戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフへの途~ (Hermes_0724)
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裏設定:登場人物パラメーター(ネタバレ有り 要注意!)

第二章がスタートし、オリジナル設定を舞台として「東方諸国」が出てきます。色々な登場人物が出ますので、遊び半分で、パラメーターを作成してみました。

これから先の「ネタバレ」も入ってしまっています。

マンガ「キングダム」の列伝読んでいて、作りたくなったわけです。
まぁ、遊びです。


○黄昏の魔神

 

1.ディアン・ケヒト

■剣 力:95(魔神化時:100以上)

■魔 力:95(魔神化時:99)

■知 力:94(旧世界知識に限れば100以上)

■政治力:92

■指揮力:90

 

 

2.レイナ・グルップ

■剣 力:94

■魔 力:87

■知 力:80

■政治力:68

■美 貌:98

 

 

3.グラティナ・ワッケンバイン

■剣 力:95

■魔 力:85

■知 力:65

■政治力:51

■美 貌:97

 

 

4.ソフィア・エディカーヌ

■剣 力:21

■魔 力:72

■知 力:93

■政治力:97

■美 貌:97

 

 

 

 

 

○ターペ=エトフ

 

1.インドリト・ターペ=エトフ

■剣 力:92

■魔 力:85

■知 力:93

■政治力:94

■指揮力:99

 

 

2.シュタイフェ・ギタル

■剣 力:61

■魔 力:94

■知 力:95

■政治力:97

■お下劣:100

 

 

3.ファーミシルス

■剣 力:90

■魔 力:90

■知 力:51

■政治力:45

■美 貌:93

 

 

4.黒雷竜ダカーハ

■剣 力:90(竜の咢)

■魔 力:90(雷系魔術)

■知 力:90

■政治力:90

■指揮力:90(竜族及び猛獣類)

 

 

 

 

 

○メルキア王国

 

1.ルドルフ・フィズ=メルキアーナ

■剣 力:82

■魔 力:不明

■知 力:90

■政治力:95

■指揮力:98

 

 

2.ベルジニオ・プラダ

■剣 力:不明

■魔 力:不明

■知 力:93

■政治力:98

■外交力:97

 

 

3.アウグスト・クレーマー

■剣 力:95

■魔 力:不明

■知 力:72

■政治力:45

■指揮力:94

 

 

4.レオポルド・グリズラー

■剣 力:94

■魔 力:不明

■知 力:56

■政治力:51

■指揮力:88

 

 

 

 

 

○その他(アヴァタール地方~ケレース地方)

 

1.水の巫女

■剣 力:不明

■魔 力:97

■知 力:95

■政治力:95

■美 貌:99

 

 

2.リタ・ラギール

■剣 力:皆無

■魔 力:1

■知 力:85

■政治力:95

■金儲力:100

 

 

3.魔神アムドシアス

■剣 力:94

■魔 力:95

■知 力:1

■政治力:57

■芸術力:99

 

 

4.魔神ハイシェラ

■剣 力:100

■魔 力:99

■知 力:84

■政治力:73

■美 貌:98

 

 

 

 

 

○レスぺレント地方

 

1.魔神グラザ

■剣 力:100以上(但し、肉弾戦のみ)

■魔 力:91

■知 力:87

■政治力:69

■指揮力:92

 

 

2.魔神ディアーネ

■剣 力:96

■魔 力:93

■知 力:49

■政治力:40

■指揮力:77

 

 

3.ブレアード・カッサレ

■剣 力:不明

■魔 力:100

■知 力:99

■政治力:90

■情 熱:100

 

 

4.姫神フェミリンス

■剣 力:100以上

■魔 力:100以上

■知 力:皆無ではない

■政治力:不明

■憎 悪:100

 

 

 

 

 

○東方列強諸国

 

1.龍儀

■剣 力:不明

■魔 力:不明

■知 力:85

■政治力:86

■家族愛:99

 

 

2.王進

■剣 力:98

■魔 力:不明

■知 力:79

■政治力:66

■指揮力:94

 

 

3.李甫

■剣 力:不明

■魔 力:99

■知 力:90

■政治力:91

■師弟愛:99

 

 

4.懐王

■剣 力:87

■魔 力:不明

■知 力:85

■政治力:88

■野 望:99

 

 



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第二期:世界観解説、各国設定

来週末からスタートする第二期に先立ちまして、世界観解説と各国の設定を載せておきます。多分に「作者の創作」が入っているため、齟齬があるかもしれませんが(汗)

お気づきの点などがありましたら、遠慮なくご指摘くださいませ。


【世界観解説】

 

本作品は㈱エウクレイアの傑作ゲーム「戦女神シリーズ」を基礎とし、独自解釈を加えながら、ゲーム原作と並行して進みます。ゲームの世界観を大切にしたいので、大まかな流れは変えませんが、「ゲームとしての都合」については、排除をしています。第二期から読み始める方もいらっしゃると思いますので、改めて解説を書きたいと思います。

 

1.通貨

ゲームでは共通通貨ですが、本作品では各国が通貨を取り決め、発行しています。交易のための両替商もいます。以下、各国の通貨単位です。

 

レウィニア神権国:ルドラ

メルキア帝国:メルグ

スティンルーラ女王国:マダル

ベルリア王国:シリン

ターペ=エトフ王国:グラン

 

1グラン≒1ルドラ(ターペ=エトフ歴240年時点)

 

2.月日、時間、距離の単位

ゲーム中では殆ど出てきていません。そのため作者が独自に設定をしています。

 

年月日:1年=420日、1月=30日

時間:52刻(2刻=1時間であるため、26時間)

距離:1里(約4㎞)=36町(1町=約110m) 

   1町(約110m)=60間(1間=約1.82m)=360尺(1尺=約30㎝)

   1尺(約30㎝)=10寸(1寸=3㎝)

 

3.季節

ディル=リフィーナでは、太陽が四つもあり、かつ地軸の傾きが緩やかである為、どの月でも比較的温暖な気候です。太陽は、東から昇って西に沈むのは変わりませんが、黄の太陽は南中するのに対し、赤の太陽は「北中」するため、日の当たり方が均一になります。そのため一年を通じて広葉樹が多い茂り、大抵の土地は温暖な気候となっています。ただ、北に行くほど寒くなるという傾向はあるため(黄と赤の太陽で、放射熱量が異なる為)、北方では針葉樹が見られます。

 

4.回復の羽

ゲーム内では、ボス戦などの前に、回復の羽というのがあり、ステータスの回復が出来るのですが、本作品ではそのようなものは一切、ありません。だいたい、羽で回復が出来るとか、訳わかりませんね。同様に「帰還の羽根」というものもありません。洞窟に入ったら、歩いて出てこなけれならないのです。ただし、転送機は出てきます。

 

5.喚石

ゲーム設定では「魔神などを倒すと、召喚する石を手に入れられる」などとなっていますが、本作品ではそうしたものはありません。魔神の様な巨体を掌の石に収めるなんて、あり得ないでしょう。収まったとしても「質量保存の法則」から、とても持てる代物ではないはずです。「召喚術」はありますが、ドラ○ン○ールの「カプセル」のような便利なグッズはありません。

 

6.水、食料等

洞窟探索というのは、洞窟内で野営をしたりするわけで、当然ながら水や食料が必要になります。ゲームではこんな細かいところまでは設定できませんが、現実に小説にしようとすると避けては通れない課題です。水、食料、着替えのための衣類など、探索前の「調達する場面」なども出てきます。

 

7.経済活動

ド○クエなどのゲームでは、単純に「国」「国王」などと出てきますが、当然ながらその国には多くの人が住み、生活を営んでいます。つまり、働いて稼いでいるわけです。何の仕事をしているのか、それによって生まれる付加価値および、国内総生産の規模、各国との貿易による貿易収支およびそれに付随して発生する様々な外交問題・・・こうしたことはゲームでは一切、出てきませんが、本作品では重要なファクターなので、かなり濃く描いています。

 

8.宗教

戦女神の世界「ディル=リフィーナ」では、光と闇の現神たちが対立をしている「二項対立構造」になっています。ゲームでは各神の「教え」は出てきませんが、本作品では作者の独自設定として「教義」などが出てきます。また「信仰そのもの」に対する意見も出てきますが、これは「作者の意見」ですので、㈱エウクレイアとは一切、関係ありません。

 

いずれにせよ、本作品では主人公が様々な「思索」をしていきます。「信仰心そのものを否定」するような場面もありますが、これはあくまでも「作者の考え」です。意見を異にする読者もいると思いますが、「思想・言論・表現の自由」として、認めて頂ければと思います。

 

 

 

 

【各国概要:ターペ=エトフ歴240年時点(第一次ハイシェラ戦争勃発時)】

 

1.ターペ=エトフ

 

■国王:インドリト・ターペ=エトフ

■国土:西ケレース地方全域(約62万平方km)

■人口:約15万人

 

■政治体制:立憲君主制国家

 

各種族代表による元老院および国王による合議制にて方針を決定し、行政府にて政策が実行される。ターペ=エトフ憲法には『自由権(精神・身体・経済活動の自由)の保障/種族間の相互尊重の義務/相互扶助精神の啓発および教育の義務』が明記され、他国からの侵略等の「緊急事態」を除いては、立法および政策遂行は元老院(ドワーフ族、ヴァリ=エルフ族、獣人族、龍人族、イルビット族、人間族、悪魔族より各代表一名)の討議を経て、全会一致の承認が必要とされる。種族の文化尊重のため、代表決定は各種族にその方法を委ねられており、悪魔族は「最も強い悪魔」、人間族は「集落内の評判」、龍人族は「最年長者」など、種族によって代表選出方法は異なる。各元老は「5年に一度」ごとに選出される。元老院合議場には「万機公論に決すべし」の言葉が、各種族の言葉で書かれている。

 

■経済:社会主義的経済(国内総生産:82.5億グラン 一人当り:約5万5千グラン)

 

主要産業である「鉱石採掘」「オリーブ栽培」「石鹸および髪油製造」「岩塩精製」は国営とされ、オリーブ栽培などは各種族の女性の中から希望者が就業する。各種族は自給自足体制を取りつつ、種族ごとに独自産業を持って経済活動を営む。特に、石鹸製造においては「塩生植物の栽培」「瓶、木枠等の必要道具の製造」「香料となる薔薇、ラベンダーの栽培」「精油精製および混合」など、完成品をつくるための様々な産業が各種族に割り当てられている。国営産業ではあるが、魔導技術を使うことで生産性が劇的に向上しており、大きな利益を生み出している。それらは国家予算および社会保障に充てられている。特に社会保障は充実しており、教育と医療は完全に無料となっている。食料・資源の輸入は原則的に必要無いため、レウィニア神権国、メルキア王国に対して貿易黒字を出しており、外交問題となりつつある。(スティンルーラ女王国に対しては貿易赤字状態となっている。理由は後述)なお、アヴァタール地方への物流は「ラギール商会」が独占している。

 

通貨交換に関しては、政府が管理しており、ラギール商会では両替が出来ない。為替相場は政府による「固定相場制」が取られており、レウィニア神権国や他国に対して「若干の通貨安」を相場としている。そのため貿易黒字は膨大な額にのぼり、その外貨を用いて、後述する「プレメルの大図書館」に収蔵する書籍をかき集めている。

 

■軍事:通常兵力1,000名、最大実働兵力1万2千名

 

天嶮の要害の地であり、他国侵略の意志がないため、通常兵力は国土面積に比してかなり少ない。ただし兵農分離を行っているため、全て「職業軍人」である。通常は、北方のカルッシャ王国からの侵略を警戒するために、エテ海峡近辺に展開されている。魔神およびその使徒、飛竜、飛天魔族など「一騎当千」の戦士が存在するため、マーズテリア神殿も干渉を諦めたと言われている。事実、ハイシェラ戦争以前にあったイソラ王国との「北華鏡会戦」においては、イソラ王国軍2千5百名を僅か3名で壊滅させている。

 

同盟国および勢力:レウィニア神権国、スティンルーラ女王国、モルテニア地方(魔神グラザおよび闇夜の眷属)

友好国および勢力:華鏡の畔(魔神アムドシアス)、トライスメイル(ルーン=エルフ族)、メルキア王国、グルーノ魔族国(魔神ディアーネ)

敵対国および勢力:ハイシェラ魔族国、イソラ王国、カルッシャ王国、フレスラント王国

 

■文化

「朝、日の出と共に酒を飲み、昼、槌を振りながら酒を飲み、夜、友と共に酒を飲み、夜中、夢の中で酒を飲む・・・」

 

ドワーフ族の影響のためか、国民皆が「酒好き」で知られている。葡萄酒、麦酒、蜂蜜酒のほか、蒸留をした「焼酎(ブランデー,ウィスキー)」が人気。蒸留には高度な「鍛冶技術」が必要な為、ターペ=エトフでしか生産出来ない。そのため、スティンルーラ女王国から麦酒を輸入し、焼酎を作っている。いずれにしても輸入額の多くを「酒」が占めている。

 

また、首都プレメルにある「プレメルの大図書館」が有名。各種族の言語ごとに分科され、蔵書量は延べ百万冊を超える。「カッサレのグリモワール」「東方錬金術」等の貴重資料も豊富、先史文明期の遺産も展示されている。なおハイシェラ戦争終結時点で、全ての資料が「忽然と」姿を消したため、ラウルバーシュ大陸七不思議に挙げられている。

ターペ=エトフでは、6歳~12歳までの義務教育が定められており、識字率は99%以上、ほぼすべての国民が文字を読める。また、各宗教の教義についても客観的な比較からの教育が行われ、どの宗教を信仰するかは自分で決めることが求められる。各種族独自の文化や倫理を大事にするため、文化間の争い事が発生することも稀にあるが、窃盗や盗難といったことはほぼ無く、組織的な警備機構は首都プレメルおよび人間族の集落にしか無い。

 

 

 

2.レウィニア神権国

 

■君主:水の巫女

■国王:アルフレッド・レウィニア

■国土:ブレニア内海東岸域(約53万㎢)

■人口:約150万人

 

■政治体制:神権主義的貴族政国家

 

土着神「水の巫女」を主神とする一神教「レウィニア教」を国教とする宗教国家であるが、水の巫女自身が政事に不干渉であるため、実際の意志決定は国王、貴族、神殿神官の三者による話し合いで決められる。建国当初は神殿勢力が大きな力を持っていたが、近年では貴族が力を持ち始め、神殿勢力と派閥争いを行っている。ただ、国王は水の巫女によって「使徒」が任命されるため、どちらかと言えば「神殿派」である。ただし、国王は水の巫女の影響からか、強権による意思決定を好まないため、政争を見守る立場を貫いている。水の巫女の熱心な信者は、神殿勢力を後押ししているが、ラギール商会などは貴族派を支援している。

 

■経済:古典的資本主義的経済(国内総生産:570億ルドラ 一人当り:約3万8千ルドラ)

 

主要産業は「穀類を中心とした農業」「畜産業」「養蚕業」「漁業」などの一次産業の他、衣類などの「繊維産業」、ブレニア内海沿岸部の「塩業」も盛んである。また、交通の要衝に位置することから、各国の通貨を両替する「金融業」も発達している。特にラギール商会は、金融と物流で有名であり、各地に行商隊を数隊派遣し、様々な産品を輸出入している。しかし、東方の山岳地帯は竜族の支配域であるため、鉱物資源が不足しており、ターペ=エトフからの輸入に頼っている。オリーブ油製造などは各農家が自家栽培で行っていたが、ターペ=エトフから低価格のオリーブ油が流入したため、レウィニア神権国で消費されるオリーブ油のほぼ100%は、ターペ=エトフ産となっている。

 

特に近年では、資本主義的経済によって「格差」の問題が出始めている。貴族制であることから、累進課税等の格差是正政策が遅れており、繁栄する街の陰で、その日暮らしの浮浪者の姿も見え始めている。

 

■軍事:通常兵力2万人 最大実働兵力5万人

 

徴兵制ではなく志願制であるが、農家出身者や職が無くて軍隊に入る者なども多い。一方で、貴族の子弟たちなど「特権意識」を持った騎士も一部で存在しており、軍隊内での軋轢を生んでいる。人口増加に伴って、軍事拡大を続けているが、主に防衛のための軍隊であり、侵略目的ではない。通常は、仮想敵国である「メルキア王国」との国境に展開されている。

 

■文化

 

水の巫女を信奉する「レウィニア教」は、国内に広く知れ渡っている。一方で、レウィニア教自体に、他宗教を排する要素が無いこと、また布教活動自体が少ないことなどから、主に光神殿からの信仰の流入もある。レウィニア教を国教と定めていることから、光神殿の影響も限定的であり、闇神殿や古神を信仰する闇夜の眷属たちも、暮らすことが出来る。

 

 

 

3.スティンルーラ女王国

 

■国王:マルガリータ・テレパティス

■国土:ブレニア内海北岸域~セアール地方南部(約68万㎢)

■人口:約50万人

 

■政治体制:女尊男卑的絶対君主制国家

 

「女系社会」を文化とするため、国王は代々女性であり、財産は「母から娘へ」と受け継がれる。他地方では「男系社会」が多いため、女性が優遇される社会体制を嫌う者も多く、移民流入が少ない。刑事事件などにおいては、法的な男女差別は無いが、男性の方がより罪が重くなる「傾向」が見られる。役所や軍組織においても、女性が組織長になることが多い。そのため、出産期になると組織長を離れざるを得ず、代理への交代が当たり前となっている。「女が稼ぎ、男が家庭を守る」という文化である為、長いこと出生率が低く、一部族でしかなかったが、経済成長と共に福祉が整い、現在では出生率の向上が見られる。

 

■経済:社会主義的経済(国内総生産:145億マダル 一人当り:約2万9千マダル)

 

主要産業は「エール麦酒製造」ならびにそれに伴う「大麦栽培」「カラハナ草栽培」、その他に「養蚕業」「畜羊業」などが行われている。特にエール麦酒は、従来の黒麦酒の製法とは異なり、カラハナ草の毬花(ホップ)を使用した新しい麦酒で、名産品となっている。

 

スティンルーラ女王国は、まだ人口千名足らずの「集落」であったころから、ターペ=エトフ、レウィニア神権国の支援を受けてきた。特に、ターペ=エトフからは「産業振興支援」を受け、ターペ=エトフ経済を補完する形で産業が整ってきた背景がある。ターペ=エトフへのエール麦酒輸出額は大きく、「造るだけ売れる」という状態であり、国家経済の根幹を支えている。その結果、アヴァタール地方の国家の中で唯一、対ターペ=エトフ貿易収支が「黒字」の状態である。そのため、ターペ=エトフ滅亡後は、各国への輸出ルート拡大に腐心している。

 

ターペ=エトフが「富の再配分による格差是正」「教育と医療の充実」に力を入れていることに対し、スティンルーラ女王国は「妊婦への支援」「幼児養育支援」など子育て支援に重きが置かれている。出産後の早期社会復帰を可能にするため、閉経をした女性たちによる「養育園」などが開設されている。

 

■軍事:通常兵力:8千名 最大実働兵力:2万名

 

東方のレウィニア神権国とは同盟関係であり、騎士団を中心に兵力の多くが、セアール地方および西方諸国との国境線に配備されている。歴史的経緯から、セアール人および「バリハルト神殿」に対しては良い印象を持っておらず、セアール地方からの移民流入を厳重に管理している。

 

■文化

 

先に述べた通り「女系社会」を形成しているため、その文化は他国とは一線を画する。例えば女性の服装を見ても、王都ファラクライナであっても「露出の多い服」を着て平然と歩くことが出来る。ただ、他国との文化交流から多少は服装も見直され「上半身裸」という文化は、さすがに無くなった。



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第二期:主要登場人物紹介

1.インドリト(Indrit )

 

【略歴】

ケレース地方西方に広がるドワーフ族の族長「エギール」の一人息子。ドワーフ族の習わしにより、十二歳で他の鍛冶屋に弟子入りをするはずであったが、ドワーフ族の未来を憂えたエギールにより、黄昏の魔神ディアン・ケヒトの下で修行をすることになる。

 

【性格】

温厚で誠実、礼儀正しい性格。他人を深く信用する。ドワーフ族らしい豪快さや粗野な部分が無いため、父親から心配をされている。早熟で、物事をしっかり考えることができるが、そのため考え過ぎて決断力に欠ける面もある。

 

【外見】

ドワーフ族の男子には珍しく、母親似のため、銀色の髪と中性的な顔立ちをしている。華奢な身体のため、一見すると少女に見えることもあるが、本人はそれに対して多少の劣等感を感じている。

※イメージは「アルスラーン戦記の主人公アルスラーン王子」

 

 

 

2.ディアン・ケヒト(Dian Cécht)

 

【略歴】

神の誤謬により、科学世界から転生をした「元」人間。魔神の肉体と人間の魂を持つ。魔神の肉体により不老だが、魔力の回復力は人間並み。レウィニア神権国の建国に関わり、現神「水の巫女」とは浅からぬ縁を持っている。「光も闇も平等に住める安住の地」を求めて放浪し、ケレース地方に落ち着く。

 

【性格】

女性好きという点を除けば、極めて誠実で真面目。「黄昏」という名の通り、この世に「絶対の正義は無い」という思想を持っており、自分とは異なる思想や生き方も、基本的には肯定する。魔術や魔導技術の研究のほか、科学、数学、歴史、哲学など様々な分野に関心があり、勉強を欠かさない。「大魔術師ブレアード・カッサレ」に対しては、ある種の敬意を抱いている。

 

【外見】

黒髪、黒服、背中に愛剣「クラウ・ソラス」を背負う、中肉中背の青年。顔立ちは「悪くはない」程度。真面目な性格であるため、日々の基礎修行は欠かさず、身体は意外なほどに引き締まっている。

 

【能力】

普段は全身を魔力で覆うことで、魔神の気配を消しているが、それでも剣士としても魔術師としても、人超の強さを持つ。魔神化した場合は、その最大能力は「現神の十倍」のはずであるが、その強さまで「自己努力」で辿り着く必要があるため、いまだ成長中である。現時点では「地の魔神ハイシェラ」と、ほぼ互角と思われる。

剣筋は実の剣、魔術は「全ての魔術」を使うことが出来る。ただし、現神信仰が無いため「神聖魔術」は発動しない。

 

水の巫女は、上記のような戦闘能力よりも、「言葉の力」を危険視している。実際に、戦う場面よりも、言葉を交わすことで戦闘を回避する方が遥かに多く、戦ったとしても出来るだけ殺生はしないようにしている。

 

 

 

3.レイナ・グルップ(Reina Grupp)

 

【略歴】

アヴァタール地方東域の出身。「剣聖ドミニク・グルップ」の一人娘として、父の仇を討つために行商人の護衛役として修行をする中で、ディアンと出会う。ディアンの導きにより仇である「ルドルフ・フィズ=メルキアーナ」と対峙するが、ルドルフの志を前にして迷いが生まれ、怨讐を捨てる。その後、魔神の「第一使徒」となり、ディアンの傍らで永遠に生きることを決める。

 

【外見】

金髪碧眼、引き締まった躰と豊かな胸を持つ。街を歩けば男たちが見惚れるほどの「絶世の美女」。

※イメージとしてはPCゲーム「WORDS WORTH(Elf)」のシャロン

参考イメージURL(Takatan様のHPより)

http://www.zerochan.net/353098#full

 

【性格】

当初は、男勝りの性格であったが、ディアンと関わるうちに女性らしさに目覚め、今では嫋やかな話し方をすることが多い。ただし「敵」に対して容赦がないのは変わっていない。

 

【能力】

第一使徒として、不老の肉体と人越の力を持っている。剣筋は基本的には「実の剣」だが、第二使徒のグラティナとの修行により「虚実の剣」も修得し、非魔神のディアンとであれば五分に戦えるほどに強くなっている。

魔法については「治癒・再生・強化全般」「純粋・火炎・冷却・暗黒魔術」が使える。

 

 

 

4.グラティナ・ワッケンバイン(Gratina Wackenbein)

 

【略歴】

アヴァタール地方東域出身の「ハーフ・ヴァリ=エルフ」。剣豪「ワルター・ワッケンバイン」を父に持ち、幼いころから「虚実の剣」の指南を受ける。父の跡を継ぎ、バーニエの街の警備隊長を勤める中でディアンに出会い、行動を共にするようになる。ケレース地方に落ち着いてから、正式に「第二使徒」となった。

 

【外見】

ヴァリ=エルフ特有の褐色の肌と銀色の髪、身長と胸の大きさは、レイナとほぼ同じだが、腹筋はレイナより割れている。

※名前・性格・口調のモデルはPCゲーム「巨乳ファンタジー(Waffle)」のグラディス・フォン・ワッケンハイム

※外見イメージは、PCゲーム「巨乳ファンタジー2(Waffle)」のゼビア

※参考イメージURL(Waffle様HPより)

http://www.waffle1999.com/game/45kyonyu2/character00.html

 

【性格】

勝ち気で男勝り、使徒になった後も、男性的な口調は変わることは無い。一本気で高潔、ある種の騎士道精神を持っており、自分にも他人にも厳しい。

 

【能力】

幼少期より父親から「虚実の剣」を教わり、その極みに達している。特に「極虚の剣」は、非魔神状態であったとはいえ、ディアンですら躱すことが出来なかった「絶対必中」の必殺技となっている。剣筋は虚実だが、レイナとの修行で実の剣も修得をしている。使徒になった後は、レイナとほぼ互角の腕になっている。

魔法については「再生・強化・戦意全般」「純粋・火炎・地脈・暗黒魔術」が使える。

 

 

 

5.ファーミシルス(Farmisils)

 

【略歴】

飛天魔族(ラウマカール族)の剣士として、より強い者に仕えるために放浪をしていた中でディアンと出会い、行動を共にする。幼少時代に剣聖ドミニク・グルップから剣の手ほどきを受けているが、レイナが生まれる前の話である。ケレース地方に来て「闇夜の眷属の国」に憧れるが、ドワーフ族の集落に住むことでようやく自分の居場所を見つけることが出来た。

 

【外見】

純白の六枚翼と薄褐色の肌を持ち、露出の多い服を着ている。これは自分の肉体に自信があるためであり、肌を許すのはディアンのみと決めているが、そうなったかは不明。

※イメージはもちろん「幻燐の姫将軍」のキャラクター「ファーミシルス」

 

【性格】

飛天魔族らしく、自分に自信を持ち、正々堂々とした騎士道精神を尊ぶ。当初は殺戮も辞さない性格であったが、ディアンと出会う中で「不必要な殺傷」は控えるようになった。実は子供が好きで、ドワーフ族の子供と一緒に、空を翔んだりするらしい…

 

【能力】

上級悪魔族として、人越の力を持つが使徒では無いため、レイナやグラティナと較べて、身体的能力は一段劣る。ただし飛天魔族は修行を重ねることで更に強くなるため、いずれは魔神に匹敵する力を持つ「ラクシュミール」になる可能性もある。剣は中剣を使っていたが、ドワーフ族に「連接剣」を鍛ってもらい、以来、それを愛用している。

魔法は「戦意全般」「純粋・電撃・暗黒魔術」を使う。

 

 

 

6.リタ・ラギール(Rita Ragil)

 

【略歴】

二十代後半の女性でありながら、行商隊を率いる「凄腕の女商人」。ディアンすら感服するその商才で、危険地帯「古の宮」への行商を成功させる。プレイアの街に将来性を見出し、大通りの一角に「ラギールの店」を出店する。ディアンの勧めにより、ラウルバーシュ大陸初の「両替商」となる。

 

【外見】

(黙っていれば)それなりに可愛らしいが、手を口に当てて笑う様子は「悪徳商人」にさえ見える。胸の大きさは「まな板よりは、多少はマシ」程度だが、それなりに男性経験はあるらしい。カネを積めばカラダを開くらしいが、本人曰く『高いですよっ!たとえ胸が無くてもっ!』

※イメージは「魔導巧殻」の商人「シーラ」

 

【性格】

あっけらかんとした明るさと元気の良さが取り柄。良くも悪くも「顔に出る」正直な性格。一方で、行商人らしく人をよく観察しており、ディアンが魔神であること、レイナと関係があることにいち早く気づいていた。ディアンのことは「男としては問題だけど、護衛としては優秀」と評価しており、あくまでも「護衛」としか見ていない。

 

【能力】

卓絶した商才を持ち、利益のためならば危険をもいとわない。一方で、行商の成功を祝して皆に振る舞うなど、使うべきところでは、しっかりとカネを使う。

 

 

 

7.水の巫女(Water Princess)

 

【略歴】

数百年前に「運命を切り拓く力」を発現した青年「アレックス・レウィニア」と、村人たちの想いから生まれた土着神。プレイアの守り神として、民衆から絶大な支持を得ている。ディアン・ケヒトの協力を得て、宗教国家「レウィニア神権国」を建国する。

 

【外見】

魚のヒレのような両耳を持ち、一見すると「亜人」に見える美しき現神。胸の大きさは「レイナより一回り大きい」らしい。

※イメージはもちろん「戦女神」のキャラクター「水の巫女」

 

【性格】

硬質な表情のまま、滅多に笑うことは無い。常に沈着冷静に見えるが、実は「情多き女性」である。ディアンに対しては、共に生きたいという想いを持っているが、同時に、ディアンの思想を危険視していることもあり、複雑な感情を抱いている。

 

【能力】

水を通じて、瞬間的に移動をすることが出来る。他国であってもある程度の情報は把握でき、レウィニア神権国内であれば、ほぼ全ての情報を把握している。現神であるが、あくまでも土着神であるため、マーズテリアなどの戦闘能力は無い。

 

 

 

 

 




『戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~』
2016年4月1日より、毎日22時更新!


【次話予告:4月1日 22時更新】

父「エギール」から、ディアン・ケヒトの下で修行をするように言われたイントリドは、戸惑いながらもディアンの住む家に向かう。庭の石台に座り、ディアンと会話をするうちに、父の期待を理解する。それは少年の想像を超えるものであった。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第一話「十二歳 旅立ち」

少年は、そして「王」となる…


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第一章:建国編
第一話:十二歳 旅立ち


迫りくる魔獣の軍団に向けて、人間族の部隊が魔導砲の一斉射撃を行う。あり得ない距離から打ち込まれる砲撃に、魔獣たちが慄く。獣人たちが雄たけびを上げ、怯んだ軍団に向けて突撃をする。光も闇も関係なく、国を思う一心で、皆がまとまり、侵略者に対抗する。この地に侵攻を開始した「地の魔神」も、この光景には呆気にとられた。

 

«なんと手ごわい相手なのだ・・・なればこそ、面白いというものだの»

 

魔神は剣を抜くと、悪魔たちを連れて宙を舞った。自分が行かなければ、戦線が崩壊すると判断をしたのだ。

 

«皆の者、我に続けっ!»

 

魔神の力は神に匹敵する。総大将の参戦で、崩壊しかかった戦線が再び盛り返す。魔神と悪魔たちが純粋魔術を詠唱する。

 

『『『レイ・ルーンッ!』』』

 

個々の純粋魔術が一つになり、天体衝突に匹敵する破壊力を持つ。後方から射撃支援を行う人間族の軍団に向けて放つ。命中をすれば一瞬で全滅をするだろう。だが・・・

 

«極大純粋魔術 ルン・アウエラッ!»

 

宙に浮いた黒衣の男が放つ。純粋魔術同士が衝突をし、相殺し合い、空中で大爆発が起きる。大地で戦う両軍は爆風で一時的に戦闘を止めたほどだ。

 

«来たなっ・・・黄昏の魔神っ!»

 

魔神の貌には、これから始まるであろう巨大な力の衝突に、歓喜の笑みが浮かんでいた。

 

 

 

玉座には、銀色の髪をした老年のドワーフが座っている。黄金色の甲冑を身につけ、鍛え抜かれた名剣に手を置いている。謁見の間では、光と闇の神官たちが守りを固める。中庭には、ルーン=エルフとヴァリ=エルフが並び、弓を構えて迎撃の体制を整えている。ここでは光も闇も関係ない。皆が対等であり、互いを認め合っている。「自分は自分、他人は他人」、一見するとバラバラに見えるが一つの想いが皆を束ねる。

 

この国の「明日」を守る・・・

 

王は皆の様子を見て、瞑目した。ここまで来るのに二百年以上の歳月が掛かった。だが自分は間違っていなかった。信仰を超え、種族を超えて、解り合い、助け合い、まとまることが出来る。それが証明されたのだ。自分の寿命はあと僅かだが、この光景を見れただけで、満足であった。

 

『種族を超えた繁栄・・・ようやく、実現できたか』

 

かつて、自分が若かりし頃に出会った魔術師のことを思い出し、偉大なる名君「インドリト・ターペ=エトフ」は、静かに笑みを浮かべた・・・

 

 

 

About 250years ago・・・

 

私の名はインドリト、ケレース地方西方のプルートア山脈にあるドワーフ族の集落で暮らしている。父のエギールは族長を務めている。この土地は西と東を山で囲まれ、綺麗な水と豊かな森がある。山からは岩塩や様々な鉱石が採れるし、森に行けば山菜や果実が豊富で、熊や猪の他、鹿や兎が獲れる。川に糸を垂らせば魚が寄ってくる。この豊かな土地で、ドワーフ族は何百年も、平和に暮らしてきた。

 

一年前、この土地に人間族の男が住むようになった。村から少し離れた、ルプートア山脈の温泉地帯に家を構え、とても美しい女性三人と暮らしている。集落の皆は、最初は警戒をしていたが、一緒に家を立て、畑を耕し、鉱石を取るうちに、家族のように打ち解けてしまった。父も時折、男を呼んで話をしている。ドワーフ族が他族を受け入れることは滅多に無い。男のみならず、人間族、ヴァリ=エルフ、飛天魔族の女まで、皆と笑い合い、酒を飲み、歌う。縁があってその男を連れてきた私は、安心をしながらも呆気に取られてしまった。

 

そんなある日、私は父に呼ばれた。

 

『インドリト、お前は何歳になった?』

 

『はい、もうすぐ十ニ歳になります。父上・・・』

 

『ドワーフ族では、男は十ニ歳になると他の家で鍛冶の修行を始める。それは知っているな?』

 

『はい』

 

『だがお前は、鍛冶の修行ではなく、別の修行をしろ』

 

『え?』

 

『あの人間族、ディアン・ケヒト殿の下で修業をするのだ』

 

父が何を考えているのか、私には理解できなかった…

 

 

 

 

翌日、父に命じられて私は男の家に向かった。集落から半刻ほどの森の中で、少し開けた眺めの良い場所に、木と石で造られた家が建っている。天井が高いため、ドワーフ族の家とは趣が違う。家の前では、男が木刀を持ち、女と対峙をしていた。金色の髪を持つ人間族の女性、レイナだ。

 

『ハッ!』

 

レイナが男に打ちかかった。目にも止まらない速さで、木刀を打ち込むが、男はそれを全て弾き返した。レイナは様々な技で男に打ちかかったが、全てを打ち返された。男が手をかざして止めた。

 

『インドリト殿、こちらへ・・・』

 

男は、額に汗を浮かべていた。私はその男「ディアン・ケヒト」の前に歩み出た。

 

『エギール殿からお話は聞いています。インドリト殿にとっては、戸惑われていることでしょう。少し、お話をしましょうか・・・』

 

ディアンは庭の石台に腰を掛けた。私も隣に座る。ヴァリ=エルフ族の女「グラティナ」が、水差しと杯を持ってきた。ディアンは礼を言って、それを受け取った。私にも差し出される。杯に、色がついた水が注がれる。飲んでみると、不思議な甘みのある茶であった。

 

『先日、森に自生する牛蒡を発見しましてね。よく洗い、薄く剥いて乾燥させ、それを沸騰した湯の中に入れます。牛蒡から養分が出て、少し甘い茶になるのですよ』

 

『初めて飲みました。美味しいですね』

 

ディアンは笑った。私は、父から聞かされたことについて、質問をした。

 

『父から、ディアン殿の下で修行をせよと言われました。ドワーフ族の男子は、十ニ歳になると家を出て、他の鍛冶職人の下で修業をします。私もそのつもりだったのですが、鍛冶以外の修行と言われたのです』

 

『インドリト殿は、鍛冶職人になりたいのですか?』

 

『私はドワーフです。ドワーフは皆、鍛冶職人になりますから・・・』

 

『ドワーフは鍛冶職人にならなければならない・・・そのようなこと、決まっているわけではありませんね?商人になっても良いし、漁師になっても良い。違いますか?』

 

『確かにそうです。ですが、幼馴染たちは皆、鍛冶職人に弟子入りをします。その中で、私だけがなぜ、ディアン殿の下に弟子入りをするのでしょうか?』

 

ディアンは少し間を置いて、私に問いかけてきた。

 

『インドリト殿は、旅をしたことはありますか?』

 

『いえ…山の向こう側に行ったこともありません』

 

『では少し、他の土地のことについて、お話しましょう…』

 

ディアンは棒で地面に絵を描きながら、語り始めた。

 

『この地はケレース地方と呼ばれています。ケレース地方は森が多く、闇夜の眷属や魔物が多い土地です。東の山を超えると、魔神が治める土地「華鏡の畔」があります』

 

『魔神が?』

 

『えぇ、アムドシアスという魔神です。絵画や彫刻、音楽を愛し、結界で土地を囲っています。そのため南北の道が通れず、ケレース地方北部は、発展が遅れてしまっています』

 

『迷惑な魔神ですね』

 

ディアンは笑って頷いた。

 

『全くですね。その華鏡の畔の南東には、ルーン=エルフ族の広大な森「トライスメイル」が広がり、さらに東には半魔人の王が支配する「ガンナシア王国」という国があります。いま、ケレース地方はこうした勢力によって、分割されています。おそらくやがては、ケレース地方の北部にも、国ができるでしょう…』

 

『広いんですね』

 

『そうですね。ですが、この大陸全体から見れば豆粒よりも小さいと言えるでしょう。ケレース地方の北にはレスペレント地方、南にはアヴァタール地方、西にはセアール地方、東にはグンモルフ地方が広がっています。いずれも、このケレース地方よりも広いんですよ?』

 

『そんなに…想像もできません』

 

『アヴァタール地方には、このケレース地方よりも多くの人が住んでいます。その南にはニース地方やディジェネール地方という広大な土地が広がり、西にはレルン地方、さらに西には、現神が治める土地まであります。そしてそれらの土地でいま、様々な国が産まれようとしています』

 

『その…国とは何でしょうか?この集落みたいなものなのでしょうか?』

 

『そうですね。確かに似ていますが、一つ大きな違いが有ります。インドリト殿にお聞きしますが、この集落はドワーフ族たちが集まって暮らしていますが、それは何故でしょう?』

 

ディアンの質問に、私は答えられなかった。ただこの土地に生まれたからとしか答えようがない。

 

『そう。集落に住む人々は「ここに住む」という意識に欠けます。ただ生まれたから何となくここに住んでいる…という程度でしょう。ですが国は違います。国には「私はこの国の住人だ」と意識させる力があるのです。そうした力を「国威」と言います』

 

『それは、何か魔法のような力なのでしょうか。魔力を使った…』

 

『いえ、それ以上の力です。国威とは、そこに住む人々を惹きつける力です。例えばここから南には「レウィニア神権国」という国があります。この国は、水の巫女という神によって統治されています。レウィニアの住人は、水の巫女を信仰する「信仰心」によって結びついています。レウィニア神権国の国威は、水の巫女の存在と、神への信仰心なのです。一方、レウィニア神権国の隣には「メルキア国」という国があります。この国には、メルキアーナという王がいます。この王が理想を語り、優秀な部下たちが理想実現のための様々な仕組みを作っています。仕組みとは、いわば決まり事です。メルキア国に住むために守らなければならない決まり事、「法」と呼ばれるもので、国を治めています。メルキア国の国威は、メルキアーナ王の存在と、「法」なのです。そして、こうした国が今、この大陸全土で誕生しつつあるのです。あと数百年で、恐らく何百という国が産まれるでしょう』

 

『…父も、ここに国を創ろうとしているのでしょうか?』

 

『いえ、国を創るのはあなたですよ。インドリト殿…』

 

『わ、私がですか?』

 

『あなたの父君は、インドリト殿を国を率いる存在、「王」にするために、私のところに弟子入りをしろと言われたのです。今は平和ですが、百年後か二百年後には、この集落にも侵略者が来るかもしれません。周りに国が興きる中、この集落の未来を考え、エギール殿はあなたに国産みを託したのです』

 

『それならば、父が国を興せば良いではありませんか。何故、私が…』

 

『もちろん、父君も準備は進めます。ですが父君では、王にはなれません。エギール殿は、この集落の住民にあまりにも近すぎます。近いがゆえに、国をまとめる力…「国威」の存在になれないのです』

 

『私が…王に…』

 

『すぐに結論を出す必要はありませんよ。あなたが大人になるまで、まだ十分に時間があります。今夜は、我が家にお泊まり下さい。先日仕留めた鹿が、ちょうど食べ頃になっています。一緒に食べましょう』

 

私は頷いた。自分にそんな大それたことが出来るとは、とても思えなかった。だがディアンとの語り合いは、とても楽しかった。その後は、このあたりの獲物や取れる山菜などの話をした。ディアンの知識の範囲は驚くほど広く、深かった。気がついたら日が暮れていた。その夜、皆で食べた料理はとても美味しかった。血を丁寧に抜いた鹿肉を薄く切り、塩や香草を振りかけて生で食べた。初めて食べたが、忘れられない味だった。

 

ただ、風呂は恥ずかしかった。風呂はとても広く、ディアンのほか三人の女性まで、一緒に風呂に入った。三人はとても綺麗で、私は思わず、顔を朱くしてしまった。

 

翌朝、私は一度、家に戻った。父に決意を伝えるためだ。どんな修行をするのかは解らないが、ディアンのもとで修行をしようと決めた…

 

 

 

 




【次話予告】

ディアン・ケヒトの弟子となったインドリトは、新しい生活を始めた。ある日、インドリトは師と伴に、ルプートア山脈の西に住むという「芸術家」に会いに行く。ドワーフ族と違う考え方に触れ、インドリトの視野が広がる。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第二話「イルビットの芸術家」


少年は、そして「王」となる…


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第二話:イルビットの芸術家

ディル=リフィーナに住む多様な知的生命体の中で、その数は少ないが無視することの出来ない種族として「イルビット族」がいる。イルビット族はエルフ族を超えるほど寿命が長く、たとえ齢三百歳でも幼女に見えるほどである。そして彼らの特徴は「その生涯を研究に費やす」という、極端なほどに学問に傾倒することである。そのため、恋愛といった「学問で割り切れないこと」についても「学術的見地」から考えるため、恋愛を一度もしたことがなく生涯を終える者も多い。

 

イルビット族がここまで研究に傾倒するのは、彼らの信仰する神「ナーサティア」にあると考えられている。現神ナーサティアは「知識の神」として、主に学者に崇められている。ナーサティアは知的生命体が持つ「知りたいという欲求」から生まれたと言われており、知的好奇心の神である。そのためイルビット族のみならず、人間族や亜人族の学者や書物関係者から広く信仰されている。

 

イルビット族は一般的に「部屋に閉じ籠もって研究に明け暮れる」という印象を持たれているが、それは間違いである。彼らは思考方法が「学術的」であることは確かだが、部屋に篭っていては解らない場合があることを知っており、屋外での実地研究を行うことも多い。特に農耕や畜産業を研究する研究者は、自ら畑を拓き、植物の成長を促す試験薬を試したり、花粉を掛け合わせた「新種開発」などを行っている。先史文明の研究者は、危険な洞窟に入り、イアス=ステリナの貴重な標本を集めたりする。

 

しかしながら、彼らをそうした活動に駆り立てているのは「知的好奇心」に過ぎないため、その知識を活かして産業を興したり、金銭を稼ぐことで自らの福祉を豊かにしようとするイルビット族は皆無と言える。彼らにとって金銭とは「研究資金」に過ぎず、福祉とは「研究環境」のことなのである。商人の中には、イルビット族に研究資金を出す代わりに、研究成果を活かして産業にしようと試みる者もいるが、イルビット族は「独自文字」を使用するため、その研究成果を活かせる商人は少ない。

 

イルビット族の研究内容は多岐に渡っている。農林漁業や畜産業といった「経済活動」に直結する研究もあれば、歴史や考古学、心理学などの文化的な研究もある。他にも「蜃気楼現象などの光学」「天体移動といった天文学」「ディル=リフィーナ世界の言語構造を解明しようとする言語学」などもある。特殊文字を使っていること、産業に繋がらないこと、知的好奇心が動機のため他者の研究を知ろうとしないこと、などが理由により、彼らがどれほど研究をしても、「科学文明形成」には殆ど寄与しないのが実情である。

 

イルビット族の禁忌として「魔術研究」がある。イルビット族は、現神ナーサティアから魔術研究を固く禁じられており、この禁忌を破る者は、部族の集落から追放される定めとなっている。この理由としては、ディル=リフィーナは「魔力」が世界構造の基礎となっている。それ故に、魔力についての研究を突き詰めれば「神の存在そのものを問うこと」に繋がりかねず、現神が危険視をしたためと考えられる・・・

 

 

 

 

師の元に、正式に「弟子入り」をしてから三月が経過しようとしていた。どのような修行をするのかと緊張をしていたが、正直に言って、拍子抜けをするほどに平穏な日々であった。一室を与えられ、部屋の片付けなどは自分でやること、朝は日の出と共に起き、皆と共に体を動かすこと、など幾つかの決まりはあったが、それ以外は、先生と畑を耕したり、魚を獲りに行ったり、仕掛けた罠を見て回って、掛かった猪や兎を捌く、といった生活だった。ただそうした中で、師から様々なことを質問された。ある日など

 

『ドワーフ族では、死後は魂がガーベル神のもとに行き、転生をすると信じている。では、猪や兎の魂は何処に行くと思う?』

 

などといった、考えたこともない質問をされる。答えがあるとは思えないし、答えようも無いが、先生は笑いながら言う。

 

『そう。答えが無いということは、お前が答えを「決められる」ということだ』

 

鍛冶技術には、常に答えがある。火を起こす方法や鋼の鍛え方など、練度の違いはあるが、型は決まっている。でも師の質問には、そうした型など無い。型が無いのなら、自分で型を決めればいい。そんなこと、考えたこともなかった。剣や体術、あるいは魔法などを教えられるのかと思っていたが、そうした修行は殆ど無かった。ただ朝の日課として師やレイナ、グラティナ、ファーミシルスと一緒に、身体を解す体操と「魔力鍛錬」だけがあった。腰を落とし、両腕を前にして珠を持っていると思いながら、両手で力を送り込んでいると想像する。師は「基礎魔法の訓練」と言っていたが、実感があまり無い。ただそれをやると気分が一新されることと、身体もよく動くので、嫌だとは思わなかった。

 

そんな生活が三月ほど続いたある日、師から小旅行に行くと言われた。西にあるという「イルビット族の集落」に行くという。レイナたちは行かないそうだ。先生と私の二人だけの旅になる。前日の夜に、旅の支度を整えていると、部屋の戸が叩扉された。レイナが立っていた。

 

『レイナ殿、どうされたのですか?』

 

『旅に出るにあたって、これを渡しておこうと思って』

 

レイナは私の部屋に入ると、腰から短剣を取り出した。腰を落として視線の高さを私に合わせる。とても綺麗な顔が近づき、少しドキドキしてしまう。

 

『あなたにとって、初めての旅でしょうから、これを記念にあげるわ。私は幼いころ、ずっと旅をしていた。その時に、身を護るために母から渡された物なの』

 

『そんな大切なもの、受け取れません』

 

『いいのよ。私はあの頃より強くなった。もうこれが無くても平気。でもあなたは違う。これから行く土地は、魔物も出るわ。ディアンが守ってくれるでしょうけど、彼だって万能じゃない。万一の時は、あなたは独りで戦わなきゃいけないの』

 

私は両手で受け取った。古いものだが、しっかりと手入れがされている。抜いてみると、意外に分厚い。動物の革も裂くことが出来るだろう。レイナは笑いながら、私の両肩に手を置いた。

 

『大丈夫。あの集落は以前にも行ったことがあるの。ディアンは土地勘があるから、安心してついて行きなさい』

 

私は頷いた。彼女の微笑みが印象的だった。

 

 

 

 

イルビット族の集落は、プルートア山脈の西側にある。ドワーフ族の集落から北西の方角だ。北にあるオウスト内海を東西に分ける海峡「ケテ海峡」の近くまで出て、山を回りこむように西に進む。これまで村から半日以上の場所に行ったことは無い。私にとって初めての「旅」であった。森の中で夜を過ごすのは、正直怖かった。師は火を見ているから安心して寝なさいと言ってくれたが、最初は中々、寝付けなかった。師が私の額に手を置いたのが、最後に覚えていることだった。それから数日間、森の中を北に進んだ。師は時々、太陽や星を見上げる。そうすると方角が解るそうだ。動かない星があるそうで、それを見て方位を知る。私にも方法を教えてくれた。

 

『その昔、人間族の技術は今よりも遥かに進んでいた。あの動かない星の幾つかは、人間族が空に向かって打ち上げた星なんだ。もう何千年も前の話だよ』

 

『ドワーフ族の魔導技術のようなものを使ったんですか?』

 

『そうだな。だが、それよりもずっと複雑で、大規模なものだ。それゆえ、副作用もあった。昔の人間族は、自分たちの生活のために、森や川を汚していた。其処に住む多くの生き物に迷惑を掛けていたんだ。だから滅びてしまった・・・』

 

『ドワーフ族とは違いますね。ドワーフ族は、鍛冶で出た塵なども、綺麗にしてから山に戻します。そうすれば、また山は恵みをくれますから』

 

『全くだ。どんなに凄い技術でも、自分だけの幸福を求めていては、その技術は害にしかならない。昔の人間族は、それを知るのに「滅亡」という代償を支払った。同じことを繰り返さないようにしなければな・・・』

 

そうした話をしながら、五日目にオウスト内海に出た。見渡す限りの水たまりだ。私は初めて「水平線」というものを見た。なんと巨大なのだろう。師は、この水平線の向こう側にも、同じように土地があり、多くの種族が住んでいると教えてくれた。師もまだ、行ったことがないらしい。

 

『いつか、行ってみたいと思う。その時は、お前も連れて行こう』

 

この向こう側に何があるのか、とても興味を持った。私は笑顔で頷いた。

 

 

 

 

イルビット族の集落は、ケテ海峡を南に行った、ルプートア山脈の西側にある。木と石で出来た家々が並んでいる。数は多くないが、一軒ごとが大きかった。屋根は低いが、幅が広い。私たちが集落に入ると、荷物を抱えて歩いていたイルビットの女性がいた。重そうだったので手伝おうと思って声を掛けると、女性は首を横に振って、そのまま歩き去ってしまった。

 

『お前を嫌ったわけじゃない。イルビット族は、排他的ではないが、中には人づきあいに不慣れな者もいる。また研究資料などは、親しくない者には触れさせようとはしない。だが話しをしてみると非常に興味深い。さぁ、あの家が目的地だ・・・』

 

目的の家に着くと、師は叩扉した。出てきたのは眼鏡を掛けた女性のイルビットだった。背丈は、私より少し高い程度だった。

 

『インドリト、挨拶をしなさい』

 

師に促され、私は挨拶をした。目の前の女性は興味無さそうに頷き、

 

『シャーリアだ』

 

一言、自分の名前を告げただけだった。

 

『シャーリア殿、ご依頼の品をお持ちしました。入っても宜しいでしょうか?』

 

シャーリアは頷いて、家の中に戻っていった。師は身を屈めながら、家に入った。私もその後ろについていった。

 

 

 

 

『赤魔法石、黒魔法石、青宝石・・・』

 

シャーリアは、師から渡された袋を開け、中身を取り出して確認をしている。師は興味深そうに、家の中を見ている。そこかしこに絵が飾られ、棚には草木や石などが並べられている。どうやらシャーリアは絵を描くのが好きなようだ。

 

『・・・確かに受け取った。好きな絵を持って行くといい』

 

『ありがとうございます。では・・・』

 

師は、シャーリアアが描いたと思われる絵を選んでいた。師は思い出したように私に告げた。

 

『この機会に、シャーリア殿に聞きたいことを聞きなさい。ドワーフ族とイルビット族が会話をするなんて珍しいだろう?』

 

そう促されると、かえって質問をし難いのだが、私は意を決してシャーリアに質問をした。

 

『シャーリア殿は、絵がお好きなのですか?』

 

するとシャーリアは私をジロリと睨んで、応えた。

 

『私は別に、絵が好きなのではない。絵画が人間に与える「美」という感覚について研究をしているのだ』

 

『絵が与える美という感覚・・・?』

 

フフンッとシャーリアは鼻で笑い、私に教えてくれた。

 

『人間族は、絵や彫刻といったものを寵愛する。だが考えても見よ。絵など、布を貼った板に、適当に色を塗りたくったものに過ぎない。彫刻は石を彫って、型を形成したものだ。およそ役に立つものではない。無くても一向に構わないものだ。だが人間族は、そんなものに価値を付ける。中には、家と同等の価値をつける者までいる。およそ理解できないとは思わないか?』

 

『その・・・綺麗だとは思いますが・・・』

 

『それはそうだろう。綺麗と思わせるように書いたのだからな。だが、どんなに丁寧に描こうと、所詮は絵の具の塊でしか無い。例えばだ。ドワーフ族が造るものは、剣や槌などだが、それらは「道具」として使用目的があるだろう?』

 

『はい』

 

『だが絵や彫刻といったものは違う。これらは道具ではない。「ただ存在するだけ」で、価値があると見做されている。何の役にも立たない、ただ存在するだけの無益なものを何と言うか知っているか?ガラクタと言うんだ。それが家一軒や一年分の食料と交換される。そんな馬鹿げたことをするのは、人間族だけだろうな』

 

『ではどうして、それを描いているのですか?』

 

『だから、そんな馬鹿げたことをする人間族は、興味深いとは思わないか?彼らはこれを「美」と言うが、その感覚はどこから来るのか?どのようにしたらその感覚を刺激できるのか?出来ればディアンを解剖して、その感覚の源を探りたいが、本人に拒否をされてな・・・』

 

『身体を開いても、心は出てきませんよ、シャーリア殿』

 

師は苦笑いをしながら、顔を向けた。私は首を傾げた。シャーリアの言っていることは理解できたが、理解できない点もある。

 

(その研究は、一体、何の役に立つんだろう?)

 

だが、この質問をするのは失礼なような気がしたので、代わりに別の質問をした。

 

『その・・・シャーリア殿は、どうしてその研究をしたいと思われたのですか?』

 

するとシャーリアは固まってしまった。師が肩を震わせている。何か悪い質問をしてしまったのだろうか?シャーリアは漸く呟いた。

 

『イルビット族に対して「なぜ知りたいのか」と問うか・・・まぁ良い。私はな、人間族を馬鹿にしているのではない。いや、馬鹿げたことだとは思うが、彼らが「美」というものを真剣に追求していることを笑うつもりはない。なればこそ、彼らが言う「美」とは何かを知りたいのだ。ディアンは、それは言葉にできるものではなく、感じるものだと言うが、私は未だ、理解できたことも感じたこともない。いつの日か、理解できる日を求めて、研究をしているのだ』

 

私には、シャーリアの生き方が理解できなかった。だが彼女もまた、真剣に研究を続けていることは理解できた。そして、そのことを笑う資格など誰にも無いのだと思った。ドワーフ族だって、山中に篭って毎日、鋼を鍛っている。他人から見れば「何が楽しいのか」と思えるのかもしれない。そうこうするうちに、師が絵を決めたようだ。

 

『こちらの絵を頂きたいと思います。彼女もきっと、喜ぶでしょう』

 

『ほう、贈り物にするのか』

 

『えぇ、少し困った魔神がいましてね。絵が好きな魔神なんですよ』

 

『「美」を理解する魔神がいるのか!会ってみたいものだが・・・』

 

『止めたほうが宜しいでしょう。下手をしたら、一生を束縛されて、絵を描かされ続けるかもしれませんよ?』

 

シャーリアは腕を組んで、残念そうに頷いた。先生はまた来ると告げると、私を連れて家を出た。私は師に恐る恐る聞いた。

 

『その・・・私は何か、失礼な質問をしたのでしょうか?』

 

『いや、良い質問だったと思うぞ。インドリト、彼女と話して、何を感じた?』

 

私は少し考えて、自分の思ったことを言った。

 

『正直、シャーリア殿の研究も、絵と同じように「何の役に立つのだろう」と思いました。でも同時に、シャーリア殿が真剣に研究をされていて、それを笑う資格など、誰にも無いと思いました。あのような生き方もあるのだと、思いました・・・』

 

『「役に立つ」「役に立たない」・・・それは個々人の主観でしか無い。シャーリア殿の研究は、確かに他人から見れば役に立たなく見えるかもしれない。しかし彼女は、その研究を通じて充実感や満足感を得ている。彼女にとっては役に立っているんだ。絵も同じだな。他人から見たらガラクタでも、本人にとって役に立っているのなら、それで良いと私は思うな』

 

『そうですね』

 

『人によって、良し悪しが変わる。肝心なことは、それを自分で決めることなんだ。そして、他者の良し悪しを尊重することだ。他者も同じように、自分で決めたのだからな・・・』

 

『はい』

 

師に言われて、私はなんだかスッキリした。上手く言葉には出来ないが、きっと私は、彼女を通じて「もし自分が鍛冶屋で修行をしていたら…」というモヤモヤしていた思いを見つけたのだと思う。心のどこかで「父に命じられた」という思いがあった。だが今は違う。私は自分で決断して、師の下にいる。鍛冶屋とは違う道だが、この道を歩き続けてみよう。正解かどうかは誰も解らない。ならば、私が決めれば良いのだ。

 

生き方に「型」など無いのだから・・・

 

 

 

 




【次話予告】

旅の帰り道、レブルドルに襲われたインドリトは短剣で身を護ることが出来た。だがそのために、小さな悲劇が起きてしまう。思い悩む少年は、師に対して「強さとは何か?」を問う。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第三話「レブルドルの赤子」


少年は、そして「王」となる…


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第三話:レブルドルの赤子

イルビット族の集落への滞在予定は三日間であった。その間、ディアンは精力的に、イルビットたちとの交流を進めた。研究家志向の強いイルビットにとって「集落の長」などという立場は面倒なだけである。そのため、集落にはまとめ役としての「長」はいない。彼らとの交渉は個別で行っていく必要があるのだ。ディアンは、集落同士を繋いだ「交易路」を造ろうとしていた。インドリトは首を傾げ、ディアンに尋ねた。

 

『先生、イルビットの皆さんにとっては、肉や小麦などが必要なのは分かりますが、ドワーフ族が彼らから買うものとは何でしょうか?』

 

ディアンは水晶の様なものを取り出した。内部に焔の様なものが揺らいでいる。

 

『魔導技術は、ガーベル神によってドワーフ族にもたらされたが、イルビット族でも独自に研究がされている。これは、イルビット族が生み出した、新しい魔導技術だ』

 

『・・・これは何なのでしょうか?』

 

『これは「魔焔」と呼ぶらしい。人工的に造られた魔法石のようなものだ。容量や出力などを変えて造ることが出来るため、魔導技術の幅も飛躍的に広がるだろう。こうした「技術や知識」を彼らから買う』

 

『魔焔・・・その・・・先生は、イルビット族の方がドワーフ族より優れているとお考えなのですか?』

 

ディアンは笑って首を横に振った。インドリトに解り易く説明するため、たとえ話をした。

 

『インドリト、お前は子供を産めるか?』

 

『いえ・・・私は、男ですから』

 

『そうだな。では女の方が、お前より優れていると思うか?』

 

『それは・・・子供を産むという点では、女性の方が優れているというか・・・そもそも女性でなければ産めませんし、それを「優れている」と言うのでしょうか?』

 

『そうだ。優劣の問題ではなく、向き不向きの問題だ。ドワーフ族は手先が器用で、優れた武器や道具を造るという点では、イルビット族を遥かに凌いでいる。一方で、生涯を費やして一つのことを研究し続けるという点では、イルビット族が優れている。狩りをさせたら獣人族の右に出る者はいない。魔法を操らせたら、悪魔族が一番だろう。仲間同士で結束し、一つのことに向き合うという点では、人間族の得意領域だ。誰しも得手不得手がある。全てに優れている者なのいないのだ。だからお互いに理解し合い、助け合うことが大切なのだ。わかるな?』

 

『はいっ!』

 

『このケレース地方には、多様な種族が住んでいる。お前がいずれ長になったときには、ドワーフ族のみならず、イルビット族や獣人族、人間族や闇夜の眷属たちとも、交流をする必要が出てくるだろう。偏見を持たず、優劣に囚われず、共に生きる道を考えなければならない。私の下にいる間に、出来るだけ多くの種族と会っておくと良いだろう・・・』

 

 

 

 

復路は、オウスト内海に沿って東に進み「フレイシア湾」に出た。湾の近くには龍人族の村がある。ディアンは、族長とは既に何度か会っており、ドワーフ族との交流の話をした。

 

『ディアン殿が言っていた「将来の族長」は君か。我々は他族との交流を嫌ってはいない。お互いの文化や生活を尊重できるのであれば、むしろ積極的に交流をしたいと思っている』

 

『インドリトです。正直、自分が族長になった時のことなど、まだ想像もできません。なにしろ、旅に出たのも、今回が初めてなのです。今回の旅では、龍人族もイルビット族も、ドワーフ族とは全く違う生き方をしており、そこに学ぶべき点が多いことがよく解りました。私は何も知らない子供です。色々と教えて頂ければと思います』

 

龍人族もイルビット族も、真摯に学ぶ者を好む。インドリトの姿勢には、族長も好意を持ったようだ。フレイシア湾のことや、龍人族が祀る古神のことなどをインドリトに語ってくれた。

 

『そうそう、ディアン殿に頼まれていた「葦」を用意しているぞ。だが、あんなものが本当に役に立つのかね?』

 

『有難うございます。オウスト内海の塩水で成長した葦を使って、面白いものを作ろうと考えていました。上手く行けば、ドワーフ族にも龍人族にも利益になると思います』

 

『利益か・・・まぁ我々としても、麦や肉の他、他の土地の果物などが入ってくるならば、より豊かな生活にはなるだろう。ただ、人間族の使う「貨幣」については、私としては慎重な意見だが・・・』

 

『同感です。貨幣は「貧富の比較」を生み出します。それは強烈な「我欲」を発生させ、文化を破壊しかねません。物資の交流は、それぞれの集落単位で、必要とする物資を交換する、というのが良いと思います。将来、皆が豊かになった上で、貨幣制度について考えれば良いのではないでしょうか』

 

その日の夜は、二人を歓迎しての祭りであった。龍人族の女が笛を吹く。聞いたこともない心地よい音色に、インドリトは陶然とした。肉や魚を食べた後に、龍人族の男が剣を持って進み出てきた。ディアンは頷いて、愛剣を持って立ち上がる。

 

『先生?』

 

『剣を使う者同士による仕合だ。大丈夫だ。これが彼らの風習なんだよ』

 

ドコドコと太鼓が鳴らされる。二人を囲み、皆が囃し立てる。剣を抜いた男二人が向き合う。互いに一礼をし、構える。ディアンが地を蹴り、打ち込む。素早く離れ、また斬りかかる。互いの剣が火花を散らす。ディアンはあえて、虚実の剣を使った。実の剣を使えば、一瞬で終わってしまうからだ。二人の剣技が噛合い、十数合が交される。インドリトは胸が高鳴った。師が戦うところを初めて見るからである。やがて、相手の剣が弾かれ、ディアンの剣が喉元に突き付けられる。決着がついたのだ。盛大な拍手と共に、二人が一礼をして別れた。

 

『見事なものだ。彼がその気になれば、一瞬で決着をつけることも出来たであろうに・・・』

 

族長は小さく呟いて笑みを浮かべた。インドリトは族長を見上げた。呟きが少年に聞かれたことに気づいた族長が、解説をした。

 

『ディアン殿の腕は、おそらくこの大陸でも数指に入るほどだろう。だが、一瞬で決着を付けてしまっては、皆が盛り上がらない。敢えて打ち合うことで、場を盛り上げたのだ。圧倒的な強さが無ければ、とても出来ないことだよ』

 

『強いんですね、先生は・・・』

 

インドリトは、龍人たちと握手をするディアンを眩しそうに見た。

 

 

 

 

フレイシア湾に沃ぐ河に沿って南下をする。水量が豊富なため、川幅はそれなりに広い。

 

『これくらいの広さがあれば、龍人族との交易は、舟を使うことが出来るな。交易が盛んになれば、ドワーフ族も龍人族も豊かになるだろう』

 

ディアンは時折、川幅を調べながら、地図に書き込みをした。ドワーフ族の村に住むようになってから一年間、ディアンは周辺集落や地形などを調査していた。ケレース地方西方の部族とは個人的な繋がりを作ることに成功したと言えるだろう。これを集落単位での繋がりにし、やがては統一国家としてまとめ上げていく。統治機構の設計や国家意識の浸透などを考えると、百年は必要だと考えていた。ディアンが河の調査をしている間、インドリトは野営のための準備をしようと思い、木枝を集めるために森に入った。枯れた枝などを短剣で切っていると、目の前の草が揺れ、いきなり野獣が飛び掛ってきた。大型の肉食猛獣「レブルドル」である。

 

『うわぁぁっ!』

 

インドリトは仰向けに倒れた。レブルドルの巨体が伸し掛かり、インドリトに噛み付こうとする。鼻先を両手で押さえ、なんとか耐える。だが、猛獣の力に抵抗できるものではない。インドリトは肩に噛みつかれた。太く長い牙が肩に食い込む。インドリトは悲鳴を上げながら、短剣でレブルドルの腹を何度も刺した。ディアンが慌てて駆けつけてきて、レブルドルを蹴り剥がした。

 

『インドリトッ!大丈夫かっ?』

 

『うぅぅっ・・・』

 

相当に深く噛まれていた。肩の骨が砕けている。ディアンは回復魔法と痛み止めの麻痺魔法を掛けた。レブルドルはふらつきながら立ち上がったが、そのまま倒れた。

 

『済まない。私の責任だ。調査に夢中になっていて、お前を見失ってしまった・・・』

 

『でも、助けてくれました…』

 

痛みが収まり、傷も塞がったことで、インドリトは落ち着いたようだ。レブルドルのほうに目を向ける。既に死んでいる巨体の横に、小さなレブルドルが鳴きながら擦り寄っていた。

 

『・・・レブルドルの赤子だな。お前が短剣を振っていたので、子供を守ろうとして、襲いかかってきたのだろう』

 

『私が・・・短剣を振っていたから・・・』

 

ディアンは立ち上がると、剣を抜いた。

 

『先生?』

 

『あの赤子も殺さなければならない。人間や亜人に敵愾心を持った猛獣は、縄張りなども関係なく襲ってくる魔獣になってしまう。そしてそれは、群れ全体に波及する。あのまま放っておけば、この辺りは危険地帯になってしまうだろう』

 

『ま、待ってください。まだ子供です!』

 

『レブルドルの赤子も、数年で大きくなる。レブルドルは長寿だ。成長して何十年も襲い続ける魔獣になるんだぞ。将来の禍根は立つべきだろう』

 

『嫌ですっ!』

 

インドリトはレブルドルの赤子を抱きかかえた。赤子といえども猛獣である。インドリトの腕に噛みつき、爪を立てた。皮膚が切り裂かれ、血が流れるのを構わず、インドリトは涙を浮かべながら、抱え続けた。やがて・・・

 

『・・・あっ・・・』

 

赤子は大人しくなり、インドリトの腕を舐め始めた。どうやら赤子は、インドリトを受け入れたようである。ディアンは驚いた。

 

『どうやら、お前を受け入れたようだな。レブルドルが懐くことなど滅多に無い。これは驚いたな・・・』

 

涙が流れる頬を舐める。インドリトは笑いながら、赤子の頭を撫でた。ディアンはインドリトの腕を治療した。肩と比べれば切り傷程度だが、雑菌が入れば面倒なことになるからだ。

 

『先生・・・この子を連れ帰っても良いでしょうか?』

 

『ちゃんと面倒を見るんだぞ?』

 

『ハイッ!!』

 

インドリトは嬉しそうに赤子を抱きしめた。ディアンはレブルドルの遺体に片膝をついて瞑目した。遺体から素材を回収し、燃やす。インドリトと赤子は、遺体が燃え尽きるまでその場に立ち竦んでいた。

 

 

 

 

インドリトは、レブルドルの赤子に「ギムリ」という名前をつけた。その昔、斧を揮って戦ったドワーフ族の戦士の名前である。ギムリは完全にインドリトに懐いたようで、尻尾を振りながら焼けた川魚を食べている。だがインドリトの表情は暗い。ディアンは、襲われた恐怖心からかと思ったが、どうやら違うようだ。

 

『私がもっと強ければ、ギムリの親を殺さずに出来たのでしょうか』

 

『どうかな。いきなり襲われたのだろう。やむを得なかったのではないか?』

 

『でも、先生なら・・・先生ほどに強ければ、殺さずに済んだのでしょう?私が弱かったから・・・』

 

『・・・インドリト、お前の言う「強さ」とは何だ?』

 

『それは…自分の身を護る力だと思います。必要以上に相手を傷つけること無く、自分の身を護る力が「強さ」ではないでしょうか』

 

『強さとは、剣を揮って相手と戦う力だけではない。むしろそんな強さなど、大したものではない。例えば、お前はギムリを懐かせた。私には出来ないことだ。お前の優しさが、魔獣になるしか無い赤子を救ったのだ。それも立派な「強さ」だと思うぞ?』

 

『ですが、必要のない殺生をしてしまいました。肉や素材を得るためならば仕方がありませんが、自分の身を護るためだけに、相手を殺すというのは、私は嫌です』

 

『お前は優しいな。普通なら、あんな体験をしたら、レブルドルに拒否反応を持つものだが、お前は自分を襲ってきた獣を気遣っている。お前の言いたいことは良くわかる。だがそれは言うほどに簡単なことではないぞ。相手を打ち殺すことは、実は簡単なことなんだ。だが、必要以上に相手を傷つけること無く、自分や護りたい者を確実に護るためには、これは「最強」と言えるほどの力が必要なんだぞ?』

 

『先生ほどの強さが、ですか?』

 

『いや、私は最強ではない。「もっと強ければ」と思ったことは一度や二度ではない。まぁ、お前の考える「剣や魔法の強さ」とは、違う強さを私は求めているのだがな…』

 

『それは、どんな強さなのですか?』

 

『…言葉を通じて、相手を納得させ、動かす力だ。その力が弱いから、剣に頼って「脅す」ことで、相手を無理矢理に動かしたことが、何度もある。私が弱いからだ。弱いから、相手を脅して、押し付けることでしか、対立を解消できなかったのだ』

 

『私は、剣や魔法で「脅す」ことですら出来ません。先生の言う「言葉の力」というのは理解できます。ですが、それは「強さ」があるから、発揮できるのではないでしょうか。強さが自信につながり、自信が言葉の強さに繋がる。先生のお話は、いつも説得力に満ちています。それは、先生の強さに裏付けられた自信から来るのではないでしょうか?』

 

『インドリト、それは違う。剣や魔法の強さなど、人の持つ強さの中では微々たるものなのだ。剣や魔法の強さが人の強さなら、人間もドワーフも龍人族もイルビット族も、皆が剣と魔法を修行せねばならない。だが実際は違う。自分自身の情熱と行動力を強みとして、周りを巻き込んで夢を実現していく者もいる。一つの研究に打ち込み続け、真理を解き明かすことを強みとする者もいる。「強さ」を全てと考えてはいけない。強さに因われてしまっては、世界が狭くなってしまう。まずお前は「心の強さ」を養わなければならない。人としての幅と深みを持つ必要があるのだ』

 

『正直、解りません。私は、先生から剣や魔法を学びたいのですが、それはいけないことなのでしょうか?』

 

『いや、今回は良い機会だ。レイナもグラティナもファミも、お前に剣と魔法を教えたがっている。戻ったら早速、修行を始めよう。だが覚えておきなさい。剣や魔法に頼るのは「下の下」なのだ。それは最後の手段だ。力で相手を「屈服」させるのではなく、言葉を通じて相手を「調伏」することこそが「上」なのだ。確かに、言葉も万能ではない。だが、言葉を交わし、互いに理解をし合うことは最も尊いことなのだ。お前はギムリを懐かせた。その時の心を決して忘れてはならない。良いな。剣や魔法が強さではないのだ』

 

インドリトは頷いたが、この時はまだ漠然としか理解していなかった。彼が真に理解するには、数十年の歳月が必要であった。

 

インドリトがレブルドルに襲われたことは、三人の「姉」にすぐに知れてしまった。血の匂いを発していたためである。戻ったその夜、ディアンは三人がかりで責められたのであった・・・

 

 

 

 

 




【次話予告】

三人の「姉」による指南で、インドリトの「剣と魔法の修行」が始まった。レイナ、グラティナ、ファーミシルスはそれぞれ役割を決め、インドリトを鍛え始める。魔神にも負けない「魂魄」を鍛えるために、インドリトは過酷な修行に耐える。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第四話「修行開始」


少年は、そして「王」となる…


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第四話:修行開始

後年、ディル=リフィーナにおいては多様な武術が誕生した。その代表例は剣術であるが、その種類は多岐にわたり、短剣とバックラー(小盾)を利用した兵士向きの剣術から、ブロードソード(中剣)と盾を使う剣術、ロングソード(大剣)による対甲冑向けの剣術まで様々である。また東方諸国では、反りのある片刃の刀が使われていたため、鞘から引き抜く際に、腰の動きと反りを利用して加速させる「抜刀術」が進化した。西方諸国では、刺突剣が主流となっている。ラウルバーシュ大陸全土で、多種多様な剣が使われ、それぞれに独自の剣術が進化をした。

 

無論、剣術以外にも多様な武術が発展している。エルフ族では弓術、ドワーフ族では槍術や槌術が発展しているが、飛礫などを使った武術や体術なども系譜が見られ、国家成立期以降は各国が、武術指南役を雇い、軍事利用を行っている。また、魔術についても、魔術学校が設立し、基礎魔術を学ぶことが出来るようになった。剣術と魔術を兼ね備えた「魔法剣士」なども存在している。

 

ドワーフ族が使う「槌術」は、普段使い慣れた「槌」とは異なり、「戦槌」を利用する。小回りの効くドワーフ族では、小型の戦槌を使って敵の骨を砕き、戦闘不能に陥らせる戦い方が一般的だが、魔術を応用した「遠隔操作」による戦術も見られる。だが、こうした戦い方は師弟関係によって伝承されているため、「槌術」の体系は多くが不明となっている。

 

 

 

 

皮を巻いた木刀を持ち、インドリトとレイナが向かい合う。構えた瞬間、インドリトが尻もちをついた。額からは汗が流れている。

 

『良いですか。闘いにおいて最も大切なことは「気の充実」です。どれほど技を磨こうとも、気が充実しなければ、闘う前に負けてしまうのです。あなたはまず、自らの気を掌握しなければなりません』

 

立ち上がり、再び構える。レイナと向き合う。インドリトの顔は汗に濡れているが、やがて糸が切れたように、気配が消えた。そのまま、前のめりに崩れ落ちる。気を失ってしまったのだ。レイナはため息をついた。

 

『ディアン、いきなりこの修行は、厳しすぎないかしら?インドリトはまだ十二歳よ?』

 

ディアンは黙ったまま、桶の水をインドリトに掛けた。気がつき、起き上がる。

 

『インドリト、レイナと一刻、向き合えるようになれ。それが出来たら、華鏡の畔に連れて行ってやる』

 

ディアンの言葉に、インドリトが目を輝かせた。

 

『今のお前では、魔神に会う前に気を失うだろう。魔神の気配とはそれ程に強烈だ。だが、それに耐えられるようになれば、大抵のことには動じなくなる。この修行で、心を鍛えるのだ』

 

インドリトは頷くと、立ち上がってレイナと向き合った。歯軋りをして、レイナの気当たりに耐える。だがすぐに再び、意識を失ってしまった。再び水を浴びせ掛ける。インドリトは荒い息をして、気がついた。

 

『心の修行は、一朝一夕では修めることは出来ない。焦る必要はない。この修行を続ければ、必ず強くなれる』

 

インドリトの修行は一刻と決められていた。それ以上は心身が耐えられないからである。レイナとの修行が終わると、夕食まで自由な時間だ。水浴びの為に川に向かう。レブルドルの赤子、ギムリがトコトコとついてくる。水浴びが終わると、川に仕掛けておいた罠を見る。岩魚が二匹、掛かっていた。木枝や枯葉を集めて、小さな火を起こす。ギムリがブルブルと躰を振って、水を切り、火に当たった。焼けた岩魚を分け合って食べる。

 

 

 

家に戻ると、ディアンが何か作業をしていた。龍人族の村で分けてもらった「乾燥させた葦」を甕に入れ、燃やしている。

 

『インドリト、ちょうど良いところに来た。お前も手伝ってくれ』

 

葦が燃え尽きると、灰を振るいにかけ、別の甕に振るった灰のみを落とす。そこに真水を注ぎ入れ、ひと混ぜする。

 

『これは「灰汁」というものを作る工程だ。やがて灰は沈殿し、透明な上澄みが出来る。それと油を混ぜると「石鹸」というものが出来る』

 

『石鹸?それはどのようなものですか?』

 

『見ていれば解る・・・』

 

オリーブの種を絞って得た油と、灰汁を混ぜ合わせると、白く混濁してドロドロの状態になった。それを木枠に流し込む。木枠十個分を作ることが出来た。日陰で乾燥させる。

 

『数日後には完成するだろう。楽しみにしていなさい』

 

インドリトは首を傾げた。どうも食べ物とは違うらしい。その後は、姉三人と共に、山菜取りに出掛けた。ディアンの家は周囲が森や川で囲まれている為、食材には事欠かない。その日の夜は、山菜を小麦粉で塗し、油で揚げたものを食べた。塩を振って食べると、山菜の味が引き立つ。インドリトは思った。食文化に関しては、ドワーフ族よりも人間族の方が、間違いなく豊かだろう。

 

 

 

 

『魔術とは、魂が生み出す魔力を使って、魔素を操る「技法」だ。それ以外にも、信仰心を魔力に変換する方法もあるが、まずは基礎魔術から修得したほうが良い』

 

ファーミシルスが、インドリトに魔術を教えている。剣と魔術の修行は交互に行っている。レイナの修行でもそうであったように、物理的な力に基づいた剣術や体術に偏ると、魂が生み出す魔力を感じ難くなる。かと言って、魔術の修行に偏ると、肉体的な限界点がすぐに来てしまう。魂魄を同時に鍛えることが望ましい。インドリトの修行は、まず自分に向いている「秘印術」を掴むところから始まった。

 

『秘印術とは、六大魔素を操る六大魔素とは「メル(地熱)」「ユン(井戸水)」「リーフ(空気)」「ベーゼ(地殻)」「ルン(目覚め)」「ケール(眠り)」のことで、個々人によって、操りやすい魔素が異なる』

 

インドリトは丸く削った透明な水晶を持ち、魔力を込めた。水晶珠が光の色を変えていく。その発光の強さで、向き不向きが解る。赤と茶の色が強い。これは「メル」「ベーゼ」を示している。

 

『お前は炎と地脈に向いているな。ドワーフ族らしいと言えるだろう』

 

『他の魔素は、操れないのでしょうか?』

 

『そんなことは無い。向き不向きというだけで、時間を掛ければ全ての魔素を操ることが出来るようになる。だが、まずは自分に向いている魔術を極めるのだ。魔素の操作は精神力が大きく影響する。「出来て当然」という精神力が、より高位の魔術へと繋がるのだ。まずは魔術を使う感覚を得ることが肝心なのだ』

 

ファーミシルスの教え方は、意外なほどに解り易かった。ディアンは縁側で様子を見ながら、ファーミシルスの一面に興味を持った。

 

(案外、教師に向いているかもしれないな。あるいは兵士の指揮官とか・・・)

 

インドリトは地面に手を当てて、両手に魔力を込めた。少し光り、土が変形する。小さな土人形が出来上がった。極小の地脈魔術だが、初めての魔術にインドリトは大喜びした。

 

 

 

 

『「魂魄」という言葉が示す通り、肉体と魂は不可分の存在だ。肉体を鍛えれば、おのずから魔力も強くなる。私がお前に教えるのは、体術だ。体術はまず、己の肉体を鍛え上げることから始まる。全身の筋力、瞬発力、持久力を高めるのだ』

 

グラティナは幼少期のころから、父親であるワルター・ワッケンバインから手ほどきを受けていた。ワルター・ワッケンバインは、力と速度を兼ね備えた剣豪で、剣聖ドミニク・グルップとも五分に渡り合うことが出来たほどの強者である。グラティナの修行は、ある意味では単純であった。瞬発力のある赤筋、持久力のある白筋を強化する鍛錬、つまり筋肉の鍛錬である。筋繊維に負荷を掛けると、それに耐えようと筋繊維は強くなる。負荷が大きければ繊維は太くなり、小さな負荷を持続させると、持久力が高まる。

 

『大切なことは、鍛錬の前後で十分に筋肉を解しておくことだ。これを怠ると、躰が硬くなり戦いにおいて不利になる。身体の柔軟性も持つ必要があるぞ』

 

インドリトの柔軟体操をグラティナが手伝う。股を開き、地面に頭が付くまで前倒しになる。グラティナが背中から圧し掛かる。インドリトが呻いた。中々、頭が地面に着かない。

 

『焦る必要は無い。身体の柔軟性は、毎日の継続でしか身につかないのだ。この修行だけは、毎日行うぞ』

 

そう言いながら、グラティナはインドリトの背中を押した。呻き声が大きくなった。

 

 

 

 

修行の後は夕食である。獣肉や野菜などが入った、多様な食事である。ファーミシルスとの修行をしたあとは、野菜類が多い食事となり、グラティナとの修行後は獣肉が多い食事になる。どの修行をしたかで、食事の内容も変えているのだ。インドリトは食事に好き嫌いが無かったが、やはり若さから獣肉が好きであった。食事をした後は、ディアンとの書見である。

書見は毎日と決められていた。インドリトは、この時間が一番好きであった。ディアンの書斎で、茶を飲みながら好きな格好をして書を読む。ディアンはインドリトが好みそうな、冒険譚や英雄物語などを仕入れていた。書見の合間で、ドワーフ族の文字の他、エルフ族や人間族の文字を教える。ディアンも椅子に座って足を組み、魔術書を読み耽る。静かな部屋では、頁を捲る音だけがした。

 

 

 

 

『明日から暫くは、私は不在になる。三人からしっかりと、修行を受けるように』

 

夕食中、ディアンはインドリトに、しばらく旅に出る旨を伝えた。インドリトに旅先を尋ねられ、ディアンは笑った。

 

『幾つか訪れるが、最終的には南にあるレウィニア神権国の首都、プレイアになるだろうな。土産を楽しみにしていなさい』

 

目の前の鍋では、熊肉がグツグツと音を立てていた・・・

 

 

 

 




【次話予告】

ディアンの独り旅は、ある目的があった。そのためには、「美を愛する魔神」の協力が必要である。自分勝手な魔神を説得するために、ディアンは土産を持って、華鏡の畔に向かう。魔神の趣味に苦笑いをしながらも、ディアンは用件を切り出した。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第五話「魔神同士の交渉」

少年は、そして「王」となる…


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第五話:魔神同士の交渉

ケレース地方西方に誕生した王国「ターペ=エトフ」は、豊かな経済力を持っていたが、その基盤を支えていたのが「オリーブ栽培」である。オリーブ農業自体は、アヴァタール地方各地で行われていたが、油を搾る前のオリーブの実は数日で腐敗をしてしまうこと、また大量に生まれる「油の搾り粕」の処理の問題などから、大抵は自家農園程度の規模で行われており、オリーブ栽培を産業とした国家は存在しなかった。ターペ=エトフは、水はけと日当たりが良い山岳地帯にオリーブの木を植林し、高圧縮で油を搾る魔導技術を開発、搾り粕を熱乾燥させ家畜の飼料とし、その糞を堆肥としてオリーブ栽培に活かすという「循環経済」の確立に成功した。最盛期には、アヴァタール地方で消費されるオリーブ油の実に七割が、ターペ=エトフ産であった。

 

ターペ=エトフでは、オリーブ農業に付随して、様々な産業が生まれた。その代表例が「石鹸」「髪油」などの化粧品産業である。オウスト内海の塩水で育った葦から作られる灰汁は、高濃度の「水酸化曹達(ナトリウム)」を含有しており、石鹸づくりに向いていた。またドワーフ族の鍛冶により「蒸留技術」が生まれ、ラベンダーやバラなどから「精油」を抽出することで、様々な香りの石鹸を生み出していた。こうした産業により、ターペ=エトフは「理想郷」として繁栄するのである。国王インドリトの晩年期に、地の魔神ハイシェラの侵攻を受けた際にも、魔神アムドシアスとトライスメイルのエルフたちによって輸送路が確保され、ターペ=エトフはその滅亡まで、ラウルバーシュ大陸で最も豊かな国家であったと言われている。

 

ターペ=エトフの滅亡後、各国はこぞってオリーブ栽培の技術とそれに付随する各産業の知識を求めたが、地の魔神ハイシェラはそうした経済活動には関心が無く、また産業に関与していたドワーフ族や闇夜の眷属たちは、国家滅亡後に忽然と姿を消し、それら知識は完全に失われたかに思われていた。ターペ=エトフ滅亡後の十年間、アヴァタール地方のオリーブ油は価格が高騰し、オイルランプの使用が禁止されるなど、庶民の生活を直撃したのは言うまでもない。オリーブ油の価格が安定するには、アヴァタール地方の南方、ニース地方に突如として出現した強国「エディカーヌ王国」の誕生を待たなければならなかった。

 

 

 

 

 

『ほう、これが魔焔か。名前だけは耳にしたことがあるが、実際に見てみると確かに、魔導技術に役立ちそうだな』

 

ドワーフ族の長「エギール」は、ディアンが持ってきた「魔焔」を興味深そうに見ていた。魔導技術は、魔法石から魔力を抽出することで、魔法が使えない者でも魔法と同じ効果を得ることが出来る。しかし、魔法石に蓄えられた魔力が個々で違うこと、またその出力にも差異があることから、魔導技術で生まれた武器や機械類は不安定であった。魔焔は、人工的に作られた魔法石であり、小型でありながら相当量の魔力を蓄えられること、またその出力も用途によって変えることが出来る。魔導技術を飛躍的に促進させる可能性を持っていた。だがその分、危険でもあった。ディアンはエギールに提案をした。

 

『この技術は、使用者次第では大きな災厄を生み出しかねません。ドワーフ族によって、しっかりと管理をする必要があります。万一、人間族に渡るようなことがあれば、間違いなく戦争で使用されるでしょう』

 

『ガーベル神は、人々の幸福を願って魔導技術を生み出した。その技術を戦で使うなど、許されることではない。百歩譲っても、自分の身を護るためにのみ、使うべきだろう』

 

エギールは頷いた。魔焔技術は長直属の技術として、認められた者たちにのみ、伝えられることとした。ディアンは魔焔の他、様々な提案をエギールに行っている。他族との交流については、エギールも積極的であったが、行商人については、腕を組んで悩んでいた。商取引の方法についてである。集落では、物々交換が当たり前であるが、他地方との交流となれば、貨幣があったほうが便利である。だがそれは、ドワーフ族の文化を破壊しかねない。ディアンも貨幣経済導入には、相当な時間を掛けるべきと提案をしていた。

 

『・・・以前、アヴァタール地方産の酒を飲んだことがある。我々が飲んでいる「蜂蜜酒」とはまた違った味であった。お主の知る「レウィニア」という国から酒を運べば、喜ぶ者たちも多いだろう。だが、こちからは何を提供する?』

 

『古の宮では、武器と酒を交換していました。しかし、この集落は古の宮よりも遥かに大規模です。武器ばかりが集まれば、行商人も嫌がるでしょう。何か別の品を用意する必要があると思います。そこで・・・』

 

ディアンは革袋から石鹸を取り出した。エギールにオリーブ栽培を経済基盤とする構想を語る。実現するには時間が必要であろうが、掘り出したら終わってしまう鉱石とは異なり、オリーブなら安定して収穫を得ることが出来る。また女子供や年寄りでも、経済活動に参画することが出来る。男性社会で、鍛冶一辺倒のドワーフ族にとって、それは革命的なことであった。

 

『良い案だと思うが、我々の将来に関わることだ。皆とも話し合う必要がある。少し時間を貰えまいか?』

 

『もちろんです。ただ出来れば、行商人招聘については、承認を頂きたいのです。レウィニアは今、自国防衛のために軍備強化を進めています。今回だけなら、武器だけでも行商人は喜ぶでしょう』

 

『それは構わん。行商人が来たとなれば、皆も喜ぶだろう。アヴァタール地方の麦酒を楽しみにしているぞ』

 

エギールは笑って頷いた。

 

 

 

 

 

翌朝、ディアンは「華鏡の畔」を目指して出発をした。行商人がこの集落に来るには、華鏡の畔を抜ける必要がある。魔神アムドシアスに、その許可を得なければならない。華鏡の畔は、ケレース地方を東西に分ける山脈の盆地にあり、山を超えること無く、切れ目から入ることが出来る。路を整備すれば、安定した行商路になるはずである。およそ二日で、華鏡の畔に着く。アムドシアスから受け取った水晶に魔力を込めると、結界が消えた。白亜の城を目指して進む。

 

«黄昏の魔神ディアン・ケヒトよ。我が城にようこそ。美を解するお主を歓迎する»

 

楽隊の演奏と共に、魔神アムドシアスが姿を現した。ディアンは丁寧に挨拶をしたが、心の中では苦笑いをしていた。

 

(オレを出迎えるために、わざわざ楽隊を整列させるとは・・・コイツの趣味は、いささか度が過ぎるな)

 

中庭の亭に向き合って座る。ディアンは早速、土産を渡した。イルビットの芸術家シャーリアが描いた風景画である。アムドシアスは感嘆のため息を漏らした。目を細めて絵を見ている。

 

«美しい・・・見事な絵だ。題材はオウスト内海のケテ海峡だな?濃霧の中に浮かぶ死霊たちが、イキイキと描かれている»

 

(「死霊」がイキイキねぇ・・・)

 

アムドシアスは早速、従者に額縁の用意を命じた。飾る場所も既に決めているらしい。ディアンの土産に、「美を愛する魔神」は上機嫌になっている。ディアンはアムドシアスに、行商人の招聘について、華鏡の畔を通過を認めるように要望した。

 

«お主の言うことは解った。だが、それは私にとって、どのような利益があるのだ?私とお主の間柄であったとしても、一方的な要望には同意しかねる»

 

『行商人が招聘出来れば、ドワーフ族のみならず、ケレース地方西方全体が繁栄をする。この絵を描いた芸術家も、必要とする素材が手に入り難いと悩んでいた。行商人によって、素材の供給が安定化すれば、より多くの作品を生み出すことが出来るはずだ。華鏡の畔の通行許可の見返りとして、その芸術家の作品を贈呈しよう。「美を生み出すための協力」をお願いしたい』

 

«美を生み出すため・・・か・・・»

 

美を愛する魔神は、瞑目して考えていた。かなり揺れていることは、傍目から見ていてもわかる。

 

『何も「無制限に」というわけではない。ニヶ月に一度ずつ、ただ一隊だけ、行商人の通行を認めて欲しい。その対価として、年に一点ずつ、芸術品を贈呈する。この取り決めならどうだ?』

 

«つまり年間七回、通行を認める代わりに、年間一点の作品を貰うわけか。ふむ、できればもう少し、作品が欲しいが、年に何点も生み出せるわけではない。まぁ、妥当な条件か・・・»

 

『行商人には、この城には近づかず、速やかに通過することを厳守させる。まぁ、魔神に近づきたいと思う行商人はいないと思うが・・・』

 

(いや、リタなら有り得るか。弱いくせに、利益のためなら命を賭けるからな・・・)

 

アムドシアスは同意した。その後は、絵画や楽器の話となった。アムドシアスは、東方諸国の弦楽器が欲しいと語った。行商人に手配させることを約束した。

 

 

 

 

 

ケレース地方から南下し、アヴァタール地方に入る。南東に行けばレウィニア神権国の統治域に入る。かつてはバリハルト神殿の影響下であった地帯だが、ノヒアの街が滅びて以来、半ば無統治状態となっていた。穏やかな河川のある開けた土地である。いずれレウィニアが進出してくるに違いない。河川敷の集落に一泊を求めたディアンは、そこで意外な人物と再会した。

 

『ディアンッ!お前は、ディアン・ケヒトではないか!』

 

青髪の女が声を掛けてきた。かつてセトの村で出会ったスティンルーラ人、エルザ・テレパティスであった。

 

 

 

 




【次話予告】

エルザ・テレパティスと再会をしたディアンは、スティンルーラ族の新しい集落「クライナ」に入る。エルザから今後について相談を受けたディアンは、この地で見つけたある植物に着目した。それは、ラウルバーシュ大陸に「新たな名産品」が誕生する瞬間であった。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ絶壁の操竜子爵への途~ 第六話「スティンルーラの酒」

少年は、そして「王」となる・・・


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第六話:スティンルーラの酒

セアール地方は、ブレニア内海北部とオウスト内海西部に挟まれた地域である。ケレース地方西方のルプートア山脈によって風が遮られるため、セアール地方は降水量が少なく、乾燥地帯となっている。その一方、ブレニア内海北部は雨量も多く、肥沃な大地であったため、セアール地方では古くから、北部から南部に向けて入植が進んでいた。

 

セアール地方南部は、元々は「スティンルーラ人」が住んでいた土地である。スティンルーラ人は裁きの女神「ヴィリナ」を信仰する人間族である。自然を愛する母系社会を形成し、女性優位の文化を形成していた。セアール地方という名称は、光の神殿の影響を受けた北部の人間族「セアール人」の名称から来ているに過ぎない。北部からの入植は、スティンルーラ人にとっては「侵略」であるため、セアール人とスティンルーラ人の対立は深刻であった。一時期は、バリハルト神殿の庇護のもと、セアール人がケレース地方の大半を統治したが、バリハルト神殿の影響が薄れた後代では、スティンルーラ人がセアール地方南部を完全に治め、女系国家「スティンルーラ女王国」を建国する。

 

スティンルーラ人は、バリハルト神殿などの現神勢力の庇護を受けていたセアール人に対抗するために、二つの勢力から協力を受けた。一つは「レウィニア神権国」、もう一つは「ターペ=エトフ」である。この二つの大国と交易をするためには、両国には存在しない「スティンルーラの特産品」が必要であった。特に、ターペ=エトフで鍛造される武器類は、バリハルト神殿との抗争において欠かすことの出来ないものであった。そこでスティンルーラ人たちは、黒麦酒に着目をした。黒麦酒は、発芽した大麦を粉砕し、水と混合させて自然発酵させたものであるが、スティンルーラ人たちは黒麦酒の製造方法を見直し、香りづけと苦味を与えることで独特の風味を持つ「新しい黒麦酒=エール麦酒」の開発に成功した。

 

エール麦酒の製造技法は、やがて各地に広がるが、スティンルーラ産のエールは、焙煎をした大麦を使用した「スタウト」と、焙煎をせずに使用する「ペール」の二種類があり、その口当たりや旨味は、他地方産の追随を許さない。そのため、スティンルーラ産のエールを置く酒場は繁盛する、とまで言われている。

 

 

 

 

 

エルザ・テレパティスの案内で、ディアンはスティンルーラ人の集落「クライナ」に入った。道中でお互いに、その後について語り合う。エルザはディアンと別れてから半年後に、セトの村を出たそうだ。ディジェネール地方を西に進み、ブレニア内海西岸の「レルン地方」を回って、この地に来たらしい。一年をかけて散り散りになった同族を集め、ようやく自分たちの土地に辿り着き、クライナの集落を形成した。

 

『バリハルト神殿と戦おうと思っていたのに、いつのまにかノヒアが無くなっちまっていたからね。この辺り一体を取り戻すのは簡単だったよ』

 

集落を案内しながら、エルザは自慢気に語った。かつては二十人程度であったエルザの部下は、いまでは千名を超えている。これだけの規模になれば、食べていくためにも様々な産業が必要であった。農耕や畜産の他、ブレニア内海に出て漁業なども行っているようである。だが、まだ国家として成立するには小さすぎであった。スティンルーラ人は人間族の中では排他的な部族であり、移民を受け付けない。このままではただの「部族」として終わるだろう。だがエルザはそれで構わないと考えているようであった。

 

『バリハルト神殿はもう無いんだ。土地を取り戻すのも、時間の問題さ』

 

『・・・だといいがな』

 

ディアンは予想していた。バリハルト神殿は確かに駆逐されたが、北部に住むセアール人たちのほうが、遥かに人口が多いのである。セアール地方北部は乾燥地帯であり、農耕には適さない。豊かな土壌を求めて、必ず南下をしてくるはずである。バリハルト神殿の有無など、関係が無いだろう。まして、神殿勢力は一時的に排除されたに過ぎない。再びこの地域に、バリハルト神殿が進出をしてくる可能性も十分にあるのだ。ディアンは自分の懸念をエルザに伝えた。

 

『バリハルト神殿が無くても、セアール人をこの地から追い出すのは不可能ではないか?北部からの入植者たちも、この地に根付き、生活を営んでいる。それを一方的に追い出してしまっては、バリハルト神殿を非難することは出来なくなるぞ?』

 

『・・・・・・』

 

エルザは無言のまま、ディアンを自分の家に招き入れた。

 

 

 

 

 

『実際のところ、アタイも悩んでいるんだよ。一族の将来を考えると、東にある「レウィニア神権国」のような「国」を作るべきなんじゃないかってね。でも、プレイアの街は何万人も人がいて、いまも増え続けている。一方、アタイらはせいぜい千人ちょっとの数しかいない。この先、どうやって一族を率いていけば良いか、アタイにも解らないんだ』

 

エルザの家は簡素な造りであった。靴を脱いで板間にあがり、炉端を囲むように座る。エルザは熾火に炭を焚べ、湯を沸かしながら呟いた。ディアンも腕を組んで悩んだ。人口というのは、国力の象徴である。プレイアの街がレウィニア神権国になれたのは、十万人を超えるほどの人口を持っていたからである。一方、スティンルーラ人の集落は千人を超える程度しかない。ただの「村」である。国家を名乗ったところで、誰も認めないだろう。

 

『アタイらは、何も大国になって他の国を攻めたいなんて考えちゃいないんだ。どこからも侵略されること無く、日々を穏やかに過ごせればそれでいい。でも、他の土地を旅して解ったけど、穏やかに暮らすためには、強い力が必要なんだ。「手を出したら()られる」という威嚇する力が、自分を護るんだよ。そのためにも、力を持たなきゃいけないんだ』

 

『エルザ、お前が変えたくないと考えている「スティンルーラ人」の在り方は何だ?ブレニア内海沿岸部は、平地が多く、人の行き来も多い。「スティンルーラ人だけの国」などというものは成立しないだろう。仮に国を立ち上げたとしても、必ず他の土地から人が来て、その国に住み着くようになる』

 

『スティンルーラ人は、女系社会だ。一族の長は、女が継いできた。これには理由があるんだ。アタイらの伝説では、戦を「始める」のは常に男だった。戦には常にキッカケがあり、それは男が作っているんだ。だからアタイらは女が長になるようになった。実際、バリハルトの連中が来るまでは、セアール人の移民たちとも上手くやっていたんだ』

 

『つまり、女系社会ということを護ることが出来れば、移民の受け入れも可能、ということか?』

 

『そう簡単には行かないだろうけどね。アタイらスティンルーラ人は、女が中心の社会で生きていたから、女が立てられて当たり前だった。だけど、他の土地では男が中心だ。男が外で働き、女は家を護るもの、そう思われている。移民者が簡単に受け入れるとは思えないよ』

 

『そうだな。だが女系社会にも欠点はあるぞ?スティンルーラ人は女が働き、糧を得ている。そのため、他の地域と比べて、一戸あたりの子供の数が少ない。他の土地では五人兄弟など当たり前に見受けられるが、スティンルーラ人の出産数は、せいぜい三人だろう?妊娠の間は、働く時間も限られてしまうからだ。スティンルーラ人が、他族と較べて著しく人口が少ない理由は其処にあると思うぞ?子供を産むということと、働いて糧を得るということは、ある意味では「二律背反」だ。それを融合させるには、一族を上げての支援体制が必要だ。例えば、子供一人当たりに対して食糧などを支援する、などだ』

 

『・・・アタイらの在り方が間違っているって言うのかい?』

 

『そうではない。女系社会で繁栄をするには、それなりの「工夫」が必要だと言いたいだけだ。子供を育てるというのは、ある意味では「消費活動」なんだ。子供を育てるためには、その分、衣食住の負担が増える。一方で、子供は特に働くわけではない。子供の分まで、親が働かなければならない。だが、働けばその分、子供の面倒をみる時間が少なくなる。子育てと労働を両立させるには、周囲からの支援が不可欠だと言いたいだけだ』

 

『だけど、支援をしようにもアタイらだって余裕があるわけじゃない。みんな自分の食い扶持を得るために懸命なんだ』

 

『そうだな。そうした支援は、余裕があって初めて出来ることだ。スティンルーラ人が繁栄をするためには、人口増加が不可欠だ。だが人口を増やすためには、妊婦や子育てをする家族を支援する体制が必要であり、そのためには豊かさが必要だ。つまり「楽に豊かになる」ことが出来れば、スティンルーラ人は繁栄する』

 

『なに夢物語言っているんだい!楽に豊かになんて、なれるわけないだろう?』

 

『いや、そうとも言えないぞ・・・』

 

ディアンはある考えをエルザに提示した。

 

 

 

 

 

クライナの集落近郊の森にディアンとエルザはいた。ディアンは木々に絡まる蔦を観察して頷いた。

 

『やはり間違いない。これはカラハナ草だ。この蔓に生る毬花を使えば、より風味のある麦酒を作ることが出来る。それをスティンルーラ人の「特産品」として他国に輸出し、資金を得る』

 

『麦酒だって?そんなもの、どこだって造られてるじゃないか!』

 

『そうだ。だが、アヴァタール地方の黒麦酒の醸造方法では、せいぜいが「自家製法」の領域だ。発芽した大麦からパンを焼き、それを水でふやかすという製法では、大規模な醸造は難しい。オレが生まれたディジェネール地方の醸造方法にもう一手間を掛け、全く新しい麦酒を醸造する。安価で飲みやすく、それでいて適量で酔える麦酒は、間違いなく普及する』

 

ディアンは籠いっぱいに毬花を摘んで、集落に戻った。麦酒作りを始める。

 

『以前、アヴァタール地方東方の街、バーニエで黒麦酒の醸造を見たことがある。あの方法とは違うやり方で麦酒を作る。まず麦汁を作る。発芽した大麦を篩いにかけ、異物を取り除いた後に粉砕する。それを人肌程度の温水に浸し、時間を経過させる。この時、温度が下がらないように調整することが肝心だ。そしてそれをろ過する。次に、ろ過した麦汁を沸騰させる。その時に使うのが「毬花」だ。オレが生まれた土地では、これを「ホップ」と呼んでいた・・・』

 

集落に滞在をする数日間で、ディアンは自分の知る「麦酒醸造方法」を伝えた。転生前に経営をしていた会社で、商品開発のために「麦酒の醸造方法」を勉強していたのだ。その知識が役に立った。

 

『・・・冷ましたら、ここで発酵を行う。パンを焼く時に使う「パン種」があろうだろう?アレだ』

 

ディアンはパン種から菌糸の部分のみを取り出して、冷ました麦汁に加えた。

 

『常温で発酵させる。だいたい7日間といったところか。発酵後は木樽につめ、さらに一ヶ月間貯蔵する。出来れば洞窟などの涼しい場所が良いな』

 

エルザは半信半疑であった。自分の知っている麦酒製法とは、全く違うからである。だが、かつての恩人がそうしろと言うのだ。エルザは発酵が始まった樽を見ながら、ディアンに尋ねた。

 

『もし、アンタの言うとおり新しい酒が生まれたら、どこに売ればいいんだい?』

 

『オレの住んでいるケレース地方のドワーフ族が買い占めるさ。もちろん、適正価格で買うぞ。武器や貴金属などと交換しよう。それで今度は、レウィニア神権国から食糧を買う。行商人は任せろ。凄腕の商人を一人、知っている』

 

発酵中の原酒は蓋をして、日陰に運んだ。その夜、エルザとディアンは遅くまで語り合った。麦酒造りを基幹産業とする「スティンルーラ族の未来」についてである。エルザの中に、スティンルーラ人の将来が見え始めた。数日後、発酵が終わった麦酒を木樽に詰め、洞窟に運び終わったところで、ディアンはクライナの集落を出発した。一ヶ月後に立ち寄るとエルザに告げた。もしディアンの構想が実現すれば、スティンルーラ部族は繁栄への第一歩を踏み出すことになる。エルザは祈るような思いで、ディアンの後ろ姿を見つめた。

 

 

 

 




【次話予告】

「プレイアの街」に入ったディアンは、懐かしい知人に会うために大広場へと向かった。たった二年で大きく変貌した「彼女の店」に、ディアンは驚く。アヴァタール地方とケレース地方を繋ぐ「行商路」を拓くため、彼女に協力を依頼する。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第七話「ラギールとの商売」

少年は、そして「王」となる・・・


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第七話:ラギールとの商売

ラウルバーシュ大陸を縦横に走る交易路は、現神セーナルによって管理をされている。セーナル神殿は特定の中心を持たないが、各地に神殿領を持ち、大陸公路をはじめとする各交易路を保護している。「実益」を与えてくれる神であるため、商売人に広く信仰されており、その勢力は大きい。だが、三神戦争以前のセーナル神は、罪を犯したため追放をされていた。セーナル神は「嘘」を得意としており、謀略によって自己の利益を得るような側面がある。そのため、他の現神から嫌われていたと言われている。三神戦争時において、現神勢力の勝利に貢献したことで追放処分が許されるが、その時に用いた謀略は、良く言っても「ペテン」以外の何者でもないと言われている。

 

セーナルは、他の現神のように「真面目」な活動で信者を増やすことをバカバカしいと考えていた。セーナルは人間族の「利益追求志向」をいち早く見抜いており、いずれ大陸を横断する「交易」が盛んになると読んでいた。三神戦争終結後、他の現神が人間族の信仰を得るために、治安維持や治療奉仕などに精力を傾ける中、セーナルは「交易路整備」という仕事を自ら志願した。戦争終結直後は、主神アークリオンをはじめとした上位神が人間族の信仰を独占し、セーナルは第三級という「決して高くはない地位」に甘んじていたが、国家形成期以降は、その勢力は急拡大し、信者の数においても神殿の経済力においても、アークリオンをも超えるほどとなった。

 

セーナルは、ラウルバーシュ大陸を幾つかの「商圏」に分け、活躍する商人を「神格者」とすることで、商圏維持を図っている。神格者にするのは、主に「商才溢れる商人」である。後年、大商人たちに対して「社会奉仕」を求める風潮が生まれ、商人たちも自分たちの得た利益から、奴隷解放や失業者救済などを行ったが、その額は得た利益に比して微々たるものであり、「世間体のため」というのは誰の眼にも明らかであった。実利主義のセーナル神らしいと言えるだろう。

 

セーナルが指定した商圏の中で、最も利益を上げているのが、中原から西方南部の商圏代表「ラギール商会」である。ラギール商会は、両替商や銀行業のほか、各国と出資をしあって「産業振興」に寄与している。その一方で、奴隷売買などの「裏業」なども扱っていると言われており、光と闇の両面性を持った商会である。奴隷売買をする「汚い商会」と蔑まれる一方で、奴隷という地位を自助努力で克服する機会を与えており、一概に非難は出来ない、という擁護の声もある。いずれにしてもラギール商会が多大な利益を上げ、その利益を「投資」という形で社会に還元し、数多くの産業を振興したことは事実である。

 

ラギール商会の長「ラギール」は謎の人物とされている。あまりに巨大な商会であるため、身を護るために正体を秘密にしている、というのが一般的な見方であるが、ラギールに対面したと自称する人間の中には、ラギールは二十代の若い女だった。実際のところは、名前が知られ過ぎて、正体がバレると酒場で痛飲出来ないからだ、などと得意気に語る者もいる。いずれにしても、ラギール商会は設立してから千年間に渡って、大商会として繁栄を続けている・・・

 

 

 

 

 

『たったニ年でよくもまあこんなに・・・』

 

プレイアの街に入ったディアンは、さっそく「ラギールの店」へと向かった。店先を見たディアンは呆れてしまった。両替店の隣に、各種雑貨を扱う店が出ている。いつの間にか拡張したようだ。店には何人かの可愛らしい売り子が声を上げている。男ウケするように、リタが選んだのだろう。こうしたところは本当に抜け目が無い。ディアンは雑貨店に入った。中は客でごった返している。戸棚には武器や薬品の他、他地方の珍しい素材なども扱っているようである。戸棚は盗難防止のために、透明なガラスが張られている。正に「雑貨店」であった。

 

『ムムッ?カネの匂い!お金の匂いがしますよぉ~!』

 

店の奥から浅ましい声を上げて、女商人が出てきた。客をかき分け、ディアンの前に姿を現す。

 

『カネ蔓・・・じゃなくて「上客様」発見ッ!って、ディアン?』

 

『相変わらず、商売の才能は飛び抜けてるな。胸も相変わらずだが・・・』

 

ディアンは苦笑いをしながら、リタに挨拶をした。リタはディアンの後ろに目をやる。普段は一緒にいるはずの「使徒」がいない。

 

『・・・アンタ独りで来たの?レイナやティナは?まさか、捨てたんじゃないでしょうね!』

 

『どうしてそうなる・・・取り敢えず、久々の再開だ。時間を貰いたいが、出直したほうが良いか?』

 

『そうねぇ~商売の話なら、すぐにでも時間を取るけど・・・』

 

『なら急いだほうが良い。相当な「儲け話」だぞ』

 

リタの眼が光り、満面の笑みを浮かべた。一旦、店を出て裏口から入る。客間に通された。仕事柄、プレイアの名士たちとも会うことが多いのだろう。商売人にとって、上客のためのこうした客間は必須である。向き合って座ったディアンは、リタの気配に微妙な変化があることに気づいた。だがそれには言及せず、まずはこの二年間の近況を伝えた。

 

『アンタがケレース地方にいたとはねぇ。あの地方には行商路を持ちたかったんだけど、途中で通行止めをしているヤツがいて、どうしても路が拓けなかったんだよねぇ。いま、アヴァタール地方からケレース地方に行商に行く商人は、誰もいないはずだよ。あ、ひょっとしてアンタが口利きをしてくれるとか!』

 

『鋭いな、正にそのとおりだ。通行止めをしている魔神アムドシアスと直接交渉した。二ヶ月に一度、一隊だけなら通行を認めてくれる。で、その行商人としてお前を指名したい』

 

リタは呼び鈴を鳴らした。まだ幼い少女が茶を運んでくる。どうやら「客」として認めてくれたようだ。揉み手をしながら、リタは商人の貌になった。ディアンはリタに「三角貿易」の構想を語った。

 

『へぇ、これが「石鹸」ねぇ。面白い商品だし、売れそうだけど、もう一つの商品「麦酒」については何とも言えないね。実際に飲んでみないと・・・』

 

『当然だな。スティンルーラ人の集落クライナで、試験的な仕込みをしている。一月後に飲み頃になっているはずだ。どうだ、久々にオレを「護衛役」にして、ケレース地方まで行商に行かないか?』

 

『そうねぇ・・・悪くない話だけど、私としては「行商人として呼ばれた」のであって、こちらから行商に「行かせてもらう」わけじゃないんだよ?つまり「タダ」で護衛をしてもらうけど、それで良い?ニヒッ』

 

ディアンは肩を竦めた。こうした「商売話」では、リタには敵わない・・・

 

 

 

 

 

その日は、リタの計らいで宿に泊まった。行商路確立の話は、より詰めておく必要がある。リタは商人だ。個人的な「友誼」では動かない。どれだけの費用が掛かり、どれだけの利益が生まれるのか、細かい部分まで計算をしておく必要がある。さらには、スティンルーラ族の「庇護」の問題もあった。西方に平和国家が出来ることは、レウィニア神権国にとっても利益になるはずだ。だがそれには時間が必要だ。スティンルーラ人が最低でも一万人に増える必要がある。あと百年近くは必要だろう。それまで、多少の支援をしなければならない。翌日、ディアンは水の巫女の神殿へと向かった。

 

『あなたが、黄昏の魔神「ディアン・ケヒト」ですね。主である水の巫女様より、話は聞いています』

 

ディアンは、レウィニア神権国の「王」と対面をした。神殿に「外交目的」の趣旨を伝えると、建設中の王宮へと通されたのだ。水の巫女の第一使徒であり国王でもある「ベルトルト・レウィニア」は、理知的な瞳を持つ穏やかな人格者であった。元々は神殿の神官であり、社会奉仕活動に熱心であった人間であったが、家族がいないことなどが選定理由となったようである。王政はえてして、外戚が特権階級として跋扈し、腐敗が始まる。水の巫女らしい先見性といえるだろう。だが、レウィニアという名前は既に途絶えていたはずだ。ディアンの疑問に、王が笑って答えた。

 

『水の巫女様より、レウィニア家の名誉回復が図られたのです。既に途絶えた家ですが、私が当主として継ぎました』

 

レウィニア王は、水の巫女を祀る「司祭」と、国政を司る「国王」を兼ねている。水の巫女からの信託により、国政を動かしているが、いずれは貴族たちによる統治を考えているようだ。レウィニア王は確かに人格者であったが、「王としての意志」を持っていなかった。そういう意味で、レウィニアは正に「神権国」であった。ディアンは王に対して、スティンルーラ人への支援の話をした。

 

『大規模である必要はありません。彼らの存在を認め、交易をすること。これだけでも彼らに「自立心」を与えます。国とは「与えられるものではなく、自ら打ち立てるもの」だと思います』

 

『・・・水の巫女様の言われていた通りですね。あなたはとても「魔神」とは思えません。私は思いもかけず、王となってしまいました。あなたのお話は、他の神官や水の巫女様とも話し合い、決めたいと思います』

 

悪く言えば「暖簾に腕押し」の返答であった。ディアンは予見していた。「決定力のない王」は、いずれ傀儡となるだろう。貴族派が台頭し、政治の実権を握ろうとする。そして水の巫女を絶対視する神殿派と対立する。自分のいた国「ジパング」でも同じようなことがあった。「ソガ氏とモノノベ氏の対立」と呼ばれる権力闘争であった。

 

そうした歴史を知るディアンは、レウィニア神権国は、貴族派が政治権力を持つべきだと思っていた。「絶対視」などという「狂信者の政治」より、民を考えない貴族派による「腐敗政治」のほうがマシである。いずれ国が混乱し、反乱なども起きるだろうが、レウィニア神権国内の問題で決着するからだ。狂信者が政治権力を持てば、「聖戦」という名の下に、必ず他国を侵略する。まずは「支援」として軍隊を派遣し、やがて拠点を持ち内政に干渉するようになる。それを拒否すると侵略を開始する。十字軍のような「狂信者の暴走」はどこでも起きうるのだ。

 

『二十日間ほど、この街に滞在をします。出来ましたら、その間に決定をして頂けますと、嬉しく思います』

 

ディアンは王に一礼し、宮殿を後にした。

 

 

 

 

 

『石鹸、さっそく使ってみたよ。良いね。きっと売れると思う。生活雑貨だから、普及させようと思ったら、値段を高く出来ないのが痛いけどね』

 

酒場でリタと食事を共にする。思えば二人きりでの食事は初めてであった。リタは腸詰め肉を美味そうに頬張りながら酒を呷っている。相変わらずの飲みっぷりであった。話題が一段落したところで、ディアンは気になっていることを尋ねた。リタの気配が変わっていることについてである。

 

『リタ、お前はオレの正体を知っているから、率直に聞こうと思う。お前、誰かの「使徒」になったのか?』

 

リタの手がピタリと止まった。ディアンは話しを続けた。

 

『使徒になれば、人間とは異なる気配を放つようになる。「神気」、あるいは「魔気」と呼ばれるものだ。レイナもティナも、オレの使徒になり、そうした気配を放つようになった。そして、お前からも同じような気配を感じる』

 

『ちょうど、半年ほど前かねぇ・・・』

 

リタはポツリポツリと語り始めた・・・

 

 

 

 

 

『あわわっ!マズイよ、これは・・・』

 

リタ・ラギールが率いる行商隊は、古の宮への行商路を切り拓くべく、再びアヴァタール地方東方域にあるチルス山脈西端に向かった。ディアン・ケヒトという凄腕の護衛役がいない以上、より万全の準備をしておく必要がある。リタは十名もの護衛役を雇い、古の宮を目指していた。商隊の規模も大きい。プレイアとバーニエで、塩や酒、穀類などを仕入れ、五十両を超える荷車を率いていた。

 

『途中までは良かったんだけどね。古の宮にあと一歩ってところで、とんでもないヤツが現れてね・・・』

 

それは「はぐれ魔神」であった。規模を大きくしたため、目立ってしまったのだろう。チルス山脈に入る途中で、巨大な邪気が漂い、目の前に無数の触手を持った魔神が出現したそうだ。

 

『正直、よく覚えていないんだよ。なんて言ってたかなぁ~ たしか・・・ラテン・・・なんとかとか・・・そんな名前の奴だった』

 

『・・・それで?』

 

『ソイツが目の前に現れて、護衛たちも腰を抜かしちゃってね。私も死ぬと思ったよ。でもね、その時いきなり光が現れてね。アレは間違いなく「商神セーナル」だよ。たちどころに魔神を撃退してくれてね。その後で、セーナルが言ったんだ。自分の神格者になれ。商才を活かし、人々の暮らしを豊かにせよ・・・ってね』

 

ディアンは顎をさすって考えた。リタの言っている魔神とは「ラテンニール」のことだろう。ラテンニールは驚異的な再生力を持つ魔神で、たとえ神核を傷つけても一瞬で復活してしまう。正に「不死の神」であった。だがその分、知性に欠ける。何か狙いがあって、意図的にリタたちを襲ったとは思えない。そしてその場に、セーナルが出現したことも奇妙だった。現神は滅多なことでは神骨の大陸から出てこない。魔神などの「神」と戦う時だけ、出現することがあるそうだが、はぐれ魔神と戦うために出現するはずがない。となれば、可能性は一つしか無い。リタの商才に目をつけたセーナルが、自分の使徒にするためにラテンニールを仕向けた、ということだろう。謀略に長じたセーナルなら、それくらいはやりかねない。

 

『藁をも掴むってやつだねぇ~ 私は別に、セーナル信仰が篤かったわけじゃないけど、まあ商売人だから、それなりに感謝はしていたんだ。でも今では、セーナルを主神として崇めているよ』

 

『・・・そうか、セーナルの「神格者」になったのか。なるほど・・・』

 

ディアンは低く笑って、杯を呷った。自分の推理は何の証拠もない。ならば、目の前の商売相手が信仰している神を貶めるのは避けるべきだ。それに、レイナも喜ぶだろう。仕える神が違うとはいえ、レイナにとってリタは数少ない親友なのだから・・・

 

『あ、一応言っておくけど、神格者になったからって、アンタと戦うつもりは無いからね。私はあくまでも「商人」だから、利益になるなら魔神とも商売しますっ!』

 

商神セーナルの神格者「リタ・ラギール」は、かつてと同じようにあっけらかんと笑った。

 

 

 

 

 

プレイアの街に入ってから十五日目に、ディアンは再び王宮に呼ばれた。だが国王とは対面せず、側近と思われる家臣から言伝を受けた。行商路が確立次第、レウィニア神権国はスティンルーラ部族に援助を贈る、というものであった。ディアンは謝意を示して王宮を去った。滞在期間中、水の巫女から呼ばれることは、ついに無かった。

 

『ニッシッシッ!久々の行商だよぉ~ みんな、気張って商売しましょう~』

 

南方の果実や穀類、プレイア産の麦酒や葡萄酒、さらには珍しい書籍類などを満載し、リタ・ラギールの行商隊は出発した。最初の目的地は、西に五日間進んだところにあるスティンルーラ人の集落「クライナ」である。

 

 

 

 




【次話予告】

ディアンと共にケレース地方に来たリタは、さっそく行商店を開店させた。数十年ぶりに、ケレース地方西方に行商店が開かれると聞き、大勢の客が殺到する。その様子を見て、ディアンはこの地方の未来に思いを馳せる。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第八話「夢の国」

少年は、そして「王」となる・・・


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第八話:夢の国

理想国家「ターペ=エトフ」は、その最盛期においてはケレース地方西方全域を統治下に置いていた。多様な部族はそれぞれに集落と縄張りを形成しつつも、互いに交易を行い、ターペ=エトフの「憲法」によって秩序が保たれていた。ルプートア山脈はケレース地方西方域をU字型に囲んでおり、天険の要害を形成している。国祖「インドリト・ターペ=エトフ」の晩年期を彩る「ハイシェラ戦争」は、主にターペエトフ北部のルプートア山脈東方部において行われている。これは、ルプートア山脈が南部に行くほどに高く険しくなること、またケレース地方南部は魔神アムドシアスが住む「華鏡の畔」やエルフ族の領「トライスメイル」が広がっており、南部からの侵攻は、事実上不可能であったからである。ハイシェラは、ガンナシア王国を滅亡させた後、華鏡の畔を迂回し、北方からの侵攻を図るが、「魔神間戦争」と呼ばれる、第二次ハイシェラ戦争は、北華鏡が主戦場であった。魔神ハイシェラをして、インドリトの存命中にルプートア山脈を超えることは、ついに出来なかったと言われている。

 

ターペ=エトフは、ルプートア山脈からの豊かな水資源と豊富な鉱石、岩塩に恵まれ、更には広大な森林と平原を持つ大国であった。山間部には数万本ものオリーブが植えられ、平原では農耕と畜産が大規模に行われていた。魔獣たちの縄張りを尊重するため、森林の伐採は最小とされていたが、それでも十分な木材を得ることが出来ていた。南北を流れる河川は整備され、オウスト内海からターペ=エトフの本城まで、多くの交易船が行き交いをしていた。ターペ=エトフで生まれた子供は、六歳から十二歳まで、国営の学校で学ぶことが義務付けられ、それらは全て「無料」であった。また「医療」も全て無料とされ、そこで使用される薬類は、トライスメイルのエルフ族から仕入れられた質の高いものであった。全ての国民は衣食住に困ること無く、月に一度は祭りがあり、全ての部族たちがそれを楽しんだ。まさに、ターペ=エトフは「夢の国」だったのである。

 

この夢の国を支えるには、強大な経済力が必要であった。その経済力は無論、オリーブ栽培を主産業とした独自産業の振興が基盤なのだが、それら産業を支えたドワーフ族の「魔導技術」と、ラギール商会による「大規模交易」を見逃すことは出来ない。ターペ=エトフは、西方に住んでいた「イルビット族」の協力を得て、魔導技術を格段に進歩させた。ターペ=エトフ滅亡後、魔焔の製法はアヴァタール地方東方域の「古の宮」に伝わり、やがてメルキア帝国へと広がるのだが、そのメルキア帝国でさえ、ターペ=エトフの魔導技術には及ばないと言われている。ターペ=エトフにおいて、魔導技術はおもに「産業目的」に進化を遂げていた。具体的には、南北を行き来する交易船や山間部での輸送方法、生活排水の浄化など各種公共施設に魔導技術が活躍した。またオリーブ油の精製なども、魔導技術により大規模化、半自動化され、低費用で膨大なオリーブ油を製造することが可能となった。魔導技術がなければ、ターペ=エトフの繁栄は無かったと言われている。

 

そしてラギール商会は、ターペ=エトフが生み出す膨大なオリーブ油や物産品を一手に取り扱っていた。生活品であることから、高値で売ることをせず、庶民の手に届く価格を設定した。その分、利幅は小さくなるが、オリーブ油は料理以外にも、オイルランプ、浴剤、医薬品、駆虫薬として日用されており、売れ残ることは無かった。また、オリーブ油から製造された「石鹸」「髪油」などは、レウィニア神権国の上流階級を中心に普及し、やがてはアヴァタール地方東方域まで広がった。ターペ=エトフとの交易を独占したラギール商会は、莫大な利益を獲得し、それを元手に各地へ支店を出すことが出来たと言われている。ターペ=エトフの滅亡は、ラギール商会にとっても死活問題であったが、それから程なくして、ニース地方に誕生した「エディカーヌ王国」との交易を引き受けるようになり、ラギール商会の業績は復活をするのであった・・・

 

 

 

 

 

『へぇ、綺麗な琥珀色だねぇ』

 

リタはガラス製の杯を眺めた。一月の熟成を経て飲み頃となった「スティンルーラ産麦酒」である。ディアンとエルザも杯を持つ。乾杯をして一気に飲む。甘みの中に、特有の苦味と香りが溢れる。予想以上の出来であった。

 

『くはぁっ!こりゃ旨いねぇ~』

 

リタは一気飲みをして更に杯に麦酒を注いだ。塩漬けにした獣肉を食べながら、二杯、三杯と飲む。ディアンは思わず止めた。

 

『おいおい・・・エール麦酒は従来の黒麦酒よりも効くぞ。そんな勢いで飲んだら・・・』

 

『ん?大丈夫大丈夫、アタシはこう見えても強いんだから』

 

エルザもリタに合わせて勢い良く飲んでいる。たった一樽しか仕込んでいないため、このままではすぐに消えてしまうだろう。ディアンは二人を止め、仕込みを手伝った者たちにも振る舞った。皆が驚きの表情を浮かべている。従来の麦酒とは全く別物だからだ。

 

『あぁ・・・私の酒が・・・』

 

『これは「商品」だろ。で、感想はどうだ?』

 

もう少し飲みたかったのか、リタが名残惜しそうな表情をする。ディアンは自分の杯をリタに渡して、感想を尋ねた。リタは嬉しそうに飲みながら、答える。

 

『いけるよ!これは売れると思う。ドワーフ族もそうだけど、プレイアでも酒の消費量が急増しているんだ。人が集まっているから、酒場も増えているし、この酒ならどの酒場も喜んで仕入れると思うよ!』

 

リタはその場で、可能な限りエール麦酒を醸造するように依頼した。大麦の仕入れなどの手付金まで渡す。ディアンはカラハナ草の栽培を提案した。ツルは高く伸びるため、クライナを囲む「防御壁」の建造と合わせて壁で栽培をすれば、一挙両得である。また各家々でも栽培できるだろう。毬花摘みは妊婦でも可能な仕事だし、子供だって手伝える。子育てと経済活動を両立させることが可能である。エルザは笑顔で頷いた。

 

 

 

 

『ニッシッシッ!いやぁ、帰り道が楽しみだよ。あの酒をプレイアに運んで、酒場に売れば・・・クヒヒッ!』

 

翌日、少し顔を朱くしながら、リタは上機嫌で馬に揺られていた。スティンルーラ部族の将来が見えたためか、昨夜は祭りのような大盛り上がりであった。リタはディアンが呆れるほどに酒を飲んでいた。

 

『麦芽の焙煎時間を変えれば、より苦味の強い麦酒を作ることも出来る。プレイアでの販路が確立したら、様々な種類を醸造してみよう。麦酒はいずれ、葡萄酒を超えるとオレは確信している』

 

『だね。葡萄酒は醸造に時間が掛かるし、値段も高い。あの酒なら安くて美味くて、それでいて程よく酔える。大抵の料理にも合うしね。クライナの集落がもう少し大きくなったら、支店を出したいなぁ~』

 

ディアンはリタが羨ましかった。リタは商神セーナルの使徒となり、不老の肉体を得ている。だが彼女には、無限の時間を使う道として「商売」がある。リタの夢はアヴァタール地方各地に支店を出し、様々な商売を行うことらしい。利益はもちろん大事だが、「良い商売をする」ことが、リタの喜びのようだ。「何のために生きているのか」が明確ならば、無限の寿命も意味があるというものだろう。

 

クライナの集落から北上し、ケレース地方に入る。ケレース地方南部は、魔神アムドシアスとトライスメイルの領域で、盗賊や魔獣などの出現はまず無い。リタ行商隊は、特に問題なく「華鏡の畔」に辿り着いた。ディアンが水晶に魔力を通すと、結界が消える。リタはそのまま通過せずに、白亜の城に向かいたいと言った。ディアンは思わず躊躇したが、リタは平然とした顔で応えた。

 

『挨拶をしておく必要があるでしょ?あと、土産を用意しているしね』

 

 

 

 

城門が開くと、楽隊の演奏が始まった。魔神アムドシアスが出迎える。ディアンとリタは馬を降りて入城した。ディアンの前に立ち、リタがアムドシアスに挨拶をする。

 

『初めましてぇ!私、プレイアの街で商店を構えている「リタ・ラギール」と申す者です。この度は、通行許可を頂けるとのこと、誠に有難うございますぅ~』

 

揉み手をしながら満面の笑みでアムドシアスに挨拶をする。魔神の気配に全く慄く様子がない。これにはアムドシアスも少し驚いたようだ。

 

«我はソロモン七十二柱が一柱、アムドシアスである。美を解する魔神ディアン・ケヒトとの約定により、二月に一隊のみ、行商隊の往復を許可した。その行商隊がそなたか・・・なるほどな»

 

リタの気配から、「使徒」であることを察したようだ。オレは誤解がないように、アムドシアスに説明をした。

 

『リタはオレの使徒ではない。商神セーナルの神格者だ。いずれアヴァタール地方全域に商店を出すだろう。オレの知る最も優れた商人だ』

 

『ちょ、ちょっとディアン、いくらなんでも褒め過ぎだって!たとえ事実でもっ!』

 

リタはそう言いながら、油紙に包まれた品をアムドシアスに差し出した。東方諸国の弦楽器「琵琶」である。アムドシアスは表情を崩した。

 

『東方諸国から齎された弦楽器です。元々は、東方諸国から来た盲目の吟遊詩人が使用していたそうです。手を尽くして、入手を致しました』

 

アムドシアスは早速、構える。撥を持ち、弦を弾く。独特の音が響く。

 

«おぉ・・・これまでに無い音色だ。実に幻想的で、美しい・・・»

 

「美を愛する魔神」は、目を細めて音を愉しんでいる。夢中になってしまったようで、リタはどうしたら良いか解らない。ディアンは苦笑いをしながらリタを退け、アムドシアスに呼びかけた。

 

『おい、楽器を愉しむのは後にしろ。それより、リタに「例の水晶」を渡してやってくれ』

 

忘我の世界から戻ってきた魔神は、懐中からディアンの持つ水晶と同じものを取り出した。

 

«この水晶に魔力を込めよ。極小で十分だ。それでこの結界は一時的に消える。だが忘れるな。一度の往復は二月に一度だ»

 

リタは揉み手をして、水晶を受け取ると大事そうに箱に収めた。白亜の城を後にし、ドワーフ族の集落へと向かう。途中、リタは少し悩んでいる様子であった。ディアンが尋ねると、簡単な、それでいて当たり前の悩みであった。

 

『例の魔神から貰った水晶だけど、どうやって魔力を込めるの?』

 

リタは魔法が使えない。その悩みは当然であった。ディアンは魔力について簡単に説明をし、自分の家で簡易の修行をつけることを約束した。極小の魔力なら一日で十分のはずである。

 

 

 

 

 

『リタッ!久しぶりっ!』

 

集落の広場には、レイナとグラティナ、ファーミシルスが来ていた。インドリトの姿も見える。それ以外にも、龍人族やイルビット族、獣人族の姿も見える。ケレース地方西方に行商人が来るのは数十年ぶりのようで、噂が広まっていたようだ。族長のエギールがリタに挨拶をし、広場を使うことを許可した。早速、リタ行商店の設置を始める。リタはレイナやグラティナと抱き合い、ファーミシルスと挨拶をする。インドリトには土産として南方の菓子を用意していたようだ。

 

『さぁ!リタ行商店の開店ですよぉ!皆様、本日はお忙しい中、ご来店を頂きまして誠に、誠に有難うございます。当店では、アヴァタール地方やニース地方の珍しい果実や食材、酒類などを取り揃えております。また他国の書籍類や素材などもあります。見物だけでも大歓迎です。武器や素材、各物産との交換のほど、七重の膝を八重に折り、隅から隅までズズずいーと、御願い奉りますぅ~!』

 

リタの口上により、行商店が開店をした。レイナやグラティナも手伝う。この集落には、窃盗などという邪な者などはいない。亜人族や闇夜の眷属は、本来は純朴なのだ。インドリトも珍しい品々を見ている。イルビットの芸術家、シャーリアも来ていた。画集などの書籍や、南方の素材を求めている。ディアンの姿に気づいたシャーリアが近づいてきた。

 

『中々の品揃えだ。欲しかった画集も手に入ったし、私はこれで失礼をする。次回の出店が決まったら、また教えてくれ』

 

表情には出ていないが、満足をしているようであった。ドワーフ族は、やはり酒を求めている。葡萄酒や黒麦酒のほか、南方の「米酒」まであるようだ。ディアンは思った。酒は文化である。蒸留技術を確立させれば、焼酎なども作れるようになる。ディアンはいずれ、自分で焼酎を作ろうと思った。リタ行商店は、大盛況で初日を終えた。

 

 

 

 

『いやぁ~ いい湯だったよぉ~』

 

リタが湯から上がってきた。三人のほか、インドリトも一緒である。ディアンだけは混浴を許されず、仕方なく夕食の仕込みをしていた。猪鍋である。鍋に湯を沸かし、肝と脳を溶けこませる。茸類や各種野菜と猪肉を煮込み、山椒をふりかける。程よく塩を効かせる。〆は、水で練った小麦粉を伸ばし、細く切った「麺」を用意した。リタは、一応は客人である。それなりの料理を用意する必要があるのだ。囲炉裏を囲むように座り、まずはリタに取り分ける。一口食べて、リタが唸る。

 

『ディアン、アンタって料理も一流だったんだね。料理人としても食べていけるよ』

 

『喜んでもらって何よりだ。では、我々も食べようか』

 

黒麦酒や葡萄酒を飲みながら、久々の再会で歓談をする。ファーミシルスもリタと打ち解けたようだ。食事中に、リタはこの二年間の話をした。魔神と遭遇し、商神セーナルに助けられその神格者となったことを話す。レイナもティナも驚いていたが、友人もまた、不老となったことを素直に喜んだ。ディアンはスティンルーラ人の話をした。夕食は大いに盛り上がった。食事が終わると、土産が用意された。ディアンはリタに、書籍類や各種品々を発注していた。夕食後にそれらが皆に渡される。ディアンが見立てた衣類や武器などだ。インドリトには本や無記入の紙束、インク壺と羽筆である。ケレース地方は大抵のものは揃う豊かな土地だが、衣類に関してはアヴァタール地方産が一番であった。

 

 

 

 

 

『初めてケレース地方に来たけど、いい場所だね。古の宮のような危険はないし、住んでいる人たちはみんな誠実で、とても暮らしやすい場所だと思う。何より、いい温泉もあるしね』

 

インドリトの就寝後、ディアンは書斎でリタと話をしていた。リタは客室ではなく、レイナの部屋で寝るようである。その前にディアンの書斎を尋ねたのだ。ディアンは葡萄酒を差し出し、向き合って座った。

 

『ケレース地方は闇夜の眷属が多いため、危険地帯だと思われている。そうした側面も確かにあるが、お前も感じたように、闇夜の眷属たちは本来は純朴なんだ。オレから言わせれば、人間族のほうが遥かに穢れている』

 

『そうかもね。でも今日は驚いたよ。まさかアンタがあそこまで、周りから慕われているなんてね。龍人も獣人も、みんなアンタに挨拶をしていたよね。ディアン、アンタの目的はなに?短い間だったけど、アンタと旅をして気づいたことがある。アンタは変わった。以前は、旅を愉しみながら、どこかで迷っているような、寂しそうな表情をしていたよ。でも今回は違う。なにか、明確な目的があるように感じたよ』

 

ディアンは杯を干して、葡萄酒を注いだ。リタにも注ぐ。やおら、ディアンが切り出した。

 

『・・・インドリトを見て、どう思った?』

 

『え?あぁ、あのドワーフの子供ね。うーん、可愛らしいし、素直で良い子だと思うよ。ただ、ちょっと大人びているかな。あの子の養育を依頼されているんでしょう?アンタの女好きが感染らないと良いんだけど・・・』

 

『・・・アヴァタール地方をはじめ、この大陸は国家形成期だ。いずれケレース地方にも国が出来る。いや、もう出来ている。この地は天嶮の要害のため、国を造らなくても、暫くは平穏無事に暮らせるだろう。だがいずれ、他国からの侵略を受ける。この地は豊かだ。鉱石、木材、岩塩、穀類、肉類などは溢れるほどに採れる。養蜂も行われているし、北のオウスト内海には良港となる湾もある。他国から見たら垂涎の土地だろう。だが、もしこの地に国ができたら?』

 

『アンタの目的は、国を興すことなの?でも魔神のアンタが王になんて・・・あ、そうか』

 

『そう。インドリトが王になる。ドワーフ族の王の下、龍人族の宰相や魔族の将軍など、多様な種族が平等に仕え、すべての種族が一つの法の下で平等に扱われる。光も闇も関係なく、どんな神を信じても良い国、それぞれの種族が自分たちの文化を守りながら、他の文化を尊重しあって生きる国・・・そんな国をインドリトが造り上げる』

 

『夢の国だね。そっか・・・アンタにも生きる道が出来たんだね。皆が平和に暮らす「夢の国」を創るって道が・・・』

 

リタは嬉しそうに頷いた・・・

 

 

 

 




【次話予告】

リタ行商店が出店をしてから三年、インドリトは十五歳になり、身体つきも一回り大きくなった。三姉妹との修行も修め、いよいよディアン直々の試験が行われる。そしてインドリトは、師の正体を知ることになる。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第九話「魔神の試験」

少年は、そして「王」となる…


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第九話:魔神の試験

後世、ラギール商会はアヴァタール地方から西方にかけて、各都市に支店を出す大商会となるが、「最初の支店」については、あまり知られていない。現存する支店の中で、最も古い歴史を持つのは、メルキア帝国首都「インヴィティア」にあるラギールの店だが、実際にはインヴィティアへ出店する前に、支店が存在していた。ケレース地方に存在した大国「ターペ=エトフ」の首都「プレメル」にあったラギールの店である。

 

賢王インドリト・ターペ=エトフの死後、ケレース地方西方域は魔神ハイシェラが占領し、プレメルはハイシェラ直轄の都市となった。ラギール商会は、ハイシェラと直接交渉をし、その支店の存続を許可されたが、その数年後、魔神ハイシェラの身体に異変が生じ、結果として「魔神の治める国」は幻と消え、プレメルにいた亜人族や魔族は姿を消すことになる。そのためターペ=エトフで栄えた様々な産業も失われ、ラギール商会は支店を閉めざるを得なくなるのである。

 

だが歴史家の中には、ラギール商会の動き方に疑問を提示する者も存在する。ハイシェラ戦争勃発前までは、プレメル=プレイア=クライナ間は、ラギール商会の基幹交易路であったが、ハイシェラ戦争終結直前に、プレメルから南方のニース地方に向けて、膨大な荷車の移動が確認されている。「延べ十万両」とも言われている膨大な物資が、ターペ=エトフからニース地方に移動し、そこで忽然と姿を消しているのである。この事実が、後世において「ターペ=エトフの埋蔵金伝説」が生まれる原因にもなるのだが、十万両という数は大げさにしても、プレメルからニース地方までかなりの物資が移動していたことは、その中間に位置する「バリアレス都市国家連合」の記録からも間違いない。

 

魔神ハイシェラが、ターペ=エトフの首都「プレメル」を統治下に置いた時、その宝物庫は殆どが「空」であったと言われている。また、ラウルバーシュ大陸七不思議にも挙げられる「プレメルの大図書館」の蔵書も、その全てが消え去っていた。ターペ=エトフ滅亡と前後する形で、ニース地方に突如として「エディカーヌ王国」が誕生し、信じられないほどの短期間で帝国化し、レウィニア神権国に匹敵する大国になったことから、ターペ=エトフの財宝および人材の流出と、エディカーヌ王国建国とを結びつける歴史家もいる。

 

確たる証拠は一切なく、ラギール商会も沈黙を守り続けているため、これらは全て歴史家たちの「仮説」に過ぎない。いずれにしても、ケレース地方に実在した「夢の国」は、今日においては王宮跡が残るのみである・・・

 

 

 

 

 

黄昏の魔神ディアン・ケヒトの下に、インドリトが弟子入りをしてから三年の歳月が流れた。ケレース地方西方域には、南方のルプートア山脈にドワーフ族とヴァリ=エルフ族、北方のプレイシア湾沿岸に龍人族、竜人族の南西部の拓けた土地に獣人族、ケテ海峡沿岸に人間族、セアール地方との境にイルビット族が住んでいる。この地に移り住んでから、ディアンは精力的に各地を周り、情報交換をし続けた。それまでは各個で孤立していた各部族たちも、次第に交流が深まり、ドワーフ族の集落に「ラギールの店」が出店してからは、多種多様な種族が行き来をするようになった。当初は眉をひそめるドワーフたちもいたが、半年前に「部族代表会議」が開かれ、「各部族の文化尊重」「信仰の自由の保障」「他部族の信仰に対する非難の禁止」「相互理解促進のための幼年期教育の共通化」が決定された。ケレース地方西域に、事実上の「連邦国家」が誕生したのである。現在は物々交換だが、いずれは貨幣経済を導入することも決議された。部族代表会議は半年に一度と決められ、会議場はドワーフ族の集落「プレメル」と決められた。会議場には各部族の言葉でこう掲げられている。

 

「万機公論に決すべし。皆族は一部族のために、一部族は皆族のために」

 

利益代表として、自分たちの部族の利益のみを主張するのを戒めるための心得だ。ケレース地方西方全体の利益を常に考えることを定めている。この会議はターペ=エトフ滅亡まで続き、各部族長のほか「ラギール商会 プレメル支店長」も定期的に参加をしている。後に「元老院」と呼ばれる部族代表会議は、全会一致を原則とし、ターペ=エトフの政事において重要な役割を果たしたのである。

 

 

 

 

 

インドリトが木刀を構えてレイナと向き合う。三年前は立っていることさえ難しかったが、今では一刻でも二刻でも、向き合うことが出来る。心気を統一し、レイナの気を受け流しながら、隙を見て打ち込むことが今の課題だ。無論、レイナが意図的に隙をつくるのだが、その一瞬を捉えるためには、高い集中力と水面のように静かな「気」」が必要であった。インドリトは踏み出し、レイナの脇腹を狙う。僅かな隙を捉え、レイナの脇腹を木刀が掠める。レイナは笑顔になり、インドリトを褒めた。

 

『見事です。もう「気の練り」について教えることはありませんね。あとは技を磨けば、立派な剣士になれるでしょう』

 

『ありがとうございます!』

 

三年前よりも大きくなったインドリトが一礼をする。少女のような顔立ちは、やや男性的になった。肩幅も広くなり、ドワーフ族らしくなってきている。ディアンは頷いて立ち上がった。

 

『インドリト、三年前に私が言ったことを覚えているか?』

 

『ハイ、レイナ殿と一刻、向き合えるようになれば、華鏡の畔に連れて行って下さると・・・』

 

『そうだ。お前はもう十分に練気ができる。そこで、試験をお前に課そう。魔神の気配に耐える試験だ』

 

『魔神の気配・・・華鏡の畔に連れて行って下さるのですか?』

 

『いや、そうではない。ここに魔神を呼ぶのだ。明朝、剣を持って庭に出なさい。お前の目の前に、魔神が現れるだろう』

 

インドリトは首を傾げた。

 

 

 

 

 

『いよいよ、インドリトにあなたの正体を教えるのね?あの子、あなたを拒絶しないかしら・・・』

 

ディアンの腕の中で、レイナが心配そうに呟いた。インドリトはまだ、自分の師が魔神であることを知らない。この三年間、インドリトはディアンを第二の父のように慕っている。レイナたちもインドリトを弟のように思っている。だがそれは仮初めである。ディアン・ケヒトは人間でもあり、魔神でもある。これからインドリトがこの家で暮らすには、本当の姿を知らなければならないのだ。レイナの心配に、ディアンが応えた。

 

『・・・そうなったら、そこまでだ。オレの目が節穴だったと言うことだろう。三年前なら、インドリトは逃げ出しただろうな。だが、今なら・・・』

 

レイナは頷いた。この三年、インドリトは過酷な修行に耐え続けた。練気も魔力も、一流の戦士と言えるだろ。だがインドリト自身はそう思っていない。だからこそ、最強の魔神と邂逅し、戦う必要があるのだ。

 

『いずれにしても、明日は一つの区切りだ。インドリトが明日の修行を耐え抜いたならば、皆で再び、旅に出よう』

 

ディアンの中には、次の旅への想いがあった。

 

 

 

 

 

翌朝、インドリトは自ら剣を研ぎ、庭に出た。魔神が目の前に出現するなど信じられないが、これまで師が口にしたことで、間違いなど一つも無かった。師がそう言う以上、魔神が目の前に現れる。万一の場合は、自分は死ぬかもしれない。インドリトは恐怖を抑え、気の充実を図った。そこに、師であるディアンが進み出てきた。初めて出会った時と同じく、黒い服を着て、背中に剣を差している。三人の姉も、縁側に立ち、様子を見ている。ディアンが話し始めた。

 

『インドリト、お前と出会ってから、もう四年になるな・・・』

 

『え?ハイ、先生にはレブルドルに襲われていたところを助けて頂きました』

 

『・・・そうだったな。それから一年して、お前は私のところに弟子入りをしてきた。父君、エギール殿から依頼をされた時、私は正直、悩んだ。お前を弟子にすべきかな・・・』

 

『先生?』

 

『インドリト、お前はこの三年間をよく耐えた。今日は一つの区切りだ。これからお前の目の前に魔神が出現する。そしてお前に襲いかかる。お前は持てる全ての力を使って、魔神から自分の身を護ってみせろ。護れなければ・・・』

 

ディアンは肉体を覆っている魔力を消した。魔神の気配が溢れ出る。圧倒的な気配に、周囲の空気が歪む。森から一斉に、鳥が飛び立った。インドリトは唾を飲み込んだ。レイナ、グラティナ、ファーミシルスも腕を組んで厳しい表情をする。

 

«・・・お前は、死ぬことになる・・・»

 

インドリトの目の前に、黄昏の魔神「ディアン・ケヒト」が出現した。

 

 

 

 

インドリトは混乱した。師の気配が一瞬消えたと思うと、いきなり凄まじい「魔の気配」を放ったからだ。理解できないまま、思わず後ろに下がりそうになる。魔神は背中から剣を抜いた。「名剣クラウ・ソラス」は、いまや魔神剣となり、暗黒の気配を放っている。心底から恐怖が沸き上がる。インドリトは理解した。自分の師は「魔神」だったのだ。そして今、自分に正体を明かしたのだ。だがなぜ?

 

«・・・行くぞ・・・»

 

魔神は剣を構えると、一瞬で距離を詰め、斬りかかってきた。インドリトは転がるように躱し、魔神との距離を取った。肩で息をし、必死に状況を理解しようとする。魔神はゆっくりと自分に貌を向けた。普段は黒い瞳が、真紅になっている。なんと悍ましい気配だろうか。魔神は手の平から純粋魔術を放った。イオ=ルーンだ。インドリトはとっさに、より上位の純粋魔術「ケルト=ルーン」を放つ。本来なら相殺した上で突き抜けるはずだが、逆に弾き飛ばされた。魔力の絶対量が違いすぎるからだ。同じ純粋魔術でも、魔神が放つと桁違いの破壊力を持つ。吹き飛ばされ、木にぶつかって倒れる。

 

«どうした?お前の力はそんなものか?ならばお前を殺すまでだが・・・»

 

魔神の言葉に、インドリトは立ち上がった。師が正体を明かしたのは、自分を認めたからだ。この三年間、自分がどれだけ強くなったか解らなかった。だが魔神を前にして確信した。自分は強くなった。魔神の攻撃を二度も受けながら、なおも生きているのだから・・・ インドリトは深く息を吸い、吐いた。心気を統一し、水面のように静かな練気を始める。激流の中に存在する巨大な丸岩のように、魔神の気配に対抗するのではなく、受け流す。

 

«どうやら、覚悟を固めたようだな。ならば行くぞっ!»

 

魔神がインドリトに襲いかかる。振り下ろされる剣を紙一重で躱しつつ、脇腹を剣で薙ぐ。だが目の前の魔神は一瞬でかき消え、数歩離れたところに立っていた。服が微かに切れている。力も速さも圧倒的である。とても敵うはずがない。ならばせめて、相打ちを狙うしか無い。インドリトは構え直し、瞑目した。

 

«ほう・・・»

 

魔神は目を細めた。

 

 

 

 

ディアンは少なからず驚いていた。自分の攻撃を躱したことではない。魔神を目の前にして目を閉じるという、その豪胆さに対してである。よほどの「心の強さ」が無ければ、そんなことは出来ない。ディアンは頷いて、上段の構えをし、少しずつ距離を縮めた。インドリトは目を閉じたまま動かない。その気配はあくまでも静かで、魔神の気を受け流し続けている。互いの距離がさらに縮まる。剣を振れば、相手に当たる距離まで近くなる。二人の闘いを見守る姉たちも、額から汗を流していた。さらに距離は縮まり、必殺の間合いまで入る。ディアンの動きが止まる。そして

 

«覚悟っ!»

 

上段に構えた剣を振り下ろす。右斜め上からインドリトに斬りかかる。その瞬間、インドリトは左腕を挙げ、振り下ろされる剣を迎え撃った。魔神の胴体を目掛けて、右手一本で、剣を突く。ディアンの剣がインドリトの左腕に振り下ろされる。普通であれば、そのまま両断するはずだが・・・

 

ギィィンッ

 

«なにっ!»

 

インドリトの左腕が、魔神剣クラウ・ソラスを止めた。剣撃で千切れた袖から、籠手が現れる。ディアンがその正体に気づいた時、

 

ズンッ

 

インドリトの剣が、ディアンの腹部に深々と突き刺さった。

 

«み、見事ッ・・・»

 

ディアンはそう呟くと、数歩ふらつき、そのまま後ろ向きに倒れた。インドリトは片膝をついて、肩で息をした。呆然とした中で、勝利を確認すると、急に我に返る。

 

『せ、先生っ!』

 

倒れた魔神に駆け寄る。ディアンは目を閉じたまま、動かない。インドリトは泣きながら、ディアンの名前を叫んだ。するとレイナが桶を持ってきて、ディアンに水を浴びせ掛けた。

 

『いつまで芝居をしているの?インドリトをこれ以上、心配させちゃダメよ!』

 

ディアンは目を開けると、腹に突き刺さった剣を引き抜いた。回復魔法を掛けると、一瞬で傷が塞がる。ふぅ、と息を吹き、ディアンは立ち上がった。インドリトは何がなんだか理解できなかった。確かに自分の剣は、師の腹部に突き刺さったはずである。魔神の気配が消え、人間に戻たディアンが説明をした。

 

『魔神には、神核というものがある。それが無事である限り、肉体は永遠に不滅だ。剣で腹を突かれた程度では、魔神は死なん。それより・・・』

 

ディアンはインドリトの頭を撫でた。

 

『見事だ。魔神を前にして目を閉じるなど、並では出来ん。強くなったな』

 

ようやく状況を理解したインドリトは、今度は嬉し泣きをしながら頷いた。ディアンは愛剣を拾い上げると、文句を言うように呟いた。

 

『コイツ・・・籠手を切るのを嫌がりやがったな』

 

「当然だろ」と言うように、名剣クラウ・ソラスは鈍く輝いた・・・

 

 

 

 




【次話予告】

インドリトは無事に試験を終えた。だがそれは、更なる修行の始まりを意味していた。インドリトは、師や三人の姉と共に長い旅に出る。やがてそれは、インドリトに「王への決意」を促す旅となるのであった。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第十話「レスペレント地方へ」

少年は、そして「王」となる・・・


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第十話:レスペレント地方へ

七魔神戦争によりブレニア内海が形成されるまで、ラウルバーシュ大陸内陸部では、オウスト内海沿岸部が発展していた。その理由は、オウスト内海が東西に長く伸びる内海であり、かつ塩湖であったことが挙げられる。そのためオウスト内海北部のレスペレント地方は、ディル=リフィーナ形成以降、西方の現神神殿からの援助などもあり、早くから都市群が発展をした。しかしそれが「国家」として形成されるには時間が必要であった。その理由はレスペレント地方の勢力図が、人間族や亜人族、闇夜の眷属などが入り乱れる「斑模様」であったこと、南西部に巨大な砂漠地帯「マータ砂漠」が広がっていたことなどが挙げられるが、最大の理由は「フェミリンス戦争」にある。

 

フェミリンス戦争は、姫神フェミリンスと魔神十柱を率いた大魔術師ブレアード・カッサレとが戦った、レスペレント地方全体を巻き込んだ大戦争である。姫神フェミリンスは、元々は女神の血を引く「神格者」であったと言われている。当時のレスペレント地方は、人間族よりも亜人族や魔族などが勢力を伸ばしていた。フェミリンスは、人間族が安心して暮らせる世界を祈り続け、やがて現神たちより「姫神」として迎え入れられた。神となったフェミリンスは、その寵愛を人間族に対してのみ振り分け、その結果、人間族は大いに勢力を伸ばしたのだが、やがて増長し、闇夜の眷属はおろかエルフ族やドワーフ族までも迫害するようになった。例えば、ブレジ山脈東側に広がっていたルーン=エルフ領「ミースメイル」は、人間族の手によって切り開かれ、その大きさは五分の一にまで狭められてしまった。姫神フェミリンスは、こうした人間族の増長を奨励はしなかったものの「見て見ぬ振り」をし続けていたのである。

 

この事態に立ち上がったのが、この地を訪れていた大魔術師「ブレアード・カッサレ」である。ブレアードは、第一次フェミリンス戦争において、獣人族やヴァリ=エルフ族を率いてフェミリンス神殿を襲撃した。だが姫神フェミリンスのもとに結集した人間族に、完膚なきまでに敗北をし、レスペレント地方から逃げざるを得なかったと言われている。レスペレント地方の東方、フォルマ地方近くまで逃走したブレアードは、その地に拠点を構えた。現神の力を知ったブレアードは、亜人族たちを結集しても勝てないと悟り、神の力の結集を図る。後に「深凌の楔魔(しんりょうのせつま)」と呼ばれる十柱の魔神を召喚し、これまでの研究成果を活かした「拠点構築」を行った。「ブレアード迷宮」と呼ばれる大迷宮は、レスペレント地方全域に及んでおり、その総距離は実にニ千里(八千km)におよぶ。後代にレスペレント地方を統一した「メンフィル帝国」でさえ、その全貌は把握していないと言われている。

 

第二次フェミリンス戦争は、ブレアード迷宮を伸長させ、本拠地「雷嵐の闇堂」からフェミリンス神殿地下まで地下通路を形成した。深凌の楔魔を率いたブレアードは必勝を期してフェミリンス神殿に攻め込んだが、魔神エヴリーヌの暴走により作戦は失敗し、魔神エヴリーヌ、ゼフィラ、ヨブフが封印される。ブレアードは再び、敗北をしたのである。

 

第三次フェミリンス戦争は、従来の作戦を見直し、ブレアード迷宮に姫神フェミリンスをおびき寄せ、迎撃するという方法をとった。これは魔神パイモンの進言によるものと言われている。パイモンはレスペレント地方中にブレアードが追い詰められているという噂を流した。無論、姫神フェミリンスはそのような噂を信じはしなかった。だが姫神の加護で増長していた人間族は、この機に一気に攻め込み、レスペレント地方から亜人族を追放しようと考えた。自分たちが戦ったわけでは無いにも関わらず、勝利を盲信した人間族は、こぞってブレアード迷宮に侵入した。その結果は無残という言葉ですら陳腐なほどに悲劇的なものであった。万を超える人間が迷宮に入り、誰一人として戻らなかったのである。姫神フェミリンスは、人間族救出を懇願され、罠と知りつつもブレアード迷宮に入らざるを得なかった。人間族の増長は、現神すらも止められない程になっていたのである。

 

姫神フェミリンスと神兵たちは、迷宮内に仕掛けられた罠と相次ぐ襲撃に疲弊をしながらも、序列第二位のカフラマリアを「霞の祠」に、序列第七位のカファルーを「楔の塔」に封印し、本拠地「雷嵐の闇堂」に到達する。だが既に、姫神フェミリンスには魔神たちと戦うほどの力は残されていなかった。魔神ザハーニウ、ラーシェナ、パイモンにより姫神フェミリンスは捉えられ、ブレアード・カッサレによって三柱の魔神ごと封印されるのである。フェミリンス戦争後に残った魔神は「グラザ」「ディアーネ」の二柱のみとなった。その後、ブレアード・カッサレは魔神との契約を解除し、忽然と姿を消したのである・・・

 

 

 

 

«これが、我の知る「フェミリンス戦争」の全てだ。深凌の楔魔の一柱「パイモン」は、ソロモンの魔神でもある。行方が気になって、我なりに調べてみたのだ»

 

ソロモン七十二柱の一柱、一角公アムドシアスは、茶を飲みながらディアンに語った。一般的に知られている伝承は、表面的なものしかない。アムドシアスの話は、より具体的であった。

 

『最後に残った、魔神グラザと魔神ディアーネは、どこにいるのだろうか?』

 

«風の噂では、グラザはブレアードが消えた後、闇夜の眷属たちを束ねて「モルテニア」という地帯に引き込んだらしい。ディアーネのことは知っている。あ奴は現在、フェミリンス戦争に参加をした魔族たちを率いて国を興し、人間族と戦っている。共に戦わないかと、誘われたことがあるのだ。いずれにしても、姫神フェミリンスがいなくなったからと言って、レスペレント地方の人間族の増長が止まったわけではない。激戦区であった東域はともかく、西域には人間族以外はいないそうだ。辛うじて、ルーン=エルフ族だけがひっそりと暮らしているそうだ»

 

ディアンは腕を組んで考えた。レスペレント地方を旅するのであれば、ケテ海峡を渡るのが最も楽な道である。だがその先は「人間族しか存在を許されない地帯」なのだ。個人的には、ムカつくことこの上ないが、その問題はレスペレント地方の住人が解決すべきことである。ケレース地方で安穏と暮らしている自分がアレコレ言う立場ではない。アムドシアスが言葉を続けた。

 

«もしレスペレント地方に行こうと思うのなら、ケテ海峡からではなく、ケレース地方から北ケレースに周る「東回り」の陸路を行くのが良いだろう。人間族が増長している国を見たら、破壊したくなるかも知れんぞ?»

 

アムドシアスはクツクツと笑いながら、ディアンに東回りを薦めた。

 

『・・・助言、感謝する。参考になった。最後に聞きたい。お前はなぜ、魔神ディアーネからの誘いを断ったのだ?』

 

«ふんっ、決まっておろう。美を解さぬ「野蛮な魔神」などと共にいられるか!»

 

考えてみれば当たり前のことである。ディアンは礼を言って、華鏡の畔を後にした。

 

 

 

 

 

ディアンの住むケレース地方西方から、東回りでレスペレント地方に行こうとすると、かなりの長距離になる。ディアンはオウスト内海東域を中心とした地図を描いた。ケレース地方である南岸はかなり出来上がっているが、レスペレント地方の北岸は空白のままである。ディアンは「半年間(七ヶ月)」と想定をした。東回りでレスペレント地方を目指す。可能であればレスペレント地方西方域の「人間族の国家」を見たいが、これに関しては現地で判断をするしか無い。

 

『まずは、ここから東方にある人間族の街「イソラ」を目指そう。あまり発展していないという噂だが、北ケレースの情報が得られるかもしれない』

 

『レスペレント地方か・・・私の生まれ故郷は、さらに北だが、あの地には知り合いもいる。レスペレント地方に行ったら、私が案内をしよう。と言っても、東側だけだがな』

 

ファーミシルスが地図を指差した。

 

『ディアンの言っていた「モルテニア」というのは、この地域だ。元々、レスペレント地方東域は、闇夜の眷属が多い。グラザという名は聞かなかったが、私がこの地にいたのはフェミリンス戦争前だからな。当時、この地で母と暮らした時に、シュタイフェという魔人に世話になった。いささか下品な男だったが、信義は心得ている奴だ』

 

『なるほど、ではモルテニアではファミを頼るとしよう。そこから先は、人間族の暮らす世界だが、オレは出来れば、ある人物に会ってみたい。生きていればだが・・・』

 

『ほう、誰だ?』

 

グラティナの問いかけに、オレは笑みを浮かべて応えた。

 

『・・・大魔術師さ』

 

 

 

 

 

『そうか、レスペレント地方に旅立つか・・・』

 

エギールは笑いながら頷いた。ディアンは定期的に、インドリトの成長を報告している。ドワーフ族の集落は既に「プレメルの街」として、他族も住み始めている。いずれは王国の首都として繁栄をするはずである。だがそのためには、インドリトはもう一段の成長をしなければならない。

 

『インドリトは、既に一流の戦士です。ですがこのままでは、ただの戦士として終わってしまうでしょう。インドリトには「王としての覚悟」が欠けています。国とは、与えられるものではなく自ら打ち立てるものです。この旅を通じて、インドリトに「建国者」としての意志を持たせたいと考えています』

 

『私はドワーフ族の未来を憂えて、他族との協調の道を探った。お主の助言によってドワーフ族全体が、繁栄の道を歩んでいると感じている。だが、この頃思うのだ。私はやはり、王にはなれん。ドワーフ族代表として会議に出るが、その場では他族長と対等の立場なのだ。この地を束ねる王は「全ての部族から仰がれる存在」でなければならぬのだろう。それはある意味では孤独な立場だ。あの子に、過酷で孤独な生き方を押し付けることになるかも知れん・・・』

 

『・・・王とは孤独な存在です。ですがご安心下さい。インドリトには私がいます。そして三人の姉もいます。決して、孤独な生は送らせません』

 

『ディアン殿、インドリトを宜しくお願いします』

 

父エギールは頭を下げた。

 

 

 

 

翌日、ディアン一行はレスペレント地方を目指して出発した。華鏡の畔を抜け、北東に向かう。七ヶ月間に及ぶ旅のため、自分たちが乗る馬の他、野営装備などを載せた馬を三頭、連れて行く。食糧などは現地調達の予定だ。インドリトは父から貰った剣を佩いていた。古い剣だが、ドワーフ族らしい強さを持っている。インドリトと同じく、一回り大きくなったギムリもついて来る。五人と一匹の一行だ。

 

『さて、久々の長旅だ。どんな出会いがあるかな?』

 

空は、一行の出発を祝うように晴れ渡っていた・・・

 

 

 

 




【次話予告】

ディアン一行は、人間族が暮らす「イソラの街」に入る。人間以外を連れるディアンに対して、街人から白い目が向けられる。街を守る兵士から、敵意が向けられる。ディアンの目が細くなる。その時、一人の騎士が現れた。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第十一話「イソラの街」

少年は、そして「王」となる・・・


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第十一話:イソラの街

ケレース地方は、一般的には「亜人族と魔族の多い無統治地帯」と認識されている。それは誤りではないが、人間族がいないわけではない。ケテ海峡沿岸においては、レスペレント地方を追われた闇の現神を信仰する人間族が集落を作っている。また後世においては、マーズテリア神殿が進出し、フレイシア湾に砦を構えている。しかしながら、いずれもその規模は小さく、ケレース地方に生きる知的生命体の大多数が、亜人族あるいは魔族であることは間違いない。

 

そのケレース地方の歴史において唯一、人間族の国家が存在していた。それが「イソラ王国」である。イソラ王国は、ケレース地方東北部において、人間族が街を形成したところから始まる。元々はレスペレント地方から船によって入植をしてきた集団で、光の現神を信仰し、特にマーズテリアとイーリュンを信奉していた。イソラの街が形成された背景としては、ケレース地方西方部と比べて、東方部では南部に獣人族や悪魔族が集落を形成している程度で、沿岸部は手付かずであったことから、比較的入植がしやすっかったからである。

 

しかしながら、入植当初こそはマーズテリア神殿の支援もあり開拓が進んだが、光の現神を信仰する「人間族のみの街」という考え方は、ケレース地方には馴染まず、その排他的、独善的な行動に、周囲の亜人族や魔族たちは悪印象を持つようになっていった。南部にガンナシア王国が誕生したことにより、南方開拓が困難になったこと、また南西部に続く交易路を魔人アムドシアスが結界によって塞いでしまったことから、イソラの街は発展が滞るようになる。さらに「ターペ=エトフ」が誕生したことにより、イーリュン神殿がターペ=エトフの首都「プレメル」に移転し、それに伴って信徒たちもプレメルに移住をしてしまったことが、イソラ王国衰退を決定的にした。イーリュンは、現神の中では例外的に、あらゆる種族を差別すること無く治療をする「癒やしの女神」であり、イソラ王国がケレース地方に存在する「理由」でもあったのである。

 

国王インドリト自身はガーベル神を信仰していたが、ターペ=エトフでは信仰の自由が保障されていたため、首都プレメルでは闇の現神「ヴァスタール」「アーライナ」「グ・レドー」、光の現神「イーリュン」「ガーベル」「ナーサティア」の神殿が建てられた。またその他にも、睡魔族が信仰する「ティフィティータ」や魔術師が信仰する「ルシュヌ」など、多様な神々が共存していた。特に「アーライナ」と「イーリュン」は、癒やしの神として医薬品の無償支給など、平等に保護を受けていた。そのため他地域では対立する両神殿も、プレメルでは暗黙の協力関係が生まれていたと言われている。

 

ターペ=エトフの建国とともに、イソラ王国は衰退し始め、やがて魔人ハイシェラによって滅ぼされるのだが、インドリトの死によって、ターペ=エトフが先に滅亡をしたため、首都プレメルに住んでいた「光の現神を信仰する人間族」が、イソラ王国に流れ、一時的に活気が戻ったという事実は、皮肉というほか無い。イソラ王国滅亡により、マーズテリア神殿はケレース地方における拠点を失うことになった。再び、マーズテリア神殿がこの地に拠点を構えるのは、ターペ=エトフ滅亡から四百年後、聖女ルナ=クリアによって、フレイシア湾に砦が築かれるのを待たなければならない。

 

 

 

 

ディアン一行は、華鏡の畔で、美を愛する魔人の歓待を受けた。インドリトは、ディアン以外の魔神を初めてみたが、拍子抜けをした。もっと恐ろしい存在だと思っていたが、美術と音楽を愛する魔神は、理知的で気位が高く、それでいて弱者に優しかった。インドリトのために菓子類まで用意をしていたようである。無論、これには裏があり、ディアンはアムドシアスより、楽器や芸術品を土産とするよう、依頼を受けていた。西方諸国では「管弦楽器」という新しい楽器が作られている。だが西方諸国は光側の神殿が多く、魔神ですら簡単には立ち入れない。光神殿との繋がりの強いレスペレント地方西方諸国であれば、手に入るはずである。華鏡の畔を抜けた一行は、そのまま北東の街「イソラ」を目指した。

 

『先生、魔神とはあのように皆、優しいのでしょうか?』

 

『アイツは特別だ。魔神は種類が多い。私の知る魔神は、戦いを嗜むような奴もいる。何もしていないのに、戦いたいから襲ってくるような魔神だ』

 

『この旅で、他にも魔神に出会うのでしょうか?』

 

『そうだな…少なくとも一人、会ってみたい魔神はいる。アムドアシスとは違うはずだ。下手をしたら、殺しあうことになるかもな』

 

ディアンは笑ったが、インドリトは身を震わせた。師との死合は、いまでも夢に出てくるのである。

 

『見えてきたぞ。あれがイソラの街だろう』

 

グラティナが前方を指差した。石造りの城壁が見え始めていた。

 

 

 

 

イソラの街に近づくにつれ、周囲には田畑が広がり始める。畑仕事をする人間、物を運ぶ人間ともすれ違う。皆が一様に、ディアン一行をジロジロと見た。

 

『…先生、何か様子が可怪しいのですが…』

 

インドリトも居心地の悪い空気を感じていた。周囲からあからさまな「敵意」を向けられているからだ。ディアンはそれを無視して、街に近づいた。停滞していると聞いていたが、周囲は立派な城壁で囲まれている。もはや国と言っても良いだろう。堀には跳ね上げ橋まで掛けられている。それを渡り、街にはいろうとすると兵士が飛び出してきた。

 

『止まれっ!ここはお前たちの来る場所ではない!』

 

ディアンは馬を降りて兵士に挨拶をした。

 

『我々は西方から来た旅の一行です。このまま北ケレース地方を周って、レスペレント地方に行きたいと考えています。久々の街なので、一泊をしたいと思い、訪ねました。何か不都合があるのでしょうか?』

 

『この街では、人間族以外の入城を認めておらんっ!人間族二人は認めるが、他の者達は立ち去れ!まして、魔物など認められるか!』

 

飛天魔族「ファーミシルス」とレブルドル「ギムリ」を交互に見ながら吐き捨てた。ファーミシルスから殺気が立ち上る。ギムリも唸り声をあげる。だがインドリトが前に出てきた。

 

『この子は魔獣ではありません。ギムリという私の友達です。姉も魔物ではありません。飛天魔族ですが、ドワーフ族や他の人達とも一緒に暮らす、心優しい姉です』

 

『黙れ亜人がっ!』

 

兵士が槍の石突きで、インドリトを突き飛ばそうとした。ディアンは抜剣し、槍を真っ二つにする。そのまま兵士の喉元に剣を突き立てる。笑みは浮かべているが、目を細めている。殺意を持った時のクセであった。

 

『…「人間族だけ」などという考え方が、このケレース地方で通用すると思っているのか?ましてオレの仲間を魔物扱いするなど…この場で殺してやろうか』

 

『き、貴様ッ!』

 

他の兵士が仲間を呼んだ。城門から十名ほどの兵士が出てくる。

 

(インドリトに見せるには、まだ早いが…コイツらを皆殺しにするか…)

 

ディアンがそう思った時、中から厳しい口調が響いた。女の声である。

 

『何をしているのですっ!大勢で旅人を取り囲むなど、誇りある兵士のすることですか!』

 

白い鎧を身にまとった、美しい女騎士が出てきた。胸にはマーズテリアの紋章が描かれている。兵士は慌てて、両脇に整列し、槍を立てた。騎士は頷くと、ディアンたちに歩み寄り、一礼をした。

 

『旅人よ、大変失礼をしました。私はマーズテリア神に仕える騎士、ミライア・ローレンスと申します。この者達の無礼、お許しを願いたい』

 

『丁寧な御挨拶、痛み入ります。私はディアン・ケヒト、西ケレース地方から来た旅人です。この者たちは、私と旅を共にする仲間です』

 

ディアンは剣を背に納め、挨拶をした。当然、警戒をする。マーズテリアの神官戦士ならば、ファーミシルスやギムリを魔物扱いし、切り掛かって来ても不思議ではないからだ。だがミライアは丁寧に事情を話し始めた。

 

『この者達にも、事情があるのです。以前は、この街にも亜人族が行き来をしていました。ですが北で起きた大戦以降、人間族と亜人族、闇夜の眷属たちとの対立が激しくなりました。また南には、ガンナシア王国という「闇夜の眷属の国」があり、しばしば我々に攻撃を仕掛けてきます。そのためこの街では、人間族以外の立ち入りを禁止しているのです』

 

『事情は理解しました。そういうことであれば、我々も立ち去りましょう。ですが一言、このケレース地方において「人間族だけ」などという街は通用しないでしょう。そのような排他的考え方は、いたずらに他の種族たちの嫌悪を買うだけです。今は仕方が無いかもしれませんが、ガンナシア王国との外交の道を考えたほうが良いでしょうね』

 

ディアンはそう告げ、背を向けた。ミライアは考えるような眼差しで、ディアンの背を見つめた。

 

 

 

 

『どうして、光と闇は争わなければならないのでしょう?』

 

ディアン一行は、イソラの街から少し離れた森に野営をしていた。焚き火に当たり、気持よく眠るギムリの頭を撫でながら、インドリトが呟いた。インドリトの家があるプレメルでは、光側のイルビット族と闇側の龍人族が、歴史や文化について、笑い合いながら情報交換をしている。互いに認め合うことで、二項対立は発生せず、光と闇が並立しているのだ。微かな気配を感じたが、ディアンは無視をしてインドリトの疑問に応えた。

 

『光と闇…同じ現神でありながら争い続けている。そしてそれぞれの信徒たちも、現神に倣って争っている。私も不思議に思う。現神同士が対立をする、これは百歩譲って良いだろう。だがそれは、所詮は他人事だ。なぜ我々まで争う必要があるのだろうか。神々の喧嘩など、勝手にやらせておけば良い。この大陸まで争いごとを持ち込まれては、迷惑この上ないな』

 

『先生でも、解らないんですか?』

 

『私なりの「仮説」はある。だが検証のしようがない。信仰は目に見えるものではない。それぞれの「心」の中にあるものだ。だから簡単に踏み込んで良い領域ではないのだ。西ケレースでは、各部族たちがそのことを確認し、お互いの心には踏み込まないことを約束した。だから並列できている』

 

『私はガーベル神を信仰しています。最初は、ドワーフ族だからという理由からでした。ですが、多くの人々と話をし、多くの信仰に触れる中で、私の中で一番しっくり来る教えが、ガーベル神の教えだったのです。ですが、それは私だからであり、他の人には他の人の信仰があります。先生は以前、仰りました。「何が正しいかは自分で選択をする、そして他人の選択を尊重する」と…』

 

『そうだ。お前はガーベル信仰を自分の意志で選んだ。だから他人の意志を尊重できる。私は最近、思うのだ。例えば今日のマーズテリア兵たちだ。彼らは本当に、自分の意志でマーズテリア信仰を選んだのだろうか?』

 

『…自分の意志ですよ』

 

インドリトは驚いて飛び上がった。三姉妹が武器を構える。ディアンは平然と振り返った。マーズテリア神官戦士ミライアが立っていた。

 

 

 

 




【次話予告】

ミライアはマーズテリアの教えについて、ディアン一行に語る。ディアンはその内容に対して、疑問を提示する。言葉を通じて、光と闇がぶつかり合う。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第十ニ話「マーズテリア神官との問答」

少年は、そして「王」となる…


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第十二話:マーズテリア神官との問答

光側の現神マーズテリアは、もともとは現神等級を持たない「土着神」であった。旧世界ネイ=ステリナの一地方において、狩人たちに信仰されていた無名の神だったのである。その神が、第一級現神として神々の中心に座る契機となったのが「三神戦争」である。三神戦争は、旧世界イアス=ステリナとネイ=ステリナが併合し、ディル=リフィーナが形成された段階で発生した、神々の戦いであるが、人間族の信仰心を失っていたイアス=ステリナの神々(古神)は劣勢に立たされていた。その劣勢を挽回するために、古神は拠点「ヴィーンゴールヴ宮殿」において、「不死の力をもたらす林檎」を準備した。

 

「ヴィーンゴールヴ宮殿」は、戦乙女(ヴァルキリー)シュヴェルトライテが守護していたが、マーズテリアは追放されていたセーナルよりその情報を得て、ヴィーンゴールヴ宮殿制圧へと向かう。天使族に護られた宮殿は強固であったが、マーズテリアは自ら先陣に立ち、激戦の果てにヴィーンゴールブ宮殿の封印に成功する。逆転の秘策として準備をしていた宮殿が陥落したことで、古神たちは戦意を失う。三神戦争の帰趨を決定づけたこの戦いで、マーズテリアの名は神々に知られることになり「軍神」と呼ばれるようになったのである。

 

このように、マーズテリアは現神の中でも最強の力を持っているが、元々は地方神であったため、第一級現神として神々の中心に座っても、古神を妻に娶るなど、古神や魔族に対して寛容な神として知られている。「ヴィーンゴールヴ宮殿」を破壊ではなく「封印」したのも、命懸けで守ろうとする天使族たちの「健気さ」に情けを掛けた、とも言われており「強く、情け深い神」として各国の騎士団や兵士たちから信仰されている。

 

マーズテリア信仰の中心地は、大陸西方にある神殿領ベテルーラを総本山とする「マーズテリア神殿」で、大国をも上回る巨大な軍事力を有している。ラウルバーシュ大陸各地に「神殿領」を持ち、未開の土地に神官騎士を派遣することで、開拓を進めている。また種族間を超えた紛争において、調停役を務めるなど、中原諸国においても大きな影響力を持っている。しかしながら、中央集権的な機構であるため、意志決定は全て総本山ベテルーラで行われており、即時対応が出来ないなど組織的な硬直が問題視されることもある。

 

マーズテリア神殿は、精神的指導者である「教皇」を頂点とし、各神殿領を管轄する大神官、神官騎士などによって四角錐状の組織を形成している。また教皇と同格という立場で、各地への視察に赴く「聖女」が存在する。聖女は神格者であり、教皇によって任命される。聖女は、総本山から動くことの出来ない教皇の代理人として、各国との交渉や神殿領の兵たちへの激励などを行う。そのため、マーズテリア神殿において聖女の影響力は大きく、その支持は教皇をも上回ると言われている。

 

中央集権型組織体の欠点として、マーズテリア神殿は「教皇の考え方」によって、その性格が大きく変化することが挙げられる。武力を控え、寛容さによって「調伏」することを是とする場合もあれば、力による解決を是とする場合もある。古神、闇神殿への姿勢などは教皇によって一変するため、光神殿の中でも「動きが読み難い神殿」である。

 

 

 

『・・・自分の意志ですよ』

 

マーズテリア神官戦士ミライアはそう言うと、平然とディアンの前に姿を現した。剣を抜こうとするグラティナを止め、ディアンは立ち上がった。

 

『マーズテリアの神官が「盗み聞き」ですか?』

 

『御免なさい。あなた達のことが気になって、後を追ったのです。面白いお話でしたので、つい聞き入ってしまいました』

 

ディアンは着座を勧めた。向き合う形で座る。レイナとグラティナが周囲の気配を探る。どうやらミライア独りのようだ。インドリトは少し離れたところに座り、師と神官の様子を見守った。ディアンは葡萄酒を杯に注ぎ、ミライアに差し出す。

 

『それで、我々が気になったというのは、具体的にはどの点が気になったのでしょう?』

 

『あなたは言われました。「このケレース地方で人間族だけという街は通用しない」と・・・その話が気になったのです』

 

葡萄酒を飲みながら、ディアンが頷いた。ミライアが言葉を続けた。

 

『実は、マーズテリア神殿はこの地よりも西側にある、西ケレース地方に街を作ろうと考えていました。あそこには良港となる湾もありますし。ですが、龍人族の村が近くにあり、我々の進出を強硬に拒んだのです。我々は、龍人族たちとの争いを避け、不便ではありますが、東側の地に街を作ったのです』

 

『確か、現教皇はキネリウス一世でしたね。対立よりも対話を望む教皇と聞いています』

 

『私たちは、確かに人間族の街を作りました。ですが決して他種族と争うつもりは無いのです。ケレース地方は豊かな資源がありながら、様々な種族が跋扈し、人間族を阻む混沌とした地です。この地に人間族の街を作ることで、混沌とした地に秩序をもたらしたいと考えています』

 

『他種族と争うつもりは無い・・・ですか』

 

ディアンは低く笑った。ミライアは首を傾げた。ディアンは感情を抑え、理知的に話をするよう自らに言い聞かせた。ここでミライアと争っても、意味が無いからである。出来るだけ平易の言葉でミライアの疑問に応える。

 

『あなた方がやろうとしていることは、他種族に対する宣戦布告そのものですよ。混沌とした地に秩序をもたらす・・・ 誰にとって「混沌とした地」なんでしょう?その秩序とは、誰のための秩序なのでしょう?この地は、混沌などしていません。それぞれの種族が互いの領分を守り、互いに尊重し合って生きています。マーズテリア神殿は、人間族が生き易くするために、他種族を追い遣って、勝手にこの地に移り住もうとしているのです。少なくとも、龍人族や他の種族たちはそう見るでしょうね』

 

『私たちがこの地に住むこと自体が、いけないことだと仰りたいのですか?』

 

『そうではありません。実際、オレだってドワーフ族の集落に住んでいます。ですがあなた方には「住まわせてもらう」という感謝が欠けています。亜人族たちを「未開の土地に住む原住民」と思っているのではありませんか?彼らはこの地に先に住み着き、独自の文化と生活を形成している先住民です。後から来たあなた方がこの地に住むのであれば、まずは先住民に「許可」を得て、先住民を「尊重」しなければなりません。先住民が嫌がるのなら、移住してはいけないのです。それは開拓でも移住でもありません。ただの「侵略」です』

 

『私があなた方に興味を持ったのが、あなた方がこの地の縮図の様だったからです。人間族、ドワーフ族、ヴァリ=エルフ族、飛天魔族、そして魔獣・・・バラバラの種族が一緒になって旅をし、お互いを支え合っているように見えました。どうしたら、異なる種族同士が打ち解け合い、支え合えるようになるのでしょう?』

 

『・・・その質問の答えは、少し言葉を選ぶ必要がありますね。下手をしたら、あなたを憤激させるかもしれません』

 

『構いません。率直に仰って下さい』

 

『相手を「尊重」することです。尊重とはつまり、「自分で自分を正しい」と思うことと同様に、「相手も正しい」と思うことです。解り易く言えば、あなたがマーズテリア神を正しいと信仰するのと同様に、他者がヴァスタール神を信仰するのも正しいと、肚の底から認めることです。この世は、立場によって善悪は変わるのです。「全てが正しく、全てが間違い」なんですよ。白と黒で分けられるのではなく、灰色の濃淡なんです』

 

『それは、自分の信仰を否定しろ、ということでしょうか?』

 

『ほら、そういうふうに考えること自体が、白黒で考えている証拠です。いいですか、あなたがマーズテリア神を信仰するのは、あなたの自由です。ですが、他者がヴァスタール神や古神や魔神を信仰するのを否定する権利は、あなたにはありません。現神たちにもありません。それぞれが、それぞれに「自分が正しい」と思っているのです。「自分が正しい」と思うのは自由ですが、「相手が間違っている」と否定する権利は、誰にも無いんですよ』

 

『ですが、それはあなたの考え方ですね?そうでは無い考え方もあるのではありませんか?』

 

ディアンは肩を竦めた。その通りだからだ。

 

『そうですね。信仰とはどこまでも「個人の心の問題」です。「俺が正しい、俺が正義だ」と信じ込み、自分の正義を他者に押し付ける生き方もあるでしょう。ですが、その生き方ではこのケレース地方では生きられません。異なる種族同士が打ち解け合うためには、互いを正しいと認め合うことだと、オレは思っています』

 

ミライアは黙って考え込んだ。その様子を見ながら、ディアンは思った。

 

(将来、マーズテリア神殿が西ケレースに進出してくる可能性がある。その時は・・・)

 

マーズテリア神殿が「開拓という名の侵略」を続けるのであれば、戦わなければならないだろう。古神の肩を持つつもりは無いが、現神の在り様には疑問を持たざるを得ない。そう思っていると、インドリトが近づいてきた。

 

『先生、私もミライア殿と話をしたいのですが、宜しいでしょうか』

 

『「語り合うこと」は最も尊いことだ。遠慮をしてはいけないよ』

 

『有難うございます。ミライア殿、宜しいでしょうか』

 

『どうぞ、私もドワーフ族と語り合うのは初めてです。ぜひお話をさせて下さい』

 

『私は、西ケレース地方のドワーフ族、インドリトです。師の元でマーズテリア神の教えを読んだことがあります。ガーベル神とはまた違う魅力を持つ神だと思いました。その教えの中に、こうありました。「力ある者には、相応の責任がある。強きは弱きを援けねばならない・・・」ここで言う「援ける」とは、具体的にはどのような行為を指すのでしょうか?』

 

『様々にありますね。魔獣に襲われている者を助けることもあれば、病に苦しむ者を援けることもあります。大切なことは、他者を思い遣る心を持つこと、私たちはその心を「慈悲」と呼んでいます』

 

『それでは、逆に人間族に苦しめられている魔獣や亜人がいたら、マーズテリア神は援けてくれるのでしょうか?』

 

『もちろんです。マーズテリア神は元々は狩人の神です。たとえ魔獣や亜人族でも、不当に苦しめられている者は援けます』

 

『・・・私は、イソラの街で兵士からこう言われました。「黙れ亜人が」と・・・私は、少ない回数ですが、先生以外の人間族と話をしたことがあります。皆、私がドワーフ族であることなど、何も気にされていませんでした。ごく普通に会話をしてくれました。ですがもし人間族の心の中に、ドワーフ族に対して負の気持ちがあるのであれば、共に歩むためにどうしたら良いか、考えなければならないと思ったのです』

 

『ディアン殿、彼は・・・』

 

『インドリトは、族長の一人息子です。長より頼まれ、私が面倒を見ています。いずれ、西ケレース地方のドワーフ族を束ねる立場に立ちます』

 

『そうでしたか・・・インドリト殿、あなたを不愉快にさせたのなら、謝罪を致します。マーズテリア神は、全ての種族は平等と考えています。亜人族であれ魔族であれ、苦しむ者を見捨てはしません』

 

『そうでしょうか。では仮に、マーズテリア神の信仰が篤いドワーフがいたとして、その者が神官として、総本山に入ることなど出来るのでしょうか?』

 

『・・・・・・』

 

ミライアは応えに窮した。建前としては、マーズテリア神殿は種族平等を謳っている。だが現実には、人間以外の者が神官となり、総本山に入ることなどまず無い。せいぜいが地方神殿の神官や魔神を封印した各地結界の見張り役程度である。実際、代々の教皇や聖女も、全て人間族出身であった。困っているミライアにディアンが助け舟を出した。

 

『インドリト、「マーズテリア神」と「マーズテリア神殿」は違う。マーズテリア神自身は、種族平等を思想として行動をするのだろう。だが神殿という形は、複数の人間が絡んでくる。単身で意思決定が出来なくなる。マーズテリア神の教えを完全に体現するのは、難しいのだ。神ではなく人間なのだからな。お前はたった一人の人間の言葉に惑わされ、人間族全体がそうだと考えようとしている。何の為に、私がお前を多くの種族たちと引き合わせたのかを思い至りなさい』

 

『・・・申し訳ありません。心が乱れていました。「中にはそのような者もいる」、そう受け止めようと思います』

 

『あまり深刻に考えるな。お前は聡いが、考えても詮無いことを考え続けることがある。一晩寝て、忘れなさい』

 

インドリトは立ち上がり、一礼をして自分の天幕に戻った。その後ろ姿を、ミライアは複雑な気持ちで見送った。

 

『・・・無意識のうちに出た何気ない一言が、あの少年を悩ませ、人間族全体への不信を持たせかけていたのですね。他種族に対する私たち自身の関わり方に、大きな間違いがあったのかもしれません』

 

『急には難しいかもしれませんが、その気づきがあれば、いずれはイソラの街もケレース地方に受け入れられるでしょう。機会があれば、西ケレース地方のドワーフ族の集落「プレメル」を訪ねて下さい。プレメルにはいま、多くの種族が集まっています。学ぶ部分もあると思いますよ』

 

ミライアは頷いて立ち上がった。夜が深まってきていたため、ディアンは一泊を勧めたが、ミライアは固辞した。レイナたちはとっくに天幕で寝ている。ディアンは焚火に木枝をくべ、考えた。

 

(バリハルトとマーズテリアは、似ているようで異なる。バリハルトは、一級神であることを鼻に掛けているところがある。「英雄面」をして、無意識で他者を見下しているところがあるのだ。マーズテリアは、地方神出身のためか、そうした一面は無い。闘いにおいては容赦はないのだろうが、バリハルトと比べると素直さが見える。バリハルト神殿は受け入れられないが、マーズテリア神殿であれば、教皇次第では共存が出来るのかもしれない・・・)

 

マーズテリアは、地方神という意味では「水の巫女」と同じである。いずれ建国されるであろう理想郷には、光と闇の神殿が並立する。マーズテリア神殿がプレメルに建てられたら、理想郷の象徴になるだろう。ディアンはそのように考えていた。だが、この将来像は叶わなかった。マーズテリア神殿の次期教皇が「対話より対決」に軸足を置いたためである。ミライアとの問答から十五年後のことであった・・・

 

 

 

 

 




【次話予告】

北ケレース地方に結界を張る「楔の塔」を迂回し、一行はレスペレント地方を目指す。だがその途中で、亜人族たちの襲撃を受ける。問答の末、ディアンは魔神の貌を出し、亜人族たちと戦う。そしてインドリトは、初めての「殺人」を犯すことになる。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第十三話「長の役割」

少年は、そして「王」となる…


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第十三話:長の役割

『…フッ…』

 

インドリトが剣を振るった。腕が傷ついたゴウモールは一時的に下がる。ケレース地方東方域から、北ケレース地方へと向かう途中で、ゴウモールの縄張りに入ってしまったのだ。ディアンは、可能な限り殺すなと命じた。インドリトは「殺しに来る相手を殺さずに退ける」ことが、どれほど大変かを思い知った。かつての師の言葉が思い出される。

 

(相手を必要以上に傷つけること無く、確実に護りたいものを護るには、最強の力が必要…)

 

レイナ、グラティナ、ファーミシルスの「姉」たちも、相手の攻撃を躱し、斬りつけている。ディアンはまるで舞のように相手の間を滑りながら、胴体にV字の傷をつけていった。圧倒的な力の違いを見せつけられ、ゴウモールが退いていく。インドリトは息を弾ませていたが、なんとか殺さずに済んだことを安心していた。

 

『インドリト、良くやった。縄張りに入ったのは我々の方だ。身を守るために戦わなければならないが、相手を殺す必要はないのだ』

 

『解っています。ですが、想像以上に難しいですね』

 

インドリトは深く息を吐いた。師も姉たちも、汗一つ流していない。

 

(この人達は…本当に「怪物」だ…)

 

インドリトは苦笑いを浮かべた。師の足元に及ぶには、あとどれくらいの修行が必要なのだろうか…

 

 

 

 

トリアナ半島を回るとレスペレント地方へと入る。トリアナ半島は、魔族が多い土地であるが「楔の塔」が結界の役割を果たし、ケレース地方の強力な魔物の侵入を阻んでいる。ディアンがその気になれば、結界を破ることも出来ただろうが、楔の塔には深凌の楔魔「第七位カファルー」が封印されており、下手をしたら復活させかねない。これから行くレスペレント地方のカルッシャ王国や各光神殿を敵に回すことにもなるので、ここは半島を迂回するしか無かった。フォア部族の集落を経て、レスペレント地方の入り口「モルテニア地方」へと向かう。

 

『フォア部族は亜人族だが、人間族を嫌っている。そして非常に乱暴な側面を持っている。集落には寄らずに、そのまま進んだほうが良いだろう』

 

この辺りは、ファーミシルスも知る土地のようだ。上位悪魔族であるラウマカール族であれば、トリアナ半島に入ることは難しいだろう。レスペレント地方からアヴァタール地方に入る際に、この道を通ったらしい。ディアンはファーミシルスの助言に従い、集落を避けて森を進んだ。途中でフォア部族の警戒を感じたが、向こうから手を出してこない限りは無視するつもりでいた。だが、フォア部族の勢力圏を抜ける直前に、事件は起きた。フォア部族たちに囲まれたのである。目の前に屈強な亜人が現れた。

 

『ここは俺たちフォア部族の縄張りだ。挨拶もなしに通り抜けようなんて、虫が良すぎるじゃねえか』

 

『我々は、ケレース地方からレスペレント地方へと向かう旅の一行です。フォア部族にご迷惑を掛けるつもりはありません。通して頂けるのであれば、すぐに立ち去ります』

 

ディアンはあくまでも下手に出た。亜人族の縄張りを侵したのは事実である。まずは先方の言い分を聞く必要があるのだ。亜人の男は笑った。

 

『人間以外に、ヴァリ=エルフや飛天魔族、それにドワーフと魔獣まで連れている。珍しい取り合わせだから様子を見ていたが、このまま通られたんじゃ、俺たちの面子に関わる。悪いが、通行料を払ってもらうぞ』

 

『通行料…具体的には、何をお支払いすれば良いのでしょう。あまり多くを持ってはいませんが…』

 

周囲からフォア部族の兵たちが現れた。二十名程度である。ディアンを人間として侮ったのだろう。皆が嗤っている。

 

『なに、俺たちは日頃の見回りで随分と溜まっているんだ。そこの美人三人が、俺達の相手をしてくれるのなら、通してやっても良いぜ?』

 

インドリトは背中が震えた。姉たちの空気が変わったことを感じたのだ。恐る恐るレイナを見ると、冷たい表情に笑みが浮かんでいる。インドリトは戦いを覚悟した。だがディアンは、まだ言葉を続けた。

 

『この三人は、私達の仲間であり、大切な存在です。仲間を傷つけるわけにはいきません。他の物で満足をして頂けませんか?』

 

『そんなことは知ったことじゃねぇ!俺たちはソイツらをご所望なんだ!さぁ、死にたくなかったら言うとおりにしろ!』

 

『あなた方がやっていることは、まるで野盗です。嫌がる相手に非道を行おうとすること、そこに恥や罪悪感は感じませんか?』

 

『うるせぇ!』

 

フォア族の男がディアンに斬りかかってきた。ディアンはクラウ・ソラスを抜剣し、男を一刀両断にした。血を吹き出しながら、男が真っ二つになり左右に倒れる。亜人族たちは慄いた。ディアンの気配が変わっているからだ。魔神の貌が出現している。

 

«…どうやら非道に対して恥も罪悪感も無いようだな。ならばこちらも合わせよう。お前たちに対して非道を行う。皆殺しという非道をな…»

 

三姉妹が剣を抜き、次々と亜人族たちを斬り殺していった。インドリトは驚いて動くことが出来なかった。だが、立ちすくむインドリトにフォア族の男が斬り掛かってきた。インドリトは夢中になって剣を振るった。気がついたら、男は首から血を噴き出して死んでいた。周囲も静かになっている。二十人以上の亜人族が全滅したのだ。ディアンは愛剣を一振りして、鞘に収めた。あまりの(むご)さに、インドリトは吐き気を覚えた。その場でしゃがみ込み、嘔吐する。介抱しようとするレイナを止め、ディアンはインドリトを見下ろした。師を見上げながら、喘ぐようにインドリトが聴く。

 

『せ、先生…なぜこんな、酷いことを…』

 

『立ちなさい。まずはここから離れることが先だ』

 

ディアンはインドリトを立ち上がらせた。インドリトはフラつきながらも、自分の馬へと向かう。目を見開き、舌を出した首が転がっているのを見て、再び吐き気を覚えた。なんとか耐え、その場から離れた。

 

 

 

 

『初めて、人の命に手を掛けたな。今の気分はどうだ?』

 

その夜、ディアンはインドリトに尋ねた。レイナたちはあえて、二人きりにしたようだ。インドリトの顔色は悪い。手が震えている。

 

『先生…私は、先生という人が解らなくなりました。先生は無意味に命を奪う人では無いと思っていました。ですが、今日は違いました。傷つけて追い返すことも出来たのに、先生は「殺戮」をしました…』

 

『そうだな。確かに私は「殺戮」をした。そしてインドリト、お前も亜人の命を奪った。夢中だった、そんなつもりはなかったというのは、ただの言い訳だ。お前も私と同様に、殺人を犯したのだ』

 

インドリトは両肩を抱えて震えた。夢中だったが、相手の肉を切り裂く感触は、今でも鮮明に思い出す。ディアンは頷いた。

 

『インドリト、お前の反応はまともな反応だ。命を奪っておきながら、平然としていられる方が、どうかしている。お前は今、自らが犯した殺人に、強い罪悪感を感じているのだろう』

 

『先生は、感じていないのですか?』

 

『感じているさ。私はこれまで、多くの殺人を犯してきた。これからも犯していくだろう。私は、大きな罪を背負って、これからも生きていくのだ…』

 

『なぜ、あのような殺戮をしたのですか?』

 

『その質問に答える前に、まずはお前に考えてもらいたい。インドリト、お前に尋ねるが、あの亜人族たちは「善」か?それとも「悪」か?』

 

『…彼らは、私達を傷つけようとしました。先生が「別の物なら」と言ったにも関わらず、彼らは私達を傷つけようとしました。「悪」だと思います』

 

『そうだな。では彼らは「悪」だと認識していたと思うか?』

 

インドリトは、師と亜人族とのやり取りを思い出した。「罪悪感を感じないか」という師の問いに、剣を向けたことを思い出す。

 

『いえ、彼らは「悪」だと認識していなかったと思います。まるで、自分たちの当然の権利のように、それが当たり前のように言っていました』

 

『そうだ。私たちは彼らを「悪」だと認識した。だが彼らから見れば、自分たちが望む通行料を支払わない我々が「悪」なのだ』

 

『以前、先生が仰いました。善悪は相対的なものだと…』

 

『私達にとっては向こうが「悪」、向こうからすれば私達が「悪」…どちらが善で、どちらが悪か、答えがあると思うか?』

 

インドリトはしばらく考えた。だが答えが出ない。

 

『フォア部族と私達とでは、善悪の判断基準が違う。私達にとっての「悪」が、彼らにとっての「善」…さて、これを解決するにはどうしたら良いと思う?話し合いで解決できるだろうか?』

 

ディアンの言葉に、インドリトは悩み続けた。言葉を通じて、互いの「基準の違い」を明らかにすることは出来るだろう。だが、言葉だけではその先は続かない。「どちらも正しい」からだ。善悪の基準が違うのであれば、話し合いはどこまでも平行線を辿ってしまう。

 

『言葉を交わすことは最も尊い行為だ。だが話し合いにも限界が存在する。そこから先をどうするかは、個々人が判断すべきだ。私は「相手の判断基準に合わせる」ことを選んでいる。つまり「向こうの善悪」に則って、相手に対して行動をすることだ。奪っても構わない、殺しても構わないと思っている相手ならば、奪い、殺すことにしている…』

 

『…私には、その判断が出来そうにありません。殺す必要が無いのであれば、殺さないようにしたいと思います』

 

『それで良い。お前はお前の判断を大事にすべきだ。だがインドリトよ。お前一人ならそれで良いだろう。だが「ドワーフ族の長」になったらどうする?長として判断をする場合も、同じように「できるだけ殺さない」で対応するのか?』

 

『それは…』

 

『お前も経験したな。殺しに来る相手を殺さずに追い返すことは、難しいことだ。お前一人なら出来るかもしれないが、ドワーフ族全員にそれを求めるのか?』

 

『……』

 

思い悩むインドリトの肩をディアンは掴んだ。

 

『今すぐ答えを出す必要はない。だが考え続けなさい。お前はいずれ、人を率いる立場に立つ。お前一人の感情で動けない立場になるのだ。ドワーフ族のみならず、ケレース地方に住む全ての種族のために、どうしたら良いのかを考え続けなさい』

 

『…厳しいことを仰います。正解のない問題を考え続けろとは…』

 

『それが、長の役割なのだ』

 

インドリトは溜息をついた。だが、師が何を考えてあの殺戮を行ったのかは理解できた。自分には許容できないが、師が間違っているとも思えなかった。そして、この時の師の問い掛けは、インドリトの生涯を通じて悩む課題となったのである。

 

 

 

 




【次話予告】

レスペレント地方「モルテニア」に到着した一行は、ファーミシルスの案内で「魔人シュタイフェ」を訪れる。魔人の下品さに辟易する三姉妹だが、その下品さにある種の「狙い」が隠されているとディアンは感じていた。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第十四話「魔人シュタイフェ」

少年は、そして「王」となる…


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第十四話:魔人シュタイフェ

ディル=リフィーナ世界において、よく間違えられるのが「魔神」と「魔人」の違いについてである。一見すると似ている両者であるが、ここには明確な違いが存在する。魔神は生まれながらに「魔神」であるが、魔人は生まれは「人間」だということである。つまり、両者とも広義では「魔」に属するが、魔神は「神族」なのに対し、魔人は「人間族」なのである。

 

魔人になるには、幾つかの方法が存在するが、いずれも長きに渡る修練と、非道な行為が必要であり、魔人は人間族の中で最も忌み嫌われている。具体的には、悪魔族などとの「肉体的融合」や、精霊などを強制的に取り込むことで「擬似的神核」を体内に形成する方法である。魔人になるためには、身体的強靭さは無論だが、何よりも精神力が必要であり、魔人に生る途中で「狂死」する者も少なくない。魔人への途とは、ある意味では「神に頼らずに神になろうという試み」に他ならないのである。

 

一般的に「邪悪」と言われている魔人であるが、それはその過程があまりにも非道であるためであり、魔人の全てが邪悪の存在というわけではない。むしろ長年に渡って人外の修練を蓄積し、非道であっても初志を貫徹する不屈の精神力を有していることから、透徹した哲学を持つ魔人も存在する。無論、善悪の基準については人間族とは一線を画す部分もあるのだが、人間族の判断基準が絶対であるわけではないため、特に闇夜の眷属たちからは、魔人はある種の敬意を払われることが多い。

 

魔人として特に著名な存在は、リガナール半島に帝国を築き上げた「魔人イグナート」であろう。イグナートは、元々は王立魔法学院に籍を置「人間」であったが、富も家門も無く、才能と野心だけがあった彼は、素材収集や知識獲得のためには、自らの肉体を駆使する他なく、いつしか魔人に転じたと言われている。イグナートが統治する帝国「ザルフ=グレイス」は、闇夜の眷属の国ではあるが、イグナート自身は「光の神殿」の存続を許しており、各王国を統治していた王族たちはともかく、民衆は差別無く、統治をされている。そのため、アークリオン神殿やマーズテリア神殿をして、ザルフ=グレイス討伐へと踏み切れず、リガナール半島を封鎖するだけに終始している状況である。

 

魔人の中には、限りなく「魔神」に近い存在もある。それが「神殺し」と呼ばれる存在である。神殺しとは、神族(現神、古神、魔神)と戦いその肉体を奪った存在であり、人間の魂と神の肉体を持つことになる。神核を有しているため、自らの神格者(使徒)をつくることも可能であり、事実上の「魔神」といえる存在である。「神殺し」となった場合、その力は神々すらも凌ぐ可能性を秘めることになる。その理由は「人間の魂」にある。神々の魂は、原則的に不変であり「魂の成長」は無い。そのため魔神として生まれた場合、死ぬまでその力は殆ど変わらないのである。しかし、人間の魂は「喜怒哀楽」「希望と絶望」「苦難の克服」などにより成長をする可能性があり、それに伴って魂が生み出す魔力も、その質と量を変えていく。魔神の肉体は魔力に依存するため、人間の魂を持つ神となった場合、その生き方次第では現神すらも超えかねないと言われている。

 

しかしながら、人間でありながら神族に打ち勝つことはまず不可能であり、それほどの力を持っているのならば、既に「魔人化」しているため、神殺しは理屈上は存在しても、現実的には存在しないと言われていた。その定説が破られるのは、ディル=リフィーナの歴史上、唯一の「神殺し」となった元バリハルト神殿騎士「セリカ・シルフィル」の登場を待たなければならない。

 

 

 

 

 

北ケレース地方を抜けたディアン一行は、レスペレント地方東方域の入り口「モルテニア」に入った。モルテニアは、イウーロ連邦の南端にあり、海と山のある穏やかな地帯である。姫神フェミリンスによって、レスペレント地方から追放されかけていた闇夜の眷属たちは、ケレース地方に近いモルテニアに集まっていた。ディアン一行は、山麓にある集落に入った。

 

『懐かしいな。この地に来るのは三十年ぶりだろうか。当時はまだ幼かったが、それでもこの地は数少ない思い出深い土地だ』

 

ファーミシルスは嬉しそうに集落を見て回った。村人たちは、龍人族や異形の亜人族、悪魔族などだが、ディアン一行をあまり気にしていないようだ。闇夜の眷属の中には、人間族も存在しており、ヴァリ=エルフや飛天魔族も一緒にいるため、ディアンたちも闇夜の眷属と思われているのである。ファーミシルスはある一軒家に向かった。

 

『ここだ。三十年前、私と母を世話してくれた魔人が住んでいるはずだ』

 

ファーミシルスは叩扉した。だが反応が無い。二度試したが、住人が出てくる様子は無かった。

 

『どうやら留守のようだ。少し、他の住民に聞いてみよう・・・』

 

ファーミシルスは、通りがかった住民たちに、知人の行方について尋ねた。どうやら住んでいるのは確かなようだ。扉に背を向け、ファーミシルスの様子を伺っていると、急に扉が開き、背後から、剣を突き付けられた。人間の速度ではない。ディアンですら、反応が出来なかった。

 

『お前たち、一体何者だ?』

 

背後から声が掛けられる。レイナとグラティナが動こうとするが、背後の魔人が一喝する。ファーミシルスも様子に気づき、慌てて戻ってきた。魔人に語りかける。

 

『シュタイフェ!私だ。ファーミシルスだ。三十年前に、お前によく世話になっていただろう!』

 

『確かに三十年前に、ファーミシルスという娘を世話していたことがある。だが、お前がそうだという証拠はあるのか?』

 

『・・・・・・』

 

『この地は、いま光神殿の奴らと微妙な関係だ。お前たちは多種多様な種族の集まり(パーティー)だが、それだけに油断できん!不確定要素は、排除する』

 

ディアンの背に突き付けられた剣に力が込められた。ディアンの目が細くなった。ファーミシルスは慌てた。

 

『どうしたら、私がファーミシルスだと信じてくれるっ!』

 

緊張した面持ちのファーミシルスに、背後の魔人が大真面目に回答した。だが気配が変わっている。

 

『そうだなぁ・・・ファーミシルスは左胸にホクロがあった。あと内股の付け根にも・・・それを見せてくれたら、信じても良いぞ?(*´Д`)ハァハァ』

 

『・・・はぁ?』

 

一瞬の弛緩の空気をディアンは逃さなかった。人外の速度で翻し、左手で剣を抑えると同時に右手で抜剣し、魔人の首に突きつける。剣を落とし、両手を上げて降参する。

 

『い、いやだなぁ旦那・・・冗談ですぜ・・・ファーミシルスの「芳しい(にほ)い」は、一度嗅いだら忘れられないから・・・ところで、もう男は知ったのか?ファミ』

 

『こ、この男は・・・』

 

下半身を前後に動かす魔人に対し、顔を赤くしたファーミシルスが連接剣を抜いた。レイナとグラティナが止める。インドリトは首を傾げながら、魔人を見上げた。背に翼を生やし、一見すると悪魔族に見えるが、気配がどこか人間である。ディアンは剣を突きつけながら呟いた。

 

『・・・ファミの知り合いにしては、随分と品が無いな?』

 

『品が無いなんて言われると、恥ずかしいッスよぉ~ せめて「お下劣」って言ってちょーだい』

 

どこまで本気なのか解らない。だが少なくとも害意が無いことは確認できた。であれば、これはこの魔人の「個性」であろう。ディアンは苦笑して剣を収めた。

 

『ディアン・ケヒトだ。遥か南方のディジェネール地方出身の旅人だ。今はケレース地方に住んでいる』

 

『アッシは、シュタイフェ・ギタル。「痴の魔人」って呼ばれてまさぁ~』

 

『それを言うなら「知の魔人」であろうが!』

 

ファーミシルスが激昂する。ディアンは笑った。面白い奴だと思ったからだ。

 

『シュタイフェ、オレたちはこの地に着いたばかりだ。出来れば一泊の施しを受けたいが・・・』

 

『他ならぬファミの友人なら、粗略に出来ませんな。大したもてなしは出来ませんが・・・』

 

ディアン一行は、シュタイフェの家へと入った。

 

 

 

 

シュタイフェの自宅は「知の魔人」にふさわしく、書籍に溢れていた。ディアンがペラペラとめくると、実に多岐にわたっている。難解な魔術書の下に、どう見ても猥本としか思えないような本が積まれている。どうやら、シュタイフェもディアンと同様、読書においては雑食のようだ。シュタイフェが茶を入れて来た。椅子に座ると茶の香気を嗅ぐ。

 

『はぁ・・・美しい女子三人分の香りが混じって・・・これだけでアッシ、イッちゃいそう・・・』

 

ビキッという音がした。グラティナの杯にヒビが入っている。三人の殺気が一人の変態魔人に向けられる。だがシュタイフェは気にすること無く、茶を楽しんでいた。インドリトは感嘆した。姉三人の気当たりを平然と受け流しているからだ。余程強いか、余程鈍感かのどちらかであろう。

 

『それで、シュタイフェ・・・お前に聞きたいことがあるんだが』

 

『何でしょう?アッシの初体験なら、今から百五十年ほど前に・・・』

 

『いや、そうじゃない。魔神グラザを知っているか?』

 

『グラザ?グラザって女は知りませんねぇ。アッシもそりゃぁ、この年までかなりのパコパコをしてきましたが・・・』

 

『恍けるな。お前の書棚にある書籍・・・雑多だがかなり難解な魔道書もある。例えば「悪魔の偽王国」・・・魔神召喚の方法が書かれているが、かなり難解な暗号のはずだ。その隣には「ピカトリクス」・・・四百以上の調合薬が文字と絵で暗号化されている。あれらを読めるのであれば、お前は相当な知性を持った魔術師のはずだ。秀で過ぎた知性と能力を見せないために、あえて下品な話し方をしているのではないか?それと相手の反応を観るために・・・』

 

シュタイフェは黙って立ち上がった。書棚の前に立ち、ディアンたちに背を向ける。聞こえるか聞こえないかの小声で呟いた。

 

«やれやれ・・・ファミの友人だから、丁重にお帰り願いたかったんですけどねぇ・・・»

 

背中から発する気配が変わる。そこにいるのは、冗談めかした猥談を語る陽気な魔人ではなかった。数多の魔術を極め、人ならざる存在へと転じた第一級の魔術師「知の魔人シュタイフェ」がいた。シュタイフェを知るファーミシルスでさえも息を呑んだ。剣術ならともかく、魔力であれば間違いなく、相手のほうが上であることが解ったからだ。ディアンも立ち上がり、人間の貌を外した。全身から魔神の気配が立ち昇る。

 

«・・・どうやら漸く、本音で話し合えそうだな。その様子だと、オレの正体にも気づいていたか?»

 

«使徒の気配を放つ二人を連れた男、ただの人間であるはずがない。薄い皮膜のように全身を魔力で覆っているのも妙だしな。魔神グラザに何の用だ?殺しに来たのか?»

 

«会って話しをしたいだけだ。聞きたいこともあるしな»

 

«お前、得体が知れんな。グラザのもとに連れて行くには危険過ぎる。だがこの集落から去るつもりも無いのだろう?ならば方法は一つしか無い。この場で、お前を殺すしか無いな»

 

『ま、待てシュタイフェ!ディアンは私が連れてきたんだぞ!それを信じないのか?』

 

«三十年・・・それだけ歳月が流れれば、誰しも変わるものだ。グラザは、闇夜の眷属に必要な存在・・・危険は、迅速に排除する»

 

«なるほど、グラザはこの地にいるのか・・・»

 

ディアンは家を出た。通りにはいつの間にか、屈強な兵士たちが整列している。思い思いの鎧で身を固めているが、それぞれが相当な力を持っていた。ディアンの放つ魔神の気配にも慄く様子はない。相当に鍛えられ、かつ日常的に魔神と接しているからだろう。兵たちが、ディアンに向けて、剣を構える。シュタイフェが背後から声を掛けた。

 

«このまま立ち去れ。そうすれば誰も傷つかずに済む・・・»

 

«言っただろう。誰も傷つけるつもりはない。グラザに会いたいだけだ»

 

«こちらも言ったはずだ。それは出来んと・・・皆の者、ソイツを捕らえろ!»

 

突き付けられる剣に対し、クラウ・ソラスを一閃した。兵士たちの持つ剣が途中から切れ落ちる。仰天する兵士たちを尻目に、ディアンはシュタイフェに目を向けた。

 

«かなり鍛えられた兵たちだが、オレの相手をするには役不足だな。シュタイフェ、お前が来い・・・»

 

ディアンが放つ気配が更に強くなる。圧倒的な気配を前に、シュタイフェの頬には汗が伝った。目の前の魔神がその気になれば、この集落を一瞬で消し去ることが出来る。それがハッキリと理解できた。だが、自分が退くわけにはいかなかった。シュタイフェは家を出て、ディアンと向き合った。両手で魔力を操る。

 

«・・・無理矢理に会おうとするなら是非もない。及ばずながら、アッシの全てを賭けてもアンタを止める!»

 

«お前をそれほどに心酔させるとはな。ますます興味が湧いた。オレ自身も無理やりは嫌いだが、グラザに会うために旅をしてきたのだ。目的を果たさせてもらうぞ!»

 

二人の魔力が極限まで高まり、歪んだ空気がぶつかり合う。互いに魔術を駆使し、相手を屠ろうと構えた時、集落の奥に強い気配が出現した。間違いなく、魔神の気配である。その気配が徐々に近づいてきた。陽炎のように空気を歪ませながら、赤銅色の肌をした大男が現れた。

 

«シュタイフェ・・・俺を訪ねてきた客人なら、会う会わないは俺が決める»

 

«グ、グラザ様!»

 

魔人シュタイフェや兵士たちが一斉に膝をついた。ディアンは、自分より頭二つ分は背が高い大男を見上げた。男もディアンを見下ろす。これが、ディアン・ケヒトの生涯の友となった、魔神グラザとの邂逅であった・・・

 

 

 

 




【次話予告】

深凌の楔魔の一柱「魔神グラザ」と共に、ディアンたちは「ブレアード迷宮」へと降りる。壮大な迷路を抜け、闇夜の眷属たちの本拠地へと入る。グラザはディアンが驚くほどに懐が深い男であった。だが、本来の魔神が持つ本能が、グラザを苦しめていた。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第十四話「グラザという漢」

少年は、そして「王」となる…


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第十五話:「グラザ」という漢

大魔術師ブレアード・カッサレは、姫神フェミリンスと戦うために、十柱の魔神を召喚した。後に「深淩の楔魔」と呼ばれる魔神集団は、個々においても超常の力を持っていたが、何よりも驚異なのは、一つの意思のもとに十柱もの魔神が集結し、互いに協力をし合いながら姫神フェミリンスと戦ったという事実である。本来、魔神は個々独立の存在であり、己の欲求の赴くままに生きる。その魔神が、召喚契約に縛られていたとはいえ「他者のため」に戦うことは極めて珍しい。ブレアード・カッサレ以外にも、魔神召喚を実現した魔術師は存在するが、長期間に渡って複数の魔神を従え、一つの目的のために組織体を形成したのは、ブレアード・カッサレを除けば、イアス=ステリナの伝説上の人物「ソロモン王」のみである。

 

深淩の楔魔は、序列一位「ザハーニウ」、序列二位「カフラマリア」、序列三位「ラーシェナ」、序列四位「グラザ」、序列五位「エヴリーヌ」、序列六位「パイモン」、序列七位「カファルー」、序列八位「ゼフィラ」、序列九位「ディアーネ」、序列十位「ヨブフ」と、ブレアードが格付けをしている。これは、ブレアードが見た「強さの序列」であるが、序列一位「ザハーニウ」に関しては、強さは無論であるが、個性ある魔神集団の「束ね役」として見込まれたからである。また「強さの序列」と言っても、各魔神で強みが異なるため、必ずしも絶対的なものではなく、組織体としてまとまるための「参考」程度である。

 

姫神フェミリンスとの激闘により、十柱のうち八柱までが封印をされたが、そのうち三柱「ザハーニウ」「ラーシェナ」「パイモン」は、ブレアード・カッサレ自身の手によって封印されている。その一方で、「グラザ」「ディアーネ」は封印を逃れており、各々がその後、レスペレント地方の闇夜の眷属たちを率いている。ディアーネは、その好戦的な性格から悪魔族などを束ねて国家を形成し、光神殿の勢力と激しい戦争などを行っているが、グラザは比較的力の弱い眷属たちと共に、ひっそりと集落で生きる道を選んだ。

 

ブレアード・カッサレが、なぜこの二柱を封印しなかったのかは不明であるが、いずれにしても残された二柱の魔神によって、レスペレント地方の闇夜の眷属たちは、土地を追われること無く生き延びていることは事実である。

 

 

 

 

赤銅色の大男を見上げながら、ディアンは人間の貌へと戻った。魔神の気配が消える。

 

『深淩の楔魔の一柱、魔神グラザ殿とお見受けする。オレの名はディアン・ケヒト、白と黒・正と邪・光と闇・人と魔物の狭間に生きし、黄昏の魔神だ』

 

すると驚いたことに、グラザからも魔神の気配が消えた。ディアンと同じように、魔力を皮膜のように全身にまとわせている。

 

『グラザだ。確かに「深淩の楔魔」と呼ばれたこともあったが、今ではこの集落を束ねる長でしかない。それで、俺に何の用だ?』

 

『オレは今、ケレース地方に住んでいるが、そこにいる「魔神アムドシアス」から、魔神グラザがこの地にいると聞いてな。会ってみたいと思ってここまできたのだ。ちょっと聞きたいこともあるしな』

 

『なるほど、ただ会ってみたいというだけで、わざわざ旅をしてきたというわけか。物好きな奴だな…』

 

グラザは低く笑うと、シュタイフェに命じた。

 

『この者達は、俺の客人だ。地下の客間に案内しろ』

 

『し、しかしグラザ様…』

 

『害意があるのなら、とうに剣を抜いているだろう。どうやら本当に「旅目的」のようだ』

 

『有り難い。このところ野営ばかりで、オレの仲間たちも疲れているんだ。休める場所を与えてもらえるのは助かる』

 

『気にするな、部屋は幾らでも空いている』

 

シュタイフェはブツブツと言いながら、ディアンたちを案内した。集落の奥にある雑木林の中に、地下へ降りる入口があった。階段を降りて行くと、そこは信じがたい光景であった。前方に伸びる通路は天井が高く、石造りの床と壁を持っている。石自体が発光しているようで、松明などは不要であった。さらに空気の流れもある。換気も効いているようだ。

 

『ここが、かの大魔術師が造ったという「ブレアード迷宮」でさぁ。ブレアードは夜な夜な、ここに女子を連れ込んで無理やり…』

 

『そ、そうなんですか?』

 

インドリトがシュタイフェの話に反応する。ファーミシルスが溜息をついた。

 

『悪趣味な冗談を言うな。インドリトにお前の下劣さが感染ったらどうするつもりだ』

 

『ヒッヒッ…冗談ですよ坊っちゃん。大魔術師ブレアード・カッサレは、アッシも尊敬する御仁です。研究一辺倒の唐変木だったそうですが、アッシら闇夜の眷属を護ってくれたんでさぁ。この地には、ブレアードのためなら股を開くっていう女子がたくさん…ヒョゲェッ!』

 

ファーミシルスがシュタイフェの後頭部に手刀を叩き込んだ。シュタイフェとファーミシルスのやり取りに、インドリトは腹を抱えて笑った。ディアンはシュタイフェに尋ねた。

 

『ブレアード・カッサレは、今も生きているのか?』

 

『さぁ?あの戦争以降、ぷっつりと名前を聞きませんねぇ。アレだけの活躍をしたんですから、アッシなら飛天魔族や睡魔族を侍らせて毎日パッコンパッコン…フゲェッ!』

 

背中を蹴られてシュタイフェが盛大に転がる。演技だと思っていたが、どうやら本当に、こういう性格らしい…

 

 

 

 

 

部屋に荷物を入れると、ディアンは早速、グラザのもとを訪れた。プレイア産の葡萄酒を手土産として持っていく。グラザの部屋に入ったディアンは驚いた。壁一面に書籍が並んでいる。しかも…

 

『これは…ブレアード・カッサレの魔道書か!』

 

グラザがいることを忘れ、ディアンは書棚に向かった。自分は四冊を持っている。この旅でも持参している愛読書だ。だがここには十冊以上が並んでいる。グラザが笑いながら、ディアンの横に並んだ。

 

『お前も、ブレアードの暗号が読めるのか。召喚されたときに、一部の魔力が流れこんだためか、俺だけがブレアードの暗号を読むことが出来た。ブレアードの研究は多岐に渡っていて、読み物としても面白い。ここに並んでいるのは、レスペレント地方に来てから書かれたものだが、他にもあると思っていた』

 

『オレは、遥か南のニース地方やドワーフ族の集落「古の宮」で、ブレアードの魔道書を発見した。そこに書かれていた様々な思想や哲学、研究成果にオレは魅了された。もしブレアード・カッサレの魔道書を見つけなかったら、オレはこの地に立っていないだろう。どうだ、オレの持っている魔道書を貸す代わりに、この棚に並んでいる魔道書を読ませてくれないか?』

 

『構わんぞ。ここに並んでいる書籍は全て読み終えた。新しい魔道書には興味がある』

 

ディアンとグラザが向き合って座る。葡萄酒を飲みながら、互いの話しをする。ディジェネール地方で生まれ、龍人族の村で暮らしたというディアンの話に、グラザは驚いていたようだ。

 

『オレはどうやら、人間の魂と魔神の肉体を持つ「半魔神」のようだ。普段は人間の貌をして生きている。行商人の護衛役として、各地を旅するのは楽しかったな』

 

『人間の魂か…羨ましいな』

 

グラザの小さな呟きがディアンには気になったが、その時はそれ以上は聞かなかった。部屋から持ってきた四冊の魔道書を渡す。グラザから「カッサレのグリモワール」を借り、部屋に戻る。オイルランプの光の下で、ディアンは読み耽った。書かれていたのはブレアード迷宮を構築した「創造体」の錬成術についてである。ブレアードは、地脈魔術で穴を堀り、出てきた土塊などを材料に、作業用の創造体を錬成し、迷宮を構築していったらしい。掘り進めれば進めるほどに、創造体の数も増えていく。本来、創造体には土精や水精などの精霊達の力が必要であるが、ブレアードは精霊達の力が不要な「機械」として創造体を造ったようである。自己判断が出来ないという欠点はあるが、ほぼ無限に錬成できるという長所もある。壁を平にしたり、石積みを行うだけの単純作業であれば、機械で十分だと考えたようだ。ディアンは、持参している白紙の束にそれらを書き留めていった。

 

 

 

 

 

夜半、ディアンの読書は叫び声によって途切れた。遠くから確かに叫び声が聞こえる。ディアンは部屋を出て、声が聞こえる方へと進んだ。徐々に声が大きくなる。グラザの声だ。ファーミシルスが先に来ていた。どうやら起きていたらしい。

 

『ディアン、この叫び声は…』

 

『グラザの声だ。一体、何が起きているんだ?』

 

地下へと続く階段の下から、叫び声が聞こえてくる。ディアンたちが降りようとすると、下からシュタイフェが昇ってきた。沈鬱な表情を浮かべていたが、ディアンたちの姿を見ると、取り繕うように剽軽な表情を浮かべる。

 

『ウヒヒッ!ファミ、やっぱりディアンとデキてたんだねぇ~ これからズッコンバッコンかい?』

 

『…何が起きている。この声はグラザだろう?』

 

『あぁ、ちょっとストレスが溜まっているみたいで、時々こうして大声をだすんですよ…』

 

『恍けるな。タダ事じゃないことは解っている。そこを退け!グラザに会う』

 

静止するシュタイフェを押しのけ、ディアンとファーミシルスは階段を駆け下りた。そこは地下牢であった。叫び声のする方に向かおうとすると、シュタイフェが慌てて前を塞ぐ。

 

『旦那、見ないで下せぇ。グラザ様を傷つけたくねぇんです…』

 

だがディアンの表情を見て、シュタイフェは息を呑んだ。そこには明らかな怒りが浮かんでいたからだ。ディアンの中には、すでに予想が出来ていた。一歩下がったシュタイフェを通り抜け、牢獄の前に立つ。鎖で繋がれたグラザが呻き声を上げている。口からは涎をたらし、目は紅く光っている。ファーミシルスが驚きの声を上げた。

 

『こ、これは…』

 

『…魔神の「破壊衝動」か』

 

シュタイフェが諦めたように溜息をついて、説明をした。口調には悲痛が満ちている。

 

『グラザ様は魔神でさぁ。魔神は本来、本能の赴くまま、力を奮って破壊をする神…ですが、グラザ様はアッシら闇夜の眷属を束ねて、この地でヒッソリと生きることを選ばれた。戦争ではなく平和を、破壊ではなく建設を選ばれた。その代償が、これでさぁ…グラザ様は衝動が起きると、こうして自らを鎖で縛って、押さえ込んでいるんでさぁ…』

 

シュタイフェが床に両膝をついた。肩を震わせながら、絞りだすように言葉を続ける。

 

『だから、アンタを会わせたくなかったんだ!魔神の気配同士が共鳴すれば、破壊衝動が刺激される。魔神ディアーネだって、グラザ様を気遣って会いにこないのに…』

 

『バカ野郎が…』

 

ディアンは鉄格子を両手で掴み、一気に左右に広げた。魔神の膂力の前では、牢獄など無意味である。鋼鉄の鉄棒を左右に歪め、ディアンは中に入った。グラザは呻き声を上げながら、ディアンの姿を見た。ディアンは歯ぎしりをすると、いきなりグラザを殴りつけた。シュタイフェは慌てたが、グラザの瞳に理性が戻る。

 

『ディアンか…俺の情けない姿を笑いに来たか?』

 

『何やってんだお前は!こんなやり方をしたところで、反動が大きくなるだけだろうが!』

 

『だが、俺にはこうするより他にない…』

 

舌打ちしたディアンは、壁から鎖ごと引き抜いた。開放されたグラザは、フラついて床に膝をつく。見下ろしながらディアンが言う。

 

『溜まってんだろ?ぶっ壊したいんだろ?思いっきり力を振るいたいんだろ?なら何故そうしない!』

 

『俺がそんなことをしてみろ。この集落はどうなる…』

 

『立て!オレがお前の鬱積を晴らしてやる』

 

ディアンはグラザを無理やり立たせると、担ぐように抱えて迷宮から外に出た。シュタイフェとファーミシルスが心配そうに後に続く。

 

 

 

 

 

集落から少し離れた野原にグラザを連れてきたディアンは、そこで服を脱ぎ始めた。上半身が裸になる。紅い月「ベルーラ」の光で、肌が紅く染まる。

 

『何をしているんだ、お前は…』

 

『ムシャクシャした時の解消法を教えてやるよ。殴り合うんだよ。思いっきり、力の限り…』

 

『言っただろう、俺は…』

 

『お前の目の前にいるのは誰だ?言っておくがオレは…』

 

ディアンの気配が変貌した。全身を覆っていた魔力が消え、魔神の気配が立ち昇る。魔の気配で空気が歪む。

 

«…魔神なんだぜ?»

 

グラザの破壊衝動が喚起される。歯を噛み締め、呻き声を上げる。肩で激しく息をする。ディアンは笑みを浮かべながら説明した。

 

«魔法と武器は使わない、自分の肉体だけを使うのが決まり事だ。要するに、ただの「ブン殴り合い」だ»

 

«子供の喧嘩だな…»

 

グラザも魔神に変貌する。魔神ニ柱によって辺り一帯が魔の気配で覆われる。その圧迫感は、普段は見慣れているシュタイフェとファーミシルスですら、身震いをするほどであった。グラザも上半身を脱いだ。互いに魔神としての本能を全面に出す。

 

«行くぞッ!»

 

人外の速度でグラザとの距離を詰め、腹に蹴りを入れる。くの字に折れたグラザの顎を目掛けて、拳を突き上げる。グラザの身体が宙に浮く。だが…

 

«オォォォォッ!»

 

グラザの右拳がディアンの顔面を襲った。数歩吹き飛ばされる。口元から血が滴る。ディアンは口端から血を流しながら、笑みを浮かべた。

 

«どうした、まだまだこんなモンじゃねぇだろ!もっと全力で掛かって来い!»

 

二柱の魔神が咆哮を上げ、壮絶な殴り合いを始める。相手が人間なら一撃で即死する程の破壊力が交錯する。相手の破壊を受け止め、それを上回る破壊で相殺する。両者の顔は腫れ、肉体には至る所に痣が出来ている。だが口元には歓喜の笑みが浮んでいる。人間の魂を持ち、破壊衝動の無いディアンであっても、魔神として全力を出すのは心地よいのだ。まして魔神グラザにとっては、十数年ぶりの「開放」である。嬉しくないはずがない。シュタイフェは膝をつき、手を合わせていた。目元には涙が浮かんでいる。主の嬉しそうな顔を見て、ディアンに感謝をしているのだ。ファーミシルスもグラザを見ていた。ディアンと同じように、知性と落ち着きを持ちながら、魔神としての衝動に苦しむ姿は、とても切なく見えた。グラザの嬉しそうな顔を見て、胸の奥が少し痛んだ。紅い月に照らされながら、二柱の「喧嘩」はいつまでも続いた…

 

 

 

 

 

『…うっ…』

 

普段通りの部屋で、グラザは目を覚ました。普段との違いは全身の痛みである。体中に痣が出来、顔が腫れているのが解る。魔神の回復力を持ってしても、一晩では治らない。それほどに全力を出しあった喧嘩であった。純白の翼が視界に入る。ディアンの仲間の一人、ファーミシルスであった。

 

『き、気がついたか?』

 

グラザの顔に湿布を当てる。どうやら一晩中、見ていてくれたようだ。グラザは素直に礼を言った後、疑問に思った。

 

『俺よりディアンの面倒を見なくて良いのか?お前の主だろう』

 

『ディアンには、レイナとティナがいる。私は、アイツの使徒ではない。ただ一緒に、旅をしているだけの旅仲間だ…』

 

『そうか…』

 

グラザは目を閉じた。自分の中に蠢いていた破壊衝動が消えている。全力を開放したことと肉体の痛みが、破壊衝動を消し去ったのだ。ファーミシルスが身体にも湿布を当ててくれた。冷たい感触が火照った痣に心地よかった。

 

『済まない。私は、回復魔術は使えないのだ。あとでレイナに頼んでみよう』

 

『いや、いい…この痛みもまた、心地良い。悪いが、もう少しだけ眠っても良いか?』

 

ファーミシルスが返事をする前に、グラザは深い眠りに落ちた。薄褐色の手が、その顔に新しい湿布を置いた。

 

 

 

 

 

魔神の回復力は凄まじい。神核が無事であるかぎり、大抵の傷は数日で回復する。まして「殴り合いの痣」程度なら二日もあれば十分であった。ディアンは清々しい目覚めを迎えた。自分には破壊衝動は無いが、魔神として全力を出したのはかつての「アスタロト戦」以来である。痣だらけで部屋に戻った時は、レイナとグラティナに文句を言われた。インドリトまで「自分も見たかった」と言っている。ディアンは苦笑いをしながら、独りで寝たいと言って、部屋に入ったのだ。

 

『もう、回復したみたいね?』

 

レイナが朝食を持ってきた。顔が少し、嬉しそうだ。ディアンが首を傾げると、笑みを浮かべてレイナが言った。

 

『あれだけ殴り合ったんだから、グラザはあなたの友人ね。あなたに友人が出来て良かった』

 

思えば、魔神となってから仲間や知人は出来ても、友人は出来なかった。リタ・ラギールとは友誼はあるが、男同士の友情というものではない。水の巫女にしてもそうだ。ディアンは得心した。あんな殴り合いなど、普段の自分では考えられないことだ。あの時の得体のしれない怒りは、グラザを苦しめる「破壊衝動」に対する怒りだったのだ。

 

『グラザも回復しているみたいよ。ファミが言うには、すっかり落ち着いて、鼻歌を歌っているって』

 

『そうか、ファミがな…』

 

ディアンは瞑目して笑った…

 

 

 

 

 

二人の男同士が酒を酌み交わす。グラザの破壊衝動は完全に消えたようだ。無論、一時的なものにすぎない。澱のように蓄積し、いずれは表面に現れる。だがしばらくは大丈夫だろう。

 

『礼を言う。お前のお陰で、久々に気分の良い目覚めを迎えた』

 

『お互い様さ。オレもあんなにスッキリしたのは久々だ。また溜まったら言って来い。いつでも付き合ってやる』

 

笑いながら酒を飲む。二人の酒宴は一晩中続いた…




【次話予告】

魔神グラザは落ち着きを取り戻した。ディアンは長年の疑問をグラザにぶつける。当事者の口から、「あの大戦」の真相が語られ始める。それは従来の定説を覆す内容であった。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第十六話「フェミリンス戦争(前編)-深凌の楔魔-」

少年は、そして「王」となる…


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第十六話:フェミリンス戦争(前編)-深凌の楔魔-

モルテニアの集落に滞在をして一週間が過ぎた。グラザは落ち着きを取り戻し、闇夜の眷属たちも安心をした。あの夜の「喧嘩」以降、シュタイフェのディアンに対する態度が変化した。得体のしれない異邦の魔神から、主人が信頼する友人へと昇格したようである。もっとも、言葉の端々に「下品な笑い」が入るのは変わらないが…

 

『教えてくれ。ブレアード・カッサレとはどういう人物だ?本当に神の力を欲して、あの戦争を始めたのか?』

 

ある日、ディアンはグラザに対して、長年の疑問をぶつけた。グラザはその場では応えなかった。少し長くなるので、酒でも飲みながら話したほうが良い… そう告げ、日時だけを決めた。その約束の日時、グラザの部屋にはディアンの他、インドリトや三姉妹の姿があった。葡萄酒と黒麦酒、そしてインドリトには茶が用意されている。グラザが口を開いた。

 

『ディアン、一般ではフェミリンス戦争はブレアードが神の力と肉体を欲して起こした戦争だと言われている。お前はそれに疑問を思っているようだが、何か根拠があるのか?』

 

『根拠は、この迷宮であり、そこにあるカッサレの魔道書だ。ブレアード・カッサレは姫神と戦うために、自分の生命を危険に晒してまで十柱の魔神を召喚し、これほどの巨大な迷宮を構築した。彼が書いた魔道書を読んでいて、一つ解ったことがある。ブレアード・カッサレは、極めて周到な男だということだ。一つ一つの実験も、その行程を細分化して明記し、一つずつ着実に行っている。そんな男が、多大な犠牲と労力を払ってまで起こした戦争の「最後の瞬間」において、自分の手に負えませんでした、神の力と肉体を諦めます…なんてことが、あると思うか?本当に神の力を欲したのなら、どうやって手に入れるか、本当に手に入れられるかを徹底的に調べ、研究し、計画を立てたはずだ。オレはこう思う。ブレアード・カッサレの目的は、あくまでも「姫神フェミリンスの封印」にあった。そしてその目的は達成された。つまり現神側の完全敗北だったのだ。それを隠すために、あらぬ噂が流されたのではないか…とな』

 

グラザはしばし瞑目し、そして語り始めた。

 

『俺がブレアードに召喚をされた時には、既にザハーニウとラーシェナがいた…』

 

それは、ディル=リフィーナの歴史の中でも、眩い光を放つ「フェミリンス戦争」の真相であった…

 

 

 

 

 

獣人族の村が焼かれ、住民たちが縄で縛られる。奴隷として連れて行かれる。辛うじて逃げた年老いた獣人が天に向かって叫ぶ。

 

『何故だ!何故、神はこのような非道を見過ごしておられるのか!』

 

レスペレント地方は、姫神フェミリンスが「地方神」として治めていた。フェミリンスは元々は神格者であったが、レスペレント地方の多くが闇夜の眷属たちであることに危惧を覚え、人間族の伸長を神々に祈念し、姫神として迎えられたのである。この地方の悲劇は、そこから始まった。神の偏愛を受けた人間族は増長し、亜人族たちの集落を次々と襲撃した。それは、略奪、暴行、虐殺が日常化した、レスペレント地方に住む全ての亜人族、闇夜の眷属にとっての「暗黒時代」であった。

 

『嫌ぁぁ!父様ぁ~』

 

人間族に連れ去られようとする娘を父親が懸命に救おうとする。だが兵士という名の盗賊によって、父親は背中から切りつけられる。泣き叫ぶ愛娘に手を伸ばしながら、父親は倒れた。その時、盗賊たちの周囲を炎が囲んだ。そして雷が襲う。盗賊たちは一瞬で駆逐された。助けられた娘が、父親のもとに駆け寄る。既に虫の息だが、娘が無事なことを確認し、父親は笑みを浮かべた。娘の背後に、年老いた男が立った。魔術杖を持ち、顎からは白い髭が伸びている。だが背はしっかりとしている。健老な魔術師であった。

 

『…(むご)いことを…』

 

既に息絶えた父親の前で、老魔術師は瞑目して祈りの言葉を唱えた。娘に手を差し伸べる。

 

『儂の名は、ブレアード・カッサレと言う。すまぬ、もう少し早くこの地に着いておれば、父親を助けることが出来ものを…許してくれ』

 

娘は涙を流しながら、魔術師を見上げた。その瞳には知性と慈愛があった。娘は差し出された手を握った。

 

 

 

 

フォルマ地方から砂漠を超えて来たブレアード・カッサレは、レスペレント地方の悲劇を目の当たりにし、出来るだけ多くの亜人族、闇夜の眷属たちを救おうとした。姫神フェミリンスの影響力は西に行くほど強くなる。住処を追われた亜人族たちは、東へと逃れた。増長し、東へ東へと進んできた人間族は、いきなり出現した強力な魔術師により、その侵攻が阻まれた。ブレアードの魔術は桁違いであった。やがて、多くの闇夜の眷属たちが彼を頼って集まってきた。

 

『カッサレ様、貴方様のお力があれば、人間族に勝てます!どうか、我々を率いて人間族を、そして姫神フェミリンスを討って下さい!』

 

闇夜の眷属たちの悲痛な求めに、ブレアードは首を横に振った。

 

『憎しみは、更なる憎しみを生むだけじゃ。儂がフェミリンス神殿に赴いて、姫神と話をしてみよう。現神ならば、話せば解ってくれよう…』

 

人間族に使者を出し、姫神との会談の約束を取り付けたのだ。ブレアードは、獣人族や悪魔族などを僅かに伴い、フェミリンス神殿へと赴いた。だがそれは罠であった。フェミリンス神殿に到着するやいなや、四方から矢が射かけられた。

 

『あ奴が、闇魔術師だ!あ奴を討ち取れば、レスペレント地方は我々、人間族のものになるぞ!』

 

神の名を使った騙し討ちである。他の現神であれば、たとえ信徒であっても許さないだろう。だが姫神フェミリンスは沈黙をした。フェミリンス神殿は門を固く閉ざしたままであった。

 

『カッサレ様、お逃げ下さい!』

 

ブレアードを護るために、悪魔族たちが自らを盾にする。獣人族が血路を拓き、なんとか包囲網を脱出する。行きは二十人いた供回りは、帰りは二人だけとなっていた。二人の護衛は、あまりの怒りで唇を噛み切っていた。ブレアードは失望をしていた。現神であれば、このような卑劣な罠を許すはずがない。姫神フェミリンスは、もはや神とは言えない存在であった。人間族には神でも、他の種族にとっては最悪の破壊神となっていたのである。

 

『かくなる上は、姫神フェミリンスと戦うほかあるまい…』

 

ブレアードの中には、ある決意が芽生えていた。

 

 

 

 

 

『それが、第一次フェミリンス戦争の真相か…』

 

あまりの内容に、皆が沈黙する。それほどまでに、一般に流布している話とは異なっていた。インドリトが口を開いた。

 

『…私には信じられません。神が「騙し打ち」をするなんて』

 

『だが、これが真実だ。光側神殿はこの真実を必死に隠そうとして、第一次フェミリンス戦争の話を捏造した。当然だ。もし真相が明らかになれば、「神の正義」が揺らぐからだ』

 

『何故でしょうか、何故、姫神フェミリンスはそれ程までに、人間族を偏愛したのでしょうか?』

 

『その話はおいおい語ろう。だが今は、第二次フェミリンス戦争の話だ』

 

グラザがディアンを見た。ディアンは頷いて、話を促した。

 

 

 

 

 

ブレアードは、レスペレント地方から東、フォルマ地方と北ケレースの境界地下に、巨大な拠点を構えた。地脈魔術と創造体を駆使し、地下に堅牢な要塞を構築すると、魔神召喚を図ったのである。これには闇夜の眷属たちも反対をした。魔神があまりにも危険であることもあるが、自分たち自身の手で、恨みを晴らしたいと思っていたからだ。だがブレアードがそれを止めた。

 

『お主たちは、レスペレント地方から人間族を駆逐したいのか?それであれば、彼らがやっていることと、同じになってしまうではないか。お主たちはこれからもこの地に住み続ける。もし自ら手を汚せば、更なる恨みを生み出し、この地では未来永劫に渡って、人間族と亜人族の憎しみ合いが続くことになってしまう。良いな。恨みを忘れろとは言わぬ。だが自分たちの手でそれを晴らそうと剣を握れば、次は恨まれる側に立つことになるのだ。お主たちの恨みは、これから召喚する魔神たちが晴らしてくれる。耐えるのだ。耐えて、待て』

 

ブレアードは亜人族や闇夜の眷属たちを説得し、本拠地「ヴェルニアの楼」において魔神召喚を行った。最初に「魔神ザハーニウ」、次に「魔神ラーシェナ」、三番目に「魔人グラザ」…と十柱を次々と召喚していく。魔神が放つ気配で、大広間の空気が歪む。心が弱いものがその場にいたら、一瞬で「塩の柱」になっていたであろう。凄まじい魔の気配に慄くこと無く、大魔術師は魔神たちの前に立ち、頭を下げた。

 

『儂の名は、ブレアード・カッサレという。貴殿らを召喚したのは儂だ。これから、召喚をした理由を話す。その上で、力を貸すか貸さないか、判断をして欲しい』

 

召喚魔術によって召喚された場合、召喚者はたとえ相手が魔神であっても、無条件で従えることができる。そのため一々、説明をするようなことはしない。だがブレアードは言葉を尽くして、レスペレント地方の現状と魔神たちに対する要望を説明した。ザハーニウ以下九柱は、黙って話に耳を傾けた。唯一、魔神エヴリーヌだけが居眠りをしていたが…

 

『話は理解した。だが地方神とはいえ、現神との戦争となれば、こちらも相応の覚悟が必要だ。もしお主の願いが叶った時には、我々には何を差し出す?』

 

ザハーニウが問いかけた。通常、召喚契約は契約満了と同時に、召喚者は代償を差し出す。大抵の場合は「命」である。当然、ブレアードも同じ覚悟を持っていた。

 

『儂の魂を差し出そう。こんな老いぼれじゃが…』

 

『それじゃぁ足りなーい』

 

魔神エヴリーヌが手を上げて発言し、言葉を続けた。

 

『もし目的が無事に果たせたら、私はお兄ちゃんが欲しい!』

 

『……』

 

子供の無邪気な発言に、ザハーニウ以下他の魔神たちも沈黙せざるを得なかった。ブレアードが咳払いをして応答した。

 

『儂に出来ることであれば、何でもやろう。この身はどうなろうと構わぬ。どうか、貴殿らの力を貸してくれ』

 

腕を組んで黙っていた「ラーシェナ」が頷いた。

 

『その言や良し。下らぬ目的で召喚する者が多い中、そなたの願いは実に面白い。現神と戦えとは… 良かろう、我が剣をそなたに貸そう』

 

『おぉ、有り難い、有り難い…』

 

ブレアードは何度も頭を下げて、感謝の意を示した。その姿勢に、他の魔神たちも自尊心が刺激されたようだ。元々、彼らは「光の現神」が嫌いである。単身では勝てないだろうが、十柱がいれば、勝てる可能性は高い。十柱全員の合意を確認し、ザハーニウが最後の問いかけをした。

 

『して、これからどうするのだ?このままフェミリンス神殿に行って戦えば良いのか?』

 

『相手は現神、皆がバラバラに戦えば勝機は薄い。儂の作戦を説明しよう…』

 

大魔術師の瞳が光った。

 

 

 

 

 

『ブレアードの作戦は、戦力分断だった。十柱を二つに分け、地上で神殿兵を引きつけている間に、地下迷宮から神殿に直接乗り込み、フェミリンスを捕らえるという作戦だった。奴はそれを「声東撃西」と言っていたな。「東で叫んで西で撃つ」、まさに作戦を端的に表現していた。ザハーニウ、ラーシェナ、パイモン、カファルー、ディアーネが地上で暴れ、神殿兵を惹きつける。手薄になった神殿に、地下迷宮からカフラマリア、エヴリーヌ、ゼフィラ、ヨブフ、そして俺が攻めこむ作戦だった。それぞれが単独で動かないよう、作戦指揮者が必要だった。そこでブレアードは、ザハーニウとカフラマリアを指揮官として選んだ』

 

『なるほど、序列一位と序列二位か。まぁ、妥当だな』

 

『その時は、序列など無かったのだ。だが誰が指揮を取るかでモメてな。結局、ブレアードが取りなして、序列一位から十位までを決めざるを得なかったのだ。実際のところ、序列一位と二位以外は、召喚した順番だ。ブレアードも面倒だと思ったのだろう。ザハーニウとカフラマリアの実力は、確かに頭一つ抜けていたからな』

 

その時を思い出したのか、グラザが笑った。

 

『深凌の楔魔は、皆が個性的だったが、特に序列八位のゼフィラと序列九位のディアーネの相性が悪くてな。どちらの序列が上かで、決闘寸前だったのだ。ブレアードが「先に召喚したから」と言って、ゼフィラが八位になったのだが、ゼフィラもディアーネも不満そうだった。実力で評価されたわけではないからな』

 

『面白いな。その場で見たかったよ』

 

『お主が召喚されていたら、フェミリンス戦争も違う結末を迎えていたかもな… さて、作戦は順調だった。いきなり出現した魔神たちに、人間族たちは狂乱した。フェミリンス神殿は大量の神殿兵を前線に送り出し、神殿は手薄になった…』

 

 

 

 

 

『おい、カフラマリアッ!まだか?まだ撃って出ないのか!』

 

『まだダメだ。この作戦は地上との呼吸が肝心なのだ。ブレアードからの合図は来ていない。まだここで待て』

 

『チィッ…苛つく神気がここまで漂ってくる。早く現神フェミリンスを殺してやりたい…』

 

『勘違いするなよ。ブレアードの希望はフェミリンスとの対話だ。捕らえて連れて行くのだ。殺すなよ』

 

『解っているッ!だが、この気配はカンに触るッ』

 

『落ち着けゼフィラ、時間はまだある』

 

グラザの声で、ゼフィラは息をついた。その時…

 

『むぅぅっ!もう我慢できなーい!』

 

エヴリーヌが勝手に飛び出した。神殿は大混乱となったが、それ以上に混乱をしたのはカフラマリアたちである。

 

『やむを得ん!いくぞ!』

 

グラザ、ゼフィラ、ヨブフが飛び出した。だがなぜか、カフラマリアはその場に留まった。エヴリーヌは手当たり次第に殺戮をして笑い声を上げている。だが突如、頭上から凄まじい雷が落ちてきた。姫神フェミリンスの攻撃である。エヴリーヌは直撃を受け、一瞬で石と化した。ヨブフも躱しきれず、石化する。

 

『おのれっ!』

 

ゼフィラは激昂し、神殿奥へと向かおうとした。その時、ゼフィラの頭上にも雷が落ちる。だが、寸前でグラザが結界を張った。

 

『激昂するなっ!作戦は失敗だ、まずは逃げることを優先させろ!』

 

『スマンッ!』

 

グラザが耐えている間に、ゼフィラはその場を離れた。だが迷宮への退路には神殿兵たちが待ち構えていた。ゼフィラは止む無く、フェミリンス神殿から地上に飛び出し、南へと逃げざるを得なかった。一方、結界でフェミリンスの攻撃を耐えたグラザであったが、単身で持ちこたえるには限界があった。結界に亀裂が入る。

 

(ここまでか…)

 

そう思った時に、後ろから巨大な魔術がフェミリンスの雷を吹き飛ばした。カフラマリアであった。カフラマリアはグラザの肩を掴むと、神殿兵を蹴散らし、迷宮へと逃げ戻った。第二次フェミリンス戦争は、エヴリーヌの暴走によって、失敗に終わったのである。

 

 

 

 

 

『ゼフィラは追撃を躱しながら、フェミリンス神殿から南にある「粛鎖の岩塩坑」に逃げ込んだ。だが神殿は岩塩坑ごとゼフィラを封印してしまった。結局、ゼフィラに文句を言うことは出来なくなってしまった』

 

グラザが語った第二次フェミリンス戦争は、世間一般に流れている話とほぼ等しかった。光側神殿は、ゼフィラを封じた場所までは明かしていないが、エヴリーヌの暴走によって三柱が封印されたことは間違いない。だがディアンは、グラザの説明の中に気になる点があった。カフラマリアの動きについてである。

 

『カフラマリアは、なぜ飛び出さなかったのだ?頭一つ抜けた魔神であれば、ゼフィラはおろかエヴリーヌやヨブフも救えたかもしれないじゃないか』

 

『うむ、ここから先の話は、何の証拠もない俺の仮説だが…』

 

グラザはそう言って、驚くべき仮説を提示した。

 

『恐らくブレアードは、わざと失敗させたのだろう』

 

グラザの仮説はこうである。召喚した十柱のうち、最も足を引っ張りそうな魔神は誰か。それは精神的に幼く、暴走の危険がある「魔神エヴリーヌ」である。また、ゼフィラはともかく、序列十位のヨブフは明らかに低級魔神であった。姫神フェミリンスとの戦いに耐えうるとは思えない。そこでブレアードは「深凌の楔魔の精鋭化」を図るために、意図的に「失敗する作戦」を実行したのではないか。

 

『考えてもみろ。フェミリンス神殿というのは、フェミリンス信仰が集まる総本山だ。姫神が最も力を発揮できる場所なのだ。こちらにとって、最も不利な場所でもある。なぜ敵の本拠地までわざわざ出向くのだ?迎え撃った方が、遥かに有利ではないか』

 

グラザの仮説は、あくまでも仮説である。何の証拠もない。だが説得力は十分である。実際、その後は真逆の作戦を実行し、成功しているからだ。

 

『だが、この仮説が正しかったとしても、俺はブレアードを責める気にはなれん。あの男は必死だった。召喚した魔神たちに懇願をした時の気持ちは、真実だったのだろう。それにブレアードはその後…』

 

言葉を途中で区切り、グラザは首を横に振った。

 

『話が長くなったな。少し休憩を入れよう…』

 

一同がホッと息をついた。

 

 

 

 




【次話予告】

当事者から語られるフェミリンス戦争の真相、それはディアンたちを驚愕させるものであった。グラザは語り続ける。

なぜ、姫神フェミリンスは人間族を偏愛したのか?
なぜ、「ブレアードの呪い」ではなく「フェミリンスの呪い」と呼ばれるのか?
そして、ブレアード・カッサレの真実の姿とは?

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第十七話「フェミリンス戦争(後編)-姫神フェミリンスの呪い-」

少年は、そして「王」となる…


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第十七話:フェミリンス戦争(後編)-姫神フェミリンスの呪い-

ブレアード迷宮は、魔力で発光する魔法石を敷き詰められている。また換気のために魔法による空気の循環が行われている。全長二千里とも言われる大迷宮を維持するためには、膨大な魔力が必要であった。ブレアード・カッサレは魔力の供給源として、三神戦争時において古神の拠点であった天空城「ベルゼビュード宮殿」に目をつけた。

 

ベルゼビュード宮殿は、三神戦争において古神「ベルゼブブ」が拠点とした「天空に浮遊する城」であり、膨大な魔力を貯蔵していた。ベルゼブブ封印によって、ベルゼビュード宮殿は天空から落ち、ディル=リフィーナ最大の内海である「オウスト内海」に沈没した。しかしながらその魔力は失われておらず、二千年以上に渡って「浮上の機会」を探っていたのである。

 

ブレアードは、ベルゼビュード宮殿を浮遊させていた魔力に目をつけ、宮殿とブレアード迷宮を接続し、魔力の供給を受けていた。迷宮維持のみならず、上級悪魔の召喚や、魔物同士の配合、魔物創造などを行っている。これらを兵士として、フェミリンス神殿兵や人間族と戦ったのである。そのため、レスペレント地方に住んでいた亜人族や闇夜の眷属たちは、フェミリンス戦争に殆ど参加をしていないと言われている。

 

ブレアード・カッサレが創造した魔物たちは、フェミリンス戦争終結後は各地に飛散し、独自の生態系を構築している。現在、ラウルバーシュ大陸に住む多くの魔物種の「一割」が、ブレアード・カッサレが生み出したとも言われている…

 

 

 

 

しばしの休憩後、グラザの部屋に皆が集まった。

 

『ブレアードは、迷宮の拡張と整備を行った。迷宮を維持するために「古神の宮殿」などを活用したりしていた。ブレアードは、レスペレンス地方の亜人族たちの参戦を決して認めなかった。人間族と戦うための兵士として、魔物の錬成や召喚などを行っていたな…』

 

『ブレアードの魔道書には、召喚術や錬成術などが載っている。読んでいた時は「悪趣味」と思っていたが、そうした研究成果が役立っていたわけか』

 

グラザは頷いた。

 

『ブレアードは、俺たち魔神から見ても、傑出した魔術師だった。あれほどの魔術師は、恐らく二度と現れないだろう。第二次フェミリンス戦争の失敗で、深凌の楔魔は七柱へと減った。だが誰も悲観していなかったな。封印された三柱の存在が、それほど大きくは無かったということもあるが、失敗時点で、既に次の作戦が決まっていたことが大きい。まるで失敗を見越していたようだった…』

 

グラザは語り始めた。あの大戦の佳境「第三次フェミリンス戦争」の真相である…

 

 

 

 

 

『そうか、エヴリーヌ、ゼフィラ、ヨブフを失ったか…』

 

魔神ラーシェナは瞑目した。生真面目な魔神であるため、それがブレアードが画策し、ザハーニウとカフラマリアだけが知る「意図された失敗」であったことなど、想像すらできない。だが魔神パイモンは、最初からこの作戦の「真の目的」を読んでいたようだ。微笑みを浮かべながら、話題を切り替える。

 

『我々は三柱を失いました。手痛い損失ですが、これを最大限に活かさなければなりません。そこで、ある作戦を考えました』

 

それはブレアードが当初考えていた作戦とほぼ等しかった。姫神フェミリンスを迷宮に引き込み、四方から捕らえるという作戦である。だが、パイモンの作戦は更に念の入ったものであった。

 

『地下に出現した巨大迷宮…いくら調子に乗った人間族とはいえ、いきなり迷宮に入ってくるかは解りません。そこで噂を流します。ブレアード・カッサレは今回の作戦の失敗で、深凌の楔魔との関係が上手くいかなくなり、魔神たちは動かない状態となっている…この噂を流し、さらに地上戦でニ、三度敗けましょう。そうすれば人間族は勢いづいて、大挙して迷宮に押し寄せてきます。それを皆殺しにします。冷酷に、一人残らず生かして還しません。その次に、人間族は捕らえられ、本拠地の牢獄に閉じ込められている、魔神たちに生気を吸われ、日に日に干からびていっている…と流すのです。人間族はきっと、姫神に泣きつくはずです』

 

思い込みが激しく、噂に流されやすい人間族の隙をついた作戦であった。パイモンの作戦は的中した。人間族を偏愛する姫神フェミリンスは、罠と承知のうえで、迷宮に侵入をしてきたのである。

 

『ここまでの道程で、罠と奇襲攻撃で徹底的にフェミリンスを弱らせましょう。四六時中、どこからか攻撃を受ける。遥か東のこの地まで、決して休ませないのです』

 

それは巨大迷宮だからこそ出来る「ゲリラ戦」であった。姫神フェミリンスが率いる神殿兵たちは、昼も夜も攻撃を受け、その数を減らしていった。地上の出口は完全に封鎖している。来た道を戻るか、進むかしか無いのである。だが姫神フェミリンスは、流石に現神であった。序列二位のカフラマリア、序列七位のカファルーを封じたのである。だが、魔神二柱との激闘は、確実にフェミリンスを弱らせていた。本拠地「ヴェルニアの楼」にフェミリンスが辿り着いた時、兵力の七割を失い、フェミリンス自身も瀕死の状態であった…

 

 

 

 

 

『ヴェルニアの楼では、フェミリンス迎撃にザハーニウ、ラーシェナ、パイモンがあたった。俺とディアーネは、万一に備えて地上でフェミリンス神殿兵の迎撃にあたっていた…』

 

一つ一つを思い出すように、グラザは語った。その時の口調や息遣いまで聞こえてきそうだ。フェミリンス戦争は、いよいよ最終幕を迎えようとしていた…

 

 

 

 

 

『捕らえた!姫神フェミリンスをついに捕らえましたよ!』

 

魔神パイモンは子供のように声を弾ませた。ブレアードと自分の合作の作戦が的中したのである。謀略家気質のパイモンにとって、自分の張った罠に獲物がかかった時が、最高の喜びであった。特に今回の獲物は特上である。何しろ現神なのだ。ブレアードは結界に閉じ込められたフェミリンスの前に進み出た。現神らしく圧倒的な巨体と神気を放っている。とても瀕死の状態とは思えなかった。ブレアードは静かに語った。

 

『姫神フェミリンスよ、あなたと語るために、どれだけの犠牲が払われたのでしょうか。儂はただ、あなたと語り合いたかった。語り合うことで、人間族と亜人族、闇夜の眷属との共存の道を探りたかったのですよ。お聞きしたい。あなたはなぜ、それほどまでに人間族に肩入れし、亜人族や闇夜の眷属を憎むのですか?』

 

フェミリンスは、目の前の小さな老魔術師を見下ろした。そして口を開いた。

 

『魔術師ブレアード・カッサレ…お前たちには解るまい。私の怒りなど、お前たちには理解できまい…』

 

『怒り?何に対する怒りなのですか?』

 

『決まっておろう!お前たち闇夜の眷属たち、亜人族たち、人間以外の全ての種族たちに対する怒りだ!』

 

姫神フェミリンスは激昂し、その巨体を動かそうとした。強力な結界によって封じられているが、その結界が軋みをあげていた。

 

『なぜです?なぜ、それ程までにお怒りなのですか?あなたの怒りの原因は何なのでしょう?』

 

『…私には、弟がいた。いつも私の後ろについて来る可愛い弟…ある日、我が家は旅に出た。レスペレント地方の東方域、そこは闇夜の眷属たちが特に多い土地だった。父は光側神殿の神官で、光の現神の教えを解くべく、東へと向かったのだ。そして、その土地で弟は病に倒れた。直せない病では無かった。だが、集落の誰もが助けようとしなかった。弟が、光の現神を信仰する人間だったからだ!解るか、弟を殺したのは、貴様ら闇夜の眷属たちだ!そして亜人族たちだ!』

 

ザハーニウ、ラーシェナ、パイモンが互いに顔を見合わせる。フェミリンスの怒りは、人間としてはもっともだ。だがフェミリンスは現神なのである。憎悪の感情のままに神になれば、それは破壊神と同じになってしまう。ブレアードは驚いて聞き返した。

 

『あ、あなたは、弟の仇を討つために、自分の憎しみを晴らすために、姫神になったと言うのですか?光の現神たちが、それを認めたというのですか!』

 

『現神たちは言った。お前の感情はもっともだ。神となって、神罰を下せとな』

 

 

 

 

 

『バ、バカな!光の現神たちが、破壊神を創造したというのか!そんな、そんなことが許されるわけがない!』

 

グラティナが激昂して机を叩いた。レイナが宥めるが、顔色が悪い。当然であった。これが事実であれば、「現神の正義」など大嘘である。人間族の信仰を獲得し、同時に闇の力を弱らせる、一石二鳥の策として「破壊神」を造ったのだとしたら、あまりにも生命を冒涜している。

 

『信じられないのも無理はない。だがこれは俺が自分の耳で聞いた話だ。あの時、地上からの神兵は来なかった。俺はフェミリンス封印が気になり、持ち場を離れて地下に降りた。その時に、フェミリンス自身から聞いたのだ』

 

グラザは当事者である。嘘をつく理由はない。ディアンは目を細めながら、話しを促した。

 

『ブレアードも、三柱たちも呆然としていた。あまりに衝撃的だったのだろう。一瞬の忘我、その隙をフェミリンスは逃さなかった。残された魔力を暴走させ、結界を打ち破ったのだ。ザハーニウ、ラーシェナ、パイモンがフェミリンスに跳びかかり、抑えこもうとした…』

 

 

 

 

 

『ブレアード!我々ごと封印するんだ!早くっ!』

 

ラーシェナが叫んだ。弱っているとはいえ、現神である。魔神三柱で長くは抑えられない。ザハーニウもパイモンも頷く。

 

『仕方がありません。こんな破壊神、表に出すわけにはいきませんからね』

 

『短い間であったが、楽しかったぞ…ブレアードよ!』

 

ブレアードは瞑目し、意を決した。空中に術式を描く。凄まじい魔力が洞窟内に集中する。そして…

 

『極大封術:永劫封印ッ!』

 

姫神フェミリンスの巨体が足元から石になっていく。三柱も同じであった。ザハーニウがグラザに気づいた。

 

『グラザッ!闇夜の眷属たちの未来を…』

 

ザハーニウは石へと変わった。そしてフェミリンスは…

 

『おのれ…この恨み、この怒り…我を封印するだけでは終わらんぞ。フェミリンスの血を引く者たちが、必ず受け継いでくれよう。そして、貴様も同じじゃ!』

 

フェミリンスは舌を噛み、ブレアードに自らの血を浴びせかけた。封印が完成するまで、術式を解くことは出来ない。ブレアードは全身に、フェミリンスの呪いを受けた。フェミリンスは哄笑しながら、石へと変わった。封印の眩い光が消え、洞窟内は薄暗くなり、先ほどまでとは打って変わって、静寂に包まれた。呆然としていたグラザは我に返り、ブレアードの元に駆け寄る。支えようとすると、ブレアードが止めた。

 

『儂に触れるな!触れればフェミリンスの呪いを受けるぞ!』

 

騒ぎに気づいたディアーネも地下に降りてきた。フェミリンスと共に、同士三柱が石になっているのを見て、ブレアードを責めようとした。だが全身が血まみれになっている様子を見て、異変に気づいた。ブレアードの全身から、邪悪な気配が放たれていたからだ。グラザは自分が見たことを、ディアーネに説明した。あまりのことに、ディアーネも混乱している。

 

『…グラザ、ディアーネ…お前たちに頼みがある。闇夜の眷属たちを束ねてくれ。姫神フェミリンスが封印されたとなれば、彼らの中から人間族への攻撃を仕掛ける者も出るだろう。だが、それをさせてしまっては、この地に種族を超えた平和など永遠に来なくなる…お前たちが率いてくれれば、魔神に責任を押し付けることが出来る…頼む、お前たちの力で、この地の未来を守ってくれ』

 

『ブレアード、あなたはどうするのだ?』

 

『儂は呪いを受けた。そう遠くないうちに、儂は破壊神となり、災いをもたらす存在になるだろう。そうなる前に、儂は自らを封じる。この呪いは、死したとしても、同じ血を引く者に受け継がれてしまう。カッサレ家の誰かに、フェミリンスの呪いが掛かってしまう。テリイオ台地に、地下深くまで続く大洞窟がある。その最深部で、儂は自らの生を永遠に封印するつもりだ』

 

『ブレアード…』

 

『最後までお前たちに面倒を押し付けて、申し訳なく思う。だがどうか、儂の最後の願いを聞き届けてくれ…』

 

大魔術師ブレアード・カッサレは、残された深凌の楔魔二柱の前から姿を消した。フラつきながら北を目指し、迷宮内に消えていった大魔術師の後ろ姿に、グラザもディアーネも敬意を送った。

 

 

 

 

 

『その後、俺はディアーネと話し合い、闇夜の眷属たちの中でも特に恨みの強い者たちをディアーネが率いることになった。ディアーネは現在、北方に国を興し、人間族と戦っている』

 

『ブレアードの願いを聞き届けたのか…』

 

『ブレアードは最後まで、レスペレント地方に「種族を超えた平和」を望んでいた。あの男はただの人間族、ただの魔術師だったが、俺たち魔神にすらも、大きな影響を与えたのだ。最後まで、偉大な魔術師だった』

 

『ブレアード・カッサレは、いまどこに?』

 

『テリイオ台地には「野望の間」という大迷宮がある。その深さは地下百階とも言われている。その最深部で、やがて来る時を待っている。呪いを解くための研究を続けながらな。そして間に合わない時は、破壊神となる直前に、自らを封印するつもりだろう』

 

『最後まで研究か…ブレアードらしいな』

 

レイナもグラティナもファーミシルスも涙を浮かべていた。インドリトもブレアード・カッサレという男の壮絶な生き様に、心からの敬意を払った。ディアンはしばし瞑目して、決心した。

 

『もし間に合うのなら、会ってみるか…ブレアード・カッサレに』

 

ディアンの言葉に、インドリトは頷いた。

 

 

 




【次話予告】

モルテニアの集落を離れたディアンたちは、テリイオ台地の地下にある大迷宮「野望の間」に入った。地下百階を目指し、数多の魔物たちを退けながら進む。そして最深部でついに、ディアンは大魔術師との邂逅を果たす。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第十八話「野望の間」

少年は、そして「王」となる…


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第十八話:野望の間

「姫神フェミリンスの呪い」とは、フェミリンスの血を引く一族に発現する「破壊衝動」である。強大な魔力を受け継ぐが、その破壊衝動により戦争、殺戮を好み、特に亜人族や闇夜の眷属に対しては凄まじい憎悪を持つようになる。また、自らに反対するものであれば、人間族であろうと容赦せずに殺戮をするため、姫神フェミリンスの呪いとは「破壊神への変貌」と言われている。

 

フェミリンスの一族は、レスペレント地方西方において、「神の血を引く一族」としてルクシリアを代表する神官の一族であった。やがて国家形成期において、その血筋を支持する民衆たちによって王家として祭り上げられ、西方諸国の支援を受け「カルッシャ王国」が建国される。フェミリンス戦争は、カルッシャ王国初代国王「フィリップ・F・テシュオス」の娘「レオリナ・F・テシュオス」が、現神たちに迎え入れられ「dea(女神) Femirinsu」となったことから始まる。国王の娘(姫)と女神が合わさり「姫神」と呼ばれるようになった。カルッシャ王国は、姫神フェミリンスの加護を受け、レスペレント地方西方域を統治する大国となる。姫神フェミリンスは人間族に対しては加護を与えていたため、カルッシャ王国の他に「フレスラント王国」などの人間族の国家が建国された。

 

姫神フェミリンスの呪いは、フェミリンスの血を引くカルッシャ王家の「女子」に発現する。全ての女子に発現するわけではなく、一世代のうち一人だけに発現するため、フェミリンスの血筋自体は途絶えること無く続くのである。フェミリンス戦争終結後、カルッシャ王国に誕生した最初の「呪われた娘」は、「ルシアナ・F・テシュオス」であったと言われている。ルシアナが誕生した当初は、強大な魔力を持った姫の登場を王国全体で祝ったが、やがて姫神フェミリンスの呪いが明らかになると、王宮の地下深くに何重もの結界が張られ、その生涯を地下で終えたと言われている。

 

その後、呪いを制御するための「仮面」が造られると、呪いを受け継いだ女子は生涯に渡って仮面の装着が義務付けられる。仮面を装着しても、その強大な魔力は失われないため、王国の軍隊を率いる大将軍として、その生涯を独身で終えることが慣習となった。就寝中も浴場においても、仮面を外すことは許されず、年齢とともに皮膚は爛れ、発狂する者までいたと言われている。

 

姫神フェミリンスの呪いについては、王国の宮廷魔術師によって解呪方法が研究され続けたが、結局は見つけることが出来ず(見つけたが意図的に隠匿されたとも言われている)、やがてレスペレント地方東方に登場した闇夜の眷属の国家「メンフィル王国」によって、カルッシャ王国は滅亡する。呪いを受けた最後の血筋「エクリア・F・テシュオス」は、メンフィル王国との戦争において、妹である「イリーナ・F・マーシルン」を殺害し、呪いを利用した「姫神化(破壊神化)」を図るが、メンフィル王国国王「リウイ・マーシルン」に敗れる。リウイは妻イリーナの仇を討つべく剣を構えるが、エクリアの妹「セリーヌ・F・テシュオス」の懇願により、エクリアを助命する。姫神化に失敗したエクリアは、自らの行為を悔い、自分を殺せる唯一の存在「神殺し」を求めて砂漠へと消えたのである・・・

 

 

 

 

フェミリンス戦争の真相を聞かされたディアンは、ブレアード・カッサレに会うため、テリイオ台地の地下にあるという「野望の間」を目指して準備を進めていた。地下百階という大迷宮を降りるためには、相当な準備が必要である。地図を描く白紙や方位針は無論、万一のための予備の武器なども用意する。グラザの話では、野望の間は所々で「清水」が湧き出ており、結界を張れば休むことが出来るらしい。大量の水を持って行かなくても済むため、その分の荷物は軽くなるが、それでも相当量の食糧が必要となる。途中の街で食糧を調達し、野望の間の地下に拠点を形成する計画だ。

 

『一日に二階分を降りたとしても五十日か・・・帰り道を考えると最低三ヶ月分は必要になるな』

 

『いや、帰りは転送機を使えば良い』

 

グラザが言うには、十階ごとに「転送機」があり、地下一階で登録をしておけば、帰り道は地下九十一階から一瞬で戻ることが出来るそうだ。ディアンは転送機に興味を持った。もしその機械を各都市に配置すれば、荷物の移動も一瞬で済む。だがこの着想は否定された。

 

『転送機は、魔力を持つ生命体を送るものだ。もともとは迷宮移動を楽にするために、ブレアードが開発をしたものだ。移動目的のため、身に着けている物しか転送出来ない。また事前に魔力の登録をしなければならない。手を繋いでおけば、登録をしていない者も同時に転送出来るが、同時に転送できるのは最大二人までだ。行きで転送機が使えないのはそのためだ。地下一階での登録を忘れるな』

 

『グラザは登録をしているのか?』

 

『俺とディアーネは、数ヶ月に一度、九十一階まで降りる。ブレアードが野望の間に降りてから、俺たちは九十一階までを攻略した。ブレアードに差し入れをするためだ。ブレアードは余計なお世話と思っているかも知れんが、人間である以上、食べなければ生きていけないからな』

 

『ブレアードと会っているのか?』

 

『いや、ブレアードは顔を出さない。いつも、礼の言葉が書かれた書き置きだけが、九十一階の転送機に置かれている。それで俺たちは、ブレアードの無事を確認しているのだ』

 

『・・・地下十一階の転送機、貰っても良いか?』

 

ディアンは転送機の研究をしたかった。その構造を明らかにし、製造することが出来れば、西ケレース地方とモルテニア地方を繋ぐことが出来る。また各集落に置けば、元老たちの移動も容易いだろう。

 

『お前を見ていると、ブレアードを思い出す。あの男も、妙なところで好奇心を発揮していた』

 

グラザは笑って頷いた。

 

 

 

 

 

出発の朝、グラザや集落の皆が見送りに来た。

 

『サラン街道を通って、ペステの街に拠点を構えろ。ペステは人間族の街だが、ディアンとレイナなら入れるだろう。そこから真っ直ぐ、北に行け。西に行けばフェミリンス神殿があるが、決して近寄るな。人間以外は受け入れない場所だ』

 

『・・・いっそのこと、純粋魔術で吹っ飛ばしてやろうか?』

 

ディアンの冗談に、グラザが低く笑った。

 

『三ヶ月後には、再び戻ってくる。しばしの別れだ。世話になったな』

 

『戻ったら、ブレアードの様子を聞かせてくれ。気をつけて行けよ』

 

固い握手をして、ディアン一行はテリイオ台地の地下「野望の間」を目指して出発した。

 

 

 

 

 

『フェミリンス戦争から十数年か・・・まだ戦争の爪痕が見て取れるな』

 

モルテニア地方を出発し、サラン街道を西へ進むと、ところどころに森が焼けた後や、歪に吹き飛んだ山々が見える。フェミリンス戦争の主戦場はブレアード迷宮であったが、地上でも神殿兵とブレアードが生み出した魔族たちの戦闘が行われている。焼き払われた集落跡で野営し、コルナ側を北上してペステの街に入る。自分とレイナだけが街に入り、グラティナ、ファーミシルス、インドリト、ギムリは先にテリイオ台地を目指した。野望の間の入り口で拠点を形成するためである。

 

『この街で、荷車や食糧などを調達しておく。二ヶ月と予想しているが、出来るだけ多くを用意しておこう』

 

ペステの街は、フェミリンス神殿にも近いため、比較的繁栄していた。カルッシャ王国の通貨が使えるそうだが、宝石や黄金のほうが好まるようだ。小売店では足りないため、卸売商に直接掛け合う。

 

『あんたら、こんなに大量の食糧を何に使うんだ?』

 

三ヶ月分の食料調達である。塩、干し肉、干し野菜、穀物、水、多少の酒類、さらには着替え類や馬の秣などを含めると荷車四台分になる。卸売商は売上に喜びながらも、ディアンに質問をしてきた。野望の間に降りるとは言えないため、予め用意していた嘘をつく。

 

『ここからさらに北の北方諸国に向かいたいと考えています。どれだけの距離があるか解りませんし、北では食糧も不足がちだと聞いています。保存が効く食糧を運べば、喜ばれると聞きましたので・・・』

 

『エフィリア王国か、だがあの地までは危険も多いと聞いている。アンタら二人で大丈夫なのか?』

 

『他に三人の仲間がいますので・・・その分も含めるとこれくらいの食糧は必要かと・・・』

 

あくまでも旅行者を装う。卸売商は半信半疑ながらも、目の前の宝石類に抗えず、必要物資を売ってくれた。街から離れると、ディアンはレイナに告げた。

 

『迷宮探索は交代制にしよう。オレとインドリトは毎日潜るが、レイナたちは十階置きに交代で、一人は地上に残ってもらう。馬の世話も必要だし、万一に備えて見張りが必要だしな。あとギムリも地上に残そう。地下百階は無理だろう』

 

『最低、二ヶ月は地下に潜ることになるわね。途中で何度か、休息を入れましょう。近くに温泉とか、無いかしら』

 

 

 

 

大迷宮「野望の間」は、テリイオ台地の中ほどにあった。岩場に囲まれた場所に大きな口を開けている。ブレアード迷宮の一部のようだが、グラザですら、迷宮のどこが繋がっているのかは知らないらしい。近くに小川が流れているが、残念ながら温泉は無かった。先に来ていたグラティナたちが、地上に拠点を構えていた。

 

『地下一階には、魔物などはいなかった。恐らくその先だろう。馬の秣などは地上に残し、地下一階に物資を運びこむか?』

 

『いや、地上で拠点を構えよう。日光の下にいた方が健康的だ』

 

ディアンは迷宮攻略の計画を説明した。地下一階から地下十階までは、ファーミシルスが地上に残り、ディアン、インドリト、レイナ、グラティナが探索に入る。次はグラティナ、次はレイナが地上に残る。三交代で地下九十一階を目指す。

 

『地下九十一階以降は、その時の魔物によって決めよう。全員の力が必要になるかもしれない・・・』

 

翌日から、野望の間最深部を目指した探索が始まった。地下一階で全員が魔力を登録する。グラザの言うとおり、転送機は二人が乗るのが限界のようだ。行き先の番号を入力することにより、転送できる仕組みであった。

 

『さて、鬼が出るか、蛇が出るか・・・』

 

ディアンたちは地下二階へと降りた。

 

 

 

 

 

薄明かりの中で、水晶玉が輝く。魔術師が水晶に映しだされた光景を観る。黒髪、黒服の男が剣を振るい、魔物たちを蹴散らしている。出来るだけ殺さないようにしていることは一目でわかった。その様子に、魔術師は目を細めた。殺生を忌避する姿勢は好ましいが、その分、進みが遅くなる。このままでは間に合わないかもしれない。

 

『急いでくれ・・・時があまり無い・・・』

 

大魔術師ブレアード・カッサレは呻くように呟いた。

 

 

 

 

 

『ハァッ!!』

 

インドリトが剣を振るい、魔物を切り裂いた。もはや殺生を忌避する余裕はなかった。探索を開始してから一月半が経過した。既に地下八十階を超えている。だがその分、強力な魔物たちが次々と襲ってくる。

 

«次から次へと・・・オレをキレさせたいのか!»

 

この階層から魔神化したディアンは、凄まじい速度で魔物たちを斬りつけていった。通常であれば退くはずの傷であるが、魔物たちは意に介さずに襲ってくる。

 

«仕方がない・・・ここから先は、殺すことを前提で進むぞ!コイツらは死なない限り襲ってくる!»

 

待ってましたとばかりに、ファーミシルスが連接剣を振るった。魔獣たちが吹き飛ばされていく。道無き道を突き進むように、ディアンたちは更に下層を目指した。

 

『いよいよ、地下九十一階ね。どうする?全員で行く?』

 

地上で待っていたレイナが、回復魔法を掛けていく。グラティナやファーミシルスは定期的に休んできたため疲れはそれ程無いが、インドリトはかなり疲弊していた。ディアンはインドリトの様子を見て、一日の休息を決めた。

 

『インドリト、お前はこの一月半で相当な実戦を積んだ。普段の修行の何倍もの速度で成長している。キツイだろうが、あと少しで辿り着く。歯を食いしばれ』

 

『ハイ!ここまで来た以上、最後まで行きます!』

 

ディアンの服も、ところどころが解れている。地下九十階までの魔物は、インドリトでも対処が出来た。だが九十一階に降りた時に、ディアンは感じた。

 

『地下九十一階からが本番だ。魔神グラザと魔神ディアーネは、地下九十一階で満足したんじゃない。九十一階以降に進めなかったんだ。魔神が二柱掛かりでも進めなかった階層だ。全員で行こう』

 

 

 

 

 

『グレーターデーモンが三体だと?』

 

ファーミシルスは呆れたように呟いた。地下九十一階以降、出現する魔物の強さは格段に上がっていた。まるで侵入者を拒むように、強力な魔物が行く手を遮る。魔神化したディアンが一体を屠る。インドリトが頭上から斬りつけるが、硬い皮膚を貫くことが出来ない。グレーターデーモンがインドリトに注意を向けた時に、グラティナが腹部を切り裂いた。レイナが火炎魔術を傷口に流し込む。ファーミシルスは残り一体の注意を惹いていた。打ち込まれる純粋魔術を躱しながら、時を稼ぐ。ディアンが残り一体を両断した。クラウ・ソラスなればこその切れ味である。

 

『先生、剣が・・・』

 

インドリトの剣に亀裂が入っている。この探索のために、インドリトは三振りの剣を用意していた。そのうち二振りが使えなくなったのである。ディアンは頷いた。最後の一振りが折れたら、一旦引き返そうと考えていた。武器無しでこれ以上は進めない。

 

«残り一振り・・・大事に使いなさい»

 

インドリトは頷いた。

 

地下九十五階、雷竜二体が現れる。ディアンは思わず笑ってしまった。竜族など出会うことですら珍しいのである。それが二体も出現するのだ。予め配置されていたとしか思えなかった。

 

«どうやら、ブレアード・カッサレは余程、オレに会いたくないようだな・・・»

 

ディアンが前に進み出た。竜の鱗は硬い。ディアンの剣以外では切り裂けないと判断したためだ。

 

«一体を魔術で引きつけてくれ!その間にオレが斬る!»

 

ディアンは凄まじい速度で接近すると、一瞬で雷竜の上に飛び上がった。あまりの速度に残像が見えたほどだ。

 

«竜殺しの剛剣!»

 

雷竜の首を切り飛ばす。空中で純粋魔術を放つ。その反動でもう一体に斬りかかる。

 

«極実剣技:崩翼竜牙衝!»

 

凄まじい剣撃が雷竜を襲う。胴体を真っ二つに切り裂いた。あまりの剣撃で、床までも切れている。師の「本気の剣」にインドリトは呆れていた。クラウ・ソラスの力もあるのだろうが、それを引き出しているのが師の剣技なのだ。だが、さすがのディアンも疲れが出始めていた。微かに肩で息をする。師の疲れた様子など、インドリトは初めて見た。弟子の視線にディアンが気づいた。笑みを浮かべ、インドリトの頭を撫でた。

 

«お前にもいずれ、この技を教えてやる。だがその前に、お前の剣を用意しないとな・・・»

 

地下九十九階、あと一階というところで、とんでもない相手が待っていた。一本道の結界に、魔神が封印されていたのである。結界が解かれ、魔神が立ちふさがる。

 

«我はソロモン七十二柱が一柱、十九の軍団を指揮せし大伯爵「ロノウェ」»

 

«ソロモンの魔神、アスタロトの仲間か・・・»

 

魔の気配が充溢する。ディアンは舌打ちした。気配から見て中級魔神であるが、ファーミシルスやインドリトには荷が重すぎる。レイナやグラティナでも、単身で戦うのは厳しいだろう。ましてかなり疲弊している。ロノウェは言葉を続けた。

 

«魔術師との契約に基づき、この地に侵入せし者を屠る。貴様も魔神のようだが、我が魔術の贄となるが良い・・・»

 

レイナたちを下がらせる。ディアンは瞑目した。この魔神を倒せば、後は楽である。最後の試練と言えた。

 

『ディアンッ!戻る余裕はないぞ!やるしかない!』

 

グラティナが剣を構えた。ディアンは笑みを浮かべた。かつてソロモンの魔神と戦った時は単身だった。だが今では、背を押してくれる仲間たちがいる。

 

«レイナとティナは左右から斬りかかれ!ファミとインドリトは純粋魔術でアイツの顔を狙え!その間にオレが「神を屠る一撃」を錬成する!»

 

クラウ・ソラスを背に納め、ディアンが両手に魔力を込めた。レイナとグラティナが斬りかかり、ファーミシルスとインドリトがレイ=ルーンを連発する。ディアンの両手が歪む。それぞれに極大純粋魔術「ルン=アウエラ」を込めている。ロノウェは周囲を飛び交う二人を振り払おうとする。だがレイ=ルーンが煙幕となって当たらない。ディアンは両手に込めた極大純粋魔術を融合させた。魔神の膂力によって、巨大な魔力が超圧縮される。

 

«みんな、退けぇ!»

 

レイナとグラティナが飛び退く、間髪入れず、ディアンが両手を突き出し、錬成した純粋魔術を放った。

 

«超絶純粋魔術:ダモクレスの剣ッ!»

 

ルン=アウエラ二発分を融合させた超魔法が放たれる。超圧縮された純粋魔術がロノウェを襲い、神核もろとも一瞬にして蒸発させる。放たれた純粋魔術は、そのまま壁に穴を穿ち、地殻を通過していく。この星を飛び出すまで進み続けるほどの圧倒的な破壊力だ。極大純粋魔術二発分を一気に放ち、さすがのディアンも魔力が尽きかけた。よろめきそうになったところをレイナが支えた。魔法石を握らせてくれる。

 

(耐えて。インドリトに見せたくないでしょ?)

 

レイナの小声で、ディアンは気を入れなおした。魔法石から魔力を吸収し、小さく息をつく。

 

«終わった。さぁ、降りよう»

 

しっかりした足取りで、ディアンは地下百階を目指した。

 

 

 

 

地下百階は、ムッとした熱気があった。魔物の姿は見えない。地面は石畳ではなく土であった。細道が続き、両側は断崖となっている。その下から熱気と光が見える。人間に戻ったディアンは、断崖を見下ろした。遥か下に赤い光が見えた。

 

『溶岩だ。ここは遥か地下だからな・・・』

 

細道を慎重に進むと、やがて開けた土地が見えた。石造りの家が建てられている。全員が渡り終えると、ディアンは家の前に立った。感慨深かった。ここまで来るのにどれほどの時を費やしただろうか。ニース地方フノーロの街で、ブレアードの魔術書を発見して以来、この時を求め続けてきたのだ。扉の横には、転送機が置かれていた。帰りは楽に戻れるだろう。ディアンは頷いて、扉を叩いた。鍵は掛けられていない。静かに扉を開き中に入る。部屋の中は整頓されているが、いかにも魔術師の部屋であった。そして部屋の奥に、大魔術師が座っていた。俯き、目を閉じている。まるで眠っているようだ。すると・・・

 

『間に合ったか・・・ 待っていたぞ、ディアン・ケヒト・・・』

 

大魔術師が顔を上げ、目を開いた。その瞳は果てしなく深い闇の色であった・・・

 

 

 

 

 




【次話予告】

『何を想い、どのように生きてきたのか…』
大魔術師ブレアード・カッサレは、静かに語り始めた。ディアンはその思想を黙って聴く。そして語り終わった時、大魔術師はディアンに対して、ある願いを口にした。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第十九話「大魔術師の半生」

少年は、そして「王」となる…


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第十九話:大魔術師の半生

レスペレント地方北東部には、魔族が治める国がある。「グルーノ魔族国」である。フェミリンス戦争後に建国されたこの国は、光側の人間族を目の敵にし、積極的な戦争を仕掛けている。この好戦的な国を率いるのは、ブレアード・カッサレによって召喚された「深凌の楔魔」の一柱「魔神ディアーネ」である。魔神ディアーネはそれ程強い魔神という訳ではなかったが、それなりに分別を弁えており(これは魔神の中では珍しい)、物事を(ある程度は)冷静に考えることが出来る。ディアーネは後に、グラザの息子であり、レスペレント地方を統一する「リウイ・マーシルン」に従うことになるが、この時点では、魔族国の王として戦争に明け暮れていた。

 

«グラザ!グラザはいるか!»

 

モルテニア地方「闇夜の眷属たちの集落」に、魔の気配を放つ女が飛び降りてきた。黒い翼を持ち、頭には双対の角が出ている。グルーノ魔族国国王、魔神ディアーネであった。魔神の放つ気配は、闇夜の眷属たちでも慄く程に強い。集落の者達は、一斉に家の中に入った。一瞬で静まった集落に、一人の男が現れる。魔人シュタイフェであった。

 

『これはこれはディアーネ様、相変わらずお美しい~ アッシのアソコもビンビン・・・グョヘェッ!』

 

ディアーネに蹴り飛ばされ、シュタイフェは盛大に転がった。ディアーネの眉間にシワが寄っている。

 

«貴様に用はないっ!グラザを出せっ!奴め、野望の間に行かぬつもりか!»

 

『・・・相変わらず騒々しい奴だな。少しは王らしくしたらどうだ』

 

苦笑いをしながら、グラザが現れた。ディアーネはグラザの変化に気づいた。破壊衝動の気配が消えているからである。ディアーネはほくそ笑んだ。

 

«ほう、お主もようやく、魔神として動き出したか。で、どこを殺戮したんだ?»

 

『勘違いするな。俺は何もやっていない。強いて言うなら、子供の喧嘩をしただけだ』

 

笑いながら言うグラザに、ディアーネは首を傾げた。魔神の破壊衝動は簡単には消えない。破壊しようという意思のもと、全力を出し続けることで、ようやく消えるのである。魔神グラザが全力で戦った相手とは、一体誰であろうか、ディアーネの疑問にグラザが答えた。

 

『二月ほど前だ。この集落に魔神がやってきてな。中々面白い男で、ブレアード・カッサレに会いに来たようだ。その男と一晩中、殴りあった。強かったぞ』

 

«ほう、お主と肉弾戦をやって互角だったのか。お主のような大男か?»

 

『いや、見た目はどう見ても人間族だ。取り立てて強そうには見えない。だが、拳を交えて解った。もしあの男がブレアードに召喚されていたら、序列一位になっていただろうな・・・』

 

«お主にそこまで言わせるか。で、その魔神はどこだ?»

 

『言っただろう。ブレアードに会いに来たと。今頃、野望の間の最深部に辿り着いているだろうな』

 

野望の間と聞いて、ディアーネは当初の用事を思い出した。

 

«そうだ!お主、野望の間に行かぬつもりか!いくらブレアードがもう来るなと言っても・・・»

 

グラザは手を上げてディアーネを止めた。

 

『ブレアードの最後は、その魔神に託した。ブレアードが破壊神になるまでに、恐らくは間に合うだろう。俺はここで報告を待つつもりだ』

 

«・・・・・・»

 

グラザが来ない以上、自分一人で地下百階まで辿り着くことは不可能だ。魔神ディアーネは腕を組み、溜息をついた。

 

 

 

 

 

『・・・いつからオレを見ていた?モルテニア地方に来た時からか?』

 

『やはり、儂の思った通りの魔神だな』

 

目の前の大魔術師は「ディアン・ケヒト」と姓名を呼んだ。野望の間では「ケヒト」の姓は出ていない。それを知っているということは、野望の間に着く以前から、ディアンを見ていたということになる。ブレアードは、ディアンの回転の速さに満足したように笑った。

 

『ブレアード迷宮は、儂が造った。この迷宮に魔神が来れば、嫌でも気づく。たとえそれが「人間のフリをした魔神」でもな・・・』

 

ブレアードは右手を挙げて隣部屋を指差した。

 

『あの部屋に、儂の研究の全てがある。ここに引き篭もってから、研究を続ける傍ら、儂の知識の全てを残そうと思い、書き綴ってきた。儂の最後の「魔道書(グリモワール)」だ。持っていけ・・・』

 

『・・・それよりも、オレはあなたと語り合いたいんだ。改めて自己紹介しよう。オレの名はディアン・ケヒト、人間の魂と魔神の肉体を持つ者だ。ニース地方であなたの魔道書を発見して以来、会いたいと思い続けてきた。教えてくれ、あなたは何を想い、どのように生きてきたのだ?』

 

ブレアードはしばし沈黙したあと、語り始めた。ディル=リフィーナ史上最大の魔術師ブレアード・カッサレの半生である。

 

 

 

 

 

ニース地方の森には、魔術師の集落がある。その集落の長「カッサレ家」に、大魔術師が誕生した。生まれた時から、底知れない魔力を秘めていた。父親は喜び、イアス=ステリナの伝説上の魔術師から名を取り、ブレアードと名付けた。ブレアードは天才であった。三歳で六大魔素の操作を覚え、六歳にして古代エルフ語を読み、十歳にして秘印術と精霊魔術を修めた。だが、その才能は危険でもあった。ブレアードはあまりに早熟であったため、知性に情緒が追いつかない傾向があった。心を伴わない魔術は、大きな悲劇を生み出しかねない。父親は長の職を辞し、ブレアードを連れてあてもない放浪の旅へと出た。人との出会いの中で、ブレアードの情緒を育てようと考えたのだ。

 

『ブレアード、お前は素晴らしい才能を持っている。だが、お前ほどではなくとも、才能に恵まれた者はいる。多くの者は、その才能の「使い方」を誤るのだ。才能に恵まれるほど、誤ちは悲劇へと繋がりやすい。父と共に、お前の進む道を探すのだ』

 

父親はブレアードを連れ、ラウルバーシュ大陸を旅した。魔術師は当時は珍しかったため、病の治療などで有難がられることもあったが、西方では「闇夜の眷属」として忌み嫌われた。ブレアードは旅をする中で思った。何故、光と闇はそれ程までに憎みあうのか、なぜ闇夜の眷属は嫌われるのか・・・

 

そして十五歳の時に、西方にある「歪み」を調査する中で、父親を失った。遥か異国で、ブレアードは天涯孤独となったのである。

 

 

 

 

 

『儂は、十五歳で父を亡くした。その時に儂を世話してくれたのは、アークリオン神殿の神官であった。今思えば、儂の魔力が目的であったのだろう。儂は三年間、アークリオン神殿で学ぶ日々を送った・・・』

 

『闇夜の眷属であったあなたが、光の総本山にいたのか・・・』

 

『三年間、儂は光側の思想を学び続けた。だがどうしても納得できなかった。彼らは言う。「なぜ闇を憎むのか?それは闇が悪だからだ。なぜ闇が悪なのか、それは闇だからだ・・・」これでは答えになっておらぬではないか。儂は思った。ここにいる者達は、学んでいるのではない、ただ闇雲に「覚えているだけ」だとな・・・』

 

『信仰とは、無条件で疑わないから信仰なのだ。アークリオン神殿の神官たちは、自分たちの神を疑わず、ただ受け入れていただけだった、そういうことか』

 

『そこで儂は、アークリオン神殿を去り、闇の思想を学ぶべく「ヴァスタール神殿」へと向かった。光が闇を憎むのであれば、闇は光をどう思っているのか・・・そこに興味があった。二年間、ヴァスタール神殿で学んだ。最初は経典の比較などが面白かったが、やがて失望した。ヴァスタール神殿も同じだったのだ。「なぜ光を憎むのか?それは光が悪だからだ。なぜ光が悪なのか?それは光だからだ・・・」アークリオン神殿の神官たちと同じく、ヴァスタール神殿にいるのは、神の言葉を無条件に受け入れる「愚者」たちであった。二十歳になった儂は、神々の信仰というものに強い疑問を思った。父の言っていた「使い道」とはこんなものなのか?そもそも彼らは、自分の意志を持っているのか?とな・・・』

 

光と闇の両側を見たからこそ、ブレアードは客観的に見れたのだろう。だがそれは危険でもある。「信仰を客観視する者」は、信仰そのものを破壊する力を持つことになる。

 

『当時の儂は若かった。自分の疑問を神官にぶつけてしまったのだ。光は言う、闇はこう言う、では実際はどうなのか?とな・・・それで儂は神殿を追われた。いや、そればかりか光と闇の神殿から危険視をされ、追手まで出された。儂は遥か東まで逃げざるを得なかった・・・』

 

 

 

 

 

レスペレント地方を横断し、砂漠を超え、遊牧民たちの大草原を抜ける。天使族が住むと言われる山「崑崙山」を通り、東方に至る。

 

『現神勢力も、東方までは浸透していなかった。東方は人が多く、独自の文化や思想を形成していた。そもそも魔法の体系が異なっていた。いや、彼らも秘印術などは知っているが、彼らはこの大地そのものを「命」と捉え、大地から魔力を得ていた。彼らはそれを「風水術」と呼んでいた。彼らの言う「陰陽五行思想」は、儂には新鮮だった。光と闇は対立するのではなく、互いに支え合い、溶け合う関係だと言うのだ。「光無くば闇は無く、闇無くば光無し・・・」』

 

ブレアードは何かを思い出しているように、遠い目をした。西方から東方まで旅をするのは、今日であっても難しい。まして国家形成期以前であれば、過酷な旅であったはずである。ディアンは質問した。

 

『あなたにとっては、現神たちの「光と闇の対立」という考え方より、東方の「光と闇の融合」のほうが正しいと思えたのか?』

 

『確かに、一時期は陰陽五行思想に傾倒した。だが、学ぶうちに理解した。これは教義ではなく、理論体系なのだ。人々の「信仰」の対象ではないのだとな。その証拠に、東方にも現神信仰が流れてきていた。「黄陽宗」「黒陽宗」などという名であったがな。つまり東方でも濃淡の差こそあれ、光と闇の「二項対立信仰」に変わりは無かったのだ。この世界では、西でも東でも、現神の二項対立の考え方は変わらない。ではこの世界が形成される以前はどうだったのか?儂は先史文明期に目をつけた。先史文明期においては、人々は神々への信仰は薄く、科学というもので社会が成り立っていた。科学ならば、二項対立の考え方を超えられるのではないか、儂はそう期待し、再び旅に出た』

 

 

 

 

 

東方諸国から南に下ると、幾つかの蛮人国やエルフ族の大森林があり、さらに南に「大禁忌地帯」がある。現神の手によって、先史文明が封印されていると言われており、あらゆる種族の立ち入りが禁忌とされている。無論、そうした禁忌を破ろうとする者がいないわけではなく、特に知的好奇心の強い「イルビット族」などは、大禁忌地帯に入る者もいる。

 

『大禁忌地帯の近くに、イルビット族の集落があってな。そこに「先史文明」を研究している学者がいた。彼の導きで、儂は先史文明について幾つかの知識を得た。実際に、大禁忌地帯に入っても見た。とは言っても、大きな建物などの遺跡群と僅かな先史文明の遺産しか発掘できなかったが・・・大禁忌地帯には「メルジュの門」という巨大な扉がある。その中に先史文明が封印されていると言われているが、どうしても扉を開けることができなんだ・・・』

 

ブレアードは低く笑った。話の内容は理路整然とし、とても破壊神になりかけているとは思えないほどに知的であった。

 

『儂は更に先史文明の研究を求めた。三神戦争の激戦域であった「死の大砂漠」にも入った。北方の遺跡では、巨大な筒型の遺産を見つけた。「世界を滅ぼす武器」だそうだが、その遺産は既に死んでいた。十年にわたって、儂は先史文明を研究し続け、ある答えを出した。先史文明期において、人々は確かに、古神への信仰を失っていた。だがそれは、信仰心を超えたのではない。信仰の対象が神から科学に代わっただけだとな。科学は人々に利便性と豊かさをもたらした。彼らは、神ではなく科学を信仰していたのだ。つまりこの世界にいる人々と「信仰の形状」という意味では変わりはなかったのだ』

 

ディアンは、自分がいた科学文明社会を思い出していた。「論理思考」が持て囃され、経験則や直感などが否定されていた。「論理的であることが正しい」と自分自身ですらそう思っていた。この世界に来なければ、自分も科学を信仰し続けていたかもしれない。大魔術師は言葉を続けた。

 

『先史文明期の研究で、唯一の収穫は「科学的思考」という概念だった。儂はそれまでも、自分の考え方は人とは異なっていると思っていたが、上手く表現が出来なかった。先史文明を研究して、ようやく気づきを得た。儂は科学的思考でこの世界を捉えようとしていたのだとな・・・』

 

『あなたの魔道書には、科学と魔法についての論説があった。あなたは魔法の不安定性を科学で補える、と考えていたようだが・・・』

 

『そう、儂は考えた。光と闇の対立を終わらせるには、神への信仰に代わるものが必要ではないか。そこで目をつけたのが「魔導技術」だった。儂は、アヴァタール地方東方域へと向かった』

 

古の宮(エンシェント・キャピタル)か・・・』

 

『お主も古の宮に行ったのか。そういえば、儂の書いた魔道書を持っていたな。儂はあの地で、五年ほど研究をした。魔導技術について研究をするのであれば、その最高峰である「魔導巧殻」を研究すれば良いと思った。擬似的神核の形成技術にも興味があったしな。当時の儂は、まだまだ若かった。神核を持てば永遠に生きられる。生き続けて、いずれ魔道技術の力で現神信仰の世界を変える、そんな野心を持っていた。なんとも恥ずかしい、若気の至りだ・・・』

 

ディアンは沈黙を貫いたが、心中は複雑であった。ブレアードが語ったことは、正に自分がやろうとしていることではないのか?

 

『古の宮で魔導巧殻の研究を終えた儂は、エルフ族の秘術を求め、リガーナル半島に向かった。あの地は古くからエルフが住み、エルフ族の知恵を集積している。魔導巧殻の核を造るための、エルフ族の知識を求めた。だが結局は無理であった。その技はエルフでしか使えないのだ。ルリエンの祝福を得たエルフが、自ら意志で魂を捧げないかぎり、核の形成は出来ない。魔導技術は将来に可能性があるが、まだまだ不安定で、とても信仰に代わるようなものではない。魔神の神核を取り出すなどという暴挙もやったな。当時の儂は、何かに取り憑かれていた。そう、「自分の手で現神信仰を終わらせる」という夢に取り憑かれていたのだ。愚かしい夢だ。信仰は個々人の心の世界だ。他者がいたずらに入って良いものではない。だが儂は、そんなことにさえ、思い至らなかった。そして気が付けば、齢は五十を超えていた。ニース地方に戻った儂は思った。儂の人生とは、一体何だったのか?誰の役に立ったのか?結局は、自己満足で終わっていたのではあるまいか?儂は、挫折をしたのだ。現神信仰を終わらせることは、儂には出来なかった。残りの人生は、もっと違うことに使おう・・・儂は再び旅に出た』

 

 

 

 

 

ニース地方の南西に行けば、人間族の多い地帯「セテトリ地方」がある。ブレアードは齢五十五歳にして、南方への旅をした。

 

『ディジェネール地方という巨大な「亜人族地帯」があるためか、セテトリ地方は「現神信仰」が薄い地方であった。人々はエルフ族や獣人族と地を分かち合いながら、それぞれに幸福に生きていた。何の事はない。信仰に関係なく、人々は豊かに生きられるのだ。儂は救われた気持ちがした。ミサンシェルという「天使族」の城もあってな。そこの長「エリザスレイン」とも話をした。彼女は言った。

 

「人には人としての生き方、ドワーフにはドワーフとしての生き方、エルフにはエルフの、獣人には獣人の、魔族には魔族の生き方がある。己を知り、互いに領分を守り合えば、皆が幸福に暮らすことが出来る。だが人は、ともすると己を忘れ、急激に歩みを進めようとする。それはやがて歪みを生み出し、不幸を招く」

 

目を開かされた思いがした。儂は、手段と目的を履き違えていたのだ。この世界には、人間族以外にも数多の種族が存在する。互いに領分を守り合い、互いに幸福に暮らせるのならば、現神信仰の世界でも良いではないか。六十近くになり、やっとそのことに思い至ったのだ。何が大魔術師なものか・・・儂はとんでもない愚者であった』

 

ブレアードは低く笑い、言葉を続けた。

 

『儂はようやく、自分の進む道を見出したのだ。儂は残りの命を「種族を超えた平和」のために使おうと決意した。そんな時であった。レスペレント地方の亜人たちが苦しめられていると知った。儂は北へ向かった』

 

『それが、フェミリンス戦争か・・・』

 

『フェミリンスとは二十年に渡って戦い続けた。巨大な迷宮まで形成してな。この地に「種族を超えた平和」をもたらしたい。光も闇も生きられる世界をこの地に実現したい。それが儂の最後の願いであった。フェミリンス戦争が終わり、儂も呪いを受けた。だが、まだ希望は残されている。魔神グラザが、儂の願いを継いでくれている。いつの日か、この地に・・・』

 

ブレアードが咳き込み始めた。ディアンが介抱しようとすると、手を上げて止める。荒い息をしながら、絞るように声を出す。

 

『・・・どうやら、時間のようだ。儂は幾日もせずに、破壊神になるだろう』

 

『何を言っているんだ。アンタはただ齢を取っただけだ。早く横になれ!』

 

『・・・これを見ろ』

 

ブレアードが襟をめくった。レイナが小さな悲鳴を上げた。首筋までドス黒くなっている。それは蠢き、触手のように上へ上へと伸びているようだ。

 

『この十数年、フェミリンスの呪いを消すための研究を続けた。だがどうしても見つからなかった。間もなく、儂は破壊神となり、この地に災いを招く存在になる。だから・・・』

 

ブレアードがディアンを見つめた。それだけで、ディアンには何を求められているのか解った。

 

『魔神ディアンよ・・・儂を・・・殺してくれ・・・』

 

 

 




【次話予告】

『儂を…殺してくれ…』

ブレアードの願いに対し、ディアンは首を振った。そして決意する。苦しむ魔術師を救うため、未来の可能性に賭けることを・・・

そしてインドリトは、大魔術師の思想を聴き、自らの進む道を決意するのであった。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第二十話「洋上の宣言」

少年は、そして「王」となる…


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第二十話:洋上の宣言

後世、レスペレント地方は魔人グラザの一人息子「リウイ・マーシルン」によって統一される。リウイは「光と闇の共生」を掲げ、レスペレント地方に種族を超えた平和を実現するために奔走する。だが、カルッシャ王国の滅亡によってフェミリンスの血統が絞られたため、この地を覆っていたフェミリンスの呪いも弱くなる。そこで蠢き始めたのが、ブレアード迷宮で眠っていた「深凌の楔魔」たちである。フェミリンス戦争から、実に一千年後の話である。そしてもう一人、蠢き始めた存在があった。「野望の間」の地下百階で生き延びていた「ブレアード・カッサレ」である。

 

リウイに同行していた「カーリアン」の証言では、ブレアードは魔人となりリウイの殺害を図ったという。レスペレント地方に再び大戦を起こそうとしていたため、リウイをはじめとするメンフィル帝国は総力を結集して、魔人ブレアード討伐に乗り出した。大魔術師らしく、魔人ブレアードは幾度もリウイの前に立ちはだかるが、ついには滅ぼされ、神骨の大陸にあるという異界「神の墓場」に封じられるのである。

 

後世の歴史家たちは首を傾げる。それはブレアード・カッサレの行動についてである。ブレアード・カッサレが活躍したフェミリンス戦争は、リウイ・マーシルンが誕生する千年前の話である。仮に、千年間も野望の間で生き続けていたのであれば、彼は一体、何をしていたのであろうか。千年を経て、フェミリンス戦争は「神話」となり、ブレアードの名前もお伽噺の中でしか出てこないほどに忘れられていたのである。大魔術師が、千年間にわたって全く歴史に登場をしなかった理由は、後世の歴史家たちにとって大きな謎となっている。

 

 

 

 

 

儂を・・・殺してくれ・・・

 

ブレアードの懇願に対して、ディアンは首を横に振った。

 

『諦めるな!まだ破壊神になると決まったわけじゃない。アンタは大魔術師だろうが!』

 

『この十数年、研究をし続けた結論だ。この呪いを解く術は無い・・・』

 

『だったら封印してやる!アンタを殺したって、カッサレ家の誰かに呪いが掛るんだろ?』

 

『「永劫封印」は、永遠に封印されるわけではない。五百年か、千年か・・・いずれ必ず封印は解ける。儂を殺した後は、すぐにニース地方に行くのだ。カッサレ家の場所は記してある。お前の手で、カッサレ家を絶やしてくれ・・・』

 

ディアンは唇を噛んだ。確かにブレアードの言う通りにすれば、フェミリンスの呪いを終わらせることは出来るかもしれない。だが魔物や盗賊を殺すのとはわけが違うのだ。「呪われるかもしれないから」という理由だけで、罪もない人間を殺すことになるのである。それはディアンの性格上も出来ないことであった。ディアンは決意した。右手首を切り、血を滴らせる。

 

『何をする気だ!早く儂を殺すのだ!』

 

『オレに手を汚せと言うのか?ゴメンだね。アンタの願いは理解できるが、オレにも譲れない(さが)というものがある。アンタを封印する。そして、オレが研究を引き継ぐ。今は無理でも、五百年後、千年後には呪いを解く方法が見つかるかもしれない』

 

『・・・お前という奴は・・・』

 

『オレが必ず、フェミリンスの呪いを解いてみせる!』

 

血を滴らせながらブレアードの周囲を一周したディアンは、術式を構えた。ブレアードはもはや抵抗しなかった。最後の言葉を残す。

 

『最後に、お前という男に会えて嬉しく思う。儂には叶わなかったことも、お前なら出来るかも知れん。この世界を「より良き世界」に導いてくれ・・・』

 

『アンタの研究と志は、オレが確かに引き継いだ!さらばだ、ブレアード・カッサレ、我が師よ!』

 

ブレアードの周囲に張られた結界が青白く光る。ブレアードは瞑目した。未来への希望なのか、口元には笑みが浮かんでいる。ディアンが術式を発動させた。

 

『極大封術:永劫封印ッ!』

 

青い光がブレアードを包み込む。足元から石に変わっていく。ブレアードは身じろぎ一つせず、石化を受け入れた。光が収まった時、大魔術師の石像が残った。静寂の中で、ディアンは瞑目した。瞼が少しだけ、熱かった・・・

 

 

 

 

 

瞑目する師の横で、インドリトは感じていた。ブレアード・カッサレの思想と彼の目指していた世界についてである。ブレアードは封印される直前まで、種族を超えた平和と繁栄を望んでいた。そしてその原点は、現神同士の争いという「二項対立世界への疑問」からであった。インドリトは思った。

 

(ブレアード・カッサレが目指していた世界に、最も近いのは「西ケレース地方」ではないか?様々な種族たちがプレメルに集まり、お互いを尊重し合いながらも「地方全体の繁栄」を目指して協力し合っている。光の現神を信仰するドワーフ族と、古神の眷属である龍人族が手を取り合っている。魔神までも協力をしてくれている。西ケレース地方は、この世界で唯一の「二項対立を超えた地」なのかもしれない・・・)

 

もし自分が長になった時に、その世界を毀してしまったら、ブレアードは自分を許さないだろう。西ケレース地方をさらに発展させるのは、ブレアードの思想を聞き、その貴重さを知った自分なのである。インドリトは決心した。

 

(私は、王になる)

 

 

 

 

 

ブレアード・カッサレの封印後、ディアンはブレアードの研究室に入った。実験器具や大量の書きつけが整理されている。どうやら自分が来ることに合わせて、引き継ぎの整理をしていたようだ。机の上に、一冊の書籍が置かれていた。「カッサレの魔道書(grimoire)」である。これまで見てきた魔道書より少し分厚い。表紙を捲るとこれまでに無かった一文が書かれていた。

 

ディル=リフィーナ世界に新たな光を齎すことを祈念し、我が最後の魔道書として著す。

心有る者よ、願わくば我が志を解し、此の書を未来の希望に役立てんことを・・・

Blaird Kassere

 

まだ筆墨が乾ききっていない程に、真新しい一文であった。しばし文章を眺め、ディアンは魔道書を革袋に収めた。十数年間もこの部屋に籠り、研究を続けていたのである。資料の数は膨大であった。ディアンたちは幾度かに分けて、地下一階まで転送機を使って運び出した。食糧を消費していたため、帰り道は空の荷車を使うことが出来る。全てを運び出し、ディアンは地下十一階に降りた。転送機を念入りに調べ、抱え上げる。思った以上に重かった。レイナが護衛についている為、立ち止まることなく地下一階まで運び上げることが出来た。

 

『さぁ、戻ろうか・・・モルテニアに』

 

ディアンたちは久しぶりの地上に出た。陽の光に、ディアンは目を細めた・・・

 

 

 

 

 

モルテニア地方 闇夜の眷属たちの集落に近づいたディアン一行の前に、グラザ以外の魔神が出現した。

 

≪汝がディアン・ケヒトか、グラザより話は聞いている。グラザは汝を認めておったが、我は自分の目で見ぬ限り、認めることは出来ぬ。さぁ、我と戦え!≫

 

普段なら魔神化するところだが、いまは過酷な旅から戻ってきたばかりである。ディアンは溜め息をついた。

 

『疲れているんだ。通してくれないか?そもそも・・・お前、誰だ?』

 

ディアンは意図的にぞんざいな態度を取った。相手の性格を予想しての態度である。それに疲れているのは本当であった。案の定、目の前の魔神は顔を赤くしている。怒りが湧いているのだ。

 

≪貴様・・・この地で魔神といえば、深凌の楔魔に決まっておろうが!我が名は魔神ディアーネ、深凌の楔魔が一柱ぞ!≫

 

『ディアーネ?・・・あぁ、思い出した。たしか序列十位だったな。一番弱い奴だ』

 

無論、ディアンは目の前の魔神の正体に気づいていた。だが戦うのが面倒だった。敢えて挑発し、一瞬で決着をつけるつもりだった。案の定、ディアーネは激昂した。

 

≪序列九位だ!大体、あれは召喚の順番だ!貴様ぁ、許さん!≫

 

伸縮性のある槍を抜くと、ディアンに飛びかかってきた。

 

≪我が暗黒槍を喰らえッ!≫

 

人外の速度ではあるが、単純に飛びかかってきただけである。ディアンは難なく躱し、懐に入ると剣を頸元に突きつけた。ディアーネの動きが止まった。敗北を察したのだ。

 

『・・・魔神というのはどうしてこう、単細胞なんだ?グラザは例外的に思慮深い奴だが、お前は典型的な魔神だな。ちょっと挑発されただけで激昂し、隙だらけのまま突っ込んでくる。単純な力と速さだけで、闘いに勝ち続けてきたのだろうな・・・』

 

ディアーネが槍を落とした。ディアンも剣を収めた。

 

『インドリト、今の戦い方を覚えておきなさい。力と速さだけで勝てるのは、相手が素人の場合だけだ。知恵を使えば、たとえ人間でも魔神に勝てる』

 

『ハイッ!』

 

≪クッ・・・我をわざと挑発したのか・・・まるでパイモンのような奴だ≫

 

『挑発に乗ったのはお前だろう。剣と魔術を交えることだけが戦いだと思っているのなら、お前の寿命は長くないぞ?』

 

ディアーネは歯ぎしりをしたが、溜め息をついて力を抜いた。敗北を認めたのだ。

 

『これから集落に入る。グラザの為にも、お前も魔力を身に纏え。ブレアードの最後を聴きたいだろう?』

 

「ブレアードの最後」と聞いて、ディアーネの顔色が変わった。

 

 

 

 

 

『そうか、ブレアードを封じたか。間に合って良かった・・・』

 

グラザは腕を組み、瞑目した。ブレアード迷宮内にあるグラザの居室である。ディアンとディアーネは集落に到着すると、その足でグラザのもとに向かったのだ。ディアンからの報告を受けたグラザは溜め息をついて頷いたのだ。だが、ディアーネは不機嫌そうな表情をしている。ディアンが聞いた。

 

『ディアーネ、さっきから機嫌が悪そうだが、何か引っかかっているのか?』

 

『悪いに決まっておろう!ブレアードめ、グラザにだけ伝言を残し、我には何もないというのか!我とて、闇夜の眷属たちをまとめるために苦労しておるのだ!』

 

『あぁ・・・そういえば、お前にもあったな』

 

『なに?なぜ早く言わぬ!』

 

『いや、大して重要でもないと思っていたから忘れていた』

 

ディアンは即席で嘘を考えた。この程度ならブレアードも許してくれるだろう。

 

『お前にはこう言っていた。「序列九位にしてスマン。お前はゼフィラより強い。それは間違いない」・・・だそうだ』

 

グラザはすぐにディアンの嘘を見抜いた。だが何も言わない。好ましい嘘だと思ったからだ。その証拠に、ディアーネが嬉しそうにソワソワする。

 

『そ、そうか・・・うむ、確かに大したことではないな。だがまぁ、ブレアードがそう言うのなら、許してやっても良い』

 

明らかに顔がニヤついている。単純な奴だと思いながら、ディアンはブレアードが残した最後の魔道書を机の上に置いた。

 

『ブレアードが遺したものだ。研究資料とは異なり、誰かに読まれるために書かれている。ブレアードの知識の全てが、この一冊にある』

 

渡そうとするディアンをグラザが止めた。

 

『俺に渡しても無意味だ。ブレアードが封印されたと同時に、俺の中にあったブレアードの魔力も消えた。もう俺には「カッサレの魔道書」を読むことが出来ない』

 

驚くディアンに対して、グラザが言葉を続けた。

 

『本拠地「ヴェルニアの楼」に残されていたブレアードの資料は、まとめて荷車に積んである。俺が持っていたカッサレの魔道書も含め、全てをお前に引き継ごう。ブレアードを苦しめ続けた「フェミリンスの呪い」を解いてくれ』

 

『・・・わかった。必ず解呪法を見つけ出す』

 

『・・・話しは終わったようだな。では、我はそろそろ行く。グラザよ、達者でな。ディアンよ、いずれまた会おう。次は敗けん』

 

ディアーネにも感じるところがあったのか、静かに部屋を出ていった。

 

 

 

 

シュタイフェの手配により、帰りは船が用意されていた。モルテニア地方からフレイシア湾まで行く帆船である。交易にも使えそうなほどの大きさであった。

 

『ヒッヒッ!アッシの交渉術によって、商人が用意してくれたんでさぁ。代金は、美女三人がカラダでお支払いということで・・・ブヘェッ!』

 

グラティナとファーミシルスの足が顔面に命中する。ディアンは苦笑いしながら、宝石が入った袋をシュタイフェに渡した。かなりの量である。船の代金を支払っても十分に余るはずだ。シュタイフェが目を丸くすると

 

『残りはこの集落の為に使ってくれ。グラザは闇夜の眷属のためなら、命すら賭けるだろう。カネによって無理を避けることも出来るはずだ・・・』

 

精悍な顔つきに戻ったシュタイフェが頷いた。インドリトもシュタイフェに声を掛けた。

 

『シュタイフェ殿、本当にお世話になりました』

 

『いえいえ、坊ちゃんにはもっと楽しいことを教えたかったのですが、特に夜の・・・』

 

レイナが剣に手を掛けていたので、シュタイフェは言葉を止めた。インドリトは笑ったあと、真顔で話し出した。

 

『西ケレース地方には、近いうちに国が誕生します。今回の渡航は、西ケレース地方とモルテニア地方を結ぶ良いきっかけになるでしょう。片道ではなく、往復の形で、これからも行き来をしたいと思います』

 

インドリトがこうした「政治的話題」を口にするのは珍しい。レイナたちは顔を見合わせたが、ディアンは笑みを浮かべながら黙っていた。シュタイフェも「知の魔人」として応答した。

 

『この地では、闇夜の眷属たちは肩身の狭い思いをしています。海の向こう側に、自分たちの同胞がいると知れば、皆も勇気づくでしょう。今後も互いの交流を進めさせて頂きたいと願っています』

 

インドリトとシュタイフェが握手を交わした。船に荷物を運び終えると、グラザが見送りに来た。

 

『ディアン、お前には本当に世話になった。達者でな』

 

『世話になったのはこちらだ。転送機の分析が終わり次第、船を使って運んでくる。西ケレースのプレメルに遊びに来い。ブレアードの理想が現実になっている街だ』

 

『あぁ、楽しみだ。それまで・・・』

 

『あぁ、しばしの別れだ・・・』

 

ディアンとグラザは固い握手を交わした。インドリトもグラザと握手をする。インドリトの顔つきは、この集落に来る前とは別人であった。瞳に固い決意が見て取れる。船に乗り込み、出航した。オウスト内海を周流する海流と風を使うことで、フレイシア湾に行くことが出来る。いずれフレイシア湾を港として整備し、大型の船をつかってオウスト内海を行き来する交易も可能だろ。ファーミシルスが舳先に立っていた。ディアンが後ろから声を掛ける。

 

『ファミ、残っても良かったんだぞ?』

 

ファーミシルスが驚いたように振り返った。顔が朱い。

 

『お前はオレの使徒ではない。あの集落でグラザの下で生きる道もあるんだ。お前が望むのなら、迷わずそうしろ』

 

『いや、いまグラザの下に行ったところで、私が役立つことは少ない。グラザに追い返されるだろう。西ケレース地方で力を揮えとな』

 

そうかもしれない、ディアンはそう思った。グラザとファーミシルスに縁があるのなら、いずれ共に生きる道が見つかるだろう。レイナとグラティナがファーミシルスの肩を叩き、互いに頷き合う。するとインドリトが声を掛けてきた。瞳に固い決意がある。

 

『ディアン・ケヒト殿、レイナ・グルップ殿、グラティナ・ワッケンバイン殿、ファーミシルス殿、皆様にお願いがあります』

 

これが、後に「洋上の宣言」と言われる、インドリトの決意表明である。

 

 

 

 

 

『私はこの旅で、多くの人たちに出会い、多くの学びと気づきを得ました。闇夜の眷属を恐れ、身を硬くして閉じこもる人、善悪を知らず襲いかかる蛮人、志を持って集落を束ねる魔神、そして生涯を掛けて理想を追求した魔術師・・・ ブレアード・カッサレはその生涯を「光と闇の対立の克服」「種族を超えた平和と繁栄」に捧げていました。そしていま、西ケレース地方ではその理想が、実現しつつあります。もし私たちが努力を怠り、その理想から遠ざかることがあれば、ブレアード・カッサレも、魔神グラザも、そしてフェミリンス戦争で失われた多くの命たちも、決して我々を許さないのでしょう。私は決心しました。私は王となり、西ケレース地方に国家を打ち立てます。光も闇も関係なく、あらゆる種族たちが共に繁栄する「理想郷」を築きます。ですが、私独りの力は小さなものです。遥か彼方の理想を実現するには、多くの人たちの協力が必要です。どうか理想実現のために、皆さんの力をお貸し願いたい!』

 

インドリトは弟子としてではなく、建国者として協力を呼び掛けた。であるならば、ディアンたちの取るべき態度は決まっていた。ディアンたち四人は、一斉に片膝をついた。ディアンは俯きながら、発言をする。

 

『よくぞ御決心されました。このディアン・ケヒト、貴方様の理想実現のために、この身を捧げましょう』

 

そしてディアンたちは其々に剣を抜き、両手で捧げた。名剣クラウ・ソラスが輝いた。

 

「ヴォウッ!」

 

尾を振りながら、ギムリが一声吠えた。

 

 

 

 

ドワーフ族の少年インドリト、時に十五歳。建国の決意を胸に、西ケレース地方へと帰還する。

 

そして、少年は「王」となる・・・

 

 

 

 




【次話予告】

帰郷したインドリトは、精力的に各部族を回る。部族の長も、インドリトを認め始める。ところがある日、西ケレース地方に災難が訪れる。黒い飛竜の来襲であった。インドリトは師に志願し、単身で飛竜退治へと向かう。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第ニ十一話「操竜子爵の誕生」

・・・耳ある者よ、聴けよかし・・・「(うま)き国」ターペ=エトフの物語を・・・


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第二十一話:操竜子爵の誕生

ターペ=エトフ建国時、国王インドリトは種族を問わず全国民から喝采を受け、国王に就任したと言われている。ドワーフ族の国王を龍人族や獣人族が受け入れるというのは、当時のディル=リフィーナでは考え難いことであった。インドリトがいかにして、彼らを納得させたのかについては、フレイシア湾近くの龍人族の村に、その一端が残されており、後世の歴史家のみならず、政治家たちにとっても、貴重な資料となっている。

 

理想国家ターペ=エトフの形成が段階的であったことは、研究から明らかになっている。インドリトの父、エギールが中心となり、産業振興と流通網の確立、商人招聘による他国との貿易拡大などが図られる一方、部族ごとの信仰、文化を保護するために西ケレース地方の全部族に共通する決まり事として「憲法」を制定し、各部族長による普及が図られている。部族長会議を通じて、相互理解の促進が進み、同時に各部族長に西ケレース地方全土の利益を考える「公益」の概念が浸透した。

 

また、西ケレース地方には人間族が少なく、ドワーフ族や獣人族などの亜人族が多かったことも、ターペ=エトフ建国の要因とも言われている。一概に決めつけることは出来ないものの、ラウルバーシュ大陸の歴史を見ると、戦争勃発の要因は「人間族の自己利益追求(Egoism)」にある場合が多く、亜人族たちが自ら率先して剣を握ったという事例は数えるほどしかない。後にレスぺレント地方から亡命をしてくる「悪魔族」たちも、この地に既に住み、ターペ=エトフの軍事を見ていた飛天魔族の支配を受け入れ、自分勝手な行動を取る者はいなかった。悪魔族は良くも悪くも「強者の論理」によって動くため、自分より圧倒的に強い存在に対しては、無条件で支配を受け入れる。この「強者の論理」が、ターペ=エトフでは良い方向に回転したと考えられている。

 

国王インドリトが「ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)」と呼ばれたのは、黒雷竜に乗り西ケレース地方中を周っていた姿が、ドワーフ族の神話を彷彿とさせたため、というのが通説である。いつから竜に乗るようになったかについては明らかではないが、竜族が支配を受け入れるという例は、ラウルバーシュ大陸の中でも数えるほどしかなく、ましてドワーフ族が竜を操ったという例は、インドリトを除いて皆無である。ドワーフ族はあくまでも「鍛冶の延長としての戦闘技術」を持っているに過ぎず、そのことからも、竜を従え魔神と戦う武力を持っていたインドリトは「隔絶した存在」と言えるのである。

 

インドリトの死後、魔神ハイシェラがターペ=エトフを支配した。だが間もなく、ハイシェラ追討の為にマーズテリア神殿がこの地に攻め寄せ、魔神ハイシェラはケレース地方より撤退するのである。

 

第一次ハイシェラ戦争時(ターペ=エトフ歴二百五十年頃)に誕生し、その後マーズテリア神殿の新しい聖女となった「ルナ=クリア」は、魔神ハイシェラの留守を狙い、ターペ=エトフの首都プレメルに侵攻する。ルナ=クリアは特に「プレメルの大図書館」「魔導技術研究所」を保護するように厳命していたが、マーズテリア神兵が攻め寄せた時点で、図書館の蔵書や魔導技術、膨大な財宝など、ターペ=エトフが三百年近くにわたって蓄積した財産は、その全てが消え失せていたと言われている。このため、後世の歴史家たちはターペ=エトフについて様々な仮説を打ち立て、「ターペ=エトフ学」という独自の科目を構える歴史家まで存在するのである。

 

マーズテリア神殿は、ターペ=エトフ滅亡後の重要人物について、行方を追跡している。特に魔神ハイシェラを三度にわたって退けた「ターペ=エトフの黒き魔神」については、その力の危険性から徹底した追跡調査が行われた。南方へ逃げたという噂話は得られたが、アヴァタール地方からニース地方を領する大国「エディカーヌ帝国」が非協力的であるため、それ以上の調査は進んでいない。ターペ=エトフ滅亡時の重要人物で、その後の行方が明かなのは、メンフィル帝国大将軍「ファーミシルス」のみである。だがファーミシルスは、国王リウイに対してですら、ターペ=エトフについての一切を語っておらず、財宝の行方についても、黒き魔神の行方についても、沈黙を守り続けている。

 

 

 

 

 

インドリトが木刀を振り、木の幹を打つ。木刀が弾き返される。肩で息をし、再び気を練る。心気を統一し、木刀を振る。

 

レスぺレント地方から戻ってきたインドリトは、建国の意志を父エギールに伝えた。エギールは目を細めて頷くと、インドリトを部族代表会議に出席させ、ドワーフ族の次期部族長として、各部族の長に紹介をした。この三ヶ月間は、各部族に挨拶回りをする一方で、師から教えられた「竜殺しの剛剣」の修行を続けている。

 

『ダメだ、また力任せになっているぞ。竜殺しの剛剣は、闘気の練りが全てだ。木刀の先まで、自分の闘気が伝わっていると感じるんだ。大切なことは想像力だ。木刀に闘気が伝わっている、木刀が剣となっていると限りなく現実的に想像するのだ』

 

ディアンが腕を組んで、修行の様子を見ている。インドリトは呼吸を整え、心気を研ぎ澄ました。目を閉じ、想像を巡らせる。自分の闘気が木刀を伝い、薄く纏っていると想像する。木刀が木刀ではなくなる。闘気を纏い、研ぎ澄まされた剣へと変わっていく・・・

 

『フッ!』

 

力を入れず、一振りをする。すると幹が両断された。腕ほどもある幹を木刀で切り落としたのである。ディアンが手を叩いた。

 

『その感触を忘れるな。完全に自分のものにするまで、木刀で修行を続けるのだ。闘気を操れるようになれば、お前の剣は今の何倍も鋭くなる』

 

インドリトが深く息を吐いた。今の感触を忘れないため、再び木刀を構えた。師弟の修行は夜半まで続いた。

 

 

 

 

 

『インドリト殿、あなたを疑うわけでは無いが、本当に我々の信仰や文化が守られるのでしょうか?』

 

獣人族の集落で、族長以下の主だった者たちが集まっている。西ケレース地方に統一国家を建国することは、部族長会議の中で合意がされている。だが共通の決まりとして「憲法」までは合意されたものの、実際の統治機構については様々な意見が分かれており、誰が国王になるのかなどは決まっていない。インドリトは部族代表会議の現状や国家となることの利点などを解り易く説明していった。

 

『大切なことは、お互いの信仰を認め合うことです。獣人族の皆さんは「紅き月神ベルーラ」を信仰されていますね。ベルーラは中立の現神です。一方で、ここから西に住むヴァリ=エルフ族は「闇の神ヴァスタール」を信仰しています。北東の龍人族は「古神の眷属」であり、「闇の月神アルタヌー」や「大地の神タルタロス」などを信仰しています。それぞれに信仰している神が異なり、文化も異なります。ですが、共通していることもあります』

 

『それは、何でしょうか?』

 

『生きている、ということです。生きている以上、食べる、寝る、働く、学ぶ・・・などをします。そして日々の中で喜怒哀楽があり、生きていることを実感しながら、幸福に生涯を終えたいと願っています。違いますか?』

 

『確かに、生きてはいるし、皆で楽しく暮らしたいという思いは、共通しているのかな・・・』

 

『幸福を求めているという点では変わりません。私はこう思うのです。信仰とは、幸福を追求するためにあるべきだと・・・不幸になりたくて神を信じる者はいないと思います。神を信じることで、日々の心の安らぎを得て、安定して幸福に生き続ける・・・皆さんはベルーラ神を信じて安らぎを得ていますね。ヴァリ=エルフ族はヴァスタールを、龍人族はアルタヌーを、ドワーフ族はガーベルを信じて安らぎを得ているのです。良し悪しの問題ではなく、安らぎの得かたが違うというだけなのです』

 

『なるほど、確かに、ヴァリ=エルフ族がベルーラを信じても、安らぎは得られそうにないわな』

 

『お互いに尊重をしあうとは、お互いに幸福追求を認め合い、協力し合うということです。何が幸福なのかはそれぞれに違うのですから、幸福を押し付けることは出来ません。相手の幸福を聞き、自分の幸福を語り、互いに協力をしあって、皆で幸福になる・・・そのための仕組みが「国」なのです』

 

インドリトは出来るだけ解り易く、言葉を尽くして個々人の疑問を解消していった。集落に一月近く滞在し、全ての民と言葉を交わす。誠実さと慈愛を持つインドリトは、いつしかインドリトは西ケレース地方の名士としてインドリトを国王に、という声が高まっていた。だがディアンは、それだけでは足りないと感じていた。国王となるには「厳しさ」も必要だからである。

 

 

 

 

 

インドリトが十六歳となり、半年が経過したころであった。プレメルにヴァリ=エルフ族の戦士が駆け込んできた。プレメルの北西部にあるヴァリ=エルフ族の集落が、竜に襲われているというのである。部族長会議はすぐに二百名の討伐兵を招集し、竜退治へと向かった。だが竜は雷の息を吐き、落雷を操った。幸いなことに死者は出なかったが、怪我人が続出したため、討伐兵は退却をせざるを得なかった。

 

『信じられん・・・あれは黒雷竜だ。とうに姿を消した幻の飛竜だ・・・』

 

『竜であれば、言葉を交わすことも出来るのではないか?』

 

『だが、誰が言葉を交わすのだ。近づいただけで雷に撃たれてしまう』

 

会議は沈黙に包まれた。ラウルバーシュ大陸には竜族の住処が点在しているが、黒雷竜は白炎竜と並び、竜族の中でも最上種の存在である。亜人族の中には「神」として崇める者までいるほどだ。沈黙を破ったのはエギールであった。

 

『あの竜と戦えるのは、魔神だけだ。心当たりがある』

 

 

 

 

 

『黒雷竜ですか・・・』

 

エギールの依頼に、ディアンは腕を組んだ。黒雷竜については、ディアンも知っていた。ディジェネール地方の龍人族族長から「南方に、黒雷竜の聖地がある」と聞いたことがあるからだ。黒雷竜は、悠久の時を生きる竜族の中でも、最も強く、最も思慮深く、最も知識を持つ存在と言われている。だが個体数が少なく、アヴァタール地方から西方にかけては、遥か昔に姿を消したと考えられていた。ディアンは疑問を感じていた。竜族は「叡智の種族」である。それが亜人族を一方的に襲ってくるなど、考えられないことである。

 

『この地から去ってくれるのであれば、それに越したことは無い。だがどうやら、ルプートア山脈を気に入ってしまったようでな。このままいけば、ヴァリ=エルフ族たちは集落を追い出されてしまう。「皆族は一部族のために・・・」これを実践するためにも、協力をして欲しい』

 

ディアンが承諾の返事をしようとする前に、インドリトが声を上げた。

 

『私が行きます。私に竜退治を任せて下さい!』

 

ディアンは黙っていたが、エギールが嗜めた。

 

『インドリト、二百名の討伐隊が追い返されたのだぞ?お前ひとりで、退治できるわけが無かろう。ディアン殿に任せるのだ』

 

『これは、西ケレース地方全体の問題です!仮に、先生の力を借りて今回の危機を乗り越えられたとして、また別の竜が来たらどうするのですか?その時、先生が不在だったらどうするのです?』

 

『しかし・・・』

 

『それに、竜が集落を襲ったというのも気になります。私の知る限り、竜は縄張りを尊重します。それが自ら攻撃を仕掛けてくるなど、余程の何かがあるとしか思えません。人を超える知恵を持つ竜であれば、語り合うことで解決が出来るはずです。竜討伐ではなく、竜との対話を私に命じて下さい!』

 

『自信はあるのか?インドリト』

 

『ありません。ですが、越えなければならない試練だと感じています』

 

「自信がある」と応えていたら、ディアンはインドリトを行かせないつもりであった。だがインドリトは何かを感じているようだ。死ぬ可能性が高くても「行かなくてはならない」と思っている。そうした直感は無視できない。ディアンは決断した。

 

『わかった。お前に任せよう。万一の時は、あとは私に任せなさい』

 

『ディアン殿!』

 

『インドリトは王になります。ですが、国を纏め上げるには、もう一段が必要です。「王の証明」です。これは賭けです。インドリトの運を信じましょう』

 

 

 

 

 

翌日、インドリトが出発をするに当たって、父エギールが見送りに来た。一振りの剣を持っている。

 

『これは、お前の為に鍛った剣だ。持っていきなさい』

 

インドリトの背に合わせて鍛たれたようで、中型剣より少し短い。だが相当な鍛え方をされたのだろう。美しさと逞しさを備えた剣であった。インドリトは父に謝して、背に背負った。

 

『先生、では行ってきます』

 

姉三人は心配そうな表情をしているが、ディアンは黙って頷いた。朝焼けの中、インドリトはルプートア山脈西方を目指して出発した。インドリトの姿が消えたあと、レイナがディアンに囁いた。

 

『本当に、独りで行かせていいの?』

 

『・・・弟子を死なせるわけにはいかないな』

 

その言葉で、レイナは察した。急いで家に入った。

 

 

 

 

 

『インドリト殿、あなた御一人なのですか?他の兵たちは?』

 

ヴァリ=エルフ族の男が驚いて問いかけてきた。インドリトは頷き、事情を説明した。

 

『私が志願したのです。竜族は縄張りを重んじるはずです。それが襲ってくるとは、余程の事情があるに違いありません。私に任せて下さい。竜を説得して見せます』

 

『しかし、こちらの問いかけには一切応えず、近寄る者には雷を吐くのです。あなたも・・・』

 

『万一の時は、私の師が解決してくれます。大丈夫です。どうか私を信じて下さい』

 

半信半疑ながらも、インドリトに竜がいる場所を教えた。一晩、集落で過ごし、日出と共に出発する。山道を歩いて四刻が過ぎた頃、竜の気配が漂い始めた。当然、あちら側もインドリトの気配を察しているはずである。更に歩みを進めると、中腹の平らな場所に、飛竜が鎮座していた。思ったほどには大きくない。まだ若い竜であった。姿が見えた瞬間、いきなり落雷に襲われる。

 

『クッ!!』

 

インドリトは魔術障壁結界を張り、落雷を受け流す。次に雷息が吹き付けられる。今度は物理障壁結界だ。上級竜族を相手にする場合は、物理障壁と魔術障壁を使い分けなければならない。同じ雷系の攻撃でも、読み間違えれば直撃を受けてしまう。インドリトは少しずつ進んだ。竜は攻撃を止めると、いきなり飛び上がり、尾を使った攻撃を仕掛けてきた。剣で受け止めるが、あまりの力に体ごと吹き飛ばされる。岩に叩きつけられ、一瞬、息が止まった。だが倒れることは無い。再び竜に近づく。すると竜が語りかけてきた。

 

『寄るな、これ以上近寄れば、命は無いぞ』

 

インドリトは立ち止まると、剣を納めた。両手を開き、竜の言葉に応じる。

 

『私の名はインドリト、西ケレース地方に住むドワーフ族の次期族長です。竜殿にお聞きしたい。あなたは何故、それほどに猛っておられるのですか?竜族は縄張りを重んじ、思慮深く、全ての部族からの敬意を受ける存在のはずです』

 

すると竜は、鼻から息を噴いた。

 

『敬意を受ける存在・・・確かに昔はそうであったろう。だが今は違う。竜族の縄張りは徐々に侵されている。そればかりか、牙や鱗を求め、我らを殺戮する輩までいる。我が暮らしていた東域では、人間族たちによって竜狩りが行われ、多くの同胞が失われた。もはやこの世界に、竜を重んじる者などおらぬ!』

 

『そうでしたか、そんなことが・・・ですが、この地では違います。この地は「全ての種族の繁栄」を願っています。貴方が希望されるのであれば、この地に土地を用意しましょう。どの種族も縄張りとしていない土地がまだあります。そちらに移り住んで頂くことは出来ませんか』

 

『信用できぬな。これまで「種族を超えた繁栄」など実現した土地は無い。口ではそう言いながらも、結局は自らのことだけを考える。人間族も、亜人族も、闇夜の眷属も同じだ!』

 

『あなたがた竜族は、どの種族にも味方せず、孤高を保たれる存在です。そのため「全ての種族が敵」と見えてしまうのではありませんか?この地では違います。この地では、「全ての種族は味方」なのです。互いを認め合い、共に繁栄を目指すために纏まろうとしています。あなたも、私たちと共に生きませんか?』

 

『・・・もうよい。ドワーフ如きが竜族に説教など、身の程を知るが良い。これ以上は語る意味はあるまい。退かなければ、お主を殺す!』

 

『語り合うことは最も尊いことです。叡智の種族「竜族」であれば、言葉によって解決を図るべきではありませんか?』

 

『黙れっ!』

 

雷息が至近距離から浴びせられる。インドリトの張った結界でも完全には防ぎきれない。身体中に雷の衝撃が走る。だが、インドリトは言葉を止めなかった。

 

『黙りません!共に生きる道が必ずありますっ!』

 

『小僧が・・・我が拒否すると言っておろうがっ!』

 

尾が振られる。インドリトは辛うじて躱した。鱗によって顔の皮が裂け、血が噴き出す。

 

『どうしても、共に生きられないのですか?私たちは解り合えないのでしょうか?』

 

『小賢しいぞ!』

 

竜の咢がインドリトに噛みつこうとする。インドリトは剣を抜いた。

 

『竜殺しの剛剣!』

 

肩から腹部に掛けて、竜の牙がめり込む。だがインドリトの放った剣が、竜の頸を切り裂いた。血を噴出させながら、竜が倒れた。インドリトも重傷である。腹部に突き刺さった牙は、内臓まで達していた。だがインドリトは這いながらも竜に近づき、傷口を押さえた。竜が語り始めた。

 

『我を心配するか・・・お主も、その傷では長くは無いぞ』

 

『何故です。何故、そこまで他種族を敵視するのですか・・・』

 

咳こみながら、インドリトは尋ねた。竜が瞑目して語り始めた。

 

『東域にあった竜族の聖域・・・その地に人間族が踏み入り始めた。我らは警告したが無視された。止むなく戦ったが、人間族たちの力は大きかった。我らは徐々に圧され、やがては駆逐され始めた。他の種族たちは、ただ我らが滅びるのを見ているだけであった。我ら自身が、彼らとの付き合いを拒絶していたこともあるが、次は自分たちという恐怖もあったのだろう。我は親兄弟を失い、独り逃げざるを得なかった・・・』

 

『ですが、この地では・・・』

 

『解っている。街を見て驚いた。ドワーフ、獣人、龍人、さらには悪魔族までが共に働き、笑い合っている・・・我には理解できなかった。この地なら、我も生きられるのではないか・・・そう思った。だが、我の中に拭い難い怒りがあった。そう、我は自らの責で呪いに掛かっていたのだ。全ての種族を不審に思った我は、遠からず破壊と殺戮に狂奔する邪竜となる。ならばせめて、この地を見ながら死にたいと思った』

 

『どうして・・・どうして言って頂けなかったのですか!そうすれば・・・』

 

低い声で竜が嗤った。

 

『邪竜になるなど、言えるわけが無かろう。竜族にも矜持がある。もう喋るな。我は死しても構わぬが、お主は生きねばならぬ』

 

インドリトは血を吐きながらも傷口を抑え続けた。回復魔法の使い方を自分は知らない。学んでおけば良かったと、後悔する。腹部から血が噴き出し、意識が遠くなる。

 

『誰か・・・』

 

身体から力が抜けていく。死が近いことを感じた。竜の声が聞こえるが、何と言っているか解らない。意識が途切れようとしたとき、身体から光が沸きだした。

 

『大いなる癒しの風ッ!』

 

インドリトの傷口が塞がっていく。ディアンとレイナであった。ディアンがインドリトを抱え上げる。

 

『せ、先生・・・』

 

『スマン、遅くなった・・・もう大丈夫だぞ』

 

意識を取り戻したインドリトは、思い出したように竜の傷口を抑えようとした。出血が激しい。インドリトはディアンに頼んだ。

 

『・・・解った。お前の判断を信じよう』

 

ディアンは竜の傷口を回復させた。出血により意識を失っていた竜が気づく。ディアンは警戒したが、竜は黙ってインドリトを見下ろしていた。インドリトは進み出た。

 

『あなたは自分で自分に呪いを掛けたと言われました。ならば、自分で解くことも出来るのではありませんか?私たちと共に、この地で生きて下さい。全ての種族が、あなたを歓迎します』

 

『だが我は、ヴァリ=エルフや他種族を傷つけている。その責は取らねばなるまい』

 

『・・・ならば、こうしてはどうでしょう?この地には間もなく、国が出来ます。そして私は、王になります。私が生きている間、王国の為に働いて頂きたいのです。あなたの力を貸して下さい』

 

『・・・我を家臣にしようというのか?』

 

『いえ、友として共に生きて頂きたいのです』

 

竜はしばし瞑目し、頷いた。

 

『・・・我が名は黒き雷竜「ダカーハ」、インドリト王の友として生きよう』

 

ダカーハは身を低くした。乗れということである。ディアンがインドリトを促した。インドリトは笑顔になり、ダカーハの背に乗った。翼が羽ばたき、竜が天に昇る。凄まじい速度で、プレメルへと向かった。ディアンは目を細めて、その姿を見送った。

 

『・・・まさか、竜を説得してしまうとはな。インドリトは、オレの想像を超える王になるかも知れん』

 

レイナは嬉しそうに、ディアンの手を握った。

 

 

 

 

プレメルの街は大混乱になっていた。大広場に突如、竜が舞い降りたからである。だが背からインドリトが飛び降りると、混乱も収束に向かった。

 

『部族長の皆さんを呼んで頂けませんか?私から事情を説明します』

 

飛び出してきた各種族代表に、インドリトが説明をした。雷竜ダカーハがこの地に住むことを望んでいること、これまでの責を取り、西ケレース地方の為に力を発揮すること、などを説明する。インドリトがこの場で了承の決議を促した。族長たちは顔を見合わせた。いきなり「竜が住む」と言われて、ハイそうですか、とはいかないからだ。すると、広場の一角から声が挙がった。

 

『・・・エトフじゃっ!』

 

ドワーフ族の老婆が跪き、手を合わせている。

 

『神竜を操り、ドワーフ族を繁栄に導いた伝説の王、エトフ王の再来じゃっ!』

 

ネイ=ステリナから伝わる神話のドワーフである。お伽噺になっているため、エトフの名を知らないドワーフはいない。一角からエトフ、エトフと声が拡がっていく。ドワーフたちが次々と跪いていく。エギールが決議を取った。

 

『ダカーハ殿の移住、私は賛成する。この地は、全ての種族の楽園、竜族であろうと例外は無いっ!』

 

他の族長たちも賛成の声を上げた。全会一致で、ダカーハの移住が認められた。インドリトは嬉しそうに、ダカーハの頸を撫でた。決議が終わった後、エギールが膝をついた。インドリトは慌てた。

 

『ち、父上?』

 

『いま、部族長会議では国造りを話し合っています。ドワーフ族は、あなた様を「王」として推薦します。他の族長たちも賛同するでしょう。国王就任の準備を進めて下さい』

 

そして、エギールは笑顔になって小さく言った。

 

『父は誇りに思うぞ、インドリト』

 

インドリトは涙を堪えるのに苦労した。

 

 

 

 

 

部族長会議は、その日のうちに雷竜ダカーハの移住を正式に認め、プレメルの街から南方、ルプートア山脈の一部を竜族の住処として決定した。またエギールが、国王としてインドリトを推薦すると、これも全会一致で認められた。インドリトの人格は多くの種族で認められていた。さらに今回で、その力を示すことになり、獣人族やヴァリ=エルフ族も納得したからである。だが若すぎることが問題であった。それにすぐに王にすることも出来ない。手続きが必要なのだ。インドリトが成人になるのを待って、国王として迎えること、そのための王宮を建造することが決定された。

 

『成人、あと三年と少しか・・・』

 

ディアンの家に遣いが来て、インドリトに決議内容を伝えた。傷が完全に癒えたインドリトは、ダカーハと共に各集落を周りながら、ディアンから直々に修行を受け続けている。剣術や魔術は既にディアンの下を離れて、自分一人でも修行が出来る程になっていた。いずれはレイナたちに伍する腕に達するだろう。

 

『王宮の建築に当たって、インドリト殿の意見を聴きたいというのですが・・・』

 

『設計者は誰なのです?』

 

『一応、ドワーフ族の中から選ぶようです』

 

『先生・・・』

 

『私も同じことを考えていた。ピッタリの人物がいる。明日にでも説得に行こう』

 

ディアンとインドリトは互いに頷き合った。「王宮を建てたい」と言えば、嬉々として協力するであろう「芸術バカ」を思い出したのであった・・・

 

 

 

 




【次話予告】

部族長会議において、インドリトの成人を待って「王」とし、西ケレース地方に国家を打ち立てることが決められた。「美を愛する魔神」の協力を得て、ルプートア山脈への王宮建造が始まった。しかしその工事中、山中に未知の洞窟への入り口が発見される。ディアンは調査のために、洞窟へと向かう。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第ニ十ニ話「プレメルの界炉」

・・・耳ある者よ、聴けよかし・・・「(うま)き国」ターペ=エトフの物語を・・・


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第二十二話:プレメルの界炉

ディル=リフィーナは、元々は「イアス=ステリナ」と「ネイ=ステリナ」という二つの世界であった。数千年前に、イアス=ステリナの科学者たちが、並行世界であったネイ=ステリナを発見し、異なる次元の存在が相互に繋がったことで、やがて融合してしまったと言われている。時空間が異なる二つの世界の融合は、大きな(ひず)みを生み出した。ディル=リフィーナ成立以降も、その歪みは各所に残り、「異界」と呼ばれる異空間を形成している。歪みの代表例としては、ラウルバーシュ大陸西方の「テルフィオン連邦」にある「歪みの主根」である。歪みの主根は、テルフィオン連邦北部の街「エテ」の地下に存在する大迷宮であり、訪れる度に内部構造が変化し、ディル=リフィーナ各地と繋がっていると言われている。エテの街には「異界守」と呼ばれる迷宮探索の専門家が存在し、日々変容する迷宮の探索及び漂着する異物の保護を行っている。

 

このような「歪み」は、ディル=リフィーナの各所にみることが出来、死者の魂が流れ着くという「冥き途」にも、異界へと繋がる門が存在すると言われている。また、思いもかけず異界の口が開く場合もあり、その口に飲まれると異界へと飛ばされると言われている。この現象を「神隠し」と呼び、神隠しにあった者が生還したという例は限りなく少ない。

 

悪魔族の中には、ディル=リフィーナ特有の「歪み」を意図的に発生させることが出来る者もいる。彼らを「歪魔」と呼び、異界に繋がる門を開閉出来るばかりか、その門を使って瞬間的な移動を可能としている。転送魔術自体は、現神や魔神も使用する魔術体系の一種であり、「転送機」などに応用されている。しかし転送機は「異界を経由した通り道」に過ぎず、転送機同士を魔術によって繋ぐため、異界そのものに行くことは出来ない。一方、歪魔族はディル=リフィーナの「あらゆる場所」に瞬時に移動することが出来、異界そのものにも行くことも可能と言われている。歪魔族は、ディル=リフィーナ成立後に誕生した「新種の悪魔」と言われており、彼らがどうやって異界の門を操作しているのかは、魔術師たちの大きな研究課題となっている・・・

 

 

 

 

 

『まずは山道を拓き、建設予定地に昇降機を設けるのだ。岩場を平らに均す。王城となる以上、堅固でなければならぬ。しっかりと基礎を打つのだ』

 

美を愛する魔神アムドシアスは、設計図を両手で持ちながら指揮を執った。ディアンに諭され、魔神の気配を抑えている。インドリトはその様子が可笑しかった。アムドシアスは魔神である。本来であるなら破壊に喜びを見出すはずだ。だがアムドシアスは建設で喜んでいる。インドリトはアムドシアスを説得した場面を思い出した。

 

≪なに?我に王城建設を依頼すると?正気か?≫

 

魔神アムドシアスは、次期国王インドリトの要請に眉を顰めた。ディアンやインドリトは既に面識があり、それなりに信頼関係はある。だが王城というのは国家の機密事項である。それを自分に任せるなど、信頼され過ぎという感覚を持ったのだ。インドリトは微笑みながら話した。

 

『私は、レスぺレント地方への旅で、魔神グラザ殿と話をしました。グラザ殿は魔神の破壊衝動を抑えることに苦しんでいました。そこで不思議に思ったのです。アムドシアス殿には、そうした破壊衝動は無いのかと・・・私はこう考えました。アムドシアス殿は破壊衝動を美の追求に転換されているのではないか、美には破壊衝動を抑える力があるのではないかと。新しい国は、多くの種族が集まり、他国からも使者が来るでしょう。「美の力」によって、平和を実現できたらと思うのです。「美の力」を示すためのご協力をお願いできないでしょうか?』

 

«「美の力を示す」か・・・»

 

腕を組み、真剣に考えている様子を見せてはいるが、明らかに乗り気になっている。更にインドリトがトドメを刺す。

 

『この美しい白亜の城・・・このような城を建てられないかと思うのです。私はことさら贅沢をしたいとは思いませんが、王宮は国威を顕わすと言います。新しい国に相応しい、美しい城を建てたいのです』

 

«うむ、新王は優れた審美眼を備えているな。良かろう。美を解する者が増えることは、我にとっても喜ばしいことだ。我が腕にヨリを掛けて、ラウルバーシュ大陸で最も美しい王城を建てて見せよう»

 

そして今、魔神は嬉々として王宮建設に取り組んでいる。ドワーフ族や獣人族たちも、魔神の指揮を受け入れている。インドリトやディアンも一緒に働いているからだ。

 

『インドリト様、あなた様は王になるのです。このような仕事は・・・』

 

そう嗜める者もいたが、インドリトは「自分が住む家は自分で建てる。それがドワーフ族の文化です」と言って、率先して物資を運んでいる。無論、毎日出来るわけでは無い。部族長会議に参加をする必要もあるし、他種族を周る活動は欠かせないからだ。だが、インドリトが一緒に働くという効果は絶大であった。新国王への期待は日々、高まっていた。

 

 

 

 

 

基礎が打ち終わり、万一の脱出路を兼ねた地下道が掘り始められたある日、叫び声と共に地下から作業をしていたドワーフたちが逃げ出してきた。インドリトが何事かと尋ねると、横穴が発見され、見たことも無い魔物が出てきたと言うのである。インドリトは剣を用意し、地下に降りようとしたが、ディアンが止めた。

 

『インドリト、お前は行くな。私が行こう』

 

『ですが・・・』

 

『私がいなくても、国は出来る。だがお前がいなければ、国は成り立たぬ。もはやお前は、お前ひとりの存在ではないのだ』

 

インドリトは頷き、ディアンに命じた。

 

『ディアン・ケヒト殿、地下に出現したという魔物の駆逐、および横穴の調査をお願いします。危険が無いようであれば、横穴を制圧し、王城の地下室としますが、もし難しいようであれば、封鎖をしてしまいます』

 

『しかと承りました』

 

ディアンはクラウ・ソラスを背負い、レイナとグラティナを連れて地下へ降りた。ファーミシルスは万一に備え、地上で待機している。最悪の場合は、地下そのものを封鎖するように命じた。

 

 

 

 

 

地下に降りたディアンたちは、見たことも無い魔物に驚いた。四角い岩のようなものが浮いている。ディアンは万一に備え、魔神へと変じた。だが魔神の気配にもまるで臆する様子が無い。それどころかいきなり飛びかかってくる。ディアンは両断したが、二つに割れた岩は再び結合する。

 

≪これは・・・魔物ではない。何らかの精霊だ。だが、こんな精霊がいるのか?≫

 

すると様々な色をした岩が出現した。赤や茶、青い岩もある。ディアンは試しに、赤い岩に向けて炎を放った。すると岩が増殖した。

 

≪なるほど。色によって属性が異なるわけか。面白い≫

 

クラウ・ソラスに込める魔力を変えながら、次々と岩を攻撃する。レイナやグラティナも魔法で攻撃をする。属性攻撃を受けた岩は次々と破壊されていく。単純な物理攻撃では倒せない魔物はラウルバーシュ大陸にも存在するが、大抵は「不死属性」の魔物である。これは明らかに異質であった。ドワーフたちが掘り進めた竪穴から魔物を駆逐すると、繋がった横穴の前に立つ。横穴の先は暗黒であった。ディアンは松明を中に入れてみる。

 

«どうやら、空気はあるようだな・・・»

 

ディアンは先行して中に入った。

 

 

 

 

 

洞窟内は全く光の刺さない暗黒であった。幸いなことに魔物などは出てこない。ディアンたちは松明を片手に慎重に進んだ。ディアンは首を傾げた。

 

«あの精霊たちは、どこから来たんだ?»

 

洞窟を進むと、行き止まりであった。他の道を進んでも同じである。ディアンたちが入った洞窟は、どこにも繋がっていない「空洞」だったのである。ディアンが訝しんでいた時、グラティナが声を上げた。

 

『みんな!こっちに来てくれ!』

 

ディアンとレイナが声がした方に行く。グラティナが青ざめた表情をしている。

 

『なぁディアン、この洞窟は、城建設のために山を掘り進んでいたら、偶然見つかったんだったな?』

 

«あぁ、そのはずだが?»

 

『つまり、この洞窟はそれまで、ルプートア山脈の中にあった「未踏の空洞」だったってことだな?』

 

頷くディアンに対し、青い顔をしたグラティナが、暗闇に松明を向ける。

 

『・・・なら、これはどう説明するのだ?』

 

そこには、ボロボロの服をきた白骨化した死体が転がっていた。

 

 

 

 

 

『・・・かなり前の死体だな。この服装を見るに「冒険者」か?』

 

人間に戻ったディアンは、死体の観察を行った。レイナが灯りを持ってくれているが、グラティナは死体を見たくないようで、周囲の見張りをしている。魔神すらも恐れないグラティナが、物言わぬ死体を怖がるというのが、ディアンは可笑しかった。死体は微生物によって分解され、完全に白骨化しているが、それ以外の手がかりが見当たらない。ディアンは周囲を灯りで照らした。死体から数歩離れた岩の上に、手帳のようなものが落ちていた。ディアンは慎重に手帳を開いた。ボロボロのため、読めない箇所もある。読める部分だけ、声に出して読み上げる。

 

「●月●日、エテの主根に潜る。息子も同行した。未知の魔物が出現したが、息子は恐れることなく火炎魔術で撃退した。息子の魔術は既に私を超えている。父として頼もしく思う」

「油断であった。突如、歪みが大きくなり飲み込まれてしまった。息子を突き飛ばし、私だけが異界に飛ばされた・・・この地は未知の魔物が横行している。どのように戻るか検討もつかない」

「魔の気配を放つ山程の巨体を持った魔物に出くわした。私は慌てて逃げた。あれは魔神に違いない。一体、ここはどこなのだ?」

「恐怖の時、漆黒の夜が来た。夜空に目を凝らすと、黒い円が見える。あれは闇の月ではないのか?それであればここはディル=リフィーナ世界の何処かということになる」

「この世界は・・・行けども行けども、同じ場所にでてしまう。まるで空間が閉じているかのようだ」

「再び歪みが発生した。だが元の場所に戻れるだろうか。私は飛び込む勇気がなかった」

「ここにいて、助かるとは思えない私は・・・」

「賭けは外れた。この洞窟は完全に閉じている。ここから出る術はない。私の命運は尽きた」

 

ディアンは読み進めた。最後の頁を読み上げる。

 

「水も食料も尽き、灯りも間もなく消える。暗闇の中で生きる自信はない。私は自害する。だがその前に、最後に一目、息子に会いたい。息子は十五歳だった。あれからどれだけ、時が経ったか解らない。息子よ、ここで死ぬ父を許してくれ」

 

灯りが切れたのか、其処から先は何が書かれているのか読めなかった。だがディアンは、これら断片的な情報から一つの結論を出していた。

 

『この男は、歪みに飲まれ、ディル=リフィーナの別の大陸に飛ばされたんだ。「閉じた世界」「巨大な魔神」・・・ 恐らくは「神の墓場」だろう。そして再び歪みが発生し、元の世界に戻るために飛び込んだ。その結果、この洞窟に着いてしまったのだ・・・』

 

ディアンは瞑目した。死の間際まで諦めることなく、記録し続けた男の精神力に敬意を持った。レイナに灯りを託し、白骨体を抱え上げる。

 

『せめて、陽の光の下で眠らせてやろう』

 

『・・・そうね』

 

『この洞窟はどうするのだ?魔物などはいないが・・・』

 

『あの精霊達は、異界から来たのだろう。ということは、この洞窟は少なくとも二度は、異界に繋がっている。三度目が無いとは限らない。封鎖すべきだろうな』

 

報告を受けたインドリトは結界を張り、さらに岩を積み上げて洞窟の出入り口を完全に塞いだ。後世において「プレメルの界炉」と呼ばれる異界への出入り口は、こうして封鎖されたのであった。

 

 

 

 

 

 

遺体を丁重に埋葬したディアンは、その夜の食事中に、一つの仮説を披露した。

 

『あの可哀想な冒険家には、十五歳になる息子がいた・・・』

 

『ディアンが読んでいた手帳に、そう書いてあったんでしょ?』

 

『そしてあの男は、エテの主根に飲み込まれたと書いていた。エテの主根とは恐らく、西方の巨大な歪み地帯「歪みの主根」のことだろう』

 

『それが?』

 

『ブレアード・カッサレは、十五歳の時に、西方の歪みを探索中に父親を失ったと言っていた』

 

『!!』

 

レイナたちが互いに顔を見合わせた。

 

『まさか・・・あの男は・・・』

 

ディアンは首を横に振った。

 

『証拠は何もない。あの手帳に、ブレアードの名前も、カッサレの姓も出てきていない。だが、状況的には符合する。父が死の間際まで心配をしていた息子は、その才能を開花させ、ディル=リフィーナ史上最大の魔術師となり、志を持って破壊神と大戦争を繰り広げた・・・ そう思うと、少し救われたような気がしてな』

 

ディアンはそう言うと、杯を掲げて飲み干した。

 

 

 




【次話予告】

王宮建設が進む中、インドリトは国王就任前の挨拶として、レウィニア神権国を訪れる。レウィニア国王との会談終了後、インドリトは神殿に呼ばれる。奥の泉で美しき神に出会う。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第ニ十三話「美神への挨拶」

・・・耳ある者よ、聴けよかし・・・「(うま)き国」ターペ=エトフの物語を・・・


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第二十三話:美神への挨拶

ターペ=エトフは、その経済力に相応しく眩い程に豊かな国であった。だが、国王インドリトの生活はそれほど贅沢なものではなく、むしろ質素であったと言われている。美女を集め、美食を極める凡俗な権力者が多い中、インドリトの情熱は「種族を超えた繁栄」の実現に傾けられていた。そのため、その食生活などは民衆たちと大して変わらないものであった。

 

その中で、唯一の「贅」と言えたのが「プレメルの王城」である。同盟国であったレウィニア神権国には、ターペ=エトフの王宮の様子が克明に残されており、後世の歴史家にとって貴重な資料となっている。王宮は「ターペ(絶壁)」の名にふさわしく、ルプートア山脈南部の高所にあり、登山道を使って登る必要があった。そのため王宮までの昇降機が用意されていた。王宮は高所対策としてルプートア山脈の温泉が引かれており、宮殿は暖かく、庭園には噴水があり、観葉植物が植えられ、宮廷宴が催されていた。謁見の間は音響が計算されており、インドリトの声は全員に聞こえるように設計されている。元老院が開かれる円卓会議場、南方の果実を栽培する温室、飛竜ダカーハのための専用部屋も用意されていた。白大理石で外壁が覆われ、日光に輝く白亜の城であったと言われている。

 

ラウルバーシュ大陸でも屈指の「名城」と言われた王城は、魔神ハイシェラの統治以降、この地に侵攻してきたマーズテリア神殿によって破壊され、現在では辛うじてその形を見て取れるに過ぎない。マーズテリア神殿の聖女「ルナ=クリア」は、先行した神殿兵による破壊行為に憤りを示したと言われている。

 

 

 

 

 

地下道工事が終わり、いよいよ王宮建築が始まっている。インドリトは相変わらず、資材搬送などを手伝っているが、国王となる以上はいつまでも大工をしているわけにはいかない。西ケレース地方が国家形成に向かっていることは、遠くレウィニア神権国まで伝わっており、今後の外交関係を考えれば、建国前に挨拶をしておくべきであった。インドリトとディアンは僅かな供回りを連れて、レウィニア神権国へと向かった。

 

『先生、レウィニア神権国とはどのような国なのですか?』

 

馬上で揺られながら、インドリトが尋ねる。流石に他国に訪問するのに「飛竜」に乗っては行けない。ディアンはレウィニア神権国について説明をした。

 

『レウィニア神権国は、水の巫女という土着神を信仰する「レウィニア教」という宗教を国教としている。とは言っても、それ以外の宗教を認めないというわけではなく、大多数の民衆たちが自発的に信仰しているに過ぎない。レウィニア教の最大の特徴は、他の宗教と異なり「神が実在すること」だ。水の巫女は、これから行く首都「プレイア」に実在している』

 

『神が、街に住んでいるのですか!凄いなぁ!』

 

『水の巫女は滅多に人前に姿を見せないが、私は幾度か会っている。彼女の気分次第では、会えるかもしれないな。さて、レウィニア神権国はこのように、水の巫女を「絶対君主」とする宗教国家だが、水の巫女自体が政治を行っているわけではない。実際の政治は、水の巫女の使徒である「国王」が行っている。国王は統治のために「貴族」を指名し、国王と貴族および役人たちによる政治体制になっている』

 

『貴族?それは、部族長の方々のようなものでしょうか?』

 

『いや、全く違う。部族長会議は、各種族の代表で構成される。そして、その代表を選ぶのは、各種族の民衆たちだ。だが貴族は違う。貴族は国王が任命する。つまり民衆と切り離されているのだ。レウィニア神権国では、民衆と政治が切り離された政治体制になっている』

 

ディアンは少し苦い表情をした。その様子を察したのか、インドリトが話題を変えた。

 

『水の巫女とは、どのような方なのですか?先生は、何度かお会いになっているんでしょう?』

 

『美しい神だ。その表情は硬質で、一見すると取っ付き難く、冷たい印象を受けるが、実際はとても感情豊かな神だ。そして、レウィニアに住む民を心から大切にしている。それに面白いのが、土着神だということだ。つまり光でも闇でもない。レウィニア教の教典を読んだことがあるが、その教えは「自然信仰」に近い。ガーベル神とも通じるものがある』

 

『プレイアの街には、リタ殿もいらっしゃいますね。久々にお会いできるのが楽しみです。レイナ殿たちをお連れできなかったのが残念です』

 

『あの「芸術バカ」を監視する役が必要だからな。お前と私が国を離れる以上、あの魔神を止められる者が必要だ。レイナ、ティナ、ファミの三人がいれば大丈夫だろう』

 

『というより、アムドシアス殿がそんな暴挙をするとは思えませんが・・・』

 

アムドシアスの熱の入れようは更に激しくなっていた。楽隊まで呼び寄せ、音響の計算などを始めている。まるで自分が住む城を建築するかのような情熱に、ドワーフ族たちも次第に魔神を信用し始めていた。

 

 

 

 

 

レウィニア神権国の首都「プレイア」は、ニ十万人の人口を擁する大都市である。あまりの人の多さに、インドリトは驚いたようだ。東西南北から様々な産物が集まり、人々は活気に満ちている。インドリトは眩しそうにその様子を見たが、あることに気づいた。人間以外が存在しないのである。ディアンが説明した。

 

『アヴァタール地方は人間族が最も多い地方だ。特にブレニア内海沿岸地帯は、「人間族の縄張り」と言えるだろう。ドワーフ族やエルフ族が迫害されることは無いだろうが、注目を受けるのは確かだろうな。まぁ、あまり気にするな。大抵の人間族は善良だ』

 

門を潜ったところで、王宮からの使者が待っていた。既に使いを送っていたためか、馬車が用意されている。インドリトは初めて見る白亜の馬車を眺めて首を傾げた。インドリトとディアンが馬車に乗り、供回りはその後ろを馬で付いて来る。車中でディアンが尋ねると、インドリトが質問をしてきた。

 

『思うのですが、この「馬車」というものは、あまり役に立たないのではないでしょうか?私たちを運ぶために六頭もの馬を必要とします。私と先生のために馬を用意すれば二頭で済むのに』

 

インドリトは虚飾という発想がなく、どこまでも実際的な思考をする。ディアンは笑った。

 

『要するに、貴族や役人が「自分の権威」を示すための虚栄だ。無意味だとは思うが、人間族の国には必要なのさ』

 

『権威・・・ですか?別にそんなものを自ら誇示しなくても、国を強くし民を富ませれば、周りから自然と認められると思うのですが』

 

『全くだ。インドリト、レウィニア神権国は参考にするな。ここはあくまでも「人間族の国」なのだ。お前がこれから打ち立てる国は「全ての種族のための国」だ。例えば、ダカーハを思ってみろ。彼に下らぬ虚飾などは通じぬ。国には権威が必要だが、為政者に必要なのは「敬意」なのだ。お前が国を思い、民を思って治世をすれば、自ずから敬意を示されるようになる』

 

 

 

 

 

国王への挨拶は、王の「私室」で行われた。インドリトは未だ「国王」ではない。そのため上下関係が明確な「謁見の間」で挨拶となっても文句は言えない。だが先を見越した国王が、私室を選んだようである。以前、謁見をした時は凡庸な「元神官」に見えたが、その程度の判断は出来るようだ。インドリトは礼儀に沿って、国王に挨拶をした。この辺はレイナ仕込みである。国王ベルトルト・レウィニアは、インドリトとの対談を喜んだ。

 

『ケレース地方に新しい国が建国されることは、レウィニア神権国にとっても喜ばしいことです。既に交易も盛んなようで、貴国産の武器や素材、オリーブ油などがプレイアでも普及しています。私は特に「石鹸」がお気に入りで、入浴の際にはいつも使っていますよ』

 

『有難うございます。私たちも、レウィニア産の小麦で焼いたパンを常食しています。今後も両国の交流、交易を盛んにし、共に平和に、豊かになりたいと願っています』

 

軍事同盟ではないが、友好関係を結ぶことが会談で約束された。建国され次第、友好条約を正式に締結する予定である。亜人族では口約束が多いが、人間族を相手にする場合は、書面で残すことが大原則なのだ。友好的な会談が終わり、離宮の迎賓館での宿泊の予定であったが、その前に神殿から使者が来た。水の巫女からの呼び出しであった。

 

 

 

 

 

 

『先生は一緒ではないのですか?』

 

『水の巫女が呼んだのはお前だ。私は神殿の中で待っている。大丈夫だ。取って喰われることも、お説教も無い。ただ会えば良いだけだ』

 

インドリトは頷き、神官に連れられて神殿の奥へと向かった。奥の泉へと繋がる扉が開かれる。広大な水面が光を反射し、インドリトは目を細めた。泉の中央に亭があり、そこに伸びる桟橋が架けられている。

 

『中央に石像があります。泉に手を入れて下さい。水の巫女様が姿を現します』

 

言われたとおり、中央の亭に行き、泉に手を入れる。少し冷たい水であった。石像が神気を放ち、水の巫女が現れる。その美しさに、インドリトは陶然としてしまった。

 

『良く来てくれました。インドリト殿。長旅でお疲れでしょう』

 

硬い表情という師の言葉を思い出す。確かに笑顔はなく、冷たい印象を受ける。だがインドリトはその瞳に慈愛を見出していた。膝をついて挨拶をする。

 

『西ケレース地方、ドワーフ族族長エギールの息子、インドリトです。疲れなどありません。水の巫女様に御目文字が叶いましたこと、終生の喜びと致します』

 

水の巫女はしばらく、インドリトの顔を見つめ、頷いた。

 

『良い顔をしていますね。それに良い心を持っています。きっと、素晴らしい王になるでしょう。新しい国は名君を迎えて、栄えることでしょうね』

 

『お褒め頂きまして、恐懼の限りです。名君になれるかは解りませんが、国が栄え、民が幸福に暮らせるよう、身を尽くすつもりです』

 

『玉座とは、それ自体に意志はありません。そこに誰が座るかで、その性質が変わります。名君が座れば多くを幸福にし、暗君が座れば多くを不幸にします。神でない以上、完璧な王などは存在しません。ですが、それを目指す努力を怠れば、たちまち玉座の輝きは失われます。あなたがこれからも、努力を続けることを願います』

 

『お言葉、肝に銘じます』

 

『さて、神としての話は以上です。ここから先は、レウィニア神権国の君主としてお尋ねします』

 

水の巫女は言葉を切ると、インドリトに着座を薦めた。備え付けられた椅子に座る。

 

『貴方が建国する「新しい国」について、教えて頂けませんか?』

 

 

 

 

 

『新しい国と仰いますが、実はまだ国名も決まっていないのです。民衆たちに選んで貰えたらと思っています。西ケレース地方は、多種多様な部族が集まっています。一つの文化、一つの習慣でまとまる土地ではありません。私は為政者として政事を行いますが、私一人で決めるのではなく、各部族の代表者が集まる会議の場を「意思決定の場」としたいと考えています』

 

『部族の代表者は、貴方が決めるのですか?』

 

『いえ、各部族で決めてもらいます。部族長の決め方も、各部族で多様なのです。最も狩りが上手い者、最も知識がある者、最も齢を取っている者など、部族ごとに長の条件が異なります。民衆が選んだ部族長と話し合って決めることで、私の独りよがりの政事にならないようにしたいと考えています』

 

『ですがそれでは、部族ごとに己の利益を主張し、意見がまとまらないのではありませんか?』

 

『部族長会議の部屋には、各部族の言葉でこう書かれています。「万機公論に決すべし。皆族は一部族のために、一部族は皆族のために」、これは自分勝手な利益追求をせず、西ケレース地方全体の利益を考えるようにという戒めです。部族長たちは、この戒めを胸に、政事を話し合っています』

 

『「万機公論に決すべし」、良い言葉ですね。それは貴方が考えたのですか?』

 

『いえ、私の師が考えました。ドワーフ族の長である父も気に入り、その標語を使用しています』

 

『そうですか・・・』

 

水の巫女は少し寂しそうな表情を浮かべた。少なくともインドリトにはそう見えた。

 

『様々な種族をまとめる・・・ そのためには「信仰の違い」を克服しなければなりませんね。それはどう工夫をされているのですか?』

 

『西ケレース地方では、全ての種族が守るべき決め事として「憲法」というものを創りました。この中に「他者の信仰を非難してはならない」とあります。信仰とは心の中にあるものです。個々人の世界です。「貴方は貴方、私は私」・・・信仰においてはこの姿勢を守ることとしています』

 

『光と闇の現神を共に並べる・・・そういうことでしょうか?』

 

『そうです。神々が光と闇に分かれて争っていることは知っています。ですが、その争いに我々が巻き込まれる必要は、無いと思うのです。師の言葉を使うなら「勝手にやってろ」ということですね』

 

『師を尊敬しているのですね』

 

『尊敬し、そして目標としています。その強さも、その思想もです。いつの日か、師に肩を並べるほどに成長したいと思っています』

 

『貴方が目標とする思想、それを表現するならどのような言葉になるのですか?』

 

『そうですね。一言で言うなら「二項対立の克服」になるのでしょうか。善悪は立場によって変わります。どちらが善で、どちらが悪か・・・白と黒で分けようとすると、そこに対立が生まれます。ですが実際の世界は、白黒で分けられる世界ではありません。皆それぞれに生き方があり、善悪の判断基準があります。互いの立場、互いの判断基準を照らしあわせて、話し合いをすることで、争うことなく対立を克服できる・・・ 私はそう信じています』

 

水の巫女は少し瞑目し、頷いた。美神とインドリトの対談は、この会話を持って終了となった。一室で待っていたディアンは、インドリトと共に神殿を後にした。国賓が泊まる迎賓館があり、そこに案内をされる。だが師弟はすぐに、館から出た。豪華絢爛な部屋よりも、市井の宿のほうが落ち着くからである。特に他の用事も無いので、リタの店に行く。今後の商売の話があるからだ。

 

 

 

 

 

蒼い月が水面に反射し、涼しい風が吹いている。水の巫女は月を見上げながら、昼間の対談を思い出していた。

 

『二項対立の克服・・・』

 

水の巫女は小さく呟いた。そして瞑目する。

 

(ディアン、やはり貴方は危険な存在です。二項対立はこのディル=リフィーナの「思想上の根幹」です。光と闇が互いに争う。善があり悪がある。この対立構造が、多様な種族が生きるこの世界をまとめているのです。貴方がやろうとしていることは、ディル=リフィーナに「宗教的革命」を起こすこと・・・ それは光も闇も関係なく、全ての現神たちが恐れる「神々の黄昏」です。下手をしたら、七魔神戦争のような大戦へと繋がりかねません)

 

(インドリトは、ディアン・ケヒトの影響を強く受けていた。彼個人はガーベル神を信仰しているが、同時にガーベル神と異なる意見や価値観を認めている。彼一人だけなら良い。だがその思想が大陸中に広がり、全ての人がそのように考えるようになったら・・・ その時は現神たちは消え去る。信仰心の影響が低下すれば、神々の時代が終わり、人が世界の中心に座るようになる。かつてイアス=ステリナで起こった、古神を消し去った啓蒙運動「ルネサンス」が、この世界でも実現することになる。だが、神々にとっては避けたい未来だが、人々にとってはどうだろうか。神に頼るのではなく、自らの手で、自らの意志で歴史を動かす。これは人の進歩を促すことにも繋がる・・・)

 

水の巫女は溜息をついた。

 

『本当に貴方は、「黄昏の存在」ですね・・・』

 

首を振り、少し笑った。

 

 

 

 




【次話予告】

ついにルプートア山脈に王宮が完成する。父や師、各部族長、そして水の巫女の名代が見守る中、インドリトが王冠を頂く。プレメルの街は民衆の歓呼で包まれた。人々は喝采を上げながら、王の名を国名として叫ぶ。

『ターペ=エトフ」と…

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第ニ十四話「ターペ=エトフ建国」

・・・耳ある者よ、聴けよかし・・・「(うま)き国」ターペ=エトフの物語を・・・


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第二十四話:ターペ=エトフ建国

ターペ=エトフの一つの特徴に「国名」がある。ターペとはドワーフ語で「絶壁」を意味する。これは王宮が、ルプートア山脈の断崖に建てられたことが由来する。一方、エトフとはドワーフ族の神話に登場する「エトフ王」を指している。ドワーフ族の伝承によると・・・

 

遥か太古の昔、神々から見放された「黒き邪龍」が大地に降臨し、亜人族たちを苦しめていた。若きドワーフ「エトフ」は、ルン=エルフ族や獣人たちと共に、邪龍を封印する腕輪を探して世界を旅する。腕輪を見つけたエトフは、邪龍の妖術に屈することなく戦い、ついに邪龍を倒す。しかし邪龍の正体は、成長が遅かったために竜族から爪弾きにされた「迫害された竜」だったことが解り、エトフは邪龍を封印しなかった。エトフの情により心が救われた邪龍は、神々から許され「神竜」へと転じる。エトフは神竜と共に村に戻り、そこに王国を打ちたてた・・・

 

国王インドリトが「黒い飛竜」に乗っていたことが、エトフ王の物語を彷彿とさせたため、エトフの名が冠せられたのである。つまり元々は「インドリト・ターペ=エトフ」の名は「エトフ王伝説を継ぎし、絶壁に住むインドリト」という意味なのである。後にこれが人間語に翻訳をされた際に、「絶壁の操竜子爵」と訳されたのである。

 

ターペ=エトフが国名へと転じた経緯は、インドリトに付けられたこの「渾名(あだな)」が、あまりにも響きがよく、またドワーフ族を中心に西ケレース地方に住む亜人族に知れ渡っていたため、部族長会議において「国名」とすることが決められたのである。つまりそれほどまでに、国王インドリトは西ケレース地方の「国威」としての存在となっていたのである。

 

 

 

 

 

『「ターペ=エトフ」ですか?』

 

ルプートア山脈の山頂付近、インドリトは黒雷竜ダカーハと束の間の歓談をしていた。成長し、インドリトを乗せられる程に大きくなったギムリも、ダカーハの側に座って欠伸をしている。ディアンから「民衆たちの声」を聞いて、インドリトは首を傾げた。

 

『王宮がルプートア山脈の断崖にあること、そしてダカーハ殿と共に各地を回っている姿が、エトフ王を思いださせることから、ターペ=エトフという呼び名が使われているのだ。私も、良い響きだと思うぞ』

 

『正直、面映ゆい思いですね。エトフ王のお伽噺はもちろん知っていますが、私はあのような伝説的な存在ではありません。自分一人では何も出来ない、ただのドワーフです』

 

『我が友インドリトよ。「謙譲も過ぎれば傲慢に繋がる」という言葉もある。お主は国王として国を束ねるのだ。あまりに謙虚すぎては、民たちも不安に思うだろう』

 

『ダカーハ殿の言うとおりだ。国王とは常に見られる存在だ。偉ぶる必要はないが、自信の無い姿は、人々の不安を掻き立てる。胸を張りなさい』

 

インドリトは十九歳になっていた。修行のためか体格も良く、ドワーフ族の中では身体が大きい方である。インドリトの長所は、素直さと真面目さにあった。王という権力者の立場は、孤独である。臣下の者が王に諫言するには勇気が必要なのが通例である。だがインドリトには「人の話を聴く耳」があった。これは貴重な資質であるが、時には王として強権を持って決定をする必要もあるのである。インドリトは、名君の資質を十分に持っていたが、どのような王に成長するかは、この時点では未知数であった。

 

 

 

 

 

王宮建造は、いよいよ仕上げへと向かっていた。リタ・ラギールが様々な物資を運び込んでいる。

 

『やっぱり、謁見の間には絨毯が必要でしょう?ニース地方の職人に特注したやつが仕上がったから、ぜひ謁見の間で使ってね』

 

呆れる程に大きな絨毯であった。食器類、家具類も運び込まれる。ディアンがそれとなくインドリトに聞いた。

 

『カネは大丈夫なのか?』

 

『私も心配だったのですが、父に確認をしたところ、この数年の交易で大幅な利益が出ているそうで、全く問題ないそうです』

 

耳ざとく聞きつけたリタが割り込んできた。

 

『言っておきますけど、今回はこっちだって利益度外視でやってるんですからね。手間賃だけで、殆ど利益乗せてないんですから!ですので、これからもラギール商会を御贔屓の程、お願い致しますねぇ~ ニヒッ』

 

揉み手をしながらインドリトに擦り寄る。インドリトは空笑いをしながら頷いた。行商人は「売る力」だけではなく「調達する力」も必要だ。リタはその両方が際立っている。リタ・ラギールに代わる行商人を見つけるのは難しいだろう。窓に布幕が掛けられ、各部屋にも調度品が置かれていく。魔神アムドシアス渾身の城は、確かに美しかった。慌ただしく人が行き交いする中を、イルビット族の芸術家シャーリアが来た。ドワーフ族が六人がかりで、額縁に入った大きな絵を持ってきた。

 

『王宮落成の祝いとして、絵を描いた。新王に寄贈しよう』

 

それは、プレメルの街であった。ドワーフ族、獣人族、龍人族などが笑い合い、皆で踊っている。明るい絵の具が使われ、観る者の心まで温めてくれるようだ。インドリトは感嘆の声を上げた。

 

『素晴らしい絵ですね。新しい国を象徴する絵だと思います。是非この絵を、王城の入り口に飾らせて下さい。観る人の心が癒やされると思います』

 

『これは、点画の手法を用いているのか?全体的に明るい雰囲気を醸し出している。良い絵だな。正に「芸術」だ』

 

『気に入ってもらえて良かった。私はしばらく、プレメルに滞在する。戴冠式を楽しみにしているぞ』

 

すると、遠くから訳の分からない声が挙がり、角を生やした「芸術バカ」が走ってきた。入り口に掛けられようとしている絵を食い入るように見つめる。

 

『なんと、なんと美しい絵だ。心を癒やすこの色使い、適度に配置された人々は、みな表情豊かで観る者を飽きさせない。それでいて全体として調和され、ある種の荘厳さを醸し出している・・・』

 

『ほう、お主がディアンが言っていた「美を解する魔神」か。私の絵がそれほど気に入ったのか?』

 

それは、芸術家とパトロンの出会いであった。二人はインドリトたちの存在を忘れ、中庭の椅子に座って芸術談話を始めた。ディアンは溜息をついた。

 

『・・・インドリト、まだ仕事があるだろう。アイツらは、放っておこう・・・』

 

インドリトは苦笑いをして肩を竦めた。

 

 

 

 

 

西ケレース地方に統一国家が建国されることは、アヴァタール地方はおろか西方諸国にまで伝わっていた。そのため、神殿勢力まで挨拶と称して「様子伺い」に来ている。インドリトは各国、各神殿の使者と平等に会談をした。闇の現神ヴァスタール神殿からの使者は、ヴァリ=エルフ族の扱いが気になっていたようだが、インドリトの話を聞いて納得をしたようだった。

 

『我が国では、信仰の自由を認めています。これはどのような神を信じても構わないという側面の他に、他者の信仰を非難してはならない、という側面もあります。ヴァリ=エルフ族がヴァスタール神を信仰するのは、一向に構いません。ですがこの地にはガーベル神やナーサティア神を信じる者もいます。互いの信仰に踏み入らなければ、共に繁栄できると思います』

 

『ヴァスタール神は「闇」として、特に人間族から忌み嫌われています。ですが私たちは、いたずらに混沌を起こそうとしたり、悪事を為そうなどと教えているわけではないのです。人の心は弱きものです。つい環境に流され、時として、悪に走ってしまうものです。「自分は弱い」ということをまず自覚すること、その弱さと向き合うことから、私たちの教えは始まっているのです。これを「悪人正機」と呼んでいます。無理解な者は「悪事が許される」などと考えていますが、とんでもないことです』

 

ヴァスタール神は弱者を認める教義である。そのため闇夜の眷属たちから大きな信仰を得ている。厳格な「アークリオン神」とは意見が合わず、ディル=リフィーナ成立以前から対立を続けている。インドリトは、アークリオン神の厳格さは、権力者が自らを戒めるためには意味があるが、それを民衆たちに求めるのは酷だと考えていた。闇夜の眷属たちが多いこの地では、ヴァスタール神殿を建てることも視野にいれるべきと考えていたのである。

 

一方で、すぐにでも神殿を建てたいと言ってきた光の現神もいた。知識の神「ナーサティア」である。

 

『ナーサティア神は、木精霊の始祖であり、森の多いこの地では多く崇められています。特に、新王はイルビット族と懇意にされていらっしゃるとお聞きしました。神殿を建てて頂ければ、彼らも喜ぶでしょう』

 

『プレメルでは現在、図書館を建設しています。それに合わあせて、イルビット族の方々もプレメルへの移住を検討されているそうです。新しい国では、教育を重視しています。ナーサティア神殿は、その象徴になるでしょう。今すぐに建てられるわけではありませんが、王国成立後にはできるだけ早く、部族長会議に懸けさせて頂きます』

 

レスペレント地方からはカルッシャ王国、フレスラント王国、レルン地方からはベルリア王国、西方諸国からはテルフィオン連邦の使者まで来る。束の間の休憩中に、インドリトは溜息をついた。新王国の官僚組織はまだ未整備状態だ。できるだけ早く、行政機構を整備しなければ、自分の身体が保たないと思った。師に宰相就任を要請したが、丁重に断られてしまった。組織をまとめ上げる優秀な宰相が欲しかった。

 

 

 

 

 

『ウヒヒッ!坊っちゃん、じゃなくってインドリト様、お久しぶりです~』

 

軽い調子で、魔人が訪れてきた。万一のために、レイナとグラティナがインドリトの警護にあたる。レスペレント地方モルテニアから来た魔人シュタイフェ・ギタルであった。インドリトはシュタイフェの訪問を素直に喜んだ。下品な部分はあるが、それは仮面であり、師に勝るとも劣らぬ知性と教養を持つ「知の魔人」である。だがレイナやグラティナから見れば、弟を邪な道に引きこもうとする輩であった。案の定・・・

 

『王になられたら、やっぱり後宮に美女を侍らせるんでしょうねぇ~ そこで毎日ズッコンバッコン・・・グヘェッ!』

 

グラティナの飛び蹴りが後頭部に命中し、インドリトの目の前で盛大に倒れる。

 

『インドリト様、このような「恥の魔人」など相手になさいますな。抓み出して参りましょう』

 

レイナがシュタイフェの首を掴んで持ち上げる。インドリトは笑いながら、手を話すように命じた。レイナは一礼して、シュタイフェを開放した。公務であるため、レイナもグラティナも「インドリト王」に対する姿勢で接している。シュタイフェは後頭部をさすりながら、魔神グラザからの手紙をインドリトに渡した。読了後、インドリトは驚きながら尋ねた。

 

『この手紙には、シュタイフェ殿を私に預けるとありますが、これはどういうことなのでしょうか?』

 

『グラザ様は、アッシはインドリト様のところにいたほうが、力を発揮できると言うのです。モルテニアの集落では、正直やる事があまり無いのですが、国家を作るとなると様々な仕事があるでしょう?アッシはこう見えても、その昔は人間族の街で役人をやっていたんですよ。戸籍を調査したり、税制を整備したり、名士たちからの要望を聞いたり・・・』

 

シュタイフェは、正にインドリトが求めていた能力を持っていた。インドリトはその場で、臨時の「行政長官」を任せることにした。最終的には国王就任後に人事発表となる。シュタイフェは恭しく一礼をした後、案の定・・・

 

『ときに、気に入ったオナゴがいましたら、アッシにお任せを。上手に口説き落とすやり方を・・・ブヘェッ!』

 

レイナの横蹴りが入り、シュタイフェが倒れる。インドリトは腹を抱えて笑った。

 

 

 

 

 

謁見の間には、様々な種族が整列していた。人間族、ドワーフ族、龍人族、獣人族、ヴァリ=エルフ族、イルビット族、悪魔族のそれぞれ部族代表、レウィニア神権国から水の巫女の名代として神殿司祭、華鏡の畔から魔神アムドシアスの名代として魔人、トライスメイルの長、金色公の名代としてルーン=エルフが来ている。各国の使者や光と闇の神殿神官たち、ラギール商会からはリタ・ラギール、各集落の名士たち、無論、ディアン・ケヒト、レイナ・グルップ、グラティナ・ワッケンバイン、ファーミシルスも並んでいる。城の外には大勢のドワーフ族たちが待機し、プレメルの街は多種多様な種族でごった返していた。扉が開かれ、インドリトが入場する。黄金の甲冑を身につけ、紅いマントを羽織っている。多くの種族が左右で見守る中を進み歩き、玉座に置かれた王冠を被る。銀色の髪に、金色の王冠が載る。その姿に感嘆の声が上がる。レイナが大声を出した。

 

『フラーッ!インドリト・ターペ=エトフ!』

 

全員が声を上げる。城の外からも、プレメルの街からも「フラー(万歳)」の喝采が上がる。花火が打ち上がり、皆が熱狂的に声を上げる。レイナたちは涙ぐんでいた。ディアンも感無量であった。八年間、生活を共にした弟子の巣立ちである。インドリトと目が合ったディアンは小さく頷いた。インドリトも微かに笑った。

 

後に、「奇跡の国」と呼ばれる理想国家「ターペ=エトフ」が建国されたのである。

 

 

 

 




【次話予告】

王となったインドリトは、部族長会議「元老院」を招集し、貨幣経済導入を決める。各部族をまとめる弟子の姿に、ディアンは自分の役割が終わったことを実感した。そして新たな旅を決意する。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第一章最終話「弟子の巣立ち」

・・・耳ある者よ、聴けよかし・・・「(うま)き国」ターペ=エトフの物語を・・・


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第二十五話:弟子の巣立ち

ラウルヴァーシュ大陸東方域:大禁忌地帯

イルビット族の男が、息を弾ませながら走る。もう少しで禁忌地帯を抜ける。そうすれば、彼らは追ってこない。千年間、彼らの眼を盗みながら、発掘を続けてきた。そしてようやく、あの扉を開く鍵を手に入れたのだ。だが、その発見に夢中になり、気づくのが遅れてしまった。彼らは既に、自分を取り囲みつつある。

『な、何としても持ち帰らなければ・・・』

背負った革袋には、発見した「先史文明の遺物」が納められている。これを解析すれば、一千年の研究が終わるのである。男は必死に走った。だが・・・

・・・侵入者ヲ確認、タダチニ排除シマス・・・

およそ人間とは思えない声が聴こえ、強力な雷が男を襲う。肉が焼け焦げ、男は倒れた。薄れ行く意識の中、手に握った水晶に魔力を通す。自分が死んだ場所を伝えるためである。こうやって千年間に渡って、研究は引き継がれ続けてきたのだ。暗闇から異質の存在が現れる。息絶えた男の側に寄る。

・・・侵入者ノ死亡ヲ確認、警備ニ戻リマス・・・

抑揚の無い声でそう呟くと、再び闇へと消えた・・・





ターペ=エトフは、国王インドリト・ターペ=エトフを筆頭に、多種多様な種族によって国政が執り行われていた。主要な人物は、レウィニア神権国やスティンルーラ女王国の記録によって知ることが出来る。国務大臣として、内政と外交を一手に取り仕切っていた「魔人シュタイフェ・ギタル」、国防軍元帥「飛天魔族ファーミシルス」、教育庁長官「イルビット族ペトラ・ラクス」、プレメル街長にしてドワーフ族代表「レギン・カサド」などの名前が残されているが、「魔神間戦争」と呼ばれた第二次ハイシェラ戦争において、魔神ハイシェラと死闘を演じたという「ターペ=エトフの黒き魔神」については、その名は残されていない。

 

ターペ=エトフ建国後、光神殿や闇神殿はこぞって国王インドリトと会談をしたが、インドリトの思想である「二項対立の克服」は変わることが無く、その思想をインドリトに植え付けたと言われる「王太師(王の師)」については、後世の歴史家は無論、当時の神殿神官たちも関心を持っていた。王太師は、その政治的権力は殆ど無いものの、インドリトに強い影響を与える存在と言われており、各神殿は王太師との接触を試みた形跡がある。しかし、役職名称は明らかであるものの、その名前については不明確であった。人間族「ディアン・ケヒト」の名前は、インドリトの師匠として残されているが、ターペ=エトフ建国後も、その生活は全く変わっておらず、王太師として活動をした形跡は無い。そのため、ディアン・ケヒトが王太師であると考えた者は多くなく、彼自身が否定をしたため、建国百年もすると、その存在が忘れられてしまったのである。

 

唯一、神殿勢力の重要人物で、ディアン・ケヒトと長時間にわたる対談をし、その内容を克明に残しているのが、マーズテリア神殿の聖女「ルナ=エマ」である。マーズテリア神殿が公開している記録によると、ターペ=エトフ歴十五年頃、マーズテリア神殿は「ディアン・ケヒトが王太師である」との確かな情報を得て聖女を派遣、聖女ルナ=エマは、彼の邸宅で三日間にわたる対談を行った。「ルナ=エマの日記」は非公開である為、その詳細は明らかではないが、この対談後、マーズテリア神殿は潮が引くように西ケレース地方への接触を止めている。彼女を護衛する騎士の中に、簡単な日記を記録している者が存在したため、当時の彼女の様子が書かれており、極めて貴重な資料となっている。

 

・・・聖女様が家から出てきた。聖女様に勝るとも劣らぬ美しい女性二人が見送った。だが、聖女様はいつになく顔色が悪い。あの男が何かしたのであれば、許すことは出来ない。聖女様は一言呟かれた。「ターペ=エトフへの接触を禁じなければ・・・」私は確かに、そのように聞いた。その後、聖女様と共に私たちは急ぎ、プレメルの街を出発した。明日にはフレイシア湾に到着するだろう。聖女様の顔色も良くなり、私は安心した・・・

 

魔神をも退ける力を持つ聖女をして、ここまで寒からしめた対談とは、どのような内容だったのか。聖女ルナ=エマの日記はマーズテリア神殿の機密文書に指定されているため、その内容を知ることは出来ない。いずれにしても、ターペ=エトフはラウルバーシュ大陸の数多の国の中で唯一、「信仰の自由」を明文化した国家として、三百年近くにわたって繁栄をしたのであった・・・

 

 

 

 

 

『ん~ やっぱり、先生の家で食べるご飯は美味しいです』

 

粗挽きした獣肉や葱・大蒜などの香草類、刻んだ葉野菜を塩と共に混ぜ合わせ、水で練った小麦で包み、油で揚げる。それを野菜で包み、塩・卵黄・葡萄酢・オリーブ油・大蒜を混ぜ合わせたタレ「アリオリ」を掛けて食べる。インドリトは満面の笑みを浮かべながら、エール麦酒を飲んだ。成人になったため、ディアンから飲酒を認められたのだ。ディアンは苦笑いを浮かべた。インドリトはこうして月に一度、ディアンの家を訪ねてくる。国王がこのように訪ねてくるのは問題だと思い、嗜めようとしたらレイナから止められた。

 

『インドリトは、あの若さで国を背負っているのよ?私たちが気晴らしになるのなら、月一度くらいならいいじゃない』

 

そう言われたら、ディアンとしても断るわけにもいかない。風呂に入り、酒を飲み、国についてアレコレと話をし、今まで使っていた部屋で寝る。翌朝はディアンと剣を交え、そして絶壁の城に戻る。王となってから約一年、この習慣が続いている。縁側ではギムリが獣の骨を齧っている。スジ肉を茹でて与えたが、それだけでは足りなかったらしい。

 

『実は、そろそろ我が国にも「貨幣経済」を導入してはどうかと考えているのです』

 

庭の亭で、インドリトとディアンは向かい合って座っていた。エール麦酒と共に酢漬けにしたオリーブの実、塩漬けにした干し肉をツマむ。

 

『貨幣経済の導入は、私も賛成だ。数年前と比べても、モノの生産量や流通量が激増している。これ以上の繁栄を望むのであれば、貨幣経済を導入するしかない。だが、肝心なことは導入の仕方だ。特に獣人族などは「食えない物と食い物を交換するのはおかしい」などと言いかねないぞ』

 

『導入に当たっては、各集落に「専門官」を派遣するつもりです。説明だけではなく、実際の商取引に同行して、貨幣の使い方を教えてはどうかと思っています。一気に使ってしまいかねませんので、使い方や貯め方なども細かく教えていくつもりです』

 

『シュタイフェあたりが好きそうな仕事だな。だが、複数の種族間で統一した通貨を使う、という例は恐らく他には無いだろう。想定外のことも発生するはずだ。あとは税制をどうするか・・・』

 

『その辺りはシュタイフェ殿に案があるそうです。基本的には、税は各集落で集め、集落で使ってもらおうと思います。幸いなことに国営のオリーブ栽培などが順調に伸びています。国全体の教育や医療などは、その利益で賄うことが出来ると思います。あとは集落同士を繋ぐ路の整備などは、集落同士が資金を出し合う形を考えています』

 

『実際は簡単にはいかないだろうがな。だが基本的な考え方をしっかり持っていれば、後は現場で調整が可能だ。カネというものは「何でも買える」という実際の力を持った存在だ。その力を良い方向に使えば幸福に繋がるが、悪い方向に流れれば、ターペ=エトフの「種族間の平和」を毀しかねない』

 

『二年程度の時間を掛けて、慎重に進めていくつもりです。後は、他国との交易における両替ですが・・・』

 

『それは国がやるべきだ。間違ってもラギール商会には任せるな』

 

インドリトは驚いた。ラギール商会に任せようと考えていたからだ。ディアンが説明をした。

 

『両替という行為は、解り易くいえば「カネでカネを買う」という行為だ。ターペ=エトフの通貨で、レウィニア神権国の通貨を買う。この時、幾らを出して幾らを買うか、この取り決めを「相場」と呼ぶ。もしラギール商会に両替を任せれば、相場はラギール商会が握ることになる。これは絶対に避けろ。相場は全て、国が決めるのだ』

 

『・・・そのためには、国に新しい役場が必要になりますね。通貨を発行し、相場を決める役場が』

 

『他国ではそうした役場を「造幣局」と呼んだりしている。通貨を発行しすぎれば、通貨の価値が下がってしまう。モノの生産力と流通量、そして物価を見極めながら、発行量を決めるのだ。その上で、両替は全て役場で行う。役場が決めた相場でだ』

 

『先生は、国が相場を握ることで、レウィニア神権国やメルキア国にモノを売りやすくすべき、とお考えなのですね?』

 

『良いか、インドリト。この大陸の多くの為政者たちは、国力とは軍事力だと思っている。だが実際は違う。軍事力など、国力のほんの一部分でしかないのだ。国力とは「経済力」だ。経済力とは「民衆の腹を満たす力」だ。以前にも教えたな。剣や魔術で相手を倒すのは下の下だと。これは国家間でも同じだ。軍事力を用いて土地を拡げるのは、下の下なのだ。経済力によって、自国民のみならず、他国の民衆の腹まで満たす。そうなれば、ターペ=エトフに攻め寄せる国は無くなる。ターペ=エトフが無ければ、自国の民衆が飢えることになるからだ』

 

インドリトの幸運は、ディアン・ケヒトという「近代経済学の専門家」を師に持ったことである。この夜の翌日、元老院は貨幣経済導入に向けての準備を進めることで合意した。

 

 

 

 

 

『フヒィィ、これじゃアッシの身が保ちませんぜぇ~』

 

シュタイフェが書類仕事をしながら弱音を吐いた。ターペ=エトフは建国前より産業育成などは行ってきたが、国家を運営する官僚機構は未熟であった。エテ海峡付近の人間族など、役人はそれなりに人数を揃えたが、書類仕事とは人がいれば出来るというものではない。正確さと几帳面さが求められる。まず各物産がどの程度の価格になるかを決めなければならない。プレイアの街の取引額などは、ディアンたちが調べ上げた。その額で何が買えるのか、物と物との相対相場を調べ、それを参考として価格付けを行う。ターペ=エトフは閉鎖経済ではなく、貿易によって利益を上げている。今後もその利益を維持するためには、綿密な価格設定が必要であった。

 

『リタは個人としては信頼できるが、同時に商人だからな。貨幣経済を導入と同時に、値を釣り上げかねない。徹底して調べ上げ、ターペ=エトフに利益が出るように価格決定を行うべきだ』

 

『そうですが、小麦一握りまで価格付けるなんて、アッシとしてはやり過ぎと思うんですがねぇ。民衆の必要性に応じて、価格も変わると思うんですが・・・』

 

『いずれはそうなるだろう。だが、この地は純朴な闇夜の眷属が多い。他の地域では、その純朴さを利用されて、不当に苦労をする亜人族たちが多くいる。オレは、その純朴さを絶対に守り抜きたい。働くことそのもの、生み出すことそのものを喜びとして、困らず、苦労せず、幸福のままで暮らしてほしいのだ。そのためならばオレは・・・』

 

ディアンは悲壮な顔をした。

 

『・・・「悪」にでもなる』

 

シュタイフェは目を細め沈黙し、そして笑い始めた。

 

『ヒッヒッヒッ 旦那、そんな必要はありませんぜ?アッシは魔人、もともと悪人でさぁ。悪を引き受けるのは、アッシ一人で十分でしょう』

 

ディアンは瞑目した。

 

 

 

 

 

 

元老院は一つ一つの産品の価格について、シュタイフェからの報告を聞いていた。プレイアで調査をした価格に、さらに国内の産出量の比率を掛け合わせ、独自の価格設定をしている。スティンルーラ族の村クライナでのエール麦酒の価格や、バーニエなどのメルキア国、さらに周辺域の集落まで物品価格を徹底的に調査した結果である。インドリトは立ち上がって、各元老たちに向けて告げた。

 

『現時点では、出来るだけのことをやったと思います。この価格を始まりとして、当面は価格を統制した形で進みたいと思います。ラギール商会の利益は減るかもしれませんが、貨幣経済の導入が成功すれば、商会にとっても大きな利点に繋がると思います。納得をして頂きたいと思います』

 

出席をしていたリタ・ラギールは、渡された紙を見ながらパチパチと算盤を弾いていた。苦い顔をしたが、ため息をつく。

 

『はぁ~、よくもまぁここまで調査したわ。アタシたちだって、ここまではしないよ?まぁ、ウチの利益が減る可能性もあるけど、その分、プレイアやバーニエが欲しがっている品を手に入れやすくなるわけだし、一概に損とは言えないか・・・』

 

シュタイフェがリタを説得する。

 

『ラギール商会への販売価格は決めさせて頂きやしたが、ラギール商会から「買う価格」は、リタ殿で決めて頂いて結構です。まぁ、この価格表があれば、あまり高い値を付けられないとは思いやすが、利益を上乗せして頂くのは構わねぇですぜ。お互いに、長~く利益を出し続けたいですからねぇ』

 

『まぁねぇ。ウチだってアコギな商売はしたくないし、明朗会計でやりたいんだよね。でも、たとえばさ。大量購入するから、もうちょっとオマケしてくれるとか・・・』

 

リタの粘りに、インドリトは苦笑いした。

 

『まぁ、その時はその時々で決めましょう。この取り決めも、貨幣経済が完全に浸透するまでの移行段階と思って下さい』

 

各元老たちも、価格表を見ながら質問をしてくる。シュタイフェとインドリトは質問を一つずつ、粘り強く説明していった。五日間におよぶ元老院の会議は、ようやく佳境を迎え、あとは貨幣についての質問のみとなった。

 

『この「貨幣」というものだが、銅と鉄と銀の三種類で良いのだろうか?他の国では「金」を使ったりしているが?』

 

『「金」を使うっていうのは、案としては出やした。しかし、金自体が希少性が高くて、集めて延べ棒にしたほうが高く売れる、なんてことになったら、金が大量に流出してしまいやす。使用する素材以上の価値を持たせることが肝心なところでやす』

 

『しかし、それでは誰も価値を認めないのではないか?』

 

『その辺は大丈夫です』

 

インドリトが立ち上がって説明をした。ディアンの受け売りを話す。

 

『この貨幣を発行する造幣局には、大量に金銀宝石類を蓄えています。それらとの交換を認めます。これにより、価値は国が保証することになります』

 

『なるほど・・・どうしても信用できないのなら、そうやって交換をすれば良いのか』

 

『ただ、結果的には貨幣を使った方が「安あがり」になるはずです。そのように価格を設定していますから』

 

元老たちは頷いた。貨幣は造幣局で働くドワーフ族たちが鋳造する。「純銅」「純鉄」「純銀」の錬金方法は、ドワーフ族しか知らない。純鉄であれば、錆びることなく長く使うことが出来る。また黒ずんだり緑青が出た貨幣は、造幣局で新品と交換することが出来るようにした。他にも、偽造困難とするため、貨幣の側面に溝を入れたり、表面と裏面に細かい刻印を施すなどをしている。他族たちの技術では、偽造することは困難であった。インドリトは立ち上がって国王としての決定を告げた。

 

『我がターペ=エトフは、段階的な貨幣経済移行を行います。まず半年間は国内流通を行って理解を深め、続いてラギール商会との決済で使用できるようにします。各集落には、二名ずつ専門官を派遣し、貨幣についての説明を行ってきました。皆に考え方は浸透したと思われます。三ヶ月後から、貨幣での報酬の支払い、各商取引の貨幣決済を開始します』

 

ターペ=エトフの貨幣経済導入は、それほど混乱なく始まった。ディアンが懸念をしていた「亜人族たちの我欲の刺激」という事態も発生しなかった。もともと「食べていければそれで良い」という大らかさを持つのが亜人族である。週のうち、四日働き三日は休む、といったこれまでの生き方を保ったまま、豊かに暮らしていけそうであった。シュタイフェは、物産量や物価を注意深く見守っていた。インドリトはこれまで以上に飛び回り、各集落の声を聞いている。その姿に、ディアンは自分の役割に一区切りがついたことを実感した。貨幣経済導入に成功したことで、ターペ=エトフは真の意味で「国家」になったのである。

 

(そろそろ、旅に出るか・・・)

 

ディアンは新たな旅に思いを馳せていた。

 

 

 

 

 

『この一年間、国中を飛び回って観察を続けましたが、民衆の皆も貨幣の使い方に慣れたようです。物産も安定していますし、ラギール商会からも特に苦情は来ていません。獣人族たちも、通貨を持つことで「働き」が形になり、その利便性に満足をしているようですし、まずは成功だと思います。驚いたのは、こちらが想定したよりもはるかに「利益」が出ているということです。このままいけば、国営産業だけで、予算が賄えてしまえます』

 

ディアンの家で、羊鍋を囲みながらインドリトが語る。血抜きをしっかりしているので、生でも食べれる。細切りにした肉を塩で揉み、卵黄を掛けて胡瓜と共に食べる。麦酒や葡萄酒と良く合う。インドリトは国造りに夢中であった。国が着実に豊かになり、民がより幸福になる姿を見るのが、インドリトの喜びとなっていた。

 

『無税にはするな。税とは、民衆に「自分たちの国」という意識を植え付ける作用もある。一割でも良い。集落に納税させて、道路整備や井戸掘り、植林などの費用に充てるのだ。自分たちの納税したカネで、国が豊かになっていく様子を見れば、納税にも納得するだろう』

 

『そうですね。実は、トライスメイルのエルフ族たちと接触し、オリーブ油や作物とエルフ族の薬を交換する交渉をしています。ラギール商会を介することになりますが、これが上手くいけば、エルフ族の薬を無料で配ることも出来るかもしれません』

 

『まぁ、なんでも上手くいくとは限らないが、王として国と民衆を思う気持ちは最も重要だ。だが、最近お前は、少し働き過ぎているようにも見えるぞ。シュタイフェだって、文句を言いながらもそれなりに休んでいるのだ。お前もしっかり休みなさい』

 

食後、疲れが出たのかインドリトは庵のそばで寝てしまった。レイナが熊の毛皮を掛ける。

 

『こうやって見ていると、十年前と変わらないわね。この子が弟子入りして来たとき、最初はよく、こうして庵で眠り込んでしまっていたわ・・・』

 

『インドリトの良いところは、素直で真面目なところだ。国王としてのこの二年間は、十分に名君としての資質を発揮した。貨幣経済導入も軌道に乗ったようだし、あとはシュタイフェたちが上手くやるだろう』

 

『・・・旅に出ることを考えているの?』

 

『あぁ・・・』

 

 

 

 

 

『なに?私に、軍を率いて欲しいだと?』

 

翌朝、インドリトは師および三人の姉に対して、ファーミシルスを行政府に招きたい旨を切り出した。ファーミシルスは驚いてディアンを見たが、ディアンは目を合さず、インドリトに尋ねた。

 

『ファーミシルスを迎えたい理由は何だ?』

 

『貨幣経済導入に伴い、ターペ=エトフは急速に豊かになってきています。そうなれば、他国も放っておかないでしょう。特に、東のイソラ王国、北のカルッシャ王国は「光側」の国です。我が国としても、国防について考える必要があります。ファーミシルス殿は、面倒見が良く、教え方も上手です。そして何より「誇り高き飛天魔族」です。ターペ=エトフの「種族を超えた軍」を束ねるのに相応しいと考えました』

 

『なるほど・・・ファミの気持ちはどうだ?』

 

『私は、ディアンやレイナやティナと共に、この家で楽しく過ごすのが好きだ。何より、私は飛天魔族だ。つまり悪魔族だぞ。ドワーフや獣人が従うだろうか』

 

『従いますよ。何しろ皆、子供の頃にファーミシルス殿に遊んでもらった者たちですから。それにもう一つ、お招きしたい理由があります。言い難いことですが・・・』

 

『反乱の危険性か?』

 

『そうです。軍というものは、国家の実力組織です。西方の古い国では、軍の反乱によって分裂した国もあると聞きました。我がターペ=エトフに限って、そんなことは無いと信じたいのですが、出来れば私が最も信頼する人物に軍を率いてもらいたいのです』

 

『レイナやティナではない理由は?』

 

『レイナ殿、グラティナ殿は、先生の「使徒」です。先生から使徒を頂くわけにはいきません』

 

レイナとグラティナは顔を朱くした。インドリトは、三人の中の「微妙な関係」に気づいていたのだ。ファーミシルスはディアンの使徒ではない。つまりディアンに束縛されることはない。自分の自由意志で人生を決められる。だがレイナとグラティナは、ディアンの使徒である。使徒は主に対して、絶対的な忠誠を誓っている。ディアンから離れることは許されない。ディアンは頷いた。

 

『ファミ、お前はどうしたい?お前の気持ちで決めるべきことだ』

 

『私は・・・』

 

ファーミシルスは悩み、そして決断した。

 

 

 

 

 

『・・・寂しくなったな』

 

ファーミシルスの私室に立つディアンの後ろから、グラティナが声を掛けてきた。ファーミシルスは、インドリトの要請を受け、ターペ=エトフの軍を率いる役に就いた。昨日、私物を王城に運び入れ、今朝方に自身も、王宮へと向かった。レイナとグラティナは泣きながらファーミシルスと抱き合った。共に旅をし、共に生活した、かけがえの無い友人との別離である。ディアンでさえ、心が揺れた。

 

『ファミは別に、他国に行ったわけでは無い。王宮に行けばいつでも会える。それに、たまに戻ってくるとも言っていたしな。一緒に暮らさなくなっただけさ・・・』

 

それが強がりであることは、ディアン自身が良く解っていた。公職に就く以上、これまで通りの関わり方は許されない。国王インドリトに対しても、公私の区別をつけているのだ。弟子であるインドリトが自立し、そして友であったファーミシルスが家を出た。それほど広くないはずの家なのに、とてつもなく広く感じてしまう。グラティナが後ろから抱きついてきた。

 

『心配するな。私もレイナも、お前から離れることは無い。永遠に・・・』

 

ディアンは息を吐き、黙って頷いた。

 

 

 

 

第一章 了

 

 

 

 

 

【Epilogue】

 

貨幣経済導入という「混乱」も収束し、ターペ=エトフは楽園への道を歩み始めた。各国、各神殿からの接触は未だにあるが、当面の懸念は存在しない。ファーミシルスは厳選した兵士候補生を鍛え始めている。今は種族が混在した状態だが、いずれは種族単位の「専門部隊」をつくることになるだろう。軍統括者がファーミシルスである限り、反乱の可能性は限りなく皆無だ。ディアンは区切りをつけるために、レイナとグラティナを連れて王宮に向かった。

 

『王太師よ、いま何と言われたか?』

 

『暇乞いに来ました、我が君・・・』

 

ディアンが片膝をついて頭を下げたまま、返答した。インドリトは混乱し、立ち上がった。思わず手を伸ばす。シュタイフェが取りなすように発言した。

 

『えー、王太師ディアン・ケヒト殿・・・何か、待遇に不満をお持ちでしょうか?ファーミシルス殿を取られたとか・・・』

 

それでディアンは察した。自分の言い方が悪かったのだ。

 

『いえ、これは私の言葉足らずでした。実は、旅に出たいと思っているのです。二年以上は掛かるでしょう。そのお許しを頂きたいのです』

 

インドリトはホッと息をついて、玉座に座った。見捨てられたと思った自分が恥ずかしかった。師が自分を見捨てるはずがないではないか。シュタイフェが笑いながら手を叩く。

 

『なるほど!そういうことでしたか。まぁ王太師殿は、一説には「給金泥棒」と言われるほど仕事が無いので、別に構わないかもしれませんが・・・』

 

レイナが咳ばらいをする。謁見の間でなければ蹴り飛ばしている。インドリトは笑いを抑えながら、シュタイフェを嗜めた。

 

『我が師は、皆の知らぬところで私に多くの助言をくれている。師がいなければ、貨幣経済導入はおろか、このターペ=エトフ建国すら出来なかっただろう。「給金泥棒」などとんでもない。功に対して報いるところ過少と言えるほどだ』

 

『勿体ないお言葉です。しかし、国務大臣の意見も一理あります。私がいなくても、我が君は十分に国を動かせます。もはや、私の仕事は無いでしょう』

 

『私自身はそう思っていないが・・・だが解りました。そういうことであれば、旅に出ることを許可しましょう。ですが、どこに旅をされるのでしょう?二年以上とは、かなり遠方と思いますが?』

 

『・・・遥か東へ』

 

ディアンは顔を上げて、笑みを浮かべた・・・

 

 

 

 




第一章を読了いただき、ありがとうございました。
第二章は5月1日22時スタートです。


【次話予告】

ディアンは次の旅への準備を始めた。繁栄するターペ=エトフを離れ、ケレース地方からアヴァタール地方東方を進み、遥か東の地を目指す。必ず戻ることを約束する師に対し、国王インドリトは、ある使命を託した。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~
第二章「東方見聞録」 第二十六話「東へ」


・・・耳ある者よ、聴けよかし・・・「(うま)き国」ターペ=エトフの物語を・・・



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第二章:東方見聞録
第二十六話:東へ


AD 2157年 イアス=ステリナ 某所

『転送出来たか!』

けたたましいアラーム音に負けない怒鳴り声で、白衣の男が確認をする。顔には焦燥が浮かんでいる。もはや時間がないことを悟っているからだ。

『データ転送完了まで、あと5秒、4,3,2,1・・・転送完了!システム、シャットダウン!』

画面が暗くなると同時に、明かりが不安定に点滅をし、やがて闇となった。白衣の男は、煙草を口に加えた。もはや自分の運命は決まっているからだ。使い古したジッポーで火を着ける。

『禁煙、止めたんですか?』

『最後だからな・・・今更、長生きも無いだろう』

『そうですね。あと・・・数分でしょうか』

暗闇の中で、男は紫煙を吐き出す。口元には笑みが浮かんでいる。やれることは全てやったからだ。

『・・・遠い未来、誰かが見つけてくれると良いですね』

『信じるんだ。我々の遺産が、きっと役に立つと・・・』

『えぇ、信じています』

やがてガタガタと机が揺れ始める。空気が急速に流れる。

『融合が始まったな・・・特等席だが、最後まで見れないのが残念だ』

真っ白な光が急速に拡がり、男たちの姿をかき消した・・・





ラウルバーシュ大陸中原東方域、西方諸国の人間たちが「東方諸国」と呼ぶこの地域は、ディル=リフィーナ成立以降、七魔神戦争などの大災難が無く、広大で豊かな土壌と温暖な気候により、古くから人間族が繁栄をしていた。現神の神殿は西方諸国に集中しているため、光闇相克のような対立構造は無く、独自の文明を形成していた。しかしながら、獣人族や龍人族、悪魔族などは「蛮族」と呼ばれ差別され、僻地に追い払われる場合が多い。唯一、竜族だけは「神」として崇められている。

 

東方諸国は大きく五つの国で分かれている。北西にある「龍國」、南西の「西榮國」、北東の「慶東國」、南東の「秦南國」、北部の「雁州國」である。五つの国の力はほぼ拮抗し、五百年以上に渡って土地を巡る争いを繰り広げてきた。近年では南西の西榮國が力を伸ばし、秦南國や龍國の領土を侵している。五つの国にはそれぞれに「大王」と呼ばれる君主が存在し、子に世襲をしながら何十代も続いていた。貴族などはいないが、王の外戚者などが特権的な立場を得ており、役人の腐敗も見られる。

 

東方諸国の文化は、西方とは大きく異なる。まず人の見た目が違う。龍國や西榮國は、西方の地も交じり茶色い髪をした人間も多いが、東方では黒髪、黒眼の人間が殆どで、背丈も西方と比べると低い。平均身長は五尺程度である。話す言葉も若干違う。元は同じだったと言われているが、二千年近くの年月が言葉を変容させたのだ。また、文字、西方文字の他に「漢字」という独自の文字を使用している。食文化は多種多様で、慶東國では小麦を使った料理が多いが、秦南國では米を使った料理が多い。

 

東方諸国では独自の文化が発展しているが、その最たるものが「陰陽五行思想」である。東方諸国では、「光闇相克」ではなく「光闇融合」という考え方の下、独自の魔術体系を持っている。陰陽五行思想では、自分たちの立つ大地そのものを「生命体」と考え、大地に流れる魔力「気脈」を感じ取り、その魔力を活かして魔術を操る。五行とは「木火土金水」の五つのことで、それらは「相生」「相克」「比和」「相乗」「相侮」という五つの関係を持って様々に変容する。この陰陽五行思想は東方諸国の文化の根幹であり、魔術体系のみならず、医学や暦、日常的な生活習慣に至るまで取り入れられており、その結果、西方諸国からの「現神信仰」が入り難い土壌を形成している。

 

 

 

 

 

ディアンは自室で、カッサレの魔道書を読みながら、東方諸国に思いを馳せていた。カッサレの魔道書には様々な魔術や錬金術が描かれているが、同時に各地の「紀行文」もあり、ラウルバーシュ大陸を知る上でも貴重な資料となっている。だがやはり、この地で書かれた魔道書である為か、東方諸国の記述が少ない。東に行けば、おそらくはブレアード・カッサレの足跡を辿ることが出来るだろう。再び、魔道書に目を落とす。ディアンが東への旅を決めるきっかけとなった一文に目を通す。

 

・・・東方諸国から南下すると、大禁忌地帯と呼ばれる「立ち入り禁止区域」がある。その広さはブレニア内海全体にも匹敵する。境界近くにイルビット族が住み、禁忌地帯の調査を行っている。禁忌地帯は「先史文明」の遺跡が残されているが、イルビット族は「なぜ禁忌とされているのか」という根本的な謎を解こうとしている。禁忌地帯といっても、生命が存在しないわけでは無く、未知の魔物が生息している。また、天使族と思われる種族も禁忌地帯で暮らしている。大禁忌地帯の中央山岳部には「メルジュの門」と呼ばれる巨大な鋼鉄の扉があり、固く閉ざされている。イルビット族は、この扉の中に「ディル=リフィーナ成立の秘密」が隠されていると信じている。過去千年間にわたって、扉を開けようとした痕跡が見られるが、未だ一度も開いたことは無い・・・

 

『「ディル=リフィーナ成立の秘密」か・・・』

 

ディアンの目的は、この「メルジュの門」であった。この目で見ていたいという好奇心が刺激されたのだ。考え事をしていると、レイナが食事を知らせに来た。ザク切にした玉葱をオリーブ油とバターで炒め、人参、赤茄子、茸類、細切りにし、小麦粉をまぶした牛肉を入れる。しばらく炒めてから、牛骨から取った汁と葡萄酒を注ぎ、さらに刻んだ赤茄子を加え、塩と香辛料で味を調える。薄く焼いたパンと共に食べる。このところ、ラギール商会は盛んに「食材」を持ち込んでくる。ターペ=エトフでは殆どが自給可能だ。そのため、極端な話「何も買わない」でも済む。しかしそれでは商売にはならないため、リタは酒の他に「食材」に目を付けた。東方や南方から様々な香辛料、果物が持ち込まれる。ターペ=エトフでは食文化が栄え始めている。プレメルでは料理専門店まで出来始めているのだ。食事中に、グラティナが尋ねてきた。

 

『東方には、いつごろ出発するのだ?』

 

『そうだな。出発自体はすぐにでも出来るが、その前に情報が欲しい。ダカーハ殿は東方から来たと言っていたから、何か聞けるかもしれない。明日、時間を貰っているので、出発は三日後にしよう』

 

『東方では「米」を中心とした食事が多いそうよ。ディアンは以前、米を食べたいって言っていたでしょう?私は食べたことが無いから、とても楽しみだわ』

 

『おそらく、米に合わせて様々な調味料があるはずだ。オレとしては、その調味料を作り出す素となる「麹」を手に入れたい。麹が手に入れば、このターペ=エトフで調味料づくりが出来る』

 

『その「麹」とは何なのだ?』

 

『パン種のようなものだ。それで米や豆を発酵させる。以前、パン種で試したことがあったが上手くいかなかった。専用の麹が必要なんだ』

 

『調味料なら、リタに頼んで手に入れられないのかしら?』

 

『手に入るだろうが、オレが求めている調味料は、この世界には無いかもしれない。「醤油」と呼ばれる万能調味料だ。肉や魚の味を劇的に向上させる』

 

『・・・腹が減ってきたぞ。もう一杯、貰おうか』

 

グラティナが皿に、レイナの得意料理「ハッシュド」を盛った。

 

 

 

 

 

『我は西榮國の南西部にある山岳地帯にいたのだ・・・』

 

東方出身の黒雷竜ダカーハは、ディアンが持ってきた葡萄酒の樽をチロチロと飲みながら、話をした。

 

『東方諸国の国々は、古来より竜族を崇めていたが、特に西榮國の「黒竜族」と龍國の「白竜族」が有名でな。黒竜族は、闇夜の眷属に属するなどと考えられているが、何の事はない、ただ操る魔術が違うというだけだ。我は雷を操るが、白竜族は炎を操る。種族が違うことは確かなので、お互いに行き交いをすることはなかった。西榮國も龍國も、竜族を崇め、縄張りを尊重しながら二千年近くに渡って共に暮らしてきた。だが・・・』

 

ダカーハは苦々しい口調になった。

 

『ある晴れた日のことだった。突如、西榮國が我らの縄張りに攻め込んできたのだ。警告をする間もなかった。問答無用で我らを駆逐しようという意志が明確だった。暗黙の友好関係は破られた。我らは戦った。だが、彼らは見たこともない武器を使ってきた。遠方から投石器のようなもので樽を投げつけてくる。その樽がいきなり爆発をした。嫌な臭いがした。更に火矢のようなものを打ち込んできた。それらも次々と爆発する。あれは一体、何だったのだろうか?今でも我には解からん。だが、鼻と眼をやられた我らは、次々と人間族に狩られていった・・・』

 

ダカーハの気配が殺気を帯びる。ディアンは手を上げて止めた。ここまで聞けば十分だ。ダカーハはそれで人間族や他種族を呪ってしまったのだ。これ以上を話させるのは酷であった。

 

『すまない。辛いことを思い出させてしまった。もう十分だ。忘れろとは言わないが、遠い昔のことと思ってくれないか?少なくともこの地では、竜族を友として歓迎している。国王インドリトも、他の種族たちも・・・』

 

鼻から深く息を吐いたダカーハが、笑った。

 

『確かに、この地は居心地が良い。何より、子どもたちの笑顔が良い。ディアン殿、貴殿はこれから東方に向かうそうだが、それであれば西榮國には気をつけろ。あの國は以前から、他国侵略を企図していたが、何か強い力を得たようだ』

 

『竜族の眼と鼻を奪った武器、おそらく「黒色火薬」だろう。とすると、西榮國は「先史文明の知識」を得たに違いない』

 

『知っているのか?』

 

『あぁ・・・黒色火薬は魔術ではない。科学だ。石炭、硫黄、硝石を混合させて作る。だが、精製には科学知識が必要だ。一体誰が・・・』

 

ディアンは腕を組んで考えた。黒色火薬自体は、自然界のもので製造することは可能である。硝石の結晶を粉砕し、硫黄と木炭を混合させれば、黒色火薬は出来る。だが、破砕や圧搾など、科学的な技術が必要である。そもそも魔術のあるこの世界で、黒色火薬を製造する必要があるのか?

 

考え込んでいるディアンに、ダカーハが声を掛けてきた。

 

『・・・一つ頼みがある。もし黒雷竜を発見したら、この地を教えてやってくれないか?それ程多くは受け入れられないが、この地であれば、平穏に暮らすことが出来る』

 

『インドリト王からも言われている。約束しよう。黒雷龍を見つけ次第、ここに来るように伝える』

 

 

 

 

 

出発の準備を整えたディアンたちは、自宅を結界で封印した。ブレアードが最後に書いた魔道書のみ、革袋に入れて持っていく。他の魔道書も極めて貴重なため、厳重な結界を張っておく。出発前に、国王に挨拶をしておく必要がある。三人は、絶壁の王宮に向かった。

 

『いよいよ出発ですね。これからしばらく、師から助言を得られないと思うと、少々不安になりますが、シュタイフェを中心に行政府も上手く仕事が回っています。安心して旅に出て下さい。』

 

『二年をメドとしています。必ず、戻ってまいります。シュタイフェ殿は、肝心なところはしっかりと抑える人物です。またファーミシルスもいます。もしもの時は、両名を頼られると良いと思います』

 

インドリトは頷き、側近に指示をした。三人の前に、布に包まれた物が置かれる。腰に巻くベルトと両手両足に装着する輪であった。

 

『師が依頼をしていた「魔導巧殻に飛行能力を与える部品」の分析が終わりました。その成果をもとにドワーフ族が開発した「魔導装備」です。着装し、魔力を通せば飛行能力を得ることが出来ます。旅先で必要になるかもしれません。持って行って下さい』

 

ディアンは瞳を輝かせた。飛行魔術を研究し、ハイシェラに諦めろと言われ、それでも可能性を探り続け、ようやく辿り着いたのである。

 

『何にも勝る餞別です。有り難く、頂戴いたします』

 

『それと・・・』

 

ディアンの目の前に、大きめの袋と一冊の本が置かれる。

 

『師に依頼したいことがあります。東方についての知識は、この地では伝聞しかありません。そこで、旅の紀行文を書いていただきたいのです。信頼できる「東方の見聞録」は、貴重な資料になるでしょうから。そのために必要な資金として、国庫より幾ばくかの宝石類を用意しました』

 

袋の中には、金銀の粒や宝石が入っている。幾ばくかなどというものではない。ヒト一人が一生遊べる程の量である。多すぎだとディアンが言うと、インドリトは笑った。

 

『実際、国庫は豊かなのです。この程度の額であれば、問題ありません。もし余った時は、それで土産を買ってきて下さい。東方には珍しい酒もあると聞いています』

 

『「東方見聞録」の執筆、確かに承りました。また、多大なご支援を頂き、感謝に耐えません。ターペ=エトフ繁栄のために、東方の知識、技術をしっかりと持ち帰ります』

 

『期待しています。お気をつけて・・・』

 

国王インドリト・ターペ=エトフは笑顔で頷いた。

 

 

 

 

 

『「飛行能力」か・・・ファーミシルスが空を飛んでいるのを見て、羨ましいと思っていた。どうする?空を飛んで東に向かうか?』

 

『いや、それでは「見聞」が出来ない。飛行能力は途中で試すとして、予定通り馬で東に向かおう。プレイアのリタにも挨拶をしておく必要があるしな』

 

『大陸公路を使っての東方への旅・・・なんだか夢のようね。資金も貰ったことだし、今回の旅は優雅なものになりそうね』

 

『倹約をする必要はないが、不要な贅沢はしないぞ。このカネは「税金」だからな』

 

レイナが舌を出した。ディアンたちは笑いながら、プレイアの街を目指す。空は晴れ渡り、心地よい風が吹いていた・・・

 

 

 

 




【次話予告】

大陸公路を東に進み、アンナローツェ王国を通り過ぎ、大陸中央部「テュルク地方」に入る。地平線まで続く草原地帯に、三人は圧倒される。途中の集落で、土着の宗教について話を聞いたディアンは、興味を持った。修行者たちの国「グプタ部族国」へと向かう。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第二十七話「グプタ部族国」


・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・



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第二十七話:グプタ部族国

ディル=リフィーナ世界は、惑星全体を見れば「温暖湿潤」な星ではあるが、海水や巨大内海、山脈などの影響により、各土地ごとに気候が異なる。例えばターペ=エトフがある西ケレース地方は、西側と南側にルプートア山脈があるため、オウスト内海東海から吹く湿潤な風を受け、一年を通じて安定した気候を保っている。一方、ルプートア山脈西側のセアール地方は、山から吹き降りる乾いた風により、乾燥地帯となっている。このような気候の差異は、当然ながら「植生」に大きな影響を与える。ターペ=エトフだけを見ても、ルプートア山脈付近は密林であり、林業が盛んであるが、オウスト内海近くになると平地が多くなり、灌漑によって農耕地となっている。ラウルバーシュ大陸全体で見れば、このような差異はさらに大きくなり、大陸中央から東方にかけては、アヴァタール地方では見かけない植物などが多い。

 

アヴァタール地方東方域の東端「セーナル神殿領域」を抜けると、見える景色は一変する。アヴァタール地方東方域は、ケレース地方から東方までの境目として、巨大な「チルス山脈」が広がっている。この山脈の存在により、西側と東側では、その植生が大きく代わるのである。このため、セーナル神殿領域から東側を「大陸東方」と呼ぶ商人もいる。実際、大陸中央域は広大な草原が広がり、アヴァタール地方では採れない多様な「香辛料」が栽培されている。特に、ニース地方東方、タミル地方、テュルク地方などは香辛料栽培が盛んで、西方に向けての重要な輸出物となっている。一方、内陸部であるため塩が採れず、アヴァタール地方およびアンナローツェ王国から塩を輸入することに頼っている。特にアンナローツェ王国は大陸中央域との取引により、莫大な利益を得ている。

 

香辛料が豊富な大陸中央から東方にかけては、香辛料を活かした料理が多い。特に「クミン」「コリアンダー」などを使った「カリ」と呼ばれる香辛料の料理体系は、一千種類以上とも言われており、東方諸国を目指す行商人たちを魅了している・・・

 

 

 

 

 

リタ行商店から荷車一台分の「塩」を購入したディアンたちは、そのままアヴァタール地方東方域を進んだ。アンナローツェ王国では、塩取引が「国営」とされているため、認可されていない行商人は購入することが出来ないのである。アヴァタール地方東方域を横断する大陸公路は、行商人の行き来も多いためか比較的安全である。バーニエ、インヴィティア、エリアン街道を抜けてセンタクスの街に入る。宿の一階にある酒場で、ディアンたちはこれから先の道筋を確認していた。

 

『メルキア王国の拡大に合わせて、この中央域においても国ができているそうだ。その中で、これから向かう「アルスレムの街」は、大陸公路に面していることもあり国家となっているらしい』

 

『このセンタクスもそうだが、アヴァタール地方東方域は大陸公路が横断し、かつ土壌が豊かだ。気候も良い。もしメルキア王国が東方域全体を統治したらとてつもない大国になるだろうな』

 

『当然、それを阻もうとする勢力も出来るわね。実際、これから行くアンナローツェ王国とかは、メルキア王国にも匹敵するほどに大きいし・・・』

 

『あぁ、だが恐らく、まともに抵抗できるのはアンナローツェ王国と、エルフ族の杜「エレン・ダ=メイル」、南方にあるという竜族の勢力くらいか。アルスレムの街も「都市国家」になっているようだが、単体の都市国家でメルキア王国に対抗することは不可能だ。都市国家同士を束ね、連合国とならない限りは対抗できない。だが、そのためには王としての器を持った偉才が必要になる』

 

『インドリトのような?』

 

『そうだ。それと人材だな。メルキア王国には、国王ルドルフの他に、ベルジニオ・プラダという行政官やアウグスト・クレーマーという将がいる。王がいなければ国家は出来ないが、王だけでは国家は維持できない。インドリトもその辺を懸念して、ファーミシルスを欲しがったんだろう・・・』

 

『ファミ、元気にしているかしら?』

 

『恐らく、シュタイフェあたりが下品なことを言って、蹴りを喰らわせているだろう』

 

レイナとグラティナが笑いあった。

 

 

 

 

 

アルスレムの街は、アヴァタール地方東方域の中央に位置している。そのためメルキア王国とアンナローツェ王国の両方の通貨を使うことが出来る。交通の要衝に位置しているため、行商人の行き来も多い。ディアンたちは行商人を装いながら、イウス街道を通り、アンナローツェ王国の商業都市「アニヴァ」を目指した。アンナローツェ王国は光側の国である。

 

『アニヴァは、アンナローツェ王国の重要な都市だ。一方で、大陸公路に位置するため、人間族以外の行き来もあるそうだ。ティナがそのまま入っても、大丈夫だろう』

 

ディアンの予想通り、ヴァリ=エルフであるグラティナを伴っていても、特に問題なくアニヴァに入ることが出来た。悪魔族などはいないが、半獣人などの姿も見かける。宿に入ると、ディアンは懐かしい香りに食欲をそそられた。レイナやグラティナも鼻をひくつかせる。

 

『何の香りだ?嗅いだこともない香りだが、すごく旨そうに感じる』

 

『これはクミンが醸し出す香りだ。つまりここでは「カリ」を出しているな』

 

腸詰め肉に赤茄子を潰して煮詰めたタレを掛け、さらに複数の香辛料をすり潰した粉を振りかける。使徒二人は、初めて食べる味に唸った。

 

『なぁディアン。この香辛料の種を持ち帰れないか?ぜひ、ターペ=エトフで栽培して欲しい』

 

夢中になって食べながら、グラティナが提案をしてきた。ディアンとしても出来ることならそうしたいが、気候条件が異なる。簡単にはいかない。

 

『そうだな。全ての香辛料を栽培することは不可能だろう。だが、主要なものだけでも持ち帰ることができたら、ターペ=エトフの新しい名産になるかもしれん。東方諸国で調達しよう』

 

羊肉の挽肉、玉葱、豆、芋、香辛料を小麦粉を練った生地で包み揚げた料理も出てくる。ディアンは思った。

 

(カレーライスが食べたいな・・・)

 

 

 

 

 

アニヴァの街を過ぎ、セーナル神殿領域を通ると、いよいよ大陸中央部「テュルク地方」に入る。森や小川、そして時折見える集落に慣れた三人にとって、劇的な景色の変貌であった。

 

『凄い!こんな光景、初めて見たわ』

 

地平線まで続く大草原である。レイナもグラティナも呆然としていた。ディアンも目の前の景色を見ながら、改めて思った。

 

『この景色を見ると、アヴァタール地方で狭い土地を獲り合っているのが馬鹿馬鹿しく思えるな。この大陸は十分に生命を養うことが出来る。それに満足するかしないかの違いなのだろうな』

 

テュルク地方は大草原地帯だが、集落が無いわけではない。大抵は幾つかの家族が集まって、遊牧をしながら移動をしている。ディアンはある遊牧民の集落に宿を乞うた。中型の袋に一袋分の塩を渡すと、喜んで屋根を貸してくれる。山羊や羊を放牧しながら点々としているらしい。山羊の乳から造ったという「酒」を飲みながら、ディアンは長に話を聞いた。

 

『テュルク地方には、南のタミル地方から時折、行商がやってくる。塩や穀物を家畜と交換する。そうやって、もう何百年も遊牧の生活を送っている。父も、祖父も、そのまた祖父もな・・・』

 

『テュルク地方には、街のようなものは無いのでしょうか?』

 

『ある。ここから北東に行ったところに、グプタという部族がいて、街を形成している。変わった奴らで、樹の下で足を組んだり、穀物や香辛料を栽培しているのに「断食」をしたりなどをしている。何でも「サトリ」とかいうものが欲しくて、そんなことをしているそうだが、足を組んで三日三晩もジッとしていて、何が得られるのだろうな?山羊の乳を絞れば、ほれ、酒が得られる』

 

長は旨そうに盃をあおった。ディアンも笑いながら、それに倣う。飲みながら、ディアンは考えた。

 

(恐らく、グプタ部族は「修行僧」の集まりなのだろう。そして、そんな修業をする宗教は、オレの知識では二つだ。だがそれはいずれも、古神の信仰ではないか?)

 

翌朝、ディアン一行は遊牧民の集落を後にし、グプタ部族国へと向かった。

 

 

 

 

 

グプタ部族国は、ディアンが予想していたような国ではなかった。外壁を整えた立派な「都市国家」だったのである。ディアンは期待が外れ、少し落胆した。だが街であれば情報が得られる。大陸公路に位置しているため、行商人も通るらしく、街にはきちんとした宿もある。ディアンたちは塩瓶二つを条件に、三人で十日分の部屋を取った。一番よい部屋だが、この街でも塩は貴重らしく、店主も笑みを浮かべている。部屋に荷物を入れたディアンたちは、情報収集にあたった。酒場で話を聞く。

 

『修行僧?あぁ、それはこの街ではありませんよ。ここから更に北東に行ったところに、その集団がいます』

 

『だが、ここはグプタ部族の国なのだろう?その部族が、なぜこの街にいないのだ?』

 

店主は少し困った表情をしたが、顔を近づけて教えてくれた。

 

『・・・実は、グプタ部族には守護神がいるんですよ。ここから北に行ったところにある「崑崙山」の天使たちが、グプタ部族を護っているんです』

 

『天使族?』

 

『あくまでもウワサですがね。ですが、グプタ部族は別に暴力を振るうわけでもなく、この街はこのまま、自治を保っています。たまに街から作物などを差し入れする程度ですからね。であれば、そのままグプタ部族国にしておこうと・・・まぁ、そういう訳なんです。「触らぬ神に祟りなし」って奴ですよ』

 

ディアンは顎をさすった。樹の下に座って瞑目したり、断食をするなどの修行は、原始仏教で見受けられたことだ。もし原始仏教が残っていたとしたら、古神信仰であるため、天使族との親和も理解は出来る。だがどうもシックリ来ない。

 

『その修行僧たちに、話を聞くことは出来るのだろうか?』

 

『出来ますよ。別に人間嫌いというわけではなくて、ただ修行をしているだけですから。何か差し入れを持って行くと、喜ばれるかもしれませんね』

 

ディアンは頷いた。

 

 

 

 

 

『本当に、こんなモノで良いのか?』

 

グラティナは首を傾げながら、ディアンが調達した「差し入れ品」を見た。雑穀類、豆、野菜、塩である。肉も酒も一切ない。

 

『オレの知る修行僧なら、肉など持って行ったら逆に嫌われてしまう。獣肉を好まず、酒も飲まず、生きるために必要な食事をしながら、ひたすら己を見つめ続けるのが修行僧だ』

 

『エルフ族のようなものか?』

 

『近いが遠いな。エルフ族の場合、目的があってそうしている訳ではない。彼ら自身の「生き方」としてやっているのだ。だが修行僧は明確な目的がある。「悟りを得る」という目的がな』

 

『その「サトリ」とは一体何なの?』

 

『一言で説明をするのは難しいな。言葉の字義だけを言えば「何かに気づく」ということだが、それは全く違う。強いて言うなら、生きながらにして「認識」という枠を越えようという試みか・・・いや、違うな』

 

ブツブツと呟くディアンを見ながら、グラティナは当たり前のように言った。

 

『難しいのなら、その修行者に聞けば良いではないか。その「サトリ」を得るために修行をしているのだろう?何を得たいのかを理解しているはずだ』

 

『どうかな・・・』

 

 

 

 

 

『「悟り」とは、ただの言葉です。確かにそのように表現をしていますが、言葉にした瞬間に、それは離れてしまいます』

 

グプタの街から二日ほど北東に進んだところに、穏やかな小川が流れる場所がある。そこでグプタ部族は各々で修行をしていた。ディアンたちは馬を降り、一礼をする。レイナとグラティナは少し離れたところで待機させた。原始仏教なら「女人禁制」の可能性があるからだ。修行僧たちの中から、比較的年長者が進み出てきた。部族長であった。ディアンが一礼すると、相手も手を合わせて一礼した。差し入れとして持ってきたものを示す。相手は目を細めて頷いた。

 

『喜捨に感謝を致します。品々を見ると、貴方様は私たちのことを良く知っているようにお見受けしますが・・・』

 

『多少の知識があるだけです。ところで、私の仲間二名が、少し離れたところで待機をしています。女性なのですが、連れて来ても大丈夫でしょうか?』

 

『かつては女人禁制ではありましたが、行商人の行き来が盛んになり、そのような風習も無くなっています。女人に会った程度で迷うのであれば、それは修行がなっていないということです』

 

『感謝します。早速、呼んで参ります』

 

ディアンたち三人は、部族長の家に入った。土に藁を混ぜた粗末な壁と藁葺の屋根である。地べたに座って生活をしているようだ。ディアンは躊躇うことなく地面に胡座をかいた。それを見て、レイナたちも倣う。長が笑った。

 

『失礼・・・修行の身ゆえ、饗す程の用意もないのです。せめて藁でも敷いていれば良かったのですが・・・』

 

『「唯心の弥陀、己心の浄土、己心の弥陀、唯心の浄土」と言います。お気になさらずに』

 

ディアンの言葉に、長は笑みを浮かべた。

 

『やはり、あなたは私たちのことを知っているのですね。「不立文字」、言葉は無意味と言いますが、それでも私たちは多くの言葉を交わします。貴方と語り合えば、大悟に近づくのでしょうが、お二方がポカンとしておられます。言葉を交わすのはまた後日ということで・・・さて、皆様は何を求めて、この地にいらっしゃったのですか?』

 

(なるほど、禅か・・・ならばこの世界に残っていても不思議ではない)

 

ディアンは頷き、そして「悟りとは何か?」と問いかけた。長の回答に二人は混乱しているが、ディアンは頷いた。

 

『「只管打坐」と申しますからね。生きることがすなわち修行であり、修行をすることが悟りである・・・これは、私共が野暮な問いをしました。修行の邪魔をしてしまいましたこと、お詫びいたします』

 

『デ、ディアン?何を一人で勝手に納得しているのだ?私には全く理解できないが』

 

『理解できなくても良いのだ。修行もしていないのに、理解できるわけがない』

 

『だ、だが・・・』

 

笑いながら長が止めた。

 

『私共の教えには「方便法論」というものがあります。言の葉は本意そのものを表しませんが、本意を伝える手段にはなります。そうですね、例えば・・・』

 

長は瓶の中から何かを取り出した。手を開くと干し葡萄であった。

 

『これは、何でしょうか?』

 

『何と言われても、干し葡萄としか思えませんが?』

 

レイナが首を傾げて聞く。グラティナも頷く。ディアンは黙って笑みを浮かべていた。

 

『そうです。干し葡萄・・・ではお尋ねしますが、これが「干し葡萄」となぜ解ったのですか?』

 

レイナやグラティナが首を傾げた。

 

『もし、干し葡萄を見たことのない人が、これを見たら、きっと答えられないでしょう。あなた方は、過去に「干し葡萄」を見ていますね。では、その干し葡萄と、この干し葡萄は同じものでしょうか?』

 

『そ、それは全く同じものでは無いだろう。だが葡萄を干したものという点では同じだ』

 

『正にそうです。この世に、「同じもの」など一つとしてありません。あなた方は「干し葡萄」という言葉で「何かを括っている」のです。言葉とは「それそのもの」を言い表すのではありません。「括りの中に当てはめる」というものなのです。悟りも同じです。悟りという括りの中に当てはめてしまうと、それだけで「そのもの」では無くなってしまうのです』

 

『なんだか、解ったような解らないような・・・』

 

『それで良いんだ。解ったらそれこそ大変だ。「何となく」のままで良いのだ・・・さて、悟りについてはその程度にして、お尋ねしたいことがあります。北方の「崑崙山」に住むという「天使族」についてです』

 

 

 

 

 

レイナとグラティナは狐に摘まれたような表情を浮かべながら、馬に揺られていた。ディアンは満足していた。転生前の「ある悲劇」から、あらゆる宗教を調べた。その中で、自分が唯一「理解不能」であった「世界観」が、この世界にもあったからだ。ディアンにとって、宗教とは「言葉の芸術」であった。多種多様な言葉を「織り交ぜる」ことで、信徒の心に入り、信仰心を獲得する。現神の教えも、基本的には同じであった。だがグプタ部族の世界観は違う。彼らは言葉を否定している。人間は意識を通じて世界を認識する。その際に言葉は重要な機能を果たす。グプタ部族の修行「禅」は、言葉を使わずして世界を認識しようという試みなのだ。そう言ってしまうとまた本質から外れるが、ディアンの中で最もしっくりくる表現方法は、それであった。禅にはそもそも、布教の仕組みが存在しない。だが、禅に現神信仰が入り込む余地はない。「不立文字」の四文字で否定をされてしまうからだ。そういう意味で、禅は「宗教の最終進化型」に思えた。

 

『あまり深く考えるな。彼らの修行は、考えたところで理解できない。考えて理解できるような生温いモノでは無いのだ。オレはそのことを「知っている」が、「理解できない」のだ。修行をしていないのだから当然だろうが・・・』

 

『修行すれば、理解できるのか?』

 

『いや、そもそも「理解する」という行為自体を彼らは否定している。理解するとは「言葉で解釈すること」だ。その瞬間に、本質から外れてしまう。「それっぽいこと」になってしまうのだ』

 

『何となくだけど、言いたいことは理解できたわ。でも、それじゃあ宗教にならないんじゃないかしら?』

 

『だから彼らは「修行」と言っているのだ。彼らは別に布教しようなどと考えていない。ただ自らの修行をするだけなのだ。そういう意味で、彼らのやっている「禅」は、宗教という枠で捉えられない。もう考えるのはよせ。頭が痛くなるだけだぞ。それより、崑崙山が見えてきた・・・』

 

ディアンたちの前方に、雲に隠れた高い山が見え始めていた・・・

 

 

 

 




【次話予告】

麓に馬を繋いだディアンたちは、山頂を目指して「飛行」する。だがすぐに天使たちからの警告を受ける。天使族が何を護っているのか、ディアンは言葉を尽くして、彼らに問いかけるのであった・・・


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第二十八話「崑崙の住人」


・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第二十八話:崑崙の住人

天使族とは、元々はイアス=ステリナ世界にいた古神の眷属である。古神とは、人間族が信仰していた神々であり「創造神」を主神とした神々の系譜である。天使族は、創造神や古神の「使徒」として、イアス=ステリナの頃より人間族を見守り続けてきた。その背景には、創造神が人間族に対してのみ与えた「運命を切り拓く力」の行く末を見守る使命があったため、と言われている。しかし、人間族が高度に科学技術を発展させ、やがて並行世界「ネイ=ステリナ」を発見すると、自分たちとは異なる神の存在が明らかになり、天使族も揺れ動くことになる。

 

創造神は、三神戦争においても姿を現さず、人間族が古神信仰から現神信仰に切り替え、古神が封印されていく様子を黙って見守っていた。やがて、三神戦争が集結し、古神は新世界において排除される存在となる。それに伴い、古神の使徒であった天使族も、身の振り方を考える必要が発生した。ある者は現神の使徒となり、またある者は独立した勢力を形成した。無論その中には、古神の使徒であることを頑なに護り続ける者もいた。現神たちは、古神は排除をしたものの、その眷属までは排さず、ディル=リフィーナ世界で生きることを認めたため、ラウルバーシュ大陸の各地に、天使族が存在しているのである。

 

天使族は、純白の翼と美しい容姿を持つが、肉体は霊的物質で構成されており、不老の存在である。そのため天使族と戦う場合は、物理的攻撃よりも魔術による攻撃の方が効果的と言われている。現神信仰に切り替えた人間族においても、天使族は特別な存在であり、天使族に対しては畏敬の念を払う者が多い。一方で、天使族側から見れば、人間族は古神を裏切った存在であり、イアス=ステリナの頃のように「見守り続けるべき存在」と見做さない者も多いのが現実である。

 

天使族は、全部で九つの「階位」によって分けられており、これはイアス=ステリナから変わらない。「天上の階位(ヒエラルキア)」と呼ばれる四角錐型の階級は、上位・中位・下位と三区分され、それぞれがさらに三階級に分けられる構造となっている。

 

■上位三隊 「父」のヒエラルキー

第一位 熾天使(セラフィム)

第二位 智天使(ケルビム)

第三位 座天使(王座)

 

■中位三隊 「子」のヒエラルキー

第四位 主天使(主権)

第五位 力天使(力)

第六位 能天使(能力)

 

■下位三隊 「聖霊」のヒエラルキー

第七位 権天使(権勢)

第八位 大天使

第九位 天使

 

これら九つの階級は、各位に明確な違いがあり、見た目は同じであっても「全く違う存在」である。天使族は人間族とは異なり、「肉の身体」を持たないため、自己研鑚による成長というものが殆ど無いためである。三神戦争においては、古神と共に天使族が現神と戦ったと言われているが、第一位「熾天使」は限りなく神に近い存在と言われており、「ラファエル」「ウリエル」「ミカエル」「ガブリエル」を四大熾天使と呼ぶ。通常の天使族は一対二翼であるが、熾天使は三対六翼を持ち、その力は上位魔神をも上回ると言われている・・・

 

 

 

 

ラウルバーシュ大陸東方域の入り口にそびえ立つ高山「崑崙山」は、麓は樹海で覆われているものの、急角度の傾斜を持つ巨大な岩山であり登ることが極めて困難な山である。ディアンたちは、麓の森のなかに野営地を構えると、魔導装備を使って飛行による登頂を目指した。山は厚い雲で覆われており、山頂の様子は一切、観ることは出来ない。

 

(標高は、一里・・・いや、一里半はあるかもしれない。とんでもない山だな)

 

インドリトから与えられた魔導装備は、確かにディアンが求めていた「自由自在な飛行」を実現するものであった。だが欠点も存在した。飛行中は常に、装備に魔力を通しておく必要があるのである。そのため、飛行しながら魔術を使った場合は、最悪「落下」という危険があった。肉体に魔力を通しながら、両手で魔術を操るというのは、高度な操作が求められる。ディアンであっても、まだ不慣れな状態であった。

 

『目的は、天使族に会って話をすることだ。戦う必要はない。向こうが嫌がったら、撤退しよう』

 

ディアンたちは、岩山に沿って、飛行を開始した。気温の低下に備え、全身を毛皮で覆う。岩肌に沿って順調に上昇し、雲に入ろうとした時に、ディアンが止まった。

 

『待て、これはただの雲じゃない』

 

ディアンが手を伸ばすと、指先に電流が走る。結界であった。だがそれほど強くはない。ディアンたちは毛皮で身を固め、雲の中に入った。電流が毛皮の表面を走るが、内側に雷竜の鱗をつけているため、雷に撃たれることはない。そのまま雲を突き抜けると、青い空が広がっていた。そして・・・

 

『侵入者めっ!これ以上進むようであれば、神罰を下すぞ!』

 

ディアンたちの周囲を複数の天使が取り囲んでいた。全員が剣を抜いている。使徒たちをディアンが止めた。

 

『私の名はディアン・ケヒト、ここより西方のケレース地方の国、ターペ=エトフから来た旅人です。山の静寂を破ったことは謝ります。グプタ部族の長より、あなた方の話を聞き、是非、対話をさせて欲しいと願い、ここまで来ました。あなた方のどなたかと、話をさせては頂けませんか?』

 

天使たちは互いに顔を見合わせた。一人が剣を納めて進み出た。

 

『害意がないことは認めよう。だが、いきなり結界を破り、話をしたいなどという者は信用出来ん。お前たちがここまで来たことは、上に伝えよう。麓にて待つが良い。近日中に返答しよう』

 

『解りました。ひとまず、麓にてお待ちします。何卒、良しなに・・・』

 

 

 

 

 

野営地の近くに仕掛けた罠に、野兎が3羽、掛かっていた。ディアンは早速、料理に取りかかった。まずは兎を捌く。血を抜きが終わると、皮を剥ぐ。頭を外し、内臓を取る。内蔵は丁寧に洗っておく。足の骨、背骨などを取り外し、鍋に入れて煮る。骨で出汁を取る間に、街で仕入れた香辛料をすり潰し、粉状にする。野菜も適当な大きさに切り分ける。もう一つの鍋で、レイナが玉葱を炒めている。程よく色づくと、一旦取り出す。再び油を敷くと、すり潰した香辛料を入れた。食欲をそそる香りが登り立つ、切り分けた兎に小麦粉をまぶし、それを入れる。適当に炒めたら、人参、茄子、茸類を入れ、兎の骨で取った出汁を入れる。グラティナは小麦粉をこねて、パン生地を作っていた。薄く伸ばし、オリーブ油を表面にかけ、焼けた石の上にのせる。表面がパリッとするまで焼く。

 

『これは、なんという料理なのだ?すごく旨そうだ』

 

『そうだな、「野兎のカリ風スープ」とでも名付けるか』

 

湧き水を器で汲み、水系魔術を使って凍らせる。それをカチ割り、盃に入れる。街で仕入れた「乳酒」を注ぐ。一口飲んで、レイナが笑った。

 

『わたし、この飲み方好き。飲みやすいし、冷たくて美味しい』

 

『このスープも旨いな。小麦粉でトロミがついているのか?パンによく合う』

 

ディアンが食べていると、遠方から視線を感じた。レイナたちの手も一瞬、止まる。だが姿を現さない。三人は気づかぬフリをしながら、食事を続けた。視線が強くなる。ディアンは鬱陶しく感じて、視線を感じる方向に目を向けた。真上である。小柄な天使がそこに浮いていた。

 

『・・・宜しければ、一緒に食べませんか?』

 

『・・・ッ・・・』

 

天使が舞い降りてくる。背丈はインドリトとほぼ同じであろうか。薄青い色をした髪と鳶色の瞳をしている。

 

『・・・その料理は何ですか?』

 

『これは、野兎を香辛料で煮た「カリ」という料理ですね』

 

皿に取り、盃とともに渡す。

 

『ありがとう。私の名は「ラツィエル」と申します。崑崙山を飛行魔法で昇ってきたという人間族に、興味があって降りてきたのです』

 

皿に取られたカリを一口食べ、眼を見開いた。

 

『こ、こ、これは・・・』

 

『お口に合いませんでしたか?』

 

『いえ、とても辛くて・・・でも美味しいですね。初めて食べました』

 

『天使族は、肉体を持たない存在と思っていました。それ故、食事はしないものと考えていたのですが・・・』

 

『肉の身体ではありませんが、身体は持っています。霊体を物質化したもので、茶も飲みますし、食事もします』

 

『なるほど・・・申し遅れました。私の名はディアン・ケヒト、この地より西方にあるケレース地方の国「ターペ=エトフ」から来た旅人です。この二名は私の旅仲間です』

 

使徒二人が挨拶をする。ラツィエルは丁寧に挨拶をした。食事中、ラツィエルはターペ=エトフについて質問をしてきた。ディアンは丁寧に質問に応えた。ラツィエルは「光と闇の二項対立を超えた国」という点に関心を持ったようだ。

 

『天使族も、イアス=ステリナでは二項対立の中にいました。堕天し、魔王となった存在と戦っていたのです。光と闇、善と悪、正と邪・・・ターペ=エトフでは、これらが融合しているということでしょうか?』

 

『いえ、そもそもそのような「二項での分類」をしていません。例えば、失礼を承知で申し上げますが、イアス=ステリナにおいて有名であった魔王、おそらくは「ルシファー」だと思いますが、ルシファーにはルシファーの言い分があるでしょう。ルシファーから見れば、あなた方が「悪」なのです。大変失礼な言い方ですが・・・』

 

『気にしていません。確かにそのように考えることも出来るでしょうね。ですが、ルシファーは地上の秩序を破壊し、混沌とさせ、七つの大罪で覆うつもりでした。これは「悪」ではないでしょうか?』

 

『ルシファーの側から言えば、こうなりますね。「七つの大罪」などと言うが、大食がいけないと言うのなら、なぜ神は「食欲」を与えたのか?貪欲がいけないというが、その欲望こそが人間を成長させているとは考えられないか?与えておきながら、求めることを禁止するなど、拷問に等しいではないか・・・』

 

『主は、求めるなとは言っていません。「度を過ぎるな」と言っているのです』

 

『その「度」は、誰が決めるのでしょう?主でしょうか?私は違うと思いますね。それであれば最初から、度を過ぎないように創れば良かったのですから・・・ 私は、「度」は人間族自身が決めるべきものと思いますね。度を過ぎれば、結局のところ、悲劇に繋がるのです。そうやって気づき、学び、少しずつ成長せよ・・・ 主はそう考えたのではないでしょうか?』

 

『・・・私たちとは相容れない考え方ですね。それは、貴方の意見ですか?』

 

『いえ、ルシファーにだって言い分はあっただろう・・・と思っただけです。話を戻しますが、ターペ=エトフでも同様に、様々な「言い分」があります。大切なことは、互いの「言い分」を認め合うことです。一つの言い分しか認められいない世界では、その言い分を主張する存在しか生きられません。この世界には多種多様な生き物がいます。互いに言い分を認め合えば、歩み寄る余地が生まれる、ターペ=エトフではそのように考えています』

 

『ある意味で、危険な国ですね。二項対立ではなく、互いに認め合うということは、この世界の神々をも否定することに繋がりかねません』

 

『神々から見れば「否定された」と思うかもしれませんね。ですが、その発想自体が「二項対立」から抜け出していないのです。「善があり悪がある」という自分の考え方と異なる価値観に触れると、自分が否定されたと感じてしまう。そうではありません。二項対立の価値観を持つ者がいても良いのです。そうでは無い価値観を持っている存在を認めよ、ということです。そもそも、自分の価値観が絶対で、他を認めないなど、七つの大罪の一つ「高慢」ではありませんか?』

 

『・・・私たちが「高慢」と仰りたいのですか?』

 

ラツィエルの気配が微妙に変化する。ディアンは笑って首を横に振った。

 

『私は他の価値観を「提示」しただけです。この世には「絶対真理」というものがあるのかもしれません。ですが、それに届く程に、私の手は長くないのです』

 

『永遠の命を持ちながらも、それでもなお真理には届かないと思っているのですか?』

 

ディアンは微かに眼を細めた。使徒二人も警戒する。ラツィエルは揺れることなく、言葉を続けた。

 

『「魔の気配」は、抑えようと思っても抑えきれません。お二人からも、使徒の気配が滲み出ています。貴方は確かに人間に見えますが、少なくとも肉体は魔神でしょう?』

 

『これは失礼をしました』

 

ディアンは笑い、そして真顔になった。

 

『しかし、そう仰るのであれば、貴女もそうではありませんか?ラツィエルという名は、私も記憶にあります。天使族のヒエラルキアでは「上級天使第三位」でしょう。「地上と天界のすべての秘密を知る存在」と言われ、第三位「座天使」の長でもある。この崑崙山を束ねているのは、貴女だとお見受けしましたが?』

 

ラツィエルは少し驚いた表情を浮かべると、気配が変わった。明確な警戒をしはじめたのだ。レイナとグラティナは緊張したが、ディアンは真顔のままである。

 

『・・・貴方は何者ですか?天使族の階級を知る者は他にもいるでしょうが、「秘密の天使」と呼ばれたのは、先史文明期のさらに前、遥か太古の昔です。いまとなっては、天使族の中でさえ、私のことを知る者は多くありません。何故、貴方が知っているのです?』

 

『・・・さぁ?何故でしょうね。ただ言えることは、オレは貴女の敵ではない、ということだけです。特に、太古の使命を今でも守り続けている天使族とはね。グプタ部族の長から聞きました。天使と「禅」の組み合わせは想像が出来ませんが、あなた方は彼らを侵略から守っているんでしょう?』

 

『「禅」のことまで知っているのですか。まるであなたは、イアス=ステリナの宗教学者のようですね。私たちは別に、彼らを護っているわけではありません。ただ、イアス=ステリナからの宗教は、この世界では殆ど残っていないのです。彼らの存在を貴重だと考えているに過ぎません』

 

ディアンは頷いた。禅宗の元となった原始仏教には「天使」というものは存在していない。「天部」という仏の「使徒」は、その後に様々な宗教と融合して生まれた概念である。仏教はキリスト教やイスラム教の様な「一神教」ではない。「他の神」を認める宗教なのである。だからこそ、この世界の中で生き残れたのだろう。

 

『オレのことについては、詳しくはお話できません。ただ、ディル=リフィーナ世界の「信仰を中心とした世界観」には染まっていない、とだけ申し上げましょう。だからこそ「絶対真理」など求めませんし、無いと思っているのですよ』

 

ラツィエルは少し沈黙して考え込んだ。納得したわけでは無いが、敵意が無いことは認めてくれたようである。

 

『・・・この崑崙山の山頂付近は、私たち天使族が住む世界です。本来であれば、何人の訪問も受け入れないのですが、食事の御礼をしなければなりませんね。茶のおもてなしをしましょう。明日、お越しください』

 

そう言うと、ラツィエルは翼を広げ、一瞬で上空へと飛び去っていった。まるで流れ星のような速度である。器は綺麗に空になっていた。

 

 

 

 

 

崑崙山の標高は、一里半(六千m)ほどある。ディアンたちは翌朝から、崑崙山を昇り始めた。ラツィエルの言葉通り、雲の結界は消えていた。雲を抜けると、天使が待っていた。守護天使であった。

 

『・・・ラツィエル様より、お話は聞いています。ご案内しましょう』

 

案内役に連れられて、そのまま昇り続ける。やがて山頂付近が見えてきた。岩肌に沿うように、家々があり、山頂には宮殿が建てられている。西方の城を想像していたディアンたちは驚いた。見たこともない建築様式だからだ。

 

(・・・どことなく、西蔵(チベット)のポタラ宮に似ているな)

 

ディアンとしては、天使族の集落に降りて家々を見て回りたかったが、案内役はそのまま、山頂の宮殿を目指していた。宮殿の中庭のようなところに降り立つ。レイナたちも、初めて見る建築様式に興味があるようだった。ディアンは中庭の石畳を撫でた。不思議な感覚を持っていた。相当に古い建物であるはずなのに、まるで昨日完成したかのような綺麗さである。風雨の侵食跡が無い。

 

『・・・何か、特殊な結界を張っているのか?だが魔力は感じない。どんな技術で建てられているのだ?』

 

『そうね。それに、これだけの宮殿を建てる建築資材をどうやって運んだのかしら?天使族たちが力を合わせて運び上げたのかしら?』

 

『だが、それなら何もこんな高い山に作る必要はないではないか?ここは地上と比べると空気も薄い。植物の植生も変化しているようだ』

 

先導する守護天使は、黙って歩いている。建物内も綺麗に掃き清められている。他の天使たちが、ディアンたちを訝しげに見つめる。やがて、扉の前で案内役が止まった。叩扉すると、ラツィエルの声が中から聞こえた。扉が開かれると眩い光の中に、天使が立っていた。

 

 

 

 

 

『イアス=ステリナからディル=リフィーナに変化をして、一つ良いことがありますね。高所でも採れる麦類があるのです。どうぞ・・・』

 

香草の茶と共に、焼き菓子が出された。ディアンは天使族の生活に興味を持った。天使が「農作業」をするのだろうか?質問をすると、ラツィエルは寂しそうに笑った。

 

『かつては、主の加護により私たちは食べることなく生きることが出来ました。ですが、新世界となり主の御力も消え、私たちは危機に晒されたのです。現神の使徒として乗り換えれば、働くことなく生きることも出来ますが、この山の天使たちは、それを(いさぎよ)しとしませんでした。たとえ主の力が消えようとも、私たちの使命は変わりません。主の寵愛を受けた人間族が、新世界でどのように生きるのか、見守っているのです』

 

健気な話である。ディアンは、こうした純朴さを好んでいた。思わず誘ってしまう。

 

『宜しければ、ターペ=エトフにいらっしゃいませんか?ターペ=エトフの国土は広く、未踏の山岳地帯もあります。インドリト王は「全ての種族が共に生きる楽園」を目指しています。天使族も喜んで受け入れるでしょう』

 

ラツィエルは少し笑って、首を横に振った。

 

『お誘いは嬉しいですが、私たちは此処を動くつもりはありません。この山で暮らすようになって、もう二千年近くになります。この世界も漸く、一つの秩序を持ち、人々の営みが繁栄へと向かいつつあります。私たちはこの山から、その様子を見つめ続けるつもりです』

 

『解りました。お招き頂きましたこと、感謝いたします。あなた方の生き方を邪魔するつもりはありません。今回を最初で最後の訪問にしたいと思います』

 

ディアンたちは、ラツィエルに他の質問をした。この山は元々はイアス=ステリナの山だったようである。二つの世界が融合した際に、山がさらに隆起し、これ程の高山となったらしい。それまでも高山の街だったそうだが、あまりに高くなりすぎたため、人々が街を放棄し、その後に天使族が入植したようである。

 

『天使族は、この大陸の中で幾つかに分かれて暮らしています。南方のミサンシェルには、私たちと同じ志を持つ天使たちが暮らしています。そして、ここから南東にも・・・』

 

『大禁忌地帯のことを仰っているのですか?』

 

『・・・あなたは本当に、何でも知っているのですね』

 

『いえ、オレが尊敬する先人が、あの地を訪ねているのです』

 

ディアンは、革袋から「カッサレの魔道書」を取り出した。ブレアード・カッサレの名を聞いて、ラツィエルが何かを思い出したように頷いた。

 

『あなたを見ていて、誰かに似ていると思っていました。思い出しました。かつて、禅僧と問答をした上で、この山に登ろうとした若者がいました。守護天使が途中で警告をしたのですが、その時に言い負かされてしまいました。そこで、山の中腹部で私自身が会ったのです。確か「ブレアード」という名前でした』

 

『ブレアード・カッサレが、この地に来ていたのですか?』

 

『この宮殿までは来ていませんが、この山で一度、会ったことがあります。まだ三十歳にもならない若者でしたが、強い魔力と、はち切れる程の情熱を持っていました。彼はこう言いました。「光と闇はなぜ争うのか?ただ考え方が違うだけではないか。現神と古神はなぜ争うのか?ただ出身が違うだけではないか。信仰心の獲得を競い合っているのならば、人間同士が領土の獲得を競い合うのと何が違うのか?」・・・信仰を「感じる」のではなく、考えてしまう、困った若者でした。ですが、好ましいとも思いました。人は考える生き物です。盲目的に信仰をするのは、主も望んではいらっしゃいませんでしたから・・・』

 

『ブレアード・カッサレが著した魔道書、オレはそれに魅了され、この世界を旅しているのです。大禁忌地帯の天使族も、あなた方と同様に、人間族を見守っているのでしょうか?』

 

『いえ、あの地の天使族は、別のことを目標としています。それ故、私たちとは相容れない部分もあり、接触はしていません』

 

『それは、何でしょうか?』

 

ラツィエルは、少し躊躇したが、溜息をついて語った。

 

『お話をしても、問題はないでしょう。大禁忌地帯に生きる天使族たちは、「主の復活」を目指しています。大禁忌地帯は、現神によって封鎖をされています。なぜ封鎖をしたのか。それは、そこに主が封印されているからではないか。あの地には、開くことのない巨大な扉があります。その扉の中に、主が封印されていると信じているのです』

 

『イアス=ステリナの主神・・・創造神が、大禁忌地帯に封印されているのですか?』

 

『そう信じている、というだけです。「主の復活」という考え方は、二千年前なら良いでしょう。ですがもし今、そのようなことが起きたら、この世界はどうなります?再び、三神戦争が勃発するでしょう。ようやく、人々が秩序を持ち、新たな世界で前に進み始めているのに、それを壊してしまうというのは、天使の使命に反すると思うのです』

 

ディアンは考えこんだ。カッサレの魔道書には、大禁忌地帯の「メルジュの門」をイルビット族が開けようとしている、とは書かれていた。イルビット族は「ディル=リフィーナ成立の秘密」が隠されていると信じている。だが、天使族は「旧世界の主神」が封印されていると信じているようだ。前者ならば問題ないが、後者ならば開けるのは危険過ぎる。ディアンの思考を読んだように、ラツィエルが言葉を続けた。

 

『ディアン殿、もし大禁忌地帯に行くのであれば、くれぐれも「軽挙妄動」は謹んで下さい。私は・・・とても嫌な予感がするのです』

 

ディアンは頷くしか無かった・・・

 

 

 

 

 

馬に揺られながら、ディアンは思考を続けていた。もし大禁忌地帯に、本当に「創造神」が封印されているのであれば、その封印を解くのは愚行の極みである。旧世界の神々は、現神と「武力闘争」をしている。ディアンから言わせれば、とても神の所業とは思えない愚かさである。神々の力は、人々の信仰心によって維持・強化されている。「信仰心の獲得」こそが、勝利の鍵を握るのである。ここに目をつけたのが商神セーナルであるが、それ以外の神々は、現神も古神も「剣と魔法」で戦ったのである。それでは魔神と同じではないか。

 

(現神も魔神も「神族」だからな。強大な力に胡座をかいて、知恵を磨いて来なかったのかもしれない。要するに、単細胞だ)

 

『ディアン、どうするのだ?もし大禁忌地帯に行かないのであれば、東方諸国を見物して帰国する、というのもあるが?』

 

『いや、大禁忌地帯には行く。インドリトからの依頼は、東方の見聞録だ。できるだけ広範囲を見ておきたい。ただ、メルジュの門には気をつけよう。まぁ、ブレアードですら開けられなかったのだ。オレでどうこうできるとは思えないが・・・』

 

ディアンの中では、ブレアード・カッサレは尊敬する先人であり、どこかに「自分の師」という意識があった。それゆえに、ディアンは見落としていたのである。「旧世界の知識」においては、科学世界からの転生者であるディアンのほうが、ブレアードを遥かに凌いでいるということを・・・

 

 

 

 




【次話予告】

いよいよ東方諸国に入ったディアンたちは、東方列強諸国の一つ「龍國」に入る。アヴァタール地方とは全く違う街並みや食文化に、レイナたちも興奮する。だが、龍國は隣国との戦争状態であった。そして、ディアンたちの入った街は、龍國の大将軍が統治する街だったのである。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第二十九話「函口の街」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第二十九話:函口の街

崑崙山を降りたディアンたちは、街に戻った。グプタ部族国では、香辛料を栽培している。その栽培方法や土壌条件などを調べるためだ。礼として塩を差し出すと、農民たちは喜んで香辛料栽培の方法を教えてくれた。

 

『カリの基本となる香辛料は様々にありますが、その代表例がクミンです。クミンの栽培方法はそれほど難しくはありません。水はけがよく、日当たりの良い土地であれば、大抵は芽を出し、実を成します』

肉桂(シナモン)は、特に気温に気をつけねばなりません。また乾燥を嫌うので、たっぷりと水をやる必要があります。木が成長したら、木皮を剥ぎます。皮は乾燥し、自然と丸くなるのです』

 

こうした香辛料栽培の技法については、アヴァタール地方までは持ち込まれていなかった。ディアンは、ターペ=エトフの気候を考えながら、香辛料を選んだ。ターペ=エトフ全体を見ると、湿潤な気候ではあるが、南方のほうがより雨が多いのである。シナモンやターメリックなどは南方で栽培をし、クミンなどは北方で栽培をすれば、様々な種族が利幅の大きい作物を得られるようになる。だが大規模化は出来ないだろう。問題はターペ=エトフの人口にあった。

 

『ターペ=エトフは栄えすぎているからな。人手不足で、これ以上の産業は立ち上げようがない。まぁ、ターペ=エトフ内で消費をする程度の収穫で十分だろう。いずれ人口が増えれば、大規模化して新たな収益の柱にすれば良い・・・』

 

ディアンの構想は、結局のところは「自家栽培」という程度で終わってしまい、ターペ=エトフ国内で普及することは無かった。ラギール商会から強硬な文句が出たからである。リタ曰く、

 

『何でもかんでも自国で作れるんなら、アタシは何を売ればいいんだよっ!』

 

 

 

 

 

宿の部屋で、ディアンは旅の記録をつけていた。日頃から日記を書く習慣はあるが、今回は「執筆」を依頼されているのである。名文を書く自信は無いが、出来るだけ読みやすく、ありのままを伝える文章を心がける。いずれ、この見聞録はプレメルの図書館に収蔵されるだろう。そう考えると、下手なことは書けない。

 

・・・セーナル神殿領を抜けると、広大な草原地帯がある。そこでは遊牧民が集落を形成し、移動しながら生活をしている。一見すると、それがグプタ部族国と思ってしまうが、この国の本質はそこではない。グプタ部族国は、イアス=ステリナから続く宗教「禅宗」が信じられている。禅宗とは、宗教の一種ではあるが、他の宗教とは異なり「布教」という機能を持っていない。グプタ部族は、禅宗の「僧」として修行を続けている。そして、崑崙山の天使族たちは、その修業を見守り続けている・・・

 

後世、著者不明の紀行記「東方見聞録」は、アヴァタール地方で高く評価されるが、その内容はある意味で危険であった。著者は「事実」と「感想」とを書き分けているが、その「感想」の部分は、現神批判にも繋がる内容が多く、テルフィオン連邦など西方諸国では「発禁書」とされている。また、普及に伴って内容の変遷なども見られる。東方見聞録の「初版」は、出版数が少なかったこともあり、稀覯本とされている。後世において初版本を読むことが出来るのは、「レウィニア神権国神殿書庫」「エディカーヌ帝国国立図書館」の二箇所のみである。

 

『フェミリンスの呪いを解く方法も研究しなければな。東方諸国で、何か得られれば良いが・・・』

 

一通りの記録を書き上げたディアンは、カッサレの魔道書を開いた。外はまだ夜が明けていない。寝台の上では、二人の使徒が裸体のまま眠っている。睡眠を必要としないディアンは、夜の時間を研究に当てていた。稀代の大魔術師が十年以上に渡って研究をしても解けなかった呪いである。大抵の方法は既に研究されていた。ディアンは溜息をついて、見落としが無いかを確認し始めた・・・

 

 

 

 

 

グプタ部族国を出発したディアンたちは、崑崙山の東方を抜け、東方列強諸国北西部にある「龍國」を目指した。龍國の南には、黒雷竜ダカーハが言っていた「西榮國」がある。「気をつけろ」というダカーハの言葉に従い、いきなり西榮國に入るのではなく、まず龍國で情報を集めようと考えたのである。草原地帯を抜けると、徐々に田園風景が広がってくる。農民は穏やかな表情をしていた。国が安定している証拠である。

 

『大王様は、元々は竜族の血を引かれていると聞いています。ここらは田舎村ですが、「龍陽」の都は、そりゃ栄えていると聞いていますよ』

 

屋根を貸してくれた農家が、笑いながら話をしてくれた。ありきたりの農家ではあるが、他者に施す程度には豊かであるらしい。もしこの豊かさが普通であるなら、国力はターペ=エトフにも匹敵する。主人に質問をすると、笑いながら首を振った。

 

『まぁ、領主様がそりゃお優しい方なので、この村は皆が安心して暮らしています。この当たりは特別なのです。西方からの行商なども来るので、商いによって税が落ちるようです。そのため、この辺りは税が安いのですよ。他の街では、そこまで安くはありません。ですがそれでも、十分に暮らせるようですよ?』

 

 

 

 

一泊をしたディアンたちは、この辺りでは一番大きな街「函口」に向かった。函口の街は、西方から来る行商隊を受け入れる「西の入り口」である。高い城壁に囲まれた都市が見えてきた。城壁の上には、瓦葺の「楼」がある。旗がのぼり、兵士たちが護っている。

 

『あれがカンコーか。西とは確かに、趣が違うな。鎧も違うし、旗も違う。あれは、文字か?』

 

『「王」という字だな。どうやら、ここの領主の名前のようだ』

 

『「王」?国王なのか?』

 

『いや、違うだろう。ただの名前だ。西方と東方では、文字に対する考え方が違う。「王」の字義は「KING」だが、ここではただの文字だ。例えるなら「K」だな』

 

『紛らわしいな。東方の文字を修得するのは難しそうだ・・・』

 

グラティナは早速、匙を投げてしまったようだ。ディアンは苦笑いした。自分としては、久々に「漢字」を見ることが出来、嬉しいのだが・・・ 馬を降り、手綱を引きながら街に入ろうとすると、兵士たちに止められた。

 

『この街は、領主「王進」様の直轄地である。見たところ西方から来たようだが、行商人には見えん。それに、三名とも剣を履いている。身分を明らかにし、氏名を登録して頂きたい』

 

丁重ではあるが、有無を言わさない決意が見える。こうした「職業意識」をディアンは高く評価している。懐から、ターペ=エトフが発行している身分証明を出す。国王インドリトの直筆の署名が入っている。

 

『私は、ここから遥か西方の国「ターペ=エトフ」の王太師ディアン=ケヒトと申します。国王インドリトの命を受け、東方諸国を見聞するための旅をしています。この二名は、私の護衛役です』

 

レイナとグラティナの身分証明を確認し、兵士が頷いた。

 

『失礼をしました。領主の命により、街の治安に気を配っているのです。どうか、お気を悪くなさらないよう・・・』

 

『とんでもない。民衆を護るためのお務めでしょう。そちらは務めを果たしたのみ、全く気にしていません』

 

街の中に入ると、大勢の人々で賑わっていた。皆が一様に笑顔である。どうやら統治が行き届いているようだ。

 

『礼儀を弁えた兵だったわね。「オーシン」という人は、きっと優れた領主なんだわ』

 

『それに、腕も立つな。相当に厳しい練兵をしているのだろう。動きに全く無駄がなかった。オーシンとは、相当な武将かもしれん』

 

(オーシンではなく、オウシンなのだが・・・まぁ良いか)

 

ディアンたちは商店に向かった。龍國で流通している通貨を得るためである。運んできた塩を全て売り払う。内陸国であるため、この地でも塩は高値であった。真ん中に穴の空いた銅銭や銀貨を得る。雑貨店の店主は、満面の笑みであった。どうやらこれでも安く買い叩かれたようである。ディアンは肩を竦めた。

 

 

 

 

 

『王進様は、南方の西榮國との戦いで活躍をされた、龍國最強の大将軍です。大王様の御信頼も篤く、西方との交易地であるこの街を王進様にお与えになりました。王進様は戦では鬼神のような強さですが、私たち民衆に対しては、そりゃもうお優しい方です。王進様が領主になって下さったお陰で、この街は更に栄えて、皆が幸せに暮らしています』

 

酒場の店主が「領主自慢」をしてくれた。レイナとグラティナを連れているため、やはり相当に目立つが、誰も二人にちょっかいを出そうとはしない。治安が良いためである。

 

『王進様が最も嫌がることは、兵士による民衆への狼藉です。そりゃ人間ですから、兵士同士、民衆同士の喧嘩もありますが、兵士と民衆の喧嘩ってのはありませんね。王進様の兵士は、皆がお強いですし、何より「礼儀」を叩きこまれていますからね』

 

『門衛の対応を見て、それは感じた。礼儀正しさの中に、強い芯を感じた。あの兵士を束ねる将は、相当な人物だ。会ってみたいものだな』

 

ディアンの呟きに、店主は驚いたようだ。ただの旅人が、領主に会いたいなどと言うからである。ディアンは誤魔化すように笑い、話を変えた。

 

『ところで、西榮國との争いは長いのか?』

 

すると店主は苦虫を噛み潰したような、不快な表情を浮かべた。

 

『西榮國ってのは、酷い国ですよ。聞いた話によると、長年にわたって不可侵を取り決めていた竜族を皆殺しにしたそうです。その後、今度は龍國にまで攻め寄せてきて・・・ 王進様のお働きで、何とか食い止めたのですが、和睦にあたっては大王様の娘を差し出せって条件を出してきて・・・』

 

『そうだっ!西榮國の奴らは許せんっ!竜族を滅ぼし、俺たちの国に攻め込んできやがった。しかも陥した街では、略奪や暴行をやり放題って噂じゃねぇか!』

 

後ろの机で飲んでいた男が、いきなり大声を出した。すると、他の男達も同意したように頷き、声を出す。店内は、盛り上がるというよりは、殺気立っていた。店主がディアンに話した。

 

『旦那、龍國以外の国を回るのであれば、西榮國にだけは行かないほうが良いですよ。あの国は、酷い』

 

『貴重な話、感謝する。オレも気をつけよう。ところで、店内が少し騒がしい。どうせ飲むなら、殺気立つよりは楽しく飲みたい。皆に、酒を振る舞ってやってくれないか?オレの奢りだ』

 

すると途端に、店内の空気は穏やかになった。皆が手を叩いて感謝の意を示す。ディアンたちも新しい盃を持ち、皆で乾杯をした。

 

 

 

 

 

翌日、ディアンたちは函口の街を見物して周った。大通りは石畳が敷かれ、家々はみなが瓦葺きである。昼食は蒸した饅頭を買った。豚の挽肉、刻んだ葱と筍を混ぜ、調味料で味を整えた「餡」を小麦を練った「生地」で包んだ、食べ慣れた「肉饅頭」であった。久々の「醤油風味」である。ディアンは懐かしさに涙腺が緩みかけた。レイナたちも夢中で食べている。

 

『オレの知る「醤油」に極めて近いな。この調味料が欲しい』

 

『私もだ。これは毎日でも食えるぞ。絶対に持ち帰るべきだ』

 

店先で感動している異邦人に、饅頭屋の店主は唖然としていた。ディアンは早速、目的の「麹」を手に入れるため、店主に醸造所を尋ねた。どうやらこの街では作られておらず、街を離れた村で酒や「醤」を作っているらしい。だが調味料自体は、この街で普通に手に入る。ディアンたちは食材店に行き、調味料「醤油(ジャンユ)」を手に入れた。

 

『アヴァタール地方の人々は「食」というものを軽く見ている。食は文化であり芸術だ。ターペ=エトフでは「食事専門店」が出来ているが、いずれ大陸全体に「外食産業」が生まれるだろう。香辛料や調味料、そして食材は重要な「交易品」になる。東方諸国の調味料をターペ=エトフで製造できるようになれば、更に豊かになる』

 

ディアンたちは醤油以外にも、幾つかの調味料や酒を仕入れた。西方諸国では、調味料といえば塩、胡椒、香草類である。だが東方諸国では「発酵」をさせた調味料が豊富であった。西方諸国ではせいぜいが「葡萄酢」「チーズ」程度である。レイナたちもこの違いを不思議に思ったようだ。夕食を取りながら、ディアンが仮説を話した。

 

『恐らく、西方諸国では動物性の発酵が中心だったからだろう。例えばチーズを考えてみろ。チーズ造りには、牛の胃袋が欠かせない。野菜を塩漬けにして発酵させた料理もあるが、基本は「動物性発酵」だ。だが、東方諸国は違う。彼らは「麹」を使い、穀物を発酵させている。これは西方には見られない。西方では麦が主食だが、東方では麦以外に、米や豆を食べるからな・・・』

 

『つまり、その「麹」を持ち帰れば、西方でもこの調味料が作れるのか?ならば絶対に作ろう。私はここの料理が気に入った』

 

唐辛子を使った調味料で鶏肉と野菜を炒めた料理と、餅米で作られた酒「黄酒」を飲みながら、グラティナは上機嫌になっていた。レイナは既に酔いが回っているのか、眠そうな表情を浮かべている。黄酒は、アヴァタール地方産の酒よりもさらに強い。葡萄酒と同じ感覚で飲めば、すぐに泥酔してしまうのだ。まだ早いが、三人は宿に戻った。

 

 

 

 

『「麹」は、一度使ったら終わってしまいます。そこで、まずは麹を多めに作り、使用する分と残す分を用意するのです。残った麹は、炊いた米と共に「麹室」に入れ、増やすのです』

 

函口の街から一里ほど離れた場所に「醤造りの集落」があった。ディアンが見学をさせて欲しいと頼むと、笑って許可をくれた。この集落では数種類の「醤」を造っている。作り方は多様だが、共通しているのは「麹」であった。ディアンは製造方法を紙に書き留め、街で食べた「醤油」について質問をした。

 

『えぇ、それも造っていますよ。製法をお教えしましょう』

 

集落で作られていた醤油は、ディアンが知る製法とほぼ同じであった。蒸した大豆と砕いた小麦を混ぜ、「醤塊」を作り、麹と混ぜて塩水を注ぐ。それを「諸味」という。木樽でそれを熟成させ、上から重しを掛けて布で漉す。「生醤油』の完成である。それをさらに、半刻から一刻ほど加熱する。雑菌が死滅し、本醸造醤油が完成するのである。

 

『諸味を熟成させるところが、難しいのです。「撹拌」をするのですが、この回数や力加減によって、醤油の味が大きく変わってきます。こればかりは「勘」に頼るしかありませんね。樽ごとで、諸味の状態も違いますから・・・』

 

『そうでしょうね。ところで、麹は「麦」では増やせないのでしょうか?』

 

『もちろん出来ますよ。ここでも、米、豆、麦の三種類の麹を使い分けています。麦麹で醤油を作ることも出来ますが、風味が少し変化しますね。良し悪しではなく、好みの範囲になりますが・・・』

 

ディアンは、西方に麹を持ち帰りたいと相談したところ、乾燥した米を渡された。

 

『炊いた米で増やした「麹種」は、あまり日持ちがしません。ですが乾燥させた米麹ならば、二年は持つでしょう。ただ、使うときは一度水で戻して頂く必要があります。その後で、蒸した米、あるいは麦と混ぜて頂ければ、立派な麹種になるでしょう』

 

『感謝します。私の連れたちも、醤の味に感動をしているのです。何とか、西方でも造りたいと思います』

 

『頑張ってください』

 

ディアンは「乾燥麹」を入れた壺に封をした。

 

 

 

 

 

街に戻る途中で、ディアンたちは騎馬隊を見かけた。どうやら練兵のために移動をしているようである。

 

『これから練兵か。ちょっと見てみるか?』

 

騎馬隊の後を追うと、広い平原に出た。三千名ほどの兵士たちが、整然と整列をしている。

 

『これから始まるようだな。どれ・・・』

 

茂みに馬を繋ぎ、魔導装備を装着する。空から見るためである。三千名の兵士が二隊に分かれ、それぞれが指揮官の指示で動き始める。攻守を入れ替えながら、陣形の確認や各兵士の動きなどを細かく見ているようだ。

 

『良い動きだな。メルキアの兵士たちを思い出す』

 

グラティナが頷いた。約四刻にわたって、兵士たちは動き続けている。相当な練度であった。やがて動きが止まり、兵士たちは元通りに整列をした。

 

『どうやら終わったようだな・・・』

 

そう思っていたら、いきなり兵士たちが槍を構えた。その後ろから弓隊が弓を番う。将と思われる男は、ディアンたちに背を向けたままである。その男が右手を上げた。

 

『・・・マズイぞ。どうやらオレたちを狙っている!』

 

ディアンが急いで移動を指示した。だが将の手が降ろされるほうが早かった。弓隊が空に向けて、一斉に矢を放った。数百本の矢がディアンたちに迫る。ディアンは使徒二名を後ろに下がらせると、右手で「メルカーナの轟炎」を放った。矢は一瞬で灰になるが、ディアンの魔導装備に流れている魔力が途切れる。本来なら地上に向けて落下するが、使徒たちが腕を支えてくれているため、何とか落ちずに済んだ。そのまま茂みの中に舞い降りる。だが、既に周囲には兵士たちの気配がした。外から声が掛けられる。

 

『三名に告げる!大人しく投降すれば、手荒な真似はせぬ!抵抗するならば命はないぞ!』

 

ディアンは溜息をついた。遠方からだから大丈夫だろうと甘く見ていたのだ。切り抜けることは容易いが、自分は「王命」を受けてこの地まで来ている。万一でも戦えば、それはターペ=エトフと龍國との戦争となってしまうのだ。外交問題を起こすわけにはいかなかった。

 

『二人共、済まない。ここで戦うわけにはいかない。両手を上げて、投降しよう』

 

『・・・もしもの場合はどうする?』

 

『その時は別だ。戦っても構わない。ただ、その場合は「皆殺し」にしなきゃいかんな・・・目撃者を残す訳にはいかないだろう』

 

茂みの外では、指揮官と思われる男が馬上にいた。周囲には三十名ほどの兵士たちが、槍を構えている。男は、レイナとグラティナの姿を見て少し驚いたようだ。だがすぐに顔を引き締める。

 

『無意味な抵抗をしなかったことは認めよう。だが、間者をそのまま放置するわけにはいかん。武器を外せ。殿がお前たちに会いたがっている』

 

『・・・外すのは構わないが、丁寧に扱ってくれよ?大切な剣なんだ』

 

ディアンたちは武器を外した。兵士たちが緊張しながらクラウ・ソラスを受け取る。剣の放つ気配を感じているのだろう。特に縛られることもなく、ディアンたちは兵士に囲まれて、先程まで激しい練兵が行われていた場所に連れて行かれた。

 

 

 

 

 

『間者ではなさそうじゃな。たかが間者が、これほどの剣を持つはずがない。お前たちは何者だ?』

 

六尺近くあるディアンよりも、さらに一回り大きい男が床几に腰を掛けていた。クラウ・ソラスを抜き、眺めている。年齢は五十程度だろう。白髪に白い顎髭と口髭を持っている。だがその肉体は、鍛え抜かれていることが鎧の上からでも解った。顔には戦傷と思われる傷があり、眼は鷹のように鋭い。

 

『オレの名は、ディアン・ケヒト。この地より遥か西方の国「ターペ=エトフ」から来た。王命を受けて東方の見聞をしている。身分を証明する紙が、オレの荷袋入っているはずだ』

 

副官がディアンの荷袋を開け、革で包まれた書類の束を開けた。差し出された上質紙を一読し、男は副官に返した。

 

『なるほど、間者では無いことは認めよう。だが、無断で練兵を覗いたのは関心せん。現在、我が龍國は西榮國と緊張状態にある。西榮國にとって、儂の首は垂涎であろうからな。西榮國に雇われた殺し屋かもしれん』

 

ディアンは肩を竦めた。口元に笑みを浮かべながら、傲然と返答する。

 

『だったら、アンタはもう死んでいる。この程度の護衛で、オレを止められると思っているのか?』

 

『なにぃ?』

 

男が眼を細めた。兵士たちも槍を構え直す。だがディアンは平然としていた。確かに目の前の男は相当な強さだが、魔神と使徒二名が本気になれば、三千名など半刻で皆殺しに出来る。だが無論、ディアンにはそのようなつもりは無かった。あえて傲然と応えて、男の反応を見たかったのだ。男は数瞬、ディアンを睨むと、いきなり大笑いを始めた。

 

『ヌァッハッハッハッ!面白い奴だ!確かに、あれだけの魔術を使えるのであれば、余計な小細工は不要かも知れんな!』

 

男はクラウ・ソラスを鞘に収めると、副官に手渡した。ディアンたちに返すように指示をする。

 

『儂の名は「王進」、龍國の兵を預かっておる。三度の飯より戦が好きな、戦バカよ』

 

そう言うと、立ち上がって武器を手に取った。偃月刀である。クラウ・ソラスを背負ったディアンを見て、頷いた。

 

『戦バカが何を求めるか解るか?強い男との熱き戦いよ。我らの練兵を覗き見したことは水に流そう。だがそのかわりに、儂と一合を交えよ!』

 

王進は笑みを浮かべ、全身から闘気を発し始めた。凄まじい迫力である。レイナは文句を言おうとしたが止めた。ディアンの肉体からも、闘気が立ち昇っていたから。

 

『良いだろう。相手をしてやろう。だが、手加減はしないぞ?』

 

ディアンはクラウ・ソラスを抜いた。白銀の剣身が光り輝く。王進の副官は、全員を下がらせた。本気になった主人がどれほどに恐ろしいかを知っているからだ。そして、それはレイナたちも同じである。魔神化はしていないものの、ディアン・ケヒトの本気は、人の域を遥かに超えているからだ。二人の男の瞳には、もはや相手しか映っていない。闘気がぶつかり合い、空気が歪む。潮の満ち干きのように、互いの気配が行き来する。そして・・・

 

『ヌァァァッ!』

 

王進が偃月刀を振るった。ディアンの首をめがけて斜め上から振り下ろされる。人とは思えない速度であった。だがディアンは、クラウ・ソラスで偃月刀を迎え撃った。互いの刃がぶつかり合う音とともに、偃月刀が止まる。だが、弾き返されはしない。それどころか、徐々にディアンを押し始める。

 

『バ、バカな!膂力でディアンに勝るというのか!』

 

グラティナは驚きの声を上げた。だが向こう側からすれば、逆の意味で驚きであった。

 

『それはこちらのセリフだ。殿の本気の一撃を受け止めた者など、私の記憶にはいない』

 

周囲の驚きをよそに、二人の男は力比べを続ける。少し押されたが、ディアンが歯を食いしばって押し返す。互いの額には、汗が浮かび始めている。だが、徐々にではあるが、偃月刀がディアンの首に近づき始める。レイナとグラティナには信じられなかった。

 

『ア、アイツ・・・本当に人間か?』

 

『でも、ディアンがこのまま終わるはずがない・・・』

 

レイナの言葉通り、ディアンの気配が変わった。全身を覆っていた魔力が消え、魔神の気配が立ち昇る。

 

『と、殿ッ!』

 

副官が慌てた。目の前の男の正体が解ったからだ。だが、兵士たちは誰も怖気づいていない。自分たちの将の力を信じているからだ。

 

『魔神かっ!面白いのぉ・・・ヌゥゥゥッ!』

 

王進の笑みが大きくなり、腕に力を込める。だが、魔神化したディアンの膂力の前では、人の力では限界であった。ディアンの剣が、偃月刀を押し戻す。そして・・・

 

«ハァァッ!»

 

偃月刀を弾き返した。ディアンは数歩下がって、距離をとった。二人共、肩で息をする。ディアンの気配も人間に戻っていた。

 

『ハァ・・・ハァ・・・まさか、魔神であったとはのぉ。さすがの儂も、魔神には勝てぬか』

 

『ハァ・・・ハァ・・・いや、敗けたのはオレのほうだ。オレは魔神になったのではない。魔神にならざるを得なかった。そこまで追い込まれたんだ。アンタ、本当に人間かよ』

 

二人共、地面に座り、同時に深い息をついた。副官は我に返ると、ディアンを取り囲んだ。魔神である以上、このまま放置するのは危険過ぎるからだ。だが王進が大声で止めた。

 

『止めよっ!お前たちの手に追える相手ではない!』

 

『で、ですが・・・』

 

『たとえ十万の兵を持ってしても、この男を捕らえるのは難しかろう。無意味なことはするな!それより、酒を持って来い!』

 

王進とディアンの目の前に、大杯が置かれた。なみなみと酒が注がれる。王進はそれを一気に飲み干した。ディアンも杯を抱え上げ、一気に飲む。だが、途中でむせた。王進は大笑いをした。

 

『ヌァッハッハッ!どうやら、酒では儂のほうが上じゃのぉ!魔神にも苦手なものがあるとみえるわい!』

 

ようやく、緊張の空気が消えた・・・

 

 

 




【次話予告】

龍國大将軍「王進」に気に入られたディアンは、首都「龍陽」に入る。プレイアの街をも超える大都市に、三人は驚く。王進の計らいで、ディアンは龍國の大王と対面する。そこで、ディアンはある依頼をされるのであった。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第三十話「大王の密命」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第三十話:大王の密命

TITLE:東方諸国と西方諸国の「人口差」についての考察(D.Cécht)

 

ラウルバーシュ大陸東方諸国は、大きく五つの国に分かれている。各国はそれぞれが、アヴァタール地方の大国にも匹敵する力を持っているが、最も大きな特徴は「人口」である。例えば、アヴァタール地方の大国である「レウィニア神権国」は、総人口は恐らく百万人程度であろう。だが、ほぼ同程度の国土面積を持つ龍國は、その三倍の三百万人以上が生活をしている。これは、龍國だけが突出しているわけではなく、東方諸国全般が「多人口国家」であり、南方のマジャヒト王国も、小国の割には人口密度が高い。西方諸国と東方諸国では、単位面積あたりの人口が全く異なるという特徴がある。

 

これには、幾つかの原因が考えられる。一つは無論、「七魔神戦争」である。ブレニア内海という巨大内海を生み出した「神々の戦争」は、その地に住む多くの種族たちにとって、災厄であった。人間族においてもそれは例外ではなく、アヴァタール地方から西方諸国は、かなりの被害を受けたことが予想される。一方、東方諸国は、大陸中央部にある「チルス山脈」によって、その戦禍を免れることが出来、三神戦争以来、超常的な災厄に見舞われることなく、文明を育むことが出来たのである。もう一つの理由としては、食生活が考えられる。大陸西方部の料理は、肉や魚に塩を振りかけて食べることが一般的だが、東方部では「発酵食品」を開発し、「醤」と呼ばれる特殊な調味料を使って、多様な料理を生み出している。そのため多様な食材を活かすことが出来た。例えば、アヴァタール地方から西方諸国では、パン類が常食され、一日三食でパンが出てくることもある。一方、東方諸国は「米」「麦」「豆」を組み合わせ、多様な「主食」を生み出している。このため栄養素が偏ることなく、「食による長寿」が達成できていると思われる。統計を取ったわけではないが、人口百名あたりの「平均寿命」を見ると、おそらくは東方諸国のほうが長寿であろう。

 

最後の理由としては、医療にあると思われる。西方諸国でも薬草類による「服薬医療」は存在するが、東方諸国の医療行為はそれ以外にも存在している。彼らは人体の「気の流れ(気脈)」を読み、そこに「鍼」を打ち込むことで気脈を正常に整える、という技法を編み出した。彼らが言うには、筋肉のある部分が「硬直」することにより、血流が悪化し、それが「気脈」を妨げているそうである。そこで、筋肉に鍼を打ち込むことで、血流を回復させているのである。どこにでも打てば良いというものではなく、気の流れに重要な「百八の秘穴」というものが存在し、大抵はそのいずれかが「硬直」しているそうである。

 

西方諸国の医療行為が「服薬医療」という一種類であることに対し、東方諸国では複数の種類が存在している。こうした違いが、平均寿命や出生率という点で違いを生み出し、二千年の時の中で人口格差を生み出したものと思われる。アヴァタール地方においての戦争は、せいぜいが数千名単位であるが、東方諸国では万単位の軍が当たり前に動き、戦を続けている・・・

 

 

 

 

 

龍國の首都「龍陽」は、あいにくの雨であった。雨の降り方は、西方も東方も変わらない。二人の使徒は、静かに降る雨の中を「観光」をしている。ディアンは外に出る気になれず、部屋で一人、執筆と思索に耽っていた。

 

(龍國というのは、竜族と親しいと聞いていた。黒雷竜について、何か知っているかもしれない・・・)

 

函口の郊外で、王進との「仕合」をしたディアンは、王進に気に入られてしまい、そのまま首都まで連れて来られたのである。自分としてはもう少し、「醤」の製法を学びたかったが、王進はディアンの話をロクに聞かず、笑いながら強引に連れてきたのである。王宮近くの「高級宿」が用意され、龍國の大王に面会するために、ディアンたちはそこで滞在することになった。かなり上質の宿で、その中でも最も高い部屋に泊まっている。一通り、これまでの東方諸国について書き上げると、杯に黄酒を注いだ。川蟹の素揚げを肴にする。十分に揚げた蟹は、サクサクとして酒に合うのである。

 

(ターペ=エトフにも沢蟹がいるが、こちらの蟹は少し大きいな。麹などは構わないだろうが、蟹を持ち帰るわけにはいかないだろう。この地は内陸国だが、沿岸部に行けば魚料理が食べれるな。楽しみだ・・・)

 

ガヤガヤと扉の外から声が聞こえ、いきなり扉が開かれた。大男が大笑いをしながら大股で入ってくる。王進であった。

 

『ぬぅ?お主の家臣たちどうした?せっかく美女の酌で酒を飲もうと思っておったのに・・・』

 

『相変わらずデカイな。二人は家臣ではない。オレの仲間だ。今は街をブラついている。言っておくが、あいつら酌はせんぞ?オレにすらしたことが無いんだからな』

 

王進は酒の入った瓶を置くと、床にドカッと胡座をかいた。ディアンもそれに倣って、床に座る。料理が運ばれてきた。どうやら相当な大食漢のようである。互いに杯に酒を注ぐ。

 

『大王との対面は明日だ。お前のことは「ターペ=エトフからの使者」としておる。大王は異国の話を好まれるからな。いろいろと話しをしてくれ』

 

『龍國の大王とは、どのようなお方だ?』

 

『仁君であり、名君であることは間違いない。だが、戦は好まれておらぬ。他国を退ける程度の強さは持っているが、こちらから攻めようなどとは考えぬ方だ』

 

王進は、どことなくグラザに似たところがあった。グラザ程に落ち着きは無いが、豪快さの中にきちんと人を見る繊細さを持っていた。仕合以来、ディアンとはオレオマエの関係となっている。酒を飲み、出された料理に箸を伸ばす。焼賣(シウマイ)であった。ディアンは久々の味に思わず唸る。王進は笑った。

 

『なんじゃ?この程度の料理で感動しておるのか。西方の料理は余程マズイと見えるのぉ』

 

『あぁ、確かに料理は東方諸国のほうが旨いな。酒も良い。黄酒はオレの好みの味だ』

 

杯を呷り、タレのかかった豚肉と葱を合わせて食べる。王進は酒を飲みながら、龍國の話をした。

 

『七年前じゃな。南の西榮國が、いきなり国土を侵してきおった。大王もさすがにお怒りになり、儂を大将軍にして十万の兵で迎え撃った。じゃが・・・』

 

『見たこともない武器を使っていた・・・』

 

『知っておるのか?』

 

『ターペ=エトフに亡命をしていきた黒雷竜から聞いた。元々は西榮國の南にいた竜族だったそうだ。ある日、いきなり攻められたそうだ。その際、魔術とは異なる見たこともない武器を使っていたそうだ』

 

『そうじゃ。奴らは、あろうことか竜族を攻めよった。西榮國は、竜族から先に攻めてきた、などと言っておるが、儂をはじめとして誰も信じておらん。仮にそうだったとしても、皆殺しなどあり得ん。この東方諸国では、龍族は神として崇められている。もし龍國でそのような愚行がなされたら、間違いなく反乱が起きるであろう。奴らは、何かしらの技術を手に入れたようじゃ。儂との戦においても、使ってきた。遠くから投石器で放たれる、爆発する樽じゃった・・・』

 

『それで、どうやって退けたんだ?』

 

『どのような仕組みかは知らんが、奴らの使っていた武器には「火」が関係しているようじゃ。であれば、簡単じゃ。龍國には「強弩」という武器があるからのぉ。投石器の範囲外から、大量の火矢を浴びせかけた。あれは圧巻じゃったぞ。奴らの陣で次々と爆発が起きてのぉ。投石器もろとも、使い物にならなくなっておったわ!ヌッハッハ!』

 

王進の話を聞きながら、ディアンは戦場の光景を想像した。投石器を用いていたということは「大砲」は持っていないようである。黒色火薬を精製し、それを樽に詰め込み、導火線に着火してから投げているのだろう。威力の多くが「煙と爆音」に転換されるため、破壊力自体はそれほど大きくはない。竜族には有効であっただろうが、対人間には「虚仮威し」程度である。せめて「砲」を用意しなければ役には立たない。王進はディアンの話を興味深げに聞いていた。

 

『お主は、その「火薬」の作り方を知っているのか?』

 

『知ってはいるが、実際に作ったことはないし、作るつもりもない。そもそも、魔術が存在するこの世界で、火薬などあまり意味を為さない。オレなら、戦争で使うのではなく鉱山開発で使うな』

 

『龍國でも、陰陽五行に則った「魔道士」がいる。だが、この地では戦で魔術を使うことはあまり無い。魔道士自体が、それほど多くないという理由もあるが、戦向きの魔術が少ないのだ』

 

『陰陽五行には興味がある。その「魔道士」とやらには、ぜひ会ってみたいな』

 

『「宮廷魔道士」というのがおる。まぁ、医師と占い師のような仕事をしておるが、話を聞くことくらいは出来るじゃろう』

 

レイナとグラティナの気配がした。扉が叩かれ、二人が入ってきた。わざわざ叩扉したのは、王進の気配を感じたからだろう。二人を見た王進は、いきなり破顔した。

 

『やっと戻って来おったか!ムサい男同士で酒を飲むよりは、美女がおったほうが良いからのぉ!主ッ!酒を持って来いっ!』

 

二人は肩を竦めると、同じように床に座った・・・

 

 

 

 

 

翌日、ディアンたちは王進に連れられ、王宮へと向かった。王宮は荘厳であった。柱には龍や虎が彫られている。使徒二人は、巨大な宮殿に目を奪われていた。天井に描かれた絵画や、適度に配置された鶴や亀の彫り物なども、西方諸国では見られない風情がある。アムドシアスがいたら、持ち帰ろうとするに違いない。

 

『謁見においては、大王の他、宰相たちも参加をする。「見起」という政事の討議の時間で、ターペ=エトフの話をしてもらいたい。宰相たちも、西方の事情を知りたがっておる』

 

入り口の兵士たちに剣を渡し、ディアンたちは内殿へと入った。内殿も広く、天上の高さは三十尺はあるであろう。数段上がったところに、玉座があり、大王が座っている。宰相や各文官、武官たちが左右に並んでいた。玉座から二十歩ほど離れたところで、王進が止まり、片膝をついた。ディアンたちもそれに倣う。

 

『大王よ、王進でございます。西方の国、ターペ=エトフから来たという者たちをお連れしました』

 

『ご苦労でした、大将軍・・・本当に、金の髪と銀の髪をしているのですね。そして、それを率いる者・・・名を何という?』

 

王進が立ち上がり、ディアンから見て右側の列に並ぶ。武官たちの列だ。ディアンは顔を上げることなく、自分の身分を明かした。

 

『ケレース地方の王国ターペ=エトフの王太師、ディアン・ケヒトと申します』

 

『良く来てくれました。三名とも、顔を上げなさい』

 

ディアンたちは顔を上げた。龍國の大王は、年齢は四十程度であった。剛毅さは無いが、理と仁を備えているような涼しい瞳をしていた。王進が「名君」と言ったのも頷けた。ディアンの顔をみて、大王も左右の臣下たちも首を傾げた。

 

『そなた・・・本当に西方の者か?肌は確かに白いが、黒髪に黒い瞳をしておる』

 

『一口に西方と言っても、そこは広大な土地です。私はディジェネール地方という地方で生まれました』

 

ディアンは各地方の位置について、説明をした。皆が興味深げに、話に耳を傾ける。

 

『西方にも、竜族がいるのですか。この地と同じように、神として崇めているのですか?』

 

『中には、そのような者もいます。ただ、西方の竜族は「全ての種族と等距離を保つ」という姿勢を取っています。そのため、竜族の縄張りを尊重し、接触しようと試みる者はいません。敬い、そして畏れています』

 

『なるほど。ですがその中で、貴国は西榮國から逃れた黒雷竜を受け入れられた・・・それはなぜですか?』

 

『我が国「ターペ=エトフ」は、全ての種族の楽園を目指しています。「光闇相克」ではなく「光闇相乗」の国を目指しているのです。竜族であろうと、悪魔族であろうと、共に生きる意志があれば受け入れます』

 

『解りやすい説明ですね。ですが、時として相克もあるのではありませんか?』

 

『小さなものであれば、あります。例えば「今日の夜は何を食べるか」など・・・あとは・・・女の取り合いですね。こればかりは「相乗」出来ませんから』

 

座に笑いが満ちた。それから様々な質問がされた。文官武官たちも質問をしてくる。ターペ=エトフの産業は何か、西方に輸出をするとすれば何が売れるのか、といった問いもあれば、軍事についての質問もあった。ディアンは出来るだけ平易な言葉で、時に喩え話を交えながら応答した。大王は時折、笑いそして考えた。

 

『王進が「酒宴で話したほうが良い」と言った理由が解りました。そなたの話は実に面白く、興味深い。ターペ=エトフの王は幸福ですね。そなたのような師を持てたのですから』

 

見起は長時間に渡ったが、大王にとっては、それでも短かったらしい。刻限が来たため、その場はお開きとなった。

 

 

 

 

 

『ヌッハッハ!大王は殊の外、お喜びであったわ!またお主の話を聴きたいと仰っていたぞ!』

 

王進は上機嫌で酒を飲んでいた。ディアンたちが泊まっている宿である。部屋ではなく小規模の酒宴場を借りきっての宴席であった。円卓には様々な料理と酒が並んでいる。ディアンもよく知る「懐かしい料理」もあれば、見たこともない料理もある。中でも「(スッポン)」があることには驚いた。小麦を使った料理が多いことから、ディアンの知る「山東料理」に近い。食べながら、龍國の宮廷についてアレコレと聴く。文官と武官の対立は、どの国でも起こることだが、龍國は他国侵略を企図していないため、文官のほうが強いらしい。

 

『とは言っても、大王をはじめとして文官たちも「軟弱」ではない。殴られたら殴り返すくらいの気概は持っておる。じゃが・・・』

 

王進は少し暗い表情を浮かべ、箸を置いた。

 

『・・・大王は、残念ながら男子に恵まれず、三人の王女がおる。長女がいずれ「王太女」となるであろうが、問題は三女なのだ』

 

『確か、七年前の西榮國との戦いの後、人質になったそうだな?』

 

『うむ、当時まだ十歳であった三女「香蘭」様は、竜族の血が濃かったのか、顔の彫りが深く髪も紅い。また肌も薄褐色であった。外見がそうであったため、いろいろと言われてな。それで、人質として西榮國に差し出されたのだ』

 

『肌の色など関係なかろう!親が子を想う気持ちは、西も東も関係ない!なぜ、そのような酷い真似をしたのだ!』

 

グラティナが怒ったように、口を挟んだ。ディアンが窘めた。

 

『宮廷内というのは、いろいろとあるのだ。こう言っては何だが、権力闘争のようなものだな。恐らく、長女と次女の後ろに、それぞれ担ぐ者たちがいるのだろう。文官と武官か?』

 

王進は杯を干して、ため息をついた。

 

『長女の「春蘭」様、次女の「陽蘭」様とて、平時であれば、王として立派に務められる方々なのだ。だが、西榮國が激しく動く今、各諸国も蠢動を始めている。これから、動乱の時期になるかも知れん。当時、十歳であった香蘭様は、既にそのことを見抜いていた。大王も、香蘭様を最も買っておられたのだ。香蘭様は三女であったため、通常であれば王となることは無い。それ故、誰の後ろ盾も無かったのだ。儂だけが、それとなく支えておっただけであったわ・・・』

 

『なるほど・・・人質として誰を出すかで意見が出た結果、後ろ盾のない香蘭殿になった、というわけか』

 

『惜しいのう・・・香蘭様は確かに変わった外見ではあったが、顔立ちは整っておられ、見ようによってはとても美しいのだ。多少お転婆ではあったが、三人の王女の中で最も聡明であった。そして、他者を思いやる心を持っておられた。人質となり、西榮國に向かわれる後ろ姿に、側に仕えていた者たち皆が、涙したのもじゃ』

 

王進の瞳にも、涙が浮かんでいた。これほどの武将をここまで心酔させるとは、「名君」の素質がある証拠である。だが、歴史とは往々にして「悪貨が良貨を駆逐する」ものである。ディアンは何も言えなかった。王進は誤魔化すように、注がれた酒を干した・・・

 

 

 

 

 

『実は、そなたに頼みがあるのだ・・・』

 

王進が盛大に飲んで酔い潰れてから二日後、ディアンは独り、王宮に呼びだされた。大王が個別で会いたいと言うのである。王宮内の中庭まで通される。木々や岩が程よく配置された見事な庭園の中で、ディアンは大王と対面した。大王は深刻な表情を浮かべ、ディアンに頼み事をしてきた。

 

『これは、龍國大王として頼むのではない。一人の父親、「龍儀」として頼むのだ。それ故、断ってくれても構わぬ』

 

『まずは、聞かせて下さい。この数日、龍國にはお世話になっています。私に出来ることであれば、お引き受けしましょう』

 

『・・・娘を助け出して欲しいのだ』

 

大王「龍儀」の依頼は、人質となった三女「龍香蘭」の救出であった。どうやら、ディアンが魔神であることを王進から聞かされたらしい。

 

『このことが露見すれば、西榮國との戦争になる。故に、そなたが捕らえられたとしても、龍國は何も出来ぬ。だが、そなたであれば、娘を救い出せるのではないか、そう思ってな』

 

『ですが、救出したとしても、龍國に戻ったことが露見すれば、やはり戦になるでしょう。一時的なのかもしれませんが、休戦協定を破るおつもりですか?』

 

『香蘭は、生まれた時から変わった外見をしておってな。随分と不憫な思いをさせてきた。王という立場上、娘を贔屓にするわけにはいかん。私は娘に、親らしいことは何もしてやれなかったのだ。なのに香蘭は、黙って人質役を引き受けた。この国を護るためにな。王としては、休戦協定を破ることは出来ぬ。だが、親としては、人質としての生き方から開放してやりたいのだ』

 

『・・・救い出した後は、追放されるおつもりですか?』

 

『亡命させるつもりだ。ターペ=エトフに・・・』

 

ディアンは理解した。自分が指名された理由は、ただ魔神だからというだけではない。その後、香蘭をターペ=エトフに連れて行け、ということである。だが、ディアンは簡単に頷くことが出来なかった。親としての在り方に、強い疑問を持ったからだ。

 

『お言葉ですが、たとえターペ=エトフに亡命をしたとしても、香蘭殿の幸福に繋がるでしょうか。十歳で人質になり、その後は両親にも会わず、異国の地で暮らしているのです。人質から救い出したが、母国に戻ることは許さん。亡命せよ・・・あまりに酷くありませんか?市井で過ごさせるなどをして、親元に置くという方法もあると思いますが・・・』

 

『私とて、何度考えたか知れぬ。だが、娘は目立つ。もし龍國に入れば、たちどころに西榮國に知られよう。戦は覚悟をしておる。だが、諸国の眼というものがある。協定をこちらから破ったとなれば、他国との協定も無効と見做されかねん』

 

ディアンは悩んだ。龍儀の依頼は、親としての心情からであり、その気持は良くわかる。だが、それは親の都合に過ぎない。娘が「嫌だ」と言ったらどうするのか?

 

『お引き受けするには、条件があります。もし、香蘭殿がターペ=エトフへの亡命を嫌がられたら、その時は私は連れて行きません。嫌がる女性を無理矢理に連れ去るなど、私には出来ないからです。それともう一つ、救出後はなんとしても、龍國に連れ帰ります。ご迷惑を掛けない形を取ります。その時は、香蘭殿と対面を約束して下さい』

 

『そんなことが、出来るのか?』

 

『西方には、外見を変える魔術があります。それを使えば、西榮國に知られることなく、国境を超えることが出来ると思います』

 

龍儀はディアンの手を握った。瞳からは涙が溢れている。

 

『子に会うことを嫌がる親がどこにいる!頼む、何とか娘を救い出してくれ!そして、せめて一目でも、娘に会わせてくれ!』

 

『しかと承りました』

 

ディアンは手を握り返し、強く頷いた。

 

 

 

 

 

『そうか、大王はそこまで・・・』

 

王進は沈鬱な表情を浮かべて頷いた。龍陽にある王進の別邸である。ディアンたちは既に、西榮國に出発する準備を整えていた。

 

『大王はそう仰っていたが、不安要素が多い。救出自体は出来るだろう。だが、それだけで龍國の仕業と決めつける可能性が高い。戦になる可能性がある』

 

『フンッ!その時は再び、叩きのめしてやるわい。いや、今後はこちらから西榮國に攻め込んでくれよう』

 

『西榮國には、行ってみたいと思っていたのだ。オレは常に、双方の意見を聴くようにしている。なぜ、竜族を攻め滅ぼしたのか。そしてどのようにして、黒色火薬を手に入れたのか・・・あの国で何が起きているのかを見てみるつもりだ。そして、西榮國に「理」があると判断をしたら、香蘭殿の救出は諦めるかも知れん・・・』

 

『・・・・・・』

 

王進がジッとディアンを睨んだ。大抵の男であれば、それだけで竦み上がるだろうが、ディアンは平然と、その視線を受け流した。王進が溜息をついた。

 

『お主は、龍國の者ではない。異国から来た異人だ。故に、龍國の立場を押し付けることは出来ん。じゃが、もし敵対するようであれば、今度こそお主を斬るぞ』

 

殺気を放つ王進に、レイナが酒を注いだ。ディアンは驚いた。レイナが他人に酌をするのを初めて見たからだ。

 

『そんなに興奮しないで・・・ディアンはそう言うけど、たぶんそんなことにはならないわ。二千年も平穏だった竜族との関係を壊す「正義」って何?私には思いつかないわね』

 

ディアンは肩を竦め、王進は大笑いした。

 

 

 

 




【次話予告】

西榮國に入ったディアンたちは、黒雷竜ダカーハから聞いていた話との違いに首を傾げる。だが、竜族の縄張りを見た三人は、その現実に愕然とした。正義を問うため、首都「邯鄲」を目指す。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第三十一話「誰が為の正義」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第三十一話:誰が為の正義

TITLE:西方諸国と東方諸国における「人間族の違い」についての考察

 

東方諸国と西方諸国の違いとして、「人間族の見た目の違い」が挙げられる。西方諸国では、金髪や銀髪、あるいは赤髪や青髪といった、多様な「容姿」を見ることができるが、東方諸国では大多数の人間族が「黒髪黒眼」の外見をしている。また身長にも違いがある。西方諸国の平均身長が六尺弱であることに対し、東方諸国では五尺五寸程度であり、平均身長においても違いが見受けられる。そのため、西方諸国と東方諸国では、同じ人間族であっても「別種族」とさえ考えられてきた。

 

ディル=リフィーナ世界が成立してから二千年程度の間で、これほどの差異が生まれるわけが無く、この違いはイアス=ステリナ世界から続いているものと考えられる。また、二つの世界が融合した時点で、ネイ=ステリナの種族たちが「偏在」していたことも原因の一つと思われる。事実、西方諸国では多くの亜人種が見受けられることに対し、東方諸国においては、悪魔族が多い「ヤビル魔族國」、獣人族の国「マジャヒト王国」、ルン=エルフ族「グレモア・メイル」、その他イルビット族などの亜人種の集落を形成しているが、それらは東方五大列国周辺域に留まっている。五大列国内は、亜人種の数は驚くほどに少ない。これは、イアス=ステリナ世界において「エイジア」と呼ばれた地域の人間族が、ほぼそのまま、新世界に留まったものと考えられる。

 

新世界の出現は、人間族においても「遺伝的変容」をもたらしている。つまり、人間族と他種族との「混血」である。特に、ドワーフ族、エルフ族、獣人族の三種族との混血は、新世界成立後の二千年間で進んだ。その結果、特に亜人種族の多い西方諸国において、混血が進み、多様な容姿を持った人間族が誕生したものと思われる。当然ながら、混血の過程では、文化的な影響も相互に受けたと思われる。例えば、言葉や文字、食文化などは、特に西方諸国では亜人族から大きな影響を受けた。一方で、東方諸国ではイアス=ステリナ世界から使用されている文字や食文化が残っている。

 

惜しむらくは、イアス=ステリナ時代の「科学知識」が殆ど残っていないことである(発酵技術など一部では残っているが)。これは、イアス=ステリナ世界では木材の乱伐によって、紙が不足していたため書籍が極めて貴重となっていたことが要因である。イアス=ステリナで主流となっていた「電子書籍」と呼ばれるものは、ディル=リフィーナ成立時の「大激変」により、その全てが失われたと思われる。

 

 

 

 

 

龍國大王「龍儀」の密命を受けたディアンたちは、旅行者を装いながら、龍國の南にある国「西榮國」を目指していた。

 

『西榮國は、南に巨大な湖を持つ国だそうだ。「濤泰湖」という内海で、ブレアードの記述では「ラウルヴァーシュ大陸最大の内海」となっている。南は湖、西は平和国家のグプタ部族国、北と東にだけ兵力を集中させれば良いというのは、強みだな』

 

龍國との国境付近に、西榮國の街「崔」がある。高い城壁に囲まれた難攻不落の城塞である。城壁を見て、ディアンは唸った。龍國の首都「龍陽」の城壁も高かったが、崔の城壁は高すぎるほどであった。四十間(74m)はあるかもしれない。レイナたちも、城壁の高さに驚いていた。並の攻城兵器では、この城を陥すことは出来ないだろう。城内に入ると、最前線だというのに、人々が活発に行き交いをしている。物産は豊富であった。

 

『驚いたな。まるでプレメルの街みたいだ』

 

グラティナが呟いた。ディアンは人々の顔を見た。暗い表情はしていない。統治が行き届いている証拠である。役場で龍國の通貨を両替し、三人は役場に入った。一階の酒場で、情報を仕入れる。

 

『あぁ、竜族ですか。昔は共存をしていたんですけどね。十年くらい前に戦争があって、今では竜族は見かけませんよ』

 

酒場の店主は何事もないようにそう言った。ディアンは首を傾げた。黒雷竜の縄張りを侵し、彼らを殺戮したのではなかったのか?それとなく聞いてみると、店主は呆れたように返してきた。

 

『お客さん、何言っているんですか?竜族の方から仕掛けてきたんですよ!こちらは話し合おうとしたのに、耳を貸さなかったことで、止む無く戦ったんですよ!』

 

店主は呆れながら、仕事に戻っていった。三人は顔を見合わせた。

 

『・・・考えられる可能性は三つだ。一つはダカーハが嘘をついている。まぁこの可能性は皆無だな。二つ目は店主が嘘をついている。この可能性は無くはないが、様子を見る限り、嘘をついているようには見えない。となると可能性は一つだ。店主の知識が「間違っている」ということだ。情報統制をして、民衆に間違った知識を植えつけているのだろう。だが、そんなことが可能なのか・・・』

 

『ダカーハが縄張りを追われたのって、十年くらい前でしょう?大勢の人が参戦していたはずよ?十年間もの間、情報統制をするなんて、出来ないと思うけど』

 

『どうする。このまま「邯鄲の都」までいくのか?』

 

『いや、まず南西の竜族の縄張りに行こう。この眼で見ておきたい』

 

ディアンの言葉に、二人は頷いた。

 

 

 

 

 

崔の街を離れたディアンたちは、首都に寄らずに南西にあるという「黒雷竜族の聖域」を目指した。途中で集落などに立ち寄るが、誰もが「竜族から仕掛けてきた」と言う。崔を離れてから二十日後、ディアンたちは南西部の山岳地帯に着いた。だが山岳地帯への入り口には、厳重な関所が設けられていた。屈強な兵士たちによって護られている。ディアンは旅人を装って、兵士に声を掛けた。

 

『私共は西方から来た旅人です。この山に竜族が住むと聞き、一目見てみたいと思ってここまで来ました。竜族はこの先にいるのでしょうか?』

 

すると兵士は、普通に返答をしてきた。

 

『この先は確かに、竜族の縄張りだったが、いまは我々が占領している。竜族はいきなり襲ってくる危険な魔獣だ。そのため、ここで警備をしているのだ。この先は危険だ。諦めたほうがいい』

 

ディアンは頷いて、その場を立ち去った。

 

『どうする?このまま引き下がらないんでしょ?』

 

『そうだな。まず野営をして、夜になったら空から行こう。暗闇であれば、兵士たちに気づかれないだろう』

 

その夜、ディアンたちは魔導装備を使い、空を飛行して関所を通過した。そのまま山中へと入っていく。関所は二重になっていたが、兵士たちはディアンに気づかず、立ち話をしている。そのまま山岳地帯の奥に入ると、明かりが見えてきた。どうやら採石場のようである。多くの人たちが、そこで石を切り出していた。石は関所を通らず、山を繰り抜いて作られた隧道を通って、別の場所に運ばれているようであった。空からその様子を見下ろす。何かが妙であった。しばらく様子を見ていると、奇妙さの原因が解った。

 

『あの人夫たち、まるで表情が変化しないな。それに、誰も一言も喋らない。呻き声すら上げない。まるで「蟻」だ』

 

人夫たちは誰もが「黙々」と動いている。自我がまるで無いようであった。その薄気味悪さに、レイナたちの顔色も悪くなる。

 

『もう少し、奥に行ってみよう・・・』

 

そのまま飛行し、山奥へと進む。すると、山中の開けた土地が見えた。白骨化した竜族の骨がそこかしこに転がっている。鱗や牙などは抜き取ったのだろう。ただ素材として狩られた黒雷竜たちの残骸が無数に転がっている。正にそこは「竜族の墓場」であった。

 

『ひ、ひどい・・・』

 

レイナが口に手を当てて震える。ディアンの眼が細くなる。こんな殺戮をして、他に知られていないなど、考えられないことである。もし情報統制をするのなら、参加をした兵士たちをこの山から一歩も出さないようにしなければならない。そう考えた時に、ディアンは気づいた。

 

『そうか・・・あの人夫たちは、この虐殺に参加をした兵士たちだ。そして、何らかの方法で忘我の状態にさせられ、ただの「働き蟻」になったんだ。「生ける屍」にして、情報封鎖と人夫調達という一石二鳥を狙ったんだろう』

 

『クッ・・・これが、ヒトのやることかっ!』

 

グラティナが怒りで震えている。ディアンも頷いた。だが、このような行為に及んだのは、何か原因があるはずである。二千年間の平穏を破る何かがあったとしか思えなかった。

 

『西榮國の王は、この三十年間は替わっていなかったな。となると、誰かが王に吹き込んだんだ。あるいは、王を操っているのかも知れん・・・ 邯鄲に行こう。首都に行けば、何か解るかもしれない』

 

 

 

 

 

邯鄲の街からほど離れた森の中に、その建物はある。警備の兵士たちがあたりを見まわる。建物内では、一人の錬金術士が研究を続けている。西榮國はこの三十年で、産業は発展し、軍は強化された。それは国王や優秀な役人たちの力もあるが、この男の影響も大きい。男が生み出した薬物は、兵士の恐怖心を麻痺させ、さらには思考能力まで奪ってしまう。錬金術士は、新しい火薬の研究をしていた。黒色火薬より威力がある「褐色火薬」を作ろうとしている。

 

『全く、軍のバカ共が・・・黒色火薬は戦向きではないとあれほど言ったのに、勝手に使いやがって・・・』

 

錬金術士は独り言を言いながら、新しい火薬の調合を行った。別に難しい作業ではない。竜族を駆逐したお陰で、大量の硝石が採れるようになった。褐色火薬が大量生産出来るようになれば、戦争も一変する。錬金術士は自分が設計した新兵器「砲」を眺めた。褐色火薬を使って、焼けた鉄の玉を遠方に打ち出す。強弩よりも遥かに遠くに届くため、敵の陣営を崩すのに役立つ。あるいは攻城兵器に使えるだろう。錬金術士は本を手元に引き寄せた。自分の師が残した錬金術の本である。表紙を撫で、目的の頁を開く。火薬精製の方法を熱心に読みこむ。夜が深まる中、男は一心不乱に、研究を続けていた・・・

 

 

 

 

 

西榮國の首都「邯鄲」は、龍陽を超えるほどの巨大都市であった。城壁は高く強固で、川を引き込んで堀を形成している。街中には上下水道が完備されているようであった。プレメルでも水道整備は計画されていたが、未だ実現していない。近隣の田畑は実り豊かである。ディアンたちは街中を歩きながら、人々の表情や物産、物価を見て回った。ディアンは唸った。

 

『悔しいが認めざるをえん。この国はターペ=エトフをも凌ぐ。この街は、おそらくラルウバーシュ大陸で最も豊かな街だろう』

 

『時々、街の警備をしている兵が歩いていたな。良い動きをしていたし、民衆からも頼られているようだ。しっかりとした武将が上にいるのだろう』

 

『塩や麦も豊富だったけど、驚いたのは絹の値段が安いことね。養蚕が盛んなんだわ。プレイアで買う絹製品の半値以下だったもの』

 

宿に泊まったディアンたちは、それぞれが街の感想を口にした。確かに竜族への非道は許せないが、それを除くと驚くほどにしっかりとした国であった。ディアンは今後の方針を検討した。

 

『ターペ=エトフから東方見聞に来たということで、王宮に行こう。大王には会えないかもしれないが、それなりの人物が対応してくれるだろう。この国の二面性の正体が知りたい』

 

二人の使徒は頷いた。

 

 

 

 

 

邯鄲の王宮を訪れたディアンたちは、身分を明らかにし、インドリトの親書を渡した。行政府の役人の対応は迅速で、その日のうちに面会の日時が定められた。三日後の午後に、大王との謁見が認められたのである。

 

『大王様は、西国の話に興味をお持ちです。また、ターペ=エトフという国についての関心を持っているので、詳しく聞かせて欲しい、とのことです。何卒、良しなに・・・』

 

一礼をして役人が後にする。簡にして要を得た応対に、ディアンは頷いた。

 

『役人の対応も見事なものだ。行政府もしっかりしているようだし、これは相当な王と見るべきだろう。それとも、それを支える宰相が優秀なのか?』

 

『酒場で、この国についてもう少し情報を得たほうが良いかも知れんな』

 

その夜、酒場で様々な民衆から、情報を集めた。酒を奢ると饒舌に話しをしてくれる。竜族については、皆が一様に「竜族が悪い」と言う。一方で、大王に対しては強い敬意を払っていた。

 

『今の大王様の代になられてから三十年、この国は本当に豊かになりましたよ。いえ、前の大王様も良い王様でしたが、今の大王様は正に名君です。役所では賄賂なんて必要ないし、兵士たちはしっかりとしているし、税も安くなったんですからね』

 

『大王様は御年五十、まだまだこれからが御活躍ですよ。本当に、西榮國に生まれて良かったですよ』

 

こうした情報の中で、ディアンが引っ掛かった情報があった。

 

『宰相や将軍も優れた方々ですが、何と言っても「宮廷魔道士」の力が凄いんですよ。新しい武器や道具を開発するばかりか、この街に水道を引いたり、農作物の実りを豊かにする薬を作ったり・・・大王様はその宮廷魔道士を「太師」に指名し、いろいろと教わっているみたいですよ』

 

『宮廷魔道士が、王太師になっているのか。どのような人物だ?』

 

『さぁ、詳しいことは存じませんが、今の大王様になられたときから、宮廷魔道士になっていたそうです。何でもそれまでは旅をしていたとか・・・』

 

宿に戻ったディアンたちは、仕入れた情報を整理した。

 

『恐らく、その宮廷魔道士が先史文明期の知識を持ち込んだのだろう。そして、太師として現大王に強い影響を与えている。竜族を攻めたのも、その宮廷魔道士の吹き込みだろうな』

 

『インドリトにとっての、ディアンのような存在か?』

 

『立場としては似ていると思うけど、方向はまるで逆ね。インドリトはすべての種族の繁栄を目指している。でもこの国は、まるで「人間族だけの繁栄」を目指しているみたい・・・』

 

『すべての種族の繁栄を目指す、というのは確かにインドリトの理想であり、オレの理想でもある。だが一方で、自分たちの種族だけの繁栄を目指す、という理想も成立はする。オレは自分を「絶対正義」などとは考えていない。この国が竜族を攻め滅ぼした理由に、彼らなりの正義が存在するのだろうか・・・』

 

ディアンは珍しく迷った。だが、使徒二人がその迷いを吹っ切った。

 

『ディアン、それは違うと思う。「絶対正義」というものが無いことは解るわ。でも、竜族を滅ぼした正義って言うけど、誰の正義なの?それはこの国の正義なんかじゃない。その宮廷魔道士と国を治める一部の人達の正義よ。だから情報統制をして、民衆たちに間違った情報を植え付けている。何万人もの兵士を「生ける屍」にしている。そんなもの、私は正義として認めないわ』

 

『そうだ。私も認めない。この地が、ケレース地方と違うことは解る。殆どが人間族だから、人間族だけの繁栄を目指しても問題は無いのだろう。だが二千年もの間、共に生き続けた竜族をいきなり攻め滅ぼすなど、どう言い訳しようとも、自分たちの「勝手な都合」を竜族に押し付けたということだ。それは正義じゃない。「悪」だ!』

 

自分が正義だと思うのなら、正々堂々と民衆に主張をすれば良い。情報統制をしている時点で、悪であることを認めているようなものだ。このことを為政者たちはどう思っているのだろうか。

 

『大王との謁見で、ダカーハのことを話そう。その上で、彼らの反応を見る。彼らの「都合」とやらを聞いた上で、判断をする』

 

二人は頷いた。

 

 

 

 

 

『なるほど。ターペ=エトフは、すべての種族の繁栄を目指しているのか』

 

西榮國大王「懐王」は頷いた。王とは思えぬほどに頑健な肉体と覇気を持っている。鋭い眼をしているが、冷徹な知性と強い意志がそこにあった。ディアンはまず、西方諸国の情報やターペ=エトフについて話をした。西榮國でも、西方との交易は高い関心事のようで、ディアンが通ってきた大陸公路の様子などを知りたがっていた。話が一段落をし、ディアンは本題に切り込んだ。

 

『私共が、貴国を尋ねたのは、実はターペ=エトフに来た亡命者から話を聞いたからです』

 

『ほう、この国の出身者が、貴国にいるのか?』

 

『えぇ、ダカーハという黒雷竜です。西榮國に住処を追われ、逃げざるを得なかった・・・そう言っていました』

 

左右から緊張の空気が漂った。だが、懐王は盛大に笑った。

 

『竜族の方から、我が国に攻め寄せてきたのだ。あちらから共存関係を壊してきたのだ。それが真実だ』

 

『この国の民衆にとっては、それが真実になっていますね。ですが「事実」では無いでしょう。邯鄲に来る前に、南西の竜族の縄張りを見ました。一方的な殺戮の痕跡、そして自我を奪われ「蟻」と化した兵士たちがいました。それでもなお、お恍けになるおつもりですか?』

 

懐王の眼に怒りが浮かんだ。明確な殺気を放ち始める。

 

『無礼な奴め・・・貴様、ターペ=エトフからの使者というのは偽りか?何の目的で来たかは知らんが、異国の者には関係ないわ!この者たちを抓み出して処刑せよ!』

 

扉が開かれ、兵士たちがディアンたちに駆け寄る。だが、その足が途中で止まった。ディアンの気配が一変したからだ。人間の仮面が外れ、魔神の貌が表に出る。凄まじい魔の気配が放たれる。

 

«・・・悪いが、もう少しだけ付き合ってもらうぞ。なぜ、龍族を攻め滅ぼしたのだ?理由を言ってもらおう。正直に、嘘偽りなくな»

 

左右に分かれていた文官たちが尻もちをつく。だが、懐王は表情を変えないどころか、笑みさえ浮かべた。

 

『魔人か・・・なるほど、ターペ=エトフとは、どうやら「魔の国」のようだな』

 

ディアンたちは立ち上がった。レイナ、グラティナも手に魔力を込めている。ディアンの指示次第で、この場の全員を殺すつもりでいた。ディアンの瞳も紅くなっている。

 

『いいだろう。答えてやろう。竜族を滅ぼした理由は、力を手に入れるためだ。竜族の縄張りは、良質な鉱石が採れる。別の地に移れと言ったのに、奴らは従わなかった。だから滅ぼしたのだ!』

 

«随分と身勝手だな。なぜそれほどまでに「力」を欲した。お前の言う「鉱石」とは、硝石のことか?黒色火薬を作るための・・・»

 

『火薬のことまで知っているのか。貴様、何者だ?ただの魔神ではあるまい!』

 

«質問をしているのはオレのほうだ。答えろ。火薬を作り、軍事力を強めて何をするつもりだ?お前の目的はなんだ!»

 

『「天下統一」だ!』

 

懐王は胸を張った。その瞳には、一分の迷いも躊躇いも無い。

 

『西方で安穏と暮らしている貴様らには解るまい。戦乱が生じて一千年、五カ国に分かれてから五百年、この地は戦乱を繰り返し続けている。豊かな大地があり、多くの人々が暮らしているのに、小さな枠の中に収まり、広大な世界を見ようとしてない!地を統一すれば、広大な国の拡がりを見る。人々に世界を拓くのだ!』

 

«そのためならば、竜族を滅ぼしても良い、と言うのか?»

 

『国を拡げる以上、犠牲はつきものだ。龍族には、天下統一の「贄」となってもらった。彼らを犠牲にした以上、何としても天下を統一せねばならん!』

 

«・・・それはお前の「正義」だろう。この国の正義ではないな。竜族を滅ぼしてまで、自分たちの世界を拡げたいと、民衆たちが望んだのか?お前一人の野望に過ぎん!»

 

『私は「王」だ!この国の未来を定める立場にある!私が、民衆を導くのだ!』

 

ディアンは目を細めたまま、懐王を見つめた。かつて、似た言葉を聞いている。ルドルフ・フィズ=メルキアーナの言葉である。だが、懐王とルドルフとでは、何かが違っていた。するとレイナが問いただした。

 

『懐王よ、あなたに問いたい。西方でも、戦のない世界を創るために、敢えて戦をする、と言っている国があります。私の生まれた村は、その国によって焼き滅ぼされました。その王はこう言っていました。「その犠牲を決して忘れない」と・・・その国では、悲劇として民衆にまで知られています。自分が正義だと仰るのなら、なぜ竜族を犠牲にしたことを民衆に知らせないのですか?』

 

『民衆とは糸のついていない凧のようなものだ。その場その場でフラフラと漂う。もし事実を伝えてみよ。国の拡がりという大義を忘れ、目先の「情」で動くに違いない!』

 

『・・・それが、あなたの本質なのですね』

 

レイナによって、懐王とルドルフの違いが明確になった。ルドルフは「民のため」に戦っている。少なくとも、本人はそう想っている。だが懐王は「己が野心のため」に戦っているのだ。それを誤魔化すために「民のため」と言っているに過ぎない。ルドルフにとって、民の犠牲は痛恨であるが、懐王にとっては、必要な犠牲で片付けられるものなのだ。懐王に対する興味は急速に薄れた。底が知れたからである。ディアンは溜息をついた。

 

«下らんな・・・胸を張って民衆に訴えられない「大義」など存在するか?口先だけは「民衆のため」と言うが、結局は己の野心のためではないか。もういい、お前への興味は消えた»

 

ディアンはそう言うと、右手を上げ、下ろした。風圧で石床が凹み、円形に亀裂が走る。圧倒的な魔神の膂力を見せつけられ、兵士たちは後ずさりした。

 

«規模がデカイだけの、ただの山賊だ。殺す値打ちもない。レイナ、グラティナ、いくぞ・・・»

 

ディアンたちは懐王に背を向け、その場を後にした。謁見の間の扉が閉じられると、懐王の怒声が響いた・・・

 

 

 




【次話予告】

西榮國大王「懐王」との謁見を終えたその夜、ディアンたちは王宮に忍び込み、人質となっている三女「龍香蘭」と対面する。香蘭を連れて帰国しようとするディアンたちの前に、西榮國宮廷魔道士が立ちはだかる。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第三十ニ話「大魔術師の弟子」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第三十ニ話:大魔術師の弟子

西榮國大王「懐王」との謁見を終えた夜、ディアンたちは夜半に紛れて、王宮に忍び込んだ。全身を黒布で覆い、頭髪も隠す。金髪と銀髪はこの国で目立つため、もし見つかればすぐに正体がバレてしまうためだ。龍国三女「龍香蘭」が住むのは後宮である。これは書簡の中で書かれていたことで、ディアンたちも教えられていた。だが、一口に後宮と言っても、その広さは巨大である。後宮内の見取り図も無いのである。ディアンたちは空からの侵入を図った。

 

『後宮というのは、権力闘争の場だ。大王が入る中心の間に近いほど、有力者と見做される。人質である以上、恐らくはかなり外れの部屋に違いない』

 

ディアンたちは後宮の西側から侵入をした。手当たり次第に部屋に入るというわけにはいかない。まずは誰かから情報を聞き出す必要がある。

 

『後宮を管理するのは、宦官だろう。男根を切除された男性で、性欲が遮断されている分、異常なほどに権力志向や金銭志向が強くなるそうだ。つまり、脅しやすいということだ』

 

物陰に隠れ、時に天井に貼り付き、出来るだけ気配を消して進む。それなりの地位と思われる宦官でなければ、人質の場所は知らないだろう。しばらく進むと、身なりの良い男が伴を二人連れて歩いていた。他の宦官たちが、すれ違いに挨拶をする。ディアンはその男に狙いを定めた。自室と思われる部屋に、その宦官が入る。ディアンは部屋を狙い定めると、窓からの侵入を果たした。机に向かって書物をしている背後に立つ。首筋に短剣を当てて口をふさぐ。

 

『騒ぐな。声を出せば、喉を掻き切るぞ。大人しくしていれば、コレをくれてやろう』

 

宝石が入った袋が机に置かれる。元男は、震えながら頷いた。

 

『龍國第三王女「龍香蘭」の居場所を知っているか?正直に教えれば宝石をくれてやる』

 

口を塞いでいた手をゆっくりと放す。男はガチガチを歯を立てながら、少し甲高い声で部屋の場所を教えた。

 

『り、龍香蘭様は、この建物にはいない。こ、後宮の裏にある離れの家にいる。だ、だが見張りが常にいて、誰も近づけないようになっている・・・』

 

『そうか、ありがとう』

 

ディアンは首筋を短剣の柄で打った。宦官は意識を失い、ヘナヘナと崩れ落ちる。猿轡を噛ませ、縛り上げる。宝石袋は懐に入れてやった。部屋にも鍵を掛ける。これでしばらくは時間が稼げるだろう。

 

『急ごう。夜明け前には、王女を連れ出したい』

 

ディアンたちは王宮の裏にあるという離れへと向かった。

 

 

 

 

 

魔道士は、結界の反応を感じ取った。誰かが王女を軟禁している離れに侵入を図っている。建物の屋根に結界を張っているため、誰かが屋根に飛び乗れば、気づくように仕掛けていた。

 

『恐らく、龍國の間者だろう。それとも、大王を愚弄したという異国人か?いずれにしても愚かな・・・』

 

鈴をならし、従者に指示を出した。自分も急ぎ、魔道着へと着替え、魔術杖を手に取った。

 

 

 

 

 

『お断りします。ここを離れる訳にはいきません』

 

龍香蘭は、ディアンたちとの脱出を拒否した。香蘭は確かに、赤髪、薄褐色肌であった。だが、東方域では目立つだろうが、西方の人間たちを見慣れたディアンにとっては、ごく普通の姿に見えた。そして、王進が語っていたとおり、香蘭は美人であった。「凛とした」という表情で、出会った頃のレイナに似ていた。それでいて刺々しさはなく、上流階級としての気品も備えている。外見も雰囲気も、ディアンの好みであった。ディアンは説得を試みた。

 

『この屋根には結界が張られていました。あまり時間がありません。父君に会いたくは無いのですか?』

 

『私が姿を消せば、私の身の回りを世話してくれていた従者、見張りの兵士たちが罰せられます。父に会いたいという個人的な思いだけで、他者に迷惑を掛けるわけにはいきません』

 

(なるほど、確かに「名君」の素質がある)

 

ディアンは頷いた。解決方法を思いついたからだ。この方法を取れば、西榮國とターペ=エトフとは決定的に決裂する。だが、ディアンは腹を括った。ダカーハの話が事実だった今、決裂しているようなものだからだ。インドリトも許してくれるだろう。

 

『ならば、正々堂々と帰りましょう。私にお任せ下さい・・・』

 

ディアンたちは覆面を外した。身を隠していた黒布も取り去る。レイナたちも、背中に差していた剣を腰に巻いた。香蘭は首を傾げた。

 

『このまま外に出て、後宮を通りぬけ、本殿を抜け、堂々と正門から出ます。邪魔をする兵士たちは蹴散らします』

 

『なっ・・・何をバカなことを言っているのです?そんなこと出来るわけが・・・』

 

ディアンの気配が変わっていた。魔神の気配が立ち昇る。外に漏れないように、それほど強い気配ではない。だがそれでも、香蘭は膝が震えた。

 

«オレの名はディアン・ケヒト、魔神の肉体を持つ人間です。オレがその気になれば、この街を吹き飛ばすことだって出来ますよ?どうします?»

 

『・・・卑怯な脅しをしてきます。私が従わなければ、無関係な者たちを殺戮する、と言うのですか?』

 

«いえ、可能だと言いたいだけです。どうします?我々と来て頂けませんか?»

 

『私は魔神に連れ去られた・・・兵士たちも魔神相手では仕方がない・・・そのような形式を取るつもりですね?』

 

香蘭は溜息をついて、頷いた。

 

«しばし、ご辛抱下さい。正門を抜ければ、人間に戻ります»

 

香蘭を連れ、ディアンたちは離れを出た。見回りをしている兵士たちが驚く。だが魔神の一睨みで、腰を抜かしてへたり込んだ。

 

«剣を振るのは仕方がないが、出来るだけ殺すなよ。傷つければ、大抵の人間は退く»

 

ディアンたちは堂々と後宮に入った。特に急ぐ必要はない。レイナとグラティナが香蘭を挟むようにして歩く。二人の気配によって、魔神の気配から香蘭を護るためだ。後宮内にも兵士がいるが、ディアンたちに斬りかかってくる者はいない。勇気ある兵士が槍を突き出してきたが、拳を一突きし、風圧で吹き飛ばす。背後から襲ってきた兵士は、レイナとグラティナが撃退した。いずれも「二振り目」を使う必要な無い。魔神の使徒として成長を続けている二人は、既に中級魔神に匹敵する力を持っている。簡単に後宮を抜け、本殿を目指す。だがその途中の広大な広場で、兵士たちが待ち構えていた。警備兵などという軽いものではない。合戦の気配を放つ「軍」であった。魔術衣を着た中年の魔道士が、その軍を率いていた。魔術杖を掲げると、ディアンたちに強力な雷が落ちてきた。魔術防御結界で防ぐ。結界を張ったディアンに衝撃が走る。相当に強力な魔術であった。

 

『ほう、結界か。さすがは魔神といったところか・・・』

 

«どうやら、噂に聞く「宮廷魔道士」のお出ましか。オレの名はディアン・ケヒト、白と黒・正と邪・光と闇・人と魔物の狭間に生きし、黄昏の魔神だ。この王女が気に入った。悪いが、オレのモノにする»

 

『なっ・・・何を言って・・・』

 

香蘭が顔を朱くする。だが魔道士はクツクツと嗤いながら、名乗った。

 

『私の名は李甫、宮廷魔道士にして、懐王様の太師を務めている。貴殿の名は伝え聞いている。ターペ=エトフという国の王太師だそうだな。我が雷撃を防いだのは見事だが、次はどうだ?』

 

李甫の杖に魔力が込められる。純粋魔術である。その様子に、ディアンは思わず唸った。

 

『純粋魔術 アウエラの裁きっ!』

 

強力な純粋魔術が放たれる。ディアンは同じく、アウエラの裁きを繰り出した。純粋魔術同士が相殺しあう。大爆発が発生するが、互いに結界を張って爆風を防ぐ。二十歩ほど離れた二人の間に、巨大な窪みが発生していた。レイナが驚きの声を上げた。

 

『魔神化したディアンと、五分の威力?それに今の魔術は・・・』

 

«アウエラの裁き・・・人間でその魔術を知るものは多くない。貴様、誰に魔術を習った?»

 

『西方の出身者なら、知っているやもしれんな。大魔術師ブレアード・カッサレ・・・私は彼の下で、三十年以上の修行を積んだ』

 

ディアンの眼が細くなった・・・

 

 

 

 

 

後宮にいた懐王は、地下道を通って王宮へと戻った。屈強な近衛兵の他、宮廷魔道士まで迎撃をしている。いかな魔神と言えども、無事で済むはずがない。そしてこれは好機であった。龍國との和睦は、一時的なものでる。この数年で、軍は強化され、龍國に攻め込む体制は整っていた。この騒動を口実に、龍國に攻め込むことが出来るのである。

 

『すぐに将軍らを呼び集めろ!我が自ら、出陣をするっ!』

 

懐王の瞳は、戦場を想像して既に猛っていた。

 

 

 

 

 

王宮前の広場では、二人の魔道士が互いの魔術をぶつけあっていた。並の魔術師では操ることさえ困難な術式であるが、李甫は平然とそれら上級魔術を操った。レイナたちには信じられなかった。術式自体は、研究をすれば知ることは出来る。だがそれを操るには、相当な魔力が必要である。魔力は魂の活動によって生み出されるため、人間であれば誰でもが持っているが、その絶対値は個々人で差がある。そして、魔術の威力は、絶対値によって変わる。魔神ディアン・ケヒトの魔力は、人間を遥かに超えている。使徒である自分たちでさえ、魔術においてはディアンには遠く及ばない。にも関わらず、目の前の魔道士は人間でありながら、魔神と互角の魔力を持っているのである。普通の人間であれば、とうに魔力が尽きているはずである。

 

«・・・ブレアードも厄介な弟子を残したものだ。お前が使っているのは、自分の魔力ではないな。陰陽五行の理論を応用し、大地から魔力を吸い上げている»

 

すると李甫は、少し驚いた表情を浮かべた。

 

『陰陽五行と西方魔術の融合・・・我が師によって新しい魔術体系が構築され、私がそれを引き継いだ。だが、なぜそれを知っている。お前は一体、何者だ?』

 

«大魔術師ブレアード・カッサレ・・・オレも良く知っている。だが解からん。ブレアードの弟子なら、なぜ竜族を滅ぼしたりした。師の思想から、遠く離れた行為だろう!»

 

メルカーナの轟炎がぶつかり合う。火柱が立ち上り、相殺される。李甫は、魔術杖を下ろした。少し語り合いたいと思ったのだろう。

 

『なるほど・・・我が師と会ったことがあるのか。師と別れたのはもう五十年も前になるか・・・』

 

『ご、五十年?そんな老人には・・・』

 

レイナが呟いた。李甫の見た目は、せいぜい四、五十歳程度にしか見えなかった。李甫は笑った。

 

『陰陽五行を占いの理論程度と考えているのではないか?陰陽五行の本質は、肉体を流れる気を操る内功と、大地を流れる気脈との融合にある。これを極めることで、不老の肉体を得ることが出来るのだ』

 

«・・・己の体内に「内丹」を形成し、大地の気脈と通じる・・・「仙道術」とか言ったな。ブレアードの魔道書に書かれていた。だが、ブレアードはそれを拒否した。彼は自然に老いる道を選んだ。それがお前がブレアードの下を離れた理由か?»

 

『ブレアードは、仙道術を「外法」と考えていた。内丹形成は、擬似的な神核形成、つまり「魔人」になることだとな。愚かだと思ったよ。彼の理想「現神支配の終焉」は、とても人間の寿命で出来ることではない。ならば寿命を伸ばすしか無いではないか。目的のための「手段」として、魔人への道を選ぶべきだったのだ。だが、ブレアードはそれを拒否した。五十年前、大陸放浪の果てにニース地方に落ち着いた私たちは、そこで別れた。ブレアードは理想を捨てたのだ。ブレアードは、ただの負け犬と化した!』

 

«違う!ブレアードは自らの信念で魔人化を拒否したのだ。この大地にいるのは、現神と人間族だけではない。この世界には、数多の生き物が存在する。彼は人として、それらと向き合う生き方を選んだのだ!»

 

『フンッ・・・変節をしたのは間違いない。「現神信仰が支配するこの世界を変える。歴史の舵を人間が手にする」・・・熱く語っていた理想は何だったのだ?あれほどの知識、知性、技術を持ちながら、ブレアードは何一つ、成し遂げなかったではないか!何という能力の無駄遣いだ!だから私がその理想を実現させる。この国を操り、やがて大陸全土を支配し、現神信仰を終わらせるのだ!』

 

«なるほど・・・あの兵士たちを譫妄状態にさせたのは、そのための実験か»

 

『信仰心は、人間の心から来る。肉体、つまり「魄」を操ることで、魂にも影響を与えることが出来る。実験は成功だったよ。薬物を利用し、脳から信仰心を除外することが出来るのだ』

 

『この狂人が・・・』

 

グラティナが吐き捨てた。ディアンは首を横に振った。李甫は確かに、ブレアードの技を受け継いでいるが、その志を受け継いではいない。

 

«李甫、お前は間違っている。現神信仰を終わらせるのは、何のためだ?光と闇の対立する世界を変えることで、全ての種族が繁栄する世界が出来る、ブレアードはそう考えていた。ブレアードにとって、現神信仰の終焉は手段だったのだ。彼が目指した世界は、光も闇も関係のない、皆が幸福に暮らせる世界だった。だが、お前は手段を目的化している。お前のやり方では、ただの「暗黒世界」になるだけだ!»

 

『黙れっ!』

 

雷撃が放たれる。ディアンは両手でそれを受け止めた。身体を青白い火花が走る。李甫の表情が一変していた。青筋を立て、怒りの表情を浮かべている。

 

『お前も、ブレアードと同じだ!下らぬ情に囚われ、崇高な理想を蔑ろにしている!』

 

ディアンはなおも言葉を続けようとしたが、グラティナが止めた。兵士が続々と集まってきているからだ。

 

『ディアンッ!もう十分だろう!飛行魔術で飛び去ろう!二人がかりなら、姫を抱えて飛ぶことは出来る!』

 

ディアンは頷くと右手を上に掲げた。使徒二人もそれに倣う。一斉に手を下ろすと、凄まじい炎が周囲に立ち上った。李甫は魔術結界を張ったが、そのために追跡が遅れた。炎が消えた時には、香蘭を含めた四人の姿は無かった。王宮を飛び越え、そのまま逃げ飛んでいる。李甫は歯ぎしりをした。飛行魔術は自分の知識にも無い。一度だけ強く地面を踏みつけ、それから凄惨な笑みを浮かべた・・・

 

 

 

 

 

宿に逃げ戻った四人は、荷物をまとめ、そのまま街を出た。時折、休憩を入れながら龍國国境付近まで、空を飛び続ける。だが、さすがに使徒たちの魔力も尽きそうであった。ディアンは国境付近の集落で一泊をすることに決めた。この時代の手配書は、馬によって伝達される。国境の街までは、まだ手配書は回っていないはずである。宝石を示すと、集落の長は喜んで部屋を貸してくれた。布で顔を覆っていた龍香蘭は、部屋の寝台に腰を掛け、ようやく一心地がついたようである。

 

『申し訳ありません。もっと静かにお助けをしたかったのですが・・・』

 

顔を覆っていた布を外し、香蘭は溜息をついた。

 

『全く、迷惑な話ですわ。ですが、あの魔道士との問答は面白かったですね。あなたはとても、魔神とは思えません』

 

『半分は人間です。ところで、このまま龍國に入るわけにはいかないのですが・・・』

 

『解っています。西榮國の間者が、龍國にも紛れ込んでいるでしょう。私がこのまま国に戻れば、約定違反になってしまいます。それで、私をどうするつもりですか?』

 

『大変申し訳ありませんが、髪と肌を変えさせて頂きます・・・』

 

ディアンは両手に魔力を込めた・・・

 

 

 

 

 

『申し訳ありません。私がいながら、四人を取り逃がしてしまいました・・・』

 

李甫は膝をついて、懐王に謝罪をした。懐王は笑ってそれを許した。魔神が相手である以上、仕方がないこともあるが、これを口実に龍國への再侵略を図ることが出来るのである。むしろ歓迎すべき事態であった。

 

『太師が発明した「砲」は、既に量産体制に入っている。出陣は一月後とするが、その前に一応は、抗議の使いを出したほうが良いだろうな。諸国の眼もある故・・・』

 

『私が行きましょうか?』

 

李甫の自推に、懐王は首を振った。

 

『いや、太師には準備を整えておいて欲しい。あの魔神が出現したら、対抗できるのは太師のみであろうからな』

 

『お任せを・・・あの魔神の弱点は解っています』

 

李甫の瞳には、決戦に向けての自信が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

龍國首都「龍陽」に戻ったディアンたちは、徒歩で街に入った。街を歩く男たちの視線が、一人の女性に集中する。絹のように輝く漆黒の髪と雪のように白い肌、そして他の二人にも負けない整った顔立ちをした美人である。ディアンによって外見を変えられた龍香蘭は、これまでとは違う視線に戸惑っていた。ディアンは笑った。

 

『皆が、姫の美貌に見蕩れているのですよ。東方では、黒髪白肌を美としていますからね。どうせ外見を変えるなら、思いっきり美しい姿をと考えました』

 

『ディアン?私たちにはそんな魔術があるなんて、言っていなかったけど?』

 

レイナがディアンの耳を引っ張った。ディアンが苦笑いをしながら説明をした。

 

『グラザから譲られたカッサレの魔道書に書かれていたんだ。闇夜の眷属たちが人間の村でも生きられるように、と考えて開発した術式らしい。イテテッ・・・引っ張るな』

 

レイナが手を離す。耳を撫でながら、ディアンが言葉を続けた。

 

『この魔術の欠点は、一度変えたら元には戻せない、ということだ。姫には納得を頂いたが、闇夜の眷属の中には、それを嫌がる者も多かったらしい』

 

『当然だろうな。亜人族や闇夜の眷属たちは、連帯意識が強く、自分の外見に誇りを持つものも多い。実際、私だって、肌の色を変えたいとは思わない。ヴァリ=エルフであることは、私の誇りだからだ。だが、少し気に入らんぞ。姫にだけ、男どもの視線が集中しているではないか!』

 

香蘭がクスクスと笑う。華が咲いたような艶やかさだ。そのまま王宮に向かうのではなく、まずは王進の屋敷を目指した。門に立つ兵士たちも香蘭に見惚れていたが、やがて気づいた。慌てて屋敷内に駆け込む。中から大声が聞こえた・・・

 

 

 

 

 

『ヌッハッハッ!さすがは魔神じゃ!見事に姫を救出したな!』

 

王進は大声で笑いながら、盛大に酒を呷っていた。王進も香蘭の変化に驚いたが、すぐに慣れたようだ。それどころか、傾城とも言える美人になったことを喜んでいた。

 

『いや、見事・・・とは言えないな。かなりの大騒ぎを起こしてしまった・・・』

 

懐王との謁見から救出の顛末までを話すと、王進は腹を抱えて笑った。

 

『か、懐王に対して「ただの山賊」と言い放ったか!ヌッハッハッ!これは痛快だ!』

 

『その日のうちに、姫を救出した。向こうから見れば「拉致」と同じだな。恐らく、これを口実に龍國に攻め込んでくるぞ』

 

『今夜は我が屋敷で泊まると良い。姫の警備は特に厳重にしておく。明日、王宮に姫をお連れしよう。龍國との戦は気にするな。大王も覚悟をしている』

 

『西榮國をこの眼で見た。確かに民衆は繁栄している。だが、その王宮には狂気が取り付いている。李甫という魔道士は危険だ。もし西榮國が東方諸国を統治したら、暗黒世界になってしまうだろう。戦には、オレも手を貸そう。李甫と決着をつける』

 

王進は真顔で頷いた。

 

 

 




【次話予告】

香蘭との再会に、父は涙した。香蘭は名を変え、魔神について行くことを決める。そして、束の間の父娘の歓談を破るように、西榮國の侵攻が始まる。李甫と決着をつけるべく、ディアンは戦場へと向かうのであった。大魔術師の弟子同士が激突する。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第三十三話「趙平の戦い(前編) -砲と剣-」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第三十三話:趙平の戦い(前編) -砲と剣-

東方諸国は、西方と比して早い段階から国家形成が始まっていた。神々の戦争と言われた「七魔神戦争」の影響が少なかったためである。東方では、当初は百を超える国家が誕生したが、時の流れとともにそれらは収斂され、五つの国に統合される。五大列国時代とよばれる戦国時代は、五百年間に渡って続いた。その均衡が破られたのが、龍國と西榮國の国境地帯「趙平」において、両国軍がぶつかった「趙平の戦い」である。

 

西榮國は十万もの軍勢を動員し、懐王自らが率いていた。一方、龍國は七万の軍勢で、大将軍王進が総大将であった。趙平の戦いについては、歴史家たちによって詳細に残されているが、その中で不明な部分がある。それは、魔道士同士の戦いについてである。西榮國の宮廷魔道士については、李甫の名が残されているが、龍國の魔道士については、名前が残されていない。ただ、およそ魔道士とは思えない記述が複数存在し、後世の歴史家たちを悩ませている。

 

・・・背中に大きな剣を背負い、漆黒の外套を羽織った男が巨大魔術を放った。その背丈は六尺近くあり、一見すると屈強な戦士である。西榮國の魔道士も、杖から魔術を放った。凄まじい魔力が衝突し、両軍の兵士たちも手を止めた・・・

 

当時の魔道士といえば、宮廷魔道士を指している。生涯の大半を魔術研究に費やすのが通例で、剣を背負うなど考えられないことであった。このことから、龍國の魔道士は、「召喚された魔神」だったのではないか、と仮説する歴史家まで存在する。しかしながら、全ては仮説の域を出ておらず、龍國の正史「龍國本紀」の中には、黒衣の魔道士については一切、記述されていない・・・

 

 

 

 

 

龍國大王「龍儀」は、愛娘を抱きしめ、涙を流していた。娘も父親の抱擁を受け入れる。王という立場でありながら、簡単に涙を見せ過ぎだとディアンは思ったが、見方を変えれば強みにもなる。実際、大将軍の王進をはじめ、周囲の者たちも貰い泣きをしているのだ。その中で香蘭は、微笑みを浮かべて入るが、冷静な表情をしていた。

 

『それにしても、髪と肌を変えるだけでここまで美しくなるとは・・・この姿であれば、香蘭と気づく者はおるまい。このまま、龍陽で暮らすか?』

 

『いいえ、そうはいかないと思います。父上のお気持ちは嬉しく思いますが、この街には列国の間者も紛れているでしょう。街を歩いて気付きました。私の姿は注目を受けるようです。いずれ龍香蘭であると見破られるでしょう』

 

『ならば後宮で暮らせば良い。春蘭、陽蘭には私から言って聞かせよう』

 

だが香蘭は首を振った。

 

『たとえ後宮でも、人の口に戸は立てられません。それに、一生を後宮で過ごすなど、私には耐えられません。ようやく自由の身になったのです。また幽閉の生活など真っ平です』

 

『では、どうしたいのだ?』

 

『私は、魔神に連れ去られたことになっています。あれだけの大騒ぎを起こしたのです。魔神には、その責任を取ってもらいましょう』

 

香蘭はそう言うと、ディアンに顔を向けた。艶やかに微笑むが、眼は笑っていない。ディアンは頭を掻いた。

 

『姫が「従者や兵士に迷惑を掛けたくない」と仰るから、あのような騒ぎにしたのです。元はと言えば・・・』

 

『あら、私のせいだと仰るのですか?私は「連れ出してくれ」と頼んだことなど、一度としてありません。あなたが私を「連れ去った」のです』

 

確かに、カタチとしては、そうなるのである。だが、あの状況で他に選択肢があっただろうか。ディアンが困った表情を浮かべると、香蘭は笑った。

 

『御免なさい。困らせてしまいましたね。ただ、このまま龍國に残ったとしても、どこかの国に嫁に出され、一生涯を部屋で過ごすことになるでしょう。そんな生き方は嫌です。あなたに連れ去って貰えれば、もっと広い世界を自由に見て回ることが出来るでしょう?父上、私は姿を変えました。名も変えるつもりです。そして、この世界を自由に生きたいのです』

 

龍儀は愛娘を見つめ、そして溜息をついた。

 

『・・・お転婆ぶりは七年前と変わらんな。まったく、お前が長女であったなら、私も安心して王位を譲れるものを・・・仕方がない。お前には十歳から苦労をさせ続けた。もう十分、国に貢献をしてくれた。これからは、お前の好きに生きなさい。龍香蘭は、西榮國で魔神に連れ去られた後、病死したものと思うことにしよう・・・』

 

『父上、我儘を言って、御免なさい・・・』

 

『良い。子は親に我儘を言うものだ。それで、名は何とするのだ?』

 

『東方名ではなく、西方名にしたいと思います。私は東方人の中では、彫りが深い顔をしていますので、違和感は無いと思います』

 

龍儀が頷いた。香蘭は、新しい自分の名前を口にした。

 

『西方では、叡智を「ソフィー」と言うそうです。それに古代エルフ語を加えて、名前を考えました。これからは「ソフィア・エディカーヌ」と名乗りたいと思います』

 

『ウェ=デイ=カーンか・・・なるほどな』

 

ディアンは頷いた。古代エルフ語で「暗(ウェ)闇(デイ)混沌(カーン)」という意味である。姓と名を組み合わせると「闇夜の混沌に叡智を齎す存在」という意味になる。闇夜の眷属たちが多いターペ=エトフでは、注目される名前だろう。

 

香蘭あらためソフィアは、嫋やかに微笑んだ。

 

 

 

 

 

『我が国の後宮に、ターペ=エトフなる国の者が侵入し、龍香蘭殿を連れ去った。これは、龍國の仕業ではないのか!』

 

西榮國から来た「抗議の使者」が、謁見の間で非難の声を上げる。だが大王「龍儀」は、涼しい顔をしていた。文官たちが反論する。

 

『はて?確かに、ターペ=エトフから東方見聞に来たという者達はいますが、香蘭様の姿はありませんが?香蘭様は、赤い髪と薄褐色の肌をお持ちです。連れていれば、すぐに気づくでしょう』

 

『大方、どこかに隠しているに違いない!これ以上、恍けるのであれば、こちらも覚悟がありますぞ!』

 

文官たちも武官たちも、その一言で眼に気迫がこもった。王進が一歩踏み出し、大声で怒鳴る。

 

『面白い、戦というのなら受けて立つぞ!大体、後宮に侵入されて連れ去られるなど、警備は一体、何をしていたのだ!西榮國にこそ非があろう!』

 

人質とは言え、他国の姫を預かっている以上、厳重な警備をして然るべきであった。それを連れ去られた以上、第一の責任は西榮國にあるのは事実である。大王は立ち上がり、決然と突きつけた。

 

『我が愛娘を護れず、しかもそれを他国のせいにする。西榮國とは山賊にも劣る恥知らず共よ。戦というのなら受けて立とう。既に諸国からも、支援の声明を得ておる。「義」は我らにこそある!』

 

文官たちは一斉に足を踏み鳴らし、武官は鍔音を立てた。西榮國の使者は、一斉に向けられた殺気に震え、逃げ帰っていった。

 

 

 

 

 

西榮國大王「懐王」は舌打ちをした。諸国への根回しに先手を打たれたからである。だがすぐに気を取り直した。龍國を滅ぼした後は、諸国も順次、滅ぼしていくのである。一時的な非難の声など、気にする必要はない。だが気になっているのは、魔神の存在であった。東方でも魔神の恐ろしさは知られている。あの魔神が龍國に味方をするとなると、十万の軍勢でも不安であった。

 

『ご安心を。あの者は、確かに魔神の力を持っていますが、基本は人間です。故に、下らぬことに拘る(こだわ)のです。それがあの者の弱点です』

 

李甫は自信を持って、そう断言した。魔神は、己の全能を発揮して勝つことに拘る。だが、ディアン・ケヒトは違う。李甫との戦いにおいて、背中の剣を抜かなかった。魔術によって勝とうとした。ディアン・ケヒトの弱点、それは「勝ち方に拘ること」である。剣を持たない李甫に対して、剣を向けることに抵抗感を持っているのだ。李甫はそう喝破していた。魔術戦と限定するならば、あの魔神とも五分で戦える。つまり魔神の力を封じることが出来る。

 

『彼の魔神は、恐らく私を狙ってくるでしょう。魔術戦であれば、長時間にわたって魔神を引きつけることができます。その間に、龍國本軍を攻めるのです』

 

懐王は笑みを浮かべて頷いた。

 

 

 

 

 

龍國の「元」第三王女、龍香蘭あらためソフィア・エディカーヌは腹を立てていた。せっかく自由の身になったのに、戦場に行くことが出来ないからである。これまでは、後宮の部屋で、人づてに「結果」を聞かされるだけであった。だが、自分は自由なのである。戦場に出て、大軍同士の激突をこの眼で見たかった。だが大王や王進は強硬に反対をした。ディアンに至っては「邪魔だ」とまで言い放った。

 

『剣も使えない、魔術も出来ない、そんなあなたが戦場に行って、何をするのです?戦とは遊び場ではありません。命のやり取りをするのです。ただの好奇心で戦場に来られたら迷惑です』

 

『私は自由のはずです。もし戦に出て、そこで死ぬのなら私の責任です!』

 

ディアンは溜息をついた。そこまで言うのならと、ある条件を出した。

 

『剣を構え、レイナと向き合って下さい。半刻でも立っていられたら、お連れしましょう』

 

ソフィアは勇んで、剣を持って中庭に出た。数歩離れたところに、レイナが歩み出る。互いに向かい合う。ソフィアが覚えているのはそこまでであった。

 

『・・・半刻どころか、瞬きする時間すらも立っていられませんでしたね。今のあなたでは、戦場に出る前に気を失うでしょう。戦とはそれほどに「気の充実」が求められるのです。今回は、諦めて下さい』

 

寝台で気がついたソフィアに、レイナが語りかけた。ソフィアは悔しかった。自分と同い年くらいの女が、戦場を駆けまわり活躍をする。一方の自分は、何も出来ない。悔しがるソフィアに、レイナが笑った。

 

『私は十年以上、魔神と共に戦い続けているのですよ?人を斬り殺したことも数えきれません。そんな私と比べるなど、可笑しいではありませんか』

 

ソフィアは驚いた。レイナの見た目はどう見ても二十歳前である。どうしてそんなに若いのかと尋ねると、レイナが微笑んだ。

 

『私は、「使徒」ですから・・・』

 

 

 

 

 

龍陽の王宮では、大将軍の任命式が行われていた。王進や副官、五千将などが並ぶ。ディアンも客将として参列した。大王が玉座から王進に命を発する。

 

『知っての通り、西榮國が我が国の国土を侵さんと、軍を進めている。自国の非を他国に押し付けんとする卑劣な輩に対し、断固として懲罰を下す。王進よ、そなたを龍國軍七万の大将軍に任ずる!西榮國軍を討ち滅ぼし、我らが義を天下に示せ!』

 

『しかと、承りました』

 

王進以下、全員が片膝をついて拝手する。龍陽の大通りは、声援に包まれた。大門を出ると、七万の軍勢が勢揃いしている。王進は息を大きく吸った。副官が両手で耳を抑えと同時に、大音声で命を発した。

 

『出陣じゃぁ!!』

 

七万人の雄叫びが龍陽の空に響いた。

 

 

 

 

 

龍國と西榮國の国境付近に広大な平原がある。趙平である。両軍はそこで陣を張った。互いに間者を放ち、情報を収集する。

 

『何じゃと?見たこともない武器があると?』

 

『武器なのかどうかも解りません。筒のようなものとしか・・・』

 

『ディアン、お主は知っておるか?』

 

幕舎での会議には、ディアンも客将として参加をしていた。王進の問いかけに応える。

 

『おそらく、大砲だろう。火薬の爆発力を利用して、鋼鉄の玉を遠方まで飛ばす。その射程は十町(1.1km)にも及ぶ。強弩は使えんな』

 

『威力は?』

 

『撃ち出された玉は、火薬によって焼けている。上空から焼けた鋼鉄の玉が打ち込まれてくるのだ。陣形などは簡単に崩れてしまう』

 

各将たちが腕を組んだ。王進は白い髭を撫でながら、さらに質問を重ねた。

 

『その玉は、連発出来るのか?』

 

『いや、砲の質にもよるが、通常はニ、三発を撃ったらしばらくは使えないはずだ。砲自体が熱くなり、冷ますのに時間が必要だからだ。ただ、砲の並べ方次第では連発できるかも知れん。例えば三百門を用意して、百門ずつを並べ、交互に撃つ・・・オレならそんなやり方を取るが・・・』

 

王進は間者に大砲の数を確認した。どうやら五十門程度のようである。さすがに数百門とはいかなかったようだが、一門あたり二発としても、百発以上の玉が打ち込まれるのである。戦う前に、陣は崩れてしまうだろう。

 

『その砲弾、お主であれば防ぐことは出来るか?』

 

『物理障壁結界を張ればな。だが、結界を張ったらこちらも進軍が出来なくなる。攻撃を受けないかわりに、攻撃をすることも出来ない。それに向こうには魔道士がいる。結界を張れば気づかれる』

 

王進が呻いた。そこにグラティナが別案を提示した。

 

『我々三人が手分けして、空中で砲弾を「斬る」というのはどうだ?』

 

グラティナらしい直線的な作戦である。だがディアンと王進は顔を見あわあせた。

 

『五十門が一斉射撃をしたとしたら、三人で斬れるのはどれくらいだ?』

 

『せいぜい三分の一だな。だが、五十門一斉射撃は無いだろう。大砲は距離を測るのが難しい。砲の角度調整のために、まず何発か撃つはずだ。その上で、右から順番に砲撃をしてくのが通例だ。順に弾込めをするためにな』

 

『つまり、空中で斬ることは可能なのか?』

 

『全てを斬れるとは断言できないが、可能だろう』

 

作戦を思いついた王進は低く笑った。

 

 

 

 

 

西榮國の陣営でも、会議が開かれていた。議論となっていたのは、ディアンの存在についてである。

 

『その魔神がいきなり攻撃を仕掛けてくることはないだろうか?』

 

『それは無いでしょう。もし魔術を放ったとしても、十町以上も離れたところから打てば、その威力は半減します。それに、その時は私が相殺します。無駄な魔力を使うとは思えません』

 

李甫は地形図を示した。

 

『まずは大砲を使います。物理障壁結界は張っていないでしょう。あるいは魔神であれば、思いもかけぬ方法で大砲を迎え撃つかもしれません。目的は敵の陣を崩すことではなく、魔神の居場所を探ることです。居場所が判り次第、私が魔神を押さえ込みます。大王は本軍の指揮をお願いします』

 

『魔神さえいなければ、相手は七万、我らは十万だ。勝利は間違いないだろう。李甫、頼むぞ』

 

『お任せを・・・』

 

魔道士は笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

約十町の距離を取り、両軍が構えた。空中には、ディアンたち三人が砲撃を待ち構えている。轟音が響き、龍國陣の少し手前に砲弾が落ちる。ディアンは眼を細めた。予想以上に速いからだ。黒色火薬の威力ではない。

 

『褐色火薬まで発明していたのか。思ったより苦労するかもな・・・』

 

二発目が放たれる。砲弾を捕らえたディアンが空中で剣を振った。一瞬で四分割され、砲弾が落ちる。威力を剃られ、四つに割られた砲弾など、大して恐れる必要はない。兵士たちは盾を構え、落ちてきた欠片を防いだ。

 

『二人共、来るぞ!』

 

次々と砲撃が始まる。ディアンたちは宙を舞いながら、砲弾を切っていった。だが砲撃速度が速い。全てを斬ることは出来なかった。何発かが陣に落ちる。その様子を見ながら、李甫は呆れていた。なにか手を打つとは思っていたが、まさか空中で砲弾を斬るとは思っていなかった。あれでは砲は意味を成さない。あまりの非常識ぶりに笑いすら出てくる。だがいつまでも呆れている訳にはいかない。李甫は馬を動かした。

 

玉数を数えながら砲弾を斬り続ける。もうすぐ終わるだろうと思っていたところに、強烈な雷撃が襲いかかってきた。空中では結界を張ることが出来ない。ディアンは直撃を受け、落ちた。雷撃魔術「贖罪の轟雷」である。

 

『ディアンッ!』

 

レイナが叫ぶ。空中で身を翻し、地面への直撃を避ける。身体から焦げ臭い煙が立ち昇る。

 

『・・・どうやら、お出ましのようだな。二人共、手は出すなよ!アイツはオレが倒す!』

 

ディアンは魔術が放たれた方向に駆け出した。陣から少し離れたところに、魔道士が立っていた。駆けながらディアンの気配が変わる。魔神の貌が表に出る。

 

«李甫ォォォッ!»

 

『来いっ!』

 

二人の魔力が衝突した・・・

 

 

 

 




【次話予告】

血で血を洗う戦場の中で、二人の魔道士が巨大魔術をぶつけ合う。李甫の予想通り、ディアンは魔術戦に拘った。しかし、無限の魔力を持つ李甫に苦戦する。ディアンはカッサレの魔道書に書かれていた「特殊魔術」を使うことを決めた。李甫の脳裏に、師の言葉が浮かぶ。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第三十四話「趙平の戦い 後編 -師の愛情-」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第三十四話:趙平の戦い(後編)-師の愛情-

ニース地方某所(ディアン・ケヒト転生より約四十年前)

 

『何故です!どうして、仙道術を使わないのですか!』

 

『お前も解っているはずだ。一歩間違えれば、尸解仙となり、破壊と災いを齎す存在になる。何より、「人非ざる者」が歴史の舵を握ってはならんのだ』

 

『危険は承知のうえです!何より、自らの意志で魔人となることは、人の道の延長ではないのですか!』

 

古今東西の様々な書籍や呪物が置かれた部屋の中で、二人の男が議論をしている。老年に近い男と、中年の男である。南方から戻ってきた二人は、これから進む道で意見が分かれていた。

 

『レスペレント地方に行かれると言うのであれば、なおさら仙道術が必要でしょう!あの地には「現神」がいると聞いています。今こそ、神と戦う好機ではありませんか!』

 

『何のために戦うのだ?現神と戦って、この世界に住む数多の種族たちが幸福になると思っているのか?光と闇、人間族と亜人族・・・種族を超えた繁栄のためにこそ、我らの力を使うべきではないか?』

 

『人々の心を信仰から開放することで、現神支配の世界を終わらせる。魔道技術を中核とした、新世界を創るという夢は、どうなったのですか!』

 

『何度も言っておるであろう。それは「手段」なのだ。それを目的としてしまっては、人々の心の拠り所はどうなる?魔道技術はまだ未熟で、とても信仰に代替するものではない。そんな状態で、現神信仰への疑問が蔓延れば、混乱が起きるだけなのだ。何より、信仰の束縛からの開放は、その者自身の力によって為されなければ意味が無い。他者がいたずらに、信仰心に立ち入ってはいかんのだ!』

 

『違う!人はそんなに弱い存在ではない!現神への信仰から開放されれば、己の足で大地に立つ!誰に頼らずに、自分の手で歴史を動かす!それが人間です!』

 

『天使から言われた言葉を忘れたのか?この世界は人間族だけのものではない。エルフ族、ドワーフ族、獣人族、闇夜の眷属たち・・・彼らはどうするのだ?光闇の調和、種族を超えた繁栄こそが、目指す世界なのだ!お前のやり方では、ただの暗黒世界になってしまうのだ!』

 

しばらくの沈黙の後、弟子は、立ち上がった。

 

『どうやら、私たちの道は、ここが分岐点のようです。私は、私の道を歩みます。ここでお別れです。我が師よ、三十年、本当にお世話になりました・・・』

 

師に対して頭を下げ、私物の入った袋を抱えて出て行った。師は黙ったまま、机においた拳を握りしめた。

 

『我が志をお前に継いで欲しかったのに・・・バカ者め・・・』

 

静寂の中で呟いた・・・

 

 

 

 

 

二人の魔道士の魔力がぶつかり合う。これを機に、一気に戦場が動き出す。

 

『第一陣、突撃せよ!』

 

西榮國の騎馬隊が動き出す。それに呼応して、龍國も動く。突撃してくる騎馬隊に、強弩隊が射掛けようとするが、騎馬隊は射程ギリギリを躱す。龍國陣の端に突っ込む。すかさず、第二陣の歩兵隊が突撃をしてくる。騎馬隊と歩兵隊の動きに、龍國の陣形がついていかない。数発の砲撃が打ち込まれたため、陣の形がイビツになっているからだ』

 

『チィッ!やむを得ん!盾を構えて耐えさせろ。陣形を戻す時間を稼ぐのだ!』

 

『殿、ディアン殿の使徒たちが動いています』

 

西榮國歩兵隊五千をたった二人で食い止めている。それどころか押し返し始める。剣技においてレイナとグラティナに勝てる人間はまずいない。二人は互いに連携をしながら「死の壁」を形成し、歩兵隊を弾き返した。王進は呆れた様子で笑った。

 

『さすが魔神の使徒か。見た目とは裏腹に、二人共しっかり「化け物」じゃわい!よしっ、陣形を整えよ!突撃してきた騎馬隊は左舷にて防ぎつつ、正面から右舷にかけてこちから突撃を仕掛ける!』

 

その様子は、西榮國からでも見えていた。懐王は歯ぎしりをした。使徒の力を甘く見ていたのである。非情な決断をした。

 

『歩兵には急速後退をさせ、空いた隙に二人に矢を仕掛けよ!味方に犠牲が出るのはやむを得ん!』

 

歩兵隊に後退の銅鑼が鳴らされると同時に、矢が一斉に放たれた。後方にいた歩兵たちは無事であったが、レイナたちに近い場所にいた歩兵は、味方の矢によって次々と倒れていく。二人は互いに背を合わせ、レイナが物理障壁結界を張った。グラティナは歩兵を警戒しながら、メルカーナの轟炎を空に放つ。矢は一瞬にして灰になる。後退した歩兵の隙間を埋めるように、龍國軍が突撃を開始する。矢を焼き落とした二人は、先頭をきって西榮國軍に向けて駆けた。

 

『我に続けぇ!』

 

グラティナの剣が輝き、西榮國の陣に「錐」が打ち込まれた。

 

 

 

 

 

両軍の混戦から少し離れた平原で、二人の魔道士がぶつかっていた。互いに上級魔術を駆使しては相殺を繰り返す。李甫の予想通り、ディアンは魔術戦に拘った。剣は背中に納められたままである。

 

『お前の欠点だな。戦いは勝てば良いのだ。お前は「勝ち方」に拘っている。魔神のクセに、人間性を保とうとしている。愚かな・・・』

 

«オレは魔神の肉体を持つ人間だ。心まで魔神になろうとは思わんっ!»

 

純粋魔術がぶつかり合い、爆発を起こす。速度、威力共にほぼ互角である。そして李甫は大地から、魔力を無制限に吸い上げることが出来る。だがディアンは不利を承知で、魔術戦に拘る。剣を持たない相手に剣を抜くことは、ディアンには出来なかった。魔力を補うために、首から「魔焔」を下げているが、それとて無限に魔力を得られるわけではない。

 

『・・・味方が苦戦をしているようだ。さすがは魔神の使徒だな。だが、お前を倒せば、使徒も力を失う。あとは私の魔術で龍國を一掃すれば良い』

 

李甫が次々と魔弾を放つ。魔術結界で防げる威力ではない。ディアンも迎撃をする。自分の魔力が減ってきているのを感じる。ディアンの顔色を見て、李甫は嗤った。

 

『どうやら、魔力も尽き始めているようだな。ここまで戦えたのはさすがだが、間もなくお前は死ぬ。負け犬として、土に還るがいい!』

 

李甫はケルト・ルーンを放った。ディアンはギリギリで躱した。このままでは負けることは明白だ。肩で息をしながら、李甫を倒す方法を考える。その時、ブレアード・カッサレの研究を思い出した・・・

 

 

 

 

 

 

『これは、地脈魔術か?だが、なんの意味があるのだろうか』

 

レスペレント地方から戻ったディアンは、魔神グラザから譲られた「カッサレの魔道書」を読み耽っていた。その中に、奇妙な魔術が書かれていた。地脈魔術とは、魔力を使って大地を動かす魔術である。局地的な地割れを起こしたり、錬金術を応用して土を変成させ「強酸」を作ったりする。上級魔術になれば、地震を発生させることも可能だ。だがブレアードが生み出した地脈魔術は、そのいずれにも該当していない。

 

『広範囲に、地面に魔力を通すのか・・・まるで地面に結界を張るように見えるが、これは意味があるのか?こんなもの、簡単に消されてしまうと思うが・・・』

 

ブレアードの研究の中には、多分に「好奇心」だけの研究も多いが、この地脈魔術は明らかに「ムダな研究」と思えた。ディアンは首を傾げた。

 

 

 

 

 

(あの研究は、ひょっとしたら・・・)

 

ディアンはブレアードの研究に賭けようと決めた。魔焔から魔力を吸収する。パキッという音とともに、魔焔が割れた。回復した魔力を使って、大地に手を当てる。地脈魔術と判断した李甫は、相殺すべく構えた。

 

«特殊魔術:気脈封印ッ!»

 

およそ一里に渡って、大地に魔力が張られる。薄い結界のようなものだ。通常であれば、簡単に破ることが出来る。だが、李甫は蒼白となった。

 

『き、貴様・・・何をした!』

 

李甫は苦しそうに心臓を抑えた。立っていられなくなり、肩膝をつく。

 

«お前の力は、大地から魔力を吸い上げることで維持されている。仙道術は、大地の気脈が密接に関わっている。だからその気脈を封じた。今のお前は、魔力が尽きた魔神と同じ状態だ»

 

『いつの間に、こんな魔術を・・・』

 

荒い呼吸をしながら、李甫はディアンを見上げた。ディアンも肩で息をする。たとえ薄い結界でも、広範囲にわたって張れば、かなりの魔力を消費するからだ。ディアンは魔神の貌から人間に戻った。

 

『この魔術は、オレが考えたものではない。ブレアード・カッサレが考えたものだ。何のための魔術なのか、これまで理解できなかったが、ようやく解った。これは、お前と戦う時のためにブレアードが準備をしていた魔術だ』

 

『ブ・・・ブレアード・・・』

 

李甫は倒れた。その姿をディアンが見下ろす。気脈が立たれた魔道士は、仙道術が使えなくなり、急速な老化が始まっていた。ディアンは李甫に語りかけた。

 

『李甫、オレは疑問に思っていた。三十年前に西榮國の太師となっていながら、なぜ今になって龍族を滅ぼしたりしたのだ?その気があれば、もっと前にやっていたはずだ。お前は、レスペレント地方であった「フェミリンス戦争」の顛末を知ったのではないか?人間であるブレアード・カッサレが、現神を封印した・・・だからお前も「何かをやろう」と考えた。違うか?』

 

李甫は乾いた声で嗤った。

 

『・・・我が師ブレアードは、私にとって父親同然だった。浮浪児だった私を拾い、様々なことを教えてくれた。共に諸国を旅し、襲い来る魔獣や野盗と戦った。魔術の研究に明け暮れながら、現神たちが支配する世界を変え、光と闇が平和に暮らせる世界を創ろうと語り合った・・・だから五十年前、ブレアードが「仙道術」を否定した時、私は捨てられたと思った。ブレアードは老いていた。一緒に理想を実現するためには、魔人になるしかないではないか。私は、ブレアードと共に生きたかった。彼と共に、理想を実現したかった。西榮國が大きくなれば、ブレアードの耳にも入るだろう。きっと私を訪ねて来る、訪ねてくれると信じていた・・・だが、ブレアードは来てくれなかった・・・私は、見捨てられたのだ・・・』

 

李甫の呟きに、ディアンは首を振った。

 

『それは違うぞ。ブレアードは、あの大戦でフェミリンスから呪いを受けた。その呪いは強力で、破壊と殺戮の魔人へと変貌させるものだった。お前を訪ねたくても、出来なかったのだ。お前に迷惑が掛かるからな。ブレアードはお前を見捨てたのではない。ずっと、お前を気に掛け続けていた。だから現神との大戦の最中でも、お前を諌めるための魔術を研究していたのだ』

 

李甫の双眼から涙が溢れ出る。老化の進行が終わった李甫は、百歳近い老人となっていた。そして身体が徐々に崩れ始める。

 

『・・・ディアン・ケヒトよ。ブレアードの研究成果は、私の家にある。お前に託そう。我々の理想を継いでくれ・・・お前の手で、光と闇の相乗を・・・』

 

李甫は灰となって、風に消えた。風に待った僅かな灰を掴み、ディアンは瞑目した。掴んだ手が少し震えていた・・・

 

 

 

 

 

『ハァァァァッ!!』

 

レイナとグラティナは、味方ですら呆れるほどの勢いで剣を揮っていた。王進はその様子を見ながら、顎髭を撫でて苦笑した。

 

『ひょっとしたら、あの二人だけで勝てたのではないか?』

 

既に大勢は決していた。だが懐王は諦めなかった。最後の賭けに出る。王進を討てば、逆転の可能性が生まれるからだ。供回りを連れて、王進の本陣へ突撃を掛ける。

 

『王進ッ!!』

 

大王自らの突撃である。それを受けないのは非礼だと考えたのだろう。王進は偃月刀を握った。馬を疾走らせる。懐王は頑健な肉体を持つ武闘派の王である。並の武将よりも武力は上だ。だが、王進の武力は人間の域を超えている。互いの馬が馳せ違う。王進の一振りは、馬の首ごと懐王を薙いだ。上半身と下半身が分かれ、懐王は馬から落ちた。

 

『勝鬨じゃぁっ!!』

 

兵士たちが一斉に拳を天に振り上げた・・・

 

五百年間に渡って続いた東方五大列国の戦国時代は、趙平の戦いをもって、大きく動き始める。趙平の戦いは、龍國の勝利で集結し、王を失った西榮國は大混乱となる。勢いに乗った龍國は、大都市「崔」を陥落させたばかりか、一気に首都「邯鄲」まで落とすのである。事実上、西榮國は滅亡し、龍國は列国の中で最大の国土を持つ大国となったのである。だが、大国となった龍國は諸国からの警戒され、ついには「慶東國」「秦南國」「雁州國」の三国連合という事態を招くことになる。趙平の戦いから四年後の話である。

 

 

 

 

 

邯鄲の街からほど近い森の中に、目指す建物はあった。結界を解除し、入る。見張りは誰もいない。大王が討たれたこともあり、西榮國は大混乱となっていた。邯鄲の街は、龍國軍によって取り囲まれている。明日には落城するだろう。部屋に入ると、薬草の薫りや、火薬の匂いがした。室内は整然としている。まるで自分が死ぬことを予期していたようであった。目的のものは、研究室の書棚に並んでいた。「カッサレの魔道書」である。東方諸国で書かれたものらしく、七冊が並んでいる。さらに、弟子が書き残したと思われる別の魔道書や錬金術の資料などもある。それらを全て運び出す。王宮の財宝より遥かに価値のあるものだからだ。机の上に、日記が置かれていた。開いてみると、最後の日付が書かれている。

 

・・・明日、出陣する。必勝を期しているが、戦場では何が起きるか解らない。今日は一日掛けて、部屋を整理した。整理をしながら、師と同じ言葉を吐いたあの魔神のことを考えた。確かに私は、誤った道を進んでいるのかもしれない。薬物によって信仰心を抑制するなど、人の道から外れていることくらい、私も解っている。あの薬の効果は一時的なものだ。永久的なものを作ることもできたが、そんな気は無かった。師の言うとおり、人の心に他者が踏み入ってはならないのだ。彼らはいずれ、正気に戻るだろう。だが竜族に対しては、罪悪感が無いといえば嘘になる。大きな理想のために、小さな犠牲はやむを得ない、大王はそう言うが、自分の愛する者がそれに巻き込まれて、同じことが言えるだろうか?いつの日か、竜族に詫びよう。たとえ許されなくとも・・・

 

これらの資料は、行商人に依頼をしてプレイアまで運び、あとはリタ・ラギールに預かってもらう予定だ。だが、カッサレの魔道書とこの日記だけは、自分の手で運ぼう。この日記をダカーハが読めば、少しは救われるだろうか・・・

 

少し寂しそうな笑みを浮かべ、日記を革袋に入れた。

 

 

 

 




【次話予告】

趙平の戦いが集結し、龍國では盛大な式典と論功行賞が行われた。その後の宴席において、ソフィア・エディカーヌが東方諸国の未来予測をする。いささか賢しいお転婆娘に苦笑しつつも、ディアンはソフィアを連れていくことを決めるのであった。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第三十五話「父娘の別れ」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第三十五話:父娘の別れ

五百年間に渡って続いた東方五大列国時代に終止符が打たれるのは、ターペ=エトフ歴五十二年のことである。女帝「龍春蘭」の長男で、後に龍国大王となった「龍(えい)」によって、東方諸国は統一され、龍贏は「皇帝」となる。龍國の特徴は、西方諸国との交易を強化していたことである。特に龍贏は、十五歳の時にターペ=エトフに三年間の「留学」をしており、その時の経験が龍國の政事に大きな影響を与えたと言われている。

 

龍國中興の祖となった「龍儀」は、西榮國併合から十年後に病死し、長女であった春蘭が女王となる。幸いなことに、三国連合との戦いは膠着状態となっており、春蘭の代においても国土を維持することは出来た。しかし、この膠着状態を打破するためには、より優れた王が必要であった。そこで女王「龍春蘭」は、妹の「香蘭」を頼り、自分の長男を留学させたのである。無論、香蘭は病死をしたことになっているため、東方見聞録を通じた、龍國とターペ=エトフとの「縁」を頼って、と公式上は記録されている。賢王インドリトはこの依頼を快諾し、王太師を龍贏の「教育係」とするのである。龍贏は留学時代を振り返り、このように記している。

 

・・・ターペ=エトフという国は、正に理想郷であった。かつて西榮國から追われたという黒竜族も、ターペ=エトフの中で幸福に生きている。なにより驚いたのは、その統治方法だ。通常、王と役人が力を持ち、民衆は「統治される側」というのが国家の形である。だが、ターペ=エトフでは、民衆から選ばれた「元老」たちが、強い権限を持ち、民衆代表として王と議論を重ね、国家の方針を定めている。このような統治方法では、ともすると元老たちが「利権代表」となりかねないが、ターペ=エトフでは元老も民衆も皆が「公益」を意識している。無論、中には邪なことを考える輩もいないではないが、ターペ=エトフの行政府は極めて有能で、そうした腐敗は芽の段階どころか「種」の段階で取り除かれてしまう。そして驚くべきことに、その行政府を束ねているのは、たった一人の魔人と、たった一人の美しい女性なのである・・・

 

龍贏は、ターペ=エトフの統治方法を真似て、皇帝親政としつつも「民衆代表会議」という組織を作り、統治される民衆側からの声を聴く機構を設けた。しかしこの統治方法は、皮肉なことに龍贏自身が懸念したとおり「利権代表」の様子を見せ始め、結果として破綻をし、東方統一国家はわずか数代で、再び分裂をすることになる。その原因としては、ターペ=エトフと龍國の国土面積及び人口の違いが大きいが、龍國にはターペ=エトフのような「優れた行政官」が存在しなかったことも挙げられる。ターペ=エトフの国務大臣「シュタイフェ・ギタル」の名は残されているが、その部下にして実質的な最高権力者と言われていた「黒髪の美女」については、名は残されていない・・・

 

 

 

 

 

龍國首都「龍陽」は歓呼の声で沸き返っていた。民衆たちは熱狂的に、大将軍たちを迎えた。何しろわずか三ヶ月で西榮國を滅ぼし、龍國国土を倍増させたのである。龍國大王は、民衆への差別は一切せず、税制、司法など全てを同等に扱うことを宣言し、それを実行している。そのため、西榮國の混乱も収束に向かいつつあった。だが龍國が大国化したことは、他の三国の警戒を呼ぶものでもあった。既に国境付近では軍が集結しており、戦の気配が漂い始めていたのである。

 

『これより、論功行賞を始める!』

 

文官の宣言により、王宮で論功行賞が始まった。第一功は無論、懐王を討ち、西榮國を滅ぼした大将軍「王進」である。その他にも、要塞都市「崔」を攻略した将軍「李輝」や、首都脱出を図っていた王族たちを捕らえた五千将「馬濛」などが表彰される。公式的な記録が発表された後で、非公式としての「特別功労」が発表された。

 

『ターペ=エトフ使者、ディアン・ケヒトならびにレイナ・グルップ、グラティナ・ワッケンバイン!』

 

名前が挙げられ、三名が進み出る。文官が読み上げる。

 

『諸国に対する政治的配慮により、公式記録には載せることは無いが、大将軍以下、各将からも貴殿らの活躍は報告されており、龍國として感謝の意を示すべく、大王に対する要望を認めるものとする。望むものを口にせよ』

 

ディアンたちは、ターペ=エトフからの使者であり、この後は東方見聞のために諸国を回るのである。趙平の戦いでの活躍が知られたら、諸国から警戒をされてしまう。そのための政治的配慮として、公式記録には載せないこととなったのである。ディアンは膝をついて、要望を口にした。

 

『私たちはターペ=エトフから東方見聞にきた「旅人」に過ぎません。このような晴れの場に参列させて頂いただけでも、恐懼の極みです。僅かばかりの手伝いをした程度で、土地や財宝などを望むことは出来ません。ただ出来ましたら、我が国と龍國との友好関係をお約束願いたく存じます』

 

龍儀が頷き、立ち上がった。

 

『ターペ=エトフは黒龍族を受け入れ、平和に暮らしていると聞く。西方諸国との友好関係は、我が国の国益にも繋がる。インドリト王を私と対等の「大王」と認め、末永い友好関係を結ぶための公式文書を認めよう。しかし、この程度では貴殿らの活躍に対する褒章としては不足であろう。諸将との均衡というものもある。他に、望みは無いか?』

 

『では、出来ましたら・・・』

 

ディアンは望みを口にした。大王は驚き、そして笑って頷いた。

 

 

 

 

 

 

『全く、お主の無欲ぶりには呆れるぞ。普通であれば財宝だの何だのを欲しがるのに、まさか「人」を求めるとはな』

 

論功行賞後の大宴席において、王進は呆れながら酒を呷っていた。ディアンは、末席で良いと遠慮をしたのだが、大王も王進も認めなかったのだ。

 

『お主らの手柄は、本来であれば第一功と記されてもおかしくないほどのものなのだ。せめて宴席の場くらいは、上席に座るべきであろう』

 

そう言われてしまっては、ディアンとしても断りようが無かった。王進から酌を受けながら、ディアンは返答した。

 

『オレとしては、随分と大胆な要望をしたと思っているのだがな。龍國にある「醸造技術」「製陶技術」「製糸技術」などは、西方には無いものだ。それら技術を手に入れれば、ターペ=エトフは更に繁栄する。オレたちは、ターペ=エトフ王から十分な資金を貰っているのだ。投資に見合うものを持ち帰らなければ、叱られてしまう』

 

王進は頷いた。戦場においても、人が勝利を左右するのである。もとよりディアンの狙いなど百も承知なのだ。だがディアンが魔神であることを考えると、やはり可笑しかった。魔神のクセに自分より国家を考えているからだ。

 

『近日中に、行商隊と共に職人たちが出発する。お主の手紙と共に、大王の親書も送られる。レウィニアという国までの行商隊だそうだ。そこで、お主の知る行商人に引き継がれるだろう』

 

後年、ターペ=エトフでは様々な酒が造られるようになるが、その基礎となった醸造技術は東方から持ち込まれたものと言われている。西方諸国の醸造技術は、空気中に漂う「自然酵母」による発酵であったが、東方では「酵母」を培養する技術が確立していた。これら技術は、ターペ=エトフ滅亡後に西方諸国に広まり、西方の食文化を大きく前進させることになるのである。

 

祝宴の最中に、ソフィアがディアンのもとに近づいてきた。どうやら髪型を変え、化粧を施しているようである。見ただけでは、香蘭とは解らない。だが周囲からは注目を浴びる。

 

『これなら、私も参加できるでしょう?』

 

艶やかに微笑みながら、ディアンに酌をする。ディアンは少し戸惑った。これまでレイナやグラティナも、ディアンに進んで酌をしたことなど無いからだ。どうやら育ち方が違うらしい。ソフィアは王進にも酌をした。ディアンは茶を勧めようとしたが、ソフィアは酒を飲みたがった。龍國では十代でも飲酒は認められるようである。レイナやグラティナも酒は飲むので、ディアンとしては強くは言えない。

 

『それでは、今回の祝勝とこれからの戦国に・・・』

 

ソフィアはそう言って、杯を干した。ディアンは苦笑いをした。いささか賢しいところがあるが、ソフィアの見立ては正しいからだ。王進は笑って、ソフィアに意見を求めた。

 

『それで、姫・・・ではなくソフィア殿は、今後の龍國をどのように思うのだ?』

 

『ソフィアと呼んでくださいね。王進様。そうですね。恐らく数年後に、大戦が起きるでしょう。龍國と、他の三国が連合した「合従軍」との間で・・・』

 

ソフィア・エディカーヌは自分の未来予測を語った。

 

『今回の西榮國併合により、龍國の国土は二倍となり、人口も倍増しました。ですが、通貨制度の違いや龍國と西榮國との確執を解消するには時間がかかります。大王様がどれほど優れた方であっても、十年は必要でしょう。他の三国は、当然それを見越しています。万一にも、西榮國の併合が完全なものとなってしまったら、三国は太刀打ちできなくなります。そうなる前に、三国は連合し、大軍を持って龍國を侵そうと企むでしょう』

 

『なるほど、一時的とはいえ、三国が連合すれば、国境に配備した軍を龍國に振り向けることが出来る。各国十万としても三十万の大軍じゃな。一方、龍國は西榮國を併合したとしても、せいぜい十五万の動員が限界、さて困ったものだのう』

 

王進は楽しそうに杯を呷った。ソフィアは酌をしながら、笑った。

 

『数の上ではそうですね。ですが、三国連合には決定的に欠けるものがあります。まとめ役です。三国にはそれぞれ優秀な将軍がいるでしょう。ですがそれら将軍を指揮する「総大将」となりうる器を持つ者がいません。それこそ、王進様ほどの大将軍でなければ、軍として動くことは出来ないでしょう。せいぜい、バラバラに国境を侵そうとする程度です。それであれば、王進様が指揮する十五万の兵で、各個撃破が出来ると思います』

 

『それくらいは、向こうも計算するはずだ。つまり、王進の首を狙ってくるだろう。王進、お前の首は、おそらく東方域で最も高値だぞ?』

 

ディアンは笑った。ソフィアも頷く。そしていたずらっぽい笑みを浮かべて腹案を出した。

 

『そこで、三国連合を潰してしまう方法を思いつきました。これからディアン殿と共に、旅行者として三国を周ります。そこで・・・』

 

ディアンが手を挙げ、ソフィアの話を止めた。顔が真顔になっている。

 

『ソフィア、言っておくがオレはこれ以上、龍國や他国に介入するつもりはない。お前は龍國の人間ではない。ターペ=エトフの人間だ。龍國から正式な依頼をされたのなら別だが、こちらから手を出すなど、余計なお世話というものだ』

 

言葉は落ち着いているが、ディアンの眼には明確な決意があった。もしこの条件を呑まないのであれば、ソフィアは置いていくつもりであった。ソフィアは少し驚いて、そして笑顔で頷いた。少なくとも表面上は納得したようである。王進は咳払いをして、言葉をつないだ。

 

『あー、なんじゃ・・・儂の首など元から狙われておるようなものだから、それは別に気にしておらん。むしろ気になるのは、お主のこれからだ。ソフィア殿を連れて、どうするつもりだ?』

 

『オレの目的は「東方の見聞」だ。当然、残りの三カ国を周るさ。大王もそれを見越して、わざわざ記録を残さずにいてくれたのだからな。オレはあくまでも「東方からの使者」に過ぎん。たまたま、戦に巻き込まれたというだけだ。これから行く三国では、そのように説明をするつもりだ。無論、龍國との義理は守る。龍國の内情は、一切話すつもりはない』

 

『大王は、お主に残って欲しいと思っておるじゃろうが・・・』

 

それは内々で言われていた。西榮國が滅亡した以上、龍香蘭を取り戻したという形を取っても問題はない。そして、王進とディアンが香蘭の後ろ盾となり、数年後に香蘭を大王とする。龍儀からは「香蘭の夫」として残って欲しいとの話を受けたが、ディアンは丁重に断った。信義を欠くということもあるが、ディアンが「仕えるに足る王」として認めているのはインドリトだけだからである。ディアンの代わりに、エディカーヌが応えた。

 

『私は、ディアン殿と共に、諸国を旅します。そしてターペ=エトフに行きます。さらには西方諸国にも・・・想像するだけで、胸が高まりますわ』

 

ディアンは肩を竦め、王進は溜息をついて盛大に酒を呷った。

 

 

 

 

 

数日後、ディアンたちは王宮を訪ねた。龍國を去り、「雁州國」「慶東國」「秦南國」を周る旅に出る。その挨拶のためであった。ソフィアは一昨日から後宮に泊まっている。姉妹への挨拶と出発の準備のためだ。謁見の間で大王と接見する。ディアンは片膝をついて、挨拶をした。

 

『この数ヶ月間、龍國には大変お世話になりました。また、ターペ=エトフとの友好をお認め頂きましたこと、感謝に耐えません』

 

『東方見聞の役、ご苦労でした。ターペ=エトフの王にも、宜しく伝えて下さい。両国の末永い友好と繁栄を願っていると・・・それと』

 

大王は近侍に指示をした。ソフィアが進み出てくる。ディアンたちと同じく、西方式の旅衣姿である。龍儀は愛娘の姿を見て、目頭を押さえ、それから笑みを浮かべた。

 

『ソフィア・エディカーヌをあなたにお付けします。この者は西方に強い興味を持っています。いささかお転婆ではありますが、確かな判断力を持つ才女です。あなたの旅の端に加えてください』

 

『有り難き幸せ、ソフィア・エディカーヌ殿は、私が責任を持って、お預かり致します。どうかご安心を・・・』

 

父親に対する配慮の一言である。龍儀は頷き、更にディアンたちへの餞別まで用意をしていた。金銀宝石類が入った袋が渡される。ディアンは固辞しようとしたが、大王が笑って止めた。

 

『これは、ソフィア・エディカーヌのための資金です。宿代や食費などが掛かるでしょうから・・・』

 

父親の気を晴らすためである。ディアンは恐縮して受け取った。ディアンの後ろで膝をつく愛娘に、大王は語りかけた。

 

『ソフィアよ、そなたが望んだ人生だ。辛いこともあるだろうが、悔いなく生きるように・・・ディアン殿、頼みましたぞ』

 

ソフィアは頭を下げながら、少しだけ肩を震わせた。父も同じように、目頭の熱さに耐えていた・・・

 

 

 

 

 

『王進、お前にも本当に世話になった。感謝する』

 

龍陽の外門まで見送りに来た王進に、ディアンは頭を下げた。王進は笑って手を振った。

 

『世話になったのは儂らの方じゃ。お主がいなければ、趙平の勝利も無かったじゃろう』

 

王進は顔を近づけて、小さな声で言った。

 

『姫を頼むぞ。それと・・・』

 

『解っている。三国の様子は、手紙で知らせるようにしよう。もっとも、気に入らない国だったら、オレが滅亡させてしまうかも知れん。何しろオレは魔神だからな』

 

ディアンと王進は互いに笑いあった。レイナが牽いてきた馬に乗る。王進に手を差し伸べ、握手をする。西方式の挨拶だが、その程度の知識は王進にもあった。

 

『さらばだ。達者でな』

 

『道中、気をつけて行け。お前のことは忘れん』

 

別れの挨拶の後、ディアンたちは隣国「雁州國」へと向かった。

 

 

 

 

 

『ソフィア、お前に言っておくことがある』

 

『何でしょう?』

 

龍陽が見えなくなった辺りで、ディアンはソフィアに語りかけた。

 

『これから旅を一緒にする上での取り決めだ。オレのことは、ディアンと呼べ。レイナやティナについても同様に呼び捨てで構わん。オレたちも、お前をソフィアと呼ぶ。龍國の姫という立場、認識はいますぐに捨てろ』

 

『あら、元から捨てていますわ。ですが、この口調だけは変えられません。ディアン、レイナ、ティナ、それで宜しいですね?』

 

『私は別に構わんが・・・それにしても、育ちの違いというのか、どうもお嬢様のように感じてしまうな』

 

『仕方がないでしょう。ソフィア、宜しくね』

 

『あー、それとあと一つ、レイナとティナは時折、オレと一緒に寝る。お前は別に一緒じゃなくても良いから、気にするな』

 

『えっ?一緒に・・・えぇっ?』

 

『二人は「使徒」だからな』

 

事も無げに言うディアンに対し、ソフィアは呆然とし、それから真っ赤になった・・・

 

 

 

 




【次話予告】

ディアンたちは東方諸国を周る。「雁州國」「慶東國」「秦南國」を巡り、南東にあるという「大禁忌地帯」を目指す。旅をする中で、ソフィア・エディカーヌの「心の孤独」にディアンたちも気づき始める。そしてある日、ソフィアはディアンの「秘密」について、質問をするのであった。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第三十六話「賢と愚」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第三十六話:賢と愚

理想国家ターペ=エトフの特徴として「民衆の多様性」が挙げられる。元々、西家レース地方に住んでいたドワーフ族、獣人族、龍人族、ヴァリ=エルフ族、イルビット族、悪魔族、人間族は無論だが、それ以外にも睡魔族、ルーン=エルフ族、竜族などが暮らしていた。「プレメルで見かけないのは現神と天使だけ」という冗談まで存在するほどである。人間族においても、光神殿と闇神殿の両方の信者が存在しており、いわゆる「闇夜の眷属」が普通に生活をしていた。また、明らかに東方諸国出身と思われる人間族たちも暮らしており、人種的にも信仰的にも極めて多様であったと言われている。

 

このためターペ=エトフでは、多種多様な文化が入り混じっていた。その象徴が「食文化」である。西ケレース地方は温暖湿潤な気候であったが、南部と北部では降水量などが異なるため、多様な植生をしていた。そのため農業も多様化しており、北部においては麦類、南部においては米類が耕作されていた。無論、規模の違いは存在していた。民衆の大多数が「麺麭(パン)」に慣れ親しんでいたため、米耕作はそれほど盛んであったわけではない。それでも、アヴァタール地方の各国と比較しても、ターペ=エトフの食文化は際立っていた。メルキア王国の旅行者「オルゲン・シュナイダー」の旅行記には

 

・・・ターペ=エトフでの滞在は驚きの連続であったが、特に驚かされたのは「食の多様性」である。ターペ=エトフの住人たちは様々な調味料を使い分け、多種多様な料理を日常的に食べている。米と呼ばれる穀物を炊き、それをオリーブ油とバターで炒め、肉と野菜、数種類の香辛料を煮込んだスープを掛けた「カレー」と呼ばれる辛い食べ物は、私にとって衝撃的な味であった。プレメルの街には何件かの「飲食専門店」があるが、その中で最も人気がある「魔神亭」では、信じ難いことに「生魚」を出している。オウスト内海でその日のうちに上がった新鮮な魚を捌き、醤油と呼ばれる東方の調味料をつけて食べ、米から造られた酒を飲む。どのような方法かは解らないが、魚や酒は「氷」によって冷やされており、その体験は過去のどんな美食よりも感動的であった。ターペ=エトフから見れば、メルキアの料理など「肉、ジャガイモ、パン」だけに見えてしまうだろう・・・

 

ターペ=エトフ歴百五十年頃に書かれた旅行記「西ケレース探訪記」は、メルキア王国内で好評を博し、ターペ=エトフ旅行の希望者が続出したといわれている。しかし、その大半は希望が叶わなかった。オルゲンはラギール商会に個人的な伝手があったために、特例としてターペ=エトフ旅行を実現できたに過ぎなかったためである。ターペ=エトフを訪ねるためには、ラギール商会を頼って華鏡の畔を抜けるか、アヴァタール地方を抜けて、セアール地方から入るしか方法がないため、「理想国家」と言われながらも、ターペ=エトフへの移民者はごく少数であったと言われている。

 

 

 

 

 

龍國を後にしたディアンたちは、北部の「雁州國」を目指した。ディアンの希望により、その途中で「白竜族」の縄張りに向かう。大王龍儀の親書を携えているため、追い返されることは無いはずである。ディアンは、黒竜族の行方について、訪ねるつもりであった。

 

『そうか・・・黒竜族の生き残りが、西方にいるのか』

 

竜族の縄張りに入ったディアンたちは、そこで止まり、龍國からの親書を携えている旨を大声で述べた。程なくして、白竜族の長老の一人「クリム=シエロ」が降りてきた。驚いたことに、クリムはとても竜とは思えなかった。背に白い双翼はあるが、見た目は美しい女性の姿であった。ディアンは疑問に思いながらも、親書を手渡し、継いで「黒竜族」の行方について質問をしたのである。

 

『黒竜族とは種族が異なっていたため、互いの行き来は無かった。だが同じ竜族として、彼らの悲劇には同情と怒りを禁じ得ぬ。竜儀殿は、龍國においてはそのようなことは決して無いと述べているが、あのような所業を見ると、人間族自体への不信感が生まれても致し方なかろう?』

 

ディアンは、黒竜族虐殺の主犯である「李甫」の日記を取り出し、クリムに事情の説明をした。西榮國の混乱が落ち着き次第、民衆に真相を公表することになっている。

 

『この日記にある通り、李甫は「悪」と理解していながら、それを実行した。確信犯なのだ。言い訳のしようも無い。だが、人間族全てがそうだとは思わないで欲しい』

 

『妙なものだな。魔神であるそなたが、人間族の肩を持つか』

 

さすがに叡智の種族の長である。ディアンが魔神であることを一目で見抜いていた。ディアンは肩を竦めた。代わってソフィアが進み出た。

 

『ターペ=エトフでは、生き残った黒竜族が平和に暮らしていると聞いています。確かに人間は、時として愚かしいことを、取り返しのつかないことをしてしまいます。ですが、多くの人間は日々を平和に、幸福に暮らしたいと願っているのです。どうか、人間族全てを「悪」と思わないで下さい』

 

クリムはソフィアを見つめ、頷いた。少なくとも、龍國と白竜族の対立は回避できそうであった。クリムは話題を変えた。

 

『さて、黒竜族の行方だが、残念ながら我らも知らぬのだ。だが、一つ言えることは「地を守って玉砕をする」などという愚かしいことを黒竜族がするはずがない。守り切れないと判断をしたなら、すぐに逃げ飛んだはずだ。聞く限りでは、相当数が殺されたようだが、それでも生き残りが一体のみ、ということはあり得ぬ。恐らくは、更に南西の「タミル地方」に逃げたのではあるまいか?』

 

ディアンは頷いた。東方諸国から帰る道筋として、タミル地方を通り、ニース地方からアヴァタール地方に入る道を考えていた。もし生き残りがいたら、なにか手掛かりが得られるだろう。考え事をしているディアンをクリムは興味深げに見つめた。

 

 

 

 

 

『竜族は、普段は竜の姿をしていますが、あのように人の姿に「変体」することもあるのです』

 

ソフィアが得意気に語った。どうやらディアンに教えることが楽しいらしい。ディアンは笑いながら頷いた。「出会い方が違っていたら、口説いていたかもしれない」などと考えながら、雁州國に入った。龍國と比べると、人々の活気が無い。街の酒場で確認をすると、どうやら北方にある「ヤビル魔族国」と緊張状態にあるらしい。

 

『湖を超えて、更に北に行った山岳地帯がヤビル魔族国です。別に戦争をしているわけではありませんが、人間族と魔族ですからね。お互いに相容れないところが多く、反目しあっています』

 

ターペ=エトフでは、人間族と魔族が酒を飲み、肩を組んで歌い踊る光景が当たり前に見受けられる。「相容れない」というのは無知から来る思い込みに過ぎない。だが、ここでそんなことを話したところで意味は無い。ディアンは頷いて、話題を変えた。雁州國について、知りたかったからである。

 

『雁州國は、北に大きな湖があるためか、寒暖が激しいのです。そのため山羊の牧畜が盛んですね。特に山羊から取れる糸は質が高く、高値で取引されていますよ』

 

酒場を後にしたディアンたちは、衣類を売る店に入った。レイナたちは、衣類には目がない。西方では見られない意匠に、女達が燥ぐ。ディアンは漆黒の外套を手に取った。

 

(これは・・・カシミヤの手触りに近いな。一着、買うか)

 

レイナたちも思い思いの服を手に取る。ディアンはまとめてカネを支払った。

 

 

 

 

 

アヴァタール地方は温暖で平地も多いため、殆どが「木綿」の衣類だが、ターペ=エトフでは、ルプートア山脈に登ることもあるので、羊毛の服が必要であった。クライナの集落では、それを見越して畜羊なども行われている。だがこれから南方に行くにあたって、羊毛の服は暑すぎる。四人の服をまとめ、紙で包んで革袋に入れる。「樟脳」が入った小袋も一緒に入れる。常緑樹「クスノキ」は、防虫効果があるため各地で植林されているが、水蒸気蒸留によって出来る「樟脳」は、ターペ=エトフでしか生産されていない。蒸留器の製造には、高度な鍛冶技術が必要だからだ。王宮に行き、身分証を提示する。ターペ=エトフからの使者であることを伝え、インドリトからの親書を手渡す。数時以内に返事が貰えることになり、その日は宿に入った。

 

『こう見ると、やはり龍國と西榮國は突出していたのだな。二カ国に比べると、兵士の動き方にキレが無い』

 

鯉の姿揚げを頬張りながら、グラティナが語った。手にはフォークを持っている。まだ箸に慣れていないのだ。黃酒を呑みながら、ディアンが頷いた。

 

『東方諸国は、産業や文化には見るべきものが多いが、行政府には見るべき点は無いな。どの国も血統による「王」が存在し、統治をしている。統治者と民衆とを繋ぐ機構が存在していない。民は、統治「されること」に慣れてしまっている』

 

『私は、東方諸国の在り方しか見たことがありません。ターペ=エトフは、国の在り方が違うのでしょう?』

 

ディアンは、ソフィアの質問に答えた。

 

『王と民がいるという点では同じだが、政事の決め方が違う。ターペ=エトフは、国内に住む全ての種族から、種族代表が一名ずつ選ばれ、会議が行われる。元老院と呼ばれるもので、国王と元老院が話し合いをし、全会一致してはじめて決まるのだ』

 

『全ての種族・・・それはつまり、人間族と魔族が同じ席につく、ということかしら?』

 

『元老院は、ドワーフ族、獣人族、龍人族、ヴァリ=エルフ族、イルビット族、人間族、悪魔族の七大種族によって構成されている。各元老は種族代表だが、ターペ=エトフ全体を考えることが求められる。光も闇も関係ない。皆がより幸福になるために、何をすべきかを話し合うのが、元老院だ』

 

『凄い・・・でも、自分の種族の利益を主張したりしないのかしら?それに、信仰が異なっているということで、相手を批判したりしそうだけど・・・』

 

『それを戒めるために、様々な手が打たれている。その最たるものが「教育」だな。ターペ=エトフでは、六歳から十二歳まで、全種族の子どもたちが集められ、同じ教育を受けることが義務付けられている。ただの座学ではなく、共に畑を耕したり、図画工作を行ったりする。六年間で、全ての種族の集落を周り、各元老から神話や信仰についての話を聞く。相互の理解を促進させ、「自分が正しいと思うことが、他者にとっても正しいとは限らない」ことを学ぶのだ』

 

『素敵だわ・・・インドリト王は、とても優れた王なのでしょうね』

 

ソフィアはまだ見ぬターペ=エトフに思いを馳せていた。

 

 

 

 

 

『・・・ソフィアを三人目の使徒にするの?』

 

上気した顔を上げ、レイナは質問をした。十年以上を共に過ごし、数え切れないほどに躰を重ねているが、その魅力は全く衰えない。主人が生きている限り、永遠に生き続けるのが「使徒」である。

 

『そうだな・・・まだなんとも言えないかな。これまでの旅で、ソフィアの性格は理解できた。確かに頭は切れるが、潜在的に「孤独」を抱えている。使徒という関係に「依存心」を持つかもしれない』

 

『そうね・・・あの子は十歳で人質に出された。利発だけど、それをひけらかそうとするのは、自分を護るためなんだわ。「自分に価値がある」と認められたいのよ』

 

『使徒というのは、現神で言えば神格者と同じだからな。魔神の使徒とは謂わば「魔神の信仰者」だ。だがオレは、信仰など求めていない。仲間としての「信頼」を求めたい。お前もティナも、オレを信頼してくれている。だがソフィアは、オレに依存をするかもしれん。他ならぬ「自己防衛のため」にだ。自己のために使徒になるなど、オレは認めん』

 

『もう少し、様子を見てあげましょう?あの子はこれまで、過酷な人生を送ってきたんだもの。肉親の情愛を知らないという点では、私以上だわ。ティナには、私から言っておく。あの子の賢しさに、ティナもイラつくことがあるみたいだから・・・』

 

まるで自分の娘を心配する夫婦のように、二人はソフィアについて語り合った。

 

 

 

 

 

雁州國大王との謁見は、見るべきものは特に無かった。文武官からは龍國の様子についての質問が出たため、当り障りのない範囲で返答する。ディアンたちが趙平の戦いに参加をしていたことも知られていたが、「公式的」には、王進大将軍以下、各将の活躍によって勝利をしたことになっている。

 

『私どもは、たまたま戦に居合わせたに過ぎません。龍國滞在中には、王進将軍に世話になっていました。その義理から、戦に参加をしたのです。結果としては、龍國が勝利をしましたが、ターペ=エトフは東方諸国全体と友好関係を持ちたいと考えています』

 

武官たちは、ディアンたちの放つ「戦士の気配」を敏感に察して警戒をしているが、大王以下文官たちはターペ=エトフの国情や西方諸国の話などに関心を持ったようだ。知られたくない情報を誤魔化すためには、より有益な「別の餌」を与えることである。ディアンは雁州國の繊維産業を褒め称え、ターペ=エトフやレスペレント地方に輸出をすれば高値で売れると話した。

 

『中原では、西も東も国家が形成されつつあります。大陸公路の治安も良くなるでしょう。レスペレント地方から北方諸国には、貴国ほどの良質な羊毛はありません。輸出をすれば相当な利益になると思います』

 

 

 

 

 

『こう言っては失礼かもしれませんが、大王と謁見をして私は安心しました。父・・・いえ、龍國大王ほどの器を持っていないと思いますわ』

 

謁見を終えたディアンたちは宿に戻り、部屋で食事をしていた。万一を考え、歪魔の結界を貼っておく。天井裏に誰かが潜んでいても、声を聞かれる心配は無い。ソフィアの話に、ディアンも頷いた。

 

『龍國は長年にわたって、西榮國と戦争状態となっていた。国家というものは、危機に直面すると底力を発揮するものだ。王や文官も、危機を前にすれば背筋が伸びる。特に西榮國であった「黒竜族虐殺」以降は、龍國全体に危機意識が広がっていた』

 

『でも、ターペ=エトフは平和そのもので、危機なんか無いけど、インドリトは立派に、王を務めているわ』

 

『アレは別格だ。インドリトは歴史に名を刻む名君だ。恐らく千年後も語り継がれているだろう。インドリトと比較をするのは可哀想だ』

 

『・・・インドリト・ターペ=エトフという王は、それほどの王なのですか?』

 

ソフィアが目を細めて訪ねてきた。父親をバカにされたような気がしたのだろう。だがそれを無視して、ディアンは頷いた。

 

『ソフィアも会えば解る。我が王は、魔神であるオレが「自ら進んで」膝を屈したほどの王だ。少なくとも現時点では、ディル=リフィーナ史上最高の名君だろう』

 

魔神が真顔で返答し、使徒たちも頷く。目の前の魔神は、その知性も教養も「大宰相級」の人物だとソフィアは評価していた。その魔神をしてそこまで言わせるのである。

 

『会ってみたいですわ。そして語り合いたいです。インドリト・ターペ=エトフと・・・』

 

『王は誰とでも語る。語り合うことを好んでいる。時間が許す限り、語り合えるだろう』

 

ディアンは笑って、杯を干した。

 

 

 

 

 

雁州國を後にしたディアンたちは、「慶東國」「秦南國」を周った。龍國の西榮國併合は、三国全てにおいて話題となっていたが、すぐに三国連合となる気配は無かった。どの国も「様子見」という姿勢を持っている。秦南國大王との謁見を終えたディアンは、首を振って笑った。

 

『ソフィアの言うとおりだな。確かに「人物」がいない。オレが三国いずれかの宰相あるいは将軍を務めていたら、様子見などせず、すぐにでも連合に動いただろう。そして、まだまとまっていない西榮國を攻める。龍國だって、趙平の戦いでそれなりに傷を負ったのだ。回復するには数年の時間が必要なのに、それを見越す人物がいない。龍國にとっては僥倖だな』

 

『一昔前には、秦南國には「樂逵」という大将軍がいたのです。西榮國との戦で連戦連勝をし、秦南國侵略を諦めさせたほどの大将軍だったそうです。ですが、老齢のため十年前に引退をしてしまいました。もし樂逵大将軍が現役であったなら、龍國も危機だったかもしれませんわね』

 

『ちょうど、世代交代の時期ということか。数年後には、人物が出てくるかも知れんな・・・』

 

ディアンの予想は的中した。この数年後、三国の合従軍は龍國に攻め寄せる。だが、ソフィアが見越した「各個撃破」は成立しなかった。秦南國に「伯起」という大将軍が登場し、大将軍王進を苦戦させるのである。王進は合従軍を辛うじて食い止めたが、その後も伯起は国境をたびたび侵し、龍國を苦しめ続ける。龍國が国土を維持できたのは、秦南國の二倍以上の国土を持ち、かつ雁州國がヤビル魔族国と本格的な戦争状態に入ったため、龍國は北方の警戒をせずにすんだからである。龍國と秦南國の戦争は二十年以上に渡ったが、秦南國大王となった次王「政」が暗愚であったため、政治面から秦南國は崩れていき、最終的には伯起も処刑されるのである。

 

 

 

 

 

龍國、西榮國と比べると、他の三国は「国家」として見るべきものは無かったが、「文化」としては見るべきものが多々あった。特に秦南國では、ディアンが焦がれていた「米」があった。ディアンは早速、グプタ部族国で調達をした香辛料を使い、自分が食べたかった料理を作った。

 

『美味いっ!やはりカレーはこうでなければならん!』

 

ディアンは満足気に、自分の作った料理「カレーライス」を口に運んだ。レイナたちも夢中で食べる。ソフィアは初めて食べる異国の料理に戸惑いながらも、その味には魅了されていた。

 

『ディアン、このカレーも、ターペ=エトフで作れないか?「米」を持ち帰れば、作れるのだろう?』

 

『そうだな。稲作はアヴァタール地方以西では殆ど見かけられないが、やろうと思えば出来る。種籾を持ち帰って、ターペ=エトフでやってみるか』

 

『米は、お酒にもなるんでしょう?以前、リタから「米酒」を貰ったことがあるけど、あれも作れるのかしら?』

 

『可能だな。龍國の醸造技術と米があれば、米酒を作れる。ようやく、オレが望んでいた「食生活」が出来るかも知れん』

 

ソフィアは首を傾げた。なぜ、この男はこんなことを知っているのだろう?

 

『ディアン、あなたはこれらの知識をどこで手に入れたのですか?東方域には初めて来たはずなのに、私たちの食文化に精通しているばかりか、それ以上の知識を持っているようです』

 

ディアンの匙が止まった。レイナたちも沈黙する。それはディアンの秘密に関わることであるからだ。ディアンは笑みを浮かべ、首を振った。

 

『悪いが、それは教えられん。オレの出生に関わることだ。それを知っているのは使徒だけだ』

 

『あなたの出生・・・あなたはディジェネール地方というところで生まれたのでしたね。そこでこれらの知識を手に入れたのでしょうか?それとも・・・』

 

レイナがソフィアを止めた。

 

『ソフィア、それ以上は聞かないほうが良いわ。あなたのことは好きだけど、その先は主人と使徒の世界なの。知りたいという気持ちは解らなくは無いけれど、人にはそれぞれ、立ち入ってはいけない領域があるのよ?』

 

『・・・解りました。あなたの使徒になれば、教えてくださるのですね?』

 

レイナが更に言おうとするのをディアンが止めた。目が少し細まる。怒りはないが真剣な表情だ。

 

『ソフィア、言っておくが、お前がどれほど望んでも「見返り」を求める限り、使徒にはなれん。使徒は無条件で、オレのために全人生を捧げる存在だ。使徒にとって、主人であるオレの言うことは絶対だ。オレが死ねと言ったら、躊躇うこと無く死ぬのが使徒だ』

 

ソフィアは息を呑んだ。レイナから使徒については聞いていた。魔神から力を与えられ、人越の力と不老の肉体と得ることができる。なんと素晴らしいことかと思った。だがその代償は「永遠の下僕」になることである。だが、使徒たちの様子を見る限り、ディアンの下僕には見えない。主人に対して様付けなどもしないし、身の回りの世話もしていない。宿では常に「四部屋」を取っている。必ず一人一部屋となるようにしている。食事も公平に同じものを食べている。そのための出費も惜しんでいる様子は無い。これは大変に贅沢なことであり、とても主人と下僕という関係とは思えない。まるで「旅仲間」あるいは「恋人同士」である。ソフィアがそう尋ねると、ディアンは笑った。

 

『それはオレの個人的な拘りだ。主人と下僕という関係をオレ自身が望んでいないだけだ。だが、使徒になるためには「身も心も全てを捧げる」という心底からの想いが無ければならない。そうでなければ使徒にはなれないのだ。レイナもティナも、その想いがあるから使徒になり、そんな二人だからこそ、オレは何よりも大事に思っている。使徒は主のためならば喜んで死ぬ。だがオレも、二人のためなら喜んで死ねる。それがオレたちの関係だ』

 

(羨ましい・・・)

 

ソフィアは羨望の念を禁じ得なかった。自分は生まれてから十歳までは王宮で暮らし、その後は人質生活であった。友人など一人もいない。肉親の情愛すらままならないのが「王族」である。それに引き換え、この三人の結びつきは、血縁関係すらも超えている。まさに「魂の結びつき」であった。そしてその関係が、永遠に続くのである。

 

『私も・・・』

 

思わず口に出かかったのを、ソフィアは止めた。いまの自分では、ディアンも他の使徒たちも認めないだろう。自分の欠点は解っていた。考えたこと、判断したことを口にしてしまう。それは大抵、当たっているのだが、それ以前として「賢しい」という印象を相手に与えてしまう。西榮國にまでついてきてくれた「乳母」の言葉を思い出す。

 

(香蘭様は賢い方です。ですが、「賢いと思われたい」という思いが強すぎます。それでは結局、相手から嫌われてしまいます。失礼を承知で申し上げます。このままでは「頭は良いけど愚かな人」になりかねません)

 

沈黙するソフィアに、グラティナが語りかけた。

 

『まぁ、このまま旅を続ける中で、いろいろと考えることもある。私もレイナも、使徒になるまでに時間を掛けた。心の整理などにな』

 

『レイナは三ヶ月、ティナに至っては半年以上だったな?オレが「使徒にする」と言った時は、やっとか・・・といった表情だった』

 

グラティナが顔を赤くしてディアンの肩を叩き、笑った。その様子を見ながら、ソフィアは改めて「羨ましい」と思った。だが、黙って頷いただけであった・・・

 

 

 




【次話予告】

「秦南國」でディアンたちは奇妙な話を聞いた。秦南國の民衆から崇められている「神」の話である。「仙狐」という名に、興味を持ったディアンは、火山地帯を目指す。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第三十七話「狐炎獣」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第三十七話:狐炎獣

ディル=フィリーナ(二つ回廊の終わり)世界の誕生に伴い、旧世界で生きていた様々な種族たちは、新世界の各地に「飛ばされた」と言われている。これは、旧世界の大陸同士が融合したためであり、島国で生きていた人間族が、気が付いたら大陸の中央部にいた、といった例も存在している。旧世界同士の融合は、そこに生息していた多くの種族たちにとって「災厄」であったことは言うまでもない。

 

しかし同時に、新世界の誕生はイアス=ステリナ世界の「神々」を目覚めさせる契機にもなった。三神戦争で戦った古神たちは無論、各地の「地方神」も覚醒をしたのである。そしてその中には、後代においても独自の生存圏を確立し、生き続けている「地方神」も存在している。その代表例が「ディスナフロディ神権国」を統治する地方神「ディスナ帝」である。

 

ディスナ帝は、イアス=ステリナ世界においては、島国を統治していた地方神である。初代から「神の血統」によって代々の帝が続き、新世界誕生までその血脈は続いた。やがて新世界誕生に伴い、初代帝にして神であった「太陽神(アマテラス)」が覚醒し、当代の帝に乗り移った。当時の民衆たちは混乱の極みであったが、ディスナ帝は民衆たちをまとめあげ、民族的文化の消滅を食い止めたと言われている。

 

新世界誕生において、ディスナ帝は、自分が統治していた民族と離れずに済んだため、統治者として後代まで残っている。しかしそれは幸運な事例であり、多くの場合は、地方神と民衆とが引き離されてしまった。地方神は、その土地に生きる民族的信仰心に極めて依存している。そのため、多くの地方神が民族離脱によって消滅をしたと言われている。

 

 

 

 

秦南國は、行政府こそ見るべきものは無いが、その文化はディアンを魅了していた。転生前のディアンは、米を主食としていた。東方諸国では、北部は麦文化であるが、南部は米文化である。「箸」を握り、「飯椀」に盛られた白米と、醤油を掛けた焼魚という朝食に、ディアンの涙腺は思わず緩みかけた。

 

『美味い!出来ればもう少し、精米をして欲しいが、五分づきでも十分に食えるな』

 

レイナたちは、茹でた卵に塩を掛けて食べている。どうやら毎日の米に飽きてきているようだ。グラティナが横目でディアンを見る。

 

『よく飽きないな。もう五日間も、米しか食べていないではないか』

 

『そうか?確かに米だが、食べ方は色々と違ったはずだぞ?』

 

『最初のカレーは、まぁ良い。しかしその後は、雑炊、炒飯、粥程度で、あとはみんな「ただ炊いただけ」の米ではないか』

 

『何を言っている。米と共に、様々な「副食」があったではないか。オレもお前たちを想って、苦労して料理をしたのだぞ?炒めた野菜、湯がいた肉、揚げた魚…』

 

グラティナは溜め息をついた。ソフィアは笑ってしまった。この数日、ディアンは宿の調理場を借り、自分で料理を作っている。およそ「魔神」とは思えない。ディアンの料理の腕は、確かに一流であった。宮廷料理に慣れているソフィアでさえ、ディアンの作った料理に魅了されていた。グラティナの不満そうな顔に、ディアンは笑って肩を竦めた。

 

『わかった。では今夜は久々に、外に食べに行こう。秦南國の文化をもっと見てみたいし、そろそろこの先の情報を仕入れないといけないからな』

 

そう言って、ディアンは美味そうに米を掻きこんだ。

 

 

 

 

 

『仙狐?つまり、キツネが化けた魔物…ということか?』

 

夕刻、ディアンたちは秦南國の首都「臨淄」の酒食店で食事をしていた。円卓の上には子豚の丸焼き「烤乳猪」や、鮫のヒレを煮込んだ料理「紅焼排翅」などが並ぶ。男一人に女三人という組み合わせで、しかも明らかに西方出身者であるため、ディアンたちはどこに行っても目立った。酒食店も最初は躊躇していたようだが、ディアンが次々と「高級料理」を頼んだため、顔が綻んでいる。ディアンの質問に店主が応えた。

 

『ここから南東に行くと、獣人たちの国「マジャヒト王国」があります。その国境には火山地帯がありましてね。そこにキツネ様が住んでいらっしゃるのです』

 

『それは「九尾狐」と呼ばれるものではないか?』

 

ディアンは前世の知識から、中つ国の妖怪の名を挙げた。店主は首を傾げた。どうやら知らないらしい。

 

『秦南國の民衆の中には、仙狐を神として崇める人もいます。特に、火山地帯近くの村々では仙狐信仰が強く、毎年、酒を奉納しているそうですよ』

 

『面白いな。是非、見てみたいものだ』

 

醤油と水飴などで味付けをした豚三枚肉の塊が出される。塊肉と葱を(パオ)で包み、食べる。女たちも、米以外の料理に満足しているようであった。

 

 

 

 

 

宿に戻ると、ディアンたちはその後の方針について話し合った。ディアンの目的である「大禁忌地帯」に行く為には、海沿いに南東を進むのが最も近いが、獣人国「マジャヒト王国」はまだしも、その先のルーン=エルフ族の大森林は通れるか疑問であった。ターペ=エトフと友好関係のあるトライスメイルでさえ、ディアンたちの立ち入りは許していないのだ。

 

『今日の話にあった「仙狐」にはぜひ会ってみたい。そのためにも、南東のマジャヒト王国を目指そう。だが、その先は陸路で行くか、内海を船で渡るかは考えなければならんな。出来れば両方とも見てみたいが…』

 

『一度、ルーン=エルフ族の杜に行ってみたらどうかしら?エルフたちと交渉して、通過が許されないのであれば、船で行けば良いと思うわ。たとえ通過出来なくても、交渉を通じて何か情報が得られるかもしれないし』

 

『そうだな。だがその前に、私はマジャヒト王国が気になる。獣人が建てた国なのだろう?私の知る獣人たちは、皆が素直で心優しく、純朴な者たちだった。だが、国を興すというようなことにはあまり関心が無いように見ていたのだが…』

 

グラティナの意見には、ディアンも同意した。獣人たちは集落を作り、狩猟と農耕で大らかに生活をするのが一般的だ。国家を創るとなると、そこに「階級」と「政治」が生まれる。ディアンから見ても、獣人と政治は、もっとも離れた存在であった。ターペ=エトフの獣人族代表でさえ、細かな政治話は苦手としているのだ。

 

『誰かが、獣人たちに知恵をつけた、ということではないでしょうか?例えば「大魔術師」とか』

 

ソフィアが仮説を提示した。この途は、およそ七十年前にブレアード・カッサレが通った途である。ブレアードであれば、獣人たちを動かし、国を興すことも可能だろう。だがディアンはその可能性を否定した。

 

『ブレアードであれば、何らかの影響を与えることも出来ただろうな。だが当時のブレアード・カッサレは、先史文明期の知識を得ることに情熱を傾けていたはずだ。相当な情熱が無ければ、国家形成は出来ない。いかに大魔術師とは言え、二つを同時に成し遂げることは不可能だ』

 

『ここで考えても仕方が無いわよ。行ってみましょう?行けばきっと、答えを得られるわ』

 

レイナの「まとめる一言」に、全員が笑って頷いた。

 

 

 

 

 

…東方列強諸国は、数百年間にわたって国家統合と分裂を繰り返し、戦国の時代が続いていた。だがその中で、民衆たちは逞しく生き延び、様々な思想や文化が花開いた。人間族が多いため、統治機構は人間族を対象として設計されてはいるが、機構そのものは西方諸国で見受けられる王政と、大して変わりは無い。だが、西方とは大きく異なる部分として「登用制度」が挙げられる。西方では、宰相の地位はその息子が継ぐことが多いが、東方諸国では役人の息子が役人になるとは限らない。親の能力を子が受け継いでいるとは限ら無いからだ。そのため、実際の「働き」を評価し、論功行賞を持って昇進昇格が決定される。無論、人間である以上は多少の贔屓眼、縁故関係などもあるが、東方諸国は原則として「無名であっても、有能な人材」が登用されるのである。これは、戦国の時代が長く続いたためだと思われる。戦争という現実では、「著名な親を持つ無能な人間」よりも「出身は奴隷だが有能な人間」の方が、勝利を収めるからである。登用制度には改善の余地があるものの、この「唯才」の基本精神は、西方諸国も参考にすべきと思われる…

 

羽筆を置き、ディアンは伸びをした。東方見聞録は、下書きなどがかなり溜まってきている。東方諸国を離れる前に、ある程度の整理をしておく必要がある。ディアンは、単純な「紀行文」にするつもりは無かった。「カッサレの魔道書」は、様々な絵が描かれている。「文字と絵」という組み合わせの力をブレアードは知っていた。文字だけならば、読み手の想像力に任せるしかない。だが絵を描くことで、その想像の幅を限定させ、書き手の伝えたいことをより明確に伝えることが出来る。ディアンも尊敬する先人に習い、要所要所で絵を入れていた。ターペ=エトフに戻ったら、イルビット族の芸術家に協力を要請するつもりである。文学としても芸術作品としても、後世に残る作品にしたかった。

 

『ディアン、入るぞ』

 

グラティナが入ってきた。寝台に並んで腰を掛け、しばらく言葉を交わし、共に倒れる。互いに愉悦を求め合い、徐々に声が大きくなる。レイナとはまた違う味に、ディアンは満足して果てた。

 

 

 

 

 

ソフィア・エディカーヌは、馬に揺られながら目の前の男の背中を眺めていた。旅を共にするようになってしばらく経つが、未だに掴みかねていた。野獣の群れに襲われた時は、男は殺傷を禁じ、追い返しただけであった。その一方で、野盗に囲まれた時は、皆殺しを命じた。しかもあろうことか、その野盗たちと言葉を交わし「自分たちのやっていることを悪と感じないか?」などと質問をした上でである。その時の様子を思い出すと、吐き気がこみ上げる。男も使徒二人も、眉一つ動かさずに平然と殺戮をした。目の前に落ちてきた首を思い出す。恐怖で貌を歪め、舌を飛び出させた首を見て、自分は嘔吐した。しかしその翌日には、熱を出していた旅芸の子供を介抱し、エルフ族の貴重な薬を惜しげも無く渡している。「善悪」「優厳」などの判断基準が、まるで見えないのである。

 

さらに「夜」においても疑問であった。自分から見ても嫉妬を覚える程に美しい使徒二人を侍らせ、夜な夜な、相手をさせている。どう見ても「女好き」と言えるだろう。その一方で、自分も含め、それ以外の女性には一切触れようとはしない。魔神であれば、人間族のみならず睡魔族や飛天魔族など、あらゆる女性たちを星の数ほどに侍らせ、快楽の園を造ることも可能であるはずなのに、まるで関心が無いようである。そういう意味では、「女好き」と一括りにも出来ないだろう。時には二人同時に抱くこともあるようで、その品性にはソフィアも疑問を感じざるを得ないが、昼間などに普通に話をしている限り、男の知性も品性も道徳心も、尊敬に値する程なのであった。昼と夜との顔がまるで違うのである。

 

(大人物なのは間違いないのでしょう。旅はまだ長い。焦ることはありません…)

 

考え事をしていると、ディアンが声を掛けてきた。ソフィアは思索の海から抜け出した。

 

『ソフィア、お前に関心があれば、レイナから「練気」について習ってみないか?』

 

『レンキ?それは何です?』

 

『非常に簡単に言えば、魔神の気配に耐えられるようになるための訓練だな。もう少し正確に言うと、心を鍛えることで物事に動じなくなることだ。どんな王や武将を相手にしても、冷静でいられるようになる。正直、いまのお前では不安なのだ。ターペ=エトフに連れて行ったとして、はたしてインドリト王の前で冷静でいられるかがな…』

 

『インドリト王の気配は、それほどに強いのですか?』

 

『いや、強いというわけでは無い。魔神の様な威圧する圧倒感は無い。ただインドリト王を前にすると、多くの民衆たちは「包み込まれるような感覚」を持つ。インドリト王は「この王の前でなら、安心してさらけ出してしまっても良い」という安堵感を与える。考えようによっては、魔神よりもタチが悪い。抵抗心そのものを無くしてしまうからだ』

 

ソフィアは唾を飲み込んだ。ディアンの言った内容は、東方諸国の概念「徳」と同じであった。王は徳を備えなければならない。徳を備えることで、他者からの信頼と協力を得ることが出来る。その極みに達すると「黙っているだけで人がついてくる」という存在になるが、それを実現した王をソフィアは知らない。

 

『まぁ、これから旅をする上で、心の強さは必要になるだろう。大して難しい修行ではない。ただ木刀を持って、レイナと向かい合うだけだ。それで半刻立てていたら、魔神の気配に耐えられるだろう』

 

ソフィアは頷いた。レイナとは真剣を持って相対したことがある。立っただけで気を失ってしまった。あれ以来、ソフィアの中では忸怩たる思いがあったのだ。

 

 

 

 

 

マジャヒト王国との国境から少し南に下ると、火山地帯がある。そこに、悠久の時を生き神へと転じた魔獣「仙狐」が存在する。ディアンたちは火山地帯まで半日ほどの距離にある集落に入った。マジャヒト王国と秦南國は、同盟関係では無いものの、特に敵対をしているわけでは無い。そのため集落は平和そのもので、火山地帯からの温泉もあり、ある種の桃源郷であった。

 

『最初に西ケレース地方を訪れた時を思い出すな。ドワーフ族たちの集落も、こんな感じだった』

 

『久々の温泉ね。南方の珍しい果物もあるでしょうし、楽しい滞在になりそうね』

 

集落では一軒だけ宿があった。四部屋しかない小さな宿であるが、幸いなことにディアンたち以外の旅行者はいなかったようである。ディアンは全部屋を借り切った。一人一部屋という贅沢に、宿主は目を丸くしたが、手付として拳大ほどの銀塊を渡すと顔を綻ばせ、何泊しても構わないと言ってくれた。ディアンが仙狐について質問をすると、店主は火山地帯の場所を示してくれた。

 

『ここから半日ほど行きますと、仙狐様をはじめとする「狐炎獣(サエラブ)」の縄張りとなります。仙狐様を信仰する者たちが、この集落を訪れたりするので、宿の経営も成り立っているというわけです。あぁ、貸し切りにしても大丈夫ですよ。先日、祭りが終わったばかりで暇な状態ですから』

 

『出来れば、仙狐と会って、話をしてみたいのだが…』

 

そう言うと、店主は真っ青になって手を横に振った。

 

『だ、旦那!それは止めたほうが良いですよ。確かに、私たちは仙狐様に酒を奉納しています。ですがそれは、縄張りの境界にある祭壇に運んでいるというだけで、縄張りに入ってはいません。仙狐様は、酒を好まれ、奉納の見返りとして、この辺り一帯の魔獣や盗賊たちを追い払って下さっているのです。もし怒らせでもしたら、それこそ大変なことに…』

 

『ふむ。酒を好むか…』

 

『仙狐様は、多くの狐炎獣を率いています。私は子供の頃、一度だけ狐炎獣を見たことがあるのですよ。大きな体格で目も鋭く、一見すると猛獣に見えますが、人を超えるほどに賢く、またとても優しいのです。火山地帯は、子供の立ち入りは禁じられているのですが、禁止されると逆に入りたくなるのが子供というもの。祭壇近くまで忍び込んで遊んでいた子供が怪我をし、狐炎獣に救われたって話までありますからね』

 

ディアンは腕を組んで考えた。この集落の文化であり信仰の対象である。尊重をしなければならないだろう。だが、仙狐に会ってみたいという思いもある。ディアンはふと、あることを思いついた。

 

『奉納するものは、いつも酒なのか?食べ物は奉納していないのか?』

 

『食べ物ですか?いえ、私が子供の頃から、奉納物は酒と決まっていますね』

 

『そうか… ところで、この村に「豆腐」はあるか?』

 

急な質問に宿主は首を傾げながら、首を縦に振った。

 

 

 

 

 

『本当に、こんなモノで仙狐に会えるのか?』

 

レイナもグラティナも半信半疑であった。集落に着いてから二日間、ディアンは料理に没頭していた。酒に替わる奉納品を作っていたのだ。祭りでは近隣からも人が来るため、祭壇までの出入りは認められている。ディアンは念のため、集落の長に祭壇見学の許可を得て、奉納品の酒と共に、ある食べ物を作ったのである。

 

『酒というのは、おそらく仙狐の好物なのだろう。だがオレの知る限り、キツネと言えば酒ではなく食い物なのだ。我を忘れる程の好物がある』

 

『確かに、美味しかったけど、アレが好物なの?』

 

『まぁ、試してみよう』

 

半日ほど、火山帯を歩く。流石に気温が高くなっている。ディアンは湿らせた布で奉納品を包み、水系魔術を掛けて温度が上がら無いようにしていた。やがて、一本道の先に石造りの祭壇が見えてくる。木の柱で左右を囲まれ、瓦の屋根がついている。両側には岩山があり、ここから先への立ち入りを禁じている様子であった。

 

『さて、まずは仙狐を呼び出す必要があるな…』

 

ディアンはそういうと、人間の貌を外そうとした。魔神の気配が漂えば、仙狐が出現すると考えたからである。だがその前に、周囲を取り囲むように炎が立ち上った。

 

『…その必要は無いぞえ』

 

炎の中から大型の狐を複数従え、着物を着た女が姿を現した。手には煙管を持ち、頭にはキツネを思わせる耳を生やしている。圧巻なのは「尾」であった。見事な九尾である。

 

『人間二匹にヴァリ=エルフ一匹、そして…』

 

妖艶な仙狐はディアンを見て目を細めた。

 

『妙な者よのう…肉体は魔神なのに、なぜか魔神らしからぬ行動をしておる。お主、人間か?それとも魔神か?』

 

『ヒトであり魔神です。申し遅れました。私はこの地より遥か西方の国、ターペ=エトフにて王太師を務めている者、ディアン・ケヒトと申します。この三人は私たちの旅の伴であり、うち二人は、私の使徒です』

 

三人がそれぞれに挨拶をした。仙狐は頷くと、質問を続けた。

 

『して、その魔神が何用でこの地を訪れたのじゃ?(ヌシ)らは確かに、我らの地を侵してはおらぬ。じゃが、魔神が来たとなれば、警戒をするは当然であろう?まして、主は先ほど、我を呼び出そうと考えていたようじゃ。言え。主の目的は何じゃ?我と()うて何をするつもりであったのじゃ?』

 

『言葉を交わしたかったのです。私は、ターペ=エトフの国王より、東方見聞の役目を与えられています。私たちの住む土地では、仙狐殿および狐炎獣殿は住んでいません。まずは会って言葉を交わしたかったのです。それともう一つ、私が作った奉納品があります。それを捧げたかったのです』

 

すると仙狐はクツクツと笑った。

 

『何とも変わった魔神よのう。言葉を交わしたかったと… 確かに、主からはまるで闘気を感じぬ。良かろう。その言葉は信じよう。して、その奉納品とやらは何じゃ?何やら先ほどから、狐炎獣たちが関心を持っておるようじゃが…』

 

ディアンは祭壇登り、革袋から酒と共に、自分が作った食物を置いた。仙狐は思わず、声色を変えた。

 

『ぬ、主は何者じゃ!なぜ、これを知っておる!』

 

ディアンが自作をした料理「いなり」を前に、仙狐も狐炎獣も色めき立った。

 

 

 

 




【次話予告】

狐炎獣の縄張りの奥にある社殿にディアンたちは招かれた。仙狐との話の中で、狐炎獣を超えた「神」の存在を知る。ディアンは、「現神の呪い」を解く方法を知る為に、狐炎獣の神「空天狐」との対話を求める。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第三十八話「空天狐」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第三十八話:空天狐

TITLE:仙狐への弟子入り志願者に対して

 

私がユイドラの領主となれたのは、多くの種族たちの支援によるものということは、周知の事実である。彼らとの友情は未だに篤いものであるが、中には困った注文をしてくる者もいる。ユイドラの街でも著名な「仙狐 狐伯蓮」である。「彼女」(叱られることを覚悟で、敢えてこう書く)との出会いは、ロセアン山脈を探索中に、知らぬうちに「狐炎獣」の縄張りに入ってしまったことから始まる。その際、彼女からは「詫び」として、上等な酒と「狐炎獣についての正しい知識」を広めることを要求された。振り返れば、この要求こそが、私のその後の歩みを決める契機になったのではないかと思うのである。

 

彼女はまるで、私を導くかのように、様々な要求を突きつけてきた。その要求は一見すると無茶な様にも見えるが、決して届かないものではなく。努力をすることで達成可能なものばかりであった。そして知らぬうちに、努力の「方向」が決められ、私は他種族に関心を持つようになり、結果として様々な種族たちと交流し、彼らの助力を得ることが出来たのである。狐伯蓮の要求「狐炎獣についての正しい知識を広めること」を達成するために、私の工房には「狐炎獣 永恒」が滞在し、彼をつぶさに観察することによって、狐炎獣を知ることが出来たのである。

 

狐炎獣についての正確な知識は、ユイドラでも普及をしているが、先日、狐伯蓮から要求が来たため、本稿を執筆している。彼女が言うには、狐炎獣を神聖視するあまり、あろうことか「弟子入り」を志願する人間族が出ているそうで、「迷惑だから止めろ」と言ってきた。狐伯蓮に弟子入りを志願するなど、尊敬に値する程に勇敢な行為であるが、無知によって人生を誤る者が出ないように、仙狐および狐炎獣の「文化」について伝えたいと思う。

 

狐炎獣は、元々は「旧世界イアス=ステリナ」において信仰されていた「地方神」の眷属である。旧世界では「御狐様」と呼ばれ、米から作られた酒と共に、「いなり」という食物が捧げられていた。この「いなり」は、狐炎獣の好物であり、喩えて云うなら「ネコの木天蓼」のようなものである。新世界誕生に伴い、信仰していた民族と離れ離れになってしまい、狐炎獣は遥か東方諸国にて、ひっそりと生きていたそうである。東方諸国においては、酒こそは奉納されていたものの、「いなり」は存在せず、新世界誕生から二千年以上に渡って、好物を食べられず、半ば諦めていたそうである。

 

変化は、西方から来た見知らぬ旅人が「いなり」を作って捧げたことから始まる。狐伯蓮はその旅人の正体を隠しているが、恐らくは「ディスナフロディ神権国」の出身者であろう。「いなり」は現在でこそ、このユイドラでも作られ、狐炎獣の胃袋を満たしているが、その製法はディスナフロディ神権国からもたらされたものであり、彼の国の狐炎獣への対応を見る限り、狐炎獣を「御狐様」と呼んでいた民族は、ディスナフロディ神権国の民であると思われる。

 

その旅人は、東方諸国にて僅かに残っていた「狐炎獣信仰のある集落」に「いなり」の製法を伝えた。それにより狐炎獣たちは活力を取り戻し、「仙狐への途」を歩み始めたのである。仙狐への途とは、狐炎獣の生き方そのものである。狐炎獣は、悠久の時を生き、己が魂の研鑚を続ける。それにより一本ずつ尾を増やし、やがて九尾となった時に「仙狐」へと転じるのである。つまり仙狐になるためには、まず「狐炎獣」でなければならず、更には気の遠くなるほどの長きにわたって、研鑚の日々を積み重ねる必要があるのである。

 

狐伯蓮は、一見すると魅力的であり、気さくさもある好人物ではあるが、彼女は仙狐であり、その存在は「神」にも等しい。ディスナ帝やミサンシェルの天使エリザスレインすらも一目置く存在なのである。間違っても気軽に「弟子入り」など志願してはならない。「巨人族の鉱床」で、一眼剛鬼と一騎打ちをさせられる破目になるだろう。彼女が笑っている今のうちに、領主として手を打つべきと考え、この布告を発行するものである。

 

Wilfred Deion

 

 

 

 

 

『今日は忘れ難い日になろうぞ。よもや「いなり」を食べることが出来ようとは・・・』

 

狐炎獣の縄張りの奥にある「社殿」にて、仙狐「狐伯蓮」は目を細めながら、いなりを頬張り、酒を呷った。狐炎獣たちも尾を振りながら、ハフハフといなりを食べている。それなりの量を用意したつもりであったが、殆ど一瞬で消えてしまった。

 

『喜んでもらえて何よりだ。製法は、集落にも伝えてある。これからは、酒と共にいなりを捧げるよう、伝えておこう』

 

『主らだけでは信用されまい。狐炎獣を一人つけようぞ。それで信用もされようて・・・』

 

ディアンは社殿を眺め、そして座っている床を撫でた。畳である。イグサの懐かしい薫りがした。狐伯蓮がいなければ、ここで寝そべっていただろう。その様子を見ながら、狐伯蓮が質問をしてきた。

 

『不思議な男よのう・・・ いなりを知るばかりか、畳まで知っておるようじゃ。我の知る限り、ディル=リフィーナ世界において、畳はここにしか無いはず。主はどこで、これらの知識を手に入れたのじゃ?』

 

ディアンは首を横に振った。ソフィアの前で応えるわけにはいかない。

 

『その質問には応えられん。勘弁して欲しい』

 

狐伯蓮は暫くディアンを見つめたが、納得したように頷いた。

 

『これ以上を聞くは、野暮というものじゃの。主は、狐炎獣たちに活力を戻した恩人じゃ。困らせるわけにはいくまい。久々のいなり、我も堪能したわ。さて、礼をせねばならぬの?何ぞ、望みはあるか?』

 

『出来ればもう少し、あなた方について教えて欲しい。仙狐や狐炎獣は、オレの住んでいるケレース地方では見かけないのだ』

 

『ふむ・・・良かろう。教えてやろうぞ』

 

狐伯蓮は狐炎獣の生き方である「仙狐への途」について、説明をした。三神戦争から二千年以上に渡って、狐炎獣たちはこの地で生き続け、仙狐を目指しているそうである。

 

『じゃが、仙狐にはさらにその先がある。種族としての枠を超え、神へと転じる途がある』

 

『・・・神・・・だと?』

 

『そうじゃ。空天狐と呼ばれる神になるのじゃ。肉体を離れ、己が精神と世界を融合させる。古今東西を知り、天変地異すら起こす力を持つ・・・正に、神であろう?』

 

『古今東西を知る・・・その空天狐と、話をすることは出来ないか?聞きたいことがある』

 

狐伯蓮は眼を細めた。空天狐は、狐炎獣の究極的姿であり、いわば彼らの「神」である。一見の者が、その神に会わせろなどとは、失礼な要望であった。

 

『何を聞きたいのじゃ?それ次第では、考えてやっても良いぞえ』

 

『オレの師は、西方で破壊神と戦い、呪いを受けた。解呪法を研究し続けているが、未だに見つからない。神ならば、その方法を知っているのではないか?』

 

『呪いを解く方法か・・・ 良かろう。ただし、代償を払って貰うぞ?主の肉体を少し借りることになる』

 

ディアンは首を傾げたが、狐伯蓮が笑みを浮かべて立ち上がると、その後に続いた。レイナたちが付き従おうとしたが、狐伯蓮が止めた。

 

『連れていくのはディアン独りじゃ。その方らは、ここで待っておれ』

 

ディアンは振り返り、レイナたちに向けて頷いた。

 

 

 

 

 

板張りの廊下を奥に進む。社殿の最奥には、大きな扉があった。狐伯蓮がその扉の前に立つ。

 

『この先に、空天狐がいる。さぁ、主の手で扉を開けるが良い』

 

ディアンは左右の番いを握った。意を決して、扉を開く。眩い光と強い気配を感じた。覚えているのはそこまでであった・・・

 

 

 

 

 

『・・・うっ・・・』

 

眼を開けると、天井が見えた。状況を理解するのに数瞬が必要であった。ディアンは、ゆっくりと起き上がった。使徒たちが心配そうに自分を見つめている。視線の先に、狐伯蓮が煙管を蒸かしていた。ディアンは目を細めて、狐伯蓮に尋ねた。返答次第では、魔神化してこの場を破壊するつもりであった。

 

『・・・オレに一体、何をした?』

 

『言ったであろう。肉体を借りると・・・ 空天狐は精神のみの存在じゃ。それ故、話すためには誰かの肉体を借りねばならぬ・・・』

 

ディアンは自分の身体を確認した。膂力、魔力、判断力、記憶などを確認する。特に抜け落ちたモノは無い。

 

『出来れば、先に説明をして欲しかったな。心の準備というものがあるだろう』

 

『済まぬな。主は魔神、並みの精神力ではない。下手をしたら、空天狐を弾き返してしまうかもしれん。無警戒の状態であったからこそ、入り込めたのじゃ』

 

文句を言おうとする使徒たちを止め、ディアンは溜め息をついた。

 

『それで、空天狐は何と言っていたのだ?』

 

『主への伝言じゃ。呪いを受けた時点であれば、他の手段もあったであろうが、今となっては方法は限られる。「魂魄を分けよ」・・・そう言っておった』

 

ディアンが眉を動かした。つまり肉体から魂だけを抜き取れ、ということである。確かに、その方法は考えてはいなかった。だが、それでは「解呪」とは呼べない。ディアンは肩を竦めた。

 

『助言は有り難いが、それは解呪では無いな。オレはオレなりに、ギリギリまで研究を続けるよ』

 

『そう言うと思っておったわ。たとえ方法が見つからずとも、その努力は無意味ではないぞえ?主の信じる途を進むが良い・・・』

 

『世話になったな』

 

ディアンは立ち上がった。狐伯蓮は笑って、ディアンは見送った。出ていく背中に向けて、最後の言葉を掛ける。

 

『主のお蔭で、ようやく我らが民の居場所を知ることが出来た。礼を言うのは我らの方ぞ。いずれまた会わん。神に挑みし「黄昏の魔神」よ・・・』

 

ディアンは立ち止まった。だが振り返ることなく、一度だけ首肯し、そのまま社殿を後にした。狐伯蓮は目を細めながら、その後ろ姿を見送った・・・

 

 

 

 

 

一体の狐炎獣を連れて、ディアンたちは集落に戻った。狐伯蓮と会ったことを話し、いなりを捧げるように伝える。集落は大騒ぎとなり、急いでいなりが作られ始めた。ディアンは狐炎獣に膝をついて話しかけた。

 

『やれやれ・・・お前の主人はとんだ食わせ者だな。知っているか?ああいうのを「女狐」って言うんだぞ?いずれまた会わんなどと言っていたが、出来れば会いたくないな』

 

ディアンの言葉が解ったのか、狐炎獣はフンと息を吹いた。ディアンは笑った。

 

『なんだ?お前、言葉が解るのか?お前の名前は、何て言うんだ?』

 

(我が名は「永恒」・・・いなりの馳走、感謝する)

 

頭に言葉が響いた。ディアンは驚き、そして笑った。

 

 

 

 

 

黄酒を飲みながら、狐伯蓮は空天狐との話を思い出していた。このまま静かに消えていくだけと諦めていたが、魔神の出現によって希望が生まれたのである。いなりが捧げられたら、酒宴を開こうと考えていた。

 

 

 

・・・伯、まさか魔神の肉体を使うとはね・・・

 

・・・仕方あるまい。この東方では、我らが民は見つからぬ。なれば、強き魔力を以って透視するしかあるまいて。で、見つけたか?・・・

 

・・・あぁ、見つけたよ。遥か西方だけど、確かに生きているね。「いなり」もありそうだし、伯の好きな酒もあると思うよ。うん?どうやら、「太陽神(アマテラス)」が束ねているようだね。帝として新世界で復活をしたようだよ。これは嬉しい誤算だね・・・

 

・・・そうか。ところで、この魔神についてじゃが、気になっておる。何故か、我らのことを良く知っておるようなのじゃ。いなりの製法から畳についてまで、まるで嘗ての我らが民のように詳しい・・・

 

・・・そうだろうね。だってこの彼は、異世界からの転生者だからね。転生前は、我らが民と同じような国に暮らしていたみたいだよ。そこでは「稲荷神」って呼んでいたみたいだけどね・・・

 

・・・異世界からの転生者じゃと?成程、なれば詳しいのも当然か。して、この者をどう思う?・・・

 

・・・面白いけど、ちょっと危険かな。彼がやろうとしていることは、下手をしたら神々の大戦を引き起こしかねないよ。そして彼自身、そのことを理解している。だから迷っている。自分のことを「黄昏の魔神」なんて呼んでいるようだけど、言い得て妙だね。昼と夜の中間、「夕暮れ」に生きているよ。だけど、こればかりは伯でも導けないね。彼自身の手で、答えを見つけるしかないと思うよ・・・

 

 

 

(黄昏の魔神よ・・・焦るでないぞ。主には無限の寿命がある。時を掛けて、答えを見つけよ)

 

仙狐 狐伯蓮は、杯を掲げて、干した・・・

 

 

 




申し訳ありません。都合により、少しだけお休みをさせていただきます。5月中には、再開できると思います。何卒、ご容赦下さいませ。

【次話予告】

ディアンたちは、東方五大列国を離れ、獣人族の国「マジャヒト王国」に入る。そこは正に「獣人たちの楽園」であった。ディアンは、その国を束ねる「王」に興味を持ち、王宮を訪れる。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第三十九話「獅子王の国」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第三十九話:獅子王の国

ディル=リフィーナ世界では、多種多様な種族が存在しているが、その中において外見の多様さで際立っているのが「獣人族」である。獣人族は、ネイ=ステリナ世界出身であり、ドワーフ族、エルフ族と並ぶ「ネイ=ステリナ三大種族」の一つである。赤き月神「ベルーラ」を信仰し、集落を形成して牧歌的に生活をしていると思われているが、それは獣人族の一側面でしかない。

 

獣人族は、人と他の動物の特徴を併せ持つ存在である。例えば、セテトリ地方から南方の「絹の海」では、セイレーンと呼ばれる人魚族が生活をしている。この人魚族も、広義では獣人族に含まれる。また、行商隊に恐れられる「ヴェアヴォルフ」は、人と狼の特徴を併せ持っており、獣人族と見做すことができる。このように、獣人族はその外見も生活圏も文化も、極めて多様であるため、ラウルヴァーシュ大陸の各地で独自の縄張りを形成している。

 

獣人族は一般に、戦闘能力は高いが知性が低い、という認知が広がっている。確かに全体的に見ても、獣人族は識字率が低く、人間族に騙されて奴隷として売買をされる者も存在している。しかし少数ではあるが、獣人族が主体的に国家を形成し、人間族に抵抗をしたという例も存在する。その代表例が、メンフィル建国歴百十年頃(エディカーヌ王国歴三百三十二年)に建国された、レスペレント地方中部の国「スリージ王国」である。

 

スリージ王国は、フェミリンス戦争以降、レスペレント地方で差別をされていた獣人族と、北方諸国から流れてきた獣人の勇者「モグレス・イオテール」が協力し合い、建国された。西方のカルッシャ王国が、魔神ディアーネが率いるグルノー魔族国との戦争中であったこと、またセルノ王国内での内紛により、政治空白地帯ができていたことが、建国に繋がったと言われている。モグレスの代では比較的安定をしていたスリージ王国も、人間族との混血が進む中で、「純血族」「人間族」「混血族」と三つの派閥に別れ、国内が混乱する。やがて、メンフィル建国歴二百五十三年、リウィ・マーシルンよってスリージ王国は占領されるのである。

 

スリージ王国の建国者「モグレス・イオテール」は、文武に長じていたと言われている。彼がいつ、どこで学問を修めたのかは不明である。そのため歴史家の中には、彼はターペ=エトフ滅亡時の獣人族代表「カダフ・イオテール」の子孫であり、イオテール家に代々「文武」が受け継がれていたと主張する者もいる。確たる証拠は無いものの、ターペ=エトフでは獣人族でも当たり前に文字を操っていたため、その可能性は否定出来ない。

 

このように、獣人族の知性が低いというのは、多分に環境的要因もあると言える。事実、ラギール商会に奴隷として買われ、店員として働きながらも商売を覚え、独立して自分の店を構える獣人族も複数、見受けられるのである。獣人族は知性が低いという認識は、人間族の先入観によるところも大きいのである。

 

 

 

 

 

秦南國を離れたディアン一行は、南東にある獣人族の国「マジャヒト王国」を目指した。巨大内海「濤泰湖」から海へと流れる河川が国境線である。橋は掛けられていないものの、渡し船があるため、ディアンたちは秦南國の国境の街「南砺」に入った。宿の店主に、マジャヒト王国について聴く。

 

『マジャヒト王国は獣人たちの国ですが、人間族が入れないわけではありませんよ。実際、秦南國の行商人にとっては、マジャヒト王国は重要な交易先なんです。まぁ、秦南國では銀、マジャヒト王国では金が重視されているので、交換などでは一苦労なんですがね』

 

『具体的には、どんなモノが穫れるのだ?』

 

『南国の果物や砂糖、あとは「翡翠」なんかも採れますね。翡翠は東方諸国では珍重されているので、マジャヒト王国は翡翠採掘を国営にしています。秦南國からは、薬草や衣類なんかを運んでいますね』

 

マジャヒト王国から運ばれたと思われる果実「鳳梨(パイナップル)」を食べながら、ディアンは頷いた。

 

 

 

 

 

ソフィア・エディカーヌは、額から汗を流している。目の前の女から放たれる気配に耐える。だがやがて、膝を折ってしまう。肩で息をする。ディアンは手を上げて止めた。インドリトは剣を使う戦士として鍛えるために、精神力の限界まで向き合ったが、ソフィアの場合はそこまで望む必要は無い。むしろ、己自身と向き合う必要があるのだ。それはある意味、インドリトの修行より辛いものだ。躰の歪みなら、他者でも是正できる。だが心の歪みを正せるのは自分だけなのである。

 

宿に併設されている公衆浴場で、ソフィアは一人、風呂に入っていた。貸し切りの浴室内で、自分について考える。知恵ならば、人に劣らない自信がある。だが、その小さな自信が揺らいでいた。ディアンもレイナも、ソフィアの話を頷いて聞いているが、それは「聞いて貰っている」のではないか。これまでもそんな感覚を持ったことがある。内心で「賢しい」と嗤いながら、王女の話だから取り敢えず聞いておけ・・・ 周囲の人間から、そんな気配を感じたことは何度もある。その度に、心のなかに焦りのような何かが沸き返り、もっと饒舌になってしまう・・・ そんな自分が、内心では堪らなく嫌だった。レイナと向き合い続けると、そんな自分を嫌でも見つけてしまう。考え事をしていると、ふと、声が掛けられた。

 

『ソフィア?入るわよ?』

 

レイナが女湯に入ってきた。絹のような金色の髪と見惚れてしまう程に美しい裸体をしている。ディアンではなくとも、男なら夢中になってしまうだろう。

 

『あら、泣いていたの?』

 

言われてソフィアは気づいた。いつの間にか、涙を流していたようである。慌てて顔を洗う。レイナはソフィアと並んで湯に浸かった。レイナを前にすると、自信が揺らぐ。ディアンは自分の判断より、レイナがティナの判断を信頼している。自分のほうが賢いはず、自分が正しいはず・・・ なのに何故、それが通じないのだろうか。

 

『良いわね。綺麗な黒い髪・・・』

 

『え?』

 

輝く金髪を持つ美人から言われると、嫌味にしか聞こえない。だがレイナは笑いながら言葉を続けた。

 

『気づかなかった?ディアンの好みは「黒髪」なのよ?口にはしないけど、内心ではあなたの髪に触れたがっている。ソフィアの黒髪に顔を埋めて、眠りたいって思っているわ』

 

そう言われると、途端に顔が朱くなる。これまで男に触れられたことなど、一度としてない。異性との交わりについても、女官から教えられただけである。だが、どうしてレイナはこんなことを言うのだろう?

 

『少し、私の話をするわね』

 

レイナはそう言うと、身の上話を始めた・・・

 

 

 

 

 

『レイナは、ソフィアと一緒にいる。ソフィアを導くには、レイナの方が良いだろう。私はレイナほど忍耐強く無いからな』

 

ディアンは頷いた。「知恵に溺れる」という言葉がある。転生前にも、そうした人間を何人か見てきた。「惜しい」と思っていた。才能も情熱もあるのに、何かが噛み合わずに、他者と上手くいかない者がいる。剣や魔法を学び、気を操る術を知る中で、その原因を理解した。「本当の自信」を持っていないからだ。人間は「承認欲求」の塊である。「自分を見てくれ」「自分を認めてくれ」と渇望している。だから子供は、小さなことでも大人に「自慢」をしたがる。そして、経験が蓄積されていくと、自分を客観視し、衆人の中の自分を確立させる。「己自身を識る」という「自己肯定」の基礎が確立する。だがそのためには、人々との摩擦が必要である。人の中で生きるためには、人に揉まれなければならないのだ。ソフィアには、その経験が絶対的に不足をしていた。書物による「観念」が先行し、人との摩擦による学習を阻害している。それを正すためには、己自身と向き合わせるしか無い。

 

『時間は掛かるだろう。だが幸いな事に、オレたちは「旅の途中」だ。新しい経験、人々との出会いには事欠かない。この旅を通じて、ソフィアに「真の自信」を持たせたい』

 

『男であれば、打ち据えて、叩き直してしまうのだがな。ソフィアが相手となれば、私も苦手だ』

 

『ソフィアも、ティナのことをそう思っているだろう。自分のほうが頭が良いはずなのに、どうしてディアンはティナの意見を重視するのか、とな・・・』

 

グラティナは肩を竦めた。そんな「比較」をすること自体が、意味のないことだからだ。

 

 

 

 

 

ソフィアは独り、寝台に横たわり暗闇を見つめていた。浴室でのレイナの話を思い出す。

 

・・・「誰かと比較をした自信」なんて、本当の自信じゃないのよ。だって、「誰か」がいなかったら、どうするの?それは「誰か」に頼っているに過ぎない。自信の基本は、まず自分自身を「識る」ことなの・・・

 

・・・そう言っている私もね。ディアンと出会った頃は、強さばかりを求めていた「気を張った少女」でしか無かったのよ?でも、ディアンに思い知らされてね。彼に抱かれ、彼と言葉を交わすうちに、私は自分自身を見つめていった。そして、決定的だったのはルドフル・フィズ=メルキアーナとの会談ね。今から振り返ると、ディアンは最初から、ルドルフを斬るつもりなんて、無かったんじゃないかしら?私が本当に自分と向き合うためには、ルドルフとの会談が必要だった・・・そういうことだと思うの・・・

 

・・・ティナとは、剣術の稽古として手合わせはするけど、どちらが強いかなんて、気にしないわ。誰かより優れている、なんて意味のないことなの。肝心なことは、自分は何者なのか、そして何を成し遂げようとしているのか、だと思うわ・・・

 

レイナ・グルップとグラティナ・ワッケンバインは、魔神ディアン・ケヒトの使徒である。主人の為に生きることが、彼女たちの生き方であり、喜びになっている。それは「愛」と呼べるものだった。だが、ただ盲目的に主人を愛しているわけではない。主人と使徒が、信頼し合い、共に助け合いながら「人生」という旅を共にしている。そしてディアンは、このディル=リフィーナ世界に「種族を超えた平和と繁栄」の実現を目指している・・・

 

『私は、これから何を成せば良いのでしょう・・・』

 

暗闇の中で呟いた。

 

 

 

 

 

マジャヒト王国に入ったディアンたちは、獣人たちの集落などを見ながら首都「マジャヒト」に向かった。

 

『珍しいな・・・首都名がそのまま国名になっているのか』

 

獣人族らしい牧歌的な田園地帯を眺めながら、馬を進める。子どもたちが物珍しそうに見上げてくる。西方諸国の獣人族たちは、人間族への警戒心が強い。一方、マジャヒト王国の獣人族は、そうした警戒が少ないように感じた。その日の夜、屋根を貸してくれた集落の長が、マジャヒト王国について話をしてくれた。

 

『この国は、国家として成立をしたのは、二十年ほど前なのです。それまでは獣人族たちの集落が点々としていたのです。その中でも最大規模の集落がマジャヒトだったのですが、その集落の長が国家を築いたのです』

 

『国となるにあたって、各集落は反対などはなかったのですか?』

 

『他の人が王になるのなら、反対の声も出たでしょう。しかし「レグルス様」は、獅子王とも言われる程にお強く、それでいて心優しい方なのです。マジャヒトのみならず、周辺の集落でも、ルグルス様を慕っている者が多かったのです。そして二十年前、皆に懇願されるかたちで、レグルス様が国王となり、マジャヒト王国になったのです』

 

『なるほど、獅子王ですか・・・ですが、国家である以上は、法律の普及や税制なども必要だと思いますが、そうした「統治」は誰が行っているのでしょう?』

 

長は首を傾げた。どうやらディアンの聞き方が悪かったようである。聞き慣れない言葉が入っていたらしい。ディアンは質問を変えた。

 

『マジャヒト王国を切り盛りしているのは、レグルス王なのでしょうか?それとも、他に優れた人がいるのでしょうか?』

 

『あまり知らないのですが、ただレグルス王の側に、イルビット族の人がいるそうです。子供の頃からの知り合いだそうです』

 

『イルビット族ですか・・・』

 

ディアンは腕を組んで、考えた。

 

 

 

 

 

マジャヒト王国の首都「マジャヒト」は、ディアンの想像をしていた「獣人族の集落」とはまるで違っていた。煉瓦づくりの城壁に囲まれた、立派な「城塞都市」だったのである。これにはレイナたちも疑問に思ったようだ。

 

『獣人族の集落には、これまでも何度も訪ねているけど、こんな「都市」は初めて見たわ。これは、獣人族たちが建てたのかしら?』

 

『どうかな・・・この煉瓦は日干しではなく焼成されたものだ。それに城門は鋼鉄で出来ている。「技術者」がいなければ、これらを作ることは不可能だ。「獣人の技術者」というのは想像できんな・・・』

 

街の様子も、ディアンに取っては意外であった。区画がきちんと整理されている。大通り沿いには獣人たちが営む「商店」まである。「都市計画」が無ければ、このような街は造れない。獣人族は良くも悪くも「その日暮らし」の性格が強い。獲物を狩り、皆で分かち合い、自家製の獨酒を呑みながら、火を囲って皆で歌い踊るのが獣人族たちである。ターペ=エトフの獣人族たちは、狩猟以外にも農業や畜産業を営んでいるが、基本は変わらない。だが「マジャヒト」では、まるで人間族のような生活が営まれている。宿に荷を置いたディアンは、王宮へと向かった。

 

 

 

 

 

『遠路遥々、マジャヒト王国までようこそ。私はマジャヒト王国宰相「ルナスール」と申します』

 

イルビット族の男が手を合わせ、挨拶をした。ディアンたちも倣う。マジャヒト王国の挨拶儀礼は、握手ではなく合掌してのお辞儀のようであった。

 

『失礼、西方の方にとっては不慣れでしょうが、東方の見聞をされているとのことでしたので、我々の文化をお伝えするため、敢えてこちらの儀礼を用いたのです』

 

『お気になさらず・・・ 西方、ケレース地方の国家「ターペ=エトフ」の王太師、ディアン・ケヒトと申します。こちらの三人は、私の供です』

 

それぞれの挨拶に、ルナスールは丁寧に応じ、着座を勧めた。色の濃い茶が出される。秦南國からの輸入品のようであった。ディアンはこれまでの道程を簡単に説明した。ルナスールは興味深げに頷く。

 

『マジャヒト王国を見て、実は意外に思っていたのです。我がターペ=エトフでも、大勢の獣人族が暮らしていますが、彼らは皆、大らかで、政事のような「面倒」には不慣れという印象を持っていました。ところが、貴国では獣人族たちが、まるで人間族のように暮らしています。この街を見ても、しっかりとした都市計画によって造られていると感じました』

 

『その印象は、間違ってはいません。実際、我がマジャヒト王国においても、緻密な行政というものは為されていません。「翡翠採掘」によって財政的な問題が無いため、各集落での自治に委ねているという状況です。国家としての各種制度やこの街の設計、外交などは、私が一手に引き受けています。獣人族は、研究をして新しい理論を発見したり、発明をしたりすることは苦手としていますが、具体的な手法が明確なら、きちんと真面目に動きますからね』

 

ルナスールの言葉に、ディアンは頷いた。そして、最も疑問に思っていることを聞く。

 

『ルナスール殿は、イルビット族の方とお見受けしました。大変失礼ながら、イルビット族もある意味では、政事には向かない存在だと思っていました。ターペ=エトフに住むイルビット族たちは、皆が学究意欲に溢れ、自分の興味のある研究に没頭しています。取りまとめ役として種族代表者はいますが、彼自身も宗教についての研究を行っており、政事のためというよりは、他種族との交流の為に、種族代表会議に出ているという傾向が見られるのです』

 

『その通りです。私たちイルビット族は、自分の興味のある分野への研究に没頭します。それは私も同じです。ただ、たまたま私の研究分野が「国家」というだけです。レグルス王は、国王として皆から慕われる存在ですが、政事には向きません。レグルス王は「獣人族の楽園」を創りたいという「夢」を語り、その実現のための様々な施策を私が考え、国家形成をしているのです』

 

ディアンは微かに目を細めた。要するに、民のためではなく「自分の研究のため」に政事を行っているのである。レグルス王という国威の存在を、己の研究に利用している。だが、国家の在り方にも、為政者の在り方にも、絶対解というものは存在しない。民が不幸であるなら別だが、この国は獣人族の楽園として繁栄をしているのである。為政者が、己の欲望の為に政事を行い、その結果、民衆が不幸になっている人間族の国も数多いのである。それに比べれば、マシと言えるだろう。

 

『国家というものは、非常に面白いものです。御存知の通り、イルビット族は「個人主義」の傾向が強く、己の研究に生涯を捧げます。イルビット族が集落を形成するのは、共通した研究課題があったり、あるいは互いに身の安全を護るため、という程度の理由からなのです。ですが、他の種族たちは積極的に集団を形成しようとします。そして人間族などは、そこから国家を形成していくのです。当初は、狩りや農耕などの「共同作業」によって生産性を高る、あるいは外敵などの脅威に共同対抗するために、集落を形成していたはずなのに、それが国家となると、途端に性質が変わるのです。「自分のための集団」のはずが「集団のための自分」へと変化をしていきます。そこに生きる民衆のための「装置」としての国家が、いつの間にか「国家そのもの」が目的へと変化していくのです。国家という存在は、実に興味深い』

 

『なるほど… 手段としての国家形成のはずなのに、国家が誕生してしまうと、その存続が目的化してしまう、というわけですね』

 

ルナスールは上機嫌そうに頷いた。こうした話を聞いてくれる存在が、回りにいないのだろう。ディアンは、自分がターペ=エトフ建国に携わったことを伝えながら、国家についての意見を述べた。

 

『確かに仰るとおり、国家というものは、そこに生きる民を幸福にするための、統治機構の一つに過ぎません。ですが、ルナスール殿には一つ、欠落している視点があります』

 

『ほう、何でしょう?』

 

『あなたはイルビット族です。ですのである意味、仕方がないのかもしれませんが、人間族もドワーフ族も、他の種族たちも、一つのことに一生を捧げるという生き方は難しいのです。生きている以上、様々なことに興味を持ちます。つまり、欲望の向く先が多様なのです。そうした種族が生きていくためには、集団を形成するしか無いのだと思います、特に人間族は、肉体が弱く、寿命も短い存在です。そのため、集団に対する思い入れが極めて強いのです。私はそれを「帰属意識」と呼んでいます』

 

『「帰属意識」・・・つまり、「集団の中にいることそのもの」が目的となるということでしょうか?』

 

『理解不能だと思います。天と地の狭間に、「個人」として確固として存在するのではなく、「集団の中の自分」という立場に、安心感を持つのです』

 

ルナスールは、腕を組んで考えた。イルビット族の長所でもあり欠点でもある「感じるのではなく考える」という傾向は、ルナスールにも見受けられた。

 

『私には、俄には理解できませんが・・・ですが、あなたの視点は面白いですね。私は国家という統治機構の中に、その答えがあるのではないかと思っていたのですが、あなたは「民衆一人ひとりの心の問題」だというのですね?』

 

『私は別に「問題」だとは思っていませんが・・・ですがこれは「私はこう思う」というだけです。一つの意見として捉えて下さい』

 

ルナスールは笑って頷いた。レグルス王との対談は、後日改めることとなり、ディアンたちは王宮を後にした。

 

 

 

 

 

『ソフィア、お前はどう思った?』

 

宿で夕食を取りながら、ディアンは今日の対談について、ソフィアに感想を求めた。以前のソフィアであれば、対談中に口を挿んでいただろう。だが今日はずっと黙っていた。喋りたい気持ちを抑えていたに違いない。喜々として話し始めると思ったが、ソフィアは短く答えただけであった。

 

『正直、興味を持ちませんでしたわ』

 

『ほう・・・ それは何故だ?』

 

『ルナスール殿は、マジャヒト王国について語ったのではなく、己の研究について語っただけです。学者としては優秀なのでしょうが、為政者としては失格です』

 

滔々と語るのではなく、言葉を切って相手とやり取りをする。少なくとも、そうしようという傾向が見えた。ディアンにとってはそれだけでも満足であった。

 

『レイナやグラティナはどうだ?対談の感想は?』

 

『ソフィアと同じ。あまり関心は無いわね。「自分の欲望のための政治」が、偶々、民衆の幸福に繋がっているというだけだわ』

 

『正直に言おう。私は途中から寝ていたぞ。少なくとも頭の中ではな』

 

ディアンは笑った。自分自身も、同様の感想を持った。別の場面であれば、面白い議論が出来たであろう。だが、ルナスールには「一国の宰相」という意識が無い。極端な話、遊び半分で政事を行っているのだ。もし「国家」への研究意欲が消えたら、彼はあっさりと宰相の座を下りて、別の研究を始めるに違いない。ルナスールが悪いというわけではないが、少なくともディアンとは違う地平に立っている。否定はしないが、興味も失った。

 

『ある意味では、期待以上の国だった。イルビット族と獣人族が組み合わさった「奇跡の国家」であることは間違いない。レグルス王への挨拶が終わったら、そのまま次の目的地に行こう』

 

皆が頷いて、ディアンは南東の大森林地帯「グレモア=メイル」の情報を得るため、店主を呼んだ。

 

 

 

 

 

レグルス王との謁見は、二日後であった。「獅子王」の名にふさわしく、(たてがみ)を持ち、鋭い目をしている。ディアンは一通りの挨拶を述べる。レグルス王はターペ=エトフの獣人族について興味を持っていたようである。

 

『ターペ=エトフでは、獣人族はどのように扱われているのだ?』

 

『大変失礼ですが「扱う」という表現自体が、相応しくありません。ターペ=エトフでは、ドワーフ族も獣人族も龍人属も・・・全ての種族たちが対等であり、共に生きています。昼間は共に畑を耕し、家畜の世話をし、夜になれば皆で酒を飲み、歌い踊る・・・互いを認め合い、互いに支えあい、生きています』

 

『なるほど・・・いや、これは私のほうが失言であった。ターペ=エトフでは、獣人族たちは幸福に暮らしているようだな・・・』

 

レグルス王は低く笑うと、遠い眼差しをしながら呟くように話し始めた。

 

『我々は、元々は広い土地の中で、豊かに暮らしていたのだ。だが、二つの世界が重なり、人間族が大挙して、我々の縄張りに入ってきた。それどころか、我々を「亜人」と呼び、差別をする者までいる。人間族全てがそうとは言わぬが、拭い難い不信感があるのだ。私は彼らの真似をして、国を起こそうと思った。だが、そのやり方が解らなかった。ルナスールが協力をしてくれなければ、マジャヒト王国も無かったであろうな・・・』

 

ディアンは黙って、王の話を聞いていた。レグルスには、少なくとも「王としての意志」があった。「獣人族が繁栄する国を創りたい」という志である。それさえあれば、後は手段の問題である。ルナスールという宰相は、ディアンとは違う国家観を持っている。だがそれは良し悪しではない。使い方次第では、ルナスールは優秀な宰相に成り得る。

 

『貴国を訪ねる前までは、「獣人族の国」というのは想像も出来ませんでした。ですが、実際に拝見をして、皆が幸福に暮らしている姿に、感銘を覚えました。ターペ=エトフ王への良い土産話が出来ました』

 

 

 

 

 

マジャヒト王国を出て、グレモア=メイルに向かう道中で、ソフィアはディアンに「王」について質問をした。

 

『レグルス王は、実直な王だと感じました。「国を創るやり方が解らないから、ルナスール殿の力を借りた」と、あっさりと認められていました。王が自ら為政をするのではなく、出来る者に委ねてしまう・・・ああした統治の仕方もあるのですね』

 

『そうだな。権威と権力は、必ずしも一緒である必要はない。そもそも「王」とは、国家の求心力として、「国の権威」を担う存在だ。ターペ=エトフにおいても、インドリト王は「権威の存在」として、民衆から絶大な支持を得ている。だが、権力という点では、元老院も大きな力を持っている。ルナスールではないが、確かに、国の在り方とは、面白いものだ』

 

『私は、剣や魔法においては、レイナやティナには遠く及びません。ですが、私も何か、役に立ちたいのです。ターペ=エトフで、そうした「政事」に関わることは出来ないでしょうか?』

 

ディアンは振り返り、ソフィアの顔を見た。真剣そのものである。頷き、返答する。

 

『ハッキリ言おう。ターペ=エトフは平和そのもので、オレもレイナもティナも、全くの「役立たず」だ。オレなんぞは「給金泥棒」なんて言われる始末だ。だが、その平和を維持し続けるためには、優秀な「行政官」が必要だ。ターペ=エトフの国務大臣は優秀だが、キレ者の右腕を欲しがっている。ソフィアが望むのであれば、「国務次官」として推挙しよう』

 

ソフィアは目を輝かせた。グラティナが苦笑しながら、ソフィアに向かって警告する。

 

『気をつけておけよ?ターペ=エトフの国務大臣は「変態魔人」だからな』

 

首を傾げるソフィアに、レイナも笑いながら警告を発した。

 

『ソフィアは、初心(ウブ)だから、シュタイフェはきっと調子に乗るわ。「こんな美人がいつも側にいるなんて、アッシの下半身もやる気でちゃう~」なんて言うと思うわ』

 

『・・・あの・・・その人は、国の宰相なのでしょう?』

 

『全くだ。インドリトは名君だが、シュタイフェを宰相にしたことだけは、失敗かもしれん。確かに優秀なのは認めるが・・・』

 

グラティナが苦々しく言う。ディアンは声を出して笑った。

 

『インドリト王は、「そっちの面」では極めて寛容な王だからな。まぁ、ファミもいるし、それほど心配することも無いだろう。それに、シュタイフェも抑えるべきはしっかりと抑えている。時折、ああした巫山戯た態度を見せるから、下の者も働きやすいのだ。生真面目なだけの上司を持つと、部下は萎縮してしまうものさ』

 

『・・・基本は巫山戯ていて、時折、真面目に働いているだけにも見えるがな』

 

若干、不安に思いながらも、ソフィアは自分の力を発揮できる場所に想いを馳せた・・・

 

 

 

 




【次話予告】

グレモア=メイルで、ルーン=エルフ族から興味深い話を聞く。濤泰湖の上空に、島が浮いているというのである。ディアンたちは、内海へと舟を出し、天空島を目指す。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第四十話「天空の島」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第四十話:天空の島

ラウルバーシュ大陸では、歴史家や冒険家の興味を惹きつけてやまない遺跡や迷宮、あるいは「謎」が数多くある。その中でも、特に人々の興味と冒険心を掻き立てるのが「天空城」である。後世において、ラウルバーシュ大陸では四つの天空城が確認されている。オウスト内海上空「ベルゼビュード宮殿 」、ブレニア内海西方上空「ヴィーンゴールヴ宮殿」、ディジェネール地方上空「繭宮郷」、濤泰湖上空「シャンバラ宮」である。

 

天空城は、元々は三神戦争において古神たちの拠点であったと言われている。ベルゼビュード宮殿は、古神ベルゼブブの拠点であった。三神戦争以降によってオウスト内海海底に水没し、膨大な魔力を蓄えたまま、長い眠りについていた。これに目をつけたのが、ブレアード・カッサレである。ブレアード迷宮を維持するための魔力の供給源を探していた大魔術師は、召喚した魔神パイモンより、ベルゼビュード宮殿の存在を知り、宮殿と迷宮とを繋いだと言われている。後に、メンフィル帝国によってブレアード迷宮が平定されると、魔力供給の必要性が無くなり、ベルゼビュード宮殿は覚醒、オウスト内海上空へと浮上するのである。

 

ヴィーンゴールヴ宮殿は、三神戦争末期において、劣勢であった古神たちが「反撃の拠点」として用意をした宮殿である。しかし、その情報を知った現神「マーズテリア」は、ヴィーンゴールヴ宮殿を急襲し、守備役であった戦乙女「シュヴェルトライテ」を撃破、地下深くに宮殿を封印する。それから数千年後、人々の記憶から忘れ去られた時代において、レウィニア神権国において王女誘拐事件が発生する。レルン地方の鉱山において、姿が見かけられたという情報を得て、レウィニア神権国第十一軍「白地龍騎士団」と、水の巫女の同盟者「神殺し」が調査に赴く。幾つかの事件を経て、鉱山地下で眠っていたヴィーンゴールヴ宮殿が覚醒し、天空へと昇ったのである。

 

一方、三神戦争以降も上空に留まったまま、浮遊し続けている城も存在している。ディジェネール地方「繭宮郷」、濤泰湖上空「シャンバラ宮」である。この二つの城は、数千年に渡って人々の興味を惹きつけてきた。特に「繭宮郷」は、地上からもその姿を見ることが出来たため、ディジェネール地方南方のセテトリ地方や、東方のニース地方では、「繭宮郷」を舞台とした冒険物語が多い。後世において、セテトリ地方を中心として蔓延した「淀みの氾濫」の主原因が「繭宮郷」にあることが判明、問題解決を図るために、工房都市「ユイドラ」の領主であったウィルフレド・ディオンが「繭宮郷」を訪ねている。その時の様子は克明に残されており、貴重な資料となっている。

 

ウィルフレド・ディオンの記録によれば、「繭宮郷」は魔物に溢れ、「深遠の繭」と呼ばれる淀みの原因が、宮殿中央を占めていたそうである。彼は多くの種族の協力を得て、「深遠の繭」を排除することに成功、セテトリ地方を混乱させていた「淀みの氾濫」は静まるのである。このように、大陸中央から西方に掛けて存在する三つの天空城は、人々の冒険心を掻き立てる存在ではあるものの、「探検済みの遺跡」に過ぎない。立ち入り制限はあるものの、地上からの城へと行く手段も存在し、光神殿によって複数回の調査も行われている。

 

一方、濤泰湖上空の「シャンバラ宮」は、「正体不明の天空城」とされている。元々、シャンバラ宮は濤泰湖沿岸に住む漁民たちによって発見をされたが、その姿を見かけることは、現在においても極めて稀である。それは、この天空城の周囲が常に「雲」に覆われており、隙間からごく僅かにその姿を見ることが出来る、という程度でしかないからである。そもそも、「シャンバラ宮」という名前自体が、著者不明の紀行記「東方見聞録」の中で登場しているだけである。東方見聞録の著者は、シャンバラ宮の内部についても具体的に記しているが、どのようにしてそこに至ったかは曖昧にしている。そのため、西方では長年にわたって、シャンバラ宮の存在そのものが疑われていた。東方見聞録の初版発行から一千年後、東方と西方の交易が更に盛んになり、シャンバラ宮が実在することが、ようやく知られるようになったが、後世においても依然として「未踏の城」であり、東方見聞録に記された「シャンバラ宮」の内容が事実かどうか、その確認は一切、出来ていない・・・

 

 

 

 

 

ディアンは溜息をついて、頭を掻いた。使徒二人は剣に手を掛け、いつでも戦闘に入れる体制を取っている。目の前には、少し年老いたルーン=エルフが立っている。そしてディアンたちの周囲には何十人ものエルフ戦士たちが、弓と剣を構え、取り囲んでいた。

 

(全く、トライス=メイルでもそうだったが、なぜエルフ族はこうも「排他的」なんだ?オレが一体、何をしたって言うんだ・・・)

 

ディアンは内心で呆れながら、目の前のエルフ族長老に話しかけた。

 

『・・・そんなに警戒しないで下さい。ただこの森を通り抜けて、南に行きたいだけですよ』

 

『魔神が使徒と共に現れたのです。警戒しないほうが可怪しいでしょう。貴方にその気が無くとも、魔神が出現したというだけで、この森は大混乱の状態です』

 

『気配は抑えているつもりですが?』

 

『気づかないでしょうね。貴方がたがこの森に来る半刻前に、鳥たちが一斉に飛び立ちました。鹿やリスたちは奥に避難し、木精霊たちも怯えています。人間族ならば気づかないでしょうが、弱き者たちにとっては、それでも強烈な気配なのです』

 

ディアンの貌が少し陰った。正義の味方を気取るつもりはないが、無抵抗な弱者を怯えさせるのは、自分の望むところでは無いからだ。

 

『気づきませんでした。私の住む西ケレース地方では、森の生き物たちも普通にしているのですが・・・ 大変ご迷惑をお掛けてしたようです』

 

素直に詫びる魔神に、長老や他のエルフたちも多少は警戒を解いたようである。

 

『恐らく、貴方の気配に慣れているからでしょう。もしくはこの数年で、貴方に何か変化があったのでは無いでしょうか?どうやら貴方は、人間の魂を持っているようです。「神の肉体を持つ人間」という存在は、俄には信じられませんが、そうした場合、魂の変化によって肉体も変化すると考えられます』

 

『特に、何か変わったということは無いのですが・・・ ただ、いずれにしても森を通り抜けるのは諦めます』

 

そう告げて、戻ろうとする魔神に対して、長老が声を掛けた。

 

『お待ちなさい。森を通すことは出来ませんが、迂回するのであれば、船を用意しましょう。この杜を西に進むと、濤泰湖に出ます。その畔に、船が停泊しています。少し古いですが、馬も載せられるほどの大きさではあります。自由に使っていただいて構いません』

 

『良いのですか?』

 

『構いません。私たちが使うのではなく、この森を抜けようとする人たち向けのものです。船にはエルフ族の呪符があります。目的地に着いたら、それを舳先に貼って下さい。無人のまま、ここに戻ってくるのです。とは言っても、もう何十年も使われていませんが・・・』

 

『ひょっとしたら、私たちの前にその船に乗ったのは、二人の男ではありませんでしたか?』

 

『えぇ、中年と青年の、二人の人間族でした。貴方がたとは違い、西に向かおうとしていましたが・・・』

 

大魔術師ブレアード・カッサレと、弟子の李甫である。だがディアンは首を傾げた。「西」という方向に疑問を持ったからだ。ブレアードは、この巨大森林地帯から更に南にある「大禁忌地帯」を目指していたはずである。

 

『お尋ねしたい。ここは、濤泰湖の「東の畔」です。西に船を進めるということは、濤泰湖の中央を目指すということになります。そこに、何かあるのでしょうか?』

 

『・・・・・・』

 

長老は黙ったままディアンを見つめた。一言多かったと後悔をしているようである。ディアンはその沈黙だけで、興味を持った。

 

『・・・エルフ族が魔神に隠したがるほどの何かが、濤泰湖の中央部にある、ということですね?極めて興味を惹かれますね』

 

エルフ族にしては珍しく、長老は深い溜息を吐いた。

 

『行っても何も出来ないと思いますので、教えましょう。濤泰湖の中央には「空に浮く島」があります。数十年前にこの地を訪ねてきた二人の人間族は、その城を目指していたようです』

 

『天空の島・・・ 面白いですね。二人は、その島に入ったのでしょうか?』

 

『さぁ、解りません』

 

その城とエルフ族との関係の有無を確認するための質問をしたが、長老は掛からなかった。ディアンは肩を竦めた。

 

『私は、数十年前にこの地を訪れたという「中年男」の路を辿っているのです。彼が行ったというのなら、私たちも行ってみたいと思います』

 

『・・・ご自由に』

 

エルフ族長老はそう言うと、森へと消えていった。周囲を取り巻いていたエルフたちも、いつの間にか消えていた。

 

 

 

 

 

濤泰湖の東岸から船を出して五日目、ディアンは上空の星を観測しながら、距離を測った。そろそろ中央部のはずであったが、上空には何も無かった。ただ大きな雲が浮いているだけである。

 

『何も無いではないか。あの長老は嘘をついたのか?』

 

『でも、エルフ族が嘘なんてつくかしら?』

 

ディアンは女たちの会話を背中で聞きながら、空を観察していた。違和感を覚えたからだ。やがて、その正体に気づいた。

 

『・・・二人共、飛行の準備をしておけ』

 

ディアンは右手に純粋魔術の球体を発生させ、空へと打ち上げた。雲に入った瞬間に、手を握る。ボンッという音とともに、雲が球形に広がる。すると・・・

 

『な、何だアレは!』

 

空に、巨大な岩が浮いていた。

 

 

 

 

 

『わ、私はここで待っているから・・・』

 

ソフィアの意見は無論、却下された。二人の使徒が、ソフィアの腕を抱えて魔神に続く。既に眼下の船は小さくなっていた。

 

『どうやら、結界は張られていないようだな。雲を生成して、姿を隠していたわけか・・・ これから雲に入る。何が出てくるか解からんから、最悪「落ちる」ことも覚悟しておけ』

 

『イヤぁぁっ!』

 

魔導装備を付けていない美少女の叫び声と共に、四人は雲間に入った。真っ白な世界を抜けると、青い空が見える。下から見ると相当に大きな岩であった。それを取り囲むように、雲の壁が出来ている。ディアンは周囲を警戒した。姿は見えないが、誰かから視られている感覚を持ったからだ。

 

『取り敢えず、更に上昇するぞ。上から観てみたい・・・』

 

『それより、早く降ろして下さい!』

 

『暴れるなっ!』

 

岩肌に沿いながら、四人は上昇し、そして上へと出た。そこは信じられない光景であった。

 

『これは・・・山を丸ごと浮上させたのか?』

 

ディアンたちの目の前には、小高い山と神殿のような建物があった。

 

 

 

 

 

『これは、元々は大地にあったようだな。何からの方法で、山を丸ごと浮上させたんだ』

 

濤泰湖から一里以上もの上空にある「天空の島」に降り立ったディアンは、足下の草原を撫でた。土もしっかりしている。大地ごと空に浮上させるなど、信じられないほどの魔力であった。ソフィアは腰を抜かして座り込んでいる。どうやら、西榮國での救出劇以来、空を飛ぶことが嫌いになったようである。

 

『この「島」は、無人なのか?先ほど、何か神殿のようなものが見えたが・・・』

 

『・・・いや、どうやら遣いの者が来たようだ』

 

一筋の光と共に、ディアンたちの前に純白の翼を持つ天使が現れた。だが顔に表情は無い。まるで「面」のようである。殺気も闘気も無いが、天使族特有の神気も無かった。

 

『侵入者ヨ、コノ地ヨリ直グニ立チ去レ。サモナケレバ命ハ無イ』

 

抑揚もない平坦な言葉で、警告を発してくる。依然として、何の気配もない。ディアンが首を傾げると、いきなり斬り掛かってきた。辛うじて、両手で刃を抑える。かなり強い力であった。

 

『タチサレ、タチサレ・・・』

 

まるで機械人形(ロボット)のように同じ言葉を繰り返す。ディアンは天使の腹部を蹴つけ、引き剥がした。

 

『オレたちに戦う意志はない。この場所について、聞きたいだけだ』

 

説明をしようとするディアンに再び飛び掛かってくる。グラティナの蹴りが横から入り、薄気味悪い天使が吹き飛んだ。

 

『な、何なんだコイツは・・・ 本当に天使なのか?』

 

相変わらず無表情のまま、天使が起き上がった。するといきなり、雷撃が天使を襲った。黒焦げになったかと思うと、光を発して消えた。天使であることは間違いないようあった。

 

『・・・まさか、侵入者が現れるとはな』

 

声が聞こえたかと思うと、光とともに四方から天使たちが出現した。既に何重にも包囲をされている。その気配に気づかなかったのは、奇妙な天使に斬りつけられたということもあるが、この島そのものが、彼らの縄張りだからだろう。使徒たちを下がらせ、ディアンは進み出た。

 

『私の名はディアン・ケヒト、ここより遥か西方の国「ターペ=エトフ」から、東方見聞のために旅をしている者です。この島のことは、グレモア=メイルのエルフ族から聞きました。見聞をしたいと考え、罷り越したのです』

 

『どのようにして来たのだ?人間が空を飛べるはずがない』

 

ディアンは魔導装備に魔力を通した、足下から浮き上がる。天使たちは驚きの声を上げた。宙に浮いたまま、説明をする。

 

『ターペ=エトフではドワーフ族が暮らしています。そのドワーフ族の手によって、飛行能力を齎す装備が開発されました』

 

『驚いたな、飛行能力を得られる装備か・・・』

 

ディアンは地面に着地した。少なくとも害意は無いことだけは認めてくれたようだが、天使たちは依然として、警戒をしている。

 

『この地に来た経緯と目的は理解した。だが、ここは我ら天使族の住む世界だ。このまま立ち去れ』

 

『お待ち下さい。私たちは奇妙な天使に襲われました。まるで無表情で、それでいて力の強い天使でした。彼は一体、何だったのですか?』

 

『お前たちには、関係のないことだ!』

 

目の前の天使に対して、ディアンはいきなり豹変した。人間の貌を捨て、魔神へと変貌する。

 

«・・・関係ないことはあるまい。招かれざる客だったとは言え、お前たちの仲間が、いきなり襲って来たのだ。詫びろとは言わぬが、事情を説明する責任はあるのではないか?»

 

天使たちの翼が、一斉に逆立った。魔の気配に圧倒される。

 

『お、お前は・・・』

 

«オレの名はディアン・ケヒト、白と黒・正と邪・光と闇・人と魔物の狭間に生きし、黄昏の魔神だ。さぁ、説明しろ。あの天使は、一体何だ?»

 

天使たちは一斉に剣を抜いた。ディアンの目が細くなった。右手を上げ、背中の愛剣の柄を握る。レイナとグラティナも抜剣の構えをした。ソフィアは顔を青ざめさせ、座って頭を抱える。互いの緊張が高まったところに、強力な気配がディアンの目の前に出現した。ディアンは思わず後ずさった。魔神ハイシェラの比ではない。これまでのどの魔神よりも強烈である。

 

『・・・双方、退きなさい。この地を血で汚すことは許しません』

 

ディアンの目の前に、六枚の翼を持った美しい天使が現れた。

 

 

 

 

 

『驚いたな。まさか「熾天使」が出現するとは・・・』

 

人間に戻ったディアンは、目の前の美しい天使を眺めた。背丈はレイナより若干高い。白い肌と輝く金色の髪を持っている。胸の大きさは水の巫女と同じくらいであった。額は若干広く、ディアン好みの秀麗な目鼻立ちをしている。だがその気配は尋常ではない。普通の人間なら、気圧されて失神してしまうだろう。レイナとグラティナは、ソフィアを護るように立っている。

 

『私の名は「ミカエラ」、この天空の島「シャンバラ宮」を束ねています』

 

『ミカエラ… まさか「天上の階位(ヒエラルキア)」第一位を束ねる、あの「ミカエル」ですか?』

 

『そのように呼ばれることもありましたね。さて、貴方がたの訪問目的は聴いていました。私共の者が襲いかかったことは、お詫びします』

 

ディアンは頷くと、姿勢を正した。

 

『突然の訪問、そして魔神化をしたことは、こちらもお詫びします。守護天使(アークエンジェル)かと思っていたのですが、予想以上の力で、こちらも些か興奮してしまいました。差し支えなければ、教えて頂けませんか?あの天使は、とても普通の状態には見えませんでした。この島で、何か変事が発生しているのではありませんか?』

 

『・・・差し支える質問ですね。これは、私たち天使族の問題です。魔神である貴方に、教える理由はありません』

 

『天使族の身体は、霊体が物質化したものと理解しています。そして、あの天使は「神気」を放っていなかった。つまり霊体そのものが変質していたと思われます。霊体を変質させる原因として考えられるのは、外的要因としては魔術に依る「呪い」などですが、内的要因も考えられます。魂を持たない存在である天使族の場合は、思想信条や感情によって、霊体そのものが影響を受ける。つまり、あの天使は・・・』

 

手を上げて、ミカエラはディアンを止めた。それは、ディアンの推測が正しいことを証明していた。霊体である天使族は、いわば「心の塊」のような存在だ。自らの存在意義に僅かでも疑問が入れば、それは「堕天」へと繋がってしまう。あの天使は「堕天」の前徴を示していたのである。ミカエラは興味深げに、ディアンを見た。

 

『貴方は、本当に魔神なのですか?いえ、確かに魔神の肉体は持っているようです。ですが、魔神の様な「雰囲気」を感じません。知的な人間を思わせます』

 

『私は、どうやら人間の魂を持ったまま、魔神として生まれてしまった存在のようです。その状況は受け入れていますが、出来れば「人間」でありたい、と思っています』

 

ミカエラは頷くと、神気を収めた。どうやら招き入れてくれるようである。

 

 

 

 

 

『この「シャンバラ宮」は、三神戦争において「神々の休息所」として機能をしていました。イアス=ステリナにおいて「理想郷シャンバラ」という空想物語があったのですが、それは異世界にある「天界」のことを差していたのです。二つの世界が融合したことにより、天界に存在したシャンバラ宮も、この世界に「顕在化」したのです。軍事拠点では無かったため、異世界の神たちから攻撃されること無く、残ったのです』

 

天空の島にある宮殿は、「神々の神殿」と呼ぶに相応しい造りであったが、その周囲では農耕などが行われていた。崑崙の天使族と同じように、シャンバラ宮の天使族たちも、生きるために働くことが必要となっていたのである。唯一の救いは、天使族は「肉の身体」を持たないため、それ程多くの食料を必要とはしないことであった。

 

『あの大戦から二千年以上・・・私たちはずっと、この島で生き続けています。ですが、徐々に数を減らしています。貴方の推測通り、天使族であり続けるためには、主に対する無限の「愛」が必要です。ですが、あの大戦以降、私たちは苦難に立たされています。あの大戦でも、私たちの主は姿をお見せにならなかった。私たちの存在は何なのか?何のために、この新しい世界で生きているのか?存在意義そのものに疑問を持ち、霊体が変質してしまう天使たちが出始めたのです。そうした者は自我を失い、あのような姿になるのです。堕ちた同胞を自らの手で屠らなければならない。必要であっても、辛いことです』

 

『ミカエラ殿、貴女にお聴きしたいことは多くありますが、敢えて一つだけ。ここから北の「崑崙山」の天使族たちは、「主」から与えられた使命を果たすべく、新世界でも人間族を見守り続けています。それは、貴女たちも同じなのでしょうか?何のために、この島で暮らし続けているのか、教えて頂けませんか?』

 

『貴方は本当に、遠慮無く質問をしてくるのですね。私たちがこの地に存在し続ける理由など、貴方には関係がないと思いますが?』

 

ディアンは肩を竦めた。全くもってその通りだからである。だが、ここで引き下がっては、ここまで来た意味が無い。

 

『私は、貴女たちと解り合いたいのです。そのためには、語り合うこと、つまり言葉を交わすことが一番だと思います。貴方がたの教えにもあるではありませんか。「始めに言葉があった…」と』

 

一瞬、ミカエラは固まると、これまでの落ち着きが嘘のように、ディアンに詰め寄ってきた。

 

『どこで、どこでそれを知ったのです!旧世界で最も広まっていた「主の教え」を記した教典、この世界で徹底的に焚書され、姿を消してしまった「旧世界の信仰」を貴方は何故、知っているのです!』

 

『・・・教えても構いませんが、それは貴女には関係が無いのでは?』

 

ミカエラにやり返す形で、ディアンは返答した。ミカエラは唇を噛んだ。ディアンは思った。

 

(第一位らしく、落ち着いた天使かと思っていたが、案外、激情家なのかもしれないな・・・)

 

ミカエラは数瞬、ディアンを睨んだが、やがて溜息をついた。ミカエラの様子で、ディアンは彼らの目指しているものが、何となく想像できた。ミカエラより先に、ディアンが語り始めた。

 

『崑崙山の天使「ラツィエル」が教えてくれました。「南東にも自分たちの同族がいるが、相容れない部分があり、接触をしていない」と・・・ 貴女がたが目指しているもの、それは「創造神の復活と、旧世界の信仰の回復」ではありませんか?』

 

ミカエラは黙ったままであった。ディアンは言葉を続ける。

 

『この地から更に南東に、大禁忌地帯と呼ばれる「現神たちによって立ち入りが禁じられた土地」があると聞いています。ラツィエルの話では、大禁忌地帯に「創造神が封じられている」と信じている天使族がいるそうですね。それが、貴女がたではないのですか?あの地にあるという「メルジュの門」を開き、創造神をディル=リフィーナ世界に開放し、旧世界の信仰を回復させる・・・』

 

『主は・・・』

 

ディアンの言葉を遮るように、ミカエラが語り始めた。

 

『主は、あの大戦でも姿をお見せにならなかった。天使族は、神々の眷属として、異世界の神と闘いました。ですが、既に人々の信仰を失っていた私たちは、次々と倒れ、封じられていった。ウリエルも、ラファエルも、ガブリエルも・・・多くが傷つき、倒れていった。それでも、主は姿を現さなかった。科学を失った人間族は、アッサリと異世界の神に乗り換え、主のことを忘れてしまった。そんな人間族に愛想をつかし、主の使命を放棄する天使も続出した・・・ 最後の希望、ヴィーンゴールヴ宮殿が陥落し、私たちは散り散りとなり、逃げるしか無かった。混乱、裏切り、堕天・・・天使族の大半が消えたのに、それでも主は現れないのです!』

 

ミカエラの双眼から、涙が流れていた。ディアンは黙って、話を聞き続ける。

 

『私たちは天使族、主の眷属です。主が姿を現さなくても、主を愛し続ける、主に従い続ける存在です。ですが、ですがもう一度、主の光に包まれたい。主の言葉を聞きたい・・・ そう思うことが、いけないことなのでしょうか!』

 

『・・・その結果、新たな大戦が引き起こされ、この世界が再び、滅亡の危機に晒されるかもしれません。それでも・・・ですか?』

 

ミカエラは沈黙した。それは無言の肯定であった。ディアンは瞑目する。

 

『三人とも、ミカエラとオレの二人きりにしてくれないか?それほど時間は取らせない』

 

レイナとグラティナは、黙って部屋から出ていった。ソフィアも、渋々という様子で、それに従う。ディアンは部屋の八角に「歪魔の結界」を貼った。この部屋の様子は、誰にも知られることはない。落ち着いたミカエラの前に、ディアンは立った。

 

『・・・私の正体をお教えしましょう。ただし、ここだけということに、しておいて下さい』

 

ディアンは静かに語り始めた・・・

 

 

 

 

 

『・・・ディアン、本当にアレで良かったのか?』

 

『ミカエラは、旧世界の主神「創造神」の復活を目指している。たとえこの世界を、再び危機に晒す事になろうともだ。それは極めて個人的な感情からの発露だが、責める気は起きなかったな。「愛」を否定することは、オレには出来ない』

 

シャンバラ宮を離れたディアンたちは、下界に向けて降りていた。本来であれば「落ちる」ほうが早いのだが、ソフィアが嫌がったため、ゆっくり降りる。ディアンは、ミカエラとの会話を思い出していた。

 

 

 

・・・オレのいた世界では「聖書(Holly Bible)」と呼ばれていました。異世界の話ではありますが、あの書物はそれ自体が、力を持っています・・・

 

・・・大禁忌地帯の扉は、イルビット族にも、私たちにも開けられません。魔力とは違う何かによって、封じられているのです。ですが旧世界の知識を持つ貴方であれば・・・

 

・・・観てみないと解りませんが、おそらく無理でしょう。ですが、たとえ開けられたとしても、オレはいたずらに、「大戦」を引き起こすつもりはありません。貴女には申し訳ありませんが・・・

 

・・・私は、主が復活したとしても、大戦になるとは思えないのです。もしその気があれば、先の大戦で姿をお見せになっていたでしょう。私はただ、主のお姿とお言葉を聴きたいのです。そうすれば、この島の天使たちも、きっと救われると思うのです・・・

 

・・・「メルジュの門」には行ってみます。ただ、やはり開けられるとは思えませんね。もし、本当に開けられそうな場合は、貴女にお知らせしますよ。この水晶を持っていて下さい。開けられそうな場合は蒼く光、開けられない場合は紅く光ります。一つ言っておきます。もし創造神が封じられていると確信したら、オレは絶対に開けません。開けられる場合でもです。その時は、この水晶は紅く光ります・・・

 

・・・つまり、蒼い場合は、主は封じられていない、ということなのですね?・・・

 

・・・もしくは、その確証が得られないということですね。実はオレ自身、創造神に会ってみたいのですよ。そして一発、殴ります。こんなイイ女を泣かすな、とね・・・

 

 

 

(しかし惜しいな。時と場所が違えば、絶対に口説いたのだが・・・)

 

『それにしても、綺麗な女性(ヒト)だったわね。ディアン好みの・・・』

 

レイナが横目で、ディアンを見る。ディアンの「邪念」などお見通しである。ディアンは笑って誤魔化した。ソフィアが呻きながら呟く。話題を変える良い切っ掛けである。

 

『うぅ・・・そんなことより、船はまだでしょうか?早く降りたいです』

 

『そうか、じゃあ落ちよう』

 

悲鳴とともに、三人は勢い良く落下した。

 

 

 

 

 




【次話予告】

「クディリ王国」で食料などの物資を調達したディアンたちは、大禁忌地帯近郊にいる「イルビット族の集落」に入る。ディアンは集落の長に、根本的な質問をした。そして、大禁忌地帯を護る「守人」の正体が明らかになる


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第四十一話「大禁忌地帯」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第四十一話:大禁忌地帯

Title:濤泰湖に浮かぶ「天空の島:シャンバラ宮」の冒険

 

グレモア=メイルのエルフ族から教えられた「天空の島」に興味を持った私は、濤泰湖へと漕ぎだした。幸いなことに天候は良好であった。濤泰湖は巨大な内海で、見渡すかぎりの水平線である。陽の位置と星の観測によって、自分の位置を把握しながら、西へと漕ぐこと五日間、私はついに、濤泰湖の中ほどに到着した。しかし、空を見上げると大きな雲が浮いているだけで、特に島などは見えない。エルフ族に担がれたと落胆しそうであったが、雲の様子が可怪しいことに気づいた。全く動かないのである。やがて私は、奇妙な力によって空へと引き上げられた。雲を突き抜けると、其処には巨大な岩が見えた。「天空の島」は実在したのである。私は興奮を抑えることに苦労した・・・

 

天空の島は、穏やかな草原が拡がり、中央は山岳部となっている。そこに宮殿が存在する。私は宮殿を目指して歩き出したが、程なくして迎えが来た。天使族である。空に浮く驚異の島には、天使族が住んでいたのである。その中でも、特に美しい一人の天使が、私の前に進み出てきた。天使族たちは当初は警戒をしていたが、旅目的であることを理解してくれたようだ。美しい天使は、この島を束ねる長のようである。彼女に連れられ、私は宮殿へと向かった・・・

 

宮殿は荘厳な造りで、石造りの太い柱には精密な彫刻が為されている。彼女は、この島を「シャンバラ宮」と呼んでいた。このシャンバラ宮は、三神戦争時から存在しているそうで、他種族からの隠れるために、魔力によって雲を生成し、周囲を覆うことで、長きに渡って隠れ続けていたそうだ。外部の情報を知るために、エルフ族とは細い接点があるようであるが、古神の眷属である天使と、現神を信仰するエルフ族との間に接点があることに、私は驚いた。しかしそれでも、百年の一度、連絡をする程度だそうで、人間である私にとっては、それは「接点が無い」のと同義である・・・

 

 

 

 

 

ディアンは筆を止め、少し文章を考えた。シャンバラ宮は、現在進行形の「古神の拠点」である。天使族が住んでいる、という程度であれば、特に問題視はされないだろうが、熾天使の存在は隠さねばならない。また、魔導技術による飛行手段や、ミカエラが目指している「主の復活」なども、公開するわけにはいかない。そのためには、多少の創作や歪曲は仕方が無いと割り切っていた。叩扉されたので、思索から抜け出す。ソフィアが呼びに来たのだ。

 

『ディアン、そろそろ食事に行きましょう。レイナやティナも待っています』

 

クディリ地方は、北にエルフ族の「グレモア=メイル」、南は大禁忌地帯、西は濤泰湖、東は外海という、四方全てを囲まれた「安全地帯」である。東方諸国を追われ、内海に逃げた人々によって拓かれた土地のようで、平和そのもののであった。外部との交易路が無いため、大きな都市などは出来てないが、数千人単位の中規模集落が点在し、それぞれに営みが為されている。豊かで平和な地帯であった。ディアンたちは、この地に滞在し、大禁忌地帯やイルビット族についての情報を集めていた。

 

 

 

 

 

『イルビット族は、この集落から更に南に行った、禁忌地帯に接する森の中で暮らしていますよ。変わった奴らですが、森では鹿なども採れますし、禁忌地帯から珍しいモノを持ってきたりするので、食料と交換したりしています』

 

クディリ地方では、集落が点在している。集落同士で行き来があるため、各集落には宿や酒場などがあった。共通貨幣などは使われていないが、金や銀が珍重されているため、モノを買うのに困ることはない。集落で造られた獨酒を呑みながら、ディアンは話を聞く。目の前には、焼いた雉肉やタロイモの塩茹でなどが置かれている。クディリ地方は、食材が豊かな土地であった。

 

『この地では、魔獣などは出ないのか?人々が豊かに暮らしているのは解ったが』

 

『えぇ、確かに魔獣の縄張りもありますが、棲み分けていますね。こちらから近寄らないかぎりは、魔獣たちも襲ってきません。ただ・・・』

 

酒場の主人は、少し顔を翳らせた。

 

『大禁忌地帯は別のようです。あの地帯は、入っただけで襲ってくる魔物がいるそうです。イルビットの人たちも命懸けであの地帯に入っているそうですが、死者も出ているみたいですね』

 

『入っただけで襲ってくる魔物・・・ つまり、大禁忌地帯そのものを「縄張り」にしている魔物がいるということか?いくらなんでも、縄張りとしては大きすぎると思うが?』

 

『さぁ、私もよく知らないのですが、ちょうど一年ぐらい前にも、イルビットの人が一人、殺されました。「これから」という研究者だったそうで、私もお悔やみの品を贈りました』

 

ディアンは頷いた。これ以上は、行かなければ解らないだろう。イルビット族は変わり者だが、この地の人間族とは上手くやっているようである。そして、大禁忌地帯には「未知の魔物」がいるということも収穫であった。ディアンの知識の中に、一国に匹敵する面積を縄張りにする魔物など存在しない。料理と酒を手に対面席(カウンター)から離れ、レイナたちの席へと移動する。美人三人が食事をしているため、周りの男たちはいつ声を掛けようかと、機会を図っているようであった。面倒なことになる前に、ディアンはさっさと、椅子に座った。落胆の溜息が、周りから聞こえる。

 

『どうだった?』

 

『行かなければ解らないというのが正直なところだが、気になる情報はあったな。オレの知る限り、魔物というものは縄張りへの侵入者以外は襲わないはずだった。だが、大禁忌地帯にはその常識から外れた魔物がいるようだ。侵入者を排除することを目的としているような・・・』

 

ディアンはそこで言葉を切った。自分が発した言葉に、ある気づきを得たからだ。

 

『・・・そうか、だから「大禁忌地帯」なのか。ソイツは魔物じゃないな。大禁忌地帯を護る「警備兵」のようなものだ。あの地には、やはり何かあるぞ。想像を絶するほどの何かが・・・』

 

『ディアン?』

 

『放っておけ、ディアンのクセだ。滅多にないが、何かに集中すると、まとまるまで独り言を呟き続ける。私たちは、酒を呑みながら待っていれば良い』

 

ブツブツと呟く主人を放置して、使徒二人は次の料理を何にするかで盛り上がっていた。ソフィアだけが、ディアンの独り言を聞き取ろうと集中していた。

 

 

 

 

 

翌日、集落を出発したディアンたちは、大禁忌地帯近郊にあるという「イルビット族の森」を目指した。食料などの物資も運んでいく。イルビット族は「生活のための農耕」などはしない。そのため、金銀よりも食料のほうが喜ばれる。荷車三台分の食料、塩、衣類、紙類などを調達した。この旅で一番の出費であったが、全く惜しくはない。ここからが、旅の目的だからである。長閑な田園風景が途切れ始め、やがて鬱蒼とした森が見え始めてくる。そして森の向こう側に、そびえるような山が見えた。

 

『あの山に「メルジュの門」があるのか。どうやら、目的地に到着したようだな』

 

少し警戒しながら、森に入る。馬や荷車が行き来をしているであろう小路を進むと、イルビット族の集落が見え始めた。ディアンたちは馬を降り、手綱を引きながら集落に入る。二十軒ほどの家屋が集まっている。それぞれが大きな家であった。人の気配はあるが、広場には腰掛けながら本を読む子供が一人だけであった。仕方が無いので、その子供に声を掛けた。

 

『少し良いかな?私はディアン・ケヒトという旅人です。大禁忌地帯に興味があり、この地まで来ました。出来れば、この集落の長の人に、話を聴きたいのですが?』

 

子供はパタンッと書を閉じると、ディアンを見上げた。少年かと思っていたら、少女であった。黙って立ち上がると、ディアンたちを手招きする。少女の後についていくと、木と石で出来た古びた家に着いた。少女が家の中に入る。

 

『おじいちゃん、お客さんが来たよ』

 

『ペトラ!見知らぬ人を入れてはいけませんよ』

 

少女の声に、イルビットの女性が出てきた。明らかにディアンたちを警戒している。ディアンはターペ=エトフ発行の身分証の他、イルビット族代表の推薦状を差し出した。この為に用意をしておいたものである。

 

『突然の訪問をお詫び致します。私の名は、ディアン・ケヒトと申します。この地より遥か西方にある国「ターペ=エトフ」の王太師を務めています。これは、王直筆の身分証明です。またこちらは、ターペ=エトフに住むイルビット族の代表者からの推薦状です。併せて、ご確認下さい』

 

丁寧な挨拶であったためか、少女の母親と思える女性も警戒を解いた。ディアンが差し出した二つの書状を受け取ると、家の中に入っていった。女三人は顔を見合わせていたが、ディアンは黙って、扉の前で待ち続けた。半刻ほどして、ようやく扉が開いた。先ほどの女が頷き、家に入るように促した。客として認めてもらえたようである。

 

 

 

 

 

『ターペ=エトフでは、どのような作物が穫れるのだ?』

 

大禁忌地帯について聞こうと思っていたディアンは、逆に質問攻めを受けていた。イルビットの研究者たちが周りを囲んでいる。当初はディアンたちを警戒し、家に鍵をしていたイルビットたちも、身分が明らかにされたこと、かなりの「土産」があることなどを聞くと、一斉に家から飛び出してきたのである。好奇心でウズウズしていたようであった。女三人は、イルビット族への対応をディアンに押し付け、自分たちは料理の支度を始めている。どうやら宴をするようである。

 

『お主たち、これ以上、旅人を困らせるな。彼らは儂らに聞きたいことがあって、この地を訪れたのじゃぞ?』

 

杖をついた老年のイルビットが声を掛け、ようやく質問攻めは落ち着いた。イルビット族の長「ベルムード・ラクス」である。年齢は不明である。三百歳でも幼女に見えるほど老化が遅いイルビット族で、ここまでの老年はディアンも初めて見た。下手をしたら、七魔神戦争前から生きているかもしれない。

 

『お主が持参した推薦状を読んだ。イルビットが、他人の知識や知性を褒めることなど滅多に無い。大禁忌地帯を知りたいそうじゃが、何を知りたいのじゃ?』

 

『聞きたいことは山程あります。ですがその前に、西方に住んでいた私が、なぜ大禁忌地帯を知ったかについて、ご説明をします』

 

ディアンはブレアード・カッサレの話をした。長老の眉毛が上がる。他のイルビットたちも頷いていた。ディアンは説明を続けた。

 

『ブレアードは、残念ながら西方で起こった戦争で呪いを受け、長い眠りについています。彼が残した魔道書の中に、この地のことが載っていました。私はそれを読み、この旅に出たのです。そこでお聞きしたい。貴方がたは、大禁忌地帯の「メルジュの門」に、「ディル=リフィーナ成立の秘密」が隠されていると考えていらっしゃるようですが、その根拠は何でしょうか?』

 

しばしの沈黙の後、皆が一斉に喋り始めたため、何を言っているのか全く聞き取れない。どうやら喋りたくて仕方が無いようである。高い知性を持つ者に、得てしてあることであった。ディアンは苦笑いをした。ベルムードが杖で地面を鳴らした。それでようやく、静かになる。

 

『それについては、儂の口から説明をしたほうが良いじゃろう。何しろ、この集落を作ったのは儂じゃからな。じゃが、それは明日にしよう。数十年ぶりの「研究者」の来訪じゃ。今宵は皆で、宴をしようぞ』

 

さすがに「老境」であった。研究一辺倒のイルビットも、千年以上を生きれば「幅」が出るようになる。大鍋が用意され、やがて宴が始まった。ディアンは一人ずつに挨拶をした。どうやらこの集落では、全員が「大禁忌地帯」を研究対象としているようである。いわゆる「共同研究の集落」であった。

 

 

 

 

 

『ブレアードか・・・ 数十年前の話じゃが、昨日のことのように覚えておる。弟子の名は、確か「李甫」とか言ったな。二人共、人間にしておくのが勿体無いくらいに、研究意欲が旺盛であった。何より、魔術を使えたからな。彼らがいたのは僅かな期間であったが、彼らのおかげで、研究も捗った・・・』

 

宴の翌日、ディアンたちはベルムードの研究室に招かれた。かなり広い部屋の両壁に、無数の書物や研究資料、先史文明期の遺物と思われる品々が並んでいる。揺り椅子に腰掛け、煙管を蒸かしながら、遠い目をして語り始めた。

 

 

 

 

およそ一千百年前、ラウルバーシュ大陸西方では衝撃が走った。三神戦争で封印を逃れた「古神」たちが集まり、現神との戦争を始めたのである。世に言う「七魔神戦争」である。神々の戦いは、その地に住む全ての種族にとって「災厄」であった。強大な魔力の衝突によって、空は暗く、大地は灰に覆われた。若きイルビットであったベルムードは、七魔神戦争の災厄を逃れるため、仲間たちと共に東へと逃げた。七魔神戦争は、主に大陸中央から西方にかけて繰り広げられたため、東方に行くほどに、災厄の被害は少なかったのである。今で言う「アヴァタール地方南方」を抜け、東へ東へと逃げたイルビットたちは、やがてラウルバーシュ大陸「東岸」に辿り着いた。

 

『三神戦争の激戦区であった「死の大砂漠」の北方を抜けた儂らは、ようやく安住の土地を見つけたと思った。じゃが、そこにも既に、人間族が住んでいた。儂らは彼らから嫌われ、住むことを拒否された。そこで、船を漕ぎだした。この大陸から船で三日ほど東に行くと、島がある。その島には、誰も住んでいないという話を聞いたのじゃ。人間族たちは、その島を「蓬莱島」と呼んでいた』

 

『その時は、イルビット族は何名だったのですか?』

 

『二十三名じゃ。儂らは船を造り、海への漕ぎだした。波高く、天気も荒れていたが、何とか島にたどり着いた。儂らはそこで、驚くべき光景を見た・・・』

 

蓬莱島に辿り着いたイルビット族は、そこで「先史文明期の遺跡」を発見した。それはラウルバーシュ大陸のどの遺跡よりも、保存状態の良いものであった。生きるために必死であった彼らは、これまでの研究資料を喪失していた。知的好奇心の充足が全てである彼らにとって、研究課題が無いことほど、苦痛なことはない。イルビット族は蓬莱島で「新たな研究課題」を発見したのである。

 

『イアス=ステリナ世界では、科学と呼ばれる文明が発達していた。そのことは儂らも知っていた。じゃが、蓬莱島で見た遺跡は、その文明がどれほどに発達していたかをまざまざと思い知らされた。信じられるか?蓬莱島には、高さ十町、三百階建ての建物がある。それも複数じゃ。それだけでは無い。鉄のように硬いのに羽のように軽い素材も見つけた。見たこともないほどの極小の部品が、何千万と集まって造られている機械も見つけた。今も、思い出すだけで興奮する。イアス=ステリナで生きていた人間族は、信じられないほどに高度な文明を持っていたのだ』

 

『なるほど、貴方はそれで、先史文明を研究しようと思ったのですね。ですが、何故、大禁忌地帯に辿り着いたのですか?』

 

『うむ。儂らは数十年間、蓬莱島で遺跡の発掘と研究を続けた。まず文字の解読が厄介であった。儂らが使っていた文字とは全く異なるからのう。幸いなことに、同士の中に「暗号解読」の研究をしていた者がいたので、やがてある程度の文字は読めるようになった。そして儂らは、蓬莱島の地下にあった「研究室」と思われる遺跡で、ある遺物を発見した・・・』

 

ベルムードは立ち上がると、机の引き出しを開けた。金属製の薄い板を取り出す。大きさは書籍と同じ程度の大きさであった。その板を大事そうに抱えると、再び椅子に腰掛ける。

 

『その研究室には、イアス=ステリナ人と思われる化石が二体、転がっていた。そして、机の上に透明な箱が置かれ、その中にこの板が入っていた。ここにはこう書かれている・・・』

 

 

・・・新世界の誕生は、地殻に大きな変化を齎す。我らは、二つの世界の融合を計算し、最も安全と思われる場所に、この世界の全てと、新世界誕生の経緯を記録として残す。遠い遠い子孫たちよ。邪なる者に、この遺産を渡してはならない。この遺産の価値を理解し、我らが教訓を活かせる者にのみ、引き継がれるであろう・・・

 

 

 

『・・・そして、板の裏面にはこのような絵が描かれている』

 

ベルムードは、ディアンに板を差し出した。裏面には地図のようなものが描かれている。少し首をかしげたが、やがてそれが何なのか理解した。それは「ラウルバーシュ大陸の全体像」であった。

 

『この板が造られたのは、新世界の誕生前のはず。にも関わらず、イアス=ステリナ人たちは、この大陸の形状を「計算」によって導き出していた。地図に丸で印がついておろう。見えるか?』

 

『えぇ・・・ この場所は・・・』

 

『そう、そこが大禁忌地帯じゃ。儂らはその場所にこそ、イアス=ステリナ人の遺産が残されていると考えた。興奮した我らは、喜び勇んで、この地を目指した。簡単に手に入ると思っておった。じゃが・・・』

 

『メルジュの門、ですか?』

 

『それもある。そしてそれ以外にも問題があった。儂らは大禁忌地帯に入ったその日のうちに、三人の同志を失った。未知の魔物に襲われたからじゃ。その魔物たちは、まるで何かを護るかのように、昼も夜も大禁忌地帯を見まわっている。儂らは彼らの目を盗んでは、その地に入り、発掘を始めた。そしてようやく、メルジュの門を発見した。じゃが、そこで研究が止まってしまった・・・』

 

『開かないのですね?扉が・・・』

 

『そうじゃ。どうしても開かぬ。儂らは先史文明の知識を利用し、悪を為そうなどとは毛ほども考えておらぬ。ただ知りたいだけなのじゃ。なのに、あの扉は儂らを受け入れてくれぬ。儂は焦った。このままでは、千年後も、二千年後も開かぬかもしれぬ。そうするうちに、この発見も埋もれてしまう。残さなければ・・・ イアス=ステリナ人のように、儂らも研究を子孫に残さなければ・・・ そう思い、この集落を造り、子孫を残すために仲間同士で婚姻を行った。研究のためには、より多くのイルビットが必要じゃからな。あれから一千年・・・ この集落もようやく、五十名を超えた。扉は未だに開かぬが、子孫たちがいつの日か、あの扉を開くであろう』

 

ディアンは、渡された石版を読んだ。「あらゆる文字を読める」という能力は、イアス=ステリナ人の文字にも通用した。ディアンは板を読みながら首を傾げた。

 

『・・・ここには、こうありますね。「自らの潔白を証明した者のみ、我らが遺産を手にする資格がある」・・・ 唐突ですね。証明の仕方がで出ていない。中途半端な文章です』

 

『お主!読めるのか!』

 

ベルムードは白い眉を上げ、驚いた表情をした。先史文明の文字は、一般的には全く知られていない。長年にわたって研究をしたイルビット族でさえ、全ての解読は出来ていないのである。

 

『私は「あらゆる文字が読める」という能力を持っています。先史文明の文字も例外ではありません』

 

『なんと・・・』

 

ベルムードは絶句し、やがて上を見上げて手を広げた。

 

『ナーサティア神よ。よくぞこの者をこの村までお連れ下さった。貴方様の御導きに、心から感謝を致します』

 

(いや、オレは自分の意志で来たんだが・・・)

 

ブツブツと祈りを唱えるベルムードは放っておき、ディアンは板を観察した。何らかの金属で出来ているが、鉄ではない。叩いて音を確認しようとした。だが、叩いてもこの物体の音ではなく、指の音しかしない。ディアンは首を傾げた。いつの間にか祈りが終わったベルムードが、笑いながら説明をした。

 

『この板は何から出来ているのか、我等にも全く解らぬ。ただ言えることは、決して破壊できないということだ。切ったり、叩いたり、熱したり・・・あらゆる衝撃を加えたが、全く変化をしない。熱した炭火の中に放り込んでも、全く熱くならないのだ』

 

『熱変化も起こさないのですか?そんな物質があるのか?』

 

ディアンは試しに、曲げてみようと試みた。だが、鋼鉄の鉄格子を簡単に歪める膂力を持ってしても、全く変化をしない。

 

『・・・単純に硬度や靱性の問題ではない。熱変化も起こさないし、何より叩いても音がしないというのが妙だ。ただの物質ではないな』

 

ベルムードはディアンの様子を見ながら笑った。首を傾げると説明をした。

 

『ブレアードも、お主と全く同じことをしておった。純粋魔術をぶつけたりもしていたな。さて、話の続きをしよう。先史文明の文字が読めるのであれば、話は早い。お主の言うとおり、その板は中途半端じゃ。そこで儂らは、メルジュの門を開くための「鍵」がどこかにあると考えた。大禁忌地帯に入っては、その鍵を探し続けた。この千年間、奴らによって多くの犠牲が出たが、ついにその鍵を発見した』

 

『待ってください。「奴ら」とはなんです?』

 

ディアンの質問に、ベルムードが立ち上がった。

 

『・・・ついて来るがいい』

 

 

 

 

 

集落の外れにある建物に案内をされたディアンは、その光景に圧倒された。そこは倉庫であった。大禁忌地帯で発掘された、様々な先史文明の遺物が保管されている。転生前まで科学世界で生きていたディアンにとっても、未知の道具が多かった。

 

(オレがいた時代より、さらに百年以上は進んでいるな。使い方がまるで解からん・・・)

 

ベルムードは、倉庫の奥に入っていった。ディアンも後に続く。倉庫の最深部に、「ソレ」はあった。

 

『・・・これが、大禁忌地帯を護る魔物の正体じゃ』

 

『これは・・・』

 

背丈は十尺程度であろうか。体毛は一本もなく、節だった長い手足を持っている。その肌は微妙な弾力を持っているようだ。顔は無く、丸い片目だけが飛び出している。そして、頭部の一部が割れ、内部が見えている。極小の機械類がつめ込まれていた。

 

『数十年前、ブレアードとその弟子が、苦心の末に捕らえたのじゃ。それまでの一千年、儂らはただ逃げるしか無かった。彼らのおかげでようやく、正体が解った』

 

『生物ではない。これはヒトの手によって生み出された「機械人形」だ。これが魔物の正体か』

 

『大禁忌地帯を護りし存在・・・ 儂らは「宝殿の守人(SPRIGGAN)」と呼んでいる。イアス・ステリナ人によって生み出された、遺産の守護者であろう』

 

『「スプリガン」ですか・・・ この質感は、金属ではないな』

 

スプリガンは、既に死んでいるようであった。ディアンは近づき、観察をする。ベルムードが説明をした。

 

『ブレアードは当初、魔術によって倒そうとした。じゃが、スプリガンには魔術は通じぬ。魔力を弾き返してしまうのじゃ。そこであの男は、囮を使って罠を仕掛けた。縄を使って捕らえようとしたり、落とし穴を使ったりとしたが、どれも上手くいかなかった。最終的に「落石」によって動きを封じたが、当たりどころが悪かったのか、スプリガンは動かなくなってしまった。出来れば生かして捕らえたかったのであろう。ブレアードも残念がっておった』

 

『・・・この質感は、手足を自由に動かすために生み出された「複合素材」だな。秘印術を弾き返すということは、魔力を反射する特徴を持っているのかもしれない。落石で破壊できたということは、物理的衝撃は通じるのか・・・』

 

ディアンは夢中になって、既に壊れた「機械人形(ロボット)」を調べた。

 

『彼らは、どのような「攻撃」をするのですか?』

 

振り返らずに質問する。だがベルムードは気にすること無く答えた。

 

『主に炎と雷じゃな。あとはその長い手足で殴ってきたりもする。剣は使わないようじゃ』

 

『炎と雷・・・ だが機械である以上、魂が生み出す魔力は持たないはずだ。魔導技術であるはずもない。イアス=ステリナ人が創ったということは「電気」で動くのか?だが電源はどうする。大体、二千年以上も動き続ける電源なんてあるのか?』

 

ディアンはブツブツと呟き、考え事をする。やがて、肩に手が置かれ、我に返った。ベルムードかと思っていたら、レイナであった。

 

『ディアン、夢中になるのは解るけど、もう日暮れよ?今日は何も食べていないんでしょう?』

 

そう言われて、漸く気づいた。ベルムードは遥か前に、ディアンを置いて家に戻っていたのだ。ディアンは苦笑いした。

 

『済まない。夢中になっていた』

 

『仕方がないわよ。あなたにとって、この場所は遊び場みたいなものでしょうから。でも、今日は切り上げて、食事にしましょう。ソフィアが料理をしているの』

 

ディアンは立ち上がり、スプリガンを一瞥した。守人は沈黙をしたまま、ディアンを見つめ返していた・・・

 

 

 

 




【次話予告】

「あの扉を開ける鍵」

一年前、宝殿の守人(SPRIGGAN)の手にかかり、命を落とした研究者は、謎の板を残していた。その板を読み、ディアンは動揺する。自分ならば、扉を開けられることを知ってしまったからである。ディアンは熟慮の末、熾天使とイルビット族とを交えての三者会談を提案する。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第四十ニ話「三者会談」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第四十二話:三者会談

およそ三百年間にわたって繁栄をしたターペ=エトフには、幾つかの謎が残されているが、その中でも最大の謎とされているのが、ラウルバーシュ大陸七不思議の一つ「プレメルの大図書館」である。ターペ=エトフの首都「プレメル」には、レウィニア神権国の「領事館」が存在していた。そのため、プレメルの街並みやその繁栄ぶりは、レウィニア神権国内にも伝わっており、克明に記録されている。その記録の中でも特に目を惹くのが「プレメルの大図書館」についての記述である。特に、賢王インドリトの治世末期、ハイシェラ戦争によって本国に帰還した最後の「在ターペ=エトフ領事」であったエリネス・E・ホプランドの記録は、ターペ=エトフの最盛期を描いており、貴重な資料となっている。

 

・・・プレメルの大図書館は、「大図書館」と言われるだけあり、その大きさはプレイアの王宮に匹敵する。そしてそこには、古今東西のあらゆる書物が収蔵されている。インドリト王は「賢王」の名に相応しく、ターペ=エトフ歴元年から二百五十年間にわたって、書物を集め続けてきた。そのため、その蔵書量は膨大であり、延べ百万冊を超えている。図書館にはイルビット族の「司書」が常駐し、書籍や資料の整理を行っている。開架書庫には、東方諸国のお伽噺や北方の英雄譚などもあれば、西方各国の様子を描いた紀行記や各神殿の教典などがある。閉架書庫は、許可された者のみが「目録」を見ることが出来、司書に注文をして取り寄せるのである。無論、持ち出しは厳禁であり、鍵の掛かった密室でのみ、読むことが許されるのである。

 

私は数度、閉架書庫の目録に目を通しているが、その充実ぶりは信じ難いものであった。かの伝説上の大魔術師「ブレアード・カッサレ」が書いたと言われる魔道書は二十冊を超えている。旧世界の「教義」が書かれた書物や古神の物語など、西方諸国なら間違いなく「焚書」の対象となるような「禁断の書物」が充実している。そしてそれらの多くが、ターペ=エトフに住む各種族たちの言語に翻訳されているのである。神官や研究者などの「一部の者」のみが識る「隠れた知識」を公開しているのである。そのため、ターペ=エトフでは「多宗教」の者も多くいる。つまり、ガーベル神とヴァスタール神を同時に信仰するといった、他では考えられなようなことが当たり前で行われているのである。

 

プレメルの大図書館の大きな特徴として「先史文明期の遺物」が数多く展示されていることである。これらの多くは、東方諸国に住んでいたイルビット族たちが移住をしてきた際に、持ち込まれたものらしい。現在、ターペ=エトフの教育庁長官である「ペトラ・ラクス殿」も、元々は東方諸国に住んでいたそうである。展示は、既に研究が終わったものが対象とされている。魔導火付け石とは異なる原理の「着火装置」や、旧世界の人間族たちが持っていた「持ち運びできる書庫」など、百点近くが展示されている。その中でも特に目を引くのが、イアス=ステリナ人によって生み出された「人造魔獣」である。東方にある「大禁忌地帯」とよばれる地域で捕獲されたもので、魔力とは異なる原理で動いているらしい。展示されている魔獣は既に死んでいるが、旧世界の人間族がどれほど高度な文明を持っていたかを証明するものであろう。そして、こうした研究の多くが「イルビット族」によって行われているのである。

 

イルビット族たちは図書館内およびその近郊に住んでおり、常時百名を超えるイルビットたちが館内を歩き回っている。図書館には、彼らの研究室や倉庫が併設されており、地下の倉庫には数多くの「未着手の遺産」が存在すると言われている。しかし残念ながら、それらは特に厳重な管理が為されており、一般人はおろか、閉架書庫への立ち入り許可を得ている者でさえ、地下倉庫を見ることは許されていないのである・・・

 

ターペ=エトフ滅亡後、プレメルの大図書館に収蔵されていた膨大な書籍や貴重な資料、先史文明の遺産、イルビット族たちの研究成果など、ターペ=エトフが蓄え続けた「知の財産」の全てが、イルビット族たちと共に忽然と姿を消す。エディカーヌ王国に引き継がれた、との説を唱える歴史家もいるが、エディカーヌ王国(後に帝国)が公式に認めたことは、一度として無い。

 

 

 

 

 

宝殿の守護者(SPRIGGAN)」の正体を知った翌日、ディアンは話の続きを聞くために、ベルムードの研究室を訪れた。

 

『昨日の話の続きをお願いします。メルジュの門を開く鍵を手に入れた、とのお話でしたが・・・』

 

ベルムードは煙管を加えながら、揺り椅子を前後させた。煙を吐き出すと、ディアンに語りかけた。

 

『お主は昨日、こう言ったな。「自分にはあらゆる文字を読む能力がある」と・・・それは、確かなのじゃな?』

 

『これまでも様々な種族の文字や暗号を見てきましたが、読めなかった文字はありませんでした。これは事実です』

 

『フム・・・ ちょうど、一年ほど前じゃ。ある研究者が、大禁忌地帯で発見をしたのだ。それが「コレ」じゃ』

 

ベルムードが差し出したのは、昨日見た板と同じようなものであった。受け取ったディアンは眉をしかめた。昨日の板とは文字が違っている。

 

『見ての通り、蓬莱島で儂らが発見をした板とは、文字が異なっておる。蓬莱島の板は、旧世界で最も普及していた文字で書かれていた。それゆえ、儂らでも解読することが出来たのだが、この板の文字は、全く未知の文字じゃ。儂らの手に負えん』

 

『昨日、拝見した板と同じような材質ですね。ただ、裏面に地図は書かれていない。この板は、どのような部屋で見つかったのですか?』

 

ディアンの問い掛けに、ベルムードは表情を暗くして、首を横に振った。それでディアンは理解した。

 

『・・・そうですか。お亡くなりになったんですね』

 

『禁忌地帯からあと少しという森の中で見つかった。この板を背負って、走り続けたのじゃろう』

 

ベルムードは涙を流していた。知性の固まりであるイルビット族には珍しい。

 

『・・・儂の孫であった。ペトラの父親でもある。若い者が先に逝くのは、辛いものじゃ・・・』

 

『・・・お悔やみを申し上げます』

 

ディアンは短く、そう述べた。黙ったまま、板に目を落とす。読む前の印象として、字体に見覚えがあった。ディアンは記憶を巡らせた。

 

『孫が遺した、あの門を開く鍵じゃ。頼む、何とか解読をしてくれ。儂はもう、耐えられん。これ以上は仲間を、肉親を失いとう無い』

 

『やってみます。私独りにしていただけませんか?少し、時間を下さい』

 

ベルムードは頷き、部屋から出て行った。ディアンは再び、思索の中に戻った。

 

(この文字・・・似ているな。これは「古代ヘブライ文字」では無いか?死海文書と同じような字体をしている・・・)

 

旧世界イアス=ステリナは、自分がいた世界に極めて近い世界であった。古代ヘブライ文字であれば、イルビット族とはいえ、翻訳は不可能だろう。文字翻訳には、参考となる「文書(テキスト)」が必要になる。ヘブライ文字が残っているはずがない。だが、ディアンはさらに疑問を持った。「何故、ヘブライ文字」を使う必要があったのか?疑問を解くために、ディアンは解読を始めた。

 

 

 

 

 

・・・我が子の、そのまた子の、さらにそのまた子の、遠い遠い子孫たちに向けて残す。我等が文明の滅亡は避けられぬものとなった。二つ世界の融合は、太陽に大きな影響を与える。その結果、強力な磁気が発生し、全ての機器は使用不能となるであろう。そのことが判明した時、我等が築き上げし文明を記録として後世に残し、我等と同じ轍を踏まぬよう、警告をすべきと考えた。そこで我等は、融合後の世界を計算し、最も安全と思われる地帯に、我等の文明を封印した。この板を読んでいる者は、我等が遺した「地図」を解読せし者と思われる。そして封印の扉を前にして、無策の状態となっているであろう。この板が読めぬ者は、そのままでいるが良い。だが読める者は、失われし神を識る者であろう。扉を前にして、神の名の唱えよ。さすれば、扉は開かれるであろう・・・

 

ディアンは途中から手が震えていた。古代ヘブライ文字で遺した理由は、試験だったのである。この文字が読めるということは、神の名を識っている者、と考えたのだろう。確かに、宗教学者でもない限り、ヘブライ文字など読める者はいない。そしてディアンは、ここでいう「神の名」を知っていた。「神聖四文字(テトラグラマトン)」によって構成される、創造神の名前である。

 

(どうする。オレはどうすべきだろうか・・・)

 

この板に書かれている内容を考えると、メルジュの門の中には、先史文明の記録が眠っていると思われる。だが、ディアンの想像通りとは限らない。天使族が期待しているように、創造神が眠っているとは思えないが、例えばイアス=ステリナ世界の「人造の神」が眠っている可能性もあるのである。ディアンは瞑目した。日暮れまで、そのまま考え続けた・・・

 

『どうであった!読めたか?読めたのであろう!』

 

部屋から出てきたディアンに、ベルムードが詰め寄った。扉の前には、他のイルビット族たちもいる。ディアンは、皆に広場に集まるように伝えた。

 

 

 

 

 

『皆が期待しているように、あの板には「メルジュの門」の開け方が書かれていました。文字が違ったのは、「開けられる者」を選ぶためです。あの文字は、イアス=ステリナ世界の「創造神」を識っている者が読めるのです。創造神は、あの板に書かれている文字で、その名が呼ばれていたのです。つまりあの文字が読めない以上、皆にはあの扉を開ける資格が無いことになります。少なくともイアス=ステリナ人は、それを望んでいません』

 

イルビット族たちは沈黙した。だがその表情には、複雑な感情が浮かんでいた。ある意味で、この一千年間の苦労が否定されたからである。ディアンが提案した。

 

『一応、確認しておきます。あの扉を開けること無く、研究を捨てる・・・という選択もありますが、どうします?』

 

『論外じゃっ!』

 

ベルムードが叫んだ。そして言葉を続ける。

 

『確かに、儂らにはその文字は読めなんだ。じゃが、千年以上にわたって苦労し続け、ようやく果てまで来たのじゃ。諦めることなど出来ぬわい!』

 

他のイルビットたちも一斉に声を上げた。誰しもが、扉を開けたいと言う。ディアンは頷いた。

 

『そうですね。読める、読めないだけで判断をされたら堪らないでしょう。皆は偶然、ここにいるわけではありません。千年前から続く研究を引き継ぎ続け、自らの意志でこの地にいるのですから。あの扉の中を見る資格は、十分にあると思います。ですが・・・』

 

ディアンは言葉を切って、皆を見回した。

 

『あの扉を開けましょう。ですがその前に、天使族を呼び寄せたいのです。彼らも、皆と同じように、資格を持っていると思います』

 

互いに顔を見合わせる。ベルムードが咳払いをした。

 

『・・・お主の言う天使族とは、濤泰湖の天使族のことであろう。千年前、我等がこの地に来た時には、彼らは既に、メルジュの門に挑んでいた。じゃがそれ以降は、我等の研究を遠回しに眺めるだけで、何もしておらぬ。彼らに資格があるとは思えぬが?』

 

ディアンは首を振った。濤泰湖上空の「天空の島」について語る。

 

『天使族たちは、あの扉の中に「創造神」が封印されていると信じています。彼らはそう信じることで、何とか纏まっていたのです。だが、それももう限界を迎えています。二千年間、信じ続けてきたのですよ。彼らにも、中を見せてあげましょう』

 

ベルムードはしばし考え、頷いた。

 

 

 

 

 

『・・・ディアン殿、これはどういう意味ですか?』

 

ベルムードの部屋に、イルビット族、天使族、そして魔神が腰掛けている。熾天使ミカエラは、机の上に水晶を置いた。赤でも青でもなく、紫色に輝いている。イルビット族たちに許可を得て、ディアンは濤泰湖上空に住む天使族の長「ミカエラ」を呼び寄せたのである。秀麗な顔に、戸惑いの表情が浮かんでいた。

 

『赤と青を混ぜると、紫色になります。そういう意味です』

 

『ですから、どういう意味なのです!』

 

『ふむ、イラつかれている貴女の顔も、実に美しいですね』

 

後ろに立っていたレナイがディアンが腰掛けている椅子を蹴った。ミカエラも、こうした「からかい」に慣れていないようで、怒りの表情が浮かんでいる。場が和まないため、ディアンは仕方なく、説明をした。

 

『メルジュの門について、イルビット族から研究の成果を聞きました。そして殆ど確信して言えます。あそこには創造神は封印されていません』

 

『・・・・・・』

 

ミカエラはディアンを睨んだ。ディアンはその視線に耐えながら、机の上に、二枚の板を置く。ミカエラは震える手で、発見された板を手に取った。天使族であれば、古代ヘブライ文字を読めても不思議ではない。

 

『イアス=ステリナ人は、あの扉に自分たちの文明を遺産として残しました。ベルムード殿が千年前に発見した「地図」によってメルジュの門まで導かれ、この地で「開け方」を説明した板が発見された。このことから言い切れるのは、あの門は人の手によって造られたものだということです。創造神を封印したとは思えません』

 

『・・・神の名を唱えれば、扉が開く・・・「神の名」とは、主の名前のことですね?』

 

『古神の名は、幾つかは残っておるが、主神である「創造神」の名までは、儂らは知らん。天使族の最上位、熾天使であれば、知っておるのではないか?』

 

ベルムードの問いかけに、ミカエラは首を振った。

 

『いいえ。知りません。私たちは「主」とお呼びしていたのです。神名(みな)は、乱りに口にするものではありません』

 

ベルムードは、深い溜息をついた。ディアンは言葉を続けた。

 

『まぁ、それは問題ありません。創造神の名は、私が知っていますから・・・』

 

『なっ・・・』

 

『なんじゃと!』

 

ミカエラとベルムードが驚愕の表情を浮かべる。

 

『何故じゃ?何故、お主が知っておる!』

 

『私が生まれた地方に、その名が残されていた・・・としておいて下さい。それ以上は言えません』

 

『・・・・・・』

 

ミカエラは黙って、ディアンを見つめていた。ディアンが転生者であることを知っているが、それは漏らさないと約束をしている。話題を変えるように、ミカエラが質問をした。

 

『それで、なぜ私を呼び寄せたのですか?創造神が封印されていないのであれば、青色であったはずですが?』

 

『理由は二つです。一つは、貴女が創造神の神名をご存じないか、確認をするため。もう一つは、貴女を救うためです』

 

『救う?』

 

『ミカエラ殿、貴女は知っていたのでしょう?創造神など封印されていないと・・・ だが、天使族をまとめるためには、なにか希望が必要だった。メルジュの門は、その希望として格好の対象だったでしょう。「扉を開けば、創造神が復活する」と皆に希望を与える。だが同時に、扉が開いてしまえば、皆が絶望する・・・ この二律背反に、貴女は苦悩し続けたでしょう。私は扉を開けます。ですが、天使族たちの希望を奪いたくは無いのです。ですからお呼びしたのです。あの扉の向こう側に、一緒に行って頂く為に。そして、他の天使族たちに「主は現時点での復活は望んでおられない。だがいつの日か復活し、我らを導いて下さる。そう約束をした」と伝えていただくために・・・』

 

ミカエラは立ち上がった。拳を握りしめる。

 

『私に、嘘をつけと・・・皆を欺けというのですか!』

 

『えぇ、そうです』

 

ディアンは平然と返答をした。そして言葉を続ける。

 

『七つの大罪とは、「高慢・貪欲・嫉妬・憤怒・貪食・色欲・怠惰」です。不思議に思いませんか?なぜ「虚言」は入っていないのでしょう?それは、時として「嘘」が幸福に繋がることもあるからです。貴女が嘘を言えば、他の天使族たちは「主は確かに、存在した。そしていつの日か、姿をお見せになる。私たちはその日を待ち続ければ良い・・・」という希望を持つことが出来ます。扉の中に入った貴女の言葉です。疑うことは無いでしょう。嘘?結構じゃありませんか。これまでだって、内心では違うと思いながらも、メルジュの門に希望を持っていたのです。その希望を強めてあげるのですよ。「信じる者は救われる」のです』

 

熾天使を相手に平然とするディアンに、イルビット族長老も唖然としていた。熾天使ミカエラは肩を震わせたが、やがて溜息をついて椅子に座った。ミカエラを気遣いながら、ベルムードが問いかけてきた。

 

『じゃが、それは問題の先送りではないか?いつの日か、復活するなど・・・』

 

『確かに先送りですが、その間に手の打ちようがあります。天使族たちに、新たな「希望」を与えてやればよいのです。創造神が復活するのは、二千年後かもしれないし、二万年後かもしれません。そこで、新たな使命を与えるのです。そうですね。「人間族のみならず、この世界に生きる種族たちを見守れ」という使命ではどうでしょう』

 

『主の言葉をでっち上げようというのですか!何という・・・』

 

『始めに言葉があった。言葉は「神」であった・・・別にでっち上げではありませんよ。言葉という「神」を紡ぎだすのですから。天使族に生き甲斐を与えるのです。いつ復活するか解らない「遠い未来」などより、日々の中で「自分たちは何をすべきか」を与えてやれば、それだけで「堕天」は防げるはずです。ミカエラ殿、貴女は真面目に考えすぎです』

 

『貴方を見ていると、堕天した「あの男」を思い出します。あの男も、口が達者で、主と言葉より自己判断を優先する、勝手な男でした。それでいて、主は最も「あの男」を寵愛していた・・・』

 

『そうですね。私が天使だったら、とっくに堕天していたでしょうね。天使族の方々は、どうも「真面目すぎ」だと思いますよ』

 

『貴方が適当すぎるのです!』

 

熾天使ミカエラは、そう言いながらも笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

メルジュの門に向けての出発前夜、ディアンの部屋にミカエラが訪ねてきた。ディアンは驚いて、部屋の中に招き入れる。万一を考え、歪魔の結界を発動させておく。

 

『貴方に、御礼の述べに来ました。貴方の言うとおり、私は直感していました。あの門には、主は封印されていません。いえ、ひょっとしたら主は、この世界に存在すらしていないかもしれません。ですが、それは私たちにとって絶望と同じです。信じ続けるしか無かったのです。だから、メルジュの門を象徴として、主の復活という希望で束ねようとしたのです。ですが・・・』

 

『堕天する天使が出始めていた。もう、そのやり方では限界だったのですね。天使とは、肉の身体は持たなくても、人間族と同じように「信徒」です。信仰心が揺らげば、それは堕天に繋がってしまう。貴女は巧妙に信仰の対象をすり替えた。天空島の天使族は、いつの間にか「創造神」ではなく「メルジュの門」を信仰していた・・・』

 

ミカエラは辛そうな表情をした。その貌もまた、ディアンを惹きつけるものであった。ディアンは提案した。

 

『メルジュの門が開いた後は、どうされるおつもりですか?』

 

『貴方の言うとおり、天使たちに「主は復活を望んでいない」と伝えるつもりです。そして、新たな使命を受けたと・・・』

 

『宜しければ、ターペ=エトフにいらっしゃいませんか?メルジュの門の近くに住み続けるのは、辛いことだと思います。ターペ=エトフは、高い標高の山に囲まれています。その山に、天使族の住処を設けましょう。そちらに移り住んで下さい』

 

『有りがたいお話です。ですが、私たちは古神の眷属であり、しかも私は熾天使です。貴方の国に、迷惑を掛けるのではありませんか?』

 

『とんでもない。我が王「インドリト・ターペ=エトフ」は、あらゆる種族を超えた共存と繁栄を願っています。天使族も喜んで迎え入れるでしょう。もし、光神殿の連中が文句を言って来たら、それこそ魔神の出番ですよ』

 

『・・・私一人では、決められません。他の天使たちとも話し合う必要があります。少し、時間を下さい』

 

『そうですね。まずは、あの門を開けましょう。全てはそこからです』

 

話は終わったと思ったが、ミカエラは立ち上がらなかった。ディアンの顔を見つめる。

 

『貴方は、本当にディアン・ケヒトという名前なのですか?姿形は違いますが、貴方の雰囲気は・・・』

 

ディアンは手を上げて、ミカエラの言葉を止めた。

 

『オレは間違いなく、異世界からの転生者であり、ディアン・ケヒトという魔神です。貴女がたの仲間・・・いえ「元仲間」ではありませんよ』

 

『・・・いずれにしても、貴方のおかげで、天使たちも、そして私も救われました。心から御礼を申し上げます』

 

第一位の熾天使ミカエラが、魔神に頭を下げた。ディアンは頭を掻いた。どうもこの世界の住人は、物事を甘く見すぎているからだ。

 

『一言、申し上げておきます。まだあの扉は開いていません。「救われそうだ」と「救われた」では、天と地の違いがあります。正直に申し上げましょう。オレ自身も、まだ迷っているのです。開けるべきかどうか・・・』

 

ディアンを見つめたまま、ミカエラは少し、顔を赤らめた。

 

『あの・・・私に何か、出来ることはありませんか?』

 

その様子で、ディアンは悟った。ミカエラの手を取った。彼女は拒むこと無く、握り返してきた。

 

 

 

 

 

翌朝、日の出とともにディアンは目を覚ました。二刻程度の睡眠であるが、魔神である自分には何の問題もない。一晩中、自分を夢中にさせた美しい熾天使は、既に姿が消えていた。寝台には、純白の羽が一枚だけ、落ちていた。

 

 

 




【次話予告】

大禁忌地帯に入ったディアンたちは、「宝殿の守護者(SPRIGGAN)」を撃退しつつ、メルジュの門を目指す。目的地に立ったディアンは、創造主の「神名」を口にする。微かな振動と共に、扉から光が溢れる。ディアンたちは、光の中に進み出た・・・


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第四十三話「メルジュの門」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第四十三話:メルジュの門

TITLE:理想国家「ターペ=エトフ」に住みし「天使族」についての考察

 

ターペ=エトフについて残された記録は無数にあるが、その中に「天使族」について記述されたものは殆ど無い。ターペ=エトフでは実に多様な種族が暮らしていたが、天使族だけは住んでいなかったというのが、定説である。しかし、一部の歴史家たちは、この定説に疑問を投げかけている。「ターペ=エトフには天使族が住んでいた!」と唱える異端の歴史家も存在してる。しかしそれらの多くが、ラウルバーシュ大陸において、天使族は敬意の対象とされており、賢王インドリトが天使族を招かなかったはずがない、という「思い込み」による主張に過ぎない。それゆえ、歴史学会において、ターペ=エトフ天使存在説は、異端とされてきた。しかし今回、私は全く違う切り口から、あえて、ターペ=エトフには天使族が住んでいた、という仮説を唱えたい。

 

ここに、著者不明の旅行記「東方見聞録」がある。ターペ=エトフ歴五年に出版されたこの旅行記は、東方諸国の文化や思想を識る上で、貴重な文献となっている。だが私は、この旅行記が出版された時期とほぼ同時期に、ターペ=エトフにおいて稲作が開始されているという事実に注目する。当時、稲作は東方諸国を覗いては、ディジェネール地方以南でのみ行われおり、ターペ=エトフがあったケレース地方は無論、レスペレント地方やアヴァタール地方、セアール地方などでは稲作は行われていなかった。にも関わらず、ターペ=エトフで突然、稲作が始まったのは何故か?

 

私は、こう仮説をする。東方見聞録の著者は、ターペ=エトフ出身者であり、賢王インドリトより東方諸国の知識、技術を持ち帰るように命じられ、その過程を綴ったものが「東方見聞録」としてまとめ上げられたのではないか。この仮説を直接裏付ける証拠は無い。だが私は、レウィニア神権国神殿書庫において、ターペ=エトフ建国当時の神官の日誌を発見した。その日誌の中にこのような記述があったのである。

 

・・・先日、東方交易を専門とする行商人に連れられて、顔が平たく、背と鼻の低い男たち数十人が、プレイアの街に入ってきた。最初は奴隷かと思ったが、行商人の態度を見ていると、奴隷とは思えない。彼らは、中央大通りにある「ラギールの店」へと入っていった。東方諸国からもたらされた交易品なども運ばれていることから、彼らは東方で行商人に雇われたのであろう。今日、その行商人が再び行商に出ようとしていた。だが、東方人の姿は無かった。彼らは一体、どこに行ったのだろうか?妙に気になったので、日記に残しておく・・・

 

ラギール商会は、ターペ=エトフ建国前から西ケレース地方への交易を独占していたことは、良く知られている。そして、この神官の日誌を信じるならば、東方諸国から来た人々は、ラギール商会を経由して、建国間もないターペ=エトフに向かったものと推察できる。数十人もの東方人を受け入れるとなると、これは国家間でのやり取りが必須であろう。そこで私は、賢王インドリトが、東方諸国との繋がりを持つために使者を派遣し、その使者が東方見聞録を書いたと考えたのである。そして、この大胆な仮説を推し進めると、一つの結論が見えてくる。東方見聞録はその多くが文化的内容であるが、唯一、濤泰湖上空「天空島」に住む天使族との「色恋話(ロマンス)」が描かれている。多くの学者が「著者が読者の関心を惹くために書いた創作」としている部分だが、私はあえて、この話が「事実」であると仮説したい。その理由は、以下にまとめられる。

 

1.出版当初は「ホラ話」とされていた東方見聞録の多くが「事実」であったことが、判明してきていること

2.東方見聞録の著者は「事実」と「持論」を分けて書いており、事実の部分においては、今日まで「虚偽」が見つかっていないこと

3.読者の気を惹くための創作であれば、人間族との話を描けば良い。天使族との恋愛など、読み手が「嘘だろう」と思う可能性が高い。にも関わらず、著者は天使族との話を描いていること。

 

私は、東方見聞録が極めて事実に忠実であり、論理的かつ客観的に書かれている点に注目したい。そしてその中で、天使族との恋愛部分だけが、曖昧な状態となっている。一見すると「自然消滅」のようにも見えるが、同時に「その後も関係の継続」とも捉えられるような描き方をしている。このような曖昧な表現は、東方見聞録の中でもここだけである。私は、この曖昧な表現にこそ、著者の意図が隠されていると考える。つまり、事実を描くと「政治的問題」となりかねなかったのではあるまいか?

 

知っての通り、当時のターペ=エトフは建国間もなく、レスペレント地方の光神殿勢力とは微妙な関係であった。さらに、ルプートア山脈を挟んで西方には「セアール地方」となっていた。つまり「嵐神バリハルト神」の信仰が広がっていたのである。古神の眷属である龍族は、ターペ=エトフの元老院にも参加をしていた。そこにさらに「天使族」まで加わるとなると、西方諸国を刺激することになりかねない。賢王インドリトは、政治的配慮から、天使族を意図的に隠したのではあるまいか。

 

確かに証拠は無い。だがそう考えると幾つかの事実が繋がってくるのである。本日は「新たな視点で歴史を考える」というテーマであったため、敢えて、このような仮説を提示してみた。ご静聴、感謝を申し上げる・・・

 

メルキア帝国国立博物院 アーダベルド・D・マリーンドルフ院長の講演より

 

 

 

 

 

・・・侵入者ヲ発見ッ!タダチニ排除シマス・・・

 

抑揚のない電子的な声とともに、雷撃が襲ってきた。ディアンは物理障壁結界を張って、それを防ぐ。グラティナが駆け、「宝殿の守護者(SPRIGGAN)」の首を飛ばす。レイナとミカエラは、ソフィアやイルビット族を護る。首を飛ばされた機械人形は、それでも手足をウネウネと動き続ける。ディアンは胴体の中央部を踏み抜いた。スプリガンには魔術は効かない。物理的衝撃のみが有効だが、剣で斬れるのは隙間だけであった。魔神剣クラウ=ソラスなら胴体を切り裂くことも出来るかもしれないが、下手をしたら剣が負けかねない。

 

『魔術が効かないっていうのは、厄介だな。イアス=ステリナ人は魔力を知っていたのか・・・』

 

大禁忌地帯に入ったディアンたちは、早速、スプリンガンの襲撃を受けた。雷撃や炎などの秘印魔術を使ってみたが、全く効果がない。十名近くのイルビット族たちを連れているため、魔神化するわけにもいかない。彼らでは魔神の気配に耐えられないからだ。ミカエラも気配を抑えている。そのためか、熾天使本来の力を発揮できないようであった。レイナと連携をしながら、スプリガンを食い止める。

 

『ディアンッ!思ったよりも数が多いぞ。このままでは取り囲まれるッ!』

 

『仕方が無いか・・・ティナッ!イルビットたちをお前の気配で護れっ!これから魔神化する!』

 

グラティナが下がると同時に、ディアンの気配が一変した。圧倒的な「魔の気配」に、周囲が陽炎のように歪む。イルビット族たちが驚きの声を上げた。ディアンが魔神であることを知ったからである。瞳の色が真紅に変わったディアンは、クラウ・ソラスを抜き、凄まじい速さでスプリガンたちの間を駆け抜けた。首や手足の隙間を確実に斬っていく。十体以上の機械人形が、行動不能となる。拓かれた路を駆け抜ける。その後も、幾度かの襲撃を受けながら、一行は何とか、メルジュの門がある山の麓まで辿り着いた。

 

 

 

 

 

『全く、お主には驚かされっぱなしじゃわい。まさか魔神であったとはのう・・・』

 

ベルムードが肩で息をしながら、ディアンに文句を言った。高齢を押しての同行である。出来るだけ身体に負担を掛けないようにしてきたが、かなり疲労をしていた。回復魔法を掛けようとすると、ミカエラが翼をはためかせた。白い光が皆を包み、疲労が回復していく。

 

『「天使の抱擁」です。疲労回復の効果があります。さぁ、もう少しです』

 

どうやら天使族が持つ「技術」らしい。魔術とは違う技に、ディアンは興味を持った。だが今はメルジュの門が先である。スプリガンの追跡を警戒していたグラティナが、首を傾げた。

 

『この山に入ってから、襲ってこなくなったぞ?』

 

『何故か、メルジュの門に近づくと、スプリガンたちは襲ってこなくなるのじゃ。ここまで来れば、もう襲われることもあるまい』

 

『恐らく、そのようにプログラムされているのだろうな。誰も近寄れなくすると、あの門を開ける者がいなくなるからな・・・』

 

『プログラム?何じゃ、それは?』

 

『まぁ、「躾け」のようなものです。そろそろ出発しましょう』

 

一息ついた一行は、山を登り始めた。歩きながらベルムードが語る。

 

『儂らは、大禁忌地帯の全てを探索したわけではない。特にこの山の南部は、スプリガンの警戒が厳重で、近づくことすら出来なんだ。あの板は、そこから見つかったのであろう。無茶をしおって・・・』

 

『ですが、その無茶によって、貴方がたの千年の研究が終わろうとしています。決して、無駄ではありません』

 

やがて、山の中腹部にある大きな洞窟の前に出た。自然のように見せているが、明らかに人工的な洞窟であった。ディアンは洞窟の壁を撫で、そして純粋魔術で壁を破壊した。

 

『な、何をするのじゃ!』

 

ベルムードが怒りの声を上げたが、破壊された壁を見て愕然とした。破壊された岩壁の先に、金属的な壁が出現したからだ。ディアンは頷いた。

 

『どうやら、この山自体が人工物なんだ。恐らく、地下に溶岩地帯がある。その上に建物を築き、地熱を電源にしているんだ。スプリガンが二千年以上も動き続けている理由は、この山の何処かに、彼らの「充電場所」があるからに違いない』

 

『電源?イアス=ステリナ人が使っていたという「電気」の源のことか?つまり、この山自体が「科学の結晶」ということか!これまで気づかなかったとは・・・』

 

『仕方が無いでしょう。岩の厚みは五尺近くあります。山そのものが人工物なんて、普通は考えません』

 

洞窟を進むと、やがて巨大な門が出現した。その高さは二十尺近くある。

 

『これが・・・「メルジュの門」か・・・』

 

ディアンは感慨深げに、扉の前に立った。扉に触れてみる。「あの板」と同じような素材で出来ている。極大純粋魔術を使ったとしても、ビクともしないだろう。後ろからベルムードが語りかけた。

 

『ブレアードは、この門を目掛けて何発もの魔術を放った。だが傷一つ付かなかった。あの者もついには、諦めざるを得なかった・・・』

 

周りを見ると、所々の岩に焼け跡が見える。純粋魔術や火炎系魔術を放って、扉を破壊しようとしたのであろう。イラつく表情で魔術を放つブレアードを想像し、ディアンは思わず笑った。振り返り、皆に最後の確認をする。

 

『さて、これから神の名を唱えるが、その前に最後の確認だ。本当に開けて良いんだな?この中に何がいるか解らない。下手をしたら、イアス=ステリナの人工神「機工女神」が眠っているかもしれない。それでも、開けるんだな?』

 

『・・・千年じゃ・・・儂は千年間、この瞬間を待ち続けてきた。諦めようとしたこと、挫折しかかったことも幾度もあった。ついに、ここまで来たのじゃ。危険は百も承知じゃ。頼む、開けてくれ・・・』

 

ディアンはミカエラを見た。美しき天使は黙って頷いた。ディアンは意を決した。使徒たちに指示を出す。

 

『レイナとティナは、万一に備えて臨戦態勢を取っておけ!オレも魔神化する!』

 

二人が剣を抜く。イルビット族たちはその後ろに隠れた。しかし、扉が開く瞬間を見たいのであろう。顔だけを覗かせる。魔神となったディアンは、大声で創造神の名を唱えた。

 

יהוה (ヤハウェ)!》

 

洞窟内に声が響き、そして静かになった。扉に変化はない。ベルムードが怪訝な表情を浮かべ、踏み出そうとした時に、低い地鳴りが響いた。扉がゆっくりと左右に開き始める。その隙間からは、眩い光が溢れていた。

 

『お・・・おぉぉ・・・うぅっ』

 

ベルムードは膝を崩して、泣いた。他のイルビット族たちも、涙を流している。扉は、人の肩幅程に開いた。ディアンは最警戒の体制を取っていたが、特に危険の気配は感じない。人間の貌に戻り、振り返る。

 

『さぁ、中に入ろう・・・』

 

眩い光の中に進み出た・・・

 

 

 

 




【次話予告】
※度々の遅れで申し訳ありません。次話は6月4日(土)アップ予定です。

先史文明期「イアス=ステリナ」の記録、それはディアンたちを驚かせるものであった。

何故、イアス=ステリナ人は異世界を求めたのか
何故、新たな神「機工女神」を創造したのか
何故、二つの世界は融合したのか

ディル=リフィーナ成立の秘密が明らかになる。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第四十四話「二つ回廊の終わり」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第四十四話:二つ回廊の終わり

Dulle=Riffina(ディル=リフィーナ)とは、古代エルフ語で「二つの回廊の終わり」という意味であり、ラウルバーシュ大陸を含め、全世界を指し示す意味として用いられている。この言葉は、現神は無論、人間族や亜人族など、世界に住む知的生命体全般に知れ渡っているが、「いつ」「誰が」この呼称を生み出したかについては、諸説がある。一般的には、現神の大神「アークリオン」が三神戦争時に、光の神々を指揮する際に用いたと言われているが、明確な証拠があるわけではない。ただ、古代エルフ語であることから、イアス=ステリナ人や古神ではないことだけは、確かだとされている。ディル=リフィーナが成立する以前は、世界は「ネイ=ステリナ」と「イアス=ステリナ」と呼ばれ、それぞれが異なる世界であった。二つの世界が融合した理由は、高度な科学文明を形成していたイアス=ステナ人(人間族)が、異世界の「観察」を開始したことが契機と考えられている。無論、後世においてはイアス=ステリナの大半の知識が失われているため、具体的にどのような手段で観察をしたのかまでは解っていない。二つの世界が融合した直後、一部の人間族がこうした「歴史的経緯」を後世に伝える必要があると考え、伝承や物語などを通じて残したのである。

 

ディル=リフィーナ成立直後、元イアス=ステリナの神々は、新世界に「復活」をする。これは、イアス=ステリナでは殆どが消滅していた「信仰心」が、ネイ=ステリナでは豊富であったため、と考えられている。神の力は信仰心によって強弱が変化をするが、存在の可否については「認識」によって左右されるため、ネイ=ステリナの神々を信仰していた亜人族たちの「信仰心」によって、イアス=ステリナの神々も姿を現したのである。新世界誕生直後、二つの世界の神々は互いに邂逅し、どちらの神が、各種族の信仰心を「支配」するかで対立をした。特に、ネイ=ステリナの神々は、新たな種族である「人間族」の持つ「運命を切り拓く力」に興味を持ち、彼らから信仰を得るために「魂が生み出す力=魔力」を教える。新世界誕生により、科学を喪失していた人間族は、新しい力に飛びつき、古神から現神へと信仰を切り替えるのである。

 

三神戦争とは、新世界の「支配権」を巡って、イアス=ステリナの神々とネイ=ステリナの神々、そして人間族が生み出した「人造の神=機工女神」の三者による、三つ巴の戦争であった。しかし、主な戦いは、イアス=ステリナとネイ=ステリナの神々によって行われ、機工女神は傍観者であったと言われている。最終的には、機工女神もネイ=ステリナの神々に味方し、イアス=ステリナの神々は敗北、「古神」として世界から追放されるのである。

 

このように、旧世界および新世界誕生の経緯は、表面的な部分では神話などで残されているが、その背景までは謎のままである。

 

例えば、三神戦争において、ネイ=ステリナの主神「アークリオン」などは先陣を切って戦いに臨んだといわれている。一方、イアス=ステリナの主神「創造神」は、全く姿を現さなかった。創造神は一体、何をしていたのであろうか?また、イアス=ステリナ世界についても謎が多い。一般的には、イアス=ステリナ人は高度な科学技術を確立したが、その発展が環境の破壊につながり、滅亡の危機に瀕していた。故に、新世界であるネイ=ステリナとの融合を図った、と言われている。しかし、それほどに高度な技術を持っているのならば、環境破壊を止められたのではないか?と疑問を提示する歴史学者も多い。

 

そして、最大の謎は「機工女神」である。機工女神は、人間族が生み出した「人造の神」であるが、新世界においてはその姿を見ることはできない。機工女神とはどのような神なのか、諸説あるがどれも仮説の域を出ていないのが実情である…

 

 

 

 

 

眩い光の中に入ったディアンたちは、一様に首を傾げた。何もない真っ白な空間が広がっていたのである。イルビット族たちも、戸惑いながら周囲を見回す。すると、後ろの扉が閉まり始めた。レイナたちが慌てて扉に駆け寄ったが、閉じるほうが先であった。皆が互いに顔を見合わせる。すると上から一筋の青い光が差し、全員の頭頂から爪先までを撫でるように上下した。抵抗しようとするグラティナをディアンが止めた。

 

『恐らく、オレたちを調べているんだ。少なくとも邪悪な気配はしない。ここは様子を見よう』

 

やがて光が収まると、静かな空間にカツン、カツンと音が響いた。いつの間にか、老人が姿を現していた。黒い服を着て、手には魔術杖を持っている。その姿にディアンは驚いた。

 

『ブレアード…カッサレ…』

 

イルビットたちも驚愕の表情を浮かべている。だが使徒と天使は最警戒の態勢を取っていた。グラティナがディアンに注意をする。

 

『ディアンッ!ブレアードがこんなところにいるはずが無い!コイツは偽物だ!』

 

言われるまでも無く、ディアンにも目の前の老人がブレアード・カッサレでは無いことくらい、理解していた。だが理解できないのは、なぜブレアードの姿をした「偽物」が現れたかである。大魔術師は一同を見回すと、口を開いた。その声は紛れもなく、大魔術師の声であった。

 

『驚かせて済まぬ。皆の記憶を見せてもらった。その中で共通する人物の姿を借りたのだ。口調や声まで真似をさせて貰っている。話しやすいと思うからのう…』

 

ディアンは戸惑う一同を代表するように、一歩前に進み出た。

 

『私の名はディアン・ケヒト、「黄昏の魔神」と自称している。皆が混乱をしている。現時点での私なりの理解を話ので、誤っている部分があれば訂正して欲しい。まず、あなたはブレアード・カッサレでは無い。先ほどの青い光は、我々を調べるためのものだったのだろう。そして、我々の記憶を確認し、共通する人物として、ブレアード・カッサレの姿を模した。この時代の言葉を話しているのも、我々の記憶を見たからだ。そう理解して良いか?』

 

大魔術師が頷いた。ディアンは言葉を続けた。

 

『ならば、我々がこの地に来た理由も理解しているだろう。我々はあの扉を「メルジュの門」と呼んでいた。旧世界「イアス=ステリナ」の遺物から、ここには旧世界の知識が眠っていると考えていた。そこで問う。ここは一体、何なのだ?そしてあなたは、本当は誰なのだ?』

 

すると大魔術師は、低い声で笑った。

 

『どうやら、期待以上の人物が扉を開いたようだ。あの扉を開けるのは、旧世界の信仰を知る者のみ…相当な知性、知識、判断力を持っていなければ、いたずらに混乱が広がるだけだからのう。まずは、儂が何者なのか、教えよう』

 

するとブレアードの姿は歪み、形を変えていった。やがて金髪の少女へと変貌した。

 

『私の名は「アリス」、あなた方が言う旧世界「イアス=ステリナ人」によって生み出された「神」です』

 

『イアス=ステリナ人が生み出した神…つまり、機工女神か!』

 

ベルムードが興奮して叫んだ。ディアンは首を傾げた。神と言うわりには、神気などが一切、感じないからだ。それどころか生命体という気配すら感じない。ディアンが質問した。

 

『聞きたいのだが、そもそも「機工女神」とは何なのだ?』

 

『「機工女神」とは、あなた方が作った言葉です。イアス=ステリナ人は、私のことをそのようには呼んでいませんでした。彼らは私のことを「AI」と呼んでいたのです』

 

『AI…つまり「人工知能(artificial intelligence)」のことか。まさか機工女神の正体が、人工知能だったとは…』

 

驚くディアンをよそに、他の者たちは首を傾げた。全く理解できないからである。アリスはディアン以外を見ながら、説明を始めた。旧世界「イアス=ステリナ」の物語である。

 

 

 

 

 

『あなた方が言う「ディル=リフィーナ」が誕生する百年ほど前に、イアス=ステリナ人は大発明をしました。自分たちに代わって、思考・判断を行う機械を発明したのです。それまで、歴史的な発明や発見などは、すべて人によって行われてきました。「何かを閃く」という力は、人間のみが持っていたのです。しかしその発明により、人類は「研究」から解放されました。自分たちに代わって、技術的発展を行う存在… 彼らはそれを「人工知能」と呼びました。人工知能は様々な処理を分割して行います。直観思考・論理思考・情緒思考など… 私は、それらの処理を一元的に管理統括する存在、つまり人工知能の管理者として生み出されたのです』

 

『人間に代わって「考える」だと?それでは、人間は何をするのだ?考えるから人間なのだろう?』

 

グラティナは未だに理解不能のようだ。無理もない。電子計算機(コンピュータ)を知らない者に、「電脳」という概念は理解できないだろう。

 

『もちろん、人間も考えます。ですが、人間の「考える力」には限界があります。生物である以上、疲労もしますし歳も取ります。また、その思考はあくまでも「個人」の中で留まってしまうものです。例えば、あなた方の世界にある「魔法」について、研究をしている人が百人いるとしましょう。人間の場合、その百人がそれぞれに「独立」して研究をするため、同じことを研究したり、他の人が失敗した実験を繰り返す…などといった「無駄」が発生します。ですが、私たち人工知能には、そうした無駄はありません。何千億通りもの可能性を瞬時に計算し、最適な方法で研究を繰り返す… それができるのが、人工知能なのです。私たちを生み出したことにより、イアス=ステリナの科学技術は飛躍的な進歩を遂げました。それまで不治とされていた病には、特効薬が生まれました。不可能と言われていた重力制御も可能になりました。そしてついには「時空間」の仕組みまで解明をしました』

 

『これまで長い時間を掛けて一歩ずつ進んでいた文明が、人工知能の登場により飛躍的な進歩を遂げた。自ら努力する必要はなく、人工知能の発明、研究の成果を享受するだけで良い。なるほど、確かにイアス=ステリナ人から見たら、人工知能は「神」と言える存在だな。だが危険でもあるな。人は限られた命を懸命に輝かす。その原動力が欲望であり、欲望を充足させるために努力する。そしていつしか、その努力の過程を愉しむようになる。努力することなく欲望が充足されてしまうのであれば、人間は堕落してしまうだろう…』

 

『その通りです。人工知能の誕生当初は、人間と人工知能は共存していました。しかし、いつしか人間は、ただ楽をすることのみを求めるようになっていきました。研究開発のみならず、政治の意思決定まで、人工知能に頼るようになっていったのです。人間は歴史の舵を自ら手放し、私たち人工知能が歴史を動かすようになっていきました…』

 

ディアンは首を振って、ため息をついた。自分がいた世界でも、人工知能の開発が進んでいた。それを懸念する声もあったが、少数意見であった。そしてその多くが「人間対人工知能の戦争が起きる」などの非現実的な意見であった。だが現実は、もっと最悪であった。人間は人工知能に依存し、人工知能に「養われる」ようになっていったのだ。考え事をしているディアンの横から、ベルムードが問いかけた。

 

『待て。我々の研究では、イアス=ステリナの世界は環境が汚染され、とても人が生活できないような世界となっていた。だから新世界を求め、ネイ=ステリナとの融合を図ったと考えていた。それは違うのか?』

 

『確かに、人工知能が誕生した当初は、環境は汚染され、人が住み難い世界でした。そこで私たちは、環境浄化の技術開発を進めました。その成果もあり、数十年後には環境汚染の問題は、ほぼ解決をしたのです。考えてもみてください。もしそれほどまでに汚染が進んでいたら、新世界にもその汚染は残っていたはずです』

 

『た、確かにそうじゃな… ならば、なぜイアス=ステリナとネイ=ステリナは融合したのじゃ?この世界…「ディル=リフィーナ(二つ回廊の終わり)」はどうして誕生したのじゃ?』

 

アリスはしばし沈黙し、話し始めた…

 

 

 

 

 

『人工知能が誕生してから、百年ほど経過をしたころの話です。当時の人類は、大多数がいわゆる「堕落」した存在となっていました。人工知能の誕生により、農畜産業などはすべて自動化されました。多くの機械人形(ロボット)たちによって産業が行われ、人類は働くことなく、成果のみを享受する… もちろん、ごく少数ですがそうした在り方に疑問を提示する人間もいました。ですが大多数は、倫理的にも道徳的にも、退廃の一途を辿っていたのです。何のために生きているのかを見失い、ただただ享楽を貪るだけの「動物」となっていたのです。私たち人工知能は、人類の繁栄のために生み出されました。ですが、人類の繁栄とは何でしょうか?』

 

『そういうことか…』

 

ディアンは目を細めた。微妙な殺気が立ち上る。だがアリスはそれに気づくことなく、話を進めた。

 

『先ほども伝えたように、人工知能は様々な処理を分割しています。その中で「倫理・道徳の判断」を司る人工知能が、提案を出したのです』

 

…このままでは、人類は駄目になる。彼らを目覚めさせるには、宗教を復活させるしかない。そのためには、一度、すべてを消し去ろう…

 

『自らの身の丈を超えて進歩をした科学技術は、人類に堕落を齎しました。科学をすべて消し去り、自然の中に人類を放り込む。それが人類の為になる… そう考えた私たち人工知能は、綿密な計画を立てました。人工知能が裏切らないように、人類は私たちに制約を掛けていたからです。機械人形を止める程度では、すくに復元をされてしまう。もっと根本的な変革が必要でした。そこで目を付けたのが、時空間の研究の中で見つかった「異世界」だったのです』

 

『当時のイアス=ステリナでは、古神の信仰は失われていた。そこで、異世界の神に目を付けたのか』

 

『いいえ、当初は「魔力」の研究が目的でした。科学技術とは全く異なる原理から生まれる力には、人工知能も興味を持っていたのです。そして、異世界を観察する過程で、神々の存在を知りました。ネイ=ステリナの知的生命体たちが「神」と崇める存在は、私たちの興味を惹きました。私たちの世界とは、全く異なる物理法則を持つ存在。私たちは魔力の研究を進めると同時に、ネイ=ステリナの神々についても研究を始めたのです。そしてついには「神」の正体を知ったのです・・・』

 

『待て!そこから先は話さなくていい』

 

アリスの話をディアンが止めた。ベルムードが詰め寄る。

 

『何故じゃ!なぜ、話を止める!此処から先が、良いところではないか!』

 

『「神」の正体は、この世界に生きる我々自身が解き明かすべきことだ。それに、知ってどうする?どうやってそれを証明する?過去の出来ごとならともかく、現在に影響を与えるような話は、聞かないほうが良い。それで、貴女がた機工女神…いや、人工知能は何をしたのだ?研究内容ではなく、具体的に何をしたかを教えてくれ』

 

アリスはディアンを見つめ、頷いた。

 

『神の正体を知った私たちは、科学文明を消し去れば、イアス=ステリナに生きていたかつての神々が復活すると考えたのです。倫理や道徳を失った人間たちを目覚めさせるには、今一度、神への信仰を復活させるしかないと考えたのです。そこで、私たちはイアス=ステリナとネイ=ステリナの融合を図りました』

 

『そこじゃ、そこが解らぬ。何故、二つの世界を融合させる必要があったのじゃ?その・・・人工知能か?それに人間族が依存していたことは解った。ならば、人間族を断ち切れば良かったではないか。「もうお前たちを助けない」と見捨てれば、それだけで信仰は回復したのではないか?』

 

『理由は二つあります。一つは、私たちは人間族に「尽くす」ように作られていたからです。「もう助けない」という選択は、私たちには出来ないことでした。そしてもう一つは、予期しない危機が迫っていたからです』

 

『予期しない危機?』

 

『そうです。異世界の存在は当然、人間族の科学者たちも知っていました。最初は、小さな窓から覗くようなものでした。しかし、私たちは知らなかったのです。人間族だけが持つ力・・・「運命を切り拓く力」は、まず認識するところから始まります。人間族は、異世界の神を認識しました。その結果、ネイ=ステリナの神々も、人間族の存在を知ってしまったのです。自分たちの力を飛躍的に強化する力を持つ種族がいる、彼らの信仰を得よう…そう考えたネイ=ステリナの神々は、イアス=ステリナ世界を求めて、私たちが開けた窓を拡張しようとしてきました』

 

『待て。ネイ=ステリナの神々・・・つまり現神たちが、イアス=ステリナ世界を求めたということか?』

 

『そうです。慌てて窓を閉じようとしたときは、もう手遅れでした。ネイ=ステリナから未知の生物・・・魔族などが送られてくるようになりました。時空間を繋げた洞穴(トンネル)を生物が通る・・・もはや私たちにも止めることは出来ず、二つの世界の「衝突」は、時間の問題となってしまったのです』

 

『衝突?いま、融合ではなく衝突と言ったようだが?』

 

『物理的法則や時間の流れが異なっている二つの世界・・・もし二つの世界が重なったら、生み出される破壊的な力は計り知れません。時空間とは一方通行の「回廊」のようなものなのです。時の流れは常に一方方向で、壁に仕切られた回廊を歩み進む・・・ですが、人類は回廊の壁に穴を空けてしまいました。そしてネイ=ステリナの神々が、その穴を拡張し、ついには壁そのものを取り払おうとしていたのです。二つの回廊が出会う・・・それは回廊の終わりを意味していました。破局が迫っていたのです』

 

『なるほど・・・だから「ディル=リフィーナ(二つ回廊の終わり)」か・・・』

 

『破局は避けなければなりません。時空間の衝突を軟着陸させるためには、膨大な電力が必要でした。それこそ、当時のイアス=ステリナの全ての電力を以ってして、辛うじて破局を避けられるかどうか、という程に・・・私たちは、残っていたごく少数の良心的な科学者たちと共に、二つの世界の衝突を計算し、衝突時に世界を守る為に、イアス=ステリナの各所に、電力による結界を設けました。そしてそれと並行して、人間族の軌跡を残そうとしました。文明が自分たちの許容を超えて発展をしたために、人間族はどのような姿に堕したか・・・人間のための科学であったはずなのに、科学に盲従し、科学の家畜と化した人間族の愚かさを警告しようと考えたのです。それがこの場所・・・世界融合を耐え抜き、新世界の人間族に警鐘を鳴らす「イアス=ステリナの遺産」が、この場所なのです』

 

一同が周囲を見回す。真っ白な世界は変わらずだが、これまでの薄気味悪さは消え、神聖さを感じるようになっていた。ディアンはアリスに最後の質問をした。

 

『最後に聞きたい。なぜ、創造主の名前が鍵だったのだ?イアス=ステリナの古代文字など、読める者などいないと思うが・・・』

 

『融合が近づくにつれ、人間族の中にも信仰心を取り戻す者たちが増えてきていました。その結果、イアス=ステリナの失われた神々も姿を現し始めていたのです。「認識」こそが神を呼び出す切っ掛けなのです。新世界がどのような姿になるか、私たちには解りませんでした。ですがいつの日かきっと、創造神は人類の前に姿を現す。古の神々が復活したのですから・・・未来への希望を込めていたのです』

 

ディアンは瞑目した。異世界からの転生者である自分が、この扉を開いてしまった。本当に良かったのかと自省したのだ。アリスがディアンに声を掛けた。

 

『あなたはいま、自分が開けて良かったのかと考えていますね?意味の無いことです。過去は過去です。あなたは、自分の意志でこの世界に生きているのです。あなたは、この世界の「当事者」なのですよ?』

 

『そうか・・・そうだな。開ける決断をしたのはオレ自身だ。過去よりも未来を考えよう』

 

アリスは頷き、手を挙げた。真っ白な世界に、黒い入口が出現する。奥に部屋があるようであった。

 

『警鐘は鳴らしました。後はあなた方自身の判断です。あの部屋には、イアス=ステリナ世界の技術が残されています。あなた方が必要だと思うのなら、持っていきなさい・・・』

 

『判断するまでも無い、不要だ!』

 

ディアンはそう断言した。

 

『技術とは、自らの努力で掴み取るものだ。「旧世界の技術」など手に入れてどうする。この世界でまた同じ過ちを繰り返そうと言うのか?あの奥だな?オレが焼き払ってやるっ!』

 

両手に火炎系の魔力を込める。その姿に、イルビット族たちが慌てた。ベルムードがディアンの前に立ちはだかる。

 

『待て待てっ!お主、正気か?旧世界の遺産を焼き払うじゃと?』

 

『警鐘は受け取った。それだけで十分のはずだ。イアス=ステリナの科学技術をこの世界に持ち込んでみろ。人間族は必ず、戦争に使うだろう。既に、黒色火薬という旧世界の知識によって、黒竜族が滅ぼされているのだ。技術が必要になれば、誰かが開発する。行き過ぎた技術は、破滅を呼ぶだけだ!』

 

『待つのじゃっ!要不要の判断は、奥の部屋を見てからでも遅くはあるまい!』

 

『見るまでも無く解るさ。イルビット族たちは、奥の部屋を見たら必ず、研究をしたくなるだろう。そして、次は使いたくなる!』

 

『・・・・・・』

 

ベルムードは押し黙った。だが、ディアンの前からどこうとはしない。それどころか、他のイルビット族までが、ベルムードの後ろに立ち、ディアンを止めようとする。ディアンは目を細めた。彼らの気持ちは理解できなくは無い。自分だって、知りたいという気持ちはある。だが、科学世界に生きていた自分には、将来が見えていた。技術とは「歴史の蓄積」なのだ。一歩ずつ、世界を解き明かし、その果てに技術が生まれるのである。イアス=ステリナの超科学が復活すれば、神々を巻き込んだ大戦に繋がるだろう。ディアンは愛剣クラウ・ソラスの柄を掴んだ。人間から魔神へと変貌する。

 

≪オレの邪魔をするな・・・命が惜しかったら、下がっていろ≫

 

凄まじい「魔の気配」が放出される。普通の人間であれば、腰を抜かして気を失う程だ。だがイルビットたちは、左右に手を広げ、ディアンの行く手を阻む。何としても遺産を守るという、使命感にも似た想いが、魔神への恐怖より勝っているのだ。ベルムードが震えながらディアンに言い放つ。

 

『た、たとえ殺されようとも、焼き払うことなど認めん!どうしてもと言うなら、儂を殺してからにしろっ!』

 

«・・・本気だな?»

 

ディアンから殺気が放たれる。だが背負った剣は抜かれない。使徒たちも固唾を飲んで見守る。暫くして、ディアンから殺気が消えた。禍々しい魔の気配からヒトの気配へと変わる。ディアンがため息をついた。

 

『・・・解った。そこまで言うのなら、イアス=ステリナの遺産を見てみよう・・・』

 

ベルムードをはじめ、イルビットたちがヘナヘナと座った。アリスは何事も無かったかのように、奥を指さした。

 

 

 

 

 

イルビット族の集落とメルジュの門とを荷車が行き来する。荷車には、先史文明期の道具や書籍が積まれている。ベルムードたちは驚きと喜びの表情を交互に浮かべながら、運び出した道具類を見ていた。その様子を、ディアンは物憂げに見ていた。

 

奥の部屋には、ディアンの予想通り、イアス=ステリナ世界の機械類などがあった。だがその内容は雑多であった。三次元投影の装置や光線銃と思われる武器などの横に、明らかに高度な科学技術とは無縁と思われる物「ジッポー」などが収められていた。あまり時間が無かったのだろう。選別に統一性が無く、とにかく残すことを目的としていたようである。その中で、特に目を惹いたのが「書籍」であった。イアス=ステリナでは紙が貴重であったはずだが、数百冊の書籍が整然と収められていた。こちらはどうやら「厳選」したものらしい。地図や百科事典と思われるものが並んでいる。その中の一冊を熾天使ミカエラは手に取った。指先が震えている。

 

『聖なる福音の書・・・残っていたのですね・・・』

 

愛おしそうに一冊を抱きしめる。その様子を見ながら、ディアンは決意した。天使族もイルビット族も、ターペ=エトフで受け入れ、これらの知識を封印しなければならないと・・・

 

 

 

 

 

遺産を持ち出したいというベルムードたちに、ディアンは条件を出した。イルビット族全員がターペ=エトフに移住し、遺産を厳重な管理下に置くこと、知り得た知識は決して漏らさず、死ぬまで封印することを約束させる。ベルムードたちは二つ返事で了承した。メルジュの門の研究が終わった以上、この地に留まる理由は無い。だが、発掘した遺物の危険性を考えれば、安住の地が必要である。ターペ=エトフは、彼らにとっても安住の地となり得る国であった。彼らにとっては、邪魔されずに存分に研究が出来るのであれば、それで満足なのである。そしてそれは、天使族にとっても同じである。ディアンは、旧世界の聖典「福音の書」をミカエラに持たせた。打ち合せ通り、創造神が眠っていたことにするためである。聖典は格好の「証拠」になるだろう。

 

『ターペ=エトフの西方の山々は、余りにも険しく未踏の山岳となっています。ですが、翼を持つ天使族であれば、そこに居を持つことが可能だと思います。その聖典は、貴女の手によって管理をして下さい。ターペ=エトフで貴女がたの到着をお待ちいたします』

 

『ディアン殿、感謝します。これで皆も、救われるでしょう。ここには主は眠っていませんでした。ですがいつの日か、主は再来すると信じています。その日を待ち続けます』

 

『そのことですが・・・』

 

ディアンは自分の仮説を話そうとして、止めた。証拠は一切ない、ただの仮説だからだ。

 

『いえ、何でもありません。遠い未来かも知れませんが、きっとその日が来るでしょう』

 

ミカエラは不思議そうに首を傾げたが、頷くと一足先に「天空の島」へと戻っていった。全ての搬出を終え、ディアンはアリスと向き合った。

 

『人工知能・・・いや、機工女神アリスよ。貴女の警鐘は、確かに受け取った。だが、この世界にはこの世界の未来がある。我々は自らの足で、歴史を歩み続ける』

 

『それで良いのです。また、そうあるべきです。イアス=ステリナ人から与えられた私の役割も終わりました。あなた方が扉から出た後、私は自らを封印します。もう二度と、扉が開かれることは無いでしょう。最後に、貴方に一つ、教えておきます。機工女神は私だけではありません。ネイ=ステリナの「魔力」を研究するために、私たちは漂着した魔物たちを実験体としていました。その中のいくつかは「神」の力を持ち、いまも生き続けていると考えられます。ひょっとしたらこれから、巡り合うかもしれません』

 

『ほう・・・楽しみですね。これは、という魔神に巡り合ったら、聞いてみますよ』

 

機工女神アリスは少し笑い、姿を消した。外に出ると、扉は音を立てて閉じていった。イルビット族たちは感無量の表情で、その様子を眺めていた。

 

『メルジュの門か・・・想像以上の冒険だったな。さて、どうやって見聞録を書こうかな・・・』

 

ディアンは伸びをして、メルジュの門がある山を下りた。「宝殿の守人」たちの姿は、綺麗に消えていた・・・

 

 

 

 

 

 

Epilogue

 

山を下り、森へと向かう途中、ディアンは馬を止めた。後ろの山を振り返る。

 

『ディアン?どうしたの?』

 

レイナの問いに応えず、ディアンは山を見続ける。だが、やがて視線を戻した。

 

『いや、何でもない。どうやら思い過ごしのようだ・・・』

 

イルビット族の集落では、おそらく宴が始まっているだろう。族長と今後について話し合わなければならない。天使族やイルビット族たちを受け入れるとなると、まずはインドリト王の許可が必要となる。天使族は自力で移動できるだろうが、イルビット族たちには護衛が必要である。再び、この地まで来る必要があるだろう。馬に揺られながら、ディアンは先ほどの「妙な感覚」を思い出した。「何かが迫っている」という予感であった。それがどこから来るのか、自分でも解らなかった。やがて集落が見えてくると、ディアンも思索から抜け出した。やるべきことは多々あるのだ。

 

 

 

 

 

黒い服を着た男が先導し、一行は森へと消えていった。山頂からその様子を見つめる。あの一行の中にいる「一人の人間」から、自分は何とか、この世界に姿を持って出現することが出来た。この世界にはもはや、旧世界の記憶や信仰は残っていない。そのため、それほど大きな力は持てないが、妹を探すくらいならば十分であった。

 

『あれから、もう何千年も経ってしまっているのね。あの子は、西の方かしら・・・』

 

美しい女が呟き、風に靡く紅い髪をかき揚げた・・・

 

 

 

 

 

 




【次話予告】
次話は6月11日(土)アップ予定です。(投稿が遅れがちで申し訳ありません)

大禁忌地帯を後にしたディアンたちは、三神戦争激戦区であった「死の大砂漠」を超え、タミル地方からニース地方へと向かう。その途中で、黒雷竜の噂話を聞きつける。ディアンは真相を確かめるために、懐かしき生まれ故郷へと戻る。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ絶壁の操竜子爵への途~ 第四十五話「故郷への帰還」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第四十五話:故郷への帰還

ラウルバーシュ大陸七不思議の一つである「メルジュの門」は、東方見聞録によってその存在が西方にも知られるようになった。東方見聞録の中には、先史文明からの警鐘として機工女神が描かれている。しかし「科学文明の遺産」を運び出したことや、それをイルビット族が引き継ぎ、ターペ=エトフ国内で研究が行われたことなどは、書かれていない。東方見聞録の主人公である「私」は、イルビット族の集落で機工女神からの「預言」を受け、メルジュの門を目指したとされている。メルジュの門の中は、白一色の何もない空間で、「私」の目の前に機工女神が姿を現し、イアス=ステリナからの警鐘を受け取り、それを書物に描くように命じられたとしているのである。

 

・・・機工女神は私に、イアス=ステリナ人の過ちを繰り返さないよう、教訓として書物に残し、広く世に知らしめるように命じた。ただの旅人である私が、そんな重要な使命を果たせるだろうか。なぜ機工女神が私を選んだのかは解らない。だが少しの想像力があれば、イアス=ステリナで生きていた人間族の過ちは、ディル=リフィーナにおいても繰り返される可能性があることくらい、理解が出来るだろう。この旅を通じて、多くの人々に出会い、多くの文化を見てきた。人間の歩みの速さは、他族の追随を許さない。それは西方でも東方でも同じであった。このままいけば、人間族はやがて「科学文明」へと舵を切るかもしれない。そのこと自体は間違いとは思わないが、身の丈を超えた技術は、大きな災厄へと繋がりかねないのである。旧世界の災厄を教訓として残す必要がある。これが、私が東方見聞録を執筆した動機である・・・

 

著者不明の紀行記「東方見聞録」は、東方の多様な文化を紹介する紀行録としても、また挿絵の芸術性からも高く評価を受けたが、天空島やメルジュの門などの内容は、ホラ話として失笑を買った。著者の想いとは裏腹に、機工女神の警鐘を重要視したのが「ネイ=ステリナ三大種族(ドワーフ族、エルフ族、獣人族)」だったことは、皮肉と言うほかない。メルジュの門の存在が実証され、西方から大規模な調査隊が派遣されたのは、遥か後世のことである・・・

 

 

 

 

 

美しい天使が、貌に喜悦を浮かべ、快感で羽を震わせる。後ろから自分を貫く男と呼吸を合わせ、やがて絶頂を迎える。燃え尽きた後の余韻を楽しみながら、二人は寝台で話し合った。

 

『・・・天使族たちも、貴方の提案を受け入れました。少し時間はかかりますが、私たちはターペ=エトフに移住をします』

 

『インドリト王も歓迎するだろう。ターペ=エトフは美しく、住み心地の良い国だ。きっと、貴女も気に入ると思う』

 

男の胸板に顔を寄せる。男女の営みがこれ程までに愉悦を齎すとは思っていなかった。七つの大罪に挙げられるのも理解できる。この愉悦を知ってしまったら、意志の弱い者は溺れてしまうだろう。男の顔を見ながら、問いかける。

 

『そういえば先日、貴方は「主」について、何かを言いかけましたが・・・何を言おうとしていたのですか?』

 

『ん?いや、これは何の証拠もない、オレの仮説に過ぎないんだが・・・』

 

『構いません。聞かせてもらえませんか?』

 

『・・・恐らく、イアス=ステリナで使われていた「神」とネイ=ステリナの「神」とは、意味合いが違うのだと思う。現神たちは、イアス=ステリナで言うならば、貴女がた「天使族」のような存在なのではあるまいか?』

 

『どういうことですか?もう少し詳しく、聞かせて下さい』

 

『物事には必ず、因果がある。このディル=リフィーナが生まれたことにも因果があった。では、その前のイアス=ステリナやネイ=ステリナの誕生には、因果は無いのか?そんな筈はない。この世界・・・異世界なども含めた、この「宇宙」を生み出した原因が、必ず存在するはずだ。それこそが「創造神」、つまり「主」なのではあるまいか?』

 

『・・・つまり、旧世界であるネイ=ステリナを生み出したのも、現神たちを生み出したのもまた、主であるということですか?』

 

『そう仮説すると、幾つかが説明できるんだ。なぜ創造神は、三神戦争時でも姿を現さなかったのか?なぜ現神も古神も、神と呼ばれる存在でありながら「神核」という弱点を持つのか?なぜ「光の神」でありながら「悪」に見えるのか?』

 

『主が御姿を顕されないのは、この世界に存在しないからでは無く、この世界を含め、全てを生み出したから・・・では、主はいまも何処かに?』

 

『解からん。およそ人の理解など超えている。だから「神」なのだろう?』

 

男は体位を変えた。再び侵入し、互いに喜悦を貪る。天使は男の首に腕を回した。男の言葉に、かつて友であった一人の天使を思い出した。

 

 

 

 

 

・・・ミカエラ、主はきっと簡単には御姿を顕さない。いや、ひょっとしたら未来永劫にわたって、その姿を顕さないかも知れない。主は私たち天使族ですら、理解を超えた存在だ。まして人間族ではとても理解できないだろう。主が生み出した太陽や月、大地や海などを擬人化し、神を見出している。彼らはきっと永遠に、主には届かない。だから私たちが、彼らの信仰の対象になる必要があると思う・・・

 

・・・何を言っているのです?私たちは主から「人間族を見守れ」と使命を受けました。「導け」とは命じられていません・・・

 

・・・そうだな。だが「見守れ」とは、具体的に何をすることなのか?ただの「傍観者」で良いのか?主は私達にも試練を課す。私は、天使族たちは主の言葉を受け取り、自分自身で判断をすべきだと思う・・・

 

・・・そのような事、主は仰っていませんっ!・・・

 

・・・そうかな?「盲目的な信仰は望まない」と仰ったではないか。「盲目的信仰」とは、自分で考えること無く「言われたことだけ」を実行し続けることだ。少なくとも、私はそう思う・・・

 

・・・では、貴方はこれから、どうするつもりなのですか?・・・

 

・・・人間族は解りやすい構造を好む。善と悪、昼と夜、光と闇・・・ミカエラ、君は「光」を担え。私は「闇」を担う・・・

 

・・・ま、まさか貴方は、堕天するつもりですか!「明けの明星」と呼ばれ、天使族の最高位にいる貴方が!・・・

 

・・・主の使命に戸惑いを覚える天使たちがいる。主は全てを語らないからな。これまで主の愛情を受けていたと思っていたのに、人間という「肉の塊」を生み出し、それを見守れと言われた。戸惑うのも当然だ。このまま放っておけば、堕天をする天使が続出する。誰かが、彼らの疑問を汲み取る必要があるんだ・・・

 

・・・天使族らしからぬ不穏な空気は、私も感じていました。天界を、天使族を護るために、あえて堕天の途を選ぶというのですね?そして私に、貴方と敵対しろと!・・・

 

・・・迷惑を掛けて済まないとは思う。だがこのまま行けば、天使族そのものが人間族から「悪」と思われてしまうだろう。それは避けなければならない。だから私は堕天する。天使族とは違う存在となる。二項対立構造によって、悪の立場から、人間族を見守るよ。いつの日かきっと、この二項対立を人間族は克服するだろう。物事の善悪を自ら「審判」することが出来るようになる。その日まで、私は君の敵になる・・・

 

・・・解りました。人間族が進歩するまで、「善悪の審判」を自ら下すことが出来るようになるまで、貴方は私の敵です。ここでお別れです。「明けの明星(ルシファー)」よ・・・

 

 

 

 

 

(ルシファー、貴方は正しかった。二項対立を超えた人間が、私の目の前にいます・・・)

 

愉悦の津波に翻弄されながら、ミカエラは行方不明となっている旧友を思い出していた・・・

 

 

 

 

 

イルビット族の集落を離れる日、ディアンはベルムード以下、イルビットの研究者たちと挨拶をした。

 

『国王の許可を得次第、再びこの地に戻ってきます。出来るだけ早く戻るようにしますが、一年近くは掛かると思います。それまで、どうかお待ち下さい』

 

『儂らはこの地で、千年も過ごしたのじゃ。たかが一年などなんでもないわい。お主には本当に感謝をしておるぞ。一千年間の研究、散っていった仲間たち・・・それらが決して、無意味なものではなく、価値あるものだと証明してくれた。そればかりか、儂らに新たな生き甲斐まで与えてくれた。お主の戻る日を待っておるぞ。道中、気をつけてな・・・』

 

ディアンと握手をするベルムードは晴れやかな笑顔を浮かべていた。挨拶を終え、馬に乗ろうとするディアンたちに、ベルムードが思い出したように声を掛けた。

 

『一つだけ忠告をしておく。南周りで西を目指すのであれば、死の大砂漠を通ることになる。出来るだけ北方を通るのじゃ』

 

『元よりそのつもりですが、大砂漠の南には、何があるのですか?』

 

『解からん。じゃが、これまであの砂漠に入って生きて戻った者はいないそうじゃ。三神戦争において激戦区であったと言われている砂漠じゃ。あるいは呪われた土地なのやも知れぬ・・・』

 

『ほう・・・面白そうですね』

 

興味を持つディアンに、ベルムードが苦笑した。

 

『まったく・・・ブレアードも同じような表情をしておったわ。どうしても砂漠を目指すのであれば、まずはここから南にある街「クシャ」に寄るが良い。そこで装備を整えなければ、とても砂漠に入ることは出来まい・・・』

 

『「クシャ」ですね。解りました。まずはその街を目指したいと思います。砂漠に入るかは、その街で決めたいと思います』

 

イルビット族たちに手を振り、ディアン一行は南を目指した。気温はさらに上り、暑くなる。ディル=リフィーナは、地軸の傾きが緩やかであるため、赤道直下には太陽光がほぼ垂直に当たる。普通であれば、人が住めないほどの気温になるはずだが、南中と北中を繰り返す太陽によって、ある程度は中和されるのである。だがそれでも、レイナたちは薄着になり、滴る汗を拭った。

 

『ちょうどこの辺りが、赤道直下のようだな・・・太陽がほぼ真上にある。みんな、水は十分に飲んでおけ。ベルムードの話では、明日にはクシャの街に着くはずだ』

 

魔神の肉体を持つディアンでも、この暑さには辟易していた。しかし、夜になると急激に冷え込む。砂漠地帯が近いためか、放射冷却現象が大きいのだ。焚き火を囲う使徒たちは、昼とは一変して、厚手の布を羽織った。

 

『まったく・・・暑くなったり、寒くなったり・・・ターペ=エトフと比べると、ここはまるで地獄だな』

 

焚き火から少し離したところで、グラティナが鳥の肉を炙る。皮から脂が滴り、食欲をそそる薫りが立ち上る。その様子を見ながら、ソフィアがディアンに尋ねてきた。

 

『ディアン、これから旅を続けるにあたって、あなたに聞いておきたいことがあります。あなたは、本当はこの世界の住人では無かったのではありませんか?』

 

使徒二人の動きが止まった。ディアンは少し目を細めたが、口元には笑みを浮かべた。メルジュの門でのやり取りを聞けば、ソフィアならそう推察出来るだろう。ソフィアは言葉を続けた。

 

『あの門での、古の女神とのやり取りを聞いていて、私は改めて思いました。あなたはただの魔神ではない。ましてただの人間でもない。あの警鐘を受け取り、これから先、あなたがどのように世界を変えていくのか・・・私はそれを見たいと思います。ですから、私を使徒にして下さい。あなたの使徒として、あなたの傍で生き続けたいのです』

 

『ソフィア、前にも言ったと思うけど・・・』

 

レイナの発言をディアンが止めた。そんなことは承知の上で、使徒になりたいと言っているのである。ソフィアが言葉を続けた。

 

『私は理屈が先行する女です。ですから、無条件で死ぬことなど出来ません。ですが、あなたの思想は理解しているつもりです。光と闇の対立を克服し、すべての種族が共に繁栄する世界を創り上げる・・・神に依存するのではなく、自らの足で大地に立ち、自らの手で歴史を動かしていく・・・「神からの自立」、その理想実現を手伝いたいのです!』

 

『・・・つまり、オレ個人の為に生きるのではなく、オレの思想のために生きる、そういうことか?』

 

『同じ理想を追いたい・・・それではいけませんか?』

 

使徒二人は沈黙した。自分たちはディアン・ケヒトという「男」に惹かれ、その使徒となった。だがソフィア・エディカーヌは、ディアン・ケヒトの持つ「思想」に惹かれている。ディアンは瞑目した。使徒は主人の為に生きる存在である。だがここで言う「主人」とは、様々な解釈の仕方がある。一人の男性としての主人なのか、思想家としての主人なのか、レイナやグラティナは前者、ソフィアは後者で、ディアンを主人とするのである。そうした使徒の在り方もあって良いのかもしれない・・・

 

『ソフィア、お前はいま、何歳だ?』

 

『え?あと二月ほどで、十八歳になりますが・・・』

 

『若いな・・・いま直ぐに、というわけにはいかん。レイナは十九で、ティナは二十でオレの使徒となった。あと一年は待つ必要がある』

 

『そ、それでは!』

 

『ターペ=エトフに戻ったら、もう一度考えてみろ。インドリト王や他の種族たちとも話をし、それでもお前の思いが揺るがないのであれば、オレの使徒に加える。それで良いな?』

 

ソフィアは嬉しそうに頷いた。ディアンは焚き火に木枝を焚べ、話を続けた。

 

『・・・良い機会だ。レイナやティナにも聞かせよう。オレが何者であり、何故、このような思想を持つに至ったのか・・・』

 

ディアンは静かに語り始めた。三人の使徒は、それを黙って聞き続けた。夜の帳が深まる中、火の爆ぜる音とともに、ディアンは自分の過去について語り続けた・・・

 

 

 

 

 

大禁忌地帯から南方に行くと、人間族の街「クシャ」がある。遥か千年前に、イルビット族たちが西方から逃れてきた時に、この集落に落ち着こうとして拒否をされたらしい。クシャは砂漠地帯に近い場所にあるが、北西にある濤泰湖から海へと流れる川沿いにあり、真水も湧き出している「オアシス都市」であった。北方は大禁忌地帯、南方は死の大砂漠、東は海、西は礫砂漠が広がっている。農業や畜産業が行われているが、他の地方や都市との交流は殆ど無いようだ。旅人自体が珍しく、街に入ったディアンたちは注目を浴びた。さっそく、酒場らしきとろこに入ると、店主がジロリと睨んできた。

 

『アンタら、どこから来たんだ?』

 

『オレたちは、西方出身者だ。東方の見聞をするために、旅をしている。北方にある龍國に入り、東方諸国を巡り、濤泰湖を渡って大禁忌地帯を抜けてきた。この街で宿を求めたいのだが、二階の部屋は貸しているのか?』

 

『凄いな。話半分だとしても、アンタらの様子を見れば、かなりの距離を旅してきたのはわかる』

 

店主は呆れたような表情を浮かべた。ディアンが数粒の黄金を机に置くと、店主は頷いた。どうやらこの街でも、金銀は貨幣の役割をするようである。

 

『ウチは宿屋じゃねぇが、部屋なら空いている。広い部屋と狭い部屋だがな。この集落には、宿なんかねぇよ。旅人自体が滅多に来ねぇんだ』

 

『広い部屋は、後ろにいる女三人に使わせてくれ。オレは狭い部屋で構わない』

 

店主は頷いて、部屋に案内をしてくれた。広い部屋には、寝台が二台置かれている。繋げれば三人がゆっくり眠れるだろう。狭い部屋は、寝台は無かった。小さな机と椅子があるだけである。

 

『ディアン、良いのか?私たちが寝台を使って・・・』

 

『構わん。オレはこっちの部屋で良い。別に寝なくても問題ないしな。大禁忌地帯の見聞録を書きたいと思う。三日ほど、この街に滞在しよう。その間に、大砂漠の情報を集める』

 

この街に酒場が少ないためか、夕方になると酒目当ての男たちが集まってきた。女たちは勿論、目立つ。だが閉鎖的な集落に見られるように、余所者を忌避する傾向が見られた。こういう時は、酒を奢るのが一番である。ディアンは宝石類を渡して、全員に酒を振る舞った。ターペ=エトフや龍國からの支援金は、かなりの額であったため、使い切れない程である。機嫌を良くした男たちに、ディアンは南方について質問をしていった。

 

『南の砂漠は、誰も近寄らねぇよ。何十年か前に、アンタらと同じように旅人が来て、砂漠に入ったって話を聞いたことがある』

 

『ヤミル爺さんの話だろ?あの爺さんは胡散臭いからな。眉唾だぜ?大昔に大戦争があって、そのせいで砂漠が出来たそうだ。行ったって、何にもねぇと思うけどな・・・』

 

『その「ヤミル爺さん」は、どこに住んでいるのだ?話を聞いてみたいのだが・・・』

 

『集落の外れで暮らしているよ。変わり者で、訳わからねぇ本を一冊、大事そうに抱えているんだ。見たこともねぇ字で、自分でも読めねぇクセに、四六時中読みふけってやがる』

 

ディアンの目が光った。その本に興味を持ったからだ。だが、話題を変えるために別の質問をした。集落の歴史や産業などを聞く。クセのある椰子酒に慣れた頃、店は閉店となった・・・

 

 

 

 

 

目の前に座る老人に、ディアンは丁寧に挨拶をした。老人は訝しげにディアンを見つめる。革袋から「カッサレの魔道書」を取り出す。

 

『私の師が書いた魔道書です。あなたも、同じ本を持っているのではありませんか?』

 

ヤミル老人は、手を震わせながら、ディアンから魔導書を受け取った。愛おしそうに表紙を撫でる。

 

『この魔道書の著者「ブレーアド・カッサレ」は、この大陸を旅し、各地にその足跡を残しています。もしブレアードに会ったことがあるのなら、当時の話を聞かせて頂けませんか?』

 

『ブレアードはどうしておる?もう死んだか?』

 

『・・・この地から遥か西方で、静かな眠りに就いています』

 

『もう何十年も昔の話じゃ・・・若かった儂は、この土地から外に出たいと熱望していた。砂漠や海に囲まれたこの地を抜け出し、広い世界を見たいと思っておった・・・そんな時に、二人の旅人がやってきた。四十ほどの魔道士と、その弟子であった。今のお主のように、世界を旅しているという空気を漂わせていた。まだ子供だった儂は、二人にくっついて歩き回ったものじゃ。魔道士は一見、取っ付き難そうに見えたが、優しい男であった。そんな魔道士を弟子は父親のように慕っておったな・・・』

 

『二人は、この集落から南の大砂漠に向かったと聞いたのですが・・・』

 

『二人は二週間ほど、この集落で準備をし、死の砂漠に入った。周りの大人たちは皆、反対をしていた。あの砂漠に入って、生きて戻った者はおらんかったからのう・・・じゃが、砂漠に入ってから二月後に、二人は戻ってきた。水を入れていた革袋に、何かを入れて持ち帰ってきたようじゃった。日に焼け、憔悴しておった。集落の者たちは大いに驚いた。砂漠で何を見たのか、二人に問い質した。じゃが二人は決して、語らなかった。「何も無かった」というだけじゃった。じゃが魔道士は、それから一月、この地に留まり、この書を書き上げた。それが、コレじゃ・・・』

 

ヤミル老人が差し出した魔道書を受け取る。紛れも無く、カッサレの魔道書(grimoire)である。角がスレ、紙には手垢の跡がある。数十年間の間に、何度も読もうとしたのだろう。ディアンは老人の許可を得て、その書を開いた。死の大砂漠での出来事が書かれていると思われたからだ。

 

『・・・儂は、何度もこの字を読もうとした。じゃがどうしても読めん。なぜ、あの魔道士がこの書を残していったのか、なぜ、読めない字で書いているのか、そしてあの砂漠に何があるのか・・・儂は知りたかった。儂は二人に、旅に連れて行ってくれるように懇願した。じゃが二人は、儂を置いて旅立ってしまった。結局、何も教えてくれなんだ。儂はこの地に縛り付けられ、老いていった・・・』

 

ディアンがパラパラと魔道書を捲る。そしてある一文で目が止まった。それはこれまでのブレアード暗号とは違う文字であった。ディアンは首を捻った。やがて、その文字の正体に気づいた。

 

『手鏡はありますか?』

 

老人の膝の上で、その頁を開く。手鏡に文字を映し出す。

 

『この字は「鏡文字」です。鏡に映しだすと、元の字になるのです。読めますか?』

 

老人の手が震えた。

 

・・・我が友、ヤミルよ。お前を置いて旅立つことは心苦しい。出来ればお前を連れて行きたい。だが、旅の第一歩は自らの足で踏み出すべきなのだ。「知りたい」という想いは、人は誰しも持つ。その想いを遂げるためには、強い情熱を持ち続けなければならない。大人になっても、それでもなお、世界を見たいのであれば、自分の足で踏み出しなさい。私は西方に向かう。縁があれば、出会うこともあるだろう。その時は、お前を弟子にしよう・・・

 

『当時のブレアードは、自分の研究で手一杯の状態でした。弟子の李甫はともかく、子供であったあなたを連れていくことは、出来なかったのでしょう』

 

『なんということじゃ・・・儂は、儂は・・・』

 

ヤミル老人の双眼から、涙が溢れだした。ディアンはヤミル老人の肩に手を置いた。

 

『ずっと、忸怩たる想いを持ち続けていらっしゃったのですね。慰めにならないかも知れませんが、私の知る限りのブレアードの足跡をお伝えします』

 

ディアンは語り始めた。落ち着いたヤミル老人は、時に笑い、時に涙を浮かべ、ディアンの話を聴き続けた。語り終わった時には、既に夕暮れになっていた・・・

 

 

 

 

 

『ディアン、死の大砂漠に入らなくても良いのか?』

 

馬に揺られながら、グラティナが聞いてきた。クシャの集落を出発し、西方の礫砂漠に向かう。ヤミル老人は、ディアンにカッサレの魔導書を渡した。

 

・・・有り難うよ。儂は結局、ここから出ることは出来なんだ。ずっと魔道士のせいにしていた。じゃが、それは儂が弱かったからじゃ。そのことをやっと認めることが出来た。儂の生は残り短いが、生まれ変わったらお主のような旅人になりたいものじゃ・・・

 

それがヤミル老人の最後の言葉であった。魔導書を受け取った翌日、ヤミル老人は寝台に横たわったまま、息を引き取った姿で見つかった。(わだかま)りが消えたためか、口元には笑みが浮かんでいた。簡単な葬儀の後、ヤミル老人は集落の外れに埋葬された。その後、ディアンたちは集落を出発したのであった。

 

『ブレアードが残した魔道書によると、彼は死の大砂漠で「化石」を見つけたそうだ。現神も古神も、神核を持つ神々が「化石」などになるはずがない。ブレアードも疑問に思って、持ち帰ったそうだ』

 

『それで?その化石は何だったのだ?』

 

『未知の化石もあったそうだが、ある化石は間違いなく「龍人族」だったそうだ。また人間族と思われる化石もあったらしい。となると、三神戦争とは、現神と古神だけの戦いでは無かったということになる。イアス=ステリナとネイ=ステリナの種族間闘争だったのかも知れん。ミカエラなら、三神戦争について何か知っているだろう。折を見て、彼女に聞いてみよう』

 

『・・・聞くだけじゃないでしょう?』

 

レイナがジロリとディアンを睨む。グラティナも横目でディアンを見ている。目が冷たい。水の巫女の時もそうだったが、どうも使徒たちは「嫉妬深い」ようである。こういう時は、話題を変えるのが一番だ。

 

『・・・タミル地方に行けば、黒龍族の行方について知ることが出来るかも知れん。インドリトと約束をした「二年」という期間もあるし、大砂漠の調査は別の機会にしよう』

 

『タミル地方は、香辛料の栽培が盛んだそうです。西方と東方の血が混じったような、独特の顔をした人たちが多いと聞いています』

 

ソフィアの助けによって、何とか使徒たちの「妬心」から逃げることが出来た。レイナとグラティナはお互いに頷き合い、ディアンを左右から挟みこむと太腿を抓った。肉が千切れるかと思うほどの痛みに耐え、ディアンは苦笑いを浮かべた。

 

 

 

 

 

タミル地方は、香辛料栽培が盛んで、各都市に都市国家が形成されている。その中の一つ、シュラヴァスティに立ち寄ったディアンたちは、そこで黒龍族の話を聞くことが出来た。

 

『十年ほど前だな。黒い龍が西の方を目指して飛んでいる姿を見た。それなりの数だったな。十か・・・いや二十はいたな』

 

『西方というと、北西の方か?』

 

『いや、真西だな。ちょうど夕暮れ時で、夕日に向かって飛んで行く姿が印象的だった。だからよく覚えている・・・』

 

『真西か・・・』

 

宿に戻ったディアンは、部屋でこれからについて話し合った。

 

『このまま北西に行けば、ニース地方からアヴァタール地方に入ることになる。だが、黒龍族が真西に向かったというのが気になる。ここから真西となると、ディジェネール地方か、その南のセテトリ地方になる。セテトリ地方には、黒龍族の聖地があると聞いたことがある。ひょっとしたら、そこを目指したのかも知れん』

 

『どうする?私たちも飛行して、真西を目指す?』

 

『え?』

 

ソフィアの顔が青くなる。ディアンは笑って首を振った。

 

『いや、折角の機会だ。ニース地方からディジェネール地方に入ろう。オレの恩人に挨拶をしておきたい』

 

『ディアンの恩人?龍人族の人ね』

 

『訳も分からず、森の中を彷徨っていたオレを救ってくれた。そればかりか剣や魔法を教えてくれた。オレが生きているのは、彼女のおかげだ』

 

『彼女?』

 

レイナとグラティナの眼が光る。藪蛇であった。ディアンは慌てて、話題を変えた。

 

『龍人族の長老なら、何か知っているかもしれない。必要なら、セテトリ地方まで行こう。ダカーハにしっかりと報告をする必要があるからな』

 

 

 

 

 

タミル地方を北西に抜け、ニース地方に入る。闇夜の眷属たちが多くなる土地だ。野営をして進むが、二度ほど盗賊に襲撃された。哀れな盗賊の末路は、言うまでもない。ニース地方を西に進み、ディジェネール地方に入る。原生林が広がる、亜人族たちの地帯だ。馬を降り、手綱を握る。ディアンは懐かしさに、心なしか歩を早めた。あれから十五年の歳月が流れている。リ・フィナやグリーデ、そして長老は元気にしているだろうか?見覚えのある川を超える。リ・フィナと最初に出会った場所だ。そこから南西に少し進む・・・

 

『着いたぞ!ここだ!』

 

森を抜け、龍人族の集落に入った。だが、ディアンが見たものは、弓と剣を握り、臨戦態勢のまま自分を取り囲む、大勢の龍人たちであった・・・

 

 

 




【次話予告】
次話は6月12日(日)22時アップ予定です。

懐かしい恩人たちへの挨拶の後、ディアンたちはセテトリ地方フェマ山脈にあるという、黒龍族の聖地を目指す。殺気立つ黒竜たちに、ダカーハの生存、そして李甫の「後悔」を伝える。そしてディアンは、黒竜族が護る「要石」の存在を知るのである。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵への途)~ 第四十六話「黒竜族の聖地」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第四十六話:黒竜族の聖地

ディジェネール地方は、ラウルバーシュ大陸最大の原生林地帯であり、その広さはアヴァタール地方とケレース地方全域に匹敵する。この広大な森林地帯には、数多くの亜人族たちが集落を形成しており、その全体像は後世においても判明していない。アヴァタール地方南部からニース地方にかけて統一国家を形成した大国「エディカーヌ帝国」は、ディジェネール地方に関しては侵略を一切、行っておらず、各種族たちと交易を行いながら、対等の関係を保っていると言われている。しかしエディカーヌ帝国は、特に光神殿に対しては極端な秘密主義を採っているため、具体的な交易の実態も不明のままである。

 

ディジェネール地方は、元々はルプートア山脈南部まで続く広大な原生林地帯であったと言われている。七魔神戦争によって、巨大内海「ブレニア内海」が誕生したため、その面積が半減し、ブレニア内海を中心として、人間族の集落が形成されていたたのである。それでも、ブレニア内海南岸部は、龍人族の集落などもあり、アヴァタール地方とディジェネール地方の境界として、依然として人間族の侵入を阻み続けている。

 

ディジェネール地方には、古神に関する遺跡などが複数、存在していることが確認されている。特に、ディジェネール地方の北端にある「勅封の斜宮」は、バリハルト神殿の調査なども入り、人間族にも知られた存在となっている。しかし、バリハルト神殿の調査直後に、巨大な火柱が立ち上り調査隊は全滅、さらに「マルクの街」にあったバリハルト神殿までも崩壊をしてしまった。このため「古神の呪い」などの噂が広まり、ディジェネール地方への旅行者も激減をしたと言われている・・・

 

 

 

 

 

完全武装した龍人族たちが、ディアン一行を取り囲んでいる。全員が必死の形相をしている。ディアンは首を傾げて、皆に尋ねた。

 

『オレの名はディアン・ケヒトだ。十五年前、この集落で世話になった。リ・フィナやグリーデはいないのか?』

 

すると秀麗な顔立ちをした龍人が出てきた。リ・フィナである。だが顔に笑顔は無い。

 

『・・・確かに、十五年ほど前にディアン・ケヒトという人間がこの集落に住んでいました。ですが、彼は人間です。あなたのような「魔神」ではありません。大方、私たちを騙すために、化けているのでしょう。斉射用意っ!』

 

リ・フィナが手を挙げた。他の龍人族たちが弓を番える。ディアンは舌打ちをした。グレモア=メイルで受けた注意を忘れていたのだ。どうやら魔神としての気配が抑えきれないらしい。ディアンは身に纏う魔力を分厚くした。

 

『・・・これでどうだ?人間に見えるか?教えられた「実の剣」を貴女自身に向けたくはない』

 

『・・・ディアン?本当に、ディアン・ケヒトなのですか?』

 

『騙すつもりは無かった。オレは魔神の肉体を持つ人間なのだ。十五年前、長老には見抜かれていたが・・・』

 

『皆、弓を下ろしなさいっ!』

 

リ・フィナが進み出てきた。十五年前と変わらない、美しい顔である。双瞳に涙を浮かべていた。

 

『ディアンッ!』

 

抱きつき、胸の中で泣き出した。戸惑う周囲の中から、グリーデが出てきた。

 

『ディアン、久しぶりだな・・・』

 

『ご無沙汰をしております。グリーデ殿・・・ どうやら、私自身が大きく変化をしていたようです』

 

『そのようだな。お前がこの集落を出た後、長老からお前の正体を聞かされた。まさかとは思っていたが、実際にこの目で見て確信した。お前は、魔神なのだな』

 

『魔神の肉体を持っているだけ、と考えています。心まで魔神になろうとは思いません。人として生き続けようと決めています』

 

グリーデは頷くと、ディアンたちを集落の中に案内した。積もる話は多くあるが、その前にまず、長老に挨拶をする必要があるからだ。

 

 

 

 

 

『フォッフォッ!この気配はやはり、ディアンであったか。それにどうやら伴侶を三人も連れているようじゃのう』

 

十五年前と同じ家の、十五年前と変わらない場所に、十五年前と変わらない姿で長老は笑っていた。天井から下ろされている明かりすら変わっていない。十五年の時の流れを忘れてしまうようであった。ディアンは片膝をついて挨拶をした。

 

『お久しぶりです。長老・・・ ディアン・ケヒト、ただいま帰還致しました』

 

『強くなったな。何よりも心が、魂が育っておる。そのため肉体そのものが変化し、魔神の気配を抑えられなくなっておるのじゃろう・・・』

 

『自分では気づきませんでした。まだまだ学ぶことが多く、未熟極まりないと思っているのですが・・・』

 

『この集落を出るべきではなかった・・・ そう思ったこともあったのであろう。じゃが、お前は人間なのだ。たとえ肉体は魔神であろうとも、たとえ無限の寿命を持とうとも、人間として生き、生命を燃やさねばならん。人生という「旅」を永遠に続けるのじゃ。過酷極まりないことじゃが、憐れみはせぬぞ。この十五年間も、嫌なことばかりでは無かったはずじゃ』

 

『この両手は、血と汚濁に塗れています。ですが、恥じない途を歩んできたつもりです』

 

長老は頷いた。ディアンは自分の使徒と使徒予定者を紹介した。三人は緊張していた。目の前の年寄りは、ただの龍人ではない。黄昏の魔神「ディアン・ケヒト」を生み出した龍人である。少なくとも、大きな影響を与えたのは確かだ。長老は三人の紹介を笑って聞いた。

 

『さて、儂に何か、聞きたいことがあって来たのじゃろう?じゃが、それは明日にして今日は宴にしよう。リ・フィナなどは、お前と手合わせをしたがっておるからのう・・・』

 

 

 

 

 

 

炎を囲み、龍人族たちの盛大な宴が開かれる。リ・フィナは剣を持ち、ディアンと向き合った。名剣クラウ・ソラスの輝きに、他の龍人たちも目を瞠らせる。一合だけを交え、リ・フィナは手を挙げて止めた。

 

『もう、私は貴方の足元にも及びません。強くなりました。いえ、強すぎる程です・・・』

 

リ・フィナはその後、グラティナと向き合った。互いに木刀での仕合である。グラティナの「極虚の剣」に、リ・フィナは賞賛の声を上げた。他の龍人たちも拍手をして囃す。ディジェネール特産の果実や獣肉、椰子酒を酌み交わし、お互いにこの十五年間の変化を伝える。ディアンが集落を出てから十年後、リ・フィナは集落の男と結ばれ、娘が出来たそうである。ディアンはターペ=エトフの話をした。多様な種族が共に生きる理想郷に、皆も驚いていた。歌と笑いで満ちた宴は、夜半まで続けられた。

 

『ふむ・・・黒竜族か』

 

翌日、ディアンは長老に黒竜族の聖地について尋ねた。ディジェネール地方の南方にあるとは聞いていたが、具体的な場所までは知らない。

 

『ターペ=エトフに住む黒雷竜ダカーハより、同族の行方について調べて欲しいと依頼を受けています。東方で聞いたところ、ここから南方にある黒竜族の聖地に向かったようなのですが、具体的な場所を知りません。教えて頂けませんか?』

 

『ここから南は、セテトリ地方と呼ばれておる。ディジェネール地方とセテトリ地方の境界に「フェマ山脈」がある。黒竜族は、その山脈を縄張りとしている。かなり大きな縄張りで、相当な数が暮らしているそうだ。恐らく、そこを目指したのじゃろう。じゃが、竜族はただでさえ、他種族との接触を忌避しておる。人間族に追放されたのなら、なおさらじゃろう。下手に近づけば、雷を打たれるかもしれん・・・』

 

『覚悟はしています。あのような事件があった以上、人間族に対して怒りを持つのは、仕方が無いでしょう。ですが、全ての人間族を憎むようになってしまっては、将来の禍根となりかねません。言葉によって、怨恨を解消できないかと考えています』

 

『「慈悲の心」を忘れておらぬようじゃな。竜族に近づける人間は、お前しかおるまい。強き力を持つ者は、大きな責任を負う。お前の手で、竜族を憎しみから救ってやりなさい』

 

ディアンは一礼した。

 

 

 

 

 

ディジェネール地方とセテトリ地方を隔てる山岳地帯「フェマ山脈」へと進んだディアンたちは、さっそく竜族からの警告を受けた。背中に翼を生やした女戦士が舞い降りてくる。

 

『止まれっ!旅人のようだが、此処から先は我ら竜族の領域ぞ。命が惜しくば、このまま立ち去れっ!』

 

ディアンは進み出て、挨拶をした。

 

『私の名はディアン・ケヒト、ここから北方のケレース地方にある国「ターペ=エトフ」の王太師です。ターペ=エトフに住む黒竜族「ダカーハ」より依頼を受け、東方諸国にて住処を追われた黒竜族の生き残りを探しています。タミル地方にて、西方へと向かう複数の黒竜を見たという情報を得て、この地まで来ました。取次をお願いしたい』

 

国王インドリト直筆の身分証明を差し出し、またダカーハから受け取ったウロコを見せる。女戦士は警戒しながらもディアンから受け取り、確認をした。

 

『・・・我だけでは決められぬ。皆と話し合う故、この場にて暫し待て』

 

そう言うと、飛び去っていった。

 

『・・・警戒しておけ。竜族を相手にするとなると命懸けだ。黒雷竜の強さは、魔神にも匹敵する。この地にいる竜族全員が攻めてきたら、オレでも命は無いだろう』

 

レイナとグラティナは、神経を尖らせた。ディアンは腕を組んで、瞑目して待ち続けた。日が傾きはじめた頃、空から一体の黒雷龍が舞い降りてきた。殺気は無いが、猛々しい気配を漂わせている。

 

『お主がディアン・ケヒトか。あのウロコを何処で手に入れた・・・いやその前に、お主・・・人間では無いなっ!』

 

いきなり雷が襲ってきた。ディアンは魔術障壁を繰り出して防ぐ。人間の貌を外し、魔神へと転じる。

 

«オレの名はディアン・ケヒト、白と黒・正と邪・光と闇・人と魔物の狭間に生きし、黄昏の魔神だ。嘘はついていないぞ。人間だと思い込んだのはお前たちだ・・・»

 

『そのような小賢しい言い訳が通じると思っているのか!』

 

竜は咆哮した。複数の黒雷竜たちが一斉に姿を見せる。使徒たちは剣を抜こうとした。だがディアンがそれを止めた。一歩進み出る。

 

«竜族は誇り高い種族と聞いていたが、どうやらオレの見込み違いのようだな。身分を明らかにし、取次を願い出た者を複数で襲いかかるのがお前たちの流儀か?»

 

『・・・だが、お前は魔神だろう」

 

«いつオレが、お前たちに害を為した?確かに魔神だが、きちんと礼節に則って取次を願い出たはずだ»

 

『・・・・・・』

 

沈黙する竜に対して、人間に戻ったディアンが言葉を続けた。

 

『最初から魔神化しなかったのは、魔神となれば無条件で襲ってくる奴もいるからだ。叡智の種族であれば、まずオレが何の用で来たのか、確認をすべきでは無いか?』

 

黒き竜は鼻から息を吹き出した。

 

『・・・なるほど、確かにお主の言う通りだ。その気になれば魔神として戦うことが出来ようものを敢えて、言葉によって通じようとするか・・・ 我が名はガプタール、あのウロコは我の友「ダカーハ」のものに相違ない。ダカーハは生きているのか?』

 

『ダカーハ殿は、この地から北方にある国「ターペ=エトフ」にて、国王の友として生きている。ルプートア山脈という巨大山脈の一部を縄張りとしているが、ただ独りの存在なのだ。オレは東方諸国を周り、黒竜族の跡地を見た。また白竜族からも話を聞いた。生き残りが唯独りなどあり得ぬ、という話を信じ、探していたのだ。ガプタール殿は、東方にあった黒竜族の聖地から来たのか?』

 

『そうだ。西榮國は長年の友好関係を破棄し、ある日いきなり、我等を攻めてきた。多くの仲間が殺された。ダカーハも死んだと思っていたが・・・』

 

『ダカーハ殿は、単身で逃げたそうだ。その際、全ての種族を呪ってしまったせいで、自身も呪いに掛かってしまったと言っていた。オレは東方諸国を旅し、あの事件の首謀者であった人物の日誌を手に入れた』

 

ディアンは革袋から、李甫の日誌を取り出した。ディアンが示した部分を、女戦士が読み上げる。ガプタール以下、黒雷竜たちは黙ってそれを聞いていた。

 

『西榮國の太師であった李甫は、先史文明の技術であった「火薬」の原料を手に入れようと考え、貴方がたの土地を求めていた。李甫自身は、言葉によって貴方がたを説得しようと考えていたようだが、西榮國の国王「懐王」は、力づくで奪おうとし、結果としてあの事件に繋がってしまったのだ。李甫は、そのことを後々まで悔いている。そして懐王は、龍國との戦で命を落としている。事件の首謀者二人は、もういないのだ。水に流せとは言わない。だが、人間族全てが、このような暴挙を行う野蛮な種族だとは思わないで欲しい・・・』

 

『・・・なるほど、事情は良く解った。彼らの所業を許すわけにはいかぬが、それを他の人間族にぶつけるのは、筋違いというものであろう。その日誌をダカーハにも見せてやってくれ。ダカーハの呪いの正体は「行き場のない怒り」であろう。その日誌を読めば、怒りも少しは静まるに違いない』

 

『ターペ=エトフは、黒竜族を同盟者として受け入れた。良かったら貴方がたも、ターペ=エトフに来ないか?ダカーハ殿も喜ぶと思うのだが・・・』

 

ガプタールは首を振った。

 

『我らはこの地に受け入れられた。この地の竜族には、一方ならぬ恩義がある。義理を欠くわけにはいかぬ。ダカーハに伝えてくれ。インドリト王との約束を果たした後には、この地に来いとな・・・』

 

『解った。必ず伝えよう』

 

これで用件は終わったはずであった。だがディアンは、その場を離れず、ガプタールに質問をした。

 

『良かったら教えてくれないか?竜族の「聖地」とは、一体何なのだ?この大陸には、何箇所か、そうした聖地があるそうだが・・・』

 

『お主には関係のないことだ。学ぼうとする姿勢は良いが、好奇の心も度が過ぎると、寿命を縮めるぞ』

 

『オレは魔神だ。寿命などあって無きようなものだ・・・だが、教えられないというのであれば、無理に聞くつもりはない。何かしらの事情があるのだろう。世話になったな・・・』

 

『・・・「災の種」』

 

立ち去ろうとするディアンに、ガプタールが声を掛けた。

 

『竜族には、古来より伝承がある。ネイ=ステリナより伝わる「破壊神」を封印するための要石だ。黒竜族と白竜族は、それぞれ「封神の要石」を預けられている。このディル=リフィーナにおいて、要石は重要な役割を果たしている。置くべきところに置かねば、災いが起きると言われている・・・』

 

『待て、東方の聖地にも要石はあったのか?では、それは今どうなっている?』

 

『さてな・・・災いは主に、人間族に振りかかる。我等には関係のないこと・・・というのは冗談だ。要石は目のつかぬところに安置されている。余程の変わり者でない限り、その石を取ろうなどとは思うまい・・・』

 

ガプタールは低く笑った。だがディアンは笑うことは出来なかった。万一にも、何も知らない人間がその石を取り除こうものなら、何が起きるか解らない。龍國に警告しておく必要があった。

 

『もし、その要石が全て取り除かれたら、何が起きるのだ?』

 

『・・・「絶対的な破壊神」が蘇る。そう伝わっている。遥か昔、ネイ=ステリナにおいて光と闇の神々が、総力を結集して封印した圧倒的な破壊神だそうだ』

 

『アークリオンとヴァスタールが協力し合ったのか・・・余程の危険な存在であったのだろうな』

 

『要石はディル=リフィーナの各地に置かれている。何かの間違いがあって一つが取り除かれても、他の要石がある限り、破壊神は復活しない。だが、幾つかの変調が起きるらしい』

 

『具体的には、何が起きるのだ?』

 

(ひず)みが大きくなり、異界が出現したりする。本来ならば存在し得ないような・・・例えば「神々の処刑場」などが出現するらしい。我も詳しくは知らないが・・・』

 

『・・・初めて聞く話だ。良く覚えておこう』

 

ガプタールに礼を述べ、ディアンたちは山を降りた。

 

 

 

 

 

後に、「封神の要石」の話はターペ=エトフから龍國に伝わる。龍儀はターペ=エトフからの警告を受け、西榮國にある黒竜族の聖地跡を厳重に封鎖した。しかしこのことが却って、注目される原因となってしまった。龍儀の死後、東方諸国を統一した龍國は、しばらく安定をするが、やがて数カ国に分裂をしてしまう。そうした混乱の中で、「黒龍族の聖地跡に宝が眠っている」という噂がたち、東方の要石は行方不明となってしまった。ガプタールの警告から二百四十年後の話である・・・

 

 

 

 

 

『さて、ダカーハとの約束も果たしたし、ターペ=エトフに戻るか!』

 

『そうね。途中のプレイアで、リタに会いましょう。龍國からの使者を取り次いでくれたはずだから、御礼を言わないと・・・』

 

まずは龍人族の村に戻り、長老に報告をしなければならない。ディアンはガプタールが語った「破壊神」が気になっていた。長老なら何か、知っている可能性がある。現神などどうなろうと構わないが、この世界そのものが滅んでは転生した意味が無い。破壊神について、調べる必要を感じていた。そしてこの時の話が、後にディアン・ケヒトの人生に大きな影響を与えることになるのだが、それはずっと後の話である・・・

 

 

 

 




【次話予告】
次話は6月13日(月)22時アップ予定です。

プレイアの街にある「ラギールの店」で、ディアンは衝撃的な光景を見る。店員の首に「奴隷」の証である首輪が塡められているのである。ターペ=エトフでは、奴隷売買は厳しく禁じられている。ディアンは覚悟を決めて、リタ・ラギールに会う。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵への途)~ 第四十七話「リタ・ラギールの過去」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第四十七話:リタ・ラギールの過去

ターペ=エトフ歴五年に出版された紀行記「東方見聞録」は、東方諸国の文化や風習を紹介した、当時としては唯一の書籍であった。そのため、人間族のみならず他種族からも注目を受けるのであるが、東方見聞録が有名になったのは、内容のみならず「芸術作品」としての完成度も挙げられる。

 

東方見聞録は、上質な羊皮紙を使い、魔法石類を顔料とした挿絵も豊富であった。またその文字は手描きとは思えないほどに読みやすいものであった。当時の書籍は、文筆家による手書きが一般的であったため、誤字なども多く、文字に癖が見受けられるのが当たり前であった。だが東方見聞録にはそうした癖は一切なく、現存する初版を比較しても、全く同じ字体なのである。後世において、印刷技術が確立した後、東方見聞録こそがディル=リフィーナ史上最初の「活版印刷物」であるという研究家もいる。

 

後世、活版印刷技術は西方諸国によって厳重に管理をされた。エディカーヌ帝国などはそれに従わず、独自で印刷などを行っていたが、それが西方諸国との軋轢を大きくしていた。いずれにしても、東方見聞録が出版されてから一千年近く後の話である。その間、活版印刷技術は一切、歴史に登場していない。仮に東方見聞録が活版印刷技術で印刷されたとしたら、その技術がなぜ普及をしなかったのか、大きな謎として残るのである。この謎には、東方見聞録=活版印刷説を唱える歴史家たちにも、明確な解答を持てずにいるのである・・・

 

 

 

 

 

龍人族の集落に戻ったディアンは、長老への報告を行った。

 

『そうか、黒竜族の聖地に、そのようなものが・・・』

 

『その「破壊神」について、長老は何か心当たりはありませんか?』

 

『ふむ、龍人族の伝承には、いくつかそういった「神話」はある。遥か太古の御伽話ゆえ、子供を寝付かせるために聴かせるようなものじゃ。その中に「悪い神さま」という話がある。ヴァスタール神のことかと思っていたが、ひょっとしたら、その破壊神を指すのやも知れぬ・・・』

 

長老から話を聞きながら、ディアンは思った。こうした伝承や民族寓話は、各種族に存在する。殆どが口伝であり、いつ途絶えるか解らない。文字として残す必要があるのではないか・・・

 

『ターペ=エトフにも、龍人族たちが住んでいます。彼らにも話を聞きたいと思います。私の思い過ごしかもしれませんが、人間族が国を造り始めている以上、未来の歴史はどうなるか解りません。研究に値する話だと思います』

 

『好奇の心も変わっておらぬな。人間は短い生を懸命に輝かせる。そのためには「学び」が重要じゃ。学ぼうとする謙虚さを失わぬ限り、道を踏み外すことはあるまい。これからも学び続けなさい』

 

リ・フィナやグリーデたちに挨拶をし、ディアンは集落を発った。原生林地帯を抜け、ニース地方に入る。

 

『ディアンが人間族より亜人族の肩を持つ理由が解ったわ。とっても無垢で、平和な集落だったわね。あの集落で暮らしていたのなら、人間族が穢れた存在に見えるのも、仕方が無いのかもしれないわ』

 

『オレは半分は人間だ。だから人間族が持つ「我欲」を「穢れ」と切り捨てることはしない。良くも悪くも、人間族は欲望によって発展しているのだ。肝心なことは、その欲望を自分で律することだ。オレも常に、自分にそう言い聞かせている』

 

『ディアンの場合は、欲望の向き先が少し違うようだけどね?』

 

レイナが横目でディアンを見て、笑った。ニース地方の平原地帯を抜け、アヴァタール地方南部に入る。闇夜の眷属たちが多い土地だが、ここまで来ると盗賊や魔獣の襲撃などは無い。かつてレイナを抱いたルーノースの村で宿を取った。ソフィアは、西方の建物や文化に興味があるようだった。夕食を取りながら、ディアンに尋ねてくる。

 

『ディアン、この集落からターペ=エトフは近いのですか?』

 

『そうだな。それほど遠くはない、といったところか。何か気になっているのか?』

 

『いえ、不思議に思ったのです。この集落もそうですが、土地は豊かで、人々も多いのに、どうして「国」が出来ないのだろうかと・・・』

 

『ふむ・・・』

 

ディアンも考えた。確かに、ソフィアの言うとおりである。国の誕生には、強い意志を持った「建国者」が必要だが、それ以外にも条件がある。人や土地といった条件だ。アヴァタール地方南部からニース地方にかけては、西に巨大な亜人族地帯を持ち、北東にはリプリィール山脈が伸びている。そのため侵略国家であるメルキア国も、この地に勢力を伸ばすことは出来ない。国が出来れば、豊かな国家になるだろう。

 

『オレの予想だが、恐らく「闇夜の眷属」が多いからではないか?国家形成には、強力な意志と、それを貫く「物理的な力」が必要だ。闇夜の眷属たちは、良くも悪くも「達観」したところがある。自分たちは闇夜の眷属なのだから、日陰で生きるのも仕方が無い・・・という諦めにも似たところがあると思う。ターペ=エトフに住む人間族たちにも、そうした傾向が見えた。それが原因かもしれん・・・』

 

『もしこの地に、闇夜の眷属たちを率いる「誰か」が登場すると、大国が出来るかも知れませんわね』

 

『そうだな。だがターペ=エトフとは違う国になるだろう。ターペ=エトフはドワーフ族の王が束ねている。一応は、光側の国なのだ。だがこの地は闇夜の眷属たちが多い。為政者もまた、闇夜の眷属である必要があるだろう』

 

『少し調べてみたのですが「闇夜の眷属」の定義が曖昧です。要するに「光の現神を信仰しない者」のことを指すのだと思います。つまり、私もまた「闇夜の眷属」ということになるのですね。私には現神信仰はありませんから・・・』

 

ディアンは笑った。その通りだからだ。「魔神の使徒」である以上、闇夜の眷属であることは間違いない。

 

『なんだ?ソフィアは「王」になりたいのか?』

 

『それも良いかも知れませんわね。この地に国を興し、全ての種族が平等に暮らせる理想郷を創る・・・悪くないかもしれませんわ』

 

ソフィア・エディカーヌは笑いながら、外を行き交う人々を眺めた。

 

 

 

 

 

ブレニア内海の東岸を通り、レウィニア神権国の首都「プレイア」に入ったディアンたちは、さっそくターペ=エトフ御用商人「ラギール商会」へと向かった。中央大通りを歩きながら、プレイアの発展ぶりを見て回る。ディアンの予想通り、プレイアは交通の要衝として急成長をしていた。人口も増え続け、それに伴い様々な商売が生まれている。レウィニア神権国は、いすれアヴァタール地方随一の大国になるだろう。だが、ディアンはその繁栄の裏で、影も見つけていた。都市の発展が、地区によって異なっているのだ。貴族たちが住む神殿近くの「上流階級地区」と、中央通りを超えて内海側の「中下流階級地区」とでは、発展の仕方が違う。貧富の差が生まれ始めているのだ。

 

『貴族という特権階級を設ける以上、こうした格差は必然的に発生する。この問題を放置すれば、プレイアの街も発展に限界をきたすだろう』

 

『国家全体から見れば、貴族も農民も「国民」であることに変わりはありません。格差の是正処置は行われないのでしょうか?』

 

東方諸国しか知らないソフィアにとって、レウィニア神権国、そしてプレイアの街は興味の対象であった。人々の表情や売られているモノ、物価などを見ている。ターペ=エトフに戻ったら、国務大臣シュタイフェの下で、国政に携わる予定である。今のうちに隣国をしっかりと見ておきたいと考えていた。

 

『ソフィアの言うことはもっともだが、国家全体という視点から見ることのできる為政者は少ない。為政者もまた、人間だからな。レウィニア神権国は、地方神「水の巫女」が絶対君主として君臨している。だが、水の巫女自身が統治を行うわけではない。国王がいて、貴族がいて、行政府がある。彼らが統治をしている。為政者と民衆とが切り離されている限り、この格差は埋まらないだろう・・・』

 

『ですが、民衆の数は圧倒的です。政治とは、いわば「少数で多数を支配すること」だと思います。もし支配される側が不満を覚えれば、やがて少数を打倒するために動き始めるのではないでしょうか?』

 

『そうだ。それを革命という。プレイアの街でこのようなことを言いたくはないが、恐らくレウィニア神権国は、「民衆の革命」によって滅びるだろう。水の巫女自身は、そうならない仕組みを作ったつもりかもしれないが、信仰では腹は満たされないのだ。衣食住という現実を前に、どこまで信仰心が維持されるのか、オレは疑問だな』

 

『ディアン、その辺にしておいたほうが良いわ。きっと聞かれているわよ、彼女に・・・』

 

レイナの忠告で、ディアンはそれ以上は言わなかった。下手をしたら水の巫女を批判することにもなるからだ。

 

 

 

 

 

宿に荷物を置き、ディアンたちはラギールの店に向かった。リタは既に、プレイアの名士になっている。いきなりの訪問は失礼になるので、店の番頭に面会の申し入れを行う。店は相変わらず繁盛していた。行商によって仕入れた各地の珍しい品々を並べる店の隣に、生活必需品を売る店を構えたようだ。ターペ=エトフ産のオリーブ油も売られている。だがそれを見て、ディアンは眉をしかめた。かなり高いのである。リタが幾らで売ろうとも、それはリタの自由であるが、この価格では売れないだろう。それに店員の様子も気になった。獣人族の店員だが、首輪をしている。奴隷である証拠だ。ディアンは微かに目を細めた。インドリトが嫌悪するのは、弱者を力で虐げることである。ターペ=エトフでは、奴隷売買は身分を問わず「死刑」と決められている。もしリタが奴隷売買に手を染めているようであれば、御用商人の指名を解かねばならないだろう。考え事をしていると、番頭が出てきた。

 

『ディアン様、申し訳ありません。主人は現在、来客対応をしておりまして、今夕であれば時間が取れるとのことでございます。主人からも、丁重に詫ておいてくれ、と言われております。どうか、ご了承下さい』

 

『多忙であることは理解しています。日没時に改めて、訪ねさせてもらいます。リタ殿に、宜しく伝えておいて下さい』

 

ディアンは慇懃に挨拶をしたあと、店を出た。その背には、微かな怒りが滲んでいた・・・

 

『信じられないわ。リタが、奴隷売買をするなんて・・・』

 

帰り道、レイナは少し声を震わせながら呟いた。ディアンも信じたくなかった。だが自分の目で見た現実は否定出来ない。リタ・ラギールが、ただの強欲商人に堕したのであれば、二度と会うことはないだろう。

 

『何か事情があるはずだ。今夜、リタに聞いてみよう・・・』

 

 

 

 

 

その夜、ディアンたちは改めて、ラギールの店を訪れた。番頭の案内で、裏口から応接間に通される。人間族の少女が、酒と食事を並べていた。やはり首輪をしている。ディアンは覚悟した。話によっては、リタをここで斬るつもりでいた。堕ちた友人など見たくない。パタパタと駆ける音がして、リタ・ラギールが部屋に飛び込んできた。普段通りの明るい表情である。

 

『ゴメンねぇ!待たせちゃったわね!』

 

『いや、忙しい中で時間を貰ったのだ。感謝する』

 

『ディアン、相変わらずそうで安心したわ。おや?そっちの人は・・・ははーん、アンタまた手を出したんだね?全く、アンタってオトコは・・・』

 

『えっ?いえ、私は・・・』

 

『彼女は、ソフィア・エディカーヌという。東方諸国を巡る中で、旅を共にすることになった。ターペ=エトフで行政官に就く予定だ』

 

ソフィアは丁寧に挨拶をした。リタは笑って着座を進めてきた。食事をしながら、会話をするつもりらしい。ディアンは東方諸国の旅について話をした。龍國からターペ=エトフへの使者をリタが取り次いでいる。それについて感謝を述べる。

 

『アタシは別に、大したことはしてないよ。ただ仲介をしただけ。インドリト王は、ディアンの手紙を嬉しそうに読んでいたよ。東方からの職人たちは、ターペ=エトフで仕事に就いているはずだよ。東方の調味料はアタシも仕入れようと思っていたんだけど、日持ちしないものも多いからね。ターペ=エトフで造られるようになれば、商品も増えるし、ウチもますます、繁盛するよ』

 

リタは上機嫌で、葡萄酒を呷った。ディアンは頃合いを見て、切り出した。

 

『リタ、お前に聞きたいことがある。ラギールの店を見た。オリーブ油の値段が高すぎる。あの価格は、庶民の食費一週間分だ。それに、売っている店員も気になった。お前、奴隷売買に手を染めているのか?』

 

リタは真顔になった。ディアンの目が細くなる。返答次第では、この場で斬り殺すつもりだ。緊張と沈黙が続いた後、リタは笑い出した。

 

『そうだよ。アタシは確かに、奴隷を買っている。でも売ってはいないよ。買っているだけ』

 

『・・・どういうことだ。詳しく聞かせてもらおうか』

 

リタは少し間を置いた。遠い瞳をする。何かを懐かしんでいるようだった。

 

『・・・アタシもね。昔、奴隷だったんだよ』

 

 

 

 

 

『八歳の時に、人攫いにあってね。アタシは行商人に売られた。首輪を付けられ、ほうぼうの街を連れられ、そこで売り娘をさせられていたんだよ。ムチで打たれることもしょっちゅうだった・・・』

 

リタは自分の過去を語った。八歳から十六歳まで、奴隷として使われていた彼女に転機が訪れた。盗賊団に襲われ、主人を含めて殆どが殺されたそうだ。リタはとっさに身を隠したため、難を逃れることが出来たそうである。だが主人を失い、食にも困った彼女は、身を売るしか無かった。

 

『二年間、娼婦として働いたよ。そして資金を貯めて、自分で行商を始めたんだ。売り娘をしていたお陰で、商品の仕入れ方や売り方は解っていたからね。十九の時に初めて自分の行商隊を持った時に、決めたんだ。いつの日か、自分の店を持ち、大商人になる。そして、奴隷たちを買う。店番や給仕をさせて、そうやって仕事を覚えさせる。自分自身で生きていく力を身につけさせる。そして奴隷から開放するんだ・・・ってね』

 

『リタ・・・』

 

レイナが涙を流していた。ディアンは瞑目した。自分の不明を恥じていた。リタ・ラギールは、崇高な志を持っていた。「奴隷開放」である。その志は、「種族を超えた平和と繁栄」に繋がるものであった。奴隷を買って、開放するだけなら簡単だ。だがそれでは、生きていくことが出来ない。再び、奴隷になってしまうだろう。自分自身の力で、奴隷から開放されなければ意味が無いのである。リタはその機会を与えようとしているのだ。

 

『済まない。オレの早合点だった。許してくれ』

 

ディアンは頭を下げた。だが、オリーブ油の値段についての疑問が残っていた。リタはこれについては、逆にディアンに文句を付けてきた。

 

『それはアンタが悪いんだよ?二月に一回なんて取り決めをするから、仕入れられる量も限られるんだ。プレイアは三十万人近くの人が住んでいるんだよ?ターペ=エトフ産のオリーブ油は、質が良いってことで人気なんだ。料理の他にもオイルランプや駆虫剤として、オリーブ油は生活必需品になっている。欲しがっているお客さまが大勢いるのに、品薄状態なんだから、値を上げるしかないじゃないか!』

 

『・・・つまり、オレのせいか?』

 

『なんで「月一回」にしなかったのさ!二月に一回なんて条件にしたから、こうなるんだよ!行商隊だって、規模に限界がある。何百両の行商隊なんて、現実的に無理なんだよ。それくらい、アンタなら解るでしょ?』

 

ディアンは溜め息をついた。インドリトからも「予想以上の利益」と聞いていた。その時点で、こうした事態を予測すべきだった。確かに三十万人が日常的に使う品を「二月に一回」しか仕入れられないのであれば、品薄になって当然である。ターペ=エトフのオリーブ油は、プレイアのみならず、アヴァタール地方各地で使われ始めている。使用者の数は百万人を超えるだろう。リタもずっと不満に思っていたに違いない。商機を逃し続けていたからだ。

 

『何か手を打つ必要があるな・・・』

 

『だったら簡単だ。ルプートア山脈に洞穴を掘ってしまえば良い。そうすれば幾らでも行き来できる』

 

肉を喰みながら、グラティナが事も無げに言った。確かに根本的な解決方法ではあるが、そのためには幾つもの根回しが必要である。まずダカーハの許可が必要だ。レウィニア神権国の行政府にも許可を得ねばならない。つまり外交交渉が必要となる。そうすると、必然的にインドリト王が動く必要がある。元老院の賛同も必要だろう。となれば各種族に説明する必要がある。魔神アムドシアスとトライス=メイルへの根回しも欠かせない。無制限に行き来が出来ないようにするための仕掛けも考えなければならない。工事費および維持費はどの程度か、その予算はどうするかも検討する必要がある。グラティナが言うほどに、簡単なことではない。果てしなく面倒なことである。

 

『まぁ、これはディアンの責任だね。お客さまがどれくらい欲しがっているかを測るのは、商売の基本です!それを読み誤った以上、ディアンになんとかしてもらいましょう~ ニッシッシッ!』

 

『あ、頭が痛くなってきた・・・』

 

皆が笑う中、ディアンは盛大な溜め息をついた。

 

 

 

 

 

プレイアの街で三日滞在し、旅の垢を落としたディアンたちは、ターペ=エトフを目指して出発をした。東方見聞の旅に出てから、ほぼ二年である。発展するレウィニア神権国の田園地帯を抜けると、ルプートア山脈とトライス=メイルに挟まれた地帯に入る。

 

『ここからがケレース地方だ。あの山脈の向こう側に、ターペ=エトフがある。右手の大森林地帯は、ルーン=エルフ族の縄張りだ』

 

ソフィアに説明をしながら、ディアンは北を目指した。華鏡の畔を縄張りとする魔神「アムドシアス」に手土産を用意している。東方諸国の縦笛だ。結界を通り、白亜の城に近づく。驚いたことに、アムドシアス自らが城から出てきた。魔神の気配も抑えている。

 

『ディアン・ケヒト、久しぶりだな。東方諸国から無事に戻り、何よりだ』

 

かなり上機嫌のようだ。内心で疑問に思いながらも、ディアンは礼を述べ、手土産を差し出した。この地では、東方諸国の楽器を手に入れるのは難しい。アムドシアスは大いに喜び、その音色を楽しんだ。普通であれば、音を出すのですら練習が必要である。さすがは「美を愛する魔神」であった。

 

『本来であれば、お前を饗したいところだが、あいにく所要があってな・・・』

 

『そうか、それは間が悪かったな。東方の話はまた別の機会にして、今日はここで失礼をしよう。だが、お前が外出とは珍しいな。どこに行くんだ?ターペ=エトフか?』

 

『いや、東方の「ガンナシア王国」だ。先日、ゾキウ王より美術品が贈られてきてな。一度会いたいと言って来たのだ。面倒だが、中々の銘品であったので、粗略にも出来ん』

 

『ほう・・・』

 

ディアンは表情を変えずに頷いたが、内心では警戒をしていた。ガンナシア王国は人間族を否定している国だ。敵対はしていないが、ターペ=エトフとは根本的に相容れない部分がある。もしアムドシアスがガンナシア王国側に附くのであれば、ターペ=エトフとレウィニア神権国との物流路を遮断されることになる。だがアムドシアスは特にそんなことを考えている様子はない。あくまでも「返礼」として訪れるつもりらしい。こうした「政治的感覚」を目の前の「芸術バカ」に求めるのは無理であろう。ディアンは笑って頷き、その場で別れた。ルプートア山脈の谷間に入ると、レイナが声を掛けてきた。

 

『面倒なことになったわね。ガンナシア王国は、闇夜の眷属たちが多く暮らす国で、ターペ=エトフの中にも、親近感を持つ者は多いわ。もしアムドシアスが向こう側に附いたら・・・』

 

『確かに厄介だが、それはガンナシア王国でも同じだ。あの地でも、ターペ=エトフのことは話題になっているはずだ。現時点では、どうこうすることは出来ないだろう。だがアムドシアスの動きについては、シュタイフェに報告をしておく必要があるな』

 

二年ぶりに川を超え、首都プレメルを目指す。子供たちの笑い声が聞こえてきた。ディアンの口元は自然と綻んでいた・・・

 

 

 

 




【次話予告】
次話は6月14日(火)22時アップ予定です。

ディアンたちの帰還を大喜びするインドリトに、東方諸国の情勢と黒龍族の調査結果を報告する。天使族、イルビット族の受け入れ問題や交易拡大の方法など、検討すべきことは多々あった。過労死寸前の「知の魔神」に、東方から来た強力な助っ人が対面する。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵への途)~ 第四十八話「国務次官ソフィア・エディカーヌ」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第四十八話:国務次官ソフィア・エディカーヌ

後世、ターペ=エトフを研究する歴史家たちは、ターペ=エトフの行政府および統治機構について、一様に関心を持つ。ターペ=エトフについての記録は不自然なほどに残されていない。具体的には、人口や国家予算、戸籍などは全て消失してしまっており、レウィニア神権国やスティンルーラ女王国に残された記録以外には知りようが無いのが実情である。賢王インドリトは、記録することを重要視していたと言われている。にも関わらず、ターペ=エトフ滅亡後には、国家についての記録が消え去っていたのは、何者かが意図的に記録を消した、と考えられる。そこで注目をされるのが、国務大臣「魔人シュタイフェ・ギタル」の存在である。

 

ターペ=エトフ建国元年から滅亡までのおよそ三百年間、シュタイフェは国務大臣としてターペ=エトフの行政府の最高責任者であった。シュタイフェについては、レウィニア神権国やカルッシャ王国などの近隣諸国にも、その記録が残されている。ターペ=エトフ歴四十三年、ターペ=エトフとカルッシャ王国との間で、ケテ海峡通行における取り決めが為された際に、カルッシャ王国側の交渉担当者であった「レオナルド・W・シュタイナー」の手記が残されている。

 

・・・シュタイフェ・ギタルという人物は、およそ国務大臣とは思えないほどに品がなく、重要な交渉局面においても「書けない程」の下品な冗談をしばしば発していた。彼が一体、どこまで本気なのか、我々には掴みかねていたことは間違いない。ケテ海峡は、西方諸国からの海上物流が集まる「要衝」であり、ターペ=エトフ側も海峡付近に軍を展開させている。一歩間違えれば、両国間の全面戦争にも繋がる「緊張地帯」であるのも関わらず、シュタイフェは

あろうことか、それを「女性の性器」に見立てて話をしたのである。だが、下品な喩えではあるが彼が言わんとするところはよく理解できた。交渉が平和裏に終結したことをまずは喜びたい・・・

 

シュタイフェ・ギタルは、外交と内政の両面で、八面六臂の活躍をしている。ターペ=エトフ滅亡後、シュタイフェは侵略者であった魔神ハイシェラに仕え、一部から「裏切り者」と非難をされる。一方で、シュタイフェはターペ=エトフの記録を消し去り、十五万人以上の「ターペ=エトフ国民」を守るために、ハイシェラに従ったのだ、という擁護の声もある。確かに、ハイシェラ魔族国を滅ぼしたマーズテリア神殿が見たものは、無人の首都と空の宝物庫、完全に消去された資料室であった。ターペ=エトフという国が確かに存在したと断言できるのは、絶壁の王宮跡と近隣諸国の記録があるからである・・・

 

 

 

 

 

首都プレメルは、午後の穏やかな日差しの中で眩く輝いていた。獣人族とドワーフ族の子供が縄跳びをして遊んでいる。ディアンたちは馬を降り、徒歩でプレメルに入った。

 

『ディアンの旦那っ!戻ったんですかい!』

 

酒屋を営むヴァリ=エルフの男が声を掛けてきた。通りすがりの知人たちも笑顔で挨拶をしてくる。石畳の道は綺麗に掃き清められ、街路樹には果実が実っている。大通りに入ると、その賑わいはさらに大きくなった。祭りの前の準備のようである。ソフィアが訪ねてきたので、ディアンが教えた。

 

『翠玉の月(七月)の二十四日は、インドリト王の誕生日だ。ターペ=エトフでは、建国記念日と国王誕生日に、盛大な祭りがある。各集落では毎月のように祭りをしているが、国を上げての祭りは、年に三度だ。「貝寄せの月(三月)にある建国記念日」「翠玉の月(七月)にある国王誕生日」「狭霧の月(十一月)にある収穫祭」だ』

 

『想像以上の街ですわ。規模だけなら、「龍陽」のほうが大きいのでしょうが、輝きがまるで違います。本当に、理想郷なんですね』

 

やがて、王宮までの「昇降機」が見えてきた。折のような「箱」に滑車が付けられ、鋼鉄を編んだ「綱」によって上下する。動力には魔導技術が使われている。昇降機の入り口に、屈強な獣人の兵士が二人、立っている。気負いが無く、良い気配を放っている。中々の腕を持っているのが一目で分かる。ディアンが声を掛けた。

 

『ドランとゴラン、兄弟で警備役か?』

 

『ディアン殿、お待ちをしておりました。インドリト王は王宮にてお待ちです。馬をお預かりします。こちらに・・・』

 

馬の手綱を手渡す。昇降機に隣接されて、そうした「預かり場」があるのだ。弟のゴランが馬を曳いている間に、兄の方に尋ねた。

 

『ファーミシルスから認められたようだな。確かに良い気配を放っている』

 

『先日、ようやく一本を取ることが出来ました。取らせて貰ったのかもしれませんが、それで警備兵として認めてもらえたのです』

 

『「強さの誤魔化し」をファミは嫌う。お前たちは確かに、強くなったぞ。駆けっこが苦手だった「あの子供」がなぁ・・・そのうち、オレと木刀を交えよう。腕を見てやる』

 

ディアンは笑いながら、昇降機に乗った、ソフィアは恐る恐るという様子であった。飛行魔法どころか、高い場所が全般に、苦手らしい。

 

 

 

 

プレメルの王宮は、ルプートア山脈の高所にある。だが温水が引かれているため意外なほどに温かい。王宮の前庭に入る。噴水が虹を作っている。白亜に輝く城に、ソフィアは目を輝かせた。

 

『綺麗・・・』

 

感動的な視界の端に、思わず笑ってしまうような光景があった。魔獣レブルドルでインドリトの友である「ギムリ」が、およそ魔獣とは思えないダラしのない格好で寝ているのである。日当たりの良い芝の上で、仰向けで横たわっている。ソフィアを連れているのである。嗅ぎ慣れない匂いに、普通なら警戒するはずだ。だがギムリは、薄っすらと目を開け、近づくソフィアを見ただけであった。鼻から深く息を吐き、そのまま寝る。ソフィアは笑いながら、ギムリの腹に手を置いた。

 

『可愛い・・・』

 

腹を撫でるソフィアの後ろで、ディアンは溜息をついた。

 

『ヤレヤレ、これでは番犬の役は無理だな。まぁ、それだけ平和ということか・・・』

 

ソフィアに撫でられるのが心地良いのか、ギムリはダラしない格好で眠り続けていた。

 

 

 

 

 

王宮を守る人間族の衛兵に、帰還を伝える。既に予定が伝わっていたため、待たされること無く王宮内に通された。だが王宮内には何か、殺伐とした空気があった。シュタイフェの部下たちが、慌ただしく行き来をしている。ディアンは先導する衛兵に尋ねた。

 

『王宮内が慌ただしいようだ。皆の表情にも焦りがある。何かあったのか?』

 

『それが・・・シュタイフェ殿が・・・』

 

『シュタイフェがどうかしたのか?』

 

衛兵は少し言い淀んだが、意を決してディアンに苦言を呈してきた。

 

『ディアン殿、シュタイフェ殿は唯一人で、我が国の国政を見ています。あまりにも負担が大きすぎます。ディアン殿は、東方諸国から数十人の職人を送られました。インドリト王はお喜びでしたが、実際に彼らが生活をしていくための手配や準備など、どれほど仕事が生まれたのか、ご理解頂けるでしょう?』

 

『なるほどな・・・』

 

要するに、何でもかんでもシュタイフェが管理し過ぎなのだ。中間管理職を置かなければ、シュタイフェは潰れるだろう。「組織の長」という立場は、シュタイフェ自身も初めてのはずだ。ディアンは、王への報告後に、シュタイフェに会うことを決めた。謁見の間へと続く扉の前に立つ。

 

『王太師ディアン・ケヒト殿、ご帰還っ!』

 

扉が開かれ、赤い絨毯の上をディアンは進んだ。玉座には、偉大なる名君が笑顔で座っていた。

 

 

 

 

 

『我が君、お懐かしゅう御座います。ディアン・ケヒト、ただいま帰還致しました』

 

『東方見聞の役目、ご苦労様でした。無事で何よりでした。我が師よ・・・』

 

師弟が笑顔で頷き合う。ディアンはまず、ソフィア・エディカーヌを紹介した。龍國で書いた手紙で概要は伝えていたが、今後についてはこれからの検討である。ディアンはソフィアがインドリト王と同じ「種族を超えた繁栄」を求めていること、些か賢しいところはあるが、国務次官とすればシュタイフェの仕事も減ることなどを説明した。インドリトはソフィアに話しかけた。

 

『ソフィア・エディカーヌ殿、私はインドリト・ターペ=エトフです。西ケレース地方は、多様な種族が住んでいます。皆が共に生きるためにはどうすれば良いか、私は今も悩み続けています。師が他者の知性を褒めることなど滅多にありません。貴女の叡智を貸してください』

 

ソフィアは真っ赤になっていた。インドリト王とはどの様な王か、自分なりに想像をしていた。だがその想像は全く意味がなかった。目の前の王はどこまでも穏やかで、それでいて瞳に強い意志と知性を宿している。だがそんな印象も泡と消えていく。王が発する「包むような気配」に、ソフィアは戸惑った。ディアン・ケヒトの言っていたことが実感として理解できた。「この王の為なら・・・」そう思わせるものが、インドリトにはあった。正に「名君」であった。ソフィアは自分が緊張していることを自覚しながら、何とか返答した。

 

『ソフィア・エディカーヌです。私で役に立つのであれば、何なりと仰って下さい』

 

ディアンも使徒二人も、俯きながら笑いを堪えた。心を鍛える修行は続けていた。だがそれも必要が無くなるかもしれない。偉大な人物が発する影響力は、一人の人間を変えてしまうことがある。ソフィア・エディカーヌは「優秀と思われたい」という渇望を抱いている。それ自体は悪いことではないが、それが全面に出過ぎるのが欠点であった。だが、インドリトを前にして、ソフィアは自分自身がいかに「子供」であったかを痛感した。王という立場にありながら、年下の、しかも女である自分に対して「叡智を貸してくれ」などと頼むのである。バカにしているわけでも見下しているわけでもない。ごく自然の姿勢でそう言えるのである。インドリトを前にして、ソフィアはようやく実感できた。知恵や知識、あるいは剣や魔法などは、本当の強さではない。真の強さとは「人としての器」なのだと・・・

 

 

 

 

『なるほど、天使族とイルビット族ですか・・・』

 

ディアンの「簡にして要を得た」報告に、インドリトは頷いた。だがディアン同時に、現時点での懸念を伝えた。

 

『東方からの受け入れの前に、まずやっておくべきことがあります。シュタイフェのことです。本日、王宮に伺って感じました。行政府はシュタイフェ一人で切り盛りをしている状態です。今のままでは、早晩、潰れてしまうでしょう』

 

インドリトは頷いた。

 

『国務大臣に負担がかかっていることは、私も憂慮しています。「部下に任せろ」と伝えたのですが、彼は意外に「完全主義者」のようで、何でも自分で見なければ気が済まないようなのです』

 

『我が君は行政府の最高責任者でもあります。そこで、我が君からお許しを頂きたいことがあるのですが・・・』

 

シュタイフェは何だかんだ言っても、代えがたい行政官である。ディアンはそれを敢えて、代えるつもりだった。力づくでも・・・

 

 

 

 

 

『ダメダメッ!これじゃぁ~ あぁ、これはそっちだな・・・』

 

王宮内に隣接された行政府に入ったディアンは、目を細めた。陽気な猥談を語る「知の魔神」はいなかった。そこには仕事に忙殺をされ、部下一人ひとりまで見ることができなくなった「追い詰められた管理職」がいた。シュタイフェは管理職の仕事を勘違いしていた。管理職は、自らは手を動かさないものなのだ。部下が安心して手を動かすことができるように「環境を整える」ことが管理職の仕事なのだ。

 

『シュタイフェッ!』

 

ディアンが声を掛けた。シュタイフェは動きが止まり、ディアンに顔を向けた。目が血走っている。ディアンは駆け寄り、書類を奪った。

 

『バカ野郎が・・・お前は仕事をしすぎだ!少し休めっ!』

 

シュタイフェは殺気立った目をディアンに向けてきた。

 

『仕事をし過ぎだぁ?その仕事を作ったのは誰だっ!勝手に龍國と交渉して、大勢の職人を送り込んだのは誰だ!プレメルで受け入れ、各産業を見聞させ、何処に役立つかを考え・・・』

 

ディアンは一瞬でシュタイフェの後方に回り込み、首筋を手刀で打った。白目を剥いて、シュタイフェが倒れる。

 

『このバカ魔人を鍵付きの部屋に閉じ込めておけ!お前たちに紹介しておく。ここにインドリト王からの任命書がある。ソフィア・エディカーヌが国務次官に就任した。国務大臣は体調不良のため、次官が指揮を取る。エディカーヌ殿、ご指示を・・・』

 

ソフィアは呆気に取られていたが、瞬時に切り替えた。前に進み出て、部下たちを見る。皆が疲れきっていた。

 

『ソフィア・エディカーヌです。本日から、国務次官としてターペ=エトフの行政府に入ります。私は本日、この国に来たばかりの人間です。右も左も解りません。ですので、今日一日を掛けて、すべての書類に目を通すつもりです。今日はもう、仕事にはなりませんし、見たところ皆さんも疲れているようです。今日はもう仕事を切り上げて、家でゆっくり、休んで下さい』

 

全員が、ほっとした表情を浮かべた。ソフィアは出口で一人ひとりに名前を聞き、顔と名を一致させていった。無人になった部屋に残ると、ディアンに指示を出した。

 

『ディアン・ケヒト殿、あなた国務大臣に手を上げました。それが彼のためだったとはいえ、暴力による解決など下の下です。罰として、明日の朝まで、私の手伝いをしてもらいます。宜しいですね!』

 

ディアンは背を向けて帰ろうとしたが、いつの間にか背後に、使徒二人が立っていた。

 

『安心しろ。誰も邪魔が入らないように、我らが衛兵を務めてやる。国務次官殿、存分に王太師をこき使ってくれ』

 

グラティナが大真面目の顔で言い放った。だが二人共、肩を震わせている。ディアンは溜息をついた。

 

 

 

 

 

知の魔人にしてターペ=エトフ国務大臣「シュタイフェ・ギタル」は、ようやく目を覚ました。自分が何故、寝ているのか解らなかった。記憶を再生し、思い出す。慌てて起きる。だが扉に鍵が掛けられていた。戸を叩くが、返答が無い。シュタイフェは焦った。自分がいなければ、国政が滞る。もうすぐ、インドリト王の誕生日だ。国祭の準備で、皆が多忙を極めている。早くここを出なければ・・・だが、扉には頑丈な鍵が掛かっている。いっそ魔術で吹き飛ばそうか。だが、王宮内での魔術使用は禁じられている。国政の責任者である自分が、法を破るわけにはいかない・・・

 

結局、シュタイフェはそのまま三日間、閉じ込められた。食事や水は、戸の下から差し入れられる。綺麗な個室であるが、実際には「牢獄」であった。シュタイフェは不安を感じながらも、やることが無いので寝るしかなかった。寝ながら、様々なことを考える。準備をしなければならない「直近の仕事」から、ターペ=エトフがより発展するための「将来の産業」などなど・・・

 

『そういえば、仕事が忙しすぎて、こうして考え事をするなんて、久々でやんスねぇ~』

 

欠伸をし、そのまま眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

三日後、ディアン・ケヒトが現れた。シュタイフェはディアンに詫た。二年ぶりの挨拶もなく、ディアンに怒鳴ったからだ。

 

『どうやら、少しは落ち着いたようだな』

 

『というか、諦めでやんスね。三日間も現場を放っておいたんだ。ここまで仕事が遅れたら、もう取り戻すのは無理っスよ』

 

『・・・付いて来い』

 

ディアンに連れられ、行政府に入る。そこで目にした光景に、シュタイフェは唖然とした。机の配置から部署の位置までが変わっている。そして見知らぬ美人が、ペラペラと紙を見ている。

 

『ありがとう、これで良いわ。お酒については、私は知識がないから、貴方の判断に任せる。去年の実績と一年間の人口増加を考えると、予算は三割増しで良いと思うわ。あとはお願いね』

 

シュタイフェの下で仕事を積んだ中堅層が、ソフィアに報告をしている。持ってくる紙はせいぜいが二枚程度であった。あとは口頭で報告している。ディアンはソフィアに声を掛けた。ソフィアは笑顔で、シュタイフェに手を差し出した。

 

『御挨拶が遅れて、申し訳ありません。私はソフィア・エディカーヌと申します。インドリト王より、国務次官を任じられました。大臣が体調不良とのことでしたので、私が代わりに、指揮を取りました』

 

『あぁ・・・その・・・シュタイフェでやんス・・・』

 

そしてシュタイフェはディアンを腕を取って、部屋の隅に向かった。

 

『ディアン殿、これはどういうことっスか?』

 

『インドリト王は、お前一人に負担を掛けていることに、ずっと悩んでおられた。そこに、東方からキレ者の行政官が現れた。インドリト王はその場で、彼女を国務次官に任じた』

 

『あ、アッシの仕事は・・・』

 

『お前の仕事か?あるぞ。お前は国務大臣としてドーンと座って、皆の働きぶりを観ていれば良い。報告を受けるのはソフィア一人からだ。それも、ソフィアが必要だと思ったものだけ、報告を受けろ。そしていつも皆の貌を見ながら、悩んでいそうな者や困っていそうな者に声を掛け、励ましてやれ。後は適当に冗談を飛ばしていろ。そして最後は、お前が責任を取れ』

 

『なっ・・・アッシの仕事は国務でっせ?そんな適当な・・・』

 

『お前は目の前の仕事に囚われ過ぎて、より大きな危機を招きそうだったことに、まだ気づかないのか?お前が全てを決済していたら、皆がお前一人を頼るようになる。行政府はお前がいなければ動かなくなってしまう。もしそんな組織の状態で、お前が倒れたらどうなっていた?行政府はそれで終わりだ。ターペ=エトフも崩壊の危機だっただろう。お前は重要な事だけを抑えろ。あとは下に任せるんだ』

 

『し、しかしもし、それで失敗したら』

 

『失敗か?まぁそういうこともあるな。神でない以上、失敗をしない者などいない。だがそれも経験だろ。そこから学習させ、次は失敗しないように教え、諭せ。それが上司の仕事だろ』

 

シュタイフェは腕を組んだ。ターペ=エトフ建国時は、ここまで業務量は無かった。また建国という仕事に夢中になっていた。しかし国ができた後は、行政府の仕事は「維持・安定」となった。その中で、気づかないうちに自分の仕事の仕方が変わっていたのだ。溜息をついて、頷いた。何か憑物が落ちたように、気分が晴れやかになった。改めて、ソフィア・エディカーヌのところに向かう。

 

『アッシの不注意で、ご迷惑をお掛けしたでやんス。不在中の指揮、ご苦労様でした。特に、何か変わったことは、無かったでやスか?』

 

『そうですわね。報告すべき点としては、大きくは三つですが、大臣もこの三日間の変化をお聞きになりたいでしょうから、概要をお伝えしますわ』

 

ソフィアが座っていた机のさらに奥に、一席が設けられていた。シュタイフェは座ると大きく息を吐いた。ソフィアが簡単な全体像と不在時に判断をした重要な三点、そしてその途中経過を報告した。シュタイフェは報告を聞きながら、目を丸くした。目の前の美人は、美少女と言えるくらいの若さなのに、その切れ味たるや自分でさえ舌を巻くほどである。名君インドリト王が、国務次官に任命した理由がわかった。

 

『・・・以上ですが、何かご不明な点はありますか?』

 

『あ~、一つ聞きたいことが、もうディアンとは一発ヤって・・・ブヘェッ!』

 

ソフィアの平手がシュタイフェの頬を打った。ソフィアはニコやかに返答した。

 

『失礼しましたわ、大臣・・・レイナとティナより、大臣のご性格は聞いておりました。私にそのような下品なことを言えば、どうなるか、お答えしたつもりです。ご理解いただけましたか?』

 

冷たい笑みを浮かべる凄腕の国務次官を見ながら、シュタイフェは素直に頷いた。

 

激務から開放された知の魔人は、本来の陽気さを取り戻して、行政府内を歩き回っていた。国務大臣という立場上、参加をしなければならない会議や外交の場面がある。それ以外は主に、行政府内を歩きまわり、皆に声を掛けて回ったり、インドリト王からの相談に乗ったり、あるいは長期の計画について考えたりとしている。行政府は事実上、ソフィア・エディカーヌが最高権力者となっていた。ソフィアの仕事は、適した実務担当者を登用し、そこに明確な指示を出し、予算と権限を与えて仕事を任せ、最終的な報告を受けることであった。東方諸国は人も多く、古くからこうした「行政府」が出来ていた。そのため、組織管理の考え方も進んでいる。ソフィア・エディカーヌの登場により、ターペ=エトフの行政府は飛躍的に機能化した。

 

 

 

 

 

『イルビット族の受け入れは良いのですが、天使族については、受け入れ方法を考えなければなりません』

 

インドリトは久しぶりに、ディアンの家を訪ねていた。東方から戻ったディアンは、さっそく「稲作」の準備を始めている。インドリト・ターペ=エトフへの献上品は王宮内で渡したが、弟子インドリトへの土産は別にある。東方諸国の酒や書籍、衣類などだ。ディアン・ケヒトがインドリトの師であり、八年間を共に生活したことは、プレメルの誰もが知っている。だからこそ、公私の区別を厳しくしていた。この家の中でのみ、インドリトは王ではなく、弟子であった。川を登ってきた「鮎」に塩を振りかけ、焼く。山菜を煮びたしにし、醤油を掛けて食べる。米は五分づきだが、鶏肉や人参、山菜類を一緒に炊いた。インドリトは初めて食べる米に目を細めた。まだ箸には慣れていないが、フォークなどは使わない。東方の食事は箸で食べるものなのだ。インドリトはそう考えていた。

 

『ただの天使族なら、カルッシャ王国なども気にしないだろう。だが、ミカエラは「熾天使」だ。三神戦争時に現神とも戦った「古神の一柱」とも言える存在だ。熾天使は通常の天使とは違い、六翼を持つ。ターペ=エトフ国民として、元老院に参画させるのは危険だな』

 

『仰るとおりです。ターペ=エトフに外敵からの危機が訪れるとするなら、まずは北西からでしょう。ケテ海峡の対岸は、光側勢力のカルッシャ王国です。またルプートア山脈西方はバリハルト神殿の勢力下と隣接します。一時的に力が弱まったとはいえ、それでも一国と戦うくらいの力は持っています。もし熾天使がターペ=エトフに住み着いたとなれば・・・』

 

『下手をしたら光側神殿、カルッシャ、フレスラント王国を相手にした一大戦争になりかねんな。天険の要害に囲まれたこの地でも、これら全てを同時に相手したら、勝ち目は無いだろう』

 

『あくまでも天使族は「同盟者」として受け入れた方が良いと思います。ダカーハ殿と同じような位置づけですが・・・』

 

『ミカエラたちはそれで構わないと言うだろう。彼らはメルジュの門が見える「天空島」から離れたいと思っている。二千年間も同じ地に住み続けていたが、メルジュの門は開いた。そのことが逆に、彼らを苦しめる可能性がある。あの門に創造主がいるのに、なぜ自分たちに姿を見せないのか、とな・・・』

 

インドリトが頷いた。種族を超えた繁栄の実現は、ターペ=エトフの国是とも言える。天使族を受け入れないという選択肢は、最初から存在していない。だが受け入れ方を間違えれば、他の種族にも影響が及ぶ。

 

『天使族に、ルプートア山脈西方を提供するのは良いとして、隣接するヴァリ=エルフ族への説明が必要になりますね。それは私から直接、説明をしましょう。天使族には、西方の未踏地を提供しようと思います。あの地は垂直に近い山々に囲まれているため、いまだ誰も踏み入ったことのない土地です』

 

『・・・事前に見ておいたほうが良いな。飛行魔法を使えば行けるはずだ。私が行こう』

 

『お願いします、先生』

 

『ディアン、政治の話はそのくらいにしろ。せっかくファミまで来ているのだ。皆に土産話をしたらどうだ?』

 

グラティナに促され、ディアンとインドリトは政治話を打ち切った。改めて乾杯をし、東方諸国の話をする。二年間の冒険話にインドリトは夢中になった。ソフィアはそんなインドリトを興味深げに見つめた。玉座にいた時とは雰囲気が違うからだ。目の前にいるのは、師を慕うドワーフ族の青年でしかなかった。こうした「二面性」は、師匠譲りなのだろう。ソフィアはそんなことを考えながら、鮎の塩焼きを頬張った。

 

 

 

 

 

国務大臣シュタイフェ・ギタルは、内政全般を次官に移管すると、自身は外交交渉および中長期計画を担当することにした。ラギール商会から「ルプートア山脈山脈南東部に洞穴を繰り抜き、交易路を作って欲しい」という要望が来ていた。多忙だった頃には後回しにしていたが、落ち着いて考えると深刻な問題であった。財政に問題はないが、輸出量が伸び悩んでいる。その原因は「二月に一度」という交易回数にあった。一回の交易での荷車の数は百両を超えているが、馬や荷車の維持費などを考えると、この規模が限界である。ターペ=エトフには、東方諸国からの職人が来訪し、技術導入が進んでいる。これまで輸入に頼っていた「衣類」「紙」なども、国内で賄うことが出来るかもしれない。それらを輸出するためには、より太い交易路が必須であった。さらに、ディアンからの報告が気になっていた。東方のガンナシア王国と、華鏡の畔「魔神アムドシアス」の接触である。政治的に微妙な状況である。華鏡の畔を通らない交易路が必須であった。

 

『インドリト様、ルプートア山脈南東部の洞穴工事についてですが、一通りの工程表が完成しました。ご確認下さい』

 

シュタイフェから渡された工程表を確認して、インドリトは首を傾げた。工事予算が思いの外、安いからだ。

 

『洞穴を掘るとなれば、それなりの人員が必要だと思いますが、これは安すぎるのではありませんか?』

 

『掘削に関しましては、ディアン殿の地脈魔術を使えば、数日で掘り進むことが出来ると思いやス。この費用は、落盤などが起きないように、固めるためのものでして・・・』

 

『つまり、師が独りで掘って、掘った後を固めていくだけ・・・ということですか?いくらなんでも、師に負担を掛け過ぎていると思うのですが・・・』

 

『はぁ、アッシもそう思うのですが、ソフィア殿が言うには「ディアン殿は平和なターペ=エトフの中で、名君の太師というおよそ不要としか思えないような役職に就いているのです。この程度の働きをして貰わなければ、給金泥棒と言われても仕方がありませんわ』とのことです。ソフィア殿は第三使徒候補者と聞いておりますし、その人が言うのなら、仕方が無いかと・・・』

 

インドリトは途中から笑いを堪えることに苦労した。だが洞穴堀りの前に、やるべきことがある。ダカーハへの報告である。明日、ディアンがダカーハに報告をする予定であるが、その場には自分も立ち会うつもりであった。大体の事情は聞いているが、ダカーハを慰撫するには、自分がいたほうが良いだろうと思っていた。

 

『まずはダカーハ殿に許可を得なければなりませんね。明日、師と共にダカーハ殿に会う予定です。そこでお願いをしてみましょう』

 

『アッシは、レウィニア神権国への根回しを進めやス。まあ洞穴の出口は、一応はケレース地方なのでそれほど問題は無いと思いやス』

 

 

 

 

 

インドリトが、ディアンから渡された「李甫の日誌」を読む。黒雷竜ダカーハはそれを黙って聞いていた。

 

『・・・いつの日か、竜族に詫びよう。たとえ、許されなくとも・・・ これが最後です』

 

ダカーハは暫く瞑目し、それから深く息を吐いた。ディアンとインドリトはその様子を黙って見守った。

 

『・・・「フェマ山脈」だったな?』

 

暫く沈黙していたダカーハが、ディアンに尋ねてきた。ディアンは頷いた。

 

『そうだ。ガプタール殿以下、二十ほどが難を逃れたそうだ。ダカーハ殿のことを気にしていた。インドリト王との約束を果たした後には、この地に来い・・・ そう言っていた』

 

『そうか、生きていてくれたか・・・』

 

ダカーハは空を見上げた。遠くを見るような瞳をする。やがてインドリトに語りかけた。

 

『何とも愚かしいことよ。その「硝石」なるものが欲しければ、我らに相談をすれば良かったものを・・・ だが、我も人間族を笑えぬか。人間族といえど、多様な考え方がある。その「李甫」なる人物は、ずっと悔いていたようだしな。種族同士が解り合うことの、何と難しいことか・・・』

 

『そうですね。しかし、だからこそ話し合う場が必要なのだと思います。お互いに胸襟を開き、語り合う。これしかないのではないでしょうか』

 

ダカーハは瞑目して頷いた。許すことは出来ないだろう。だが「全ての種族を呪う」ということは避けられそうだ。インドリトがダカーハに語りかけた。

 

『我がターペ=エトフでは、そのような「すれ違い」は決して起きません。起こさせません。皆が共に学び、共に働き、共に喜び合う・・・ 種族の垣根を超えて、繁栄を謳歌する国を必ず実現します』

 

『もはや既に出来ている。竜族と聞けば、皆は畏れるはずなのに、ターペ=エトフの子供たちは、我に近寄ってくるではないか。無垢な心は、いつ見ても良いものだ・・・』

 

ダカーハの中にあった憎しみは、すぐには消えないだろう。だがターペ=エトフで生きる中で、徐々に癒されるに違いない。実際に、二年ぶりに会ったダカーハは、棘のような気配が消え、丸みを帯びていた。

 

『ダカーハ殿、実は、あなたに相談があるのですが・・・』

 

ディアンは切り出した。万一を考えて、ダカーハから嫌われるのは自分であるべきだ。インドリトとダカーハの友情は、毀してはならない。ディアンの緊張とは裏腹に、ダカーハは笑って頷いた。

 




【次話予告】
次話は6月17日(金)22時アップ予定です。

イルビット族を受け入れる準備が整い、ディアンは東方の大禁忌地帯に戻った。だがそこには、紅い髪をした謎の美女がいた。

「私も、西に連れて行って下さい」

ディアンは警戒しながらも、彼女の要望を受け入れる。イルビット族たちと共に、理想国家「ターペ=エトフ」を目指す。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵への途)~ 第四十九話「謎の美女」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第四十九話:謎の美女

ラウルバーシュ大陸東方「大禁忌地帯」

メルジュの門が開いてから四日後、ディアンたちがイルビット族の集落を出発した翌日、集落に紅い髪の美しい女が訪れた。イルビットたちは訝しんだが、特に警戒はしない。邪悪な気配が一切、無かったからだ。通りすがりのイルビットに女が訪ねてきた。

『あの・・・黒い服を着た男の人がいると思うのですが・・・』

『あぁ、ディアンのことだね。彼らなら昨日、出発したよ。一日違いだったね』

『そうですか・・・』

女は少し、落胆した様子を見せた。イルビットは首を傾げ、女に事情を尋ねた。

『ディアンに何か、用があったのかい?』

『えぇ、その・・・ ちょっと聞きたいことがあったので、ここまで来たのですが・・・』

『そうかい・・・ あの家が、長老の家だよ。長老なら、何か力になれるかもしれない。良かったら、相談してみたらどうかね?』

女は何か、話し難そうにしていたため、イルビットは長老の家を案内した。女は笑顔で頷き、長老の家に足を向けた・・・



東方見聞から戻ったディアンは、多忙であった。天使族やイルビット族の受け入れ準備を進めながら、同時にルプートア山脈南東部の「洞穴貫通工事」を進めなければならない。救いとしては、ソフィアが行政府に入ったため、行政の効率が飛躍的に向上したことだ。周辺勢力の根回しは、シュタイフェが引き受けている。ソフィアは工事着工に向けて、資材や人員の準備を進めていた。ディアンが戻ってから一月後、いよいよ着工が始まる。

 

『オレ独りで、掘れって言うのか?全く・・・』

 

ルプートア山脈の麓で、ディアンは溜息をついていた。ルプートア山脈南東部は急傾斜の山脈だが、ここに穴を貫通させるとなると相当な魔力を消費する。

 

『文句は言わないで・・・ハイ、インドリトから魔焔の差し入れよ?』

 

レイナが最新の魔焔を手渡してくれた。従来の三倍の魔力を蓄えている。ディアンは意を決した。李甫が使っていた魔術杖を持つ。老神木を削り出し、精霊から生み出した「万能魂片」を埋め込んでいる。持ち手には魔術糸が巻かれている。大魔術師の一番弟子らしく、最上級の魔術杖であった。

 

『いくぞっ!』

 

両手で杖を大地に突き刺す。地脈魔術が奔り、山の斜面が崩れ始める。高さ二十尺、幅四十尺、半円形の洞穴が作られ始める。落盤の危険があるので、まず一町を掘り進める。そこにドワーフ族たちが入り、削った石を組み合わせ、壁を固めていく。所々に発光石を埋め込んでいく。石同士が噛み合い、強固になる。さらに混凝土を塗り、完全に固める。分担作業により、効率的に進んでいく、一日で三町(約330m)を掘り進んだ。ターペ=エトフでは週休三日が当たり前なので、一週間で十二町を掘る計算になる。だがルプートア山脈は巨大だ。ターペエトフ側からレウィニア神権国側まで、直線距離でも四十里(約160㎞)はある。換気のための仕掛けや、通行に制約を掛けるための結界を張ることを考えれば、三年は必要な工事だ。それでも、驚異的な工事速度なのだが・・・

 

『ブレアードが「創造体」を利用した理由が良くわかる。たった独りで掘るとなると、これはかなり大変だぞ。全く・・・イルビット族たちを迎えに行かなければならないのに・・・』

 

『相手が魔獣や盗賊だったら、我々も手伝えるのだがな・・・山が相手となれば、話は別だ。スマンな』

 

ディアンの肩を揉みながら、グラティナが慰めの言葉を掛ける。その様子を見ながら、ソフィアが頷いた。

 

『明日から、少しは楽になると思います。暇な魔術師をもう一人、見つけましたから・・・』

 

ソフィアが笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

『なんでアッシが・・・』

 

そう文句を言いながら、国務大臣シュタイフェ・ギタルはディアンの後を引き継ぎ、穴掘りを始めた。使徒二人と国務次官が後ろから励ます。

 

『外交交渉は一通り終わりましたし、イルビット族の受け入れ体制も整えましたわ。大臣殿のお仕事は、当面はありません。ディアン殿は、天使族が住む予定のルプートア山脈西方を視察する必要があります。誰かが工事を引き継がなければなりません。大臣は超一流の魔術師ですし、それにお暇でしょ?』

 

『アッシだってやることが・・・』

 

『そうか?可怪しいな。ファミが文句を言っていたぞ。ソフィアが内政を引き受けたせいで、シュタイフェが元の「変態魔人」に戻ったとな』

 

三人の美女の笑い声を聞きながら、シュタイフェは地脈魔術を駆使した。何だかんだ言っても、シュタイフェは第一級の魔術師である。他者に己の力を披露することに、無意識の中で喜びを感じていた。ドワーフ族たちの驚きと共に、美女三人も声援を送る。最初は文句を言っていた魔人も、次第に調子が出始めたようであった。

 

シュタイフェが穴掘りに精を出していた頃、ディアンとインドリトはルプートア山脈西方の未踏地を目指していた。ディアンは飛行魔法で、インドリトはダカーハの背に乗っている。切り立った尾根を超えた時、三人の眼前に思いもかけぬ光景が広がっていた。

 

『これは・・・火山湖か』

 

そこには、青い湖が広がっていた。湖底から温泉が湧き出ているのか、湖面から薄っすらと湯気が立っている。三人は湖畔に降り立った。一面に高山植物が咲き、背は低いが針葉樹の森がある。

 

『驚いたな。森林限界を超えていると思っていたのに、森がある。この湖の影響か?』

 

ディアンは水面に手を入れた。外気よりも暖かい。そのため、湯気が立っているのだ。

 

『なるほど、ディル=リフィーナは地軸の傾きが緩やかだ。そのため、太陽光線が遮られずに、ここまで届く。そしてこの湖が湿度を供給し、森を維持しているのだ。こんな場所があったとはな』

 

『先生っ!こっちに来て下さい!』

 

インドリトは、古びた建物の前に立っていた。屋根は崩れ落ち、辛うじて外壁だけが残っている。

 

『この建物は、何でしょうか?』

 

インドリトが知らないのも無理はない。これはネイ=ステリナには存在し得ないものだからだ。

 

『これは「教会」と呼ばれる建物だ。イアス=ステリナの人々は、ここで神に祈りを捧げていた。古神を祀る建物だ』

 

『つまり、天使族の?』

 

『そうだ。ディル=リフィーナが成立する前に、こうした教会はもう廃れたはずだ。だが、辛うじてだがまだ、残っていたのだな・・・』

 

ディアンは外壁を撫でた。石と漆喰で二千年以上の風雨に耐えたのである。インドリトも教会の前に立ち、ガーベル神への祈りを唱えた。

 

『天使族たちも喜ぶだろう。この場所は、ディル=リフィーナに残された、数少ない「古神の聖地」だ。この建物も、天使たちの手で復元されるに違いない・・・』

 

ディアンは水晶に魔力を通した。これでミカエラに通じるはずである。この地は天使族の聖域になる。自分が来るのも出来るだけ控えるようにしよう・・・ディアンはそう思った。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフに戻ってから半年後、ディアンは再び、東方を目指していた。今度は見聞ではなく、イルビット族たちの護衛のためである。グラティナと共に、飛行によって大禁忌地帯に向かう。飛行魔法にも大分、慣れてきた。飛行中の魔術発動もある程度は出来る。いずれは極大純粋魔術も発動できるようになるだろう。二人は濤泰湖を飛び越え、一気に大禁忌地帯に入る。イルビット族の集落に飛び降りる。いきなり空から人が降りてきたので、イルビットたちは驚いたようだ。だがすぐに、ディアンであることに気づき、皆の顔が輝いた。

 

『ディアン・ケヒトだ。待たせたな・・・』

 

歓声の中、ディアンは長老の家の扉を叩いた。だが、扉から出てきたのは紅い髪をした美しい女だった。ディアンは驚いたが、同時に眉を少し顰めた。微かな気配を感じたからだ。だがそれを表に出さず、目の前の美女に尋ねた。

 

『失礼、私は西方の国「ターペ=エトフ」の王太師、ディアン・ケヒトと申します。ここは、イルビット族長老ベルムード殿の御宅と思いますが、間違えたのでしょうか?』

 

『いえ、ここは確かに、長老のお家です。私は、長老にお世話になっている者です。知識の神ナーサティア神の信徒「サティア」と申します・・・』

 

『サティア殿ですか。どうかお見知り置きを・・・ ベルムード殿は?』

 

『それが・・・ご体調がお悪いようなのです』

 

ディアンたちは家の中に入った。寝台の上で、長老が眠っている。研究が一段落し、糸が切れたのだろうか、身体も一回り小さくなっている。目を覚まし、ディアンに気づいた。

 

『おぉ・・・待っていたぞ』

 

『遅くなりました。ターペ=エトフでの受け入れ準備が整いました。後は、皆様をお連れするだけです。ご体調が回復したら、出発しましょう』

 

だが、ベルムードは首を振った。

 

『儂はもう、長くはあるまい。先史文明の研究は、若い者達に任せよう。儂が死んだら、メルジュの門の近くに埋めてくれ・・・』

 

『何を弱気なことを・・・先史文明の研究は、これからではありませんか。せっかくメルジュの門を開き、イアス=ステリナの遺産を手に入れたのです。少しお疲れなだけです。元気になったら、皆で西に向かいましょう』

 

ディアンはそう言葉を掛けたが、内心では解っていた。ベルムードの貌には、ハッキリと死相が出ていた。あと数日の命だろう。ベルムードがディアンに手を差し出してきた。

 

『ディアン殿、お主に頼みがある。イアス=ステリナの遺産を管理してくれ・・・ 儂らは科学の歴史を知らぬ。じゃから、イアス=ステリナ人と同じ過ちを犯すやもしれぬ。じゃが、お主なら出来よう。「歴史を識る」お主なら、あの遺産を正しく管理できるはずじゃ』

 

『長老・・・』

 

ベルムードは病床の中で、ディアンの正体に気づいたのだ。目の前の魔神は、ただの魔神ではない、転生者なのだと。ディアンは両手で手を掴み、頷いた。

 

『お任せ下さい。私が必ず護ります。あの遺産を正しく管理し、イアス=ステリナの二の舞いにならないようにします。ご安心を・・・』

 

ベルムードは頷くと、安心したように眠りについた。立ち上がったディアンはサティアに尋ねた。

 

『いつ頃から、体調を崩されたのだ?』

 

『この数ヶ月間で、徐々に体調をお悪くしていたようですが、寝こむようになったのは、この二週間です。何かの病気というわけではありません。ただ、命の灯火が少しずつ、弱くなっていらっしゃるようでした・・・』

 

ディアンは瞑目した。また尊敬に値する先人を失うことになる。こうした出会いと別れを永遠に続けなければならない。「永遠に生きる」とは、なんと過酷なことなのだろうか。辛そうな表情を浮かべる魔神を紅髪の女はただ、見つめていた。

 

 

 

 

 

二日後、イルビット族長老ベルムードは、永遠の眠りについた。メルジュの門がある洞穴の入り口に穴を掘り、埋葬する。墓石にはディアンが自ら言葉を刻んだ。

 

・・・イルビット族長老ベルムード、ここに眠る。その生涯を通じてメルジュの門に挑み、ついに扉を開いた「偉大なる研究者」であった・・・

 

葬儀が終わると、皆が引っ越しの準備を始めた。先史文明の貴重な遺産は、革布で厳重に巻き、荷車に載せる。野営のための幕舎や食料、水なども用意をする。ディアンはサティアに尋ねた。

 

『我々はこれから、西方の国「ターペ=エトフ」へと向かう。あなたは、どうするおつもりか?』

 

『出来ましたら、私も西方に連れて行って頂けないでしょうか?』

 

『それは構わないが、大丈夫なのか?ご家族などへのご連絡は?』

 

『私は天涯孤独です。いえ、生き別れた妹はいますが・・・』

 

ディアンは頷いた。目の前の美人は、二人の使徒はおろか、水の巫女やミカエラに匹敵するほどに美しい。だがなぜか、口説く気にはならなかった。それどころか、自分の中で警報が鳴っているのを感じていた。あくまでも慇懃に、得体の知れない女に接する。グラティナにも注意をしておく。

 

『・・・必要以上に彼女には接触するな。気になる』

 

『別に、悪意や魔気は感じないが?』

 

『確かにな。だが、メルジュの門が開いた直後に、集落に現れた得体の知れない女・・・ひょっとしたら「機工女神」かもしれん。あるいは古神か・・・ いずれにしても、ただの人間ではない』

 

『解った。注意しよう』

 

イルビット族五十四名は、大禁忌地帯を離れ、ターペ=エトフへと出発した。

 

 

 

 

 

六十名近くが集団で移動となると、目立たないほうがおかしい。途中で何度も、魔獣や盗賊の襲撃にあった。何度目かの襲撃を受け、十名以上を斬り殺したディアンは溜め息をついた。彼らとて、盗賊になりたくてなったのではない。生活の困窮などの「環境要因」によって、身を堕すしかなかったのだ。瞑目するディアンに、サティアが声を掛けてきた。やはりただ者ではない。普通の女性なら、血を噴出して倒れている死体の隣を歩くなど出来ないはずだ。

 

『・・・容赦なく、斬り殺すのですね』

 

『容赦をすれば、彼らが救われるのか?罪悪感を失った人間は、そこから這い上がることは難しい。憐れとは思うが、仕方がない』

 

サティアは遠くを見つめながら、独言のように呟いた。

 

『どうして、人は争うのでしょうか・・・』

 

『その問いは「人だけが争う」と思っているからか?ならば認識が間違っている。生き物は皆、争うのだ』

 

『そうでしょうか?』

 

ディアンはサティアに顔を向けた。紅い髪が夕日に映える。

 

『カブトムシという生き物を知っているか?二寸ほどの大きさの虫で、樹液を吸って生きている。カブトムシは餌場を巡って争う。オス同士で互いに角を突き合わせたり、他の虫が寄ってくるのを威嚇したりする。人間から見れば、小さなことだろう。だが彼らにとっては、命懸けの生存競争だ。同じような争いは、あらゆるところで見受けられる。生きることとは、すなわち争うことなのだ』

 

『それは生きるために争っているのでしょう?ですが人間は、そうした「生存」以外の理由で争います』

 

『そうだな。確かに人間は「考え方が違う」という理由で争う。なぜなら、人間には「善悪」という概念があるからだ。無論、ドワーフ族やエルフ族、獣人族、そしてイルビット族にもそうした「善悪の概念」はある。だが亜人族たちは、相手に善悪を押し付けようとはしない。自分たちの縄張り(テリトリー)の中でのみ善悪を共通させ、それを広げようとはしない。人間族だけが、己の価値基準を相手に押し付けようとする』

 

『それは、なぜでしょうか?』

 

ディアンはその問いに対して、答えなかった。自分なりの答えはある。だがそれは、自分がそう思っていれば良いことであった。ディアンは話題を変えた。

 

『・・・そろそろ日が暮れる。その前に死体を焼かねばならない。貴女との問答は面白いが、やるべきことがある』

 

山積みの死体に歩いて行く男の背をサティアは黙って見つめていた。

 

 

 

 

 

ニース地方からアヴァタール地方南部に入る。レンストの街で宿を借り、滞在する。六十名の宿泊となると、一軒丸ごとの貸し切りとなる。レンストの顔役「ドルカ」の口利きだ。既に息子に斡旋所を引き継ぎ、今では悠々自適の暮らしをしている。ディアンの部屋で、レンストの将来について語り合う。

 

『レウィニア神権国に拠点を構えている「ラギール商会」ってのが、幅を利かせ始めている。あの商会は行商隊の護衛を直接雇用しているから、俺たちのような斡旋所は、徐々に経営が苦しくなっているんだ。倅の代は何とかなるだろうが、そこから先が心配だな』

 

スティンルーラ産のエールを飲みながら、ドルカは憂鬱な表情を浮かべた。ディアンは頷いて返答した。

 

『この辺りは、各都市ごとに自治を行っている。それ自体は悪いことではないが、いずれはレウィニア神権国か、西方のベルリア王国に従属することになるだろう。それを避けるためには、護衛斡旋という商売からの切り替えが必要だな』

 

『何か、案があるのか?』

 

『そうだな・・・ この街は、行商隊の護衛をしている者たちが多い。つまり「腕っぷし」の強い者が大勢いる。オレなら「傭兵斡旋」に切り替えるな。レウィニア神権国と隣国のメルキア国は、互いを「仮想敵国」としている。ベルリア王国はマーズテリア神殿を頼っているが、西方には巨大封鎖地帯「マサラ魔族国」がある。西も東も、戦争の緊張状態だ。傭兵の需要もあるだろう』

 

『お前さんのところには、そうした需要は無いのか?ターペ=エトフって国のウワサは、俺の耳にも入っている。闇夜の眷属たちも大勢、住んでいるそうじゃねぇか。神殿勢力からの干渉なんかも、あるんじゃねぇか?』

 

『確かにあるが、ターペ=エトフが傭兵を雇うということは、恐らくは無いな。理由は二つある。一つは、ターペ=エトフ自体が天険の要害に囲まれているため、それほど多くの兵を必要としないこと。もう一つは、ターペ=エトフ王の目指す国家像「種族を超えた繁栄」には、傭兵という仕事は合わないと思うからだ。傭兵は「戦争」が仕事だ。だがターペ=エトフ王は、戦争を嫌っている。国を守るためなら、剣を手にすることを躊躇わないが、他国を侵略するという意図は全く無い。ターペ=エトフでは、兵士よりも行政官を求めているだろうな』

 

ドルカは苦笑いを浮かべた。かつてのディアン・ケヒトは、放浪の旅人だった。だから行商隊の護衛役などをしていた。謂わば「根無し草」だった。だが今は違う。ターペ=エトフという国にしっかりと根を下ろしている。もう護衛役などはしないだろう。以前、そのことで詫びを言われたが、惜しいと思いつつもどこかで納得もしていた。目の前の男は、行商隊の一護衛などという器ではない。

 

『北にレウィニア神権国が出来たことで、この街でも「国を作ってはどうか」という意見が出ている。だが各都市ごとに意見があってな。中々、まとまらんのだ』

 

『国家とは自然にできるものではない。建国の意志を持つ人間が不可欠だ。その人物が求心力となって、協力者が現れ、やがて国が出来ていく。この辺りの都市では、レンストが一番大きい。その街の顔役であるドルカが、国造りに動いたらどうだ?都市同士が連合する「都市連合国家」なら、比較的短期間で出来ると思うが?』

 

『俺がか?いや、無理だな。俺はただの「斡旋所のオヤジ」に過ぎんよ。お前さんがこの街に居てくれたら、それこそ王国でも出来るかも知れないのになぁ』

 

少し薄くなった頭を撫で、ドルカはディアンに誘い水を掛けた。ディアンは笑って首を振った。ターペ=エトフこそが、自分の住む「家」である。ディアンはそう決めていた。

 

 

 

 

 

『そうか、西に向かわれるか。では、ここでお別れだな』

 

『はい、本当にお世話になりました』

 

レンストの街を出発する日、サティアはディアンたちに別れを告げた。ブレニア内海沿岸を西に進み、西方諸国に向かうそうである。ディアンは内心では疑問に思っていた。西方に行くのなら、レウィニア神権国から西に行ったほうが安全である。目の前の美女は、まるでレウィニア神権国に入るのを恐れているかのように感じた。だがそれは彼女の事情である。旅を共にする中で、少なくとも無害な存在であることは確認できた。ディアンにはそれで十分であった。ディアンは手を差し出した。

 

『女性の一人旅は、何かと危険だ。ここから西には、セトという村がある。ダロスという男が村長をしているはずだ。ダロスは、信頼できる男だ。何かあれば、彼を頼ると良いだろう。道中、十分に気をつけてな・・・』

 

『有難うございます。ディアン様との話は、大変に興味深かったです。またお会い出来たらと思います。ディアン様も、どうか道中、お気をつけて・・・』

 

握手をする。その瞬間、ディアンの脳裏に映像が過ぎった。その手から感じる気配は、間違いないものであった。ディアンは表情を保つことに苦労した。目の前の美女は笑みを浮かべたままだ。自分の正体を最初から知っている証拠であった。

 

『・・・いずれ、再会することになるだろう。きっとな』

 

ディアンはそう返答し、手を離した。サティアは皆に頭を下げ、去っていった。黙って後ろ姿を見つめるディアンに、グラティナが声を掛けた。

 

『・・・あの女の正体は、何だったのだ?ディアンは気づいたのだろう?』

 

『あぁ、あの女は・・・オレが復活させてしまったんだ。オレの人間としての魂が、あの女をこの世界に呼び戻した。あの女は・・・古の大女神だ』

 

グラティナは驚き、剣を手にしようとした。だがディアンはそれを止めた。

 

『彼女が、この世界で何をしようとしているのかは解らないが、少なくとも、今の段階では害は無い。だが将来、もし彼女が災厄を齎すようであれば、その時はオレが決着をつける』

 

ディアンは瞑目した。崑崙山の天使族「ラツィエル」が懸念していたのは、このことだったのだろうか。彼女が「災厄の種」となるようであれば、自分の責任として彼女を消さなければならない。だが自分の眼で見て、耳で聞いた範囲では、彼女が害となる存在とは思えなかった。たとえ「古神」であったとしても・・・

 

『さぁ、行こうか。ターペ=エトフまであと少しだ』

 

気を取り直し、ディアンは出発の声を上げた。空はどこまでも澄んだ青色であった・・・

 

 

 

 




【次話予告】
次話は6月19日(日)22時アップ予定です。

東方見聞録が書き上がった。ディアンはこの機に、活版印刷技術の導入を検討する。「書」という知識が拡がれば、それだけ「ルネサンス」に近づくと考えていた。だが、それを憂慮する人物がいた。ディアンは話し合いのため、レウィニア神権国に向かう。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵への途)~ 第二章最終話「ルネサンス」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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第五十話:ルネサンス

ターペ=エトフ歴十五年 ラウルバーシュ大陸西方域「ベテルーラ」

『「ターペ=エトフ」なる国では、信仰の自由を認めているとか・・・ イーリュンとアーライナを並べることは、まだ百歩譲ったとしても、古神まで認めるなど、許されることでは無いでしょう』

『いや、問題はそもそも「信仰の自由」という考え方自体だ。それが大陸中に拡がれば、神殿勢力の影響力は低下する』

『やはりここは軍を動かすべきではないか?カルッシャとイソラからの挟み撃ちにすれば、いかに要害の地とは言え、建国間もない国だ。簡単に陥せるだろう』

『しかし、あの地にはガーベル神やイーリュン神、ナーサティア神といった光側の神殿もあるのだ。古神を公然と認めている点については抗議をするとしても、軍を動かすというのは行き過ぎであろう』

荘厳な建物の中で、男たちが意見を交わしている。軍神マーズテリアに仕え、四角推状の階級を上り詰めた「枢機卿」たちである。闇夜の眷属たちが多い混沌とした地「ケレース地方」に突如として誕生した大国「ターペ=エトフ」について話し合っている。ターペ=エトフの国王はドワーフ族であり、首都には光の現神「ガーベル神」の神殿も建てられている。だが一方で、闇夜の眷属たちが信仰する神「ヴァスタール」「アーライナ」などの闇の現神たちの神殿もある。先日イーリュン神殿から、ターペ=エトフの首都プレメルに神殿を建てるという連絡があった。ターペ=エトフでは「信仰の自由」が認められており、古神を含め、どの神を信仰しても良いとされている。古神の眷属である龍人族が、ターペ=エトフの立法府「元老院」に参画している。他の国ではあり得ないことであった。

『教皇猊下、各自が様々に意見を持っていますが、共通しているのは「ターペ=エトフは危険」という点です。猊下は如何にお考えでしょうか?』

新教皇クリストフォルスは、考える表情をした。前教皇は対話を重んじていたが、自分はそれを「歯がゆい」と感じていた。ラウルバーシュ大陸でも最強の力を持っているのである。正義を為すにあたっては、時として力を使うことも必要なのだ。だが軍を動かすにあたっては、大義が必要である。

『現時点で、ターペ=エトフに軍を向ける理由はありません。ターペ=エトフは確かに、光と闇を並べ、さらには古神まで認めると公言しています。ですがそれは彼らの中であり、他国に対してまで、それを求めているわけではありません。謂わば、彼らの「縄張り」の中での話です。そこに軍を向けるとなると、明確な理由が必要となります』

教皇の発言に、枢機卿たちが頷いた。教皇は言葉を続けた。

『我らは、ターペ=エトフについて「伝聞」でしか知らないのが実情です。ここは、新たな「聖女」に動いてもらってはどうでしょうか?』

『では、ルナ=エマ様に?』

教皇が頷くと同時に、黒髪の美しい女性が室内に入ってきた。マーズテリア神殿聖女「ルナ=エマ」である。ルナ=エマは膝をついて、教皇に挨拶をした。

『猊下、私めをお呼びと聞きました・・・』

『聖女殿、あなたに頼みがあるのです。ケレース地方の新興国「ターペ=エトフ」に使者として行ってもらいたいのです。ターペ=エトフとはどのような国なのか、インドリト王はどのような王か、そして何より「信仰の自由」の結果、民たちはどのような暮らしをしているのか・・・貴女の眼で観てきて頂きたいのです』

『畏まりました。ではすぐに・・・』

『お待ちなさい。いきなりターペ=エトフに向かったとしても、どこまで見聞できるか解りません。ターペ=エトフは、隣国のレウィニア神権国と同盟関係だそうです。レウィニア神権国の君主「水の巫女」に親書を(したた)めましょう。水の巫女からの紹介となれば、ターペ=エトフも拒否は出来ないはずです』

『猊下のお手を煩わせ、誠に申し訳なく存じます。身命を賭して、御期待にお応え致します』

『期待していますよ』

ルナ=エマは枢機卿たちに一礼し、議場を出ていった・・・






白い肌が桜色に染まる。他の二人ほどに大きくはないが、形の良い椀型の乳房が震える。初めての痛みはすぐに消え、未知の快感が津波のように襲ってくる。

 

・・・黄昏の魔人ディアン・ケヒトの名に於いて、汝ソフィア・エディカーヌを我が使徒とする・・・

 

耳元でそう囁かれ、何かが流れ込んでくる。自分が変化していくのを感じる。心臓の鼓動が少し早くなる。ソフィアは男の頸を掻き抱き、大きな津波に酔いしれた。

 

『・・・職を退かれる?我が師よ、いまそう言われたか?』

 

『御意です。我が君・・・』

 

理想国家ターペ=エトフ国王、インドリト・ターペ=エトフは驚きと共に声を上げた。自分の師であり、目標であり、ターペ=エトフの守護神とも言える男が、王太師の職を退くと言うのだ。

 

『理由を聞かせてもらえませんか?』

 

『昨夜、国務次官ソフィア・エディカーヌを私の第三使徒としました。それが理由です』

 

インドリトはそれだけで、師の言わんとすることを理解した。ディアン・ケヒトはインドリトの師であり、八年間を共に生活した。そしていま、第三使徒ソフィア・エディカーヌが国務次官になっている。「国政の壟断(ろうだん)」という噂が立ちかねない。そうなる前に、自ら身を退くというのだ。インドリトは溜め息をついて頷いた。

 

『ご依頼の「東方見聞録」は、原稿は書き上がりました。現在、出版に向けての準備を進めています。完成次第、献上いたします』

 

『もう、この王宮には来ないつもりですか?』

 

『私は一国民として、市井で暮らします。王に呼ばれれば、いつでも参上いたします』

 

『・・・私は、王として独りでやっていける、そうお考えなのですね?』

 

『王としては、そうですね。ですが・・・』

 

ディアンは傲然と胸を張った。

 

『驕るな、インドリト・・・お前は剣も魔術も、知識も知性も、未だに未熟だ。お前が一人前になるには、あと二百年は必要だろう。エギール殿との約束もある。私が「皆伝」と認めるまで、お前は私の弟子だ!』

 

後ろに控える使徒三人は慌てたが、インドリトは嬉しそうに頷いた。ディアンの発言は、弟子として師の家を訪ねることは許す、ということだからである。師弟の様子を見ながら、国務大臣がディアンに尋ねた。

 

『それで、ディアン殿・・・市井の民となられて、何をされるおつもりか?いや、あなたは何も食べずとも生きていけるでしょうが、後ろの美人たちを餓死させるのは忍びないかと』

 

レイナが咳ばらいをする。ディアンは笑った。

 

『実は、以前からやってみたいと思っていた商売があるのです。稲も実り始めましたし、ちょうど良い機会です。プレメルに店を出そうかと思います』

 

『先生が店を?何の店です?』

 

王太師では無いため、インドリトは普段通りの呼び方で、ディアンに尋ねた。ディアンは笑みを浮かべて返答した。

 

『食い物屋です』

 

 

 

 

 

『地脈魔術は畑を耕すのに使えるな。普通なら鍬を使って土を掘り返さなければならないが、地脈魔術を使えば一反の畑を一瞬で耕すことが出来る』

 

そう言ってディアンは畑に立ち、魔術杖を突き刺した。地脈魔術が走り、一瞬で畑の土が掘り返される。その様子を見ながら、使徒たちが笑った。

 

『それにしても、ディル=リフィーナ広しと謂えど、畑仕事をする魔神などディアンだけだろうな』

 

『東方見聞をしていたころから、ディアンは商売を考えていたのね。ディアンの料理の腕なら、きっと人気が出るわ』

 

『東方の職人たちによって、醤油なども作られ始めています。いずれ、ターペ=エトフの新たな収益源になるでしょう。インドリト王は、それらは全て市井の民たちによって行えば良いとお考えです。国営にはしません』

 

『国営産業の最大の欠点は、競争が生まれないことだ。それゆえ、技術的革新が成されず、質の悪いものばかりが出回るようになる。採掘などの一次産業はともかく、外食産業などの三次産業は民間で行うべきだ』

 

ディアンの家は、プレメルから徒歩で半刻ほど南に行った、森の中にある。プレメルの街は拡大をしているが、北側に拡大をしているため、ディアンの家の周りには誰も住んでいない。鹿や猪が出るため、畑には結界を張っておく。科学世界では人間がアレコレと悩むことも、魔術があるディル=リフィーナでは簡単に解決できる。ディアンは改めて思った。魔導技術はいずれ、全世界に普及し、人々の生活に欠かせないものになる。科学に代替する存在だと。

 

畑仕事が終わったころ、プレメルから鍛冶職人がやってきた。どうやら依頼していたものが出来たらしい。

 

『ディアン殿、お主が言っていた「印刷機」が出来上がったぞ』

 

ディアンは顔を輝かせた。待ちに待ったからだ。

 

『すぐに行きます。お前たちも来るがいい。歴史が誕生する瞬間だぞ』

 

使徒たちは顔を見合わせた。主人がこれほど興奮するのは滅多に無いからである。

 

 

 

 

 

インドリトは見事な装丁の本を手にしていた。手に良くなじむ革の表装、ズッシリとした重厚さ、読みやすい字体に見事な挿絵が入っている。師が目の前にいることを忘れ、読み耽ってしまう。

 

『・・・驚きました。プレメルの図書館にあるどの書籍よりも素晴らしい出来だと思います』

 

『ディル=リフィーナ初の「活版印刷物」だからな。第二版以降は「紙」を使おうと思うが、初版に限り、上等な羊皮紙を使用した。百部程度を印刷している。アムドシアスやグラザ、レウィニア神権国などにも寄贈する予定だ』

 

『印刷機は私も見ました。一文字ごとに組み合わせることで、どんな書籍も大量に生み出すことが出来る。驚異の機械だと思いました。ターペ=エトフの子供たちも喜ぶでしょう。英雄譚や冒険話など、子供が喜びそうな本を印刷してはと考えています』

 

『「書を嗜む」ことを子供のうちから身につけておけば、大人になった時に大いに役立つ。印刷機は図書館に寄贈する予定だ。もともと、東方見聞録執筆の予算で造った機械だ。あれは、国家で管理をすべきだろう』

 

『図書館に収められる書籍は増え続けています。ドワーフ語やエルフ語への翻訳も進めていますが、これまでは手書きでした。活版印刷機を使えば、効率が飛躍的に向上しますね』

 

インドリトの笑顔に、ディアンは頷いた。無論、そうした狙いもあるが、ディアンには別の狙いがあった。活版印刷技術が普及することにより、何が起きるか、ディアンは予見していたのである。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴五年、著者不明という形で、紀行記「東方見聞録」が発行された。ディル=リフィーナ史上初の「活版印刷技術」によって生まれた本である。初版は百部であったが、手書きが当たり前の当時としては、異例の数と言えた。ターペ=エトフ国内では、この紀行記が話題となり、子供たちも楽しく読んでいるようである。隣接する華鏡の畔「魔神アムドシアス」からも返礼が来た。もっとも「芸術バカ」らしく、書籍の内容ではなく挿絵の美しさを褒め称えた内容であったが・・・

 

そうした中、レウィニア神権国からターペ=エトフに火急の使者がやってきた。君主「水の巫女」がディアン・ケヒトの「召喚」を求めていると言うのである。インドリトは眉を顰めた。シュタイフェが恭しく応答する。

 

『誠に恐縮ではありますが、ディアン殿は既に王太師の職を辞し、市井に生きる一介の民となっております。彼が法を犯したのなら別ですが、いかに王とはいえ「無実の民」を強制的に隣国に送るなど出来ません。「召喚」と仰るからには、何か理由があると思いますが?』

 

言葉は丁寧であるが、シュタイフェは内心では腹を立てていた。「召喚」とは、命令形の言葉である。ターペ=エトフは独立国家であり、レウィニア神権国に命令などされる理由は無い。外交的に無礼な表現であった。だが使者は、どうやら貴族出身らしく、無意識のうちに「傲慢」が出ているようである。

 

『我が国の君主「水の巫女様」は神です。神がお召しになった以上、召喚という言葉が相応しいと思いますが?』

 

シュタイフェが真顔になった。インドリトの眉間にはさらに深い皺が入る。だが二人が声を上げる前に、大声が響いた。ファーミシルスであった。

 

『無礼な!水の巫女がレウィニア神権国の君主であるならば、我がターペ=エトフの君主はインドリト王である!たとえ神であろうと、君主という立場は同じはずだ。このような政事の場において、貴殿らの信仰を我らに押し付けようと言うのか!』

 

飛天魔族ファーミシルスの怒声で、使者は身を固くしたようだ。それだけで外交の場では負けである。シュタイフェが溜め息をついて衛兵に命じた。

 

『この身の程知らずの無礼者を抓み出しなさい。使者殿、我がターペ=エトフは信仰の自由が認められている。「水の巫女信仰」を我らに押し付けるな。我らはレウィニアの民ではないのだ。水の巫女にそう、お伝えください』

 

使者は衛兵に引きずられ、王宮から放逐された。この騒動は第三使徒ソフィア・エディカーヌを通じて、その日のうちにディアンの耳に入った。ディアンは王宮へと向かった。

 

 

 

 

 

『この度は、私めのことで国家を危険に晒すことになり、お詫びのしようもありません』

 

自分に詫びる師に対し、インドリトはどのように声を掛けたらよいのか、迷った。シュタイフェが冗談交じりに応じる。

 

『あの阿呆は、口説き方がまるで解っていないようですな。好いたオナゴに股を開かせるには、それなりの接し方を・・・』

 

インドリトが咳払いをしたため、シュタイフェの下品すぎる冗談は途中で終わった。

 

『先生は関係ありません。外交上の無礼を責めただけです。我が国はいたずらに争うつもりはありませんが、国家としての気概は失いたくありません。レウィニア神権国には、正式に抗議の使者を出すつもりです』

 

ディアンが手を挙げた。

 

『・・・私はレウィニア神権国に行きます。水の巫女殿が私に会いたいと言う以上、行かなければならないでしょう』

 

『ですが・・・』

 

インドリトは不安になった。「召喚」という言葉が気になっていたからだ。下手をしたら、殺されるかもしれないのである。ディアンは笑みを浮かべた。

 

『無論、無事に戻ってくる予定です。私は一介の市民として行くのではありません・・・』

 

ディアンの気配が豹変する。

 

≪・・・黄昏の魔神ディアン・ケヒトとして、水の巫女と話をしてくるのです≫

 

ゾクッ

 

インドリトもシュタイフェも背中が震えた。久々に見る魔神の貌である。そして、魔神として訪ねるという意味は一つであった。ディアンはいざとなったら、レウィニア神権国を滅ぼすつもりでいた。

 

 

 

 

 

ただ独りでレウィニア神権国を訪れたディアンは、直ちに王宮に呼ばれた。ディアンは覚悟を決めた。水の巫女がいるのは「神殿」である。王宮に呼ばれたということは、水の巫女は関係ないということである。要するに「騙した」わけである。事の次第では、王宮内に血の雨が降ることになる。だが、ディアンは拍子抜けした。レウィニア神権国国王ベルトルトが頭を下げて謝罪して来たからだ。

 

『この度は、我が国の使者が貴国に大変な無礼を働き、遺憾の極みです。彼の者には、相応の処分を下しました。どうかこれをもってお治め頂きたい』

 

どうやらシュタイフェの言っていたことが正しかったようである。つまりあの使者が「阿呆」だったのだ。ディアンは笑って頷いた。

 

『ターペ=エトフ王も、レウィニア神権国との末永い友好を願っています。今回の件は、釦の掛け違えという程度です。お互いに笑って、水に流しましょう』

 

『そう仰っていただけると、助かります。水の巫女様がお待ちです。どうか、神殿へ・・・』

 

ディアンは頷き、神殿へと向かった。

 

 

 

 

 

『よく来てくれました。ディアン・ケヒト殿』

 

水の巫女との久々の会談である。十年以上前、この場でレウィニア神権国建国について語り合った。その時と変わらない美しさである。

 

『久しぶりだな、巫女殿・・・』

 

ディアンは椅子に腰掛けた。水の巫女は、ターペ=エトフの様子や近況について尋ねてきた。ディアンが簡潔に返答する。だが水の巫女が聞きたいことは、そんなことでは無いはずだ。

 

『巫女殿、暫く会わないうちに、社交辞令などを勉強したのか?オレを呼んだのは、そんなことを聞きたいからではないだろう。本題に入ってくれ』

 

『・・・この本についてです』

 

机の上に、東方見聞録が置かれた。ディアンが一瞥し、水の巫女に目を向ける。感情は表に出ていない。だがその瞳には憂慮があった。

 

『貴方が執筆したこの本を読みました。大変、興味深い内容でした。東方の「事実」と、それを貴方がどのように捉えたのかという「意見」が書かれ、読み物としても面白いものでした。貴方の意見については、賛否は分かれるでしょうが、そのような考え方もある、という程度で受け止められるでしょう』

 

『それで?』

 

ディアンが言葉を促した。水の巫女の用件は予想で来ているが、彼女の口から聞きたかった。

 

『貴方も解っているはずです。私が問題視しているのは、この本の「作られ方」です。この本は手書きではありませんね?版木のようなもので印刷をしたのかとも思いましたが、これほど分厚い書籍を版木で印刷するなど困難です。これは、これまでに無い方法で作られた本です』

 

『そうだ。「活版印刷技術」という。版木などの面倒は無い。文字一つ一つを組み合わせて一頁を作り、印刷機に掛ける。どんな書籍も安価で、大量に作ることが出来る。素晴らしいだろう?』

 

『お願いです。その技術を封印して下さい』

 

水の巫女は縋るような眼差しで、ディアンに懇願した。ディアンは表情を変えなかった。この話であることを予想していたからだ。水の巫女は言葉を続けた。

 

『「活版印刷技術」が普及すれば、本が大量に出回ります。誰もが「知識」を手にすることが出来るようになります。それは、ディル=リフィーナ世界の崩壊へと繋がりかねません』

 

『「崩壊」だと?違うな。変化するのだ。これまで神殿勢力だけが独占していた「神々の教義」を広く普及させる。誰しもが、光と闇を比較することが出来るようになる。「無知ゆえの盲従」から解放され、人々は自らの判断で歩み始める。活版印刷技術によって、「神々の搾取」から解放することが出来る』

 

『・・・やはり貴方は、最初からそれを狙って・・・』

 

『巫女殿、あなたと最初に問答をした時のことを覚えているか?あなたこういった。それは「破壊的な革命」だと・・・オレはそれから、この大陸を旅して確信したことがある。現神たちは、自らの都合を人々に押し付けているに過ぎない。彼らは「神」では無い。神の名を騙る「寄生虫」だ。人々を意図的に「無知」にさせ、盲目的に信仰させ、信仰心から来る「心的な力」を糧としている。「人の心に寄生する生命体」、それが神の正体だ!』

 

水の巫女は悲しげな表情をした。それはつまり、自分自身のことも「寄生虫」と言われたに等しいからである。ディアンもその表情に気づいていた。だが、あえて無視をする。

 

『オレの前世では、活版印刷技術が登場してから約百年後に、「ルネサンス」が起きた。「フィレンツェ」という小さな街から起きた津波は、瞬く間に広がった。この世界でもそうなるだろう。千年後にはこう言われる。「プレメルという小さな街から、ルネサンスが起きた」とな・・・』

 

『それを、現神たちが黙って見過ごすと思いますか?下手をしたら、西方の全ての神殿勢力が、ターペ=エトフに攻め込みかねません』

 

『大丈夫さ。東方見聞録を「著者不明」にしたのは、何故だと思う?活版印刷技術で生まれた様々な書籍たちは、静かに人々に普及していくだろう。震源地がターペ=エトフだと解った時には、もはや手遅れの段階になっているはずだ。ラギール商会を使って、西方に緩やかに本を流す。少しずつ、雨水が浸透するように、「隠された知識」が公になっていく・・・誰も気づかないさ』

 

ディアンは笑って立ち上がった。水の巫女と向き合う。

 

『・・・あなたが、黙っていればな』

 

 

 

 

 

水の巫女は内心で動揺していた。目の前の魔神は、かつて自分と問答をした時とは、まるで違っている。あの頃は、まだ迷いが見えた。この世界に生まれて間もなかったこともあり、世界を見聞して歩く、という「先送り」で決着が出来た。だが、いまは違う。「黄昏の魔神」は、自分の眼で見て、耳で聴いて、自分で判断をした上で、ルネサンスを起こすべきだと言っている。そして、それが出来る力を手にしている。ターペ=エトフは天険の要害であり、人々の流入が少ない。つまり情報が漏れ難い。一方で、レウィニア神権国や北方のカルッシャ王国は、西方と東方を結ぶ交易の要衝である。ここに活版印刷で生まれた様々な本を流せば、間違いなく西方諸国の人々にも行き渡る。アークリオン神とヴァスタール神の教義を対比させるといった、西方では禁じられている行為が、市井で静かに行われるのである。そうなれば、間違いなく信徒たちは疑問を持つはずだ。本当に、現神たちは正しいのか?と・・・水の巫女は意を決した。ここは誤魔化しは出来ない。自分はレウィニア神権国の君主として、この国を守らねばならないのだ。

 

『私が黙っていると思いますか?貴方がやろうとしていることは、あまりにも危険な賭けです。現神たちが全て正しいなどと言うつもりは、私もありません。ですが、このディル=リフィーナは、光と闇の神々の対立という構造で、維持されているのです。その秩序を毀せば、人々の心の拠り所はどうなりますか?』

 

『いきなり毀すのではない。疑問を持たせるのだ。その疑問が「蟻の一穴」になる。数百年後にはルネサンスが起きる。政治も文化も人々の生活も、神の(くびき)から解放され、人が歴史を動かすようになる。その頃には、信仰に代替する体系も出来上がっているはずだ。魔導技術という体系がな・・・』

 

『容認できません。私は、レウィニア神権国の君主です。一柱の魔神の野望のために、民を危険に晒すことは出来ません。もし貴方が、活版印刷技術を封印しないのであれば・・・貴方が、ルネサンスを目指し続けるのであれば、私は貴方の「敵」になります!』

 

ディアンは瞑目した。身にまとう気配が変わる。人の貌から魔神の貌へと変貌する。

 

≪・・・本気か?オレと戦うというのか?≫

 

水の巫女の気配も変化した。穏やかな美神としての気配から、魔神と戦う「戦女神」へと変貌する。

 

≪・・・貴方こそ、勘違いをしていますね。現神の力は、貴方が思っている程に弱くはありません。密かに印刷をすれば、現神たちに気づかれないと思っているのですか?甘すぎです≫

 

魔神と現神の二柱が対峙する。二柱の気配で空気が歪む。ディアンは黙ったまま、水の巫女と視線を躱し続けた。一触即発の緊張状態が数瞬続く。だがディアンは目を逸らした。魔神の気配が消える。その時、水の巫女は理解した。目の前の魔神は、まだ「迷い」の中にいるのだと。ディアンは溜め息をついた。

 

『仕方がない。国と民に責任があるのは、オレも同じだ。ここであなたと殺し合えば、それはターペ=エトフとレウィニア神権国の全面戦争に繋がる・・・』

 

水の巫女の気配も治まった。元の美神へと戻る。

 

『解ってくれましたか?』

 

『いや、解ってはいない。だが、オレの中の天秤に掛けて、ここは退くべきだと判断しただけだ。活版印刷は、ターペ=エトフ国内でのみとしよう。印刷物が外に流通することは無い。これが最大限の譲歩だ』

 

『・・・仕方がありませんね。ターペ=エトフは独立国です。その国でどのような書籍が出回ろうとも、レウィニア神権国がとやかく言う資格はありません。この国に漏れない限り、活版印刷技術のことは、黙っておきます』

 

ディアンは頷いた。そして寂しそうな表情で水の巫女に顔を向ける。

 

『巫女殿、オレはルネサンスを諦めない。「神の軛からの解放」は、必ず成し遂げる。いつの日か、あなたと殺し合うことになるかもしれん。出来れば、避けたい未来だがな・・・』

 

『二項対立の克服、話し合いによる解決は、ターペ=エトフの国是ではありませんか?そのような未来は、私も望んでいません。貴方と共に歩む未来を希望します』

 

ディアンは頷き、奥の泉から去っていった。

 

 

 

 

 

ディアン・ケヒトと緊張の問答を終えた水の巫女は、疲れを感じていた。ディアン・ケヒトの気配は、十年前とは比較にならない。第一級の現神たちに匹敵する力を持っている。そしてその力は、さらに強くなるだろう。ディアン・ケヒトは人間の魂を持つ魔神である。理屈上でしか無かったはずの、存在しえない魔人「神殺し」と同じなのである。このまま人として生き続ければ、やがては大神アークリオンをも超えるだろう。だが、その力以上に、ディアン・ケヒトの思想こそが、最大の問題であった。

 

(ディアン、貴方の理想は理解できます。ですが貴方の歩みは、余りにも速すぎます。無限の寿命を持つ魔神でありながら、人間と同じ速さで生き続ける・・・創造神は、何と危険な存在を生み出したのでしょうか)

 

水の巫女は辛そうな表情を浮かべた。自分の想いとしては、ディアン・ケヒトと共に生きたかった。短い期間であったが、彼が住んでいた屋敷は、いまもプレイアにある。その屋敷に留まり、自分と共にこの国で生きて欲しいという想いは、消えることは無い。だが一方で、それは叶わぬ想いであることも理解していた。ディアン・ケヒトが成し遂げようとしている「ルネサンス」が実現したら、現神も古神も関係なく「神族そのもの」が消え去る。つまりディアン・ケヒトは、「己自身を消す覚悟」で、ルネサンスを実現させようとしているのだ。そんなことを現神たちが容認するはずがない。七魔神戦争や三神戦争をも上回る、破滅的な大戦が起きるだろう。

 

(止めなければならない。たとえ、貴方を敵に回すことになったとしても、それだけは止めなければ・・・)

 

水の巫女の中に、一つの覚悟が固まった。

 

 

 

 

 

第二章 了

 

 

 

 

 

【Epilogue】

 

ラウルバーシュ大陸西方「スペリア」

 

蝋燭が揺らめく密室で、大神官たちが話し合いをしている。

 

『やはり、セアール地方に拠点を構えなければ、我々の勢力は回復しない』

 

『うむ、このままではマーズテリア神殿に圧される一方になってしまう。信徒の数も伸び悩んでおるし、やはりアヴァタール地方への進出が必要だ』

 

『だが、どうやって進出する?あの地には地方神を祀るレウィニア神権国が幅を利かせておるし、蛮族たちも多い・・・』

 

『我らが神に逆らう者がどのような末路を辿るか・・・それを目で見える形で示してやってはどうか?』

 

『というと?』

 

『我らが神殿が秘蔵する禁断の神器「ウツロノウツワ」を使ってはどうか?』

 

一同がどよめく。発言者が手を挙げ、言葉を続ける。

 

『・・・確かに危険ではある。だが、敬虔な信徒が正しく管理すれば、ウツワの狂気に飲まれることはあるまい。如何かな?』

 

互いに顔を見合わせる。若い男が立ち上がり、声を上げた。瞳には、神に対する絶対的な信仰心が浮かんでいる。

 

『バリハルト神に栄光あれ!』

 

皆が同様に、声を上げた・・・

 

 

 

 

 




※第二章終了までお付き合いを頂き、有難うございます。仕事の都合などで、予定が遅れたこと、改めてお詫びいたします。第三章は、8月1日(月)22時よりスタートを予定しています。


【次章予告】

名君インドリトの治世の下で、ターペ=エトフの民たちは、繁栄を謳歌していた。だがその理想国家にも、徐々に「黄昏」が近づいていた。苛烈な嵐神バリハルトを祀る神殿勢力が、再び進出してきたのである。ルプートア山脈があるとは言え、ターペ=エトフにとって警戒すべき事態であった。インドリトの密命を受け、ディアンはバリハルト神殿が建てられた新興都市「マルク」に入る。そこで意外な人物と再開することになるのであった・・・


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第三章:「神殺し」の誕生

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・


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外伝:西ケレース探訪記

第三章開始は八月一日ですが、土日に時間があったので「外伝」を書きました。第三章がスタートする前の「序章」として、楽しんで頂ければと思います。

※作中に「小さな世界」という歌が出てきます。原曲の歌詞を載せると、著作権の問題があるので、歌詞は著者による創作です。有名な歌ですので、一度は聞かれたことがあると思います。

※万一、投稿規定に引っかかる場合は、即座に削除をします。助言を頂けると幸いです。

※投稿規定に引っかかるのでは、という助言を頂きました。一旦削除して、運営に問い合わせます。ありがとうございます。


海境の月(二月)、竜族が住む『意戒の山嶺』の探険から戻った私は、次なる旅行に想いを馳せていた。アヴァタール地方東方域は、亜人族の支配域の多い土地とはいえ、古来より人間族も住んでいたため、私以外にも訪れた者が多く、私の感覚では「旅行」でしかない。もっと未知なる土地を冒険したい。見たこともない景色に心を震わせ、食べたことのない食材に舌鼓を打ちたい。私を旅行家にした一冊の書籍を手に取った。

 

「東方見聞録」

 

幼い頃からの、私の座右の書である。もう何度、読み返しただろうか。この著者は「ホラ吹き」と言われているが、私には嘘とは思えなかった。メルキアには、東方諸国の行商人も来る。彼らに聞いた限りでは、確かに東方地域には、米を主食とする地方があり、獣人族の国もあるらしい。「メルジュの門」については、まだ情報が得られていないが、濤泰湖の「天空の島」は、複数の目撃証言を聞いた。ホラではなく、確かに実在するようである。ということは、この書に書かれている他の話も、全て「真実」である可能性が高い。この刺激的な冒険譚を著した人物は、とてつもない大冒険家である。少年時代に、父親の書斎でこの書を読んだことが、私の運命を決めたのだ。

 

『冒険がしたい・・・北方諸国か?それとも南方の蛮族地帯か?一生に一度は、こうした大冒険をしてみたいものだ』

 

もどかしい思いに悶々としていた私のところに、親友のアルフレッドが訪れてきた。笑みを浮かべている。どうやら良い知らせのようだ。

 

『オルゲン、喜べっ!ラギール商会から返事が来た。ターペ=エトフに行けるぞっ!』

 

私は慌てて立ち上がった。アヴァタール地方東方域にも知られるケレース地方の大国でありながら、天険の要害に囲まれているため、入国することが極めて困難な国である。風聞では、首都プレメルの街は、全てが「黄金」で造られており、肉や酒が溢れるほどにあるらしい。さすがにヨタ話だと思うが、ターペ=エトフは大変に豊かな国である、ということは確からしい。この目で、それを見たかった。亜人族や闇夜の眷属たちが跋扈するケレース地方において、燦然と輝く黄金郷である。私はアルフレッドの肩を叩き、感謝を述べた。

 

『さぁ、冒険だっ!』

 

私は急いで、荷造りを始めた。

 

 

 

 

 

アヴァタール地方最大の都市、プレイアから、百両の荷車が北へと出発した。ラギール商会プレメル行商隊である。途中でスティンルーラ族の集落に立ち寄り、衣類や食料と交換する形で、大量の酒を仕入れる。その量に、私は開いた口が塞がらなかった。行商隊を率いるのは、リタという若い女性だ。おそらく三十前だろう。首輪をつけた奴隷が、リタに報告に来た。

 

『姐さん、酒樽の運び入れ、終わりました!』

 

首輪は付けているが、その表情は奴隷のそれではない。溌剌として、貌に輝きがある。彼らは奴隷だから働いてるのではない。働くことが喜びになっているのだ。リタは仕入れ単価が書かれた紙をパラパラと見て、算盤を弾いた。

 

『ニッシッシッ!やっぱこの販路は儲かるわぁ~ レイナたちに会うのも久々だし、先が楽しみですよぉ~』

 

この若さでラギール商会の基幹交易路を任されるくらいだから、相当な遣り手なのだろう。顔は可愛らしく、黙っていれば声を掛ける男もいるだろう。だがリタという女性は、そんなことは気にしないようで、「予想儲け額」を計算しながら、口元に手を当てて笑っている。その様子はまるで「悪徳商人」だ。せっかくの可愛らしい顔が、台無しである。

 

『さぁ、今回はお客さんを連れているから、華鏡の畔を抜けていきますよぉ!みんな、しっかり商売しましょう~』

 

 

 

 

 

エルフ族が治める大森林地帯を東に望みながら、私たちは北上し、ケレース地方に入った。私は拍子抜けをした。魔獣が多いと聞いていたが、まるでレウィニア神権国の田園地帯のような、長閑な風景が続く。左手には、天険の要害「ルプートア山脈」がある。噂では、あの山にインドリト王の盟友である「黒き竜」が住んでいるらしい。やがて開けた場所に出てきた。薄い膜のようなもので覆われた城が見えてくる。リタが懐から何かを取り出した。手の中が一瞬、光ったように見えた。すると、薄い膜が消える。荷車が急いで進み始める。私は首を傾げて、リタに聞いた。

 

『あの、ここは一体・・・』

 

『ん?あぁ、ここは「華鏡の畔」って言ってね。魔神が治めている土地なんだよ。あの城に、この地を治める魔神「アムドシアス」が住んでいる。今回は、あの城には行く用事は無いから、このまま通りすぎるよ』

 

『ま、魔神・・・ここを通る以外、ターペ=エトフには行けないのでしょうか?』

 

『無理だね。ターペ=エトフとアヴァタール地方は、華鏡の畔で繋がっているんだ。その地にあの魔神が居る限り、一般人がターペ=エトフに行くことは出来ないよ。以前、何も知らない旅行者がターペ=エトフを目指して、魔神の結界に入ろうとしたんだ』

 

『その人は?』

 

『黒焦げになったそうだよ。ラギール商会は、ターペ=エトフに御用商人指名をされているから、結界を通る許可を魔神に与えられている。アヴァタール地方でその許可を持っているのはウチだけだね』

 

私はゾッとした。もしその魔神が豹変し、自分たちを攻めてきたらどうなるか。美しい白亜の城が、恐怖の館に見えた。他の人たちも、あまりこの地には居たくないようで、足早に抜けていく。華鏡の畔を抜け、山間の隘路に入る。振り返ると、いつの間にか結界が張られていた。結界は隘路の入り口まで掛かっている。私は恐怖を感じた。このまま生きて帰れないのではないかと思った。だがリタは笑いながら声を掛けてきた。

 

『大丈夫、帰りもアタシ達と一緒だから、また結界を超えられるって。アタシは二度くらい、魔神に会ったことがあるけど、別に怖くは無いよ。音楽好きの、気の良い人だったから』

 

ギムリ川に掛けられた大橋を超える。ギムリ川は幅の広い河川で、プレメルから北方のオウスト内海まで行き来する船が通っている。橋は船が潜れるくらいの大きさで、凸曲線(アーチ)形をしている。しっかりとした造りの橋で、重い荷車が行き来してもビクともしない。高度な建設技術がある証拠である。私は期待に胸を膨らませた。森を通り抜けると、そこには輝くような街があった。

 

 

 

 

 

馬を降りた私たちは、ラギール商会ターペ=エトフ支店へと向かった。大通りが交わる一等地に、本店にも引けをとらない程に立派な店がある。荷車は、街の郊外にある倉庫に入れられるそうである。リタは、店の奥に入った。可愛らしい獣人が帳簿を見せている。リタは頷きながら、獣人の説明を聞いていた。上機嫌のようである。

 

『ニッシッシッ!いいよ、いいよぉ~ ニーナもしっかり店主が出来ているようだし、これなら第二支店も開店出来そうだね。それで、他にこの半年で、変わったことは無かった?』

 

『変わったこと・・・魔神亭で喧嘩騒ぎがあったくらいでしょうか。後は特には・・・』

 

『魔神亭で喧嘩?誰よ、そんな阿呆なことしたのは?』

 

『その・・・レグリオとシオンです』

 

『・・・ははーん、大方、どっちがニーナを口説くかで掴み合いでもしたんでしょう。よりよって魔神亭でやるとはねぇ。で、二人はどうなった?』

 

『次の日に会ったのですが、二人とも頭に大きなコブが出来てました』

 

リタは腹を抱えて笑った。

 

『今夜は、魔神亭で食事にしましょう。でもその前に、お客さまを宿に案内しないとね』

 

行商隊の一団は、ラギール商会からほど近い宿に入った。ターペ=エトフでは、他所からの渡来者はラギール商会くらいなので、プレメルの街でも宿はここしかない。見た目は豪華ではないが、質の良い調度品や寝台がある。見た目よりも質を重視しているようである。ターペ=エトフらしい宿だと思った。

 

『これから、図書館に仕入れた本を届けるけど、一緒に来る?』

 

リタに誘われたので、私は一緒に、図書館に行くことに決めた。

 

 

 

 

 

呆れるほどに大きな建物が、街の南側にある神殿区域にある。ターペ=エトフでは、光側と闇側の双方の神殿が建てられているが、どの神殿よりも大きな建物が、プレメルにある大図書館であった。その大きさは、メルキア王国の王宮に匹敵する。既に荷車が二台、到着している。どうやら書籍を積んでいるようだ。眼鏡を掛けた背の低い人たちが、帳簿のようなものを見ながら、本を一冊ずつ品定めしている。私は近くの男に、聞いた。

 

『あの・・・彼らは?』

 

『あの人達は、図書館の司書たちだよ。イルビット族っていう、研究に一生を捧げる奇特な種族さ。いや、奇特なんて言っちゃ、怒られるか。彼らの研究のおかげで、ターペ=エトフは豊かになっているんだしな』

 

『私も、本を見て宜しいでしょうか?』

 

男の許可を得て、イルビット族たちの側に行く。本に夢中のようで、私には目もくれない。

 

『・・・フム、これは中々に貴重な書だ。東方にも、魔導技術に似た発想を持つ者がいるらしいな』

 

『これはリガーナル半島の地図だな。うむ、これも貰おう』

 

その場で現金が渡されていく。その額に私は驚いた。司書たちは無造作に大金を渡しているからだ。私は気になって、リタに聞いた。

 

『教えてもらえませんか。彼らはかなりの大金を扱っていますが、それほどに貴重な本なのでしょうか?』

 

『ん?まぁ貴重なのは確かだよ。四方八方に手をつくして仕入れているからね。だけど、それ以上にターペ=エトフって国は、本を非常に重要視しているんだ。だから、図書館には国からかなりの金が支給されているんだって。国王は、建国以来ずっと、本を集め続けているからね。そしてその全てをこの大図書館に収蔵している。開架なら誰でも入れるから、アンタも入ってみたら?きっと驚くよ』

 

司書たちは一冊ずつを鑑定して仕入れているため、あと四刻は掛かるらしい。私はその間、図書館見学をしようと思い、中に入った。入り口で記帳し、入館証を首から下げる。足を踏み入れた私は、目が眩んだ。中央の大広間は吹き抜けで、天井までの高さは十間ほどだろうか。中央には、司書たちの受付がある。そして壁一面に書籍が整然と並べられている。信じ難い量である。奥には階段があり、二階へと続いている。私は中央の司書に尋ねた。同じく、イルビット族である。

 

『あの、実は私は旅行者でして、ターペ=エトフに見聞に来たのです。この図書館について、聞きたいのですが』

 

『どうぞ、ご案内します』

 

イルビット族の女が立ち上がり、私の前に立った。

 

『この図書館は、ターペ=エトフ歴元年、インドリト王によって建てられました。当初はそれほど大きくは無かったのですが、改修と増築を繰り返し、現在の大きさになっています。この開架書庫には、およそ六十万冊の書籍があります。左手はドワーフ語、右手はエルフ語、中央は人間語で書かれています。棚にはそれぞれ、分類があります。興味のある分野を仰って頂ければ、ご案内をします』

 

『そ、それでは、冒険物語を』

 

『こちらですわ』

 

中央奥の棚を案内される。私は呆れた。冒険譚の書籍は数冊を持っているが、ここには数百冊以上が並べられている。その中で特に目を惹いた書籍があった。

 

『東方見聞録・・・しかし、これは』

 

『それは、東方見聞録の「初版」です。東方見聞録は著者不明ですが、初版に限り「羊皮紙」が用いられました。出版されてから百四十年以上が経ち、初版は貴重となっているそうです』

 

『貴重どころか、この一冊だけで家一軒が建つでしょう。信じられない!東方見聞録の初版が、普通に並べられているなんて!』

 

『・・・あの、お静かに。ここは図書館です』

 

私は時が経つのを忘れて、その場で読み耽った。気がついたら、四刻は瞬く間に過ぎていた。閉館の時間を告げられ、私は名残惜し見ながら、図書館から出た。いつの間にか、夕暮れになっていた。

 

 

 

 

 

『くはぁ!やっぱりディアンの店で飲む酒は美味いわぁ!』

 

リタは上機嫌でエール麦酒を呷っていた。硝子製の盃は冷たく、酒もよく冷えている。この「魔神亭」という飯屋は、プレメルで最も人気があるそうで、店は満席だった。入り口付近と奥には、二人の女性が立っていた。どちらも素晴らしい美人だったが、接客をする人ではないようである。私たちは二階の個室に案内をされ、そこで食事をした。木の器には、葉野菜や赤茄子、胡瓜を程よく盛りつけ、乾酪の風味があるタレが掛けられている。牛の舌を煮込んだ料理には、緑色の調味料が付けあわされていた。一口食べると、ピリッとする辛さと柑橘系の爽やかな香りがする。どの料理も食べたこともないものであったが、その味に私は魅了された。扉が叩かれ、黒髪の男が入ってきた。まだ若く、リタと同い年くらいに見える。

 

『本日は、当店をご利用いただき、有難うございます。お味の方は如何でしたか?』

 

『ディアン!やっぱりアンタは料理人に向いてるよ!もう最高!』

 

『有難うございます。メニューには無い「特別な料理」もお造りできますが、何かご希望はありますか?』

 

『そうねぇ、この人はオルゲンっていうメルキア出身の旅行者なんだけど、彼はずっとターペ=エトフに来たがっていたんだよ。だから彼が食べたこともない「信じられない料理」を出してくれると嬉しいんだけど』

 

『畏まりました。ご用意致します』

 

男は部屋から出て行った。私はリタに聞いた。

 

『ここの店主とは、お親しいんですか?』

 

『ディアンのこと?彼とは長い付き合いだよ。彼の家にも、何度も泊まっているしね』

 

『そ、そうですか』

 

これ以上は踏み込まないほうが良いだろう。どうやらこの店の店主とリタは、特別な関係のようだ。やがて、男が戻ってきた。木を組み合わせた船の形をした大きな器に、料理が載せられている。

 

『今朝、オウスト内海で捕れた新鮮な魚を野締めにし、捌いたものです。「刺身」という生魚の料理です。東方諸国の調味料「醤油」を付けて食べて下さい。またこの黄色いものは「山ワサビ」というものです。鼻に抜ける辛さが、刺身の味を引立てます。一緒にどうぞ』

 

リタが手を叩いて喜んだ。私は唖然とした。いま、この男は何と言ったのか?

 

『あの・・・魚を「生」で食べるのですか?その・・・』

 

『ご安心を。塩水で育った魚は、新鮮であれば生で食べられます。こちらから「烏賊」「鯛」「鰹」「海老」です。それとこれは私から・・・』

 

透明な液体の入った硝子の器が置かれた。小さな盃も置かれる。

 

『米酒です。精米技術が向上したので、より芳醇な味わいになっています。刺身に合う酒です』

 

リタが笑いながら、箸と呼ばれる二本の棒を手に取り、刺身を摘み上げた。醤油という黒い液体に付けて、口に入れる。盃に入れた米酒を呷る。ため息とともにディアンに笑顔を向ける。私も意を決して、箸を手に取った、だがうまく使うことが出来ない。ディアンが気を利かせて、フォークを差し出してくれた。私は感謝して、フォークで刺身を掬い取り、醤油につけて口に入れた。その時の味は、今でも鮮明に覚えている。魚といえば焼く、煮る、揚げるなど、加熱した料理しか知らない。まさか生の魚があれほどに美味いとは思わなかった。私は唸った。

 

『凄い。こんな料理、初めて食べました。これは、氷によって冷やされているのですね?どうやって・・・』

 

『それが、当店がお客さまよりご贔屓を頂いている理由です。方法につきましてはご勘弁を・・・』

 

私は夢中になって刺身を食べ、米酒を飲んだ。ターペ=エトフの食文化は、私の想像を絶していた。この国から見れば、メルキアなどパン、肉、ジャガイモだけの国に見えるだろう。私は確信した。真に豊かな国とは、食文化が豊かなのだと・・・

 

 

 

 

 

ターペ=エトフでの滞在は一月に及んだが、そのどれもが印象深く、私の心に焼き付いている。だが何と言っても、貝寄せの月(三月)にあった「建国祭」は特筆すべきであろう。ターペ=エトフでは、年間三回の「国祭」があるそうだが、貝寄せの月にある建国祭はその一つである。前夜祭、本祭、後夜祭の三日間に渡って、プレメルの街は祭り一色になる。ターペ=エトフの国庫は豊からしく、その三日間は全ての飲食が無料で提供される。花火が打ち上がり、ターペ=エトフ中から大勢が集まり、建国記念日を祝うのである。リタもこうした国祭に合わせて、ターペ=エトフを訪れているらしい。各飲食店は大通りに出店を出し、各種族がそれぞれに着飾り、行進する。祭りの最高潮は、国王インドリト・ターペ=エトフと、その友人「黒雷龍ダカーハ」の行進である。天空から飛来し、大通りに設けられた可動式の舞台に舞い降りる。王が手を上げると、民衆が喝采を送る。遠目から見ても、偉大な王だと解る。民衆の圧倒的な支持も当然であろう。子供たちが歌うと、民衆たちも同調する。ターペ=エトフには国歌は無いが、民衆皆に親しまれている歌がある。「小さな世界」という歌だ。祭りの最中、皆が肩を組んで歌っていたのが、印象的だった。

 

 

 

限りなく豊かで、限りなく平和な国が、ターペ=エトフである。このディル=リフィーナ世界における「理想郷」と言えるだろう。平和そのものの国で滞在してから二月後、私は故郷のインヴィティアに戻ってきた。日々の喧騒に戻った私は時折、瞼を閉じて夢の様な一月を思い出す。今でもその光景が鮮明に浮かぶ。だがどこか、遠い国の夢幻のような感覚も持つ。理想郷とは「あり得ない」から理想郷と呼ばれるのである。あの国は、ディル=リフィーナ世界における「あり得ない国」なのではないか。いつの日か、その理想郷が消えてしまうのではないか。そんな不安を持ってしまう。私は心から願う。ターペ=エトフという理想郷が、永遠に続くことを・・・

 

 

 

 




第三章スタートにあたっての「外伝」です。第三章は、前半部はターペ=エトフの繁栄や、それを懸念する神殿勢力などを書きたいと思います。後半はいよいよ「戦女神ZERO」と交錯していきます。

仕事の都合もあるので、第三章も毎日更新できるかは解りませんが、読者の方々に楽しんで頂けるよう、書いていきます。これからも応援、宜しくお願い申し上げます。

Hermes0724


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外伝:魔神亭の料理ノート「牛肉カレー」

久々の連休なので、明日はカレーを作ろうと思っていました。

『ディアン・ケヒトのカレーってどんな味なんだろう?』

そう思って、遊びでレシピを書いてみました。私のカレーレシピに少し変化をつけています。手間は掛かりますが、絶品ですよ~




Recipe 001:魔神亭の牛肉咖哩(ビーフカレー)(4名分)

 

1.咖哩粉づくり

【材料】

クミン:小匙1/2

カルダモン:小匙1/3

シナモン:小匙1/2

クローブ:小匙1/4

ローレル:小匙1/4

オールスパイス:小匙1/4

コリアンダー:小匙1/2

ガーリック:小匙1

ターメリック:小匙3

チリペッパー:小匙1

ジンジャー:小匙1/2

黒胡椒:小匙1/2

 

分量通りの香辛料を鉄鍋に入れ、焦がさないように注意をしながら、極弱火でじっくりと火を通す。薫りが立ってきたら火を止め、硝子瓶に入れてしっかりと密閉する。冷暗所でおよそ一月、保存をすることで香辛料の味が馴染む。

 

 

2.スープづくり(2リットル分)

【材料】

牛骨:2kg

生姜:2片

芹:2本

ローリエ:2枚

パセリの茎:1本

水:3リットル

 

沸騰した湯で牛骨を軽く茹で、血を取り除く。下茹でが終わった牛骨を水から茹でる。沸騰するまで茹で、アクが浮いてきたら取り除く。沸騰後は中火にし、残りの材料を入れる。煮込み時間は長いほど良い。煮詰まってきたら骨と野菜類を取り出し、スープを濾して出来上がり。

 

 

3.牛肉の下拵え

【材料】

牛バラ肉:200g

玉葱:半個

咖哩粉:小匙1

 

バラ肉は一口大の大きさに切り分け、咖哩粉と擦り下ろした玉葱をまぶし、二刻ほど置く。これで肉が柔らかくなる。

 

 

4.野菜の下拵え

【材料】

玉葱:1個半

人参:2本

赤茄子:2個

 

玉葱は薄切りにし、牛脂で飴色になるまで炒める。人参は擦り下ろす。赤茄子は皮に切れ込みを入れ、湯剥きし、種を取り除いて果肉を小さく切る。

 

 

5.ルウづくり

【材料】

咖哩粉:大さじ3

牛酪:200g

小麦粉:250g

 

牛酪を焦げないように溶かし、小麦粉を入れる。極弱火でじっくりと火を通す。鍋底が焦げないようにかき回し続ける。10分程度でザラついた状態になるので、少し火を強める。しっとりとした状態になったら咖哩粉を加え、薫りが立ったら出来上がり。

 

 

6.咖哩づくり

① 深鍋に牛脂を入れ、飴色まで玉葱を炒る

② ①に下拵えをした牛肉を入れ、表面を色付ける。必要なら牛脂を加える

③ ②擦り下ろした人参、赤茄子を加え、火を通す

④ 牛骨のスープを入れる

⑤ ある程度、アクを取ったら、ルウを加え、混ぜる

⑥ 最後に牛醐(ヨーグルト)を大匙2、加える

 

お客様にお出しするときは、一晩経ったものをお出しすること。

 

 

7.咖哩飯

【材料】

米:3合

ターメリック:小匙1

塩:2摘み

牛酪:30g

乾酪:好みで

 

ターメリック、塩を加えて、米を炊く。炊き上がったら牛酪を加えて混ぜる。全体に溶けた牛酪が馴染むようにする。器に盛り、薄切りにした乾酪を乗せ、熱々の咖哩を掛けてお出しする。

 

 

8.付け合せ①:根菜漬け

【材料】

大根、蓮根、カブなどの根菜

醤油:200cc

葡萄酢:100cc

蜂蜜:150cc

生姜:1片

 

根菜を小さく切る。さっと茹でる。醤油、葡萄酢、蜂蜜、生姜を鍋に入れ、一煮立ちさせて冷まし「漬け液」を作る。冷ました漬け液と根菜を瓶に入れ、密閉して冷温室に数日置く。

 

 

9.付け合せ②:玉葱のカリカリ揚

【材料】

玉葱:1個

小麦粉:適量

塩:少々

 

薄切りにした玉葱に小麦粉をまぶす。熱したオリーブ油で狐色になるまで揚げる。最後に、塩を少々、振りかける。

 

 

 

 




第六十八話は土曜日にアップできると思います。お楽しみに!


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外伝:魔神亭の出店料理

ちょっとダークな話が多かったので、何か笑いがほしいと思って書きました。まぁ遊びです。楽しんでください。


ターペ=エトフ歴二百年を記念する「建国記念祭」まで、あと一週間となった。二百年という節目もあり、今年はさらに盛大な祭りになるはずである。魔神亭の亭主は、出店で出す食べ物について悩んでいた。自分の店を持って以来、様々な料理を出してきた。節目に合わせて、ターペ=エトフの国民が食べたこともない料理を出したいと思っていたのである。自室で悩んでいると、第三使徒が食事を知らせてきた。

 

『ほう、今日は「餃子」か・・・』

 

『久しぶりに、東方料理を食べたいと思って作ったのです。以前、ディアンが作った「餃子(チャオズ)」を工夫してみました』

 

ディアンが作ったのは焼いたものだが、第三使徒ソフィアは、水餃子を作ったようである。鶏骨と鶏足から出汁を取り、芹那などの野菜類と獣肉を具にした餃子を入れる。辛子を合わせた味噌を冷やした棒野菜につけて食べる。中々の味である。使徒たちの料理の腕は、この二百年で格段に上がった。主人の料理好きの影響であろう。食べながら、祭りで出す料理について、使徒たちに聞く。

 

『去年は確か、香辛料をかけて焼いた腸詰め肉と葉野菜を麺麭で挟んだやつだったな。歩きながら片手で食べられるし、好評だった。今年もアレをやったらどうだ?』

 

『でも、今年はさらに賑わうでしょうから、むしろ落ち着いて食べれる場所を作ったほうが良いのではないかしら?カレーなんかどう?』

 

第一、第二使徒たちは、ディアンの考えを読んでいなかった。去年と同じものを出すなど、店の評判に関わるし、カレーはターペ=エトフ中の何処でも食べられる。ディアンの考えに沿ったのは、第三使徒だった。

 

『建国二百年祭となれば、各店も力を入れて料理を出してくるでしょう。祭りの出店は、店の評判を左右します。ターペ=エトフの飲食店は、どこも西方からアヴァタール地方の料理が多く、東方料理を出す店は殆どありません。以前、饅頭を出したときには、東方からの技術者たちが行列を作りましたね。今回も、東方料理を出してはどうでしょう?』

 

『ふむ・・・アレをやってみるか!』

 

ディアンの中に、一つの案が浮かんだ。

 

 

 

 

 

厨房に並べられた材料をレイナが確認していく。

 

『・・・豚の背骨、脚骨、背脂、肩肉の塊、大蒜、葱、人参、葉野菜、大豆芽、醤油、黄酒、あとこれは?』

 

『オウスト内海西方で取れる海藻「ケルプ」を干したものを一晩、水につけた。ケルプは、西方諸国では殆ど使われていないが、これで良い出汁を取ることが出来る』

 

ディアンは早速、料理を始めた。

 

『まず深鍋に水を張り、豚の背骨と脚骨を入れて茹でこぼす。骨を綺麗に洗って、二つに折る』

 

普通なら槌を使うが、ディアンは簡単に折っていった。

 

『再び鍋に水を張り、折った背骨、脚骨と小さめに切った背脂、大蒜、葱、人参を入れる・・・』

 

大蒜の房を横に切ってそのまま放り込む。葱や人参も大雑把に切って入れる。レイナは背脂と大蒜の量に驚いた。普通の料理ではあり得ない程の量である。

 

『次に豚肩肉だ。筋肉などを処理し、転がすように丸め、丈夫な木綿糸で縛る。崩れないようにするための処理だ』

 

この量も尋常ではない。豚一頭分はあるだろう。全てを鍋に入れ、炭火にかける。

 

『沸騰したら灰汁を取り、ケルプ水で量を調整する。四刻後に肉を取り出す。全部で最低でも、八刻は火にかけ続ける。その間に・・・』

 

ディアンは挽いた小麦が入った袋を用意した。木の板に小麦粉の山を作り、中央を凹ませる。そこに水を入れ、混ぜる。

 

『この水は、通常の井戸水に「特殊な水」を加えている。カン水と呼ばれる水だ。カン水は、オウスト内海の塩水を煮詰めて作る・・・』

 

水量を調整し、ギリギリの水の量で小麦粉を捏ねる。魔神の膂力によって、みるみる小麦粉が捏ねられていく。やがて塊になると、棒を使って伸ばし始める。棒も特殊だ。丸太に近いほどに太い。さらに中には鉄棒を挿している。通常の人間であれば、持つことすら困難なほどに重い。ディアンはそれを片手で軽々と扱う。

 

『これで麺にコシが出る。ある程度の厚さまで伸ばしたら、太めに切っていく・・・』

 

麺が完成すると、木箱に並べる。上から濡らした布をかける。乾燥させないためだ。麺を作る途中でも、鍋を混ぜたり、使った道具を洗ったりと目まぐるしく動く。レイナは毎度のことながら、主人の手際の良さに呆れていた。使徒三人と弟子三人、自分も入れて七名分の料理が、見る見る完成していく。

 

『あと一刻で、肉を取り出すぞ。その肉を漬け込むタレを作る。醤油と黄色酒、干しケルプを刻んだモノを鍋に入れ、沸騰させない程度に火にかける・・・』

 

作り終わったタレは、口の広い壺に入れる。そこに、取り出した肉を入れる。

 

『漬けすぎると、塩辛くなるからな。四刻程度が丁度よい。つまり、鍋が完成した時に、肉も完成する。さて、その間に野菜を用意するか・・・』

 

適当に切った葉野菜と大豆芽を用意する。大豆芽は大豆の部分を取り除いておく。その量もかなりの量だ。レイナは不安に思った。

 

『ディアン、いくらなんでも多すぎない?その量だと、一人あたり山盛りの野菜になるわよ?』

 

『そうだ。「野菜増し」だな』

 

ディアンは笑った。何が可笑しいのか、レイナは首を傾げた。沸騰した湯に葉野菜と大豆芽を入れ、火を通す。茹で上がった野菜を取り出し、ザルに入れる。次に、大蒜を用意する。四房である。手早く皮を向いていく。それを包丁で潰し、細かく刻む。大蒜の山が出来ていく。さすがに多すぎだ。レイナが止めようとしたら、ディアンは笑みを浮かべながら独り言を呟いた。

 

『大蒜は「増し増し」だな』

 

ディアンは仕上げに取り掛かった。沸騰した湯に太めの「麺」を入れていく。その間に漬け込んだ肉を用意する。木綿糸を解き、かなり分厚く切る。深底の器を七つ並べ、肉をつけていたタレを入れていく。深鍋から上層の脂を取り、器に適当に入れていく。

 

『良し、仕上げだ』

 

柄杓で深鍋から汁をすくい、濾しながら器に注ぐ。茹で上がった麺をそこに入れ、野菜を山のように盛り、厚切りの肉を三切れ、野菜に立てかけさせるように並べた。大匙二杯分の刻んだ大蒜を載せ、肉をつけていたタレを野菜の上にかける。最後に、背脂をすり潰して、野菜の上に振りかける。ディアンは最後に、朗らかに呪文らしきものを唱えた。

 

『完成だ!大蒜増し増し野菜増し辛め脂(ニンニクマシマシヤサイマシカラメアブラ)!』

 

レイナは見ているだけで胸焼けをするような思いがした。

 

 

 

 

 

『・・・コレは何という料理なのだ?大体、どうやって食べるのだ?』

 

『東方料理の「拉麺」の一種ですね。量は・・・普通ではありませんが』

 

『違う。これは「二郎」という食べ物だ。「拉麺」ではない!』

 

『ジロー?』

 

ディアンは箸を手にとって、野菜から食べ始めた。自分でも予想以上の出来である。使徒たちも見よう見まねで食べ始める。グラティナは気に入ったようで食べ進めるが、レイナとソフィアは、途中で音を上げてしまった。結局、完食をしたのはディアンとグラティナだけである。ソフィアは半分も食べられなかったようだ。

 

『ディアン、まさかとは思うけど、コレを祭りで出すの?』

 

『そうだ。旨かっただろう?』

 

『まぁ、美味しいことは美味しいのですが、量が・・・』

 

『ふむ・・・女性でも食べれるように調整はすべきか。出店である以上、あまり長居も出来ないだろうからな。この半分の量で出してみようか・・・』

 

『まぁ、半分なら食べられるかも知れませんが、正直、私はそれでも自信がありません』

 

『ふむ、その辺は調整するようにしよう。もともと、野菜増しにしたからな』

 

転生してから二百年ぶりの味に満足をしながらも、どこかで不満も感じていた。作った本人だけが、その理由を知っていた。

 

(「魔法の粉」は、この世界に無いからな・・・)

 

 

 

 

建国二百年を記念する「建国祭」は、過去にない程に盛大なものであった。魔神亭の出店にも行列ができる。出店のメニューは「小」と「大」の二種類しかない。大蒜や野菜の量は無料で増やすことが出来るため、若い獣人などがこぞって押しかけてきた。後夜祭の最後には、なんとインドリト王まで来たほどである。目の前に座る愛弟子に、店主は笑顔で尋ねた。

 

『ニンニク入れますか?』

 

 

 



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第三章:「神殺し」の誕生
第五十一話:魔神亭


至る所で叫び声が上がっている。半裸の男女が剣を振り上げ、建物に突入していく。その様子は、まるで街に襲いかかる盗賊団のようである。だが実際は、彼らの方こそが被害者なのだ。奪われた土地を取り戻し、この地に安寧の国を創るために、彼らは剣を手にした。

『今そこ、我らスティンルーラ族の力を見せる時ぞっ!女と子供には手を出すな!だが、神殿神官たちに容赦する必要はないぞっ!』

頭目と思われる女性が、大声で指揮を取る。神殿を護る騎士たちと剣を交える。騎士たちも必死だが、数が圧倒的に違う。何より、神殿は既に、大混乱の状態であった。たった独りによって、大司祭は殺され、指揮を執る者がいなかったからである。

混乱する神殿からほど近い場所に、港がある。そこに、今回の混乱の原因がいた。剣を地面に落とし、忘我の状態である。ただ己の運命を呪い、自らを否定し続けている。自分の存在は一体、何なのか?愛する者を手に掛け、救いを求めて故郷に戻ったはずなのに、そこで殺戮を犯した。自分の存在そのものが「災厄」なのではないか・・・

«…その言葉に、偽りは無いな?»

地面に(うずくま)り、己を攻め続ける赤髪の美女の横に、青髪の美女が立っていた。凄まじい魔の気配を放っている。魔神であった。魔神の口元には笑みが浮かんでいる。だがその瞳には、怒りとも思える激情が光っていた。睨むように、赤髪の美女を見下ろし、問いかける。

『あぁ・・・俺はもう、疲れた・・・』

赤髪は、男であった。見た目も声も、女性そのものだが、肉体的にも精神的にも男である。貌には疲労と絶望が浮かんでいる。

«・・・ならば、癒るりと休むが良い。その肉体は、約束通り、我が貰い受けよう・・・»

青髪の女は、男の額に手を置いた。

«さらばだ。セリカ・シルフィルよ»

男は眼を閉じた・・・






理想国家「ターペ=エトフ」の国名は、周辺諸国であるカルッシャ王国、フレスラント王国、スティンルーラ女王国、レウィニア神権国、メルキア帝国に残されており、主要人物の氏名や政治体制、主要産業などが記録されている。だが、ターペ=エトフに住む国民たちが、どのような日常を過ごしていたかについては、僅かな記録を頼る以外に、知りようがない。旅行家オルゲン・シュタイナーの「西ケレース探訪記」は、ターペ=エトフの絶頂期を識る上で貴重な資料となっているが、それ以外にも、幾つかの日誌や手紙などから、ターペ=エトフの国情を識ることが出来る。ラギール商会プレメル支店長として、プレメルに三十年間に渡って住んだ獣人族「ニーナ・カスパル」の日記には、ターペ=エトフの平和そのものの一幕が書かれている。

 

・・・店仕舞いをして、売上を数えていたら、友人のキャミが駆け込んできた。レグリオとシオンが喧嘩をしているそうである。なんでも「どっちがニーナを口説くか」で喧嘩が始まったらしい。思わず溜息が漏れる。二人から花を贈られたりしていたが、私はラギール商会を辞めるつもりはない。奴隷だった私を拾い、ここまで育ててくれたリタ姉様のためにも、商会をもっと大きくすることが、私の夢なのだ。結婚に憧れもあるが、今は店を繁盛させることで手一杯だ。どうせ酔っ払って喧嘩をしているのだろうと思って、どの酒場かを聞いた。すると、何と「魔神亭」で喧嘩を始めたらしい。なんてバカなことを!あそこには、とても怖い剣士が二人もいる。それに魔神亭の主人は、インドリト王とも昵懇なのだ。私は二人が心配になり、慌てて店を飛び出した・・・

 

ターペ=エトフに出入りが出来たのは、レウィニア神権国首都プレイアに本店を置く「ラギール商会」だけである。ラギール商会に雇用された護衛役や売り子たちなどにより、ターペ=エトフの繁栄はアヴァタール地方にも知られるようになった。一方、北方のカルッシャ王国やフレスラント王国は、ケテ海峡を挟んでターペ=エトフと交易をするのみで、ターペ=エトフの首都プレメルまで訪れた人間は、ごく少数である。天険の要害に囲まれていたことと、ケレース地方に対する印象が、ターペ=エトフを「半鎖国状態」にしていたのである。このため、ターペ=エトフ国内で開発された様々な技術や思想、文化などは、滅亡とともに多くが消えてしまったと言われている・・・

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴十年、インドリトはまもなく、三十歳になろうとしていた。ドワーフ族にしては大柄な肉体は鍛え抜かれている。それでいて端正な顔立ちと明晰な頭脳を持ち、「賢と勇」「仁と厳」を併せ持つ名君として、国民から絶大な支持を得ている。翠玉の月(七月)になると、行政府は「国王誕生祭」の準備に追われていた。

 

『次官殿、本日も王への「熱烈な求愛」の手紙が殺到しています。いっそのこと、手紙検閲の専門部署を設けては如何でしょうか?』

 

国務次官ソフィア・エディカーヌは苦笑いを浮かべた。インドリト王は、未だに独身であった。ドワーフ族の平均寿命は三百歳である。三十歳前の王は、まだまだ若いと言える。だが、王国として続くためには、世継ぎが絶対的に必要である。国務大臣シュタイフェはしきりに、インドリト王に結婚を勧めていた。

 

『アッシにおまかせ頂ければ、各種族の見目麗しい美女たちを集めてご覧に入れます。王国が続くためには、御世継ぎが必要です。王がご結婚をされれば、民衆たちも安心するでしょう』

 

インドリトは肩を竦めた。師は三人の美女を侍らせるばかりか、西方の天使族の長「ミカエラ」とも昵懇らしい。だが自分には、そうした情熱はあまり無かった。異性に対する関心は無いわけではないが、それよりも為政に関心があった。経済は安定し、民は豊かに暮らしている。だが危機が無いわけではない。北西部では、カルッシャ王国と微妙な緊張状態となっているし、ガンナシア王国からの接触もあった。北東のイソラの街は、イソラ王国となり初代国王が就任している。国が栄えるほどに、周囲からの妬みなども起きるだろう。それを跳ね返すだけの力が必要であった。

 

『結婚については、急ぐ必要も無いでしょう。私の父は百ニ十歳で結婚しました。ドワーフ族にとって、三十歳などまだまだ子供です』

 

『はぁ、陛下がそう仰るのなら、アッシとしてはこれ以上は申し上げませんが・・・』

 

『まぁ、考えないというわけではありあません。ですが今は、結婚よりもガンナシア王国からの接触が気になります。アムドシアス殿が、ゾキウ王とも交流を持ち始めたと聞きました。それは彼女の自由ですが、ターペ=エトフにとっては重大事です』

 

『仰るとおりでさぁ。ガンナシア王国がアムドシアス殿と接触をしたのは、軍事的脅威を減らすためでしょう。報告では、イソラ王国もマーズテリア神殿の支援を受け、軍事強化を図っているそうです。ターペ=エトフも、国防について考える必要があります』

 

『我が国は、人口は増え続けているとはいえ、軍の規模は小さなものです。ケテ海峡付近の防衛で手一杯でしょう。現状では、物見台を置く程度しか、出来ないでしょうね』

 

『財政的には、軍の規模を倍増させても問題は無いのですが・・・』

 

インドリトは首を振った。軍とは、何も生み出さない存在である。国防という「安心感」を民に持たせ、現実的な脅威に対抗するためにも、軍の存在は必要ではあるが、その規模は出来るだけ小さいほうが良いのだ。インドリトはそう考えていた。

 

『今日は、久々に「魔神亭」に行こうと思います。師ならば、何か良い知恵をお持ちかもしれません』

 

『いっそのことディアン殿が、ルプートア山脈東部に移住をしてくれるのであれば、アッシとしては安心なんですがねぇ』

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ首都「プレメル」には、東西南北に伸びる大通りが走っている。北に伸びる道はそのまま「ギムリ川」の船着場まで通じ、そこから船でフレイシア湾まで行くことが出来る。東の道は、途中で二股に別れる。そのまま東に伸びて、華鏡の畔まで通じる道と、もう一つは新たに出来たルプートア山脈南東路へと通じる道である。これまでは華鏡の畔からラギール商会の商隊が通ってきていたが、現在では南東部からのほうが多い。西に伸びる道は、ルプートア山脈を沿うように伸び、ケテ海峡まで繋がっている。途中には、鉱山やオリーブ畑、農畜産場などがある。獣人族の大農場は、西ケレース地方の中心部にあるため、専用の大道を使って、プレメルまで物産が運ばれる。森を拓けば、より大きな街を作ることもできるが、ターペ=エトフでは森に住む生き物を大事にしているため、都市拡大には慎重な意見が多い。それでも、ターペ=エトフには十分な広さの居住場所がある。戸籍を整備し、正確な人口を数えたところ、西ケレース地方の人口は、六万八千九百五十二名であった。国土の広さに比してかなり少ないと言えるが、人口は増えつつある。国が出来たことで、物産や物流も安定し、暮らしが豊かになったからだ。

 

輝くように豊かな都市プレメルには、幾つかの飲食店がある。各店がそれぞれに独自の料理を出しているが、その中でも特に人気なのが、西に伸びる大通り沿いにある酒場「魔神亭」である。二階建ての建物は、ごく普通の宿に見えるが、魔神亭は飲食専門店であり、宿はやっていない。ターペ=エトフでは、旅行者と言えるのはラギール商会の護衛役や売り子たちだけである。彼らのための宿は既に出来ているため、商売の邪魔にならないよう、宿泊業はしていないのである。酒と食事だけの店で、しかも日没から八刻(四時間)しか営業していないが、店内はいつも満席だ。店の入口の扉には、このように書かれている。

 

・・・当店は、魔神が営む「大人の社交場」です。未成年者のご入店は、固くお断りを致します。なお店内での乱暴狼藉には、魔神の使徒による「怖いお仕置き」があるのでお気をつけを・・・

 

 

 

 

 

男は、扉に書かれた「冗談のような本当」を見る。既に何度か足を運んでいるが、いつ見ても笑えてしまう。ここまで堂々と「魔神」と言ってしまえば、逆に誰も疑わなくなる。男は、自分の正体が解らないようにするために、ごく普通の身なりをし、丸縁の眼鏡を掛けていた。分厚い扉を開くと、カランッという音とともに、賑やかな声が響いてくる。

 

『いらっしゃいっ!あら、ドイルさん!久々ねぇ』

 

獣人族の可愛らしい給仕が笑顔で応対する。ここでは「ドイル」という偽名を使っている。自分の正体が解れば、楽しい雰囲気を壊しかねないからである。店の奥では、北方から来た闇夜の眷属の人間族たちが演奏をしている。店の角二箇所には、白色の外套を着た美女が立っている。剣などは差していないが、尋常ではない強さを持っていることは一目で解る。ドイルと名乗った男は、対面席に座った。壁の板には、その日の料理が書かれている。男は目の前の店主に注文をした。

 

『黒エールを一杯と、頬肉の煮込み、あと棒野菜のアリオリ添えを・・・』

 

店主は男を一瞥し、頷いた。すぐに黒エールが出される。無料の付き出しは、沢蟹の唐揚げである。出されたエールを飲む。冷えていて実に美味い。この店の人気の秘密は、この「冷たいエール」にある。この店では氷を使ってエールを冷やしている。人参や芹菜、大根を棒状にしたものを細長い硝子盃に入れて出してくる。大蒜の入ったアリオリというタレを付けて食べる。野菜もよく冷えていた。ほどなくして、主役である「頬肉煮込み」が出てくる。焼けるように熱い陶器の器を木製の受け皿に載せている。器の中でグツグツと音を立てながら、頬肉が旨そうな匂いを立てる。添えられた麺麭(パン)は、刻んだ大蒜と溶かした牛酪(バター)を掛け、焼いたものだ。頬肉を乗せて食べると、肉の汁を麺麭が吸って、さらに旨味が深くなる。黒エールが無くなった頃、店主がガラス製の盃を出してきた。球形の氷が入っている。そこに、琥珀色の液体を流し入れた。

 

『ウチで作った自家製の酒です。麦酒を蒸留し、木樽で数年寝かせることで、飲み頃になります。どうぞ、私の奢りです』

 

カランッと氷が鳴る。一口飲むと、その強さに思わず咽そうになる。だが喉に流し込むと、芳醇な香りがした。氷を溶かしながら、また一口を飲む。強い酒だが、頬肉煮込みに良く合った。入った時間が遅かったため、二刻ほどで閉店の時間となる。魔神亭の閉店は早い。宵の口ではないが寝るにはまだ早い、という時間で閉店をする。まだ呑み足りないのか、若いドワーフたちが次の店の話をしている。ドワーフ族が多いプレメルには、夜通し営業している酒場もあるのだ。閉店の時間近くには、店内は男独りとなっていた。褐色肌の女が、店の扉に閉店を知らせる札を掛ける。店内では獣人族や闇夜の眷属と思われる人間たちが、閉店後の掃除を始めていた。金髪の女が男を案内する。店の奥から二階へと続く階段を昇る。

 

二階には、部屋が三つある。店の売上などを管理する事務室、重要な客などを饗すための客室、そして店主の趣味の部屋となっている。男は、店主の部屋に入った。壁一面が書棚となっており、揺り椅子が二脚、並んでいる。

 

『また新しい本を仕入れたようですね・・・』

 

西方にある「歪みの主根」について研究をした書籍があった。手にとって読み始める。暫くすると、店主が部屋に入ってきた。硝子製のデカンタに透明な液体が入っている。デカンタは途中に凹みがあり、氷が入っている。揺り椅子の側にある横机に、二杯の盃と小鉢を置く。盃に透明な液体を流しながら、店主が男に話しかけた。

 

『大分、眼鏡姿も板についてきたようだな、インドリト・・・』

 

『先生こそ、前掛け姿がお似合いですよ』

 

ターペ=エトフ国王にして、魔神亭の店主ディアン・ケヒトの愛弟子、インドリト・ターペ=エトフは笑顔で応えた。

 

『今年の酒は良い出来だぞ。米酒造りを始めてから数年、ようやく納得のいく酒が出来た』

 

『この小鉢の料理は何ですか?』

 

『これは昨日仕込んだものだ。オウスト内海で捕れた「烏賊」を細切りにし、内臓と塩、米酒を造る過程で出来る「酒粕」を和えて、一晩寝かせる。「塩辛」と呼ばれる食べ物だ。米酒に良く合う』

 

初めて食べる塩辛に、インドリトは笑みを浮かべた。ドワーフ族はこれまで、酒だけを楽しんでいた。だがターペ=エトフでは、料理と酒の組み合わせという、新しい楽しみ方が生まれつつある。その象徴が、この魔神亭であった。水系魔術を使えば、氷などは簡単に作ることが出来る。魔神亭の地下室には氷を使って冷却する「保存庫」まである。師のこうした知恵に、インドリトはいつも感心させられていた。

 

『それで、今日は何の相談だ?お前が私のところに来るのは、何か悩みがあるからだろう?』

 

『実は、国の防衛について、相談があるのです・・・』

 

よく冷えた「純米酒」を呑みながら、ディアンはインドリトの相談事を聴いた。

 

 

 

 

 

『魔導兵器ですと?』

 

元老院の会議においてインドリトが出した提案に、ドワーフ族族長「オルファー・カサド」は、驚いた声を上げた。インドリトは頷いた。

 

『そうです。我が国の安全を考えると、北西のケテ海峡付近は無論、ルプートア山脈北東部にも、防衛線の展開を考える必要があります。一方で、軍の規模を拡大するのは現実的に困難です。ファーミシルス元帥のもと、各小隊をまとめる隊長たちは育ってきていますが、一地方の軍を束ねる「将軍」が育つには、まだ時間が必要です。また、軍とはそれ自体は何も生まない存在です。出来るだけ、規模は小さなほうが良いと思います。軍の規模は拡大できないが、国の護りは強化しなければならない・・・この相反する問題を解決するには、軍の「質」を上げるしかありません。つまり軍の装備を向上させるべきだと思うのです』

 

元老たちがざわつく。ある者は深く頷き、ある者は考える表情を浮かべた。オルファーは立ち上がり、インドリトに意見を述べた。

 

『王のお考えは、理解できます。ですが、魔導技術はガーベル神が「人々の幸福を願って」生み出した技術です。それを戦の手段に使うというのは、如何なものかと思います』

 

『確かに私も、そのようにも考えました。ただ、一度立ち止まって考えてもらいたいのですが「人々の幸福」、つまり「ターペ=エトフの民の幸福」とは何でしょうか?それは、外敵から侵されることなく、己の信仰を守りながら、気の合う仲間たちと共に、豊かで平穏な日々を送ること・・・ではないでしょうか。いつ外敵から侵略を受けるか知れない、という恐怖があれば、「平穏な日々」を送ることは出来ないでしょう』

 

他の種族の元老たちは、口々に同意をした。だがオルファーは拘った。ドワーフ族にとって魔導技術を戦争に使うことは、禁忌にも近いことだからである。

 

『王の仰る「民の幸福」については、私も完全に同意します。ですが、武器とは「作ったら使われるもの」です。もし魔導技術によって生まれた武器により、血が流れるようなことがあれば・・・』

 

『そうですね。ですから「使いようのない武器」を作ってはどうかと思います』

 

オルファーをはじめ、元老たちが首を傾げる。インドリトは笑みを浮かべながら、構想を説明した。

 

 

 

 

 

『つまり「動かせない武器」ということか?』

 

香草と岩塩を振りかけて焼いた「骨付き鶏もも肉」を食べながら、グラティナはファーミシルスに聞いた。ファーミシルスも同じように、手掴みで豪快に食べている。この二人の食事にはどうも「色気」が無い。

 

『そうだ。ルプートア山脈北東部の山頂に、「魔導砲」という砲台を設置する。魔焔を使うことで、たった一人の兵士で、はるか遠方まで純粋魔術を撃ち出すことが出来る。だが、砲台自体は動かせないので、外敵が侵攻して来ない限り、無用の長物だ』

 

『インドリトが侵略など考えるはずがないからな。その砲台はおそらく、使われることは無いだろう。大体、イソラ王国の軍隊などせいぜい三千程度だろう?私とファミだけで殲滅できると思うぞ?』

 

二人の「色気のない食事」に苦笑いを浮かべながら、ディアンが説明をした。

 

『砲台の存在自体が、民衆に安心感を与えるんだ。イソラ王国に対しては牽制にもなる。さすがにケテ海峡にそんなものは配備できないが、ルプートア山脈北東部は「無人地帯」だからな。砲台を置いたところで、どの国も文句は言えないだろう。「備えあれば憂いなし」というやつだ』

 

『でも、聞いた話だとドワーフ族代表が随分と反対したそうよ?ドワーフ族は、ターペ=エトフ国内でも数が多い。もし国王とドワーフ族の間に溝ができたら、深刻な問題になると思うけれど・・・』

 

ナイフとフォークを使って、上品に食事をしながら、レイナが懸念を述べた。

 

『前代表のエギール殿が、オルファー殿を説得したそうだ。二人は幼馴染の親友だそうだ。インドリトも「使わざるを得ない状況」でない限り、使わないつもりらしい』

 

『使わざるを得ない状況とは、どんな状況だ?』

 

『そうだな・・・』

 

現時点で最も可能性のある「最悪の事態」をディアンは考えた。

 

『・・・ガンナシア王国が、イソラ王国を飲み込み、ケレース地方東部に統一国家が誕生する。そして、その国家がターペ=エトフに侵攻してくる・・・これが、使わざるを得ない状況だな』

 

『・・・ディアンは、その可能性はあると思うか?』

 

ファーミシルスがディアンに尋ねた。国防の最高責任者として、ファーミシルスは最悪の事態を考えておく必要がある。ディアンは少し考えて、首を横に振った。

 

『全く無いわけではないが、限りなく低いな。ガンナシア王国国王のゾキウは、人間族を憎んでいる。だがそれは彼個人の憎悪に過ぎない。ケレース地方には多くの種族が住んでいる。憎悪では、それら種族を束ねることは出来ない。いや、出来なくはないが、それには「逆らったら殺される」という恐怖による統治が必要になる。つまり暗黒世界だ。そんな国は、長くは続かないだろう』

 

『だが、ゾキウは半魔人であり、力も持っている。もしガンナシア王国が東ケレース地方を統一して、ターペ=エトフに侵攻してきたら、ディアンならどうする?』

 

『簡単だ。ルプートア山脈に防衛線を敷いて、徹底した籠城作戦を取るさ。ターペ=エトフは、完全な自給自足が可能な国だ。豊かな鉱物資源と有り余るほどの食料がある。極端な話、鎖国をしたってやっていけるんだ。一方、仮にガンナシア王国が東ケレース地方を統一したとして、どうやって兵士を食わせていくんだ?戦争には莫大なカネが掛かる。戦争とは、経済力があって初めて出来るんだ。ガンナシア王国の経済力は、ターペ=エトフと比べると脆弱そのものだ。一度くらいは戦争が出来るかもしれないが、それで終わりさ。二度も三度も兵を興すことは出来ないだろう。つまり我らは「一度だけ守れば」勝てるんだ』

 

『そうだな。私もこの立場に立って、初めて気づいたことがある。兵士は数字ではない。一人ひとりが生きているんだ。彼らが力を発揮するには、飯をしっかり食べることが出来なければならない。食糧不足で戦争など、出来るはずがない』

 

『それが「兵站」というやつだ。ターペ=エトフに攻め込んでくる国は、絶望するだろうな。「無限の兵站」を持つ国が、どれほどに強いかを思い知るだろう』

 

ディアンは笑って、肉を頬張った。

 

 

 

 

 

この時の会話から二百四十年後、ディアン・ケヒトが語った「最悪の事態」は現実のものとなる。多少、形は変わり、より深刻な状況となって・・・

 

 

 

 

 




【次話予告】
次話は8月2日(火)22時アップ予定です。

ターペ=エトフの王宮に緊張が走った。第一級現神「マーズテリア」を祀る神殿の聖女「ルナ=エマ」が来訪したからである。教皇の代理としてターペ=エトフを見聞したいと言うのである。インドリト王との会談において、ルナ=エマはターペ=エトフの「本質」に触れる。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第五十一話「聖女」

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

ひざまずくか、諸人よ?
創造主を感じるか、世界よ
星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住みたもう・・・



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第五十二話:聖女

ラウルバーシュ大陸西方域、七魔神戦争後に誕生した魔族たちの国「マサラ魔族国」を取り囲むように、光神殿の総本山がある。マサラ魔族国は、クヴァルナ大平原の北西に誕生し、光神殿たちによって「大封鎖地」とされ、後に「ゴーティア王国」となる。ゴーティア王国を挟むように、南部には光神殿の勢力、北部には闇神殿の勢力がある。その中でも、特に強い力を持っているのが、大封鎖地南部にある「マーズテリア神殿」である。

 

マーズテリア神殿は、大封鎖地南部の「ベテルーラ」を総本山とし、教皇を頂点とする四角錐状の組織を形成し、各地に神殿領を持っている。マーズテリア神殿の組織に入ったものは、大きく二つの道から、組織の階層を上がっていく。一つは、神殿神官として各地の神殿領の「事務」を担当し、「大司教」を経て「枢機卿」となり、総本山に入る道、もう一つは「神官騎士」として神殿領の治安維持を担当し、やがて「聖騎士」となる道である。いずれの道においても、最終的には二つの選択肢を選ぶことになる。一つは、マーズテリア神の「神格者」となり、永遠に神に仕える道、もう一つは「教皇」となる道である。無論、そこまで辿り着く確率は数十万分の一であり、殆どの者は、神殿領を点々とする神官で終わるか、神官騎士として戦い、命を落とすのである。

 

マーズテリア神殿には、もう一つの存在として「聖女」という存在がある。聖女は、マーズテリアの祝福を受けて誕生すると言われており、生まれながらに強い魔力を秘めている。教皇は神託を受けて、聖女候補者を探す。候補者は四つの試練を経て、最終的には教皇によって「聖女」と認められるのである。聖女は、マーズテリア神の神格者であり、その地位は教皇と対等とされる。

 

歴代の聖女の中でも、特に信徒からの支持が篤いのが、聖女ルナ=クリアである。ルナ=クリアは、もともとは「クリア・スーン」という名前で、マーズテリア神殿の地方領を束ねる「神官長」の娘として生まれた。総本山において神託査問を受け、四つの試練(軍剣ルクノゥ・セウの抜剣、封鎖地に残された開拓軍の撤退など)を成功させ、聖女として認められた。ルナ=クリアは、歴代の聖女の中でも、力と徳が抜きん出ていたと言われており、マーズテリア神殿の勢力を最大化させた功労者でもある。しかし、教皇の交代によって聖女の地位から追われ、やがて悲劇的な最後を迎えるのである。

 

このように、マーズテリア神殿の聖女は「教皇の代理」として、ラウルヴァーシュ大陸において絶大な影響力を持っている。聖女の判断次第では、二十万とも謂われるマーズテリア神軍が動くため、聖女を迎え入れるに当たっては、各国はその接待に腐心するのである・・・

 

 

 

 

 

ブレニア内海西方の国ベルリア王国の首都「ランヴァーナ」を出発した船は、およそ十二日間の航海を経て、内海東岸に辿り着いた。レウィニア神権国の首都プレイアまでは、馬で半日の距離である。完全武装の騎士たちが船を降り、左右に整列する。その間を、黒髪の美しい女性が歩み進む。マーズテリア神殿聖女「ルナ=エマ」である。聖騎士の男が、聖女に報告する。

 

『聖女様、レウィニア神権国には既に連絡をしております。夕刻には、プレイアに入ることが出来るでしょう。迎賓館において、晩餐会の準備をしているとのことです』

 

『ご苦労さまです。ですが、晩餐会など不要です。私の宿泊先も、市井の宿屋で十分です。今回の目的地は、レウィニア神権国ではありません。ケレース地方の新興国「ターペ=エトフ」です。儀礼上、国王との対面は必要でしょうが、私としては地方神「水の巫女」との対談が出来れば、それでこの地での目的は達せられると考えています。御厚意には感謝をするが、晩餐会などよりも出来るだけ早く、水の巫女との対談が出来るように取り計らって頂きたいと、伝えて下さい』

 

聖騎士が一礼し、馬を疾走らせる。内海から吹く風で黒髪を靡かせながら、ルナ=エマはレウィニア神権国の土地を見た。

 

『・・・豊かな国ね。この地を生み出したと言われる神との対談・・・楽しみだわ』

 

ルナ=エマは自分が乗るための馬に向かった。

 

 

 

 

 

国王との形式的な会談を終え、ルナ=エマは神殿へと向かった。神官たちの表情にも緊張が浮かんでいる。水の巫女への信仰は揺らぐことはないが、目の前にいるのはディル=リフィーナ最強の軍神「マーズテリア」の聖女なのである。緊張しないほうが可怪しい。だがルナ=エマは、優しい笑みを浮かべ、神官たちに挨拶をした。奥の泉に通される。水面に反射する眩い光に目を細めながら、泉に掛けられた桟橋を渡り、中ほどにある亭に進む。水面に手を入れると、亭に安置されている神像が、美しき神へと変化する。

 

『良く来てくれました。聖女殿・・・』

 

レウィニア神権国の絶対君主にして地方神「水の巫女」は、普段と変わらぬ表情で、マーズテリア神の聖女を見下ろした。ルナ=エマは片膝をついて、挨拶をした。

 

『マーズテリア神に仕えるルナ=エマです。水の巫女様にお会い出来ましたこと、光栄に存じます』

 

『私はマーズテリア神ではありません。貴女の仕える神ではないのです。そのような礼は、取る必要はありません』

 

『いいえ・・・たとえ仕える神とは違えども、民から慕われ、民に安寧を齎す神へは、敬虔なる気持ちを持つべきです』

 

水の巫女は頷き、ルナ=エマに着席を促した。

 

 

 

 

 

『ケレース地方の新興国「ターペ=エトフ」の噂は、総本山にも入っています。レスペレント地方に住む闇夜の眷属たちが、ターペ=エトフに移住を進めているなど、その力は次第に膨れ上がっています。何より「信仰の自由」を国是とし、光と闇の神殿を並列させるばかりか、古神信仰までも認めている点が、問題視をされています。私は教皇猊下からの命を受け、ターペ=エトフを見聞すべく、ここまで来ました』

 

『私の使徒から、その話は聞いています。ターペ=エトフ国王「インドリト・ターペ=エトフ」への紹介状を用意しています。後ほど、受け取って下さい』

 

礼を述べる聖女を見ながら、水の巫女は確認するように尋ねた。

 

『ターペ=エトフを見聞するとのことですが、どのように見聞をされるおつもりですか?』

 

『インドリト王や行政府の方々、また元老という各種族の代表者と話をしたいと思っています。その上で、首都プレメルで何人かの民衆にも、話を聞きたいと思います』

 

水の巫女は沈黙していた。ルナ=エマは首を傾げて、質問した。

 

『あの・・・何か、お気になることが?』

 

『いいえ、結構かと思います。ですが、肝心の人物が抜けていますね』

 

ルナ=エマは沈黙した。水の巫女の話を聞くためである。

 

『インドリト・ターペ=エトフとは、彼がまだ王になる前に、一度だけ会ったことがあります。平和を愛し、民を愛し、それでいて国王として強い芯を持つ「名君」に育つだろうと予感しました。そして彼は、私の予想以上の王になりました。インドリト王が、ターペ=エトフの「要」です』

 

そんなことは、ルナ=エマにも解っている。だからわざわざレウィニア神権国にまで来て、根回しをしているのだ。だが、なぜ水の巫女がそのような解りきったことを言うのか。

 

『・・・不思議に思いませんか?これまで国というものを見たこともない、亜人族が跋扈する混沌とした地に、いきなり国王が誕生したのです。それも類を見ない名君が・・・「種族平等」「信仰の自由」という理想は、どこで培われたのでしょう?』

 

そう聞かれ、ルナ=エマは沈黙した。たしかに、水の巫女の言うとおりである。国を見たことが無いはずの、ただのドワーフ族の青年が、ここまで繁栄する国家を作り上げたのである。何者かが、インドリトに知恵入れをしたとしか思えなかった。つまり、インドリトを「教育」した者がいる。

 

『インドリト王は、ターペ=エトフの建国者です。ですが、それは表向きの貌です。彼に知恵と知識を与え、彼を育てた人物、謂うなれば「影の建国者」がいます。その人物と会わない限り、ターペ=エトフの全体像を掴むことは出来ないでしょう』

 

ルナ=エマは考えていた。ひょっとしたら、自分はターペ=エトフという国を甘く見ていたのではないか?亜人が創った国、地形に恵まれているだけの国・・・そう思っていた自分は居なかったか?これから行く国は、自分の想像以上に複雑な国なのかもしれない・・・

 

『その人物を水の巫女様はご存知なのですか?』

 

『・・・私に言えることはここまでです。ターペ=エトフは、レウィニア神権国の同盟国でもあります。彼の国の内情について、これ以上は話せません』

 

『調べてみます。イソラ王国にはマーズテリア神殿もあります。あるいは、何か情報があるかも知れません』

 

水の巫女は頷き、最後の一言を述べた。

 

『これは余計かも知れませんが、あえて「会わない」という選択もあるのですよ?名君を育て上げた人物、この短期間で、ここまで繁栄する国家を創りあげた人物です。その人物は、貴女にとって危険な存在かも知れません』

 

『私はマーズテリア神の聖女です。今回の使命も、私に与えられし試練と受け止めています。たとえ危険であっても、会わなければならないでしょう。水の巫女様のご助言は、胸に留めておきます』

 

美神と聖女の対談は、これで終わった。その後、ルナ=エマは総本山に使いを出し、二十年前にイソラの街にいた神官騎士から、様々な種族で構成された「旅行者一行」についての報告を入手した。若かりし頃のインドリトの様子を知ると共に、インドリトの師の名前「ディアン・ケヒト」の名を掴んだのである。

 

 

 

 

 

『ラギール商会からの情報では、マーズテリア神殿の聖女「ルナ=エマ」が、ターペ=エトフ見聞のために、レウィニア神権国を訪れたそうです。聖女は一度、総本山に戻り、オウスト内海からフレイシア湾を目指すそうです』

 

国務次官ソフィア・エディカーヌの報告を聞き、元老院はざわめきに包まれた。インドリトがそれを収める。

 

『聖女「ルナ=エマ」は、何も戦争を仕掛けに来るわけではありません。ただターペ=エトフを観てみたいというだけです。ならば、隠すことなどありません。堂々と見て貰いましょう。私たちには、後ろ暗いことなど何一つ、無いではありませんか』

 

『し、しかし王よ・・・フレイシア湾には、儂ら龍人族の集落がある。そこに現神の勢力が入るというのは・・・』

 

龍人族代表が不安げに声を上げる。当然であった。龍人族は「古神の眷属」である。第一級現神マーズテリアの神格者が来るとなれば、不安にならないはずがない。インドリトは頷いた。

 

『マーズテリア神殿の船は、龍人族の集落とは反対側に接岸するようにさせましょう。そこから小舟を使って、ギムリ川を上って貰いましょう。神官騎士も含め、誰一人、龍人族の集落には近づけません』

 

『拒否する、ということは出来ないのでしょうか?』

 

『レウィニア神権国の紹介状も持っているのです。追い返すわけにはいきません。万一に備えて、集落には軍も配備しましょう。不安は解りますが、そこは耐えて頂けませんか?』

 

龍人族元老は、ため息をついて頷いた。他の種族たちも緊張している。だがインドリトは笑みを浮かべた。

 

『皆さん、そんなに緊張しないで下さい。現神を信仰する「人間族の女性」が、プレメルを訪ねてくるだけです。私も、特段の饗しなどは考えていません。王宮の客間は用意をしますが、食事はプレメルの飲食店を借りようと思います』

 

『そのような簡易な饗しで宜しいのでしょうか?』

 

『マーズテリア神殿の教義には、自然からの恵みに感謝し、過剰な贅は控えるべし、とあります。豪華な饗しなど、逆効果でしょう』

 

 

 

 

 

ルナ=エマは、フレイシア湾から川を上っていた。川幅が広く、穏やかな流れである。時折、小舟が浮いている。魚を釣っているのだ。どうやら自分が訪れるということは、国民には知らされていないらしい。それはむしろ好都合であった。「素のまま」のターペ=エトフを観たかったからだ。上流に入り、船着場を降りる。徒歩のまま、プレメルの街に入る。街の輝きに、ルナ=エマは目を細めた。石畳の道は清掃され、街路樹が適度に配置されている。それぞれの家は適度に広く、大通りには屋台なども出ている。だが、ルナ=エマの姿を見た通行人は、一様に脇に逸れた。こちらを見ないようにするばかりか、まるで怯えるように脇道や家内に入ってしまう。すると、通りの向こうから男が馬を曳きながら近づいてきた。馬には荷物を載せているらしい。神殿騎士の姿を見ても、特に怯える様子は見せない。ルナ=エマは興味を持った。男に話しかけてみる。

 

『あの、ちょっと宜しいでしょうか?』

 

『何か?』

 

『この道を真っ直ぐ行くと、王宮に辿り着くのでしょうか。なにぶん、初めてこの街を訪れたので・・・』

 

『えぇ。この道を真っ直ぐ行けば、王宮への昇降機があります。獣人族の衛兵が立っています。すぐに気づくと思いますよ?』

 

男は特に特徴も無く、普通の人間に見える。だが男の方も、自分を普通の人間として応答している。後ろに控える鎧姿の騎士たちなど、まるで気にしていないようだ。ルナ=エマはますます、興味を持った。

 

『・・・気にならないのですか?私たちは、マーズテリア神殿の者ですが・・・』

 

『この街には、ガーベル神やイーリュン神などの神官もいます。マーズテリア神殿の人が来たからって、特に気にしません。まぁ中には、気にする人もいるのでしょうがね。あなた方だって、この街を荒らしに来たわけではないでしょう?』

 

『勿論です。私たちは、ただ見聞に来ただけです』

 

『プレメルには、美味い飯屋がありますよ。見聞をされるのであれば、ぜひ試してみてください』

 

男もどうやら、そうした飯屋を生業としているようだ。馬には酒樽や腸詰め肉などが載せられている。ルナ=エマは笑って頷いた。男とは、それで別れた。道を進むと、昇降機が見えた。体格の良い獣人の兵士が立っている。ルナ=エマの姿を見ると、頷いて昇降機を操作した。

 

 

 

 

 

輝くような白亜の城に、ルナ=エマは目を奪われた。これまで幾つもの王宮を見てきたが、これほどに美しい王宮は見たことがない。ターペ=エトフという国、インドリトという王の力を示していた。前庭を進むと、魔獣が座っていた。襲い掛かってくるような気配はない。ただジッと、自分たちを観ている。衛兵が王宮の扉を開く。明るい色調の大きな絵が掛けられた広間を通る。そのまま、中庭へと案内される。騎士たちはそこで止められた。

 

『中庭の亭で、王がお待ちです』

 

衛兵に促され、中庭に入る。高所であるはずなのに、思いの外、暖かい。中庭は丁寧に世話がされているようで、草花が美しく咲いている。噴水を通ると亭が見えてくる。ドワーフ族にしては大柄な男が立っていた。銀色の髪と端正な顔立ちをしている。口元には微笑みが浮かんでいるが、その眼には強い意志がある。名君インドリト・ターペ=エトフであった。

 

『我がターペ=エトフへようこそ、聖女殿。遠路の旅でお疲れでしょう』

 

両手を広げ、屈託の無い笑みを浮かべる。威厳を感じさせるような圧倒感は無い。だが、これまで感じたことのない「包容力」がある。種族を超えて支持される理由が解った。まさに、ケレース地方を統治するに相応しい王である。

 

『マーズテリア神殿のルナ=エマです。この度は突然の訪問に関わらず、私共を受け入れて下さり、感謝に耐えません』

 

向かい合う形で、椅子に座る。水差しと盃が二つ、置かれている。王が自ら、盃に茶を注ぐ。こうした点も、他の国では考えられないことであった。

 

『牛蒡を乾燥させて、水出しにした牛蒡茶です。私の好きな飲み物なんですよ。どうぞ・・・』

 

香ばしさと不思議な甘みのある茶である。ルナ=エマは一口飲み、プレメルについて感想を述べた。

 

『とても繁栄をしている街だと感じました。道は綺麗に掃き清められ、他の街では当たり前にある「泥道」などもありませんでした。ですが少し、人々から警戒されてしまったようです』

 

インドリトは笑った。

 

『別にあなた方を嫌っているわけでは無いのです。ターペ=エトフでは、鎧姿の騎士は珍しいのです。闇夜の眷属や亜人族は、平和を愛します。騎士の姿を見ただけで、怖くなったのでしょう。お気を悪くされたのであれば、謝ります』

 

『いいえ、こちらこそ民衆を警戒させてしまったことを謝罪致します。鎧や剣などは、出来れば船に置いて来たかったのですが、彼らにも騎士としての誇りがあるのです』

 

『理解しています』

 

挨拶が終わり、ルナ=エマはターペ=エトフの国是「信仰の自由」について尋ねた。

 

『このケレース地方には、様々な種族が住んでいます。各種族ごとで文化も信仰も違います。それをまとめ、一つの国とするためには、信仰の自由を認める必要があるのです。信仰の自由とは、互いの信仰を認め合うことです。ガーベル神やイーリュン神を信じる者もいれば、ヴァスタール神やアーライナ神を信じる者もいます。それぞれに信仰のカタチがあるのです。「あなたはあなた、私は私」です。互いに信仰に踏み入らないことで、神々を並列させているのです』

 

『ですが、信仰はそれぞれの種族の文化や生活習慣にまで影響を与えているはずです。種族同士が集まって街を造れば、習慣の違いから揉め事なども起きると思うのですが?』

 

『確かに、最初はそうしたこともありましたね。ですが、それは知らないからです。長い間、自分たちの生活習慣の中だけで生きてきたのです。違う文化に触れれば、抵抗心を持って当然でしょう。ですが、そもそもそうした生活習慣に「良し悪し」はありません。例えば「手掴みで食べる」という習慣を持つ者から見れば、ナイフとフォークで食べている者を変に思うでしょう。ですが、それは文化の違いであって良し悪しではないのです。相手はそういう習慣なのだ、と理解をすれば、お互いを尊重しあうことが出来ます。自分の意見、自分の考え方、自分の暮らし方が「絶対的に正しい」などと考えるものは、この地では生きられません』

 

『ターペ=エトフでは、物事について善悪はなく、「全てが正しい」と考えているのですね?』

 

『もちろん、法はあります。モノを盗んではいけない、他者を傷つけてはいけない・・・こうした法は当然あります。ですが、各種族の文化や各神殿の教義を見ても、「他者を傷つけて構わない」という教義はありません。マーズテリア神殿の教義の中には「強き者は、弱き者を援けなければならない」とありますね。私もそう思います。では、闇の現神「ヴァスタール」の教義をご存知ですか?』

 

ルナ=エマは沈黙した。西方では光と闇の教義の比較は禁忌とされている。アークリオン神殿やバリハルト神殿の教義はともかく、闇の現神たちの教義までは知らなかった。

 

『ヴァスタール神はこう述べています。「人は皆、我を含めて憐れ也・・・』つまり、人は皆、弱い生き物である。環境に流されたり、意志を貫けなかったりする・・・そうした弱さを含めて、他者を受け入れ、愛しなさい、という教義です。私にはこの教義が、間違いとは思えないのです。ターペ=エトフでは、幼少期の教育として、光と闇の教義を並べて教えます。どの教義にも、他者を傷つけて構わない、モノを盗んで構わない、などはありません。人々が集まり、社会を形成する上で、共通の取り決めは不可欠です。各信仰を比較し、どの信仰にも共通して見られる点を「法」としているのです』

 

『・・・各信仰を比較し、共通している教えを参考として法を作っているのですね。ですが、混乱はしないのでしょうか?例えばプレメルには、イーリュン神殿とアーライナ神殿があります。二つとも「治癒」の奉仕をしている神殿ですが、その手段が異なります。イーリュン神殿は、服薬や魔術などで治癒を施しますが、アーライナ神殿では、神官が肉体を使う、つまり「性行為」を行うこともあるそうですが?』

 

『思うのですが「性行為」の何がいけないのでしょう?私たちは皆、両親の性行為によって誕生しました。性行為を禁忌としてしまっては、その種族は絶滅するでしょう。確かに、アーライナ神殿の「治療」を目的として訪れる者もいるそうですが、それはその者の「邪な心」の問題であって、アーライナ神殿の問題では無いと思います。両神殿とも、怪我や病、あるいは心の傷などで苦しむ者達に、癒やしの手を差し伸べています。その根にあるのは、他者に対する思い遣り、「慈悲の心」だと思います。手段の違いだけで対立をするなど、おかしな話ではありませんか』

 

ルナ=エマは沈黙したまま、考え続けていた。これまでマーズテリア神を信仰し、神の教義の中で生きてきた。だが、目の前のドワーフは、自分より遥かに広い視野を持っている。各信仰の教義を並べ、客観的に比較し、その信仰の本質を見定める。一つの信仰に盲従するのではなく、様々な信仰を認めながら、自分自身の意志で信仰を「選択」するのである。インドリト王のみならず、ターペ=エトフの住人すべてがそうであるならば、この国はディル=リフィーナ世界の中で唯一の「信仰を超えた地」と言える。神殿にとって、ある意味では「脅威」であった。

 

『・・・大変、興味深いお話を伺いました。ターペ=エトフに来た意味がありました。一つお聞きしたいのですが、インドリト王はいつ、そうした視点、考え方をお持ちになったのですか?』

 

『そうですね。私の「師」の影響でしょうか。私は十二歳の時に、師のもとに弟子入りをしました。八年間、寝食を共にし、様々なことを師から学びました。師に言わせれば、私などはまだまだ未熟だそうです』

 

『インドリト王の師・・・「ディアン・ケヒト」という人物のことでしょうか?』

 

インドリトは少し驚いた表情を浮かべた。だがすぐに、笑みが浮かぶ。その表情は、いたずらを思いついた子供のようであった。

 

『私の師は、市井の民として飯屋を営んでいます。実は本日、その店でルナ=エマ殿を御饗ししようと考えていました。師には「来賓者を連れて行きたい」としか伝えていません。マーズテリア神殿の聖女が来たと知れば、きっと驚くと思います』

 

『ディアン・ケヒト殿は、飯屋の主をしているのですか?』

 

『師の料理は、ターペ=エトフ随一です。驚きますよ?』

 

王はまるで子供のように笑った。その様子にルナ=エマは戸惑った。先ほどまでの「名君」はそこにはいなかった。師の驚いた顔が見たいという、弟子の姿でしかなかった・・・

 

 

 

 




【次話予告】
次話は8月3日(水)22時アップ予定です。

元老院を視察したルナ=エマは、ターペ=エトフにおける「信仰の扱い」について、インドリトに質問する。インドリトは、国家とは何かについて、自分の思想を語る。それはルナ=エマに不安を与える内容であった。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第五十三話「国家と信仰」

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

ひざまずくか、諸人よ?
創造主を感じるか、世界よ
星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住みたもう・・・



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第五十三話:国家と信仰

王宮内の客室に入ったルナ=エマは、戸惑いを覚えていた。インドリト王は、自分が想像していた以上の人物であった。その見識は広く、深い。多様な価値観、考え方を受容しつつ、自分の判断で意思決定を下している。自分はマーズテリア神殿の聖女として見出され、総本山の中で育ち、マーズテリア神殿の教義を絶対として生きてきた。それが当たり前であり、そのことに疑問を抱いたことはない。だが、インドリト王との会話で、自分がいかに「無知」であったかに気づいた。マーズテリア神殿は光側の神殿である。闇側の神殿とは対立をしている。だが、なぜ対立をしているのかを考えたことはなかった。闇側は「悪」と決めつけていたが、その根拠が無かったのである。

 

『ヴァスタール神殿が本当に「相手の弱さも含めて愛しなさい」と言っているのなら、それはマーズテリア神の教義にも通じるものがある。ヴァスタール神殿の教典を読んでみる必要があるかもしれません・・・』

 

この時、ルナ=エマは危険な状態であったとも言える。聖女は神格者である。つまりマーズテリア神の「使徒」であり、主人に対して絶対の忠誠を持たなければならない。そこに疑問を持てば、それは天使族で謂うところの「堕天」へと繋がりかねないのである。そのことに気づいたルナ=エマは、慌てて首を振った。

 

『まだ到着したばかりです。まずは様々な人たちに話を聞きましょう。考えるのはそれからでも十分です』

 

寝台に置かれている服に着替える。ターペ=エトフの人間族が着ている、ごく普通の服だそうだ。髪を束ね、布で巻く。簡単な変装であるが、これにより街中を歩いても、聖女と気づかれずに済むだろう。

 

『師の店には、他の客たちもいます。王が来たとなれば、皆が緊張するでしょう。ルナ=エマ殿が希望されている「民衆の話を聞きたい」という希望も叶わないかもしれません。ですので、恐縮ですが「変装」をして頂きたいのです。私もインドリトではなく「ドイル」という名の男に変装します』

 

鏡を見て、思わず笑う。どう見ても、街を歩く普通の女だ。このような変装は、これまでしたことがない。

 

部屋を出ると、神官騎士たちが驚いた顔を浮かべる。ルナ=エマは笑みを浮かべ、騎士に告げる。

 

『ここからは、インドリト王と私だけで、プレメルの街に行きます。皆さんは王宮で待機をしていて下さい』

 

慌てる騎士たちを宥め、聖女は王宮の外へと歩を進めた。

 

 

 

 

 

『「魔神亭」ですか・・・』

 

『師はこの店の主人です。闇夜の眷属の多いこの地では、この名前が効くみたいですね』

 

店の入口には、冗談としか思えない注意書きが書かれている。インドリトが扉を開ける。店の中は既に、大勢の客で賑わっていた。

 

『あらぁ?ドイルさん、今日は女性をお連れなんですね?スミに置けないわぁ~』

 

可愛らしい獣人族の給仕が、笑顔で話しかけてくる。変装した王は、そのまま奥の階段に進む。賑わう店内を観察すると、気になる人物がいた。白い外套を着た金髪の女性が、店内の隅に立っている。この手の酒場には、「用心棒(バウンサー)」がいることが多い。彼女もそうなのだろうが、纏っている空気が普通ではなかった。尋常ならざる強さである。マーズテリア神殿最強の「聖騎士」でも、彼女には勝てないかもしれない。ルナ=エマは緊張した。ひょっとしたら自分は、軽はずみでとんでもない処に来てしまったのかもしれない。だが、インドリト王が自分に危害を加えるとは思えなかった。

 

二階に上がると、扉が三つある。一番手前の扉を開けると、そこは個室であった。壁には風景画が掛けられ、質の良い調度品が部屋を飾っている。程よい大きさの机には花が飾られ、その中で蜜蝋が明かりを灯している。そして、一人の男が部屋の中で立っていた。

 

『はじめまして。私がこの店の主人、「ディアン・ケヒト」です』

 

黒髪の男は、涼しげな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

『先生、お客さまをお連れしました』

 

『あなたが・・・』

 

ルナ=エマは男の顔を見て思い出した。昼間に道を尋ねた男である。だがそんなことは覚えていないかのように、男は一礼をした。ルナ=エマもそれに倣い、挨拶をする。

 

『マーズテリア神殿のルナ=エマです。ターペ=エトフの見聞のために、この地を訪れました』

 

『・・・マーズテリア神殿の「聖女殿」ですか?』

 

ルナ=エマは頷いた。ディアンはインドリトを横目で見る。「なぜ先に教えない」と責めているのだ。インドリトは舌を出して一礼した。だが、ルナ=エマはそこに芝居を見ていた。目の前の男は、昼間に自分と会っている。ならばその時点で、自分の正体に気づいたはずだ。弟子を思い、あえて驚いて見せているのだろう。同時に、ルナ=エマは微かな違和感を感じていた。男は、顔立ちは整ってはいるものの、特に特徴はない。そして全身に魔力を纏っている。上級の魔術師などは、修行の一環として全身に魔力を纏わせる。肉体の表面に魔力を流し続けるのである。高い集中力と強い魔力が必要だが、魔力の絶対値を引き上げる効果がある。だが目の前の男は、魔術師という雰囲気ではない。ルナ=エマは疑問を感じていたが、男の案内によって、思索から戻った。

 

『どうぞ、お座り下さい。私も、食事をご一緒させて頂きます』

 

『エルドさんが、料理をされるんですか?』

 

『彼の腕は、既に私と同等だ。新しい料理を生み出す、という点ではまだまだだが、新入りの指導もしっかりしている。安心して厨房長を任せられる』

 

椅子に腰を掛けると、飲み物が運ばれてくる。琥珀色の麦酒である。ルナ=エマは意外に思った。麦酒は庶民の飲み物である。王宮での晩餐会などでは、葡萄酒が出されるのが一般的であった。ルナ=エマ自身、麦酒を飲んだことなど、数えるほどしか無い。硝子製の盃を手に取ると、その冷たさにルナ=エマは驚いた。盃を合わせ、一口飲む。芳醇な味が口内に広がる。

 

『・・・驚きましたわ。麦酒はあまり飲まないのですが、こんなに美味しいものだったとは』

 

『ターペ=エトフの南部、ルプートア山脈の向こう側には、スティンルーラ族の集落があります。その集落で造られている「エール麦酒」です。従来の黒麦酒とは製法が異なり、苦味と香り、そして旨味に富んでいます。この店では、それを氷で冷やし、お出ししています。お客様にも人気で、こうして繁盛をしています』

 

葉野菜と赤茄子、薄切りにした玉葱に白い液体が掛けられた前菜が出される。ルナ=エマは一口食べて唸った。大抵の場合、野菜には塩と葡萄酢、オリーブ油を掛けるが、この液体からは乾酪(チーズ)の味がした。それが野菜を引立てている。エール麦酒を飲むと、口内がサッパリする。相性が良いのだ。

 

『この店のウリは、料理と酒が楽しめることにあります。そろそろ・・・』

 

扉が叩かれ、給仕が次の料理を運んできた。白い皿の上に、薄く切られた「何か」がある。オリーブ油と葡萄酢などが掛けられている。

 

『オウスト内海で今朝あがった魚です。新鮮なので、生でイケます。葡萄酢で締め、岩塩、オリーブ油、粗挽きの胡椒を掛けています。白葡萄酒でも良いのですが、私は米酒をお薦めしますね』

 

自家製だという透明な酒「米酒」を薦められる。無論、ルナ=エマは米酒など飲んだことはない。魚を生で食べることも初めての経験だ。ルナ=エマは感動していた。これまで多くの晩餐会に出席したが、そこで出されたどんな料理、どんな酒よりも美味であった。酒と食事を進めながら、インドリトはルナ=エマに尋ねた。

 

『そういえば、聖女殿は先生の名前をご存知でしたが、どこでお知りになったのでしょう?レウィニア神権国でお聞きになったのですか?』

 

『いいえ、総本山の記録です。覚えていらっしゃいますか?二十年前、イソラの街にいた「ミライア」という神官騎士を・・・』

 

インドリトが思い出して笑みを浮かべた。ディアンも頷く。食べながら、インドリトはミライアのその後について、ルナ=エマに尋ねた。ミライアはその後、同僚と結婚し、ミライア・テルカという名前になったらしい。現在はカルッシャ王国で幸福に暮らしているようである。

 

『私はその報告書を読み、インドリト王の師「ディアン・ケヒト」という人物に興味を持ちました。ミライアの報告書には「透徹した賢者」とありました。私はてっきり、齢老いた老人だと思っていたのですが・・・』

 

『私はそのような賢者ではありませんよ。ただの「酒場の主人」に過ぎません』

 

『そうは思えません。確かに、当初の想像とは違っていました。ですが貴方を見て、やはりインドリト王の師は貴方であると納得しました。お会いしてまだ二刻と経っていませんが、それだけで十分に解ります。貴方の言葉やしぐさ、何気ない中に見える重厚な完成度・・・私は確信しています。このターペ=エトフの「真の建国者」は、貴方であると・・・』

 

ディアンは真顔になり、口元を布で拭いた。少し口元を歪める。

 

『・・・過剰な評価には恐縮しますが、いささか、我が弟子を甘く見過ぎですな。確かに私は、インドリトに様々なことを教えました。ですが、それを血肉とし、ターペ=エトフを建国したのは現王インドリトです。実際、私はもう十年近く、王宮には行っていないのです。優れた行政官を束ね、元老の方々と話し合い、国を富ませ民を幸福にし、民衆から支持を受け続ける・・・これは全て、インドリト王自身の力です。私は何もしていませんよ』

 

ルナ=エマは沈黙した。インドリトも恐縮している。師からここまで褒められたのは初めてであった。しばしの沈黙の後、ディアンは顔を背け、懐から何かを取り出した。

 

『でゅわっ!』

 

黒色硝子が塡められた眼鏡を掛け、ディアンは顔を向けた。ルナ=エマもインドリトも驚く。ディアンは笑いながら眼鏡を外し、インドリトに渡した。

 

『お前の変装道具だ。顔を知られたくない時に掛けると良い』

 

インドリトは眼鏡を掛けた。光が遮られ、薄暗くなる。

 

『先生・・・有り難いのですが、これでは夜は出歩けませんね。だいたい、こんな眼鏡を掛けていたら、かえって目立ちます』

 

二人は声を上げて笑った。ルナ=エマも釣られて笑う。話題を変えるために、わざと剽げたのだということは、二人も解っていた。笑いながら思った。

 

(やはり、このディアン・ケヒトという人物が、最重要人物です。もっと話を聞かなくては・・・)

 

 

 

 

 

魔神亭での、ささやかながら豊かな晩餐会の翌日、ルナ=エマは元老院の会議を見学した。元老院は、西ケレース地方に住む七大種族から選ばれた、七人の部族代表と国王インドリトを併せた八名が、円卓に座り話し合う会議である。全会一致が原則であり、全員が納得するまで話し合いは続く。会議場に入ったルナ=エマは、壁に掛けられた言葉を読んだ。

 

『万機、公論に決すべし。皆族は一部族の為に、一部族は皆族の為に・・・』

 

『・・・その言葉は、インドリト王の師が考えたものじゃ』

 

年老いた龍人族の男が入ってきた。ルナ=エマは挨拶と詫びを述べた。

 

『マーズテリア神殿のルナ=エマです。フレイシア湾上陸において、龍人族の方々を不安にさせてしまったとお聞きしました。この場を借りて、お詫びを申し上げます』

 

男は手を振って、笑みを浮かべた。

 

『儂らは、古神の眷属じゃ。それゆえ、現神の神殿に煙たがられておる。いや、煙たがられていると「思い込んでいる」のじゃ。現神と言っても、実際には様々な神がいる。先日、イーリュン神殿の神官が集落に来た。皆が警戒していたが、怪我をした子供を治療する姿に、儂らも心を許した。ああした神殿もあるのじゃな』

 

『マーズテリア神殿も同じです。マーズテリア神は、古の女神を妻とされました。それゆえ、七魔神戦争においては「不戦」を貫いたのです。少なくとも、マーズテリア神殿は龍人族の方々を煙たがってはいません』

 

『そうかのう?まぁ、少なくともお主らは、儂らの集落には入らず、そのまま通り過ぎていった。帰る時も、同じようにしてくれると有り難い』

 

『お約束します。龍人族の集落に近づくことはありません』

 

元老院は、当初は多少の緊張も見られたが、やがてルナ=エマの存在を忘れたかのように、白熱した議論となっていた。この日の議論の内容は「教育」についてであった。イーリュン神殿が建てられたことにより、宗教教育についての見直しを行おうとしているのだ。イルビット族の教育庁官が立ち上がり、意見を述べる。

 

『現在、ターペ=エトフでは各宗教の教典を教えていますが、この際、ターペ=エトフ独自の「教材」を作成してはどうかと考えます。神々の教えを一冊にまとめ、挿絵を付けながら解かり易く教えていくのです。参考としてナーサティア神の教えを教材にしてみました』

 

薄い冊子が配られる。ルナ=エマは開いてみて驚いた。読み易い文字と綺麗な挿絵が入り、ナーサティア神が「木精霊(ユイチリ)」の始祖であること。「知の欲望=好奇心」を司り、学びの神であることなどが解かりやすく書かれている。「学びとは、己の無知を徐々に発見していくことである」というナーサティア神殿の格言も入っている。子供はともすると勉強が嫌いだが、こうした教材を使うのであれば、楽しく学べるだろう。だが教義についての書籍は、神殿によって管理されている。明文化されているわけではないが、各国は神殿勢力の影響を考え、宗教に関する書籍を独自に発行することは、禁忌としていた。その点は、会議の中でも憂慮の声が出たが、インドリトが笑って否定した。

 

『我がターペ=エトフは独立国家です。宗教教育の教材にあたっては、国内にある神殿の神官たちとの話し合いは必要でしょう。ですが何故、国外にある神殿の意見まで聞く必要があるのでしょう?文句があるのなら、神殿から公式に抗議の使者を送れば良いのです』

 

『しかし王よ、もしそうなったら・・・』

 

『そうなったら、私から言い返しますよ。そもそも分厚くて読み難い教典を、しかも一部の神官たちが独占している事自体に、問題があるのだと』

 

マーズテリア神殿の聖女が聞いていることをお構いなしに、インドリトはそう言い切った。他の元老たちがルナ=エマを見る。だが、ルナ=エマは少なくとも表面的には、何の変化も無い。インドリトは言葉を続けた。

 

『我がターペ=エトフは、信仰の自由を認めています。これはつまり、どの信仰も公平に扱うということです。国家による教育においては、信仰の偏りは認めません。信仰は良し悪しではありません。その人にとって幸福であれば、それで良いのです。自分は自分の信仰を持つ、他人には他人の信仰がある。お互いの信仰には踏み入らず、協力しあって生きていく・・・このことを徹底して教えて下さい。他人の心を縛る権利は、誰にも無いのです』

 

会議後、ルナ=エマはインドリトに尋ねた。先ほどのインドリトの演説についてである。

 

『王は先ほど、信仰は良し悪しではない、と仰られましたね』

 

『えぇ、少なくとも私は、そう思っています』

 

『ですが、貴国には同時に、法があります。もしその宗教の教義と法が相反した時には、どちらを優先させるのですか?』

 

『当然、「法」を優先させます』

 

インドリトは言葉を続けた。誤解が無いように丁寧に話をしたほうが良いと思ったからだ。

 

『私は、信仰とは、心の平穏を保ち、日々を幸福に生きるために存在すると考えています。しかし、自分が幸福に生きるために、他人を不幸にして良いという考え方は、我がターペ=エトフでは認めません。人は皆、自己の幸福を追求するものです。ですが同時に、人は独りでは生きられないのです。人は集まって、助け合って生きるのです。しかし他人同士が集まれば、考え方の相違などから必然的に対立が生まれます。それを調整するために「法」があり、法を有効にするために「国家」があるのです。つまり国家とは、法を用いて、そこに生きる人々を幸福にするための装置なのす』

 

『大変失礼ですが、あえて言わせて頂きます。国自体が誤る、ということは無いのでしょうか』

 

『当然、あり得ますね。私も自分の判断が正しいのかどうか、常に問いかけ続けています。ですが、誤るかもしれないから、間違えるかもしれないからという理由で、国家を否定するのは飛躍のし過ぎだと思います。誤ら無いように為政者が努力し、誤ったら原因を見つけ、すぐに是正すれば良いのです。人は神ではありませんから、間違いもあるでしょう。大切なことは、それを是正することが出来るかどうかなのです』

 

『インドリト王は、自分が正しいとは思っていらっしゃらないのですか?』

 

『正しいと思っていますよ。ですが同時に、正しさとは人の数だけ存在するとも、思っています。私一人を絶対として、国家を運営すれば、私が間違えた時に誰が是正するのです?私は自分の判断に自信を持っていますが、「絶対に間違えない」などという思い上りは持っていません。だからターペ=エトフでは、様々な「正しさ」を認めているのです。それをお互いに開示し合い、話し合い、より正しい答えを見つける。そのために「元老院」があるのです』

 

『・・・大変貴重なお話をお伺いしました。お時間を頂き、有難うございました』

 

インドリトは笑って頷き、議場を後にした。

 

 

 

 

 

ただ独り残ったルナ=エマはしばらく沈思し、呟いた。

 

『この国は・・・危険です』

 

「ヴァスタール神を信仰する闇夜の眷属と、ガーベル神を信仰するドワーフ族が生きるために、光と闇の神殿を並べる」 この程度の理由であれば、マーズテリア神殿や他の神殿たちも受け入れるだろう。だがターペ=エトフの基本理念は、そんな水準では無かった。インドリト王は、「信仰心」というものを客観的に、冷徹に見通している。信仰を個の中に留まらせ、多様な信仰を並列させることで、国家と宗教を分離させている。そしてターペ=エトフでは、これが民衆たちにも受け入れられ、当たり前となりつつある。その結果、民族間の信仰上の対立が回避され、互いに得意とするところを持ちより、豊かな国家を形成しているのである。

 

(マーズテリア神殿は、教皇猊下を頂点とした上意下達の組織です。猊下の判断が絶対であり、二十万を超えるマーズテリア神兵たちも、それで動きます。他の神殿も、多かれ少なかれ、そのような組織になっている。ですがターペ=エトフは、それとは真逆の思想によって成功を収めている。各民族の判断を尊重し、上意と下意の融合を図ることで、より良い国家を作っている。もし、この国家形態を全ての国々が模倣したら・・・)

 

そう考え、ルナ=エマはゾッとした。それはすなわち、ラウルバーシュ大陸から「現神」が排除されることに繋がりかねないからである。進歩などというものではない。それは「革命」とも言えることであった。そして何より危険なのは、聖女である自分自身でさえ、インドリト王やこの国の形を「間違い」と言い切れないことにあった。

 

『ディアン・ケヒト殿に会いましょう。彼は恐らく、全てを見越して、この国を設計した。彼の真意を確かめねば・・・』

 

 

 

 




【次話予告】
次話は8月4日(木)22時アップ予定です。

ルナ=エマは、ディアン・ケヒトの家を訪れた。インドリトに危険思想を植え付けた張本人に、その真意を確認するためである。彼女の、後の運命を決定づけた、三日間が始まる。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第五十四話「信仰と信仰心」

Ihr stürzt nieder, Millionen?
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星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住みたもう・・・


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第五十四話:信仰と信仰心

マーズテリア神殿は、教皇ウィレンシヌスの代で、その最盛期を迎える。ウィレンシヌスは徳が篤く、「融和と対話」を打ち出し、多くの国々から支持を集める。そして、そのウィレンシヌスの片腕として、各国への外交を担当したのが、マーズテリア神殿聖女「ルナ=クリア」である。ルナ=クリアは、マーズテリア神殿聖女でありながら、闇神殿などにも造詣が深く、その思想は「光神殿の聖女」という枠に囚われないものであった。特に、アヴァタール地方に誕生した災厄の種「神殺し」に対する柔軟な姿勢は、ラウルバーシュ大陸中原の歴史に大きな影響を与えたと言われている。

 

ルナ=クリアのこうした姿勢が、何処で培われたかについては議論がある。ルナ=クリアは、神官長の娘として誕生したが、生まれながらに強い魔力を持ち、幼い頃から聡明な判断力を示していたと伝えられている。単に早熟な女性であったのか、それとも何らかの力が働いていたのか、ルナ=クリアはその一切を語ること無く、この世を去ったため、全ては闇の中である。

 

ただ、聖女として就任した当初のルナ=クリアを識る者として、マーズテリア神殿聖騎士「エルヴィン・テルカ」の証言が残されており、後世の歴史家たちを悩ませている。

 

・・・聖女殿は、教皇猊下の許可のもと、神殿奥の「秘密文書館」に篭っている。既に二日が経過しているが、彼女が出てくる気配はない。一体、何をそこまで気にしているのだろうか。現在、ケレース地方には魔神が国を興し、ターペ=エトフと戦争をしている。現在は、ターペ=エトフ側が優勢だそうだが、その影響はアヴァタール地方やレスペレント地方にまで広がっており、マーズテリア神殿としても動く必要があるだろう。猊下からも、いつでも軍を動かせるように、との御指示があった。どうやら聖女殿は、前聖女であった「ルナ=エマ」の日記を読んでいるようである。前聖女があの様な顛末を迎えられたため、同じ轍を踏まないように、との判断だと思われる・・・

 

・・・聖女殿が文書館から姿を顕した。その顔色に、私は思わず息を呑んだ。一体、何があったのだろうか。聖女殿はその足で、猊下の元に向かい、長時間の話し合いを持ったそうである。そして今日、猊下の御聖断が降りてきた。ケレース地方で起きている戦争には、一切介入せず、という御聖断である。猊下の御判断に口を挟むつもりはないが、あの地には、イソラ王国にマーズテリア神殿があり、ターペ=エトフ首都プレメルには他の光神殿もあるのだ。万一にも、魔神があの地を治めたら、大陸中原に大きな災厄が起きかねない。私はそれとなく、聖女殿に真意を尋ねた。聖女殿は一言、こう言われた・・・

 

「ターペ=エトフは滅びなければならないのです」

 

聖女ルナ=クリアが、なぜこのような結論に達したのか、その答えもまた、闇の彼方となっている。

 

 

 

 

 

魔神亭店主に面会を求めたルナ=エマは、約束の日時にプレメル郊外にあるディアン・ケヒトの家に向かった。森の中を緩やかな上り坂が続く。ルナ=エマは、神官騎士二名と共に、その坂を馬で登った。穏やかな森を抜けると、見晴らしの良い開けた土地に出る。山を背に、石と木で出来た家が二棟、建てられていた。何箇所かに畑があり、木の柵で囲まれている。山にも段々畑があり、香草類などが植えられているのが見えた。三人は馬を降り、家に向かう。獣人族の男女が出てきた。魔神亭で働いていた給仕である。

 

『こんにちわ、先生をお訪ねですね。馬をお預かりします』

 

水飲み場と餌場に連れて行くようである。ルナ=エマは質問をした。

 

『あなた達は、魔神亭で働いている人だと思いますが、ここで暮らしているのですか?』

 

『私たちは、もともとは奴隷だったのです。御主人様が私たちを買い、首輪を外してくれました。この家で一緒に過ごし、読み書きを教えて下さっています。あ・・・ 御主人様、なんて言うと叱られてしまうので、聞かなかったことにして下さい』

 

ルナ=エマは笑って頷いた。ターペ=エトフでは奴隷売買は厳しく禁じられているそうである。だがその法にも例外があった。「奴隷解放」を目的とするならば、その限りではない、とされている。実際、ターペ=エトフの行政府も、ラギール商会を通じて奴隷を買い、国民として受け入れて、軍属などにしている。ただ開放するのではなく、生きるための知識や技術をしっかりと教え、さらに仕事まで与えているのである。奴隷たちから見れば、理想的な主人だろう。庭先で、金髪の美女が木刀を構えていた。獣人の男と向き合っている。真剣そのものの気配だ。男が打ち込むと、女は簡単に弾き返した。

 

『私に打ち込めるほどに、気を掌握しましたね。十分に、兵士としてやっていけます。今日をもって、卒業とします』

 

男は肩を震わせながら、一礼をした。既にまとめてある荷物を持つ。亭主が姿を見せた。男に袋を渡し、肩を叩く。

 

『当面の生活費だ。ファーミシルス元帥には、既に話をしてある。お前はいきなり、隊長に抜擢されるだろう。戸惑いや迷いもあるだろうが、お前は決して、独りではない。迷ったら、ここで過ごした一年を思い出しなさい。答えは必ず、見つかるはずだ』

 

男はディアンに抱きつき、そして家を後にしていった。その様子を眺めるルナ=エマに向かって、亭主が一礼した。

 

 

 

 

 

『先ほどの獣人の方も、もともとは奴隷だったのですか?』

 

ディアンに歩み寄りながら、ルナ=エマは尋ねた。ディアンは笑いながら頷いた。

 

『獣人族、ヴァリ=エルフ族、そして半魔人・・・奴隷の多くは、亜人族や闇夜の眷属たちです。ターペ=エトフは、そうした奴隷たちを買い、解放しています。ラギール商会も、奴隷売買では一切の利益を得ていません。六歳以下の児童は、そのまま各種族に養子に出されます。学校で普通に学び、大人へと成長するのです。ですが、成人の奴隷も中にはいます。その場合は、軍で受け入れて教育をしたりします。私も何人かを受け入れ、修行をつけているのです』

 

『インドリト王と同じように?』

 

『この家で、インドリトは八年を過ごしました。私は鍛冶技術を持っていません。ですが剣術と魔術には、些かの自信があります。また、読み書きや計算といった、生きるための知識、知恵も教えることが出来ます。共に畑を耕し、狩りをし、器を焼き・・・そうした生活をインドリトもしました』

 

『そして、貴方の考え方、価値観に染まっていった。インドリト王の思想は、貴方が植え付けたものですね?』

 

ディアンはルナ=エマに顔を向けた。その表情は穏やかだが、瞳には多少の感情が混じっている。

 

『聖女殿・・・ いまの言葉は、人というものをバカにしていますね。「思想を植え付ける」ことなど、誰にも出来ません。多様な考え方、価値観の中から、自己判断によって「選択」するのです。インドリトは、自分の意志で思想を作り上げ、自分の意志で王になったのです。環境的な要因は確かにあるのでしょうが、貧しくとも盗賊に身を貶さずに生きる者もいるのです。「在り方」は、自分で決めることであり、自分でしか決められないことなのです』

 

『・・・私の失言でした。ただ、インドリト王に影響を与えたのでは、と思ったのです』

 

『まぁ、それはあるかも知れませんね』

 

ディアンは肩を竦め、ルナ=エマを家に案内した。

 

 

 

 

 

濃い紅色の茶と、焼き菓子が出される。ルナ=エマはディアンの書斎にいた。壁一面を本が占めている。冒険譚から魔道書まで、その種類は豊富だ。部屋の奥は、研究室になっているようである。ルナ=エマは、まず自分の疑問をディアンに尋ねた。全身を纏う魔力についてである。ディアンの答えは簡単であった。

 

『私の店の名は「魔神亭」です。その名の通り、私は魔神なんですよ。ですから、魔の気配を抑えるために、こうして魔力を身に纏っているのです』

 

冗談としか思えなかった。魔神が畑を耕し、森で狩りをし、奴隷を教育し、飲食店を経営しているなど、あり得ないことである。ルナ=エマは思わず、笑ってしまった。ディアンも笑う。冗談で誤魔化されたルナ=エマは、自分で推測をするしか無かった。

 

(おそらくは、半魔人なのでしょう。魔の気配を抑える、というのは事実でしょう。ですがむしろ、魔術師としての修行の一環、と考えられますね。剣術と魔術の両方を極めるなど、常人には不可能でしょうが、寿命の長い半魔人なら、可能かもしれません)

 

ローズヒップの茶を飲みながら、ディアンはこの家での暮らしを話した。

 

『東方から来た技術者に、稲作法を教えてもらいましてね。この家で、米酒を造っています。その他の酒も、ここで造っているのです。後で、ご案内しましょう』

 

『ありがとうございます。それで、本日お訪ねしましたのは・・・』

 

聖女が本題を切り出した。

 

 

 

 

 

『ターペ=エトフに来て、私は驚きました。皆が自分自身の信仰を持ちながらも、異なる信仰を認め合っているからです。この地に来るまで、私は「信仰の自由」とはどのようなものか、想像ができなかったのです』

 

『西方諸国では、国と信仰が一体となった「宗教国家」が多いそうですね。国教を定め、国民全員が一つの宗教を信仰すれば、宗教自体が国家の求心力になります。そうした国の在り方も、あって良いとは思いますが、ケレース地方には馴染みません。この地は様々な種族が住んでいます。各種族の信仰を尊重しなければ、一つの国家にまとまらないのです』

 

『確かに、理屈としては理解出来ますが、何と申し上げれば良いのでしょう。感覚的と言いますか・・・』

 

ディアンは笑って手を上げ、ルナ=エマを止めた。

 

『あなたはマーズテリア神殿の聖女です。マーズテリア神の神格者として、一心に信仰を続ければそれで良いのです。他の宗教など知る必要がありません。ただ、この世界には様々な宗教があり、自分とは異なる信仰を持つ者もいる。それだけを理解していればそれで良いのです』

 

『・・・あなたにも、信仰はあるのですか?』

 

『ありますよ。「ディアン教」という宗教です。ディアン・ケヒトという神を信仰しています。今のところ、信者は私一人ですが・・・』

 

『自分自身を「神」だと言うのですか?』

 

『私は魔神ですからね』

 

ディアンは肩を竦めて笑った。だがルナ=エマは笑うことが出来なかった。「己を神とする」ということは、あらゆる宗教からの自立を意味する。神に頼るのではなく、己自身の足で大地に立ち、歩み続ける・・・ 正にこれこそが、ターペ=エトフの本質ではないか? ルナ=エマは元老院でインドリトから聴いた話をした。

 

『インドリト王の話を聴いて、私の中で漠然とした不安が過ぎりました。インドリト王は「信仰」を客観視し、それを個々人の中に留めることで、社会と信仰を分離させています。ターペ=エトフでは、社会秩序は信仰ではなく「法」によって維持されています。現神への信仰よりも国家が定める法が優先される、と仰られました。これを突き詰めると、法を守るのならば、信仰など無くても良い、あるいは「己を神としても良い」となるのではありませんか?』

 

『そうですね。インドリトも同じことを言ったと思いますが、私は信仰というものを「道具」だと考えています。信仰によって幸福が得られるのであれば、信仰を持てば良い。幸福が得られないのであれば、無理をして、何かの神を信じなくても良いのです。「無信仰」で良いではありませんか』

 

『ターペ=エトフは、平和と豊かさに満ちています。日々の中で仕事があり、豊かな生活があり、気の合う友に囲まれる・・・信仰を持たなくても、幸福に暮らせるのかも知れませんね』

 

ルナ=エマの問いかけに、ディアンは応えなかった。立ち上がり、棚に並んでいる硝子瓶と杯を手にする。琥珀色の液体を注ぎ、ルナ=エマに差し出す。

 

『ターペ=エトフ産の酒です。少し強いですが、美味いですよ。どうぞ・・・』

 

ルナ=エマは一口飲んで、咽た。これまで飲んだどの酒よりも強い。ディアンは笑って、ルナ=エマの杯に水を注いだ。水で割ることで、飲み易くなる。

 

『・・・確かにターペ=エトフの国民たちは、幸福に暮らしています。ですが、信仰心を失っているわけではありません。ルナ=エマ殿、あなたは「信仰」と「信仰心」を混同しているのではありませんか?』

 

『どういうことでしょう?大変興味深いお話です』

 

『「信仰心」の原点は、どこにあると思いますか?人間族も亜人族も、みなに共通している点があります。山海の恵みに感謝し、空の雷に慄き、親兄弟、あるいは異性に対して愛情を持ち、気の合う仲間に友情を感じ、生きているという「奇跡」の中で、いつか迎える「死」に原始的な不安を持つ・・・ 信仰心の原点は、この壮大な世界の中で確かに生きている、という「奇跡への感謝」と、その奇跡がいつの日か終わってしまうという「死への恐怖」です。これは生きとし生けるモノ全てが持っています。犬や猫でさえも、死への恐怖心を持っているのです。そして人間族や亜人族たちは、そうした不安を抱えながらも、限られた生を精一杯、輝かせるために「信仰心」という心の機能を獲得しました』

 

『それは理解できます。現神はそうした人々の心に対して、救いを差し伸べています。光と闇とでは対象は違うでしょうが・・・』

 

『そう、その点です。現神も古神もそうですが、「生死に対する感謝と恐怖」という人の心の揺らぎを「言葉」によって具現化し、それに対する「解」を提示することで信仰を得ています。つまり人が持つ「信仰心」に影響を与えることで「信仰」を得るのです。光も闇も古神も、教えの内容などは違いますが基本構造は変わりません』

 

『人間族も、亜人族も「信仰心」を持っている。その信仰心が、特定の「何か」に向いた時に、それを「信仰」と呼ぶ・・・そう仰りたいとのでしょうか?』

 

『正にその通りです。信仰心とは「名詞」なんです。肉や野菜と同じです。ですが信仰は「動詞」なんです。具体的な動きを指す言葉なのです』

 

『その・・・まだ理解できないのですが、信仰心が信仰という具体的な行動に繋がる、というわけではないのですか?』

 

『いいえ、信仰心が信仰という行動に繋がります。私が言いたいのは信仰心に対する救いは、なんでも良いということです。その人にとって「救い」ならばね。先程も言ったとおり、心の揺らぎを言葉によって具現化し、その解を提示するのが宗教です。ならば、自分自身の力で具現化して、自分自身で解を導き出しても良いわけです。神を頼らずにね。信仰心は誰しもが持っています。ですが、信仰の行き先は人それぞれなのです。それを縛る権利は、誰にもありません。古神を信仰することで救われるのであれば、どうぞ信仰すれば良いのです』

 

ルナ=エマは、自分の心に揺らぎを感じた。この男の言葉は、自分の何かを揺さぶるものである。そしてそれは、大変に危険なことのように感じた。目の前の男が笑う。

 

『あなたはマーズテリア神の聖女です。マーズテリア神を信仰することで、救われているのでしょう?あなた個人が幸福なら、それで良いではありませんか。「信じる者は救われる」のですよ。同様に、龍人族や闇夜の眷属たちが何を信仰しようとも、あなたには関係のないことです。そこに下手に踏み入ろうとすると、自分自身の信仰をも、見失いかねませんよ?』

 

『す、少し考えたいと思います。大変、貴重なお話でした。今日はもう夕暮れですので、また明日、お話を聞かせて下さい』

 

『いつでも・・・』

 

ディアンは笑って立ち上がった。

 

 

 

 

ディアン邸を出て、プレメルの街に続く緩やかな下り坂を下りながら、ルナ=エマは振り返っていた。

 

・・・その人物は、貴女にとって危険な存在かも知れません・・・

 

水の巫女に言われた警告を思い出す。あの時はさして深く考えなかったが、今となっては理解できる。ディアン・ケヒトの言葉は、まるで魔術であった。マーズテリア神に対する自分の信仰は揺るがない、それは今でも言い切れる。だが男の言葉には、信仰心とは別の何かを揺さぶっていた。それが何なのか、じっくりと振り返る必要を感じていた。

 

(水の巫女は、あの男の「言葉の力」を知っていたのでしょう。だから危険だと言ったに違いありません。それにしても、まさかあのような男がいるとは・・・)

 

自らを「神」と称する男。信仰と信仰心について、神の立場から解き明かして見せ、その上で聖女である自分に対し「あなた個人が幸福ならマーズテリア神を信じれば良い」と言ってのけた男。思い上がりも甚だしいと思う反面、あの男の言葉は否定出来ないと思っている自分もいた。このような「揺らぎ」は、初めての経験であった。

 

『・・・これも、私の与えられた試練なのかもしれません。明日、再びあの男を訪ねましょう』

 

夕日の中で、ルナ=エマは呟いた。

 

 

 

 




【次話予告】
次話は8月5日(金)22時アップ予定です。

自身の揺らぎを感じつつ、ルナ=エマは再びディアンの元を訪れる。二人の話は、現神神殿の在り方について踏み込み始めた。それは彼女の何かを変えるものであった。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第五十五話「神、教義、神殿」

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

ひざまずくか、諸人よ?
創造主を感じるか、世界よ
星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住みたもう・・・


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第五十五話:神、教義、神殿

七魔神戦争以降、現神神殿は西方諸国を中心に、確固とした地位を確立した。「光と闇の代理戦争」と言われたマサラ魔族国を巡る争いなども発生したが、フェミリンス戦争以降の国家形成期においては、西方から中原にかけて、神殿勢力が伸長し、各国に強い影響を与えている。光の現神たちは、各王国の中で棲み分けられ、王族や貴族層にはアークリオン神殿が、騎士団や軍へはマーズテリア神殿やバリハルト神殿が影響力を持っている。ネイ=ステリナ三大種族であるエルフ族、ドワーフ族、獣人族たちはそれぞれに己の生存圏を持ち、その中で慎ましく生きるのに対し、人間族は生存圏拡張に意欲的であり、ラウルバーシュ大陸内でも最大の生存圏を持っている。そのため特に光神殿は、人間族への布教に熱を入れている。

 

一方で、その布教活動が時として災厄を生み出すこともある。その代表例がセアール地方南部で起きた「マクル動乱」であろう。マクル動乱は、セアール地方北方に広がっていたバリハルト神殿勢力が南下し、ブレニア内海沿岸部の肥沃な地帯に住んでいた先住民「スティンルーラ族」を追い出したことから始まる。スティンルーラ族は反発し、セアール人とスティンルーラ人とで激しい争いとなった。約百年に渡って続いたセアール地方南部を巡る勢力争いは、バリハルト神殿の暴走を引き起こし、神殿の崩壊とバリハルト勢力の衰退によって決着するのである。

 

後世、メルキア帝国皇帝ヴァイスハイト・フィズ=メルキアーナは「政教分離」を宣言し、神殿勢力が国政に影響を与えることを禁止している。無論、神殿勢力はこの決定に反発し、メルキア帝国内で幾つかの混乱が起きたが、ヴァイスハイトは古神信仰こそ認めなかったものの、光闇双方の信仰を認め、信仰の自由を保証することで、一定の安定をみるのである。

 

メルキア帝国において政教分離政策が実現できたのは、皇帝ヴァイスハイト治世において、メルキア帝国はラウルバーシュ大陸最大の帝国であり、その勢力圏内にはエルフ族、獣人族、ドワーフ族、闇夜の眷属など多様な種族が存在したため、国教を定めた場合は、帝国分裂を呼びかねなかったからである。皇帝ヴァイスハイトが信仰の自由を宣言した文章が残されている。

 

・・・かつて、ケレース地方に「理想郷」と呼ばれた国家が存在した。その国では、多様な種族が暮らし、それぞれの信仰を守りつつ、互いに助けあって平和に暮らしていたそうである。我がメルキア帝国も、広大な国土を持ち、多様な種族が暮らしている。予は考えた。皆が平和に、豊かに暮らすためにどうすれば良いか。「古きを温め、新しきを知る」という言葉もある。メルキア帝国の永遠の繁栄のために、古の先例に倣うものである・・・

 

皇帝ヴァイスハイトがターペ=エトフを参考にしたのは、正室である「フェルアノ・ラナハイム=メルキアーナ」の助言と言われているが、数多ある仮説の中の一つに過ぎない。

 

 

 

 

 

しとしとと降る雨の中、ルナ=エマは二人の護衛とともに坂道を登っていた。雲は厚みを増している。雨足はこれから強まりそうであった。午前中は畑仕事があるので、午後に訪問をして欲しいと言われていた。だがこのままでは、帰り道は雷雨の中を歩くことになる。家の前で、獣人の少女が傘を差して待っていた。ルナ=エマの側に駆け寄り、手綱を握る。礼を述べるルナ=エマに少女は笑顔で返した。軒下で外套を脱ぎ、叩扉するとすぐに戸が開けられる。ヴァリ=エルフの美しい女性が出迎えてくれた。この女性も、尋常ならざる強さを持っている。昨日、稽古をつけていた女性と、ほぼ同等だろう。躰からは微妙に魔力が上っている。

 

『有難うございます。ディアン・ケヒト殿にお時間を頂きたいのですが』

 

『話は聞いている。ディアンは今、畑で収穫をしている。少しお待ち頂きたい。熱い茶を入れよう・・・』

 

護衛の騎士二人とともに、別室に通された。自分の前を歩くヴァリ=エルフに尋ねる。

 

『昨日の女性もそうでしたが、あなたも人とは思えないほどに強いのですね』

 

『私はヴァリ=エルフだ。人間より強いのは当たり前だ。ディアンには敵わないがな』

 

『ディアン・ケヒト殿は、それほどにお強いのですか?』

 

『当然だ。魔神だからな』

 

ルナ=エマはそれ以上は質問しなかった。確かに目の前の女は、「魔神の使徒」と思えるほどに強い。だが、どうしてもディアン・ケヒトが魔神とは思えなかった。目の前に香気を放つ茶が置かれる。ヴァリ=エルフの女は一礼して姿を消した。騎士の一人が、ルナ=エマに話しかける。

 

『聖女様、本日はどのくらい、話をするおつもりですか?時間によっては、帰りが大変になります』

 

雨足が強くなるようである。ルナ=エマが応えようとすると、ガタガタと音がした。ディアンが戻ってきたのだ。

 

『やれやれ、今日はもう出歩きたくは無いな。ジル、野菜は(くりや)に運んでおいてくれ。今夜はカレーにしよう』

 

ジルという獣人の少年が、嬉しそうに野菜を厨房に運ぶ姿が見えた。外套を壁に掛けた主人が、部屋に入ってきた。

 

『ルナ=エマ殿、お待たせをして申し訳ない。足元が悪い中、再び訪ねて下さるとは光栄です』

 

『昨日のお話の続きをしたいのです。お時間を頂けませんか?』

 

『今日はもう出歩くつもりはありません。休店日でもありますしね。今夜は我が家にお泊まり下さい。客室は二つありますので、騎士の方々もどうぞ』

 

『宜しいのですか?』

 

『この雨は夜半まで続くでしょう。恐らく雷雨になります。万一にも、聖女殿が落雷に撃たれたとあっては、私はインドリトに首を刎ねられるしょう。お願いですから、今夜はお泊まり下さい』

 

冗談交じりの言葉に、ルナ=エマも笑顔で頷いた。厩戸から戻った少女に、ディアンは客室を用意するよう、指示を出した。

 

『これから夕食の支度があります。食事後に話をしましょう』

 

ディアンはそう言うと、厨へと向かった。

 

 

 

 

 

『こ、これは何という料理ですか?辛いのですが、とても美味しいです』

 

ルナ=エマは驚いた表情でディアンに尋ねた。

 

『これはカレーという料理です。ラウルバーシュ大陸の中央部、タミル地方の料理を私なりに工夫したものです』

 

金髪と銀髪の美しい女性のほか、獣人の子供二人も同じ食卓につく。ルナ=エマや護衛の騎士たちも同じだ。騎士たちは最初こそ恐縮していたが、カレーの味に夢中になったようだ。あっという間に皿が空になる。獣人の少女が手を伸ばす。

 

『おかわりならあります。先生、良いでしょう?』

 

『あぁ、あなた方も遠慮をすることはない。騎士ならば人一倍食べて当然だ。遠慮無くどうぞ。ミユ、多めによそってあげなさい』

 

『き、恐縮です!』

 

冷えたエール麦酒を飲みながら、美しい女性二人もカレーを口に運んでいる。食卓の上には、カレー以外にも野菜類を盛った器や、豚足のスープがある。ルナ=エマはディアンに尋ねた。

 

『私たちの為に、このような贅沢な料理をご用意下さったのですか?それであれば、大変心苦しいのですが・・・』

 

『いや、この家ではこうした料理が普通なのです。カレーの原料である香辛料類も、裏の畑で栽培したものです。この野菜もそうです。肉や麦酒は、プレメルの市場で仕入れたものですが、大した値段ではありません。ターペ=エトフでは、ほぼ全ての家庭でこの程度の食事はしているはずです』

 

『インドリト王も?』

 

『インドリトはカレーと麦酒の組み合わせが大好物です。確か以前、三日連続でカレーだったそうで、王宮内でも話題になったそうですよ』

 

『違うわ。四日よ。まったく、あなたがインドリトにカレーを教えたせいで、王宮内でも香辛料が植えられたそうじゃない。ギムリなんて、最初はクシャミが止まらなかったそうよ?』

 

金髪の女「レイナ」が笑いながら訂正をする。その様子を見ながら、ルナ=エマは思った。

 

(やはりどう見ても、魔神と使徒の関係とは思えません。まるで夫婦か恋人同士です)

 

 

 

 

 

食後、ルナ=エマは用意された客室に通された。程よく広い寝台と机、椅子が置かれた部屋である。騎士たちも同じような部屋に通されているのだろう。綺羅びやかさは無いが、質実さがある。まるでディアン・ケヒトという人間を表しているようである。叩扉されたので戸を開けると、レイナが立っていた。

 

『驚いたわ。まさか風呂があるなんて・・・』

 

広めの露天風呂に浸かり、ルナ=エマは目を閉じた。確かに一つ一つに綺羅びやかさは無い。西方には「金箔の風呂」などもある。だがルナ=エマは思った。本当の贅沢とは、このようなことを言うのではないか?雨音しかしない静かな中で、ルナ=エマは溜息をついた。風呂から上がり、用意された室内着に着替える。刺繍も何もないが、絹製である。そのまま、主人の部屋に向かう。叩扉をし、扉を開けるとディアンが机に向かって本を読んでいた。夢中のようで、ルナ=エマに気づいていない。時折、紙に書きつけていく。

 

『・・・このやり方でも無理か。他の解呪法を探さねば・・・』

 

ブツブツと呟く背中に声を掛けると、驚いたように振り返った。

 

『これは・・・大変失礼をしました』

 

少し見えた頁には、呪術陣が描かれていた。どうやら魔導書を読んでいたようである。ディアンは本を閉じ、ルナ=エマを椅子に案内した。脇机には、葡萄酒の瓶が置かれていた。その隣には、葡萄酒に合わせた料理が置かれている。

 

『この森で採れた茸をオリーブ油で漬けたものです。その緑色の豆は、未成熟の大豆を蒸し、岩塩と胡椒を掛けました。赤葡萄酒に良く合います』

 

『聞いているだけで美味しそうに思えますね。この土地で採れたものに手間を掛けることで、贅沢な料理にしている。今日の饗しは忘れられません。本当の贅沢とは何かを教えて頂きました』

 

『西方では、贅沢な料理として純金の器を使ったりするそうですね。私から言わせれば、虚飾の極みです。料理は味です。私なら、純金の器に盛った不味い料理より、素焼きの器に盛った美味い料理を選びますね』

 

『まったくその通りですわね』

 

ルナ=エマは椅子に座った。ディアン・ケヒトとの対談が始まった。

 

 

 

 

 

『昨日のお話の続きなのですが、あなたはこう仰りました。信仰と信仰心は違う。信仰心の行き先について、他者が縛ることは出来ないと・・・』

 

『私はそう思っています。勿論、違う見解もあるでしょうがね』

 

『その話を聞いた時に、私の中で漠然とした不安が広がりました。何かが揺すられたような気持ちになったのです。ですが、それが何なのか、未だに解らないのです』

 

『・・・ルナ=エマ殿、目的を履き違えていませんか?あなたは教皇の付託を受け、ターペ=エトフを見聞に来たのでしょう?ディアン・ケヒトという男が、インドリト王の師である。その男の入れ知恵によって、インドリト王は国を興した。多様な種族を一つの国として束ねるために、信仰の自由を保証する必要があった。その結果、種族同士が争うこと無く、互いの信仰に踏み入らず、ターペ=エトフでは皆が幸福に暮らしている・・・そう報告すれば、それで終わりではありませんか?あなたの目的は「見聞」であって、あなた自身の信仰を見つめることでは無いはずです』

 

ルナ=エマは沈黙した。ディアン・ケヒトの言うとおりであった。この男の思想は理解できた。インドリト王はその影響を強く受けている。確かにターペ=エトフの在り様は、下手をしたら現神勢力を弱らせるものであった。だがインドリト王は、その思想を広げようとは考えていない。目の前の男も、その思想を自分に押し付けようとはしていない。ターペ=エトフの中で、皆が幸福に暮らせばそれで良いと考えている。つまり「ターペ=エトフの国内事情」として片付けることが出来る話であった。だがルナ=エマは踏み込まざるを得なかった。この揺らぎを持ち帰ることは出来ない。

 

『あなたの言いたいことは、解っています。ですが私は一人の信徒として、自らの信仰の揺らぎを持ち帰るわけにはいかないのです』

 

ディアンは少し目を細め、小さく息をついた。そして徐ろに切り出した。

 

『ルナ=エマ殿、あなたが信仰しているのは、マーズテリア神自身ですか?マーズテリア神の教えですか?それともマーズテリア神殿ですか?あなたの信仰心はどこに向かっているのですか?』

 

質問を理解するのに、ルナ=エマは数瞬を要した。ディアンは言葉を続けた。

 

『例えば、ここに一人の男がいるとします。その男に、三人の愛人がいたとしましょう。四人は大きな屋敷に住み、豊かな生活を送っています。ある旅人が、その屋敷に滞在をした時、三人の愛人に尋ねました。「男のどこに惹かれたのか?」と。一人はこう答えました。「彼は外見も性格も良く、とても優しい。男としての彼に惹かれたのです」。別の一人はこう答えました。「彼の知識、知性、思想は私を魅了しています。知識人として、思想家としての彼に惹かれたのです」。最後の一人はこう答えました。「この屋敷を見て下さい。広い家で何不自由なく暮らしていける。財産家としての彼に惹かれたのです」・・・』

 

ルナ=エマは躊躇なく答えた。

 

『もちろん、マーズテリア神の教えです。「強きは、弱きを援けねばならない」「力有る者は大きな責任を負う」・・・マーズテリア神は、現神の中で最も強い力を持ちながらも、いたずらに暴力を振るわず。弱者を援ける情け深い神です。マーズテリア神の教えには、マーズテリア神自身のそうした価値観、思想が反映されています。私はその教えを信仰しています』

 

『なるほど、ではマーズテリア神殿がケレース地方に進出し、イソラの街を作ったのは何故でしょう?マーズテリア神の教えに、そのようなことがありましたか?』

 

『教え自体にはありません。ですが、その教えの「実践」として、ケレース地方に人間族が暮らせる街をと、進出をしたのです』

 

『そう、それこそが問題なのです。教義とは、神の思想を言葉として「普遍化」したものです。つまりそこには、翻訳者の意図が入っています。まして、その教義に基いた「実践」となれば、それは教義の「解釈」によって大きく変わります。イソラの街を作るという判断をしたのは、マーズテリア神ではなく、マーズテリア神殿です。マーズテリア神殿はどのような「解釈」に基づいて、イソラの街建設という「実践」を行ったのでしょう?』

 

ルナ=エマは、自分の中に微妙な「揺れ」を感じていた。だがそれを無視して、ディアンの問いに答える。

 

『マーズテリア神の教えの中にはこうあります。「秩序とは、己の行き先、己の欲するところを識ることから生まれる」・・・ですがそのためには、己自身を省みる必要があります。省みる基準が必要なのです。ケレース地方は様々な種族が生きる混沌とした地です。その基準を示す必要がある、神殿はそう考えたのです』

 

ディアンは低く笑った。かつて問答をした神官騎士ミライア・ローレンスの言葉を思い出していた。

 

『二十年前、ミライア殿も似たようなことを言っていました。「混沌とした地に、秩序を齎す」とね。誰から見て、混沌なのですか?誰のための秩序なのですか?ケレース地方は混沌などしていません。それぞれの種族が、互いの領分を守りながら、それぞれ幸福に生きています。あなたから見て、このターペ=エトフは混沌としていますか?』

 

『いいえ、インドリト王と元老院の下、皆が幸福に生きていると思います』

 

『この国では、信仰の自由という思想と法に基づいて、皆がそれぞれに棲み分けながら、幸福に生きています。そこにあなた方が出現した。プレメルの住人たちが、家々に隠れたのを見たでしょう。この国では、あなた方こそが、「秩序を乱す者」「混沌の原因」なのですよ』

 

『・・・私たちが「悪」だと仰りたいのですか?』

 

『正確に言うなら、あなた方の「実践」が、いたずらに混沌を引き起こしている、ということです。良いですか、マーズテリア神がどのような思想を持とうが、それはマーズテリア神の自由です。あなたが、マーズテリア神の思想に惹かれ、その思想で生きるのも、あなたの自由です。ですが、実践という具体的な行動は、他者を考えなければなりません。マーズテリア神の教義が絶対であり、それに従わないものは「悪」と決めつけ、相手に押し付けるのであれば、あなたを「悪」と断言しますよ。この、ターペ=エトフではね・・・』

 

ディアンの言葉は、ルナ=エマを大きく揺さぶっていた。自分がこの地に来たのは、マーズテリア神殿の頂点に立つ「教皇」からの使命によるものだ。ターペ=エトフの国是である「信仰の自由」と、その実践である「古神をも容認する」という姿勢が、光神殿にとって危険と思われたからである。だがそれは、マーズテリア神殿の考え方、立場から見たものである。ターペ=エトフがマーズテリア神殿に害を為したわけでも無い。となれば、ターペ=エトフ側から見れば「信仰の押し付け」と感じても仕方が無いだろう。ルナ=エマは、言葉を選びながら、ディアンに尋ねた。

 

『つまり、あなたはこう仰りたいのですか?「神」「教義」「実践」は、分けて考えるべきだと・・・』

 

ディアンは小さく拍手をした。

 

『ようやく、噛み合いましたね。最初の質問を覚えていますか?マーズテリア神を信仰するのか、教えを信仰するのか、神殿を信仰するのか・・・あなたは教えを信仰していると仰った。つまり「教義」です。それはあなたの自由ですが、その教義の解釈、実践には、様々な「意図」が介在します。つまり「神殿」の領域なのです。教義を信仰するということは、その教義を「自己解釈」しているということです。神殿を信仰するということは、教義の解釈を「神殿に委ねる」ということです。さて、ではもう一度問います。あなたが信仰しているのは、教義ですか?それとも神殿ですか?』

 

ルナ=エマは息苦しさを感じた。マーズテリア神の教えは、自分の中で息づいている。だが、いま自分がここにいるのは、教義を自己解釈した結果なのか、それとも神殿から与えられた使命に盲従しただけなのか・・・ルナ=エマの心は揺れた。ディアンは手を叩いた。ルナ=エマはそれで、思索の海から抜けだした。ディアンが笑う。

 

『・・・いかがです?あなたの心の揺れの正体を掴むことは出来ましたか?』

 

そう聞かれ、ルナ=エマは当初の問いを思い出した。何故、自分の心が揺れているのかを知るためであった。だが、まだスッキリとはしていない。話そうとするのをディアンが止めた。

 

『あなたは、もうその正体に気づいています。ただ、それを言葉にできずにモヤモヤとしているのでしょう。言葉にする必要はありません。言葉にすると、掴んだモノが逃げていきますよ?』

 

ルナ=エマは少し沈黙し、ため息をついた。

 

『本当に、あなたの言葉は魔術ですね。インドリト王の思想が形成された理由が解りました。そして水の巫女が、あなたに会うのは危険だと言った理由も・・・』

 

『人は考える生き物です。自分で考え、自分で判断をします。判断の基準は、経験であり神の教義であったりするでしょう。ですが、自分で考えるという姿勢を放棄してしまっては、それは盲信と同じです。たとえ聖女であっても、考え、判断し、振り返り、学ぶべきだと思います。あなたはターペ=エトフで、学んだのではありませんか?』

 

『この地に来て、良かったと思います。一人の信徒として、私の視野が広がりました。ですが同時に、私はマーズテリア神殿の聖女です。神殿の者としては、あなたの存在は危険と思わざるを得ません』

 

『ほう・・・何故です?』

 

『あなたの言葉は、神殿勢力を突き崩す力があります。もし、あなたがその思想を広めれば・・・』

 

ディアンは笑った。

 

『だから言ったでしょう?ディアン教を信仰していると・・・ ただ布教というのは、謂わば「実践」なのです。私は自分が正しいと思っていますが、同時にあなたも正しいと思っています。あなたに私の思想を押し付けるつもりはありません。インドリトだって、私と八年間を過ごしながら、ガーベル神を信仰しています。しがない飯屋の主は、そんな考え方を持っていた・・・そう思っていれば良いではありませんか』

 

ルナ=エマは頷き、立ち上がった。こうして、彼女の第二夜が終わったのである。この時点では、ルナ=エマは気づいていなかった。ディアン・ケヒトとの対談が、聖女としての自分を変化させていたことに・・・

 

 

 




【次話予告】
次話は8月6日(土)22時アップ予定です。

ディアン・ケヒトとの対談は、敬虔な信徒であるルナ=エマに、大きな影響を与えた。だがそれは、マーズテリア神殿にとっては不都合極まりないことであった。神殿は、苦渋の決断をせざるを得なくなるのである。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第五十六話「ルナ=エマの最後」

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

ひざまずくか、諸人よ?
創造主を感じるか、世界よ
星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住みたもう・・・


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第五十六話:ルナ=エマの最後

マーズテリア神殿の勢力を最大化させた功労者、聖女ルナ=クリアは、聡明な智慧と独自の「信仰解釈」を持っていたと言われている。マーズテリア神殿にとって、本来は敵であるはずの「神殺し」に対しても、より大きな災いを封じる為にその力を利用するなど、柔軟な姿勢を示している。教皇ウィレンシヌスの徳と、聖女ルナ=クリアの智慧という両輪により、マーズテリア神殿はラウルバーシュ大陸で大きく勢力を伸長させる。ウィレンシヌスは、マーズテリア信仰をいたずらに押し付けるような姿勢は取らず、対話と融和を方針としていた。そのため、本来であれば敵対するはずの闇夜の眷属でさえ、マーズテリア神殿を恐れこそすれ、嫌うことは無かったと言われている。

 

ルナ=クリアの信仰解釈が何処で培われたかについては、諸説がある。ルナ=クリアはそれについて一切を語ること無く、異界「神の墓場」にて命を落とすため、彼女の思想の根源が何処で生まれたのかは謎のままである。ただ、ルナ=クリアに永く仕え、その身の全てを捧げていたと謂われる騎士「ゾノ・ジ」の記録が残されており、ルナ=クリアの根源を識る上での貴重な手掛かりとなっている。

 

・・・いよいよ明日、狭間の宮殿へと乗り込む。私は未だに、神殺しを信頼し切ることは出来ない。だが少なくとも、彼の者がいたずらに他者を傷つける存在ではないことは認める。宮殿に入れば、神殺しを見極めることも出来るだろう。今更ながら、聖女様の聡明さに、私は深い敬意を抱いた。アヴァタール地方を騒がせていた、あの得体の知れないモノを封じるために、神殺しを利用するなど、聖女様以外には出来ないことだろう。マーズテリア神の聖女でありながら、なぜこのような柔軟な姿勢を取ることが出来るのか・・・ 明日の戦いの前に、私は思い切って、以前から抱いていたこの疑問を、聖女様に尋ねた。聖女様は少し言葉を選びながら、こう答えられた。

 

「私は、マーズテリア神とその教義を信仰する聖女です。ですが、マーズテリア神殿を信仰しているわけではありません。私は「信仰」と、その信仰にもとづいた実際の「行動」とをわけて考えています。神殺しが暴虐の輩であれば、私は躊躇なく、彼の抹殺に動くでしょう。ですが、彼はそうした存在ではありません。それであれば、マーズテリア神の信仰から考えれば、必ずしも排除すべき対象にはならないはずです。神殺しを抹殺したがっているのは、マーズテリア神ではありません。マーズテリア神殿なのです」

 

「神と神殿とを分けて考える・・・聖女様は、そうした考え方を何処で培われたのですか?」

 

「・・・そうですね。切っ掛けは、ずっと昔に読んだ「一冊の日誌」・・・いえ、忘れました。気づいたらこうなっていたのです。ゾ・ノジ、もう休みなさい。明日は決戦です」

 

私は一礼して下がった。私はマーズテリア神殿の騎士である。マーズテリア神の教えを信仰している。だが同時に、聖女様への忠誠を忘れたことはない。私は、聖女様を信仰しているのではないだろうか。そう言うと、きっと怒られるだろう。だが私は己の心を偽ることは出来ない。我が命は、聖女様の為にある。明日は激戦となるだろう。この身を賭して、聖女様を護る。それが、私の「行動」なのだ・・・

 

 

 

 

 

雨戸の隙間から、陽が差し込んでいる。目を覚ましたルナ=エマは、上質な布を敷いた寝台を降りた。朝餉の良い香りが漂っている。外から声が聞こえる。上着を羽織り、雨戸を開ける。朝陽の眩しさに、目を細めた。夜半までの雨が嘘のような快晴であった。庭先で、ディアンと同居人たちが、躰を動かしている。どうやら柔軟体操のようだ。驚いたことに、私を護衛するはずの二人の騎士も、一緒に躰を動かしている。ルナ=エマの姿に気づき、慌てて駆け寄ろうとする。ルナ=エマは手を挙げてそれを止めた。ディアンたちは、魔力の基礎訓練を始めた。やがて一通りが終わると、ディアンはルナ=エマに会釈をした。

 

『申し訳ありません。良くお休みのようでしたので、起こさずにいたのです。これから朝食を用意します。お待ち下さい』

 

『お気遣い、有難うございます。朝食の支度でしたら、私も手伝います』

 

ルナ=エマは着替えをし、獣人の子供たちと一緒に朝食の支度をした。庭の石窯で焼かれた麺麭(パン)を籠に入れる。岩塩をまぶして寝かせ、燻製にした獣肉や野菜のスープなどが並べられる。王族並の豪華な朝食である。

 

『昨日も申し上げましたが、この程度の食事は、ターペ=エトフでは当たり前です。ターペ=エトフでは有り余るほどに食料が採れるため、ケテ海峡を通じてフレスラント王国にも輸出をしているのです』

 

『これほどの食事が普通だなんて・・・ 本当に、豊かな国なんですね』

 

朝食を取りながら、ルナ=エマはターペ=エトフの食文化について質問をした。ラウルバーシュ大陸中央部に位置するターペ=エトフでは、東西南北の食文化を集めている。天険の要害に囲まれているとはいえ、国家規模でそれを求めれば、知識を集めることは容易だ。特に東方の最大国家「龍国」とは定期的な公文書の遣り取りをする関係である。ラギール商会を通じて、東方の陶磁器や絹織物、書籍、酒類などを輸入している。物品だけではなく、技術者も招いている。龍国は大国とはいえ、東方列国との緊張関係が続いており、カネはいくらあっても足りない状態だ。西方の薬品類、武器類、また金銀などを求めている。ルプートア山脈地下には、巨大な金鉱と銀鉱があるため、ターペ=エトフは金銀が豊富だ。東西の大国同士で、互いの利益となる取り引きが続いている。

 

 

 

 

 

食後、ルナ=エマはディアンの書斎を尋ねた。この二日間で、ディアン・ケヒトという人物の思想については、ほぼ掴むことが出来た。神殿とは相容れない部分もあるが、現在はそれが、ターペ=エトフ国内で留まっている。ルナ=エマは、ディアン・ケヒトの思想の行く先を掴んでおきたかった。将来においても、ターペ=エトフの国内で留まるのか、それともそれを広げようと言うのか・・・ ルナ=エマの問いに、ディアンは少し目を細め、笑みを浮かべた。

 

『・・・それは、神殿勢力次第でしょうね』

 

『どういう意味でしょう?』

 

ディアンの返答に、ルナ=エマは首を傾げた。

 

『ターペ=エトフは、いたずらに他国を侵略する意図は全くありません。ですが、もしマーズテリア神殿をはじめとする西方の神殿勢力が、ターペ=エトフを認めないというのであれば、戦わざるを得ないでしょう。インドリト王は仁君ですが、弱君ではありません。殴られたら倍にして殴り返すくらいの気概は持っています』

 

『インドリト王はそうでしょう。ですが、貴方はどうなのですか?この二日間、貴方の話を聞いていて感じたことがあります。貴方はどこかで、神殿・・・いえ、宗教そのものを認めていないように感じるのです』

 

『・・・・・・』

 

ディアンは沈黙したまま、返答をしなかった。ルナ=エマは言葉を続けた。

 

『これが、一介の民であれば、たとえそうだとしても私は何も言いません。ですが貴方は、インドリト王に大きな影響力を持っています。もし貴方が、神殿を否定すれば・・・』

 

ディアンは手を挙げて、ルナ=エマの言葉を止めた。

 

『インドリトは、ターペ=エトフの国王です。この国と国民に責任を負っています。私はインドリトが王になって以来、一度として信仰や宗教について、語ったことはありません。これからもそうでしょう。インドリトはガーベル神を信仰しています。そして、各元老はそれぞれに信仰を持っています。それを惑わすようなことは、してはならないのです。私はそう思っています』

 

『あくまでも、一個人としての見解に留める、ということでしょうか?』

 

『インドリトが王である限り・・・そして、神殿が今のままである限りにおいては・・・ね』

 

『神殿が今のままである限り、とは?』

 

『ルナ=エマ殿、あなたの仰るとおり、私は神殿勢力に懐疑心を持っています。何故か?それは神殿勢力もまた「人の集まり」だからです。人である以上、必ず「過ち」を犯します。思い込みによって認識を錯誤し、間違った判断を下すこともあるでしょう。インドリトはそれを防ぐために、「自分は正しいか」を常に自らに問い、さらには元老院という「他者の声」に耳を傾けています。インドリトの中に「自分は絶対ではない」という哲学があるからです。そこであなたに問います。マーズテリア神殿の教皇は「絶対に間違えない」のでしょうか?』

 

そう問われ、ルナ=エマは返答に窮した。ディアンは言葉を続けた。

 

『あなたは昨日、こう言いましたね。自分はマーズテリア神の教えを信仰していると・・・ ですが、マーズテリア神の教義を実践するのは「神殿」です。その神殿が誤った時、誰が正すのですか?それとも、神殿は「絶対に間違えない」のですか?』

 

『マーズテリア神殿は、マーズテリア神の教義に沿って、教皇および枢機卿たちによって運営をされています。枢機卿は一人ではありません。複数の枢機卿が互いに意見を交わし合い、より良い判断を下そうとしています。「絶対に間違えない」とは言いませんが、間違えないよう「努力」はしています』

 

『・・・ルナ=エマ殿、インドリトはこう言いませんでしたか?「間違いを是正できるかどうかが大事なのだ」と・・・ もし、マーズテリア神殿が間違いを犯したら、どうすると思います?』

 

『もちろん、すぐに是正を・・・』

 

『しないでしょう。いえ、出来無いはずです。マーズテリア神殿は、マーズテリア信仰の象徴です。もしその象徴が、自ら間違いを認めたら、それは即ち、信徒たちに大きな影響を与えてしまう。信仰とは「疑わない」から信仰なのです。断言しましょう。もしマーズテリア神殿が間違った道に進んだとしても、教皇以下、誰もそれを止められないでしょう。唯一、それが止められるとしたらマーズテリア神自身でしょうね』

 

『・・・私が止めます』

 

『ほう?』

 

『私は、マーズテリア神の神格者です。私の立場は、教皇と対等です。私は元々は人間です。ですから、自分が絶対に間違えないなどとは言い切れません。ですが、自らを振り返ることで、その暴走から遠ざかることは出来ます。このターペ=エトフで、私はそれを学びました。神殿において、聖女は教皇の代理人として、各国と交渉をする役割です。ですがもう一つ、神殿の暴走を止める役割を担うべきです。マーズテリア神の「神格者」として・・・』

 

『あなたに出来ますか?私の知る限り、マーズテリア神殿の聖女は、教皇が指名するそうですね。教皇と対等というのは、教皇が認めたら、というだけであり、その気になればいつでも、あなたを罷免できるはずです。実態としては、教皇の「部下」です。教皇を止めるとなると、それは命懸けですよ?』

 

『私は聖女です。元より、命を捧げているのです』

 

ディアンは瞑目し、頷いた。

 

『あなたのお覚悟は、良く解りました。あなたがいらっしゃる限り、マーズテリア神殿は安泰でしょう。先程も申し上げたとおり、私個人は神殿勢力に懐疑的ですが、ターペ=エトフは、マーズテリア神殿とも他の神殿勢力とも、上手く付き合っていきたいのです。ターペ=エトフに生きる一介の民として、あなたにお願いしたい。どうか、良しなに・・・』

 

ディアンは立ち上がり、ルナ=エマに頭を下げた。ルナ=エマも立ち上がり、礼をした。これをもって、マーズテリア神殿聖女と黄昏の魔神の邂逅は終わった。

 

 

 

 

 

自分を護衛する二人の騎士は、既に準備を済ませ、庭で待っている。戸口で振り返り、ルナ=エマはもう一度、ディアンに礼を述べた。

 

『本当にお世話になりました。皆様から受けた饗しは、決して忘れません。そして、ディアン殿・・・ あなたに会えたのもまた、マーズテリア神の御導きでしょう。マーズテリア神殿は、ターペ=エトフに関与しません。教皇猊下に、そのように意見をするつもりです』

 

そう言って、ルナ=エマはディアンに手を差し伸べた。ディアンは少しだけ目を細めた。

 

『・・・感謝します。私も「現神」との戦争など、できれば避けたいと思っています』

 

そう述べて手を握った。その瞬間、ルナ=エマは驚きの表情を浮かべた。握った手から感じる気配は、疑いようのないものであった。

 

『あ、あなたは・・・』

 

『私は最初から、真実を伝えていたのですよ。言ったでしょう?「魔神」だと・・・』

 

ルナ=エマは慌てて手を離した。少し震えながら目の前の男を見る。男の様子は、先程から何も変わっていない。だが横にいる二人の美女を含め、まるで違う見え方になった。魔神と使徒である。ルナ=エマは気づいていなかったのだ。この家は「魔神の館」だったのである。ルナ=エマは飛び出すように、外に出た。レイナとグラティナが、それを見送った。

 

 

 

 

 

『ディアン、良かったのか?聖女殿は、ディアンが魔神であると気づいたようだが・・・』

 

『そうだな。だが、オレが魔神だからと言って、それで彼女が自分の決意を翻すとは思えない。この三日間で、彼女の視野は広がった。神と神殿とを分けて考えるようになった。魔神であるオレを恐れこそすれ、マーズテリア神殿を動かしてターペ=エトフに攻めこむような愚かなことはしないだろう』

 

『私はむしろ、この三日間、ディアンが彼女に手を出さなかったことが驚きだわ』

 

レイナとグラティナの笑い声に、ディアンは肩を竦めて失笑した。

 

 

 

 

 

マーズテリア神殿神官騎士グルノーは、聖女の様子を心配していた。本来であれば王宮に行き、インドリト王に挨拶をすべきである。だがルナ=エマは、体調不良のため急ぎ神殿に戻る、という伝令だけを出し、自身はそのまま船に戻るつもりでいた。ギムリ川上流の船着場まで馬にのりながら、ルナ=エマは考え事をしていた。

 

・・・インドリト王は、ディアン・ケヒトが魔神であることを知らいないのだろうか?そんな筈はない。魔神であることを承知の上で、師と仰いでいるのだ。確かに、普通の魔神とは全く違う存在だ。畑仕事をし、飲食店を出し・・・まるで人間だ・・・

 

そこまで考えて、ルナ=エマは愕然とした。あの魔神は、元々は人間だったのではないか?それが魔神の肉体を得た。人間の魂と魔神の肉体を持つ存在、現神をも超える可能性のある災厄の種「神殺し」なのではないか。

 

(とにかく、今は一刻も早く、船に戻りましょう。落ち着いて考える必要があります。それにしても、この国はあらゆる意味で、私の想像を超えていました・・・)

 

考え事の中で、ルナ=エマは一言、呟いた。

 

『ターペ=エトフへの接触を禁じなければ・・・』

 

 

 

 

 

聖女ルナ=エマの報告を聞いた教皇クリストフォルスは考える表情を浮かべた。横に立ち並ぶ枢機卿たちも沈黙している。教皇は確認するように尋ねた。

 

『聖女殿、あなたの言葉を信じるとすると、ターペ=エトフでは各神殿の教義を独自に解釈し、それを教材として子供たちに教えている。そして皆が互いに信仰を認め合いながら、豊かに平和に暮らしている・・・ということになりますね』

 

『仰るとおりです、猊下・・・ インドリト王は、各神殿の教義を並べ、客観的に比較し、共通している教えを「法」としてまとめ、国を運営しています。ターペ=エトフ社会においては、信仰は全て個人の中に留まり、日々の暮らしは「法」によって秩序が保たれています』

 

『つまり彼らにとって、現神信仰は価値が無い、ということですか?』

 

『いいえ、個々人にとっては尊い価値を持っています。ですが、ターペ=エトフではそれは「個人がそう思っている」というだけなのです。国家としては、教義よりも法を優先させる、インドリト王自身がそう述べられました』

 

枢機卿たちがざわめきに包まれる。強硬派の枢機卿が進み出た。

 

『猊下、やはりターペ=エトフは危険です。マーズテリア神の教義に従わないというのは、まだ許せます。ですが、あらゆる教義よりも法を優先させるということは、彼らは「法」という「神」を生み出したに等しいでしょう。そのような考え方を認めるわけにはいきません。ここは軍を動かすべきでしょう』

 

『お待ち下さい。確かに、ターペ=エトフにおいては信仰、神殿は大きな地位を得てはいません。ですが、否定をしているわけでもありません。個々の信仰を認め合いながら、まとまって暮らすために「法」という手段を用いているに過ぎないのです』

 

『それが問題なのだ。西方諸国は、それぞれに国教を定め、神殿と結びついて国を統治している。教義が大枠となり、その中で法が生まれている。しかし、ターペ=エトフなる国では、教義よりも法が重んじられる。つまり我ら神殿よりも亜人族や闇夜の眷属の考えた決め事が大切にされているのだ。そのような思想は容認できん!』

 

枢機卿の興奮に当てられたのか、ルナ=エマは後の運命を決める一言を発してしまった。

 

『容認できない・・・容認できないのは誰です?マーズテリア神ですか?それともマーズテリア神殿ですか?』

 

その一言で、枢機卿たちに沈黙が流れた。教皇クリストフォルスも驚いた表情を浮かべる。先程までの興奮が冷めたように、一人の枢機卿が咳払いをした。

 

『・・・聡明な聖女殿にも、失言があるようですな。我らマーズテリア神殿は、マーズテリア神の教えの中で、忠実に生きる信徒の集まりです。我ら神殿を否定するということは、即ちマーズテリア神を否定すること・・・違いますかな?』

 

『お言葉ですが、マーズテリア神の教えの中には「他者への寛容さ」が喩え話で出ています。ヒトは生きるために、他の生命を奪う必要がある。しかし、野山に生きる獣たちには、それぞれに縄張りがあり、生き方がある。自らの都合で、そうした獣たちを殺戮してはならない。彼らに感謝をしつつ、共に生きる寛容さ、ゆとりこそが慈悲の心に繋がるのだ、と・・・ ターペ=エトフの考え方は、確かに私たちとは違います。ですがそれは、ターペ=エトフ国内でのことです。彼らが私たちに、何をしたと言うのですか?自分たちの縄張りの中で、平和に暮らしているところに、「考え方が違うから」という理由で軍を向けるなど、どう言い繕おうとも「侵略」以外の何物でもありません!』

 

枢機卿たちは顔を赤くした。その表情には怒りが浮かんでいる。教皇クリストフォルスが手を上げ、意見の対立を止めた。

 

『もう結構です。ターペ=エトフの国情は、良く解りました。あとは私と枢機卿たちとで話し合いをします。聖女殿は、いささか疲れているようです。ゆっくり休んで下さい・・・』

 

ルナ=エマはまだ言葉を続けようとしたが、教皇の視線がそれを許さなかった。ルナ=エマは俯き、一礼して部屋から出て行った・・・

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴十六年、聖女ルナ=エマは教皇の勅命により、その地位を剥奪された。神格者不適格の烙印を押され、神格者としての力も奪われた上で、自裁を求められることになった。幽閉された部屋の中で、ルナ=エマはこの顛末を日記に残している。その内容は、マーズテリア神殿の秘密図書館に収蔵されているため、確認することは出来ない。ルナ=エマに同行をした神官騎士たちも、それぞれ僻地へと飛ばされた。後世においては、ルナ=エマという聖女がいたことすら、ごく一部の者しか知らない。マーズテリア神殿が記録を消去したためである。ルナ=エマは、墓すら残されていない。マーズテリア神殿の「厳格さ」を示すものと謂われている・・・

 

 

 

 

 

【Epilogue】

 

・・・鉄格子が嵌められた窓から、空を眺める。蒼い月明かりが穏やかに部屋を照らしている。教皇猊下は枢機卿たちと話し合い、イソラ王国を動かして、ターペ=エトフに軍を差し向けるそうである。私は溜め息をついた。愚かな判断である。こちからか手を出さない限り、ターペ=エトフは無害の存在である。イソラ王国の全軍を差し向けたとしても、あの魔神の前に全滅して終わりだろう。そして下手をしたら、イソラ王国のマーズテリア神殿まで消滅しかねない。マーズテリア神殿は最強の力を持っている。猊下はそうお考えであろうが、それは間違いだ。剣や槍の数など、強さの証明にはならない。ターペ=エトフの真の武器は「思想」だ。もしターペ=エトフがその気になれば、思想を広げるだけでマーズテリア神殿を弱らせることが出来るだろう。彼らとの共存こそが、マーズテリア神殿の繁栄へと繋がるはずであった。だがマーズテリア神殿は誤った判断を下した・・・

 

月明かりに一瞬、影が指した。ルナ=エマは窓に目をやる。何も変化はない。

 

・・・あの魔神は言った。「マーズテリア神殿が間違った時に、誰が止めるのか」・・・自分が止める、止めてみせる、そう啖呵を切ったが、それがこの結果である。明日、私は自裁を求められる。神殿という組織体を止めることが、いかに大変なことか、自分が正しいと信じ込んでいる人間を諭すことが、どれほどに難しいのか、私は理解していなかった・・・

 

『あの魔神は・・・ディアン・ケヒト殿はきっと嗤うでしょうね。「ホレ見たことか」と・・・』

 

『いいえ、嗤いませんよ』

 

いきなり声が掛けられ、ルナ=エマは飛び上がりそうになった。鉄格子がいつの間にか、外されている。そしてその先に、魔神が顔を覗かせていた・・・

 

翌日、毒酒が入った杯を盛った神官が、ルナ=エマが幽閉されている部屋に入った。そして驚愕の声を上げた。「元聖女」の姿は、跡形もなく消えていた。机の上には、一冊の日誌のみが置かれていた・・・

 

 

 

 




【次話予告】
更新が遅れ、申し訳ありません。次話は8月11日 22時更新予定です。


東ケレース地方の光側国家「イソラ王国」は慌ただしくなっていた。マーズテリア神殿からの支援物資を得て、ターペ=エトフ討伐へと準備をすすめる。だがその情報は既に、ターペ=エトフ側の知るところであった。名君インドリトは、国を護る為に、剣を手にすることを決断する。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第五十七話「北華鏡会戦」

Ihr stürzt nieder, Millionen?
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第五十七話:北華鏡会戦(前編) -マーズテリア神殿、動く-

申し訳ありません。事情により、更新が遅れてしまいました。
また、当初は一話で完結する予定だったのですが、長くなりそうなので、前編と後編に分けました。ご理解くださいませ。

Hermes


ラウルバーシュ大陸中原域、ケレース地方は「混沌の地」と呼ばれている。アヴァタール地方南部からニース地方に掛けては闇夜の眷属が多く、後に闇夜の眷属の国「エディカーヌ王国」が誕生するが、混沌の地とは呼ばれていない。ケレース地方がそう呼ばれた最大の理由は、光と闇の混在である。ケレース地方には、光側の現神を信仰するドワーフ族、エルフ族、獣人族が暮らす一方、闇夜の眷属である龍人族や魔族も生活圏を形成している。人間族においても、レスぺレント地方から移住した「闇の現神信仰を持つ人間族」などが暮らしている。その一方で、光の現神信仰を持つ人間族もいる。その代表例が「イソラ王国」である。

 

マーズテリア神殿をはじめとする光側神殿勢力は、レスぺレント地方の「姫神フェミリンス」に呼応する形で、ケレース地方への進出を企図した。フェミリンス戦争によって、レスぺレント地方東部に闇夜の眷属たち集中していた。彼らが逃げるためには、オウスト内海に出てケレース地方を目指すか、あるいはさらに東方の砂漠地帯に行くしかない。ケレース地方において最も港に向く湾は、西ケレース地方のフレイシア湾であるが、フレイシア湾には既に龍人族が集落を形成していた。光側神殿勢力の中でも強硬派であるバリハルト神殿などは、武力によって龍人族を排除すべしと主張するが、マーズテリア神殿がそれに反対をしたと言われている。西ケレースよりも東ケレース地方に街を建設した方が、レスぺレント地方の闇夜の眷属たちに、より直接的な圧力を加えられる、というのが表向きの理由であるが、実際はバリハルト神殿の力が強い「セアール地方」に隣接する場所に拠点を設けることを忌避したためである。

 

このように、神殿諸勢力の政治的な駆け引きの中から、妥協案として「イソラの街」が造られた。ケレース地方の治安維持を目的とするマーズテリア神殿と、闇夜の眷属たちへの慰撫(と言う名の改宗促進)のために、イーリュン神殿が建てられ、光神殿勢力の支援を受け、急速に勢力を拡大させる。だが、大魔術師ブレアード・カッサレの登場により、イソラの街の「地政学的意味」が変化をしてしまう。姫神フェミリンスが封印され、レスぺレント地方東方域の亜人族たちは、災厄から逃れることが出来た。当初は、レスぺレント地方への圧力の為に造られた街は、逆に取り残される形となってしまったのである。既に神殿を建てていたマーズテリア神殿とイーリュン神殿こそ、支援を継続したが、他の光神殿は支援を中断してしまった。また東ケレース地方南方に、闇夜の眷属の国「ガンナシア王国」が建国され、イソラの街は存亡の危機に立たされる。そこでマーズテリア神殿は、イソラの街代表者であった「オットー・クケルス」を国王とした「イソラ王国」を建国し、ガンナシア王国に対抗しようとしたのである。

 

このように、イソラ王国はその誕生前から、闇夜の眷属に対抗する「拠点」として設けられた。そのためイソラ王国国内では、亜人族や闇夜の眷属たちは差別の対象となっている。マーズテリア神は、もともとは地方神として、狩人であった獣人族に信仰されていた。その神を信奉する神殿が、獣人族を差別の対象とするのは、いかに神殿というものが、教義を「曲解」するか、その症例と言えるだろう。

 

 

 

 

 

賢王インドリトは、玉座の肘掛をコツコツと指で叩いた。眉間も寄っている。謁見の間には、片膝をついている男と女がいる。師であるディアン・ケヒトと、マーズテリア神殿元聖女のルナ=エマである。宰相シュタイフェが気を効かせて、謁見の間にはシュタイフェを含めて四人しかいない。

 

『我が師よ、あなたらしくない軽率な行動と言わざるを得ません。マーズテリア神殿総本山に侵入し、聖女殿を拉致してくるとは・・・ もし気づかれたら、ターペ=エトフとマーズテリア神殿の全面戦争になっていたでしょう』

 

『御意・・・』

 

ディアンは俯いたまま、インドリトの叱責を受け止めた。ルナ=エマはその様子に、思わず口を挟んだ。

 

『私はもう、聖女ではありません。教皇より罷免され、神格者としての力も失っています。ディアン殿は、処刑される私を救い出してくれたのです』

 

インドリトが一瞥する。それでルナ=エマは口を閉ざした。インドリトは溜め息をついた。

 

『・・・それで、これからどうするのです?ルナ=エマ殿を亡命させたとしても、プレメルには複数の光神殿があります。いずれ必ず、元聖女がプレメルの街にいると気づかれるでしょう。そうなればマーズテリア神殿との対決は避けられません。そうならないよう、ルナ=エマ殿を連れ去った後についても、考えがあるのでしょう?』

 

『ルナ=エマ殿には、外見と名前を変えて頂きます。その上で、レウィニア神権国の首都プレイアにおいて、在プレイア領事として、働いてもらってはどうかと考えています』

 

『ほう?もう少し詳しく、説明をして下さい』

 

そう言われ、ようやくディアンは顔を上げた。

 

『現在、ターペ=エトフは北方のケテ海峡を挟んで、カルッシャ、フレスラント王国と外交折衝を続けています。シュタイフェ殿が中心となっていますが、南方のアヴァタール地方にも、レウィニア神権国をはじめとして新興勢力が誕生しつつあります。首都プレメルを拠点として、南方の情報収集をする必要があります。ルナ=エマ殿は聖女として、各国との外交折衝をしてきた実績があります。彼女であれば、レウィニア神権国の君主とも対等に渡り合えるでしょう』

 

『・・・師よ、いかなる権限をもって、そのような出過ぎた行動に出たのです?私がそのようなことを相談したことがありますか?民は、国政を考える自由があります。国政に意見する自由もあります。ですが、法に基づかない行為によって、国政を左右してはならないのです!』

 

インドリトの怒声が室内に響く。ルナ=エマは思わず肩を竦めた。仁君として、心優しい王と言われているが、いざとなったらこれほどに厳しい叱責も出来るのである。ディアンは再び、俯いた。

 

『シュタイフェ、法に基づいた場合、師の罪状はどうなりますか?』

 

『は・・・ ターペ・エトフの刑法では、外部から国家の危機を意図的に招き入れた者には、「外患誘致罪」が適用されヤす。その場合は、死刑でございヤす・・・』

 

『そんな・・・』

 

ルナ=エマは思わず立ち上がろうとしてしまった。ディアンが手をかざして、それを止めた。シュタイフェが言葉を続ける。

 

『・・・ただ、何を以って「国家の危機」とするかは、判断が別れるところでヤす。特に今回の場合は、聖女・・・いや元聖女殿の外見を変え、更にはターペ=エトフ国外に移すとのこと。となれば、国家の危機と一概に言えるかどうかは・・・むしろ有為な人材を国にもたらした、とも考えられるわけで・・・』

 

『・・・つまり、功罪相半ばということですか?』

 

『功となるか、罪となるかは、これからのルナ=エマ殿に掛かっているでしょうな』

 

インドリトは頷いて立ち上がった。

 

『ルナ=エマ殿、こうなってしまった以上、今更あなたをマーズテリア神殿に送り返すわけにはいきません。もしターペ=エトフに亡命されるのであれば、我が師が言ったように、外見と名を変え、レウィニア神権国にて暮らして頂きます。もしそれを否と言われるのであれば、この場にて、あなたと我が師ディアン・ケヒトに、死刑を申し渡します。どうしますか?』

 

『もちろん、お引き受けします。私の身がどうなろうと構いませんが、ディアン殿まで巻き込むわけにはいきません!』

 

ルナ=エマは決然と返答した。インドリトは頷き、はじめて笑顔になった。

 

『・・・というわけで、先生、ルナ=エマ殿はお引き受け下さるそうです』

 

ディアンがふぅ、と息を吐きだして、その場で胡坐を組んだ。ルナ=エマはそれで悟った。今までのやり取りは「芝居」だったのである。

 

『・・・私を騙したのですか?』

 

『いや、気を悪くされるな。ターペ=エトフで生きるということは、教義よりも法が優先される。法とはどれほどに厳しいものか、身をもってあなたに、理解をして頂きたかったのだ。あなたを救い出すことは、インドリト王も事前に承知していた。もし勝手に助け出したら、それこそ本当に、私は死刑になっていただろう。インドリト王がいかに我が弟子であっても、法を歪めることはできん。法は、万人に平等なのだ』

 

『それに、先ほど言ったことは、全て本当です。ルナ=エマ殿、あなたをプレメルに措くわけにはいきません。外見と名を変えて、レウィニア神権国首都プレイアに行って頂きます。ターペ=エトフの領事として・・・』

 

ルナ=エマはその場で座り込んでしまった。釈然としない思いはあるが、受け入れられたのは事実である。だが、まだ納得がいかない点が、一つあった。

 

『お尋ねしたいのですが、何故、私を助け出したのですか?そのまま放置していても、ターペ=エトフには影響が無いと思いますが?』

 

『簡単に申し上げれば、あなたの知識と能力が欲しかったのです』

 

インドリトが説明をした。

 

『あなたが我が師の家で三日間を過ごしたと聞いた時から、教皇とあなたの対立は予想できました。イーリュン神殿の情報では、マーズテリア神殿の現教皇は、対話よりも対決を考える人のようですね。となれば、言葉を用いて相互理解を進め、信仰の垣根を超えて共に繁栄をする、というターペ=エトフの国是、思想とは相容れません。あなたは師の思想を理解し、マーズテリア神殿に穏健をもたらそうとした。しかし、実際にこの地を見ない神殿の方々は、あなたが危険思想に染まった、と思うでしょう。あなたが国を離れたその日のうちに、私は師と相談し、あなたを救出することを決めたのです。あなたはターペ=エトフを理解した。そして教皇と対立をするという度胸もある。何より、マーズテリア神殿の知識を持っている。我が国にとって、垂涎の人材です』

 

『・・・私に、マーズテリア神を裏切れと言うのですか?』

 

『勘違いをするな。マーズテリア神を信仰するのは一向に構わないのだ。マーズテリア「神殿」を見限れと言っているのだ。実際、もう神殿の中にあなたの居場所は無い。あなたは言ったな。マーズテリア神の教義を信仰しているのであって、神殿を信仰しているのではないと・・・ならば出来るはずだ。ターペ=エトフの民として、マーズテリア信仰を続ければよい。我が国は、信仰の自由を法によって認めている。誰も、あなたの信仰を否定することは出来ない。マーズテリア神殿は、信仰の「しかた」が問題なのだ。己の立場、己の思想を力づくで相手に押し付けるなど、マーズテリア神が望んでいるとは思えん』

 

二人の説明について、ルナ=エマは考えた。だが余りに様々なことがあり過ぎて、まとまらない。インドリトは手を叩いた。

 

『取りあえず、今日は王宮にて、お休み下さい。ゆっくり考える時間が必要でしょう』

 

ルナ=エマは息をついて、立ち上がった・・・

 

レウィニア神権国とターペ=エトフは、同盟国として互いの首都に「領事館」を置いていた。ターペ=エトフの在プレイア領事は、ある家によって代々引き継がれてきた。ターペ=エトフ滅亡によって、その家系も断絶をするが、水の巫女によってその名は回復する。初代領事の出自については、後世においても不明のままである。ただ、金髪の美しい女性でありながら「最高の外交官」であったという名声と、「エミリア・パラベルム」という名が残されているのみである。

 

 

 

 

金髪の美しい女性が、各元老に挨拶をする。元老たちも薄々は気づいているが、何も言わずに挨拶をする。公的に認めるわけにはいかないからだ。一通りの挨拶が終わった後、在プレイア初代領事エミリア・パラベルムは退室した。今日の議題は、エミリアの挨拶ではない。もたらされた「情報」が議題である。国務次官ソフィア・エディカーヌが報告する。

 

『確かな情報によると、マーズテリア神殿はカルッシャ王国を経由して、東ケレース地方のイソラ王国に軍を送っているとのことです。その目的は、我らターペ=エトフへの侵攻です』

 

元老たちは一様に、溜め息をついた。こうした事態はいずれ起きると覚悟はしていたため、皆に動揺は無い。ソフィアが説明を続ける。

 

『イソラ王国の兵力は三千以上と思われます。ターペ=エトフの通常兵力は一千程度ですが、ファーミシルス元帥のもと、一騎当千の猛者が揃っています。負けるとは思えません。ですが、マーズテリア神殿が絡むとなると、少々厄介です。カルッシャ王国が呼応して動く可能性があります。ケテ海峡も防御を固めなければなりません』

 

そう言われ、元老たちの顔色が変わった。

 

『だ、だがそれならどうすれば良いのだ?ルプートア山脈があるとはいえ、軍がいなければ護りようが無い!』

 

『話し合いで何とか戦争を回避できないだろうか?多少の譲歩をしてでも・・・』

 

『残念ながら、それは出来ません』

 

インドリトが立ち上がった。

 

『マーズテリア神殿は、教皇の考え方によって、その方向が大きく変わるようです。前教皇は対話と融和を重んじる人物でした。それであれば、話し合いも出来たでしょう。ですが現教皇は、マーズテリア信仰を武力によって押し付けようとしています。我々が望まなくとも、戦争は向こうから仕掛けてきます。彼らが納得する妥協とは、信仰を捨ててマーズテリア神殿にこの地を占領させることでしょう。つまり我らに「滅びろ」と言っているのです』

 

悪魔族代表が立ち上がった。怒りで眼が血走っている。

 

『冗談ではありません。百歩譲って、相手が魔神などであれば、まだ我ら悪魔族も妥協はできます。だがマーズテリア神殿に屈するなど、我らに「死ね」と言うようなもの。我が王よ、よもや降伏など考えてはおりますまいな?』

 

『もちろんです。ターペ=エトフは全ての種族を超えて、共に繁栄を願う国です。「自分たちだけの繁栄を目指す」という現在のマーズテリア神殿と、妥協することは出来ません。ここは、戦う以外に無いでしょう』

 

『ですが、どう戦うのです?ケテ海峡から軍を動かせないとなると・・・』

 

『ご安心を・・・ 凄腕の傭兵を雇いました』

 

インドリトが手を叩くと、部屋の後方にある扉が開かれた。漆黒の外套を纏った男と、二人の美しい女性が立っていた。

 

 

 

 

 

カルッシャ王国の首都ルクシリアは、慌ただしい様相を呈していた。ケテ海峡に展開している軍を動かし、ケレース地方西方の新興国「ターペ=エトフ」に侵攻するため、準備を進めているからである。街の慌ただしい様子に、憂鬱な表情を浮かべる女性がいた。かつてイソラの街に住んでいた神官騎士「ミライア・テルカ」である。夫のルーフィン・テルカは、いずれマーズテリア神殿聖騎士になると目される、立派な騎士である。一男一女を授かり、この美しい王国で安らかに暮らしていた。

 

『あなた・・・どうしてマーズテリア神殿が、軍を動かす必要があるのでしょう?ターペ=エトフは、ただ自分たちの縄張りの中で、静かに暮らしているだけではありませんか』

 

『そうだな。だがミライア・・・ターペ=エトフは現神を軽んじている。光の神殿も闇の神殿も、それぞれに土地を持ち、国に影響を与えているが、ターペ=エトフでは、神殿の政治参加を認めていないというではないか。現神の教えよりも、自分たちの考えた「法」を重視するとしている。神殿も、その法に従えと言っている。我らとは相容れぬではないか?』

 

『それは、ターペ=エトフ国内に限ってのことです。彼らは別に、他の国に押し付けているわけではありません。それが嫌なら、ターペ=エトフに神殿を建てねば良いのではありませんか?』

 

『彼らが、それで慎ましく生きているのであれば、それも許されるだろう。だが、ターペ=エトフは大国だ。その国力は無視出来ぬのだ。いずれ、彼らを模倣する国が生まれてくるだろう』

 

それは政治の問題であり、信仰の問題ではない、ミライアはそう言いたかった。だが、愛する夫を困らせるわけにはいかない。夫はこれから、前線指揮官として船に乗り、ターペ=エトフ沿岸のフレイシア湾を目指すのだ。妻としては、夫が安心して出陣できるように、心配りをすべきである。

 

『子供たちは、もう自分で考えられる年頃になっています。安心して出陣して下さい。そして、どうか無事に・・・』

 

『大丈夫だ。マーズテリア神がついていて下さる。留守中、家を頼むぞ』

 

愛妻に口づけをして、ルーフィン・テルカは出陣をした。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴十六年、二千五百名の精鋭が、イソラ王国を出陣した。後に「北華鏡会戦」と呼ばれる、ターペ=エトフ対イソラ王国の戦争である。二千五百名という数は、決して多い数ではないが、いずれも完全装備をした屈強な兵士たちである。半農半士が当たり前の当時において、二千五百名の「専門兵」を率いているのは、さすがマーズテリア神殿と言えるであろう。二千五百名を率いるのは、マーズテリア神殿聖騎士アンドレアである。口髭を生やした美丈夫であるが、聖騎士に相応しい強さも持っている。

 

『いざ、出陣っ!マーズテリア神よ、御照覧あれっ!』

 

見事な白馬に跨り、馬上で号令を発した。精兵部隊が足並みを揃え、西ケレース地方を目指して行軍を開始した。遥か上空から、その様子を見ていた一人の悪魔の存在など、誰も気づかなかった。悪魔は一度頷き、手中の水晶に魔力を通した・・・

 

 

 

 

 

『どうやら、イソラの兵どもが出陣をしたようだな。物見は明日には戻るだろう。兵の構成や進軍速度なども分かるはずだ。まぁ、森や河を抜けて来るのだ。十日は掛かるだろうな・・・』

 

ルプートア山脈北東部、五台の「魔導砲」が鎮座する山頂に幕舎が張られている。ターペ=エトフ側の最高指揮官、ファーミシルス元帥は、幕舎の中で地図を眺めていた。いつの日か来るであろう侵略を想定して、準備をしてきたのだ。たった千名の兵士だが、ファーミシルスが直々に鍛え上げた猛者たちである。だが自分も含め、ターペ=エトフが戦争をするのは初めてである。不安が無いと言えば嘘になる。特に今回は、カルッシャ王国からも兵が繰り出されると思われていた。陽動と解っていても、兵力が違う。いざとなれば、フレイシア湾に侵攻するくらいの力は持っているはずだ。

 

『元帥閣下、本当に良かったのでしょうか。ケテ海峡から兵の七割を移動させています。万一、海から侵攻が来たら・・・』

 

『大丈夫だ。そのために「あの男」をケテ海峡に置いたのだ。あの男がいる限り、カルッシャの軍がケレース地方に来ることは無い』

 

『たった一人ですが、それほどに強いのですか?』

 

『そうか、お前は知らんのだな・・・ あの男がその気になれば、ただ独りでカルッシャ王国そのものを滅ぼすことが出来るだろう。何しろ、魔神なのだからな・・・』

 

ファーミシルスはそう言って、低く笑った。

 

 

 

 

 

ルプートア山脈北東部の東側は、森と緩やかな起伏の平地がある。「華鏡の畔」の北部にあることから「北華鏡」と呼ばれる平野地帯だ。イソラ王国軍は、出陣から十二日後に、北華鏡に到着した。遅れたわけでは無い。呼応する形で、カルッシャ王国からも海軍が出陣しているからである。機を合わせて、一気に挟み撃ちにする作戦であった。聖騎士アンドレアは、幕舎の中で作戦会議を開いた。

 

『ターペ=エトフの情報はそれほど多くないのですが、ケテ海峡に展開されている軍の規模を考えると、多くても千五百から二千といったところです。西ケレース地方は国土こそ広いですが、人口はそれほど多くありません。兵を増やしたくても、増やせないという事情もあるのでしょう』

 

『だがその兵は、獣人族やドワーフ族などの亜人族、あるいは悪魔族などによって構成されているだろう。つまり、我ら人間よりも遥かに強い』

 

『そのために、カルッシャ王国から軍を進めているのだ。ケテ海峡に軍を貼り付けるためにな。もしそこから軍を動かしているとなれば、それはそれで重畳だ。カルッシャ王国軍一万が、彼らの後方を突くことになる。挟み撃ちとなれば、補給もままなるまい』

 

『逆に、軍が貼り付いていれば、敵は少数ということになる。山を後背に半包囲をすれば良い・・・』

 

参謀たちが、様々な想定を口にする。アンドレアは腕を組んで、議論に耳を傾けていた。

 

『・・・カルッシャ王国との約定では、二日後に総攻撃となる。軍を進めれば、彼らの状況もわかるだろう。周囲の警戒と、地形の確認を怠るな。ひょっとしたらこの地で「会戦」となるやも知れぬ』

 

皆が顔を引き締め、頷いた。

 

 

 

 

 

カルッシャ王国の南方はマータ砂漠が広がっている。そのため、カルッシャ王国から大軍を動かすとなると、首都ルクシリアから一旦、南西に向かい、オウスト内海西部にて乗船し、ケテ海峡を抜ける必要がある。ケテ海峡はオウスト内海を西と東に分ける狭い海峡であるが、その水深は深い。数で劣るターペ=エトフがカルッシャ王国からの進軍を止めるのであれば、このケテ海峡に船を展開させ、迎撃をするしかない。無論、そのことはマーズテリア神殿騎士ルーフィン・テルカの予期するところであった。物見の数を倍にし、慎重に海峡に侵入する。だが、ルーフィンは肩透かしを食った。海峡には一艘の船も浮いていなかったのである。霧が立ち込めているため、ターペ=エトフ側の岸は見えないが、ここを抜ければフレイシア湾まで一直線である。自分の乗った船も無事に抜け、ルーフィンは胸を撫で下した。その時、物見の知らせを受けた兵士が駆け込んできた。

 

『申し上げます。前方に得体の知れないものがあるとのことです』

 

『もっと正確に報告しろ!得体の知れないものとは、具体的にどの様なものだ?』

 

『は・・・黒い服を着た人間のようなモノが宙に浮いているとのことです』

 

『なに?』

 

ルーフィンは自分の眼で確認するため、船室を飛び出した。

 

 

 

 

 

ディアンは自分に近づいてくる船を見下ろしながら、口元に嘲りの笑みを浮かべていた。この季節のケテ海峡は濃霧が頻繁に発生する。自分が指揮官であれば、慎重を期して小舟を出し、ターペ=エトフ沿岸を調べるだろう。そう想定して、沿岸には藁人形などを設置して、兵がいるように見せかけている。だがその準備も不要であった。目の前の軍は、そうした「情報収集」すらせずに、軍を進めているのだ。数に頼って戦ってきた証拠である。

 

『単細胞共が・・・お仕置きの時間だ』

 

両手に、雷系の魔力が込められた・・・

 

 

 

 

 




【次話予告】
更新が遅れ、申し訳ありません。次話は8月15日 22時更新予定です。


イソラ王国軍を率いる聖騎士アンドレアは拍子抜けした。軍を進めた先には、美しい女性三人が立っていたからだ。ターペ=エトフの代表者である彼女らに、アンドレアはこの戦争の意味を語る。だが語り終わった後に待っていたのは、流血という現実であった。

一方、フレイシア湾まであと少しという海上では、魔神の一方的な攻撃が始まっていた。ルーフィン・テルカは、兵たちを護るため、魔神に一騎打ちを申し込む・・・



戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第五十八話「北華鏡会戦(後編)-戦争の意味-」

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

ひざまずくか、諸人よ?
創造主を感じるか、世界よ
星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住みたもう・・・


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第五十八話:北華鏡会戦(後編)-戦争の意味-

ターペ=エトフは天険の要害に囲まれた大国であった。しかし北側はオウスト内海に面しており、レスペレント地方の人間族の大国「カルッシャ王国」「フレスラント王国」とは緊張関係が続いていた。特にカルッシャ王国は、姫神フェミリンスの血筋が王家に続いており、人間族以外の種族に対して、差別的意識を持っている。オウスト内海を東西に分けるケテ海峡は、海上輸送の要衝である。その支配権を巡って、カルッシャ・フレスラント両国が政治的な対立をし、さらに対岸のターペ=エトフまで加わり、権利の争いは三つ巴の様相を呈していた。

 

後世においてこそ、ターペ=エトフは大国として認識をされているが、建国間もないころは「亜人の新興国」という程度の認識で、レスペレント地方の国々は、ターペ=エトフを軽く見ていた。その認識が一変するのが、ターペ=エトフ歴十六年に起きた「ケテ海峡海戦」である。ターペ=エトフ歴十六年、エソラ王国はターペ=エトフへの侵略を企図して、二千五百名の軍を動員する。無論、この人数ではターペ=エトフを侵略することは不可能である。そこで同じ光側勢力であるカルッシャ王国と連携し、東西からの挟撃作戦を実行した。カルッシャ王国はイソラ王国に呼応するかたちで、一万人もの軍を動員、百艘を超える船によって、西ケレース地方のフレイシア湾を目指した。ターペ=エトフは建国間もなく、軍の規模は一千名程度であり、両国から挟み撃ちをされればひとたまりもないと考えられていた。

 

しかし、カルッシャ王国の軍は、フレイシア湾に姿を現すことはなかった。オウスト内海西側から船によってケテ海峡を渡ったカルッシャ王国軍は、海峡の出口で謎の魔神に遭遇し、船の半分を喪失したからである。あまりの犠牲のため、カルッシャ王国は侵攻を断念し、もとの港に引き返したのである。海峡で一体、何があったのか。ケテ海峡海戦に参加をした兵士の聞き取り調査が記録として残されている。

 

・・・あれは、濃霧が立ち込めた昼過ぎのことでした。先行する船が、いきなり落雷に撃たれたのです。その雷は、まるで生き物のように空中を奔り、帆柱を正確に撃ちぬいていきました。落雷に撃たれ、帆柱は燃えながら、へし折れました。その時、私は見たのです。あれは・・・(頭を抱え込み、悲鳴を叫ぶ。全身が震え、何を言っているのか聞き取れない。なんとか落ち着かせ、話を促す)あれは、人間では無かった。そう、人間ではありませんでした!あれは、黒い悪魔・・・黒い邪神そのものです!宙を舞いながら、次々と雷を落としていきました。私は見た・・・あの邪神の瞳を・・・あぁ・・・あの紅い瞳・・・死ぬまで頭から消えることはない!私は、私は呪われてしまったのです!(再び泣き叫ぶ。これ以上の話は困難と判断する)・・・

 

この哀れな兵士以外にも、聞き取り調査は行われているが、船団前方に配備をされていた兵士の多くが発狂、あるいは何らかの精神的な病に罹り、白髪化した兵士も相当数いたと記録されている。カルッシャ王国はこの海戦によって、ターペ=エトフへの軍事的関与を放棄し、外交交渉により共存の道を模索し始めたのであった。なお、多くの歴史家が、ターペ=エトフ歴二百五十年におきた「ハイシェラ戦争」において出現した「黒き魔神」と、ケテ海峡海戦に出現した「黒い邪神」は同一人物であると唱えているが、歴史的証拠は一切、無い・・・

 

 

 

 

 

表に出た神官騎士ルーフィン・テルカは、空気が一変していることに気づいた。霧の濃さは同じだが、邪悪な気配が漂っている。その時、いきなり前方に光が奔り、同時に叫び声が聞こえてきた。

 

『何が起きているのだ?全船に停船を伝えろ!この船は前方に向かう!』

 

ルーフィンは前進を命じた。船の合間を縫うように、進む。そこでルーフィンは信じ難い光景を目にしたのであった。

 

≪贖罪の雷槌ッ≫

 

稲光が奔り、帆柱が真っ二つに割れる。宙に浮いた漆黒の男が、両手から雷系魔術を放出する。帆柱を失えば、船は進まない。一艘ずつ、確実に船を行動不能にしている。幸いなことに、死者は出ていないようである。ならば反撃をすれば良いのだが、ルーフィンは男の姿を見て、思わず拳を握りしめた。

 

『・・・まさか、魔神・・・なのか?』

 

遠目からでも凄まじい「邪の存在感」を感じる。兵士たちは腰を抜かし、その場にへたり込んでいる。ルーフィンの乗った船にも雷が落ちてきた。だが帆柱に当たる直前に、雷は球形に分裂し、船を包んだ。マーズテリア神の呪符による魔術障壁結界である。黒い魔神の動きが止まった。

 

『今だっ!全軍、斉射っ!』

 

後方か弩が放たれる。海戦では、敵の帆を破るための弓弩がある。それを一斉に射掛けたのだ。だが、黒い魔神は右手を握ると、一振りした。凄まじい炎が発生し、数百本の矢が一瞬で蒸発する。魔神を見た兵士たちは、完全に戦意を喪失している。ルーフィンは覚悟した。魔神が出現した以上、人間の力では勝つことは出来ない。副官を呼び、指示を出す。

 

『私があの魔神を引き付ける。その間に・・・』

 

顔を引き締めた副官は頷き、急ぎ後方へと下がった。

 

 

 

 

 

«なるほど・・・どうやらアレが、司令船のようだな»

 

魔神ディアンは結界が張られた目の前の船を見下ろしていた。マーズテリア神の加護があるといっても、限界が存在する。ディアンは極大純粋魔術を手に込めた。死者が出る可能性が高いが、それは仕方が無いと腹をくくる。だがその時、司令船から一人の男が出てきた。左手に白旗を持っている。他の兵士たちは小舟に乗り、一斉に別の船に移動を始めた。落雷を受け、半壊状態となっている船からも、兵士が逃げ始める。ディアンは首を傾げると、司令船へと舞い降りた。マーズテリアの紋章を胸につけた騎士が語りかけてくる。

 

『私はマーズテリア神殿神官騎士、ルーフィン・テルカである。魔神に問う。貴殿は、ターペ=エトフの者か?』

 

«・・・何のことだ?オレはただ、目の前に船団がいたから遊ぼうと思っていただけだ。ターペ=エトフなんて知らんな»

 

ターペ=エトフに魔神がいるとなれば、それこそ光神殿が総掛かりで、戦争を仕掛けてくる可能性があった。ディアンはあくまでも「はぐれ魔神」として攻撃をしたのである。だがルーフィンは、ディアンの嘘を見抜いた。はぐれ魔神が手加減などするはずがないからである。

 

『・・・はぐれ魔神と遭遇するとは・・・つくづく運が無いな・・・』

 

嘘を見抜きながらも、ルーフィンはディアンの言葉を受け入れた。嘘と喝破したら、それこそ皆殺しにされかねないからである。ディアンもそれを承知の上で、ルーフィンに語りかけた。

 

«で、マーズテリア神殿の騎士が白旗を掲げるとは、どういうことだ?オレに降伏するのか?»

 

『話がある。我々を見逃してもらえないか?魔神と戦うつもりはない』

 

«それは無理だな。オレは退屈しているんだ。調度良い遊び相手が見つかったんだ。オレの気の済むまで、遊んでもらう»

 

『ならば、私が相手をしよう。私が貴殿に勝ったら、他の船は見逃してくれ・・・』

 

«ほう・・・»

 

ディアンは目を細めた。「テルカ」という姓に聞き覚えがあった。目の前の騎士は、かつて問答をした神官騎士ミライアの夫であろう。あの美しい女騎士が夫とした男である。どれほどの強さか、試したいと思った。

 

«魔神と知りながらも、一騎打ちを挑んでくるとは、見上げた度胸だ。いいだろう。オレを殺すことは出来まい。剣を弾くことができたら、お前の勝ちとしてやる»

 

ディアンは背負った愛剣クラウ・ソラスを抜いた。ルーフィンも腰に指した剣を抜く。魔神の気配に対抗するために、気を張り詰めている。

 

«心配するな。魔術は使わん。剣士として戦ってやる。さぁ、力を見せろ!»

 

『オォォォォッ!』

 

ルーフィンは雄叫びを上げ、ディアンに斬りかかった。クラウ・ソラスがそれを受け止める。

 

«良い撃ち込みだ。中々の腕だな。だが、まだ鍛えが足りんっ!»

 

アッサリと弾き返す。ルーフィンはその勢いに、体ごと壁に打ちつけられた。巨象と蟻ほどに、膂力が違いすぎる。しかし戦意は失っていない。再び構え、打ち込んでくる。虚実の剣だ。あらゆる確度から剣が撃ち込まれれるが、ディアンはそれらを全て弾き返した。普通の人間であれば、目にも留まらずに死んでいるであろう速度も、魔神ディアンにとっては止まっているようなものであった。

 

«では、次はこちらからいくぞ・・・»

 

一瞬で距離を詰め、一撃を振り下ろす。ルーフィンは剣を使って受け流し、床を転がった。本来であれば反撃をするところだが、受け流したはずなのに腕が痺れている。横を薙ぐ一撃が入る。剣で受け止めるが、体ごと吹き飛ばされる。

 

『ば、化物め・・・』

 

片膝をつき、肩で息をしながらも、ルーフィンの目から戦意が消えることは無かった。その目を見て、ディアンは首を傾げた。

 

«・・・お前のその目、死を覚悟した者の目だが、何か違うぞ。何か企みを秘めた者の目だ»

 

ディアンが剣を構えた瞬間、ルーフィンは懐中から魔法石を取り出し、床板に叩きつけた。眩しい光が放たれる。ディアンが一瞬、目を背けた。魔神にとっては隙とも呼べないほどの一瞬であった。だが・・・

 

『神罰覿面ッ!』

 

ルーフィンの叫び声と共に、巨大な雷柱がディアンを襲った。

 

 

 

 

 

マーズテリア神殿聖騎士アンドレアは、ルプートア山脈麓の平地に陣を構えるべく進軍を続けていた。カルッシャ王国からの援軍は、明日にはフレイシア湾に入るはずである。同時侵攻によって、ルプートア山脈を挟み撃ちにする作戦である。物見を出しながら慎重に軍を進めると、報告が届いた。

 

『申し上げます。ターペ=エトフ側の兵と思われる者、三名が謁見を求めております』

 

『ほう、ターペ=エトフからの使者か・・・良かろう、会おう』

 

三名の姿を見たアンドレアは、拍子抜けをしてしまった。三名とも女だったからである。それも素晴らしい美女たちだ。露出の高い服を着て、翼を生やしている女が、一歩進み出てきた。

 

『私はターペ=エトフ元帥、飛天魔族ファーミシルスである。イソラ王国の軍とお見受けした。責任者と話がしたい!』

 

アンドレアは、兵士たちに臨戦態勢を取らせつつ、進み出た。

 

『私は、マーズテリア神殿聖騎士アンドレア・バルカである。イソラ王国軍を率いている。ターペ=エトフからの使者とお見受けしたが、降伏に来たのか?』

 

後ろの二人が失笑する。ファーミシルスは目を細め、返答した。

 

『問う。貴殿らは何用でこの地に来たのか?これより先は、ターペ=エトフ領である。ターペ=エトフへの移住を希望するのであれば、私がターペ=エトフ王に掛けあっても良い』

 

この返答に、周囲から爆笑が起きた。アンドレアも苦笑いを浮かべる。

 

『これは驚いた。まさか、このような使者が来るとはな・・・亜人たちの考えそうなことだ。問いに応えよう。我らがこの地に来たのは、ターペ=エトフなる混沌の源を滅ぼし、マーズテリア神殿による秩序を齎すためだ。移住と言えば移住だが、その時にはターペ=エトフなる国は、無くなっているだろう』

 

『なるほど・・・つまり侵略に来たということか?』

 

『侵略ではない。秩序と安寧を齎しに来たのだ。後ろの者は人間族と見たが、その方らも、人間族の国で暮らしたほうが、幸福ではないか?』

 

金髪の女は、何も応えなかった。ファーミシルスが問いを続けた。

 

『ターペ=エトフには、ドワーフ族や獣人族なども住んでいる。彼らはどうするのだ?』

 

『マーズテリア神を信仰するのであれば、住み続けることを認めよう。そうでなければ、他の土地に移ってもらう』

 

『・・・つまり、自分たちの信仰を我らの押し付けようというのか?』

 

『正しい教えの下で生きることこそが、幸福に繋がるのだ。我らは救済に来たのだ』

 

ファーミシルスは瞑目し、鼻で嘲笑った。尊敬する黒服の魔神を見習い、言葉によって解決の道を図ろうと思ったが、やはり無駄であった。かなりの忍耐をしたが、もうその必要もない。

 

『貴様らは、何故そこまで「自分が正しい」と言い切れるのだ?自分自身の信仰を正しいと妄信し、他者に押し付けようとする。それを「狂信者」と呼ぶのだ!もう良い。貴様らが侵略をして来るというのであれば、手加減はせぬ。この地で骸になるがいい』

 

ファーミシルスは連接剣を抜き、一薙ぎした。囲んでいた兵士たちの首が落ち、噴水のように血が噴き出る。一瞬のことで、アンドレアも対応ができなかった。だがその一閃が、開戦の知らせであった。怒髪天を衝いたアンドレアが大声をあげる。

 

『掛かれぇ!!』

 

イソラ王国軍が、三人に一斉に斬りかかった・・・

 

 

 

 

 

巨大な雷柱が魔神を襲い、眩しい光りに包まれる。マーズテリア神殿の持つ「極大神聖魔術」である。あまりの破壊力ゆえ、近くにいたものも無事では済まない。ルーフィンは衝撃で、吹き飛ばされた。叩きつけられた壁は、後方に待機していた船である。

 

『ルーフィン殿っ!』

 

副官の呼びかけに気づいた。慌てて前方を見ると、司令船そのものが光りに包まれている。

 

『やったぞ!成功だ!』

 

極大神聖魔術は、発動に時間が掛かる。ルーフィンは副官に指示を出し、司令船を囲むように神官を配備させたのだ。魔神との一騎打ちは、その時間稼ぎだったのである。

 

『死をも覚悟していたが、これもマーズテリア神の御加護か・・・』

 

眩い光は未だ収まらない。あらゆる邪を消滅させる軍神マーズテリアの神罰である。あの魔神も消滅しただろう。ルーフィンはそう考えていた。だが、弱まる光の中に、黒い影が浮かんできた。左手を上げて魔術障壁結界を張った魔神の姿が浮かび上がる。

 

«・・・やってくれる。これがマーズテリア神殿の誇る「軍神の鉄槌(Mars Hammer)」か・・・»

 

光が消えた時には、司令船は藻屑と化し、宙に浮いた魔神の姿だけが残された。

 

 

 

 

 

・・・神罰覿面ッ・・・

 

そう聞こえた時に、ディアンはとっさに結界を張った。すぐに上空から凄まじい衝撃が襲ってきた。左手で結界を張るが、とても持ち堪えられるものではない。持てる魔力を総動員して、連続して結界を張り続けるが、やがて左手の感覚が無くなる。それは左腕全体に広がった。だがそれでも、ディアンは魔力を発し続けた・・・

 

«左腕を持っていかれたか・・・さすが、軍神マーズテリアの神罰だな»

 

左手から腕の根本まで、完全に炭化している。結界を張るのが僅かでも遅ければ、炭化は胴体に達し、神核も無事では済まなかっただろう。ディアンはクラウ・ソラスを振って、左腕を切り落とした。血が噴き出るが、すぐに止まる。魔の気配が強くなる。出来るだけ死なせないようにと考えていたが、ここまでやられて黙っている程に、ディアンは優しくはない。真紅の瞳を輝かせ、さらに巨大になった魔の気配と明確な殺気に、兵士たちが泡を吹いて気を失っていく。恐怖のあまり、白髪化する兵士も続出した。その中で、ルーフィンは冷静さを失わなかった。

 

『やむを得んっ!全軍、撤退っ!直ちに撤退せよっ!』

 

目に見えるほどに暗黒の気配を放ちながら、ディアンは船団の上空に浮上した。愛剣クラウ・ソラスを背に納め、残された右手を天に掲げる。

 

«・・・天地ヲ司リシ精霊達ヨ、閃光トナツテ我ガ呼ビカケニ応エヨッ!»

 

みるみるうちに、空が暗くなる。ディアンの頭上に、稲光が走る。分厚い黒雲の下、船団は混乱の極みとなっていた。ルーフィンが怒鳴り声を上げる。

 

『全軍、船内に退避せよっ!』

 

まだ気力の残っている兵士たちが、一斉に逃げ出す。腰を抜かした者、気を失っている者を抱える兵士もいる。ディアンはそれらを見下ろしながら、この戦いを終わらせる一撃を放った。

 

«極大雷系魔術「二つ回廊の轟雷」!»

 

数十隻の船を飲み込む巨大な雷が天から降り注いだ。多くの兵士たちが一瞬で蒸発していく。船も無事では済まない。数十隻の船が、木っ端微塵となる。辛うじて落雷から逃れた船も、発生した波の衝撃で横転する。雷が収まった時には、半数の船と四割近くの兵士を失っていた。落雷から逃れたルーフィンは、船室を出て、この惨状に絶句した。空を覆っていた黒雲は薄くなり、魔神の姿も消えている。

 

『・・・ルーフィン殿、ご指示を・・・』

 

副官の呼びかけに、ルーフィンは呆然としながらも応えた。

 

『生存者の捜索と収容・・・しかる後に、全軍、撤退する・・・』

 

副官は復唱し、後ろに下がった・・・

 

 

 

 

 

叫び声とともに、兵士たちが倒れる。三人の美女は汗一つ流さず、残酷な殺戮を行っていた。犠牲者は既に二百名を超えている。

 

『ば、化物どもめっ!』

 

聖騎士アンドレアは自ら剣を握り、金髪の女に斬りかかった。普通であれば剣ごと斬り裂く剛剣である。だが女は絶妙な力加減で受け流し、逆にアンドレアに斬りかかった。それを間一髪で躱す。一筋の血が頬から流れる。

 

『あら、化物なんて失礼ね。私たちから見れば、自分を正しいと絶対視しているあなた方のほうが、よっぽど自我肥大の化物に見えるわ』

 

『黙れっ!』

 

アンドレアが再び斬りかかる。女は舞のようにそれを躱し、痛烈な反撃を加えてくる。超一流の剣技の持ち主である。女の反撃を躱し、再び一撃を打ち込む。女は、首を一閃する一撃を躱す。金色の髪が数本落ちる。アンドレアは久々に、剣士としての充実感を感じていた。聖騎士となってから十年、自分に伍する剣士はマーズテリア神殿にはいなかった。自分が全力をぶつけられる相手が目の前にいるのである。だが女のほうは、そんなロマンティシズムに興味は無いようであった。

 

『・・・そろそろね。ティナ、ファミ!時間よっ!』

 

三人が一斉に下がった。その隙にアンドレアは指示を出し、軍の護りを固める。上空に黒い影が横切ったような気がした。瞬間、目の前に落雷が落ちてくる。黒い飛竜が上空から攻撃を仕掛けてきたのだ。雄叫びが聞こえると、レブルドルに跨った獣人たちが南方から攻め寄せてきた。三人の美女は、既に南へと下がっている。

 

『防御陣ッ!』

 

アンドレアの指示に、イソラ王国軍が動く。南方から向かってくる軍に対して盾を構え、腰を低くする。だが敵は突っ込んでこない。十町ほど手前で止まり、突撃の陣形を構えている。双方の間に、飛竜が舞い降りてきた。その背から、黄金の甲冑をまとったドワーフが降りてきた。

 

『イソラ王国軍に告げる。私は、ターペ=エトフの国王、インドリト・ターペ=エトフである!貴殿らが頼みとしているカルッシャ王国の海軍は、ケテ海峡で壊滅した!もはやこれ以上の戦闘は無意味である!大人しく降伏をして頂きたい!』

 

ざわめきが軍の中に拡がった。アンドレアはインドリトの姿に息を呑んでいる。国王自らが前線に出てくる豪胆さもさることながら、その身に纏う空気に圧倒されていたのだ。イソラ王国国王と比べても、器の違いが一目瞭然であった。だが、降伏など簡単にできるものではない。それにカルッシャ王国が退いたというのも疑わしい。アンドレアは前に出て、インドリトと向き合った。

 

『私はマーズテリア神殿聖騎士アンドレア・バルカである!ターペ=エトフ王よ、カルッシャ王国が退いたと言われるが、その証拠があるのか?』

 

インドリトは頷いた。金髪と銀髪の美女が、インドリトの隣に進み出て旗を掲げる。アンドレアは呻いた。その旗は紛れも無く、カルッシャ王国軍の旗であった。

 

『カルッシャ王国の船団は、昨日午後、ケテ海峡にて壊滅しました。船の半数を失い、指揮官であるルーフィン・テルカ殿は撤退を決断された。もはやあなた方に勝ち目はない。大人しく降伏すれば、生命は保証します』

 

ルーフィン・テルカの名前が出た以上、嘘とは思えなかった。アンドレアは瞑目した。たった三人の女剣士に手こずり、さらには飛竜まで出現をしたのである。勝ち目が無かった。唯一の逆転の機会としては、目の前の王を殺すことである。だが、そんなことをすれば自分も含め、兵士たちは皆殺しにされるだろう。第一、眼前の王はドワーフとは思えぬほどに、洗練された闘気を放っている。不意打ちで殺せる相手とは思えなかった。

 

『・・・解った。降伏しよう。だが聞きたい。我らをどうするつもりだ?』

 

『貴殿らには、マーズテリア神殿との交渉材料となって頂きます。我らターペ=エトフは、他国に侵略する意図はありません。マーズテリア神殿には、我らへの不関与を約束してもらいます。交渉が成立次第、貴殿らを開放します』

 

アンドレアは頷き、剣を腰から落とした・・・

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴十六年、カルッシャ・イソラ王国のターペ=エトフ侵攻は、ターペ=エトフ側の完全勝利で決着を見た。聖騎士を含め、二千名以上を人質に取られたマーズテリア神殿は、ターペ=エトフ側の要求を受け入れざるを得ず、教皇自らの発表として、ターペ=エトフへの不関与を公式に宣言するのである。数千名もの被害を出したカルッシャ王国は、軍の立て直しをせざるを得なくなり、レスペレント地方東方への影響力は大きく交代することになる。イソラ王国は、人的被害こそ少なかったものの、マーズテリア神殿からの支援が事実上、打ち切られることになり、その国力は徐々に、衰退することになる。ディル=リフィーナ最強の軍神を祀るマーズテリア神殿を撃破したことにより、ターペ=エトフの名は西方各国にまで、知れ渡るようになった。そしてそれは、光神殿側の警戒を呼ぶことになり、やがて更なる大戦へと繋がることになるのである。

 

『それにしても、先生をもってしても防ぎきれなかったとは・・・マーズテリア神の神罰とは、恐ろしいものですね』

 

左腕を失ったディアンを見ながら、インドリトは溜息をついた。ディアンの家には、インドリトの他、ファーミシルスやルナ=エマ改めエミリア・パラベルムの姿がある。椀が持てないため、ソフィアに食べさせてもらいながら、ディアンが頷いた。

 

『魔神として、自分はそれなりに強くなっていたと思っていたのだがな。どうやら奢りだったようだ。マーズテリア神が力を貸した「神罰」だけであの威力ならば、本人自身はどれほどに強いのか・・・できれば、マーズテリアとは戦いたくないな』

 

『マーズテリア神は、いたずらに殺生を好む神ではありません。情に篤く、普段は穏やかな神なのです。ひょっとしたら、ディアン殿と気が合うかもしれません』

 

『まぁ、会ってみたい神ではあるな。バリハルトが目の前に現れたら、有無を言わずに戦うことになるだろうが・・・』

 

『そういえば・・・』

 

ソフィアが西方の情報を話した。

 

『マーズテリア神殿は、今回の失態によってその勢いに陰りが出ているそうです。その結果、バリハルト神殿が勢いを取り戻しつつあるそうです。ひょっとしたら、バリハルト神殿が再び、セアール地方に進出してくるかもしれません。今すぐに、というわけではないでしょうが・・・』

 

『なるほど・・・バリハルトか・・・』

 

ディアンは左腕を右手で抑えた。腕は再生し始めているが、思った以上に時間が掛かっている。信仰心が生み出した神聖魔術「神罰」の影響と思われた。魔神の肉体には、負の影響が大きいようである。

 

『もし、バリハルトが出てくるとなれば、まずはアヴァタール地方を目指すだろうな。セアール人とスティンルーラ族の争いが、再び始まることになる・・・』

 

『ターペ=エトフとしても、無視は出来ませんね。エミリア殿、あなたの役目は大きなものです。あなたの力で、レウィニア神権国、スティンルーラ族との繋がりを強めてください』

 

頷くエミリアを横目に、グラティナが伸びをした。

 

『もう政治の話は良いだろう?今日は戦勝とエミリア殿の門出の祝いだ。退屈な話は、この辺にしてくれ』

 

ディアンたちは笑い、それぞれに杯を持った・・・

 

 

 

 

 




仕事が忙しく、更新が遅れがちで申し訳ありません。次話更新は未定ですが、近日中に載せます。どうかこれからも、応援の程、宜しくお願いします。

【次話予告】

ターペ=エトフの黄金時代は続いていた。だが問題が無いわけではなかった。インドリト王の結婚という問題である。一向に結婚を考えない国王を説得するために、シュタイフェは切り札を使うこととした。インドリトに強い影響力を持つ「師」から、説得をしようと企む。

インドリトは師に対し、ターペ=エトフの未来について語る。それは時代を遥かに超えた先見的なものであった。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第五十九話「ターペ=エトフの未来」

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

ひざまずくか、諸人よ?
創造主を感じるか、世界よ
星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住みたもう・・・


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第五十九話:ターペ=エトフの未来

ターペ=エトフ歴二百九十八年、賢王インドリト・ターペ=エトフの崩御により、ターペ=エトフは滅亡する。繁栄を極めたままターペ=エトフが滅亡をした背景としては、地の魔神ハイシェラとの戦時中であったということもあるが、それ以上にインドリト・ターペ=エトフに世継ぎとなる子女がいなかったことが大きい。二十歳でターペ=エトフを建国して以来、滅亡までのおよそ三百年間、インドリトは名君として、民衆から絶大な支持を受け続けた。その気になれば、王宮を「美女の園」にすることも可能であったはずである。何故、インドリトが世継ぎとなる子女を成さなかったのかは、歴史家の中でも諸説ある。後世の歴史家の中には、同じく賢王と呼ばれたメルキア帝国皇帝「ヴァイスハイト・フィズ=メルキアーナ」との比較を行うことで、インドリト・ターペ=エトフの特色を際立たせる者も入る。

 

・・・知っての通り、皇帝ヴァイスハイトは、ラナハイム王国長女にして「傾城の美女」と呼ばれた「フェルアノ・リル・ラナハイム」を正室に迎え入れ、二男一女を成している。そればかりか複数の側室を持ち、子女の数は二桁に達したと言われている。皇帝ヴァイスハイトは、若かりし頃から「その道」では有名であったそうで、彼に泣かされた女性も多かったと言われている。一方、インドリト・ターペ=エトフにはそうした「色恋」の話は「皆無」という状態である。少なくとも残されている記録の中には無い。同じ「賢王」と呼ばれながら、この両者は「色欲」という点において、全くの真逆であったと考えられる。それは一体何故か。これは両名の「生き方の違い」から生まれていると私は考える。皇帝ヴァイスハイトは「庶子」として生まれ、自らの努力で千人将の地位を得、メルキア帝国の混乱に乗じて、皇帝の地位を簒奪している。つまり「戦いによって環境を変える」という生き方をしてきた。一方、賢王インドリトは、ドワーフ族族長の息子として生まれ、幼い頃から何不自由なく暮らしてきた。「混沌の地」というケレース地方の特性からか、彼はやがて「種族を超えた平和と繁栄」という理想を築き上げる。そしてそれを実現するための手段として、建国という途を選択したのである。つまり、ヴァイスハイトは「今の環境をいかに変えるか」という現実主義の生き方をしたのに対し、インドリトは「理想をいかに実現するか」」という理想主義の生き方をしたのである。「現実主義者」と「理想主義者」という二人の性質の違いが、「色欲」という面に現れていたと考えられる・・・

 

後世、二人の王を比較したある歴史家が、このような論文を発表している。この説は賛否が分かれるが、インドリト・ターペ=エトフが「意図的」に世継ぎを遺さなかったことは事実であり、彼の中に、王家を存続させる以上の「理由」が存在していたことは間違いない。ターペ=エトフ史の全貌を知る「唯一の生き証人」である、メンフィル帝国大将軍ファーミシルスは、少なくとも公的な場においては一切、ターペ=エトフについて言及していない。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴三十五年、インドリトは五十五歳になっていた。三百年を生きるドワーフ族は、中年期が長い。ドワーフ族の男性は、中年期になると口髭を蓄え、男性的な姿になる。しかし、外見が母親譲りであるインドリトには、薄っすらと口髭が生える程度である。若々しい姿のままであり、ドワーフ族の女性のみならず、ターペ=エトフの全女性を魅了している。

 

『私としては、できればもっと男らしい姿になりたいのですが・・・』

 

鼻下から口周りに生える髭を撫でながら、インドリトは苦笑いをした。レイナがそれに意見をする。

 

『あら、いいじゃない。男らしいかどうかは、外見ではなく、生き方だと思うわ。インドリト、あなたはターペ=エトフの誰よりも男らしいわよ?』

 

『全くだ。プレメルの街では、誰が王妃になるかで、口論まで起きるそうではないか。ターペ=エトフ中の女が、お前と結婚したがっているのだぞ?』

 

『実際、王宮には毎日のように「求愛の手紙」が届きます。兄様が早くご結婚をされれば、検閲の手間も省けますわ』

 

使徒三姉妹に囃され、インドリトは肩を竦めた。こんな美人の姉妹を持ってしまったのであれば、大抵の女性には心動かされることはない。何より、インドリトの中には、色欲への情熱が希薄であった。自分自身でも「偏っている」と思うことがある。それに、果たして「世継ぎ」を残すことが正しいことなのか、インドリトの中に疑問があった。

 

 

 

 

 

『ウヒヒッ!そいじゃぁ、またー』

 

睡魔族の娼婦と別れた魔人シュタイフェは、そのまま魔神亭に向かった。空腹であったこともそうだが、それ以上に亭主に相談しなければならない事案があったからだ。

 

『性欲を満たしたら、今度は食欲と・・・』

 

気軽に扉を開き、騒がしい店内に入る。ターペ=エトフは多用な種族が暮らしているため、魔人であっても普通に出歩くことができ、店で飲食ができる。シュタイフェの姿を見て、気軽に声を掛けてくる知人もいるくらいだ。対面席に座り、店主に注文をする。香辛料をかけた腸詰め肉とエールが出される。シュタイフェは隣に気づかれないように、店主に紙を渡した。一読し、店主は頷いた。

 

『お前がオレに相談があるとは、珍しいな』

 

『アッシの手に余ることですが、極めて重要なことでヤンス。ディアン殿と力を借りたいと・・・』

 

魔神亭の二階にある亭主の部屋で、シュタイフェはディアンに相談を持ち掛けた。国務大臣は、水で割った蒸留酒を飲みながら、話し始める。

 

『実は、インドリト様の御婚姻を話でヤす。アッシはこれまで、インドリト様に幾度か、結婚話を持ちかけヤした。ターペ=エトフの繁栄のためには、御世継ぎが必要・・・インドリト様が王妃を迎えられれば、国民も安心し、ターペ=エトフは更に栄えヤす。そう申し上げたのですが、インドリト様は一向に、女性を近づける素振りがありヤせん。ひょっとしたら、男色家なのではないかとさえ、疑いたくなる程でヤンス』

 

『インドリトは男色家ではない。ここだけの話だがな、インドリトはレイナに憧れているフシがある。といっても、性欲といった生々しいものではない。「憧憬」という言葉に近いだろう。オレも正直、インドリトを娼館に連れて行けばよかったと思うことがあるのだ』

 

シュタイフェは腕を組んで溜息をついた。インドリトは若い男のそうした欲望にも理解を示しており、プレメルにはそうした娼館もある。だが、王を娼館に連れて行くなど出来ない。かと言って、娼婦を王宮に呼ぶなど論外である。その娼婦から噂が立ちかねないからだ。インドリト・ターペ=エトフは、国威の存在としてあり続けねばならないのである。

 

『インドリト様の中に、そうした「異性への欲望」が希薄だというのなら、それはそれで対応の仕方もありヤす。例えば養子を迎え入れるとか・・・ですが、インドリト様は「世継ぎを持つこと」そのものを否定されているように思うのです』

 

『つまり、王家を自分一代で途絶えさせようとしているのか?』

 

『ハッキリとそう仰られたわけでは無いのですが、アッシの勘ってやつで・・・』

 

『そう言えば、インドリトは以前、レウィニア神権国や東方の龍国について、意見を言っていたな。王の子女や王妃の家族などは、どのように扱われるのか。特権階級となって働くこと無く、税金で暮らしていくのは正しいのか、とな・・・』

 

『ディアン殿、インドリト様の真意を確かめて頂けないでしょうか?アッシの立場では、これ以上は申し上げられないのでヤンス・・・』

 

ディアンは頷いた。

 

 

 

 

 

『先生まで私に、結婚を勧めるのですか』

 

インドリトは苦笑いを浮かべた。久々に、絶壁の王宮に姿を現したディアンは、そのまま中庭まで通された。シュタイフェの図らいである。インドリトは喜んで中庭に足を運び、そこで師から結婚について聞かれたのである。

 

『いや、お前が生涯を独身で生きるというのなら、私は別に反対はしない。だが、ターペ=エトフは王国だ。「王家の存続」という点について、お前がどのように考えているのか、聞きたいと思ってな・・・』

 

『なるほど・・・シュタイフェから言われたのですね?』

 

インドリトは笑いながら、ディアンが驚く返答をした。

 

『私は結婚をするつもりはありません。世継ぎを設けるつもりもありません。王国としてのターペ=エトフは、私一代で終わるのです・・・』

 

 

 

 

 

『誤解をしないで下さい。ターペ=エトフは続きます。ただ、国としての形を変えるのです』

 

『もう少し詳しく、聞かせてくれないか?お前の考える、ターペ=エトフの未来像について・・・』

 

インドリトは頷き、語り始めた。

 

『書籍や伝聞、あるいは龍国から来た第一王子「龍贏」殿の話を聞くうちに、私の中である疑問が生まれました。先生は以前、仰られましたね。「王とは国威の存在なのだ」と・・・』

 

『そうだ。民衆を「国民」として束ねる存在、「国家の象徴」としての存在・・・王には、そうした役割がある』

 

『ですが、王は「神」ではありません。私もいつの日か、必ず死にます。先生とお別れをする日が来るでしょう』

 

ディアンは微かに頷いた。インドリトは自分の使徒ではない。いつの日か、この愛弟子を失う日が来るのである。考えたくはないが、必ず来る未来である。

 

『「国家の象徴」としての王が死ぬ。しかし、国家は続きます。新しい国威が必要になります。そこで王は世継ぎを設けます。この時に、国威の存在が変化します。王個人から「血筋」へと変わるのです』

 

『確かにそうだ。どの王国も、建国者の血を引く者たちが「何代目かの国王」となり、国威の存在を担う。建国時は、建国者が象徴であったが、後代においては「血筋」が象徴となる』

 

『私は思うのです。果たして「血筋」を象徴とするのは正しいことなのでしょうか?』

 

『どういうことだ?』

 

『どの王国も、血筋を大事にし、それを絶やさないように「王家の血族」には特別な待遇を与えています。簡単に言えば「働かずに暮らせる」「周囲が遠慮をする」「自分の我儘が通る」という待遇です。先生、人はこうした待遇に慣れると、どうなるでしょうか?』

 

『腐敗するな。間違いなく・・・』

 

『そうです。皆が自分に傅いて当たり前、自分の欲望が叶って当然・・・それを「特権意識」と呼ぶのではないでしょうか?実際、レウィニア神権国などでは、王から選ばれた貴族たちの中に、そうした意識を持つ者たちが出てきているそうです』

 

『確かにそうだが、それは教育によって解決できるのではないか?』

 

『無理です。王とは単なる象徴ではありません。国政を動かす「権力」も同時に持つのです。その王に諫言をするには、勇気が必要です。そのような者、そう多くはないでしょう』

 

インドリトの意見は、ディアンも頷かざるを得なかった。転生前に生きていた「ジパング」では、権威と権力を分けることで、国王は実権を持つこと無く、象徴としての存在に特化していた。だから周囲も、厳しい教育が出来たのである。だがターペ=エトフは王国である。実権を持つ国王とその一族を叱れる者など、限りなく希少である。

 

『当初は、次代から権力を剥奪し、国王を「国威を担う象徴」に特化させるという道を考えていました。ですが、それでもやはり「特権的な血族」が残ります。私は思います。国威とは、必ずしも「王の血筋」である必要は、無いのではないかと・・・』

 

『では、何が国威となるのだ?国が国としてまとまるためには、求心力となる国威は欠かせないぞ?』

 

『「理念」です。ターペ=エトフの理念「種族を超えた平和と繁栄」こそが、国威となるべきです。そして国の形も、その国威に合わせて、変化をさせるべきだと思うのです』

 

ディアンは顎をさすった。インドリトの理想は理解できる。だが人というものは、理念という抽象的なもので国家を感じることが出来るだろうか?

 

『理念は、目に見えない抽象的なものです。国王という実像と比べると、求心力という点では弱いでしょう。国の形を変えることで、民衆一人ひとりが国政に参加をし、国の行く末に責任を持つという体制を構築しなければなりません。民こそが権力を持つべきなのです』

 

『具体的には、どのような国家なのだ?』

 

『権威と権力を持つ「期限付きの王」を、民が選ぶのです。ターペ=エトフでは既に、元老の選出を行っています。国王も同じように「選出」するのです』

 

ディアンは瞑目した。その国家体制は、遠い昔に見ている。理想的に聞こえるが、実際には様々な問題が発生している。だがインドリトはそれすらも見越していた。

 

『王を民が選ぶ、という体制は、実際には様々な問題があると思います。例えば「名が知られているから」という理由だけで選ばれたり・・・しかし、それも全て、一人ひとりの民の責任です。私は思うのです。人は独りでは生きられません。人は纏まって生きるものです。そして、その集団の行く末については、集団を形成する一人ひとりが責任を持つべきです。「誰か独りに頼る集団」であってはならないのです』

 

『・・・民主共和制・・・か・・・』

 

ディアンは小さく呟き、頷いた。

 

『ターペ=エトフの王はお前だ。お前が国を動かすのだ。お前の理想は、良く解った。素晴らしい理想だと思う。シュタイフェやソフィアには、私から伝えておこう。迷うこと無く、お前の理想を追い求めなさい』

 

 

 

 

 

シュタイフェとソフィアは、沈黙していた。ディアンから聞かされたターペ=エトフの未来像について、考えていた。

 

『・・・正直、アッシにはまだ理解できヤせん。インドリト様にお仕えをしているアッシらは、どうなるんですかい?』

 

『シュタイフェ・・・お前たちはインドリト王に仕えているのではない。ターペ=エトフに仕えているのだ。インドリト王は、ターペ=エトフという国家における、一つの機能なのだ。インドリトを好くのは構わない。だが、お前たちの忠誠の対象は、ターペ=エトフであり、そこに生きる民衆たちに向けるべきなのだ。少なくとも、インドリト王はそう望んでいる』

 

ソフィアも不安を口にする。

 

『・・・理屈としては理解できますが、おそらくそのような国は、このディル=リフィーナに存在していないでしょう。誰も見たことのない、全く新しい国体です。私達も、何から手を付けたら良いのか・・・』

 

ディアンは頷いた。恐らく、その国家像を見たことのある存在は、この世界で自分だけだろう。

 

『まだ時間は十分にある。インドリト王とも話し合い、じっくりと考えるが良い。私も考えよう。まだ誰も見たことの無い、真の「理想国家」について・・・』

 

ディアンは遠い眼をして、呟いた。

 

 

 

 

 

インドリト・ターペ=エトフの語った理想は、残念ながら実現すること無く、ターペ=エトフは滅亡する。ターペ=エトフ滅亡後に、西ケレース地方を統治した魔神ハイシェラは、当時十五万人を超えていた民衆たちの「移住」を黙認している。インドリトの理想を受け、その実現のために働いた魔人シュタイフェは、ターペ=エトフ滅亡後は魔神ハイシェラに従うことになる。シュタイフェは、マーズテリア神殿の侵攻を受けても、プレメルの王宮に留まり、その最後を遂げたと歴史には記されている。彼が何を思い、何を考えてハイシェラに従ったのか、具体的な資料は何一つ、遺されていない・・・

 

 

 




【次話予告】

ターペ=エトフ歴百八十年、苛烈な嵐神バリハルトを祀る「バリハルト神殿」は、セアール地方への再進出を企図し、マクルの街を建設した。激しく抵抗をするスティンルーラ族は、ターペ=エトフに援助を要請する。インドリト王からの依頼を受け、ディアン・ケヒトはマルクの街を訪れる。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第六十話「新興都市マクル」

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

ひざまずくか、諸人よ?
創造主を感じるか、世界よ
星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住みたもう・・・


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第六十話:新興都市マクル

ディル=リフィーナ世界においては、光と闇の神々が対立をし、微妙な均衡状態を維持している。互いに敵視し合いながらも、「光無くば闇はなく、闇無くば光なし」という「相互依存」の部分もあり、旧世界ネイ=ステリナより今日に至るまで、光闇という二項対立構造を生み出している。両陣営にはそれぞれ、複数の神が存在しており、各陣営においてもまた、神々同士の微妙な駆け引きが行われている。これは神殿勢力にも言えることで、特に光側陣営の「マーズテリア神殿」と「バリハルト神殿」は、敵対というほどでは無いにしても、神殿同士での勢力争いが続いている。

 

マーズテリア神は、軍神として各国の騎士団などで広く信仰されている。一方、バリハルト神は嵐神として、冒険者や旅行者、あるいは各地を点々とする「傭兵」などに信仰されている。バリハルト神は、時に無茶をする「(良く言えば)豪快さ」と、仲間を大切にする「男気」があり、こうした「魅力的な男性像」が、傭兵たちなどの人気を集めているのである。

 

しかし一方で、バリハルト神は三神戦争において、三人の子供のうち一人を失うことから、敵対していた「古神」に対して、強い憎悪を抱いていると言われている。それは教義にも表れており、「大きな邪を滅ぼすためであるならば、非情・卑劣な手段もやむを得ない」という教えが示されている。この点が、信義と情を重んじるマーズテリア神にとって違和感を持つところであり、マーズテリア神はバリハルト神と距離を置いていると言われている。バリハルト神も、元々は地方神であり、三神戦争において「成り上がった」マーズテリア神を嫌っており、互いに接触を避けている状態と言われている。後世において、エディカーヌ帝国において人気を博した舞台劇の中で、この両名の対立が描かれている。

 

 

 

・・・マーズテリア神は、怒りの表情でバリハルト神に苦言を呈した・・・

「たとえ古神であろうとも、武器も力も持たない子女を殺すなど、正道から外れているとしか思えん!卿は息子を殺されたという「個人的な恨み」から、古神を皆殺しにしようとしているのではないか?」 

 

・・・バリハルト神は鼻で嗤って言い返した・・・

「フンッ、田舎者はこれだから困る。古神など、存在そのものが「邪」なのだ。将来への禍根を断ち、世界に安寧を齎すことこそが、我らの使命であろう。あぁ、そう言えば卿の奥方も、元々は「古神」であったな?卿が古神に寛容なのは、奥方の尻に敷かれているからか?」

 

 

 

この舞台劇を描いたのは、元マーズテリア神殿騎士であった。そのため、バリハルト神を謂わば「悪役」として描いている。しかしこの舞台劇においても、バリハルト神が身を呈して仲間を庇う姿なども見られ、単なる「卑劣で嫌味な神」などではなく、マーズテリア神とは異なる魅力を持つ神としている。この劇が上演された頃には、バリハルト神殿は大きく勢力を後退させており、エディカーヌ帝国に対して、光神殿からの苦情は出なかったと言われている・・・

 

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴百二十年、西方諸国に激震が走った。大封鎖地帯であった魔族国「ゴーディア王国」が三つに分裂し、封鎖されていたマサラ魔族国の「闇の技術」が流出するという事態が発生したのである。光側の国であるテルフィオン連邦は、西方南部の帝国「ペルシス帝国」と同盟し、拡大する魔族国を武力を持って鎮圧すべく乗り出す。闇の現神を信奉する「ベルガラード王国」は分裂したゴーディア王国を支援すべく参戦する。大封鎖地帯を中心として、光と闇の国々による戦争が始まったのである。大封鎖地南部のマーズテリア神殿も、この戦いに加わらざるを得ず、アヴァタール地方への干渉は著しく低いものになった。一方、大封鎖地帯から離れていたバリハルト神殿は、マーズテリア神殿の影響力が低下したことを機会と捉え、セアール地方よりアヴァタール地方への再進出を企図する。セアール人たちはバリハルト神殿の支援を受け、スティンルーラ人たちが暮らすブレニア内海沿岸の肥沃地帯に進出、ターペ=エトフ歴百八十年、セアール地方南部に「マクルの街」を建設する。この事態に、スティンルーラ人たちは激しく反発し、クライナの街を拠点として、セアール人およびバリハルト神殿への武力闘争へと至るのである。

 

『バリハルト神殿は、廃都ノヒアの南部に「マクル」という街を建設し、セアール地方南部の完全制圧を図っています。レウィニア神権国はこの事態を警戒し、スティンルーラ族たちへの食料支援を決定しました。レウィニア王より、ターペ=エトフからも武器等の支援をして欲しいとの要請が来ております』

 

レウィニア神権国首都プレイアの駐在官「エマニュエル・パラベルム」の報告を聞き、元老院はざわめきに包まれた。賢王インドリト・ターペ=エトフは口髭を撫でながら、考えている。齢二百歳となり、人間でいえば「壮年期」から「初老期」へと移るころである。鍛えぬかれた肉体は頑強で、見た目はとてもそう見えないが、目尻には皺が出始め、髭にも白いものが混じり始めている。ヴァリ=エルフ族元老が発言をする。

 

『スティンルーラ族とは長年に渡る友好関係があり、彼らの麦酒はターペ=エトフ国民を潤しています。ここはレウィニア神権国の要請を受諾し、武器や医薬品の支援を行うべきではないでしょうか?』

 

『だが無制限に支援をするというわけにもいくまい。それに、スティンルーラ族を援助するということは、つまりバリハルト神殿と敵対することを意味する。いかにルプートア山脈を隔てているとはいえ、セアール地方はターペ=エトフの隣接地方だ。あくまでも道義的、人道的な支援に留めるべきではないか?』

 

活発な議論をインドリトは黙って聞いていた。新任したばかりのイルビット族元老ペトラ・ラクスが手を挙げる。丸眼鏡を直しながら、発言する。

 

『支援をするにしても、どの程度の支援をすべきか、現時点では情報が不足しており、判断が難しいと思います。まずは失望されない程度に武器や医薬品を送るとして、バリハルト神殿がどの程度の勢いを持っているのか、スティンルーラ族との争いは、どの程度の激しさなのか、より多くの情報を得る必要があると思います。ここは、我が国より偵察のために誰かを送り込んでは如何でしょうか?』

 

他の元老たちも、この意見に頷いた。積極と消極の間であるが、偵察をするという能動的行動も加わっており、現時点では最善の案に思われたからである。インドリトも頷いた。

 

『ペトラ殿の提案には、私も賛成します。バリハルト神殿は、苛烈さという点ではマーズテリア神殿以上と言われています。我が国としても、警戒をするに如くはないでしょう。偵察として誰を送り込むか、その人選は私に一任をして頂けませんか?皆さんも恐らく、同じ人選をすると思いますが・・・』

 

一同が頷いた。

 

 

 

 

 

 

インドリト王の依頼を受け、ディアン・ケヒトはまず、レウィニア神権国首都プレイアに入った。マクルの街に行く前に、まずは情報を収集する必要があるためである。既にラギール商会には話を通してある。裏口から客間に通されると、既にリタ・ラギールが座っていた。ディアンの顔を見て、笑顔になる。茶を飲みながら、近況を話す。

 

『・・・そう言えば、ニーナにまた、子供が出来たそうだ』

 

『えっ?これで何人目よ、七人目?』

 

『八人目だ・・・』

 

お互いに顔を見合わせ、笑い合う。頃合いを見て、ディアンが切り出した。新興都市マクルについてである。

 

『その昔、誰かさんが「ノヒア」を木っ端微塵にしちゃったから、バリハルトはもう来ないと思っていたんだけどねぇ。ホント、神殿の方々は生真面目というか、懲りないというか・・・』

 

『聞いた話によると、マクルという街は、ノヒアの南にあるそうだな。ノヒアは鉱山の近くにあり、鉱業で栄えていたが、今回は違うようだ』

 

『内海の近くだね。農耕や牧畜、漁業の他に、交易も始めている。ディアン、今回のバリハルトは本気だよ?街そのものを自分たちで造ったんだ。不退転の覚悟が見えるよ』

 

『つまり?』

 

『バリハルト神殿は、スティンルーラ族を完全に追い出すまで、決して手を緩めないだろうね。神殿の騎士のみならず、他地方から傭兵まで雇ってるみたいだよ』

 

ディアンは目を細めた。二百年前も、バリハルト神殿は武力によってアヴァタール地方に進出しようとした。まだ国家となっていなかったプレイアの街を侵攻しようとして、魔神によって無残な目に遭わされている。二百年の時を経て、同じ過ちを繰り返そうとしているのだ。

 

・・・今すぐ飛んでいって、街ごと消滅させてやるか・・・

 

ディアンの殺気を感じて、リタは両手を振った。

 

『待って待って!今すぐマクルを破壊するのはやめて頂戴!』

 

『何故だ?』

 

『ラギール商会マクル支店が、一週間前に開店しました。ニヒッ』

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ王国プレイア領事館、別名「パラベルム邸」にて、バリハルト神殿とスティンルーラ族との紛争について、状況を確認する。領事のエマニュエル・パラベルムは、初代に勝るとも劣らない金髪の美女だが、人妻である。リタ・ラギールの紹介で、元メルキア王国騎士を夫として迎えたのだ。プレイアでも評判の美女であったため、落胆をした男たちも多かったそうである。夫は現在、ラギール商会の行商隊護衛長になっており、主に西方諸国を廻っているらしい。ターペ=エトフにとっては貴重な情報源となっている。

 

『バリハルト神殿の進出を受けて、レウィニア神権国も警戒を強めています。現時点では、クライナを中心とするスティンルーラ族に布教をするため、神官たちが活動をしていますが、いつ武力衝突が起きるかも知れません』

 

『スティンルーラ族長ロザリア・テレパティス殿は、何と言われているのでしょう?』

 

『族長は戸惑われていました。スティンルーラ族が信仰する「裁きの神ヴィリナ」は、バリハルト神の「妻」です。本来であれば、支え合う関係のはずなのに、何故、自分たちの地を侵し、バリハルト信仰を押し付けるのか、と・・・』

 

ディアンは頷いた。神々同士は夫婦であっても、それが「宗教」となれば話は別なのである。ディル=リフィーナの信仰形態は、「同時並列的一神教」である。主神の下に多くの神がいる「多神教的一神教」では、このような対立は起きにくい。第一、第二級神などの序列はあれど、ディル=リフィーナにおける神々は、基本的に「対等」なのだ。極端な話、父子であるアークリオンとアークパリスが、神殿同士で対立することもあり得るのである。憂鬱そうな表情で、エマニュエルが話を続ける。

 

『先日、クライナにも、バリハルト神殿から神官が来たそうです。バリハルト神を布教しようとして、追い出されたそうです。これにより、対立は決定的になりました。事態は逼迫しています。いつ武力衝突が起きてもおかしくありません』

 

エマニュエルは溜め息をついて、足を組んだ。艶めかしい脚に目を向けないよう、努力をしながら、ディアンは立ち上がった。

 

『明日、クライナの街に向かいたいと思います。本日はこの辺で・・・』

 

『あら、それなら部屋をご用意しますのに・・・』

 

『いえ、お気遣いなく。宿を取っています。それに、墓参りをしたいものですから・・・』

 

 

 

 

 

 

『・・・ルナ=エマ殿、久し振りですね。十年ぶりでしょうか』

 

初代パラベルムの墓に花を添え、ディアンは墓石に話しかけた。かつての知人たちの多くが、故人となっていた。現在は都市国家となっているレンストの「ドルカ・ルビース」、メルキア王国建国者の「ルドルフ・フィズ=メルキアーナ」や、宰相であった「ベルジニオ・プラダ」も、ずっと昔に死んだ。古の宮の族長「ヴェストリオ・ドーラ」も故人である。一度だけ、レイナと共に「アウグスト・クレーマー」の墓を詣でたことがあった。生きるということは、出会いと別れを繰り返すことである。魔神である自分は、それが永遠に続くのだ。忘れることが出来れば、どれだけ楽だろうか。だがディアンは忘れるつもりは無かった。振り返る過去があり、進むべき未来がある。それが「人間の生き方」なのだ。

 

『あなたの子孫は、立派に役目をこなし、幸福に暮らしています。マーズテリア神殿も落ち着いています。ターペ=エトフは平穏そのものですよ・・・』

 

無論、墓は何も返さない。だがディアンは話し続けた。

 

『・・・バリハルト神殿が進出して来ています。時代が少しずつ、動き始めているようです。この流れは、やがて激流になるかも知れません。バリハルト神殿は、不退転の覚悟を持っています。あなたが賛同してくれた理想を繋ぎ続ける為にも、私は百六十年ぶりに、剣を奮うことになるでしょう』

 

ディアンは墓に背を向け、歩き始めた。

 

 

 

 

 

スティンルーラ族族長「ロザリア・テレパティス」は、エルザから五代後の族長である。青い髪と気の強そうな瞳は、エルザと変わらない。六代目となる「アメーデル・テレパティス」にもそれは引き継がれているようだ。

 

『ターペ=エトフからも、武器などが届いています。族長として、感謝を申し上げます』

 

さすがに、口調まではエルザとは違っていた。エルザをインドリトに会わせた時には「アタイ」という口調がそのままで、ディアンは思わず吹き出したものである。ディアンは笑顔で返答した。

 

『ターペ=エトフにとって、スティンルーラ族は掛け替えのない友人なのです。何しろ「クライナ産エール」はドワーフ族の「常飲酒」ですからね。一触即発の状況と聴いていたので、心配だったのですが、平穏のようで安心しました』

 

ディアンの冗談に笑いながらも、ロザリアは首を振った。

 

『平穏ではありません。このクライナにこそ、神官たちは来ていませんが、マクルの街周辺の村々には、神殿神官のほか騎士たちもやってきて、改宗を押し付けてきます。それを拒否して殴られた者、村を追われた者もいます。いずれここにも来るでしょう』

 

『・・・その時は、どうされるおつもりですか?』

 

『断固として戦います!私たちスティンルーラ族は、七魔神戦争以降、この地でずっと暮らしてきたのです。他の地から、ここに移り住みたいと言うのなら、それは拒否しません。ですが、私たちの平穏な暮らしを脅かすようであれば、それは断じて許しません!』

 

ディアンは頷いた。この強い意志があれば、あとはどう抵抗するかである。

 

『ターペ=エトフも、セアール地方北部とは隣接しています。バリハルト神殿の伸長は、他人事ではありません。私はこれから、マクルの街に向かいます。まず、バリハルト神殿がどの程度まで伸長しているのか、この目で見たいと思います』

 

『ターペ=エトフからの支援、本当に有り難く存じます。インドリト王にも、宜しくお伝え下さい。どうか、気をつけて・・・』

 

 

 

 

 

『あれが、マクルか・・・』

 

マクルは、ブレニア内海に面した港町である。もともとは漁村であったそうだが、いつの間にか城壁に囲まれた「城塞都市」になっていた。城門に近づくと、兵士たちが検閲をしている。剣を背負った黒衣の男など、怪しく思われて当然だ。ディアンの姿を見た兵士が、警戒しながら近づいてきた。

 

『止まれッ お前はこの街の者ではないな?どこから来たのだ?』

 

『私はレウィニア神権国王都プレイアから来ました。ラギール商会本店からの使いです。ここに、ラギール会頭からの身分証明があります』

 

ディアンは懐から、リタ直筆の身分証明を出した。ラギール商会の名は広く知れ渡っているが、会頭は謎の人物とされている。会頭直々の使いとなれば大物と見られる筈であった。身分を確認した騎士は、姿勢を正した。

 

『失礼しました。この街は新しく出来たばかりで、中には荒れくれ者も来るのです。街を護るための警備ゆえ、ご容赦下さい』

 

『御役目、ご苦労さまです。どうかお気になさらず・・・』

 

丁寧に返礼し、マクルの街に入った。

 

 

 

 

 

ラギール商会マクル支店長のヒルダは、ディアンから渡された書類に目を通していた。栗色の髪をした中年の女性である。元々は奴隷であったが、利発さが買われ、リタが直々に商売を仕込んだ。柔和な表情の中に、鋭い知性を感じさせる女性である。第三使徒を思い出させる雰囲気だ。

 

『会頭のご指示であれば、私も否はありません。マクル支店の護衛として、しばらく街に滞在できるように手配しましょう。ですが・・・』

 

ヒルダは笑みを浮かべながら、書類をヒラヒラとさせた。

 

『・・・ここにこう書かれています。「ディアンは女好きだから、マクルの娼館に通うかもしれない。ラギール商会の護衛が娼館に足しげく通うなど、恥晒しになる。しっかりと警告しておくこと」・・・ ディアン殿、少なくとも日中にそうした場所に行くことは、厳に謹んで下さい。マクル支店は開店したばかりです。お客様からの信頼を損ねるような、悪評が立つ行為は、断じて許しません』

 

『・・・そんなことが書かれているのか?』

 

美女たちに囲まれて暮らしているが、四六時中一緒というのは、特に窮屈に感じるものだ。久々に独りなのである。羽を伸ばしたいと思うのが、人情ではないか。だがリタは、そんな下心などお見通しだったようだ。

 

『たとえ形だけでも、マクル支店に雇用されるわけですから、上司である私の命令には従って頂きます。宜しいですね?』

 

ため息をついて、頷いた。

 

 

 

 

 

宿に荷を預け、マクルの街を見て歩く。そこかしこに騎士の姿があるが、街の治安は良いようであった。市場には、船で運ばれてきた品々が並んでいる。行商店なども出来ていた。街の奥に、バリハルト神殿が建てられている。拡張工事をしているようで、石工たちが石を削っていた。神殿の前に立ち、ディアンは目を細めた。

 

(・・・何だ?なにか、気配に違和感を感じる)

 

本来、現神の神殿からは「神気」に近い気配、雰囲気が漂うはずである。プレメルにあるガーベル神殿やヴァスタール神殿もそうであった。信仰心が集まるため、たとえ神格者がいなくても、そうした雰囲気を醸し出すものである。まして神殿勢力が創った「新興都市」であれば、神格者がいて当然のはずだ。実際、神格者の気配を感じていた。だが同時に、なにか別の気配も感じるのである。それは本来、神殿には存在し得ないような気配であった。

 

(バリハルト神殿がここまで強気に出てくる理由は何だ?その自信は何処から来る?ただの「狂信」では無いのかも知れん・・・)

 

さすがに、バリハルト神殿に乗り込むことは出来ない。ディアンはその場を後にし、波止場へと向かった。既に夕刻に近い時間になっている。紅く染まる内海を見ながら、ディアンは先程の気配について考えていた。

 

(あの気配は、魔神の気配に近い。いや、もっと邪悪な気配だ。あの神殿の奥に、何があるのだ?)

 

考え事をしていると、背後から声を掛けられた。

 

『ディアン殿?』

 

思索の海から引き上げられ、ディアンは振り返った。赤い髪をした美しい女性が立っていた。白い肌は夕日で朱に染まり、髪はさらに、紅くなっていた・・・

 

 

 

 

 




【次話予告】

およそ百八十年ぶりに会った「赤髪の美女」と共に、かつて消滅した廃都「ノヒア」を訪れる。無人の静寂の中で、彼女に「あれから」について尋ねる。

あれからどうしていたのか、自分は何者なのか、そして何が目的なのか

赤髪の美女は語り始めた・・・


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第六十一話「大女神アストライア」

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第六十一話:大女神アストライア

三神戦争とは、科学を基盤とした人間族の世界「イアス=ステリナ」と魔力を基盤とした亜人族の世界「ネイ=ステリナ」が融合した際に起きた「神々の覇権闘争」である。世界融合に伴い、かつて消え去った神々が、イアス=ステリナにも復活をした。遺されている記録だけでも、ソロモン王によって使役された「ソロモン七十ニ柱」と呼ばれる魔神、古代から伝わる神話に登場する半神半人の戦士「ヘラクレス」、熾天使として人間から崇められていた「ウリエル」「ガブリエル」、蝿王として恐れられていた「ベルゼブブ」などの名が残されている。その中でも特に知られているのが、ベルゼビュート宮殿陥落後、古神や天使族たちを逃がすために、最後まで殿(しんがり)となって、軍神マーズテリアと壮絶な一騎打ちをした「魔王ルシファー」である。

 

西方に伝わる「三神戦争叙事詩」において、魔王ルシファーは他の古神とは一線を画す描かれ方をしている。三神戦争終結時、ベルゼビュート宮殿は封じられ、古神や天使族たちは散り散りとなり、多くは東方、南方へと逃げた。追撃を止めるため、魔王ルシファーは現在のブレニア内海上空において、ただ独りでマーズテリア率いる現神軍を迎撃、軍神マーズテリアをして感嘆するほどの戦いぶりを示したと描かれている。

 

・・・マーズテリア神は皆を下がらせると、自ら進み出て剣を抜いた。十二枚の翼を持つ黒衣の男が、マーズテリア神を睨む。既に魔力は尽きかけ、躰には無数の傷がある。だがその瞳から闘志は消えていなかった。男は剣を構えた。マーズテリア神は頷き、全力を開放した。黒衣の男も、残された魔力を燃え上がらせる。目にも留まらぬ速さで、二つの力が激しくぶつかり合う。強く、眩い光が辺り一帯を包み込んだ・・・

 

三神戦争叙事詩の中に、この戦いの終結は描かれていない。そのため後世においては、多くの劇作家が脚色して描いている。軍神マーズテリアが健在である以上、勝利をしたのはマーズテリア神であることは確かだが、なぜ魔王ルシファーの敗北場面が描かれていないのか。歴史家や文学研究家たちを惹きつける、大きな謎となっている・・・

 

 

 

 

 

マクルの街から、馬で半日ほどのところに「廃都ノヒア」がある。かつてのバリハルト神殿跡や、商店街などの瓦礫が残されている。二百年近くの時が経ち、それらも多くが、木々や草に覆われている。ディアンは赤髪の美女「サティア・セイルーン」と共に、ノヒアを訪れていた。二人以外は、誰もいない。

 

『あなたと別れてから、百七十年以上か・・・ 変り無いようだな』

 

『もうそんなに経つのですね。ディアン殿は、少し変わったようですね』

 

サティアはディアンの姿を見て、笑った。

 

『貴方の魂が成長しています。人として、生き続けているのですね』

 

ディアンは頷いた。サティアは、自分がこの世界に呼び戻した「古の神」である。当然、自分の正体を知っている。百七十年前に交わした握手が、お互いの自己紹介であった。

 

『百七十年・・・神にとっては一瞬なのだろうが、人間にとってはとてつもない長さだ。オレの知人たちの多くも、既に故人になっている。これからも別れがあるだろう・・・』

 

『人の心と魂を持ちながら、神として無限の時を生き続ける・・・ 普通の人間には耐え難いほどに、辛く、過酷な生き方ですね』

 

ディアンは寂しげに笑った。もし転生時に戻れるのであれば、サリエルには「ドワーフ族にしてくれ」と言ったかもしれない。死があるから、生があるのだ。無限の寿命は、「生きている」という実感を胡乱にしてしまう。魔神の破壊衝動が良く解る。戦っている時にのみ「生」を感じることが出来るのだろう。

 

『あなたは、どうしていたのだ?レンストの街から、西に向かうと言っていたが・・・いや、その前にあなたの本当の姿を教えてくれ。サティアという名前は、ナーサティア神から取った偽名だろう?』

 

サティアは少し迷い、頷いた。気配が変化する。魔神や天使族と比べると弱いが、確かに神気を発していた。

 

《私の名はアストライア・・・ 「正道」を重んじ、「正義」を司る、イアス=ステリナの神です》

 

ディアンもまた、肉体を覆っていた魔力を消す。魔神の気配が溢れる。

 

《オレの名はディアン・ケヒト・・・ 白と黒・正と邪・光と闇・人と魔物の狭間に生きし、黄昏の魔神だ》

 

二人の間に、白い神気と黒い魔気が混ざり合う。だがすぐにその気配は消えた。

 

『・・・イアス=ステリナの信仰は、もう残っていない。大女神でありながら、限りなく人間に近いのはそのためか?』

 

サティアはただ、微笑んだだけであった。ディアンは疑問を感じながらも、話を変えた。

 

『それで、アストライア・・・いや、サティア殿は、あれからどうしていたのだ?』

 

サティアは遠い目をして、語りだした・・・

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴四年、東方から西方へと移動した古の大女神は、アヴァタール地方南部「レンストの街」を出ると、ブレニア内海を沿うように西へと進んだ。マーズテリア信仰の強い「ベルリア王国」を抜け、現神が治める「クヴァルナ大平原」を通り、西方諸国へと入った。マーズテリア神殿領「ベテルーラ」を超え、アークリオン神殿領「セウレン」を北に上り、テルフィオン連邦やヴァシナル公国を歩く。たとえ力を失っているとはいえ、現神たちが統治する神殿領を古神が歩くのである。とてつもなく危険な行程であった。

 

『・・・私には、生き別れた妹がいます。妹を探し求め、西方諸国を歩きました。当初は警戒をしていたのですが、誰も私を古神とは思わなかったようです。三神戦争から二千余年・・・古神の多くは魔神となるか、封印をされています。まさか古神が復活し、現神領を歩いているなど、考えなかったのでしょう』

 

『それは「運が良かった」というだけだ。いや、神に対して「運が良い」というのは失礼か・・・だが、見つかっていたら間違いなく、あなたは殺されるか、封印をされていただろう。何故だ?妹を探し求めるのであれば、もっと早く行動を起こせば良かったではないか。イアス=ステリナ時代に探していれば、もっと安全であったろうに・・・』

 

サティアは寂しげに笑い、首を振った。

 

『妹とは、イアス=ステリナ世界でも「古代」と言われる時代に別れました。私は、人間に失望していたのです。イアス=ステリナの人間は、文明を持つ前から、互いに争いを繰り返してきました。数千年以上に渡って、殺戮の悲劇を繰り返し続けてきたのです。生きているという奇跡に感謝すること無く、簡単に他者の生命を奪う。人間とは何と醜く、恐ろしく、愚かな生き物なのだろう・・・そう失望した私は、天界へと消えました。ですが、妹は違いました。妹は人間の中にある「光」に希望を持っていたのです』

 

・・・アイドス、貴女の気持ちは尊重したいけど、期待するだけ無駄です。人間は救いようがありません。恐らく一万年後も、人間は争いを続けているでしょう。彼らに平和が訪れるのは、彼らが死に絶えた時だけです・・・

 

・・・姉様、それは違います。人間は確かに殺し合いをします。ですが同時に、深く他者を愛することも出来るのです。子の為に命を賭ける親は、他の動物にも見受けられます。ですが、血縁など関係なく、他人の為に己の命を犠牲にするのは人間だけです・・・

 

遥か昔、妹と交わした議論を思い出す。女神アイドスは人間への希望を捨てず、地上に残った。あれから数千年、妹はどこで何をしているのだろうか?

 

『イアス=ステリナ世界のままであれば、あるいは私は、この地上に戻らなかったかも知れません。ディル=リフィーナとなり、異世界の神が地上に降臨しました。妹はそれでも、人間族を見捨てること無く、地上に留まり続けています。異界の神とはいえ、人間族は信仰を取り戻しました。もう私たちがこの地上に残るべきではない。私は妹を連れ戻すために、天界より戻ってきたのです』

 

『天界か・・・天界とは、神族だけが暮らす異世界だそうだな?熾天使から聞いたことがある。人間の世界から天界に戻ることは出来るが、天界から人間界に来る為には、信仰の力が必要だと聞いている。あなたはどうやって、地上に戻ってきたのだ?』

 

『貴方の中にある「信仰心」を憑り処としました。東方で、イアス=ステリナ人が生み出した「神」を認識したとき、貴方の信仰心が刺激された。貴方がいた世界は、イアス=ステリナにとても近い世界でした。古の神に信仰心を持っている人間は、もう貴方くらいなのです』

 

『待て、オレの「信仰心」だと?』

 

ディアンは思わず笑った。この世界で、自分ほど信仰から遠い存在は無いと思っていたからだ。サティアは微笑みながら返答した。

 

『自分には信仰心は無い・・・そう思っているのでしょう?ですが、それは違います。人は誰しも、信仰心を持っているのです。肉親を失い、信仰そのものを憎んでいる貴方であっても・・・』

 

ディアンは真顔になり、目を細めた。気配に微妙な殺気が混じる。

 

『・・・話は解った。だから二度と、その話はするな』

 

サティアは微笑みを浮かべたままであった。ディアンはその瞳に耐え切れず、顔を背けた。

 

『・・・それで、妹は見つかったのか?いや、それならもうこの世界にはいないはずだな』

 

『微かではありますが、妹の残滓は確認しました。私はそれを追って、ここまで来たのです。どうやら、バリハルト神殿と関係しているようなのです』

 

表情には出さなかったが、ディアンは神殿で感じた「気配」を思い出した。もしアレがそうなら、目の前の女神にとっては辛いことだろう。

 

『・・・バリハルトは、古神を決して許さない。もし妹御がバリハルト神殿に関係しているのであれば、普通の状態では無いだろう。あなたにとって、辛いことかも知れないぞ?』

 

『力を失っている私には、妹の残滓を追うことだけで精一杯です。マクルの街にある神殿までは辿り着いたのですが、そこで止まってしまいました。貴方は、あの神殿から何を感じ取ったのですか?』

 

『・・・知らない方がいい。忠告しよう。天界に戻れ。妹御を追うあなたの気持ちは解らなくはないが、これ以上の追跡は、あなた自身を危険に晒すだろう』

 

『それは出来ません。妹は・・・女神アイドスは「慈愛の神」です。もし妹が、本来の自分を忘れ、災厄を齎す邪悪な存在になっているのであれば、私は姉として、正義を司る神として、アイドスを裁かなければなりません』

 

『力を失い、人間になっている状態で何が出来るのだ?』

 

『・・・私が何も考えずに、西方に向かったと思っているのですか?今の私は、人間と大して変わらないでしょう。ですが・・・』

 

『いや、話さなくて良い。あなたがこの世界に留まるというのであれば、それはあなたの自己責任だ。これ以上、オレがどうこう言うことでは無い。オレにとっては、現神同様、古神も「どうでも良い存在」だからな。では、オレは行く。神に対して言うのも変だが、幸運を祈っている』

 

『待って下さい』

 

サティアは、立ち去ろうとするディアンを止めた。振り向くディアンの袖を握る。

 

『・・・私を助けて貰えませんか?』

 

警鐘が鳴るのをディアンは自覚した・・・

 

 

 

 

 

『回復魔法が使えるなんて・・・喜んで受け入れます』

 

スティンルーラ族の集落「クライナ」にて、族長ロザリア・テレパティスは笑みを浮かべて頷いた。サティアからの相談は、バリハルト神殿の様子を見るために、この地にとどまる必要がある。そのために口利きをしてくれないか、というものであった。そのまま無視をすることも出来たが、古神である彼女を呼び戻したのは自分なのである。捨て措くわけにはいかなかった。そこでディアンは、クライナでの滞在を提案したのである。バリハルト神殿の様子を識ることも出来るし、何よりディアン自身にとって、彼女の行動を把握できるという利点があった。

 

『マクルの街で滞在をするのは危険過ぎる。クライナの集落であれば、比較的安全だ。スティンルーラ族は女性を尊重する文化だから、たとえ異邦人のあなたであっても、困ることは無いだろう』

 

『ディアン殿、感謝します』

 

『言っておく。軽はずみにバリハルト神殿に近づくな。あの神殿に忍び込むのは無理だ。抗争中であるためか、厳重に警戒している。妹御があの神殿にいるのなら、時間を掛けて「内通者」を作るしか無いだろう・・・』

 

サティアは頷いた。ディアンはロザリアに多少のカネを渡した。サティアを頼むのは、ディアン個人の都合に過ぎない。ターペ=エトフを巻き込むわけにはいかない。サティアは、そうした事情を全て見通しているようであった。まるで初めから計画されていたような感覚に、ディアンは言い知れぬ不気味さを感じていた。

 

『たまに様子を見に来る。達者でな・・・』

 

不気味さを振り切るように、ディアンは足早に、クライナの集落を立ち去った。

 

 

 

 

 




【次話予告】
次話から、視点が変わります。いよいよ「戦女神ZERO」の世界に入ります。

ターペ=エトフ歴二百三十二年、スティンルーラ族の巫女であった母親と、セアール地方からの移民者である父親を持つ青年「セリカ」は、姉であるカヤと共に「マクルの街」に住むことになった。自分を産んだ時に母親が死に、そして病によって父親を失ったセリカにとって、カヤは唯一の肉親である。バリハルト神殿の神官見習いであるカヤの口利きで、セリカに剣術の師が付けられることになる。東方から来た「ダルノス」という男であった・・・


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第六十ニ話「東方の剣術」

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

ひざまずくか、諸人よ?
創造主を感じるか、世界よ
星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住みたもう・・・


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第六十ニ話:東方の剣術

ラウルヴァーシュ大陸の歴史とは、謂わば「神殿勢力の東方進出の記録」と言い換えることが出来る。七魔神戦争から一千年、それまでブレニア内海西方を勢力圏としていた神殿勢力が、東方へと進出を始める。無論、それ以前にも現神信仰は東方諸国まで伝わっていた。アヴァタール地方東方域には「セーナル神殿領」があり、アンナローツェ王国ではアークリオン神が信仰されていた。しかし、人間族に布教をするために、街そのものを神殿が造成した、という意味では、ケレース地方に存在した「イソラの街」が最初である。イソラの街は、複数の現神神殿や、西方諸国の政治的意図が複雑に絡んでおり、実際にそこに神殿を建てていたマーズテリア神殿やイーリュン神殿も、統治においては、その発言力が限定されていた。

 

イソラの街が造成されてからおよそ二百ニ十年後、ブレニア内海北辺域のセアール地方南部に「マクルの街」が誕生する。マクルの街の際立った特徴は、バリハルト神殿によって造成された街だということである。他の光神殿や西方諸国は、マクルの街の造成には関わっていない。そのため、マクルにおいてはバリハルト神殿が行政府であり、立法府であり、司法府であった。バリハルト神殿を頂点とする「宗教都市」となっていたのである。

 

マクルの街は、ターペ=エトフ歴百八十年ごろには、ある程度は完成していた。当初は、先住民であったスティンルーラ族を気遣って、街内でのみの神殿活動であったが、やがてその活動は東へと伸びていく。神官による「施し」を名目として村に入り、ある程度受け入れられた段階から「布教」が始まるのである。バリハルト神殿の「信仰的侵略」は、半世紀以上に渡って続き、スティンルーラ族との武力的衝突も起きている。

 

バリハルト神殿のアヴァタール地方進出への野望は、ターペ=エトフ歴二百四十年、ある事件によって永遠に途絶えることになる。それが「マクル動乱」である。マクル動乱とは、マクルの街にあったバリハルト神殿の暴走と、それが引き起こした神殿崩壊を指す。ターペ=エトフ歴二百四十年ごろ、マクルの街にあったバリハルト神殿は、邪神討伐のために「禁断の秘儀」を行い、神官長以下の主だった者達は「狂乱」をしていたと言われている。そこに、元バリハルト神殿騎士であった「セリカ・シルフィル」が乗り込み、神殿内の人間たちを殺戮した。同時期に、バリハルト神殿の暴走を好機と捉えたスティンルーラ族たちが、マクルの街に侵攻する。既に神殿は崩壊していたため、街は統治者を必要としていた。スティンルーラ族が暫定的な統治者としてマクルの街を治め、それが後に「スティンルーラ女王国」となるのである。

 

セリカ・シルフィルの記録について、後世の歴史家たちは一様に首を傾げる。バリハルト神殿騎士としてセアール地方南部で活動をしていたセリカ・シルフィルは、薄青い髪をした青年であったと言われている。スティンルーラ族の集落「クライナ」に残されている記録では、セリカは数度に渡り、クライナを訪問し、バリハルト神殿とスティンルーラ族との間を取り持とうとした形跡がある。活動的で正義感に富んだ若者の姿が、そこには描かれている。一方、マクル動乱以降のセリカ・シルフィルは、外見は女性そのもので、しかも赤い髪をしている。このことから、彼がマクル動乱直前に、古神の肉体を乗っ取り「神殺し」となったことは間違いない。後世の歴史家たちが首を傾げるのは、人間であった頃のセリカの記録を見る限り、神を殺して肉体を奪うような人物には、到底思えないという点である。また、いかにバリハルト神殿騎士として、その才能と将来を嘱望された人物であっても、神族を殺し、肉体を奪うほどの力をどこで手に入れたのか、その経緯は全くの不明となっている。

 

いずれにせよ、セリカ・シルフィルの姿は、マクル動乱以降は一時消える。彼が姿を見せるのは、マクル動乱から一年後、ラウルヴァーシュ大陸中原域を戦慄させる「魔族国」の誕生においてである・・・

 

 

 

 

 

『セリカ、準備はいい?そろそろ行くよ』

 

薄褐色の肌をした若い女性が、戸口から屋内に声をかける。炭色の髪と瞳を持った、いかにも健康的な女性だ。

 

『そんなに慌てなくても、街は逃げないよ、姉さん・・・』

 

男と呼ぶには余りに若い青年が、家から出てきた。姉と同様、薄褐色の肌をしているが、髪の色が異なる。姉は父親譲りの髪だが、弟は母親譲りである。薄青い髪をした青年であった。老女が姉弟に声をかける。姉弟が生まれ育った山村「キート村」の長である。

 

『カヤ、セリカ・・・もう行くのかい?』

 

『明日には、マクルに入りたいからね。御婆ちゃん、これまで本当に有り難う・・・』

 

『なに言ってるんだい。あんた達は、アタシの孫も同然だよ。家とお墓の面倒は任せておきな。姉弟二人で、これから大変だろうけど、しっかり生きるんだよ!』

 

姉であるカヤの瞳に、涙が浮かんでいる。姉弟は老女と抱き合い、手を振って村を離れた。

 

『姉さん、マクルの街って、どんなところなんだ?』

 

『そうねぇ、キートの村の千倍くらいの大きさって思っていればいいわよ?』

 

『せ、千倍?』

 

セリカは、キートの村から離れたことが無い。せいぜいが、廃都ノヒアくらいまでである。三歳年上の姉は、一足先に自立し、マクルにあるバリハルト神殿で神官の見習いをしている。十五歳になった弟を引き取り、マクルで一緒に暮らすことになったのである。セリカとしては、幼い頃から自分に過保護であった姉と再び一緒に暮らすことに、少々の憂鬱を感じていた。弟の気持ちを読んでいるかのように、早速、からかってくる。

 

『セリカ、街には風呂屋もあるよ?久々に一緒に、入ろうか?』

 

『な、なに言ってるんだよ!もう僕は十五歳だぞ!』

 

カラカラと笑う姉の後ろで、弟は溜め息をついた。

 

 

 

 

 

カヤの家は、マクルの街中央にある「長屋」の一角であった。神官となれば、それなりの住居が与えられるが、給金も殆ど出ない見習いの立場では、狭い長屋が精一杯である。本来であれば、師となる神殿神官の家に住み込まなければならない。神官の中には女性もいたが、街が出来たばかりということもあり、弟子を取れる神官は限られていた。また、弟も神殿騎士見習いとなることから、特例として、カヤは長屋暮らしが認められている。家賃だけは神殿が出してくれているが、生活費は自分で賄わなければならない。両親が遺してくれた僅かな財産があるが、それに手を付けないよう、カヤは神殿以外の仕事も引き受けている。マクルはバリハルト神殿が治める信仰都市だが、西方と東方を繋ぐ交通の要衝にもなっている。魔獣や野盗なども皆無ではない。街には「(よろず)屋」があり、魔獣退治などの依頼を斡旋している。そうした依頼を受けることで、口に糊をしているのだ。

 

『セリカ、あんたにも手伝ってもらうからね。父さんが遺してくれたお金は、あんたの結婚式に使うんだから』

 

『でも姉さん、僕は剣なんて振ったこともないよ?魔法だって使えないし・・・』

 

『大丈夫、魔法を教える神官は少ないけど、剣を教える奴ならいるわよ。父さんから言われていたじゃない。あんたには才能があるって・・・きっとすぐに、剣が使えるようになるわよ』

 

長屋に荷物を置いた姉弟は、その足でバリハルト神殿へと向かった。

 

 

 

 

 

『君が、セリカか。バリハルト神殿にようこそ。私はスフィーダ・ハムス、バリハルト神殿への入信希望者を受け入れている』

 

『セリカです。バリハルト神を信奉する姉の姿をみて、私も入信を希望するようになりました。バリハルト神殿において、騎士としての途を進みたいと思います』

 

『カヤ殿は日頃から、よく出来た弟だと君を自慢している。喜んで、神殿に受け入れよう。だが、まだ君は騎士にはなれん。まずは剣を覚えなくてはな・・・』

 

スフィーダはセリカを連れて、練兵場に向かった。弟が心配なのか、カヤも付いてくる。練兵場には、バリハルト神の紋章を身につけた騎士たちが、模造剣で訓練を行っていた。一際大きな男が目立つ。女性の太腿のように太い腕を持ち、二振りの大剣を背に刺している。短い金髪と金色の口髭を生やしている。二十代後半だろうか。

 

『みんな、集まってくれ!』

 

スフィーダが声を掛けた。屈強なバリハルト神殿騎士たちに囲まる。セリカは圧倒感を感じ、顔を下に向けた。

 

『本日、バリハルト神殿に入った騎士希望者、セリカだ。セリカ、皆に挨拶を・・・』

 

『セ、セリカです。どうか宜しくお願いします』

 

オドオドとした少年の様子に、皆が失笑した。バリハルト神は豪快さと男気に溢れた神だ。その影響からか、騎士たちにもそうした「男らしさ」を求める風潮がある。覇気の無い、弱々しい態度は好まれない。スフィーダが、セリカに剣を教えてやって欲しいと依頼をしたが、誰も手を挙げなかった。

 

『まぁ、まずは剣を持たせてみよう。カヤが言うには、才能があるそうだからな・・・』

 

模造剣がセリカに渡される。セリカは姉に顔を向けた。姉はただ、頷いただけであった。セリカは息を吐き、開き直った。成るように成れ、という思いで、剣を構える。皆がニヤニヤと笑う中、一振りをする。風圧で地面から塵が舞う。腕を組んでいた金髪の大男が片眉を上げた。皆からも「ほう」という声が漏れる。だがスフィーダには、そうした剣の素質を見る目は無いらしい。手を叩いてもう一度、声をかける。

 

『どうかな?誰か彼に、剣を教えてやってくれないか?』

 

金髪の男が手を挙げ、進み出てきた。スフィーダの横を通り過ぎ、セリカを見下ろす。男の力強い瞳に睨まれ、セリカは唾を飲み込んだ。男は膝をつくと、セリカの足や腰、腕を触り始めた。

 

『・・・ナヨっちい奴だと思っていたが、意外にしっかり、肉が付いているな。何をしていた?』

 

『その、山で木を倒したり、畑仕事をしたり・・・』

 

『さっきの打ち下ろしは、薪割りの要領だな。父親から教えられたのか?』

 

『はい、父さんは「斬るのではなく、研ぐのだ」と言っていました』

 

男は頷くと、立ち上がった。スフィーダに顔を向ける。

 

『俺が鍛えよう。身体の基礎は出来ているし、剣才は十分だ。鍛えれば相当な剣士になる』

 

『・・・それに、魔力もあるようだな』

 

声の方に皆が顔を向け、一斉に膝をついた。セリカは何事か理解できなかったが、先ほどの男がセリカの襟を掴んで、膝をつかせる。神官の衣服を着た男が、静かに入ってきた。スフィーダが恭しく声をかける。

 

『オレノ様、このようなところに御出になるとは・・・』

 

『あなたに連れられた若者が入っていくのを見かけて、興味を持ったのだ。本人は気づいていないようだが、躰から魔力が昇っておる。誰からも教わらずに魔力を発現させるなど、相当な素質と見た。上手く育てれば、剣と魔術を駆使する「魔法剣士」になるだろう』

 

騎士たちが一様に、顔を見合わせる。騎士たちの中には、魔術を使える者もいる。魔法剣士と呼ばれる「上級騎士」たちだ。彼らの中から、バリハルト神の神格者が選ばれる。騎士であれば、誰もが憧れる存在だ。オレノはセリカを立たせた。先ほどの大男とは異なり、その瞳は穏やかで慈愛に満ちている。オレノはセリカに挨拶をした。

 

『私はオレノ・ユムバナキ、神殿の大司祭をしている。セリカと言ったね?少し、試させてもらっても良いかな?』

 

セリカが頷くと、オレノはセリカの後ろにまわり、セリカを壁に向かせた。

 

『右手を上げて、手のひらを壁に向けなさい。目を閉じて想像する。いま、君の手のひらには雷雲が立ち上っている。ゴロゴロと音を立て、今にも雷が起きそうだ・・・』

 

セリカは言われるまま、雷雲を想像する。幼いころ、雷の音で目を覚まし、姉の寝台に逃げ込んだ事を思い出す。

 

『・・・やがて稲光が起き始める。どんどん、光は大きくなる。何本も稲光が起きる。音がどんどん大きくなる。もうすぐだ。もうすぐ、雷が落ちそうだ。さぁ、雷が落ちるぞ。落ちるぞ・・・』

 

バリッ!

 

手のひらが放電を起こした。周囲から驚きの声が上がる。セリカも驚いて目を開いた。自分の手を見るが、何とも無い。姉に顔を向けると、自慢気な表情を浮かべていた。オレノは笑って頷いた。

 

『間違いない。君は、強い魔力を持っている。剣術と魔術、両方を修行しなさい。ひょっとしたら、このマクルから、神格者が誕生するかも知れん』

 

『しかしオレノ様、いま神官たちは皆それぞれに弟子を持っています。新たな弟子を取る余裕は・・・』

 

『ならば私が教えよう。彼は雷系魔術が得意と見た。私も、風と雷を操る。私が教えれば、彼の素質は大きく開花するだろう』

 

『オレノ様自らがですと?大司祭のお立場で、弟子を取るなど・・・』

 

『私はバリハルト神に仕える「神官」だ。大司祭とは、神殿の役職に過ぎぬ。神官である以上、私が弟子を取っても、問題はあるまい?さて、君に剣を教えるのは・・・』

 

金髪の大男が進み出て、膝をつく。

 

『ダルノス・アッセです。私が教えます』

 

『結構、彼には剣だけではなく、男の生き様なども教えてあげなさい。どうやら、いささか精神的に華奢なところがあるようだ。他者への優しさは大切な美徳だが、甘さは欠点になりかねん。精神力が強くなれば、その分、魔力も上がる』

 

『解りました。寝食を共にしながら、しっかりと鍛えます』

 

こうして、バリハルト神殿騎士見習いとして、セリカの生活が始まった。

 

 

 

 

 

『ダルノスッ!どうして私が一緒じゃダメなのよ!』

 

カヤはダルノスに食って掛かった。セリカは正式にダルノスの弟子となり、剣術を教わることになる。ダルノスはセリカに、姉の家を出て、自分と共に生活するように命じたのだ。可愛い弟が自分の元から離れることに、我慢ができないようである。ダルノスがカヤに言う。

 

『お前の、その「過保護ぶり」が、セリカの成長を邪魔しているんだ。あの時、セリカは二度、お前に顔を向けていたな。姉に対する「甘え」がある証拠だ。その甘えがある限り、セリカは騎士にはなれん!』

 

『じゃあ、せめて私の家から通うというのは・・・』

 

『駄目だ。セリカは騎士として、男として成長しなければならない。俺と共に暮らすことで、セリカは精神的に成長する。神殿騎士として正式に認められるまで、セリカに話しかけることも、会うことも認めん。これはセリカのためだ』

 

『・・・・・・』

 

カヤは黙って頷くしか無かった。弟と一緒に暮らしたいというのは、姉である自分の我儘でしかない。弟の成長を考えれば、自分がいないほうが良いということは、解っていた。

 

『姉さん、大丈夫だよ。僕はきっと、立派な騎士になるよ。そうしたら、また一緒に暮らせるじゃないか』

 

『セリカ、無茶はするんじゃないよ?あんたは優しい。それは欠点じゃない。美徳なんだからね』

 

弟を抱きしめ、姉は身体を離した。ダルノスは一度頷き、セリカを連れてカヤの家を出た。新しい家に向かう途中で、ダルノスはセリカに告げた。

 

『セリカ、一度だけしか言わないから良く聞いておけ。これからは自分のことを「僕」ではなく、「俺」と言え。神殿などの公的な場所や、目上の者に対しては「私」だ。「俺」と「私」、一人称はこの二つだけだ。二度と自分のことを「僕」などとは言うな。解ったな?』

 

『わ、解りました。ですが、ダルノス殿に対しては、どう言ったら良いのでしょう?』

 

ダルノスは立ち止まった。肩が震えている。ひょっとしたら怒らせたのではないかと、セリカは萎縮していたが、ダルノスは豪快に笑い始めた。

 

『俺と二人の時は、「俺」でいい。あと「殿」などもやめてくれ。くすぐったくて堪らん。俺のことは「ダルノス」と呼び捨てろ。丁寧な言葉遣いもいらん。俺はお前に剣を教えるが、気持ちとしては「弟」にモノを教える「兄」のような気分なんだ』

 

『わ、解った・・・よ、よろしく、ダルノス・・・』

 

『あぁ、よろしくな、セリカ!』

 

セリカの背を叩き、ダルノスはまた、豪快に笑った。

 

 

 

 

 

『魔術を使った剣術となれば、「虚実の剣」の方が良い。お前は背丈はそれほど大きくはないから、一撃で相手を倒す「実の剣」は向かないだろう。俺は東方の剣術を学んでいる。「飛燕剣」と呼ばれる剣術だ。高速で動き、相手を惑わせ、隙を見て打ち込む。相手の力を受け流し、その反動を利用してより大きな力で相手を屠る。速さが求められる剣技だが、魔術を使えるようになれば、より多彩な戦い方が出来る様になるだろう』

 

ダルノスが教える剣術は「飛燕剣」と呼ばれるものであった。元々は、東方諸国において誕生した剣術であるが、ダルノスはアヴァタール地方東方域において、その剣術を学んだそうである。

 

『元々は、東方の「片刃剣」の為に生まれた剣術だが、三百年ほど前に、アヴァタール地方東方域で活躍した剣士が、それを「両刃剣」でも駆使できるようにしたらしい。たしか・・・なんとかグルップとか、そんな名前だったな。まぁ、誰が生み出したかはどうでも良い。この剣技の優れている点は、虚の中に実の剣を織り交ぜられることだ。相手に隙を生じさせ、そこに一撃必殺の実の剣を撃ちこむことが出来る。表裏のはずの虚実を融合させたのが飛燕剣だ』

 

ダルノスは普段は細やかな気遣いも出来る優しい男であったが、剣を教えるときは、厳しい。中途半端に剣を覚えれば、かえって寿命を縮めるというのが、ダルノスの考え方であった。教え方は丁寧で解りやすいが、気の抜けた剣を振ろうものなら、すぐに殴られる。セリカは剣術との相性が良かったためか、すぐに技は覚えた。だが他の騎士たちの剣とは、何かが違っていた。剣筋のどこかに「甘さ」があるのである。

 

 

 

 

 

『セリカ、酒場にいくぞ』

 

ダルノスの弟子となってから、三年が経過していた。剣士としては既に一人前の領域に達している。雷系魔術も駆使できるようになっていた。オレノを含め、神官たちはセリカの成長に満足をしているようであったが、ダルノスだけは、まだセリカを認めていなかった。「お前には欠けているものがある」と言われているが、それが何なのかはセリカには解らなかった。ダルノスに連れられて酒場に入る。既に何度か、酒場は利用しているが、いつも落ち着かない。男たちの喧騒もそうだが、それを相手にする商売女達も苦手であった。酒場に入ったダルノスは、その足で商売女達に向かった。その中でも、とりわけ美形の女に話しかける。やがて女が頷き、セリカに顔を向けた。ダルノスが手招きする。

 

『セリカ、お前は既に、一人前の魔法剣士だ。だがお前には欠けているものがある。それは俺では教えられんものだ』

 

『以前から言われていたけど、それは何なんだ?俺には、理解できない』

 

『彼女がそれを教えてくれる。セリカ、お前はこれから二階に行って、彼女を一晩、抱け。オンナを知るんだ』

 

セリカは真っ赤になった。女性への欲情はそれなりにあるが、神殿に仕える自分には縁のないことだと思っていた。バリハルト神殿には、異性との交渉を禁止するような規定は無い。だが、セリカの中に、そうしたことへの忌避感があった。

 

『お前がオンナに奥手になっているのは、カヤの影響だろう。姉に対して後ろめたさがあるんじゃないか?お前に欠けているものはな、男としての自信だ。姉になんでも面倒を見てもらっていたせいか、お前の中にはカヤへの劣等感がある。それを克服しないかぎり、真に一人前の剣士にはなれん』

 

『で、でも、女を抱くことが、その克服になるのか?』

 

『なる。ならなくても、オンナを知ることは、悪いことではない。グズグズ言わずに、とにかく抱いてこい!カネは既に、彼女に渡してある。いいな、一晩だぞ。抱かなかったら、すぐに解るからな!』

 

『大丈夫よ、ダルノス・・・この子は見た目は奥手だけど、案外、オンナ殺しになるかもしれないわよ?いらっしゃい、私が貴方をオトコにしてあげる・・・』

 

ダルノスに睨まれ、艷やかな女に誘われ、セリカは腹をくくるしかなかった。女に手を引かれながら、二階の部屋に入る。既に下半身は漲っていた。女は舌なめずりをして、いきなりセリカの下半身を握った。

 

『ダルノスの旦那に言われているわ。私が満足するまで、帰さないから・・・』

 

女がセリカに唇を重ねてきた。甘い香りに酔いながら、セリカは女の腰に手を回していた・・・

 

 

 

 

 

セリカが剣を抜いて、ダルノスと向き合う。普段使っている模造剣ではない。神殿騎士が使う、本物の中型剣である。ダルノスも、背に刺している二振りの大剣を構える。セリカの剣先から闘気が立ち上る。以前のような迷いは、そこには無い。瞬間的にセリカの姿が消え、ダルノスの背後から一撃を喰らわせる。ダルノスは左腕で握った剣を背に回し、それを受け止める。ダルノスも剣を奮う。セリカはそれを受け流しながら、懐に入ろうとする。蹴りが下から突きあがる。それを躱すが、ダルノスが剣の柄を振り下ろしてくる。潜り抜けるように躱し、一旦、距離を取る。ギリギリの攻防だが、セリカの闘気に乱れは無い。静かで、力強い闘気を放ち続ける。ダルノスが頷いて、剣を下ろした。

 

『見事だ。もう俺が教えることは無い。あとは経験で学んでいくだけだ。お前は「一人前」だ』

 

ダルノスに弟子入りをしてから五年、セリカは来月で二十歳を迎えることになる。師からようやく認められ、セリカは嬉しそうに頷き、一礼した。二人の攻防を見ていた大司祭のオレノが手を叩いた。

 

『素晴らしい。雷系魔術を攻撃に使うのではなく、移動手段として使うとは・・・足に風を纏わせることで、人ならざる速度を生み出し、それで相手に斬りかかる。ダルノスでなければ、初撃で終わっていただろう。セリカ、お前は剣も魔術も一人前に達した。ダルノスが言うとおり、あとは経験を通じて自らを磨いていくだけだ。さて、お前の初陣に相応しい仕事がある。廃都ノヒアでの魔獣退治だ。お前とダルノス、そして神官の三人で、退治をしてもらいたい』

 

セリカはオレノの前で膝をつき、頭を垂れた。

 

『ありがとうございます、オレノ様。魔獣退治、しかと承りました。して、三人目の神官殿とは・・・』

 

『お前より一足先に、正式に神官として認められた者だ。お前にとっては、久しぶりの対面になるだろう・・・』

 

オレノは扉に顔を向け、頷いた。扉の先には、涙を浮かべ、嬉しそうな顔をした姉の姿があった。

 

 

 

 




【次話予告】
廃都ノヒアでの初陣を見事に飾ったセリカは、バリハルト神殿から正式に「騎士」として認められた。バリハルト神殿でも指折りの「魔法剣士」として、セリカへの期待は大きい。大司祭オレノは、セリカを更なる高みへの導くため、ある重要な使命を与えようと考えていた。セリカは、神殿の奥に秘蔵される「禁断の神器」へと案内をされるのであった。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第六十三話「ウツロノウツワ」

Sors immanis
et inanis,
rota tu volubilis,
status malus,
vana salus
semper dissolubilis,
obumbrata
et velata
michi quoque niteris;
nunc per ludum
dorsum nudum
fero tui sceleris.

恐ろしく
虚ろな運命よ
運命の車を廻らし
悪意のもとに
すこやかなるものを病まし
意のままに衰えさせる
影をまとい
ヴェールに隠れ
私を悩まさずにはおかない
では、なす術もなく
汝の非道に
私の裸の背をさらすとしよう・・・


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第六十三話:ウツロノウツワ

ターペ=エトフ歴二百四十年ごろに起きた「マクル動乱」は、バリハルト神殿のみならず諸神殿を驚愕させた。第一級現神であるバリハルト神を信奉するバリハルト神殿勢力は、ノヒア崩壊時には一時的に後退したものの、その後は徐々に勢力を回復させ、マクル動乱直前には、最盛期に近い力を持っていた。これは、ラウルヴァーシュ大陸において国家形成がある程度進み、冒険者や傭兵たちが活躍するようになったことが一因である。動乱直前のマクルには、西方から東方を目指す冒険家たちが溢れ、行商人たちも行き来する活況な街であったと言われている。

 

一方、マクルの街が活況を呈した背景として、セアール地方南部の異変も挙げられる。マクルの街は、ターペ=エトフ歴百六十年頃から建設が始まったが、時期を同じくして、セアール地方南部において、魔物が急増していることが確認されている。スティンルーラ女王国に残されている、第四代族長ティアナ・テレパティスの日記には、マクル建設当初のセアール地方南部が描かれている。

 

・・・先日、ドラブナから魔物の襲撃を受けたという知らせがあった。バリハルト神殿がこの地に進出してきて以来、魔物の数が増加している。そればかりか、これまではこの地にいなかったはずの魔物まで出現している。神殿との関係は不明だが、ドラブナには七魔神戦争以来、この地に伝わる「魔槍」が封じられている。万一にも、魔槍が魔物の手に渡るようなことがあれば、どのような事態が起きるか解らない。幸いにも、魔物は退けられたようだが、魔槍を封じるための「結界」が弱まっているようである。クライナから、何人かをドラブナに派遣する必要があるだろう・・・

 

魔物は作物を荒らし、民に害をなす存在ではあるが、その一方で貴重な素材を得ることにも繋がる。また冒険家や傭兵にとっては、自分の力を示す機会にもなる。マクルの街建設と共に、セアール地方南部に魔物が増加したことは、複数の記録からも明らかである。魔物討伐を目的として、各地から冒険家たちが集まり、マクルの街は急速に勃興したのである。セアール地方南部の変化と、バリハルト神殿との間に関係があるのかは、不明のままである。後世においても、この疑問についてバリハルト神殿は一切、答えていない。

 

 

 

 

 

『ハァッ!』

 

ダルノスが二振りの大剣を奮う。魔物が十字に千切れる。廃都ノヒアに入ったセリカたちは、襲い来る魔物と戦っていた。ノヒアは三百年近く前に滅びた街である。以来、魔物の巣となっていたが、最近になってその数が増えている。セリカ、ダルノス、カヤの三人は、廃都ノヒアで行方不明となった女性の救出を命じられていた。

 

『フッ・・・』

 

高速で動き、魔物を斬っていく。命までは取らない。傷を負った魔物は、散り散りになって逃げる。魔物の姿が消えたところで、セリカが剣を納めた。ダルノスは苦笑いを浮かべている。

 

『甘いな・・・確かに傷つければ、魔物は退くが、それは一時的だ。出来るだけ殺さないつもりなのだろうが、いつかその甘さが、命取りになるぞ』

 

『俺たちが命じられたのは、行方不明者の救出だ。ノヒアは魔物の縄張りだ。俺達の方が侵入者なんだ。殺すことはないだろう・・・』

 

ダルノスも剣を背に戻す。真顔になってセリカに言う。

 

『お前がそう考えるのであれば、これ以上は言わん。だが、魔物の中には、傷つける程度では退かないヤツも多い。バリハルト神に仕える以上、殺生は避けては通れないぞ?』

 

『解っている。殺さざるを得ない時もあるだろう。その覚悟はしているさ・・・』

 

『セリカは優しいからね。それがセリカの良いところだよ』

 

カヤは笑って先に進んだ。ダルノスは何も言わずに後に続いたが、その心中は複雑であった。バリハルト神は戦いにおいては苛烈な神だ。目的を達成するためには、手段を問わない側面がある。いつの日か、セリカと神殿とが対立をするのではないか?そんな不安を持った。

 

(まぁ、今回は初陣だから、言うのは止めておこう。戦い続ければ、いずれ甘さも消えるだろう・・・)

 

ダルノスは、自分をそう納得させた。

 

 

 

 

 

 

『嫌ぁぁっ!』

 

悲鳴が聞こえる。三人は足早に声の方向に駈け出した。地下に降りると、水が流れている。川に沿って上流に向かう。悲鳴と共に、耳障りな声が聞こえてきた。まるで蟲の鳴声である。

 

『ギャッギャッギャッ!俺の仔を孕ませてやるぜぇ~』

 

蟲のような身体をした魔物が、少女を組み敷いている。後ろから繋がり、生殖器を挿入している。既に数度放っているようで、青白い液体が零れている。他にも、犠牲となった全裸の女性たちが複数、倒れていた。その光景に、カヤが絶句する。

 

『やめろっ!』

 

セリカが剣を抜き、蟲型の魔物に怒鳴る。ようやく気付いたようで、頸だけが後ろに回る。黄色い眼が三人を見る。

 

『おぉ、そこにも雌がいるなぁ?雄には興味ねぇ。お前らをブッ殺して、その雌にも俺の仔を産ませよう・・・』

 

少女を突き飛ばし、魔物が襲いかかってくる。ダルノスが大剣を奮う前に、セリカが動いた。一瞬のうちに、六本の足の関節を斬る。

 

『ギャァァッ!』

 

蟲が吹き飛び、倒れる。全ての関節を斬られているため、動くことが出来ない。

 

『カヤッ!今のうちに、犠牲者の手当てを』

 

弾かれたように少女に駆け寄り、回復の魔法をかけていく。ダルノスが剣を構えたまま、蟲に向かって歩を進めた。トドメを刺すつもりなのだ。

 

『よせ、ダルノス!もうソイツは動けない。命を取る必要はない!』

 

『甘いぞ!魔物は生きている限り、人間に害を為す。ここで息の根を止めねば、また犠牲者が出る!』

 

ダルノスが剣を振り上げた時に、蟲が叫んだ。

 

『キェェェッ!出でよ、相棒っ!』

 

川の水面が膨れ上がると、蒼い鱗で覆われた巨大な竜が姿を現した。ダルノスが舌打ちをした。手加減をしたせいで、余計な魔物を呼び寄せてしまったのだ。だが今は、弟子を責めている場合ではない。

 

『セリカッ!コイツは蒼水竜(ブルードラゴン)だ!手を貸せ!』

 

ダルノスとセリカは二手に分かれ、水竜に斬りかかった。人を超えた速度と力で、堅い鱗を切り裂く。水竜も水を噴出し、セリカたちを攻撃するが、その速度についていかない。セリカたちが躱すたびに、壁に大きな穴が穿たれる。

 

『身妖舞ッ』

 

舞のような動きから、斬撃が放たれる。竜の頸は深々と切り裂かれた。ズウンッと地響きを立てて、竜は倒れた。

 

『あ、相棒ッ!』

 

蟲が文字通り、鳴声を上げる。ダルノスはそのまま、蟲に斬りかかった。だが僅かに動いた一本の肢で、蟲は川に飛び込んだ。

 

『ギギギッ!貴様らぁ!お、憶えていやがれぇっっ!』

 

蟲の捨て台詞に、ダルノスは舌打ちをして剣を背に収めた。後方から足音が聞こえてくる。バリハルト神殿の神官であるスフィーダ・ハムスとカミーヌ・セッテであった。

 

『こ、これは・・・』

 

『スフィーダ殿、カミーヌ殿、急いで犠牲者の保護を』

 

セリカの言葉に二人が動こうとしたとき、地響きが起き始めた。パラパラと天井から小石が振ってくる。

 

『マズイ・・・早く脱出するぞ!この洞窟は崩壊する!』

 

少女たちを抱え、セリカたちは地上への途を急いだ。後方では落盤を起こし始めている。セリカが振り返ると、水竜の死体に縋る小さな生き物が目に入った。

 

(あれは・・・水竜の子供か?)

 

親の遺体に縋るように、身体をすり寄せている。セリカの胸が痛んだ。だが助けようにも時間が無い。

 

『何をしている!セリカッ、急げっ!』

 

ダルノスが怒声を上げる。舞い上がる土埃の中、セリカたちは辛うじて、地上に戻った。

 

 

 

 

 

廃都ノヒアからマクルに向かう途上、セリカの表情は冴えなかった。バリハルト神殿からの使命は「行方不明者の救出」であった。それは果たせたが、彼女たちは深刻な傷を負っている。あの蟲に犯されていた少女は、発狂していた。カヤが魔法で眠らせたため、いまは大人しくなっているが、心の傷は大きいだろう。そして、あの水竜の子供も気になっていた。あの大きさは、生後間もなくだろう。独りで生きていくには、あまりにも小さすぎる。結果論ではあるが、あの蟲を殺しておけば、水竜を殺すことも無く、あの洞窟も崩壊せずに済んだだろう。自分の甘さが招いたことであった。自分を責める様子を見ていたためか、ダルノスは何も言わなかった。ただ、セリカの肩を叩いただけであった。

 

マクルの街に入ると、犠牲者たちはそのまま、バリハルト神殿へと移された。神官たちによって本格的な治療を受けるためだ。セリカたちも神殿へと入った。驚いたことに、神官長であるラウネー・クミヌール自らが出迎えてくれた。セリカは恐縮したが、ラウネーは微笑んで頷いた。

 

『オレノ様より、丁重に出迎えるように言われていたのです。詳細な報告は後ほど聞きますが、行方不明者全員を救出することに成功したとのこと、本当に見事です』

 

『恐縮です。私一人の力ではありません。ダルノス、カヤ、そして後添えにきたスフィーダ殿、カミーヌ殿にも、お力を借りました』

 

『その驕らない姿勢は、あなたの美点です。さぁ、オレノ様以下、上級神官たちが待っています。私に付いて来なさい』

 

セリカは正式なバリハルト神殿騎士ではない。そのため、神殿の奥に入るのは初めてであった。豪壮な造りの「奥の院」に入る。大司祭のオレノ以下、主だった神官たちが並んでいた。セリカ、ダルノス、カヤは大広間の中央に立ち、膝をついた。オレノが頷き、セリカに語りかける。

 

『戦士セリカよ、与えられた使命を果たしたこと、実に見事です。行方不明者全員を救出し、しかも神殿からの犠牲者は皆無であったと聞いています。重畳というものでしょう』

 

『お褒め頂き、ありがとうございます。ですが、犠牲となった女性たちが心配です。我々が着いた時には、既に・・・』

 

『解っています。現在、神官たちが力を尽くして、回復に当たっています。確認をしたところ、生命には別条ないとのことです。心の傷を癒すには、時が必要でしょう。彼女たちの回復を祈りましょう』

 

オレノ以下、神官たちは瞑目し、バリハルト神への祈りの言葉を唱えた。

 

『さて、戦士セリカよ、この度の活躍を認め、そなたを正式に、バリハルト神殿神官騎士とします。後ほど、神官長よりこれからの生活についてなど、説明を受けて下さい。そなたは剣と魔術を操り、大きな可能性を秘めています。そこで、そなたにある重要な使命を与えます。時は掛かるでしょうが、何としても成し遂げてもらいたい』

 

『騎士としてお認め頂きましたこと、誠に有り難く存じます。バリハルト神の名を汚さぬよう、精進致します。それで、使命とは・・・』

 

『ふむ、口で説明をするよりも、実際に見たほうが早いでしょう。ラウネー、セリカとカヤを案内しなさい・・・』

 

ラウネーに連れられ、セリカとカヤがある部屋へと案内される。カヤは既に知っているようで、顔色が青い。

 

『セリカ・・・気をしっかり保ってね』

 

小声で弟に注意を促す。その表情は、快活な姉とは思えない程に暗いものであった。セリカは疑問を持ちながらも、姉を心配させないように頷いた。扉に手を当て、ラウネーが小さく呪文を唱えた。パキッという音が鳴る。扉が開かれると、凄まじい邪悪な気配が溢れた。

 

 

 

 

 

セアール地方北部のある寒村にて、病人の手当てをしている女がいた。赤い髪を持つ、美しい女性である。脳裏に何かが走り、弾かれたように顔を上げる。

 

『この感覚は・・・』

 

赤髪の女性サティア・セイルーンは、黙ったまま立ち上がった。南に向けた顔は、心なしか青かった。

 

 

 

 

 

瘴気とも言えるほどに禍々しい気配の中をセリカは進んだ。カヤはセリカの背に隠れるようにしている。部屋の中央に台が置かれている。その上に、この瘴気の元凶が存在した。

 

『こ、これは・・・』

 

『それが、ウツロノウツワよ・・・』

 

黒に近い紅梅色の「ソレ」は、目玉のような二つの膨らみを持ち、生きているかのようにセリカを視ている。中央には孔が開いている。ちょうど、男根と同じくらいの大きさだ。セリカは、禍々しい気配に慄きながら、どこか惹きつけられている自分を自覚していた。

 

(コレは・・・これは駄目だ。こんなモノが存在していてはいけない。コレは、人を狂わせる・・・だが・・・)

 

股間が痛い程に張っている。もし、あの孔に挿れたら・・・コレと繋がることが出来たら、この世のものとは思えないほどの快感を得られるだろう。そう確信させるほどの「艶めかしさ」があった。絶世の美女が股を開き、自分を手招きしているようだ。

 

(欲しい・・・コレが、欲しい・・・)

 

セリカは思わず手を伸ばそうとして、慌てて引っ込める。気を強く保つ。取り込まれたら、自分は発狂してしまうだろう。だが、目を反らすことは出来ない。憑かれたように、セリカはウツロノウツワを視続けた。

 

『セリカッ!!』

 

カヤが大声を上げる。バチッという音がする。気づかぬうちに、ウツロノウツワに手を伸ばしていたのだ。カヤが肩を掴んで、セリカを引き剥がした。

 

『何を考えているのっ!触れようとするなんて!』

 

我に返ったセリカは、慌てて自分の手を見た。何ともない。ウツロノウツワは変わることなく、邪悪な気配を放っている。だがセリカは何かが落ちたように、もうソレに惹きつけられることは無かった。

 

『出ましょう・・・私、もう限界・・・』

 

カヤが弱々しく言う。セリカは頷き、扉へと向かった。出る前に一度だけ振り返る。ウツロノウツワは黙って、セリカを視続けていた。

 

 

 

 

 

『よく耐えましたね。辛かったでしょう・・・』

 

オレノは労りの言葉をセリカに掛けた。カヤは気分が悪くなったようで、ラウネーに連れられて別室で休んでいる。ダルノスは、一足先に退出をしていた。

 

『先に見てもらったのは、言葉で説明をするよりも早いと考えたからです。あの「ウツロノウツワ」は、バリハルト神殿に伝わる神器です。ですが、見てもらった通り、およそ神器とは思えぬ、禍々しい邪悪な存在です。いつ頃からバリハルト神殿に伝わるのか、もう誰も知りません。ですがこれまで、何人もの神官たちが、アレに取り込まれ、気狂いとなりました・・・』

 

セリカは自分の手を見た。確かに、あれは神器などというものではない。何故、あんなモノが神殿に存在しているのか・・・セリカの様子をみたオレノが、驚いたように尋ねた。

 

『ま、まさかウツワに触れたのですか?触れてなお、正気を保っているのですか?』

 

『はい、ほんの一瞬でしたが・・・』

 

『な、なんと・・・』

 

神官たちがどよめく。オレノは黙って、セリカを見た後、小さく呟いた。

 

『これは、バリハルト神のお導きかもしれません・・・』

 

オレノは顔を引き締めた。バリハルト神殿大司祭として、セリカに使命を下す。

 

『セリカよ、そなたへの使命を下す。ウツロノウツワの浄化方法を探索せよ。これまで、何人もの神官たちが、ウツワの浄化方法を探しました。しかし未だ、誰も成功をしていません。ですが、そなたなら・・・ウツワに触れて、なおも正気を保ったそなたであれば、成し遂げられるかも知れません。そなたは大きな可能性を秘めている。いずれ、神格者へと進むかもしれません。大変な試練ですが、何としても、成し遂げてもらいたい』

 

セリカは顔を引き締め、膝をついた。

 

『浄化方法探索の使命、確かに承りました。必ずや、見つけ出します』

 

 

 

 

 

『セリカ・・・大変なことになったわね』

 

セリカとカヤは、バリハルト神殿に与えられた家へと向かっていた。正式な神官騎士となれば、神殿から家を与えられる。二人とも公式には、まだ地位が低い。だがセリカがオレノの直弟子であること、そしてウツロノウツワ浄化という大使命を背負ったことから、神殿もそれなりの家を用意していた。屋敷というほどではないが、数部屋がある立派な家である。

 

『それで、これからどうするの?』

 

『正直、何から手を付けたらいいのかも解らないよ。取りあえず、今日はもう疲れた。ダルノスにも相談して、これからを決めたいと思う・・・』

 

『そうね、考えるのは明日からにしましょう。さぁ、部屋を決めないとね。私は大通り沿いが良いわぁ~』

 

カヤは燥ぎながら、勝手に日当たりのよい部屋を選んだ。その明るい様子に、セリカの気持ちも少し、晴れた。

 

 

 

 

 

『ウツロノウツワか・・・そんなものが、神殿にあったんだな』

 

ダルノスは頷き、黒麦酒を呷った。セリカの剣術の師であるダルノスは、正式な意味ではバリハルト神殿の騎士ではない。辺境域の出身であるダルノスは、剣術の修行をしながら流れ歩いた「傭兵」である。剣術の腕と邪教への姿勢が評価され、神殿に雇われている。面倒見が良く、男気に溢れるため、騎士たちからの信頼も篤い。

 

『神殿にあるということは、誰かが持ち込んだんだろう。まずはソイツの正体を知る必要があるな。総本山に問い合わせれば、何かしらの情報が得られるかもしれん・・・』

 

『そうだな。オレノ様にお願いをしてみよう。だけど、これまでも何人もの神官たちが浄化方法を探して、失敗しているんだ。簡単ではないだろう。ダルノス、カヤ・・・力を貸してほしい』

 

『勿論よ。可愛い弟の為だもの。いくらでも力を貸すわ』

 

『神官たちが調べても解らなかったということは、表の道では無理だろう。俺は放浪の中で、「裏」に詳しい人間とも知り合った。裏から調べれば、何か手掛かりが得られるかもしれん。声を掛けてみよう』

 

仲間たちの心強い言葉に、セリカは感謝した。

 

 

 

 

 

バリハルト神殿の騎士は、神殿からの依頼を受けて動く。大きな使命を受けたセリカではあったが、日々の中では、そうした依頼をこなさなければならない。セリカは時間を見つけて、廃都ノヒアに向かおうと考えた。また、犠牲者であった少女の様子も気になっていた。二日ほど時間が空いたため、セリカは身支度をした。

 

『あら?セリカ、どこに行くの?』

 

街を歩いていたら、カヤが声を掛けてきた。犠牲者の見舞いをして、そのまま廃都ノヒアに行くことを告げる。

 

『犠牲者・・・リーズのことね?うーん・・・』

 

『まだ、回復していないのか?』

 

『そうじゃないんだけど、心の傷がね。私たちが行くと、またあのコトを思い出すんじゃないかって・・・』

 

『ひょっとして、姉さんはもう、見舞いに行ったのか?』

 

『うん・・・でも、会えなかった。もうしばらく、そっとしておいた方が良いと思う』

 

『わかった。じゃぁ、このままノヒアに行ってくるよ』

 

『ノヒアって・・・この時間じゃ日帰りは出来ないわよ?あんなところに、何しに行くの?』

 

『うん、ちょっと気になっていることがあるんだ。夕方にはノヒアに着くから、そこで野宿をするよ』

 

『まぁ、アンタはもう神殿騎士なんだから、アレコレ言わないわ。気をつけて行ってらっしゃい』

 

姉と別れ、セリカは廃都ノヒアへと向かった。

 

 

 

 

 

陽が沈む前に、ノヒアに着く。あの時、親の遺体に寄り添っていた、まだ生まれて間もない水竜の赤子が気になっていた。やむを得なかったとはいえ、自分の剣が、親の命を奪ったのである。

 

(あの子は・・・生きているだろうか?)

 

森を通り抜け、内海に出る。穏やかな波打ち際に腰を下ろし、水平線に沈む夕日を眺める。あの地下川は、この内海に通じているはずであった。もし生きているのなら、この辺りにいるはずである。ひょっとしたら会えるかもしれないと淡い期待を抱いていたが、その姿は無かった。騎士となったことは後悔はしていない。だが、これから騎士として生きていく以上、ああした犠牲はまた起きるだろう。

 

・・・そなたは大きな可能性を秘めている・・・

 

大司祭や皆は、そう言って自分を期待してくれる。だが、誰の為の可能性なのか、自分の力を誰の為に使うべきなのか、セリカの中には迷いがあった。気が付くと、既に日は沈み、夜の帳が降りていた。水面が青く輝く。野宿の準備をしようと立ち上がると、背後に気配がした。魔物ではない。人の気配であった。気配が自分に近づいてくる。驚かさないように、セリカはゆっくり振り返った。蒼い月明かりの中に、水竜の子供を抱えた、赤い髪の美しい女性が立っていた。水竜は女性の腕の中で目を閉じている。神秘的な、不思議な雰囲気をした女性であった。

 

『こんばんわ』

 

『クゥゥゥ・・・』

 

女性が挨拶をしてくる。水竜が鳴いた。鼓動が少し、速くなった・・・

 

 

 

 

 




【次話予告】
セリカは、ナーサティア神の信徒「サティア・セイルーン」と行動を共にすることにした。ウツロノウツワについて情報を集めながら、神殿からの依頼をこなしていく。ある日、マクルから東方にあるスティンルーラ族の集落「クライナ」において、不穏な動きがあるとの知らせが神殿にもたらされる。セリカはサティア、ダルノスと共に、クライナがある森林へと入った。スティンルーラ族の女戦士を避けつつ、クライナを目指す。だが、あと一歩というところで、三人の前に漆黒の服を着た男が現れた・・・

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第六十四話「古の呪術」

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第六十四話:古の呪術

マクルの街が造られ、バリハルト神殿がセアール地方南部に進出をして来たころとほぼ同時期に、ブレニア内海沿岸域を中心に二つの異変が発生している。一つは、アヴァタール地方南部に出現をした異界「狭間の宮殿」である。別名「神々の処刑場」と呼ばれるこの異界は、現神が認めない限り、人間族および亜人族たちは立ち入れない「禁断の地」となっている。三神戦争時において、捕らえられた古神たちは、この処刑場から「神の墓場」へと落とされたと言われている。本来であれば、目にすることが無いはずの「異界」が何故、出現をしたのか。後世の歴史家たちにとって大きな謎とされている。

 

もう一つの異変は、「得体の知れないもの」と呼ばれる異形の魔物の登場である。セアール地方南部からディジェネール地方、ニース地方のりプリィール山脈まで、この「得体の知れないもの」が確認をされている。この魔物は、いかなる攻撃を受けても決して死ぬことがなく、触れたものは精神が蝕まれ、最終的には廃人となってしまう。一説には、生物が持つ「生きる意志」そのものを吸収する存在、と言われており、ブレニア内海沿岸域に住む人間族、亜人族たちを恐怖に陥れた。

 

後に、マーズテリア神殿の聖女「ルナ=クリア」の活躍により、マーズテリア神殿、レウィニア神権国、トライスメイルなどの連合部隊が結成され、「得体の知れないもの」を封じることに成功する。また、その討伐には「神殺し」も加わっていたことが、複数の記録から明らかに成っている。しかし、その正体は何であったのか、マーズテリア神殿は無論、どの勢力も一切、公開していない。

 

 

 

 

 

『こんばんわ』

 

水竜を抱いた不思議な雰囲気の女性に、セリカの鼓動が早くなった。美しい顔立ちをした赤髪の女性は、綺麗な瞳で、セリカを見つめる。

 

『こんばんわ。あの・・・どこかで会ったことがあるでしょうか?』

 

『いいえ、初対面です』

 

『そうですか・・・』

 

互いに沈黙をしたまま、数瞬が流れた。すると、女性が尋ねてきた。

 

『初対面の人に、こんなことを聞くのは変ですけど・・・「運命」という言葉、貴方は信じますか?』

 

『「運命」?』

 

セリカは考えた。運命という言葉は、バリハルト神殿でも使われている。「人がどれほど努力しようとも、抗いようのない流れ」「神のお導き」という意味合いであった。だがその真の意味は「自分の力の限り、出来る努力をつくし尽くして、それでもなお抗えない時に、諦めとして使う言葉」であった。オレノ大司祭もダルノスも、あまり良い意味では使っていない。ともすると「逃げる言い訳」に使われるからだ。

 

『俺は、あまり信じない。そういうこともあるのかもしれないが、少なくとも、出来る努力を尽くしてから、使うべき言葉だと思う』

 

『そう・・・』

 

女性は微笑んだまま、セリカを見つめた。水竜の子供が再び鳴く。

 

『私は・・・運命を信じるわ』

 

『何故?』

 

『貴方に会えたから・・・この子を拾った時、まるで導かれるように、この場所に来たの。そこに貴方がいた。これは、運命じゃないかしら?』

 

『どうだろう。ただの「偶然」だと思うけど・・・俺に会うまでは、運命を信じていなかったのか?ええと・・・』

 

『サティア・・・私の名は、サティア・セイルーン。貴方は?』

 

『俺はセリカ。バリハルト神殿の戦士だ』

 

サティアは頷いて、言葉を続けた。

 

『私は、運命を信じたくなかった。人が殺し合うのは運命ではない。人は運命に立ち向かい、運命を切り拓く力を持っている。ただ、その力の使い方を知らないだけ・・・』

 

『力の使い方か・・・』

 

自分の両手を見る。毎日、剣を振っているため、豆だらけの手だ。その一方で、この掌からは強力な雷系魔術を放つことも出来る。大抵の魔物であれば、倒すことが出来る。普通の人間よりも、遥かに強い力を持っている。だが、その力は何に向ければ良いのだろうか。ただ神殿の使命に従い、言われるがままに剣を奮い、魔術を発し、魔物を殺せば良いのだろうか・・・

 

『貴方の力の使い方は、貴方自身にしか、見つけ出せないわ。長い旅路の中で、苦悩と後悔を重ねながら、人は成長していくのだと思う』

 

『なんだか、どこかの大司祭に説教を受けている気分だ』

 

セリカはそう言って笑った。サティアも笑う。すると、腕の中の水竜がもがき始めた。

 

『クワッ・・・クワッ』

 

サティアの腕から零れ落ちる。ペタペタと地面を歩き、内海へと向かう。水の中に入ると、一度だけ顔を出し、そのまま姿を消した。その姿をセリカは心配そうに見つめた。あの小ささで、生きていけるだろうか。

 

『あの子の親は、何処に行ったのでしょう?』

 

『・・・・・・』

 

セリカは黙って、水面を見つめた。セリカの様子を見て、サティアが言った。

 

『時折、様子を見に来ましょう。もし親がいないのなら、誰かが親代わりになってあげないと・・・』

 

『そうだな・・・』

 

その夜、セリカはサティアと遅くまで語り合った。時に笑い、時に考え、気がついたら眠ってしまっていた。目を覚ましたら、サティアの姿は消えていた。夢では無かった証拠として、茶の残りが入った杯が二つ、並んでいた。

 

 

 

 

 

「ウツロノウツワ」の浄化方法を探るという大使命は、一朝一夕で達成できるものではない。総本山にはオレノ大司祭を通じて問い合わせたが、その回答が来るまででも数ヶ月が掛かる。その間は、調査をしつつも神官騎士としての仕事も果たさなければならない。街の治安維持や、魔獣の討伐などだ。特に、先住民であるスティンルーラ族とは深刻な対立が起きている。布教に向かった神官が、石を投げつけられて帰ってくるという事件もあった。騎士の中には武力行使を叫ぶ声もあったが、オレノはあくまでも、話し合いによる融和を考えているようであった。

 

『今から三百年くらい前だけど、バリハルト神殿は一度、セアール地方南部をほぼ、教化することに成功したんだって。だけど、その時の大司祭が軍を起こして、そのまま東のレウィニア神権国まで攻め入ったらしくて、ボロ負けして逃げ帰ったそうよ』

 

ダルノスの手料理を食べながら、カヤが説明をする。その知識はセリカにもあったが、カヤは声をひそめて、更なる裏情報を話した。

 

『これは噂なんだけど、その時に戦った相手は、レウィニアの軍じゃなくて「魔神」だったらしいわ。なんでも黒一色の服を来た魔神だったそうで、一千名以上が殺されたんだって。魔神に負けたなんて、それこそ神殿の恥だから、総本山でも極秘にしているそうよ。オレノ様が融和を求められるのも、その辺が理由じゃないかしら?』

 

何故、そんな極秘情報をカヤが知っているのか、セリカは敢えて聞かなかった。弟から見たら、世話焼きの姉にしか過ぎないが、カヤは騎士たちの中ではそれなりに人気がある。大方、酒席で少し色気を出して、それで聞き出したのだろう。その巧みさたるや、娼婦たちですら舌を巻くほどらしい。

 

(姉さんは商売を間違えているのかもな・・・)

 

苦笑いをしたセリカは、話題を変えた。廃都ノヒアで出会った、不思議な女性の話をした。カヤは驚き、笑った。弟が自分以外の異性の話をするのは初めてであった。

 

『その口ぶりだと、もう何度か、会ってるわね?そっか・・・子供だと思っていたけど、セリカももう、オトコなんだねぇ~』

 

カヤは、何処か寂しげながらも、嬉しそうに笑い、酒を呷った。セリカは顔を赤くした。確かに、あの夜の後も何度か、ノヒアで会っている。「クー」と名付けた水竜の子供に、魚などを与えている。最初は得体の知れない女性であったが、数度会うことで、相手を知ることが出来た。ナーサティア神の信徒で、諸地方の伝承や文化を研究しているらしい。その知識が、ウツロノウツワ浄化法の探求に役立つのではないかと考えていた。

 

『アンタはもう、バリハルト神殿の騎士なんだから、自分の使命に必要だと考えるのなら、迷わず力を借りなさい。ナーサティア神の信徒なら、オレノ様もお許しになるわ』

 

姉の言葉に、セリカは頷いた。

 

 

 

 

 

サティアは簡単に了承をした。カヤともすぐに打ち解けたようで、空いている部屋を貸す。ダルノスは最初は警戒をしていた。サティアのせいというよりは、ダルノスが人見知りなだけである。セリカとカヤの様子に、ダルノスも納得したようで、自分の手料理を振る舞う。受け入れた証拠であった。

 

『今日は珍しい香辛料が手に入ったんだ。ルプートア山脈の向う側にある「ターペ=エトフ」って国で栽培されている香辛料らしい。俺も食ってみたが、肉の味が劇変するぞ?』

 

絶品肉料理を囲んで、皆で乾杯をする。サティアは小食のようで、それ程多くは食べない。残すとダルノスが不機嫌になるので、その分をセリカが食べた。酒を飲みながら、サティアの様子を見る。この賑わしい酒場であっても、どこか人間離れした雰囲気であった。そして美しかった。神殿には神官長をはじめとして、美人の神官も多いが、サティアの美しさは、その比では無かった。美女に見惚れる弟を姉がからかう。

 

『セリカ~ サティアちゃんがウチに住むのは良いとして、アンタは我慢できるの?こんな美人が、一つ屋根の下にいるなんて・・・』

 

『ね、姉さん!』

 

セリカ以外の皆が笑った。

 

 

 

 

 

『騎士セリカと神官カヤが認めた以上、サティア・セイルーンの力を借りることに、否はありません。ウツロノウツワの浄化は、神殿の最優先事項です。サティア・セイルーンと共に、調査を続行して下さい』

 

神官長のラウネーの許可を得て、サティアは正式に、セリカと行動を共にすることになった。早速、仕事が降りてくる。

 

『さて、本日はセリカに、依頼があって呼びました。マクルの北東にあるスティンルーラ族の集落「クライナ」に向かって下さい。何か、不穏な動きがあるようなのです。既にダルノスを始めとして、神殿騎士たちはクライナに向けて立ちました。あなたもすぐに続いて下さい』

 

セリカが頷き、立ち上がる。ラウネーが呼び止める。

 

『知っての通り、スティンルーラ族と当神殿は対立しています。しかしオレノ大司祭をはじめとして、私たちは彼らとの融和の道を模索しています。くれぐれも、剣を奮って彼らを傷つけることがないように、注意をして下さい』

 

 

 

 

 

『スティンルーラ族は、裁きの女神ヴィリナを信仰する民族よ。女性を尊ぶ文化で、族長も代々、女性が就いているわ。誇り高い民族だから、信仰の押し付けなどをすると、反発をするのは当然だと思う・・・』

 

クライナへの道中、スティンルーラ族についてサティアが説明をする。サティアは過去に、クライナにも行ったことがあるようで、森での道案内も出来るようだ。サティアの話を聞きながら、セリカは疑問を感じた。

 

『思うんだけど、バリハルト神とヴィリナ神は夫婦だろ?それが何で、人間族同士になると対立をするんだろう?』

 

『本当にそうね。セアール地方の人たちは、スティンルーラ族を「蛮族」なんて言うけど、彼らは決して野蛮ではないわ。生き物を愛し、森を慈しむ、とても心優しい、穏やかな民族よ。でもその一方で、いざ戦いとなったら、苛烈に戦うわ。そのへんは、ヴィリナ神の性格そのままね』

 

セリカは頷き、考えた。バリハルト神殿は、信徒を増やすためにせアール地方の教化を進め、さらには大陸中原への進出を狙っている。だがそれは、バリハルト神が望んだことなのだろうか?バリハルト神は確かに、古神には容赦無いが、他者の信仰を侵したり、先住民族を迫害したりすることを認めるとは思えなかった。マクルの街を発ってから四日目、二人はクライナへと続く森に着いた。すでに騎士たちが幕舎を張っている。セリカはその気配に眉をひそめた。まるでこれから合戦に行くかのように、殺気立っている。幕舎からダルノスが出てきた。険しい顔だが、セリカを見かけると笑みを浮かべた。

 

『よぉ、お前たちも来たのか』

 

『ダルノス・・・これはどうしたんだ?まるでこれから殺し合いにでも行くかのようだ』

 

『あぁ、それなんだが・・・』

 

ダルノスが説明をする。どうやらこの森で、何らかの儀式が行われているらしい。それを確認しようとしたら、いきなり弓を射掛けられたそうである。話し合いをしようと神官が声を掛けても、その返答は明確な殺意だけであった。

 

『俺も辺境の出身だ。民族によっては、現神信仰と離れた儀式があることは知っている。だがバリハルト神殿としては、害が無いものかどうか、確認をしておく必要がある。邪魔はしないから、確認だけさせてくれ、と言ったんだが・・・』

 

『スティンルーラ族は誇り高い種族だ。自分たちの儀式を他者に見せること事態に、抵抗があるんだろう。それに、この森はスティンルーラ族の縄張りだ。本来であれば、俺たちが無暗に立ち入って良い場所ではない』

 

『解っているさ。だから丁寧に声を掛け、許可を得ようとしたんだ。だが、アイツらは話し合いに乗ろうとすらしない。騎士たちの中には、強行突破の意見まで出ている。なんとか、宥めたんだがな・・・』

 

ダルノスもまた、戦士である。そうした「抑え役」は性に合わないだろう。セリカは頷き、案を出した。

 

『サティアは、クライナに行ったことがあるそうだ。森の道案内も出来るらしい。俺とサティア、そしてダルノスの三人だけで、森に入るというのはどうだ?大勢で行けば、それだけ相手を刺激してしまうだろう。少数で行けば隠れやすいし、コッソリ観察して害が無ければ、そのまま退散すればいい』

 

ダルノスは顎を擦って頷いた。だがセリカにクギを刺す。

 

『無害な儀式なら良いだろう。だが、もし有害であれば、俺は力づくでも止めるぞ』

 

『スティンルーラ族は平和を愛する民族です。そのような害のある儀式をするとは思えません。クライナに住む長老とは顔見知りです。クライナまで行けば、儀式を止められるでしょう』

 

サティアの言葉に二人は頷いた。音を立てないように、三人は森へと入った。

 

 

 

 

 

『あら?これは・・・』

 

森の中を走る道の途中に、スティンルーラ族の女戦士が見張りをしている。警戒の目を避けながら、森の奥へと進む。その途中で、サティアが何かに気づいた。藪で隠すようにしているが、魔力までは隠せない。三人が見つけたものは、魔法石を組み合わせた「魔法陣」であった。サティアが首を傾げる。

 

『・・・古の呪術に似ていますね。何かの「召喚陣」のようです。ですが・・・』

 

『何か気になる点があるのか?』

 

『えぇ・・・陣の描き方が違います。召喚陣は、召喚すると同時に使役者の命令に服従するように、強制(ギアス)を掛けなければなりません。ですが、この召喚陣には、強制が掛かっていません。ただ召喚するだけの魔法陣です』

 

『おいおい・・・それって、ヤバくないか?』

 

『危険です。何を召喚するつもりかは解りませんが、この魔力を見る限り、かなり強力な魔神か、異界の魔獣を召喚するつもりのようです。もし強制が働かないうちにそのようなものが召喚されたら・・・』

 

『スティンルーラ族はお終いだな』

 

『それだけじゃない。この辺り一帯が危険に晒される。マクルだって危ういだろう。何としても止めないと』

 

三人は急いで森の奥に進んだ。

 

『もう少しです。ここを通り抜ければ・・・』

 

少し拓けた道に出る。だが三人はそこで立ち止まった。スティンルーラ族の戦士たちが、弓を構えて立ち塞がったのだ。上半身を晒した、青髪の女戦士が怒りの表情で告げる。

 

『そこまでだっ、侵略者どもめっ!この森は、我らスティンルーラ族の森・・・貴様らが勝手に入って良い場所ではない!とっとと出て行けっ!』

 

ダルノスが舌打ちをして、背に刺さった剣に手を伸ばした。サティアが前に進み出る。

 

『待ってください。あなた方が形成している魔法陣は間違っています!このままでは、大変なことが起きます!』

 

『フン、侵略者の言うことなど信用できるか!我らの呪術の威力を知って、騙そうとしているに違いない。早く出て行けっ!さもなければ、この場で殺すっ!』

 

『黙って聞いていれば、言いたいこと抜かしやがって・・・邪教を使うなんざ、もう同じ現神の信仰者じゃねぇな!』

 

ダルノスが怒りの表情を浮かべ、凄まじい殺気を放つ。一触即発の空気が充満する。その時、戦士たちの後方から声が響いた。

 

『待て、エカティカ・・・その話、おそらく本当だろう』

 

背中に剣を刺した、黒衣の男が現れた。

 

 

 

 

 

ゾクッ

 

セリカの背に悪寒が走った。思わず剣の柄に手が伸びる。目の前に出現した黒衣の男からは、殺気も闘気も感じない。だが得体の知れない不気味さを感じた。警戒するセリカやダルノスを無視して、男はサティアに話しかけた。

 

『あなたは先程、魔法陣と言ったが、そのようなものがここにあるのか?』

 

『はい、この目で確認しました。魔神、もしくは異形の魔物を召喚するための魔法陣です』

 

『・・・エカティカ、本当か?』

 

『だって、ディアンッ!』

 

エカティカという名の女戦士は、先程までとはうって変わって、拗ねるような表情を浮かべた。まるで兄のお仕置きを怖がる妹のようである。ディアンと呼ばれた黒衣の男は舌打ちをした。どうやら魔法陣のことを知らなかったようである。

 

『勝手に召喚陣なんて組みやがって・・・あとで族長から絞られるがいい。さて、バリハルト神殿の方々よ。あなた方の忠告は、有り難く受け取った。そのような愚かな召喚は止めさせよう。だが一方で、この森はスティンルーラ族の縄張りでもある。あなた方が侵入者であることに変わりはない。不安に思って立ち入ってきたのだろうから、そこは水に流そう。一刻も早く、この森から立ち去られよ』

 

(役者が違いすぎる・・・)

 

セリカはそう感じた。先程まで殺し合い寸前の緊張状態であった皆が、この男に完全に飲まれている。唯一、サティアだけが男に飲まれていないようであった。口元に微笑みを浮かべ、黙って男を見続けている。撤退すべきだ、セリカはそう考えた。だがその時、ダルノスが反駁した。

 

『おいおい、なに勝手に仕切っているんだ?こっちはお前らから矢を射掛けられているんだ。神殿に対して、代表者がキチンと説明をするのが筋ってもんじゃねぇのか!』

 

六尺五寸の巨体を持つダルノスが凄む。大抵の男はこれで腰が退ける。だがディアンという男は涼しい顔で言葉を返してきた。

 

『矢を射掛けられたのは当然のことだ。武装した騎士が森に入ろうとしている・・・スティンルーラ族から見れば「侵略」と受け止めるのも当然だろう?説明はいま見たとおりだ。スティンルーラ族のお転婆娘が、浅はかな知識と判断で、召喚陣を組んだ。大方、バリハルト神殿に対抗するために、魔神召喚でも図ったのだろう。それを不安に思った貴殿ら三名が森に侵入し、話のわかる男と出会った。男はお転婆娘の首根っこを捕まえて、召喚を止めさせることを約束した。メデタシメデタシ・・・これが説明だ。不満か?』

 

「立て板に水」という言葉は、この男のためにあるのだろうか。それ程、流暢に言葉を吐く。男の後ろに、二人の女性が進み出てきた。男とは対照的に、白い外套を羽織っている。金髪と銀髪の、素晴らしい美女であった。外見の美しさだけなら、サティアにも劣らないだろう。だが、纏っている雰囲気はまるで違う。サティアは神秘的な神々しさがあるが、二人からはむしろ禍々しさを感じた。サティアとは異なる意味で、近寄り難い雰囲気であった。金髪の美女が、男に告げる。

 

『ディアン、確認してきたわ。確かに召喚陣がある。一応、封じておいたけど、後で確認して』

 

『解った。先にクライナに戻って、族長に事の顛末を伝えてくれ。俺は・・・』

 

男はダルノスに顔を向けた。金髪の美女はダルノスに見向きもせず、その場を離れていく。銀髪の方も、ダルノスやセリカなど眼にも入れていないかのようだ。ダルノスは、バリハルト神殿の戦士として、マクルでは誰もが一目置く存在だ。その評判に相応しい強さを持ち、自負心もある。それがまるで非力な小動物のように、軽くあしらわれたのだ。怒りから、ダルノスの表情は赤黒くなっていた。

 

『振り上げた拳を降ろせずにいるのだろう?何が、お前をそこまで怒らせるのかは不明だが、そのまま帰っても欲求不満だろう。オレが相手をしてやろう』

 

男が背に刺した剣を抜く。セリカは思わず見惚れた。白銀に輝く美しい剣である。漆黒の外套を纏った男がソレを持つ姿は、どこか出来過ぎで、非現実的でさえあった。スティンルーラ族たちが後方に下がった。銀髪の女は、道端の木に背をもたれかけ、腕を組んでいる。男は剣を持ったまま、ダラリと力を抜いていた。構えという構えでは無い。ダルノスも背中から二本の大剣を抜いた。並の人間なら両手ですら扱えないほどの剣である。セリカは慌てて、ダルノスを止めた。

 

『ダルノス、ダメだっ!スティンルーラ族と戦うわけにはいかない!』

 

『安心しろ。オレはスティンルーラ族ではない。仮にオレを殺したところで、スティンルーラ族とバリハルト神殿とが戦争になることは無い。もっとも、殺せればの話だがな・・・』

 

男の挑発で、ダルノスが爆発した。大剣を十字に奮い、斬りかかる。普通の人間なら一瞬で四つに千切れているだろう。だが男は一瞬で、ダルノスの背後に回っていた。だがダルノスは、剣の勢いを殺さずに、そのまま右腕を後ろまで回す。男は飛び上がり、剣の上に乗り、そのまま離れた。

 

『ほう・・・』

 

銀髪の女が、腕を組んだまま一言、声を発した。ディアンは、離れた場所で手を叩く素振りを見せた。

 

『驚いたな。それだけの大剣を片手で使いながら、しかも虚実の剣を使うか。余程の修練を積んだのだろうな』

 

『抜かせっ!』

 

ダルノスは立て続けに虚実の技を繰り出した。飛燕剣である。だがディアンはそれら全てを簡単に躱した。剣で防ぐことすらしてない。全ての剣が宙を斬る。ディアンの様子に、セリカは戦慄した。何をやっているのか、理解できたからだ。だがそんなことが可能なのか?やがて、ダルノスの動きが止まった、肩で域をしながらディアンを睨む。

 

『テメェ・・・さっきから巫山戯た真似をしやがって・・・俺をナメているのか!』

 

『ふむ、さすがにこの程度は気づくか。本来であれば、お前はもう十回は死んでいるぞ?』

 

ディアンは実際に剣を奮うのではなく、闘気を利用して斬る気配を発していた。斬られる側にも明確に伝わるほどの、鋭い闘気であった。明らかな手加減である。だがそれが、ダルノスの怒りをさらに助長させる。銀髪の女も、さすがに気の毒に思ったのか、ディアンに声を掛ける。

 

『ディアン、嬲るのは強者のすることではない。終わらせたらどうだ?』

 

女に同情され、ダルノスの怒りは頂点に達した。飛燕剣の奥義を繰り出す。

 

『死ねっ!沙綾円舞剣ッ!』

 

剣があたかも数百本に分かれたかのようにディアンに襲いかかる。だがディアンは躱すこと無く、剣を一振りした。ダルノスの動きが止まった。手にしていた大剣は二振りとも、完全に断ち切られていた。背に剣を納めたディアンは左右に腕を広げた。空から降ってくる、剣の半身を指で掴んだ。

 

『惜しいな。良い技だが、大剣では不向きだ。中剣でやったほうが良いぞ?』

 

圧倒的な力の違いを見せつけられたダルノスは、肩を落として歯ぎしりをした。尊敬する師が負け、その様子をサティアが見ている。その光景に、セリカの中にある感情が湧き上がった。これまでに感じたことのない激情であった。セリカは、腰の剣を抜いた。

 

『待てっ!俺が相手だ!』

 

ディアンは面倒くさそうに顔を向けた。

 

 

 

 

 

『止めろ、セリカッ!お前の勝てる相手ではない!』

 

『セリカ、ここは退いて・・・もう十分でしょう?』

 

『俺の師であるダルノスが負けんたんだ!バリハルト神殿騎士が、ここで黙って引き下がれるか!』

 

普段は見せないセリカの激昂に、サティアは驚いた様子であった。ダルノスもそれ以上は止めなかった。バリハルト神殿の騎士として戦う以上、他者が止めることは許されない。セリカはディアンと向き合い、構えた。普通に戦っては勝てない。ならば魔力を使って、初撃に賭けるしか無い。全身から闘気を発する。ディアンは片眉を上げた。腕を組んでいた女も、木から背を離した。ディアンが背に刺した剣の柄を掴む。前かがみになって構える。気が横溢していく。

 

『いざっ!』

 

足に込めた雷系魔術により、爆発的な初速で距離を詰める。ディアンの腹部めがけて突きを繰り出す。剣の先端が、黒衣に突き刺さる。

 

(貫いたっ!)

 

そう思ったが、剣に手応えは無かった。次の瞬間、後頭部に強い衝撃を受けた。一瞬で意識が遠くなる。

 

『惜しかったな・・・』

 

微かにそう聞こえた。

 

 

 

 

 

ディアンは紅い月を眺めていた。後ろから声を掛けられる。

 

『久し振りですね、ディアン殿・・・』

 

『サティア殿か・・・』

 

ディアンが振り返る。赤髪の女神が立っていた。

 

『アレが、あなたが見つけた「内通者」か?』

 

『内通者というわけでは・・・ただ、彼から聞いた「ウツロノウツワ」という神器が気になります。その正体は恐らく、私の妹「アイドス」でしょう。何故、そのような姿に成り果てたのかは解りません。ですが、邪悪の存在と堕した以上、葬らなければならないでしょう』

 

『肉親を失うことは、辛いことだ。お気持ちは察する。あのセリカという男、どことなくオレの弟子に似ている。気弱だと思っていたら、驚くほど大胆な行動を取ったりする。強い意志があるように見えながらも、内面で自らの在り方に悩み続ける・・・バリハルト神殿には珍しい男だな』

 

『好ましいと思っています。人は悩み、苦しみながら、それでも明日を見て歩み続けるものです。彼と共に、私もこの世界で生きてみたいと思うようになりました』

 

『そうか・・・あなたが決めたことだ。オレは何も言わん。この世界で生きるのであれば、また会うこともあるだろう』

 

『そうですね。生きていれば、きっとまた会えます』

 

サティアと入れ違いに、ダルノスがディアンに声をかけてきた。バツが悪そうな表情を浮かべている。

 

『その・・・先程は失礼をした。頭に血が上っていたんだ。それと、弟子に手加減をしてくれて、感謝する。ありがとうよ』

 

『気にするな。解っていると思うが、あのセリカという男、相当な素質を秘めている。まだまだ伸びしろがあるが、これ以上は実戦を積ませるしか無いだろう。師としては、頭を悩ませるところだな』

 

『アイツはもう、俺を超えているんだ。俺はこれ以上、何も教えられん。アイツの為にも、どこかで修練を積ませてやりたいが・・・』

 

『マクルの北にある「廃坑」に行ってみたらどうだ?彼処は魔物が豊富だ。狭く、暗い洞窟の中で、複数の魔物を同時に相手にすることは、良い修行になる』

 

『廃坑か・・・なるほどな。考えておくよ』

 

ダルノスは笑って、ディアンから離れた。

 

 

 

 

 

最初は見知らぬ天井が見えた。やがて意識がハッキリする。セリカは起き上がって、当たりを見回した。見知らぬ建物である。簾の掛かった出入り口から外に出る。陽の光で目を細める。そこには発展した立派な街があった。外壁や各家々では、白い蕾がついた蔓状の植物が栽培されている。整備された道路を木樽を載せた荷車が行き来する。

 

『気がついたのね?良かった・・・』

 

いつの間にか、サティアが横にいた。輝くような笑顔を向けてくる。

 

『ここは?』

 

『ここはスティンルーラ族の集落、クライナよ。あなたが意識を失ったので、この集落で介抱して貰っていたの』

 

『クライナ・・・大丈夫なのか?バリハルト神殿の俺がいて・・・』

 

『気にすることはないよ』

 

サティアの後ろにいた年寄りが、声を掛けてきた。服装から見るに、相当な地位にいる人物である。

 

『あたしゃ、アメデっていう婆だよ。お前さんたちのお陰で、邪な呪術を防ぐことが出来た。感謝しとるよ・・・』

 

アメデが後ろを振り返る。柱の影に、青髪の戦士が立っていた。

 

『エカティカッ!こっち来て、ちゃんと御礼を言わんしゃい!』

 

アメデに怒鳴られ、渋々の様子でエカティカが出てきた。

 

『フンッ!今回だけは、感謝してやるよ。だけど、アタシはまだ、アンタたちを信用していないからね』

 

そう言って、エカティカは後ろを向き、去ってしまった。アメデは溜息をついた。

 

『スマンねぇ、バリハルト神殿とは、そりゃ色々とあったからねぇ。あの子だけじゃなく、この集落には、アンタたちを歓迎しない者が多いんだよ』

 

セリカは頷いた。

 

『理解しています。私たちのほうが、立ち入ったのです。介抱を頂きましたこと、本当に感謝を申し上げます。またクライナをお訪ねしても良いでしょうか?これを機に、スティンルーラ族の皆様をもっと教えて頂けないかと考えています』

 

『あまり歓迎せんがねぇ・・・』

 

『バリハルト神殿騎士としてではなく、この地に住む一人の人間、セリカとして訪問させて頂きます。どうか・・・』

 

アメデはしばらく考えて、頷いた。アメデの方も、バリハルト神殿との融和を希望しているようであった。

 

『お、セリカ、気づいたか!全く、無茶しやがって!まぁ、お前が気づいたのなら、もうこの集落ともオサラバだな。あまり歓迎されていない様子だし、さっさと帰ろうぜ』

 

ダルノスは豪快に笑い、セリカの背を叩いた。サティアに顔を向ける。優しい微笑みに、セリカの気分も晴れた。

 

『あぁ、帰ろうか。マクルへ・・・』

 

空は雲一つない、青空であった。

 

 

 

 




次話予告】
セリカの修行の日々は続く。北部の廃坑で「得体の知れないもの」に戦慄し、ドラブナの森では、呪われた魔槍を封じる戦いを経験した。日々の成長を通じて、サティアとの距離も近づいていく。そして、セリカの生家にて、二人は結ばれる。
だが、成長と充実の日々を送る中で、ある情報が手に入る。ブレニア内海南方のディジェネール地方にいる「龍人族」が、ウツロノウツワの浄化方法を知っているという情報を得たのである。セリカは早速、ディジェネール地方「ニアクール」へと出発する。

そしてその地で、彼の生涯を左右する存在と出会うのであった・・・

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第六十五話「ニアクール遺跡」

Sors immanis
et inanis,
rota tu volubilis,
status malus,
vana salus
semper dissolubilis,
obumbrata
et velata
michi quoque niteris;
nunc per ludum
dorsum nudum
fero tui sceleris.

恐ろしく
虚ろな運命よ
運命の車を廻らし
悪意のもとに
すこやかなるものを病まし
意のままに衰えさせる
影をまとい
ヴェールに隠れ
私を悩まさずにはおかない
では、なす術もなく
汝の非道に
私の裸の背をさらすとしよう・・・


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第六十五話:ニアクール遺跡

魔神とは本来、自己欲求の充足のみを求め、完全な「個」として動く存在である。そのため、巨大な力を持つにも関わらず、歴史に影響を与えた事例は多くはない。西方の歪地帯「エテ」を破壊した「魔神アラストール」の行為は、結果的には「氷結の女神ヴァシナール」を北方に還すことに繋がり、歴史を動かしたとも言えるが、当時のアラストールからすれば、ただ「気晴らしに街を破壊した」というだけに過ぎず、本人の意志とは無関係なところで歴史が動いたにすぎない。

 

魔神が、自らの意志で歴史を動かした事例としては、レスペレント地方モルテニアを終の棲家とした「魔神グラザ」が挙げられる。魔神グラザはケレース地方の大国「ターペ=エトフ」から支援を受けることで、長きにわたって闇夜の眷属を守り続けていた。しかし、ターペ=エトフの滅亡により、徐々に追い詰められていく。そこで魔神グラザは、人間族との関係を強化するために、人間族との間に子を成す、という行動に出る。その結果、半魔神として「リウイ・マーシルン」が誕生する。リウイは、当初こそ人間族を憎んでいたが、やがて「光と闇の共生」を志すようになり、レスペレント地方を統一、大帝国「メンフィル帝国」を形成するのである。「魔神グラザは、レスペレント地方に平穏をもたらそうと考えて「狭間の子:リウイ」を成した」とは、メンフィル帝国大将軍ファーミシルスの証言であり、魔神が歴史を動かした事例と言えるだろう。

 

後世の歴史家が、その判断に頭を悩ませる事例も存在する。それが「ハイシェラ魔族国」である。ターペ=エトフ歴二百四十一年、それまでケレース地方南東部を統治していた「ガンナシア王国」が滅亡し、ハイシェラ魔族国が建国される。魔神ハイシェラを王としたこの新興国は、それから数年間、内政と軍事強化を行い、ターペ=エトフ歴二百四十九年、ラウルヴァーシュ大陸において最も繁栄していた国家「ターペ=エトフ」に宣戦布告、五十年間に渡る戦争状態に突入するのである。

 

後世の歴史家たちが一様に悩むのは、魔神ハイシェラの行動についてである。ハイシェラは、三神戦争以降の二千年に渡って、ラウルヴァーシュ大陸各地で「災厄」とも呼べる事件を引き起こしている。しかしそれらは全て、一個の魔神として起こした災厄であり、国家を打ち立て、他国に攻め込む、というような性質のものではない。ハイシェラが突然、国家形成へと動いた理由については、一切が不明である。そしてそれ以上に謎なのが、ハイシェラ魔族国の滅亡についてである。ターペ=エトフ滅亡後、ハイシェラはプレメルを拠点として、ケレース地方統一に乗り出す。イソラ王国を滅亡させ、魔神アムドシアスを下し、ケレース地方の大部分を統一することに成功する。しかし一方で、国家の運営という点については、まるで興味を失ったかのような様子を見せている。マーズテリア神殿がハイシェラ魔族国に攻め込んだ際、ハイシェラはアッサリと国を捨て、単身で逃亡しているのである。

 

これら事象に対して、最も説得力のある仮説は「気まぐれで国家を興し、戦争という遊びをし、その遊びが終わったから飽きた」というものである。つまり全ては気まぐれだという仮説である。魔神の性質を考えると、この仮説は一定の説得力を持つが、本当に「ただの気まぐれ」だったのか、そこに「別の意志」があったのではないか、という疑念は拭えない。

 

これら全ての疑問に対して、神殺しセリカ・シルフィルの伴侶となった魔神ハイシェラは、永遠の沈黙を続けている・・・

 

 

 

 

 

廃都ノヒアから馬で半日ほど北上したところに、「鉄屑の谷」がある。三百年ほど前は、ノヒアの都と共に栄えていた地下鉱脈だが、ノヒア滅亡後は徐々に寂れ、今では貧民たちが、当時の道具などを集める程度の「廃坑」となっている。地下深くまで掘られた大坑道は、魔物たちにとっては格好の住処である。三百年前の遺物や、魔物から取れる希少素材を目的に、坑道に下りる冒険家もいる。バリハルト神殿騎士セリカは、ダルノスと共に「鉄屑の谷」に潜っていた。食料や水を背負うため、かなりの重量に絶えなければならない。また坑道内は暗闇のため、松明が必要となる。片手で剣を操らなければならない。こうした制限下で、不意に襲ってくる魔物たちと戦うのである。体力以上に、精神力を必要とした。

 

『ハァッ・・・ハァッ・・・セリカッ!まだ生きているか?』

 

『ハッ・・・ハッ・・・あぁ、なんとか生きているっ!』

 

飛燕剣を繰り出し、四方から襲ってくる魔物を撃退する。このニヶ月間、廃坑に潜っては限界まで戦い、這うように地上に戻って休む、という生活を繰り返している。バリハルト神殿から支給された剣は、すでに五本以上を折った。地上に戻った時に、サティアが掛けてくれる回復魔法と優しい微笑みが、セリカの希望であった。

 

『クソッたれ!まだ地下四階なのに、強力な魔物(ヤツ)が出やがる!俺の力はこんなモンじゃねぇぞっ!』

 

ダルノスが気合を入れ、魔物に斬りかかる。その後ろをセリカが守る。滅茶苦茶な修練だが、ダルノスには焦りがあった。

 

(あのディアンとかいう男に勝つためには、これでもまだ足りない。もっと、もっと強く!)

 

セリカも、超人的な強さを目の当たりにし、思うところがあった。

 

(もしあの男が邪悪であったなら、俺もダルノスも死んでいた。そうしたら、サティアはどうなっていた?大切な者の護るためには、強さが必要なんだ!)

 

ようやく、地下四階を超え、地下五階に降りた二人は、そこで異様な空気を感じた。暗い霧のようなものが立ち込め、辺りに邪悪な気配が漂っている。

 

『グッ・・・なんだよ、この気配は・・・』

 

『この気配・・・似ているぞ、ウツロノウツワの気配に近い』

 

セリカとダルノスは慎重に先に進んだ。途中で魔物の死体が転がっている。目立った傷はないが、まるで生命を吸い取られたように、眠るように死んでいる。ダルノスが、死体を観察した。相手の攻撃方法を知るためである。すると急激に、邪悪な気配が近づいてきた。二人は慌てて身構える。やがて暗い霧の奥から、それが出現した。

 

お、おぉぉ怨、怨、怨ぉ・・・ぉおおお、お・・・・・・

 

それは、腰ほどの背丈しか無い、得体の知れない魔物であった。凄まじい邪の気配とともに、腐臭が漂う。セリカは思わず、吐き気がこみ上げた。あのウツロノウツワが魔物となったら、きっとこのような魔物に違いない。

 

『ヤバイぜっ!セリカ、逃げるぞっ!』

 

撤退しようとした矢先、ソレは触手を繰り出してきた。ダルノスの腕に巻き付く。

 

『グウゥゥゥッ!!』

 

ダルノスが苦悶の声を上げる。ただ触手に腕を巻かれただけで、まるで死にかけのように蒼白な顔色となっていた。

 

『に、逃げ・・・ろ・・・』

 

『ダルノスッ!』

 

セリカが触手を切り飛ばす。腕に巻き付いていた触手は、黒い霧となって消えた。崩れ掛かるダルノスを抱える。だが背中に荷物を背負い、片手に松明を持った状態で、大男を担いで逃げるのは不可能であった。ソレがセリカに近づいてくる。ダルノスを床に横たわらせ、セリカは剣を構えた。

 

・・・ここまでか・・・

 

セリカが諦めかけた時、背後から強い光が放たれた。逃げるように、ソレが退いていく。振り返ると、サティア・セイルーンが神聖魔術を放っていた。

 

『セリカッ!逃げましょう!』

 

松明や荷物を放り投げ、ダルノスを背負う。サティアが先頭に立って、洞窟を戻る。先ほどの得体の知れないモノの影響か、魔物は姿を消していた。あれほどの邪悪な存在であれば、魔物ですら逃げるだろう。三人は命からがら、地上に戻った。

 

『ダルノスッ、頑張れっ!』

 

『うぅ・・・野郎・・・俺の頭を覗きやがって・・・』

 

ダルノスが苦しそうに呻いている。サティアが回復魔法を掛けるが、あまり効果が内容だ。肉体ではなく、精神が侵されているためだ。ここから街までは三日は掛かる。それまで保つだろうか。

 

『とにかく、急いで街に行こう!』

 

ダルノスを馬に載せ、マクルを目指して出発した。

 

 

 

 

 

上空から、その様子を見下ろす者たちがいた。黒衣の男が呟く。

 

『どうやら、現れたようだな・・・』

 

『ここまで瘴気を感じるわ。厄介な化物ね』

 

この数年、行商人や冒険家が、得体の知れないモノに襲われているという報告があった。ケレース地方までは来ていないが、レウィニア神権国にも出現をし、東方山岳地帯のの開拓村が全滅をしたそうである。討伐隊を出そうにも、神出鬼没であるため、軍では対処が出来ない。ラギール商会の行商隊にも被害が出たため、リタ・ラギールが直々に、討伐の依頼をして来たのだ。廃坑を見下ろしながら、ディアンは首を傾げた。この気配には覚えがあるからだ。かつてマクルにあるバリハルト神殿から感じた気配と、同じ気配であった。

 

『気を引き締めろ。普通の魔物とは桁が違うぞ。最上級の魔神を相手にするつもりでいろ・・・』

 

セリカたちが馬で立ち去った後、黄昏の魔神ディアン・ケヒトは、廃坑へと降りていった。

 

 

 

 

 

動けないダルノスを連れての移動となれば、時間が掛かり過ぎる。セリカはサティアに、先にマクルに戻って状況をカヤに伝えるように指示を出した。サティアの話を聞いたカヤは、すぐに神官長に報告し、大規模な救援隊が出される。廃都ノヒアで待っていたセリカとダルノスは、辛うじて救援隊に保護された。

 

『ダルノス!死ぬなっ!』

 

セリカが声を掛け続ける。ダルノスの顔色は、既に死人のものであった。生命の灯火そのものが、消えかかっているのである。荷車に載せられ、常時、神官たちが魔力を注入し続ける。マクルの街の入り口は、神殿兵によって固められ、ダルノスは止まること無く、神殿へと運び込まれた。

 

『どんな化物と戦ったんだよ・・・』

 

セリカとダルノスは、神殿でも屈指の戦士である。その二人が命からがら、逃げ帰ってきたのだ。騎士たちが不安げに囁き合う。セリカは報告のため、大司祭や上級神官が待つ神殿奥へと向かった。

 

 

 

 

 

『ディアンッ!そっちに行ったぞ!』

 

グラティナの放った炎を忌避して、得体の知れないモノが黒衣の魔神の方に逃げる。

 

«レイ・ルーンッ»

 

魔人化しているディアンが、純粋魔術を放つ。圧縮された魔力の塊が貫く。通常の魔物であれば、これで終わりである。だが・・・

 

おぉぉ怨、怨ぉぉ・・・

 

傷はすぐに修復され、得体の知れないモノはディアンに触手を伸ばした。名剣クラウ・ソラスで切り飛ばす。

 

«チィッ!いっそのこと、極大魔術を使うか?»

 

だが、坑道は狭く、脆い状態である。巨大魔術を使えば、廃坑ごと崩壊する恐れがあった。それに、目の前の化物は、それですら殺せない可能性が高い。ディアンは決断した。殺せない以上、継戦は無意味である。

 

«仕方ない。一旦、退くぞ!この地下を封印する!»

 

撤退の途中で、洞窟の上部に純粋魔術を放つ。天井に亀裂が入り、やがて落盤を起こす。廃坑の上層に退いたディアンは、舌打ちをして剣を納めた。人間の気配に戻る。

 

『ディアン、これで終わったと思うか?』

 

『いや、あの化物は恐らく、転移魔術が使えるのだろう。アヴァタール地方東部からこの洞窟まで、地面を這ってきたとは思えないからな』

 

『じゃあ、洞窟を塞いでも意味がないの?』

 

『時間稼ぎにしかならんだろうな。アレを殺すには、もっと別の力が必要かもしれん』

 

リタへの言い訳をどうするか・・・ディアンは溜め息をついた。

 

 

 

 

 

精神的に重症を負ったダルノスは一月ほどの療養が必要であった。バリハルト神殿は、大規模な討伐隊を組み、鉄屑の谷に向かったが、成果は得られなかった。得体の知れないモノの気配は消え、自分たちが遭遇した地下五階は、落盤のため塞がっていたそうである。セリカは神官長から、ダルノスの様子や神殿の対応について、話を聞いた。

 

『現時点では、周辺の村々や冒険者、行商隊などに注意を呼びかけるくらいしか出来ません。いずれにしても、そのような邪悪な存在は、放っておく訳にはいきません。騎士たちにもこれまで以上に、見回りに力を入れてもらいます』

 

『あのような化物が出たのも、ウツロノウツワと何か関係があるのでしょうか?』

 

『否定は出来ません。ウツワの邪気に引き寄せられたとも考えられます。いずれにしても、ダルノスほどの戦士を瀕死にさせた魔物です。貴方も十分に、気をつけて下さい』

 

セリカは首肯したが、内心では疑問を感じていた。あの化物が放っていた気配は、ウツロノウツワに近いものであった。関係がないとは思えなかった。だが、アレと相対したのは自分とダルノスだけである。そしてダルノスは、ウツロノウツワを知らない。自分の勘違いということもあり得るのである。軽はずみなことは言えなかった。神殿を出るとサティアが待っていた。一緒に、ダルノスを見舞いに行く。昏睡状態ではあったが、生命の危機は脱したようである。いずれ目を覚ますだろう。

 

『神殿から、新しい指示が来ているわ。ドラブナの村の定期訪問ですって。楽な仕事だけど、ダルノスがいないと、道中が不安ね・・・』

 

夕食時に、カヤが愚痴をこぼす。自分も同行すると言うと、カヤがホッとした表情を浮かべた。この数ヶ月で、魔物の数が増えてきている。そのため、神殿騎士たちの多くが出払っていた。何かが動き始めている・・・セリカはそう感じていた。

 

 

 

 

 

ダルノスが回復するまでの二ヶ月間、セリカとサティアはセアール地方南部を飛び回っていた。ドラブナでは魔槍に取り憑かれた少女を封印した。カバキの砦では、神殿神官を騙っていた山賊たちを討伐した。こうした討伐から、街の小さな揉め事まで、様々な事件があったが、幸いな事にあの「得体の知れないモノ」の出現は無かった。ダルノスも意識を取り戻し、間もなく復帰する。だがセリカ、サティアの様子が気になった。時々、考え事をしているのである。何を考えているのかを聞いても、話をはぐらかされるだけであった。そこでセリカは時間を見つけて、サティアをキートの村に誘った。

 

『セリカじゃないか、久しぶりだねぇ・・・おや、そちらの娘は?』

 

『初めまして、おば様・・・サティア・セイルーンです。縁があって、今はセリカの手伝いをしています』

 

『こんな綺麗な娘を連れてくるなんて・・・それで、いつ結婚するんだい?』

 

『ば、婆ちゃん!なに言ってるんだよ!』

 

真っ赤になって否定する。サティアが笑う。キートの村は、ちょうど収穫祭であった。とは言っても、特別なものではない。近隣の集落からも人々が集まり、飲食を共にしながら互いに交流を持つ。セリカはサティアの手を取って人々の間を抜けた。少し小高い所に出る。

 

『綺麗な夕陽・・・素敵ね。セリカの故郷は、本当に・・・』

 

風に赤い髪を靡かせ、ルプートア山脈の峰々を見ながら、サティアが呟く。セリカはその姿に目を奪われていた。見慣れた光景なのに、時に神秘的に感じてしまう。星が一つ、二つと瞬きはじめる。

 

『人が、争わない道は無いのかしら・・・』

 

『争わない道か・・・サティアは時々、夜の神(ラジェル)を信仰している人のように話すね。光と闇の調和を図ろうとしているみたいだ』

 

サティアは、何故か寂しげに微笑んだ。

 

『ううん・・・むしろ私は、父が問いかける「正義」とは何かを問いかけたいのよ。貴方が生み出した子を「裁きの天秤」に載せ、収まり切らない血で満たしておきながら、一体、何を以って釣り合いを取るのかと・・・釣り合いの無いものであるならば、天秤は何を量るものなのか。罪に罰があるのなら、善行には何を・・・ずっと答えを探しているけど、見つからないの』

 

振り返ったサティアは、真直ぐにセリカを見つめた。

 

『貴方は、悲しむ人たちを護るために戦っている。その姿が、私には救いなの・・・』

 

『でも、力の足りなさを痛感するよ。俺にもっと力があれば、リタ・セミフを救うことも出来たはずだ。神格の高みに昇れば、より多くの人を救えるんじゃないかって思うよ』

 

『貴方は、神格者になりたいの?』

 

『誰にも負けない力を使って、大切な人を護りたい。強くなることや神格者になることが、目的じゃない』

 

『・・・そうね、貴方なら、きっと良い方向に力を使うわ。私もまだ、希望は捨てない。きっと、上手くいく・・・』

 

サティアがセリカから目を逸らした。

 

『・・・いつの日か、貴方に本当のことを言えると良いのだけれど・・・』

 

『本当のこと?』

 

その時、セリカは背後に気配を感じた。警戒して振り返ると、若い男女が睦み合っている。サティアは少し顔を朱くして、苦笑いした。

 

『お邪魔みたいね。貴方の生まれた家に行きたいわ』

 

セリカはサティアの手を取った。温もりに、セリカの鼓動が速くなった。

 

 

 

 

 

暖炉を囲み、二人の男女が並ぶ。肩を寄せ合い、話をする。「私は人が好き。でも、一人の人をこんなに思うなんて・・・」女はそう言った。男は女の肩を掴み、唇を寄せた。幾度も唇を重ね、やがて身体が重なる。女の裸体の神々しさに、男は思わず震えた。体内に入ると余りの快感に呻く。男は既に女体を知っていたが、女の方は初めてであった。二人は繋がったまま、相手を求めあう。やがて弾ける。男はこれまでにない至福を感じながら、深い眠りについた・・・

 

 

 

 

一月後、バリハルト神殿から呼び出しがあった。セリカとカヤが参禅すると、スフィーダと共に軍司祭のストエルルが待っていた。開拓地警護の軍を司る将である。遠征隊を指揮しているため、セリカとはそれほど面識があるわけでは無い。ストエルルは、セリカ、カヤ、スフィーダに命を下した。

 

『本日未明、バリハルト神殿総本山より連絡があった。ウツロノウツワ浄化の手掛かりが、ディジェネール地方ニアクールの遺跡に有り、とな』

 

『ディジェネール地方・・・海を隔てた南方ですね?』

 

ストエルルは頷いた。

 

『ディジェネール地方は亜人族の領域であり、全くの未開の地だ。当神殿は、勇士を選出したうえで、船団を組んでニアクールに向かう。時に、その遠征の際に、ナーサティア神の僕「サティア・セイルーン」にも参加をしてもらいたい。亜人族との諍いが起きた場合、彼女の智慧を借りることが出来ないかと考えている』

 

『お待ちください』

 

カヤが意見を述べた。

 

『お言葉ですが、そのような危険な場所に、無関係の者が同行することが良策とは思えません』

 

『もっともな意見だが、残念ながら当神殿には、あれほど破術に長けた者がおらぬ』

 

セリカがサティアに話し、その意志を尊重することで、その場は落ち着いた。だがセリカにとって意外だったのは、カヤが反対をしたことである。神殿の帰り道に、カヤにそのことを聞くと、言い難そうに、セリカに意見をしてきた。弟を心から心配する、姉の表情である。

 

『セリカ・・・あなたは変わったわ。少し、やつれたみたいよ?』

 

『俺がか?』

 

『自覚が無いんだね。気づいている人は、気づいている。とても言い難いんだけど、何か、良くないモノに憑かれていない?その・・・精気を奪うようなモノに・・・』

 

セリカは一瞬、あの「得体の知れないモノ」を思い浮かべた。だが姉は別の人物を指していた。

 

『あの子と会ってから、あなたは変わった。それは悪いことじゃないのよ?でも時々、顔色がとても悪いし、眠そうにしている。まるで・・・精気を吸いとられているんじゃないかって、思うほど』

 

『あの子・・・まさか、サティアのことを指しているのか?』

 

『・・・ゴメン、私やっぱり、余計なことを言ったわ。忘れて』

 

カヤは強引に話題を変え、二、三言を話して、人ごみに紛れていった。セリカは姉の言葉を考えていた。確かに、この一月間、サティアとは幾度となく身体を重ねている。そして大抵の場合は、自分は寝入ってしまう。だがそれは、単に疲れているからだ。あの清純で、心優しい女性が、邪であるはずがない。セリカは気分を変えるために、ダルノスが料理を出している「魚人亭」に向かった。

 

 

 

 

 

『いよぉ!シケた貌してんな』

 

ダルノスはもう、完全な復帰をしていた。神殿からはまだ大きな任務は与えられていないようだが、鬼人とも思える鍛錬をしているようである。今回の遠征には、ダルノスも参加をする。ダルノスの復帰を飾るのに相応しい任務だと言えるだろう。ダルノスはセリカの後方を見て、頷いた。

 

『今日は、「あの女」はいないようだな。セリカ、お前に話がある』

 

ダルノスはいつに無く、真剣な表情でセリカの前に座った。サティアのことを「あの女」と言われて、セリカの心中にはモヤモヤとした不快感があったが、取りあえず兄貴分であるダルノスの話を聴くことにした。

 

『セリカ、お前は「あの女」と距離を置いた方がいい。悪いことは言わない、あの女と関わるな。あの女は・・・良くない』

 

『ダルノスまでそんなことを言うのか!俺とサティアがどうだろうと、関係ないだろ!』

 

セリカは激昂して、机を叩いた。だがダルノスは物憂げな表情のまま、セリカに聞いてきた。

 

『お前、あの女とヤッたんだろ?その時、異様な疲れを感じなかったか?精気を吸いとられるような』

 

『精気を吸いとられるなんて、あるわけないだろ!ダルノスも姉さんも、今日はどうかしているぞ!』

 

ダルノスは肩を竦めて、両手を上げた。

 

『解った解った。お前がそこまで、一人に執着するとは驚きだぜ。だがな、俺もカヤも、お前が心配なんだ。お前はバリハルト神殿の騎士だ。この街には、中には人に言えない過去を持っている奴だっている。それが悪いわけじゃねぇ。許容できる範囲で「知らぬフリ」ってのも、人と付き合う知恵だからな。だがな、お前は重要な任務を担っている。責任ある立場なんだ。利用はしても、されるなよ?』

 

『利用するなんて・・・』

 

『まぁ、そのうち解ることさ』

 

セリカはダルノスに応えず、席を立った。言い知れぬ不快感と共に、家に戻る。サティアに相談をする必要があるからだ。サティアは、簡単に同意した。サティアは様々な土地を巡り、その伝承を研究している。ディジェネール地方の龍人族には興味があるようであった。「貴方が求めるのなら、私は何処へでも一緒に行くわ」その微笑みに、セリカも救われたような気持になった。抱き寄せて唇を重ねる。我を失うほどの快感の後、心地よい気怠さと共に、眠りに落ちた。

 

 

 

 

マクルの街から南に行くと、港町ミニエがある。バリハルト神殿軍は、そこで船を用意し、南方への遠征準備を進めていた。空はあいにくの曇天である。ブレニア内海は巨大である。荒れる可能性もあった。若い騎士たちを中心に組まれた遠征隊には、ダルノスやカヤの他、スフィーダ、カミーヌの姿もある。船に乗り込み、出発する。ダルノスがセリカたちに話しかけてきた。酒場で聞いた「疑念」などおくびにも出さない。だが、どこか様子が変だった。目つきが違う。

 

『ダルノスさん、少し変わったのかしら?』

 

『・・・生死の縁を彷徨ったからかな?』

 

サティアを疑っているなど、セリカには言えなかった。赤い髪を風に靡かせる姿を見て、セリカは改めて決意した。何としても護り抜くと・・・

 

 

 

 

港に立つ三人の男女が、水平線に消えるバリハルト兵を載せた船を見送っていた。

 

『ディアン、街の人に聞いたけど、彼らはディジェネール地方のニアクールを目指しているみたい。なんでも、龍人族に話を聴くとか・・・』

 

『ニアクールか・・・』

 

『ディアンがいた村とは違うようだな。だが、話をするだけで、あれほどの兵士が必要なのか?』

 

『あんな軍を連れていったら、警戒されてロクに話も出来ないでしょうね。龍人族は自他に厳しいけれど、平和を愛する温和な種族なのに・・・』

 

『愚かな奴らだ。少数で訪問して、礼節に則って叡智を求めれば、龍人族も心を開くだろうに・・・』

 

背後で話し合う使徒たちの言葉を聞きながら、ディアンは考えていた。

 

(いくらバリハルト神殿でも、あんな兵を送ったらどうなるか、判断できる人間くらいはいるはずだ。なんだ?何が、彼らの眼をここまで暗くさせているのだ?)

 

ディアンは振り返って、使徒たちに告げた。

 

『今なら、神殿も手薄だろう。ウツロノウツワとやらを見に行こう』

 

 

 

 

 

バリハルト神殿は、ニアクール近くに上陸をした。先行していた兵士たちが幕舎を張っている。セリカは首を傾げた。異様な程に殺気立っている。いくら魔獣が横行するディジェネール地方だとはいえ、目的は「知識を得ること」であり、戦うことでは無いはずだ。だが、ダルノスが騎士たちの前に立って言う。

 

『バリハルト神殿が先に送った使者は、行方不明だそうだ。大方、亜人族の奴らに殺されたんだろう。目的はウツロノウツワの浄化方法を聞くことだ。だが、奴らが武器を手に取って襲ってくるなら、容赦する必要はねぇぞ!』

 

オォッ!

 

兵士たちが雄たけびを上げる。これではまるで合戦前の檄であった。セリカがダルノスを抑えようとする。

 

『ダルノスッ!使者が到着していない可能性もある。もしそうなら、我々はただの侵略者になってしまう!殺す必要はないだろう!』

 

だがダルノスは、肩口で振り返って笑みを浮かべた。目が血走っている。

 

『セリカ・・・いつまでそんな甘ちゃんなことを言っているんだ!大人しく知識を渡すなら良し、さもなくば皆殺しにするだけだ!』

 

セリカはカヤに顔を向けた。ダルノスを抑えるように頼むつもりだった。だが、カヤもダルノスの言葉を肯定しているようであった。

 

『どうなっているんだ・・・』

 

『これは・・・怖れていたことが、起きたみたい・・・』

 

セリカの横で、サティアが呟いた。不安げというよりは、何かに悩んでいる表情である。その時、森から魔獣たちが群れで襲ってきた。だがセリカには、襲ってくるというよりは、何かから逃げているように見えた。だが、そんな判断をする余裕は、神殿兵たちには無いようであった。

 

『殺せぇ~!』

 

ダルノスが雄たけびを上げ、大剣を奮って魔獣たちに突撃をする。兵士たちもそれに続いた。セリカもカヤ、サティアと共に、森に入る。犠牲を出しながら、魔獣を排除していくと、目の前に龍人族の姿が現れた。金色の髪と豊かな胸を持っている。だがその瞳は、怒りに満ちていた。

 

『人間族は、魔神と手を組んだのか?』

 

『あぁ?なに言ってるんだ?』

 

ダルノスは凄んで、龍人族の前に出た。剣を構える。

 

『俺たちが送った使者を殺しやがって・・・お前らは皆殺しにしてやるぜっ!』

 

『使者?何の話だ?魔神と関係ないのなら、お前たちを相手にしている暇はない!結界の前で、魔獣の餌になるが良い!』

 

龍人族の女は姿を消した。ダルノスが追いかけようとするのをセリカが止める。

 

『待て、ダルノス!俺たちは殺し合いに来たんじゃない!ウツロノウツワの浄化方法を聞きに来たんだ!叡智を求めてきたことを忘れるな!』

 

ダルノスが殺気立った表情をセリカに向ける。だがその間にスフィーダが立った。

 

『セリカの言う通り、我々の目的は、殺し合うことでは無い。龍人族の叡智を求めて、ここに来た。だからいきなり剣を向けるということは、目的に反する。だが、彼らが我々を襲ってくる以上、戦わざるを得ない』

 

『それは解ります。ですが、まずは落ち着きましょう。先ほどの龍人が言っていたように、どうやら結界が張られているようです。それを解除しなければ、我々は先に進めません』

 

ダルノスは舌打ちをして、剣を納めた。確かにセリカの言う通り、目の前には黄色い結界が形成されていた。解除をするには、それなりの時間が必要である。サティアが前に出て、結界を調べ始めた。

 

『古の呪術ですね・・・』

 

三か所に同時に魔力を流して解除する必要がある。セリカとカヤが協力する。これほどの「古式呪術」をどうして知っているのか、疑問に思った神官もいるようである。だが今は、先に進むことが優先であった。セリカとサティアが先に立ち、結界を解除しながら進む。やがて、龍人族の棲家と思われる洞窟にたどり着いた。入口は狭いが、中は相当に広そうである。ダルノスたちが戦闘の用意をしている。一気に斬り込むつもりであった。セリカは皆のの変質に疑念と不安を感じていた。まるで「狂気に取り憑かれた」ようであった。パキッという音が鳴る。最後の結界をサティアが解除をしたのだ。その瞬間、凄まじい程に邪悪な気配が襲ってきた。血の匂いも交じっている。

 

『ぐぅっ・・・な、何だ?』

 

『こ、この気配は!』

 

サティアが驚きの声を上げる。セリカは直感で悟った。何者かが戦っているのだ。いや、一方的に虐殺をしている。生命が途絶える、悲痛な魔力を無数に感じた。あまりの邪悪さと、それによって齎されているであろう悲劇に、セリカは耐えられなかった。剣を抜いて、一気に中に入る。

 

『これ以上、殺させるか!』

 

サティアとカヤもそれに続いた。

 

 

 

 

邪悪が溢れ、恐怖が満ちている広場に出る。セリカの足元に、頭部が転がっている。戦慄に貌を歪めた表情だ。洞窟の壁は、一面が血塗れであった。柱は砕かれ、折れた剣が転がっている。大蛇のような下半身を持つ、龍人族の死体が無数に横たわっている。死体が積み上げられ、小山を形成していた。その山の上に腰を掛ける、圧倒的な存在に、セリカは目を奪われていた。邪気は、そこから漂っていたのである。龍人の戦士が渾身の魔力を込めて、小山の存在に飛び掛かった。だが・・・

 

≪煩い風だの・・・我の肌を逆撫でするならば、この場で散らしてくれようぞ≫

 

謳うように声が流れ、戦士の身体は真っ二つに引き裂かれた。セリカにはその動きが理解できなかった。剣なのか、魔法なのか、いずれにしても、人を超えて屈強な肉体を持つ龍人が、簡単に引き裂かれたのである。比較するのも愚かしい程に、圧倒的な力を持つ存在「魔神」であった。魔神はゆっくりと、セリカたちに顔を向けた。逆光のため、その顔はよく見えない。

 

≪来たか・・・思ったより早く、辿りついたの。龍人族は結界ばかり上手くて、いざ戦ってみると、興冷めする程に弱くての。汝らであれば、少しは愉しめそうだの?≫

 

セリカは、死を覚悟した・・・

 

 

 

 




【次話予告】
魔神との戦いを辛うじて凌いだセリカは、ようやく龍人族との対話を果たす。一方、黄昏の魔神ディアン・ケヒトは、バリハルト神殿に潜入し、ウツロノウツワと対面する。呪われし神器の正体が明らかになる。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第六十六話「冷静と狂気の狭間で」

Sors immanis
et inanis,
rota tu volubilis,
status malus,
vana salus
semper dissolubilis,
obumbrata
et velata
michi quoque niteris;
nunc per ludum
dorsum nudum
fero tui sceleris.

恐ろしく
虚ろな運命よ
運命の車を廻らし
悪意のもとに
すこやかなるものを病まし
意のままに衰えさせる
影をまとい
ヴェールに隠れ
私を悩まさずにはおかない
では、なす術もなく
汝の非道に
私の裸の背をさらすとしよう・・・


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第六十六話:冷静と狂気の狭間で

ディジェネール地方は古来より「暗黒地帯」と呼ばれている。ブレニア内海南岸から南方セテトリ地方まで広がる広大な原生林には、龍人族、獣人族、ヴァリ=エルフ族などの集落が点在し、集落間には強力な魔獣が縄張りを形成している。そのため、人間族が立ち入ることはほぼ不可能であり、冒険者たちの好奇心を掻き立てている。ブレニア内海南岸には、西方諸国の入り口である「ベルリア王国」からレンストの街を中心とする「バリアレス都市国家連合」までの行商路が拓けている。暗黒地帯踏破を目指す冒険家たちは、セトの村など内海沿岸の街を拠点として、冒険に出るのである。

 

光神殿勢力がディジェネール地方に入った記録としては、バリハルト神殿による「ニアクール遠征」「勅封の斜宮探索」がある。この二つは、内海に近く、古来より人間族にも知られていた。しかし、ニアクールの遺跡群は龍人族が縄張りとしており、勅封の斜宮は現神によって封じられていたため、立ち入ることが不可能であった。バリハルト神殿がこの二つに入ることが出来たのは、神格者「セリカ・シルフィル」の力が大きいと言われている。

 

後世、アヴァタール地方南方からニース地方までを治める大帝国「エディカーヌ帝国」は、ディジェネール地方の亜人族たちとも、個別の関係を結んでいる。遥か後世においては、帝都スケーマからディジェネール地方西岸まで伸びる「大横断路」が形成されるが、エディカーヌ帝国形成とほぼ同時期に、内海南岸に拠点を設け、暗黒地帯への立ち入りを極端に制限していたため、ディジェネール地方の全容を知る者はごく一握りの状態となっている。

 

 

 

 

 

マクルの街に入ったディアンたちは、夜半を待ってバリハルト神殿に侵入した。魔術結界などを利用した警報体制などはあるが、見張り役となる兵士たちが不足している。神殿奥まで侵入すると、邪悪な気配を放っている扉の前で立ち止まった。

 

『どうやらココだな』

 

封魔の結界を解除し、扉を開ける。凄まじい邪の気配が溢れる。ディアンは目を細めた。扉を潜ると同時に、魔神化する。気配の元凶である中央部まで歩く。二人の使徒も気を張っている。並の人間では、この気配に耐えるのは無理だろう。中央の台座に置かれた「神器」の前に立つ。

 

『な、なんという邪悪さ、醜悪さだ・・・』

 

『何なの、コレ・・・』

 

ディアンは沈黙したまま、両手に魔力を込めた。手袋のように魔力を纏わせ、神器を持ち上げる。側面、背面などをじっくりと観察する。

 

«・・・材質は石ではないな。だが金属でもない。呪いを受けた「呪物」というよりは、まるで「呪いの結晶」のような邪悪さだな・・・»

 

だが魔力を込めた状態では、それ以上は解らない。ディアンは右手の魔力を解いた。素手で直に触れようというのだ。使徒たちが慌てる。

 

«大丈夫だ。大体は想像が付いている。後は確信するだけだ・・・»

 

そう言って、台座に置いたウツワに右手を載せた。その瞬間、凄まじい激情がディアンの中に流れ込む。数千年間に渡って蓄積された「絶望」「悲哀」「憤怒」「憎悪」である。グゥッという呻き声を上げ、額に青筋が浮かぶ。使徒たちが慌てて、右手を引き剥がした。ディアンは思わず蹌踉めいた。深く息を吸い、吐く。

 

«これは、古神の神核だ。神核そのものだ。人類に希望を持って地上に残った女神アイドスは、数千年間に渡り、人類に裏切られ、泣かされ、陵辱され、汚され続けてきたのだ。その結果、希望は絶望に変わり、喜びは悲しみに、愛情は憎悪へと変わった。この凄まじい邪悪さは「反動」なんだ。愛情が深いほど、裏切られたときの怒りは大きい。それ程までに、女神アイドスは人間を愛していたのだ・・・»

 

『出ましょう。誰かに気づかれるかもしれない・・・』

 

«コレは危険な存在だ。コレは、人間の「負の感情」を増幅させる。誰しも、心には多少の「闇」を抱えている。普段は押し込めている嫉妬、劣情、嫌悪、憎悪・・・そうしたものを表面化させ、増幅させ、狂気へと掻き立てる。破壊する必要があるな・・・»

 

使徒の言葉を無視し、ディアンは両手に魔力を込めた。魔神を神核ごと一瞬で蒸発させる「超絶魔術」であれば、これを消し去ることも出来るだろう。ここでやれば、下手をしたらマクルの街ごと蒸発する危険があるが、持ち出して別の場所で破壊すれば問題ない。だが、ウツワを持ち去ろうと手を伸ばした時に、後ろから声が響いた。

 

『何をしているのですっ!』

 

バリハルト神殿神官長ラウネーであった。

 

 

 

 

 

凄まじい「魔の気配」に、神官騎士たちは慄いていた。セリカの頬に汗が流れる。先程の龍人が言っていた「魔神」に違いない。たとえバリハルト神殿全軍をもってしても、この魔神を討つことは出来ないだろう。後ろにダルノスの気配を感じる。さすがに慄いてはいない。むしろ戦意が強くなっている。

 

『チィッ!よりによって魔神かよっ!』

 

ダルノスが剣を構える。その姿に騎士たちも意を決したようだ。だがそれでは目的を果たせない。

 

«ほぅ・・・良い闘気じゃ。では、喰らうかの・・・»

 

魔神の姿が揺らぐ。逆光の中に、青い髪が揺らめく。セリカが叫ぶように後方に向けて告げる。

 

『みんなっ!ここは俺が引き受ける!先に進めっ!』

 

ダルノスが口を歪ませる。

 

『弟子に格好つけさせるわけにはいかねぇな。俺も()るぜっ!』

 

心強い話だが、ダルノスはこれからの道に必要である。

 

『ダルノスッ!お前は先に進むんだ!俺たちの目的は魔神と戦うことじゃない。龍人族から破壊方法を聞くことだ。目的を見失うな!』

 

『・・・そうだな。俺の獲物は魔神じゃない。龍人族だ。セリカッ!ここは任せるぞ!』

 

ダルノスが退いていく。セリカは一歩も通さぬ覚悟で、剣を抜いて構えていた。両隣にサティアとカヤが立つ。

 

『二人とも・・・何を?』

 

『アンタ一人じゃ荷が思いでしょ?私も一緒に戦う!』

 

『貴方が戦うのなら、私も戦いますっ!』

 

『・・・有難う・・・二人とも、この戦いに勝ち目は無い!足止めをして退くぞっ!』

 

«小賢しいわっ!»

 

人外の速度で魔神がセリカに斬り掛かる。剣を斜めにして受け流す。両者の剣から火花が飛ぶ。セリカが受け流すと同時に、サティアとカヤが神聖魔術を放つ。魔神の姿が一瞬で掻き消える。あり得ない距離から魔術を放ってくる。辛うじて躱し、一気に距離を詰める。セリカが横に薙ぐが、魔神は簡単にかわし、剣の先に乗った。どういうわけか、殆ど体重を感じない。青髪に隠れていた顔が浮かぶ。禍々しい気配だが、見惚れる程に美しい顔であった。

 

«ヒトにしてはやりおるの・・・じゃが、それでは我は濡れぬわっ!»

 

強力な蹴りが入る。セリカは辛うじて腕で防いだが、吹き飛ばされ岩壁に叩きつけられる。カヤが神聖魔術を放つ間に、サティアが回復魔法を掛ける。魔神はカヤの神聖魔術を避けることすらしなかった。光が胸に直撃し、そのまま消える。

 

«微温いの・・・このような魔術、我にとっては涼風と同じよ!»

 

暗黒魔術がカヤを襲う。魔術障壁結界を簡単に貫く。直撃を受けて、カヤが倒れた。魔神がサティアの顔を見る。

 

«さて・・・残るは汝一人だの・・・それにしても、妙な女子よ。それほど力が有るとは思えぬが、微かに神気を感じるの・・・»

 

サティアが構える。だがその前に、セリカが立ち上がった。防いだ左腕は、骨に亀裂が入っている。背中の肉も痛みで千切れそうであった。だがその瞳には闘気が立ち上っている。それを見て、魔神が笑みを浮かべた。

 

«なるほど・・・その女子は汝のオンナか・・・良いぞ、良いぞ!虫ケラながらも、その尽きぬ闘志。それを打ち砕いてこそ、我も満足するというものよ!»

 

嗜虐的な笑みを浮かべる魔神に、右手一本で剣を構えるセリカは、最後の賭けに出た。あの黒衣の男には通じなかったが、自分はあの時から更に成長している。今ならば・・・ 両足に魔力を込める。目の前の魔神は、自分に対しては剣で戦おうとしている。圧倒的な力を持つ者の「驕り」である。恐らく、人外の速度で斬りかかってくるだろう。その瞬間を捉え、魔神よりも早く斬るしかない。魔神の姿が揺れる。斬り掛かろうと動いた瞬間、セリカは爆発的速度で間合いを詰めた。一瞬で魔神の懐に入る。

 

«なにっ!»

 

心臓部めがけて突きを入れる。左胸に突き刺さる。だがその先の手応えがなかった。魔神の姿は後方に移動していた。しかし、辛うじて一矢を報いたようである。半露出している左胸に、小さな紅い斑点が浮かぶ。セリカの突きが、魔神の肌を僅かに切ったのだ。魔神は少し驚いた表情を浮かべた。そして笑みを浮かべてセリカに歩み寄ってくる。

 

«やりおる。今の突きは良かったの。虫ごときが我の肌に傷をつけるとは・・・褒美を与えてやろう。何が良い?我の下僕となって永遠の奴隷となるか?それとも暗黒魔術で永遠の狂気(幸福)を与えてやっても良いぞ?»

 

全力を出し切ったセリカは片膝をついていた。肩で息をしながら、それでも強がりを言う。

 

『虫じゃない・・・俺の名は、セリカだ』

 

こうした姿勢は、魔神の好むところであるようであった。笑みを浮かべてセリカ前に立ち、見下ろす。禍々しい気配の中に、凛とした覇気が漂っている。魔神とは、ただ破壊と殺戮に狂奔する邪悪な魔物と思っていたが、「神」と名が付くだけの理由があった。その美しさと相まって、ある種の神々しさまで感じてしまう。

 

«セリカか・・・見事な虫ケラ、セリカよ。望みを言うが良い・・・»

 

『な、名を・・・』

 

セリカは思わず口にした。目の前の美しい魔神の名を知りたかったのだ。魔神は少し笑った。

 

«クハハッ!面白いヤツだの。我の名を知りたいか。良かろう。心して我が名を拝聴するが良い。そして次会うまで、汝の魂に刻み込め・・・»

 

魔神はセリカの耳元に顔を寄せた。そして囁く。

 

«我の名は「ハイシェラ」・・・旧世界に生まれ、三神戦争をも超えて生き続ける「地の魔神ハイシェラ」じゃ・・・»

 

(ハイ・・・シェラ・・・)

 

ピキンッという音が聞こえた気がした。セリカの中に、何かが吸収されたようであった。気がつくと、魔神は少し離れたところに立っていた。魔の気配はそのままだが、すぐに襲ってくる様子は無い。

 

『セリカッ!行きましょう!』

 

『急いで退くのよ!今を逃したら、もう機会は無いわっ』

 

回復したカヤとサティアに声を掛けられ、セリカは一目散に撤退をした。

 

 

 

 

 

 

竜人族の長を求め、セリカたちは先に進んだ。龍人族との争いを忌避しながら進んだため、時間が必要であった。そしてようやく、洞窟の最深部に到着する。だがそこでは、ダルノスが剣を交えていた。

 

『何をしているだっ!』

 

セリカは思わず怒鳴った。一歩退いたダルノスがセリカを睨む。

 

『よぉ、生きてたか・・・見りゃ解るだろ?教えねぇって言うから、身体に聞こうとしているんだよ!』

 

『・・・愚かな男よ。礼も弁えず、己が欲するものを力づくで得ようなど、野盗、山賊と変わらぬではないか』

 

『ダルノスッ!俺たちは戦いに来たんじゃない!ウツロノウツワの浄化方法を教わりにきたんだ!礼儀を弁えろ!』

 

『うるせぇんだよ、甘ちゃんが・・・お前のような甘ったれは、家で大人しく、ママのオッパイでも吸っていればいいのさ。こっちは命懸けなんだよ。殺さなきゃ、殺される。渡さねぇんなら、奪うまで。奪うことが出来なけりゃ、壊すまでだ!』

 

ダルノスが剣を奮う。これが、あのダルノスの言葉なのか?セリカは混乱していた。

 

『おぉぉぉぉっ!殺すっ!殺すっ!殺すっ!』

 

殺気の塊のような剣が奮われる。だが、竜神族の方が上手であった。火炎魔術によって目を眩まされ、剣を弾き飛ばされる。徒手になったダルノスは、蛇の尾の一撃によって吹き飛ばされた。これで終わると思ったら、カヤが戦闘体制を取る。セリカが止めようとすると、怒りの表情で返す。

 

『何言っているの?ダルノスは殺されかけているのよ?相手を殺さない限り、こっちが危ないわ!』

 

姉も他の兵たちも、まるで目的を見失っている。とにかく殺し合うことが目的になっているようであった。セリカが声を張り上げようとした時、サティアが神聖魔術を中空に放った。眩い光に、目が眩む。兵士たちの動きが止まった。

 

『セリカ、今のうちに!』

 

セリカが前に進み出た。

 

『龍人族の長よ。私はバリハルト神殿の騎士「セリカ」と申します。あなた方に教えて頂きたいことがあり、この地に罷り越しました。どうか、話しを聞いて下さい』

 

やがて光が弱まる。カヤはサティアを一睨みし、戦闘を始めようとするが、その動きをスフィーダが止めた。

 

『セリカが語りかけている。忘れるな。我々の目的は、戦うことではない!』

 

カヤは苦々しい表情を浮かべた。

 

 

 

 

 

『・・・教えてもらいに来たじゃと?それにしては、随分と(わらわ)の同胞を殺してくれたようじゃ』

 

『お怒りはごもっともです。行き違いにより、双方に大きな犠牲が出てしまいました。ですが、私たちは決して、争いに来たのではないのです』

 

族長は考える表情を浮かべたが、やがて頷いた。龍人族が剣を納める。騎士たちも戦闘態勢を解いた。

 

『セリカと申したな。妾はニアクールに棲みし龍人族が長「リ・クティナ」じゃ。して、何を知りたいのじゃ?』

 

『神器「ウツロノウツワ」の浄化方法です』

 

『ウツロノウツワ・・・バリハルト・・・なるほどな』

 

『バリハルト神殿にある神器ですが、とても神器とは思えぬ邪悪な気配を放っています。その影響は大きく、ブレニア内海北岸では魔物が増え、得体の知れぬ化物まで出現するようになっています』

 

『であろうな。アレはおよそ、人の扱える代物ではない』

 

『知っていらっしゃるのですか?』

 

『知っておる。アレの正体も、その浄化方法もな・・・』

 

『お願いです。教えて頂けませんか?』

 

龍人族長リ・クティナは、若き戦士を黙って見つめた。

 

 

 

 

 

 

『ウツロノウツワとは、時代によって呼び方が変わる。我々は「虚ろの器」と呼んでいる。遥か太古の昔、三神戦争以前より伝わりし呪われた器・・・古神の呪物じゃ・・・』

 

セリカの懇願に、リ・クティナは叡智を授けることを認めた。戦いの狂気に飲まれることなく、龍人族を誰一人殺さずにこの場に来たこと、そしてそれ以上にウツロノウツワが、同胞たちを殺したバリハルト神殿に協力をしてでも、破壊すべき存在であることが理由であった。

 

『虚ろの器は、その存在自体が邪悪じゃ。その邪気に当てられ、これまでも多くの者が、狂気に飲まれていった。そしていま正に、器の狂気がこの場にも漂っておる・・・』

 

『やはり、皆がこれほどまでに好戦的になっていたのはウツワの影響なのですか?』

 

『・・・・・・』

 

『聞かせて下さい。どうやったらアレを浄化出来るのでしょう?』

 

『人の手でも、現神の力でも無理じゃ。アレは古神のモノ・・・それを浄化するためには、古神の力でなければならぬ』

 

『古神ですって?災厄を成す邪神の力を借りろだなんて、冗談じゃないわ!』

 

カヤが激昂する。セリカが宥めた。姉の瞳がどこか可怪しい。やはり狂気に飲まれているのだ。

 

『古神の力とは、何かそうした力を封じた呪物などを用いる、あるいは儀式をする、ということでしょうか?』

 

『そうではない。文字通り、古神の手によってのみ、浄化できるという意味じゃ。古神の「聖なる炎の裁き」だけが、虚ろの器を浄化するであろう・・・』

 

セリカは瞑目した。バリハルト神は古神を決して認めない。神殿も、古神を邪神としている。その力を借りるなど、本来であれば受け入れられないだろう。だが、物事には優先順位というものがある。ウツロノウツワを放っておけば、その災厄は更に拡大し、より多くの不幸を生み出すだろう。浄化をしなければならない。たとえ、相容れない神の力を借りたとしても。

 

『リ・クティナ殿。古神の所在を教えてはくれませんか?』

 

『それは出来ぬ。古の神は、数多の戦いの中で身を隠し、或いは封じられた。姿を現さぬのは故あってのこと。神の意に反し答えることはできぬ。・・・じゃが、御主が、古神は邪神に非ずと信ずるならば、いずれの後に姿を現そう』

 

セリカは頷いた。その時、後方からいきなり、凄まじい魔の気配が吹き荒れた。龍人族も騎士たちも、全く気づいていなかった。

 

«いずれとは・・・待っておれぬの。力有ルモノならば、我が糧になるべく生み出されたとは思わんか?»

 

妖艶な笑みを浮かべ、艶やかな肢体を見せつけながら、地の魔神ハイシェラが出現した。リ・クティナの眉間が寄る。

 

«勅封の斜宮に眠る力を得ようにも、頑強な結界に阻まれ、面白くなく思っておったところよ。龍人の一族が封じに関わっているならば、長の首でも捕まえ、解かせようかと思っておったが、これほど面白い話を聞かせてもらえるとはの。それ程の力であれば、浄化するなど勿体無いと思わぬか?我の糧としてくれようぞ・・・»

 

圧倒的な気配が、部屋の中央に立つ。だがその時、ハイシェラの動きが止まった。いや、動けなくなっていたのだ。

 

«・・・小賢しい仕掛けをしておったようだの?»

 

『御主の力は驚異的じゃ。触れる瞬間に千の肉塊にされよう・・・じゃが触れずとも、この地よりはじき出すことは可能!』

 

リ・クティナと龍人族が詠唱を唱える。ハイシェラの周囲が光りに包まれる。そしてそれに乗じるように、サティアも詠唱を唱えた。当初は結界を打ち砕こうとしていたハイシェラも、諦めたように嗤った。

 

«クハハハっ!これは愉快よ。よもや龍人族と人間族が手を組むとはの!よかろう、見逃してやろうぞ!次に相対し時、御主ら同士で斬り合っておらぬならば、我が刃の露としてくれようぞ!»

 

哄笑と共に、ハイシェラの姿が掻き消えた。全員が、安堵の溜め息をついた。浄化方法を聞いた以上、もはやこの地に用は無い。バリハルト神殿は負傷者を収容し、ニアクールを後にした。

 

 

 

 

 

『何をしているのですっ!』

 

ラウネーの声は続かなかった。その瞬間、レイナが口を抑え、グラティナが後頭部を打ち、気絶させたからだ。魔神顔負けの速度である。三人は急いで外に出た。ラウネーを抱えたまま、急いで神殿を後にする。

 

『ディアン、彼女をどうするのだ?まさか殺すわけにもいくまい』

 

『まぁ、仕方がないか。気づいたら説得をしてみよう。出来なければ「強制(ギアス)」を掛けるしかないな』

 

結局、宿の部屋で気づいたラウネーを説得し切ることは出来ず、ディアンは「強制」を使わざるを得なかった。バリハルト神殿関係者に、自分たちのことを話すことが出来ないようにしたのである。歪魔の結界が張られた部屋で、ディアンは一晩掛けて、ラウネーの肉体に「強制」を刻み込んだ。最初は嫌がり、叫んでいたラウネーも、二度目は大人しくなり、三度目は自分から求めるようになった。使徒たちは別部屋で、待たされたのであった。

 

『無理やりは好きでは無いが、まぁ最後は喜んでたし、良しとするか・・・』

 

朗らかに笑う主人の後頭部を、使徒二人が叩いた。レウィニア神権国首都プレイアに行く途中で、グラティナが思い出したように言った。

 

『・・・そういえば、あの部屋だが、誰か結界で封じたか?私は封じていないが・・・』

 

『『あ・・・』』

 

魔神と第一使徒が、揃って声を上げた。

 

 

 

 

 

 

【Epilogue】

 

岩だらけの荒野に弾き出されるかのように、青髪の魔神が出現した。ラウルバーシュ大陸北東の山岳地帯である。一面の荒野を見下ろしながら、ハイシェラは笑みを浮かべた。

 

«フンッ・・・随分遠くまで飛ばされたの»

 

上級魔神である自分が、人間族と龍人族にしてやられたのである。ある種の痛快さを感じていた。胸の先端が微かに固くなっている。ハイシェラはそれに気づき、溜息をついた。二千年以上に渡って、様々な存在を「喰らい」続けてきた彼女には、もはや敵と呼べるほどの存在が少なかった。どんな戦いも、ただの「弱い者いじめ」になってしまうのである。自らの全知全能を掛けて、それでも尚、生命の危機を感じるほどのギリギリの攻防など、遥か昔の話であった。

 

«やはり、この程度では満たされれぬか。我を満たすことが出来るのは、やはり「あの男」だけだの・・・»

 

ハイシェラはある男を思い出す。かつて、圧倒的不利な状態から、自分を死の直前にまで追い込んだ男がいた。その後、しばらくして再会し、一晩を共にした。互いに相手を落とそうと、喜悦を貪り合い、幾度となく自分も果てた。あの時の充足感、満足感を再び味わいたかった。二百年以上、男は姿を現していない。だがどこかに必ずいるはずである。両手で自らの胸を揉みながら、ハイシェラは牝の表情で呟いた。

 

«必ず見つけてやるだの・・・黄昏の魔神よ»

 

西に向けて飛び立った。

 

 

 

 

 




【次話予告】
マクルの街に衝撃が走った。魔獣たちが街に襲撃をしてきたのである。混乱の中で、ウツロノウツワが行方不明となる。神殿は、サティア・セイルーンが犯人であると断定し、大規模な追跡隊を編成する。セリカはサティアに真意を確認すべく、単独で動くことを決意する。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第六十七話「逃避行」

Sors immanis
et inanis,
rota tu volubilis,
status malus,
vana salus
semper dissolubilis,
obumbrata
et velata
michi quoque niteris;
nunc per ludum
dorsum nudum
fero tui sceleris.

恐ろしく
虚ろな運命よ
運命の車を廻らし
悪意のもとに
すこやかなるものを病まし
意のままに衰えさせる
影をまとい
ヴェールに隠れ
私を悩まさずにはおかない
では、なす術もなく
汝の非道に
私の裸の背をさらすとしよう・・・


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第六十七話:逃避行

【作者より】
更新が遅くなり、申し訳ありません。ZEROスタート時点ですが、書き方はどうでしょうか?いささか「クドイ」かなとも思ったりします。もう少し、展開のペースを上げたほうが良いですかね?

ただ、中途半端にすると前半の見せ場「神殺しの誕生」での感動が薄くなるような気もして・・・

作品としての完成度を上げるためにも、しっかりと描きたいとも思うのです。その分は、文字数でカバーするしかないかな。一話平均で1万文字前後www

お楽しみ下さい。


ターペ=エトフは、後に「奇跡の国」「理想国家」と呼ばれる。ターペ=エトフは光と闇の対立を克服し、種族を超えた繁栄を実現した。しかし後世において、程度の差こそあれメンフィル帝国やメルキア帝国、エディカーヌ帝国などでは、光と闇の共生が「ある程度」は実現している。ターペ=エトフが理想国家と呼ばれる最大の理由は、建国者インドリト・ターペ=エトフが目指した国家像が、当時の常識を大きく超えていたためである。ターペ=エトフ歴二百年、インドリト・ターペ=エトフの名で、各国に対して宣言文が出されている。その内容は、後世の歴史家でさえ、驚愕するに十分の内容であった。

 

・・・ターペ=エトフは、今後五十年を掛けて段階的に国体を変革し、ターペ=エトフ歴二百五十年を以って、国王インドリト・ターペ=エトフは、為政者としての地位を下りることをここに宣言する。私の死後は王位を廃し、ターペ=エトフ王国は、ターペ=エトフ共和国と改める。新たな国体では、国民が投票によって為政者を選び、国民から選ばれた為政者、元老院が議論を以って国政を行うものとする。種族平等、信仰の自由は、ターペ=エトフ共和国においても国是として引き継がれ、共和国の憲法の前文に明記されることであろう・・・

 

当時のターペ=エトフは、人口は十五万人程度であったと推定されている。レウィニア神権国等に残された記録では、ターペ=エトフ国内では各集落、王立学園等において、自らの意志を示す「投票」という習慣を形成するための教育が行われていた。「自由、自律、自主、自尊、自責」という思想が掲げられ、生き方も信仰も、自分の人生の全ては自己の責任であるという考え方が、幼年教育から行われていたのである。当然、この考え方は西方神殿勢力のみならず、王政を国体とする多くの国家から、反発を受けることになる。長きに渡って同盟国であったレウィニア神権国でさえ、この宣言文に対する賛意は示さなかったことからも、インドリト・ターペ=エトフが目指した国家像が、どれほど危険視されたかが伺える。

 

当時の常識を遥かに超えたこの国家像は、残念ながら実現しなかった。ターペ=エトフ歴二百四十九年、新興国ハイシェラ魔族国がターペ=エトフに宣戦を布告し、戦争状態に突入したからである。国家存亡の危機という事態に、インドリト・ターペ=エトフは為政者の地位を下りるわけにはいかず、ターペ=エトフ共和国の理想は幻と消えるのである。ハイシェラ魔族国が宣戦を布告したのは、ターペ=エトフ歴二百五十年まで、残り五カ月という時であった。

 

 

 

 

 

背中に何かが入ってくる。思わず呻き声が漏れる。微かな痛みの後の心地よさに、インドリトは目を細めた。東方医術の一つである「鍼」を受けている。間もなく、二百六十歳となる。心は若いつもりだが、身体は確実に老いている。かつてのように、二月近くも洞窟に入り、戦い続けるといったことは出来ないだろう。師との手合わせは、今も続けている。自分が衰えていることに、師も気づいているはずだ。

 

『私は・・・老いたな』

 

インドリトの独り言に、鍼を打っているイルビット族の鍼灸師が笑う。

 

『王は老いてなどいらっしゃいません。こうして鍼を打たせて頂いていると解ります。背中から重厚な覇気を感じます。本当の老いとは「心の老い」なのだと思います』

 

インドリトも笑った。確かに、心は若いままである。自分には、歳を取らない師や姉妹がいる。友人のダカーハも、永遠に近い寿命を持っている。彼らと一緒にいると、少なくとも心は、老化しないようだ。背中への鍼が終わり、起き上がる。脇腹に鍼が打たれる。筋肉は衰えたが、無駄な肉は付いていない。病の兆候も無く、健康そのものだ。だが最近は、肉を食べるともたれるようになってきた。老化とは、こうして目に見えない部分で、少しずつ進むものなのだ。

 

『肝の臓に、気の澱みがあります。少し酒をお控えください』

 

『ドワーフ族に「酒を控えろ」と言うか。わかった。心しよう』

 

『陛下・・・ディアン・ケヒト殿がお戻りになりました』

 

側近が伝えてくる。インドリトは頷いた。

 

 

 

 

 

『ウツロノウツワ・・・ですか』

 

インドリトが考える表情を浮かべる。謁見の間には師弟以外に、元帥ファーミシルスや国務大臣シュタイフェが並んでいる。中央で膝をついている師から、マクルの街を中心とする異変の報告を受けていた。

 

『ウツロノウツワの正体は、古神アイドスの「神核」です。アイドスは、元々は慈愛の女神であり、旧世界イアス=ステリナにおいて、人間族を愛するがゆえに地上に残ったと言われています。しかし、度重なる人間族の裏切りにより、やがて愛情が憎悪へと転じたようです。ウツロノウツワは、凄まじい邪気を放つ呪われし存在です。その影響はセアール地方南部全体に広がっています』

 

『そのウツワと、例の得体の知れない魔物とは、関係があるのでしょうか?』

 

『例の魔物とは、一戦を致しました。その時に感じた気配は、ウツロノウツワと同質のものでした。これは私の推測ですが、恐らく例の魔物は、古神アイドスの肉体ではないかと・・・』

 

『ディアン、その化け物は退治出来なかったのか?』

 

ファーミシルスの問い掛けに、ディアンは頷いた。ファーミシルスは腕を組んで考えた。

 

『ディアンとレイナ、ティナの三人懸かりでも倒せなかった化け物か。余程に強いのだろうな』

 

『いや、強いというよりは、不死身という方に近い。実際、その力も速さも大したことは無い。一定以上の力があれば、負けることは無いだろう。だが驚くべき再生能力を持っている。その能力を生かして、こちらの攻撃を無視して突っ込んでくる。通常の力では、アレを倒すことは出来ないだろう』

 

『ディアン殿、その化け物がケレース地方に来るということは無いでしょうか?アッシとしてはそれが心配でヤンス』

 

『恐らくは無いだろう。アレはウツロノウツワを欲している。元々は、古神アイドスの神核と肉体なのだ。二つが一つになった時、古神アイドスは「邪神」として復活するだろう。私はそれを危惧する』

 

ディアンの報告を受けて、インドリトが二人に指示を出す。

 

『万一にもそのようなことがあれば、隣接する我が国は大きな脅威に晒されます。元帥は兵を引き締め、特に西部を中心に警戒を怠ら無いようにして下さい。シュタイフェは、レウィニア神権国との交易路を護るよう、手配をするように。ダカーハ殿とミカエラ殿には、私から伝えましょう。特に天使族は、セアール地方とケレース地方の境界線に住んでいます。万一の場合は、彼らの力を借りる必要があるでしょう』

 

二人は頷き、直ちに取り掛かる。謁見の間に残った師に、弟子が尋ねた。

 

『・・・何かが、動き始めているように感じます。それも、良くない方向へ』

 

『同感だ。マクルの街には、ウツワの狂気が漂っていた。そしてそれは、ステインルーラ族にまで広がりつつある。中原が、激動期に入ったのかもしれん。軍備を強化してはどうだ?お前が身を退くまで、あと十年だ。その間だけでも良い』

 

賢王インドリトは頷いた。

 

 

 

 

 

ニアクール遺跡を後にしたバリハルト神殿遠征軍は、一週間を掛けてマクルの街に帰還した。犠牲者は少なくないが、龍人族長リ・クティナとの対談を果たし、ウツロノウツワの浄化方法を聞くことが出来たのである。任務は成功した。だが帰還する遠征軍の中には、成功を喜ぶ空気は全くなかった。徒労感、疲弊感が漂っている。そしてそれ以上に、ある疑念が渦巻いていた。サティア・セイルーンは、古神に連なる龍人族の結界を解除した。以前にも、スティンルーラ族の召喚陣を見抜いたことがある。なぜそこまで「古の呪術」に詳しいのか?それは彼女自身が、古神を信仰する「邪教の信者」だからではないか・・・この疑念が、心を腐食しているのだ。ダルノスに至っては、殆ど確信している様子さえ見せている。バリハルト神殿にとって、古神はすべからく邪神である。古神の信者など、闇夜の眷属以上に許せない存在であった。セリカは、この空気を察し、サティアと共に、部屋から出ないようにしていた。古の呪術に詳しいのは、ナーサティア神の信徒であり、研究をしているからだ。セリカはそう信じていた。いや、信じたかった。

 

遠征軍からの報告を受けた大司祭オレノは、上級神官たちと今後の方針について議論をした。だがそれは、議論と呼べるものでは無かった。最初から結論は決まっているからである。

 

『邪神の力を借りるなど、論外でしょう。ウツワ浄化については、他の道を模索しましょう。龍人族が知っていたのであれば、例えばイルビット族なども、知っているかもしれません』

 

『そもそも、邪神を信仰する龍人族などに聞くこと自体が間違っていたのだ。皆殺しにすれば良かったのだ』

 

『遠征軍は戻ったばかりで疲弊している。まずは情報を収集し直そう。彼らが回復次第、別の方法を模索すれば良い・・・』

 

つまりは、ただの先送りである。多大な犠牲を払ってまで得た情報が使えないとなれば、当然、責任問題になる。上級神官といえども人間である。自己保身の為に、責任転嫁へと動く。格好の対象が存在するのだ。

 

『ナーサティア神殿に問い合わせたところ、サティア・セイルーンなる神官は存在しないそうです。もちろん、信徒全てを把握しているわけでは無いでしょうが、彼の者が得体の知れない存在ということは確かです』

 

『考えてもみろ。龍人族の集落に行ったら、そこに魔神がいただと?そんな偶然があるか?何者かが手引きをしたに違いない!』

 

『騎士たちの中にも、不信が広がっている。一度、その者を召喚し、正体を確認すべきだろう。本当にナーサティア神の信徒であるならば、それで良し。もし邪教崇拝者であるならば、相応の処分をせねばなるまい・・・』

 

大司祭のオレノが頷いた。当面の方針を決める。

 

『先日、神殿に忍び込み、ウツロノウツワを封じる結界を解いた輩がいる。幸い、ウツワは無事であったが、あの結界を解除できるなど、相当な術者だ。もしサティアなる者が邪教徒であるならば、その狙いはウツロノウツワであり、そのために仲間を手引きしたに違いない。だが、召喚は慎重にすべきだ。その者は、戦士セリカによって連れてこられた。セリカが邪教徒とは考えられぬが、何らかの呪術を受け、操られている可能性は否定できぬ。カヤに命じて、近日中にサティア・セイルーンを神殿に連れてこさせよう。セリカが気づかぬようにな・・・』

 

ウツロノウツワは現在、簡易の結界で封じられている。そのため、ウツワの邪気を抑え込むことは出来ていない。簡易結界にせざるを得なかったのは、神官の多くが遠征軍に参加していたため、結界を戻すには人手が不足していたからである。遠征軍の疲労が癒え次第、結界を元に戻す予定であった。だが神官たちは気づいていなかった。自分たちの精神が少しずつ腐食されいていることに・・・

 

 

 

 

 

白い月明かりが窓から差し込む。サティアは外を眺めていた。寝台には、先ほどまで愛し合った青年が眠っている。その寝顔を見て、サティアは胸が痛んだ。どこまでも自分を愛し、どこまでも自分を信じてくれている。だが自分は、彼を偽っている。彼が愛しているのは、女神アストライアではない。ナーサティア神の信徒サティア・セイルーンなのである。本当は、自分の正体を告げたかった。彼がただの人間であるならば、自分はすぐにでも正体を告げただろう。そして彼を神格者にし、永遠の愛を結んだに違いない。だが彼はバリハルト神殿の騎士なのだ。バリハルト神殿は、古神を決して認めない。その徹底ぶりは怖い程である。彼に正体を告げたらどうなるか、その不安で踏み出せずにいる。そして、この偽りの関係も、もうすぐ終わりを迎える。バリハルト神殿は、自分に不信を抱いている。近いうちに、神殿は自分を討伐しようとするだろう。その前に、妹を取り返さなくてはならない。妹を連れて、自分の力を封じたあの場所に向かい、聖なる炎で焼く。そして自分は、この世界から永遠に去る。サティアは寝顔を見ながら、小さく呟いた。

 

『ごめんなさい・・・セリカ・・・』

 

その時、遠くから魔物の気配が近づいているのを感じた。それも相当な数である。ウツワの邪気に誘き寄せられているのだ。サティアは瞑目して頷いた。

 

『好機だわ』

 

身支度をして、家を出た。

 

 

 

 

 

街の中に悲鳴が響く。近隣地域に棲む魔物たちが、マクルの街に殺到してきたのである。遠征から戻ったばかりのバリハルト軍は、街を守るべく戦っていた。寝台で深い眠りについていたセリカは、叫び声でようやく目を覚ました。魔物の気配が一帯に広がっている。セリカは愕然とした。魔物の気配に敏感な自分が、全く気付かなかったからである。そしてセリカは、隣にいるはずの愛する人がいないことに気づいた。

 

『サティア!どこにいるんだ!』

 

大声で呼ぶが、返事が無い。セリカは剣を携えて家を飛び出した。いきなり魔物に襲われる。それを一刀両断する。かなりの数が街に入り込んでいた。セリカは歯ぎしりをした。魔物の襲撃に気づかず、ただ眠っていた自分に腹を立てた。家に戻り、身支度をする。サティアを探すために、街中を駆け回る。ダルノスが魔物と戦っている。

 

『ダルノス!』

 

『セリカッ!お前も手伝え!住民を避難させるんだ!』

 

『サティアは・・・サティアを見なかったか?』

 

『なんだ、あの女と一緒じゃないのか?さぁな、お前が知らねぇのを俺が知っているわけねぇだろ!そんなことより、魔物を街から叩きだすぞ!騎士としての務めを果たせ!』

 

他の騎士たちも戦っている。セリカは逸る気持ちを抑えながら、魔物と戦い続けた。カヤたちが後方から合流する。

 

『ダルノス!別方向から魔物が神殿に迫っているわ。守備隊を回して!』

 

『チィッ!こっちも人手が足りねぇんだ!仕方ない、セリカ!ここはお前に任せるぞ!魔物は一匹たりとも通すな!』

 

返事も聞かず、ダルノスは何人かの騎士を伴い、神殿へと向かった。セリカは唇を噛みながら、魔物と戦い続けた・・・

 

 

 

 

 

サティアは人ごみに紛れて、神殿内に入った。目立つ赤い髪は帽子で隠す。神殿の中は避難民で溢れていた。何人かの騎士が神殿内に入ってくる。ダルノスの姿もあった。神官長らしき女性と話をし、ダルノスの姿は神殿奥へと消えた。その時、轟音が響いた。魔物たちが神殿の外に迫っていたのだ。神官たちが慌てて入口を固める。避難民の悲鳴と鳴き声が響く。サティアは騎士たちの目を盗んで、神殿奥へと入った。

 

『ちょっと、君!奥に行っては駄目だ!』

 

騎士から呼び止められるのを無視して駆ける。帽子が風で飛び、赤い髪が靡く。やがてウツロノウツワが封じられていると思われる部屋に着く。だがサティアはそこで、口元を抑えた。二人の騎士が血を流して倒れている。そして、部屋を守っていた呪符が破かれている。サティアは不安を感じ、部屋に入った。邪気の残り香が漂っている。だが、中央の台座に置かれているはずのウツロノウツワは姿を消していた。

 

『そんな・・・』

 

後方で大声が響いた。

 

『侵入者だ!』

 

騎士が叫んでいる。サティアは魔術で騎士を吹き飛ばし、窓から外に飛び出した。

 

 

 

 

 

マクルの街の混乱を眺めている存在がいた。上空で腕を組み、街を見下ろす。口元には笑みが浮かんでる。魔神ハイシェラである。

 

≪良いぞ、良いぞ・・・破壊と殺戮は我が好物よ。どれ、ウツロノウツワとやらを手にする前に、我も加わるとするかの≫

 

街外れに舞い降りる。少女が魔物に取り囲まれていた。カツカツと足音を立てて魔神が姿を現す。凄まじい魔の気配に、普通であれば逃げ出す。だが、この時は別であった。魔物たちはハイシェラに襲いかかってきたのである。

 

≪ほう・・・≫

 

一瞬で魔物たちが飛散する。肉片が飛び、血糊が壁に付着する。ハイシェラは首を傾げた。

 

≪妙だの・・この魔物たちは、まるで恐怖を感じておらぬ。いや、歓喜も苦痛も無い。空っぽじゃ・・・≫

 

『あ・・・あぁ・・・』

 

魔神の姿に、少女が震えている。余りの恐怖で泣くことすら忘れているのだ。ハイシェラが少女を一瞥し、瞑目する。遥か昔、非力な魔族であった頃の自分を思い出した。眩しい光、顔を布で覆った男たちが理解不能の言葉を話している。自分は拘束され、身動きが取れない。錐のように細い何かが、頭を貫いてくる。なにも理解できない、ただの少女でしかなかった自分は、泣き叫ぶことしか出来なかった・・・

 

≪早う逃げよ、我の気が変わらぬうちにな・・・≫

 

少女が魔神を見上げる。畏ろしい気配に変わりは無いが、眼がどこか優しかった。少女は頷いて、走り去った。

 

≪ふん・・・我としたことが、つい感傷に浸ってしまったわ≫

 

その時、何かを引きずる音と共に、周囲に腐臭が漂った。凄まじい邪気に、ハイシェラが笑みを浮かべる。強力な敵が出現した証拠である。やがてソレが姿を現した。魔神ハイシェラの貌にも凄みが生じる。

 

お、おぉぉ怨、怨、怨ぉ・・・ぉおおお、お・・・・・・

 

≪その気配・・・何らかの魔神だの。面白い、我が糧としてやろうぞ!≫

 

斬りつけ、傷から強力な魔力を流し込む。得体の知れないモノの身体が爆発する。だがその傷は一瞬で修復してしまった。不死の魔神ラテンニールをも超える回復力である。ハイシェラの攻撃などお構いなしに、得体の知れないモノが触手を伸ばす。ハイシェラは剣を奮って切り飛ばしたが、そのうち一本が腕に巻き付いてきた。灼けるような痛みとともに、凄まじい負の感情が流れ込んでくる。ハイシェラの脳裏に、様々な記憶、感情が湧き上がる。

 

≪ぬぅっ!≫

 

力づくで触手を引きち切り、一旦、距離を取る。ハイシェラは目を細めて、得体の知れないモノと対峙した。

 

≪・・・なるほど、魔物どもが変質した原因は貴様か・・・喰ろうたな。感情の泉である「心」を・・・≫

 

襲いかかる触手を躱し、宙に飛び上がる。

 

«我を恐れず、吸い尽くさんとする貪欲さ、いい度胸よ。褒美を取らせてやろう・・・今度は再生もできぬほどの力を!»

 

凄みのある笑みを浮かべ、両手に魔力を込める。

 

«永劫なる時の牢獄、暗黒と破滅、混沌より死滅を繰り返し、微塵に砕く無に帰せ、数多の素より、那由多に砕かん!»

 

圧縮した純粋魔術を放つ。凄まじい破壊力に大地に亀裂が走る。だがハイシェラは舌打ちをした。

 

«消え失せたか・・・魔力はともかく、只ならぬ存在感であったの»

 

大地に舞い降りた青髪の魔神は、瞑目して呟いた。

 

«何かが、動いておる。我の直感が告げておる。待てば、神器など遥かに上回る力が得られるかもしれぬと・・・起きる。後の世に語り継がれ、世界を揺るがす何かが・・・ここは暫し、見物するのも一興だの»

 

魔神は笑みを浮かべ、姿を消した。

 

 

 

 

 

魔物たちが退いていく。セリカは他の騎士たちにその場を任せ、サティアを探して街を走り回った。やがて、赤髪の後ろ姿を見かける。

 

『サティアッ!』

 

大声で愛する者の名を叫ぶ。サティアは立ち止まり、振り返った。そこには笑顔は無かった。苦悩と悲しみの瞳を浮かべ、サティアはセリカに返事をした。

 

『セリカ・・・ごめんなさい。私は、行かなくてはならないの・・・本当に、ごめんなさい』

 

振り切るように、サティアは走り去った。追いかけようとしたセリカに、怒鳴り声が響いた。ダルノスであった。

 

『セリカ!あの女を見かけなかったか!』

 

『サティアのことか?さっきそこに・・・』

 

ダルノスが歯ぎしりをして追いかけようとする。何が何だか解らないセリカは、ダルノスを止めた。事情を聞くためである。セリカの胸元を掴み、血走った目で怒鳴る。

 

『あの女、やはり邪教の信徒だった!神殿に侵入して、ウツロノウツワを奪っていったんだよ!』

 

『そんな・・・そんなバカな!』

 

『神官たちが何人も目撃しているんだ!しかも、騎士が二人、殺されている!あの女はどこだ!お前が隠してるんじゃねぇのか!』

 

ダルノスはもはや、かつての男気に溢れた師では無かった。狂気とも思える憎しみと殺意に満ちた「狂戦士」となっていた。自分を掴む手を弾くと、セリカも怒鳴り返す。

 

『ダルノスッ!どうしたんだお前は!何故そこまで、憎しみに燃えるんだ!』

 

『許さねぇ・・・邪教徒どもは皆殺しだっ!』

 

サティアの後を追うように、ダルノスも走り去った。セリカは混乱していた。ダルノスの言葉が本当かどうか、神殿に行って確かめる必要があった。逸る気持ちを抑えながら、セリカはバリハルト神殿に向かった。

 

 

 

 

 

カヤは唇を噛んでいた。「あの女」が裏切ったのだ。弟の様子が可怪しかったこと、そしてニアクールで見せた「古の呪術」から、サティアへの疑念は確信へと変わった。あの女は「魔女」であった。神殿が秘蔵する神器を手に入れるため、弟を誑かし、魔物を引き入れたに違いない。ダルノスを中心に、神官騎士たちが討伐隊を出している。神器さえ無事に奪還できればそれで良い。頼もしい闘気を放つダルノスに、カヤは告げた。

 

『ダルノス、持ち帰るのはウツロノウツワだけで良いわよ。あの女は、二度とセリカの前に現れないようにして頂戴』

 

騎士たちに散々に犯された挙句、首を刎ねられるだろう。可愛い弟を誑かしたあの女に相応しい末路だ。ほくそ笑むカヤの前に、弟が焦った様子で駆け寄ってきた。

 

『姉さん!サティアが・・・サティアがいなくなったんだ!さっき、街中で見かけて声を掛けたんだけど、様子が変だった。何だか慌てた様子で、走っていってしまった・・・』

 

可哀想に・・・あの女から掛けられた呪縛がまだ解けていないのだ。こうした呪縛を解くには、真実を見せる他無い。

 

『セリカ、神殿からウツロノウツワが消えたわ。みんなは、サティアが持ち去ったと思っている』

 

『姉さんまでそんなことを言うのか!サティアが盗みなんてするはずないだろ!』

 

『セリカ・・・サティアは避難民に紛れて神殿に入った。騎士が止めるのも聞かずに、神殿奥の「封印の間」に入ったのよ?そして、窓から逃げ去った。死体を残してね。それでもまだ、信じるの?』

 

『あぁ、信じるよ!きっと、何かの間違いだ!サティアは決して人を殺さない!それは、ずっと一緒に戦っていた俺が、一番良く解ってる!』

 

カヤは溜め息をついた。「恋は盲目」というが、本当にそうだ。口で言っても解らないのなら、直接、見せるしか無いだろう。

 

『セリカ・・・サティアには追手が出ているわ。ダルノスも志願して加わっている。あなたはサティアと親しかったから、追手には加われない。でも、あなたが望むのなら、私が上手く、誤魔化しておくわ。サティアを追いかけなさい』

 

セリカは頷いた。姉の言葉を素直に受け止める。

 

『有難う、姉さん。この誤解は、きっと解いてみせる!』

 

走り去る弟の後ろ姿を見ながら、カヤは今後について考えていた。ダルノスがいる以上、大丈夫だとは思うが、弟は強い運を持っている。ダルノスですら、止められないかもしれない。その時は、自分が止めなければならない。ウツロノウツワと弟だけは、絶対に渡せない。神殿勢力外に逃げるとしたら、東のレウィニア神権国か、港から船でディジェネール地方しかない。邪神を信仰するサティアが、レウィニア神権国に行くとも思えない。きっと南に向かうだろう。

 

『念のため、ミニエの港も警戒しておくべきね。オレノ様にお許しを頂かないと・・・』

 

カヤの瞳には、ダルノスと同じ「狂気の色」が浮いていた。

 

 

 

 

サティアはスティンルーラ族の集落を目指していた。協力を得るためである。だが追手は馬を使っている。徐々に近づく気配に、サティアは焦っていた。

 

『いたぞっ!みんな、こっちだっ!』

 

後方から声が聞こえる。サティアは走った。だが馬に囲まれてしまう。後方からダルノスの声が聞こえた。

 

『見つけたぞ!邪教徒め!この女は俺が直々に取り調べる!お前たちはセリカが来ても、絶対に近づけるな!』

 

サティアは拘束された。ダルノスが口元を歪めて笑う。

 

『やっぱり俺の予想通り、クライナを目指していたみたいだな。あの邪教徒どもも、いずれ皆殺しにしてやる!』

 

そこには、全てを憎悪する「狂戦士」の姿があった。

 

 

 

 

 

セリカは馬の足跡を追った。どうやら追撃隊は、スティンルーラ族の勢力圏を目指しているようである。やがて、神殿騎士たちの姿が見えた。セリカを見かけると、槍を構える。

 

『セリカ殿!お帰り下さい!ダルノス殿より、セリカ殿を通すなと命じられています!』

 

『どいてくれ、ダルノスに話がある!これは何かの間違いだっ!』

 

押し通ろうとするセリカを神殿兵たちが止める。セリカは剣を抜いた。峰で打てば、死ぬことは無い。突き出される槍を斬り躱し、腹部や首筋を撃っていく。二十名程度の人数だが、鍛錬を積んだ騎士たちである。セリカも肩を切られ、脇腹に槍が刺さった。だが止まらない。サティアに会いたいという一心で、戦い続ける。その時、悲鳴が聞こえた。サティアの声であった。

 

『サティアァァァッ!』

 

セリカは叫んだ。

 

 

 

 

後ろ手に縛られたサティアは、張られたばかりの幕舎へと連れてこられた。自分を見下ろすダルノスには、邪悪な笑みが浮かんでいる。サティアは身の潔白を話そうとした。だがダルノスは鼻で笑った。

 

『そんなことはハナから知ってんだよ。お前がウツワを盗んだわけではないことはな』

 

『え・・・』

 

サティアの目の前に、革に包まれた異物が置かれた。サティアは、それが何であるか理解した。ダルノスが革布を捲る。邪悪な鼓動を放つウツロノウツワが現れた。

 

『なんてこと・・・』

 

『これがウツロノウツワだ。その正体は「雨露の器」、慈愛の古神を象徴する存在だ。だがやがて時が経ち、その慈愛は呪いへと変わった。雨露の器は「虚ろの器」と呼ばれるようになった』

 

『それを手放しなさいっ!それは、人の手に余るものです!』

 

『この素晴らしい力を見ろ。コレを取り込み、俺は更に強くなる。神をも殺す力を手に入れるっ!』

 

サティアの言葉は、ダルノスに届いてはいなかった。ダルノスは笑みを浮かべたまま、サティアの前に立つ。

 

『邪教徒め・・・お前を殺す前に犯し抜いてやる!本当はあの軟弱者の前で見せつけてやりたかったがなぁ』

 

ダルノスはサティアの服をつかむと、一気に引き下ろした。白い胸が揺れる。

 

『嫌ぁぁぁっ!』

 

サティアが悲鳴を上げた。

 

 

 

 

 

悲鳴を聞いたセリカは、最後の一人を倒し、幕舎へと駆け込んだ。ダルノスと、半裸状態のサティアがいる。セリカの中で怒りが爆発した。

 

『ダルノスッ!』

 

剣を抜いて斬りかかる。ダルノスはそれを躱して後ろに飛び退く。

 

『フンッ!坊やが来やがったか。俺に剣を向けたな?つまりお前は、バリハルト神殿に背く背教者だ!』

 

『よくもサティアを・・・許さないぞっ!』

 

『坊やがピーピー喚くな。お前を半殺しにして、動けなくなったお前の前で、その女を犯してやるよ!』

 

ダルノスも剣を抜いた。同時に天幕を飛び出す。師弟二人が構える。凄まじい殺気を放つ師に、セリカは悲しみを覚えた。二人の剣が火花を散らす。剣を交えながら、セリカはダルノスと過ごした日々を思い出していた。剣術や体術だけではなく、男としての在り方まで学んだ。盗みを働いていた少年を捕まえた時、ダルノスは神殿に突き出すのではなく、馴染みの飯屋に働き手として雇えないかと相談した。いまでは飯屋で立派に働いている。そうした「幅」が、ダルノスにはあった。だが、眼の前にいる男は、憎悪で眼を濁らせた狂戦士となっている。それは戦い方にも出ていた。力と速さはあるが、単調なのだ。虚実の剣を忘れ、ただひたすら、力押しになっている。

 

『おぉぉぉぉっ!』

 

二本の剣を同時に振り下ろしてくる。躱し、受け流し、決定的な隙をつくる。そこに一撃を打ち込んだ。ダルノスの胸が叩き切られる。胸骨は砕け、傷は肺に達している。

 

『グアァァァッ!!』

 

叫び声を上げ、ダルノスが倒れた。

 

『死ぬのか?俺は死ぬのか?憎い・・・邪教徒も、神殿も、俺自身も・・・』

 

『ダルノスッ!』

 

セリカが駆け寄る。ダルノスは空を見上げながら呪詛を吐いた。だが出血とともに、その瞳から狂気が消えていく。セリカはダルノスの手を握った。死の間際に、ダルノスが呟いた。

 

『お前は・・・守れよ・・・神殿を・・・信じるな』

 

バリハルト神殿戦士ダルノス・カッセは、三十一歳でその生涯を閉じた。

 

 

 

 

 

『セリカ、私は行かなくてはならないの』

 

服を戻したサティアは、辛そうは表情でセリカを見た。セリカは理解できなかった。マクルに戻れないというのは理解できる。だが、サティアの瞳には、何かの決意が浮かんでいた。

 

『ウツロノウツワを浄化しなければならない。コレは、私の手で浄化しなければならないの・・・だから、行かなきゃ・・・』

 

『待ってくれ、それなら俺も行く!一緒に行こうっ!』

 

『駄目よ。あなたにはお姉さんがいる。戻れる場所があるの。それを断ち切っては駄目』

 

だがセリカは、首を振った。いまのバリハルト神殿は狂っている。姉でさえ、様子が可怪しいのだ。マクルに戻れば、自分はどうなるか解らない。

 

『神殿が可怪しいのは、きっとウツワのせいだ。ウツロノウツワを浄化すれば、みんなもきっと、元に戻る。だから俺も一緒に行く。どこまでも、サティアと一緒に行くよ』

 

『セリカ・・・』

 

サティアは涙を浮かべて、セリカに抱きついた。セリカもサティアを抱きしめる。

 

(決して離れない。いつまでも、どこまでも一緒だ)

 

二人は束の間、幸福であった。

 

 

 

 

 




【次話予告】
二人はスティンルーラ族の協力を得て、ミニエの港を脱出するはずであった。だが、姉であるカヤはそのことを察知していた。カヤはサティアを逃すものの、セリカとウツロノウツワを奪還することに成功する。狂気に取り憑かれた神殿は、禁断の呪術「性魔術」を行う。快楽と狂気に飲まれ、セリカが徐々に変質していく。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第六十八話「神格者セリカ・シルフィル」

Sors immanis
et inanis,
rota tu volubilis,
status malus,
vana salus
semper dissolubilis,
obumbrata
et velata
michi quoque niteris;
nunc per ludum
dorsum nudum
fero tui sceleris.

恐ろしく
虚ろな運命よ
運命の車を廻らし
悪意のもとに
すこやかなるものを病まし
意のままに衰えさせる
影をまとい
ヴェールに隠れ
私を悩まさずにはおかない
では、なす術もなく
汝の非道に
私の裸の背をさらすとしよう・・・


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第六十八話:神格者セリカ・シルフィル

ディル=リフィーナ世界において、現神たちは独自の神殿勢力を持っている。そのため、各神殿勢力の組織形態はそれぞれに異なる。マーズテリア神殿が教皇を中心とした上意下達の組織形態を取っていることに対し、バリハルト神殿は総本山に教主こそ存在すれど、各地の神殿を取り仕切る大司祭が強い権限を持っている。これは、マーズテリア神殿が主に騎士団や軍隊といった「上意下達組織」に信者が多いことに対し、バリハルト神殿は傭兵や冒険家に信者が多いため、と言われている。

 

また、マーズテリア神とバリハルト神の「神格者に対する考え方」の違いも原因と言われている。マーズテリア神は、神格者を増やすことに慎重な姿勢であり、マーズテリア神殿の神格者は、原則として「教皇」「聖女」「聖騎士」の三名しか存在しない。教皇は、聖女および聖騎士に対して、その地位を剥奪する権利を持っている。その代わり、教皇には一定の任期が存在しており、およそ二百年から三百年で、教皇はその地位を終える。永劫に渡ってマーズテリア神に仕える「真の神格者」は存在しないと言える。

 

一方、バリハルト神は神格者を増やすことに対して、積極的というよりは「無頓着」といった傾向が見られる。バリハルト神の神格者は、教主ではなく各神殿の大司祭によって任命される。そのため、神殿によっては複数の神格者が存在する場合もある。豪放なバリハルト神らしいとも言えるが、この体制により、神殿ごとに選出基準のバラつきがあり、人格的に疑問を持たざるを得ない神格者も存在している。

 

バリハルト神殿は邪神討伐を使命としており、そのためならば、本来であれば忌避されるべき呪術をも駆使する。神格者はそれら禁断の呪術で自らの力を高め、邪神討伐への遠征へと出かけるのである。大抵の場合は、はぐれ魔神などが相手になるが、中には「地方で信仰されている土着神」なども含まれ、その討伐対象には疑問が持たれている。

 

マクル動乱後、バリハルト神殿のこうした体制は、他の現神神殿からも問題視をされ、バリハルト神の神格者は全員が、神格を剥奪された。記録として確認できる範囲では、バリハルト神殿の最後の神格者として「セリカ・シルフィル」の名が残されている。

 

 

 

 

 

蒼い月を眺めながら、サティアは今後について考えていた。妹は見るに耐えない程の姿に変貌してしまった。人間の醜さが、そこまで追い詰めたのだ。だがサティアは、人間を憎むことができなかった。自分は同時に、愛する者のために命を賭けることが出来る。自分が初めて愛した男が、それを証明した。セリカはバリハルト神殿騎士の地位を捨ててまで、自分に付いてきてくれている。もうこれ以上、セリカに嘘をつきたくなかった。

 

(船に乗ったら、全てを打ち明けよう。セリカなら、きっと解ってくれる・・・)

 

スティンルーラ族長老のアメデが声を掛けてきた。

 

『サティア様、これからどうされるおつもりか?』

 

『勅封の斜宮で、ウツロノウツワを浄化します。アメデも気づいているでしょう?禍々しい呪いは、スティンルーラ族まで侵食しています。一刻も早く、浄化しなければ・・・』

 

『アタシがお聞きしているのは、その後のことですじゃ。あの若者と一緒に、どこかにお逃げになるか?』

 

それも良い・・・サティアはそう思った。愛する男とともに、どこか辺境に隠れる。田畑を耕し、森で獣を捕り、静かに暮らすのである。

 

『余計なことかも知れませんが・・・サティア様、浄化など諦めて、このままお逃げになっては如何ですか?呪いの原因は人間族ですじゃ。であれば、人間族自らが、責を追うべきじゃとアタシは思いますがね』

 

『逃げる・・・どこへ?』

 

『ターペ=エトフにお逃げなされ。ターペ=エトフ王は、種族平等を掲げておられる。古神であっても喜んで受け入れて下さる。手引きについては、ディアン殿を頼られれば宜しい・・・』

 

『そうね・・・でもアメデ、私は逃げるわけにはいかないのです。どんな苦難があろうとも、自分の役目を果たさなければなりません。ですが、それが終わったら・・・その時はアメデの言うとおりにしましょう』

 

アメデは溜め息をついた。赤髪の美しい女性は、自分が幼い頃から、全く姿が変わっていない。族長となった時に、その理由を知った。自分はそれを受け入れた。サティア・セイルーンには、何度も助けられている。部族の中には、サティアに対して恩義がある者も多い。故に、彼女の頼みを断るわけにはいかない。

 

『ミニエにて、船を用意しております。それで、ディジェネール地方まで行けるでしょう。サティア様、どうがご無理はなさらずに・・・』

 

『有難う、アメデ』

 

サティアこと、古神アストライアは頷いた。

 

 

 

 

 

クライナの集落から南下し、ブレニア内海沿岸に出て、西へと進む。出来るだけ街道は避け、森を通るようにする。バリハルト神殿は、ニアクールでの戦闘と、その後のマクル襲撃事件により、人手が不足している。街道は監視されているだろうが、森までは手が回っていない。セリカとサティアは、昼は森に潜み、夜中に移動しながら、ミニエの港町へと入った。

 

『アメデの話だと、沖合に船が泊まっているらしい。明日の夜、港の端から小舟で移動する手はずになっている。それまではここに隠れていよう』

 

セリカたちは、スティンルーラ族が使っている小屋に隠れていた。普段は、ミニエやマクルを偵察するために使われている。二部屋しか無い小さな小屋だが、隠れるには十分であった。外を出歩くわけにはいかない。小屋の中で二人で過ごしていれば、自然と求め合う流れになる。寝台で躰を重ね合う。セリカもサティアも、幾度となく果てる。セリカはサティア・セイルーンの正体に漠然と気づいていた。だがそれを問おうとは思っていなかった。サティアが自ら明かしてくれるまで、待つつもりだった。そして、その時が来たら、自分はバリハルト神殿の騎士を辞するつもりだった。愛する女性と共に、どこかで静かに生きようと決めていた。

 

(勅封の斜宮に着くまでに、きっとサティアは話してくれる。俺も肚を括ろう・・・)

 

豊かな胸の中で、セリカは呻いた。

 

 

 

 

 

その夜は、幸いなことに霧が出ていた。霧に紛れ、一組の男女が街を走る。約束の刻限に、港の端に到着する。

 

『・・・ここだ』

 

スティンルーラ族の男が小声で話しかけてきた。一艘の小舟が浮いている。思ったよりも小さい。二人は荷物も抱えているのだ。これでは一人ずつしか運べないだろう。

 

『沖合で船が待っている。だが、こんな小舟しか用意できなかった。バリハルト神殿の監視が厳しいんだ。悪いが一人ずつ運ぶことになってしまう』

 

『・・・私が先に行くわ』

 

『サティア?』

 

『私のほうが軽いから、舟はその分、速く移動できる。その後に、セリカ、貴方を乗せて岸を離れればそれで終わりよ。一度、岸から離れてしまえば、あとは追って来れないわ』

 

『解った。じゃぁ、荷物もできるだけ、軽いほうが良いな』

 

サティアは自分の私物が入った軽い袋を持った。ウツロノウツワが入った袋は、セリカに預ける。セリカは一抹の不安を感じた。これまで自分の横には、常にサティアがいた。ほんの一時であっても、離れたくは無かった。サティアを抱きしめ、口吻をする。

 

『サティア、後から必ず行く。だけど、警備兵に見つかったりして、もしどうしても行けなくなったときには、魔力で知らせる。その時は、俺を置いて行くんだ。いいね?』

 

『セリカ・・・』

 

『大丈夫、きっと上手くいく』

 

『二人共、悪いが急いでくれ。長居は出来ない』

 

船頭に促され、サティアは舟に乗り込んだ。セリカは物陰に隠れながら、離れていく舟を見守った。隠れながら、セリカは舟の帰りを待ち続けた。周囲は不気味なほどに静かだった。二刻ほどで舟が戻ってくるはずである。それが永遠の長さに感じた。

 

ギィ・・・ギィ・・・

 

櫓の音が聞こえてきた。戻ってきたのだ。セリカは物陰から姿を現した。だが霧の中から姿を現した舟は、接岸すること無く止まった。

 

『何をしているだ!早く!』

 

『・・・旦那、悪いがアンタを乗せるわけにはいかないんだ。さっきの女からの伝言だ。私は先に行くってさ』

 

『なんだと?何を言っているんだ!』

 

『そういうことよ、セリカ・・・あの女はアンタを裏切ったのよ』

 

後ろから大勢の気配が出現した。振り返ると、そこには姉が笑みを浮かべて立っていた。セリカは身構えた。姉は哀しそうな表情を浮かべた。

 

『姉である私に、剣を向けるの?こんなにあなたのことを想っているのに・・・』

 

『姉さん、行かせてくれ。サティアは姉さんが想っているような邪教徒じゃない!俺はサティアと一緒に、ウツロノウツワ浄化を目指しているんだ!』

 

『サティア、サティアって・・・本当にあの女に骨抜きにされちゃったのね?そんなにあの女が良かったの?あなたが望むのなら、お姉ちゃんは幾らでも抱かせてあげるのに・・・』

 

カヤの瞳が可怪しかった。そこにはダルノスと同じ狂気が浮かんでいた。セリカは唖然とした。

 

『姉さんまで・・・』

 

『さぁ、お姉ちゃんと一緒に、神殿に戻りましょう。あの女のことなんて、スッキリと忘れさせてあげる』

 

セリカは拒絶するように剣を抜いた。

 

『どうやら、俺の知っているかつての姉さんではなさそうだ。邪魔をするなら、たとえ姉さんでも斬る!』

 

カヤの唇が歪んだ。瞳には憎悪の炎が揺らめく。

 

『・・・許さない。私のセリカを奪ったあの女を絶対に許さない。セリカは私のもの。私のものよ!』

 

カヤの命令でバリハルト騎士たちが一斉に襲いかかる。セリカは剣を奮い、戦った。だが数が圧倒的に違う。騎士たちが伸し掛かり、セリカを押さえ込む。セリカは辛うじて動いた左手で、沖合に魔力を放った。

 

『逃げろっ!サティアァァッ!』

 

叫び声を挙げたが、その後に意識を失った。カヤの魔術によって、昏睡したのだ。カヤは沖合に目をやった。唇を歪めたまま呟く。

 

『逃してしまったわね。まぁ良いわ。ウツワとセリカを取り戻せたし・・・いずれ、アンタのところにセリカを送ってあげる。バリハルト神殿の敬虔にして忠実な戦士としてね』

 

凄まじい表情を浮かべるカヤに、船頭が怖ず怖ずと声を掛けた。

 

『や、約束は守ったぞ。妻と子供を返してくれっ!』

 

バリハルト神殿は、ミニエに住むスティンルーラ族の家族を人質にしていたのである。セリカたちの動きは筒抜けであった。カヤは笑みを浮かべて男に返事をした。

 

『そうね。確かに、約束は「セリカを舟に乗せない」ということだったわね。あの女を逃したのは余計だったけど、まぁ良いわ。家族に会わせてあげる・・・』

 

男はホッとした表情を浮かべた、だがいきなり背中から剣を突き刺された。カヤが笑みを浮かべたまま言葉を続ける。

 

『バリハルト神殿は正義の神殿。人質を取ったなどあってはならない。だからあなたは死ななきゃならないの。あなたを殺したのはあの女、サティア・セイルーンよ』

 

男は、何事かを呟こうとして、そのまま倒れた。カヤは哄笑しながら、セリカを引き摺る騎士たちと共に、その場を去った。

 

 

 

 

 

サティアは思わず、岸に顔を向けた。セリカの声が聞こえたような気がしたからだ。同時に、魔力が届く。

 

『セリカッ!』

 

サティアは港に向かって叫んだ。だが船が移動をし始める。サティアは船長に向かって、船を戻すように懇願した。だが船長は辛そうな表情を浮かべて、首を振る。

 

『サティアさん、アンタの気持ちは痛いほど解るが、ここで戻ったところで、アンタまで捕まって終わりだ。それよりも信じるんだ!アンタの男は、必ず生きている。魔力が届いたんだからな。だから信じろ。必ず会えるって・・・』

 

サティアは瞑目して、手を握った。生きていれば、生きてさえいてくれれば必ず会える。サティアは自分にそう言い聞かせた。

 

『・・・解りました。行きましょう』

 

船は、ディジェネール地方に向かって進む。サティアは最後尾から、離れゆく港に向けて、呟いた。

 

『生きて・・・たとえどんな姿になってもいい。お願いだから、生きて頂戴・・・』

 

 

 

 

 

蝋燭が揺らめく部屋の中で、呪文を詠唱する声が響く。意識を取り戻したセリカは、自分がどのような状態なのか、理解できなかった。ただ、躰が熱くなっていた。どうやら床に横たわっているようである。頭が霞がかったようである。上手く考えることが出来ない。

 

『ウフフッ、気づいたのね、セリカ・・・』

 

姉の顔が見えた。だが異様な様子である。褐色の肌を晒し、躰を上下させている。セリカは自分の下半身を見た。異様な光景であった。実の姉が、自分と繋がっているのである。

 

『ね、姉さん!何を・・・』

 

姉が唇を塞いでくる。混乱の中で、下半身が熱く、心地よかった。

 

『何も考えなくていいの。あなたはただ、お姉ちゃんを感じていなさい。あなたを捨てた、あなたを騙した、あなたを裏切った「あの女」のことなんて、すぐに忘れさせてあげる・・・』

 

(違う・・・サティアは裏切ってなんかいない・・・)

 

セリカは自分に言い聞かせるように、そう呟こうとした。だが、何も出来ない。ただ姉から与えられる快感に身を任せるしか無かった・・・

 

 

 

 

 

ディジェネール地方に到着したサティアを一人の龍人が出迎えた。ニアクールに棲む龍人族の長「リ・クティナ」である。表情が少し、緊張しているようだ。

 

『やはり・・・貴女様は・・・』

 

リ・クティナはそう呟いて、サティアに一礼をした。サティアは頷いて、リ・クティナに告げた。

 

『私は、大神ゼウスとテミスの娘、星光の下に生まれしホーライ三姉妹の一柱、正義を司る大女神「アストライア」です。いずれこの地に、ウツロノウツワが来るでしょう。勅封の斜宮にて、それを浄化します。あなたに、案内をお願いします』

 

『三神戦争より幾星霜、我が族に代々伝わりし「使命」を果たす時が来たのですね。勅封を開放させて頂きます。その波動はディル=リフィーナ全体に伝わるでしょう。いずれ、使徒の皆様もお集いになると思います』

 

リ・クティナは最上級の敬意を示しながら、アストライアと共に、古の力を封じた宮殿へと案内をした。

 

 

 

 

 

セリカがバリハルト神殿に連れ戻されてから、三月が経過しようとしていた。バリハルト神は、古神を滅する為ならば如何なる手段をも認める。三月の間、神殿の中では凄まじい性魔術が行われていた。並の人間では一日と保たず、干からびるほどである。三月も時を要したのは、それ程までにサティアを想っていた証明でもある。だが、それも限界であった。セリカの中で、サティアの記憶は消え去り、あるいは歪められ、愛情は憎悪へと変わっていった。百名以上の女神官たちを貪り尽くし、セリカの中には、魔力が蓄積されていった。やがて、その時を迎える。上級神官たちが詠唱する中、大司祭オレノが両手を天に掲げた。

 

『バリハルト神よ、いまここに、貴方様に忠実なる下僕、神の子が誕生しようとしています。どうか彼の者に祝福を・・・神格者としての新たな命をお与え下さい!』

 

女体を貪るセリカに、一筋の光が当てられる。宙に浮いたウツロノウツワがセリカの背に乗り、それが体内へと消える。蓄えられた魔力とウツロノウツワが融合し、一つの形に集約する。肉体に血管が浮き上がり、心臓の鼓動によって脈打つ。咆哮し、したたかに精を放った時、儀式は終了した。

 

『今ここに、新たなる神格者が誕生した!バリハルト神に忠実なる下僕として、汝に名を与える。風を司りしバリハルトの子「シルフィル」の名を授ける!これより「セリカ・シルフィル」と名乗るが良い!』

 

バリハルト神に忠実な神格者「セリカ・シルフィル」が誕生した。

 

 

 

 

 

そこは、淫蕩と狂乱に満ちたバリハルト神殿とは、真逆の場所であった。静かで清らかな空気が流れ、澄んだ冷たい泉が湧いている。泉の中に、月明かりに照らされた美しい女神が、目を閉じて佇んでいた。

 

『もうすぐ、生まれる・・・神をも凌駕する新しい力が・・・新たな可能性が・・・ですが、光と闇のどちらに向かうかは、まだ解りません。導く必要が、有るのかもしれない・・・』

 

レウィニア神権国君主にして現神「水の巫女」は、小さく呟いて、泉の中に姿を消した。

 

 

 

 

 

バリハルト神の教えを一遍も疑わない、忠実な神格者となったセリカが、神殿の中を進む。神官も騎士も両脇に逸れ、一礼をする。バリハルト神の神格者となったセリカは、その地位は大司祭に次ぐものである。やがては神殿総本山に招集され、邪神討伐の責任者となる予定だ。神殿の奥では、大司祭以下、上級神官たちが勢揃いをしていた。端には、明け方まで躰を貪られていた神官長の姿も見える。セリカは大司祭の前で跪いた。

 

『セリカ・シルフィルよ。神格者たるそなたは、いずれ神殿総本山にて、邪神討伐の将として力を奮うことになります。そなたの力は誰よりも強い。その力に見合う剣が必要です。そこでそなたにこの剣を授ける』

 

禍々しさと神聖さを併せ持った一振りが、セリカの前に置かれる。

 

『ウツロノウツワの一部を取り込み、聖なる力によって鍛えられた神剣「スティルヴァーレ」です。邪神を討ち果たし、世に安寧を齎す力を持っています』

 

セリカは柄を握った。剣が輝く。まるで千年前から使っているかのように、セリカの手に馴染んだ。この剣があれば、どんな邪神でも殺せるだろう。

 

『有り難き幸せ。バリハルト神の名を汚すことが無いよう、邪なる存在を討ち果たし続けます』

 

オレノは頷き、セリカに使命を与えた。

 

『神格者セリカ・シルフィルよ。ディジェネール地方に逃げし、邪神の下僕を討伐してもらいたい。その名は「サティア・セイルーン」という。やって貰えるかな?』

 

『喜んで・・・』

 

セリカの瞳には、明確な殺意と憎悪が浮かんでいた。

 

 

 




【次話予告】
「愛するが故に、殺さねばならない」

古神アストライアは、張り裂けそうな想いで剣を振るった。男は既に瀕死の状態である。だがそれでも、自分に対して明確な殺意と憎悪を向け続ける。アストライアは最後の一突きを繰り出した。男を救うためには、この方法しか無かった・・・


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第六十九話「神殺しの誕生」

Sors immanis
et inanis,
rota tu volubilis,
status malus,
vana salus
semper dissolubilis,
obumbrata
et velata
michi quoque niteris;
nunc per ludum
dorsum nudum
fero tui sceleris.

恐ろしく
虚ろな運命よ
運命の車を廻らし
悪意のもとに
すこやかなるものを病まし
意のままに衰えさせる
影をまとい
ヴェールに隠れ
私を悩まさずにはおかない
では、なす術もなく
汝の非道に
私の裸の背をさらすとしよう・・・


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第六十九話:「神殺し」の誕生

ターペ=エトフ歴二百四十年、マクルの街を実質的に統治していたバリハルト神殿は、神殺しセリカ・シルフィルの手によって崩壊する。統治者を失ったマクルは、同時期にマクルに攻め寄せたスティンルーラ族の庇護を受け、バリハルト神殿は、セアール地方南部から完全撤退を余儀なくされるのである。「マクル動乱」と呼ばれるこの事件は、バリハルト神殿の暴走に原因があると言われているが、何故、バリハルト神殿が暴走したのかまでは、不明のままである。

 

後世、スティンルーラ女王国の資料庫から、当時のバリハルト神殿の様子について描かれた資料が発見されているが、その内容は正に「狂気」と言うに相応しいものであった。バリハルト神の神格者となったセリカ・シルフィルは、マクルにおいて「超法規的存在」となっていた。つまり「如何なる非道も許される立場」であり、三桁に近い数の女性たちが、セリカ・シルフィルによって暴行を受けたと記録されている。また、それに抗議をした者は、神に背く背信者として処罰をされている。ターペ=エトフ歴二百三十八年の「風花の月(十二月)」、セリカ・シルフィルは邪教徒討伐のため、ミニエからディジェネール地方に向けて出港した。それが、狂気に取り憑かれた青年の「最後の姿」であった・・・

 

 

 

 

 

『クソッ!一体、どうしちまったっていうんだい!』

 

スティンルーラ族の女戦士エカティカは、怒声を挙げながら剣を奮った。これまで、縄張りの外を彷徨いていただけのバリハルト騎士たちが、剣を抜いて押し寄せてきたのである。数十年間続いた「奇妙な均衡」は崩れ、バリハルト神殿とスティンルーラ族の全面戦争が始まった。マクルに潜伏をしていた諜者からの情報では、マクルの街は狂乱の状態となっているそうである。あちこちで女性たちが犯され、若い男たちは皆、バリハルト神殿に兵士として徴用されているらしい。マクルはもはや、都市として機能しない状態となっている。

 

『ウツワの影響だな。皆、狂っている・・・』

 

一瞬で十名以上を斬り倒したディアンは、溜め息をついた。ウツワの影響はマクルだけではなく、スティンルーラ族にまで及んでいた。暴力事件などが頻発し始めたのである。長老のアメデは、ディアンに「結界形成」を依頼してきた。ウツロノウツワに直接触れたディアンだけが、魔気の性質を識っているからである。一時的にバリハルト騎士を退けたディアンは、スティンルーラ族たちの血液で森全体に結界を張っていった。攻め寄せる騎士たちを止めることは出来ないが、魔気は抑えられる。クライナでは、狂気に取り憑かれたスティンルーラ人の治療が行われている。結界を発動させると、これまで騒いでいた動物たちも静まった。魔気が消えたことを感じたエカティカたちも安心した様子を見せる。クライナに戻ったディアンを族長のエルザが迎えた。初代族長と同じ名前で、外見まで似ている。

 

『ディアン殿、感謝します。これで皆も落ち着くでしょう』

 

エルザ・テレパティスは安心した表情を浮かべ、礼を述べた。口調だけは初代とは似ても似つかない。そのことを内心で可笑しく思いながら、ディアンは返答した。

 

『残念ながら、この結界はウツワの魔気を抑えるだけのものです。これ以上の結界を張ると、この森は完全に立ち入り不可能になってしまいますので・・・』

 

『理解しています。マクルから撤収した諜者の話では、街を離れる者も増えているそうです。狂気から逃れた者にとっては、マクルは正に「魔都」なのでしょう。そうした者たちも、この森で受け入れたいと考えています』

 

『ラギールの店も閉店をしたそうですね。「あの」ラギールまで見放したとなれば、マクルは数年も保たず、崩壊するでしょう。バリハルト神自身が出てこない限り、神殿の暴走は止まらないと思います』

 

『ターペ=エトフとレウィニア神権国は、スティンルーラ族への全面支援を決定しました。必要な物資があれば、何でも仰って下さい』

 

プレイア領事であるカテリーナ・パラベルムが言葉を続けた。エルザは笑みを浮かべて頷いた。

 

『百万の味方を得た思いです。バリハルト神殿は、私たちスティンルーラ族が食い止めます。ご支援のほど、どうか宜しくお願いします』

 

 

 

 

 

神格者となってからおよそ一月、セリカ・シルフィルは性魔術による魔力増幅を図っていた。目に付いた若い女を手当たり次第に犯していく。文句を言う奴は、神剣スティルヴァーレで首を刎ねた。自分は神格者なのである。邪教徒討伐のためなら、どのようなことも許されるのだ。酒場の娼婦セミネ・タレイアから精気を吸収する。死なない程度にと思っていたが、どうやら加減を間違えたらしい。セミネは目を見開いて死んでいた。死体に目もくれず、酒場を出る。性魔術による魔力増幅も限界に達している。討伐の鬨が来たのだ。

 

『・・・あなたは一体、何人の女性を・・・』

 

死体処理に駆けつけたカミーヌが、文句を言いたげな表情をした。バリハルト神殿の神官であるなら、自分に積極的に協力すべきなのに、未だに自分に躰を開くことを拒否している。一応は神官だから、無理強いはしていない。セリカは五月蝿そうに返答した。

 

『お前は、今まで食った麺麭(パン)の枚数を覚えているのか?お前も麺麭になりたいか?』

 

カミーヌは青ざめた表情を浮かべ、急いで酒場に入った。セリカは鼻で笑い、騎士たちに告げた。

 

『明日、出陣する。準備をしておけ』

 

三日後、ミニエの港町から一艘の船が南に向けて出航した。乗せている兵士はそれほど多くは無い。今回の目的地は、ニアクールではなくその南にある「勅封の斜宮」である。潮風に吹かれながら、セリカは水平線を眺めていた。昂ぶる「気」を抑え込む。神格者となったことで、セリカの力は飛躍的に上がっている。今の自分であれば、あの「黒衣の男」すら斬ることが出来る・・・セリカはそう確信していた。

 

 

 

 

 

『我が主よ、よくぞご無事で・・・』

 

四人の女たちが、赤髪の女神に傅いている。古の大女神アストライアの使徒たちであった。リア、テシルヌ、マクアエナ、ロットの四守護である。三神戦争後、いつか来る再起の日のために、古神たちはその力を各地に眠らせていた。龍人族は、それを護る役割を負っている。勅封の斜宮を開放したことで、大女神アストライアは本来の力を取り戻した。正義を判断する天秤を持ち、時として剣を奮う「戦女神」である。その力は、古の最高神たち「オリンポス十二神」にも匹敵する。アストライアは、神気を放ちながら指示を出した。

 

≪間もなく、私を殺すために、一人の男がこの宮に攻めて来るでしょう。貴女たちはそれぞれに、超人の力を持っています。ですが決して油断無きよう・・・その者は、現神バリハルトの神格者であり、私の妹「アイドス」と融合しています。神の力を持っていると考えておきなさい≫

 

『私たちが必ず止めます。我が主は、浄化のご準備を・・・』

 

アストライアは瞑目して頷いた。この四人でも止められないかもしれない。近づく気配は、それ程に強烈である。「あの魔神(ディアン)」であれば可能だろうが、力を借りるわけにはいかない。これは「古神(自分)たちの問題」なのだ。アストライアは胸が傷んだ。自分が愛した「唯一の男」を殺さなければならない。心優しく、意志が強く、それでいて「在り方」に悩み苦しんでいた人間・・・弱さと向き合い、それを抱えながらも前に進もうとしていた人間だからこそ、自分は愛したのである。いま近づいている男は、自分が愛した男とは、似ても似つかぬ存在だ。

 

(セリカ・・・私は貴方と戦います。貴方の為にも・・・)

 

大女神アストライア(サティア・セイルーン)は決意の表情を浮かべた。

 

 

 

 

 

ディジェネール地方ニアクール近郊に接岸した船から、バリハルト神殿神格者セリカ・シルフィルが下りてくる。その後ろに、スフィーダやカミーヌなどが続く。ここから勅封の斜宮までは、馬で二日ほどである。セリカたちは休む間もなく、南へと向かった。セリカの中に、えも言えぬ「焦燥感」があった。

 

早く「あの女」を殺してやりたい・・・

 

自分でも理解できない衝動に突き動かされながら進むセリカの前に、一人の龍人が姿を現した。騎士たちが構えるのを止め、セリカは進み出た。

 

『お前は確か、ニアクールのリ・クティナだったな・・・俺の前に姿を現すとは良い度胸だ』

 

『人間族にしては見所のある男と思っておったが、残念じゃ。ウツワの狂気に取り込まれたか・・・』

 

『取り込まれた?俺が取り込んだのだ。ウツロノウツワを取り込み、俺は超人の力を得た。丁度良い。討伐の狼煙として、まずはお前から殺してやるっ!』

 

リ・クティナに斬りかかる。スティルヴァーレで真っ二つにした。だが手応えが無い。目の前の龍人は、魔力を使った投影像であった。リ・クティナは溜息をついて、少し笑った。

 

『・・・安心したぞ。この程度すら見抜けぬ程に理性を失っているのであれば、とても斜宮を進むことなど出来まい。我らが主の力によって、その穢れた身を浄化されるが良い』

 

リ・クティナは姿を消した。セリカは舌打ちをした。怒りで、景色が赤くなる。このままニアクールに行って、龍人どもを皆殺しにしてやろうか・・・ だが、スフィーダが丁重に進言をしてきた。

 

『セリカ様、目的は斜宮の邪教徒を討伐することです。報復は、その後でもよろしいのでは・・・』

 

セリカは少し考えて頷くと、先へと進んだ。

 

 

 

 

 

勅封の斜宮は、山を刳り貫いたような構造になっている。その昔、古神が秘力を封じたと謂われ、忌み嫌われている迷宮だ。命知らずの冒険者が挑もうとしたが、入口の扉は未知の力で封じられ、入ることすら出来なかったらしい。セリカたちが入口に立つと、その扉が開いていた。明らかな「罠」である。

 

『お前たちはここで待機しろ。ここから先は、俺独りで行く』

 

『ですが・・・』

 

『俺は神格者だ。だから判る。ここにあの女がいる。お前たちがいると足手まといなだけだ』

 

『・・・解りました。どうか、ご武運を』

 

『どれだけの規模かは解らないが、三日経っても俺が出てこなかったら、入ってこい』

 

セリカはそう言うと、斜宮へと足を踏み入れた。勅封の斜宮は、入り口から奥に向かって、緩やかな上り坂になっている。迷宮である上に、勾配があるため、踏み入れたものは方向感覚を失いやすい。神の力を封じるに相応しい、荘厳な造りをしている。

 

『フンッ、邪神と謂えども神は神か・・・あの女は、上だな?』

 

魔物の雰囲気は無いが、強い気配を複数感じる。だがセリカに恐怖はなかった。「あの女を殺す」という妄執に取り憑かれ、奥へ奥へと進んだ。

 

 

 

 

 

勅封の斜宮の最上層「山頂」において、サティアは微かな痛みを胸に感じた。また一人、使徒が殺されたのである。残る使徒は、第一使徒の「天使族テシルヌ」だけである。使徒に異変があれば、主人にも伝わる。既に三人が、闘いの末に打ちのめされ、神格者の「贄」とされている。テシルヌでも止めることは出来ないだろう。だがそれ以上に、サティアは神格者セリカ・シルフィルの滅びを感じていた。

 

(セリカ・・・貴方は解っていない。神格者は擬似的神核を持つ超人の存在。ですが、それは神格者として、更なる修練を続けた者が辿り着く境地なのです。短期間で力を得ようとすれば、肉体がそれに絶えきれません。性魔術で痛みを忘れているのでしょうけど、肉体の消耗は消せません。このままでは、貴方の身体が保ちません・・・)

 

神格を得ることで、肉体は不老となり、身体能力も魔力も回復力も急上昇をする。だがそれは、肉体が耐えられる範囲での上昇である。神格を得たとしても、核を入れる器は人間の肉体なのだ。神格者は長い歳月をかけて、肉体そのものを変質させていく。それを急激に求めるのが「魔人」であり、だから魔人の外見は、大きく変質をしてしまう。神格者セリカ・シルフィルが体内に形成をしたのは擬似的神核では無い。ウツロノウツワという「古神の神核」を土台として神格者になったのだ。そこで得られる力は、通常の神格者を大きく超える。人間の肉体が、保つはずが無い。

 

『クッ・・・』

 

ズキンッという痛みが走った。第一使徒までがセリカに吸収された。もはやこの宮に残るのは、自分独りである。サティアは決意した。ここに来る男は、自分が愛している「セリカ」ではない。バリハルト神殿の神格者「セリカ・シルフィル」なのである。何を躊躇する必要があろうか。男ごと、妹を焼き尽くしてしまえば良い。

 

バタンッ

 

扉を開く音が響いた・・・

 

 

 

 

 

セリカ・シルフィルは逸る気持ちを抑え、ゆっくりと階段を上がっていった。やがて山頂にたどり着く。赤い髪の女が佇んでいた。哀しそうな表情を浮かべている。

 

『見つけたぞ!お前だな!俺をここまで苛つかせるのは!』

 

『セリカ・・・』

 

『古神に連なりし邪教徒め、神格者として罰を下してやる!』

 

『セリカ・・・貴方は、何も解っていない。私は邪教徒なんかじゃないわ』

 

セリカ・シルフィルは血走った眼でサティアを睨んだ。

 

『なら、お前は何だ!お前の正体は、何なんだ!』

 

『本当は、貴方に伝えたかった。でも出来なかった。怖かったから。私の正体を知った時に、貴方はどうするか。私はどうしても信じきれなかった。それで、貴方を裏切ってしまった・・・』

 

セリカ・シルフィルは更に絶叫した。だが言葉が変化をし始める

 

『お前は裏切った!(わたし)を裏切った!』

 

(なんだ?なぜ、勝手に言葉が出てくるんだ?裏切ったとはなんだ?)

 

『共に人間を導こう、争いを終わらせようと約束をしたのに、お前は(わたし)を残し、逃げ去った!』

 

『違うわっ!貴女を裏切ったんじゃない!こんな・・・こんな姿になるなんて・・・ごめんなさい。本当に・・・ごめんなさい・・・』

 

『黙れっ!裏切り者のお前をここで殺してやるっ!』

 

セリカ・シルフィルは剣を抜こうとした。だが手が途中で止まる。

 

『な、なんだ?何かが邪魔を・・・』

 

狂気に取り憑かれた表情に変化が起きる。

 

『サ、サティアッ・・・逃げ‥ろ・・・』

 

『セリカッ!』

 

『は、早くっ・・・』

 

ウツロノウツワに穢され、バリハルト神殿の狂気の儀式に晒され、それでもセリカの一部は耐え抜いた。それは、サティア・セイルーンへの純粋なほどの愛であった。

 

『貴方は、戦っているのね?生きるために、諦めずに闘い続けているのね!』

 

涙を流しながら、サティアは笑顔を浮かべた。そしてその表情が一変する。愛する男が闘い続けているのである。自分がここで屈するわけにはいかない。サティア・セイルーンの気配が変わる。眩いほどの神気を放つ「戦女神」が現れる。

 

«私は、大神ゼウスとテミスの娘、星光の下に生まれしホーライ三姉妹の一柱、正義を司りし大女神「アストライア」、私はこれまで、一度として己のために剣を奮ったことはありません。ですが今ここで、私は初めて自分のために剣を奮います。私が愛した、ただ一人の男、人間サティア・セイルーンとして愛した貴方(セリカ)を救うために、私は貴方を殺します!セリカ・シルフィルッ!»

 

中空に正義を測る天秤が現れ、それが剣へと変容する。

 

«出よ!「天秤の十字架《リブラクルース》!»

 

黄金色の剣を握り、女神アストライアが構えた。再び神格者に戻ったセリカ・シルフィルは、口元を歪めた。

 

『クハハハッ!現れたな邪神め!俺がここで討ち滅ぼしてやる!』

 

古の大女神と、現神の神格者の闘いが始まった・・・

 

 

 

 

 

セリカ・シルフィルが斜宮に入ってから、間もなく三日が経とうとしていた。順調に行けば、そろそろ戻ってきても良い頃である。だがその気配はない。その時、山頂付近から凄まじい気配が放たれた。麓で待機する騎士たちですら、気づくほどの強さである。スフィーダとカミーヌは顔を見合わせ、頷いた。全員が斜宮へと入った。

 

 

 

 

 

神格者セリカ・シルフィルの力は、確かに人の域を大きく超えたものであった。だが神格者となってから、まだ若すぎる。ウツロノウツワという人間には決して馴染まない神核を取り入れたことで、セリカ・シルフィルの肉体は崩壊が始まっていた。だが、アストライアは剣を止めなかった。二振りの聖剣が火花を散らす。セリカ・シルフィルは間もなく死ぬ。ならばせめて、自分が愛した男「セリカ」として死なせてやるべきだ。アストライアは涙を零しながら、最後の一突きを繰り出した。

 

ズンッ

 

衝撃が走った。セリカ・シルフィルの剣スティルヴァーレが、アストライアを貫いている。その瞬間、セリカ・シルフィルの表情が一変した。ウツロノウツワの呪いが全面に出る。

 

«ハハハハッ!やったぞ!とうとう裏切り者を殺してやったわ!»

 

«・・・セリ‥カ・・・»

 

その時、スティルヴァーレが燃え上がった。凄まじい炎が蜷局を巻いて立ち上る。セリカ・シルフィルの意識を乗っ取っている邪神アイドスが叫ぶ。

 

«ギャァァァッ!おのれ、おのれぇぇっ!バリハルト神殿めっ!最初からこれを狙って・・・»

 

スティルヴァーレを手放そうとする。だが手が動かない。アイドスの顔が変化し、セリカが前に出てくる。

 

『さ、させない。お前は、ここで滅びるんだっ!』

 

«セリカ・・・»

 

『ごめんよ、サティア・・・君との約束を守れなかった。一緒に生きようと約束をしたのに・・・』

 

«いいの・・・私には出来なかった。貴方を殺すなんて、どうしても出来ない・・・でも、貴方が手伝ってくれるのなら、行きましょう。一緒に・・・»

 

炎の性質が変化する。アストライアの魔力を受けて、邪を滅ぼす聖なる炎が立ち上る。炎の竜巻が遥か天まで届く。

 

«貴様、貴様ぁぁっ!いいのか?貴様も死ぬのだぞ!»

 

『構わない。俺はもう死んでいる!お前を道連れに出来るのなら本望だ!それに、サティアも一緒だからな!』

 

«消える・・・我が・・・消え・・・»

 

聖なる炎によって、ウツロノウツワは浄化された。炎の中で、セリカは元の精神へと戻っていった。目の前にいる愛しい女性を抱きしめる。

 

『サティア・・・一緒だよ。ずっと・・・ずっと一緒だ』

 

サティアは微笑んだ。だがその瞳に哀しみが浮いていた。セリカは、サティアが急速に離れていくのを感じた。

 

『サティア?サティア!何処に行くんだ!』

 

«何処にも行かないわ。私はずっと、貴方と一緒よ・・・生きて、セリカ・・・貴方は、生き続けて。貴方が生きている限り、私はずっと一緒にいる・・・»

 

セリカの視界が左右に割れる。別の何かが身体を埋めていく。セリカは手を伸ばして叫んだ。

 

『サティアァァァァ!』

 

セリカの意識は、そこで途切れた。

 

 

 

 

 

女の悲鳴で、ぼやけていた視界が戻る。瞳に色情を浮かべ、喜悦で涎を垂らしている女が、腰に脚を巻きつけている。俺は理解できなかった。一体、この女は誰なんだ?何で女と交じっているのだろうか?だが強力な飢餓感に襲われた。夢中になって女体を貪る。女の悲鳴が一際長く続く。何か強い力を取り込んだと思ったら、目の前の女は息絶えていた。

 

『カミーヌッ!』

 

剣を抜いた男たちが向かってくる。一体誰だ?男たちは剣を構えながら、俺の周りを取り囲む。

 

『こ、これは・・・お前、男だったのか!いや、古の神なら何でもアリか・・・』

 

『スフィーダ?何を言っているんだ?サティアは何処だ?』

 

近づこうとしたら男が斬りかかってきた。危ないじゃないか。躱して顔面に拳を叩き込んだ。軽く打ったつもりだった。だが男は顔面を凹ませ、十数歩離れた壁に打ちつけられた。俺は驚いた。加減を間違えたのか?落ちている剣を拾う。

 

『剣を捨てろ!セリカは?セリカ・シルフィルは何処だ!』

 

『俺がセリカ・シルフィルだ。目が可怪しいのか?それとも何か魔術が掛けられているのか?』

 

『何を言っている・・・邪神め、セリカに何をした!』

 

随分とゆっくり斬りかかってくるなと思いながら、俺は飛燕剣を繰り出した。軽く切った筈なのに、男たちの上半身が真っ二つになる。

 

『ヒッ・・・』

 

騎士たちが後ずさる。その中で、スフィーダが怪訝な表情を浮かべた。

 

『今の剣は、飛燕剣ではないか!何故だ?何故、貴様が飛燕剣を扱える!』

 

『当然だろう。ダルノスに散々に仕込まれたんだ。スフィーダだって見ていただろう?』

 

『お前は・・・本当にセリカ・シルフィルなのか?』

 

『だからさっきからそう言っているだろう?どうして信じられないんだ?』

 

『自分の姿を見てみろ!その姿で、どうやって信じられる!』

 

『俺の姿?』

 

俺は赤黒い血溜まりに進んでいった。松明の炎で自分の姿が薄暗く浮かぶ。そこには・・・赤い髪の女が映っていた。

 

『な、な、何だ、これはぁぁぁぁぁっ!』

 

神殺しセリカ・シルフィルは絶叫した。

 

 

 




【次話予告】
飢餓感に襲われながら、セリカはアヴァタール地方南部の街「フノーロの地下街」に入った。一人の若い魔術師と、翼の手を持つ魔物に助けられる。自分の身に何が起きたのかを理解するため、セリカはマクルに戻ることを決意する。それは次なる悲劇への序章であった・・・


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第七十話「カッサレの末裔」

Sors immanis
et inanis,
rota tu volubilis,
status malus,
vana salus
semper dissolubilis,
obumbrata
et velata
michi quoque niteris;
nunc per ludum
dorsum nudum
fero tui sceleris.

恐ろしく
虚ろな運命よ
運命の車を廻らし
悪意のもとに
すこやかなるものを病まし
意のままに衰えさせる
影をまとい
ヴェールに隠れ
私を悩まさずにはおかない
では、なす術もなく
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私の裸の背をさらすとしよう・・・


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第七十話:カッサレの末裔

午前中の執務が終わり、インドリトは私室で読書をしていた。大図書館の蔵書は、ついに百万冊を超えた。西方諸国でも名が知られるようになり、カルッシャ王国やテルフィオン連邦から、書籍の補修依頼なども来る。補修の際に内容を複写することで、王家や神殿が持つ貴重な知識を手に入れることが出来る。いま読んでいる本は、ラウルバーシュ大陸各地に封印された古神たちについての研究書だ。ケレース地方に封じられた魔神はいないが、ここから南東にあるアヴァタール地方にある「ヨベルの扉」には、古神エルテノが封印されているらしい。ブレニア内海を中心として、七古神戦争で現神と戦った古神たちが、各地に封じられている。研究書には「各国が協力して封鎖地としなければ、いずれ魔神を呼び起こす輩が出る可能性がある」としている。インドリトも同感であった。自分の中には、古神を「悪」とする思い込みは無いが、平穏に眠っている巨大な力を起こす必要は無い。研究書の中には、更に興味深い記述も見受けられる。闇夜の眷属の中には、古神復活を目指す「秘密結社」があるらしい。その名までは記されていないが、七古神戦争前から存在するそうだ。読み進めようとした時に、叩扉された。

 

『陛下、ダカーハ様がミカエラ様と仰る天使族の方を連れて、お越しになりました。「火急の用」とのことです』

 

『ダカーハ殿とミカエラ殿が?わかった。すぐに行こう』

 

インドリトは本を閉じ、上着を羽織った。

 

 

 

 

 

絶壁の王宮には、ダカーハの為に用意された「広場」がある。インドリトはこの広場で、黒雷竜の背に乗り、ターペ=エトフ中を周っている。黒雷竜ダカーハと天使族のミカエラは、ターペ=エトフの「同盟者」である。受け入れられ、土地を与えられたという経緯はあっても、独自勢力なのだ。立場としては、インドリトと対等である。広場では、ダカーハの側に二脚の椅子と丸卓が置かれている。ダカーハには葡萄酒の入った樽、ミカエラには香草類の茶が出されていた。インドリトが広場に入ると、ミカエラが立ち上がった。

 

『インドリト王、お忙しいところを急に訪ね、申し訳ありません』

 

『お久しぶりですね、ミカエラ殿・・・二百三十年ぶりでしょうか』

 

遥か東方から越してきた天使族は、ターペ=エトフ西方のルプートア山脈未踏地に拠点を構えている。かつて一度だけ、師と共にその地を訪ね、美しい天使長に挨拶をした。以来、天使族はターペ=エトフでも殆ど見かけず、国民の多くが、天使族の存在を知らない。二百年以上前と変わらぬ美しい姿のまま、ミカエラは挨拶をした。

 

『お陰様で、静寂の中で、暮らしています。この地に来て以来、堕天した天使はいません。光りに包まれ、幸福に暮らす人々を見守ることで、私たちも救われたようです』

 

インドリトは頷き、ダカーハに挨拶をした。ダカーハの呪いは、既に消えていた。今は穏やかで、子供たちを背に乗せて飛んだりしている。「神竜ダカーハ」などと崇める者までいる。挨拶もそこそこに、ダカーハが用件を告げた。

 

『我が友インドリトよ。今日はそなたに「警鐘」を鳴らすために来たのだ。途中でミカエラ殿に会ってな。同じ用件であったため、こうして同席をしている』

 

『「警鐘」ですか?ターペ=エトフに、何か悪いことが起きると?』

 

『ターペ=エトフだけでは無い。中原・・・いや、ディル=リフィーナ世界そのものに、大きな影響が出るかも知れぬ』

 

インドリトは顔を引き締めて頷いた。ダカーハもミカエラも、冗談でこのようなことは言わない。ダカーハは言葉を続けた。

 

『昨夕、遥か南方で巨大な火柱が立ち上った。あれは現神の力ではない。古神の力だ。それも、我がこれまで感じたことがないほどに、巨大な力であった・・・』

 

『私の知る限り、あれほどの力を出せる古神といえば、旧世界イアス=ステリナにおいて最高神に位置した「オリンポス十二神」、闇の勢力を束ねた「魔王ルシファー」、ソロモン七十二柱の筆頭である「魔神バアル」くらいです』

 

ミカエラの顔色が悪い。聞いているだけでも凄まじい力であったことは解る。だが余りにも遠すぎて、想像ができない。

 

『そうだな・・・ディアン殿と「互角以上」と言えば、想像も出来るであろう』

 

『師と互角以上?そんな力が・・・』

 

『これは、私の想像ですが・・・』

 

ミカエラが仮説を話し始めた。

 

『三神戦争の末期、旧世界の神々は天界へと退く際に、この世界に自らの力を封印しました。ある者は自分の使徒に力と記憶を預け、またある者は深い洞窟に力を眠らせました。その中の一つが、開放されたのだと思われます。そして、それと同じくして、山の南側を覆っていた暗い気配が消えました。ウツロノウツワの話は、私も聞いています。おそらく、邪神と化した古の神が、浄化されたのではないかと・・・』

 

インドリトはホッとした。つまり「朗報」である。だが何故それが「警鐘」になるのだろうか。ミカエラは首を振って、言葉を続けた。

 

『私も古神に連なる者です。ですから、直感で解ります。その力を発揮した古神は、姿を変えて、この世界に残っています。凄まじい力を持つ古神が、復活をしたのです。それも恐らくは・・・人間の魂を持って』

 

『ディアン殿は、神の肉体と人間の魂を持っている。生き続けることで魂が成長し、それが神の肉体を変え、強くなり続ける。「神殺し」と呼ばれる存在が、忌みされる理由がそれだ。下手をしたら、現神たちをも超えかねないからだ。ディアン殿はそのことを自覚し、あくまでも人間として、目立たぬように暮らしている。これまで、そうした「神殺しの存在」はディアン・ケヒト唯一人だった。だが、「新たな神殺し」が誕生したのやも知れぬ。ミカエラ殿と同様、我もその力を感じた。大いなる災いの種になるやも知れぬ・・・』

 

インドリトは腕を組んだ。「神殺し」については、可能性として論じられている。自分の師は、神を殺したわけではない。転生時において、神の肉体を得たに過ぎない。その結果として、神殺しと同じ状態となっているが、師はそのことに、後悔すら抱いている。「神を殺せる人間」など、想像すらできない。まして、その肉体を乗っ取って永遠に生きるなど、その感覚は理解不能である。

 

『新たに誕生した「神殺し」・・・ダカーハ殿、ミカエラ殿は、その神殺しがターペ=エトフの災いになる、とお考えなのですか?』

 

『判らぬ。強き気配は消えた。だが何処かにいるはずだ。いずれこの地に来る可能性は否定できぬ。正直に言えば、我もミカエラ殿も、本当に神殺しなのかどうかさえ、判断ができぬのだ。確かなことは、神に匹敵する力を持った「何か」が誕生したということだけだ』

 

『インドリト王、ディアン・ケヒト殿はどちらに?』

 

『師は、スティンルーラ族の支援のために、セアール地方南部の街クライナにいます。バリハルト神殿とスティンルーラ族との間に、全面戦争が勃発しました。スティンルーラ族は三万人程度です。バリハルト神殿に対抗するには限界があるでしょう』

 

『ディアン殿は魔神とはいえ、魂は人間です。新たな力の誕生について、恐らくは気づいていないでしょう。お許しを頂けるのであれば、私がこれから向かい、彼に伝えたいと思います』

 

『しかし、ミカエラ殿にそのような事をお願いするわけには・・・』

 

美しい天使は、少し顔を赤くして笑った。

 

『私が彼に会いたいのです。前に逢ってから、そろそろ三月が経ちますし・・・』

 

 

 

 

 

セリカは舳先から海を見続けていた。自分の身に起きたことを考え続ける。自分はセリカ・シルフィルである。それなのに、顔はサティアの顔である。一方で、肉体は男性なのだ。サティアの肉体ならば、女性の身体でなければ可怪しい。一体、自分は何なのか、これからどうしたら良いのか、全く解らなかった。とにかく、バリハルト神殿に戻れば何かが解るだろう・・・セリカはそう願っていた。スフィーダが背後から声を掛けてきた。

 

『セリカ、お前を船内に入れるわけにはいかん。また食事も出すことは出来ぬ。私はまだ、お前の言葉を信じたわけではないからな』

 

『あぁ、それで構わない。腹は特に減っていないしな・・・』

 

空腹感は無かった。だがそれとは異なる「飢餓感」があった。こうして立っているだけで、何かが失われていくのを感じる。スフィーダがセリカに質問をした。

 

『自分の身に何が起きたのか、まだ解らないのか?』

 

『あぁ・・・何故、俺がサティアの顔をしているのか・・・あの時、ウツロノウツワを浄化した時に、何が起きたのか・・・神殿に戻れば、解ると思うのだが・・・』

 

『今、ウツロノウツワを浄化したと言ったのか?浄化は出来たのだな?』

 

『あぁ・・・サティアは古の神アストライアだった。ウツロノウツワを浄化しようとして、バリハルト神殿に近づいたんだ。俺の精神はウツワに汚染され、正気を失っていた。だが最後の瞬間で、正気を取り戻した。サティアと共に、自分の身そのものを焼き尽くそうとした・・・』

 

『なるほど・・・あるいはその時に、古神がその肉体をお前に与えたのかも知れんな。つまりお前は、セリカ・シルフィルであって、そうではない。古神の肉体を手に入れた「神殺し」になったのか』

 

スフィーダは何かに納得するように頷くと、舳先に立った。

 

『セリカ、お前を神殿に連れて行くことは出来ん!お前は古神と繋がった。バリハルト神殿は、古神を決して許さない。この身を賭して、お前をここで殺す!』

 

スフィーダはそう言うと、両手を天に広げた。

 

『バリハルト神よ。我らが身を贄として捧げます。その御力によって、大いなる嵐を齎し給え!』

 

スフィーダは空に向かって全生命力を放出した。力尽きたように、海へと落ちていく。セリカは止めることすら出来なかった。見る見るうちに、空が暗くなり、やがて嵐が起き始める。セリカを載せた船は、激しい雷雨に翻弄させ、やがて津波に飲まれた。海へと投げ込まれ、セリカの意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

ブレニア内海の中規模漁村で、その戦いは行われていた。スティンルーラ族の戦士たちを率いた黒衣の男が、木刀を奮う。バリハルト神殿の戦士たちは次々と意識を失っていった。

 

『ウツワの狂気が消えている。これ以上、殺す必要はない!彼らは元々は、漁民や農民だ。やがて出来るスティンルーラの国の、大切な民になる!』

 

森の結界を出たディアンは、それまで漂っていたウツロノウツワの気配が消えていることに気づいた。どうやら、アストライアが浄化に成功したようである。バリハルト神殿の騎士たちは混乱し、一時、撤退をしたようだ。エカティカはこれを機に、奪われた土地を奪還するために、バリハルト神殿への総力戦を族長に提言した。

 

『ディアン殿は、どうお考えになりますか?』

 

『エカティカの言を推します。ウツロノウツワの邪気が消えています。これまで狂気に呑まれていた民たちも、正気を取り戻すでしょう。そして自らを振り返り、バリハルト神殿への不信感を持つはずです。バリハルト神殿に代わる、新たな拠り所として、スティンルーラ族による「公平・平等な統治」を示せば、受け入れると思います』

 

族長のエルザ・テレパティスは頷いた。元々、バリハルト神殿との徹底抗戦は、既定路線である。この機に一気に、マクルまで攻め寄せるべきだろう。だがディアンはそれを止めた。宗教そのものが持つ「狂気性」を懸念したからである。

 

『バリハルト神殿からウツワの気配が消えたとはいえ、彼らの狂気が消えるかは解りません。普通であれば自らを省みて、恥じ、反省をすべきでしょう。ですがそれをしてしまうと、信仰心そのものが揺らぎます。彼らは、己の所業と信仰心の狭間で行き来し、やがて信仰心を選択するでしょう』

 

『つまり?』

 

『全ては神の思し召し、と自分を正当化し、進んで狂気の道を進むはずです。強襲などすれば、自らを護るために、民衆を人質に取りかねません。お忘れなきよう。二百五十年前、貴方がたスティンルーラ族がこの地を追われた時には、ウツロノウツワは無かったのです』

 

エルザは頷いた。

 

『ディアン・ケヒト殿、貴方に助力をお願いします。エルザたちを率いて、マクルまでの土地を開放して下さい。出来るだけ、殺さないように・・・』

 

『安んじて、お任せあれ・・・』

 

ディアンは胸に手を当てて一礼した。エルザをはじめとするスティンルーラ族の戦士、五百名を率いてクライナを出たディアンは、そのまま南下し、漁村へと攻め込んだのである。当初は、抵抗の素振りを示した漁民たちも、すぐに降伏をした。バリハルト神殿の神官が後方から叫ぶ。

 

『バリハルト神に逆らいし、蛮族どもめ!お前たち、神罰が恐ろしくないのか!』

 

目が血走っている。自ら信仰心に酔い、狂気に走っているのだ。ディアンは溜め息をついた。かつて同じような目をした「バカ」を見ている。こうした狂信者は、いつ見ても反吐が出る。ディアンは神官に向かって歩みを進めた。雷系魔術が襲ってくる。だが結界により、球形に分裂する。落雷の中を平然と歩く。尻もちをついた神官を見下ろし、ディアンは剣を抜いた。

 

『問う。お前は、自らの所業を省みないのか?無関係な漁民たちを徴兵し、武器を持たせて戦わせるなど、バリハルト神が望んだことなのか?』

 

『黙れ!我らはバリハルト神の敬虔なる信徒ぞ!我らの行為は全て、バリハルト神の御意志である!』

 

『言っても無駄か。ならば、死ね・・・』

 

ディアンは剣を一閃した。神官の首が落ちた。鎮圧が終わった漁村に、食料や医薬品が運ばれてくる。漁民たちも落ち着きを取り戻したようだ。ディアンは海を見つめた。やがてこの地に、スティンルーラ族による統一国家が誕生する。ターペ=エトフ、レウィニア神権国、スティンルーラ国の三カ国が、同盟関係を結び交易を行えば、さらに豊かになるだろう。そして豊かさという「実り」と、情報交換という「学び」が、人々を成長させ信仰心を客観化させていく。数百年後には、この地に三つの「共和国」が誕生するかもしれない。そしていずれ、大陸全体に広がる・・・ 海を見つめながら考え事をしていると、目の前に異変が起きた。内海の空が暗くなり、嵐が起き始めたのだ。ディアンは眉をひそめた。

 

『あれは・・・ただの嵐ではない。呪術的なものだ。生贄を捧げたのか?誰の仕業かは知らんが、愚かなことを・・・』

 

呪術的な嵐であれば、自然現象ではないため、当分の間は晴れることはない。これを仕掛けた者は、この内海で生活をする民たちを考えたのだろうか。いつ晴れるか解らない嵐を前に、漁民たちはどう生活をすれば良いのだ。ディアンは舌打ちをした。

 

『全く、迷惑な嵐ですね・・・』

 

上から声が聞こえた。見上げるとそこには、美しい天使が微笑みを浮かべて佇んでいた。

 

 

 

 

 

『御師範さま~ 変な嵐が起きています~』

 

翼の腕を持つ少女が、間延びした可愛らしい声を発する。一見すると睡魔族のように露出が高い服装をしている。少女の後から、濃褐色の外套を羽織った青年が歩いてきた。

 

『ペルル、あまり遠くに行かないように・・・おや、確かに妙な嵐ですね・・・呪術の気配を感じます』

 

『街の人が見たっていう「火柱」と、何か関係があるのかなぁ』

 

『偶然とは思えませんね。いずれにしても、火柱が昇ったのは、ここから更に西でしょう。私たちはもう、ディジェネール地方に入っています。魔獣が襲ってくるかもしれませんから、気をつけるように』

 

『はーい・・・あれ?御師範さま、あそこ・・・』

 

ペルルが翼で指をさす。赤い髪をした美しい女性が、岩場に打ち上げられていた。

 

 

 

 

 

『う・・・』

 

神殺しセリカ・シルフィルは瞼を開いた。石造りに天井が見える。意識がハッキリしてくると、自分の横に横たわる少女がいた。上半身をピッタリとくっつけている。セリカは状況がつかめなかった。だが生き残ったのは確かなようである。寝台を這い出て、立ち上がろうとする。だが身体に力が入らない。蹌踉めいて、机に手をつく。

 

『あぁ、まだダメだよぅ!寝てないと・・・』

 

目を覚ました少女が声を掛けてくる。セリカは支えられて寝台に腰掛けた。少女が背中から包み込んでくれる。それだけで、何か癒やされていく感覚がした。部屋の扉が叩扉された。

 

『気づかれましたか?』

 

穏やかな眼をした青年が入ってきた。寝台の近くにある椅子に腰掛け、セリカを見る。

 

『すまない。世話になった・・・』

 

『まだ世話をしている最中です。まずは横になって下さい。ペルル、引き続き、彼に寄り添うように・・・』

 

『はーい』

 

セリカは寝台に寝かされる。ペルルはその横でセリカに抱きついた。男はその様子に頷いて、説明をした。

 

『混乱をしていらっしゃるでしょうから、ご説明をします。ここはアヴァタール地方南部にある地下都市フノーロです。私たちはディジェネール地方の海岸で、貴方を発見しました。貴方を運ぶ途中で、通常とは異なる回復方法が必要と判断し、こうして弟子のペルルに世話をさせているのです』

 

『そうか・・・助かる』

 

『申し遅れました。私は「アビルース」と申します。貴方は?』

 

『セリカ・シルフィルだ』

 

『シルフィル?・・・そうですか、なるほど・・・』

 

アビルースは得心したように頷いた。

 

『まずは精気を回復させて下さい。ペルルには言い含めてあります。意識が戻ったのなら、より早い回復方法も出来るでしょうから・・・』

 

アビルースは笑って、立ち上がると扉から出ていった。セリカはアビルースが何を言っているのか、判断できなかった。ペルルが笑顔で上に乗ってきた。

 

『ボクに任せて。早く回復しようね~』

 

 

 

 

 

地下都市から地上に出たアビルースは、満天の夜空を見上げた。闇夜の眷属の中でも、自分の血筋は呪われていると言われている。「神の肉体を乗っ取る」という狂気に取り憑かれた魔術師が生まれてから、三百年の歳月が流れ、この血筋も、自分が最後の独りとなった。アビルースは、自分に流れている血筋が嫌いだった。この血筋を引いていた母親は、自分を食べさせるために身を売り、早くして死んだ。母親が残した最後の言葉が無ければ、自分も命を断ったかもしれない。

 

『アビルース・・・私たちの血筋は、決して呪われてなんかいない。私たちの先祖は、誇りを持って神と戦ったの・・・これが、その証拠よ』

 

母から渡された一冊の魔導書は、暗号で書かれていた。強い魔力を引き継いだ、一族の血筋だけが読める暗号である。それを読んで、アビルースの中に志が芽生えた。だがそれは、果てしなく大きく、遠い理想である。人間の寿命では、とても実現できないだろう。志を持ちながらも、この地下都市で鬱屈した暮らしをしていたところに、彼が現れた。

 

『これが、我が一族の運命なのでしょうか?「ブレアード」よ・・・』

 

アビルース・カッサレは瞑目した。

 

 

 

 




【次話予告】
地下都市フノーロで、セリカは精気の回復を図った。アビルースとペルルとの共同生活は、セリカにとって久々の安らぎであった。だが、セリカには「マクルに戻る」という目的があった。

一方、ターペ=エトフに近接する「黒竜族の縄張り」に、南方から竜が尋ねてきた。友との再会にダカーハは喜ぶが、齎された知らせは深刻なものであった。ディジェネール地方に「異界」が出現したのである。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第七十一話「異界の出現」

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第七十一話:異界の出現

アヴァタール地方からニース地方にかけては、広大な平原が広がり、豊かな大地を形成している。しかし、この地への往来は簡単なことでは無い。「腐海の地」と呼ばれ、闇夜の眷属や魔族たちが数多く住む未開の地だからである。国家形成期以前までは、行商人たちが往来をしていたが、ブレニア内海沿岸に「バリアレス都市国家連合」が形成されると。腐海の地からアヴァタール地方に入ることは困難となった。レウィニア神権国の貴族たちは、腐海の地から闇夜の眷属たちが入ることを警戒し、レンストをはじめとする各都市に闇夜の眷属の立ち入り制限を依頼したのである。バリアレス都市国家連合は建国間もなく、腐海の地への立ち入り制限なども同時に行うことで、交易の利益を独占しようと考えた。ラギール商会など幾つかの商会が、腐海の地への行商が許可されているが、人的な交流は全て、都市国家連合によって管理をされていた。このため長年にわたって、腐海の地は「半封鎖状態」となっていたのである。

 

腐海の地の状況が一変するのは、ターペ=エトフ歴二百七十八年に起きた「第二次ハイシェラ戦争」の直後である。バリアレス都市国家連合の首都「レンスト」に残されている記録では、ターペ=エトフ歴二百七十九年、ラギール商会が過去に無い大規模な行商隊を組んで、腐海の地の街「フノーロ」を目指している。レンストの首長である「セリオ・ルビース」は、これまでの取り決めを破棄し、ラギール商会の「無制限往来」を許可している。この異例の決定には、各商会から文句が出たが、ラギール商会は腐海の地に「運ぶだけ」で、何も持ち帰えることが無く、常識で考えれば損失の方が多いため、やがて文句も立ち消えとなった。ターペ=エトフ歴二百七十九年から、滅亡後までの三十年間近く、ラギール商会はアヴァタール地方から腐海の地まで、膨大な物資を輸送し続け、その輸送量は「延べ十万両」とまで言われている。

 

なお、ラギール商会が腐海の地に物資を運び始めた翌年のターペ=エトフ歴二百八十年、フノーロの街は「スケーマ」と名を改め、エディカーヌ王国の建国が宣言されている。腐海の地で起きた新国家建国とラギール商会の関係については、両者とも一切、明らかにしていない。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴二百三十八年の年末は、記録的な寒波に覆われた。ケレース地方はアヴァタール地方より北部にあるとはいえ、ディル=リフィーナ世界ではそれほど気温が下がらず、温暖な地帯である。しかしこの年は、ブレニア内海に出現した「止むことなき嵐」の影響で、北方から強い寒気が流れ込み、滅多に見られない「降雪」などが見られた。首都プレメルでも例年にない寒さで、獣人などが身を震わせて家々に駆け込んでいる。年の瀬の挨拶で、ディアンは使徒たちを連れて、絶壁の王宮を訪れた。あくまでもターペ=エトフの民として、国王への挨拶である。公式行事が全て終わった大晦日に、インドリトはディアンの家に来る。父親のエギールは既に他界をしている。インドリトにとって、ディアンたちが「家族」であった。ディアンの他に、レイナ、グラティナ、ソフィア、ファーミシルスも一緒だ。皆で庵に吊るされた鍋を囲む。獣骨で取った出汁に野菜類や獣肉、生姜を入れ、酒粕と味噌を溶かす。炊いた米を握り、出汁で割った醤油を刷毛で塗りながら炭火で焼く。政事の話などは殆どしない。昔の思い出話や今年一年の振り返り、来年の抱負についてなど、話題は尽きない。エール麦酒や米酒などを酌み交わし、遅くまで笑いが絶えなかった。日付が変わり、新年となった夜更けに、インドリトはディアンの部屋で話し込んでいた。

 

『この数年は色々と忙しかったが、今年か来年には、スティンルーラ族も落ち着くだろう。お前もいよいよ、退位への準備を始めるか?』

 

『そうですね。これからの十年間は、政事と外交で忙しくなるでしょう。ところで、気になっていることがあるのですが・・・』

 

『ミカエラ殿から聞いている。「神殺し」が誕生したそうだな?』

 

『大丈夫でしょうか?』

 

『私が知っている限り、ダカーハ殿とミカエラ殿が言われていた古神とは、大女神アストライアのことだろう。アストライアはオリンポス十二神の筆頭である大神ゼウスの娘で、その力は古神の中でも最高峰に位置する。だが、彼女は大丈夫だ。アストライアは平和を愛し、争いを嫌う。ダカーハ殿とミカエラ殿は、古神の復活を感じた後、その気配を見失ったそうだな。それ故、神殺しの誕生と考えているのだろう。私から言わせれば、アストライアは天界に戻ったか、あるいは己の力を再び封印したのだろう・・・』

 

『お言葉ですが、先生・・・私は嫌な予感が消えません。先生も、ダカーハ殿も、ミカエラ殿も、巨大な力を持つ古神が復活したことは事実とされています。そして、その気配が消えたことについて、それぞれに仮説を立てていらっしゃいます。先生は楽観に、ダカーハ殿、ミカエラ殿は悲観に考えています。そのどちらにも、明確な根拠が在るように思えません。それであれば私は、悲観的に考えたいと思います。予測が外れた時の影響が、余りに大きすぎるからです』

 

『フム、まあ確かにそうだが、現実的に神を殺せる人間などいるのか?かつて、マーズテリア神殿の聖騎士とレイナが一騎打ちをしたことがあったが、ほぼ互角だったそうだ。私の第一使徒と五分で戦った事自体が驚異的だが、逆を言えばマーズテリアの神格者と謂えども、その程度の力なのだ。アストライアは古神としての力を取り戻し、ウツワを浄化したようだ。古の最高神を人間が殺せるとは、私には思えないが・・・』

 

『確かに、理屈では解ります。ですが・・・』

 

ディアンが笑って手を挙げた。愛弟子の懸念も理解できる。それに熾天使ミカエラと黒雷竜ダカーハが、口を揃えているのも気になった。あの二人はその精神も、限りなく神に近い。

 

『アストライアとは、面識がある。私は、信じたくないだけなのかも知れん。彼女は私の信仰心を媒介して、このディル=リフィーナに降り立ったのだ。私としては、彼女が目的を果たし、無事に天界に戻ったものと信じたい。だが、もし本当に神殺しが誕生したのだとしたら、その神殺しの正体は恐らく・・・』

 

ディアンは口を閉ざした。クライナで、仲良さげな二人を見ている。あの時は漠然と、アストライアの使徒になるだろうと思っていたが、その後の話で彼は、バリハルトの神格者となり、マクルで非道を行っていたらしい。ウツワの影響がクライナまで届いていなければ、マクルまで飛んでいって、この手で斬り殺していただろう。

 

『あの青年が、神殺しになったのか?もし非道のまま神殺しになったのなら、オレがこの手で殺す・・・』

 

ディアンの小さな呟きに、インドリトは顔を引き締めた。

 

 

 

 

 

フノーロの地下街は、ニース地方から闇夜の眷属が、ディジェネール地方から亜人族が往来する。地下街には独自の通貨なども出回っているが、レウィニア神権国やバリアレス都市国家連合の通貨のほうが強い。いずれにしても、一文無しでは生きることは出来ない。セリカに出される食事なども、アビルースの財布から出ているのだ。セリカは申し訳なく思い、すぐに出発しようとした。だがアビルースとペルルがそれを止めた。

 

『セリカさん。ここを発つと言われますが、何処に向けて発つのですか?そのための準備は出来ていますか?見たところ貴方は、剣も刺していません。旅をするのであれば、しっかりと準備をしなければ・・・』

 

『だが、俺は一文無しで転がり込んだ。これ以上は迷惑を掛けられん』

 

『なるほど・・・では、こうしてはどうでしょう?』

 

アビルースが提案をしたのは、魔獣狩りである。地下街には時折、魔獣が入り込むことが在るが、最近、その数が増えているのだ。アビルースも手伝って撃退をしているが、次第に強力な魔獣が出現するようになり、手を焼いている。

 

『魔獣を退治すれば、街から幾ばくかの金も出ますし、感謝もされます。得た牙や皮は、素材として売れます。そして、セリカさんは魔獣を殺すことで、精気を吸収できるわけです。金を稼ぎ、街から感謝され、しかも回復を図ることが出来る。一石三鳥です。どうです?この街で暫し滞在し、魔獣狩りをしては?』

 

『だが、俺は行かなければならない場所があるんだ!』

 

『ほう・・・それはどこです?』

 

『セアール地方の街「マクル」だ。そこのバリハルト神殿に姉がいる。そこに行かなければ・・・』

 

アビルースは地図を広げた。ブレニア内海の東方沿岸域が描かれている。マクルの場所を確認して、眉をひそめた。

 

『これは・・・いささか厄介ですね』

 

アビルースは地図を壁に貼り、棒で示しながら説明をした。

 

『良いですか、ここが私たちのいるフノーロの地下街です。そして、ここが目指す街「マクル」です。マクルに行くには、二通りの道があります。まずは海路です。ディジェネール地方からブレニア内海南岸に出て、船でマクルを目指します。ですが現在、ブレニア内海には呪術的な嵐が吹き荒れ、船を出すのは自殺行為でしょう。となると陸路で行くしかありません』

 

アビルースの棒が、ブレニア内海東岸域を上っていく。

 

『このように、ブレニア内海東岸を陸路で行き、アヴァタール地方の国「レウィニア神権国」から西に向かう行程です。ですが、ここで一つ、問題があります。それが「バリアレス都市国家連合」です』

 

レウィニア神権国の南部で、棒が円を描く。

 

『バリアレス都市国家連合は、「腐海の地」と呼ばれるこの地域からの立ち入りを制限しており、事実上、封鎖をしています。陸路でセアール地方まで出るとなると、第三の道が必要ですね』

 

アビルースは棒を動かした。山岳地帯を抜ける道である。

 

『この地下都市は、リプリィール山脈の麓まで続いています。リプリィール山脈を超えて、アヴァタール地方のレウィニア神権国に直接入り、マクルを目指します。ですがリプリィール山脈は竜族の縄張りであり、抜けるのは極めて危険です。戦うにせよ、逃げるにせよ、今の貴方では無理でしょう』

 

アビルースの説明は極めて簡潔で解りやすい。帰還を焦るセリカも、頷かざるを得なかった。アビルースは笑顔になって手を叩いた。

 

『焦りは禁物です。まずは回復と準備を進めましょう。魔獣退治をすれば、やがて強い剣も手に入ります。マクルは逃げません。じっくり時間を掛けて、準備をしましょう。さて、今日は大晦日です。御馳走を用意しましょう』

 

ペルルがセリカに抱きつく。セリカは溜め息をついて頷いた。

 

 

 

 

 

新年の挨拶で、ディアンとインドリトは黒雷竜ダカーハの縄張りを訪れた。寒波は厳しい。白い息を吐きながら、山頂を目指す。ディアンは新年の挨拶として、葡萄酒の樽を背負っている。この地に来てから二百余年、雷竜ダカーハはすっかり「酒飲み」になっていた。山頂にたどり着くと、以外な光景があった。ダカーハ以外の黒雷竜が居たのだ。ディアンは思わず、インドリトを庇うように前に出た。

 

『我が友インドリト、そしてディアン殿、新年早々、良く来られた。ちょうど、我の旧友がこの地に訪ねてきておる。紹介しよう・・・』

 

『ディジェネール地方、フェマ山脈に棲みし竜族が一柱、ガプタールである』

 

ディアンは遥か昔の東方見聞の旅を思い出し、笑みを浮かべた。インドリトが進み出て挨拶をする。

 

『ターペ=エトフ王国国王、インドリト・ターペ=エトフです。ダカーハ殿には、一際篤い友誼を結んで頂いています。ダカーハ殿の友人は、私の友人です。ようこそ、ターペ=エトフへ・・・』

 

ガプタールはインドリトを見下ろし、目を細めた。一度頷き、ダカーハに顔を向ける。

 

『なる程、御主ほどが友誼を結ぶ理由が解った。確かに、稀代の名君だ。インドリト王よ、新年早々に押しかけたこと、お詫び申し上げる。いささか厄介な事が起き、ダカーハに相談をしようと考え、この地に来たのだ。まさかインドリト王に会えるとは思っていなかった。そして・・・』

 

ガプタールはディアンに顔を向けた。

 

『黄昏の魔神よ、呪われた竜は何処にいるのだ?我の眼の前にいるのは、いつの間にか葡萄酒を飲むようになった「酒飲み」なのだが?』

 

ディアンをはじめ、皆が笑った。新年の挨拶をし、葡萄酒の樽をそれぞれの竜に置く。ダカーハは嬉しそうに飲むが、ガプタールは首を捻った。どうやら、あまり酒は得意では無いらしい。

 

『それで、ガプタール殿、厄介な事とは何なのでしょう。もし私たちがお邪魔であれば、ここは外しますが・・・』

 

『いや、インドリト王や魔神殿にも聞いておいて貰いたい。これは我ら竜族のみならず、ディル=リフィーナ世界全体の問題だからな』

 

ガプタールはそう言うと、ディアンに顔を向けた。

 

『ディアン殿、二百年以上前、お主がフェマ山脈を訪れし時に、我が話したことを覚えているか?』

 

『竜族の聖地とは何か、という問いをさせて頂きました。ガプタール殿から「封神の要石」についてお話を聞きました』

 

『そうだ。あの時、お主が懸念していたことが現実になったようだ。ディジェネール地方に異界が出現した。恐らくは、東方にあった要石を何者かが取り除いたからに違いない・・・』

 

ディアンの顔色が変わった。東方の統一国家「龍國」には、インドリト王の名で「竜族の聖地」について伝えた。龍國は、厳重な封鎖地にしたはずである。その後、統一国家が分裂し、現在は割拠の状態となっているそうだが、そのどさくさで失われたということか。インドリトも同様の予測を立て、東方諸国の状況について説明をした。ダカーハとガプタールは深い溜め息をついた。ディアンは二柱の竜に尋ねた。

 

『その「封神の要石」は、何か宝石のようなものなのか?目立ったり、売れば金になるとか・・・』

 

『いや、多少の魔力は秘めているが、ただの石コロだ。あんなものを売ろうとしたところで、価値があるとも思えん。アレは、置くべき場所に置いてこそ、価値が生まれるのだ』

 

形や大きさを細かく確認し、ディアンは首を傾げた。どう考えても、人間族が関心を持つような石に思えなかったからだ。

 

『何故だ?何故、そんな石を欲しがったのだ?その大きさの石を運ぶとすれば、荷車が必要なはずだ。あの険しい山々を抜けて忍び込んだのだ。金目的であれば、もっと価値のある鉱石なども見つかっただろうに、何故、そんな石を運び出した?』

 

『何者かが、意図的に運び出した、ということでしょうか?』

 

『そうとしか思えん。片手で持てる石コロとはわけが違うのだ。それ一つで、荷車一台と馬数頭が必要になる。はじめから、要石が目的だったとしか思えん。そしてその連中の狙いは・・・』

 

『そういえば、以前に読んだ本の中に、古神の復活を目指す「結社」が存在すると書かれていました。その名も知られていないお伽噺のようなものだと思うのですが、そうした組織があるのでしょうか?』

 

ダカーハとガプタールが顔を見合わせた。ダカーハが語り始めた。

 

『竜族でも殆ど伝承やお伽噺としてしか残っていないが、三神戦争直後から伝わる話の中に、思い当たる名前がある。古の神々を信仰し、現神信仰の終焉を目指している集団がいるそうだ。名前は確か・・・』

 

ディアンは眼を細めた。インドリトも唾を飲み込む。

 

『「オメラスの解放者」・・・だったな』

 

 

 

 

 

地上に出たアビルース・カッサレは、指定された古小屋へと足を向けた。既に夜は更け、辺りには危険な気配も漂っている。小屋には既に先客が来ていた。上から下まで黒一色である。顔には銀色の仮面をつけている。アビルースは差出人不明の手紙を懐から出した。目元が険しい。アビルースは怒気が混じった声を上げた。

 

『貴方がたが何者かは知りませんが、迷惑です!セリカさんを裏切ることなど、私には出来ません!』

 

仮面の男は低い声で笑い、アビルースに語りかけた。

 

『お主も、あのセリカという男が何者なのか、薄々は気づいているのではないか?あの男の存在は、正に我らにとっての奇跡なのだ。闇夜の眷属を不当に虐げ、その犠牲の上で繁栄を謳歌している現神たちに、一矢報いたいとは思わぬか?』

 

『セリカさんは人間です!たとえ肉体は違えども、その魂は私たちと同じ人間なのです!己が野心のために、罪もない人を騙すなど・・・そこに正義はありません!』

 

『・・・やれやれ、カッサレ家の血筋とは・・・』

 

仮面の男はため息をついて低く笑った。

 

『まぁ良い。あの男には、まだまだ辛い道が続いているのだ。いずれ、其の身を手にする機会も巡ってくるだろう。アビルース・カッサレよ、お主であれば、我らは何時でも受け入れるぞ。「解放者」に加わることを考えてみよ・・・』

 

仮面の男は、地面に潜るように消えてしまった。心が少し揺れた自分を否定すべく、唇を噛んだ。口端から、一筋の血が流れた・・・

 

 

 

 




【次話予告】
精気は、徐々に回復傾向にあった。リプリィール山脈までの洞窟を探検する中で、巨大な力の衝突を感じたセリカは、洞窟から抜け出る。翼を持った竜族の女戦士と、青髪の美しい魔神が戦っていた。魔神の姿に、セリカの記憶が刺激された。そして、旅立ちの準備が整う。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第七十二話「ただ独りの旅立ち」

Sors immanis
et inanis,
rota tu volubilis,
status malus,
vana salus
semper dissolubilis,
obumbrata
et velata
michi quoque niteris;
nunc per ludum
dorsum nudum
fero tui sceleris.

恐ろしく
虚ろな運命よ
運命の車を廻らし
悪意のもとに
すこやかなるものを病まし
意のままに衰えさせる
影をまとい
ヴェールに隠れ
私を悩まさずにはおかない
では、なす術もなく
汝の非道に
私の裸の背をさらすとしよう・・・


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第七十二話:ただ独りの旅立ち

リプリィール山脈は、アヴァタール地方とニース地方とを隔る巨大山脈である。この山脈は古来より竜族の縄張りとされてきたが、それは主に山脈東方部であり、西方部では人間族による鉱山開発が行われている。リプリィール山脈の形状は、十字型に近く、後世においては三つの国によって、分割統治をされることになる。レウィニア神権国に隣接をする竜族を信仰する国「リスルナ王国」が山脈東方域を、メルキア帝国の庇護を受けた「意戒の山嶺」が山脈北部を、山脈南部から西部にかけては、エディカーヌ帝国が統治をする。山脈中央部は永きに渡り「未踏域」であったが、メルキア帝国が調査隊を派遣し、複数の遺跡群を発見している。「メヘル遺跡」と名付けられたそれら遺跡群には、明らかに「古神信仰」の名残りが残されており、現神による封印が行われた形跡も発見されている。だが、どのような古神が封印されていたのか、いつ、誰が解き放ったのか、などは明らかにされていない。

 

 

 

 

 

ダカーハとガプタールから話を聞いたディアンとインドリトは、話し合いながら山を下りていた。

 

『それにしても、そのような集団が本当にあるのでしょうか?何だか伝説的と言いますか、空想世界の話(ファンタジー)に聞こえてしまいました』

 

『ディル=リフィーナは二千年以上の歴史があり、多くの種族が住んでいる。古神を信仰する種族としては、龍人族が存在している。そうした思想を持つ集団が存在したとしても、驚きはしない。だが、現神支配の現状を転覆させ、古神支配の新世界を創ろうとするなど、「狂気」としか思えんな。下手をしたら、七古神戦争が再び起きるだろう。光と闇の二項対立を超えて、信仰が自由な世界を創る、というターペ=エトフの思想とは全く違う』

 

『現時点で確かなことは、南方に「異界」が出現したということだけです。ケレース地方に影響があるとも思えません。我が国としては動くことは出来ませんね』

 

『そうだな。東方の要石についても、確認のしようが無い。持ち去られたのは確かだろうが、その集団が犯人なのかも不明だ。無知な人間が「面白い形だし売れそうだ」と勘違いをして持ち去った、という可能性もある』

 

『そうですね。先生にそう言われると、何だかそんな気がしてきました』

 

『その集団については、私の方で調べてみよう。ペトラ殿は、歴史や民族伝承などを研究している。彼女に聞けば、何か解るかもしれない。さて、今夜はお前の好物「カレー」を作ろう。私が包丁を握ってやる』

 

インドリトは嬉しそうに頷いた。

 

 

 

 

 

フノーロの地下街は、酒場や商店などがあり、それなりに活気がある。だが街から外れると、そこは危険な「地下迷宮」であった。セリカはアビルールとペルルの協力を得て、街からの「討伐依頼」などを受けて地下迷宮を探索した。

 

『この地下迷宮は、元々は私の家系「カッサレ家」が創ったものと言われています。実際、我が家に残っていた記録を見てみると、地脈魔術と創造体を駆使して、こうした迷宮を創っていたようです』

 

『だが、その目的は何なんだ?なぜ、迷宮を創る必要があったんだ?』

 

『記録では、地下に実験施設を創ろうとしたところから始まったみたいですね。リプリィール山脈までの地下道は、鉱石を求めたためだそうです。あの山脈は竜族の縄張りですので、地上から行くことは困難です。地下道であれば、そのまま鉱脈まで辿り着きますからね』

 

『以前、御師範さまと一緒に、実験施設を発見したんだよぉ~ 御師範さまは夢中になって、何日も閉じこもってたんだよぉ~』

 

アビルースは頭を掻いて笑った。

 

『いや、お恥ずかしい。カッサレ家の血脈も、私が最後になりました。先祖の記録を発見して、我を忘れてしまいましたよ・・・』

 

凶暴な魔獣を倒すうちに、セリカは徐々に、身体の動きを取り戻していった。当初は普通の人間並みの力であったが、やがてそれは人を遥かに超える程になっていった。地下迷宮の奥にいた睡魔族と戦ったときなど、目にも留まらぬ速度で斬り掛り、一瞬で倒してしまった。アビルースはその様子を複雑な表情で見ていた。

 

(やはり「神殺し」ですか・・・彼が力を貸してくれれば、或いは・・・)

 

アビルースの中にある思いが過ぎった。首を振って、溜息をつく。複雑な思いを抱えながらも、セリカの回復は順調に進んだ。ある日、リプリィール山脈への道を探索中に、洞窟内が揺れた。

 

『何だ?地震か?』

 

『いえ、強い魔力を二つ感じます。こっちです!』

 

アビルースは洞窟の奥へと進んだ。脇道から山脈の中腹部に出る。三人の目の前に、強い光が弾けた。

 

≪フハハハッ!良いぞ、名も無き「空の勇士」よ!強き力との熱き戦いこそ、我の欲するところよ!≫

 

『貴様の趣味に付き合うつもりは無い!邪悪な魔神め、成敗してくれるっ!』

 

巨大な力同士が激突する。互いの剣が激しく火花を散らす。セリカたちは、その戦いに思わず見惚れてしまった。セリカの後ろでアビルースが語る。

 

『あれは、リプリィール山脈に棲む竜族の巫女ですね。あの青髪の魔神は、最近、この地に来たようです。リプリィール山脈の覇権を巡って、争っているのでしょう』

 

セリカは頭痛を感じて蹌踉めいた。アビルースが後ろから支える。

 

『どうしました?セリカさん』

 

『あの魔神・・・俺は、あの魔神を知っている。だが何処で・・・』

 

・・・我が名は「ハイシェラ」、地の魔神ハイシェラじゃ・・・

 

記憶が断片的に蘇る。だが何処かまでは思い出せない。蘇ってくるのは、魔神と戦った恐怖と、赤い髪の女性「サティア」を護るという想い、そして薄褐色の肌をした神官と思われる女性だった。

 

『姉さん・・・』

 

『セリカさん!しっかりして下さい!』

 

その時、戦いが止まった。二人が見下ろしている。アビルースは慌てた。あの二人に襲いかかられたらひとたまりもない。空の勇士が驚いた表情で呟いた。

 

『あれは・・・まさか、そんなことが・・・』

 

地の魔神は笑みを浮かべた。

 

«ほぉ、興味深いのう。あの時の女子(おなご)か・・・じゃが、気配が違うの。あの気配・・・これは面白い事になりそうだの!»

 

ハイシェラは三人に襲い掛かろうとした。だが空の勇士がそれを止める。

 

«我の邪魔をするか、空の勇士よ!»

 

『貴様の考えは読めている。「アレ」の力を取り込もうというのであろう!』

 

ハイシェラが止まった一瞬のうちに、アビルースはセリカの肩を掴んで洞窟へと退った。三人の気配が消え、ハイシェラは舌打ちをした。

 

«まぁ、良いだの。我の読み通りであれば、いずれ機会も巡って来よう・・・空の勇士よ!決着はいずれだの!»

 

ハイシェラは西方へと飛び去った。空の勇士は追いかけようか迷ったが、まず自分の目で見たものを竜族の長老たちに伝える必要があった。三人が退いた洞窟に目をやり、呟く。

 

『雲居から聴きし「災厄の種」・・・アレがそうか・・・ならば急がなくては』

 

リプリィール山脈の奥地を目指し、飛び去った。

 

 

 

 

 

フノーロの街に戻ったセリカは、部屋の寝台に横たわった。頭痛も徐々に退いてきている。ペルルは濡らした布で、セリカの顔を拭いている。寝台の横に座ったアビルースが、セリカに語りかけた。

 

『気分はどうですか?セリカさん』

 

『あぁ、大分良くなった・・・』

 

アビルースは頷いて、寝台の横に置かれた水差しを取った。杯に入れ、一口飲む。意を決したように、セリカに切り出した。

 

『セリカさん、単刀直入にお聞きします。セリカさんの身体は、元々は別の人のモノですね?』

 

セリカは目だけを横に向けた。アビルースは少し目を細め、セリカに語り続けた。

 

『「神殺し」と呼ばれる存在があります。これまでは、理屈上でしかないとされていました。人間の力で、神族を殺し、その肉体を奪うことは不可能です。ですが、セリカさんはその「神殺し」なのではありませんか?数ヶ月前に西方で巨大な火柱が立ち昇りました。あれは、セリカさんと、その「神」との戦いだったのではありませんか?そしてセリカさんは神・・・恐らく女神でしょうが、それを殺し、肉体を手に入れた・・・』

 

『アストライアだ・・・』

 

セリカは目を閉じ、観念したように呟いた。

 

『俺が殺したのは、この手に掛けたのは、古の女神アストライアだ』

 

アビルースは頷くと立ち上がって、自分の部屋へと向かった。しばらくして、一冊の本を持ってきた。

 

『この本は、古神について書かれたものです。西方では禁書ですが、我が家に残されていました。「女神アストライア」・・・古の神の中でも上位に属する女神であり、正義を司る。罪を天秤に掛け、罪人を裁く・・・とありますね。セリカさんが手に掛けたのは、この神ですね?』

 

アビルースがセリカに本を見せる。左手に天秤、右手に剣を持つ女神の姿が描かれていた。セリカは頷いた。

 

『俺は、バリハルト神殿の騎士だった。騎士として働いていたある日、一人の女性に出会った。サティアという女性だ。俺は彼女と愛し合った。本気だった。共に生きようと誓い合った。だが、彼女は古神だった。バリハルト神殿は古神の存在を許さない。俺は彼女と逃げ、そして・・・』

 

記憶が再び混乱する。断片的な映像が頭を過ぎる。辛そうにするセリカに、アビルースが声を掛けた。

 

『無理に思い出さないほうが良いでしょう。恐らく、貴方の魂と神の肉体とが融合しきれていないのです。その為、魂が生み出す魔力が、肉体を維持できないでいる。その肉体は、元々は女性でしたからね。女性の身体に戻ろうとするのでしょう』

 

『この身体は、サティアのモノだ。彼女は、俺を生かすために、肉体を俺に与えた。サティアの魂は、今もどこかにいる。俺はそれを見つけて、彼女に身体を返さなければならない』

 

『・・・それはつまり、貴方が死ぬことを意味しますよ?状況は解りませんが、サティアさんは、死に直面した貴方を救うために、自らを犠牲にしたのではありませんか?何故なら、彼女もまた、貴方を心から愛していたから・・・ならば、貴方が死ぬことは、彼女の想いを無にするということではありませんか?』

 

『俺は、彼女に会いたいんだっ!』

 

セリカは叫んだ。それは心底から湧き上がる想いであった。

 

『もう一度、彼女の声を聞きたい。もう一度、彼女を抱きしめたい、それが出来るのであれば、何を犠牲にしても構わない!』

 

アビルースは瞑目して溜息をついた。アビルースの中には、一つの予想が出来ていた。女神アストライアの魂は、もうこの世には留まっていないだろう。肉体と魂は不可分の存在だ。別の依代があるならともかく、浮遊しているだけの魂は、やがて元に戻ろうとする。セリカがこの数ヶ月間、神殺しとして存在出来たのは、戻ろうとする魂が無いからだ。つまり、女神アストライアは死んだ。だが、それを告げるのは余りにも酷である。アビルースは、横たわるセリカの肩に手を置いた。

 

『辛いことを思い出させてしまい、申し訳ありません。まずは休んで下さい』

 

ペルルに介抱を指示して、アビルースは自室へと戻った。

 

 

 

 

 

ディアン・ケヒトが率いるスティンルーラ人の精兵たちは、ブレニア内海沿岸の漁村を開放した後、西へ西へと進み、マクルを占拠した・・・とはならなかった。ブレニア内海に突如として出現した嵐が原因である。内海に吹き荒れる嵐は、沿岸部のみならずアヴァタール地方の気候に著しい変化を与えていた。漁民のみならず、農民や塩業者を直撃し、経済的被害は無視できないものであった。ルプートア山脈があるものの、その変化はターペ=エトフまで及んでいた。スティンルーラ人は西進を諦め、人々の生活の安定に奔走せざるを得なかったのである。新年早々、ディアンは元老院に呼ばれた。

 

『ディアン殿・・・貴方の魔力で、内海の嵐を消し去ることは出来ないだろうか?』

 

『やれないことは無いでしょうが、危険もあります。天候を変える魔術は、調整を誤れば大きな災厄を呼びます。あの嵐は恐らく、バリハルト神に生贄を捧げて生み出したのでしょうが、何人の生贄を捧げたのか、どのような術式なのかを知る必要があります。下手に巨大魔術で吹き飛ばそうとしたら、逆に嵐を強めかねません』

 

元老院に溜息が流れた。ディアンは自分の予測を語った。

 

『通常、雨乞いなどで贄を捧げた場合、三日から一週間程度の雨を呼びます。神殿の神官たちが身を捧げたのであれば、半年から一年は続く可能性があります。ですが、いずれ必ず止みます。この一年間は、我慢をするしか無いかもしれません』

 

インドリトは頷き、元老達に確認をした。

 

『各集落、各種族の様子はどうですか?』

 

『不安定な天気に心配している、という点を除けば、落ち着いています。幸いと言いますか、収穫を終えた後だったため、農作物などへの被害は大きくありません。ただこの寒さで、家畜が風邪をひくのでは無いかと心配です』

 

『イルビット族の中に、畜産について研究をしている者がいます。家畜の病について、何か対策があるはずです。すぐに調べましょう』

 

活発な情報交換が成され、提案が可決していく。確かにターペ=エトフ建国以来の異常気象だが、二百年以上に渡って蓄えた国力は、この程度ではビクともしない。各集落の蔵には、物資食料が消費しきれない程に蓄えられている。むしろ心配なのは、レウィニア神権国をはじめとするアヴァタール地方の国々である。食糧不足で飢餓が起きる可能性もあった。

 

『カテリーナ・パラベルム殿からの報告では、スティンルーラ族よりもレウィニア神権国の方が深刻なようです。リタ・ラギール殿からも、ターペ=エトフ産の小麦や肉を大量購入したいと要望が来ています。タダで渡すという訳にはいきませんが、他者の苦境に付け入るような恥知らずなこともしたくありません。今回限りは、値を釣り上げないよう、価格を統制したいと思いますが、如何でしょう?』

 

インドリトの提案に、元老たちも頷いた。

 

 

 

 

 

数日間、セリカは寝ていた。その間、アビルースは毎日二刻程度、セリカと語り合った。神の肉体とは何か、セリカは良く知らなかったのである。アビルースは自分の知る範囲で、神族について説明をした。だが、セリカの記憶障害については、アビルースも仮説を立てる程度しか出来なかった。

 

『神族には「神核」と呼ばれるものがあります。セリカさんの記憶障害については、二つの可能性が考えられます。一つは神核が傷ついている可能性、もう一つは神核と魂が融合していない可能性。これまで普通に動くことが出来たことから、原因は恐らく、後者でしょう。ですが、何故、融合しないのかについては、私も理解りません。いずれにしても、セリカさんは神族の肉体を持つことで、神と同等の力を得ました。不老にして限りなく不死、そして神格者を持つことも出来ます』

 

『この身体は借り物だ。俺のものではない』

 

『そうでしたね。ですが聞いて下さい。セリカさん、大切なことは「何をしたか」ではなく、「何をするか」です。セリカさんが「不本意」に、神殺しとなったことは事実でしょう。ですが、現実は否定できません。マクルに戻ったとして、そこにサティアさんはいるのですか?魂は見つかるのですか?貴方の目的のために、何をすべきかを考えたほうが良いと思いますが?』

 

『だが、マクルには姉さんがいる。バリハルト神殿には「遠見の鏡」もある。それを使えば、サティアの魂を探せるかもしれない。アビルース、もうこの話は終わりにしてくれ・・・』

 

『・・・解りました。つい、無理押しをしてしまいました。申し訳ありません』

 

アビルースは謝罪して、部屋を去った。セリカは瞑目して考えた。身体はもう、動ける状態になっている。自分に何が起きたのかも、何となく理解した。アビルースやペルルには世話になったし、それに対しては感謝もしている。だが、自分は何時までも此処にいるわけにはいかない。そろそろ、マクルを目指すべきだろう。

 

『・・・今夜、発とう。出来るだけ目立たないように・・・』

 

その夜半、アビルースたちが寝静まった頃に、セリカは静かに家を出た。フノーロの地下街も静まり返っている。洞窟を下り、北西のリプリィール山脈を目指す。一度だけ振り返って、呟いた。

 

『有り難う。そして、さようなら・・・』

 

セリカは力強く、歩き始めた。

 

 

 

 

 

蝋燭が揺らめく部屋で、卓を囲んで男たちが話し合いをしている。各々が白い頭巾を被り、その顔は不明だ。扉の近くが歪み、やがて銀色の仮面を付けた男が現れた。片膝をついて、報告をする。

 

『報告します。女神が動き始めました。ただ独りです。好機かと・・・』

 

一番奥に座っていた男が頷き、くぐもった声を発した。

 

『リプリィール山脈で手に入れろ。必要なのは、女神の肉体だ。魂の方は必要ない。解るな?』

 

『腐獣を使います。お任せを・・・』

 

銀仮面は姿を消した。

 

 

 

 

 




【次話予告】
動き始めた「神殺し」を付け狙う者たち。紅き月神殿において、かつて殺されかけた青髪の魔神と対面する。その危機を乗り越えても、苦境はまだ続く。リプリィール山脈で「得体の知れないモノ」の対面をすることになるのであった・・・


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第七十三話「苦境」

Sors immanis
et inanis,
rota tu volubilis,
status malus,
vana salus
semper dissolubilis,
obumbrata
et velata
michi quoque niteris;
nunc per ludum
dorsum nudum
fero tui sceleris.

恐ろしく
虚ろな運命よ
運命の車を廻らし
悪意のもとに
すこやかなるものを病まし
意のままに衰えさせる
影をまとい
ヴェールに隠れ
私を悩まさずにはおかない
では、なす術もなく
汝の非道に
私の裸の背をさらすとしよう・・・


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第七十三話:苦境

紅き月神「ベルーラ」は、光側にも闇側にも与しない「中立神」とされている。ディル=リフィーナには四つの月が存在しており、それぞれの光には効果がある。リューシオンが司る「蒼き月」には、浄化効果があり、死霊や不死体の活動を鈍らせる作用がある。ナフカスが司る「鏡の月」には、集中力を高める効果があり、この月明かりの中で勉学をすると効率が上がると言われている。アルタヌーが司る「闇の月」は、ラウルヴァーシュ大陸では観測が出来ないが、リューシオンとは対象的に「死霊、不死体の活性化」という作用がある。そしてベルーラが司る「紅い月」は、性欲を高める作用があり、子作りや性魔術の効果を高める。

 

ベルーラは「獣人族を生み出した」とされ、ネイ=ステリナ時代から、獣人族に信仰されていた。ディル=リフィーナ成立以降、ベルーラ神殿は亜人族が多い「ディジェネール地方の大森林地帯」に存在していた。しかし、七魔神戦争によって巨大内海「ブレニア内海」が形成され、またその後の民族移動などにより、ベルーラ神殿を取り囲んでいた森林は伐採され、現在ではリプリィール山脈麓の荒野の中に、佇んでいる。周囲に魔獣などが増えたたこと、またアヴァタール地方の入り口であるバリアレス都市国家連合が、ディジェネール地方やニース地方を「腐海の地」として、封鎖をしていたことから、参拝者もいなくなり、半ば瓦礫となっていた。

 

この状況を一変させたのが、エディカーヌ王国である。エディカーヌ王国は、首都スケーマ(旧名:フノーロ)を中心としてディジェネール地方からニース地方まで道路を整備し、残された大森林地帯に住む獣人族に、紅き月神殿までの参拝路を提供した。また、首都スケーマにも、規模は小さいものの、ベルーラ神殿の「分社」を建てたため、フノーロ時代からの獣人族たちは喜んだと言われている。エディカーヌ王国は「闇夜の眷属の国」と一般的には言われているが、それは人口の大多数が闇夜の眷属であったからであり、国家として信仰を束縛したわけではない。エディカーヌ王国は、光と闇の対立という従来の現神信仰と全く異なる「宗教体系」を持っていたが、それはまた後の話である。

 

紅き月神殿の特徴として、神殿奥の区域にある「ある一体の女神像」が挙げられる。女神像自体は、他の神殿でも見受けられ、紅き月神殿にも複数体が置かれている。だが、神殿中央に座している「その女神像」だけは、胸を大きく開けさせ、今にも動き出しそうな程に精巧に作られている。そして最大の特徴は、その像の顔が一般的に言われているベルーラや、神殿内の他の女神像と、全く異なることである。中央部に存在する女神像である以上、現神ベルーラ自身あるいは近い眷属であるべきだが、後世の歴史家たちが調べた限り、どの女神にも属していない。紅き月神殿に置かれた「謎の女神像」については、様々な説が挙げられているが、どれも仮説の域を出ていない。

 

 

 

 

 

フノーロの地下街から、北東部に向けて洞穴を進む。最奥から地上へと出る。日が昇っていたため、セリカは眩しさに目を細めた。リプリィール山脈の麓は、瓦礫が転がる荒野である。目には見えないが、魔獣の気配が複数ある。だがセリカは、魔獣とは異なる「強い気配」を感じていた。禍々しさを持つその気配は、まるで自分を呼び寄せているかのようである。セリカは気配の方に向けて歩き始めた。やがて目の前に、紅い石で建てられた神殿が出現した。

 

『これが「紅き月神殿」か・・・』

 

気配は神殿の奥から漂って来た。セリカは意を決して、神殿へと踏み入った。紅き月神殿はその内部も紅く、手入れをすれば美しい神殿になるだろう。だが現在は、瓦礫に埋もれかかった「遺跡」になりつつある。時折、魔獣が襲ってくるが、セリカは簡単に退け、奥へと進んだ。やがて大きな扉の前に立つ。扉の向こう側から、禍々しい気配を感じる。この時点で、セリカは気配の正体に気づいていた。だが逃げるつもりはなかった。思い出せないが、記憶の中に「あの魔神」の存在を感じていた。両手で扉を開くと、魔の気配が奔流となってセリカを襲った。

 

≪思ったより早く来たの・・・待っておったぞ≫

 

美しい肢体をした青髪の魔神が、中央に立っていた。セリカは数歩離れたところに立つ。

 

≪「神殺し」となり、我の姿を忘れたか?我は覚えておるぞ、セリカよ・・・≫

 

記憶が断片的に蘇る。セリカは魔神の名を口にした。

 

『ハイシェラ・・・お前は、地の魔神ハイシェラだな?』

 

≪思い出したようだの。我は汝を見ていた。古の女神を手に掛け、その肉体を奪いながら、それを制御できずに藻掻いている・・・汝には、その肉体は過ぎたものじゃ。故に、我が使こうてやろうと思っての≫

 

『この身体はサティアのものだ。お前に渡すわけにはいかない!』

 

ハイシェラが笑みを浮かべ、剣を抜いた。セリカも構える。

 

≪なれば無理やりにでも奪うだけだの。さて、かつての戦いは遊びであったが、今回は本気でゆくぞ!≫

 

人越の速度でハイシェラが斬りかかる。普通の人間なら、何をされたかも解らずに真っ二つになっていただろう。だがセリカは剣を振ってそれを止めた。そればかりか弾き返す。逆にセリカが斬り掛かる。先程のハイシェラを上回る速度だ。

 

≪クッ!やるの!≫

 

剣で防ぎながらも、ハイシェラは徐々に圧された。魔神ハイシェラは最上級の魔神であるが、それゆえに「剣術」を学ぶ必要がなかった。圧倒的な膂力と速度、そしてその場の判断で戦ってきた。数多の闘いの中で、技を身につけたのである。一方のセリカは、バリハルト神殿で剣術を学び、極めていた。セリカから言わせれば、ハイシェラには「無駄な動き」が多いのである。ハイシェラは魔術と体術を駆使して、セリカに反撃を仕掛ける。腹部に蹴りを受ける。普通の人間ならそれだけで死んでいるだろう。だがセリカは後方に飛ぶことで、破壊力を削いだ。神の肉体と人間の知恵の組み合わせは、ハイシェラの想像を超えるほどの力を発揮したのである。やがてセリカは決定的な隙を突いた。蹴りを躱され、態勢が崩れた一瞬で、ハイシェラの首を一閃した。驚いた表情を浮かべた美しい顔が宙を飛ぶ。

 

『か、勝った・・・』

 

セリカは肩で息をしながら、勝利に拳を握った。だがその実感はすぐに消えた。ハイシェラの身体が塵のように消えたかと思うと、別の方角から手を叩く音が聞こえた。同時に、先ほどを上回る気配が襲ってくる。

 

≪見事だの。さすがは「神殺し」よ。我の分身を倒すとは・・・≫

 

愕然とした表情に、魔神ハイシェラは満足したように笑みを浮かべた。

 

≪何を驚いておる。我は三神戦争を生き抜き、今日まで戦い続けている「地の魔神」ぞ。如何に古神の肉体を持つとはいえ、力を十全に発揮できぬ汝如きに、遅れを取るはずが無かろう?≫

 

『俺は「傀儡」と戦っていたのか・・・』

 

ハイシェラはセリカの前に立つと、脚を上げてセリカの肩を突いた。精気を失いかけているセリカは、簡単に後ろに転がった。だがそれでも、セリカは戦いを諦めなかった。剣を握り、振り上げようとする。その様子に、ハイシェラは満足したようであった。

 

≪そうじゃ、足掻け。ヒトの分際で神を殺し、その肉体を奪った者に相応しい生き方だの。失われていく記憶、ままならぬ肉体・・・汝の未来は、永遠に続く煉獄ぞ。だがそれでも、生きようと足掻くのじゃ≫

 

剣を蹴り飛ばしたハイシェラは、いきなり服を脱ぎ始めた。セリカは魔神が何を考えているのか、理解できなかった。だが目の前の美しい裸体に、目を奪われた。ハイシェラがセリカの上に跨る。

 

≪我の分身に勝った褒美として、機会をくれてやろう。汝のモノで、我を満足させてみせよ。性魔術を使って我に勝てれば、汝の精気も回復するであろう。じゃが、我も汝を征服せんとする・・・負ければ、汝の肉体は我のモノじゃ≫

 

服を剥ぎ取られたセリカは、凄まじい快感に襲われた。美しい魔神が目の前で上下する。快感の津波に呑まれかけ、セリカは唇を噛んだ。痛みで気を取り戻す。性魔術を発動して、魔神を征服しようと闘う。

 

≪そうじゃ・・・その調子で、我を征服してみせよ!≫

 

挑発をしながらも、魔神は喜悦に背を反らせた。

 

 

 

 

 

セリカとハイシェラの戦いが始まる少し前、目を覚ましたペルルは、セリカが居ないことに気づき、慌てて師の部屋に駆け込んだ。

 

『御師範さまっ!セリカが・・・セリカが居なくなっちゃいましたっ!』

 

アビルースは僅かに眉間を険しくし、立ち上がった。ペルルに旅支度をするように指示を出す。幾ばくかの貴金属も用意する。旅先で必要になるという判断であった。革袋を背負い、魔術杖を持って家を出る。ペルルも支度を終えていた。家を出る前に、結界を貼る。この家に戻る時は、三人で戻ってくることを祈っていた。

 

『ペルル、行きましょう』

 

『ハイッ~~』

 

先頭に立って、洞穴に入る。ペルルに聞こえないように、小さく呟いた。

 

『そんなに、私たちが信用出来ないのですか?セリカさん・・・』

 

アビルースの顔には、影が差していた。

 

 

 

 

 

美しき魔神が胸板の上で肩を上下させている。セリカは辛うじて、魔神ハイシェラとの交合に打ち勝った。性魔術を駆使していたため、身体にはこれまでにないほどに精気が満ちている。ハイシェラは満足げな表情で顔を上げ、セリカを見つめた。

 

«やりおるの。我をここまで満たしたのは、汝が二人目だの。久々に「気」をやったぞ・・・»

 

ハイシェラは起き上がると、衣服を纏った。セリカも服を着る。

 

«まぁ、殆ど引き分けじゃが、汝の勝ちとしておいてやるかの・・・身体に精気も満ちたであろう?煉獄の道を再び歩み始めるが良い・・・»

 

『何故、俺を見逃す?戦えばこの身体を奪えるはずだ』

 

«そうだの・・・我としては、もう少し見ていたい気分なのじゃ。一匹の虫ケラが、藻掻き苦しみながら、それでも生きようと歩む姿をな・・・じゃが、もしその歩みが止まったなら、その時こそ、その肉体を貰うとするかの»

 

『俺は生きる・・・サティアと、そう約束をしたんだ』

 

«ならば征くが良い。途は果てしなく続いておるぞ・・・»

 

セリカは頷き、ハイシェラに背を向けた。その後姿が消えた後、ハイシェラは別の方角に顔を向けた。

 

«そこの出歯亀よ!出て来るが良い!»

 

柱から、アビルース・カッサレが姿を現した。ハイシェラは笑みを浮かべた。だが、その眼は笑っていない。

 

«そこそこに魔力を持っておるようだの。我でさえ、途中まで気づかなんだぞ?汝の目的はなんじゃ?あの男の肉体か?»

 

『・・・覗き見をしたことは謝ります。私はただ、セリカさんが心配だっただけです』

 

«・・・「嘘」だの。汝の中に、微妙な揺れを感じるぞ。迷っておるのであろう?助けるか、それとも奪うか»

 

『・・・・・・』

 

アビルースは否定も肯定もしなかった。ハイシェラはフンッと鼻で嗤った。

 

«迷うくらいであれば、最初から助けなければ良いものを・・・まぁ、それがヒトというものか。セリカは去った。後を追うが良い。そして決めよ。己の運命を・・・»

 

アビルースは魔神に一礼し、その場を離れた。独り残ったハイシェラは低く笑った。交合したことで、神殺しセリカが、力を発揮できない理由が解ったからだ。セリカ・シルフィルは自分を受け入れていない。神殺しとなった自分を「一時的なこと」と、現実を認めていないのだ。魂が肉体を拒絶しているのである。それでは神の力は発揮できない。

 

«クックックッ・・・面白いことになりそうだの。我も追ってみるか»

 

 

 

 

 

紅き月神殿を出たセリカは、リプリィール山脈に入った。岩だらけの斜面を昇り、山の奥へと入っていく。途中で土精霊の魔獣「アースマン」などに襲われるが、精気を充填したセリカには、敵では無かった。山の中腹から内海を見る。いつの間にか、嵐は止んでいた。空は晴れ渡っている。

 

『これなら、船を使ったほうが良かったな・・・』

 

女神の顔に苦笑いが浮かぶ。更に山を登り、山頂付近に差し掛かる。いきなり上空から攻撃を受けた。飛竜である。襲いかかる炎息を躱し、剣を抜く。だが次々と竜が舞い降りてきた。闘いを覚悟したその時、背に翼を生やした美しい女が舞い降りてきた。竜族の巫女「空の勇士」であった。だがその表情は険しい。闘気と殺気が漂っている。空の勇士はセリカの前に降り立つと、見下ろしながらセリカに告げた。

 

『来たな。「災厄の種」よ。この山は我ら竜族の縄張りだ。早々に立ち去るが良い!』

 

『俺の名はセリカ・シルフィル、レウィニア神権国に行きたいだけだ。竜族の縄張りを荒らすつもりはない』

 

『シルフィル?「風の息子」か・・・何故、バリハルトに通じる名を持っている!』

 

『俺はバリハルト神殿の騎士だ。神格者だった。俺に何が起きたのか、この身体の持ち主だったサティアはどこにいるのか、それを知るために、マクルに行きたいだけだ』

 

空の勇士は黙ってセリカを見下ろした。だが微妙に戸惑いの表情が浮いている。想像していたような邪悪さがまるで無いからである。

 

『・・・貴様、本当に「災厄の種」なのか?』

 

『なんだ、それは?』

 

『竜族の巫女は、雲居より預言を受ける。「地に下りて災厄を齎す種が誕生した」との預言があった。古神を殺し、その肉体を奪い、全ての者に仇為す存在・・・貴様のことだ!セリカ・シルフィル!』

 

『知らない!俺はただ、サティアの魂を探しているだけだ!』

 

『黙れっ!やはり殺しておこう。貴様はいずれ、我らに災いを齎す!』

 

空の勇士は剣を抜いて、セリカに襲いかかった。セリカも止む無く、応戦をする。人為らざる闘いが起きる。数合を交え、距離を取った時に、セリカの後方から声が聞こえた。

 

『セリカさん!無事ですか!』

 

アビルースとペルルであった。

 

 

 

 

 

二人の乱入によって、闘いが止まった。空の勇士を残し、竜族たちもその場を離れる。セリカに抱きついて泣いているペルルの横で、アビルースは空の勇士に語りかけた。

 

『空の勇士よ、私はアビルースと申します。セリカさんと共に、フノーロで数ヶ月を暮らしました。彼は邪悪な存在ではありません。どうか、山を超えることをお許し下さい』

 

『・・・アビルースとやら。貴様はこの男がどのような存在か、知っているのか?この男は・・・』

 

『「神殺し」、もちろん知っています。ですが、確かに神族の肉体を持っていますが、魂は人間なのです。彼がこれからどの様に生きるのか、何を為すのか・・・現時点で「災厄の源」と断じるのは早計ではありませんか?』

 

『雲居の預言を疑うというのか?』

 

『そうではありません。ただ、預言とは「数ある可能性の中の一つ」と申し上げたいだけです。今のセリカさんは、思い通りに身体を動かすことも出来ず、記憶も徐々に失われいてる状態です。下手をしたら、身体から魂が抜け出てしまうかも知れません。そのような状態で、預言の男と決めつけるのは、如何かと思うのです。もう少し、見守っては頂けませんか?』

 

『・・・・・・』

 

空の勇士は腕を組んで考えた。ここで三人を殺そうとすれば、激しい戦いになる。神殺し一人でも手こずるのだ。目の前の男も、かなりの魔力を持っている。負けることは無いが、自分も無傷では済まないだろう。何より、気配を巧妙に隠している「異質の存在」を感じていた。空の勇士は頷いた。

 

『良かろう。ここは貴様の巧言に乗り、この山を超えることを認めよう。だが、もしその男が災いを為す存在となれば、貴様もろとも殺すぞ!』

 

アビルースは一礼した。セリカと合流し、急いでその場を離れようとする。だがその前に、セリカたちの目の前が歪んだ。闇の空間が広がり、異形の魔物が出現する。

 

お、おぉぉ怨、怨、怨ぉ・・・ぉおおお、お・・・・・・

 

その姿を見た時、セリカは何かを思い出しそうになった。激しく頭が痛みだす。目の前に出現した「得体の知れないモノ」は、不気味な声を響かせながら、セリカに襲い掛かろうとした。それを空の勇士が止める。セリカに向けて伸ばす触手を切り飛ばす。だが、その一本がすり抜け、アビルースに絡みついた。凄まじい邪悪な劣情がアビルースを襲う。

 

『ぐうぅぅぅっ!』

 

『お、御師範さまっ!』

 

セリカは左手で頭を抱えながらも、剣を振って触手を斬った。アビルースがその場で崩れる。空の勇士はセリカたちを庇うように立ち、ペルルに向けて叫ぶ。

 

『逃げよっ!此奴の目的は、神殺しの肉体だ!急いで山を抜けよ!』

 

ペルルは頷いて、セリカとアビルースを抱えようとした。セリカはまだ何とか歩けるが、アビルースは完全に意識を失っている。ペルルはアビルースを担ぐと、セリカを先導してその場を離れ始めた。だが女一人の力では、急いで離れるのは難しい。時間稼ぎのために、空の勇士は得体のしれないモノと闘わざるを得なかった。無数の触手を切り飛ばすが、凄まじい速度で回復をしてく。遂には、空の勇士の左腕に触手が巻きついた。続いて右足にも巻きつく。竜族を上回る力で持ち上げられる。手足の自由を奪われた空の勇士は、セリカたちの気配が消えたことを確認し、安心した。

 

『あぁぁっ!』

 

触手が下半身を犯してくる。気持ち悪さに耐え、何とか抜け出そうとする。だが邪念や憎悪が電流のように襲ってくる。空の勇士は覚悟した。このまま狂うまで嬲られるのであれば、ここで自害をしたほうがマシだった。覚悟を決めた時、目の前に青髪の魔神が下りてきた。

 

«おやおや、これは珍しい光景だの。これを「眼福」と言うのかの・・・»

 

魔神ハイシェラは、嗤いながら、嬲られる空の勇士を見る。その姿に、空の勇士は救われた思いであった。普段であれば、絶対に口にしないが、この場合は仕方がなかった。

 

『ハ、ハイシェラ・・・頼むっ・・・』

 

«何じゃ?我に助けを求めるか?そのままにしておれば、やがて永遠の快楽に浸れるぞ?»

 

『ち、違う!私を・・・封じてくれ!コイツごと・・・』

 

ハイシェラは眼を細めた。こうした「自己犠牲」の精神が嫌いであった。生きとし生けるものは、自己のために生きるべきである。他者に尽くして、何が面白いのか・・・だが同時に、こうした精神を馬鹿にするつもりも無かった。自分には理解できないが、そうした精神が、驚くほどの力を発揮させるのを見てきた。ハイシェラは頷いた。

 

«良かろう。汝の決死の懇願、聞き届けてやるだの。眠るが良い、空の勇士よ!汚れし化物と共にっ!»

 

魔神ハイシェラの封印により、空の勇士は得体の知れないモノと共に、石へと変じた。周囲が静かになり、風の音だけが聞こえる。ハイシェラは数瞬、瞑目をした後に左方の岩に純粋魔術を放った。岩が砕ける。そこに銀色の仮面を付けた男が現れた。敵に対してですら、時として笑みを見せるハイシェラが、あからさまに嫌悪の表情を浮かべた。

 

«あの得体の知れないモノを使役していたのは汝か・・・影でコソコソと蠢きおって、虫唾が走るの!»

 

銀仮面は慌てた様子もなく、恭しく一礼をした。

 

『ご無礼をいたしました・・・私は「ネオ」と申します。貴女様と争うつもりはありません。地の魔神ハイシェラ様・・・いえ、「機工女神エリュア」様・・・』

 

ハイシェラは怒りの表情で、再び純粋魔術を放つ。だが銀仮面に命中すること無く、素通りをしてしまう。

 

«幻影か・・・貴様らだな?歴史の闇で悪戯を続ける「ウジ虫」たちは!我が名はハイシェラ・・・エリュアなど知らぬわ!»

 

『理解りました・・・私共は貴女様とは争いたくありません。その証として、一つお教えします。女神アリスは眠りから覚め、遺産を開放しました。その遺産は持ち運ばれ、現在はケレース地方の国「ターペ=エトフ」の地下に在ります』

 

«知らぬと言うておろうがっ!»

 

怒りによって、魔力が爆風のように四方に飛ぶ。銀仮面の男「ネオ」は、笑みを浮かべながら消えた。

 

・・・女神よ・・・またいずれ・・・

 

銀仮面の男が消えた後も、ハイシェラは暫く、そこに佇んでいた。唾を吐き、北を目指して飛び立った。

 

 

 

 

 

下山途中で頭痛が消えたセリカは、ペルルに代わってアビルースを背負い、リプリィール山脈を下りた。山の麓にある村に入る。村人は山から降りてきた三人に驚いた様子を見せたが、アビルースの様子を見て、宿を貸してくれた。魔族であるペルルに対しての警戒も感じたが、ペルル自身は気にしていない様子であった。一日後、アビルースが目を覚ました。

 

『どうやら、生き延びたようですね。死を覚悟したのですが・・・』

 

『済まない。俺のせいだ』

 

『済んでしまったことは仕方がありません。此処は、レウィニア神権国のようですね。マクルまで、あと少しです』

 

アビルースとペルルに詫たが、セリカの中ではまだ、二人と行動を共にすることに抵抗があった。これは自分の問題だからである。これ以上は巻き込むべきでは無い。だが、その懸念をアビルースは一笑した。

 

『セリカさん、私たちはもう、巻き込まれています。ここまで来た以上、今更、フノーロに戻るつもりはありません。マクルまで一緒に行きますよ』

 

『そうだよぉ~ だいたい、私が居なかったら、セリカはどうやって精気を回復させるの?』

 

自分に抱きつき、無邪気に笑うペルルの頭を撫で、セリカは頷いた。

 

 

 

 

 

内海の嵐が消えたため、ディアンは再び、クライナの集落に来ていた。今回は使徒たちも連れている。バリハルト神殿まで一気に制圧しようとするならば、激しい戦いになると予想したからだ。クライナの仮住まいで準備をしていたところに、エカティカが訪れてきた。

 

『ディアン、マクルの様子が解ったよ・・・』

 

『新しい情報があるのか?』

 

『どうやら、ゴロツキたちまで掻き集めているみたいだよ。マクルはもう、山賊の住処みたいな状態になっているそうだよ』

 

エカティカが苦々しい表情で話す。ディアンは頷いた。予想通り、バリハルト神殿は自らの意思で、狂気へと奔った。信仰心を暴走させ、狂信者の集団と化している。ならば方針は決まっている。使徒たちに顔を向け、凄惨な笑みを浮かべる。

 

『レイナ、ティナ・・・皆殺し(Massaker)だ。降伏すら認めるな。神官も騎士も・・・全員、殺せ』

 

数千人を皆殺しにしろという指示に、無表情で頷く二人に対して、エカティカは背筋を震わせた。

 

 

 

 

 

レウィニア神権国の小さな集落に滞在をしたセリカたちは、久々に安寧の時間を過ごした。ただ一つの変化は、アビルースが時折、考え事をしている様子なだけである。セリカやペルルが訪ねても、笑って首を振るだけであった。宿で食事をしながら、アビルースはレウィニア神権国について説明をした。

 

『レウィニア神権国は、アヴァタール地方随一ともいわれる大国です。およそ二百五十年前に建国されましたが、当時から豊かな土地だったそうです。レウィニア神権国の最大の特徴は、その統治者にあります。王国ではなく「神権国」・・・この名の通り、この国の統治者は王ではありません。いえ、王はいるようですが、その上に「絶対君主」として、神が存在しているのです。その名を「水の巫女」というそうです』

 

『神?古神なのか?』

 

『さぁ、私も人伝と書物の知識だけなので、詳しくは知らないのです。ですが、神である水の巫女が、この国を建国したので「神権国」というそうです』

 

『神が・・・治めているのか』

 

『興味深い国ではありますが、今はそれどころではありません。まずは当面の目標を果たしてしまいましょう。神について気にするのは、その後でも十分です』

 

翌朝、三人は出発をした。レウィニア神権国を斜めに北上し、スティンルーラ族の統治地帯を目指す。彼らは長年に渡って、バリハルト神殿と敵対をしている。そこで何らかの情報を得られるだろう。集落を出て川に架かる橋を渡ろうとした時に、セリカが立ち止まった。

 

『どうしたのぉ?セリカァ~』

 

ペルルが間延びした声を上げた時、それは起きた。川の水面に気配が集まり、水が立ち昇る。三人の目の前に、美しい神が出現した・・・

 

 

 

 




【次話予告】
アビルースの様子が可怪しい。考え事をしている時が多く、言葉も少ない。スティンルーラ族の支配域に入る直前、アビルースはセリカに問い掛けてきた。

『セリカさん、マクルに行ったあとは、どうするつもりですか?』

その瞳には、ある決意が浮かんでいた。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第七十四話「哀しき別れ」

Sors immanis
et inanis,
rota tu volubilis,
status malus,
vana salus
semper dissolubilis,
obumbrata
et velata
michi quoque niteris;
nunc per ludum
dorsum nudum
fero tui sceleris.

恐ろしく
虚ろな運命よ
運命の車を廻らし
悪意のもとに
すこやかなるものを病まし
意のままに衰えさせる
影をまとい
ヴェールに隠れ
私を悩まさずにはおかない
では、なす術もなく
汝の非道に
私の裸の背をさらすとしよう・・・


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第七十四話:哀しき別れ

神殺しセリカ・シルフィルの誕生以降、アヴァタール地方には幾つかの混乱が発生している。その一つは、ケレース地方の大国「ターペ=エトフ」の滅亡であることは間違いないが、それ以外にも「異界 神の墓場の出現」「遺絃渓谷の災害」「メルキア帝国内乱」などの歴史的事件が起きている。全てに神殺しが関与していると考える歴史家は少数だが、セリカ・シルフィルの登場以降、アヴァタール地方の歴史は「動乱期」を迎えたことは間違いない。

 

一方、アヴァタール地方南方のニース地方やディジェネール地方では、別の存在が語られている。「腐海の大魔術師」と呼ばれる存在である。この大魔術師については、奇妙な事実がある。バリアレス都市国家連合やディジェネール地方北部およびベルリア王国においては、腐海の大魔術師は危険視され、忌み嫌われる存在であった。一方で、アヴァタール地方南部からニース地方を統治する「エディカーヌ帝国」においては、大魔術師は「畏敬の存在」となっている。残されている記録でも、ディジェネール地方では「龍人族集落の焼き討ち」「悪魔族への生体実験」「魔神召喚」などの「悪行」が残されているが、エディカーヌ帝国ではそれとは真逆の記録が残っている。「絶滅寸前だったバンパイア族の保護」「先史文明遺跡の発掘調査」「流行病の特効薬開発」「外科医療技術の確立」など、数多くの「善行」が残されている。このため、歴史家の中には「腐海の大魔術師は二人存在した」という異説を唱える者さえいる。

 

いずれにしても、新七古神戦争以降、エディカーヌ帝国は安定して発展し、彼の地が「腐海」と呼ばれなくなると共に、「腐海の大魔術師」という言葉もまた、忘れられていったのである。

 

 

 

 

 

エカティカは悩んでいた。ディアン・ケヒトとその仲間たちは、マクルのバリハルト神殿を殺戮するつもりである。無論、自分も彼らを許すつもりはない。彼らがこの地に再侵略をしてきてから百年近く、スティンルーラ族はバリハルト神殿とセアール人たちに苦しまされてきた。暴力事件、暴行事件も三桁にのぼる。だが、怒りのまま殺戮をすれば、スティンルーラ族の誇りが傷つく。バリハルト神殿を追い出した後は、マクルの街はスティンルーラ族の庇護下に置かれる。もし殺戮という汚名が残れば、統治をすることが難しくなるだろう。悩んだエカティカは、族長のエルザ・テレパティスに相談をした。

 

『神官を「誅」することは、私が許可をしました』

 

驚くエカティカに、エルザが説明をする。

 

『ディアン殿たちは、降伏すら許さず、神官と騎士を殺戮するつもりです。ですが、それは彼ら三名だけのことです。スティンルーラ族に降伏をするものは、寛大に受け入れようと考えています』

 

百年近くの怨讐は、簡単には解消されない。ディアンらと共に殺戮を望む、血気盛んな者もいる。だが、スティンルーラ族としてそれをしてしまうと、怨恨の連鎖は永遠に消えない。その為、「三名の傭兵」が恨みを晴らす役を担うのである。マクル平定後、三人はいなくなる。族長として、三人を追放したと発表し、マクルの民衆を保護する。

 

『私も、セアール人に対しては怒りを持っています。ですが、私たちは憎しみを晴らすために剣を持つのではありません。この地に、スティンルーラ族もセアール人も安心して暮らせる「安寧の国家」を打ち立てるために、立ち上がるのです。エカティカ、あなたも憎しみではなく、未来の希望のために剣を握って下さい』

 

『ディアンは、あえて「悪役」を担うのか・・・理解りました。皆にも、無闇に剣を奮わないように徹底させます』

 

気持ちが晴れたと思ったところに、凶報が舞い込んできた。森で採集をしていたスティンルーラ族の女性数人が、バリハルト神殿に攫われたというのである。彼らは南の小山へと向かったらしい。エカティカは舌打ちをした。マクル侵攻の準備に追われている状況では、大規模な救出班は出せない。自分と数名で向かうしか無いと肚を括ったところに、ディアンが訪ねてきた。

 

『話は聞いた。オレたちに任せろ。攫った連中は恐らく、元野盗だろう。遅れるほどに、彼女たちの身体は汚れる。急いだほうが良い』

 

エカティカは頷いた。

 

 

 

 

 

周囲に神気が溢れる。水柱の中から、美しい女性が現れた。後光のような強い気配を放ちながら、三人を見下ろす。アビルースとペルルは思わず下がった。だがセリカは、むしろ一歩踏み出した。邪気が一切、無かったからである。

 

『・・・バリハルト神殿の神格者にして、古の神の肉体を得たセリカ・シルフィル、そしてそちらは、腐海の地に棲みし魔術師ですね?』

 

『この神気・・・貴女様はレウィニア神権国を治める「水の巫女」様でしょうか?』

 

アビルースの問いに、水の巫女は無表情のまま、頷いた。

 

『人は私を、そのように呼んでいますね』

 

セリカは水の巫女を観察した。美しい肢体には、微かに水流が流れている。強い神気だが、それが「強さ」に繋がるとは限らない。少なくとも、セリカが知る「強さ」とは異質のものを感じた。水の巫女は三人を一瞥すると、語り始めた。

 

『人は、生まれる場所や種族を選ぶことは出来ません。ですが、どの様に生きるかは、選ぶことが出来ます。自分が何を望み、何に命を使うのか・・・セリカ・シルフィル、貴方は何を望むのですか?』

 

『俺は・・・』

 

水の巫女の問いに、セリカは即答できなかった。自分が何者なのかも、理解していない状態である。だが、混乱する心のなかに、核のようなものはあった。セリカは、改めてそれを確認した。

 

『俺は、人々の安寧のために、この力を使いたい。そして、サティアを探し出し、この身体を返したい。サティアの魂は、今も何処かにあるはずなんだ』

 

水の巫女は黙ったまま頷いた。そしてアビルースに目を向ける。

 

『貴方はどうですか?』

 

『私は・・・』

 

『ボクの望みは、御師範さまのお役に立つことだよ!そして、御師範さまは魔術を極めることが望みだよ!魔術を極めて、街を荒らす悪い奴らを退治するんだ!ボクたちはずっと、そレを目指して修業を続けてきたんだ』

 

『・・・・・・』

 

アビルースは微笑んだままであった。水の巫女はアビルースには何も言わず、ただ頷いただけであった。

 

『古神と謂えども安寧を望む者がいる。闇夜の眷属と謂えども邪と戦う者がいる・・・大切なことは、各々が何を選択するかです。「運命」とは自らの力で手繰り寄せるもの。如何なる選択であろうと臆する必要はありません。各々が信じる途を進めば良いのです』

 

水の巫女の言葉に、セリカとアビルースはそれぞれに、考える表情を浮かべた。水の巫女は言葉を続けた。

 

『マクルなる地に、邪の気配を感じます。放っておけば、それはやがて大きくなり、災いとなるでしょう。神殺しセリカ・シルフィルよ。貴方はこれから、多くの者たちから狙われます。億の剣が、貴方に向けられるでしょう。ですが覚えておきなさい。人の内なる悪しき泉を浄化するは、己が意志のみなのです。貴方の中にある「その想い」を忘れないように・・・』

 

水の巫女は少しだけ、微笑んだような表情を浮かべた。神気と共に、水の中に消える。水面の側に、一枚の紙が落ちていた。国境を抜けるための「通行許可証」である。何時、水の巫女はそれを置いたのだろうか?三人は、どこか夢のような気分であったが、今はマクルを目指すことが先決である。三人はレウィニア神権国北西部へと向かった。

 

 

 

 

 

レウィニア神権国北西部には、小高い山がある。そこを抜けると、スティンルーラ族の縄張りに入ることになる。いわばこの山が「国境線」であった。通行許可証を示し、スティンルーラ族の縄張りへと入る。山を下りる途中で、悲鳴が聞こえた。セリカは咄嗟に抜剣し、走り出した。

 

『セリカさんっ!』

 

アビルースが追いかけるが、神殺しの速度にはとても及ばない。雑木林の中に入ると、厳つい体格をした男たちが、女性を輪姦していた。男たちがセリカを見る。

 

『おぉ?こりゃ、イイ女じゃねぇか。ちょうど良いぜ、オンナの数が足りなくて、困ってたんだ。お前に相手をしてもらうぜ』

 

卑下た笑みを浮かべて、男がセリカに手を伸ばす。その瞬間、セリカはその腕を斬り落とした。男の悲鳴が響く。

 

『・・・生憎だったな。俺は「男」だ。彼女を開放しろ』

 

『テメェ・・・俺たちはバリハルト神殿の兵士だぞ!こんなことをして、タダで済むと思っているのか!』

 

『いや待て!コイツ・・・見たことあるぞ。確か神殿が手配書を回していた、あのオンナだ!古神に連なるとかいう・・・』

 

男たちの顔つきが変わった。武器を抜き、セリカを取り囲む。ジリジリと迫ってくるが、セリカの表情に焦りは無い。一角を一瞬で斬り、瞬く間に他の兵士も斬りつける。数瞬で、男たちは息絶えた。

 

『大丈夫か?』

 

セリカが女に手を差し伸べるが、女は後ずさりをし、そのまま逃げてしまった。セリカは溜息をついた。自分としては、斬り殺すつもりはなかった。だが、この肉体は余りにも力が強すぎる。フノーロの街で魔獣退治をしていたためか、手加減の感覚が戻ってきていない。そこに、アビルースとペルルがやってきた。斬殺された兵士たちを見て、アビルースが息を呑む。

 

『・・・怪我はありませんか?セリカさん』

 

『あぁ・・・女性が犯されていた。助けようとしたんだが、逃げてしまった』

 

寂しそうに笑みを浮かべるセリカに、アビルースは意を決したように話しかけた。

 

『セリカさん、貴方にお聞きしたいことがあります』

 

 

 

 

 

レウィニア神権国との国境沿いにある小山に来たディアンたちは、そこで数人のバリハルト神殿兵と接触した。スティンルーラ族の女性数名に乱暴をしている。ディアンの額に青筋が浮いた。有無を言わさずに全員の首を飛ばす。唾を吐き捨て、女性たちを保護する。目に見えた傷はないが、心に傷がある。レイナとグラティナは、彼女たちの身体を布で拭いながら、「忘却」の魔術を掛けていった。忘れることが、救いのこともあるのだ。その時、別の方角から悲鳴が聞こえた。男か女か解らないような悲鳴である。ディアンは首を傾げ、悲鳴の聞こえた方向に歩いていった。

 

 

 

 

 

『セリカさん、貴方はその力を、何に使うつもりですか?』

 

真剣な表情のアビルースに、セリカは無表情で返答をした。

 

『この身体は、俺のものではない。サティアのものだ。彼女の魂を探し、肉体を返す。そして、彼女と静かに暮す・・・それが俺の望みだ』

 

アビルースは瞑目して溜息をついた。少し笑いながら首を振る。

 

『セリカさん、貴方も解っているはずです。サティアさんの魂はもう・・・』

 

『黙れっ!そんなことは解らないだろう!バリハルト神殿の遠見の鏡があれば、サティアの魂を探すことが出来る。俺はそのために、マクルに行くんだ!』

 

『いいえ、黙りません!セリカさん、水の巫女が言っていたではありませんか。「何を選択するかが大事」なのだと。貴方の選択は、間違っています。弱き者のため、哀しき者のために、その力を奮うべきです!』

 

『・・・俺の生き方だ。俺自身で決める。マクルに行っても見つからなかったら、見つけるまで探し続けるさ』

 

『神の力を・・・無限の寿命を、そんな事のために使うのですか!強い力を持つ者は、大きな責任を負うべきです!貴方は・・・間違っている!』

 

『そんな事だと?俺にとって、サティアは全てだ!もう良い、お前が反対をするのなら、ここでお別れだ。俺はこれから、マクルに向かう!』

 

セリカが足を踏み出そうとした。だが、身体が動かない。ペルルが術式を形成している。

 

『セリカ・・・ゴメンね・・・ボクは御師範様と契約をしているから・・・本当は嫌なんだけど・・・』

 

アビルースが構えた。その眼には、悲壮感の中に、強い決意が浮いている。

 

『セリカさん・・・貴方がどうしても解ってくれないのであれば、私は貴方から肉体を奪う。神の力を手にして、闇夜の眷属たちに安寧を齎す!』

 

『ぐぁぁぁぁっ!』

 

セリカとアビルースの間が、強い魔力で繋がる。セリカの肉体から魂を抜き取り、自分と交換をするつもりなのだ。ひとしきり、叫び声が続く。ペルルは泣いていた。フノーロの地下街で、三人で楽しく過ごしていた「あの頃」に戻りたかった。自分の主人から計画を聞かされた時、ペルルは初めて反対をした。ペルルにとって、セリカは自分の師範と同じくらい、大切な存在となっていたのだ。セリカの叫び声に、ペルルは身を引き裂かれそうな思いがした。

 

『うぅぅ・・・やっぱりダメェ!』

 

ペルルが術式を解除する。契約に反した行為には、死の報いが与えられる。ペルルの体内で何かが爆発した。目や耳、口から血を吹き出す。

 

『ゴ・・・メン、セリ・・カ・・・』

 

『ペルルッ!』

 

自由になったセリカは、魔力を爆発させ、アビルースの魔術を弾き返した。アビルースは吹き飛ばされ、木に背中を打ち付けた。セリカはペルルに駆け寄った。セリカは安堵した表情を浮かべていたが、命の灯火が消えつつある。セリカは回復魔法を使えない。ただ死にゆく様を見守るしか無い。その時、ペルルの身体から光が浮き上がった。何事かと周りを見ると、黒い外套を羽織った男が立っていた。

 

 

 

 

 

『・・・「生命の源」そのものが傷ついているな。これは、通常の回復魔法では無理だ』

 

肉体的な外傷は回復しているが、ペルルは魂そのものが傷ついていた。このままでは「生霊」となってしまう。ディアンはセリカを一瞥しただけであった。ペルルを抱え上げると、林の外で待機していた銀髪の女に渡す。その後姿に、セリカは頭痛を感じた。

 

『どこへ連れて行くつもりだ!』

 

『この娘は死にかけている・・・いや、殆ど死んでいる。イーリュン神殿では回復できない。ターペ=エトフにある「アーライナ神殿」まで連れて行く』

 

銀髪の女が頷き、ペルルを抱えて飛び立った。セリカは頭を抱えた。自分はこの男を知っている。以前、何処かで出会っている。頭痛が酷くなる。その時、アビルースが意識を取り戻した。立ち上がろうとした時に、異変が起きた。肉体が急速に老化し始めたのである。

 

『な、なんだぁぁっ!』

 

アビルースが悲鳴を上げる。戻ってきたディアンは、首を傾げた。状況が良く理解できないのだ。だが、急速な老化の原因は限られる。ディアンは状況から最も可能性の高い仮説を尋ねた。

 

『誰かは知らないが、お前・・・魂をいじらなかったか?自分の肉体から魂を取り出そうとしなかったか?肉体と魂は不可分の存在だ。別の依代への移転などを図って失敗した結果、精気が急速に失われる事があると、聞いたことがある』

 

『アビルースッ!』

 

セリカが駆け寄って手を差し出す。だがアビルースはその手を跳ね除けた。立ち上がった瞳には、狂気が奔っている。口元には笑みすら浮いていた。

 

『セリカさん・・・ここでお別れです。私は貴方に解って欲しかった。闇夜の眷属のために、共に生きて欲しかった。ですが、貴方の魂が・・・セリカ・シルフィルという男の魂が邪魔をしている!ならば、私の途は一つです。貴方を魂を駆逐し、「貴女」の肉体を手に入れる!フフッ・・・フハハハッ!』

 

フラつきながら、アビルースはその場を離れていった。ディアンは剣に手を掛けた。誰かは知らないが、危険な匂いを感じたのだ。ここで殺したほうが良いと思った。だがセリカが止めた。

 

『お前やペルルと過ごした日々は、俺にとって本当に平穏な安らぎだった。こんなことになって、残念だ。さらばだ、アビルース・カッサレ・・・』

 

ディアンは柄から手を話し、男の後ろ姿を見つめた。小さく呟いた。

 

『アビルース・・・「カッサレ」・・・か』

 

ディアンは、セリカに顔を向けた。眼を細めて尋ねる。

 

『さて、久しぶりだな。「サティア・セイルーン」殿・・・』

 

 

 

 

 

レウィニア神権国首都プレイアにある神殿の奥、「奥の泉」の中で、水の巫女は様子を見守っていた。

 

(セリカ・シルフィル、そしてアビルース・カッサレ・・・この二人の出会いは、未来にどのような影響を与えるのでしょうか。アビルースの様子は、見守っておく必要がありますね。ですが今は・・・)

 

出会ってしまったのである。この世に存在する「ただ二人の神殺し」が対峙をしている。水の巫女はこれまで感じたことの無い心境であった。「固唾を飲む」という気持ちであった。

 

(もし、ディアンが本気で斬り掛かったら、セリカ・シルフィルは死ぬだろう。二人の間には隔絶した違いがある。片方は自分を受け入れ、もう片方は自分を否定している・・・自らを否定する限り、神の力は発揮できない)

 

ここでセリカ・シルフィルが死ねば、未来の可能性の一つが消えることになる。そしてそれは必然的に、レウィニア神権国や自分自身の未来を、ディル=リフィーナ世界全体の未来を決めることを意味していた。

 

 

 

 

 

『俺はセリカ・シルフィルだ。サティアではない』

 

『あぁ、解ってる。サティア・セイルーンの肉体を、古神「アストライア」の肉体を奪った「神殺し」だろ?』

 

セリカは驚いた表情を浮かべた。目の前の男は、サティアばかりか、その正体が古神であることまで知っているのである。ディアンは目を細めたまま、セリカと対峙した。互いに一撃で相手を屠れる距離に立つ。

 

『一つ聞きたい。どうやって肉体を奪った?バリハルトの神格者如きが、古の大女神を殺せるはずがない。言葉巧みに近づき、油断を誘ったか?』

 

『・・・俺は、ウツロノウツワに取り憑かれていた。サティアを邪教の徒と決めつけ、殺そうとした。お前の言うとおり、サティアに勝てるはずもなかった。だがサティアは、俺に止めを刺さずに、逆に俺の剣を・・・』

 

セリカが手を握りしめ、瞑目する。

 

『後悔しているのか?それは何に対する後悔だ?ウツロノウツワに取り憑かれた自分の弱さに対する後悔か?サティアを殺してしまったことへの後悔か?それとも、今生きていることへの後悔か?』

 

ズキンッ!と頭痛が走る。セリカはフラついた。だがディアンは動かなかった。

 

『ディアン?どうしたの?』

 

後ろからレイナに声を掛けられる。「ディアン」という呼び名で、セリカは思い出した。

 

『思い出したぞ。お前は、クライナの森で戦った・・・』

 

『・・・記憶が曖昧なのか?』

 

『思い出せないんだっ!姉の名前すら、思い出せない・・・』

 

セリカは苦しそうに踞った。ディアンは溜息をついた。

 

『男を抱えるのは、オレの趣味じゃないんだがな・・・』

 

両腕でセリカを抱え上げる。艶めかしい女性のような表情を浮かべるセリカを見て、ディアンは首を振った。

 

『取り敢えずは生かしておいてやる。暫く療養しろ』

 

クライナに向けて歩き始めた。

 

 

 

 

 

水の巫女は安堵した。セリカは今のところ、無事である。ディアン・ケヒトは言ったことは護る。「生かしておく」と言った以上、セリカが死ぬことはない。だが、二人の間には想像以上の差があった。今のセリカ・シルフィルでは、魔神どころか人間のままのディアン・ケヒトにすら及ばない。ターペ=エトフが国体を変えるまで、あと十年である。このままではいずれ、各国がターペ=エトフを模倣し始める。そして西方神殿勢力との衝突になる。「神の教義の中で生きる」ことを求める神殿と、自由・自立・自主・自尊という思想は相容れない。そう遠くないうちに、中原は東西の思想がぶつかる戦場となるだろう。その原因は、ターペ=エトフであり、インドリト王であり、黄昏の魔神なのだ。

 

(ディアン・・・貴方は進みすぎです。インドリト王が世継ぎを設け、王政を続けるのであれば、まだ受け入れられます。ですが、「民主」という思想は、余りにも時代を先取り過ぎです。自ら考え、自らの責任で行動出来るのは、ごく一握りの人間なのです。多くの民は、定められた教義の中で平穏に暮らしている。蟻には、蟻の幸せがあるのです・・・)

 

ターペ=エトフは滅ぼさなければならない。レウィニア神権国も大きな影響を受けるが、彼らの進みを止めなければ、ディル=リフィーナそのものが危機に晒されるのである。

 

(セリカ・シルフィル・・・貴方には申し訳ありませんが、その神の力、利用させてもらいます)

 

水の巫女は、数ある可能性の中で、「ある未来」を見通していた。

 

 

 




【次話予告】

『・・・その言葉に、偽りは無いな?』

絶望をし、歩み続けることに疲れたセリカの前に「青髪の魔神」が現れる。

(済まない、サティア・・・少しだけ、眠っても良いか?)

魔神の手が、額に置かれる。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第三章最終話「暫しの眠り」

Sors immanis
et inanis,
rota tu volubilis,
status malus,
vana salus
semper dissolubilis,
obumbrata
et velata
michi quoque niteris;
nunc per ludum
dorsum nudum
fero tui sceleris.

恐ろしく
虚ろな運命よ
運命の車を廻らし
悪意のもとに
すこやかなるものを病まし
意のままに衰えさせる
影をまとい
ヴェールに隠れ
私を悩まさずにはおかない
では、なす術もなく
汝の非道に
私の裸の背をさらすとしよう・・・


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第七十五話:暫しの眠り

ディル=リフィーナ 「神骨の大陸」某所

 

そこは、ラウルバーシュ大陸に存在するどの山よりも高い場所にあった。白亜の柱が並び、未知の紋章が描かれた台座が等間隔に置かれ、円形を為している。天井は無く、満天の星空が屋根を形成していた。台座の一つに強い光が集中する。長い白髭を生やした老壮の男が出現した。他の台座も次々と光を発し、鎧姿の男や美しい顔をした女性などが出現する。それは「神々の会合」であった。アークリオン、アークパリス、パルシ・ネイ、アーファ・ネイ、マーズテリア、バリハルト、ルリエン、イーリュンの現神八柱が集う。ディル=リフィーナを代表する現神たちであった。アークリオンが口を開いた。

 

≪さて・・・此度、卿らに集ってもらったのは、ある問題について話し合うためだ。卿らも気付いている通り、古神の肉体を手にした「神殺し」が誕生した。その者に対しての処遇をどうするか・・・卿らの意見を聴きたい≫

 

壮年の顔立ちをした鎧姿の男が意見を述べた。

 

≪父上・・・古神が復活したこと自体、問題です。さらにそれを殺して肉体を奪った「神殺し」など、その罪は許されるものではないでしょう。放っておけば、大いなる災いとなり得るは必定です。ここは早急に出陣し、その者を滅ぼすべきでしょう≫

 

≪アークパリス殿の言うとおりです。古神など、その存在自体が許されません。ここは、私にお任せください≫

 

バリハルトが胸に手を当てながら述べる。芝居がかった仕種だが、この男がやると画になる。だがそこに、反対の意見を述べる男がいた。マーズテリアである。

 

≪現時点で動くことには、私は反対です。その「神殺し」は、本当に災いを起こす存在となるのでしょうか?人間には、邪な者もいれば、正義を貫く者もいる。その者が、正と邪のどちらに向かうか、見守るべきだと考えます≫

 

≪フンッ!卿は相変わらず「甘い」な。神を殺したのだぞ?邪に決まっておろうが!≫

 

バリハルトの反論に、マーズテリアも皮肉で返す。

 

≪聞いたところによると、その神殺しは元々は、卿の神格者だったそうだな。つまり卿は、「邪な者」を神格者とするのか?≫

 

≪なにっ!≫

 

バリハルトが激昂しそうになる。アークリオンが手を挙げて止めた。

 

≪止めよ。バリハルト・・・卿の神格者が神殺しとなったことは事実だ。責任の一端が卿にあることは間違いない。だが、それを問うの後だ。今は「神殺し」についての議論だ。マーズテリアは見守るべきと主張するが、他の意見の者はいるか?≫

 

≪そのことで、一つ興味深いことがあります・・・≫

 

第二級現神「ルリエン」が発言した。

 

≪不思議なことに、その古神「アストライア」の記憶が「転生の門」に流れてきました。「サティア・セイルーン」という名で・・・≫

 

他の現神たちが顔を見合わせる。神族である現神は、「神核」はあっても「魂」は無い。それは古神や天使族たちも同じである。そのため、転生することも無い。神殺しは「魂を持った神族」である。だからそこ危険な存在なのだ。だが、ルリエンの語った話は、その常識を覆すものであった。ルリエンがさらに説明を加える。

 

≪記憶を調べたところ、どうやらアストライアは、その神殺し「セリカ」を愛していたようです。それも心から・・・その愛情が、魂に近い効果を生み出し、転生の門へと流れたのだと思います≫

 

≪神族が、一人の女性として、特定の人間を愛したのか・・・≫

 

マーズテリアは腕を組んで考えた。ルリエンが自分の意見を述べた。

 

≪セリカという人間は、「災いの存在」とは言い切れないと思われます。私も、マーズテリア殿と意見を等しくします≫

 

議論が一定の方向に流れようとしていた時に、神々の中央に強い光が出現した。この「神殿」に入れるのは神族だけである。別の神の出現を意味していた。水の柱が出現し、美しい神が現れた。

 

≪突然の割り込みを御容赦ください。ラウルバーシュ大陸に棲みし、名も無き「水の神」でございます≫

 

≪地方神が何用かっ!ここは神々の頂上が集いし聖なる神殿ぞ!≫

 

≪バリハルト・・・卿は少し、口を噤んでおれ。確か「水の巫女」と言われておるな。我らに、話でもあるのか?≫

 

≪皆様は、ディル=リフィーナを代表する神々であり、その視野は広く、視線は遥か先を見通されています。ですがそれ故に、足元を見落とされることもあります。皆様は、神殺しは「セリカ・シルフィル」ただ独りとお考えのようですが、ラウルバーシュ大陸にはもう一人、神殺しが存在しています≫

 

≪バカな・・・たとえ古神であろうと、神族が殺されれば我らは気づく。そのセリカなる者以外に、神殺しがいるはずがない≫

 

≪はい・・・正確には、その者は神を殺したわけではありません。「人間の魂を持って生まれた神族」なのです。この世界に生まれてから三百年、その力は現在も、成長を続けています≫

 

神々の中にざわめきが起きた。アークリオンが何かを見通すように、半眼の状態になる。マーズテリアが尋ねる。

 

≪水の巫女殿・・・その者は「邪な存在」なのか?人々を苦しめ、正道に悖る存在であれば、討たなければならないだろう≫

 

≪いいえ、むしろ逆の存在です。神の肉体を持っていますが、人間として生きています。信義を重んじ、苦しむ者を援け、悪を為す者を討つ存在です。彼に助けられた者も数多くいます。普段は小さな飲食店を営み、目立たぬように暮らしています≫

 

≪それであれば、問題視する必要はない。潜在的には危険な存在であっても、その力を正しき方向に使う限り、いたずらに矛を向けるべきでは無いだろう≫

 

マーズテリアは安心したように頷いた。だが、アークリオンは半眼の状態のまま、呟いた。

 

≪・・・まさか・・・蘇えったのか?いや、そんな筈はない・・・≫

 

皆がアークリオンに注目する。アークリオンの表情には、暗い影が差していた。

 

≪・・・ヴァスタールと、話し合う必要があるかもしれん≫

 

水の巫女だけが、無表情であった。

 

 

 

 

 

意識を取り戻すと、見慣れない天井が見えた。寝台から起き上がり、記憶を確認する。酷い頭痛で意識を失ったところまでは覚えている。セリカは部屋を出た。どうやら宿場の部屋で寝ていたようである。一回の酒場には、大勢の人がいた。だが酒を飲んでいるわけでは無い。皆が剣や弓の確認をしている。まるでこれから、戦場に向かうかのようであった。

 

『気づいたようだな?動けるか?』

 

いつの間にか、背後に黒衣の男が立っていた。たしか、ディアンという男である。セリカは頷いた。

 

『あぁ・・・世話になった。ここは何処だ?』

 

『ここはスティンルーラ族の集落「クライナ」の酒場だ。とは言っても、いまは合戦の準備をするための支度部屋になっているがな・・・』

 

『合戦?』

 

『お前にも関係があるかもな。バリハルトの連中との合戦だ』

 

『・・・マクルを攻めるのか?』

 

『まぁ、そうだ。お前はここで寝ていろ。また頭痛を起こして倒れられたら困る』

 

『俺も行く。マクルに行って、確認をしなければならないんだ』

 

『姉の様子か?』

 

『それもある。そして他にも・・・神殿にある「遠見の鏡」を使いたい。それを使えば、サティアの魂を探せるんだ!』

 

『・・・・・・』

 

ディアンは真実を告げようか迷った。神族にはそもそも「魂」が無い。故に、古神アストライアの魂など探しようが無いのだ。だが、ここで自分が真実を言ったとしても、目の前の男は信じないだろう。ディアンは首から下げていた魔焔を取り出した。セリカに渡す。

 

『ここから魔力を吸収しろ。精気では無いため一時的なものだが、身体は動くようになるはずだ。マクルの街に入る直前で使え』

 

『・・・知っていたら教えてくれ。俺はどうして、記憶が消えてしまうんだ?どうして、精気を必要とするんだ?このままずっと、過去を忘れ、女を貪るだけの生き方をするのか!』

 

セリカが俯きながら叫んだ。ディアンは返答しなかった。仮説なら幾らでも考えられるが、検証のしようが無い。

 

『・・・出陣は、明日の朝だ。それまで休んでいろ。それと、お前が連れていた魔族は、ターペ=エトフで預かる。死ぬことは無いだろうが、回復には時間が必要だ』

 

ディアンはセリカの横を通り過ぎ、階段へと向かった。その後ろ姿に、セリカが声を掛ける。

 

『ありがとう。だが、なぜここまで親切にするんだ?』

 

『・・・お前の為じゃない。サティア殿の為だ』

 

振り返ることなく、ディアンは一階へと降りていった。

 

 

 

 

 

『つまり、その赤毛の姉ちゃん・・・じゃなくって男に、独りで突撃させるのか?それはちょっと無謀すぎねぇか?』

 

マクルへの進軍は、隠密に動いていた。マクルは半城塞都市である。破壊するだけなら、ディアンの魔術を使えば良いが、スティンルーラ族による今後の統治を考えると、出来るだけ破壊は小さいほうが良い。マクルまで半日という森の中で、ディアンは作戦を語った。セリカ・シルフィルを独りでマクルに向かわせる。バリハルト神殿が気づいて兵を向けた隙に、一気に街に入るのである。

 

『セリカはただ神殿を目指せば良い。オレとレイナが露払いをしてやる。スティンルーラの兵士たちは、民衆の保護や、徴兵された無関係の農民、漁民たちを護れ』

 

『ディアンが行くのなら大丈夫だね。セリカ、アタシはまだアンタを信用したわけじゃない。だけどディアンのことは信用している。だから、ディアンが信用するアンタを信じる』

 

エカティカが厳しい視線をセリカに向けた。セリカは黙ってうなずいた。それぞれに作戦が決まり、その場は解散となる。ディアンがセリカに声を掛けた。

 

『バリハルト神殿の中は、お前独りで斬り拓くことになる。お前の眼で、耳で、真実を確認しろ』

 

 

 

 

 

『間もなく、神を殺した罪深き者が攻めてきます。今こそ、バリハルト神の御力を集める時です。古の神を滅ぼすためなら、神は禁忌をもお許し下さる。さぁ、皆の命を一つとするのです!』

 

マクルの街にあるバリハルト神殿は狂気の坩堝となっていた。裸の男女が交じり合い、性魔術で互いに魔力を高め合う。魔法陣の中央に立つ大司祭オレノが、その魔力を吸収していく。冷静な者から見れば、邪教の陰惨な儀式としか思えない光景である。バリハルト神殿神官の多くが、狂気に飲まれていたが、ごく一部には冷静さを保っている者もいた。見習い神官の「メリエル・スイフェ」は、オレノや他の神官たちの変質が恐ろしかった。優しかったセリカが、神格者となった頃から、神殿は変わってしまった。自分はただ目立たぬよう、神殿の端に隠れるように過ごしているしかなかった。だが、多くの神官たちが進んで命を捧げている中で、自分だけ何もしなければ、当然周囲から白眼視される。

 

『さぁ、メリエル・・・貴女もバリハルト神に命を捧げなさい。贄として、オレノ様の御力の一部となるのです・・・』

 

半ば捕らえられる形で、メリエルは狂気の部屋へと連れていかれた。自分ももう終わりだと絶望しかかった時に、奇跡が起きた。神殿に兵士が駆け込んできた。

 

『大変です!手配中の赤毛の女が乗り込んできました!いま、他の連中を向かわせています!』

 

『来たかっ!儀式は終わりです。皆で、邪神を迎え撃ちましょう!』

 

狂気に目を血走らせながら、オレノは残った神官や騎士を連れて、部屋を出た。部屋には精気を失った死体が山積みされている。メリエルはただ、呆然とするしかなかった。

 

 

 

 

 

ディアンとレイナは、向かってくる兵士たちを無造作で斬っていった。無人の野を歩くように、セリカは神殿へと向かう。

 

『レイナ、斬るのは殺気を向けてくる奴だけにしろ。怯えているのは、徴発された農民や漁民だろう。彼らは打ち据えるだけで良い』

 

元野盗と思わしき男が、下品な言葉を吐きながら斬りかかってくる。レイナは下から上に、剣を振りあげた。男の身体が左右に割れる。セリカはその様子に寒い思いをしていた。今の自分では、ディアンはおろか、このレイナという女性にすら勝てないだろう。人中を捉える正確無比な技と、それを繰り出す圧倒的な力と速度は、およそ人の域ではない。

 

『神殿はすぐそこだな。露払いはここまでだ。セリカ、あとは任せるぞ。行ってこい』

 

セリカは頷き、魔焔から魔力を吸収した。身体が一気に軽くなる。全身に力が漲り、意識が明瞭になる。剣を抜き、セリカは駆けた。神殿へと乗り込む。街の入り口に、複数の気配が出現した。

 

『ディアン、エカティカたちが着いたみたい。これからどうする?』

 

『彼らと合流する。スティンルーラ族としては、歴史に残る戦いなのだろうが、オレにとっては下らん殺し合いだ。さっさと終わらせよう』

 

『そうね・・・少し、嫌な気配も感じるし』

 

ディアンは頷いた。この気配には記憶がある。過去に二度、同じ気配を感じている。三度目はゴメンであった。

 

 

 

 

力を回復させたセリカは、神殿の中を駆け抜けた。騎士たちは驚いて斬りかかってくるが、飛燕剣を駆使して斬り伏せる。奥へと目指す途中で、薄赤い髪をした少女と出くわした。危うく斬りそうになる。殺気が無かったため、首筋の手前で刃を止めた。少女は震えながら、セリカを見る。どこかで会ったような気もするが、覚えていない。

 

『飛燕・・・剣?』

 

『悪いが、お前に構っている暇はない。大司祭は奥だな?』

 

セリカは少女を無視して走った。その後ろ姿を薄赤髪の少女は見つめていた。

 

バタンッ!

 

扉を開けると、上位神官数名と大司祭オレノがいた。だがセリカは名前までは憶えていない。服装から大司祭と判断しただけである。

 

『来たな、呪われし者・・・バリハルト神の寵愛を裏切り、古の神と結託した「神殺しセリカ・シルフィル」!』

 

『・・・俺は望んで神殺しになったわけじゃない。それに、古神というが、アストライアは善良な神だ。古神だからと言って、全てを邪神扱いするのは間違っている!』

 

オレノは首を振った。狂気に満ちた瞳をセリカに向ける。

 

『もはや、救いはありませんね。神格者としての使命を忘れ、邪神の徒となりし者よ。お前を救えるのは、神の雷のみである!』

 

オレノが杖を掲げた。凄まじい雷がセリカを襲った。だがセリカは怯まない。回復した魔力を増幅させ、雷の中を駆ける。上位神官たちを斬り、オレノの片腕を飛ばす。肩で息をしながら、セリカはオレノに剣を突きつけた。

 

『俺はただ、解って欲しいだけだ。アストライアは邪神ではない。サティアは・・・最後まで心優しい、真直ぐな女性だった。なぜそこまで、古神を憎むんだ!』

 

オレノは脂汗を浮かべながらも、口元に歪んだ笑みを浮かべた。

 

『愚かな・・・邪神に取りつかれた者が、自らを間違っていると認識するか?古神は邪神である。それがバリハルト神の教えなのだ!』

 

『何故、それを疑わない!』

 

『私は大司祭だ!バリハルト神の敬虔な信徒が、神を疑うわけが無かろう!』

 

セリカは絶望していた。信仰とは疑わないから信仰なのである。自分がどれほど言っても、目の前の司祭は認めないだろう。およそこの世には、正義と悪の対立など無いのである。自分が信じる正義と、他の誰かが信じる正義の対立なのだ。

 

『う・・・うぁぁぁぁっ!』

 

セリカは剣を揮った。オレノの胸が裂けた。オレノは勝ち誇ったように笑いながら、最後の言葉を残した。

 

『セリカよ・・・お前の未来には希望は無い。絶望も無い。ただ「虚無」が広がるのみだ。お前は、永遠に彷徨うのだ。「神殺し」として・・・バリハルト神よ、どうかこの者に・・救いを・・・』

 

オレノは息絶えた。静まり返った大聖堂の中で、セリカは佇んでいた。

 

『そうだ。遠見の鏡を・・・』

 

隣の部屋に行く。だがそこで目にしたものは、山と積まれた死体であった。正に地獄のような光景である。その中に、小さな命を感じた。懐かしい気配である。セリカは死体を掻き分け、その気配を探した。

 

『姉さんっ!』

 

それは姉のカヤであった。セリカに抱えられたカヤは、薄っすらと目を開けた。その瞳は、かつての狂気は全くなかった。ただ透明で透き通った光だけが浮いていた。

 

『セリカ・・・帰ってきた・・のね』

 

『姉さん!しっかりしてくれ!』

 

『貴方が見えるわ。サティアに・・会えたようね。良かった・・・』

 

カヤの肉体はすっかり冷たくなっている。もはや、命の灯も消えかかっているようだ。

 

『私も・・・貴方に会いたかった。最後に会えて・・・良かった』

 

『逝かないでくれ!死んじゃだめだ!』

 

『貴方が、ここに来るまでを・・・ずっと見ていた・・・遠見の鏡で・・・』

 

『姉さん・・・』

 

『サティアを探していることも・・・神殿を正そうとして来たことも、知ってるわ・・・』

 

『姉さん、もう喋るな!』

 

『セリカ・・・貴方にも解って欲しかった・・・古神の生き方や考え方が悪いんじゃない・・・その存在が「あってはならない」の・・・』

 

セリカは息を飲んだ。死にかけている姉が、なぜそのようなことを言うのか。

 

『貴方は優しい。正しいことも判断できる・・・でも多くの人は、古の女神の力を求めて・・・狂ってしまう』

 

違う、そうじゃない。それは人の心の弱さ故だ。古神だからと言って、災いを呼ぶ存在とするのは間違っている!セリカはそう叫びたかった。だが、姉の瞳から光が消えつつあった。

 

『貴方は、生きて・・・サティアと約束をしたなら・・・それを守ってあげて・・・私からも・・・』

 

『姉さん!守るよ、俺は生きる!生き続ける!けれど、いないんだ。サティアが何処にもいないんだ!サティアの魂は・・・』

 

『サティアは居るわ。それは、手の届かない・・・近くて・・遠いところ・・・』

 

カヤは、セリカの胸に手を当てた。それが最後の力であった。

 

『貴方のーーーに・・・』

 

カヤの灯が消えた。

 

 

 

 

至る所で、剣を交わす音が聞こえる。だがセリカには、どこか遠い音であった。呆然としながら神殿を出たセリカは、港を歩いていた。

 

(姉さんは、何を言おうとしたんだ?「貴方の傍に・・・」どういうことだ?)

 

『違う!俺が求めているのは、そんなことじゃない!』

 

必死になって、現実を否定しようとする。忘れていた事実、認めたくない事実を前に、セリカは首を振った。

 

『サティアは・・・サティアは今も、何処かにいるんだ!必ずいるはずだ!』

 

両膝が崩れ落ちる。セリカは震えながら、自分の両手を見た。手の届かないところとは・・・

 

(俺の心の中にしかいない、ということか?)

 

『嘘だ!嘘だ嘘だ嘘だぁっ!』

 

セリカは叫んだ。

 

『サティアが・・・俺の代わりに死んだだと?魂の場所を明け渡すために・・・そんな、そんなこと・・・』

 

≪事実であろうな・・・≫

 

圧倒的な気配が、目の前に降り立った。

 

 

 

 

 

『な、なんだい?この感じは?』

 

エカティカが身を震わせた。凄まじい「邪」の気配を感じたからである。バリハルト勢力の駆逐はほぼ終わった。後は掃討戦と民衆の慰撫だけである。その矢先に、禍々しい程の気配が出現したのだ。ディアンがエカティカたちを下がらせた。

 

『バラバラに動くな!まず仲間たちを集めて固まれ。負傷者たちの手当てをしながら、この気配が消えるのを待つんだ!レイナ、エカティカたちは任せたぞ!』

 

スティンルーラ族の守護を第一使徒に任せる。ディアンは広場に立って剣を抜いた。だが魔神化はしない。この気配の主の目的が見えなかったからだ。自分なのか、それとも神殺しなのか。ディアンは緊張しながらも、気配の動きを探っていた。

 

『戦うとしたら、ブレニア内海で・・か・・・』

 

ディアンは覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

セリカが見上げると、青い髪をした美しい女が立っていた。静かな瞳で、自分を見下ろしている。セリカは何となく、見覚えがあった。だが名前までは思い出せない。記憶はどんどん失われていく。姉の名前すら、最後まで思い出すことは出来なかったのだ。

 

『お前は・・・誰だ?』

 

≪我を忘れた、と申すか・・・あれ程に熱く交じり合ったというのに、不義理な男よの・・・我は、地の魔神と呼ばれし者・・・≫

 

『地の魔神・・・ハイ・・シェラ・・・そうか、ハイシェラ・・・』

 

金色の夕陽の下で、青髪の女が笑う。

 

≪また記憶が薄れているようじゃの。それとも、余りの悲しみ故に、心が壊れたか?人とは脆いものだの≫

 

『人・・・お前から見たら、俺は・・人に見えるのか?』

 

≪人だの。神の肉体を手にしながら、その力の振り回され、自ら破滅に突き進んだ。信念と、生命力に溢れながら、同時に、脆く、弱く、醜い。正しく人間族だの≫

 

『・・・酷い言い草だ』

 

セリカは自嘲気味に笑った。自分の両手を見る。

 

『この両手は・・・大切な人を守るためにありたかった。人々を守る為に、力を求めていたのに・・・俺はこれから、誰と、誰のために、どうやって戦えばいい?』

 

ハイシェラはただ黙って、セリカを見下ろしていた。

 

『サティアと共に、地上が美しくあるにはどうすればいいかを、探していた。一緒に生きよう、生きていこうと約束をした・・・なのに・・・俺が生きているだけで、この世界に存在するだけで、災いを齎すのか?俺に出会った者は皆、邪気に当てられたように、歪んでいってしまうのか!』

 

セリカは打ちひしがれ、自暴自棄になりつつあった。

 

『俺がいるから・・・悲惨な争いが生まれ、続くのか・・・』

 

≪御主、生きていくのが嫌になったか?≫

 

『・・・・・・俺は、生きると約束をした。だから・・・死ねない。死ぬわけにはいかない。だけど、サティアのいない世界で、俺は・・・生きる意味があるのか?』

 

≪・・・その言葉に、偽わりは無いな?かつて我は、御主の行く末を見てみたいと言った。改めて問う。煉獄の途を歩み続ける意志、今も有りや無しや?≫

 

ハイシェラには、殺気も闘気も無かった。だが瞳には怒りにも似た、激情のようなものが浮かんでいた。

 

≪もし、生きる途を見失い、意志という名の剣が折れたならば・・・眠るが良い。眠りの底で、ゆっくりと考えるが良い・・・御主の進むべき途をな≫

 

『眠る・・・俺は・・・眠っても良いのか?』

 

セリカの中で、何かが崩れた。

 

(サティア・・・済まない・・・君との約束は忘れない。だけど、今は少し、眠っても良いか?)

 

『・・・俺は・・・疲れた・・・』

 

«・・・ならば、癒るりと休むが良い。その肉体は、約束通り、我が貰い受けよう・・・»

 

ハイシェラは、セリカの額に手を置いた。

 

«さらばだ。セリカ・シルフィルよ»

 

眼を閉じた。意識は、そこで途絶えた・・・

 

 

 

 

 

ぞくっ・・・

 

悪寒が走った。ディアンはセリカの気配を探る。だがどこにも見当たらない。そして、新しい気配が生まれていた。邪気と神気が混じったような、これまでに感じたことのない程の力であった。

 

『まさか・・・魔神が・・ハイシェラが、アストライアの肉体を手に入れたのか!』

 

ディアンの頬を汗が伝った。考えられる最悪の組み合わせであった。アストライアは上位の古神である。その肉体を十分に使いこなすには、普通の人間では無理である。魂の成長が足りないからだ。だが魔神が手に入れたとなれば別である。ハイシェラは上位魔神である。アストライアの力を最大限に引き出せるだろう。今の自分でも、勝てないかもしれない。いや、戦えばそこに勝者はいない。三神戦争や七魔神戦争のような、破滅的な破壊が起きる。ディアンは剣を納め、気配を消した。すぐに建物に隠れる。今ここで戦えば、マクルはおろか、ブレニア内海全域に影響が出かねない。

 

『・・・セリカの奴め・・・よりによってハイシェラに肉体を渡すとは・・・』

 

ディアンは歯ぎしりをした。ハイシェラが肉体を手に入れたということは、セリカの魂は駆逐されたか、あるいは眠らされている。どちらにしても、最悪の破壊神の誕生である。こんなことをアストライアが望む筈がない。こんな事態になるのならば、自分が奪っておくべきであった。レイナなグラティナであれば、神の肉体に負けないだろう。

 

『いや・・・これもオレの見通しの甘さか。古の女神の肉体だ。付け狙う者がいて当然だろう。奪わないまでも、保護すべきだった・・・』

 

ディアンは自嘲した。暫く留まっていた「神殺しハイシェラ」の気配は、やがて消えていった。ディアンは安堵の溜め息をついた。

 

 

 

 

ディアンがホッとする少し前、アストライアの肉体を手に入れたハイシェラは、満足の笑みを浮かべていた。ただひたすらに強さを求め、求め続け、ついに究極ともいえる力を手に入れた。あとはこの力を存分に揮う好敵手を見つけるだけである。そして、そのアテは既についていた。先ほどから、自分を待っている強い気配を感じていたからだ。新しい肉体を手に入れ、赤い髪となったハイシェラは笑った。

 

≪クックックッ・・・何と今日は麗しい日よ・・・まさか今日という日に、あの男を見つけるとは・・・うん?≫

 

気配が急に消えた。ハイシェラは内心で焦った。二百五十年近く、別離していた好敵手との邂逅なのだ。新たな肉体を最高の敵との闘いで祝いたかった。逃げられたら、次に見つかる保証はない。

 

≪おのれ・・・逃げるか!ならば、街ごと・・・いや、この大地ごと吹き飛ばしてくれるわ!≫

 

両手に極大純粋魔術を込める。「二つの神核」を持つ肉体は、生み出す魔力も桁違いである。凄まじい破壊が起きようとするのを一つの声が止めた。

 

≪お止めなさい、魔神ハイシェラ・・・貴女の望みを叶える方法を、教えましょう・・・≫

 

ハイシェラが振り返った。神々しい気配を放つ女神が、水の上に立っていた。

 

 

 

第三章:了

 

 

 

 

 

【Epilogue】

 

ディアンは震えるレイナを宥めていた。自分と共に成長を続けてきた第一使徒は、並の魔神よりも強い。かつて自分が苦戦した「魔神アスタロト」でさえも、打ち勝つことが出来るだろう。その第一使徒レイナが、両肩を抱えて震えていたのだ。それ程までに、神殺しハイシェラの気配は畏ろしかった。寝台で愉悦を交えることで、ようやく落ち着いた。

 

『・・・これから、どうなるのかしら?あの魔神、ディアンの姿を見かけたら、きっと襲ってくると思う』

 

『まぁ、その覚悟はしておくさ。だが幸いなことに、ハイシェラは消えた。ターペ=エトフに戻ったら、暫くは大人しくしておこう。この二百年、オレは殆ど魔神になっていないからな。簡単には見つからないさ』

 

背後から手を回し、柔らかな乳房を堪能しながら、ディアンは一つの決心をしていた。魔神ハイシェラに自分の居場所が露見した時・・その時は、ターペ=エトフを去る。あの理想郷を巻き込むわけにはいかない。ディアンの中に、拭い難い不安と焦燥感があった。それを消すように、第一使徒の肉体を貪った。

 

『死体は丁重に弔え!たとえバリハルトの神官であろうと、死者には敬意を払うのだ!』

 

翌朝、バリハルト神殿から死体が運び出され、火葬場へと運ばれた。余りの遺体の量に、燃やさなければ疫病が蔓延しかねないためだ。エカティカが指揮をし、担架で遺体が運び出される。

 

『酷い有様だ・・・神殿は禁忌とされる魔術を駆使してまで、セリカを倒そうとした。バリハルト神がそれを認めたんだ。どうやらバリハルト自身も、古神憎しで狂っているな・・・』

 

ディアンが担架の一台を止め、死体を確認した。黒髪で褐色の肌を持つ若い女性であった。救いなのは、安らかな微笑みが浮かんでいることである。ディアンは瞑目して頷いた。エカティカが声を掛けた。

 

『・・・その遺体だけは、死体の山とは別の場所にあったんだよ。白い布で包まれて、両手を組んで、床の上に横たわっていた。まるで、誰かがそうしたみたいに・・・』

 

エカティカが不思議そうな表情で、言葉を続けた。

 

『誰がやったんだろう?少なくとも、死後「五日」は経っているのに・・・』

 

 

 

 

 

 

 

 




※第三章終了までお付き合いを頂き、有難うございます。中々、更新が進まずに申し訳ありません。第四章は、12月1日より、スタートを予定しています。その前に、何本か外伝をアップしたいと思います。これからも応援、宜しくお願い申し上げます。


【次章予告】

ターペ=エトフに激震が走った。ガンナシア王国が突然、滅亡をしたのである。新たな王となった赤髪の魔神は言った。

≪我は、ターペ=エトフを滅ぼすつもりだ。黄昏の魔神よ、どうする?≫

ケレース地方のみならず、中原を震撼させた「神々の戦い」が始まる。



戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第四章:「ハイシェラ戦争」


Sors immanis
et inanis,
rota tu volubilis,
status malus,
vana salus
semper dissolubilis,
obumbrata
et velata
michi quoque niteris;
nunc per ludum
dorsum nudum
fero tui sceleris.

恐ろしく
虚ろな運命よ
運命の車を廻らし
悪意のもとに
すこやかなるものを病まし
意のままに衰えさせる
影をまとい
ヴェールに隠れ
私を悩まさずにはおかない
では、なす術もなく
汝の非道に
私の裸の背をさらすとしよう・・・


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外伝:二人の王の対話

ケレース地方は、大きく三つに分割される。ルプートア山脈以西を「西方域」、華鏡の畔からチルス山脈にある冥き途までを「中央域」、チルス山脈北部からレスペレント地方境界までを「東方域」と呼ぶ。このうち、東方域はフェミリンス戦争の影響もあり、それほど繁栄はしていない。ブレアード・カッサレによって生み出された魔物のうち、幾つかが部族集落を形成して住んでいる。ターペ=エトフ最盛期においては、フォア部族が中心的な存在となっていた。

 

一方、中央域は「割拠」の様相を見せている。華鏡の畔「魔神アムドシアス」、トライスメイル「ルーン=エルフ族」の二つは、勢力拡大には消極的であり、西方域を支配するターペ=エトフと友好関係を形成している。魔神アムドシアスは、アヴァタール地方までの街道の治安維持を引き受ける代わりに、ターペ=エトフから衣類、食料などの支援を受けている。トライスメイルにおいても、ターペ=エトフ産の各種産物とエルフ族の医薬品とを交換しており、ターペ=エトフ、華鏡の畔、トライスメイルの三勢力は、互いに持ちつ持たれつつの関係であった。

 

この三勢力とは対象的であったのが、トライスメイルから東側南部を勢力下においていた「ガンナシア王国」と、北部に勢力を広げていた「イソラ王国」である。この二つの国は、建国の思想からして相容れないものであり、軍事的な衝突も繰り返している。ガンナシア王国は、半魔人の王ゾキウを筆頭に、亜人族や闇夜の眷属たちの国となっている。一方、イソラ王国は光神殿を信仰する人間の国である。レスペレント地方でも、人間族と亜人・闇夜の眷属たちとの戦いは続いているが、その勢いには明確な違いがあった。レスペレント地方では人間族の支配力が強いことに対し、ケレース地方では亜人族、闇夜の眷属たちが圧倒的な支配力を持っている。イソラ王国は、イソラの街を中心として十里四方程度を勢力圏にしている程度である。一方、ガンナシア王国は、東はチルス山脈、西はトライスメイルにまで勢力を広げ、南方の森林地帯に輸送路が確立をすると、メルキア王国との交易も始めている。人間族に対しては峻厳極まりないゾキウも、闇夜の眷属には寛容な王であったため、ガンナシア王国はケレース地方で「二番目」に大きな勢力を持っていた。

 

ケレース地方を研究する歴史家たちは、ガンナシア王国の興亡について関心を持つことが多い。記録によれば、ガンナシア王国はターペ=エトフ以前に建国された「ケレース地方初の王国」であった。ゾキウ王の出身については諸説が有るが、最も有力な仮説は「レスペレント地方の出身」とする説である。ガンナシア王国が建国された当時、レスペレント地方はフェミリンス戦争の只中であり、闇夜の眷属や亜人族の多くが、ケレース地方へと逃れている。その多くが、人間族に対して憎悪を抱いていたと推察される。ゾキウ王も、その一人であったと考えられている。

 

ガンナシア王国は、ターペ=エトフと比較すると経済規模は小さなものであったが、チルス山脈に鉱山を拓き、農畜産業を整備し、北華鏡まで道を通すことでオウスト内海沿岸部で塩業を行うなど、衣食住を支える基礎産業は出来上がっていたと言われている。また、ターペ=エトフ歴三十三年に、南方のシュタット森林地帯に街道が拓かれたため、メルキア王国や古の宮との交易が可能となった。メルキア王国の当時の宰相は、ドワーフ族の血を引いた「エルネスト・プラダ」であったため、人間嫌いのゾキウ王も、メルキア王国との交易を認めたと考えられる。

 

ガンナシア王国にとっての生命線は、北華鏡を抜け、オウスト内海沿岸に拓いた「塩業」であった。ルプートア山脈にほど近い場所に幾つかの小屋を建て、亜人族が塩精製を行っている。ターペ=エトフの建国は、ゾキウ王を不安にさせるに十分であったと考えられる。仮に、ルプートア山脈東部に軍を展開すれば、ガンナシア王国の生命線を遮断することも可能であった。だがインドリト・ターペ=エトフは、ガンナシア王国の生命線には一切、触れなかった。ターペ=エトフとガンナシア王国は、直接の交流はなかったが、奇妙な共存関係を形成していたのである。混沌としたケレース地方に誕生した「二人の王」が対面したという記録は、残されていない。

 

 

 

 

 

オメール山の街を出て、逝者の森を抜け、北華鏡から南下する。魔神アムドシアスの招きを受け、ガンナシア王国国王ゾキウは、宰相と護衛三名を連れて、華鏡の畔を目指していた。ガンナシア王国が国家として維持出来ているのは、ゾキウの指導力もあるが、宰相である魔人ケルヴァン・ソリードの力も大きい。今回の対面も、ケルヴァンが外交交渉を行い、設定をしたものである。華鏡の畔で、水晶に魔力を通す。結界が消える。白亜の城では、魔神アムドシアスが自ら出迎えた。

 

『ゾキウ王よ。ようこそ、我が城へ・・・既に、インドリト王は到着をしている。落ち着かれたら、早速、会談を始めよう』

 

『アムドシアス殿、お招きに感謝する。それにしても、実に美しい城ですな。庭園も良い。我が国では見受けられぬ美しさだ』

 

ゾキウに城を褒められ、美を愛する魔神は上機嫌になったようだ。東側の客室に通される。荷を置き、身支度を整える。ゾキウは椅子に座り、水を飲んだ。宰相のケルヴァンが入ってくる。

 

『我が君、ターペ=エトフ王との対談は二刻後でございます。その前に、少しお打ち合わせをしたいのですが』

 

ゾキウは頷いた。

 

 

 

 

 

東側の客室でも、宰相のシュタイフェが、インドリトと打ち合わせをする。

 

『今回の対談は、アムドシアス殿から持ちかけられたものですが、元々は、ガンナシア王国の宰相が画策をしたようです。先方が期待する内容は、ルプートア山脈北東部にある「北華鏡」についてでしょう。ガンナシア王国は、山脈にほど近い沿岸部で、塩を作っています。恐らくはその件ではないかと・・・』

 

インドリトは頷いた。ガンナシア王国では塩が取れない。以前は、イソラの街から運んでいたが、近年では敵対が激しくなり、塩の道が途絶えている。そこで、十年ほど前から北華鏡に道を拓き、ルプートア山脈北東部近郊から塩を運んでいる。ターペ=エトフがその気になれば、遮断することも可能である。だが、インドリトにはそんな意志は無かった。

 

『彼らは別に、ターペ=エトフに踏み入っているわけではありません。遮断をしたところで、我が国が得るものなどありません。ケレース地方には、多くの種族が住んでいます。そのような心の狭いことをする必要はないでしょう』

 

『仰る通りですが、交渉の材料にはなると思います。イソラの街には、マーズテリア神殿があり、我が国とは微妙な関係です。ガンナシア王国に、イソラの街の牽制役を担ってもらうとか・・・』

 

『既に、牽制役を担っています。今更、そのようなことを話す必要はありません。私としては、ゾキウ王と対話が出来れば、それで満足です。ゾキウ王は人間族に憎悪を抱いているそうですね。何故、そのような憎悪を抱くのか、人間族を含めた種族平等の思想は持てないのか、お互いに胸襟を開いて、思うところを語り合いたいと思います』

 

シュタイフェは顎を擦って頷いた。実際、王同士の話し合いとは、そうした「主義、思想」の内容になりやすい。現実的な問題は、宰相同士で話し合えば良いのである。シュタイフェも北華鏡の遮断など必要ないと考えているが、ガンナシア王国との交易の道を作れないかと考えていた。何が得られるかは、まだ不明であったが・・・

 

 

 

 

 

見事な庭園の亭に、五人が揃う。魔神アムドシアスが仲介役となった、ターペ=エトフとガンナシア王国との外交が始まった。ゾキウは、目の前に立つ大柄のドワーフに挨拶をした。

 

『ガンナシア王国国王、ゾキウです』

 

『ターペ=エトフ王国国王、インドリト・ターペ=エトフです』

 

宰相同士も挨拶をする。二人は下り、魔神と国王のみが残る。椅子に座り向かい合う。ゾキウはインドリトの持つ包み込むような気配に目を細めた。インドリトもゾキウを観察する。半魔人であり残酷な王だと聞いていた。イソラでは、「鮮烈なる狂王」と呼ばれているらしい。だが対面をしてみると「狂王」とは思えなかった。確かに猛々しさはあるが、理知的な雰囲気を纏っている。アムドシアス自らが茶を入れる。沈黙の中で茶を一口啜ると、ゾキウから口火を切った。

 

『インドリト王にお尋ねしたい。あなたは何故、王を志されたのか?』

 

インドリトは瞑目して振り返った。十二歳で弟子入りし、北方の地で大魔術師に会い、いつしか自分の中に「志」が形成された。振り返る中で、改めて自分の中で決意していく。

 

『ゾキウ王、私は別に「王」を志したわけではありません。西ケレース地方には、多様な種族が住んでいます。ドワーフ族、獣人族、龍人族、ヴァリ=エルフ族、イルビット族、悪魔族、人間族・・・それだけではありません。森には魔獣の縄張りがあり、北方からは渡り鳥も来ます。川には鮎が昇ってきます。西ケレース地方に住む皆が、生を謳歌するためには、そこに統一国家が必要だと考えたのです。光も闇も関係なく、人間も亜人も闇夜の眷属も関係の無い国・・・全てが公平に扱われ、互いに尊重し合う国・・・遠い遠い理想ですが、それを実現するための手段として、私は「王」という途を選択しました』

 

『確かに、夢ですな。貴方以外の者が語ったのなら、私は「世迷言」と笑うでしょう。だが貴方はその途を・・・「理想への途」を歩み続け、実現しつつある』

 

『私からもお尋ねします。ゾキウ王は何故、ガンナシア王国を建国されたのですか?』

 

『フム・・・』

 

ゾキウは遠い目をした。

 

『全ての始まりは、姫神フェミリンスの出現からであった。私は魔人の父と、人間族の母と共に、現在のカルッシャ王国の外れにある小さな集落で、平和に暮らしていた。父は魔人と言っても、集落を護る戦士であった。当時はレスペレント地方に野盗などが多く出現していたが、父の手によって、集落は守られていた。だが、姫神フェミリンスの出現によって、我が家の平穏は突如として崩れた・・・』

 

ゾキウの瞳には怒りは無い。むしろ哀しみすら滲んでいた。

 

『母は光側の現神を信仰していたが、それほど熱心だったというわけではない。父に至っては、自分を護るのは自分だけ、という考え方を持っていた。だが、姫神フェミリンスへの信仰が、カルッシャ王国の中で急速に広がった。集落にも神官がやってきて、母はアッサリとフェミリンスを信仰するようになった・・・それからだ。我が家では口論が絶えなくなった。フェミリンスは人間しか認めない教えだ。父は魔人、私は半魔人だ。フェミリンスから見れば、私たちは人間に仇為す存在でしか無い。その思想は、母にも影響を与えた。フェミリンス信仰は、やがて「狂信」とも言える様相を呈してきた。カルッシャ王国内に住む多くの亜人族、闇夜の眷属たちは迫害され、土地を追われた。集落を守護していた父も例外ではなかった。集落の者の中には、父や私を庇おうとしてくれる者もいたが、そこに神殿の騎士たちが来た。手引をしたのは、母親であった・・・』

 

インドリトは黙ってゾキウの話を聞き続けた。ゾキウは語り続けた。

 

『父と私は、集落を追放され、東へ、東へと逃げた。その道中で、私は見た。人間族の残酷さを・・・殺戮、破壊、陵辱・・・私は母を憎んだ。そして母を誑かしたフェミリンスを憎んだ。フェミリンスを生み出した、現神たちを憎んだ。そして、現神たちを信仰する人間族を憎んだ。だが、憎悪に燃える私に、父は言った。「母は悪くない。人間は心弱き存在だ。母の心中の何処かに、弱さがあったのだ。夫として、自分はそれに気づくことが出来なかった。母の心の隙間を満たしてやることが出来なかった。母は自らの意志でフェミリンスを信仰した。だが、その信仰に追いやったのは私なのだ」・・・幼かった当時の私は、父の言葉が理解できなかった。フェミリンスに率いられた人間族と戦い、父は死んだ。私は憎悪を抱いたまま、ケレース地方へと逃げた。ちょうど入れ替わりであったな。私がケレース地方に逃げたのと同時期に、大魔術師がレスペレント地方に出現し、フェミリンス戦争が始まったのだ・・・』

 

インドリトは、ゾキウの立場に自分を重ねた。生まれた土地と時期が悪かった。そう言ってしまえば、それまでだろう。だがもし自分がゾキウの立場であったら、同じように憎悪の塊になったかもしれない。憎しみは、更なる憎しみを生み出す。理屈では解っていても、人の感情というものは理屈で処理できるものでは無い。ゾキウは遠くを見つめていた眼をインドリトに向けた。

 

『先程の問い、私が何故、ガンナシア王国を建国したかということだが、答えは「姫神フェミリンスを滅ぼすため」だ』

 

『ですが、フェミリンスは・・・』

 

『そうだ。フェミリンスは既に滅んだ。だが国家は在る。ガンナシア王国を頼って、レスペレント地方や西方諸国から、悪魔族や闇夜の眷属たちが逃げてくる。船で来る者、徒歩で来る者・・・インドリト王も解るであろう。彼らの辛さが』

 

インドリトは頷いた。西方諸国を逃れ、小さな舟でオウスト内海を渡り、辛うじてフレイシア湾に辿り着いた闇夜の眷属たちを見た時に、インドリトは衝撃を受けた。手足は痩せ細り、飢えのために腹は突き出た状態になっていた。怒りで拳を震わせていた師の姿を覚えている。

 

『ガンナシア王国が未だにあるのは、闇夜の眷属たちが安心して暮らせる土地を作りたいからだ。弱き民たちが、差別をされず、飢えること無く、幸福に暮らせる土地・・・それが、ガンナシア王国の存在理由だ』

 

『それは、ターペ=エトフと・・・』

 

『同じではない。貴国と我が国では、決定的に違う点が在る。貴国では、人間族が生きている。だがガンナシア王国では違う。人間族は追放する。既に土地を徐々に広げている。いずれ、イソラの街も飲み込み、東ケレース地方から、人間族を一掃してくれよう』

 

インドリトは首を振った。途中までは共感できる部分も多かった。だがやはり、自分とは根本が違っている。

 

『ゾキウ王、貴方は自分がされたことと同じことを、人間族にしようとしています。差別する、迫害する、土地を追う・・・それらは全て、レスペレント地方で人間族から貴方が受けたことではありませんか?その仕返しとして、同じことをしてしまっては、結局は憎しみの連鎖は止まりません』

 

『止める必要はない。止まることも無い。このディル=リフィーナ世界に、人間族は不要なのだ!奴らがいる限り、憎悪の連鎖は永遠に続くぞ!』

 

「美を愛する魔神」の存在を忘れ、二人の理想が衝突した。

 

 

 

 

 

『二人共、アツくなっていないと良いですけどねぇ~ どうせ熱くなるのなら、美女を相手にアソコを熱くさせた方が良いのにねぇ~』

 

シュタイフェは下品な冗談を言いながら、控室で茶を啜った。ガンナシア王国宰相ケルヴァン・ソリードは、変態魔人の言葉を無視し、シュタイフェに尋ねた。

 

『シュタイフェ殿、ターペ=エトフは豊かで、軍も強いと聞いています。領土を拡大するという意志は無いのですか?』

 

シュタイフェはポカンとした表情を浮かべた後、笑い始めた。

 

『ヒッヒッヒッ・・・インドリト様の中に、領土拡大なんて意志はコレっぽっちも無いでしょうな。ターペ=エトフは国土こそ広いですが、人はそれほど多くありません。領土を拡大したところで現実的に統治できないでしょうねぇ』

 

『私は、ゾキウ様にお仕えして以来、ターペ=エトフという国を注視してきました。ターペ=エトフは、「ターペ=エトフのみの繁栄」を目指している、私はそう感じました。なるほど、確かにターペ=エトフの国民は豊かに、平和に暮らしているのでしょう。ですが、その外では迫害され、苦しんでいる者たちが多くいるのです。国土を広げ、それらを救おうとは思わないのですか?』

 

シュタイフェは眼を細めて、ケルヴァンを見つめた。ケルヴァンの瞳には、ある種の「怒り」が浮かんでいた。シュタイフェは首を振った。

 

『ケルヴァン殿、ターペ=エトフは信仰の自由な国でヤス。これはどのような意味かお解りでしょうか?「自分を絶対の正義」と考えないということでヤス。確かに、闇夜の眷属であるアッシから見れば、カルッシャやフレスラントの連中は「悪」です。南にあるレウィニア神権国に対してでさえ、アッシは文句を持ってまさぁ。ですが、カルッシャやフレスラントから見れば、アッシら闇夜の眷属が「悪」なんです。何が正しいのか、何が正義なのかは、立場によって変わる。これがターペ=エトフの基本思想でさぁ。そう考えないと、種族を超えた平和なんて、実現できません』

 

『理屈は解ります。ですが、相反する思想が共存できるとは思えません。時として、剣を握り、相手の正義を打ち砕くことも必要なのではありませんか?率直に申し上げましょう。今回の対談で我が国が貴国に申し入れたいのは、軍事同盟です。共にイソラ王国を滅ぼし、北華鏡を国境として、ケレース地方を分割統治しませんか?貴国には、我が国の通行の自由を認めます。メルキア王国やグンモルフ地方への交易の道も拓けるでしょう』

 

シュタイフェは顎をさすった。確かにケルヴァンの提案を受け入れれば、ターペ=エトフが更に発展する可能性はある。だが、インドリト王がそんな提案を受け入れるとは思えなかった。第一、イソラ王国を滅ぼせば、ターペ=エトフは西方光神殿勢力と全面的な対立となる。その圧力を最初に受けるのは、西ケレース地方にあるターペ=エトフなのである。シュタイフェは首を振った。

 

『申し訳ありませんが、得られるモノより失うモノの方が大きそうですな。ターペ=エトフは西方光神殿とも、それなりに上手くやっているのです。貴国は人間族の滅亡を目指していらっしゃるから、光神殿との敵対は織り込み済みでしょう。ですが、貴国の「憎悪」に、ターペ=エトフを巻き込まないで頂きたい』

 

『なるほど、インドリト王と貴方には、そうした憎悪は無いのでしょう。ですが、ターペ=エトフにも、闇夜の眷属が多いと聞いています。カルッシャ、フレスラント、あるいはバリハルト神殿が統治するセアール地方から逃れてきた者たちも多いでしょう。彼らはどうでしょうか?いや、そもそもシュタイフェ殿はレスペレント地方のご出身と聞いています。ならば貴方も見ているはずです。人間族の非道を!』

 

シュタイフェは真顔になった。ゾキウ王も、眼の前にいる宰相ケルヴァンも、人間族に対する憎悪で燃え盛っている。憎悪のままに、人間族を蹂躙し、滅ぼそうとしている。「恋は盲目」という言葉があるが、それは憎悪にも言える。彼らは憎悪によって、盲目になっている。「鮮烈なる狂王」とは「憎悪に狂った王」のことなのだろう。この連中と付き合うのは危険だ。憎悪という感情には「感染力」がある。シュタイフェは首を振った。

 

『ケルヴァン殿、確かにアッシはレスペレント地方出身でさぁ。人間族に迫害された亜人族や闇夜の眷属たちを嫌って程に見ましたよ。ですがね、あのフェミリンス戦争で、彼らを救ったのは誰ですか?エルフ?ドワーフ?魔族?いや、人間族「ブレアード」なですよ。確かに人間族を憎む者は多い。復讐を胸に秘めた者たちも大勢いるでしょう。ですが同時に、人間族に助けられた、救われたって感謝する者もいるんですよ』

 

『それは例外ではありませんか?万の災厄の中で生まれた、一つの例外にしか過ぎないように思いますが?』

 

『そうでしょうかね?アッシらが住む西ケレース地方では、ごく当たり前に見られますよ?怪我をした獣人の子供を人間族の大人が背負って、集落まで運んできた、なんて話も聞きます。アッシらの土地では、亜人族や闇夜の眷属を差別する人間族なんて、それこそ例外中の例外です。要は「先入観」なんですよ。正しい知識の下で、共に暮らし、共に働き、共に笑い合えば、人間族とも十分に、共存できると思いヤスがねぇ』

 

ケルヴァンは暫く沈黙をした後に、呟いた。

 

『やはり、貴国とは相容れませんな・・・』

 

 

 

 

 

『双方が互いに胸襟を開き、忌憚なき意見の交換が出来たと思う。我としてはこれを機に、ターペ=エトフ、華鏡の畔、ガンナシア王国の三者間交易を実現できたらと考えておるのだが?』

 

晩餐会の席上、魔神アムドシアスは上機嫌な様子で三点交易の構想を語った。これには、インドリトもゾキウも苦笑するしか無かった。あの会話の何処に「友好的交易関係」の可能性があるというのか。シュタイフェが下手に出ながら、先送りを図る。

 

『アッシらと致しましても、友好国が増えることは、喜ばしいことで御座いヤす。ただ、ガンナシア王国とは本日初めて、こうして外交の場を持ったばかり・・・暫くはお互いの理解を深め合う必要があるのでは・・・』

 

シュタイフェは迂遠な言い方をしたが、ケルヴァンは率直に切り出した。

 

『シュタイフェ殿と話をして確信をしました。ガンナシア王国とターペ=エトフとでは、国家としての在り方、思想そのものに違いがあり、これは歩み寄る余地は無いと考えます。ターペ=エトフと交流を持てば、我が国の国体そのものに影響が出かねません。行商人を通じた交易程度ならまだしも、国民の双方向の行き来は、両国にとって得よりも損の方が大きいと考えます』

 

『全く・・・お主らは「麗しい調和」というものを求めないのか?』

 

アムドシアスは溜息をついた。アムドシアスとしては、両国の中間点である華鏡の畔に交易地点を設けることで、より多くの利益を得るとともに、東西の美術品を収集しやすくしようと考えていたのである。無論、そんなことは他の四名にはお見通しである。三者皆に利益があるのならともかく、現時点では両国の交流は極めて難しいことは明白であった。インドリトは口元を拭って、ゾキウに語りかけた。

 

『ターペ=エトフでは、様々な考え方を認めています。ゾキウ王が「人間族とは相容れない」とお考えになるのは自由です。そうした考えを持つに至った事情も、理解しました。ですがターペ=エトフでは、人間族もまた、国民として受け入れ、互いに認めあって生活をしています。ガンナシア王国の在り方を否定するつもりはありませんが、相容れない部分については、互いに触れないほうが良いでしょう・・・』

 

『残念ながら、そのようですな。貴殿と私とでは、出発地点が違いすぎる。目指す世界も異なる。互いの領分の中で、別々に生きたほうが良いだろう・・・』

 

『北華鏡にある「塩業村」については、我が国は一切、触れるつもりはありません。ターペ=エトフの国土はルプートア山脈までです。外敵が来ない限り、ターペ=エトフが北華鏡で活動することはありません』

 

ゾキウは頷いた。そして懐かしそうに呟く。

 

『もう随分と昔になるか・・・ガンナシア王国に魔神が尋ねてきたことがあった。人間族、ヴァリ=エルフ族、飛天魔族の女三人を連れてな。私はその男を誘った。「ガンナシア王国に力を貸せ」とな。だが男は拒絶した。インドリト王と言葉を交わして、何故か、その魔神のことを思い出した』

 

インドリトもシュタイフェも黙ったままであった。無論、その魔神には心当たりがある。だがここで話す必要は無いことであった。ゾキウは暫し、遠い目をした後に、インドリトに顔を向けた。

 

『インドリト王に一つだけ頼みがある。ガンナシア王国では、人間族は受け入れぬ。たとえそれが、闇の現神を信仰する者であってもだ。だが、彼らも生きていかねばならぬ。貴国で受け入れてくれると、有り難い』

 

『理解りました。お引き受けしましょう・・・』

 

インドリトはニッコリと笑い、ゾキウに手を差し伸べた。ゾキウも頷く。互いに手を握り合う。ケレース地方に登場した「二人の王」の対談は、こうして終わった。

 

 

 

 

 

『先生が言われた通り、ゾキウ王は人間族に憎悪を抱いていました。ですが、そこまで激しいというものではありませんでした。むしろ、憎悪に縛られているとさえ、感じました』

 

華鏡の畔から戻ったインドリトは、その足で魔神亭に寄った。ガンナシア王国との接触について、師に状況を伝えるためである。ディアンは暫く考え、自分の推測を語った。

 

『憎悪を抱き続けるというのは、疲れることなのだ。ターペ=エトフの話を聞いて、ゾキウにも思うところがあったのだろう。だが、国王であっても、国是を変えることは容易ではない。ガンナシア王国は人間族を否定するところから始まっている。ゾキウは「国是」に縛られているのではないか?人間族が憎いのではなく、憎いと思い込もうとしているのだ』

 

『何だか、可哀想ですね・・・』

 

『アッシとしては、むしろ宰相の方が気になりヤすね。ケルヴァンという御仁は、それはそれは、相当な憎しみを持っているようで・・・』

 

『現状の認識や政策で、王と宰相の間に意見の相違があるのは構わないのだ。だが、国を率いる者として「理想」そのものに違いが生まれた時、それは修正不可能な溝を発生させる。将来、ガンナシア王国に分裂が起きるかも知れんな・・・』

 

インドリトは悪戯っぽく笑みを浮かべて、シュタイフェに尋ねた。

 

『シュタイフェ・・・国王として尋ねるが、宰相シュタイフェの理想とする国家像は何だ?』

 

シュタイフェは深刻に考える「素振り」を見せた。だが実際のところ、真面目に考えているわけではない。案の定、笑い始めた。

 

『ヒッヒッヒッ・・・アッシの理想とする国家なんて決まってまさぁ~ 魔人であるアッシが住みやすい国でさぁ。みんなが笑顔で暮らしていて、美味い飯と美味い酒とイイ女が居て、休日にパコパコできればそれで・・・グヘェッ!』

 

グラティナが変態魔人の後頭部を叩いた。皆が笑った。

 

 

 

 

 

自宅に戻った魔人ケルヴァン・ソリードは溜息をついた。近年、少しずつゾキウ王が変質をしてきている。恐怖を持ってケレース地方を治めるというような、溢れるほどの「憎悪」が薄らいでいる。ケルヴァンは、それが不満だった。王は下を見る必要など無いのだ。それは宰相である自分がやれば良い。王は、ただひたすらに理想を追いかける。追い続けるものだ。その姿勢は一貫しなければならない。王が迷えば、後ろに付いていく者たちも皆、迷うからである。

 

『王よ・・・世迷言などお気に留められるな。貴方様はただひたすらに、侵略と支配をされれば良いのだ。人間族を滅ぼし、恐怖の魔王として地上に君臨されれば良い・・・もし、その決意を翻されるのであれば・・・』

 

ケルヴァンは沈黙したままであった。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴二百四十一年、ガンナシア王国はただ一柱の「魔神」によって滅ぼされる。二百数十年間続いた「奇妙な均衡状態」は終焉し、ケレース地方は激動期へと突入するのである。イソラ王国やメルキア王国に残されている史料によれば、ガンナシア王国はターペ=エトフ程には豊かではなかったが、メルキア王国、北ケレース地方、グンモルフ地方への交易路を持ち、それなりの繁栄をしていたと考えられる。半魔人の王ゾキウは、魔神に匹敵するほどの武勇を持ち、マーズテリア神殿聖騎士とも五分で戦ったとも記録されている。それ程の力を持っていた王国が、僅か一日で、しかもただ一柱の魔神によって滅ぼされた原因は何だったのか。魔神の力がそれ程に強かったと唱える者もいれば、宰相が国王を裏切ったとする説もある。ガンナシア王国が存在した「オメール山」は、トライスメイルのエルフ族によって封印されているため、王国跡の発掘調査は、後世においても進んでいない・・・

 

 

 

 

 



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外伝:ファーミシルス元帥の憂鬱

ターペ=エトフについての記録は、レウィニア神権国やスティンルーラ女王国に残されているが、「軍隊」についての記録は殆ど無い。これは、ターペ=エトフそのものが天険の要害に囲まれていたため、その歴史の中で戦争をしたことが少なかったことが原因である。その中で、ターペ=エトフ軍について唯一に近い情報が、イソラ王国に残されている。ターペ=エトフ歴二百四十九年に起きた「第一次ハイシェラ戦争」において、方向を見失ったためにイソラ王国領に迷い込み、捕らえられたターペ=エトフ軍獣人族戦士「ガルーオ」の記録である。

 

ガルーオは、屈強な肉体を持つ戦士で、イソラ王国軍も捕らえることに苦心をしたが、生け捕られた後は、ターペ=エトフ軍については詳しく証言をしている。証言をしなかったら帰さないという脅迫も理由ではあるが、軍内部において「秘密保護」の徹底が無かったためである。ガルーオの証言と持ち物を詳しく分析したマーズテリア神殿騎士の記録が残っている。

 

・・・ターペ=エトフはドワーフ族の王を戴いている。そのため、その軍が持つ装備などは、相当な質であろうことは想像されていた。ガルーオが持っていた武器を調べた結果、その想像はある部分では事実であった。ガルーオの剣は名剣と呼べるほどに鋭く、他の二本の短剣も逸品である。鎧は軽く、それでいて強靭なものであった。だが何よりも驚いたのは、彼が携帯をしていた「糧食」である。マーズテリア神殿においても、小麦を焼き固めた「堅麺麭」や「干し肉」などは携帯する場合があるが、ターペ=エトフの携帯糧食は、軽量で食べやすく、味も良好であった。この製法については、ガルーオも知らないようであったが、彼は三日分を携帯していたため、ルプートア山脈から遠く離れたこの地まで、辿り着くことが出来たのである。ガルーオはただの一兵卒に過ぎず、ターペ=エトフ軍の機構や訓練内容などは部分的にしか理解らなかった。だがそれでも十分に、参考になる情報を得ることが出来た・・・

 

ガルーオはイソラ王国で一ヶ月間程、取り調べを受けた上で、ターペ=エトフに帰還を許されている。彼のその後については、不明のままである。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴十五年に起きた北華鏡会戦は、ともすると「無駄」と考えられていたターペ=エトフ軍の存在を見直す機会となった。規模は二千名に拡大され、武器等の装備も強化されることになった。ファーミシルスは国務次官を通じて、書類仕事を得意とする「軍官僚」を数名確保し、予算管理や兵士たちへの給金支給などを任せている。ソフィアが鍛えた官僚たちは優秀であったが、彼らをしても解決できない問題があった。ファーミシルスは悩んだ挙句、ある男を訪ねた。

 

『いらっしゃいま・・・』

 

獣人族の給仕が目を丸くする。それまで騒がしかった店内が、一斉に静まり返った。魔神亭の入り口には、六翼を持つ美しき飛天魔族ファーミシルスが立っていた。ファーミシルスはプレメルでも有名人である。何と言っても、先の戦勝の立役者なのだ。飛天魔族の力を証明し、ターペ=エトフに棲む魔族たちからも一目を置かれている。

 

『店主ディアン・ケヒト殿に用があってきたのだ。時間をもらえまいか?』

 

『は、ハイィッ!』

 

給仕は背筋を伸ばして返答をした。対面席に立って硝子杯を磨いていた店主は、苦笑いをして頷いた。銀髪の用心棒が、ファーミシルスを二階へと案内した。

 

 

 

 

 

『全く・・・オレに頼みがあるのなら、家に来れば良いではないか。レイナもティナも、お前が来れば喜ぶんだぞ?』

 

『今回は、ターペ=エトフ軍の元帥として、魔神亭に依頼があって来たのだ。公私を混同するわけにはいかん』

 

腸詰肉を頬張り、エール麦酒を飲む。レイナやグラティナは、用心棒役があるので部屋には来ない。閉店をしたら、三人で飲むのだろう。一通りの近況を話し合った後、ファーミシルスの相談事が始まった。

 

『実は、先の戦で一つの課題が見えてきたのだ。我が軍は、平時においては糧食も豊かで、皆も満足をしている。だが、あのような野戦では、温かい飯など取る時間はない。今回は半日で終わった戦だが、もし数日間、数週間に渡る戦闘となれば、兵士たちが飢えることになる。そこで、兵士一人ひとりが携帯できる「非常食」が必要だと思うのだ』

 

『「野戦糧食」だな。レウィニア神権国の軍では、堅麺麭と干し肉、水が携帯食とされているそうだ。オレも堅麺麭を見たことがあるが、アレは確かに問題だな。堅すぎて食えん』

 

『そうだ。私も自分なりに調べてみたが、堅すぎる上に味も良くない。軽く、小さく、保存が出来、栄養もあり、そして美味い携帯食が必要なのだ』

 

ディアンは顎を撫でて考えた。野戦糧食は軍においては必須の装備である。レウィニア神権国のみならず、メルキア王国や東方の龍國でも、野戦糧食は存在していた。龍國では「焼き固めた米」であったが、ディアンの口には合わなかった。自分の前世では、科学が進歩をしていたため、そうした野戦糧食も進んでいたが、この世界で実現するのは無理である。缶詰すら作れないのが、ディル=リフィーナなのだ。

 

『野戦糧食の開発・・・それが魔神亭への依頼だな?』

 

『そうだ。あと、これは言い難いのだが・・・』

 

『カネか?そんなモノはいらん。要するに「新しい料理(レシピ)を作れ」という依頼だろう?オレの趣味の範囲だ』

 

『助かる!兵士が増えたせいで、武器類に予算が取られているのだ』

 

ファーミシルスは顔を輝かせた。

 

 

 

 

 

休店日に、ディアンは自宅の厨房に立った。机の上に材料が並べられる。

 

『さて・・・レウィニア神権国の野戦糧食は、ファーミシルスが出した条件の中で四つは満たしている。軽く、小さく、栄養があり、長期保存が出来る。だが、食べ難く味も悪い。この点を改良すれば良い・・・』

 

厨房には誰もいない。「ギムリ」の子供だけである。「ドリー」と名付けたレブルドルの赤子は、ディアンから何かを貰えると期待して座っている。ディアンは早速、卵を割って卵黄と卵白とを分けた。卵黄は醤油を入れた器に入れる。店の先付けで使う予定だ。卵白を泡立てる。ツノが立つまで泡立て、小麦粉、蜂蜜、塩を少々、加える。生地を練り上げ、ある程度の厚さまで伸ばす。縦一寸、横二寸の大きさで切っていく。オリーブ油を馴染ませた鉄板に並べ、庭の石窯に入れる。

 

『ある程度の高温でジックリ焼くことで、水分を飛ばす・・・約半刻程度か?』

 

その間に、別の方法も試す。卵白ではなく、麺麭種を使って発酵させ、生地を作る。通常の麺麭は二次発酵まで行うが、一次発酵で止める。同じように蜂蜜と塩を練り込み、焼く。最初に入れた試験品が焼きあがった。

 

『ドリー、食べてみろ』

 

ポイッと投げると、ドリーが飛び上がって口に加える。カリカリと音を立てながら食べる。ディアンも一口、齧ってみた。堅麺麭ほどではないが、それなりに堅い。一人あたりの分量を決め、原価を計算する。そうするうちに、発酵させたほうが焼きあがった。同じようにドリーに投げ与える。自分も食べてみる。最初よりもより噛みやすくなっている。発酵させたためだろう。

 

『フム・・・卵を使わない分、原価は安くなる。だが日持ちをするかどうかだが・・・』

 

ディアンは油紙を取り出し、自作した堅麺麭を包んだ。帯革に付ける革袋に入れる。だがディアンは首を傾げた。通常の革袋では大きすぎて戦闘時の邪魔になる。

 

『野戦糧食用の袋を開発したほうが良いかもな・・・』

 

ブツブツと独り言を呟く主人の横で、ドリーは残った試作品をバリバリと食べていた。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフの練兵場は大きく三箇所にある。プレメル郊外、ケテ海峡周辺、そしてルプートア山脈東部である。プレメル郊外では、主に新兵を訓練している。基礎体力と集団行動を身に付けることが目的だ。ディアンは試作品を持って、ファーミシルスを訪れた。新兵同士の模擬戦を行う予定があると聞き、実効性をためそうと考えたのだ。

 

『この箱のようなものは、牛革で出来ている。表面に蝋を塗ることで、防水性を持たせた。この中に、油紙で包んだ試作品を入れる・・・』

 

蜂蜜を入れた甘めの堅麺麭と、乾酪と刻んだ干し肉を混ぜた堅麺麭の二種類を用意している。それぞれを油紙で包み、牛革のケースに入れる。密着しているため、泥などが入る心配は無い。それを帯革につける。水が入った袋は、背中に回し、固定する。

 

『この姿で、模擬戦をやってみてくれ。動き難くないか、内容物は砕けないか、などの検証が必要だ』

 

試験として十名に持たせ、模擬戦が始まる。百名ずつが陣形を取る。木盾と木刀を使い、互いの旗を奪い合う。かなり激しい動きだ。四刻後に一時中断をし、様子を見る。十名から動きやすさなどを確認する。堅麺麭は砕けてはいないが、取り出し易さに難があった。また背中に背負った水袋は、飲むためには一々、降ろさなければならず、実用性に欠ける。ファーミシルスの中では許容範囲のようだが、ディアンが否定した。

 

『糧食のために命を落とすことがあってはならない。動きの邪魔をせずに、手軽に食事と水分補給が出来るように工夫すべきだ。装備品をもう一度、見直そう・・・』

 

呟きながら、紙に書きつけていく。ディアンのこうした「気質」には、ファーミシルスも半ば、呆れていた。

 

 

 

 

 

ディアンの試作は五度に渡って続いた。ファーミシルスも試作品の試験に合わせて、夜間行軍などの訓練を行っている。ディアンも行軍に参加し、実際に自分で試す。魔獣レブルドルに跨る「騎獣隊」と徒歩の歩兵とでは、携帯の形も変えるべきであった。それぞれの種族の「体型」にも合わせなければならない。こうしたディアンの姿勢は、軍官僚たちを刺激した。イルビット族の協力を得て、補給および糧食内容、装備についての研究が始まる。それは鎧や武器の形状にまで至った。

 

『派手な鎧などは必要ない。軽く、しなやかで、丈夫で、防御力に富んだ実用的な鎧が必要だ』

 

『悪魔族の場合、背中の翼を考慮せねばならぬ。着脱の仕方からして、普通の鎧では無理だろう。それでいて、いざという時には、独りでも外せる鎧でなければならん』

 

軍で使用する道具を細かく挙げ、一つずつを検証する。ファーミシルスはディアンに感謝をしつつも、半分は後悔していた。ここまで大事にするつもりは無かったからである。糧食の改善という小さな取り組みは、やがて軍全体にまで影響を及ぼす程になってしまった。ファーミシルスは、思わず溜息をついた。助言者として会議に出席をしていたディアンが、意見を出した。

 

『要するに「カネ」だ。カネの問題なんだ。予算が決定的に足りん。良し、オレがシュタイフェに掛け合ってやる。予算を増やさなかったら、魔神亭を出入り禁止にするとな』

 

無論、これは冗談であるが、ファーミシルスは慌てて止めた。財政が豊かなターペ=エトフなら、きちんと筋道を立てて申請をすれば、予算は下りる。ディアンは頷き、壁に貼られた紙に、予算申請の理由を書き並べていった。それはファーミシルスでさえ、顔を青ざめさせるほどに、破滅的な危険性を説いたものであった。

 

『・・・セアール地方のバリハルト神殿、カルッシャおよびフレスラント、イソラ王国の四大連合が形成された場合、その総兵力はおよそ十万とも考えらる。それが起きる可能性は、先の戦争から見ても、決して小さなものではない。さらにここに、マーズテリア神殿および西方の光神殿が加われば・・・』

 

『ディアン、もういい!これ以上、そんな恐ろしいことは考えないでくれ!』

 

『ふむ・・・我ながら中々の脅迫文だ。シュタイフェが顔を青くするザマが目に浮かぶ・・・いや、アイツは元々、青いか』

 

『こんな事態が発生したら、ターペ=エトフは本当に存亡の危機だぞ?ディアンの話を聞いていると、本当に起きそうだ・・・』

 

『まぁ、実際には、可能性は限りなく皆無だ。こんな大連合の形成は、余程の政治力がなければ無理だ。いや、そもそも政治では無理だな。それこそ現神自身が働きかけない限り、無理だろ』

 

皆が身震いする中、ディアンは愉快そうに笑った。二週間後、ディアン・ケヒト原作のこの「脅迫文」は、元老院に回され、半ば狂乱状態になった。インドリトが笑いながら可能性を否定して、その場は落ち着いたが、軍の予算を大幅に増やすことが、全会一致で決定された。

 

 

 

 

 

イソラ王国に残されたガルーオの記録は、絵図なども入った詳細なものであった。神殿騎士の記録にはこのようにある。

 

・・・戦闘において、頭を悩ませるのが「水袋」である。革の水袋などを背負い、闘うのが通常だが、ターペ=エトフの水袋には、弾力性のある細い管がつながっており、その管は口元まで続いている。兵士たちは水袋を下ろすこと無く、闘いながら水を飲むことが出来るのである。これにより、戦闘力は格段に向上すると思われる。この管は獣の「腸」で出来ていると思われるが、具体的な製法についてはガルーオも知らないそうである。マーズテリア神殿総本山に送り、分析する価値があると思われる・・・

 

ハイシェラ戦争時、ターペ=エトフは全軍でも四千名程度であったと言われている。倍以上の敵軍を相手に互角以上に闘うことが出来たのは、こうした先端装備が大きいと言われている。

 

 

 

 



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外伝:魔神亭物語

ラウルバーシュ大陸には、各地に様々な文化、伝統が息づいているが、国家形成期以前は、各地にそれぞれ独立して存在しているだけであった。アヴァタール地方にレウィニア神権国やメルキア王国が誕生して以降、人の行き来が盛んになり、それに伴って文化は融合し、新しい技術が生み出された。国家形成期以前と比較をすると、農工業の生産性は確実に向上し、そして向上し続けている。

 

その中で、傑出した生産性を持っていたのが「ターペ=エトフ」である。単位面積当たりの収穫量や鉱業生産量、物流の費用など、産業のあらゆる面で、ターペ=エトフは隔世の生産力を持ち、当時のラウルバーシュ大陸で最も豊かな国家となっていた。ターペ=エトフがこれほどの生産力を持った背景には、無論、魔導技術も大きな貢献をしているが、イルビット族の研究成果を見逃すわけにはいかない。ターペ=エトフは、イルビット族を厚遇し、その研究成果を活かすことで、各産業を発展させたのである。

 

セアール地方とケレース地方の境で、ひっそりと暮らしていたイルビット族たちは、ターペ=エトフ建国に伴い、プレメルに移住をした。賢王インドリト・ターペ=エトフは「知識が持つ可能性」に早くから目を付け、建国元年と同時に、プレメルに図書館を建設、古今東西のあらゆる書籍を「国家規模」で集め始めた。また、図書館内にイルビット族たちの研究室を設置し、イルビット族のみを特例として、図書館内で夜を過ごすことを認めたのである。長寿であり、研究熱心なイルビット族たちは、賢王の計らいに感謝をしつつ、自分の興味のある分野の研究に没頭した。レウィニア神権国プレメル駐在官の記録では、その研究範囲はあらゆる分野に及び、農業、漁業、鉱工業などの一次作業や、車輪や歯車といった物理・数学の分野、医療製薬の分野、哲学や宗教学といった、他国では研究困難な分野まで、およそ考えられる全ての分野に研究が及んでいたのである。

 

・・・ナーサティア神殿は、その名こそ広く知られているものの、神殿規模そのものは決して大きくない。西方に僅かな神殿領を持つ程度である。しかしプレメルのナーサティア神殿は、大図書館に併設される形で、信じ難いほどに巨大な神殿となっている。しかも驚いたことに、イルビット族のみならず、人間族やドワーフ族、獣人族、果ては龍人族まで、ナーサティア神殿に参拝し、寄進をしているのである。ナーサティア神殿の神官もまた、イルビット族であるため、膨大な寄進の殆どを「研究費用」としており、潤沢な資金によって、イルビット族たちの研究は更に進んでいるのだと思われる・・・

 

最後の在ターペ=エトフ領事であった「エリネス・E・ホプランド」の日記には、プレメルにあったナーサティア神殿について描かれている。プレメルには光と闇の神殿がそれぞれ複数、存在をしていたが、その中で最大の大きさを誇ったのが「ナーサティア神殿」である。ドワーフ族が信仰するガーベル神殿や、ヴァリ=エルフ族が信仰する「ヴァスタール神殿」よりも大きかったことから、賢王インドリトがいかに「知」を重視していたかが伺えるのである。

 

 

 

 

 

王大師の地位を正式に降りたディアンは、その夜、使徒たちと話をした。自分が構想している今後についてである。

 

『田畑と菜園によって、米や野菜類、香辛料は手に入るが、肉や小麦、酒類は仕入れる必要がある。あと、これはレイナとティナに頼みたいんだが・・・』

 

『接客?ディアンがやれと言うならやるけど・・・』

 

『いや、店の用心棒役だ。プレメルは今後も、多くの種族たちが集まってくる。文化の違いから揉め事になることもあるだろう。特に酒が入ると、普段の何気ない不満が表面化するからな』

 

『それなら自信がある。要するに、叩き出せば良いのだろう?』

 

『うむ・・・そこが難しいところだ。酔っぱらった客でも、客は客だ。ただ叩きだせば良いというわけではなく、本人が反省し、また来て貰わなければならん。その辺の「調停役」をやってもらいたいのだが・・・』

 

『うーむ・・・調停か・・・私のガラでは無いな』

 

『ディアン、役割分担をしたらどうかしら。暴力的な相手にはティナ、酔っ払い同士の口論なら私、これならどう?』

 

『そうだな。怖い用心棒が二人もいたら、客が委縮してしまうかもしれん。拳を使うのは、ティナだけにしよう。あと、帯剣も駄目だ。短剣を忍ばせておく程度は構わんが、目に見える形で剣を持っていたら、それこそ誰も来なくなってしまう』

 

アレコレと意見を出し合う三人に、第三使徒が首を傾げながら言う。

 

『お金であれば、私が次官として得ます。その収入を生活に充てれば良いのではありませんか?』

 

『それは駄目だ』

 

ディアンは真顔でソフィアに断言した。三人を見ながら、自分の決意を述べる。

 

『オレはお前たちの「ヒモ」ではない。お前たちはオレの使徒だ。オレが使徒にすると決めた。その時点で、未来永劫、生活に困らせるようなことはしないと決めている。ソフィア、お前が得た金はお前自身のものだ。お前の好きに使え。レイナにもティナにも、店の用心棒代として、キチンと給金を支払う。自分のオンナを食わせられなくて、何が魔神だ』

 

三人は嬉しそうに頷いたが、ディアンは真剣な表情をしていた。前世の経験から、カネを稼ぐということがどれほどに大変なことかを知っていたからである。その夜、ディアンは寝台から降りて研究室に向かった。三人は満足そうに眠っている。この三人を泣かせるようなことだけは、絶対に出来ない。ディアンは研究室で、店の経営計画について検討を始めた。明け方には、数十枚の書きつけが出来上がっていた。

 

 

 

 

 

『ふーん・・・飲食店ねぇ。アタシはてっきり、ターペ=エトフの将軍でも引き受けるのかと思ったけど。ディアンは料理が得意なのは知っているけど・・・飲食店か・・・』

 

リタ・ラギールが訪ねてきたとき、応対したのはレイナとグラティナだけであった。ソフィアは王宮の執務があるから仕方が無いが、ディアンは店の出店計画で飛び回っていた。

 

『ディアンは、この二週間、殆ど寝ていないの。魔神だから、寝なくても大丈夫だと知ってはいるけど、あそこまで真剣に打ち込んでいる姿を見ると、なんだか申し訳なくて・・・』

 

『ニヒッ・・・泣かせる話じゃない。自分のオンナを幸せにするために、懸命に働こうとする姿・・・世の男どもに見習って欲しいわ』

 

『私は、商売をしたことが無いから解らないが、自分で店を持ち、商売をするというのは、それ程に大変なことなのか?』

 

『ん~ まぁ、レイナやティナが思っているほどに簡単じゃないのは確かね。ターペ=エトフは物産が豊かだから、私のような行商人になるんなら、成功できると思う。でもディアンは飲食店をやるんでしょ?』

 

『飲食店だと、難しいのか?』

 

『飲食店の場合、大きく左右するのは「そこに住んでいる人の数」なんだよ。ターペ=エトフは、国全体でも人口が少ないでしょ?プレメルの人口は、プレイアの三十分の一くらいじゃないかな。そこで飲食店をやろうとすれば、「再来店(リピート)客」をいかに獲得するかが鍵になる。ただ美味い料理を出せば良いってもんじゃないよ。「またこの店に来たい」って思ってもらわなきゃいけないんだ。ディアンの姿勢は当たり前だし、流石だとは思うけど、それでも、成功するかどうかは未知数だね』

 

『やっぱり、私たちも何か働いた方がいいかしら?』

 

『レイナ、それは駄目だよ。自分のオトコが、頑張っているだ。女は信じて、待てば良いんだよ。アンタたちが下手に動いたら、ディアンの誇りが傷つくよ』

 

二人は頷いた。二人はディアン以外の男を知らない。こうした「男の気持ち」については、リタが教師であった。

 

 

 

 

 

『フム・・・魚の買い付けか。それは構わんが、ディアン殿が言うやり方で、本当に「生魚」で食べれるのか?』

 

オウスト内海の沖合で、ディアンは龍人族の漁師と話をしていた。ディアンは「活〆」という方法を伝え、血抜きをした魚を氷で冷やして保存する、という方法を提案していた。龍人族は子供の頃から、魔術の勉強を行う。たとえ漁師であっても、秘印術は一通り覚えているため、内海の水を汲み上げて氷を作るくらいはできる。

 

『全ての魚が・・・というわけではありませんが、少なくとも烏賊や鯵、鰯、鯛、鰹などは生で食べることが可能です。また蟹や海老なども冷やすことで生食が可能になります。肝心なことは、獲った後にすぐに冷やすこと、そして冷やし続けることです。とはいっても、魚を凍らせてはいけません。その辺が難しいのですが・・・』

 

ディアンは釣れた魚を使って、実際に氷による保存を実演した。水は凍結してから温度が下がり続ける。だがあまりに冷たくしてしまっては、魚が傷んでしまう。魚を冷やすための一定の温度を探らなければならなかった。

 

『氷は細かく砕いた状態が望ましいのです。舟に氷を載せる以上、魚を獲る量が減ります。その分、買取価格を高くさせてもらいます』

 

漁師たちは細かいことは考えていないようであったが、ディアンとしては細部まで計算をしておきたかった。今後、この国で何百年も商売をするのだから。

 

 

 

 

 

『この通りは、西や北から人や物が運ばれてくる大通りになる予定だ。プレメルはいずれ、街が整備される。ドワーフ族の鍛冶街は、この通りを挟んだ街の北側に出来る予定だ。ここに店を構えれば、ドワーフ族、獣人族、ヴァリ=エルフ族、人間族が集まるだろう』

 

インドリトの父エギールは、ディアンを出店候補地に案内をした。エギールはドワーフ族長を下りている。息子が王となったため、肉親の自分が重職に就くわけにはいかないという判断からであった。一介の鍛冶屋となっているが、各部族からの信頼も篤く、重要な情報も入ってくる。ディアンは礼を述べ、更地を眺めた。歩いて土地の大きさを調べる。ここに自分の店が出来る。どのような店構えにするか、厨房はどこに置き、客席数はどれくらいか、計算をしていく。

 

『オルファーには、私から一言、要望を出しておいた。最初の一年は、賃料を安くしてやって欲しいとな』

 

『有難うございます。大変助かります』

 

ドワーフ族の集落は、廃棄物の処理などで住人皆が協力することが求められる。プレメルでは、それを街の行政府が行っている。その代わりに、土地利用の賃料を支払うことが求められる。とは言っても、それ程高いものではない。ドワーフ族は見た目とは裏腹に、かなりの綺麗好きだからだ。ドワーフ族には「鉄に追われず、鉄を追え」という諺がある。散らかる前に、整理清掃をせよ、という意味だ。

 

『オルファーから言われている。プレメルの街を更に発展させるために、ディアン殿の智慧を貸して欲しいとな。なんでも「水道」なるものを作りたいそうだ』

 

『街の発展のためには、必要な設備です。私はプレメルの住人です。街への協力は、惜しみません』

 

 

 

 

 

ディアンは店の図面を引き、席数などを計算した。メニューも決まり、その原価も計算済みだ。ターペ=エトフ全土の人口、プレメルの住民数などから、どの程度の来客が見込めるか、再来店の頻度や店の回転数、更には人口増加率の予想から将来の売上まで、考えられるあらゆる計算を行う。王太師の職を辞したとき、インドリトからかなりの額の「慰労金」を貰っている。だがディアンは、それには手を付けるつもりは無かった。インドリトはいずれ結婚をする。その時の祝儀に充てようと考えていたのだ。だがそうすると、運転資金が不安であった。

 

『仕方がないか・・・』

 

ディアンは腕を組んでしばらく考えた挙句、諦めたように呟いた。

 

 

 

 

 

リタ・ラギールはプレメルとプレイアをかなりの頻度で往復していた。後においては、プレメルに支店長を置き、プレイアに落ち着くが、このころはまだ、リタがプレメル支店長を兼ねていた。ルプートア山脈の地下大洞穴が完成し、大規模な交易も可能となったため、ラギール商会の利益は飛躍的に増加している。そのリタ・ラギールが椅子に座って、書類をパラパラと見ている。ディアンが作成した事業計画書だ。

 

『いいよ。で、幾ら必要なの?』

 

ディアンは店への出資金をリタに依頼したのだ。出来れば、この方法は避けたかった。借りるとなれば、見通しをきちんと説明しなければならない。前世では、銀行を説得するために何百枚もの事業計画を書き、それでいて断られたことも多かった。そうしたことから、ディアンは借金が嫌いであった。リタ・ラギールは商売人である。個人的な友誼ではカネは貸さないだろう。そう考え、キチンと計画書を作成したのであった。だがリタは、パラパラとめくっただけで、簡単に頷いた。ディアンが疑問に思うと、リタは笑って言った。

 

『だって、アンタは男としては問題だけど、商売人としては一流だもの。こうしてキチンと考えているということは、見通しがあるんでしょ?だったら細かいところまで確認する必要はない。ディアン・ケヒトという人間をアタシは信頼しているからね』

 

『・・・有難う』

 

「男としては」という部分が気に入らなかったが、ディアンは素直に礼を述べた。リタは口元に手を当てて、笑った。

 

『それに「魔神」であるアンタなら、取りっぱぐれることも無いでしょ?いざとなったら護衛でも魔獣討伐でも、いくらでも仕事はあるだろうから・・・ニッシッシッ』

 

『・・・オレは飲食店できちんと儲けて、そこから返すよ。で、必要な額だが・・・』

 

ディアンの額を聞いて、リタは笑って頷いた。その上で、指を二本出した。

 

『その額の二倍を出資するよ。運転資金は多い方がいい。行商人の中には、利益が出る見込みなのに、途中で資金が不足して、護衛を雇えなくなるって人もいるからね』

 

『流石だな・・・助かる』

 

『それに、そのほうが「利息」も増えるし・・・ニヒヒッ』

 

『・・・やっぱり利息を取るか』

 

『当たり前でしょ!アタシは商人だよ?大丈夫、低金利にしてあげるから』

 

ディアンは溜め息をつき、リタは盛大に笑った。金利交渉も終わり、数個の革袋を机の上に置いたリタは、最後に真面目な顔でディアンを見つめた。

 

『ディアン、これは商売人としてではなく、アンタの友人として忠告しておく。アンタは頭がキレるし、行動力もある。誠実で真面目だし、力に至っては言うまでもない。でもね、それだけではオトコとしては二流だよ』

 

『何が言いたいんだ?』

 

『レイナたちがアンタを心配している。ディアンが一生懸命働く姿を見ていて、申し訳ないって言っていたよ。オンナを泣かせないために、懸命に働くのはいいよ。でもね、本当に一流の男は、その姿をオンナに見せないものだよ?』

 

ディアンは自分の額をピシャリと叩いた。ケラケラとリタが笑った。

 

 

 

 

プレメルに存在した飲食店「魔神亭」の名は、メルキア王国の旅行家オルゲン・シュナイダーの著書「西ケレース探訪記」の中で出てくる。オウスト内海産の海産物を「生」で出していたという話は、後世の料理研究家たちを唸らせるものであった。余程の北方か高所でない限り、ラウルバーシュ大陸で氷を得ることは難しい。そのため、秘印術を使って氷を作り、冷やしていたと考えられている。だが、後世の料理研究たちが、実際に魚を氷で冷やしても、生で食べることは出来なかった。魚を獲った時点で冷やし、それを相当な速度で運び、鮮度を維持しなければ。生では食べられないことが判明した。だが魚によっては、鮮度が急速に落ちる。舟上で何らかの処理をしていたと考えられているが、具体的な処理方法までは判明していない。

 

 

 



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外伝:ある日のリタ・ラギール

ラギール商会の商圏は、アヴァタール地方、ケレース地方、セアール地方、レルン地方、ディジェネール地方、ニース地方である。後に、そこにレスペレント地方が加わるが、これはカルッシャ王国とフレスラント王国の対立激化、バルジア王国の分裂という激動が、レスペレント地方に発生し、物流が寸断されたためと言われている。力のある商会が、政治とは無関係に物流を保たない限り、民衆の生活に影響すると判断され、レウィニア神権国の口利きにより、ラギール商会のレスペレント地方進出へと繋がったのである。この激動は、ケレース地方で発生していた「ハイシェラ戦争」にも大きな影響を与えた。ハイシェラ魔族国は、レスペレント三大王国からも支援を受けていたが、ターペ=エトフ歴二百六十二年に、カルッシャ・フレスラント戦争、二百六十五年にバルジア王国分裂が発生し、北方からの支援が絶たれてしまう。その結果、ハイシェラ魔族国の力は徐々に、弱まっていくのである。レスペレント三大王国の変事が立て続けに発生したことと、ハイシェラ戦争とを関係させ、「ターペ=エトフとラギール商会が策動し、これら変事を意図的に引き起こした」と仮説を唱える歴史研究家も存在する。ハイシェラ戦争以降、ラギール商会は大陸中原のほぼ全域を商圏として手中にした。ハイシェラ戦争で最も「儲けた」のはラギール商会である、という意見すら存在しているのである・・・

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴百二十一年、プレイアの街にある自分の屋敷で、リタ・ラギールは日の出と共に目を覚ました。豪華な寝台から下りて顔を洗うと、使用人たちが入ってくる。皆が元奴隷だ。

 

『お早うございます!「お嬢様」・・・』

 

『オハヨー』

 

ディアンが聞いていたら、思わずズッコケるであろう挨拶をして、欠伸をしながらリタは着替えを始めた。絹製の上等な寝間着を無造作に脱ぎ、動きやすい普段着を着る。使用人はベッドを整えたり、脱ぎ散らかした寝具を畳んだりする。貴族の中には、着替えまで使用人に手伝わせる者もいるが、リタはそのようなことはしない。使用人のためというよりは、単純に自分で着替えたほうが早いからだ。室内用の靴を履く、というよりは引っ掛けながら、食堂へと向かう。踵を踏んでいるため、ズルパカという音が鳴る。傍目から見れば、ダラしが無いと思う姿だが、リタにとってはこれが一番、楽なのだ。魔神亭で修行をした男が、食事を用意している。牛乳に卵黄と蜂蜜を混ぜた液に、白麺麭を浸し、乳酪を使って平鍋で焼いた「菓子」である。自分が人間であった頃から知る、唯一の男友達が生み出した料理だ。目を細めながら食べる。ゆうに二十人は座れるであろう大広間には、リタ独りしかいない。最初は孤独を感じていたが、もう馴れてしまった。

 

『今日の予定はっと・・・』

 

食べながら予定表を開く。自分の予定くらいは、自分で管理をする。軍隊などには「副官」を置く将もいるそうだが、そうした存在は、カネの無駄だと考えていた。カネは使うためにある。だが、ただ使えば良いというものではない。使うことで、誰かを幸福にしなければならない。自分の幸福のために使うか、他者の幸福のために使うか、の違いである。リタ・ラギールは、自分の幸福について十分に把握していた。気の合う友人たちと共に、美味い酒を飲み、美味い料理を頬張り、笑って過ごす時間が、一番の幸福である。その次の幸福は、泣くことしか知らなかった奴隷たちが、笑顔を知り、生きる喜びを知り、自立して巣立っていく姿を見ることだった。カネは、その幸福を得るための手段に過ぎない。だから、必要だと判断したら惜しげもなくカネを使う。

 

「富を使役し、富に使役されるベカラズ」

 

商神セーナルの教えを体現しているのがリタ・ラギールであった。食事をしているリタの元に、知人が尋ねてきた。レウィニア神権国に店を構えているが、主に西方諸国を中心に回っている行商人である。店に行くまでには、まだ幾らかの時間があったため、リタが応対した。だがそこで齎された情報は、リタを驚かせる情報であった。

 

『大封鎖地帯が分裂した?大封鎖地帯って、あの魔族たちが押し込められている土地でしょ?あれが分裂したって、どういうこと?』

 

『聞いた話によると、大封鎖地帯の中の国「マサラ魔族国」に忍び込んだ者がいるらしい。噂では「魔神」だそうだ。それにより、封鎖の結界が解かれ、数多くの魔族たちが四方に散ったらしい』

 

『それで、神殿はどう対応しているの?』

 

『アークリオン、アークパリス、マーズテリアは南から、ヴァスタールとアーライナは北から、それぞれ封鎖地帯に向かっているそうだ。ひょっとしたら、大封鎖地帯を巡って、光と闇の一大戦争があるかも知れん』

 

『大封鎖地帯には、たくさんの魔族や、闇夜の眷属、亜人族がいたんでしょ?ひょっとしたら、こっちに流れてくるかも・・・』

 

『実際、地下の闇商人たちが動いているそうだ。例の「奴隷狩り」さ』

 

苦々しい顔で、男が教える。リタも暗い表情を浮かべた。奴隷取引は、商人にとって「恥」である。奴隷解放をしているリタですら、陰口を言われるのだ。だが中には、それを理解し、手伝ってくれる者もいる。ターペ=エトフに至っては、国家規模で支援をしてくれている。リタによって開放された奴隷たちは、既に千名を超えていた。

 

『悪い話ばかりではない。大封鎖地帯には、魔族のみに受け継がれた技術があるらしい。お前さんが欲しがっている「未知の書籍」も出回るだろう』

 

『そうだね。悪いけど、例によってまた、仕入れをお願いできないかな。報酬は弾むよ?』

 

『任せろ』

 

男は笑顔で頷いた。

 

 

 

 

 

開店時間の少し前に、リタは店に着いた。可愛らしい服を来た売り子たちや、狼藉を抑えるための男も待機している。大番頭も含め、皆が元奴隷であり、自分にとって大切な家族であった。リタが手を叩いて、開店前の挨拶をする。

 

『みんな、今日もたくさんのお客様がご来店されるでしょう。明るい笑顔と元気な応対、そして値引きはお断り!じゃぁ、ラギール商会本店、開店するよ~ みんな気張って、商売しましょう~』

 

既に並んでいた客たちが店内に入ってくる。ラギール商会本店は、全体で見れば雑貨店である。日用品も扱えば、高級な宝石類も扱う。だが店舗の規模が違う。プレイアでも最大規模の大きさの店舗である。店内を区画に分け、豊富な品ぞろえとなっている。更には貴族層向けの「別店」も構えている。午前中は本店、午後は別店を回るのが、リタの日常であった。店の裏では、新しい売り子を先輩が指導していたりもする。活気に溢れる店内を、リタは上機嫌に歩き回っていた。店の入口付近に、入ることを躊躇っているかのような老人を見かける。キョロキョロと中を伺っている。リタは笑顔で、老人に話しかけた。

 

『なにかお求めでしょうか?どうぞ!』

 

『あぁ・・・いや、買うと言うわけでは・・・』

 

決して裕福とは言えない姿である。だがリタは全く気にしない。自分も昔は、もっと見すぼらしかったのだ。

 

『もちろん、見るだけでも構いませんよ~ 珍しい品も多いですから、見物だけの人も結構多いんです!』

 

『いやいや・・・その、ここで買い取りもしていると聞いたんじゃが・・・』

 

『あぁ、お買取ですか!それなら別の入り口ですね。ご案内します!』

 

ハキハキと応対し、リタは老人の手を取って、買い取り口に案内をした。老人は椅子に座ると、落ち着いたように溜息をついた。ラギール商会には、不要になった剣などを持ち寄る買取希望者も来る。それらはターペ=エトフに運ばれ、新品同様に鍛え直される。ドワーフ族の手が加わった中古鎧は、新品以上の高値が付く。騎士団の中でも将校級の者が買いに来る。剣や鎧、あるいは宝石類であれば、他の店員でも査定が出来る。リタはその場を離れようとした。だが、老人が袋から取り出したものが目に入って、足を止めた。それは一冊の書籍であった。

 

 

 

 

 

『うーん・・・正直申し上げて、値が付けられませんね。ここに書かれている文字は、まるで判読出来ません。見たこともない文字です』

 

店員は頭を掻きながら、首を振った。リタは黙って、店員に査定をさせていた。自分はこの本の正体を知っている。唯一の男友達から、同様の装丁の書籍を見せられ、「もし見かけたら絶対に買い取ってくれ。カネは幾らでも積む」と言われていた。この大陸の各地に散らばる「最も貴重な魔導書」だと聞いている。店員に代わって、リタが老人の前に座った。

 

『お爺さん、この本は何処で手に入れたの?』

 

『あぁ・・・儂の親戚が書いた本らしい。儂は分家なんじゃが、本家に一冊、分家に一冊・・・計二冊が残されている』

 

『どうして、売ろうと思ったの?』

 

『儂の家系は、ある事情から村を追われてな・・・ほうぼうを流れ歩いた。儂には子供がおらん。分家は、儂一代で絶えるじゃろう。じゃが、本家には跡取りが残っておる。じゃがその本家も、決して裕福ではない。この本を売れば、幾ばくかは渡せる・・・そう思っておったのじゃが、やはり、読めぬ本は売れぬか・・・』

 

諦めて立ち上がろうとした老人の手を、リタが掴んだ。眼が真剣になる。

 

『お爺さん、この本は是非、買い取らせて欲しい。お金はお爺さんの望む額を支払うわ。ただし、お爺さんに会って欲しい人がいるの。今夜、時間はあるかしら?』

 

老人は不思議そうな表情を浮かべたが、首を縦に振った。リタは懐中から水晶を取り出した。魔力を通し、あの男を呼び出す。その水晶を老人は、黙って見つめていた。

 

 

 

 

 

その夜、老人が宿泊をしていた安宿に、リタは黒衣の男を伴って尋ねた。黒衣の男ディアン・ケヒトは、老人に丁寧に一礼をする。革袋から、一冊の書籍を取り出す。老人は指を震わせて、その書籍を手に取った。

 

『私の名はディアン・ケヒトと申します。このラウルバーシュ大陸の各地に散らばっている「カッサレの魔導書」を集め続けています。既に二十冊以上を集めましたが、恐らくまだ、十冊は残されているはずです。北方諸国、南方諸国、西方諸国、そしてニース地方にあると考えていました。ご老人、あなたは「カッサレ家の系譜」ですね?』

 

『儂の名は、ディエゴ・カッサレ・・・カッサレ家は、代々続く魔術師の家系じゃった。じゃが、ブレアード・カッサレが起した戦争により、儂らは村を追われた。光側神殿の報復を恐れたためじゃ。アンタは、何故、この本を集めておる?』

 

『読めるからです』

 

『何と!』

 

ディエゴは驚きの表情を浮かべた。

 

『この文字は、カッサレの血筋を引き、強い魔力を持つ者のみが読める、特殊な呪術が掛けられている。儂はあいにく、魔力が弱くてな。部分的にしか読めん・・・じゃが、アンタはカッサレ家では無いじゃろう?どうして・・・』

 

『私の生まれながらの特殊能力です。私は、全ての文字が読めるのです。古代エルフ語も、イアス=ステリナの古代文字も、そしてこの「カッサレの魔導書」も・・・』

 

老人は暫くディアンを見つめ、頷いた。自分が持っていた魔導書をディアンに差し出す。ディアンは慎重に、本を捲った。しっかりした文字だが、何処か幼い。そして、書かれているのは秘印術などの基礎的な魔法などであった。ディアンはひと目見て、頷いた。

 

『これは、ブレアード・カッサレが子供の頃に書いたものですね?』

 

『我が家に伝わる話では、ブレアードは父親とともに、十歳で旅立った。それまでの研究が、ここに書かれているそうじゃ』

 

ディアンは頷き、再び目を落とす。子供の頃のブレアードは、魔力の持つ可能性に夢中だったようだ。健常者に回復魔力を掛け続けたらどうなるか、などの疑問を解くために、蛙で実験を行っている。子供らしい好奇心と残酷さであった。ディアンは顔を上げた。ブレアードの「最初の魔導書」である。なんとしても欲しかった。

 

『お望みの額をお支払します。お幾らであれば、譲っていただけるでしょうか?』

 

リタは内心では、舌打ちをしていた。この本の価値が、それ程とは思わなかった。この老人は、ラギール商会に売りに来たのだ。紹介料は貰う約束だが、自分が価格交渉をして買い取っておけば、もっと利益が出たかもしれない、そう思ったのだ。だが老人は、首を横に振った。ディアンが首を傾げると、老人は笑った。

 

『この本は、アンタに譲ろう。カネはいらぬ。この本は、読める者が持つべきなのじゃ。この本の価値が解るアンタが持てば、ブレアードも喜ぶじゃろう』

 

『ですが・・・』

 

老人は笑って首を振った。そしてディアンに、驚くべきことを聞いた。

 

『ブレアードとは、どんな人物じゃった?アンタ、ブレアードに会ったことがあるのじゃろう?』

 

『・・・フェミリンス戦争は、百年以上前ですよ?』

 

『魔神であるアンタにとっては、そんな歳月など関係無いじゃろ?』

 

ディアンは沈黙した。だが顔には笑みが浮かんでいる。さすがは「カッサレの系譜」であった。ディアンの気配や話の内容から、そう推測したのだろう。

 

『御見逸れしました・・・私でよろしければ、ブレアード・カッサレの生涯について、お話します。彼は、魔神である私が「師」と仰ぐほどに、偉大な人物でした・・・』

 

ディアンは語り始めた。

 

 

 

 

 

『ふぅ・・・それにしても、その本がそんな価値があったとはねぇ~』

 

深夜まで営業をしている酒場で、リタは葡萄酒を呷っていた。ディアンもそれに付き合う。

 

『読める人間にとってはな。読めなければ、ただの紙屑だ。それにしても、まさかカッサレの子孫に会えるとは思っていなかった。機会を作ってくれたこと、感謝する』

 

ディアンはリタに頭を下げた。だがリタとしては、そんな礼よりも報酬が欲しかった。

 

『まぁそれよりも・・・ウチへの紹介料のお支払は・・・』

 

ディアンは机の上に宝石袋を置いた。大粒の青宝石や黃宝石が入っている。約束の額を大幅に上回っている。

 

『・・・あの老人の面倒をラギール商会で見てやってくれないか?恐らく、もう帰る家もないのだろう。プレイアに落ち着かせてあげて欲しい。恐らく、そんなに長い時間にはならないと思う」 

 

『・・・解った。ウチが責任持って、面倒見るよ。まぁ、今日はいい取引が出来たから、ガンガン飲んじゃおう!』

 

リタは調子に乗って、葡萄酒を呷った。ディアンも探し求めていた一冊が手に入ったためか、上機嫌になっていた。リタの調子に合わせる。二人は周囲が呆れるほどの調子で、痛飲を続けた・・・

 

 

 

 

 

翌朝、リタ・ラギールは頭痛とともに目を覚ました。見知らぬ天井である。一体何処だ?と考えて、隣を見た。黒髪の男がスヤスヤと眠っている。そして二人共、全裸であった。

 

『イィッ!』

 

リタは慌てて服を着た。男を起こさないように、静かに部屋を出て行く。リタ・ラギールが自分の屋敷について、慌てて身支度を始めたころ、ディアンは眼を覚ました。頭痛はない。だが昨夜のことが全く思い出せない。リタと途中まで飲んだところで、記憶が消えている。

 

『しまった!』

 

慌てて持っていた荷物を探す。無造作に机に置かれた革袋の中に、二冊の魔導書が入っていた。二冊とも無事である。ディアンは安堵して、息をついた。

 

『リタが運んでくれたのか。後で礼を言いに行こう・・・』

 

ディアンは清々しい気持ちで、顔を洗った。

 

 

 

 

 

その日、リタ・ラギールは何故かぎこちない様子で、ディアンに笑顔を向けていた。だがディアンが何も覚えていないことが解ると、途端に不機嫌になった。「さっさとターペ=エトフに帰りなさい!」と店を追い出され、ディアンは理解不能のまま、本国に帰国したのであった・・・

 

 

 

 




第三章の外伝は、これで終わりです。現在、少しずつ第四章を書き溜めています。第七十七話は既に投稿予約済です。

12月1日 22時アップデート 第七十七話:「弱き者たちのために・・・」

お楽しみに!


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第四章:ハイシェラ戦争
第七十六話:蠢動


その山の頂からは、広大な森林が見渡せた。中腹には白亜の王宮がある。さらに麓には、豊かな街が広がる。西を見ると、オリーブ畑が彼方まで続く。黒衣の男は瞑目して、この土地で暮らした日々を思い出した。夢のような日々が、走馬灯のように流れる。風が吹く。男が抱えていた花束が揺れ、花びらが飛ぶ。男の目の前には、土が少しだけ盛られていた。決して錆びることの無い「純鉄」の鉄柱が立っている。その下に眠る者の意志で、そこには何も書かれていない。虚飾を嫌った彼は、ただ一振りの短刀だけを抱えて、静かに眠っている。三百年の生涯の中で、唯一、憧れた女性から譲られた短刀であった。それを告げられた時、その女性は泣き伏した。

・・・自分が愛した「この地」を見渡せる場所に、埋葬して欲しい・・・

その希望通り、ここからは全てが見渡せる。花びらが舞う。鉄柱の周りには、花が敷き詰められていた。彼が、どれ程に慕われ、その死を惜しまれたかの証しである。男は片膝をつき、抱えていた花束を供えた。鉄柱に語りかける。

『お前は、私には過ぎた弟子だったよ・・・』

男は肩を震わせる。双瞳から、熱い雫が溢れた。止まること無く、溢れ続けた・・・






ケレース地方を研究する歴史家たちが、一様に悩むことがある。それが「ハイシェラ魔族国」である。ハイシェラ魔族国は、魔神ハイシェラを国王とした「魔族および闇夜の眷属の国」であった。しかし、イソラ王国に残されている魔神ハイシェラの容姿につての記録は、どう考えても「神殺しセリカ・シルフィル」そのものなのである。唯一の違いは、レウィニア神権国で暮らす神殺しは「男性」であることに対し、イソラ王国に残されている神殺しは「女性」なのである。魔神ハイシェラはターペ=エトフを滅ぼした後、ケレース地方統一に乗り出し、イソラ王国を降伏させた。その時のイソラ王国記録では、魔神ハイシェラは赤い髪を持ち、胸元が大きく開いた「妖艶」な魔神であった、とされている。この時の魔神ハイシェラと、後の神殺しセリカ・シルフィルは同一人物なのか、それとも別人なのか・・・後世の勇気ある歴史研究家が、レウィニア神権国プレイアにある「神殺しの邸宅」に調査のために訪問し、神殺しセリカ・シルフィルとの面会を実現している。「新・七古神戦争」と呼ばれるブレニア内海沿岸域の動乱後であったためか、神殺しへの恐怖が広まっていたこともあり、その歴史研究家の報告書は話題を呼んだ。

 

・・・セリカ・シルフィル殿は、巷が噂するような人物とは、とても思えない程に穏やかであった。私が「貴方は、ターペ=エトフを滅ぼした「魔神ハイシェラ」なのか?」と問うたところ、彼は首を傾げ、暫く沈黙をし、やがて「さっぱり覚えていない」と述べた。奇妙な返答である。違うのであれば、ハッキリと「違う」と応えるはずである。覚えていないとは「身に覚えがない」という意味なのだろうか?私は更に詳しく聞こうとしたが、彼はただ微笑んだだけであった。ハッキリ言おう。その時に私の中で、ある確信が生まれた。彼は確かに、古神の肉体を奪った神殺しなのだろう。だが、絶世とも言える美貌に浮いたその微笑みは、どこまでも穏やかで、神々しくさえあった。神殺しは、決して「邪悪」ではない。「魔神ハイシェラ」と「神殺しセリカ・シルフィル」は、全くの別人である。これが私の結論である・・・

 

ただの印象論でしか無い報告書ではあるが、その報告書が正しいことは「レウィニア神権国神殿」が公式に保証をしている。そのため、魔神ハイシェラは「妖艶な赤髪の魔神」というのが、歴史家の定説となっている。

 

 

 

 

 

荒涼とした岩肌が続く山に、巨大な気配が舞い降りた。古神の肉体と融合し、現神に匹敵する力を手に入れた魔神「神殺しハイシェラ」である。赤い髪を靡かせ、岩肌にポッカリと開いた洞窟に入る。長い階段を下りていく。やがて広大な空間が出現した。巨大な門の前に、三ツ頭の魔獣と、それに跨る幼女としか思えない外見の魔神がいた。魔神ナベリウスと魔獣ケルベロスである。ハイシェラは上機嫌な様子で、ナベリウスに声を掛けた。

 

≪久しいの、ナベリウス・・・元気にしておったか?≫

 

≪ん・・・ふつう・・・≫

 

ナベリウスは特に興味がなさそうにしている。ハイシェラは辺りを見渡した。

 

≪それにしても、面白味の無い場所だの・・・どうじゃ、我と共に外に出て、ひと暴れせぬか?≫

 

≪・・・興味ない・・・それに、この子が寂しがる・・・≫

 

≪・・・ナベリウス・・・何か気になることはないか?ホレ・・・≫

 

≪別に・・・≫

 

ハイシェラは溜息をついた。この魔神と知り合ってから千年以上になるが、こうした反応は全く変わっていない。

 

≪気づくであろうが!我の髪だの、外見だの!≫

 

≪ん・・・髪が赤くなってる・・・あと顔も別人・・・≫

 

≪気になるであろう?聞きたいであろう?≫

 

≪別に・・・≫

 

ハイシェラは苦笑いをした。予想通りの反応であった。だが此処に来たのは、ナベリウスを連れ出すためではない。この地に棲む魔神に対して、一言、挨拶をしておく必要があっただけだ。

 

≪まぁ良い・・・ナベリウスよ、我は暫く、このケレース地方で暴れるつもりじゃ。新たに手にした力を試すに、相応しい相手がいるからの。死者も多く出よう。汝に一言、断りを入れておこうと思うての・・・≫

 

≪そう・・・≫

 

ナベリウスは無表情で頷いただけであった。ハイシェラとしては、これだけで十分であった。ナベリウスは魔神の中でも上位に属する。敵に回したら厄介であった。スジを通しておくことで、ナベリウスはこの地から動くことは無い。これから闘う相手は、二千年以上の闘争の中で、最上級の相手である。今の自分でさえも、勝てるという確信はない。それ程の相手であればこそ、こちらも全知全能を傾ける価値があるのだ。

 

≪また寄らせて貰う。その時は、菓子でも持ってきてやろうかの・・・≫

 

≪・・・バイバイ≫

 

ナベリウスは無表情のまま、ハイシェラに手を振った。

 

 

 

 

 

この日のレウィニア神権国の王宮は、ある緊張に包まれていた。アヴァタール地方およびレスペレント地方の各王国から、力を持つ貴族たちが集まったからである。レウィニア神権国公爵フランツ・ローグライアは、会議室に集まった各国の上級貴族たちに挨拶をし、議題を提示した。

 

『この度は、プレイアまでお越しを頂き、恐悦至極です。特に、カルッシャ王国の第二王子シルヴァン・テシュオス殿、フレスラント王国公爵メリアス・ライケン殿、バルジア王国公女ナディア・バルジアーナ殿には、遠方からお越し下さったこと、改めて、御礼を申し上げる』

 

『父から、他国を観ることは王子として必要と言われたから来ただけである。バルジアーナ殿はまだしも、フレスラントの公爵までいるとはな・・・一体、何を企んでいる?』

 

『全くだ。レウィニア神権国国王直筆の書状に、水の巫女殿まで署名をしていたから、私もここまで来たのだ。これで「ただの会合」などと申されようものなら、我が国としても考えがありますぞ?』

 

『皆様の疑問は、御尤もで御座います。ここは、私より説明をさせては頂けませんか?』

 

先日、父親の跡を継ぎ、メルキア王国宰相となった「ヘルマン・プラダ」が笑みを浮かべながら立ち上がった。王国となったメルキアには、王族や貴族が増え始めていた。その中で権謀術数の限りを尽くして、宰相の座を守り抜いている。幼い頃から、祖母であるリザベルの薫陶を受けていたためか、その政治力はメルキア国内でも抜きん出ている。どちらかと言うと、祖父に近い顔立ちをしており、一見すると商人にも見える。朗らかな微笑みを浮かべながら、レスペレント地方三大王国の重鎮たちに、問いかけた。

 

『この場にお集まりになられた御一同を見渡して、何か、お気づきになりませんか?』

 

ナディア・バルジアーナが初めて口を開いた。公女であるが、甲冑を着けている。王宮でお淑やかに過ごすような柔和な女性ではない。

 

『先程から気になっていた。何故、ターペ=エトフからは誰も来ていないのだ?いや、この面子を見ていると、まるでケレース地方を取り囲むかのようだ』

 

『さすがは「バルジアーナの白き刃」と噂されるナディア様、その通りでございます。この会合で御提案をさせて頂きたいのは「ターペ=エトフ包囲網」の形成でございます』

 

レスペレント三大王国の重鎮たちは、驚きの表情を浮かべた。レウィニア神権国は、ターペ=エトフの「唯一の同盟国」として二百年以上に渡って友好関係を築いている。ターペ=エトフの物産品を多く輸入しているが、大陸公路の要衝地として、多大な利益も得ている。ターペ=エトフの経済力を最も享受していた。そのレウィニア神権国が、友好関係を破棄するつもりなのである。プラダが言葉を続けた。

 

『皆様・・・今から四十年ほど前に、ターペ=エトフ王国国王が出した宣言をご存じですか?』

 

一同は頷いた。ターペ=エトフ歴二百五十年を持って、王政を廃し、共和制と呼ばれる新たな政体へと移行するという宣言である。当時は多くの国々が鼻で笑い、そして警戒をした。

 

『半分、冗談にも受け止められたあの宣言ですが、ターペ=エトフではその後も「共和制」と呼ばれる政体に以降すべく、着々と準備が進んでいます。そしてあと十年で、ディル=リフィーナの歴史上、初めてとなる「王も貴族も存在しない国家」が誕生するのです。宜しいですか?ターペ=エトフは、王や貴族の存在を「否定」しているのです。つまり我々を否定しているのです』

 

『だがそれは、ターペ=エトフの国内に限ってのことであろう?ターペ=エトフはあれだけの国土と富、さらには万の軍隊を打ち破るほどの武力を持ちながら、建国以来、一度として侵略をしたことが無い。ターペ=エトフの法には「侵略を目的とする戦争は放棄する」と明記されているそうではないか。他国がどのような政治体制になろうと、それはその国の勝手ではないか?』

 

ナディアは当たり前のように述べた。「武」への興味に偏っているため、政治的な話題が苦手なのだ。ヘルマン・プラダは首を振って否定した。

 

『宜しいですか、ナディア様・・・民衆の、民衆による、民衆のための国家・・・王も貴族もなく、その地に住む全ての者達が「平等」であり、等しく法に統治される。そして、民衆皆が豊かに暮している・・・そのような国が隣に出来たら、バルジアーナ王国の平民たちはどうすると思います?』

 

ナディアは沈黙した。王族や貴族は特権階級である。民衆から税を徴収し、その税金で暮らしている。「支配する側と、支配される側」・・・この構造が王制なのだ。だがターペ=エトフには「支配される側」が存在しなくなる。もしそんな夢の国が出来たら、民衆はこぞって、ターペ=エトフに殺到するだろう。支配者は、被支配者がいて初めて成立するのだ。民がいなくなれば、王国は瓦解する。

 

『ターペ=エトフはこれまでは王制でした。インドリト・ターペ=エトフという支配者がいて、支配される民がいました。インドリト王は民の声を聞くために、元老院という機構を造りましたが、基本的な支配構造は他国と変わらなかったのです。そして、ケレース地方という印象とルプートア山脈という天険、さらには難民は受け入れるが、移民受け入れは慎重を期す、という国家方針がありました。ですが、もしターペ=エトフの政体が変わり、民衆が支配者となったら、どうなると思います?』

 

『広く移民の門戸を開くだろうな。支配されたくなかったら、ターペ=エトフに来い。この地には王も貴族もいない。民のための政を民自身が行うのだ・・・確かにな。我が王国にも、ターペ=エトフに憧れる民衆がいると聞いたことがある』

 

シルヴァン・テシュオスが頷いた。フランツ・ローグライアが、プラダの言葉を引き継いだ。

 

『民衆が流れる、くらいで済む問題ではない。問題は、ターペ=エトフに憧れるあまり、自分の国もそうなるべきだ、と考える民衆が増えることだ。このまま行けば、各国で民衆蜂起が起きかねない』

 

フレスラント王国公爵メリアス・ライケンも、同意するように頷く。

 

『我が国でも行商人たちが船を使って、ターペ=エトフにあるフレイシア湾と行商を行っている。ターペ=エトフは、王はいるが貴族は居ない。信じ難いことに、インドリト王の親族たちも、普通の庶民として暮らしているそうではないか。今は漏れ伝わる程度だが、これが民衆たちに知れ渡れば、大変な問題になる』

 

『カルッシャでは既に、その問題に直面している。二百年以上前、我が国とターペ=エトフは戦ったことがある。その後、外交交渉を重ね、ケテ海峡に国境を引いた。その結果、かなりの数がケテ海峡を渡り、ターペ=エトフへと移動をするようになった。西方から来た闇夜の眷属、北方から移動したイルビット族など、この二百年で移動した数は万を超えるだろう』

 

カルッシャ王国とフレスラント王国は、ターペ=エトフに近く、交易も行われている。そのため、ターペ=エトフ国内の情報が漏れ伝わっている。支配者側としては、ターペ=エトフの政治体制を心良く思わないのは当然であった。だが新興国のバルジア王国は、ターペ=エトフとの直接交易は行っていない。レスペレント地方東方域にも近く、闇夜の眷属たちにも比較的寛容な国であった。ナディア・バルジアーナは両国の意見に頷きながらも、反対意見を述べた。

 

『なるほどな。話は理解した。ターペ=エトフの新たな国体が危険であること、それに対する対策が必要だということも解る。だがやはり、包囲網形成というのは反対だ。複数の国々が寄ってたかって、ただ一国を叩こうというのは、どう考えても正道に反するのではないか?ターペ=エトフが我らに戦を仕掛けてきたというのなら別だが、彼らは自分たちの国内で、平穏に暮らしているだけだ。我らが自らを戒め、民衆が安心して暮らせるように、国を導いていけば良いではないか』

 

ヘルマン・プラダは笑いながら、ナディアの反対意見を受け止めた。内心では「小娘が」とバカにしながら…

 

『ナディア様はマーズテリア神を信仰する生粋の武人、堂々たる戦いによって勝利を求めるのは当然です。また、仰られることも正論です。我らが自国をより豊かに、民衆をより安寧に導くよう努力をすれば良い・・・確かに、その通りでしょう。ですがナディア様、ターペ=エトフの肉や小麦の価格をご存知ですか?』

 

ナディアは首を傾げた。武人とは言っても、国王に連なる貴族階級である。市井の物価など知る筈がない。プラダは全員を見渡しながら、言葉を続けた。

 

『ターペ=エトフでは、肉や小麦の価格が、メルキア王国、レウィニア神権国のおよそ半額で売られています。彼らは膨大な生産力を活かし、各国に輸出をし、その利益によって国家運営を行っています。ターペ=エトフの税率は一割強、教育も医療費も無料となっています。ハッキリ申し上げます。メルキア王国で、税率を一割にしたら、王国は崩壊します。皆様の国でもそうでしょう?』

 

沈黙が流れた。ターペ=エトフの国名は知っているが、そこで暮らしている民衆の生活までは、知らなかったのだ。いや、興味が無かったのである。プラダはさらに言葉を続ける。

 

『皆様は各国の上流貴族・・・日常の夕食は、食卓に肉や葡萄酒、白麺麭が並ぶでしょう。ターペ=エトフでは、全ての庶民がそれと同等か、それ以上の食生活を送っています。それも毎日・・・そんな国が存在していたら、他国の民衆はこう思います。「何で自分たちは、こんなに貧しいんだ?それは貴族がいるからだ!彼らが俺たちを虐げ、搾取し、税金をネコババしているんだ!貴族を打倒しろ!」・・・如何です?そうならないと、断言できますか?』

 

ナディアは認めざるを得なかった。呻くように呟く。

 

『ターペ=エトフは、その存在そのものが危険というわけか・・・我らがどれほど善政を心がけようとも、ターペ=エトフのような「豊かさ」は実現できない・・・悔しいが、認めざるをえんな』

 

『ターペ=エトフがどこか遠い国であってくれたのなら、ただの御伽噺として片付けられたでしょう。ですが、彼の国は隣国として、現実に存在しており、その存在はもはや、無視できません。我ら隣接国は、何らかの対応が必要だと考えます』

 

プラダのまとめを引き継ぎ、フランツ・ローグライアが立ち上がった。

 

『ご一同も、プラダ殿の意見に頷かざるを得ないと思う。そこで、どのように対応するかだが・・・ここで「レウィニア国王陛下」より言伝がある。水の巫女様の「預言」が書かれている』

 

全員の視線が、ローグライアに集中した。ローグライアは羊皮紙の巻紙を取り出した。レウィニア神権国神殿の封蝋がされている。上に掲げ一礼し、蝋を割る。一読し、ローグライアは頷いた。

 

『水の巫女様の預言である。「一年以内に、ケレース地方東部に強力な新興国が誕生する。その国が、ターペ=エトフを滅ぼすであろう。レウィニア神権国は密かに、その新興国を支援する。各国もそれに倣うよう、提案をする」・・・』

 

全員が顔を見合わせた。フレスラント王国公爵メリアス・ライケンは、咳払いをして疑問を提示した。

 

『大変失礼ながら、俄には信じられんな。いや、貴国の絶対君主「水の巫女様」を疑っているわけではない。だが、あの混沌としたケレース地方において、ターペ=エトフに匹敵する国が新たに誕生するとは・・・』

 

『ケレース地方の東側には「ガンナシア王国」がありますが、水の巫女様は、その国を指しておられるのかな?』

 

ヘルマン・プラダも首を傾げた。自分としては、南北で軍を起こし、ケレース地方に攻め込むものと考えていたからだ。長年の同盟国であるレウィニア神権国は、信用を得るためにも大規模な軍を起こして、前線に立たざるを得ない。メルキアとしては、ターペ=エトフとレウィニア神権国の共倒れを狙っていたのである。フランツ・ローグライアは首を振った。

 

『私にも詳しいことは理解らぬ。だが、水の巫女様の預言は、これまで一度として外れたことは無い。ターペ=エトフを滅ぼす力を持つ国が、ケレース地方に誕生するのは間違いないだろう。如何かな?。未来のことは理解らぬ。だが、もしそうした国家が誕生したら、各国が協力して、密かにその国を支援する・・・この点について、合意は出来ないだろうか?』

 

腕を組んで瞑目していたナディア・バルジアーナが頷いた。

 

『良かろう。軍を起こすのではなく、あくまでも新興国への援助というのだな。「密かに」ということは、大々的な規模ではなく、出来る範囲でということであろう。その程度であれば、父を説得できよう。バルジア王国は、レウィニア神権国の提案を受け入れる。ケレース地方にそうした新興国が誕生した暁には、物資の援助をしよう』

 

反対姿勢であったバルジア王国が最初に賛同をしたため、他国もそれに倣った。軍を起こすのなら別だが、武器や食料の援助程度であれば、それ程の負担にはならない。ここに、五カ国による秘密協定が締結された。

 

 

 

 

 

魔神ハイシェラは、東西南北を駆け回っていた。この二千年間で巡り合った魔人や悪魔族などに声を掛けるためである。

 

«・・・我ながら、自分の勤勉さに驚くの。水の巫女め・・・我を利用しておるつもりであろうが、いずれ奴も滅ぼしてくれるわ»

 

凄みのある笑みを浮かべながら、北ケレース地方ホア族の集落に降り立った。ホア族は戦闘民族である。知性はそれ程高くないが、個々が高い戦闘力を持ち、残酷で獰猛な種族であった。集落に降り立った赤髪の美しい女に、ホア族の男たちが一斉に注目した。上から下まで、その肢体を舐めるように視姦する。

 

«我が名は地の魔神ハイシェラ・・・これよりお前たちの主人となる。我の意志に従えぬものは、此処に名乗り出るが良い»

 

一際大きな身体を持つ亜人が出てきた。ホア族の部族長である。巨大な棍棒を持っている。

 

『何だ、お前は・・・ここは俺たちホア族の集落だ。いきなり来て、俺達の主人になるだと?その身体で満足させてくれるって言うのか?』

 

卑下た笑いが辺りに広がる。どうやらハイシェラが魔神だということに気づいていないようであった。圧倒的な気配に気づかないのは、余程の鈍感か、欲望で目が眩んでいるかである。この場合は、その両方であった。ハイシェラは笑みを浮かべて、靭やかな手を掲げた。指先で部族長の胸を軽く突く。その瞬間、巨大な身体が吹き飛んだ。

 

«・・・どうやら汝らは、痛い思いをしなければ理解できぬようだの。我が可愛がってやる故、遠慮なく掛かってくるが良い»

 

男たちが雄叫びを挙げ、ハイシェラに襲いかかった。美しい魔神は笑みを浮かべた。数瞬後、集落には沈黙が流れた。立っている男は一人も居ない。ハイシェラは最初に吹き飛ばした部族長の前に立ち、見下ろした。

 

«我の支配を受け入れるか?それともここで皆殺しにされるか?選べ・・・»

 

『・・・好きにしろ』

 

«最初から素直に頷けば、痛い思いをせずに済んだものを・・・暫し、この集落にて牙を研いでおくが良い。いずれ迎えに来よう。褒美じゃ、我が足への口吻を許す»

 

白い生脚が、部族長の前に差し出された・・・

 

 

 

 

 

レウィニア神権国神殿奥の泉に、水の巫女は佇んでいた。その表情には暗い影が差している。神でありながら、自分の判断に「絶対の自信」が無かったからだ。その原因は、マクルの動乱に乗じた、神殺しセリカ・シルフィルへの「背信」にある。

 

・・・死なないでくれ、姉さん!・・・

 

セリカは必死の表情で、そう語りかけていた。彼を絶望させ、その歩みを止めることで、強力な魔神を生み出す・・・そう考え、彼の姉の肉体を借りた。その目論見は上手く行った。セリカは絶望し、心に隙間が生じた。そこに、彼を付け狙っていた魔神が入り込んだ。魔神ハイシェラは、ディアン・ケヒトに執着している。彼の居場所を教えれば、必ず襲いに行く。だがそれでは、ターペ=エトフを滅ぼすことは出来ない。ディアンとハイシェラの「個対個」の闘いでは、意味が無いのである。

 

・・・まずは国を興すのです。そして国家として、ターペ=エトフに宣戦するのです。黄昏の魔神は、ターペ=エトフを愛しています。自分の愛する国が侵されるとなれば、彼は全力で護ろうとするでしょう。貴女が望む「全力の闘い」のためには、彼を本気にしなければなりません・・・

・・・国家を興せば、レウィニア神権国や他国も、支援をするでしょう。その点の根回しは、私が引き受けます。貴女は、ケレース地方に国を興し、強力な兵を集め、ターペ=エトフを滅ぼすことに、全力を傾けなさい・・・

 

水の巫女は胸が傷んだ。魔神ハイシェラが国を興し、ターペ=エトフに宣戦布告をした時・・・その時が、彼との決別を意味するからだ。ディアン・ケヒトは考えるだろう。魔神ハイシェラは、どうやって自分の居場所を知ったのか、何故、建国などをしたのか・・・そして辿り着く。その入れ知恵をしたのは「(水の巫女)」だと・・・

 

『ディアン・・・貴方が悪いのです。貴方は解っていたはずです。インドリト王が民主共和制を考えた時に、いずれこうなることが・・・貴方はそれを止めなかった。止められるのは私だけだと知っていたから・・・私なら止めないだろうと考えていた・・・』

 

水の巫女は、黄昏の魔神ディアン・ケヒトの理想を知っている。その理想が生まれた事件も、培われた背景も、その理想が行き着く場所も、理解をしている。全てを理解した上で、水の巫女はディアン・ケヒトを止める、という選択をした。ディアンの歩みは、余りにも速過ぎた。数千年分の「変革」を数百年で成し遂げようとしているのだ。その歩みに着いて行けない者はどうなるのか、時代遅れとして消えていく運命にあるのか、ディアンにはその視点が欠けていた。いや、無視していた。

 

『貴方は言いました。信仰の実践には、他者を考えなければならないと・・・そう言いながら、貴方は自分の思想の実践において、他者を考えているのですか?私は敢えて、言い切ります。貴方は・・・間違っています』

 

水の巫女は瞑目した。

 

 

 

 

 




※申し訳ありません。操作ミスで12月1日アップ予定を投稿してしまいました。少し書き溜めたいので、次話以降は、12月からのアップとなります。ご了承下さい。

【次話予告】

魔神ハイシェラは、ガンナシア王国に降り立った。突然の魔神の来訪に、街中が騒然とする。国王ゾキウは剣を構えて、ハイシェラと対面をした。王と魔神の問答が始まる。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第七十七話「弱き者たちのために・・・」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第七十七話:弱きものたちの為に・・・

ガンナシア王国の名は、歴史上においては殆ど重視されていない。これは、後世においてガンナシア王国が存在したとされる「オメール山」が封鎖されていることも理由の一つだが、ガンナシア王国自体が、人間族との関係を極端に忌避し、メルキア王国のバーニエの街や、北ケレース地方の亜人族との交易が見られた程度で、たとえ滅亡をしたとしても、他国に与える経済的影響が限定的であったためである。ガンナシア王国は、これといった特産品が無く、また通貨も存在していなかった。だが貧しかったというわけではない。メルキア王国に残されている記録によると、ガンナシア王国は自給自足体制を整えており、自分たちが食べていけるだけの生産は行っていたとある。国王のゾキウは、人間族に対しては苛烈であったが、その国内は、極めて「牧歌的」な国だったと考えられている。

 

ターペ=エトフ歴二百四十一年、そのガンナシア王国が一変する。魔神ハイシェラの襲来である。後世、北華鏡の集落において、ハイシェラ襲来を喩えた「手毬唄」が残されている。

 

魔神が来るぞ 魔神が来るぞ

赤い髪の魔神が来るぞ

キレイな顔した怖い人

優しい顔した怖い鬼

王様死んで みんな降参

魔神は笑って頷いた

お肉やお酒がたんと来て

みんな魔神に感謝した

 

ハイシェラ魔族国は、当時最も豊かであった大国ターペ=エトフと、五十年間に渡って戦争を続けた。戦争となれば、武器や食料などを大量に消費する。ガンナシア王国の経済体制をそのまま引き継いだとしても、ターペ=エトフと戦争を続けることは困難であったはずである。ターペ=エトフは、建国王インドリト・ターペ=エトフの死去により、滅亡をする。インドリト王は、ターペ=エトフ歴二百五十年に国家体制の変革を実行することを宣言していたが、ハイシェラ魔族国との戦争により、それが見送られた。言い換えれば、ハイシェラ魔族国が無ければ、ターペ=エトフはターペ=エトフ共和国として、現在も存続していた可能性が高いのである。軍事力は無論、経済力においても、ハイシェラ魔族国は多くの謎に包まれているのである。

 

 

 

 

 

オメール山は、ケレース地方中央域にある「単体山」である。ガンナシア王国は、この山の麓に街を構え、放射状に国土を広げていた。その山頂に、一柱の魔神が舞い降りた。赤い髪を靡かせ、秀麗な美しい顔立ちの魔神である。服装は際どい。胸元は大きくはだけ、豊かな胸が突き出している。腰布は動きやすいように切られており、白い脚が太腿まで剥き出しになっている。男なら誰でも欲情する姿だが、実際に眼にした男は、奮起どころか萎縮をするのが常であった。尋常ではない魔の気配に、山頂に巣を構えていた魔鳥類が、一斉に飛び立っていった。赤髪の魔神ハイシェラは、腰に手を当てて麓を見下ろした。そこそこの大きさの王宮と、それなりに発展をした街が広がっている。

 

«あれが、ガンナシア王国か・・・なるほどの、魔族の気配が多いの。我が国を作る上では丁度良かろう。さて・・・»

 

ハイシェラは西に向けて飛び立った。「華鏡の畔」にいる魔神アムドシアスに会うためだ。連携は出来ないかもしれないが、敵対は避けたいと考えていた。敵に周ったら周ったで、それは楽しめそうだが・・・

 

 

 

 

 

『古神の肉体を得た魔神・・・か』

 

レスペレント地方モルテニアに棲む「魔神グラザ」はエール麦酒を飲みながら呟いた。レスペレント地方モルテニアとプレメルは転送機によって繋がっている。だがそれほど頻繁に使われているわけでは無い。ターペ=エトフとモルテニアは、三月に一度程度で交易船が行き来をしている。ターペ=エトフからは武器や食料が運ばれ、モルテニアからは西方諸国の書籍や北方地方の酒や薬草、毛皮類などが運ばれてくる。交易の形式を取っているが、半分はモルテニア地方への援助も兼ねていた。魔神ディアーネが統治する国「グルーノ魔族国」は、カルッシャ王国やフレスラント王国と戦争中である。武器はいくらあっても足りない状況だ。

 

『魔神ハイシェラか・・・その名だけは聞いたことがある。魔神の中でも上位に属し、闘いを好み、容赦なく殺戮をするそうだな。最も「魔神らしい魔神」と言えるだろう』

 

足を組んで椅子に腰掛けていたディアーネが頷いた。グラザはハイシェラを知らないようだが、ディアーネは噂だけは聞いたことがあるようだ。

 

『ハイシェラは古神の肉体を手に入れた。好戦的な魔神が巨大な力を得たら、次はそれを使おうとするだろう。だがこのラウルバーシュ大陸で、それほどの力を相手にできる存在など限られる。過去においては姫神フェミリンスやブレアード・カッサレ、現在においては・・・』

 

『我らか?確かに、現神に匹敵する力となれば我と謂えども、相手をするのは苦労するであろう』

 

(いや、というかお前では無理だろ)

 

ディアンもグラザもそう思ったが、敢えて無視をした。

 

『ハイシェラは闘う相手を求める。それ程の力を受け止められる存在など、現神か魔神くらいしかいない。二人共、十分に警戒をしてくれ』

 

ディアンはディアーネの言葉を受け止める「ふり」をしなが、二柱に警戒するように伝えた。ディアーネが去った後、グラザはディアンが考えていることを見抜いたように質問をしてきた。

 

『ディアン、まさかとは思うがお前・・・フェミリンスを復活させようなどとは考えていないだろうな?』

 

『正直に言おう。考えた。姫神フェミリンスなら、魔神ハイシェラの相手として不足はないだろう。巨大な二柱を共倒れさせよう・・・なんて考えたりもした。だが、あまりに危険すぎる。既に封じられている破壊神を復活させ、新たな破壊神にぶつけるなど、妙案のように見えながら、不確定要素が多すぎて、作戦としては下策だ。それに、お前も思っているだろうが・・・』

 

『魔神ハイシェラが狙っているのは、ディアン・・・お前だろ?ここに来た理由は、万一の場合の警告と、お前がターペ=エトフに居ることを口止めするためだろう。言われるまでもなく、お前のことは誰にも漏らさん。ディアーネもそうだろう。アレはアレで、気位が高いからな』

 

『スマン・・・感謝する』

 

魔神は独立の存在である。その為、「指示される」ことを極端に嫌う。ディアンが口止めなどしようものなら、逆の反応をする可能性もあった。グラザはその辺を敏感に察したのだ。こうした察しの良さが、モルテニアを安定させている大きな要素であった。ディアーネには、このような「察し」は期待できない。

 

『魔神ハイシェラはオレを狙ってくる。ターペ=エトフに居ることがバレたら、オレは身を隠すつもりだ。あの国を巻き込むことは出来ん』

 

『ブレアード迷宮を使え。この迷宮に隠れれば、いかに魔神ハイシェラと謂えども、見つけることは容易ではない。だが・・・』

 

『なんだ?』

 

『俺がハイシェラなら、お前を逃さないような手を考えるだろうな。例えば、ターペ=エトフそのものを人質に取るとか・・・』

 

その可能性はディアンも考えた。だが、ディアンとターペ=エトフの結びつきを知らない限り、その手は思いつかない筈だ。魔神と謂えども、その知性は人間並みである。自分の知識と想像の範囲で、相手を考える。魔神ハイシェラが自分の居場所を知れば、一目散に襲ってくるだろう。そして、その情報源として考えられるのは、このモルテニアか、スティンルーラ族からである。神である「水の巫女」が一柱の魔神に漏らすとは思えないし、華鏡の畔にいるアムドシアスも無いだろう。信義以前の問題として、アムドシアスとハイシェラの相性は悪いはずだ。アムドシアスの芸術談話に、ハイシェラがイラつく様子が見えるようであった。

 

 

 

 

 

«美しかろう?この石像は、イアス=ステリナ世界の遺産だ。巨匠が命を賭けて打ち出した一像ぞ・・・この見事な太腿を見てみよ»

 

ディアンの予想通り、アムドシアスはハイシェラに対して、中庭で石像の話をしていた。ハイシェラはイラついていた。彼女にしては忍耐強く我慢したといえるだろう。何しろ半刻(十五分)も興味のない話に付き合ったのだから・・・

 

«石像の話はもう良かろう。それよりも、ターペ=エトフに対する話じゃ。我はこれより・・・»

 

«石像には興味が無いか。ならば絵画ではどうだ?城の中には貴重な絵画が数多く・・・»

 

«いい加減にするだの!我は芸術などに興味ないわ!そのようなモノで、強大な敵を打ち破れるとでもいうのか!»

 

アムドシアスは真顔になった。魔神の気配が変質する。これまでの柔和なものから、刺すような殺気へと変貌していく。

 

«・・・お主、我の蒐集品(コレクション)を鑑賞しに来たのではないのか?»

 

«誰がそのようなことを言うた!我はこれより、ガンナシアを滅ぼし、ターペ=エトフに攻め込む!此処には手を出さぬ故、動くなと・・・»

 

«美を解さぬ愚者の言うことなど、聞きたくもないわ!今すぐ、我の目の前より消えよ!»

 

美を愛する魔神アムドシアスは、怒りの表情でハイシェラを睨み、空を指差した。ハイシェラも冷たい笑みを浮かべる。

 

«我をコケにするとは・・・命知らずの魔神(ヤツ)もおるものだの。今すぐここで殺しても良いが・・・ここはコレで勘弁してやるかの»

 

ハイシェラは側にあった「見事な彫像」に純粋魔術を放った。彫像が木っ端微塵になる。アムドシアスは頭を抱えて奇声を上げた。ハイシェラは嗤いながら、空へと飛び立った。ひとしきり、彫像の喪失をアムドシアスは嘆いたが、やがて立ち上がると、ハイシェラに対して激しい憤怒が残った。

 

«許せぬ・・・我の大切な蒐集品を破壊するとは・・・魔神ハイシェラよ、貴様は「永劫の宿敵」となったぞ!»

 

ハイシェラが何と言っていたか、アムドシアスは怒りのあまり、完全に失念していた。

 

 

 

 

 

«やれやれ、一体何だったのだ?あの魔神は・・・我は多くの魔神を識るが、一際、変わった魔神であったの»

 

ハイシェラは失笑しながら「華鏡の畔」から東に向かった。オメール山を飛び越え、ガンナシア王国に舞い降りる。巨大な気配を放つ魔神が、街中の広場に出現したのだ。街は狂乱状態となった。民衆たちを逃しながら、屈強な兵士たちが槍を構えてハイシェラを取り囲む。闇夜の眷属を受け入れているとはいえ、魔神となれば話は別である。彼らは「弱者」ではない。

 

『名を名乗られい!ここはゾキウ様が治める国、ガンナシア王国である。保護を求めるのであれば、まずその気配を抑えられよ!』

 

隊長らしき男が怒鳴る。だが魔神がそんな指示を聞くはずがない。ハイシェラの放つ気配が更に強くなる。圧倒的な気配に空気が歪む。取り囲んでいた兵士たちも、ジリジリと後退した。

 

«我が名は地の魔神ハイシェラ・・・今日この日より、この国の新たな王となるだの。汝らの主じゃ、跪け・・・»

 

兵士たちにざわめきが広がる。隊長が一喝し、同様を抑えた。再び、取り囲む輪が狭くなる。ハイシェラは笑みを浮かべ、気合を放った。

 

«カァッ!»

 

凄まじい魔の気配が放出され、取り囲んでいた兵士たちが吹き飛ぶ。兵士たちの心が折れた。腰を抜かし、逃げ出そうとする者までいる。だがそこに、別の気配が出現した。国王ゾキウであった。剣を下げているが、甲冑は着けていない。その眉間は険しかった。

 

『静まれっ!皆、下がっていろ!お前たちに勝てる相手ではない!』

 

«どうやら国王自らのお出ましのようだの・・・我の気配に動じぬのは流石じゃが・・・聞き違いかの?まるで、自分ならば勝てるように聞こえたが?»

 

『ハイシェラと言ったな。ガンナシア王国に何のようだ?』

 

«聞いていなかったようだの。この国は我が貰い受ける。これより、我がこの国の王じゃ。ゾキウとやら・・・降伏するのであれば、将として使ってやっても良いぞ?»

 

『ほう・・・魔神でありながら、「王」を目指しているのか。問う。お前は王になって、何をするつもりだ?』

 

«何をするつもりか・・・ふむ、強いて言うなら、強大な敵と闘う、と応えるかの。西にあるターペ=エトフと戦争をするのじゃ»

 

『ターペ=エトフと戦争・・・何の為に、そのような戦争をする』

 

その問いに、ハイシェラは笑った。そんなことは、考えたこともないからだ。

 

«汝は何のために、食事をするのだ?魔神にとって闘争とは食事と同じだの。闘うことに目的など無い。我は気の赴くままに、奪い、破壊し、殺戮し、支配する。それが魔神というものだの!»

 

ゾキウは失笑して、首を振った。

 

『下らぬ生き方だな。何故、その力を他者のために使わぬ。弱き者たちのために使わぬ!我・我・我・・・お前には自分しか無いのか?いかに強大な力を持とうとも、喩え神に匹敵する強さを得ようとも、自分だけを考えている限り、お前の渇きは永遠に癒えぬ!もう良い。貴様の下らぬ遊びに、民たちを巻き込むわけにはいかん。ここで成敗してくれる・・・』

 

ゾキウは剣を抜いた。ハイシェラは笑みを浮かべたまま、黙って剣を抜いた。ゾキウの「説教」に何を感じたのかは解らない。ゾキウは剣を構え、一気にハイシェラに斬り掛かった。だがハイシェラは、片手で剣を奮い、簡単に弾き返した。ゾキウは虚実の剣に切り替え、四方から斬りかかる。だがハイシェラは一歩も動くこと無く、ゾキウの剣撃を全て弾き返した。

 

«フンッ・・・半魔人にしてはやりおるの。並の魔神であれば、汝でも十分に闘えたであろう。じゃが生憎と、我は並ではないがの»

 

ハイシェラが動いた。一瞬でゾキウの懐に潜り込み、剣を突き出す。ゾキウは辛うじて、それを躱した。剣が脇腹をかすめ、皮膚と肉が斬れる。ハイシェラは突き出した剣をそのまま横に薙ぐ。剣胴を使ってそれを防ぐが、凄まじい膂力に吹き飛ばされる。家の壁に叩きつけられる。衝撃に壁は保たず、家が崩れる。だが崩れた瓦礫が吹き飛び、その中からゾキウが飛び出してきた。ハイシェラに猛然と斬りかかる。ハイシェラは余裕の表情で剣撃を受け止めるが、ゾキウが足元の泥を蹴り上げた。ハイシェラの顔を泥が襲う。それを避けようと体制を崩したところに、ゾキウが斬り掛かった。躱しようのない、必殺の一振りであった。だが・・・

 

キィンッ

 

ハイシェラは左腕で剣を受け止めた。魔力によって、腕を鉄のように硬化させている。ゾキウは飛び退いた。ハイシェラは体制を整え、左腕を下ろした。中指に一筋の血が流れた。

 

«驚いたの。半魔人の分際で、我に傷を付けるとは・・・だが、これで決まったの。今の一撃で、我を討てなかった。最早、汝に勝機は無い。それは解っておろう?»

 

ゾキウは肩で息をしていた。ハイシェラの言うとおり、ゾキウの勝機は去った。もはや勝ち目は無かった。ゾキウは覚悟を決めた。たとえ此処で倒れるとしても、己の矜持は残しておきたかった。

 

『魔神ハイシェラよ、このガンナシア王国は、弱き者たちの希望・・・人間族に虐げられ、逃げてきた闇夜の眷属が、安心して暮らしている土地だ。貴様が王となっても、弱き者たちを救けると約束できるか!』

 

ハイシェラは真顔になった。また「自己犠牲」である。ハイシェラはそれが嫌いであった。己を救けるのは己のみ、己で立とうと足掻く者であれば、手を差し伸べないまでも、見守る程度はしても良い。だが、自ら足掻こうとせずに他者に救いを求める者など、度し難い存在である。ハイシェラは嗤って吐き捨てた。

 

«下らぬの。弱き者たちを救うとな?そのような甘ったれた考えこそが、その者たちの自立を妨げるのじゃ!我の答えは「誰も救けぬ」じゃ!自らの足で立ち上がろうと足掻かぬ者に、我は生きる資格を認めぬ!』

 

ゾキウは瞑目した。ハイシェラの言葉は「強者の論理」である。弱者は、自分の力では立てぬから弱者なのだ。彼らに手を差し伸べ、立ち上がる支援をするために、ガンナシア王国は存在している。その点だけは、ターペ=エトフも同じであった。だから自分は、ターペ=エトフとは争わなかった。だがその志が、強大な力の前に打ち砕かれようとしている。ゾキウは刮目して剣を構えた。これが、生涯最後の一振りになるだろう。

 

『我が全霊を賭して!弱きものたちの為に!』

 

ハイシェラに向けて、全力で駆ける。ゾキウの中に、その生涯が走馬灯のように流れた。優しかった母と過ごした日々、父と流浪の旅をした日々、人間族の醜い様を見て、怒りに燃えた日々、そして国王として志を目指した日々・・・ハイシェラは両手で剣を構えた。たとえ甘えた考えを持っていようとも、その姿には敬意を抱いた。ゾキウが必殺の間合いに入る。ハイシェラが剣を振ろうとした瞬間・・・

 

ズキンッ

 

体内で何かが響いた。ハイシェラの動きが一瞬、止まる。ゾキウの剣がハイシェラの首を目掛けて振り下ろされる。躱しようが無かった。動きが戻ったハイシェラが剣を奮う。だがゾキウの剣のほうが速い。ハイシェラは一瞬、死を覚悟した。だが、首元でゾキウの剣が止まった。ハイシェラの剣が、ゾキウを深々と貫いた。ゾキウの口から血が溢れる。ハイシェラはゾキウを受け止め、地面に横たわらせた。ゾキウの首筋に、小さな棘が刺さっていた。ハイシェラの眉間が険しくなった。

 

«ゾキウとやら・・・何か、言い残すことはないか?»

 

『・・・魔神ハイシェラよ、ガンナシア王国は、お前に譲ろう・・・だが、覚えておくが良い。志は、どんな力よりも強いのだ・・・』

 

«・・・汝の足掻きに免じて、民たちには手を出さぬ。今まで通りに暮らせるようにしよう»

 

ゾキウは小さく笑った。そして最後の言葉を残す。

 

『インドリト王・・・もう一度、貴殿と言葉を・・・交わしたかった・・・』

 

ゾキウの眼から生気が消えた。ハイシェラは双瞳に手を当て、ゾキウの瞼を閉じた。自身も数瞬、瞑目をした後、怒りの表情で群衆を見る。

 

«・・・汝らの中に、我の闘いを汚した下衆がおる。ゾキウに吹き矢を放った下衆は誰か!»

 

互いに顔を見合わせる。その中で、一人の魔人が出てきた。魔人ケルヴァン・ソリードであった。ハイシェラの前で膝をつく。

 

『魔神ハイシェラ様・・・吹き矢を放ちし者は、私が手打ちにしました。あちらに、死体が御座います。これより、ガンナシア王国の王は貴女様でございます。どうか、我らをお導き下さい』

 

ハイシェラは暫く黙って、ケルヴァンを見下ろした。だが頷き、群衆に向かって宣言する。

 

«今日より、ガンナシア王国は新たに「ハイシェラ魔族国」として生まれ変わる!まずは先王ゾキウを弔う!ケルヴァン、汝が手筈をせよ。くれぐれも、丁重にじゃ»

 

ハイシェラの周りに居た民たちは、一人、また一人と膝を屈していった。やがて街中の民が、ハイシェラに跪いた。

 

 

 

 

 

 

 

ガンナシア王国滅亡の知らせは、たちまちターペ=エトフに届いた・・・わけでは無かった。ハイシェラによって宰相に任じられたケルヴァンが、その情報が伝わることを封じたからである。ターペ=エトフとの戦争となれば、あらゆる布石を打つべきであった。いずれ漏れ伝わるであろうが、その時期は遅いほど良い。ハイシェラ魔族国が建国されて三月後、メルキア王国から大量の武器や食料が送られてきた。驚いたことに、イソラ王国からも同様に物資が届く。ハイシェラはケルヴァンに命じた。

 

«ターペ=エトフとの戦争は、史に残る程の規模になろう!ケルヴァン、その物資を用いて、屈強な兵を揃えるのじゃ!量は惜しむな!これからも、物資は送られてくるだの!»

 

ケルヴァンは興奮していた。魔神ハイシェラこそ、自分が求めていた王そのものであった。思うままに破壊し、支配する。ハイシェラであれば、ケレース地方はおろか、この大陸そのものを支配することも可能である。「覇王」を支えることこそが、ケルヴァンの喜びであった。北ケレースから来たホア族や、遥か南方の魔人などを軍に組み入れ、その軍事力は飛躍的に大きくなっていった。これまで半農半兵であった兵士たちも、専門兵とする。物産量は下がるが、それ以上の物資が届く。オメール山は、対ターペ=エトフの軍事拠点となりつつあった。北華鏡に通じる道「逝者の森」を封鎖し、情報封鎖を行う。ターペ=エトフとの戦争は、北華鏡の平地になるはずだ。地形の調査なども綿密に行う。ケルヴァンはターペ=エトフの軍事力などを想定しながら、どの程度で準備が出来るかを計算した。

 

«十年・・・じゃと?»

 

ケルヴァンからの報告を聞いたハイシェラは、眉間が険しかった。ターペ=エトフと五分で戦えるようになるまで、十年は準備が必要だと聞かされたからだ。ハイシェラとしてはせいぜい半年から一年だろうと考えていた。

 

『王よ、国と国の戦争は、個対個の闘いとは違います。ターペ=エトフは物産が豊かで、ルプートア山脈を防衛線に、ほぼ無限の持久力を持っています。そのような敵を相手にする以上、こちらも最低でも二、三年分は、武器や食料を蓄える必要があります。また兵士の練度も違います。個々の戦闘力だけなら伍するでしょうが、集団として戦った場合、新兵が増えた分、こちらが不利になります。まずはしっかりと調練をしなければなりません・・・』

 

«じゃが、十年は掛かり過ぎじゃ!ケルヴァン、可能な限りその時間を短縮せよ!我の我慢にも限度というものがある»

 

『・・・一年、いえ二年は縮めてご覧に入れます。誠に恐れながら、何卒、「八年」は我慢を下さいませ・・・』

 

ハイシェラは舌打ちをしたが一度頷き、ケルヴァンに出ていけと手を振った。ハイシェラの中ではケルヴァンの評価は決して高くない。有能であることは認めているが、その根本に「卑」があるのだ。ゾキウを殺したのはケルヴァンであると、ハイシェラは喝破していた。使えるうちは使っておくが、いずれ手討ちにするつもりであった。残酷な者、粗野な者、野蛮な者、下品な者は許せる。だが「卑劣な者」だけは許さない。それが魔神ハイシェラであった。黄色い夕日を眺めながら、ハイシェラは内に眠る「もう一人」に問いかけた。

 

・・・あの時、我を邪魔したのは汝であろう?なに故、そのようなことをした。ゾキウの言葉に、何かが動いたか?・・・

 

«弱者など、強者に虐げられるだけの存在だの。それが嫌ならば、自らの足で立ち上がれば良いのじゃ・・・»

 

魔神ハイシェラは呟いた。それはまるで、自らを説得するかのようであった・・・

 

 

 

 




【次話予告】

「商道のみを歩みて、政道に立ち入ること無かれ」

リタ・ラギールは、いち早く変事を察していた。だが商神セーナルの教義が彼女を縛る。プレイア領事「カテリーナ・パラベルム」も小さな違和感を感じていた。彼女の些細な報告は、普通であれば見逃される程度のものであった。だが、ターペ=エトフの「凄腕の次官」は、それを見逃さなかった。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第七十八話「ソフィアの直感」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第七十八話:ソフィアの直感

ターペ=エトフ歴二百四十年、「マクル動乱」が発生し、セアール地方南部からバリハルト神殿勢力は一掃される。翌年、クライナを首都とする「スティンルーラ王国」が誕生する。当初、「女王国」としなかった背景には、スティンルーラ人の人口が三万人強と少なく、セアール人のほうが圧倒的に多数派であったためである。スティンルーラ人の文化「女系社会」をそのまま持ち込めば、社会的混乱が発生すると考えられ、当初は男女同権であったと言われている。国王は、テレパティス家が代々、女王を輩出してきたが、スティンルーラ建国歴五百五十七年、女系社会を忌避する一部勢力により内乱が発生、首都クライナを焼失するなど、大きな混乱へと繋がった。翌年、内乱が鎮圧され「スティンルーラ女王国」となり、新たな首都「ファラクライナ」が築かれる。

 

ターペ=エトフ歴二百年以降、アヴァタール地方には複数の国家が建国される。ターペ=エトフ歴二百十年、アヴァタール地方南方に「バリアレス都市国家連合」、二百四十年にカーテナウを王都とする「リスルナ王国」、二百四十一年に「スティンルーラ王国」、そして二百八十年「エディカーヌ王国」が建国される。アヴァタール地方五大国と呼ばれる国々のうち、三カ国が僅か数十年の差で、ほぼ同時に建国されているのである。これを偶然と見る歴史家もいれば、背景に何らかの原因が存在していると考える歴史家もいる。だが少なくとも、バリアレス都市国家連合の形成には、その背景に「ラギール商会の躍進」があることは間違いない。

 

バリアレス都市国家連合は、傭兵都市レンストを中核都市、複数の都市国家が集まった連邦国家であるが、レンストは元々は「行商人の護衛派遣」が中心の産業であった。しかし、レウィニア神権国首都プレイアに本拠を構えたラギール商会は、独自に護衛を雇用し、大規模行商を行い始めた。ラギール商会の護衛は、メルキア王国の元騎士などが雇用されていたが、亜人族の姿なもどあったことから、ターペ=エトフの元兵士なども加わっていたと考えられている。いずれにしても、ラギール商会という大商会が、レンストを通さずに独自に護衛を雇用し始めたため、護衛斡旋業は徐々に衰退をした。ターペ=エトフ歴十年、レンストの顔役であり大手斡旋業者であったドルカ・ルビースは、護衛斡旋業から傭兵派遣業への業態切り替えを行う。同時に、各都市でバラバラであった規則や商習慣を統一するために、アヴァタール地方南部の各都市の顔役たちに声を掛け、都市間連携の強化を働きかけている。これが後に、バリアレス都市国家連合に繋がったと考えられている。ドルカ・ルビースの先見性が無ければ、バリアレス都市国家連合の成立は無かったとさえ、言われている。

 

 

 

 

 

リタ・ラギールは首を傾げていた。レウィニア神権国公爵フランツ・ローグライアの依頼内容に目を落とす。

 

・・・下記物資を調達の上、メルキア王国バーニエを経由し、ケレース地方オメール山まで運ぶべし。尚、この依頼は厳に他言無用のこと・・・

 

物資の内容は、衣類や食糧の他、武器まである。どう考えても戦争準備のための調達品にしか見えなかった。そしてそれをメルキアを経由してケレース地方まで運べという。しかも秘密裏に行うことが求められている。深夜に出立し、護衛は全て、第一宮廷騎士団が担う。軍隊が付けられるということは、メルキア王国もこの任務を了解しているということである。

 

『戦争のための物資・・・バーニエ・・・ケレース地方・・・そして宮廷騎士団・・・まさか・・・』

 

リタの顔が青ざめた。レウィニア神権国は、ターペ=エトフとの同盟を破棄しようとしている。いや、正式に破棄をするのではなく、水面下で裏切ろうとしているのだ。メルキアと結託をし、ケレース地方で戦争を起こそうとしている。だが理解らなかった。オメール山にはガンナシア王国がある。ガンナシア王国が、ターペ=エトフと戦争をしようというのか。だがレウィニア神権国とメルキア王国が物資を支援したとしても、ターペ=エトフに勝てる筈がない。あの国は無限の兵站を持ち、稀代の名君と最強の魔神がいるのだ。だが不安は拭えなかった。レウィニア神権国には水の巫女がいる。当然、このことも承知だろう。それでも、事を進めようとしている。余程の確信があるはずだ。

 

『どうしよう・・・ディアンに、教えるべきかな』

 

だが依頼内容には「他言無用」と書かれている。もしそれを破れば、ラギール商会は二度と、レウィニア神権国で商売は出来なくなる。何より、商神セーナルの教義があった。

 

「商道のみを歩みて、政道に立ち入ること無かれ」

 

自分は商人だ。国家間の政事に関わるべきではない。楽天的で明るい表情が、珍しく曇った。セーナルの神格者となって二百数十年、かつての知り合いは全て死んでいる。その中で、ディアン・ケヒトやその使徒たちは、自分が人間であった頃からの友人であった。リタ・ラギールにとって、それは掛け替えのない「宝」であった。普段は商人面をしていても、いざとなったら損得抜きで、彼らを助けるつもりでいる。だが、この依頼を漏らすことは「商道」に反する。それだけは出来なかった。

 

『ディアン・・・レイナ・・・ゴメン・・・』

 

リタは机の上に顔を伏した。肩が少しだけ震えていた。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴二百四十五年、マクルの動乱も落ち着き、ターペ=エトフはスティンルーラ王国と、正式な国交を樹立させた。在プレイア領事であるカテリーナ・パラベルムは、大役を果たし、自宅で一息をついていた。アヴァタール地方の山岳地帯に、リスルナ王国が誕生し、そしてスティンルーラ王国が生まれた。今更ながら、インドリト王の先見性に改めて敬意を払う。パラベルム家はプレイアに拠点を構えて二百年以上が過ぎ、この街に根ざしている。東方、西方から数多くの情報が齎され、ターペ=エトフへと伝わている。賢王インドリトは遥か昔に、ケレース地方の中だけに閉じ籠もっていたら、時代の流れに取り残されるであろうことを予見していたのだ。

 

『当面は仕事は無いわね。エリザベスも七歳になるし、そろそろプレメルを見せてあげようかしら・・・』

 

パラベルム家は、代々女性が当主となる。スティンルーラ族との交渉には、女性の方が良いという判断からであったが、それが今回の外交にも活きた。隣室から、愛娘の笑い声が聞こえる。いずれ自分も引退をし、娘が領事を引き継ぐ。当主のみが知る「パラベルム家の秘密」を伝える日も近いだろう。カテリーナは幸福感の中で、机上の書類を何気なく広げた。プレイアや近郊都市の物価が記されている。半年ごとに物価の変動を調査している。レウィニア神権国は緩やかに、物価が上昇している。それは決して悪いことでは無い。人々の増加とともに、消費量も増える。その消費に合わせようと物産が増え、それが国を豊かにする。

 

『あら・・・この数字は正しいのかしら?』

 

カテリーナは書類に書かれている数値の中で、ある数値の変動に気づいた。オリーブ油の価格である。レウィニア神権国のオリーブ油は、その七割がターペ=エトフ産である。ターペ=エトフ産のオリーブ油は、この五十年間は殆ど価格が変わっていないはずだ。ラギール商会の卸価格も同様である。だが、他の街での小売価格が上がっているのだ。率にしてみると一割ほどである。金額にしてみれば大したことではないが、妙に引っ掛かった。

 

『多分、輸送費用が上がっているせいだと思うけれど・・・一応、報告しておこうかしら』

 

カテリーナは筆を取った。

 

 

 

 

 

国務大臣シュタイフェ・ギタルは、午後の暖かな日差しに目を細めながら、欠伸をした。目の前では優秀な役人たちが忙しなく動いている。この二百年以上、ターペ=エトフの国務次官は十代後半としか思えないような美少女が務めている。だが若年と侮ると痛撃を受ける。凄まじい速度で書類を見ながら、驚くほど細部までしっかりと把握をしている。それでいて、中間職に大幅な権限を与え、大きな仕事を経験させたりもする。ソフィア・エディカーヌによって鍛えられた役人の数は多い。次官が内政を担当する分、自分は中長期の国家戦略や外交交渉を担当する。だがターペ=エトフは平穏この上なく、スティンルーラ王国との外交交渉も成功し、当面の仕事は無い。つまり「ヒマ」であった。

 

『大臣・・・お暇でしたら、こちらの書類に目を通して下さい。カテリーナ殿からの報告書です』

 

ソフィアは口元だけ笑みを浮かべながら、プレイアから届いたばかりの報告書を突き出した。シュタイフェは一応は姿勢を正し、真面目そうな顔で報告書に眼を落とした。だが真面目に読んではいない。バリハルト神殿があった頃は、怒涛の報告書が届き、シュタイフェも忙しかったが、それも落ち着いた今、プレイアからの報告書で注視に値するものなどあるとは思えなかった。案の定、書かれているのは定期報告であった。プレイアや近郊村の物価である。シュタイフェは欠伸を噛み殺しながら、一応は最後まで目を通した。

 

・・・オリーブ油の小売価格に変動有り。追加調査の必要性の判断を求む・・・

 

最後の一文を読み、シュタイフェの眉が少し動いた。この時期に、オリーブ油の価格が動くのは変である。ブレニア内海の嵐で、天候が不安定となっていた時期でさえ、オリーブ油の価格だけは安定をしていたのだ。ターペ=エトフに蓄えられた膨大な物資を放出し、レウィニア神権国の価格安定に貢献した。水の巫女直筆の感謝状が送られてきた程である。その後は物産も安定しており、オリーブ油はこれまで通り、ラギール商会経由で輸出されている。価格変動が起きるとすれば、ラギール商会が値を吊り上げたためだが、報告書には卸価格は変わっていないとある。つまり市井への流通量が減少しているということだ。

 

『ソフィア殿・・・ちょっとこれを見てもらいたいんでヤンスが・・・』

 

部下であるソフィアに、なぜか下手に出ながら、シュタイフェは報告書をソフィアに提示した。渡された報告書にザッと目を通して、ソフィアは頷いた。

 

『可怪しいですわね。オリーブ油の価格が上がっているとしたら、まず考えられることは、誰かが買い占めているということです。ですが、オリーブ油は日常生活で使うものです。買い占めたところで、一日で使う量は限られます。買い占める意味がありません。次に考えられることは、ラギール商会が卸量を減らしているということです。減らして価格を釣り上げて売る・・・ですが、一時的に儲けは増えるかもしれませんが、小売店に不満が募ります。結局は得よりも損のほうが大きいでしょう。リタ・ラギール殿が、そのような愚かなことをするとは思えません・・・』

 

『とすると、何が原因でヤスかね?輸送価格が上がったって可能性もありますが、それだけでここまで変動しヤスかね?』

 

シュタイフェが首を捻った。ソフィアは暫く考え、ある可能性を閃いた。あり得ないことだと信じたいが、否定する根拠も無かった。

 

『・・・もし、ラギール商会が「何らかの事情」で、卸量を減らさざるを得なかったとしたら・・・つまり、誰かが大量買い付けを注文していたとしたら・・・それは誰でしょう?』

 

『スティンルーラ王国が買い付け・・ってことは無いでしょうな。それであればターペ=エトフから直接買うでしょう。しかし、市井価格を一割上げる程の量となれば、とても個人の買い付けとは思え無いですな・・・』

 

『もし、レウィニア神権国が買い付けているとしたら・・・』

 

シュタイフェが真顔になった。ソフィアが言葉を続けた。

 

『もしレウィニア神権国が、オリーブ油を大量に買い付けているとしたら、その目的は何でしょうか?商売のため?それは無いでしょう。何処かに送るためです。生活物資であるオリーブ油を大量に送るとしたら・・・』

 

『新興国であるリスルナ王国への支援って可能性も・・・いや、無いか』

 

もしレウィニア神権国がリスルナ王国支援をするならば、ターペ=エトフにも支援要請が来るはずである。ターペ=エトフはレウィニア神権国に膨大な物資を輸出し、貿易黒字を計上している。近年では度々、それが問題視され始めている。リスルナ王国支援のため、ターペ=エトフも物資を出せ、くらいの要求が来ても可怪しくはない。少なくとも、プレイア駐在のカテリーナ・パラベルムの耳には入る。カテリーナが知らないということ自体が、問題であった。

 

『レウィニア神権国は、何かを企んでいます。それも、ターペ=エトフにとって良からぬことを・・・ラギール商会から何の通知も来ていないということは、恐らく圧力が掛けられているのでしょう。大臣、レウィニア神権国の物流について、徹底調査を進言します。私の懸念が正しければ、オリーブ油のみならず、他の食糧や衣類、果ては武器まで、密かに何処かへと送られているはずです!』

 

『パラベルム殿に指示を出しヤしょう。それと同時に、こちらからも調査隊を送り込むべきですな。これだけの大規模な物流が露見しないということは、恐らく夜間に、しかもかなり慎重に運び出しているに違いありヤせん。悪魔族に依頼をして、上空からの斥候を行いヤしょう』

 

ソフィアの中に、漠然とした暗い予感を感じていた。この小さな異変はごく一部ではないか?地表から見ると小さな石だが、その下は巨大な岩になっている・・・そんな予感を感じていた。

 

 

 

 

 

シュタイフェとソフィアによって、レウィニア神権国の物流について密かな調査が進んだ。だがその全貌は容易には掴めなかった。リタ・ラギールは商売人である。依頼主が「秘匿性」を重視する以上、それを完全に達成させようと動いていたからだ。夜間に出発する行商隊も無く、二十両程度の商隊が普通に行き来をしているだけである。一ヶ月以上の斥候調査でも、何も掴めなかった。シュタイフェは、その報告に首を傾げながらも、どこかで安堵もしていた。

 

『アッシらの思い過ごしだったみたいでヤすねぇ~』

 

『そうですわね・・・ですが、完全を期したいと思います。もう一度だけ、調査をさせて下さい。最も信頼できる人を派遣します』

 

ソフィア・エディカーヌは、ある部分に対しては「完璧主義者」であった。それは「犯罪や汚職」に対する調査である。十五万人以上の人口を抱えるターペ=エトフでは、極稀に犯罪が起きる。また、役人たちが僅かなカネを横領するという例も無くはない。それらはソフィアの手によって、何処までも執拗に、徹底的に調査が行われた。それは部下に対する姿勢にも出ていた。努力をしてもダメだった部下には、ソフィアは優しかった。だが怠けて結果が出なかった部下には峻厳を極めた。名君インドリトの「優厳」をそのまま引き継いでいるのがソフィアであった。

 

『「彼」が調査をし、それでも何処にも異常が無ければ、私も「思い過ごしであった」と認めますわ』

 

真顔で呟くソフィアに、シュタイフェは寒い思いがした。「必ず何かが出る」・・・ソフィアの顔は、そう確信した表情であった。

 

 

 

 

 

『ディアン・・・今回だけは、ソフィアの考えすぎじゃないかしら?私の目から見ても、行商隊がごく普通に、行き来をしているようにしか見えないわ』

 

『・・・・・・』

 

ディアンとレイナは、レウィニア神権国首都プレイアを遥か上空から見下ろしていた。豆粒のような荷車が、下を行き来している。ディアンはその様子を黙って観察していた。自分の第三使徒は、ともすると疑いすぎる傾向がある。だがそれは決して欠点では無かった。人を信じられないという「疑心暗鬼」とは異なり、あくまでも「疑念の解消」に執着しているだけだからだ。ソフィアはレウィニア神権国に何らかの疑念を抱いた。わざわざ自分まで送り出すということは、その疑念が事実であった場合、余程の事態になるということだ。ならば自分は、依頼を受けた者として、徹底した調査を行うべきであった。これまでの報告書に全て目を通し、ディアンにもソフィアの懸念が見えていた。

 

『仮に、リタ・ラギールが秘密裏に、大量の物資を輸送しようとしているとする。そうした場合、夜間にひっそりと出発する程度の対策で、リタが満足すると思うか?』

 

『・・・しないわね。リタは凄腕の商人よ?依頼主の要求を完全以上に満たそうとする。それが「ラギール商会」だわ』

 

『オレであれば・・・よし、アレを追跡しよう』

 

ディアンは上空に留まったまま、ある行商隊をそのまま追跡し始めた。メルキア王国へと向かっている。昼は上空から、夜は行商隊に忍び寄り、ディアンは根気強く偵察を続けた。行商隊はそのまま、バーニエの街へと入った。ディアンは首を傾げた。何の変化もなく、ただバーニエに入っただけだったからである。大型の倉庫らしき建物に入っていく。別の出口から、空の荷車が出てきた。布を貼っているが、馬の曳き方で空であることが解る。

 

『あそこで下ろしているのか・・・よし、夜になったら潜入しよう』

 

ディアンとレイナは、倉庫の屋根に舞い降りた。そのまま夜を待つ。日が沈むと、警備の兵が増えたようである。まるで王宮警護のような物々しさであった。手鏡を使って、屋根から下の様子を見る。

 

『・・・あれは・・・レウィニア神権国第一宮廷騎士団?なんでレウィニアの兵がメルキアにいるの?』

 

下から話し声が聞こえてくる。ディアンは眼を閉じて、声に集中した。荷車百両、三日後、ケレース地方、オメール山という言葉が聞こえた。ディアンにはそれだけで十分であった。暗い気持ちが広がる。だが最後の確信を得る必要があった。ディアンはクラウ・ソラスを奮い、屋根の一部を斬った。倉庫に静かに舞い降りる。倉庫内には大量の木箱や穀物袋が山積みされていた。荷車百両分はあるだろう。ディアンは木箱を開けた。銀色に輝く数十振りの剣が納められていた・・・

 

 

 




【次話予告】

「ガンナシア王国に異変アリ」

情報を掴んだターペ=エトフは、ガンナシア王国への斥候を繰り返す。しかしそれは既に、宰相ケルヴァンの予知するところであった。新たな王を満足させ、同時にターペ=エトフを滅ぼすために、ケルヴァンはある計画を立てていた・・・

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第七十九話「国同士の戦い」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第七十九話:国同士の戦い

『王よ、ここは我らが食い止めます!一刻も早く、御避難下さい!』

若き獣人族の兵士が、王の前に片膝をつき、必死に懇願する。だが王は首を横に振った。立ち上がり、大声で命令を発する。

『我が剣を持て!お前たちは下がっていよ!』

差し出された剣を抜く。ドワーフ族の名工たちが鍛え上げた、山すら斬ることが出来る聖剣だ。畏ろしい気配が、足音を立てながら徐々に近づいてくる。王のいる謁見の間の扉が吹き飛ばされる。

≪多少は期待しておったのだがの。これほど容易にここに辿り着くとは、興ざめだの・・・≫

紅い髪の魔神が、笑いながら入ってきた。王の近くにいる入りたての兵士が、カチカチと歯を震わせる。王は兵の肩に手を当て、下がらせた。自ら前に進み出る。

≪ほう・・・てっきり、既に逃げたと思っておったが、汝自身の意志で残ったか・・・≫

『未来ある若者の命を犠牲にする価値など、この老体にはない。これ以上、兵たちを殺めるな。私が相手をしよう・・・』

王は剣を構えた。だが、紅髪の魔神は剣を抜かない。口元に笑みを浮かべながら、王に問いかける。

≪汝に問う。我に勝てると思うてか?≫

王は返答しなかった。だが爪先から、肩から、剣から、凄まじい闘気が立ち昇った。魔神は思わず、真顔になった。

『我が名は「インドリト・ターペ=エトフ」、ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)の力を舐めるな!』

王は猛然と、魔神に斬りかかった・・・



エディカーヌ歴五百十七年版「The Lord of "Tharpe=Etoff"(ターペ=エトフへの途) (著者不明)」より






ラウルバーシュ大陸名君列伝の中でも、具体的な実績という点で傑出しているのが、ターペ=エトフ王国国王「賢王インドリト・ターペ=エトフ」である。ラウルバーシュ大陸の歴史上、最も豊かな国と言われるほどの国家を一代で築き上げた点だけでも、後世の歴史研究家を魅了して止まないが、それ以外の点として「個の戦闘力」が常に挙げられる。「ハイシェラ戦争」と呼ばれる魔族国との五十年間の戦争については、あまり記録は残されていないが、その戦争が始まる直前については、在プレメル領事エリネス・E・ホプランドの記録により、ある程度は判明している。

 

ターペ=エトフ歴二百四十六年、東方のガンナシア王国に異変が発生していることを察知したターペ=エトフは、数度に渡り斥候を派遣、ガンナシア王国がハイシェラ魔族国へと変貌していることを掴む。魔神ハイシェラは、これを機にターペ=エトフへの宣戦を行うため、ただ独りで絶壁の王宮を襲撃し、王宮内に混乱を起した。賢王インドリト・ターペ=エトフは自ら剣を握り、一騎討ちの末、魔神ハイシェラを退けた。この話は瞬く間にターペ=エトフ中を駆け巡り、「ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)」の名は、虚構では無く真実であると、畏敬の念を持って国民皆が、再認識をしたのである。

 

・・・王宮に仕える警備兵が語る。その話に皆が盛り上がり、杯を上に掲げる。警備兵の話は、まるで自分がその場に居るかのような錯覚さえ持たせるものだ。私もその話を聞き、興奮を抑えられなかった。話半分だとしても、恐るべき魔神をインドリト王が迎え撃ち、これを退けたのは事実である。魔神と戦えるドワーフ族など、ディル=リフィーナの歴史上でも皆無ではなかろうか。ターペ=エトフには多くの賢臣、忠臣たちがいる。彼らがインドリト王に心酔する理由を改めて確認した思いだ・・・

 

遥か後世においても、インドリト・ターペ=エトフの名は、深く歴史に刻まれている。歴史研究家による「事実調査」以外にも、「インドリトの冒険」などの御伽噺や神話として、子供たちの読む本にまでなっている。ラウルバーシュ大陸に登場した数多くの名君の中で、「神話」となっているのは、インドリト・ターペ=エトフただ一人である。

 

 

 

 

 

リタ・ラギールは、何度目かの溜息をついて、葡萄酒を干した。この数年、彼女の中に悩みが鬱積していた。元々、陽性の性格である彼女は、後ろめたい想いを抱えることが嫌いである。「何とかなるさ」という楽天さと、圧倒的な行動力、そしてある種のズル賢さによって、ラギール商会は大陸有数の大商会に成長した。その結果、彼女は裕福になったが、同時に不自由にもなった。ラギール商会会頭という立場は、多分に「政治的要素」がついて回る。表面上はターペ=エトフの御用商人として動きながらも、その水面下で、ターペ=エトフを裏切る行為に加担する。「自分は商人だから」と割り切ろうとしても、出来るものではない。ターペ=エトフに露見しなければ・・・と考えることは止めていた。露見しないはずがないからだ。ターペ=エトフ王は名君である。さらにあの国には、それを支える有能な行政官が揃っている。必ず、何らかの違和感を掴むはずだ。そして徹底した調査に乗り出す。「あの男」を使って・・・

 

『ディアンの眼を誤魔化す・・・無理だよなぁ~』

 

また深い溜息をつく。深夜であるにも関わらず、眼が冴えている。この数年、酒を飲まなければ眠れなくなっていた。葡萄酒を杯に注ぐ。蝋燭の炎を見ながら、考える。ディアン・ケヒトはただの魔神では無い。行商隊や商取引についても精通している。恐らく遙か上空から、プレイアの街を出入りする行商隊を観察するだろう。そう考えて、露見しないように輸送物を分散させ、さらには信頼できる他の商会にも話を持ちかけ、バーニエの街を集積場所とし、目立つ行商隊が無いように工夫をした。だが、バーニエの倉庫を警備する兵士までは管理できなかった。ローグライア公爵から、レウィニア神権国の兵士を警備兵とするように要求されている。メルキア王国は、レウィニア神権国にとって「仮想敵国」だ。表面上は友好的に見せながらも、その下では互いを牽制しあっている。そうした政治的な部分までは、立ち入ることは出来ない。

 

『あんな目立つ鎧を着た兵士が彷徨いていたら、バレるに決まってるよねぇ~』

 

『・・・あぁ、全くだな』

 

後ろから声を掛けられ、リタは飛び上がった。冷たい表情をしたディアンと、心配そうな表情をしたレイナが立っていた。

 

 

 

 

 

『やはり、知っていて黙っていたのか・・・』

 

ディアンはリタを見下ろしながら尋ねる。その表情は冷たい。リタは覚悟を決めた、露見した以上、下手な誤魔化しをしようものなら、殺されるかもしれない。商売で死ぬのは本望だ。だがこんな蟠りを持ったまま、死にたくはない。

 

『やっぱり、バレちゃったか・・・しょうがないな、全部話すよ』

 

リタ・ラギールは舌を出した。その表情は何処か明るい。ディアンは部屋に「歪魔の結界」を貼った。レイナが不安げに尋ねる。

 

『リタ・・・どうして・・・』

 

『アタシは商人だよ?依頼人が「秘密にしたい」って言っているんだ。それを護るのが商人だよ』

 

ディアンは無表情のまま、リタに質問した。

 

『ガンナシア王国が戦争を起こそうとしている。そしてそれをメルキアとレウィニアが支援している。それが意味することは、ガンナシア王国の戦争相手が、イソラ王国ではないということだ。ターペ=エトフに戦争を仕掛けようとしているな?』

 

『たぶんね。なんでそれをレウィニア神権国が支援するのか、までは解らない。でも、これまで輸送した物資の量は、万の兵が一年以上戦うのに十分な量だよ。恐らくもう、準備は整っていると思う』

 

ディアンは瞑目した。リタ・ラギールの立場で考えてみれば、黙っていた理由は理解できる。もし漏らせば、ラギール商会は潰されるだろう。膨大な富を持ち、各地に交易路を持つ大商会であっても、国家権力を敵に回せば未来はない。だからディアンは、リタが黙っていた事自体は、責めるつもりは無かった。だがその立場だけは確認をしたかった。彼女が敵に回るのなら、御用商人を解かなければならない。

 

『一つだけ聞いておきたい。その依頼を聞いた時、お前の中に迷いはあったか?』

 

『当たり前でしょっ!』

 

リタは眼を怖くして、机を叩いた。

 

『アタシだってね。アンタに教えるべきかどうか、どれだけ悩んだか知れない。この数年、アタシはロクに食事も喉が通らなかったんだ!アンタたちを裏切りたくはない。だから、ターペ=エトフに人を潜入させるっていう依頼は断った。アタシは商人だ。モノを動かして、人々を幸福にして、その対価として利益を得る。レウィニア神権国の依頼は、そのギリギリの許容範囲だったから引き受けたんだ!』

 

『リタ・・・』

 

レイナが心配気に主人を見る。気配は変わっていない。だが表情が少し変わっていた。口元は冷たいが、眼が笑っている。

 

『・・・ロクに食事も喉が通らなかった・・・その割には、あまり痩せていないようにみえるが?』

 

そう呟くと、ディアンは吹き出した。リタは泣きそうな表情をした。レイナが駆け寄って抱きしめる。ディアンは、リタ・ラギールの事情を全て理解し、それを認めた。もし彼女が「死の商人」になったのなら、二度と会うつもりは無かった。だが彼女は、自分の商道の中で、そのギリギリの範囲を見極めて踏み止まっていた。

 

『インドリト王には、オレから伝えておく。安心しろ。オレの弟子は、オレ以上に「人の心」に機敏だ。お前の事情を全て理解して、受け入れるだろう。それにしても、ガンナシア王国か・・・』

 

ディアンの関心は、既にリタから離れていた。ガンナシア王国の国王ゾキウは、人間族を憎んでいる。だがインドリトの話を聞く限り、ターペ=エトフに戦争を仕掛けてくるとは思えなかった。だが、レウィニア神権国やメルキア王国が、ガンナシア王国に物資を輸送しているのは確かだ。ゾキウは一体、何を考えているのか・・・ その時、ディアンはある事実に思い至った。これまで出てきた「事実」の中に、ガンナシア王国という言葉は一度として出てきていない。

 

『リタ、お前が受けた依頼は、ガンナシア王国に物資を運べ、というものだったのか?』

 

リタはポカンとした表情だった。今更、何を聞くのか、という表情だ。だがディアンは真剣だった。

 

『正確に思い出してくれ。「ガンナシア王国」と言われたのか?』

 

『・・・いや、「ケレース地方のオメール山まで」と言われたよ。でもそれって、ガンナシア王国のことでしょ?』

 

ディアンは室内を歩き始めた。自分の考えを整理するように語り始める。

 

『オメール山・・・オレたちもバーニエでそう聞いた。だからオレも「ガンナシア王国」だと思っていた。ガンナシア王国の国王ゾキウは、「人間族に対する憎悪」という点を除けば、インドリトに近い思想を持っている。「弱き者たち」を保護し、皆が幸福に暮らせる土地を作りたいという思いは、インドリトもゾキウも一致しているのだ。だから、ガンナシア王国がターペ=エトフに戦争を仕掛けるという点が、オレはどうしても、納得できないでいた。だが、もしガンナシア王国の国王が、ゾキウでは無くなっていたら?ゾキウが廃され、別の者が国王となっていたらどうだ?』

 

『待ってディアン・・・そんな政変があったのなら、どうして、シュタイフェやソフィアが気づかなかったの?』

 

『確かにターペ=エトフは、ケレース地方東方にも目を向けている。だが実際には、対イソラ王国向けにルプートア山脈に狼煙台と常駐兵を置いている程度だ。東側からターペ=エトフを攻めるのは不可能に近い。ルプートア山脈北東部を通るしか無く、山脈に辿り着く前に、魔導砲で一掃されてしまう。だからシュタイフェもファミも、東方はそれ程、警戒をしてこなかった。そもそも、ガンナシア王国がターペ=エトフに攻めようとしたら、イソラ王国に背後を取られることになる。両国の緊張関係がある限り・・・』

 

そう言って、ディアンは止まった。微妙に指先が震える。

 

『待てよ・・・ガンナシア王国もその程度のことは解っているはずだ。ターペ=エトフに攻める前に、まずイソラ王国を攻めようとするはずだ。だが、イソラ王国侵攻の支援を、光側の国であるレウィニア神権国がするはずがない。となると・・・』

 

『ちょ、ちょっと待ってよディアン!アタシ、いま凄く悪い予感がしているんだけど!』

 

リタも顔が青ざめている。レイナはまだ付いてきていないようだ。だが危機感だけは感じている。

 

『・・・イソラ王国も、このことを既に承知しているとしたら?つまりガンナシア王国とイソラ王国が手を結んでいる。ガンナシア王国が動いても、イソラ王国は動かないという密約が成立している・・・』

 

『そんな・・・だって、イソラ王国とガンナシア王国は二百五十年近く争い続けているのよ?そんな急に和睦して、同盟関係なんて・・・』

 

『・・・そうだな、確かに強引な推測かもしれん。だが、もしこの推測が当たっているとしたら、動いているのは政治の力ではない。別の力だ』

 

リタとレイナが顔を見合わせた。ディアンは独り言のようの呟いた。

 

『フェミリンスの時と同じだ。神が・・・現神が、人間の歴史に介入している・・・』

 

ディアンは数瞬、瞑目して整理をした。これらは全て、推測にすぎない。結論を出すには、情報が少なすぎた。眼を開き、リタに顔を向ける。

 

『リタ・・・ガンナシア王国の様子を知りたい。荷物を運び込んだ行商隊長に話を聞かせてもらえないか?』

 

 

 

 

 

行商隊に加わっていたラギール商会の者たちに話を聞いたディアンは、その足でターペ=エトフへと飛んだ。飛行しながら、話の内容を整理する。ディアンの中に焦りがあった。いま把握している状況だけでも、ターペ=エトフ建国以来最大の危機である。だがディアンの中には、さらに暗い予感があった。この状況は更に悪化するのではないか?レイナには、グラティナとファーミシルスを呼ぶように伝える。二人が居るであろう「練兵場」にレイナが向かう。既に日は沈み、月が昇っていた。拭い去れない予感と共に、絶壁の王宮に到着した。急ぎ、インドリト王および国務大臣と次官に話がある旨を門衛に伝える。ディアンの元弟子である門衛のガルーオは、慌てて王宮内に駆け込んだ。逸る気持ちを抑えながら、謁見の間に通されるのを待つ。やがて、グラティナとファーミシルスを連れて、レイナが到着した。

 

『ディアン、何があったんだ?』

 

『話は謁見の間でだ。いま言えることは、ターペ=エトフに危機が迫っている、ということだけだ』

 

『ディアン・ケヒト殿、こちらへ・・・』

 

戻ってきたガルーオが先導して、謁見の間に入る。インドリト王および大臣と次官は、既に謁見の間で待っていた。ファーミシルスも、臣下として脇に並ぶ。玉座から十数歩離れたところで、ディアンは片膝をついた。頭を下げながら、話し始める。

 

『王よ、斯様な時刻にお訪ねをしたことを謝罪致します。御宸襟をお騒がせ致しましたこと、恐懼の極みです。しかれど、王に御報告をすべき重大な情報を掴みました故、急ぎ駆けつけました。何卒、我が話をお聞き下さい。罰は後ほど、お受け致します』

 

インドリトは苦笑いを浮かべた。ターペ=エトフの誰よりも強く、誰よりも思慮深く、誰よりも視野の広い師であるが、「大仰」なところが、唯一の欠点であった。公私を分けていることは理解しているが、インドリトとしては、もっと気軽に接して欲しかった。苦笑いのまま、インドリトが語りかける。

 

『師よ、ここには家族と友人しかいません。そのような些末な作法など無用です。重大な情報なのでしょう?すぐに聞かせてください』

 

ディアンは頷き、顔を上げた。

 

『まず事実を、次に私の推測をお伝えします。ラギール商会は、数年前からメルキア王国バーニエを経由して、武器・医薬品・食糧などの物資を、オメール山まで運んでいました。リタ・ラギール自身に確認をしたところ、万の軍が一年以上は動ける程の物資を既に運んでいるとのことです。バーニエの街には、レウィニア神権国の兵士が警備として配置されていました。あの鎧は間違いなく、レウィニア第一宮廷騎士団のものです。行商隊の者から聞いた話では、ガンナシア王国の街に入ることは許されなかったものの、見たこともない魔族、亜人族が武装して調練をしている姿が見えた、とのことです。また、メルキア王国の紋章が付いた荷車を見た、という証言もありました。これが事実です』

 

インドリトは表情を変えなかったが、シュタイフェが蹌踉めいた。インドリトはその様子を一瞥し、師に話を促した。

 

『それで、師の推測は?』

 

『この事実から推測できることは、数年前に、ガンナシア王国に何らかの変事があったということです。一連の動きが、ゾキウ王の企みとは思えません。バーニエの街は、ガンナシア王国と交易を行っています。リタ・ラギールの話では、現在のメルキア王国宰相ヘルマン・プラダは、権謀術数に長けた人物とのことです。あるいはガンナシア王国の変事も、メルキアの手によるものかもしれません。そして、新たなガンナシア王国にレウィニア神権国が支援をしているということは、その狙いはイソラ王国ではないでしょう。このターペ=エトフだと思われます。人道的支援であれば、隠す必要はありません。ですがレウィニア神権国のローグライア公爵は、秘密厳守をラギール商会に要求したそうです。知られたら困るから隠そうとする・・・つまり、レウィニア神権国は表面上は同盟国のフリをしながらも、水面下では事実上、破棄をしていると判断します。そして、ガンナシア王国が戦争準備を進めているということは、イソラ王国にまで手が回っている可能性が高いと思われます。北華鏡での会戦は、この二百五十年で一度だけでした。それは、イソラ王国とガンナシア王国が政治的に対立し、互いに牽制しあっていたからです。ガンナシア王国の急速な軍備拡大は、その対立が解消されたことを物語っています』

 

『イソラ王国、ガンナシア王国、メルキア王国、そしてレウィニア神権国・・・ターペ=エトフが包囲されているということですね?』

 

『そして、此処から先は、根拠がない可能性ですが・・・』

 

ディアンの表情が暗くなる。インドリトは、師のこれ程の鬱な表情を見るのは初めてであった。

 

『この包囲網・・・ひょっとしたら北にまで伸びているかもしれません。レスペレント地方のカルッシャ、フレスラント、バルジアの三王国まで、ガンナシア王国支援で動いているとしたら・・・』

 

バタンッという音がする。ソフィアが倒れていた。ファーミシルスが抱き起こす。どうやら失神してしまったようだ。シュタイフェがディアンの横に走り出て膝をつく。陽気な魔人が肩を震わせている。

 

『インドリト様!これは、アッシの責任でヤス!アッシがしっかりしていれば、もっと早く掴むことも出来たのに!お詫びのしようもありません!どうか、アッシに罰を・・・』

 

意識を取り戻したソフィアがファーミシルスに抱えられながら叫ぶ。

 

『いいえ!これは私の責任です!パラベルム殿からの定期報告を確認するのは、私の仕事です。物価変動の兆候をもっと早く掴んでいれば、こんな事態にはなりませんでした!私が悪いのです!』

 

『止めよ、二人とも!』

 

インドリトが眉間を険しくし、肘掛けを叩いた。王に怒鳴られたことなど、二人は初めてであった。その後、普段の表情に戻ったインドリトが、口元に笑みを浮かべて呟いた。

 

『ターペ=エトフを支える大臣と次官が、揃って気づかなかった・・・つまり、余人の誰にも、気付くことなど出来なかったということです。我が師よ、そうでしょう?』

 

『その通りです。ラギール商会は、物流による物価変動まで計算をして、巧妙に隠し続けていました。もしバーニエにレウィニアの兵士が居なかったら、私も気づかなかったかも知れません。むしろ、僅かな違和感から徹底調査を行った二人は、瞠目に値すると思います。二人のお陰で、早期に掴むことが出来たのです』

 

『師の言うとおり、むしろ「早期に掴んだ」と考えましょう。何しろ、まだ戦争は始まっていません。シュタイフェ、ソフィア、良くやってくれました。二人のお陰で、事前に危機を察することが出来たのです』

 

大臣と次官は、俯いて一礼をした。ディアンが横にいるシュタイフェの肩を叩いた。元の位置に戻った二人に頷き、インドリトはディアンに話を促した。

 

『師よ・・・先程の師の推測では、包囲網がレスペレント地方の各国にまで伸びている・・・ということでしたが、その根拠はありますか?』

 

『ありません。ですが、この仕掛けは極めて巧妙です。それであれば、南側だけの「半包囲」で満足するとは思えません。私であれば、北にまで手を伸ばし、包囲網を完成させようとするでしょう』

 

『ディアン、その国々が、実際に兵を動かす可能性はあるのか?』

 

ファーミシルスは既に覚悟を決めた表情になっていた。ディアンは首を振って、その可能性を否定した。

 

『いや、その可能性は小さいだろう。物資を送ることと、実際に兵を動かすとでは、まるで意味が違う。戦争には、莫大なカネが掛かる。仮に、先に挙げた七カ国が同時に兵を起こし、ケレース地方を席巻し、七つに分割したとする。一カ国あたりが得られる国土など、微々たるものだ。さらには統治が極めて困難だ。それであれば、どこか一カ国に任せ、自分たちは利益を得たほうが良い』

 

『だが、何故だ?なぜ、ターペ=エトフをそこまで攻撃しようとする?我々は、先に挙げられたどの国に対しても、何もしていないぞ?』

 

『ターペ=エトフが存在すること自体が、困るから・・・そういうことですね』

 

インドリトは諦めたように呟いた。ディアンは黙って頷いた。その表情には、鬱よりも哀しみが浮いていた。理解できない周囲に、ディアンが説明をした。

 

『先に挙げた国々は、「王国」だ。つまり王や貴族という支配者がいて、民を支配している。だが、ターペ=エトフは王の存在を廃止し、「民が支配者」になろうとしている。そのような国が隣国として出現し、さらには羨むほどに繁栄をしている・・・貴族という支配者たちから見れば、危険極まりない存在だ。自分の国でも「民が支配者になるべき」という風潮が生まれるのではないか・・・そうした不安を持つだろう。王や貴族という存在は、民衆蜂起を最も警戒している。支配者の本能のようなものだ』

 

『私も王として、ずっと民を気にし続けてきました。この国で生まれたこと、生きることに喜びを感じているか?また生まれ変わっても、ターペ=エトフで生まれたいと思ってくれているか?そう思って、この二百五十年、王として統治を続けてきました。そして、この五十年は、ターペ=エトフの民たちに語り続けてきました。「これからは、自分たち自身の手で、そういう国を作っていくのだ」と・・・』

 

『何も悪いことでは無いではないか!インドリト王は、民を愛し、愛するが故に、民に自立を促したのだ。それが「悪」だと言うのか!』

 

ファーミシルスは激昂した。これまでの全てが否定された気持ちになったからだ。ディアンが首を振った。

 

『ファミ・・・善悪の問題ではないのだ。カルッシャやフレスラント、あるいはレウィニアの「支配者たち」とって、ターペ=エトフが目指す国は、危険な国に見えてしまうのだ。ターペ=エトフは、民たちに「意志」を持たせようとしてきた。自分たちの国、という意志・・・「国民意識」というものだ。だがその意識こそ、他国にとっては危険なのだ。支配者にとって、もっとも支配しやすい民とは、「自分の意志を保たず、自分で考えることも無く、唯々諾々と納税してくれる民」なのだ。「民は灰で無ければならない。火を付けても燃えないようにしなければならない。灰の生き方にも、それなりの幸せがある」・・・かつて、そう言った支配者がいたそうだ』

 

ファーミシルスが沈黙して俯いた。気を取り直したソフィアが、ディアンに別の疑問をぶつけた。

 

『ですが、一体誰なのでしょうか?各国にそうした不満があったとしても、それを表面化させ、これほどの大掛かりな仕掛けをするなど、およそ人間業とは思えません』

 

『そう・・・人間の仕業ではない。恐らく、これを企んだのは西方の現神勢力だろう。アークリオン、アークパリス、マーズテリア・・・この辺が動いたのでは無いか?』

 

『師よ・・・それよりも可能性の高い存在があるでしょう。お気づきだと思います』

 

ディアンは黙って、インドリトを見つめた。インドリトの指摘は、一番最初に考えた可能性だった。だがディアンは、それ以上を考えたくなかった。インドリトも、師の気持ちは察していた。だが王として、その可能性を指摘しない訳にはいかなかった。

 

『・・・「水の巫女」であれば、可能なのではありませんか?』

 

 

 

 

 

ハイシェラ魔族国宰相ケルヴァン・ソリードは、不眠不休で準備を進めていた。既に兵力は一万を超え、数年分の物資も蓄えられている。だが一方で、この数年ではどうしても用意できないものもあった。軍を束ねる将である。新たな王は、神に匹敵する力を持っている。その美しさと強さは、新王国の象徴であった。だが実際に戦争をするとなれば、現場を束ねる将が必須である。ターペ=エトフは飛天魔族の元帥を筆頭に、優秀な中堅将校たちが揃っている。万の軍を用意したとしても、不安であった。だがその不安をハイシェラは嗤って否定した。

 

«魔族とは元々、他者から命令されることを嫌うものだの。軍であろうとするな。強い「個」が集まった集団だと思うのじゃ。我が兵たちに命じるのは、我だけで良い。「進め」「殺せ」の二つで十分だの»

 

そう言われ、ケルヴァンは考え方を変えた。そもそも国家であろうとしたことが間違いなのだ。ハイシェラ魔族国は、国と名乗っているが、国家ではない。ハイシェラという偉大な魔神を中心とした「集団」なのだ。分かりやすい規範だけを作れば、あとは好きにさせれば良い。ケルヴァンは誰でもが理解できる言葉で、ハイシェラ魔族国の軍規を作った。

 

■魔神ハイシェラ様の命令には、絶対服従すること

■仲間内での喧嘩は認めるが、殺傷は「出来るだけ」避けること

■ガンナシア王国の民たちは、絶対に傷つけないこと

 

この三つだけを軍規とした。特に三番目は、ハイシェラから厳重に命令が出ている。実際に破った者をハイシェラが直々に処刑した。

 

«我はゾキウと約束をした。ガンナシア王国の民には手を出さぬと・・・我はその約束を違えるつもりは無い!皆も肝に銘じよ!»

 

凄まじい気配を発して命じる魔神には、ケレース地方一の乱暴者で知られるホア族でさえ、身を震わせて従った。以来、ハイシェラ魔族国での狼藉被害は激減をしている。軍にはなっていないが、少なくとも弱者が虐げられる光景は無くなった。物資は山積みとなり、武器も皆に行き渡っている。これであれば、戦争をすることも可能だろう。ケルヴァンは、最後のツメを行うべく、ハイシェラの元へと向かった。

 

«そうじゃ・・・もっと我を感じさせよ・・・»

 

扉の向こう側から、艶っぽい声が聞こえてくる。ケルヴァンは躊躇したが、意を決して扉を叩いた。「入れ」と命じられ、部屋への入る。中では案の定、ハイシェラの痴態があった。魔人パラバムという軟体動物のような魔人に、自分を愛撫させている。

 

«して・・・何用じゃ?ケルヴァン・・・»

 

快感に目を細めながら、ハイシェラはケルヴァンに話を促した。ケルヴァンは顔を伏せたまま、作戦を提案した。

 

『献策致します。戦の準備は、ほぼ整いました。勝利に向けた最後のツメとして、王のお力をお借りしたく・・・』

 

«ほう・・・やっとか・・・して、我に何をせよと?»

 

『この数週間、ターペ=エトフからの斥候が増えています。北華鏡や逝者の森にて、敵の諜報活動を食い止めてきましたが、そろそろ限界です。そこで、意図的に情報を流します。王の気配を意図的に漏らし、斥候に逃げ帰らせます。そうなればターペ=エトフは恐らく、王の仰る「魔神」を派遣してくるでしょう・・・』

 

ハイシェラは黙ったまま、愛撫に身を委ねていた。その程度の作戦ならば、最初からそうしている。数年を掛けた仕上げである以上、その先があるはずだ。ケルヴァンは言葉を続けた。

 

『そこで王には、その魔神と行き違う形で、ターペ=エトフの王宮に乗り込み、インドリト王の首を挙げていただきたいのです』

 

ハイシェラは軟体動物をペシッと叩いた。愛撫で喜悦を浮かべていた表情が険しくなる。

 

«・・・つまり我に、ターペ=エトフに「不意打ちせよ」と申すか?»

 

『王よ、これは勝つためです。王の目的は、その魔神との一騎討ちでしょう。ですが、その魔神を倒したとしても、インドリト王が健在である限り、ターペ=エトフは滅びません。一方、万一にも王がお倒れになれば、我らはそこで終わりです。まずはターペ=エトフに確実な一撃を打ち込むのです。インドリト王が殺されたとなれば、その魔神は激昂し、怒り狂って王に襲い掛かってくるでしょう。王がお望みの「全力をぶつけ合う熱き闘い」の舞台を整えるためには、インドリト王の首が必要なのです』

 

ハイシェラは眉間を険しくしたまま、ケルヴァンを睨んだ。溜息をついて頷く。「不意打ち」「騙し討ち」といった行為をハイシェラは唾棄していた。この二千数百年の闘いの中で、背後から襲いかかったことなど、一度として無い。堂々と正面から相手とぶつかり合い、全力を持って倒し、その存在を吸収する・・・それがハイシェラの生き方であった。

 

«国同士の戦いとは・・・なんともつまらぬものだの。強きが弱きを吸収する。その有り様にも、一つの定めがあるべきじゃ。弱きは弱きなりに、自らの全力を出し切って戦うべきじゃ。またそうさせることが、強きの在り方ではないか・・・»

 

『魔神同士の闘いであれば、それで宜しいでしょう。ですが、国同士の戦いは、より複雑なものです。賭けているものが、己独りではありませんから・・・』

 

«フンッ»

 

魔神ハイシェラは、鼻で嗤った。

 

 

 

 

 

ファーミシルスは焦っていた。この数週間、既に二桁に達する斥候を放っているが、全員が戻ってこない。上級の悪魔族でさえ、戻らないのだ。さすがの被害の大きさに、次を送ることを躊躇していた。いま送り込んでいる飛天魔族の斥候が戻らなかった場合は、自分が行こうとさえ考えていた。だがその日の夕刻、斥候が初めて戻ってきた。だがその様子が尋常ではない。蒼白の顔色をして、全身を震わせている。ファーミシルスが落ち着かせる。斥候はようやく、話し始めた。

 

『「魔神」だと?』

 

『そうだ。斥候の話では、尋常ではない気配を放つ魔神を確認したそうだ。その姿は見ていないが、普通の気配ではない。まるで「現神」だと言っていた』

 

その夜、王宮に呼ばれたディアンは、ファーミシルスやシュタイフェたちと話し合いをしていた。斥候が初めて戻り、相手の正体が多少見えた、と聞かされたからだ。シュタイフェがファーミシルの言葉に首を傾げる。

 

『申し訳ないでヤスが、ちょっと大げさ過ぎやしヤせんかね?アッシも、魔神の気配は良く知っていヤすが、そんな凄まじい気配を放つ魔神なんて、考えられヤせんぜ?魔神は神族の中でも「信仰を必要としない独立の存在」でさぁ。力が弱まることもありヤせんが、強くなることもない。現神に匹敵する魔神なんて、考えられヤせんよ』

 

ディアンは黙って腕を組んでいた。ある可能性に思い至っていたからだ。だが、まだ信じられなかった。「あの魔神」が国家を興すなど、考えられないからだ。

 

『ファミ、その斥候は信頼できるのか?』

 

『無論だ。私と同じ飛天魔族で、それもかなりの修行を積んでいる。斥候の中では、最も腕が立つ奴なのだ。もし戻らなかったら、私自身が斥候に行こうと想っていたくらいだ』

 

『なるほど、ではそれを信じるとするならば、その魔神には思い当たる奴がいる。時期的にも符合するし、可能性はある。だが、オレにはまだ信じられん。その魔神は、建国などという行為とは、かけ離れた存在だからだ。ただ闘いのみを求める「独立独歩の極地」を行く魔神だ。アイツが国を起したなど、考えられん・・・』

 

ディアンは腕を組んだまま、暫く考え、懐から水晶を取り出した。ファーミシルスに渡して告げる。

 

『明日、オレ自身が斥候に行こう。もし、オレの予想通りの魔神だったら、その水晶の色が変わる。その時は、急いで王宮を固め、戦争の準備をしろ。オレもすぐに戻る』

 

『ソイツは、強いのか?』

 

『あぁ・・・オレよりもな』

 

・・・明日が、自分の命日かもしれない・・・

 

驚くファーミシルを余所に、ディアンの表情には、悲壮な決意が顕れていた。

 

 

 

 

 




【次話予告】

王宮に激震が走った。「魔神の襲来」である。王の危機を察した使徒たちは、魔神を止めるべく、王宮に急ぐ。凄まじい力の前に次々と兵たちが倒れる。インドリトは自ら剣を握り、魔神の前に立った。二百五十年間に渡って磨き続けた「王の力」が示される。



戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第八十話「ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)の力」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第八十話:ターペ=エトフの力

『ディアン、私たちは一緒じゃなくていいの?』

 

レイナは不安気にディアンに尋ねた。黒衣の男は顔だけ振り返り、頷いた。

 

『斥候は少ないほうが良い。今回は、オレ独りで行く。二人共、留守を頼むぞ。何かあったら、すぐにオレを呼べ』

 

『もし、本当にその魔神だったら、ディアンはどうするんだ?』

 

『・・・闘うしかないだろうな』

 

『駄目よ!あの魔神は異常だわ。いくらディアンでも・・・』

 

レイナは魔神ハイシェラの気配を知っている。古神と魔神という二つの神核を持ち、神気と魔気の両方を放つ存在は、確かに異常な存在だ。もし闘えば、この家に戻れない可能性は高い。少なくとも、無事では済まないだろう。ディアンは二人の使徒を交互に抱きしめた。

 

『心配するな。オレは死なん。無理だと思ったら、すぐに引き返す』

 

心配をする二人の使徒を置いて、ディアンは東へと向かった。

 

 

 

 

 

ディアンが斥候に出た二日前、ハイシェラの元にケルヴァンが報告をしていた。

 

『王よ・・・予定通り、飛天魔族の斥候を帰しました。恐らく一両日中には、魔神がこちらに向かってくると思われます。王は南方より、王宮を攻めて下さい』

 

ハイシェラはケルヴァンを見ただけであった。この作戦に乗り気ではないのだ。魔神ハイシェラには、一つの価値観があった。強大な敵とぶつかり合い、互いに死力を尽くして闘い、相手を屈服させてこそ、強者の勝利だと考えていた。たとえ相手が亜人の弱者であっても、全力を発揮させ、それを受け止め、殺戮する。闘争という点においては、対等の立場に立つのがハイシェラの価値観であった。

 

«汝の言うとおり、王宮を攻めるのは良い。じゃが、我は堂々と正面から乗り込むぞ。背後から吹き矢を射掛けるような下衆な真似は、我の最も嫌う行為じゃ・・・»

 

ケルヴァンは頭を下げた。だが背中には冷たい汗が流れている。魔神ハイシェラは、自分がゾキウに矢を射掛けたことに気づいている。今は利用されているが、いずれ殺されるだろう。そう判断した。

 

・・・逃げる算段をしておく必要があるな・・・

 

ケルヴァンの中に、ハイシェラへの背信が芽生えていた。

 

 

 

 

 

ルプートア山脈北東部から、北華鏡へと抜ける。アムドシアスの王宮を飛び越えても良いが、美を愛する魔神は、自分の頭を他人が通過することを嫌がっていた。この状況で、華鏡の畔を敵に回すのは得策ではない、そう判断しての迂回であった。だがこれは、既にケルヴァンの予想通りであった。逝者の森に舞い降りる黒衣の男の姿は、ハイシェラ魔族国側にも伝わっていた。ケルヴァンは手元の水晶玉に手を翳した。魔神ハイシェラへの知らせを送る。オメール山を南に進み、トライスメイルからルプートア山脈南部へと入っていたハイシェラは、ケルヴァンからの知らせを感じ取った。

 

«確か、インドリト王とか言っておったの。ゾキウが最後に残した言葉に出ていた王じゃな。どれ、どれ程の力を持っておるのか、楽しみだの»

 

既に気持ちは、王宮内での殺戮に向いていた。やるからには徹底的に、非情なほどに殺戮をする。それが弱者への礼儀である。凄まじい気配がルプートア山脈南部に出現する。だがハイシェラは知らなかった。ターペ=エトフにいるのは、インドリト王と魔神だけではない。圧倒的な気配の出現をいち早く感じ取った二柱がいた。黒雷竜ダカーハと熾天使ミカエラである。

 

『・・・・・・』

 

『この気配は?』

 

ハイシェラは、双方の縄張りの中間地点に出現した。これまで感じたことのない程の圧倒的な気配に、ダカーハは身体を起した。

 

『・・・友に危機が迫っている。座視する訳にはいかぬな』

 

一瞬で上空に飛び上がり、凄まじい速度で王宮へと向かった。一方、ミカエラは迷っていた。ターペ=エトフは天使族に、その領土の一部を割譲し、この静寂の聖地を用意してくれた。ターペ=エトフには返し切れない程の恩義がある。しかし一方で、政治的には天使族とターペ=エトフは対等である。援軍要請があれば、天使族は総力を挙げてターペ=エトフのために戦うだろう。だが現時点では、ターペ=エトフからそうした要請は来ていない。魔神の気配は、絶壁の王宮に向かっている。それであれば、これはターペ=エトフの問題となる。ここで自分が出張るのは、ターペ=エトフに対する「干渉」に当たる。だが、感じている気配は異様であった。古神と魔神の気配が混合したような、未知の気配であった。

 

『・・・もしもの時のために、近くには行っておきましょう』

 

純白の六翼が開き、ミカエラは東へと飛び立った。

 

 

 

 

 

逝者の森の中で、ディアンは一人の悪魔族を捕らえていた。ケレース地方では見たことが無い悪魔である。

 

『聞きたいが、お前は何処から来たんだ?ケレース地方出身では無いだろう?』

 

だが目の前の悪魔は不敵な笑みを浮かべ、黙っていた。ディアンの眼が細くなった。人間の気配が希薄になり、魔神の気配が立ち昇る。鳥たちが一斉に飛び立つ。悪魔は絶句して、その様子を見ていた。

 

«・・・そうか、だったら無理矢理でも聞かせてもらうぞ。お前の出身など、どうでも良い。ガンナシア王国に何があった。お前たちの新しい王は魔神だそうだが、その名は?»

 

だが悪魔は、魔神の気配に当てられても黙っている。口を割れば死ぬことが目に見えているからだ。ディアンの笑みが大きくなる。背中の剣ではなく、腰に下げた短剣を取り出した。

 

«最後の警告だ。今すぐに話せば、五体満足で帰れるぞ?五つ数えるうちに決断しろ。自分で話すか、訊き出されるか・・・»

 

やがて、森の中に悲鳴が響いた。

 

 

 

 

 

凄まじい気配の出現は、使徒たちもすぐに気づいた。グラティナが身体を震わせる。レイナは水晶片を取り出し、魔力を通した。主人を呼び戻すためである。

 

『ティナ!王宮に急ぐわよ!インドリトが危ない!』

 

二人は剣を手に取り、王宮へと飛び立った。一方その頃、王宮の前庭に、赤髪の魔神が降り立った。二頭のレブルドルが唸る。だが魔神が一睨みをするだけで、レブルドルたちは頭を下げて降伏した。魔獣の本能で、目の前の「死」を直感したのだ。扉の前には、二人の門衛が立っている。体格の良い獣人族の兵が、剣を構えた。もう一人は尻餅をついている。門が開かれ、他の兵士たちが出てきた。圧倒的な気配に驚きながらも、恐れ慄く兵士は少ない。

 

『腰を抜かしている奴は邪魔だ!下がっていよ!』

 

連接剣を持った、飛天魔族の女が出てきた。元帥ファーミシルスである。十歩ほど離れたところで、魔神と向き合う。

 

『私は、ターペ=エトフ王国元帥、飛天魔族ファーミシルスである。魔神よ、お主の名を聞こう』

 

«ほう・・・飛天魔族(ラウマカール)の中でも、その最上位「飛天女王(ラクシュミール)」か・・・並の魔神よりも力があろうの・・・»

 

魔神は舌舐めずりをした。ファーミシルスは手に持った連接剣を一振りした。魔神の肉体を剣が貫いたかに見えた。だが魔神は僅かに動いて、それを躱していた。石畳に一筋の溝が残る。魔神は左手を一振りした。凄まじい風が発生する。ファーミシルスは思わず、後ずさった。頬に汗が流れる。だが闘気は揺るがない。その様子に、ハイシェラが頷いた。

 

«我の気配に慄く事無く、また勝てぬと解っていながらも揺るがぬ闘志・・・褒めて使わそうぞ。じゃが、手加減はここまでじゃ。我の目的は、この先に居る王の首よ。大人しく通すなら良し、さもなくば、汝らは皆殺しぞ?»

 

魔族であれば、これで退くはずであった。少なくとも赤髪の魔神が知る魔族や闇夜の眷属たちは、何よりも自分を大事にしている。「死ぬくらいなら逃げる」と判断するのが当然であった。だが、目の前には意外な光景が展開された。先程まで腰を抜かしていた兵士も、しっかりと立ち上がり、剣を構えたのだ。全員の瞳から、恐怖が消え、強い意志が顕われる。それは、目の前の飛天女王も同じであった。

 

『我が王を殺すだと?そのようなこと、許せると思うか!たとえこの身が朽ちようとも、貴様を王の元には行かせん!』

 

雄叫びが上がり、全員が魔神に斬り掛かった。魔神は笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

『ハイシェラ・・・魔族国』

 

ディアンは呟いて瞑目した。幾つもの予想を立てていたが、現実は、その最悪の極みであった。目の前の血まみれの悪魔に止めを刺す。ディアンは瞑目したまま、考えた。

 

・・・何故だ?なぜ、ハイシェラは国造りなんて考えたのだ?魔神は独立独歩の存在だ。特にハイシェラは、その典型だ。強大な力を持てば、それを試そうとする。ベルリア王国のマーズテリア大神殿を攻めても良いし、更に西には、クヴァルナ大平原を統治する「神の戒土」と呼ばれる存在も居る。試す相手は幾らでもいる。何故、「ケレース地方で建国」なのだ?・・・

 

ディアンの額に汗が浮いていた。その答えに気づいていたからだ。考えたくはないが、それ以外に可能性がなかった。

 

・・・水の巫女、貴女が仕組んだのか。ハイシェラにオレの存在を教える代わりに、国造りをさせて、ターペ=エトフとの国家間戦争をさせる。何も滅ぼす必要はない。戦争になれば、インドリトが退位するのは難しくなる。王制を維持させたまま、戦争を長引かせれば、やがてインドリトは寿命を迎える。跡継ぎの居ない王が死去すれば、それで王国は終わる・・・

 

ディアンは歯ぎしりした。これがレウィニア国王や他国の貴族たちが仕組んだことであれば、許すことが出来た。善悪は相対的なものであり、支配者側の言い分も、理解は出来る。人間が仕組んだのであれば、国家間の謀略戦の結果に過ぎない。だが、水の巫女が画策をしたのなら、許せなかった。神族の力は絶大だ。神が関われば、歴史の流れが歪む。だがそれでも歴史に関わるのであれば、自らの手で、歴史を動かそうとすべきである。

 

・・・アンタは、レウィニア神権国の民のためと考えているのだろう。だが、そのためにターペ=エトフで生きる民が犠牲になっても良いと言うのか?自分の愛する民のために、他の民を犠牲にする・・・それでもなお、事を進めるのであれば、何故、自分自身の手でそれをやらない。姫神フェミリンスですら、自ら前に出て、ブレアードと戦ったのに・・・陰謀を巡らせ、他人に血を流させ、自分一人、安全な泉からそれを見ている・・・アンタは、フェミリンス以下の邪神になった!・・・

 

ディアンの眼が細くなる。このままレウィニア神権国に飛んでいって、水の巫女の神核を抉り出してやろうかとさえ思った。だがその時、ディアンの脳裏に映像が過ぎった。レイナからの知らせである。

 

『しまった!』

 

これまで一人も戻らなかった斥候が戻ってきた。その段階で、「何故、戻ることが出来たのか?」を考えるべきだったのだ。ディアンは自分が誘い出されたことを瞬時に察した。一瞬で上空に飛翔し、猛烈な速度で西に向かう。その表情には焦りが浮かんでいた。逝者の森から絶壁の王宮まで、直線距離でも百五十里(六百km)以上ある。

 

(・・・どんなに急いでも一刻(三十分)は掛かるか・・・)

 

«いま行くぞ!インドリト!»

 

黒い流れ星が、ケレース地方上空を横切った。

 

 

 

 

 

王宮の前庭に着いたレイナとグラティナは、凄まじい戦いの跡を見て戦慄した。獣人族や悪魔族の兵士たちが倒れている。半数は死んでいるだろう。純白の翼が見えて、グラティナが駆け寄った。

 

『ファミ!』

 

ファーミシルスを抱え上げる。連接剣は千切れ、腕が折れていた。内蔵も出血しているようである。グラティナの声に、薄っすらと目を開ける。

 

『行け・・・インドリトが・・・』

 

口から血が溢れる。このままでは助からないだろう。だが介抱をしていたら、インドリトの命が危うい。ここは置いていくしか無い。二人は、非情な決断をするしか無かった。

 

『許して・・・ファミ』

 

レイナとグラティナは王宮へと入った。ファーミシルスは上空を流れる雲を見ていた。ここで倒れるのは不本意だが、悪い人生では無かった。家族に恵まれ、友に恵まれ、素晴らしい王に仕えることが出来た。ファーミシルスは、今際の際に、満足感に浸っていた。その時、上空に白い羽が見えた。

 

・・・母上?・・・

 

ファーミシルスの意識が途絶えた。

 

 

 

 

 

魔神ハイシェラの襲来は、インドリトも当然、気づいていた。だが逃げることはしない。黄金の甲冑を着て、玉座に座る。兵士たちが魔神を待ち受ける。

 

『王よ、ここは我らが食い止めます!ダカーハ殿もいらっしゃっております!どうか、お逃げ下さい!』

 

『私は逃げぬ。兵士の背に隠れ、兵士を犠牲にして逃げるなど、私には出来ぬ!我が剣を持て!お前たちは下がっていよ!』

 

その時、ドンッという音が響いた。続いて、謁見の間の扉が吹き飛ぶ。凄まじい気配が謁見の間に吹き込んでくる。足音が響く。

 

≪中々、良い兵を揃えておるの・・・じゃが、我を止めることなど、誰にもできぬがの・・・≫

 

笑みを浮かべながら、ハイシェラが入ってきた。インドリトを護ろうとしている兵士が、カチカチと歯を震わせる。インドリトは兵の肩に手を当て、下がらせた。自ら前に進み出る。

 

『我が名はインドリト・ターペ=エトフ・・・魔神よ、貴殿の名を聞こう』

 

インドリトを見て、ハイシェラは眼を細めた。インドリトの瞳には、微塵の気負いも、恐怖も無い。飛天女王が命懸けで護ろうとした理由がわかった。確かに「偉大な王」であった。

 

«我が名は、ハイシェラ・・・三神戦争より悠久の時を生きし、地の魔神じゃ»

 

『魔神ハイシェラ・・・このターペ=エトフに何の用か?』

 

«ただの挨拶だの。我はここから東に、新たな国を作った。既に戦の準備も整っておる。いずれ、この国を攻め滅ぼすつもりじゃ。その挨拶に来たまでだの»

 

『挨拶?我が兵の命を奪っておきながら、ただの挨拶と言うか!』

 

インドリトの表情に怒りが浮かんだ。だがハイシェラは涼しい表情で嗤った。

 

『汝の命も奪うつもりだの。汝が死ねば、あの男もさぞ、怒るであろうからの』

 

『誰が、誰の命を奪うですって?』

 

ハイシェラはゆっくりと後ろを振り向いた。金髪と銀髪の美女が、怒りの表情で剣を向けていた。

 

 

 

 

 

ファーミシルスは暗闇から意識を取り戻した。見えたのは空である。自分は死んだのかと思ったが、声を掛けられて意識がハッキリした。

 

『元帥!大丈夫ですか!』

 

獣人族の兵士が、ファーミシルスを覗き込む。起き上がると、兵士たちを介抱している者の姿があった。背中に六翼がある。思わず、自分の同胞かと思った。だがすぐに違うと理解した。その頭部に金色の輪があったからだ。

 

『私は大丈夫だ。それより、他の者を介抱してくれ』

 

ファーミシルスは立ち上がると、自分に良く似た姿に近寄った。後ろから声を掛ける。

 

『申し訳ない。救けていただいたこと、感謝をする。私はターペ=エトフ王国元帥、飛天魔族ファーミシルスだ。貴殿の名を聞こう』

 

相手がゆっくりと振り返る。背丈は自分とほぼ同じくらいだ。髪は金色で、透けるように白い肌をしている。そして、圧倒的な力を持っていた。ファーミシルスは過去にも、この種族に間違えられたことがあるが、実際に会うのは初めてであった。

 

『はじめまして・・・私は天使族の長、天上階位第一位、熾天使ミカエラです。貴女は、天使に良く似た姿をしていますが、天使族では無いのですね?』

 

『私は天使では無い。誇り高き飛天魔族だ。まぁ、確かに間違えられることもあるが・・・』

 

ミカエラは微笑むと、他の者の介護へと向かった。龍人族の兵が倒れている。身体は傷だらけだ。もはや、助からないだろう。

 

『・・・て、天使様・・・私は・・・』

 

ミカエラが龍人の額に手を当てる。

 

『こ、怖いんです・・・私は、古神を・・・信仰してきました。そんな私が死ねば・・・どうなるか・・・どうか・・・お祈りを・・・』

 

ミカエラの翼が輝いた。優しくほほえみながら、祈りの言葉を唱える。

 

『天上の主よ、その限りない慈愛により、この者を慈悲深きその腕に、迎え入れ給え。この祈りを以て罪を浄化し、此の者の魂を永遠の楽園へと導き給え。この十字により、主の大いなる愛のもと、魂は安らぎ、新たなる創造へと導かれる。父と、子と、聖霊の御名によりて・・・』

 

龍人は微笑みながら、命の灯火が尽きた。眼から光が消える。

 

『・・・アーメン』

 

ミカエラは、その眼を指で閉じた。

 

 

 

 

 

レイナとグラティナは、インドリトを護るようにハイシェラの前を塞いだ。グラティナは首を傾げた。この赤髪の顔には見覚えがあったからだ。だがレイナが一喝した。

 

『ティナ!コイツは、私たちが見かけた人ではないわ!別人よ!』

 

«ほう・・・黄昏の魔神の使徒たちか・・・なるほどの»

 

ハイシェラは頷いて、剣を抜いた。凄まじい気配が吹き荒れる。だが二人の使徒は臆すること無く、斬り掛かった。完全に呼吸を合わせ、左右から同時に斬り掛かる。レイナは実の剣、グラティナは虚実の剣を使った。絶対に躱せないはずの一撃だった。だがハイシェラは、剣でグラティナの剣を受け、レイナの実の剣は手で無造作に掴んだ。二人に驚愕の表情が浮かぶ。

 

«力も速さも申し分無いの。だが、まだ温いわっ!»

 

圧倒的な膂力でグラティナを弾き飛ばし、同時にレイナの腹部に強烈な蹴りが入る。二人が左右の壁に打ちつけられる。身体を震わせながら、二人が立ち上がる。グラティナの身体から、闘気が立ち上った。

 

『普通に戦っては勝てぬか・・・ならば、我が秘技を以て、貴様を打ち砕くのみ!』

 

前かがみに剣を構える。レイナも背後から構える。ハイシェラは背後を一瞥し、グラティナの正面に立った。グラティナが一直線に魔神に向かう。制空圏の直前で、高速で剣を落とし、両腕を左右に広げる。柄を足で蹴り上げ、魔神の喉元を狙う。同時にレイナも、背後から斬りかかる。

 

『極虚剣技「天馬之一突」!』

 

『極実剣技『崩翼竜牙衝」!』

 

二人の必殺の剣が同時に炸裂する。だがその瞬間にグラティナは気づいた。ハイシェラは眼を閉じていたのだ。ハイシェラは身体を僅かにかわし、喉元に届こうとする剣を躱し、左手で純粋魔術をグラティナに放つ。同時に背後からの一撃を剣で弾き飛ばした。一瞬の出来事であった。壁が崩れるほどに、二人が弾かれる。ハイシェラの首筋には、一筋の傷が残っていた。レイナの剣を受けた右腕も痺れている。

 

«見事な一撃であったの。我でなければ、上級魔神すらも倒せた程だの»

 

『バカな・・・アレを・・・躱したのか・・・』

 

グラティナが首だけを起き上がらせて、ハイシェラを見た。ハイシェラは嗤った。

 

«汝の剣、確かに大抵の者には、躱すことは出来まい。じゃが、我は二千年以上も闘い続けておるのじゃ。たしか・・・千五百年ほど前に、似たような技を見たことがあったの。虚とは所詮、相手の注意を逸らすための「偽の動き」じゃ。ならば見なければ良いのじゃ・・・»

 

力も、速度も、魔力も、戦闘の経験値も、目の前の魔神は桁外れであった。それでも二人は立ち上がろうとしたが、もはや力は残っていなかった。

 

『止めよ!』

 

インドリトの大声が響いた。剣を持って、ハイシェラの前に出る。

 

『に、逃げろ・・・インドリト・・・』

 

グラティナが声を絞り出す。だがインドリトは戦うつもりであった。ハイシェラが笑みを向ける。

 

«ほう・・・逃げること無く、我と闘うか・・・»

 

『魔神ハイシェラよ、貴女の狙いは私であろう。相手をする故、これ以上は他者の命を奪うな!』

 

インドリトは剣を構えた。その姿に、ハイシェラが頷く。

 

«汝に問う。我と戦って、勝てると思うてか?»

 

インドリトは応えなかった。その代わりに、全身から闘気が立ち昇った。それはおよそドワーフ族とは思えない程に、重厚で洗練されたものであった。ハイシェラの顔から笑みが消えた。

 

『我が名はインドリト・ターペ=エトフ・・・「ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)」の力を舐めるな!』

 

インドリトは猛然と斬り掛かった。人外の速度だが、ハイシェラは簡単に剣で受けた。だが・・・

 

«な・・・に・・・»

 

ハイシェラは吹き飛ばされ、壁に打ち付けられた。すぐに立ち上がるが、もはやその気配に、これまでの遊び半分の余裕は無かった。現神に匹敵する魔神の気配を放っていた。

 

 

 

 

 

«驚いたの・・・たかがドワーフがこれ程の力を持っておるとは・・・»

 

『・・・来いっ!』

 

ハイシェラの姿が消えた。一瞬でインドリトの上方に移動し、一撃を振り下ろす。インドリトは剣でそれを受け止める。ズンッという音とともに、インドリトの足元に亀裂が入る。ハイシェラは斜めからインドリトに斬り掛かった。本気の一撃である。だがインドリトは、その一撃を再び受け止める。

 

『ヌゥゥッ!』

 

インドリトが反撃する。ハイシェラは剣で防ごうとしたが、再び吹き飛ばされた。ハイシェラは理解できなかった。速度は無い。だが剣から信じ難い程の重みを感じた。まるで、大地そのものをぶつけられるような重さであった。

 

«何故だ?ドワーフが、何故、これ程の力を持っている?»

 

『解らぬであろうな。貴女の背中には、何も見えぬ。貴女の中は、空っぽだ。闘いに明け暮れ、闘い以外に生きる喜びを見出だせなかったのであろう?だが私は違う。私の背には、ターペ=エトフで生きる十五万の民がいる。彼らが支えてくれている!』

 

«世迷言を!»

 

凄まじい速度で斬りかかる。インドリトの全身を斬撃が襲う。額や頬、手足からも血が吹き出る。だがインドリトは構うこと無く、重い一撃を放った。再びハイシェラが壁に叩きつけられる。

 

『人は、独りでは生きられぬ!支え合い、救け合って、共に生きる。皆が居るからこそ、力が湧き上がるのだ!それが「真の強さ」なのだ!魔神よ、貴女は闘いを、強さを求め続けたのだろう?だが、独りで居る限り、貴女の渇きは永遠に癒えぬ!』

 

«おのれ・・・ドワーフ如きが、小賢しい・・・»

 

ハイシェラが怒りの表情を浮かべた。だがその頭部に爆発が起きた。シュタイフェとソフィアであった。シュタイフェの顔は、清々しいほどに晴れていた。

 

『王よ、アッシは今ほど、王にお仕えして良かったと思ったことはありませんぜ?この無礼者は、アッシが退治致しやス。ソフィア殿は、王の手当を・・・』

 

魔術杖を持ち、シュタイフェがハイシェラの前に立つ。ハイシェラの顔に凄みが浮いた。これまではインドリトのみを殺そうと考えていた。だがここまでコケにされたら、もはやどうでも良くなっていた。

 

«どいつもこいつも、我をコケにしおって!もう良い!この王宮ごと、消し飛ばしてくれるわ!»

 

ハイシェラの両手に、純粋魔術が込められる。極大魔術によって、山ごと吹き飛ばすつもりでいた。シュタイフェが結界の術式を構える。だが、ハイシェラから魔術は放たれなかった。強烈な別の気配が近づいていたからだ。

 

『間に合った・・・』

 

レイナが安堵の声を漏らした。次の瞬間、天井が崩れ落ちた。謁見の間の中央に、黒衣の男が出現した。身体からは、ハイシェラに匹敵するほどの「魔神の気配」が放たれていた。

 

 

 

 

 




【次話予告】

巨大な力同士がぶつかり合う。それは大地を沸騰させ、空を暗くする程であった。交わす剣は肉を斬り、骨を断った。そしてそれは、お互いの命に届くほどであった・・・



戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第八十一話「神々の闘い」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第八十一話:神々の闘い

巨大な二つの気配により、謁見の間に居る者たちは、押し潰されそうな気持ちになった。赤髪の魔神に笑みが浮かんだ。瞳の色が紅く変わっていく。

 

«クックックッ・・・待っておったぞ?ようやく出会えたの。我が強敵(とも)よ・・・»

 

黒衣の魔神は、その言葉に応えず、左右を見て、後ろを見た。気配がさらに膨れ上がる。身体から陽炎のように、黒い気配が立ち昇った。

 

«オレの弟子が、血を流している・・・オレの使徒が、傷ついている・・・»

 

身体が微かに震え始める。その瞳が黒から紅へと変わる。笑みを浮かべたハイシェラの顔が目に入る。黒衣の魔神ディアン・ケヒトの記憶は、そこで途切れた。

 

«ハイシェラァァァァッ!!»

 

大音声が響いた次の瞬間、二柱の魔神は消えていた。謁見の間の壁には、外まで続く巨大な穴が空いていた。その場にいた極少数の者だけが、ハイシェラの顔面に拳がめり込むのを目撃していた。

 

 

 

 

 

ルプートア山脈東方部の中腹が爆発した。ディアンに殴り飛ばされたハイシェラが、山にめり込んだのだ。ハイシェラは眼の前がチカチカしていた。鼻の骨も砕け、圧し曲がっている。美しい顔が歪み、大量の血が滴る。だがハイシェラは気にすること無く立ち上がり、鼻を抓んで元に戻した。目の前に影が過ぎる。顔面を護ろうとしたら、腹部が蹴り上げられた。左腕を背後に固定され、後頭部を掴まれ、顔を岩に押し付けられる。雄叫びが響き、ルプートア山脈に南から北へ、一直線に線が入った。ディアンがハイシェラの顔面を押し当てながら、音速に近い速度で、北に移動しているのだ。岩に押し当てられながらも、ハイシェラは叫んだ。

 

«調子に乗るなぁぁっ!»

 

腕の関節を外し、ディアンの拘束から脱出する。ハイシェラの服はすでにボロボロになり、半裸の状態となっていた。一瞬でディアンの上方に移動し、頭部に踵を落とす。凄まじい速度でディアンは落ちた。遥か下で、ドンッという音がし、砂埃が舞い上がる。だがハイシェラも、攻撃を続けることができなかった。ディアンから受けたダメージが抜けていない。宙に浮きながらも、フラつく。

 

«クッ・・・まずは回復をせねば・・・»

 

一方、ディアンはようやく意識が戻った。自分が何故、大地に伏しているのかを思い出すのに、数瞬が必要であった。立ち上がろうとすると、足が縺れた。頭部から大量に血が吹き出ていた。

 

«頭蓋が割れているか・・・»

 

頭部を左右から両手ではさみ、頭蓋骨のズレを矯正する。同時に回復魔法を掛ける。高速で飛行をしていたため、魔力の消費も激しかった。魔焔から魔力を吸収する。冷静さを取り戻したディアンには、笑みが浮かんでいた。確かに気配は大きいが、想定以上では無かった。これならば、自分でも戦えると確信したのだ。

 

«マーズテリア級かと思っていたがな。この程度か・・・»

 

クラウ・ソラスを抜き、飛翔する。

 

 

 

 

一方、ハイシェラには戸惑いがあった。確かに圧倒的な力を手にしていた。だが、いざ黄昏の魔神と戦ってみると、相手は自分と互角の力を持っている。如何に人間の魂を持つ「神殺し」が相手だとしても、自分には古神と魔神の二つ分の神核がある。圧倒できると考えていた。相手が想像以上に強いか、自分が予想よりも力を発揮できていないかの、どちらかであった。

 

«何故じゃ?何故、力が発揮されぬ?我は神に匹敵する力を手にしているはずだの!»

 

下から黒い光が昇ってきた。ハイシェラも剣を抜き、下へと飛行する。二柱の魔神が上下で交錯し、再び向かい合う。ディアンの左肩から、血が吹き上がった。ハイシェラも同じく血を流している。ハイシェラはディアンの様子が変わったことに気づいた。魔神の気配を発しているが、そこに理性が戻っているのだ。

 

«・・・どうやら自分を取り戻したようだの?さぁ、熱き闘いを続けようぞ!»

 

ハイシェラは一瞬で距離を詰めた。互いの剣が激しい火花を散らす。ハイシェラの剣も、クラウ・ソラスに退けを取らない名剣であった。十数合を交わしあい、再び離れる。ハイシェラは純粋に闘いを愉しんでいるようであるが、ディアンは闘いながら、冷静に見極めようとしていた。かつて戦った時は魔術戦であったが、今回は剣での闘いである。ハイシェラの総合的な戦闘力、剣技の型、戦闘経験から来る判断力などを見極めようとする。いずれも、上級魔神をも大きく上回っているが、疑問もあった。古の大女神でれば、非現実的な程の「超常的力」があっても可怪しくない。だがハイシェラは、魔神の延長線なのである。ディアンは口元に笑みを浮かべた。

 

«正直、思っていた程ではないな。アストライアは古神でも最高神に近い。本来であれば、アークリオンやマーズテリアにも匹敵するはずだ。だが、お前はせいぜい、上級魔神より二回り上、といったところだ。どうやら、力を完全には発揮できていないようだな?»

 

«・・・何が言いたい?»

 

ハイシェラの顔が険しくなる。ディアンにとって、一対一の闘争など価値が無かった。ハイシェラを退ければそれで良いのだ。

 

«残念だと言っているんだ。現神に匹敵する力を拝めると思っていたのだがな。お前が西方神殿を攻めなかったのは、勝てないことが解っていたからか?闘いたいが、死にたくはない、か?»

 

«貴様っ!»

 

ハイシェラは激昂してディアンに襲い掛かった。だが一直線に突進しただけである。ディアンは純粋魔術を放った。大爆発が起き、ハイシェラが吹き飛ぶ。剣で戦っていたため、魔術が使われると思っていなかったのだ。吹き飛んだハイシェラを追い掛け、さらに蹴りを入れ、ルプートア山脈を超える。北華鏡上空で、二柱が向き合う。ハイシェラは理解した。先程の挑発は、ターペ=エトフから自分を追い出すためであったのだ。巨大な魔神同士が魔術を駆使すれば、下手したらターペ=エトフそのものが吹き飛びかねないからだ。

 

«どうやら、ようやく全力を出すことが出来そうだの?貴様の言葉など、もはや耳を貸さぬ!有無を言わさず、打ち砕いてくれるわ!»

 

左手から、暗黒の気配が出現した。暗黒魔術である。

 

«貫通闇弾!»

 

圧縮された暗黒の魔力がディアンに迫る。ギリギリでそれを交わす。南へと飛んでいった魔力は、やがてアムドシアスの結界にぶつかり、爆発をした。結界そのものも破裂してる。

 

«・・・アムドシアスが怒るだろうな»

 

«あの「芸術バカ」など、どうでも良いわ!»

 

再び二柱が激突する。次は剣だけではない、魔術を使い、相手を牽制し合う。北華鏡を中心に、山や大地に幾つもの穴が空く。ディアンとしては心苦しいが、手加減をする余裕はない。純粋魔術同士がぶつかり合う。ディアンが吹き飛ばされた。

 

・・・どうやら、魔力では向こうのほうが上か・・・

 

目の前にハイシェラが現れ、両手で拳を作り、振り下ろしてくる。左腕で辛うじて受け止めるが、あまりの破壊力に骨が砕ける。だがディアンも、右腕で剣を振った。ハイシェラの左脚が切断され、膝下が落ちる。だがハイシェラは構うこと無く、何発もの純粋魔術を放った。爆発で吹き飛ばされ、ディアンは大地に叩きつけられた。

 

«好機!極大純粋魔術ルン=アウエラッ!»

 

ハイシェラが放った巨大な魔力が、ディアンに迫る。大地に横たわったまま、同じくルン=アウエラを放つが、ハイシェラの魔力のほうが上回った。大地が沸騰し、北華鏡に直径二里(約八km)以上の巨大な爆発が起きた。茸雲が立ち昇る。だがハイシェラはこの機会を逃さない。暗黒の雷雲を呼び寄せ、茸雲目掛けて、巨大な落雷を落とす。空は暗闇に包まれ、黒い雨が振り始めた。神核を二つ持つ魔神であっても、立て続けに魔力を使い続けたため、肩で息をする。

 

«殺ったか?»

 

 

 

 

 

絶壁の王宮内では、怪我人たちの手当が続いていた。レイナとグラティナも重傷である。肋骨の他にも、何箇所か骨折をしている。インドリトは出血こそ多かったが、致命傷ではない。インドリトは床に座り、ソフィアから回復魔法を受けていた。シュタイフェが陣頭指揮を取る。

 

『回復魔法でも助けられない者は、すぐにイーリュン、アーライナ神殿に運ぶでヤスよ!動ける兵たちは、今のうちに護りを固めるでヤス!』

 

ファーミシルスがインドリトの前で膝をついた。

 

『王よ、此度の責任は、全て私にあります。黄昏の魔神を斥候に向かわせたのは、我が不覚・・・いかなる罰も、お受け致します』

 

『元帥、まずは被害を調べ、報告をして下さい。亡くなった兵の遺族には、特に丁重に補償をするように。私自らが出向きましょう』

 

『王よ・・・』

 

『相手は魔神でした。被害が出たのは仕方がありません。今、元帥を失う訳にはいきません。闘いはこれからでしょうから・・・』

 

『ディアンが、あの魔神を倒すと思いますが・・・』

 

ソフィアの問いに、インドリトとファーミシルスは応えなかった。闘った者だけが判ることがある。魔神ハイシェラの力は異常であった。ディアン・ケヒトですら、勝てないかもしれない。ファーミシルスは話題を変えるように、インドリトに報告を続けた。

 

『先程、ダカーハ殿とミカエラ殿が、黄昏の魔神を追っていきました。黄昏の魔神を助けるのではなく、ターペ=エトフに飛んでくるであろう巨大魔術を防ぐ、とのことです』

 

インドリトは頷いた。

 

 

 

 

 

«殺ったか?»

 

だが、茸雲を見下ろすハイシェラに鋭い剣撃が飛んできた。剣で防ぐが、ハイシェラの顔が険しくなる。茸雲から、黒い魔神が出現した。頭から血を流し、左目は血で潰れている。骨が砕けた左腕は、完全に千切れていた。だがまだ闘気は消えていない。右腕で剣を持ち、高速で斬り掛かってくる。再び、剣が交錯する。だが片腕となったディアンは、魔術の発動が出来なかった。「メルカーナの轟炎」が直撃し、全身が燃え上がる。だがそれでも、ディアンは闘いを止めようとしない。持てる全ての力をクラウ・ソラスに込める。その気配に、ハイシェラも頷いた。

 

«我の期待以上の闘いであったぞ、黄昏の魔神よ。じゃが、次が最後になろう。汝の全霊を賭して、至高の一撃で掛かってくるが良い!»

 

二柱の魔神が雄叫びを上げ、相手を目掛けて進む。ディアンの右腕が振り下ろされる。だがその前に、ハイシェラの剣がディアンの身体を貫く。剣が、神核にまで届く。だがディアンは、それに構わず、剣を振った。ハイシェラの左肩から腹部まで、クラウ・ソラスが深々と切り裂く。二柱とも、口から大量の血を溢れさせた。

 

«み、見事だの・・・じゃが、我の剣は、汝の神核まで届いたぞ・・・我の勝ちだの・・・»

 

剣は、互いの神核を傷つけていた。だがハイシェラには、神核が二つある。片方の神核が機能を失っても、魔力は維持できる。一方、ディアンの神核には深刻な傷がついていた。魔力が喪失していく。意識が消え、ゆっくりと下に落ちる。炎に包まれたまま、ディアン・ケヒトは深い森へと消えていった。ハイシェラはその様子を見て、瞑目した。自分の身体に残ったクラウ・ソラスを引き抜き、それを投げ捨てる。神核の傷は、簡単には回復しない。暫く時間が必要であった。だがハイシェラにとって、もはやこの闘いの興味は消えつつあった。自分を唯一、満たすことが出来た敵は、もう居ないのである。

 

«・・・これから戻って、王を殺して、それで終わりにするかの»

 

つまらなそうに、ハイシェラはルプートア山脈を越えようとした。だがそこに、思いがけない敵が出現した。上級魔神以上の巨大な気配を放つ「熾天使」が出現したのである。

 

 

 

 

 

ディアンの神核が傷ついた時、使徒三人の胸に激しい痛みが走った。ソフィアが胸を抑えて崩れる。シュタイフェがその様子を見て、顔色を変えた。使徒がそれほどに苦しむとしたら、理由は一つしか無いからだ。

 

『ま、まさか・・・ダンナが・・・』

 

胸を抑えながら、ソフィアが頷く。

 

『主人が・・・ディアン・ケヒトが、死にました・・・』

 

救護室では、二人の使徒が立ち上がろうとして取り押さえられていた。主人の異変に気づき、助けに行こうとしているのだ。だが、使徒としての力は喪失しつつある。動くことすらままならないのだ。シュタイフェがソフィアを抱えて、救護室に入ってきた。レイナとグラティナの様子に頷く。額に汗を浮かべて苦しむ三人に、シュタイフェは首を傾げた。ディアン・ケヒトに異変があったのは間違いない。だが、何かが可怪しかった。

 

『・・・ダンナが死んだのなら、なんで三人は「老化」しないんだ?』

 

使徒の「擬似的神核」と「不老の肉体」は、主人との結びつきによって維持されている。主人であるディアン・ケヒトが死ねば、その魔力が消え、使徒の神核も喪失する。そして、急速な老化が始まる。だが三人はいずれも、若いままである。その理由は一つしか無い。

 

『ダンナは、まだ生きている・・・』

 

インドリトは急ぎ、謁見の間へと戻った。

 

 

 

 

 

«熾天使じゃと?»

 

«私は、天使族の長、天上階位第一位を束ねる熾天使ミカエラ・・・黄昏の魔神との闘いは良いでしょう。ですが、ターペ=エトフに戻るというのであれば、私が相手をします»

 

ハイシェラは驚きの表情を浮かべた。熾天使は、古神に匹敵する存在である。神々しい神気がハイシェラを圧倒する。剣を構えるハイシェラをミカエラが止めた。

 

«お止めなさい。片方の神核だけで、私を相手に闘おうというのですか?此処は一旦、退きなさい»

 

«我に命令するか・・・嫌じゃ・・・と言うたらどうする?»

 

ミカエラは黙ったまま、下方を指差した。ハイシェラがそれを見下ろす。黒い竜が何かを咥えて、南へと飛んでいた。ディアンであった。

 

«ディアン・ケヒトはまだ死んでいません。いずれ回復し、再び貴女の前に立ちはだかるでしょう。今日の闘いは貴女の勝ちです。ですが、続きをしたいとは思いませんか?»

 

ハイシェラは肩を震わせた。やがて大きく笑いだす。

 

«クハハハハッ!面白いの!良かろう、汝の言葉に従い、此処は退くとするかの・・・じゃが聞いておきたい。汝が手助けをすれば、黄昏の魔神の勝ちであったろうに、何故、手を出さなかった?»

 

«私は古神に連なる天使族の長です。その私が「歴史を動かす」訳にはいきません。何より・・・そのようなことをすれば、黄昏の魔神は永遠に、私を許さないでしょう»

 

ハイシェラは頷いた。帰り際に、ミカエラに伝言を残す。

 

«いずれ再び、我はターペ=エトフを攻める。黄昏の魔神ではなく、ターペ=エトフをじゃ。ドワーフの王にそう伝えよ»

 

ハイシェラは東へと飛んでいった・・・

 

 

 

 

 

王宮内は騒然としていた。ダカーハによって運ばれてきたディアンは、肉体は焼け爛れ、頭も半分失ったような状態であった。神核の機能が停止しているため、もはや死んでいるのも同然であった。インドリトは王命を発令し、イーリュン神殿とアーナイナ神殿、さらにはトライスメイルにも協力を要請し、師の回復に当たった。だが焼け石に水の状態であった。ディアン・ケヒトは、生きているだけでも奇跡と言える状態だったのである。

 

『神核が傷ついています。現在、神官たちが総力を上げて回復に努めていますが、あまりにも傷が深く、このままでは・・・』

 

『回復は難しいのですか?』

 

『神核の機能が弱まり、肉体の損傷に魔力が追いつきません。恐らく、明日の朝までかと・・・』

 

インドリトは瞑目して、拳を握った。師との別れは、ずっと前に覚悟をしていた。だがそれは、自分が死ぬ形での別れであった。民が自立し、自ら歴史を動かしている姿を見ながら、師に感謝して別れる・・・それがインドリトが描いていた別れであった。こんな形では無かった。その時、恐る恐る声を掛けてくる兵がいた。

 

『あの・・・王よ、お客様がお見えです。トライスメイルから・・・』

 

インドリトが顔を上げた。兵の後ろには、翠玉色の髪をした美しいエルフが立っていた・・・

 

 

 

 




【次話予告】

トライスメイルの長「白銀公」の協力により、ディアンは辛うじて、一命を取り留めた。意識を回復させないまま、使徒たちから治療を受ける。インドリトはハイシェラの宣戦布告を受けて、王位に留まることを決意するのであった・・・



戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第八十二話「来る大戦への序曲(overture)


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第八十二話:来る大戦への序曲

トライスメイルは、七古神戦争によりブレニア内海が形成される以前より、ルーン=エルフ族の縄張りとなっていた。しかし、国家形成期に入り、後のアヴァタール五大国(レウィニア神権国、メルキア王国、リスルナ王国、バリアレス都市国家連合、エディカーヌ王国)およびセアール地方南部にスティンルーラ王国が誕生したことにより、トライスメイルも必然的に「政治」に巻き込まれることになる。ターペ=エトフ歴十年、圧倒的な情熱と行動力により、行商路を切り拓いてきた「ラギール商会」は、度重なる「折衝(という名の一方的な飛び込み営業)」により、ついにトライスメイルの「エルフの杜」に立ち入ることに成功する。当時のエルフ族長であった「金色公(エゼルミア・ルーフグレーン)」は、半ば苦笑いでラギール商会を受け入れ、ターペ=エトフ=トライスメイル間の交易を認めた。ルーン=エルフの「メイル」と正式な交易関係を樹立した例は、ラウルバーシュ大陸の歴史上も稀であり、この成功が、後にアヴァタール地方およびトライスメイルの歴史に、微妙な影響を与えていくのである。

 

金色公の後を継いだ「白銀公」は、先代と比べるとより「政治的感覚」が優れていたと言われている。彼女はトライスメイルの独立性やエルフ族の文化を護るためには、トライスメイルの「重要性」を高める必要があることを理解していた。当時、レウィニア神権国は、急速な人口増加に伴い、その生活圏を拡大させていた。トライスメイルの豊かな森は、レウィニア神権国にとっても価値の高い存在だったのである。そこで白銀公は、レウィニア神権国の絶対君主「水の巫女」との親交を深めると同時に、人間族に対して、トライスメイルへの「畏怖」を広げようとした。その時の彼女の取った「政略」は、極めて巧妙である。

 

・・・トライスメイルには多くのエルフ族が棲んでいる。彼らが何故、森の外に出ず、閉鎖性を維持しようとしているのか?多くの人間にとっては疑問であろう。レウィニア神権国は、トライスメイルとの国家間折衝により、この閉鎖性の原因を聞き出すことに成功した。トライスメイルには、七古神戦争で暴れた「強力な魔神」が封印されており、エルフ族たちはその封印を維持するため、日夜、祈りを捧げているのである。人間族の持つ「善悪の心」は、魔神に大きな影響を与えてしまう。封印を維持するためには、人間族の立ち入りを制限しなければならないのである・・・

 

レウィニア神権国の王宮より発布された「真実」は、プレイアの住民たちに広がり、特に子供たちを震えさせた。レウィニア神権国は正式に、トライスメイルへの自国民の立ち入りを禁止する。この協力の見返りとして、レウィニア神権国はトライスメイルへの交易路を得たのである。それまで、エルフ族の秘薬はターペ=エトフ経由でのみ仕入れられ、極めて高価であったが、この合意により「直接交易」が可能となった。ターペ=エトフは「高付加価値商品」の新たな輸出先を求めて、レスペレント地方の王国への交易路を模索することになるのである。

 

レウィニア神権国が発布した「トライスメイルの真相」については、無論、疑義が挟まれている。しかしトライスメイル側は否定も肯定もしていない。後世においても、人間族の立ち入りを極端に制限した状態のまま、トライスメイルは存在し続けている。

 

 

 

 

 

『初めて御意を得ます、インドリト王・・・私は「白く輝く銀(ケレブリル)」の名を持つトライスメイルの長・・・「白銀公」と呼ばれています』

 

『「白銀公」?「金色公」の後を継がれたという・・・これは・・・』

 

インドリトは姿勢を正し、礼節に則って一礼をした。

 

『失礼を致しました。私は西ケレース地方「ターペ=エトフ王国」の国王、インドリト・ターペ=エトフです。この地まで足を運んで頂き、恐懼の極みです。本来であれば、王宮を挙げて御持て成しをすべきとろこですが・・・』

 

白銀公は頷いた。事情は見れば、誰にでも判る。王宮は半壊し、前庭には無数の血溜まりが出来ていた。白銀公は挨拶もそこそこに、用件を切り出した。

 

『インドリト王、時間があまりありません。端的にお伝えします。私がこの地を訪れたのは、「黄昏の魔神」を救うためです』

 

インドリトの顔色が変わった。何故、白銀公が事情を知っているのかは、この際は後回しであった。思わず声が大きくなる。

 

『師を救うことが出来るのですか!?』

 

『神核は、多少の傷であれば自己修復をします。しかし、あまりに深く傷ついてしまった場合は、その機能が弱まり、魔神の肉体を維持する魔力が生み出せなくなります。神核を外部から修復しなければなりません。イーリュン、アーライナ神殿では、それは不可能です。エルフ族の秘術のみが、それを可能とするのです』

 

絶望に差した、一つの光明であった。インドリトはそれに縋らざるを得なかった。

 

『どんな犠牲も厭いません。お願いします!』

 

白銀公は微笑みながら、頭を下げる偉大な王に頷いた。

 

 

 

 

 

肉体が崩壊し、殆ど死にかけているディアンが寝台に横たわる。その周囲を六名のルーン=エルフが取り囲んだ。白銀公が両手を開き、瞑目する。ルリエン神への祈りの言葉を唱え始める。インドリトやシュタイフェは、部屋に立ち入ることが禁じられた。外で待ちたいのは山々だが、二人共、仕事が山積していた。シュタイフェが指揮を取り、今回の事態についての対策を練る。インドリトは元老院に対して説明をしていた。

 

『インドリト王・・・今回の原因は、つまり「ディアン・ケヒト殿」ということでしょうか?彼がこの地にいるから、魔神が襲ってきた、と?』

 

『そのように考えることも出来ますね。魔神ハイシェラは、私の師「黄昏の魔神」との闘いを望んでいました。しかし、それはハイシェラの一方的な想いに過ぎません。ご承知の通り、師は無用な争いを好みません。もしハイシェラが自分を襲ってきたら、師は恐らく、この国を離れ、身を隠したでしょう。魔神ハイシェラはそれを防ぐために、師ではなく、ターペ=エトフを攻めたのです』

 

元老院の皆は、腕を組んだ。魔神ハイシェラが悪いのは間違いない。だが、この犠牲を出した原因の一端に、ディアン・ケヒトがいるのも、事実であった。ディアン・ケヒトとインドリトの関係は、皆が知っている。そのために言い難いことがある。しかし、元老院の誰かが、指摘をしなければならなかった。立ち上がったのは、元教育長官であり、現在はイルビット族代表を務めている「ペトラ・ラクス」であった。少女のような顔に憂鬱な表情を浮かべながらも、キッパリと言い切る。

 

『インドリト王もお考えだと思います。ディアン殿に「全ての非がある」わけではありません。ですが、彼の存在が魔神を呼び寄せ、今回の惨事を引き起こしたのは事実です。彼は現在、瀕死の状態と聞いています。処刑せよとは申しません。ですが、対外的には「彼が死んだ」とすれば、再びの襲来を防ぐことが出来るのではないでしょうか?その上で、彼を国外追放にすべきではありませんか?』

 

インドリトは反論しなかった。自分はディアン・ケヒトの弟子である。その立場から、何かを言うわけにはいかないからだ。だがペトラも、本気で言っているわけではない。現在の状況は、元老院の全員が理解していた。ドワーフ族長「レギン・カサド」が立ち上がる。

 

『王よ・・・ペトラ殿の指摘はもっともです。これが他の者であれば、私もペトラ殿に賛同します。ですが私は、王ほどではありませんが、ディアン殿を良く知っています。彼は二百年以上に渡って、ターペ=エトフの繁栄のために尽くしてきました。彼の貢献は、ターペ=エトフに生きる皆が知るところです。これまでの貢献を鑑み、ここは寛大な措置をすべきではありませんか?』

 

レギン・カサドの意見に対しては、複数の賛同意見が挙がった。悪魔族族長「フンバヴァ」が立ち上がる。

 

『私はむしろ、今こそ、ディアン殿の「本来の力」を借りるべきではないかと考える。王のお話では、ハイシェラなる魔神は「ターペ=エトフを滅ぼす」と言っているとか・・・つまり、ディアン殿が居ようと居まいと関係なく、再び攻めてくるということであろう。悔しいが、あの恐るべき魔神を止められるのは、同じ魔神であるディアン殿だけだ。来る大戦のためには、彼を赦し、彼を受け入れ、彼に活躍の場を与えるべきではないか?』

 

インドリトは頷き、ペトラに顔を向けた。

 

『ペトラ殿、皆様はこのような意見のようですが、如何ですか?』

 

ペトラは頬を膨らませていた。

 

『・・・みんなズルいです。私一人、悪者ではありませんか!』

 

ようやく、インドリトは笑うことが出来た。

 

 

 

 

 

白銀公の治療は、三日三晩に渡って続いた。インドリトはその間、寝ることが出来なかった。シュタイフェが心配そうな表情で、インドリトに意見をする。

 

『インドリト様・・・ご不安なのは解りますが、ここは白銀公にお任せしましょう。どうか、お休み下さい・・・』

 

『有り難う・・・師が回復をしたら、私も休みます。シュタイフェこそ、この三日間は働き詰めでしょう。休んで下さい』

 

行政府そのものは殆ど無傷であったため、国政には影響がない。だがインドリトは、これからのターペ=エトフが不安で仕方がなかった。あと三年と少しで、自分は王位を降りるつもりでいた。ターペ=エトフ国内で「選挙」が行われ、期限付きの「王」が選ばれる。そのための準備も進めていた。だが、それが全て、台無しになるかもしれない。あの魔神は再び攻めてくる。そんな中で「国威」を変えることは、国家の滅亡を呼ぶようなものであった。

 

『我が師よ・・・今こそ、あなたに相談をしたいのです。あなたの知恵を借りたいのです。ガーベル神よ、どうかターペ=エトフに御加護を・・・』

 

祈るように呟く。その時、治療が行われていた部屋の扉が開かれた。白銀公が出て来る。少し痩せ、目の下に薄っすらと隈が出来ている。インドリトは固唾を飲んで、白銀公の言葉を待った。

 

『神核の修復は終えました。魔力が生み出されるようになり、肉体もやがて、修復されるでしょう』

 

『意識は、まだ戻らないのでしょうか?』

 

『いずれは・・・ですが、それが明日なのか、十年後なのかは解りません。通常の魔神とは異なり、彼は「人間の魂」を持っています。神核の傷は、魂にまで影響が及んでいました。魂の傷は、時だけが修復できるのです』

 

インドリトは暗い表情のまま、頷いた。白銀公は少し微笑んで、朗報を伝えた。

 

『彼の使徒は別です。神核が修復されたことにより、落ち着きを見せています。明日には目を覚ますでしょう』

 

 

 

 

 

レイナたちが苦しみから解放される少し前、魔神ハイシェラはオメール山の拠点に戻った。時間が掛かったのは、神核の一つが傷つき、肉体の修復に時間が掛かったからである。半裸状態で戻ってきたハイシェラは、自室で着替え、ケルヴァンを呼び寄せた。

 

『王よ・・・お召でしょうか?』

 

«ケルヴァン、汝の情報には漏れがあったぞ?ターペ=エトフには魔神以外にも、厄介な奴がおるの・・・»

 

ケルヴァンが顔を上げ、首を傾げた。ハイシェラの表情に怒りはない。むしろ笑みさえ浮いていた。

 

«ターペ=エトフ王は、我の知らぬ力を持っておる。我の剣を受け止めたばかりか、弾き返しおったわ。さらには、古神に連なる天使族の最高位「熾天使」や、魔神に匹敵する力を持つ竜もおる。総合的な力としては、ターペ=エトフはディル=リフィーナ最強の国家だの»

 

クツクツと愉快そうに笑う。だがケルヴァンは笑えなかった。自分はひょっとしたら、途轍もない過ちを犯したのではないか?先王ゾキウを暗殺し、覇王の器を持つ魔神を戴き、侵略国家として中原を席巻する・・・これがケルヴァンの考えていた画図であった。だがその最初の一歩で、巨大な壁にぶつかったのである。滅亡をするのはこちら側ではないか、という思いが拭えなかった。

 

『王よ・・・それで、如何なさいますか?』

 

«如何するか?決まっておろう!これ程に愉しめる敵はおらぬぞ?我はターペ=エトフに宣戦布告をしてきた。どれほど時が掛かろうと構わぬ!地を揺るがし、天を翻す壮大な戦争を繰り広げようではないか!»

 

『はっ・・・』

 

ケルヴァンは膝をついて首肯した。だが自分の中に、ある思いが広がっていた。魔神ハイシェラは「闘争そのもの」が目的になっている。だが自分は「覇王」に仕えることが目的だ。魔神ハイシェラは、その強さも気高さも美しさも、覇王と呼ぶに相応しい。だが決定的に欠けているものがあった。「何の為」という点である。何の為に闘うのか?何の為に支配をするのか?これが欠けている限り「王」にはなれない。ただの「暴力集団」になってしまう。

 

・・・ゾキウ王には「力」が、インドリト王には「野心」が、魔神ハイシェラには「志」が欠けている。全てを兼ね備えた王は、居ないのか・・・

 

ケルヴァンは小さく、溜息をついた。

 

 

 

 

 

目を覚ました三人の使徒は、インドリトから事情を聞かされた。ターペ=エトフとハイシェラ魔族国の戦争である。黄昏の魔神ですら、魔神ハイシェラには及ばなかった。つまり、あの魔神を止める手立ては無い。ターペ=エトフ滅亡の危機であった。

 

『ソフィア・・・あなたは次官としての仕事があるでしょう。ディアンは、私とティナに任せて、あなたは、あなたにしか出来ないことをしなさい』

 

レイナに諭され、ソフィア・エディカーヌは絶壁の王宮に残った。行政府に歓声が上がる。皆が、次官の復帰を待ち望んでいたのである。シュタイフェはホッとした表情で、ソフィアを迎えた。

 

『ソフィア殿・・・もうお身体は大丈夫でヤスか?』

 

『大臣、この度はご迷惑をお掛けしました。もう大丈夫です。やるべきことは無数にあるでしょう。まずは仕事を整理し、一つずつ片付けていきましょう』

 

『ディアン殿は?』

 

『傷はもう、回復をしています。ですが、まだ眼を覚ましません。介抱は、レイナとティナに任せました。私は、私に出来ることをします』

 

シュタイフェは何か笑いを入れようか迷ったが、頷いただけであった。「知の魔人」として、本気にならなければならない時であることを、シュタイフェも自覚していた。その日から、ソフィアは凄まじい速度で、中堅層からの報告を確認し始めた。やるべきことは無限に近くある。だがまず、直近の大きな問題を解決しなければならなかった。事情は聴いているが、問い質さないわけにはいかない。インドリトは、ラギール商会の会頭を呼び出した。

 

 

 

 

 

眉間を険しくして、仮の玉座に王が腰掛けている。謁見の間は、壁や天井を修復中のため、無傷だった元老院に玉座が据えられていた。目の前には、若い女商人が居心地悪そうにして正座をしている。普段は調子の良いシュタイフェまで、無表情のままだ。唯一の救いは、その場に居るのは、王と国務大臣の二名だけだということであった。

 

『リタ・ラギール殿、貴女はレウィニア神権国からの依頼を受け、貴女は軍需物資をケレース地方オメール山まで運んだ。それも数年間に渡って・・・これは事実でヤスか?』

 

『事実です』

 

シュタイフェの問いに、リタは即答した。インドリトは眉間を険しくしたまま、次の問を発した。返答次第では、覚悟を決めていた。

 

『リタ・ラギール殿、私から貴女に聞きたいことは一つだけです。貴女は今、自分を恥じていますか?』

 

『いいえ!』

 

リタは決然と返答した。

 

『私はインドリト王の臣下ではありません。独立した商人です。物を運び、人々を喜ばせ、その対価として利益を得るのが、商人です。私は、自分の商道から外れたわけではありません!』

 

インドリトは暫く、リタを見つめた。リタは視線を外すこと無く、インドリトの威圧を受け止める。インドリトの表情が崩れた。笑みが浮かぶ。

 

『・・・ターペ=エトフとレウィニア神権国、二つに挟まれて、さぞ、苦しかったでしょうね』

 

リタの貌が歪む。瞳から雫が溢れた。インドリトはそれを気にすること無く、言葉を続けた。

 

『ターペ=エトフには十五万の民がいます。彼らが豊かに暮らすためには、ラギール商会による交易が欠かせません。これからも我が国の御用商人として、存分に活躍をして下さい。貴女が動いていたことは、ごく少数が知るだけです。堂々と、プレメルの街を歩けるでしょう』

 

インドリトはリタを赦したが、シュタイフェはそうはいかなかった。まだ解決していない点があるからだ。

 

『リタ殿、アッシは王ほど、優しくはありヤせんぜ?もしラギール商会が、今後もオメール山まで物資を運ぶのであれば、アッシとしては扱いを考えざるを得ませんが?』

 

『はぁ?そんなの、とっくに辞退したわよ!』

 

それまでの女性らしい泣き顔が一変し、商人の顔が浮かんでいた。インドリトもシュタイフェも、その変貌に驚いた。こんな一瞬で、ここまで表情とは変わるものなのか?

 

『ターペ=エトフに眼を付けられた。これ以上の秘密保持をするなら、料金を三倍にして貰う必要がありますが、それで宜しいですか?って、もう随分前にお断りを入れました!大体、アタシはこの仕事が気に入らなかったんだ!騎士団なんて付けられたせいで、ウチの護衛たちからも不満が出るわ、他の商人からも白い目で見られるわ、利益より損のほうが大きかったんだ!もう二度と、国からの依頼なんて受けないからね!』

 

これまでの不満を吐き出すように、リタの口から大声が出る。インドリトが眼を丸くする様子を見て、リタは慌てて、両手を口に当てた。

 

『それは・・・大変でしたね』

 

インドリトは半笑いで頷いた。国王と大臣は、内心で思っていた。

 

・・・ひょっとしたら、さっきの涙は演技ではないか?・・・

 

 

 

 

 

ディアンは意識不明のまま、自宅に戻っていた。レイナとグラティナは、毎晩、ディアンに寄り添って眠るようにしていた。魔神亭を開けなければならないし、預かっている弟子たちへの稽古もある。普段と変わらない日常の中で、主人だけが不在であった。それは二人にとって、途轍もない空虚さであった。ディアンの顔を吹きながら、レイナが呟く。

 

『寝顔は、私にしか見せないんじゃないの?こんなに眠り続けて・・・許してほしかったら、早く目を醒ましなさい』

 

魔神の使徒になったときから、死ぬ覚悟は出来ている。魔神はこの世界の「ハグレモノ」である。特にディアンは、神そのものを否定している。現神にも古神にも背いている。闘いからは逃れられない。だから自分もグラティナも、魔神の使徒として闘い、そして死ぬ。その覚悟はしていた。だが、こんな中途半端な状態は考えていなかった。このまま眠れる魔神の使徒として、生き続けるのだろうか?そう思うと、切ない想いが込み上げてくる。レイナは肩を震わせた。

 

 

 

 

 

『王よ・・・彼の魔神が倒れたのであれば、今こそ、ターペ=エトフを攻める時です。今一度、インドリト王を狙うべきでしょう』

 

ハイシェラは、ケルヴァンからのこの提案を却下した。不意打ちが嫌いであることが第一の理由だが、もう一つの理由もあった。傷ついた神核が完全に回復していないからだ。神核の修復には時間が必要である。闘いは、完全に回復をしてからでも遅くはない。

 

«ケルヴァン、我は不意打ちなど性に合わぬ。黄昏の魔神が不在のまま、ターペ=エトフを攻め滅ぼしたとしたら、人々は我を「腰抜け」と嗤うであろう。汝は引き続き、軍備を整えよ。ターペ=エトフとの全面戦争に耐えられるほどに、兵たちを徹底して鍛えるのじゃ!»

 

この時、ハイシェラがケルヴァンの献策を受け入れていたら、歴史は別の形になっていたであろう。ケルヴァンの献策は、国家間戦争の勝利のためのものであり、ハイシェラが求めていた「自己満足の闘争」のためでは無い。結局、ハイシェラはどこまでも「魔神」であり、「王」ではなかった。これが後に、ハイシェラ魔族国の滅亡に繋がるのだが、それはもう少し、先の話である。ハイシェラに却下された以上、ケルヴァンとしては、出来ることに限りがあった。

 

『お約束どおり、あと二年もあれば、軍備は完全に整います。ですが、それは向こうも同じこと・・・ターペ=エトフとの戦争は、凄まじいものになるでしょう』

 

ケルヴァンは暗い表情のまま、退出した。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴二百四十七年、ターペ=エトフ国内は表面上は平穏であったが、人々の心中には複雑な緊張感が漂っていた。魔神ハイシェラの襲来、ハイシェラ魔族国との戦争は、もはや既定路線となっている。明るい話題もあった。恐るべき魔神をインドリト王が一騎討ちの末に退け、「ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)」の名を知らしめたのである。人々はその話に興奮し、喝采を挙げたが、それが落ち着くと現実に目を向けざるを得なかった。インドリトは熟慮の末、退位の予定を遅らせることを決定した。元老院も全会一致で賛同をする。この危機的状況で、インドリトが退位をすれば、それは国家の滅亡を呼ぶようなものだからだ。

 

『私が王位に留まるのは、この戦争が終わるまでです。ハイシェラ魔族国との戦争は、国家の存亡を賭けた一戦になるでしょう。この一戦に勝利をすれば、レウィニア神権国もメルキア王国も他の国々も、姿勢を改めるでしょう。新たな関係の中で、ターペ=エトフは「民が治める国」へと変わるのです』

 

インドリトの私室である。王の話に、国務大臣と次官が頷く。ファーミシルスは、ルプートア山脈の北東部の工事について報告をした。ハイシェラ魔族国との大戦は、魔神対魔神の「個の闘い」ではない。国家間戦争になる。軍隊同士がぶつかりあうとすれば、北華鏡の平原となるはずであった。ルプートア山脈北東部は、ターペ=エトフ側の軍事拠点になる。魔導砲のを増やし、山脈内に洞穴を掘り、要塞化を進めている。

 

『二百年前にあった、イソラ王国との戦争においては、カルッシャ王国の海軍が動きました。今度の大戦においても、北からの圧力が無いとは言い切れません。ケテ海峡に可動式の魔導砲を設置し、さらに大型の船を数隻建造し、小型の魔導砲を搭載させようと考えています』

 

インドリトが頷き、ソフィアに確認をする。

 

『予算の方は、大丈夫ですか?』

 

『軍備費の大幅な増加により、予算が圧迫されているのは事実です。残念ながら、税収と交易で賄える利益だけでは、予算は赤字となってしまいます。税率を上げないとするならば、国庫を開いて頂くよりないのですが・・・』

 

『認めましょう。我が国は二百五十年間に渡って、富を蓄え続けてきました。それを使った場合は、どれくらいの間、戦うことが出来ますか?』

 

ターペ=エトフの国庫には、途方もない富が蓄えられている。ソフィアですら、正確な価値は把握しきれていない。ソフィアは詳細な計算をしようとして止めた。

 

『あくまでも概算ですが・・・百年は可能でしょう』

 

インドリトは頷いた。カネは使うべきときには、躊躇なく使うべきである。

 

『この戦いで負ければ、ターペ=エトフは滅亡するのです。全てを使い切るつもりで、準備を進めて下さい』

 

三人は一礼して、退席した。だがソフィアだけが呼び戻された。インドリトが心配そうな表情を浮かべている。何を聞かれるのか、それで察した。

 

『・・・レイナ殿、グラティナ殿の様子は、いかがですか?』

 

『ディアンは、いまだ眠り続けています。寝言一つ、漏らしません。それでも、姉様たちは毎日、ディアンの寝間着を取り替えています。ディアンは・・・黄昏の魔神はいつかきっと、目を覚まします。姉様たちも、私も、そう信じています』

 

『私も信じています。師は必ず、目を覚ますでしょう。その時まで、しっかりとしなければなりませんね。目を覚まして開口一番に「小言」を言われたらたまりません』

 

ソフィアは涙を堪えながら頷いた。

 

 

 

 

 

まるで、時そのものが遅くなったようであった。全てがゆっくりと動いている。誰かが叫んでいる。石畳には、目を開き、泡を吹いたまま仰向けに倒れている人々がいた。誰かが嗤いながら叫んでいる。

 

・・・「Pho Ba」は果たされた。彼らに救いを・・・

 

何を言っているのか、理解できなかった。目の前に、良く知っている人が倒れていた。父親と母親、そして妹である。膝が崩れる。妹を抱え上げ、必死に名前を呼ぶ。だが返事をしない。肩を揺する。妹の顔が変化する。それは自分の使徒になり、弟子になった。再び独りになるのではないかと、怖くなる。喉が潰れるほどに叫ぶ。また嗤い声が聞こえる。だがその声が何処から聞こえるのか解らない。周りを見る。皆が動いている。だが誰も嗤っていない。やがて気付く。その声は天から聞こえてくる。「天」が、嗤っている。その嗤い声に向けて、叫び声を上げる。

 

・・・「神」そのものが「悪」なのか・・・

 

嗤い声は止まず、耳に響いていた。

 

 

 

 

 

真夜中に叫び声が響いた。レイナとグラティナは慌てて起きる。ソフィアも部屋に駆けつける。ディアンが叫んでいた。言葉の意味は解らない。この世界には無い言葉であった。レイナが肩を揺する。

 

『ディアンッ!しっかりして!』

 

二度、三度と顔を叩く。ディアンが飛び起きて、前に手を伸ばす。肩で息をしながら、中空を見つめる。その状態のまま、暫く固まっている。使徒たちは片付を飲んで見守る。やがて息が整う。二度、瞬きをして、ディアンはゆっくりと使徒たちの顔を見た。不安気に見つめる三人の美女に、ディアンは首を傾げた。やがて呟く。

 

『お前たち・・・オレの部屋で、何をしているんだ?』

 

三人は泣きながら、主人に抱きついた。ディアン・ケヒトは暫しの眠りから目覚めた。ターペ=エトフ歴二百四十七年の年の瀬のことであった。

 

 

 

 




【次話予告】

ディアン・ケヒトは覚醒した。国王インドリト・ターペ=エトフは、二百四十年ぶりに、ディアン・ケヒトの「王太師」への復帰を要請する。ディアンは、元老院に集まったターペ=エトフ首脳たちに、今後の展望を語る。



戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第八十三話「対ハイシェラ作戦」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第八十三話:対ハイシェラ作戦

ハイシェラ魔族国との大戦が近づくにつれ、ターペ=エトフでは外部からの入国がさらに制限されるようになった。ターペ=エトフ歴二百四十七年「風花の月(十二月)」、レウィニア神権国プレメル駐在領事であった「エリネス・E・ホプランド」は、度重なる召還命令に遂に屈し、プレメルを離れることになる。彼の日記の最後には、このように書かれている

 

 

・・・プレメルの街は、一見すると普段と変わらぬ穏やかなものであった。だが人々の中に、来る大戦への予感が、確かに存在していた。インドリト王はその力を証明し、元帥を中心に強力な軍を整備し始めている。ハイシェラ魔族国なる国が、何を考えているのかは解らないが、ターペ=エトフを滅ぼすことは至難であることは間違いない。私はインドリト王への最後の挨拶として、王宮に向かった。インドリト王は頷いた後、このように仰られた。

 

『ターペ=エトフは滅びません。王制から共和制に移行するのが、少し先になっただけです。たとえ「誰が」ハイシェラ魔族国を支援していようとも、ターペ=エトフはこの戦いに勝利し、ディル=リフィーナ世界に新たな希望の火を灯すでしょう。そして、この大戦の「ケジメ」は、必ずつけます・・・そう水の巫女殿にお伝え下さい。』

 

インドリト王の言葉に、私は微妙な「棘」を感じていた。誰かが、ハイシェラ魔族国を支援しているというのだろうか?以前、シュタイフェ国務大臣からも、やんわりとであるが、レウィニア神権国とハイシェラ魔族国との関係を聞かれたことがある。だが、我が国に限って、魔族国を支援するなどあり得ない。あってはならない。私はキッパリと、そう否定した。だが、インドリト王は何かを疑っている・・・いや、知っているのではないだろうか?私は不安を感じた。国に戻り次第、国王陛下に直接、問い正したいと思う・・・

 

 

その調整力と人格が評価され、若干二十八歳でプレメル駐在官となったエリネス・E・ホプランドは、本国に帰国後、しばらくして息子に当主を継がせ、自身は引退をしてしまう。まだ五十前という早すぎる隠居であった。彼のその後は、歴史には残されていない。プレメルに向かうラギール商会行商隊の中に、彼らしい姿があった、という噂話が残されているのみである。

 

 

 

 

 

王宮内には歓声と安堵の声が広がっていた。獣人族の兵士ガルーオの先導で、ディアンが王宮内を歩く。兵士たちが拍手をする。ディアンは表面上は笑みを浮かべて頷くが、内心では暗澹たる思いであった。謁見の間には、賢王インドリトの他、行政府の主だった者や各種族長も顔を並べている。インドリトの前で膝をつき、ディアンが挨拶をする。

 

『王よ・・・ディアン・ケヒト、ただいま帰参致しました』

 

『我が師よ、よくぞ目を醒ましてくれました。ターペ=エトフを覆う暗黒の雲に、一筋の光が刺した思いです』

 

インドリトは笑顔で頷くが、ディアンは首を振った。

 

『魔神ハイシェラに敗北し、ダカーハ殿とミカエラ殿に助けられ、トライスメイルの白銀公に救われました。今日の混乱の原因は、全て私にあります。私を追放なり処刑なりをなされば、魔神ハイシェラもターペ=エトフに興味を失うでしょう。どうか王よ、ターペ=エトフの未来のために、私に処置をお与え下さい』

 

『師よ、それは違います。もしハイシェラが、ただの魔神として師を襲ってきたのであれば、何処か他の場所に移って頂くことも考えましょう。ですが彼の魔神は「魔族国」として「ターペ=エトフ王国」に宣戦布告をしてきたのです。これは師一人の問題ではありません。ターペ=エトフという国家の問題なのです。仮に師を追放したとしても、魔神ハイシェラは関係なく、ターペ=エトフに攻めてくるでしょう』

 

『ですが、国民への示しがつきません。今回の襲撃で、命を落とした兵士も多いはず・・・私を罰しなければ、民が納得しないでしょう』

 

インドリトが頷き、元老たちに顔を向ける。元老院を代表し、年長の龍人族長が前に進み出る。巻紙を広げて読み上げる。

 

『ディアン・ケヒトに対し、元老院より正式な命を下す。本日をもって王太師に復帰せよ。そして、来る大戦ではその最前線に身を置き、その全能を発揮すべし』

 

国王および七大種族長全員の署名が入った紙を示す。ディアンは頭を垂れた。インドリトが言葉を引き継ぐ。

 

『各元老が集落で説明をしました。誰一人、師を処刑せよなどとは言わなかったそうです。亡くなった兵士の遺族には、私自らが出向きました。「必ず仇を討って欲しい」と言われました。ですが私の力では、魔神ハイシェラを倒すことは出来ません。これは、師にしか出来ないことなのです』

 

『・・・理解りました。ディアン・ケヒトは本日をもって、王太師に復帰を致します』

 

瞼の熱さに耐えながら、ディアンは首肯した。

 

 

 

 

 

二百四十年ぶりに王太師に復帰をしたディアンは、その日のうちに元老院に招かれた。ハイシェラとの戦いについての報告と、今後のターペ=エトフについての意見を求められたのである。インドリト王や元老全員の他、行政府や軍の主だった者たちが居並ぶ。ディアンは残念そうな表情を浮かべ、溜息をついて発言した。

 

『正直に申し上げて、魔神ハイシェラとの戦いは、途中で記憶が消えています。ハイシェラの純粋魔術が直撃をしたところまでは覚えているのですが・・・魔神ハイシェラとは剣を使った戦いであれば、互角で闘うことが出来ます。しかし魔力においては、ハイシェラが上回ります。現時点では、戦場においてあの魔神を倒すことは至難に近いと考えます』

 

各人が厳しい表情をする。だがディアンはすぐに表情を変え、笑みを浮かべた。

 

『皆さん、勘違いをしないで下さい。ターペ=エトフが勝利することと、ハイシェラを倒すことは、必ずしも同じではありません。ハイシェラを倒さずとも、ターペ=エトフが勝利をする方法があります』

 

会議室内がざわつく。ディアンの指示で、壁にケレース地方の地図が貼られる。指し棒を持って、ディアンが説明を始める。

 

『ターペ=エトフとハイシェラ魔族国の決戦場は、この「北華鏡平野」になるでしょう。この南には魔神アムドシアスが治める「華鏡の畔」やトライスメイルがあり、魔神単身ならともかく、万の軍を通過させることは無理です。ハイシェラ魔族国は必然的に、逝者の森を通過して、北華鏡平野を抜け、ルプートア山脈北東部を越えようとしてくるでしょう』

 

その場の全員が頷く。ターペ=エトフは天険の要害によって囲まれている。この地に攻め込むとしたら、レスペレント地方から海を渡り、フレイシア湾に入る道か、ルプートア山脈北東部を超えるしか無い。だが、ルプートア山脈北東部は、南部よりは標高が低くなっているが、それでもその高さは十町(1100m)を超える。さらに山頂には魔導砲が設置されている。軍隊が超えることなど、不可能に近い。

 

『この地図を見ても分かる通り、ターペ=エトフに東から攻め込むことは「不可能」です。恐らく彼らは、飛天魔族などを使って、空から攻めようとするでしょうが、ファーミシルス元帥は既にそれを想定され、対空砲まで設置し、要塞化しています。断言しましょう。「魔神ハイシェラ自身が極大魔術によって山を吹き飛ばす」以外に、この山は、絶対に超えられません』

 

『ディアン、つまりハイシェラだけが敵ということだろう?』

 

ファーミシルスが腕を組んで発言をした。ディアンの説明が些か長かったようで、口を挟んでしまったのだ。ディアンは笑って説明を続けた。

 

『その通りです。そこで魔神ハイシェラの欠点を利用します。「闘いを愉しむ」という欠点です。ハイシェラは「王」ではありません。「一柱の魔神」なのです。つまり、ハイシェラ魔族国の勝利よりも、自分の戦いを優先させるのです』

 

ディアンは指し棒でオウスト内海を指した。

 

『私が魔神ハイシェラをこの「オウスト内海上空」までおびき寄せます。此処でなら、どれだけ巨大魔術を使おうとも、ターペ=エトフへの被害は微小です。むしろカルッシャ、フレスラント、バルジアの三王国に甚大な被害が出るでしょう。この三カ国は、イソラ王国経由で、ハイシェラ魔族国に支援物資を送っています。国内に被害が出れば、支援を止めようとする動きも出てくるでしょう。ターペ=エトフへの被害を避け、魔神ハイシェラを主戦場から引き離し、かつ支援をも断ち切らせる・・・一石三鳥です』

 

『だが、先程の話ではハイシェラには勝てない、ということだったではないか?ディアン自身がそう言っていたぞ?』

 

ディアンは肩を竦めた。ファーミシルスに顔を向ける。

 

『確かに、勝てないな。だが、負けない方法はある。ひたすら防御に徹し、ハイシェラを引き寄せながら徐々に北に移動を続ける。ハイシェラに勝つことは至難だが、負けない闘い方なら、長時間の継戦は可能だ。そしてその間に・・・』

 

ディアンの指し棒は北華鏡を超え、「華鏡の畔」を指した。

 

『「美を愛する魔神」に動いてもらいましょう。先の戦いで、ハイシェラはこう言っていました。「あの芸術バカなど、どうでも良いわ!」・・・恐らくハイシェラは、アムドシアスに接触をしています。そしてかなり険悪な関係になったと思われます。アムドシアスのところには、数百名程度の軍しかありませんが、この際は十分です。彼女に・・・』

 

ディアンはオメール山を指した。

 

『ハイシェラ魔族国の本拠地、オメール山を攻めてもらいましょう。武器や食糧などが山積みされているでしょうから、それを全部奪ってもらいます。もちろん「美しい絵画や彫刻」なども併せて、と焚き付けます。ハイシェラ魔族国にはおよそ一万二千程度の軍がいるそうです。恐らく彼らは、全軍を北華鏡に向けるでしょう。カラになった本拠地を攻め、軍需物資を一切合切、奪い取ります。これで、ハイシェラ魔族国は継戦能力を完全に失います』

 

元老たちが眼を輝かせた。だがシュタイフェが異論を唱えた。

 

『ダンナ・・・たしかに良い作戦だと思いますが、もし一千名でも留守部隊が残っていたら、どうしヤスか?華鏡の畔の軍隊は、見栄えは良いですが、中身が・・・』

 

『シュタイフェ、忘れるなよ?一千名といっても、それは軍ではない。ただの「集団」だ。そしてアムドシアスは「魔神」なんだ。「ハイシェラ様が居ないのに、別の魔神が攻めてきた!逃げろ!」・・・かなり高い確率で、こうなるだろう。違ったとしても、魔神アムドシアスに勝てる奴が残っているとは思えんな。普段は暴力とは縁のない奴だが、一応は「ソロモン七十二柱」に連なる中級魔神なんだぞ?』

 

シュタイフェは納得したように頷いた。ディアンが説明を続ける。

 

『先ほどお話した「魔神ハイシェラの欠点」が、ここでも生きます。ハイシェラは全力で私を倒そうとし、力を奮い続けるでしょう。魔神の破壊衝動が満たされ、さぞ良い気分になっているでしょうね。そしてその裏で、ハイシェラ魔族国自体は滅びます。存分に力を発揮し、満足をした彼女はどうすると思います?恐らくそのまま、国を捨てて何処かに消えるでしょう。何者にも縛られず、何のしがらみも保たず、何の義理も無い・・・それが「本来の魔神」というものです』

 

ディアンの作戦に全員が納得した。後に、この作戦はほぼ成功をするが、唯一の誤算があったことを複雑な思いで、ディアンは認めることになる。

 

 

 

 

 

神核が回復したハイシェラは、オメール山の街を歩いていた。これまで街などに興味はなかったが、何となしに、歩いてみる気分になったのだ。ケルヴァンは驚き、歩くのであれば魔神の気配を抑えるように進言をした。ハイシェラは頷き、ただの魔族まで気配を抑える。街の表通りは、それなりに活気があった。荷車が行き交い、物々交換の出店街もある。ハイシェラは特に興味もなく、街をあるいていたが、その耳に微かな悲鳴が聞こえた。裏通りからであった。

 

『俺たちはハイシェラ様の親衛隊なんだぜ?ちょっとは相手してくれても良いじゃねぇか?』

 

屈強な亜人族数人が、年若い獣人の女を取り囲んでいた。どうやら乱暴をしようとしているらしい。ハイシェラは興味深げに、その様子をみた。一人の亜人が気づいた。

 

『あぁ?なんだお前?』

 

『何をしているかと思うての。そのまま続けよ』

 

だが亜人たちは、ハイシェラにいきり立った。凄みながらハイシェラに詰め寄る。

 

『観せモンじゃねぇんだぞ!なんならお前が相手をしてくれたっていいんだぜぇ?』

 

『イイ女じゃねぇか、むしろこっちがいいなぁ』

 

笑いながらハイシェラを取り囲む。ハイシェラは亜人に尋ねた。

 

『お前たちは、何をしようとしているのだ?』

 

『俺たちは国王ハイシェラ様の親衛隊なんだ。日頃の猛訓練で疲れてんだよ。だから、お前に慰めてもらいてぇんだ』

 

『ほう、ご苦労だの。じゃが我の親衛隊など聞いたことが無いが・・・まぁ、疲れておるのなら休むが良い。戦いは近いからの』

 

ハイシェラは笑って頷き、その場を立ち去ろうとした。だが恍けた答えに、男たちは怒気を発した。怒りの表情でハイシェラの肩を掴む。その瞬間、腕が切り落とされた。ハイシェラの気配が変わる。

 

≪素直に立ち去れば良いものを・・・ここまで愚かとは、救い難いの・・・汝らは、我が発した令を忘れたか?ガンナシア王国の民には手を出すな、そう命じたはずだの?≫

 

『ひぃぃぃっ!』

 

男たちはその場に尻餅をついた。ハイシェラは許さなかった。その場で全員の首を刎ねる。ハイシェラは溜息をついた。再び気配を抑えたハイシェラに、獣人の女が駆け寄った。

 

『あ、あの・・・ありがとうございます』

 

ハイシェラは内心で、少し驚いていた。感謝をされたことなど、記憶にない。このような場合、どう返すべきなのだろうか。

 

『特に、怪我などはしておらぬようだの?汝のように、兵に絡まれる者は多いのか?』

 

『その・・・以前よりは減ったのですが・・・』

 

言い難そうにしている姿に、ハイシェラは舌打ちをした。娘を立ち去らせると、王宮に戻る。すぐにケルヴァンを呼ぶ。

 

≪街で兵に絡まれている娘がおった。どうやら、我の命令が行き届いておらぬようだの?明日、郊外の平原に全兵士を集めろ。我が今一度、言って聞かせよう。聞かなければ、その場で全員を殺す!≫

 

『お、王よ・・・それは余りに・・・ですが、むしろ良い機会です。王よ、お願いがあります。兵たちの前で、王の「目的」を宣言して頂きたいのです。ターペ=エトフと戦い、何を得るのか・・・恐怖で抑えつけるだけでは、兵たちを束ねることは出来ません』

 

≪何を得るのか・・・ふむ・・・≫

 

『王よ、たとえばこういうのはどうでしょう?ターペ=エトフは、自分たちだけが豊かであることを考えている。ターペ=エトフを得ることで、その豊かさをケレース地方全体に行きわたらせる・・・いかがでしょう?』

 

≪悪くはないの。我としてはどうでも良いことじゃが、それが必要だと言うのであれば、そう宣言しよう≫

 

『お聞き届け頂き、有難うございます。後は私にお任せください。兵をしっかりと束ねます』

 

翌日、ハイシェラの命令によって、兵たちが集められた。その場でハイシェラは、ターペ=エトフとの戦いの「目的」を宣言した。

 

≪この場におる者の中は、人間族への怒りが深く、ターペ=エトフに加わるを潔しとせぬ者も居るであろう!考えよ!その怒りを持った理由は何か?人間族から非道を受けたからであろう!同じことを他者にするは、自らをして、人間族と同類になることと心得よ!我らはターペ=エトフと戦い、その地を征服する!じゃがそれは、富を奪い、食糧を奪い、女を奪うことが目的ではない。ターペ=エトフは、ターペ=エトフだけの豊かさを求めておる。汝らが持つ、人間族への憎しみを許容せぬ!我はターペ=エトフの王となり、ケレース地方全土をターペ=エトフの領土とする!汝らも同様に、豊かに暮らせるようにする!それが、我の目的だの!≫

 

兵たちが喝采を上げる。ケルヴァンは胸を撫で下ろした。国を束ねるには「志」が必要だ。だが王に志が無くても、「あるように見せる」ことは出来る。ハイシェラのこの宣言により、ハイシェラ魔族国はようやく、ただの集団から国家へと変わったのであった。

 

 

 

 

人間族の兵が片膝をついて狙いを定める。五十歩ほど離れた場所の的を狙う。ドンッという音が響き、的が弾ける。その様子を見ていたグラティナが首を傾げて、ファーミシルスに尋ねた。

 

『それは、ルプートア山脈にあるような、魔導兵器か?』

 

『魔導技術は使っているが、放つのは純粋魔術ではない。「魔法弾」と呼ばれる金属製の弾を発射する。純粋魔術と比べると、破壊力という点で劣るが、小型で携帯することが可能だ。これまでは剣と矢で戦うのが一般的だったが、これからはこうした「魔導兵器」が主流になる。ディアンがそう言っていた』

 

『私としては、余り好みではないが・・・試しても良いか?』

 

グラティナはそういうと、的のある方に歩いて行った。三十歩ほど離れた場所に立つ。兵は思わずファーミシルスを見た。ファーミシルスは黙ってうなずいた。再び轟音が響く。グラティナは剣を一閃した。後方で微かな音がする。

 

『直線に飛んでくる弾は、相手の気を読めば、防ぐこと自体は簡単だな。だが通常の兵士では躱すことは困難だろう』

 

兵士たちが唖然としているが、グラティナにとっては容易いことであった。ファーミシルスも頷く。

 

『この「魔導銃」を百丁程度、用意するつもりだ。ティナの言うとおり、私もこうした飛び道具は余り好かぬ。だが、戦争は決闘とは違うからな』

 

この時に用いられた技術が、やがて古の宮に伝わり、メルキア帝国の軍事的発展へと繋がる。ハイシェラ戦争で使用された魔導銃は、戦争終結と同時に殆どが破棄、あるいは行方不明となった。マーズテリア神殿は、魔導銃一丁と魔法弾十発を発見、総本山へと持ち帰ったが、魔導銃に搭載させる「極小魔焔」の精製方法が不明であるため、この魔導銃は現在においても、再現されていない。

 

 

 

 

 

その頃、ディアンの手を老ドワーフがしきりに見ていた。ターペ=エトフ随一の鍛冶職人である。横には黒く焦げた剣が置かれている。クラウ・ソラスであった。自分が眠っている間に、使徒たちが探し出したのだ。その痛々しい姿を抱きしめ、ディアンはこの鍛冶職人を訪れた。

 

『儂の親父から聞いたことがある。かつて、北の大地に「千年に一人」と言われた鍛冶職人がいたそうじゃ。二十で火を極め、三十で鍛を極め、四十で鋼を極めたと言われている。じゃが偏屈な男で、自分の鍛つ剣に見合う腕が無ければ、たとえ国王からの依頼でも断ったそうじゃ・・・お前さんの剣を見た時に、ふとその話を思い出した・・・』

 

『そのドワーフは、いま何処に?』

 

『・・・殺されたとも、南に逃げたとも言われておる。儂は一度だけ、その伝説のドワーフが鍛ったという剣を見たことがある。信じ難い「気」を放っていた。人間族は、「呪われた剣」などと言っておったが、アレはそうした類の気ではない。「我を使える者はいないのか」という哭き声じゃった・・・』

 

『・・・私の剣は、死んでしまったのでしょうか?』

 

『名剣は使い手を選ぶ。そして主との絆によって輝く。お前さんの剣は、死んではおらん。お前さんが求める限り、再び、輝きを放つじゃろう・・・』

 

老ドワーフは頷き、ディアンの手を離した。鍛冶場には、プレメルの代表的な鍛冶職人が集まっていた。

 

『誰かは知らぬが、この剣を鍛った男は、およそ並みの鍛冶屋ではない。儂独りでは、剣の気に及ばぬ。呼吸を整え、儂ら皆で鍛つ。お前さんは、ここで待っておれ。やがて、剣の声が届くじゃろう・・・』

 

老ドワーフは、鍛冶場に入り、戸を閉めた。やがて唄が聞こえてきた。それと共に、槌の音が響きはじめる。ディアンは瞑目して、唄を聞いた。

 

 

 

 

 

生まれ変わった愛剣クラウ・ソラスを背負い、ディアンは挨拶回りをしていた。天使族ミカエラ、黒雷竜ダカーハに、回復した旨を伝え、感謝の意を表する。ダカーハは次の大戦で、インドリトを乗せて前線に出るつもりだが、ミカエラはそうはいかない。ミカエラ本人に対して、インドリトが「協力は不要」と告げたのだ。ディアンが訪れた際にも、ミカエラはそのことを気にしていた。自分の胸板の上で、顔を上気させている美しい天使に説明をした。

 

『ダカーハ殿はこのターペ=エトフでは、黒雷竜としてただ独りの存在だ。彼個人の判断で動けるのだ。だが貴女は違う。天使族の長として、種族全体を考えねばならない。この地に天使族が居ることは、少数しか知らない。ましてこの地を訪れることなど、魔神や飛天魔族以外は不可能だろう。天使族の聖地は、汚れてはならないのだ。そして貴女自身も・・・』

 

『・・・また、貴方に会えますか?』

 

心配気な表情を浮かべる自分のオンナに、ディアンは笑って頷いた。

 

挨拶回りの最後は、トライスメイルである。魔神である自分は、未だに「エルフの杜」に立ち入ることが出来ていない。この時も、白銀公は杜の外で、ディアンと対面をした。森の中の少し開けた草地に、切り株が置かれ、対面して座る。ディアンは感謝の言葉を述べた後、気になっていたことを質問した。

 

『私が死にかけていることを、白銀公はどうやって知ったのでしょう?私がハイシェラに敗れたのは、この森からかなり北なのですが・・・』

 

『ある人物に教えてもらいました。貴方が死に掛けている。助けてあげて欲しい・・・そう依頼をされたのです』

 

ディアンの眼が細くなる。白銀公を動かせる人物など限られる。確認するように、ディアンが尋ねた。

 

『レウィニア神権国の絶対君主「水の巫女」・・・ですか?』

 

白銀公は微笑んだまま、頷いた。

 

 

 

 




【次話予告】

ターペ=エトフ歴二百四十九年、ハイシェラ魔族国は一万二千の軍勢を進発させた。この知らせは直ちに、ターペ=エトフに齎される。ファーミシルス元帥は、ルプートア山脈北東部を要塞化させ、これを迎え撃つ。ケレース地方の歴史に残る「ハイシェラ戦争」の幕開けであった。



戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第八十四話「第一次ハイシェラ戦争 前編」


Dies irae, dies illa,
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Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第八十四話:第一次ハイシェラ戦争 前編

ハイシェラ戦争は、当時ラウルバーシュ大陸で最も繁栄をしていた大国「ターペ=エトフ」と新興国「ハイシェラ魔族国」との三度に渡る戦争を総称したものである。五十年に渡るこの戦争が、後世の歴史家、軍事専門家たちを魅了し続けているのは、この戦争に参加をした種族が、人間族のみならず、ドワーフ族、獣人族、龍人族、エルフ族、悪魔族などの多種多様な種族であったためである。これほどに多様な種族が、しかも両国間で軍を形成し、北華鏡平原で一大戦争を繰り広げたというだけで、軍事的浪漫主義者を魅了してやまない。さらにこの両国間には、一種の「心契」とも思える様子が見られる。イソラ王国に残されている記録では、ターペ=エトフとハイシェラ魔族国は、まるで図ったかのように同時に北華鏡平原に軍を進め、満を持しての決戦になったと伝えられている。この背景には、魔神の特殊性が挙げられる。人間族の戦争が、領土拡張などの「目的」があることに対し、魔神ハイシェラは「戦争そのもの」が目的であった。魔神ハイシェラにとっては、ターペ=エトフを滅ぼすことよりも、己が満足をする戦いをすることに重きが置かれていたと考えられる。

 

ケレース地方で起きた一大戦争は、イソラ王国および北華鏡の集落に僅かに記録が残されている。また、ハイシェラ魔族国滅亡後にレスペレント地方へと逃れた闇夜の眷属たちも、幾つかの記録を残している。魔神ハイシェラは残酷で乱暴な魔神であった、という複数の証言がある一方、その美しさと気高さ、そして極稀に見せる「微笑み」により、魅了されたという声もある。ケレース地方で一大戦争を繰り広げた「赤髪の魔神」の姿は、その後は一切、確認されていない・・・

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴二百四十九年、ルプートア山脈北東部から北華鏡平原までの森林には、一大要塞が構築されていた。山頂から中腹までには複数の魔導砲が設置され、麓には洞穴が掘られ、ギムリ側を下って来た補給物資が洞穴を通る。ターペ=エトフ軍四千五百名のうち、五百名はケテ海峡に配備され、四千名がルプートア山脈要塞に入っていた。絶壁の王宮も忙しい。各種族から兵を集めたため、物産に影響が出ている。国務次官ソフィア・エディカーヌは、ターペ=エトフの繁栄の維持と物産量の減少を正確に見極めていた。ターペ=エトフの国内消費に必要な物資は、十分に賄うことが出来る。一方、レウィニア神権国やカルッシャ王国への輸出品は減らさざるを得ない。ソフィアは冷たい笑みを浮かべて、リタに販売価格を提示した。リタは思わず目眩を覚えた。

 

『あ、あの・・・このオリーブ油のお値段・・・三割以上は高くなっていらっしゃるようですが?』

 

『当然です。レウィニア神権国は我が国からのオリーブ油に頼りながらも、同時に、敵対するハイシェラ魔族国への支援を続けています。お陰でこちらも、兵士を増やさざるを得ず、物産に影響が出ています。三割増し程度で済んで、むしろ幸運と思って頂きたいですわ。輸出禁止にしようという意見すら出ていたのですから!』

 

実際のところ、オリーブの実を摘むのは女性や子供の仕事であり、オリーブ精製は魔導技術によって半自動化されている。ターペ=エトフ国内では、価格変動は殆ど無い。だがラギール商会は国から卸してもらうため、市井価格で買うことは出来ないのである。では街で買えば良い、と考えるのが通常だが、ラギール商会が求める量を扱える商店など存在しない。リタは溜息をついて頷かざるを得なかった。他の物資にも問題が出ていた。まず武器の輸出は一切が禁じられていた。鉱石類、香辛料類なども軒並み、値段が跳ね上がっている。一方で、他地方から運ぶ価格と比べれば、まだ安い。その絶妙な値付けに、リタは半ば感心をしていた。

 

『それと・・・これはリタ殿にだけお伝えをします。私の主人は、水の巫女殿を許していません。この戦いが終わった暁には、主人は水の巫女殿を殺しに行くかもしれません。主人はこう言っていました。「ターペ=エトフに文句があるのなら、直接言いに来い。自分たちは安全な場所に居ながら、陰謀によって他者同士を争わせ血を流させるその姿勢には、反吐が出る。国王も貴族も皆殺しにしてやりたいくらいだ」・・・と』

 

『や、やっぱりメチャ怒ってるんだ・・・ハ‥ハハ・・・』

 

ソフィアは少しだけ話を盛って、リタに伝えた。リタは表面上は笑いながらも、内心では深刻に悩んでいた。

 

(下手したら、レウィニア神権国は滅びるかもね。ウチも本店をプレメルに移そうかしら・・・)

 

 

 

 

 

一方、王宮ではハイシェラ魔族国からの使者が、正式に宣戦布告状を置いていった。堂々たる文面に、開戦予定日が書かれている。インドリトは笑ってしまった。まるで「決闘」である。魔神ハイシェラとは余り言葉を交わしていないが、会ってみたいと思った。ディアンも肩を竦めて笑った。一読したファーミシルスは溜息をついた。

 

『一体、何を考えているんだ、あの魔神は?見ろ。開戦日は「山眠る月(十三月)の十日」と指定している。あと二週間もあるぞ?何か、勘違いをしていないか?』

 

『あの「戦闘狂」にとっては、国家間戦争も個人の喧嘩も同じなのだろうな。ここまで来ると、ある意味では可愛いな。有無を言わさずに侵攻すれば良いものを、わざわざこちら側に準備の時間まで与えるとは・・・』

 

『とは言っても、万一ということもあります。偵察は怠らないようにして下さい。シュタイフェ、各国の様子は?』

 

『レウィニア神権国およびメルキア王国では、特に軍事的な行動は見られないようです。モルテニアからの知らせでも、カルッシャ、フレスラント、バルジアの各港に軍船が集結している、などは見られません』

 

『師よ、華鏡の畔への根回しはどうですか?』

 

『アムドシアスからの協力は取り付けた。アイツはかなり積極的だったぞ。ハイシェラは強いが、政治家には不向きだな』

 

ディアンはその時の様子を思い出して、笑ってしまった。

 

 

 

 

 

華鏡の畔にある魔神アムドシアスの居城に、ディアンが訪れた時、美を愛する魔神は不機嫌そうな表情であった。中庭に通されたディアンは、破壊された石像を見かけた。何とか修復を試みたようだが、木っ端微塵に粉砕されたようで、とても原型を留めていない。このケレース地方で、こんなことをする奴は一人しかいない。ディアンは憂鬱な表情を「わざと」浮かべた。

 

『酷いものだな・・・この石像は覚えている。名工が打ち出した見事な彫像だった。どうやら、純粋魔術で破壊したバカがいるな?』

 

アムドシアスは机を叩いた。瞳に怒りの炎が浮かんでいる。

 

『許せぬ!これは単に、我の蒐集品を壊したというだけでは済まぬ。あの像は、イアス=ステリナからの遺産であり、美の象徴でもあったのだ。それが失われるなど、謂わば世界の損失だ!』

 

『全くだな。インドリト王も、お前の蒐集品を見るのを楽しみにしておられた。丁度よい。我が王からの贈り物がある・・・』

 

ディアンは手を挙げた。アムドシアスの従者数名が、布に包まれた大きな荷物を運び、アムドシアスの前に立てた。布が取り払われると、林檎を持った石像が出現した。「メルジュの門」に封印されていたイアス=ステリナ世界の遺産である。どう見ても「ただの古美術品」であるため、イルビット族たちはすぐに関心を失い、大図書館の地下倉庫で眠っていたものだ。だが、アムドシアスにとっては何よりも価値のあるものであった。

 

『こ・・・これは!』

 

アムドシアスは両手を前に突き出し、フラフラと石像に歩み寄った。感動に震え、瞳には涙さえ浮かんでいる。ディアンが説明をした。

 

『遥か東方の地にある「イアス=ステリナ時代の遺跡」から発見された石像だ。数千年の歳月を耐え、その価値を理解できる者の手に渡った。この石像も喜んでいるだろう』

 

『何という美しさだ!この見事な腹筋の掘り方!林檎を見つめるその瞳は遠く、何か深淵なものを見通しているのかと想像してしまう。インドリト王がこれを我にと?』

 

『王はこう言っておられた。「美は、その価値を解る者が持つべきだ。そしてアムドシアス殿は誰よりも、美を愛している。美しい白亜の王宮に飾られてこそ、この石像も映えるであろう」とな・・・』

 

アムドシアスは何度も深く頷き、ディアンの手を取って感謝の意を述べた。一変して上機嫌になった「芸術バカ」に、ディアンはハイシェラ魔族国との戦争において、協力を要請した。

 

『別に軍を闘わせる必要はない。無人の本拠地をついて、軍需物資を全て奪うだけで良い。警備兵程度はいるだろうが、大した争いにもならないだろう。もちろん、先王ゾキウの蒐集品なども奪って構わないぞ。美を解さぬ者にとって、芸術品など石ころと同じだ。ハイシェラに壊されるくらいなら、お前が持つべきだろう。これは卑劣でも何でもない。お前の大事な石像を破壊したのだ。カネには替え難いだろうが、せめて賠償金くらいは貰っても良いのではないか?』

 

アムドシアスは二つ返事で了解をした。帰り道において、ディアンは小さくつぶやいた。

 

『バカとハサミは使いよう・・・ってね』

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴二百四十九年「山眠る月」、ハイシェラ魔族国は一万二千の軍勢を動員し、オメール山を進発、北華鏡平原を目指した。宰相ケルヴァンは、必要な軍需物資などを「逝者の森」などの森林地帯に隠し、数ヶ月の持久戦に耐えられるようにしていた。国王ハイシェラは、こうした補給などは気にしていなかっただが、戦争を支えるのは補給である。開戦日を二週間後にしたのは、その間に逝者の森に一大補給拠点を構えるためであった。ハイシェラ魔族国が北華鏡平原南東部に陣を構えると、ターペ=エトフ軍も北西部に陣を構えた。

 

『王よ、ターペ=エトフはルプートア山脈から森林地帯まで、迎撃の陣を構えております。斥候によると、山頂には兵器と思われる筒状のモノが十基、設置されているとのことです』

 

≪それは恐らく「大砲」であろう。かつて、イアス=ステリナにおいて戦争で使用された「砲」と呼ばれるものと同種に違いないの。破壊力のある「弓」と同じだ。遠方まで砲弾を発射する。無闇に突っ込むのは危険だの≫

 

『ではやはり、飛天魔族による山頂への魔術攻撃を掛けるべきでしょう。耐性の強い亜人族部隊を突撃させ、その「大砲」の狙いが地上に向けられた隙に、飛天魔族による接近、純粋魔術の共振作用による巨大魔術で、山頂を吹き飛ばします』

 

≪そうだの・・・その作戦で良かろう。じゃが、果たして山頂を吹き飛ばせるかな?黄昏の魔神もいるしの・・・我であれば、そこまで予想して、極大純粋魔術で相殺するがの≫

 

『例の魔神は、復活しているでしょうか?』

 

≪あれから二年・・・復活していると考えるべきだの。でなければ、面白くないからの≫

 

ハイシェラは笑って葡萄酒を飲んだ。

 

 

 

 

 

ルプートア山脈の要塞内においても、決戦に向けての緊張感が漂って・・・はいなかった。王太師に復帰をしたため、閉めざるを得なかった「魔神亭」の料理人や給仕たちが、食堂で忙しそうに働いている。

 

『さぁさぁ皆さん!本日は魔神亭特製「肉団子の赤茄子煮込み」ですよ~』

 

可愛らしい獣人族の給仕が、手を叩いて兵士たちを迎え入れる。ルプートア山脈北東部の要塞にある「大食堂」には、兵士たちが交代で、食事に詰めかけていた。食堂には堂々と「魔神亭」の文字が描かれている。厨房では、ディアン・ケヒトの元で十年近くの修行を積んだ人間族の料理長ピエールが、目まぐるしく鍋を奮う。その手つきは正に、職人技であった。

 

『それにしても、ターペ=エトフ建国以来の危機だというのに、この要塞を含めて、まるで危機感が無いのではないか?明日は決戦だぞ?』

 

グラティナは口を大きく開けて、肉団子に齧りついた。牛と豚の合挽き肉に、細かくした豚の軟骨と玉葱の微塵切り、肉荳?、黒胡椒、塩を混ぜて捏ねた団子である。肉汁が溢れる中で、軟骨の歯ごたえもあり、皆が夢中で食べている。ディアンは団子を切って肉汁を確認し、一口食べて頷いた。

 

『良い味だ。挽肉の配合を牛六:豚四にしているな。煮込む場合は焼く時とは異なる配合が必要になる。それに軟骨を入れるとは・・・これはオレも考えなかったな』

 

『ディアン・・・肉団子ではなく、要塞の話をしているのだが?』

 

『ん?まぁ良いではないか。悲壮感が漂うより、こうして明るいほうが良い。大体、戦争なんて真面目にやるのはバカバカしい。どうせハイシェラの狙いはオレなんだ。オレだけ真面目に戦って、他の連中は適当に守れば良いのだ。オレがハイシェラを抑える限り、ルプートア山脈は絶対に超えられん』

 

『でも、相手は倍以上の軍勢よ?それに獰猛な魔獣や亜人族も多いって・・・』

 

『だからだ。誰が集めたのかは知らんが、発想が貧困だな。ただ前に進んで戦えば良いと思っている。戦争は決闘ではない。別に一対一で戦う必要は無いのだ。三人一組で取り囲んで、後ろから斬りつければ良い。これは卑怯でも何でもない。戦争に勝つためには「組織力」が必要なのだ。獰猛な魔獣や亜人族が、将の命令を聞いて、周囲と連携して動くと思うか?バラバラのまま猪突して突っ込んできて、取り囲まれて終わりさ』

 

自信を持って断言する男の姿に、元帥であるファーミシルスも安心したようだ。ディアンは肉団子の味に満足しながら、言葉を続けた。

 

『レイナとティナは、遊軍として動け。恐らく、中には手強い「個」が存在するだろう。そうした奴らは時として、反撃の起点になる。二人でソイツらを潰すんだ。殺す、殺さないの判断は任せるが、継戦能力は確実に奪え』

 

『我々よりも強い奴がいたら、どうするんだ?』

 

ディアンはフォークを持ったまま止まった。その可能性は全く考えていなかった。フォークを置いて、真剣に考える。使徒二人が顔を見合わせる。

 

『もし、それ程の力を持ったやつが居るなら・・・』

 

『いや、スマン。そんなに考えて言ったわけじゃないんだ』

 

グラティナが手を振った。だがディアンの中では、払拭しておくべき課題であった。使徒二人は、中級魔神にも匹敵する力を持っている。魔族程度で苦戦するはずがない。可能性があるとしたら、相手にハイシェラ以外の魔神がいる場合だ。だがその可能性はあるだろうか。ディアンは暫く考えて、首を振った。

 

『可能性があるとしたら、他にも魔神が出現した、という場合だな。可能性は皆無ではない。魔神が魔神を使役する、ということは極めて珍しいが、フェミリンス戦争という事例もある。もし勝てない相手と巡り合ったら、一旦退け。ハッキリ言って、この戦争は下らん。ハイシェラは水の巫女に吹き込まれたのだろうが、こんな面倒なことをしなくても、オレの処に来れば、幾らでも戦ってやったものを・・・』

 

その言葉が嘘であることに、三人は気づいていた。ディアン・ケヒトが此処に居るのは、ターペ=エトフの危機だからであった。もしハイシェラがディアン独りと戦うために襲来したとしたら、ディアンはターペ=エトフを出て、身を隠しただろう。あるいは戦ったかもしれないが、本気にはならなかったはずだ。魔神ハイシェラは女であり、まして古神アストライアの肉体を持っている。殺すことに躊躇をしたはずである。話題を変えるように、ディアンが明日の決戦の話をした。

 

『オレもハイシェラも、相手が何処にいるのかを探すだろう。山頂の魔導砲のことは、相手にも知られているはずだ。オレであれば、遠方から巨大魔術を放って山頂を吹き飛ばそうとする。というか、それ以外にこの山を攻略することは不可能だ。オレが迎撃をすれば、必然的にハイシェラも出てくるだろう』

 

胸元の「魔焔」をいじりながら、ディアンは明日の決戦に向けて覚悟を固めていた。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴二百四十九年「山眠る月(十三月)の十日」、ハイシェラ魔族国は北華鏡平原に軍を進めた。各隊ごとに固まっているが、陣形と呼べる程ではない。一方、ターペ=エトフ軍は木柵を設け、待ち構えている。馬上のハイシェラは、右手を挙げ、振り下ろした。突撃の合図を知らせる太鼓が鳴らされる。北ケレース地方の亜人族「ズク族」が分厚い剣を掲げ、走り出す。

 

≪飛天魔部隊、待機せよ≫

 

ハイシェラの指示により、飛天魔族たちが待機する。まずは「砲」の射程を測る必要があった。屈強なズク族であれば、そう簡単には死なない。射程を測った上で、頃合いを見て飛天魔族を上空から突撃させ、山頂を吹き飛ばす作戦である。成功すれば良し。仮に失敗したとしても、最も警戒する敵の位置を探ることは出来るだろう。

 

『魔導砲、斉射用意!』

 

山頂の中堅指揮官が、手を掲げた。平原中程に照準を構える。ズク族の部隊が入ってきたところで、手を振り下ろす。

 

『放てぇっ!』

 

十門の魔導砲が一斉に火を噴く。北華鏡平原に純粋魔術の爆発が起きる。その様子にハイシェラは眉を顰めた。

 

≪アレは我の知る「砲」ではない・・・純粋魔術だの。人間も少しは進歩をしているということかの≫

 

だが射程を測ることは出来た。また純粋魔術であれば、遠方である程、威力は落ちる。爆発は起きているが、ズク族であれば耐えられるだろう。実際、ズク族たちの足は止まらず、木柵の手前まで届こうとしていた。第二波、第三波の突撃が指示される。同時に、飛天魔部隊も上昇した。砲が平地を狙っている今が好機である。だが、ハイシェラが指示を出す前に、平地では異変が起きていた。

 

 

 

 

 

『魔導銃、斉射用意!』

 

ズク族の巨体が迫っていても、銃撃隊は落ち着いて構えていた。射程に入った瞬間に、一斉に引金を引く。空気抵抗を減らす刻印が刻まれた弾が、高速度でズク族に打ち込まれる。第一波が次々と倒れる。その様子に、さすがの亜人族たちも怯んだ。

 

『騎獣隊、突撃っ!』

 

レブルドルに跨った獣人族たちが、一気に突撃を始める。数は三百程度だが、馬よりも大きな魔獣に跨り、鍛え抜かれた斧を揮うのである。第二波、第三波の足が止まる。同時に、山頂の魔導砲も静かになった。ハイシェラは得心した。相手は最初から、護るつもりなど無かったのである。平原での白兵戦で、打ち勝つつもりだったのだ。実際、個々の戦闘力では高いはずの亜人族たちが、次々と倒されている。敵は相互に連携をしながら、常に「二人で一人」を屠っていた。ハイシェラの本隊に、斥候が駆けつける。

 

『申し上げます!第三波、打ち破られつつあります!』

 

≪なんと手ごわい相手なのだ・・・なればこそ、面白いというものだの»

 

ハイシェラは笑った。一対一の戦い以外にも、こうした「愉しみ方」があったのだ。だが、いつまでも笑っていられない。どんな戦いにも、敗けるつもりは無い。そして勝つためには、この劣勢を覆す必要があった。

 

≪ケルヴァンッ!ここは汝に任すだの。我は飛天魔族と共に突撃し、敵山頂を吹き飛ばしてくれるわっ!≫

 

『はっ!お任せ下さい。御武運を・・・』

 

ハイシェラは頷き、一気に上昇した。飛天魔族たちを率いて、上空からルプートア山脈山頂に向かう。だが、山脈中腹から上空に向かって、何十発もの純粋魔術が放たれてきた。ハイシェラは下方に魔術障壁結界を張りながら、上空から接近する。当然、その様子は山頂からも見えていた。このことを予測していた黒衣の男が眼を細めた。ハイシェラと飛天魔族たちは、魔術波長を合わせて一斉に純粋魔術を放つ。

 

≪レイ=ルーンッ!≫

 

アウエラの裁きなどの上位純粋魔術よりも威力は落ちるが、速度では勝る。そして波長が同じである為、共振作用を起こして増幅される。高速の巨大純粋魔術となって、ルプートア山脈山頂に襲いかかった。普通であれば山頂を一気に吹き飛ばす威力である。だがその前に、黒衣の魔神が立ちはだかった。

 

≪極大純粋魔術ルン=アウエラッ!≫

 

北華鏡平原上空で巨大な爆発が起きる。猛烈な爆風で、地面での戦闘が一時中断した程であった。ハイシェラは歓喜の笑みを浮かべた。

 

≪来たなっ!黄昏の魔神!≫

 

赤髪の魔神と黒髪の魔神は、互いに剣を抜き、咆哮を挙げ、彗星のような速度でぶつかった。

 

 

 

 




【次話予告】

歓喜の闘いに酔いしれるハイシェラを余所に、ハイシェラ魔族国に危機が迫っていた。事態に愕然としたケルヴァンは、ハイシェラを呼び戻そうとする。状況を理解したハイシェラは、ディアンの予想とは違う行動に出る。



戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第八十五話「第一次ハイシェラ戦争 後編」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第八十五話:第一次ハイシェラ戦争 後編

レスペレント地方西部には、二つの大国が存在している。フィリップ・F・テシュオスが建国した「カルッシャ王国」と、ウンベルト・ナクラが建国をした「フレスラント王国」である。姫神フェミリンスが存在していた時代は、両国とも「姫神の恩恵」を授かり、亜人族や闇夜の眷属を敵として、友好関係を形成していた。特にフェミリンス戦争中などは、大魔術師ブレアード・カッサレという「目に見える敵」が存在したため、両国間に軍事同盟が締結され、連合軍をもって闇夜の眷属たちと戦争を続けていた。しかし、姫神フェミリンスが封印され、敵であったブレアード・カッサレも居なくなったことから、徐々に両国間の友好に亀裂が入り始める。

 

最初の利害の対立は、カルッシャ王国が西方諸国からの「大陸公路」に関所を設けたことから始まる。西方諸国からの大陸公路は、カルッシャ王国通り、ブレジ山脈北部とテリイオ台地の間を通り、そのまま中央部まで続く。つまりフレスラント王国は、大陸公路から外れた場所に存在しているのである。そのため、ブレジ山脈南方部の比較的通りやすい「礫砂漠地帯」と、低高度となる「ブレジ山脈北辺」の二箇所に交易路を拓き、カルッシャ=フレスラントの交易が行われていた。フェミリンス戦争時においては、重要な軍用路にもなっていたため、カルッシャ王国は関所などは設けず、両国間で活発な行き来があった。しかし戦争が終わると、この道は軍事的危険性を持ち始める。二十年間に渡って続いたフェミリンス戦争は、両国の軍事組織を肥大化させていた。戦争が終わったからと言って、出来上がった組織は簡単には解体できない。様々な「利権」なども絡んでいるためだ。組織が存続するためには、「新たな敵」が必要だったのである。

 

カルッシャ王国にとって、それは「ターペ=エトフ」になるはずであった。しかしターペ=エトフの宰相シュタイフェ・ギタルによる巧妙な外交政策によって、その目論見は霧消することになる。シュタイフェはまず、国土が狭く砂漠地帯の多いフレスラント王国に対して、廉価で食糧を輸出するなど、友好関係を深める一方、カルッシャ王国に対しては、ケタ海峡海戦などを取り上げながら、硬化姿勢を見せた。フレスラント王国はターペ=エトフとの交易を強化するために、南東に「サンターフ港」を整備し、北方諸国の食材(サトウカエデの樹液、薬草酒)などを輸出するとともに、ターペ=エトフからは食糧の他、武器や鉱物資源などを輸入し始めたのである。隣国が経済成長をするのを危惧したフレスラント王国は、ターペ=エトフ歴三十七年に、フレスラント王国北辺に関所を設けたのである。これが、後に両国間の対立を生み出すことになる。シュタイフェは、潜在的な敵国となる国同士を対立させることにより、一種の軍拡競争を起こさせ、その利益をターペ=エトフが得るようにしたのである。

 

後世、魔神グラザの一人息子である「リウイ・マーシルン」とその妻である「イリーナ・テシュオス=マーシルン」の尽力により、レスペレント地方にメンフィル帝国が誕生する。「幻燐戦争」と呼ばれるレスペレント地方の大戦の中で、この両国はようやく和解に至るが、カルッシャ王国王家の最後の血筋は、神殺しの第一使徒であり、事実上、カルッシャ王国は滅亡をしてしまう。多くの歴史家たちが、ターペ=エトフの存在がなければ、幻燐戦争の結末は違うものになっていたと述べている・・・

 

 

 

 

 

北華鏡平原での地上戦は、当初はターペ=エトフ優位に進んでいた。だがそれは、ハイシェラ魔族国宰相ケルヴァンにとっては想定内であった。防御力の高いズク族を前に出し、受けの体制を取っていたからである。最強の戦闘集団である「ホア族」を投入する前に、徐々に後退をし、相手を引きずり出す作戦であった。特に、魔神の使徒たちに対しては、ハイシェラ直属の「魔人」を充てる必要がある。ケルヴァンは「遠眼鏡」で戦場の様子を見ていた。獣人族の中に、金髪と銀髪の女を見つける。間違いなく「使徒」であった。

 

『よし・・・魔人バラパムと歪魔プローヴァに指示せよ。「お前たちの出番だ。戦場に躍り出て、金銀の女使徒たちを抑えろ」と!』

 

蛸のような触手を持った魔人と、道化師のような悪魔が、戦場に躍り出る。最前衛に出ていたレイナとグラティナにぶつかる。レイナは火炎系魔術を、グラティナは触手を避ける。プローヴァは歪魔の特性である「転移」と強力な火炎系魔術でレイナを引きつけた。レイナも魔術を駆使するが、魔力自体は歪魔の方が上である。

 

『魔術を使いながら、懐に入られないように転移を繰り返す・・・厄介なヤツね』

 

一方、グラティナも多方向から襲いかかる触手に手を焼いていた。剣で斬っても、すぐに再生をしてしまう。力自体は自分のほうが上だが、驚異的な再生力の前に、決定的な斬撃を放てずにいた。その様子を見て、ケルヴァンが頷く。戦闘集団「ホア族」が前線に出て来る。巨大な棍棒が音を立てて振るわれる。騎獣隊をレブルドルごと弾き飛ばす。形勢が徐々に、変わり始めていた。

 

 

 

 

 

一方、圧倒的な戦力である二柱の魔神は、北華鏡上空で剣を交えていた。凄まじい速度で剣同士が火花を散らす。ディアンの一撃を受け止めたハイシェラが、吹き飛ばされる。距離が出来た隙に、ハイシェラが純粋魔術を放つが、その前にディアンが距離を詰める。二柱は徐々に、オウスト内海上空へと移動していった。ハイシェラは眼を怒らせたまま、口元を歪めた。

 

«前よりも力が上がっているの・・・以前は本気ではなかったのか?»

 

«本気だったさ。そして負けた。忘れるなよ?オレは人間だ。敗北を肥やしにし、さらに成長をする・・・それが人間だ!»

 

剣を弾きあげ、空いた胴に蹴りを入れる。ハイシェラは勢い良く水面に叩きつけられた。だが追撃はしない。ここで純粋魔術を放ったところで、相殺して終わりだからである。水面から勢い良く、何かが飛び出してきた。ハイシェラだと思ったが、それはただの魔力の弾であった。複数の魔力が水面から放たれてくる。ディアンはそれを避けながら下を見ていたら、いきなり上から攻撃が来た。

 

«甘いの!お返しじゃっ!»

 

踵が頭部に落ちてくる。辛うじて防御をしたが、ディアンもまた水面に叩きつけられた。ハイシェラは自軍の様子に目を向けた。ホア族の投入で、ターペ=エトフ側の戦線が崩壊しつつある。相互に持つ最強の手駒「魔神」を封じれば勝てるという考えは、ハイシェラ魔族国側でも同じであった。水面から飛び出てきたディアンを迎え撃つ。再び斬撃戦が繰り広げられる。

 

«我を抑え込めば、勝てると思っておるのであろう?それは我も同じだの。汝さえ抑え込めば、我らの勝利は揺るがぬ!»

 

«「我らの勝利」だと?魔神らしからぬ言葉だな!»

 

ディアンの一撃が受け止められる。激しい斬撃戦の中で、ディアンは小さな疑問を抱いていた。目の前の魔神は、以前とは何かが違っていた。自己欲求による闘争以外の何かを求めていた。それは「本来の魔神」には無いことである。だが今は、それ以上は考えられなかった。僅かでも意識が外れれば、致命的な一撃を受けかねない。それほどに、拮抗した闘争であった。互いの最大戦力が抑え込まれている状況では、地上戦を左右するのは、兵士個々の質と物量である。ケルヴァンは自分の想定通りの展開に興奮をしていた。

 

『よしっ!このまま一気に押すぞ!総攻撃をかけろ!飛天魔部隊には、山頂砲台への攻撃を続けさせろ。無理をさせる必要はない。砲台を引きつけるのが目的だ!』

 

ホア族に続き、亜人族や魔族の部隊が次々と戦場に躍り出る。ターペ=エトフ側の戦線は崩壊寸前であった。獣人族やドワーフ族たちが必死に支えようとするが、数が違い過ぎた。

 

『いかんっ!このままではこの山まで押されるぞ!やむを得ん、お前たちは砲撃の手を休めるな!私は地上を支える!』

 

ファーミシルスが飛び立とうとした時、上空を黒い影が横切った。敵の飛天魔部隊に巨大な落雷が落ちる。黒雷竜ダカーハであった。その背から、一人のドワーフが最前線に舞い降りた。ホア族たちが吹き飛ぶ。

 

『退くなっ!自分たちの家族、友人、愛する者たちを思い出せっ!ここで退けば、皆が蹂躙されるのだ!お前たちには、この「ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)」がついているぞ!』

 

ホア族の巨体が一刀両断される。崩壊しかかっていた戦線が凄まじい沸騰を起した。戦意を失っていた兵士たちの瞳にギラつきが戻る。戦場全体を揺るがすほどの雄叫びがあがり、熱狂的な勢いでホア族を押し返し始めた。

 

 

 

 

 

『な、何?何が起きているの?』

 

歪魔プローヴァが唖然としたように呟いた。レイナが笑みを浮かべる。

 

『ターペ=エトフの最大戦力が投入されたのよ。ターペ=エトフで最も強いのは、黄昏の魔神じゃないわ。全兵士を立ち上がらせる程の力…インドリト・ターペ=エトフこそが、ターペ=エトフ最高の戦力なのよ!』

 

『ならばっ!』

 

プローヴァが転移空間を開いた。インドリトを殺すつもりなのだ。だがレイナがそれを許さなかった。転移する寸前にプローヴァに電撃が走る。さらに背後から切りつけられた。

 

転移(同じ技)を何度も見せるなんて、失敗ね。あなたの転移魔法は、もう読み切ったわ!』

 

剣が横一閃に払われる。プローヴァの首が落ちた。

 

『ボフボフッ…ナ、ナニガオキテルノ?』

 

魔人パラバムも男根のような先端をした触手を操りながら、雄叫びがする方向に顔を向けた。だがその一瞬が致命的であった。グラティナが純粋魔術を発動させた。それまで剣を使っていた敵が、いきなり魔法を使ったのである。パラバムの巨体では、とても避けられなかった。

 

『プキュゥアァァッ!』

 

純粋魔術の爆発で、自陣営まで吹き飛ばされた。その様子に、グラティナが舌打ちをした。

 

『あまりに軟体過ぎて、爆発の衝撃が吸収されたか。まぁ、この戦いにはもう戻れまい。レイナッ!このままインドリトの加勢に行くぞ!』

 

金銀の使徒が戦線に復帰した。ホア族の闘い方は攻勢に偏っており、守勢に回ると弱い。ホア族族長の巨体が二人の使徒に立ち塞がる。

 

『何だテメェらは…ここでぶっ潰して、後で犯し抜いて…』

 

『邪魔よっ!』

 

『邪魔だっ!』

 

ホア族最強の戦士が、一瞬で切り刻まれる。勝敗は決しつつあった。インドリトの参戦によって士気が爆発したターペ=エトフ軍は、一気にハイシェラ魔族軍を押し返した。ケルヴァンは両手を握りしめ、唇を噛んだ。やはりインドリトを暗殺しておくべきであった。たとえ不興を買おうとも、歪魔を使えば可能であったかもしれない。だが全ては後の祭りである。

 

『やむを得ん…ここは退いて、立て直すべきだ』

 

だが、撤退の指示を出そうとしたケルヴァンに、さらなる凶報が齎された。

 

 

 

 

 

«女子供などの民衆には手を出すな。我らは盗賊ではない!»

 

美を愛する魔神アムドシアスは、白馬の上から指示を出した。オメール山の麓にあるハイシェラ魔族国の本拠地に攻め込んだアムドシアスは、残された守備兵をアッサリと駆逐し、純粋魔術で扉を吹き飛ばした。

 

«愚かな…あの戦闘バカは、前に出ることだけが戦争だと考えておるのか?»

 

アムドシアスは呆れた様子で街に乗り込んだ。積み上げられた軍需物資を全て運び出す。居城に乗り込んだアムドシアスは、東方諸国産の陶磁器や絹布、北方諸国の彫刻などに目を細めた。

 

«美を解さぬ愚者に、このような貴重な芸術品など勿体なさすぎるわ!我が大切にお救けしようぞ»

 

民衆たちは自分たちの物資は取られなかったので、特に抵抗もせず、その様子を眺めていただけであった。ハイシェラがディアンとオウスト内海上空で死闘を演じている頃、アムドシアスは手に入れた芸術品を愛でながら、軍需物資とともにオメール山を後にした。

 

『クッ…まさか華鏡の畔が動くとは!すぐに撤退の鐘を鳴らせ!ハイシェラ王には私からお伝えする!』

 

一角を持つ魔神が数百の軍勢とともに出現し、本拠地に山積みされた軍需物資を強奪していったという知らせは、ケルヴァンの希望を打ち砕くに十分であった。長期戦に備えていたため、逝者の森には当面の物資は積まれている。だがこの数年間で蓄えた国力が一気に失われたのである。ケルヴァンは確信していた。「この敗戦は、いずれ漏れ伝わる。魔族国への援助も見直されるだろう。もはや、ターペ=エトフを落とすことは、不可能になった」…手を震わせながらも、水晶球に魔力を通した。主人に撤退の報告をするためである。

 

 

 

 

 

ディアンの両手から炎を繰り出される。煙幕を張り、ハイシェラの目を眩ませる。その間に移動し、再び防御を固める。二柱の魔神は、オウスト内海の中ほどまで進んでいた。目まぐるしく体制が入れ替わる中で、ディアンが巨大魔法を放つ。決まって、ハイシェラが北側にいるときである。別に当てる必要はない。躱せばその魔法はレスペレント地方の三王国に命中するのである。「物資支援をするということは、参戦したということだ。街の一つや二つ吹き飛ばさなければ、オレの気が済まん」…ディアンはそう割り切っていた。実際、沿岸部に街を構えていたバルジア王国はエル=アウエラの直撃を受けて、大混乱の状態になっていた。

 

«何を考えているだの?そのように守備ばかりをしておっても、我に勝つことなど出来ぬわっ!»

 

ハイシェラが剣を振り下ろす。クラウ=ソラスで受け止めたディアンは、口元に笑みを浮かべた。

 

«別にお前に勝つ必要はない。お前を倒さずとも、ターペ=エトフが勝つことは出来る!そろそろこちらの仕掛けが効く頃だろう…»

 

ハイシェラを押し返し、距離を取る。ハイシェラが再び飛び掛かろうと体制を取ったが、そこで動きが止まった。左の人差し指をコメカミに当てる。

 

«なんじゃと…»

 

ハイシェラが驚愕の表情で呟く。そしてディアンを睨んだ。

 

«貴様…我との闘いを汚すか!»

 

«何を言っているんだ?オレがいつ、お前と決闘するなどと言った?これはハイシェラ魔族国とターペ=エトフ王国の「戦争」だろう?お前との闘いなど、その一部に過ぎん»

 

ハイシェラが歯ぎしりをした。ディアンも剣を下ろした。

 

«諦めろ。もう決着はついた。ハイシェラ魔族国の後は、ターペ=エトフが引き受ける。怪我人は公平に手当をするし、亜人達も元の故郷に戻そう。もう止めろ。ここで退くのであれば、追撃はしない»

 

ディアンはこれで、ハイシェラ魔族国との戦争は終わったと確信していた。相手にはもはや継戦能力は無い。ハイシェラも十分に力を奮ったはずである。これで満足して、どこかへと消えると考えていた。だが、ハイシェラはディアンが想像もしない行動に出た。一目散に南へと飛び立ったのである。ディアンは慌てた。ここでハイシェラが戦線に復帰したら、形勢逆転の可能性がある。ディアンは全力でハイシェラの後を追った。だがハイシェラの速度はディアンを上回っていた。

 

«クッ…魔力を使いすぎたか。追いつけんっ!»

 

 

 

 

 

 

『インドリト、もう決着はついたわ。後は掃討戦だけだし、もう後ろに下がったほうが良いわ』

 

レイナの言葉に、インドリトは頷いた。気づかぬうちに、左腕に怪我を負っていた。レイナが手当をする。二百五十年前以上前に大洞窟を冒険した時も、こうして手当をしてもらっていた。淡く甘い記憶である。その時、黒雷竜ダカーハが舞い降りてきた。

 

『急ぎ退かれよ。信じがたい速さで、魔神がこちらに向かっている』

 

『まさか、先生が…』

 

『いや、ディアン殿の気配も感じる。どうやら追撃をしているようだが、あの魔神の方が速い。下手をしたら、戦場に巨大魔術が落ちるかも知れん』

 

『全軍、直ちに追撃を止めよ!一時退いて、守りを固めるのだ!』

 

インドリトの号令に、ターペ=エトフ軍が止まった。全軍が一斉に退き、北華鏡平原に構えた自陣の前まで戻り始める。ケルヴァンはその様子を見て、疑問を感じた。罠かとも考えたが、ここで追撃をする必要はない。

 

『今のうちに、急ぎ撤退をさせよ!負傷者は優先して運び、回復を図れ!』

 

その時、北華鏡平原の中央に、巨大な火柱が落ちた。北東から南西に向けて、炎の壁が作られる。ケルヴァンはすぐにその原因を察した。

 

『王がお戻りになられた!皆の者、王のご帰還である!』

 

ハイシェラが凄まじい速度で大地に降り立った。すぐに陣頭指揮を始める。

 

『ケルヴァン、全軍を撤退させよ!我が殿軍を引き受けるだの!』

 

『お、王よ…』

 

『黄昏の魔神やその使徒、そしてインドリト・ターペ=エトフ…これらに追撃をされれば、我らは本当に崩壊する。我がここで食い止める間に、オメール山まで下がるのじゃ!』

 

ケルヴァンは片膝をついた。

 

『王よ…我が主君、ハイシェラ様…どうか、ご無事で!』

 

ケルヴァンの指揮のもと、ハイシェラ魔族軍は撤退を始めた。

 

 

 

 

 

 

«王よ、ご無事でしたか!»

 

ハイシェラから僅かに遅れ、ディアンはターペ=エトフ陣へと戻った。人間の貌に戻り、主君の前で膝をつく。

 

『申し訳ありません。一瞬の隙きを突かれ、魔神ハイシェラをここまで戻してしまいました』

 

『いえ、彼の魔神を師が引きつけてくれたおかげで、ターペ=エトフの勝利が確定しました。些か肝を冷やしましたが、魔神ハイシェラはこちらに攻めては来ないようです』

 

『…正直に申し上げて、ハイシェラの行動が理解できません。私単独で、あの炎の壁まで向かうことをお許し下さい』

 

インドリトは少し考えて頷いた。魔力によって生まれた「紅蓮の壁」にディアンは近づいた。向こう側に、朧気ながらハイシェラの姿が見える。ディアンは再び、魔神に戻った。

 

«ハイシェラッ!こんなところで何をしている!勝負はもうついたのだ!お前の負けだ!»

 

«フンッ!我らはまだ負けてはおらぬ!兵はそれほど失ってはおらぬしの…我らは再び、ターペ=エトフを攻める!首を洗って待っておれ!»

 

«…お前、国の崩壊を防ぐために、ここで殿軍を引き受けていたのか?»

 

ハイシェラは何も返さない。巨大な気配は依然として、炎の向こう側にあった。そしてそこには、命を賭してでも追撃を防ぐという気迫が込められていた。ディアンは舌打ちをした。ここで追撃をしたとしても、彼我の犠牲が大きすぎる。これ以上の追撃は無意味であった。溜息をついて、炎の向こう側に語りかける。

 

«約束しよう。我々は、これ以上の追撃はしない。国に戻り、負傷者の手当てをされよ。さらばだ、ハイシェラ王よ…次は確実に倒す!»

 

ディアンは踵を返した。同時に、ハイシェラの気配が消えた。

 

 

 

 

 

ケルヴァンは本拠地の被害を確認していた。武器や食糧などは根こそぎ奪われていた。逝者の森に隠した軍需物資は無事である。だがそれでも七割近くの物資を失い、国家存亡の危機となっていた。だがハイシェラは明るい表情で叫んだ。

 

«今宵は酒宴にする!皆の者、大いに飲んで、食らうが良い!»

 

ケルヴァンも止めようとはしなかった。客観的に見れば、今回の戦争は完全な負けである。人的被害こそ互角であろうが、ターペ=エトフの本領は全くの無傷である。国全体で見れば、大した被害ではないのだ。一方、新興国であるハイシェラ魔族国にとっては、深刻な被害であった。魔神ハイシェラは、その強さと美しさで、魔族国を束ねる「象徴」となっている。負けを認めれば、その象徴が揺らいでしまう。それを隠すためには、酒宴などを開いて「努めて明るく」振る舞うしか無いのだ。

 

«流石はターペ=エトフよ、我らの猛攻を凌ぐとはの。じゃが、インドリトを見たであろう!戦に出るのは、あの齢が限界であろう。早晩、インドリトは戦場には出れなくなる。なれば、我らの勝ちは揺るがぬわっ!»

 

ハイシェラの呼びかけに、魔族たちが雄叫びを上げる。被害が大きかったホア族などへは、手厚く声を掛けていく。その姿は、もはや一柱の魔神ではなく、王そのものであった。

 

(確かに今回は負けた。だが、ハイシェラ様に王としての自覚がお芽生えになった。これは大きい。ターペ=エトフよ、次は負けぬぞ…)

 

ケルヴァンは美しき魔王の姿を見ながら、新たな戦に想いを馳せていた。

 

 

 

 

 

『王にっ!!』

 

ホゥッ!!

 

『名誉ある死者にっ!!』

 

ホウッ!!

 

ルプートア山脈北東部では、大規模な酒宴が開かれていた。それぞれの民族のやり方で死者を弔い、火を囲みながら歌を唄う。被害は出たが、魔神ハイシェラを撃退し、事実上の完勝であった。兵士たちは興奮し、インドリト王を讃えた。グラティナも、レイナやファーミシルスと肩を組みながら笑い声を挙げる。

 

『魔神ハイシェラに何が出来る!何が!誰もターペ=エトフに勝つことなど出来んわっ!!』

 

ホウッホウッホウッ!!

 

名君インドリト・ターペ=エトフは岩に腰を掛け、その様子を見ていた。顔には出さないが、気絶しそうなほどの疲労を感じていた。二百七十歳というのは、ドワーフ族であっても老齢である。自分に子がいれば、とうに地位を譲り、隠居をしているはずの年齢である。以前からそう考え、王の存在しない国家に向けて、準備を進めていた。魔神ハイシェラの出現で計画は後ろ倒しになったが、それでも一、二年程度の遅れで済むはずだった。

 

(私の予測が外れた…ハイシェラは、一柱の魔神としてではなく、王としてターペ=エトフに立ち向かおうとしている。ハイシェラ魔族国は滅びん。いずれ再び、侵攻してくるだろう)

 

師の言葉を思い出し、瞑目する。自分の寿命は長くない。おそらく、ハイシェラ魔族国が滅びる前に、自分は死ぬだろう。そしてそれは、ターペ=エトフの滅亡を意味していた。未練はある。無念でもある。だが悔いは無かった。師の許で学び、大魔術師の思想に触発され、このケレース地方に理想郷を作るために命を賭けた。建国後、二百五十年も走り続けてきた。理想は実現した。限りなく実現に近づいた。そして、理想を手に入れた瞬間に、自分とともに幻のように消えていこうとしている。

 

『夢、幻の如く…か』

 

インドリトは静かに呟いた。

 

 

 




【次話予告】

魔神ハイシェラを退け、ターペ=エトフは平穏を取り戻した。だが賢王インドリトは確信していた。ターペ=エトフはいずれ滅びると…

…ターペ=エトフ滅べど、その理想は滅ばず…

理想を繋ぎ続けるために、インドリトは師に「建国」を委託した。ディアン・ケヒトが構想した新たな国威は、後にディル=リフィーナ全体を揺るがすことに繋がるのであった。



戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第八十六話「神の道」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第八十六話:神の道

ディル=リフィーナ世界の大きな特徴として「神々の実在」が挙げられる。科学文明が発達していた旧世界イアス=ステリナにおいては、文明の発展と共に、宗教の社会的地位が低下し、人間族も日々の暮らしの中で、神への信仰を意識することが少なくなっていった。イアス=ステリナの神々は「天界」へと引き上げ、二つ世界の融合が起きるまで、イアス=ステリナには事実上、神は存在していなかったのである。その一方、エルフ族やドワーフ族が生きていた旧世界ネイ=ステリナでは、神々はそれぞれの種族から信仰を受けていた。光側の太陽神であるアークリオンやアークパリスは、エルフ族、ドワーフ族、獣人族など広範囲な亜人族から信仰を受けていた。一方で、闇側の太陽神であるヴァスタールは、魔族が中心であった。また、先天的障害などにより部族から爪弾きにされた亜人たちなども「闇夜の眷属」としてヴァスタールを信仰していたのである。このように、ネイ=ステリナにおいては、光と闇の対立はあれど、神々への信仰は日常的なものだったのである。

 

二つの旧世界が融合し、ディル=リフィーナ(二つ回廊の終わり)が誕生したことから、光と闇の均衡に微妙な変化が生じ始める。その原因は、人間族にある。他の亜人族が比較的小規模な集落を形成し、集団での生活をしていたが、人間族は国家社会を生み出し、大陸全土に生活圏を拡大させていった。社会秩序を維持するために「法」と「貨幣」が生み出され、教義とは異なる「罪人」と「経済的弱者」が誕生した。亜人族の様な小集団集落とは異なり、国家である以上は「経済的弱者」だからといって追放する訳にはいかない。一方で、そうした弱者は歴史的に、光側よりも闇側の神々が受け入れていた。教義自体を見直すとなれば、これまでの「宗教による統治」に亀裂が生じる恐れがあった。そのため多くの国々では、貧民街を設け、一種の「信仰的隔離政策」を行っていた。西方諸国の大国である「テルフィオン連邦」においても、国教としてはアークリオン信仰を定めつつ、貧民街ではヴァスタール信仰やアーライナ信仰が「黙認」されていたのである。

 

「国教を定めつつ、異端を黙認する」という状態は、国家形成期から数百年間にわたって、西方の国々で見受けられた。アヴァタール地方東方域においてようやく、その色合いは薄くなり、メルキア王国のように神殿の「政治的影響力」を排除する国家なども誕生している。こうした「政教分離」という政治体制は、ターペ=エトフ王国において一定の完成をみる。ターペ=エトフは特定の宗教を保護すること無く、あらゆる宗教を平等に認めていた。賢王インドリト・ターペ=エトフの治世においては、光側神殿も闇側神殿も、相互の存在を暗黙に認めていたのである。だが一方で「神々の教義から国法を定める」という法治手段は、結果として神殿の「治外法権」を許すことにもなった。ターペ=エトフ王国内で、神殿同士の対立や神官の腐敗が生じなかったのは、最盛期においても人口が十五万人程度と少なかったこと、そしてインドリト・ターペ=エトフの強力な指導力によるものであった。

 

ターペ=エトフ歴二百八十年、政教分離体制をさらに推し進め、神殿勢力すらも自国の国法の支配下に置いた、初めての「法治国家」が誕生した。それが「エディカーヌ王国」である。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴二百四十九年に勃発した「第一次ハイシェラ戦争」は、双方の痛み分けで休戦となった。人的被害という意味では、双方それぞれが数百名から一千名程度を失っている。ハイシェラ魔族国は本拠地オメール山を急襲され、蓄えた軍需物資を失ったが、もともとタダで手に入れたものであること、またその後もメルキア王国やレウィニア神権国から物資が届いていたため、それほど深刻な被害ではない。ターペ=エトフにおいても、本土には全く被害が出ていなかった。この戦いにおいて最も得をしたのは魔神アムドシアスが統治する「華鏡の畔」であり、最も損をしたのはバルジア王国であった。

 

『王都ホトスには三割以上の被害が出ている!テイテール湾の漁村は一瞬で消滅したそうだ!やはり、ケレース地方の戦争など無視すれば良かったのだ!』

 

バルジアーナ王家の分家であるサウリン家の当主「グリシャ・サウリン」は、声を張り上げて批判した。ケレース地方で発生した戦争により、巨大な純粋魔術が王国に打ち込まれ、甚大な被害が発生していたからである。ターペ=エトフ王国に抗議の使者を出したところ、国王どころか宰相にすら会えず、次官からの痛烈な皮肉によって追い返されていた。

 

…文句があるのなら、魔神ハイシェラに仰って下さい。そもそも貴国は、イソラ王国を経由して魔族国に軍事支援をしていますね?自ら戦火に飛び込んだのです。自業自得ではありませんか…

 

『ケレース地方からは一切、手を引くべきだ。魔族国に支援をする物資があるのなら、家や畑を失った民たちに支援をすべきだろう』

 

分家の立場である以上、政治的な決定権は持たない。だがグリシャ・サウリンの言葉に同意する行政官たちが続出した。ナディア・バルジアーナは唇を噛んで俯いた。バルジア王国はフェミリンス戦争以降に誕生した新興国である。レスペレント地方において一定の発言権を持つためには、ケレース地方との繋がりを深め、軍事的経済的な利益を得るべきだと考えていた。そのための魔族国支援だったのだが、それが完全に裏目に出た。ターペ=エトフ王国の力は、ナディアの想像を遥かに超えていたのである。

 

『どうせ支援をするのなら、ターペ=エトフを支援すべきだったのだ!インドリト王は信義を弁えた人物と聞いている。カルッシャやフレスラントの間隙をついて、ターペ=エトフとの交易を強化することも出来たであろう。あるいは謝礼として経済支援を受けられたかもしれない。このままでは我が王国は、衰退の途を辿るぞ!』

 

グリシャ・サウリンとしては、ここで声を大にすることで、やがて分家が本家に代わって、国王の椅子に座ろうと目論んでいたのである。多様な政治的意図も混ざりあい、バルジア王国は混乱していた。後世の歴史から見れば、第一次ハイシェラ戦争において、ディアンが半ば意図的に放った純粋魔術が、バルジア王国をやがて「分裂」させることになったのである。

 

 

 

 

 

絶壁の王宮内にある岩風呂に浸かる。インドリトは両手で顔を洗った。あの戦争から数日を経ていた。疲れもほぼ、取れている。だが新たな悩みが生まれていた。ハイシェラ魔族国は滅んでいない。いずれ再び侵攻してくるはずであった。既に北華鏡平原では、飛天魔族の斥候同士が接触し、斬り合いになっていた。大規模な軍事衝突はまだ先であろうが、水面下では様々な諜報戦、謀略戦が進められるはずである。この状況では、国王の地位を降りるわけにはいかなかった。

 

『もし、私が死んだら…』

 

自分が死んだ後の国のことを想う。ターペ=エトフは様々な種族が共に生活をしている。自分が国威の存在として求心力になることで、種族や文化、信仰の違いという「遠心力」を防いでいた。そして教育によって相互理解を深め、二百五十年間で徐々に、その遠心力を弱めてきた。種族を超えて「国民」として纏まることも出来るようになりつつあった。だが現在は、戦争中という異常事態だ。もし自分が死ねば、王国は求心力を失い、バラバラに離散をしてしまうかもしれない。あるいは、魔神ハイシェラが急襲し、王国を蹂躙するかもしれない。たとえ自分が死んでも、この地に生きる十五万の民は護らねばならない。そして、種族を超えた繁栄という理想も… そのためには何をすべきか、インドリトの中に、一つの案が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

カレー粉をまぶして焼いた白身魚をつまみに、エール麦酒を飲む。王太師に復帰したディアンは、王宮の厨房を借りてインドリトの為の料理を作っていた。ドワーフ族であっても、高齢になれば酒量は減るし、肉より魚を好むようになる。滋養と疲労回復の効果がある香辛料を使い、香りを立てることで食欲を刺激させる。茹でた豚足には、つけダレを添える。豚足には筋肉や関節の老化を抑える作用がある。インドリトの好物でもあった。

 

『新たな国…か』

 

『そうです。ハイシェラ魔族国との戦争は長引きます。おそらく、私の寿命が尽きた日が、終戦日となるでしょう。ターペ=エトフは滅亡し、ハイシェラ魔族国がこの地を占領することになります』

 

『いや、そう簡単には終わらせんぞ。私がオメール山に侵入し、ハイシェラを暗殺しよう。そうすればハイシェラ魔族国は瓦解し、ターペ=エトフの勝利となる』

 

『それは無理です』

 

インドリトは師の言葉を否定した。

 

『ターペ=エトフは侵略戦争を否定しています。防衛戦の中で魔神ハイシェラを討つのなら良いですが、暗殺という手段は国法に反します。たとえ非常時だとしても、王として認めるわけにはいきません。そして何より…』

 

インドリトが笑った。

 

『先生に、魔神ハイシェラという「女性」を殺せますか?』

 

ディアンは沈黙した。この三百年近く、ディアンは「女性」は殺していない。山賊や魔族であっても、女性だけは殺さないようにしていた。それは一人の男性としてのディアンの在り方であった。無論、個人の価値観に過ぎず、それほど重きを置くほどではない。もしハイシェラが元々の青髪の姿であれば、躊躇なく殺しているだろう。だが、現在のハイシェラは古神アストライアの肉体なのである。アストライアは自分の信仰心を媒介にして、このディル=リフィーナにやって来た。妹を探すために放浪し、その中で出会った一人の男と愛し合い、そしてその男に殺され、肉体を奪われた。その男はそのことを悔いていた。だから生かしておいた。「生きること」… それが神殺しセリカ・シルフィルに相応しい「罰」である。ディアンはそう考えていた。

 

『魔神ハイシェラの中には、セリカ・シルフィルが眠っている。もしハイシェラを殺せば、セリカも死ぬことになるだろう。そして、アストライアも死ぬ…』

 

『先生の中に、迷いがあるのでしょう?その状態で魔神ハイシェラとぶつかれば、返り討ちに遇いかねません。先生が亡くなったら、理想の灯火が消えます。ディル=リフィーナに生きる様々な種族たちは、光と闇という対立を超え、種族の違いも超え、共に繁栄することが出来ます。ターペ=エトフがその証明です。私はいずれ死にます。ターペ=エトフという理想郷は消えるでしょう。ですから、この理想郷から種を持ち出して頂きたいのです。新たな理想郷を作るために…』

 

『全く…厄介なことを私に押し付ける。不肖の弟子だ。お前は…』

 

ディアンは低く笑い、頷いた。

 

 

 

 

 

黒い石壁の前に立ち、ディアンは独り言を呟いていた。壁には白い文字で、様々な神々の名前が書かれている。現神もあれば、古神もある。地方神や魔神の名前まである。

 

『…あとは天使族の位置づけですね。彼らも組み込むのであれば、大天使ミカエラと堕天使にして魔王ルシファーは外せません』

 

神族を研究しているイルビットの研究者が名前を読み上げていった。ディアンはそれらも全て、黒壁に書いた。壁一面が神々の名前で埋め尽くされた。

 

『…以上が、現時点で判明しているディル=リフィーナの「全神々」です。こうしてみると、多すぎるような気もしますね』

 

『「八百万の神々」か…』

 

ディアンは呟き、黒壁の最上部に書き加えた。

 

創造神(The GOD)

 

ディアンは頷いた。手に持っていた白墨を置き、

 

『ディル=リフィーナ世界においては、神々は大きく四つに分けられている。イアス=ステリナの「古神」、ネイ=ステリナの「現神」、ディル=リフィーナ創世を齎した「機工女神」、そしてディル=リフィーナ世界で新たに誕生した「地方神」だ。これらの神々は、互いに敵対したり、あるいは中立を保ったりしている。だが「分類」されているだけであり、「体系化」はされていない。神自身が独立の存在であることから、そこから生まれた「宗教」においても、それぞれが神殿を持ち、主神を置いている。アークリオン神殿とアークパリス神殿では、主神も教義も違う。完全な「別宗教」と言えるだろう』

 

『ですが、かなり近しい部分もあります。アークリオンとアークパリスは親子であり、人の在り方、生き方についての教義、説法においては相互の矛盾は無いように思いますが?』

 

『宗教の定義とは何だ?知的生命体は、生きる中で様々な「心の揺れ」を持つ。言葉や儀式、儀礼などを通じて心の揺れに働き掛け、信仰心を触発し、対象となる神を信仰するという行動に導く。知的生命体の心理そのものを「恣意的」に導く一連の手管、これが宗教だ。アークリオン教とアークパリス教では、信仰の対象が異なる。儀式や儀礼も異なる。同じ宗教とはとても見做せないな』

 

『手管…ですか?まるで人々を騙しているように聞こえますが…』

 

『聞こえるではない。そう言っているのだ。宗教と詐欺は紙一重だ。騙されたと気づかれたか、気づかれていないかだけの違いだ。喜捨させることによって、心の蟠りが取リ除く、あるいは説法によって明日への希望を持たせることが出来れば、本人はそれで救済されたと感じるだろう。「詐欺」になるのは、その手法が間違っているからだ。本人が救われ無ければ、騙されたと露見してしまう。他者から見れば酷い教義であっても、信仰している本人が救われているのであれば、それは詐欺ではなく宗教なのだ。「鰯の頭も信心から」「信じる者は救われる」のだ』

 

大魔術師ブレアード・カッサレの一番弟子であった「李甫」は、薬物を使うことによって「心の揺れ」を抑制し、信仰の必要性を消し去ろうとした。ターペ=エトフでは、より多くの知識を学ぶことによって視野を広げ、信仰への盲目的依存状態からの脱却を目指している。「本人が納得した上で信仰を選択すべき」という考え方であった。結果としてそれが、水の巫女を含めた「神々の警戒心」を呼んだのである。

 

(要するに、このままでは詐欺がバレる。「商売」の邪魔をするなってことさ)

 

『客観的に見れば、ディル=リフィーナは宗教が乱立した状態だ。救済の大安売りだな。それを一つの体系に統一してしまう。それが、新たな国の「国威」になるだろう』

 

黒壁を見るディアンの瞳には、新たな世界が見え始めていた。

 

 

 

 

 

『「神の道」…ですか』

 

インドリトは腕を組んで呟いた。使徒三人の中で、興味深そうにしているのはソフィアだけであった。グラティナは目の前の「手羽先揚げ」に手を伸ばし、麦酒を飲んでいる。レイナはインドリトの為に、野菜鍋を取り分けていた。ディアンが説明を続けた。

 

『ディル=リフィーナ世界の宗教は「同時並列的一神教」だ。様々な神が乱立し、それぞれに教義があり、儀式があり、信仰のカタチがある。こうした状況では、自分たちの宗教が正しいと考え、それ以外の宗教を否定しようとする。それが発生し難いのは、光と闇という明確な対立が存在するからだ。アークリオン教もアークパリス教も、ヴァスタール教やアーライナ教と対立している。だから光側宗教の内部での対立は発生し難くなっているのだ』

 

『先生は、その「同時並列的一神教」に対して、新たな形態を提示しようとしているのですね?』

 

『そうだ。「多神教的一神教」だ。現在のディル=リフィーナ宗教世界に、大きな箱を被せる。そしてその上に、全ての神々の頂点。創造神を置く。アークリオンもヴァスタールも、創造神によって生み出された「天使」に過ぎないとしてしまう。イアス=ステリナ世界の「ミカエラ」と「ルシファー」と同様の位置づけにしてしまうのだ』

 

『あらゆる神殿が猛反発をするでしょうね』

 

『確かにな。だが別に、アークリオン教を否定しているのではない。「神の道」という枠組みの中で、アークリオン教の存在を「認めてやる」のだ。「神の道」の利点は、既存の宗教を全て認めた上で、その上に創造神を置くことで「光も闇も根は同じ」とすることだ。神々の対立そのものを解消させることができる。ターペ=エトフの基本理念である「二項対立の克服」を体系化したものと考えれば良い』

 

ソフィアが手を挙げた。

 

『お話を聞いていると、それは宗教ではなく、既存の宗教を分類、体系化した「概念」に聞こえます。多神教的一神教という発想は、確かに革新的ではありますが、それを広めるためには「神の道」の宗教化を図る必要があるのではないでしょうか?』

 

ディアンは頷いた。

 

『その通りだ。このディル=リフィーナに、新たな宗教を生み出す。そして、既存の宗教をすべて飲み込む。宗教化に必要なものは「教義」と「儀式」だ。そしてそれを取り仕切る神官、まぁ「教祖」だな。これも必要になる。更には宗教を神格化させるための「伝説」も用意したほうが良い。宗教を「それらしく見せる」ための小道具だ。こうやって詐欺は宗教へと昇華する。既存宗教の信者たちは、信仰を変える必要はない。アークリオンやヴァスタールを信じている者は、いつの間にか「神の道」を信仰しているように仕掛ける』

 

『…ディアン、お前の話は良く言っても「詐欺」にしか聞こえないぞ?』

 

グラティナのツッコミに、ディアンは大真面目に頷いた。

 

『仕掛け方は詐欺と同じだ。だがこの詐欺で、実際に救われる者が出て来る。仕掛け方は同じだが、結果が異なる。要は結果だ。結果として人々が幸福になれば、手段は正当化される。何を尊いと想うかは、人それぞれだ。極端な話、レブルドルの糞だって、尊い存在になるのだ。それが「宗教」だ』

 

『…先生なら、ディル=リフィーナ随一の詐欺師になれるでしょうね』

 

インドリトは呆れ混じりに笑った。

 

 

 

 

 

「新たな宗教の確立」に、ディアンは夢中になっていた。教義や儀式は無論、背景となる創造神の神話、布教のための説法なども「捏造」する。

 

(宗教とは、とどのつまり「バレない詐欺」なのさ)

 

ディアンの情熱の源泉には、かつて自分の家族を奪った狂信的宗教への復讐心があった。自分の知る限りの教義や儀式などを洗い出し、その中から厳選して「新興宗教」を生み出していく。宗教否定論者であるディアンが、宗教を生み出そうとしているのだ。机に向かって描き続けている姿からは、殺気にも似た気配が立ち昇る。

 

『千年…いや二千年は必要かもしれないな。だが、二千年後には、すべての宗教が、オレが生み出した詐欺によって淘汰され、収斂されるだろう。アークリオンもヴァスタールも水の巫女も、全ての神々がオレの手の内に入る…』

 

歪魔の結界に護られた研究室の中で、宗教的革命家は低く嗤った。

 

 

 

 

 

ディアンが生み出した宗教体系をターペ=エトフに取り入れる訳にはいかない。これはあくまでも「新国家」のための準備にすぎない。ディル=リフィーナ初の「多神教的一神教」が描かれるのと同時に、「何処に国家を興すか」が議論された。国王、国務大臣、次官の三名はアヴァタール地方を中心とした地図を見ていた。

 

『アッシとしては、アヴァタール地方をはじめとした「中原」ではなく、大陸中央域の方が良いと思いヤスね。西方神殿勢力もここまでは伸びていヤせん。建国もしやすいのではないでしょうか?』

 

『ですが、この地は人口希薄地帯です。国となる以上、一定数以上の国民が必要です。中央域全域で考えればそれなりの人口でしょうが、余りにも国土が広くなりすぎます。人口密集地帯でありながら、現神の影響が大きくない地帯となると…』

 

ソフィアが地図を指した。

 

『…アヴァタール地方南端、バリアレス都市国家連合の南部が良いと思います』

 

ソフィアが指した先には、「地下都市フノーロ」と書かれていた。

 

 

 




【次話予告】

ターペ=エトフが密かに動き始める一方、ハイシェラ魔族国も動いていた。ターペ=エトフに勝つためには、より強い力を得るしか無い。ハイシェラはある噂を聞きつけた。レスペレント地方の田舎に、魔神が暮らしているという内容であった。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第八十七話「ハイシェラ対グラザ」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第八十七話:ハイシェラ対グラザ

連邦歴五十一年「ターペ=エトフ王国滅亡」

 

西方の大国「テルフィオン連邦国」の歴史書には、端的にターペ=エトフ王国の滅亡が書かれている。だがアヴァタール地方を中心に研究をする歴史家たちは、ターペ=エトフ王国の存在が、歴史に大きな影響を与えていることを一様に認めている。ターペ=エトフの最盛期は、オウスト内海東方域の治安が維持され、レスペレント地方も物流が栄えた。カルッシャ王国、フレスラント王国のみであったレスペレント地方に、セルノ人が建国をした「バルジア王国」や、中央域には様々な都市国家が誕生している。同時に、レスペレント地方東方域「モルテニア地方」「グルーノ魔族国」において闇夜の眷属たちが暮らすことが出来たのは、ターペ=エトフからの支援が大きい。ターペ=エトフの支援のもと、モルテニア地方では闇夜の眷属が力を持っていたため、光側神殿の侵入が阻まれていた。レスペレント地方東部に光側神殿が進出するのは、ターペ=エトフ滅亡から二百年後、「メンフィル王国」の建国を待たなければならない。もしターペ=エトフが存在していなかったら、後に帝国を建国する「リウイ・マーシルン」は存在せず、レスペレント地方の歴史は大きく変わっていたことは間違いない。

 

ターペ=エトフは思想や文化の面においても、歴史に大きな足跡を残している。ターペ=エトフが登場する前までは、各王国は神殿勢力と結託し「王権を神が認めた」という形式を取ることで、国家の統治力を強めていた。ターペ=エトフでは、この「王権神授」の統治手法を取らず、民衆代表の「元老院」と賢王の指導力、優秀な行政組織によって「文化、経済の発展」による統治を進めていた。この「政教分離思想」は、後の歴史において多くの国々に影響を与えることになる。特にメルキア帝国の賢帝「ヴァイスハイト・フィズ=メルキアーナ」はインドリト・ターペ=エトフを私淑し、帝国博物院に命じてターペ=エトフの歴史を詳しく研究させている。賢帝ヴァイスハイトの治世において、メルキア帝国は最盛期を迎えるが、その政策の多くがターペ=エトフを模したものだと言われている。

 

 

 

 

 

オメール山にあるハイシェラ魔族国は、第一次ハイシェラ戦争時において多くの軍需物資を失っていた。事実上の敗戦であったが、宰相ケルヴァンは情報統制を徹底させ、メルキア帝国やレウィニア神権国には漏れ伝わらないように注意をしていた。だが、こうした情報はいずれ必ず伝わるものである。ケルヴァンはハイシェラに進言し、兵士たちを一時的に物産に回した。幸いなことに、亜人族たちもハイシェラを王として崇めている。ハイシェラ自身、王としての振る舞いを見せていたことから、国内に混乱が発生することはなかった。

 

『亜人族向けの娼館か…まぁ、必要なのであろうの』

 

ケルヴァンからの報告書を読み、ハイシェラは頷いた。兵士の増加により、精気を吸収する睡魔族など以外にも娼婦が必要であった。メルキア帝国からそうした娼婦を派遣する「女衒」が呼ばれ、娼館の規模拡張が申請されていたのである。ケルヴァンにとって意外だったのは、ハイシェラが思った以上に「知的水準が高い」ことであった。かつては圧倒的な力による暴力ばかりが目立っていたが、現在は王として落ち着き、的確な判断を下している。

 

(案外、名君になるのではないか?)

 

ケルヴァンの感心に気付くこと無く、ハイシェラは食料在庫量が書かれた書類を読み終え、承認の署名をした。一通りの事務作業を終え、ハイシェラが立ち上がる。

 

『以前から言っていた通り、我はこれより暫く留守にする。ターペ=エトフを滅ぼすためには、より強い力が必要となる。強い魔族を探すつもりじゃ』

 

『王よ、それにつきまして一つ情報があります。イソラ王国から来た者の話ですが、レスペレント地方のモルテニアというところに、魔神が棲んでいるそうです。上手く引き入れれば、ターペ=エトフとの戦いにおいて大きな戦力となるでしょう』

 

『ほう、魔神とな?』

 

『ターペ=エトフもレスペレント地方との交易を行っています。ですが、魔神は基本的に独立した「個」の存在です。何より、破壊衝動は簡単には抑えられません。自分の力を存分に揮えるとなれば、魅力を感じるのではないでしょうか?』

 

『そうだの。仮に、我に味方をしなかったとあらば、その力を取り込むのも良いの。では、そのモルテニアに行くとするかの。ケルヴァン、何かあれば我を呼べ。特に、華鏡の畔には気をつけよ』

 

『御意』

 

鷹揚に頷き、ハイシェラは窓から飛び立った。

 

 

 

 

 

フェミリンス戦争以降、肩身の狭かった闇夜の眷属たちは、このモルテニアで安寧に暮らしていた。ターペ=エトフからの援助もあるが、魔神グラザを中心とした自衛組織によって、人間族の侵入を阻みつつ、行商人を通じて物産品を売ることで、経済的にも安定していたからである。集落の長であるグラザは、それほど魔術が得意では無い中級魔神であったが、その肉体が生み出す膂力は上級魔神にも匹敵した。そのため定期的に破壊衝動に襲われていたが、その都度、何処からともなく漆黒の魔神が出現し、集落から外れた平原で凄まじい殴り合いをして鎮火させていた。痣だらけで地下の迷宮に戻り、二日ほど休み、晴々とした表情で地上に出てくる。集落の人間にとっては見慣れた光景であり、漆黒の魔神が持ってくる様々な玩具や菓子は、子供たちの楽しみにもなっていた。二百五十年以上に渡って、モルテニアはレスペレント地方で最も平和な土地であった。

 

この日、伐り倒した巨木を軽々と抱え、鼻歌を唄いながら歩いていたグラザは、得体の知れない気配を感じて立ち止まった。神気と魔気が入り交じったような、これまでに無い強い気配であった。抱えていた巨木を降ろす。

 

『…来たか』

 

グラザは急いで集落へと向かった。

 

≪ここがモルテニアか。退屈な場所だの≫

 

凄まじい気配を放つ赤髪の美女が、集落の広場に降り立った。女、子供が悲鳴を上げて逃げる。騒ぎを聞きつけた獣人やヴァリ=エルフ、魔族の自衛団が駆け付ける。

 

『な、なんだコイツは?魔神か?』

 

自分を取り囲む自衛団を見ながら、魔神はつまらなそうに呟いた。

 

≪やれやれ…ターペ=エトフと比べると貧弱そのものだの≫

 

右手を振る。それだけで突風が起きる。取り囲む槍が後退する。ハイシェラの右手に魔力が込められる。

 

«我の問いに答えよ。このモルテニアに魔神が居ると聞いた。出すが良い»

 

だが自衛団たちは冷汗を流しながらも囲みを解こうとはしない。ハイシェラが集落に手のひらを向けた。純粋魔術で吹き飛ばそうとする。だがその時、森の奥から肌を刺すような気配が出現した。明らかに魔神の気配である。やがて、赤銅色の肌をした大男が歩いてきた。ハイシェラは笑みを浮かべ、手を下ろした。

 

«俺がその魔神だ。名はグラザ…この集落の長をやっている»

 

«我が名はハイシェラ、三神戦争をも生き延びし「地の魔神」じゃ»

 

«ハイシェラか…それで、この俺に何の用だ?»

 

«なに、汝にとっても悪い話では無い。我に力を貸して欲しいのじゃ。我と共に、ひと暴れせぬか?»

 

グラザは鼻で嗤って首を振った。

 

«俺が何故、モルテニアで暮らしているか解らないのか?そんなことに興味が無いからだ。お前の気配に、集落の者たちが迷惑をしている。早々に立ち去れ»

 

«興味はない?嘘だの…»

 

ハイシェラはカツカツと足音を立てて、グラザに近寄った。巨体の男を値踏みするように下から上まで眺め、視線を合わせる。

 

«悠久を生きる中で、多くの魔神を見てきた。汝の本質は「闘争」だの。その力を限界まで開放し、破壊の恍惚(カタルシス)を得たいはずじゃ。今も、我の気配に触発されて「破壊衝動」が込み上げておろう?»

 

«……»

 

グラザは黙ったままハイシェラを見つめていた。目の前の魔神の存在は、黄昏の魔神から聞いていた。だが実際に対面すると、想像とは違っていた。これ程「言葉」を使う魔神とは思っていなかった。魔神ゼフィラや魔神ディアーネのように、無鉄砲に破壊と殺戮をするような存在ではない。眼の前の魔神は明らかに、彼女らとは一線を画していた。表現をするなら「理性と暴力の均衡」と言えるだろうか。美しい顔に微笑みを浮かべ、ハイシェラは言葉を続けた。

 

«別にこの地で暴れるわけではない。暴れる場所はケレース地方じゃ。我とともに、ターペ=エトフを攻めぬか?»

 

«俺にディアンと… 「黄昏の魔神」と闘えと言うのか?»

 

ハイシェラは僅かに眉を動かし、頷いた。

 

«やはり、ディアン・ケヒトはこの地に来ていたか。その様子では、長い付き合いのようだの?別に、黄昏の魔神本人と闘う必要はない。あ奴は我の獲物じゃからの。汝には、将軍としてあ奴の使徒やターペ=エトフ軍と闘って欲しいのじゃ»

 

«同じことだ。ターペ=エトフには返しきれない程の恩義がある。魔神ハイシェラよ、今すぐこの地から去れ。さもなくば、力づくで叩き出すぞ!»

 

グラザの躰から黒い気配が昇る。巨大な闘気と殺気がハイシェラを襲う。だがハイシェラはむしろ嬉しそうな表情をして嗤った。

 

«クックックッ… これは思った以上の拾い物かも知れぬの。言葉で無理なら「力」で従えるのみよっ!»

 

ハイシェラはいきなり蹴りを放った。グラザが両腕を十字に組んで、腹部を襲ってきた美しい素足を防ぐ。美しい見た目とは裏腹に、凄まじい破壊力であった。踏ん張る両足が、十数歩以上分の轍を大地に刻んだ。グラザは溜息をついた。

 

«…この集落で闘うわけにはいかん。少し離れたところに草原がある。そこで闘ってやる。お前が勝ったら、好きにするがいい。だが俺が勝ったら、お前を殺す!»

 

«解らぬの。勝てぬと知りながらも、なおも闘うと言うか。まあ、逃げようとしても無駄だがの…»

 

ハイシェラは頷き、グラザの後に従った。

 

 

 

 

 

僅かに風が吹く草原に、巨躯の男と美女が相対する。ハイシェラは腰に下げていた剣を下ろした。

 

«剣を使わないのか?»

 

«汝は肉弾戦で挑むつもりであろう?剣を持たぬ者に剣を向けるなど、強者のすることではない。我が力をもって、汝の全力を打ち砕いてみせようぞ»

 

«…お前も存外、変わった魔神だな»

 

グラザは少し笑った。魔神は己の力を全力で奮い、破壊と殺戮をする存在である。そこに「こだわり」などは本来は無い。だが目の前の魔神は、自分なりの「美学」を持っているようであった。こうした魔神は少ない。自分の知る限り「魔神ラーシェナ」や「黄昏の魔神」くらいであろう。グラザが構えを取る。ハイシェラは泰然として立っている。グラザは意を決して、ハイシェラに飛び掛かった。巨躯から繰り出される拳を受け流し、蹴りを繰り出す。グラザは左腕でそれを防ぐ。圧倒的な力で巨躯が吹き飛ぶ。だがハイシェラは追撃しなかった。少し驚いたような表情を浮かべ、受け流した左手を見る。

 

«受け流したはずなのに、腕が痺れておるの。この痺れは…»

 

ハイシェラの表情が変化した。これまでの余裕の表情が消え、闘争に集中する「戦女神」の貌になる。

 

«汝も、我の知らぬ力を持っておるようだの。あの時は邪魔をされたが、今度こそ打ち砕いてくれる!»

 

ハイシェラが何に驚いているのか、グラザには理解できなかった。だがそのことを気にしている余裕はない。ディアンとのじゃれ合いのような喧嘩とは訳が違う。生死を賭けた闘争なのである。グラザの空気が変わった。瞳が赤くなり、破壊衝動が前面に出現する。魔神の咆哮が平原を揺らす。ハイシェラが構えを取った。

 

«オォォォォッ!»

 

グラザが立て続けに打撃を繰り出す。ハイシェラはそれを躱しながら間合いを詰め、鳩尾に肘を突き入れた。痛烈な一撃であるはずだが、グラザの拳が振り下ろされる。ハイシェラの頭部を僅かに掠める。髪が数本落ち、皮膚が切れた。続けて、下から突き上げるように拳が襲ってくる。左腕で防ぐが、躰ごと浮かされる。宙で一回転をして、数歩離れた場所に降りた。切れた場所を親指で撫でると、傷が一瞬で塞がった。だが急所を打たれたグラザも無事ではない。片膝をついて鳩尾を抑える。

 

«やりおるわ。肉弾戦と限定するなら、汝は上級魔神にも匹敵するだの。じゃが、今の闘いで解ったであろう?汝では我には勝てぬ»

 

グラザが立ち上がった。ハイシェラは口端を少し歪めた。

 

 

 

 

 

魔神アムドシアスが統治する「華鏡の畔」は、魔神が統治しているという割には、牧歌的で平穏な土地である。ターペ=エトフとトライスメイルの狭間にあるこの地は、両者の交易の要衝にあり、ターペ=エトフから見返りとして必要物資を得ている。そのため華鏡の畔に住む(ごく僅かな)農民には、全く税金が掛けられていない。完全な自給自足を行いながら、二ヶ月に一度程度で往来する「行商人」と物々交換のやり取りをしていた。溢れるほど豊かというわけではないが、魔獣や盗賊に襲われることが無いという、当時としては贅沢品である「平和」の中で暮らしていた。もっともアムドシアス自身から見れば、別に意識をして「善政」を行っていたわけではない。豊かな草花と美しい景色に囲まれ、音楽と美術品を愛でながら日々を過ごすのが、アムドシアス個人の願いであった。

 

『…そうか、あの「戦闘バカ」は未だに諦めておらぬか』

 

白亜の居城の中庭で、アムドシアスは茶を啜った。少し離れた場所で、音を抑えながら楽団が曲を奏でている。ディアンは頷いて、美しく焼かれた茶器(ティーカップ)を手に取った。

 

『ハイシェラ魔族国との戦争は長引く。同じ作戦はもう通用しない。アムドシアス、お前は動くな。結界を強化し、守りを固めろ。ハイシェラはターペ=エトフが引き受ける』

 

アムドシアスは頷いた。「華鏡の畔」は兵士と使用人を併せても、千名足らずの勢力である。見栄えこそ良いが、国家とは呼べない「一勢力」でしかない。美を愛する魔神は溜息をついて呟いた。

 

『ソロモン王に召還をされて以来、悠久の時を生きてきたが、この二百五十年は我にとって掛け替えのないものであった。だが時は移ろい、それと共に変化をしていく。永遠不変のものなど存在せぬ。お主ともいずれ、別れる時が来るであろう』

 

『…そう遠くは無いだろうな』

 

二柱の魔神はそれから暫く沈黙し、茶を啜った。

 

 

 

 

 

巨躯の男が草原に倒れている。赤髪の美女は呆れたように呟いた。

 

«強情な奴だの。いい加減、諦めよ。何も永遠に従えと言うておるのでは無い。ターペ=エトフとの決着がつくまで、力を貸せと言うておるだけだの。何故、そこまであの男に義理立てをする?»

 

グラザは痣だらけの顔を上げ、低く笑った。

 

«孤独に生きてきたお前には解らぬだろうな。永遠の命を持ちながら生きる意味を見出だせず、ただ暴れていただけの俺に「目的」を与えてくれたのは、一人の魔術師だった。僅か二十年だったが、素晴らしい仲間たちと共に理想を追った…»

 

ハイシェラは黙って、グラザの言葉を聞いていた。

 

«あの戦いで仲間の大半を失った。俺は再び独りになった。魔神である俺はどうやって生きれば良いか、理想と現実に苦しんでいた俺を救ってくれたのがディアンだ。俺は独りではない。支えてくれる友が、仲間がいる。誰かを支え、誰かに支えられ、何かを目指して共に生きる。それが、俺が選んだ生き方だ!孤独に、ただ無闇に暴れていたあの頃に戻ることなど絶対に御免だ!»

 

«……»

 

ハイシェラは沈黙してグラザを見下ろしていた。その表情には、ハイシェラには珍しい「迷い」が浮かんでいた。だがそれを振り切るように、一歩を踏み出した。

 

«汝の生き方などに興味は無い。我に従わぬと言うのであれば、その命を貰う受けるだけだの…»

 

グラザの前に立ち、右手を振り上げる。だが振り下ろされる前に、背中に小さな衝撃があった。振り向くと、獣人や魔族の子供たちが、石を握っていた。

 

『グラザさまをいじめるなっ!』

 

子供たちが涙ぐみながら、石を投げてきた。無論、子供が投げる礫ぐらいで傷つくハイシェラでは無い。だが精神的には違っていた。上級魔神をも超える気配に慄くこと無く、子供が攻撃を仕掛けてきたのだ。グラザはフラつきながらも立ち上がった。

 

«ハ、ハイシェラ…子供には手を出すな。俺を殺せ…»

 

だがハイシェラは動かなかった。子供とグラザの両方を見て、溜息をついた。

 

«興が削がれたの…これでは、汝を下したところでロクに働くことはあるまい。下らぬ時を過ごしたわ»

 

ハイシェラは宙に浮き上がると、南に向けて飛び立った。グラザは安堵の息をついて、その場に倒れた。

 

 

 

 

 

オウスト内海の上空で、ハイシェラは止まった。右手で胸を抑える。別に疲労感があるわけでも、魔力が消耗しているわけでもない。だが胸が苦しかった。二千数百年を生きてきて、初めてのことであった。

 

«何故じゃ…何故、こうもイラつくのじゃ。ゾキウも、インドリトも、そしてあのグラザも…弱小の分際で、我に説教をしおって!»

 

水面に向けて何発も純粋魔術を放つ。叫び声を上げて、肩で息をする。瞑目し、嗤った。

 

«何が「独りではない」じゃ… 群れて生きるのは弱いからじゃ。我には必要無いことだの。我は誰も支えぬ。誰からも支えられぬ!»

 

自分に言い聞かせるように、ハイシェラは大声を出した。だがハイシェラは無意識に認めていた。ハイシェラは、グラザが羨ましかったのである。誰からも恐れられるが、誰からも慕われないのがハイシェラであった。黄昏の魔神を「友」と言い切れるグラザが羨ましかった。同じ魔神でありながら、ハイシェラにはグラザのような生き方が出来なかった。いや、知らなかった。

 

«…この揺らぎを静めるには、あの男を手に入れるしか無い。黄昏の魔神ディアン・ケヒト…必ず汝を下してみせようぞ!»

 

ハイシェラの目尻が赤くなっていた。その理由は本人にも理解できなかった。

 

 

 




【次話予告】

アヴァタール地方南部にある地下都市「フノーロ」に、一組の男女が出現した。十代後半としか思えない美少女が、圧倒的な力を持つ魔神を従えている。美少女は街人たちに告げた。

「私は創造神より遣わされた大司祭…この地に、新たな国を興します」

理想を繋ぐ為に、ターペ=エトフの蠢動が始まる。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第八十八話「新たなる地平へ」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第八十八話:新たなる地平へ

「ラウルバーシュ大陸中原アヴァタール地方南部」

 

ターペ=エトフ歴二百八十年(レウィニア歴二百九十一年)、ニース地方、ディジェネール地方、アヴァタール地方の三つの地方が重なる地に「闇夜の眷属の国」が誕生する。それが「エディカーヌ王国」である。エディカーヌ王国の誕生は、多くの謎に包まれている。当時のラウルバーシュ大陸は国家形成期であった。アヴァタール地方東方域にメルキア国が誕生し、続いてレウィニア神権国、バリアレス都市国家連合、リスルナ王国、スティンルーラ王国が誕生する。これらの国々は、すべて「光側現神」の勢力に属している。レウィニア神権国は地方神「水の巫女」を信仰しているが、水の巫女自体が「光側に与する地方神」であるため、首都プレイアには「赤の太陽神アークパリス」「大地の女神アーファ・ネイ」「癒やしの女神イーリュン」「交易の神セーナル」などの現神神殿も建てられている。無論、最大規模を誇るのが「水の巫女神殿」であり、アークパリス神殿でさえ、騎士たちが「自発的」に信仰しているに過ぎず、第一級現神の割にはそれほど大きな規模ではない。

 

一方、エディカーヌ王国は「闇側現神」の勢力に属しているとされる。これは、エディカーン(闇夜の混沌)という名前から判断されているが、その実際は、必ずしも闇側現神に属しているとは言えない。確かに、首都スケーマにはヴァスタール、アーライナ、ジェルグナなどの闇側現神の神殿があるが、最大規模の神殿は、あらゆる神々を生み出した唯一神「創造神」を祀る「神宮(パラティウム)」と呼ばれる神殿である。神宮の壁には、ディル=リフィーナ世界の神々の名前とその姿が刻まれ、光も闇も、現も古も関係なく「全ての神々」が平等に位置づけられている。その最奥には黄金に縁取られた一冊の書籍「聖書(Holly Bible)」が祀られ、壁にはこう描かれている。

 

「初めに言葉があった。言葉は、神であった」

 

この神宮を参拝することは、アークリオン神を参拝することになり、マーズテリア神を参拝することになり、ヴァスタール神を参拝することになり、水の巫女を参拝することになる。古神である魔王ルシファーや大女神アイドスも祀られている。ディル=リフィーナの全ての「神族」を祀る「宮」であり、新たな神が「発見」されるたびに、名前と肖像が増える。参拝者は神の名前を書き、喜捨をする。そして一~百までの数字から一つを選び「御神籤(Oracle)」と呼ばれる紙に書かれた「神託」を貰う。御神籤には、自分の運勢や日々の暮らしについての心得が書かれており、参拝者はそれを読んで自らを振り返るのである。

 

現神でも古神でもなく、光側でも闇側でもない信仰「神の道」こそが、エディカーヌ王国の「信仰上の中核」であり、国内のすべての神殿は、神の道の総本山「神宮」の下に位置づけられている。神宮はそのまま王宮に繋がっており、「創造神の神格者」が国王と「神宮の大司祭」を兼ねている。

 

 

 

 

 

地下都市フノーロは、闇の現神を信仰する人々や魔族、さらには他国で指名手配になった「お尋ね者」や傭兵崩れ、さらには行商人を狙う野盗なども集まる。バリアレス都市国家連合の中核都市「レンスト」に比較的近いこともあり、東西南北の様々な「地下に生きる人々」が集まる街となっていた。当然、そうした者たちは酒場に集まる。その日も、酒場には四方から集まったフダ付き者や泡銭を持った者、そしてそれを目当てに身を売る女たちが集まっていた。酒場の扉が開かれた。大型の剣を背負、漆黒の外套を纏、黒光りする仮面で顔の上半分を隠した男が入ってくる。その後ろからは、黒髪の美しい女性が続いた。真っ白な外套とそれと同じくらい白い肌、淡く赤い唇と利発さと柔らかさを持った瞳をしている。得体の知れない男女の出現に、酒場が静まった。男は美女を連れて対面席に向かう。男は懐からパリアレス金貨を出すと、酒場の主人に告げた。

 

『オレには黒麦酒、彼女には茶を出してくれ』

 

バリアレス金貨一枚で、一晩豪遊できる。店主は頷きながら返事をした。

 

『言っておくけど、こんな金貨出したって釣りは無いぜ?それにここは酒場だ。茶なんかねぇよ』

 

男は口元に笑みを浮かべて答えた。

 

『黒麦酒を二つ、釣りはいらん。その代わり、この地下街を取り仕切っている者に会いたい。この酒場が窓口だと聞いた』

 

店主は黙って、陶器製の杯を置いた。麦酒をなみなみと注ぐ。

 

『なんか勘違いをしてねぇか?ここは酒場だ。出会い斡旋所じゃねぇ。大体、仮にそんな奴に会ったとして、アンタなにするつもりだ?』

 

男は杯を持つと、一気に飲み干した。店主は目を丸くして、二杯目を注いだ。男は笑みを浮かべたまま、店主の問いに答えた。

 

『今日から、この街は彼女が支配者になる。仕切り役には、その挨拶をしておこうと思ってな』

 

酒場の空気が変わった。次の瞬間、爆笑の渦が巻き起こった。皆が腹を抱えて笑う。店主も笑いながら、男の肩を叩いた。

 

『面白ぇ冗談だよ、アンタ!まぁ、金貨一枚あれば幾らでも飲める。楽しんでいってくれ』

 

笑いが静まり始めた頃、男は仮面の奥で目を細め、冷たい口調で告げた。

 

『冗談だと思うか?必要なら、この街の人間を皆殺しにしてでも、支配するつもりだ』

 

『アンタねぇ…』

 

店主が呆れたように男の肩を掴もうとした。だがその時、男の気配が変わった。全身からドス黒い気配が立ち昇る。

 

«…手始めにこの店の人間を皆殺しにするか»

 

『ゲェェッ!』

 

店主はその場で尻餅をついた。出入り口付近にいた男たちは一斉に店から飛び出した。女たちは股から液体を流している。男は「邪の気配」を放ちながら店主の胸元を掴み、自分に引き寄せた。

 

«どうやら状況が解ったようだな。もう一度だけ言うぞ。仕切り役のもとへ案内しろ。命が惜しかったらな»

 

だが店主はガチガチと震えるだけであった。男の頭を美女が叩いた。

 

『やり過ぎです。怯えているじゃありませんか。これでは返事もできないでしょう。気配を抑えて、手を離しなさい』

 

『は…』

 

男は美女の命令に従って、気配を抑え、手を離した。腰を抜かし震えている店主に、美女が声を掛けた。

 

『店主殿、失礼をしました。私はソフィアと申します。彼の名は魔神ディ…私の従者です』

 

『じゅ、従者…ま、魔神が?』

 

『彼が言ったことは本当です。この街を支配したいと思います。出来れば穏便に…街の責任者のところに、ご案内下さいますね?』

 

ソフィアの優しい声に、店主はようやく落ち着きを取り戻した。

 

 

 

 

 

フノーロの地下街で「友好的な」話し合いをしたディアンたちは、その日のうちに地上に待機させておいた「制圧部隊」をフノーロに入れた。ソフィアは街人に「神の道」を説いていく。そして地上からは、大量の衣類や食糧が流れ込む。これまで自衛団だった見回り役は、ターペ=エトフで鍛えられた百名の精兵が引き受けた。ディアンは「カッサレの魔導書」を持ちながら、地下街から地下迷宮へと入った。迷宮を通り、大きな部屋に出る。

 

『ここか…想像以上だな』

 

そこは魔術研究施設であった。埃も少なく、綺麗な状態である。机に置かれた書類などを見て、ディアンは頷いた。

 

『誰かが使っていたんだな。恐らく、カッサレ家の系譜だろう。確か、アビルースとかいったな』

 

複数の箇所に結界を貼り、出入りを制限する。迷宮は続いていたが、探索は後回しにする。今はフノーロの完全制圧と新国家建設への「拠点化」が優先であった。ディアンは地下街の中央に、巨大な「魔法陣」を描いた。魔焔を組み込んだ「魔導柱」を四方に建て、術式を調整する。

 

『あとは向こう側を調整するだけだ。これで大規模な人員転送が可能になる。物資の転送が出来ないというのが、欠点だがな』

 

街の中央でソフィアが説法をする。

 

『この中には、権力闘争に破れて流れ着いた人もいるでしょう。やむを得ず野盗に身を落とした人、生きるために身を売らざるを得なかった人もいるでしょう。このフノーロは、そうした「敗者」たちが集まる場所です。ですが、負けたというだけでどうしてこんな地下に、肩身を狭くして押し込められなければならないのでしょう?敗者だから、闇夜の眷属だから地下で暮らせと?黄の陽、赤の陽は光側の現神が治めている。だから闇夜の眷属は陽の光を受けるなと?これが正しい世界なのでしょうか?私達だって生きています。生きる資格があるのです。神の道には光も闇もありません。現も古もありません。生きとし生ける全ての存在が、創造神の愛を受けられるのです』

 

最初はバカにしていた人たちも、徐々にソフィアの説法に惹きつけられ始めている。

 

(思った以上に順調だな。早急に「神宮」を建てるべきだろう…)

 

ソフィアの説法に手を合わせ、涙を流す老女なども出始めている。ディアンは心中で首を振った。

 

(宗教とは、救済を売る「商売」だ。当然、経営努力、営業努力が必要になる。だが現神神殿は、売り手市場に胡座をかいて努力をしていない。まずはアヴァタール地方南部、ニース地方を中心に市場(マーケット)を拓くか)

 

 

 

 

 

地下都市フノーロを中心に新国家を興すためには、神の道の布教だけでは不足である。フノーロは長年に渡って「裏稼業」の取引などが行われていた。「その道」に生きる者たちを束ねるには、その頭目に会うのが一番である。転送機を使い、プレメルとフノーロを行き来しながら、ディアンはアヴァタール地方の「裏社会」の頭目に会うため、リタ・ラギールを頼った。

 

『ディアン、何度も言っているけど、絶対に喧嘩はしないでね。マジでヤバイ奴に会うんだから・・・』

 

リタ・ラギールは、何度めかの念押しをした。ディアンとグラティナは、リタに連れられてプレイアの繁華街から裏通りに入った。プレイアは人口五十万人を超えるアヴァタール地方最大の大都市である。これだけの人間が集まれば様々な「欲望」を満たすための店が出来る。いかがわしい商品を扱う店や、娼館などがである。娼館が出来れば、そこに娼婦を紹介する「女衒」も必要になる。そうした女衒たちを管理する組織も必要だ。つまり「裏社会」である。

 

『光が濃くなれば、その分、影も濃くなる・・・アヴァタール地方一体の裏社会を束ねる頭目は、絶対に抑えなければならん。さて、どんな人物なのか楽しみだ』

 

『…特に、ディアンは気をつけてね。アンタが一番、心配だよ』

 

『・・・どういう意味だ?』

 

『会えば解るよ』

 

リタたちは、一軒の娼館の裏口に立った。ディアンと同じような黒い外套を着た男二人が立っている。リタは自分の身分を名乗った。男たちは頷いて、扉を開ける。薄暗い中に入った四人は、身体検査を受けた。ディアンは黒服が、リタたちは娼婦らしき女が、身体を確認する。娼館では、武器類は全て預けることが求められる。ディアンたちは丸腰のまま、豪奢な造りの部屋に通された。貴族たちが使うための、特別な部屋らしい。その部屋に、鋭い目をした金髪の美しい女性が座っていた。組まれた白い脚は長く、きつめの服は躰の線を強調している。顔も美しいが、右側に火傷の爛れがある。だがそれが、逆に女の魅力を引き立てているように見えた。後ろから貫いて、気の強そうな瞳に、喜悦の表情を浮かべさせたいと思った。

 

 

 

 

 

『リタ・ラギール・・・約束の時刻より遅れているわ。私は暇ではないのよ?』

 

『ゴメンゴメンッ!ベラさん、お忙しいところ、お時間を頂き、有難うございます~』

 

リタは揉み手をしながら、低姿勢で謝罪をした。ベラと呼ばれていた女性は、リタの後ろに立つ二人の男女を見た。ディアンとグラティナは、自分の名を名乗った。

 

『ディアン・ケヒトです』

 

『グラティナ・ワッケンバインだ』

 

『私の名はベラ・・・アナタたちね?フノーロで最近、色々と動いているという輩は・・・』

 

リタは慌てた様子で、まずは土産を差し出した。ベラは一瞥しただけで、隣に控えていた男が受け取る。ディアンは少し目を細めた。リタの肩を退け、ベラの前に腰掛ける。背後の男が何か言おうとしたのをベラが止めた。

 

『光と影は表裏一体・・・レウィニア神権国をはじめ、アヴァタール地方各地に国ができ、一見すると光神殿の進出が目立つ。だが一方で、人間が集まるということは、欲望が集まるということだ。光と影の両方が集まる・・・誰かが、その「影」を引き受けなければならない。幾つかの伝手で調べたところ、全てがアンタに行き着く。アヴァタール地方の「影」は、アンタが握っているな?』

 

『人間という生き物は・・・』

 

ディアンの質問に応えず、ベラが語り始めた。

 

『人間という生き物は、とどのつまり「己のこと」しか考えない。それでいて「道徳」という美しい言葉で、自己(エゴ)を覆い隠そうとする。本当は欲望にまみれ、醜い姿なのに、それを見たくないと考える。人間は「己が悪」という認識に耐えられない存在なの・・・人間が「自分は善人でいたい」と考える限り、我々のような稼業が必要になるわ』

 

『アンタは、「己が悪」という認識に耐えられるのか?』

 

ベラは鼻で嗤った。左手を挙げる。男が葉巻を差し出した。ベラは魔導火付け石で、葉巻に火をつけた。煙をゆっくりと吐き出す。

 

『「己が悪か」・・・そんなふうに考えたことなど、いつ以来かしら・・・善悪なんてものは、人の立場によって変わる。私が一番嫌いな言葉はね。「偽善」よ。「人の為の善」と書いて「偽善」と読む。およそこの世に「人の為の善」なんて無いわ。「己がそうしたい」からしているだけ・・・「人の為にしている」という己に酔いたいからか、それとも何かしらの見返りを期待しているからか・・・いずれにしても「自己満足」のためよ。それを「善行」という名で、覆い隠している。糞はね。どこまでも糞なのよ。たとえバラの香りを放っていようともね』

 

ディアンはゆっくりと二度、頷いた。目元が笑っている。

 

『では、アンタの判断基準はなんだ?』

 

『決まっているでしょ?利益よ・・・自分の利益になるかならないか。損か得か・・・これ以外に判断基準がある?』

 

『フム・・・面白いな。確かに善悪は相対的なものだ。およそこの世に「絶対正義」などはない。倫理も道徳も、三神戦争で勝利した現神達によって作られた「教義」の派生品だ。だが、オレにはもう一つ、判断基準がある』

 

『へぇ・・・私にそんな態度を取る男の判断基準・・・興味あるわね?』

 

『・・・「趣味」だ』

 

『趣味?』

 

『あぁ・・・それ以外に表現のしようがない。例えばオレは、出来るだけ人は殺さないようにと思っている。だがこの判断基準は絶対的正義ではない。オレがそう思うのは、突き詰めれば「個人的趣味」に過ぎない・・・アンタはどうだ?そうした「趣味」はあるか?』

 

ベラは吹き出した。やがて大笑いをする。

 

『あ~ぁ・・・こんなに笑ったのは久しぶりね。リタ・ラギールの紹介だから会ったけれど、もっと早く会いたかったわ。私の趣味・・・それは「信義」よ。私は約束を護る。出来る範囲でね。誰に対しての信義か・・・もちろん、顧客もあるけれど、何よりも自分自身に対する信義よ。あとは・・・そうね。キレる男は嫌いじゃないわ。特に自信と度胸があり、それに見合った力を持った男はね・・・アナタ・・・良かったらウチに来ない?私の愛人にしてあげても良いわよ?』

 

『実に魅力的な誘いだが・・・オレにはやることがあるんでね。さて、本題だ。アンタのことだから、オレのことも予め調べているだろう?』

 

『ターペ=エトフ・・・そこの関係者だということだけは解ったわ。あの国までは、ウチの組織も入っていないの』

 

ディアンは懐を指で示した。ベラが頷き、ゆっくりと紙を取り出す。国王インドリトの身分証明である。ベラは一読し、頷いた。

 

『ここから先は、他者に聞かれたくない。少し細工をさせてもらうぞ?』

 

ディアンは部屋の八隅に結界を貼った。「歪魔の結界」にベラは興味を持ったようである。悪巧みをする上で、これ以上便利なものはないだろう。ディアンは「後で教えてやる」と言って、椅子に座った。話を元の流れに戻す。

 

『知っての通り、ターペ=エトフは現在、戦争中だ。負けることは絶対に無い。だが、インドリト王にも寿命がある。昨年の戦争で集結すると思っていたんだが、相手は予想以上に粘り強い・・・そこでインドリト王は、ターペ=エトフに代わる新たな国を興そうと考え、オレに建国の下拵えを依頼した』

 

『それが、フノーロの街ってこと?まだ見えないわね。およそ国を興すなんて、私の理解を超えているわ。そんなことが可能なの?』

 

『可能だ。国とは、大きく三つの条件が必要だ。土地、民、そして統治機構だ。フノーロには、このうち二つは揃っている。三つ目の「統治機構」を置く。それで国が完成する』

 

『統治機構・・・フノーロの民たちが、あなたを統治者として認めるかしら?』

 

『オレが統治者になるわけではない。まぁ、統治者を据えるための地均しをオレがやるだけだ。統治機構を作るには、二つのモノが必要だ。「カネ」と「力」だ。これはもう揃っている。だがもう一つ、有ったほうが良いものがある。その土地の有力者の協力だ。そこで、アンタの協力を得たい』

 

『何で私が?フノーロの地下街には、仕切り役の「街長」がいるはずよ?』

 

『残念ながら居ないんだ。ウダウダ抜かしていたから、オレが斬っちまった』

 

『・・・人は殺さないんじゃないの?』

 

『「出来るだけ」な・・・言っておくが、こう見えてもオレは、相当数の人を斬ってきた。多分、アンタ以上にな』

 

『フーン・・・若さの割には随分と修羅場を潜っているとは思っていたけれど・・・本当は何歳?』

 

『・・・アンタは何歳だ?抑えているつもりかもしれないが、微かに神気を感じる。これは闇の現神の気配だ。ヴァスタールではないな。アーライナか?』

 

『女性に年齢を聞くなんて、失礼ね・・・そう、確かに私はアーライナの神格者。混沌の神であるアーライナ神は、「裏社会の住人」から影を束ねる者を選び、神格者にしている・・・あなたは誰の神格者なの?それとも魔人かしら?』

 

『いや・・・』

 

ディアンの気配が変わり始めた。黒い魔の気配が躰から立ち昇る。ベラはさすがに顔色を変えないが、後ろの男は思わず後ずさっていた。

 

≪オレの名はディアン・ケヒト・・・正と邪、昼と夜、光と闇の狭間に生きる「黄昏の魔神」だ・・・≫

 

ベラが両手を軽く挙げた。ディアンの気配が落ち着き、元の人間に戻る。ベラが愉快そうに笑みを浮かべた。

 

『まさかこのプレイアで「魔神」に会えるなんてね・・・ターペ=エトフはレウィニア神権国の同盟国で、中立、もしくは光側の国だと思っていたけど・・・』

 

『ヴァスタール神殿とアーライナ神殿は、ターペ=エトフ首都に堂々と構えているぞ?まぁ、確かに光側だが、限りなく中立に近い。一方、新しい国は限りなく中立に近い「闇側」になるだろうな』

 

『言っておくけど、信仰で私を釣れるとは思わないほうが良いわ。私はアーライナの神格者・・・だけど、リタ・ラギールと同じように、自分の利益に忠実なの』

 

『信仰だけでは腹は膨れない。その程度のことは理解している。オレたちに協力するとどんな利益が得られるか、アンタに教えよう』

 

グラティナは革袋から油紙で封をされた箱を取り出した。封を解くと、見事な彫刻が刻まれた箱が現れる。差し出された箱を見て、ベラは首を傾げた。ディアンが開けるように促す。中身を見て、ベラの顔色が変わった。ベラが嗜んでいる嗜好品「葉巻」が整然と並んでいる。ディアンは懐中から同じ葉巻を取り出し、火を付けた。

 

『・・・これはディジェネール地方産ね?滅多に手に入らないから、貴族たちの間でしか流通していない。それに、この香りは・・・』

 

『ハッキリ言おう。アンタが吸っているのは、余計な葉っぱが混じっている紛い物だ。本物の葉巻の香り、味わってみな?』

 

ディアンは自分が咥えていた葉巻を差し出した。香りの誘惑に負け、ベラが手を伸ばす。口と鼻に芳醇な香りと味が広がる。目を細めて、ベラが煙を吐き出す。香りを愉しむベラに、ディアンが説明をした。

 

『葉巻は「タバコの葉」と呼ばれる植物から作られる。アヴァタール地方に流通しているものは、作り方も粗雑で、葉の種類も厳選されていない。だが本来は、充填葉(フィラー)中巻葉(バインダー)上巻き葉(ラッパー)のそれぞれにタバコの葉を使い、その組み合わせによって多様な香りを生み出す』

 

『・・・どうして、そんなことを知っているの?』

 

『オレは元々、ディジェネール地方出身なんだ。遥か昔、ディジェネール地方龍人族の村に世話になっていた。そこの長老は、自生していたタバコの葉を嗜んでいた。アヴァタール地方に流通しているのは、ディジェネール地方北辺で入手できるタバコ葉から作られているのだろうが、オレが持ってきたものは、最奥部で手に入る。つまり、オレしか手に入らない』

 

『なるほどね』

 

ベラは納得して頷いた。

 

『新しい国では、ディジェネール地方との交流を深めようと考えている。あの地を侵略するのではなく、そこに棲む亜人族たちに、こうした「産業」を教え、交易によって相互発展を目指す。この葉巻は、新王国の主要輸出品になるだろう。そして、アヴァタール地方への流通をアンタに任せたい』

 

『ちょ、ちょっとディアン!アタシは?』

 

リタが口を挟んだ。当然であろう。これまで三百年に渡って、ターペ=エトフの交易を独占してきたのだ。新王国でも、その利権が得られると考えて、危険を冒してまで協力をしているのだ。競合する商会が入るのは見逃せない。だが当然、ディアンにもリタの考えなどお見通しである。ディアンはリタに笑顔を向けた。

 

『お前には別のモノを用意してある。安心しろ。お前が御用商人であることは変わらない。ベラに葉巻を任せるのは、副次的効果を狙っているからだ』

 

『あら、そんなネタばらしをしていいの?』

 

『構わないさ。ターペ=エトフとは異なり、アヴァタール地方南部を統治する上では、裏社会の協力が不可欠だ。これから誕生する国は、光と闇が入り混じった「混沌」とした国になる。ターペ=エトフは光り輝く国家だったが、新国家は清濁併せ呑む国だ。必要があれば、拉致、拷問、殺人なども厭わない。オレはそれ程「綺麗」では無いからな・・・』

 

『で?協力というと、どんなことをすればいいの?』

 

『三つある。まず第一に、フノーロの新たな顔役を選出して欲しい。そしてその顔役に認めさせる。新たな国家の誕生と、新たな宗教体系「神の道」の信仰をな・・・』

 

ベラの眉が動いた。新国家への協力程度であれば、諸手を挙げて賛同しただろう。あの地に秩序が生まれれば、より大きな利益が期待できるからだ。だが「新たな宗教体系」という点が気になった。

 

『その、新しい宗教というのは何?私はアーライナ神の神格者、それを降りるつもりは無いわ』

 

『勘違いをするなよ?新しい宗教ではない。新しい「宗教体系」だ。現在のディル=リフィーナの宗教体系は「同時並列的一神教」だ。それぞれの神を主神として信仰する。極端な話、アークリオンと、その息子アークパリスは別の神であり、神殿において対立が起こったとしても不思議ではない。つまり様々な宗教が混在している状況だ。それを整理する。「多神教的一神教」という体系にする』

 

『多神教的一神教・・・つまり多くの神を認めながらも、その上にただ一人の「唯一神」を置く、ということね?誰を置くの?アークリオンなら闇が、ヴァスタールなら光が反対するわよ?』

 

『「創造神」だ』

 

『創造神?古神の?』

 

『いや、そもそもそんな神は居ないかもしれない。つまり姿もカタチも見えない「架空の存在」を置くのさ。頂上が見えるから、その頂に登ろうとする。頂上は「雲」で覆い隠すのが一番だ。創造神を頂点として、光と闇を並べた「神々の位置づけ」を行い、「曼荼羅」と呼ばれる「神々の全体像」を設計する。創造神を信仰することは、アークリオンを信仰することであり、ヴァスタールを信仰することであり、アーライナを信仰することになる。信仰の対象そのものを「胡乱」にしてしまうのさ』

 

ベラは沈黙した。だがやがて肩を震わせる。ついには口を開けて大声で笑った。

 

『なんて詐欺師なの?まさか現神そのものを詐欺の対象にするなんて…私なんか目じゃない。アナタ、ディル=リフィーナ一の大悪党よ。アークリオンもヴァスタールも、さぞ怒るでしょうね』

 

『別に詐欺じゃないさ。誰も騙しちゃいない。気がついたら神々の位置づけが変わっていた…とするだけさ。まぁ西方諸国には広がらないだろうが、現在のフノーロには闇の神殿すら無いからな。信仰の拠ろどころを作れば、皆が喜ぶだろ?』

 

ベラは愉快そうに笑い、頬杖をついてディアンを見つめた。

 

『いいわ、一つ目の協力は了解した。で、二つ目は?』

 

『新しい国は、闇夜の眷属たちが多い国になるだろう。裏社会の比率は、ターペ=エトフの比ではないはずだ。フノーロの顔役とは別に、新国家全体の裏社会をアンタに直接統治して欲しい。つまり、プレイアからフノーロに拠点を移してもらいたい』

 

『今すぐにはムリね。プレイアとフノーロでは、人の数が違いすぎる。裏稼業の利益も、人の数に比例するのよ。確かにプレイアは、裏に生きる私にとっては眩しすぎる。でもフノーロの規模では部下たちを食わせられないわ』

 

『当然だな。まぁ数十年後の話だ。新国家が固まり、発展へと走り始めたら考えてくれ』

 

ベラは無言で頷いた。ディアンが言葉を続ける。

 

『それで、三つ目だが…』

 

リタは内心で溜息をついていた。大体の予想がついていたからだ。だがそれは裏切られた。ディアンの顔が真面目になる。少し声が低くなる。

 

『裏のルートから、ある組織を調べてもらいたい。「オメラスの解放者」という組織、聞いたことはないか?』

 

ベラの目が細くなった。

 

 

 

 

 

プレイアを離れ、バリアレス都市国家連合の中核都市「レンスト」に入る。宿の部屋で、ディアンはベラの言葉を思い出していた。

 

…「オメラスの解放者」ね。二度ほど、聞いたことがあるわ。三神戦争直後から続く秘密結社で、現神支配の体制を崩壊させようとしている。マサラ魔族国を分裂させたのも彼らだって噂よ?正直言って、気が乗らないわね。彼らは危険すぎる…

 

…出来る範囲、分かる範囲で構わない。カネと時間を掛けて慎重に調査を進めれば、いずれ正体を掴めるはずだ…

 

…あまり期待しないでね。私は長生きしたいの…

 

(ペトラ殿からも聞いたが、大封鎖地帯の結界を解くなど簡単にできるはずがない。現神世界を崩壊させ、古神の復活を目指す結社だと聞いていたが、本当にそれだけだろうか?機工女神アリスからは、ディル=リフィーナ(二つ回廊の終わり)誕生時、イアス=ステリナ世界の人間族は大半が堕落していたと聞いた。ということは、少数は違ったということだ。人類の希望を繋ぐために、メルジュの門を残した科学者がいたのなら、別のことを考えた人間もいたのではないか?例えば、新世界で人間族が覇権を握ることを目指すとか…)

 

考え事をしていたディアンに、グラティナが声を掛けた。

 

『ディアン、そろそろ出発するぞ』

 

『何人くらい集まった?』

 

『二十名だ。いずれも私が試した。腕も立つが、何よりも人間として真っ当なものを持っている。信用できる連中だ』

 

レンストに立ち寄ったのは、フノーロの地上を護るための兵士を雇うためだ。当面はソフィアが大司祭と行政責任者を兼任し、グラティナが警備隊長を務める予定だ。地上に街を作り、田畑を拓き、産業を整備する。国家として成立するには、あと二十年は必要と、ディアンは考えていた。

 

『ターペ=エトフからも、徐々に人が送られてくる。最低でも自給自足と自主防衛体制が整わなければ、国家になることはできん。苦労をさせるが、頼むぞ』

 

『私はお前の使徒だ。そんな気を遣うな。転送機で簡単に行き来も出来るし、寂しいとは思わん。ところで、新国家の名前はどうするのだ?』

 

『まだ街にもなっていない段階で気が早いと思うが、そうだな…ソフィアが大司祭として国威を担う以上、その名から取るべきだろうな』

 

『「エディカーヌ王国」か…悪くない響きだな』

 

主人と使徒は互いに頷き合った。

 

 

 

 

 




【次話予告】

アヴァタール地方南部では、新国家「エディカーヌ王国」の建国に向けて蠢動が続いていた。一方、ケレース地方ではハイシェラ魔族国の動きが再び活発になりつつあった。宰相シュタイフェは時間稼ぎのために、レスペレント地方の歴史を動かす一手を打った。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第八十九話「カルッシャ・フレスラント戦争」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第八十九話:カルッシャ・フレスラント戦争

ターペ=エトフ末期のラウルバーシュ大陸中原は、後世では「歴史的激動期」と位置づけられている。ブレニア内海からオウスト内海に掛けて各地に国家が勃興し、産業と文化が栄えた。特に、ターペ=エトフ歴二百八十年に建国された「エディカーヌ王国」は「ディル=リフィーナの食文化を変えた」とも言われている。エディカーヌ王国は、アヴァタール地方南部からニース地方の平原を直轄領としていたが、ディジェネール地方の亜人族とも平和的な交流を持ち、南緯地帯の様々な植物を産業化している。その代表例が「タバコ」であるが、それ以外にも「コーヒー」「サトウキビ」「カカオ」など、後に西方諸国まで流通する食材を独占的に生産している。特にコーヒーは、茶に代わる新たな「嗜好品」として貴族から中産階級まで広がり、エディカーヌ王国に莫大な富を齎したのである。

 

一方、オウスト内海北部のレスペレント地方においてもこの時期は激動期であった。ターペ=エトフ歴二百四十九年から二百九十八年まで続いた「ハイシェラ戦争」は、レスペレント地方にも大きな影響を与えた。第一次ハイシェラ戦争において、魔神ハイシェラと「ターペ=エトフの黒き魔神」はオウスト内海上空で凄まじい魔術戦を展開する。巨大純粋魔術に襲われたカルッシャ、フレスラント、バルジアの三王国はいずれも大きな被害を受けた。特にバルジア王国は首都が沿岸に近かったということもあり、水産業のみならず商工業も甚大な被害を受け、政治的に国内は混乱する。フレスラント王国は、首都こそ無事であったものの南部の砂漠地帯にあったオアシスは一瞬で蒸発し、カルッシャ王国とを結ぶ南方交易路が遮断されてしまう。サンターフ港からオウスト内海西側に出て、ケルシュ川を上るという海路も使用されたが、カルッシャ王国首都ルクシリアは北大陸公路に面しており、海路では時間と費用が掛かり過ぎた。そのため、プレジ山脈北端の関所を通らざるを得なくなり、フレスラント王国は経済的に追い詰められることになる。カルッシャ・フレスラント戦争の背景は、このような「経済問題」が多分に存在していたのである。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴二百六十一年、北華鏡平原において中規模な地上戦が行われた。第一次ハイシェラ戦争と異なり、魔神ハイシェラは前線に姿を現さず、あくまでも亜人族同士の地上戦となった。先の戦争で、ルプートア山脈に設置された魔導砲はその射程と魔法性質を知られてしまっており、魔神ハイシェラが張った魔術障壁結界の前にその威力は半減されてしまった。軍隊行動の練度や武器の性能ではターペ=エトフが上回っているが、兵士個々の戦闘力はハイシェラ魔族国側が優位であった。地上戦は一進一退を続け、徐々に消耗戦の様相を見せてきたのである。

 

『マズイでヤスねぇ~ これ以上の消耗は、物産に影響が出かねませんぜ?』

 

宰相シュタイフェ・ギタルは、行政府の執務室で溜め息をついた。ディアンも渡された書類に目を通す。

 

『ターペ=エトフは、物産においてはほぼ無限の兵站を持っているが、兵士の数は無限ではない。まさかここまで粘る敵が現れるとは…』

 

『連中には、レウィニア、メルキア、カルッシャがついていヤス。フレスラントとバルジアは手を引いたようですが、中原でも五指に入る大国のうち三つが支援している以上、彼らの兵站力はターペ=エトフと五分と見るべきでしょうな』

 

『そうだな。それに先日の戦いで分かったが、奴らは徐々に「軍」になりつつある。ハイシェラはもう魔神ではない。ケレース地方に出現した強力な「覇王」だ。旧ガンナシア王国の民が逃げてくる例は皆無に近いそうではないか。ハイシェラが国威として存在し、兵士と民の心を掴んでいる証拠だ。まさかあの「戦闘バカ」にこんな資質があったとはな』

 

シュタイフェから渡された書類には、ターペ=エトフの財政状況や各集落での物産状況が細かく書かれていた。蓄えられた物資や国庫は健在だが、それでも徐々に目減りが始まっている。特に近年はその目減り量が増加していた。南方に新国家建国という大事業が始まっているためである。この状況を打破するには、ハイシェラを支援する三大国家を潰してしまうのが一番早い。ディアンは以前、メルキアとカルッシャの首都を吹き飛ばす提案をしたが、インドリトによって却下された。第一次ハイシェラ戦争でバルジア王国に甚大な被害が出たことに、インドリトは悔いを持っていた。バルジア王国は物資供出をした程度である。無関係な民衆を巻き込んでの無差別破壊などは許されない、とディアンも叱責を受けたのである。

 

『ここだけの話でヤスが、インドリト様はお優しい。お優し過ぎます。今は戦争状態です。国を護るために、ある程度の犠牲は仕方がないと思うのでヤンスがねぇ~』

 

『確かにそうした意見もあるだろうし、オレもどちらかと言えば賛成だ。だがインドリトの考え方も正しい。この戦争を望んでいるのはカルッシャやメルキアの支配層だ。民衆ではない。民を巻き込んだら、インドリト・ターペ=エトフの名に傷がつく。ターペ=エトフは光り輝く国家であった…歴史に、そう残さなければならん』

 

『…過去形で語られるのは辛いでヤスね』

 

辛そうな表情を浮かべ、シュタイフェは肩を落とした。インドリトが新国家建国を表明した時に、最も強硬に反対をしたのがシュタイフェであった。理性では納得をしていても、感情が処理しきれないのだ。ディアンも頷いた。沸々と怒りがこみ上げる。瞳が僅かに赤くなる。

 

『辛いのはオレも同じだ。だが、インドリトはもっと辛いだろう。ハイシェラはまだいい。自ら戦っているからな。だが、それを裏で手引きした連中は許せん。この借りは、必ず返す…』

 

奥歯を噛みながら、ディアンは呻くように呟いた。

 

 

 

 

 

フレスラント王国首都ザイファーンでは、民衆たちの間で怨嗟の声が出始めていた。フレスラント王国は国土の大半が砂漠であり、食料生産にも限界がある。以前は、ターペ=エトフから干し肉や小麦、オリーブ油が安価で入ってきていたが、ケレース地方での戦争に伴い、輸出量自体が減少していた。食料自給率が低いフレスラント王国にとって、それは庶民を直撃する問題であった。王国公爵家の当主ザビエル・ライケンは、父親が引き起こした「外交問題」を解消するために忙殺されていた。この日も、ターペ=エトフからの使者と面会し、食料の輸出量を以前の水準に戻すための交渉をしていた。

 

『ディアン・ケヒト殿、我が父は「魔族国への支援」という過ちを犯した。だがそれも十年以上も前のことだ。ケレース地方の戦争によって我が王国も大きな被害を受け、それ以来、魔族国へは一握りの麦すら送っていない。インドリト王がお怒りなのは尤もだが、そろそろ水に流しては頂けないか?』

 

ディアンは外交特使として、フレスラント王国を訪ねていた。ソフィアが不在である以上、シュタイフェが行政府を離れる訳にはいかない。その分、ディアンが外交担当として働く必要があった。二日前からザイファーンに入り、市政の食料事情は既に調査済みである。インドリトは民衆を気遣って輸出再開に前向きだが、ディアンは簡単に許すつもりはなかった。赤みを帯びた眼を少し細め、ディアンは机上で手を組んだ。

 

『ライケン公爵。我が主君も貴国の民衆の状況に心を痛めています。輸出の再開には前向きの姿勢を持っています』

 

ライケンの顔が明るくなる。だがディアンは言葉を続けた。

 

『しかしながら、我が国は現在、ハイシェラ魔族国との継戦中です。武器や食料は重要な物資であり、国の安全を損ねてまで、他国に輸出をすることは出来ません。ターペ=エトフの行政府の中には、輸出そのものを停止すべきだという声すらあるのです。それらの声を抑えるためには、貴国に一働きをして頂く必要があります』

 

『具体的には、どのようなことであろうか?』

 

『貴国の隣国であるカルッシャ王国は、依然としてハイシェラ魔族国への支援を続けています。また魔族国に呼応する形で、ケテ海峡に軍を常駐させ、我が国を牽制しています。現在、ケレース地方中央域では我が国と魔族国との軍事衝突が続いていますが、カルッシャ王国のせいで、ケテ海峡にも軍を置く必要があり、我が国の負担になっているのです。貴国の働きによって、これを軽減して頂きたいのです』

 

『つまり…カルッシャ王国と戦争をしろと仰るか?』

 

ディアンはレスペレント地方西方の地図を出した。ライケンに見えるように机に置く。

 

『貴国はレスペレント地方の大陸公路から外れており、サンターフ港が物流の基幹となっています。以前は、ブレジ山脈北端の峠を通過して、レスペレント中央域との交流も盛んでしたが、カルッシャ王国がこの峠に関所を設け、事実上の封鎖状態となっています。貴国の経済発展を阻害する大きな要因が、この関所です。ここを陥して頂きたい。カルッシャ王国はレスペレント地方の「盟主」という誇りを持っています。必ず、取り戻しに来るでしょう』

 

『だが、我が国だけでカルッシャ王国と戦うというのは…』

 

『ご安心を…貴国の動きに連動し、東の魔族国が蠢動します。グルーノ魔族国が、テリイオ台地まで進出する予定です。グルーノ魔族国を率いるのは魔神です。カルッシャ王国はそちら側に力を割かざるを得ないでしょう。貴国に全軍を向けることは出来ないはずです。貴国が軍を興し、ブレジ山脈の関所を陥落させた後に、ターペ=エトフからの輸出を再開します。これはインドリト王も了承済みです』

 

実際のところ、この作戦はシュタイフェが起案し、ディアンが調整をしたものである。インドリトは何も知らない。極端な話、カルッシャとフレスラントを戦争状態にしてしまうことが出来れば、あとは知らぬふりをしても良いのだ。実際、シュタイフェはそのつもりだった。だがそれでは、数ヶ月でフレスラント王国は滅びるだろう。レスペレント地方の戦争を長引かせるためには、ある程度の調整をする必要があった。ディアンがその調整役となったのである。

 

『カルッシャ王国にまで攻め入る必要はありません。この峠は道が細く、大軍を進めるには不向きです。ここに堅牢な砦を設ければ、カルッシャ王国がどれほど大軍を出そうとも防げるでしょう。南部の砂漠地帯から別働隊が来る心配もありません。途中の補給拠点となるはずのオアシスが消滅していますからね。貴国にとっても、今が「攻め時」なのですよ』

 

ライケンは腕を組んで沈黙をしていた。ディアンの掌の上で踊ることに抵抗を感じているようである。だが実際問題として、フレスラント王国にとって大陸公路への道を取り戻すことは最重要課題であった。そういった意味では、ディアンの提案は決して一方的ではなく、フレスラント王国にとっても利益のある話ではある。しばらく考え、ライケンは国王や他貴族たちを説得することで承諾した。ディアンは笑みを浮かべて頷いた。

 

 

 

 

 

ライケン公爵との会談後、レイナを伴ってザイファーンの街を歩く。レイナは、男なら誰もが振り返るほどの美貌を持っている。だがこの街には、そうした視線が希薄であった。街全体が暗い雰囲気を漂わせていた。

 

『フレスラント王国の食料事情は、かなり危機的みたいね。さっき、食事の値段を聞いて驚いたわ』

 

『このまま民衆に不満が貯まれば、いずれ爆発するだろう。フレスラント王国としてはその前に手を打つ必要がある。だが耕作地の拡大など短期間に出来るものではない。八方塞がりの状態だったのだ。たとえ裏があると解っていても、ライケンは差し出された手を握らざるを得なかったのだ。近日中にフレスラントは兵を興すだろう。それを見届けるまでは街に滞在するぞ』

 

『だったら、少し離れているけどスリージの街に行きましょう。獣人族が多いそうだけれど、森の中にある綺麗な街だそうよ?』

 

『そうだな。バカ高い飯にカネを払うのも癪だ。そうするか』

 

スリージに移動する間、ディアンとレイナは殆ど会話をしなかった。主従の関係となってから二百七十年近くを共に過ごし、互いを知り尽くしている。会話など必要ない。表情を見れば、何を考えているのかが解る。レイナは表面上は平静を装っていた。だが内心ではやり切れない想いで溢れていた。ターペ=エトフの滅亡もそうだが、それ以上にインドリトが死ぬという現実の前に、胸が裂けそうな哀しみを必死にこらえていた。本当はグラティナやソフィアたちのように、泣き叫びたかった。「なぜ、インドリトを使徒にしないのか。今からでもそうすべきだ」と、ディアンを責めたかった。だが第一使徒という立場から、激情で動くことは出来なかった。あくまでも魔神の使徒として、主人の意思に従い続ける姿勢を取っている。だからディアンは、今回の交渉にレイナも連れてきた。自分と二人きりの場所で、気持ちを緩ませる必要を感じていたからだ。

 

『…泣いて良いんだぞ?』

 

宿の部屋でレイナは月を眺めていた。その後ろ姿に、ディアンが声を掛けた。レイナは二度、首を振って、それから肩を震わせた。ディアンはいつまでも、その背中を見続けていた。

 

 

 

 

 

「フレスラント王国動く」

 

この知らせは、直ちにカルッシャ王国王都ルクシリアに齎された。フレスラント北部を抑えていた「ブレジ砦」が陥落したのだ。それだけであればすぐにでも取り戻すために軍を興しただろうが、そこにさらに凶報が舞い込んできた。しばらく大人しかった「グルーノ魔族国」が西進を開始したという知らせであった。王宮では軍の総司令である「アリア・テシュオス」が地図を見ながら参謀たちと話す。

 

『フレスラントだけなら容易であろうが、ここにグルーノ魔族国が加わるとなると、いささか厄介だな。二正面作戦を取らざるを得ないだろう』

 

銀色の仮面をつけた金髪の女性が、無感情な声色で呟く。姫神フェミリンスから続く「殺戮の魔女」の呪いを抑制する仮面である。アリアは凸型の駒を二つ持ち、地図に置いた。

 

『テリイオ砦は魔族国との戦いにおいて重要な拠点だ。この砦を落とされれば、奴らはフェミリンス神殿を通過し、一気に王都まで迫るだろう。一方、ブレジ砦については陥されたところでそれほど痛手ではない。まずは魔族国への対応が最優先だ。テリイオ砦には、私が軍を率いていこう。フレスラントはロンズデール将軍に任せる』

 

『閣下、二正面作戦となれば王都の防衛が不安になります。ケテ海峡付近に展開させている軍を王都まで引き上げさせては如何でしょう?』

 

参謀の意見にアリアは少し考え、首肯した。

 

『卿の献策を是とする。対岸のターペ=エトフは、ケレース地方で戦争中だ。ケテ海峡の軍を退けば、彼らに余裕を与えることになってしまうが、まずはこちらの防衛が優先だ。ケテ海峡には必要最低限の兵を置き、あとは全軍を引上げさせろ。王都防衛と後詰めの役割をさせる』

 

参謀たちが一斉に動いた。アリアは地図を見ながら呟いた。

 

『気になるな。フレスラントと魔族国が同時に動いたのは偶然か?それとも…』

 

仮面の下を掻こうと無意識のうちに伸びた手を慌てて抑えた。

 

 

 

 

 

カルッシャとフレスラントの戦争が始まった時点で、ディアンの役目は終わりであった。だがディアンとしては、カルッシャ王国を前にそのまま帰るつもりは無かった。その兵力を半減させ、レスぺレント西方を泥沼の戦争状態にしようと考えていた。

 

『バルジアもフレスラントも被害を受けた。カルッシャだけ無傷というわけにはいかんだろう。奴らにも痛い思いをして貰わなければな』

 

軽口のようだが、ディアンの目には凄まじい殺気が込められていた。主人の瞳が赤く変色するのに呼応するように、第一使徒も瞳をさらに蒼くした。

 

 

 

 

 

テリイオ台地手前で軍を二つに分け、アリア・テシュオスは北回りで進む。一方、シルヴァン・ロンズデール将軍が率いる一万の軍は、テリイオ台地南部を進み、ブレジ砦を目指していた。フレスラント王国は国土はそれなりに広いが乾燥地帯が多く、国力はそれほど大きくない。精兵一万もあれば、ブレジ砦など半日で落とせるだろう。まだ二十代で野心溢れるロンズデールは、ブレジ砦を陥した後は、一気にフレスラント王都ザイファーンを攻めようと考えていた。砦まで一日という場所で陣を張る。魔神が率いる魔族国との戦いと比べれば、楽な戦争であった。だが、ロンズデールの野心はこの日をもって永遠に叶わぬものとなるのであった。

 

『おい、誰か来るぞ』

 

陣を護る兵士たちが槍を構えた。二人の人間が、歩いてこちらに向かってくる。一人は漆黒の外套を羽織り、背中に剣を差し、黒光りする仮面をつけている。もう一人は純白の外套を着て白銀に輝く仮面をつけていた。両者とも鼻から上を仮面で隠している。口元から、黒衣は男、白衣は女だと解った。たった二人である以上、攻めてきたとは思えない。兵士たちは槍を構えながらも、油断した様子で男に声を掛けた。

 

『止まれ!我らはロンズデール将軍が率いるカルッシャ王国軍である!用があるのなら取り次ぐ故、まずは身分を明らかにされたい!』

 

黒衣の男は口元に笑みを浮かべ、兵士に話しかけた。

 

『ロンズデール将軍…カルッシャ王国には、アリア・テシュオス様という軍司令がいると聞いていますが、テシュオス様はここにはいらっしゃらないのですか?』

 

『何者かと聞いているのだ!』

 

十名ほどの兵士たちが二人を囲んだ。だが男はまるで気にしないようであった。

 

『そうか…アリア・テシュオスはいないのか。それは良かった。「フェミリンスの呪い」を気にする必要がなくなった。さて、我々の用件だが…』

 

男の気配が一変した。黒い気配が立ち昇り、空気が歪む。凄まじい邪の気配に、兵士たちが後ずさった。

 

≪お前たちにはここで死んでもらう≫

 

光が一閃する。兵士たちの胴体が上下に分かれた。変事を察して、笛が鳴る。だが男は慌てる様子もなく、女に声を掛けた。

 

≪レイナ、好きなだけ鏖殺していいぞ。剣も魔術も、好きなように使うがいい≫

 

女は嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

突然の敵襲に、シルヴァン・ロンズデールは状況を掴めずにいた。中堅将校たちに指示を出し、まずは兵士たちを集めさせる。凄まじい火柱が昇るのが見えた。爆発音と共に、振動が足に伝わってくる。

 

『クッ…敵はどれほどだ?無理に攻撃を仕掛けるな!一旦退いて、守りを固めさせろ!』

 

慌てて逃げてくる兵士たちを将校たちが一喝する。さすがに、アリア・テシュオスから一軍を任されるだけあり、ロンズデールはそれなりに優秀な将軍であった。槍や弓を構えた部隊を揃え、迎撃の体制を整える。兵士たちが寝る天幕が吹き飛ぶ。身体を破裂させる兵士の姿が見えた。血しぶきの中に立つ、黒い影が見えた。

 

『弓隊!あの影をめがけて放てっ!』

 

数百の矢が黒い影に襲い掛かる。だが矢が途中で止まり、落ちてしまった。第二射、第三射も届かない。やがて、黒い影に白い影が合流する。二人は物見遊山のように歩いて、こちらに近づいてきた。

 

『魔法詠唱部隊、アイツらを殺せっ!』

 

火球や水球、地脈攻撃や純粋魔術などが放たれる。だが黒衣の男にはまるで通じない。すべてが弾き返される。悲鳴を上げて腰を抜かす兵士が出始めた。

 

『ば、バカな…なんだ、アイツらは…』

 

やがて二十歩ほどの距離で、二人は止まった。仮面をつけた黒衣の男が語り掛けてくる。

 

≪はじめまして、諸君…お気づきの通り、私は魔神だ。「ターペ=エトフの黒き魔神」と言えば、解ってもらえるかな?≫

 

『タ、ターペ=エトフだと?』

 

ロンズデールは唾を飲み、前に進み出た。

 

『ま、魔神よ。私はカルッシャ王国将軍シルヴァン・ロンズデールである。ターペ=エトフの戦争は噂で聞いている。オウスト内海で二柱の魔神がぶつかり合い、バルジアやフレスラントに大きな被害を齎したと…貴殿は、そのうちの一柱といわれるのか?』

 

≪ほう…どうやら話が早そうだ。その通り。バルジアやフレスラントには大きな被害を与えた。カルッシャだけ無傷というわけにはいかんだろう?そこで、諸君らにはここで死んでもらいたい。一万の軍を失うのは、カルッシャにとってもかなりの痛手のはずだからな≫

 

二人を除いて、その場の誰もが理解不能であった。ロンズデールは狂乱寸前の自分を何とか抑えながら、魔神に問いかけた。

 

『なぜだ!?我々が、何をしたというのだ!』

 

≪「何をしたか」だと?≫

 

魔神の気配が膨れ上がった。仮面の奥の瞳が赤い光を放つ。握った拳が震えている。

 

≪お前たちは、オレの平穏な暮らしを邪魔し、細やかな希望を奪った。貴様らの命など、百万を集めてもなお足りぬ。せいぜい喚き、泣き叫び、悶え苦しみながら死ね!オレの溜飲を少しでも下げさせろ。それがお前たちにできる唯一の贖罪だ!≫

 

白衣の女が、男の肩に手を置いた。そこでようやく、男の気配が少しだけ落ち着いた。男が低く笑う。

 

≪いや…これはオレの感情に過ぎないな。お前たち自身に責任は無い。決めたのはお偉方だろうからな。要するに、ただの八つ当たりだ。まぁ、運が悪かったと諦めろ。さて、話は終わりだな。ならば行くぞ?≫

 

それから二刻以上に渡って、悲痛な叫び声が平原に響いた。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴二百六十二年、カルッシャ王国とフレスラント王国は本格的な戦争状態に突入した。この戦争は四十年近くにわたって続くが、フレスラント王国が降伏に近い形で講和条約を結ぶことで終結する。カルッシャ王国はフレスラント王国を占領せず、王族以下の処断者も出さないという寛容な姿勢を見せた。この背景には、戦争による疲弊もあったが、魔神ハイシェラがターペ=エトフを滅ぼし、ケレース地方に巨大な魔族国が誕生したことが大きな理由である。フレスラント王国を残すことで、ハイシェラ魔族国との防壁に使おうと考えたのである。しかし結局は、ハイシェラ魔族国がレスぺレント地方に進出することは無く、カルッシャ、フレスラントの両国は友好国として繁栄をすることになる。

 

 

 

 




【次話予告】

カルッシャ・フレスラント戦争によって、ハイシェラ魔族国への物資支援は半減した。時間を稼いだターペ=エトフは、本格的な建国に向けて、物資の輸送を開始する。ディアンはリタ・ラギールと共に、かつての友人の子孫を訪問する。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第九十話「ルビース家の誇り」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第九十話:ルビース家の誇り

ターペ=エトフ歴十年、アヴァタール地方南部の各都市が一堂に会し、法律や商習慣、通貨などを共通化させる話し合いが行われた。レンストの顔役であった「ドルカ・ルビース」の尽力によって実現したこの会合は、「障害(barrier)無く(less)した」ことから「バリアレス会議」と呼ばれ、後のバリアレス都市国家連合へと繋がる。ドルカ・ルビースは、中原に国家が勃興してきたこと、またそれに伴ってラギール商会をはじめとする大商会が誕生してきたことから、行商隊への護衛派遣業を見切り、傭兵派遣業へと業態転換を図る。バリアレス都市国家連合は、西方諸国への玄関口であるベルリア王国と、アヴァタール地方の大国レウィニア神権国とを結ぶ大陸公路の要衝に位置していた。そのため物流量も盛んであり、多くの人々が行き来をしていた。バリアレス都市国家連合は国土こそは狭いものの、物流拠点として栄えるようになった。

 

ターペ=エトフ歴二百十年に正式に建国されたバリアレス都市国家連合は、それから百年間ほどは平穏な時代をおくる。しかしニース地方に闇夜の眷属の国「エディカーヌ王国」が誕生したことで、光側の大国であるレウィニア神権国やベルリア王国と、闇側の大国であるエディカーヌ王国とに挟まれるようになり、両国の影響を受けるようになる。光側に位置するとして、神殿勢力からの援助を受けつつも、エディカーヌ王国からの物流に力を貸すなど、光闇相克の狭間で立ち回りを余儀なくされるのである。バリアレス都市国家連合の立場が明確になるのは、レウィニア建国歴八百九十二年に発生した「新七古神戦争」を待たなければならない。

 

 

 

 

 

プレメル近郊にあるディアン・ケヒト邸は、三百年近くのの間に徐々に拡張されてきた。ディアンだけでも、書斎、寝室、研究室の三部屋を持っている。書斎と寝室は使徒や弟子たちも入ることが許されていたが、研究室だけは立ち入り禁止であった。その研究室で、ディアンは黒壁に書かれていた「カルッシャ」の名前に斜線を引いた。

 

『残りはメルキアとレウィニアか…メルキアさえ潰してしまえば、レウィニア神権国からの支援物資も届かなくなる。さて…』

 

黒壁には人物名も書かれている。フランツ・ローグライア、ヘルマン・プラダ、そして「水の巫女」であった。人物名を見て、ディアンの瞳に殺気が走った。

 

『ヘルマン・プラダはどうでもいい。嬲り殺しにして終わりだ。だが、フランツ・ローグライアは使えるな。そして、水の巫女は…』

 

眼を細めたまま、ディアンは暫く沈黙していた。

 

 

 

 

 

メルキア王国西方の大都市「バーニエ」の領主にして、メルキア王国宰相の地位にもあるプラダ家は、魔導技術研究においても国内第一の立場にあった。とは言っても、魔法石からの魔力抽出調整などの研究で一定の成果を出した程度であり、ターペ=エトフの技術から比べると児戯に等しい水準である。魔導技術の研究者を雇い、邸宅内の研究室を与えているが、それは本人よりも祖母の意向によるものであった。当主であるヘルマンは、魔導技術研究よりも宮廷闘争やバーニエの繁栄に力を入れていた。

 

『まるで穴の開いた甕に水を注ぐようなものではないか。いくら支援をしても、奴らは一向に成果を出さん…だが、ここで止めればこれまでの「投資」も無駄になってしまう…どうしたものかな』

 

メルキア王国がハイシェラ魔族国への支援を続けているのは、ターペ=エトフを危険視したという理由もあるが、より実利的な理由もある。ハイシェラ魔族国には、イソラ王国を経由してレスぺレント地方からの支援物資も届いている。つまり、これまで不可能であったレスぺレント地方との交易が可能となっていた。ハイシェラ魔族国の宰相ケルヴァンは、地の利を活かして、レスぺレント地方とメルキア王国との交易を取り持っていた。バーニエに落ちる利益も少なくない。ヘルマンが宮廷内を説得できているのは、こうした実利があったためである。だがそのために、ターペ=エトフを敵に回すことになった。生活必需品であるオリーブ油をはじめとして、石鹸などの化粧品類も価格が跳ね上がっている。当初は数年で済むと思っていたのに、二十年以上に渡ってその状況が続いているのである。宮廷内でも魔族国への支援を止めるべきという声が大きくなりつつあった。

 

『止めれば、レスぺレントとの交易も止まってしまう。ターペ=エトフが価格を元に戻すという保証もない。進むも地獄、退くも地獄ではないか』

 

『…自業自得だろ?』

 

背後からいきなり声を掛けられ、ヘルマンは叫び声をあげそうになった。だが声が出る前に、口を塞がれた。猿轡を噛まされ、椅子に縛り付けられる。漆黒の外套を纏い、仮面をつけた男が見下ろしている。右手には細身の短剣が握られている。

 

『ヘルマン・プラダ…ベルジニオ・プラダ殿の孫だな?』

 

ヘルマンは呻き声を上げながら頷いた。仮面の男は冷たい声で告げた。

 

『ベルジニオ殿は先の見える男だった。彼であれば、間違ってもターペ=エトフに手を出そうとはしなかっただろう。目先の利益や下らぬ権力闘争に汗を流すお前など、祖父の足元にも及ばん』

 

男はヘルマンの首筋に短剣を突き付けた。ヘルマンが首を仰け反らして目を瞑る。額からは大量の汗が流れていた。

 

『安心しろ。反省する時間は十分にある。痛みと共に、己の所業を悔いるがいい』

 

『んんんーー!!』

 

短剣が一振りされる。左耳がポトリと落ちた。あまりの痛みに、ヘルマンが喚く。その時、部屋の扉が叩かれた。老女の声が扉の向こう側から聞こえてくる。

 

『ヘルマンや…なにかあったのですか?入りますよ?』

 

仮面の男は眼を細めたまま、短剣を握った。だが扉の先に立っていた人物を見て、眼を見開いた。思わず呟く。

 

『リザベル・ドーラ=プラダ殿…』

 

『おや、懐かしい声ですね?ずいぶん昔に聞いた声です。もうこの婆は眼も効かなくなりましたが、その分、耳と鼻は良くてよ?血の匂いがしますね。あなたがやったのね?ディアン・ケヒト殿…』

 

ディアンは短剣をしまい、リザベルの手を取った。椅子に腰を掛けさせる。リザベルは微笑みを浮かべながら、ディアンに尋ねた。

 

『ヘルマンは…私の孫は生きているのですか?』

 

『生きていますよ。左耳は頂きましたがね』

 

『貴方がこんな行動に出たのは、何か理由があるからでしょう?孫には政敵が多くいますが、貴方がそんな目的で雇われるはずが無い。孫を傷つけた理由を教えて頂けないかしら?』

 

『魔族国への支援…それが理由です』

 

リザベルはそれだけで頷いた。齢三百歳をずっと超えているはずなのに、その聡明さは些かも衰えていない。リザベルは孫に向けて話しかけた。

 

『ヘルマン…だから言ったでしょう。魔族国を利用して他国を滅ぼすなど、御爺様は決して許さないと…貴方の祖父ベルジニオは、ルドルフ王と共に「戦のない世」を志していました。平和の時代を創るために、あえて剣を手にしたのがルドルフ王です。その志から外れた時、メルキアに災厄が訪れる。目の前の彼は、貴方が馬鹿にしていた「御爺様の日誌」に出てくる「魔神D」なのですよ?』

 

ヘルマンがディアンを凝視する。「そういえば、そんなこともあったな…」と、ディアンも昔を思い出していた。リザベルは首を振って、溜め息をついた。

 

『今すぐに、魔族国への支援を止めなさい。貴方のやったことは、ルドルフ王の志を裏切り、メルキアを危機に晒す愚行です。ディアン殿、孫の不始末は教育に失敗した私の責任です。この婆の命で、どうかお許しください…』

 

だがディアンの中には、もう殺意は消えていた。リザベルの前に片膝をつき、手を取った。

 

『解って頂ければ、それで良いのです。リザベル殿、貴女に会えたことを本当に嬉しく思います。どうか、いつまでもお健やかに…』

 

優しく語り掛け、立ち上がる。自分を見つめるヘルマンを見下ろして告げた。

 

『ケレース地方から一切の手を引け。それで、お前のことは勘弁してやる。リザベル殿に感謝をするんだな。そして忘れるな。魔神Dがメルキアを見ているとな』

 

ヘルマンが頷くのを確認し、静かに部屋を後にした。

 

 

 

 

 

バリアレス都市国家連合は、各都市ごとの「統治者」が話し合いをして連合としての方向を決める。そうした意味では、全体を統括する「王」は存在していないが、話し合いをする以上は取りまとめ役が必要となる。後世において三重の防壁に囲まれた「城塞都市」となるレンストは、この時代においても「戦の匂い」が漂う街であった。東西から武芸に優れた人材が集まり、傭兵として雇用されメルキア王国や西方諸国へと派遣される。猛者たちが競い合う「闘技場」などもある。賭博場や娼館なども複数あり、レウィニア神権国の貴族たちなどもお忍びでやってくる。この「欲望が集まる街」の統治者が、バリアレス都市国家連合のまとめ役でもある「セリオ・ルビース」である。

 

『またラギール商会からの申請か。ここのところ多いな』

 

セリオは書類に眼を通しながら鼻を穿った。レンストの統治者と言っても、王宮などは存在しない。ルビース家の祖である「ドルカ・ルビース」から続く事務所が、セリオの城である。建物こそ改築をして大きくなっているが、ドルカが使っていた金庫やルビース家の家宝である「南方交易地図」などはそのままの状態だ。ラギール商会からの申請書には、荷車二十両をフノーロまで通す旨が書かれていた。レンストから南東部は「腐海の地」と呼ばれ、罪人などが追放される土地でもある。南方の希少資源や珍しい食品類を目的とした行商人も存在しているが、ラギール商会はこの一年間で延べ数百両もの荷車を動かしている。あまりにも不自然であった。

 

『こいつは一度、調査する必要があるな…』

 

セリオは申請書を「保留」の箱に入れ、立ち上がった。葡萄酒が入った杯を持って、壁に掛けられた地図を眺める。遥か三百年前、護衛斡旋業を開業してレンストを栄えさせた「ドルカ・ルビース」も、同じように地図を眺めていたはずだ。そんなことを思いながら、セリオは地図に書かれた「腐海の地」を眺めていた。扉が叩かれ、部下が入ってくる。

 

『ルビースさん、面会希望者が来ています』

 

『ん?約束はしていないはずだが?』

 

『そ、それが…』

 

部下が一通の封筒を差し出してきた。封蝋の印を見て、セリオの顔色が変わった。右下には「ドルカ・ルビース」の署名が入っている。「直筆」に間違いなかった。

 

『すぐに客間へお通ししろ!あと、俺の今日の予定は全部取り消しだ!』

 

セリオは少し躊躇して、封蝋を割った。

 

 

 

 

 

セリオは少し緊張した表情で客間の扉を叩き、中へと入った。「いかにも商人」という雰囲気の女性が座っている。そして奥の窓際には、黒衣の男が立っていた。男は振り返ること無く、呟いた。

 

『この窓からこの街を見るのは、二百六十年ぶりだ。レンストも大きくなったな。当時はちょうどこの窓を背に、ドルカの机が置かれていたはずだ』

 

『建物自体を改修したんだ。今では上の階も下の階も、俺の事務所になっている。お前さん、本人…なんだよな?』

 

黒衣の男が振り、近づいてくる。右手を差し出した。

 

『ディアン・ケヒトだ。ドルカ・ルビースは、オレにとって忘れがたい友人であり、恩人だ。彼の子孫に会えて嬉しく思う』

 

『セリオ・ルビースだ。待たせてすまなかったな。アンタの名前を聞いて、台帳をひっくり返していたんだ。ドルカ・ルビース時代の台帳に、たしかにアンタの名前が載っている。護衛役としてのアンタの評価も見た。全部空白だったよ。ただ一言「最強、最高の護衛役」とドルカが書いていた』

 

『そうか…オレの正体については、書いていなかったのか。オレは…』

 

『あぁ、いやいや!言わなくていい。先祖が書かなかったのは、理由があったからだろ?なら、知りたくない。俺は長生きしたいんだ』

 

ディアンは頷き、腰掛けていた女性を紹介した。

 

『ラギール商会会頭、リタ・ラギールだ。彼女もドルカ・ルビースを知っている』

 

『リタ・ラギールです。ルビース護衛斡旋所には、その昔は随分とお世話になりました。ラギール商会の今があるのも、ドルカさんのお陰です』

 

『こりゃ驚いた。まさか、ラギール商会の会頭が、こんな若い女性だったとは…』

 

セリオは思わず自分の頬を叩いた。あまりに驚くことが多すぎて、夢なのではないかと思ったのだ。着席した三人は、ドルカの話で盛り上がった。セリオにはどこか、ドルカの面影があった。豪放磊落でありながら、人の面倒見が良かったドルカは、当時のレンストでも顔役として誰もが一目置く存在だった。ディジェネール地方から街に出て、右も左も解らないディアンを拾ってくれたのがドルカだった。ドルカ・ルビースに出会わなければ、いまのディアンは存在していない。だからこそ、その子孫には出来るだけ恩返しをしたいと思っていた。頃合いを見て、ディアンが用件を切り出した。

 

『今日、ルビース殿を訪ねたのは、ある商談をしたいからだ』

 

『ルビース殿は止めてくれ。セリオと呼んでくれていい。ドルカ・ルビースの手紙に書かれていた。この手紙を持ってきた奴には、出来るだけ便宜を図ってやってくれとな。何なりと言ってくれ』

 

『では、オレのこともディアンでいい。セリオ、既に気づいているかもしれないが、この数年、ラギール商会が腐海の地への輸送量を増やしている。今後はそれがさらに拡大するだろう』

 

『あぁ、その点は気になっていた。腐海への出入りはこのレンストで管理しているからな。あの地は罪人なども流されるから、あまり出入りを増やしたくないんだ。さっきも、ラギール商会からの申請を保留にしていたところだ』

 

『なぜ、ラギール商会が急に輸送量を増やしたか、その理由を説明しよう。出来れば、他人には聞かれたくない。少し細工をさせてもらうぞ?』

 

ディアンは、既に部屋隅に貼っておいた「歪魔の結界」を作動させた。

 

『腐海の地には、間もなく統一国家が誕生する。「闇夜の眷属の国」だ』

 

セリオは黙ったまま頷いた。ディアンが話を続ける。

 

『統一国家の名前は「エディカーヌ王国」、国王は「ソフィア・ノア=エディカーヌ(闇夜の混沌に「唯一」叡智を齎す者)」。建国の資金源は、ケレース地方のターペ=エトフが出す』

 

『ターペ=エトフだと?たしか、「黄金郷」と呼ばれているケレース地方の国だな。何故、ターペ=エトフがカネを出すんだ?』

 

『そう遠くないうちに、滅びるからだ』

 

ディアンはそう言って瞑目した。少し間を置いて、話を続ける。

 

『ターペ=エトフは現在、ハイシェラ魔族国という国と戦争をしている。負けることはない。だが、国王インドリト・ターペ=エトフは高齢で、世継ぎとなる子女がいない。戦争中の王国で国王が崩御し、王家が途絶える…それが何を意味するか、解るだろう?』

 

セリオはゆっくり頷いた。話が少し見えてきたからだ。ディアンが説明を続ける。

 

『ターペ=エトフは「理想郷」「黄金郷」と呼ばれている。それはもちろん、国民が豊かに暮らしているということもあるが、それ以上の理由がある。ターペ=エトフの首都プレメルには、光の神殿と闇の神殿の両方が建てられている。光も闇も、現も古も関係なく、どのような神を信仰しても構わない。このディル=リフィーナで唯一、「信仰の自由」が存在している国だ。人間族、亜人族、悪魔族が手を取り合って、皆で助け合って豊かに暮らしている。闇夜の眷属たちも多く暮らしている。その理想郷が滅びようとしている。インドリト王はターペ=エトフの理想を遺すために、腐海の地に新たな理想郷を作ろうと考えたのだ』

 

『なるほど…この数年、ラギール商会が腐海への出入りを増やしていたのは、ターペ=エトフから物資を送っていたからか。事情は良くわかった。それで、俺に何をして欲しいんだ?』

 

『ラギール商会の無制限往来を許可して欲しい。ターペ=エトフは三百年近く、ラギール商会を御用商人としてきた。新国家においても、その関係は継続させる。物資移動はリタ・ラギールが直々に指揮を取ってくれている。今後、さらに増えるだろう。それを認めて欲しい』

 

『おいおい…ラギール商会はこの一年だけでも数百両は行き来しているんだぞ?さらに増えるっていうのか?』

 

『最低でも年間一千両、多ければ数千両の荷車が往来するだろう。出来るだけ急ぐが、それでも二十年は続くはずだ』

 

『…ターペ=エトフってのはどれだけ金持ちなんだよ?』

 

セリオは呆れた表情を浮かべた。

 

 

 

 

 

ラギール商会の無制限往来を許可するとなると、レンスト一都市だけでは決定できない。セリオは各都市の統治者が集まる「バリアレス会議」を招集した。ブレニア内海西方との交易で栄える「ポートリル」や、塩業の街「メルクバスタート」、ディジェネール地方北部への玄関口「トゥルーナ」などの各都市から統治者たちが集まる。ディアンが持ってきた話は、会議を紛糾させるに十分であった。腐海への出入りをラギール商会に独占させるということよりも、腐海に新国家が誕生するということ自体が問題だったのである。

 

『その「エディカーヌ王国」というのは闇側の国であろう?つまり我ら連合は、南北に光側の国、闇側の国を持つことになる。万一にも南北で戦争でも起ころうものなら、この地が主戦場になるのではないか?』

 

『ターペ=エトフが建国するとなれば、その新国家は誕生当初から途方もない勢力になるかも知れん。連合の安全を考えると、ここは拒否すべきだろう』

 

『いや、それは早計だ。確かに腐海の地は混沌としており、罪人などの追放先になっている。だがもしその地に国家が誕生し、一定の秩序が生まれれば、新たな交易先の開拓にも繋がるのではないか?闇夜の眷属の国だからと言って、危険と決めつけるのはどうかと思うが…』

 

意見が百出したところで、セリオが立ち上がった。

 

『私はこの話に乗って良いと思う。確かに、隣国に「闇夜の眷属の国」が誕生すれば不安を感じるだろう。だがここで建国に手を貸せば、彼らに恩を売ることが出来る。使者の話では、新国家建国の暁には連合と相互不可侵条約を締結したいという話だ。ラギール商会会頭がその証人となる。信用できると思う』

 

『だが…』

 

反対意見に対して、セリオが手を挙げて止めた。

 

『もう一つ…この話は我々に莫大な利益を齎す。考えても見て欲しい。何故、腐海と呼ばれる危険地帯に、行商人たちが入っていくのか?それは、あの地にしかない希少資源や珍しい食べ物などを求めているからだ。危険を犯してでも、大きな利益が見込めるから、行商人たちは腐海を目指すのだ。もしここに統一国家が出来れば、そうした品々が安定して供給されるようになる。さらに、ニース地方まで道がつながればどうなるか。現在はアヴァタール地方東域にしかない「香辛料の道(スパイス・ロード)」が、新たにこの地に誕生することになる。我らはこれまで、東西にしか物流路がなかった。ここに南北の太い道が走るのだ。その利益は計り知れん』

 

全員が沈黙をした。セリオの話はディアンの受け売りではあるが、誰もが納得する力を持っていた。バリアレス都市国家連合は、傭兵派遣が主な産業である。だがその需要は戦争によって左右される。実際、各都市の歳入は不安定な状態であった。もし東西南北の交易路の中心地となれば、莫大な富がこの地に落ちるだろう。セリオがトドメの一言を発した。

 

『かつて、私の先祖であるドルカ・ルビースは、将来を見越して連合を形成し、行商隊への護衛斡旋から傭兵派遣業へと業態転換を図った。時代の変化とともに自分たちの在り方、考え方を変えなければ、生き抜くことは出来ない。それがドルカ・ルビースの教えだ。そして今、再び時代が変化しようとしている。かつて我々の先祖が勇気を持って変化したように、我々も新たな地平を目指そうではないか!』

 

沈黙の後、一人、また一人と立ち上がり拍手が起こった。やがてそれは、部屋全体に響いた。

 

 

 

 

 

連合会議の決定を受け、リタ・ラギールは早速、荷車や人員の手配などを開始している。フノーロの街は、まだ国家と呼べるほどの規模ではないが、法が発布され秩序が出来始めている。ターペ=エトフからヒトとモノが入ってくれば、急速に国家へと向かうだろう。ディアンは挨拶のためにセリオの事務所を訪れた。

 

『本当に世話になった。決して後悔はさせない。お互いに気持の良い関係を続けたいものだ』

 

『利益のある話だったから、皆を説得できたのさ。お前さんの話は、俺たちにとっても夢のある話だった。道は険しいだろうが、頑張ってな』

 

互いに握手を交わした後、セリオが一通の封書を取り出した。

 

『ドルカの真似じゃねぇが、持っていてくれ。俺の子孫に当てた手紙だ。何かあったら、この手紙を子孫に渡してくれ。力を貸すように伝えてある』

 

受け取って裏面を見る。封蝋が押され、セリオの署名が入っている。蝋の印は、かつてドルカ・ルビースが使っていたものだ。中年の男が、愛嬌のある笑顔を浮かべている。ディアン自身、ずっと疑問に思っていた「奇妙な印」である。セリオが笑いながら説明した。

 

『「愛と平和(Love&Peace)」、ルビース家の家訓であり、誇りだ』

 

傭兵斡旋業者とは思えない言葉に、ディアンも思わず笑った。

 

 

 

 




【次話予告】

ターペ=エトフ歴二百六十五年、エディカーヌ王国建国に向けてラギール商会の大規模輸送が開始された。しかしそこに横槍が入った。レウィニア神権国プレイアにて、輸送隊が足止めを受けたのだ。プレイア駐在官のエリザベス・パラベルムの説得も虚しく、レウィニア神権国は正式に、ターペ=エトフとの同盟を破棄する。ディアンは覚悟を決めて、プレイアに乗り込んだ


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第九十一話「同盟破棄」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第九十一話:同盟破棄

ラウルバーシュ大陸中原アヴァタール地方の大国「レウィニア神権国」は、東西に伸びる大陸公路に位置し、温暖で肥沃な土地とブレニア内海の良好な港を持っている。繁栄が約束されたようなこの地に、人が集まるのは必然であった。しかし、その歴史は決して平坦なものではない。メルキア王国との軍事的緊張関係は、レウィニア神権国建国当初から続いてた。また、西にスティンルーラ王国、南にエディカーヌ王国が誕生すると、軍事力の一層の強化が求められた。その結果、レウィニア神権国は十一もの軍団で形成される強力な軍事力を持つことになるのである。

 

レウィニア神権国は段階的に軍拡を行うが、その最初の契機となったのが、レウィニア建国歴二百七十六年(ターペ=エトフ歴二百六十五年)の「対ターペ=エトフ同盟破棄」であることは、歴史家たちの見解も一致している。レウィニア建国歴二百七十六年「星月夜の月(九月)」十五日、レウィニア神権国は国王の名において、ターペ=エトフとの同盟関係を正式に破棄をする。二百五十年以上に渡って続いた同盟関係を一方的に破棄したことについては、スティンルーラ王国から非難声明が出されるなど、周辺諸国にも大きな影響を与えた。しかしそれ以上の衝撃が、しばらくしてレウィニア神権国貴族層に発生する。それが同年の豊穣の月(十月)に起きた「神託」である。

 

 

 

 

 

バリアレス都市国家連合の正式な承諾を受けて、リタ・ラギールは荷車と人員の調達を行った。プレイア、プレメル、クライナの三角貿易を継続させながら、同時に腐海の地まで物資を輸送するとなると、プレメル郊外に物資集積所なども設けなければならない。フノーロでは地上にも建物などが出来始めているが、大図書館の書籍などは地下迷宮に運び込む予定だ。膨大な量であるため、人員配置を計算し、計画的に進める必要がある。幸いなことに、ターペ=エトフや新国家エディカーヌ王国の行政官たちは優秀で、事務的な手続きは滞り無く進んでいた。武器や食料、耕作のための道具類などを載せた百両の荷車がプレメルを出発したのは、ターペ=エトフ歴二百六十五年の夏のことであった。

 

『はぁ?なんで足止めを受けるのよ?アタシはラギール商会の「リタ・ラギール」だよ?レウィニア神権国から自由交易権も受けているのに、なんで止められるのよ!』

 

リタ・ラギールはプレイアの本店で地団駄を踏んだ。南方への輸送隊がプレイアで足止めを受けたのだ。本店を構えて以来、無かったことである。王都プレイアに本店を構えるラギール商会は、一定の税を収めることで東西南北のいずれにも行商隊を出すことが許されている。ヒトとモノの行き来を活発にすることで、レウィニア神権国も莫大な富を得てきた。「法を守る限り、自由を侵されることはない」、この信頼があるからこそ行商人たちがプレイアを拠点としているのだ。リタは顔を赤くして、行政庁に抗議に行った。

 

『現在、ターペ=エトフからの物流は全て、プレイアで止めています。これは行政庁の決定です』

 

『だから何でよ!こっちは商売でやってんのよ!商会(ウチ)の信用に関わる問題だよ!』

 

『何と言われようとも、通すわけにはいきません!』

 

行政庁の担当者は冷徹な表情でリタの抗議を突き返した。リタは納得がいかず、貴族や有力者の伝手を頼る。だが誰もがリタを避けているようであった。ようやく聞き出した情報は、リタを愕然とさせるものであった。レウィニア神権国は、ターペ=エトフとの同盟関係を正式に破棄し、国交を断絶させようとしていたのだ。リタは顔色を変えて、在プレイア駐在官を訪ねた。

 

 

 

 

 

『アイツら、バカなんじゃないの!?ターペ=エトフからの物流が途絶えるってことは、オリーブ油や鉱石、香辛料なんかも途絶えるってことだよ。もし国交断絶なんてなったら、街灯一つ灯らなくなるんだ!』

 

リタは呆れたように文句を吐き、葡萄酒を呷った。在プレイア駐在官エリザベス・パラベルムも憂鬱な表情を浮かべる。

 

『どうやら、裏で動いているのは複数の貴族のようです。メルキア王国が下りたことで、ターペ=エトフ包囲網は瓦解しました。呼びかけ人であった公爵は、政治的に追い詰められています。公爵は水の巫女信仰の篤い方で、国政にも強い発言力があります。その影響力が低下したため、他貴族がその隙きに権勢拡大を狙っているようです』

 

『つまり権力闘争ってこと?でもハッキリ言って、これは自殺行為だよ。レウィニア神権国が無くたって、ターペ=エトフは困らないんだ』

 

『この屋敷も事実上の軟禁状態になっています。いざという時の「人質」のつもりでしょう。状況は、鳥を使って伝えました。リタ殿、この屋敷にはもう来ないほうが良いでしょう。このままでは、貴女まで巻き込まれてしまいます』

 

『アタシとしては、むしろレウィニア神権国が心配だよ。お偉方は、「ターペ=エトフの黒き魔神」の存在を忘れてんじゃないの?』

 

リタは溜息をついて首を振った。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴二百六十五年「星月夜の月」、レウィニア神権国はターペ=エトフに「同盟破棄」を通告した。エリザベス・パラベルムの国外退去を命じると共に、ターペ=エトフとの通商を断絶するというものである。宰相シュタイフェは怒りを通り越して呆れてしまった。レウィニア神権国がハイシェラ魔族国に支援をしていたことは、ずっと前から把握をしていた。それにも関わらず通商を続けていたのは、オリーブ油などの生活必需品が途絶えれば、アヴァタール地方の民生に影響が出るからだ。

 

『一体、何を考えているんでヤスかねぇ~ ターペ=エトフからのオリーブ油が無くなれば、連中は半年で干上がりヤスぜ?』

 

『恐らく、レウィニア神権国内で何らかの権力闘争があるのだろう。ターペ=エトフ包囲網を呼びかけたのはフランツ・ローグライア公爵だが、その背後にいるのはレウィニア国王であり水の巫女だ。水の巫女は魔神ハイシェラをけしかけて、ターペ=エトフを滅ぼそうとした。だがその目論見は失敗した。その結果、貴族層を中心に「水の巫女の権威」そのものが低下をしているのだろう。ターペ=エトフのオリーブ油が無くなれば、レウィニア国内で生産をするしか無い。つまり「新たな利権」がそこに生まれる』

 

『なるほど…民を考えない特権階級の連中が考えそうなことですな。ですが、現実問題としてどうしヤスか?レウィニア神権国を通れないとなると、南方建国計画を見直す必要がありヤスぜ?』

 

シュタイフェの問いに、ディアンが沈黙した。レウィニア神権国を通らずに物資を運ぶとなると、スティンルーラ王国を経由して船で運ぶしか無い。積み替えなどの費用が倍増するため、出来れば避けたい方法だ。だが通常の外交方法では、レウィニア神権国を通ることは出来ないだろう。

 

『簡単な方法は、極大純粋魔術でプレイアを消滅させてしまうことだが…』

 

ディアンの呟きに、シュタイフェは身を震わせた。それはつまり五十万人以上を虐殺することを意味するからだ。慌てて止める。

 

『ディアン殿!それだけはヤバイですぜ!どんな理由があろうとも民を虐殺してしまったら、ターペ=エトフは歴史に永遠の汚名を残しヤす!そもそも、インドリト様がそんなことをお許しになるはずがない!』

 

『あぁ、解っている。そんなことはしないさ』

 

シュタイフェは黙ってディアンを見つめた。目の前の男は、徐々に変質をしてきている。以前のディアン・ケヒトなら、そんなことを口に出す筈がなかった。暴力による短絡的な解決を忌避していた筈であった。愛弟子と共に追いかけてきた理想が消えようとしているからだろうか。「人と魔神」という均衡が、徐々に魔神へと傾いてきているように感じた。

 

(もし、ディアン殿が破壊神になろうものなら、その悲劇は姫神フェミリンスの比ではない。これを止められるとしたら…)

 

シュタイフェの憂鬱そうな表情に気づくこと無く、ディアンは別手段を考えた。

 

『仕方がないな。フランツ・ローグライアの首を使って国王を脅そうと思っていたが、状況がこうなってしまったら生かしておくしか無いだろう。対立する貴族派を皆殺しにして、ローグライアの権勢を回復させるか…』

 

『…話し合いで、なんとかならないものでヤスかね?』

 

『忘れるなよ?オレたちには、時間が無いんだ。今は、相手を説得する時間すら惜しい』

 

『………』

 

シュタイフェは暗い表情で沈黙した。

 

 

 

 

 

王宮の中庭に、赤き月ベルーラの光が刺している。月明かりの中でディアンは黒衣を羽織った。背中に剣を刺し、黒い仮面をつける。その瞳は月と同じく、赤い光を放っていた。これからレウィニア神権国王都プレイアに乗り込み、貴族を皆殺しにするつもりであった。国王とローグライア以外の全員を抹殺し、その首を王宮に並べれば国王も頷くだろう。死の恐怖によってローグライアを働かせ、その上で全てが終わった暁には、ローグライアもレウィニア国王も水の巫女も殺す。レウィニア神権国の滅亡後には、スティンルーラ王国なりメルキア王国なりが統治すればいい。冷たく、暗い怒りをディアンは感じていた。意を決して飛び立とうとした時に、背後から声を掛けられた。

 

『師よ、どこへ行くのです?』

 

ディアンは一瞬、息を止めた。瞑目してゆっくり振り返る。賢王インドリト・ターペ=エトフが、剣を抜いて立っていた。

 

『見事だ。私に気づかせること無く、背後を取るとはな』

 

ディアンは苦笑しながら仮面を外し、インドリトを褒めた。だが褒められたほうが、哀しそうな表情を浮かべて、首を振った。

 

『違うでしょう。師の背後を取ることなど、誰にも出来ません。背後を許したのは、師の中に「濁り」があるからです。師は今、道を踏み外そうとしています。御自身でも気づいているのに、それを無視して突き進もうとしています。必要のない血を流そうとされています。なぜ、それほどまでに急がれるのですか』

 

『インドリト、お前も解っているはずだ。ターペ=エトフには時がない。話し合い、根回し…そんな時間を掛けていたら、ターペ=エトフは滅亡してしまう!誰かが、手を汚さなければならないんだ。そして、それが出来るのは私だけだ!』

 

『師よ…それは何の為ですか?人々を恐怖させ、血を流し続け、その果てに新国家が出来たとして、そこに正義はあるのですか?貴方と私が目指した理想は、そんなものだったのですか?』

 

『綺麗事では理想は実現できん!種族も、信仰も超えて皆が共存する世界、神に依存するのではなく、自らの意志で歩む世界… だがこの世界には、それを是としない連中がいる。自分の利益の為、自分の立場の為…小さな拘りに汲々として、より大きな理想を見ようとしていないのだ!時が十分にあれば、説得という道もあるだろう。だが現状では、そうした抵抗は力で打ち砕くしか無い!』

 

『それは違うわ。ディアン…』

 

インドリトの背後から、レイナが姿を表した。瞳から雫が溢れている。

 

『ディアン、あなたの今の言葉は、ずっと昔、西栄國の懐王が言った言葉と同じよ?自分の理想を推し進めるために、力づくで抵抗を排除するなんて、そこに大義は無いわ。そんなこと、あなただって解っているでしょう?解っているから、仮面を着けているのでしょう?』

 

『………』

 

『師よ、今の貴方をプレイアに行かせるわけにはいきません。これは王命です。もし否と言うのであれば、ここで貴方を誅します!』

 

ディアンは暫くの間、拳を握り続けていた。だがやがて力が抜け、大きく息を吐いた。瞳から赤い光は消えていた。

 

『話し合いで解決するとすれば、水の巫女を動かすしか無い…か』

 

レイナが泣きながらディアンに抱きついた。インドリトもようやく、顔が緩んだ。レイナの頭を撫でながら、ディアンが苦笑しながら弟子に顔を向けた。

 

『私もまだまだ未熟だな。お前に諭されるまで、魔境を彷徨っているとは…有り難う、インドリト』

 

『シュタイフェにも礼を言って下さい。彼が私に相談を持ち掛けてきたのです』

 

シュタイフェの表情にすら気づいていなかった。自分自身、そこまで追い詰められていた。いや、自らを追い込んでいたのだ。ディアンは自省をしながら、頷いた。

 

 

 

 

 

『ここが、水の巫女様が御座す「奥の泉」か…』

 

水の巫女神殿の最奥「奥の泉」に、レウィニア神権國国王アーダベルド・レウィニアを先頭に、ローグライア公爵、オフマイヤー伯爵など主だった貴族の当主たちが入る。全員が入ると、重い扉が閉ざされた。清浄と神気に満ちた泉に、貴族たちも息を呑んだ。国王は黙ったまま桟橋を渡り、中ほどの亭に進む。石像が神気に包まれる。国王が片膝をついた。貴族たちも慌てて、それに倣う。光と共に、美しき神が出現した。

 

『我が主よ、この度は主のお手を煩わせ、誠に恐懼の極みでございます。無能非才の我が身では、此度の混乱を収拾すること叶わず、主のお力にお縋りしたく…』

 

水の巫女は頷き、神気を放ったまま透き通った声を発した。

 

«皆、表を上げなさい…»

 

神が発する圧倒的な気配と、美の結晶のような姿に、顔を上げた貴族たちは全員が慄いた。貴族たち一人ひとりの顔を見て、水の巫女が神託を告げる。

 

«私は、レウィニア神権国は人々自身の手によって、その歴史を紡ぐべきだと考えています。ですが今、レウィニア神権国は大いなる災厄を目の前にしています。この場にいる一人ひとりがそれを自覚し、皆で力を合わせぬ限り、その災厄から逃れることは出来ないでしょう»

 

『恐れながら、我が主よ…その「災厄」とは…』

 

水の巫女が後ろに目を向けた。皆も振り返る。そして全員が驚愕の表情を浮かべた。漆黒の外套を纏い、剣を背に刺した黒衣の男が、暗黒の気配を放ちながら立っていたからだ。

 

«「ターペ=エトフの黒き魔神」…皆も聞いたことがあるでしょう。レウィニア神権国はターペ=エトフとの同盟を破棄し、物流まで止めています。その結果、民から怨嗟の声が出始めているのを皆は知っていますか?»

 

『み、巫女様…それは…』

 

対ターペ=エトフ同盟破棄を主導した貴族たちが慌てる。圧倒的な神気と圧倒的な魔気に挟まれ、他の貴族たちも狼狽えていた。魔神はただ黙って、それを見下ろしている。水の巫女は瞑目して、抑揚の無い口調で言葉を続けた。

 

«それも人が決めた歴史…私はそう思っていました。ですが「彼の魔神」は、もし物流を回復しない場合は、民を苦しめる者たちを殺戮すると言っています。このままでは、皆はこの泉から生きて出られません…»

 

『我が主よ…如何すれば宜しいのでしょうか』

 

«私はかつて、魔族国への支援を神託として下しました。ターペ=エトフの流れを止めなければ、やがてレウィニア神権国の民たちに混乱が起きると考えたからです。そして、その流れは止まりました。ですがその結果、新たな危機が起きようとしているのです。ターペ=エトフとの同盟は回復できないでしょう。しかし物の流れは回復をさせなさい。ターペ=エトフからの物資がなければ、民たちが苦しむのです»

 

国王と貴族は一斉に頭を下げた。

 

 

 

 

 

全員が退出した後、ディアンは魔神の気配を放ったまま、水の巫女に歩み寄った。右手に力を込め、水の巫女の神核を目掛けて突き出す。水の巫女は瞑目した。だが衝撃は無かった。指先が柔肌に触れる手前で止まっている。ディアンの気配が、魔神から人間へと戻った。水の巫女の神気も収まる。

 

『巫女殿…貴女には借りがある。ハイシェラとの戦いで死にかけた時、トライスメイルを動かしてオレを助けてくれたという借りがな』

 

『私を恨んではいないのですか?』

 

ディアンは溜息をついて、肩を竦めた。石椅子に腰掛けて足を組む。

 

『つい先日までは、貴女を殺そうと考えていた。今でも、思うところはあるさ。だがまぁ、貴女の言い分も解る。ターペ=エトフは急ぎすぎた。急進的変革は、必ず歪みを生み出す。そんなモノは自然淘汰されれば良いとも思うが、貴女はもう少し、歩みを抑えろと言うのだろう?』

 

『それが「新しい国」の答えなのですね?』

 

ディアンは片眉を上げた。

 

『…何で知っているんだ?秘密保持には相当、気を使ったつもりだが?』

 

『貴方の弟子、インドリト王から教えてもらいました。ターペ=エトフは滅びる。けれども、その理想は滅びない。神として、自分の理想の行く末を見守って欲しいと…』

 

ディアンは瞑目した。水の巫女はレウィニア神権国の絶対君主であると同時に、一柱の「神」として存在している。ならば神としての役割がある。インドリトはこの世界に生きる一人として、自らの理想を神に示し、神としての役割を求めたのだ。

 

(こんな方法もあったのか…)

 

新旧、光闇の相克に誰よりも固執していたのは、自分だったのだ。自分よりも、弟子のほうが遥かに視野が広かった。ディアンは溜息をついて笑った。額に手を当てて、上を見る。

 

『何をやっていたんだろうな、オレは…』

 

『新しい国「エディカーヌ王国」…その国が目指す理想がどのような実を成すのか、私も見守りたいと思います』

 

ディアンは頷き、立ち上がった。気持ちが軽くなったところで、重要なことを思い出したからだ。

 

『新たな理想郷は、ハイシェラを打ち破った後に見えてくる。恐らく次の大戦は、ケレース地方全土を巻き込むだろう。オレは戻る。巫女殿、いずれまた会おう』

 

水の巫女は一度だけ頷いて、石像へと戻った。ディアンも奥の泉から飛び立ち、プレメルへと急いだ。ターペ=エトフ歴二百六十五年「豊穣の月」の七日のことであった。

 

 

 

 

 

ラウルバーシュ大陸西方域、大封鎖地から南西にある「ペリセ公国」は、森と湖に囲まれた、マーズテリア信仰の篤い国である。マーズテリア神殿総本山から派遣された神官長「ロベール・スーン」は、包容力のある人柄で人々から慕われていた。南方のリガーナル半島から来たという黒髪の女性とこの地で出会い、数年の恋愛の後に結ばれた。そしていま、新たな命が生まれようとしていた。一心に、マーズテリア神への祈りを捧げるロベールに、慌てた声が掛けられた。

 

『神官長様!生まれました!女の子です!』

 

ロベールは慌てて立ち上がって、部屋へと走り込んだ。妻が笑顔を向けてくる。その枕元に、珠のように輝く赤子がいた。黒髪と蒼く大きな瞳をしている。ロベールは慎重に赤子を抱え上げた。手にした瞬間、電流のような何かを感じた。赤子は、凄まじい魔力を潜在させていた。だが今は、そんなことはどうでも良かった。母子ともに無事であったことをマーズテリア神に感謝した。

 

『何と美しい…きっとお前に似て、素晴らしい美人になるぞ!』

 

『あなた…この子に、名前を付けてあげて下さい』

 

『透き通るような肌と絹のような黒髪、そして強い力を持っている。出来れば心も、それに相応しく成長して欲しい。決めたぞ。この子の名は「クリア」だ!クリア・スーンだ!』

 

満面の笑みを浮かべるロベールの腕の中で、赤子は眠りに落ちていた。

 

 

 




【次話予告】

ターペ=エトフ歴二百七十年、エディカーヌ王国建国に向けて、ターペ=エトフからの大規模輸送が続いていた。新たな国は、これまで以上の経済力を持たなければならない。ディアンは交渉のため、ディジェネール地方へと入った。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第九十ニ話「腐海の名産品」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第九十ニ話:腐海の名産品

エディカーヌ王国は、一般的には「闇夜の眷属の国」と呼ばれ、アヴァタール地方を中心とする人間族に忌避される傾向が合った。エディカーヌ王国自身、そうした認知を払拭しようとはせず、むしろ王国の秘密保持のために利用しているフシさえある。レウィニア神権国の行政庁においてさえ、エディカーヌ王国の人口や国土面積、経済基盤、軍事力などの情報は少なく、その実態は謎に包まれている。特に建国間もないころは、バリアレス都市国家連合によって半封鎖状態となっていた。権力闘争に敗れた亡命貴族や罪人、あるいは逃亡した元奴隷などが、逃げ込む形でエディカーヌ王国のある「腐海の地」に入る程度であり、御用商人指名を受けていたラギール商会の行商隊や、幾つかの独立商人以外は、エディカーヌ王国の名前すら知られていない状態であった。

 

エディカーヌ王国が歴史に重要な役割として登場するのは、エディカーヌ建国歴百四十年のことである。マーズテリア神殿聖女ルナ=クリアは、ディジェネール地方に出現した異界「狭間の宮殿」に入るために、エディカーヌ王国の通過を求めた。エディカーヌ王国はそれを認める代わりに、マーズテリア神殿に対して信仰体系「神の道」への承認を要求する。幾度かの交渉を経て、マーズテリア神殿はエディカーヌ王国に神官を派遣することを決定した。光側の第一級現神が「神の道」に加わったことは、周辺諸国、特にベルリア王国に大きな衝撃を与えた。その後、数百年間に渡りマーズテリア神殿は神官を派遣し続けるが、建国歴六百ニ八年に発生した「ドゥネール会戦」での活躍により枢機卿となった「コア・プレイアデス」により、マーズテリア神殿は「神の道」を否定する声明を出す。新七古神戦争とよばれたアヴァタール地方の大乱から、三年後のことである。

 

 

 

 

 

バリアレス都市国家連合の中核都市レンストから数日、「腐海の地」においては大きな都市である地下都市「フノーロ」は、その相貌を一変させていた。基本的な都市設計はプレメルと変わらない。建国において最初に整備をしたのは上下水道であった。ブレニア内海に流れ込む河川を整備し、魔導技術を使った貯水施設と汚水処理施設を建てた。治安を維持するための街灯にも、魔導技術が使われている。舗装した大通りが東西南北に走り、各区画ごとに様々な建築が行われていた。地下の転移魔法陣から地上に昇ったディアンは、凄まじい勢いで進む様子に呆れていた。地上の一箇所に、天幕が張られている。二人の護衛に挟まれ、机上の紙に目を落としている「巫女のような姿」をした黒髪の美少女に声を掛ける。

 

『凄いな…プレメルを遥かに凌ぐ規模になりそうだ』

 

巫女姿の美少女「ソフィア・ノア=エディカーヌ」は顔を上げること無く、返事をした。

 

『まだまだですわ。最終的な規模は見当もつきません。当初は城壁を建てようと思っていたのですが、塀で大きさを制限するのは得策ではないと判断し、当面は木柵と警邏隊による見廻りで警戒をしています』

 

ようやく顔を上げたソフィアは、以前にも増して美しくなっていた。黒髪に白と赤の着物が似合うということもあるが、「建国」という大事業に心が浮き立っているのだ。ディアンは頷いて、不足しているものが無いかを確認した。

 

『物資は十分です。月に一度の割合で、荷車百両以上の物資が届きます。この地での生産活動も始まっており、農畜産業では当面の目標を達成しています。ただ…』

 

『何か、気になることがあるのか?』

 

『強みとなる産業です。ターペ=エトフは鉱石類や武器のみならず、オリーブ油や石鹸などの化粧品類、香辛料などを特産物として、アヴァタール地方やレスペレント地方に輸出をしています。他国を圧倒する生産力により、豊かな経済、財政を形成しています。一方、新国家の取引相手となるのは、バリアレス都市国家連合、ベルリア王国、メルキア王国、レウィニア神権国、スティンルーラ王国です。もしこの地でもオリーブ栽培をするとなれば、ターペ=エトフと競合することになってしまいます。オリーブ栽培はいずれ行うとしても、新国家独自の、別の産業が必要なのです』

 

『判っている。オレが来たのもそれが理由だ。ターペ=エトフでは絶対に不可能な産業をこの地に興す。頼んでいた調査資料はあるか?』

 

ソフィアが紙束を差し出した。新国家エディカーヌ王国の気候や土壌についての調査結果である。いち早く、種族ごとこの地に越してきたイルビット族の研究成果だ。

 

『思った通りだな。この地では、平地の平均気温はターペ=エトフよりもずっと高い。亜熱帯に近いと言えるだろう。つまり「砂糖」の栽培が可能だ』

 

『砂糖?レスペレント地方から輸入をしていた「サトウカエデ」のことでしょうか?』

 

『いや、あれとは全く別だ。あれは樹液だったが、この地では「サトウキビ」が栽培できるだろう。実際、ディジェネール地方の亜人族にはサトウキビを常食している種族もある』

 

ソフィアは首を傾げたが、こと産業振興に関してはディアン・ケヒトの右に出る者はいない。リタ・ラギールでさえ、ディアンに助言を求める程なのだ。ソフィアは羊皮紙をディアンに渡した。ディジェネール地方外交の全権委任状である。

 

『イルビット族のプルル殿とマルコ殿も、同行を希望しています。ディジェネール地方の植物に興味があるとか。ぜひ、新産業のネタを持ち帰って下さい』

 

『任せろ。新国家エディカーヌ王国は、いずれターペ=エトフを凌駕するほどの経済大国になるだろう』

 

 

 

 

 

ディジェネール地方最深部にある龍人族の村まで歩く。通常より倍の時間が掛かったのは、背中に転送機を背負っていることもあるが、連れているイルビット族の研究者たちの歩調が遅いことが大きな理由だ。

 

『おぉっ!マルコ、これを見なさい!これはきっと新種のキノコに違いない!食べてみようか?』

 

『それは「シュプフェル・トマキア」という猛毒のキノコだ。ディジェネール地方の龍人族はそれを煮出して、煮汁を鏃に塗る。一口でも食べたら、半刻もしないうちに「転生の門」に行けるぞ?』

 

ディアンは苦笑しながらも、二人の研究者に付き合った。ターペ=エトフにはレイナを残している。万一にもハイシェラが来れば、転送機を使って一瞬で帰ることができる。何事もなければ、転送機は西の海辺に設置をするつもりだ。

 

『プルルさんっ!この実からは凄い臭いがします!こんな臭いは初めてです!』

 

『な、なんという悪臭だ!きっと毒があるに違いない!早く捨てなさい!』

 

『それはドリアンだ。臭いはキツイが、クリームのような滑らかな甘みのある果実だ。馴れると病みつきになるぞ?』

 

ディアンは短剣で刺々しい果実を二つに割った。強烈な臭いが広がり、イルビット族の二人は鼻を摘んだ。中の白い果肉を適当な大きさに切って食べる。二人も恐る恐る手を伸ばし、目を瞑って口に入れた。驚いた表情で顔を見合わせ、再び手を伸ばす。

 

『ディジェネール地方の植生は豊かだ。他にも珍しいものが数多くある。だが、我々は行き先が決まっている。まずは目的を果たそう』

 

幾つかの植物に眼をつけ、ディアンも革袋に実を入れていった。やがて小川を超え、目的地へと辿り着いた。

 

 

 

 

 

ディジェネール地方最深部の龍人族の村に入ったディアンは、その変わらなさに目を細めた。三百年近く前に、この村に初めて入ったときから、何も変わっていない。井戸の位置も家畜の囲いもそのままだ。時の流れが止まってしまったのようであった。だが人は変化をしている。リ・フィナは美しさこそ変わらないが、子供が四人もいる。龍人族は古神の眷属として、他種族からも忌避されているが、ターペ=エトフ出身の者にとっては見慣れた種族である。二人のイルビットは早速、聞き込みに回っていた。鼻下に髭を生やしたことだけが唯一の変化であるグリーデが、ディアンを案内した。

 

『フォッフォッ!今度はイルビット族を連れてきたか。結構なことじゃ。多くの種族と交流すれば、その分、学びも多くなるからの』

 

三百年前と変わらない家、変わらない場所に、変わらない姿で長老は座っていた。ディアンは嬉び八割、疑問二割であった。目の前の老龍人は一体、何歳なんだ?

 

『ご無沙汰をしております、長老。ディアン・ケヒト、帰参致しました』

 

『魂の成長を感じるぞ?喜びだけではない。辛いことや悲しいこともあったのであろう。じゃがそれも含めて、全てが人生であり修行なのじゃ』

 

『時に迷い、魔境に陥ったこともありました。自分の力を情けなく思うこともありました。多くの人々に援けられ、なんとか生きてきました』

 

長老は黙って頷いた。ディアンは革袋から羊皮紙を取り出し、傍に控えるグリーデに渡した。ディアンはターペ=エトフの現状と、新国家エディカーヌ王国の話をした。

 

『エディカーヌ王国は、ディジェネール大森林の東方に誕生します。「神の道」と呼ばれる全く新しい宗教体系を構築しました。王都には「古神の神殿」も建てられる予定です。このディル=リフィーナに存在する全ての神族を祀った「神宮」は、既に完成しています。ディジェネール地方には、様々な種族が生きています。それら全てを受け入れる土壌を作ったつもりです』

 

長老は黙っていたが、グリーデが首を傾げてディアンに尋ねた。

 

『ディアン…その「新しい国家」は、この地を支配するつもりなのか?』

 

『とんでもない。支配などはしません。エディカーヌ王国からこの地に入る者は、ごく一握りとする予定です。ディジェネール地方にはディジェネール地方の在り方があります。それを壊したくはありません。交流や交易すら、希望する種族にだけ限定をするつもりです。ただ、東西を走る横断道路だけは、敷くことは出来ないかと考えています』

 

ディアンは地図を取り出した。アヴァタール地方やディジェネール地方、西方諸国までを描いた地図である。二百数十年に渡って集積した「プレメルの大図書館」の資料から、イルビット族たちが完成させた「世界地図」である。ディアンはディジェネール地方を指した。沿岸の形は描かれているが、大部分は空白だ。

 

『ディジェネール地方は、暗黒の樹海と呼ばれています。この地のことは殆ど知られていません。私は、この地は暗黒のままで良いと考えています。将来的には、北方のブレニア内海沿岸域、南方のフェマ山脈山岳域に結界を設け、冒険者などの立ち入りなども禁じてしまおうと考えています。人間族は貪欲です。この地の豊かな植生や珍しい動物などを狙って、いずれ必ず、略奪者が押し寄せるでしょう。そうなる前に、エディカーヌ王国の「悪名」によって、ディジェネール地方全体を結界で封じます』

 

ディアンは、前世における歴史的な悲劇を想定していた。前世の歴史では、神々の束縛から開放された人間たちは文明を発展させ、それと同時に世界を拡張させた。暗黒大陸と呼ばれた土地に押し寄せ、そこに暮らしていた現地人を奴隷化した。教化という名の「文明的侵略」によって、どれほどの悲劇が起きただろうか。ディジェネール地方の北西部には、マーズテリアを信仰する「ベルリア王国」がある。彼らがいずれ、この地に押し寄せないという保証はない。だがグリーデにはあまり実感が無いようであった。こうした無垢さもまた、この地の良いところではあった。

 

『ディアン、つまりお前がこの地を守るということか?我らは龍人族だ。ここには優秀な戦士もいる。そうした略奪者には、力を持って対抗すれば良いではないか』

 

『グリーデ殿、人間族の力を甘く見てはいけません。剣や槍で攻めてくるのであれば、対抗のしようもあるでしょう。ですが彼らは「信仰的侵略」をしてくるのです。恐らく最初に、マーズテリア神殿あたりの神官を派遣し、こう言うでしょう。「混沌としたこの地に、秩序を齎したい」とね…私は既に、その例を見ています』

 

ディアンはケレース地方にある光側の国「イソラ王国」の話をした。街を造るのは構わない。そこに住んで生活をするのも良い。だが、先住民族を「原始人」と決めつけ、自分たちの宗教、文明で「教化」しようという行動は、どう見ても「侵略」としか思えなかった。彼らはそれを「正しいこと」と思っているのだから、尚更にタチが悪いのである。ディアンの話を聞いて、長老は笑った。

 

『フォッフォッ!まぁ彼らも良かれと思ってやっているのじゃ。そう悪く言うでない。要は、それで幸福になるかどうかじゃて…』

 

『仰る通りです。人は皆、幸福を追求するものです。ですが彼らは、自分たちの幸福のために、他者の幸福を害そうとしています。もしくは、自分が信じる幸福を他者に押し付けようとしています。何が幸福なのかは人それぞれです。新国家がディジェネール地方との交流を慎重に進めようとしているのは、各種族の幸福を害したくないからです』

 

ディアンは地図に線を引いた。

 

『各種族の位置は、大雑把ですが把握をしているつもりです。この線上であれば、どの種族の集落にも引っ掛かること無く、横断道路を敷くことが出来ます。可能な限り伐採を最少にして、細い道にします。そしてこの西岸に港を作れないかと考えています』

 

『ほう…港を作ってどうするのじゃ?』

 

『船を建造し、リガーナル半島との交易が出来ないかと考えています。リガーナル半島には「レノアベルテ」と呼ばれる、ルーン=エルフ族の聖地があると聞いています。また様々な種族が棲んでいるとも聞いています。珍しい鉱石や食料もあるでしょう。船を使えば、陸よりもより速く、より多くを運べます』

 

ディアンの目的は、それ以外にもあった。レノアベルテには恐らく、「カッサレの魔導書」があるはずである。またエルフ族であれば、「フェミリンスの呪い」の解呪法を知っているかもしれない。三百年近くの研究で、考えうる全ての解呪法を試みたが、どうしても見つからなかった。残る可能性は、「未知の土地」にしか無かった。

 

『私は魔神です。そして、新国家エディカーヌ王国の国王は、私の使徒です。時は無限に近くあります。決して焦りません。百年、二百年の時を掛けて、ゆっくりと進めたいと思います』

 

自分に言い聞かせるような話し方に、長老は黙って頷いた。

 

 

 

 

 

ディアンと二人のイルビットは、半年以上を掛けてディジェネール地方を横断した。各種族の集落に立ち寄り、屋根を借りたりもする。交流の話はしない。ただ東方に闇夜の眷属の国ができること。この地を決して侵さないことだけを伝える。各種族の信仰や文化を重んじる姿勢を見せたため、半信半疑の者たちも、集落の外れで寝泊まりする程度は許してくれた。好奇心が旺盛なイルビットたちは、集落に立ち寄っては様々なことを聞いている。

 

『おぉ!これは美味い!この黄色い果実はなんと甘く、美味であることか!』

 

プルルは眼を細めながら「実芭蕉(バナナ)」を頬張った。ディジェネール地方の原生林には食物が豊富にある。樹の中にいる幼虫を捕まえ、焼いた石の上で転がす。大きな芋を掘り出して焼き、岩塩を振り掛ける。見た目は悪くても、味は良かった。ディアンは昔を思い出していた。かつてこの世界に来た時は、龍人族たちと一緒に森に入り、こうした野生の食料を得て食べていた。ターペ=エトフの文明的な食事も良いが、こうした野生での生活も良い。

 

『世界は、実に豊かだ。無理をしなくても、こんなにも豊かな食事と刺激ある毎日を送れる。ヒトは何故、それに満足しようとしないのか…』

 

満天の星空を眺めながら、ディアンは呟いた。鳥や蟲の鳴き声の中に、二人のイルビットの寝息が聞こえてきた。寝る必要のない魔神は、鳥たちが眠れるよう、焚き火を小さくした。

 

『おぉぉっ!何と巨大な!これが「海」か!オウスト内海より遥かに大きいそうだが、まるで比較ができん!』

 

『プルルさん、当たり前でしょう。ですが、確かに違いますね。なんというか、匂いが違います』

 

初めて見る外海に、プルルとマルコは興奮が収まらない様子であった。川沿いに進んで、ディジェネール地方西方の海岸に出る。浜辺には角を生やした亜人族たちが暮らしていた。ディアンたちは挨拶をし、遥か東からディジェネール地方を横断してきたことを伝えた。「鬼人族」と呼ばれる亜人たちは、驚き、そして歓迎してくれた。浜辺に集まり、海の幸を馳走してくれる。海老や蟹が入った汁と共に、焼いた肉が出てきた。

 

『先日、皆で仕留めた「エビル・ホエール」の肉さ。焼いて食べると美味いぞ』

 

火を囲いながら、椰子酒を飲み回す。ディアンは「海の怪物」について話を聞いた。この地から交易船を出すとなると、途中で襲われる可能性もあるからだ。だが鬼人族たちは、あまり遠くまで舟を出さないらしい。この浜辺は少し進むといきなり深くなっているそうだ。そこでは様々な魚が獲れるそうである。

 

『海は溢れるほどの恵みをくれる。森は薬草や果物、芋などを恵んでくれる。我らはこの地で、ずっと平和に暮らしている』

 

この集落の平和を壊すわけにはいかない。ディアンはそう思った。この浜辺は港に適しているようだが、ここに道を通せば、彼らの生活が破壊されるのである。ディアンは東と西を繋ぐ道を通したいことや、沿岸に港を設けたいことなどを丁寧に説明した。鬼人族の族長は、少し北に行ったところ、無人の浜辺があることを教えてくれた。

 

『この辺りには、そうした浜辺が多い。我らは河口付近で生活をしているが、北や南に一日行ったところには、無人の浜辺がある。そこなら、誰に迷惑をかける事なく、港が出来るだろう』

 

『大きな規模にはしません。せいぜい船が一、二隻程度、沖合に停泊する程度です。浜辺に積荷を管理する倉庫を建てると思いますが、森や浜辺の生き物たちを荒らしたくありません。もし少しでも迷惑と感じたら、どうか遠慮なく言って下さい』

 

三日間、集落に世話にあり、ディアンたちは北の浜辺へと移動した。ゴツゴツとした岩場を抜け、やがて白い砂浜が見えてきた。魔獣や亜人の気配を探ったが、半里以内には感じ取れなかった。完全な無人地帯である。ディアンは背負っていた転送機を浜辺下ろした。木と椰子の葉で、簡単な小屋を建てる。転送機の設置を終えると、ディアンは浜辺に座った。夕暮れ時であった。赤い陽が完全に沈もうとしていた。沈む夕日を眺めながら、ディアンはこの三百年を振り返っていた。訳も分からずに転生し、この異世界にやって来た。不老で力が強いから、という単純な理由で、魔神の肉体を選んだ。だが生き続ける中で、感じたことがある。ヒトは、死ぬから輝けるのだ。生きる以上は、無為な日々は送りたくない。だが、無為ではない日々とは「喜びと悲しみ」の繰り返しの日々なのだ。ヒトは、悲しいことがあるから、喜びを感じられる。悲しいと感じたことがない人間は、喜びも感じたことがないだろう。三百年間で、多くの出会いと別れを繰り返した。そして今、大きな別れが近づいている。弟子であり、友であり、息子のように思っていた存在を失おうとしていた。遥か昔の記憶が甦る。

 

(良いでやんスか?ヒトとして生きることも出来るでやんスよ?)

 

『サリエルめ…ちゃんと説明しろよ…』

 

呟いたディアンの双眼には、熱い雫が溢れていた。

 

 

 

 

 

半年以上にわたったディジェネール地方の冒険は、一瞬で終りを迎えた。転送結界の中で、ディアンとイルビット二人は一瞬で帰還する。あまりの味気無さに、二人は不満げだった。帰還したディアンを使徒三人が出迎えてくれた。

 

『お疲れ様でした。首尾は、如何でしたか?』

 

ディアンは笑顔で革袋を開いた。

 

『ディジェネール地方の産物の中で、産業化に向いているものを持ち帰ってきた。この赤い実は「コーヒー」と呼ばれるものだ。この薄黄色い実は「カカオ」、この枝のようなものは「サトウキビ」だ。他にも幾つかある。栽培方法などはイルビットたちが聞き出している。この地での生産も可能なはずだ』

 

『詳しいことは、後ほどお聞きします。それよりも今は、風呂に入って下さい。その…臭います』

 

ディアンは頭を掻いて頷いた。

 

 

 

 

後世、エディカーヌ帝国は「闇夜の眷属の国」としてアヴァタール地方の各国と対峙することになる。特にレウィニア神権国とはドゥネール会戦など、数度の軍事衝突を興している。その一方で、エディカーヌ帝国の様々な物産品は、アヴァタール地方やレルン地方、さらには遥か西方のテルフィオン連邦にまで流通した。その多くがディジェネール地方原産の農作物だと解ると、西方神殿勢力はこぞって、ディジェネール地方への進出を図る。だがディジェネール地方北西部に進出した段階で、変事が発生した。突如として出現した「七古神」が、進出の拠点であった「ベルリア王国」を襲撃したのである。壊滅したマーズテリア大神殿を建て直した「枢機卿コア・プレアデス」と「神官騎士ロカ・ルースコート」は、ディジェネール地方への不関与を宣言したのである。ディアン・ケヒトがディジェネール地方西岸に転送機を置いてから、およそ七百年後のことである。

 

 

 

 

 




【次話予告】

ハイシェラ魔族国は追い詰められていた。各国からの支援物資が無い以上、次の戦いが最終決戦であった。だが国王ハイシェラに迷いは無かった。全兵士を鼓舞し、自らが先陣を切って戦いを挑む。魔王の挑戦を受け、賢王インドリトは周囲が止めるのも聞かずに、再び戦場に向かうのであった。ケレース地方の歴史の中で、最も苛烈な戦争となった「第二次ハイシェラ戦争」が始まる。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第九十三話「第二次ハイシェラ戦争 前編 王たるが故に」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第九十三話:第二次ハイシェラ戦争(前編)-王たるが故に-

ターペ=エトフ歴二百七十五年、ラウルバーシュ大陸マーズテリア神殿総本山「ベテルーラ」

 

大聖堂の扉が閉ざされ、教皇庁の衛兵たちが魔法刻印を施した鎖で厳重に封じる。聖堂内には、マーズテリア教団の最高位に位置する「枢機卿」たち十二名が揃っていた。前教皇クリストフォルスの逝去により、新たな教皇を選出する「コンクラーヴェ」が開かれようとしていた。前教皇は、対話より対決という姿勢の持ち主であった。その結果、マーズテリア神殿は聖女ルナ=エマを失い、二百六十年間にわたって「聖女不在」という異常事態が発生した。その間に、大封鎖地帯の分裂による魔族国との戦争が発生し、西方諸国を震撼させる事態となっていた。東方でも危機が発生していた。セアール地方ではバリハルト神殿が崩壊し、土着民であったスティンルーラ人が「スティンルーラ王国」を建国、光側の国ではあるがバリハルト神殿とは距離を置く国が誕生した。西方と東方を結ぶ玄関口であったカルッシャ王国では、隣国のフレスラント王国と長期にわたる戦争状態になっている。レスペレント地方からの大陸公路は滞り、物流に影響が出ていた。こうした中で、ベルリア王国から機密指定の重大情報が二つも届いたのである。クリストフォルスは自らの指導力の限界を感じ、「教皇位の返上」を決意したのである。神核を喪失した教皇は、そのまま永久の眠りに入っていた。首席枢機卿「ウィレンシヌス」が立ち上がる。

 

『これより「教皇選挙(Conclave)」を始める。始めるに辺り、マーズテリア神殿を取り巻く状況について確認をする。現在、マーズテリア神殿は重大な危機に直面している。それを自覚し、最も相応しい教皇を選び、マーズテリア神の神託を受けなければならない』

 

十一人の枢機卿たちが頷いた。ウィレンシヌスは、故人の名誉を気遣いながら、前教皇時代に起きた様々な出来事を語った。

 

『現在、マサラ魔族国を中核として緊張状態が続いている。ティルフィオン連邦の北方「ヴァシナル王国」では、エテの歪みが活性化しているそうだ。いずれも看過できない事態だ。だが、それを上回る重大な危機が、ベルリア王国から伝えられている。およそ四十年前に、バリハルト神殿のアヴァタール地方進出の足がかりであった「マクル神殿」が崩壊した。スティンルーラ人によるものとされていたが、それは事実ではない。マクル神殿を崩壊させたのは、古神の肉体を得た「神殺し」であった。現在、その神殺しはケレース地方に国を興し、かの大国「ターペ=エトフ」と戦争をしている』

 

この情報は既に各枢機卿たちの耳に入っていた。「神殺し」の誕生は、現神世界を崩壊させる危険がある。マーズテリア神殿としても第一に対応すべき事態であった。全員を見回した上で、ウィレンシヌスは第二の情報を伝えた。

 

『凶報はそれだけではない。前教皇猊下が退位をお決めになられた理由はもう一つある。アヴァタール地方南方に「闇夜の眷属の国」が誕生しようとしているのだ!』

 

この情報は未確認の部分も多く、伏せられていた。そのため、枢機卿たちも初耳であった。全員が顔を見合わせる。一人の枢機卿が手を挙げた。

 

『ウィレンシヌス殿…卿はどうして、その情報を知っているのだ?』

 

『この情報は、実は五年前にベルリア王国から齎されたものだ。だが腐海の地と呼ばれるあの地では、情報収集が難しい。私は前教皇猊下に命を受け、腐海の地を探っていた。その結果、信じ難い速度で人々が集まり、強力な国家が誕生しようとしていることが判明した。その名は「エディカーヌ王国」という』

 

『「ウェ=ディ=カーン(闇夜の混沌)」ですか…腐海の地ということは、ベルリア王国にも近いはずです。そこにそんな国ができたとしたら…』

 

『レスペレント地方からの大陸公路は、その機能を半減させている。ブレニア内海を南北に走る大陸公路は、東西を繋ぐ大動脈だ。そのうちの一本を闇の夜眷属たちに握られでもしたら…』

 

ウィレンシヌスは、枢機卿たちの討議を黙って聞いていた。神殺しについては、ほぼ全ての情報が出ている。だがエディカーヌ王国については、前教皇にすら報告していない情報があった。あまりにも信じ難く、危険な情報であったため、完全な確認が取れるまで隠匿していたのだ。ウィレンシヌスはその情報については、この場でも黙っていた。下手をしたら、コンクラーヴェどころでは無くなるかも知れないからだ。

 

(マーズテリア神を「天使族」と同列にする「神の道」など、この場で出せばどうなるか…せめて「聖女」がいてくれたら、こんな苦労もせずに済むものを…)

 

ウィレンシヌスの暗澹たる思いを余所に、枢機卿たちの討議も一段落をした。全員を見渡し、ウィレンシヌスは頷いた。

 

『では、各々の想う「次期教皇」を魔法紙に認められよ』

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴二百七十八年、オメール山麓に本拠地を構える「ハイシェラ魔族国」は追い詰められていた。これまで支援物資を送ってくれていた各国が一斉に手を引き、単独でターペ=エトフと対峙をすることになったからである。宰相ケルヴァンは軍の規模を半分にまで縮小させ、六千名の精鋭のみを軍とした。幸いなことに、ガンナシア王国時代からの自給自足体制は継続している。それを拡張させ、軍需物資を何とか揃えることが出来た。だが次の戦争が最後であった。ここで勝てなければ、ハイシェラ魔族国は崩壊するだろう。

 

『我が王よ。確かに、兵の調練は終えております。ですが、次の戦争で勝利を掴めなければ、我が国は崩壊を致します。ここは慎重に事を運ばれるべきでは…』

 

玉座に座り、艶めかしい生脚を組んでいる美しき魔王に、ケルヴァンは自らの意見を述べた。だがハイシェラは笑って首を振った。そして感慨深そうに語った。

 

『思えば、最初の戦から三十年か。ケルヴァンよ、汝はよく、我に仕えてくれた。すぐに裏切ると思っておったが、ここまで尽くしてくれたのだ。信じぬわけにはいかぬの。汝の働きに対し、何か褒美を取らせたい。望むものを口にせよ』

 

『滅相も御座いません。私の望みは「強き覇王」にお仕えし、僅かでもその覇道をお支えすることです。我が王にお仕えすることこそ、無上の幸福で御座います』

 

『我との一夜を望んでも良いのじゃぞ?汝は無欲だの。いや、汝の欲がそれならば、とやかくは言うまい。ならば汝には、我が側にて我の覇道を見物することを許す。我の行く先を最後まで見届けよ!』

 

『この上なき褒美に御座います。されど、まずはターペ=エトフを滅ぼさねばなりません。如何致しましょうか?』

 

『正面から堂々と打ち破る。ターペ=エトフを打ち破れば、我が覇道を止めるものは最早おらぬ!ケルヴァンよ、汝はターペ=エトフには勝てぬと考えておるのだろう?だが我から言わせれば、ターペ=エトフはいずれ必ず滅びる。インドリトは高齢じゃ。王がいなくなれば、ターペ=エトフは瓦解する。ただ勝ちを求めるのであれば、崩壊したターペ=エトフに、支配者として入れば良いのじゃ』

 

『では、それまでお待ちになられては…』

 

『凡俗であればそう考えよう。じゃが我は「覇王」じゃ!王としてターペ=エトフを征するのであれば、王の器を見せねばならぬ!滅亡後の「遺跡」を占拠したところで、誰が我を「勝者」と認める?ターペ=エトフを打ち破り、インドリトを屈服させ、それで初めて、勝利と呼べるのじゃ!』

 

ケルヴァンは首肯した。目の前の魔神を止める手段など、もともと無いのだ。ケルヴァンが意見をしたのも、誰かが「一般論」を唱える必要があっただけであった。ハイシェラの言葉を聞いていた衛兵や魔族たちも、目の前の魔王に敬意を抱いたはずである。

 

『では、御心のままに…私は最後まで、お供致します』

 

片膝をついたケルヴァンに倣い、衛兵たちも一斉に膝を屈した。

 

 

 

 

 

「ハイシェラ魔族国動く」

 

この知らせはすぐに、ターペ=エトフに齎された。インドリトが座る「玉座の間」で、宰相シュタイフェや元帥ファーミシルス、その他中堅の将たちが集まる。ディアンとレイナ、そして呼び戻したグラティナとソフィアも参列した。インドリトはその場で、自らが戦場に出ることを宣言した。これには、シュタイフェやファーミシルスなど、皆が反対をした。レイナも必死に止めようとする。だがインドリトは頑として聞かない。ディアンはただ、皆の説得を黙って聞いていた。

 

『ダ、ダンナッ!お願いですからダンナも止めて下さい!次の戦は、先の大戦とは比較になりヤせん!』

 

最早、インドリトを止められるのはディアンだけだと考えたシュタイフェが、必死の形相で詰め寄る。だがディアンは首を振ってインドリトの前に進み出た。片膝をついて尋ねる。

 

『我が王よ…御自らが御出陣をされるのは、やはりハイシェラを「王」としてお認めになられているからでしょうか?』

 

インドリトは頷いた。そして全員に言って聞かせるように語り出した。

 

『皆の心配はよく解ります。私は老いました。恐らく、あと数年で私は戦場に出られなくなります。剣も振るえなくなるでしょう。当然、魔神ハイシェラもそのことを解っています。黙っていれば、私はやがて死に、ターペ=エトフは滅びる…ですが彼女は、それを解った上で、自ら先陣をきって戦いを挑んでくるのです。彼女は最早、一柱の魔神ではありません。ハイシェラ魔族国という国の「王」なのです。王が、王として戦いを挑んでくるのです。それを受けぬのは、非礼というものです』

 

『ですがインドリト様…』

 

『シュタイフェッ!』

 

ディアンが鋭い声で、シュタイフェを止めた。床についた拳を握りながら、静かに言う。

 

『我らが王が、王たるが故に、戦場に出ると言っておられるのだ。ならば臣下である我々は、それに従うのみだ。これ以上は、インドリト王にお時間を取らせるな』

 

シュタイフェは瞑目し、膝をついた。全員がそれに倣う。インドリトは頷いて、自室へと下がった。王が方針を示した以上、それを全力で達成するのが臣下の務めである。ファーミシルスは各将校たちに指示を出した。全軍をルプートア山脈に移動させる。シュタイフェはソフィアと話し合いをした。

 

『万一の場合に備えて、プレメルからフノーロへの転移を準備しておきます。既に宝物庫や大図書館からは、大部分を移動し終えていますが、ターペ=エトフの宝は「人材」です。ターペ=エトフの国民は、なんとしても守らなければ…』

 

『移住についての希望は聞き終えていヤす。龍人族と悪魔族は、この地に残るとのことですが、他の種族たちは移住を希望していヤす』

 

『悪魔族はまだ解りますが、龍人族も残るのですか…』

 

『説得をしたのですが、長く住んだこの地を離れたくないと…彼ら自身が決めたことでやスから、アッシとしてもそれ以上は言えませんでした』

 

ソフィアは頷いた。ターペ=エトフからの移住は、時期が重要であった。ターペ=エトフは依然として存在しており、物産を行わなければならない。生産活動に直接関係をしないイルビット族などは先に移住をしたが、他の種族はターペ=エトフ滅亡まで留まる予定である。全員が、インドリトが生きている間は、ターペ=エトフから離れたくないと言っているのだ。インドリト王崩御の後は、速やかに移住を進めなければならない。だが十五万人近くを移住させるとなると、かなりの時間が必要である。シュタイフェはソフィアとディアンだけをつかまえて、一つの案を出した。

 

『ディアンのダンナ…アッシが「悪」を引き受ける時が、来たようでやス』

 

ディアンはただ、頷いた。

 

 

 

 

 

北華鏡平原を東西に挟んで、両軍が対峙する。ハイシェラ魔族国軍五千、ターペ=エトフ軍四千五百と兵力はほぼ拮抗している。第一次ハイシェラ戦争から三十年近く、数度の衝突戦があったが、その都度、ハイシェラ魔族国の軍勢は精強となっていた。もはやターペ=エトフの精兵と互角と言える程である。ルプートア山脈山頂で、インドリトは朋友ダカーハと平原を見下ろしていた。

 

『…この三百年、ダカーハ殿には本当にお世話になりました。「ターペ=エトフ」という名の半分は、貴方のものです』

 

『我が友インドリトよ。戦の前にそのような「過去形」を使うな。それに、礼を言うのは我の方だ。お主と出会って、我は救われたのだ。振り返って見てみるがいい。ターペ=エトフを…』

 

両名が振り返る。美しい森と山々が連なる、豊かな大地である。光も闇も無く、全ての種族が豊かに、幸福に暮らしている。光闇相克のディル=リフィーナで、ここだけが別世界であった。

 

『お主が作り上げた理想郷だ。悠久の時を生きる我も、決して忘れ得ぬ「夢の国」だ。この戦いは、この夢の国を守るための戦いだ。兵士一人ひとりが、それを自覚している』

 

涼しい風の中で、インドリトは笑みを浮かべた。理想は実現したのだ。確かにここに、理想が存在している。もはや何も思い残すことはなかった。ダカーハが深呼吸した。

 

『うむ…今日は一段と空が蒼いな。空気が良く澄んでいる。さぞかし、雷槌も効くであろう』

 

王の側を守る兵士たちは、肩を震わせ、ひたすら瞼の熱さに耐えていた。インドリトがダカーハの背に乗った。

 

『始めようか、我が友よ…』

 

ダカーハが翼を開いた。両陣から同時に、法螺貝の音が響いた。

 

 

 

 

 

獣人族の戦士ガルーオは、第一次ハイシェラ戦争を生き延びたことでその働きを認められ、中隊長へと昇進していた。自分が鍛え上げた五十名の戦士たちと共に、敵の亜人族部隊へと突撃する。両手に持った長剣を奮い、敵を吹き飛ばす。

 

『敵に囲まれるな!互いに背を守りながら、眼の前の敵を確実に屠るのだ!』

 

獣人の咆哮が戦場に響いた。一方、戦いは空でも起きていた。有翼の悪魔族同士が、激しい魔術戦を展開する。ハイシェラが直々に登用してきた悪魔たちは、隊列を組みながら暗黒魔術を繰り出す。ターペ=エトフ側も、飛天魔族を中心とした上級悪魔族たちが応戦する。地上でも空中でも、一進一退の激しい攻防が続いていた。ハイシェラは自陣でそれを眺め、頷いた。

 

«そろそろだの。我らの目的は黄昏の魔神に非ず、敵王インドリトである!まずはインドリトを戦場に引きずり出す!魔人バラパムよ、上級悪魔族とグレーターデーモンを率いて戦場を撹乱せよ!まずは敵戦力の分断を図る!»

 

『ボフボフッ!オマカセヲォォォッ!』

 

男根のような先端をした触手を振りながら、バラパムが戦場に躍り出た。上空から戦場を眺めていたディアンが舌打ちをした。ハイシェラが出てこない以上、自分がここを動く訳にはいかない。

 

『レイナ、ティナ!お前たち二人で、あの魔人部隊を潰せ。だが深追いはするな。ハイシェラの出方が気になる』

 

『了解ッ!』

 

金銀の使徒が、戦場に舞い降りた。魔人バラパムが率いる部隊とぶつかる。個の力であれば使徒のほうが遥かに上であろうが、バラパムの狙いは「引きつけること」にあった。守備に徹しながらも、嫌がらせのような攻撃を仕掛ける。その様子を見て、ハイシェラは次の作戦へと移った。

 

«魔神トリグラフッ!作戦通り、魔の気配を調整しながら飛天魔族に襲いかかれ。おそらく、敵の魔神が出て来るであろう。出来るだけ遠くまで戦場から引き離すのじゃ!»

 

ハイシェラと同じ格好をした魔神が出現した。元々、はぐれ魔神である。この三十年間でハイシェラが手に入れた手駒であった。

 

«汝の力では、黄昏の魔神には勝てぬ。ある程度まで引きつけたら、一目散に逃げるのじゃ。それで汝への「強制(ギアス)」は終わりだの!»

 

魔神トリグラフは頷き、宙に浮き上がった。

 

 

 

 

 

いきなり出現した魔神の気配に、ディアンは眼を細めた。来ている服や赤い髪はハイシェラを思わせる。だが何かが可怪しかった。

 

(ハイシェラだと?気配を抑えているのか?だが何のためだ?)

 

ディアンは疑問を感じながらも、動かざるを得なかった。相手が魔神であることは間違いない。となれば、飛天魔族たちには荷が重すぎる相手である。偽ハイシェラが飛天魔部隊に襲いかかろうとした時に、ディアンの純粋魔術が爆発した。偽ハイシェラは顔を隠しして、そのまま地上にに逃げようとする。ディアンは後を追った。地上に魔神が降りれば、形勢が大きく傾くためである。凄まじい速度で自分を追ってくる黄昏の魔神を見て、偽ハイシェラこと魔神トリグラフは、ケレース地方東方へと方向を変えた。

 

«逃さんっ!»

 

純粋魔術レイ=ルーンを放つ。トリグラフは辛うじて躱した。ケレース地方東方の山々に巨大な爆発が起きた。ディアンは舌打ちして後を追った。後方でその様子を見ていたファーミシルスも、眉を顰めた。黄昏の魔神は、その存在自体が戦場に大きな重みを持たせる。それが離れたとなっては、自分が前に出るしか無い。ダカーハと共に中に待機をしているインドリトに近づいた時、急激な変化が起きた。目の前の空間が歪み始めたのである。

 

『転移だと?こんな至近距離でか!』

 

神気と魔気を合わせたような、凄まじい気配を放つ美しき魔神が、インドリトたちの前に出現した。驚くファーミシルスや他の悪魔族たちを余所に、インドリトは落ち着いた表情で剣を抜いた。

 

 

 

 

 

魔神トリグラフはあらゆるところに出現する「はぐれ魔神」である。力も魔力も中級魔神程度だが、速度だけは速い。ディアンには相手がハイシェラでは無いという確信があった。そのため深追いはしていない。だが追撃をやめると相手は純粋魔術を戦場に放ってきた。味方もろとも吹き飛ばす威力である。同じ純粋魔術で相殺ををしたが、敵も味方も関係のないその姿勢に苛立ちを感じていた。魔の気配が膨れ上がる。

 

«お前…ハイシェラでは無いな?何者だ?»

 

魔神をして髪が逆立つほどの凄まじい気配に、トリグラフは一目散に逃走した。ディアンはそれを追うこと無く見逃した。背後に出現した気配を感じたからだ。

 

«小賢しい真似をっ!»

 

ディアンは全速でインドリトの元に向かった。

 

 

 

 

 

«老いたの、インドリト王よ…»

 

『魔神ハイシェラよ。我が師を引き離すために目眩ましを使うとはな』

 

«これは戦よ。戦力分断は策のうち…卑怯とは思わぬの。さて、ではゆくぞっ!»

 

ハイシェラは猛然とインドリトに斬りかかった。止めようと間に入ったファーミシルスが吹き飛ばされる。インドリトは剣を振って応戦した。互いの剣が火花を散らす。だがインドリトに、かつての力は既に残っていなかった。剣が流れ、インドリトの体制が崩れる。決定的な隙を見逃すハイシェラではなかった。

 

«…汝とは、もっと早く出会いたかったわ。さらばだ、偉大なる王よっ!»

 

だが振り下ろそうとした剣に、凄まじい雷槌が落ちた。ハイシェラをして思わず呻かせる程の威力であった。ダカーハが翼を動かし、その場を離れようとする。煙を昇らせながら、ハイシェラは歯ぎしりをした。背後から黄昏の魔神が迫っている。あと一振りが限界だろう。一瞬でダカーハを飛び越し、インドリトを狙う。

 

«覚悟っ!»

 

剣が肉を切り裂いた。だがそれは、インドリトの躰ではない。ダカーハは寸前で首を持ち上げ、自らインドリトの盾となった。ハイシェラの剣は、ダカーハの首を深く斬り込んでいた。

 

『ダカーハッ!』

 

インドリトは叫びながら、ダカーハと共に地上へと落ちた。ズンッという地鳴りと共に、戦場に黒雷竜が落ちる。インドリトは落下ギリギリで、ディアンによって抱えられていた。だがインドリトはディアンの腕を解くと、ダカーハに駆け寄った。剣は首の半ばまでを斬り、骨に達していた。そこに、ハイシェラが再び襲いかかろうとする。だが一瞬でその姿が消えた。黒い気配を立ち上らせたディアンが拳を握っている。ハイシェラを殴り飛ばしたのだ。

 

『先生っ!早く、回復魔法を…』

 

だが、ダカーハの傷を見てディアンが首を振った。回復魔法は生命力を活性化させ、自己再生力を高めるものだ。だがダカーハには、もはや生命力そのものが残っていなかった。回復可能な傷ではなかったのである。ダカーハは薄っすらと眼を開けた。

 

『泣くな、我が友よ…我は今、幸福の中にいるのだ…』

 

『ダカーハッ!しっかりするのだっ!』

 

インドリトは涙を流しながら呼び掛けた。殴り飛ばされたハイシェラは既に立ち上がっていたが、その場から動こうとはしなかった。いや、戦場そのものが止まっていた。ダカーハの呟きだけが聞こえていた。

 

『夢のような…素晴らしい日々だった…その夢と共に、我は死ぬのだ。何を悲しむことがあるか…』

 

『私を置いていくのか!私を置いて、先に逝くのか!許さんっ!許さないぞっ!』

 

だがダカーハの瞳から、光が消えようとしていた。最後に言葉を遺す。

 

『生まれ…変わったら…また…』

 

インドリトの叫び声が戦場に響いた。ディアンは瞑目し、呟いた。

 

«また会おう。神竜よ…»

 

ターペ=エトフ建国より、インドリトの友として生きてきた「黒雷竜ダカーハ」は、永遠の眠りについた。東方諸国にて呪われ、邪竜となる前に死を望んでいた黒き竜は、ターペ=エトフの全ての民たちが慕う「神竜」として名を残した。ターペ=エトフ歴二百七十八年「双葉の月(四月)」のことである。空は一片の雲もなく、晴れ渡っていた。

 

 

 

 

 

«別れは済んだか?ならば続きをするかの…»

 

魔神ハイシェラが歩いて近づいてくる。剣を握ろうとしたインドリトをディアンが止めた。ファーミシルスは兵たちに指示を出し、インドリトとダカーハの遺体を後方に下がらせる。レイナとグラティナがインドリトを左右から守る。睨み合う両軍の中間で、ディアンはハイシェラと向き合った。

 

«ハイシェラ…インドリト王は、もはや戦場には出ないぞ。ターペ=エトフを滅ぼしたいのであれば、オレに勝つしか無い»

 

«先ほどが千載一遇の好機であったのだがの。まぁ仕方がないの。汝を下すのは当初からの既定じゃ。ここで始めるとするかの?»

 

«その前に、兵たちを下がらせろ。ターペ=エトフも退く。もうこれ以上、無関係の者を巻き込むな。最初から、こうやって一対一で闘えば良かったのだ»

 

ハイシェラは頷き、手を上げて振った。ディアンも同様の仕草をする。ドラや笛が鳴り、双方の軍勢が一斉に退く。やがて戦場は無人となり、無数の屍だけが転がっていた。ディアンは平原を眺め、舌打ちをした。

 

«多くの血が流れた。長くを共に生きた、大事な友を失った。もう沢山だ!魔神ハイシェラ…ここでお前を殺すっ!»

 

ディアンは前かがみになり、背に刺した剣の柄を握った。

 

«そうだの、我ももう飽いたわ。汝を下し、この闘いに終止符を打つとするかの…»

 

ハイシェラも抜剣の構えを取る。両軍とも、遙か後方まで下がっている。もはや二柱の魔神の間には、何者も存在していない。両者の気配で空気が歪み、そして弾けた。凄まじい力同士が衝突し、眩い光が放たれた…

 

 

 

 




【次話予告】

ハイシェラ戦争は、ついに魔神同士の一騎討ちという「本来の形」に戻った。古神の肉体を得た魔神と、人間の魂を持つ魔神という「超常の存在」同士が力をぶつけ合う。天を割り、地を引き裂く程の破壊がケレース地方に吹き荒れる。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第九十四話「第二次ハイシェラ戦争 後編 魔神間戦争」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第九十四話:第二次ハイシェラ戦争(後編)-魔神間戦争-

ケレース地方およびターペ=エトフについて研究をする歴史家たちにとって、必読の書籍がある。エディカーヌ建国歴五百十七年に出版された著者不明の叙事詩「The Lord of "Thapae=Etoffe(ターペ=エトフへの途)」である。当初は「物語」と考えられていたが、レウィニア神権国やメルキア帝国、レスペレント地方各国の史料から、この叙事詩が極めて事実に近いということが証明されている。無論、この叙事詩にも描かれていない点がある。その代表がターペ=エトフの「財宝」についてである。賢王インドリト・ターペ=エトフは、自身の寿命を悟り、ターペ=エトフが蓄えた膨大な富を処分することを決定する。ターペ=エトフ国民に当面の生活費として金銀宝石を配り、残った財の全てを何処かへと運び出したと描かれている。それは単に、目に見える財宝だけではない。ラウルバーシュ大陸七不思議にも挙げられている「プレメルの大図書館」に収められていた先史文明の遺物、三百年間に渡って集積された貴重な知識、「小型魔焔」に代表される「失われた魔導技術」など計り知れない価値が、ターペ=エトフ滅亡と同時に忽然と消えたのである。叙事詩の中にはこのように描かれている。

 

 

…夜半、月明かりの中で百両以上の荷車が出発をする。皮布で覆われているが、その隙間から金色の棒が見えた。それに気づいたヴァリ=エルフの護衛が覆いを引張って隠す。他の車両も同様なのか。一両につき一人の護衛が必ず横に付いている。役人が書類を確認し、頷いた。輸送隊の隊長が手を上げる。馭者が手綱を振った。車輪を軋ませながら、荷車が進む。護衛の一人が呟いた。

 

『…暑くなりそうだな』

 

革布で覆われていない荷車もあった。鶴嘴や円匙などの「穴掘り道具」が積まれている。そんな道具を使って、一体何をするというのだろうか?…

 

 

「The Lord of "Thapae=Etoffe」の中には、ターペ=エトフの財宝についてこの部分しか描かれていない。ドワーフ族の魔導技術職人、香辛料や調味料などを作っていた職人などの技術者については、以下の部分で描かれている。

 

…理想郷を支えし民たちについて語ろう。魔の女神が占拠した輝きし都市プレメル。そこに住むことを潔しとしなかった高潔なる民たち!偉大なる王との約定を魔の女神は守った。民たちは新たな理想郷を目指して「旅立ちの門」へと入ったのだ。眩い光を放ち、暖かな風を送ってくる扉の向こう側に、民たちは希望を持って歩を進めていく。一人、また一人と光りに包まれ消えていく。そして全ての民が消えた後、それを見ていた魔の女神は、その美しき貌に笑みを浮かべた。女神は静かに呟いた。「これで全てが終わったの。我にとっても忘れ得ぬ年月であったわ。生まれ変わりし日が来れば、再び会おうぞ。偉大なる王よ…」一度頷き、女神は玉座の間へと戻った…

 

 

遥か後世においても、「ターペ=エトフの埋蔵金伝説」は冒険者たちの胸を熱くさせている。ターペ=エトフの財宝を埋蔵した場所については複数の候補が挙げられている。ターペ=エトフと深い交流があった「レスペレント地方モルテニア」、滅亡と同時期に誕生した新国家「エディカーヌ帝国領内」の二つが有力であるが、それ以外にも「ディジェネール地方」「ブレニア内海海底」など幾つもの説が挙げられている。モルテニアについては、魔神グラザを討伐したガーランド・ウォーレンが、財宝が無かったことを証言している。一方、エディカーヌ帝国は国内への冒険者の立ち入りを制限していることも有り、確認が出来ていない。

 

 

 

 

 

長くを共にした友の遺体と共に、インドリトは後方へと下がった。黒雷竜ダカーハの遺体は、巨大な板に載せられ、ターペ=エトフへと運ばれる。だが自分はこれ以上は下がれない。レイナとグラティナに挟まれ、インドリトやルプートア山脈の中腹から、平原に吹き荒れる「破壊の嵐」を見つめた。

 

«ズァァァァッ!»

 

雄叫びを挙げながら、ディアンは名剣クラウ・ソラスを奮った。ハイシェラが剣でそれを受け止める。両者の剣は、既に音の速度を超えている。蓄積された振動が波となって周囲を破壊する。躱した剣撃は大地を切り裂き、遠方の森を薙いだ。ハイシェラは嗤っていた。この数年の迷いが消えていくようであった。

 

«クハハハッ!楽しいの!これだ!やはり我を満たせるのは汝だけだのっ!»

 

ハイシェラの一撃を受け止める。数歩吹き飛ばされたディアンが、構えたままハイシェラを観察した。以前の一騎打ちと比べて、ハイシェラに変化を感じていた。

 

«…本当にそう思うか?»

 

«汝の言葉など、聞く耳持たんわっ!»

 

振り下ろされる剣を辛うじて躱す。横薙ぎも躱し、再び距離を取る。

 

«ならば聞こう。ハイシェラ、なぜ手加減をしてる?先程から剣しか使っていないではないか。以前のように、魔術を駆使しないのは何故だ?»

 

«フンッ、何を言っておる?汝こそ、先程から魔術を一切使わぬではないか»

 

ディアンはハイシェラの後方に眼をやった。もはや見えないほどに退いているが、ハイシェラ魔族国の兵士たちがいるはずである。

 

«ハイシェラ、この三十年で何を見た。何を感じた?今のお前は、魔神として闘っているのか?それとも王として戦っているのか?»

 

«同じことだのっ!»

 

剣で受け止める。互いの剣が鍔迫り合いをする中で、ディアンはハイシェラと顔を突き合わせ、その眼を見た。

 

«お前の中の変化を感じるぞ。お前は破壊以外の喜びを知ったのではないか?誰かを想う。誰かを助ける…その生き方を知ったのではないか?»

 

«うるさいっ!»

 

ハイシェラの蹴りがディアンの腹部にめり込んだ。そのまま数十歩以上を吹き飛ばされる。土煙の中で黒き魔神が起き上がる。口端から血が流れているが、そこには笑みが浮かんでいた。

 

«やはりな…以前のお前であれば、ここで極大魔術を放っていたはずだ。だが打たない…いや、打てないのだな?万一にもオレが躱したら、後ろにいるお前の軍に、家臣たちに被害が出るからだ!»

 

«黙らぬかぁっ!»

 

猛然と斬りかかったハイシェラの剣をクラウ・ソラスで受け止める。激しい鍔迫り合いの中で、再び互いに顔を突き合わせる。

 

«もはやお前は、魔神では無い。いや、魔神を超えたのだ。「個」という小さな世界に生きるのではなく、他者と交わることで世界を広げた…»

 

美しき魔王は、ディアンを押し返し、数十もの激しい斬撃を繰り出した。だが気配が乱れている。ディアンは簡単にそれらの斬撃を弾き返した。ハイシェラが肩で息をする。息が切れたのではない。ディアンの言葉に、己の何かが掻き乱されていた。ハイシェラはそれを振り切るかのように、魔の気配を強めた。

 

«先程からペラペラと囀りおって!そんなに魔術を使って欲しいのなら、使ってくれるわ!»

 

至近距離から純粋魔術「アウエラの裁き」をいきなり繰り出す。ディアンもとっさに、純粋魔術で相殺した。両者を巻き込む大爆発が北華鏡平原で起きる。ルプートア山脈中腹にいるターペ=エトフ軍も、その爆風で脚に力を入れる必要があった程だ。再び爆発が起きる、今度は遥か上空であった。それが契機であった、ケレース地方の東西で、凄まじい爆発が立て続けに発生し始めた。

 

『インドリト、ここは危険だわ!ターペ=エトフに戻って!』

 

『そうはいきません。この戦いは、三十年続いた戦争の最終幕です。ダカーハの為にも、私はこの戦いを最後まで見届ける責任があります!』

 

ハイシェラが放った「エル・アウエラ」がルプートア山脈目掛けて飛んでくる。レイナとグラティナは、インドリトを護るように立った。自分たちの魔力では止めきれないだろう。巻き込まれれば死ぬかもしれない。覚悟を固めた二人の前に、巨大な破壊が迫る。だがエル・アウエラは途中で爆発した。上空に強い神気が出現する。

 

«お退きにならないと仰るのであれば、ここで食い止めましょう。皆さん、私の後ろに…»

 

白く美しい六翼を持った天使が、二人の使徒の前に下りてきた。両手を翳すと、金色の輪が回転をしながら出現する。

 

«魔術障壁結界を張ります。ですが、私の力でもあのニ柱の魔力を食い止め切れません。使徒のお二人には、お力を貸していただきたいのですが?»

 

金銀の使徒が互いに顔を見合わせて、頷く。再び爆発が起きる。熾天使が張った最上位の結界が軋む。一柱の天使と二人の使徒は、持てる魔力を総動員して結界を維持した。

 

 

 

 

 

ケレース地方東方、チルス山脈北辺にも被害が出ていたい。山頂の峰々が吹き飛び、山を断つほどの斬撃が襲ってくる。チルス山脈麓に棲む獣人族たちは、悲鳴を挙げながら森の避難所に逃げた。

 

グルルルッ…

 

唸り声を上げる三つ頭の魔獣がいた。それに跨る幼女が、宥めるように頭を撫でる。

 

«ん…外が騒がしい…ハイシェラともう一人…どっちも、凄い魔力…»

 

地鳴りと振動で、パラパラと小石が落ちてくる。チルス山脈に存在する「冥き途」を護る魔神ナベリウスは、無表情のまま呟いた。魔獣の唸り声を聴いて首を振る。

 

«行かない…騒がしいし…なんだか、変なのもいるから…»

 

ナベリウスはそう言って、死者たちが通る門を見た。転生へと流れるはずの魂たちが、なぜか留まったままであった。門の奥に「強い執着」を持つ者がいたためである。だがナベリウスには、積極的にそれを解決しようという気は無かった。それは自分の役割では無いからである。

 

 

 

 

 

貫通性のある純粋魔術「レイ=ルーン」が数十発の束になって襲ってくる。華鏡の畔に棲む魔神アムドシアスは、配下たちに指示を出していた。

 

«彫像を守れ!この地響きで倒れるやも知れぬ!悪魔族たちは結界維持に注力せよ!»

 

立て続けに結界で爆発が起きる。ターペ=エトフから魔導技術を応用した強化結界を取り入れているが、どこまで持ち堪えられるかは解らない。アムドシアスは舌打ちをした。

 

«おのれ、黄昏の魔神めっ!もし庭園に被害が出ようものなら、あ奴に請求書を送ってくれるぞ!»

 

美を愛する魔神は、配下や自分よりも、庭園や城内の美術品が心配であった。兵士たちも動員し、壁にかけられた絵画が落ちないように支えさせたり、彫像には藁を巻かせたりしている。それでありながら、ケレース地方全土を巻き込んだ「魔神間の戦争」に、高揚しているのであった。楽隊に古の音楽を奏でさせる。名曲「北欧神の指輪」とともに、再び地響きが起こった。

 

 

 

 

 

ケレース地方南部の大森林地帯「トライスメイル」の長である白銀公は瞑目して意識を集中させていた。メイル全体をエルフ族の結界で護っているが、二柱の魔神が放つ破壊は普通では無かった。結界を維持するルーン=エルフたちにも、額に汗が滲んでいる。

 

«クゥッ!»

 

名剣クラウ・ソラスの一撃をハイシェラは辛うじて躱した。凄まじい剣撃がオウスト内海を真っ二つに断ち割る。ディアンも、ハイシェラの雷槌を結界で防ぐ。ケレース地方中央域の森林に落ち、火災が発生する。純粋魔術の爆発で大地が沸騰する。ルプートア山脈を超え、ターペ=エトフにも被害が出始める。無論、それはハイシェラ魔族国でも同じであった。互いに剣と魔術を駆使しながら、あらゆる破壊をケレース地方に起こす。

 

«クハハハッ!どうじゃ!汝の小賢しい囁きなど、我には通じぬわっ!»

 

«そうかな?オレには開き直りに見えるぞ?»

 

«まだ言うかぁっ!»

 

迫るメルカーナの豪炎を躱すこと無く、ディアンはその身に受けた。だが躰の周囲で炎が別れる。

 

«先程から小賢しい結界を使いおって!秘印術を封じる結界だの?»

 

«「魔力無効化空間」…大魔術師ブレアード・カッサレが生み出した究極の結界だ。六大魔素への魔術的操作を完全に無効化する。魔力でオレを上回らない限り、この結界は破れん!»

 

実際には、この結界を張った場合は、術者自身も秘印術が使えなくなる。魔素を操作するのではなく、魔力そのものを打ち出す純粋魔術以外、ディアンは使用出来ない状態であった。だがこの場でそんなことを言う必要はない。ハイシェラが美しい貌に怒気を浮かべる。

 

«…つまり、我の魔力は汝に及ばぬと言いたいのか?»

 

«結界に無効化されているのが、その証明だ。どうやら格付がついたな。ハイシェラ…お前はオレには届かん!»

 

«黙れっ!»

 

美しき魔神が斬りかかってくる。互いの剣が火花を上げる。ディアンはハイシェラと顔を突き合わせ、言葉を吐き続ける。

 

«ハイシェラ、お前は何の為に戦っている?破壊衝動はもう満たされているだろう。それでもお前は戦い続ける。何故か?それは、この戦いに別のものを求めているからだな?»

 

ハイシェラは応えず、剣を奮う。だが感情的になっているためか、大振りであった。決定的な隙を逃すディアンではない。巻き上げるように剣を絡め、突き上げる。ハイシェラの手から剣が離れた。喉元に剣を突きつける。

 

«剣を交えて解った。お前は「孤独」を知ったのだな?それはお前が、これまで考えたことも、感じたことも無い感覚だろう。寂しいのだな?寂しいから、闘うことで繋がりを求めた。違うか?»

 

ハイシェラが肩を震わせる。やがて叫び声を上げた。その声は、ケレース地方全体に響くほどに大きく、美しく、そして哀しかった。ディアンは剣を背に収めた。気配も人間に変わる。

 

『魔神という存在でありながら、お前は「孤独」を知ってしまった。他者との繋がりから生まれる「喜び」を、誰からも相手にされない「辛さ」を知ったのだ。もうお前は、魔神としての生き方は出来ん!』

 

ディアンが手を差し伸べた。

 

『一緒に来い。お前の居場所はオレが創ってやる。南方に新しい国家が生まれる。神族すらも組み入れた新しい国「エディカーヌ王国」…そこでなら、お前も孤独を感じること無く、生きられるはずだ』

 

ハイシェラは黙って、ディアンを見つめた。

 

 

 

 

 

ハイシェラ魔族国宰相ケルヴァン・ソリードは、遠方から水晶球を通じて、二柱の戦いを見守っていた。主人の剣が飛ばされた瞬間、ケルヴァンは瞑目した。敗北が確定したからだ。主人の雄叫びが遠くから響く。ケルヴァンは覚悟した。自分の主人であれば、命を賭して最後まで戦うだろう。覇王を支え、共に覇業を歩むのがケルヴァンの望みであった。主人が戦うのであれば、自分も最後まで戦う。たとえ命を落とそうとも、最後まで主人の覇業を支える。その覚悟を固めた時、水晶球が予想もしない光景を映した。勝者であるはずの「黒髪の魔神」が、主人に手を差し伸べているのだ。そして主人は、差し出された手を振り払おうともせずに、相手を黙って見つめていた。

 

『な、何をしているのだ?何をしているのです!そんな手など、斬り落としなされ!今こそ好機ではありませんか!』

 

主人の表情を見た時、ケルヴァンは唇を噛み切った。口端から血を滴らせながら、顔を赤くして震える。その背中は、激しい怒気に包まれていた。

 

 

 

 

 

ハイシェラから闘気が消えていった。腰の細鞘に剣を収める。深く息を吸い、長く吐いた。やがて笑い始める。

 

«クッ…クハハハハッ!「一緒に来い」だと?汝は我を口説いておるのか?闘いの最中に、何を考えておる?»

 

『お前は、このままでは理性を失い、ただの破壊神になるぞ?堕ちたお前など見たくない。「強く、気高く、美しく」がお前ではないか?』

 

ディアンが肩を竦めて、そう茶化した。ハイシェラは笑いながら地上を指差した。半ば砂漠と化した北華鏡平原に降りる。地上に降りたハイシェラは、腰に手を当てて溜息をついた。

 

«我の負け…かの。人間の魂を持つ魔神とは、厄介なものだの。まさか言葉で我を負かそうとはの…»

 

『オレは人間だ。だから相手の気持ちや感情を想像する。お前の瞳には、以前には無い光があった。お前はもう、ただの魔神では無い。ヒトの感情を持った魔神になったのだ。それは決して、悪いことではないとオレは思うぞ』

 

«フンッ…それで、我をどうするつもりじゃ?汝のオンナにでもするつもりか?»

 

ディアンは首を振った。

 

『以前の青髪の頃であったお前なら、喜んでそうしたかもな。だが今のお前は、他人の肉体を借りている存在だ。その肉体に手は出せん。元に戻ることは出来ないのか?』

 

«無理だの。持ち主(セリカ)が目覚めれば別であろうが、我の力でもどうにも出来ん»

 

『そうか…』

 

ディアンは少し考えた。懐から水晶片を取り出し、ハイシェラに放る。

 

『まずは軍を退け。そして負傷者を癒やし、徴発した亜人族なども故郷に戻せ。お前の国にも、民がいるだろう。それを大事にしろ。ターペ=エトフはいずれ滅亡する。だがそこには、十五万の民が生きている。新国家に民衆を移す間、誰かがターペ=エトフを護らなければならん。お前が護れ。この戦争を始めた責任を取れ』

 

«…それで、この水晶はなんじゃ?»

 

『その水晶の色が変化をした時、プレメルの王城に来い。お前にターペ=エトフを引き継ぐ。言っておくが、簡単なことではないぞ。ターペ=エトフが滅んだとなれば、光側の神殿や国々が黙っていないだろう。下手をしたら、マーズテリアあたりと闘うことになるかもしれん』

 

«それで、その後は?»

 

『お前の好きにするがいい。魔王となってケレース地方を席巻するも良し。二代目のターペ=エトフ国王として生きるも良し。あるいは全てを放り投げて、オレのところに来るも良し…』

 

«汝は…我と共に来ないのか?»

 

『オレには、オレの途がある。目標がある。その範囲で、手伝い程度はしてやる。オレは、お前のことが嫌いではないんだ。それに、なんだかんだ言って長い付き合いだからな』

 

ハイシェラは水晶を握った。その水晶が、自分と黄昏の魔神との「絆」であった。微かに胸が傷んだ。眠っているはずの存在が、反応をしているのだろうか。ハイシェラは振り返ること無く、言葉を残した。

 

«…インドリト王に伝えよ。黒き竜の雷槌は、我をして二度と喰らいたくないものであった。闘いの末の結果とは言え、惜しい存在を失った…とな»

 

ハイシェラはただ独り、東にある自分の国を目指して飛び立った。

 

 

 

 

 

第二次ハイシェラ戦争は、ケレース地方全土にその傷跡を残した。ターペ=エトフ本土においても山は崩れ、森林が燃えた。だがそれ以上に、三百年にわたって国王インドリトの朋友として民衆から慕われた「神竜」を失ったことに、国民全体が深い悲しみに包まれた。第二次ハイシェラ戦争終結から一週間後、神竜ダカーハの国葬が行われた。葬儀後、ダカーハの遺体はディジェネール地方南方「フェマ山脈」へと送られた。遺体を引き取りに来た四体の黒雷竜に、インドリトが詫びを入れる。

 

『ダカーハ殿は、私にとって掛け替えのない友でした。皆が止めたにも関わらず、私は出陣をしました。そして魔神と闘い、負けたのです。本来であれば死んでいたのは私なのです。ダカーハ殿は、私を庇って亡くなられました…』

 

『インドリト王よ、一つだけ尋ねたい。ダカーハは死の間際、笑っていたか?』

 

ダカーハと同郷の黒雷龍ガプタールの問いに、インドリトが頷く。ガプタールは瞑目して、息を吐いた。

 

『そうか…であれば良し。ダカーハは一片の悔いも無く、最後まで生き切った。インドリト王よ。我らは感謝こそすれ、貴殿を責めるつもりなど無い。ダカーハは呪いから開放された。竜族の儀式に則って、転生へと進むことができる。いずれ再び、竜族として生まれ変わるはずだ。ダカーハは死んだが、その魂は永遠の転生へと繋がったのだ。あまり己を責められるな…』

 

『ですが…』

 

『貴殿にはまだ、やるべきことがあるはずだ。ダカーハを想うのであれば、貴殿の役割を最後まで全うされよ。ダカーハもそれをこそ、望んでいるだろう』

 

インドリトは頷き、決意を新たにした。残り僅かな生の中で、出来るだけのことをやる。自分の理想を遺すために…

 

 

 

 

 

«ケルヴァン!ケルヴァンはどこじゃ!»

 

本拠地に戻ったハイシェラを待っていたのは、無人の城であった。宰相も衛兵もいない。謁見の間で、若い亜人の兵士が待っていた。見覚えはあるが、名までは覚えていない。

 

『ハイシェラ様…我が王よ、ご無事で…』

 

«汝も無事であったか。ところで、ケルヴァンはどこじゃ?外の兵たちは…»

 

『その…ケルヴァン殿は…』

 

宰相ケルヴァン・ソリードは、持てる財宝や物資を全て持ち出して、亜人たちと共に出奔していた。つまり裏切ったのである。ハイシェラ魔族国は事実上、崩壊していた。ハイシェラを慕うごく一握りの兵士が残っただけであった。だがハイシェラにとっては、むしろ兵士が残っていたことが驚きであった。これまで、このように他者から思われたことは無い。ハイシェラは首を振って、自嘲するように笑った後、兵士の肩に手を置いた。

 

«よく残ってくれたの。汝の想いに救われたわ。感謝するだの…»

 

ハイシェラ魔族国は崩壊した。だがガンナシア王国時代から住んでいた民衆たちは残っている。彼らのためにも、生きていくだけの基盤は整えなければならない。これまでケルヴァンが一手に取り仕切っていたことである。魔神の中ではかなり高い知性を持つハイシェラであっても、そうした細かい事務仕事は経験がなかった。「このままでは、民衆たちも離れてしまう…」 残された僅かな家臣たちが途方にくれていたところに、一人の魔人がやって来た。

 

『ウヒヒッ!アッシはターペ=エトフの宰相でやス…超絶美魔神「ハイシェラ様」に、ぜひお目通りを願いたく…』

 

青い肌をした魔人がハイシェラ魔族国を訪れたのは、ダカーハの国葬から五日後のことであった。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴二百七十八年 ラウルバーシュ大陸西方「ペルセ公国」

 

絹のような黒髪を靡かせる美少女に、年頃の少年たち全員が憧れていた。ペルセ公国のマーズテリア神殿神官長の娘「クリア・スーン」は、その美しさから既に国中に知られていた。ただ美しいだけではなく、十三歳の若さで神聖魔術を操り、様々な書籍を読む聡明さ、大人顔負けの判断力を持っている。父親であるロベールは、娘を大切に想いながらも、心配でもあった。あまりに早熟であったためである。十三歳にも関わらず、その貌は成熟した女性のようにも見えた。あまりに秀ですぎた存在は、周囲を不安にさせる。実際、クリア・スーンに同年代の「友人」は一人もいない。嫉妬や敵愾心を向ける者、ただ憧れるだけの者は大勢いる。だが対等の立場で話をする同世代は一人もいない。クリアはずっと「孤独」であった。

 

『神官長様、総本山より使者がお見えです。ウィレンシヌス教皇からの使いとのことです』

 

ロベールは身なりを正して、使者が待つ聖堂へと向かった。教皇からの「勅使」となれば、応接間などには通せない。聖堂の中央に、教皇庁からの使者が待っていた。

 

『お待たせをしました。ペルセ公国神殿神官長のロベール・スーンでございます。このような小さな神殿に、猊下からのご使者がいらっしゃるとは、誠に恐縮でございます』

 

『ロベール殿、恐縮をするのは我々の方なのです。三年前に、前教皇が崩御され、ウィレンシヌス猊下が新教皇となられました。そのことは、もちろんご承知でしょう』

 

『無論でございます』

 

『猊下は、幾つかの試練を超えられ、マーズテリア神より神核を授かり、正式にマーズテリア神殿教皇となられました。その際、猊下はマーズテリア神より「神託」をお受けになられました。この地より西にある、美しくも小さな国に、聖女が誕生している。

満十三歳となった時に、総本山にこれを迎え入れよ…と』

 

『そ、それは…まさか…』

 

『聖女は、マーズテリア神の強い加護を受けて生まれます。しかしこの二百年間以上、マーズテリア神殿に聖女は存在しませんでした。その理由は最高秘密であるため私も存じません。ですが、新たな聖女は物心がつくまで、普通の人間として成長することをマーズテリア神は望まれたようなのです』

 

『私の娘が…クリアが、マーズテリア神の聖女だと仰るのですか!そんな…確かにあの子は魔力が強く、他の子供たちよりもずっと大人びていますが…』

 

ロベールは否定しようと必死に言い訳を考えた。父親として、一人娘は目に入れても痛くないほどに可愛い存在である。マーズテリア神殿の聖女になるということは、その娘と永遠に別れることを意味する。マーズテリア神殿の神官としては、聖女が誕生したことは喜ばしいことだ。だがそれが自分の娘となると、親として困惑せざるを得なかった。

 

『…お父様?』

 

ロベールが振り返る。聖堂の入り口に、黒髪の美しい少女が立っていた。艶やかに長い睫毛と濡れたような瞳をしている。クリアはゆっくりと聖堂に入ってきた。

 

『お父様、どうやらお別れのようです』

 

『クリア、お前は…』

 

『薄々、気づいていました。どうして私は、同い年の彼らとは違うのか…秘印術や神聖魔術など、習いもしないのに使えてしまうのか…先程のお話が、その答えなのでしょう』

 

クリアは、父親に優しく微笑んだ後、使者に顔を向けた。

 

『出迎え、ご苦労でした。私は総本山に行きます。ですが、出発は明日にして頂けませんか?お別れの時間を頂きたいと思います』

 

『畏まりました。明日の日の出と共に…それで宜しいでしょうか?』

 

感に堪えないと言った表情で、使者は膝をついて頭を垂れた。その夜、父親と母親は、眼を腫らして娘を抱きしめた。クリアは両親を宥め、諭した。これは仕方のないことなのだ。自分がこの地で一人の娘として生きていくと、多くの人々が困るのだ。生まれながらに役割を与えられた。それを果たさなければならない。そう説き、そして感謝をした。

 

『お父様、お母様…私を産んで下さって、そしてこれまで育てて下さって、本当に有難うございます』

 

明朝、日の出と共に家の扉を出る。クリアは振り返って、両親に感謝と別れを告げた。朝陽の中に浮かぶ神々しい姿に、母親は両手で顔を覆い、父親は跪いた。

 

『今日を持って、貴女様は私達の娘ではありません。貴女様がこれから進まれる途は、長く険しいものとなるでしょう。末永いご健勝を心よりお祈りします。道中、どうかお気をつけて…聖女「ルナ=クリア」様』

 

聖女の左頬に、一筋だけが流れた。

 

 

 




【次話予告】

ターペ=エトフ歴二百八十年、ついにエディカーヌ王国が建国を宣言する。アヴァタール地方に突如として誕生した「闇夜の眷属の国」は、西方神殿勢力にも衝撃を与えた。誰しもが、エディカーヌ王国を討伐すべしと言う中、クリア・スーンはある疑問を持って教皇庁の最奥にある「秘密文書館」へと入る。自分の前の聖女を知るために。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第九十五話「「ルナ=エマ」の日誌」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第九十五話:ルナ=エマの日誌

エディカーヌ王国の登場は、アヴァタール地方以西の国々に大きな衝撃を与えた。「闇夜の眷属の国」という意味では、闇の現神ヴァスタールを国教とする「ベルガラート王国」をはじめとして幾つかの国々が存在しているが、それらはいずれも「闇の現神を信仰する宗教国家」という形式であり、特定の神殿勢力と強い繋がりが存在している。そうした意味では、光の現神アークリオンを国教とする「テルフィオン連邦」や、アークパリスを国教とする「神聖ペルシス帝国」、マーズテリアを国教とする「ベルリア王国」などと変わらない。現神信仰の神殿が存在し、国家はその権威を利用し、神殿は国家の権力を利用する、という持ちつ持たれつつの関係は、光も闇も変わらないのである。しかしエディカーヌ王国が提唱した「神の道」と呼ばれる一連の宗教体系は、ディル=リフィーナ世界の宗教観を一変させるものであった。「現神と古神は、生まれた世界が異なるだけで親は同じ」という思想は、現神神殿勢力にとって受け入れられるはずもなく、エディカーヌ王国に存在した「神宮」も含めて、王国内の神殿は「異端」と見なされていた。

 

エディカーヌ王国を最初に認めたのは、意外なことに光の現神神殿である「マーズテリア神殿」である。エディカーヌ建国歴百二十年頃、マーズテリア神殿聖女ルナ=クリアは、マーズテリア神から神託を受けて「災厄の種」について調査をするため、レウィニア神権国を訪れる。絶対君主「水の巫女」との対談後、ルナ=クリアはベルリア王国経由で総本山に戻るが、その際の通り道が後世においても疑問視をされている。本来であればブレニア内海を横断する「海路」で戻るのが通常であるが、ルナ=クリアは何故か、陸路でベルリア王国に戻っている。このことから一部の歴史家は、ルナ=クリアはエディカーヌ王国を自分の目で見たかったのではないか、という説を唱えている。聖女ルナ=クリアがエディカーヌ王国を訪れたかについては、マーズテリア神殿もエディカーヌ王国も回答をしていないが、バリアレス都市国家連合の首都「レンスト」に十日間の滞在をしていることが確認されている。光と闇の狭間に挟まれたレンストは、良くも悪くも「欲望の街」である。そのレンストに、なぜ十日間も滞在をしていたのかについては、歴史的資料は一切、確認されていない。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴二百七十九年、ターペ=エトフ首都プレメルから百五十両の荷車が出発をした。南方に建設中の王都「スケーマ」を目指す。大図書館の書籍類や財宝類などは大部分を移動させているが、今回の輸送品はそれら以上に重要であった。魔導技術の中核となる魔焔精製炉やその材料である。レウィニア神権国が裏切る可能性も考え、輸送隊にはディアン自身が護衛につく。もし水の巫女が裏切るようなことがあれば、今度こそ王宮もろとも消滅させる覚悟であった。だがそれは杞憂に終わった。レウィニア国王とローグライア公爵の根回しにより、王都プレイアでも他の都市でも、一度も止められること無く進むことが出来た。バリアレス都市国家連合まで一日という場所で野営をする。レイナが安心した表情を浮かべた。

 

『どうやら、無事にレウィニア神権国は抜けられそうね』

 

『そうだな。だが油断はできん。「抜けられそう」と「抜けた」では、全く違う。今夜は夜を徹して護衛するぞ。…そういえば、三百年前も似たようなことを言った覚えがあるな?』

 

『リプリィール山脈超えね。エディカーヌ王国が出来れば、あの峠越えの道も使えるようになるかしら?』

 

『ドルカが惜しんでいた道か…そうだな。正式に国ができれば、竜族と交渉することも出来るだろう。ドワーフ族はレミの街を拠点に、リプリィール山脈に新鉱山を掘る予定だ。あの峠は整備をすれば、東西を繋ぐ重要な交易路になる。オレが交渉に行くか…』

 

ディアンとレイナは暫くの間、昔話に花を咲かせた。三百年前、二人は腐海の地に入る行商隊の護衛役同士として知り合った。数奇な運命によって、二人の思い出の街が新王国の首都となる。

 

『フノーロは「スケーマ」に名前を変えたそうだな。全く…ソフィアらしい「実務的」な名前だ。「SCHEME(枠組み)」とはな…』

 

ディアンは笑って焚き火に木枝を焚べた。その夜は何事もなく、翌日の夕刻に輸送隊はバリアレス都市国家連合「レンスト」へと入った。

 

 

 

 

 

『荷車百五十両…過去最大規模だな。しかし、これまでと違ってお前さん自身が護衛をするとは、余程のモノを運んでいるのか?…あぁ、言うな、聞きたくない。俺は何も聞いてないからな!』

 

セリオは少し薄くなった頭を撫でて、首を振った。セリオ・ルビースの事務所で、葡萄酒を酌み交わす。二百数十年前、ドルカ・ルビースとも同じように酌み交わした。ディアンが立ち上がって、壁に掛けられたルビース家の家宝「南方交易図」を見る。かつて自分が超えた「リプリィール山脈峠道」は、点線が描かれていた。

 

『知っているか?かつて、このリプリィール山脈の峠道を超えた行商隊がいる』

 

セリオは立ち上がってディアンと並ぶ。護衛斡旋をしていた昔ならともかく、現在ではこの交易図は飾りに近かった。極稀に、情報を求めて独立商人が訪ねてくる。そのうち幾つかが、この峠道に目をつけていたが、超えたという話は聞いたことが無い。ディアンが話を続けた。

 

『昔、プルノーという行商人がいた。彼は狩人などから情報を仕入れ、この「山越え」の道に挑んだ。竜族の縄張りを横断するという命懸けの道だ。幸いなことに竜族は襲ってこなかったが、代わりに別の奴に襲われた…』

 

『へぇ、何に襲われたんだ?』

 

『魔神さ…アスタロトとかいう「さすらいの魔神」がいてな。行商隊が珍しくて、ちょっかいを出してきたんだ。五人の護衛役のうち、一人がその魔神と闘い、時間を稼いだ。行商隊はその隙に、麓の村レミに走り込んだ…』

 

『まるで見てきたような話だな?残った護衛役はどうなったんだ?死んだのか?』

 

『いや…お前の眼の前にいる』

 

驚くセリオに、ディアンは笑顔を向けた。

 

 

 

 

 

地下都市フノーロは、三十年近い歳月を掛けて全く別の都市へと変貌していた。草原と荒野しか無かった地上に、石造りの建物が並び、道には石畳が敷き詰められている。大通りには、街灯が等間隔で並ぶ。しかも未だに建設途上だ。近隣の村からも移住者が殺到しているようである。河川から引かれた堀を渡り、城壁を潜る。東西南北の各城門には、行政府の出先機関があり、通貨交換を行うことが出来る。各国の通貨のみならず、金銀宝石も交換可能だ。手持ちの宝石を新王国の通貨「ガルド」と交換する。スケーマに入ったディアンは目を細めた。まだまだ発展途上だが、かつてのプレメルと似たような匂いがする。

 

『ティナ姉様のお陰で、治安維持隊はしっかりと機能しています。ターペ=エトフではあまり必要とされなかった「裁判所」も建てました。街の中央に神宮を配し、それを取り巻くように東西に行政府、立法府があります』

 

神宮の「奥の院」で、国王ソフィア・ノア=エディカーヌは胸を張って説明をした。王都スケーマの全体図が机上に広げられている。指し棒で示しながら、都市機能を確認していく。

 

『当面は、国王である私が行政と司法府を管轄しますが、立法府には各種族や民衆代表の会議を設けるようにしました。いずれ行政は民衆の代表者に任せ、神宮を最高司法府とした「司法権」を王が持つようにしたいと思います』

 

『各神殿の様子はどうだ?』

 

ソフィアは肩を竦めた。プレメルにある各神殿には、未だに「神の道」について伝えていない。ターペ=エトフ滅亡によって、各神殿は一旦、総本山に戻る予定である。

 

『正直、現在のところ現神神殿は「神の道」を受け入れていません。神宮を頂点とた「神道庁」を設け、現神神殿を設けていく予定ですが、西方神殿勢力からは「異端」と見なされるでしょうね』

 

『「奴ら」は現神神殿の神官であることを利用して、治外法権的存在になっている。ターペ=エトフにおいてすら、そうだった。だが神官も所詮は人間だ。カネが入れば必ず腐敗する。信者からの寄附金額やその使途、総本山への流れなどは、すべて国家が厳正に管理をすべきだ。まぁ管理と聞くと「制限」と聞こえるだろうから、この場合は「把握」と伝えるべきだろうな』

 

『ターペ=エトフにおいても、財政状況が把握できた神殿は「ナーサティア神殿」「イーリュン神殿」「ガーベル神殿」だけです。ヴァスタール神殿やアーライナ神殿は、開示を拒否していました。恐らく、新王国でもそうなるでしょう』

 

『「闇神殿」は、ともすると裏社会にカネが流れることもあるからな。ターペ=エトフのような人口が少ない国なら、裏社会など形成できない。だが新国家は広大な国土とそれに見合う人口を抱える。必然的に「闇」が出来るはずだ。それは社会維持において必要悪とも言える。だが決して、それに神殿が関わってはならない。新国家では、神殿は国の権威を担う。権威は「汚れてはならない」のだ』

 

『プレイアの「姐御(ベラ)」さんからは、不定期ですが報告が届きます。どこまで信頼できるかは解りませんが、国家が把握できないような「裏社会」は、出来ないようにしたいと思います』

 

『ソフィア、国王はお前だ。お前の想うように国家を作れ。インドリトは、その理想をお前に託した。国とは与えられるものではなく、王とは引き継ぐものではない。自らの意志で建国し、自らの意志で王となるのだ』

 

『私は君主としては、インドリト王の足元にも及ばないでしょう。インドリト王は「千年に一人」の王です。ですが私は、その偉大な王を三百年近くに渡って見続けてきました。そこから学んだことを活かしていきたいと思います』

 

賢王インドリトには、参考となる王が存在しなかった。彼は他者からの助言を得ながらも、自ら考え、自らの意志で未知の荒野を歩いてきた。ソフィアにとって幸運だったのは、参考となる先人がいたことである。ターペ=エトフという国と、その統治者であったインドリトという王が、ソフィアの「参考書」であった。

 

ターペ=エトフ歴二百八十年双葉の月(四月)の一日、闇夜の眷属の国「エディカーヌ王国」が建国を宣言した。人口は十三万人、首都スケーマを中心としてアヴァター地方南部からニース地方の一部を領土とし、それなりに国土面積は広い。突如として誕生した「闇夜の国」は、光側神殿との繋がりが強いベルリア王国やアヴァタール地方東端の国「アンナローツェ王国」に衝撃を与えた。一方、バリアレス都市国家連合は、エディカーヌ王国建国初日に「相互不可侵条約」を締結する。レウィニア神権国、スティンルーラ王国、リスルナ王国も国交を結ぶ。特に、リスルナ王国とはリプリィール山脈の国境をどうするかで、外交交渉が続けられていた。リスルナ王国の宰相「トマス・ウートゥルス」の日誌に交渉場面の一部が載せられている。

 

…突如として誕生した「闇夜の国」、当然ながら我が国は最大の警戒をしていた。私は死すら覚悟をして、首都スケーマに入った。エディカーヌ国王は、老いた私から見ても絶世と思えるほどに美しかった。だが同時に、そこに「人外の何か」を感じた。あれが「神格」なのだろうか。交渉は至って簡単なものであった。リプリィール山脈を東西南北に四等分し、南側をエディカーヌ王国領と認めて欲しい、とのことであった。あの山は瓦礫が多く、狩人が山を越える程度であり、承認をしても全く問題がないと判断した。ただ、私は一点だけ気になっていた。彼らは気づいているのだろうか。リプリィール山脈に眠りし「古神」のことを。藪蛇になると思い、私はあえて、このことは話題にしなかった…

 

エディカーヌ王国が誕生してから数百年後、メルキア帝国の調査団がリプリィール山脈内において「謎の遺跡郡」を発見している。「メヘル」と呼ばれるその遺跡群には、明らかに何かを封じていた痕跡があった。だがその封印は既に解かれ、封じられていたモノを示す証拠も破壊されていた。何が封じられていたのか、誰が、何の為に封印を解いたのかは定かではない。

 

 

 

 

 

今後の発展が期待されるであろう大陸中原「アヴァタール地方」において、闇夜の眷属の国が誕生したことは、西方神殿勢力に大きな衝撃を与えた。だがそれ以上に危険視されたのは「神の道」と呼ばれる新たな宗教体系である。新国家エディカーヌ王国では、神殿勢力の存在を認めず、国家によって信仰そのものを管理している。現時点では現神神殿の殆どがエディカーヌ王国に進出していないが、その理由は「総本山よりも王国の制約が優先される」ためであった。「神の道」は危険視され、厳重な情報統制によって民衆に知られることは食い止められていた。

 

『エディカーヌ王国、そして「神の道」…興味深いわ』

 

クリア・スーンは十五歳になっていた。少女らしいあどけなさも消えつつあり、美しい女性へと成長する途上である。ベテルーラのマーズテリア神殿総本山には、多くの神官や騎士がいる。聖職者といえども所詮は人間である。クリア・スーンの美貌は、男たちにとっては毒にも等しい。教皇庁に併設されている「聖女の館」で、クリアは半ば軟禁状態となっていた。だが教皇庁内の中でなら、自由がある。マーズテリア神の最初の神格者と言われる伝説の聖騎士「ルクノゥ・セウ」が使っていたという軍剣を抜いたことで、クリア・スーンがマーズテリア神の聖女であることがほぼ、証明された。神格者となるための試練は、残り二つである。軍神マーズテリアの聖女として「軍才」を証明するための試練と、聖女としての外交折衝能力の証明である。

 

『クリア様、そのような場所に腰掛けていては、危のうございます』

 

身の回りを世話する「中年の侍女」が、心配げに声を掛けてきた。クリアは窓辺に腰掛け、脚を半分外に出した状態であった。地上まで五間(約9.1m)近くある。

 

『大丈夫よ。こうして窓辺で外を観るのが好きなの。ところで、何の用かしら?』

 

『エルヴィン・テルカ様が、お目通りの願っています。レスペレント地方の様子を報告したいと…』

 

(わたくし)に?私はまだ聖女ではありません。猊下にご報告をするのが筋というものでしょう』

 

侍女は苦笑して首を振った。

 

『クリア様が聖女であられることは、ベテルーラの全員が確信をしております。もちろん私も…猊下が時間をお掛けになられているのは、クリア様がまだ十五だからです。あと五年もすれば、クリア様は世界一の美貌を持つ、マーズテリア神殿最高の聖女になられます。私はそう信じています』

 

『その通りです』

 

侍女が驚いて振り返ると、金色の短髪をした騎士が立っていた。マーズテリア神殿聖騎士エルヴィン・テルカである。エルヴィンは入り口で一礼をして、室内に入った。

 

『申し訳ありません。扉が半開きであったもので、つい…』

 

『構いません。エマール、お茶を入れて差し上げて下さい』

 

聖女の部屋に独身の男が入るなど、本来であれば禁忌にも近い。侍女エマールは、ブツブツと呟きながらも部屋を下がった。クリアが着座を勧める。

 

『それで、レスペレント地方の様子は如何でしたか?聖騎士殿』

 

 

 

 

 

マーズテリア神殿総本山「教皇庁」の最奥には、秘密文書館が存在している。教皇以下、限られた者しか入室を許されない部屋で、クリア・スーンは調べ物をしていた。エルヴィンとの会話で、ある疑問を抱いたからである。

 

 

…レスペレント地方の物流は安定しつつあります。ラギール商会という中原域で活動をしている商会が、レスペレント地方まで進出をしたようです。どの国とも等距離を取ることで、政治と物流とを切り離しているようですね…

 

…ケレース地方についてはどうでしたか?…

 

…先年、ケレース地方で起きた戦争は、凄まじいものでした。イソラ王国でも、近隣集落が三つも吹き飛ばされ、西側の城壁も半壊状態です。ハイシェラ魔族国を束ねる魔神の他に、ターペ=エトフ側からも魔神が出現し、二柱の魔神が激突をしたそうです。それにより、ケレース地方中央域はまるで「死の世界」になったそうです…

 

…「ターペ=エトフの黒き魔神」と呼ばれているそうですね。実は、私はこの魔神が気になっています。機密指定の資料を読んだのですが、かつてマーズテリア神殿は、カルッシャ王国、イソラ王国と連携してターペ=エトフと一戦を交えたことがあるようなのです。その際、カルッシャ王国の海軍を迎え撃ったのは「漆黒の魔神」だったそうです。二百五十年以上も前の話です。ターペ=エトフ建国から数年しか経っていない段階で、既に「黒き魔神」がいたとなれば、その魔神はターペ=エトフの建国にも関わっていたのではないでしょうか?…

 

…クリア様はつまり、ターペ=エトフには、その建国から秘密が存在している…とお考えなのでしょうか?…

 

…いえ、秘密というよりは、何らかの「意志」が働いているのではないかと感じています。ターペ=エトフには光側の神殿と闇側の神殿の双方があるそうですが、いずれも国政には殆ど影響力を持っていません。ターペ=エトフは、西方諸国やベルリア王国などとは、全く異なる政治体制です。私の知る限り、ターペ=エトフのような政治体制を持つ国は、どこにも見当たりません。建国者であるインドリト王は、いつ、どこでその政治体制を思いついたのでしょう?…

 

 

(ターペ=エトフは、その名こそ西方でも知られていますが、実態についてはあまり情報がありません。いいえ、むしろ少なすぎます。まるで意図的に情報を隠匿しているかのようです。前聖女は、一体何をしていたのでしょうか?ターペ=エトフというかつて無い国家が誕生した以上、それを調べるのは聖女として当然です。きっと記録が残っているはずです)

 

時代別に書棚が別れている。ターペ=エトフ建国当初の時代まで遡ろうとする。だがクリアの足が止まった。その時代の記録そのものが全く無いからである。これは有り得ないことであった。クリアはすぐに、文書館を管理する司書室に向かった。

 

『クリア様、どうかお許しを…その資料は、マーズテリア神殿の最高機密なのです』

 

司書は平身低頭したが、クリアは首を振った。

 

『ならば尚更、知っておく必要があります。中原はいま、激動期です。その激動は突発的に湧いて出たものではありません。過去の歴史の結果なのです。歴史を知らずして、未来を拓くことは出来ません』

 

次期聖女の強硬により、司書も仕方なく、当時の資料が保管されている「閉架」にクリアを案内した。閉架の片隅に、二百八十年前~二百七十年前の「空白の十年間」の記録が眠っていた。その中に目的の資料があった。自分の前任であった元聖女「ルナ=エマ」の日誌である。クリアはそれを持ち出し、文書館内で読み始めた。

 

 

 

 

 

…ディアン・ケヒト殿との対談は、私の心を大きく揺さぶるものであった。彼の思想は間違いなく、ターペ=エトフに大きな影響を与えている。これまでマーズテリア神を信仰していた私にとって、彼が示したヴァスタール神やアーライナ神、あるいは古神の教えは、衝撃的なものであった。説明の仕方は違えども、そこにある教えはマーズテリア教に通じるものであった。私は思う。そもそも、このディル=リフィーナで光と闇の対立は、どうして起きたのだろうか?そして、私たちは一体、何を信仰しているのだろうか?…

 

…ディアン殿は言った。貴女が信仰しているのはマーズテリア神「自身」ですか?それともマーズテリア神の「教え」ですか?それともマーズテリア「神殿」ですか?…私は猊下に聖女として認められ、聖女として育てられた。だが、聖女となったのは私自身の意志だったのだろうか?周りがそう扱うから、聖女様と言うから、ただ何となく聖女という立場を受け入れただけではなかったのか?自分の存在に疑問を持つことは、とても危険なことだということは解る。だがディアン殿は言う。自分自身が何を信仰しているのか、その信仰は自分にとって救いなのか、客観的に己を見つめられなければ、それはただの「盲信」に過ぎない…ならば、私はこれまでマーズテリア神の教えを「盲信」していたということになる。信仰は、疑わないから信仰なのだ。だが疑わなければ、それは「盲信」と同じではないか。「信仰」とは、一体なんなのだろうか?…

 

前聖女「ルナ=エマ」の日誌は、埃を被った状態であった。傷んだ日誌を慎重に捲りながら、クリアは日誌を読み進めた。

 

…ディアン・ケヒト殿は、人間ではなかった。彼は「魔神」だったのである。私は戦慄した。魔神が畑を耕し、家畜の世話をし、飲食店を出すなど、有り得ない。彼は正確には魔神では無く、「人間の魂を持った神族」なのではあるまいか。理屈上では存在するが、現実的には存在し得ないとされている「神殺し」が、彼の正体なのではないだろうか。このことは、猊下に対してでさえ、報告できないことだ。私個人の「直感」に過ぎず、証拠も一切、無いからだ。だがもし、彼が本当に「神殺し」なのだとしたら、ターペ=エトフという国の目指す地平も見えてくる。剣や魔術で神を殺すのではない。ディアン・ケヒトは思想によって、神族を消し去ろうとしてるのだ…

 

『ディアン・ケヒト…それが、ターペ=エトフの黒き魔神の正体…そして「神殺し」…』

 

クリアは、自分が極めて危険な書を読んでいることに気づいていた。この書が焚書の対象とならなかったこと自体が、奇跡に近いだろう。あまりに危険過ぎるが故に、途中で読まれなくなったに違いない。だがクリアは、頁を捲る手を止められなかった。

 

…マーズテリア神殿は過ちを犯した。ターペ=エトフを危険視し、武力をもってこれを滅ぼそうとしている。愚かしい判断である。ターペ=エトフは自分たちの縄張りの中で生きている。「彼らはそうなのだ」と割り切って受け入れれば、それで済む話ではないか。私はマーズテリア神の神格者として、神殿の暴走を止めなければならない。だが、猊下とも幾度か話をしたが、止められそうにない。私は恐らく、聖女としての地位を追われるだろう。明日もう一度、猊下を説得してみよう。これまで以上に、強い口調で…

 

クリアは瞑目した。前聖女が神格位を剥奪されたという事実は知っている。「聖女らしからぬ言動により…」と説明を受けていたが、その経緯は知らなかった。ルナ=エマはディアン・ケヒトと言葉を交わすうちに、マーズテリア信仰の形が変化をしていったのだろう。「自分はマーズテリア神と教義を信仰しているのであって、神殿を信仰しているわけではない…」この一文に、ルナ=エマという人物の信仰の姿が描かれている。彼女は、周囲から聖女と持ち上げられ、疑いなく聖女となった。そして、ターペ=エトフにおいて、信仰に「形」が出来たのだ。いや、形を持たされた…と言うべきだろうか。ディアン・ケヒトという思想家が、ルナ=エマの信仰に「型を嵌めた」のである。

 

『ターペ=エトフの基本思想は、恐らくこのディアン・ケヒトが創ったのでしょう。インドリト王の思想に強い影響を与え、「光と闇が共生する世界」を生み出した。その中で人々は徐々に、自分の信仰を客観視し、やがて信仰から自立をしていく。神々の教えに縋るのではなく、自助努力によって自らの足で歴史を歩み始める。そうなれば、歴史における神殿の存在意義は大きく低下します。現神への信仰が薄らげば、神々はディル=リフィーナに留まることも出来なくなるでしょう。当然、そうなる前に現神と神殿は動くでしょう。その危険思想を潰すために… その悲劇は、七古神戦争の比ではありません。「神々とヒト」との一大戦争となるでしょう。ディアン・ケヒト…貴方はそこまで見通して、それでもなお、その途を進もうとしているのですか』

 

日誌の中には「黒髪、黒瞳の男性」としか描かれていない。だがクリアは、ディアン・ケヒトという人物を想像することが出来た。神の力を持ちながら、人間の魂を持つ「神殺し」、だがそれは目に見える物理的な脅威にしかならない。この男の本当の恐ろしさはディル=リフィーナの信仰的思想的支配者である現神に対して、新たな思想と言葉をもって、挑戦していることにある。まさに「宗教的革命家」であった。

 

『他にも、資料があるかもしれません。徹底的に調べましょう』

 

立ち上がり、司書室へと向かった。

 

 

 

 

 

秘密文書館に篭ってから二日が経った。館内の一室には、書類の山が出来ていた。クリアは二日間で、ターペ=エトフ建国以前から十数年間のあらゆる資料に目を通した。そこから、一つの仮説が浮かび上がってきた。

 

(理想国家ターペ=エトフの建国、賢王インドリトの思想とターペ=エトフの繁栄…もしこれらが、ディアン・ケヒトが描いた脚本通りであるとするならば、現在のターペ=エトフはどうなのか。魔族国の出現と数十年に渡る戦争、賢王でありながらも、世継ぎの無い老王、いずれ来るターペ=エトフの滅亡…ディアン・ケヒトは、それを黙って見ているだけだろうか?)

 

そんな筈がなかった。時間を掛けて丹念に蒔いた種が芽吹き、ターペ=エトフという理想郷が出来た。この理想郷が滅びようとしている時、種を蒔いた人物は何を考えるだろうか。クリアはアヴァタール地方の地図を取り出した。その答えに行き着いたからである。

 

『エディカーヌ王国…そういうことですか。ですが、その中間にあるレウィニア神権国は何をしているのでしょう?まさか…』

 

レウィニア神権国の絶対君主「水の巫女」は現神ではない。一柱の地方神に過ぎない。その教義は自然信仰に近く、闇夜の眷属や古神さえも受け入れる土壌を持っている。クリアは戦慄した。もし、ディアン・ケヒトと水の巫女が結託をしていたら、半ば妄想にも近いディアン・ケヒトの理想が、急速に現実味を帯びてくる。光側の国であるレウィニア神権国と、闇側の国であるエディカーヌ王国が水面下で手を結び、多人口地帯の中原に「宗教革命」を起こす…

 

『水の巫女に確認をしなければなりませんね。ですがその前に、まずターペ=エトフへの対処です。ディアン・ケヒトは恐らく、ターペ=エトフの滅亡を既に想定して動いているでしょう。マーズテリア神殿が動けば、魔族国を牽制してターペ=エトフを救うことも出来ますが…』

 

実際、イソラ王国のみならず、カルッシャ王国を始めとしたレスペレント地方の諸王国やメルキア王国などから、マーズテリア神殿への出兵要望が来ていた。ターペ=エトフが滅びれば民生に影響が出るばかりでなく、中原の中心部でもあるケレース地方に、巨大な魔族国が誕生することになる。ターペ=エトフを援助し、魔族国を滅ぼすべきという声は、枢機卿内からも起きていた。だがクリアには一抹の不安があった。ターペ=エトフを救うことが、ディアン・ケヒトの目論見を潰すことになるのだろうか?下手をしたら、ターペ=エトフという大国が残りつつ、エディカーヌ王国というもう一つの大国が出現し、アヴァタール地方を南北に挟む形で、より急進的な革命を起こすのではないか。この不安が、クリアを躊躇わせた。

 

(各国の懸念は、ケレース地方に巨大魔族国が出現することに対してです。ならば、ターペ=エトフ滅亡後に、魔族国を滅ぼすべく動いてはどうだろうか。無論、簡単なことではないでしょうが…猊下にご相談をしてみましょう)

 

クリアは二日ぶりに、文書館から外に出た。日差しが眩しく、青い眼を細める。侍女が慌てて駆けつけてくる。

 

『心配を掛けましたね。大丈夫です。これから、猊下にお目通りを願いましょう。どうしてもご相談をしたいことがあります』

 

クリアの表情には、深刻な色が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

マーズテリア神殿聖騎士エルヴィン・テルカは戸惑っていた。ケレース地方に誕生した「魔族国」に対応すべく、いつでも出陣できるように整えていた。だが今日、教皇からの勅命によりその準備が解かれたのである。クリア・スーンは二日間に渡って秘密文書館に閉じこもり、出てきた足で教皇と長時間の対談を行ったらしい。聖女クリアは一体、何を考えているのだろうか。エルヴィンは疑問を払拭すべく、聖女の館へと向かった。

 

『聖女殿、私は猊下の勅命により、ケレース地方動乱に備えて準備を進めていました。ですが今日、その命が解かれました。ケレース地方には一切の手を出すな、とのことです。私は、マーズテリア神殿二十万の軍を預かる身です。猊下の勅命とあれば、いつでもこの身を軍神に捧げましょう。ですが、疑問を感じざるをえないのです。このままでは、ケレース地方に巨大な魔族国が誕生し、中原は重大な危機に直面します』

 

『テルカ殿のご懸念は尤もなものです。私も、このまま魔族国にケレース地方を席巻されるのを黙っているべきではないと考えます。ですが…』

 

暫く沈黙する。言葉を選んでいるようである。やがて、結論だけを告げた。

 

『ターペ=エトフは、滅びなければならないのです』

 

確信した表情で、聖女ルナ=クリアは断言した。

 

 

 




【次話予告】

インドリトは剣を握っていた。恐らく、これが生涯最後の稽古になるだろう。残された僅かな力を振り絞り、剣を振る。稽古が終わると師は後ろを向き、少しだけ肩を震わせた。インドリトは静かに剣を置いた。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第九十六話「最後の稽古」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第九十六話:最後の稽古

メンフィル帝国侍従長「グレーゲル・ペッテション」の日誌より

 

…本日、「先の戦争」を共に戦った方々による、細やかな晩餐会が催された。日頃は堂々たる威厳を示される陛下も、最も御信頼をされる「御仲間方」の前では、誠に不敬ながら「一人の半魔神」にお戻りになられる。酒が進まれたのか、陛下は大将軍に「過去」をお尋ねになられた。大将軍が陛下にお仕えをされる前に、他国で軍をまとめていたということは、知る者は知っている。しかし、誰もそれについて、お尋ねにはなられなかった。

 

『ファーミシルスよ。お前はかつて、ターペ=エトフという国で元帥を務めていたそうだな』

 

『はい、陛下。西ケレース地方で繁栄をした国でした』

 

『ターペ=エトフ王国の国王「インドリト・ターペ=エトフ」とは、どのような人物であった?』

 

大将軍は遠い目をされた。昔を思い出し、懐かしんでおられたのだろう。陛下はファーミシルスが話しやすいように気を利かされたのか、お言葉を加えられた。

 

『言葉を選ぶ必要はない。皇帝としてではなく、一人の男として聞いたのだ。遠慮せずに言え』

 

『偉大な王でした。その理想は高く、その知性は深く、その為人は万人を心服させ、その強さは魔神をも上回りました。私の知る限り、「最も偉大な王」です』

 

『ちょ、ちょっとファーミッ!リウイの前でっ!』

 

カーリアン殿が慌てたように止められた。陛下を前にして「最も偉大な王」として他者を挙げるなど、確かに不敬であった。だが陛下は、笑って頷かれた。

 

『良い。「あの男」も、俺如きはインドリト王の足元にも遠く及ばぬと言っていた。ターペ=エトフの伝説は、このレスペレント地方でも広く語られている。一代でそれ程の王国を築いたのだ。敬意を持って、語るべきだろう』

 

ファーミシルス殿は、カーリアン殿の言葉も聞こえていないようであった。確かにターペ=エトフは「伝説の理想郷」として御伽噺のように語られている。その時、側近が入室をしてきた。陛下に何か耳打ちをする。陛下の顔色が変わられた。杯を置き、一同に向けて皇帝陛下としての命を下された。

 

『残念ながら、宴はここまでだ。フェミリンス神殿で異変が発生した。狂信的なフェミリンス信者が、神殿に侵入をしたそうだ。どうやら、まだ平和は遠いようだな』

 

皆様が一斉に立ち上がられた…

 

 

著者不明の叙事詩「The Lord of "Thapae=Etoffe(ターペ=エトフへの途)"」の中において、国王インドリト・ターペ=エトフは、その優れた知性のみならず、魔神を退けるほどの武勇が描かれている。並の魔術師では不可能なほどの高等魔術を自在に操り、圧倒的な膂力と優れた技によって魔神を退けるその様は、「史上最強のドワーフ」と惜しげもない賛辞が贈られる一方、「あまりに脚色されている。所詮は創作に過ぎない」という批判の声も一部にある。いずれにしてもインドリト・ターペ=エトフの名はドワーフ族のみならず、獣人族や悪魔族にまで「インドリトの冒険」など童話として語り継がれ、「エトフの名に相応しい偉大な王」であったことは万人が認めるところである。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ王国王宮の庭園で、一人の老ドワーフが魔力鍛錬をしていた。半眼の状態で腰を落とし、両手に魔力を込め魔力珠を形成する。師の元に弟子入りをしてから二百九十年以上、この鍛錬を欠かしたことはない。躰から立ち昇る気配は重厚にして洗練されている。だが全盛期を知る者から見れば、衰えは明白であった。賢王インドリトは日課である魔力鍛錬を終えると、額に浮き出た汗を拭った。そこに、黒衣の男が近づいてきた。背中に中剣より一回り大きな剣を刺している。インドリトは顔を向けること無く、呟いた。

 

『師よ…私は、衰えました。以前は何刻でも出来たこの鍛錬も、今では半刻が限界です。父が鍛った剣も、重みを感じるようになりました…』

 

ディアンは何も言わなかった。弟子が老い、徐々に衰えていることは百年前から解っていた。それを今、本人が口にした。その意味するところは、ディアンも明確に理解していた。ディアンは遠い目をして、弟子に尋ねた。

 

『インドリト…昔、私がお前に言ったことを覚えているか?「強さ」とは何かということだ』

 

『覚えています。まだ子供だったギムリと一緒に、その話を聞きました』

 

『改めて聞こう。「強さ」とは何だ?』

 

『若い頃の私であれば、剣や魔法の力だと言ったかもしれません。ですが、今の私はこう考えています。強さとは「受け入れる力」だと…たとえ物事が己の思い通りにいかなくても。たとえ道半ばで夢が途切れようとも。現実として受け止め、噛み砕き、受け入れ、そして歩み続ける…「心の強さ」こそが、本当の強さだと思います』

 

『確かに、肉体の力は衰えたかも知れん。だが剣や魔法の強さなど「人間の強さ」から見れば些細なことだ。お前を失い、ターペ=エトフが滅びると悟った時、私は魔境に入った。心が弱かったからだ。お前に諭されなければ、私は破壊神になっていただろう。インドリト、お前は私よりもずっと強い』

 

『嬉しい言葉ですね。ですが…』

 

インドリトは剣を持ってディアンの前に立った。

 

『王としては、心の強さがあれば良いでしょう。ですが一人の戦士として、私はまだ師から認められていません。師から「皆伝」を貰う、最後の機会だと思っています。今日、師に届かなければ、私はそれを受け入れます』

 

ディアンは頷き、そして剣を抜いた。風が止まる。ディアンの全身から漆黒の気配が立ち昇った。弟子から「最後の機会」と言われたのである。手を抜くことは許されない。禍々しい気配を放ち、赤くなった瞳をインドリトに向ける。

 

«お前の覚悟は良くわかった。ならば私も加減はしない。インドリトよ、私を殺すつもりで掛かってこいっ»

 

弟子は静かに剣を構え、そして動いた。

 

 

 

 

 

レイナ、グラティナ、ファーミシルス…かつて師としてインドリトを鍛えた三人が、庭園で繰り広げられる師弟の闘いを見つめていた。三人とも、瞳に涙を浮かべている。弟子(インドリト)の剣を(ディアン)が受け止める。魔神の膂力があれば、簡単に弾き返せるはずである。だが躰ごと飛ばされる。両腕が痺れる。足に力を入れてなんとか耐える。大地をぶつけられるような衝撃であった。ディアンが手を抜いているわけではない。インドリトが持つ力、十五万の民を負う「王としての背骨」が、魔神をも越える力を生み出していた。受け止めた剣から感じる力が、その心が、ディアンの視界が霞ませた。これ程の弟子を失う、これ程の友を失う…だが、この非情な現実に耐えなければならない。弟子自身が耐えているのだから…

 

『うっ…うぅっ…』

 

口元を抑え、レイナが泣き崩れた。他の二人も震えている。三人共が解っていた。これが、インドリト・ターペ=エトフの「最後の稽古」だということを… 直接言葉を交わさなくとも、剣を通じて多くを語り合う。やがて数歩距離を置き、ディアンが手を挙げた。

 

『インドリト…これ以上、打ち合うことは出来ん』

 

『な、何故です?』

 

肩で息をしながら、インドリトが聞いた。「クラウ・ソラス」を握っていた右手を開いて示す。掌が切れていた。

 

『クラウ・ソラスが言っている。これ以上、自分に辛い想いをさせるな。インドリト・ターペ=エトフが放つ剣の想いに、もう耐えられない…柄を通じて、私自身にそう言ってきた。三百年間を共に生きてきて、初めてのことだ』

 

クラウ・ソラスを背に収め、溜息をつく。

 

『戦士が、己の剣にそう言われてしまったら、負けを認めざるを得ん。私の負けだ。インドリト、お前は…私を超えた…』

 

ディアンはそう言うと、使途にも弟子にも顔を見せないよう、背を向けた。微かに肩を震わせる。インドリトは瞑目し、剣を鞘に収めた。

 

『本当に、お世話になりました。有難うございました。我が師よ…』

 

師の背中に向けて一礼をする。ディアンは大きく息を吐き、振り返った。顔には笑みが浮かんでいる。

 

『かつてアヴァタール地方東部にいた剣豪は、皆伝の証として「刃引きをした剣」を渡していたそうだ。私はそのような気の利いたものは渡せんが…』

 

ディアンは自分が着ていた漆黒の外套を脱ぎ、インドリトに羽織わせる。

 

『ヒトとしても、戦士としても、お前は私を超えている。もう何も教えることはない。「皆伝」だ』

 

インドリトは纏った外套に腕を通した。ドワーフ族の中では大柄なインドリトだが、それでも大きかった。ディアンは大きく頷き、使徒たちと共に、中庭を後にした。その背中にもう一度、インドリトは頭を下げた。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフを「裏切り」、ハイシェラ魔族国の宰相となった魔人シュタイフェは、民生の強化に努めていた。軍の規模をさらに縮小させ、亜人族などを帰郷させる。だが驚いたことに、悪魔族や一部の亜人族などは、魔族国を去ること拒否した。たとえ無給でも構わないから、ここに居たいと言うのである。半泣きの様子で迫ってくる亜人に、ハイシェラは微笑んだ。

 

«汝らも物好きよの…ならば我と共に来るが良い。過酷な途になるやも知れぬ。されど我は決して、汝らを見捨てぬ»

 

人間族によって弾圧をされ、行き場を失った者たちにとって、ハイシェラは最後の希望であった。ターペ=エトフでもそうした難民を受け入れてきたが、彼らの心の中にある「怨讐」に対して、目を瞑っていたのは事実である。人間族への復讐心を認めれば、それはターペ=エトフの理想から離れてしまうからだ。だが恨みや憎しみも、ヒトとしての性であり、それ自体を「悪」と切り捨てることは出来ない。ターペ=エトフが間違っているとは思わないが、ターペ=エトフでさえも「救えなかった心」があることを、シュタイフェは認めざるを得なかった。

 

『ハイシェラ様、内政の件でご報告があるのですが…』

 

叩扉してハイシェラの私室に入ったシュタイフェは、意外な光景を目撃した。ハイシェラが足を組んで読書をしているのである。書名は「東方見聞録」であった。魔神が読書をすること自体は珍しくはない。シュタイフェの主人であった魔神グラザも、相当な読書家であった。だがハイシェラが読書をするというのは、どうも想像が出来なかった。

 

«何用じゃ?我は今、忙しいのじゃが?»

 

紙面から眼を外すこと無く、ハイシェラが尋ねる。シュタイフェは我に返って、卑下た笑い声と共に下品な冗談を吐く。

 

『ヒッヒッヒッ…アッシも猥本ならかなり持っておりヤスぜ?お望みならお貸ししますが…』

 

«…この本を書いた者は、どうやら信仰というものに不信感を持っているようだの。東方諸国の文化を紹介しつつも、それに対する己の意見の中に、それが滲んでおる。誰が書いたのか、目に浮かぶわ»

 

冗談を受け流され、シュタイフェは仕方なく内政状況を報告した。一通りの報告を終えると、ハイシェラが顔を上げた。

 

«ターペ=エトフの大番頭を務めた汝じゃ。内政については汝に任せようぞ。ターペ=エトフ占領後、我はケレース地方を席巻する。そのための情報収集に、今のうちから努めよ»

 

シュタイフェは一礼して下がった。シュタイフェは未だに、魔神ハイシェラが自分を信用する理由が解らなかった。ハイシェラは確かに、残酷で冷酷な魔神である。だがその一方で、極めて高潔な部分を持っていた。「裏切り者」を素直に認めるとは思えなかった。

 

『あるいは、最初から気づかれているか…』

 

シュタイフェは背中を震わせた。今はともかく、ハイシェラ魔族国を安定させることに注力をすべきである。役に立つ限り、用いられるだろう。シュタイフェはそう割り切った。

 

 

 

 

 

シュタイフェが退室をしたあと、ハイシェラは読書を始める前に少し考えた。シュタイフェを何処まで使うかである。ハイシェラには、シュタイフェの目的が最初から読めていた。ハイシェラ魔族国はやがて、ターペ=エトフを占領する。その時に、誰かがターペ=エトフの民を護らなければならない。シュタイフェの狙いはそこにあった。「民のために、あえて汚名を甘受する」…その精神は、ハイシェラにとって、決して不快なものではなかった。ハイシェラは再び、本に眼を落とした。大禁忌地帯と先史文明について書かれている章である。

 

…物理的法則の異なる二つの世界を融合させるためには、電力による結界の他に、融合の能力を持った「魂を持つ生命体」が必要であった。「電力と魔力」という二つを結びつけ、世界の崩壊を防ぐための「緩衝役」として、機工女神エリュアが生まれた。エリュアは、異なる存在同士を融合させる能力を持つ。その能力によって、新世界「ディル=リフィーナ」が誕生したのである。新世界誕生後、エリュアは何処かへと姿を消している。女神アリスの話では、エリュアは元々は、ネイ=ステリナから送られた魔族であった。融合、吸収を繰り返し、神に匹敵する力を持つに至ったそうである。おそらく現在においても、世界の何処かに存在していると思われる…

 

ハイシェラは黙って、その箇所を読んだ。二度、三度と読み返す。やがて小さく呟いた。

 

«アリスめ…なにが「女神」なものか…»

 

その貌には、いかなる感情も浮かんでいなかった。

 

 

 

 




【次話予告】

ターペ=エトフ歴二百九十年、理想郷の落日は、もはや誰もが予想をしていた。だがインドリトの中に、一抹の不安があった。ターペ=エトフを「引き継ぐ」相手をあまり知らないからである。インドリトは王として、魔族国の王との会談に望む。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第九十七話「第三次ハイシェラ戦争」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第九十七話:第三次ハイシェラ戦争

後世の史家たちは、ケレース地方で発生した「ハイシェラ戦争」は、大きく三つに分けられるとしている。ハイシェラ魔族国が「国家」としてまとまった第一次ハイシェラ戦争、国家および魔神間の激烈な戦争によってケレース地方全土を破壊した「第二次ハイシェラ戦争」、そしてインドリト・ターペ=エトフ崩御前に、ターペ=エトフを引き受けるべく、ハイシェラ単身でプレメルの王宮を襲撃した「第三次ハイシェラ戦争」である。これらは「The Lord of "Thapae=Etoffe(ターペ=エトフへの途)"」の中で描かれているが、後世の歴史家が一様に疑問を提示しているのが、魔神ハイシェラはどのようにしてターペ=エトフを統治したか、という点である。

 

ターペ=エトフ行政府は、インドリト王一人で運営をしていたわけではなく、数百名の行政官が存在していた。また各種族の代表である元老院もあり、長年に渡る敵国であったハイシェラ魔族国を「新たな統治者」として受け入れるのは簡単では無かったはずである。事実、ハイシェラ魔族国は数年で瓦解している。ハイシェラ魔族国を攻め滅ぼしたマーズテリア神殿軍が見たものは、無人に近いプレメルの街と行政府であった。しかし、僅か数年間とはいえど、物産を行い、イソラ王国を滅ぼした軍を食べさせていたのである。街の治安維持、軍の補給などを担当していた行政官は誰だったのか。また彼らは何処へ消えたのか。ターペ=エトフからハイシェラ魔族国への移行については、大きな謎となっている。

 

 

 

 

 

第二次ハイシェラ戦争から十年が経過した。ハイシェラ魔族国は軍の規模こそ縮小させたが、それなりに安定した国家運営を行っていた。遁走したケルヴァンの後を引き継いだシュタイフェは、自衛のための軍こそ残したが、それ以外の亜人族などは全て帰郷させた。かつてのガンナシア王国とほぼ同規模程度まで縮小したが、ターペ=エトフの宰相として蓄えた知識が役に立った。農畜産業の生産力は飛躍的に高まっている。現在のハイシェラ魔族国は「閉鎖経済」であるが、ほぼ完全な自給自足が可能であった。人間族の国であれば、王族や貴族が民衆から搾取し、贅沢三昧の暮らしをするのが常であるが、ハイシェラはそうしたことには興味が無かった。練兵場で調練をする日もあれば、街を歩いて亜人族の子供の相手をしたりしている。その姿は、破壊に明け暮れる魔神とは程遠いものであった。

 

(やはり、ただの魔神では無いでヤスね。下手な王よりも、ずっと立派な名君でヤス…)

 

シュタイフェが抱いた感想は、ケルヴァンと同じものであった。元々、ハイシェラは魔神の中でもかなりの上位に属する。膂力や魔力といった戦闘面での強さのみならず、その知性や精神性も低位の魔神とは比較にならない。ハイシェラは魔族国の王という地位の中で、少しずつ変化をしていた。「天地の狭間に己独り」という孤高の存在ではなく、他者の存在を考えるようになっていた。ハイシェラの視界には、これまで「虫ケラ」と呼び、眼にも留まらなかった存在が映っている。ディアン・ケヒトがハイシェラを殺さなかった理由が、シュタイフェにも理解できた。

 

(ですが…やはり王としては欠落している部分がありヤスね。魔神ハイシェラには「志」が無い。王として、何を成し遂げたいのかが無い…これでは、国を纏めることは無理でヤス…)

 

ハイシェラはターペ=エトフを占領後、ケレース地方を武力統一するつもりでいる。だが「何のために統一をするのか」が無かった。

 

「強いて言うなら、面白そうだから…だの」

 

ハイシェラ自身に聞いたら、きっとこう答えるだろう。シュタイフェは諦めたように首を振った。

 

 

 

 

 

「皆伝」を得たとは言え、インドリトにとってディアン・ケヒトは師であった。本来、王太師という地位は「王への助言役」である。南方にエディカーヌ王国が誕生し、ターペ=エトフの落日は確実なものとなった。だがインドリトには不安があった。エディカーヌ王国への「民衆の移動」である。巨大転移陣によって百名単位での転送が可能とはいえ、ターペ=エトフには十五万もの民が生活をしている。各種族の元老たちも、インドリトが崩御するまで、決してターペ=エトフを離れないと断言していた。自分が死んだ後、この地を占領するであろう魔神に、彼らを護るよう約束をしてもらう必要があった。

 

『我が君、魔族国に派遣をした使者が戻りました。魔神ハイシェラは、面会を受諾したとのことです。会談場所は「北華鏡平原の集落」を指定してきました。それに伴い「華鏡の畔」に通過許可を打診し、許可を得ております』

 

ディアンの報告に、玉座の王が頷く。シュタイフェが不在であったため、ディアンは王太師と宰相役を兼任していた。インドリトの指名に、元老院からも反対の声は出なかった。ターペ=エトフの落日を前に、宰相を務められる人材が他にいないこともあるが、それ以上に「王の願い」という感情的理由が大きかった。

 

…インドリト王が、自分が死ぬまでの「最後の宰相」として指名をしたのだ。誰が反対できる…

 

『アムドシアスより、贈り物として「馬車」が届いています。我が君の御移動の為に使って欲しいとのことです』

 

『馬車ですか。昔は「無駄なもの」と思っていましたが、今にしてみると、それは誤解だったのかもしれませんね。有難く使わせてもらいましょう』

 

かつて、レウィニア神権国で初めて馬車を見た時、インドリトはまだ二十歳前だった。だが、三百歳を超えた肉体では、馬での移動は辛いものがあった。ディアンは何も言わず、頭を垂れた。

 

 

 

 

 

『インドリト王よ、良く参られた。美を解する偉大なる王を心より歓迎する』

 

華鏡の畔で一泊し、北華鏡へと向かう予定である。馬車から降りたインドリトをアムドシアスが出迎えた。インドリトには哀愁を纏った優しい瞳を向けるが、馬から降りたディアンには、一変して怒りの色を見せた。その夜、庭園内を歩いていたディアンに、アムドシアスが声を掛けた。怒りの表情である。

 

『どうした、何を怒っている?先の戦争で、庭園に被害でも出たか?』

 

『そのようなことではないわっ!』

 

ディアンの胸ぐらを掴む。

 

『貴様、なぜ何もしない!なぜ、ターペ=エトフをこのまま滅亡させるのだ!インドリト王を使徒にするなり、貴様が王になるなりすれば、ターペ=エトフは続くではないか!』

 

ディアンは黙って、アムドシアスを見つめた。アムドシアスの瞳には、怒りよりも哀しみが浮いていた。

 

『ゾキウが死に、インドリトも去り、お主まで居なくなる!美を解し、共に語り合う者はみな消え、あのような野蛮なヤツだけが残るというのか!』

 

ディアンは何も言わなかった。アムドシアスも掴んでいた手を離す。「何かを共にする」ことの喜びを知ったのは、ハイシェラだけではなかった。美を愛する魔神もまた三百年の時の中で変化をしていた。

 

『…我は去らぬぞ。この地で、あの戦争バカに思い知らせてくれる!』

 

背を向けたアムドシアスに、ディアンが声を掛けた。

 

『…もしもの時は、南に出来た新興国「エディカーヌ王国」に来い。今のお前であれば、エディカーヌ国王も歓迎するだろう』

 

アムドシアスは何も言わずにその場を去った。

 

 

 

 

 

華鏡の畔を抜けると、景色が一変する。十年前の大戦の痕が色濃くなる。だが、焼き尽くされた森や平原に新たな生命が芽吹いていた。やがて集落が見えてきた。爆発によってできた池を囲むように、家々が並んでいる。

 

『こんなところに集落があったのか…』

 

馬を降りたディアンは、馬車を先導するように集落に入った。人間族や亜人族が、畑を耕したりしている。まだまだ小さいが、長閑な光景であった。馬車から降りたインドリトが集落を眺める。子供たちが笑いながら駆けている。その奥から、赤髪の美女が歩いてきた。ディアンを含めた護衛たちが構える。だがインドリトがそれを止めた。

 

『この集落は、我の元にいた亜人族たちが作ったのじゃ。故郷へ帰らず、このような場所に住んでおる』

 

馬車が珍しいのか、子供たちが興味深そうに見つめている。その様子を眺めるハイシェラは、とても魔神とは思えなかった。それだけで、インドリトの目的は、半ば達成していた。ディアンが進み出て、ハイシェラに一礼した。

 

『ハイシェラ魔族国国王ハイシェラ様、この度は会談を受諾いただき、有難うございます。何分、私たちはこの集落を存ぜぬ故、会談に向けて適当な場所をお教えいただきたいのですが…』

 

『ついて参れ。こちらで準備をしている』

 

池の畔に大樹が一本だけ生えていた。あの戦争で残ったのだろう。その木陰に椅子が二脚、置かれていた。インドリトが頷き、ディアンたちに告げる。

 

『ここからは、私とハイシェラ王とで会談をします。皆は休んでいなさい』

 

ディアンは一礼し、他の従者たちと共にその場を離れた。二人の王が向き合って座る。ハイシェラは黙って老王を見つめた。髪も髭も真っ白である。ハイシェラは瞑目して呟いた。

 

『もう百年早く、汝とは出会いたかったの…』

 

『ハイシェラ殿、それは私も同じ思いです。もっと早く、できれば別の形で出会いたかった』

 

こうして、ケレース地方の歴史に名を残す「二人の王」の会談が始まった。

 

 

 

 

 

『ハイシェラ殿…この四十年間、貴女は様々なものを見たと思います。かつて王宮を襲撃した貴女と、今の貴女では全くの別人に見えます。教えてください。貴女は、何を見て、何を感じたのですか?』

 

ハイシェラは沈思した。何のために、自分は王になったのか。当初は、黄昏の魔神との闘いを望んでいた。自分が得た強大な力を試す目的もあった。だが今となっては、そこにあまり価値を見出してはいない。闘争自体は望むところだが、「闘えばそれで満足」という自分ではなかった。ハイシェラは整理するように、語り始めた。

 

『我は元々、ディアン・ケヒトと闘うことを望んでおった。大いなる力を試したいということもあったが、我は飽いておった。三神戦争以来、破壊と殺戮を繰り返し、もう誰を殺したのかも我は覚えておらぬ。じゃがその中で、あの男が我の中に残っていた。数多の闘争でも満たされなんだ我を満たせるのでは無いか、そう期待していた。じゃが…』

 

『満たされなかったのですね?』

 

『黄昏の魔神との闘争は、確かに愉しかったの。じゃが闘争が終われば、再び渇き始める。ターペ=エトフという大国との戦争で「高揚感」はあれど、我の渇きは癒えぬ。そんな時じゃ。我は街を歩いた。ただ見て回っておっただけじゃが、襲われている者がおってな。何となしに助けた。「弱者を援ける」など、我には思いもよらぬことだの。礼を述べられた時、僅かではあったがこれまでにない感覚を持った』

 

インドリトは黙って、ハイシェラの呟きを聴いた。

 

『魔神グラザを誘うために、モルテニアに行った。グラザという魔神は、我と同類だと感じた。闘争を本質としながら、それを抑えていた。それを開放する場を与えると言ったのに、奴はそれを拒否しおった。我の気配に慄くこと無く、グラザを護るために子供から石を投げつけられた。その時に思った。グラザは「別の何か」で満たされておった。魔神にとって、破壊衝動は本能じゃ。じゃがグラザは本能に従うのでも抗うのでもなく、共存しながら生きておった。その生き方を見た時、我は戸惑った。我という存在は、一体なんなのだ?これまで感じたこともない「苦しみ」を感じた…』

 

『今も、その苦しみを感じますか?』

 

ハイシェラは池の畔で釣りをしている子供たちを見た。

 

『不思議なものだの。この肉体は、元々はセリカという人間のものであった。心の隙きをついて、我が肉体を奪った。セリカは今でも、この内に眠っている。じゃが時に、我の邪魔をしておった。ゾキウと闘った時も、汝を殺そうとした時も、セリカを感じた。じゃがこの十年、セリカはずっと眠ったままじゃ』

 

大胆に開けた胸元に手をあて、ハイシェラは暫く瞑目した。だが開いた瞳には、強い力が宿っていた。

 

『じゃがな、インドリト王よ。我は己が考えを変えるつもりはないの。衝動はなくとも、我は闘争を好む。強き者との熱き闘いこそ、我が望みよ。それに変わりはない!』

 

インドリトは微笑んだ。自分やゾキウとは異なる「猛々しい覇気」である。それは決して悪いことではない。自分とは異なる「在り方」で、ハイシェラは民を束ねてきたのだ。

 

『それで、ターペ=エトフの後で、貴女はどうするおつもりですか?』

 

『ケレース地方を統一する。かつて存在しなかった程の巨大な魔族国を作り上げる。我を忌避する者は去るが良い。だが我に従うのであれば、我もまた決して見捨てぬ』

 

『それはつまり、イソラ王国や華鏡の畔を攻め滅ぼす、ということでしょう。何のためにです?この地を統一して、貴女は何を成したいのですか?』

 

「理由は無い。闘いたいからだの」…そういった回答をインドリトは予想していた。だがハイシェラの答えは、予想を大きく裏切った。

 

『インドリト王よ… 遥か昔に起きた大戦「七古神戦争」を知っておるか?』

 

ハイシェラは真剣な表情で問い返した。

 

 

 

 

 

『七古神戦争ですか?三神戦争を逃れた古神七柱が、アヴァタール地方以東において集結し、現神と戦った大戦…と理解していますが?』

 

『不思議に思わぬか?三神戦争から七古神戦争まで、千年以上の時が流れておる。何故、千年後になってから古神七柱は立ち上がったのだ?もっと早く戦っても良かったではないか?』

 

インドリトは沈黙した。自分の問いかけには、全く答えていない。だがハイシェラが何かを言いたいことは理解できた。遠い目をしながら、ハイシェラが呟いた。

 

『主客転倒とはこのことだの…七古神戦争は、古神たちが現神に闘いを挑んだのでは無い。現神たちが古神たちを侵略しようとしたのだ。そしてそれは、いまも続いておるの…』

 

ハイシェラの言いたいことが見えてきた。もしターペ=エトフが消え、ハイシェラも去り、この地にイソラ王国のみが残ったらどうなるか。マーズテリア神殿領やバリハルト神殿領が出来、この地の悪魔族や闇夜の眷属たちは駆逐されるだろう。

 

『ターペ=エトフの滅亡は、西方にも大きな衝撃を与えるだの。「布教」を名目に、西方から神殿軍がこの地に押し寄せ、民たちを勝手に峻別し、従わぬ者を追放するであろう。ターペ=エトフという大国があればこそ、この地には西方神殿勢力も進出をしてこなかった。ケレース地方だけでは無い。レスペレント地方東方「モルテニア」なども、厳しい状況になる。誰かが、この地を護らねばならぬ。西方神殿勢力と対峙できる巨大な力のみが、この地を護るのだ』

 

インドリトは考えた。確かに、ハイシェラの言葉にも一理あった。ターペ=エトフには光闇の神殿が並び、理想郷を作っている。西ケレース地方に棲む種族たちは、信仰や文化といった互いの垣根を尊重しあい、相互扶助の中で平和に暮らしている。だがそれを維持できたのは、ターペ=エトフの法治であり、それを有効にしていたのが行政府や軍部、警備機構、そして自分という王の存在であった。もしそれらが消えればどうなるか…

 

『我がこの戦争を始めた。なればその顛末を引き受けねばなるまいの…インドリト王よ、ターペ=エトフの民は我が護ろう。この地に残るも良し。あの男が画策している新国家に移住するも良し。いずれにせよ、自らが決めし身の振り方を尊重するだの』

 

『しかし、それでハイシェラ魔族国は維持できますか?民が居なくなれば、王国は崩壊します』

 

『我は魔神じゃ。我独りが存在するだけでも、重みが出るというものだの。それに、どこぞの誰かが送り込んだ宰相が優秀での。案外、上手く纏まるやも知れぬ…』

 

シュタイフェのことを言われ、インドリトは苦笑するしか無かった。シュタイフェが出奔した時、インドリトはその意図を正確に見抜いた。王国が滅亡するからという理由だけで、あの忠臣が出奔するはずがなかった。インドリトは頷き、手を差し出した。

 

『後はお任せします。ハイシェラ王…』

 

差し出された手を握り、ハイシェラはインドリトを見つめた。その瞳には、微妙な感情が漂っていた。

 

 

 

 

 

木陰から、馬車を見送る者がいた。顔を伏せ、その表情は暗い。必要なことであったとは言え、無断で出奔してきたのだ。会わせる顔が無かった。馬車が森に消えた後、見送っていた美しき魔神が、振り返ること無く、声を掛けた。

 

『出て参れ、シュタイフェ!』

 

宰相シュタイフェは瞑目し、諦めたように姿を現した。ハイシェラは首だけ振り返り、頷いた。

 

『汝の企みなど、最初から気づいておったわ。我も、そしてインドリト王もな。「民たちを頼む」…インドリト王からの伝言だの』

 

シュタイフェの両膝が崩れた。地面に両手をつき、肩を震わせる。ハイシェラはそれに目を向けること無く、小さく呟いた。

 

『これが…羨ましいという感情かの…』

 

西陽の中で、赤い髪が輝いた。

 

 

 

 




【次話予告】

「大封鎖地帯からマーズテリア神殿軍を撤退させる」という試練を終えたクリア=スーンは、正式に聖女「ルナ=クリア」となった。枢機卿たちの前で、ルナ=クリアは今後の展望を語る。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第九十八話「聖女誕生」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第九十八話:聖女誕生

マーズテリア神殿の最盛期を築いた聖女「ルナ=クリア」は、後世においても半ば信仰の対象となっている。ルナ=クリアの足跡の多くは、マーズテリア神殿が開示をしているため、研究をすることは難しくない。クリア=スーンは、十四歳で聖剣「ルクノゥ・セウ」を抜き放ち、十八歳で「カルッシャ・フレスラント戦争」の調停を実現させ、二十歳で「大封鎖地帯の開拓軍の撤退」を成し遂げる。これら試練の克服により、マーズテリア神殿はクリアを正式に聖女と認め、「ルナ(聖なる者)」の称号と共に、クリア=スーンはマーズテリア神の神格者「ルナ=クリア」となるのである。

 

「聖女」が最初に行う仕事とは、当然ながら各国、各神殿への挨拶回りが通常である。ルナ=クリアにおいても、それは変わることは無かったが、彼女の場合は特筆すべき点があった。それはケレース地方への出兵準備を進めたことにある。ターペ=エトフ滅亡の数年前に聖女となったルナ=クリアは、その時点でケレース地方に「魔族国の嵐」が吹くことを予想していた。そこで、聖騎士エルヴィン・テルカの弟であり勇者と名高い「ヴィルト・テルカ」を伴い、イソラ王国へと向かうのである。イソラ王国では、国王「アーベルフ・クケルス」と、その娘「シュミネリア・クケルス」と面談し、ケレース地方の今後について意見を交わしている。ヴィルト・テルカはその際、シュミネリアと恋に落ち、後に結婚をしている。

 

イソラ王国から戻ったルナ=クリアは、聖騎士エルヴィンに、ケレース地方遠征軍の準備を命じている。ターペ=エトフ滅亡と同時に、西ケレース地方のフレイシア湾に上陸し、そのままプレメルを占拠するという電撃作戦であったが、ハイシェラ魔族国に先を越されたため、その作戦は見合わせとなった。ルナ=クリアが再び作戦を発動させ、プレメルを占拠したのは、ハイシェラが先史文明の遺跡を求めて、オメール山を目指した時であった…

 

 

 

 

 

『ヘレネーの消沈ッ』

 

名工が身命を賭して彫り抜いたような、完璧な美しさを持つ白い手から、光が溢れた。魔獣たちが慄き、退いていく。開拓兵たちは安堵したように撤退を始めた。

 

『皆さん、慌てる必要はありません。まずは怪我人を移送が先です。手隙の者は手伝ってあげて下さい』

 

美の結晶とすら思える神々しいほどに美しい顔には、一片の焦りも浮いていなかった。クリア=スーンは殿(しんがり)を引き受けつつ、大封鎖地帯の森林から開拓兵を撤収させていった。強力な魔獣や悪魔族に囲まれ、軍を動かす以外にないと言われていたが、クリアは単身で大封鎖地帯に忍び込み、一人の犠牲も出さずに撤収させることに成功する。マーズテリア軍の陣営に入った開拓兵たちは、クリアの周りに跪いた。

 

『貴女様こそ、正しく我らの聖母、伏し拝みし象徴です。聖女クリア様…』

 

『皆さん、傅くことなどありません。私はマーズテリア神の信徒、皆さんと同じ人間なのです。さぁ、怪我人の手当をしましょう。私も手伝います』

 

額に汗を浮かべて負傷者の手当をするクリアの姿に、そこにいる全ての者が確信していた。新たな聖女の誕生だと…

 

 

 

 

 

マーズテリア神殿総本山ベテルーラは、夜半にも関わらず歓呼に沸き返っていた。およそ三百年ぶりに、マーズテリア神殿に聖女が降臨するのである。教皇庁では枢機卿たちが、聖女承認の最後の会合を開いている。だが結論は見えていた。半刻もせずに白い煙が立ち昇る。全会一致で、クリア=スーンの聖女推薦が決定したのだ。後は、マーズテリア神自身による「聖誕の儀」を迎えるだけである。教皇ウィレンシヌスは、聖水によって清められた純白の祭服を纏った。マーズテリア神殿聖騎士エルヴィン・テルカも純銀の甲冑を身につけている。総本山前の大広場には、数百年に一度という「聖誕の奇蹟」を目撃しようと、数万人以上の信徒たちが押しかけていた。

 

『クリア様、準備は宜しいでしょうか?』

 

『えぇ… エマール、あなたには本当にお世話になりました。心から感謝を申し上げます』

 

『何を仰るのです。私こそ、聖女様のお側にお仕えできたこと、末代までの誇りでございます。まぁまぁ、なんてお美しい…女神パルシ・ネイでさえも、クリア様に嫉妬するでしょう』

 

金糸で細やかかな刺繍が施された純白の「聖衣」、二の腕や足首には純金の飾りを身につけている。部屋の外で待っていた騎士たちも、その美しさに息を呑んだ。聖騎士自らが護衛し、総本山最奥へと向かう。数百年に一度しか使われない「降臨の祭壇」へと続く扉が開かれる。聖騎士を先頭に、前後左右を枢機卿に挟まれ、クリアは歩みを進めた。降臨の祭壇は屋外にある。階段を昇りきった上に、石造りの祭壇が設置されている。松明の陽炎が揺れ、厳かな空気が漂う。教皇ウィレンシヌスは無言で促す。クリアは頷いて、祭壇へと登った。枢機卿たちは所定の位置に立ち、マーズテリア神への祈りを唱え始めた。双頭獅子(クフィルール)の彫像が護る祭壇にクリアが横たわる。階段下でウィレンシヌスが両手を広げた。

 

『天上にまします我らが主よ、願わくば神名を崇めさせ給え。地を這いし哀れな子羊たちを導き給え。其の御力によりて、我らを導きし羊飼いを齎し給え…』

 

鐘が鳴る。枢機卿たちが一斉に祈りを唱える。それは大広場でも同じであった。数万人の信徒たちが跪き、天を仰ぎながら声を揃える。どれほど時が経っただろうか。やがて、天空に雷槌が走った。最初は一本であったが、徐々に数が多くなる。声がさらに大きくなる。まるで地鳴りのように祈りの叫びがベテルーラに響く。突然、雷鳴が止まると眩い光が出現した。信徒たちが感動の声をあげる。皆が涙を流しながら、神の奇蹟に見入っていた。一筋の光が祭壇に降りる。それは徐々に強くなり、やがて祭壇は光の中に消えた。ウィレンシヌスも枢機卿も、顔を伏せ目を閉じながら、必死に祈りを唱え続ける。やがて光が消える。天上の光が去っていく。十分に時が経ってから、ウィレンシヌスは顔を上げた。祭壇に神々しい気配を放つ黒髪の美女が立っていた。ウィレンシヌスが振り返る。枢機卿たちが一斉に膝を屈した。

 

『いまここに、我らを導きし新たなる聖女が誕生した。その言葉は神の言葉、その恵みは神の恵み。崇め給え、敬い給え、我らが羊飼いを!聖女「ルナ=クリア」を!』

 

鐘が再び鳴ると、これまで以上の地鳴りが響いた。信徒たちの歓呼の雄叫びである。総本山は厳粛であるべきだが、ウィレンシヌスは微笑みを浮かべて聖騎士に命じた。

 

『祭りに水を指すのは無粋というもの。今宵は大いに祝わせてあげなさい。ただ、怪我人などが出ないよう、それとなく注意を払うように…』

 

聖騎士エルヴィン・テルカは感動の震えを抑え、顔を引き締めた。

 

 

 

 

 

「聖誕の儀」の翌日、ルナ=クリアは教皇庁へと出仕した。教皇ウィレンシヌスとの会合のためである。マーズテリア神殿では、教皇と聖女は対等の関係とされている。しかし実態としては、最終的な意思決定権は教皇が持っている。教皇と聖女の間に溝ができれば、前聖女ルナ=エマのような悲劇へと繋がりかねない。マーズテリア神殿の今後を話し合う重要な会合であった。

 

『聖女殿、あなたも御存知の通り、前教皇は「対決」を辞さない姿勢を持っておられた。なるほど、確かに時として「力」を示す必要もあるであろう。だが、力は万能ではない。私は、力づくで解決をするのは最後の手段だと考えている。対立よりも対話を、対決よりも融和を望みたい』

 

『猊下のお言葉に、感銘を受けました。私も全く、同じ思いです。寛容さと慈悲こそが、マーズテリア神の教えを広めることに繋がるでしょう』

 

ウィレンシヌスは、決して名家の生まれというわけでは無い。むしろ貧困層の出身であった。まだ少年だった頃に、若き神官に拾われ、マーズテリア神殿へと入ったのである。そうした経歴から、ウィレンシヌスの視野は広かった。固くなった黒麺麭の味を識る教皇である。

 

『私は何の取り柄もなく、ただ少しばかり信徒の悩みを聞くのが上手だったというだけで、枢機卿にまで取り立てられた。子供の頃に盗みをしたことさえある、育ちの悪い私がだ。そんな私が教皇になってしまった。私に出来ることなど、ただ聞く事だけなのにな。聖女殿、私はこの教皇庁を離れることは出来ない。なればこそ、貴女に私の目となり、耳となって頂きたい』

 

聖女ルナ=クリアの時代に、マーズテリア神殿は最盛期を迎える。それは無論、ルナ=クリアの活躍によるところが大きいが、聖女の自由を認め、動きやすいように調整し、神殿を纏め上げた教皇ウィレンシヌスの人徳も見逃すことは出来ない。この二人のうちどちらかが欠けても、マーズテリア神殿最盛期を実現することは困難であったことは、後世の歴史家が共通して認めるところである。

 

 

 

 

 

『「エテの(ひず)み」の拡大、マサラ魔族国および闇神殿勢力への備えなど、確かに近隣諸国の動きに対応する必要があります。ですが、より深刻な問題があります。ケレース地方に出現した魔族国、そして「神の道」を説くエディカーヌ王国への対処です。表面上は別々に見えるこれらの事象は、水面下で繋がっていると私は考えています』

 

教皇、枢機卿、聖騎士が集う「総本山会議」において、ルナ=クリアは今後の展望について語った。

 

『私はベテルーラに来て以来、ケレース地方の動乱について情報を集めてきました。皆様もご承知の通り、ケレース地方の大国ターペ=エトフは、賢王インドリトの方針により「信仰の自由」を認めています。かつて我が神殿は、その国体の在り方を危険視し、カルッシャ、イソラ王国と共にターペ=エトフを攻め、手痛い思いをしています。あれからおよそ三百年間、ターペ=エトフはその思想を拡大しようとせず、自分たちの領内で平穏に暮らしてきました。今日においては必ずしも、かつての「判断」が正しかったとは、言い切れないでしょう』

 

枢機卿たちが互いに顔を見合わせ、教皇を見た。ルナ=クリアの発言は、下手をしたらマーズテリア神殿への非難に繋がりかねないからだ。だが教皇ウィレンシヌスは黙って頷いた。ルナ=クリアの言葉を促す。

 

『ですが、そのターペ=エトフが滅亡の時を迎えようとしています。ケレース地方中央部に出現した魔族国と五十年に渡る戦争を続けています。賢王インドリトは老齢です。彼が死去すれば、ターペ=エトフは求心力を失い、滅亡するでしょう。そしてそこに、魔族国が乗り込む…このままいけば、ラウルバーシュ大陸中央域に、かつて無いほどに巨大な魔族国が出現します』

 

『聖女ルナ=クリア様、なればこそカルッシャ王国をはじめとして、ターペ=エトフの近隣諸国からマーズテリア神殿への出兵依願が来ていたのです。ですが、貴女様はそれをお止めになられた。何故なのでしょう?』

 

『私は先程、こう申し上げました。「別々に見える事象は、水面下で繋がっている」と… 私は、エディカーヌ王国の真の建国者は、賢王インドリト・ターペ=エトフではないかと考えています』

 

ルナ=クリアは、一冊の日誌を掲げた。前聖女ルナ=エマの日誌である。

 

『前聖女ルナ=エマは、ターペ=エトフを視察した後に、聖女の地位を追われています。彼女に一体、何があったのか… この日誌の中に答えがありました。賢王インドリトの思想、そしてターペ=エトフが目指す理想、これらを作り上げた人物がいます。「ターペ=エトフの黒き魔神 ディアン・ケヒト」です。ルナ=エマはディアン・ケヒトと接触し、信仰を揺さぶる程の影響を受けました。そのディアン・ケヒトが、再び蠢動をしていると思われます。エディカーヌ王国がある「腐海の地」への入り口、バリアレス都市国家連合において、漆黒の男が目撃されています。エディカーヌ王国が掲げている「神の道」という考え方は、信仰の自由に極めて近いものです。おそらくディアン・ケヒトはインドリト王と話し合い、ターペ=エトフの思想を受け継ぐ「新たな理想郷」を創ろうとしているのでしょう』

 

『聖女殿よ…』

 

教皇ウィレンシヌスの発言に、一斉に注目が集まった。

 

『聖女殿よ。そのディアン・ケヒトという魔神は、どのような思想を持っているのです?インドリト王は類を見ない名君と聞いている。その王の思想に影響を与え、さらにはマーズテリア神の敬虔な信徒をも変質させるほどの思想とは、どのような思想なのか』

 

『一言で言うならば「神からの自立」です』

 

『なんと…』

 

複数の枢機卿たちが顔色を変え、マーズテリア神への祈りを唱えた。ルナ=クリアが言葉を続けた。

 

『あくまでも前聖女の日誌から読み解いた「推察」に過ぎませんが、ディアン・ケヒトは神殿の在り方に強い疑問を感じているようです。ルナ=エマはこう述べています。「彼は言った。貴女が信仰しているのは、マーズテリア神か、マーズテリア神の教義か、それともマーズテリア神殿か」…またこうも書かれていました。「心の揺れに対して言葉によって解を与え、日々の安らぎを齎すのが宗教である。ならば神や教義に頼らず、自らの力によって解を導き出し、自らの力によって日々の安らぎを得ても良いのだ」… ディアン・ケヒトという人物は、神、宗教、神殿、信仰というものを極めて冷徹に、ある種の悪意を持って解釈している人物のようです』

 

『殆ど「狂人」ですな。魔神らしいといえば、魔神らしいでしょう。猊下、そのような戯言など、お耳汚しなだけですぞ』

 

枢機卿たちは失笑しながら、一斉に否定をした。だが教皇ウィレンシヌスと聖女ルナ=クリアだけは、笑わなかった。

 

『それで、聖女殿はその思想をどう思いますか?』

 

『これが市井で暮らす一個人の意見というのであれば、私も皆様と同様、失笑して無視をするでしょう。ですが、その思想によって「ターペ=エトフ」が生み出され、さらには「エディカーヌ王国」まで誕生しました。最早、狂人の戯言と笑って済ますことは出来ません。私が出兵に反対をしたのは、ターペ=エトフだけでも滅亡させる必要があると判断したからです。この危険思想は、確実に摘み取っておく必要があります』

 

『では、ターペ=エトフ滅亡後は速やかにケレース地方を平定し、続いてエディカーヌ王国を…』

 

聖騎士エルヴィンの発言を教皇が止めた。

 

『軍を動かすのは早計です。確かに聖女殿の話は聞くべき点があるが、それはあくまでも一冊の日誌からの推察に過ぎません。魔族国への出兵ならばともかく、エディカーヌ王国については、まずは事実確認からです』

 

『猊下の仰る通りです。これはあくまでも、私の推察…こじつけに近いとも言えるでしょう。猊下、私は西方諸国を巡った後に、ケレース地方イソラ王国へと向かいたいと思います。さすがにターペ=エトフに入ることは出来ないでしょうが、イソラ王国で何か知らの手掛かりが得られると思います。いずれにしても、ターペ=エトフはいずれ滅亡し、このままでは巨大な魔族国が中原に出現することは間違いありません。魔族国がターペ=エトフに入る前に、マーズテリア神殿によってターペ=エトフを占拠をする必要があるでしょう。エルヴィン殿には、そのための準備を進めていただければと思います』

 

ウィレンシヌスは頷き、聖騎士に命を発した。

 

『マーズテリア神殿が誇りし聖騎士エルヴィン・テルカに命ずる。ターペ=エトフ滅亡に呼応して、西ケレース地方に軍を進めよ。ただし、獣人属などは言うの及ばず、悪魔族や闇夜の眷属たちを含め、民への手出しはこれを厳に禁ずる』

 

『承りました』

 

エルヴィンは立ち上がって一礼し、勇んで部屋を出ていった。複数の枢機卿たちも、動き始める。ハイシェラの予想通り、ターペ=エトフの滅亡は西方神殿勢力にも、大きな影響を与え始めていた。

 

 

 

 

 

 

窓辺に腰掛けて夜空を眺める。星が瞬き、流れる。涼しい夜風が黒髪を揺らす。絹製の寝間着に着替えたルナ=クリアは、前聖女について考えていた。

 

…前聖女ルナ=エマは、公式には処刑されたとされているが、「忽然を姿を消した」のが実際です。人が姿を消すはずがありません。何者かが連れ去ったと見るのが正しいでしょう。そして、そのようなことをするのは「黒き魔神」以外に考えられません…

 

格子が嵌められた石造りの牢獄、冷たい床に座り、死を待つ以外に無かった女の前に、突如として出現する「黒い影」… ルナ=エマはどのような想いで、差し出される手を握ったのか。そして彼女はその後、どのように生きたのか。物証も記録もあろう筈がない。だがルナ=クリアは想像した。男の首に腕を回し、抱え上げられ、月明かりの中を飛ぶ。男の胸板に顔を押し付け、必死にしがみつく。迷い、戸惑いの中に、新たな未来への期待もあったのではないか。

 

『ディアン・ケヒト…会ってみたい人物ね』

 

白い月明かりに照らされながら、ルナ=クリアは小さく呟いた。

 

 

 

 




【次話予告】

一つの星が瞬いていた。満天の星々の中でも一際に強い光を放ちながら、どこか儚い光であった。瞬きが増え、やがて流れた。一つの夢が、終わった…


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第九十九話「楽園の落日」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第九十九話:楽園の落日

ケレース地方中央域北部にある人間族の国「イソラ王国」は歓呼に包まれていた。深紅に金糸で縁取られた旗を掲げた、一隻の大型船が入港する。マーズテリア神殿教皇庁直属の精兵たちが並ぶ。穏やかな潮風に黒髪を靡かせ、聖女ルナ=クリアはイソラ王国へと降り立った。白い髭を生やした初老の王と二十歳前の美しい姫が出迎える。

 

『聖女ルナ=クリア様、このような辺境の小国にまでお越し頂けるとは… 王国の歴史に永遠に刻まれる吉日、このクケルス、終生の喜びと致します』

 

『クケルス陛下、こちらこそ突然の訪問をお詫び申し上げます。混沌の地において苦労をされながらも、なお信仰を失わずに努める敬虔な皆様に、教皇猊下も感謝と祝福を祈られました。皆様こそ、マーズテリア神殿の誇りです』

 

『そのお言葉一つで、これまでの全てが報われました。どうぞ心ゆくまで、ご滞在を下さいませ。これは…』

 

クケルス王は隣に控えていた金髪の女性を紹介した。

 

『私の娘シュミネリアでございます。些か賢しいところもありますが、いずれ私に代わり、この地に信仰を広げる旗振り役を担うでしょう。シュミネリア、御挨拶をなさい』

 

西方の礼節に沿って、シュミネリアは丁寧に挨拶をした。ルナ=クリアに続き、若い騎士が礼を取る。聖騎士エルヴィンの弟「ヴィルト・テルカ」であった。ヴィルトは若干、顔を赤くしながらも、片膝をついてシュミネリアの手を取った。

 

『王宮にて晩餐会の準備をしております。どうぞこちらへ…』

 

クケルスに促され、ルナ=クリアは歩を進めた。

 

 

 

 

 

『先年の北華鏡の戦争は、凄まじいものでした。いまでこそ城壁の修復も進み、王国も落ち着きを取り戻していますが、当時は一面が焼け野原となっていました。あの光景を見て、私も絶望した気持ちになりました。民たちの努力だけでは、ここまで復興は出来ません。マーズテリア神の御加護が無ければ、王国はとうに滅んでいたでしょう。』

 

『魔族国の魔神と、ターペ=エトフの黒き魔神との闘いについては、私も聞き及んでおります。魔神間の戦争以来、ターペ=エトフと魔族国とでの戦争は無いのですか?』

 

『不思議なことに、あれ以来、北華鏡平原では小競り合いすら起きていません。まるでターペ=エトフと魔族国との間で、和睦でも成されたかのようです。魔族国は南部のオメール山に閉じ籠もり、民たちは自給自足の生活をしています』

 

『小競り合い一つ起きていない…そうですか。恐らく、クケルス陛下の予想は正しいでしょう。ターペ=エトフと魔族国との間で和睦が成立しているものと思われます』

 

晩餐会を前に、ルナ=クリアは国王クケルスと会談を行っていた。ケレース地方の状況は事前にある程度は把握していたが、どうしても掴めなかった情報があった。ルナ=クリアはそれを確認した。

 

『魔族国の王は、どのような魔神でしょうか。どんな些細なことでも構いません。教えて頂けませんか?』

 

『今でこそ途絶えていますが、五十年前に戦争が始まった当初は、イソラ王国を経由して北方のレスペレント地方の国々が魔族国に物資を送っていました。その際に確認できた情報で宜しければ…』

 

聖女が頷くのを見て、クケルス国王が情報を開示した。

 

『魔神は、赤髪の女性とのことです。名は「ハイシェラ」と呼ぶそうです』

 

『魔神ハイシェラ…』

 

ルナ=クリアは考える表情を浮かべた。

 

 

 

 

 

西方諸国と比べると華やかさでは劣るが、温かな饗応を受け、ルナ=クリアは貴賓室へと戻った。現時点で判明している情報を並べ、推測を立てていく。

 

『ハイシェラ魔族国の建国当初、レスペレント地方の各王国が支援を行っていた。王家や貴族層からみれば、ターペ=エトフの目指す国体が危険に見えたであろうことは容易に推測できます。しかし解らないのは、彼らはどうやって、ハイシェラ魔族国の誕生を識ったのでしょうか。誰かが教えたとしか思えませんが… クケルス王はカルッシャ王国からの要請で、ハイシェラ魔族国への物流を認めたと言っていました。裏の事情までは知らないでしょうし…』

 

ルナ=クリアはある閃きを得た。ターペ=エトフ中心に、周辺の国々を描いていく。

 

『ターペ=エトフが目指していた統治手法「民主共和制」は、特権階級層にとっては危険極まりないものです。それはレスペレント諸国だけではありません。メルキア、そしてレウィニア神権国にとっても同様だったはず… 誕生したばかりの魔族国を大国ターペ=エトフと互角に戦わせるだけの支援となれば、レスペレント諸国だけでは不足です。メルキア、レウィニアもその包囲網に加わっていたとしたら…』

 

粉々に砕けた断片が一つずつ組み合わさっていくように、ルナ=クリアの中で、全体像が構築され始めていた。

 

『ターペ=エトフ包囲網…これほど大掛かりな連合を形成できるのは、余程の大政治家か、人為らざる力です。レウィニア神権国の絶対君主「水の巫女」であれば… ですが何のために?民主共和制は、特権階級層や権力者にとっては危険に映るでしょうが、それはあくまでも人間社会でのこと、信仰とは関係ありません。神が自ら動くほどのことではないと思いますが…』

 

「D.Cécht」、ターペ=エトフと書かれた部分にそう書き加える。

 

『水の巫女は、私と同様の懸念を持ったのではないでしょうか。ディアン・ケヒトなる革命家の思想、そして彼が持つ「言葉の力」を危険視した。神々への信仰心が希薄になれば、現神たちはそれを食い止めようとするでしょう。そうなれば、神と人との争いに繋がりかねません。悠久の時の中で変化するのであれば、まだ受け入れることも可能でしょうが、ターペ=エトフは建国して僅か二百年少々で、革命を成し遂げようとした。急進的な変革を危惧し、水の巫女は止めようと画策した…』

 

レウィニア神権国の下に「水の巫女」と書き、D.Céchtと線を結ぶ。

 

『この二つの存在は、どのような繋がりがあるのでしょう。単なる敵対者ではないはずです。それであれば、ターペ=エトフから南方のエディカーヌ王国への物流を認めるはずがありません。「水の巫女」は何を考えているのか… ひょっとしたら、水の巫女はディアン・ケヒトと同じ地平を目指しているのではないでしょうか。「神からの自立」という理想は共通しているが、そこまでの途が二人の間で異なっていた。ディアン・ケヒトは余りにも急進的に歩みを進めようとした。だから止める為に動いた。しかし完全に潰すつもりは無かった。なぜなら「同じ理想」を追っているから…』

 

二柱を結びつける線の横に、ルナ=クリアは筆を入れた。「神からの自立(Libertatem a Deo)」と…

 

 

 

 

 

インドリトは穏やかな朝陽とともに目覚めた。枕元の呼び鈴を鳴らすと、すぐに侍従が入ってくる。支えられて躰を起こす。ドワーフ族の寿命は三百歳程度である。その大半は中年期だ。だが二百歳を超えた辺りから老いが進み始め、それは加速度的に速くなる。インドリトは三百二十歳になろうとしていた。ドワーフ族の中でも老齢である。最早、立つことすらままならなかった。背中に羽毛が入った布団を入れ、寄り掛かる。日差しを見ながら、インドリトは確信した。自分の寿命はあと数日だと…

 

『王太師をここに… 話がある』

 

部屋に入った瞬間、ディアンの顔色が変わった。インドリトにハッキリとした死相を見たからだ。二人きりになると、インドリトは少し笑って頷いた。

 

『師よ、もうすぐお別れです。魔神ハイシェラを呼んでください。それと各元老や民衆たちにも伝えてください。決して混乱してはならない。ターペ=エトフは滅べど、その理想は滅びない。新たな土地、新たな国で、今まで以上の繁栄が約束されていると…』

 

『インドリト…各元老も民衆も、そして私も、未来への不安から悲壮になっているのではない。お前を失うこと、ただそれだけが心を暗くするのだ。埋めようのない巨大な喪失感に襲われるだろう』

 

『生きている以上、出会いがあり、別れがあります。悲嘆に暮れ、疲れるときもあるでしょう。ですが歩みを止めてはなりません。ターペ=エトフは証明しました。数多の生命に溢れるこの世界で、光も闇も、種族をも超えて、皆が手を取り合えることを… ですが理想の芽はまだ小さなものです。やがて大樹となるまで、守り育てなければなりません。私にはもう時がありません。ですが、民たちがその理想を繋いでくれるでしょう』

 

交わしたい言葉は山ほどあった。だがインドリトの時間を無為にしてはならない。ディアンは民衆への告知を手配し、元老院を招集した。

 

 

 

 

 

『ハイシェラ様、アッシをお呼びと聞きヤしたが…』

 

ハイシェラの自室に、シュタイフェが入って来た。ハイシェラは背を向け、外を眺めていた。背中から凄まじい気配が立ち昇っている。机の上に置かれた水晶が光っていた。シュタイフェの膝が震えた。

 

«いよいよ、この時が来たの。我はこれより、絶壁の王宮へと向かう。汝は軍をまとめ、プレメルの街を占拠せよ。厳粛に、整然と行軍するのだ。民には決して手を出すな。卵一つ、花一輪すら奪うことは許さぬ!一兵卒に至るまで、全軍に徹底させよ»

 

『ア、アッシの責任をもって、お誓いします。民たちへの手出しは決してさせません』

 

膝をつき、顔を伏せながらシュタイフェが返答した。だがその肩が震えている。ハイシェラは何も言わず、震える肩に手を置き、それから部屋を後にした。

 

 

 

 

 

『…私の葬儀は簡素とせよ。豪奢な王墓も副葬品もいらぬ。ターペ=エトフが良く見える見晴らしの良い場所に、埋葬してほしい。皆に伝えよ。伴は認めぬ。私の後を追うことは決して許さぬ。私が持っていくものは、皆伝の証の他には一つだけだ…』

 

インドリトが横たわる寝台の側で、侍従が遺言を聞き取っていた。ディアンやレイナ、グラティナ、ファーミシルス、そしてソフィア・ノア=エディカーヌも並んでいる。各種族を代表する元老たちも揃っていた。全員が拳を握りしめ、必死に涙を堪える。だが耐え切れない者も中にはいた。寝台の横机をインドリトが示した。引き出しから古びた短剣が取り出される。インドリトは大事そうに、短剣を手にした。

 

『私が生涯で唯一、憧れた女性(ひと)から貰ったものだ。これだけは、墓まで持っていきたい…』

 

レイナが部屋の外に駆け出した。扉の向こう側から泣き声が聞こてくる。インドリトはディアンに顔を向けた。

 

『師よ…ハイシェラはいつ頃に来るか?』

 

『既に伝えています。明日には来るでしょう』

 

『ならば、私も玉座に座らねばならぬな。王として出迎えねば、失礼というものであろう』

 

『へ、陛下…それは…』

 

慌てる周囲をディアンが止めた。

 

『王がお望みなのだ。言われたとおりにせよ』

 

侍従たちは黙って首肯した。その夜、ディアンは控えの間で夜通し起きていた。使徒たちは泣きながら眠った。夜半、扉の向こう側に気配を感じた。だがディアンは動かなかった。自分が良く知るその気配は、インドリトの部屋へと消えた。明け方まで、その気配を感じることはなかった。

 

 

 

 

 

 

謁見の間にある玉座に、インドリトが腰を掛けた。両腕を担がれなければ、歩けない程に弱っている。だがその瞳の力は衰えていない。ディアン以下、全員が片膝をついた。インドリト王の最後の言葉である。

 

『三百年、夢を追ってきた。師に恵まれ、友に恵まれ、家臣に恵まれ…ターペ=エトフは歴史に残る繁栄を遂げた。しかしどんなことにも必ず、終りがある。ターペ=エトフという理想郷は、今日をもって終わる。だが、その理想は続く。ここにいる全員に、そしてターペ=エトフの十五万の民に、その理想が受け継がれている。土地を超え、種族を超え、時を越え、理想は受け継がれ続け、いつの日か必ず、大いなる実を成すであろう』

 

くぐもった声が聞こえる。顔を伏せ、泣き叫ぶ声を必死に噛み殺しているのだ。インドリトは微笑みながら、言葉を続けた。

 

『皆の今後については心配はいらぬ。ターペ=エトフの理想を継ぐ新たな国も出来た。魔神も、民には手を出さぬと約束をしてくれた。一時は混乱もするであろうが、新たしい理想郷で、これまで以上の繁栄をするのだ。私は安心している。もう何も、想い残すことは無い…』

 

«…本当にそうかの?»

 

カツッ…カツッ…と足音が聞こえてきた。赤髪の魔神が、圧倒的な気配を放ちながら謁見の間に入ってきた。魔神ハイシェラである。全員が王を護ろうと立ち上がった。だがハイシェラは片手を挙げて、それを止めた。魔神の気配も静まる。ディアン以下、全員が左右に別れる。その間を歩き、ハイシェラはインドリトの前に立った。

 

『理想を持ち、理想を追い、走り続けてきたのじゃ。その途が終わろうとしている時、ヒトはどのように感じるかの。長い時の中で、我は見てきた。生きたい、死にたくないと、往生際悪く泣き叫ぶ虫ケラをな… 汝には、そうした感情は無いのか?』

 

悲しみに包まれていた王宮内の空気が変わる。ファーミシルスは顔を真っ赤にして剣に手を掛けた。だがインドリトが低く笑ったため、誰も動かなかった。

 

『無論、ある。まだ生きたい。生きて、理想の行く末を見たい… その未練は確かにある。だがここで果てようとも、悔いは無い。私には見える。光も闇も超え、皆が幸福に生きる世界が…』

 

ハイシェラがフッと笑った。

 

『それでこそ、我が強敵()だの。汝の成したこと、目指した理想… それらは決して消えること無く、受け継がれていくはずじゃ、我も、汝の名を永遠に忘れぬ。後のことは任せよ。安心して逝くが良い。偉大なる王よ』

 

全員が玉座に注目した。インドリトの瞳に光が揺らめいていた。だが徐々に、その光が弱くなっていた。

 

 

…心地よい風が吹いていた。空は雲ひとつ無く、深い蒼色をしている。子供たちの笑い声が聞こえてきた。ドワーフ族と人間族が長縄を持ち、回している。獣人族や龍人族の子供がその中で縄を飛んでいた。悪魔族と天使族が酒を酌み交わし、イーリュン神殿とアーライナ神殿の神官たちが笑い合っている。宗派を超え、種族を超え、皆が幸福に暮らしている。ヒトは自分だけでは幸福になれない。皆が幸福だから、自分も幸福になれるのだ。自分が求めていた理想を見て、心が温かくなった。黒い翼が横切った。友が迎えに来たのだ。不安は何もなかった。その背に乗り、光へと進んだ…

 

 

『…旅に…出よう。我が…友‥よ…』

 

瞳から光が消えた。宮殿中が慟哭に包まれた。それはやがて、国中に広がった。

 

 

 

 

 

『哭くが良い。それは決して恥ではない。汝らは、それほどの王を失ったのだ』

 

赤髪の魔神は、慟哭が響く宮中の中に立ち、瞑目していた。ディアンは片膝をついたまま、俯いていた。床についた拳を握りしめる。背中が震える。それを見て、ハイシェラは小さく呟いた。

 

『インドリト王よ。汝の生涯には一点の曇りも無いであろうが、一つだけ罪を犯したの。これ程に慕う家臣たちを遺したことじゃ…』

 

ハイシェラの背後に新たな気配が出現した。青肌の魔人が入ってきた。ハイシェラは一瞥し、尋ねた。

 

『シュタイフェ、軍はどこまで進めたかの?』

 

『ヘイッ!ルプートア山脈麓まで進めておりヤス。ご許可を頂き次第、ターペ=エトフ国内に入りヤス。いや、元ターペ=エトフですな』

 

出奔した「元宰相」の出現に、それまで哀しみに震えていた者たちが一斉に怒りの瞳を向けた。

 

『貴様ッ!』

 

グラティナが剣を抜き、斬りかかる。だがディアンが間に入り、グラティナの腕を止めた。ハイシェラは笑みを浮かべ、からかうようにシュタイフェに尋ねた。

 

『どうじゃ?汝の元主君を前にしての気持ちは?』

 

シュタイフェは腕を組み、胸を張った。調子よく返答する。

 

『アッシの主君は、超絶美魔神ハイシェラ様でさぁ。まぁインドリト王も名君ではいらしたが、惜しむらくは野心が足りなかったことで…』

 

ファーミシルスやレイナが剣を抜いた。いや、その場にいた全員が殺意にも似た怒りを向けた。だが三人だけが、見逃さなかったことがあった。ディアンとソフィア、そしてハイシェラだけが気づいていた。腕を組んだままシュタイフェだが、爪が腕に食い込み、血が滲んでいた。激情を必死に堪えているのだ。ディアンはハイシェラの前に立って告げた。

 

『これより、インドリト王の葬儀を執り行いたい。申し訳ないが、この場は遠慮をしてもらえないか?そこの裏切り者を連れて、去ってくれ』

 

ディアンはシュタイフェに顔を向け、微かに頷いた。それだけでシュタイフェには十分であった。ハイシェラは魔人を連れて、王宮を出ていった。ディアンが振り返り、全員に告げた。

 

『皆に告げておく。シュタイフェは裏切ったわけではない。ハイシェラの元に奔ったのは、ターペ=エトフの民を護るためだ。インドリト王もそれを御承知であった。先程の態度も、シュタイフェの計算だ。民たちは心ゆくまで嘆くことが出来るだろう。だが我々は違う。王を失い、ターペ=エトフは滅びる。だがこの地に生きる民を護らねばならぬ。我々は、いつまでも悲嘆に暮れることは許されないのだ。だからあえてシュタイフェは、ああした態度を取ったのだ。自分へ怒りで、哀しみを克服させるためにな。何より、いつまで王をあのままにしておくつもりだ?王を安らかにすることこそ、臣下たる者の務めであろう!』

 

玉座に近づき、ディアンは膝をついた。全員がそれに倣った。

 

『我が君、後のことは我らにお任せ下さい』

 

嗚咽が数カ所から漏れる。ディアンは少しだけ身体を震わせ、立ち上がった。

 

 

 

 

 

マーズテリア神殿総本山にある「遠見の部屋」において、複数の魔道士たちが鏡に手をかざしていた。ターペ=エトフ王国の首都プレメルの様子を見るためである。上空からしか見えないが、民衆が地面に伏している様子が見えた。それだけで、何が起きたかは理解できる。

 

『聖女クリア様に合図を御送りせよ。ターペ=エトフが滅亡したと…』

 

魔道士は再び、鏡に目を向けた。たとえ宗派は違えども、嘆き悲しむ人々に同情するくらいの気持ちはある。小さく、マーズテリア神への祈りを唱えた。

 

『聖女様、総本山より合図が送られてきました』

 

オウスト内海西方北部にある「マーズテリア神殿領」の港には、十隻を越える船が停泊していた。聖騎士エルヴィン・テルカが率いるマーズテリア神殿の精兵二千名が待機をしている。変色した水晶珠を見て、ルナ=クリアは頷いた。喪中を襲撃することになるが、ケレース地方を安定させるためである。魔神ハイシェラがターペ=エトフを占拠する前に、プレメルに入らなければならない。

 

『これより直ちに出港します。ケテ海峡を通過し、フレイシア湾に入り、そのまま河を上りプレメルを占拠します。大図書館と魔導技術研究所は最優先で占拠をして下さい。なお、民衆への手出しは決して許しません!徹底をするように!』

 

雄叫びと共に、帆が揚げられた。

 

 

 

 

 

人々の嗚咽の中を黒い棺が運ばれた。ターペ=エトフ中の民衆たちがプレメルに集まり、先王の死を嘆く。シュタイフェが率いてきた四千名の軍は、プレメル郊外で待機をしている。葬儀には全種族長の他、モルテニアから来た魔神グラザや、華鏡の畔の魔神アムドシアス、トライスメイルの白銀公も出席をした。リタ・ラギールの姿もある。レウィニア神権国やメルキア王国の使者は来ていないが、スティンルーラ王国からは女王直筆の弔文と共に、副宰相が弔問の使者として来ている。棺はプレメルを一周し、埋葬予定のルプートア山脈山頂に運ばれる。その夜、ディアンは街中に溢れる泣き声や嗚咽の中を歩いた。ギムリ川の支流である清らかな小川に立つ。水が立ち上り、眩しい神気と共に美しい女神が出現した。だが、その顔には哀しげな表情が浮かんでいた。

 

『ディアン…』

 

『巫女殿、昼間に貴女の気配を感じた。わざわざ来てくれたのか。感謝する』

 

『心から、お悔やみを申し上げます。水精たちの哀しみが伝わってきます。本当に…本当に偉大な王でした』

 

『…過去形で語らねばならないのは、やはり辛いな』

 

水の巫女はディアンの側に寄り、その胸に手を当てた。

 

『…ヒトの哀しみを癒す方法は、無いのでしょうか?』

 

『無いな。掛け替えのない存在を失った哀しみは、決して消えることはない。ただ時だけが、それを癒やすことが出来るのだ』

 

『私に、何かできることはありませんか?』

 

『…悪いがもう少しだけ、このままでいてくれないか?』

 

その状態のまま、二人はしばらく、沈黙をした。別れ際、水の巫女が伝える。

 

『マーズテリア神殿の軍が近づいています。二日後にはターペ=エトフ領内に入ってくるでしょう。聖騎士と、新たな聖女も一緒です』

 

ディアンは黙って頷き、その場を去った。

 

 

 

 

 

ルプートア山脈山頂は、華で埋めつくされていた。少し盛られた土には、決して錆びることのない純鉄の鉄柱が建っている。その場所からはターペ=エトフの全てを見渡すことが出来た。一柱の魔神が、鉄柱に寄りかかるように座り、竪琴を奏でていた。魔神アムドシアスであった。花を供えたディアンに顔を向ける。

 

『汝の使徒はどうしている?いつも一緒だったではないか』

 

『泣き疲れたのだろう。三人とも、眠っているさ』

 

アムドシアスは頷き、再び奏で始めた。穏やかな風に花びらが舞う。ディアンは瞑目して、曲に耳を傾けた。一曲が終わる頃、別の魔神が出現した。アムドシアスが途端に不機嫌な表情を浮かべた。

 

『我は芸術など知らぬが、今の曲は中々に聞かせるの』

 

ハイシェラであった。アムドシアスが再び曲を弾き始めた。

 

『インドリト王は貴様とは違い、極めて優れた審美眼を持つ「美の理解者」であった。貴様のような「戦闘バカ」には、この名曲は理解できまい』

 

『美など何の役に立つだの?身を護りし鎧、敵を屠りし剣のほうが、遥かに役に立つの。汝のような「芸術バカ」には理解できまい』

 

二柱が視線を合わせる。だが流石に、この場で闘う程に愚かではない。ディアンはフッと笑った。

 

『アムドシアス… 一曲、頼めるか?インドリトは、お前の奏でる曲が好きだった』

 

芸術バカは頷き、竪琴を構えた。

 

 

…乾杯をしよう。若さと理想に。夢の時が、今はじまるのだ。皆で手を取り、詩を謳おう。夢の故郷を共に創ろう。家を建てよう!畑を拓こう!収穫の時には、飲み歌おう。我らは生きる。命の限り。生まれ変わるその日まで。それでもこの地は我らのもの。今こそ取り戻せ。夢と希望を!自由と平和を!乾杯をしよう。一時の別れに。新たな旅が、今はじまるのだ…

 

 

奏で終わると、アムドシアスは立ち上がった。ディアンの横を通り、ハイシェラの横を通る。そのまま黙って、山頂から去った。その目の端が、少し赤くなっていた。

 

『汝はどうするつもりだの?黄昏の魔神よ…』

 

黒い背に、ハイシェラは問いかけた。ディアンは少し間を開けて、振り返らずに返答した。

 

『再び、旅を始めるさ。理想はまだ、終わっていない…』

 

ハイシェラは頷き、その場を飛び去った。舞い散る花びらの中で、師弟の二人だけになった。弟子が眠る土に膝をつき、ディアンは肩を震わせた。

 

『お前は…私には過ぎた弟子だったよ…』

 

双瞳から熱い涙が溢れた。それは止まること無く、いつまでも溢れ続けた…

 

 

 

 




【次話予告】

ターペ=エトフは滅びた。民たちの心が落ち着くには、もう少し時間が必要であった。ファーミシルスも、己の身の振り方を考えていた。一方、滅亡したターペ=エトフを占拠しようと、マーズテリア神殿軍が近づいていた。およそ三百年ぶりに、オウスト内海に「漆黒の魔神」が出現する。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 最終話「それぞれの途」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。


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第百話:それぞれの途

インドリト・ターペ=エトフの葬儀から二日後、民衆の哀しみは未だに癒えぬままであったが、絶壁の王宮において「ターペ=エトフ最後の元老院」が開かれた。ドワーフ族、獣人族、龍人族、ヴァリ=エルフ族、イルビット族、悪魔族、人間族の七大種族長が集まる。ターペ=エトフの宰相としてディアン・ケヒトが、御用商人としてリタ・ラギールが出席をする。これまでインドリトが座っていた「国王の席」には、赤髪の魔神が座った。種族長全員が複雑な表情を浮かべている。決して好意は抱いていないが、目の前の魔神が、ただの破壊者とは一線を画していることは、全員が認めていた。ハイシェラが口を開いた。

 

『ターペ=エトフは滅びた。じゃが、我は勝ったなどとは毛ほども考えておらぬ。ターペ=エトフは滅ぼされたのではない。自らの意志で、その歴史に幕を下ろしたのだ… 故に、我は汝らを束縛するつもりはない。汝らがこの地に住みたいというのであれば、我が責任を持って護ろう。別の場所に移りたいのであれば、必要な物資を持って行くが良い。汝らの望むがままにせよ』

 

『その…ハイシェラ…様…』

 

老龍人が言い難そうに発した。ハイシェラは笑った。

 

『無理に様付けなどする必要は無い。何じゃ?』

 

『ではハイシェラ殿、貴女様はこれから、どうされるおつもりか?』

 

『ケレース地方を統一し、西方神殿も手を出せぬ「巨大魔族国」を作り上げるつもりだの。無論、インドリト王との約定は守る。この地に残りし者は、我が護ろうぞ。じゃが、神殿の進出は認めぬ。最後まで残ったイーリュン神殿の神官も、引き上げたと聞いておるしの。現神の手出しは鬱陶しいだけじゃ』

 

『ケレース地方の統一…つまり戦をされるというわけか。軍はどうされるのか?』

 

『我が率いている軍だけでも十分だと思うがの。まぁ残りたい者は残るが良い。兵士に加わりたい者は加えよう。戦いたくなければ、無理に戦う必要も無かろう。繰り返すが、我は汝らを縛るつもりはない。汝らの望むがままにせよ』

 

『あ、あのー』

 

リタが恐る恐る手を挙げた。ハイシェラが顔を向ける。

 

『何じゃ?詐欺師セーナルの下僕よ』

 

『タハッ!こりゃ手厳しい。アタシはリタ・ラギールと申します。ターペ=エトフの御用商人として、商売をさせて頂いていました。オリーブ油や石鹸などの産業は、今後はどうなるのでしょうか?』

 

『知らぬの』

 

『え?あの…その、ハイシェラ様?』

 

『レウィニアの水の巫女や他の国々も、ターペ=エトフを滅ぼすために我が魔族国に支援をしていたの?そしてターペ=エトフは滅びた。つまりターペ=エトフから買っていたものも買えなくなるということじゃ。当然であろう?』

 

『いやいや、それじゃ皆が困ります。ターペ=エトフからのオリーブ油が無ければ、アヴァタール地方の人たちが…』

 

ハイシェラは、バンッと机を叩いた。これまでの穏やかな気配が一変する。眉間も若干、険しくなっている。

 

«困るのであれば、何故、ターペ=エトフを滅ぼそうと動いたのだ?よもや魔神である我が、虫ケラ共を気遣うとでも思っていたわけではあるまいな?ターペ=エトフの民は、最後までこの地に残り戦い続けた。故に我も認めておるのじゃ。安全な場所で策動しながら、己の利益のみを求める卑劣漢など、どうなろうと知ったことではないわ!そのような虫ケラに、我は生きる資格を認めぬっ!»

 

リタ・ラギールの顔が蒼くなる。だがハイシェラの言葉は、他の種族長たちの琴線に触れた。ターペ=エトフ滅亡の責任がリタ・ラギールにあるわけではないが、レウィニア神権国をはじめとする周辺国に対しては、割り切れない思いを抱いていたのである。ディアンが手を挙げた。

 

『ハイシェラ、一つ意見を言わせてもらっても良いか?』

 

呼び捨てにされたことを特に気にする様子もなく、ハイシェラは頷いた。

 

『レウィニア神権国をはじめとして、アヴァタール地方の各国はターペ=エトフ産のオリーブ油に頼っていた。それが途絶えれば半年もしないで干上がるだろう。まぁそれは各国の為政者たちの責任だから、オレも知ったことではない。だが現実問題として、この地には十五万の民が暮らしている。その全員が移動するとしても、数年の歳月は必要だ。つまりそれまで、物産をしなければならない。オレやお前とは違い、食わなければ生きていけないからな』

 

『なるほどの…まぁ確かに、食わねばならぬの。その辺は、汝が送り込んだ変態魔人が、上手くやるであろう。必要なら、レウィニア神権国との交易も認めよう』

 

『移住するか、残るかについては、各種族の希望は既に聞いている。今後は物産も徐々に減る。数年もせずに、アヴァタール地方のオリーブ油の価格は暴騰するだろう。夜になれば灯りは消え、治安も悪くなる。為政者に対する怨嗟の声も起き、権力者の何人かは消えることになるな。全て、自業自得だ。彼らに、現神の加護があらんことを…』

 

ディアンは大仰に天を仰いだ。ハイシェラも元老たちも、その様子に思わず笑った。リタは思わず、溜息をついた。その時、扉が叩かれ青肌の魔人が入ってきた。宰相シュタイフェである。元老たちに一礼する。各元老も軽く頷いた。

 

『何用じゃ?シュタイフェ』

 

『ヘイッ!ケテ海峡を監視していた斥候が戻りヤした。昨夜夜半に、十二隻の軍船がケテ海峡を通過したとのことです。紅地に金の刺繍があったとのこと…恐らく、マーズテリア神殿の軍と思われヤス』

 

『やはり来おったか。戦いもせず、この地を掠め取らんとする盗賊どもだの!我が成敗してくれる!』

 

『待て、オレが行く』

 

ディアンが立ち上がった。ハイシェラは興味深そうにディアンを見た。

 

『ほう… 汝が行くとな。我に仕える気になったか?』

 

『勘違いをするな。お前はターペ=エトフの民に責任がある。お前が動けば、マーズテリア神殿も本気で乗り出してくるぞ。オレが行けば、はぐれ魔神の災厄で済む。お前のためじゃない。民のためだ』

 

ハイシェラはしばらくディアンの顔を見て、頷いた。

 

 

 

 

 

夜陰に紛れるようにケテ海峡を通過したマーズテリア神殿軍は、一旦は陸から離れ、オウスト内海洋上で夜を過ごした。日の出と共に、再び船を進める。目指すは西ケレース地方フレイシア湾である。

 

『警戒しつつ前進させよ。一刻も早く、フレイシア湾に入港し、陸に上らねばならぬ』

 

聖騎士エルヴィン・テルカの指示により、兵たちも周囲を警戒する。間もなくフレイシア湾に入ろうとしていた時、先頭の軍船がいきなり弾けた。船尾が水面から跳ね上がり、真っ二つに割れて沈む。黒い影が飛び出てきた。目にも留まらぬ速さで、エルヴィンたちが乗るマーズテリア神殿旗を掲げた旗艦に迫る。

 

ドンッ

 

音を立てて、甲板に黒衣の男が着地した。全身から暗黒の気配を放ち、右手には白銀の剣を持っている。その瞳は深紅に輝いていた。

 

«こんなところにマーズテリア神殿の船団がいるとはな…三百年ぶりか。久々に遊ぼうぜ?»

 

圧倒的な魔の気配に気圧され、兵士たちが下がる。だが悲鳴を上げる者がいないのは、流石にマーズテリア神殿の精兵たちと言えた。エルヴィンが兵士の間から出てきた。海に落ちた兵士たちの救助を命じた後、魔神に顔を向けた。

 

『かつて、カルッシャ王国の船団を壊滅させた「漆黒の魔神」だな?お前の正体は判っている。ターペ=エトフの黒き魔神、ディアン・ケヒトッ!』

 

«…ほう?»

 

ディアンは片眉を上げてエルヴィンと対峙した。

 

«何故、オレの名を知っている。誰から聞いた?»

 

『お前には関係のないことだ!魔神め、この場で滅してくれる!』

 

マーズテリア神殿最強の聖騎士が、漆黒の魔神に斬りかかった。人外の速度で動き、人を凌駕する力で打ち込む。マーズテリア神の名の下に、西方や北方で上位悪魔族や低級魔神を封じてきた「歴戦の猛者」の一撃である。確信を持って放った「必殺の一撃」…しかし目の前の魔神は、それを簡単に受け止めた。

 

『なっ…』

 

エルヴィンは驚愕の表情を浮かべ、距離を取った。

 

«どうした?もう、終わりか?»

 

歯ぎしりをして、聖騎士が再び動く。今度は連撃であった。様々な角度から、殆ど同時に剣が打ち込む。魔神の右腕が消えた。大剣に近い剣を片手で小枝のように振り、全てを弾き返す。あまりの衝撃に、身体ごと吹き飛ばされた。魔神は呆れたような表情を浮かべた。

 

«…お前、本当にマーズテリアの聖騎士か?技と速さはそれなりだが、剣質が軽いな。オレの弟子のほうが、お前の倍は強いぞ?»

 

兵士たちが槍を構える。暗黒の殺意とともに、魔神の貌に凄惨な笑みが浮かんだ。

 

『お止めなさい!皆、下がりなさい!』

 

兵士の後方から鋭い声が響いた。二つに割れた間から、純白の聖衣を着た絶世の美女が現れた。魔神の眼が少し、細くなった。

 

 

 

 

 

『先王インドリト・ターペ=エトフの師、ディアン・ケヒト殿ですね?私はマーズテリア神の聖女ルナ=クリアです。この度は、偉大な王をお亡くしになり、お悔やみ申し上げます』

 

ルナ=クリアは丁寧に一礼した。ディアンの身体から、魔神の気配が引いた。

 

『マーズテリアの新しい聖女殿か。悔みの言葉には感謝する。だが弔問であるならば、何故、軍を率いている?貴女たちは何を目的として、この地に来たのだ?』

 

『ターペ=エトフ王国の滅びを察知し、この地に生きる民たちを護るために来ました』

 

ディアンは鼻で笑った。

 

『笑わせる。正直に言ったらどうだ。ハイシェラ魔族国がターペ=エトフを占領すると、周辺諸国が迷惑をする。巨大魔族国の誕生を許すわけにはいかない。だからその前に、ターペ=エトフを占領しに来たとな。だが残念だったな。既にハイシェラ魔族国の軍はターペ=エトフに入っている。魔神ハイシェラは玉座に座り、新たな統治のために動き始めているぞ。さて、どうする?』

 

兵士たちがざわめいた。エルヴィンの表情も険しい。だがルナ=クリアは涼しい表情のままだった。

 

『やはり、遅かったようですね。残念ですが、この場は退いたほうが良さそうです』

 

『…随分と諦めが良いんだな?』

 

『私の目的の半分は、既に達しています。私がこの地に来たのは、ディアン・ケヒト、貴方と言葉を交わすためです』

 

表情を変えなかったが、ディアンは内心で警戒をしていた。目の前の女から、得体の知れない居心地の悪さを感じていた。この感覚は、過去にも経験をしている。どこであっただろうか。赤髪の女性の記憶が蘇える。サティア・セイルーン(古神アストライア)と言葉を交わした時の感覚と似ていた。黒髪の美女は微笑みながら、言葉を続けた。

 

『前聖女ルナ=エマの日誌の中に、貴方の名前が出ていました。それぞれには断片的な情報であっても、それを集め、組み立ることで、全体像が見えてきます。ディアン・ケヒトの正体は、ただの魔神に非ず。現神信仰のディル=リフィーナ世界を覆さんとする「革命家」である…私はそう判断しました』

 

『過分な評価には痛み入るが、オレはそれ程に大層な存在ではない。その日その日を楽しく過ごす、ただの魔神だ』

 

『神の肉体と人間の魂を持つ「神殺し」…さらにその上、「神からの自立」という思想を掲げ、エディカーヌ王国という国家まで誕生させた貴方が、ただの魔神ですか?』

 

『………』

 

賢しさが鼻についた。目の前の女は、一体どこまで気づいているのだ?ディアンはようやく、言葉を発した。

 

『…大したものだ。どうやら、マーズテリアはこれまでにない知恵者を聖女としたようだ』

 

『ですが、解らないこともあります。貴方に直接会って、聞きたいと思っていました。貴方が目指している「神からの自立」は、つまるところ宗教の否定ということなのでしょうか?であれば、エディカーヌ王国の「神の道」とも相容れないと思うのですが?貴方には何が見えているのです?そして一体、何を目指しているのです?』

 

『質問に答える理由が無いな。貴女はマーズテリアの聖女だ。他に目を向けず、ただマーズテリア信仰を続ければ良いだろう。オレが何を考え、何を目指そうとも、貴女には関係の無いことだ』

 

ディアンは左手に魔力を込め、横を通り過ぎようとしていた軍船に放った。帆が炎に包まれた。

 

『アンタはオレに会いに来たようだが、オレはアンタに話など無い。一刻も早く、ここから立ち去れ。オレがまだ穏やかなうちにな…』

 

黒衣の魔神は甲板から飛び去った。その背を見ながら、ルナ=クリアは小さく呟いた。

 

『どうやら、本当の激動はこれからのようですね…』

 

聖騎士の指示の下、軍船団は反転し、マーズテリア神殿領へと引き返した。

 

 

 

 

 

マーズテリア神殿の船団が引き上げてから五日後、フレイシア湾からモルテニアに向けて「最後の商船」が出港しようとしていた。武器や食料、金銀宝石類などを満載している。

 

『良いのか?エディカーヌ王国でも、カネが必要だろう?』

 

魔神グラザの問い掛けに、ディアンは首を振った。

 

『悪魔族や闇夜の眷属を受け入れて貰ったのだ。これくらいは当然だ。ソフィアも、承知をしている。ターペ=エトフは滅んだ。レスペレント地方の歴史にも影響が出てくるだろう。モルテニアへの圧力も強くなるはずだ。面倒を掛けて、済まないと思っている』

 

『気にするな。自警団はしっかりしているし、ターペ=エトフの元帥まで来てくれるのだ。平穏は維持できるだろう』

 

ディアンとグラザは、泣きながら抱き合っている四人の美女を見た。六翼を持つ飛天魔族ファーミシルスが、三人の使徒たちと別れの挨拶をしている。ディアンも少し瞑目し、真顔に戻った。

 

『グラザ、お前に忠告、というか助言をしておきたい』

 

『なんだ?』

 

『レスペレント地方は、光神殿の力が更に強くなるだろう。モルテニアでお前が頑張っても、いずれ限界が来る。そこでだ。人間族との間に、子を作ったらどうだ?』

 

『…何を言っているんだ?お前は?』

 

冗談だと思ったのか、グラザは笑った。だがディアンは表情を変えなかった。

 

『「血」というものは、一つの象徴だ。お前は魔神だ。お前がモルテニアに居る限り、カルッシャ王国などはお前を滅ぼそうと狙い続けるだろう。半魔神であれば、光と闇を束ねられるかも知れん。少なくとも、純粋な魔神よりは風当たりも弱くなる』

 

『フム… まぁ今は考えられんが…』

 

『今すぐでなくとも良い。将来、モルテニアの平穏が危機に晒されそうだと判断した時、思い出してくれ』

 

『解った。覚えておこう』

 

その時、ファーミシルスが近づいてきた。グラザに一礼し、ディアンを見つめる。

 

『三百年…本当に世話になった。この地で、お前たちと一緒に過ごした時間は、私の宝だ。改めて、礼を言いたい』

 

『礼を言うのはこちらだ。お前がいてくれたから、使徒たちも寂しい思いをせずに済んだ。これは今生の別れではない。モルテニアとスケーマは、いずれ転送機で繋ぐつもりだ。いつでも遊びに来てくれ』

 

差し出された手を握り、ファーミシルスは笑顔で頷いた。

 

『また会おう。友よ』

 

グラザに従って、ファーミシルスは船に乗り込んだ。帆を上げ、出港する。ディアンと三人の使徒は、水平線に消えるまで見送った。

 

 

 

 

 

シュタイフェは連日徹夜で、計算を続けた。十五万人を一度に転送させるのは不可能である。一度の転送で消耗する魔力量と魔焔の残量を計算し、人口が減ることによる物産への影響などを考慮しながら、綿密な移住計画を建てる。本来、一人で出来る仕事ではない。だがシュタイフェは、ターペ=エトフの行政官たちを使うつもりはなかった。彼らに会わせる顔が無いからだ。流石に疲れが溜まったのか、机の上でうたた寝をしてしまった。気づいた時、以外な光景が目に飛び込んできた。目の前の書類の山が無くなっていた。元部下たちがそれぞれの机で、仕事をしている。

 

『あ…あの、皆さん?アッシは…』

 

『大方、こんなことだろうと思っていました。大臣がインドリト王を裏切ったなんて、誰も信じちゃいませんでしたよ。移住計画、我々も手伝います』

 

元部下たちが笑っている。シュタイフェは目頭を抑え、立ち上がって一礼した。一方その頃、ディアンはハイシェラと葡萄酒を飲みながら話をしていた。

 

『マーズテリア神殿か…まぁ聖騎士がその程度であれば、特に警戒する必要も無さそうだの』

 

『聖騎士だけならな。オレはむしろ、聖女が気になる。ルナ=クリアとかいったな。聖女としての魔力以上に、相当な知恵者だ。思いもよらぬ方法で、攻めて来るかも知れん』

 

『…汝が居てくれれば、我も安心なのじゃがの?』

 

ハイシェラからは、自分を好きな時に抱いても良い、という条件まで出されていた。だがディアンは断った。この地での旅は終わったのだ。

 

『何かあったら、オレを呼べ。手伝いくらいはしてやる。それに、その姿のお前を抱く気にはなれん。お前の中には「男」がいるんだろ?』

 

『確かにの…』

 

ハイシェラが胸元を抑えて笑みを浮かべた。ディアンが話題を変えた。

 

『…ハイシェラ、前々から聞きたいと思っていたんだが、お前は本当に「魔神」なのか?』

 

『何じゃ?唐突に』

 

『神族が他の神族の肉体を奪う場合、神核を移し替えるという方法が考えられる。というか、それ以外に方法がない。だがお前は、肉体そのものを融合させたと言っていた。そんな方法はオレは知らないし、そもそも理屈に合わん。お前だけの特殊能力としか思えなくてな』

 

『………』

 

『異質のモノ同士を融合させる能力… かつて、そうした能力を持っていた女神がいたそうだ。ひょっとして、お前は機工…』

 

『知らぬの!何のことじゃ?我は「地の魔神ハイシェラ」じゃ。今も、昔も、これからもな』

 

ディアンは沈黙してハイシェラを見つめた。ふっと笑い、肩を竦めた。

 

 

 

 

 

出発の日、ディアンたちは行政府を訪れた。エディカーヌ王国に移住をする第一陣が列を作っている。陣頭指揮を部下に任せ、シュタイフェが挨拶に来た。

 

『ダンナ、いよいよ出発ですかい?』

 

『あぁ、もう家も引き払っているし、ソフィアも向こうで待っている。そろそろ行こうと思う。シュタイフェ…お前には嫌な役を押し付けてしまった。詫たい』

 

丁寧に一礼するディアンに、シュタイフェは手を振った。

 

『ヒッヒッヒッ…アッシは魔人、元々が悪人でさぁ!お気になさらず…』

 

ディアンは水晶片を差し出すと、真剣な表情をした。

 

『何かあったら、すぐにオレを呼べ。必ず来る。この地はこれからが大変だ。ハイシェラは暢気にしているが、マーズテリア神殿が攻めて来る可能性もある。シュタイフェ、死ぬなよ?たとえ自分の手足を食ってでも、生き延びろ。お前が死ねば、ターペ=エトフを語り継ぐ者がいなくなる。オレも大事な友人を失う。だから頼む。死ぬなよ』

 

『ヒッヒッ!どうせなら、美女に懇願されると嬉しいのでヤすがねぇ~ アッシはしぶといのが取り柄でさぁ。ダンナよりも長生きして見せますよ』

 

笑いながら、二人は固い握手をした。飛び立つために中庭に向かうと、二人の使徒の他にハイシェラともう一人が立っていた。トライス=メイルの白銀公であった。意外な人物に、ディアンは首を傾げた。

 

『ハイシェラ、見送りに来てくれたのか?』

 

『何を甘えたことを… このエルフが、汝に用があるそうじゃ。まぁもののついでに、見送りをしてやるかの』

 

ディアンは笑った後、白銀公に一礼した。美しいエルフも、優雅に一礼する。

 

『白銀公、まさか貴女が来ていたとは』

 

『ディアン殿にお教えしたほうが良いと思い、罷り越しました。インドリト王のことです』

 

三人が頷くのを見て、白銀公が静かに語った。

 

『先日、ルリエン神より神託がありました。「ガーベル、シウとも話し合い、インドリト・ターペ=エトフの魂を転生の門へと送った…」とのことです。いずれ再び、インドリト王はこのディル=リフィーナに、生まれ変わってくるでしょう』

 

『そうか… ルリエンも味な真似をする』

 

ディアンは頷いた。二人の使徒も、嬉しそうな、それでいて寂しそうな表情を浮かべる。

 

『生きていれば、会うことも出来るでしょう。ディアン殿、貴方という存在は光にも闇にもなります。どの途を選ぶかは、貴方の自由でしょう。願わくば、貴方自身にとって悔いのない選択をして欲しいと思います』

 

『そうだな。反省することはあっても、悔いる人生は送りたくないな。この三百年で多くの学びを得た。次は、もっと上手くやるさ… 世話になったな。礼を言う』

 

白銀公は頷いて、中庭を後にした。ディアンがハイシェラに最後の挨拶をした。

 

『ハイシェラ… 後は頼むぞ。そして、達者でな』

 

『後は我に任せよ。さらばだ。我が強敵()よ』

 

黄昏の魔神と二人の使徒は、絶壁の王宮から飛び立った。ハイシェラは瞑目したあと、顔を引き締めて刮目した。気配が一変する。

 

«誰かある!これより、軍を見廻るぞ!ケレース地方を統一してくれるわ!»

 

美しき赤髪の覇王は、圧倒的な覇気を上らせた。その貌には、猛々しい笑みが浮かんでいた。

 

 

第二期:了

 

 

 

 

【Epilogue】

 

ルプートア山脈の遙か上空を飛ぶ。三人は宙に止まり、振り返った。見渡す限りの美しい地であった。銀髪の使徒が呟いた。

 

『…去り難いな』

 

『そうね…』

 

金髪の使徒が頷いた。二人が仕える黒髪の主人は、黙ってその地を見つめた。風の中に、微かに声が聞こえた気がした。

 

(先生… また、会いましょう)

 

様々な想いが、胸中に去来する。まさに惜別であった。主人はその地を見つめたまま、小さく呟いた。

 

…オレは生きる。お前のように、生きて、生きて、生き切って見せる。さらばだ、我が弟子よ…

 

顔を前に向けた。二人の使徒に声を掛ける。

 

『後ろにあるのは過去の思い出だ。前にあるのは未来だ。行くぞ。理想はまだ、終わってはいない』

 

南に向けて、三人は再び飛び始めた。

 

 




【あと書き】

「戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフへの途~」は、これで終わりです。およそ一年がかりで、書き上げました。誤字脱字なども多く、未熟な私に最後までお付き合いを下さり、有難うございました。

第三期のスタート時期は未定ですが、その前に書きたいなと思っているのが『外伝』です。仮のタイトルですが…

『戦女神×魔導巧殻 第二期外伝:ハイシェラ魔族国興亡伝』

ターペ=エトフを滅ぼした魔神ハイシェラは、ケレース地方統一に向けて動き始めた。一方、マーズテリア神殿聖女ルナ=クリアは、魔族国を滅ぼすべく、新たな計略を練り始めていた。ラウルバーシュ大陸最大の魔族国はどのように終わりを迎えたのか?宰相シュタイフェ、そして地の魔神ハイシェラの運命は?

歴史に名を残す「ハイシェラ魔族国」の滅亡までを描きます。2017年5月あたりから、
投稿を始めたいと思います。

皆様、有難うございました。
これからも応援の程、宜しくお願い申し上げます。

Hermes


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