ナザリック百景 (つるつる蕎麦)
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トブの大森林にて

独自解釈・設定などが含まれます。
この内容だとどういうタグをつけるのが適当なのかちょっと分からなかったので、もしよければ指摘お願いします。


 深く広大な森。

 

 アゼルリシア山脈の麓に広がるこの大森林は、太古に起きた火山の噴火によって流れ出た溶岩が冷え固まった後、長い年月をかけて広大な森となったものである。

 現地の人々には「トブの大森林」と呼ばれ、人の手に余るものとして恐れられていた。

 かつてはむき出しの岩だらけであった場所は、今や鬱蒼とした樹木に覆われている。地面は倒木や苔の無い場所はなく、時折小動物が走り過ぎたり不意に訪れた鳥の鳴き声などが木霊するのみ。

 極相林となった森は今までの百年と同じように次の百年の静かに時を刻むのみであった。

 

 つい先日までは。

 

 このトブの大森林の一角では、今大きな変化が起こっていた。自生していた樹木は円形に切り開かれ、広大な森のほんの一部に過ぎないものの円形に日の光の降り注ぐ森の穴とも言える場所が誕生している。そしてそこでは動きまわる者達の気配が耐えない。

 

 

 ここは、ナザリックの外部拠点建設予定地である。

 至高の支配者であるアインズ・ウール・ゴウンの命により直接指揮を取ることとなった階層守護者であるアウラ・ベラ・フィオーラの指揮によって、今日も拠点建設が黙々と行われていた。

 その一角。広場の縁に残された切り株に腰掛ける一人の姿があった。

 日差しは暖かく、拠点建設の作業に精を出すゴーレムやスケルトン達の立てる物音も森に吸い込まれるかのようで、ここまで大きな音は響いてこない。

 そんな場所でその人影は、古びた書物を開いて、首をひねりつつも一心に読んでいるようだった。

 傍らにはこれ幸いと丸くなっているなにやら小さな動物の姿も見える。絵になる光景だ。

 読書をしている人影がむき出しの骨を外に晒していなければ、だが。

 

「おお、ウノサンではないか? この様な場所で何を?」

 

 ウノサンと声をかけられた方が本から顔を上げる。

 

「ウノニか……。いや……アウラ様に確認事項があってな。その判断を頂くまで作業の続行ができんのだが、アウラ様がちょうど休憩に入られたようでな。そのまま待てという事であったので、こうして本など読んでおるのだ」

 

 ウノニと呼ばれた方もウノサンと同じく死者の大魔法使い(エルダーリッチ)である。ウノサンとは配置された場所が隣であるため、作業によっては連携を取るために打ち合わせなどをしばしば行う機会が多く、接点の多い同僚という立場である。

 元々単なる割り振りに「あの4」「うの3」や「おの1」などと名称を順番につけただけのものであったのだが、それがそのまま場所を割り振られた死者の大魔法使いの名前のような扱いとなっていた。

 至極いい加減なものであるが、当人たちは以前は名前すら持っておらず、最初から死者の大魔法使いとして生み出された者たち。

 個別の名など無くとも至高の御方々に忠義を尽くせれば満足ではあったが、階層守護者であるアウラからそれらをついでに名前としても扱うとされた時、震えるような喜びを感じたものだ。

 

「そうであったか。アウラ様は休憩をお取りになるようになったのだったな」

「うむ。至高なる御方の指示によるものだということだ。しかし、至高の御方は何故休憩を取るよう命じたのであろうな? アウラ様は維持の指輪を身につけておられるだろう? 休憩など不要なはずなのだが」

「……偉大なる方々の考えに疑問を挟むのは……忠誠心を疑われまいか?」

 

 ナザリック地下大墳墓においては大した地位を持たない単なる死者の大魔法使いと言えど、彼らの創造主に対する忠誠心は揺るぎない。

 ウノニのむき出しの眼窩の奥に宿る揺らめく光が剣呑な輝きを帯びる。

 それを敏感に察知したのだろう、ウノサンがアンデッドにはあり得ないことであるが、慌てたように口を開いた。

 

「いや待て待て……そういうことではないのだ! つまり……偉大なる御方のお考えのほんの一端でも知ることが出来れば、この先よりお役に立てるのではないかと考えたのだ。もちろん我等など単なる一兵卒と何ら変わらんということはよく分かっているが、それでも無駄にはならんのではないかとな」

「ふむ……そういうことか……」

 

 ウノニも手に持っていた設計図らしき羊皮紙の束を脇に挟んで、思案げな素振りを見せた後、重々しく口を開いた。

 

「……想像の域を出ない話ではあるが……先日通達があった、ナザリック地下大墳墓が草原に転移したという”異変”とやらの発生後に、何らかの魔法的変化を察知されたのではなかろうか?」

「魔法的変化?」

「うむ。偉大なる御方の察知されたものを私ごときが想像することもまた恐れ多いのだが……恐らく森羅万象の、魔導の根源に関わる……『生と死の深淵』に至る恐るべき何か……ではないか?」

「世の理の変化をいち早く察知されて、先手を打たれたということだろうか」

「うむ」

 

 両者の間に深い沈黙が落ちる。

 二人の死者の大魔法使いが揃い、重々しい気配をばら撒いている光景をもし冒険者が見たのならば寒気がする光景であろう。

 が、時は光り差す午後で、大樹を切り倒したお陰で陽が届くようになった足元からは新しい草木が萌え始め、辺りを見渡せばゆるゆると蝶々などが飛んでいる。

 牧歌的とも言える風景だった。

 

「なるほど……! そう言えば先日アウラ様が、至高なる御方の智謀はまさに無辺際と呼ぶに相応しく、階層守護者の地位ごときの自分では見渡すことすらできない、と言うような事を仰られていたが、正にその通りであるということなのだな……」

「我等ごときでは想像すら及びもつかない企みの結果なのだろう」

「おお……偉大なるは我等が慈悲深き主よ! 今まではもちろん、今後さらなる忠誠を捧げなければ……!」

「うむ、うむ……」

 

 森の片隅で、二人の赤い衣を纏った骸骨がしきりに首を振る姿は何やらコミカルではあるが、当事者たちは心の底からの畏敬に打ち震えていた。

 その視界の遠く外を丸太を抱えた重鉄動像(ヘビーアイアンマシーン)が通り過ぎていく気配。

 ゴーレムの足音で我に返ったかのように、ウノサンが新たに言葉を紡ぐ。

 

「おお、ところでウノニよ、至高の御方についての気づきを与えてくれたお礼というわけではないが、これらの本についてお主は知っているか?」

 

 ウノサンが膝の上に広げていた本を持ち上げてウノニに見せる。

 

「いや、それについても気になっていたのだ。一体何処から?」

「実はな。至高の御方の発案で定められたことなのだが、地下階層にあるという図書館に収蔵されている本や巻物などの一部を、望んだ者に貸し出すという新しい制度なのだ」

「なんと!? それはもしや……!?」

「そうなのだ! かつておられた至高の御方々が長い月日をかけられて集められたという秘蔵書なのだよ! 貸し出されるのは写本であるらしいのだが、本物と寸分違わないものであるとのことだ」

「至高の御方々の集められた叡智の一部に触れられるというのか!?」

「そうなのだ……! 今私が読んでいるのは、いわゆる創造系魔法に関する本であるようなのだが、ここに書かれた叡智のなんと深きことか」

「い、一体どのようなことが!?」

 

 身を乗り出して尋ねるウノニ。肉のある体こそ無いので出来ないが、あれば唾を飲み込む音が聞こえたことだろう。

 しかし問われたウノサンは大きく切なげなため息を付きながら膝上の本に目を落とす。本のページを撫でるその白骨化した手は愛おしげだ。

 

「……この本に書かれている内容は……愚かな私ごときでは未だ知らぬものばかりであってな……。例えば使われる道具についても「Python 18.2.1」や「Javascript2120」といった暗号が出てくるのだ……お主は聞いたことがあるか?」

「聞いたこともない言葉だ……我等の想像の至りもしない魔術の秘奥……? 妖術、魔術、錬金術などの合一といった……いやまさにそうした部分こそ秘儀として隠されておるのであろうか……」

 

 ウノニも知らず腕を組んで、自らの持つ知識と照らし合わせる。

 

「隠されているというより、我々ごときでは登ることも出来ぬような魔術の知識の高山があり、さらにその頂上に建てられた巨大なる魔導の塔を山の麓より眺めている……ようなものなのだろう」

 

 彼らもまた魔法使いであるから人一倍魔法に対する知識欲は深く、この世界での死者の大魔法使いと言えば魔法の恐るべき使い手という位置づけである。

 しかしその彼らをもってしても、このナザリック地下大墳墓を作り上げた至高の41人の秘術については、まるで想像の及ばない偉大なる奇跡だった。

 

「実はな、この書物に先立って先日借り受けた『100万回生きたねこ』という本には錬金術と魔法の秘術が、絵と文字で暗喩されるという形で記されておるようだ」

「絵に暗喩として秘術を隠すというのは確かによく聞く手法だ」

「そうであろう。最初にこちらまで赴いて声をかけていただいた司書A殿に『至高なる御方々がよく読まれていたものを』と話を持ちかけた所、ありがたいことにこの本を勧めて頂いたのだよ。司書殿には感謝してもしきれん。もちろん知識の無いものにはただの絵本か児童書にしか読めまいが……」

「しかし、そのような貴重な書物を貸し出して頂けるとは、なんと度量の大きいことよ……支配者としての力をあれ程までに持ちながらなお大きさを感じさせる振る舞い! 我等はなんと素晴らしい方にお仕えしているのか!」

「まさしく、そうだ……!」

 

 流せる体があったら確実に感涙に咽んでいたであろう二人。見れば今まで沈黙を守っていた二体の小悪魔(インプ)までもが天を仰いで涙を堪える有様であった。

 その後しばらく彼らはそのようにしていたが、ふとニノサンが気分を改めるように膝上の本を閉じる。

 

「……こうして偉大なる御方の素晴らしさについていつまでも語っていたいものだが、まずは行動で忠義を尽くさねばな。そろそろアウラ様の休憩時間も終わる頃だ。私は作業に戻ろうと思う」

「おお、私もこのような事で時間を使っている場合ではなかった! 全く恥ずかしい限りだ。ではニノサン、また後ほどな」

「うむ、それではな」

 

 こうして二人の死者の大魔法使いはそれぞれ目的の場所へと足を向けた。二体の小悪魔もそれぞれに付き従うようにしてフラフラと飛んで行く。

 後には再び、森の百年の静寂が戻っていた。

 

 ・

 

 先日始めたばかりの図書貸出――上層階の者達にも本が貸し出せるよう、巡回図書館のような形をとった各階層全てへ向けたサービス――の貸出記録を眺めながらアインズが唸っていた。傍らにはいつもどおりにセバスとメイドが控えている。

 よくある執務室の光景である。

 

「何が人気の理由なのかさっぱり分からんぞ……? 児童書が何故あるのかというのはともかく、何がシモベたちの興味を引いたのやら……」

 

 小さくブツブツと声にならない程度に口の中で呟くアインズ。

 貴重ではない書物を司書たちに選ばせて、要望があれば貸し出すという単純なサービスの一つである。既にある本を貸し出す範囲であればほぼ新規のコストもかからない優良な福利厚生ではないかと、考えついた当初のアインズは自分を褒めたものだが。

 児童書が混ざっている理由は恐らくだが、ナザリック学園とかを妄想していたかつてのギルドメンバーの誰かが持ち込んだものであろう。まあそれはそんなこともあるかという程度の話だ。

 だが、それがいざ貸し出してみるとアンデッドに大ウケというのは全く理解の外の話だ。

 

「そもそもアンデッドが100万回生きるとか死ぬとか、いやそれ以前に感情を動かすような物語に興味あるのか? いや、途中からアンデッドだけでなく比較的高レベルの悪魔系のシモベにも貸し出されているな……この世界に移った時の何らかの変化によって内面に変化が生まれたとか……」

 

 ひょっとしたらそういうこともあるかも知れない。何かカルマ値マイナスの者に影響を及ぼす力が働いた結果ではないかとか、原因はともあれそうした心理的な部分を考慮して福利厚生サービスを整えたほうがいいのか、などと思考の迷路に嵌り込みつつあったアインズだったが、流石に限界を感じて「これはこれでいいや」と放り出すことにした。

 何にせよ積極的に利用されていて、それが原因で何かの問題が発生しているのでなければいいのだ。

 

「しかし……休憩や休暇といい、給金の話といい、なんでこうも予想外の方向に話がずれるのか……。あー頭が痛い……」

 

 本当なら机に突っ伏してうめき声の一つも上げたいところだったが、セバスやメイドの目がある場所でそのような事をする訳にはいかない。胃がないのに胃が痛いような感じといういつもの気持ちを味わいながら、アインズはそっとため息をついた。



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第九階層にて

少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです。面白い話を書くのは本当に難しいですね。


「……? こんなところに……」

 

 メイドは固く絞られた雑巾を動かす手を止めて、目を壁に寄せる。よく見ようと(すが)められた目はまるで近視の学者のようだ。

 光を吸い込むかのような石材で作られた暗色の壁は、所々に走る金色を発する鉱石の混ざり物による模様が作る絢爛な雰囲気を飲み込み、総じて重々しくも美しいという印象をもたらす。

 そんな壁の一箇所に今メイドは深刻な視線を送っていた。

 

「傷だわ……!」

 

 ナザリック地下大墳墓の第九階層。

 ロイヤルスイートと呼ばれるこの階層であっても最近は多くの人影がある。最近は時と場合によってシモベたちによる警備の巡回があるからだ。

 そうなれば(例えシモベ達が気をつけていても)当然埃などが持ち込まれることになるが、それによる汚れを許すメイドたちではない。僅かな汚れやチリであってもたちどころに掃除され、常に美しく保たれている場所――それが第九階層というこの世で最も聖なる場所である。

 しかし。

 

「しかもこんな、アインズ様の居室にほど近いところだなんて……!」

 

 ここの美しさを守り、敬愛して止まない主に僅かでも心地よく過ごしてもらうことを願うばかりのメイドにとっては許しがたい出来事。

 今磨いていた壁は直線に続いていた通路の終わり近くで、そのまま右へと折れる通路だ。傷を発見した壁に沿って曲がればすぐにでもアインズの部屋である。その曲がり角すぐ側の壁に目立つ傷が付いていた。高さはメイドの視線のほぼ真横といった所だろうか。

 ナザリックの一般メイドにとっての掃除とはまさに戦場。それに相対する彼女たちの気合は並大抵のものではない。

 

 掃除はそれぞれの指定箇所におおよそ3~5人のメイドが班として割り振られ、その責任で作業が行われるのが通常であった。例えば「至高の御方々私室:ぶくぶく茶釜様:5名」とか「レメゲトン:3名」などといった具合である。

 これらの仕組みはメイド長であるペストーニャによって指示されたものを下敷きにしている。「指示通りに」ではなく「下敷きに」と表現される理由は、現在も更なる効率化、高成果化を目指して改良がメイドたちから意見や案を募って活発に進められているからである。

 

 ちなみに最近メイドたちの間で交わされた掃除関連の議論は、定番の「掃除巡回の頻度を如何にして上げるか」や、拭き掃除に新たな潮流を生んだ「拭き掃除は至高の御方の視線の流れを意識すべき」とか、よくある質問の「空中に埃が浮かぶリスクをいかに小さくするか」といったもの。

 まあそもそもの話、掃除の手を抜くメイドなどナザリックには元から一人としていないのだが、その上で繰り返された改良の結果として現在では別の者の目で掃除の出来のダブルチェックは当たり前、場所によってはトリプルチェックまで行われるようになっている。

 

 そうした献身の果てに普段であれば顔が映り込む程に磨き上げられる場所。そんな場所の壁に目立つ傷、まさに看過できない事件であった。

 

「手が止まっているわよ……? どうしたの?」

「ちょっとこっち来てここ見てくれない?」

「何があるの? ……! なんてこと……! 傷だわ!」

「そうよ! しかもよく見ると平行に三本もあるのよ! 幅は無いけど1本は特に深いの!」

 

 走り寄ってきた眼鏡を掛けた別のメイドまでもが壁に近づいてその箇所を凝視する。覗きこむその顔には既に怒りとも悔しさとも言える表情が浮かんでいた。

 後からやってきたメイドが眼鏡のブリッジを指で押し上げながら口を開く。

 

「前回の掃除ではこの報告は上がっていないわよね」

「聞いてないわ」

「ということは、前回のローテーションから今までの3時間の間に、この傷をつけた者がいるということになるわね……」

「……最近巡回するようになった警備が武器をぶつけたとか、じゃないかしら」

「なになに? 何が起こったの?」

 

 この班の最後の一人も何事かに気がついて走り寄ってきた。ショートヘアの活発そうな印象を受けるメイドである。

 二人のメイドは疑惑の内容含めて状況を説明する。が、最後に来たメイドは思案げだ。

 

「うーん? でも最高度の警戒体制は解かれたんじゃなかった?」

「え?」

「あっと……警備の話は私たちに直接関係がないから、聞いちゃっただけの話なんだけど……セバス様とペストーニャ様がそんな話をしていた……ような……」

「聞いたのはいつの話?」

 

 問われたメイドは額にしわを寄せるようにして自分の記憶を探り始める。考え込みすぎて頭を抱えた結果ブリムが少し曲がってしまったが、それを隣りにいた最初のメイドが何も言わずに直す。

 

「確か……昨日の朝食のすぐあと……」

「じゃあ、この傷は警備が原因じゃないわね。だとすると一体……?」

 

 三人揃って難しそうな顔で考えこむ。天井から降り注ぐ永続光(コンティニュアル・ライト)による上品な間接照明がそんなメイドたちの姿を照らしていた。

 

「私たちメイドの持ち物ではこの壁に傷をつけられるとは思えないわ」

「ひょっとしてあの執事助手がやらかしたとか?」

「だったら言いつけて吊るしあげてもらいましょう」

「それいいわね!」

 

 ここでの執事助手とはナザリック内で「ある意味有名」なエクレア・エクレール・エイクレアー執事助手である。彼も至高の41人によって創りだされた存在なのだが、しばしば「ナザリックを自分が支配する」といった野望を口にしたり、そのための離反の誘いをしたりするので一般メイドには結構嫌われている。

 まあそういう風に振る舞えと創りだされた結果なのだが、だからと言ってそんな戯言を聞いて気持ちの良くなる者などいないのだ。例えその姿が愛らしいイワトビペンギンの姿であっても。

 メイドたちはあの無駄に飛び出た頭の羽毛のせいで傷がついただの、蒸し焼きにして脂を絞って燃料にしましょうだのと言いたい放題言い始める。

 が、あまりに脱線し始めた雰囲気を危惧してか、眼鏡をかけたメイドが咳払いを一つして場を鎮めた。

 

「まあそういう話はともかく……可能不可能で考えるとすると、階層守護者の方がこちらに来られた時に付いた傷、なのかしら?」

「気が付かないうちに、とか? ほら、コキュートス様とかは大柄でトゲトゲした体をお持ちだから……」

 

 あの恐ろしくも逞しい姿であれば、確かに壁に傷をつけることも容易だろう。気が付かずにそうしたことが起きても不思議ではない。まあ実際にトゲトゲした体かといえばそんなこともないのだが、凍気を纏った(いかめ)しげな全体の印象はいかにもそういうことが「有り得そう」という推測を後押しする。

 

「でもコキュートス様って、今はずっと外に出られているのではなかった?」

「そうなの?」

「しばらく前にそんな話を聞いたわ。それに考えてみれば、私たち以上に階層守護者の方々がこんな壁に傷をつけるような不敬をするとは思えないわ」

「それもそうね……。もちろんメイドの誰かがやったという可能性もあるわけだし……」

「……この件は後回しにして、掃除を終わらせましょう。後で報告の時に改めて犯人の割り出しと責任について問えばいいわ」

「補修の方法もね。でも今は、仕方ないわね……」

 

 傷を最初に発見したメイドはまだ目の中に消えない怒りを宿していたが、掃除を中途半端なまま放置して不敬をやらかした犯人探しを始めるわけにもいかない。彼女たちはただのメイドであってそんな事をする立場にはないからだ。

 しかし、それぞれが雑巾を持って持ち場に戻ろうとする中、ショートヘアのメイドだけがその場から動かずにいた。そしてポツリと呟く。

 

「これひょっとして……アインズ様が……とか……」

 

 呟きを耳にした二人のメイドの足がピタッと止まる。

 そしてギギギギ……という音がするような動きで首を回して、声のした方に視線を送る。

 

「ほらたまに……お急ぎになられている時に、小走りになられて……こう、勢いよく角を曲がる時につい、手を伸ばされて……なんて……」

 

 独り言じみた言葉が続く。

 

「そうするとあの、美しくも鋭い指先が、壁にあたって」

 

 実演するかのように指先を壁に伸ばす。

 

「……まるで壁の角を掴むかのように……一番力の入る人差し指、中指、薬指が食い込んで……」

 

 偉大なる主の動きをなぞることに畏れ多さを感じたのか、それとも至高の存在がつけた傷に直接触れることにためらいを感じたのか、ショートヘアのメイドの指先は壁に触れないように動いて過去を描く。

 

「アインズ様の居室はすぐそこだし……だとするとこの場所をアインズ様が、力強く触れられたということに……」

「………………」

 

 先ほどとは違う目つきをした二人のメイドが再び壁際に戻ってきていた。

 

「待って! もしそうだとすると、こ、この傷って補修とかしていいのかしら!?」

「至高の御方が残された傷だとしたら、補修なんて話以前に、歴史遺産のような扱いで保存されるべきなのじゃないかしら!?」

「どうしよう! もしそうだったらどうしよう! こんな時どうするかなんて指示ないよね!?」

 

 途端に慌て出す三人のメイド。そこに最初のメイドが別の爆弾を落とした。

 

「そっ、それに、アインズ様のその、お体の一部とか、匂いとか、が……」

「!!!!!」

 

 口には出さない。畏れ多くて口に出せないといったほうがいい。しかし彼女たち三人は想像してしまった。極限と言っていい敬意を捧げ、役に立てるのであれば自らの命を投げ出すことすらも少しもためらわない御方の――残り香のような――。

 ゴクリ。

 誰かの喉が鳴った。別に何が起こったというわけではない筈なのにその場の緊張感が加速度的に上昇していく。状況としてはアイドルの帰ったあとの楽屋に入ったら飲み残したお茶のペットボトルを同時に発見した熱狂的ファン三名、といった感じだろうか。

 誰も見ていなければとんでもない行為に走りそうな三人であった。

 

 しかし、その何事か起こりそうな雰囲気は通路の端から涼し気な声によって打ち消される。

 

「あら、そんなところで何をやっているの?」

 

 メイド三名はそれまでの空気をふっ飛ばして、一気に姿勢を改めた。そして声のした方向に身体を向けると全員が同時に頭を下げる。

 

「ア……アルベド様」

 

 白を基調に設えられた美しいドレスの裾を乱すようなこともなく、優雅な足取りで守護者統括であるアルベドが三人のメイドに近づく。掃除の手を止めていたとは言え別段何か悪いことをしていた訳でもないにも関わらず、三人のメイドは教師にいたずらしている所を発見された生徒のように縮こまってしまっていた。

 

「い、いえ、私たち三名でこちらの掃除をしていたのですが、その……」

「そんなに緊張しないでいいのよ。別に怒っているわけではないのだし」

 

 アルベドはメイドたちに慈悲深く優しいという印象を持たれている。守護者統括の立場でありながら誰にでも優しく理知的に接するからだ。

 まあ時々至高の御方が絡むと冷静さを欠くという噂もあるが、それすらも含めて好ましい存在として認知されている。現に今も手を止めていたメイドを責めるのではなく、口元には柔らかい笑みを浮かべて優しく促していた。

 

「はい……その、こちらの壁に……」

 

 三人のメイドは本能的にアルベドの顔色を伺いながらここでの話を報告するが、アルベドの表情には特に変化がない。

 そもそも壁についた傷をメイドたちが憂う気持ちからして至高の御方を崇拝する気持ちあってのこと。守護者統括という立場からも、アルベド個人としても好ましく思いこそすれ不快に思う理由は何処にもないのだろう。アルベドからすれば「下々の者」とすら言えるメイドの内面まで慮って適切な判断をしてくれるところが、アルベドが「慈悲深く思慮深い」とメイドたちに評価される所以(ゆえん)だ。

 事実、この壁の傷の話がアインズによるものではないかという推理をした辺りに差し掛かっても、アルベドは特に表情を変えたりしてはいない。それを不敬な行為だと責めるようなこともない。

 アルベドは一通りメイドたちの話を聞くと、やはり変わらず穏やかに話し始めた。

 

「……そうね、このままにしておく訳にもいかないけれど、いまここであなた達に出来ることは何もないわ。代わりに私が受け持ちましょう。場合によっては鍛冶長に壁を張り替えてもらうことになるかもしれないけれど、あなた達が心配することは何もないわ」

「あ、ありがとうございます」

「あなた達のお陰でここが美しく保たれているのだし、それは至高の御方のために私も望んでいることでもあるわ。だからそんなに畏まることはないのよ」

「はい。ご配慮に感謝いたします!」

「ふふ……まあいいわ。とにかく掃除に戻りなさい。いつもと同じように綺麗に磨き上げるのよ? ただしこの傷のある一角だけは掃除してはダメよ」

「はい!」

 

 三人のメイドはアルベドに対して揃って返事をすると再び掃除を始めるべく散っていった。しかしアルベドだけはその場に残り、件の傷跡に目をやりながら何かしら考えるようにしばらくじっとしていた。

 しばらくして、メイドの一人が掃除を終えて顔を上げた時にはアルベドの姿は消えていた。立ち去る所を目で追いかけたメイドはいなかったが、物音を立てずに歩く普段と違って急ぐような足音がしたことだけを覚えているという。

 

 ・

 

 傷跡はその日のうちに壁を張り替えることによって元通りの美しい姿を取り戻した。しかし外された壁用の石材は忽然と消失したらしい。

 時を同じくして守護者統括が板状の何かを私室に運び込んでいる姿が目撃されたりしたのだが、それを関連付けて語るものは別段居なかった。そもそも壁の補修なんてものは巨大な拠点を維持管理していく過程ではしばしば発生する大したことのない出来事だし、守護者統括が私室に何かを持ち込んだところでそれが何だというのだろう。

 

 ただまあ――なんとなくその石材が紛失した理由と持ち去った人物が分かってしまった者達はいた。彼女たちはその人物を少し羨ましいと思いつつも口には出せず、それどころかこれは何かマズイことを知ってしまったのではないか? と少しばかり怯えたという。

 

 石材を持ち去ったと覚しき人物が前よりそのメイドたちにちょっとだけ優しい気がするのがなおさら怖い――とかなんとか。まあナザリック地下大墳墓ではわりとよくある話ではある。



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第二階層:死蝋玄室付近にて

今回ちょっとHです。直接的な描写があるわけでもない(と思う)ので多分R-15位だと思いますが、そういうのが苦手な人は(不快な気持ちにさせたくないので)読むのを止めていただけるようお願い致します。


 ナザリック地下大墳墓は広大だ。

 

 そこはもちろん外敵からの攻撃から身を守るための厳重な防御機構としても見ることが出来るが、別の見方をすればそこは多数の存在が住まう都市だと表現することも出来る。大量の作り出されたシモベたち、自動で湧き出す防衛用のモンスター、あるいは至高の41人がリアリティを追求した結果として生み出された飾りとしての蟲や霊体、小動物など――大量の生物・非生物が活動している。

 

 そしてそれらのうち意思ある存在全てが至高の41人に対する絶対の忠誠心を持っているといって差し支えがなかった。この世のいかなる居城よりも硬い不退転の防衛の決意が満ちた魔王の城である。

 

 ただし「忠義を尽くす」と言っても個々の存在にとってその方法は少しずつ違っているのもまた確かだ。不埒な侵入者を切り裂くことが最大の忠誠の証と捉えるものもいれば、手足となって黙々と大墳墓の維持管理業務に尽くすのが忠義の表れとするものもいる。ひたすら眷属を増やしておくことを忠義の一部だと考えるものもいるし、与えられた獲物の体重を増やすことに忠誠の満足感を見出すものもいる。

 

 そんな違いがあるなか、彼女は少しばかり個性的な忠誠心――いや主に対する愛だろうか? を発揮している存在だった。

 不徳、不敬――人によっては彼女の内心に秘めた衝動をそう見なすものがいてもおかしくない。彼女自身も自覚していた。だからこの衝動は上手く隠さなければならない。元々目立つようなものではないし、隠すことも誤魔化すことも容易だろう。満足や幸福感は自分の腹の底に沈めて表立っては他の者達と同じように、あるいは問題とならないような範囲で振る舞い続ければ良いのだ。

 そう思っていた。

 

「……もう、おしまい……」

 

 絶望の吐息とともに天を仰ぐ。

 しかし彼女の見上げた先には天などない。かつてここで行われた数々の「作業」によって天井まで飛び散った「液体」がこびりつき、奇怪で黒々としたパッチワークを作っている薄汚く重苦しい石壁が見えるだけだ。

 

 彼女は現在完璧に監禁されていた。それどころか体は椅子に座ったまま縛り付けられ両手のみ自由になっている。しかし手でなんとかすれば体の自由を得られるような状態ではない。腕力で言えば相当にあるはずの彼女を持ってしてもビクともしない強靭な革ベルトに魔力の篭った足枷、胴枷。閉じ込められた部屋を見渡せば、さほど広くもない部屋の中には紛うことなき拷問器具の数々が鈍色の光を放ち、吸い込んできた血の量そのままの威圧感を発している。

 完全なる拷問部屋。逃げ場などない。分かっている。

 

「どうしてこうなってしまったのか……」

 

 それも分かっている。自分が悪いのだ。

 主を想い忠義を尽くした。しかしその忠義の形はここナザリック地下大墳墓では決して認められないような類のものだった……それだけのことなのだろう。

 自分の中では「良かれと思って」であっても、実際は害にしかならないなんて物事は世の中に五万とある。自分にとっては忠誠心や愛情であっても、外から見れば罪の形をしていた――それだけに過ぎない。

 そして今自分はまさにその敬愛する主にその罪をせめられ、しかし同時に最後の試しの機会を与えられてここにいる、という訳だった。

 

「……私は、苦しんでいる我が愛しの主様がせめて少しでも喜びを得られるようにと……」

 

 そう、耐えられなかった。大きな失敗に自分を責め続け、大輪の花がまるで枯れてしまったかのように輝きを失ってしまった主の姿が。

 だからせめてそんな姿を間近で見続けなければならない自分への慰めに、同時に心の中の主の慰めにもなったらいいのにと。不敬かも知れない。いや不敬だろう。だけどこんな悲しい主の姿を見続けていればせめて、と思って何がおかしいだろうか? せめて、せめて――。

 

 せめて、空想の物語の中でくらいは幸せになっていいじゃないかと。

 

 だから彼女は書いた。書いてしまった。

 羊皮紙はナザリック地下大墳墓において貴重品だが、紙は魔法を込めることが出来ないため使用の制限があるわけではない。そのものの貯蔵量自体も潤沢で自由に使うことが許可されていたし、実際書類仕事というのは日常的に彼女にあてがわれた仕事の一つであって、紙もペンも簡単に自分のものにすることができた。それ自体が別に咎められるようなことでもなかった。

 

 普段であれば主の美しさを称える散文詩などを書いていたのだが、苦しむ主の姿を見て彼女の中の何かが弾け飛んでしまった。

 そして空いた時間を見つけては、ひたすらに書き続けたのだ。絵が描ければもっと良かっただろうが彼女はそんな技術は持っていなかった。でも言葉を紡ぐことはできた。だから物語として書いたのだ。

 

「偉大なる至高の御方 × シャルティア様」を。

 

 実際に抜粋するとこんな感じになる。

 

『おお……このような美しい雫は見たことがないぞ……朝露に濡れる薔薇の花弁からこぼれ落ちたひとしずく……なんと甘く、胸を揺さぶるのか』

『あっ、アインズ様……美しき方、私の愛しい人、妾のそのような場所に触れては……溶けてしまいんす……この体が溶けて全て蜜になってしまいんす……』

『ほうそれは良い。全て溶かしてどこまで甘くなるか、試してみようではないか』

『あああっ、堪忍しておくんなまし……』

 

 耽美系で十八禁バリバリだった。

 

 そもそもが彼女――吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)である。同性経験ならあると豪語するシャルティアに仕えるだけあってまあもう色々と知っているしよく分かってもいるわけだ。そんな彼女がそういう方向に妄想を炸裂させたとして、一体どんな不思議があるだろう。

 紙の上で弾けた妄想は偉大なる御方の振る舞いを勝手に作り出し、あの恐ろしくも美しい主人を翻弄して酔わせる物語となった。

 

 しかし、しかしだ。

 

 それがいかに甘く甘く砂糖に蜜をかけたような物語であったとしても……仕えるべき主人たちの姿を身勝手に創りだしたこれは間違いなく不敬だ。大罪に値すると言っても良いはずだ。

 彼女は畏れ多さに震えながらそれでも書き続けた。なぜなら物語の中で美しく乱れる彼女の主は、その顔を幸福の桜色に染め続けていたのだ。その想像は彼女までも幸福な気持ちに包んでくれたのだ……。

 だがある時、彼女のこの幸福な時間は唐突に終わりを告げる。

 

「おんし……主の帰還に(いら)えもせず、何に夢中になっていんす?」

 

 見つかってしまった。夢中になりすぎた彼女は主の気配に気がつかず、筆を走らせていたその最中をまさに見咎められ、したためた物語そのものを読まれてしまった。

 今思い出しても恐ろしいあの時の主の姿! 目を通すやいなやその気配は恐ろしい殺意に塗れ、開かれた目が赤光を放って爛々と輝いていた。食い入るように文字を追う瞳が紙面から再び上げられた時、その繊手は断固たる動きで振るわれた。

 

 首をはねられて死を与えられるだけであれば幸福であるだろう――そう思いながら、彼女は主の裁きを待った。

 しかし、命を奪っては頂けなかった。

 我が主はご自身や至高なる御方に対しての不敬の罪をそうやすやすと許すような方ではない。私だって見逃せない不敬を犯した者がいれば容赦なく残酷で苛烈な苦しみを与えるだろう。そうして……彼女は否応なく今この拷問部屋に放り込まれた。主の恐ろしい命令とともに。

 

「書きなんし」

「………………はっ?」

「畏れ知らずの配下を持つは主の恥。でもこな散文だけではどれだけ不敬なのか分かりんせん。書きなんし。おんしの本当に思うことを。その出来上がりを見てどう苦しめるか決めてやるでありんす」

 

 否などあり得なかった。

 

 そうして彼女は今こうしている。部屋に閉じ込められた当初は呆然と何も考えられなかった。少し経つと懺悔の念と激しい畏れに見舞われた。

 ……しかし数時間が過ぎた今、部屋に放り込まれた直後とは違った気持ちが彼女をゆっくりと支配し始めていた。

 確かに彼女の中には畏れ、恐れ、後悔、不安、諦め……そうした気持ちが今も渦巻いている。

 

 しかし――自分の犯した罪を考えれば許されることなどあり得ず、自分でも許しを願うことも期待しないのならば、事ここに至り「どのように滅ぼされるか」の小さな違いがある程度の話でしかないのではないか?

 であるならば……思うままに振る舞うしか無いのではないか?

 例え不敬と見做されようと、私の忠義に、敬愛に、献身に偽りはない。美しき主と至高の御方の喜びをひたすらに願う奴隷の一人だ。狂おしいまでの熱情を至高の御方に注ぐ主と、あの慈悲深く愛情に満ちた至高の御方が愛を交歓する姿を願うことの、どこに偽りがあるだろう?

 

 そもそも、まだ現実になっていないだけの事ではないか。至高の御方が我が主を愛していないはずもないのだから、いかに空想の物語であったとしても時を経ればいつか必ず訪れるであろう未来ということに過ぎないはずだ。

 そう、ならば、書くしかない。これは私の忠義。これは私の存在証明。その証を掲げて昂然と胸を張り、断頭台に進もう。

 

 華麗なる我が主の美しき歓びの姿を書くのだ。至高なる御方の愛と厳しさに満ちた振る舞いを書くのだ。乱れに乱れ踊り絡みあう、花々の咲き誇る庭を嵐が駆け抜けて散らしていくような物語を書くのだ……!

 道具として渡されていたペンを手に取った。死よりも恐ろしい未来が待っているのは間違いない。しかしここで立ち止まることは自分の中にある忠義すら偽ることだ。

 

 一心不乱。

 

 目を見開き、血の滴るようなペン先を紙にぶつけるように書く。生まれ出てくるビジョンをそのままに、より瑞々しく、艶やかに彩る。そしていつしか紙の上で美しき主が踊りはじめる。不敬だと思う気持ちを叩き潰してより鮮やかにより淫靡に、彼女は自分の願いを表し続けた。

 

 ・

 

 主が再びやってくる。

 彼女の目の前の机には先ほど書き上げたばかりの作品が紙束として積み上げられていた。椅子に縛り付けられて立ち上がることにできない彼女は美しいお辞儀をすることができないが、それでも頭を下げた後、視線を主へと向けた。そして書き上げた物語を捧げるようにして主に手渡す。あとは静かに時を待ち、いかなる裁きであっても受け入れよう……もう心は決まっていた。

 

 主の背後には付き従う複数名の吸血鬼の花嫁の姿もあった。昨日までは立場を同じくした仲間、いや家族と言えた者たちも今では厳しい視線を自分に送ってきている気がする。しかしそれは仕方のない事だろう。これが彼女たちとの別れになるのか、あるいは彼女たちを交えた苦しみと痛みの始まりであるのかまでは分からないが、彼女は別れを告げるように視線を少しだけ向けた。

 

「ふん……これがそう」

「はい。シャルティア様」

 

 紙束を手に持ったシャルティアが彼女に尋ねる。

 

「短い時間で随分と張り切ったみたいでありんすね? おんしの不敬の程度を調べるのに手間がかかってしまうではないの」

「重ね重ねの不始末、どうかお許しを! しかしご命令の通りに全て書き出しました。覚悟はできておりますので、シャルティア様のお決めになる罰を全て喜んで受け入れます」

「そう。ならそこで待ちなんし。……吸血鬼の花嫁たち、妾はこれから少し私室に篭もりんす。誰も通すな!」

「はっ!」

 

 即座に踵を返したシャルティアと下僕たちが遠ざかっていく。再び部屋の扉には重い錠がかけられ、残ったのは彼女だけ。恐らく罰は凄まじいものになるだろう。簡単に死ねるようなことにはなるまい。彼女は覚悟していた。なぜなら今回書き上げた物語は……見咎められたものよりも別の意味でさらに過激だったからだ。

 

 こちらも実際に抜粋するとこんな感じになる。

 

『守護者にあるまじき醜態を見せたものよの、シャルティア?』

『申し訳ございませんアインズ様! どうか、どうか一度だけでも恥をそそぐ機会をっ!』

『ふむ、言葉での詫びなど何の意味があろうか。これは……機会を与えるにしても、その前に厳しいお仕置きが必要だと思わないか?』

『!!! アインズ様! 我が愛しの君! どうかお慈悲を……!』

『なんと、犬が言葉を口にするとは。四つん這いにして服を剥ぎ取るところから躾けを始めなければならんな……』

『他の守護者の前でこのような姿……っ、ああ、嫌です、ぶたないでおくんなまし! そのような所をっ!』

『おお、惨めな椅子としては中々のものだな、シャルティア? しかも、叩くとこの尻はいい音がしよるわ。ほう、水音まで聞こえて来おったわ、はは、ははは』

『ああっ! ああっ ああっ!』

 

 もっとエグい作品が爆誕していた。

 正直に言えば書いている本人が書きながら鼻血が止まらなくなるほどの作品に仕上がっていた。まさに死を覚悟したが故になせる技とでも言おうか、極限の覚悟と極限の忠誠心が生み出したハードコアな怪作である。

 おそらく我が主がチラリと一読するだけで終わり、そのまま作品も作者も闇に葬られるはずだが、そんなことは彼女にとって別に残念でもなんでもない。愛する主に自分の信じた忠義と罪が伝わりさえすればよいのだから。

 そして彼女は静かに待つ。全て吐き出した後の心地良い満足感があった。私がこれから滅んでも私の敬愛と忠義はもう物語の中にある。誰もが全て忘れても私だけはそれを覚えているだろう。それでいい――。

 

 そして数時間の後。

 

 再び彼女の監禁された部屋に近づく足音があった。

 扉が荒々しく開けられると仲間の吸血鬼の花嫁が一人、押し出されるようにして部屋に入り込んでくる。その顔には困惑しきりな表情が浮かんでいて、手には何かの道具を持っているようだ。その後ろにはシャルティアの姿があった。彼女は今度こそ下されるであろう裁きを待って目を閉じた。

 そしてシャルティアの声が響く。

 

「あー、んんっ、……よ、読み終わったけど、そう……文章、文章が下手でちっとも分かりんせんね。……こいつを付けてやるから挿絵を付けなんし」

「はい……はい?」

 

 先ほど前に押し出された同僚は所在なさ気に立ち尽くしている。

 

「挿絵を付けてどれだけ不敬な内容なのか分かりやすくしなんし」

「挿絵……でございますか」

 

 主に目をやると、激しい怒りで目を潤ませ頬を赤く染めた美しい顔が傲然とした佇まいの上にあった。そして厳しく熱のこもった声音が続く。

 

「そうだぇ。それに……これだけでおんしの罪は全てという訳ではなさそうだし」

「は、はっ……確かに、シャルティア様の仰るとおりです」

「ならそれも書きなんし。そうね……もっとたっぷ……いやしっかり書くために……一週間は時間をやる。おんしの罰を決めるのはそれから」

「はっ、シャルティア様の仰せのままに」

 

 彼女は再び頭を垂れる。

 

「分かってるでありんしょうが……これはおんしの罪を暴くために必要なこと。いい!?」

「もちろんでございます!!」

 

 主の厳しい宣言とも取れる声。どのような表情をしているのかは分からないが、きっとあの切れ長の瞳で私を睨みつけているのだろう。

 自らの主の公正かつ自他に厳しい振る舞いに再び忠義心を強くした彼女は、頭を下げながらも次の物語へと思考を飛ばしていた。ただその隣では、画材を持った同僚が何故か半泣きの表情で恨めしげに彼女を見ていたのだったが。

 

 ・

 

 あらゆる者の命と悲鳴とを飲み込んで、今日もナザリック地下大墳墓は存在する。最近では迫る締め切りに苦しむ者の嘆きも飲み込んだりしている。書かれた物語の一部が半端に実現したせいで「書けば起こる」的な思い込みが出て余計に扱いがきつくなったとかいう謎の噂があったりもしたが、大墳墓を包む暗闇はそうした無茶すら飲み込む深さと広さがあった。

 ナザリック地下大墳墓の闇は色々な意味で深い。



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エ・ランテルの片隅にて

楽しんでくれたら嬉しいです。


 至高の支配者の執務室。

 

 部屋、と言うよりは半ばホールのように広く豪華な内装を持つ場所であるが、そこに詰める者達(最近慣れてきたがまだ落ち着かない一名を除く)にとってはそれは当然の光景である。

 室内には至高の存在としてナザリックを統べるアインズ、守護者統括でありナザリックの運営責任者のアルベド、執事として控えるセバス、当日担当の幸運な一般メイド一名、その他天井に護衛要員として張り付く八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)複数名といった者がいた。

 普段は通常報告業務などで回されてくる書類などをアインズが黙々と目を通したり承認作業をしている事が多いが、今に限ってはアインズの脇に立ったアルベドが、普段とは異なる沈んだ表情で報告を口にしていた。

 

「申し訳ありません。現時点では労働力としてのアンデッド(スケルトン)の市民利用は思うに拡大しておらず、アインズ様のお望みにお応えできておりません……」

「ふむ……使い所は多いと思うのだがなぁ……」

「やはり下等生物ごときには道具の価値を理解するだけの知性がないのではないでしょうか?」

 

 アルベドが憤懣やる方ないという口調で疑問を口にする。

 彼女にしてみればアインズから「強制はするな」と釘をさされているからこそ過激な手段を取っていないだけで、もし許しが出るのであれば無理矢理にでも各家庭へアンデッドを送り込みたいところだ。それどころか気分的にはそのまま反抗的な態度を取る人間を徹底的に踏み潰したいとすら思う。

 しかし、エ・ランテルを平和のうちに支配する計略は、最愛の主であるアインズが練り上げた巨大な智謀の成果として結実させねばならない。それを自分ごとき奴隷の愚かな考えで邪魔してしまい、主の覇道の妨げになど間違ってもなるわけにはいかない。それがよく分かっているからこそ歯噛みをして耐えているのだ。

 この辺りのアルベドの反応が容易に想像できたアインズは、内心で冷や汗を書きながら次の言葉を探す。これ支配者っていうか調整役だよなあーとか思ったりするのも日常茶飯事なのが困ったものだ。

 

「待て、待つのだアルベド……! その判断は早計だ。それに一つ気になったのだがな、現場でアンデッドの利用を広める活動をしているのは誰だ?」

「はい。シモベの中より比較的人間の外見に近いものを選び出し、現地で説明会を開くことによって周知と拡散をしております」

「あー、うん……ならば私に一つ考えがあるのだが、それを一度やってみてくれ」

「はっ! アインズ様のご命令とあらばいかようにも!」

 

 ・

 

 エ・ランテルの支配者が変わった。

 つい先日まではリ・エスティーゼ王国の主要な商業都市であり、帝国に対する防壁でもありまた橋頭堡でもあった都市は、たった一度の大敗によってその在り方を変えられてしまった。

 魔導国。それが今のエ・ランテルを治める国の名である。誰ひとりとしてはっきりとした正体を知らないが、神にも匹敵するような恐ろしい魔法の力によって多数のリ・エスティーゼ王国の兵士を虐殺し、和睦の条件として街がまるごと一つ魔導国に差し出されたためだ。

 街に住みながらも逃げる先のあった貴族は我先にと街を後にし、有力な商人たちは事の行く末を見守るために安全な場所で情報を集めている。しかし大多数の住人は他に行く宛もなく、息を潜めるようにして新しい支配者の動向を見守っていた。

 ただ、そうは言っても毎日を暮らさなければならない住人たちは忙しく動き回っているのだが。

 

「で、どうだったよ」

「うーん、悪くはなさそうなんだけどよお……」

 

 エ・ランテル郊外の麦畑近くで二人の男が話している。

 

「……使い方も分かるし便利っぽいし金も安いんだけどよ、なんかゾッとするっていうかよ……」

骸骨(スケルトン)だしな」

 

 手に持ったピッチフォークで地面を弄びながら、男が口を開く。スケルトンといえば墓地から湧き出る危険な存在であり、いつ何時であっても人間の敵という印象しかない。動死体(ゾンビ)などはその腐敗臭からして最悪だし、食屍鬼(グール)辺りに至っては単純に危険さで普通の人間の手には余る。

 

「だろ? 危なくは無いらしいけど、気味が悪いしよ……誰かの骨ってことだろ?」

「……カッツェ平原から取ってきたんかなあ」

「そうだろうよ……でもよ、気になるんならいっぺん見てみたらどうだ?」

「……説明会とやらは金がないと入れないとか、そういうことは無いんだろ?」

 

時間はまだしも作れても金は作れないというのが一般的な住人の姿である。

 

「金はかかんねえよ。街の通りに案内が出てるから、明日の昼時にでも行けば間に合うぜ」

「じゃあ、話の種にでも見てくっかな……」

「ただまあ、あんま気持ちのいいもんじゃねえよ? なんか説明してくれる奴も気味が悪いぜ? 覚悟してけよ」

「そりゃ余計に気になるじゃねえか」

 

 二人の男は話をそこそこに切り上げ、それぞれの作業へと戻っていく。

 なんだかんだ言いつつ娯楽といえば酒と博打と女くらいしかなく、博打と女は金が無いとどうにもならないということもあって住民は娯楽に飢えている側面がある。それは日々を農地で費やす人間も街から出ずに商売をやる人間も変わりない。金の掛からない目新しい何かと聞けば、飛びつく人間のほうが潜在的には多いのだ。ただ実際には日々を生き抜くための生活に追われてなかなか時間が取れないが。

 加えて今はエ・ランテル激動の時だ。人々は大なり小なり情報を求めているし、新しいことに敏感に反応しておくことは自分の安全にも繋がる。遠目の力を持つものが見渡せば街の中で、外で、こうした形での情報交換が積極的に行われている所が多く発見できただろう。

 つまり今のエ・ランテルは支配者が人間ではないという重圧を無視すれば、新しいことを始めるのには絶好の機会でもあったのだ。

 

 翌日。

 街の中には昨日の農夫の姿があった。辻道に出された案内通りに進むと一つの建物に突き当たる。普段は住民の小規模な集会場として使われている場所だ。

 受付に座る薄気味悪い男におっかなびっくり声をかけると、数字の書かれた札を渡される。そして促されるまま室内に入ると小さな机と椅子が並べられており、机の上には札に対応する数字があった。

 正面には講師が利用するのであろう教卓が備え付けられている。彼以外にも既に席についている者がちらほらとおり、説明会が始まるのを待っているという状況だった。

 室内にいるのは全員男ばかりで15人程だろうか。比較的若い男が多いのは怖いもの見たさといった度胸試しみたいな気分もあるのかも知れない。

 農夫は微妙に緊張感のある室内の雰囲気に少し怯みつつも、適当な席について時間が来るのを待つことにした。

 

 カッ、カッ、カッ、カッ、カッ……

 

 しばらくの後、部屋の外を歩く足音が農夫の耳にも届いてきた。

 恐らく講師だろう。気味が悪いと言われていたが、あの魔導国の連中と繋がっている輩であることは間違いない事を考えると、一体どんな化物が顔を出すのだろうか? と高まった農夫の緊張感は……現れたその姿を見て綺麗さっぱり吹っ飛んだ。

 

 信じられねえほどの美人じゃねーか!

 

 黒一色のタイトな膝まで届くスカートからは形よく長いふくらはぎが伸びており、スカートに小さく入ったスリットからはほんの僅かだが太腿までもが覗く。その上には生地を張り詰めさせる柔らかそうな腰が乗っていた。

 上半身はおろしたてにしか見えない白い長袖の襟の立ったブラウスを着ており、首元まできっちり止められたボタンという清楚な印象を裏切るように内側からは凶暴とも言える胸が自己主張している。

 艶めく黒髪は上部で優雅に結い上げられており、その下にある顔といえば……もう集まった男共には表現不可能な美しさだった。

 講師の女性は眼鏡を掛けているのだが、少しも美しさの邪魔になっていないどころか掛けてないともうダメだと言いたくなるような似合いっぷりだ。

 そして首にはそこだけが他の印象を裏切るかのように付けられたチョーカー。色っぽいを通りすぎてなんだこれは女神かと、頭をハンマーでぶん殴られたような気分で呆然としているところに(実際その場にいた全員がそうだった)、その講師が口を開く。

 

「皆様、ようこそお越しくださいました。ぼ……失礼いたしました。私が本日農作業用アンデッド『スケルトン95』の説明を担当するリリィ・アルファと申します。どうぞよろしくお願い致します」

「はっはいよろしくお願いします!」

 

 返答が何故か男たちによる唱和のようになったのはまあ偶然だが、必然でもあった。

 良い返事に満足したように講師が小さく微笑む。農夫は衝撃の抜け切らない薄ぼんやりとした頭で、今の微笑で多分死んだ奴が出たと思った。

 前に立つ女性講師はそんな男どもを見渡すと、話を切り替えるかのように手に持った指示棒で「ピシ!ピシ!ピシッ!」と教卓を叩く。呆然としたままだったのであろう幾人かがその音に反応して背筋を伸ばす姿が見える。

 講師は一瞬にして完璧にその場の空気を支配していた。

 

「ではこれから説明に入らせて頂きますが、まず最初に今回紹介するスケルトンが魔法的に創りだされたものであって、誰かの死体を材料にしたものではないということを宣言しておきますね……入りなさい」

 

 講師が外に声をかけると、3体の真っ白なスケルトンがカクカクとした動きで室内に入ってくる。うっ、と引き気味になった聴衆だったが、講師は平然とそのスケルトンに近づき、そのうち1体の頭を指示棒で叩いてみせた。コンコンと軽い音がする。

 

「見てくれはこのように人骨そのままですが、この3体の背の高さが全く同じなのが分かりますか? よく見比べると手や足の形まで完全に同じ骨格をしているのもお分かりかと思います。皆様も御存知の通り、全く同じ姿形の人間などおりませんから、魔法で創りだされたものだというのがご理解頂けるのではないでしょうか」

 

 言われてみればと農夫はスケルトンに目をやる。そもそも荒野で見かける動物の白骨などは薄汚れていたり欠けたりしているものだが、目の前のスケルトンはまるで磨かれたように綺麗で不潔感が全くない。

 

「一般的にアンデッドと言えば危険と思われるでしょうが、高度な魔法によって創りだされて完全に制御可能なものや、高い知能や人と変わらない感情を持つものなどが多数いる種族でもあるのです。人間にも温和な者と粗暴なものがいるのと同じですね」

「な、なるほど……今もうここは魔導国、だしな……」

 

 ある男の呟きに気を良くしたのか、講師はその男に向けてニッコリと笑う。あ、あいつも絶対やられた、と農夫は思った。

 

「魔法で擬似的に与えられた知能も持ちますので、簡単な命令なら誰でもすることができます」

 

 講師は続けて幾つかの命令を与える。座れ、歩け、伏せろなど。そして言葉の通り3体のスケルトンは行動する。一通り簡単な動きをさせ終わった後、講師は前の方の席に座っていた一人の男に声をかけると、前に来てスケルトンに触るように指示した。その男は微妙に怯えが残っていたのか少々難色を示したようだったが、講師が再び「ピシ!ピシ!ピシッ!」と教卓を叩くと、弾かれたバネのように立ち上がった。

 

「大丈夫です……怖くないですよ。私が手を添えてあげますから一緒に触りましょう」

「はっはははははい!」

 

 男の後ろに回り、体が男に触れそうな距離でスケルトンへと手を導く講師。陶然とした表情でスケルトンを叩いたりつついたりしているあの男はもう絶対にダメだし、手だってしばらくは洗わないに違いないとその光景を見た全員が思った。同時に「なんで最前列に座れなかったんだ俺は!」という後悔もしていた。

 

「はい。席に戻って下さい。……とまあこのように危険はありませんし、命令には忠実でもあります。また人を直接害するような危険な行為はそもそも禁止されていますので、例え子供が使ったとしても人間以上に安全です。ここまではよろしいですか?」

 

 男たちの頭が同意を示すようにカクカクと一斉に動く。もはやどちらがアンデッドか分からない。

 

「では、実際の農作業でどのような事を任せられるか、この集会場の裏手に広場がありますのでそちらで実演してみせましょう。皆様、私についてきて頂けますか」

 

 その場にいた男たち全員が親を刷り込まれたカルガモのように列をなして講師の後についていったのは言うまでもない。

 

 ・

 

「流石はアインズ様です! アインズ様の叡智は人ごとき容易く操っておしまいになられる!」

「アルベド……私が何のために実際に人間の暮らす街にまで出て、多くの情報を収集していたと思うのだ?」

 新たに上がってきた講習会の成果報告書を手にしたまま「あの行動にはそのような思惑まであったのですね! ああ、ああ、アインズ様、至高にして比類なく賢明なアインズ様……」と身悶えし始めたアルベドを横目に「んな訳ないんだけど」と頭のなかで呟くアインズ。

 実際のところは、人間からすれば得体の知れないシモベが講師役をするより、綺麗どころがやったほうがウケが良いに決まってるという単純な発想と、現実で女教師であったやまいこの創ったユリ・アルファであれば最適な組み合わせに違いない、というだけのことだったのだが。

 

 服装については……こう、かつて見たことのあるそういう方面の映像ソフトでの女教師のアレがアレという訳だったので、まあなんだ、多分男の遺伝子にはああいうのに弱いという何かがあるんじゃないかと思ったというかなんというか。

 まあちょっとやまいこさんに申し訳ない気もしたのだが、実際にユリに命じる時に「この格好は由緒正しい女教師の服装なのだ」と言ったらユリの雰囲気が変わったのも確かだし……服装くらいまでなら許してくれるんじゃないかな…………と考えたのだった。

 

 もちろん、ユリに指示した内容にいかがわしさは全く無い。まあ説明させた内容に「死体が原材料じゃない」など一部嘘は混じってはいたが、それを除けば普通に講師役をせよと命じただけだ。

 なので、説明会に参加した人間は中学生が美人教師にのぼせ上がる如く勝手に魅了されているだけである。事実ユリはまともな講師として完璧に仕事を果たしていた。

 

 この手の色仕掛けじみた方法ってアルベドなら真っ先に思いついてもおかしくなさそうなもんだがなあ……と横目でアルベドをチラリと見ながら不思議に思ったアインズだが、実際のところアルベドのそういう興味や対象は「アインズ様」一色なので、「下等生物」にウケを良くする方法など雄カメムシの好み並に盲点になっていた。女淫魔(サキュバス)なのに。

 

 

 さらに数日後。

「よお~! どうだったよ……うはっ!? お前それ骸骨(スケルトン)じゃねえか!?」

「あ、まあな……これ物凄く便利だぞ……て言うか、お前この間これの説明会の講師、どんな奴だって言ってたっけ?」

「え? いやだから若い男なんだけど、なんか体の下に別の生き物でもいるようなって言うか、動きも気味が悪くて……」

「……ツイてなかったな!!」

「突然でけえ声出すなよ馬鹿野郎! 一体何だってんだ?」

「信じられねえほどの美人が出てきたぞ! なんか滅茶苦茶いい匂いもするし、色っぽいし優しいのに厳しいし、街で今じゃすっかり有名人だぞ!」

「……なんだと!?」

 

 このしばらく後にエ・ランテルでは「《美姫》ナーベ派」と「《女教師》リリィ派」が誕生し、骨肉の争いを繰り広げるという醜悪な様相を呈するのだが、スケルトンの方は一度住人の忌避感が後退すると驚くほど静かに街の暮らしに溶け込んでいった。

 帽子や服を着せられた野良仕事スタイルのスケルトンが井戸で水汲みをしていたり、黙々と片足立ちで案山子(かかし)活動に精を出すスケルトンがいたりといった光景が見られたり……。

 中には何かに目覚めたのか、盗賊に襲われた一家を守るべく刃の前に立ちふさがり、家族を守り抜いて堂々の立ち往生を遂げたスケルトンが現れたりといった感動秘話が生まれたりするのだが……。

 それはまた別の話である。



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牧場にて

場所が場所だけに陰鬱な描写が含まれますので、残酷な表現が苦手な人は読むのを止めて頂けるとありがたいです。楽しみに来て気持ち悪いとか最悪ですし。
一応直接的な描写は避けていますので、原作が読める人であれば概ね大丈夫なレベルに抑えられているとは思いますが、ご注意下さい。


 彼は朝も昼もなく仕事に精を出す。

 今日明日などと考えず日々を過ごしている。終わりのない円環の中に囚われたままグルグル回り続けているような気持ちもするのだが、しかし――この内側より湧き上がって来る深い満足感はなんだろうと、ふと彼は思う。

 

 今彼がやっているのは特別言うこともない日常業務の一つである清掃作業だ。家畜を大量に飼育すれば当然のように排泄物などの汚れは発生するし、不潔な環境は家畜の健康状態を悪化させる原因に繋がり、生産物の品質を低下させることになりかねない。そう考えれば決して手の抜けない作業だ。もちろん彼は手を抜くつもりなど全く無いのだが。

 

 日々効率化を図り改善提案がされ、今では高い生産効率を要求されている今の彼の仕事は決して楽とは言い難い。しかし理不尽さはまるでないし、自分が働く上で苦痛を感じたことは一度もなかった。

 ここを訪れた当初からそれなりの時間が経過した今、彼に与えられた仕事は単調な日々の繰り返しになりつつある。が、間違いなくやり甲斐があって充実している。それはとても幸福なことだ。どう考えても自らの主と今の状況に感謝をするべきだろう。

 

 それに、主から伝え聞いた所によると、ここでの活動は至高なる御方からも重要な価値を持っていると認められ、お褒めの言葉を頂くことが出来たとのこと。そのことに彼は深い喜びを感じずにはいられなかった。喜びを得ながら一生懸命に働き、それが奉仕を捧げるべき方に評価され、喜ばれる。これ以上の幸福があるだろうか?

 そんなことを考えながら、彼は満足感とともに大きなため息を吐き出した。

 

「む、どうした。深いため息などついて」

 

 彼のため息を聞きつけた同僚が声をかけてきた。同族の彼もまた自分と全く同じ仕事に従事するものである。口数は少ないが気配りができて気のいい男であり、組んで仕事をすることも多い。

 彼も掃除の手を少しばかり止めて、同僚へと向き直る。

 

「……いやあ、私は幸せものだ、と思ってな」

「なんだ、何か心配事でもあるのかと思ったぞ」

「満足だ。満足のため息だよ」

「いらん心配をさせおって」

 

 二人共作業を中断してしまったが、別にその程度のことに目くじらを立てられるような職場ではない。

 

「自分の能力が十全に生かせる職場が与えられ、その仕事を主に正当に評価されるということが……なんとも言えず幸福でな」

「分かるぞ。必要とされる歯車になる喜びとでも言うべきかも知れんが」

「だろう」

 

 世界に組み込まれた一つの歯車に過ぎないことを喜ぶといえば何か不思議な気もするかも知れないが、そこには彼らなりの悲哀があるのだ。彼は少しばかり昔を思い出す。懐かしき燃える故郷にいた時のことを。

 

「お前も同族だから聞いたことがあるだろうが……我が種族は重用されるということがあまり無いと聞くではないか」

「……そういったうわさ話であれば多数聞いた」

「自分を無能だと思ったことはないが、我が種族の特性はなかなか特殊で応用が効かない部分があるのも確かだ」

「そうだな」

「活躍できる場面も限られる」

「うむ……」

 

 同僚の返事が苦渋に満ちたものになったのは気のせいではないだろう。

 彼は活躍とは言ったが、彼の種族は活躍どころか職場によっては満足に道具のメンテナンスどころか道具そのものがまともに与えられず、成果らしい成果を出すことが出来ずに顧みられず評価もされずといったことが珍しくない。自由もなく半ば監禁されるようにして放置され、必要な時だけ使われる大事にされない道具扱いだ。

 それでも主の要望に応えるべく仕事を黙々と続けたというような逸話が彼の種族には事欠かないのだ。例え好きでやっている仕事だとしても辛いし悲しい。組織や社会の中に居場所が見つからないというのは悲しいことだ。熱意や気力もいつしか消えていく。

 

「それを思えば、ここで働くことはなんと恵まれているのだろうかと」

「それは私も常々思っている」

 

 自らの能力を使い切れる仕事内容、磨き上げられ常に完璧に働く道具、組織内における自分の割り当てられた仕事の重要性、そして見事な結果には賞賛だ。これが理想でなければ何が理想なのか分からないほどだ。

 

「最近では、この役目を失うことが心底恐ろしいとすら思うようになった」

「分かるぞ。だが、それは……」

 

 同僚は筋肉の盛り上がった持ち前の長い腕を組み、少し考えるように頭を掻いたりしていたが、探るように次の言葉を口にした。

 

「やはり我等の主の振る舞いによるものが大きいのではないか?」

「実はその事も考えていた。こういう気持ちをどう説明したらいいのかよく分からないのだが……あの方はもちろん恐ろしくもあるが、敬意を払われるべき方だと思う」

 

 最も効率よく仕事を遂行する術を率先して提案し、熱意を誰よりも持ちながら同時に広い視野も持つかと思えば、部下からも意見を積極的に募り、提案した者が誰であろうとそれが妥当なものであれば常に公平な判断をする。不意に感情的になって言葉や行動を激しくするようなこともなく快活。いっそ穏やかとすら評されるべきだとも。

 失敗や望んだ成果が得られないような場合には厳しい態度を見せるが、理由や背景を聞かずに怒鳴り散らして叱るなどということもない。成功や具体的な結果が出せた場合には当然のように十分な評価が与えられる。

 

「しかもその上、最近大きな成果を出したという話も耳にした。ゲヘナとか」

「それは初耳だ」

「まあ私もつい先日女淫魔(サキュバス)から聞いたばかりの話なので、あまり詳しく話すことは出来んのだが……どうやらかなり大きな成果を上げたらしい。正直に言えばそのことに自分が関われなかったのが残念ではあるが、遠く離れた地で行われたことであるらしいからな。ここでの作業がある我々には元より縁がなかったというだけのことではあろうが……」

「ここでの仕事を放り出すわけにはいかん」

「もちろんだ。だがとにかくそれでだ、我等が主とお会いした時にそのことについて伺ってみたのだよ。大きな成功をおさめられたと伺ったと。そのことについてお喜び申し上げたいと」

「ふむ」

 

 不意に同僚が長い手を伸ばして柵の中の動物を叩く。見れば家畜が1頭、自分の腕を激しく噛んでいたようだ。

 この動物は役に立つ事も分かっているが肥育を安定して行っていくのは難しい動物で、時折自傷行為に走るものなどが出ることが分かっている。交配実験をしている女淫魔(サキュバス)の方はさらに多くの障害にあたっているとも聞いている。

 

 大抵は今のように打擲を加えると大人しくなるが、目を離すことができない。これはやはり抜歯を再提案すべきかも知れないなどと思ったりもする。ただそうすると家畜が飼料を口にしにくくなるので以前は見送られた対策だが、状況によっては必要になってくるだろう。

 

「しかしな、それを口にしたら我等が主――デミウルゴス様は、それこそ先ほどの私ではないが、普段の姿からは想像できないような大きなため息をつかれたのだ」

「それは……いや、しかし……大きな成功というのは確かなことなのだろう?」

「私も何か失礼なことを申し上げてしまったに違いないと思ってな、必死に取り繕おうとしたのだが、それを抑えられて理由を語って下さったよ」

「教えてくれ」

 

 良くも悪くも陽の雰囲気を持つ主が深々とため息を付く姿が想像できないのであろう同僚は、即座に続きを促してきた。その気持ちはよく分かると彼も思う。

 

「デミウルゴス様はこう仰っていた。『私は確かに先日の計画で大きな成果を上げたが、それも全て至高なる御方の掌の上での事なのですよ』と」

「……どういうことなのだ?」

「つまりな……デミウルゴス様が仰るには、成果を上げた計画も、その実行も、結果も全て至高なる御方の誘導によるものなのだと。――そう、こう言っていた。はっきりと覚えているぞ。『私は、至高なる御方が芸術的な緻密さで張り巡らせた策略の網の上を知らずに歩き、狙い通りに巣にかかった獲物にただ近づいて捕まえたことを喜ぶ小さな蜘蛛のようなものなのですよ』と」

「……!」

 

 話をする二人の間に走ったのは感動か、畏れか。それは主の力を一片とは言え知るからこそ。

 

「こうも言っていた。『成果を上げたことはもちろん嬉しくはあるが、私がさらなる忠義を尽くし、より至高なる御方のお役に立つためにはもっと自分を高めなくてはならない。そうでなければ我等シモベこそが御方に守られているようなものだ』と。苦笑するデミウルゴス様を私は初めて見た」

「デミウルゴス様をもってしても……!」

「……かの御方は我々ごときが直接お会いするなどあり得ぬほど畏れ多い方ゆえ、そのお力を目にすることなど無いと思っていたのだが……実際はナザリック地下大墳墓そのものも、ここでこうしている我々も、かの偉大なる御方の叡智の庇護下にある……ということなのだろう」

「凄まじいとしか言えん」

「そうだな……私もデミウルゴス様よりその言葉を聞いた時にその場に跪きたくなったものだ。私のこの小さな満足はかの偉大なる御方のお力と、デミウルゴス様の配慮によって与えられたものなのだ。ならば何としてもその恩に報いねばなるまいと思うのだ」

「僅かばかりの力では、あるがな……」

 

 ふう、と二人は揃って息を吐き出した。期待に応える、恩に報いる、それらはいずれも重荷になりかねないものである。しかし彼らは重荷どころか自分の中に漲るものを感じずにはいられなかった。

 顧みられることの少ない自分たちをここまで重用してもらえるだけでも十分に恩義を感じているのだ。それに応えずしては今後誇りを持って拷問の悪魔(トーチャー)であるなどと名乗ることが出来なくなるであろうと。

 

「まあ……一つひとつやっていくしか無いがな」

「……そうだな……」

 

 能力を全て使い切ったとしても彼らに成せることはたかが知れている。それは彼ら自身がよく分かっている。しかしだからと言ってそのままで構わないという事にはならないだろう。少なくとも今与えられている幸福の恩を返すためにもう一つ上を目指す「何か」をするべきだと思う。

 薄暗くもある家畜小屋には似合わない気高い決意の姿がそこにはあった。

 

「おお、話は変わるが、家畜や亜人を潰す際には心臓を注意して取り出すようにという指示、覚えているか」

「もちろんだ」

「取り出された心臓だが、デミウルゴス様によると、どうやら偉大なる御方への捧げ物としてお考えになっているようだ」

「なんと! それではより一層丁寧に扱わねば」

「今予定されているのは2、3体だと思ったが、必要であれば外で捕まえるようなこともせねばな」

「うむ」

 

 同僚は腰に下がった道具――巨大なペンチや鉄ハサミ、鉈やノコギリ――を一つ一つ取り出して状態を改めては再び腰に吊るす。これらは使用頻度も高いため一部ではまだ血が滴っているが、いずれもよく手入れされておりサビなどは見当たらない。もちろん自分の腰に下げられた道具もそうだ。

 同僚は満足気に道具を腰に戻すと再び口を開く。

 

「今日は一通りの仕事が終わった後に、女淫魔(サキュバス)たちの所に顔を出してみないか」

「構わないが、どうした?」

「いや、今の話を聞いてな、交配実験がなかなかうまく行っていないという話を思い出したのでな。何か役に立てることがないかと」

「うーむ……こことは全く違う種類の仕事であるから、邪魔になったりはしないか?」

「もしそうであるなら即退散しよう。しかし場合によっては我等の持つ癒しの力が役に立つような場面もあるかも知れない」

「なるほど。うむ、行こう」

 

 定時を過ぎた後の予定を話し合う会社員のような会話を最後に、拷問の悪魔(トーチャー)二人は再び作業を開始する。時折うめき声や泣き声などが聞こえるのを除けば、あとに残るのは彼らが黙々と続ける掃除や世話の音がするだけだ。

 

 ・

 

「……デミウルゴス、それはなんだ?」

「はっ! 私の手によるつまらない物ではありますが、杖を作らせて頂きました」

「ほう……見てみようではないか」

 

 アインズが手を振ると、メイドがデミウルゴスの元まで歩き、差し出された長い包みを受け取ってアインズの手元まで運ぶ。

 受け取った包みから覆っていた布を取り外すと、中から出てきたのはずっしりと重く歪に歪み、二股に分かれた杖頭の部分に異様な装飾が施された杖である。杖全体は赤黒く異様な斑模様になっており、そのまま生きていて脈動しているかのような気配を漂わせている。

 

 しかし、やはり最も目を引くのは杖頭の部分であろう。時折痙攣するかのように動くテラテラとした肉塊が杖に複数連なっており、そこに挟まれるようにして一体の紅玉を埋め込まれた羽妖精(ピクシー)が肉塊と接続された状態で固まっている。羽妖精の手足はもがれ、目はなんらかの魔術儀式のようなもので塞がれているようだ。

 

 ああー、骨の玉座より気色悪いわー。

 

 とは思いつつもそんな事は言えるわけがない。組織の長は自分を思って部下から贈られたプレゼントにいきなりダメ出しをするような存在であってはならないのだから。

 

「デミウルゴス、これはどういったものなのだ?」

 

 握った手からビクンビクンと動く杖の感触が伝わってくるものの、それを極力意識しないようにして尋ねる。

 

「はっ、時間を見て集めておりました獣の心臓を練りまして、その上で焼き固めたものを杖の形に成形し、そこに程度の良い心臓を生きたまま魔術儀式で羽妖精に繋ぎあわせております」

「なるほど、《道具上位(オール・アプレイザル)――》、いやそれは無粋だな。デミウルゴス、お前に直接尋ねるとしよう。何か魔術的な効果はあるか?」

「僅かばかりの力ではありますが……少量の魔力を流し込むと上部の羽妖精が《混乱(コンフュージョン)》を発するようになっております」

「ふむ、面白いではないか」

「ありがとうございます。アインズ様がお持ちの数々の財宝と比べれば児戯によって作られた粗末な飾りに過ぎないものではありますが、もしよろしければその偉大なる収集品の末端にでも置いて頂ければと」

 

 デミウルゴスが反射的に頭を深く下げた姿が目に入るが、再び上げられた顔を見れば、敬愛する主に贈り物が出来たという隠し切れない喜びに溢れている。が、同時に視界の端のほうには羨ましがって口をへの字に曲げているアルベドが見えたり、手の中の蠢く杖の感触も相変わらずだしで、もうなんというかあらゆる意味で鉄火場だ。

 

「お前の働きと献身にはいつも驚かされているぞ、デミウルゴス。このような贈り物をされる私は……いや全く幸せものだな」

「そのような事を! 私如きの捧げ物にそのような事を仰られては!」

「よい、デミウルゴス」

 

 話を切るようにアインズが言葉を重ねると、再びデミウルゴスは頭を深々と下げたのだった。

 

 その日の執務を終えて杖の置き所をどうするか考えながら私室に戻ってきたアインズは、入口近くにとりあえず立てかけた件の杖にチラリと視線を送る。デミウルゴスは大したものではないと言っていたが、改めて見ればどう考えても怨念じみた異様な気配を放ち続けていてとても不気味だ。魔法的な価値とは別としても、元の世界であれば間違いなく単純所持が違法扱いになりそうなシロモノだ。

 

「いや実際どうすりゃいいんだこれ……使うのも捨てるのも飾るのもこのまま放置するのも嫌だ……」

 

 まるで息子や娘のように感じている守護者に贈り物をされるのが嬉しいというのは本当のことだ。それに加えてこれが愛情や忠誠心の発露と考えれば蔑ろにするなどという考えは絶対に浮かばない。

 とは言え、気持ち悪いものは気持ち悪い。飼いネコがかみ殺したネズミの死骸を自慢気に見せに来て「褒める? 褒めるね? 褒めれ?」という態度を見せた時の気分とでも言えばいいのか……。

 もうどうすりゃいいのよと思いながら、とりあえず良い匂いのするベッドに頭を突っ込んでしばらく現実逃避をすることに決めたアインズだった。

 



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ナザリックのどこかにて

雰囲気を変えるような感じで挑戦してみました。楽しんでくれると嬉しいです。


 ナザリック地下大墳墓の何処とも知れない場所で、その奇妙な集まりが始まろうとしていた。

 光の落とされた室内は部屋の端を曖昧にし、どこまでも暗闇が広がっているように錯覚させる。本来は永続光(コンティニュアル・ライト)で照らされるはずの明かりは消され、集まった者がそれぞれが手に持った頼りない蝋燭によって照らされるだけとなっていたからだ。

 そこには今、多くの人影があった。全員が頭に特徴的な尖った形の覆面を被り、その上で全身の形が出ないゆったりしたローブを着込んでいる。見た目だけでは誰であるか全く判断ができないようになっていた。

 

 これからここで開かれる秘密会合は、ある意味においてはナザリック地下大墳墓の未来を決めかねない集まりである。

 

 その名も「ナザリック地下大墳墓『あの方を射止めるのは貴女』徹底討論会」。

 

 この会合の始まりは実に些細なものだ。具体的には朝食時によく一般メイドの間で交わされる「誰がアインズ様に相応しいのか」という話であった。

 しかし、それぞれに思うところがあり全員が真剣なため、同様の話題があちこちでヒートアップ、時間を忘れてのめり込む者が続出。結果、通常業務に支障をきたすのではないかと懸念した(当人たちが)ため、別途集まってそこで集中的に話題にする運びとなったのである。

 政治問題で議論を始めると参加者の血圧が上がりやすいなんて状況に似ている。いや、このナザリック地下大墳墓ではこれこそが政治問題かも知れなかった。

 

 ただしこの集まりが政治と一つだけ決定的に違う所があるとすれば、多数派を作ったり決着をつけるような目的のために開かれている訳ではない、ということだろう。結局のところ「妃」を決めるのは至高なる御方の一存であるし、それが如何なる結論であろうとも全員が当然のように受け入れるつもりがあるため、である。

 ぶっちゃけて言えば、集中してアインズ絡みの恋話をしようと言う、身も蓋もない集まりである。

 

 また、この集まりは最近のアインズの「休日・休憩」提案に絡めて、短時間ではあるが集団で休憩を取得することで開く形だ。一般メイドたちはナザリックの防衛などに携わっているわけではないので、そういった集団休憩が許されている。

 ただし、仕えるべき主であるアインズがナザリック内にいる時にはメイドが当然のように一切休まず仕事をしたがるため(アインズ当番などその筆頭だ)、最低でもアインズが外出している時でないと成立しない集会である。

 つまり、至高の御方による「休憩取得命令」は絶対であるが、自らの造物主にお仕えする時間を極力減らしたくない彼女らにとってみれば、この集会は「休憩取得命令」に従いつつも直接には奉仕の時間を減らすことなく、どうしても気になる話題を集中的に話し合うという一粒で二度三度美味しい名案でもあったのだ。

 

 ちなみに……こんな感じの一般メイドたちの思惑とはまた別に、うら若き乙女たちだけが集まって会合を開くと聞いたアインズはその中身に興味津々で、当初会合の中身を報告させようと考えていたりした。

 が、内容についてまで知ろうとしたりすることはセクハラ……まで行かないにしても横暴過ぎると考えなおして、何も聞かずに許可を出したという支配者の胸の内だけの秘密があったりする。

 そのアインズはといえば、現在はコキュートスと一緒にリザードマンの集落に視察に赴いている。戻りは早くとも数時間後になるだろう……という訳で参加者たちが三々五々集まって、今日また会合が開かれる運びとなった。

 のだが。

 

 ・

 

「そもそも41人以上いるってどういうことよ……」

 

 誰かが小声でつぶやいた声が聞こえる。

 ナザリック地下大墳墓にいる一般メイドの数は41人である。もちろん増えも減りもしていない。が、何故かホールに集まった黒覆面姿を数えると、51人。

 仮にだ、仮にプレアデスが全員参加していたとしても総数は47人になるはずで、残りの4人は一体何処からという事になるが、そこにいた全員が努めてそれが誰であるか考えないようにしていた。

 とは言え、この人数オーバー現象は今回初めて起こったわけではない。前々回は45人、前回は47人だった。多少寒気のする事実ではある……が、これは妙な緊張感を生みこそすれ、会の基本的なルールや方針は一切破られることがなかったため、今回も特に中止という判断には至っていない。

 ちなみに会のルールはは以下の様なものである。

 

 ・発言者が誰かは詮索しない

 ・発言者は自分が特定されるような発言を慎まなければならない

 ・発言者を特定したとしてもそれによる影響を会合の外に出してはならない

 ・個人の名前を出す場合の敬称は誰であれ全て”様”で統一

 ・個人に対して許されるのは称揚する行為だけで、批判は禁止

 ・戦闘行為は禁止。特殊技術、魔法、その他のアイテム、スクロール等の使用も禁止

 ・男性守護者にこの会の存在は教えてはならない

 ・口唇蟲必須

 ・これらに違反した場合、今後その人物はこの会に二度と参加できなくなる

 

 というようなものである。

 破った場合の罰則が弱すぎるルールであるが、参加するのは一般メイドで中身はある意味ゴシップ。その程度で十分だったのである。

 が、蓋を開けてみればこれである。もはや何が起こるか分からなくなりつつあった。

 

「ん、んんっ、で、では第五回討論会を始めたいと思います。参加者各自はこの会のルールを順守してください」

 

 口を開いた誰かの声が震えていたのはまあ仕方のない事だろう。

 場の緊張感を気にして発言が出にくくなるかと思われたが、即座に口火を切ったものがいた。

 

「やはり……アルベド様が相応しいと思います。守護者統括であり慈悲深く、美しい。アインズ様の隣に立つとしたらアルベド様以外あり得ないと思うのだけど、どうかしら」

 

 口調に聞き覚えがあるような気もするが、気のせいだろう。

 

「それはどうであり……どうでしょうか? アインズ様はアンデッドであられることを考えんすと、やはりシャルティア様の方が相応しいようにも思いん……思われますが」

 

 こちらも口調に聞き覚えがあるような気がするが、気のせいだと思いたい。

 

「えっとー、わた、アウラ、様だって一応チャンスはあると思うなー?」

 

 2つの生きた地雷(推測)のような存在に対して更に別の考えを提示した強者は誰かと視線をやれば、背のひょろ長い何者かが発言したようだ。ただ少しばかり奇妙なのは、体の真ん中辺りでバランスを取るようにフラフラしていること、背の高さの割に手が短く見えること、だろうか……。

 

 ……女性守護者が全員来ているような気がする。凄く。

 

 背の高さはおかしいが最後の一人は当然あの方しかいない。となると多分あの方に無理やり肩車するような形で参加しているのではなかろうか。その事実に気づいて、うわあ……、と思ったものは多くいたようだが、肩車をしている人物の性別については問題視する者はいなかった。良くも悪くも「下の人」はそういう人物ではある。

 

 まあとにかく、深く考えても仕方がないということだろうか、その3人以外の者が発言を始める。参加者に恐るべき存在が混ざっているのは確定と言えたが、3巨頭にも等しく被せられた覆面が普段なら起こり得ないような奇妙な緩衝地帯を作り出したためだろう。

 

「あの……アウラ様はまだ76歳だと思いますが。妃になるということを考えれば少々早いのではないでしょうか?」

「そりゃまだまだわ……アウラ様は子供だけどさ、アインズ様には無限の時間があるし、ほんの少し待つぐらいなら全然大したことじゃないでしょ? この間なんか将来について考えようとか言われたんだから! ……って言ってた、気がする」

「なんですって!?」「どういうことよ!?」

 

 最初の二名が色めき立つが即沈静化する。二人共周囲の状況を考えて冷静さを取り戻したようだ。何しろ全員が黒装束の完璧なる秘密結社スタイル。ここで発言者を問い詰める方向に事を荒立てるのはうまくない。

 

「いや、まあ誤解だったんだ……いえ、誤解だったと仰っておられましたが」

 

 続いた発言を聞いて露骨に安堵の気配を見せる最初の二名。

 

「……そう。やはりね。冷静に考えれば少なくとも第一妃はアルベド様以外にはあり得ないと思うわ。掃除、洗濯、裁縫といったものもプロ級なのよ? とても女性的じゃないかしら?」

「それは安易過ぎる結論でありんしょう。やはり同じアンデッドのシャルティア様が一番手でありんす」

 

 その後も続くアピール大会。相手を罵るような言葉こそ出ては来ないものの、非常に慣れたやりとりのように見える。その光景を一歩離れたところから見ているひょろ長の人影は、たまに口を出しては2人を牽制しているといった感じ。

 隠す気はあるのだろうか……? とか、守護者が集まるといつもこんな感じなのかしら……? とかその場にいた他全員が思ったところ、別の所から爆弾を投じた者が現れた。先ほどアウラの年齢について懸念を表明した豪の者である。

 

「私は……ナーベラル様が意外に追い上げているんじゃないかと思っています」

「なっ……!?」

 

 ギシギシギシッ!!

 空気が歪んで軋む音がした。

 

「先日お伺いした所によるとナーベラル様は最近アインズ様と二人きりで行動することも多いらしいですし、外部の宿屋で一つの部屋でお泊りになることもあるとか……つまりそれは、いつも側にいる忠誠を誓った上司と従順な部下……という組み合わせであるということ……いかにも何か起こりそうな組み合わせ……」

 

 その人物の言葉の意味が周囲に染みこむのが早いか否か、また別の一人が慌てて口を開く。

 

「そっ……! そんなことがある訳ありません! わたっ! いえナーベラル、様がそのような事を、かっ、考えるとは、とても! そもそもアインズ様が、わ、わ、ナーベラル様をそ、そのような目で、見るはずが……ありません!」

「……お待ち下さい。今の発言にはナーベラル様を貶めるような発言がありました。見過ごせません」

「……ぐっ! 申し訳ありません……そのような意図があった訳ではなく……しかし、その、そんなことが起こりうると……!?」

 

 焦っているその人物は余程衝撃が強かったのか、足をガクガクさせているようにも見える。動揺で羽織った真っ黒なローブが波打つほどだ。

 

「可能性は否定出来ないと思いますが。私の目から見ればナーベラル様は、アルベド様やシャルティア様に劣らず美しい方に見えます」

「そ、そんなことが……? いえ、まさか……そんな……?」

「今現在のナーベラル様は積極的にアインズ様にお近づきになろうとしているようには見えませんが、ナーベラル様がもし今後そう思われたのならば……」

「確かにそれはかなり有利だわ……こう言ってはなんだけど、例えばいつも側におられるアルベド様は、アインズ様から家族のように見られてしまって、女性として見られなくなる可能性も否定はできませんよ」

「……すると、ピンポイントで密着するナーベラル様の方が女性としてのアピールポイントが大きい可能性も……!?」

「みっ、密着などしておりません!」

「落ち着いて黒覆面。誰も貴方のことを言っているわけではないのです」

「う……はい……」

「むむむむむぅ!」

 

 最後のうめき声は先程の(正体の怪しい)三人のうち一人から聞こえてきていた。それを聞いた「ナーベラル様はあり得ない」と主張した何者かは身を縮こまらせる。が、助け舟は別の何者かから出された。良くも悪くも討論の場が暖機運転を終えたということなのだろう。

 

「あの、それであれば……エントマ様は? ……その、美しさや大切に思われているという意味では他の方々に匹敵しうると思うのですが……王都での作戦では大きな犠牲を払われて、ねぎらいの言葉を頂いたというお話ですし……。そういうところから一歩を踏み出す可能性も否定はできない、と思うのですが……」

「え? え!?」

「……でもそこまで言うのであれば、ユリ様やソリュシャン様、シズ様は? 素敵さを考えたら、決して引けは取らないと思うのだけど」

 

 あちこちからそれぞれの意見が飛び出てくる。発言の間にどこからか「うへぁ」という声が聞こえた気がするが、走りだしつつある流れを止めるには至らない。

 

「ユリ、様は確かにとても魅力がありんすね……」

「わた……ルプスレギナ、様の名前が出てないっすけど?」

「……ルプスレギナ様はとても素敵な方ですけど、何かこうダメなところも目立ちますから……」

「うぐっ」

「待って、いえ、それこそが個性的で素敵だとアインズ様が思われる可能性はあるのじゃないかしら?」

「誰だか分かんないけどいいこと言うっすね!」

「私はシズ、様を推すわ。いい子……ではなくて素敵な方よ。あるいはエントマ、様」

「だったらソリュシャン様を推しましょう? 残忍で狡猾、素敵な方ですわ?」

 

 混沌としてきた。

 本人が本人を推薦している(ような気がする)状況で、次々と声を上げるものが増えて、矢継ぎ早とも言えるペースで発言がされるようになっていく。ある意味では可愛い恋バナの域を出ない内容ではあるのだから、本来ならば姦しいと言うべき所だろう。

 が、彼女たちの衣装は真っ黒で手には蝋燭。参加者の中に強大な力を持った者多数、となるとこういう集まりを適切に表現できる言葉は一つしかない。

 魔女の集会(サバト)である。

 

「胸が大きいっていうアドバンテージを考えればアルベド様の有利は揺るがないと思うわ!」

「……その、胸の大きさってよく言われる意見だけど、実際にはどうなのかしら……だって、そもそもアインズ様は胸の大きな女性を好まれるのかしら? 男性の中には胸が小さい方が好きという方もいることは間違いないのだし……」

「そうなの?」

「だってシャルティア様とかはペペロンチーノ様に『そうあれ』という理想の姿で生み出されたわけでしょうし……一般メイドにだって胸が慎ましい者は多数いるわ。つまりそういうことなのだろうと……」

「そっかー、うん、分かったよ! じゃあアウラ様だって待つ必要が無いかも知れないね!」

「いつの間にか大事な秘密が全員に知られている気がするでありんす……」

「……掃除や裁縫とかって部分をもっと売り込むべきなのかしら……?」

 

 女性だけの集まりだからこそ胸の大小はアピールポイントとして重視されないのだろうが、大きな胸が強力な武器になるという思い込みに囚われていた人物からすればこうした視点からの意見は参考になるとも言える。

 それぞれが自分、あるいは推しの誰かの強みや弱みを考えてああでもないこうでもないと言い始める。

 そして、あっという間に煮詰まりつつあるやり取りに、さらに追撃の爆弾投下がされる。

 

「私は一般メイドに過ぎませんが……いつか……アインズ様の寵愛を受けたいと思っております」

 

 ギチギチギチィッ!!

 

 再び室内の気圧が上がるような爆弾発言が飛び出す。見れば発言者は先程から要所要所で重大な発言をしている人物だ。守護者やプレアデスのいずれでもないとすれば、自動的に一般メイドの誰かということになるのだが……。

 普段であれば、一般メイドが話題の俎上に載せるのは自分自身たちを含まない、プレアデス以上の立場にある人物ばかりである。しかし覆面で個人の特定が困難になったこの場では、個々人の欲望が剥き出しになりつつあった。

 

 今までムキになっていたのは(何故かこの場に紛れ込んでいると思われる)守護者やプレアデスといった”アインズ様争奪の当事者”だけであったが、この発言により一般メイドすらも日和見を決め込むことが不可能になったのだ。

 畏れ多いと思いつつも、心の何処かで夢見ている願いを口にする者が現れた状況での弱気は、自分の至高の御方に対する愛を疑うことであるのと同時に、自分の愛が他の者に劣るということを意味するのだから。

 

「……先日聞いた所によりますと、一般メイドの一人がアインズ様に――アルベド様と並んでとは言え――名指しで『愛しているぞ』と告げられたそうです。もちろん慈悲深く無窮の愛をお持ちになられる方ですから、そのように仰られても不思議はありません。が……」

 

 彼女は周囲を見渡すようにして様子をうかがう。そして続きを待つ聴衆に対して決定的な言葉を吐き出した。

 

「……ここで注目すべきは、その一般メイドがちゃんと名指しで言葉を掛けられたということ……! 我々ごとき一般メイドの一人ひとりを覚えていて下さるということ! であるなら、一般メイドであってもアインズ様の寵愛を受けることが可能なのではないかと思うのです……!」

 

 ざわ……ざわ……、どころではない。ざわわわわわわっ! といった気配が波のように広がる。

 現在の地位、力の強さ弱さ、特別な存在として至高の御方に創りだされたかどうかなど、彼女たちを区別する基準は幾つもある。しかし今この場においてもはやそのような気楽な区分けは存在していなかった。

 愛の名において敵を食い破る虎だけが跳梁跋扈する最終戦争(ハルマゲドン)……!

 ……とはいえ、それはルール無用の残虐ファイトではなく、許される範囲で自分をいかに売り込むかという部分での勝負にすぎない辺りが、ナザリック地下大墳墓の平和さを象徴してはいたが。

 

「……! そうすると、当然わた、いえナーベラル、様にも、チャンスが……? 私と……アインズ様……アルベド様を差し置いて、そんな……でも、ひょっとして……?」

「本気で勝負に出るなら応援するわよ」

「どうしようどうしよう!? ……何かの荷物をお渡しするようなときに目をじっと見つめるというのはどうかしら!?」

「曲がり角で出会い頭にぶつかって自分をアピールする方法が古文書に書かれていたと記憶しています」

「直接お願いするというのも決して許されないという話ではない……のでは……。例えば、触れされて欲しい……とか……あああっ! 大胆過ぎる!」

「糸を集めて何か美しい刺繍とかどう!? もし受け取って頂けて……もし使って頂けたら……! ああ、想像するだけで心臓が破裂しそう……!」

 

 あわよくばこの集まりの方向性をいじって自分の手駒を増やそうとか企んでいたりした人にとっては踏んだり蹴ったりの展開である。というかかつて無い収拾のつかなさであった。

 しばらくそんな具合で喧々囂々の会話があちこちで繰り広げられることになる。こうなるともはや守護者だプレアデスだ一般メイドだなんて事は一切関係がなくなる。恋する女性たちがいるだけである。

 

 実際全員揃ってアインズが大好きな存在が集まった場所に火種を投げ込めばこうなることは目に見えているのではあるが、よく考えればナザリックの何処から出席者を集めても似た展開になりそうではある。ああだこうだとうわさ話なのか相談なのか、あるいは作戦会議なのかといった会話があちこちで止めどなく続く。

 ……まあこの会がガス抜き目的で開催されていることを考えれば想定通りに機能している訳だが。

 

 ただ、その集まりもいつかは終わる。一人の覆面が手をパンパンと叩いたためだ。何故か反射的に多くの覆面が口を開くのを止める。妙な既視感。

 

「皆さん、そろそろ会のお開きの時間ですよ。続きはまた今度の機会にして、それぞれの仕事に戻りましょう。慈悲深いアインズ様に許された会合だからこそ、私たちの本分に悪影響を及ぼすなどといったことがないようにしないといけませんよ……わん」

 

 最後に付け加えられた特徴的な語尾で何もかも察したその場の全員は、静かに頭を下げたという。

 

 ・

 

 翌日。食堂に集まるメイドの中にはいつもの3人の姿があった。たっぷりとご飯を食べて、さあこれから働くぞという前のひと時である。

 

「それにしても、誰だったのかしらね」

「なに、なんの話?」

「あ、その昨日の……流れを変えた人」

「分からないけど、凄いとは思ったわね……」

「すごくビックリしたよ! 勇気あるなーって!」

 

 3人は食堂を見回す。もちろんそこには普段と変わらない光景が広がっているだけだ。あちこちで同じように談笑する姿や、黙々と食事を詰め込んでいる姿、プレアデスの周りに群がるメイドなどが見える。

 

「私はそういうメイドが一人くらいいても驚かないけどね」

 

 3人が声のした方に顔を向けると、そこにはまたしてもパタリと本を閉じたインクリメントの姿があった。彼女は積極的にこちらの会話に加わろうとする事は少ないが、よく自分たちの側に席をとる。今日はもう食事を終えて食堂を後にするようだ。

 

「それはそうかも知れないけど……そういえばいつも何読んでるの?」

「図書館で借りられるようになったサービスで、色々借りて読んでいるわ」

「今読んでいるのは?」

 

 何の気なしに尋ねたシクスス。インクリメントは特に会話を続けるつもりがないのだろう。タイトルだけ口にするとその場から立ち去った。

 

「『失楽園』よ」



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アインズの執務室にて

超難産でしたが一応形にはなりました。発破をかけてくれた作者の人に感謝を。


「センリュウ……ですか?」

「そうだ。……知っているか?」

「……存じ上げません……守護者統括として至らぬ自分に恥じ入るばかりです……!」

「……! よい、アルベド。そのような深刻な話ではないのだからな」

 

 執務室でのやり取りはその場での思いつきから来る他愛ないものも多いが、その時の話題はアインズ自身がそれなりに考えぬいたアイデアをアルベドに披露したところだった。まあそれが何かを知っている人間がその場にいたとしたら、突拍子の無さに驚いたり、絵面的に似合わなすぎるなどといった感想を持ったかもしれないが。

 

「川柳……大雑把に言えば文字数と形式を決めた詩、だな」

「詩……でございますか?」

「形としては5・7・5の音で創るのだ。そうだな……一つ例として詠んでみよう……オホン……『ナザリック 我らが城と 我が家族』。言葉のリズムが音で5・7・5になっているのが分かるか?」

「……はい……はい! ああ、流石はアインズ様! 偉大なる魔法や全てを知る叡智だけでなく、詩才まで超越しておられるとは……! しかも私達を……家族と……! なんと慈悲深くお優しい……ああ、アインズ様、アインズ様……至高であり叡智溢れる支配者であるアインズ様……! はぁ、ハァ、はぁ……」

「待て! 待て待て! アルベド! ……このようなものは単なる児戯に過ぎんぞ」

 

 昨晩ちょっと考えただけの自作川柳をそこまで持ち上げられると背中がむず痒いを超えて穴を掘って埋まりたくなる。この外見だとそのまま埋葬なんじゃないか? とかつい無駄なことを考えたりする。

 ……とにかく今でも十分に高い敷居をこれ以上高くするのをやめて欲しい。そのうち敷居を越えるのに失敗しただけで落下死しかねない。

 

「――まあそういった文芸作品があると分かればよい。そこでだ、その上でこの形式での創作コンテストのようなものを、このナザリックで出来ないものかと思ってな」

「はい! もちろんですアインズ様! 皆が喜んで参加するかと思われます! いえ、アインズ様発案のコンテストに参加しないような不忠を行うものはナザリックにはおりません!」

「落ち着くのだアルベド。それでは詠み手の自由な発想を奪ってしまうではないか。こういうものは義務化すると陳腐になるものだろ? 発案者である私の名を伏せた上で、楽しみの一つとして提案するのだ」

「……申し訳ございません! 私のような詩才を持たず、また見識も足らぬものにはそこまで考えが至らず……」

「そこまで気にするようなことではない」

 

 突拍子もないのは確かだが、アインズはこの案をそれなりに名案じゃないの? と考えていた。

 が、この考えに至るまではそれなりの紆余曲折がある。

 まず、アインズは自分が支配者の器だとは全く思っていない。仲間たちから預かっている子供たちの前だからこそ必死に支配者たろうとしているが、帝王教育を受けたわけでもなければ社長の経験がある訳でもない。ギルド長ではあったがもちろん支配者ではなく、統率力優れたリーダーとも思っていない。色々な巡り合わせからギルド長という立場にはなったが、現実世界では名も地位も無い単なる1ゲーマーだ。

 そんな自分に配下たちの気持ちがどの程度分かるかといえば……正直に言って五里霧中、いやぶっちゃけ既に遭難しているような気がしないでもない。

 

 じゃあ守護者やシモベたちが何を考えているかヒアリングして回れば良いかといえばそれも出来ない。仮に直接聞いて回ったところでこちらに遠慮や萎縮をしてしまうのは目に見えている。自分の姿を見かけるだけで即座に深く頭を下げ、あるいは平伏するような者ばかりと言ってもいいのだ。

 ではどうしたものか……と考えた時、閃いたのがかつての世界で小耳に挟んだ「目安箱」と「川柳」である。

 

 目安箱は今後のナザリックの運営に対する忌憚のないアイデアの募集が目的だが、現在のナザリックの勢力圏はほぼ地下大墳墓のみだ。強いて言えばカルネ村やリザードマンの村を入れても構わないだろうが、両方とも支配しているというより自治権を与えながら上からすっぽり覆っているようなイメージだ。となれば政策や改革案を募集する必要がない。

 まあそこは将来国でも出来たら考えればいいか……と気楽に考えたりしている。ただ守護者たちは今日も今日とて全力で張り切って世界征服に勤しんでいるので、アインズが思うほどに猶予は無いかもしれないが。

 

 結局アインズが先に手を付けたのは川柳の方だ。目安箱は上手く機能すれば非常に役立つ仕組みになりそうな気がするが、それでも見えるのは提案者の合理的思考とかそういうものだ。もちろん感情混じりの要素もあるだろうが、微妙で繊細な内面の問題や感情は見えては来ない。

 そこで川柳なのである。

 アインズがかつて目にした「サラリーマン川柳」などはユーモアや皮肉や悲哀、あるいは日常のさりげない喜びなどを綴った作品が中心であった。当時それらを別に好んでいたという訳でもないが、時には詠み手の感情や状況が目に浮かぶような作品があったことを思い出したのだ。

 

 ……ならば、一種の文芸コンテストのようなつもりで配下の者達にやらせることが出来れば、間接的に彼らの本音や悩みやここでの日常を知る助けになるかも知れない……と考えた訳である。

 川柳なら俳句と違って季語も不要だし、詠まれる中身も世俗的だ。誰でも出来る。5・7・5の部分すら結構適当でも許される大らかさがある。つまり庶民の文化なのだ。

 これなら自分も評価しやすいしナザリック世論調査の第一歩としてうってつけではないか? と思った訳である(ちなみに、学校の教師が読書感想文を書かせたがる気持ちが垣間見えたような気がした)。

 

(そもそもだ、守護者たちは親に……捨てられた、子供みたいなものだろ。忠誠心は疑いようがないとしても、もし辛い気持ちを抱えていたりするなら何か対策を講じなければならない。部下のメンタルケアだって上司の仕事のはず……だ。アウラやマーレはまだまだ子供だし、アルベドやシャルティアだって以前の一件を考えれば精神的なフォローが不要なほど強いとも思えない。セバスも王都での振る舞いを見れば目を離すわけには行かないだろうし、デミウルゴスやコキュートス……はまあ平気な気もするが)

 

 アインズ自身にも親心なのか親近感なのかよく分からない気持ちが後押しした結果、実際にやってみることにしたのだった。

 新人お父さんじみた心理的背景も含めてその発想のスタートは支配者どころかとても庶民的なのだが……まあバレようが無いのだから気にしても仕方がないことだろう。

 

「では細かい所を詰めていくとするか……。繰り返すが、堅苦しく考える必要は無いぞ?」

「はい。アインズ様のお望みのままに」

 

 というようなやり取りがあったのがしばらく前のことである。コンテスト応募のルールと締め切りを決めて、まあとりあえず守護者たちだけでも参加してくれれば御の字だな……とアインズは考えていたのだが……。

 

 意外に沢山応募があったのだった。

 

 ・

 

「ではこれより選評会を始めることにするぞ」

 

 アインズはそう口にして集まった面々に目をやる。正直適当に決めても良かったのだが、それぞれの作品を目にした守護者たちの反応がまず知りたかったので全員を集めて審査することにした。よく考えれば一石二鳥の名案である。読み上げるのも敢えて自分がやって感想も自分が口火を切ることにした。そこであまりはっきりとした寸評を付けなければ守護者たちも自由に発言するだろうと考えてのことである。

 

「守護者たちよ、これは新しい試みのため予想外の出来事を詠うような作品が出てきても不思議はない。だがまずは大らかな楽しむ気持ちで受け入れるよう心がけよ。よいな」

「「「「はっ!」」」」

「よし。ではまず最初の作品だな……コホン……

 

『100万回 生きたらリッチに なれるかな』

 

 ……”名無しの骸骨魔法師(スケルトン・メイジ)”さん、の作品だな」

 

「「「「……」」」」

 

「……いやまあ何と言ったら分からんのはよく分かるぞ守護者たちよ……だが私は意外にこれは好ましく感じるな。まあ実際はリッチになれないことを考えると地味に物悲しい感じがしないでも……ないが……」

「あの、その、なんで100万回って数字が出てきたんでしょうか?」(マーレ)

「一部の配下やシモベたちの間でそういう名のついた本が流行ったせいかしらね」(アルベド)

「なんだかちょっと可愛いかな?」(アウラ)

「裕福を意味するリッチと、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の2つの意味がありそうですね。なかなか巧みな作りだと思います」(デミウルゴス)

「ドノ様ナ形デアロウト、意地ヤ願望ヲ持チ目指スコトデ辿リ着ケル境地トイウモノモアルト思ワレルカト」(コキュートス)

「妾たちもこれ以上強くなれたりするんでありんしょうか?」(シャルティア)

 

 まだ一作読み上げただけだが、守護者たちの反応はなかなかだ。ちなみに詠み手が誰なのかはアインズも知らない。個々人の内面が知りたいわけではなく、ざっくりとした印象調査のようなものなのでそれで十分なのだ。記名式にして遠慮した作品が集まるようでは元も子もない。

 一作品にあまり時間をかけてもしょうがないので、次を詠み上げることにする。

 

 「では次に行くぞ。

 

『アインズ様 ああアインズさま あいんずさまー!!!』

 

 ……詠み手の名前はない……いや何と言ったらいいものか……ありがたいというか、うむ、ありがたいことだが……これはその、音読する方も大変だな……」

 

 詠み上げる順番はランダムなのだが二作目にいきなりトバした作品が出てきてしまった。こうした忠誠心はとてもありがたいのだがとても重いのでつまり重い。詠み人が分からないので名前も知らない下級生からもらったラブレター並に重い。いやアインズはそんなものをもらったことは無いのだが。

 

「徐々に言葉が崩壊していく様は狙ってやっているのでしょうね。作品の印象とは逆に情熱と高度な狙いを感じます」(顎に手をやりながらデミウルゴス)

「気持ちはとても良く分かりんすが……その分余計に表現がバカみたいに感じるでありんす。アインズ様を称えるのならばもっと美しき方にふさわしい言葉があるはずでありんす」(ちょっと白けた感じのシャルティア)

「……そうかしら……とても、とてもよく考えられていると思うけれどっ……」(何故かシャルティアを睨んでいるアルベド)

「この句は馬鹿みたいだけどさー、アインズ様の事考えてるとなんかブワーッって気分が盛り上がるよね! ……あれ? なんだか部屋が寒くなった気がするんだけど……コキュートス何かした?」(アウラ)

「イヤ、何モシテイナイガ……」(もちろんコキュートス)

「私は情熱的で好ましく思いますな」(セバス)

「ぼ、僕もアインズ様の事を考えると胸がいっぱいになって、なんだかフワフワした気持ちになります」(マーレ)

 

 ……シャルティアは何となくこういう作品が好きそうだと思っていたが意外な反応だ。しかし最も意外なのはセバスだろうか。外界から女性を拾ってナザリックに住まわせることに成功した行動派のリア充だからかこんにゃろう……とかちょっと考えなくもなかったが、まあたっちさんの作ったNPCらしいと笑うべきところか。よく考えればそもそも、セバスに対しての変な嫉妬の感情を育てるなど馬鹿らしいにも程がある。

 

 アウラは可愛らしい反応だが、マーレは中身と絵面の関係でちょっと心配な感じだ。まあその理由は主に服のせいだとは思うが、引っ込み思案な印象がまた……。

 人間のままだったら可愛いは正義とか叫んでよろめいてしまいそうな破壊力がある。げに恐ろしきはぶくぶく茶釜だ。殺しに来てる。

 ちなみに何故かアルベドが地味に怒りを爆発させている気配もしていて、2作目にしてこの場が殺伐さに覆われている気配がするがなるべく考えない方向で進めることにする。

 ひょっとして詠み手はアルベドだろうか? いやまさかな……とまで考えた後、やはり次を詠み上げることにする。

 

 「守護者たちよ、難しく考えることはないぞ。単純に好き嫌いや詠み手の気持ちが分かる分からないだけでもこうしたものは十分なのだ。感じるままを口にすることが大事なのだからな。続けて次に行くぞ……

 

『小娘を いつか冥土へ 連れて行く』

 

 ……これは”おやつ大好き”さんの作品だ。……なるほどなるほど、冥土という言葉で色々と想像できるようにしたのだな。洒落もきいている」

 

 先日の出来事を考えれば当然詠み手はエントマだろう。エントマが復讐する機会を残せたという意味では、あの時自分が激怒を抑えた意味はあったと言うわけだ。

 

「そうだという証拠はないけれど……多分エントマの作品ね。……いつかそうなるようにしてあげたいわ」(アルベド)

「これも一つの忠義の形かもしれませんな……」(セバス)

「わたし、いえ妾も何があったか覚えてさえいれば……!」(シャルティア)

「フムム……僅カナ言葉デココマデ気持チヲ伝エラレルモノナノカ……川柳トハ奥深イモノダ……」(言うまでもなくコキュートス)

「あの時の冒険者のことですか……。私も縁がありますが、機会があるならエントマに譲ったほうが良さそうですね」(デミウルゴス)

「……おやつ大好きさん……エントマのおやつ……何食べてるんだろう?」(何となく嫌そうな顔のアウラ)

「僕は好きです。え、お姉ちゃん、エントマさんのおやつのこと知らないの?」(マーレ)

 

 アインズは「エントマのおやつ」が何なのかいつだったか聞いたことのある。そのため、アウラのつぶやきでアインズの脳内が素早くてつやつやした黒い生き物に侵食されて作品がどこかに行ってしまった。

 そうしてみると地味にペンネーム(とは言わないが)も大事なんだな~と思わなくもない。まあともかく、守護者たちの反応を見るという意味では完璧に目的に適った作品だとも言えた。アウラやマーレの反応などはある意味で実に子供らしくて微笑ましいではないか。

 

「うむ。初回の募集からなかなかの力作が集まっているようだ。では次にいくぞ。

 

『愛し人 幾星霜と 待ちわびて』

 

 ――詠み手の名はない。これは……ここより去った我が友たちの事を詠んだのであろうな……。その切ない心情がしみじみと伝わってくる……良いではないか」

 

 アインズ自身の心境とリンクする所もある作品だった。ただ現実を知るアインズ自身はそれが儚い希望に過ぎないことを知っている。この詠み手のように待ち続けることには全く希望を見出せない。しかし、それでもかつての仲間たちを恋しく思う気持ちは十分に理解できる。

 

「至高の御方々への深い思慕が詠まれた素敵な作品ですわ」(不思議といつもより笑顔の深いアルベド)

「ぶくぶく茶釜さま、今頃どうしているのかなあ……」(アウラ)

「………………」(俯いて想いを噛みしめるようなデミウルゴス)

「ペロロンチーノ様が今いらっしゃったらどうなっていたでありんしょう?」(シャルティア)

「ぶくぶく茶釜さまにお会いしたいです……」(マーレ)

「コノ気持チハヨク分カルガ……シカシ私ハ、ココヨリ去ラレタ御方々ノ分モアインズ様への忠義ヲ篤クスベシトイウ、詠ミ手ノ強イ想イモ感ジル」(コキュ)

「確かに……しかしだからこそ、アインズ様がここに残って下さったこと、感謝しない日はございません」(セバス)

 

 ほんの僅かな言葉を詠み上げるだけで自分や守護者たちの気持ちがあちこちへと動くのだから川柳というものも侮れないものだとアインズ自身が思う。これを募集する前は一体どうなることかと心配したりしなくもなかったのだが、シモベは無理だとしてもNPCはもちろん守護者たちには間違いなく創造主たちの何かが反映されているのか、出来はともかくとしても好き嫌い程度の評価はできる作品が集まったようだ。

 まあこれが逆に長文の私小説や告白録じみた作品の投稿だったらアインズの手に余るところだ。そういう意味でも川柳というのはちょうど良かったようで、我ながら上手いこと考えちゃったよ褒めてくれと珍しく自画自賛気味のアインズだったが、もちろんこの場にアインズを正しく褒めてくれる存在などいない。絶対支配者はつらいよ、である。

 

「作品自体もなかなか良いが……守護者たちよ、お前たちの評価も素晴らしいと私が感じていることを知るがよい。ともかく次の作品を読み上げるぞ……ん、んんっ、

 

『一晩中 見つめ続けて ドライアイ』

 

 ……あー、詠み手は”メイド一番星”さんだ……。これは、恐らくアインズ当番の時を詠んだものなのだろうが……その、なんだ、まばたき位は普通にしたほうが良いのではないか……?」

 

 ストーカー被害者の感じる寒気とか恐怖ってこういうのだよなあ……というのがアインズの正直な感想である。

 

「アインズ様のお側にお仕えしている者のみに許された喜びの一つですな」(詠み手と同レベルのセバス)

「ああっ、正直に申し上げますと一晩中付きっきりでアインズ様にお仕え出来る当番のメイドが羨ましいです! ぎぎぎ……」(アルベド)

「……妾は逆に濡れてくるかもでありんす……」(シャルティア)

「なにそれ? あ、あー、そういう……。シャルティア……流石にそれはどうかと思うわ……」(アウラ)

「お、お姉ちゃん??? ……シャルティアさん、なんで濡れてくるんですか?」(無垢なマーレ)

「一瞬タリトモ目ヲ離サズオ仕エスルトイウソノ姿勢! 実ニ素晴ラシイモノカト!」(コキュー)

「ふむ。我々はそれぞれ申し付けられた役目を果たさなければならないから仕方がないがね。羨ましいものです」(デミウルゴス)

 

 想像を超えたレベルの注目を受けていると知ってドン引きなアインズとは逆に守護者たちの評価は上々だ。……大体アインズ番に一晩中見られているだけでも苦痛なのに、まばたきしない勢いで注視されているとかどんな拷問だ。

 これが一日だけの話ならまだともかく、今晩だって明日の夜だってアインズ番はいるわけで(今だって部屋の隅でちゃんと控えているのだ)、恐らくこの詠み手と同じくらいの熱意でメイドたちはアインズの監視体制を維持するのだろうと考えると、正直ちょっと悲鳴をあげたい。

 大体、メイドたちに月一の休暇を取らせるだけでここまで身を削る必要があるとするならば、もし週休二日制を取り入れるとしたらどれだけ骨身を削らなければならないのか? あるいは相手が守護者たちなら? 一人あたり肋骨の二、三本? とまで意味不明な想像をして、怖くなって先を考えるのをやめた。安い居酒屋に駆け込んで愚痴りたい……支配者なのに。

 

「ま、まあ、なんだ。メイドたちの頑張りも素晴らしいものだな。ただもう少し力を抜くことを覚えたほうがよい……ぞ? では次に行くか……

 

跪き(ひざまずき) 雌犬スタイルで (なぶ)られたい』

 

 ……詠み手は、”たゆたゆ果実”さんだ。何というか色々と出てはいけない願望がダダ漏れな気もするが、まあ……いい……のか?」

 

 誰が誰をと書かれているわけではないが、ここナザリックにおいて当然主はアインズで、雌犬として嬲られているのはこの詠み手という事になるのだろうが、正直そういう趣味はないので却下したい。出来ればシャルティア配下の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)辺りのシャルティアに対する妄想とかであってほしい。

 

「――変態ね。いえ、いっそ被虐欲求に隠された激しい欲深さと言っても良いのかしら? でも、その、アインズ様にそんな風に飼われたら……ああっ、アインズ様、アインズ様、アインズ様……」(アルベド)

「まあ色んな趣味の者がいるでしょうからね……もちろんアインズ様が望むのであれば如何ようにでも」(アルベドの様子にため息混じりのデミウルゴス)

「ぼ、僕は頭を撫でてもらうのが、大好きです!」(マーレ)

「こうした者もナザリックにおるわけですな……しかしそれをまとめて支配されるアインズ様の懐の果てしない深さこそを感じさせますな」(セバス)

「シャルティア~? これあんた?」(アウラ)

「ちっ、ちっ、ちがっ、違うでありんす! 例えそうだとしても何がおかしいでありんすか!? アインズ様の指舐め奴隷に憧れるのとか普通でありんす! キュンキュンするでありんす!」(シャルティア)

「……イツカ爺ト呼バレル立場ニナレルノデアレバ……イエ、過ギタ願イヲ口ニ致シマシタ……」(コ)

 

 いやまあシャルティアならあり得るな……つーか吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)とかの美形を(かしず)かせたいだけじゃなく、自分も同じような扱いを受けてみたいもんなのかー奥深いなーなどと、半ば現実逃避気分で考える。そういや椅子にされた時にメチャクチャ興奮してたしな……全部ペロロンチーノが悪い。

 視線をシャルティアから逸らして未だに悶えているアルベドをちらりと見る。そこには顔が紅潮し半目半開き口のまま身を捩る大変色っぽい絶世の美女がいた。

 そう言えば以前シャルティアに椅子になるお仕置きをした時には、アルベドが暴走していたような記憶があるが……椅子? 椅子になりたいのか? 椅子ブーム来てるのか? シャルティアはペロロンチーノが悪いで済むが、タブラさんもアルベドにそういうアレな部分を設定していたのだろうか?

 ふとユグドラシル終了直前に垣間見たアルベドの設定を思い出す。あれだけ激しく書き込んであった上にラストが「ビッチである」なのだから、まあその手の性癖の一つや二つあってもおかしくないのかもしれない。

 どいつもこいつもろくな事してねーな! と頭の中で毒づいたが、すぐに宝物庫にいる自分の黒歴史を思い出したので「仕方なかった」と思い直した。……変態属性を盛られたのがコキュートスとかでなくてまだマシなのかとか益体もないことを考えたりもする。

 

「アインズ様? ドウカナサレタノデスカ?」

「いや何でもない。是非そのままでいてくれ」

「ハ! 御方ノ願イノママニ」

 

 考えてみればコキュートスは何気に気が休まるというか、癒し系? ……頭を悩ませる必要が無いというか社会人っぽい安定感があるというか。そういう意味ではデミウルゴスも節度を守れる安心感は十分にあるのだが、如何せん自分を超天才だと思い込んでいる所が難点だ。

 

「さて……そろそろ次を読み上げようではないか。ここまでの流れはとても良いぞ守護者たちよ。もっと私にお前たちの素顔を見せてくれ」

「はっ!! アインズ様の願いに応えるべく全力で当たらせて頂きます!」

「うむ、まあ気楽にな……とにかく次を読み上げるとしよう……

 

 これはまた……『シズデルタ しずしず可愛い シズデルタ』

 

 詠み手は”……いる”さんだ。あーなんというか、フフフ……これはシズ本人だろうな。感情の起伏が少ないから川柳なんて苦手だろうに、頑張って参加した感じが実に微笑ましいな。フフ……良いじゃないか。しずしずという言葉と自分の名前のシズをかけているのだな」

 

 シズは個性的なプレアデスの面々と比較すると目立たない割に不思議な存在感がある娘だ。ただアインズ自身もシズがどんな性格なのか掴みきれていないが、この句を読むにあまり心配したり難しく考えたりする必要はないのかも知れない。可愛らしい娘だ。

 

「シズは良い子ですね。でも、でもでも今は、アインズ様を笑わせたシズが羨ましい……! 羨ましいですわ!」(アルベド)

「シズが執事助手を良く抱えてるんだけど、あれなんでだろうね? セットで見ると執事助手も可愛いんだけどな」(アウラ)

「動くぬいぐるみか何かと思っているんじゃないのかなぁ?」(マーレ)

「シズは良きメイドですな。そう在れと生み出されたそのままに忠実に働いております」(セバス)

「個性豊かな存在を生み出された至高の御方がたのお力に、ただただ感服するばかりです」(デミウルゴス)

「以前ナーベラル・ガンマガ、シズヲ良イ娘ダト話シテオリマシタ。マサニソノママノ娘ダトイウコトガ読ミトレルカト」(略)

「妾はもう少し肉感的な娘のほうが好みでありんすが……シズが可愛いのは確かだと思うでありんす」(シャルティア)

 

 かつて仲間たちがいた頃のナザリックで最萌と言えばメイド長のペストーニャだが、今もし新たに仲間たちと最萌を決めるとしたらシズも良い所にランクインしそうなほど良い反応だ。

 ふと、何かの弾みでミズ・ナザリックとか決めようというような流れになったりすることを想像したアインズだったが、どう考えてもアルベドとシャルティアが正面衝突し血を見そうな展開しか想像できなかった。

 アウラ辺りはまだ子供だし大丈夫だろうが、正直プレアデス辺りですら反応が読めない。何しろ仲間たちに直接「かく在れ」と創りだされた存在なのだ。自分の姿には皆それなりに自信があるに違いない。実際アインズの目から見ても甲乙つけがたい存在ばかりなのだ。

 それだけならまだしも、ニグレドやニューロニスト辺りまで参加してきた挙句に水着審査とかまであるとしたらもう完全にホラーだ。さらに付け加えれば性別不明としか思えない生き物すら沢山いるし、ミスだけでなくミスターの方もやることになるような気がする……そして間違いなく両方とも自分が審査委員長席に座らなければならないことを考えると……まあ永遠に行わないことを心に誓う。

 

「ふむ、少しばかり主だった者たちの作品が続いてしまったようだが、応募作はまだまだ沢山ある。普段声を聞かないような者たちからの作品にも期待したいものだな。さて、次に行くとしよう……」

 

 ・

 

 結局すべてを読み上げると総数は100を超える事となった。当初想像もしなかった者達(と思われる)からの投稿があり、それら全てがそれなりに面白みのある作品だったのだから企画としては大成功といえるだろう。

 中には名前をそのまま書いたアウラやマーレの微笑ましい作品があったり(それでつい頭を撫でてやったら、他の守護者が明らかに「失敗した!」という顔をしたとかいう一幕があったり)、コキュートス以外は書かないだろこれというガチガチな作品があったりしたが(顎をやたらカチカチ鳴らしていたのは照れていたのだろうか?)、とにかく大事なのはその感情的な動きが例え少しだとしても垣間見えたことだろう。

 このナザリックに存在する者達はそれぞれがそれなりの喜びを抱え暮らしている。何となくプレッシャーが重くなった気がしないでもないが、ナザリックのためにという目的が一致しているのであれば心強くも感じる。今ここにいるNPCやシモベたちはかつてのギルドメンバーとは違い支配者と下僕という関係だが、それでもやはり同じように守り守られる仲間であり、あの輝かしい時代を伝える全てなのだ。

 

「うむ、私の想像を超える出来の作品が集まったな。ナザリックは戦力だけでなく文化的にも十分優れているようだ」

 

 アインズのこの言葉を聞いて嬉しそうに目を輝かせるアルベド、胸を撫で下ろすようにしているデミウルゴス、それだけのことで少し色白な頬を赤くして喜ぶシャルティア、有り難い言葉を賜ったかのように頭を下げるコキュートス、目を閉じて頭を下げるセバス、アウラは歯を見せてニコニコと笑い、マーレもいつもの不安げな顔をかき消して微笑む。

 本当に素晴らしい者たちだ。アインズは改めて彼らを創りだした仲間たちと、今ここにいる守護者たちを大切に思う。そこには深い満足があった。敢えて他の仕事についている守護者たちまで呼び寄せた甲斐もあった。

 ナザリックに棲まう者たちを知るために始めたこの企画だが――結局のところ、アインズはナザリックの身近な話題をつまみにして守護者たちと、かつての仲間たちの面影を残す彼らと過ごしたかっただけなのかも知れない。

 

「……あの、ところでアインズ様?」

「どうした、アルベド」

「これら作品には大賞ですとか、一位ですとかは決められないのでしょうか?」

「ふむ、どれも面白い作品ばかりなのでな。このままでも良かろうと思っていたのだが……そもそも私の一存で決めてしまって良いものか?」

 

 アインズとしては順位を決めたりするのは野暮なように感じていたのでこのままで良いとも思ったのだったが、アルベドや他の守護者たちはそうは考えていないようだ。

 

「何をおっしゃいますアインズ様! このナザリックにおいてアインズ様の決定は絶対です! そのアインズ様に大賞と認められたのであればその者の大きな励みとなるに違いありません!」

「そ、そうか? うむ、まあそういうことであればどれか一つの作品を大賞として選ぶことにしよう」

「アインズ様、お心遣いに感謝いたします!」

 

 最後に予定外の展開になってしまったな……と思いつつ、期待に溢れた目で見つめる守護者たちの前で、アインズは正直良し悪しとか分かんないんだよなと內心で呻きつつ、なんとなく記憶にこびりついた一つの作品を選び出したのだった。

 

 ・

 

「ウウム……アノ作品ハアインズ様ノオ心ニドノヨウニ響イタノダロウカ……恥ズカシイコトダガ、少シバカリ悔シク思ッテシマッテナ」

「分かるよコキュートス、私も同じように感じるからね。ただ……アインズ様自身は元々大賞を選ぶ気が無かった。そこがポイントだと思うのだよ」

「説明シテハクレナイカ」

 

 9階層にあるバーで並んでグラスを傾けるコキュートスとデミウルゴス。つい先程まで行われていた選評会が話題となっていた。デミウルゴスはコキュートスの問いにフム、と息をついて考えをまとめる。

 

「大賞になった句は……『身に染みる 雨にも忠義を 新たにし』だね。詠み手は”ファイト一番槍”さんだった」

「ソウダ」

「考えてみたまえコキュートス、この偉大なるナザリックにおいて雨に濡れるような事が普通起こるかね?」

「イヤ、アリ得ナイ。第5階層デアレバ吹雪ハ吹キ荒レルガ、全テ氷リツイタママダ」

「そうだね。でも実は一箇所だけあるだろう? そして詠み手の名前は”ファイト一番槍”。何処だか分かったのじゃないかね?」

 

 そこまで言われてコキュートスはハッとしたようにグラスを持ち上げる。

 

「……ナザリック地下大墳墓ノ地表部分……!」

「そう。そしてそこでいつも雨に濡れているとなると……」

「マサカ……!」

 

 コキュートスはやっと合点がいったようだ。しきりに複数ある手足を動かして驚きを表している。カウンター内にいるマスターこと副料理長は、そんなコキュートスの姿を少しばかり微笑ましくみているようだ。

 

「私の考えではねコキュートス、あの句は好みではなく、一番守りの弱い場所に配された者たちを労う目的で選ばれたのだと思うのだよ。それと同時に末端のシモベまでも支配者として目を配っているということを暗に匂わせたのじゃないか、とね」

 

 デミウルゴスはそこで言葉を切って、コキュートスの顔に理解が広がるのを暫し待つ。

 

「もちろんそのような事をしなくとも我らの忠義に揺らぎはない。しかし、労いや高く評価されるということは間違いなくさらなる励みになるだろう? 優劣をつける気が無かったアインズ様はあの場を即座にそのように利用されたのだと思うのだよ」

「ソノヨウナ事マデオ考エニナッテイタトハ……済マナイデミウルゴス。コウシテ説明サレナケレバアインズ様ノオ心ヲマタシテモ見落トス所デアッタ」

「それだけではないよコキュートス。アインズ様は我々の前でそれをしてみせることで、我ら守護者にあらゆる意味でよりいっそうの奮起を促されたのだろうね。我々に”主と一緒の時間を過ごす”という褒美を与えながら。

 ――守護者抜きでも簡単に行える作業に敢えて全員が集められたことを不思議に思わなかったかね? つまり……飴と鞭だよコキュートス、これぞ絶対なる支配者の貫禄と言うべき振る舞いだと思わないかね?」

「マサニ! マサニソノ通リダ! 嗚呼アインズ様、我ラガ全テヲ捧ゲテモマダ足リヌ程ノ素晴ラシイ御方ダ!」

「同感だよコキュートス」

 

 ・

 

 まあ実際の所、現実世界での酸性雨に打たれた経験が何となく思い出されて辛かったから選んだだけだのだが。

 それはそれとしてともかく好反応が得られたアインズは満足していたし、いつもと同じように存在しないアインズの二手三手先を読む者達は盛り上がったし、全体として言うことなしの結果となった。

 一部知りたくなかった事実的なものも出てきてしまったりしたが、まあその程度は許容範囲内だろう。予定は未定としつつも第二回の募集も考えている。いやいっそ定期的に開催しても良いかもしれないなどと考えていた。

 

 そんな形で幕を下ろした川柳募集と選評回だったが、その影響は意外な所ではっきりと出た。結論から言えばナザリックに侵入すべくやってきたワーカーたちが粉砕されるという結末がそれである。

 「出ませい!」と声がかけられた時の大賞受賞者の彼らの心境は「イヤッッホォォォオオォオウ!」とか「ヒャッハーァアアアァ!」とか「やるぜやるぜオレはオレはやるぜ!」位の普段より一層ブーストのかかった状態であったため、実力的にそれなりに均衡していた敵集団を全く揺るぎなく圧倒したのだった。やる気や興奮のあまり顎までカタカタ鳴るほどの勢いである。

 ちなみに、それを見ていたプレアデスの面々は彼らの状態に気が付かなかったので軽い驚きに見舞われたのだが……彼女たちはそれを単に「ワーカーが弱すぎた」と判断したようだ。まあ間違いではないのだが、真実はそういうことである。

 

 加えて言えば、アインズの口にした寸評は記録され、全ての配下たちの目につくように貼りだされた。間接的とはいえ自分の作品に言葉を賜われるなどとは考えてもいなかったナザリック上階のシモベなどは、感動のあまり失神する悪魔が出たり喜びで泣きはらすアイボール系などが見られたりもしたが、ナザリック的には平常運転の範囲ではあった。

 地下大墳墓は上から下まで色々な悲喜こもごもを生み出しつつ、今日も恐るべき者たちが蠢いているのである。



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第六階層:湖畔にて

今回は比較的すんなり書けました。
話の切り口としては地味な作品ではありますが、もし楽しんで頂けたなら幸いです。


 クソッ! なんてことだ! クソッ!

 

 今の自分の中に渦巻いている気持ちを表現するなら、無念さ、自己嫌悪、屈辱、そんなところだろうか……。

 主に望まれることで自分は存在しているというのに、主の力となるどころか全く期待に添えず、失望される。これ以上の惨めさなど存在するまい。

 一体どれだけの詫びを口にしたら許しが得られるだろうかなどと考える。しかしそんなものは得られるはずがない。望まれて生み出されたというのに力を発揮できないなど切り捨てられて当然だ。ならばこの惨めさは自分が主の役に立つという結果を改めて出すことでしかそそげない。

 

 しかし、一体どうやって?

 

 力を発揮できない理由が分からない彼には対策ができない。手がかりの一つでもあれば良いのだろうがそうしたものを探るチャンスすらなかった。一体自分の身に何が起きたのか、そしてどうやったら克服できるのか、何一つ分からなかった。

 自分の惨めさを振り払おうと、失意を抱えたまま彼は風の如く疾走を始める。走り続けても疲れを感じない自分の力が今ばかりは恨めしい。いやそれどころか血の巡りの良くなった肉体はより一層の力を発揮するかのように生気を増したようにも感じる。

 

 そうした中、彼は走りながら、時折彼の側を一緒に走るものがいることに気がついた。漆黒の毛並みを持った巨大な狼。目には知性的な光が宿っており、彼の走りに普通についてくる所を見ると、相当な強者ではあるのだろう。興味深げに彼の姿を眺めては、不意についてきたり、不意にいなくなったり。目的があるようにもないようにも見えた。

 

 また別の存在はかなり奇妙な生き物だ。緑色のウロコで体中が覆われており、いわゆるトカゲと思われるのだが動きは先程の狼に匹敵するように早い。短い足を素早く動かして、複雑な地形すら平然と駆け抜けていく。やはり深い知性を感じる存在だったが、どうもどこを見ているのかよく分からない目の関係で、気味の悪さも一緒について回った。

 

 別の場所では人型の生き物の姿も見かけた。強そうには見えないもののしっかりとした体つきをしている個体が多く、近寄っても来ないが近寄らせもしないような絶妙な距離感を保とうとする。こちらを見かけると一定の敬意を払うような行動を見せる生き物。それぞれが武器を持ち、一心不乱にそれを振るっている場面をよく見かけた。

 

 奥まった場所ではもっと奇妙な者たちがいた。人型だが木と同じような肌をした者達。それと同時にまるで木そのもののような外見を持つ者達。人型の方は彼を見かけると怯えたように隠れてしまい、木そのものの方は擬態するように動きを止めてしまう。敵対的ではないが勇敢な生き物でもないらしい。どうやら果樹園のようなところで働く者達のようだ……。

 

 他にもここには多数の生き物たちがいた。しかしその全てが自分にとって敵対的な存在ではない。正直ムシャクシャしていたので何処かでひと暴れしたい気持ちで走り回っていたのだが、そんなチャンスすら無いようだ。

 ただ、もともと自分自身も戦いに向いているという訳ではないので、争いを起こすことは場合によっては死を意味したかもしれない。が、それすらどうでも良い気分になっていた。

 

 この場所では自分は存在を許されている……こんなにも惨めな存在なのに……。

 

 その認識は彼にとって屈辱でしかなかった。どうせなら打ち倒して欲しい。無力で惨めな自分を粉々にしてくれればいいのに。そんな気持ちで走り回っていた。

 ……しかしそんなことは起こらなかった。森を駆け、湖畔を駆け、ついに立ち止まった時、それでも何も変わらずに彼はそのまま存在していた。

 やり場のない苛立ちという苦痛から逃げるかのように再び彼が走りだそうとした時、またしても見たことのない生き物が姿を表した。

 

「おお、見かけぬ顔でござるな? しかしなんという勇壮な姿! それがし、さぞ名のある者だとお見受けする!」

 

 ……妙なモコモコした生き物が声をかけてきた。

 大型の……逞しい外見をもつ強力な眼力を持つ生き物だ。四足で走り寄ってきたが、今は二本足で立ち上がってこちらに向かって興味津々といった視線を向けてきている。本来であれば脅威を感じるような強さでは無いようだが、その内側に充実した気力のようなものが、少しばかり彼を打ちのめした。

 明らかに格下であろう存在にすら気圧されるとは……それは苦笑だろうか、あるいは諦念のようなものだろうか。彼は自らが失った自信が自分の力強さを根こそぎ奪ってしまったように感じた。

 

「ど、どうしたでござるか? 拙者、また何か不愉快にさせるような事をしてしまったでござるか?」

 

 奇妙なことに、その生き物は慌てた素振りで彼の元へと近づいてきた。別に何も悪いことなどされてはいない。勝手に自分が自滅しているだけだ。

 

「どうも拙者は知らず知らずのうちに人が嫌がることをしていることがあるようなのでござる。……殿や皆様のお役に立ちたいといつも思っているのでござるが、なかなか上手く行かないのでござるよ……」

 

 その生き物の悲しげな目は、そのまま今の自分のように思えた。そうでなければ彼は誇り高く沈黙を守り通したに違いない。

 

 ”いや、気になさるな。己の弱さ情けなさが改めて身に沁みただけのこと”

「ふむ? 拙者のせいではないのでござるか? しかし、弱さとは奇妙でござるな……」

 ”何がだ?”

「お主は拙者から見るとまるで天まで駆け上がりそうなほど猛々しく見えるでござるよ」

 

 その生き物は思案げに彼の回りをぐるりと廻る。その上で首をひねっているようだ。

 

 ”……それは見かけだけのこと……今の私は主の力になれぬ、まさに役立たずよ……”

「誰にお仕えしておるのでござる? そう言えばまだ名乗っていなかったでござるな! 拙者は殿の忠実なる第一の従者、ハムスケでござる!」

 

 生き物はそう言うと誇らしげに胸を反らした。

 どうやらこのハムスケと名乗る毛玉は我が主の仕える方に直接仕えている者らしい。素晴らしい名を主に与えられて、主を乗せて野山を駆けるのだろうか。

 その時彼の中に沸き起こった感情はなんだろうか? 嫉妬? 羨望? よく分からなかった。似たような失意を胸のうちに抱えているはずなのに、このハムスケと己の違いは一体なんだろうと彼は考える。

 

 ”私はアルベド様に仕える魔獣であり、双角獣のトップ・オブ・ザ・ワールドである”

「おお! これまた良き響きの名前でござるな!」

 ”……今は名ばかりだが……”

「……一体どうしたのでござるか? 拙者で良ければ話してみるでござるよ。何か役に立てることがあるかもしれないでござる。忠義を持って主に仕える者同士、助け合うでござるよ!」

 

 自分の弱みを口にするのは屈辱だ。羞恥心が心を焼き焦がす。しかし彼は意地を張るべき時とそうでない時、胸襟を開くべき相手とそうでない相手の区別がつく賢明な存在であった。何の手掛かりなくこのまま時を過ごすより、遥かに良いはずだ。今必要なのはとにかく結果を出すことなのだから。

 

 ”私はアルベド様の魔獣として呼び出されここに存在している。主を背に乗せて駆け、敵を蹴り倒し、この角で刺し貫くためだ。……しかし、いざ我が主を載せると、手足が萎え……まるで力を失ってしまうのだ……生まれたての子鹿のように……”

「なんと! お主のような者でもそのようなことがあるのでござるか!? むむむ……では主以外を背に乗せた時はどうなんでござろう?」

 ”我は主のためだけに存在することを許されたもの。主以外を背に載せることは(あた)わず”

「それは……困ったことでござるな……拙者も殿を背に乗せることすら出来ぬとしたら……あわわわ、申し訳なくてどうしたら良いか分からなくなってしまうでござるよ……」

 

 ハムスケは彼に心底同情――いや共感だろうか? をしているようだ。自分のせめてもの役目を果たせない辛さは感じたものにしか分からない苦悩だろう。

 

「拙者、少し前は”森の賢王”などと呼ばれて、それなりに大きな縄張りを持っていたのでござる。強さにも自信があったのでござるが……殿と出会ってからというもの会う方会う方皆拙者より遥かに力を持った方ばかりで、自信をすっかり失ってしまったのでござる」

 

 そう言ってハムスケは先ほど見せた気弱な目をしてみせる。が、次の瞬間には再び目に力が戻っていた。

 

「でも拙者はそこで諦めずにひたすら訓練をしたでござるよ! あちらの湖の方に蜥蜴人たちがいたでござろう? あの者達と一緒に命をかけた訓練をしたでござる! 何度も挫けそうになったでござるが……殿への忠誠を思い出して力を振り絞ったのでござる。……そして、拙者は新しい力を手にすることが出来たのでござる!」

 ”おお……それは重畳(ちょうじょう)

「手にした力はまだまだ入り口のようなものでござるが……これからもたゆまぬ努力を続けていけば、きっといつか今よりもっと殿のお役に立てるようになれると信じているのでござる!」

 ”しかし……私は……”

 

 自分にまだ成長の余地が残されているのだろうか? 彼は自問自答する。しかし何もしなければ自分がここで終わりであることもまた確かなのだ。

 

「諦めてはいけないでござるよ! 力がつかないなら知恵を磨くでござる! 知恵がだめなら魔法を学ぶでござる! 魔法がだめなら心を鍛えるでござるよ! 拙者もまだまだ未熟な身ゆえこのような事をお主に言える立場ではないかも知れないでござるが、それでも努力は無駄にはならないはずでござる! 訓練するのでござる! 自分を鍛えなおすのでござるよ!」

 

 ハムスケの力はおそらく自分よりも弱いだろう。言っていることが正しいという根拠もない。しかし彼からは信念に裏打ちされた粘り強さを感じる。

 自分もそうあるべきなのだ。嘆くより前に何か出来ることがあるはずだと信じてみるしかない……。

 

 ”ハムスケ殿、お言葉に感謝を”

「気にすることはないでござる! 共に殿やその忠臣の方々にお仕えする身であれば助けあってもなんの不思議もないでござるゆえ」

 ”私もやれるだけの事はやってみよう……それが例え無駄であったとしても……”

「その意気でござるよ! 拙者もお主に負けないように一層訓練を励むでござる!」

 

 ハムスケと名乗った存在はそうして「では拙者、これにて失礼するでござる」と目礼すると、現れた時と同じように巨体に似合わぬ身軽さを見せて遠ざかっていった。

 不思議な存在だ……自分と比べれば格下なのであろうが、その全身にみなぎる力には訓練によって裏打ちされた自信が見え隠れしている。それは、存在の強さや価値といったものは決して肉体能力の大小ではないのだということを教えてくれる。自分も折れた心を継ぎ治し、今一度立ち上がって主の為に戦うべきなのだ……!

 

 そう思い立った彼の行動は早かった。自暴自棄で駆けまわることを止め、更なる強さを求める目的を胸に走りだした。

 やれることはそう多くはない。しかし胸に燃える炎が下らなくも見える訓練を可能にした。例えば――

 

 主を乗せてのランスチャージを想定した突撃訓練。

 世界の果てまで走り続けることを想定した持久走。

 足腰に加え心肺機能や全身強化を目的とした湖での水泳。

 峻険な岩山を走破することを想定した跳躍。

 超重量を引きずることを想定した荷重走。

 如何なる時も揺るがぬ心を持つための精神統一。

 

 中には一人では不可能な事もあったが、この場にいる存在の中には協力を申し出てくれるものもいた。ハムスケもそうだが、今までに見かけた狼やトカゲの姿をした者達は、その迸る力強さとは別に接しやすく気の良い者達だった。我が主と同等の地位についた偉大なるエルフの少女に仕える者たちらしい。

 樹木のような風変わりな姿をした者達は力強さとは無縁だったものの、時折余り物の果実などを分けてくれた。こちらを不思議そうな目で見ていたが決して邪険にするような雰囲気ではなく、何やら分からない目的のために邁進する存在だと見做してくれたようだった。何かのんきな――まるで長い時間を生きているかのような者達である。

 蜥蜴人たちは相変わらずこちらには近寄ってこないが、彼の姿を見る目にはある種の憧憬が感じられた。戦士の魂を持つ者達であれば我に跨ってみたいと思うのも無理はない。しかし決して手を出してくるような素振りを見せない。実力差ゆえと言うよりは、彼らがその内に抱えた意地によるもののようにも見えた。

 

 繰り返される訓練。目指すべき地平はただ一つ。しかし焦りは禁物――だがいつまた主から声がかかるとも限らないとなれば、ほんの数秒すら惜しい。並の生き物であれば目指しただけでも倒れ伏すような努力でも我であれば可能なはず――! 偉大なる主のために存在している我であれば!

 そうして、彼はまるで苦行僧のような日々を送り続けた。

 

 ・

 

「まあまあ、面白いことになっているのはほんとだってば」

「一体なんだというのアウラ? いいかげん教えてくれないかしら」

 

 ナザリックにおける重鎮二人が第6階層を歩いていた。アルベドは淑女そのままに優雅に、アウラは溌剌さを撒き散らすようにくるくると。

 アルベドはアウラの悪戯っぽい雰囲気を不審に思ったものの、アウラがこうしてわざわざ自分を呼び出すのだからそれなりに意味のあることなのだろうと思いなおす。このいつでも自分と世界を目一杯まで楽しんでいる様な少女は、こう見えて忠誠心という意味ではナザリックにおいて一切疑う余地のない存在だ。無意味に時間を取らせてアインズ様の覇道を間接的にも足踏みさせるような事は良しとしないはず。

 

「ほら、前にここでシャルティアと三人で会った時のこと覚えてるかなあ? あっちこっち見て回ったりした時のだよ」

「ええ、もちろん覚えているわ」

 

 アルベドはしばらく前の出来事を思い出しながら応える。偉大なる御方から休むように命じられた時のことだ。正直時間を持て余し気味だったところをアインズの薦めで女性守護者とこの階層であれこれとやった時間のことだ。

 あの時は正直「自由になる時間があるのであれば、アインズ様のお側にこそいたい」と思ったものだったが、振り返ってみれば自分の能力やナザリックの変わりゆく一面を確認する良い機会にもなった。あの後、至高の御方は恐らくそこまでお考えになられてあのような命令を下されたのだと思い至り、あらゆる時と場所で発揮される主の深い配慮に体が震えたものだ。

 

「あの時さあ、アルベドが騎獣を呼び出したじゃない? あれ送還してないよね」

「必要な時にまた呼び出せば良いかと思って自由にさせていたけど……何かトラブルでも起こしたかしら」

「それはへーき。でもね……あ、ほらもうスグそこに来てるよ。乗ってあげたら?」

「それは、その、アインズ様にご協力を頂かないと……」

 

 騎獣に乗れない理由は一つしかない。そちらの状況に(非常に残念ながら)変化がないのだから何をしてもまた同じ結果になるだけだろう。

 

「いや、なんかここのところ面白くって眺めてたんだけどさ、あの騎獣、なんかちょっと風変わりなことをしてたんだよね~。まあそれで何が変わるとか分かんないんだけどさ、試しにもう一回乗ってみたらって思うんだけどなあ」

「トップ・オブ・ザ・ワールドが?」

 

 召喚で呼び出される騎獣を放っておいたら勝手に訓練していて、再び跨った時に使い勝手が良くなっていたなんてことがあり得るのだろうかとアルベドは考える。が、アインズ様に声をかけられたあの日以来全てのものは新しい可能性を持つようになった。ひょっとしたらこれすらも偉大なる方の企みの一つであるかも知れない……。

 見れば風のように目の前に現れた自分の騎獣は一回り大きくなったような印象を受ける。目にはあの時よりいっそう強い光が宿っているようにも見えた。波打つ筋肉と流れるたてがみがまるで自分に「乗れ」と言っているかのようだ。

 と、一つの変な思いつきがアルベドに言葉を紡がせる。

 

「アウラ……まさかとは思うけど、これに乗れるか乗れないかで……私が、その、アインズ様とそうしたことになってないかどうかの確認をしようとか……」

 

 それを聞いたアウラは少しばかり口を尖らせる。

 

「変なこと言わないでよね。そんな変な事考えたりなんかする訳ないじゃん」

「そう、そうよね。シャルティアじゃあるまいし……ごめんなさいね」

「分かってくれればいいよ」

 

 こういう話で引き合いに出されるシャルティアもいい面の皮ではある。ただ、もしシャルティアがアルベドの立場だったとしても同じような内容を問うたであろうことを考えれば、正直そのメンタリティはどっちもどっちではあった。

 アルベドはしばし黙考する。無駄な邪念を捨て去って考えれば、アウラの獣たちに対する直感や管理能力は超一流だ。その方面においてはアルベドは全く敵わないと言っていい。そのアウラがこうまでして再び騎獣に跨ることを勧めてくるのは重要な意味を持っているかのように思われた。

 そこで、先日と同じようにまずはトップ・オブ・ザ・ワールドに触れてみる。しかし、あの時のような動揺は見られない。これならひょっとして? という思いがアルベドに芽生えた。

 

「……行けるかもしれないわね」

 

 アルベドは取り敢えず前回と同じように跨ってみることにする。その外見に似合わぬ身体能力を発揮して、軽々とトップ・オブ・ザ・ワールドの背へ身をひるがえらせた。

 前回はここで騎獣が力を失ってしまったのだが……不思議な事に今回は大丈夫なようだ。最初の一瞬こそ何かの震えが走るような動きを見せた騎獣だが、即座に盛り返すと緩やかに歩き出す。太腿と尻から伝わってくる騎獣の力強い筋肉の動きは頼もしさすら感じさせる。

 

「よし! さあ、その力を見せてみなさい!」

 

 アルベドの指示が飛ぶやいなや、騎獣はまさに疾風のごとく走りだした。何かを背に乗せているとは思えないほどの軽々とした動きで大地を蹴り、跳躍する。密集した木々の間をすり抜ける時ですらその背に跨るアルベドに小枝の一つすら当てない完璧な走り。時折背の主を楽しませようとするかのように加速してみたり、あるいは不意に旋回したり、飛び上がってみたり。しかもその間全てで驚くほどに揺れが少ない。ゆるゆると走る馬車にでも乗っているかのようだ。

 

「ふふふ……楽しくなってきたわ。良い子ねトップ・オブ・ザ・ワールド! 流石は私の騎獣!」

 

 この時のアルベドの心境としては、自分専用に調整されたレーシングマシンで最高のパフォーマンスを発揮しているバイクレーサーのようなものだったろうか。人馬一体となって景色を通りぬけ、次はあそこへ、そのもっと先へ、もっと早く、もっと遠く……。馬という存在がいればそれに乗って楽しむものが必ず現れるように、その速さには人を陶酔させる何かがあるのだった。

 そうしてアルベドは暫くの間、人馬一体の快感に身を任せる。

 

「――ベド! アルベド――!」

 

 遠くからアウラの呼ぶ声が聞こえたことでアルベドは我に返る。小走りで走り寄ってきたアウラの元へと騎獣を向かわせる。

 

「どうしたのアウラ」

「うん、楽しそうなのは良いんだけどさ、そろそろ降りたほうが良いんじゃないかなーって」

「そうね、仕事を抜けてきているのを少し失念していたようだわ」

 

 アルベドは少しばかり名残惜しい気持ちを残しながらも騎獣から飛び降りる。理由はよく分からないにしても騎獣に乗れることが確認できたのは重要な事だ。これでいざという時に自分の持つ力を十全に発揮することが分かったのだ。

 しかもそれに加えて、いつか、ひょっとしたら、できれば、アインズ様と二人乗りするチャンスさえあるかも知れない。アインズ様と一つの馬に乗って二人っきりで遠乗り……甘く優しく語りかける御方の声――、前に乗る自分の腰に回された美しい指先が不意にいたずら心を起こして私の――、その焦らすような動きに堪えきれず私の体は――、

 

「ああっ、いけませんわアインズ様、騎獣が見ております……!」

「アルベド、ちょっとアールーベードー」

「はっ!?」

「もーしっかりしてよー。守護者統括でしょーが」

 

 アウラが呆れたようにアルベドの顔を覗き込んでいる。いや実際呆れている。この守護者統括は能力も忠誠心もケチのつけようのない存在だが、正直に言えば変人だ。アウラもアインズに自分が褒められたりする場面を想像してニヤニヤすることはあるが、特別なご寵愛とかそういうことはあまり意識はしていない。

 というかアウラの中では、守護者たちの中でアインズに一番可愛がられているのは自分だという”特に根拠は無いけど凄い自信”が漲っていたりする。愛されて育った子供は最強という感じではあった。

 

「んっ、んんっ、……ま、まあとにかく騎獣に乗れることが分かったし、アウラ、あなたの助言に感謝するわ。でも、なぜ乗れるようになったのかしらね?」

「うーん、まあ、いくつか理由はありそうだけどね。まあ取り敢えずまたしばらくここで自由にさせといたら?」

「そうね。そうさせてもらえる?」

 

 アルベドは満足気に騎獣を撫でる。少しばかり騎獣が震えたような気がしたが、こうして乗れたのだから問題にはならないだろう。アルベドはこのことを教えてくれたアウラに一通り感謝の言葉を述べた。

 

「いーっていーって。これもお仕事のうちじゃないかなーって思うしさー」

「私は他の予定が詰まっているから第9階層に戻るけど……また何かあったら教えてちょうだいね」

 

 アルベドはそう言うと、守護者統括としてまともに働いている時のあの深く優しげな笑みを浮かべる。こうしていれば隙なく優秀な美人なんだけどバカやってる時はホント酷いからなー実は結構バカなんじゃないかなー、……などとアウラが考えているとは思いもしないのだろう、来た時より上機嫌に足取りも軽くアウラの元から離れていった。

 

 ――騎獣は再びその場所に取り残される。

 

「うーん、もう大丈夫じゃない?」

 

 アウラがアルベドの姿を視線で追いながら振り返りもせずに不思議な言葉を紡ぐ。と、言い終わるが早いがアウラの背後で何かが崩れ落ちる派手な音がした。

 アウラが振り返るとそこには想像した通りの光景――トップ・オブ・ザ・ワールドが泡を吐き、鼻血までも吹き出して完璧に昏倒していた。全身蕁麻疹のような発疹が現れて見た目は最悪だ。しかも仰向けひっくり返って痙攣する足を中に伸ばした由緒正しい失神スタイルである。

 しかしその顔には何やらやり遂げたようにも見える満足気な気配があった。

 

「なんか根性見せてもらったって感じだよね。アルベドのものじゃなかったら自分のシモベにしたくなっちゃうな!」

 

 アウラは強かったり珍しかったり変わった能力を持っていたりする魔獣に目がない。今いる自分のシモベたちは至高の方々に与えられた存在ばかりだが、もっと増やしてさらに至高の御方の役に立てるようになりたいと思っていた。会話が出来るわけではないが、この騎獣の気持もなんとなく分かる気がする。

 

「まあ、とりあえず満足気だから、いっか」

 

 そろそろ泡の出方がカニのようになりつつあるトップ・オブ・ザ・ワールドをため息混じりで眺めると、さてどうやって失神した馬を治療しようかと思案し始めた。

 

 ・

 

 ナザリック地下大墳墓第6階層を覗けば、そこでは今日もまた謎の修行を続ける一体の双角獣(バイコーン)を見かけることができる。眺めていると並走する他の獣たちの姿も見かけられたりするし、時には板切れに乗った大福、いや重し、いやハムスケをロープで引きずって走る往年のスポ根漫画のような光景を目にすることが出来たりもする。

 真実を知るものからすればそれらの訓練に意味があるのかは甚だ疑問――を通りすぎて意味不明なのだが、まあ当の獣たちが納得しているようなのでこのままでも良いのだろう。

 

 ところで、本件の根本的な解決をはかるにはアルベドがアレすることによってナニになるしか無いのであるが、当のアルベドはアルベドで本件の後、

「乗れないはずの騎獣に乗れるようになったということは、それまでの行いに何かきっかけがあるはず。騎獣に乗れるようになるまでに私がしていたこと……はっ!? まさか、アインズ様のベッドで一人でいたすことが、アインズ様と実際に――するのに近い効果(1/1000程度の効果:当社比)がある可能性が!?」

 という結論(妄想)に辿り着き、大義名分を得て今までよりさらに積極的になにやらするようになったとか。

 

 付け加えるなら、積極的にタックルを仕掛けてマウントポジションからのK.O.を狙いに行ったりもしているのは記憶に新しいところだが、現実はカウンターを食らって謹慎三日が今のところの戦績である。勝利しての除膜式は開催の目処が立たず、今のところただアインズのベッドだけが甘い匂いを濃くするだけに留まっているそうな。

 



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