではある。だが、ここで信頼を失えば道を聞くことも出来ず、服を返せと言われて追い出されるかもしれない。

 それは想像するだけで免れたい状況下であることが容易に想像できる。

 

「……取りあえず天ちゃんは命の恩人だ、一万円程度では到底返しきれない。なにかできることはないか? 掃除、洗濯、ゲームの相手でもいい、料理だってできるぞ」

 

 最後の言葉に天は反応した、訝し気な視線は消えている。

 

「……実はそっちで寝てる辰姉が晩飯作ってくれる筈だったんだけどよう、全然起きねえんだ」

 

 天の視線に釣られて総一郎が見た先には青髪長髪の女性が仰向けで鼻提灯を付けている。視界に入っただけだというのにその豊満な胸に一瞬気を取られてしまう総一郎、直ぐに視線を天に移して笑顔で答える。

 

「合点承知!」

 

 天から話を聞く限り全く料理が作れないらしい、冷蔵庫の中身を訪ねてみるが食材があるぐらいにしか分かっていない。

 台所にあるあまり大きくない冷蔵庫、中を開けてみるとそんなに食材はない。だが、肉も野菜もある。

 和食特化型の総一郎にしてみれば何の問題もなかった。

 

「天ちゃん、何人分作ればいいんだい?」

 

「えーと、ウチと辰姉と竜兄とアミ姉と……師匠も一応か。五人分――いや、総一も分も合わせて六人分だ」

 

「え、俺は別に――」

 

「いいから食ってけよ」

 

 満面の笑みで天はそう言った。

 赤髪の不良――なんて決めつけていたが、根は優しい。環境が彼女をこうしたのだろうが、恐らく今言った姉弟が支えとなって懸命に生きているのだろう。五人もこの家に住んでいるなど無理がある、そんなに大きな家ではない。

 恩返し――そんなことは考えず、総一郎は美味しい料理を振る舞うことだけ考えていた。

 

「……みりんってある?」

 

「なにそれ?」

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

「なんだい竜、今帰りかい?」

 

「おお、アミ姉偶然だな」

 

 紫色のミディアムカット、気の強そうで艶美な女性とオールバックで左腕に大きなタトゥーが入った厳つい男。話を聞く限り二人は姉弟だろう。

 

「あら、お前ら今帰りか」

 

「師匠も偶然かい?」

 

「はは、変な日だな」

 

 師匠と呼なれる男はいかにもな中年男性、みすぼらしい格好をしているがどこか雰囲気がただものではない様子を醸し出している。

 すっかり暗くなった夜道を歩く三人は他愛のない会話をして自宅への帰路を楽しんでいる。自宅が近づいてくるにつれてオールバックの男が鼻を鳴らした。

 

「なんだか良い匂いがするな、今日は特製野菜炒めとか言ってなかったか?」

 

「確か辰はそう言っていたね、気でも変わったんじゃないか?」

 

 二人はそんなことを言いながら思いのほか自分の腹が空いていることに気が付いて家族が待つ家に急ぐ――が、中年の男はそこで足を止めた。

 

「……どうした師匠? 早く帰って飯を食おうぜ」

 

「……辰と天以外に誰かいるぞ」

 

「なんだと?」

 

「なんだって?」

 

 視線を合わせた三人は駆け出した。

 料理の匂いが届くところまで近づいているのだから走ればすぐについてしまう。十秒もかからないうちにオールバックの男は自宅の扉を壊す勢いで突撃していた。

 

「天! 辰! 無事か!」

 

「天! 辰! 今助ける――」

 

 二人がそこに見た光景は見るも無残な光景――

 

「ギャハハハ! またウチの勝ちだな!」

 

「ギブ! ギブ! 逆エビ固めは無理!」

 

「総一君この煮物、凄く美味しいよ~毎日作りにきて~」

 

 ゲームに負けた総一郎が無抵抗のまま天にプロレス技をかけられ、辰子は総一郎の作る煮物を食べながら幸せそうに総一郎の頭を撫でていた。

 

「……天、あんた一体何してるんだい」

 

「お、帰って来たのかアミ姉」

 

「辰姉そいつは誰だ……」

 

「んー? 総一郎君だよ~」

 

 四人の会話は一つも噛み合わず時が過ぎていく。

 「アミ姉」という単語に反応したのか総一郎はいとも容易く天の逆エビ固めを解き、立ち上がって頭を下げていた。

 

 風呂を借りた。

 

 お礼に飯を作った。

 

 お姉さんたちに挨拶するため天と遊んでいた。

 

 掻い摘んで話し、二人は納得する。オールバックの男は何故か総一郎を見て悪い笑みを浮かべていたが、総一郎はその意図に気付くことは無かった。

 

「風呂を貸しただけなのにお金も貰って飯も作って貰うとは、妹たちが世話になったね」

 

「いえいえ、助けてもらったのはこちらですし。本当に助かりました」

 

「そうかい、じゃあ私は風呂に入ってくるからゆっくりして行きな。大したものもないけれど」

 

「ありがとうございます、アミさん」

 

 亜巳はお礼を言う総一郎に片手を上げて応え、そのまま風呂場へと向かった。どれくらいで上がるか分からなかったが、オールバックの男――竜兵のために料理を温め直すため台所へ向かった。

 

「あ、竜兵さん、今料理温めるんで待っててください――それと服借りてます」

 

「おう、サンキュな……おい、それ俺の服じゃないぞ、辰姉のスウェットだ」

 

「ええ?!」

 

 驚いて総一郎は辰子の方に振り向く。辰子は「気にしないでいいよ~」と手を振っていた。

 そうなれば少しだけ総一郎も意識してしまう。進んで嗅ぐことは無かったが、襟元から香るものはなんだか理性がすっ飛びそうであった。

 ――俺にはスワロウがいる……!

 必死で言い聞かせながら鍋に入っている煮物ときんぴらゴボウを温め直している――

 ――ところだった。

 

 油断もあったのだろうか、その気配に反射して総一郎はおたまをその相手に投げつけていた。刀は辰子と天、竜兵がいる卓袱台の下に置いてある、先程の刀に対する不敬がここにきて天罰に現れたか――なんて考えながらどうやって素手で戦おうと思考していた。

 

「へぇ、百代とやりあったのはお前だったのか、塚原の坊主」

 

 そんな言葉に竜兵が反応し、その後、総一郎は構えていた拳を引っ込めていた。

 

「……釈迦堂さんですか?」

 

「よう坊主、でかく――いや、強くなったな。今の俺じゃ勝てねえかもな」

 

 釈迦堂の言葉に総一郎は睨みを効かせた表情から再開を喜ぶようなワクワクした表情に変化している。

 そこでようやく竜兵が口を挟んだ。

 

「なんだ、師匠と知り合いだったのか?」

 

「ああ、こいつがまだ六歳くらいの時に一度稽古付けたことがある。あんときはとんでもない化け物の雛と戦っている感じだったが、今となっちゃ化け物すら超えてやがる……!」

 

 釈迦堂の笑い声に辰子、天、竜兵は何故か驚いている。

 

「……ウチ、こんなにうれしそうな師匠初めてみたぜ」

 

 そんな釈迦堂を見て総一郎はまだ何も知らなかった頃の過去を思い出し、思わず笑いが零れていた――がそこで重大なことに気が付いた。

 

「――師匠……?」

 

 釈迦堂は元川神院の師範代、それは武術界でも有名な話だった。最難関と言われる川神院の師範代試験を一発で合格し、川神鉄心直々に勧誘したと言われる天才。あの川神百代の師匠でもあり、百代に及ばぬがそれとそう違わない才能を持つ――だが、思想や素行の悪さが問題視され川神院を破門された。

 それが問題である。

 

「ああ、ウチら師匠に稽古付けてもらってんだ」

 

「おう、師匠のおかげで俺達相当強くなったぜ。師匠にそこまで言われるお前は見かけによらず凄げえんだな、一発やらせろよ」

 

 最後に言われた言葉で総一郎はとんでもない悪寒――殆どデジャブ――に襲われたが、そんなことはどうでもよかった。

 

「釈迦堂さん、もしかして川神院の技とか教えてないでしょうね」

 

 川神院に入ること自体は簡単だが、飽くまでも川神院は門外不出。かなり内輪的な傾向が強い。

 

「…………まあ、黙っといてくれや」

 

 そんな川神院の元師範代が無断で外に技を漏らしていれば大問題である。

 

「無断で技を持ちだした者は確か――粛清……?」

 

「まあまあ、今度梅屋の豚丼奢ってやるから。あれにとろろかけて食うと美味いんだぜ?」

 

 釈迦堂は総一郎に近づいて肩を数回叩くと鍋の人参を一摘み口へ運び、皆がいる卓袱台へ行ってしまった。

 

「いや、どうせなら帰り道教えてください」

 

 特にデメリットもないので総一郎は安い手打ち金で告げ口を告げないことにするのだった。

 

 

 その後、嫌な予感は当たり。泊まっていくことになるが、竜兵から貞操を奪われる危険性に侵されるのでした。

 




久しぶりです。

他の作品は投稿していましたが、なんと一振りの方はかなり時間が空いていました。
一週間と少しぐらいしか経っていないと思っていたら二週間以上も経過しているとは……すみません。

できるだけ早く次上げます! そして後二回ぐらいで原作突入です!

A-5もあと少しでので頑張っていきたいと思います!
皆さんA-5買いましょう!


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――私の変革日常。――

A-5最高だな!


 貞操を守り切った次の日、起床した総一郎の目の前には豊満な胸があった。いや、あった――と言うよりも総一郎の顔はその胸に突っ込んでいる。

 もう一つ気が付くことがある。後頭部にも、凄く柔らかい感触があるではないか、恐らくこれも豊満な胸であろう。

 特に総一郎はスケベな男ということでもない。比べるのは酷というものだがガクトとは大違いだ、むっつりスケベのモロとも違うと言えるだろう。その要因として燕が彼女である、それが大きいとも言える。

 だが、総一郎は勘違いしてほしくは無い――と普段から言っている。

 彼にだって隠しているエロ本やフェチはある。

 だから彼にだってこの状況はとてつもなく素晴らしい状況なのである。

 

「ふがふが」

 

 顔が埋もれているため言葉をうまく発することができない。恐らくは「辰子さん、離して」と言ったのかもしれないが、そこで総一郎は起床してから気が付いた中でも最も重要なことに気が付いていた。

 

 今自分が顔を埋めている方に辰子は寝ていない。

 

 貞操の危機を守るため総一郎は竜兵の横で寝ないようにすることを決めていた。実際に決めたのは亜巳で竜兵に掘られないようはからってくれたのだ。釈迦堂は「若い者の隣で寝ると心臓に悪りいや」と一番端で寝るためその横には竜兵が寝ることになる、いくら竜兵でも釈迦堂を掘る気は無いらしい。

 そうなれば必然的に総一郎の隣には四人姉弟の三人娘のどれかが寝ることになる。

 辰子は端が好きなため釈迦堂と反対側の端、しかもその時点で総一郎を抱き枕にしていた。天は総一郎の隣で寝るのが恥ずかしいらしくそれを固辞し、結果的に亜巳が総一郎の隣で寝ることになっていた。

 

 ともすれば、どんな小学生でも解ける推理である。

 

「――ふが!ふが!(やばい、亜巳さんの胸に頭を埋めているなんて洒落にならねえ……! しかも何故か俺は亜巳さんを抱き枕にしている!)」

 

 辰子がしているように総一郎は亜巳の背中に腕を回して抱いている状態だった、しかも辰子がガッチリと総一郎をホールドしているためその場から忍んで抜け出すことは不可能だった。

 

「(辰子さんの力が異常だ……流石釈迦堂さんの弟子だけあるが――)」

 

 と、思考を巡らせているうちに総一郎は気が付いた。

 

 出来ぬことは出来ぬ――このまま亜巳さんが起きるのを待とう、起きた時に謝れば良いじゃないか――総一郎は取りあえず幸せの時間を楽しむのだった。

 

 

 

 

 結局起床時に亜巳から小言を貰うことになったが、密かに起きていた総一郎は亜巳が起床したときの反応を知っていた為そこまで落ち込むことは無かった。

 お詫びにまた朝ご飯を作り、亜巳筆頭で感謝される総一郎。ここまで義理をはたせばよかろうと思い、釈迦堂に川神までの案内を頼む――が。

 

「まあ、もうちょいゆっくりしてけよ。どうせもう学校には間に合わねえんだ、天の遊び相手でもしてくれ」

 

 蔑んだ目の総一郎をよそに朝の十一頃には家を出ていってしまう。亜巳もその日は仕事がなかったことや学校に行かないのであれば急ぐ必要もないため、総一郎は板垣家にて一日過ごすことを決めたのだった。

 

 そこで総一郎が聞いたのは板垣家という人たちの話。

 親に捨てられ、金も無く、この無法地帯で無法に生きることしか手段がなかった。盗みは当たり前だし、奪うこともする。金も無く武力もない時は雑草を食べてどうにか今まで生きながらえてきた。最近では時々良い食べ物にありつけることができるらしいが、総一郎の「家庭」料理を食べた時は思わず泣きそうになったと言う。無邪気にゲームをする天と竜兵、いつの間に寝ている辰子を見ながら亜巳は語るのだった。

 

「根は良い子達さ」

 

 語ると言っても天に対しての言葉は一言だけだった。

 少しして亜巳が洗濯をしているときのこと、総一郎の服の洗濯も任せていたので手伝おうともしたが、余分だ――と言い、総一郎は渋々手伝うのを辞めて天、竜兵とゲームをしていた。

 その時だった、天が立ち上がったときそのポケットから何かが落ちたのを総一郎は見逃さなかった。天はそれに気が付かなかったので総一郎は拾い、天に声を掛けようとしたのだった――が、それを見た総一郎の顔は無表情、凄い陰りを見せていた。

 その表情に気が付いたのは辰子だ。今まで寝ていたのに一番は早く異変に気が付いていた。総一郎の顔が陰ったと同時に気に凄味が増したのを感じ取ったからだ。

 

「……総一郎君、どうしたの?」

 

 殺気が漏れ出ているわけではないので辰子もそこまで警戒はしていない、飽くまでも異変を感じ取っただけだ。

 辰子の言葉で竜兵も天も総一郎の異変に気が付く。天は何があったのか理解できていないが、竜兵は少しの異変に敏感だった。少し総一郎を警戒すればその手にある物――錠剤に気が付くのは容易かった。

 

「天ちゃん、これは君の物か?」

 

「? ああ、ウチのだぜ。それ使うとすげえ強くなれんだ!」

 

 天の言葉を聞いた時、総一郎は反射的に錠剤を持っている右手を握りしめていた。あれだけの大太刀を振り回すことができる彼ならば、少し力を入れただけで物を粉砕することも可能だ。

 

「お、おい! ウチの薬になにしてん――」

 

「今すぐこの薬は捨てた方がいい、君の為だ」

 

「は、はあ? ふざけんなよ、それがなきゃウチは何にもできない――」

 

「何故、止めさせない」

 

 その言葉の先には洗濯物を干し終わった亜巳の姿がある。竜兵や辰子にだって言えることだが、一番非難を受けるのは長女である彼女だ。

 

「……」

 

「まともに生きさせたいなら止めさせるべきでしょう。簡単に強くなる――なんて都合のいい薬がこの世にあるわけがない、必ず代償を払う」

 

「言い返す言葉もないね」

 

 あっさりとした言葉を告げ、亜巳はある引き出しから物を取り出した。

 

「あ、亜巳姉――」

 

「黙ってな」

 

 ある程度の重さを持つ袋を取りだし亜巳はそれを総一郎へと手渡した。

 

「あんたが処分してくれ」

 

 中身は見なくてもわかろう、天が服用していた薬物だ。

 亜巳目を見て総一郎は頷き外へ出た。ある程度広いところへ出ると総一郎はそれを上空高くへ放り投げ、抜刀の構えをとった。

 板垣家の面子もそれを見届けるために外へ出てきている、天だけが不満そうで辰子が天を抱きしめている。

 

 総一郎は全くの部外者で助けてもらった側の人間だ。それだというのに人の家の事情に首を突っ込んでしまった。善意といえば善意、だがそれも受け取る側にとっては悪意ともなろう。

 しかし亜巳はそれを善意と受け取り、総一郎へあまり抵抗もなくそれを受け渡した。

 ならば総一郎は憎しみを込めてそれを粉砕することになんの抵抗もない。

 

 それが粉砕されるのは容易く、またその斬撃を認識できる者もいない。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

板垣家からようやく解放され、解放されたと言っても総一郎を離さなかったのは辰子と天、もう少し言えば竜兵。釈迦堂が飲んだくれ、酔いが醒めたところでようやく道を教えてもらった。

しかし、簡単に口頭でしか説明されなかったのでかなり時間がかかった、亜巳が送ると言ったが、女性ということで総一郎が断った形だ。

深夜一時過ぎ、ようやく親不孝通りを抜け、総一郎は取りあえず時計を買うことにする。そこで現在が深夜だということに気が付いた。

 工場付近は明かりが殆どなく、逆に親不孝通りは昼よりも夜の方が明るい。怪しい露店で売っていた洒落た時計を買うまでまさかこんな時間であると気が付かなかった。

 今から島津寮に向かうと二時近くになってしまう。玄関の鍵は恐らく開いている、というか誰かしら起きていてもおかしくは無い時間だ、これでも高校生である。しかし、携帯電話が壊れている為連絡の取りようもない、板垣家で電話を借りることも出来たが、島津寮の電話番号など覚えていなかった。

 

「……ここからは川神院の方が近いのか」

 

こんな時間にあそこを訪れるのは非常に躊躇うことであった――こんな時間に学生が外を歩いていることを教師に知られてしまう――だが、当事者である百代に頼めばどうにかなるだろう、そんなことを思いながら当然開いていない正門を飛び越えて敷地内に着地した。

 

「これ」

 

 予想外――と言うほどでもなかったが単純に総一郎は驚いた。まさか出迎えが鉄心自らだとは思わなかった、きっと気配に気が付いた百代かルー辺りだと考えていたのだ。

 

「夜遊びはいかんぞ、さらに不法侵入じゃ」

 

「……」

 

 言っていることは教育者らしいことであったが、その表情は怒った風なものではない。恐らく総一郎を待ち構えていた――きっと百代が既に事情を話しているのだろう。

 

「すいません」

 

「ほっほっほ、ヒュームに挨拶されたようじゃな」

 

「ヒューム? あの金髪クソ爺ですか?」

 

「少々言葉が悪いが間違ってはおらんな、彼奴は儂の「らいばる」じゃよ」

 

 「らいばる」と言った鉄心の表情が「戦士」に変わる――が、奥から聞こえてきた足音で鉄心の昂りもすぐに抑えられていた。

 

「総一!」

 

「総ちゃん!」

 

 駆けてきたのは川神姉妹、二人とも寝間着なので新鮮な絵面だった。ヒュームに蹴飛ばされて行方不明ともなれば百代ですら心配する、現に一子は総一郎に抱き付いて涙を流している。別に保護者を気取るつもりは総一郎にないが、そんな姿を見て頭を自然と撫でていた。

 

「ううっ、もう会えないかと思った……」

 

「いやいや、ちょっと上空一万メートルまで飛ばされただけだって――」

 

「お前も存外化け物だな」

 

「化け物結構」

 

 数時間ぶりの再会に二人は笑みを浮かべていた。

 

「ほれほれ、もう遅い時間じゃ。総一郎、今晩はもうここに泊まっていきなさい」

 

 三人の時間を割くように鉄心は間に入り、就寝を諭す。文句を言いながらも百代は本堂に戻っていくが、そこで一つの違和感に気が付いた。

 

「――総一、お前なんで服が変わってるんだ?」

 

「ああ、着地したところにいた家族に風呂と着替えを恵んで貰った――」

 

「――女の匂いがするぞ」

 

 後ろから掛けられたその言葉に総一郎は体を震わせて歩みを止めた。別に百代とはそう関係でもないし、やましいことなどしていない。

 問題点としては百代や一子――恐らくファミリーにも話は伝わっている。大勢の人間が総一郎を心配していた時に当の本人は女性に服を貸してもらっていた――それが最大の問題だ。こんなことファミリーに伝われば大和を通じて絶対に交渉が行われるだろう。

 だが、そんな心配は屁でもない。

 

「大変だったんだ」

 

 苦し紛れに出た言葉は総一郎からしたら言い得て妙だ――が、百代に言う言葉としては的を射ていない。それどころか悪手であっただろう。

 

「ナニが?」

 

「何もなかった」

 

 怖くて振り向けない、恐る恐る振り向いてみると――百代の怖い顔がすぐそこに迫っていた。

 ――落ち着け、と言う間もなく――いや、言うことを後回しにして総一郎は目の前に真っすぐ延びる廊下を全力疾走することになる。

 

 

 失念していたのはここが川神院――百代の庭であることだっただろう。

 

 

 

 

 

 

 昨晩の騒ぎで百代と総一郎は鉄心に絞られて寝不足、幸い次の日が土曜日だったの十時頃まで寝ることができた。

 起床した時、何故か自分の体が一子と百代の枕代わりになっているのか理解できなかったが、二人を除けて取りあえず鉄心とルーに挨拶し、島津寮へ向かうことにした。

 

「たのもう」

 

 初めて島津寮に来た時と同じ言葉、なかなかハイセンスなギャグだろう――総一郎はそう軽い気持ちで島津寮の扉を開けたのだ。

 しかし――

 

「キャップは市街地の方を頼む。源さんごめん、親不孝通りの方を頼めるかな? ガクトも源さんについて行って。モロは島津寮で情報の整理をして欲しい。京は俺の指示に従って高台から――姉さんとワン子は一体何をやってるんだ!」

 

 島津寮玄関口ではまさにnow、直江大和軍師による塚原総一郎捜索隊の編成が行われていた。

 

「大和、落ち着いて」

 

「直江、取りあえず俺達は先に行ってるぞ、連絡は後で――」

 

 ガクトと共に源さんは玄関先から外へ――となれば必然的にそこにいる総一郎と出会うわけだ。

 いや、誰の視界にもその姿は入っている。

 

「よ、よう……」

 

 よく考えた。昨日のうちに島津寮へ電話をかけるつもりが何故電話を掛けていなかったのか? 一目瞭然、百代と駆けっこをして疲れて寝てしまったからだ。

 一子が自分の体を枕にしていたのは総一郎が心配だった為、百代が自分の体を枕にしていたのは一子と総一郎が一緒に寝るというので監督役としてそこに居た為だ。

 

 一同は唖然としている。恐らく昨日――いや、一昨日も自分は捜索されていたのだろう。総一郎が朝、豊満な胸に挟まれて幸せな時間を過ごしていた、など考えもしなかったはずだ。

 

「総一! 無事だったのか!」

 

「よ、よかった」

 

「ま、全く俺様を心配させやがって……!」

「……けっ! 全く手間が省けてよかったぜ」

 

「総一……よかった……!」

 

 そんな後ろめたさを胸に秘めながら総一郎は「し、心配かけた、俺は大丈夫だ」と、迫りくるファミリーをどうにか宥めていた。「どこで、どうしていた」と軍師大和に聞かれたが「飛ばされた先である一家に拾ってもらったんだ、携帯も壊れていたから連絡が出来なかった、すまん」と、嘘は吐かず、都合のいい真実だけを告げて頭を下げた。

 これで一先ず安心、後は百代に賄賂を渡してどうにか隠し通そう――というのは甘かった。

 ――女性というのは勘が鋭い。

 

「女の匂いがする」

 

 背筋に悪寒が走る――後ろに誰かが居たわけでもないが、正面にいた――京の言葉で総一郎は明らかに動揺していた。

 大和以外に興味がない京が何故そんなことを言うのか。理由は至極簡単――心配し、怒っているからだ。

 そんな京が一言でもそう言ってしまえばファミリーの視線は事実確認もしないままに非難の視線に変わっていく。

 怒り、妬み、呆れ――全てを含んだ視線の中、京の視線だけが気にかかった総一郎は弁解することもせず非難轟々を受け入れることにした。

 

 

 休日を挟み、月曜日の川神学園。総一郎が金曜日に休んだ理由は「九鬼の金髪老人執事が突然蹴り飛ばしたせいで行方不明」などと完璧な真実が曲げられることなく一年次に伝わっていたため、多くのギャラリーそして九鬼英雄と忍足あずみが一年F組に足を運んでいた。

 S組の長である英雄がF組にいるなど天地がひっくり返るような由々しき事態である。しかも今話題の総一郎の元へ足を運んでいた。

 

「おっす」

 

 当の本人はそんなこと気にもせず、ただ友人に挨拶をするだけであった。

 

「総一……今回は九鬼の不手際だ、すまぬ」

 

「誠に申し訳ございませんでした」

 

 そこで一同が目にしたのは英雄とそのメイドである九鬼従者部隊序列一位のあずみが頭を下げた姿、信じられない光景は今日何度目かだったがこれ以上に驚くことは無い。

 

「アポなし訪問だった俺も悪いからお相子で、近いうちにまた九鬼に行くから話通しておいてくれな」

 

 総一郎も二人に対して特に恨みを持っていない、あるとするならば金髪老人執事。それもあえて言えばの話である。

 しかしそこで引き下がる英雄でもない。ゲストである総一郎を囲って攻撃し、さらには九鬼の最強兵器でどこかへ吹き飛ばしてしまった。九鬼を継ぐものとして何らかの始末が必要である。

 

「いいって、師匠の話を聞かせて貰えればそれでいい」

 

「総一……」

 

「まあ、後はうまい飯でも付けてくれりゃあ問題なし」

 

「無論だ! 九鬼が最高級の料理を持て成す!」

 

「ああ、後は同じクラスの直江大和も一緒に九鬼へお邪魔してもいいか」

 

「構わぬ! 千人の友を連れと来ようと持て成してみせる!」

 

 食い下がらぬなら食わせて下げる。

 大したことではないが、三つ程こちらがお願いすれば小さかろうと大きかろうと相手は満足もする。

 九鬼が持て成すと言うだけでかなりの待遇であるし九鬼の料理ならばかなり金も掛かるだろう。ある程度の欲求は満たされる。

 後は相手が質を高めればいいだけのことだ。

 その後、英雄はもう一度頭を下げてSクラスに戻って行ったが、あずみの表情は冴えていなかった。

 主に頭を下げさせたのだから当たり前と言えば当たり前である。

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 総一郎が川神に来てから四カ月以上が経つ、きっと彼にとってこの年こそがターニングポイントとなるであろう。

 地を離れ、友と出会い、心を打ち明け、過去との戦いを迎えようとしている。

 全容が底知れぬ「呪い」に対して総一郎は精神を高めることできない。いつもの事といえばその通り、だがそれでも歯がゆいものである。

 師を殺し、自分を苦しめ続ける「呪い」をどう打ち砕くか。

 

 

 十二月、島津寮の食卓で開かれた一枚の手紙には――

 

「元日、塚原家当主承認試験、塚原山にて」

 

 平然とそれを見つめる総一郎を窺う大和、京、キャップ、源さんは胸のうちに全てを秘め、総一郎は左手の拳に必要以上な力を込めて右目から一粒だけ涙を流すのだった。

 




お久しぶりです。

A-5やってました、遅れてすみません。

義経も旭さんも天衣さんもマルさんも最高じゃ。活動報告で言いましたが旭さんのおかげでプロット変更が大変です。義経の遮那王逆鱗も割りとぶっ壊れだったのでどうにかしなければならんです。

元々源氏組と絡みが多い予定だったのでこれからをお楽しみに。



マルさん最高じゃけん、マルさん最高じゃけん、マルさん最高じゃけん


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――私という者の支え。――

 冬休み直前、イブまであと一週間となるその週の火曜日。三ヵ月前までは夏の残り火である残暑が厳しく、夏に遊び疲れた風間ファミリーにとって最悪の季節とも言えたが、現在は朝起きれば布団から出ることは困難を極め、ぬくぬくのスウェットで生活し、学校や町へ外出するときは手袋やマフラーなどが必需品となるほど冬という季節がこの川神にも訪れていた。

 川神学園は金持ちが多い。もっと言えば川神には金持ちが多い。なので中には成績を金で買おうなんていう連中がいることもある、もちろんそれを鉄心が許すことはない。

 が、地元有力者からの寄付金や援助金は無視できるようなものではないため、ある程度の上納金を納めれば学校内での「私服」着用を許される。

 その特徴とも言えるのが不死川心や九鬼英雄、忍足あずみ、二年の京極彦一など、その性質上Sクラスに私服組は集まりやすい。

 百代や一子も川神院の一因ではあるが鉄心の意向により制服を着用している。風間ファミリーも大和を覗けば一般階級であるため寄付金など払える筈もなく、特に苦労することもないので制服を着用している。冬用にセーターを着ることも可能だ。

 当然、総一郎も制服の着用をしている――していた。

 

「おや」

 

「どうしたトーマ?」

 

「総一郎君の服が制服ではありません」

 

「ん? あら、若の言う通りだぜ。十徳だなありゃ」

 

 教室の窓から見える総一郎は制服ではなく、その周りには風間ファミリーの影も見えない。それ以上に何故、総一郎が私服で来ているのか冬馬にとっては不思議でならなかった。

 

「不死川さん、何故、総一郎君があのような格好をしているのか分かりますか?」

 

 私服を着ている――それだけが不思議なのではない、あの格好自体が不思議である。心のように着物で来るならまだしも、まるで正装ではないか。

 

「ん? あれは……塚原君の勝負服じゃのう。理由は分からんが滅多に着るものではない、と本人は言っていたぞ」

 

「塚原君じゃなくで「総ちゃん」でしょ?「ココちゃん」♪」

 

「にょわー! やめんかその話は!」

 

 微笑ましい光景を繰り広げられている一年Sクラス、準もそんな心に慈愛の視線を向けているが、只一人、褐色の少年からは総一郎の姿があまり微笑ましく見えていなかった。

 

 

 

 

 

 冬馬の懸念――というか彼は疑問に思った程度だが、その違和感は的中していた。

 総一郎は学長室へ続く三年教室が並ぶ廊下を神妙な趣で歩んでいた。それも一人ではなく、三人で。総一郎の前を二人の中年男性が歩む。それもみすぼらしい中年男性ではなく、二人とも袴姿であった。

 冬馬は総一郎に話しかけようと三年教室のある廊下までSクラスの数人を連れてやってきていた。とても声を掛けられるような雰囲気ではなく、総一郎と視線を合わせることも出来なかった。そんな中、心は言う。

 

「あれは塚原家当主と新当流師範代の――足利興輝殿ではないか……?」

 

 一見穏やかそうな信一郎とは違い、興輝と呼ばれる男はかつて「鬼太刀」と呼ばれた塚原純一郎のように強面で屈強な男だった。足利――と呼ばれることで容易に想像ができる、直輝の父で当主制度はないが、いわば現足利家当主のようなもの。村雨が総一郎を新当流総代に指名していなければ彼がそれを継いでいたとされている新当流の二番手、村雨や総一郎にも劣らない実力を持ち、直輝の目標でもある人物だった。

 そこで冬馬は三年F組の前で寄り掛かる百代を見つけた。てっきり声を掛けるのだろうかと考えていたが、百代は総一郎を見つめるだけで、総一郎も横目で一瞬だけ視線を合わせるだけだった。視線を合わせたことに冬馬自身は気が付かなかったが。

 

「……彼にとって良くないことのようですね」

 

「冬馬、大丈夫―?」

 

「若、あんまり気にしても――総一なら大丈夫だ」

 

 冬馬は二人の言葉で胸のもやもやどうにか排除しようと必死だった。

 心当たりがある、総一郎の姿に。かつて彼がそうなりそうであったように。

 

「……そうですね、総一君であれば大丈夫でしょう。もし何かあれば我々が受け入れればいいだけの話です」

 

 冬馬、準、小雪以外にその言葉の意味を理解できる者はいない、が。その気持ちを共にする者達はこの学校に、この世界には少なくとも「居る」ことは確かだった。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

「この度は事前の約束もなく、突然の訪問をお許しください」

 

「ほっほっほ、別に友に会うだけで約束などいらんわ。久しぶりじゃな興輝――数ヶ月振りじゃな信一郎」

 

「お久しぶりです先生」

 

「ご無沙汰しています、先日は失礼しました」

 

 一度目の礼の後、鉄心が言うと二人は各々の思いを秘めながら再び頭を深く下げた。後ろにいる総一郎へ鉄心は視線を向けたが真摯な眼を向こうから送られ、二人には悟られぬよう少しだけ微笑む。

 

「して、今日はどんな話があるのじゃ?」

 

 それを口にしたのは信一郎だった。

 

「――一月から総一郎を休学にして頂きたい、期末考査も免除させて頂きたい」

 

「……ほう」

 

 二人の間に闘気こそないが不穏と言える雰囲気が立ち込めていた。特に総一郎はそれ止めることもなく二人の後ろで様子を窺っていた。

 だが、誰かがこの間に入らねばならない。そのために興輝はこの場に調停役として参じていた。

 

「先生、新当流師範代として私からもお願い致す。塚原家にとって重要なことでございます」

 

「興輝、お前とて成績が金で買えないことを理解しておろう?」

 

「はっ、勿論でございます。もし進級ができないと言うならばそれでもかまいません。総一郎もそれは了承しております」

 

「……留年しても構わんのか?」

 

「いえ――」

 

 興輝は少し間を置いて総一郎の様子を窺い、総一郎が頷くとまた自分も首を縦に振った。

 

「――進級ができないならば退学で構いません」

 

 鉄心の眉間に皺が寄り、額には少しだけ血管が浮き出て今にも闘気を出す――そこで前に出たのは総一郎だった。

 総一郎に無言の窘めを受けて鉄心は少しずつ穏やかに気を静めていく。一度目を閉じて再び開いた時、総一郎は鉄心の目の前で微笑んでいた。

 

「お主はそれで良いのか?」

 

「ああ、後に引くつもりはない。逃げ道を作るつもりはないが帰る場所位欲しい、それぐらいが今の願いだ」

 

 そんな顔で――と、鉄心は心が痛むのを感じていた。何も言えない、それが鉄心の精一杯できることであった。

 

「……終業式の時に臨時の試験をやる……で、どうじゃ? お主ならできるじゃろう?」

 

「――ありがとう、鉄心さん」

 

 話が終われば早々に三人は学長室から去って行った。

 鉄心が一言いえば臨時の試験など直ぐにでもできる。それしかできないことに鉄心は憤りと不甲斐なさ、そして悲しみを覚えていた。

 

 鉄心にとって総一郎は既に孫のような存在であったのだ。

 

 遅れてやってきたルーは何事かと鉄心に問いかけるが、鉄心は一言――

 

「試練じゃよ」

 

 と、窓に顔を向けて言うのだった。

 

 

 

 

 

「では総一郎君、元日に」

 

「はい」

 

「それまで済ませておくことは済ませておきなさい。何があるかは分からないのだから」

 

「はい」

 

 川神学園校門前にて総一郎は先に京都へ帰る信一郎と興輝の見送りをしている。配慮してなのか総一郎へ声を掛けているのは興輝の方であった。

 終業式まであと数日ある、万が一――があるため期限一杯まで総一郎はこの川神に鍛錬し心を清める。総一郎が袴に十徳を羽織って学校へ来ているのはそのためである。特に格式ばった正装はないが、本人が良しとする礼装を節目に着ることを塚原家は義務付けている。それは京都における名家の集まりや結婚式など、通過儀礼と呼ばれるものを指す。

 ――決闘と言う場合も少なくはない。

 つまり総一郎は元日までこの服装で日常を過ごすことになる。

 

 この服には先程言った通り「礼装」という言葉がぴったり当てはまる、「正装」という言葉よりもだ。

 同じような言葉でも彼らにとってはそのニュアンスの差に価値がでる。

 

「――総一郎、くれぐれもな」

 

 興輝はそう最後に言うと使用人が運手する車に乗り込んでこの川神を去って行く。

 ――くれぐれも――

 総一郎が校舎の方へ振り返るとその意味が理解できる。

 今、総一郎の体から普段ならば考えられない程に闘気が溢れている。――否、総一郎は普段から気を一切漏らすことは無い。百代もそのせいで初めに不覚を取っている。今、総一郎から気が漏れ出ているのは考えられないことではなく――信じられないことだ。

 そこで、だ。普段得物を惹きつけるような気を出していない総一郎がそれを漏れ出していたならば、それに反応する者を多いと言える。

 ――百代、そして呼応して一人。

 総一郎は興輝達が去って行った町中へと再度振り返る。

 ――最低でも六人。

 

 くれぐれも――とは、くれぐれも戦うな――ということだ。

 

「……ふっ」

 

 この状況を鼻で一蹴した総一郎は次の授業の鐘が鳴る前に一時の日常へと歩み出す、己が最も高揚できる「礼装」を気とともに身に纏って。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 

 やるべきこと、やりたいこと――多すぎる、それが総一郎の感想だった。

 彼はまだ十六歳、元日までに遊べばいい、そういうわけでもないのだ。その意味合いが違う。やるべきこと、やりたいこと――というのはつまり死を目の前にしてというニュアンスだ。

 倫理の授業でよくある「世界最後の日に何をするか」という題。正直言って総一郎は答えのない問いを興輝から与えられてしまい困惑していた。

 幾つかの事は決めている。

 ――精神修行、当たり前と言える。

 ――できるだけファミリーと遊ぶ。

 ――荷物の整理。

 この三つ。だが、これでは決めたというよりも元からあったものを羅列しているようでどうも納得いかない、それでもってそれ以上に思いつかない。

 そんな状況で食堂のソファで寝っ転がりながら、大和と二人で七人のサムライVSエイリアーンVSプレデターンという新作のB級映画を見ていた。

 もちろん、風間ファミリーには全てを相談済みだ。その回答は「好きにすればいい」だ、まったく無責任だ、と憤慨した総一郎だが、よく考えてみると単純な正論であることに気が付いていた。

 

「なあ、大和」

 

「なんだ」

 

「なんかすることないか」

 

「……ないからこれを二人で見てるんだ――あ」

 

 映画のエンドロール、それが流れている間の会話だった。丁度、協賛の紹介の所で大和は何かに気が付いたようでリモコンを使い一時停止のボタンを押す。

 

「なんじゃ」

 

「……九鬼に行ってないぞ」

 

 

 

 

 

 と、総一郎と大和はスウェットから普段着に――総一郎は礼装に着替えて九鬼財閥極東本部に足を運んでいた。

 前回の記憶が鮮明に残っている大和はしかめっ面で、総一郎はでかいビルの屋上をさして興味もないような表情で見つめていた。

 

「おい、ここから九鬼の――って、お前らか……」

 

「どうも、総一郎様と大和様。前回は酷い失礼をいたしました」

 

 歯切れの悪く―そしてどこか思い出したくない表情で言う金髪メイドと二人の名前を確認した後に深く頭を下げる黒髪の暗殺者メイド。大和は軽くお辞儀をして早速――九鬼家とは別に――二人へ粗品を渡していた。驚いて金髪メイドは「お前ROCKだな」と黒髪暗殺者メイドはポーカーフェイスを崩して「……ありがとうございます」と呟いていた。

 すると中から別のメイドが現れて総一郎と大和は九鬼ビルへと足を踏み入れていた。

 

 一人のメイドに連れられて歩く、幅の広い廊下は十人が並んで歩いてもまだ余裕があった。その壁には高価な絵画や壺、特に目利きが優れているわけでもない二人からしたら、ただ単に触れて壊さないようにするだけで、価値の分からないものから祟りを進んで受けようとも思わなかった。

 一つ驚いたとすればメイドや執事――従者と言うべきか。その数がかなり多い。女はメイド服、男は燕尾服、その数は確認しただけでも三桁はくだらなかった。大和はそれだけに気が付いていたが、総一郎は全ての従者が何らかの武装を懐に隠していることに気がいていた。

 あの金髪メイド――ステイシーと黒髪の李という女が居る時点で理解していたことであるが、この九鬼の従者は私兵として確実な「部隊」と認識するのが正しいと総一郎は再確認して立ち止まった。

 

「こちらへ」

 

 メイドは大き目の扉の前で立ち止ると、こちらに一度お辞儀をしてから扉を開いた。

 その先にはおよそ五百人は着けるテーブルがあり、シャンデリアや装飾には相当な金額がかかっている。そのだだっ広い部屋の最奥に座っている者がいた。

 

「お前らが塚原総一郎と直江大和か」

 

 威厳の塊のような声が二人の体を通り抜けていく。その――女――の隣には例の金髪老人――ヒューム・ヘルシングと銀髪の眼鏡をかけた老人執事が待機していた。

 

「はい、直江大和です。今回はお招きいただきありがとうございます」

 

「初めまして、塚原総一郎です」

 

 二人とも深く頭を下げる。意図は違うが。

 大和は確実にコネづくりの為、現在の自分をできる限り最大限売りたいのであろう。逆に総一郎は一つの確信を以て礼儀を尽くしていた。

 

 ――王の家系か。

 

「うむ、直江の父、直江景清殿は良く知っているぞ、あの者には父上も苦労したものだ」

 

 そこで大和のポーカーフェイスが崩れた、狼狽したわけではなく、単純に父の名を出されて驚愕しているだけだ。

 表情が崩れたことを認識するのも時遅し、ヒュームは鼻で笑い、銀髪の老人は心地の良い笑みを浮かべ、女は「はっはっは」と笑い上げていた。

 

「はあ……日本に愛想が尽きてヨーロッパへ移住し、成功しているような人ですから父は、すいません」

 

「別に良い。それにしても景清殿よりもお前は穏やかだな、流石百代の弟分だけはある」

 

「姉さんをご存知ですか」

 

「ん? ああ、そういえば名乗っていなかったな。我は九鬼揚羽である、お前の姉とはライバルであった、負けたがな」

 

「!? そうですか……じゃあ英雄のお姉さんですか」

 

「うむ」

 

 そう揚羽は頷くと銀髪の執事に一枚に紙を渡し、その執事はいつの間にか大和の前に現れてそれを手渡していた。

 

「申し遅れました。私、序列三位のクライディオ・ネエロと申します」

 

 そしていつの間にか揚羽の隣に戻っていた。

 

「それは我の名刺だ。何かあったら言うといい、百代の弟ならば私の弟のようなものだからな」

 

「!? あ、ありがとうございます!」

 

 揚羽がまた笑うと大和は名刺に目線を向けながら深くお辞儀をしていた。

 そして視線が総一郎へと移る、それと同時にヒューム、クラウディオも意識を総一郎へ向け、力量を測ろうとしていた。

 

「どうも、村雨師匠がお世話になりました」

 

 先に総一郎が一言、それに対して揚羽は真剣な趣のまま表情崩さず、ただ総一郎一点だけを見つめていた。

 また総一郎も同様だ。九鬼の人間が村雨の弟子として総一郎に向ける視線の理由を彼は知らない、知る筈もない。何故なら総一郎は村雨のことなど何も知らないからだ。

 だからこそ、理由に予測を付け、その理由に師の生き様を見出していたかった。

 

「師匠は私のことを何と言っていましたか」

 

 一瞬だけ揚羽のこめかみがヒクついた。

 

「私は師匠のことも村雨という男のことも、あの剣客のことも何も知りません。無知です、なんでもいいです、教えてください――これが最後の機会になるかもしれませんので」

 

 その意味を揚羽が理解できるわけもなかった。ヒュームやクラウディオ、大和ですら、いや、総一郎ですら何故これが最後になるかもしれないのか知っていない。釘を刺した興輝も信一郎の言伝でしかそれを知らない、純一郎と信一郎のみがその詳細を知る。

 ただ、揚羽はその目の前で深く頭を下げている男の真摯さを邪険にはしなかった。

 

「いつも村雨殿はお前のことを案じていた、正直に言えば我からしてお前の印象は余り良くない。だが、今は違う」

 

 揚羽は少しだけ微笑みを見せた。

 

「村雨殿はお前のことを誇っていた。自分には勿体ない弟子だといつも言っていた。いつか共に歩める日を待ち望んでいたぞ」

 

  少し間を置いて総一郎は深く深呼吸をする、上を向いて口から息を漏れ出せば、そこには死の間際の師と自分に世話を焼くあの悲しそうな瞳と表情が浮かび上がってくる。

 呪い――その言葉に今までどれだけ反応し、どれだけ師の顔と言葉を連想しただろうか。込み上げるものはまだない。まだだ、まだ早い。そう言い聞かせると、早くこの思いを

解放したいのか、心の奥から巨大な波と共に大きな塊が浮き出てくるように感じた。

初めて感じた――信念――

 それの姿を見れば総一郎が今どんな思いで揚羽の――もとい、師の言葉を噛みしめているかは一目瞭然。揚羽やヒューム、クラウディオでもない大和ですらその心の一片を感じ取ることは容易だった。

 ゆっくり目を開いて微笑むと、総一郎は先程とはうって変わり、非常に柔らかい雰囲気で周りを包みながら村雨の話を楽しく聞くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 クリスマスが過ぎて今年も残すところあと三日、その日は十二月二十九日で総一郎の軽いゲン担ぎ会を行っていた。

 メンバーはファミリーの面子に源さんを加え、さらには冬馬や準と小雪も島津寮に集まって広間ではすき焼きが振る舞われていた。川神院の肉に合わせ葵紋病院の跡取り息子である冬馬が持ってきた川神産の珍しい野菜、食後に食べるデザートによって島津寮には合わないかなり贅沢なものとなっていた。

 だが、時が経つのはあっという間だ。流石に空気を読んだ冬馬は総一郎の部屋に泊まるなどいうこともせず、小雪と準を連れて十時頃には帰宅していた。風間ファミリーもいつもならばこの後壮大にはしゃぐのだが、十二時を回った頃でお開きとなった。夜も遅いため百代と一子は京の部屋に泊まることとなる、もちろん今回は入学時とは違い川神院からの許可は取っている、そういうところに変化が現れたところも総一郎にとって嬉しいものである。

 それでも――だ。

 それが嬉しかろうと今は心に余裕を持つことができていない。やることは済んだ、やりたいことも済んだ、心の重りはもう殆どない――だが、一向にこの靄は晴れることを知らなかった。

 午前一時頃、総一郎はあの河川敷で、もう明かりが殆どない夜を黄昏ていた。

 

「どうした」

 

 不意に声を掛けられたが総一郎は余り剣術家として良いとは言えない反応を見せた。人が――百代がすぐ傍まで来ていることに気が付いていなかった。

 

「油断してたなあ」

 

 ニヤっと百代は笑った。普通ならばこんな時に特別な感情を抱くこともあるだろう、百代は美少女と言える女だ、しかも風呂上がりで髪が妖美であった。

 だが総一郎は百代に恋愛感情を抱いては居ない。もし燕よりも早く百代に会っていたらもしかしたら……だ。

 そこで顔を向けて反応を示さない総一郎にムカついたのか百代が不機嫌な顔、訝し気な視線を向けてきた。

 

「なんだか心が落ち着かない」

 

 そう口にしたことで初めて総一郎は自分の心が「迷い」というものを抱いていること認識した。

 そんな表情が表に出ていたのかだろうか、百代は含んで笑い出し総一郎の隣へ座り込んだ。

 

「遠足じゃないんだ、いつものお前でいればいい」

 

「……まあ、そうだけどさ」

 

 一度間が空く、話のきっかけは総一郎が大きく息を吐いたことだった。

 

「覚えてるか、本気の戦いをここでしたこと」

 

「……ああ」

 

「お前は楽しくなかったかもしれないが、私はものすごく楽しかった」

 

 百代は微笑まし気に総一郎は肩をすくめてそんなに感情を込めることは無く河川敷の地面を眺めていた。

 二人はその河川敷にあの日の動きを投影していた。

 

「あんな動き今はできないな」

 

「まあ、俺もかな」

 

「六発は当てたんだけどな」

 

「こちとら一発で十分――だけど刀が耐え切れないのは誤算だった」

 

「あれは焦った、思いっきり深くまでいってたから、瞬間回復の気を良く練れたな私は」

 

「あれはチート過ぎる、首を刎ねないと勝てない」

 

「お前も大概だぞ、それに美少女の首を刎ねるな」

 

「化け物」

 

「化け物結構――そっくり返す」

 

「――化け物結構」

 

 二人は目を合わせて腹を抱えた。人目はないけれど声を抑えて肩が上下小刻みに揺れている。一体何が面白かったというのだろうか、きっと他の者が会話とこの状況を見ていたとしてもそれは理解できないだろう。

 この二人でしか会話できない、友達や恋人を超えた関係だから通じるツボなのだ

 

 ――好敵手と書いて友、二人は生涯のライバルになる。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 島津寮に帰って歯を磨き就寝、その時に携帯電話が光った。

 

 

『 I LOVE YOU SWORD MAN 』

 

 

 笑みを浮かべて総一郎は気を失うよう眠りについた。

 

 

 

 




どうも、遅くなりました。

GWなどで忙しく、ここ一週間も素晴らしいほどに多忙でして更新が遅れました。

今回の話で一年生編は終わりです。次からは時系列で言えば塚原家当主編にあたりますが、それは後に回想としてやろうかと考えています。つまり先に二年生編をやろうかと考えていたりします。
活動報告でも言いましたが、原作突入がまだだと一年生キャラやクローンが出せないので早めにやろうかなと思いました。

二年生編が始まるときは一応、空白の三ヵ月を軽く触れようかと。

まあもしかしたら塚原当主編をやるかも知れませんが。

――お知らせ――

えー同時進行でやっている「真剣で俺に愛、したら?」の方を一時更新停止にしたいと思います。

理由は今回のマジ恋A-5が思ったよりも話に突っ込んできたので修正をしようと、すると時間がないのである程度一振りが片付いたらそちらをやっていこうかなと思います。

楽しみにしてくださる方もいると思いますがご了承ください。


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二年生編
――我帰還す。――


時間が飛びます。

一年生の十二月最終から二年生クリス登場まで


 俺達があいつから聞いた話はこうだ。

 

 塚原の呪いによりあいつは己の手を汚すこととなり、さらには師さえ失った。はっきりしないが、その呪いは今もあいつの周りに付きまとって離れず、あいつの武に対する執念や魂という物を欠如させている。

 自分が人斬りだ、と俺達に告白した時、あいつは相当苦しかっただろう。そこまでの経緯を知っている俺からしたらそう見えてもおかしくはない、それ以上に誰が見てもあの時のあいつは苦しそうだった。

 もちろん、俺達はそれを直ぐに受け入れた。姉さんは元から事情を知っていたようだし、京はもうあいつを完全にファミリーの一員として扱っていた為そんなことを気にするような女じゃない。意外だったのはガクトやモロ、モロが恐怖心を抱かずにあいつを受け入れたのもそうだが、ガクトは京がファミリーに入る際ものすごく反対したという事例があった為に非常にファミリー一同は驚きだった。

 入学からあいつのことで色々なことがあったけれど、俺達はそれを受け入れ、あいつも俺達を心から信頼してくれた。姉さんや一子のことも気にかけてくれているので俺と同じように軍師の立場をあげてやってもいい、もしくは将軍にしてもいい。

 

そんなあいつがここを去り、京都に帰ってからもうすぐ三ヵ月が経つ。

 

 それは十二月の中旬、クリスマスよりも少し前のことだった。あいつは遂に呪いを解く機会を得た――だが、あいつの父親や興輝という人は何度もこう言っていた。

 

「何があるか分からない、やりたいことをやっておけ」

 

 その言葉を聞けば分かる、死の危険性がその呪いには含まれているのだ。

 一同は不安を覚えた、姉さんも例外ではない。それもそうだ「呪い」があるという以外にそれがなんなのかは判断できない、興輝と言う人も呪いに危険性があることしか知らないという。

 俺達は出来るだけあいつをリラックスさせ、できることは一緒にした。行きたいところには行ったし、超難解のゲームもファミリー総出でクリアした。九鬼の本社で村雨さんの話も聞けた。

 俺達は出来ることしかできない、あいつのしたいことを手伝うことしか出来ない。ならばそれを全力でやるしかない。

 

 あいつがここを旅立つ前の晩も俺達は出来るだけあいつの心に余裕を持たせるために精一杯やった。

恩着せがましく言うつもりはない、あいつは俺達のファミリーなんだ。

 

 キャップがリーダー

 

 俺が軍師

 

 姉さんが守護神

 

 ガクトが切り込み隊長

 

 一子がマスコット

 

 モロはツッコミ

 

 京はファミリーの逆鱗

 

 そしてあいつ――総一郎はこのファミリーの将軍――

 

 

 

 

「早く帰って来いよ……」

 

俺は二年生に向けて総一郎がいつでも帰ってこれるよう部屋を片付けていた。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 入学式を終え、大和達はお疲れ会を例の秘密基地で行っている。そこに総一郎の姿は未だない。

 ファミリーの間に生まれている笑いは大和が新入生案内係として仕事をしている時にぶつかった少女の話によって生まれている。その少女は総一郎と同じく真剣を袋に入れて持ち歩いていたらしい。もし、総一郎と出会っていなければすぐに警察を呼んでいたかもしれない、何故か凄い形相で睨まれたため結局は警察を呼んでいるわけであるが。

 そんなフラグを建てそうな大和に京が迫っているのがその笑いを引き立てていた。

 だが、やはり「真剣」という単語に一同は敏感であった。総一郎が連絡を寄越さなくなってから既に三ヵ月が過ぎている。新学期までに戻ってくる予定であったが、連絡すら途絶えたままだ。鉄心からの情報も百代が頻繁に確認しているが、その成果もあまりない。鉄心すらあまり情報を掴んでいないようだ、隠しているわけではない。

 それでも入ってくる情報は一つ――総一郎は戦っている。

 塚原が川神院に対して与える情報は一月から何一つ変わらない、まるで三か月間ずっと総一郎は戦い続けているとでも言いたいようだ。

 とにかく総一郎ロスとも言える――いや、そんなものではない、単純に家族が三ヵ月も連絡を寄越さずにいるのだ、しかも危険を伴っている状況にある。ならば「心配」という言葉が適当であろう。

 相変わらず風間ファミリーは全員Fクラスである、殆どの者が仕方なくFクラスに在籍しているが、大和はSクラスに転籍できる所をわざわざFクラスに残ることを選択した。元々興味もなかったが、総一郎の帰る場所作るのは軍師の役目だ、と周りに言っていた。

 過ごした時間は少なくとも総一郎という人物がそれだけファミリーの根底に存在している事実は明らかだった。

 

 

 四月が過ぎていく、変わらない日常の中で一つ、二つ変わることが出てくる。一つは島津寮に仲間が増えたこと。入学式のすぐ後になって気が付いたことだが、大和とぶつかったという真剣を持った女の子だ。挨拶をするたびに睨んでくるような人物であるが、殆ど大和達に関わっていない、言葉数も少ないため食卓を共にしてもほとんどしゃべらず、何故かストラップと会話している。

そして転校生の登場だ。

時期的におかしい話だが、担任の梅子からもたらされた正確な情報である。正確といっても的確ではない、その転校生がどこから来るのか男なのか女なのかさえ知らされなかった。ともすれば、そこで動くのが風間ファミリー一のお祭り好きであるキャップとその軍師である大和、転校生は女であるかそれとも男か、二者一択の賭博を平然と教室で行う。案外簡単そうで利益が出なさそう、普通はそう思うが、キャップのカリスマでお金は大量に集まり、大和の情報操作による虚偽の噂で片方に掛け金が集中する仕組みを作る、明確なルールがないからこそ出来る川神学園ならではの遊びだった。

 儲けた金は基地設備の増設や次の稼ぎ時の資金として取っておく、そこに正当性は皆無だが、それも一般常識の話だ。この川神学園は実力でぶつかることを理としている、それは一子や百代、ガクトの武はもちろん、大和の知略、謀略もその一環である。知でいえばこの学園の筆頭は葵冬馬と直江大和の二人で名が通っている。冬馬は知将であるが、大和は軍師と言うよりも侍中の方が言い得て妙と言えるだろう。

 して、前述の通りこの時期に転校してくるのは普通ではない。大和はその意味をよく理解して情報提供者の居る茶室に足を運んでいた。

 

「ヒゲ先生なんか知らない?」

 

「何をだよ直江」

 

「転校生のこと」

 

「ああ、例の……ね」

 

 ヒゲ先生こと宇佐美巨人は大和と向い合い、その間には将棋盤。宇佐美と大和が休み時間や放課後にのみ活動する「だらけ部」の部室であるこの場所で大和はいつも宇佐美から学校の情報を流してもらっていた。

 

「転校生のこと教えてよ」

 

「おじさんも一応教師なんだけど」

 

「いまさら?」

 

「そう言われると返す言葉がないね」

 

 頭を抱え一手を一手に時間を掛けて駒を動かしていく、戦況が良くないのかそれとも自身が生徒に対して情報を流している現状に対して頭を抱えたのか、言いきってしまえば単純に戦況が良くなかった。

 

「梅先生に上手くいっておくから」

 

「ま、それなら仕方ないね――あ、待った」

 

「王手」

 

「トホホ……」

 

 宇佐美はガクッと肩を落とし、そしてそのまま畳に寝転んでいつの間にか寝息を立てていた。

 一体こんな男のいい所を梅子にどうやって脚色して伝えようかと思うと頭が重くなる大和だったが、取りあえず大和もその場で腕を枕にして精神の底にゆっくりと落ちていくのだった。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 女子――そして外国人――宇佐美からの情報は大変有益だった。

 恐らく誰も予想していないだろう結果だ、賭けの内容は「男か女か」だったので今更人種を付け加えることはできない、しかし活用方法はある。外人イケメンとでも噂を流しておけば引っかかる女――男――は多い、幸いF組の生徒はモラル度が低いのでイケメンに引っかかりやすい女子が大半である。

 もらった――と確信してから数日、ついに転校生がやってくる当日となる。キャップと二人で売り上げの計算をしながらファミリーと共にいつもの変態大橋を歩いていた。

 

「川神百代――」

 

 言わずとも分かるであろう、挑戦者は一瞬にして星となる。そんな時大和は一人の外国人とぶつかっていた。

 

「あ、すいません」

 

「いや、こちらも不注意だった。すまない」

 

 軍服を着ていたのでどうにも怪しいが、ここが変態大橋と名を冠っていることを忘れたりはしない、だが、今日転校してくる予定の外国人を連想した大和はしばらくその男を見つめていた。

 

「大和が軍服の老人に熱い視線を送っている……!」

 

「やめい」

 

「うん、止める、大和結婚して」

 

「やめい」

 

「止めないよ?」

 

 横やりを入れてきた京に対応しているとその軍服の老人は既に姿を消していた。

 

 

 

 

「おい大和、ついに今日だな!!」

 

「ふん! 女に興味はないがスイーツ達に一泡吹かせてやりたいしな」

 

「残念でしたー男だっていう情報はもう確認済みだから」

 

 上から福本育郎、通称ヨンパチ。大串スグル。小笠原千花、通称チカリン。F組における派閥の代表のようなものである。ヨンパチやスグルは転校生が外人イケメンということに反感を覚え、殆ど感情的に女票に入れ、チカリンはガセだとも知らず男票に賭けている。あと数分すれば分かることだが、ギリギリまで派閥争いは続いていく。

 

「結局どっちなの?」

 

 情報を知るのは大和とキャップだけで京ですら知らされていない、モロやガクトは参加しているので当然ではあるが。

 

「ま、もうすぐわかるよ」

 

 本来その発言を大和がすること自体殆どグレーゾーンな話だが、京はそれを気にすることなく、梅子が教室に入ってきた時点で片手に持っていた小説を机にしまった。

 

「転校生を紹介する」

 

 そう呟いて一人の――男が教室に入ってきた。

 

「やあ、諸君」

 

 一同が静まり返る。

 ヨンパチは絶句しているだろう、あてが外れてチカリンの勝ちが決まったも同然である。しかし、チカリンもまた然り。外国人男性ではあるがイケメン――ではなく老人だった、軍服の。

 

「先生、彼が転校生ですか?」

 

 挙手して甲高くかわいい声で質問したのは甘粕真与、F組の委員長である。

 

「いや、転校して来るのは私の娘だよ――外を見たまえ!」

 

 そう指をさした方向には校庭が、そして正門が――そして馬が――

 

「クリスティアーネ・フリードリヒただいま寺子屋へ馳せ参じた!」

 

 馬――と声が所々から漏れる。流石の大和もここまで情報は得ていなかった。所謂、日本を勘違いした外国人である。いや、日本を勘違いしたところで馬を使い登校してくる者がいるわけがない。

 しかし運悪くそこに人力車で登校する英雄の姿が現れた。

 

「急げあずみ! 遅刻だぞ!」

 

「はい英雄様☆ しかし英雄様は多忙の身です、多少の遅刻は致し方ないかと!」

 

「甘いぞあずみ! 王たる者いかなる場合でも言い訳は許されん!」

 

「きゃるーん☆ 英雄様流石です☆」

 

 会話こそ異質であるが、その光景は紛れもなく悪影響だ。

 

「おお、流石サムライの国だ、まさか人力車登校とは自分もまだまだだな」

 

 教室にその声は届かないが大体何を思っているかなど明白だ。賭けの結果を気にすることもなく一同は「かわいい!」「馬……?」「やっかいなキャラだ」と基本的には同じようなことを思って外を眺めていた。

 だが――一番初めにそれを感づいたのは百代だった。

 

「あ、すげえな、馬だ」

 

 それはクリスに向かって放たれた言葉で教室にいる大和達に届くこともない、ましてクリスの馬に隠れてその姿は認識できなかった――視認できなかったと言うべきか、百代は気でその者の存在に気が付いているのだから。

 

「こいつは浜千鳥と言う名前なんだ。君もここの生徒か? もうホームルールが始まっているぞ」

 

「ああ、暫く休学しててね、久しぶりの登校だから平気さ、しかも校長室に呼ばれてるし」

 

「そうなのか、失礼した。自分はクリスティアーネ・フリードリヒ、今日からこの寺子屋で日本の武士道を学ぶ」

 

「……ははは、よろしく。俺は――」

 

 

 

 

 

 

「ん? 転校生が誰かと喋ってるぞ」

 

 F組でそれに気が付いたのはヨンパチが始めだった。クリスをよく観察していたのか、賭けの計算をしている大和よりも早かった。

 その言葉で視線を再びクリスへと戻した大和は少し目を凝らしてみた。すると窓から飛び降りる百代の姿が視界の端に映ると同時、大和もその人物の姿を視認していた。大和だけじゃない、恐らくはファミリー全員がそうであった。

 

「……ははは、よろしく。俺は――」

 

 

「総一!」

 

 四階から無造作に飛び降りればそれぐらいの音もするだろう。少なくとも学校に居る者には良く伝わるほどの激音が響き、振動を感じた者を多かった。どこからか悲鳴も上がっている、きっと百代を良く知らない生徒が騒いでいるのだろう。普通の反応と言えばそうであるが、百代が四階から飛び降りたところで足を骨折することもない。

 ただ、無造作に飛び降りたというのは確かにおかしな話だ――いや、一部からしたらむしろ当然だった。

 

「総一!」

 

 今度は誰が叫んだだろうか。大和か京かキャップなのかガクトかモロか、一子それとも源さんも叫んでいたかもしれない。

 ――そう叫んだのは今の全員だった。

 その名前を聞けば気が付く者も多い、何せ彼はF組であるし少し前まではあの百代を倒したエレガントチンクエの一人であったのだから。

 

「……随分と遅かったじゃないか」

 

「悪いね、随分な強敵だったもんで」

 

 三ヵ月前よりも背が高く、ワカメのように艶美な所は変わっていないが胸辺りまで伸び、垂れ流された長い髪、かつては持っていなかった大太刀よりもさらに長い太刀。顔立ちはより男前になり昔の女顔よりも少し野生が増し、何よりも――強くなっていた。

 

 

 ここに塚原総一郎、帰還。

 




時間が飛びました。

前から言っていましたが結構わかりにくいかもしれません。一応東西交流戦前までに塚原当主編を指し込もうかと。

早く燕を登場させたいですねー


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――我が弟子達。――

二週間も怠けてすいません


 三ヵ月という長く短い月日、人によって感じ方は違うだろう。受験生にとっては幾つあっても足りない時間だろうし、在校生にとっては退屈な授業が続く夏休みまでの時間かもしれない。

 しかし、そのファミリーにとっては信じられない程長い時間だった、そして酷く眠れない日々だった――特に百代にとっては。

 

 百代の気が爆発する――臨戦態勢に移ったことが誰からでもよくわかる程気が溢れている。少し前までなら鉄心やルーが止めに入っていただろうが、ここまで気を撒き散らそうともかつての百代のように暴走はしない、むしろ今少しでも発散させておかねばいけないと判断している。

 なにせ、生涯のライバルが三ヵ月も安否が知れなかったのだから。

 

 その時、爆発して溢れ出た気が百代の体に収まっていく。鉄心やルーはそれを知るところだったが、総一郎は口を半開きにして驚愕の表情を浮かべていた。

 まさしく――天衣無縫、かつて総一郎と河川敷で戦った時に百代が出した動の極み、総一郎の気に当てられて偶々だせたものだったはず、三年はかかると言われたものだ。

 

「……化け物かよ」

 

「化け物、結構――」

 

 二人の合言葉に成りつつある言葉を呟くと二人の交差は始まった。

 

 まず百代、初手先制という基本は変わっていない、これは戦闘スタイルの問題であって変えれるものではなかった。総一郎も後の先であるためやり辛さが全くない全力の勝負が出来るライバルであった。

 して。その初手には勿論変化がある、つまり後の先と対になる先の先――二人の距離はおおよそ二十メートル、総一郎に向かって攻撃を放つ間に百代は七十七変化をつけてその刹那を駆け抜けていた。

 ならば――後の先にいる総一郎は七十七手に変化する百代の攻撃に七十八手対応するのがその筋である。しかし、百代が残り三メートルに近づき五十四変化をつけた時点でその大太刀を抜いてすらいなかった。そもそも剣術家にとって三メートルという間合いは自分の制空権内である、その内側は彼らにとって現実として死に直結するとも言う。後の先にあるまじき行為、百代もそれを理解していたからこそ、そのまま総一郎に一撃を――と考えていた。

 結果としてその拳は総一郎に当たることは無かった。

 

「な……」

 

 総一郎はただ単に体を傾けるだけで避けた。まさか、そんな表情で百代は視線を右に向けて総一郎の顔を見上げていた。カウンターを放ってくることもなく、刀を抜くこともない――まるで自分の七十六手を無視するように最後の一手をただ避けていた。

 総一郎は軽く笑い、百代を置き去りにするよう校舎へ向かって三ヵ月前とは違う、やる気のなさ――を見せながら飄々と遅い歩みを進めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「総一!」

 

 教室に入るなり数人がそう叫んだので誰が、とは言い辛いが明らかに一子は涙ぐんでいたのでこの場合の代表は一子だろう。勿論、モロやガクトも心配していたと言わんばかりの表情をしていたが、キャップは「連絡ぐらいしろよ!」と肩を組んで再会を喜んでいる。一方、京は不機嫌な顔のまま一点の札を総一郎に向けている。

 内部事情を知らなくとも彼が三か月間も連絡が途絶えていたことを知る者は多い、総一郎の周りには人だかりが出来ている。揉みくちゃにされている総一郎だが、ふと視線を向けると口角を上げて笑みを浮かべている大和の姿が見えた、総一郎からその姿がどんなものに見えたのかは分からないが、右手を上げてこちらも笑みを浮かべた。

 

「お前らホームルーム中だぞ!」

 

 と、梅子の檄がF組に響き渡ると一同は何事もなかったように自らの席についていた。よほど怖いのだろう。

 

「申し訳ありません、騒がしいクラスで」

 

「いえいえ、楽しそうでよかった。クリスも喜ぶでしょう――それに良いものを見せてもらったよ」

 

 軍服の老人は総一郎へ視線を向けた。

 

「父様!」

 

「おお! クリス!」

 

 するとそこにクリスが飛び込んできた、それを迎えるクリスの父は至極幸せそうである。

 

「さて、クリス。ご挨拶しなさい」

 

「はい――ドイツのリューベックから来たクリスティアーネ・フリードリヒだ。日本に侍の武士道精神を学びに来た、よろしく頼む」

 

 幾つかのアクシデントはあったが、クリスの自己紹介が終わるとF組の男子一同は金髪美少女の登場に一テンポ遅れる形で歓声を上げた。賭けに勝って喜ぶものもいればヨンパチやガクトのように下心丸出しで嬉しさを爆発させるものもいた。

 特にガクトはそれを口にまでしていた。

 

「え、えーと。く、くりすてぃあーねさん?」

 

「クリスでいいぞ」

 

「お、そうか。じゃあクリス――彼氏とかいるのか?」

 

「いるわけがないだろ!!」

 

 ガクトの質問に刹那も間を空かせることなくクリスの父は怒鳴り声を上げた。当のガクトは反射的に心と体が竦んでいつの間にか自分の席に着席していた。

 

「いないぞ」

 

「当たり前だ、いたら本国の一個大隊で爆撃してやる」

 

「父様は仕事に情を持ち込まない人だ」

 

「はぁ……」

 

 梅子を含むF組全員がそう溜息をついたことだろう、親バカと天然お嬢様そして日本勘違い外国人というF組にぴったりと言える転校生が波乱の幕開けを告げた。

 そんな中一人、総一郎はクリスに興味なさげで刀の金属音を鳴らしてこの学園の雰囲気を楽しんでいた。

 

「フランクさん、そろそろ」

 

「おお、そうだな。クリス、何かあればすぐに言いなさい、戦闘機を飛ばして駆けつけよう」

 

「はい、父上!」

 

 クリスが抱き付くとフランクは梅子に一礼して教室から出ていった。

 どうやらクリスは島津寮へ引っ越してくることになっているようで、同じ寮で女子の京がクリスの案内係に指名されたが、恐らくそんなことはしないだろう。その尻拭いはキャップか大和に降りかかる。

 兎にも角にも総一郎がこの川神学園に帰って来たことはファミリーにとって喜ばしいことであり、この日クリスと並んで学園の二大ニュースとなった。エレガントチンクエの一人が男前になって帰ってくるわけであるから昼休みのF組は騒然としていた。教室の外に女子が総一郎を一目見ようと集まっているのだ。一年生にとってはエレガントチンクエ謎の五人目という都市伝説となっており、かなりの人数が集まっていた。

 逆に先程まで総一郎が帰って来たことに喜んでいたガクトはF組の端っこでヨンパチとなにやら呪文のようなものを唱えている。

 するとそこにエレガントチンクエが一人――葵冬馬、そして準と小雪、さらには英雄やあずみ、心までが姿を見せた。

 

「お久しぶりです、総一郎君」

 

「ひさしぶりだな総一」

 

「チョコマシュ寄越せー!」

 

「フハハハハ! 総一、何故連絡を寄越さなかった!」

 

「お久しぶりです総一郎様☆(てめえの安否が分からねえから英雄様に余計な心配をかけたんだぞ、どう落とし前つけるんじゃ? ああん?)」

 

「久しぶりじゃな塚原君。いや別に、心配してなどは居らんぞ? 父上がな塚原君の――にょわー! ココちゃんはやめんかー!」

 

 そんな怒涛な攻め。両手を前にして六人からの質問攻めに「まてまて」と呟くもそれを聞き入れられはしなかった。というか、その両手は冬馬がこれより近づかないようにする為のバリアだったのかもしれない。

 一息つくこともなく昼休みが過ぎていくように感じられた。

 

「クリスはなにかやっているの?」

 

 総一郎の耳にそのような言葉が入ってくる、視認しなくてもわかることだがその声の持ち主は一子だった。

 なにか――アバウトな質問だがクリスはここの雰囲気を汲み取りその意味を理解した。つまり何か格闘技をしているのか、そういう意図だ。

 

「ああ、フェンシングをドイツではやっていた」

 

「そうなんだ」

 

 一子はその回答に相槌を打つと少し口元が緩みだした。そして胸ポケットに入っている――ワッペンをクリスの机に叩きつける。

 聞き覚えのある破裂音にそばにいた一同はそこへ視線を向けた。得意げにニンマリと笑みを浮かべている一子、そしてクリスはそのワッペンを凝視する――が、そんな時間が長引けば緊張感が漂った雰囲気も見るも無残に崩れていく。そんな状況に困惑していく一子の後頭部を大和が叩いた。

 

「痛い!」

 

「馬鹿、クリスは来たばっかりなんだから決闘制度のことは知らないんだ」

 

「あ」

 

 一子の口から洩れた音で教室からは一気に笑い声が漏れた。恥ずかしがる一子にクリスは構いもせず質問する。

 

「決闘制度とはなんだ?」

 

「まあ、簡単に言えば教師立ち合いの下、生徒同士の争いや優劣を武による勝負や智による謀り合いで決める制度。この学園ではそれを認めているわけだ」

 

 恐らく一子では答えられないと判断した大和は二人の横から口を挟む。その説明は手慣れたようで簡潔な説明によりクリスも理解するのが早かった。

 だからこそだ、クリスはそこに疑問を抱く。

 

「自分は川神さんのと何故決闘するのだろうか」

 

 至極真っ当な疑問である――はずだが、このクラスもといこの学園の常識ではそんな疑問は出てこない。あれだけの登場をしてさらに格闘技まで習っているのだ、ならば理由は一つ。

 

「歓迎――よ!!」

 

 その一言にクリスは一度驚き、そして笑みを浮かべ胸ポケットにある物を机に叩きつけた。

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 校庭にはかなりの人数が集まっている。貴重な昼休み――それが学生の共通認識だが、昼ご飯を適当に済ましてまで楽しいことがそこにある。

 ホームルームに馬で乗りこんできたドイツからの転校生である金髪美少女クリスティアーネ・フリードリヒ、武神が妹で武士娘の切り込み隊長である川神一子の決闘。さらにその決闘理由は歓迎会である、そう煽り文句が学園中に広まるにはカップラーメンが出来る時すらかからない。

 二人の決闘に注目が集まっているのには更なる理由がある。早朝のひと悶着が彼ら彼女らの魂に火をつけていたからだ。

 その当事者である二人は人だかりの最前線で並んでいた。

 

「あれ、後輩君じゃないか。さっきは舐めたことしてくれたな」

 

「怖い怖い、ワン子が怯えるからやめて」

 

「なんでワン子になすりつける」

 

 総一郎の後ろから百代は抱き付いて殺気を出していた。しかしそれもただのスキンシップ、周りからしたら迷惑もいいところだが、実際百代の敵対の意志は無い。殺気が無くなるとギャラリーは総一郎へ妬みの視線を浴びせる。

 

「で、どうなのワン子は」

 

「ん? なにが」

 

「いやいや、ワン子の実力はどうなの」

 

「あーそうか、三ヵ月振りに見るのか」

 

 三ヵ月振り――と聞いて総一郎も百代も気持ちが昂っていた。総一郎は一子の成長振りを楽しみにしていたし、百代は総一郎が帰って来たことを実感して――一子の成長をようやく見せられると思っていた。

 すると中央で準備していた一子が体に着けている重りを取って総一郎の方に駆けてくる。

 

「総師!」

 

「なんぞ」

 

「修行の成果お見せします!」

 

「良し、頑張れ」

 

 「はい!」と力強い返事に総一郎は「それ」を感じ取り興奮が安心に変化した。

 二人が中央に向かい合う。ギャラリーの興奮は最高潮に達し、後ろの方でトトカルチョをしていた大和とキャップや弁当売りの声が聞こえなくなる。歓声にかき消されたのではなく、全てが静粛になった。

 それをみて鉄心が現れる。

 

「儂が戦闘続行不可能と判断するか、もしくは降参を宣言するまで決闘は続く。武器はレプリカを――これは良いな。急所への攻撃は禁止、降参した相手へ攻撃した場合は儂が力ずくで止めるからよいな?」

 

「はい!」

 

「了解しました」

 

 二人の返事を確認して鉄心は頷く。

 

「それでは――始め!」

 

 

 

 

 

 先手は一子――と総一郎の考えは良い意味で裏切られた。先手を取るスタイルを否定するつもりはない、それを貫いて進化させているならばそれで良い。だが、一子は動かなかった。かといってクリスが先手を取ることもない。

 クリスは一子のことをまだよく理解はしていない。だがそれでも気質は感じ取っていた。犬のように直進的――それはファミリーにとっても学園の生徒にとっても共通の常識である。総一郎でも思っている。

 だからクリスは驚愕とまでいかなくとも意外感を覚えた。しかし意外感を超えない程度であるからこそ動揺は見られない、二人の膠着はギャラリーが六度息を飲むことができるほどに長かった。

 総一郎は横目で百代を見ていた。それに気が付いた百代は「してやったり」と言わんばかりに悪い笑みを向けている。しかし総一郎も悪い気はしない、弟子の成長を喜ばないわけがないのだ。

 

 一子は豹へ変貌を遂げていた。

 

 時間が経つに連れクリスの表情が曇っていくのが良く分かる。我慢比べに疲れたわけではない、一子から放たれる視線の鋭さに恐怖を覚え始めたのだ。普通は正面で対峙するはずのない肉食動物から放たれる狩りの意志、サバンナでもその意志に立ち向かう者はいない、感じ取った瞬間に逃亡を選択するだろう。

 状況を打破したい――クリスはそう考えるが、むやみに攻めれば思うつぼ。思考が攻めと守りで揺れていた。

 

(揺れた)

 

 そう思考したのは他でもない一子。

 相手の動きを読むのではなく、相手を観察するのが一子の見つけた戦い方――「六徳の観」である(名称は大和が付けた)五感だけでは観察できないものを六感にまで頼り「感じる」のではなく「観察する」成長段階ではある物の百代お墨付きの代物であった。

 して、一子がクリスの揺れを観たその時、豹は狩りを始めた。それに気が付いたクリスは自分の判断が正しかったと信じた、正解は待ちだったと信じてしまった。

 それは決定的な間違いだ、それに気が付いた者は数人と言ったところだろうか。殆どの者が一子が痺れを切らしたと考えた。

 

 動揺は獣にとって十分に狩れる動きである――

 

 迫る一子をクリスは一突きした。フェンシングの突きは最速、そして細すぎる点は容易に弾くことはできない。

 クリスの突きは一子の胴体を完全に捉える位置にいた。

 

「なっ!」

 

 クリスはそう声を上げたのは切っ先に感触がなかったからだ。一子の突進が突然だったからこそ当てる場所を予測しなければならない。だが、それは当たらなかった。

 その理由は簡単だ、二人の意図の違い。もっと言えば一子は機を間違わなかったがクリスは一子が機を誤ったと勘違いしている。

 つまり一子はクリスのカウンターを予測済みであったわけだ。

 フェンシングの間合いに入れば一子が使う薙刀も間合いに入ったことになる。圧倒的にクリスは不利、しかもフェンシングは特性上一度突いたら引かねばならない。この間合いで武器を引くことは自殺行為、間合いは零になる。クリスはそう考える暇もなく剣を引いてしまった、後は一子がクリスに一撃を浴びせるだけだった。

 

「そこまで! 勝者、川神一子!」

 

 間髪を入れず歓声が上がる。一子の信頼度と人気度が現れている。

 そんな歓声の中一子はクリスに手を差し伸べている――が暫くすると何にか口論が始まっていた。仲介に大和と京が入り、鉄心が一子に拳骨をかましていた。

 

 総一郎も「さていくか」と考えていたが――

 

「ありがとうな」

 

 ――と、百代が耳元で囁き、総一郎は一子の方へ駆けている百代の後姿を見て、もう一人の弟子の成長も感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




怠けていたのですが、一子のシナリオをやったら一気に書けました。


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――我、日常に戻る。――

すごくおそくなってすみません。


「直江殿」

 

「ん? どうしたクリス」

 

「ああ、実は椎名が――」

 

 近くにいた総一郎とキャップは聞き耳を立てることなくその会話が聞こえていた。椎名が――と言われればファミリーとしてクリスの話を聞かないわけにもいかない。

 つまり京がクリスの案内をすっぽかした、そういうことだ。分かっていたことだが、まさか見事にここまでとは思わない。成長したと言っても赤子に毛が生えた程度であると三人は再認識した。

 

「俺はこの後バイトだからなー」

 

「総一は?」

 

「うーん、川神院に呼ばれてる」

 

「じゃあ俺だな。クリス、まずは学校から案内するよ」

 

「すまない」

 

 教科書類を全て鞄にしまうと大和は「じゃ」とキャップと総一に一瞥、クリスを一つお辞儀をして教室を出ていった。

 すると、総一もそのまま川神院に向かおうとしたのだが、キャップが妙なこと言う。

 

「面白いよなあ」

 

「は?」

 

 ただの独り言だったようで「バイトだー! 総一またな!」と風のように走り去っていく。総一郎はその一言が波乱の幕開けを呼ぶ言葉ではないのかと、自然の台風よりもこの男を恐れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 川神院――その説明はもう必要ないだろう。世界武術の総本山。剣術の総本山である塚原と対をなす、と言いたいところだが。塚原純一郎や信一郎が剣術界最強になる――と言われた人昔前からすれば、川神院に全ての分がある。それでも尚、川神院と対等と言えるのはその門下生の数、つまり新当流の影響力だろう。そしてそこに塚原総一郎と言うニュージェネレーションがその立場を優位に立たせている。武神に勝った男であり、塚原卜伝の再来、そして――

 

「まずはおめでとう」

 

「ありがとうございます」

 

「当主継儀はいつごろになるかのう?」

 

「早いうちに。六月の中旬ぐらいに予定してます」

 

 鉄心の自室に総一郎、百代、一子、ルーは集められ、鉄心の点てた茶を啜りながらその話は進んでいた。今のところ抽象的な会話で鉄心とルー、そして総一郎以外の二人にはイマイチ伝わっていない。

 

「とうしゅけいぎ?」

 

 恐らく漢字は想像できていないだろう、聞こえたままの発音で鉄心と総一郎へ疑問をぶつける。すると百代は感づいたらしく、総一郎と目が合うと思わず笑みを溢した。

 「当主継儀」聞くことのない言葉。だが正しく読むことができれば理解も容易い。特に総一郎の事情を知るものならばすぐに分かる、一子が理解できていないのは馬鹿だからだろう。

 

「ワン子、総一郎はなんで今まで帰ってこなかったんだ?」

 

「えーと……当主を受け継ぐ為の試験が――あ、当主!……けいぎ?」

 

 連想出来た当主までは良かったものの、肝心の継儀が理解できていない。読めたとしても意味は分からないのだろう。そこにいた一同は深く溜息をついて、一子は困惑しながら行き場を失った犬のようになっていた。

 

「継ぐ儀式、継儀だ。当主継儀」

 

「当主……継儀。え、当主になるの!?」

 

「おう、鉄っさんにため口きいても誰も文句は言えねえぜ」

 

「それは違うじゃろう……」

 

 元より総一郎が試験を受けることは知っていた。だが、総一郎が十二月の終わりに京都へ向かってから三ヵ月間以上一つとして連絡がなかった。ファミリーや鉄心たちが心配した理由はそこにある。塚原の事情とはいえ鉄心や教師のルーは気が気ではない。

 

「あまり言うべきことではいかもしれなイ。だけど何故連絡が取れなかったのか教えてくれるかイ?」

 

 誰もが知りたい訳、知られざる塚原の試験。教えてもらえなくとも聞かずにはいられない話だった。

 

「単純に連絡の取れない場所にいました」

 

「……三ヵ月モ?」

 

「いえ、正確には二ヵ月ぐらいで、その後二週間ほど寝込んでました」

 

 淡々と話す総一郎とは対照的に鉄心や百代は表情を曇らせていく。百代が寝込んでいた――という言葉に反応したとは違い、鉄心はもう一つの言葉に反応を示す。

 

「総一郎や」

 

「はい」

 

「お主は何者かと戦っておったのか?」

 

 予想もしない言葉だっただろうか。本来武術における試験とは通過儀礼的な意味合いが強い。度胸を試したり、絶対に達成できない事柄にどれだけ挑戦できるかを試す。もちろん何者かと戦うこともあるだろう。

 だが、総一郎は二ヵ月の間試験を行っていたはず。もし戦っていたならば、だ。

 

「――ええ、そうです。塚原の呪いと戦っていました」

 

「二ヵ月間もか!?」

 

 もしや――と予想していた百代が大声を上げた。鉄心とルーも渋い顔をしている、唯一一子がだけが意味を理解できていない。

 

「総一郎、一体呪いとは――」

 

 鉄心が口にしようとした言葉を途中で切る。そんなつもりが無くとも総一郎から放たれた雰囲気がそれ以上の追及を拒むと理解したのだ。

 

「――いや、すまぬ。とにかく無事に戻ってきて安心したわい」

 

「本当によかったネ」

 

「ご心配をお掛けいたしました。時期が時期なのでまた迷惑がかかるかもしれません、その時はよろしくお願いします」

 

「……うむ」

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 

「隙が無い」

 

「モモちゃん強すぎ」

 

「総ちゃんもお姉さまも意味が分からないわ」

 

 川神院から秘密基地へ向かう途中の河川敷、三人は疲労感を覚えながら遅い足取りで目的地へと向かっていた。疲労の理由はあの後に行った稽古。朝とは違い百代と総一郎はかなり激しさを増した攻防戦を繰り広げ、そこに一子も加わるという三つ巴の稽古を行っていた。

 百代の激しい攻撃を受け続け、たまの隙に鋭い一撃を放つ総一郎。そして二人の虚を突くため機を見定める一子。稽古としてやっている総一郎や楽しんで戦っている百代とは違い一子の疲労は二人よりも大きい、三人の足取りが遅いのは一子に合わせた歩幅だからだ。

 

「ワン子大丈夫か?」

 

「うーん、平気よお姉さま」

 

「ワン子、負ぶってやろうか」

 

「いや、大丈夫……zzzz」

 

 頭をコクコク揺らす一子を見てヤバイと思った総一郎は近くに寄ろうとする、百代も構えているが案の定一子は道端で寝てしまう。それを総一郎は支えると百代と二人で苦笑を漏らした。

 

「私が背負うか?」

 

「いいよ、何だか妹みたいだ」

 

 そういうと気持ちよさそうに寝ている一子に微笑んで小さな体を総一郎は背負った。

 

「歳は同じなのにな」

 

「ああ。だが、心は一番強い」

 

「うん」

 

 体勢を整えると三人――歩いているのは二人――は一子を起こさないように先程と同じ歩調で秘密基地へと向かう。

 すると総一郎が重そうな口を開いた。

 

「どこまでいけるか、な」

 

「……安心しろ、私はお前も責めはしない」

 

「ああ、安心だ」

 

 一見していい雰囲気の二人だが、生憎そんな感情が二人の間に芽生えることは無かった。手をつなぐ距離にいてもそれは違う。

 この二人は手を繋ぐことよりも拳と刀を合わせることの方がよっぽど心地が良かった。

 

 

 

 

 

 

 そんな歩調で秘密基地に向かうのだからそこに着いた時間はかなり遅くなっていた。キャップやガクトは「遅い!」と言うつもりだったらしいが、一子がぐっすり総一郎の背中で寝ていることに気が付くと息を吐いてただ微笑み、言葉はしまわれた。

 そして一子が熟睡の中ファミリーのリーダーであるキャップから音頭がとられる。

 

「えー大馬鹿野郎の総一郎が帰ってきました。て、ことで騒ぐぞー! かんぱーい!」

 

「いえーい!」

 

「お帰り!」

 

「イケメンに磨きをかけやがってチクショー!」

 

「大和好き! 結婚して!」

 

「そりゃおかしい」

 

「ふがっ! 食べ物!?」

 

「そりゃおかしい」

 

 音頭言えぬキャップらしい音頭でフルメンバーの金曜集会は幕を開けた。

 

 その後は総一郎に対する文句と質問攻め、特に京からの執拗かつ陰湿な文句を受けて意気消沈。そして転校生の話題へと移る。

 

「――ってことで、俺は卑怯呼ばわりされた」

 

「何それ、殺していい?」

 

「止めとけ」

 

「結婚しよう!」

 

「お友達で」

 

 京が迫る直前で大和の制止が入る。

 

「まあ、酷い話だな」

 

「総一郎もそう思うか」

 

 穏健派(自称)の総一郎は京の意見に同意する。軽い口調だがやはりどこかで苛立ちを覚えていた大和はその同意にすぐ反応した。

 

「冬馬と違って卑劣さが目に見えるのは確かだが――我が陣営の軍師様は侍中さんだからなあ」

 

「あ、確かにそれは言えてるね」

 

「侍中ってなんだ? ワン子わかるか?」

 

「知らないわ!」

 

「ワン子は馬鹿として、ガクトは相変わらず馬鹿だなあ」

 

 分からない――と言ったはずのワン子の頭を撫でつつガクトに冷ややかな視線を向ける総一郎。不機嫌な顔をして「どうゆうことだよ!」と叫び、何故か馬鹿にされているはずのワン子は勝ち誇ったように頭を撫でられていた。

 

「軍師とか策士ってのは知力がメインだろ? それには葵が当てはまる。侍中ってのは政治家のことだ、頭と人脈を生かして政をこなしていく。俺は葵よりも単純な知力で負けるが小細工と人脈ではその上を行ってる。まあ小細工とかするから事が終わった後露見するんだ、そこが葵との差かな」

 

 ファミリー一同が「なるほど」と頷く。「お前卑劣とか言ったろ」と大和が遅れて総一郎に詰め寄るがそれを躱す。と、少し心に傷を負った大和へ百代が「まあ落ち着けよ、お姉さんが慰めてやるから」と抱き付けば、大和は顔を赤くして大人しくなっていた。

 ――そして。

 

「なんだかんだあるがクリスをファミリーに入れよう!」

 

 強引な話題変換――いや、共通の話題だったが明らかにタイミングがおかしかった。恐らく元々言うつもりだったのだろうが、クリス反対の雰囲気に移行する前に。と強硬手段を取ったのだろう。

 そんなキャップに言葉をなくすが、流石はファミリー。入って一年の総一郎ですらすでに苦笑を漏らしている。

 

「んー私は賛成だ。可愛いし!」

 

「私も賛成よ! いい対戦相手だわ」

 

「俺様も賛成だ! 可愛いし!」

 

「僕は反対かな。総一は良かったけどあの時の総一はそんなに印象が悪いわけでもなかったし。今回は先入観だけど良いとは思わない」 

 

「私は反対」

 

「俺は……保留よりの反対かな」

 

 今までのファミリーであれば賛成多数でクリスの仮入団が決まっていたが、今回は総一郎の是非がカギとなる。無言の視線が自分に集まることが嫌だったのか総一郎はコップに入っていたサイダーを飲み干して自分の視線と他の視線を交合わせないよう遮る。

 

「どうなんだ」

 

 百代からの催促が入る。

 

「んー……反対寄りの保留で」

 

 その言葉でキャップは頷き、ファミリー一同も総意に反対すること無くそれを了承した。

 

「じゃあ取りあえず遊んでみて駄目だったら切るってことで」

 

「了解。それにしても総一郎が反対寄りとは思わなかったぜ」

 

「確かに意外だね」

 

 ガクトとモロがそんなことを言うと総一郎は口を開こうとするところでそれを辞めた。「ま、そんな日もある」と誤魔化したように言うが、大半の者にはそれが不自然に見えている。特にファミリーの感情に敏感な京、そして今日一日総一郎へ違和感を感じ続けている百代は三ヵ月前の総一郎を今の総一郎へ投影していた。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 いつもより少し遅い夕飯。転校生のクリスがそこに加わり賑やかな食事になっていたが、秘密基地を出るときに誰もが危惧していたクリスと大和の喧嘩が始まっていた。そんな光景に不機嫌な京を諭す総一郎だったが、傍からみれば彼が一番イライラしていたに違いない。そんな雰囲気を良いことに壊したのが彼女だった。

 扉の隙間から居間を見ていた彼女、その存在に気が付いたのは状況を変えたいキャップ。

 

「おーい、お前そんなとこで何してんの」

 

「え、あ、そのですね。少しお、遅れてしまって」

 

「おう、こっちきて飯食おうぜ」

 

「は、はい」

 

 恐る恐る居間へ入ってくる彼女の姿に総一郎は見覚えがあった。彼女がテーブルへと座る直前、総一郎は彼女の名前を呼ぶ。

 

「――由紀江ちゃん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




遅くて短くて面白くないものを書いてしまった。苦痛だ


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塚原継儀編
――我回想、そして私の女。――


ちょっとあれ、ちょっとR15


師の死、そして決意、燕との和解――もとい、交際を経た次の年。総一郎は武者修行の旅を兼ね、呪いについて情報集めをしていた。川神院に行くことはなかったが、西の天神館や武士に縁のある全国を旅してまわった。その時に京の父とも手合わせをしたことがある。

 そして北陸へ向かった。結局そこでも呪いに関して手がかりを得ることは出来ず、殆ど修行の為の旅となっていた。

 

「失礼、新当流総代塚原総一郎と申します。突然の訪問お許し下さい」

 

「ああ、よく来たね。最近色々な所から君の名を聞くからそろそろ来ると思っていたよ」

 

 総一郎が北陸で出会ったのは剣術家「剣聖」と呼ばれる黛大成十一段、生前の村雨とも交流があり葬式にも出席していた。

 

「葬儀の時はありがとうございました」

 

「構わないさ。悲しいことだが友人の別れは出来るだけ手を尽くしてやりたい」

 

 そう大成は微笑む。葬儀の時かなり暗い趣だった総一郎と今の何か決意に満ちている総一郎を比べて自分の疑いが憂いだったことに気が付いたのだ。

 

「聞いていた印象が違うね。村雨からは手のかかる弟子だと聞いていた」

 

「その通りです。師が死ぬ間際までは愚か者でした」

 

「……そうか。ならば村雨も――いや、これは言うべきではないな。ゆっくりして行きなさい、稽古であれば幾らでも付けてあげよう」

 

「ありがとうございます」

 

 恐らくは「村雨も未練がなかろう」と言うつもりだったはずだ。人昔前の者であれば気にも留めずむしろそれが真理と言わんばかりに褒めたたえていたかもしれない。だが、大成は葬儀の時総一郎の異変を悟っていた。村雨の謎の死、そして総一郎の変化を合わせれば「何か」が起きたことを察することは容易だった。

 

「何、友の弟子だ。それは私の弟子と同義さ――ああ、だが一つお願いがある」

 

「はい?」

 

「――娘と手合わせ願えないだろうか」

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

「ってのが由紀江ちゃんと俺の出会いなわけよ」

 

 そんな昔話をすると由紀江は総一郎の隣で縮こまっている。

 

「へえ、黛さんってすごいんだな」

 

「で、総一と黛さんはどっちが勝ったの?」

 

 大和の質問に総一郎は由紀江と目を合わせた。

 

「俺、圧勝」

 

「コテンパンにされました……」

 

 更に縮こまる由紀江と誇らしげなドヤ顔を見せつける総一郎、そんな姿を居間の一同は蔑んだ視線を送りつけるのだった。

 

「で、だ。由紀江ちゃんはとんでもない人見知りなので皆さん出来るだけ声を掛けるように、滅茶苦茶怖い顔をされてもそれは多分笑顔です。はい、由紀江ちゃん自己紹介!」

 

「え!」

 

 額に汗をかきながら総一郎と他の者を交互に見つつ手をわさわさと動かして明らかな動揺を隠しきれない。

 そのうち深呼吸を繰り返すと少しだけ聴き取れぬ声で「松風、いきます」と呟き、俯いた顔を上げた。

 

「ま、黛由紀江です! 得意なものは家事全般! 得意なことは剣術です!」

 

 渾身の自己紹介。時々声が裏返りつつも言い切った彼女は目を瞑って返事を待ち望んでいた。

 

「よろしく、黛さん」

 

「よろしく頼む」

 

「おう、よろしくな」

 

「よろしくな!」

 

「……よろしく」

 

 そんな皆の言葉に由紀江は目じりに涙を溜めるのであった。

 

「やりましたよ松風!」

 

「おう、友達百人計画もようやく始動だぜ!」

 

 そして馬のストラップと会話する由紀江に一同はドン引きであった。

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 次の日は土曜日、クリスと由紀江を交えてファミリーは河川敷にて簡単な野球を行っていた。

 

「ハンサムには打てない球」

 

と京が投げれば。

 

「くっ、俺様には打てねえ!」

 

と空振るガクト。

 

「打つと私と結婚することになる!!」

 

と興奮しながら京が投げれば。

 

「お友達で」

 

と見逃しの三振を喫し冷静に甘んじる大和がいる。

 そんな風景を2人に見せるキャップは2人を仮メンバーに入れることを告げていた。

 

「野球って言っているけどまあこんな感じで適当に遊ぶのがいつもだな」

 

「なるほど。誘ってくれてありがとう、こんなに早く友達ができるとは」

 

「あ、あ、あ、あ、ありがとうございます!」

 

そんな時、参加していたメンバー全員が3人のいる方へ駆けてきたーー否、逃げてきた。そんな状況を理解できていないクリスと由紀江、河川敷の方を見たキャップは顔を青くした。

 

「へいへーい、ピッチャーびびってる、へいへいへーい、ピッチャーびびってる」

 

「安心しろ、顔はやめてやる」

 

悪魔の笑みを浮かべる百代とそれを面白半分で煽る総一郎の姿がある。

 

「やべえ! 皆んな離れろ!」

 

キャップがそう声を張り上げると完璧なセットポジションに百代は入る、対する総一郎も少しばかり額に汗を浮かべて数秒の間だけ無我の境地を発動させた。

百代の持つ球に氣が込められる。スカートではないので派手なまさかり投法から完璧なフォームでおおよそ理解できない速さの球が繰り出された、周りからは百代がいつの間にか投げたーーように見えただけだったが。総一郎も木製のバットに氣を込める、気の総量で勝てないことを知っているのか、その気の込め方はできるだけ相手の力を削ぐ障壁だった。

力の配分は双方とも完璧、あとは潜在時な野球のセンスがものを申した。恐らく長物を使い慣れている総一郎が有利、当然総一郎はそのボールを真芯に捉えた。がーー

 

「へーい、ピッチャーライナー」

 

「て、てめえ、卑怯だぞ!」

 

確かにホームランコースだった総一郎の打った球。だが、それを百代が捕ってしまえば確かにピッチャーライナーだった。

 薄ら笑みを浮かべながら百代は次々とボールを投げ、総一郎はその殺人ボールを打ち、百代はそれをひたすら捕る。

 

「……化け物だな」

 

「「化け物結構!」」

 

 

 

 

 その日の夜、島津寮に入ったクリス、そして遅めだが由紀江の歓迎会も兼ねた焼き肉が島津寮で振る舞われた。

 一子とクリスは競うように肉を取り合い、ガクトはその肉汁を飲み、百代は由紀江をまさぐっている。キャップも負けじと豪快に飯を口へかけこみ、モロはマイペースで箸を運んでいる。

 

「はい、あーん」

 

「せめてやるならそのデスソースはやめろ」

 

「わかった、結婚して」

 

 相も変わらず二人はいちゃつき、微笑ましい光景は風景となっている。

 

 

 そして総一郎は気配を絶って寮を抜け出していた――

 

 

 

 

 

 彼が勝手に歩く足のなすがままに訪れたのは春の風が少し荒れている河川敷だった。かって百代と二人で壊した惨状は面影をなくし、総一郎もそれを投影することは容易くない。

 月は出ていない。向こうに無数の明かりが見える。

 七浜ほどの光はないが、やはり都会、実家程に星は見えないが、それでも目の前にある人口光よりは多く見えていた。

 

「なあ爺さん、俺は殻に閉じこもってしまったのだろうか。それとも殻が付いたのか?」

 

 総一郎の気配に鉄心は居ない。こちらに近づいてくる大きな気と二つの小さな気配があるだけだ。

 

「……ふふ、そうか。時間はあるもんな」

 

 総一郎は微笑んだ。目の前の誰にでもなく、後ろの誰にでもない。自らの手平に語り掛け、微笑んだ。

 

「なーに笑ってんだ」

 

 その声の主は百代だった。何度も手合わせし本気で戦った仲だ、先程から分からないわけがない、勿論他の気配も理解していた。

 

「今はキャップやガクトがなんとかやってるけど、クリスとまゆっちが心配してたぞ」

 

 そんな優しい声を掛けるのは思いのほか大和だった。恐らく帰って来てから総一郎の様子がおかしいとファミリーは気が付いていたのだろう。

 

「……」

 

 京は只総一郎を見つめ続け、それに気が付いた総一郎はいつの間にか見つめ合っていた。

 

「そんな見つめて俺にでも恋したか――」

 

「私たちは逃げ場所だよ、絶対にそこにある」

 

 開いた口が塞がらなかった。唖然としていたわけではない、その言葉の後すぐに言葉を紡いでしまったのだ。

 

「俺はお前たちに話したいことがある、聞いてくれるか?」

 

「ああ」

 

「おう」

 

「うん」

 

「……俺は――」

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 

 総一郎は元日の前々日に京都駅に着いた。十二月三十一日の昼だった。新幹線を降りて京都駅改札を出ると割と地味目な服装でキャスケットをかなり深く被った女性が視界に映った時、すでに彼女は自分めがけて飛び込んでいた。総一郎は衝撃を緩和するように彼女を受け止めその場を数回転した。

 

「おかえり!」

 

「先にただいまって言わせてくれよ」

 

「口答えには納豆鳩尾!」

 

「ごふっ! シャレになんねえ……」

 

 中腰になってうずくまる総一郎は苦笑いで笑顔の少女を見上げた。

 

「元気そうだね、つーちゃん」

 

「もち!」

 

 ピースサインで笑顔を見せる燕の表情は下からは良く見えた。

 

 

 

 

 京都で有名人な納豆小町が町中をイケメンと手を組んで歩いていれば辺りは騒然となるだろう。そのため燕は重変装を施しているわけだ。

 だが、それでも二人は注目の的となっていた。それもそうだろう、燕がこれ程までにべったりと総一郎にくっついていればバカップルその物に見える。そんな視線を構いもしない燕とは裏腹に総一郎は嬉しさ半面、居心地の悪さ半分と言った状態だった。

 二人は今所謂デートに勤しんでいる。総一郎の荷物は京都駅に来ていた新当流の門下生に預けてきた。二人の姿をみてニヤついていたそいつに総一郎がローキックを食わらせたのはご愛敬。少しばかりの手荷物で二人はショッピングや食事、ゲームセンターなどで久しぶりの時間を過ごしていた。

 とある道、時刻は四時半を迎えようとして夕日が煌いていた。

 

「今日は暇なの?」

 

「は?」

 

「ああ、今日は家ですることはないの?」

 

「あー……ない、しいて言えば母さんに合う位かな、まあそれは明日でも」

 

「あらそう」

 

「……え、何?」

 

 総一郎が怪訝に問いかけると燕はさらに体をくっつけて耳元で囁いた。

 

「今日、親居ないんだ」

 

「ほほう」

 

「私んちこいよ」

 

「やだ、イケメン」

 

 そして二人は笑う。微笑みは交わしていた二人だったが、これが初めての抱腹絶倒だった。

 

 

 

 

「久しぶりだね、総一君~」

 

 夕方五時過ぎ、松永家宅。

 

「いるじゃねえか!」

 

 そんな総一郎を出迎えたのは松永久信、燕の実父であった。総一郎は人目もはばからず思わず大声を上げていた。ガクトの癖が移ったのかもしれない。

 

「ああ、大丈夫大丈夫。もう少ししたら仕事で出かけるから。邪魔はしないよ~」

 

 どうやら元から燕が話を通していたようで久信の温かい視線が総一郎を突きさしていた。

 

「まあまあ、上がって」

 

 燕の押されて足早に中へ入っていくと約一年ぶりに見た松永家の風景がそこにあった。幼き頃から燕と共に遊んだ――わけでもない。

 

「昔と比べたらやっぱりシンプルですね」

 

「そ、それは言わないでよ総一君……」

 

 昔は一軒家の一般家庭だった松永家。しかし少し前に久信が始めていた株が大失敗し、大損の借金まみれ。塚原の援助によりどうにか今は松永納豆で生きているという状況だ。と言っても貧困生活をしているわけではない、そこに居る筈の人――松永ミサゴ、燕の母が居ないため久信は常にナーバスなのだ。いてもナーバス。

 

「ま、つーちゃんが料理を作ってくれれば問題は無いでしょう」

 

「そうなんだよね! もうこのままでいんじゃないかって思うよ!」

 

「え? ミサゴさんに電話します?」

 

「ごめんなさい、これからも精進します」

 

 この通りお惚けな所が多々ある久信だが、愛想尽かして出ていったミサゴともう一度やり直したいため技術屋として、そして松永納豆を全国に広めるため古今東西を駆けまわっているわけだ。

 

「そういえばこの前ミサゴさんから電話がありまして」

 

「「え!?」」

 

 エプロンを着けていた燕もこちらを振り返る。

 

「孫はまだかと言われました」

 

「あ、あはははは」

 

「あははははは……」

 

 同じような苦笑いが松永家に木霊した。

 

 

 

 

 

 場面変わって九時過ぎ。既に久信は関東へ仕事に出かけ、燕と総一郎も風呂から上がり夜の寛ぎを楽しんでいた。そうは言っても燕は眼鏡をかけて仕事中、寝っ転がってパソコンに向かい経理の仕事に勤しんでいた。

 そんな燕の横で総一郎は読書――をしがてら燕の横顔を楽しんでいた。

 

「ん? どうした?」

 

 それに気が付いた燕はいったん手を止めた。

 

「可愛い横顔」

 

「むー」

 

 照れたのか燕は少し頬を赤らめながら作業に戻る、そんな姿をみて総一郎は微笑みを漏らして頬を突いた。

 あまり邪魔をしてはいけないと思ったのか直ぐにそれを止め、本も床に置いて仰向けで一つ息を吐いた。

 古時計から刻まれたリズムが燕の打つキーボードと音楽を奏でるようで、自然と瞼が落ちていくような感覚に駆られた。

 

「何も言わないのか」

 

 だが、ここで寝るつもりはなかった。そうして燕の指も動きを止めた。

 

「心配してないもん」

 

 少しの沈黙の後、燕はそう呟いた。呟いて指をキーボードに掛けた。

 そして不意打ちだった。燕は左肩を弾かれて仰向けになっていた――否、仰向けにされた。そして総一郎が覆いかぶさっていた。

 

「俺は死ぬかもしれない」

 

「……そんなわ――」

 

 口を開こうとすれば燕の口は総一郎の口で塞がれた。唇が離れると息が漏れ出る、そして自然と涙が零れた。

 

「……死なないで――」

 

「ああ、約束する」

 

 総一郎は燕の体に触れ、二人の唇は交わった――




短かったけれどもちょっとR15、書きたいですけどねーR18も


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その時、それはライオン。

まだ月曜日。


生憎の雨、その道は試練に相応しい程ぬかるんでいた。

 塚原山に入ってから二時間ほど歩いている、総一郎を先導しているのは祖父の純一郎。二人の間に会話は一切ない、初めに「ついてこい」と純一郎が言ったきり言葉はなかった。

 冬の日、雨が降る塚原山は極寒だ。足元は不整地で歩きにくい。せっかくの正装も裾が泥まみれだ。

 幼き頃から慣れ親しんだ塚原山。かって鉄心とも精神修行を行い、現実から逃げたい時に使う憩いの場だった。夏は上裸で熊と共に魚を取り、秋は鹿と共に山を駆け巡り、冬は皆で集まり暖をとった。春先はその場で寝て起きると木の実や肉が傍に置かれていた。総一郎にとって塚原山は動物たちとの生活そのものだった。だからどんな状況でも遠くから自分を見つめている気配がしていた。

 だが、まったくと言っていいほど動物たちの気配が感じられなかった。

 それを知った時、総一郎は尋常じゃない不安に駆られていた――

 まるで自分の中身が自分の首元に刀でも突きつけてきたかのように。雲で光が遮られ、霧で視界が良くは無い。

 まるで崖へ繋がる真っ暗な道を歩いているようで――だが総一郎は足を止めなかった。胸に刻んだ言葉を糧にして。

 

「闇の旅を進んで行く」

 

 そう呟き、しっかりと前を向いた。

 

 小さい呟きに純一郎も少し反応していた。

 

 

 

 それから更に二時間。気配からして総一郎は全く知らない場所に来ていると感じ取った。木や土の様子から塚原山に違いはない、自分が知らない山の最深部なのか、それとも儀式的なために結界でも張られているのか。どちらにせよ知らない物は知らない、そう考えるように対して愛着のない刀に左手で触れた。

 ――と、純一郎は突如足を止めた。二人とも森が遮っているとはいえ隙間から通る雨と葉を経由し、滴として垂れてくる水滴。跳ねっ返りとぬかるんだ土を踏むときに飛び散る水分で二人はびしょ濡れ。髪が濡れに濡れている二人は皺やヒゲ、輪郭などの年齢差はあるが、視界も悪いため瓜二つに見え、極寒の塚原山にその血を受け継ぐ水も滴るいい男――といったところだろうか。

 振り向いた純一郎は総一郎と視線を合わせると「そこだ」と言葉を口にした。すると総一郎の目の前に一つ小屋が、そこに小屋があったか――自分が気が付かなかったのか、それとも現れたのか。

 こじんまりとした小屋、そこでこの大太刀を振れば横壁だろうと天井だろうとすぐに引っかかるだろう。深く考えすぎか――と短慮に思考した総一郎は純一郎に一瞥して小屋へ進んだ。

 

「帰ってきたら、お前を抱きしめたいな」

 

 小屋に手を掛けたその言葉だった。はっ!――と純一郎には見えないところで表情が崩れた。純一郎も総一郎に背を向けているため双方からそれを汲み取ることは出来ない。少しして総一郎は後ろの方で枯れた葉が踏まれている音を感じた。そして肩の力が抜け、心の内に隠れていた提灯に火が灯る。その火はすぐに周りの和紙にも燃え移る――気が付けば総一郎の全身には熱が帯、体全身は酷く強張っていた――が、次第にそれも緊張感のある筋弛、そして闘志が目に宿っていた。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 言うべきであったか――否、言うべきではなかった。もし失敗したならば私のせいだ。

 ――だが!

 ――それでも言わずにはいられない!

 ――私は総一郎に確信を向けられない!

 ――私は何年も総一郎の魂に触れていないのだ!

 ――私は!

 

 いつの間にか止んだ雨に気が付いた時、総一郎の気が――隠れた――のを悟った。

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 薄暗い小屋に足を踏み入れた時、総一郎は驚愕の一言以外に感情を持たなかった。

 

「広い」

 

 それが切欠とは言わないが奥に人が座っていることに気が付いた。

 その――男――は自分に背を向けている。顔は見えず、服装は正装ではないがみすぼらしいとは思わなかった。

 そして男は鞘に入った刀を地面に立てていた。

 

「某は」

 

 男が話す。一言で脈絡もない。だが総一郎はすぐに受け答えた。

 

「塚原家長男、塚原総一郎。塚原家当主試験の為、参りました」

 

 可能な礼儀を尽くした。すると男は「そうか」と言う、そしてゆっくりと立ち上がり、総一郎に分かるよう対面した。時同じくして小屋と思われた部屋――道場に明かりが入る。

 

「我は――」

 

 その言葉の後に総一郎は戦慄した。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 塚原山に隣接する塚原邸、さらにその隣には新当流の道場があり、清閑な塚原邸とは裏腹に道場は血気盛んな門下生の熱気に包まれている。そして双方の差はいつもよりも際立つ。

 現新当流総代である総一郎が試験に臨んでいるためか、門下生の気合の入りようは凄まじい。師範代の興輝でさえいつもよりも力が入り込んでいる。

 そして塚原邸に住むその三人は粛々と佇んでいた。

 

「お母さん」

 

「……大丈夫よ、大丈夫……」

 

 いつ帰ってくるのか、一体何の試験を行っているのか――それを全く知らない妹の水脈と総一郎の母、皆美は居間で只々総一郎の帰りを待ち望んでいた。水脈はある程度総一郎の変化を理解している。感覚的なものでしかないため総一郎が人斬りであることは知らない。

 それは皆美も同じだ。だが決定的に違う。

 自らの腹を痛めて産み、大人しく育ち、どんな動物たちとも仲良くなれる優しい子――それがある日を境に激変した。目の下には隈が深く深く、仲の良かった燕にもきつく当たる姿。碌に稽古もせず、信一郎や純一郎と会話すらしない。自分とは話してくれるが、それもどこか薄く硬い壁があるようで何も言ってはくれない。

 知りたくて知りたくて、辛い気持ちを背負ってあげたくて仕方ない我が子に何もできない自分が情けない。不安で仕方ない。

 今日自分に向けて「行ってきます」と言った時の表情が忘れられない。

 

 なんて明るい笑顔なのかしら――

 

 決意と不安、そして自分ができないこと――つまり支えてくれる人たちがいる、それを感じさせる表情だった。

 

「……よし、何か食べましょう!」

 

 皆美は自らを鼓舞するように言葉を発した。

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 塚原山へ通ずる正式な道は塚原邸の敷地内にある。ここから許可を取って山に入れば万が一があっても国、もしくは塚原の者が助けることができる。が、その他から入れば保証は一切ない。熊もいれば猪もいる、獰猛な毒を持つ生物もいるだろう。

 その入り口の門番は新当流の門下生が担っていた。しかし今は特別な時期、塚原山への入山は禁止されているため新当流の門下生はそこへ近づくことすら許されなかった。その為か門番の仕事――違う、これはそのようなものではない。その男は只待っているのだ。

 

「おじさま」

 

 そう不意に声を掛けたのは燕だった。

 

「燕ちゃんか……」

 

 この場合「不意」と言う言葉は正しい。燕は唐突に声を掛けたし信一郎は燕の存在に気が付いていなかった。

 

「この距離まで近づいても気が付きませんでした?」

 

「……ああ、勘が鈍っているのかもしれないね」

 

 信一郎は苦笑気味に後ろに居る燕の方へ眼をやった。見るからに敵対心――とまでは行かないが少なくとも懐疑心までは抱いている様子だった。門下生用の道着でなく、私服でここにきているのは「自分は門下生としてここに来ていない」とでも言いたげな様子だ。

 

「この先に?」

 

「そうだ。先導役の父と総一郎以外はこの先に立ち入ることは許されない、燕ちゃんでもね。一度出れば父でも入ることは出来なくなる」

 

「厳格ですね」

 

「当たり前さ、命にかかわる――」

 

 そう言えば燕から送られる視線の鋭さが無防備な自分を貫いた。

 

「……呪いですか?」

 

「燕ちゃんも知っていたか……誰から聞いたのかな?」

 

 口調は至って優し気の信一郎だったがようやく凄味を増してきた。

 

「総ちゃんが師匠から聞いたそうです」

 

「――何? 村雨から?」

 

「はい」

 

 平然を装っていた信一郎は惜しげもなく装を脱いで驚きを露わにする。それでもって悲し気な視線を空へと向けた。恐らく空にいる旧友へ向けたのだろうか。

 

「あいつには一度も負けたことがなかったのになあ」

 

 自分が知っている信一郎には似つかわしくない砕けた言葉使い、けれどもそのせいなのかその言葉が誰に向けて発せられたのか容易に理解できた。

 

「あいつも塚原流に呪われたか……そうか」

 

「……あいつも? おじさま、呪いとは一体何なのですか?」

 

 信一郎は一度燕に視線を向けると目があってから数秒で塚原山入口に歩みを進めた。

 

「ここ――違うな、これ、か」

 

 「あの」と、燕はその言葉が理解できなかった為追及を続けようとした。もしくは予想していた抽象的な表現が気に食わなかったのかもしれない。

 だが、燕は言葉を止めた。信一郎の言葉に遮られたのではない、自らそれを飲みこんだのだ。

 

 

「呪いとは――」

 

「我は――」

 

 

「塚原卜伝也」

 

 燕は茫然とし、総一郎は戦慄した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

「訳が分からんか?」

 

 戦慄している総一郎に少し笑みを浮かべながら問いかけたのは他でもない、塚原高幹――知られる名で言えば塚原卜伝。日本最強の剣客、兵法家、「剣聖」と呼ばれる戦国時代初期の人間だ。彼将軍「足利義輝」の師でもある。

 それが何故総一郎の目前に立っているのだろうか――

 

「いや、全て理解した」

 

「ほう」

 

「あんたが呪い、あんたを殺せばいい」

 

「肯定じゃ」

 

 と、総一郎は気を殺意に変えて全てをその鞘から抜きだそうとしていた。

 

「待て」

 

 総一郎が抜く前に卜伝はそう言って地面で胡坐をかいた。腰につけたひょうたん徳利で酒を煽る。

 目の前に広がる光景はどうにも理解しがたく、まるで戦闘意識が感じ取ることができない。

 

「そうじゃ、まず納めろ。そして話してから殺る」

 

 一間おいて総一郎は刀から右手を離してその場に座り込んだ。

 

「歳は幾つだ?」

 

「十六」

 

「学校はどこだ?」

 

「川神学園」

 

 「おお」卜伝は感慨深そうに喜びを上げた。

 

「川神の者が居るあそこか。なるほど、理解したわ」

 

 総一郎は手短に答え、あいづちは決してうたなかった。

 

「呪いとは儂のことであり塚原その物のことだ」

 

 総一郎の意図を汲んだのか、それともただ満足したのかは分からないが卜伝の唐突さには総一郎も少しだけ驚きを隠せなかった。それ以上に興味が少し湧いた。

 

「そしてその本質は失われている」

 

「……どういうことだ」

 

 ようやくの反応に卜伝は笑みを溢すが総一郎の期限が悪くなる前に話しを続けた、自分で話の腰を折っても仕方がない。

 

「本来の呪いとは儂が生きているときに受けた「死ねず、会えぬ」と言う呪いを指す。誰にも会えず死ぬことも許されない、最悪の呪いじゃな」

 

「……なるほど」

 

「しかしな、儂の血縁はそれを放置することを良しとはせんかった。呪いを解こうとやっきになったわけだ――それが全ての始まり、間違った対処をした血縁は儂に新たな呪いを憑けた」

 

「……奪う――か?」

 

 一瞬目を見開いて笑みを浮かべた。

 

「かかか、鋭いな。そうだ「奪う」それがここまで塚原の子孫に負担を掛けさせた、それ以外の者にもか」

 

 その言葉に敵意を向けるよりも前に総一郎は目を伏せた。

 

「塚原流と言う言葉を聞いたことはあるか?」

 

「……師匠が」

 

「塚原流とは流派のことではない。塚原の流れを指す。つまり血縁もしくは近しもの――それから力を奪う。命も例外ではない」

 

 そこで総一郎は全てを悟った。いや、ようやくロジックが繋がったのだ。

 

 信一郎と純一郎が年々弱くなっている理由。

 

 村雨の不審死。

 

 ――自分の役目――

 

「理解したか」

 

「ああ」

 

 総一郎はゆっくりと立ち上がり卜伝に背を向けた。それをみて卜伝は小さくうなずいてひょうたん徳利を投げ捨てると立てかけてある刀を取る。

 

「爺さんは知らんが親父が弱くなったのは当主を継いでからと聞いている。つまり試験の度にあんたと戦っていたわけだ。そして負けて力を取られ続けている。当主試験の時にあんたと戦うのは血縁の者が――」

 

 言葉を遮ったのは卜伝が投げた大太刀だった。

 

「総一郎、お前の鈍らでは相手にならん、それを使え」

 

「……ああ、助かる」

 

 二人は言葉なしに立ち位置についた。

 

「あんたを俺が殺せば全てが終わるんだな」

 

「そうだ。言っておくがお前は確実に儂を超える存在だ、だからな――」

 

 

「総一郎、お前が儂を殺せなければ儂がお前を殺す」

 

 

「止めてやるよ、全部。生憎死ぬわけにはいかないんだ」

 

 

 

 鞘から刀が抜かれる擦れた金属音が二つ、雷音が一つ――




一ヶ月更新がなくてすみません。遅れた理由はありますが言い訳しても仕方がないでしょう。
ちなみにパソコンは壊れてないです(LANのジャックが外れたけど何の関係もない)

ちなみに明日僕の誕生日です。


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精神の宮殿

ずいぶんと遅れました。


 先、先の先、先々の先、後の先と言えば読み合いの基本原則である。先手、返し、阻止、見切り、これを決めた者同士の戦いは一見異様な光景に見える。

 構えを少しずつ変え、立ち位置を変えていく。その光景は観客の息を止める時間にしては少し長い。いつしか息を吐きだしてその後は一時の退屈に見舞われる。

 と、その瞬間に決着が着いていることもある。

 総一郎が何度も言及している通り刀という物は振れば命をいとも容易く奪うことができる。卜伝は百十二人もの剣士を切り捨てた、それは相手の技量にかかわらず刀によって百十二回も絶命の危機に瀕したというわけだ。結局の所生涯受けた傷は戦場などで受けた鏃の傷が六つ度だけ。現代人には考えが及ばない程「読み合い」に秀でた剣士であり、それは即ち最強を意味している。

 一方、総一郎とて達人の領域に居るわけであり、そして計り知れない才能の塊である。「明鏡止水」や「無我の境地」と静の極みの二つをこの若さで極めているのは紛れもなく天才と言わずしてなんとしよう。だが――経験、年月――にて明らかな劣等が総一郎にはあり、この二人の間に差があるのは明白だった。

 しかし、それを理解しない総一郎でもない。二人は適切な間合いを取りつつ見切りの境地である「技撃軌道戦」を始めてから既に――三日経っていた

 踏み込み上段からの一振りを釣りに使い、鞘による打撃を試みる。対する卜伝は上段斬に見向きもせず鞘を刀の逆刃で弾いた。

 これは只の読み合いで実際には一太刀として相見えてはいない。しかしそれは総一郎の太刀が一度たりとも届いていないと同義だ。そして卜伝の方からは一度も攻めることは無かった。

 

(後の先に置いて――違うな、見切りについては俺の及ばぬところに居る。見切りの奥義とでも言うのか、このままでは勝てない)

 

 総一郎は心を静めた、目を閉じた。幾ら相手が攻撃してこないといっても相当な度胸である。彼の無我が目を閉じたのならば正解と言えば正解だが。

 

(六徳――無我――その先を得なければならない。ここで成長しなければ死ぬぞ……!)

 

 卜伝はその姿を見て少しだけ口角を上げた。

 その様子から見るに卜伝は今すぐ総一郎を殺す気がない、総一郎も数十分でそれに気が付いた。飽くまでも自分を殺してもらいたい卜伝だ、時間の許す限り総一郎に実戦形式で稽古をつける気なのだ。それでも何時かは殺す、それをどうできるか、総一郎は理解してそして焦っていた。

 力、技、そういう話ではない、正面から打ち合うには最高の環境と最大の鍛錬をして最低でも五年必要だ。この技撃軌道戦だけでも相当な経験値を積むことができているが、卜伝に総一郎が勝つには閃きと何かが圧倒的に足りていない。

 

(後の……後とでもいうのか、それが俺には出来るのか)

 

 総一郎は刀を鞘へ納める。

 

「ほう」

 

「開祖爺さん、打って来てくれよ」

 

「良いだろう」

 

 局面は次へ移る。

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

想像を絶した。総一郎は優に千を超えた死の間際を体験した。幾度の走馬燈を抑えて生きるために三百六十度から放たれる太刀筋を避けて受けた。

この時既に二月を超えている。打ち合いと見繕ってはいるが実際は一ヶ月以上も相手の攻撃を休まず受け続けているだけだ。この場合の休まずというのは誇張ではない、一月から初めて二月中旬、一か月半も彼らは手を止めず睡眠も一切をとっていない。卜伝は元々そう言う奴なのかもしれないが、総一郎は迫り来る死神から命を守るためにアドレナリンを意図的に出し、筋肉を無理やり緊張させていた。

 

「死ねない――」

 

 ほぼ無意識なのか卜伝はその言葉を所々で聞いていた

 彼に一体どのような生活があり交友があり、その瞳に宿る信念があるのか。卜伝はそれを知らぬ――が、故に「総一郎」という人物像が良く分かってきていた。

 

「なるほど」

 

 卜伝はそう呟くと刀を鞘に納めた。同時に笑みを浮かべた。

満身創痍のようで気が極限までに洗練され、体も一回り大きくなっている。筋肉の緊張状態は殺し合いに相応しいほど張っており、総一郎の目から「死ねぬ」という意思が濃く伝わる鋭さが放たれている。

 そんな総一郎は卜伝の行動に深刻な動揺を覚え、そして――崩れた。

 

「無理もない、儂もかなりの所まできている」

 

「野郎……!」

 

「安心しろ、今は殺さん」

 

 総一郎は辛うじて視線だけを卜伝へ向けた。体全身から滴る汗はまるで洪水、まるで失禁だ。良く見ると総一郎の使っていた刀も相当な消耗をしていた。

 

「どのみちそれではあと数振りが限度だろう。これ以上無駄なことをしても意味が無い」

 

どうにか上半身だけでも起こそうと手のひらで踏ん張ろうとする総一郎を他所に卜伝は転がっているひょうたん徳利を拾い中身を浴びるように飲み干した。振り返り総一郎が片肘突いた状態で息を枯らしているのを見ると卜伝は言う。

 

「お前、武への執念がないな?」

 

「――」

 

 息が止まった。総一郎の息が止まった。大きく揺れていた体がぴたりと止まり、やがて総一郎は何事もなかったように体を起こしてそこで座った。

 

「楽しくないのだろうな、幼少期から儂を殺すためだけに武を強制されたのだから。しかしな、それでは儂に勝てぬぞ、仮に儂にその刃が届こうとも貴様は死ぬ、お前には儂を一撃で殺す手段を想像する力がない! 生への執着と約束だけでは生き残ることは出来ない! 執着、約束、そして執念の三つを持つ者だけが今日を生きることが出来、明日愛する者と愛を確かめられる! それの無いお前に明日は生きられない」

 

 沈黙が続く。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 自己回想など何年振りだろう。師匠が死ぬよりも前の話だ。

 正確に覚えている、人を斬ったその二日後。全て諦めようとする自分をどうにか留めたのが最後だ。

 自分は目の前にいる爺のせいでこんな思い出に浸っている。

 

「おはよう」

 

 そこは新当流の道場だ、門下生が朝から汗を垂らし、汗まみれ。匂いは想像通りの匂いだ。自分はそこに身なりを整え足を踏み入れた。今までの行いを鑑みれば門下生の視線の理由もうなずける。

 

「おっはー!」

 

 自分の後ろから燕が明るく入ってくる。

 

「総ちゃん、おはよう!」

 

 視線を遮るように燕は総一郎の前で満面の笑みを浮かべた。今の自分にとって素晴らしくありがたいことだ。

 少し前にあの川で心の内を明かしてから自分と燕の距離はかなり縮まった。

 

「おは、つーちゃん」

 

 総一郎の笑み、そして二人の雰囲気に門下生は目を見開いた。荒くれ者の総一郎とアイドル燕、幼馴染、しかし最近の中は最悪だったはずだ。それだと言うのに今「総ちゃん」「つーちゃん」とかつての呼び名、まるで恋人のように呼び合っているではないか。

 

「皆聞いてくれ」

 

 自分は門下生の前に立って真剣な趣のまま鍛錬を止めさせる。門下生が自分を畏怖して自分を崇めていることを知っている、自分自身を信頼してくれているわけではない。だからこそ自分からやっていかねばならない。

 

「我が師、雲林院村雨の後を継ぎこの度新当流総代を受け継ぐことになった」

 

 どよめき。しかし自分は話を続けた。

 

「俺は不出来な弟子だ。師匠が死ぬまで彼の愛を理解しなかった、俺が理解できる状態でないと知りながらも彼は俺を愛し続けてくれた」

 

 もう話し声は聞こえない。皆が自分の声を聞こうと努力してくれている。

 

「次は俺が皆を愛する番だ、俺は我が師を受け継ぎそして必ず超えてみせる」

 

 初めての決意表明だった。何としても師の無念を晴らしたい、恩返しをしたい、門下生は自分の真摯さに応えてくれた。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 それから少し経つ、自分はこれから夏休みを利用して武者修行の旅、師に縁のある剣士の元へ経験を積みに行く算段を立てていた。

 金銭に支障は無い、礼儀作法も学んだ。

 

「あとは……」

 

 京都の河原。特に別称でもなくただの河原だ。強いて言えばあの日の夜の河原だ。

 自分が今ここで腰を下ろしているのは人を待っているからだ。しかし普段であれば水切りの一つでもして暇をつぶすのだが、今日に限って自分は堤防の坂に腰を下ろして一点を凝視していた。

 待ち人は「松永燕」だ。

 あの日ここで辛さを共有した彼女、自分は旅立つ前に気持ちをつもりだ。

 

「総ちゃん!」

 

 横から足音と共に透き通った可憐な愛しい声が聞こえてくる。正直言って燕のことが好きでたまらない。燕も自分に好意を寄せてくれると思っているので、その燕が時折見せてくれるとびっきりの笑顔が心を突きさしてくる。こんな世界にいるからなのか、鍛錬後の汗が滴る燕の姿や近くにいると漂ってくる女の汗の匂いが自分の性的欲求を満たすようだ。

 プライベートでもあれから何度も遊んだ。燕はアイドルなので自分のような男といれば噂が立つかもしれない。だが、「京都のツインエース」なる言葉に今は救われているのが現状だ。学校でもプライベートでも一緒にいても仲の良い姉弟に見られることも多い、実際学校ではそういう工作をしている。

 

「待った?」

 

「待ったが別に苦じゃないさ」

 

「良かった。それで何か御用かな?」

 

 燕は走ってきたせいなのかハンカチで額や首に垂れた汗を拭いている。そんな燕を凝視していると微笑んで「どうしたの?」と言ってきた。

 すると知らぬうちに自分は燕を抱きしめていた。

 自分からは見えないが燕の表情はみるみる赤みを帯びていく。だが、抵抗は無い。

 

「燕、好きだ」

 

 燕は俺をそのまま強く抱きしめて胸に顔を隠した。

 

 

 

 その後、俺と燕は隠れて付き合うことになる。燕が変装して自分の家に来たり、デート中も燕が変装、学校などでは寧ろ今の関係を変えないようにした。どこか旅行に行くときは修行の形をとった。

 

「俺、川神行くことにした」

 

「武神がいる?」

 

「ああ」

 

 隣で寝ている燕は少し驚いたように瞳を濁らせた。

 

「どうして?」

 

「心機一転さ」

 

 燕は腕に腕を絡めてきた。自分も燕に正面で向き合った。

 

「無理しないでね」

 

「ああ」

 

 自分はそのまま燕を抱きしめて眠りに落ちた。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

「無いと申すか」

 

 総一郎は執念と約束、村雨の為に呪いを消す執着ともう只の関係ではない燕との約束。だがどうしても執念が見当たらない。

 総一郎は死を覚悟した――

 

「無いと申すか!」

 

 一喝。それは総一郎の心の隅に置かれているものを引き出すのには十分響く言葉だった。久しぶりに大人に怒られた総一郎に響く言葉だった。

 

「――光灯る町に背を向け」

 

 卜伝はその言葉に構えた。少しずつ総一郎は立ち上がる。

 

「我が進は果て無き荒野――」

 

 卜伝は呼吸を整えた。総一郎は正眼に構えた。

 

「揺ぎ無い意志を糧として……!」

 

 卜伝は「良き」と呟き、総一郎は顔を上げた。

 

「闇の旅を進んで行く!!」

 

 卜伝は上段に振り上げた。総一郎は真摯な表情で顔を合わせる。

 

「次で決める、奥義を使うぞ」

 

「いいぜ――来い!」

 

 

 

 

 総一郎の目前に卜伝は一瞬にして間合いを詰めた。否、その表現はその次があるようにも聞こえてしまう。

 卜伝はそれを振れば確実に総一郎を殺せる間合いに入った。

 総一郎は受けるか避けるか。また否、受ければ死ぬと理解した、そして避けれないと理解した。

 

 上段斬りを受ければ刀ごと体を真っ二つ。

 

 返し技を決めても自分の体は真っ二つ。

 

 体を半身にして避けようとしても卜伝の修正で唐竹割りにされる。

 

 防御しながら避けようとするには時間が足りない。

 

 逃げてもその次は無い。

 

 総一郎の頭に自らの死が何度も何度もリフレインした。そして走馬燈が過る。

 

 

 ――ううう、なんで総ちゃんはいつもこうかな

 

 ――……道場破りなら川神院へどうぞ

 

 ――風間ファミリー入団試験を行う!

 

 ――なんだとー!

 

 ――私は総一に感謝しきれない

 

 ――あはは、何か大変そうだね

 

 ――川神一子よ! ワン子じゃない!

 

 ――お前は楽しくなかったかもしれないが、私はものすごく楽しかった

 

 ――死なないで

 

 

「――」

 

 現実に戻された時、総一郎はまだ生きていた。卜伝の動きがまだスローに見える。

 

(まだ、生きれる……死ねない!)

 

 総一郎は無我の境地の先へ入ったことを気が付いていない。だが、諦めない。総一郎の構えは正眼よりも少し低い位置に刀を置いていた。

 卜伝は依然として上段斬りのままだ。

 

 総一郎は思考する前に体を動かしていた、体を半身に。だがそれでは死が待っている。しかし、その先は完全に思考の外、精神の奥底が体に求めた結果だ。

 両手で持っていた刀を右手だけに持つ、卜伝は目を見開いて笑みを浮かべた。この少年は生きようと、死にたくないという気持ちで心に全てを委ねている。喜ばしいことだった。だからこそ、自分は最大の力で彼を殺すのだ。

 

 卜伝の上段と総一郎の――突きが交差した。

 

 そして卜伝の刀は総一郎の肩を掠め、総一郎の刀は――卜伝の心臓を貫いていた。

 




すいません。向こう書いていたんですが、何故かデータがない。

ですが今日出てきまして、投稿しました。申し訳ないっす。


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塚原卜伝、ここに眠る。和解と暫しの休憩。

 自らの呼吸が体内で木霊している、荒い荒い呼吸のみ聞こえてくる。卜伝の反応は無い。刀を体から抜こうとしても力が無いのかどうやっても抜くことが出来ず、少しずつ焦りが芽生えてきた。もし卜伝が生きていればすぐにでも自分は殺される、もう力が残っていないのだ、むしろ刺さっている刀を支えに立っているようなものだ。

 呼吸が荒くなる――

 

「見事」

 

 その言葉はまるで呼吸器のようで自分の心臓が少しずつ収まっていくのを内外で感じた、卜伝は崩れ落ちる総一郎を支えた。

 

「お主の勝ちだ、総一郎――」

 

 馬鹿な――自分は倒れ掛かり、相手は心臓を突き刺されているというのにピンピンしているではないか。

 

「――よくやった」

 

 

 

 

 

 

「生涯七度目の傷が致命傷とはな」

 

 卜伝は胸から血が流れることを気にも止めず総一郎に背を向け歩き出した。すると奥にある掛け軸をとる、そうすれば大太刀が二本。全く同じの得物だ。

 

「見事じゃろ」

 

 打って変わって満身創痍の総一郎は言葉を発する事が出来なかった。喋る気力がないのもそうだが、ここでは絶句という言葉が似合う。

 初めて刀が美しいと、凄まじいと感じた。まだ鞘に収まっている段階だというのに何故こんなにも気持ちが昂ぶるのだろうか。その答えは自身の心に、そして卜伝はそれを言葉にする。

 

「これは二本ともお前の刀になる物だ。どうだ初めて侍として戦った後の刀は、愛おしかろう。特にこれはお前が使うために生まれてきた刀だぞ」

 

 卜伝を倒した者の為に作られた刀、結果的な話だが確かに総一郎のために作られた刀と言える。

 総一郎はその言葉、自分が侍として戦い、そしてそれを愛おしく思えるその事が嬉しくて仕方なく、そして十六年間がフラッシュバックした。

 そして全てが弾けるように嗚咽が体内で木霊していく。卜伝には侍の嗚咽を聞く趣味などない、つまりそれは総一郎だけが聞くことのできる懺悔と感謝の混じり混じった物、故に彼の体内でしか聞こえないものだった。

 

「さあ、受け取れ」

 

 卜伝がそれを手渡すと総一郎は交差する様々な思いを抱きながらその刀を二本共抱きしめた。

 

「では行くか」

 

「・・・何処にだ」

 

 卜伝は少し微笑んで出口で振り返って言う。

 

「そりゃ山の頂上、儂の墓標じゃ」

 

 

 

 

 

 

 

 塚原山は晴天なり。その名の通り塚原山は総一郎が来た時とは違い雲ひとつない晴天。木々の間から見たとしても一目でわかる、塚原山が総一郎の勝利を讃え、卜伝の花道を作っていた。

 そして何故か総一郎の体力は少しずつではあったが 回復していっている、神聖な場所である塚原山にそういう効果があってもおかしくはない。

 だが、反対に卜伝は少しずつ弱って行き、ついには腰が抜けたようにその場にしゃがみ込んだ。

 

「すまぬな」

 

 頂上まで行かねばならないので今現在は総一郎が卜伝を背負っている形だ。

 

「ま、足腰の悪い爺さんを背負ってるようなもんだ。足腰の悪い爺さんは登山なんかしないけどな」

 

「ぬかせ」

 

 二人は先程まで殺しあっていたとは思えぬほど笑顔を交わしている。異質であろうか、異常であろうか。二人にとってそんなことは些細な話だった。

 命を交わしたのだ、盃よりも深く強い結びつきだ。

 

「そうだ総一郎」

 

「なんだ開爺」

 

「刀に名前を付けてやれ」

 

「名前?別にいいだろ、無銘ってのが名前だ」

 

「そうはいかん、敬意を払うのであれば名前を付けるべきだ。刀は自分の命そのものだぞ」

 

 そう言われて総一郎は少し黙った。

 

「雨無雷音」

 

「素晴らしいな、刀が喜んでおる」

 

 怪訝な雰囲気を卜伝に向けながら総一郎はもう一本の方を考えた。

 雨無雷音──その意味を理解できるものはそう多くはないだろう。恐らく一部の塚原関係者と燕、そして卜伝のみ。

 雨無く雷音は鳴る。一見詩的だ、つまり卜伝との戦いで刀を抜いた時の雷音を模したようにも思える。だが、違う。

 

 ──今は亡き村雨にこの雷音を捧ぐ。

 

 卜伝の喜びはそこからも来ている。名前に深すぎる意味をもたせたこともそうだが、真っ先に自らの師にこの刀を捧げた総一郎に嬉しさを感じた。戦う前には感じられなかった気持ちだ。

 

「もう片方はどうだ?すぐには思いつかんか?」

 

 総一郎「いや・・・」と濁したまま押し黙った。流石の卜伝もそれ以上を悟ることは出来なかった。

 

「まあ、まだ時間はある。人生は長いぞ」

 

 何百年と生きてきた卜伝の言葉に確かに説得力はある、だがそれと同時に卜伝は今から死ぬのだ。

 

「そろそろ頂上か」

 

「そういえば頂上に墓なんかないぞ、あるのはでかい石だけだ」

 

「ああ、それは儂用の石だ。お前が儂の墓を作れ」

 

「まじか」

 

 それは巨大な石だ。確かに頂上にただあるのであれば不自然さを覚えなくもない。

 近くの木陰に卜伝を降ろすと総一郎はその岩の前に立った。

 非常に大きい石。既視感があった。明確に思い出すことは困難な記憶。まさしくそうだ、村雨や卜伝の意志をその石に投影してしまった。

 

「凄いな」

 

「何がだ」

 

「全部さ」

 

 雨無雷音と名付けた大太刀ではなく、まだ無銘の大太刀をゆっくりと総一郎は引き抜いた。そして目を瞑ると。

 

(なんだか研ぎ澄まされる・・・無我なんてものじゃない、もっと大きな精神の・・・)

 

 ぱっ、と目を開く。次の瞬間その剣先が岩に触れると斬ると言うよりも弾け飛んだ。

 岩は大きな刀の形をしてその刀身には「塚原卜伝、ここに眠る」と、そしてもう一つ刻まれていた。

 

「其我一振」

 

「総一郎・・・」

 

「我の其の一振り──この刀の名は貴方と塚原に捧げます。それはつまり自分の物でもあるというこの刀に対する愛着を指す」

 

 卜伝は振り返った総一郎が自分と其の後ろにいるであろう「塚原」という者たちに笑顔を向けた姿を見ると急激に力が体から抜けていくことを感じた。悪いものではない、快感に似た気持ちの良いものだ。何百年と生きてきた業の深い死にしては神も優しいものだ、卜伝は遠のく意識の中最後に一言だけ総一郎へ託した。

 

「精神の宮殿だ」

 

「?」

 

「無我の境地、其の上、極みを超えた超人が昇る高みだ。それは階段を上ることも下ることもできる、奥へ進むことも、落ちていくこともできる。だが、歳に合わぬ卓越した精神はお主の苦悩となる。その時は儂を頼ることだ」

 

「爺さん・・・」

 

 総一郎の顔はそれを悟った表情だ。

 

「総一郎・・・また会おう、そして──有難う──」

 

 卜伝は総一郎の手が自分の頬に触れたのを確認してその意識を本来は数百年前に時代の戦士と共に逝く筈だった彼処へ飛ばすのだった。

 

「安らかにお眠り下さい、必ず私も其方へ参ります」

 

 総一郎は自分の瞳から一粒の涙が流れることに気が付かなかった。

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

「いっちにっちいっぽ、みっかでさんぽ」

 

 山の下りは辛い、登りよりもだ。疲れた体、疲弊した足にとってその重力と足裏にかかる負担は相当なものだ。

 しかし総一郎の足は軽かった。かなりの速度で山道を下っている、だが何度も転んで既に泥だらけだ。まるで初めて登山をした子供のように。

 丁重に卜伝の亡骸を埋葬してから下山している現在はもう少しで夕暮れを迎える。未だ試験は続いているのか辺りに動物の気配はまだない。

 下山して一時間程、少し先に街が見える。目の前の森に遮られ塚原邸はまだよく見えないが、二ヵ月振りの下界を前にして心拍数が上がっていく。会いたい人に会える高揚感とあの人に会ってどうすればいいのか分からないという罪悪感、二つが下山よりも彼の心臓に負担を掛けていた。

 そして──視界に──

 

 

 

 

 

 

 少しだけ下界を振り返ろう。

 総一郎がいない二ヵ月間、燕は学校が終われば毎日塚原山の入り口に通っていた。そして絶対に自分よりも先に信一郎はそこにいた。できれば自分も彼よりも先に来たい、だがそれは禁止されている。

 雪が降る、雨が降る。それでも燕は通う、そして必ずそこに信一郎はいた。傘もささず、袴を着てそこに立ち尽くしていた。

 

「奴よりも先にはこれぬぞ」

 

「お爺さん」

 

 かなり強い雨の中気づけば燕の隣には純一郎がいた。

 

「信一郎はずっとあそこにいるのだ、だからお嬢さんはどうあっても先に待つことは出来ない」

 

「ずっと……!?」

 

 燕は視線を純一郎から信一郎へすぐに移した。この一ヶ月の記憶遡ると確かに同じ場所から信一郎が動いていないこと、良く見れば服すら変わっていないことにようやく気が付いた。

 

「懺悔だろうな」

 

「……」

 

「今まで息子を苦しめ、そして今現在その息子は最も苦しんでいるはずだ。だから、少しでも同じ気持ちでいたいのだろう」

 

 燕はこの二ヵ月程で勿論理解していた、この二人が総一郎に対して自分以上の愛情を抱いていることを、だが抱いているだけだ。抱くしかない。自分はそれを向けることが出来るがこの二人は抱くことしか出来ない。それがいかにもどかしく辛いのか燕だからこそ嫌と言うほど理解できた。

 

「だが――」

 

 そう言って純一郎は傘もささず信一郎の方に歩き出した。

 

「だが、信一郎。それはお前だけが背負う必要はない。どれ、少し儂にも分けてみよ」

 

「父上……」

 

「信じよう、そして帰って来たら……」

 

 

「抱きしめてあげてください」

 

 二人の横に燕は並んでいたそして笑顔で言う。

 

「あ、一番初めに抱き付くのは私ですけどね」

 

 三人は一斉に笑う、お腹を抱えるように三人の声は響いた――そして急激に雨が止んだ。

 

「雨が」

 

「止んだ……!」

 

「父上!」

 

 信一郎は叫んだ。純一郎頷き、燕は山へ視線を向けた。

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 こちらは晴れているというにこの入り口を挟んでどうやら向こうは雨の様だ。何だか向こうに靄がかかりその先が良く見えない。一歩一歩が少しずつ重くなっていく、山から出るにつれ疲労感が押し寄せてきた。

 そして向こうの雨があがると同時に途轍もない太陽が靄ごと自分を照らす。良く前が見えない、だがそのまま歩いているそこを抜けた感覚が体を突き抜けた。山の声援が体に染み渡る。森が揺らぐ、葉が鳴く、気配が増える、そして──

 

「総ちゃん!」

 

 愛おしき声がその重さと大差なく自らの体に来る。総一郎は衝撃を逸らすように一回転した。

 

「ただいま……燕の香りがする」

 

「え、やめて。おじ様たちもいるから!」

 

 燕越しに見るその先にはやつれた二人の姿がある。その顔には息子の生還を喜ぶ顔とそして不安があった。

 

「親父、爺ちゃん。やったよ俺、ほら」

 

 腰につけた大太刀を見せると信一郎は総一郎へ駆け寄った、それに総一郎も応えるがそのまま信一郎に抱き付く形で倒れる。

 

「やったよ俺」

 

「よくやった……! よくやった……! 良く帰って来た……! 良く生きて帰って来た……!」

 

 その言葉を聞くと信一郎の啜り泣きと視界に映る涙を両目から流す純一郎を見てそのまま意識を手放した。

 

 

 

 

 

 それから二週間、皆美や燕が付き添うが一切、総一郎は目を覚まさなかった。

 一度医者にも見せたが「酷い過労ですね」と深刻な顔をされた。勿論不安になる皆美と燕だったが「ですが臓器に異常などはありません、塚原さんのことは良く分かっていますので安静にするのと適度な点滴で目は覚ますと思います。その代わり起きた時に少し体の機能が落ちていると思います」と明るい顔で言われて安堵する。冷静になると「落として上げるなんてひどい医者ね!」と憤慨していた。

 そして二週間過ぎ、総一郎は目を覚ます。

 

「なんだっけ」

 

 一時的な記憶障害だった。絶句する者も多かったが、二時間後には「母さーん、腹減ったー」とベッドに寝ながらであるが食欲を見せるようにもなった。だが、両足で歩くのに一週間ほどかかった。

 そしてその間に純一郎、信一郎、総一郎の会合は行われた。その内容を知る者は三人以外一人もいない。だがわかる、その後の三人の姿を見れば。純一郎と信一郎にぎこちなさは見られるが総一郎の反応は全く変わった。食事を共にすることもあれば稽古するようにもなった。その様子に一番感激を覚えたのは皆美だった。食事時に三人が話し笑っている姿をみると突然人目も憚らず泣いてしまった。水脈が窘めてどうにか落ち着きを見せるが、その姿に三人は皆美への負担が壮絶なものであったと悟った。

 試験は終わったがまだ塚原継儀の発表はまだ行われていない。各所への通達をする前に様々な準備と手続き、儀式の手順などを総一郎は覚えなければならない。それ以前に総一郎の体力がかなり落ちていることが大本の原因だ。三十分歩くだけで相当の疲労感に襲われてしまう、生活するだけでもかなり深刻な問題であった。

 そんな中リハビリを兼ねて総一郎は燕と共に例の河原へ来ていた。

 

「くえー太陽が気持ちいいな」

 

「うー」

 

 河原の方で二人は十三時の太陽に照らされていた。

 

「体動かねぇー」

 

「どうしようかねー」

 

 体を伸ばして太陽に叫んでいた。

 

「ねえ総ちゃん」

 

「あー?」

 

「私も川神行くから」

 

「なんでー?」

 

「武神を倒しに行きます」

 

「あいつ強いぞー」

 

「今私より弱い奴に言われても説得力ないよー」

 

 総一郎は言葉に詰まってしまった。せっかく卜伝に勝ち、雨無雷音と其我一振を授かったというのに何故自分はこんなにも弱いのだろうか。二ヵ月も戦っていたからか? そうだ、疲れているんだ。

 だからといって燕よりも弱いというのか。いや、燕は弱いわけではない、壁を超えた存在である。だが、技巧派で兵法家である自分と技巧派で戦略家である燕の相性で言えば明らか自力の強い自分が有利である。しかも卜伝に勝ったことは紛れもない事実、二ヵ月前と比べ数段実力は違う。

 では、何故ここまで自分は弱いというのだ。

 

「総ちゃん」

 

 燕の呼びかけで総一郎は現実へ引き戻された。ゆっくり右に首を動かすと少し微笑む燕の顔がこちらを向いていた。

 

「私はどこにも行かないよ、だから総ちゃんはどこに行ってもいいんだよ」

 

 

 きっかけはその言葉だ。何度も思考した。一体思考している時、自分がどこに居るのか。その言葉で初めて気が付いた。

 宮殿にいた──

 

「暗い……」

 

 明かりはある、薄暗い鬼火のような青い光が壁らしき物から発せられている。だが暗い。二メートル先の視界は暗闇だ。

 

「これが俺か」

 

 一つ思い出した言葉「精神の宮殿」──卜伝が残したものだ。推測するにつまりは総一郎の心、精神領域を表した仮想世界とでも言おうか。今まではどんなに精神を静めようとこのような場所を覗くことは無かった。

 

「俺が精神を覗くとき、また精神を俺を覗いている──とでも言えばいいのか? 俺が覗きだして初めてここが現れた……」

 

 あの時、卜伝と最後の一振りを交わした時、あの時の感覚を思い出す。全てがゆっくり動いていた、全てが観えた。無限の時を過ごせるようだった。あれが即ち精神の宮殿であるというのならば、この景色のように曇ってはいないはずだ。しかし靄ではなくはっきりと暗闇が広がっている。

 何故、総一郎は今になってこの宮殿を認識できるようになったのだろうか。

 

「燕──鍵か!」

 

 燕の言葉、自分の精神の主軸となる人物の言葉が鍵だとすればあとは考えるだけだ。そしてそれを探すだけだ。

 

「そうか」

 

 ある程度歩き出したところで思想に耽っていた総一郎は見えぬはずの辺りを見渡した。するとどこが正面かもわからない状況で後ろを振り向いて言うのだ。

 

「ずっと居たのか爺さん」

 

「ここは儂の家だからな、元だが」

 

 そこに明かりがつく、扉だけが見えるように青い灯が赤に変わった。扉に総一郎が触れるとそれが開く。すると透き通った光が一面に広がった。太陽ではない、むしろ海のようだった。

 そこには階段もあれば崖もあった、しかしまだ玉座はなく、その先には扉が存在している。

 

「ゆっくり開けていけ」

 

「だが……」

 

「戦えば嫌でも開く。だからこそ平穏な時間はゆっくりと、だ」

 

 総一郎はゆっくりと目を開けた。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

「次は新七浜~新七浜です」

 

 懐かしいシュウマイの匂いがしてきそうだ。生憎またもや景色を見ず寝過ごした総一郎は一度溜息をついてから荷物を持った。

 新七浜から行くのは久しぶりに来る川神、自分の支えとなる人間が何人もいる──いや、この地自体が自分の支えになっている。

 

「君」

 

「はい」

 

 そんな矢先見覚えのある警官が総一郎に声を掛けた。

 

「それ真剣――君はあの時の」

 

「ああ、その節はどうも」

 

「またここで会うとは思わなかったよ。刀が二本になってるし……流石、新当流総代かな」

 

「ご存知でしたか」

 

「まあ、昔から剣道をやっていてね。よかったらサインお願いできるかい? 警察でも結構有名人なんだよ君は」

 

「ええ、いいですよ」

 

 警官が手帳とペンを出すが総一郎は「ここでいいんですか?」と聞く「構わないよ」と警官は笑い飛ばした。

 

「ありがとう、頑張ってね」

 

「え、はい。頑張ります」

 

 そう言って警官は去って行った。

 

「……」

 

 総一郎は思った。

 

「いや~川神に帰って来た実感が湧いたぞ」

 

 固まった背中を伸ばして総一郎は学園へ向かうのであった。




次から本編に戻ります。


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時代の幕開け編
最強の味


 夜風が吹く多馬川、総一郎の話を聞いた大和、百代、京は大きな衝撃を受けていた。壮絶な試験、卜伝との決闘――そして。

 

「今の俺は赤ん坊のようだ。クリスのような人間すら許容できない」

 

 彼の大きな変化。これは真っ当な人生を送れるようになった証でもあり、そして心が敏感になった証でもある。不躾なクリスを許せないのは当然な話だ、今までがおかしかったのかもしれない。

 

「すまないな、百代」

 

「何がだ?」

 

「お前の挨拶すら鬱陶しい」

 

 学校で百代の拳を受けた時のことを言ってるのだろう。百代は悲し気に振り向く総一郎に優しく首を振った。

 

「お前のおかしさはそういうことか」

 

「ああ」

 

 大和と京は未だ回想と総一郎の関連を完璧には繋ぎきれていない。確かに壮絶であり壮大な話に違いはない。だが、恐らくは今の現状と真逆のことが起きているはずなのに総一郎は今まさに精神的に退化している。

 

「ごめん、イマイチ理解ができていない」

 

「私も」

 

 言いずらそうに大和と京は同時に総一郎へ謝罪の視線を向けた。

 

「空っぽになったんだな」

 

 二人の視線は百代に移った。

 

「嫌いな剣術、嫌いな父と祖父、師の無念。そして恐らく今後の人生でも二度あるかないか、その死闘を繰り広げた。全てが終わり、解決すればもう何も残っていなかったんだ。私にはまだ分からないがな」

 

 百代の語りはあまり見られない光景だ、だからこそその意味が全て伝わってくる。武術家としての芯が剣術家の芯と共鳴して理解できたもの。言えばわかるが本当の意味は感じることしか出来ない。

 

「お前が現れなければその気持ちを私も味わっていたかもな」

 

 呟くような声でその言葉は総一郎へ向けられた。少しだけ、少しだけ風が吹いて二人の長髪が同時に靡く。沈黙の後に大和がパンっと手を叩いた。

 

「さあ帰ろう、皆心配してる」

 

「世界が敵になっても風間ファミリーは総一の味方だから、大和の敵になったら私は大和の味方になるけど」

 

 「はいはい」と大和が笑い飛ばしていつもの光景が川神に広がった。

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 「一体どうしたのだ」

 総一郎が帰って来て言ったクリスの言葉は配慮のかけらもなかったが、取りあえずのフォローでその場は収まった。由紀江は総一郎の変化に気がいていたようだが。

 

 週初めは総一郎とクリスの話で持ちきりだった。

 クリスは世間知らずで日本を勘違いしているため物珍しく、しかも金髪の美少女。同学年の男子が目を光らせないわけがない、すでにファンクラブができている。だが女子の反感を買っているわけでもない。

 総一郎もそれまたすごい人気だ。同学年だけではなく上級生も二年F組へ彼を見に来ている。特にすごいのが一年生の人気、初めて見る幻のエレガントチンクエに失神する者もいる。既にあったファンクラブは百代、冬馬と並んで最大規模のものとなっていた。クリスと違う点といえば人気の偏り、前まではあまり多くはなかった男子からの妬みが凄まじい。噂によれば彼女の心が寝取られたなんて話もあるらしい――

 

「――だ、そうだ。頑張れ総一」

 

「辛れえ・・・」

 

 机に突っ伏しているのは他でもない当事者である総一郎だ。大和からの情報を得ると今日の違和感をようやく理解したのだ。

 

「へ、ざまあねえな」

 

「そうだぜ、そのまま男にでも掘られちまえ」

 

「よーし、ヨンパチとガクトは今すぐ新宿3丁目に連れてってやるよ、それとも東京湾がいいか?」

 

 まだ立ち上がってもいないというのに二人はすでにひれ伏していた。

 

「猿も島津もみっともないよ」

 

 近くにいた千花からは蔑んだ視線が二人に送られている。

 

「そうだ、総一郎。今日クリスとまゆっちを秘密基地に連れてくぞ、いいか?」

 

 少し間が空いて、総一郎はまた突っ伏してから右手を挙げた。大和は複雑そうな表情をしていたがそれを了承と受け取ったらしい。

相も変わらず男子の視線は変わり映えなく、総一郎は憂鬱な1日を過ごす。放課後は秘密基地に直行していた。嫌な予感はするものだ。クリスは確かに嫌いな部類に入るが、彼女がまだ幼く、世間を知らないことも理解できる。だからと言って彼女自身を許せなんてことにはならない。

 

「こんな場所はさっさと壊すべきだ」

 

 クリスの発言に激昂した京は暴言を撒き散らして今にも襲いかかろうとしていた。勿論、百代も総一郎も居れば仮にそうなったとしても止めることは容易い。この場合は大和が抱きしめることでそれを防いでいた。

 京の次に激昂したのはモロだ。明らかな敵意、拒絶、怒気は感じられないがその不自然な程の笑顔は怒りを表すには丁度いい。発言に攻撃性が混ざっている。冷静かつ、やはり先輩というところか、百代はクリスの「ウザさ」を指摘してそしてこの場を収めようとしていた。それまでの鬱憤が溜まっていたように余所余所しい由紀江にまでその矛先は向かっていた。

原因は確かにクリスにある。だが、今この場にはリーダーがいない、キャップがいない。だから彼が帰って来ればその場は収まった。ついでに聞けば箱根温泉旅行なんていう物を持ち帰ってきたのだ。これを機にクリスと由紀江がファミリーに馴染めば――と。

 

「俺は行かないぞ」

 

 今まさに仲直りとまではいかないが、それに近い状態に入っていた。だが、それを蹴破ったのは今まで黙りを決め込んでいた総一郎だった。驚愕の視線が全て総一郎へ集まった。

 

「総一――」

 

「こんな馬鹿げた奴をファミリーに入れるのは反対だ」

 

「な……!」

 

 収まりかけてきたクリスの興奮が最高潮へ達した。

 

「大和を非難したそうじゃないか、それどころか武士道やら仁義やらを勝手に履き違えてやがる。いくつかの先入観はあるがそれでも不快に変わりはない」

 

「総一! 言い過ぎだ!」

 

 明らかにいけない雰囲気へ変わろうとした状態を大和は止めなくてはならなかった。だが、京と違い抱きしめて止まるような人間ではない。声を張り上げて制止する他ない。

 

「武士とは義を重んじる者だろう! 大和が卑怯なことは明らかだ! 武士である総一殿ならわかると思っていたが……!」

 

「武士は主君の為忠義を尽くすが、そのために汚いことだっていくらでもやるさ。俺の先祖は兵法家なんても言われていたな。俺は罪のない人を殺したこともあるさ、え? それで、この俺に武士道を説くつもりか、日本有数の武士道の家系である俺に武士道を説くのか」

 

 クリスは言葉に詰まりその場で後ずさっていた。否、この場にいる殆どが体を硬直させていた。百代と一子以外。

 知らぬうちに総一郎は自分が殺気を放っていたことに気が付いた。

 

「……」

 

 クリスに嫌悪感を抱いたことは確かだった。京が怒声を上げ泣き叫ぶ姿に総一郎は怒りを覚えたのだ。彼女がファミリーにかなり依存していることは確かだが、京がここまで豹変するとは思いもしなかったわけだ。それに呼応するように自分の素が出てしまったわけだ、つまり根底にある剣士としての威気、殺気にも似たものが表に出てしまった。

 それを認識した途端、激しい嫌悪感に塗れた――クリスにではない、自分に対してだ。気まずさで思わず顔を背け、自らの精神に潜り込んでしまった。一同の視線が自分に集まっているのだ、耐え切れない。

 暗い宮殿の中、総一郎はその声に耳を傾けから静かに目を開いた。

 

「すまん……今日は帰る」

 

 逃げるというよりかは少し重い足取りで総一郎は秘密基地から去って行った。

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 夕暮れを過ぎて夜に差し掛かる頃、総一郎は問いかけても問いかけても答えをはぐらかす卜伝に困惑していた。

 

「それでよい」

 

 そうとしか返ってこない。気が付けば総一郎は知らず知らずに多馬大橋へ足を運んでいた。

 そして一人の老人と再会した。

 

「荒々しく、それでもって稚拙な精神に成り下がったな――いや、年相応というべきか。悪い傾向ではない、俺からしたら伸びしろが増えたように見える。前よりも良い赤子になったな」

 

「ヒュームさん……でしたか。お久しぶりです」

 

 まるで興味のない瞳にヒュームは鼻で笑った。

 

「随分と辛そうだな」

 

「……ああ」

 

 総一郎は俯いたままそれを肯定した。ヒュームとしては「関係ないだろ」とでも言われるのだろうと思っていた、しかし長身から見る総一郎の姿はなんとも言い難いものである。

 

「――三手」

 

 ヒュームの言葉で総一郎は視線だけをヒュームの顔を向けた。

 

「三手だけ付き合え」

 

 総一郎は少し驚いてからいつの間にか首を縦に振っていた。

 

 

 

 

 

 

 それから数十分後、二人は森の奥、ひらけた原っぱのようなところにいた。ヒュームの服装は燕尾服のまま変わらず、総一郎もまた私服のカジュアルな和服から変化はない。

 

「良い刀だな」

 

「ああ、名刀さ」

 

 総一郎の腰には一本だけ、雨無雷音が差されている。

 

「三手、本気でいいか」

 

「構わん、来い」

 

 腰を低く、左手は少し鞘を支え、右手は静粛の間に刀を引き抜いていた。擦れた金属音が聞こえなかったのは何故だろうか、一瞬の疑問も総一郎の思考からはとうに消え失せていた。

 そんな光景にヒュームは感嘆を覚えた。「いいか」と言われ「来い」と答えたが彼から交える気概を感じはしない、だが彼の気が透き通り洗練され、それが円のように広がっていく光景が見える。受けの初手――突っ込むだけが初手ではない、相手からの攻撃を受けることが初手、総一郎は無意識にヒュームの攻撃を受ける気でいた。

 

(やはり百代と双対になるな……そしてそして双頭とも……)

 

 ヒュームは嬉しさ故に笑みを零れ、「フッフッフ」と声すら漏らしてしまった。

 一方、総一郎は待つ、と同時に自身の未完成さを感じ取っていた。

 前に立つは現代最強を名乗るヒューム・ヘルシング。前回は世界最巧と言うのに相応しい蹴りである「ジェノサイド・チェーンソ」を甘んじて受けてしまった。今回はあの死闘とあの一振りを経験した成果を見せるに絶好の機会だ。だが、ようやく開きつつある扉を前に立ち止まっていた。

 

「どうした」

 

「いや……どうしたものかな」

 

「馬鹿者が」

 

 卜伝の叱咤が総一郎の体を突き抜けた、慌てて振り返るとそこに卜伝はいない。

 だが――気が付けばその宮殿には少しの喧騒が広がっていた。鹿に熊、蛇に猪、栗鼠もいれば狐も狸も。

 

「――そうか、お前たちがいなかったのか」

 

 扉からの光が総一郎の影をケモノたちに被せるように、まるで黄金の宮殿だった。

 

 

 

「いいな?」

 

「――ああ、お願いします!」

 

 感覚が広がる――卜伝との死闘では味わえなかった、成長の実感だ。

 

「ジェノサイド――」

 

「塚原流――」

 

 後ろを隣を皆が走っている、黄金の回廊を総一郎はとてつもない速度で駆けあがっていた。そして体についていた重しが土のように落ちて落ちて体が軽くなる、死にも似た感覚が快感で、遠く先の見えない回廊もまるで苦に感じない。――そしてそこは宮殿の最上階ということを表すように玉座が見える。

 

「チェーンソ!」

 

 瞬間、全ての感情、感覚が殻を破り、そして杯からあふれ出す。

 

 

 百代が振り向き

 

 鉄心が眉を動かし

 

 釈迦堂が静かに笑みを溢し

 

 純一郎と信一郎が嬉しそうに月に向かい盃を掲げ

 

 揚羽が髪を靡かせ

 

 由紀江が驚き

 

 一子が呟き

 

 総理が頭を搔き

 

 少女が月に話しかけ

 

 三人が感じ取り

 

 燕が踊っていた

 

「――其振り!」

 

 二つの奥義が重なる――それは川神以外の世界に力を知らしめるのには十分の威力だった。

 ヒュームは自分の奥義が止められたことに一切の驚愕を感じず、感涙の涙すら流す勢いで二手目のジェノサイド・チェーンソを思いのままに放っていた。勿論それに反応できない総一郎などもうここに存在することは無く、完全に「それ」使いこなして蹴り、ではなくヒューム自身に一振りを放っていた。だが、二つの攻撃は交差する。違う意図があるというのに二つは間違いを犯したように重なった。

 研ぎ澄まされた総一郎の感覚は次の三手目で決着が絶対に着かないことを確信していた。それはヒュームに対して引けを全くとらなかった表れと同時にまだヒュームに対して勝つことが出来ない証拠だ。だから、だからこそいまここで出来うる最強を放っておきたい、自分の身を案じたヒュームに全てをぶつけたい、その一心で今、総一郎は刀を上段から振り下ろした――

 

 

 

 

 垂れる汗を拭うと総一郎は雨無雷音を納めた。

 

「ありがとうございました」

 

 振り返って頭を下げるとヒュームは一枚の名刺を手渡してくる。

 

「俺直通の名刺だ、暇な時稽古でも付けてやろう」

 

 名刺に視線を落とし、また戻すとすでにそこに金髪老人の姿はなかった。

 森の惨状は酷いものだ、だが前と違って身なりが酷いわけでもない。そして心は清々しい。世界最強との三手、死闘との差は明らかにあるものの、そのきっかけは計り知れないほど総一郎にとって有益なものだった。

 

「やはり年長者のいうことは聞いておくべきだな……半分だけ」

 

 「さて」と呟いて町へと総一郎は歩みを進めた。今日はないだろうがこれから予想される百代からの追及にどう答えようか――それ以前に今まですっかり忘れていたがクリスの件がある。謝る気はさらさらないが箱根に行くことは妥協することに決めた今日の総一郎だった。

 

 

 

 

 

 

 

 九鬼財閥極東本社――今にもステイシーは震えあがって凍り付きそうな体験をしていた。ヒュームが玄関に歩いて帰ってくる、しかも「フッフッフ」と笑みを浮かべながら。殺されるのだろうかと心配をするも自分に気が付かないのか通り過ぎていくと緊張が一気に解けていた。

 

「……なんだあ? さっきの奴と関係があんのか」

 

 ヒュームが上機嫌に歩いているとクラウディオと九鬼帝が正面から歩いてくる。

 

「あれ、ヒュームご機嫌じゃん、どうしたの」

 

「そうですね、気持ち悪いぐらいに上機嫌ですね」

 

 あしらうこともなくヒュームは話を続けた。

 

「何、久しぶりに心が震えただけです。クラウは気が付いていただろう」

 

「まあ、そうですね」

 

「え、俺だけ蚊帳の外かよ、そういうの止めようぜ」

 

 三人の上機嫌さは夜の九鬼ビルに――夜のbarに響いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




海外に行ってからの靴を履く習慣がなくなりました。


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雑談の後

 箱根、それに向かうロマンスカーの一角に座るは総一郎、大和、京、クリス。はしゃぎ喚くクリスの子守をするように大和は嘘吐き虚偽吐きの連発で、それを見ている総一郎は後からの仕返し、そしてその弊害が自分に来るのではないかと恐怖にも似た感情を抱いていた。あれからクリスと一応の謝罪を交わしはしたが、人間そのように変わることが出来ないと総一郎は理解している。

 ロマンスカーから見える景色、一体それがなんなのか全く知らないが良く考えてみると新幹線を合わせてこちら側の景色を特急列車から見るのは初めてだった。

 

「なんで駄目なんだ……」

 

「どうしたガクト」

 

 子守の合間を縫って向かいの席で項垂れて居るガクトに大和は声を掛けた。

 

「なんでモモ先輩は良いのに俺は駄目なんだ!」

 

「……ああ」

 

 聞かなければよかった――そんな受け答えをしているうちにガクトが更なる悲鳴を上げていた。

 

「今度はなんだ」

 

 その視線の先には移動売店に飲物を買いに行った総一郎が恐らくOL年代のような顔の整った女性三人の席へ引っ張られていく一部始終が視界に入った。

 

「なんで……だ」

 

「くそ、あいつめけしからん奴だ。あんな美女達とイチャイチャするとは……!」

 

 失神寸前のガクトに先程まで女子大学生と楽し気にしていた百代が加わり、大和はクリスの子守の方が楽そうだと気が付いて景色の説明をするのだった。

 

 

 

 

 

「クリ! 宿まで競争よ!」

 

「望むところだ!」

 

 駅からバスで少し山奥の旅館へ行くファミリー一行。早速旅を満喫するのはやはりこの二人だろう、大和は厄介者がいなくなり一安心といった所か。バカ騒ぎとまでは行かないがバスの中は電車よりも窮屈だ、少し景色を見つつ緑豊かな自然に囲まれて静かな時間が訪れる。

 

「あれ、総一は?」

 

 少し乗り物に酔ったモロは顔を白くさせながら気が付いた。隣で話していたガクトも気が付いていなかったようだ。

 それに答えたのは京。

 

「旅館まで歩いていくって」

 

「駅からか?」

 

「うん、景色見ていくって」

 

 走る――ならばわかる。駅から旅館までかなりの距離があるため走って競争するならばまだいい、二人の体力であれば一時間ほどで着くだろう。だが歩くとなれば数時間は掛かる。

 

「まあ、好きにさせたらいい」

 

 目当ての女性がいないのか目を瞑って寝ている百代はそう呟いた。そして大和も京も少ししてから三十分ほどの眠りにつくのだった。

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

「なんで総一が先についてるのよ!」

 

「我々よりも後に出てしかも歩いていたのでは……?」

 

 旅館先の玄関口で二人を待っていたのは大和と全く汗をかいていない総一郎だ。白基調の服には土汚れの一つもない。

 

「鹿と会ってな、競争してた」

 

 大和は苦笑で腹を抱えそうだ。二人は同着したことを忘れるかのように総一郎へ不機嫌をぶつけていた。

 その後はついでに、ということでファミリーで山の散策をしていた。

 

「あ、ここの川で釣りとかいいですね」

 

「おお、釣りか! リューベックでは免許がいるのだが日本では要らないらしいな」

 

 意を決して由紀江は漸く口を開いた。今まではそんな言葉すら汲み取ってもらえなかったが、今ではファミリーの一員だ発言すれば返答がある。

 

「まゆっちの実家では釣りとかよくやってたの?」

 

「は、はい、精神鍛錬の一環でやったりしてました」

 

 モロの返答に口を詰まらせながらも由紀江は答えた。その顔には少し安堵の表情が観られる。

 

「まゆっちのテクニックは目を見張るぜー」

 

 腹話術――付喪神である由紀江のマスコット「松風」も然り、そしてそれに対する皆の反応も然り、だ。

 

「ま、釣りは明日しっかりだな」

 

 少しずつ夕暮れに近づいている。一斉に上を向くと木々の合間から夕日が差し込んでいる。

 

「さあーて、帰って温泉に入るぞ、そして飯だ!」

 

 キャップの一声、キャップの駆け出し、それに一子が続き、皆が続いた。

 

 

 

 

「まゆまゆもクリスも良い体をしているなあ」

 

 卑猥な手の動きと共に百代は二人に襲い掛かった。現在温泉には男女ともにファミリーメンバーしかいない。少し早めに入ったのが功を奏したようだ。

 

「そういうモモ先輩が一番」

 

「お、良いことを言うではないか京」

 

「だから是非ともお力を……」

 

 つまりは大和のことだ。京からしたらこの箱根は一大イベントだろう。

 

「京は本当に大和一筋なんだな」

 

「当たり前」

 

 京とクリスの会話に前ほどのぎこちなさはない。意識外のことだがすこし百代は安心した。

 

「で、でも総一郎さんとも結構仲いいですよね」

 

 まゆまゆの一言に京は少しだけ反応が遅れる。

 そんな光景を百代は見逃さなかった。

 

「お、京、まさかまさか」

 

「違うよ……ま、眼中にないわけじゃないけど。大和が最高に変わりはない、それに総一は彼女いるよ」

 

 一瞬間が空いて、三人は目を見開き――

 

「なんだとー! 前のは冗談だと思っていたのに!」

 

「そそそそ、そうなんですか!」

 

「そうなのか……は、はれんちだぞ!」

 

 一体クリスは何を想像したのか――京は湯船に口を浸からせてブクブクと泡を浮かばせた。

 

(ごめんね総一、逃げ口上で口を滑らせた)

 

 

 

 

 

「――俺様のはバズーカ砲だぜ、一発ドーンとな!」

 

「まだ未使用だけどね」

 

「そうそう、だから毎日砲身を磨いて――って何を言わせんだ!」

 

 男子風呂はお下劣な下の話、キャップはあまり興味なさそうにお湯につかっている。

 

「何ってそりゃナニだろう」

 

「上手いこと言うな!」

 

 ガクトが大声で突っ込んだとしても今ここには誰がいるわけもない――とも思いきや隣は女子風呂である。京は木の壁にへばり付いて大和の番を今か今かと待っていた。

 百代は楽しそうに、後でネタにでも使ってやると意気込む。クリスと由紀江は顔を赤らめて「は、はれんちな」とクリスが言うが由紀江はどちらかと言えばどうやら壁に張り付きたいらしい。

 

「俺はマグナム、強いのを五発ほどドーンだ」

 

「――モモ先輩、マグナムってどれ位?」

 

「グリズリーを倒せる」

 

「――っごくり」

 

「正気を保てー京ー」

 

 想像が妄想を呼んで今にも蒸発しそうだ。

 

「モロは皮のホルスターに入ってるもんな」

 

「急に暴露しないでよ!」

 

 モロが叫び出すと京の思考も少し醒めてくる。キャップが何かを言おうとして大和がそれを制止したくだりはよくわからなかったが。

 キャップの一物の話にもなるがすでに京の興味は薄れて壁から意識が離れていく、冷めないうちにお湯に入ろうと――したとき、ガクトの大声で女子一同は絶句した。

 

「た、大陸間弾道ミサイル……だ、と?」

 

「やめれやめれ、恥ずかしいだろ」

 

 声を聴く限りそう答えたのは総一郎だ。京は特に興味はないがそんなものがあるというのか、そんな表情をしていた。

 クリス、由紀江はお互いに顔を合わせて赤面、そして少しずつ蒸発していった。

 

「先に上がるぞ」

 

「わわわわ、私も失礼します!」

 

 そそくさと立ち去る二人の背中を見て百代が不敵な笑みを浮かべた。

 

「初々しいなあ」

 

「多分まゆっちはムッツリだね」

 

 カコンッ――と鹿威しが鳴った。

 

 

 

 

 

 

 飯の席、川神水の席とでも言おうか。

 風呂から上がるとすぐに食事が運ばれてきた。大きな一室を借りているため全員同じ部屋で食べて寝る、鎌倉野菜や地元の名産品の物が次々と運ばれてくる。恐らく一番満喫しているのはクリスに間違いはない、一つ一つの動作が全力で嬉しさを表している。

 勿論、他のメンバーも然りだ。キャップや一子などはすごい勢いで胃袋の中へ、小食のモロですら箸が進んでいる。

 そして百代がある物を取り出した。

 

「じゃじゃーん、川神水です」

 

「おお、モモ先輩やるじゃん!」

 

 瓶に入った水?が九本、川神水と書かれているが見てくれは完全に日本酒だ。

 

「む、未成年の飲酒は禁止されているぞ」

 

 正義のクリスがそれに反応しないわけがない。

 

「これはお酒じゃないのさクリス、川神水といって場に酔うだけでアルコールは入っていない」

 

 説明したのは大和だった。だが信用できないのかクリスは百代にアイコンタクトで真理を求める、すると苦笑気味に百代は頷いた。

 

「まあ、それならばいいか。私も飲んでみよう」

 

 それから一時間後である。

 

「あはははははは、私は暴れん坊騎士!クリスティアーネ・フリードリヒであるぞ!」

 

 一子は既に酔いつぶれて就寝中、キャップも同様。モロとガクトは少し酔ってクリスの口上を盛り上げているようだ。

 

「しょーもない」

 

「ま、楽しいではありませんか京殿。ささ、あちらに遊女を待たせております。当旅館の一番人気でありまして名は「大和姫」と申します」

 

「どこ!」

 

「やめろ総一!!」

 

 少し酔ってふら付く大和と酔ったおかげで歯止めの利かない京の取っ組み合いが端っこで行われている。もちろんそれをけしかけたのは他ならぬ総一郎自身なのだが。

 少し顔は赤いが酔っているという雰囲気ではない、陽気に間違いはないが。

 

「楽しそうだな」

 

「結構酔うんだなこれ」

 

「余り酔っている様には見えんがな」

 

 ちびちびと川神水に口をつけているが総一郎は既に一子の分の瓶を半分まで飲んでいる。

 

「まあ俺は飲む機会も多いからな、武士は飲めねばやってられん。それに俺よりも強いのがいるじゃないか」

 

 その視線の先には由紀江が座っている。二人からの視線を浴びて急に縮こまってしまった。

 

「流石北陸の娘、大成さんの娘さんだね」

 

「い、いえ……モモ先輩もお強いですね」

 

 よく見ると百代も既に一瓶、空いたグラスに総一郎が注いでいく。するとそれを浴びるように飲み干した。

 

「良く手に入るしな、本物はあまり飲まないからわからんがこれなら結構いけるぞ」

 

「わ、私もやはり飲まされることが多くて……」

 

「この世界には法律もくそもあったもんじゃないな」

 

 すると百代が由紀江の隣に座った。右手は尻、左手は太腿に伸びていく。由紀江は体を震わせた。

 

「酔いつぶれてくれればいろいろできたのになー」

 

「もももも……!?」

 

「これ以上先はどうしてもガード堅いし……ま、これで我慢しよう」

 

「ほどほどになー」

 

 総一郎はグラスに川神水をポトポト注ぐ、既に料理は平らげているため肴はこの風景だろうか。既に呂律は廻っていないクリスやそれを煽るガクト、皆を見て常に笑顔を絶やさないモロ、追われ追い襲い襲われの大和と京、寝る一子とキャップ、弄り弄られの百代と由紀江。

 いつの間にか上機嫌に総一郎は鼻歌を歌っていた。

 

「そういえば総一の彼女の話聞きたいな」

 

「……は?」

 

「え、総一の彼女ってあれ冗談じゃないのか」

 

 百代の一言に最も反応したのはガクトだった。見るからに酔いはもう醒めたようだ。

 

「京がいるって言ってたぞ」

 

「……」

 

「なんだとー!てっきり冗談だと思ってた……じゃあ大陸間弾道ミサイルは既に発射されているのか!」

 

 総一郎は京に抗議の視線を向けた、見事に京はそれを逸らした。だいぶ前に軽口で彼女がいると言ったが完全に冗談だと思われていると思っていた。以前京とそんな会話をしたことを悔やむ日が来るなど思わなかった。

 

「うるせえ!童貞どもは俺にひれ伏せ!」

 

 最低の一言であるが酒――もとい、川神水の席だ問題はない。効果は覿面のようでガクトは驚愕の顔を維持したまま眠りについた。

 

「で、どんな奴なんだ」

 

 何故か余裕の大和は更なる追及を掛けてくる。というか京から意識を遠ざけたい気持ちが手に取るようにわかる。

 さて、燕は有名人である。無暗に教えることはできない。更にもう少しで川神に来る予定である。唐突に川神に来るわけもなく、大方何かの仕事関係であることは明白だ。そうなれば総一郎と燕が付き合っていることを無暗に知られてはいけないのかも知れない。と――今考えたわけではないが川神に帰ってくるときに考えたことだ。

 

「まあ……中学の同級生だよ……」

 

「うわあ、嘘っぽい」

 

「ええい、うるさいうるさい!京、やっちまいな!」

 

「roger」

 

 総一郎は奥の手で大和を黙らせることに成功したが、その後百代はどうにもできないのだ。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

「クリスーまゆっちも虫苦手みたいだからやらせるなー」

 

 河川敷でファミリーは釣りや稽古、水切りなどで各々の箱根を満喫していた。かくいう総一郎も久しぶりの上流で心を躍らせていた。

 

「すまないまゆっち」

 

「い、いえ」

 

「ところで総一は何を作っているんだ?」

 

 竹と木の皮木の枝を持って総一は「ふふーん」と更に上流へ去って行った。

 

「釣り竿……ですかね」

 

「流石武士といった所か……」

 

 少しずつ木の先が水面に近づくような上流に総一郎は腰を掛けていた。だがいつものように動物たちがいるわけではない、やはり土地が違えば勝手は違うのだろうか。

 単に百代が来ていただけだった。

 

「よう、暇そうなことしてるな」

 

「ももちゃんもやってみれば、そこに釣り竿あるよ」

 

「釣りねえ――これ……釣り針が真っすぐだぞ」

 

「釣る気ないからな」

 

 総一郎は言葉を交わす、だが一向に振り向くことは無い。百代がいくら怪訝な視線を送ろうとも反応は一切なかった。

 完璧な精神統一。百代はその姿に少しばかり感銘を受けてただ黙ってそこにあった釣り竿を手に取る。総一郎の隣まで行くがそこで百代は座りはしなかった。

 

「なんだかおもしろいことになってるな」

 

 麦わら帽子の総一郎は百代の言葉に間をあけて顔を見上げた。

 

「秘められながらも撒き散らしたくてしょうがない殺気、軍人かな」

 

 立ち上がりながら総一郎は釣り竿を上げた。そこには一匹の岩魚が。

 

「百代に任せる、俺は戻るよ。非戦闘員もいるし」

 

「ふん、任せろ。そして任せた」

 

 川縁の網に岩魚を入れると二人は違う方向に、そして姿は一瞬にして見えなくなった。

 




そろそろ手が空いて来たぞー


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赤い髪と父の乱

僕にとって明日ってのは今日のことです


一子と京は大和達から離れた山中、旅館に通ずる開けた道で組み手をしていた。

 

「やっぱりワン子、かなり強くなってるね。もう敵わない」

 

「えへへへ」

 

 組手なので圧倒的に一子が勝つなんてことはないが京の消耗は見て取れる。平然としているが京の汗はかなりのもので、一方の一子は笑顔のまま大した汗をかいていない。

 一段落ついた組手はそのまま休憩に変わろうとしていた。

 

「……?」

 

 切り株に腰を掛けようとして居た二人、だが一子はその場で振り返った。京は一瞬一子を不思議な眼で見ていたが、すぐに危険な香りを感じ取った。

 

「誰!?」

 

 一子は叫んだ――すると木陰から一人の女性、黒く赤い戦闘服を纏った赤髪の眼帯、その眼光はまさしく狩人、秘められた闘気は解放された時の強大さをイメージさせることを容易にさせている。京にそこまでを感じ取ることは出来ないが一子は「豹」としての感受性が彼女の強大さをその身で感じ取っていた。

 

「気付かれましたか――面白い」

 

 軍服の女は目の色を変えて一子に襲い掛かった。それと同時に京も女に向かって動く、普段の得物である弓は持ち合わせていないが、普段から組手も疎かにしておらず今は一子との組手の後で体も良く動く、京も武士娘に変わりはない。

 京が入る前に女と一子が一手交える。一子も薙刀を持っていないが総一郎に抜かりはない、女の得物をすんでのところで躱した後に掌底ですぐさま顎を狙いに行く。ボクシングでいうジャブのようなものなので簡単に避けられるがこちらには京がいる、京の蹴りが女の腹に入る。

 しかし浅かった、女は当たったというよりもその力を利用して後ろに下がったようにも見える。

 

「ほう……なかなかです。特に髪の長い方は少しやれるようですね――」

 

 途端、女の瞳孔が開く。獣ではない、狩人だ。一子は豹だというのにまるで二人とも野兎のように見ていた。だが、ここで怯む一子ではない。

 精神を集中させクリスとの戦いの時のような状態、つまり「六徳の観」である。豹の様な集中力、そして「待つ」「観察」するだけではないその速さ。京が動く暇もなく二人の攻防は繰り広げられた。

 

「……すごい」

 

 息を飲んだのは京だ。自分よりも明らかに格上の軍人に対して互角に渡り合う一子を見てそう言った。組手の時は力を抜いていたわけではない、本気の一子の姿を彼女は見た。

 だが、豹は豹、獣でありそれは一子の目指す通過点であって未完成である。

 相手は軍人であり場数が違う、特に彼女は「狩る」ということを生業としている。例え一子と互角であろうと一子の方が上であろうとも、その差が完全なるものでなければいくらでも埋められる――一子は次第に手数を減らしていた。

 

「くっ!」

 

 傍から見ればそれほどの差はない、だが少しずつ、少しずつ一子の額に汗が噴き出てきた。一子が呻くとまるでそれを待っていたかのように女はそれを口にした。

 

「Hasen jagd!」

 

 先程から打たれていたトンファーとは重みの違う攻撃が放たれた。間違いなくトンファーに変わりはないが、一子の焦りに反応してガードの薄い箇所を狙ったものだ。

 

「ぐうっ!」

 

 後方へ思いっきり吹き飛ばされた一子、森であるためそのまま大木に叩きつけられる。

 

「ワン子!」

 

 京がすぐに駆け寄った、女からの追撃はない。

 一子はすぐに立ち上がることは出来なかったが意識はあり、上体はすぐに起こせていた。

 

「実力はありますが経験が足りませんね、それに相性にも左右される」

 

 女は二人を見下す形でそう一子を評した。一子は悔しそうに、京は憎悪を含んだ視線を女に向けた。そんな様子を女はただ鼻で笑う、口角を上げずに。

 そんな睨み合いが続くと走って大和達が来る。

 

「ワン子!」

 

 ほぼ四人同時にそう叫んだ。走り寄ったのはモロとガクト、キャップと大和は近くまで行って無事を確認すると女に視線を向けた。

 軍服を着て武器を持っている女を見てキャップが興奮しないわけがない。いや、言い方が悪い、女に興奮したのではなく、物騒なことが起こるかもしれないこの状況に高揚していた。

 一方軍師こと大和は冷静な分析を心掛けていた。一子を倒せるほどの実力、軍服、外国人――一つの結論が出た。

 

「クリスの関係者ですか」

 

 女は少し目を窄めた、それはどちらかと言えば称賛するような視線だ。そしてそれを肯定するように男は現れた。

 

「よくわかったね。確か直江大和君といったか、素晴らしい観察眼だ」

 

 男はフランク・フリードリヒ、クリスの父親だ。転入してきた時ファミリーは面識があった。非常に穏やかな表情をしているが、こちらとしては急に襲われたので緊張感が解ける筈もない。

 フランクが来た理由は単純明快、クリスが旅行するというのでやってきたわけだ。しかも一緒に男が居るとなれば超過保護のフランクとしてはいてもたってもいられない、戦闘機でここまで駆け付けたというわけだ。そして護衛として連れてきたのがこの女。

 

「マルギッテ・エーベルバッハです」

 

「彼女はドイツ最強の部隊「猟犬部隊」を率いる優秀な部下だ」

 

 と、説明が入っていると遠くからクリスの声が響いた。

 

「マルさんじゃないか!それに父様も!」

 

「おお!我が愛しのクリス!」

 

「お嬢様お久しぶりです!」

 

 クリスはマルギッテに飛びついた。マルギッテも嬉しそうに先程とは明らかに違う笑顔を見せている、まるで姉のようだ。少し和んだ空気に大和達も緊張の糸が切れていく。

 一子も早速マルギッテに再戦しようとしているしガクトとモロはマルギッテの美貌に驚いている。キャップは「あの銃触らせてくれないかな」などとマルギッテの腰についているハンドガンに目を輝かせていた。

 大和も「はあ……」と息を吐く、京も大和の所に寄り添い「怪我しちゃった」と言えば大和に「絆創膏は自分で貼れよ」なんて会話ができるようになった。

 だがそんな雰囲気は一人の男の登場でかき消された。

 マルギッテが本能的に振り向き、殺気をばら撒いた。

 

「あら。もう大丈夫なのかね」

 

 マルギッテの先に居たのは雰囲気穏やかな総一郎だった。

 

「君は確かサムライ……」

 

「塚原総一郎です。どうも」

 

 フランクは何も感じないのかマルギッテだけが総一郎へ敵意を向けていた。

 

「赤い美人さん、殺気を納めてください」

 

 総一郎はゆうゆうとマルギッテの横を通り過ぎてファミリーの所へ歩いて行った。

 一瞬だけまた険悪になった雰囲気はほのぼのとした彼によって温和なものに変わる、依然として警戒心が強いマルギッテだが、殺気は納めている。

 そして少しするとフランクがクリスに旅の内容を尋ねる。勿論大したことはない、沢で遊んだり湖に行く予定があるくらいで、遊びすぎれば今後の勉学に影響が出てしまう。大和の計画に抜かりはない。

 少し気が緩んだせいなのかそんな雰囲気の中大和は冗談で「まあ、間違いなんて起きませんよ――お父さん」なんて口走ってしまう。するとフランクは「何か言ったかね?」と銃口を大和に向けてきた。

 普通であれば大和は「冗談ですよ」なんて言うものだが、今回は少し違った。大和のせいではない。そして少し違ったなんてレベルではなかった。

 

「おい、どこにその薄汚え鉄の塊を向けてんだ?」

 

 フランクの気が付いた頃には――マルギッテの気が付いた頃にさえフランクのハンドガンは切り刻まれ、総一郎がいつの間にか抜いた刀はフランクの頸動脈に刃を当てていた。寸止めなどではない、薄皮一枚切れて一滴血が垂れている。

 全く反応ができなかった――マルギッテはそんな思考を一番に浮かべて、そしてその愚行に気が付いた。父同然の上官に刃物を突き付けられていることを何故一番に考えなかったのだろうか。本人は気が付いていないが理由は簡単、実力差だ。

 

「貴様――」

 

「父様!」

 

 フランクは右手で二人を制した、命欲しさではない。マルギッテよりも死地を乗り越えてきた猛者であるフランクはそこに居る二人――そこにいる大和達よりも度胸がある。額に脂汗一つ掻かず、顔色一つ変えず視線だけを総一郎に向けていた。

 

「急にワン子を襲ってきて、更には銃口を大和に向ける。俺も三人ほど突っかかってきた奴がいたんで、今しがたあしらってきたが、普通そんなことをすればどうなるか分かってるよな?」

 

「止めなさい、中将の命令に背いて交戦したのは私です。その刀を――」

 

「それを制空権内に入ってきた爆撃機に言えるか?――おたくら少々日本にきて平和ボケでもしてるんじゃないですかね」

 

 マルギッテは押し黙った。言葉にではなく総一郎の瞳に、真っ黒な瞳に。

 

「おいおい、はしゃぎ過ぎだぞ総一、それくらいにしとけ」

 

 その声はいつの間にか総一郎の刀を掴んでいた。少し真剣な表情の百代だ。二人は少し見つめ合って、そして総一郎は緩やかな動作で刀を鞘に納めた。百代は背中をポンポンと叩いて総一郎を諫めた。

 

「さて、後はまとめろ弟」

 

「え」

 

 不機嫌そうに眼を瞑る総一郎、意地悪笑みの百代、ガクトとモロと一子はビビッているしクリスは敵意を総一郎へ向けている、京は悲し気に総一郎を見て――正気なのは大和だけだった。

 

「えー……お開きです」

 

 パンっ!と大和は手を叩いてそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 ファミリー一同は何事もなかったように川岸へ戻った――総一郎は居ないが。

 日も少しずつ落ちてそろそろ夕焼けを迎えるだろうか。そんな心休まるときを見計らった大和はクリスと何度目かによる仲直りのアプローチをかけていた。巧妙な誘導尋問だ。フランクが軍人であることを認めさせ、その軍人は任務のために策を練る、そして卑怯な手を使うこともあるだろう。そして自分の卑劣さ――なんて言ってしまえば元も子もないが、そんな狡猾さをどうにか認めさせようとしていた。

 だが。

 

「なんだか気に食わない」

 

 近くに京か総一郎がいれば秘密基地の再来があってもおかしくないような発言、大和もこれは聞き捨てならない。落とし前を付けるべく、大和は百代立ち合いの下、川神名物である「川神戦役」による決闘を申し出る、クリスもそれを二つ返事で申し受けた。

 知恵、体力、感性、度胸、それら全てをお題として競技を何個も決め、実際にやる競技は籤で決める。勝負は五本先取の九回勝負、知恵の大和と武のクリス、例え大和が五本連取しそれが全て大和寄りの競技だとしても、川神院の名を賭けた百代に不正はなく、運も実力の内である。クリスも川神院の名に賭けた百代に不満を抱くこと無くそれを了承した。

 明日、大和の矜持を認めさせる決戦が行われる。

 

 

 

 

 

 大和は風邪を引いていた。

 コンディションは最悪、決戦を前にして最悪の状況だった。酷いのは熱、とりあえず解熱剤を服用したが、咳や鼻水などよりも性質が悪い、体が火照って体が思うように動かない。辛うじて頭をどうにか、という所だが、体力勝負は恐らく殆ど敗北が待っているだろう。何とか策を練っていたがそれももう無意味と化していた。

 この事実を広めることを大和は良しとしなかった。幸い居なかった女子連中、ガクトとモロ、キャップ、総一郎に口止めはしたが、たまたま帰ってきた由紀江に事実を聞かれてしまう。頭を下げてどうにか口止めはさせたが、どうなるかは分からない。

 だが、昨日知らぬ間にそんなことが決まっていた総一郎は何故か彼に同情できなかった。

 

 大和は女風呂を覗きに行って失敗し、そして夜中の川に落ちたらしい。

 

 それまでは真剣な眼差しだったが、総一郎は事態が事態だったので出来うる限り大和を蔑んでやった、無言で。

 

「まあ、どうせ百代にはばれる。それに京にも……じゃあ知らないのは一子とクリスだけかよ」

 

 九人中七人が知ってしまっている現状はいかがなものか分からないが。総一郎もこれ以上なにかを言うことはしなかった、大和の男気に口を挟む程野暮ではない。

 

「無理したら止めるからな」

 

「無理するなとは言わないんだな」

 

「言うわけがなかろう。我が軍師が男を見せるって言っているんだ、無理して勝ったら止めてやるよ」

 

 ガクトもモロもキャップも何だが格好いい笑みを大和に向けていた。

 

「じゃ、俺は野暮用があるんで」

 

「止められないだけじゃねえか!」

 

 ズキリ――と怒声で大和の頭が裂けた。

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 名もない山の麓、あっても総一郎に関係はなかった。少し拓けた森林、総一郎はただ歩いて、ただ止まった。そしてただ振り向いた。

 視界に映ったのは赤い髪が靡く姿、それを捉えると眼帯を付けた赤髪の軍人、マルギッテ・エーベルバッハがそこに居た。

 

「何をご所望か」

 

 決まっている、決闘だ。彼女ならば死闘を望むかもしれないが総一郎は格下を殺す趣味も道理も「今」はもう持ち合わせていない。

 マルギッテはその問いに答えず、そして応えた。ただ眼帯を取る、すると動の闘気が開放される。

 この場で危惧するのはこの気に反応する百代だろうか――問題はない、百代には断ってきている、それに彼女は今日弟の決闘を見届けなければならない大事な用がある。昔であればもしかすれば総一郎の方を優先するかもしれないが、今は違う。

 

「では、雨無雷音でやろう」

 

「両方抜きなさい」

 

「実力を知れ、お前ひとりじゃ相手にならない。俺は出し惜しみをするような人間じゃない」

 

 マルギッテはただ頷くこともせず、沈黙を貫き、そしてトンファーを構えた。

 二人の交わりは総一郎が長い大太刀を擦れる金属を最後まで鳴らしきった後、総一郎が完全に構える前に交わった。不意打ちではない、マルギッテが問題ないと判断しただけだ。

 

 マルギッテの先手に間違いはない。総一郎が先を取ることはこれから先あるのだろうか――そんなことはどうでもいい、勝負はそこでけりはつかなかった。意外と言えば意外、それに総一郎は手を抜いていない。そして打ち合いは二合、トンファーを囮としたキックだ。それでもけりはつかない、だが総一郎は考えることもなくただ防御した。

 しかし、三合――利き手のトンファーが最速と最強を以て総一郎を捉えようとするも、マルギッテは腹に一撃を受けてそのまま地面を滑り、そして転がり二十メートル先の大木に体を思い切り激突させた。

 三合――それで決着は付いた。

 

「こ、これが……」

 

「強いね、後の先じゃまだけりはついてない」

 

 その意味を知らぬマルギッテはそれが称賛なのか理解できないまま意識を手放した。

 

 

 

 

 

 




遅れた


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~交流戦は突然に~

「おう、キャップ何してる」

 

「あ、総一お前どこ行ってた!今すげえ盛り上がってるぞ!」

 

 河原まで降りてきた総一郎はそこで仁王立ちしているキャップを見つけた。非常にテンションの高いキャップだが総一郎はいまいち状況を理解できていない。

 

「あれ、大和とクリスのは、どうなったんだ?」

 

「今まさに最終決戦の最中だ」

 

「おお、流石軍師。あの体調でよくここまで行けたな」

 

「逆だよ」

 

 いつの間にか――勿論、総一郎は気が付いていたが、百代はそう言う。

 堪えきれなくなった由紀江が大和の体調不良を公表すると、残りの試合を省いて最後の試練である川神レースをすることになったらしい。大和としては最悪の種目に変わりないが百代が止めていないあたり恐らくは根性――川神魂で何とかしているのだろう。

 

「頑張ってるな大和」

 

「ああ、特に最近は少し男らしくなってきた」

 

「お?」

 

「……なんだよ」

 

 そんな総一郎の意図を百代は本当に理解できていなかった。彼女自身は姉として言ったまでに過ぎない、だが彼女がそんなことを言うだろうか。

 そんな無言の会話をしていると。

 

「あ、大和だ!」

 

 逆方向からはクリスも走ってきているが少し大和が近いか、足取りと様子からみて朦朧とする意識の中、ただの信念だけで走っていることが分かる。

 

「まさか川の中から現れるとは……」

 

「キャップ避けるなよー」

 

「まじか」

 

 大和は出来うる限りの知恵を導入し、普段であればやらないような「無理やり」という根性でかなりの熱がある中、最短ルートにて川を渡って来ていた。勿論ずぶ濡れである。根性だけクリスは勝てる相手ではない、大方は大和の策略に間違いはないがそれでも彼の本気はこの僅差を埋める糧となったことは間違いない。

 大和はゴールであるキャップに飛びつくと同時に意識を手放した。

 

「うわ、すげえ熱だ。モモ先輩!」

 

「任せろ」

 

 百代は大和を背負うと颯爽と消えて行った。キャップも森を駆けていく、恐らくそのまま皆と合流するのだろう。

 

「さ、俺達も行こうか」

 

「あ、ああ……」

 

 クリスは落ち込んでいるのか、気まずいのか、それとも反省しているのか。二人はクリスが後をついて少し距離を取るように歩いた。

 

「総一殿」

 

「ん?」

 

 山の中腹あたり、体力が減っていたクリスは総一郎と共にそこで休んでいた。そんな気まずいところで休みたくはなかったが「山を舐めるな」という総一郎に諭されて腰を切り株に掛けていた。

 

「大和は正しいのだろうか」

 

「正しくない」

 

 クリスは突然彼から肯定され困惑した。真ん丸な目で総一郎と視線を合わせた。

 

「それが問題か?」

 

「問題だろう!」

 

「正しくないことを理解して大和はそれを実行している、皆の為にな。手段が正しくなく、行為は正しい、俺はこれを問題なのかどうか判断できない」

 

 クリスは黙った。論破されたわけじゃない、反論するところがただ無かっただけだ。

 

「クリスの正しさ、俺の正しさ、大和の正しくなさ。これから分かって行こうぜ」

 

 総一郎は初めてクリスに笑顔を向けた。

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 光灯る街に背を向け、我が歩むは果て無き荒野

 

 奇跡もなく、標べもなく、ただ夜が広がるのみ

 

 揺ぎ無い意志を糧として、闇の旅を進んでいく

 

 

 今回の箱根でクリスと由紀江はこの川神魂を初めて受け取った。それは由紀江の勇気が認められたことでもあり、クリスと大和が互いを認め合ったからでもある。

 そしてそれはこの二人が「ファミリー」の一員として正式に認められた裏付けでもある。

 クリスと京の間に多少の齟齬はあるが京も拒絶はしない、ただ二人とも距離感を掴みそこなっているだけだ。由紀江は相変わらずの人見知りでマスコットの松風と遊んでいる、もちろんファミリーとも。更にはクラスに一人だけ友達ができたとか、その日の島津寮夜は大層賑やかだったらしい。

 そんな箱根旅行から日が経ち、その後一つ目の土日が過ぎた月曜日の朝会だった。

 

「てなことで、次の土日で福岡にある天神館から修学旅行生が来るそうじゃ。そこで天神館と学年対抗の交流戦――東西交流戦をすることになった。皆楽しみじゃろう、存分に暴れていいぞい」

 

 全校生徒が騒然となった。

 ある者は「俺様の力を見せる時が来たぜ!」といい、ある者は「あんまり僕には関係ないかな」という者も。

 一方百代と総一郎は。

 

「天神館か……確か鍋島さんが――ふふ」

 

「……これの事か?というか俺は流石に出れないよな大和?」

 

 久々に燃え上がる百代の戦闘意欲、総一郎は反対に大した反応を見せなかった。

 百代は未知の者との邂逅、そして川神院の弟子でかつては武道四天王の一人だった壁を超えた存在である鍋島正と戦えるかもしれない事に興味を抱き。総一郎はどうせ戦っても大したことは無いだろうという思いと、もし燕がこれにゲストで参加するならば二年生である自分に関わりがないことを残念がっている。

 

「学年対抗で行う、じゃから編成は任せたぞい」

 

 鉄心がそういうと朝会は終わる。

 三年は百代を中心に各部活の部長などの連合、一年生は派閥を仕切ってる武蔵小杉という一年生が仕切ること決まる。

 だが、二年生は事情が少し違う。この学年はFクラスとSクラスの派閥がでかく、逆に言えばそれ以外が地味で普通である。でかい派閥が二つ、しかもアウトローな落ちこぼれでありながらも実力を持つFクラスと金持ちでエリート、しかも実力は一部が突出しているFとは違い平均的な能力が高いSクラス。

 諍いが起きることは必然と言ってもおかしくなかった。

 

「なんでSの連中といっしょにやらなきゃなんないのよ!」

 

「それはこっちの台詞じゃ、この猿共!」

 

 Fクラスの小笠原千花と鼻につく不死川心の言い争い。個人同士のものだが、ある意味クラスの総意といっても過言ではない。クラスの三分の二はそのような感情を持つだろう。

 

「まあ、チカリン落ち着いて」

 

「そうです、不死川さんもここは引いてください」

 

 二年生は統率を取ることが難しい。だからか、他のクラスはこのFとSに指揮権を丸投げし、指揮権の統一を図る双方は軍師こと侍中の大和、学年一の天才である軍師こと謀略家の冬馬が今後について空き教室で会談しているところだ。

 Fは大和、一子、クリス、ガクト、モロ、京、千花、甘粕真与、源さん。

 Sは冬馬、準、小雪、心、そしてつい先日転入してきた――マルギッテである。

 そんな彼女は何食わぬ顔で総一郎をに視線を向けていた。非常に総一郎はこの数日迷惑で仕方がない。

 

「大将は英雄、これはこちらとしても意義はない。ただ武闘派はこちらが多いから隊の指揮は必然的にこちらに偏る、それがこちらとしての譲歩であり、不安要素でもある」

 

「なるほど、軍師は我々としても纏まるには些かこちらの傲慢さが障害ですね……」

 

 一瞬冬馬は総一郎を見た。彼はマルギッテの視線が鬱陶しく窓の外、夕焼けに黄昏ていた。

 

「では、将軍として総一郎君を任命しこちらの傲慢とそちらの不満を取り除きましょう」

 

「お、それでいこう」

 

「まてまてまて」

 

 まるでコントのようにズコーン!二人の間に総一郎は割って入る。二人とも「何だ」という表情をしている、いや他に居たメンバーも同じような顔だ。

 

「何故俺だ」

 

「不死川さんや九鬼とも仲がいいし適任だろ」

 

「平和の為です、骨を折ってください」

 

 異議なし――とこの場の人間全員に言われてしまえば、総一郎は民主主義の長所と短所に頭を抱えてそれにいちゃもんを付けることも叶わなかった。

 

「そうだ総一、天神館のこと教えてくれ」

 

「……知らん自分で調べるか京に教えてもらえ、体でな!行け京!」

 

「大和ぉぉぉぉぉ!」

 

「なんでぇ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 暗く、そして幻のような明るさ、月明かりを霞ませるこの明るさは人類が開発した蛍光灯のものだ。何重ものパイプ管と巨大な丸いタンク、その隙間にある人が一人通れる位の隙間、そこに光が差し込みこの九鬼が所有する工場は観光名所として公開できるほどには素晴らしい場所であった。

 今日土曜日、そして今夜、西は天神、東は川神、学年対抗の東西交流戦と名を打った戦が始まる。

 

「ゔへあ」

 

「ああ……」

 

 一年の部は天神館の勝利。あの剣聖の娘である黛由紀江を擁した川神学園がまさか負けるの大波乱――だが、実際は対象である武蔵小杉が何故か「プレミアーム!」と突出したところを単純に袋叩きにされただけだ。活躍して友達を増やそうとした由紀江は相も変わらず苦労を知るままだ。

 

「天神合体!」

 

「川神――波!」

 

 三年の部は生徒会長を始め部活連合や言霊を操る京極彦一の連携により互角以上の戦い、そして生徒が何故か合体し、百代に挑むが結果はいつもの通り、ビームによって巨大な合体生物は消し飛んでその後アッという間に勝負は川神学園の勝利となった。

 

これで一対一、残るは明日行われる二年生の勝負によって勝敗が決まる。

 

「西方十勇士ですか」

 

「ああ、西に手を回しておいて良かった。名前と写真もある」

 

 大和と冬馬は足場の上で工場を見渡しつつ明日の策と情報の共有を行っていた。

 

「大将は十勇士最強の男「石田三郎」そしてその側近である槍使い「島右近」特攻隊長の「大友焔」なんでも大砲使いとか。凄まじい攻撃力を持つ「長宗我部宗男」京と同じ天下五弓の「毛利元親」瞬間移動する「尼子晴」汚い忍者「鉢屋壱助」金にうるさい巨漢「宇喜多秀美」情報戦のプロ「大村ヨシツグ」広告塔のエグゾエル「龍造寺隆正」――実戦力は八人みたいだが兎に角要注意だ」

 

「ええ、こちらの将を当てることとしましょうか」

 

 大和は頷いた。

 

「総一、お前は本陣の守りをしてもらうけどいいか?」

 

 闇討ちに気を気張るため二人の近く(冬馬対策でもある)に総一郎控えていた。だが、返事がない。

 

「総一?」

 

 確かにそこに居るが総一郎から中々返事が帰ってこなかった。恐る恐る大和が近づいてみると深く考え込んでいる彼がいた。聞き取れないほどの声で何かを呟いていたが大和は不気味そうにもう一度声を掛けてみる。

 

「総一」

 

「ん?あ、悪い、聞いてなかった」

 

「明日は本陣を守ってもらいたい、忍足さんと二人で守ってもらうことになる」

 

「ああ、了解した。ネズミぐらいは通してやろう」

 

「いや、通さないでくれ、あっちには忍者居るぞ……どうかしたか?」

 

 大和が不安そうな顔をする。彼の不安定さを心配してのことだろう、今考えたことはそれについてじゃなかったので総一郎は特に不自然さを見せることなく首を振った。

 

「いや、何でもないよ。ただ大村って名前に聞き覚えがあっただけで。多分西の方だから聞いたことあるだけだろう、問題ない」

 

「そうか」

 

 大和は京ほどの観察眼があるわけじゃないがとりあえず総一郎の様子に異変を感じなかったのか、何事もなかったかの様にその日の作戦会議は終了した。

 

 

 

 

「貴様等、選ぶが良い! 学び舎の名を高めるか、それともバラバラに戦い一年生のように負け辱めるか!」

 

 啖呵、と言うには少し、鼓舞、と言うには少し相違がある。これは世界で最も効果のある煽りだ。己達のプライド、それがFとSの対立を生んでいる。どちらが上でどちらが下か。くだらない――と言ってしまえない、ここはどこまでも競争する学園である東の川神学園である。自らに従うのがその生徒達である。

 ならば彼らにとって最もな屈辱とは何か、テストで負けることか? Fに負けることか? Sに負けることか?

 否――我らが最強であることを覆されることである――

 

「うおおおおおおおお!」

 

 その叫び声こそが総意である。

 

「行くぞ貴様等! 我らの全てを西の者共に見せつけてやれ! 出陣だ!」

 

 一年でも三年でも無かった、まるで戦であるその豪声はまるで地響きと錯覚するほど、金属のパイプに振動としてそれは天神館にも伝わってた。

 

「ふん、東の者も力が入っているな」

 

「はい、御大将。向こうの大将は九鬼英雄、名将でしょう」

 

「ああ、それは認めよう。だが! この石田三郎の前では無意味だ! 行け!」

 

 

 

 

 東西交流戦最終戦、今ここに最高潮で始まる――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「十勇士がいない?」

 

 大和は一子たちの報告を受けると隣に居た冬馬に視線を向けた。すると視線が合い、彼も頷いた。冬馬の方にもそういう連絡がいっているようだ。

 

「わかった、とにかく敵兵を減らして大将を見つけてくれ」

 

 大和は電話を切ると思考に耽った。冬馬も同様だ。

 自分たちの身の心配は取りあえずない、隣にはテコンドーの使い手である小雪と呼び寄せたガクトがいる。最悪逃げれば近くには源さんがいる。

 だが、指揮権を一般生徒に任せて全ての十勇士がいないとなれば大和は凄まじい不安に駆られていた。

 

「大和君大丈夫ですか?」

 

「……ああ」

 

「確かに想定外ですが本陣は総一君が……なるほど」

 

「……やられた――京か? 本陣に……分かった援護に回ってくれ」

 

 冬馬と大和は顔を合わせて。

 

「クリスか?」

 

「マルギッテさん」

 

 友軍すべてに本陣への急行を命じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 遡ること十五分前――本陣の守りは総一郎をとあずみを主体とした体格のいい編成が組まれていた。

 といってもあずみは完全に英雄の直衛、総一郎はネズミ捕りのようなものだ。

 

「少し雰囲気がおかしいな」

 

「はい、少し見てきます」

 

 英雄は何かに勘付いていた。何かと言えないがそれは天下人としても勘だろう。逆に完全に察していたあずみは離れすぎない位置に居る総一郎の元へ向かった。

 だが何の異常も今はない、総一郎にあずみは声をかけようとした。

 

「おい――」

 

「そうか……いや、助かった、急なお願いで悪いね。こっちには何時?……じゃあもうすぐだね。直輝?あいつも来るのか、いい経験になるよろしく言っておいて、じゃあ」

 

 総一郎の電話、それは間違いなく外部からだったことが分かる。恐らく燕、だがそこまであずみも読み取ることはできない。

 そして再度声を掛けようとしたとき、総一郎が刀を抜いた。がらっと彼の雰囲気がその刀と同じに染まっていった。模造刀だというのにまるで真剣のよう、あずみは冷や汗をかいて居た。

 

「あずみさん、英雄の所へお戻りください。鉢屋が来るかもです」

 

「!?……ここは任せたぞ!」

 

「ええ――任されます」

 

 あずみが消えた時点、そこから本陣は戦場に変わる。

 

 閃光が一閃、そして二閃、三閃と連続した。その勢いを削ぐように、返しはしない、三閃を総一郎はいなした。

 

「間違いないその技、彼の暗殺拳か。大村君」

 

 姿を現したのは写真で見た病弱な彼ではない。背筋を正してこちらを真っすぐ見つめる彼――大村ヨシツグは武人そのものだった。

 それだけではない、総一郎は十人の勇士に囲まれていた。

 




やっとここまできた






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電気羊でも、二頭の羊でもない

早くできた


「驚いた、まさか壁を超えているか」

 

「ああ、おかげさまでな」

 

 総一郎の正面を取るは先程の攻撃を発した大村ヨシツグ、視界の端に見えるは長宗我部宗男と大友焔、気配でその他がいることも確認できる。

 

(レスリングのパワーと大砲の遠距離か……)

 

「新当流総代――武術家として黙っているわけにはいかない」

 

「偶然のよしみか、新当流の系譜を齧る大村……来いよ」

 

 総一郎は構える――が中々ヨシツグもとい、十勇士はこちらに手を出してこなかった。

 

(壁越え一人、準壁越え未満一人、京と同じくらいの弓兵にパワー系二人、早いのが……二人か、堅実な中衛一人、遠距離火力持ち、未知数の男一人、鉢屋は……わからん)

 

 誰から動くか――読まなければならないのは総一郎一人のみだ。向こうとしてはこれだけの奇策、私情と同時に全体の負けを認めながらも総一郎を討ち取れば名が辱められることはないという利益計算をしているわけだ。総一郎対策の戦法も考えていているはずだ。

 負けは無い――総一郎はその事実とは裏腹に額に脂汗をかいていた。

 

(西の十勇士か……迂闊だった。西にとっての塚原を忘れていた)

 

 戦国時代と言えば上杉謙信や武田信玄、織田信長、伊達政宗、豊臣秀吉、徳川家康、北条氏政など東に人気が偏ることが多い。そんなことはないのだが、近年のゲームなどでも主人公は東に偏ることも。勿論この人物たちの逸話も大したものだが、西は相当な武闘派、九州や中国地方は戦争戦争の連続で武勇で言えば西が上であった。

 戦国時代で彼らが台頭してくる頃、塚原卜伝は既に余生を送るか死去していたころだ。直接は関係ないがその系譜を継ぐ雲林院や上泉、北畠は乱世最強を名乗るような人物である。

 

最強は新当流――

 

 この事実は西の者にとって受け入れ難いものでありつつも、塚原が最強の部類であることは時代の年月が証明している事実も理解している。

 西の者は最大の警戒心をもって新当流に当たり、それを倒すことを最も名誉とする。詰まる所その総代であり、塚原の当主である総一郎は最高位の名誉である。

 そして彼らは己の全力を向けてくる、慢心をせず。

 

 足音がした。そんなことを考えていられるほどゆっくり長宗我部と宇喜多は総一郎の方へ歩く――その後ろから尼子の双子がヨシツグと共に攻撃を開始した。少し遅れてくるパワー攻撃は性質がものすごく悪い。

 勿論それを防ぐことは出来る。だが十人の手練れ、それに差はあるものの壁越えが混じっていることが非常にやりにくい。

 しかも何の準備もしておらず、未完成な精神の宮殿は意図的にすぐ発動できるものではない。後の後、ではなく後の先において全ての攻撃を総一郎は往なしていた。攻撃に回るには読みが荒い、どうにか呼吸を落ち着けるように防御に専念する。

 すると視界の隅にマルギッテとクリスの姿が見える。

 

「手を……だすな、これは西の戦いだ!」

 

 暗黙の了解である。

 クリスもマルギッテも総一郎の剣幕に怯む、だがそれ以外の技量にも驚愕していた。知らぬ間、川神学園の生徒が彼らを囲んでいた。

 

「すげえ……」

 

 誰かがそう呟いて一同が息を飲んだ。素人目から見てだが、手練れを往なす総一郎への感嘆と百代に勝ったという総一郎に食らいついている十勇士への感嘆。無意識的に彼らは声を上げることを自重していた。

 

「これが……」

 

「総一……」

 

「……すごい」

 

「……やべえな」

 

「サムライ……」

 

「総師の本気……」

 

 戦場の外でも。

 

「これが総一さんの実力……」

 

「違うぞ、まゆまゆ」

 

 無意識に震えていた由紀江を優しく百代は抱きしめた。一瞬狼狽える由紀江も百代自身の震えを感じた。

 

「あいつの本気はこんなものじゃない、さあ見せてくれよ――総一!」

 

 

 

 そんな小さな声は届かない。

 毛利の弓と龍造寺の大したこと無いダーツがヨシツグと大友の大砲に合わさる、島の手数と尼子の速さも合わさり、そこに来るのは怒涛の長宗我部と宇喜多。

 そしてこのタイミングで石田は気を爆発させた。彼の必殺技「光龍覚醒」である、それに総一郎は気を少し取られた。

 だが、対応できる――

 そこに忍び寄ったのは一人だけだ。決して失念はしていない、だが居ない者は居ないと全てが重なった瞬間、意識の外へ出てしまった。

 忍者――鉢屋だ。

 

 そんな小さな声だったが、扉を開くには些か過分――

 

 全てを己の精神に任せた思考はいともたやすく十の攻撃を弾いた――

 

「な、なんだと!?」

 

 ヨシツグの言葉だっただろうか、その言葉の後は連携が崩れた。突出してしまった数人は再び攻撃を弾かれて数刹那の中に気を失った。

 残ったのはヨシツグ、石田、島、大友、毛利、龍造寺だけだった。それから二分、彼はその場で棒立ち、しかし総一郎は攻撃を仕掛けなかった。

 辺りはついに騒然と化した。逆に腕に覚えがある者は驚愕の中に彼らと同じく棒立ちであった。

 その手練れたちの視線はただ一人、彼のみに集まっている。

 見るからに流体を纏ったような彼、それは全て静の気であり、どこか彼の気は敵対意思が全くない様に感じられる。だが、分かる。これは制空権だ。信じられない程精度の高い制空権であり広大である。最も効率よく敵の攻撃を弾き、そして反撃するようにできていて、まるで機械のようでもある。

 しかし、彼は動かない。皆共はそれが理解できていなかった。

 

「はっ――」

 

 由紀江は百代がそう呟いたのを聞いた――が、自分の肩にのしかかっていた彼女の体重はまるで気のせいだったかのように消えていた。

 まさか――と総一郎へ再び視線を向けるも、彼はまだ微動だにしていなかった。安堵と共に由紀江はただただ疑問を抱いた。

 あの気の抜けた、まるで期待外れだったような声は――

 

「モモめ……嬉しかろう」

 

 鉄心は遥か先の上空を見た。するとそこには彼女が飛んでいた。

 

「――」

 

 叫んでいるようにも見えるが、自らの移動速度によって声がかき消される。だがその表情、口元の綻びから言って間違いはなかった。

 

「なんだあれは」

 

「ふん、百代め好敵手の成長が嬉しくて悔しくて仕方がないらしい」

 

「じゃああれが川神百代?」

 

「そうだ」

 

「わわわ、凄いな。あんなに空を飛んでいる」

 

 そんな上空の会話など気にも留めず、百代は川神山の頂上、その木のてっぺんから川神を見下ろしていた。

 今度はちゃんと彼女の声が聞こえた――その笑い声が。

 

「はははあはははははははははははははははははああははっはははははは!」

 

 息継ぎも碌にしていない、辛そうな笑い声だ。それでもそれを止められはしなかった。

 

「総一!すごいぞお前は!それが今のお前の本気か!ならば私では勝てない!どうしようか!」

 

 実力差を実感したというのに彼女は笑い飛ばした。嬉しすぎたのだろう、まるで我が事のように総一郎を褒めちぎった。今すぐにでも戦って負けたい、それが自分の糧になり、次に彼に勝てるのならばそれでもいい。

 

「だが、その次も私は勝つ!次も次もだ!」

 

 百代の言葉は木霊することなく、町の喧騒に消されていった。何故ならこの言葉は一人だけにしか伝わらないから。

 

「……ふふ」

 

 つい口元が綻んでしまった。総一郎と相対している彼らは少し嫌悪感が沸き上がる。

 

「ヨシツグ、お前は壁を超えた力に固執しすぎている。島、お前には器用以外がない。毛利、お前の技はただの小手先だ。龍造寺、うざい消えろ。大友、戦い方を考えろ。石田、伸びしろがあるのだからもう少し努力しろ」

 

 総一郎は刀を納めた。

 それを見た十勇士は怒りに塗れる。

 

「貴様!」

 

「相手にならん。一子は島、大友はマルギッテ、毛利は京、石田は上に気を付けろ……龍造寺は後ろに気を付けろ」

 

 六人を囲んでいた者達は武器を構えた。そして上空からも人影が急接近、それが着地すると石田の怒りが隅へ追いやられるように各々の獲物が相対した。

 

「くっ、貴様何者だ!お前に構っている暇はない!」

 

「義経は源義経、悪いが倒させてもらう!」

 

 黒髪の少女はそう名乗った。

 

「お前も名を受け継ぎしものか!」

 

「違う、義経は義経だ」

 

 問答になっていない会話は数舜のうちに無言の戦闘となった。

 するとただ一人誰とも戦っていないヨシツグがじっと総一郎を見つめていた。

 

「俺と戦え!」

 

 総一郎は無言のまま彼に背を向けた。

 

「この状態でお前が俺に勝てる自信があればやってろうか」

 

 背を向け、壁を超えた者に対する発言とは思えない。侮辱にすら値するものだ。だが、ヨシツグはどうしてもそこを動けなかった。

 勝てる――そういう気概を心から思えなかった。

 ヨシツグは膝をつき、総一郎は真っすぐ歩みを進めた。

 

 

 

 そして少し後、一子の勝鬨でこの東西交流戦は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー体痛てええ」

 

「ああ、私も結構疲れた」

 

 朝食、島津寮の朝だが大和と京、キャップはまだ居間に降りてきていなかった。昨日の東西交流戦の疲れが残っているのだろうか。大和はその前から情報収集で疲労がたまっていたし、一度がものすごく疲れる京も流石に、といった所だろうか。ちなみにキャップは恐らく爆睡。

 だが少しして二人は同時に降りてきた。

 

「おはよう」

 

「おはよう大和、京。流石に昨日は疲れたな」

 

「お、おはようございます、大和さん京さん」

 

 電気が眩しいのか目を擦って大和は右手を上げた。

 

「昨日は大和が寝かせてくれなくて……」

 

「京、今は勘弁してくれ」

 

「うん」

 

 やはり京も疲れている、追い打ちがない。

 「いただきます」と大和はすぐに卵焼きを口に入れた。すると朝のニュース番組から速報の緊急音が鳴り響いた。

 

「この音ってなんだか不気味だよなー」

 

「静かにしろクリス」

 

 大和はいつの間にか目をぱっちりさせていた。クリスは少し頬を膨らませた。

 

「もしかして昨日九鬼が言ってた奴か?」

 

 静かにたくわんを食っていた源さんだったが、興味が少し湧いたのか箸を止めてそこに視線を向けた。

 大和が「あ」と言うとそこには揚羽が映し出されていた

 

『九鬼揚羽降臨である』

 

 ドーン!と、こっちにまで音が聞こえそうな威圧感ある登場。リポーターが居るため電波ジャックではないようだ。

 東西交流戦の後、総一郎の話は勿論だが、乱入してきた謎の美少女、もとい「源義経」と名乗る人物の事が話題となった。それに答えたのが英雄で、今日のニュースで彼女の正体が明かされるとのことだった。

 全員がテレビにくぎ付けとなる。

 

『重大な発表とのことで』

 

『ああ、九鬼の新しいプロジェクト「武士道プラン」を発表させてもらう』

 

『ほう、一体どんなものなのでしょうか?』

 

『簡単に言えば若い者が切磋琢磨し、世界的な人材不足を解消させるのがコンセプトだ。だが、それは容易い事ではない』

 

『そうですね、教育の問題もあります』

 

『だがこの武士道プランの要がそれを可能にする――偉人たちのクローンによってな』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 川神学園に通ずる道は少しばかり賑やかさを増しながらいつも通りだった。ファミリーはモロや百代、一子と合流して変態がでる橋を改めて実感しながらそこへ向かった。

 普段であればこのまま教室へ向かうが今日は校庭で朝会がある。だが今日の学園はかなり浮足が立っていた。

 校庭にはまだ余裕があるというのにほとんどの生徒が集まっていた。

 

「うわ、凄いぜやっぱり」

 

「ヨンパチも既に来てるよ」

 

「そりゃそうだろ、何て言ったってクローンだぜ!一体どんな奴が出てくるんだろうな!」

 

 ガクトとモロとキャップはそれぞれの思いを持っていた。

 

(義経はすげえ可愛かったし、もしかしたらもっとすごいのが――)

 

(義経の髪、凄い綺麗だったな――)

 

(く~!滅茶苦茶かっこいい信長とか出てこねえかなあ!)

 

 九鬼が発表した武士道プラン――いや、その本筋であるクローンとの競合によって若者を成長させるという所、しかも偉人のクローンであるという突拍子もない事柄に生徒は興味津々であった。そもそもクローンなどという未だ人権の問題以前に確立されていない技術を使い、人間――しかも偉人のクローンを作る、そしてそのクローンが四人もこの学園に転校してくるなどと、はちゃめちゃな展開を誰が興奮せずにいられるのだろうか。

 そんな者はいない。

 S組でさえ、総一郎だって興味が湧いていた。

 

「源義経、かなりの腕だった」

 

「そんなにか? あの立ち回りをしてたお前が言うほどに?」

 

「……まあそれは置いといて。壁越えは確実、しかも何か残していそうだ」

 

「マジか……また一波乱きそうだな」

 

 「あ」と、大和は総一郎の顔を見た。嫌な笑みを彼は大和へ向けていた。

 大和を助けるようにマイクの嫌な共鳴音が校庭に響く、穏やかだが存在の大きい鉄心が現れた。

 その後ろには隠れて良く見えないが五人の転入生らしき者たちがいる

 

「あれ、四人じゃないっけ?」

 

 モロがそう呟いた。

 

「皆知っていると思うがこの度武士道プランによって転入生が六人入ることとなった」

 

「あれ、今度は一人増えた」

 

 モロの呟きには誰も反応しなかった。

 

「ほれ、挨拶しなさい」

 

 細々とした声がマイク越しに聞こえてくる。

 

「み、み、源義経だ。せ、切磋琢磨できるように頑張る。皆義経たちと仲良くしてくれたらうれしい……」

 

 刹那置いて――歓声。

 主に男たちの声だ、黒髪の和が際立った義経は間違いなくファンクラブができるだろう。

 

「次は弁慶じゃ」

 

 男たちの歓声は途絶えた。

 

「まじか、弁慶って誰得なんだよ」

 

「女にしても羽黒みたいなやつが出てくるぞ」

 

 ガクトとヨンパチの会話、非常に下種である――が、彼らはすぐにそれを改めることとなる。

 

「あー武蔵坊弁慶らしいです、一応」

 

 胸元は開け、ワカメのような艶美な髪の毛、何故かひょうたんを持っていて頬が赤みかかっている。男たちの性をそそるエロいねーちゃんだった。

 

「結婚してくれー!」

 

「死に様を知ってた頃から愛していましたー!」

 

 ガクトとヨンパチは下種である。

 

「次は那須与一じゃ」

 

 と、学長が言う。だが彼は出てこなかった。すると屋上の方で少し気がはじけたのを総一郎は感じる。そこはかとなく金髪老人の気配もした。

 

「よ、与一は、悪いやつじゃないんだ。どうかみんな怒らないでくれ」

 

 義経の可愛さがその場の騒然を消し飛ばす。

 コホン――とあり得ない音で鉄心が咳払いをすると完全に静粛となった。

 

「次、葉桜清楚」

 

 完全な無反応だった。まったく聞いたことのない名前、Sクラスの連中も首を傾げていた。しかし、名前に意味などない。それを知らしめるが如く、彼女が名を名乗ると生徒たちは男女を問わず歓声を再び復活させた。

 

「葉桜清楚です。クラスは多分三年S組に入ることになります、よろしくね♪」

 

 歓声。

 

「先生質問があります!」

 

 そう、声を勇ましく上げたのは川神学園の勇者ことヨンパチ。それが許されると叫ぶように言った。

 

「スリーサイズを教えてください!」

 

「この俗物が!……すまないうちのクラスが」

 

 すぐに梅子の鞭によって彼は昇天した。

 顔を赤らめる清楚、困惑しながらも「ご想像にお任せします……」と言う発言でファンクラブ結成の確定をさせた。

 

「すごい歓声だな、なあ総一郎」

 

 大和が声を掛けた彼はもの凄く顔色を悪くしていた。口元を抑え、はっきりと吐き気があることが分かる。まさか総一郎の体調が悪いとは大和も思わなかったのか、一瞬何をしているのか分からなかったようだ。その後すぐに大和は梅子を呼ぶ。

 

「大丈夫か塚原?」

 

「……ええ、大丈夫じゃないです」

 

「そうか――紛らわしい言いかたをするな。直江、後は私に任せろ」

 

 総一郎が梅子に連れていかれる姿をみて大和はかなりの不自然を覚えた。先程チラ見した時はなんともなっていなかった。だが、清楚の紹介の後見てみれば青いというか酸欠の様に顔が白くなっていた。

 思考に耽る前にキャップが声を掛けてきた。

 

「見ろよ大和!」

 

「ん?」

 

 左に刀を携え、彼は自信なさげに壇上にいた。

 

「えーと僕はクローンじゃないですけど、一応足利の末裔なので勉強の為にきました。よろしく」

 

 直輝がそこにいた。

 全くと言っていいほど男の歓声はなかったが(少しはあった)逆に女の黄色い声が上がる。少し照れ気味に彼は俯いて壇上をそそくさと降りた。

 

「久しぶりだなあ、後で挨拶しにいこう」

 

「まゆっちに紹介しきゃね」

 

 京に大和は「それはいい案だな」と言おうとするもその一瞬、ドタバタと無数の足音、そしてトランペット。

 人間でできた橋を渡った少女は威圧感丸出しで豪声をあげた。

 

「九鬼紋白、顕現である!」

 

 小学生くらいの彼女の声と姿にある男は正気を失ったという。

 

 

 




久しぶりに日刊ランキング載ってた、びっくり。


同情するなら感想と評価はくれ(ください)

修正・・・
・東に人気が偏ってる云々の話は憤慨した僕の経験談であり、僕は西がすごいと思ってます!(吟遊詩人さんご指摘ありがとうございます)


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スーパーヒーロースワロー

 九鬼のスーパー幼女が颯爽と生徒の前に出ている最中、梅子に連れられて総一郎は保健室へ、入った途端気分は最低頂に達した。

 そのまま総一郎はソファに横たわった。

 

「大丈夫か塚原?」

 

「……早退してもいいですか」

 

「ああ、そうだな。一人で帰れるか?」

 

「少し休んでから帰ります……」

 

 梅子は頷き、後は保健の先生に任せそのままホームルーム教室へ向かった。向かう際中、梅子は一つの疑問を抱く。あれ程頑丈で今日も見た時もいつも通りの総一郎だった彼が何故急に体調を崩したのか。

 梅子は取りあえず首を振った。別に仮病を疑うつもりはない、目の前で吐かれたというのに疑うわけがない。

 

「よし、皆揃っているな。先に言っておくが塚原は早退する、今は保健室だがかなり体調が悪いみたいだから見舞いは放課後にしろ――では出席を取るぞ」

 

 ファミリーのメンバーは顔を合わせた。勿論心配だがそれほどのものでもないだろう、友達が抱く一般的な心配を抱いたまま彼らは一時間目を迎えた。

二時間目が始まる少し前、大和が京と共に保健室へ行くが、既に総一郎は早退した後だった。

 

「総一はどうでした?」

 

「彼ねぇ……すごく吐きまくりだったわ。でも少し良くなったみたいだから今のうちに帰らせたわ」

 

 食中りか、風邪か。いずれしろ今日の放課後は直帰で話が決まった。

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

「最悪だ……なんだよあの女」

 

 一体誰に悪態を付いているのかその言動だけではどうも読み取れない。壁伝いでどうにか総一郎は島津寮まで帰って来ていた。

 不審な音にクッキーと麗子が気が付き、部屋までは運んでもらう。クッキーの敷いた布団で寝て、麗子が作った粥をどうにか食べれるようになったのは午後一時過ぎの話だった。

 

「大丈夫かい?」

 

「ありがとうクッキー、愛してるぜ」

 

「ふふ、どういたしまして」

 

 未だに顔色は悪いが気持ち悪さ以外に症状はない、熱を測っても平熱のまま、とにかく寝ることを彼は選択した。

 天井を見上げて思考していたのは今朝の事、弁慶という女の事が少しきになったのも束の間、彼女を黙視した段階で嘔吐感が体の底から湧き上がってくる。恐らく他の達人たちも彼女のちぐはぐさを少しは実感しただろう。だがそこで少しばかり疑問に思う。

 何故自分だけが――彼は確かに気の扱いが上手い。だがそこまで敏感というわけではない、探知は確かにできるが、それも集中すればの話だ。

 彼女から感じたことは二つ。外面の真っ白な気と内にある無意識がドスの効いた動の気が一杯でアンバランスもいい所、そしてその内からまるで自分の精神の扉をぶち壊そうとしている視線。目も合わせていないというのに、しかもそれは彼女の意識からは外されたもの、彼女が腹黒いとかそういう話ではない。

 

「葉桜清楚……か、その本名になんかあるわけだな」

 

 花の髪飾りを付けた黒髪の美少女は総一郎にとって、現段階で最も厄介な存在となった。

 そんな呟き、ある一人の少女は窓に耳をぴっとつけて聞いていた。

 

「ありゃ、誰かなその女の子は」

 

 それはそれは納豆の似合う美少女だったという。

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 場面変わって川神学園放課後。京は今日も一日孕んで――基、波乱であったと考えていた。彼女はもちろんだんまりを決め込んでファミリーと行動しているが、煩いハゲと煩いブルマの一年生を連れた煩いバッテン少女がヤバイ金髪一年生執事を連れてきたり。大和達に連れられ嫌なS組へ恋敵のようなエロいねーちゃんと癒し系の武士娘の所へ挨拶をしに行ったり。

 結構ストレスの溜まる一日だった。更に総一郎が体調不良で早退したことも他の人以上に気にかかっている。好意とかそういう話じゃない。ファミリーの一員であり、よく自分を心配し、協力者でもある彼はもう友達以上恋人未満のような盟友である。他のクラスメイトだって心配はするが、総一郎は頑丈で大したことがないと思っている。だが京は逆に考える。

 

「逆にそれは重症って事とも考えられる」

 

「……一理あるぜ」

 

「一理あるね」

 

 ファミリーでの登校は毎日だが全員での帰宅は珍しい。目的は総一郎の見舞いだ。そんな京の考察に一同は少しばかり歩みを速めた――走った。

 必然とモロは一分ほどでこけるがお約束でガクトが背負う。京が親指を立てていた。

 なんやかんやで島津寮に着く、男連中は汗だくだが女性陣は何故か余裕があるようだ。

 雪崩のようにファミリーは総一郎の部屋に駆け込む――がそこに彼は居なかった。敷きっぱなしの布団、粥、ここに居た形跡はあるが布団の温かさから彼がいなくなって二時間と言った所だろうか。大和はそう逆算する。

 

「何してんだ」

 

 不意に後ろから声がした。

 ココアを持った総一郎である。

 

「総一……?」

 

「あれ、体調は?」

 

「あ、ああ。もうすっかり良くなったよ、心配かけたな」

 

 全員の視線が京へ集まった。

 

「そういうときもある」

 

 

 

 

 

 夕食。食欲がまだ戻らない総一郎は引き続き一人だけ粥を食べていた。なんだかんだで心配した源さんは夕食の時間に「ほらよ……味気がなくて文句言われても迷惑だからな」と割と良い商店街の漬物セットをいつもの調子で手渡す。何故か大和から嫉妬の視線を浴びせられたが、漬物が美味かったようなので彼は無視をした。

 

「結局どうして体調が悪くなったんだろうか」

 

「さあ、酸欠じゃないか」

 

「昨日の疲れが出たのかもしれません」

 

 珍しく突っかからず由紀江が会話に参加するぐらい――総一郎は幸せを噛みしめていた。

 

「そう言えばカガは挨拶に来たか?」

 

「ああ、直輝君ならF組に来たよ、菓子折り持って」

 

 大和はチラッと由紀江に視線を送った。先程は自然な会話をしていたが、いざ振られるとどうやらまだ詰まってしまうらしい。

 

「まゆっちと同じクラスらしいよ」

 

「へぇ……仲良くするように伝えとくよ」

 

「あ、ありがとうございます!実はもう声をかけていただいていて……」

 

「うわあ、あいつ手を出すの早いな」

 

 総一郎の言葉に由紀江はみるみる赤みを帯びていく、逆にファミリーメンバーはそれをみてニヤニヤしたり、総一郎の発言に頷いたり。総一郎もそれを意図して言ったわけなので思わず笑ってしまった。彼は京との秘密協定でどうやら揶揄うのが相当自然になってきているらしい。

 

「直輝殿は総一の弟子らしいが、本当か?」

 

「ああ、俺の一番弟子。室町幕府将軍家の末裔だぞ!」

 

「何!本当か!」

 

 唐突にクリスはトリップして「明日サインを貰おう、本物の将軍にやっと会える」なんて上の空だった。

 

「あの……直輝さんはどれ位お強いのですか?」

 

 控えめな声だが由紀江から武士の声が聞こえる。やはり天下に名高い塚原総一郎の一番弟子である彼、しかも足利。彼女自身は交流がないようだが、二人の父、黛大成と足利興輝は古い仲である。

 普段闘志を全く出さない彼女も同級生でもある彼には些か本能を抑えきれないようだ。

 

「そうだね……カガは強い。だけども真面目過ぎる、相手との相性が悪ければ必ずと言っていいほど負ける。それに――まあ、後は自分でやりあってみな」

 

 一瞬総一郎が陰んだ。人の所にはいくつかの事情がある、度胸もないので由紀江はそれ以上突っ込まなかった。

 

「カガは彼女いないよ、俺としては由紀江ちゃんが理想だと思うよ」

 

「はうっ!」

 

「総ちゃんが滅茶苦茶弄ってくるぜ……」

 

 由紀江は取りあえず松風で逃げる。

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 いつもの川神、いつもの河川敷。朝食をよく食べた彼はもう体調に関しては問題なかった。合流組の三人からは何度も心配された、特に全く風邪を引かない百代は内心彼が重病なのでは?と疑っている。彼の師匠である村雨が呪いによって急死したことを知っているからだ。しかもその呪いは彼の家系が持つもの、今はもう断ち切った呪だがいつどうなるか分からないのが呪いだ。

 まあ、勿論それは未来永劫彼女の杞憂だ。葉桜清楚が放つ謎の不自然が彼の根底を侵食したというだけ、それも今は問題ない。

 だが、よくよく考えてみれば彼は今日清楚と直接会うことはなくても遠目で見たり、すれ違ったりする可能性が高い、高すぎる。だというのに彼は何故か不安な要素が全くなかった。寧ろどこか嬉しそうな表情にも見えなくはない。

 誰もそんなことに気が付くことなく、総一郎は対葉桜清楚用人型決戦兵器が来るのを心から待ち望んでいた。

 

「お、何かすごい車が止まってるぞ!」

 

「あれは……九鬼の車だな」

 

「ということは……?」

 

 メガネの紳士執事、クラウディオが後部座席のドアを開く、ともすれば思ったより予想外に身長が小さい娘がぴょこんっと降り、こちら――もっと言えば総一郎に向けた。

 

「ふあははははは! 我、顕現である!」

 

 総一郎以外は大したリアクションをとっていない。恐らくこの学校で知らないのは彼だけだろう。少しの間、有体にいえば白けた雰囲気、ヒュームが居れば最悪だった中、総一郎は彼女の頭に手を乗っけた。

 

「可愛いな……」

 

「ふにゃ! やめろ、我は――」

 

「――九鬼紋白だろ? 揚羽さんから話は聞いてる、とても良くできたこの世で最も大事で可愛い妹だそうだ。ただ……」

 

「……ただ?」

 

 紋白はもの凄く不安な顔、しかも自然的に上目遣いで総一郎を見上げていた。

 

「もう少し甘えてくれると嬉しいらしい」

 

 パッと明るくなる笑顔はまさに揚羽そのもの。同じ髪の色でかなり長い髪、額のバッテン印しは九鬼のお決まりだが、妾の子である彼女はそれを自分で引き取られた頃つけたらしい。この笑顔には幾つもの感情が渦巻いているが、まさしく「喜」の感情が九十九%を占めていた。思わず総一郎も屈託のないこの笑顔に口元が綻んでいた。

 

「塚原総一郎、俺の師匠が昔九鬼に世話になったらしい。よろしくな」

 

「!? ふ、ふあははは。九鬼紋白である、よろしくしてやろう!村雨殿なら一度だけあったことがあるぞ!」

 

「そうか、では尚更よろしく」

 

 総一郎はずっと手を紋白の頭に乗せていたが、紋白は結局振りほどきはしなかった。

 ――が。総一郎は後ろから光に声を掛けられた。

 

「総一、久しぶりにキレちまったぜ……屋上行こうぜ……! 天誅!」

 

「わー」

 

「とー」

 

 急な出来事だったので適当な返事のまま総一郎は準の腹にパンチ、その数秒後、準の後頭部へ蹴りが飛んできた。

 小雪の膝蹴りである。

 

「チョコマシュを困らせるなー」

 

「すいませんね総一君」

 

「おはよう雪、今日はチョコマシュとアンコマシュマロを持っているぞ。お前は手を伸ばすな」

 

 「初めて見たー、なんか卑猥」「おや、いけずですね」と二人は気絶した準を連れてそのまま校門をくぐって行った。

 割とバイオレンスな出来事だったので紋白は目をぱちくりしていた。

 

「さ、入ろう。邪魔になる」

 

「おお、そうだな」

 

「総一郎様、中にヒュームがいますが教室まで送ってもらっても良いでしょうか?」

 

「ええ、構いませんよ」

 

「お願い致します……では紋様、お気をつけて」

 

「うむ」

 

 紋白を先頭に総一郎とファミリーは校舎内へ入っていく。

 

「そうだ、この娘黛由紀江って言うんだけど極度のあがり症だから仲良くしてあげて」

 

「ふむ……北陸の黛か。いいだろう、よろしくな!」

 

「は、は、ははははい!」

 

「ふにゃ!」

 

 恐らく笑顔――だが完全にガンを最大限につけた不良みたいな表情になっている由紀江、紋白は思わず総一郎の後ろに隠れてしまった。

 だが事情を話せばわかってくれる。少し恥ずかしがりながら紋白はその場で握手した。

 大和のことも紹介しようとしたが、どうやら風間ファミリーは既にほとんど挨拶しているらしい。大和や京は名刺もゲットしてる。紋白曰く良い人材はすかさず勧誘するらしい。

 だが、どうも川神姉妹には良い感情を抱いていないらしい。総一郎はなんだかそこの事情をよく理解できていなかったが、特に触れはしなかった。

 

「師匠」

 

 Sクラス付近で総一郎をそう呼ぶ声がした。

 直輝だ。

 

「お久しぶり……でもありませんか、ご挨拶遅れました。昨日は体調が悪かったようなのでそちらにお邪魔するの良くないと思いまして。お体は?」

 

「ああ、もう大丈夫だ。しっかし堅いなあ、俺が浮くだろう」

 

「いや……一門ですから」

 

 取引先の社長に無理を言われたように直輝は言葉に詰まってしまった。だが彼も年相応、一定の若さは兼ね備えているようだ。

 

「あ、こちら」

 

「はい、紋様ですね。昨日挨拶いたしました」

 

「うむ、もう我々はめるともだ」

 

 今更総一郎は気が付いたがどうやら皆は「紋様」言うらしい。何だか直輝がそう言うと本当に付き人みたいに聞こえる。

 

「……まあいいや。カガ、今度由紀江ちゃんと手合わせしてやれ、同年代で同じ実力だ、かなりいい刺激なる」

 

「!……はい、願ってもないことです。由紀江さん、よろしくお願いします」

 

「え、あ、う、はい……」

 

 恥ずかしがっている、顔を赤らめて。総一郎は視線で京に確認をとる、そして頷かれた。

 

「そろそろ時間だ、散れ。総一郎、礼は言っておく」

 

 ヒュームの出現により、各々は各教師へ散っていった。

 

 

 

 が――

 

「あれ、お姉さまが校庭にいるわ」

 

 ホームルーム中の発言、通常であれば梅子の鞭が問答無用で炸裂するが、こんな時間に生徒が校庭に居る方が問題である。

 

「……ふむ、決闘だな」

 

 梅子はそう呟いて。一同は窓に張り付いた。

 

「外にはでるなよ、見るだけなら許可する」

 

 窓から乗り出してみると他の教室も同じように校庭を見ていた。

 一瞬だけ教室の視線が総一郎に集まるが、直ぐに校庭へ戻る。総一郎との決闘と思ったらしい――というかそれ以外はあまりあり得ない。この学校で百代に挑もうとする者など居るわけもない。いや、もしかすれば武士道プランのメンバー、ヒュームの可能性もある。だが無暗に戦う連中でもないだろう。

 実際に決闘禁止令が出ている。

 

「なんかあの子見たことあるぞ俺様」

 

 そんなガクトの言葉、それと同時に百代に対峙している女生徒は地面に置いてある薙刀を手に取って打ち合った。その次に槍や刀など幾つかの武器をとっかえひっかえしていた。ただ一つ分かるのは――

 

「すげえな、モモ先輩と対等に打ち合ってるぞ」

 

 キャップの言葉が衝撃を改めて伝えていた。

 

「手合わせだから本気は出さないだろうけど……それでも昔みたいに力は抑えてないはず、凄い使い手ね」

 

 一子の冷静な分析、だが少し悲しそうな表情をしたことを総一郎は逃さなかった。きっと新たな格上、しかも百代と打ち合っている姿が悔しかったのだろう。

 

「だけど刀以外はなんだか使い慣れてないみたい、もちろんレベルはすごいけど」

 

 一子とは反対にしっかりと分析できている彼女に対して総一郎は少し嬉しそうだ。そして校庭へ視線を移した。

 

 百代は新鮮な感情を覚えていた。総一郎の時とは違う初めて戦う相手が互角であること。もちろん自分の方が強いと感じるが相手も何かを隠しているとも思う。小言を貰ってもいい――百代は一瞬だけ力を抑えなかった。

 防御が一番厚い所、だが意識の薄いその箇所へ蹴りを繰り出した。

 すると、対峙している彼女は待ってましたと言わんばかりに刀を百代に放り投げ、彼女は最も得意とする村雨流近接術で百代の蹴りに合わせて腹へ返しを見事決めた。

 

「やるな……」

 

「あぶなかったあ……聞いてた通りだね」

 

 百代と彼女は遺恨なく笑顔を交わした。

 と、ある時モロが口を開いた。

 

「あれってもしかして」

 

 急いで携帯を探った。ガクトやスグル達も頭を抱え、喉まで出かかっている様子だった。その問いに答えたのは他でもない彼。

 

「納豆小町だろ」

 

 そしてその今後を聞いた彼らは「それだ!」と一斉に声を上げた。大和も聞いたことあるな――と漏らしていたし、女子の何人かも知っているようだ。

 

「やっぱり西の方が有名か、総一も知ってるくらいだしな」

 

「あ、何か言うみたいだ」

 

 またか――と総一郎は呟いた。校庭にいる彼女はマイクを貰うと校舎に向けて元気よく言う。

 

「どうも皆さん、納豆小町こと今日転校してきた松永燕です!私が川神百代さんとここまで戦えたのはまさに粘り!そう、毎日この松永納豆を食べているからです!皆さんもお一つどうぞ、今なら試供品配ってまーす!」

 

 つまり営業である。なのに生徒からは歓声が上がった。なんともおかしな光景である。だが、総一郎にとっては幾度となく見た光景、彼女の努力の賜物だ。

 校舎側に二人は歩いてくる。思った通り、百代は彼女が気に入ったらしくべったりくっ付こうとしたり、尻を触ろうとするが全て叩かれている。それだけでもすごい光景だ。

 すると窓の外に乗り出していた総一郎に気が付いたようで彼女は手を振ってきた。

 

「おおおおお!俺様に手を振ったぞ!」

 

「そんなわけがあるはずないよ」

 

 BATの文字を提示されたガクトは真面目に落ち込んでいたが、良く見ると隣で総一郎が小さく手を振っているではないか。

 

「……総一、どういうことだ」

 

 一斉に視線が集まる。

 

(まあ、彼女とは言えんわな)

 

「幼馴染、塚原門下だよ」

 

 大よそ同じメンバーの悲鳴が木霊する。

 

「でもどう見ても彼女という雰囲気にも見えるね」

 

 京の爆弾は女性の甲高い悲鳴を連鎖させる最悪の爆弾だった。

 

 

 それでも燕はこちらに手を振っていた、屈託のある笑顔で。

 




やることが無くて小説を書いている


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ワカメの友

 休憩時間が十分とはいえ何かやりたくなるのが学生というものだ。体育や移動授業であれば時間もあまりとれないが、ホームルーム教室ならばきっちり十分時間を有効活用できる。

 勿論、裁判だろうとも。

 

「被告人塚原総一郎の裁判を始める」

 

 裁判長はヨンパチ、裁判官は殆どの男子生徒、検事はガクト。傍聴人は女子。被告は総一郎、弁護人はいない。

 

「有罪、死刑」

 

「まてまてまて」

 

 三日裁判ならぬ三秒裁判。十分もあれば一体何十回の裁判が行えるだろうか。何十回でもやってるという意気が男子生徒からは駄々漏れだった。

 

「さて、E組に放り込んでやるよ」

 

「お、落ち着け――(てめえ、京てめえ)」

 

「(なんだか嫌な予感がしたので擦り付けておきました)」

 

 無言の会話の後、総一郎は必ずの報復を抱きながら叫んだ。

 

「うるせえ、うるせえ! ガクト俺に逆らうと大変な目にあうぞ!」

 

 ガクトが一歩引いた。しかしヨンパチが前へ出る。

 

「お前は俺達童貞にとって一番酷いことをしたんだ――イケメンが美少女と付き合うなんてことをな!」

 

 清々しいほどの最低の理由、まるで少年のような表情でヨンパチは心の内を叫んだ。何故か拍手が男子から起きるが、もちろん女子からは蔑んだ視線が送られた。

 

「や、大和……キャップ……源さん……」

 

 残る救援先はこの三人、年上に人気の彼とエレガント・チンクエの二人。

 

「悪い、俺もお前の敵だ」

 

「んーよくわかんねえや」

 

「……知らねえ」

 

 友情など儚いもの、薄情と同義ということを彼は実感した。

 

「大和、月夜の晩ばかりと思うなよ……キャップは部屋に気をつけろよ……源さんはワン子にバラしてやるからな……憶えておけよ!」

 

 彼は逃げ出した。

 男子連中は「待て!」と彼を追いかけていくが、後五分もすれば授業が始まること忘れているようだ。きっと梅子の鞭をこれまでかというほど打たれることになるだろう。

 それとは別、ある男子三人は謝罪の言い訳を熱心に考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 無断欠席はもちろん利がない。総一郎は昨日も早退をして欠席していたわけだから結構な痛手だ。だが自衛の為と思えばなんの不安もない。

 取りあえず放課後まで時間を潰そう――彼は屋上へ足を運んだ。もちろんそこには誰もいない、ニュースでも見るか、携帯電話を見てもそう長続きはせず、結局ベンチで寝ることに決めた。よく考えればなんで屋上にベンチがあるのだろうか――そうかここは川神学園だ、と納得したところで彼は眠りに落ちた。

 そんな彼が目を覚ましたのは太陽光のせいでも地面の固さが理由でもない。

 

「つんつん、つんつん、ほらモモちゃんもやってみれば?」

 

「いいのか?彼氏だろ」

 

「いいよん♪」

 

 脇腹を不自然なリズムでつつかれ、更に聞き覚えのある声が彼の睡眠を阻害した。

 

「あ、起きた」

 

 彼は寝ぼけて「あー」と燕に寝転がったまま擦り付いた。

 

「ちょっと総ちゃん」

 

「……ははーん、いいものを見た」

 

 総一郎が覚醒したのはそんな時だった。百代の意地悪い声が聞こえた時、しかしそれは既に時遅し出来うる限りの速さで燕から離れても百代はこちらを見て悪だくみをしようとしていた。

 

「く、殺せ」

 

「ま、誰にも言わないさ。葛餅パフェな」

 

 確実な失態を犯した彼はどちらかと言えば悔しさよりも恥ずかしさの方が上回っている、良く見れば燕も百代と同じような笑みを浮かべているではないか。

 分が悪い彼は話題転換に勤しむ。

 

「そういえば良いのか? 俺が彼氏だって公表しても」

 

「あー……うん。本当はモモちゃんの弟に近づいて揺さぶりつつ倒そうと思ったんだけど、正々堂々戦おうかなって」

 

 まるで殊勝な言い方だが、結局は正面切っての戦いなどはしない彼女、実に腹黒さでいえば超人クラスである。

 

「おいおい、私を倒すのか?」

 

「うん、そうだよ。夜道に気をつけてね♪」

 

 百代が一歩引いた、その笑顔の裏に隠された真実を読み取ったのだろう。総一郎と目を合わせて双方が頷いた。

 

「それはそうと大変だぞ、つーちゃんと付き合っていることがバレたせいで男子が暴走してる。女子は陰であれかもしれんが男子は信念に忠実だからなあ」

 

「あれま、大変だね」

 

「更に抹茶ぜんざいを付けてくれればガクトを〆てやろう」

 

「お前らなあ……まあいいや、頑張る。教室に戻るわ」

 

「納豆欲しい?」

 

「持ってる」

 

 軽やかに起き上って彼は酷い姿勢で後にした。百代と燕はどうやらこのまま屋上で食事をするようで、先程まで総一郎が寝ていたベンチに腰掛けた。

 百代も思うところがあるようだが取りあえず新たなライバル登場が嬉しいようで、私生活の話から鍛錬の話まで、そして総一郎の話へ進んで行った。

 

「じゃあ本当に幼馴染なんだな」

 

「うん、相当長いね」

 

 燕からもらった納豆を食べる百代、一口食べて驚いていた、どうやらお気に召したらしい。そんな反応に燕もご満悦だ。

 

「あの頃の話はしても良いのか?」

 

「あー……総ちゃんが話してるんだからいいかな? まあ大変だったね」

 

「どれ位荒れてたんだ?」

 

「稽古の時はいつも痛めつけられてたし、人の好意は邪険にする。殆ど村雨さん以外の言葉は聞かなかったねぇ……一番辛かったのは」

 

 初めて燕が見せた暗い顔だった。笑顔だったけれどもそこにある暗がりで全てを悟ることが出来た。

 

「見たこともない表情で私を本気で殴って来た時、それで骨が折れたんだけど、あの時の総ちゃんは怖かったなあ……村雨さんと言い合いになって一触即発だった」

 

「……あいつを嫌いにならなかったのか?」

 

 百代は燕の俯いた顔を覗き込んだ。「なんだ」と思った、燕は少し顔を赤らめていたのだ

 

「初めて会った時から好きだったからねー」

 

 燕らしくない、本音を今から倒そうという相手に意図が全くなく明かしていた。

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 戻るやいなや男子からの追及――を睨み倒して跳ねのけ、鞄から弁当箱を取り出した。まだ時間があるのでそのまま食堂に向かうと一部テーブルに人だかりとそこに集中している視線があった。

 どうやらそこには大和もいるらしく、総一郎もそこへ向かうことにした。

 しかし、総一郎は思いがけない出会いをするのだった。

 

「おう、大和。ぶっ殺しに来たぜ」

 

「ま、待ってくれ。何でもするぞ」

 

「よーし、E組に放り込んじゃろう」

 

「……ごめん」

 

 兎に角平謝りの大和の隣に総一郎は座ろうとするとその向かい側に彼女達と一人の男は居た。義経と弁慶と与一である。

 

「な、直江君、彼は?」

 

「あ、ああ、こいつが塚原総一郎だよ」

 

「な、なんと!? 初めまして、源義経だ。話に聞く塚原家の当主……?」

 

 総一郎は義経の隣、自分の正面、与一ではない彼女に視線を一点集中させている――否、それは適切ではない。見つめ合っている、が正しいか。

 だがそれは一目惚れなどの類ではない、まさに驚愕、二人が生きてきた中で私生活における重大な事だった。

 

「ど、どうしたのだろうか直江君。塚原君と弁慶は何故見つめ合っているのだろうか?……?」

 

「あ、姉御のこんな顔は見たことねぇ……これは前世の――いやそれはないか」

 

「……もしかして」

 

 二人震え出して熱い握手を交わし、抱擁した。

 その場にいた全員が言葉を失った後に絶叫した。

 

「どどどどどうした弁慶!?」

 

「あ、姉御!?」

 

「ああ、多分……」

 

 二人は離れて言う。

 

「ま、まさか生きているうちに会えるとは思わなかった、何故朝会の時に気が付かなかったのだろうか!」

 

「こ、この苦悩が分かる人と出会えるとは……!」

 

 ――ワカメ髪の同類に――

 

 その場は静粛に包まれた。明らかに奇人を見る目が集まりだす。

 

「塚原総一郎だ、総一と気軽に呼んでくれ。何かあればいつでも力になる」

 

「知ってると思うけど武蔵坊弁慶だ、弁慶でいいよ。私も出来うる限りを――いや、兄と慕ってもいいか?」

 

「べ、弁慶!?」

 

 慌てて二人の間に義経が割って入った。与一は混乱状態である。しかし義経はどうしたらよいのか分からずあたふたしている。

 

「義経、これだけは許してくれ――いいかお兄ちゃん」

 

「良いぜ、よろしくな」

 

 いくら川神とは言えこの光景は異常だった。だがよく見ると二人は確かに瓜二つだ、殆ど髪の毛のせいであるが。

 その後二人は存分にワカメを分かち合った後、咳払いをして顔を赤らめていた。

 

「すまない、はしゃいだ」

 

「私も騒ぎ過ぎた、義経ごめん」

 

 総一郎は姿勢を正し弁当を、弁慶は川神水をちょびちょび。

 

「言ってたもんな「ワカメ髪の人間と出会ったら生涯の友となる」って、よかったじゃん」

 

「う、うん。弁慶が嬉しいなら義経も嬉しいぞ」

 

 二人のフォロー、それが今は痛かった。

 時間も時間、四人は自己紹介を済まして教室へ戻っていく。その際に義経は総一郎との手合わせを希望して彼はそれを了承した。今義経は対戦希望者がかなり多いためそれの後、明日の放課後に行うこととなった。

 同年代、しかも壁を超えた武士との戦いに彼も少し心を躍らせるのだった。

 

 

 

 

 

「そういえば総一、清楚先輩には会ったか?」

 

 大和、京と帰りの河川敷を歩いている最中、あまり聞きたくない名前を聞いて総一郎はあからさまに顔を顰めていた。そんな姿に二人は首を傾げた。

 

「どうしたんだ?」

 

「……いやあ」

 

「彼女の方が可愛いとか言わないでね」

 

「……言わねえよ」

 

 大和に疑問を呈されたがどう説明すればよいか、彼は困惑した。恐らくここまで敏感になっているのは自分だけ、しかも大和は気をあまり感じられない普通の人である。

 それに「あの人を見ると吐き気がする」なんてとてもじゃないが言えない、もしガクトが相手であればまた面倒くさいことになるだろう。

 

「なんかあの人を見ると違和感を感じるんだよな、ちぐはぐな気を感じる」

 

「ちぐはぐ?」

 

「ていうかあの人は気とかあるのか?」

 

「あるよ、ただならぬ気を持ってる」

 

 確実に何らかの偉人、しかも明らかに文化圏の人間ではない。あるとすれば細川幽斎、それならば寧ろ確率が高い。だが塚原に縁のある細川幽斎ならば嫌悪することもないだろう、寧ろ歓迎して塚原よりも縁のある直輝と仲良くなることもある。

 今日会わなかったのは間違いなく幸運だった、だからこそ早く燕には彼女の正体を特定してほしかった。

 遡ること昨日の事――

 

 気持ち悪さのピークも過ぎて少しばかり楽になってきた頃に燕は窓から侵入していた。体調が悪くて全く気が付かなかった総一郎は度肝を抜かれて嘔吐感に再び襲われていた。

 

「あああ!あれま、あれま!」

 

 流石に彼女の方へぶちまけることは無く、クッキーの用意していた嘔吐箱に間に合った。

 

「つーちゃんに介護してもらう時がもうくるとは……」

 

「ごめんごめん、そんなに体調悪かったんだ……」

 

「いや、ただ気持ちが悪いだけなんだよ。あれもあの女のせいで」

 

「女?」

 

 女という単語に反応したが別にそんなつもりはない、単純に燕は何のことか分かっていなかった。

 総一郎も別にやましいことはない、ただ女をみて吐き気を催しただけだ。考えてみれば一つとしてやましいことは無かった。

 

「葉桜清楚――なんかよくわからんが誰かのクローンらしい、表面の柔い気と内面の剛――それ以上だな、多分内面が彼女の本性だろう」

 

「……その不自然な気で体調を崩したの?」

 

「……多分な。だけど他に体調不良を起こした人間はいないみたいだし、気の探知が超優れているわけでもないのに何故かこうなっている」

 

「ふーん」

 

 燕もそんな人物に興味を示した。これから通う学園にそんな女が居るとなれば策士である彼女としては放っておけるわけもない。

 

「つーちゃん、葉桜清楚の正体を探ってくれ。九鬼にバレないように」

 

「いいよん♪」

 

 総一郎が言わなくても燕は自ら行動を起こしていただろう。別にデータベースに潜り込むとか九鬼本社に忍び込むとはではない、清楚の好き嫌いや苦手なものなどから人物を絞っていくだけだ。

 そして燕は笑顔のまま総一郎の布団へ入ってくる。

 

「なんだ」

 

「温いねえ♪」

 

「……二時間ぐらいで寮の奴らが帰ってくるからな」

 

「平気平気、私もあと一時間ぐらいで戻らないとだから」

 

 溜息をつく総一郎だが心なしか嬉しそうだ、燕がぴったりと彼にくっついている。

 

「昼間からくっつくのもこの時期までだな」

 

「そう?」

 

「そうだ」

 

 ――大和達が帰ってくる一時間前の事だった。

 

 

 

「しっかしまさか納豆小町と付き合っているとはなあ」

 

「昔道場に来た時、負けなしで驕ってたつーちゃんをボコボコにしたのが出会いだった」

 

「……すごいな」

 

 平然とそういうことを言える総一郎に驚愕する大和だったが、一方京と言えば少しもじもじしている。今回ばかりは大和も心当たりがない。

 

「どうした京?」

 

 恐る恐る大和は聞いてみた。

 

「な、なんでもないよ」

 

 京がビクッと震えた。一瞬大和の脳裏を良くない考えが過ったが勘違いに違いない。

 

「大方、俺に助け船を貰って大和に愛を伝えるのを待っているのだろう。言っておくが恨みは深いぞ――あと二十四時間は何もせん!」

 

「随分と浅いな、おい!」

 

 変わらぬ関係であった。

 

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 京と大和は途中で出会ったクリスと共に学園側へ引き返した。通りの葛餅パフェを食べるためだ。総一郎も一緒に行くつもりだったが、なんとそこへ燕が登場した。これは悪いと思った大和は気を利かせて三人でその場を後にした。後から「これでちゃらに」なんてメールしてきたが総一郎はそんな妥協をするはずもなく「うるせえ」と一言だけ返すことにした。

 その夜の寮で総一郎をチラチラみる大和が目撃され、京が顔を赤らめる原因となる。

 

「分かったよん♪」

 

「早いな」

 

 燕は河川敷で清楚の特徴を総一郎へ伝える。正体を明かす前に彼女の身辺について教えて欲しいと総一郎が願ったからだ。それは単純に精度を上げる為とただの見栄だ。

 

「杏仁豆腐が好き――中国系か?見た目よりも腕力が高い、芸術系が苦手……この時点で細川幽斎はないか――!?」

 

 燕のメモの最後、それを見た彼は驚きと共に視線を燕に向けた。彼女は「ふふ」と口元に手を当てていた。

 

「虞美人草――覇王で西楚――項籍とは驚き……なるほど、あちらの表面と俺、あちらの内面とこっちの爺さんが呼応していたわけか。これは久しぶりに対話しないとな」

 

「取りあえず対策は講じておくね、一先ず刺激しないことにしておくよ」

 

「ああ、頼んだ。あーメンドサ、つーちゃん飯でも食うか」

 

「奢ってね」

 

「仕方あるまし」

 

 夕暮れの河川敷、左腕にくっついて燕は総一郎と共に通りとは反対側、島津寮の方へゆっくりと歩いて行った。

 

「……寮で食べるの?」

 

「ああ」

 

 燕は明らかに不機嫌な顔をしていた。

 




一日千文字書けば五日で五千文字になると気が付いた!


---追加---

通算200000UA突破!
皆様のお陰です、今後とも宜しく!


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宮殿を侵略するは崖からの侍

遅れてすいません


 川神学園の特質性、もしくは異常性と呼ばれる実態は普通では非難されるものであり、大手新聞社の一面を飾るに相応しいほどのものである。

例えば決闘は暴力を伴うものが多く保護者からの非難もあるだろう、中には体罰を行う教師もいる。認められてはいないが賭場なるものも存在する。 この学園で認められてないなんてことはない、つまり放置されているわけだ。賭けマージャンや賭けポーカー、賭けブラックジャック、中にはこの場で決闘をする者もいる。大和とか冬馬とかキャップとか。

他にも詳細は全く明かされていないが何故かガサ入れのない明らかに怪しい「魍魎の宴」なるものも開催されているらしいが、それは触らぬ神に祟りなしだ。

 そしてこの学園にもう一つの異質、それは三階廊下突き当りにある茶室だ。その中にある気配は四つ、だが穏やかな気配だ。

 そこにはヒゲこと宇佐美先生と大和、弁慶、そして総一郎の四人が川神水を片手に寛いでいた。

 

「いやあ、良いですなあ」

 

「くー!最高!」

 

「オジサン教師なのにこんなことして良いのかねえ……」

 

「本当にそう思ってる?」

 

「思ってないわ、寝ちゃーお」

 

 放課後であるが教師が川神水を学園内で飲んで寝るなど頭がおかしいだろう、それが許される川神学園。そもそも学園内で川神水を飲んでいるのがおかしいのだが、弁慶は試験で4位までに入れば川神水を飲んでも良く、それ以下であれば退学という条件付きで学園内に持ち込んでいる。

だからと言って総一郎達が飲んでいいわけではないが。

 

「あれ、お兄ちゃんは主と決闘じゃ?」

 

「延期、なかなか終わらないからね」

 

 そんな弁慶との会話に宇佐美は遅れて突っ込むことになる。

 

「え、二人はどういう関係よ」

 

「「義兄妹」」

 

 さも当然のようにに答える二人に、宇佐美は困惑したという体をとってその場に寝っ転がると鼾をかき始めた。

 

「ちくわ」

 

「ほいよ」

 

「俺にもくれ大和」

 

「ほい」

 

 現在四時半を回った所、恐らく義経と戦っている人の雄たけびがだらけ部の子守歌だ。人が頑張っている間、畳みのいい香りそして川神水を飲んで寝っ転がっているという快感に酔いしれているわけだ。

 

「そういえば総一はなんで義経の挑戦を受けたの?」

 

「ん?それは一体どういう意味?」

 

 事情を知らない弁慶はすぐさま問いかけた。

 

「ああ、弁慶は知らないっけ。総一は決闘を大体断っているんだよ」

 

「へえ……」

 

 武士の勘だろうか、余り詮索しない方がいいと思った彼女はそんな相槌程度で総一郎の答えを待った。

 

「んー……奥底が凄そうだから?英雄とは違う大将の器みたいな奴が義経からは感じられる。ていうか強い奴なら戦うよ、弁慶だって隠してるものがあるし」

 

「……まあね」

 

「へえ、まあ二人ともあれだけ強いのに更に隠し玉があるとなれば総一もその気になるか」

 

「そう思ってくれ――まあ負けるわけないけど」

 

 総一郎の何気ない一言、それが弁慶の忠誠心を刺激した。こんな体たらくでも彼女は忠臣であることに間違いはない。

 

「ちょっとそれは聞き捨てならないね」

 

 弁慶は起き上ると壁に寄り掛かっている総一郎を見た。睨みつけているわけではない。

 

「俺は準備すれば本気が出せるけど、そっちは本気出さないだろ。壁を超えているだけじゃ俺に勝てないよ」

 

 盃をちょびっと傾けて総一郎は反論した。

 弁慶はムスッとした顔で今度は睨みつけていた。しかしそんなことを総一郎は気にも留めなかった。

 

「儂と本気でやらんとは傲慢よ」

 

 大和はそこで何かおかしいことに気が付いた。

 

「総一郎……?」

 

「お?……いかんいかん」

 

 そう言うと総一郎は横にパタっと倒れて数秒後に目を開けた。ゆっくりと体を起こすと目をパチクリして何だか状況が分かっていない様子、大和と弁慶を交互に見ると二人とも自分を訝しげに見ている、逆に総一郎はそれに疑問を抱いた。

 

「どうした?」

 

「え、いや……」

 

「寝ぼけてる?」

 

「あー……かもしれない、帰る」

 

 総一郎は言ってから三秒で立ち上がって割とフラフラの足で帰路についた。

 そんな姿をいつの間にか起きていた宇佐美合わせ三人はただ目で追った、その後顔を合わせ顰めると宇佐美が口を開いた。

 

「ありゃ酒癖が悪そうだ」

 

「あれは酒癖とかじゃないでしょ」

 

 

 

 

 零時、その日の零時、総一郎は知らぬうちに自分の部屋にいた。布団をぐしゃぐしゃにして天井を見上げてから二十分ほどしてその事実に気が付く。最後の記憶は確か大和達と川神水を飲んでいたはず、酔いつぶれるまで飲んだのか――と考えたがそんなことはあり得ないと首を振った。総一郎は樽杯の中で寝ていたこともあるくらいだ、しかもその時はしっかりと記憶を残している。

 冴えた頭で下に降りていくと大和とクリス、キャップ、京の四人がテレビを見ている。クリスの好きな時代劇だ。総一郎が居間にきても気が付かなかったが彼が冷蔵庫を開けると始めにキャップが振り向く。「おはよう」と総一郎は言おうとしたがキャップが青ざめた表情で総一郎を見ているではないか、続いて大和と京も振り向いて同じ顔をしている。

 

「いけえー大和丸!」

 

 アクション付きで意気揚々と画面の中にいるキャラクターを応援するクリスはなんとも愛らしい、だがそんなことを考えることもなく総一郎はこちらを見つめる三人を怪訝な顔で見返した。

 

「なんだよ」

 

「……憶えてない?」

 

「何が」

 

 京の質問は総一郎にとって全く意味の分からないものだ。

 すると大和は顎でそこを示した、庭だ。ゆっくりと総一郎もそちらを向こうとするが視界に庭が少し入った時点で見るのを止めていた。

 

「なんだ」

 

「帰って来てから暴れた」

 

 キャップが小刻みに震えて手に持っているコーラが零れている。

 意を決して勢いよく庭を見てみる、そこに広がるのは一言でいって惨状である。庭の残骸が総一郎の意識を居間に戻した。

 

「お茶が美味い」

 

 手慣れた動作でお茶を淹れると何食わぬ顔で椅子に座るが直ぐに三人が脇を固めた。キャップと大和は既に総一郎の両脇を掴んでいる。

 

「逃避しない」

 

「ごめんなさい」

 

 そのまま総一郎は三人に引きずられて夜の島津寮に消えて行った。

 

 

「――ということがあった、どう思いますか燕さんに百代さんや」

 

「酔いつぶれたんだろ、庭しっかり直したか」

 

 屋上にて三人は燕が作ってきた納豆弁当を囲み昼休みを過ごしていた。百代がここに居るのは燕の弁当が羨ましかったのと義経と総一郎が戦うのが羨ましかったからだ。だがそれを一過性のもので今はただ仲良く納豆を囲んでいる。

 

「うーん……」

 

「どうした燕」

 

 燕が顎に人差し指を置いたことに気が付いた百代は納豆揚げを口に運びながら何気なく疑問を呈した。

 

「いやー総ちゃんは川神水で酔うような下戸じゃないんだけどな~」

 

「そういえば箱根の時も大して酔ってなかったな」

 

「酒樽に一晩入れられて次の日空になった酒樽で寝てるような人だから」

 

「やめい」

 

 百代が総一郎を化け物のような目で見ていた。そんな話を誤魔化すように総一郎は話を続ける。

 総一郎の呈した疑問は燕が言ったものとほぼ同じようなものだ。川神水ごときで、しかも飲んでいる量は弁慶よりも少なく、今まで本物を飲んだとしても暴れたこともない。酔っている雰囲気すら見せず次の日二日酔いになったこともない。そもそも何故本物の酒を飲んでいるのか百代は茶々を入れようとするが、もの凄く二人が嫌な顔をしたのですぐに取りやめている。

 

「口調が変わってた?」

 

「ああ、大和がそう言ってたぞ」

 

 百代がそう言うと総一郎はすぐに顔を顰めた。

 

「どんな感じだって?」

 

「爺臭い口調」

 

 更に顔を顰めたがどうやら総一郎と燕は事の顛末を理解したようだ。そんな二人の関係に腹がたったのか百代はすぐに二人を問いただす。が、それは彼女の意図しない地雷であることに気が付きもしなかった。

 

「前にもいったろ、今俺にはうちの先祖がとり憑いているんだ」

 

「へ?」

 

「塚原卜伝がね……あれモモちゃんどうしたの?」

 

 燕が気が付くころ、百代は顔を真っ青にして体を震わせていた。

 

「そうだ、モモちゃんは幽霊が怖いんだ。よく覚えておけよ燕、攻略の糸口に繋がる」

 

「なるほど……あ、モモちゃんの後ろ」

 

「やーめーろー!」

 

 断末魔、衝撃波の両方が川神学園を襲った。

 

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 

 放課後を告げる鐘が鳴ると校庭にて決闘が始まる。別に毎日それが行われている訳ではない、今回は義経がいるためにここまで規模が膨れ上がっている。昨日までに五十人程の挑戦者が現れ全て撃退されている。壁を超えている義経からすれば当たり前もいいところだが一切邪険にすることなく笑顔で受け、真剣に戦い、最後は讃える。彼女の人気が上がる要因の一つであり、新たな挑戦者を生む原因ともいえる。

 だがそれも昨日までの話だ。今日はいつも居た挑戦者の列がない、代わりに割りと離れた所にギャラリーが輪状になって義経たちを囲んでいる。

 今は丁度クリスの挑戦が終わった所だ、無論義経は無傷でクリスは膝を着いている。義経は手を伸ばしてクリスはそれに受けとった。特に蟠りもなく二人とも笑顔だ。

 

「手も足も出なかった、流石だ」

 

「フリードリヒさんも鋭い突きだった、義経は感服した」

 

「ありがとう。それと私の事はクリスでいい、もう私たちは友達だからな!」

 

「友達……うん!よろしく頼むクリス!」

 

 友達という言葉に義経は飛び切り輝く笑顔を見せた。

 

 クリスの決闘が終わると次は総一郎――ではなく、そこには穏やかながら薙刀を、しかも普段よりも二十cmほど短く大きい物を持って闘志むき出しのまま近づいて来た。

 

「川神さん」

 

 そう言って義経も気を昂めた。

 その後二人の間に会話はない、クリスが急いで退き、ギャラリーも一歩下がる。

 審判はルー、説明などもう必要はなく、只右手が振り下ろされた。

 

 意外にも読み合いはなくしかも義経からの先手である、だからと言って一子が防戦に回ることを良しとするわけもない。それにこの決闘に勝ちはまずないと彼女も感じている。状況が良くなければマルギッテと互角程度でしかない、ならば短期でもっと言えば彼女は一分でこの決闘に幕を閉じさせるつもりだ。

しかも自分の負けによって。

 これは総一郎との相談で決まったものではない、完全な独断で下手をすれば負け癖が付くかもしれない。だが彼女は焦りと落ち着きを今現在両方持ち合わせている。それは絶対に勝てない人間がこの川神に居るのとそれが続々と川神に集まっていることに起因する。差を実感する一方それをチャンスと捉える自分がいるわけだ。

 それが彼女の感覚を次へ――二十秒のみ。

 一子は先手を取る義経の領域を定めるとその瞬間に瞼を閉じた。

義経はそんなことを気にすることもなく速度は落とさない、感覚に頼る猛者と戦ったことは勿論ある、そして弁慶やヒューム、クラウディオによって対策もしている。自分が一子よりも実力が上であることも理解しているし、それで驕ることもない。実直である義経の強みだ。

この際それ故に存在する彼女の弱点を語ることもない、何故なら彼女が一子から一撃を貰うのは驕りや油断などによって引き起こされたものではなかったからだ。

 一子が義経に確実と言える一撃を与えたのは義経にとっても一子にとっても一手目である。

 義経の袈裟切りが一子に直撃するのと同時、一子の薙刀は最も深い位置にある義経の足、それも足の甲を捉えていた。

 それによって一子は勿論戦闘不能となる、だがそれは結果だ。経過に置いて壁越えの相手に一子は一撃を喰らわせ、しかも躓いた状態になっている義経は一子の斜め後ろに倒れ込んでいた。勿論義経は殆ど無傷、一子は肩を大きく打たれてその瞬間ルーによって義経の勝利宣言が下される。

 一子には笑み、義経には驚愕が、双方ともあり得ない経験を手に入れた。

 

「意識外を無理やり狙ったか、無茶をするがよくやった一子」

 

「えへへ……勝負にも試合にも負けちゃったけどね」

 

「自分に勝ったろ」

 

 一子のすぐ後ろには総一郎が立っていた。一子はもう気配で彼に気が付いていた。

 

「義経大丈夫?」

 

「……ああ、ありがとう川神さん――しかし見事だった、義経は負けてしまったのかと思った」

 

「そんな大げさな……あ、名前でいいよ!私達はもう友達、というかクリだけに友達何て許せないわ!」

 

「そ、そうか、一子さんありがとう。義経はすごくいい経験になった」

 

 クリス同様に二人は握手を交わしている。そして友情に喝采が起きるとクリスが負傷した一子を保健室へ連れていこうとするが、一子はそれを拒否した。クリスは邪険にされ憤りを感じたが、振り向いた一子の視線にすぐに気が付く。先程まで穏やかな表情をしていた義経が完全な戦闘状態へ移行している。対峙しているのは先程現れたばかりの彼だ。そんな二人の真剣な感覚はギャラリーに伝わったのか一子含め校庭の脇へ退散していく。

 校庭の真ん中には構えた義経と一本の刀、雨無雷音を片手に持つ総一郎。ルーは何も告げる様子はない、右手を振り下ろす気もないようだ。

 湿った風が肌に掛かるが結局は涼しくならない、今日は暑い、義経が今日クリスと一子と戦ったのは偶然だがそれは幸運だった。二人には申し訳ないが総一郎と戦うためのウォーミングアップに他ならない。総一郎もクリスや一子の戦いぶりを屋上から見ていた。クリスはまだまだ愚直の域を出ていないし一子も二十秒だけでは意味が無い。

 彼は笑った、準備は完全、体調も万全――構え・地擦り八双――

 

 今出せる全力、義経は神速の斬撃を以て総一郎の制空権に侵入した。侵入ならばいくらでもと言わんばかりに総一郎は迎え撃つ――だが、ただ迎え撃つわけではない、宮殿にて彼女の一撃を待つのだ。

 義経は先日見たあれを今まさに身をもって体験した。

 

(これが……!)

 

 だが今更足を止めることもない、生地であれば負けは無く死地にしか勝ちは無い――神速が今弾かれたがそれでも攻撃の手を止めることは無かった。

 二撃三撃四撃――弾かれ見切られはするがそれは義経を同じだ。反撃されれば弾き見切る、二人の額に焦りの証拠はまだ浮かび上がっていない。

 

「すごい……な」

 

「……」

 

 二人とも素直にすごいとは言えなかった。一子は差を実感しているしクリスは到底たどり着けないと感じてしまっている。

 

「二人とも生き急ぐな」

 

「そうそう、総ちゃんが最も優れていたのは環境だから」

 

 二人を挟み込むように百代と燕は現れた。

 

「だからよーく見ておけ、私と並ぶ最強の一人だ」

 

 

 

 

 

 

 技のようなものは見受けられる。だがそれを意味としないのが後の後である。

義経は焦りを持たなくともかなり難儀していた。攻略の糸口をまだ掴めないのもそうだが宮殿というよりは迷宮に迷い込んでいるような感覚だ。侍の重要なファクターである読み合いに関して全く歯が立たない、感覚と集中による意味の分からないものに追従しようとも思わない。

だからこそ義経は今彼に食らいついている、普段以上の実力を以て総一郎の全てと対峙していた。

 逆に総一郎は焦りを覚え始めた。負けることは無い、だが余りにも拙い完成度に不安を覚えるのだ。そして義経の技量よりも適応能力に驚愕を覚えていた。

 この奥義が相手の潜在能力を上げて引き出すことに総一郎は漸く気が付いたようだ。

 ならば――

 

(こちらも上げていくしかない。ここは宮殿、相手は彼源義経、馬で崖を下るような人間。まだまだ本気ではない、守り切れるか?――否)

 

 そうだ、守り切るなど阿呆垂れめ――

 

 宮殿に来たものを何故攻撃しない――

 

 それに気が付いた総一郎は自分の愚かさを呪い、あのままでは負けていたと全てを悟った。

 

「変わった」

 

 呟いたのは百代だった。

 そんな突然、義経は悪寒と共に自分の首を総一郎の刀が掠めたことを理解し、思わず防戦に回ってしまう。それが完全なる悪手であることに気が付いたことが後彼女を三十秒持たせた原因だろう。

 まるで詰将棋――義経は自分の防御する刀があたかも総一郎の刀に吸い寄せられている感覚に囚われた、そしてどんどん防ぎきれなくなっていく、やり辛い体勢や角度に打ち込まれ、意識していない箇所すべてが斬られる錯覚に陥る。

 最後の攻防は自分の攻撃があしらわれて総一郎が自分の後ろに抜けていった。気が付けば首元には刃先がある。

 

「塚原流・首極」

 




僕はメロンブックスで予約しました。

いつの間にか完全なる燕ファンになりさがりやがりました

それと祝☆三十話です!早いのか遅いのか分かりませんがもう少しで一振りも一周年です。


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歓迎の剣舞

 「歓迎会?え、二日後!?」

 

 総一郎が大和に呼び出されて見ればそこには美味しそうに餡蜜パフェを頬張るクリスと紋白、そしてこちらを問答無用で威圧してくるヒュームがいた。非常に鬱陶しいものだ。

 そしてそこで大和から歓迎会について聞かされる。三日後が義経、弁慶、与一、三人の誕生日であるという。金曜日の放課後までに準備を完了して誕生日会兼歓迎会を行うわけだ。今ここに紋白がいるということは勿論彼女が依頼人なわけだが、真っ先に英雄を頼らないところを見るとどうやら迷惑を掛けたくないと総一郎は思考した。

 九鬼ならば明日にも歓迎会を開くことが出来る――だが生徒だけならばどうだろうか、可能だろうか。

 

「会場の手配は梅先生に頼んだ、料理部とまゆっちには食事とケーキ、クマちゃんには食材の手配。一年生は紋様、三年は姉さんに、二年はネックのSがあるけど井上にもう頼んである、冬馬も手伝ってくれるはずだ」

 

「よし、つーちゃんにも声を掛けとく。後は京極先輩とココちゃん、チンクエの知名度は伊達じゃない」

 

「助かる――それとお願いがある」

 

「なんだ?」

 

「剣舞をしてくれないか?」

 

 突然の申し出に総一郎は沈黙した。別に不快感を覚えたわけではない、単純に総一郎は剣舞の経験が全くないだけだ。今まで頼まれたこともないしそんなことをやれと父親に言われたこともない、言われてやったかどうかは分からないが完全に意表を突かれていた。 

 そんな反応をする彼に大和は少し焦りを抱いていた。不味いことを言ったか――彼が抱く闇は確かに知識としてあるがそれを完全に理解できるのは燕か拳を共にした百代くらいだ。

 因みにそんな雰囲気を目の当たりにした紋白は足が竦みあがり、クリスは未だ餡蜜と戯れている。

 

「おい、紋様が怯えている、何か言え」

 

 そんな雰囲気を霧散させたのは主を思うヒュームだ、だが逆に彼が紋白を驚かせている、それに気が付いてない。

 だが総一郎の意識を戻すことには成功している。

 

「ああ、すいません。実は剣舞とかやったこと無いんで」

 

「え、そうなのか……経験者だと勝手に思い込んでいた、急に変なこと言って悪いな」

 

「ま、やるけどな」

 

「できるのか!?」

 

「頑張るさ、モンプチの為だしな」

 

 餡蜜を食べようとしている紋白に視線送ると食べかけの状態で彼女は頬を赤らめた。ヒュームが怒るかと思ったが彼もそんな姿に微笑んでいる。

 

「むむむ……そうだ!総一はなんで十勇士と因縁があるのだ!」

 

 急な話題転換であるが三人とも微笑んで何もいうことは無かった。

 というか大和、そしてクリスも手を止めてその理由に興味を示していた。

 

「東の川神はどこにでも影響力がある、九鬼、不死川、綾小路などの最大権力には及ばないけれども強いパイプを持つ。塚原家も名家ではあるけどそれは主に名家にしか影響力はない――だけども西という地域に関しては中堅クラスの権力を持つ、それは歴史ある塚原門下が多いことに由来するんだ。

 その中でも武家の末裔や武士精神を持つ者にとっては塚原の当主は挑戦すべき者で超えるべき者なんだ。あらゆる手を使って倒す、それは今まで塚原を倒せていない故の手段で第三者がそれを卑怯と言うことは許されないんだ、そして塚原はそれを拒否することが出来ない。

 まあこの前は最終的に彼らを突き放したけどあれは余りに戦力差があったからね」

 

 饒舌に話すとそれにヒュームが口を挟む。

 

「半ば怨念のようなものです。今の時代は壁越えがかなりの数台頭していますが、少し前からすればそれは手の届かない存在、この壁越えが集まっている川神がおかしいのです」

 

 コクコクと紋白は頷いて納得したようである。だがここぞとばかりにクリスがある疑問を呈してくる、もしくは苦言だろうか。

 

「ふむ……しかし大人数で一人を倒す、戦闘中に背を向けるなどというのは武士道に反しないか?」

 

 だが変化はある。クリスの呈したものは飽くまで疑問、否定ではなかった。これならば気分を害することなく総一郎の返答を期待できる。

 

「そこは事情という物さ。当事者たちにしかわからない問題、恥を忍んで勝利を得ることを塚原に挑むものは甘んじるわけだ。塚原を今まで超えられなかったことで既に誇りはなく、超えることで栄誉を得る。

 だからこそ俺は大人数で仕掛け、返り討ちにあった奴らに背を向けたわけだ」

 

「ふむ……それもまた侍というわけか?」

 

「……そうだ、よくわかってるじゃないか」

 

 理解を示す反応に総一郎は一瞬だけ心の片隅に余裕ができたことを感じた。

 やはりクリスに嫌悪感を示していた自分がいたことを認識したのだった。

 

 

 

 

 

「じゃあ、こっちはこっちでやるよ。そっちに合わせるから剣舞の持ち時間とか」

 

「助かる」

 

 一足先に紋白は帰宅し、その後すぐに総一郎も帰路へ着いた。大和とクリスはその場で予定を詰めるらしく、とりあえずやることの決まった彼は帰路ついでにある家の前に座っていた。

 割と大き目で新築のアパート、そこの家の鍵を持っているわけではないのでコンクリートの階段で家主を待っている。表札を見れば一目瞭然、弾正少弼久秀の苗字が書かれている。

 

「ありゃ、総ちゃんどうしたの」

 

「積もる話があってね」

 

「ふむふむ、一体何かなあ」

 

 楽しむことしか考えていない二人の笑みは世界で最も悪いことを考えている様であった。

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 直江大和は久しぶりに忙しない一日を過ごしていた。上に下に右左、まさしく右往左往といったばかりか手足はまるで千手観音である。

 救いがあるとすれば難しい事柄でない事だろうか、日頃の人脈作りが功を奏して彼の作業は大変である――というだけに留まっている。しかも手足のように動いてくれる者達が有能であることも彼の負担を減らしているだろう。

 昨日の内に全てを済ましているとはいえ料理の準備や会場の設営、出し物、人員の確保を一日で行うのは至難の業、これを実行できているのは単にF組とS組の共闘が主たる理由である。

 大和の指示で準や冬馬が筆頭として動き、クリスの要請でマルギッテや総一郎の願いで心も動いている。手の届きにくい三年生の女子は京極に付いていき、男子は百代や燕、清楚に弓子を中心に動いている。

 

「紋様!井上準、今参りました!」

 

「うむ、よく来た。頼りにしてるぞ」

 

「も、紋様が……俺を……頼りに……!」

 

 設営の指示をしている時大和は少し離れた所から気合の入った雄たけびを聞いた。

 

「人員は問題ない?」

 

「ええ、準やマルギッテさんが頑張ってくれていますから。料理の方は?」

 

「料理部が頑張ってるけどクマちゃんとまゆっちが居なかったら少しきつかったね、それとカガが思ったよりも料理できるみたいだから問題はない」

 

「そうですか――総一郎君の方は?」

 

「……」

 

 一時間前の事である。大和は中休み中にメールで指示を飛ばしていた。ふと視界に入った総一郎を見て彼は声を掛けた。

 

「総一」

 

 総一郎は何の変哲もなくただ声に反応して振り向いた。三時間目の中休みだったので挨拶などはない、「どうした?」とただ返すだけだ。

 

「剣舞はどうだ?見通しが付くならリハとかしたいんだけど」

 

「ああ、まだ何もしてない」

 

 唖然と絶句のダブルチッキ、非難を覚えることもなく気が付いたら「そうか」と声を出して現実逃避をするかのようにメールに勤しんでいた。

 そして気が付けば放課後である。無我の境地に達した大和は完璧な体制で歓迎会の準備に勤しんでいた。

 

「で、総一郎君は今どこに?」

 

「帰った」

 

 冬馬は優しく微笑むがその奥にどうしようもない呆れを感じていることは明白である。二人の間に沈黙が流れると――冬馬は大和の尻を撫でた。

 

「てめえ」

 

「夫失礼」

 

「京みたいに変換するな!」

 

 するとまるで蜜に釣られるかのように京が急に現れると大和の右腕を掴んだ。

 

「乙失礼」

 

「変な所に持ってくな!」

 

「蜜に釣られたので私の蜜をあげようかと思いました。そう――秘密の場所」

 

「上手いですね、私も今度使ってみます」

 

「大和以外なら許すよ」

 

 冬馬と京は大和の苦労も知らず、セクハラの境地に立っていた。

 

「あ、大和くーん」

 

 そんな彼を多少マシな状況にしたのは小走りで来た燕だった。別に息は切れていないが割と重要なことだったのだろうか、一頻り大和を探した後のようであった。

 

「どうしました?」

 

「これからちょーっと用事があるんだけど、できることはやったから後任せてもいいかな?」

 

 一々男の何かを刺激するような仕草をする燕、総一郎の彼女だと知っていても大和は男でしかない。一瞬ドキリとして京にツーンとされるとそれを快く了承した。「ありがとんっ!」とまた小走りで燕が去って行きとき、あることに気が付いた。

 

「燕さん!」

 

「ん?」

 

「あの、総一のこと何か聞いてません?」

 

「あー」

 

 燕は微笑んで一言。

 

「問題ナットウ!」

 

 決めの仮面ライダーポーズで彼女は去って行った。

 

「燕さんに色目を使っていたと告げ口をしよう」

 

「やめい」

 

「じゃあ結婚!」

 

「あ、私も立候補してもよろしいですか?」

 

 大和の心労は何時になっても絶えないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 歓迎会当日の金曜日、放課後から少し余裕を持ち、授業の一時間後が開始時刻となっていた。各準備が最終的な詰めに入っている。

 幸いその後の時間に関しては問題ない、この歓迎会には鉄心やルー、九鬼の面々も参加するので八時くらいまでならば騒げるのだ。

 だが歓迎会開始十分前、主賓である与一がまだ会場に来ていなかった。

それに対して義経は既に涙目、そわそわする姿に弁慶は慈愛の目と共に与一に対する憤怒の感情をむき出しにしていた。

そんな姿を見た姉貴分である清楚も少し心配気味であった。

だが与一に居場所が分かると大和が会場から駆け足で出ていく、彼を知る人間ならばわかるであろう、自分が担当したこの会を中途半端にする気は更々ない気持ちに。

 そんな姿を見た清楚は隣にいる弓子でもなく、虎子でもないましてや百代でも燕でもない彼に大和について聞いていた。

 

「あの……」

 

「ん?はい、どうしま――」

 

 ビッグピンチ、ピンチは最大のピンチ、あ、信管作動してる――総一郎はどうして彼女が自分に話しかけてきてしまったのか考える間もなく、狼狽していた。

 

「大和君のお友達……塚原君だよね?この前の義経ちゃんとの――あれ?」

 

「アババババ」

 

 一目瞭然の狼狽である。思わず清楚も困惑した。

 その光景を始めに見た人物がいなければどうなっていたことだろうか、清楚に向かって嘔吐物を総一郎はぶちまけていたかもしれない。

 

「なットゥ!正気を保つ!」

 

「ぬぬぬぬ」

 

 前髪を上げ、でこを叩きまくる燕。意味の分からない療法であるが効果は覿面、総一郎の胸にあった不快感はすぐに取れていた。

 そんな二人を見て清楚はもの凄く申し訳なさそうな顔をしてる。まったく彼女は悪くないというのに。

 

「あ、清楚ちゃんは何の問題もないよ」

 

「で、でも、私何か気に障ることでも――」

 

「せーいーそー、あっち行こう」

 

 清楚の後ろから胸を揉みしだきながら百代は彼女を連れていった。そんな姿をみて総一郎は後でわらび餅でも奢ってやるか――なんて思い、燕に介抱されながらギリギリで到着した与一と大和を見つめるのだった。

 

「みんな、義経たちの為にこの様な会を開いてくれてありがとう!」

 

「んー素直にありがとうと言っておこう」

 

「ふん、別になんともないさ」

 

「へいへいーい、照れがあるぜ与一」

 

 そんな準のツッコミによって労力と善意によって「義経、弁慶、与一誕生日会&歓迎会」は始まった。

 会場にはホテル顔負けの料理が並んでいる。

 ローストビーフ、中華一式、ラザニア、何故か冷めてもサクサクのから揚げ、煮物――厨房にはクマちゃんと料理研が中心に、そしてまゆっちと直輝が「かなり」仲良く和物を中心とした料理をしていた。ちなみにそんな二人の隣でまゆっちの友達である大和田伊予は細々と盛り付けや皮むきをしていた。

 

「由紀江ちゃん、お刺身は僕がやるよ」

 

「あ、はい、分かりました。お吸い物は任せてください――直輝さん」

 

 思わず由紀江は普段見せない笑顔を振りまいていた。

 

「お、マジでいい雰囲気じゃん」

 

「うん、まゆっち友達どころかこのままだと彼氏獲得かもね」

 

「俺様も弁慶の所で腕相撲してこよっかなあ」

 

「どうせ手が握れるとか考えてるんでしょ」

 

「そそそそそ、そんなわけないだろ」

 

「あれ?総一は?」

 

 キャップの一言がまるで合図だったかのように会場の奥にある舞台に光が集まり、その他は明かりが落とされた。

 なんだなんだ――と声が聞こえる。だがそれも小声でその状態が続くと次第にそれも無くなっていく。

 

(……頼むぞ総一)

 

 大和は舞台の方を見て不安を覚えていた。総一郎は二時間前に「やるぞ」と言っただけでリハーサルも何もしていないのだ。

 舞台だけセッティング、スポットライトを当てるだけの照明、大和は万が一を考えていた――がそれもまさしく杞憂でしかなかった。

 

 舞台袖から出てきたのは完全な正装に包まれた総一郎――正装だけではない、雰囲気から全てが礼節に準ずるまさしく誰もみたことのない総一郎と言える。足運びから、袖の動かし方に至るまで、まだ彼は動いているだけだというのに会場を掌握していた。

 すると大和は完全に虚を突かれた――逆の袖からはこれまた見たことの無い、新当流の正装に包まれた燕の姿がある。

 

「綺麗」

 

 誰かが溢した一言、それで総一郎と燕の気を散らすことや観客の気を削ぐようなことは無い、誰もが思ったことを一人が一言で表した、それだけだ。

 総一郎と燕、綺麗という言葉は今どちらにも当てはまる言葉であった。

 

 丁寧の足運び、舞台中央に会いまみえると二人は静かなこの会場に染み渡るような刀を抜く音を広めていった。

 二人がそれを抜き切るとそのまま背を合わせるように同時に後ろを向いた。

 

 ――そして振り向き一閃を放つ――がそれは交差しなかった。思わず大和は息を飲んでしまった。失敗したのかと思ったのだ。

 だが、燕も総一郎も一向として刀を交わせることはしなかった。

 それどころかその剣舞はまるで「誰か」と戦っているようにも見えた。

 そんな姿を見た百代は聞いた話の人物、幽霊の塚原卜伝かと思い背筋を凍らせる。だがそれが勘違いであることにすぐ気が付いた。

 

(稽古……?)

 

 百代にはそう見えた。そしてそれは正解である。

 

 

――一つだけ覚えているだろ?

 

――うん、身に沁みついてる。

 

――俺はそうでもないけど。

 

――嘘つき、実は覚えてるでしょ

 

――ああ、忘れることを俺は許さなかったからな。

 

 

 

 

――村雨師匠の思い出を――

 

 

 二人の刀が弾かれると歓声が満ち溢れていた。

 

 

 

 




マジ恋A特装版来ました、是非買いましょう


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河川敷に一閃と風

俺はあと何回「可愛い」という言葉を聞けばいいんだ、教えてくれゴヒ


「おお!すごいケーキなのだあ!」

 

 小雪のはしゃぎようはすごいものだ、準も大変そうだがどこか嬉しそうでもある。

 そんなケーキに対して皆が駆け寄るなか総一郎は壁に寄り掛かって皆の姿を観察していた。

 弁慶が義経にケーキの「あーん」をねだったり、初々しく二人で食べる由紀江と直輝。最大の功労者である大和を中心に風間ファミリーに紋白が礼を言ったり、会場全体を微笑ましく見守る京極と談笑する弓子、千花と真与、羽黒の三人はエレガント・チンクエを見て楽しんだり料理部とまゆっちなどの力作である料理を食べたり。

 

「おや、塚原君どうしたのじゃ」

 

「おお、ここちゃん」

 

「ぬう……まあよいわ。お主先程の舞は見事じゃったぞ。異様ではあったが美しい舞じゃった」

 

「……ありがと」

 

 一言だけ呟いたその柔らかい言葉に心は何か不思議に感覚を覚えた。

 

「初めてやったけど楽しいもんだ」

 

「ほう、なら今度はうちでもやってもらおうかのう」

 

「いくら?」

 

「金を取るんかい!」

 

 ハハハ――総一郎はただ笑っていた。心の底から笑って心を見ていた。

 

「やっと昔のような顔になった」

 

 憤慨して去って行く心はふと振り返えると嬉しそうにそう言っていた。また心も飛び切りの笑顔であった。

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 夕暮れを通り越して歓迎会は行われた為に簡単な片づけを合わせて皆が帰路に就いたのは十時頃であった、会に尽力した風間ファミリーは疲れ果てて少し早く帰してもらい打ち上げも翌日に持ち越しとなった。

 疲れ果てていた島津寮組は居間でテレビを囲み、茶を飲んでゆったりしていた。

 

「源さん設営の監督ありがとうね」

 

「はっ、あれ以上しつこく頼まれても迷惑だからな」

 

 と言っているがそんな彼もソファに寄り掛かかり疲れているのか中々部屋に戻ろうともしなかった。

 

「明日、秘密基地で打ち上げするんだけど源さんもどう?」

 

「いかねえよ」

 

「いーじゃーねーかーよー、そろそろ折れてくれよ」

 

「うるせぇ……まあちょっとぐらいなら顔出してやるよ」

 

 停止、驚愕の後、大和と翔一は歓喜した。既にクラクラしているクリスを介抱する京とお茶を注いでいる由紀江、その周りを鬱陶しく二人を払う源さんと大和、翔一が騒ぎ立てて深夜の島津寮は時間に似合わずまるで歓迎会のようであった。

 そしてあることにクリスが気が付き呟いていた。

 

「総一郎は……?」

 

 

 

 

 

 

 

「疲れたー」

 

「頑張ってたもんねー」

 

「つーちゃんも人材確保で頑張ってたんだろ、大和が後でお礼するって」

 

「いいこと聞いた。ま、かなり納豆も使ってくれたからいいけどねん」

 

 寝間着で畳に寝っ転がる二人、燕はノートPCで仕事を総一郎は燕にくっついて瞼を重くしている。

 だがこれから発展していくことはない、直ぐ近くに燕の父である久信がいるからだ。

 

「いやあごめんね、おじさん邪魔だよね」

 

「オトン?」

 

「あ、いや、ごめんなさい」

 

「どちらにせよ今日は無理」

 

 総一郎の言葉に燕は「むー」と口を尖らせた。幾ら彼女でも父の前でそんな話をするのは恥ずかしいはずだ。

 

「どうじゃ、納豆は」

 

「ま、軌道は乗ったからねえ」

 

「いやあ本当にその節はありがとうね、総一郎君が居なかったらと思うと……」

 

 久信の泣き声は嘘に見えるが聞こえはしない、だがその片手にはビールが握られている。松永家ルールのビールは二本までである。

 

「オトン気を付けてね」

 

「はい、すいません」

 

 燕のビシっとした声で一瞬だけ久信も正気に戻る、だが十分もすれば酔いが回るだろう。

 現在十二時、仕事もそろそろにしてパソコンを閉じ、布団でも敷こうかと思ったが左半身が重いことに気が付いた。

 

「総ちゃん?」

 

「……」

 

 燕のお腹にしがみ付いて総一郎は静かな寝息を立てていた。そんな彼の姿に燕は思わず心が昂っていた。無防備で柔らかい表情、刀を振っている時の凛々しい顔や学校などで見せるお道化た顔ではない。完全に気を許しているからこそ出せるまさに素の総一郎だ。何度も見てきた寝顔、だが其度に思っていたことがある。

 幼少期に見たあの顔はもうどれほど見ていないか。大人になったから見れないということではない、彼を苛んできた枷と重石と呪いが彼の素を変えて行ってしまったのだ。もう二度と戻らないあの総一郎、だからと言ってそれを口にもしない。

 だからこそ、だからこそ今総一郎が燕に見せた表情が嬉しくて嬉しくて――

 

「燕ちゃん?どうしたの?」

 

「え、え、いや、なんでもないよオトン」

 

 いつの間にか涙が出ていた。これっぽっちも悲しいことはないというのに、嬉しくて嬉しくて――気が付いた、燕もまた変わっていたのだ、心の素を出すことができていなかった。

 

「おやすみ」

 

 右手で彼の髪を撫でる細い指は愛しさと切なさを兼ね備えた慈愛に似ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

「カンパーイ!」

 

 キャップの声が聞こえてきたのはある廃ビルの屋上、わざわざ説明する必要もないが秘密基地である。

 歓迎会の打ち上げでテーブルの上には大量のお菓子とジュースとケーキ、そして何故かある寿司。何といっても普段は居ない人物である源さんが居る。それだけでキャップと大和はテンションが高い。

 

「源さんジュースは?ポテチは?」

 

「源さーんこれからもこいよー」

 

「うるせえ」

 

 そんな三人の関係に京の息も必然的に荒くなっていく。

 

「でもまさか源がくるとはな」

 

「あれだけ渋ってたのにねー」

 

「……うるせえ」

 

「でも嬉しいわたっちゃんが来てくれて」

 

「……おう」

 

 一部の人間はそのやり取りに対してニヤニヤが止まらない、源さんもそれに気が付いて睨みを効かすが大和、京、総一郎の三人はそれでもやめることは無かった。

 だがなんだかんだと言っても源さんもまんざらでもない。

 

「クリス、コーラ飲むか?」

 

「ああ、ありがとう源殿」

 

「HEY,GENBOYオイラにも一杯注いでくれぇ……」

 

「ほらよ」

 

「あ、あ、ありがとうございます」

 

「随分と馴染んでるな……」

 

 一子を撫でつつ百代がつぶやく、その隣では総一郎の携帯電話に着信が入っている。一度とり逃してもう一度かけると相手は紋白だった。

 

「おう、モンプチ」

 

『モ、モンプチ……まあよい、直江の携帯に繋がらなかったのだがそこにいるか?』

 

「ああ、変わるか?」

 

「あ、待て、総一にも礼を言いたい……あ、ありがとう」

 

「……ふふ、どういたしまして」

 

 姪っ子に微笑えむような総一郎はそのまま大和へ携帯電話を貸す。百代も何故か変わりたがっているが話が終わると大和はすぐに電話切ってしまう。憤慨する百代だが心なしかいつもよりも当たりが弱い。何故だろうか?総一郎はその変化に気が付くも真意は読み取れなかった。

 彼女以外は。

 

「なん……だと……」

 

「どうしたの京?」

 

 京の狼狽は分かりやすい、幸い大和も百代も気が付いていないがモロはすぐに気が付いた。それから京の様子がおかしいと総一郎も考えだす、すると彼も一つの答えに行きあたっていた。

 

 「波乱……か」

 

 不吉以外の何物でもないその言葉は言うには遅すぎる言葉だったかもしれない。

 

 新時代はとっくに幕を切っているというのに。

 

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 

 告知という文言はこの川神では唐突とほぼ同義である。

 幾度となく語られてきた川神学園の伝説もここに極まりといった所か、これから先川神の異常性が驚かれることもなくなっていくのではないだろうか、日本最後の童心である心ならばと日本国民は淡い希望に浸るかもしれない。

 体育祭を控えつつ、生徒は夏休みを待ち望む。だがそれは試験が刻一刻と迫る危険な思想でもある。

 そんな歓迎会後の土日を挟み終わった月曜日、生徒の表情は期待と不安が入り混じる、もしくはそのどちらかで満たされていた――否、満たされてなどいない。

 壇上には鉄心と――帝の姿があった。

 

「父上―!」

 

「ぬおう!父上ではありませんか!」

 

 九鬼兄妹はその姿を見るなり声を上げている。

 ふと大和は英雄の隣に居るあずみを見た。その表情に狼狽はなく、彼女はこれから発表される何かを知っている様子だ。だが序列一位として帝がこんな壇上に上がることを不安に思わないのだろう――杞憂である。この世で最もな愚考である。

 

「じゃあ俺から言わせてもらうぜ――今の川神は近年まれにみる程活気に溢れてる、すげえいいことだ。だからこそこのままで終わるわけはねえな?

 商業的にも悪くない、出資者も募れば幾らでも出てくるだろう川神。そんなところに目を付けたのが俺なわけ」

 

「えらい勿体ぶるのう」

 

「こういうのは大切なんだよ――東西交流戦、すげえ疲れたと思うが楽しかっただろ?動画見てたら「俺もやりてえ」って思わず思っちまった、だから今年は川神院と九鬼財閥、地元有力者や全国から出資を募り、大規模なイベントを開催する。

 それが――」

 

 

 若獅子タッグマッチトーナメント

 

 模擬戦

 

 ???

 

「最後の一つはまだ言えねーけど上の二つは夏休みに入ってからやることが決まってる、ルールは鉄心の爺さんからだ」

 

「やっと出番じゃな」

 

 若獅子タッグマッチトーナメントは全国の二十五歳以下もしくは学園の生徒によるタッグマッチ。予選を二人一組で勝ち抜き、決勝トーナメントで優勝した者には豪華賞品と武神「川神百代」への挑戦権が貰える。

 

 模擬戦は総大将を六人決め、一チーム百五十人、補欠合わせ二百人で行う団体戦。総大将が六人なので必然的に六チームができ、総当たり戦により最終的な順位を決める。これにはしかも特別ルールがある。

 

 戦闘を好まない学生には酷な話かもしれない――と思われがちだが勝てば成績にも反映する。また強制参加ではなく、辞めることも簡単だ。

 そう聞いた主にS組の生徒は安心感に包まれた。ハングリー精神で武闘派の多いこの学園でも学問からのアプローチによる優秀なハングリーを持ち合わせた生徒は多い。学生の本分である半分をしっかりと持っているのだ。

 

 だからこそ、その話を聞いた時、ここに居る全ての武闘派が――震えた。

 武者震いもしくは強者の気に当てられ当て返し、そこは気が乱れる世界でも恐ろしい場所となっていた。だが、鉄心やヒュームにとっては心地よく、ここまで生徒たちが高揚できると感じられると年長者として嬉しさも増してくる。

 そしてその渦中に居たのが何を隠そう――隠せはしない、川神百代である。

 精神修行の成果により戦闘衝動は収まりつつあるが、武を極めんとする者にとってここで抑えろというのは余りにも酷であり、ここで抑えられないのならば寧ろそれは問題である。

 そう、問題である。

 燕、源氏組、名も知れぬ闘気、直輝や由紀江、一子、マルギッテ、ガクト、しまいには自分の力を本当に試すときが来たと感じた大和も拳を胸の前で強く握っている――だが。

 

 総一郎は全く昂っていなかった。

 

 ここまで昂らないことはない。百代と戦う時や東西交流戦の時も、義経の時も少しは気分が上がってたはずだ――総一郎は自分でも動揺していた。

 ここまでか――と寧ろ下がる一方だった。

 

 

 

 

 その日の総一郎は放課後まで気持ちが落ち込んでいた。

 六時限目が終わると帰宅する前に帰宅部の部室へ足を運ぶ、するとそこには大和も宇佐美もいなかった。

 代わりに一人、弁慶が盃を傾けていた。

 

「ちーかま」

 

「たこわさ」

 

 部室に入り挨拶を済ませると、靴を脱いでスライディングするように畳に寝転んだ。

 

「ん、どうしたのお兄ちゃん」

 

「ぬわあ」

 

 畳に突っ伏したまま総一郎は弁慶に相槌を、そんな彼を邪険にすることもなく彼の傍にただ川神水を注いだ盃を置く。

 

「美味い」

 

「どうしたの?」

 

「弁慶は今日の話しどう思った?」

 

「ああ、めんどくさいなって」

 

「武術家としては?」

 

「……そりゃ少しは」

 

 総一郎は仰向けで天井を見上げた。

 茶室独特の天井と鼻に優しい匂いが総一郎を彼を心の奥底に誘う――が彼はすぐに現実へ引き戻された。驚いて起き上り弁慶を見ると彼女も総一郎の奇行に目を見開いている。

 

 帰れ馬鹿者――

 

 門前払い。総一郎は精神的にかなり手詰まりだった、今の状態であれば精神の宮殿は間違いなく使えない。それどころではない、この状態が続けばその間彼は弱体化する。

 変わったのは確かだ――だが変化に何もかもが追い付いていない――いや、何かが彼には足りない。

 それに彼は気が付かない、だからこそ不安なのだ。

 総一郎は知らぬ知らぬうちに一筋の涙を流していた、弁慶がそこにいること失念して。

 

「総一?」

 

 彼女も思わず名前を呼んでしまっていた。

 その後、彼は何も言わず千鳥足で茶室を後にする。その後をただ眺める弁慶は思わずその姿に右手が伸びていた。

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 夕暮れを過ぎるその時間がこの町で最も美しい時間だ。工場地帯の明かりは遠くからよりも近くで見た方が綺麗、この町は道が暗い。そして彼は暗く、未知の領域を混沌と歩いていた。

 精神は澱んでいる、手練れに襲われれば今どうなるだろうか。

 答えは今まさに彼にあった。

 

 その唐突はこの道が暗く視覚に頼らず歩いて来たこと、何よりも彼に染みついた十七年間、そして何日も卜伝と戦った経験がそれを――間一髪、倒れ込むように総一郎はその一閃を避けた。後ろ髪は空に舞う。

 

「避けたのね、当たると思った」

 

「……」

 

 二閃目はない、試したかのように閃の持ち主は次を打ってはこない。どうしてだろうかと考える前に総一郎はその正体に心当たりを見つけていた。

 

「あら?私の正体がわかるの?」

 

「ま、刀を使う奴を見分けられなかったら話にならないからね」

 

「そう、でももう少し秘密にしておいてね」

 

「まてよ」

 

「いやよ」

 

 謎の剣士、彼女は暗闇に溶けて消えて行った。

 

「……一人、二人、三人、四人、五人、六人、七人」

 

 七まで数えて総一郎の指は止まった――そして風が吹いた。

 

「まだまだ増える、ならば――」

 

 

 

 

 戦えるだけ戦うか

 

 

 

 決意は手練れによって満たされた。

 

 

 新章・塚原十二番篇

 

 

 




デジモンの小説を書きたいこの頃。書こうと思えばかけるがこちらが疎かになる、最悪。


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塚原拾弐番篇
初戦――努力対未熟――


結構遅れた?


 総一郎は自身の精神状態を危うんでいた。

 躁と鬱が入り乱れ、このままでは剣士として全てを失ってしまう。

 

 そこで彼はあるヒントからその答えを導きだした。

 

 塚原拾弐番――

 

 

 

 

「ま、つまり手練れ十二人と勝負して倒す、負けてもいいけど」

 

「お、じゃあ私から」

 

「モモちゃんは無しで」

 

 今年の体育祭が水上体育祭になったと発表された日、総一郎は川神院へお邪魔していた。今は百代の部屋で寛いでいるが彼は鉄心とルーの帰宅を待っていた。

 百代の口が曲がっているのは今の話のせい、そしてこの話を二人にする為ここ来ている。

 だが急な話だ――百代はよくよく考えてその思考に至った。夏からはたくさんのイベントがある、それに関係してるのかとも考えたが彼女は心の中で首を振った。彼に限ってそれはないだろう。

 その思考は正しい――ではなんだろうか、百代は問いただすことに決めた。

 

「急にどうしてだ?」

 

「このままじゃ俺は武士として全てを失うかもしれない、だから戦うんだ」

 

「……なるほど」

 

 彼女にしては早い理解――いや、だからこそか、彼女だからこそ総一郎の事を理解したのかもしれない。燕と比べ過ごした時間は少ないが交わした意志の質は相当なものだった。

 

「今の所戦ってみたいのはルー先生と釈迦堂さんと辰子さん――」

 

「まてまて、お前釈迦堂さんと知り合い……辰子ってだれだ」

 

「まあそれは置いておけ。あと弁慶と揚羽さん由紀江ちゃんと後は……鉄っさん」

 

「爺かぁ……というか私がやりたい奴らと大体一緒だな」

 

「モモちゃんは壁越えなら誰でもいいでしょ。他に戦えそうな人いない?」

 

「うーん……ヒュームさんは?」

 

「もうやった」

 

「なんだと!?」

 

 失言に気が付いたのは胸倉を百代に掴まれてからだった。

 わーわー百代が叫ぶのに比例して彼の脳みそもぐわんぐわん混ざられていく。

 

「うげえ、やめてー」

 

 と、呟く。そうすると最悪の形で手が離されて床に頭が打ちつけられた。クラクラして視点が定まらないなか、更に痛みが総一郎へ追い打ちをかけていた。

 そんな彼を他所に百代は改めて思い当たる人物を思い浮かべた。すると二人、一人は戦ったことがないが一人はかつて武道四天王だった者。

 

「橘天衣さんと鉄乙女さんか……」

 

「乙女さんはもう現役を退いてるから揚羽さんと違って戦ってくれるか分からないけど、橘さんなら……でも今は四天王の称号を剥奪されてどこに居るか分かんないけど」

 

「なるほど……じゃあ鉄さんに当たってみる。橘さんはヒュームさん辺りに聞けば何か知ってるだろう」

 

 総一郎が頭の中にメモをして頷いているといつの間にか六時、一子の元気な声と共に二人の気配が川神院へ入ってきた。

 総一郎はすぐに玄関へ向かう。心の奥底にある焦りからその足取りは殆ど走っている様だった。

 

「おや、総一郎」

 

「来ていたのかイ」

 

 一子も総一郎の元に寄っていくが、すぐに彼の様子がおかしいことに気が付き、話しかける寸前で停止した。遅れて百代もやってきた。

 

「ルー先生、鉄っさん、俺と本気で勝負して下さい」

 

 「お願いします」と小さく呟く彼はそれ以外の方法を知らない、そんな様にただ頭を深く下げていた。

 唐突、そして切実さ、そんな姿の総一郎を一子と百代は複雑な表情で見ていた。

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 

 塚原卜伝は一度も負けなかったという。決闘、戦、全て合わせ傷を負ったのは六つ度、刀傷はほぼなく、鏃が殆どだった。

 一度も傷を負うこと無く死ぬ間際、小刀で指を切ったあと直ぐに天に召したなんて逸話を持つ者もいたが、その二人が出会うことはなかった。

 塚原卜伝が臨終を迎えたのは当時ではあり得ないほど高齢の八十二歳、しかも死ぬまで現役。十七歳の時、清水寺で相手を斬り殺すとその後二百十二人もの相手を葬ってきた。そんな卜伝は慎重な人間でもあり、血気盛んな若者との戦いは頭を使い避けることもあった。

 塚原卜伝も一度も傷を負うことはなかった本多忠勝も結局は一度も負けなかった。

 それがかつての百代であり、今の総一郎だ。

 

 だが。

 百代はそれを楽しんだ上で自分を倒せるような者を望み、中々それに出会えなかったが総一郎と出会い彼女は変化した。

 総一郎はそれに何一つ感じず、自分を倒す者を望むこともしなかった。そして彼は変化したが意識と心が連動せず、精神的に壊れかかってしまった。

 自我を手に入れたかと、心を強くしたかと思った矢先、彼の精神を襲ったのは拭いきれない過去、息の詰まる重圧――塚原の呪いは最後の最後まで彼を苦しめた。

 しかも皮肉なことにそれを語らずに感じ、黙って了承できるのは武を極めた者のみであった。

 

「では明日来なさい」

 

 門の前で総一郎はそう言われると黙って頭を下げた。

 その足で彼は帰宅する前に大急ぎである場所へ向かった、考えてみれば会うのは何時振りだろうか。殺風景な工場地帯、東西交流戦とは違って碌な明かりもない、まだ七時半過ぎだというのに窓から洩れる光すらない。

 だからこそ総一郎はすぐにその家を見つけることが出来た。

 呼び鈴を鳴らす――出ない――呼び鈴を連打した。

 

「うるせぇぇぇ!何時だと――あれ、総一じゃねえか久しぶりだな!」

 

 赤毛のツインテール、前に会った時とちっとも変わらない彼女の名前は板垣天。総一郎は半年ぶり位にこの板垣家へ――もとい、釈迦堂と辰子へ挑戦状を叩きつけに来ていた。

 だが生憎二人とも留守であった為、取りあえず天にせがまれたので総一郎は晩飯を作ることになった。

 

「ええ!釈迦堂さん仕事してんの!しかも梅屋!」

 

「マジだぜ。ちょっと前に金髪の爺が来て師匠はなんかぶっとばされちまったんだ」

 

「……ああ、なるほどね」

 

 おたまを片手に納得する彼の表情は冴えない。

 

「そういえばなんで来たんだ?」

 

「ああ、それは――」

 

 と、卓袱台の所にいる天の方へ振り返る、そうするとタイミング良く板垣家の玄関に四人の姿。もっといえば彼が来た目的の二人が鼻をスンスンと鳴らし、甘い醤油の香りを放つ金目の煮付けに視線を向けると必然的に二人と総一郎は目があってしまう。

 近寄って抱き付く辰子とは裏腹に、釈迦堂は総一郎の意図を汲み取り、ただ獰猛な笑みそしてただ歓喜を噛みしめるかのように中指を鳴らした。

 

 

 

 

 

初戦――ルー・イー

 

弐戦――板垣辰子

 

参戦――武蔵坊弁慶

 

肆戦――黛由紀江

 

伍戦――釈迦堂刑部

 

陸戦――九鬼揚羽

 

漆戦――未定

 

捌戦――未定

 

玖戦――未定

 

拾戦――橘天衣(仮)

 

拾壱戦――謎の変態女X

 

終戦――川神鉄心

 

 

 

 その日の夜から朝にかけてまで総一郎は一切睡眠をとることが出来なかった。興奮――戦闘意欲――どれでもない、まだ遠足前の方がワクワクしていた。

 体が温まらない、布団をどんなに羽織ってもこの梅雨時期に体の冷えが治まらない。恐怖か、殺し合いの恐怖が彼を襲っているのだろうか。

 風呂に入ることも忘れ、食を拒み、彼特有の癖っ毛は弁慶が顔を顰める程酷いものであった。

 だがそれでも彼に声を掛ける者は一人もおらず、彼もこの日は全く何にも手が付かなかったのでそれはありがたかった。彼を陰から見ていた百代が計らったようだが、彼がそれに今気が付くわけもない。

 だが、そんな彼の事を気にも留めず、進んで声を掛けようともしない者が居た。百代から全員が不自然に思っているだろう。

 

「燕」

 

 納豆の唄を口ずさみ納豆を練り売り歩いている燕を見て、思わず百代は声をかけてしまった。怒りは覚えない、彼女だからこそ思うこと、知っていることがあるはずだ。

 

「ん?どうしたのモモちゃん」

 

「あ、いや……総一郎の事はいいのか?」

 

「え?何が?」

 

 知らないのか――という思考は直ぐに消えた。塚原拾弐番の話を聞いていなかったとしても彼の状態から何か感じ取るのは容易なはずだ。

 

「燕――」

 

 少し語気が強くなったかもしれない。百代はそんな思いを抱きながら名前を呼ぶが、燕はすぐそこの廊下、一瞬だけ通った総一郎に視線を合わせた。

 

「知ってるから」

 

 燕が彼になんとも思っていないわけがないのだ。今日一日中、彼女は彼を探しながら目に止まれば必ず見た。みすぼらしい彼の姿、それに嫌悪することもなくただ思いを彼に聞かせた、心の中で。

 

「最悪はもう総ちゃんには無い。多分寝てないのと風呂に入ってないのとご飯食べて無いんでしょ、あと夜朝の髪の手入れをしてない」

 

「それが最悪じゃないのか」

 

「うん。恐怖で寝て無かったら学校何て来てないよ。きっとあれだね――」

 

 燕はいつもの意地悪い笑みを溢した。

 

「楽しみで仕方ないんだよん♪」

 

 総一郎は生まれてこの方、遠足にいい思い出などないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 

時は戦国也――ルーと総一郎の決闘を見届けに来た大和はそんな思いを抱く。

 

 遡ること一時間前。放課後に呼び出された大和、モロ、京、ガクトは目的地の川神院へ来ていた。

 だが門前にて早々、ガクトの表情を曇りだし、震えていた。モロも少し小刻みに揺れている。

 

「……なんかすごいな」

 

「とんでもない気、総一郎だね」

 

 中には恐らく臨戦態勢の総一郎がいる。ずぶの素人ながら気に晒されてきた彼にすればまだまだ大丈夫であるが、右足が早くも引いている。どさくさで腕を絡め、胸を押し付けてきた京に縋るしかない。

 そんな大和はふと気が付く。この中に居る筈の百代の気が感じられない。すごい勢いで京を抱きしめ(抱き付いている)彼女の胸を触っていることに気が付いていない大和は恐らく彼女の悶絶具合も知らないだろう。それぐらい百代の気が感じられないのは奇妙だ。いくら成長したとは言え百代が――一切――気を発しないのはおかしい。

 その答えも武道場に着くとはっきりした。

 

 ルーと鉄心、総一郎と百代。それぞれが右端左端に別れ、当事者ではない二人はセコンドを兼ねているようだ。

 ルーの状態は非常に穏やか、だが鋭くその表情に笑みは一切ない。鉄心がセコンドであるがそれは殆ど形式上の問題だろう、ルーはベテランの武闘家、総一郎がどこまで力を出せるか分からないがただで勝つことも負けることもしない。教え子の為、ルーは本気を出すつもりだ。

 そして反対側の総一郎と百代。百代は大人しく、総一郎も大人しい――と勘違いはすぐに正される。総一郎の気は凄まじいほどに獰猛であった、いつもの彼ではない。

 百代はそれを刺激せず、いつもの彼に戻す努力をしていた。その為、彼女は気に呼応せず笑みを浮かべながら総一郎をリラックスさせていた。

 

「姉さん……」

 

「すごい成長具合」

 

 遠くで見ている四人は百代と総一郎が深呼吸をして気が落ち着いていくところを見ていた。

 少しずつ収まっていく獰猛な気、それに入れ替わる形で緩く鋭い静の気が彼を纏い出した。そして百代が頷くと彼から離れていく。

 それを察した鉄心も次第にルーから離れていった。

 少し遠巻き、大和一行も観戦体勢に入った。

 

「結界は既に張っておる、気にせず戦うといい。両者ともできる限りの力を出すように。どちらか一方が倒れるか降参するまで続ける、良いかくれぐれも忘れるでないぞ――致命傷でも止めぬ」

 

 四人は心構えが足りなかったと気が付いた。

 

「始め!」

 

 これは決闘だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 総一郎は難なく精神の宮殿を発動していた。ここまで昂った闘気、百代にも宥められて体調万全だった。これならば負けることもない、ルー程度ならば本来は負ける筈もない。

 だが、そう上手くいかないのが決闘である。十分に理解している総一郎は――いや、経験則だ。だからこそルーが今の自分よりも強いと認識した上で対峙した。まだまだ伸びる実力、糧としながら迎撃を決める。

 ルーは川神院の人間であるから当然であるが川神流を使えるわけだが、彼ほどになれば自己流もあるし母国の物である中国拳法もお茶の子さいさいである。

 流れるような、そして日本ではあまりない動きの中国拳法。静の極みである精神の宮殿に引けを取らず彼は果敢に攻めてきた。真剣を使う総一郎も出してくる突きに合わせようとするが研磨と洗練された読みが彼の読みに被さってくる。

 

(技量……見てきた武術家の違いか)

 

(凄まじいネ!こうも容易く捌かれるとは……でも何も教えられずに終わるわけにはいかないヨ!)

 

 流れが変わったことに総一郎は気が付いた。一挙一動見逃さない、防戦になる故の弱みであるが極めれば弱みなど無くなっていく。

 感覚が危機を察知した――突き出された両拳から気を変化させた炎が殆ど零距離で彼を襲う。知らない技ではない、勿論総一郎も対処する。少し袖が焦げたがそれだけ、すぐさま反撃――右手の痺れがそれを遮った。反撃が遅れたということは追撃がある、総一郎は竜巻に飲まれた。

 

「総一!」

 

 大和は叫んだ。これでやられるような男でないと知っているが叫ばずには居られない。大和の心配を掻き消すかのようにルーは更なる追撃を止めはしない、竜巻に付加価値を与えるかのように先程と同じように炎を放つ、それが竜巻にはいるとまるで業火のように燃え上がった。合わせ技ともなれば中にいる総一郎は堪らない。

 すると竜巻を唐竹割にされた様に裂け、そこからは煤だらけで切り傷と少しばかりの火傷を負ったボロボロの総一郎が姿を現す。見た目とは裏腹に体はピンピンしている。

 ルーもすぐに次なる一撃、光線を目から放つもそれはいとも容易く避けられ総一郎は徐々に間合いを詰めていた。

 待ちの総一郎が攻勢に出た――だからといって一気に優勢を勝ち取れるほど甘い相手ではない。殆どの戦いで傷つかない総一郎にあろうこともかなりの傷をつけている。

 

(よく分かった、俺は弱い。少なくとも開祖爺さんと戦った時の実力は出せない、俺は弱くなった。感謝するぜモモちゃん)

 

 ルーとの決闘前、最後に掛けられた言葉が脳裏に焼き付いている。

 

「強いお前と戦いたい、交流戦のお前は今のお前よりは魅力的だったぞ」

 

 あろうことか、総一郎はルーの間合いに入った時点で息を吐いた。筋肉の緊張をこのような場所で抜く馬鹿がどこに居るというのか。

 

「それとな、多分お前は呪われてるぞ」

 

 罠でも何でもない、これは好機でしかない。ルーは全身全霊を以て総一郎へ攻撃を仕掛けた。終わらせるつもり、息の続く限りの近接戦を仕掛けた。

 年甲斐もなく高揚して自身の実力以上を総一郎にぶつけていた。

 

「お前はなあ、戦う相手の潜在能力引き出すんだ。多分手強いぞ」

 

 右手に持つ其我一振が地面に着くと総一郎は刹那にも満たないその時間――無――に意識を投じた。

 

王座の後ろに階段が見える、前には無かったはずだ。どうしてだろうか――そんな思考、知っている癖にと自分に悪態吐くとその道を駆けあがっていた――

 

 ――頑張れ――

 

 どこからともなく聞こえてくるその声、音はないというのに誰からの声かはすぐに分かる。

 だからわざわざ答えることもなく、ただ右手に力を入れた。

 あとでキスでもしてやろうと思いながら――

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

「ありがとうございました!」

 

「うん、私も久々に本気をだせたヨ!負けたのは悔しいけどまた得る物があっタ、総一郎にも教えられたならすごく良かったヨ!」

 

「はい、戦いの「た」の字を教えてもらいました。これからも精進します」

 

「そうかイ、私も精進してまたいつか戦いたイ!」

 

「喜んで。正直まだまだ心のシコリはありますけど夏までにはスッキリさせてみます」

 

「うん、頑張りなさイ」

 

 ルーと握手を交わす、総一郎もルーも傷だらけだ。だが双方とも年齢の垣根を超えた笑顔が眩しく、二人を照らす夕日がちんけに映える。

 

 決闘の行方は総一郎の勝利で幕を閉じた。

 最後の近接戦、互いに技の変容と数で凌ぎを削り、その時間は大凡三十分にもなっていた。一番激しく長い打ち合い。最後は総一郎の柄頭がルーの胸部分にある正中を捉えルーが膝を着いた。

 どちらとも息を上げて肩が上下して「参りましタ」とルーが降参した。

 激しい戦いを賛辞するように大和達は思わず拍手をしていた。あまり褒められた行為ではないが、腰を床に下ろした総一郎は笑っていた。

 

「いやあ凄かったな!」

 

「来れなかったキャップは怒りそうだよね!」

 

 疲労感に襲われる総一郎を他所にガクトとモロは少年心をくすぐられて興奮気味で河川敷を歩いている。モロは帰る家が違うのに何故か島津寮へ歩いている。

 一方総一郎は大和と京に肩を貸してもらい。

 

「あーつーかーれーたー」

 

「うるさいよ」

 

「うるさい」

 

 結局は邪険にされているがその顔は限りなく満足した顔だ。

 次は辰子、ルーとはタイプの違う相手、夕陽を見ていたら何故かクシャミがでた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな日の川神院、武道場は門下生によって修繕されていくが被害がすごいので明日へ持ち越しとなった。

 だが、そんな日の夜。川神院のある他の武道場ではブンブンと空気を斬る音が何時間も鳴りやまなかった。

 

「―――――――め!」

 

「――――じゃあだめ!」

 

 月夜に照らされ、汗が滴る、床は汗で滑って仕方ないがそれでも彼女は薙刀を振らずには居られなかった。

 

「―――――これじゃあだめ!」

 

 どんなに声を張っているように見えても彼女の声は夜の静けさにかき消されるほどのものでしかなかった。

 




マジ恋プラスディスクのあれ、とうとうやりました……

あと、デジモンの小説を書くので出してほしいデジモンとか思い出深いデジモンとかが居ましたら活動報告にどうぞ!


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弐戦――原石対金属――

 京都ではここまでの原っぱはあまり見かけなかった。川はあっても多馬川の方が大きい。

良いのは山位である。

 ここは工業地帯付近にある木に囲まれた謎の草原地帯。釈迦堂の家の近くにあるので恐らくは修行場なのだろう、辰子と戦うためにルー戦の次の日にわざわざここまで呼ばれた総一郎であったが、一向に辰子は現れなかった。

 彼是二時間、総一郎は日が傾き終わるまでそこに立ち尽くしていた。

 辰子戦の立ち合いには亜巳が来ると聞いている総一郎だが、そもそも亜巳すらもこない。記憶をたどり彼女の職種を思い出してみるが、思い出したところでこの時間に亜巳が来るわけがないという結論に至った。大きく肩を窄め息を吐くが、今日に限って天も釈迦堂もいないのでこの場で時間を潰すしかなかった。

 この後に辰子と戦うことになるならば間違いなく日が落ちた後、今ですら日が落ちて無いとは言い辛いというのにあと五分もすれば誤魔化すことは難しくなる。

 時が経つに連れ総一郎は一つの不安を覚えた。夜の決闘には慣れている――思い出したくはあまりない――が、問題は自分ではなく辰子の方である。対戦相手に辰子を指名した総一郎がそう思うのは少しおかしいが、実際辰子の実力を彼は測り損ねていた。途轍もない原石、動の気を持つ者としては世界でも類を見ない程強大である――と、考えてはいるものの、一体どこまでの実力があるのか、どれほどのもの隠しているのか、完全に感じることは彼でも難しかった。総一郎は百代でもキツイと踏んでいる。

 つまり総一郎はこの夜の中、しかも大して明かりもないこの原っぱで辰子はどこまで戦えるのかそれが心配であった。

 

 

 

 

 

「あれ、辰子お前……今日総一郎と決闘じゃなかったっけ」

 

 梅屋のバイトから帰宅中の釈迦堂は何故か親不孝通りをフラフラ歩く青い髪の辰子とばったり出会った。釈迦堂としては間違いなく「何故こんなところに居る」という表情であるが、辰子の方はまるで意味を理解していない。眠そうに首を傾げている。

 

「警備のバイトだったんだ~」

 

「いや、亜巳が立会人でお前が俺の前に戦うっての今日じゃなかったか?」

 

「あれ、そうだっけ? じゃあ急いで戻らなきゃね」

 

「亜巳はどうした」

 

「仕事だよ?」

 

 約束の時間が四時過ぎ、今は八時。四時間ほどが経過している、釈迦堂は総一郎に同情するのだった。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 総一郎が漸く愛刀に手を駆け始めたのは更に数時間、深夜に掛かる十一時のことであった。釈迦堂家が全員帰って来たのはいいがなし崩しに夕飯の状態へ移行していく、呆気にとられながらも総一郎は長時間待たされたせいで腹が減っていた。

 辰子の手料理だというのでご馳走になったが気が付けば十時を過ぎていた有様だ。

 

 夕飯の理由以外にも立会人の亜巳が帰っていないことがあったが、総一郎微かな疑問を抱く。釈迦堂では駄目だったのだろうか、寧ろ立会人としては最高の部類に入る実力者、亜巳に特殊能力でもあるのか、それとも律儀な人間なのかもしれない。

 

「総一」

 

「なんすか」

 

「まあお前の方が間違いなく強いが――万が一おちるなよ」

 

 釈迦堂は総一郎が愛刀に手を掛けたその時に不吉なことを囁いてきた。師匠なりの揺さぶりだろうか、それとも総一郎の見立て通り内なるものがあるのだろうか。

 眠そうに立っている彼女とそれを注意している亜巳。

 間違いなく総一郎は幾つかの要因のせいで気が緩んでいた。

 

「じゃ、始めるよ」

 

「辰姉まけんなよ」

 

「辰姉、総一郎何てぶっ殺してやれ!」

 

「う~ん~」

 

 やれやれ、総一郎は純粋な天の様子を見て一瞬体の力を抜いたが、いつも通り軽く息をすって筋肉を強張めた、愛刀である雨無雷音に気を込めた。

 

「はじめ!」

 

 と、亜巳が声を掛けると総一郎は飛び出した。小手調べの為か、得体の知れない辰子の本性を暴きだそうとしたのか。

 それが悪手であったことは明白だ。

 気が緩んでいた。穏やかな時間を短い間に過ごし過ぎた為、辰子が未だ戦闘状態に入っていない不自然な状態に気が付かなかったのだ。

 

「本気出していいよ、辰」

 

 プツン――幻聴か、それとも実際に聞こえたのか。ダムが決壊したように溢れ出る気を、自分の間合いで感じた総一郎は戦慄するほかなかった。自分の間合い、そして相手の手が届く範囲、陣地の奥深く迄入り込んでいた彼は物理と気のカウンターを顔面に甘んじて受けてしまった。

 幸い宮殿は発動している、威力は三割減で抑えられたが如何せんクリーンヒット。辰子と距離が空いてから分かること、気の総量は異常であるが実力で言えば壁越え初期程度、ヨシツグより上に間違いはないが、総一郎が苦戦する相手ではない。しかも相性も良い。

 それでも顔面への攻撃を許したのは気の緩みにほかならず、今思えば遅刻や団欒などは意図していないとしても塚原卜伝が取るような心理戦に他ならない。

 直撃の代償は総一郎の戦力四割減、脳震盪により精神の宮殿を使えるほど集中力を高め、精神を安定させるには三十分は必要であった。

 百代の瞬間回復や頑丈な体を持つ者、動の気を暴走させるような辰子であればあの一撃でここまで苦労することもないが、壁越えの者であっても防御力に自信がない者もいる。ボクシングで言えば一発TKO、柔道で言えば一本勝ちの様な一撃が辰子の放った一撃と同等だと考えてもおかしくはない。

 多少揺れた視界、今はもう治まってきているが、総一郎は初心の初心、明鏡止水と無我の境地に己の剣技を落とし込むことに決めた。

 

 いつまでも両者の距離が縮まらないことがある筈もなく、まず初めに辰子が動き出した。総一郎は勿論それに準ずるが如く対応する、後の先を一度は極めた彼ならば今それを鋭く研げば最も後の後に近い者にもできる筈。

 しかし辰子は後ろに歩き始めた、その先には沢山の木が生えている。

 

(……分かりやすい動を持つ者だな)

 

 額から右の眼がしらの横を通って汗が垂れた。分かりやすい動の気、思い出すのは今まで殺してきた剣客のなかに居た、死に物狂いで斬りかかってくる辰子と似た動の気を持つ男。刀が折れたと思ったらその男は後ろに走り、自分の二倍はある石をこちらに投げてきたのだ。焦ってその時は自分の刀を落としたがこちらも死ぬ気はないのでどうにか倒した。

 辰子は生えている木を二本引き抜いて総一郎の方へ振り返る。

 

(二年後は軽く壁越え上位だな) 

 

 そう無駄な思考に耽りかけていたのは辰子が全く別人の形相をこちらに向け、五分以上が経った時だった。大振りでしかないが一撃喰らえば顔面とは比べものにもならない破壊力を持つ武器。避け、避けきれなければ斬る、だが無尽蔵に木はある。辰子から離れれば木が飛び道具になり、近づけば斬馬刀の五倍のような近接武器が襲い掛かる。

 ルーとは違い近接戦、しかも技の数で対応する勝負ではないと総一郎も勿論理解していた。ならば一閃で決める、それしかないのは明白であるが、殺さぬ限り辰子は止まらない。川神院や釈迦堂ならいざ知れず、辰子に死を覚悟させるのは無理だ、しかもこの現状がなにであれ格が下であるのは事実であり、そんな相手を殺して倒すなど意味は全くない。この戦いは総一郎に纏わりつく呪い滓を取り除くのが目的だ。

 

(……あれか)

 

 思い出した――それと同時に彼は構えた。切っ先に左指を添え、刀は出来るだけ後ろに引く。牙突の形である。

 だが、このまま放てば辰子は死ぬ、これは心臓を貫く必殺である。

 そうだ、狙いは別の場所でありただ近づく為の移動でしかない。獰猛な攻撃をかいかぐり、辰子のこめかみ横を狙わなければならない。十分引きつけ出来うる限り集中力を高める。普段はこれほど簡単なことはないが、気を緩めれば視界がブレるこんな状況では至難の業である。

 

「ゔわわあわああああ!」

 

 辰子の咆哮が総一郎の感覚を研ぎ澄ませる、今まさに大木が彼に襲い掛かろうとしているのだ。

 

(そこだ)

 

 屈伸も見えずホバー移動したような残像が残った。

 ただ一つだけ確かに見えたのは右肩が前に出る動作だけはどんな人間にも見えただろう。

 

「辰姉!」

 

 天が叫んだ、つまり総一郎を視認できた証拠であり、辰子に危険が迫ったことの表れである。

 真横から見れば総一郎の刀が辰子の頭を貫いているようにも見える、だが刀は見事にこめかみを掠っていた。

 だがそれがどうしたのか。辰子の素手が届く間合い、突き刺した刀は一度引かねばならぬ。辰子は好機とかではなくただそこに敵がいたので手を伸ばした。言い方は緩いが一般人から見れば豪速で掴みかかっているようにしか見えない。

 

「ばーか」

 

 総一郎は辰子に聞こえるぐらいの声で呟いた。

 何故自分が馬鹿にされたのか、何故この間合いで自分よりも余裕な調で呟いたのか。直ぐに分かった。

 辰子の腕は刀を手放した総一郎の両手に掴まれていた。

 

 雲林院流脱剣術「大太刀代わり」

 

 つまり背負い投げである。相手の腕を取り、大太刀を振るうが如く投げる。

 辰子は地面に叩きつけられると次の行動を封印されるように息が出来なくなっていた。総一郎の右足が自分の首を圧迫していたのだ。

 

「近接の練度ではつーちゃんに劣るんだけどね」

 

 辰子は落ちる寸前に暴走状態が解け、そのまま眠りについていった。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 

「はっ、楽しみにしてるぜ」

 

 釈迦堂の見送りで総一郎は帰路に就いた。

 脳震盪の後遺症はなく、ただクラクラする頭を抱えながら島津寮に着く、既に深夜二時である。

 幸い誰も起きては居らず、シャワーだけ浴び、忍び足で部屋に戻った。

 布団の中に入ると先程の出来事が鮮明に過った。拙い戦いをしたものだ――そんなふうに思いながらもそこまでの悔しさはない。だが、今までにはない高揚感が芽生えだしていることにも気が付く。

 ルーと辰子、まだ二人しか戦っていないが、努力家のテクニックと天才の粗削りなパワーという正反対の猛者を経験した。一戦目は己と相手に実力差がありつつも苦戦し、二戦目は実力差故の慢心に苦戦した。

 百代から言われた通り「相手の実力を限界以上に引き出す体質」というものが働いていることも彼はこの二戦で実感している。そして自分の弱体化、肉体的なものではなく、あの河川敷で本気を出した時の気持ちや、卜伝と戦った時に沸き上がった生存本能というものがまるでなく。更には単純な高揚感というものが無い為、それ自体が己の実力を押しとどめている。

 だが間違いない。

 

「……楽しかった」

 

 水上体育祭が迫りつつあるそんな水曜日の夜の事であった。

 

 

 

 辰子戦から二日後の金曜日。脳震盪の後では流石に体調が優れない総一郎は三戦目の相手である弁慶へ延期の申し入れをする。金曜集会には出れなくなるが、頼んでいる傍らこれ以上延期もできない、この後の対戦相手もいるので、ファミリーに「ごめん」と罪悪感に駆られながら多馬大橋近くの河川敷へ急ぎ向かった。

 この時にファミリーから声援を貰ったのはすごくうれしかったらしい。

 

 目的地に着くと弁慶は勿論のこと、義経と与一、そしてチラホラと九鬼従者部隊が野次馬が集まらないように周りを囲んでいた。

 すると総一郎の進行方向に二人のメイドが待っていた。

 

「ロックンロール!」

 

「どうも」

 

「あ、ステイシーさんと李さん」

 

 偶然そこに居た、というよりも恐らく二人は総一郎の為にそこに居たのだろう。二人とも武装しているが敵意が無いのでそういうつもりではないようだ。

 

「この周りは九鬼の従者部隊が百人態勢で囲んでいます」

 

「だから気兼ねなくやっていいんだぜ!ってことを伝えるために待たされてんだよ、ファック!」

 

「ああ、なるほど。じゃあ後でハンバーガーとシュウマイ奢りますよ」

 

 そう微笑んで降りていくと後ろから「ロック……」「シュウマイ……」と小声が聞こえるがその時既に総一郎は臨戦態勢であった。

 その視線の先にはセコンドに二人を付けている弁慶であった。

 弁慶と義経は総一郎に気が付くとすぐに声を掛けようとする。だが流石は武士娘、与一も合わせ直ぐ臨戦態勢をとり、弁慶以外の二人は橋の上まで移動する。

 二戦を経た総一郎を見た義経、彼女は直近で彼を最も知る存在であろう。

 

「あれが塚原君……前とは全く違う」

 

「ああ、纏ってるオーラが違う。前はもっと禍々しく霞んで見えていたが……今は地獄の業火――いや、もっと強大な、まるで超新星のようだ」

 

 与一の言葉はまだまだ続いていたが義経は違う視点で総一郎を凝視していた。

 弁慶への助言、果たして正しかったのだろうか。総一郎の癖や慢心、スピードとテクニックが主体の義経とは違い弁慶はパワーとテクニック、スピードを兼ね備えた中衛型の人間、しかも見てくれはパワー主体でありそれを生かすための二つである。一撃一撃の重みが違う弁慶であれば数発当てることも可能だ。義経はそう考えていた。

 だがそれはあくまでも前の総一郎である。

 そして当人もそれを理解していた。

 

(あーこれは主に聞いていた総一じゃないね。というか印象違いすぎ、これは気を引き締めないと瞬殺されるね)

 

 錫杖をブンっと一振りしてから弁慶は握り直した。

 

(だらけ部にあるまじき真剣な眼差し……ま、それが総一の良いとこか。頼まれたからにはやるさ、私なりにね……!)

 

 どこから聞こえたわけでもない開始の合図は二人のぶつかり合いによって始まった。

 

 

 

 



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参戦――金剛対総閃――

塚原拾弐番篇のタイトルを少し変えました。


 この日の総一郎は違った。慢心はせず初めから精神の宮殿を発動。防御に重きを置いた初心に帰るような戦法をとる。

 弁慶がその一見華奢に見える腕から途轍もないパワーを出すこと、そしてそれを助長するテクニックとスピードがあることを理解していた。そして彼女が義経よりも下であることを理解してもいる。

 そんな相手に対して今出来る最大限の初動で迎え撃った。

 

(重い……衝撃がこっちにだけくるようにしてるのか)

 

(うわあ。通らないね、実力差が聞いていたよりも開いてる)

 

 その慎重さに呼応するかの如く弁慶の攻めも怒涛とはいかなかった。それでも手を休めようとは思わない、今のうちに情報を読み取ろうとしていた。

 

(主の言っていた癖、それにいければ……!)

 

 流れるような錫杖、その一撃には濁流などという小さなものではなく、ダムの決壊の如く瞬間的な力が働いている。

 川神に錫杖のチャランチャランという音、刀と交わる金属音が複雑に広がる。

 その時に弁慶が仕掛けた。

 防に重きを置いている総一郎、そこに緩急の付かない、しかし外見の変わらない一撃が、義経が弱点とするそこへ放たれた。錫杖の丸い先穂が殆ど同じ長さの大太刀の鍔、踏み込んだ先は相手の陣地、入った分穂先は先に届く。先が重ければ振りも大きくなる、それはつまり遅くなるということだが弁慶に限ればそうでもない。大きい振りこそ早い、それが弁慶の強み。しかも相手の体を狙うのと武器を狙うのでは意識の差が違う、武器というものの意識が低ければ低い程その攻撃は有効である。義経はそれを弱点と呼んだ、総一郎の武器への散漫を癖と呼んだ。

 この日の総一郎は違った。それが弁慶――いや、この場合は義経の誤算。総一郎の心境がこの短期間で変わるかどうかそれを予測できなかった、しなかったというのが正しいかもしれない。

 錫杖に足が出た。

 

 

 

 

 

弁慶の攻勢と総一郎の防勢。奇妙な位置関係はジリジリと変化していく、それは何の変哲もない事へ変わっていくのだ。

 弁慶の防戦と総一郎の攻勢。正しい位置関係になった。

 しかしおかしい。総一郎は畳みかけなかった。それは慎重になり過ぎているわけではなく、辰子とは違うパワーの使い方が彼に違う戦い方をさせていた。

 

(鋭かった。辰子とは違い機を見た)

 

(足で躱されるとは思わなかった。不味いね)

 

 防戦一方にしては少し余裕のある弁慶、刀傷はないが当て身による打撲は間違いなくある。違和感、総一郎はすぐさま攻撃を仕掛けた。殺すことはしない、実力差があるからだ。それは慢心ではない、事実だ。

 もしそれが間違いだとすれば責められるものじゃない、もしかすればという予測は立てられても、それ以上を考えることなど妄想でしかない。

 だから総一郎の決め手が弾かれようとも、彼の驚愕する権利を侵すことは出来ない。

 

 その時、日本にいる全ての武人は振り返った。

 瞬間に爆発した気は百代と対峙した時の彼と同等。気に弾かれたのか、それとも錫杖に弾かれたのか、そんな程度のことは気にしている暇もなかった。距離を取らざるを得ない、今の彼にとって弁慶の間合いに居ることは全身に肉を纏わりつけてライオンの下顎を撫でているようなものだ。

 黄金の気に纏われた彼女は波状の黒い髪の毛が際立ち、逆毛立ってはいないが何だか浮遊しているような錯覚に陥る。当の彼女自体には外見以外変化は見当たらない、どんなに高揚しても変化がない彼女の性格が起因しているのだろう。

 

「金剛纏身」

 

 見た目はともかく。その力は金剛を纏ったに相応しい、この場に居る猛者全てが同一の意思を持っただろう。

 その力は壁越え上位まで引き上げられていた。

 

(まじかよ、ないわ)

 

 これほどの爆発的成長。一時的なものにしても異常である。なんらかの条件下のみで発動すると総一郎は考える、同時に九鬼の恐ろしさも伺える。

 距離がある。二人の間には少なくとも十メートルの間が出来ている。双方の間合いではない。大太刀を使う総一郎の間合いが六、弁慶が五だとして被るのは一。長物同士であればこれぐらいの重なりで瞬間的な動きをすることはない。

 そんな少しの冷戦状態。総一郎が危惧していたのは弁慶の成長がどこに振られたのだろうかということだ。テクニックかスピードか、それともパワーだろうか。

 

(テクニックはルー先生、スピードは義経、パワーは辰子)

 

 おおむね総一郎の予想は当たった。

 その時動いた状況によって一つの予想が外れたことを認識した。間合いを詰める足は義経であり、入ってからの攻防はルーである。武器を合わせた時の力は――

 

 百代である。

 

 受けた力は防御の上からも衝撃として総一郎に直撃した。外傷なる外傷はないが、三十メートルを刀と共に吹き飛ばされた。河川敷に浅く跳ねる彼の姿は滑稽には見えない、少なくとも四回跳ねた後は完全な受け身を取っていた。

 予想が外れたことに対した焦燥はない。だが外れた先が百代ならば違う視点から焦慮を抱くだろう。気が付くころには額から汗が垂れ始めていた。

 二人の距離は大凡四十メートルほど。壁越え同士であればなんら意味のない距離だ。

 

(反動もすべて合わせてこっちに力を流しているのか。腕が痺れてやがる。究極のオールラウンダーだな)

 

 袖で額を拭うと袴も茶色くなる。汗の染みかそれとも土が跳ねたのか。どちらにせよ初めて万全で挑み、そして苦戦している。

 

「そおい!」

 

 弁慶の一打が彼を襲う。受けるならば万全で、無理ならば避ける。まだ宮殿は手放していない。

 

 

 

 一閃一閃の間隔が長い。そのせいか対戦時間も必然的に伸びつつある。

 

(そろそろ金剛纏身も切れてきそうだと思ったけど……まだ大丈夫みたいだ)

 

 自分の奥義にある限度。何故かそれがいとも容易く超えていることに少し驚く弁慶だが、先程から表情は変わらない。

 総一郎も余裕ある。それに彼も防戦一方というわけではない。彼なりに対応が出来つつある。

 

(やるか)

 

 そんな時総一郎が止まった。

 

(……)

 

 それを注視するだけで弁慶も仕掛けない。

 総一郎はただ、右手を上げた。

 三百メートル先の屋上、キラリと光る何かが呟いた。

 

「ありゃ、出番かね」

 

 その言葉の二秒後には総一郎の立ち位置が変化していた。

 

「悪いな弁慶、マナー違反だ」

 

「……いいよ別に、総一の為にやってるから」

 

 右手には其我一振、左手には雨無雷音。

 塚原総閃流――日本の大太刀を操る彼のみがそれを持つ、彼が生み出した新流である。

 鞘を持ち歩かない総一郎はその場に突き立てた。投げ捨てないところに愛着を窺える。小太刀の二刀流や二天一流が有名どころであるが、二メートルの大太刀を携えた二刀流は殆どないだろう。その姿は異様ではなく異形と言える。弁慶に向けられた雨無雷音、後ろに引いて地面に付けられている其我一振。素人が見ればかっこいいと思うだろうし少し齧った者から見れば阿呆に見える。

弁慶も義経との違いに違和感を覚えていた。

 一本の刀を両手で持ち素早く堅実な義経、対して珍しい二刀流で義経よりも倍近く長い刀。今までの打ち合いでも多少の違和感があったが、槍と戦っているよう、弁慶も錫杖を使っていたので「有る」程度であった。だが二本になった途端それが鮮明になっていった。

 義経も思った。まず動かし辛い。刀を使う者ならばわかるが視界を超えていく刀がどれほど扱い辛いか、刀身が倍になるだけでどれほど重くなるか。適切な筋力とテクニックがなければ刀に振られてしまう。それをいとも容易く扱い、片手で一本、両手で二本扱う、それは既に常識の範囲外に存在することだ。総一郎の技量がどれほどだとしても想像がつかない。見たことがないのだ。

 右の大太刀が地面から浮いた。構えた弁慶は自分がそれだけで防戦になっていると気が付かなかった。近い間合いでは振りの大太刀に守りはあり得ない、瞬間的なパワーが上回っているならば陣地を侵すことが最優先だ。しかも大太刀は二本。

 悪手に気が付いたのは思わず「あっ」と呟いた義経だけだ。

 間合いを詰めた総一郎の雨無雷音が弁慶の胴体を狙う。斬られるわけもない、弁慶の錫杖がそれを待ち受けた。

 そんな時弁慶は途轍もない痺れを腕に感じた。パワーで上回っているはずの自分が衝撃を跳ね返された、状況が上手く理解できていない。

 

「正しい使い方だ」

 

「なるほど……フタ〇ノキワミか」

 

「コンマ何秒後により強い力を加え、相殺されつつある衝撃の上からそれを重ねる。完全に無防備の所にそんなものを喰らえば……すごい技量だ」

 

 義経が言った通り弁慶はその現象にばったり出会った。

 総一郎の猛攻、その全てではないが所々同じような攻撃が混ざっていた。不規則なため対応もうまくできない。

 そして予想外――いや、そもそも予想は出来ていないのだが。総一郎の手数が非常に多い、そしてバリエーションが多彩であった。

 

 決着は瞬く間に決まって行った。

 

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

「うー痛い、怠い、川神水、ちくわ」

 

「はい、はい、大丈夫か弁慶」

 

「川神水が体に染みるうううう」

 

「大丈夫だな」

 

 義経に膝枕されながら総一郎のお酌を貰っている。一歩も動けないと言いながらもしっかりと川神水を傾けている。

 

「二人とも凄い戦いだった。義経ももう一度戦いたい」

 

「願ってもないね。義経が本気出してくれるなら」

 

「あ、それは……し、下に見ているとかそういうことではないぞ!」

 

「義経はそんなふうに俺を見ていたのか……」

 

「ち、違うぞ塚原君!」

 

「あ~慌ててる主で飲む川神水最高~」

 

「それは良かった」

 

 嵌められたことに気が付いた義経は顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 弁慶が横になっているところを見れば勝者が総一郎だと分かる。弁慶の外見こそ大した怪我ではない、だが体のダメージは隠しきれないし金剛纏身の反動も凄まじい。体力を回復するには義経の膝がもってこいなのだ。

 

「しかしあの二刀流……まるで御庭番の如く鬼神であったな」

 

「うん。確かにあの二刀流は凄かった。あんな大太刀を二つも使うとは……」

 

 与一の言葉に義経も反応した。

 

「ああ、確かに初めは大変だったけどな。実戦も殆ど初めて。最初から使わなかったのはそれが理由だ」

 

「なるほどね」

 

 短く弁慶も呟いた。心のどこかで自分の力を下に見られて手加減されていたと感じていたのかもしれない。少し目を閉じて口の中央から意識とは別に息が漏れた。すると不意に頭が重くなる。義経に手で置かれたかと考えて目を開けた。

 弁慶の頭に手を乗せていたのは総一郎だった。

 

「今日はありがとう。ゆっくり休んでくれ、大吟醸川神水とちくわ持ってくから」

 

「……」

 

「弁慶?」

 

「あ、ああ。楽しみにしてるよ」

 

 「じゃあ、また学校で」と総一郎は去って行った。

 そんな後姿を弁慶は見て頭に自分の手を乗せた。良く知った癖っ毛の強い自分の髪、総一郎と同じ髪だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 夜の七時頃、疲れがドっと襲ってきた総一郎は千鳥足で島津寮に帰宅した。「ただいま」と玄関先で声を掛けるが返事はない。テレビの音が聞こえるので恐らくクリスはそこ、源さんはバイトで京と大和は同じ部屋で勉強だろうか。キャップが居ないのはなんらおかしくはない。

 すると由紀江が二階から降りてきた。オドオドして目を回している何時もの彼女ではない。何となく総一郎もその表情に察しがついた。

 本気の顔だ。

 

「ちょっと早くない?」

 

「……凄まじい気だったので」

 

「あれは弁慶だよ。流石に疲れた」

 

「はい、分かっています。総一さんの気も鋭かったです」

 

 今この場で決闘できるような雰囲気の由紀江。それとは裏腹、総一郎は今その場に座ったままだった。

 

「悪いけどさ」

 

「はい」

 

「立てないから肩貸して」

 

「……え?」

 

「凄い疲れてて……」

 

 由紀江は自分が一人だけ先走っていることに漸く気がついた。

 

「あああああ、す、すいません!」

 

「いや、大丈夫だよ。焦らないで、俺の部屋まで運んで……いや、大和の部屋までお願い」

 

「は、はい!すいません!」

 

 後ろから肩を入れると由紀江は顔を真っ赤にしていた。総一郎にくっ付いているからではなく単純に恥ずかしいのだろう。

 「今からでもやるか?」という言葉を期待していたように由紀江は気を張り詰めていたが、総一郎が明らかに消耗していることに気が付きもしなかった。

 

「あれ、総一お帰り。どうしたの?」

 

「お帰り」

 

 珍しく京がくっ付いて二人は床で漫画を読んでいた。

 

「いやあ弁慶との決闘が思いのほか体に来てね。由紀江ちゃんに肩を貸してもらってた」

 

「は、はい。その通りです!」

 

「で、大和。俺は風呂に入りたいから着替えを持ってきて、あと風呂まで肩を貸してくれ」

 

「ああ、分かった」

 

「百点!」

 

「「うるさい」」

 

 自分の羞恥なんて無かったかのように由紀江の一瞬は過ぎて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 皆が寝静まる頃、許可なしに二階へ上がれない総一郎は階段の所でお茶を飲んでいた。

 

「あ、総一さん……」

 

 そこに由紀江が来る。特にメールで呼び出したわけではない。来るかもしれない程度の賭けをしてそこで待っていたのだ。

 先程は碌に動けなかったが風呂に入って源さんがマッサージを施したので八割方回復したところだ。

 

「やあ、由紀江ちゃん」

 

「な、何か?」

 

「ああ」

 

 明日は精々善戦してくれよな――由紀江の心に炎が灯った。

 

 




ルーさん、辰子、弁慶と来て次はまゆっち。テクニックと戦い、パワーと戦い、そしてバランスと戦う。スピードは一応義経と定義してます。天衣とは違う系統のスピードです。

まゆっちはまた違う方向性で行きます。次回もよろしく!

PS、マルさんが一位、やったぜ。燕は負けたけど……
僕は揚羽さんとヒュームさんに入れました。

後前回言い忘れたけど一周年です、皆さんありがとう!


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燕の囀り

デートらしいです


 朝。朝も朝である。今日は土曜日、総一郎は朝の八時から島津寮の温泉に浸かっていた。本来は由紀江との決闘が組まれている日であるが、予想以上の疲労で「無理」と戦闘態勢の由紀江に申し訳なさそうに布団の中から這い出た状態で謝っていた。流石の由紀江もポカンと口を開けていた。意識を取り戻していつものように「そ、そうですか!大丈夫です、私も万全な状態がいいので!」と気にしていないようでもあったが、彼女にも少しばかりの落胆があったようだ。

 そんな中一番落胆し、心苦しい気持ちに囚われていたのは他でもない総一郎であった。

 

「マジで申し訳ないなぁ」

 

 当日のドタキャン。しかも昨夜にアレだけ啖呵を切っておいてこれである。情けないにも程がある。この温泉も大和の力添えがなければ来れなかった。

 

「総一郎。大丈夫か?」

 

 大和が心配して風呂場に入ってきた。

 

「まあ、一人で動けるぐらいにはなったかな」

 

「そうか。着替え置いておくからな」

 

 由紀江が総一郎の様子を見に来たのが六時。温泉に入ったのが六時半。かれこれ一時間半も湯船に浸かりっぱなしである。

 流石に筋肉もほぐれ、湯船から出てソファでのんびりしても良い頃合いである。そう思って居間へ行ってみると、由紀江がこちらを見て気まずそうに、そして何故か燕が居た。

 

「なあぜえ」

 

「そんな風に言われるなんて、シクシク」

 

「根詰めているようでしたので僭越ながら呼ばせてもらいました」

 

 ドタキャンした人間に対する事とは思えない計らいに今度は総一郎の口が塞がらなかった。流石の由紀江でも怒ると思っていた。

 そして根詰めているという言葉が何よりも総一郎には響き、燕の顔が眩しく見えだした。

 

「さて」

 

 と、燕はソファから立ち上がった。

 

「デートするよん♪」

 

 

 

 

 

 

 決闘をすっぽかしてデートと言うのも気が憚れるが、由紀江自身が燕を呼んでいたので少し気が楽。よく考えてみれば燕とこちらでデートするのも初めて。最近は決闘で総一郎も忙しく、燕もそれを邪魔しないようにビルの上から刀を投げるぐらいの事しか出来ていなかった。確かに休息が必要なのかもしれない、総一郎はそう思って口を開いた。

 

「どこ行くんだ?ホテル?」

 

「俗物的すぎる発言だね、やっぱり納豆が足りてないみたい」

 

「納豆は毎日食ってるよ、燕の写真がのってる松永納豆を」

 

「それは僥倖、僥倖」

 

 そんないつも通りの二人が向かった――燕が総一郎に一任され、足を運んだのはペタスモール湘南である。川神よりは少し遠いところにあるが、神奈川最大級の複合商業施設である。服や雑貨は勿論、映画館や電機屋も一通り揃っており、恐らくここで買えないものはないだろう。

 

「よし、松永納豆は売ってる」

 

「珍しいことにこのモールは九鬼が関わってないんだよな」

 

「ここに出資してる片瀬さんと私知り合いだよ。何故だか片瀬の御嬢さんには嫌われてるみたいだけど……」

 

「へえ。甲高い声で何か気に障るようなこと言ったんだろ」

 

「地味にひどい事言うね……」

 

 食品売り場からエスカレーターで上がっていく。まずは二階から、ファッション系が主に並ぶ二階は女性物が多いが、店によっては女性物と男性物の両方を扱っている所も多い。 

 因みに燕は全く変装をしていない。川神学園で知れ渡ってから殆ど全国的に広まってしまった。

 この世界的ファッションチェーン店であるGARAPにはいるなり何人かの客と店員がこちらに視線を向けてきた。張本人の燕は総一郎の左腕に絡みついている。総一郎は一刹那だけ「めんどくせえ」と思ってしまった。そして良く感じてみると自分に対する視線も多い。男性からは敵意、女性からは生温いもの。川神学園が世界の縮図であることを理解した。

 

「たまにはこういうのも着てみたら?」

 

 総一郎は身長が高い。ガクトよりも数センチ低いが体格は筋骨隆々ではないので何にでも似合う。なので今燕が勧めてきたロック調のTシャツに色付きの薄いシャツという、高校生かちょっとばかり若い社会人が着る服でも着こなしてしまう。ハットなど被れば人生お茶の子さいさいである。

 総一郎はそのチョイスに「ふむ」と考えだした。

 彼の普段の服装は和服と洋服を混ぜたようなものだ。一見奇抜だが和服の色気と洋服の甘美さがマッチしている。そしてそれを着こなしている。袴にベルト、上はガラガラのシャツと和服の上着が訳の分からないことになっている。どうすれば着こなせるのか――燕も大和も百代も会うたび全員が思っていた。

 

ガクトはタンクトップを着てもダメであるが、総一郎ならば大丈夫。

 ガクトが総一郎と同じ服装をしてもダメだが、総一郎ならば大丈夫。

 

 そこにあるのは真理であり。気が付かないのはガクトだけであった。

 

 

 

 

 その後金の許す限り総一郎は夏物の服を買った。燕の物も二人で選んだり、夏と言えば水着なので海を買ったり――もちろん、燕に内緒で買うプレゼントは抜かりがない。

 

 三階へ行くと大型雑貨店や飲食系の店も増えてくる。そこでは主に燕の買い物となった。総一郎は部屋に小物を置かないからだ。不要な押し付けはしない、燕も良く理解して代わりに自分の我儘を通すのだ。総一郎が荷物を持ち、燕に付き合う。別に苦にもしていないが総一郎もそれで燕が喜ぶのであればまさに僥倖であった。

 後はクレープなんかを食べ、各々の行きたいところに二人で行く。映画見るか――と終わればもう午後四時である。

 

そのまま二人は江の島へ足を運んだ。

 

 磯の香り、夏独特の風から感じる気持ち良さはその展望台から見る景色に比例した。

 

「おお、凄い綺麗」

 

「解放感あるよな、京都と違って」

 

「仕方ないでしょ、あっちは山とか建造物も合わせて景色なんだから」

 

「はいはい、分かってます」

 

 人もいない。燕は風で揺れる髪を抑える。総一郎は前かがみで手摺に持たれながらも燕の言葉に笑みを絶やさなかった。

 

「疲れた?」

 

「疲れた」

 

 リフレッシュに来て疲労が溜まっては意味が無い。だが二人ともそれがただの疲れではないことを理解している。二人の夕日に照らされた笑顔が証拠だ。

 

「さーて、シラスソフト食って帰るか」

 

「げ、あれ、美味しくないよ」

 

「恋人同士で食って不味いっていうのもいいんじゃない?」

 

「……流石に意味わからないよ?」

 

 総一郎は「置いてくぞー」と常人ではあり得ないスピードで駆け下りて行った。

 

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 湘南という所がどれほど治安の悪いところであるか。新参者の総一郎と燕にはよく理解できていなかった。

 そこは弁天橋の近くにある砂浜。帰ると言っても多少寄り道していた二人は見事に喧嘩に巻き込まれていた。

 

「川越田総本部毘沙門天、総長の玉井川だ!てめえら江乃死魔だな!」

 

「いえ、違います」

 

「ああん!嘘ついてんじゃねえよ!彼女連れて歩きやがって!」

 

「嘘ついてないデス」

 

 何故か族と間違えられた総一郎に隠れた燕は怖がる振りをして大爆笑していた。

 

「何笑ってんだてめえ!」

 

(あ、ばれた。てへ)

 

(お前なあ……)

 

 燕の行動がバレると火に油というよりはもう油に火を着けてダイナマイトを近くに置いたようである。

 とにかくことを大きくしないように善処しようとした総一郎であったが、既にもう十人ほどの不良が二人を囲んでいた。

 

(もうヤケだ、燕こちらからの攻撃は無し、その代り向こうの攻撃は全部避けろ)

 

(了解だよん)

 

 燕が頷くとすぐに玉井川という男の拳が総一郎の眼前に迫った。

 

 ――遅い――素直な感想。壁を超えている人間としては当たり前だ。ガクトよりも遅いのではないかと感じる。燕の方にも不良が二、三人。流石は不良の国、女であっても族であれば容赦はない。もしかすれば百代のように強い女が居るのかもしれない。先程言っていた江乃死魔という族の総長が女性であればそう考えてもおかしくはない。無論、総一郎も燕も不良の攻撃を受けるつもりは一切なく、女であろうが男であろうがこちら側からも同じことであった。

 警察が来るのを待つ。二人は武術家としてもそれを待つ他ないのだ。

 数分すると向こうの息が上がりだした、こちらは何もかも乱れている所はない。だが向こうが興奮してアドレナリンの多量分泌、それによって疲れがマヒしていることも分かっていた。だからと言って何をすることもないが、そこで乱入者が現れた。

 

「うるせええんだよ、このクソがああ!」

 

 豪速球が唐突に打ち込まれたかと錯覚するほど鋭い一撃が不良共に浴びせられた。そしてもう一人そちらもかなりの怒気を孕んで残りの不良は海の藻屑と消えて行った。

 一人は獰猛な牙を持つ青髪、見るからに動の気を纏う女性、そしてもう一人は栗毛で鋭い目つきとは裏腹に尋常ではない美貌を持つ、こちらも動の気を持つ女性。そしてもう一人、遅れてやってきた赤神のツインテールは息を切らしている。どう見ても不良であるが風貌だけな気がしなくもない。燕が小声で「あれ片瀬のお嬢さんだよ」と呟いた。

 そしてその三人が少し引き気味の総一郎と燕に視線を向けていた。

 

「何者だ」

 

「不良に絡まれていた一般人です」

 

「ああん?あんな立ち回りしておいて何が一般人だ」

 

「いえいえ、この不良さん達が弱いだけで」

 

「あ。この女は納豆小町よ!アイドルのくせに武術家で負けなしとかいうチート野郎!」

 

「こんな弱弱しい私を野郎なんて、シクシク」

 

「止めろ、ツァーリボンバーに引火するな!」

 

「舐めた口ききやがって!」

 

 総一郎はここに居る三人が湘南を張っている三人であることを直ぐに理解した。片瀬のお嬢さんは大した実力が無いようであるが、轟々と動の気を垂れ流しているこの二人と対等であることから大器であることが伺える。

 だが問題はこの二人である。壁越えは無いが少なくとも壁越えが可能な能力を持っている。今でこそ一子と同等と言えるが一昔前であればそれもどうだかわからない。原石で壁を超えている辰子と違い、多少才能の面で落ちたとしても適切な修行を積めばこちら側に来ることは間違いない。

 ただ、ここまで動の気を解放していれば純粋な武人になることは難しいだろう。釈迦堂のようになるか、もしくは武人になる前に辞めるだろう。

 総一郎がこの二人の実力を測ったのと同時にまた二人も総一郎と燕の実力を測っていた。彼ほどではないが本能的にかなりの実力者であることを悟ったのだ。

 

「オーケーオーケー。俺は一般人ではない、剣術家だ。後ろに居るのは俺の彼女で武術家だ。俺達は君らが今吹き飛ばした奴に因縁を付けられた、どうやら江乃死魔という組織に間違えられたらしい、心当たりは?」

 

 二人の視線は片瀬のお嬢さんへ視線が集まった。

 

「……あ、あたしの組織よ」

 

「そうか。まあ、それは良い。それで俺達は帰宅途中だったわけだ、できれば帰りたい」

 

「関係ないね」

 

 風というよりは雷鳴。素人には瞬間移動に見えても総一郎には見える、早いのも分かる。彼が動かなかったのは燕が前に出たからであった。

 獰猛な表情をした青髪の拳をいとも簡単に燕は受け止めていた。もちろん反撃はしない。

 それがあり得ないことだったのだろう、いつの間にか増えていた何人かが「あの腰越の一撃を……!?」と呟いていた。

 

「悪いけどこっちは一般人に手は出せないから勘弁してちょ」

 

「……はっ」

 

 腰越と呼ばれていた女はすぐに引いた。

 だが、面倒なことにもう一人、栗毛の女が「へえ」と前に出てきた。遠くの方で「愛さん!」「辻堂さん!」という声が聞こえる。青髪が腰越、栗毛が辻堂、赤髪が片瀬。名前が分かったからなんだと思うが、その時総一郎は初めて百代の気分を味わった。

 様々な不良に絡まれて手を捻るだけで相手を沈めてしまう。面倒でもあり、怖いもの知らずな彼らの気質は心地よくもある。

 フフ――総一郎の溢した笑いは果たして相手にとってどうであっただろうか、総一郎は前に出た。

 

「――分かった、俺が相手してやる。かかってきな」

 

「ちょ、ちょー」

 

「へーきへーき。なんかあれば百代に感化されたって言えばいい。それに明日の予行練習だ」

 

 今日はよく眠れそうだ――総一郎は今までではあり得ないような感覚に囚われていた。

 

 戦うことが疲労回復につながるなど――

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 帰路は軽かった。

 島津寮には戻らず、毎度の如く何故か久信が家に居ないので松永家へ。由紀江に感謝のメールと明日の決闘の細部を詰めた。その後もう一人に電話をしていたが誰かは分からない。

 燕と二人きり、内緒で買っていたプレゼントを渡し、ブルジョアの総一郎は寿司の出前を頼んでいた。

 

「ガクトとワン子が羨ましがるだろうな」

 

「意地悪男」

 

「ま、ワン子なら食べさせてもいいが」

 

「浮気男」

 

「いくらでも言いたまえ、寿司を食いたくないならばな」

 

「よっ太政大臣!よっ悪代官!よっイケメン!」

 

「悪代官……?」

 

 誉め言葉ではないものを貰ったがそれでも総一郎の機嫌はすこぶる良かった。

 

 あの後、腰越と辻堂が挑んできたが、一撃も喰らうこと無く相手を翻弄した。苛立つ二人を煽るように「ほれほれ」と呟いていたが、遂に二人は息を切らし、最後は総一郎が二人を海に沈めた。

 礼儀として名を名乗ったが、果たして川神に来るかは分からない。

 ともかく総一郎の足取りは軽く、機嫌は良い。

 

 明日のリフレッシュになったかな――燕は安心して納豆巻きを頬張るのだった。

 

「松永納豆の方が美味いな」

 

「松永納豆の方が美味しいね」

 

 

 

 

 




テラスモールにDQNの友達と行ったんですけど、やることは無いですね。

辻堂さんでは真琴さんが一番好きです。後は良子です。


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肆戦――剣人対剣神――

 決闘の場は例の如く草原――ではなく川神院で行われることになった。昨日総一郎が燕と湘南へ行っている間に鉄心から由紀江に対して打診があったそうだ。少し前にルーとの決闘で滅茶苦茶にしてしまったので少しばかり後ろめたさが彼にはあったが、場所を貸してくれるというのならば借りる。差し伸ばされた手は引き込みながら受け取るのが彼の潔さでもある。

 それに今回は自分の修行と由紀江に対する稽古、そしてもう一人直輝に対する手解きの側面を持つ。総一郎としては由紀江に稽古して直輝にはそれを観察させる、そこから自分も違う視点から新たなものを学ぼうと考えたわけである。

 卜伝との決闘から何度か総代としての役割を果たしたが、今回はその時ともまた状態が違う。由紀江がまだまだ伸びることを確信しつつ、直輝が燻り、そしてその理由が自分であることも理解している。

 だからこそ、剣術家としてしか出来ないこと。由紀江や直輝には鉄心やルーではできないこと、それを教えなければならない。

 

「剣術家にしか出来ない事、分かるか?」

 

 由紀江が対峙、直輝は外野として正座している。無論、今の言葉は由紀江だけではなく直輝にも向けられた言葉だ。

 

「それは剣術家に教えることだ」

 

 直輝は微動だにせず話を聞く。いつも言われていることなのだろうか、由紀江はゆっくりと頷いた。

 

「拳では教えられない事を剣術家に教えるのが剣術家にしかできないことだ。いいか二人とも自分たちに無い物は何だと思う?」

 

 漠然とした質問だ。流石の直輝もすぐには答えなかった。

 

「人を斬る心でしょうか」

 

 先に答えたのは由紀江だった。

 

「違う」

 

 だが即断されてしまった。

 直輝は未だ口を開かなかった。総一郎は求めるように彼を見たが分からないと悟らせるが如く目を逸らされた。

 

「長い刀を刹那に振る瞬発力、機を待つ忍耐力、懐に潜り込む速度、駆け引きを呼び込む勘、いざ斬らねば成らぬ殺意、一撃を喰らわぬために一合一合に必要になる技術、一撃を決める為の集中力――二人にはどれもある」

 

 ではなんだ――二人は、特に直輝はその答えを声に出さず求めた。その心境を総一郎が分からないわけもない、視線をやり、焦るなと窘めた。

 

「それは決め技だ」

 

 由紀江は那由他に達する神速の一撃を持ち、直輝も百代にやられた時よりも磨きがかかり総一郎にも届きうる抜刀術を持つ。確かに壁越え上位の人間にとっては決め技でないかもしれない、だがそれでもそれが二人にとっての全力である。それを否定され良い気持ちにはなれない。

 だが総一郎の言いたいことはそういうことではなかった。

 

「それが那由多の一撃、勝つことのみを求めた抜刀。確かにそれは最高の一撃であり必殺である。だけど何時使うんだ?」

 

「師匠、もどかしいです、ハッキリ言ってください」

 

「初撃に那由多の一撃をぶち込むのか?初撃に必殺の抜刀を打ち込むのか?なんだお前らは相手が力を溜める時間を待ってくれると思っているのか……」

 

 総一郎は怒気を孕むこともなく鼻で二人を笑った。侮辱である。

 だが二人は総一郎の言葉を理解するとその侮辱を物ともしない恥辱に塗れた。

 

「必殺を打たれれば俺だとしてもただでは済まない。だが百代ですら最大威力の一撃を打ち込むには力を溜め、最後の一撃ではないと簡単には行かない。塚原の始祖ですら最高の一撃を放ってきたのは最後だけだ」

 

 由紀江の視線は自らの収まったままの刀に向いていた。

 

「決め技……」

 

「八十%の力で出せる勝負を決める技だ」

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 川神院に緊張が走った。

 戦いが始まったかと錯覚する鋭い静の気が川神院を覆う。

 

「これは……まゆまゆ?」

 

 心当たりのない気だったので確信はないが、それなりに付き合いの長い由紀江の感覚に似ていた。だが由紀江の怒気というのも初めて感じ、これ程の憤怒は一体何故沸き上がったのだろうかと百代は考えた。すると唐突に鉄心が「フォッフォッフォ」と長老の様に笑った。

 

「総一郎め、中々師としてのやり方が分かってきたな」

 

「爺?」

 

 何故由紀江が激怒しているのか――その問いに鉄心は答えることは出来ない。だが「誰が、何故」という問いには答えられる。

 

 総一郎が武人の心を煽った、由紀江に自分を殺させるために――

 

「通過儀礼じゃ」

 

 

 

 

 

 遡ること数分前。

 総一郎との問答に詰まると由紀江はこれ以上言葉は要らず、戦いの中で見つけるしかないと悟る。相手は格上、万が一勝てるのか、無様は見せられない。同じ実力者である直輝も見ている、この決闘を通じて彼にも糧にしてほしい。もちろんそれ以外の心もあるが今は外野に置かなければならない。

 心を強くして由紀江は刀を抜いた。真っすぐ一本通った凛々しい静の気、一目で分かるが義経と瓜二つだ。厳格の父の下で育ち、大人しさが拍車をかけ対人ではオドオドしていても武人としての由紀江は少なくとも感嘆を受ける資格が優に有る。

 由紀江はそんな自分をみる総一郎に疑問を呈していた。

 

「何故抜かないのですか」

 

 既に抜刀している由紀江。総一郎が抜刀術であるならば文句はないがそんな様子もない。左腰に差している刀に触れてすらいない。

 

 どんな武人にも通過儀礼がある。総一郎の場合それは最悪のであったが、普通であれば師匠による手解きがある。肉親の場合はどうしても情が残るので変装や相手の実力まで落とし且つ殺意を込めるなど。百代はないようだが普通はある。

 由紀江もあったのだろう。だが一回か二回、三回目はどうだろうか。総一郎は由紀江に対して通過儀礼を施すつもりだった。

 

「抜いてください」

 

 澄んだ心、澄んだ瞳、誠実な気、誠実な剣先――淀みがない。それがいけないと総一郎は考えた。

 

「刀……?」

 

 だから一度歪ませなければならない。弟子を持つ師に総一郎の行為を正しいか正しくないかと聞けば十中八九、正しいと答える。

 

「そんなものは抜かない」

 

 一度心の底から憤怒に塗れさせてやろう――

 

「素手で相手してやる、俺を殺してみろ」

 

 スンッ――怒る姿もまた誠実である。直輝は体を切り刻まれたような感覚に陥る。

 

 由紀江が剣術家としての根底を侮辱され激怒した初めての日であった。

 

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 日本刀に対する無手の技、それだけ聞くと専門的な技にも聞こえるが空手や柔術もそれに当てはまる。鉄砲が伝わっていても槍や刀、弓が主流の戦場で武器を失えばそれは致命的だ。その為に作られた対武器の流派、それは無手と武器を極めた者でしかなせない技だ。雲林院村雨は剣の道は勿論であるが無手の実力も同等の物を持っていた。あの頃の総一郎に勝つくらいの実力を兼ね備えていた。それはヒュームにも認められる程で、彼の作った雲林院脱剣流は門外不出である。

 と言っても、雲林院脱剣流を伝承しているのは総一郎と燕だけである。

 

「キレるのは良いが、それでどう俺に一閃浴びせるつもりだ?」

 

 脱剣流の特徴は対剣術でない事にある。あくまでも「脱」剣にある。その心は剣術にあり、足運びから捌き、剣術家を知っているからこそ出来る動きがある。振り下ろされる刃の側面に滑り込ませた手刀は相手の小手を目指し、突きは掌と掌に挟み込まれて最終的に日本の手刀が由紀江の体を襲おうとしていた。

 由紀江にとってこの上なくやり辛いだろう。無手の相手という認識が全てを阻害させる、相手は無手の皮を被った剣術家でしかない。

 だがそれに気が付かない、それだけで彼女の精神状態が分かる。

 

「冷静に憤怒しろ、やれ」

 

 壁越えの一撃一撃を余裕で捌いていく自分の師に直輝はただ感銘を覚える他なかった。それにこれは明らかな稽古である。これ程までに実戦形式の稽古――彼には通過儀礼だと分かる――自分が受けたことの無い事、つまり自分がまだその段階ではないということの裏返しだ。

 

「まじめにやれ」

 

 三閃が放たれた。それに総一郎が対抗したのは立った一撃。三閃の合間を縫うように縦横無尽に動く人差し指が由紀江の眼球を追尾した。総一郎が追尾したのは由紀江が直ぐにやられると気が付いて避けたからだ、それも尋常ではないことだ。

 

「はあ、はあ、っはあ」

 

「やっぱりだな」

 

 言葉を続ける総一郎を他所に由紀江は不意打ち――がいつの間に自分が転がっていた。

 

「聞け」

 

 総一郎が何かしたのだろう。だが由紀江が転びながらも意識を失っていないことから大したものではないさそうだ。

 

「目に見えた怒り、だがどこが中途半端だとは思わないか?」

 

「何がでしょうか……?」

 

「俺とは明らかに違うんだよ。鋭き冷静な怒りであるはずがどこか溜め込んだように刀身がブレている」

 

 直輝の表情が変わった。多様な実力者を見てきた彼だからこそ、一番弟子である彼だからこそその意味を理解できたのだろう。

 その言葉は通過儀礼というよりはもっと前の段階で言うようなものであった。

 

「君は静の気を持つ者ではない、動の者だ」

 

 静と動は共生できない。気というものに触れる者ならば誰でも知っている常識である。ただの気合でないその気は半ば超常的な半面を持つ、その為リスクが伴うのは当たり前だ。それぞれの長所を兼ね備える気はそれだけで矛盾を生む、矛盾の中にあるリスクは体を蝕む。気を爆発させる動と気を制御する静、それを強制させることは途轍もない瓶の中でダイナマイトを爆発せているようなもの、決して壊れない故にダイナマイトは爆発し続ける。

 外見は保てても体はいずれ崩壊していく。

 

 だが総一郎は由紀江が静の気ではなく動の気の者だと言った。

 おかしい――由紀江はそれを口にした。

 

「勘違いするな。静と動は共生は出来ない。だが片方だけ、もしくは両方ということならば使える。動を一切出さなければ静を出せる、両方を混ぜさせしなければどちらも使える。ただ相当な技量が必要だけどな」

 

「私にそんな技量はありません」

 

「知ってる。だが動の気を一切出さなければ静を出せる――君が静の気を持つ者として生きてきたならばあり得ないことじゃあない。環境と思い込みが動というものをない事にしていたんじゃないか?」

 

 唾をのみ込んだ音が体内で木霊した。自分が動の気を持つ者かもしれない――鼓動が速まっただろうか、言われからもしかしたら動の気が奥底から湧き出たのかもしれない――由紀江は不安に駆られた。

 

「いいか。静は自分の気をコントロ―ルしてそれを鋭さに変え、時には流れる川のようにする、それはまるで水だ」

 

 由紀江の変化を見た総一郎はまるで師のようだ。しかしあくまで決闘である、総一郎の警戒心は未だ健在。

 

「だが動の気は爆発だ。何をも縛れない爆発。囲いも何もない、爆弾程度じゃだめだ、中途半端が一番危険。イメージしろ、それは超新星のようであり苦しくて仕方ない後の嘔吐のようだ。奥底にある全てを出せ、受け止める相手を考えるな、お前の気で真っ白を変えろ!」

 

 由紀江の息が止まった。心臓も止まる。体の奥底ではないどこからか、その何とも言えぬ物は湧き上がってくる。

 体勢が崩れた――だが完全に倒れきる前に彼女は動きを止めた。いや、止まったというべきだろうか。その姿勢からゆっくりと元の体制へ戻っていく。

 その姿からは動という気を察することは出来ない。気の解放状態は湯気のようであり、爆発的とは感じられなかった。もしかすれば失敗したのかもしれない。直輝の脳裏に最悪が過った。精神の崩壊、廃人への近道、どれもが直輝の焦燥を誘った。

 だが、正面で対峙している総一郎は一筋の汗を掻いただけだった。そしてその汗は焦燥から来るものではない、眠れる獅子――この場合は少し違う。総一郎は悟らせないその獰猛さを「毒」と評した。

 隠された凶暴さ。動であることは間違いがない。たが穏やか。その本性に触れてしまえば最後。

 由紀江はゆっくりと息を吐き、そして吸った。

 吐いたと同時に踏み込んだ。

 

 速い――枷が無くなったのだ、それは当たり前である。だからといって総一郎がそれに遅れを取るわけでもない、まだまだ未完成の気、だが全体の底上げは勿論の事だが特にパワーは桁違いの物となっていた。掠れば太い血管まで断ち切ってしまうような風を切る鋭音が総一郎の耳に通り、当たってしまえば――という発想を嫌でも想像してしまう。更に切っ先は振動しているのか、もしくはただ揺れているのか。最終的に刃が通る場所が予測し辛い。

 静に染まっていた動。両生できない二つだが、彼女には鋭さだけ残滓として残っていた。

 

「百代の方が怖いね」

 

 人生最大の強敵であり強敵である百代、更に乗り越えなければならない先祖。それらと戦ってきた総一郎。いくら弱体化したとはいえ目覚めたばかりの赤ん坊に負けるつもりは無かった。

 

 だが勿論、彼女も勝てるとは思っていない。体には違和感だらけ、ぎこちない関節がもどかしい。

 だが、何かを示さねば、見せなければならない。

 決め技――それが脳裏に過った。

 

 横に薙ぎ払うつもりであった刀がいつだいつだ、と囁く。由紀江は遂に刀を振ることなく総一郎の横を突き抜けた。

 虚を突かれた総一郎。殺意、敵意なく制空権を通過していく由紀江に唖然。由紀江は振り返らなかった

 後ろへ突く――直輝にはその姿が切腹にも見えた。

 自身の右脇腹を掠めるように相手の脇腹を貫く。名を付けるならば無理心中であろうか。虚の虚を突く、意識外の攻撃に関しては必殺にも匹敵する決め技である。駆け引きを極めれば極める程決め技として高みを目指せるだろう――総一郎は最速を以て脇腹を捻り由紀江の首筋に本来は致死性のある手刀を捻じ込んだ。

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 川神院の一室で由紀江の目は覚めた。知らない天井とは思わない、意識を失う寸前に見た木造と同じ作りだ。寧ろ一番新しい記憶だ

 顔のすぐ横から食べたいという衝動に駆られる桃の香りがした。香りの正体に視線を送ろうとする途中、そこには直輝の姿があった。こちらを微笑んでいる。

 

「良かった。意識が戻った」

 

 そこまで喜怒哀楽の強い人ではない直輝の微笑みと言うのは程よく乙女に効果的である。しかも夕日が背景にあるため甘いマスクではなく男らしい彫りが強調され、武士娘の心をくすぐられる。夕日のせいだ――と思いながら由紀江は頬を紅潮させた。

 だが、少しずつ直輝の表情は陰りだす。心境の変化を表すように雲が機を見るに敏、夕陽を半分ほど隠してしまった。

 

「直輝さん?」

 

「……僕は師匠にどう思われているんだろうか」

 

 次の微笑みは嘘だとすぐに分かった。

 

「僕は一生勝てないのかな、師匠に……君にも」

 

「勝てます」

 

 考える暇もなく、直輝の心境なんて考える暇もなく答えていた。だが疲労感が溜まっているのだろうか思ったよりも声が張れない。強く伝えたい気持ちを由紀江は表面に表せなくてモヤモヤしていた。

 

「直輝さんは素晴らしい剣術家です。凄く鋭い抜刀術も使えます。集中力も凄くて凛々しさに比例して静の気も凍えるようで……それに凄く優しくて――カッコいいです!」

 

 細々した声、だが強調された言葉が剣術家としての誉め言葉には合ってなかった。それが由紀江の羞恥心を誘ったし直輝の笑い――そして羞恥心を覚えさせた。

 

「……ありがとう。由紀江ちゃんも――綺麗だよ」

 

「――きゅう」

 

 由紀江は卒倒した。

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

「決め技か……」

 

 相手を殺す必殺も勝負を決める決め技も持ち合わせていながら総一郎はその自答を精神、もしくは卜伝、または心、自分を自分たらしめる物に投げかけていた。どれからも返答はない。

 彼がそう呟くのには理由があった。散々講釈を由紀江にたれた訳であるが、本物の最強と本物の最強が戦った場合その決着は決め技によってつくのだろうか。新当流、足利流、新陰流、そして自身だけが受け継ぐ塚原流、その数だけ奥義がある。その奥義は決め技となり又必殺となりうる。

 しかし、最強と最強の決着は駆け引きや一瞬の出来事によって終わるのだろうか。

 

 ――最強の最大と最強の最大――

 

 それがぶつかり合う時、それが彼らの決着だ。

 それは過程であり結果、最大と最大がぶつかり合わなければ決して勝負は終わらない。

 

 果たして自分がその最強として最大を放つ時が来るのだろうか。

 その相手は誰なのだろうか。

 

 鉄心かヒュームか、それとも無手と武器の長だろうか――

 

 風が運んできたのは黒髪の好敵手の面影であった。

 

 

 

 

 

 

 水上体育祭前最後の決闘、突如釈迦堂から延期の知らせが総一郎に入った。それと同時に九鬼から揚羽戦の日程変更が告げられた。

 二日後の水曜日、丸一日を使った決闘が九鬼完全動員によって川神郊外の採石場で行うことになった。自身も予定変更を良くしているので総一郎は特に驚かなかったが、島津寮に届いた豪勢な招待状が届いた。

 

「なんて?」

 

 朝餉の時間。それを開いた総一郎は口角を上げそれを握りつぶした。

 

『最近調子に乗っているようだな。百代の戦闘衝動を止めたのは良いが今度はお前が負けを知るべきだ。安心しろ、我も万全な状態で仕上げた。少しばかり我も決闘の旅に出ていてな、お前に必ず黒星を進呈しよう。待っているぞ』

 

 熱い果たし状。

 

 同封された写真には膝を着いた武人の姿。

 

 塚原純一郎、塚原信一郎、足利興輝、上泉藤千代。

 

 総一郎が炎に包まれた

 

 




婆さんの見舞いに長崎まで行ってきました。天神行きましたよ。


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伍戦――覚悟対成長――

活動報告に息抜きがてら書きたい小説の一覧を載せてます。こちらが少々手詰まり感あるのでちょっと息抜きを……こっちも更新はしますけどね。

是非かつどう報告のコメントに投票を。投票数が余りにも少ないと好きなのを書きます。


 九鬼揚羽がどれほどの才能と実力を持っているのか。それは総一郎が川神に来る前を辿れば簡単に行きつく。

 揚羽は現在武人として一線を引いている。それは他ならぬ百代との真剣勝負に於いて負けたことが切欠であった。お互いの死力を尽くした決闘、百代にとっても当時最高の戦いであり、生涯における名勝負であったと記憶する。勝利したのは百代だとしても年齢が近くこれほどまでに拮抗した人間もいなかったのだ。その後揚羽が九鬼の会社を本業とし、約半年後に総一郎が来ることになる。

 つまり今から約二年前に揚羽は壁を超えており、百代とも同格であった。今も鍛錬は欠かしていないが明らかに今の百代と真っ向から戦うことは出来ないだろう。

 だが、百代と互角に戦えるほどの実力までに持っていける才能はあった。ヒュームというスパルタが師匠であるが故というのもあるが、それに耐えて文武両道であった彼女が凄まじいことは明白である。釈迦堂もそうであるが、未だ武人として鍛えていたならば百代と総一郎そして揚羽の三人が若頭としてこの世界を引っ張っていたかもしれない。

 

 そんなブランクがある彼女が総一郎の身近にいる手練れをいとも容易く――実際は分からないが四人抜きをしたことは事実だ。

 

 ヒュームによって鍛え直されたのか、それとも総一郎の体質が彼女の潜在能力を引き出したのか。

 

 それともまた別の理由なのか。

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 この採石場は市街から離れた郊外、しかも広大であり高低差もあるため本来の使い方よりも武人の決闘場として使われることが多々あるらしい。許可なしに勝手なことをされる採石場も所有者もたまったものではないだろうが、今回は九鬼が正式な許可を取り、相当悲惨になることを加味してからか、所場代とは別に慰謝料を先に払ったらしい。

 流石天下の九鬼とも言えるが、九鬼の長女であり軍事統括部門を任される程の人物に万が一などがあってもいいわけがない。使わねばならぬところに金を使うのが彼らの良い所だ。

 

 さて。総一郎は現在採石場に居るわけであるが、彼が中一日何をしていたのかを振り返る。

 勿論学生なので学校には行くが、放課後には川神院にて軽い手合わせをしていた。それは百代でも一子でもルーでも鉄心でもない。他でもない燕である。

 経験値で言えば鉄心やルー、適度な維持であれば最も実力の近い百代、言い方は悪いが肩慣らしであれば一子が適切である。その四人ではなく燕を人選したのには深いわけがあった。

 第一に最も揚羽に似ていると思われるからだ。根拠はテクニックと手数の多さ。頑丈さと威力、べら棒な技で圧す百代とは違い揚羽はパワータイプの自分を数倍の実力へ持っていく精巧さがある。更に九鬼流とヒュームを筆頭とした豪傑が授けた技の数、それらは一つの系統を極めた鉄心とは違うヒュームの神経質が彼女を育てたのだろう。力技で圧すと思いがちなヒュームは技巧派、ジェノサイドチェーンソーは何十年もかけて作ったもので彼の全てを受け継いだ者しか今後使える者はいなくなるであろう。

 燕は力こそ及ばないが手数と真正面から相手を往なす方法には長けている。

 

 第二に――これが本命だろう。燕の謀略家足る所、可愛く言えば意地の悪い所。勝つための布石を忘れない燕の思考は総一郎の助けになること間違いなし。正道の弱点は邪道であり、邪道の弱点は圧倒的な力、そして外ならぬ邪道である。

 燕が謀略家であれば総一郎は正道である。あえて揚羽を呼称するならば兵法家であろうか。

 塚原卜伝も兵法家と呼ばれたが、それには二つの読み方がある。「へいほう」と「ひょうほう」だ。事実としては読み方の違いでしかないが、卜伝は「へいほうか」であった。武士は前者であり後者は策略家の思考である。

 燕と揚羽――当てはめてみれば燕は後者であり、揚羽は前者だ。

 つまり戦い方というものに長けた者達の呼称である。

 

 総一郎が燕と手合わせをするのは戦いの「法」を知る為である。

 

「三分間セットを五回、インターバルは各一分でいいかな?」

 

「承知」

 

「おっけい。じゃあ行くよ――悪いけど」

 

 惜しみなし――燕は定石通り間合いを詰めた。

 

「手加減してねん!」

 

「なんだそりゃ」

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

「九鬼揚羽降臨である!」

 

 聞きなれた高笑い。英雄と紋白に比べれば耳に新しいが、流石一族なのか直ぐにそれが九鬼の親類であると認識してしまう。というか周りに従者部隊の序列トップの人間が五人もいれば九鬼を知らなくともそこに居るのが偉大な人間だと理解してしまう。この五人と同時に戦えば間違いなく負けるだろう。だが今回戦うのは揚羽本人だ。これが揚羽暗殺であればそれも不可能ではないが。

 兎も角、総一郎を見下ろす形で大石の上にいる揚羽は絶賛高笑い中。そして体にはいくつかの傷が残っていた。その理由は初めから分かっている。

 揚羽の気は極限まで昂り、筋肉のほぐれ具合からいって既に準備体操――そんな生温いものではない、恐らくこの五人を相手にウォーミングアップをしてきたのだろう。余りに贅である。だが死力を尽くした決闘であるならばその効果は絶大だ。初めから全力を出せる、間違いなくアドバンテージだ。

 

「さて、早速だが始めるとするが……先に言っておこう、この戦いで負けようが勝とうが我はこれを機に表立った武術家は引退することに決めた」

 

「!……それほどの覚悟ですか、ありがたいです」

 

「我も第一線を退いた、何て問題を先延ばしにしていたしな。天衣も除名され乙女も教育者の道を歩みだした。我もそろそろ後続に譲って九鬼の仕事に本腰を入れようと思ってな――だが」

 

「……!?」

 

 突風が吹くように総一郎の髪の毛が舞い、背筋がゾワリと凍った。獣が、獣が目の前にいる。純一郎と信一郎、藤千代と興輝を倒したのは野獣であった。百代とは系統が違うなど思い上がりにも程がある。あれは同じだ。

 

「我を倒さんと四天王はくれてやらんぞ。それに我はお前の為に覚悟を決めたのではない――他でもない、我の最後を賭けるのだ!その為の踏み台だ!九鬼家決戦奥義――」

 

 気が付くのが遅すぎた。揚羽はこの一戦に武術家としての今後全て賭けた。総一郎の為なんて差しさわりの無い理由ではない、もっと深くシンプルな理由だ。

 退く理由が彼女にはない、彼女は既に退くことを決意しているのだから。

 

 揚羽の拳が懐の深い部分から総一郎の顎を抉るように伸びてきた。いや、伸びるというには速すぎるし、紙一重で避けて鳴る風切り音はまるでF1カー。壁越えの実力に武術家として最大の覚悟、更に総一郎の気質、準備満タンな気と体――それは従来の揚羽、百代と戦った時でもなく昨日までの揚羽でもなかった。

 

(くっ、今の完成形までいってるか……!)

 

 今の完成形というのは今総一郎がいる場所の完成形ということだ。つまり精神の宮殿を極めた所と同じ場所に揚羽は居る。一方総一郎は精神の宮殿を未だ極める所にも至っておらず、発動も発展も遅い。致命的なスロースターターだ。

 いつの間にか総一郎も刀身を抜いていた、既に二本だ。出し惜しみは出来ないと本能が脳よりも先に動いた。本能が筋肉を動かすのは達人の証拠であるが今はそんなことを喜んでもいられない。状況は刻一刻と変わり動いている。先手を取った揚羽の猛攻は止むことを知らず勢いを増していく。更に総一郎にとって厄介なのはその猛攻が力任せでないことだ、防御の手応えが薄いと感じると五手先の攻撃が寸分の狂いなく同じ場所に叩き込まれる。防御の薄い部分がない総一郎を逆手に取った策――もしくは僅かの手合いで感じ取ったことなのかもしれないが、前者だとすれば狡猾であるし後者だとすれば曲者である。どちらにせよペースを上げねば総一郎にとってはただ辛い相手である。

 

「――少し考えすぎだ、ぞ!」

 

 総一郎から見て視界の左斜め上から揚羽の膝が急襲した。油断はなく、揚羽の読みがそれを上回ったのだ。直撃は避けたものの甘んじて一撃を総一郎は受けてしまった。

 一旦止む猛攻。勝負開始時と同じような構図で立つ二人だが、見下ろす揚羽と膝を軽く突き、額の傷から垂れる血を拭って舐める総一郎の新たな図が変化を顕著に物語っていた。

 勿論これからが勝負であり、まだまだ鋭く気を高められる。更に今まで通りいくならば総一郎は戦いの最中に新たな高みへと昇華する。勝てる要素はある、彼女にだけ有利な要素があるわけではない。そう思うようにして彼は立ち上がった。

 ――そうだ、立ち上がらなければ話にならない。思うようにしなければ折れたかもしれない心だ。読み合いの極意で読み負けた。彼にとって屈辱よりも挫折に近いだろう。

 勿論それにはいくつかの要素がある。精神の宮殿にもピンからキリまで強さの差があるし向こうは初めから最強の状態。スロースターターを言い訳にするのは本来良くないが、それが正確ならば仕方がないと言えなくもない。

 

だが――それでも読み負けた、更に大きな力と精巧な技術によって。

 

つまり現状出しうる力を出し切ったとしても勝てるかどうかは分からない。補正をすべて合わせたならば実力は互角か向こうが上、更に覚悟の面から言えば最後の胆力では必ず負ける。どんなに強大な相手でも、どんなに脆弱な相手でも、何か一つの要素で変わり、最後に立っていた者が勝ち、そこにおける過程と優劣は結果の前には過去としてしか存在できない。それが武術、剣術というものだ。

 総一郎は自分が最後に立っていた者であることを噛みしめもう一度二本の刀を握りしめた。心を静める必要はない、既に心と刀は合わさっている。

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

「フフ、楽しそうで何よりですね」

 

「……ああ、まさか辞めるとは思わなかったが。それのおかげで体が無理に適応している」

 

「私もアフリカから出張ってきてよかった、晴れ舞台としては申し分ない少年だ」

 

「村雨boyの弟子ならばあたしも一目置くよ」

 

(最悪の面子だが確かに九鬼の面々からすれば最高の舞台か……というかあいつの評価高いな)

 

 あずみを除く他四人は揚羽を幼少期から知る古参。年齢も申し分ない。だからこそこの舞台は七五三や結婚式のように晴れ舞台と彼らは思うのだ。特に直々の師であるヒュームは複雑であろう。ストイックな揚羽が鍛錬を止めないことは分かっていても、維持以上の事はしない、つまり事実上――いや引退と揚羽口にした。永遠に武術の師ではあるが、そう言われると普段厳しいヒュームも今夜は酒に溺れて弱いところを見せてしまう。更に揚羽の戦っている相手は自分が認め、急死した男の弟子。太刀筋は全てでないが被る所が多い。口元が緩むのは感涙を誤魔化しているせいだろうか。あずみ以外にはバレバレであった。

 

「総一郎、お前の贐はなんだ?俺をガッカリさせるなよ」

 

 

 

 

 

 

 攻撃型、防御型の精神の宮殿を使いこなせるようになってから戦術の幅が増えた。問題なのは特攻でないため器用貧乏であることだ。

 若さというものだろうか。既に総一郎は適応を始めた。

 十の拳を浴び、開始から一時間経った頃の話であるが。

 

 息が上がり始めているが体力の尽き欠けではない、ある程度の消耗――つまり温まった体は何にも代えがたいドーピングである。むき出しの神経が研がれ、磨がれ、尖れ。眼前に迫る恐怖が己のセンサーを刺激する。減量で極限である筈のボクサーが相手のジャブを避け、ロスタイム終了間際シュートするフォア―ドの様に。集中力と勘は紙一重、表裏一体。

 スイッチの入った体は必然的に複雑な攻防を処理できるようになった。

 

(いける)

 

 だが、揚羽はそこで徐々に攻撃の勢いを殺し、足を止めるとゆっくりと下がっていく。動の気がそのまま静まっていくと静の気と間違えてしまいそうだ。

 

(なんだ)

 

 一末の不安が脳裏に過った。そして未来の不安に背筋が先程と同じく凍る。

 その不安に対抗できるのは万全な守りだけ、制空権を絞り筋肉を緊張させ、体の力は抜く。

 

 バンッ

 

 まず疑ったのは自分の心臓が破裂したかどうか。次に世界が終わったかどうか。どれも違う。考えれば当たり前であるが、無論その音源は他でもない揚羽の気が爆発した音であった。

 

「九鬼雷神金剛拳」

 

 二本の刀で受け止めようとして止め、回避に転じた総一郎は次の攻撃が来るまでの刹那思った。折れていた――と。

 格上――少なくとも今の一撃、それは間違いがない。一つ上の段階へ揚羽は登った。練り込まれた一撃はまさに雷神の如く金剛である。

 

「まだまだ行くぞ」

 

 あの攻撃に合わせられるかどうか――それが総一郎の死線である。

 




大学生になったんですがGW直前(投稿時)インフルになって最悪です。なんでこの時期なんだあ~(四年振り三回目のインフルです)




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伍戦――覚悟対成長2――

大学に慣れてきました、行進速度を上げていくと考えるだけ。


 その者の最大が百だとして最小が六十だとする。その者の最大が七十だとして最小が五十だとする。双方の最大と最大、最小と最小が戦ったとしてどちらが勝つかと言えば数値が高い者だろう。この数値は実力だけではなく状況や怪我の度合い、調子の良さを考慮したものだとする。

では最小の六十である前者と最大の七十である後者が戦った場合はどうなるか。

後者が勝ち、前者が負ける。これは武を嗜むものにとって常識である。「必ずしも強い方が勝つとは限らない」「時の運で勝負が決まる」これらはこの常識を表した言葉だ。

 

 つまり――

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 大苦戦の最中に居る総一郎は防御に徹していなかった。攻撃六、防御四というのが今のスタイルで時折その比率が上下する。それは適応してきたという裏返しではない、リスクを侵して成長を選んだのも理由であるが、それ以外の要因もある。

 まず調子が最大に近づき始めた。状態だけで言えば対百代戦と同じくらいである。調子から状態から全て完璧になれば今の実力で出せる最大を見せることも出来る。

 それは今まで出せなかった本気ということだ。

 

 だがまだ足りない。

 

 主導権を握っている揚羽は耐えつつ喰らい付いてこちらを見ている彼の瞳を綺麗だと感じた。

 

「(心は折れぬ、勝負を投げ出さぬ……立派な剣術家ではないか。後は本人が気が付くだけ、だからこそ稽古とは思わぬ)手加減はしておらぬぞ!現状維持が得策と思うな腰抜けの青二才が!自分よりも実力が下である我の決死に怯むなど強者ではないわ!」

 

 肘と膝に連打が打ち込まれる。関節の要が痺れて対応が遅くなればそれが些細であっても致命的になる。左足の蹴りが総一郎の脇腹を直撃した。

 語弊も勘違いもない――直撃――が総一郎を襲った。

 

「――かっ――」

 

 肋が折れたことは明白であろう、音がそれを知らせる。問題は揚羽のつま先が抉った背骨――腰椎が損傷しているかどうかだ。得体の知れない痛みが総一郎の感覚をそれで一杯にした。そしてコンマ遅れで吐いた血が内臓の損傷を決定づけている。骨が刺さったのかそれとも蹴りの衝撃なのか。

 ドラマやアニメである喧嘩ではない。気を纏った武人たちの蹴りが直撃したというのは彼らにとっての致命傷を意味すると言っても過言ではない。

 吹き飛んで地面に転がった総一郎を揚羽は追撃した。踵落としという単純な技が心臓を狙った。大振りいい大振りであるそれは流石に当たらない、間一髪で避けたが、その体では回避すらもダメージに変わってしまう。

そして揚羽の攻撃は続く。

忘れていけないのは揚羽の本質が百代寄りでも戦い方は燕寄りだ。その為に模擬戦をしたのであるが、総一郎はダメージの大きい技を避けることにしてダメージの少ない技は必要経費だと考えてしまった。この場合では最も愚かな選択である。

 HPも少ない中、毒をくらって更にパターンを決められているということだ。いずれHPは零になるだろう。この場合は死、もしくは意識を失って病院へ直行の二つだ。揚羽がその前にトドメを刺せばまた話は変わってくる。

 手加減はしない――この言葉に全てが詰まっている。

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 痛い――と感じる。脳内麻薬で感覚が麻痺すると思っていたのに全身が痛い。何故だろうか、腹の所が痛いはずなのに全身が痛い。幻覚だろうか。

 これ以上は死ぬ、辞めよう。プライド何て知らないし塚原なんてどうでもいい。ここは戦場じゃない、恥を晒して生きようじゃないか。誰か文句があるか、あったとしてもいい関係ない。蔑むか、ならば目と耳を閉じ口を噤んで孤独に暮らそう。動物たちは俺がどうなろうとも傍にいてくれる。今まで何度も辞めようとしたじゃないか。ファミリーの皆はどう思うだろうか。

 キャップは「いいんじゃねえの?人生長いし」と旅に誘ってくれそうだ。

 ガクトは「情けねえな、俺様の様なマッスルが足りないんじゃないか?」とわらわせてくれそうだ。

 モロは「僕何てまだ始めてすらいないよ。良く逃げるしね」と優しく同意してくれるかもしれない。

 クリスは「武士にあるまじき!私が鍛え直してやろう!」と喝を入れてくれるかもしれない。

 由紀江ちゃんは「人生休息も必要だと思います!」「ま、ゆっくりやろうジャン?」と松風と共に勇気を振り絞って励ましてくれるかもしれない。

 源さんは「どうでもいい……まあ働き口は紹介してやるよ」と影ながら心配してくれるだろうか。

 ワン子は「なら戻ってくるまでに超えて見せるわ!」と健気に送り出してくれるかもしれない。

 京は「いつでも帰ってくればいい……ファミリーですもの」とたまにある真面目な雰囲気で言ってくれるかもしれない。

 大和は「なんかあれば頼れよ、お前が将軍ならおれは軍師だからな」と嬉しいことを言ってくれるかもしれない。

 百代は――不満だろうな。きっと「ま、仕方ないさ」と軽く微笑みながら胸の内を明かすこと無く言うだろう。

 他にもいい人は多い。義経だって、弁慶だって、ココちゃんだって、冬馬だって、ハゲだって、小雪だって、梅先生だって、鉄っさんだって、ルー先生だって、宇佐美のおっさんだって、辰子さんだって――

 

 ――つば――

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

「――め!」

 

 唐突に意識が鮮明になった総一郎は残っていたほんの一握りの息を吐いて吸い、そして叫んだ。

 

「が、許すわけはねえな!」

 

 意識が戻ったということは意識が飛んでいたということだ。体のあちこちが激痛で覆われている、百代であれば瞬間回復を使えるのだが、どうやっても身に付けられない技もある。

 息を大きく吸って吐き、状況整理を始めた。

 

 横になったということは完全に伸されたかもしくは無意識で戦いながら吹き飛ばされて意識が戻ったか。時間の経過はよくわからない、だが痛みは増してる。揚羽との距離がある、向こうはまだまだ余裕の雰囲気。

 体は絶不調――思わず総一郎は口角を上げてしまった。

 

「よーし。気を取り直しましょう」

 

「ほう?気の練りが変わったな。満身創痍で吹っ切れたか」

 

「いえ?体痛くて仕方ないです。倦怠感も凄くて今すぐ寝たいです。まあでも――耐えれば問題ないですよね?」

 

「――はっ!」

 

 武術家の行きつくところ、それは根性ではない。そもそも武術家という者の根本に胆力がある。一胆二力三功夫というのは全く持って正しい。痛みは力と功夫で治められない、意識は力と功夫で保てない。

 

「負けねえよ」

 

 真骨頂である胆力に、総一郎はようやく――気が付いたのだ。

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

「九鬼家決戦――」

 

「総閃流――」

 

 静粛から放たれる一撃、それは交わるまでなんとも静かなものだ。

 

「――古龍昇天破!」

 

「――百斬!」

 

 だが、一度でも交われば地形が抉れるほどの爆音が響く。ヒュームはここを買い取って正解だと感じていた。既に原型は無い、ここが採石場だと言われてもだれも気が付かないだろう。

 達人と達人が全力で戦った。一般人ですらそう考える。

 

「何とも厄介だな、その技は!」

 

「そりゃあ塚原の英知ですから!」

 

 総一郎は一度切れた精神の宮殿を再度構築していた。だが呼応するように――いや、まるで寿命を削るように揚羽の気も膨大な物へ変化していく、後の後を読んだとしてもその先は総一郎の技量によって試されていた。

 

「九鬼家決戦――」

 

 ゾワリ。と総一郎は身を震わせた。相当な一撃が来ると全身が恐怖のセンサーを発した。先程から奥義の打ち合いに戦い方は変貌している。つまりは総力戦、時間経過の感覚は二人にないが既に二時間、これは消耗戦でもある。

 双方の全ては悲鳴を通り越して限界を超え、境地を迎えていた。

 

(我もここまで来れるわけだな……それが分かれば十分!あとは先人として背中を見せてやろう!)

 

(武人の決死。死人とはまた別。そして揚羽さんは他でもない俺に道を作ろうとしている……ならば俺は押し通るまで。だってこんなにも)

 

 総閃流「金剛弐斬り」

 

「楽しい!」

 

「!……我もだ、決着だ!」

 

 揚羽は飛び切り笑顔を見せると距離を取った、総一郎も同様である。

 

「次で決まるか」

 

「ええ、そのようですね」

 

 ヒュームとクラウディオ、他の者も二人の気を感じ取った。練りの練度が違う、明らかに全てを出し切るつもりで気を高めている。

 

武人としての集大成を一撃に――ではない、九撃に込める。力、技、胆力。それだけではない、思い出や心、悔しかった百代との一戦、家族の顔や師であるヒュームの教え、全てが九つの最強に込められる

 

 生まれたて。楽しい気持ちが、負けたくないという心が生まれてから数十分。二つだけであってもそれらが全てを物語っている。総一郎の本質に無かったそれらは、本当の意味で彼を剣術家という者にさせるだろう。もしかすればいつかは人を斬らねばならぬ時が来るかもしれない。だが、その時は目の前にいるこの人のことを思い出すだろう。総一郎を引き上げた人の事を。だからこそ、この――九閃――に全てを込める。

 

「九鬼家最終決戦奥義――」

 

「塚原総閃流秘伝奥義――」

 間合いは百から零に変わる。

 

「――九撃一殺――」

 

「――九閃太刀――」

 

 一で交わり

 

二で交わり

 

三で交わり

 

四で交わり

 

五で揚羽が勝ち

 

六で総一郎が勝ち

 

七で相打ち

 

八で相打ち

 

「はあああああああああああああ!」

 

「があああああああああああああ!」

 

 九で決まる。

 

「見事」

 

 汗と泥、それに反射した夕日が祝福したのは地面に倒れて陰に入った揚羽ではなく、不格好に汚い総一郎の立ち姿であった。

 

 

 

 

♦  ♦  ♦ 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと、目が覚めてスマホを見てみると夜中の二時、完全に寝ぼけておりなぜ自分が寝ているのかさえ理解できなかった。揚羽と戦って、勝った。それ以外を思い出せない。

 天井は白く、体は軽い、心なしか枕も柔らかい。

 総一郎はもう一度スマホの画面を見た、今度は時間ではなく日付である。

 

「土曜……」

 

 約二日眠っていたことに驚きを隠せなかった、後爆睡。豪快な二度寝をかますと再び目を覚ますころにはその日の十一時であった。

 医者が言うには過労――だけではなく即死レベルの傷跡が体中、もちろん皮膚だけではなく内臓も幾つか潰れたり、もしくは折れた骨が突き刺さったりしていた。

 幸い骨折と傷は既に完治している。壁越えならではの自然治癒力と此処葵紋病院、九鬼家バックアップの下で覚醒までの完治プログラムが組まれたらしい。その効果は覿面であったが、二日も疲労で起きなかったことは事実であり、退院手続きの最中でも気怠さは隠しきれなかった。

 

「総一!」

 

 葵紋病院一階ロビーの受付に駆け込んできたのは大和。島津寮で連絡を受け取ったのは彼のようだ。

 急いできたのか額から汗を垂らし息も途切れ途切れである。

 

「よう、おはよう」

 

「おはようって……大丈夫なのか?

 

「ああ、疲労感はまだ残ってる。早く温泉に入りたい……あ、つーちゃんと入ろうっかなー」

 

「よし、馬鹿言ってるから大丈夫だね。安心安心」

 

 そんな燕はひょっこり大和の後ろから現れた。おっかなびっくりの大和も見ると別行動だったのだろうか。

 話を聞くと燕の方には九鬼伝で久信に、そして燕へ情報が渡ったらしい。燕の髪が少し乱れていることに大和は気が付かなかったが、病院を出る時総一郎の指が彼女の髪の毛を梳かすと、燕はジト目で口を尖らせた。

 

 

 

 

 

 

「起きないってことはないと思ったけど、流石に心配はしたよ。割と九鬼の方も焦ってたし」

 

「まじかよ。つーちゃんが心配したのはよくわかってるけど、九鬼が焦ったって聞くと恐ろしいな」

 

「一々茶化さない」

 

 葵紋病院から島津寮へ直行すると総一郎は服を脱ぎ棄てるように風呂へ飛び込んだ。一応体は洗っている。

 勿論帰りはタクシー。のはずが、外に泊まっていたのは黒塗りの高級車、どうやら九鬼が用意した物で、運転手はクラウディオのクローンのような人であった。無駄な疲労感を感じることなく帰宅できたのは思いのほか総一郎にとってありがたい事である。

 

 湯船というか中浴場の島津風呂に浮かぶ総一郎、燕もまた温泉を満喫していた。混浴でないはずの島津寮は少しばかり桃色の雰囲気を醸し出している。

 

「しかしあの言い方だと要らぬ誤解を招くぞ、特にガクトとかちょっぴり大和とか。後はクリスとか京とか」

 

「おほほ。一番やばそうなのは京ちゃんのアタックを受ける大和クンだよね」

 

「気の毒だ」

 

 浮かせていた体を直し、湯船に座ると肩甲骨まであるワカメ髪がオールバックで纏まり、少しばかり源さんの様な雰囲気を醸し出し始めた。

 

「あらいい男」

 

「おやいい女」

 

 スーッと総一郎は燕に近づいていく。肩が触れると止まり、燕の額から流れる水滴はただの汗なのか、それともそうでない汗なのか。

 

「で、どうだった。揚羽さんとの戦いは?」

 

「んーまあ良かったよ」

 

「ありゃ、何だか歯切れ悪い?」

 

「そうか?一つ芽生えたとすれば……負けるつもりが無いって気持ちかな?」

 

 ゾワリ――半径十メートルの間に居た人間が寒気に襲われた。隣いた燕も例外ではない。彼女以外で唯一悪寒を感じた大和は思わずこう呟いた。

 

 ――姉さん?

 

 変わりのない飄々とした総一郎の少しでありながらも著しい進歩を遂げたことに気が付いた燕はその姿に惚れ直し。そして――

 

 ――一瞬でも恐ろしいと感じてしまった自分を認識してしまった。

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

「海だあああああああ」

 

 ブーメランパンツにスーパーマッスル、一見してモテそうであるが顔つきと視線がやらしく。更に少しすればモッコリしてくるのでガクトはモテない。

 F組でも特に盛り上がっているのがガクト、そしてヨンパチ。雄たけびこそ上げていないが、数十万はするカメラと酸素ボンベを持ってきているくらいにはテンションが上がっている。九鬼が監視するなかで奇跡という一枚の写真を撮ることは至難の業であろうが、彼にはそんなこと関係ないのだろう。

 

「この日の為に賭けてきた!」

 

「頼むぜヨンパチ!」

 

 そんな空しい男二人と不特定多数の男達の野望が今始まる――

 

「風間やっぱイケメンだわ」

 

「源もヤバイ系」

 

「皆さん鍛えていらっしゃるんですね」

 

「あ、京極先輩は――着物かあ」

 

「葵系は貧相な体系でも顔はヤバイ系!」

 

 野望は時に空しい。二人の代わりにスグルが嫌悪感を露わにしていた。

 

「あ、総一系!」

 

「ほんとだ、総っち!」

 

 羽黒と千花の声に反応したのは更衣室から出てきたばかりの総一郎。海パンは半ズボン型の和柄、相変わらずのワカメ髪と上半身には赤い海用のパーカーをしっかりとファスナーで絞めていた。

 その姿にF組二代女子は不満を露わにする。

 

「ちょっとーどうしてそんなの着てるの!」

 

「早く脱げ系、ていうか脱がせる系!」

 

「待て待て待て!傷とか多いし、あんまり見せない方が……」

 

「いいから脱ぐ系!」

 

 羽黒が迫る。脱がされないと分かっていてもその恐怖感は途轍もないものだった。仕方なくパーカーを脱ぐ、そうすると他クラスの女子からも感嘆が漏れ出した。

 源さんや風間よりも筋肉質且つ、ガクトの様に暑苦しくない。所謂ピンク筋で構成された肉体美は芸術作品。一つ一つの筋肉を分けるように影が出来、貧相さは全く感じられない。腹筋は割れ、腕は豪胆、胸筋も際立っており、良く見ると足もスラッと長く、そして男らしい。

 そして何といっても刀傷が浅く幾つも目立っている。稽古以外では人斬りの初戦、百代と戦うまでの間一度も傷を負ったことが無い為深い傷は少ない。だが、それがまた女子心を鷲掴みにするのだった。

 

「死ね」

 

 ガクトからの切実な願いにこたえてやれないものの、うるさい――と一蹴することが出来なかった。

 




気分転換に書く小説のアンケートがあるので良ければ活動報告を見て、コメント下さい。少ないと好きなものを書きます。


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休息は束の間

半年も更新しなくてすいません……なんでも


 満点の青空とギラギラの太陽。しかしながら暑苦しいとは思わない。

 水上体育祭はまさしく熱さを消し去る熱気に包まれていた。

 

 現在の総合順位は三年S組が一位。二位が三年F組、三位が二年F組となっている。学年順位ならず、総合順位に食い込んできたF組の活躍は誰もが予想しなかったであろう。対抗馬の二年S組も既にレースからは外れて優雅に海水浴を楽しんでいる。

 躍進の理由は三つ。風間ファミリーの連勝、特に一子とキャップの成績が群を抜いている。第二に総一郎、出た種目では全勝。弁慶との遠投対決も同率で優勝したため配点の多い種目を総なめしている。そして第三に冬馬との頭脳対決を制し、最も効率が良くそして多く点を取るために采配を行った今孔明こと直江大和の活躍である。

 

「だーい活躍じゃないか弟―」

 

「あ、姉さんお疲れ」

 

 大和が振り向くとそこには百代、そして三年の綺麗どころである燕、清楚、弓子、虎子、そして大和は初対面である最上旭が、その光景はまるで薔薇であると遠巻きにいた童貞諸君は後に語る。

 

「あれ、皆どうしたの……議長の最上さんまで」

 

「あらご存知?初めまして直江大和君」

 

 百代並の艶やかな黒髪を掻きわける旭、少し前かがみで百代よりも小さいがスクール水着で胸が強調され、大和は思わず視線を釘付けに。慌てて百代へ移すものの、百代の不機嫌な顔がそこにはあった。

 

「あら、照れちゃった?」

 

「い、いえ」

 

「むー弟を取るなよー」

 

「安心して、取らないわ」

 

「HAHA、カワイイカワイイ、オトウトネ!」

 

「それ位にしてやるで候、直江が可哀そうで候(顔を赤くした大和君も可愛いかも……)」

 

「ふふふ、可愛い可愛い」

 

「凶悪な魔女たちに大和が囲まれている、南無阿弥陀仏」

 

 女性陣の後ろから重箱を抱えてきた総一郎には非難の視線と一部渇望の視線が浴びせられる。

 

(助かった)

 

(お前って可哀そう且つ羨ましい男だよな)

 

 砂浜に敷かれたレジャーシート、十人は入れるほどの大きさ。昼時の為に大和が持参したものだ。それが功を奏して八人で弁当を突くことになった。

 クラスで食べるつもりであった重箱であるが丁度いいということで総一郎も美女に囲まれる形になった。

 

「これ手造りか?」

 

 思わず百代が唸る。

 

「ああ、カガが手伝ってくれてな。あとは源さんも」

 

 和食だらけの重箱。弓子も旭も燕も一口食べて良く頷いている。恐らくは嫁にぴったりとでも考えていたのだろう。

 

「スゴクオイシイネ!ヨメニピッタリ!」

 

「駄目で候、総一郎君は燕の夫で候」

 

「ありゃ、ユーミンはいつから総ちゃんのことを「総一郎君」と呼ぶようになったのか」

 

「ち、違うわよ」

 

「おーい、語尾がないぞ」

 

 八人で大騒ぎ。しかし傍から見れば美女六人と美男子二人が周囲に喧嘩を売っている構図だ。大和は気楽であるが総一郎はクラスへ帰還する際の言い訳をずっと考えていた。

 

「初めまして、塚原君ね?燕の彼氏の」

 

「……初めまして、ソードマスター議長最上さん」

 

「旭たんで構わないわよ」

 

「わかりました旭たん」

 

「あら、揶揄い甲斐がないわね」

 

 警戒こそしていないものの、総一郎は彼女との出会いが初めてではないことを既に理解している。それは廊下のすれ違いでもなく、河川敷で斬りかかられたとでもいえる出会いだったと。

 

「じゃあこうしたらどう?」

 

 素早い動きを見せたと思えば旭は総一郎の腕に良く実った胸を押し付けた。旭は水着、スクール水着だが薄いことに変わりはない。柔らかい感触を覚える、だが味わうまでには至らなかった。

 

「どうと言われても……ああなります」

 

旭の振り向く先には百代が怯える程度には般若となった燕の姿がある。卵焼きを食べながら笑っている。「あら」と一言だけ旭は言うものの腕は離さなかった。

 

「そういえば総一は出るのか?」

 

「あれか?」

 

「ああ、あれだ」

 

「私たちはでるよん」

 

「じゃあやっぱり私も出ようかしら、あれ」

 

「旭は大変で候」

 

「ああ、勿論俺も――」

 

 さっさっさ、と砂をリズムよく踏みつけながら走ってくる美少女の姿。勿論スクール水着ではあるが少しばかり胸が強調されているだろうか、胸元の生地が伸びている。

 

「ごめん、遅れちゃった!」

 

「おー清楚やっときたな」

 

 息を少しも切らしてきていない清楚に百代はとびかかる。抵抗虚しくコネ繰り回されるのだが、燕はそれでも百代をうまく受け止めている体幹に目を光らせていた。と横目を振るとそこには居たはずの男が居なかった。

 

「あれ、総一は?」

 

 大和も遅れて気がつくが、彼のいたスペースには不自然な空間が残されているだけだった。

 

「……やっぱり嫌われてるのかな」

 

「清楚ちゃんを悲しませる総一許しがたいな!」

 

「別に気にする必要はないで候、きっと総一郎君は照れているので候」

 

「うんうん、大丈夫大丈夫。ちょーち複雑な事情があるだけだから」

 

「そうね、見た感じ悪い子ではなさそうだし」

 

「……うん」

 

 一応の笑顔を見せたものの清楚には暗い影が落ちていた。

 理由を知っている身の燕としては些か後ろめたい気持ちが先行するも、致し方ないと腹黒い思考でどうにか紛らわしていた。

 

「で、なんでユーミンは総ちゃんのことを総一郎君って呼ぶのかな?」

 

「え、いや、ま、間違えただけよ!」

 

「キャラガクズレテイルヨー」

 

 

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水上体育祭も終盤。三年S組と二年F組の優勝争いという番狂わせとなったこの状況。例年に無いほどの熱気に包まれ、万年仲の悪い二年S組の何人かもF組の応援をするほどである。次の競技でF組が二位、S組がそれ以下でFの優勝。F組が三位を取った時点でS組の優勝となる。

 だが、最終戦。今まで活躍していた大和の知恵は圧倒的な力の前に平伏すこととなる。

 

「最終競技は儂自ら説明するぞい」

 

 壇上にあがる鉄心。その姿を大和は恨めしく見ていた。

 

「各クラス対抗――名付けて「川神ビーチバレー」じゃ!」

 

 ビーチバレー。ただそれでだけであれば戦略の立てようがある。だが問題なのは「川神」の二文字が付くこと、そして各クラス対抗で人選に一切の制限がないことにある。

 十中八九トリッキーなバトルになる。そして十中八九壁越えが勝敗のカギを握る。大和は己の無力さに嘆きを感じていた。

 

「大和」

 

「……総一」

 

「安心しろ、俺がしっかり取って来てやる」

 

「……頼んだ」

 

「私も大和の期待に応えるよう頑張るわ!」

 

 総一郎と組むのは一子、だが嘗ての一子ではない。総一郎によって大幅成長した一子である。この体育祭でも総一郎に続いての成績を取っている。

 

「頑張れよ総一、ワン子!」

 

「無理しないでね二人とも」

 

「ぜってえ勝てよ!」

 

「負けんなよ、一子」

 

「総一、犬、ファイトだ!」

 

「頑張ってね、二人とも」

 

「ここまで来たら取って!応援しか出来ないけど」

 

「無理してでも取る系だから、私系の愛があれば大丈夫系」

 

「いっぱい写真撮ってやるからなあ!」

 

「おいしいもの準備して待ってるからね」

 

「いざとなれば雷神拳を使え」

 

「川神、塚原、ベストを尽くすのだぞ!」

 

 コートに向かう総一郎と一子の後ろからは多大なる信頼を基にした二人の心を昂らせるには十分ともいえる声援が聞こえてきた。仲間意識の強いF組ならではの光景である。

 すると総一郎は一子に手をぽんと置いた。

 

「ワン子」

 

「ん?」

 

「勝ちたいか?」

 

「もちろんよ!」

 

「そうか……じゃあ全力だ」

 

「!?」

 

「相手は手練れだぜ、やれるか」

 

 一子はぐっと拳に力を入れてそのまま総一郎に向けて放った。殴ったわけではない、それを掌で総一郎が受け取った。決意の表れである。

 それに応えるように総一郎も拳に拳を合わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、ワン子と総一か」

 

「そっちはバケモンと腹黒か、反則かよ」

 

「ひっどーい。あとで仕返ししようねモモちゃん」

 

「お姉さま……」

 

 見渡すと二人組のペアが各クラスずつ、全員が最終戦とあって気が昂っている。すると壇上の鉄心がルール説明を始めた。

 大まかなビーチバレーのルールと踏襲。鉄心が指名した人物は十キロの重りを付けることとなった。そして肝心な特別ルール。

 

「へえ、最悪に悪趣味だな」

 

 アタッカーとディフェンダーの固定。アタッカーはアタックもしくは得点に結びつくブロック、サーブしかしてはならず。ディフェンダーのみにレシーブとトスが認められる。もちろんボール触れていいのは三回までである。つまるところディフェンダーの負担が大きい。レシーブしたボールをトスまでしなければならない、尋常ではない体力を消耗することになる。

 

「ワン子、どっちやるか?」

 

「……もちろん――」

 

 試合はトーナメント戦、各部活の部長など運動に自信がある者が出場している為どれも目を見張る試合となっている。だがやはりどうしても壁越えチームの圧倒性は改めて異常であった。

 そして大会ベスト4が揃い踏みで壇上に並んでいる

 

「えー実況は天使の守護者こと井上準。実況は惜しくも準決勝で敗れた一年生であるヒュームさんに来てもらっています。絵面的には全く一年生には見えませんが」

 

「ふん。俺に掛かれば一年生を演じることも容易い」

 

「あ、あははは……そ、それでは気を取り直して選手紹介に参りたいと思います!

 まず一チーム目――やはり連携力の練度が違うか!完全にシンクロした源氏チーム、源義経と武蔵坊弁慶!」

 

「皆ありがとう!」

 

「ういーす」

 

 主に二年生、やはり男子の黄色い歓声があがる。だが義経の人望もあってか生徒全般の声が多い。

 

「続いて――意外ともいえる二人、しかし成績は圧倒的だ!普段は文学少女、普段は清廉な評議会議長。葉桜清楚と最上旭!」

 

「応援ありがと!」

 

「行けるところまで頑張るわ」

 

 義経達とは違い三年生の声、清楚には男たちの歓声、旭には三年生全員の声がかかる。流石評議会議長ともいえる人望、根の張りようは義経以上である。

 

「続いて――やはり優勝はこの二人なのか!川神が、日本が誇る武神と突如現れた武闘派美少女こと納豆小町。川神百代と松永燕!」

 

「もっと私を楽しませてくれ」

 

「私がここまでこられたのは単に粘り!スポンサーの皆さん松永納豆を願いしまーす!そこで試供品配っています!」

 

 女子と男子、全校生徒を一瞬で虜にするような歓声。最強、そしてそれと渡り合える二人の実力に比例するような盛り上がり方である。

 

「そして最後――準々決勝では一年生コンビである紋様とヒューム君という優勝候補と死闘を繰り広げ見事ベスト4に勝ち上がった二人。今最もホットな男、そして最も番狂わせともいえる武神の妹。塚原総一郎と川神一子!」

 

 ドンっと女子の声援が矢の如く浴びせられる。が、それを掻き消すように太鼓と不格好な泣きはらしたような二人を応援する声が響く。

 

「フレ―フレー総一郎!フレ―フレーワン子!」

 

「負けるな総一!負けるなワン子!」

 

 そこへ、二年F組へ視線が集まる。だが彼らは羞恥心などどこかに置いてきたように人目をはばからず叫んでいた。しかし、それをかっこ悪いと中傷する人間はそこに居なかった。

 

準決勝 源氏TEAM対武神小町TEAM

    文学TEAM対根性TEAM

 

 

 

 

 

♦   ♦   ♦

 

 

 

 

「さーて準決勝第二回戦が始まります。えー実況は引き続き井上準で参りたいと思います。そして解説にはヒューム君と先程の試合で惜しくも武神小町TEAMに負けてしまいました源氏TEAMの義経さんに来ていただいてまーす」

 

「ふん」

 

「負けたことは悔しいが精一杯やろう!」

 

「さて、では早速。ズバリ両チームの特徴はなんでしょう」

 

「文学TEAMは何と言っても底知れぬ強さだな。偶然の様に見せかけてやっていることは的確だ」

 

「ああ、特にあの最上という女、途轍もない力を秘めてそうだ」

 

 わっと歓声が上がる。両チームがコートの中に入った。

 

「では根性TEAMはどうでしょうか」

 

「根性TEAMはある意味ではまさに名前の通りだ。けれども総一郎君の攻撃は正確無比、あのボールを止めるのは義経でも至難の業だ」

 

「……ふん。あのチームの評価できる点はディフェンスだろう。侮ればその分失点に繋がる」

 

「おお、解説のヒューム君がそこまで言うとは驚きです」

 

「おい、今まで何も言わなかったが、敬意を払え」

 

「え、いや、だいじょ――――――」

 

 海辺に断末魔が広がる。けれども既に熱気は上々、準の叫び声もかき消されるくらいに激しい応援合戦になっている。それもそう三年S組対二年F組――これが天王山である。

 文学TEAMのオフェンスは葉桜清楚。正確性に特筆すべき点はないが、コートには必ず入る、桁外れなのはスパイクの威力だ。弁慶に劣らぬ威力でディフェンスごと吹き飛ばす。対してディフェンスは最上旭。しなやかなレシーブで全ての力を相殺、余裕をもってオフェンスにトスを上げる。

 根性TEAMのオフェンスは総一郎。上がってくるボールをただ待つのみのオフェンス。正確無比、威力十二分、必ずラインにボールを打ち込んでくる。

 そしてディフェンスは彼女しかいない。

 

「ワン子ー頑張れー!」

 

 風間ファミリーの切り込み隊長こと川神一子である。

 彼女のディフェンスが異常であることに観衆が気が付いたのが前試合、相手はヒュームと紋白のチームである。ディフェンスにヒュームが回っていたが、紋白の実力も中々のものであった。だが、一子はライン際に落ちてくるボールを一心不乱に拾い上げ、このビーチバレーにおいて壁越えと遜色ないという評価を受けたのだ。

 

「だがアレは体力に頼り過ぎている。何時かは力尽きる、この試合か、それとも次の試合か」

 

「だ、だが一子さんの一生懸命さに義経は感動した」

 

「まあ、気骨は認めてやろう。良い赤子よ」

 

 ヒュームがそう評価を下すということは、つまりそうなのだろう。かつてはここまですらも来れるか危うかった才能をここまで結果に繋げられた。

 総一郎もここまでは満足であった。

 

「ワン子、これから堪えるぞ」

 

「やってやろうじゃない。あくまでも根性で掴み取ってみせるわ――F組の優勝を!」

 

「その意気だ」

 

 そんな二人の姿を旭は微笑ましく見ていた。

 

「まあ簡単に負けてはあげないわよ」

 

「私も出来るだけ全力は出すよ」

 

 

 今、水上体育祭優勝決定の天王山、その幕が明ける。

 




長崎で更新しました。
明後日は天神に行きます


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懸念

誤字がありましたらどうぞご報告下さい


「あ、あれはオーストラリアンフォーメーション!」

 誰かがそんなことを叫ぶ。

 総一郎と一子はコートの中で一直線になる形、前と後ろでそれぞれ構えていた。サーブは文学TEAMだ。

 流石の総一郎も相手が相手なので深い呼吸で精神を統一する。

「テニスじゃねえぞ……」

 そんなツッコミを一人口に出して気持ちを落ち着かせる。中々無かった、人に応援されるということ。新鮮な気分と共に今の環境に感謝する他ない。そして一子がこれほどまでに身を削っていることに対して、少しでも報いてやろうという気持ちが彼の中に先行していた。

「集中だ、一子。見るのではなくて感覚で受けろ、冷静になるのはその後だ」

「……はい」

 後ろに振り向く必要はない。総一郎は思わず背筋を張ってしまう――その獰猛、まるで自分の背中に腹を空かせた獅子がいるようで。

 余計な口数は一子の集中を逸らしてしまう。総一郎はもう一度深い呼吸を、更に深く、深く――深く意識の底に潜った。

(やけに上手く入ったな、慣れてきたのか?)

 滲み出る静の穏やかな気。まるで身を纏う湯気だ。

 その領域に入るには時間がかかる、それは嫌というほど実感してきたことだろう。そんな彼だからこそ違和感があったのだろう。だが周りから見ていた手練れはそんな彼の状態を見て驚愕していた。

「ほう……また一つ上に段階を引き上げたか。揚羽様との――いや、まさしくあれは小僧の努力、それの賜物か」

「ほっほっほ。頑張っておるようじゃな」

「とても洗練された気ネ、前戦った時から成長した、嬉しいヨ」

「凄いですね……私達も頑張らなくてはいけませんね」

「まゆっち……ああ、あそこからまだまだ伸びられるんだ、僕だって」

「……義経も精進しなくては!」

「あーあ、総一がまた遠ざかっていく。ま、燕さんがいるから無理か……」

 ヒューム、鉄心、ルーなど名だたる達人たちが明確に成長した雛を称賛。そんな中一際喜びが大きかったのは勿論百代であった。

「おい燕、凄いぞ私の好敵手は。まさか負けないよな」

「落ち着いてモモちゃん。絶対とは言い切れないけど勝つよ」

「そうだよな、そうだ。なんたってあんな「綺麗」な気を纏えるんだ」

「フフフ、そうだね」

「ああ、それに――自慢の妹が頑張ってるんだ、負けるわけない」

 試合開始の笛が響く。

♦  ♦  ♦

 ラリーは思ったよりも続かなかった。これはどの試合をとっても言えることだ。やはりディフェンスの負担が大きい分、オフェンスの攻撃力と正確性が高いと不利になる。故にいかにディフェンスがボールを受けるか、それが今回の勝敗を分けていた。

 そして準決勝第二回戦の試合は文学TEAM優勢で進んでいた。一セット目は文学TEAMが先取、現在二セットも文学TEAMが十六対十四でリードしていた、これを取られれば根性TEAMの敗退が決まる。数字だけで言えばそこまでの大差はないかもしれないが、問題は一セット目の結果だ。

 二十一対十で文学TEAMの圧勝が少なからず観客に衝撃を与えていた。

「根性TEAM苦戦していますね、タイムアウト間にどうにか立て直してもらいたいところですが、ヒュームさんこの試合運び、どう思われますか」

「あの娘はよくやっている。だがそれを生かせん小僧が悪い、これに尽きる」

「確かに塚原君の動きが悪い様に見える……何かあったのだろうか」

 文学TEAMの圧勝と共に驚きを与えたのは総一郎の不調。試合前まではあれ程完璧とも言えた気が乱れ始めたのと同時に点に差が付きはじめた。その原因を知る者は総一郎と燕を除いて誰もいないだろう。

(まずいなー、完全に飲まれてる。向こうも気が高まって溢れ出てるし、総ちゃんの気が洗練されればされる程逆効果になってくる……厳しいか)

「悪い、一子……」

「うんうん、気にしないで。初めの勢いがあればまだ取り返せるよ……それにしてもどうしたの?」

「……よし、一子俺をひっぱたけ」

「ええええ!……いいの?」

「どんとこい!」

「じゃあ――」

 喧騒の中に静粛、その中に響いた破裂音。実際は破裂などしていないのであるが、ある意味では彼の何かが弾けたかもしれない。

「しゃあああ!」

 と、取りあえず総一郎は叫んでみた。

(思ったよりなんも変わんねえな!)

 タイムアウトも終わり、コートに戻る。そうすれば総一郎の眼前にはある意味天敵、冗談ではなく天敵の彼女、葉桜清楚。またの名を項羽。そんなことは彼女にとって関係のない事だろう、何故か分からないが正体は隠され、恐らくは封印されている。

 だが、総一郎としてもそんなとこでいつまでも躓いている訳にはいかなかった。自分の為に戦っているわけではない、勝利を望むもの、後ろで身を削り自分に全てを託してくれている友であり弟子である一子。それを蔑ろにはできない。

「清楚さん」

「!?……な、なにかな」

「どうも、塚原総一郎です。自己紹介が遅れました」

「あ、はい。葉桜清楚です。あの……なんかごめんね、迷惑かけてるみたいで」

 その一言を聞いて総一郎は絶句した。

 仕方ないとはいえ自分が彼女を避けていたのは事実。それを咎められることはあっても謝罪されることはない。だが彼女はまず思ったのだろう――自分が悪い――自分が何かをした――と、また反対に総一郎という人間の話を聞いて彼が無暗に人を無視する人でないことも知っているのだろう。事実、清楚はよく人に塚原総一郎という人間について聞いていた。

 避けられるのは重々承知で、だがそれでも仲良くしたいと。

 総一郎の奥底から湧いて来たのは闘志とそして怒りであった。

「俺、清楚さんの事嫌いじゃないっす。好きっすよ、人間として。だからこんで燕やモモちゃんとご飯でも行きましょう、奢りますから」

「――――うん!あ、でも奢るのは私、先輩だから!」

「……はい!」

 力強く総一郎は返事をした。心は晴れ晴れ、そして――一瞬だけ、いや、それで充分と言えるほど強烈な殺気が解説席、ヒュームの下へ向けられた。

「……ふん」

「……はっ」

 吹っ切れた彼の、彼等の戦いは続く。

♦  ♦  ♦

「さあ、第三セットの始まりです。第三セットは十五点マッチとなっています。いやーしかし根性TEAM、見事な逆転劇でしたね」

 

「一子さんのレシーブ技術には驚かされる」

 

「小僧もようやく戦力になりだしたな」

 

 土壇場で盛り返した根性TEAM。三セット目は十五点マッチとなるが、勢いは確実にそちらに向いていた。それでも向こうは負けられない戦いに変わりはない。何せこれは天王山、勝った方が総合優勝となる。

 

「ごめんね旭ちゃん。私が決められないばかりに……」

 

「ううん、清楚は悪くないわ。元々ここまで来たことが凄いのだから」

 

 負けを覚悟したかのような弱音に旭は首を振った。まさしくそうであろう、悪いのは清楚ではない。そう彼女は考えていた。

 もし、自分が本気を出せたのなら――と。

 自身の謎に気が付いているのはそう多くないだろう。総一郎と数名。その中でも旭の正体に気が付いているものは一人としていないはずだ。旭には正体を明かせぬ、已むを得ない事情がある。

 だが――と考えてしまったことに、旭は少しばかり高揚を覚えた。

 

(お父様、怒るかしら……駄目ね)

 

 サーブを打つ彼女の姿はどこか儚げ――寂しげに見えたと総一郎は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 終わってみれば十五対十。根性TEAM、総一郎と一子。そして二年F組の勝利であった。苦戦を強いられた試合運びとなったが、二人の周りにはF組のメンバーが集まって喜びを噛み締めている。

 反対に三年S組は意気消沈――とは行かず。二人称えながら涙を流している清楚を慰めていた。またあれもこの学園の集大成の一つ。学年の違いでS組にすら違う色を付ける。総一郎はそれを温かいものだと感慨深く思いながら――

 ——その闘志に向けて宣戦布告を切った。

 

「さーて、対決なんて久しぶりじゃん?」

 

「まーっていたぞ、総一」

 

「私も久しぶりだね、総ちゃん」

 

「悪いけどうちには今大会ナンバーワンリベロ&セッターがいるんで、負けないから」

 

 三人の視線は一つの場所へ集まる。

 

「ふふ、そうだな。見せてくれ私にお前の成長した姿を」

 

「――――望むところ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♢  ♢  ♢

 

 

 

 

 

 

 

 川神ビーチバレー決勝。

 水上体育祭の最後にふさわしい舞台となったのは他でもない。武神こと川神百代、納豆小町こと松永燕の武神小町TEAM対と塚原家当主こと塚原総一郎、武神の妹で今大会もっともホットな少女こと川神一子の根性TEAMが対決。誰もが息を呑む対戦マッチとなった。

 根性TEAMのオフェンスは総一郎、ディフェンスは一子。そして武神小町TEAMのオフェンスは百代、ディフェンスは燕。前者のチームはお墨付きの布陣であるが、後者の方はそれ以外が無いとまで言える当たり前である。

 パワーの百代とテクニックの燕。

 対して根性TEAMはここに来て戦力の均一差というところに綻びが出てくることとなる。

 

「……」

 

 一子の居る位置、その左側には大きく抉れた地面。幸い砂であるためすぐに元に戻すことは可能であるが、問題点はそこにない。一子が一歩たりとも動けていない点にある。

 十二対十二。勝敗の行方という点ではまだまだ拮抗している展開ではある。だがそれは今のところ百代、総一郎の両者が必ず点を決めているからでしかない。それが崩れれば負けに繋がる。

 

「一子……」

 

「大丈夫、取る……だから必ず決めて」

 

 集中力は切れていない。反応できていないわけではない。

 一本に的を絞り、一子は集中力を高めていた。

 

「燕、取れないか」

 

「いやあ、流石としか。今までの試合が嘘のようだね……でも」

 

「でも?」

 

「百ちゃんには悪いけど、必ず勝つ試合になると思うよ」

 

「……どういうことだ?」

 

 燕はその問いに只微笑むことしかできなかった。それは腹に抱えた黒いものではなく、人の限界を知っているからでしかない。

 

 

 

 

 

 

 

「あああああああああ!」

 

 ボールが高く上がる。そのボールはまた落ちるが、それを彼女はそのままにはしておかなかった。もう一度高くそして軽く、押し出すようにして彼にそれを託した。

 

「任せられた!」

 

 コートの右側から左の端まで飛ぶ、するとそこには呼吸が合ったように空中にボールが漂っている。

 総一郎はただ腕を振り下ろすのみ。

 

「決まったああ!怒涛の三連続得点!一セット目は武神小町TEAMでしたが二セット目は根性TEAMがまさに根性でもぎ取りました!」

 

 井上の実況と共に観衆が沸く。総一郎と一子の片腕のハイタッチは何とも言えない、人の涙腺に語り掛けてくるものがある。

 

「一子さんのファイトは凄い、加えてそれにこたえる塚原君もカッコいいと義経は感涙の極みだ」

 

「――ああ、だが……」

 

 ヒュームが口を濁した。初めの頷きは心から一子に称賛を与えるものであったのだろう。だがその後に続く言葉は決して穏やかなものではなかった。それは義経も同様、言葉こそ輝いているものだが、表情は険しい。

 

 それは徐々にどの生徒にも分かるほど明白な事実であった。

 

「―――――――はあ――――――はあ――はあ」

 

 一子は総一郎とタッチしたままその手を握り続けていた。いや、握り続けていたのは総一郎の方だった。

 汗で前髪はずぶ濡れ、髪から汗が滴っている。息は途切れ途切れ、呼吸するのがやっと。恐らく総一郎が腕を離せば倒れてしまう。気丈に振舞っている足は心なしか華奢に見えた。

 

「はあ……はあ……」

 

「……一子」

 

「まだやれる……」

 

「一子――」

 

「――まだ……やれる!」

 

 信念の籠った瞳であった。光が見える瞳というのはこの事だろうか。今燃え尽きてもよい、こんな試合ですら身を投げ打つ覚悟がある。壁を越えた者同士がする本気のスポーツについていくだけ。それに命すらもかけなければいけない。

 それが一子の選んだ茨道の現状であった。

 誰も止められる者は居なかった。

 

「ワン子」

 

「……お姉様」

 

「私にお前の限界、見せてくれ」

 

「……はい」

 

 コート変わり、三セット目。点数変わって十五点マッチ。

 百代と燕、総一郎にも勿論疲弊は感じる。いくらスポーツとはいえ、遊びとはいえ、彼らがそれを本気でやっていることに違いはない。そしてそれに食らいつく一子の疲弊具合は火を見るよりも明らかであった。

 理由は簡単。今までも全力で試合に当たってきた、それが壁越えであっても。そのツケが決勝戦にきている。そして現状相手のオフェンスが百代で為だ。全神経を集中させて一手に絞りそれを見極める。それにかかる準備はただそこに居るだけに見えても多大な労力を要する。

 いわば完全なガス欠。初めから無理な話ではあった。

 一因は総一郎にもある。準決勝で無能を晒した彼の尻拭いをしていたのは彼女だ。いくら覚醒していない清楚とはいえ攻撃力は相当なものであっただろう。ボールに手を当てて弾く程度では済まされない、踏ん張って返さなければ通じない。

 そして百代はそのパワー型の最たる相手だ。

 

 九対九。一子は自分のターン以外全く動いていなかった。サーブすらもただ上げるだけ。ただ一点、ただ一点を目指していた。

 

「悪いね」

 

 そう一子は聞こえた。すると自分の横に大きな衝撃が伝わる。

 

十対九。自分たちの方に点数が入るはずの場面。それだというのに点数は相手の方へ入っていた。

 

「狙ってやがったのか」

 

「まあ、私も馬鹿じゃないんでね」

 

 燕と百代の姿が一子の目に映った。

 圧倒的な姿、総一郎の後ろも守れない。

 到達できない壁の向こう。

 

 気が付くと点数は十四対十三、武神小町TEAMのマッチポイントだ。

 自分がサーブを打つ、ひょろっとした何でもない玉だ。誰でも取れる。だが帰ってくるボールは世界中でも何人取れるか分からないような剛速球。先ほどまでは全神経を使い、どうにか何度かそれに食らいついた。

 だが今では並のボールですら取れないような状態にいる。歩くだけで、酷いサーブをするだけで、何とか相手からのサーブを取るだけで。

 

 視界にあったのは黒髪の何かが飛び上がる所、それは総一郎だったか、それとも百代だったのか。一子には分からなかった。

 

 ただ動いたのは体。動力は良く知っている気と最近覚えた気。そしてボールを受けた右腕の痛み、そして歓声。

 

 覚えていたのはそこまでだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ワン子!」

 

 百代が一子に駆け寄る。燕も同様だ。ただ突っ立っていたのは総一郎、救護のルーも駆けつけてきた。

 

「返事をしろ、ワン子!」

 

「百代、落ち着きなさイ!問題はない、ただ意識を失っただけダ!安静にすればすぐ目を覚まス」

 

「――っ!」

 

 静まり返った砂浜に見かねた鉄心が一言「選手気絶の為、武神小町TEAMの勝利!最後まで健闘した両チーム、そして川神一子に拍手を!」

 すると思い返したように喧騒は元に戻った。どこからも全員を称える拍手、そして一子を称える声が相次いだ。

 

「すっげえ根性だったぞ!」

 

「かっこよかったぞ!」

 

「俺と付き合ってくれ!」

 

「お嫁さんにしてください!」

 

 完全に気絶している一子には声は届かない。だが百代はそんな声を聞いて少し安心したのか笑みが零れていた。

 反対にF組は喜びにあふれては居たが殆どの者が涙を流していた。

 

「よく頑張ったぞワン子!」

 

「感動したワン子!」

 

「犬……お前に恥じないように生きよう!」

 

「ワン子……えらいえらい」

 

「泣かすぜワン子!」

 

「皆お前のことを誇ってるぞワン子!」

 

 ファミリーを筆頭に担がれるワン子に称賛が与えられる。解説席の義経は完全に大号泣、弁慶がそれを肴にしている。ヒュームも珍しく称えてはいるものの、少しばかり浮かない顔を見せていた。

 

 「どうしたの、総ちゃん」

 

 総一郎は運ばれる一子を只見るだけ、燕に心配そうに声を掛けられ初めて意識をこの水上体育祭に戻した。

 

「い、いや。何でもない……おめでとう、燕」

 

 すると総一郎は足早にそこを去っていった。

 

 

 

 

♢  ♢  ♢

 

 

 

 長かった水上体育祭。

 総合優勝二年F組。MVPは誰もが予想しなかった――本人を除くF組のメンバーは予想済みであったが――大和が栄冠に輝いた。本人は度肝を抜かれていた。どうやら一子か総一郎が取るとばかり予想していたらしい。確かに点数への直接成果は少ないが、その手腕は間違いなく確かなものであった。

 

 そんな体育祭、波乱の幕開けとしては上々なものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 と、全てが終わり。打ち上げも後日へ持ち越された日の夜。河川敷でただ一人総一郎は暗い顔で佇んでいた。

 彼が頭を悩ませている原因である一子は数時間後に意識を取り戻し、様々な人に称えられ、特に百代、鉄心、ルーに褒められたことが嬉しくて仕方がなかったらしい。一つ疑問に思ったのがその場に総一郎が居なかった点だろう。

 総一郎はそれらを纏める全ての懸念に眉間の皺を寄せていた。

 

「危険なものではあるな、儂はそれで死んだ者を知っておる」

 

「……俺も重々承知している。あの場で気が付いたのは俺と、あとはヒュームさんくらいか」

 

 総一郎は彼の中に眠る老人、卜伝と会話していた。

 

「本来は相容れない二つの気、それが同時にあれば……それは危険だ」

 

「……あの一瞬。百代のボールを受ける時に感じた気がそれならば――対処しなければならない」

 

 夏の生ぬるい風が吹く、陰湿な、ジメっとした風。

 

「最悪、武という道を絶たせねば―――――斬ってでも、一子を」

 

 その言葉はかつての人斬りとは違い、どこか不安と嫌悪ではなく、使命感と信念によって構成されていたかのようにも聞こえた。

 




なんだか意欲が沸いてるぞ


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陸戦――拳対己――

すいませんサボってました。


 総一郎が卜伝との問いかけに思考を耽らせていた河川敷、島津寮への帰宅を考え出したころ、一人の来客が夜の暗闇から訪れた。無精髭とヨレヨレの服を着こなすその男は釈迦堂。夜が異様に似合っていた。

 

「よう、坊主」

 

「どうもっす。日取り決まりましたか?」

 

 塚原十二番。揚羽と釈迦堂の試合が前後したのは他でもない釈迦堂が何故か延期を申し出てきたからだ。

 本来は六戦目が揚羽であったが、それは釈迦堂に変わった。というか六戦以降の試合は対戦者未定の為で目処もたっていない。もしこれ以上釈迦堂が延期するというならば総一郎も早急に対戦相手を見つけなければならなかった。

 

「今からだ」

 

「は?」

 

 連戦の疲労は余りない、水上体育祭の疲れは体が動かなくなるような疲労でもない。それでも壁越え同士の戦い――それも総一郎が望んでいるのは自身の糧になる本気の戦い。必ずしも力を最大限出すものでなくとも、本気になれるような戦い。由紀江との戦いはこちらの本気度は最大ではなかったが、向こうは限りなく本気であり、総一郎の心は本気であった。前戦の揚羽との試合は確実な本気だっただろう。限界を超えた相手との戦い、まさに総一郎の望み通りだった。

 しかし釈迦堂の申し出は明らかにニーズにこたえるものではなかった。

 

「いや、流石に今からは……」

 

「安心しろ――一発で終わる」

 

 何を言われたのか、一吹きの風が吹くまで理解できていなかった。

 だが、髪が靡いた時の総一郎の表情は臨戦態勢に入った武人の眼と表情だった。だが、それに相対するように釈迦堂は手を振った。

 

「ちげえよ。お前を一発で倒すわけじゃねえ。まあ、なんつうのか……俺じゃ勝てねえだろうから、一発だけ殴らせろ。俺がお前に教えてられるのは男の拳くらいだ」

 

 呆気に取られた。それが心からの思いだろう。

 かつては神童とされ、才能だけならば百代にも劣らない。しかしながら素行の悪さなどが目立ち、川神院の師範代を下ろされ、そして破門され。プライドと傲慢さに実力も紛れてしまった。

 そんな彼が気恥ずかしそうに頭を掻きながら「俺じゃお前に勝てない」というその姿は総一郎の心を掻き立てた。

 その薄笑いの表情の奥にはどれほどの葛藤があったのだろうか。対戦を延期してまでも模索し、自身が戦い、そして総一郎へ何かを残してやれること。それほどまでに彼を思い行動したこと、そしてその決断を自らの心の中で下したこと。鉄心やルーが聞いたら一体どう思うだろうか。

 板垣兄弟と出会い、そして総一郎と再会し、釈迦堂は変わった。しかし、プライドを捨ててまで「勝てない」といえるまで、人というものはそう簡単には変われない。

 それでも。そう決断した釈迦堂に総一郎は最大の敬意を持った。そしてその一因となれたことに誇りを持った。

 

「そうすか。じゃあ……お願いします!」

 

「おう、一発食らって伸びんなよ?」

 

 急激に高まっていく動の気。確かにこれは凄まじい、これほどの天才が果たして自分たちのように鍛錬をしていたらどうなっていたのだろうか――総一郎はそう考えてできうる限り歯を食いしばった。

 拳が眼前に迫る。世界最強の拳ではないかもしれない。でもその男の拳には、拳というものに必要なものがすべて揃っていた。

 

 

 

 

 

 

♢   ♢   ♢

 

 

 

 

 

 島津寮に帰った時と学園に登校した時の一騒動はそこそこだった。おもいっきり殴られた跡のある頬への追及は帰宅後もそうであったが、登校してから鉄心とルーからの聴取などが主であり、表立って大きくはならなかった。だがそれは別の要因も存在していた。

 朝、ホームルームの最中に流れたテレビ。そこには旭の父親である最上幽斎の姿と、娘である最上旭が旭将軍こと木曽義仲のクローンである、ということが発表された。これは九鬼すらも全く認知していない事態であり、生徒には直接関係こそないが、世界的または九鬼的には相当規模の事案であった。

 しかも木曽義仲といえば義経の従兄弟であり、テレビでは手練れを素手でいなすほどの実力を見せていた。源氏組からしても驚愕の事実であった。

 

『なあ知ってたか?』

 

『いや?ただものではないことしか知らなかった』

 

『だよな。私もこの前の体育祭で薄々勘付いてはいたけど……』

 

 ホームルーム直後に総一郎宛のメールが百代から数件届いた。

 何かしら彼ならば知っていたのでは?という漠然とした予想があったのだろう、しかし総一郎もまさか旭がクローンで、しかも木曽義仲であるとは予想していなかった。これは燕も同じである。彼女のことを調べはしたものの、そこまでを知ることはできなかった。

 

『これは壮大だね』

 

『義経辺りで問題が起きそうだな』

 

『なにか他にコメントは?』

 

『妬いてんじゃねえ、太陽より燕派』

 

『舌』

 

 それ以上燕から返信はなかったが、彼女も思うところがあるのだろう。休み時間にSクラスへ行こうと総一郎は考えていた。

 そんな風に考えて休み時間を迎えるとクラスの後ろからドンっと気がぶつかる音を感じた。視線をやると高速で廊下を通り過ぎる百代の姿、遅れて少し騒ぎが起きていた。

 弁慶、マルギッテ、そして総一郎が予てから感じていた旭の気が際立っている。人ごみをかき分けながら大和と共に二年S組へ向かった

 そこには気に当てられた猛者共がいくつか。

 

「はいはい、気を静めて静めて。ほら、百代もつーちゃんも教室に帰って。金髪執事も戻って。マルギッテ!トンファーをしまえ!野次馬も散れ散れ」

 

 なんで自分が、と思いながらもなし崩し的に事の仲介に入った総一郎は百代の文句とマルギッテのメンチ、ヒュームの小言に晒されながらもこの場を収めた。

 しかし、教室への帰り道。そこには事の渦中にいる最上旭が待ち伏せしていた。

 

「思ったより驚かないのね、お姉さん悲しいわ」

 

「驚きましたよ。まさか木曽義仲のクローンだなんて、つーちゃんもそこまでは分かってなかったみたいですし」

 

「でも、些か反応が薄いわよね」

 

「実力の宛はつけてましたからね。ま、こちらに害がなければいいですよ」

 

「あら、脅し?」

 

「あんたの親父さんがどういう人物で、いったいどういう計画を画策してるか知らないですけど。あんまり松永燕を煽ってると痛い目見ますよ」

 

 クールコアを気取る旭の表情が刹那消えた。取り繕った微笑は恐怖そのものだろう、総一郎には通用しなかったようであるが。

 

「……そうみたいね。あんまり仲がいいから少しちょっかい出したくなっちゃって。ごめんなさい」

 

「いえいえ、何もなければいいんですよ。それに――何かあればあんた程度の侍たいした労力もかからないので」

 

 今度こそ旭の表情は消え失せた、代わりに冷徹な気が彼女を纏う。それに相対するよう、総一郎の顔は普段彼が見せないような微笑で。燕ではなく、本質的に怒りを露にしているのが総一郎であることに気が付くのは旭にも容易であった。

 

「気を付けるわ。お父様が総一郎君に会いたがっていたけれど、機会があればにしておくわ」

 

「機会があればお誘いください。何もなければいいだけなんで」

 

 スーっと旭は「ごきげんよう」と言い、総一郎の横を通り過ぎた。キンキンに冷えた廊下、先ほどのS組の騒動よりも生徒からすればよっぽど恐怖に値する出来事であった。

 

 

 

 

 

 

♢  ♢  ♢

 

 

 

 

 旭の正体。それは確かに衝撃があるものであったが、総一郎からすれば大したことでもない。現状彼は対戦相手を探すことに精を出していた。

 宛にしていた天衣は九鬼伝手から正式に断りのコンタクトがあり、鉄乙女も断れたらしい。あと六人。鉄心は最後と決まっているため正確にはあと五人だ。手練れという点に関して言えば義経、もしくは先ほど啖呵をきった旭。しかし軽くとはいえ義経は一度戦っているし、旭はそもそも戦ってくれないだろうと総一郎は考えていた。頼もうと思えば頼める人物はいる。しかしそれはお眼鏡という点では全く合致はしない。

 

 総一郎は帰路、多馬大橋に一際目立つ黒塗りの高級車、そしてその横で優雅に腰かけている人物に出くわした。

 

「どうも、ヒュームさん。何か御用ですか」

 

「相手探しに苦労しているようだな。当たり前だ、お前に合うような手練れはそうそう見つからん」

 

 普段のヒュームの口から出てくるような言葉ではなかったが、総一郎はそのあとに続く言葉に期待を込めていたためそれを茶化すことはなかった。

 

「どうやら今回の一件で手練れが数人川神に入っているようだ。戦いたければこちらが手配しよう、実力は見劣ることはない。少なくとも今の橘天衣よりは戦えるだろう」

 

「……一体どんな相手ですか。ヒュームさんがそういうならこちらとしても疑う余地はありませんが」

 

 ヒュームは言葉を遮るように懐から一枚の封筒を取り出した。

 

「こちらも明確なコンタクトはまだ取っていないが、奴らがどこにいるか検討はついている。お前も聞いたことがある――二人だ」

 

「二人……?」

 

「そこに詳細は書いてある。セッティングしていいな?」

 

「はい。どんな奴かは知らないですけど――!」

 

 「ふっ」とヒュームは総一郎の顔色が変わったことを確認すると話を切り上げて車に乗り込んだ。

 わざわざ彼が総一郎の為に骨を折ろうとしているのは他でもない、期待値だろう。伝説であるからこそ、若い世代には期待と失望を両方大きく抱く。

 彼が直々に手を貸すというのは、百代と総一郎が最強という二文字を背負っていく期待と同時に「俺を失望させるなよ?」という二つの感情が込められていた。

 

「ありがとうございます」

 

 もう遠くに行ってしまった車に総一郎は一瞥した。

 

梁山泊・天雄星の林冲

曹一族・師範代、史文恭

 

 相手にとって申し分は全くなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

♢  ♢  ♢

 

 

 

 

 

 

 

 第五のクローンが発表されてから数日、源氏対決として旭と義経は様々な事柄で対決をしていた。その審判役に買われたのは大和、彼自身も議長とのパイプができるので悪い話ではなかった。

 しかしある日、旭の家に招かれた大和は旭の父親である幽斎が原因である組織から襲撃を受ける。旭が二人を何とかいなしたことにより被害はなかったが、手練れ二人に命を狙われる体験をした大和は神妙な顔持ちで教室でその事を話していた。

 総一郎にとってはここから――もちろん大和がやばかった話も気になるが――つまり、幽斎を襲撃した二人の素性が重要であった。

 目星はついている、ヒュームが彼に紹介した林冲と史文恭である。

 現在一人は旭のもとに、もう一人は九鬼がすでにコンタクトをとっているらしい。総一郎は放課後九鬼に呼ばれていた、旭のもとにいる史文恭もあわせて呼んで日程の調整をするらしい。

 二人の特性を総一郎は知らないが、梁山泊は全員が異能を持っていることは有名であり、史文恭もそれに匹敵するような何かを持ち合わせていると考えて問題はない。梁山泊の最強と曹一族の最強だ、生半可ではないだろう。

 早めに、と思って一足先にファミリーには断り、彼は学園を出た。しかし彼は風が何か鋭く突き刺さるような空気を感じた。それはどこかで、どこからか、という印象でなく、漠然とした雰囲気だ。まるで風邪でも引いたのかと錯覚するように微かに「何か」を感じた。

 気のせいだろう。

 そう少し歩みを進めるも、度々彼は振り返る。少しずつ鋭さが増してきた。そしてそれが誰かの気であることに気が付いてきた。そしてもう一つ気が付く、無意識に視線を向けるのは学園のほうだった。

 肩に何十キロもある重りを乗せられたような重圧が一気に襲ってくる。だがそれも一瞬、それを撥ね退けて彼は学園へ最速で向かった。

 

「おいおい、どうしたってんだ!――項羽!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと大和は目の前の状況を見て考えた。何故か思ったよりも冷静だ。

 時が遡ること十分ほど前。大和は個人的に清楚から相談を受けていた。自分の正体を知りたいという願い、大和はそれを快く受けた。

 今考えれば驕りがあったのではないかと考える。

 ここの所、軍師として更には冬馬のライバルとして充実した日々を過ごしている。この前の水上体育祭もまさかMVPをとれるとは思ってもいなかったし、こうして清楚から直接相談を受けることに対して優越感があった。最近は百代を女性として意識している部分が多く、そして百代も少し態度が変わってきている。

 そこに驕りがあった。

 

「フハハハハハ!よくやったぞ大和!礼を言う、後で褒美をつかわそう!」

 

 目の前でこれでもかと動の気をまき散らす清楚――いや、大和が見立て正解を導き出した彼女は清楚ではなく、覇王項羽。

 考えれば分かることだ、九鬼が彼女を隠していた理由。それは項羽が暴れる前に知恵と知識を覚えさせ、新たなリーダーとして彼女を君臨させようとしたのだろう。そこまで大和は完璧に今理解できた。そこまで大和は理解できたにも拘わらず、ただ一瞬の驕りによってこの状態を作り上げたのだ。

 

「だめだ、クリス、まゆっち!」

 

 校庭で仲間が蹴散らされていく。生徒も誰もかれも。百代も鉄心もルーも来ない。

 大和は罪悪感と何もできない自分に対する嫌悪感。そして何よりも己を過信した愚かさが悔しかった。

 

「――総一」

 

 片方の目じりから一筋の涙が零れると同時に、一声と風が舞う。

 

「任せろ」

 

 

 

 

 

 

 校庭にて、英雄対伝説。漆戦――

 




早めに上げられたらと考えてます


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漆戦――英雄対伝説――

 死屍累々。砂塵が舞い、竜巻が校庭を埋めつくしていた。だがそれは比喩表現だ。実際には砂塵が舞い、そして項羽が嵐のごとく暴れていた。それでもなお死屍累々に変わりはない。手練れの由紀江もF組のメンバーもやられていた。

 何故かそこには壁を越えた手練れはいない。唯一いるのは燕、しかし彼女の性格からいえば間違いなく正面からぶつかることはない。鉄心やルーは川神院、源氏勢は手を出すことなく、九鬼勢は本社いた。

 

「はははははは!おい松永燕!いるんだろう、出てこい!」

 

(ありゃりゃ、ばれてる)

 

 燕は学園の生徒に謝りながらも正面からやりあうのは得策ではない、と考えどうにか相手が自分の仕掛けたトラップがある裏庭に来ないかと誘っていた。

 だが、燕も項羽も学園に気の塊が近づいてくることに気が付いていた。

 校庭に砂塵が舞う。竜巻はない、ただ一人、雷の如く総一郎がそこには立っていた。

 

 

 

 

 総一郎は闘気漂う――いや、覇気荒ぶる覇王こと項羽を前にして昂らずにはいられなかった。それは他でもない、自分の中にいる卜伝のせいだろう。

 予てからこちらとあちらの呼応について苦しんできた総一郎。よく考えればこちらだけ気分を悪くしていたのは何故だろうか。しかし今は前の敵に集中し、後の疑問は燕に任せることにした。

 

「くはあ!総一郎、お前と戦うのを楽しみにしてたぞ!」

 

 ブルン、ブルンと音を立てて項羽は大きな戟を回し、総一郎を挑発している。少なくとも総一郎の得物と同じくらいの長さ、しかし質量で言えば其我一振の二倍以上はあるだろう。総一郎は自身の体を緊張させた。すでに宮殿へもぐっている。

 

(随分でかい戟だな……)

 

(あれは方天画戟じゃな。どれ、儂と代わらんか?)

 

(はあ?悪いけどそんな余裕はない、ここで俺が止めさせてもらう)

 

(……まあ、よい)

 

 少しばかり卜伝の歯切れが悪かったが今はそれを気にしている状況下でもなかった。すこし目をやれば確かに死屍累々ではあるが、骨のあるやつはもう立ち上がっている。由紀恵は気丈にこちらを観察しているものの、流石にダメージを隠し切れないらしい。一子も同様だ。

 

「悪いが項羽、遊んでる暇はない。お前が先に倒れるか、もしくは手練れがお前を包囲するか。どちらかだ」

 

「フン!不敬であるぞ、覇王に対して許しがたい。だが貴様が強者であることは理解している、お前の中にいるやつも含めてな」

 

「……へえ、なるほどね」

 

 刀を一本。雨無雷音を抜いた。もう片方は抜かず、それに対して項羽は顔をしかめた。

 

「貴様……我を愚弄するか……!」

 

「伝わればそれで結構。お前の時代は知らないが、ここでは名より実。吠える前に慄け」

 

 憤怒の気と共に項羽は総一郎に斬りかかった。直線的な一撃、だが受けず流さず、総一郎は大きく避けた。理由は二つ。一つは二撃目の間合いから逃れるため、そして百代と同格といえる剛撃を無暗に受けるつもりはない。

 拳と武器。どちらが強いかなどという論争は無意味に等しい。拳であろうと武器であろうと、立っていたものが強い。証明は勝敗でしか明かせない。拳と武器の対立ははるか昔からあるがそれは今は置いておこう。

 ただ一つ。もし百代が全く無駄なく、己が放つ最高の拳の力を込めて最高の武器を振り下ろしたなら。

 そのもしもを考えるくらいには総一郎も立派な武器使いであった。

 

「安易にはいけないな」

 

「ふん、腰抜けか」

 

(おい、代われ)

 

(うるさい、黙れ)

 

(アホか小僧。黙るのはお主だ)

 

「……」

 

 総一郎は静かに刀を下ろした。

 その光景に項羽も少し動揺とまではいかないが、不信感を覚え身構えた。

 

(……なんだ?)

 

(気負いすぎだ。相手が得体の知れぬ偉人、そして破格の強さ。だからといって慎重すぎる)

 

(時間を稼げればいい)

 

(自分の心に嘘はつくな。お主、奴に対する不安が拭えてないのだろう?)

 

 自分の中にいるだけのことはあるな――総一郎は一度息を吐いた。

 

(任せていいか?)

 

(無論じゃ。じゃがいつかは自分でやるのだぞ?)

 

(当たり前だ)

 

 校庭の真ん中で少し影を落とし、立ちすくむ総一郎。不審がっていた項羽もそろそろ痺れを切らそうとしていた。

 だが――まず燕が感じ取った。いつか感じたあの気、そして自分の愛する者の体からそれが溢れている。

 次に項羽の対策に追われている手練れ、世界中の強者。今年で何度目かの気の爆発。

 

 そして項羽が笑った。

 

「これは良い余興だ!のう――卜伝!」

 

 同じ顔、姿。だがそれでも顔立ちと佇まいが総一郎本人とは思えないほど、その人物は変容していた。

 

「現世は何年振りかのう?滾るわい」

 

 本物の伝説、降臨。

 塚原卜伝対西楚の覇王項羽。

 伝説対英雄の戦いが時を超えて交わる――

 

 

 

 

 

 

 

♢   ♢   ♢

 

 

 

 

 

「くはぁ!」

 

「フンっ!」

 

 方天画戟と雨無雷音がガキン、ガキンと派手な金属音を鳴らしぶつかる。

 項羽の方は先ほど通り派手な動きをしている、一方総一郎――卜伝の方は先ほどと打って変わり攻勢に、普段の彼とは戦い方が違っていた。進んで相手の陣地を占領していく。だがいぶし銀ともいえる堅実かつ無駄のない一撃が項羽との打ち合いを成立させていた。

 

(手本のような堅実さだ)

 

 卜伝に代わって自分の中にいる総一郎は、かつて自分と死闘を繰り広げた先祖に改めて感銘をうけていた。正道、真っすぐということではなく、どんな攻撃にも確実に対応できる、凄まじい堅実。一見力みすぎた一振りも次の動作に全く支障はない。確かに卜伝も後の後を極めているともいえるが、それを除いてかれは剣客。自分から攻めない道理はない、総一郎があくまでも異質なのである。

 と、関している場合ではない。総一郎にはやるべきことがあった。

 

(清楚さん、聞こえますか)

 

 彼は向こう側にいる清楚とどうにかコンタクトを取ろうと考えていた。卜伝が、または項羽が相手に呼応したのと同じ要領で呼びかけていた。

 すると、相手も同じことを考えていたのかすんなりと声が――いや自分のいるこの宮殿に清楚が現れた。

 

「ごめんなさい」

 

「いや、いきなり謝らないで下さい」

 

「そ、そうだよね。ごめん……」

 

 少しばかり緊迫している状況下、しかし清楚は総一郎のあっけらかんとした態度に戸惑っていた。己が開放してしまったという罪悪感と、自分の体が友を傷つけてしまった罪悪感に囚われているのだろう。

 

「こうして面と向かって話すのはビーチバレー以来ですね」

 

「そうだね……でも面と向かってっていいながら二人とも本当の体はないけど」

 

 清楚はいつものように可憐に笑った。誇張なく、初めて総一郎はそう思った。これがだれもが見ていた彼女の笑顔なのだろう。

 

「とりあえず僕が清楚さんを避けていた理由は分かりましたか?」

 

「はい、私の中のせい……だよね?」

 

「そうです。けどとりあえず僕も謝っておきます。今まで避けてすいませんでした」

 

「あ、いや全然大丈夫だよ。私も鈍感だからまさか項羽だなんて考えてもいなかったし。こっちこそごめんね」

 

 精神空間で二人して謝っている姿は間抜けである。

 

「二人して謝ってばっかりだね」

 

「収拾つかないのでお詫びとして皆にご飯でも奢りましょう」

 

「だね♪」

 

 清楚だけではなく、総一郎も微笑む。

 しかしそれでも清楚の顔は冴えなかった。

 

「大丈夫ですよ、清楚さん。僕も対戦相手を探していましたし。それに九鬼と川神があれを放っておくはずがありません、時間の問題です」

 

「そうだね……こういう言い方は良くないけど項羽が出てきたのがこの学園でよかったと思う」

 

「まあそれは間違いないですね」

 

 表の世界。

 校庭は無残と化している。だが校舎や生徒にはもう被害はない。

 項羽と卜伝は未だ戦闘を続けているが、すでに周りには多くの猛者が二人を囲んでいた。武人同士の立ち合いに手は出さない。そして自分たちも初めて見る卜伝という存在に好奇心を抱いていたのだ。

 

「ぬう、小賢しい!」

 

「小僧――いやお嬢ちゃん些か粗削りじゃのう。攻撃が単調になってきたぞ?」

 

「うるさい!俺に小手先の技術など不要だ!」

 

「威勢がいいのう。ほれほれ」

 

 卜伝と項羽の戦いは見てわかるほど実力差がはっきりとしていた。いや、してきた――というべきだろうか。先程までは拮抗していたと誰もが思っていただろう。だが今は赤子を撫でるように項羽の攻撃を卜伝は往なしていた。

 

(適応能力の差、兵法家と呼ばれる狡猾さ。項羽は沼にはまったな)

 

(これが本物の偉人か……やはりもう少し眠らせておきたかったねえ)

 

 ヒュームとマープルの分析は的を射ていた。

 いや、それに気が付いていないのは本人――項羽だけである。

 

「ほんとに問題なさそうですね」

 

「だね……」

 

 項羽の周りにいる層々たる面子に清楚は言葉を失う。

 

「でも、大和君には悪いことしちゃったな……」

 

「確かに落ち込んでましたよ。最近調子も良かったですからね、こんな形で失敗することになるとは」

 

「……そこは否定してくれないんだ」

 

「冗談ですよ、うちの軍師はすぐ立ち直ります」

 

「そうか……な。大和君にはちゃんと謝っとかないとね。確かヤドカリが好きなんだよね」

 

 その一言で総一郎は清楚のことを凝視した。

 

「ど、どうしたの?」

 

「いやあ、清楚さん。ライバルはモモちゃんと京という強敵ですよ」

 

 一瞬分からない。という表情をした清楚は次には顔を真っ赤にして声を張り上げていた。

 

「ち、違うって!そんなんじゃないよ……」

 

 なるほど可愛いな――と総一郎は考えて燕に心の中で謝っていた。粒ぞろいの川神学園でもこの笑顔と照れ顔は反則だろう。

 

「そ、そんなこと言ったら総一郎君だって大変よ!」

 

「え?いや僕はそんなことないと思いますけど」

 

「でも弁慶ちゃんは総一郎君の事を――いや、ごめんなさい。なんでもないよ」

 

 ヒートアップしていた清楚の温度は急激に下がっていた。

 その後二人の間には沈黙が流れる。

 後ろ髪をくるっと指で丸めた総一郎はどうしようもなく動揺していたのだろう。鈍感なイケメンというポジションに彼はいない。

 清楚の言っていることが分からないほど若くもなかった。

 

 

 

 

♢  ♢  ♢

 

 

 

 

 

 

 余裕のなくなってきた項羽はすでに慢心だけでその大きな武器を振るっていた。

 未完成の偉人と完成され、そしてあとはどこまで上へ到達するかという領域にある体を自由に使える本物の偉人。差が明らかになり、そして決着にたどり着くまでにそう時間はかからなかった。

 どうせこの一撃で倒し切ればければ九鬼や百代、鉄心なども介入せざるを得ないだろう。

 

「どれ、若いの」

 

「俺様を侮辱するな!」

 

「威勢と自信だけはあるようじゃな。だがそれが本当の意味で折れたとき、道のりは険しくなる」

 

 卜伝の雰囲気が変貌する。それは体にビリビリという電撃を食らったような錯覚を起こすような体にのしかかる様な重圧であった。

 もし本物の項羽であれば一歩も引かず、そのまま馬鹿正直に突っ込んでいただろう。しかし何合も打ち合い、心の奥底で差を感じ始めていながらもそれを認められない、その二つに矛盾を抱えた彼女は思わず足を止め、三歩も後ろへ引いてしまった。

 

「それがお主の限界。じゃから今ここで全てを断ち切ってやろう。わしから最後の餞別じゃ」

 

 上段構え。

 縮地。

 振り下ろす。

 

 ただそれだけを奥義までに昇華したその技は。威力だけは奥義レベルという項羽の攻撃とは真の意味で異なる、本物の奥義。心技体、完成度で言えば総一郎のそれをも凌ぎ、ヒュームが完成させた奥義「ジェノサイドチェーンソ」と同上、もしくはそれ以上の一振り。

 

一の太刀

 

「強くなりなさい」

 

 卜伝の消えかかる声と共に、項羽はその剣士の剣撃ではなく後姿を眼に焼き付けて意識を手放した。

 

 

 

 

♢  ♢  ♢

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちょっとした後日談。

 

 目が覚めた項羽は清楚に成り代わっていた。その後九鬼と学園で話し合いが行われ、勝手な決闘がなければ項羽が学園内にいることも許可され、この件は一件落着となった。

 正体を突き止めてしまった大和は関係各所に謝罪回り、しかし何故かどこへ行っても好意的であり。大和は自分の実力が認められつつあることに気が付いていないようであった。

 

 一方総一郎は敗北こそしていないが勝ってもいない為、一応引き分けということになった。しかし元から勝とうが負けようがどちらでもいい、というスタンス。あくまでも自分の成長が目標であるためそれについては全く文句がなかった。しかし清楚の爆弾発言、そして百代が項羽と戦えなかった鬱憤を晴らすため散々組手に付き合わせられた事には不満であったようだ。

 

「俺だってちゃんと戦ったとはいえねえよ」

 

「うるさいにゃん、戦えニャン」

 

「最近戦闘衝動が無くなってきたと思ったのに……そんなんじゃ大和においてかれるぞ」

 

「は?な、なんで大和が出てくるんだ」

 

「うわ、わっかりやす」

 

「う、うるさい!」

 

 総一郎のコメカミをブン!と光球が掠めた。最近覚えた「念」というものらしい。

 

「しゃ、洒落にならんぞ!」

 

「お前が悪いんだ!」

 

 猫のじゃれあいは夜遅くまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか豹子頭と共に依頼を受けることになるとはな」

 

「馴れ合いをするきはないぞ、それにMの監視はちゃんとしてるんだろうな?」

 

「もちろんだ、抜かりはない……だが、あの女は監視が居ようと居まいと関係がないようだがな」

 

「……仕事をしているなら問題はない」

 

「とりあえず今は目の前の仕事だ。塚原総一郎。川神百代とならぶ刀の達人だ」

 

「闇の武器組も彼に目をつけているらしいな。勝てるかどうかも怪しいな」

 

「ああ、だが相性はいい。金はたんまり貰っている、やってやろう」

 



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