寄生少年の学園生活日誌 (生まれ変わった人)
しおりを挟む

一章 転校
プロローグ


はい、性懲りもなく書いてみたい物を書いてみました。

「がっこうぐらし!」のりーさんの状態が……なので色々と救済したく思いました。
ただ、寄生獣は原作基準なのでアニメの設定ではないこと、がっこうぐらし!は恥ずかしながらアニメでしか内容も見れてないので、高校卒業までが限度です。

その上、色々と捏造設定もあることと筆休めの意味合いもあるので過度な期待はプレッシャーです……(汗)

色々とガバガバな所がありますが、とりあえず書いてみます!


人は生きていれば必ず悲しい出来事に直面する。

 

それは言われなくても分かっている。

高校生にもなれば自ずとそんな現実も認めることができる。

そして、自分は大人なのだと優越感に浸る。

 

 

しかし、頭では分かっていても心の中ではどこか他人事なのだ。

今、この瞬間に事故に遭うかもしれないのに俺たちは『死』や『危険』を遠いものと嫌悪して考えないようにする。

 

母が死んだ。

 

学友も死んだ。

 

俺のことを想ってくれた女の子も死んだ。

 

大切な人ももういない……

 

 

一緒に戦い、答えを示してくれた友もいない。

 

 

 

戦って……いつも一緒にいた友も今はいない。

いや、いないというよりは『眠っている』と言った方がいいのかな。

まだ、死んでないだけありがたい話だろうな。

 

 

俺が何を言いたいかと言うと……人は悲しいことがあっても立ち直れるってこと。

母さんが死んで、『奴ら』を駆逐するために戦いに明け暮れたけど、結局は自分のためだった。

 

俺がやってたことなんて、世界から見てもちっぽけな物だ。

全てが終わった今だから言うけど、あの時の俺は本当に心に余裕が無かった。

 

おこがましいかもしれないけど、短い間に俺は一生分の悲しみを味わった気分さえ感じている。

色んな人、パラサイトの生き様を見て、最期も看取ってきた。

 

 

それでも、俺はこうして狂うことなく、父さんと暮らしていられる。

 

 

朝起きて、朝ご飯を食べる自分に思ってしまう。

 

やっぱり人間って単純だなって。

 

 

「新一。高校への通学路は確認したのか? 分からなかったら送ろうか?」

「んー、大丈夫。一応の確認はしたしさ」

「そうか」

 

 

新聞を読みながら通学路の心配をする父に苦笑する。

一応、歩いて高校にまで行ったから、問題ないことを告げると短く返す。

 

 

 

 

俺、泉新一は住み慣れた町を離れ、父と新しい街に引っ越してきた。

大学受験を控えた高校2年の中途半端な時期に引っ越すのも変な話だが、そのことはあまり詮索しないで欲しい。

 

 

あの町を中心に、俺は色んなものを失った。

 

 

 

今では田宮良子のおかげで胸の『穴』も埋まり、以前よりもパラサイトへの恨みも消えはしたが、それとこれとは話が別だ。

 

あの町には、悲しい思い出が多すぎる。

 

 

あそこに住んでいると、偶に思い出しては胸が締め付けられるように苦しくなる。

その惨劇の切っ掛けは俺自身が原因だから尚更に……

 

 

そんな俺の気持ちを理解してくれたのだろう、父さんは言った。

 

「引っ越して、一からやり直さないか?」

 

 

この引っ越しも父さんが言い始めたことだ。

 

最初に聞いたときは戸惑いもしたけど、自分でも驚くほど抵抗はなかった。

確かに住み慣れた町を離れること、短い年数とはいえ一緒に騒いだ友達と別れることは寂しかった。

 

 

でも、あそこにいると色々と思い出してしまう。

 

 

ミギーは心に暇があるのが人間の美徳って言ってたけど、俺はそんなに暇じゃない人間ってことなのか?

少し『混ざってる』ことも関係してるのか?

 

 

そんな答えは分からない。

 

ただ、俺はもやもやする心に踏ん切りをつけたかった。

恐らく、父さんもそうだったかもしれない。

 

だから、引っ越しや転校もすんなりと受けられた気がした。

 

 

転校すると知った友人たちは俺の転校を寂しがり、激励してくれた。

宇田さんにも転校のことを伝えたら泣きながらも俺のことを応援してくれた。

 

俺は恵まれている。

いい仲間を持ったことで、今もこうして穏やかに過ごせている。

 

 

 

「そろそろ時間かな。行ってくる」

「あぁ……友達できるといいな」

「まぁ、大丈夫でしょ」

 

こんな短い会話も俺の幸せの一つだ。

 

カバンを持って家を出ようとすると、父さんが気が付いたように呼び止めた。

 

 

「行く前に母さんに挨拶してきなさい」

「あ、そうだね……」

 

気が付かなかった。

ちょっと浮かれてたかもしれない。

言われるままに居間へと向かう。

 

新築だからか、畳の匂いが色濃く感じられる部屋に飾られた仏像の前に座り、線香を立てる。

 

「母さん……俺、今日から新しい学校へ行くよ」

 

手を合わせ、黙祷する。

 

「今日からは巡ヶ丘学院高等学校っていう所で、やり直すよ」

 

 

「だから安心してください」

 

 

 

 

母さんの遺影を通して、今はいない母さんに挨拶と報告をした後、俺は今度こそ家から出る。

 

 

 

「行こうか。ミギー」

 

 

そして、俺の相棒に挨拶することも忘れずに。

 

 

 

 

家から出た時にかかる日差しは眩しくて、優しいくらいに暖かかった。




はい、ただのプロローグです。

今はリアルでも普通に忙しいので、今回はこれが限界でした。

他の作品も頑張ってますが、どうにも時間がかかってます。

これについては色んな反応を基に検討していこうと思ってます。
今が今なので更新は遅いかもしれませんが、せめてりーさんは出したい……!

色々とうろ覚えな所があるので、違和感とかあれば感想お願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

出会いと転校

ここで何ですが、この作品での設定を簡単に説明します。

まず、この世界では村野里美は島田の事件で死んでいます。
なので、彼女のことは村野と呼びますし、もちろん初夜もしてません。

しかし、それ以外の設定はあまり変わりません。
胸の穴も田村玲子に埋められ、後藤と戦った後にミギーとも別れてます。

ですが、浦上とは未だ会ってないので、依然として逃亡してます。
現在までは……

なので、プロローグに書いた『人間の美徳は心に暇があるとミギーが言った』宣言はまだ聞いておらず、ミギーと未だに繋がっていることは知らないはずです。
なので、プロローグを一部訂正します。
近いうちにまた短い設定等を公開する予定です。


やってしまった。

今日に限って寝坊してしまい、全力で走っている。

 

走りながら携帯を見るのはご法度だけど、今だけは大目に見てほしい。

すっかり慣れた通学路を陸上部で鍛えた足で全力疾走する。

 

「あー、もうちくしょう!」

 

いつもはやらかさないミスだけど、寝坊して朝練遅刻確定コースの現状に乱暴な言葉で愚痴る。

もちろん、その矛先は自分に。

 

既に先輩とかには連絡したけど、できるだけ早く行って謝らないといけない。

朝食も手軽な物を咥えていつも乗る通学バスへと急ぐ。

 

だけど、携帯の時間とバスの出発時間の差が既に数分の差しかない。

更に足に力を入れて速く走る。

 

目指す所さえ分かっていれば、疲れて足を止めることは無い。

風で汗ばんだ身体が冷えても走っている身体が熱くなるのを感じる。

 

無我夢中で走っていると、ようやく目的のバス停と乗るべきバスが見えた。

少しだけ一息吐けたのも束の間、バスに乗ろうと並んでいた列の最後尾の人が乗り込むと、扉が閉まった。

 

「ちょっ、待っ……!」

 

私の願いを無視するかのようにプーっと呑気なブザーを鳴らして出発してしまった。

 

でも、まだ希望はある!

せめてバスの最後尾を叩いて運転手に気付いてもらえれば……!

そう思って私の持てる最大の、最速のスピードで走る。

 

どんどん加速していくバスの車体に手を伸ばして……

 

「つあっ!」

 

掠っただけだった。

 

そのまま伸ばした手から離れていくようにバスが走っていく。

 

軌道に乗ったバスのスピードにもう追いつけない。

そんなバスの後ろを見送りながら諦めたその時だった。

 

 

私の横を誰かが通り過ぎた。

 

 

突然のことに目を見開くと、私の前を走っていく男子の後ろ姿があった。

しかも、疲れてるとはいえ私を置き去りにして、物凄い速さで走っている。

 

「はっ!?」

 

まさかの光景に私も驚きを隠せなかった。

 

いくら疲れてると言っても、陸上部の、しかも全力で走っている私を悠々と置き去りにするほどの脚力を見せつけられたら仕方がない。

しかも、男子は遅くなるどころかスピードをキープ……いや、むしろまだ速くなっている。

もう既にバスの入り口にピッタリ付いて来ている。

 

こんな速さ、先輩でも無理だっての!

いや、むしろこれオリンピック選手じゃないの!?

 

「すいません! 乗せてください!」

 

男子は慌てた声でバスを叩きながら運転手の人に呼び掛けると、バスは止まった。

 

赤いランプが光り、再びドアが開いた。

 

「あ、すみませんでした。以後、気を付けますので……」

 

男子は運転手の人に謝りながらバスに乗り込む。

 

(あんなに速く走ってたのに呼吸も乱れてないって、おいおい……)

 

驚きが大きすぎて私はその男子に目が離せなくなっていると、その男子はバスに乗る途中に動きを止め、私の方を見てきた。

 

「えっと、君、乗らないの?」

 

誰かに聞いているのか分からず、周りを見渡しても誰もいなかった。

ただ、自分の漏らす呼吸の音しか聞こえず、誰もいないことは普通に分かる。

 

ここで初めて自分に言ったものだと気付いた。

 

「あ、乗ります!」

 

私が乗り込んだのを確認して、運転手はミラーで誰かいないかを確認した後、再びドアを閉めて再発進した。

 

やっとバスに乗れたことで私の緊張も消えて今までの疲れがブワっと押し寄せてきた。

肝心のバスに乗れたことで朝のホームルームに遅刻する危険は消えた。

部活には遅刻したけど。

 

でも、さっきの人は凄かったな。

陸上部でもあれほど速い人は先輩含めても見たことが無かった。

 

走り方はいたって普通、完全なフォームじゃないから同じ陸上部じゃないって分かるし。

 

色々思ったことがあるからずっと見てると既に離れた所で吊革につかまって立っている男子と目が合った。

 

「えっと……」

 

色々気になって無意識的に見つめてたらしい、完全に私の方を見てあたふたしている。

 

やば、ちょっと失礼だったかな?

でも、これはいい機会かもな。

バスに乗れたお礼もしたかったし。

 

「あぁごめんな? ジロジロ見ちゃって」

「あ、それはいいんだ。少し気になってただけだから気にしないで」

 

話してみると、すごく丁寧で話しやすかった。

このまま話してみてもいいかも。

もう急ぐ必要もないし。

 

「私、このバスに乗らないと遅刻確定するとこだったから危なかったんだよ。ありがとな。えっと……」

 

お礼を言いたいけど、この男子をなんて呼んだらいいか分からない。

かと言って急に話しかけるのも失礼かな、そう思っていると男子の方から名乗ってくれた。

 

「あ、おれは泉新一」

「泉新一、か。私は恵飛須沢胡桃っていうんだ。苗字長いから名前でいいぞ」

「恵飛須沢……胡桃か。それならおれは新一でいいよ」

「ああ、よろしくな。新一」

 

苗字長いし、急に下の名前で呼ばせるのはどうかと思ったけど、新一は快く承諾してくれた。

少し話してみて分かったけど、新一がいい奴だとすぐに分かる。

何というか、人畜無害って奴だ。

 

だけど、それでいて落ち着きがあるな。

雰囲気が何だか……大人っぽい。

 

でも、私にはそれよりも気になることがある。

言わずもがな、新一の足だ。

 

「さっき見てたけど新一っていい脚持ってるよな。あれだけ速いの初めて見たよ」

「そうかな? 俺も急いでたからよく分からなかったけど……」

 

本人はすっ呆けているけど私は騙されない!

新一の脚はそんじょそこらの、いや、高校生陸上大会にでも絶対に通用する!

間違いなく潜在能力はある。

 

「いやいや、ありゃ間違いなく高校生じゃあトップクラスだったって! 一応は陸上部の私でも全然追いつけなかったし」

「へ、へぇ~……胡桃って陸上部だったの?」

「うん。だから新一は間違いなく逸材だって分かる」

 

何だか新一の顔が引き攣っている気がするのは何故だろうか?

 

「ごめん、何か変なこと言ったか?」

「あ、あぁ、そうじゃないんだ! ただ、自分でも驚いちゃって……あはは……そういえば、胡桃って巡ヶ丘学院高校の学生なのか?」

「露骨に話題逸らしたな……そうだけど、新一もそうなんだろ? 違うのか?」

 

悪い奴じゃないけど、何となく変わってるな。

地雷踏んだならともかく本人が気にしないっていうならこれ以上は詮索しないようにするか。

 

「おれもそうなんだけどさ。今日転校してきたから詳しい場所とか分からなくて。今も土地勘が無かったから予想以上に遅くなっちゃって」

「転校か。変な時期に転校してきたんだな」

「家庭の事情って奴さ。よくあるだろ」

「苦労してんだな……てことは受験への余裕とかかぁ?」

「……ノーコメントで」

「ごめん。調子乗りすぎた」

 

色々思うことはあるけど人には色々あると思った瞬間だった。

転校云々の話はここで止めた。

この話題は私にもダメージがいくからな。

 

 

その後は学校前に着くまで新一と話した。

話も弾んでたからそんなに時間が経ったとも思わないほどに。

 

バスから降りた後、色々と不慣れな新一を職員室に案内するために学校まで一緒に付いて行った。

それからも互いに他愛のない、学校やここらのことを教える内に職員室にもすぐに着いた。

 

「ありがとう胡桃。おかげで助かったよ」

「いいってそんなもん。私もバスの件があるし、これでお相子ってことでどうだ?」

 

そう言うと新一は可笑しそうに笑った後、手を上げて別れる。

 

「おれはもう入るよ。同じクラスならまた会えるな」

「同じクラスじゃなくても陸上部に来ればまた会えるだろ。困ったことあったら言えよ。後、陸上部に来るって話忘れるなよ?」

「分かってるよ。じゃあな」

 

手を振り返し、新一が職員室に入ったのを確認して私も教室に向かう。

 

教室に向かう間、いつもよりも増して体が軽い気がした。

今日は珍しく学校に向かうまでは楽しかった。

 

別に学校が嫌いなわけじゃない。

ただ、いつもよりも楽しかったということだ。

新一がいい奴だったことが大きいしな。

 

 

本気で陸上部に誘ってみようかな?

あれなら受験できなくてもスポーツ推薦で大学行けそうだし。

 

 

色々不慣れな土地ということもあって景色を堪能しながらバスに向かっていたけど、思ったより時間を喰ってしまった。

それもあって急いでたら今日初めて知り合った胡桃にその様子をバッチリ見つかった。

 

俺は普通に走ってたつもりだったけど、ミギーと混ざってる俺は半ば人間を辞めている。

そのために陸上部の胡桃に目を付けられた。

いや、それ以前にバスに追いつく時点で相当に目立っていたのかもしれない。

あまり女の子らしくない喋り方だけど、胡桃はいい子だったから知り合えたことが唯一の幸運だっただろう。

 

でも、俺としてはあまり目立ちたくない。

と言うよりそっとして欲しい。

 

西高の島田事件は日本、いや、世界中に知れ渡るような凄惨な事件だったから、そこから転校してきたおれは間違いなく注目されるだろう。

このことは胡桃には話していないし、聞かれない限りは口外するつもりもない。

 

それに、少し調べられればおれが如何にパラサイト事件と深く関わっているかなんてすぐに分かってしまう。

以前は探偵や警察とかで色々あったから、もうこの話題で振り回されたくないというのもある。

 

だから、可能であればこれからのおれの担任の先生にもそのことを伝えたい。

ただ、いい人であったなら、だけど。

 

色々と不確定な所はあるけど、起きてもいないことを考えるのは止めよう。

 

とりあえず、これからの方針を軽く考えていると、おれの前に女性がパタパタと走ってきた。

 

「遅れてごめんなさい。あなたが泉新一くん……ですか?」

「あ、はい。そうです」

 

雰囲気が柔らかそうで、随分と小柄な目の前の女性がおれの担任の先生なんだろう。

意外と、先生に言うのもあれだけど可愛らしい先生だった。

 

「私は佐倉慈。今日から泉くんの担任になるわ。よろしく」

 

何だかポワポワしてて癒されるな。

先生っていうか……人形みたいな人だな。

 

そうしていると、佐倉先生が俺に対して頬を膨らませて睨んでくる。

凄く愛嬌あって怖くないけど。

 

「えっと、どうかしました?」

「その目、泉くんがどう思っているかすぐに分かるもの。どうせ先生に見えないんでしょ?」

「え、いや、そんなことは……」

「いいわよもう、もう慣れたから……うぅ、大人の威厳が……」

 

何故だかおれの心の的を射た反応に内心でドキっとするも、先生はどこか悲壮感を漂わせて落ち込んだ。

その様子からだと、生徒たちからはあまり先生として見られていないのだろう。

こう言っちゃ悪いけど、先生からは威厳どころか平間さんのような風格もあまり見られない。

 

もっと言えば、つい最近までパラサイトたちの殺気を浴びてきたのだから、先生に威厳があったとしても小さすぎて分からない。

大分、感覚も麻痺したのかな。

 

「佐倉先生。そろそろHRが始まりますよ」

「あ、はいすみません! じゃあ泉くん。教室に行きましょう」

 

別の先生に注意されて先生はようやくおれを案内する。

おれは先生の後を追って職員室から出た。

 

 

 

教室に向かう廊下は既に静かで、誰の姿も見られない。

既にホームルームの時間が始まっているのだろう。

 

「あの、泉くん。ちょっといいかしら?」

「はい、何でしょう?」

「あのね、泉くんにとってはいい話じゃないのだけど……」

 

しばらく歩き、先生のクラス前にまで来ると神妙な表情になって話してきた。

それだけで彼女の言いたいことを理解した。

 

まあ教師だからそれくらいのことは知ってるだろうな。

こっちから切り出す手間が省けたかな。

 

「泉くんが西高から転校してきたのは知ってるわ。それに、泉くんの事情も……」

 

だろうな。

 

「あの、余計なことで鬱陶しいと思われるかもしれないけど、これだけは言っておきたくて」

 

先生はおれの目を見てはっきりと言う。

 

「もし、泉くんが触れられたくないなら生徒にもあまり情報は喋らないようにするし、私もフォローする。こんな時期だから進路のこともあって大変だけど、何か悩みがあったら相談してほしいわ」

 

この人……

 

「泉くんの成績も事件の後で凄く落ちてるって聞いたし、凄く足が速くて、今から部活に入って記録を残せばスポーツ推薦も狙えるほどだって聞いたわ」

「え? 聞いたって……前の学校にですか?」

「えぇ。色々分かってたほうが泉くんの進路相談にも役立つなって思って……あ、でも受験はまだ後だから、勉強次第では成績も変わって入れる大学も……うぅ、昨日まであんなに調べたのに……」

 

先生は小さく言っているようだけど、おれの聴力の前では無意味だった。

恐らく、今後のおれの成績が変わることを考慮し忘れてたんだろう。

さっきまでの穏やかな表情が今ではショボーンと寂しそうだ。

 

 

 

佐倉先生はいい人だ。

 

さっきまで身構えてたおれが馬鹿みたいだって思うほどに。

 

先生は俺のことを本気で心配して、サポートしようとしてくれている。

それは目を見ただけで分かった。

 

愛情のないパラサイトとは違って、先生の目からは温かい何かを感じられる。

 

色んな人、殺人鬼にも会ってきたおれには分かる。

この人の目は人を凄く落ち着かせて、安心させてくれる。

 

「ぷっ」

 

思わず吹いてしまったおれに先生は気付いてまたまた不機嫌そうな顔になった。

表情がコロコロ変わるのも微笑ましい。

 

「何で笑うの? そんなに面白いこと言ってないわ」

「いえ、何でもありませんよ」

「……本当かしら?」

 

先生はおれを疑わしそうに見てくる。

 

先生がいい人だということは短時間で分かった。

 

この人になら、『寄り添って』もいいかな。

 

「あの、そろそろ入りませんか? 結構長く話したみたいで」

「え? あぁ! もうこんな時間!? じゃあそうね、えっと……私が呼ぶまではそこで待っててね」

「はい」

 

腕時計で時間を確認した後、先生は教室の扉に手をかける。

先生が中に入ってHRが始まると生徒たちの笑い声と先生のあだ名だろうか、『めぐねえ』って言葉に抗議してはまた笑い声が響く。

それを聞きながらおれの紹介が来るまで扉の前で待機する。

 

 

まだ判断するには早いけど、この高校でのスタートはどうやら正解だったと思えて少し安心した。




今回は凄く短いです。
しばらくは主要人物たちと関わって前準備を進める予定なので本編までは少々時間がかかります。

どうかそれまでは生暖かく見てくださったら幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

何気ない日常①

感想の設定を素で忘れてました。


しばらくHRと先生に対するあだ名イジリを教室の外で聞きながら待機する。

なんだか先生って感じじゃない扱いに苦笑していると、先生が教室から言った。

 

「泉くん。入ってください」

 

それに従い、おれが教室に入ると大勢の視線が集まるのを感じた。

そう言えば、事件とかそういったことが起こる度に今の視線よりももっと懐疑的な目で見られたこともあったっけ。

 

(いやいや、何思い出してんだ。今は関係ないだろ)

 

どんな些細なことでもすぐに西高時代のことに当てはめるのはよくないな。

黒板の前に立ち、深呼吸した後に自己紹介をする。

 

「こんにちは。泉新一です。色々と分からないことがありますが、よろしくお願いします」

 

挨拶をすると、辺りからパチパチと拍手が起こる。

で、その後にクラス中でおれについてのヒソヒソ話が繰り広げられる。

普通なら聞こえないようなものだけど、五感が優れてるおれなら集中しなくても耳に入ってしまう。

 

『こんな時期に転校生? 中途半端だよな』

『何だか大人しそう……顔は悪くないわね』

『右眉のあれ、怪我か? 意外と不良だったりして』

『あの顔、どこかで見たことあるような……』

 

あちらこちらでのお喋りが聞こえてしまう中、肝がヒヤリとするような話題があった。

 

そう言えば、ネットでおれの顔が映ったような物があったような……やっぱりここでもある程度は広まってるのか……

 

少し気持ちが下降気味になっていると、先生が手を叩いてお喋りを止めさせる。

 

「はいはい。お喋りしない。泉くんのことが気になるのは分かるけど、そういうのはお昼休みにしましょうね」

 

先生の制止で生徒全員が話を止めた。

静かになったのを確認して先生がおれに座るよう促す。

 

「それじゃあ、後ろの席が空いてるからそこになるけど、黒板見える?」

 

誰も座っていない最後尾の席は何ら問題ない。

今の視力なら黒板どころかもっと小さいものも見えるだろう。

 

だけど、その席の隣の変わった帽子を被った女子……女の子の方が気になった。

何だかおれとは同い年に見えないというか、凄く幼く見える。

猫耳のような帽子と机にかかる天使の羽のような物が付いたカバンといったファンシー趣味は高校生とは思えない。

言ってしまえば、あどけない小学生が高校に迷い込んでいるようだ。

 

「丈槍さんの隣でいいかしら?」

「へ!?」

 

突然呼ばれた丈槍という子は素っ頓狂な声を上げておれを凝視した。

そんな変な物を見るような目で見られると少し傷付くな……

 

先生はおれに笑顔で席に行くよう促す。

従う他ないし、断る理由も無いから教室の後ろへ移動するとまたヒソヒソと話し声が耳に入る。

 

『泉くん。可哀想にね』

『丈槍さんかぁ……よく分からないからなぁ』

 

何だかあまりいい話題ではないな。

聞いていていい気分じゃない。

 

聞こえてくる話を無視し、指定された席に座って丈槍と目を合わせる。

 

「こんにちは。これからよろしく」

「あ……うん……」

 

静かな子なのか?

人見知りだとしたらおれの存在が気まずいのかもしれない。

慣れるのに時間かかることは覚悟するか。

 

そう思っていると先生が丈槍に言う。

 

「泉くんはまだ学校のことは色々と不慣れでしょうから丈槍さんが案内してあげて?」

「え!? 私!?」

 

丈槍がまたも叫んだ。

 

その様子におれのことを嫌っているんじゃないかと思ってしまうほどにオーバーだったから先生に拒否してもらおうとした。

ただ、先生はおれの無言の訴えを拒否するようにニッコリ笑って黙殺する。

 

あの先生がわざわざ人の嫌がるようなことさせるような人には見えないけど……

 

でも、世は非情であり、ヒエラルキー的に先生は生徒の上の立場に位置する存在だ。

食物連鎖と同じで、基本的に先生に逆らえるわけはない。

だからおれは丈槍を見て頭を下げた。

 

「えと、頼んでいいか?」

「……うん」

 

小さい体を更に小さくさせて頷く姿に、小さい子供を泣かせたような感覚に陥り、少し罪悪感が湧いた。

 

 

 

 

 

 

 

全ての授業は何事もなく終わったころ、辺りは静かになっていた。

教室には既におれと丈槍以外は全員出て、二人だけだった。

 

昼休みの時は弁当に舌鼓を打ちながら色んな人から趣味とかこんな時期に転校してきた理由とかおれに関することは根掘り葉掘り聞かれた。

流石に西高については誤魔化したけど。

 

そして放課後にまた質問攻めが来るかなーと思っていたらそうでもなかった。

 

でも、転校生なんて珍しくもないからこんなものか。

 

転校生に対するイメージが一つ分かったところで、おれは本題に入る。

丈槍に校内の案内を頼もうとすると、あっちの方から声をかけてきた。

 

「えっと、めぐねえも言ってたけど……学校見る?」

「うん。それはありがたいんだけど……嫌なら無理しなくてもいいんだぞ?」

 

あまり無理強いさせるような形で悪いかな、と思っていると丈槍は首を横に振って遠慮がちに言った。

 

「ううん。ただ、私といても退屈だと思って……」

 

その言葉をきっかけに昼間のことを思い出した。

 

丈槍の今の態度は人見知りとかそういうことだけじゃない。

先生と話す時はもう少しフランクだったように見えたし、声も少し嬉しそうだったのは覚えてる。

というより、皆とはどこか一線を引いているって感じがした。

 

「いや、そんなことないよ。それどころか丈槍が優しいと分かって安心した」

「え?」

 

おれの言葉に目を丸くする。

 

「ほら、おれとは初対面の人にはあまり慣れないって気持ちは分かるからさ、少し気まずいかもしれない。でも、それでも丈槍はおれのこと待っててくれたんだろ? それが優しくなくてどう言うんだ?」

「え? あの、う~ん……」

 

丈槍は腕を組んで首を傾げながら必死に考えている。

そんな行動に微笑ましさを感じるが、このままだと時間が過ぎていきそうだな。

 

「それにさ、こんな時期に転校しちゃって、このままじゃあ友達作れないまま卒業しちゃうかもしれない。だから、丈槍とは友達になりたいって思うんだ」

「私と?」

「あぁ。それとも、おれとじゃあダメかな?」

 

少しの冗談も交えて、挨拶を兼ねた握手を求める。

丈槍は首を横に振った後、おれの手を両手で掴んで応じてくれた。

今日初めて見せるような無邪気な笑顔で。

 

「うん! じゃあ今日から友達!」

 

高校生とは思えないほど無邪気な笑顔だからか、おれまで笑ってしまった。

 

あぁ、やっぱりおれはこういう顔が好きだな。

 

 

悲しいときは泣いて、嬉しいときは笑う。

 

 

無表情や、計算されて作った笑いよりも、自然に出てくるような、心からの笑顔が。

 

 

それが『人間』なんだからさ。

 

 

 

「じゃあさ、私のとっておきの場所を教えてあげちゃおうかな~?」

「あ、ごめん。その前に陸上部に行く約束してたからそっちに案内してくれ」

「えぇ~!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく! 私に案内させるって言ったのに、新ちゃんに弄ばれたよ!」

「人聞き悪いから止めろ! それはもう謝っただろ……それに新ちゃんってなに?」

「だって、泉新一くんでしょ? 泉くんだと何だか普通だから新ちゃんにしたんだよ! グッドアイディア!」

 

陸上部の活動場であるグランドで丈槍はおれのあだ名(?)を親指立てて自信満々に命名するけど、それは止めてほしい。

美津代さんも同じように呼んでたけど、丈槍は一応同い年……だから呼ばれるとむず痒い。

 

「し、新ちゃんはちょっと……」

「え~、いいじゃん。可愛いよ~」

「男に可愛いは似合わないからなぁ……それに、丈槍みたいな小さい子供に言われると凄くむず痒いし」

「なんですとー!?」

 

この短時間で丈槍と大分打ち解けた気がした。

恐らく、こっちが本当の丈槍なんだろう。

人見知りって訳でもないし、一度気を許した相手には無類の人懐っこさを見せてくる。

さっきまでの態度は何か訳があるんだろうな。

 

「ぶー、ぶー、新ちゃんってば私に対するケーキが足りないよ! 今日は私が新ちゃんをエスコートするのに!」

「ケーキ………それって敬意のこと?」

「そう、それ!」

 

本当に高校生か?

もしかしたら突然変異で一生子供の姿になったパラサイト………な訳ないか。

て言うか、新ちゃん確定か……

 

どこまでもマイペースな丈槍に振り回されていると、すぐ近くにいたジャージ姿の男子に呼び止められた。

 

「うちに何か用?」

 

ずっとグランドの、しかも陸上部の練習中に近くで話していたからだろうか。

陸上部の人の問いにおれは返す。

 

「えっと、恵飛須沢さんとの約束で、ちょっと顔を出しに来ました」

 

そう言うと、対応している人は何か納得がいったかのような顔をした。

 

「すると、君が例の転校生か」

「例の? それってどういう……」

 

言い方に引っ掛かりを感じ、詳しく聞こうとするとそこへ見知った顔が見えた。

胡桃だ。

 

「おーっす。来たんだな新一」

「来たんだなって……約束だっただろう」

「そうだったな。わりいわりい。冗談だよ」

 

今日の朝に知り合ったのにこのフランクさよ。

まあ、おれはこういうのは嫌いじゃないし、むしろありがたい。

前の学校では、こんな風に接してくれる友人もめっきり少なくなったから尚更に……

 

前の学校のことを思い出していると陸上部の人が再びおれに話しかけてきた。

 

「君が恵飛須沢の言っていた……えっと……」

「泉、新一です」

「泉くんか……急な話で悪いんだけど、一つだけ頼まれてもらえないだろうか」

 

急に出てきた頼みにおれと丈槍は顔を見合わせて首を傾げる。

すると、胡桃がおれの近くに来て耳打ちしてくる。

 

「悪い。実は新一の朝のバスのことを話したら先輩が興味持っちゃって……」

「えぇ~……」

 

つまり、興味を持ってしまったと……

 

やっぱり今朝のは迂闊だったかな。

 

「だからさ、ちょっと、ちょっとだけでいいから100m走だけしてもらってくれないか? な?」

「う~ん、でも友達を待たせるわけには……」

 

そう言って丈槍を見ても、胡桃は食い下がる。

 

「頼む! こっちの都合で悪いとは思うけど、どうか一回だけ! 一回でいいから!」

 

凄く必死に頼み込む胡桃におれも、丈槍も目を丸くする。

ここまで食い下がられるとは思わず、返事に困っていると、普通では聞こえないほどの小さい声で呟いた。

 

「先輩が楽しみにしてたんだ……だから……」

 

小さく、おれの聴力でしか聞こえなかった。

丈槍に聞こえたような素振りは見せないから届かなかったのだろう。

 

 

でも、その小さい声にはどこか必死な、切実な思いが込められていたように思えた。

その真剣に満ちた声を聴いてしまったら、答えなんてもう一つしかなくなった。

 

 

「……丈槍、ちょっとそこで待っててくれ」

「え?」

 

丈槍と胡桃がおれを見てくる。

そんな分かってないような二人におれは軽いストレッチをして答える。

 

「今日は一回だけな。他にも行くところがあるからさ」

「あ、うん! 分かった! ありがとう!」

 

おれの答えに胡桃は花が綻んだように笑って、準備をしに走った。

そんな胡桃の後ろ姿を見届けてストレッチを続けていると、丈槍が不思議そうに聞いてきた。

 

「新ちゃんって速いの?」

「そうらしいよ」

「おーい! もういいぞー!」

 

そんな話をしていると、遠くの胡桃から大声張って呼ばれた。

 

それに反応してトラックを見ると、今まで練習していたであろう陸上部の人達がこぞって見学に来ている。

 

どんだけ誇張したんだよ胡桃!

 

「おぉ、人が一杯いるー!」

 

今だけは呑気な丈槍のことが羨ましいと思いつつ、スタート地点に立つ。

 

クラウチングスタイルでその場に対するだけでも見物者からの視線と緊張が伝わってくる。

 

「位置について―――」

 

恐らく、全力で走ったら9秒台は楽勝だろう。

ある程度は力を抜いて流す必要がある。

 

でも、ここで適当に流したらおれを紹介した胡桃に恥をかかせることになる。

それどころか手を抜いたと見破られれば、今も真剣な表情で見てくる胡桃を怒らせることになる。

せっかくの友達を失うつもりはない。

 

 

ここは朝と同じくらいの速さで走るだけだ。

 

 

「ヨーイ―――」

 

 

とりあえずの方針は決まった。

 

だから、おれは―――

 

 

 

弾かれるように地面を蹴った。

 

 

 

走り終えると、周りのみんなはものすごく静かだった。

 

遠くで見ていた丈槍は目を丸くして固まり、胡桃を含めた陸上部の人たちは全員がおれを見て固まっている。

さっきまでとはまた別の意味で凄まじい視線に気圧されていると、胡桃の言う先輩の人が記録係に振り向いた。

 

「き、記録は!?」

「は、はい!」

 

ゴールでストップウォッチを構えていた人が記録を見ると、不自然そうに何度も見たり目を擦ったりした。

何度も繰り返されるのを見ると、測り損ねてもう一回、などと言われそうで不安になった。

 

しばらく見たり、擦ったりを繰り返すと、記録係は驚きを交えた声で知らせた。

 

「じゅ、10秒……3!!」

 

その瞬間、陸上部から驚愕の悲鳴が沸き起こった。

 

 

「新ちゃんって足速いねえ! なんか忍者みたいだったよ! シュワッチって!」

「それ忍者じゃないけど」

「でも、あれ面白かったし、もう一回アンコールだよ!」

「やらないよ。危ないから」

「え~!」

 

あの後、おれに雪崩のように押し寄せてきた陸上部からの熱いアプローチから丈槍を脇に抱えて逃げた。

丈槍の言う『あれ』とはそのことだろう、逃げてる最中は凄く笑ってたし。

おれは必死だったから、もう二度とやりたくない。

 

追いかけられるのはパラサイトでコリゴリだ!

 

そんなおれの気も知らずブーブーと文句を言い続ける丈槍の口を塞ぐため話題を変える。

 

「それじゃあ、約束も済んだし丈槍オススメの場所を紹介してくれ」

「そうだね! じゃあ屋上に行こう!」

 

話題転換に簡単に乗っかってくれた丈槍が元気よく叫ぶ。

 

会った当初からは考えられないほどに元気で活発な丈槍に苦笑する。

 

「屋上か……そこに何かあるのか?」

「うん! 園芸部の人が作ったトマトとかの野菜が一杯あるんだ! 後ね、魚がいてー、それにそこで食べるお菓子が最高なんだよ!」

 

そういうことか。

そういうのは少し楽しみだ。

 

最近はずっと激動の時間が続いてたからのんびりするってのもアリかな。

 

「そこに行くのはいいんだけど、そういうのって部の許可が必要なんじゃないか?」

「んー、そうだっけ?」

「おいおい……」

「めぐねえに言えば何とかしてくれるよ!」

 

先生は生徒に慕われてても大変だな。

あの人は生徒を導くというより、生徒と同じ立場に立つタイプの人だな。

 

確かにあだ名で呼ばれるなど一見すればナメられてるように解釈することもあるが、別に悪いことじゃない。

あの人は生徒の悩みを親身に受け止めて、一緒に悩み、一緒に考えるような人だ。

教師に威厳は必要かもしれない。

 

でも、先生のように生徒の立場に立って、道を一緒に探してくれる先生もおれは凄くいいと思う。

 

だから丈槍が先生を慕う気持ちも凄く分かる。

 

「じゃあ先生探すか」

「うん! 職員室はこっちだよ! レッツゴー!」

 

相も変わらず子供みたいなテンションで廊下を走ろうとする丈槍を止めようとした時、丁度その声はおれの耳に届いてきた。

 

 

「丈槍、ストップ」

「んにゃ? どうしたの?」

「しっ」

 

丈槍を止まらせて、指を口の前に当てて静かにするよう無言で伝える。

それを理解してか不思議そうにしながらも黙ってくれた。

 

そして、不意に聞こえてきた音を辿るために意識を集中させて周りの音を探る。

 

 

 今年の受験ですが、生徒たちには……

 

 ファイ、オーッ! ファイ、オー! ファイ、オー!

 

 水素、ヘリウム、リチウム……えっと、後は……

 

 くそー、泉を絶対に陸上部に……

 

 今年が受験かー。俺、留年するわ

 

 

 

 

職員室の職員会議、外の部活に勤しむ部員の声、自習室で暗記する生徒の声、陸上部の自分を探す声、友達と軽口を交わす誰かの声。

 

 

探せども、これらは自分の聞き取った声じゃない。

 

 

(もっと、探る……困ったような、辛そうな声を……)

 

 

探る。

 

更に五感を研ぎ澄ませ、探る。

 

 

 

生徒一人一人の声を、話す内容を理解できるほどに神経が研ぎ澄まされた時、ようやく見つけた。

 

 

『はぁ、はぁ……よいっしょっと……』

 

(見つけた)

 

ようやく、新一の聴覚に目当ての声が届いた。

聞こえてきたのは女子生徒が何か辛そうにしているような、そんな声だった。

声の場所は、少し離れた場所の一階の階段付近だった。

 

「丈槍、ちょっと来てくれ」

「えぇ!? ラ、ラジャー!」

 

急に小走りになった新一に戸惑いながら慌てて追いかける。

 

そして、少し走ってすぐの階段に辿り着くと、そこには女生徒が何やら持ち上げようと踏ん張っている姿があった。

 

「よい……しょっと……!」

 

それは、園芸に使う肥料だった。

その肥料が幾つも積み重なった袋の一つを持とうとしている。

しかし、それを無理に持ち上げようとした時、身体を大きく傾けてしまう。

 

「あっ!」

 

倒れる、それを見た新一は反射的に倒れる女生徒の後ろに回って自分の身体を支えとし、手で両肩を掴む。

 

(うわっ、いい匂い)

 

その際に髪から香るシャンプーの柔らかい、いい匂いがしたのはご愛嬌だ。

しかも研ぎ澄まされた嗅覚を以てすれば、効果は通常の倍以上に膨れ上がった。

 

「うっ……」

 

思わず、変な気分になってしまったことに苦悶の声を漏らし、顔を赤くして不埒な考えを払拭する。

そうしていると、その女生徒は新一に気付いて上目遣いで目を合わせる。

 

「あら、あなたは……?」

「あ」

 

バッチリと目が合ったことに新一がマヌケな声を出した。

対する女生徒は状況が分かっていないのか、困惑しているのかあまり動揺はしてなかった。

 

しかし、新一だけが状況を理解していた。

 

今の状況は凄く不味い。

特にこの二人の格好は。

 

 

女生徒は新一の身体にもたれかかり、新一もその女生徒の肩に手を置いているのだ。

まず、普通の高校生活の中でそのような恰好になる機会などそうそうにない。

間違いなく、何らかの誤解を受けること間違いなしだった。

 

「あ、あの、これは―――」

「新ちゃん速いよー。私を置いてくなんてー……」

 

何か言わなければ、そう思って口を開いた直後に後ろで丈槍の声が届いた。

その瞬間に新一の肝が冷え、動きが完全に停止した。

 

そして、丈槍とて幼い容姿ではあるが、中身はあくまで高校生なのだ。

 

しかも、高校生は人によるけれども、中々にお多感な時期。

 

つまり、そんな彼女が今の新一たちの姿を見ようものなら……

 

「はう!? こ、これはまさかの熱愛発覚というもの!? ゴクリ……」

「お、おい丈槍! それは違う! これはな……!」

「ふっふっふ……隠さなくてもいいのだよ新ちゃん。お姉さんは分かってるから」

 

全く分かってない!!

聞く耳どころかこの状況を理解していないのか!?

 

「……~っ!?」

 

そんなことを思っていると、ようやく助けた人も今の状況を把握して顔を真っ赤にし、その人に身体を突き飛ばされて地面に転がった。

 

 

 

 

 

「ごめんなさい! 私を助けてくれたのに、あんなことを……」

「いや、もういいから。はは……」

 

あの後、おれを突き飛ばした人……若狭悠里は頭が取れるんじゃないかという勢いで頭を下げてきた。

そのついでに自己紹介は既に済ませた。

 

でも、見知らぬ男の身体に触れるどころか身体ごとくっ付いていたのだ。

やっぱり女性としては嫌なんだろう。

このままだったら痴漢呼ばわりされてたかも。

 

痴漢と言えば、ミギーが最初に宿った日もあいつが寝ぼけて通りすがりの女子に触ったせいで痴漢呼ばわりされ、ビンタまで食らったこともあったっけなぁ。

思えば、あいつもあいつでおれに散々迷惑かけたよな、マジで。

 

それがミギーでもあるんだけどな。

 

「いや~、災難だったね新ちゃん」

「お前が言うな」

「あう!」

 

未だに茶化してくる丈槍の頭にチョップを食らわせる。

軽くしたはずだが、丈槍のリアクションにまた加減を間違えたかと思うのも束の間、あまり痛そうにしてないから本人の過大表現だろうとすぐ分かった。

 

「ああいう時はちゃんと若狭を助けてやるべきだ。分かったか?」

「うぅ……ごみん」

 

注意してやると丈槍も素直に謝る。

それに満足していると、近くで見ていた若狭がクスクスと笑っていた。

それに反応して丈槍と一緒に見ると、本人は慌てて手を振る。

 

「あ、ごめんなさい。二人って何だか兄妹みたいだったから、つい」

「きょ、兄妹? 今日転校してきたばかりなんだけどおれ……」

「そうなんだ」

「だから私がこうして案内を―――」

「おれが丈槍の面倒を見てるんだ」

「あらあら」

「えぇー!?」

 

意外な一言に少し返しがおかしかったけど、若狭は微笑ましそうに見つめてくる。

その優しい視線がむず痒く、耐えられなくなって本題に入る。

 

「それよりも若狭はこんな重いもので何しようとしてたんだ?」

 

大量の肥料の入った袋を見やると若狭も思い出したのか困ったように顔に手をやる。

 

「そうだったわ……これは園芸部で使う肥料で、今日中に運ぼうと思っていたのだけど……」

「え~? これ全部?」

 

若狭は園芸部らしかった。

だから肥料を運ぼうとして、転びかけたということか。

 

でも、丈槍が肥料の数を見て疑わしそうに聞いた。

本当に全部運べるのかと。

それについてはおれも同意見だ。

 

「これ全部を? 他の部員にも運んでもらった方がいいんじゃないか?」

「そうなんだけど、今日は何もする予定なかったからもう帰っちゃって……もう何度も往復してるけど、そろそろ疲れちゃって……」

 

そりゃ運が悪い。

しかもこんな重い物を既に運んでいたのか。

見た目、そうは見えないけど結構力強いのな。

 

でも、今の若狭では一袋だけでも持ち上げるので精一杯だった物をどこかは知らないが、運べるのだろうか?

 

「重い~……!」

 

現に丈槍も持とうとしてるけど持ち上げるのも一苦労と言う感じだ。

別段、軽いわけではないということか。

疲れた状態で若狭に運ばせるのは色々と危険だろうし、何より、困っている女子を放っておくのは男子として恥ずべきことだ。

 

「んー、それなら手伝おうか?」

「そんな、悪いわよ」

「でも、このままじゃあ運べないだろ? 数も結構あるし、できても結構時間取られると思うけど」

「それはそうだけど……迷惑じゃないかしら?」

「大丈夫。それに、こんな所に出くわして何もしないなんて凄く後味悪いしさ」

 

そうとだけ言うと、若狭はひとしきり悩んだ後、申し訳なさそうに、それでいて嬉しそうに承諾した。

 

「……それならせっかくの好意に甘えようかしら」

「じゃあ早速取りかかろう。どこに運べばいい?」

「屋上の入り口付近に置いといて。鍵は私が持ってるから外には行けないし」

「了解」

 

屋上か……これ、若狭一人だったら運べなかっただろう。

あまり力も無さそうだし、見つけられたのは幸運だったな。

 

「大丈夫? それ、結構重いわよ?」

「まあ男だし、持てるでしょ」

 

若狭が運ぼうとしていた袋を持ち上げてみると、思ってたよりも軽く感じた。

一つだけなら階段を走っても問題はない。

危ないからやらないけど。

 

そして、軽々と袋を持ち上げたことに若狭と丈槍は意外そうに驚いていた。

 

「おおー新ちゃん力持ちー!」

「ほんと……やっぱり男の子って力あるのね」

 

感心する二人に少し苦笑で返す。

 

一つだけだと軽すぎて手持無沙汰に感じるな。

これなら、一気に10個は軽いかもしれないけど、前が見えなくなると危ないから3個ずつでいいか。

 

一回下ろし、袋をもう二つ重ねてから持ち上げる。

やっぱ軽いな。

 

「おぉー! すごーい! なんで持てるのー!?」

「あらあら……泉くん、力持ちなのね~」

 

丈槍と若狭は更に驚愕の念を深める。

純粋に驚きながら、信じられないといった様子で見てくる。

 

とはいえ、このままだと時間もかかるし、早めに終わらせよう。

 

「じゃあさっさとやっちゃおうか」

 

 

 

 

 

結局、屋上への肥料運びは5分くらいで片付けられた。

袋を3個ほど持っては階段を早歩きで登り、入り口に置いてはまた走って戻る。

これを繰り返しただけだった。

 

若狭と丈槍は二人で一袋持っていたのだが、大半はおれが運んだから二人が屋上に上った時には全て運び終えていた。

 

そして、若狭はほんのお礼として丈槍の要求通り、おれたちに屋上の使用を許可してくれた。

 

丈槍は栽培していたトマトに目が眩み、若狭も園芸の手伝いをするなら食べてもいいという要望をすんなり聞き入れ、二人は作物の世話にかかっている。

おれはというと、二人から離れた場所で風に当たりながら、フェンスにもたれかかってすっかり赤くなった空を見上げて一息ついている。

 

「あぁ~……落ち着くなぁ……」

 

丈槍の何とも言えない案内が終わった後、おれは一人で休んでいる。

疲れたわけではないが、こうしてゆっくりする時間は最近はあまりなかった。

色んな事件が過ぎ去り、こうして訪れた平穏を過ごすことに専念する。

 

しかし、緩み切っていたおれは若狭が近くにまで近づいていたということに全く気付けていなかった。

 

「ふふ、泉くんったらお爺さんみたい」

 

声に気が付いてフェンスから身体を離すと、おれの前に若狭がいた。

そして、おれの独り言を聞かれたのだと思うと何だか恥ずかしくなった。

 

「お爺さんはひどいな。これでもまだまだ青春真っ盛りだぞ?」

「ごめんなさいね」

 

謝ってはいるようだけど、上品な微笑みを見てしまうと何も言い返せなくなる。

 

あまり会ったことのないようなタイプだから少し動揺してしまう。

決して、嫌いじゃない……むしろ好きな方ではあるけど。

 

そう思って頬を掻くと若狭が話を続ける。

 

「ふふ、ユキちゃんの言う通り、泉くんって可愛い所があるのね」

「なっ!?」

 

急に言われた『可愛い』の一言に更にむず痒くなってしまう。

 

しかも、丈槍よりもどこか大人っぽい若狭に言われると、またダメージも尋常じゃない。

かと言って、男として『可愛い』はやっぱり納得できない。

 

ここは一つ訂正させてもらわないと!

 

「若狭、男に『可愛い』は複雑なんだよ。まだ『格好いい』とかなら分かるんだけど……」

 

そう言うと、若狭は少し悩み、また続ける。

 

「んー、でも、泉くんって普通よりも落ち着いてるから格好いいというよりは大人っぽいかな。でも、今みたいに照れた所も可愛いって思えるわね」

「いやいやいや」

 

懐が広すぎるだろ若狭。

こんな高校生男子を可愛いと言ってのけるその精神は流石だ。

ここまで母性に溢れた同級生はいなかったぞ?

 

そんなことを思っていると丈槍がやって来て若狭に背後から抱き着いた。

 

「りーさん終わったー!」

 

丈槍のダイブに驚きながらも、慈愛溢れる微笑みを浮かべながら丈槍の頭を撫でる。

 

というか、おれの時と違って慣れるの早くないか?

さっきも初対面だって言ってたし。

 

別に人見知りって訳でもないんだな。

 

「はい。ご苦労さま……それで、りーさんってなに?」

「うん! 悠里だからりーさん!」

「りーさんか。それはいいな」

「ほらほら! 新ちゃんだってこう言ってるもん!」

 

さっきまで人のことを可愛いとか言ってからかわれた仕返しに丈槍に乗っかる。

すると、若狭は納得いかない様子で返す。

 

「泉くんまで……じゃあ、私も新ちゃんって呼ぶわよ?」

「いや、新ちゃんはちょっと……せめて『ちゃん』は止めて欲しいんだけど……」

「え~? 新ちゃんって可愛くていいと思うよ? りーさんもそう思うよね?」

「そうね。泉くんにピッタリ」

 

二人で『ね~』って笑い合う姿に、この場に自分の味方はいないと理解した。

こっちがやり返したはずなのに、いつの間にか丈槍さえも味方に取り込まれてしまう始末。

こういうノリとかって女子の方が強いんだな。

 

一時期は加奈にも振り回された時があったからよく分かる。

 

とりあえず、名前の方はもう諦めるしかないのか……

何事も引き際が肝心だ。

 

「それじゃあお菓子食べようよ! 外で食べるお菓子はまた格別なんだよ!」

 

丈槍は楽しそうにカバンの中からポテチだとかの菓子類をドバドバ出した。

中に参考書が無いのは気のせいだろうか?

 

「ちょっと待て丈槍。ここって園芸部が管理してるんだろ? そんな飲み食いしたら若狭に迷惑が……」

「あら、私は構わないわ。園芸部の見学ということで」

「……おれの学園案内は?」

 

まさか、これで終わりとか言わないだろうな?

そう思って聞いてみると、丈槍は親指を立ててサムズアップした。

 

「何言ってるの新ちゃん! 明日は明日の風が吹くんだよ!!」

「……つまり、明日に持ち越すってことか?」

「そうとも言う!」

 

思わずチョップしてやろうかと思ったおれは絶対に悪くない。

今日は本当にそれだけをするためだけにここに来たのかと。

 

でも、この調子だと本気でやる気でいるな。

 

 

今日は、友達ができたお祝いってことで、遠慮なく好意に甘えるかな。

 

 

その後、若狭を含めたおれたち三人でささやかなお菓子パーティーをした。

 

 

そして、二人がおれの『転校祝い』として、友達になってくれたのが凄く嬉しかった。




ここでの新一ですが、田村玲子によって胸の穴は埋まり、後藤との戦いを通して人間もパラサイトの生き方も認めています。

ですが、途中から村野里美が死んでしまったことで、ここでの新一の心はパラサイトと人間のどっちつかずになっています。
原作よりも少し危うい状態です。

よく言えば、気持ちのONとOFFがはっきりできますが、その反面、状況によっては敵には驚くほど非情に、仲間には打って変わって優しくなれますが、状況によってはすぐに不安定な状態になってしまう、という設定です。


そして、今の新一は純粋な一般学生だった時の気持ちを思い出しているので、原作よりは積極的にコミュニケーションを取っているスタンスです。
要は、『何気ない日常』に飢えている状態が今です。

そして、丈槍ことユキが最初に新一に対して余所余所しい態度なのは理由があります。
それは次回に乗せる予定です。


とりあえず、こういった平和な学園生活と主要人物とのフラグを簡単に書いてから本編に入ります。

(3/12 りーさんの運動音痴描写を改訂)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

何気ない日常②

今回は少し新一も怒ります。


転校してから幾日かが過ぎた。

まだそんなに経っておらず、前の学校の友達の数でいえばまだまだ少ない。

 

それでも0ではない。

 

偶に男友達と帰りにハンバーガー食べたり、誘われたらカラオケに行ったりするほどにはこのクラスにも慣れた。

少なくとも、おれが西高出身だということも、加奈の件があるパラサイト事件の第一発見者とか、そういうことは知られていない。

少数の生徒からはそのことでおれに目を付けているようだけど、まだ疑惑程度で済んでいる。

 

だからと言っておれは無暗に隠すことも明かすこともしない。

 

バレたらバレたでその時に動けばいい。

噂で切れる縁であるなら、『ああ、そうか』と思うだけだ。

残り少ない高校生活はせめて気持ちよく過ごしたい。

 

「では、今回の授業はこれで終わります。日直、号令お願いします」

 

そして今、ようやく午前の授業が終わった。

 

別の先生に挨拶した所で授業終了のチャイムが鳴った。

その瞬間にクラス中から疲れを吐き出すような溜息が漏れた。

 

 

 

 

授業受けてて思った。

 

やだ、おれの偏差値絶対低くない?

 

 

聞いてて色々と、というより全く分からない所ばっかりだった。

 

その原因は既に分かっている。

パラサイトだ。

 

 

おれがミギーと知り合ったその日を境にパラサイトとの壮絶な戦いが始まった。

 

ある時には学校の教師として『田宮良子』が来た時には授業どころじゃなかった。

 

そうでなくても学校にパラサイトが乗り込んではそれを倒し、その後に学校が爆発したり。

 

またある時は重症負って学校に行けなかったり、母さんの仇を討つために遠出して休んだり。

 

またまたある時は学校で島田が暴れたり、授業間近に三木に追われて無断早退もしたり……

 

 

 

止めよう。

言い訳を考えるとキリが無さすぎる。

 

 

 

つまり、おれは圧倒的に勉強が遅れている。

このままでは進学も危ういという訳だ。

 

「はぁ~……勉強しないとなぁ……」

 

皆が昼食に舌鼓を打っている間、おれは別の意味で危機を感じている。

机に突っ伏していると、隣にいた丈槍が机をくっ付けてくる。

 

「お昼に景気の悪い顔は厳禁だよ新ちゃん。今は楽しいご飯の時間なんだからさぁ!」

 

そして、相変わらずの丈槍である。

何も考えて無さそうな子供のように弁当箱を出して色鮮やかな中身を見せてくる。

 

「幸せそうで羨ましいな……」

「そりゃ幸せだもん! 笑わなきゃ損だよ新ちゃん!」

 

結局、おれの願いは叶わず新ちゃんで通された。

しかも、丈槍だけならともかく、その呼び名がある範囲で広まり、固定されてしまった。

 

「幸せなら仕方ないか」

「そうだよ! この迸る気持ちは止まらない!! ファッションだよ新ちゃん!!」

「パッションか?」

「そうそれ!」

 

今ではすっかり丈槍とも打ち解け、隣の席同士と言うことで一緒に弁当も食っている。

 

目の前で弁当にがっつく丈槍を見て、安堵した。

 

 

 

 

実際の所、おれが来るまで丈槍はクラスの中でかなり浮いていたらしい。

 

その原因は、高校生とは思えないくらいの奔放さと元気であるが故の人懐っこさだ。

言うなれば、馴れ馴れしくて相手をすると疲れる子供、という認識だ。

 

同級生からしてみれば全く成長していない、変な奴と言う風に見られるのも当然かもしれない。

しかも、周りからどう思われているのかを丈槍自身も自覚していた。

 

でも、丈槍は持ち前の人懐っこさで相手に近づく以外に人の接し方を知らなかった。

その結果、本来の持ち味を活かすこともできず、教室の後ろで俯く時間が増えていったらしい。

 

 

その証拠に、一度だけ他の奴がおれに聞いてきたことがあった。

 

 

『丈槍の相手をしてて疲れねえ?』

 

 

確かに他の奴から見れば、丈槍は高校生になっても将来を見ず、子供気分のまま何も考えずにいる生徒と見られても仕方がないかもしれない。

ミギーに寄生される前のおれだったら丈槍のことも煙たく思ってたと思う。

 

 

でも、おれはあの時のおれじゃない。

 

だから、偽ることも隠すこともなくおれは言った。

 

 

「確かに丈槍は他の奴とは大分違うかもしれないし、浮いてる奴かもしれない……でも、それのどこが悪いんだ? あれはあいつの個性だと思う」

 

 

そう、丈槍に悪意も殺意もない。

あるのは自分を偽らない正直さと、優しさだ。

 

 

人は誰かに頼ってないと生きてはいられない。

そして、人間は自分と違うものを排除しようとする。

 

そう考えることは別に悪いことじゃない。

それは人間が独自に考え、導き出した一つの答えだ。

その答え故に、丈槍を煙たく思うのも仕方がないかもしれない。

 

ただ、おれと皆の考え方が違うだけ。

 

人間はもちろん、どんな生物でも必ず、違いと言うのは存在する。

 

それはパラサイトでもそうだった。

 

好奇心旺盛なミギーに、人間とパラサイトに興味を持った田村玲子、おしゃべり気味のジョーに戦うことを求めた後藤。

 

 

みんな同じなのだ。

 

人間も、パラサイトも成長すれば、自分だけの価値観を見出し、それを求めて生きていく。

そういう意味では、人間とパラサイトも同じ家族だと思う。

 

それと同じように、丈槍は自分に忠実なだけなんだ。

彼女は真っすぐで、明るい、純真な女の子、それだけのこと。

 

「おれは丈槍のことは好きな方だ。周りに流されることなく、自分そのものに正直なのはおれからしたら凄いことだと思う」

 

それは丈槍は確かな『自分』と言うものを持っている何よりの証拠であると思っている。

言うだけなら簡単だけど、今の社会で実践することは凄く難しい。

それは丈槍自身もよく分かっていることだ。

 

 

それでも、丈槍は正直なままの姿でおれとぶつかり合い、縁を結んだ。

 

 

 

そして、おれもそれに応えたいと思った、これもまたおれが人間であることを示してくれる。

 

 

だから、おれが丈槍と友達という事実は誰にも否定させるつもりはない。

自分のエゴを押し付けようものなら徹底して相手にしないようにしている。

そんなことよりも、友達といる時間の方が有意義だと思えるから。

 

 

 

そして、それ以降から丈槍を煙に巻こうという話は少なくなった……らしい。

それが定かかどうかは知らないが、おれにとってはどうでもいいことだ。

 

その願いが通じたからなのだろうか。

いつの間にか丈槍は毎日、おれと一緒に行動することが多くなった。

 

 

 

 

いつの間にか、私は教室ではあまり笑わなくなった。

皆、私といてもつまらなさそうにしたり、凄く嫌な顔をすることが多いから。

 

自分でも周りと違うことは分かってた。

 

でも、お利口な人との付き合い方なんて分からなかった。

だから自分なりに努力しても、結局は皆は離れていった。

 

だから学校も凄くつまらなかった。

 

授業はあまり好きじゃないけどめぐねえのことは好きだった。

めぐねえは私のことを嫌な顔で見たりしないし、私の話もちゃんと聞いてくれる。

 

多分、学校に来てた理由はそれだったと思う。

 

 

そんな時に転校したのが新ちゃんだった。

 

 

最初に新ちゃんを見たときは、凄く怖い人だと思った。

口では説明できないけど、新ちゃんは凄く存在感のある人だった。

 

何だか教室の外にいた時も、私は新ちゃんのことはおろか、『今、どこにいるのか』も分かってしまった。

何か別の生き物の気がして、私は怖かった。

それどころかクラスの皆が何も感じていない様子に何も考えられなくなった。

 

 

新ちゃんのことは『人間じゃない別の生き物』みたいで怖かった。

めぐねえが新ちゃんと話してても何で怖くないの、と思った。

 

そんな時、新ちゃんは私の席の横に来た。

そう言われた時は凄く怖かったし、集中してなくて、急に呼ばれた時は焦った。

 

こっちに向かってくるときも凄くドキドキして走って帰りたくなった。

でも、見ただけで人を判断するのは良くないことだと思う。

 

 

だから私は一日中、新ちゃんをずっと見ていた。

 

 

 

その日、新ちゃんのことをずっと観察してたけど、何もおかしい所は無かった。

普通に勉強したり、退屈になると少し目を瞑って眠っちゃうような普通の人だった。

やっぱり私の勘違いだったのかな、と思いながらも新ちゃんからは人とはどこか違う『何か』をずっと感じてた。

 

 

 

めぐねえが言った通り、新ちゃんに学校の案内をしようとした。

誰もいなくなった教室で二人だけというのは少し怖かったけど、朝よりはマシだった。

 

でも、私は怖かった。

 

 

この人も、私のことなんか嫌いなんじゃないかって……

 

 

 

でも、新ちゃんは私と友達になりたいって言ってくれた。

最初は本当かなと思ってたけど、新ちゃんの顔や目を見てすぐに分かった。

新ちゃんは凄く優しい。

でも、新ちゃんの目は少し他の人よりも乾いてるようにも見えた。

 

その目を見て話した時から、いつの間にか怖くなくなってた。

代わりに何だか可哀想だって思っちゃったのは何でだかわからない。

 

だから、私はありのままに新ちゃんと仲良くしようと思った。

それで新ちゃんが私のこと嫌いになっても仕方ないのかなって思いながら。

 

 

新ちゃんは急に変わった私に戸惑ってながらも嫌な顔することはなかった。

私の反応にもちゃんと返してくれるいい人だった。

そして、一緒にいると楽しい人だった。

 

陸上部から逃げる時に私を抱えて凄い速さで逃げた時は凄く楽しかった。

 

それに、新ちゃんのおかげでりーさんとも仲良くなれた。

私のことを嫌わないりーさんと友達になれて本当によかった。

新ちゃんとりーさんで私の好きなお菓子を食べた時がその日で一番楽しかった。

 

新ちゃんは私に一杯『楽しい』を持ってきてくれたから。

 

 

そして、しばらくしてから私は新ちゃんが新ちゃんの友達と放課後の教室で話しているのを偶然聞いてしまった。

 

『丈槍の相手してて疲れねえ?』

 

その言葉に私は何も考えられなくなった。

今まで聞きたかったけど、聞けなかった答えを聞くのが怖かった。

 

そのまま教室から離れようとした時、新ちゃんがハッキリと言った。

 

『周りに流されることなく、自分そのものに正直なのはおれからしたら凄いことだと思う』

 

その言葉を聞いた瞬間、私の胸が熱くなった。

 

私は皆と違って勉強できないし、運動もできない。

それに仲良くなることも私が思う『一番いい方法』しか分からないから、皆、嫌な顔をする。

 

でも、新ちゃんは私のそれを認めてくれて、好きって言ってくれた。

 

たとえお世辞だと思っても凄く嬉しかった。

 

 

他の人にはない、私だけが持ってる物を認めてくれた。

 

だから、我慢できなくなって泣いた。

近くにいためぐねえが心配してくれて、泣きながらさっきのことを全部話した。

泣いて、凄く変になった私の話をめぐねえは最後まで聞いてくれて、少しだけど泣いた。

 

その後、私もめぐねえも一緒に笑った。

 

 

 

 

その頃から、私は新ちゃんの気配が好きになった。

 

朝の教室で独りでも、新ちゃん独特の気配を感じると楽しくなる。

 

 

「新ちゃん、今日も屋上に行く?」

「そうだな。園芸部とか個人的に興味があるし、納得するまで行こうかと思ってるけど」

「じゃあ、今日もりーさんと遠足だね! ほらほら、今日のお菓子! 新ちゃんの分もちゃんとあるからね!」

「はいはい。ありがとな」

 

新ちゃんは何気なく私の頭を撫でてくる。

 

「むっふっふ。新ちゃんは既に私の魅力にメロメロと見たよ」

「何で?」

「この頭を撫でるのが何よりの証拠! これも女の魅力の賜物なんだよ新ちゃん!」

「いや、お菓子見せてくる丈槍がフリスビー持ってきた犬に見えたからつい……」

「私って犬なの!?」

 

新ちゃんは意地悪を言いながら私の頭をポンポンしてきます。

 

 

 

でも、私はこのポンポンが好き。

特に新ちゃんの右手でポンポンされるのが凄く好きだ。

 

新ちゃんの不思議な雰囲気が一番出ている右手だけど、触れられるとどこか温かかった。

前までは何も分からなかったから怖く感じたけど、触ってみたら、とにかく温かかった。

 

新ちゃんとめぐねえとりーさん、後は最近になって仲良くなったクラスメイト

 

 

休みの日は会えなくなってしまうから退屈に思うようになった。

 

 

だから、最近私は学校が好きだ。

 

 

 

 

丈槍の絡みがより一層激しくなってきた今日この頃。

おれの巡ヶ丘学園での立ち位置も定まってきた。

 

まず、学生の本分である勉学だが、これはあまりよろしくない。

これでも大学には行きたいと思っているため、勉強しなくてはならない。

どんな大学に行くかは先生と補修ついでに進路相談もしてる。

 

そして、勉強以外は普通に上手くいっている。

というより調子に乗り過ぎた部分があって、少し後悔している。

体育の時は多少、手を抜くことはあるけど基本的には積極的に参加している。

 

体育の授業ではバスケの背面ダンクは調子に乗り過ぎた最たる例だ。

そのおかげでバスケ部のクラスメイトから熱いオファーを迫られたことがあった。

その他にも野球や球技といったスポーツには積極的に参加し、周りからしたらアホみたいな記録を更新しまくった。

 

 

もちろん、これにはちゃんと理由がある。

 

最近になって分かったことだけど、おれの右手はどんな場面においても抜群の性能を発揮することができる。

野球でも右手で投げると自分が投げたいと思った場所にドンピシャで狙える。

砲丸投げの時も左手で少し重い鉄球も右手で持つとまるで重みが無い、綿を持ち上げるような感覚に陥る。

そして、そのコントロール精度とパワーはスポーツ全般で遺憾なく発揮されることが分かった。

 

体育は言わば、おれにとってはただの実験だった。

 

今になって思えば、体育を実験に使ったのは正解だったと思える。

島田だって自分の身体を上手く使うための訓練として体育の時には張り切っていたくらいだし。

だから、スケールは違うけどおれの右手も鍛えることができるんじゃないかと思ったくらいだ。

 

 

 

恐らく、おれの右手にはミギーと一緒に戦い、過ごしてきた時の『記憶』が宿っている。

それが意識的か無意識的なのかは自分でも分からない。

ただ、パラサイトであり、『考える筋肉』でできたおれの右手には少なからずミギーと戦ってきた時の記憶があることもあり得るんじゃないかと思った。

 

それが本当なら、おれが一度もしていなくてもミギーが勝手にやった『スリ』や『車の運転』とかもできてしまうことになる。

 

 

また、島田を倒した時のような芸当までできるのでは、と思ってしまう。

その答えを考えた時、ミギーの知識をおれが使えたら勉強しなくてもいいのに、と思ってしまったのは内緒だ。

 

もちろん、それはおれの妄想であり、事実かどうかは分からない。

 

もしかしたらおれは期待しているのかもしれない。

 

 

こうやって、右手をできる限り使うことで、ミギーを叩き起こせるんじゃないかと。

いつか、スポーツをしてたら急に手から目玉を出して『シンイチ、疲れた』って言ってくれるかもしれない。

 

 

そんな希望をおれは心の奥で捨て切れずにいる。

 

 

 

 

 

とにかく、そんなおれの事情はここでは放っておこう。

 

話を戻しておれの立ち位置なんだが、さっきも言ったように勉強以外は全てが良好だ。

友人もそれなりにできたし、体育の件もあって人気もある……とのこと。

これは先生経由で聞いただけだから真相の真偽は定かでない。

体育に打ち込むあまりに必要以上に目立ってしまったことはもう仕方がない。

 

なるようになれ、そういうことだ。

 

 

 

 

最近、おれの下校時間が遅くなった。

 

理由は色々あるけど、一番の理由は先生からの特別補修や園芸部の見学だ。

今は大学に行きたいと思いながらもその詳しい道が定まっていないから先生と一緒に何がしたいのかを模索している。

 

文系か理系かを決める所から始まるのは凄く難しい。

 

目標もない宙ぶらりんなおれだけど、佐倉先生は親身になっておれの進路を考えてくれているから、本当に感謝が尽きない。

ただ、おれの補修に丈槍がいつもセットで付いてるのは流石にどうかと思った。

 

 

別に補修ばかりではない。

 

おれは今、園芸部に興味を持ち、補修が無いときはいつも屋上に行っては色んな野菜を育ててる。

そういうこともあって、今では若狭とは仲良くやっている。

前のような力仕事も多少あるからそれも手伝っている。

園芸部には女子しかいなかったから男手が増えるかも、と喜んでいる。

そういうこともあって、若狭からは『新一くん』と呼ばれるようになった。

偶に丈槍と一緒に『新ちゃん』とからかわれるのは、もう諦めた。

 

 

そして、前の学校と違って大きく変わったことがある。

 

 

よく、運動部からヘルプを頼まれるようになった。

 

 

胡桃と知り合いということと、胡桃からの勧誘を蹴った詫びを含めて陸上部の練習相手になることがあったのだが、それが事の発端だった。

他の部がおれの運動能力を陸上部の練習を通して目を付けたからだ。

 

陸上部ばかりに贔屓するなと一度は陸上部と他の部で揉めたことがあった。

その原因は言わずもがな、おれ自身にあったから、無理のない範囲でヘルプに入ってもらうということで双方の矛を収めてもらった。

 

そうしたら来るわ来るわ、ヘルプの嵐が。

 

球技とか陸上系とかそういうの関係なく、あらゆる部から連日のようにヘルプを頼まれるようになった。

もちろん、一度宣言したことだったし、嫌でもなかったからできる限りヘルプに応じた。

偶に熱烈なスカウトも受けたけど断っている。

 

ヘルプの時には丈槍がおれにくっ付いて来ている。

その過程で胡桃と知り合い、波長が合って仲良くなっていたのは嬉しい誤算だった。

 

たまに若狭も屋上から見ていたことを知ったときは本当に恥ずかしくなった。

 

また、胡桃からは人が好過ぎると言われ、陸上部だけでなく他の部にも掛け合っておれが休める日をセッティングしてくれたと聞く。

 

 

ここに転校してきた時は、静かに、何事もなく過ごそうと思っていたのに、いつの間にかおれの周りは物凄く騒がしくなっていた。

 

でも、その騒がしさはおれにとって凄く心地いいものだった。

 

 

この忙しさは、おれの高校生活で失ったものを取り戻す機会のように思えたから。

 

 

 

 

そんなこんなでおれが帰るころには日が落ちている、ということはザラだった。

当初は駅方面に続く途中の道まで丈槍と帰っていたが、最近では若狭と帰ることが多くなっていた。

何でも、毎日部活が終わるまで『見学』しに来ているから自然と若狭と帰ることになったという。

 

それで思い出したけど、最近まであったクラスメイトによる丈槍への風当たりが大分和らいだ。

 

 

というのも、皆が丈槍の扱い方を最近になって覚えてきたという。

 

そのきっかけが意外にもおれだった。

 

 

最初、大抵の人は丈槍のテンションにどう接していいのか分からず、それ以降はあまり関わらなくなっていくことが多かったらしい。

でも、おれはその中でも丈槍との接し方を示すモデルケースになった。

 

その結果、クラスで色々言っていた奴は丈槍との接し方をおれを通して学び、少しずつ話してきている。

皆、心から丈槍を嫌悪していた訳ではなかったのだ。

ただ互いの心の距離を掴めずにいた誤解とすれ違いというだけだ。

 

 

そのおかげで、クラスでは俯いていた丈槍も今では毎日笑っている。

 

 

 

おれが丸く収めた、なんて先生は言うけど、おれは何もしていない。

ただ、自分がやりたいようにやって、それがいい結果に転がっただけだ。

そもそも、おれはそんな大した奴じゃない。

 

今の運動能力だって、元を辿ればミギーからのもらい物だ。

 

おれは、意図せずに強い力をもらってしまった『普通の高校生』にすぎないんだ。

 

だから、本当に賞賛すべきは丈槍の飾らない性格だと思っている。

丈槍が素直だったからこそ、早めに皆も受け入れられているのだから。

 

 

 

ふとそんなことを思い出しながら一人で歩いている。

 

いつも騒がしい自称美少女(笑)がいないせいかいつもより帰り道が静かに思える。

一抹の寂しさを感じながら、それを紛らわすために集中して些細な風や葉っぱが擦れる自然の音を聞きながら歩いていると、それは唐突に聞こえてきた。

 

 

―――助けを呼ぶ声が聞こえた。

 

 

何の前触れもなく聞こえた声を辿り、帰路から外れた公園の中に入る。

 

公園は2、3の街灯しか無く、公園全てを見通すには少し暗く思える。

それでも新一は自分の聴覚を頼りに声のする方向へ足を運んでいく。

 

助けを呼ぶ声の他にも二人、助ける声も。

 

しばらく歩いていくと、目的の場所に着いた。

そこでは巡ヶ丘の制服を着た女生徒が二人、砂場に座り込んで必死に砂を掘り返している。

 

そして、新一は既に状況を把握している。

 

「どうしたの?」

 

それでも通りすがりを装いながら、警戒されないように優しく問いかける。

急に問いかけられた二人は驚き、警戒するも同じ学校の制服を認識して安堵する。

 

しかし、次に浮かべたのは悲痛な、悲しい表情だった。

 

「あの、この猫が砂場の中に……っ!」

 

縋るように新一に事の惨状を見せると、穏やかな新一の顔が怒りに歪んだ。

 

それは、首だけが出るように砂に埋められた猫の姿だった。

猫は出ようともがいているのか、必死に鳴き続けている。

 

そんな痛々しい猫の姿に女生徒も泣きそうにしながら猫を掘り出そうと素手で砂を掘る。

 

新一も手伝おうとした時、別の方向から不愉快な声が聞こえてきた。

 

「おーいおいおい、ダメだよ勝手にオモチャを掘り返しちゃあ」

 

その声の方へ三人が振り向くと、そこには数人のチャラチャラした『いかにも不良です』って主張しているような奴らだった。

 

ヘラヘラと下品な笑みを浮かべての下劣極まりない言葉に女生徒の一人が憤慨した。

 

「こんな、生き物を虐めるなんて……信じらんない!」

 

自分よりも大きい男に詰め寄ろうとするも、新一は手でそれを制す。

近づけば何されるか分かったものじゃないからだ。

 

それでも女生徒は潤んだ目で力一杯睨み、もう一人も男たちの所業に許せるはずもなく、キっと精一杯にらむ。

 

それに対し、不良たちは二人の女生徒を見て騒ぎ立てる。

 

「おぉ! そこの二人めっちゃタイプだわ!」

「可愛いね君たちぃ。これから俺たちと遊ばな~い?」

「うわ~、滾るわー!!」

 

自分の鬼畜な所業もまるで無かったかのように振る舞い、挙句に自分の股間を強調するかのような下品な言動に、二人は顔を真っ赤にして怒りを露わにする。

 

そんなやり取りをよそに、新一は冷静に思い出した。

 

 

 

いつだか、ミギーが言ってたっけ。

 

『『悪魔』というのを本で調べたが……いちばんそれに近い生物は、やはり人間だと思うぞ』

 

あの時の言葉は単に統計からみた上での言葉だったはずだ。

パラサイトは本能で人間しか食べないのに対し、人間は本能とは違う、娯楽気分であらゆる種類の生物を殺して食べている、と。

 

 

ミギーのニュアンスとは違うけど、今ほどその言葉に同意せざる得ない時は無い。

 

パラサイトは確かにたくさんの人間を殺してきたけど、それは本能で『生きる』ためにしてきたことだ。

 

決して、悪意から起こした物ではない。

 

それに対し、目の前の奴らは自らの道楽のために、自分たちが生きるために不必要な殺生を、命の重さも知らずに平気で行おうとしている。

そんな人間こそが本当の悪魔なんじゃないかとおれは思う。

 

 

人間は他の生き物に対して必要以上に干渉し、それで『助けた』と自己満足に浸るほど傲慢な生き物だ。

他の生物からしたら迷惑に思っているだろうことをして、本人はいいことをした気になる。

そもそも、違う種類の生き物にはそれぞれの事情があって、真に理解し合える時など永遠に来ない。

 

 

それでも、おれはその『傲慢』こそが人間の美徳だと思っている。

いや、そう思いたい。

 

今だって、砂に埋められた猫をおれは『助けたい』と心から思っている。

 

たとえ助けたとしても猫からしたら無理やり砂に埋められ、また掘り出されるなど迷惑もいい所だ。

砂から出した直後に引っかかれ、噛まれ、恨み言を吐かれても仕方のないこと。

 

それでも、『殺したくない』と思う心が人間に残された最高の宝だと思いたいのは当然なんだ。

 

 

人間が傲慢の塊だとしたら、人間であるおれはその傲慢を通したい。

 

パラサイトが人間から理解されない生き方を続けるように。

おれも人間として『助けたい』心を貫こう。

 

 

 

「まるで盛った犬だな」

「あ?」

 

そのためにも、今そこにいる『悪魔』が邪魔だ。

 

「君たちは猫を出してあげて。後はおれが何とかするから」

「え、そんな……ダメです!」

「危ないですよ! 誰か呼びましょう!」

 

女生徒を下がらせ、新一は悠然と男たちの前に自ら歩み寄る。

手が出ればすぐに当たる位置にまで立つ。

 

「女の前でいい格好しようってか? 調子に乗るなよナヨナヨ野郎」

「お前に用はねーよ。痛い目遭いたくなかったらさっさと消えろや!」

 

口々に新一に罵声を浴びせながら、威圧する。

後ろにいる二人も怒号が飛び交う度に身体を震わせる。

 

しかし、チンピラの威圧など新一にとっては体にたかるハエ程度の物でしかない。

 

新一はミギーが宿った一年の間に人智を逸した激闘に身を置いてきたのだ。

生き残りをかけた激闘の果てに、究極の野生生物の代名詞と言っても過言ではない、闘争の化身である後藤との死闘をも乗り越えたのだ。

 

人間に対する野生の怒り、殺意を相手取った新一にとって、体格と数に物を言わせただけの威圧など蚊ほども存在感が無い。

故に、新一が退く道理などどこにもなかった。

 

「あんたたちは今すぐ帰った方がいい」

「あぁ?」

 

新一は淡泊に、それでいて丁重にお帰りいただくよう提案する。

ただ、情の欠片も感じさせない物言いがチンピラたちを苛立たせた。

 

「今ならまだ誰も傷付いてないし、笑い話で済む。生憎、おれは暴力が嫌いだから、そのまま帰ってもらった方が助かる」

 

まるで、『今ならお前たちを見逃してやる。だから消えろ』と言わんばかりの新一の丁寧口調に女生徒たちは背筋が凍った。

挑発としか思えない言い方に緊張が走る。

 

そして、挑発じみた提案に男たちも黙ってられなくなった。

 

 

「死ね!!」

 

新一の目の前にいた男が拳を振るう。

後ろから短い悲鳴が聞こえた。

 

もっとも、新一にとっては欠伸しながらでも避けられるノロマな一撃だった。

 

首だけを動かす最低限の動きで拳を避ける。

避けられた男は一瞬驚くも、新一の欠伸が出そうなやる気のない顔に激昂する。

頭に血が上った男はデタラメなパンチや蹴りを最小限の動きで苦も無く避け続ける。

 

周りの取り巻きも新一の動きに目を奪われ、下卑た笑みも消え失せる。

 

それは護られている女生徒二人も同じだった。

 

「ふっ!」

 

避ける

 

「このっ!」

 

避ける

 

 

「くそがぁ!」

 

 

避ける

 

 

渾身の攻撃全てを新一は手も使わず、その場から一歩も動くことなく避け切った。

そして、攻めていたはずの男は疲労で地面に尻餅をつく。

 

そんな男の姿に新一は少し焦ったように男の身を案じる。

 

「大丈夫かあんた? 立ってられないほどに疲れてるなら早く帰った方がいいぞ?」

 

新一としては急に転んだ男に、どこかケガさせたのではないかと心配で声をかけたのだが、男からしたらバカにしているとしか思えなかった。

 

さっきまで自分が攻めていたのに、何故、自分がこんな恥ずかしい恰好を晒しているのか?

その原因を作り出し、自分を見下ろす新一への憎しみが一気に噴き出した。

 

もうやり返すだけでは済まさない。

短絡的な思考と共に男は自分の上着のポケットに手を伸ばす。

そして、その様子に周りの男たちも一様に慌てだす。

 

「おいバカ!! それはやりすぎだ!!」

 

取り巻きの声も耳に入らないほどに激しい怒りがこみ上げる。

頭にあるのは、目の前で強者を気取ったすかした坊ちゃん面の男を嬲ることのみ。

 

そのために、ポケットの中にあるナイフを取ろうとして……

 

 

 

 

「探し物はこれかな?」

 

頭の中が真っ白になった。

 

新一が男の物と思しきナイフを手のひらで転がしながら相変わらずの口調で言う。

 

「こんな危ない物振り回しちゃダメだろ。大怪我したらどうすんだよ」

 

新一の声など耳に全然入らない。

そもそも、目の前の光景が信じられない。

 

新一が持っているナイフと自分のナイフとは形も色合いもよく似ている。

でも、本当は自分の物じゃないのでは、と思いながらポケットをまさぐっても持っていたはずのナイフなどどこにもない。

 

人を脅すためだけに持っていた見せかけ、ハリボテのナイフを手放すわけがない。

それは男の唯一、最大の武器なのだから。

だから、今、手元にナイフがない理由など一つしか思いつかない。

 

「い、いつ盗った……っ」

「盗ったって人聞き悪いな。あんたが踊ってるときに偶然見つけて、危ないから預かっただけだよ」

 

何気もなく言い放った新一に底知れない恐怖を抱いた。

情けない声を禁じ得ないほどの恐怖は男に信じがたい事実を把握させた。

 

男が新一を殴ろうと休むことなく殴りかかっていた間にナイフをすられた。

 

ただそれだけのことだった。

 

信じがたい事実に男が歯をカタカタ鳴らして恐怖してると、すぐ近くまで近づいてきた新一に身体を震わせ、動けなくなっていた。

 

「これ、あんたの物だから返すな?」

 

自分が恐怖で固まっているのを他所に、新一が最小限の動きでナイフをポケットの中に返す。

 

だが、その動きも周りの取り巻き、女生徒からしたら目に留まらない早業でしかなかった。

至近距離にいる男に至っては新一がナイフを返した動作さえ見えなかった。

 

ただ、恐る恐るポケットをまさぐると……さっきまで何も無かったポケットから自慢のナイフが出てきた。

 

 

「……ひぃ」

 

もはや、男にさっきまでの威勢など微塵も残されていなかった。

あるのは、圧倒的敗北感と目の前の得体のしれない新一への恐怖……全てを捨てて逃げ出したいという気持ちしかなかった。

 

「ナイフは返したけど……もう一度それを使おうっていうなら、こっちももう冗談じゃ済まなくなるけど、どうする?」

 

ここで、初めて新一は静かに怒りの表情を顕した。

 

もちろん、これは本人としては最後の警告と威嚇程度で済めばいい、そんな程度の脅しをかけただけのつもりだった。

 

 

 

ただ、その怒りの表情は男にとって、組していた取り巻きにとっては威嚇なんかではなかった。

 

 

得体のしれない何かに心臓を掴まれるような―――絶対的強者に目を付けられた生物としての根源的な恐怖を……

 

 

「うわああああぁぁぁぁぁ! あひいいぃぃぃぃ!!」

 

男はしめやかに股間を濡らしながら新一から後ずさり、恥も外聞もなくその場から一目散に逃げだした。

周りの取り巻きは逃げた男の威に従っていただけのコバンザメだったのだろう。

物量差で攻めるどころか、男と同じように見っともなく逃げていく。

 

「ごめんなさい! 許してくださいいいぃぃ!!」

 

一目散に逃げていくチンピラたちの後ろ姿を新一は若干引いていた。

 

「えぇ……」

 

自分の睨みの威力に気付かず、そこまで怖かったかな、と呑気に考えながらも後ろに庇っていた二人のことを思い出し、振り向く。

 

「えっと、大丈夫だった?」

「「……」」

 

さっきまでの無感情な声は鳴りを潜め、安心させるような優しい声で問いかけると二人と既に救出されていた一匹は恐れ多そうに頷いた。

 

 

 

 

あの後、猫を救出した二人……一年後輩の直樹美紀と祠堂圭って子を駅まで送ってやる。

 

猫は救出した後にそそくさとおれ達の前から走って逃げていった。

無事に救出できたことができたため喜ぶべきなのだろう。

 

そして、最後に残ったのはおれと二人の後輩だけだった。

そのまま帰ろうかと思ったけど、辺りも暗いし、さっきのこともあったから変質者が出るかも、と危惧しておれは二人を駅まで送ってやった。

 

最初、二人はものすっっっっっごく丁重にお断りしていたけど、おれとしてはこのまま一人で帰るのも違うと思い、それを説明して納得させた。

祠堂も直樹も最初はおれに対してビクビク怯えていたのは少し傷付いた。

 

今まで、西高の友達から『お前の睨みは本気でヤバい』と言われてたのを思い出した。

あの時は友人特有の冗談かと思ったけど、今日を気に少し気を付けようと思った。

 

とはいうものの、帰りがてらに少しずつ適当な話をしていたら俺に対する態度も柔らかくなった。

怖がられるよりも信頼を取り戻すことの方が難しいって何でだろうな。

 

特に祠堂は明るく活発な子だからかよく喋る。

 

「泉先輩って格闘技とかやってたんですか?」

 

今ではすっかりおれに慣れてくれた祠堂が聞いてくる。

何となくだけど、祠堂って人懐っこいし賑やかだから丈槍とも波長合うかもな。

 

「いや、何も特別なことはしてないよ。普通の生徒さ」

「えぇ~、絶対嘘ですよー。あんな動きするなんてタダモノじゃない証拠ですよ」

 

何もしてないのは本当なんだけどな。

まあ本当のことを言うのは流石に不味いし、適当に伏せる。

 

「美紀はどう思う!?」

「え? 何が?」

「そりゃもちろん、泉先輩の正体だよ! 私の予想では現代に蘇る忍者の血筋と見たよ!」

「いやいやいや」

 

少し離れた所にいた直樹も親友に苦笑する。

 

「じゃあ武道家!」

「先輩、何もやってないって言わなかった?」

「ストリートファイター!」

「それさっきと変わってない」

「侍!」

「違う」

「スパイ!」

「んー、まだまともな答えだけど……」

「新生物!!」

「っ!?」

「どうしました? 先輩」

「いや、何も……」

 

最後の答えにはドキっとしたけどバレてはないな。

祠堂って意外と勘が鋭い?

 

「でも先輩って本当にどうやったらそんなになれるんですか? 只者じゃないのは間違いありませんし」

 

直樹が当然の疑問を問いかけてくる。

 

「あー……まあ色々と……」

 

下手な言い訳だとボロが出そうだから適当に濁す。

 

『君は何か誤魔化そうとすると会話がチグハグになって所々でボロが出る。だからあまり喋らない方がいい』

 

ミギーがいつか歯も着せぬ言い方で言ってたけど、あいつが冗談を言うやつでないことは知っている。

だから、ここはあえて濁らせる。

 

すると、直樹は怪訝そうに怪しんだ。

 

「色々……ですか。さっきの喧嘩慣れといい、ナイフを取ったことといい、先輩って実は不良だったとか?」

「いやいや、それは勘弁してくれ。おれは生まれてこの方、反抗期すらなかったのに、そんな大それたことなんて……」

 

そんなやましいことはしていない。

新一は自らの行為を振り返って考える。

 

例えば、不良と喧嘩、一度だけ抗争に巻き込まれる。

 

「一度も……」

 

三木との戦いの後、通りゆく人たちから金をすって服を買い、タダ飯を食らう。

 

「した覚えは……」

 

後藤から逃げるために車を拝借、及び爆破。

 

 

 

 

 

「ナイヨ」

「何ですか!? その不自然な間と喋り方は!?」

 

直樹からの手痛い突っ込みに自分の顔を両手で覆って隠した。

ヤバい、おれっていつの間にこんな罪を犯してしまったんだ!?

 

不良との一件はともかく、他のは全部ミギーだけどな!

 

でも、宿主はおれだからおれの責任……なのかなぁ?

 

 

天国のお母さんごめんなさい……私、泉新一は汚れてしまいました……

 

「さーて、そろそろ駅も近いしここでお別れかなー? ここまで来ればもう大丈夫だよねー?」

「露骨に話題を逸らしましたね……でも、先輩に助けられたことは私も感謝してますから、聞かれたくないことは聞かないようにします」

 

直樹は軽く笑いながら詮索を止める。

大方、冗談だと思ってくれたのだろう。

 

事実、もう駅も視界に入るくらいに近づいたし、話を切り上げるタイミングとしては丁度よかった。

 

ホームまで付いて行き、自分の帰路につこうとすると二人はおれに頭を下げてきた。

 

「あの、今日は本当にありがとうございました! 先輩がいなかったら私たち、どうなってたことか……」

「また後日、絶対にお礼を言いに行きます!」

 

力強く言ってくるけど、おれとしてはそんなこと気にしないんだけど。

 

「いいよそんなこと。あれはおれが勝手にやったことだし、あまり気にしないでくれ」

「そうはいきません。絶対にお礼はします。いえ、させてください!」

 

気にしないように言うも、直樹が食い下がり、祠堂もそれに同意してうんうん頷いている。

意外と頑固な性格におれも断る理由が無くなり、本人がそこまで言うなら仕方ない、程度で承諾した。

具体的に何をするかは決めないままそこで別れた。

 

色々と大変な帰宅だったけど、新しい出会いに胸を躍らせながら家へ戻っていった。

 

 

 

 

 

 

それから数日後、おれは一部の生徒から『逆らう奴は絶対殺すマン』と呼ばれるようになっていた。

解せぬ。




もうお気づきでしょうが、ここでのユキはパラサイトを察知できます。
この力はこの話において重要な力となることは必須です。

そして、もう一つの設定として『ミギーが体験した記憶は右手に宿っている』と言うものです。
これについては、以下のような設定で通しています。
ミギーは永い眠りに入る際、外界で生きるための能力は不要として新一の右手に残してきた。
その一つが、今回のような『右手の記憶』です。
これさえあれば、今回のように新一自身がやったことのないようなスリの真似事も容易にできてしまうという具合です。

そして、ここまで日常を書いたのは新一への本来のイメージを描くためです。
本来の新一は普通の高校生と何ら変わりない人物です。
それを前提とした話なので、一応書きました。


そして、次回から本編に入る予定です。
ここまで、ほのぼのとした回でしたが、次回から超パラサイト人の新一さんを出す……予定です。
まだわかりません。

それでは、またお会いしましょう!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二章 感染
オワリのハジマリ


中々に難産でした……
ここの新一は原作よりも中途半端な精神状態ですから凄く書くのに苦労しました。

場合によっては色々と改変する予定です。


「りーさん! くるみちゃん! 連想ゲームしよ!」

「何だよ藪から棒に……」

「昼休みは息抜きの時間だよ! お弁当食べた後の何気ない交流が醍醐味なんだよ!」

「まあいいじゃない。面白そうよ?」

 

ある日の昼休み、ユキとりーさん、くるみが同じ机に座って昼食を食べている。

新一を通して友人になった者同士が食事を取っている。

 

成り行きで集まって一緒に飯を食べている最中に丈槍がゲームをしようと騒ぐ。

その様子にくるみが首を傾げ、りーさんがパック牛乳を飲みながらユキに付き合う。

 

「お題は『新ちゃん』! 新ちゃんと言えば優しい! はい、くるみちゃん!」

「え? えっと……スポーツ万能!」

「んー、そうねぇ。盆栽が好きそうかしら?」

「怪力!」

「お人好し!」

「お爺さん」

「某国スパイ!」

「ニンジャ!」

「暗殺者?」

「侍!」

「絶対殺すマン!!」

「ぶふっ!!」

「りーさんの負けー!」

 

何故か新一をネタにした連想ゲームは予想以上に盛り上がり、ミキとくるみに至ってはだんだんと遠慮のない内容になっていった。

しかも、くるみが言った新一のあだ名である『絶対殺すマン』でりーさんが吹き出した。

 

くるみと一緒に勝利を分かち合うユキだが、りーさんは牛乳を飲んでいたこともあって、咳き込んでいる。

 

「駄目だよくるみちゃん。りーさん、新ちゃんのあだ名がツボなんだよ?」

「りーさんのツボ分かんねー……絶対殺すマン」

「がほっ、ごほっ、げほっ、ぶふっ!」

「大変だよくるみちゃん! りーさんの鼻から牛乳が垂れてるよ!」

「ごめん、りーさん! やりすぎた!」

 

普段のりーさんからは想像が付かないほどに笑いで咳き込み、牛乳を鼻から噴くなど女性にあるまじき醜態を晒すハメになった。

 

昼休みにありがちな平和な光景に水を差すように、ユキの頭を背後から新一が掴む。

 

「た~け~や~? 人をネタになに遊んでんだ~?」

「し、新ちゃん……」

 

いつもは気配で分かるユキも食事時の気の緩みで全く感知できなかった。

いともたやすく接近を許し、逃がさんと言わんばかりに頭を掴んでくる新一にユキから無邪気が消えた。

 

笑顔のまま凄まじい雰囲気を醸し出す新一にユキは顔を引きつらせる。

その様子だと最初から聞いていたとすぐに分かった。

 

ただ、新一も本気で怒っているわけではなく、彼なりの冗談を含めて手加減している。

しかし、彼の凄みはユキを震わせるには充分すぎた。

 

「うわ~ん! りーさん」

「新一くん? おイタはめっ!、よ?」

「うっ」

 

拘束から逃れたユキがりーさんに泣きつき、新一を咎める。

新一も冗談とはいえ、こうも咎められると自分が悪いことをしてしまったという謎の罪悪感が生まれる。

 

「最強の新一もりーさんには形無しだな!」

 

冗談めいて笑う胡桃に新一は苦虫を噛んだように苦笑する。

 

事実、新一もりーさんの何でも包み込んでしまうような包容力を前にすると、男としてどうしてもたじろんでしまう。

 

それに、りーさんだけでなく活発でサッパリとした性格の胡桃とは物凄く付き合いやすい反面、近すぎる故に男子としては凄く複雑な感情を抱いてしまうのだ。

胡桃が新一に恋愛相談をしていなければ勘違いしていただろうと思うほどに。

 

「新ちゃん、女の子には優しくしないとダメなんだよ?」

「なんだとぉ? そもそもはお前が原因……あぁ、もう分かったよ」

 

いけしゃあしゃあとドヤ顔で責任転嫁してくるユキに言い返そうとするも、ここで反論すれば再び三人から集中砲火を喰らうことくらい予想が付いた。

 

三人集まって『姦しい』とはよく言ったものだ。

 

こういう時の女性の強さは身を以て知っているため、新一が一歩下がるとユキが満面の笑みを浮かべてくる。

 

「うそうそ。新ちゃんが優しいのは分かってるよ」

 

ここで嫌みのない、笑顔を向けてくる。

 

新一にとってはユキの笑顔ほど厄介な物は無い。

それはどんな悪戯でも最後にはこっちが折れて、許してしまうようなほどに眩しい。

 

「あはははは! お前、相変わらず押しに弱いなー! 本当に不良をボコボコにしたのかよ?」

「だから、おれは手を出してないって言っただろ胡桃。ただ無我夢中で避けてたらあいつがおれのこと強いって勘違いしてくれただけだよ」

 

新一としては、不良との一件は早めに沈静してほしいと切に願っている。

ただでさえスポーツ関連で目立っているのに、今度は喧嘩とくればより一層目立ってしまう。

 

この学校ではちゃんとやり直すって決めたのに、ここで不良のレッテルを張られれば元も子もない。

 

 

 

不良との一件の後、直樹と祠堂は宣言通りにおれの所に来てお礼を言ってきた。

多分、その時に誰かが誤解し、誇張したのだろう。

 

既に祠堂と直樹には口止めをしてもらったはずだけど、この分じゃあ噂の一人歩きは既に始まってるようだし。

 

「そうね。新一くんが暴力だなんて想像つかないもの」

「虫も殺せないような奴だもんな。噂がアテにならないなんてよく言ったものだよ」

 

若狭と胡桃の同調するような言葉を適当にごまかす。

 

一年前だったらそうだったかもしれないけど、今は大分中身も確変したからな。

もちろん、そんなことはここで言う必要もない。

 

そう思って、また飯に戻ろうとすると先生が教室を覗き込むようにして現れた。

 

「あ、めぐねえおーい!」

「もう、佐倉先生、でしょう?……それより、今は泉くんに用があるけどいいかしら?」

 

何かしたっけ?

身に覚えのない呼び出しに疑問が尽きない。

 

とりあえず、呼ばれた以上は行くしかない。

先生に呼ばれて廊下に出ると、途端に神妙な顔になった。

正直、おれには心当たりがないからどういう顔をすればいいか分からない。

 

恐らく微妙な顔をしているであろうおれに先生は決意したような顔でおれに言ってきた。

 

「私はね、泉くんを初めて見たとき、凄く優しい子だってすぐ分かったわ」

「……はい」

 

急に脈絡のない話に何を言いたいのか分からない。

ただ、妙に神妙だから普段通りに話せない。

 

「あなたなら丈槍さんといい友達になれると思って隣の席にしました。するとあなたは私の想像以上のことをしてくれて、教師として恥ずかしいことだけど、少し嫉妬してしまったことも」

「え?」

「だから、泉くん。あなたが変な噂を流されて……その、嫌な思いをしているなら私が力になるから」

「……ファッ!?」

 

涙目で強い輝きを放つ先生におれは変な声を出した。

言ってる意味というより、何でそうなったかさえ分からない。

 

おれは虐められてたっけ!?

 

「あの、先生? それってどう言う……」

「このクラスに来る時によく聞こえてるの。『絶対殺すマン、教科書見せて!』とか『絶対殺すマン、ヘルプよろしく!』とか『殺すマン、それ以上はいけない!』と皆に言われるたびに泉くんが嫌がって叫ぶ声も……」

 

悲しそうに、自分の罪を告白するように語るが、先生は間違いなく勘違いしている。

 

先生は男子のノリを全く分かってない!

 

というより、先生の語る最後の話なんて男子学生特有のバカなノリそのものだ。

 

「だから、今日の放課後には先生から皆に言うわ! 先生として泉くんの力になりたいから!!」

「せ、先生! どうかそれだけは!! 考え直してください! せんせっ、めぐねえ!!」

 

熱意に充てられた先生はおれの声も耳に届かない様子で職員室へ戻って行く。

 

いい先生なのは分かるけど暴走しすぎぃ!!

 

どうしよう……ややこしいことになってしまった……

 

とりあえず、今までのやり取りを見て爆笑している胡桃と丈槍に全力デコピンして落ち着こう。

 

 

その後、額を赤く腫らせた胡桃と丈槍から『額に穴空けられたと思った!』とか『頭吹っ飛んだ~』とか文句垂れてきたのを全力で無視した。

余談だが、帰りのHRでは他の教員に張り切りすぎだと注意されたらしい先生はいつもより深く沈んだ顔をしていた。

 

 

 

HRが終わった後、おれが部活に行こうとすると新しい男友達がいつもよりも馴れ馴れしく絡んできた。

 

「泉~、お前、本命は誰だよ?」

「は? 本命って何が?」

 

急に振られた意味が分からず、聞き返すと同級生たちがネットリと体に首に腕を回して絡んできた。

 

「何って恍けんなよ。お前、恵飛須沢と丈槍と若狭と仲いいじゃねえか」

「あぁ……!?」

 

それだけで何が言いたいのか分かってしまった。

こいつら……っ!

 

だけど、男子がこういう話に敏感なことはよく分かる。

 

「お前、前に話した時も丈槍が好きって言ってなかったっけ?」

「言ってねえよ! 好きな方だって言っただけだ!」

「少し子供っぽいけど、可愛いって感じだからな。ロリ好きなら納得だな」

「いや、若狭という線も濃いぞ。落ち着きがあって、園芸部で、色気ムンムンで、おっぱいだし」

「そうか! 園芸部に入ったのも若狭のおっぱいが目的か!? それともマザコンプレイか!?」

「もしかしたら恵飛須沢も十分にあり得る! 下の名前で呼んでるし、結構話してる姿も見るし、口調は荒いけどサバサバした性格で付き合いやすいし!」

「ここは変化球でめぐねえも考えられる! 何だか泉の時には凄く優しい顔をしている!! 年上好きにとってはたまらんぞ!」

 

間違いない、こいつらはやっぱり馬鹿だ。

 

おれが何も言ってないのに妄想を膨らませて好き勝手言ってる。

 

こういう奴らがおれの噂を更に変な風にしているのか!!

 

 

 

 

 

 

 

そもそも、丈槍とはおれが友達になりたいと思ったから付き合ってるってことと、丈槍自身がおれに構ってきているだけのことだ。

 

若狭とは普通に部活仲間という間柄ってだけで深い意味は無い。

運動部のヘルプをしてきたけど、結局おれは園芸部に入った。

今までが今までだったし、最後の高校生活はゆっくり過ごしたいという気持ちを優先させただけだ。

 

人間のエゴでもあるけど、自然を慈しむ気持ちは大事にしたい。

何より、おれとミギーでさえ手も足も出なかった後藤との戦いでは、人間の身勝手な事情によるゴミの不法投棄のおかげで絶望的だった戦いも勝てた。

だけど、その環境破壊で戦いに勝ったのに、後藤を倒したときは本当に悲しくもあった。

 

確かに、人間の言う環境保全など人間の物差しで測っただけの自己満足に過ぎない。

神様気分で『地球を守ろう』と代弁しても、地球は泣きもしないし、笑いもしない。

だから、主役気分で環境保全に取り掛かっても、パラサイトに限らない他の生物からしたら『何様だよ』って気持ちなんだろう。

 

そうと分かってても、おれは浅ましくておこがましくて、自分の周りを護ることで精一杯な弱い人間だ。

弱いからこそ、人は何かを護りたいと寂しさを埋めようとする。

そして、その弱さを誤魔化すために人は自分より弱い生き物を育てて自分を慰める。

 

おれのちっぽけな戦いはもう終わったんだ。

 

また、おれは普通の人間の世界に戻る。

 

そういう意味合いで、おれは命を育む園芸部に入った。

少しだけ、自分を慰めるために。

 

 

 

 

 

壮大な前置きをしたが、つまるところ若狭と特別なことは何もない。

 

そして胡桃は言うまでもないが、おれとの間に深い意味は無い。

そもそも陸上部の先輩に片思い中だ。

おれは普通に胡桃の恋を応援している立場だ。

胡桃と先輩にはよくしてもらってるから、二人が結ばれればそれ以上に喜ばしいものは無い。

 

 

先生は純粋におれのことを心配しているだけだ。

おれが西高出身、パラサイト事件の関係者と知ってもなお、おれのことを見放さずに充実した学園生活を送らせようとしてくれている。

ただ、おれから見ても少し特別扱いされている感があるからもう少しいい加減になってもいいと思うんだけどなぁ。

 

 

 

 

「で、どうなんだよ泉!」

「泉!」

「絶対殺すマン!!」

 

そんな気も知らずに色々言ってくる友人におれは少々イラっときた。

憎悪には程遠いとはいえ、好き勝手言う友人に大きい声で物申した。

 

「だ~、もううるせーよ! そんなんじゃ無いって言ってんだろ!! はい、もう終わり!! 部活行くから、じゃあな!」

 

後ろでめっちゃ茶化してくる友人を背におれは教室を出て園芸部の活動する屋上へ向かう。

 

教室を出て、廊下を移動する最中になっておれは気付いた。

 

 

 

「サイレンの音が凄いな、今日は」

 

楽しい日常の中に潜んでいた、どす黒い影の一端に

 

 

 

 

 

 

今日は授業も早めに終わり、昼間から屋上に来た。

炎天下とも言えるほどに暑く、空高く昇った太陽に照らされた野菜たちはみずみずしく、それでいて生命として立派に映えていた。

 

しかし、おれは早く来すぎてしまったのか周りに若狭を含めた園芸部の部員も見られない。

 

確か、若狭は部長会があるって言ってたっけか。

でも、他の部員がいないのは気になるな。

 

仕方ない、皆が来るまでちょっと休んでいくか。

丈槍は先生に補修食らってていないし、最近は一人だと異様に静かで退屈なんだよな。

 

教室は今頃、丈槍の補修で使われてるし。

……時計塔の影で昼寝でもしようかな。

 

待っていても仕方ないと思いながら、おれは影ができている菜園部のもう一つ上の所まで登る。

 

そこで手ごろな影を見つけて、そこに入ると携帯が鳴る。

 

父さんからだ。

 

「はい、どうしたの父さん?」

『おぉ、新一。そっちでは何もないか?』

「? これから部活だけど、何かあったの?」

『さっきニュースで見たんだけどな、お前の学校のすぐ近くで事故が起きたらしい。お前が強いのは分かっているんだが、一応、な』

 

事故、か……

あまり外に集中してなかったから気が付かなかったな。

さっきのサイレンもそのせいなんだろう。

 

『でも、まだ学校にいるということだな? それなら安心だ』

「心配し過ぎだって。前も友達できたかどうか聞いてきたばかりじゃないか」

『こんな時期に新しい学校で馴染めるかどうかが不安だったんだが……もうその心配もないな』

「うん。で、今はそれだけ?」

『いや、生存確認もあるが、お前に伝えることがあってな』

 

伝えること?

 

「そんなのあったっけ?」

 

唐突な内容だったから心当たりもあるはずがなく、聞き返す。

だけど、父さんは少し考えているようにしているのかすぐには返ってこない。

 

『……いや、長くなりそうだから帰ってきたら話すとしよう』

「じゃあ今日は早く帰る?」

『その必要はない。せっかくの部活だ。存分に楽しんできなさい』

 

しばらく考え、父さんは帰ってから話すことを決意。

気になるけど、大事な話なら電話越しってのもしんどいかな。

 

「分かった。それじゃあもう切るね」

『あぁ、じゃあな』

 

それを最後に電話を切った後、おれは横になる。

 

影で冷えたコンクリートと陰で日差しの当たらない、夏には嬉しい条件が揃っている場所で目を瞑る。

心地よい感覚に、おれは五感と意識を闇の中に置いて眠りにつく。

 

 

起きたら楽しく、過ごそう。

 

 

そんな風に、今の幸せを噛みしめながら思っていたんだ。

 

 

 

未来が分かっていたら、そんなことさえ思ってなかったんだからな。

 

 

 

 

 

 

再び目を覚ました時、辺りは暗かった。

 

茜色に燃える空を見上げて、今が夕方って瞬時に分かった。

しばらく頭がぼうっとしてたけど、自分が寝過ごしたことに気付いて瞬時に飛び起きる。

 

そして、菜園部に目を向けるとそこには一人で野菜に水を撒く若狭を見つけた。

部長会は終わったんだろう。

ただ、夕方になっても他の部員がいないことに疑問が湧く。

 

何か用でもあるのか?

 

ここまで寝坊したおれが言える立場じゃないな。

 

すぐにカバンを持って菜園部にまで降りてくると、おれを見つけた若狭が不満げに眉を寄せる。

 

「新一くん、大遅刻よ」

「はい、仰る通りです」

 

作物のほとんどに水滴が付いてるから、大分サボってしまったようだな。

それに気づくと何も言えず、反省しかない。

 

「ごめん、気が緩んでて寝てました……」

「もう……気が緩み過ぎじゃないかしら?」

「あ、はい……」

 

こういう時の若狭って勝てる気がしない。

決して威圧感があるわけでないのに、どうしても気が萎むような感覚に陥る。

 

「ほんとごめん。今からじゃあ遅いけど何か出来ることがあるならおれがするから」

「んー、そうねぇ……他のことはもうだいぶ終わったし……」

 

若狭が唇に指を当てて考えると、しばらく悩んだ後にいい顔で提案する。

 

「じゃあ私のことは『若狭』じゃなくて『悠里』って呼んでもらう、とか?」

 

返ってきたのが部活に関係ないことだった。

予想外のことに、一瞬、聞き違いかと疑ったけどおれの聴力でそれはあり得ない。

 

それに、おねだりするように上目遣いで見てくる若狭に全身の体温が急激に上がるのが分かる。

 

「それ、今は関係ないんじゃあ……」

「でも、こういう時じゃないと呼んでくれないし、くるみだって下で呼んでるじゃない」

 

若狭はそういうが、実際、女の子を下の名で呼ぶのは少し抵抗感というか……凄く恥ずかしいというか。

 

「それは、恵飛須沢って名前じゃあ長いって……そもそも、そういうのは特別な人……じゃないとダメっていうか……」

 

面を喰らって口があまり回らなくなりながらも続けると、若狭が面白そうにクスクス笑う。

 

「ふふ、そんなこと気にしなくていいのに。新一くんなら呼ばれても平気よ」

 

面白いと言うより余裕そうな様子に自分だけ焦って恥ずかしくなる。

顔が紅くなっていく感覚を覚えながらも、呼ぶかどうか……悩み、呼ぼうとした時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     うわあああああぁぁぁぁぁぁぁん!!

 

助けてっ! 誰かっ!!

 

           がああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!

 

                        止めてお母さん! 痛いよおおおぉぉぉぉ!! 

 

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!                

 

 

                   ママあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!! パパああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 

 

     やだっ、やだああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!

 

 

 

 

 

何の前触れもなく新一の耳を通して、聞こえてきた死の断末魔。

 

 

日常の中から影も形もなく、突如として現れる死神の狂想曲。

 

 

全てが壊れる

 

 

平和な日常の終わり

 

 

 

新一は突如として脳に響き渡るような恐怖と絶望感に成すすべなく倒れ伏した。

 

「がっ、あぁ……っ!」

 

平和なひと時を享受していた矢先、新一の耳は突如として不意打ちのように新一へ“人の死”を告げた。

 

 

胸が破裂する、心が割れる……っ

 

頭の中で何かが『自分』を食い荒らしていくようだ。

 

 

張り裂けそうな痛みに新一は胸を押さえて地面にうずくまる。

 

その一連の流れを見ていた悠里は突然のことに頭の中が真っ白になる。

それは突然だった。

 

ただ、新一の初心な反応を見てからかっていただけなのに、それが突然苦しみだした。

地面に倒れ伏せ、荒い呼吸を繰り返して“生”にしがみつく姿に悠里は反応できずにいたが、すぐに新一が苦しんでいることを認識し、駆け寄る。

 

「新一くん!? ねえ、新一くん!?」

 

介抱して名前を呼び続けるが、まるで聞こえていないかのように胸を押さえて苦しみ続ける。

 

ワイシャツの生地が破け始めるほどに胸を押さえる姿は、ただの病気とは思えない。

最初に熱中症を疑った悠里だったが、新一の苦しみ方にその認識を改めた。

 

自分ではどうすることもできない、保健室へ連れて行こうとした時、屋上の扉が開いた。

 

そこにはめぐねえと慕う先生と妹のように可愛がるユキの姿があった。

 

「りーさん。今日も園芸部の見学に―――」

 

ユキが挨拶しようとするも、それは途中で止まる。

新一が身体を大きく上下するほどに、荒い呼吸を立てて地面に倒れている姿にユキは激情に駆られた。

 

「新ちゃん!!」

「泉くん!?」

 

事態を把握した先生とユキは新一に駆け寄った。

 

それでも新一は二人が駆け寄ったことに気付かないほどに苦しみ、痛みに耐えて返事できずにいる。

 

「これは一体……っ!?」

「ただからかってただけで……でも、突然、急に苦しみだして……先生!」

 

悠里は半ばパニックに陥って話が見えてこない。

ひたすら泣きそうに、半狂乱気味に先生に訴える。

 

対するユキは新一に近寄っても、何が起こっているかが完全に理解できていないのか呆然と見つめるだけ。

比較的、冷静だったのは先生のみだった。

 

(こんな苦しみ方、普通じゃない!)

 

自分たちの手には負えない、一瞬でそう判断した後の行動は速かった。

 

「私は保健室から人を呼んでくるわ! あなたたちは救急車を呼んで、そのまま様子を!!」

 

先生は新一を慎重に連れていくために保健室から人を呼んで来ようと屋上の出口に手をかけた。

 

 

 

「動くな!!」

 

そして、全員の動きを止めたのも新一本人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突如として聞こえた死の声。

 

生命の終わりが街中から聞こえてくる。

 

平和な町が、地獄絵図に塗り替えられていく様を新一の耳が、五感が、本能が察知していた。

 

その脅威は街だけでなく、自分たちの周りにまで広まっていたことに気付くまで時間がかかった。

多分、これは自分の中に抑え込んでいた“生物”の力だろう。

もう使うことは無いと思っていた、研ぎ澄まされた本能が目を覚ましたことを知覚し、理解した。

 

 

理解してしまった。

 

 

人間としての心は、今起きている地獄を認められないのに、鉄の心は、現実を冷たく、冷静に受け止めた。

だから、『今、ここに残っている僅かな命』を救うことを優先させた。

 

「全員、屋上から出るな!! 扉に鍵を閉めて離れろ!!」

 

 

痛む胸が鎮まり、地獄を冷静に受け止めてしまった新一は状況を正しく判断し、怒鳴る。

そこには平和な毎日を享受していた優しい青年の姿はない。

 

ただ、死線を潜り抜けて生き残ってきた『狩る者』しかいない。

 

「泉くん……何を……」

 

皆が新一の豹変に動きを止める。

だが、全てを理解した新一の行動は先生よりも速く、正常な判断による冷静で堅実な行動だった。

 

新一は胸の痛みがまるで無かったかのようにゆったりとした動きで歩き、出口に手をかけた先生の行く手を阻んだ。

突然の行動に誰もが困惑した。

 

「でも、さっきまで苦しんで……保健室へ……」

 

先生の言葉に新一の表情が苦しみに歪む。

まるで、吐き出せない悲しみをため込むように。

 

この世に起きた真実を語る。

 

 

「無理なんです……もう、下も、街も……っ! 死んで、しまったんだ……っ!」

「な、何を言って……」

 

先生に新一の真意は分からない。

ただ、新一が何かを感じ取り、絶望していることは分かる。

自分の及ばぬ事態が起こっている、今の新一からはそうとしか思えない気迫があった。

 

 

皆が動けずに、僅かな時間も永い時間に感じられるほどの濃密で、異様な空気に誰もが戸惑う。

しかし、その空気を打ち破ったのは扉を叩く音だった。

 

「誰か!! ここを開けて!!」

 

聞き覚えのある声が扉を叩く。

緊迫した声、乱暴な叩き方に新一でなくても状況の異常さを理解させるには充分な異様さを含んでいる。

 

既に五感と本能で事態を把握している新一は鍵を開けて扉を開く。

 

そこから、腕から出血した陸上部の先輩を肩に抱く胡桃が現れた。

 

「恵飛須沢さん!?」

「鍵閉めて! 早く!!」

 

胡桃の言うことを新一だけが理解し、悲痛な表情で鍵を閉める。

悠里たちは何が起こっているかも分からないものの、目の前で怪我している人がいる、と言うことだけは分かった。

 

「すぐに保健室に―――」

「駄目だ!!」

 

保健室に連れて行こうとするも、それは新一と同じように拒否された。

ただ、今回は胡桃が阻んだ、それだけのこと。

 

ただ、新一と違って胡桃の声には力強さが無い。

現実を正しく認識しているか、否かの違いだった。

 

「下はもう、やられちまった……っ!」

 

それはどういう……、自分たちの想像が及ばない事態が起きていることを認識し始めた。

 

 

だが、その時は既に起こった後である。

 

 

「なに……してるの……あれ?」

 

ユキの小さく、疑心が漏れたような声に先生が同じく視線を辿って―――茫然自失になった。

 

 

いつもなら陸上部の活気に溢れたグランドが

 

 

青春を謳歌する教え子の学び舎が

 

 

 

人が人を喰らう地獄と化していた。

 

 

 

声なんて出るわけが無かった。

 

ましてや、この瞬間、自分の精神が死んだような感覚に陥った。

 

 

人が人を喰らい、血肉を貪る地獄を前に、彼女たちは恐怖はおろか思考そのものが消えた。

 

映画でよく見るようなゾンビパニックによる地獄。

 

それを楽しく見ていた記憶が今は遠い昔だ。

唐突過ぎて吐き気すら起こらない。

 

 

そんな時だった。

頭の中で現実逃避を起こしかけているユキたちに現実は牙を剥いた。

 

 

 

『奴ら』の手が扉の窓を割って飛び出してきた。

 

「っ!?」

「来やがった!!」

 

命を脅かす脅威……『敵』の出現に胡桃と新一以外の面々は絶句した。

 

意思も感情も感じさせない、血に濡れた手が獲物を探してさまよい続ける。

 

「うわあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

ユキが恐怖のキャパシティーを超えてパニックに陥る。

帽子を深く被り、目を閉じて震える。

 

しかし、それは先生に予想外の効果を与えていた。

 

この場に残る唯一の大人。

教え子たちよりも豊富な経験と大人として子供を守る責任感がユキの悲鳴によって刺激された。

放心状態から立ち直り、咄嗟に今できる最適解を実行に移せたのは不幸中の幸いだった。

 

「え、園芸部のロッカーを!!」

 

原因も、そもそも何が起こっているかさえ分からない。

 

だけど、どんなに混乱した頭でも今すべきことだけは分かる。

ここで『奴ら』の侵入を許してしまえば、自分たちは食われるということ。

 

ただ『死ぬ』だけよりも、『人に食われる』という未知の恐怖はこの場の全員の行動を後押しした。

 

先生がロッカーで『奴ら』の侵入を阻むバリケードとするが、そのバリケードを押し出す力が強い。

『強すぎた』。

 

「っ! う、く……っ!」

 

想定以上の腕力にロッカーごと先生を押し出され、踏ん張っても後ろに下がってしまう。

明らかに力で負けているのに、これから物量までもが増えていく恐怖に先生の脳裏に『死』の文字が視え始めた。

 

絶望に包まれると思った瞬間、先生の隣で若狭もロッカーを押し出した。

 

「若狭さん!?」

 

思わぬ援軍に先生も驚愕するも、すぐに優先順位を思い出して抵抗しなおす。

 

見れば丈槍も洗濯機を押して重石にしようと奮闘している。

 

この場の皆が力を合わせ始め、先生は一縷の希望が見え始める。

 

力を合わせれば、何とか……っ!

 

 

しかし、事態はそんな小さい希望だけではどうこうできる問題ではなくなっている。

それを思い知らせるように、『奴ら』は動いた。

 

 

「せ、せんぱ……」

 

聞こえてきた弱弱しい胡桃の声。

 

それに反応して進行を食い止めている先生たちが視線を辿ると、そこには腕を負傷していた先輩が立っている。

その瞬間に、回復した、と喜びに身を震わせようとして―――止まった。

 

ゆったりと立ち上がり、胡桃の前でフラフラと不安定な足運びで近づいていく。

まるで、何かを求め、彷徨うかのように。

 

様子がおかしい。

明らかに普通じゃない。

 

さっきまでグッタリと倒れていた人が立ち上がったのだ。

喜ぶべきことなのに。

今に限っては、喜べない。

代わりに湧き上がる別の感情。

 

人が、生物が本来持って然るべき、直感

 

それが叫ぶのだ。

 

 

 

それは『奴ら』だと。

 

「うあっ!」

 

胡桃は突き飛ばされ、地面に背中を強打する。

背中からの衝撃で肺の空気が吐き出される。

 

背中の痛みで顔を歪ませるが、胡桃に影が差した瞬間に痛みが消えた。

 

倒れている自分に向かって不気味な足取りで近づいてくる。

 

いつも、想っていた先輩が自分に向かってきているのに、嬉しさなど微塵も感じない。

 

『先輩の皮を被った何か』が口を開け、唾液を垂れ流しながら歯をちらつかせる。

いつも感じていた好きな雰囲気などどこにもない。

 

消えてしまった。

 

あるのはドス黒いほどに純粋で、深い『欲』しかない。

 

口を開け、歯を立てて私に迫ってくる。

 

いつも見て、想っていた胡桃は理解していた。

 

先輩じゃない。

『これ』は……もう先輩じゃない。

私の好きだった人は、もうこの体にいないんだ……

 

怖い、恐ろしい、おぞましい……目の前の怪物は先輩を食べてしまったんだ……

もう……どこにも……

 

 

殺される……食べられる……

 

悲しみよりも生き延びたいという生存本能が強く勝った。

後ろに下がる途中で自分の手に当たる物を手の感触で感じた。

 

震える手で持っていた物を掴もうとした瞬間、先輩だった『物』が飛びかかってくる。

 

「うわあああぁぁぁぁぁ!!」

 

絶叫、生きたいという意思を込めた叫びと共に手に持ったシャベルを振り回そうとした時だった。

 

 

 

 

「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!」

 

胡桃の叫びを容易くかき消す絶叫を上げた新一が

 

 

生前、良くしてくれた先輩の顔に全力のパンチを叩きこんだ。

 

 

新一の咆哮に動きを止めた胡桃は確かに聞いて、見た。

 

 

 

 

転校してきたばかりの自分によくしてくれた先輩の顔が、首が音を立てて砕けながら頭部がひしゃげる瞬間を。

 

 

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉ!!」

 

 

 

新一は叫ぶ。

 

 

まるで、何かを振り払うかのように力強く、悲しく……涙を流しながら

 

 

絶叫と共に先輩の顔を地面に、万力の力を決死の想いと共に叩きつけて

 

 

 

紅い飛沫をぶちまけて、頭部を跡形もなく粉砕した。




始まってしまいましたパンデミック。

最後に出してしまいました超パラサイト人……この時すでに新一くんは罪悪感と生存本能の間で苦悩しています。

生物的な強さと人間としての強さで、新一は胡桃を意図的に救出しました。

ここが原作の胡桃のターニングポイントであり、彼女を救うプロセスだと自分的に思い、原作とは違う結末にしました。
その心は、また後の本編で説明します。

そして、ここから完全に新一くんは豹変します。
だけど、ここでの設定どおりにやると、考えが一貫してないように第三者からは思われます。
この時点で新一くんの苦悩が幻視できてしまって……

そして、この作品は、世界観は『寄生獣』ですが今の舞台は『がっこうぐらし!』です。
ウイルス云々の設定は『寄生獣』設定に偏らせる予定です。
なので、こじつけが強い設定になることは前もってお詫びします。

書いといてなんですが、この作品の新一くんには一言お詫びします。
すいませんでした!

今回は難産で、これが精一杯でしたが、次回からは……色々と凄いことになるよう努力して書いてみます。

それでは、忙しくて遅れるかもですが、次回にお会いしましょう!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二の戦い

今回はあまりお話は進まないのでご了承ください。


学校が血で濡れていく。

 

街が恐怖と死で満たされていく。

 

他のみんなは聞こえてなくても、おれには分かる。

 

死の潮流が街を飲み込んでいく。

人間が集まっても抗うことさえできない、自然災害の類だ。

 

ちっぽけな生き物にすぎないおれには何もできない。

命が失われていく現実を、まざまざと見せつけられる。

平和を生きていた人たちの悲鳴が槍となっておれの心に突き刺さる。

 

なんで、なんでなんだよ。

どうしておれの行く先が血で濡れてるんだよ。

 

なんでおれをそっとしてくれないんだよ。

ミギーだって眠ってるんだよ……寝かせてやってくれよ。

もう、殺し殺されるのなんて嫌なんだよ……

 

道で知り合いになった生き物を気にかけてしまうのが……おれたち人間なんだよ!

もう、おれの周りの人がいなくなって、悲しむ姿はもう見たくない……

 

でも、既にそんな理屈が通じない状況になっていることくらいわかってる。

おれの人間としての感情は現実を拒否したがっているくせに、おれの頭は今の状況を冷静に分析していた。

頭の中でいくつもの考察が浮かんでいく横で、それから目を背けている。

 

胸がまた痛む。

心臓を手づかみで引き裂かれるように……!!

立っていられな―――

 

「うあっ!」

「っ!?」

 

だけど、現実はおれがまた胸の痛みに悶える間すら与えちゃくれない。

胡桃の悲鳴でおれの意識は現実に引き戻される。

 

胸の鈍い痛みに耐えながら悲鳴の先を見ると、そこには胡桃ににじり寄る先輩の姿が。

 

足取りが、それだけでない、行動も雰囲気もいつもと違う先輩を見て、理解してしまった。

この違和感を味わったことがあるおれには分かる。

これはあの時、おれの胸に穴が開いた時の―――

 

母さんの時と同じ……っ!!

 

 

あぁ、先輩はもう先輩じゃないんだ……

体は動いているのに、心が、魂はもういないんだ。

鼓動すら聞こえない先輩の体は、『何か』に操られているんだ。

 

 

先輩

 

おれを陸上部に誘ってくれた先輩

 

スポーツ推薦枠でおれを大学に誘ってくれた

 

園芸部に入ったおれを先輩として見送り、先輩として面倒を見てくれた

 

勧誘を蹴って好意を踏んだおれのことを最後まで可愛がってくれた……っ!!

 

 

 

とても優しくて、器量も大きい理想の、人生の先輩だった。

尊敬してたのにっ……そんな人が何で……死んでしまうなんてっ!!

 

そんな人が、死んだ後も身体を乗っ取られて化物にされてしまった。

 

あんまりだよ……こんなの、ひどすぎる……

 

 

 

 

 

 

『で? 君はそこで眠るつもりかい?』

 

―――違う、動けないんだよ……疲れちゃったんだ……

 

『身体が? 心が?』

 

―――……両方さ。血に濡れて、休んでた時に、また皆がおれたちを攻めるんだ。戦えって

 

『ふむ……』

 

―――殺すのはもうウンザリだ……ただ、何かを護りたいだけなのに……歩いたら新しい戦いがあって、疲れて立ち止まってもまた戦いがある……

 

 

『それはつまり、今ここにいる彼女たちを置いていくと考えていいんだな?』

 

―――それは……っ!

 

『君が決めたことだ。君の決断なら私は反対もしないし拒否もしない。でも、賛成もしない。決めるのは君だ』

 

―――そんなの、できるわけないじゃないか!! 命なんだよ!! おれたちは他の命を犠牲に生きている存在だとしても、無暗に、理由なく見捨てていい訳がない!!

 

『でも、こうしている間にあのクルミとかいうのは危機に瀕している。遅れれば死ぬぜ?』

 

―――でも、どうすれば……!! おれにはもう力も、何も……

 

『簡単じゃないか。今まで通り私を使うといい』

 

―――無理だ……もうお前はいないんだ。何もかも、変わってしまったんだ……

 

『変わらんさ。君が動き、私が戦う。それが最適解であり、現状における最善だよシンイチ』

 

―――でも……こんな世界で、おれにできることなんか何も……ミギーがいたから戦えてただけだ……おれはお前にはなれないんだ……!

 

『これから君が歩む道は困難で、辛くて、果てしないのかもしれない。だからこそ、君にもう一度伝えよう』

 

『誰だって死ぬことは怖い。私だってそうだ。だからこそ、ピンチの時には落ち着いて対処しろ。挫けそうになったら胸に手を当てて深呼吸しろ』

 

『追い詰められた時こそ冷静になって考えを巡らせろ。柔軟な発想で事に当たれば勝機を必ず掴める。忘れたかい? 『戦は兵力よりも勝機』だよ』

 

―――考えを……巡らせる……

 

『そうさ。君の甘い人間的感情とパラサイト(我々)の冷酷な判断能力を使い分けろ。そうすれば君は無類の力を発揮できる。君が私になる必要はない。今までの経験を活かして人間とパラサイトの持ち味を使え』

 

―――ミギー……

 

『これだけは忘れるな。何があったって、どんな時だって我々は二匹で一つだ』

 

―――待ってくれミギー!! こんな、せっかく会えたのにまた別れるなんて……っ!!

 

『手を伸ばす相手が違うぞ……()きな、君の場所に』

 

 

 

 

 

それは夢か幻か、今では分かっちゃいない。

目を開けると、そこには目を背けたくなる現実が広がっていた。

 

でも、おれの心は既に動揺が消え、頭の中もクリアになっていた。

戦うのはもうウンザリだ、血ももう見たくないとさえ思っている。

 

でも、ミギーがおれに戦えと、生きろと言ったんだ。

それだけでおれは……っ!

 

胡桃は恐怖し、先輩『だったもの』は胡桃を喰らおうとにじり寄っている。

止めろ、そんなこと先輩は望んでない。

先輩の体を使って、おれの友達を傷つけるな。

 

もう先輩を無理やり動かすな。

 

 

頬を伝う冷たい涙を流しながら、拳を握る。

そして、胡桃の精神状態が限界なことに気付いた。

手元で何かを探っている。

絶望に染まらず、生きようとしていることが分かる。

いずれ、近くに落ちてるシャベルに気付くだろう。

 

でも、ダメだ。

 

それは、ダメなんだ!!

 

 

胡桃、お前は、先輩への気持ちをそんな形で終わらせちゃいけないんだ!!

こんな形で自分の想いを捨てちゃいけないんだ!!

 

 

「うわあああああぁぁぁぁぁぁ!!」

 

胡桃の絶叫と共に手に掴んだシャベルを先輩に振るう。

 

やらせない。

それは、先輩はおれが殺るっ!!

 

爆発的なダッシュと共に先輩へ向けて全力の拳を振るう。

周りが止まったかのようなスローの世界の中で、胡桃のシャベルより先におれの拳が先輩の顔に届いた。

 

 

骨が砕ける音がする。

拳を通して壊れる感触が伝わる。

 

冷たい体温

 

 

おれの拳で先輩が壊れる。

 

 

先輩、先輩今すぐ!

 

 

休ませてあげますから……っ!

 

だから

 

 

 

お疲れさまでした

 

 

 

もう休んでください

 

 

 

 

 

おれが見送るころ、先輩の頭はこの世から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

目の前の光景に私、いえ、私たちは言葉を失った。

誰が、誰がこんなことを予想できただろうか。

 

ただ呼吸するだけで精一杯だった。

 

今まで若狭さんと丈槍さんと一緒に扉を押さえていた時に恵飛須沢さんが襲われそうになった。

時々、大学から来ていたOBの先輩くんだった。

そして、恵飛須沢さんの……

 

その人が立ち上がり、恵飛須沢さんに襲い掛かろうとした。

それだけでも異常と言える状況だ。

いえ、だった(・・・)

 

でも、それよりも衝撃的な光景があった。

 

 

い、泉くんが人の頭を殴り潰した(・・・・・)

 

突然のことに私も若狭さんも頭がつぶれて赤く染まった、冒涜的な光景から目を離せなくなってしまった。

 

恵飛須沢さんも泉くんを見上げて呼吸するしかできない。

 

夕日に照らされた泉くんは無表情のまま涙を流し、握る拳から血を滴らせていた。

 

 

泉新一くん

 

この巡ヶ丘高校につい最近になって転校してきた至って普通の男の子。

授業態度も真面目で私のことを佐倉先生と呼んでくれるほどに律儀な生徒。

一人だった丈槍さんと友達になった優しい子。

 

そして、全世界を震撼させた人間に寄生する『パラサイト』によって家族を壊され、人生を翻弄された。

人を食べる凶悪な生物と関わることになり、幾つもの死を覚悟し、死を見てきた子供。

 

 

それが私、佐倉慈の知る限りの泉新一くんそのものだった。

 

 

……しかし、今日私は彼の新しい一面……いや、もう一人の人格を目の当たりにした。

 

「皆、おれに考えがあるんだ」

 

涙を拭いながら若狭さんと私を呼び、呼ばれた私たちは体を震わせた。

そして、呼吸することさえ忘れるほどの驚愕。

 

優しかった泉くんの目が、さっきまでは考えられないほどに冷たく、無機質だった。

それに、涙を拭いてからというもの、足元に横たわっている亡骸を臆することなくフェンスに立てかけ、汗一つかかない冷静な表情で告げた。

 

「今日は夜までここに籠城したいと思う」

 

さっきまで泣いていた生徒はもういない。

そこにいるのは、今の異常事態を日常生活の中で生活するように、さっきの惨状を当然のように受け止める、さっきまでの泉くんとは別の泉くんだった。

 

彼が言いたいのは夜まで屋上に待機するということだった。

確かに、あの正体不明の相手が蔓延る今は無暗に外に出ない方がいいだろう。

私たち、後ろで座り込む恵飛須沢さん以外は彼の言葉に反論しなかった。

 

 

しかし、彼の次の提案は私たちの予想をはるか上をいった。

 

「今からおれは学園に戻ってできるだけ『奴ら』の駆除と比較的安全な居住スペースを確認、できたら食料も確保してくる。皆はおれが戻ってくるまでここで待機してくれ」

「えっ!?」

「泉くん!?」

 

彼の発言はその場の全員を驚愕させるほどだった。

それは誰にも予想できない、自殺行為。

彼は校庭の惨状を見ていないか疑わしくなるほどだ。

 

今までふさぎ込んでいた恵飛須沢さんでさえも泉くんに詰め寄った。

 

「お前、何言ってるのか分かってんのかよ!? 中は奴らで溢れ返ってるんだぞ!? 今戻っても殺られちまうよ!」

「大丈夫、できるだけ危険は避けるつもりだから」

「そうじゃねえ!! お前は中を見てないからそんなこと言えるんだ!! 中は奴らの巣だ! どこ行っても奴らは湧いて群がってきやがる! そうやって、皆を、先輩も……お前までそうなるなんて私は嫌だっ!!」

 

グランドから屋上まで避難した恵飛須沢さんのほうが状況を分かっているのだろう。

 

自ら死にに行くような泉くんを必死に、追いすがるように肩を掴んで止めようとする。

 

もちろん、恵飛須沢さんだけじゃない、今、扉を押さえてなければ私だって彼を止めるつもりだ。

それは若狭さんも同じ気持ちだと理解できた。

彼女は普段の優しい笑顔を一変させて不安と恐怖が混じった表情で震えている。

 

そして、丈槍さんは……ただただ嗚咽を漏らして泣いていた。

 

誰もが、泉くんを危険に晒さないよう彼を止めるつもりだけど、当の本人は抑揚のない声で続ける。

 

「大丈夫、その扉の向こうにいる奴は階段から落ちてここに昇れなくてもがいてる。聞いたところだと上の階よりも下の階に固まっているようだし、大丈夫だよ」

「ざけんな! 適当言って煙に巻くんじゃ―――」

「待って……そう言えば、さっきから衝撃が無くなってる……」

 

泉くんが言うまで気が付かなかったけど、確かにさっきから静かになってる。

さっきの衝撃的な光景に気を取られてたから気付かなかったけど、扉をこじ開けようとしていた『奴ら』がいなくなってる。

 

私と若狭さんと顔を見合わせて驚愕する。

泉くんに詰め寄っていた恵飛須沢さんも驚愕し、扉を凝視する。

 

確かに、さっきから突然いなくなったように静かだけど、それが逆に不安を駆り立てる。

また来るかもしれないという恐怖で扉を開けることが躊躇われる。

皆がそう思っているときも泉くんはまた確信めいて口を開く。

 

「今、屋上に続く階段を登ろうともがいている『奴ら』は全部で6匹。三階全てのフロアに残っている数は大体13、いや、14匹だけだ。これくらいなら三階フロアの奪還はできると思う」

 

まるで、目に見えない場所を見通しているかのような彼の言葉に本当に何も言えなくなる。

 

そんなわけない、幾らなんでもそんなはずは……

 

私たちは彼の言うことを信じ切れず、扉の先を見ることができない。

そんな私たちに泉くんはどこまでも落ち着いた様子で通す。

 

「大丈夫。おれを信じてください」

 

まだ確証もない、危険な賭けに違いない。

危ない場所へ生徒を行かせるわけにはいかない。

 

でも、今やっと彼と目を見て分かった。

 

 

泉くんと私たちの見ている世界はまるで違う。

 

 

彼と私たちが視る光景は同じなのだろう。

それでも、頭でその光景をどう感じるかというところで決定的な差がある。

 

一瞬、私は信じられないと疑ったが、彼の経歴を思い出して目を伏せた。

 

彼は幾度もなくこんな経験をしてきたのだろう。

そして生き延びた。

彼より長く生きてきた私よりも彼はこの狂った世界での戦い方、生き方を理解している。

それが分かったとき、私たちに彼を止める資格は無いと理解した。

 

「泉くん……一つだけ約束して」

 

生徒は先生が護らないといけないのに、今はそれが逆になっている。

歯痒くて、悔しい。

 

でも、今はそれしかないのも分かる。

 

だから、私は彼の帰る場所を護ろう。

多分、それしかできないから。

 

「絶対に戻ってきてください」

「先生!?」

 

暗に泉くんを行かせる返事に若狭さんから短い悲鳴が上がる。

 

今、自分がやっていることは教師として、いえ、大人として失格なのかもしれない。

生徒、子供を地獄に放り投げたと言っても間違いない。

むしろその通りだ。

 

私の言葉に、泉くんは優しげに笑って頭を下げる。

 

「ありがとうございます。先生は皆をお願いします」

 

さっきまでの無機質な顔が嘘のように、今の彼は安心していた。

 

間違っている。

 

これから危険な場所に行く彼自身がなぜ、安心するのか。

本当はそれは私の役目のはず。

 

 

でも、私じゃきっと、いや、絶対にできない。

彼もそれを分かってて向かおうとしている。

そして、私が無力なせいで彼はここで優しさを置いて行くのだと。

 

生徒の背中を危険な場所へ押し出す罪悪感と、自分が比較的安全な場所にいられるという浅はかな安心感を抱く自己嫌悪に私は涙を流すしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先生はおれの言葉を信じてくれた。

それだけでおれの勇気とやる気が湧いてくる。

 

さっきの惨状を見たら、普通はおれのことを真っ先に化物だと疑って当然のはず。

先生はおれの経歴を少なからず把握している数少ない人だ。

何かあると警戒するのが人間として当然なんだ。

 

きっと、先生の涙はおれのために出してくれてるんだ。

 

先生が先生でよかった。

 

これだけでもおれは充分に救われた。

 

先輩は護れなかったけど、せめて皆だけは護る。

 

生き残るにも護るにも色々と準備が必要だ。

そのためにおれは学校に戻る。

集中して階段付近と三階部の戦力を確認したから大丈夫なはずだ。

 

おれが胡桃の戸惑うような視線と困惑して動揺する若狭の視線をすり抜けて、扉に手をかけた瞬間、おれの腰に軽い衝撃が奔った。

見下ろすと丈槍が泣きながらおれの腰に組み付いていた。

 

「丈槍……」

 

いつも元気で、今日の昼まで活発だった丈槍が今ではなんと弱弱しいのだろうか。

まるで、自分を置いて去っていく両親を引き留める幼子のように泣きじゃくり、精一杯の力で新一を行かせないようと組み付く。

静かになった世界の中で丈槍の泣く声が響く。

 

「そうだよな……怖いもんな?」

 

安心させるよう頭を撫でても今回はそれが逆効果だった。

おれに組み付く力が強まって泣く声も大きくなった。

 

丈槍の力なら振りほどくこともできるけど、おれにはそんなことできない。

 

おれも丈槍の気持ちは分かる。

置いてかれることは辛いのだ。

しかもこんな状況だ、一人だけだと心が挫けても不思議じゃない。

 

本当はおれも皆の傍にいてやりたい。

でも、今おれができる危険を回避するには一度ここを離れなければならない。

 

 

今起こっている状況をおれなりに分析してみた。

とは言っても、現状で起きていることについては除くけど。

 

まず、奴らの戦闘能力などの分析だ。

さっきからグランドの奴らの行動を見ると、明らかに動きが鈍い。

走ったり跳んだりと活発な動きをする気配すらない。

まるで動きまわるだけで精一杯と言わんばかりに身体を引きずっている。

 

しかし、さっきまで先生たちがロッカーを押さえていた時を思い返すと違和感を覚える。

さっきまでは数がある程度いたとはいえ先生たちが本気で押さえないと扉をこじ開けられる寸前だった。

奴らにはある程度の腕力がある。

このちぐはぐさが逆に不気味だ。

 

動きが遅いくせに力は強い……これだけで奴らの特異性が垣間見えて不気味だ。

 

それに、奴らは階段手前で集まっている……と言うよりもたついてることも気になる。

 

その部分を正確に把握するためにも三階の奴で検証することも目的の一つだ。

 

 

それなら早々に学校に入って比較的安全な部屋に入るのも手だが、おれにはもう一つの懸念があるため、屋外での籠城を提案した。

 

 

 

パラサイトだ。

そもそもこの状況を目の当たりにして、おれが真っ先に考えたのはパラサイトの存在だった。

奴らがこんな事態を引き起こしたんじゃないかと。

 

だけど、これがパラサイトの起こしたことだとしてもおかしい。

こんなやり方は奴ら()()()()()

 

まず、今回の目的を奴らの気持ちになって考えてみた。

その時点で既にひっかかる。

 

奴らには今回のような惨状を引き起こす目的が無い。

人間を食べるにしてもここまで目立ったら軍隊を呼ばれて駆逐されるのがオチだと分かっているはずだ。

市役所での攻防は間違いなくパラサイトへの抑制効果があった。

そのせいで人間を食べられる機会が減ったとしても、こんな危険を冒して人を食わなければならないほどまだ切迫してない筈。

 

食料以外で考えてみる。

 

人間への復讐、パラサイトの存在の誇示、革命……

 

 

どれも人間的にはあり得るかもしれないけど、パラサイト的に見ればそんなことは無駄でしかない。

なぜなら、奴らは『生きる』ことを大前提で動き、『生きる』ために必要ないことは何もしない。

要は、今回のように自らの首を絞めることをするとは考えられない。

奴らは一時的とはいえ人間に気付かれることなく人間社会にまで適応して過ごしたのだ。

今更、自分の生活を壊す真似を奴らは絶対にしない。

後藤のような『闘争』と田村玲子のような『研究』といった趣味を持った奴が起こしてる可能性も否めない。

 

それにグランドの惨状を見ていたが、奴らは人に噛むことでその仲間を増やしている。

 

パラサイトはその種を増やすことはできない。

 

それは田宮良子が最初の段階で証明したことだ。

奴らにこんな真似ができるわけがない。

新種のパラサイトという線もあるが、可能性は天文学的数値だ。

 

ただ、もしものことがある。

 

学校に戻って、廊下でパラサイトと対峙しようものなら明らかにこっちが不利だ。

皆を護るのはもちろん、廊下や教室のような狭い空間で縦横無尽に動く触手を振るわれたらたまったものじゃない。

ミギーがいない今、奴らと戦える方法があれば広い場所での肉弾戦だ。

 

運動能力と五感をフルに活用できる野外なら作戦を立てれば勝機はある。

だから、夜まで皆には屋上に出てもらおうということだ。

 

 

 

結局、おれたちは奴らに対して情報が足りない。

だからおれが行かなければならない。

 

 

「丈槍、おれは大丈夫だよ」

「新、ちゃん……やだぁ……」

 

完全に泣きじゃくって離そうとしない丈槍におれは苦笑してしまう。

妹ができたらこんな感じなのかな、て呑気に思っている。

 

だから、丈槍の頭を帽子の上から撫でてやる。

いつも右手で撫でると破顔して喜んでたから。

 

撫でられたのに気付いたのか大粒の涙を流す顔をおれの方に向けて見上げてくる。

少し落ち着いたように静かになった丈槍の肩を掴んで同じ目線に合わせるよう屈む。

 

「大丈夫だから。皆はおれが護るよ」

「でも……でもぉ……っ」

 

なんて言ったらいいか分からないといった感じでまた泣き出す。

丈槍って意外と泣き虫だったんだな。

 

だけどそれはおれのことを案じてくれているからこそだ。

この子は根が優しいな。

優しすぎるから、悲しんでくれるんだよな。

 

肩を掴んでゆっくり話すと素直に引いてくれたから、決しておれのことを信じてない訳じゃないのかな。

 

「皆はおれが戻るまでここを頼んだ。できるだけすぐに帰ってくるから」

 

皆は何と言っていいのか分かっていないようだった。

ただ、先生は丈槍をおれから離して頷いてくれた。

 

 

若狭と先生がロッカーをどけて、扉の鍵を開ける。

二人は警戒して後ろに下がるのを確認しておれは扉を開ける。

 

「ひっ!」

 

小さい悲鳴を上げて目を瞑るのは若狭だった。

急に開けて驚かせてしまったかな。

 

でも、さっきも言ったように心配はいらなかった。

扉をこじ開けようとしていた奴らは何らかの理由で階段から転げ落ち、階段前で固まっていた。

 

階段に昇れないのか?

足が動かないという訳じゃなさそうだし、知能が低いかもしれないな。

それならやりようはある。

 

下でうごめく『奴ら』を見下ろして冷静に思いながら、皆に一瞥した。

 

「おれが出たらすぐに鍵を閉めて待っててくれ。念のために武器になる物持って周りを警戒してるんだ」

「分かった……分かったから、だから、絶対に戻って来いよ……絶対にだ……っ!!」

 

返事をした胡桃は声を震わせて俯いている。

 

先輩のこともあるのに、彼女は気丈に振る舞っている。

強いな。

彼女がいれば滅多なことが無い限り大丈夫だろう。

 

色々と思う所はあるけど、また後にしよう。

 

今は生き延びることを考える、それだけだ。

 

 

 

おれは扉の中に戻って閉める。

鍵がロックされた音を聞いて、完全に後顧の憂いは消えた。

 

血肉の不快な匂いが充満した学校の中でおれの戦いは幕を開ける。

おれを食おうと階段を無理やりよじ登っている『奴ら』を確認した。

知能も感じられない『奴ら』に向かっておれは階段から跳躍した。

 

「うおおおおおおぉぉぉ!!」

 

気合と共に奴らの中の一体の頭を踏みつけ、全体重を乗せて潰す。

 

ばら撒かれた血潮に誘われるようにおれの元へ集まりだした『奴ら』に、おれは駆けた。

 

 

こうして、おれの第二の戦いが幕を開けた。




今回は、新一が戦いを決める回想を書きました。
最終回で見ると、ミギーはまだ新一を見てくれているのでお節介をした、という回です。
かなり無理ありました。

今後もミギーはたま~~~~~にメシアの如くご降臨なされるかも……しれない……
夢は見ますけど。

そして、新一は冷静になってミギーに真似、つまりなりきって状況を切り抜けようとしています。
なので、今の新一に『奴ら』への遠慮は全くありません。
その過程で一瞬でもパラサイトの仕業と疑ったけど、パラサイトに関しては普通の人より知っている新一はパラサイトは関係ないと判断。

だけど、パラサイトの乱入も想定して夜まで屋上に留まることを決意。

いくら後藤を倒した後と言ってもミギーがいないので、パラサイトを相手に屋内戦は不利と判断して屋外で戦えるようとどまってもらったということです。

そして、次回ですが、戦闘については色々と省きます。
というのも、部活の結成理由は原作とは違うものとなるのでその種まきをする予定です。

そして、ショッピングモール側を別サイドで送るのでこれからの文章はかなりいい加減になりそうです……

そして、皆さんが気になっているであろうパラサイトとの戦いですが……あります。
それは別の話で書く予定なので、お楽しみに!

今回で、序章は終わり……と思ったか!!
すいません、ちょっとはしゃぎました。

実はですね、次からは別の人の視点……というより完全オリジナルの視点で原作ではまだ謎だらけ部分に触れていく予定です。
次回はですね、主人公()が頑張ります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

もう一つの始まり~一つ目オバケさん~

完全なオリジナル……幼女視点だから稚拙な文で書いてみましたが、凄く不安な話です。

今回は主人公(他)と原作キャラ(仮)との交流イベントです。凄く短い!

何でこんな展開になったかは次回に持ち越しです。


みんな、おかしくなっちゃった。

どうして、こんなことになったのかが分からない。

 

だって、今日も何気ない一日で終わろうとしてたはずなのに。

 

 

分かんない。

 

 

ただ、怖くて震えてた。

 

 

学校のみんなが先生にかみついて、友達にも飛びかかって皆、死んじゃった。

 

 

みんな、みんな、床に寝て血を吐いた。

 

 

そしたら、床に寝てた先生が起き上がってね、お友達を食べちゃった。

 

 

皆、怖くなって逃げた。

 

 

怖くて、叫んで、泣いて逃げた。

 

 

さっきまで楽しかった学校が皆を食べちゃった。

 

 

だから外に出た。

 

 

学校にいると先生や友達に食べられちゃうから。

 

 

 

でも、お外も怖かった。

 

 

先生みたいに青くなった顔をした人たちが一杯いた。

 

 

友達みたいに泣いた大人の人達も食べられちゃった。

 

 

怖いよ……気持ち悪いよぉ……もうやだよぉ……

 

 

たすけてよぉ、りーねー……

 

 

ぼうしが飛ばされたときだって迎えに来てくれたもん。

 

 

きっと、きっと来てくれるよね……

 

 

 

だから、るーもがんばるよ……

 

 

 

 

 

 

 

 

まちのなかをはしった。

 

どれだけはしったか分からなかった。

 

るーを食べようとするオバケが怖くてにげた。

 

はしって、はしって、転んだ。

 

 

「うええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん……」

 

ひざもすりむいて、痛くて、泣きたくて……りーねーを思い出した。

 

 

お父さんとお母さんがいつもけんかしてるとき、いつもいてくれた……

 

お父さんたちがいないときもご飯つくったり、おかしもつくってくれた。

 

 

わたしがりーねーにつかまるとなでてくれた。

 

クッキーやチョコレートのあまいにおいがして、あたたかかった。

 

 

あたたかくて、いいにおいで、大すきなりーねー

 

 

あいたいよぉ……こわいよぉ……

 

 

 

つかれたよぉ、もうあしがうごかないよぉ……

 

 

 

オバケがるーのところにあるいてくる。

 

 

 

動けなくて、ねむくて、いたくて……あいたくて……

 

 

 

 

もう、あえないのかなぁ……

 

 

りーねーもオバケになっちゃったのかなぁ……

 

 

るーもオバケになっちゃうのかなぁ……っ

 

 

 

「りーねーー!! りーねーー!!」

 

 

 

るーが泣いてたらいつも来てくれたりーねーが来ない。

りーねーがいない……

 

オバケがるーのからだをつかんだ。

 

 

「痛い痛い痛い!! やだぁ! はなしてぇ! おうちにかえしてぇ!」

 

 

 

でも、オバケははなしてくれない。

 

るーを持ち上げて大きくて、くさくて、こわい口を開けて近づいてきた。

こえも出せなくなって、もうりーねーに会えなくなっちゃうんだって思った……

怖くて目を閉じた。

 

 

 

でも、いつまで経っても痛くなかった。

さっきまで痛かったのに、なんだか今は痛くない。

 

それでも怖くて、怖くて目をつぶってた。

 

それでも、オバケは何もしてこなくて、なにかあったのかな、って思った。

 

 

それで、目を開けたら―――オバケがぜーんぶ倒れてた。

 

るーは何も見てなかったからわかんなかった。

 

でも、うしろからだれかが話してたからそっちをむいた。

 

 

 

おっきい目がすぐそこにあった。

 

「人間の子供か……情報源としてはあまり期待できねえなぁ」

「……っ!?」

 

見たこともない生き物がしゃべってびっくりした。

 

ずっと前に、お父さんたちがまだ仲良かったときに読んでもらった一つ目おばけみたいだった。

でも、なんだかこわくなかった。

 

なんだか、ほかのオバケと違った。

私をつかまえたオバケが周りでたおれて、一つ目オバケは何もしてこないから。

 

「あなたは、オバケさんなの?」

 

ちょっとこわいけど、さっきまでるーを追いかけてきたオバケとは違うからはなしてみた。

すると、目のすぐそばにおっきい口が出てきた。

 

「何だお前、パラサイトってのを知らねえのか? テレビのニュースでもやってるのくらい見たことねえのか?」

「う、ううん……」

 

パラサイト

 

それがなにか分からなかったから首を振るとオバケさんは目をパチパチさせた。

 

「何だよ、この様子じゃあ欲しい情報は持って無さそうだな……ハズレかぁ」

 

何を言ってるかわからないけど、すごく落ち込んでるのが分かった。

 

るーが何かわるいことしたのかなぁ。

 

あやまろうとしたら、オバケさんの後ろから大人の人がでてきた。

その人には口が無くて、鼻からふーふーと息が出てた。

 

オバケさんの体も大人の人から伸びてた。

 

その人は携帯電話を動かして、こっちに向けてきた。

そうすると、オバケさんがそれを見て、大人の人の口が出てきた。

 

「ぷはっ! お前、口まで塞ぐなよ! 危うく窒息するとこだっただろ!」

「お前がトロトロしすぎなんだよ。人間のガキを助けろってうるせえから射程伸ばしてやったんだ。喚くんじゃねえ」

「ジョー……お前、ほんとに口悪くなったな……っ!」

 

おじさんがオバケさんとけんかしてる。

すごく怒ってるおじさんだけどオバケさんは目玉を別の方向に向けて知らんぷり。

 

「おじさん……だれ?」

 

すごく怖かったけど、おじさんはオバケじゃないとおもったから聞いてみた。

 

「僕は宇田、宇田守だよ」

「うだ……おじさん……と、オバケさん……」

 

そう言うと、おじさんは笑った。

 

「はは……こいつはジョーだよ。英語で『顎』って意味だけど分かるかな?」

「能書きはいいから早くここから離れようぜ。また集まってき始めたぞ。そのガキが余計なことしねえよう見張ってろよ」

 

オバケさんが言うと、手から包丁が生えて、オバケに向ける。

 

 

そっか。

 

るーをまもってくれたのはオバケさんだったんだね。

 

 

オバケさんはいいオバケさんだったんだ。

 

 

 

なんだか、るーはまたねむくなっちゃった。

 

つかれて、足もいたい……

 

 

でも、うれしいなぁ……

 

 

つぎに、るーねーに会ったら“じまん”しちゃおう

 

わたし、オバケさんにたすけてもらっちゃった……て

 

 

だ、から……るーを……むかえに……き、て……

 

 

 

 

 

 

―――とある小さい少女は運命的な出会いを果たした。

 

 

 

 

 

本来なら、惨劇に巻き込まれて既に死んでいた身なのかもしれない。

本当ならここで尽きる運命だったのかもしれない。

 

それでも、歪んでしまった世界は少女の因果さえも歪ませた。

 

既に死んでいたであろう、その身を救う形で。

 

 

あまりに皮肉で、悲しい出会い

 

 

少女は安心で気を失う最後まで想った。

 

 

いつでも自分の味方だった姉を

 

 

そして、自分を見つけて探し出してくれた一つ目オバケのことを

 

 

その姿に幸せと喜びを見出して

 

 

少女は地獄の中心で、笑顔のまま倒れた。




やっと出せました!!
自分的ベストキャラの宇田さんとジョーです!
そして、りーさんの鍵である妹のるーちゃん!

この二人の参戦はこの作品を作る時から決まってました。
やっぱり寄生獣にはパラサイトです!

宇田さんとジョーですが、完全に新一くんの癒し要員です。
そうしないと新一くんが辛すぎてやばくなりすぎると思ったからです。

ここで、ジョーを出してしまうと強すぎてバランスが悪くなると思ったのですが、案外そうでもないかな? とも思ってしまいました。
実際、ジョーは寄生した場所もあって、普通のパラサイトや新一たちよりも不利なんですよね。
その上、あまり戦った描写が無いから戦闘は不慣れというデメリットがあるので、パラサイトの実力的には下の方なんですよね。
ですから、『奴ら』相手はともかくパラサイト相手だとマジでやばい……!
なので、出しても問題ないと思って出しました。

今回、ジョーがるーちゃんに姿を見せたのが相手が子供だから、言いふらされても信頼されないことと、『奴ら』が蔓延りすぎてるから堂々と殺ってもあまり問題ないと判断したが故です。

感想でも偶に作者の浅はかな構成を指摘する人がいてドキっとしました。
でも、るーちゃんは原作ではまだまだ謎が多く、それでいて重要キャラだから書く直前まで困りました。
作者としてはるーちゃんは既に故人にした方がいいかなって思いました。
でも、それだとりーさんがダークサイドまっしぐらなので救助しました。
ただ、あまりに設定分からないので、今後は作品が終わるまで無口キャラとしていかせてもらいます。

ここでやっと序章が終わりました!
ここまで書きましたが、予想以上の反響でビックラしました(汗)。
皆さんの期待を裏切らないよう、最大限頑張ります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

宇田とジョーの成り行き

今回は宇田さんがなぜ、伊豆から来てるーちゃんを救出したのかの説明になります。

現在、大学のテスト中で書いてる場合じゃないというのに……

別作業中の片手間執筆でしたから、今回は割とダイジェストに、簡単な説明ぐらいしかないのであまり期待しないでください。

ただでさえ、日刊ランキングベストで3位とかいう予想さえしてなかった状況でプレッシャーががががが……

とりあえず、今回は暇つぶし的に見てください。


伊豆から出たのはいつぶりだろうか。

新一くんに助けを求められ、それに応じたのが最後だったっけ。

 

あの時の探偵騒動から色々あったらしいけど、ぼくたちの方は至って普通に過ごしていた。

最後に電話した内容は新一くんが今住んでいる場所から引っ越して、新しい場所でやり直すことの報告だった。

 

その報告を聞いたとき、思い切ったことをしたと驚きはした。

 

でも、彼の事情を知っていたからこそ、その決定は僕にとっても喜ばしいことだった。

 

彼は高校生にして色んなことを経験した。

それも必要以上に、大人でさえしないような危険なことも、一生を左右しかねないほどに過酷なことも。

彼は経験し過ぎたのだ。

 

彼の周りで起こった事件は全て彼の住んでいる場所付近で起こったのも知っている。

だから、引っ越せば新一くんもやっと安心して暮らせるんじゃないかと思った。

 

パラサイトはどこにでもいるようだけど、最近は数もめっきり減ったようだし、そんなに警戒しなくてもいいだろう。

 

「運転中にニヤつくな。変人だと思われるぞー」

「気にするならお前も急に出てくるの止めろよ。今の職場でも結構ヤバいんだぞ」

 

だから、今のように運転してる最中に出てくるのは止めてもらいたい。

 

気紛れな同居人に呆れながら、レンタカーで高速道路を走る。

 

 

 

ぼくは宇田守。

 

数ある偶然が重なり、顎にパラサイトを宿した幸か不幸か分からない男。

 

僕は今、勤め先のホテルに有休を取ってもらって新一くんの元へ向かっている。

 

引っ越し祝いも兼ねてるけど、もっと大事な用がある。

 

だから僕は来た。

 

 

僕は、新一くんの復讐に関わった責任を果たすために。

 

 

 

 

 

 

 

伊豆から船に乗り、降りた後は予約していたレンタカーを借りて走らせること数時間。

あまり変わり映えしない周りの景色にジョーは飽きたのか偶に出てきては愚痴っていく。

 

鬱陶しいながらも退屈しないし、眠気覚ましにもなってたから、それほど注意はしなかった。

ただ、フロントガラスからはあまり見えないよう窘める。

 

後は、カーナビを勝手に動かしてテレビを見るくらいだ。

 

「くそっ、電波が不安定でノイズばっかだぜ」

「ここ、山間部だからな。街に出るまで我慢するか寝るかだな」

 

今、走っている場所は幾重にもトンネルが続く山間部。

一度は探偵の件で新一くんの所へ行ったけど、今回の訪問はそれよりも長い旅路となっている。

 

あまりの退屈さにカーナビでテレビを見ようとしたジョーは諦めて、後部座席にまで体を伸ばし、目玉を増やしてぼくのリュックをマジマジと見る。

 

「これを送るくらい宅配でいいだろ。何でおれたちが届んだよ面倒だぜ」

「宅配で送っていいものじゃないし、宅配で済ませるだけっていうのは不謹慎なんだよ。それに、これは新一くんにとっても大切な物なんだ」

「じゃあ新一に来させろ。前はオレたちが行ってやったんだから」

 

不満タラタラで体を元に戻し、ぼくの胸を手で付く。

それでも器用に目玉を車の先の方向へ、口をぼくの方へ向けてくる。

 

だけど、今回は譲らない。

いや、譲れない。

 

「今回は僕が行かないとダメなんだ。僕には新一くんの復讐に携わった者として、そして手を下した者としての責任がある。これは僕にしかできないことだ」

 

この言葉にジョーはマジマジと見ながら不思議そうに答える。

 

「人間の言う責任も分からねえな。誰からも押し付けられたわけでもないことをやろうなんざな」

「そういうものなんだよ。分かったらそろそろ引っ込め。街に出るぞ」

「おっ」

 

すっかり暗くなった高速道路で見つけた標識に僕が言うとジョーもいつものように平坦な返事も少し弾んでいた。

素直にあごの中に戻って行く相棒に苦笑しながら高速道路を降りた。

 

 

 

その日は夜も遅く、ジョーも不満ばっか言うから新一くんの住む街とは別の所のビジネスを取った。

ちなみに、予約電話はぼくが行っている時に運転はジョーに任せていた。

本当は色んな点で注意されるところだけど、色々と予定が押していたからその時だけ分担してもらっていた。

 

実を言うと、今回の件は急遽決まったことで新一くんには禄に連絡できぬままの出発になってしまった。

近くの街に行ったらホテルを取って連絡するつもりだった。

 

そのつもりだったけど、いざ、ホテルの部屋に入ると朝から休む間もなく移動した疲れがどっと出てしまい、意識が虚ろになりかける。

新一くんへの荷物を丁重に置き、シャワーを浴びて歯を磨く。

 

簡単に済ませるころには眠気がピークに達し、ベッドの上に倒れこむ。

もはや死んだような僕に対し、ジョーは姿を現してテレビのリモコンを取る。

 

「あまり遅くなるなよ……」

 

注意して返事が返ってこないのはいつものことだ。

 

でも、ジョーはいつも寝る時にはテレビも消すし、電気も消してくれる。

こういう細かな所は守ってくれるから案外上手くいけてると思っている。

 

目玉を出してテレビを見るジョーの姿を最後に僕の意識は闇に沈んだ。

 

 

 

 

朝の目覚めは中々にいい気分だった。

 

元から整備されたベッドと心地いいホテルの環境は疲れた僕を癒してくれた。

ジョーもいつの間にか寝ていたのかテレビも電気も消えてた。

ただ、リモコンくらい片付けろ。

 

眠ってるのか隠れてるのか分からない同居人は何も答えない。

 

いつもより反応が違うな……そんな遅くまでテレビでも見てたのか?

 

でも、寝てるならそれで好都合だ。

こいつが気紛れを起こす前に朝のバイキングでも食べよう。

 

一度だけ背伸びして寝間着姿のままその部屋を出た。

 

 

 

何だか、凄く静かだな。

廊下を渡ってエレベータに来るまで誰にもすれ違うことなかった。

 

こういう時ってホテルの従業員も起きてるんじゃないか?

 

そんなことを思っていると外からサイレンの音で溢れていることに気付いた。

この近くで事故でも起きたのかな?

 

そんなことを思いながら、少し寝過ごした朝ご飯を食べるために下に降りた。

 

 

 

 

 

下の階に降りてみたけど、誰一人として会うことは無かった。

何だか、この静けさはどこか不気味に感じるな。

 

平日なんてこんなものかな。

 

僕はそう思いながら朝ご飯を食べる場所まで歩いて行った。

 

そして、その食堂に入ったときから違和感を覚えた。

 

 

誰もいない。

 

 

不自然なほどに。

 

 

幾ら自分が相当に寝過ごし、朝食バイキング終了ギリギリに来たとはいえ、おかしい。

 

食堂に誰一人、影も形もないなんておかしい。

 

 

何だか異様な雰囲気に僕は寒気がした。

 

 

広い食事処もまるで時間が止まったように静かで、誰もいなくて。

 

 

き、きっと気のせいだよね。

平日は大体は仕事に行ってるはずだし、長期休業の時期じゃないよね、うん!

出しっぱなしにされた料理も手付かずなのはきっと従業員の人が補充した後に何か用があったからだ。

なら、時間も間に合ってるし、誰か来ても寝る前に渡された券を見せればいいか。

 

僕が料理を皿に盛って、適当な席について食べる。

その直前、横目で何かが通り過ぎるのを見た気がした。

 

(ん?)

 

只でさえ少し不気味だった所に人が来たという安心感から何かを見た方向に首を向けても誰もいない。

かなり遠くだったから見間違いだったかもしれない。

僕が見るころには誰もいなかった。

 

でも、誰かがいたような気配を確かに感じた僕は少し安心して目の前の料理に舌鼓を打とうとしたその時。

 

「おい」

「うわ!」

 

今まで寝ていたように静かだったジョーが唐突に出てきた。

 

普段は人が良く集まりやすい場所でも顔を出さないジョーだっただけに、突然の行動に肝が冷えた。

 

「おい! 何勝手に出てきてるんだよ!」

 

今は誰もいなかったからよかったものの見つかったら大騒ぎなんてものじゃない。

ぼくは反射的にテーブルの下に屈んでジョーを隠す。

 

「お前、何やってんだよ! こんなとこ人に見られたら―――」

「様子がおかしいぜ」

 

ジョーは神妙に、探るように言った。

急に何を言ってるんだか……そう思っていた時だった。

 

 

 

 

 

突然、外から爆音が鳴り響いた。

 

 

「っ!?」

 

突然の爆音と地響き、そして人々の悲鳴……その全てがホテルの近くで起きたことを肌で、耳で、全感覚で感じた。

 

今のフロアの窓からはホテルの庭園と囲いしか見えず外の景色を窺い知ることはできない。

ただ、今、外でとんでもないことが起こっていることだけは分かった。

 

「じ、事故か何かかな……」

 

急に、ぼくの生活に何の前触れもなく入り込んだ異常事態にジョーに聞く。

 

この時、ぼくはただジョーに否定してほしかっただけかもしれない。

「ただの事故だろ。ニュースでやってることが目の前で起きただけだ」って。

 

でも、ぼくの予感はそんな甘い言葉を否定した。

自分の中で否定と羨望がせめぎ合っているのを感じる。

 

この予感は何なのか。

ぼくが元々持っていた生物としての危機管理能力なのか。

 

それとも人生で積み重ねた経験則からなのかは分からない。

 

「おい、何か来るぞ」

 

そんな予感を押し出すようにジョーが何かに警戒し始めた。

ジョーが警戒する様子にぼくは当たってほしくなかった予感に肝が冷えた。

 

「な、何が……」

「黙って呼吸整えろ。慌てずに鼻で呼吸することに集中だ」

 

状況も飲み込めないぼくとは対照的にジョーは既に刃を出して臨戦態勢に入っている。

大きい目の先にはフロアの出口。

 

そして、曲がり角から微かに見える動く影。

 

「ひ、ぐ……っ!」

「落ち着け。こっちまで落ち着かなくなる」

 

自分の鼓動がジョーに伝わって文句を言われた。

 

でも、こんな状況で落ち着けだなんて無茶な話だ。

 

今、外の世界で自分たちの知らない惨状が起こっているのに。

外から絶えず聞こえてくる人々の悲鳴や泣く声。

 

不定期で聞こえてくる何か大きいものがぶつかる音。

 

明らかに外は異常だ。

窓と囲いの二つを挟んだ先で何かが起こっている。

 

パラサイトはともかく普通の人間なら不安にもなる。

 

ドキドキが止まらない中、動く影が少しずつ大きくなっているのが分かる。

 

こっちに近づいて来てる……っ!

 

 

外では何が起こっているか分からない。

こっちに向かってくる正体も分からない。

 

何もかも分からない状況の中でぼくたちは待ち構えることしかできない。

 

相手がパラサイトではぼくらに残された道は逃げることしかできない。

何故、襲ってくるかは分からないが、今は逃げるための心構えで精一杯だ。

 

そして、不定期な足音が聞こえた時、ぼくの緊張はピークに達し―――霧散した。

 

「え?」

 

曲がり角から現れたのは普通の人だった。

 

よく見かけるTシャツにジーパンを履いた男の人だ。

 

ただ、その人が普通でないことはすぐに分かった。

猫背で俯く人の顔辺りからポタポタと赤い液体が垂れていた。

 

外で起こっている悲鳴、連発する交通事故らしき爆音

 

この二つの状況と目の前の俯いて今にも倒れそうな人とを関連付けるのに時間は必要なかった。

 

この時、僕の中から緊張は消えていた。

 

その代わりに、目の前の怪我しているであろう人に対する心配にすり替わっていた。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

ぼくはその人の元へ駆け寄ろうと走った。

距離が空いていたからすぐには行けない。

 

そして、ぼくの手が届く距離にまでその人と近づいた時だった。

 

(止まれ)

 

ぼくにしか聞こえないよう耳元で小さい口を作って止まるよう言ってくる。

 

急なことで思わずぼくはジョーの言うとおりに止まってしまった。

でも、ジョーの行動は間違いなく迂闊なことであり、ぼくもそれにはあまり感心できなかった。

 

(何言ってんだよ! 目の前で人が怪我してるんだぞ!?)

(……確かにそうなんだけど、何か妙なんだよなぁ……)

 

目の前の人にばれないよう小声で話す。

 

ジョーがここまで警戒するのも、ぼくには少し分かる。

 

 

今日は朝から妙なことが起こりすぎているからだ。

 

人が消えたホテル

 

外から聞こえる人々の悲鳴に交通事故の爆音

 

 

そして、目の前の様子がおかしい人

 

 

正直、ジョーでなくても今の状況に警戒するのは当然かもしれない。

普通の人でも警戒するのは当然だろう。

 

 

でも、目の前で怪我している人を見過ごすのもぼくはしたくない。

 

 

迷っている思いが伝わったのか、ジョーが言ってきた。

 

(おれに代われ)

 

そうとだけ言うとぼくの了承も待たずにぼくの口の支配権を奪った。

あまりにも身勝手な行動に腹立たしく思う反面、いつもと変わらないペースのジョーにどこか救われる。

こんな異常事態の中だとジョーの行動でぼくもいつもの調子に戻れるから。

 

しみじみ思っていると、ぼくに扮したジョーが口を動かして男の人に話しかける。

 

「おいお前、外で何があった? その怪我はどうした?」

 

口調が乱暴だけど、無難だからセーフにしよう。

とりあえず、口調と少し大口になったり牙を生やしてること以外はバレる要素が無いから大丈夫だよな?

 

ジョーの問いに男は反応しない。

 

「怪我してるようだからおれが救急車を呼んどいてやる。そこらのソファーで横になってろ。ただし、絶対に動くな。おれが救援を呼んだら、そこから一歩も動かずに状況を説明しろ」

 

かなり警戒心を露わにして問いかける。

 

だけど、ジョーの要求に男は従うどころか反応すらしない。

 

ここまでくると不気味だ。

男に対して言い知れぬ気味の悪さを感じる。

 

それどころか、男はこっちに向かって歩いてきた。

 

「てめえ、人の話聞かなかったのか? こっちに来るんじゃねえ!」

 

ジョーが突き放すような警告を飛ばすが、歩みを止める気配はない。

不自然に足をもつれさせながら一心不乱にこっちに向かってくる姿に狂気すら覚える。

 

言い知れぬ恐怖に僕が後ろに一歩下がるも、男の前進の方が速い。

 

一歩

 

また一歩

 

 

ゆっくりと近づき、僕の手が届く距離にまで近寄ってきた。

 

男の呼吸は荒く、まるで獣のようだ。

それに、こっちに向けて手を伸ばしてくる。

 

 

意味が分からない。

 

だけど、それがよくないことだと分かる。

 

 

それでも動けない。

状況を受け止めるためにそれ以外の思考が止まったかのように。

 

 

いつの間にか外の喧騒が耳に入らず、動けないぼくの肩を掴んだ。

 

そんなぼくに男は―――血に濡れた歯を僕に突き立てて近づいてきた。

 

 

「あっ」

 

 

自分で思うほど間抜けな声だった。

 

何もかもが遅く、男の歯がぼくの首に触れるか触れないか、切迫した所まで近づいた時だった。

 

 

 

 

ジョーの刃が男の首を寸断した。

 

そこでぼくの世界は早さを取り戻し、ぼくもその場にへたりこんだ。

 

「ジョ、ジョー……」

 

呆然と、ぼくを助けてくれた相棒に声をかける。

 

目の前に転がる首と首のない身体からゆっくりと漏れるように滲み出る血液。

むせかえるような匂いがする中で、ジョーだけはいつもと変わらずの乱暴口調を続けながら刃を閉まった。

 

「こいつ、おれたちを食おうとしたのか……」

 

どこか不思議な物を見たかのように感心しているようだけど、ぼくにはそんな言葉も耳には入らなかった。

呆然とするぼくを放ってジョーは首を刎ねた男を冷静に観察する。

 

「こいつからは信号も感じられなかったからパラサイトじゃないんだろうけど、かと言って人間って感じでもねえ。まるで飢えた獣そのものだ」

 

「しかも、首を刎ねたってのに血の噴射が無かった……こんな出血のしかたからして心臓は既に止まっていたんだろうよ」

 

「それだけじゃねえ、見ろよ。こいつ、体の至る所に肉を抉り取られたような傷があらあ。一つや二つじゃねえ。これを見るに、歯型……か? まるで数人の人間から捕食されたかのようだ」

 

 

ジョーが首のない死体を動かしたり服を斬って身体を調べたりと冷静に、情の欠片も見せずに分析していく。

 

 

着々と現実を理解しつつあるジョーと違い、ぼくは心底恐怖していた。

 

 

「~っ!?」

 

そして、それは遅れたころに一気に心の中で噴きだした。

 

ぼくはさっきまで“死”という死神に連れていかれそうだった、という恐怖だ。

 

 

さっきまで見たのは、血に濡れた歯を見せてぼくに近寄ってくる至近距離からの光景。

死を間近に経験し、思い出し、呼吸も荒くなって足が笑い始めた。

 

寒気すら感じ始めた身体を両手で抱いて倒れないようにするのが精いっぱいだった。

 

 

怖い

 

 

恐ろしい

 

 

 

何が、どうなって……

 

 

誰も予想できない異常事態が現実となって牙を剥いたのだ。

こんな恐怖にぼくのような平凡な奴が耐えられる訳が無かった

 

呼吸をしていないと苦しくなる。

 

追い詰められ、胸の中で早まる鼓動と自分の早まっていく呼吸に意識がぶっ飛ぶ。

 

 

 

その直後、僕の顔が冷たい何かを浴びて意識を戻された。

そして、ぼくの前には伸ばした手で水が垂れているコップを持ったジョーだった。

 

「さっきから過呼吸になりかけてたぞ。少し落ち着け」

 

コップから垂れている水と、ぼくの上着が濡れていることからジョーに水をかけられたことなどすぐに分かった。

おかげでぼくは少し落ち着きを取り戻し、呼吸が整っていくのが分かる。

 

それと同時に、自分がさっきまで目の前で倒れている人に噛まれそうになったのを思い出した。

 

「この人、一体なんなんだ……」

「さあな。急に湧いて出てきた奴のことなんか分からねえが、一つだけ分かったことがある」

 

ぼくの胸に手を付きながら目玉をこっちに向ける。

 

「こいつはおれたちの敵だった。そして、殺らなきゃ殺られる。それだけだ」

 

淡々とありのまま起こったことを踏まえて何事もないかのように言うジョーの声には感情は無いものの冷酷さが滲み出ていた。

 

だけど、そんな彼に助けられたのは事実だった。

そして、外では得体のしれないことが起こっていることも。

 

「さっさとここからずらかろうぜ。ここにいても何もできねえからな」

「い、今からかい?」

「出来るだけ早くだ。これから飯食ってテレビで何かやってないか確認しなきゃならねえからな」

「はぁ!? お前っ、こんな時にご飯だなんて!」

 

いつもと変わらなさ過ぎて、少し緊張感が抜けてしまった。

 

相変わらずジョーは人間の何たるかを分かってない!

今、目の前で人の首を斬ったのを見せられて気持ちよくご飯なんて食べられる訳が無い!

 

そう思っていると、ジョーはぼくに目玉を伸ばしてきた。

 

「外では何が起こってるか分からねえが、災害かそれに似た何かが起こってるのは分かってんだろ? そこで飯が普通にある確証なんてねえ。今だからこそ食える時に食って行け。餓死寸前になってからじゃおせえぞ?」

「うっ……」

 

先を見据えたジョーの言葉にぼくも言葉が詰まった。

 

確かにそうだ。

外の悲鳴とか、何かがバンバンと囲いを叩く音は絶対にただ事じゃない。

 

それに、今さっきぼくはこいつに助けられたじゃないか。

 

ぼくを助けたジョーを信じずして誰が信じるんだよ。

 

「分かったよ……ちゃんと食べればいいんだろ……」

 

意を決して、ぼくは目の前の死体から臭う血の臭いに吐き気を覚えながら、それを押さえて食堂に向かった。

 

 

 

「肉ばっか取ってんな。炭水化物とミネラル、栄養を考えて食いやがれ。水分も適度にな」

「お前、こうしてるとなんか母さんみたいだな」

 

ジョーの母親気質のおかげで、ぼくはさっきまでの惨状と死体のことを忘れることができ、ぼくの心を落ち着かせてくれた。

 

 

 

 

「な、なんで……これは……っ!」

「こりゃ……驚いたぜ」

 

それから数時間後、全ての準備を終えたぼくたちが外に出たぼくたちを待ち構えている世界が、地獄に塗り替えられているとも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

朝ご飯を食べた後、荷物を取りに行ってできる限りの食べ物を持って外に出ると、ぼくは外の地獄絵図に息を呑んだ。

 

街の至る場所から煙が噴き上がり、車も衝突した後に放置されているものばかりだった。

 

そして、人が人を食う異常事態。

 

 

パラサイトの件が無かったらぼくは正気を保てずに発狂していたかもしれない。

いや、もしかしたらホテルの時にぼくは死んでいただろう。

 

こうして、何とか正気を保っていられるのもある意味ではジョーのおかげなのかもしれない。

 

 

 

そして、ぼくらは今、荒廃した街の中を車で進んでいる。

 

 

 

 

 

「へー、すげえな。こりゃあ世紀末ってやつか」

「感心するなよ……ぼくだって何が起こっているのか……」

 

窓に手を置いて感心するジョーにぼくは強く言えなかった。

というより、凄く疲れたっていうのが本音だ。

 

だって、車を動かす限り、ぼくら以外に生存者はおろか、綺麗な外観を保った建物は存在しない。

どこの建物も、車がぶつかって壁が壊れていたリ、割れた窓には血がこびりついている。

 

そして、ぼくの気を滅入らせる大きな原因が……外にいた人々だった。

 

 

いや、正確には『ゾンビ』だ。

 

街の中を車で走る中、ぼくたちの車に向かって来ようとするのがいた。

 

ホテルで出会った、ぼくを食べようとした奴とまるっきり同じだった。

外に出たら、案の定、そんな奴らがウヨウヨと街中に溢れ返っていた。

 

 

たった一晩、しかも自分の知らない所で起こった惨劇の正体も原因も分からない。

ジョーがラジオを回してもどこの曲も電波が届いていない。

昨晩まで見ていたテレビは繋がっていたとジョーも言ってたから、事が起こったのは今朝がたなんだろう。

 

「なんで……ホテルにいたぼく達だけが気付けなかったんだろう」

「それだけ疲れが溜まってたってとこだろ。お前は昨日は一日中運転ばっかで座ってたからな、血流が悪くなっておれも疲労が溜まってたんだよ」

 

つまり、ぼくたち二人は疲れが溜まって、外の異変に気付かないほど熟睡してたってことか。

 

「でも、何でホテルの人たちまで……あんな……」

「近くで色々起こってたから野次馬根性で見に行って、巻き込まれたんじゃねえの? 人間てのは人の生き死に関わることを口で否定する割には、そういった事件を見たがったり聞きたがったりする生き物だからな」

 

呆れか関心か分からない口調を続けながら窓から見える、ゾンビを見つめる。

あの後、ホテルを出たぼくたちを待ち構えていたのは、地獄絵図だけでなく、ホテルマンの制服を着たゾンビの群れだった。

その制服は昨晩にぼくがフロントで見た物だったからよく分かった。

つまり、ホテルから消えた人たちはもう……

 

襲い掛かってくるゾンビたちは動きがのろく、ジョーだけで全て片付けることができた。

 

ちなみに、ゾンビの名称はジョーが付けた。

パラサイトでも人間でもない正体不明の相手を分別するためらしい。

名前に関して無頓着でいい加減なパラサイトでもこういう事態では臨機応変に行動する。

普段が普段のジョーでも、今回の事件でかなり働いている。

 

 

そう思いながら既に人気もない、交通事故や玉突き事故で塞がれた道をゆっくりと進めていく。

そのおかげで、目標の巡ヶ丘市まで後、数時間のところをかなり遅れている。

ボロボロになった車で塞がれた道路とゾンビの群れを避けながらの運転は大幅なタイムロスなのは間違いない。

 

そのため、目的地へ向かうにしても、街が荒廃しているためにこのままのペースでは十数時間、いや、下手したら数日はかかってしまいそうだ。

後部座席にあるホテルから調達したクーラーボックスの中の食べ物が無かったらやばかったかもしれない。

 

今、ぼくらは当初の目標通りに新一くんの元へ向かっている。

これもジョーの提案であり、ぼくも賛成だった。

彼曰く、こんな訳の分からない状況下における味方ほど頼もしいものは無い、とのこと。

 

 

こういう状況であれだけど、本当にジョーさまさまだと思った。

 

 

自分が如何に運が良かったのかを噛みしめていると、外でうろついているゾンビを見つけた。

既に街中で幾つも見てきてはいるが、どうしても慣れない。

 

その中に、年端もいかない子供がいるなら尚更だった。

 

子供のゾンビと、母親か父親かもしれない大人のゾンビが並んで歩いている姿にぼくは胸が痛くなり、鼻もツーンと痛くなって視界がブレた。

 

「なんだ? また泣いてんのか?」

 

ジョーが鼻をすする音に気付いてぼくのほうに目を合わせてきた。

 

「いや……あのゾンビ、まるで親子みたいで……こんな、こんな状況になって、可哀想で……っ!」

「ふーん」

 

ジョーにはぼくの気持ちは分からないだろう。

パラサイトにはこういった友愛とか思いやりというものがまるで無い。

 

いつも見るドラマでもジョーは冷静に見ては人の愛について理解できてない節がよく見られる。

そこはもうパラサイトだから、てことで納得した。

前に新一くんと連絡した時も、彼も既に諦めていた様子だったし。

 

 

でも、あの親子はあんな姿になるまでどんな気持ちだったんだろう?

 

子供を必死に逃がそうとしたのかな?

 

子供を守ろうと体を張ったのかな?

 

お母さんとお父さんがゾンビになって、悲しくなかったのかな?

 

 

 

考えれば考えるほど無念さが胸の中を掻きまわす。

 

もし、もしぼくがいたのなら彼らを救えただろうか。

たとえジョーが乗り気でなくても、ぼくが強行すればぼくの命を護るためにゾンビをやっつけて、あの親子だって救えたんじゃないだろうか?

 

いや、あの親子だけじゃない。

そこらに溢れるゾンビだって元は普通の人だったんだ。

もっと生きたかったはずだ。

 

 

ぼく、いや、ぼくたちには間違いなく彼らを救える手だてがあった。

ただ、間に合わなかった。

 

ぼくたちが眠りこけている間に彼らは命を落とし、ゾンビになってしまった。

 

 

 

こんなの、理不尽と言わなくて何なんだよ……

 

 

考えれば考えるほどどうしようもできなかった過去への後悔が頭の中で渦巻く中、ジョーが唐突に言った。

 

「お前が気にしても仕方ねえ。外の奴らは運が悪かった。それだけだ」

 

ある程度の気持ちは共有できるからジョーにはぼくの考えてることが伝わったのだろう。

だけど、簡単に済ませるジョーにやるせなさを感じた。

 

「分かってる、分かってるけど……」

 

分かっている。

 

ジョーが言いたいことは分かるし、事実、その通りなのだ。

だからこそ、ぼくはまた泣いてしまった。

 

 

 

 

言い返すことも肯定することもできない……どうしようもない事実に口を開けなくなっても運転は続けた。

 

「ん?」

 

しばらく進みながら、泣いていると、車の周りを見張っていたジョーが大きく目を見開いてとある一点を凝視し始めた。

何事かと思って聞こうとした時、ジョーの方から先に言った。

 

「今、あっちの方で人間が奴らに追われてたぜ」

「なっ!?」

 

急なことに車を揺らして急停止させ、ジョーの目と向き合う。

 

「まさか、生存者!?」

「十中八九そうだろうよ。まあ、かなりの数に追われてたから物量差でいずれは捕まって仲間入りだな」

「冷静に言ってる場合か! 助けないと!!」

 

こんな時まで呑気な口調のジョーに対して少しの苛立ちを抱くが、それよりも生存者を助けに行こうという気持ちが先行して車のドアに手をかける。

その瞬間、ジョーがぼくの手を押さえた。

 

「何するんだよ!? 早く行かないと殺されてしまう!!」

「熱くなり過ぎだ。お前、今の状況分かってんのか?」

「何がだよ!!」

 

抑えきれない気持ちが苛立ちとなってジョーにぶつける。

 

こうしている間にも生きている人が危険に晒されているんだぞ!

そう熱くなっているぼくにジョーが言う。

 

「仮に生存者を助けるにしても、奴らを撃退できるのはおれだけだ。つまり、おれたちの正体を見せることになるんだぞ」

「!?」

 

その言葉にぼくの熱が一気に冷めたのを感じた。

 

そうだ、ぼくは普通の人間じゃない。

脳を奪われていないとはいえ、ジョーというパラサイトと共生している変わり種だ。

そして、大量のゾンビを倒すにはジョーの協力が必要不可欠。

 

それを見られるということはつまり、ぼくたちがパラサイトだということを教えるようなものだ。

 

ぼく達の存在がバレる……その危険性は重々承知している。

それはつまり、軍隊によって処理されるか、捕まって実験材料にされるか。

 

 

もしかしたら、この騒動の元凶として見られる恐れもある。

 

確かに、危険は大きいし、恩を仇で返される可能性だってある。

 

 

 

でも、ぼくは簡単に諦めたくない。

 

それに、もう嫌なんだ。

 

 

目の前で助けられる命を見殺すようなことは。

 

「いや、ここはやっぱり助けた方がいいよ」

 

だから、ここは冷静に考えてジョーを納得させる言い訳を考える。

咄嗟に考えることだから気にいるかどうかは分からないけど。

 

「この状況下で生存者の話はとても貴重だ。この原因が分からなくても、少なくともぼくたちよりは情報を持っていると思う」

「……」

「ぼくたちはまず、少しでもこの状況を理解しないとダメなんだ。ここで生存者が死んでしまったら情報も聞き出せないよ」

 

多少の冒険は必要だ。

 

それに、こんな状況になった以上はパラサイトだの言ってられないはず。

ある意味、この状況下ではぼくらにあまり構っていられないはずだとも思う。

 

あまり感情論で攻めるんじゃなくて利点攻めでジョーに伝える。

 

「それに、もしぼくたちのことをバラしてもこんな状況では気が狂ったと思われるだけだよ。髪の毛を抜かせてもらった後はしらばっくれればそれでいい」

 

どうだ……っ!?

 

ジョーだってこの状況を少しでも理解したいと思っているはずだ。

それに、こんな時だからこそジョーもぼくの意見に思う所はあっても相当なことが無い限り協力するだろう。

いや、せざる得ないと言っていい。

 

これはぼくでも考えればすぐ分かること。

ジョーだって考えればこの考えに賛同する……はずっ!

 

内心は色々と不安で、思い付きに近い内容だけど。

 

 

「……」

 

 

ジョーは少し思案した後、ぼくの手を離した。

 

「速く走れ。死んでからじゃあ情報も何もねえぞ」

「お前のせいだよ!!」

 

素直に認めない辺り、こいつは本当にマイペースだ。

おまけにまるでぼくが悪いというかの口調に強めに返す。

 

 

だからこそ、こういう時ほどこいつが頼もしいと思うことは無い。

 

ジョーが100%の善意で人を助けるということは無い。

 

 

だけど、そのジョーが力を使って人を助ける、という事実にぼくは凄く頼もしくもあり、誇らしくもあった。

 

かと言って、感傷に浸っているわけにもいかない。

ぼくは車を降りてジョーの指さす方向へ全力で走る。

 

周りからは既にゾンビが湧き出し始めている。

まるで何かに呼び寄せられたようにぼくの元へ集ってくるゾンビの数は文字通り、数え切れないほどだ。

 

でも、恐れはない。

ぼくは今、逃げているために走っているわけではない―――生きている人を助けるために走っているのだ。

 

 

確かに恐怖はある。

 

尊い命を失ってしまうかもしれない、という恐怖が。

 

 

そして、そんなぼくの恐怖なんて―――

 

 

 

「そのまま走れ! 何があろうと、真っすぐにだ!」

 

 

相棒が斬り拓いてくれる!

 

ぼくを食べようとするゾンビの群れもジョーの刃に反応できていない。

ジョーの動きに比べればゾンビの動きなどハエが止まっているようだ。

 

多数で襲い掛かられようと、それよりも先にジョーの刃が目に映らない速度でぼくの周りを一回転

 

 

ゾンビたちの胴は真っ二つに切れてその場に倒れる。

 

 

そして、言われたとおりに真っすぐ突き進む。

 

 

この時、ぼくたちは二人で一つの存在だと強く認識した。

 

 

ジョーが切り拓き、ぼくが進む。

 

 

ゾンビなどまるで相手にしない動きを続けながらジョーは生存者の方向を見据える。

 

息切れと疲労感で体が重くなるのを感じるが、そんなものを気にしている余裕はない。

ぼくは力の限り、走って、走って、走っていると遠くから悲鳴が聞こえた。

 

 

女の子の悲痛な叫びが

 

 

 

年端もいかない、小さい女の子だと分かる幼く、舌足らずな声。

 

この瞬間、ぼくの頭の中から冷静さが消えた。

 

生存者はまだ生きていた。

 

そして、それがまだ小さな、さっきまで平和な日々を過ごしていた女の子だったのだ。

 

見ると、ゾンビたちが小さな泣き叫ぶ子供の髪を掴み、集団で囲っている。

ゾンビに理性が無いのは分かっている。

 

分かっているけど、こんなのを見て許せるわけがない。

 

断じて、許すわけにはいかないっ!!

 

 

何の罪もない無垢な子供を数の暴力で嬲る。

 

それがジョーの言う生物として妥当なやり方だとしてもだっ!

 

 

 

なら、どうする?

 

 

答えは決まっている。

 

 

 

 

 

 

助けを呼ぶ小さい子供を、大人のぼくが助けなくて誰がやるんだっ!!

 

 

「止めろおおぉぉ!!」

 

 

歯を立てて少女に噛みつこうとするゾンビに向けて、力の限り叫ぶ。

 

こんな時こそ思う。

ぼくの体力のなさが恨めしい。

 

少女を助けようと息が上がる身体に鞭を当てて、許せない敵へ走る。

それでも、距離が遠い。

 

たった数十メートル先が、長い、長い地平線に思える。

 

 

あぁ、歯痒い

 

 

手を伸ばしても、どんなに走っても

 

 

 

助けたい命に届くことができない

 

 

 

 

歯を突き立てられ、奴らに食われようとするまさにその時、

 

 

ぼくの伸ばす手を悠々と追い越していくものがあった。

 

「先に行くぜ」

 

 

ジョーが、相棒がぼくの届かない先の場所まで体を伸ばしていき、少女の元へ向かう。

 

人間の目に留まらず、まるで閃光のように少女の元へ馳せ参じて血路を拓く。

 

 

少女を殺そうとしたゾンビの尽くを一瞬で切り伏せ、掴まれて落下する少女を優しく包んで地面に降ろす。

 

やった、ジョー……っ!!

 

 

 

ぼくは口が塞がれながらも思いつく限りの心の昂揚をジョーに捧げた。

その瞬間、少女を間一髪で助けたことへの安心感で身体がまた重くなった。

走るのを止め、息絶え絶えになりながら歩みは止めない。

小休止を兼ねた歩みで既に何か話しているであろうジョーたちの元へ向かう。

 

呼吸を整えながら、あふれ出る汗をぬぐいながら。

 

 

訳も分からず、狂った世界の、地獄の中でぼくは進み続ける。

 

 

その先に待つ、助けられたたった一つの命の灯を目指して。

 

 

いつものように、憎まれ口を叩くであろう相棒とたった一人残された護り切った少女の元へ。




今回は前話までに起こっていたもう一つの話ということになってます。
このようにして、るーちゃんは危機を逃れました! 的な。

それと、少し宇田さんとジョーを美化して書いた部分があったと思いますが、違和感はできれば流してください。
宇田さん、めっちゃいい人。

そして、幼女とジョーがキャッキャウフフする微笑ましい絡みシーンを書きたいと思った私はもう既に末期です。

次回、舞台は新一サイドに戻ります。
宇田さんは話の途中で旅の経過を見せるくらいには登場します。

それでは、また次回お会いしましょう!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夜明けとモーニングコーヒー

『奴ら』が現れ、平和だった街が地獄と化して数度目の朝を迎えた。

空に昇った太陽が街を照らし、光は巡ヶ丘高校をも温かく包む。

 

しかし、陽の光の温かみに感謝する者はもうこの街には残っていない。

かつて多くの生徒がその学び舎に通い、青春を謳歌していた舞台である学園の姿も街と同じ惨状だった。

 

陽の光を反射させて輝いていた学校の窓も今では正門から望める範囲では全て割れ、割れた残骸には赤黒い染みがべっとりとこびり付いている。

生徒の憩いの場所だった場所も被害が出ていない場所は探しても存在しない。

そして、顕著なのが学校の校庭を四六時中に歩き回る『奴ら』の大群。

 

まるで、果てのない何かを探し求めるかのように彷徨うようにも見える。

もっとも、その探している物がまともな物でないのは明白だ。

 

 

 

そんな『奴ら』の姿を新一は屋上から見下ろしていた。

 

「……」

 

普段の制服姿ではなく、体育で使うようなジャージに着替えている。

最近、学校で寝泊まりしているため、寝間着代わりに使っている物だ。

ただ、彼が何を見据えているかは分からない。

 

フェンスに寄りかかって亡者の巣と化したグランドを見下ろす彼の片手にはブラシが握られている。

そんな彼の傍には水の入ったバケツが置かれ、床は水と赤い液体が排水溝に流れている。

 

近くの菜園の傍には布に被せられた物が横たわっている。

 

 

それは、新一が確実に殺した先輩の遺体だった。

この学校に残っている誰よりも先に起きて、数日間放置してしまった自分の罪を文字通り洗い流している。

 

「……」

 

新一はグラウンドの『奴ら』の観察に飽きたのか、再びデッキブラシで地面にこびり付いた血を洗い始める。

ゴシゴシとブラシの擦れる音以外は何もない、本当に静かな朝だ。

 

こんな静かな朝のように、この悪い夢も覚めてくれないかと頭の中で反芻する。

 

 

 

 

 

全ての事の発端である事件の日から既に数日が経った。

 

全ての始まりとなったあの日、おれは皆を屋上に避難させて三階の奪還のために『奴ら』と戦った。

おれが耳で聞いた通り、奴らはそんなに数は多くなく、殲滅は肉弾戦でも十分に可能だった。

途中から素手で触るのも危険だと感じたおれは途中から教室に残された筆記用具やコンパスといった簡易武器も使った。

 

 

たくさん殺して、血も浴びた。

 

 

白かったワイシャツも真っ赤に染まり、おれの手も血で濡れた。

 

 

たくさんの生徒が、おれの友達が渡った廊下を血と肉片で汚した。

 

 

他ならぬおれ自身が、この手で。

 

 

 

おれが―――した中には見知った顔もあった。

 

事件が起こる直前まで、くるみたちとの仲を冷やかしていた友人の顔もあった。

それでも自分はこの手で、この拳で引導を渡し、この世から消したのだ。

一緒に笑いあった友人をこの手で……

 

 

この学校で過ごした日々は楽しかった。

 

 

今までの殺し、殺されるような生活に新しい風を吹き込み、温かい光のようにおれの生活を潤してくれた。

この学校で過ごした期間はほんの数週間で、まだまだ友人も、顔見知りもそんなにいたと自分で言うのはどうだろうと思う。

くるみたちとだって、ほんの数週間で、ちょっとした運で知り合って顔見知りになったくらいだった。

それでも彼らはおれの友人だった。

 

 

そんな友人たちをこの世から消したのは、他でもないおれだ。

 

 

彼らを葬る直前、何度も彼らとの思い出が脳裏を過った。

楽しくて、喜ばしい彼らの思い出が自分を苦しめる茨となっておれの心に巻き付いてくる。

 

 

苦しかった

 

 

殺したくなかった。

 

 

助けられるなら助けたかった……

 

 

でも、それでもおれは彼らを―――した。

彼らを―――する瞬間、走馬灯のように思い出が駆け抜け、振り下ろす拳を止めたこともあった。

 

 

 

でも、おれの鉄のように冷たい心がそんな思い出を無情に振り払った。

 

 

今でも覚えている。

おれは彼らを葬った直後、すぐに冷静になっていた。

原型も残らないほどの強力な一撃で潰れた彼らを見て思った。

 

 

―――あぁ、死んだって

 

 

冷静に見下ろした後、自分で自分に恐怖した。

おれは最近まで仲良くしてくれた友人を―――したというのに、おれは全く動揺していなかった。

普通なら―――した罪悪感と虚無感で泣きもすれば、呆然とするのが普通の人間だ。

 

だけど、おれはそんな余韻すら感じていなかった。

 

まるで金勘定のように―――した数を頭の中で整理して、友人の死を悲しむより先に奴らの行動パターンを冷静に分析していた。

おれは友人の命を、まるで将棋の駒のように見ていた。

特定の駒を犠牲にして、戦闘を有利にするように……

 

 

自分で自分が信じられなくなった後、おれはその後の記憶をほとんど消した。

聞かなくても分かる。

その後のおれはまるで機械のように正確で冷酷で無機質だっただろうな。

 

動揺も不安もない、血を浴びて真っ赤になった殺戮マシーン

 

 

きっと喜ぶべきなんだろうな。

そのおかげで、皆の命を護ることができたんだ。

 

良かったんだよ……たった四人、されど四人だ。

こんな人でなしなおれでも四人を助けられたことは絶対に喜ばしいものだ。

 

くるみたちと再び会うことはできた。

ただ、あの時、おれを見る皆の顔が忘れられない。

 

驚愕と恐怖に満ちた、そう、化物を見たかのようなあの顔を。

 

 

あの日、三階を奪還した後、彼女たちを比較的安全な部屋に入れて、おれは別の部屋で過ごしている。

おれと彼女たちとの心の距離は、今の別々に住んでいる部屋の間の距離を表している。

だから、この数日間は彼女たちと顔を合わせるどころか声さえ聞いていない。

 

もっとも、まだ整理が付かないおれにとってはある意味ありがたい幸運だった。

たとえ、丈槍たちがおれを化物だと思っても仕方ないんだ。

そうしなきゃおれは何もできなかったから。

 

自分で納得しようとしても、胸の中の何かが疼く。

じゅくじゅくと膿んでるような何かが自分の中で胸を締め上げては、再び冷静になる。

最近続いてるパターン……いや、もはやルーティンだ。

 

パラサイトのような冷酷な心と、人間のような過去の思い出を憂う心

 

 

そのどっちかが消えれば、ここまで苦しむこともないのに……

 

 

「あ~もう……掃除しよ」

 

休めば、また考えてしまう。

 

身体を動かしている間は何も考えなくて済むだろう。

 

なら動こう、動き続けて、疲れるまで。

 

 

おれが再びデッキブラシを地面に押し当てた時、背を向けていた屋上の扉が開いた。

 

 

「泉くん……」

 

そこには、おれのことを気にかけてくれていた先生が心底驚いたような表情で立っていた。

 

 

 

 

 

 

目が覚めたらうっすらと明るい天井が見える。

閉めたカーテンから入り込む木漏れ日は部屋を照らして私たちに朝が来たことを伝える。

自分でもよく寝たと思う。

ただ、色んなことがありすぎて身も心も疲れすぎた。

普段の睡眠じゃあ改善できないほど私たちは心身に疲労がこびりついている。

 

身体と頭が重い。

社会人になってから飲みに誘われたり、二日酔いでダウンした日もあった。

でも、そんな痛々しい過去でさえ、今では遠い夢の果てのようだ。

手を伸ばしても、あの日は戻ってこない。

 

過去を振り払うかのように起き上がり、おぼつかない足取りでカーテンを開けるといつもの光景が広がる。

 

何度、夢であってほしいと願った地獄

 

 

晴れやかな朝とは何もかも正反対な地上の様子に私の気分も暗くなる。

 

 

 

 

私、いえ、私たちは今、三階の生徒会室で寝泊まりしている。

 

この部屋はあまり侵入された形跡もなく、比較的きれいに保存された部屋だった。

そのおかげか戸を閉めれば少しだけ外の様子を忘れられる。

 

生徒の力で学校をよくするために使用される部屋が、今では学校だけでなく外の現実から逃避するために使われてるなんて洒落でも言えないわ。

少なくとも、この子たちには……

 

私が使っていた寝床の隣には丈槍さん、恵飛須沢さん、若狭さんがまだ床に敷かれた布団で眠っている。

なぜ、生徒会室に布団があったかは疑問だけど、今はありがたい。

あの日から昨晩まで、ふさぎ込んでいる丈槍さんには特に……

せめて、寝る時だけでも生徒たちにはこんな現実を忘れさせたいものだわ。

 

そんなことを考え、すぐに自分に嫌気が差した。

 

 

「泉くん……まだ、資料室かしら……」

 

気にかかるのは、恵飛須沢さんたちと同じ、私の教え子の泉くんのこと。

この学校で恵飛須沢さんの他に生き残った、数少ない生徒にして唯一の男子生徒。

第一印象は大人のような落ち着きを見せながら、授業態度も真面目な好青年。

それに、どんな悪事も見過ごせないような道徳を弁えたよくできた生徒だと思う。

 

私は見たことないけど、聞いた話では身体能力が非常に高くて体育や部活のヘルプでも彼を称える噂は後を絶たなかった。

 

そして、今もこうして襲われることなく、ぐっすりと眠れる部屋を私たちに提供してくれた。

 

 

事件が起こったあの日、何もかもが一瞬で変わってしまった状況の中で私は何もできなかった。

ただ流されるままに事態の成り行きを見送り、救い(助け)を願うことしかできなかった。

 

 

そんな何もできない私の代わりに皆を導いたのは他でもない泉くんだった。

 

泉くんは恵比須沢さんを助けた後、私たちを屋上に残して自分は三階の敵を倒しに行った。

最初は、泉くんに任せた方が効果的だと思った私は後になって後悔した。

 

 

生徒が頑張っているのに、教師の、大人の私は何をしているんだろう、と。

 

 

だけど、ドアの向こうに広がる地獄に足を踏み入れる勇気もなく、ただひたすら震えて何もできなかった。

丈槍さんたちを見守る……なんて偉そうなこと言ったけど本当は怖かっただけ。

怖くて、嫌なことを全て泉くんに丸投げして自分は逃げてしまった。

 

教師として恥ずべき行為だった。

 

 

でも、そんなのはまだ序の口だ。

 

 

本当の問題はその後、彼が帰ってきた時に起こった。

 

屋上で、茜色の空が薄暗くなるまで彼を待っていた私たちはほんの数十分で消耗しきっていた。

 

陸上部の先輩くんの亡骸の前で呆然と、静かに涙を流す恵飛須沢さん。

 

一人、離れた場所で自分の身体を抱いて恐怖に身を震わせながら「るーちゃん……るーちゃん……」とうわ言のように誰かの名前を呼び続ける若狭さん。

 

そして、私に抱き着いてしゃくりながら泣く丈槍さん。

 

 

私だって、本当は泣きたかったし、こんな状況から走って逃げ出したいと思った。

でも、泉くんから生徒たちを託された私にそんな選択肢は存在しなかった。

 

そして、彼が帰ってきた時、私たちは弾けたように素早い動きで閉めていた扉の鍵を開けた。

鍵を開けて、屋上に姿を現した彼の姿に私たちは―――戦慄した。

 

白い制服が赤一色に染まっていた。

 

彼の手から真っ赤な血が垂れていた。

 

そして、彼はどこまでも普通で……平常すぎた。

 

 

全てわかっていたかのように悟りの境地に達したような彼の静かな表情。

まるで、仮面を被っているようであり、その時の私は伸ばした手を引っ込めてしまった。

 

無表情で、何も問題は無いと言いたげな表情はその時、私たちにひどい場違い感を与え、恐ろしいとさえ思った。

それは恵比須沢さんたちも思っていたと分かった。

 

彼女たちの怯えた目は全て泉くんに向けられていたから……

そんな私たちの不本意な恐怖を垣間見たのだろう。

ふっ、と分かっていたような、そして諦めたかのように寂しげで優しい微笑みを浮かべて言った。

 

「そっか……仕方ないよな…」

 

 

その後、彼は生徒会室で見つけたといった食べ物を私たちに渡した後、一人離れた場所で警戒をしていた。

それから、彼の言う通り夜になった後、彼に生徒会室に案内され、今のように生活している。

 

ただ、泉くんだけは生徒会室じゃない、もっと離れた資料室で一人、寝泊まりしている。

この学校は非常時に屋上に備えられたソーラーパネルと蓄電器で電気、シャワー、そして飲み水も管理されているため、生活には困っていない。

だから、私たちが使っている生徒会室は外の街と比べて、ましてや学校の他の教室と比べて恵まれているのだ。

 

 

恵まれているのに、私たちはこの数日間、泉くんに会おうともしなかった。

いや、言い訳になるけれど、正確には合わせる顔も、余裕もなかった。

 

 

この数日間、恵飛須沢さんと若狭さん、丈槍さんは生徒会室でほとんど寝たきり状態に陥っている。

もっと言えば、寝たふりをして泣いているのを見かけた。

備蓄されていたインスタント食品を朝・昼・晩ご飯で食べる時にはちゃんと顔を出したけど、そこにかつての笑顔や明るさは見られなかった。

 

かく言う私もあまり余裕が無くて、自分を落ち着かせるために数日もかかってしまった。

正直言えば、今日になってやっと落ち着き始めた状態だった。

 

 

これは多分、精神の成熟の差なのだろう。

 

 

生徒や同僚の生徒、お母さんからは子供っぽいが意見だって言われるけど、私は大人だ。

曲がりなりにも皆より多く色んな経験してるし、社会的にも自分一人で生きていけるくらいに自立している。

 

 

でも、皆はまだ心の準備が不完全だった。

 

 

もう少し先だった親への自立が予定より早く、しかも予期せぬ出来事で起こったのだ。

 

こんな数日とかで立ち直れる訳が無い。

皆はまだまだ経験不足で、準備不足なのに。

 

まだ大人の協力が必要だという時期にこんな惨状だ。

もしかしたら、不安が膨らみ過ぎて学校から出て行ってしまう危険性だってある。

精神的に不安定な彼女たち(子供)に、こんな惨状はあまりに酷だ。

 

 

だから、私は泉くんに全て任せるべきじゃなかった。

 

 

もっと私が頑張っていれば泉くんにあんなことをさせることはなかったのに。

 

 

もう逃げるのは止めよう。

今日こそ泉くんに会って、ちゃんと話をしよう。

 

 

「よし!」

 

皆が寝ているのを忘れて気合を入れてしまった。

口を押えて、寝息が聞こえる部屋から出た後、一足早い朝ご飯を食べて、歯を磨いて顔を洗う。

 

自分だけ先に準備を終えるのはマナー違反だと思うけど、ここは目を瞑ってもらおう。

 

今さら泉くんに合わせる顔が無いのかもしれない。

 

でも、だからといって彼を見限るようなことは絶対にしたくない。

 

それに、今日まで一番頑張ってきたのは泉くんなんだから。

 

「そうだ! 野菜に水をやろう!」

 

まず、こんな欝々とした気分を払拭させよう。

沈んだ顔で泉くんに会っても逆に気を遣わせちゃうから。

 

今日はカラっと晴れた日だし、外に出てリフレッシュしましょう!

グランドさえ見なきゃ大丈夫よね!

 

今日のすべきことが定まったことで、久しぶりに自分の動きが軽快になったのを感じた。

寝間着を脱いで、ワンピースを着る。

 

鏡でリボンの場所を調整して万全の状態で臨む。

 

 

確か、屋上への通路付近は既に全て片付けたらしく、襲われる心配は無いらしい。

 

泉くんの話を信じて、生徒会室を抜け出す。

それから通路を渡って屋上への階段を上ったけど、本当に遭遇しなかった。

 

彼には感謝しかない。

こうやって生きているのも泉くんのおかげだ。

 

そんな感謝の気持ちを抱いて、屋上へ続く扉を勢い良く開けた。

 

その先には晴れやかな太陽に照らされた野菜、そして―――

 

「泉くん……」

 

後で会おうとしていた泉くんの姿に、出鼻を挫かれてしまった。

対する彼はジャージ姿のままデッキブラシで床を擦り、あの日血で汚れていた床を水で洗い流していた。

そして、屋上の奥には丁寧に布に包められた……

 

「せ、先生……」

 

思いもよらぬ出会いにさっきまでのやる気が霧散して緊張してしまった私と同様に泉くんもどこか気まずそうに返した。

 

どうしよう、さっきまで泉くんと話そうと決心してたけど、いざ本人を目の前にすると決心が鈍ってしまった。

今まで彼一人に任せっきりだったのに今更教師面してもいいのだろうか……

 

でも、ここで黙っていては前に進めない。

そう思って私はつばと一緒に弱音も飲み込んだ。

 

「少し、お話しよ?」

 

 

 

 

 

 

一旦、生徒会室に戻った私は備品のコーヒーメーカーで熱いコーヒーを作った。

それを備品のマグカップ二つに注いで屋上に向かう。

 

戻ってくると、私の言う通り作業を中断させた泉くんが菜園の縁の石に腰かけて私を待っていた。

そんな彼に湯気の立ったマグカップを渡す。

 

「はい。熱いから気を付けて」

「あ、ありがとうございます……」

「砂糖とミルクも持ってきたから、好きな物使って」

 

私も一緒に腰かけて彼との間にスティックタイプの砂糖とミルクを置く。

泉くんはどこか余所余所しくしながらも、私の持ってきたコーヒーをすする。

 

隣でちびちびと飲む姿にはどこか微笑ましく思い、少しだけ私の緊張もほぐれた。

こうして見ると、やっぱり私よりも年下なんだって思う。

 

(それはそうだよね……)

 

いつも通りの彼に私は何言ってるんだ、と自戒した。

 

また隣り合ってコーヒーを飲み合っていると、泉くんの方から話を切り出してきた。

 

「先生……あの、一ついいですか?」

「なに?」

 

何だか思いつめたような表情で、何かに恐れているようでもあった。

それだけで、彼が何を話そうとしているのか、すぐに分かった。

 

躊躇ったのか、少し口を動かした後、私と向き合った。

 

「おれ、人間に見えますか?」

「……え?」

 

内容としては思っていたより根本的で、それでいて根が深そうに思えた。

だから私も一瞬だけ言葉に詰まって答えを返すタイミングを逃してしまった。

 

そんな私を一瞥した後、泉くんが空を見上げて続けた。

 

「あの日、あんな事件が起こるまでは……ずっと普通でいるつもりでした」

 

彼が今、何を思っているかは分からない。

だから、この話を私は聞かなくちゃいけない。

そう思って、彼の話に耳を傾ける。

 

「前の学校では、色々あって……悲しいことや辛いことが立て続けに起こりすぎて泣く暇も余裕もありませんでした」

 

彼の言う「色々」

簡単な一言で済ませているけど、彼にとっては一生忘れられない事件だったに違いない。

 

彼の周りで数十人もの人が犠牲になった。

その中には泉くんの大切な人も含まれている。

 

それは、私なんかじゃあ理解できないほどに根深い。

 

「その時までは成績も運動神経も中の中辺りでキープしていた平凡な学生だったのに……そんな学生が今では一人で死体を処理したり、化物を相手に死闘を行ったんですよ? 人生って難しくできてるんですね……」

 

冗談めいて笑いかけるけど、その笑みはどこか自分の運命に嘆いているように思えた。

 

「その時からかな……何だか、身近な人が死んでいったのに、何も感じなくなって、泣くこともできなくなったんです」

「何も……本当に何も?」

「はい……おれと仲良かった子、加奈っていう子がパラサイトに殺された時も……死んだ時に立ち会ったというのに心は晴れやかで、『死んだのか』としか思えなかったんです」

「……」

 

彼は何でもないように話すけど、今の彼の顔を見ればその心境なんてすぐに分かる。

 

涙は出ていない……でも、空を仰ぎ見るその目は太陽の光でいつもよりも輝いて見える。

 

まるで、流せない涙が目の中で溜まっているように。

 

「そこで、加奈って子を気にかけていた光男という人に言われたんです」

 

 

 

『お前は人間じゃねえよ!!』

 

 

 

 

「当然ですよ。人が死んだっていうのに……ましてや顔を知っている友人たちの顔をこの手で潰したっていうのに、涙一つ流さない……それどころかその一つ一つの死を冷静に分析して、まるで実験動物のように考えてるんです……酷い奴でしょ?」

 

話を続ける泉くんの表情は凄く冷静で、いつものように普通だった。

 

彼が語る、私たちなどでは到底及びもしない悲しみ、葛藤を前にして私は目から溢れる感情を抑えきれなかった。

 

 

 

どれだけ辛かったんだろう。

 

 

どれだけ怖かったんだろう。

 

 

 

どれだけ悲しくて、寂しかったんだろう。

 

 

その答えは他でもない、泉くんしか知らないというのに、私の胸が苦しくなる。

私が泣いても泉くんの苦しみを分かち合うことも減らすこともできない。

ましてや、代わりに泣いてあげることもできない。

 

生徒が苦しんでいるのに、それを見過ごしていた自分が嫌いだ。

 

 

泉くんは元から強かったんじゃない。

その強さは、無理矢理植え付けられてしまったものなんじゃないかと思った。

 

人は、辛いことがあると現実逃避して心を癒すメカニズムがある。

もしかしたら、これから丈槍さんの中の誰かが発症してしまう可能性だってある。

 

 

でも、泉くんはそれすらできない。

いや、許されない。

 

彼が経験したパラサイトとの戦いは彼の心を歪な形に、それでいて強固に成長させてしまった。

 

だから、彼は泣くよりも先に生きることを優先して、立ち止まることが無い。

心が悲しみを別の場所へ追いやり、感慨に耽る時間すらも奪ってしまう。

だから強くいられた。

 

そのために、何か大切な物を殺しながら。

 

 

私たちがショックで寝込んでいる時も彼はずっと、人間じゃなくなる心に苦悩しながら、その力を使い続けていた。

 

 

 

他ならぬ私たちを護るために。

 

 

 

そんな彼を、私はずっと一人にしてしまったのだ。

 

 

暗くて、寒い孤独の闇の中へ置き去りにして。

 

 

 

 

だから、だからこそ私は彼を護らなくちゃいけない。

 

心身ともに、何一つ適わない私でもできることはあるから。

 

「せ、先生……?」

 

私は、泉くんの手を握りしめた。

 

彼の体温が伝わる。

それはとても温かい。

 

とても、人の頭を叩きつぶしたとは思えないほどに小さく、乾いていた。

 

 

「ごめんね……ずっと一人にしちゃって……寂しかったよね……」

 

こんなに小さい手で頑張ってくれた。

 

泉くんは決して大柄ではない、平均的な体格だ。

さして大きいわけでもない身体で、今日まで皆を護ってきたことはきっと褒めるべきなんだろう。

 

でも、褒めるよりも先に謝ってしまった。

お礼さえも口にできなかった。

 

 

ただ、何もできない無力感に謝っていると、泉くんが私の手を上から包んだ。

 

「先生が、先生でよかったです」

 

それに気付いて、涙が滲む視界で彼を見ると、確かに彼は笑っていた。

さっきまでとは違う、満足したような朗らかな笑みで、静かに、優しく。

 

 

「それだけで、おれは報われました……ありがとうございます」

 

 

 

 

私は教師だ。

 

 

迷える生徒を導き、時には厳しく、時には優しく諭すことを生業とした誇るべき仕事だ。

 

 

たとえ、ここが学校として機能していなくても、その事実を曲げるつもりはない。

 

 

生きている限り、今、生き残った生徒たちを護り、道を示したい。

 

 

でも、もし、立ち止まることが許されるなら、休むことが許されるなら。

 

 

 

 

今だけは、教師でなくなることを許してほしい。

 

 

 

 

導くのではない

 

 

 

(子供)の居場所を護る、一人の大人に戻ることを許してほしい。




しばらくはこんな風に皆との関係改善に努めます。

普通に考えれば、ショッキング事件が続いた後で新一の変貌を素直に受け止める方が無理な話ってことです。
おかげで、今の新一は肩身が狭く、気まずい思いで溢れていました。

ですが、今回はめぐねえがあフォローしてくれたので少し救われています。

こんな感じで次回も進みます。

では、また次回にお会いしましょう!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

奮起/進路先

風邪持ち中での執筆だから大分不安です。
でも、書きました。


―――頭が重い。

 

 

カーテンから零れた朝日が顔に当たって深い眠りから目が覚める。

自分は確か、生徒会室でユキやりーさん、めぐねえと寝泊まりしている。

よし、今日は大分事態も把握できてる。

 

数人分の布団が敷かれた部屋を視線で一周、見渡す。

今までのことが夢で、起きたら自分の部屋だという淡い希望は現実によって崩れるも、それでも大分落ち着けたと思っている。

それだけ数日前の自分は酷かったと自覚できるほどに。

 

「朝……か……」

 

非情な現実にまた布団の上に寝そべって毛布を被る。

たとえ落ち着いたとしても、今の現実を受け入れるにはもう少し何かが必要だ。

身体も今の自分の気持ちに連動しているように重く感じる。

 

 

この状況には少し慣れた。

それよりも数日かけてやっと受け入れた、と言った方が正しいかもしれない。

そして、諦めた。

これが現実なのは、とっくに分かったことだ。

 

 

 

朝起きて、カーテンを開け、絶望して寝る。

 

 

 

また朝日が上がってから窓を開け、荒廃し、交通事故で上がった煙の臭いに再び絶望する。

 

 

 

曇った日も勝手に起きて、学校中に広がる血の匂いを感じて諦めた。

 

 

 

もう、自分たちが戻れるような平和な世界はどこにもない。

全ては夢の中に消えてしまった。

 

「くそ……」

 

息苦しさをそのまま言葉に出す。

頭は既に寝起きから覚醒してるのに、今だけはその寝起きの良さを恨む。

ここが、現実だと理解させるものだからだ。

 

目元を腕で押さえ、何かが零れるのをこらえるように寝込む。

そんな時、隣から自分を呼ぶ声が聞こえた。

 

「起きたのね。くるみ」

 

腕をどけなくても分かる。

 

いつでも落ち着きを含んだ大人しい声。

りーさんが自分の方を見ている。

 

彼女もまた、自分のように絶望しきっている仲間。

 

「あぁ。おはよう、りーさん」

「おはよう……なんて時間じゃないわね。もう」

「あ、そっか……」

 

備品の壁掛け時計を見れば、既に時間は午前9時を指している。

普段なら遅刻は確定、急いで行っても先生から注意され、クラスの笑い者にされる光景が目に見える。

 

だけど、そんな光景はもう夢の彼方。

 

こんな壊れた世界で遅刻なんて言葉はもう存在するのか?

 

誰が自分たちを注意してくれるのだ?

 

 

自分を笑ってくれる友人などいるのか?

 

 

何もかもが真新しくて、ついこの間まで当たり前だった光景がもはや闇の中。

 

この数日、泣いて、泣いて、泣いたユキはもちろん、うわ言のように誰かの名前を連呼し続けたりーさんだって同じことでも考えてるんだろう。

気持ちは、痛いほどわかる。

 

「そういえば、めぐねえは?」

「分からないわ。くるみより後に起きたし、くるみが知らないなら……」

「そっか……」

 

それなら分かるわけねえな。

 

ここ最近、めぐねえの調子が少しずつだけど取り戻し始めているのを知っている。

最初の頃は凄く動揺してたけど、すぐに色々と動いてくれてたのは知ってる。

ご飯も私たちの分を分けてくれてたからよく分かる。

 

そう考えると、大人ってやっぱりすごいって分かる。

 

めぐねえだってこんな状況なんて分からないし、事実、怖いんだろう。

それでも私たちのために動けること自体は凄いことだと思う。

先生だから、大人だから、なんて言うけどそれだけじゃあ絶対にやってられない。

めぐねえは芯が強いんだなって思う。

 

 

 

だけど、本当はもう一人いる。

 

 

 

この中で、めぐねえを入れても芯が強い奴を。

 

心当たりのある姿を思い出していると、今度はりーさんが私に言ってきた。

 

「くるみ……」

「どうした?」

「……新一くんは?」

 

どうやら、考えてることはりーさんと同じだったな。

 

そう、私たちが絶対に忘れてはならない存在……新一だ。

 

「……まだ資料室にいるんじゃないかな?」

「そう……」

 

軽い答えで返すとりーさんも話題を続けることなく引き下がった。

 

 

事件があったあの日、全てが壊れた。

街も、学校も、皆の命も全部、消えてしまった。

 

でも、壊れたのはその他にもあった。

 

 

あの後……私を助けてくれた後に新一は奴らが蔓延る校舎の中へと戻って行った。

最初の頃の豹変は凄く驚いたし、命の危険が迫ってたこともあったからあいつのことをあまり気にしてなかったと思う。

 

でも、あいつが校舎から戻ってきた時、私たちは寒気を感じた。

 

白いワイシャツが血で真っ赤に染まり、手から血を垂らす姿。

 

普通じゃない恰好を呈しながら、新一は物静かで明らかに異常事態を受け入れていた。

まるで悟りを開いていたかのように静かだった姿に私たちは驚いた。

 

なぜそんなに冷静なのか。

 

なぜそんな平気に戦えるのか。

 

 

 

正直、怖くなった。

 

単純に血まみれの姿に恐れたという訳ではない。

まるで、新一の皮を被った誰か別人のような気がしたから。

 

私は別段、そう言ったことに鋭いわけじゃないし、勘がいい訳でもない。

 

でも、あの時だけは分かってしまった。

あれは新一じゃないって。

 

多分、めぐねえやりーさんも察してたと思う。

自分でも気づけたのだから、他の人だって気付いてる。

 

「あの日の新一……覚えてるか?」

 

りーさんに聞いたはずだったけど、ユキが包まっている毛布もビクっと震えた。

そんなユキのことを知ってか知らずかりーさんは続けた。

 

「覚えてるわ……夢に出てくるもの」

 

まるでオバケ扱いだな……なんて軽口は叩けない。

夢には出てこないけど、人のこと言えないくらいに私も相当参っている。

 

生徒会室に私たちを連れていくとき、死体を跨ぎ、血の水たまりを平然と踏み進める姿はとても見れた物じゃなかった。

 

「だよな……私だって固まっちまったよ。最初見た時は落ち着いてて、大人びてても人の好さが顔に出てたような奴だったから尚更……」

「えぇ、園芸部に入ってからは水やりの後はよく時計の上の高台で空を見て寝てたわね」

「色々と変な噂も立てられて、一躍有名人になったしな」

 

話していくうちに話が脱線してきた。

 

まるで相当昔のことを話しているようだけど、実際は2,3週間前のことだ。

言い換えれば、それだけ濃密で楽しかった時間だった。

 

 

 

そう、楽しかったんだ。

 

 

 

だから、私たちは新一を恐れながら……頼ってしまっている。

 

「色々あったけどさ、こうしていられるのも新一が頑張ってくれてたからだよな」

「……」

 

りーさんも分かっているんだろう。

さっきまで思い出に耽っていて弾むように開いていた口がパッタリと閉じた。

 

「めぐねえだって一時期は何もできなかったのに、奴らが襲って来ないどころか物音さえしなかった……朝も昼も晩も、あいつは戦ってたんだよな」

 

それくらいここから動かなくても分かってる。

奴らは昼夜問わずうごめき、獲物を求めている。

休息が必要な私たちと違って奴らにはそれがない。

 

昼も夜も、奴らは休むことなく私たちを食い殺す機会を窺っている。

本当は、もっと早めに自分たちが動かなければならなかった。

恐怖も絶望も全て心の隅に追いやって、恐怖に竦む体に鞭を打って動かなければならなかった。

 

新一はそうならないために、ずっと戦っていた。

 

分かってる、それだけは分かってる。

 

でも、それでも―――

 

「分かってるんだよ……新一は私たちを全力で護ってくれてるって……でも、でもよぉ! あの光景が忘れられないんだよ! 死体を平然と跨いで、足で潰れた奴らを隅に追いやる姿が!! 血の付いた手で私たちに手を伸ばす姿が、先輩を殴り殺したあの時のことが夢に出てくるんだよっ! あいつの本当の姿なんて霞んで浮かばないんだ!!」

 

分からなくなった。

 

数週間もの間、新一とふざけたり笑い合ったりしていたというのにとんだお笑い草だ。

 

ずっと、それも数週間見てきた、どこにでもいるような人の好い姿ではなく、数日前に一度だけ見た血に濡れた姿が強く記憶に刻まれている。

 

そして、こんな状況だからこそ、新一の豹変も理解している。

何故なら、それが無ければ自分たちはとっくに死んでいたからだ。

 

惨劇は今まで築いた物をいとも容易く壊していった。

その破壊痕は深く、一朝一夕では決して埋まらない。

今までの記憶を信じられなくなって自己嫌悪と恐怖で頭が一杯になる。

 

自分の浅ましさが胸を締め付ける。

今日まで、何度も助けてくれた時のお礼を言おうと思った。

でも、血に濡れた姿が頭の中に浮かんで震える。

 

自分の心の弱さが新一の本当の姿を歪め、恐怖している。

 

それがくるみ―――だけでなくりーさんやユキたちを苦しめている元凶である。

 

「ちくしょう……友達なんだよ……っ! 助けてくれたってのに、別の部屋に追いやったってのにそれにホっとしちまった……っ!!」

 

深まる自己嫌悪。

頭で理解してるのに、心はそうもいかない。

 

新一から感じた恐怖感は生物的な本能に刻まれ、癒着した。

こびりついた油のように洗い流そうと擦っても、落ちるどころか逆に広まっていく。

 

「私だって……言いたいわよ、助けてくれてありがとうって……感謝してるのよ……」

 

りーさんだって同じように、自己嫌悪に陥っているのだろう。

だから、今まで寝たふりして逃げてきた。

偶に聞こえてくる戦う音も聞こえないふりしてきた。

 

面と向かって言えない臆病さに二人、いや、布団にくるまって狸寝入りしている三人がまた人知れず涙を流し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく泣いた後、鼻をすすりながら少し落ち着いた。

 

「……っ、あ~……なんか、すっきりしたかも」

「えぇ……、また、時間くっちゃったけど……」

 

再び時計を見た時はもう一時間くらい過ぎていた。

高校生にはあるまじき寝坊具合だが、それは色々と気持ちを整理させた準備期間としてほしい。

 

私もりーさんも、ユキはまだ分からないけど、ようやく気持ちも整理できてきたのだ。

今まで黙ってた胸の内を口に出せたおかげか頭の中がすっきりした。

こういう時、思ったことを口にすると気持ちいいのは何でだろうな。

 

今でも、少し新一に会うのは怖いっていう気持ちはある。

でも、それ以上に新一に任せっきりにした罪悪感のほうが断然大きかった。

 

だから、今、こうして布団にくるまってる自分がもどかしくなって、りーさん……ユキにも届くように言った。

 

「あのさ……皆で新一に会わないか?」

 

その一言に二人の布団がピクンと跳ねた。

それだけで二人の思っていることは手に取るようにわかる。

私も同じ気持ちだから。

 

だからこそ、この気持ちに決着を付けたい。

 

「私だって、まだ新一のことを考えると震えちまう……でも、せめてお礼だけは言いたい!」

 

そして、またいつもみたいに気兼ねなく話をしたい。

そんな想いが沸々と湧き上がってきた。

 

「あいつ、こんな私たちを見捨てずに護ってくれたんだもんな」

 

本当に失望されたのなら今頃、私たちなど放っておかれてるはずだ。

新一なら一人だけでも……いや、私らみたいな足手まといがいないだけそっちの方が楽に思うかもしれない。

 

でも、今日までここに残ってくれたってことは、まだ残ってるはずなんだ。

 

 

どんなにヘルプを頼まれても、断れ切れずに受けちまうような……あの優しかった新一は死んじゃいないって。

 

「私、臆病だから、まだ一人じゃ会える自信が無い……だから、一緒に付いて来てほしいんだ!」

 

友達一人に誰かが付いてないと不安だ。

 

そんな臆病な私に対し、ここで初めてりーさんは潤んだ瞳で私と向かい合った。

 

 

「それは私も同じよ……くるみ」

「りーさん……」

 

ここで、やっと確信した。

 

りーさんだって新一を拒絶することに罪悪感を感じていたんだ。

 

同じ部員で、よくからかっているような仲だったから尚更に。

あの、園芸部として一緒に活動していた時期を思い出していたんだろうか。

 

そう考えると、今の確執に参っているのはりーさんなのかもしれない。

 

「私だって……まだ落ち着いたなんて言えない。でも、今のままじゃダメだって分かるもの」

 

言葉とは裏腹に、りーさんも涙を拭いて決心したように見据える。

 

「だから、一緒に行ってほしい……新一くんと、また……」

 

そうだよな。

 

やっぱり考えることはみんな一緒だ。

未だに話に入ってこないユキもきっと思ってる。

 

皆、心の奥で新一を恐れてても、やっぱり信じたいんだよ。

 

それは、あの事件が起こった後の新一じゃない……私たちと笑い合っていた新一が紡いだ縁だ。

あいつは本当は大人しくて、優しい、どこにいてもおかしくないような普通の学生だったんだよ。

 

あいつと笑い合った日々は夢なんかじゃない。

だから、今でもあいつを信じたいって思える。

 

その思い出さえなかったら、こんな風に会いに行こうなんて到底思えなかった。

 

だから、こうしてまた会いたいと思えるのは紛れもない、新一の徳っていう奴だ。

 

「やっぱり、暗い部屋で寝てばっかだったから陰気臭くなってたのかな……前はこんな性格じゃなかったのに」

「病気は気から、っていうわよね」

 

まだ、完全に回復したとは言えない。

それはまだ新一に会ってみないことには確かめようがない。

 

でも、ここまで自分の汚さをりーさん、ユキにも話したんだ。

 

 

―――少しくらい、前向きにならないとバチが当たるよな。

 

何より、私たち全員、めぐねえも含めてあいつに助けられた命だ。

なら、もうここで腐るのは止めだ、止め!

 

顔を二、三回ペチペチと叩いた後、私は布団から出た。

 

 

自分の意志で

 

 

寝てばっかで凝り固まった体を伸ばすと、ゴキゴキとなまった証拠が音となって出ていた。

 

「よっし! 今日から頑張る!!」

「そうね。そろそろ私もお休みはお終いにするわ」

 

隣で、既に布団を畳むりーさんと、まだ布団に包まるユキ。

 

二人がそれぞれ、どんな思いで今を生きてるにせよ、私はもう踏ん切りがついた。

 

 

 

受け入れる。

 

 

 

もう、平和だった世界が終わったことも。

 

 

そして、新一のことも。

 

 

 

まだ怖くはあるけど、自分たちを助けてくれた、あの姿は決して忘れないために。

 

 

 

巡ヶ丘高校から離れた場所で一台の車が障害物を器用に避けながら前進を続ける。

 

交通事故で大破した車、折れて地面に倒れた電柱、そして、ゾンビ。

 

様々な障害物のおかげで宇田とジョー……そしてもう一人の小さい同行者はかなり時間を喰っていた。

 

「参ったな……これじゃあ目的地まで何日かかるか分からないぞ。これだけ荒れてたら車は逆にやりづらいな」

「だから、ゾンビくらい轢き倒せって言ってんだろ。とっくに死んでるような奴を気にかける必要なんざねえ」

「そうは言うけど、彼らだって元は生きてた人たちだったんだ。死んだ彼らに対してその扱いは……浮かばれないよ」

「浮かばれないって、死んでんだぞ? それを悔やむ奴がどこにいる?」

「そりゃあ、生きてる人が見たら誰だって思うんだよ。居た堪れないからな、こんな……」

 

周りを警戒して窓から見張るジョーと運転する宇田は何度目かの互いの倫理観のズレで軽く言い合っている。

人よりも人情派な宇田と生存競争に基盤を置いたジョーとの価値観から言い合うことは珍しくない。

それでも、いつも軍配はジョーに上がる。

 

「もしも、万が一にここでお前が死んだら、ルリはどうやって生きていくんだろうな」

「う……」

「少しでも生きる確率を上げるためだ。いい加減、その甘ったれた性格を何とかしやがれ」

 

ジョーは少なからず、学んでいる。

人間に対して、いかに揺さぶれば首を縦に振るかを学習し、それを実践している。

 

最近のジョーは人間の感情を揺さぶるような感情論が上手くなったと見られる。

 

それというのも、ジョーはミギーと違って、テレビを通じて映画やドラマで言葉や知識を得たことも少なからず関係している。

人間が創り、人間が演じるドラマや映画には人間の感情や想いを視聴者に訴える傾向が強いため、自然と演出に凝ったシーンも増える。

そんなシーンを盛りだくさんに詰め込まれたテレビを見て育ったジョーは少なくとも、ミギーよりは人間の何たるかを理解している。

 

その上、言葉遣いもミギーのそれより人間らしい故に、感情的な話をされると信憑性も増してしまって言い返しにくくなる。

そういった意味では、最も人間に近いパラサイトと言っても過言ではない。

 

そして、そんな妙な人間臭さがもう一つの効果を生んでいた。

 

「?」

「おい、用もないのにすり寄るな。それよりもやることがあんだろ」

 

窓を見張る目以外のもう一つの目と口、手を少女の傍に作って少女が膝に置くタブレットをコンコンと叩いて急かす。

急かされた少女はコクンと頷いた。

 

少女もタブレットの画面を指でなぞりながら、身体を伸ばしたジョーの細い体に寄りかかっている。

その様子に宇田も笑う。

 

「随分と懐かれたな。しっかり護ってやれよ」

「他人事だと思って適当抜かすな。おれが付いてやらねえとそこら辺勝手に歩き回るわ、夜もでけえ声で泣きわめくわ、散々なんだよ。少しは役に立ってもらわないと割に合わねえ」

「役に立つとかそんな問題じゃないだろ……るりちゃん、あまりこいつの言うこと気にしなくていいからね?」

 

珍しくも苛立たし気な口調で責めてくるジョーに宇田はるりと呼ぶ少女に笑いかける。

元から人の好い宇田の笑みを素直に受け取ったのか、少女はジョーに頬をすり寄りながら頷く。

口が悪い同居人が辟易とさせる珍しい一面に笑みをこぼしながら宇田は車を進める。

 

 

宇田たちと同行している、るりという少女は、元々は鞣川小学校の生徒だったらしい。

事件が起きた日、教師生徒含めた周りの人間がゾンビ化していく中を必死で逃げていたのを宇田たちに救助された。

その際、宇田の放っておけないということで、ジョーもそれに賛同して保護、及び同行している。

 

というのも、ジョーはるりを無暗に逃がして自分たちのことを吹聴されることを恐れたこともあり、同時に何かしらの情報を聞き出すために傍に置いている。

 

しかし、るりの症状に宇田もジョーも驚きを隠せなかった。

 

あの日、事件が起こったことと、友達や先生が食い合ったこと、そして食われる直前まで怖い思いをしたということもあり、その幼い心に大きな傷を負わせた。

 

事件のショック、ストレスでるりは声を出せなくなった。

所謂、失声症だった。

 

 

宇田に助けられた安心感から倒れて、起きた後、幾ら喋ろうと頑張っても口を開けるだけで精一杯らしく、叫ぶ以外に意図的に喋れなくなってしまった。

今では、宇田の持っていたタブレットや紙とペンでの筆談がメインになっている。

 

その症状を知ったとき宇田は泣きながら謝り続け、ジョーは何も言わず、情もかけなかった。

宇田はるりを助けるタイミングが遅かったから失声症になってしまったと自分を責めていたが、ジョーとしてはるりに情の一欠けらもかけていない。

むしろ、声を失ったから捨てても大丈夫か、ぐらいにしか考えていなかった。

というものの、そんなこと言うと宿主がうるさくなることは経験で知っているため、そんなことは言わず、少女の保護に努めている。

 

ジョーは宿主との折り合いを心得ている。

 

 

 

そして、そこからジョーの受難は始まった。

 

車の運転は宇田に任せるとして、自分の役割は周りの監視とるりの身辺護衛となった。

宇田自身に戦闘力が無いことと、考える作業は自分の方が優れているという自覚があったため、るりの護衛に努めている。

何より、るり自身がジョーに助けられたからか、えらく懐いていることで合意した。

 

だけど、パラサイトに不安定な人間の子供の面倒を見るというのは無理、というより無茶だった。

 

 

夜、車の中で寝ているとるりが事件の日の恐怖を夢を通して思い出し、夜泣きすること。

しかも洒落にならないほどの大音量で泣くからゾンビを引き寄せる。

その時はジョーが片っ端から斬り伏るからいいものの、そもそもそれだけではるりは泣き止まない。

宇田があやしても全く効果が無く、既にジョーからは役立たずの烙印を押されて凹んだこともあった。

その時、ジョーがパラサイト特有の変身でテレビで見たような動物に変身したり、大口と牙を見せていないいないばあ(本人は脅して大人しくさせるつもり)をした所、見事に成功した。

喋れないながらもニヘっと笑う姿を機に本格的にジョーはるりのお守りを任せられた。

 

 

 

そして、子供特有の奔放さ故に偶の下車の時にもチョロチョロ動き回る困った癖も見せた。

一度、宇田が知らずにゾンビの死体をタイヤに挟み、それをどかすために停車していた。

宇田がタイヤに巻き込まれた死体を片付けている間、るりが久々に外に出た為か宇田たちに黙って近場を歩き回っていた。

その時、るりはゾンビと出会ってしまった。

既に恐怖の対象となっている相手から逃げようとした瞬間、音もなく湧いてきたゾンビに数で囲まれ、逃げられなくなってしまった。

恐怖で元々から失った声も出せない、その場でへたり込んで泣いていた時、それを助けたのがジョーだった。

一瞬でるりを囲んでいたゾンビを斬り捨てた後、荒い口調で注意された後、泣きながら手を引かれたこともあった。

 

 

こういった経緯から、るりはジョーを気に入ってしまった。

子供特有の無邪気さゆえに、宇田の人の好さも知り、信用しているが、ただジョーのほうが安心できるご様子。

 

それから、夜泣き防止にジョーの体を抱いて眠るなど最近ではよく見かけるようになった。

ジョーは鬱陶しく思っているためか、完全に眠ったのを確認した後はスルリと抜け出してグチグチと悪態を吐く。

 

ジョー本人に言えばまた悪態を吐くだろうが、宇田から見れば地獄の中の癒しにしか思えない。

 

そして、ジョーもそんなるりに付き合わざる得ない状況を淡々と過ごしている。

 

 

「そろそろ飯も少なくなってきたな。これからどうすんだよ」

 

これまでに起こったことを思い返していると、ジョーから声がかかった。

恐らく、荷台に詰め込んだホテルの食べ物のことだろう。

 

「そうだなぁ……なんか、コンビニとか崩れてるし使えるとは思えないしなぁ」

「電気も停まって腐ってるものが多いだろ。こいつの食い扶ちさえなければもっと長持ちできたんだがな」

「るりちゃんは悪くないだろ。成長期の子が食べるのは当たり前だ。それに、食べる量で言うならぼくたちの方が相当だろ……それに、服といった雑貨もまとめて欲しいんだよ」

 

ここ数日のところ、ホテルで仕入れた食料は既に底を見せ始めていた。

 

ジョーも最初は宇田の分だけを仮定していたのだが、るりの同行によって想定以上の食料の減りを見せた。

成長期のるりは少女でありながら予想以上の食欲を見せた。

 

とはいえ、宇田もジョーを加えた分の消費量の方が圧倒的に勝っていたのだが。

その上、そろそろナイフとかそういった雑貨も欲しくなってきたのはジョーも同じ。

 

コンビニを見つけて、その都度回収するのもいいが、それでも品数の関係で充分な量を確保できるとは思えない。

そろそろ車での路上生活にも限界が見え始めている。

ホテルのような比較的、いや、せめて寝転がれるような寝床も確保したい。

 

そんな要望を都合よく叶えてくれる場所があるだろうか。

 

そう思っていると、るりがタブレットに指を滑らせる。

 

「おっ」

 

その様子にジョーが声を上げると宇田も緩やかに車を止めてるりが見せてくるタブレットを見ると、少し不慣れな字で書かれていた。

 

『りーねーといっしょにいったデパートがあります』

 

その書き込みに宇田とジョーが目を丸くした後、お互いに目を見合わせた。

 

「ジョー!」

「あぁ」

 

二人の考えは一致したようで、何も言わずとも声が弾んだ。

 

「そこまで案内してもらえるかな!?」

 

宇田の嬉しそうな問いにるりは再び指をなぞらせ、タブレットを見せる。

 

『めぐりがおかの、学校の近く』

 

難しい漢字は平仮名に直されているが、それだけで充分だった。

ジョーは途中で無人のコンビニから拝借した(盗った)地図をめくる。

 

目を増やし、現在地と目的地を見合わせる様子にるりは興味津々に見入っていたが、そんなことはお構いなしに手を生やして指をさす。

 

「これか」

 

指さしたところには『リバーシティ・トロン・ショッピングモール』と書かれていた。

そして、よく見たら近くに『巡ヶ丘高校』の文字も。

 

「ここ、新一くんの学校じゃあ……」

「なるほど、これはおれたちにとっても都合がいいぞ。近くにガソリンスタンドもあるし、もしかしたら生存者も残っていて、情報も得られるかもしれねえぞ」

「それじゃあ……」

 

二人、いや、三人は見合わせて、頷いた。

 

目的地は決まった。

 

進路が決まったことで宇田の表情もぱぁ、っと明るくなる。

 

「よし、じゃあそこに行こう!」

 

気合とも取れる声と共に止めていた車を再び動かす。

 

行き場所が決まっただけでも気の持ちようは大分変わっていた。

ゾンビしか見ていなかった欝々しさから一変して少しの希望が灯っていた。

 

「新一くん、大丈夫だといいんだけど……」

「あいつはお前と違ってメンタルも身体もできてるから心配するだけ無駄さ。お前と違ってな」

「二回言うなよ!!」

 

動き出すと再び漫才のようなやり取りが始まる。

運転中に喧嘩しているような、それでいてじゃれ合っているような光景はるりにとって面白い見世物になっていることは二人して知らない。

 

「ん?」

 

そんな中、ジョーが自分の身体が突っつかれている感触に気付き、そっちを見るとるりがジョーをじっと見つめていた。

 

「なんだよ。また何か思い出したか?」

 

そうとだけ言うと、るりはプーっと頬を膨らませる。

 

「?」

 

もちろん、人間の感情の機微に疎いジョーにはその真意が分からなかったが、バックミラーで見ていた宇田は笑っていた。

 

「るりちゃんはお前に褒められたいんだよ。そうだよね?」

 

問いかけると、ミラーの先で元気よくコクコクと頷くるりが映る。

 

そんな二人の様子にジョーは当然のように聞き返す。

 

「つまり、役に立った褒美渡せってことか? こういう所は随分と利己的だな」

「そんな大したものじゃないよ。そうだな……頭を撫でてやればいいんじゃないか?」

「撫でる? その程度でいいのか?」

 

心底不思議そうに聞き返すジョーに宇田はどこまでも嬉しそうに、太陽で輝く笑顔を顕した。

 

「人間ってのは、ありがとうの一言でも頑張れる生き物なんだよ」

 

そうは言うが、ジョーにとっては理解できないことだった。

そもそも、善意を善意で返す意義が分からないジョーにその感謝の気持ちを理解しろというのが無理があった。

 

互いが協力し合うのは利害の一致しかあり得ない。

この場で協力した仲でも、場合が違えば騙し合い、殺し合う仲になるなど当然のこと。

 

それを宇田を含めた人間はそれに『感謝』し、『正直』でいることが分からない。

自分に利があればそれでいい、それがジョーの不変の真理。

 

 

だが、ここらに土地勘があるるりのやる気を維持するための理由も含まれているのなら、撫でることくらいいくらでもやってやる。

 

 

フロントガラスに目を向けながら、後部座席のるりのために新しい手を創り、小さい頭の上に乗せて往復させる。

柔らかで繊細な髪の毛の感触と共に、ニヘっと笑うるりにジョーは人知れず思う。

 

(こんなことのどこに意義があるのか……やっぱ人間って分かんねえな)

 

自分がなぜ、こんなことをやっているのか理解できないままジョーはるりとの交流を深めていった。




今回は、くるみとりーさん、そして宇田&ジョーサイドの話でした。

今作のくるみたちですが、原作よりも立ち直りが遅い設定です。
というのも、新一に甘えていたということになりますが。
ただ、原作のようにパンデミック後にも積極的に行動できるくらいくるみたちのメンタルは強いです。

しかし、今作では新一という頼りになる人物が積極的に動いているということで充分な休息を取る時間が取れました。
言うなれば、『甘え』とも取れる行動も一種の『心の暇』に繋がるものとしてます。
なので、原作よりも心の余裕、または立ち直りが早いとも言えます。
これも、新一による一種の救済とも取れると思います。

ただ、本人はその間にも鉄の心に徹していたので精神ががががが……



そして、同時進行で書いた宇田サイドですが、要点はこうです。


ジョーが幼女とイチャってます。
進路先はショッピングモールに行きます。
人間の心が解らぬ。


こんな感じです。

とりあえず、SSではありがちな原作ステージへの移動イベントをひっそりと消化しました。
なので、色んな過程が無理矢理に思えても無視してください。

と、まあ今回はこんな感じです。

それでは、次回にお会いしましょう!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人間という生物

リアルが忙しいでござる……
しかもまたまた難産で、疲れました……

今回はまた周りとの和解編です。


校庭を闊歩する『奴ら』を、新一は屋上のフェンスに体重を乗せて見下ろす。

 

正確には相も変わらず、何かを求めるようにゆらりと動き回る様子を()()()()()()

 

 

「今日も変わり映え無し……か」

 

律儀にノートに奴らの様子を書き込み、ノートを媒介に観察している。

本当なら、自分の平穏を、皆を殺し、悲しませる『奴ら』など視界に入れた瞬間に叩き潰したくなるのが本音だが、今はそんなことを言っている場合じゃない。

 

新一はワンパターンな動きしかしない『奴ら』を観察しながら欠伸をする。

 

 

 

 

おれはこの異変が起こったその時から、ずっとミギーみたいになれるよう徹している。

ミギーはどんなに不利な状況でも諦めず、冷静な判断力と勇気を武器におれを助けてくれた。

しかし、そんなミギーがいない以上、おれが皆を護らなくちゃいけない。

だからこそ、こんな時ミギーならどうするか、ミギーは今まで何をしていたのかを思い返し、一つの結論に至った。

 

 

それが今回の“観察”だ。

 

ミギーは自分でも不意打ちをメインとした戦い方が主流、と言っていたが、言い換えれば、それは相手の弱点を探り、的確に突くことが多かった。

その戦い方で三木や後藤のような不利な戦いを乗り切ってきたと言っていい。

それらを思い返せば、ミギーは戦いの中でもよく観察していた印象が強く浮かんだ。

 

当然、そんなミギーもいなければ、戦いの最中に観察を行ってそれを実践するなんて技量はおれにはない。

だから、まずは地道にミギーの真似をするということで、おれはその日毎の『奴ら』を観察し、細かい所をノートで書いている。

 

開いてみれば悪趣味なノートにしか思われないだろうけど、今はこのノートがおれたちの命綱になる……ことを信じている。

 

ここまでで分かったことは、以下になる。

 

 

 

『1.『奴ら』は既に生命活動を停止させた、歩く死体』

 

『2.死んでいるにもかかわらず、力は強い』

 

『3.知能的な行動はせず、ただ『食欲』の本能のままに動き回る』

 

『4.光、音のような刺激に誘われ、集まってくる』

 

『5.『奴ら』は非常に燃えやすい』

 

『6.『奴ら』はパラサイトではない』

 

まだまだ、粗削りで情報というにはお粗末な内容だけれども、分かっただけマシだろう。

 

そして、観察の他にももう一つやっていることがある。

それが“戦闘”だ。

 

皆を生徒会室に避難させたあの日、確かにおれは三階で蠢いていた『奴ら』を殲滅した。

だけど、それだけでは『奴ら』の性質はおろか、どんな戦い方かを確認することができず、その翌日から奴らとの戦闘を積極的に行ってきた。

 

奴らに知能が無いことは既に把握済みだったから、色んな戦闘シミュレーションを繰り返すのを踏まえ、様々なシチュエーションを作ること自体は苦労しなかった。

 

例えば、一人だけを教室に誘い込んで軽く攻撃を避けたり当てたりした。

奴らは基本的に噛みついてくるか、身体を掴んで噛みついてくるか、それくらいのパターンしかなかった。

だから、一対一での戦闘ならまるで話にならない。

パラサイトと比べてもその差は歴然だ。

 

そして、戦闘は徐々に敵の数を釣り上げて、二対一、三対一、四対一と言う感じでやっていった。

 

こういった戦闘を重ね、それらを通じて分かったことの大半がさっきのノートに書いたとおりだ。

 

 

まず、奴らの体に折った机の椅子を突き刺した。

簡単に突き刺せたけど、パラサイト『A』の時と比べて出血量が明らかに少なかった。

それどころか痛がる様子も苦しむ様子も見られなかった。

多分、心臓が停まっているから出血はするものの出血の勢いが弱かったんだろう。

パラサイトとの戦いはよく血が噴き出てたから、これには自信がある。

 

 

そして、『奴ら』に火を噴きかけたこともあったが、これは今までで一番焦った。

まだ、おれが『奴ら』をパラサイトと見立てて戦っていた時、『奴ら』の弱点である火のことを思い出した。

パラサイトは火を急に近づけられたら内と外との動きにズレが生じる……つまりはギョっとする。

とりあえず、火は有効な手かもしれないと思って学校に置いてあった殺虫剤とかのスプレーと拝借したライターを組み合わせた簡易火炎放射器で『奴ら』に噴きかけたんだけど……一歩間違えれば学校そのものを焼いてしまう所だった。

『奴ら』は既に死体だからか分からないが、火を当てた瞬間にまるで枯れ木のように勢い良く燃え上がった。

しかも、痛覚とかそんなのが無いから自分の身体が燃えてても構わずに歩き回っていたのには本当に焦った。

集団戦でやってたら本当に終わりだったなぁ……

 

まあ、これも成果の一つと言うことで納得しよう、うん!

 

 

そんなこんなで『奴ら』の情報が集まってきたことは間違いなくおれたちにとってプラスであることは間違いない。

 

まだまだ分からないこともあるけど、このペースなら案外なんとかなるかもしれない。

奴らが相当な数にまで群れることさえなければどうということは無い。

 

そう、自分はやっていけてるのだ。

この学校の豊富な購買の貯蓄が無くなっても、自分が頑張れば外にだって連れ出せる。

 

どんな状況になっても冷静になって考えれば切り抜けられない相手じゃない。

自分さえ頑張っていれば一人にならなくて済む。

 

自分が頑張ればもう悲しい想いをしなくて済む。

 

 

自分が

 

 

頑張れば

 

 

 

もう皆だって死ぬことは無い。

 

だから、考えてなくてはダメなのだ。

 

自分が頑張れば、きっと父さんだって―――

 

(ダメだ! 考えろ! 生きることだけを、今だけは!)

 

 

ずっと心の中に閊えてた気持ち

 

唯一、自分に残された家族の心配が『胸の穴』を押し広げる。

ワイシャツの上から疼く胸を手で握り、押さえ付けて頭に浮かんだ考えを無理やり封じ込めた。

 

(皆だって条件は同じだ……これはおれだけの問題じゃない……っ!)

 

自分に残された家族は一人だけ、家族を想う気持ちは誰にも負けないという自信はある。

 

 

でも、今回の事件で負った傷に不公平も平等もない。

理不尽な現実に負った傷しか残らない。

 

くるみや若狭、丈槍、もちろん先生にだって家族がいて、心配しないはずがないんだ。

皆も学校よりも家族の元にいたいに決まっている!

 

(おれだけが……我儘を言ってる場合じゃないんだ……!!)

 

多分、今なら新一の身体能力や冷静な判断力を活かせば一時的とはいえ、助けを呼ぶなり父親を迎えに行くなりどうとでもできる。

しかし、それだけはしない、いや、()()()()

 

自分が少しの隙を見せた時、何かが起こったら?

 

 

まだ傷も癒えていない、ましてや戦闘未経験な先生たちはどうなってしまうのか?

 

 

 

新一は知っている。

理不尽と喪失はどんな時でも、場所を選ばず、やってくる。

 

―――自分の油断で、もう失いたくない

 

 

 

(母さん……加奈ちゃんに……村野……っ!!)

 

 

自分はもう三回も失敗した。

 

 

自分がもっと用心して旅行を先延ばしにしてもらってたら

 

 

自分がもっと島田の動向に気を付けていたら

 

 

自分の秘密をもっと早くに打ち明けていたら

 

 

 

 

 

辛い過去、思いつく限りの危機を想定しても、新一は動揺しない。

悲壮感も生まれない。

 

 

 

 

しかし、胸の内に湧き上がるどす黒い感情にフェンスを握る手が白くなる。

無機質で、無感情な目がグランドの『奴ら』を冷たく見下ろす。

 

 

(もし、もしも、父さんに、皆に手を出してみろ……その時はパラサイトだろうが何だろうが八つ裂きにしてやる……っ!!)

 

込み上がる憎しみが絶えず溢れだす。

そのせいで後ろから近寄る気配にも気づけない。

 

こんな現実を作り出した『正体不明の奴ら』に対する憎しみが新一の五感を鈍らせる。

 

(殺す、これ以上、おれの大事な人を、生き残ってくれた友達を、先生を奪う真似をする奴がいるなら、たとえ人間であろうとパラサイトだろうと……)

 

憎しみ、怨嗟、獣の心……全てを抑えきれなくなった新一の顔は既に、まともとは言えない。

万人が見れば戦慄するような深い、無慈悲な表情で。

 

 

―――皆殺しにしてやる……っ!!

 

 

 

振り返った。

 

 

 

そして、見られた。

 

 

「あ、う……」

「……」

 

 

今日まで寝たきりになっていたと思っていた、若狭とくるみの怯え切った表情で。

おれの目としっかり合った。

 

ここで、二人の怯えた顔を見て、今自分がどんな顔をしているのか自覚し、後悔した。

 

 

「あ、いや……その……」

 

二人の顔に今まで渦巻いていた憎しみが霧散し、逆に二人に激情を浴びせてしまった動揺から表情が崩れた。

何か弁明でもしないと、そう思っている最中で力なく床に座り込む若狭に自己嫌悪の念が強くなった。

 

ただ、二人が一目散に逃げなかったことだけが最大の救いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

屋上で三人が向かい合う。

晴れやかな晴天の、青々とした野菜たちの緑の中でくるみと若狭と向き合う。

 

ただ、今日の天気とは対照的に三人の空気が怪しい。

若狭に至っては少しおっかなそうにチラチラと見てくる。

 

激怒した顔を見られた後、くるみの方から話があると言われてその場に座った。

 

とはいえ、対する二人は何だか居心地悪そうに見合って、話が中々始まらない。

 

二人がこうして会いに来たということは、ある程度回復したと見てもいいだろう。

だけど、そんな時に脅かしてしまったことが凄く悔やまれる。

 

(この子たちを脅かしてどうするんだよ……馬鹿かおれは……)

 

 

先生はおれを認めてくれた。

 

でも、この二人はどうするか分からない。

 

中でもくるみの場合は、くるみが好きだった先輩をこの手で葬ったのだ。

恨み言の一つ、いや、恨まれて当たり前だろう。

 

若狭だって、こんなおれのことを恐ろしいと思っていることは間違いない。

向き合っている今でも、いつもの落ち着きが全く見られないところから普通に分かる。

 

 

二人の反応は分かっていた、覚悟はしていたはずだった。

でも、いざ目の前で見せられると気分が落ち込む。

今まで当たり前だったはずなのに、いつもの関係が壊れてしまうのはやっぱり悲しい。

 

そんなことを思っていると、先にくるみの方から口火を切った。

 

「あの、さ……あ~……この数日は、えっと、手間をかけさせて……その……」

 

数日間、寝込んだことへの罪悪感か、それとも言い慣れないお礼を無理矢理言おうとしているからか、はたまた、さっきの新一の姿におっかなさを感じているからか言葉がたどたどしい。

恐らく、理由は全て当てはまるのだろうけど。

 

 

いつものサバサバした、はつらつな喋りもナリを潜める。

チラチラと若狭を見てるとこから、本当は若狭が言うはずの段取りだったんだろう。

慣れないぶっつけ本番の謝罪にしばらく四苦八苦していたくるみだったけど、遂にしびれを切らした。

 

「あぁ、もう、こんなん私のキャラじゃねえ! 新一!!」

「う、うん……」

 

急に吹っ切れた様に頭をガリガリ掻いた後、凄い形相で詰め寄ってくる姿に新一も勢いに負けてその身を逸らす。

傍から見たら喧嘩するのか、にらみ合っているかのような光景に若狭もハラハラとおっかなそうに新一とくるみを交互に見やる。

 

しばらくにらみ合う(くるみのみ)状況が続いたと思ったら、先にくるみがツインテールを揺らして勢いよく頭を下げ、新一の手を奪い取った。

 

「この数日、ずっと私たちを護ってくれてありがとう! それで、今までお前のこと避けて本当にごめん!!」

 

くるみが勢いよく頭を下げる姿に新一もりーさんも目を丸くする。

地面に額を付ける勢いで下げた頭を再び上げた。

その表情は強く、そして後悔したように歪んでいた。

 

「ずっと、先輩があんなになってから、今日までずっと何もしたくなかったし、考えたくないとも思ってた……」

 

まるで、自分の罪を懺悔するように自分の心情を吐露する。

 

言い訳じゃない。

ただ、行き場のない後悔をどんな形にせよ、決着を付けさせたかった。

 

「でもさ、どうしようもできなかった……ずっと新一を怖がって、遠ざけて、全部背負わせて……何も言えねえよ……」

「くるみ、それは……」

 

自嘲するくるみにりーさんも居た堪れなさから表情に影が落ちる。

罪悪感から何も言えない自分を見ているかのような写し鏡。

二人の気持ちは全く、同一のものであることは疑いようがない。

 

「違うよ、くるみも、若狭も間違ってない。あんなもの、急に見せられて、平然としてる方がどうかしてるんだ。人間なら誰だってそうだよ。だから、君たちは()()()()

 

若狭だってくるみだって、今はこうして普通に話せているけど、この数日の荒れようは凄まじいものだったはずだ。

彼女たちは女の子で、恋もしてたような普通の子たちだった。

 

決して、生死を賭けた環境にいたおれなんかとは絶対に違う。

 

だから、本当ならこうして現状を理解しながら今の状況に“納得”しているおれのほうがどうかしているのだ。

異端を嫌う人間として、彼女たちに非の打ちどころは無いと思っている。

 

「悪く……ない、だと?」

 

だけど、二人……特にくるみはそれを許せないと思っている。

くるみには“きっかけ”がある。

 

「悪くない訳ねーだろ! 私はっ! 先輩を、自分の手で殺そうとしたんだぞ!? こんなことさえ起こらなければ、ずっと好きでいられた先輩を……っ!」

 

 

くるみは、先輩を殺そうとした。

それはこの場にいない丈槍も含めた、生き残った面子なら全員知っている。

 

 

くるみもその時は命の危機を感じて手元にあったシャベルを振るおうとした。

それは単に、“死にたくない”という本能が働いただけであって、決して本人の意思から出た物じゃない。

第一、あんな状況で殺す以外に方法は無かった。

先輩と化した『奴ら』を抑える方法が殺すこと以外にあったのならご教授願いたい。

 

 

そんなもの、決して存在しない。

 

 

あの時、くるみがしようとしたことは間違いなく最善だった。

かつての好きな人とはいえ、手にかけなければくるみは死んでいた。

 

 

でも、人間の心というのはそんな単純じゃない。

『それが最善だった』とか『間違ってない』とか理屈並べて納得できるほど人間……普通の女子高生には酷な話だ。

 

 

 

彼女たちは人間だ。

 

 

通りすがりの命が死んだら悲しみ、涙を流してしまうほどに傲慢で、繊細な。

 

パラサイトであったなら、“仕方なかった”だけで済むのだろう。

だけど、人間にはまだ他にも大切な物がある。

パラサイトにはない、“大切な物”がくるみを苦しめている。

 

「私は、お前を恐れる資格も、安全な場所で護られる資格なんて無かった! こんな汚れた私は、奴らを倒すくらいにしか、もう……っ!」

 

瞳から大粒の涙がポロポロ零す姿に若狭は見ていられなくなったか目を伏せる。

あの時の光景を目の当たりにしてしまったのだ。

下手な慰めなんて意味が無い、それどころかこれ以上に深い傷を負わせることになると感じているのだろう。

 

「あの時、あのままいけてたら新一にあんなことさせることも、私だってお前みたいに強くなれてたかもしれない……なんで、あの時、お前がやっちまったんだよぉ……」

 

先輩を殺そうとした罪悪感と自己嫌悪がくるみの思考を歪めさせる。

 

 

ずっと考えていた。

 

きっと、新一がくるみの代わりに先輩を―――していたら、何もかもが違っていたはずだ。

 

 

あの時、くるみが手を下していたら彼女の中の“何か”が壊れていただろう。

 

先輩をただの肉人形と認識して、何度もシャベルで突き刺していたかもしれない。

 

くるみが血に濡れることで、今よりも強くなれたかもしれない。

 

確かにそれも悪くないことかもしれない。

今、優しさや慈しみなんて思えるほど皆には余裕が無い。

むしろ、余裕を感じてしまったらこんな現実に付け込まれるかもしれない。

 

 

でも、それは凄く悲しいことだ。

 

「そうなったって……辛いだけだ」

「……え?」

 

地面にうずくまっていたくるみの肩を掴んで、おれと同じ視線に立たせる。

涙や鼻水でグチャグチャになった顔は悲しみしか映らない。

おれの指で涙を拭いた。

 

「こんな状況だからさ、強くなることは必要かもしれない、奴らを倒すことだって必要かもしれない。今までの優しさも、慈しみもこんな現実の中で背負ったって苦しいだけかもしれない」

「……」

「でも、くるみの、先輩に抱いてた想いはあんな形で終わらせちゃ駄目だと思った……あんなにも綺麗な感情は、あんな形で捨てちゃいけなかったとおれは思うんだ」

「新一……」

 

何を考えても想像の域は抜け出せないが、きっとそれは無自覚な地獄なのだろう。

“慣れ”というものは些細なことにしろ、今回のような生死の問題にしろ起こり得る。

くるみが強くなったら、いずれ命を奪うことにさえ、ましてや自分が危険の渦中に飛び込むことさえ躊躇いなくしていたかもしれない。

 

そんな“現実”に、くるみの想いを潰されるのは見てられなかった。

 

そして、こんな場面になっておれは“あの人”に改めて感謝した。

 

 

「それに、くるみたちはおれのこと強いっていうけど、実はこういった生死をかけた戦いを経験するのは初めてじゃないんだ」

「……え!?」

「それって……どういう……」

 

二人は目に見えて狼狽する。

 

同じ年代の男子高生が、今まで死ぬような戦いをしてきたなど聞けば仕方のない反応だ。

こんな事態でなければ疑うような内容だけど、今にして思えば納得できる。

 

 

死が迫っている中での冷静な判断と観察力

 

 

強いショックから立ち直る強靭な精神力

 

 

人の頭を殴り潰せる人智を超えた身体能力

 

 

 

わずかな間に新一の、常人を超えた力は突飛もない話にも説得力を持たせた。

そして理解した。

新一の全ての力は実戦によって鍛えられたということを。

 

「パラサイトのことは知ってる? 結構、ニュースに出てたから有名だと思うけど」

 

パラサイト

 

 

この言葉を知らない人などいない、というくらいに全世界を震撼させた新生物。

人の頭を乗っ取り、頭を変形させて人を殺し、その人を食べるという驚くべき習性を持った人類の最も恐るべき天敵。

げに恐ろしきは人間と同等、もしくはそれ以上の知能を有し、人間社会に溶け込むことにある。

 

つい最近になってその存在が公表され、とある市役所で大規模な掃討作戦を行ったことは世間情勢に疎いような、誰でも知っている。

 

 

実の所、くるみたちは知らないが、入学試験、新一の転校手続き時には髪の毛の提出も義務付けられていた。

誰もいない個室で自分の髪の毛を抜き、数秒観察する簡単なテストだった。

その間、誰も入れないし誰も出られない。

やった本人たちは訝しげに思ったこともあるが。新一だけは内心で納得していた。

 

 

当然、二人はパラサイトの存在に対して首を縦に振った。

 

「まだそいつらが確認されてない頃にさ、おれの母さんは父さんと一緒に伊豆に旅行に行って、そこでパラサイトと出くわして……首を斬り落とされた」

 

新一の話にくるみは目を見開き、若狭は口に手を当てて震えていた。

 

巡ヶ丘近辺に、ミンチ殺人とかそういうのが無かったから、今まで他人事で済ませていたため、そのような身の上話は衝撃以外の何物でもなかった。

 

その顛末だけでも、今まで普通に過ごしていた二人にとっては衝撃だというのに、続きを話す。

 

「父さんは無事だったけど、母さんは体を乗っ取られて、母さんの顔で、言ったんだよ。死ね、とか首を斬り落とせばよかったとか……母さんと同じ声だったから余計にきつかったなぁ……」

 

 

言葉が出なかった。

 

新一はパラサイトに家族を殺され、口上からして殺されかけ、そして生き残った。

 

二人は新一の強さの一端を垣間見て、納得すると同時にくるみはすぐに気づいた。

 

 

(同じだ)

 

 

自分と、その時の新一の状況がよく似ていることに気付けた。

 

(私の時は先輩……新一は新一の母さん……)

 

 

二人はそれぞれ大切に想っていた人の体を乗っ取られ、そして殺されかけた。

でも、すぐに自分と共通していることを訂正した。

 

(新一は家族で……その人の声で殺すって……)

 

 

寒気を感じ、鳥肌が立った。

今と状況が酷似しているのに、自分と新一との差が果てしない。

 

自分は……言葉は悪いけど、この高校生活の中で知り合い、好意を持った相手だった。

 

でも、新一は―――他ならぬ肉親だ。

 

小さいころから育ててくれた肉親を殺され、ましてや体を乗っ取られ、その声も、履歴さえも全てを奪われた。

しかも、相手は知能、悪意を持って殺すと、母の声で言われた。

 

『奴ら』とは違い、殺意や悪意を込めて言われた新一の苦しみなど想像できない。

もし、自分がそうなったら……どうなってしまっただろう。

 

 

多分、強くなるどころか殺されるか……二度と立ち直れなかったと思う。

 

 

新一と私たちとじゃあ、踏んできた経験が違う。

 

 

「母さんを殺した奴が憎くて、憎くて、色んな人の助けを借りて、ようやく母さんの体をしたパラサイトを殺そうとした時……おれの恩人が言ってくれた」

 

 

―――君がやっちゃいけない気がした

 

 

「その時、その人がどういう気持ちだったかおれには理解できなかった。でも、あの時、くるみが手を出そうとした時、何となくわかった気がしたんだ」

 

 

そうだ。

 

おれの今の力はその時から宿ったものだ。

いわば、あれは母さんを……大切な人を手にかけることをきっかけに手にした。

 

恐らく、あの時、くるみに任せていれば彼女にも強い力、精神力が宿ったかもしれない。

こんな事態でも何かしらの拠り所を見つけて生きていたかもしれない。

 

 

 

でも、この力は悲しかった。

 

 

 

強い身体能力と強い精神力……確かに普通だった時と比べて得た物は大きかった。

 

でも、失ったものも大きかった。

心は冷え切って、手は血まみれだった。

 

あんな姿、他人から見たらどう映るだろうか。

 

 

悲しいのか、泣きたいのか、分からない顔って何なんだろうか。

 

目の前の子たちはおれとは違う。

泣くときは泣ける、ただの人間だ。

 

この子たちが無理矢理強くなるなんて、おれには耐えられなかった。

 

「おれはもしかしたら、偽善だったかもしれない……くるみにとんでもない重荷を背負わせたかもしれない」

 

こんな力は―――おれだけでいいよ。

 

「でも、人間として……くるみの想いだけは捨てちゃいけないんだ。これからもずっと」

 

きっと、くるみのことが羨ましいと思っている。

 

彼女は自分と違って涙を流している。

たったそれだけ、それだけのことが、今のおれには難しい。

人間は心の掃除をするとき、涙と一緒に綺麗にする。

 

おれにはそれが他人より弱くて、必要ないとさえ思ってるかもしれない。

 

一度失い、取り戻して、今度は自分で手放した。

 

くるみが、若狭が、丈槍、先生のことが羨ましくて―――失いたくないと思った。

 

自分は捨てた。

でも、この子たちはおれの代わりに泣いてくれている。

 

おれの話から何を感じ取ったかなんてわからない。

同情されているか、または憐れんでいるのか。

どれでもいい……彼女たちは泣いてくれている。

こんな状況になっても、まだ彼女たちは優しさを忘れずにいてくれている。

 

こんな現実に押し潰されてしまうような、いつか完全に取り戻したかった輝きを―――自分から手放した物を護りたいから、こうして戦っているのだ。

 

「先輩じゃなくても、生きるために殺す時は必ずやってくるかもしれない……苦しいかもしれない……でも、それを溜め込まないで吐き出して、泣いて、少しずつ強くなるしかないんだ。だから、無理に強くなっちゃ駄目だ」

 

力と心が追いつかなければ、結局は化物と変わらない。

 

もう失敗したくない。

人が自分と同じ道を辿るのも見たくない。

 

「だから、ちゃんと考えて、これからどうしたいかを自分で決めるんだ。何かを得て、何かを捨てる時が来ても、捨てちゃいけない物があるということを覚えて、少しずつ強くなっていけばいい。誰かに泣きついても恥ずかしいことじゃない」

 

震えるくるみの震える頭を撫で、変わらない笑顔でこう締め括った。

 

「悲しいことがあると、やっぱり泣きたくなるもんな」

 

 

最後の言葉がすっと胸にしみ込んだ。

 

 

こんな状況になったことは納得してしまった。

どれだけ惰眠を貪ろうと、この地獄が夢になることが無い。

これが夢であったら……せめてこの現実から逃避できればどれだけ幸せだろうか。

 

全てを無かったことのように思い込んで……それまでに失った命さえも忘れる。

 

 

 

死んだ

 

 

好きだった先輩が死んだ

 

 

 

一緒に園芸をしていた部員が死んだ

 

 

 

共に大会に出た仲間が死んだ

 

 

 

教師が死んだ

 

 

 

色んな命が消えて、空の向こうへ消えていった。

 

 

死んだ

 

 

 

死んだ

 

 

 

 

死んだ

 

 

 

「あぁ……うああぁぁぁ……」

 

たった一日で全てが消えて、死んだ。

 

辛かった、哀れだと思った。

 

 

それでも、死にたくなかった。

 

 

 

そして、心のどこかで彼らのことを忘れたくなかった。

 

この学校にいた人たちは、自分と同じ年齢で、時には笑い合い、競い合い、一緒に過ごしてきた。

こんな状況で昔のことを懐かしがり、自分の中から事件を無かったことにするのもまた、一個の生物のあり方だ。

それを否定するのはお門違いかもしれない。

 

 

でも、二人は人間だ。

死んでしまった人たちのことを忘れろと言われて、すぐに忘れられるほど単純じゃない。

 

もっと生きたかっただろう、痛かっただろう

 

 

可哀想で、辛くて、居た堪れなくて。

 

 

 

果てのない地獄に取り残された様に生き残った悲しみと、他の人の死を見送る悲しみ。

板挟みで考えないようにしていた。

人の死を悲しんでいたら、キリがなくなる。

 

そう思って、自分の気持ちを押し殺してきた。

 

でも、どんなに取り繕うと人の性は捨てられなかった。

二人が、紛れもない人間だから。

 

「うああああぁぁ!」

「くる……みぃ……!」

 

死んでしまった人のことを想い、こんな地獄に取り残されて。

 

どうしようもないほどに、疲弊した心に新一の優しい言葉は二人のタガを外した。

 

自分の家族も一瞬で亡くしたかもしれない悲しみは、声を殺して抑えられるものではなかった。

そんな彼女たちに新一は、感情を吐き出させる言葉を、場所をくれた

 

みっともないほどに涙を流し、鼻水を出して二人は声を大きくして泣く。

どこか知らない場所で迷子になってしまった幼子のように。

少なくとも布団の中で殺しきれなかった感情が溢れる泉のように流れ出て、止まらない。

 

傍観していた若狭は地面に座り込んで両手で目を覆う。

 

 

くるみは空を見上げて、泣く。

 

そんな二人の間に入る新一は、二人の肩をそれぞれの手で包み込み、優しく自分の方へ引き寄せて言った。

 

「生きよう。みんなで寄り添って」

 

―――おれはどこにも行かない。皆を置いて、どこにも。

 

 

最後にそう締め括った言葉を機に、二人は新一の体にその身を預けた。

 

新一の服を二人の感情が濡らしていく。

どこまでも青い晴天の下で、二人の人間の慟哭が風に乗って。

 

どこまでも青い空の中に溶けていった。

 

 

 

 

 

(そうだ、おれはどこにも行かない)

 

今はいない丈槍も、こんな風に泣きたくて仕方ないはずだ。

そして、先生も、皆も……

 

でなければ皆の心が壊れてしまう。

 

 

だからこそ、おれが頑張らなければならない。

 

 

おれが皆の身も心も、全て護ってみせる。

故に、おれが泣く暇も立ち止まる暇もない。

 

それに、おれは知っている。

 

 

泉新一(化物)は涙を流さない。




ここでの新一は自ら悩み、自分の逃げ道を塞いで他の人の心のケアまでしてくれる自己犠牲タイプです。

今回が事実上のくるみとりーさんとの和解となってましたが、再び泣かせました。
でも、普通の女子高生がパンデミックに遭えばこうなるだろう、という想像の下で今回の話を作りました。

原作では皆が現状に不安を持ち、身も心も強靭という人がいなくて、全てを吐き出す前に自立してしまったという考えだと思います。
なので、新一がその感情を思い切って吐き出させた話になります。

そうなると、くるみに至っては原作よりも戦闘は苦労するかもしれません。
ここでのくるみは先輩をその手で殺さず、かつ、人としての基本的な感情を残したままなので。
これはりーさんにも言える話ですが。

そして、序盤でサラっと言いましたが、新一の感覚が既に麻痺しかけてます。
ゾンビで実験のためとはいえ刺したり燃やしたり、そして、この現状を既に受け入れてる時点で……


次からは遂に、あの話の前哨になります。
新一のSAN値がどうなるかは、今の私でも予定しておりません。
ただ、どっかで爆発……すると思います。

本分の解説はここまでにして、また次回にお会いしましょう!

また遅れますが!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雨の日の前に/救出

長らくお待たせしました!

直す前とは大筋は変わりませんが、とりあえず直しました!

リアルも忙しく、両立は難しかったです!
今回も、とりあえずは直したのですがまだまだ不安です。

また、変な所があれば指摘お願いします!


目が覚めると、日の光が当たった天井が見えた。

頭の中にもやがかかっているように、はっきりしない。

そんな状態で上半身を起こして欠伸を一つ。

 

静かな欠伸の後は、まだ重い眼を手で擦る。

 

心地よく温まった布団の中に入りたいのを我慢し、名残惜しいと思いながらも立ち上がって邪念を振り払う。

おぼつかない足取りで洗面台のところへ向かう。

 

蛇口を捻って顔を洗った後、鏡で濡れた自分の顔を見てふと思った。

 

(前髪伸びてきたな……)

 

事件以降からほったらかしにしてきた前髪を指先でこねくり回す。

年頃の男子高生なら髪型を気にするだろうが、残念ながら新一に至ってはそんな青春じみた物ではなかった。

 

「目線にかかるのは致命的だよなぁ、これ」

 

最近、奴らを相手に戦うことも増えてきたのだが、伸びた髪の毛が僅かとはいえ視界を遮るのは得策ではない。

奴らは鈍く、動きも単調だが数だけは別だ。

奴らは場所を問わず増えていくため、いつでも、どこからでも現れる習性だけが堪ったものではない。

そんな時、僅かとはいえ視界を遮られるのは不安でもあり、不幸な事故に繋がらないとも一概に言えない。

 

それに個人的には鬱陶しくも思っていたからいっそ切ってしまおうと思ったのだが……それは思いとどまった。

もっと簡単な解決法があったからだ。

 

前掛かった髪を手櫛で豪快にかき上げ、疑似オールバックを作る。

オールバックの自分の顔を見て懐かしさを覚える。

 

(なんか、久しぶりだな……この髪だと何となく気が引き締まるというか)

 

こんな髪型にしたのも、最初は体の右側が重いとか……そんなんだっけ?

今にして思えば、あの時はミギーを重荷としても見ていたんだと思う。

もちろん、今はもうミギーのことを重荷なんて思っていない。

今、こうして皆と生きていられるのも、全てを含めてミギーとの出会いに間違いはなかった。

 

今、そんなあいつはいない。

正確には眠っている、だけどこんな静かな時間は久しぶりだ。

 

 

 

 

だから、少し羽目が外れていたのかもしれない。

 

(あ、今のなんかテレビのCMっぽい)

 

髪を固める意味合いで濡らした髪をかき上げる自分……そんな姿を鏡で見て不意に思った。

 

おれ、意外とサマになってる?……と。

 

そう思った時、辺りを見回して誰もいないことを確認する。

誰も見ていないことを確認すると新一は再び鏡に向き直る。

 

そして、オールバックの状態で引き締まった表情を披露した。

 

(お)

 

手で再び髪をかき上げた状態で止まり、キリっと鋭い横目で自分の横顔を目だけ動かして眺める。

 

(おお)

 

さらにキリリっとさっきよりも気合を入れて鏡を眺める。

何故だか、言い知れぬ高揚に無意識に悦に入った笑顔を見せる。

 

「もしかして、おれって結構イケてたりして……」

 

鏡の前で置いてあった櫛を取り出し、髪を丁寧にセットする。

ミギーがいたころなら、無機質な茶々にやる気も失せていただろうが、そんなミギーも今はいない。

もちろん、他の人もいない。

 

皆がいる前では頼もしくあろうとしている新一も、一皮剥ければ普通の男子高校生だった。

 

 

 

 

連日に続く戦闘と緊張状態で油断が許されない日常の中、ようやくめぐねえ、りーさん、くるみと和解できたのだ。

その時の嬉しさと不安からの解放が急にやって来て、新一の羽目は自分でも思っていた以上に外されていた。

もはや、自覚できていないほどに。

 

(……よし)

 

タガが外れた新一は意を決して、洗面台とは別の体全体を見れるほどの大きい鏡の前に立つ。

その鏡は、何故か学校の備品として置いてあったものだ。

 

朝っぱらから鏡の前でファッションモデルポーズをとっては内心で自画自賛している。

 

(ん~、なかなか)

 

主観ならともかく、客観的に見たらどう思われるか想像に難くない、ナルシスト全開なポージングに笑みを浮かべる。

 

こんな思春期男子が将来、自分の学園生活を振り返って「バカなことしてたな~」なんて思い出し笑いするような若気の至りに没頭している。

男であるなら自分の容姿に少なからず自信を見出すものだ。

 

新一の行動は何らおかしくないし、学園生活の微笑ましい一コマとして将来の思い出となるだろう。

 

 

(ふふふ、おれを祝福するのだー)

 

いつか、どこかの漫画で見たような大仰な会心のポーズを決めて鏡を見た。

そこにはスタイリッシュなポーズを決める、唯我独尊な自分。

 

 

そして、寝間着姿でこっちを見ているめぐねえたち三人の姿。

 

「っ!?」

 

新一の舞い上がっていた頭の中は一気に冷め、想像を絶する寒気を感じながら振り向くと、そこには鏡に映っている面々が出揃っていた。

 

 

「うぶ、くくく、ごほ、ごほ! ゲフンゲフン!」

「こら、ぷす、くるみ……っ! 本人の前でぷす、止めなさい失礼、でしょ……っ!」

 

めぐねえの隣では笑いすぎて過呼吸を起こしかけてるのを咳してるように誤魔化すくるみと、小さい声でくるみを注意しながら声を震わせて呼吸をプスプス漏らすりーさん。

 

今回のように油断しきった時には全く機能しないくせに、りーさんの気遣いを台無しにする超人的な聴覚をこの時だけ呪った。

 

夢か幻であってほしかった現実は、新一の正気に戻った頭に冷水をぶっかけられた感覚を覚えた。

 

自分がナルシスト全開で取っていたポーズを同級生……ましてや女子に見られたのだ。

幾ら、新一の立ち直りが早いとはいえ、今のような生き地獄からの復活など即座にできるものではなかった。

 

そして、第三者の立場であるめぐねえが困ったように、そして傷付いた教え子を救うような慈愛溢れるお言葉をくれた。

 

「あの、格好良くなりたいと思うことは男の子にはよくあるから……さっきのポーズは恰好よかったわ」

 

この時、力なく床に突っ伏す新一はまた一つ、世界の真理を学んだ。

 

 

時に優しさは、どんな暴力よりも人を傷つけるということを。

 

 

そんな無情な現実とは裏腹にくるみの理性のは限界を迎え、決壊したダムから溢れる水のように、特大級の大爆笑が学校に響き渡った。

 

 

 

 

 

くるみが爆笑し、新一がショックから立ち直った後には丈槍を除く全員で朝食に入った。

結局、新一はオールバックのヘアスタイルで通している。

 

新一も先生やくるみたちと和解するまでは一人で味気ない非常食をかじるだけの日々が続いていただけあって、久しぶりに集まって食べる朝食に感動すら覚えていた。

本日は残っていたパンや卵を使ったトーストと目玉焼き、シンプルながら食欲を直撃した一品は大絶賛を受ける。

 

作ったのはりーさんである。

 

「美味い」

 

トーストを食べ、新一は思わず口に出した。

素直な感想に作ったりーさん本人も満更じゃない様子で手に口を当てる。

 

「ただ焼いて味付けしただけよ。そんなに大したものじゃないわ」

「いや、でも新一の言わんとしてることは分かるよ。なんつーか、普通に美味い」

「くるみまで、褒めても何もでないわよ」

 

自分としては手の凝ったことはしたつもりはないが、二人からの高評価に顔を赤くする。

優雅にほほ笑むその顔に、先日までの暗い面影はない。

 

そして、一緒に食べていためぐねえも同意するように続ける。

 

「そうね……こうして皆と食べるということさえ最近は無かったから、そういうのもあるのかもね」

「……確かに、そうかもしれません」

 

新一が遠い目をしてめぐねえに同意する。

 

色んな、大切な人を失ってきた新一だからこそくるみたちよりも多くの感慨をめぐねえの言葉から受け取っていた。

 

そんな新一の様子を訝しげに思う者はここにはいない。

新一の過去の片鱗に少し触れた三人は新一の様子を特に気にすることなく、くるみがめぐねえの変化に気付いた。

 

「そういや、めぐねえは髪切ったんだな」

「佐倉先生でしょ。もう……昨日のシャワーの時にちょっとね」

 

内心で手遅れだと気付きながら既に定着されたあだ名を訂正する様美式を繰り返すも、どこか思い切ったと言わんばかりにウェーブのかかった髪をフワっと持ち上げてアピールする。

確かに、そう思ってよく見てみるとめぐねえの後ろ髪が無くなっていることに今更気が付いた。

 

こういう時、女子はこういった変化に敏感になるってよく聞くけど本当のようだ。

 

「前の髪も似合ってたのに勿体ないですよ」

「長い髪にするのって結構大変なのにな」

「ありがとう悠里さん、くるみさん。でも、こんな時だからちょっとした気持ちの切り替えも兼ねてみたの。今のは変かしら?」

 

不安そうに、自身の髪型の良し悪しを聞くと二人は「そんなことない、似合っている」と肯定的な返事で返す。

素直な賛辞にめぐねえも嬉しそうに顔を綻ばせ、和気藹々とした空気が流れる。

 

流石の新一も女性陣の空気には入れず、一人で黙々と食事を取っていると生徒会の扉が開く。

それに釣られて皆が扉の方を向くと、そこには見知った顔があった。

 

「ユキさん……」

「……」

 

さっきまでの和気藹々とした空気は霧散し、誰もが驚きの表情を浮かべる。

 

今まで、塞ぎ込んで布団の中から出てこようとしなかった丈槍が久しぶりに姿を見せたのだ。

驚かない訳が無い。

 

普段の明るさは成りを潜め、俯いている姿は普段の彼女からは想像できないが、そんな彼女の姿に驚きはしたものの、反面どこか嬉しさがあった。

 

驚きながらも、彼女が布団から脱却して自分から活動したという事実に少なからず安堵はした。

まだ暗さや不安が窺い知れるものの、彼女なりに現実と見据えていることを表す姿なのだから。

 

丈槍は丈槍なりに戦っている、その姿に新一たちは光を見た気がした。

だから、皆は普段と違わないありのままの姿で彼女を迎え入れようと思った。

 

彼女が安心して戻ってこられる場所を作るために。

 

「ユキ、そんなとこでボ~っとしてないで早く飯食っちまえよ。今日のは美味いぞ」

「悠里さんの作った料理は美味しいわ。温かいうちに食べましょう?」

「でも、食欲が無いんだったら無理しなくていいわ。ラップに包んで後で食べてもいいからね?」

 

皆が皆、優しく丈槍を迎えようと明るく接する。

 

―――私たちはここにいる、だからお前もここに戻ってくればいい。

悲しんでもいいから、いつものように笑ってくれ。

 

きっと、皆は丈槍にそう言っているのだ。

皆だって辛い筈なのに、だ。

 

だから、人はここまで優しくなれる。

自分の辛さを自覚しているからこそ、他人に共感できるから。

他の生物とは決して分かり合えない、だが、人間同士の話ならその限りでない。

 

皆は、感じ取っているのだ。

自分がしてほしいこと、そして丈槍に必要なことを。

 

皆、平和だった日常に帰りたがっているからこそいつも通りに暮らそうとしている。

箸を突っつき合って、笑っていた時のように。

 

「くるみちゃん……りーさん……めぐねえ……」

 

他の人から見たら、それは一種の現実逃避なのかもしれない。

こんな笑えない状況の中で、笑顔を浮かべること自体が場違いなのはわかっている。

でも、それは決して悪いことじゃない。

 

人間はそうやって自分を癒し、心を整理させていくのだから。

 

そして、それは現実と向き合う中で必要不可欠なことに変わりはない。

感情が豊かで、心が暇だった分、今のような地獄は厳しいかもしれないけど、決して立ち直れない訳じゃない。

 

何事においても動じないパラサイトが持っていなかった、「心の癒し」も人間たる所以なのだから。

 

「ううぅぅ~……」

 

懐かしい、楽しかった日常を彷彿させるくるみたちの言葉に感極まった丈槍は双眼から涙をポロポロ零す。

それは楽しかった日々への懐古なのか、それとも今の現実に見出した一筋の光明からか……はたまたその両方からなのか。

その答えは本人のみぞ知る。

 

(やっぱり、強いな皆は……本当に……)

 

めぐねえが丈槍を抱きしめ、くるみもりーさんも涙ぐむ光景を新一は、眩しいものを見るかのように細めた目で見つめていた。

 

自分にはパラサイトの影響かも分からない、不自然な生物としての力がある。

そして、それは自分の力で得た物ではない……ハッキリ言ってミギーからの借りものばかりだ。

身体能力や精神力だって、ミギーがいなかったら得られることは無かった……更に言えば、自分の力で得ることは絶対にできなかった紛い物だ。

自分はミギーの力に頼って、今の状況に適応し、こうして活動できている。

 

でも、彼女たちは自分の足で、自分の意志でこの現実と向き合おうとしているのだ。

誰かから前借した力でもない、紛れもない自分の力で立ち直り、笑顔を忘れない覚悟と強さを得たではないか。

皆は自分が強いと言うけれど新一はそうは思わない。

 

例え、自分の行動がきっかけだったとしても、彼女たちはその中から何かを見出し、それを自分の強さに変えたのだ。

 

自分のような、もらい物とは違う、確固たる強さ、輝きを持っているのだ。

 

だから、その強さに憧れ、護っていきたいと思えるような尊い物だと分かる。

 

 

―――そうだよ、これが人間なんだよ。

 

 

この力がもらい物だとしても、自分の意志が皆より劣っているとしても。

護れるものがあるなら護りたい……皆を絶対に死なせるようなことはしない。

だから、目の前の尊い輝きを、強さを護れるようになりたいと、そう願う。

紛い物の力だとしても、皆を護ったから目の前の光景が広がっている。

 

そう思いたい。

 

そして、皆のささやかな笑顔を護ることが自分を救うことだと信じている。

この気持ちが、人間である最大の証拠だから。

 

 

視線の先に広がる、「優しい世界」を前に新一は改めて、必死に生きようともがく少女たちを護る決心を固めた。

 

 

 

 

 

 

 

「よいしょっと」

 

若狭が机を運ぶ。

三階の、『奴ら』がいない教室の机を拝借してきたものだ。

何も入っていない、軽い机でもそれを持って行ったり来たりをすると体力的にもこたえる。

 

「ふぅ……」

 

朝食の後から昼まで通して作業を続けていた若狭は溜め込んだ疲れから、机を置いて一息つく。

少し休憩していると、人の気配を感じて視線を向ける。

 

「お疲れ若狭。大丈夫か?」

 

自分と同じように机を持った新一だった。

いや、彼は机を二つ持って、自分よりも多く往復を繰り返している。

 

誰よりも精力的に事に当たっている姿に若狭も破顔する。

 

「新一くんもお疲れさま。私は大丈夫よ」

「いや、無理しなくていいよ。疲れたら素直に休んだ方がいい。いつ、何が起こるか分からないんだしさ」

 

新一の少し過剰とも取れる気遣いに目を細めた若狭がため息を吐く。

 

「それを言うなら新一くんよ。こうして机運びと一緒に周りを警戒させてるもの。私たちよりも働いてるでしょ?」

「必要なことだし、おれはおれのできることをしてるだけさ。おれにできることは可能な限りしないとさ」

 

現在、新一たちの他にも先生やくるみ、そして塞ぎ込んでいた丈槍も一緒に机を積み上げてバリケードを造っている。

そのため、新一が『奴ら』を追い出して確保した机を一か所に集め、それをワイヤーで固定する工程を四人で行っている。

 

そして、新一は皆の倍以上に働いている。

皆が協力しているとはいえ、その労働量に若狭も心配を隠せない。

 

「私たちよりも耳も、目もいいかもしれないけど……あまり無理しちゃだめよ? 健康あっての体なんだから」

「大丈夫。体力も自信あるし、こんなことはもう慣れてるから」

「……それが心配なの」

 

事件が起こってから幾ばくの日が立った今日この頃。

新一はずっと孤独な戦いをして、自分たちを護ってくれていた。

 

そして、屋上でのやり取りで既に新一への恐怖心は拭い去った。

 

彼の優しくて、悲しそうな目に恐怖が消えた。

あの時、くるみと一緒に目が腫れて、シバシバするまで泣いた後、くるみと一緒にすごく恥ずかしくなって顔を真っ赤にしたのを覚えている。

 

でも、その後のすっきりした感情はとても心地よかった。

今では自分たちのモヤモヤした気持ちに整理を付けさせてくれた新一への不信感はもうない。

ただ、今のように身を粉にして皆のために動いてる姿に申し訳なさを感じるほどだ。

 

逆に、今朝見せたようなドジな所とか、少し抜けている面を見れて安心できるとさえ思う。

ここ最近、彼の気が張り詰めているように見えるのも気のせいじゃないはずだ。

 

「ここ数日でも休んでる所見たことないわ。朝も昼も夜も見てるけど……心配してくれるのは嬉しいけど、休まなきゃ駄目よ。ご飯だって私たちに遠慮して少なめに食べてることくらい知ってるんだから」

「う、うん……」

 

予想以上に心配されてたことに新一も面を喰らったように曖昧に返す。

自分がよく観察されていたことを初めて知ったからだ。

ちなみに、りーさんはご飯の後の新一の物足りなさそうな気配を何気なく感じ取っていた。

無口な妹と同じ反応だったから何となく分かった。

新一は大食漢なのだと。

 

久しぶりに見た母性に新一は何だか変な気分になる。

少し恥ずかしくなって目を逸らし、むず痒い空気を破るようにおどけて言う。

 

「そ、それはそうと、まだまだ運ぶものも多いから早く行こうか?」

「あ、新一くん!?……もう」

 

慌てて机を持って先に行く新一に手を腰に手を当てて如何にも怒っています、と言いたげな表情を見せてくる。

 

少しうるさく言い過ぎたか?

一瞬、そう思うも、こういった小言は必要不可欠だと思い直す。

 

 

その脳裏にはつい最近に行った学級会を思い出していた。

 

 

 

 

新一と和解した直後、皆を交えて現状把握とこれからの方針について話し合った。

その時は新一のこれまでにまとめた『奴ら』に関するノートを皆に見てもらい、様々な意見を交わすこととなった。

 

その過程で、新一が実験と称して『奴ら』と複数戦闘を行ったことについてめぐねえはもちろん、若狭やくるみにまで咎められて反省したことは記憶に新しい。

 

そして、話の議題は『奴ら』だけに関することではなかった。

それはめぐねえの一つの質問がきっかけだった。

 

「今回の事件……パラサイトと関係はあるのかしら?」

 

生徒会が使っていた机に座っていためぐねえが挙手して疑問を新一に問う。

同じ卓に座っている若狭やくるみもホワイトボードの前に立って司会進行役を務めている新一に無言だが、めぐねえと同じ疑問をぶつける。

 

そんな彼女たちを一瞥した後、新一は迷いなく言った。

 

「それは無いと思います。この件にパラサイトは関係ない、それどころかパラサイトにとっても不測の事態だと思っています」

「何でそう思うんだよ? パラサイトは人の頭を乗っ取って活動するんだろ? 今の『奴ら』を見てるとそうとしか思えないんだけど……」

 

くるみがさらなる疑問をぶつける。

 

今まではめぐねえだけが知っていたが、こんな事態になったことと、既にパラサイトとの交戦経験があることから、自分の転校前の学校について明かしていた。

自分が西高出身だったことを伝えると、案の定というか二人は驚いていた。

 

この十年間で最も衝撃的な新生物・パラサイトが世間に知れ渡るきっかけとなった舞台ともなれば世間での認知度も高いのだろう。

その後、二人が妙に優しくなったのには複雑な気分になった。

 

それは置いておき、今は疑問に答えるためにマジックを使ってパラサイトについて説明する。

 

「確かにあいつらは人の頭を乗っ取って活動するけど、その際にパラサイトは頭部が変形して顔を変えたり、刃を出して物凄い速さで獲物を斬りつける攻撃方法が主流なんだ。それに対して『奴ら』は動きものろい上に攻撃方法は噛みつくだけ。手で掴んで動きを止めた後に噛みつくといったこともするけど、基本は噛みつくだけのワンパターンなんだ」

 

パラサイトと『奴ら』の違いをホワイトボードに書き、上手いとは言えない絵でパラサイトの変形した図を描く。

 

「それに、パラサイトは凄く知能的で下手な人間よりも頭がいい。一日で日本語をマスターできるくらいだから当然、作戦を立てたりとかする。でも、外の『奴ら』にはそういった知能はあるようには思えないんだ。階段に突き落としても昇るのに四苦八苦してたり、試しに一人捕まえて顎を砕いたんだけど、それでも噛みつこうとしてたから、そう言ったところも対照的だった」

「あぁ……うん……」

「あ、あまり無茶しないでね……」

 

最後の所では皆がドン引きしてた。

そりゃあ階段から落とす、とか顎を砕くなんて真顔で言えばそんな反応は仕方ない。

少し無神経だったのを反省しながら司会を続ける。

 

「あ、後はそうだな……パラサイトは基本的に繁殖方法がないんだよ。パラサイトは乗っ取った体は純粋な人間だから、パラサイト同士で子作りしても生まれるのは結局、人間の子供なんだ。だから噛みついて仲間を増やすってことはできないはずなんだ」

 

その話に全員が納得したように頷くが、ここでくるみが引っ掛かった。

気になることができ、挙手すると促された。

 

「あのさ、パラサイト同士で子作りって言ったけどよく知ってるよな。そんなニューステレビじゃあ全然やってなかったけど」

「あ、あぁ~……」

 

そして、新一も言いにくそうにしながら、少し悩んで正直に答えることにした。

 

「えっと……一度、西高の女教師としてやって来たパラサイトが実験で子作りした、とおれに……」

「ぶっ!?」

 

衝撃的な事実に一同は驚愕したが、その中でも一番反応が大きかったのはめぐねえだった。

 

「きょ、教師でありながら性行為を実験なんて……っ! ましてや、それを生徒に報告なんて何を考えてるのその人は!?」

「それがパラサイトですよ。奴らに情なんてありませんから」

 

これが普通の反応だよなぁ……なんて思いながら顔を真っ赤に、席から立ち上がってして今はいない田宮良子に怒りを表しているめぐねえに新一はしみじみと思う。

 

(やっぱり普通の人からしたらパラサイトって色々と理解できないんだよなぁ……)

 

自分はこうして長く、付き合ってきた数も多かったから麻痺してたけど奴らに情は無い。

最期の田宮……田村玲子は例外だが、パラサイトは自分の生存と興味あることに忠実だ。

くるみたちも子作りを実験と言ったことが気に入らなかったのか、厳しい顔をしている。

 

とりあえず怒りに燃えるめぐねえを宥めて、話を進める。

そのパラサイトはもうこの世におらず、子供も人間の元に送られるために今は施設に入っていることを伝えると渋々ながらも納得した。

 

「とりあえず、パラサイトは自分の好奇心に合ったことや、自分の生存にしか基本、精力的に動くことは無いんだ。そして、こんな大規模なテロ染みたことをすれば国の軍隊も動くし、何より自分の住処である人間社会を無暗に荒らす真似は絶対にしないはずなんだ。おれの経験則では」

「なるほどな……」

 

とりあえず、今まで挙げてきた例と、『奴ら』と対照的な点をボードに書いていく。

そして、そこで若狭が挙手したから指摘する。

 

「あの、パラサイトって自分の生存に精力的って言ってたけど……こんな状況になった時、どうなると思う?」

 

……やっぱり気になるか。

若狭は頭の回転が速いから、何となく察しがついてしまったんだろうな。

 

でも、それはおれも考えてたし、この機に奴らの危険性も教えておいたほうがいいかもしれない。

 

「……多分だけど、パラサイトが『奴ら』を殲滅するか、生き残った人間か同じパラサイトと徒党を組むか……物資、人間を食うために人を襲う……考えられるのはそれくらいかな」

「……そう、なのね」

 

おれの予想に若狭は俯きながら目を伏せる。

 

この数日、若狭と過ごし、少しずつ彼女のことが分かってきた。

彼女はこういった不測の事態とかに凄く弱く、気持ちもすぐに下がってしまう。

先生を除けば、この中で一番頭の回転が早く、その分、不安なことまでも容易に予想しては更に落ち込んでしまうようだ。

 

誰よりも頭がいい……というよりも誰よりも大局を見れる彼女だからこそ今の現実を重く見てるのだろう。

 

「大丈夫さ」

「え?」

 

だけど、やっぱり落ち込んだ顔は見たくはない。

安心してくれるか分からないけど、今は言葉で示す。

そして、これはおれの決意の改めでもある。

 

「おれが若狭を護るよ。パラサイトだろうが外の奴らだろうが、若狭には指一本触れさせないし、傷もつけさせない。だから、安心してくれ」

 

そうだよ。

パラサイトの相手はおれにしか務まらない。

もし、最悪の時はおれが全力を尽くさなければ皆が死んでしまうから。

 

ただ、ちょっとした決意表明で若狭は少し呆然とした後、途端に顔を真っ赤にしてらしくない慌てた声を上げる。

 

「し、新一くん……その、恥ずかしいわ……」

 

目をそらして顔を真っ赤にする若狭と周りで聞いていたくるみたちが茶々を入れてくる。

 

「おーい、口説くのはいいけど私たちがいるのを忘れんなー」

「確かに、こういうのは青春ではあるけど……せめて二人きりの時の方が……」

 

二人の声に少し疑問に思ったけど、少し考えて、自分の発言の意味に思い至った。

 

お、思わず本音と決意表明を兼ねて言ったんだけど、今になって思い返すと恥ずかしいなこれ……っ!

 

「いや、口説きとかじゃなくて……っ! そんな深い意味というか、何も若狭だけじゃなくて、皆も護るから……」

「はっはっは! そんな照れんなよ。今のは中々グッときたんじゃないか? なあ、りーさん」

「男の子からのアプローチ……こんな学園生活に憧れてたわ……」

「も、もう! くるみもめぐねえも真面目にしてください!」

 

狼狽えて変なこと言ったけど、若狭の気も紛れたからこれでよしとしよう。

 

 

そう、おれは皆を護る。

彼女たちが今もこうして生きていられるのは運が良かったからだ。

そして、おれはその運を更にこじ開けた……というのは少しおこがましい気がするけど、おれはこの力で皆を護れたのは事実だ。

 

だからこそ、おれには『皆を生かした責任』がある。

 

こんな果てのない地獄の中で、来るか分からない救助を待つだけの生活なんて普通の人では耐えられない。

楽しかった日常を懐古し、下手したら現実逃避に陥ってしまうことだってあり得る。

ある意味、あの時に死んでいたらこんな苦しみを背負うことなんてなかった。

未だに立ち直れないでいる丈槍が危なそうだ。

 

別に現実逃避が悪いわけではない。

あれは、人間の心を癒すシステム、言わば一休みの期間みたいなものだ。

実際に丈槍がそうなったとしてもおれはそれを責めないし、やることは変わらない。

 

 

死んだ者には死んだ苦しみが、生きている者には生きているからこその苦しみがある。

 

 

多分、丈槍はその苦しみを人一倍に感じていると思う。

常々思っていたけど、あの子は人の気に敏く、感情も豊かだ。

この中でも、人間の魅力に溢れている子だと言っても不思議じゃない。

 

だからこそ悲しみ、今も立ち直れないでいる。

 

 

だから、おれが立ち直れる時間を作り、それを護る。

 

 

もちろん、丈槍だけじゃない。

皆だって本当はこの現実が夢であってほしいと願っているはず。

それを考えれば、皆だって現実逃避するかもしれない。

 

皆には時間が必要だ。

 

 

気持ちの整理を付ける時間、そしてそれを可能にする安全も。

おれは既に、この現実に納得“してしまっている”から心配はない。

 

そう思っていると皆が神妙な、というよりも少し訝し気におれを見てきたのに気付き、疑問に思った。

 

「えと、どうかした?」

 

何か変なこと言ったか?

それとも気付かぬうちに引かれるようなことしたか?

そう思っていると、くるみを筆頭に何やら言いにくそうに、言葉を選びながら答える。

 

「いや、なんつーか……勘違いだったら悪いけど、あまり思い詰めてるんじゃないかな

って……思って」

 

……そんな顔してたのか?

少し考えに耽っていたからか油断してた。

 

その証拠にくるみのように先生や若狭もくるみと同じだった。

 

「そうね。泉くんって偶に『皆を見守ってます』ってスタンスだし、大人びてるって言えるんだけど……ただ、少し気負いすぎてる気がするわ」

「新一くんが強いのは分かるけど、知らない所で無茶してるって思うと凄く不安だわ……私たちだって新一くんの助けになりたいもの」

 

彼女たちはおれよりもまだまだ気持ち的に複雑なはずなのに。

それでもおれのことをちゃんと見てくれている。

そして、心配してくれている。

 

 

こんな時にまでも彼女たちはおれの身を案じてくれている。

 

自分のことよりも人のことを優先させるとまではいかない。

こんな状況でかけられる最大限の優しさが彼女たちにあることを確信できた。

 

だから、人間の性は捨てられないんだ。

 

ミギーを除いたパラサイトには絶対理解されない、でも、絶対に失いたくない物。

 

(だから、こんな人たちを護りたいんだよ)

 

人間の美徳を宿した子たちを一瞥して、安心させるように笑う。

皆には届きにくい音量で。

 

「もう、助けてもらってるよ」

「え?」

 

呟くように言った言葉が皆の視線を集めた。

だけど、その言葉は彼女たちの耳には入らなかった。

 

「大丈夫だよ。おれ、結構強いから」

 

この時だけでも安心させよう。

そのためなら、おれは道化にでも人でなしでも、化物にもなれるから。

 

 

もう見えなくなった新一のことを想い、若狭は少しの間だけ机の上に腰かける。

 

数日前の会話を思い出すと、改めて新一の存在の大きさを理解させられる。

冷静な判断力に、そこらの運動部とは一線を画した運動能力。

こんな極限状態でも決して取り乱さない精神的な強さ。

 

そして、何よりも目を引くのが、他人を気遣う善良な人格が一番に目立つ。

 

彼が優しく、穏やかな性格の人だということは事件前の付き合いからでもよく分かる。

私たちを一人も見放すことなく、慰めてくれたから私たちはこうして立ち上がることができた。

彼がいなかったらと思うと、あまりいい傾向だったとは考えられそうにない。

 

きっと私たちは皆、無理をしてどこかで躓いて取り返しのつかないことが起こっていたかもしれない。

 

(そ、それに、護ってくれる……って言ってくれたものね……)

 

思い出すのは恥ずかしいけど、あんなこと、あんな真剣に言われたら……ねえ?

 

 

ありったけ泣いたことや、新一が皆を護ると言ったことを思い出し、顔を真っ赤になる。

事実、新一は人の好さやルックスが適度にマッチしており、異性からは大分モテていたことを本人は知らない。

だから、少なからず新一の発言は花の女子高生に多大な影響を与えてしまうことを自覚していないのだから相当に厄介である。

 

それを真っ向から受けた若狭は桃色な思考に染まりかけるも、今の状況を思い返して自省した。

 

本題はそこじゃない。

 

確かに新一くんはここの誰よりも頼りになって、優しい……信用できる男子だ。

めぐねえのような大人がいるとはいえ、女性ばかりでは何かと不便なことが後々にあったかもしれない。

そういった点でも新一くんの存在は私たちにとっても大きい。

 

だからこそ、目立ってしまう。

 

新一くんは自分のことよりも他人を助けることに必死になっているということに。

こんな状況で、しかも新一くんの運動神経なら私たちを置いてどこにでも行けるはず。

両親のことも心配なはずなのに、私たちを優先している。

 

もしかしたら、新一くんは私たちに遠慮して無理してるんじゃないだろうか……

 

優しくて、園芸活動でも見せていた穏やかな表情がもはや遠い過去の中に置いてきたみたいに。

今では打って変わって、凄く野性味が増した……と言うべきなのだろう。

髪型も変わったからもあるのだろう、前までの雰囲気がもはや記憶の中で消えかかっているほどに。

 

(あれがワイルドっていうものなのかしら……)

 

どこか見当違いなことを考えながらも、新一のことをこれからもよく見ていこうと決心していたことを本人は知らない。

 

 

 

 

若狭と少し話した後、規則正しく積み上がった机を慎重にワイヤーで固定しているくるみの元へ机を置く。

 

「おーい。大丈夫か?」

「おう、順調順調」

 

天井スレスレのとこまで積み上がった机の上に登って作業しているくるみがおれに気付いて手を振って応える。

ペンチを駆使して机同士をガッチリ固定する。

 

 

現在、おれたちは『奴ら』へのバリケードを造っている。

先生やくるみたちの調子が戻りつつあり、活動できるまでに回復したからこそようやく実行に移せた。

バリケードともなるとおれ一人ではどうにもならず、困っていたものだったけど、今はそんな心配はない。

まずは三階のおれたちのスペースに入られないようにするためのバリケード。

そして、次は二階、そして一階と行動範囲を広げていく予定だ。

 

こういった範囲確保は彼女たちの精神的余裕にも繋がるし、何よりこの学校の物資確保のためにも欠かせない防衛手段なのは言うまでもない。

 

この学校にはソーラーパネルによる電力供給や蓄電器、雨水貯水機器と電動式のろ過機のおかげでおれたちは電気も使え、シャワーさえも使えている。

よく考えてみると、結構、贅沢な設備のおかげで事件前とあまり変わらない生活を送れている。

 

前もって言っておくけど、シャワーは男女それぞれ時間帯をずらして、遭遇しないようにしている。

間違っても、ハプニングは起こってないから。

 

 

とにかく、今はこうして生活基準の確保をメインに活動している。

これから色んな活動をする際にも基本的にこの学校が活動拠点となる。

まず、そこを充実させることに重きを置いている。

 

「机の残量どうだった? 足りてるならこっちはもうほぼ完成したけど、一気に二階もやっちまうか?」

「ん~、少し微妙だったかな。教室の破損も酷かったし、一階まで通して造るのは厳しいかな」

「そうか……まあ最悪、一階は諦める方向でいくしかないのか?」

「一階の方は出口を塞ぐだけでいいと先生が言ってたし、今はそうしておこう」

「だな。わざわざあぶねえ橋渡ることはねえ」

 

くるみと簡単に打ち合わせていると、作業を終わらせたくるみが机の上から降りてきた。

それと同時におれの後ろにいた若狭が新しい机を持ってやって来た。

くるみが作業を終わらせているのに気付いて持ってきた机を置いた。

 

「あら? もしかして机はもういらなかったかしら?」

「欲を言えば、もっと乗せたいところだけど二階とかに割り振る分を考えると、これが妥当だと思ってさ」

「そうねぇ……じゃあこれは生徒会室に持っていくけど、それならめぐねえとユキちゃんにも言った方が……」

「まあ、後にも必要になるからどうせなら持って来た時に言えばいいかな」

 

今はいない二人も、まだ机運びの最中なのだろう。

 

今まで塞ぎ込んでいた丈槍は先生に誘われる形で今回の活動に参加している。

今日になってやっと引きこもった生活を脱却したのだが、どうにもいつもの元気が未だに戻っていない。

始終、何かに怯えている素振りは、未だ心が感知していないことを示している。

 

「えっと……おれは園芸活動に行った方がいい……かな?」

 

新一がこの場から離れることを伝える。

それは自分がこの場にいると、特定の人物を怯えさせることになることを知っているから。

この場にいない人物に気を遣って外そうとすると、若狭とくるみは悲しげに俯く。

 

今の丈槍は元気も失くして毎日塞ぎ込んでいるのだが、他にも厄介な問題を抱え込んでいる。

元気が無いものの、皆には最低限の挨拶も交わし、会話を振ればそれには答えてくれる。

それぐらいはできる。

 

 

でも、新一に対してはどこかよそよそしくなっている。

 

新一とは目を背け、まるで怖がっているように新一の所から理由を付けて離れていくことが多い。

それには先生や二人も気付いてるらしく、かと言って丈槍の気持ちも分かるから何とか宥めようとしてくれている。

でも、反応はどうやらあまり芳しくないらしい。

 

分かっていたけど、やっぱり来るものがあるな、これ。

今まで、おれに懐いてきてくれていた子に避けられるのはやっぱり悲しいものがある。

本人にも悪気が無いことくらい分かっている。

 

だからこそ、何もできないのだから。

 

「しばらく一緒にいればお前のことも分かってくれるとは思うんだけどなぁ……」

「あの調子じゃあちょっと難しいわね……ただ、ユキちゃん自身は新一くんのことは分かっているけど、無意識的に怖がってしまう、て所かしらね。たまに新一くんのことを気にかけているし、完全に嫌われてるわけではないと思うけど……」

「そっか……」

 

難しい顔をする二人に新一は仕方ないと諦める。

やっぱり、丈槍の問題は時間に任せるしかないのか……

 

とりあえず、まだ初日だし、久々でおれとの接し方を忘れたっていう可能性もある。

かなり楽観的だけど、そう考えるなら今日はあまり構わないでそっとしたほうがいい。

 

「……あまりユキちゃんを責めないであげて。あの子はまだ、立ち直れてないのよ……」

「まあ、こっちでも何とか落ち着かせてみるよ。お前のことは私たちは分かってるつもりだからさ」

「……うん。ありがとうな」

 

もちろん、おれは丈槍を責めようなんて思っていない。

今まで送っていた日常が平凡で、それでいて楽しかったから、失った今が辛いんだ。

急に自分の日常が一変し、変わっていく怖さはおれにだって分かる。

この身で経験してきたおれだから痛いほどわかる。

 

丈槍の日常は、それだけ丈槍にとって輝いていたものだから。

輝いていた分だけ、辛いから。

 

 

おれには、丈槍の気持ちが痛いほど共感できるから。

 

「じゃあ、おれは先に上がって園芸活動でもするよ。今日は水やりと掃除をしておくよ」

「……えぇ、お願いね」

「あまり気にすんなよ? 何かあったら私らも協力するからよ」

「ん、ありがとう」

 

心配してくれる二人に背を向けて、おれは屋上へ向かう。

 

本当は、園芸だとかそういった当番はまだ決まっていない。

 

でも、おれに気を遣ってくれた二人はおれの行動を許してくれた。

本当に、お礼を言っても足りないとはこういうことだろう。

 

心配してくれる二人にお礼を言ってから振り向くことなく屋上へ向かう。

 

 

 

早足で屋上へと向かい、曲がり角で姿を消した新一を見て残った二人は何とも言えない気持ちでいっぱいになる。

 

「大丈夫かな」

「そうねぇ……何とも言えないってところかしら」

 

新一はいつものように笑って誤魔化すけど、その顔さえもが無表情に思えてきた。

そろそろ一週間経つが、これまで殺伐とした生活を送ってきたのだから、ある意味では当然かもしれない。

 

最近、新一は取り繕うような笑顔しか浮かべていない。

 

事件前に見せていたような自然な笑みも、今では冗談さえも言う姿を見なくなった。

代わりに、明らかに仮面のように如何なる時でも崩れないような笑みを見せるようになった。

それだけ新一も必死なのは分かっているが、そのせいでユキとの仲もあまり芳しくない。

 

でも、言えるわけが無かった。

もっと、会議の時のようにアタフタしてくれてた方が、何だか安心できる、なんて。

新一は新一なりに頑張っているからこそ、今の人格になってしまったのだ。

それにケチを付けるのは、今の状況にとって良いことではない。

 

どっちにせよ八方塞がりだ。

 

これはあくまで二人の問題とは分かっているけど、何かできないかと思案してしまう。

新一があそこまで滅私に至ったのは自分たちにも原因がある。

 

新一はこの状況を自分の力で最大限、維持していくよう決めているようだけど、くるみたちにとっては素直に容認しかねる。

本人には自覚が無いだろうが、傍から見る新一からは言いようもない苦労の影が見えている。

 

精神的な負担を見せない、そんな状態こそが問題なのだから。

 

「これから、あいつがしてくれた分を返していかないとな」

「えぇ、分かってるわ」

 

この状況が一息ついたなら、楽しいことを見つけて癒してあげよう。

 

そうしたら、前のように茶化し合う、気楽な関係に戻れるはずだから。

 

 

 

今だけは、まだ無理をしなければならない。

 

 

くるみたちと別れた新一は逃げるように屋上へと上がっていた。

前までは綺麗に掃除されていた階段も、今では所々に血が付着して気分が滅入る。

しかし、今の新一の心境はその程度では変わらない。

 

扉を開けて青い空の下に出た。

だれもいないことを確認した後、新一はその場で頭を抱えて項垂れた。

 

「あぁ~、もう何やってんだよ、おれは……」

 

普段は、彼女たちを不安にさせないように平静を保っているつもりだけど、こういう誰もいないときには素に戻る。

 

新一とて、こんな状況には慣れているとはいえ、一介の男子高生でしかない。

教師、友達の四人の命を預かっている……と思っている現状では彼への負担は計り知れない。

それでも平静でいられるのは、生物としての強さゆえなのだろう。

 

時間が経てば、どんなストレスも元から存在していなかったように霧散して、気付けば消えている。

自覚が無いくらいに、自然に。

 

こればかりは自分でもどうにもならないし、今はその力に頼るほかない。

ミギーと手に入れた力はこういう時にこそ使っていきたいと思っていた。

 

でも、その代わりに彼女たちとの価値観の差を広げさせ、その間の溝を広げていた。

 

『奴ら』を使って実験していたという話も、今考えてみれば皆が引くのは当然だ。

生前はおれたちと同じ人間だった人を実験として、痛めつけているのだから。

 

それに気づかず、そのことを当たり前に話したおれは結構、深い所まで落ちているらしい。

最近までは戦いも終わって、そんな兆候も収まっていたのに今になってぶり返していた。

 

(でも、バリケードさえ完成すれば丈槍と話す時間も作れるはず……その時までは我慢しよう!)

 

今が順調にしろ、まだまだ気は抜けない。

どんなに気を遣っていても、死んでしまったら元も子もないのだ。

 

 

植物に水を上げながら、新一はこれからの進捗をひそかに思案していた。

 

まだまだ丈槍が安心できるように安全ラインを拡大、確保しなければならないのだ。

 

 

その足掛かりとして思いつくのが―――物資問題

 

(ここの設備は大体、屋外のソーラーパネルの電力で賄われているけど雨が降ったら致命的なんだよな。キッチンもシャワーも使えなくなるから、缶詰とか乾いた物も必要なんだよな……)

 

皆と和解した後、偶に学活と称して各々が気付いたことを報告し合う機会を設けている。

この時、新一は初めてこの高校のメカニズムを理解できたのだから、学活ほど有意義なことは無い。

学校から出るのもそれが発端である。

 

(ここの購買でほとんどの物資は賄えるけど、やっぱり長期期間は難しいし……やっぱり一度、学校の外に出ることも考えないとなぁ……)

 

皆を置いて自分だけ自宅に帰るということはしないが、やはり外に出られるのなら、自分たちの生活も劇的に変えられるという確信はある。

確かに、この高校はパンフレットの言う通り、もはや一つの街だといっても過言ではないが、それでも本物の街には到底及ばない。

 

外も同様に地獄なのかもしれないが、得られる物もきっとあるはずだ。

 

 

その分、危険が大きいことも承知の上。

学校から出て物資を調達するにも自分一人の方がまだ気持ち的にも安心できるのだが、そんなことを先生たちが許すわけがない。

きっと自分のことを心配して付いて来ようとするだろう。

 

気にし過ぎだとは思うけど、そう思うとなんだか嬉しくさえ思う。

 

(本当に、一人じゃなくてよかった)

 

もし、自分一人だけだったらと思うとゾっとする。

そうなっていたら、きっと自分は狂っていたかもしれない。

 

でも、自分は一人じゃない。

学活の時もそうだけど、自分一人の力などたかが知れている。

人間が他の人間と助け合うことでしか生きていけないということを改めて認識した。

 

 

そんな人間に少しの情けなさを感じ、同時に尊く思える。

 

(だからこそ油断はできない。街には学校とは比べ物にならない量の奴らが潜んでいるはず……そうなるとやっぱり武器が必要か。何とかすればおれは素手でもいけるけど、皆には必要だし、おれがいないときに襲撃されたら最悪だ)

 

頭の中で最悪な未来を思い浮かべ、それを頭から振り払う。

いや、思い出したというべきか。

 

自分が傍にいながら護れなかった人たちの顔が頭の中を過ったからこそ、今回は冷静に、徹底して安全策を講じなければならない。

 

(まずは、学校中から武器になりそうなものをかき集めよう。陸上部の使う砲丸もあるし柔道部のバーベルもある……みんなの意見も聞いてから集めていこう。明日も忙しくなるな)

 

もうこれ以上の悲劇は繰り返させない。

 

新一はパラサイトとの戦いを通した反省を最大限に活用させ、これからの予定を練り続けた。

 

 

―――今にも降り出しそうな曇天の下で。

 

 

 

 

 

「――――――」

 

 

新一が新たな指針を決めている中、高校から離れたショッピングモールの中もまた地獄だった。

 

モール内を魑魅魍魎が跋扈する地獄と化している。

華やかに新商品を魅せるショッピングウィンドウも今では無残に割られ、血糊がこびりついている。

 

無残な爪痕と『奴ら』と相まって昼間だというのに電気が停まって暗くなっているショッピングモールにかつての華やかさはない。

あるのは、瘴気と血の匂いだけ。

 

「―――」

 

その中を静かに、それでいて迅速に奔走している影があった。

 

 

祠堂圭

 

地獄の中で生き残り、終わりのない絶望を打開しようと親友の袂を分かった少女である。

 

 

 

自分たちは運が良かった。

事件が起こった直後、パニックに陥った私と美紀はただがむしゃらに走って、目に移った場所に駆け込んで逃げこんだだけだ。

それ以外、何をやったとか具体的に思い出そうとしても全く浮かんでこない。

 

覚えているのは、隠れた先でショッピング中に響く鳴き声や悲鳴を耳に入れまいと必死に耳を塞いで縮こまった震えていた記憶くらいだ。

周りの人たちが倒れていくのを震えて見ていることしかできなかった。

 

結局、自分のことで精一杯のちっぽけな存在だと自覚させられただけだ。

今まで生き残ってこれたのも、一重に運が良かったとしか言いようがない。

 

 

 

 

 

運良く難を逃れた私たち、と途中で出会った太郎丸という犬と一緒に職員用の部屋の一角に逃げ込んで籠城生活を送っていた。

幸いにも逃げ込んだ部屋には飲み水や食料、ドッグフードまでもが多く保存されていたため、そういった基本的生活には困らなかった。

 

美紀と二人で助けを待って、待って、待ち続けた。

 

晴れやかな日も

 

 

雨が降った日も

 

 

CDプレイヤーのラジオが機能しない日も

 

 

携帯の電池が尽きた日も

 

 

『奴ら』が唐突に襲ってくる日も

 

 

 

シャワーも浴びれず、身体の匂いが気になってきた日も

 

 

私たち以外の生き残った人を見ることなく、落胆した日も

 

 

 

私たちは待ち続けた。

 

待っていれば、きっと助けが来ると信じて待ち続けた。

 

 

でも、誰一人として助けに来る人はおろか、私たち以外の人を見ることは叶わなかった。

二人と一匹だけの夜を何度過ごしてきたのだろう。

 

寝る時、窓から見える月があまりにいつもと変わらないからふと思ってしまう。

もしかしたら、今までが夢で、外は何も変わっていないんじゃないかと。

そんな夢も、眠ってはすぐに醒める。

 

その度に心は謎の静けさと虚しさが、私の心に染み入って取れなくなる。

心に溜まっていく物が膿のごとく心までも蝕み、やがて耐えきれなくなった。

 

 

―――ここを出よう。

 

 

そのことを提案した時、美紀はひどく取り乱して私を引き留めようとした。

美紀は取り乱して私を引き留めた。

外に出る恐ろしさもあっただろうけど、恐らく美紀の行動は間違っていなかった。

 

偶に『奴ら』が襲ってくるとはいえ、二人で入り口を押さえれば追い払うこともできたし、何より水道も食料もあった。

美紀は最善策として『助けを待つ』ための籠城を選んだのだとすれば、美紀の行動もこの状況においては最善だったのだろう。

 

だけど、私の考えはどうやら美紀とは違っていたらしく、事態も好転しないような籠城生活に嫌気が差してしまった。

だから、私は美紀とは正反対の考え方で『助けを呼ぶ』ことを選んだ。

 

私は常日頃からやりたいことは勢いに任せてやり、美紀はやりたいことでも慎重に事前準備してからやる、という点でもお互いに思う所もあった。

こういった分かれ目に遭ったのもこういった性格も原因の一つなんだろう。

 

そして私は美紀にCDプレイヤーを託して外に出た。

 

友達の手を振り払い、『死』が蔓延る外の世界へ。

 

 

 

 

そして、私はモールで『奴ら』に追い回され、足を負傷した。

 

 

最初はその数にひるみながらも、足が遅かったから全力で走って『奴ら』を振り切ろうとした。

普段から使わないような生き延びるための策を一つか二つ実践してもその全てがままならず、頭で決めた逃げ方も、生き残り方も全てが現実と恐怖で思うように動かない自分自身によって摘まれていった。

 

 

 

 

そこからは、言うまでもなくジリ貧だった。

 

 

事件当日のように逃げ回って、隠れては見つかって……気付けば私の周りには『奴ら』が囲っていた。

ただ、モールから出るだけで既に絶体絶命だった。

命からがら外に出た圭の目に映ったのは開けた世界―――とは程遠い地獄だった。

 

どこに視線を向けても目に映る『奴ら』の大群

血がこびり付いて大破した車

全ての建物のガラスは割れ、惨状の生々しさを物語っている。

 

「―――」

 

人っ子一人いない、まさに地獄。

 

想定した時よりも多くの『奴ら』が一人、また一人と増えていくのを見て、胸の中の何かがストンと落ちた気がした。

 

自分は間違っていたと確信した瞬間だった。

 

 

あの時、美紀の制止を振り切って行動したのがそもそもの間違い、今まで普通の女子高生として生きてきた自分が生き死にを賭けたサバイバルに一人で挑もうという時点で既に破綻しているのだ。

 

私は特別な力を持った人でもなければ漫画の中のヒーローでもない。

自分一人がこの状況を打破できる訳が無かったと気付く頃には既に遅すぎた。

 

そもそも、自分の欲求のために今までの形を放棄したのは私だ。

多少の我慢強さがあれば今の生活体系で生きていくことができたかもしれない。

そうでなくても、こんな状況下でも美紀と一緒に助け合って行けてたかもしれない。

 

 

 

 

「は……はは……」

 

やっとの思いでデパートから出たと思ったら、足を挫いて『奴ら』を振り切った時のように走ることができない。

でなくても、外にいた『奴ら』の数はショッピングモール内にいた数など比べようがないくらいに密集していた。

 

 

 

『生きたい』の一心でモール近くのフェンスにぶつかってひしゃげた軽トラの上へほぼ腕力の力だけでよじ登ってひと時の悪あがきを続けている。

生存本能なのか、普段からあまり運動神経に自信が無い私は自分でも驚くほど俊敏に車によじ登ったと思う。

本当に、最期のひと時だけだけど。

 

奴らが密集しすぎて大きく揺れ、気を抜いたら奴らの大群の中へ落ちてしまうくらいに不安定なボンネット上で笑った。

 

いや、嘲った。

 

 

自分の無謀さを

 

 

自分の認識の甘さを

 

 

 

自分の運命を

 

 

私は間違った。

理性的に考え、美紀と一緒に可能な限り籠城していたらもっと結果だって違っていたかもしれない。

少なくとも、モールから一歩出た程度の場所で追い詰められたりはしなかったのだろう。

 

 

そして、美紀が正しかった。

多分、こうなることが感覚で分かってたかもしれない。

思えば、頭のいい美紀が間違ったことなんてあまり無かった。

 

 

 

美紀は『待つ』ことを。

 

私は『行く』ことを。

 

 

こんな状況でどっちが正しいかなんて分からない。

もしかしたら、どっちも不正解かもしれないし、正解だと言えるかもしれない。

 

 

ただ、今回は運が悪かった。

それだけのことだった。

 

「いや~……あんな偉そうに言った後でこれだもんね~。もう笑うしかないよね……」

 

自分に向けているのだろう自嘲しながら責める。

 

知能がない『奴ら』でもがむしゃらに圭を目指すために、腕を振るったり伸ばしたりしてきた奴らの一部が遂に軽トラの荷台に転がり込んできた。

がむしゃらに動かしていた腕がうまい具合に引っ掛けてよじ登ってきたのだ。

 

そして、怪我して畳めなかった足もいずれ掴まれ、引きずり込まれることだろう。

容易に奴らに食われる未来が脳裏に浮かんだ。

 

そして、ここを出る前に美紀に放った一言を思い出した。

 

 

 

 

―――生きていれば、それでいいの?

 

 

 

 

「ぁ……」

 

その言葉をフラッシュバックした瞬間、迂闊で愚かな自分を嘲る気持ちが霧散し、代わりに笑顔のまま光を失くした瞳から涙を流した。

それは、頑なに外に出ようとせず不動の生を過ごそうとした友人に言った皮肉めいた言葉。

そして、それは自分自身に言った言葉でもあった。

 

 

―――出口のない絶望の中で生きて、それで生きていると言えるの?

怖いのは嫌だ、光が見たい、生きている喜びを分かち合いたい、だからどうか、誰か、私たちを助けて……

 

 

あの時、美紀に言うと同時にこの胸に抱いていた気持ちだった。

美紀と言う存在がいながら、私は美紀を信用しきれずに彼女と袂を分かって安全圏を出た。

最後の時、美紀には助けを呼ぶんだっていったけど、それはもっと醜い自分勝手な欲望の隠れ蓑でしかない。

 

私は終わらない地獄の中から逃げようとして、美紀を置いてきた。

美紀を助ける、とかそんな立派な理由じゃない……怖くなって逃げだしたんだ。

誰かに助けを乞おうと、美紀を地獄に売り渡したのだ。

 

「あぁ、そうかぁ……そうだったんだ……」

 

全てを理解した時、圭の中から恐怖が消えた。

そして、『生きたい』という気持ちも消えた。

 

あるのは、怪我した足を『奴ら』に握られた痛みだった。

 

 

鈍い動きからは想像できないほど強い力で足を引っ張られ、ボンネットから荷台に落とされた鈍痛が身体を奔る。

 

頭から赤い、温かい血が流れても圭は微動だにしない。

 

全体重を乗せた『奴ら』の拘束で両肩が潰れてしまうほどの痛みを感じても、それらが全て自分の『救い』のように思えた。

 

「これは、罰だ……親友を裏切った、私への……」

 

 

身体中を奔る痛み全てが自分の罪。

これも、自分が負うべき業だとさえ思う。

 

黒ずんだ歯が自分に突き立てられ、酷いにおいを放つ唾液をかけられても、もう何も思うまい。

 

 

罪には罰を

 

 

自分に言い聞かせるように、圭は目の前に向かってくる“死”を迎え入れる。

まるで、母親のような慈愛に満ちた笑顔を以て“死”を抱き込むように両手を開いて―――

 

 

 

 

 

「生きることはっ! 罪でも罰でもないっ!!!!」

 

 

「……ぇ?」

 

空耳や幻聴と言うには、あまりに力強い声が鼓膜を―――

 

心を震わせた。

 

 

 

朦朧とする意識の中で、自分に跨っていた『奴』の首が突然消えた。

そして、首を失った身体を押し退けて視界に入ってきたのは、どこにでもいるような男の人だった。

 

顔からして中肉中背の、どこにでもいるような人だが、『奴ら』と違って顔色も悪くなければ、力強さを感じさせる強い瞳をしている。

 

突然現れた人が、大量の『奴ら』に囲まれていた軽トラの荷台に乗り込んだことなどどうでもよく思えるほどに眩しく見えた。

 

意識が朦朧とし、身体もグッタリとし始めても意識が目の前の男の人から離れない。

 

 

「こ……これ……は?」

 

かろうじて、聞くと、沈みかかっている意識にも届くようなしっかりした声で言った。

 

 

「僕は……君を助けに来た」

 

目に再び光が宿る。

 

意識が既に正常じゃないくらい理解している。

今、こうして見ている人も、聞いた言葉もただの幻覚とも幻聴ともいうものかもしれない。

 

死に直面した自分が見ている都合のいい夢、もしくはあの世からの甘い誘惑なのかもしれない。

 

 

 

でも、それでも、疑うよりも、諦めるよりも先に再び思い出した。

 

 

―――生きていれば、それでいいの?

 

 

心を締め付ける、無慈悲な問い

 

明確な答えが無いと知っていても、投げかけた難問。

親友も答えられず、自分でさえも分からなかったこの答えが胸の中でつっかえていた。

 

 

―――助けに来た

 

 

この一言を聞くまでは。

 

「あ……わた……」

 

どこの誰かも分からない人というのは分かっている。

こんな状況で、気が狂った人かもしれない。

 

「わた……し……」

「もういいんだ……これ以上は喋らないで……」

 

 

でも、そんな懸念をふっ飛ばすような一言に圭の心で燻っていた残酷な問いが、スっと自分の中に溶けていった。

 

 

「とも、だちが……モールの中……に」

「と、友達……君のかい!?」

 

喋ることが億劫になってくる。

それでも、言い切るまでは、伝えるまでは絶対に眠らない。

 

安心しない。

 

 

安心するのは、せめてもの自分の罪滅ぼしを終えてからだ。

 

「に、かい……ざっかや……しょ、くいん……へやに……」

「二階の……雑貨屋の職員部屋にいるって、そういうことかい!?」

 

自分の意図がしっかりと伝わったことを、確認した圭から涙が零れる。

 

首を僅かに動かして頷いた時、自分の身体が軽くなった気がした。

 

 

これが運命かどうかなんて分からない。

 

自分は、親友を売った酷い女なのかもしれない。

 

 

 

それでも、自分を誤魔化す偽りだったのかもしれない。

友人を置いて、一人で逃げだすための言い訳だったかもしれない。

 

 

 

だから、もし、もしも助かるのならば……それが蜘蛛の糸くらいに弱くて心もとない可能性だろうと掴みたい。

 

 

 

生きて、親友と再会して、心の底から謝りたいと願って。

 

 

「たの―――だよ。ジョー」

 

 

切なる思いを胸に圭の意識は闇の中に溶けていった。




宇田さん、普通に懺悔を聞いて、叫んじゃった系イケメンです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雨のち、血の雨~前編~

長らく待たせてすみませんでした!
というのも、今はまだまだ忙しく、その合間に書いたので中途半端且つ、かなり文章も甘いのですが今の私にはこれが限界です。

次の更新にはまた数か月後になってしまうのは確実なので、それまではまた気軽に待ってくれれば幸いです。


「今日はちょっと外に出ようと思うんだけど、どうかな?」

 

少し下り坂な天気の日、いつものように新一が丈槍を除いた面々と朝食を食べていた最中の新一の提案に生徒会室の誰もが時間が停まったかのように動きを止めた。

新一を凝視して何を言っているのか理解していないかのように呆然とした後、先に応じたのはくるみだった。

 

「え、あ……えっと……どうしたんだよ急に。まだまだ外は危険だって言ったのはお前じゃないか」

 

あまり感情に出さないようにと努めているが、明らかに動揺し、不安な気持ちが表れている。

 

これはくるみに限らずめぐねえも、りーさんも思っていることだが新一が遂にこの生活に嫌気が差してしまったんじゃないかと不安になった。

今まで頼ってばかりだったのが、ここに来て表に出てしまったのか。

 

そんな不安が皆の中に渦巻く中、そんな空気を何となく察知した新一が慌てて否定する。

 

「あ、これは前々から考えてたことだから別に深い意味はないんだ。ただ、学校内の準備だけじゃ不安でさ」

 

少し上ずって説得力が無かったものの、新一の一言に完全とは言わないが納得してくれた。

若干の不安を残しているように苦い顔をしているが。

 

「不安……というと食料とか?」

「他にも停電になった時の対策とか、服とか生活雑貨もそうだけど……それに……」

 

ここから先の言葉を出そうにも上手く出てこない。

尻すぼみになって皆から訝し気に見られようとも、気軽に話せるような内容ではなかった。

この提案は、今の状況では確かに必要なことで、仕方ないの一言で片づけられるようなことだともわかっている。

 

しかし、その提案は皆の倫理観を害し、下手をすれば皆の溢れんばかりの優しさを壊すことになってしまう。

 

それでも、皆の安全の可能性を上げるためなら言わなければならない。

新一は自らの揺れる心を鬼にして、皆に告げる。

 

「……皆でも扱えるような武器もやっぱり必要だからさ」

 

その一言に皆の表情が沈んだ。

予想通りだったとはいえ、罪悪感が湧いた。

 

でも、これもまた必要なことだから納得してもらう他ない。

 

「武器……かぁ。やっぱり必要だよなぁ」

「そうね。新一くん一人に任せるのも酷な話だわ」

 

くるみと若狭はどうやら覚悟はしているようだった。

おれの意見に異を唱えない辺り、先生も同じ考えなんだろう。

 

よく考えれば、今までにそういう備えをしていなかったことがそもそも迂闊だった。

 

でも、この話は三人、特に丈槍にとっては物凄くつらい決断だ。

 

『奴ら』はもともとは人間だったのだ。

中にはおれとも面識があった顔もあったし、中には事件直前まで馬鹿な話をして盛り上がった奴の顔もあった。

 

おれはまだいい。

もう割り切れているから耐えられる。

 

でも、彼女たちは違う。

今でもどこか夢見心地さが残る彼女たちに、『奴ら』を倒す……いや、殺すことができるだろうか。

 

中には部活仲間もいるだろう。

 

同じクラスの友達だっているだろう。

 

 

中身が変わっていても、顔や体の特徴……外面だけを見ると思ってしまうのだ。

 

―――何で、大事な人に刃を振りぬこうとしているのか……と。

 

これは、母さんの件で既に経験済みだ。

最後の止めを刺す直前、母さんの手の火傷を見て手を止めたのも無意識的な希望を見ようとしたからだったと思う。

 

そして、そんな気持ちの後に思うのは『恐怖』

これは『A』との戦いの後に基づいた経験則だ。

 

思えば、あれが初めて、おれが手を汚した瞬間だったとも取れる。

パラサイトだったとはいえ、身体はそのまま人間……元の宿主の体を鉄棒で刺したのだ。

あの時の感覚は生涯忘れられないし、忘れてはならない。

 

 

人を貫く感触を手に伝わってきた時のことを

あの、肉や脂肪を裂いて内臓を貫いた時の感覚を

 

『生命』を終わらせた時の感覚はいつまでも色褪せない。

 

相手が化物だと知っていても、おれの気持ちが沈んだ日々は辛かった。

どんな命であれ、決して軽い物じゃないと今更ながらに思う。

 

そんな苦悩をおれは彼女たちに押し付けようとしている。

それが必要だと分かっていても、血も肉を裂く感触も知らない子たちに“殺す”ことをさせようとしている。

 

「本当はおれだけで何とかできればいいんだけど、こればかりは流石に一人でどうこうできる問題じゃないし、おれがいつも皆の傍にいてやれる保証もない……おれがいない間にこの中の誰かがやられたらと思うと、すごく怖い」

 

真剣味を帯びた新一の言葉に誰もが息を呑む。

言葉では説明できないような迫力を感じた。

気を抜けば引き込まれてしまうような瞳に唖然とすると同時に新一の本心が遺憾なく伝わってくる。

 

普通に聞いていたら圧倒されるような迫力も、新一の境遇や過去を聞いた後なら十分に受け入れられる。

くるみたちは呆れでも疲れでもない溜息を漏らす。

 

「少しは自分のことを気にしろっつーの……武器のことなんだけど、実はもう目処は立ってるんだ」

「あ、そうなんだ」

 

くるみは聞こえないようにボソっと言ったつもりだけど、新一の耳にはしっかりと届いている。

新一の聴力の良さを失念したのだが、本人はそれに気づいていない。

 

そして、新一はその呟きに少しやり過ぎたか、と思ってそれ以上の追求はしない。

 

もっとも、くるみは新一のどこか辛そうな表情に思うところがあり、仲間想いはありがたいけどそれで自分の事を蔑ろにしてしまわないか、といった不安を思わず口に出してしまっただけだ。

無論、くるみの最初の言葉は新一以外のこの場の全員の総意であることは言うまでもない。

 

「新一くんはパラサイトと戦ったことあるって言ってたけど、なにか武器とかは使ってた?」

 

りーさんの質問にめぐねえも同意して頷く。

くるみも、かつては普通の高校生だった新一が如何にパラサイトの魔の手から生き延び、撃退したか聞きたがっているように催促してきた。

 

既にパラサイトの事細かな説明は受けていた。

 

頭部を変形させて刃にしたり、人間並みか若しくはそれ以上の知能を有し、人体の潜在能力を引き出したり仲間同士で電波のようなもので居場所を察知するなど。

 

聞けば聞くほど、下でうろつく『奴ら』よりも厄介な存在であり、そんなのを相手に生き延びた新一の規格外さもより際立った。

だから、彼女たちからしたら新一のアドバイスというのは非常に興味深い物だ。

 

「武器か。大抵はミギ……友達と協力してその都度の状況によって戦ってたから慣れ親しんだような武器ってのは無いかな」

「その友達も大概だな……ちなみにどうやって倒したりしてた?」

 

その問いに言葉が詰まる。

 

これは答えによってはミギーの存在に行き着いてしまう可能性も無くはない。

ミギーのように考えて発言できるならまだしも、こういった頭脳労働に少々疎い新一にとって巧みに嘘と真実を織り交ぜた話をするのは荷が重い。

 

そう思いながら自分の中で話してもいいと思った例を思案するが、全く浮かばない。

とりあえず誤魔化すことにした。

 

「例えばだけど、バリケードを作ったり刃物で斬ったり友達と助け合った、ってだけで……要は我武者羅に生き延びたってだけだから慣れ親しんだ武器ってのは無いんだよ」

「そうかぁ。まあでもお前よく考えれば器用だしな」

 

多分、それは右手の効果というのもある。

 

でも確かにくるみの言う通り、自分の汎用性が高くなっているのは確かだ。

考える限り、血の滲むような努力はおろか練習すらしていないのに野球の投手とかバスケとか……明らかに右手の性能が格段に上がっている。

 

細かい作業から力仕事に至るまで今までできなかったことができるようになっている……こうして考えてみると、確実にミギーの影響が響いてるんだよな。

 

そう考えると、連鎖的に『あること』を思い出した。

 

それは、おれが夢の中でミギーから一方的に別れを告げられた時のことだ。

今までミギーの力があったからパラサイトとの戦いも生き抜いてこれたけど、ミギーが眠ってしまったら奴らに対抗できる手段が無くなってしまう。

もし、またおれが襲われたときのことをミギーが想定していない訳が無い。

 

その確信はあいつの言葉の中にあった。

 

『君なら大丈夫だろう』

 

最終的に大分変わって凄く人間臭くなったところはあったけど、基本的にあいつは確かなことしか言わない。

おれがパラサイトに襲われた時のことを想定して、ミギーはおれに『何か』を遺して旅立った。

でなければ不確実な慰めを言うはずがない。

 

どうやら、また確かめなくちゃいけないことができたかも。

 

「とりあえず、今日は体育館とか陸上部の部室……武器にできそうな物を持ってこようと思うけど、どうかな?」

「いいと思うわ。情けない話だけど、校舎を含めて今の学校を移動できるのは新一くんだけだもの」

 

若狭は申し訳なさそうにしながら、おれの意見に賛成してくれた。

他の二人も見ると、反対はしない限り異存はなさそうだ。

ただ、先生は責任からか表情に影を差して申し訳なさそうに謝ってくる。

 

「本当、こういう危険なことは私がやらなくちゃいけないのに……ごめんなさい」

「あ、謝らないでください。この中でおれがこういうのに向いてるからやるんです。だから気にしないでください」

 

そういう事情はめぐねえも理解できているからこそ、それを歯痒く思う。

自分ではなく、年下であり、何より護るべき生徒である新一の方がこういった荒事に向いてるのに、自分は大したことなんてできていない。

護るべき生徒に護られていると思うと無性に情けなくなって、気を遣われると更に自分がみじめに思えてくる。

 

そうとは知らず、既に今日の予定について話し合っている三人の生徒を見てため息を漏らす。

 

(私、いらないんじゃないかな……)

 

あまりに逞しすぎる生徒たちを再び見て、二度目のため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

あらかたの話し合いが終わり、本日のやることが決まった。

 

まず、おれはというとこれからのことを考えて武器を調達することにした。

おれ達の学校周辺はもちろん、街全体が既に大災害に見舞われていることはもう確定している。

 

また、この学校に留まり続けるというのも流石に無理があるかもしれない。

幾ら設備が整っているとはいえ、こんな状況下では何が起こるか分からないのだ。

もしかしたら、学校をやむを得なく放棄することも視野に入れなくてはならない時が来るかもしれない。

 

その時のための武器調達だ。

 

そんな最悪の事態に備え、せめて自分の身を護れるような武器を皆に持たせることが今回の目的だ。

 

 

もちろん、それはあくまで『考えられる限りの最悪の展開』だ。

 

今は、自衛隊か誰かがおれたちを保護しに来てくれることを信じて籠城するというのがおれ達の現在の大前提である。

 

 

さて、話は少し逸れたけど、今、おれは学校敷地内の色んな場所に奔走している。

 

というのも考えられる武器の目処というのも大体が運動部由来の物しか思いつかなかった。

 

定番なのがバットとかグランド整備に使うような鉈辺りを集めたかったというのもある。

それに、今のおれなら結構な剛腕だからバットよりももっと破壊力のある物も振るえる気がする。

それに限らず、島田の時のように石然り、砲丸を投げたりすることもできるんじゃないか……と思って皆がいない場所にまで来たという訳だ。

 

未だ自分でも分からない力を秘めた右手の実験なんて危ないこと、皆の近くでやるわけにもいかないしね。

 

そういう訳でおれは現在、元は柔道部の使っていた施設に来ている。

 

学校からここに来るまで鈍い『奴ら』を振り切ってくるのはあまり難しいことじゃなかった。

柔道場に足を踏み入れて―――、一瞬の黙祷を彼らに捧げた。

 

他の『奴ら』とは違って体格が大きく、柔道着を来た彼らだった者たちに一瞬とはいえ目を逸らした。

分かってはいたけど、やっぱりこういうのを見るのは辛いな……

 

乾いて赤黒くなった畳にぶら下がった肉を引きずりながらおれの元へ向かってくる『奴ら』に対し、おれはすぐ近くに置いてあるバーベルを手に取って持ち上げた。

幸いにも重りはついていなかったから、思ってたよりも軽く感じられ、それどころか適度な重さだったからすぐに馴染んだ。

 

「―――ごめんな」

 

短い懺悔と共に、軽く振っただけで尋常じゃない風切り音のする鉄棒を右手で振り回して、無防備に晒された『奴ら』の脳天へ叩き込んだ。

 

 

 

 

 

血の付いた鉄棒を近くのタオルで拭いて、柔道場の隅に並んだ頭のない死体に手を合わせて瞑目する。

しばらくの間、彼らの死を悼んだ後、言葉にし得ない気持ちを即座に切り替えて本題に入る。

 

今回、広い場所ならどこでもよかったのだが、今回は武器となりそうな設備が揃っていることで柔道場を選んだというだけだ。

目的の物は、既に手に取ったバーベルそのものだった。

 

(最初は、右手の腕力がどれくらいか知っておいた方がいいな)

 

前々から気になっていた右手の力を大まかに数値化して見るということで柔道部のバーベルを思いついたのだ。

死体を並べるために立てかけて置いたバーベルの棒を再び右手に取る。

 

別段、重いとは感じない。

次に左手に持ち替えると。

 

「おっとっと……」

 

右手で持った時よりもズッシリと重みがかかったように感じた。

あくまで左手で持っただけでバランスを崩したのだが、あまり苦にしていないのか崩れかかった態勢を即座に持ち直した。

 

(やっぱり右手の方が強いな。確かバーベルの重さって5か8キロくらいだったっけ?)

 

普通なら片手で持とうものなら相当に負担がかかるような重量であるにも関わらず、新一はそれを棒きれのように振り回せている限り、腕力の高さが窺い知れない。

少なくとも、普通ではないとだけ言える。

 

バーベルの鉄棒を軽々と振り回す離れ業を披露した新一だが、この結果は予想できてたであろうか普通に納得していた。

むしろ、本人からしたらこうでないと困るといった表情だった。

 

(こんなもんだろ。重りも乗せて……と)

 

ただの棒だけで軽々と扱えるのだからこれくらいは、そんな気持ちで60キロを片側だけにつけて持ち上げると、少し重みは感じるけれど持てないことは無い。

むしろ、丁度いい感じに安定しているとさえ思えるほどだ。

 

(これくらいはいけちゃうか)

 

引き攣った笑みを浮かべながら、我ながら自分の筋力……ミギーの実力に冷や汗をかいた。

今は眠っているとはいえ、常識はずれの腕力は未だ健在だ。

でも、今となっては皆を護る分には心強い力だ。

 

(とりあえず武器はこれくらいにして、問題は―――)

 

とりあえずの武器を揃え、まだ考えられる限りの策を講じようと再び考えを巡らせようとした時だった。

遠くでガラスの割れる音が聞こえた。

 

「ん?」

 

ここじゃない、別の場所でガラスが割れた音に気が付いて疑問の声を上げた。

普通なら『奴ら』がまたガラスを割ったんだろうと無視する所だった。

 

でも、新一の心はその僅かな音で大きな波紋を起こしていた。

鋭くなった野生の勘が些細な問題に警鐘を鳴らしているのを感じる。

妙な胸騒ぎと額から流れる汗を振り払うように目を閉じて耳を澄ませる。

 

 

雨が降っている

 

 

グランドの足音がいつもより多い

 

 

それも決まった方向に、まるで集まるかのように

 

 

割れたガラスを踏んで集まっている場所は―――そこまで感知して表情が歪に変貌した。

 

「っざけんな!!」

 

今、学校で何が起こりつつあるかを悟った新一は幾ばくかの怒り、そして多くの焦燥に身を委ねて柔道場から弾かれるように飛び出た。

一緒に持ってきた巨大なバーベルの棒を振り回して道を塞ぐ『奴ら』を一蹴する。

武器を振るう度に付着する血やむせかえるような腐臭、肉を潰す感触も今ではどうでもいいとさえ思える。

普段なら躊躇われるような殺戮も、今現在、仲間に迫っている危機を考えればほんの些細な物だ。

 

(なぜ、こんな時に……っ!)

 

こんなことが起こる兆候に気付くことができなかった。

今はそんな自分の迂闊さへの怒りに身を委ね、それを『奴ら』の蹂躙へ昇華させる。

 

(くそ、くそっ、くそぉっ!!)

 

心が怒りに塗りつぶされながらも、心の奥では恩師と出会ってから間もない大事な仲間たちの姿―――そして、失った二人の姿が浮かんでくる。

 

「どけえええぇぇぇぇぇぇ!!」

 

嫌な予感を武器を振るって『奴ら』を潰し、その屍を飛び越えて学校へ向かう。

新一が感じ取った通り……今まで見てきた中で屈指ともいえるほどに膨れ上がった『奴ら』の大群がバリケードを侵入していく学校の元に。

 

今まさに起ころうとする惨劇を前に、新一は人の心を捨て、障害を排除する殺戮兵器となったことで気付いていない。

 

 

「   」

 

 

バーベルを振るう右手が青い筋を浮かべて少しずつ膨張していることに

 

そして、異様な姿へ変貌しつつある右腕にできた、小さな小さな“眼”から向けられる視線に

 

新一は気付かない。




今回は新一の右手に隠された能力について少し触れ、それを実験していた最中に「めぐねえ事件」がやってきてしまいました。
そして、最後にチョロっと触れたのが今作でのオリジナル設定です。
ヒントはミギーの最後の言葉にある「同時に複数のことを思考できるようになった」というものです。

色々不安ですが、このまま考え得る限り書いていこうと思っています。

それでは、本当に目が回るほど忙しいためここで終わりますが、また次回は数か月後になることは覚えておいていただきたく思います。

それでは、また次回にお会いしましょう!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雨のち、血の雨~後編~

それはバリケードを造っている時に起こった。

 

朝一番の議題として前々から提案していたバリケードの強化にようやく取り掛かれるようになった。それも、今までのような補強とは事情も違う。

今までは生徒会室を始めとした居住空間までの侵入を阻む目的がほとんどだった。

 

しかし今日行うのは一階の、それも出入り口である正面玄関の封鎖、及びバリケード補強に取り掛かれる。

一番ひどかった一階に行けるようになったのも、身や精神を削って戦ってくれた新一のおかげだと本人にはまだ言ってないものの、心の中で確かに思っていた。

今、一番の功績を上げている新一は武器調達に出かけている。

休むことなく、真剣に自分たちのことを考えているのは素直に嬉しいとは思うが、どうしても新一は働き過ぎだと思わざる得ない。

正面玄関の補強が終わったら新一を休ませよう、皆はそう思いながら残っている机をせっせと運んでいた。

 

 

笑い合いながら語っていたそんな話も、大量発生した『奴ら』と相対することで儚くも崩れ去った。

 

 

 

事が起こった直後のことはあまり覚えていない。

ただ、皆で息が切れるまで逃げては道を塞がれ、引き返し……ただただ必死に逃げてたことだけは頭の片隅に残っている。

幸いにもこの場において欠けている者はいない。

 

「皆さん、大丈夫?」

「はい……何とか、平気、です……」

「つ、疲れたよぉ……」

 

皆、ここにいることは分かるけど怪我をしていないか不安になった。

もし、怪我をしていたら逃げ遅れてしまう可能性が高くなる。

もちろん、この中の誰も見捨てたりなんかしない。怪我をしていたら手当して、肩を貸して一緒に逃げ切るだけ。

私が生徒を見捨てるなんてあってはならない。

 

ユキちゃんと悠里さんは疲れてはいるものの、怪我をした様子もなさそうで安心した。

でも、くるみさんだけが何も言わない。

 

「くるみさん?」

「くるみ? どうかしたの?」

 

何も言わないくるみさんに私たちは心配してしまう。

でも、何となく理由は分かる。

 

くるみさんが震える手で握る。血糊の付いたシャベルを。

 

 

『奴ら』が雪崩れ込んで、一階が瞬く間に制圧されて、何もせず逃げ切るなんてことはできるはずが無かった。

今朝、新一くんの武器の話と今後の心構えを聞いた時からくるみさんは園芸部のシャベルを常備していた。

くるみさんがアテにしていた武器としてシャベルを身に着けていたのが功を奏した。

 

そして、シャベルだけでなくくるみさん自身が『奴ら』の血を浴びて―――汚れた。

 

今の彼女の心など私なんかじゃあ計り知れない。

だから、今は震える彼女の身体を抱きしめるくらいしかなかった。

少しでも彼女の苦しみを理解したい一心で。

 

「めぐねえ……あたし……あたし……」

「大丈夫よ……大丈夫だから……」

 

彼女に罪はない。

罪があるとすれば、まだまだ子供のくるみさんに重い業を背負わせた私こそ背負うべきものだ。

武器が無かったから……そんな言い訳を頭の中で思いついても、この罪は消せない。

まだ不安定な精神に癒えない傷を付けてしまった、それは一朝一夕で克服することなんてできない。

 

それに、私にはこんな時、どんな対応をしていいかも分からないから。

 

今は非常事態だけど、時間が許す限り、安心させてあげたい。

その一心でしばらく背中を擦っていると、くるみさんは鼻をすすり、私の元から離れた。

 

「くるみさん……」

「ごめん……少し落ち着いた……もう大丈夫だよ」

 

目を赤くして、無理して作った少し引き攣り気味の笑顔を見ても大丈夫だと思えず、また癖で胸のリボンを握りしめる。

本当はまだ離したくなかった……でも、今はそれどころじゃないって私も、皆も分かっている。

 

まだ心の傷は癒えてなくても、覚悟を決めたのだろう。

 

私は結局、また彼女の手を汚させる後押しをしただけ。

これが、私のできること。

 

 

だからこそ

 

「皆、絶対に諦めちゃダメ。諦めなければきっと……上手くいくから」

 

 

だからこそ、私はこの子たちを死なせない。

 

たとえ、私がこの命を落とそうとも。

 

 

そして、私の死が皆を悲しませようとも

 

 

 

私は、皆に生きるための道を『教』える『師』としてこの命を使おう。

 

「やべえ! あいつら階段までよじ登ってきやがった!!」

「階段で転倒した『奴ら』が足場になっているのね……めぐねえ!」

 

階段を覗き、まるで泥がせり上がってくるように少しずつではあるが、着実に『奴ら』が迫っているのを見て悠里さんが叫び、思考に耽っていた意識を現実に戻す。

 

「そうね……今は逃げるだけ逃げましょう。屋上なら大丈夫かもしれないし、はしごに昇ることも考えましょう」

 

今はとりあえずそうは言うが、正直言って望みは薄いと分かっている。

確かに屋上なら『奴ら』も昇ってこれないという可能性もあるけど、今もなお階段の下で際限なく増え続け、地面さえ見えない光景を見るとまだまだ増えていくだろう。

このまま屋上に行って、最悪ははしごを昇って逃れてもそこから膠着状態になってしまえば、それこそ危機的状況だ。

雨が上がって、灼熱とも言える真夏の外で過ごすなんて『奴ら』でない限り耐えられる訳が無い。

 

つまり、どの道このままでは状況が好転するなんてあり得ない。

 

新一くんは恐らく、まだ生きている。

しかし、いくら新一くんでもこの数は多勢に無勢……あまりに危険すぎる。

 

 

ここが覚悟の決め時かもしれないわね。

 

「ほら、ユキちゃんも―――」

 

いざとなれば、私が、教師が何とかしないと。

この子たちに悟られないよう、私たちは再び命がけの逃走を再開させる。

へたり込んでいた皆を立たせ、一番不安なユキちゃんを立たせようと手を伸ばした時、それは私の耳に入ってきた。

 

 

 

 

「そっちじゃ……ないよ」

 

ただ、ユキちゃんだけがその場から動かなかった。

いや、動かなかったんじゃなくて私を止めた。

 

俯きながら、迫りくる恐怖に体を震わせる彼女に失礼だけど、気のせいかと思って再び手を伸ばそうとした時だった。

 

「やべえぞ、めぐねえ! 挟まれた!!」

「!?」

 

くるみさんの声に素早く先の廊下を見ると、既に廊下からゾロゾロと『奴ら』が昇ってくるのが見て取れた。

もうあんなに集まって!? 行動が遅すぎた!!

 

この瞬間、私は自分の愚鈍さと見通しの甘さを呪った。

確かに『奴ら』は動きも遅く、階段に昇るような知能さえない―――けれども、それらを補うかのような増殖力、そして集結力が桁違いだ。

 

こんなこと、自覚していたはずなのに……甘く見過ぎていた。

 

そうだ、自分はいつもこうして肝心な時に攻めきれない、脇が甘い所がある。

そんな甘さがあったから、マニュアルのことを忘れ、その責任から逃れてしまった。

 

後方の階段からも、前方からも迫ってくる奴ら……残された逃げ道はもはや一つだけ。

 

 

 

ここで子供だけを置いて逝くことに心残りはある。

でも、こうなってしまった以上、そしてこんな事態を引き起こしてしまった以上、私には責任がある。

それは罪でもあるからこそ、今ここで償う必要がある。

 

新一くんがいたら、こんな物量差を覆しかねないと期待してしまうけど、今はそんな彼もいない。

彼のことだからきっとこの学校に戻って来ているだろうけど、合流するころには私たちは既に死人の波にのまれているだろう。

 

遺された道は一つ、『奴ら』を一手に引き寄せる餌……つまりは囮が必要になる。

少なくとも、ここで全滅するよりはずっといいはず。

 

覚悟を決める時……かもしれない。

 

私は迫りくる脅威の前に、何故か心は落ち着き、次にとる行動を冷静に分析している。

この気持ちがなんなのかは言葉にできないほど曖昧で不確かだ。

 

少しどころか、かなり怖い。

許されるなら一人で逃げだしたいと思ったくらいに。

今のこの気持ちが大人か、教師としての責任かどっちかは分からないけど今までにこんな気持ちになったことは無い。

不謹慎だけど、こんな時になって自分がやっと『教師』になったと思える。

 

これは、恐らく新一くんの影響かもしれない。

 

平和な日常から地獄に変わってしまった現実と向き合い、休むことなく戦い続けた生徒の姿に自分の情けなさを否応なく実感させられ、恥ずかしくなった時があった。

私よりも幼い男の子が自分の命も顧みずに私たちを護っていてくれていたのだ、心が動かないはずが無かった。

 

私たちから逃げず、戦い続けた彼に触発させられたかもしれない。

そして、彼が護ってくれたものを今度は私が護ってあげたいと。

 

意を決して、私が動こうとした時、不意に私の手が掴まれた。

力は強くないけど、私の決意は容易く止められた。

握ったのはユキちゃんだった。

 

「ユキちゃん?……なにを―――」

「こっち!」

「え?」

 

何を思ったのか、ユキちゃんは急に立ち上がって別の方向へ歩き始めた。

突然の単独行動にくるみさんも悠里さんも気付き、戻るように言い聞かせても断固として意見を変えない姿に驚愕した。

そこには、事件が起こってからずっと塞ぎ込み、泣いていた姿などなく、ただひたすらに生きようとする強い姿がそこにあった。

 

「……行ってみようぜ。このままじゃあどっちみち全滅かもしれねえしな」

「ここはユキちゃんの勘を信じましょう」

 

まるで、別人のような姿に戸惑いながらも二人はユキちゃんに付いて行くことを決心した。

二人ともまだ諦めていない。

そして、その三人を支え、諦めさせない人を知っている。

もちろん、私も本当は心の底から信じている。

 

今日まで私たちの常識を破ってきた新一くんなら……と。

 

彼は生きている……そう信じているけどこんな数を相手に私たちと合流するのはほぼ不可能に近い。

だからこそ、私はこの身を、命を懸けて奴らの囮を請け負おうとしたけどユキちゃんの言葉と行動にまた僅かな希望を抱いた。

 

どういう訳か知らないけど、ユキちゃんは新一くんのことになると感覚が鋭くなる。

鋭い、というよりも離れていても彼の居場所が何故か分かる、とのことだった。

 

事実、転校したばかりで学校の生活にも勉学にも慣れていない新一くんを教導するために何度か探したりしてもらったけど、ユキちゃんは何故か新一くんの居場所をピタリと当てたことがあった。

最初は偶然かと思っていたけど、何度も何度も繰り返すうちに、もはや確率とかそういう問題でないと分かるくらい、確実に彼の居場所を探知していたことがあった。

 

ユキちゃん自身は何となく感じで分かるって言ってるけど、それが何なのか分からない。

 

ただ、今のこの状況の中でユキちゃんの勘は地獄に垂らされた蜘蛛の糸のようなものだった。

 

くるみさんたちも、私ほどではないようだけどユキちゃんのそういった『能力』に気付いてるのだろう。

何の抵抗も無く私たちは彼女の後を追った。

 

ただ、彼女の向かう先は私たちでは分からず、向かう先にも『奴ら』の大群で地面が見えないほど集まっている。

死んでしまった人には申し訳ないけれど、どこからともなく現れる様はまさにゴキブリに通じるものがある。

 

「少しはっ」

 

くるみさんがシャベルを振り下ろす。

 

「大人しくっ」

 

薙ぎ払う。

 

 

「しろってんだっ!」

 

突き刺す。

 

ユキちゃんを護るために振るわれるシャベルも彼女の制服も返り血で汚れていく。

廊下が飛び散った血肉で黒ずんでいくが、それに対して嫌悪感を抱く暇もない。

ただ、くるみさんがいくら倒しても減る気配のない大群と精神的に堪える血の匂いに精神が削られる思いだった。

 

走るのが辛い

 

生きるのがこんなにも辛いものなんだと初めて知った。

 

 

でも、止まれない。

止まったら、全てが終わる。

辛くても走れ。

 

本能が疲労困憊の私たちに鞭を打って走らせる。

 

走って

 

走って

 

 

生きたいと願った。

 

距離だけで言えばそんなに走っていないはずなのに、彼女たちからしたら数キロ走ったと錯覚するほどに疲弊しきっていた。

先頭を走るユキも涙でクシャクシャに顔を歪ませても、ただひたすらに走る。

 

しかし悲しいかな、相手は愚鈍とはいえ疲れを知らず、死を恐れずに襲い掛かってくる屍の大群、暴力的な物量で襲い掛かられて無事でいられるはずが無かった。

 

「痛っ!」

「くるみちゃん!?」

「くるみ!!」

 

カランと血濡れのシャベルを落とし、そのシャベルに足を取られてユキの隣を走っていたくるみが転倒した。

ユキと悠里が倒れたくるみに駆け寄ると、手首を押さえて唸っている。

 

「めぐねえ!!」

「大丈夫……慣れないことして手首を痛めたんだわ」

 

一瞬、最悪の結末が頭をよぎるが、見る限りくるみの身体にそういった怪我はないことを確認してホっとした。

そして、何となく感じていた嫌な予感が当たったことを今の状況が言外に伝えていた。

 

くるみが運動部とはいえ、元々は走ることを本業とした陸上部員なのだ。

剣道部や野球部員のように獲物を振り回して思いっきり当てる、と普段は絶対にしないことを今日いきなり始めたのだから、手首を痛めるのは当然の帰結だった。

 

そうでなくても、今は屍といえども生前は生きた人間、仲間、友達。

彼らを手にかける罪悪感は本人の知らぬ間に精神を侵し、その心の乱れがシャベルの握り方を甘くさせ、怪我に繋がったとも言える。

 

そうして、彼女たちは道を切り拓く方法を完全に失った。

廊下の真ん中で立ち止まっていた一瞬の隙に、『奴ら』は逃げ道を完全に塞いだ。

 

「いや……いやよ、こんな……」

 

悠里は全てを諦め、いつもの落ち着いた雰囲気がメッキのように剥がれ、死の恐怖を前に頭を抱えて涙を流す。

頭の中には、何の抵抗もできずに数で押しつぶされながら苦しんで死んでいく未来しか見えない。

 

「ごめん……ごめん皆、あたしの、せいでっ!!」

 

くるみは手首の痛みと同時に、自分が倒れてしまったことへの後悔と懺悔を繰り返し、悔し涙を流して無念さを訴える。

新一がいない今、自分が皆の頼みの綱だと自覚していたからこその涙だった。

 

ここに来て、めぐねえは全てが本当に終わったことを思い知った。

 

自分は何を期待したというのだろうか。

こんな事態を引き起こしたような立場でありながら、護るべき生徒に護ってもらうこと自体が間違いだったのではないか。

最初から、自分が囮になりさえすればこんなことになることもなかった。

 

自分は生徒たちのことを想いながら、心の隅では自分は助かりたいと思っていたに過ぎない。

いや、自分にさえも嘘をついて偽善者でいただけだったかもしれない。

 

(これは、罰だ)

 

その結果がこれ、自分が保身に奔った結果、最悪な事態を引き起こしてしまった。

何もできない、消せない罪を自覚しためぐねえは膝を地面に付けて皆を抱き寄せた。

 

 

まるで、あらゆる災厄から護る母のように

 

 

(私はどうなっても構いません……ですから、この子たちは護ってあげてください!)

 

こんなことしても、無意味なことくらい分かっている。

それでも、こうする以外にできることなど考えられなかった。

 

『奴ら』の気配は後ろを向いていても肌で感じる。

徐々に近づいて来ている脅威に、めぐねえは皆を抱き寄せる力を強める。

 

せめて、少しでも時間を稼げるように。

 

自分の身体を盾にして、僅かな隙を生徒たちに与えるために、自分の命を捧げる大人の姿がそこにあった。

 

これから背中から食われるだろう、そんな恐怖を押し殺し、皆に伝えようとした。

私が食われている間に早く、と。

 

最後の遺言を紡ごうとしたその先は、ユキの一言で止められた。

 

「大丈夫だよ」

 

ユキはめぐねえの身体に腕を回す。

 

突然の彼女らしくない行動に思考が停止するも、ユキは続ける。

 

「りーさんも、くるみちゃんもたくさん頑張ったよね……もう休んでいいんだよ」

「ユキちゃん……」

 

優しく、まるで聖女のように優しい声をかける彼女に恐怖など見られない。

彼女の目には涙が浮かぶものの、それはどこかこの場に似つかわしくないとすぐに分かった。

 

そして、その理由に気が付いた。

 

彼女は、丈槍由紀は絶望していないのだと。

 

 

何故、こんな状況を前に何が彼女を癒しているのだろうか。

 

次に、混乱を極めるめぐねえの耳に予想だにしなかった言葉が入ることになる。

 

「だって、助けてくれたんだもん」

 

『奴ら』は既に目と鼻の先

 

「あの日から今日まで……ずっとずっと助けてくれたから……」

 

 

それでも、ユキは怯えることも取り乱すことも無い。

 

背中越しに『奴ら』からの圧力がかかり、迫ってくる。

 

 

「―――っ」

 

 

これから来るであろう痛みに目を瞑って束の間の苦痛を迎え入れようとした時だった。

 

爆音、そして体を震わせる振動

 

 

恐怖に身を強張らせていた皆は予想に反した出来事に驚愕し、何が起こったのかと反射的に視線を向けると―――教室の壁が破壊されていた。

 

「なっ……」

 

何が起こった、誰も予想できなかったほどの驚愕が皆の死への恐怖を上書きした。

 

それは、『奴ら』も同じだった。

雨に反応して学校に入ってきたように、生前の性質を受け継いでいるかのように意識を目の前の獲物(めぐねえ達)から外して体を硬直させた。

 

めぐねえたちの傍で大破した壁と一緒に、吹き飛んできた『奴ら』が真っ先にめぐねえを食おうとした個体と衝突し、勢いのあまり廊下の窓から仲良く落下した。

 

何が起こったのかこの場の()()()()()()理解できなかった。

 

木造の壁の破片が地面に散らばり、人一人が入れるような大穴が自分たちのすぐ傍で空いたことに混乱を極めていたとき、その穴から出てきた手がめぐねえの手を掴んだ。

 

「ひっ!」

 

めぐねえは悲鳴を上げかけた時、穴から見知った顔が出てきた瞬間に頭が真っ白になった。

 

 

「早くこっちへ!!」

 

 

力強い声と共に、強い力で引っ張られながら空いた穴の中に入ると、そこには心の中で頼っていた泉新一の姿があった。

 

 

 

 

新一は『奴ら』で溢れ返る学校を目の当たりにし、学校の正門前で『奴ら』と戦いながら焦燥に駆られていた。

今まで見たことも無い量の生徒たちの屍が何かを機会に集まり始めたこともそうだが、何よりその数に圧倒されていた。

 

「冗談じゃねえ……何で急に!?」

 

パラサイトと違って知能も無く変則的な力も無いが、その物量差はパラサイトのそれをはるかに凌ぐ。

死を恐れない100の大群が相手ではさすがの新一でも対処できない。

まともに相手をしても潰されるのは自分だとすぐに理解できた。

 

何が『奴ら』を引き寄せたかは今はどうでもいい。

 

最優先は学校に取り残されたユキたちの救出だと認識するが、『奴ら』の大群が校門を埋め尽くし、普通に突撃しても時間がかかりすぎる。

それに、この状況でならきっと上階へ避難しているはずだ、そう思い至った後の行動は的確で早かった。

 

バーベルの棒を振って群がっていた『奴ら』を弾き飛ばした後、その隙間を縫って包囲網を抜けた。

動きの遅い『奴ら』が新一を止められるはずもなく、あっという間にその包囲網を抜けた。

 

「うおおおおおおぉぉ!!」

 

『奴ら』を置き去りに、新一は武器として使っていた血濡れのバーベル棒を校舎の壁に向かって全力投擲した。

失速することも落下するでもなく、ミサイルのように勢いを落とすことなくそれは校舎の壁に突き刺さった。

 

この時、新一は別のことを考えていた。

 

正門は『奴ら』で溢れており、仲間も逃げるなら上の階だろう。

ならば二階から入ればいい、と。

聞く人が聞けば無茶だと呆れるだろうが、生憎と新一は普通というカテゴリーには入らない。

彼にはそんな無茶を可能にする能力がある。

そして、いかなる困難にも尻込みしない度胸もある。

 

故に、実行できる。

 

 

(一つ!)

 

 

一階と二階の窓の中間に刺さったバーベルの棒に向かって跳躍する。

どんな陸上選手でも真似できないほどの跳躍を、人類の壁を越えて新一は跳んだ。

新一を追って来た『奴ら』は宙に向かって手を伸ばすが、届かない。

 

(これで最後!!)

 

追手から逃れた新一は細い棒の上に着地した後、再び跳躍する。

不安定な足場にも関わらず、容易く二階のベランダ手すりに捕まり、転がり込んだ。

中に入ると事件で荒れ果て、血がこびり付いた教室の中で新一は人としての行動原理と、生物としての切り替えの早さを活かして次の行動を速やかに思案していた。

 

(くそ、二階も既に『奴ら』で溢れ返っているのか……っ!)

 

死者への冒涜をする訳ではないが、それでも状況の悪さに舌打ちをする。

耳を澄ませなくても外の騒音で状況を把握する。

遂に階段を上がれたとなると、ユキたちの生存している可能性が減ったが、それで諦めるわけがない。

 

(もう、誰も死なせない!!)

 

脳裏に浮かぶ、好きだった人と失意に満ちた自分を慰めてくれた人の死顔を振り払いながら。

 

 

すぐに耳を澄ませ、集中する。

亡者の唸り声が満たされている中で、生存者の気配を探るのは高い集中力が必要となる。

緊張しながらも心を落ち着かせて耳を澄ませると、ここに来て誤算が生じた。

 

(近い……いや、この教室の前か!?)

 

嬉しい誤算だった。

耳を済ませた瞬間、自分の聴覚が四人分の呼吸と声を聞き取った。

しかも、この自分のいる教室の真ん前にいたため、発見も数秒で済んだ。

 

全員が無事で、しかもお互いに壁一枚挟んだ場所にいたのは本当に不幸中の幸いだと安堵した。

しかし、そんなユキたちの他にもすぐ近くに『奴ら』の大群が近づいて来ていることも分かった。

喜ぶよりも先に救出することに意識を切り替える。

 

(くそ、教室を塞いだのが仇になるなんて!)

 

自分のいる教室の入り口は閉ざされ、外から補強されていることは分かっていた。

時々、どこからか校舎に入ってくる『奴ら』の溜まり場になることを危惧してあまり使わない教室は外から入り口を補強して塞いだため、今いる教室からは出られない。

 

かといって無理矢理入り口から出ても『奴ら』の波にのまれるだけ……どうするかと思っていた時、超人的な感覚が背後から忍び寄る影を捉えた。

自分を背後から食おうとする『奴ら』を振り向きもせず、手を後ろに回して首を掴んだ。

その時、新一は一つの手を思いついた。

 

(前にできたならできるはずだ!!)

 

加奈が死んだ日

 

その時に居合わせたパラサイトとの戦闘の記憶は憎しみで頭が一杯だったため、普段の記憶よりも朧気ではあるが、自分が何をしたかくらい覚えている。

 

仲間が木造の壁一枚挟んだ向こう側にいるのなら、それを壊せばいい。

 

右手でなく純粋な人間部分である左手で成人男性の身体を貫き、それを振り回してコンクリートの壁にぶつけて破壊したことがある。

普通なら指の骨が折れてもおかしくはなく、どんなに軽傷でも少なくとも突き指は避けられない。

また、大人一人分の体重を腕一本で投げるなど普通なら肩が脱臼するところだが、新一はそんな怪我を負わないだけの耐久力と身体能力、筋力が備わっている。

 

そんな新一がバーベルの棒代わりとなる武器を得たなら、答えは言うまでもない。

 

「うおおおおおおおぉぉぉ!!」

 

仲間が危機に瀕してる状況により新一の潜在能力がさらに上がっている。

 

 

万力の力で『奴ら』を壁に向けて投げて―――大穴を空けた。

 

投げた場所も仲間のいる場所から離していたため、直撃はしていないはず。

空いた穴からは投げた個体と激突して幾らかが窓から落ちたのも見えた。

 

「早くこっちへ!!」

 

急に現れたことで怯えられたが、今はその時間さえも惜しい。

少し身を乗り出し、反応の早かったユキと我に返っためぐねえ以外の二人を手を取って引き寄せる。

 

そこでようやく止まっていた『奴ら』が動き出すが、もはや新一の行動に付いて行けるものではなかった。

 

『奴ら』は新一たちが逃げた穴に入ろうと殺到するが、あまりに数が多いことと、我先にと考えることなく無理矢理入ろうとした結果、穴に詰まって数匹の侵入を最後に立ち往生することとなった。

入ってきたのも新一が頭部への蹴り一発で沈ませる。

 

「新一くん……」

「よかった……間に合って、生きてて……」

 

中で合流した新一は蹲って息を切らせる皆と顔を合わせ、全員が無事な姿に心の中で安堵した。

ここに来て不吉な影を払拭できた余韻に浸っていると、腰の辺りに軽い衝撃が奔った。

何事かと見下ろすと、さっきまで気丈に振る舞っていたユキが泣きじゃくる子供みたいに涙を流して新一の腰に顔を埋めていた。

 

「新ちゃん……新ちゃん……!!」

「丈槍……よかった、無事で」

 

恐怖に耐えていた我慢が新一との再会で切れ、感情を抑えられずにいた。

対する新一も非常事態とはいえ、ユキを含めた全員が無事だったこともあっていつもの余裕を取り戻し、嫌な顔をせずユキを迎え入れた。

 

だが、皆が無事だったとはいえ未だに切迫した状況が続いていることに変わりない。

すぐにユキを引き離し、皆の方へ向き直る。

 

「再会を喜ぶのは後にしよう……今は『奴ら』から逃げる手立てを考えよう」

 

皆は破顔していた顔を再び引き締めた。

 

今もまだ、空いた穴に入ろうと伸ばしてくる手は自分たちを探っている。

 

「ひっ!」

 

悠里はさっきまでの恐怖を思い出したのか短く悲鳴を上げ、離れているにもかかわらず更に教室の隅にまで下がろうとした。

 

そんな四人に自分の作戦を伝える。

 

「このままじゃあ穴を押し広げられて入ってきそうだな。これで塞いだら反対のベランダで別の教室に行ってそこから階段に行こう。これくらいで『奴ら』は十分に撒けるし……たしか、三階に続く階段の途中で防火扉はありませんでしたっけ?」

「え、えぇ……あるにはあるけど……」

「なら、それも閉めて奴らをやり過ごすまで籠城してみましょう。とりあえず、これを乗り切れればどうとでもなりますよ」

 

非常事態というのに、まるで危機感が無いのではないかと思うくらいにアッサリと提案した作戦は、現段階において合理的で、それでいて生き残る確率も大きいものだった。

 

いつになく冷静で感情を見せないような新一の様子に驚愕しながらも、こんな状況においてこれほど頼もしい者は存在しない。

 

皆が頷いたのを見届けて満足した後、新一は教室の中を見回して巨大な棚を見つけた。

おもむろに近づき、右手で掴む姿に皆が気付く。

 

「どうすんだよそれ……まさかそれで蓋するってことか?」

「念には念だよ。ここを攻められたら本当に不味いからね」

「無理よ新一くん。その棚は地震対策で天井に固定されて、中身も相当詰まっているから重いのよ」

 

くるみとめぐねえがあまりの力技を止めようと説得し、りーさんとユキはどこか不安そうに見つめている。

 

だが、新一はそんな説得を笑顔で「大丈夫」と軽くかわすと、掴む右手に力を入れて足腰に力を入れた。

 

 

 

その瞬間、天井がミシッと音を上げた。

 

「「「「え?」」」」

「ふっ……重いな」

 

皆の間の抜けた声に気を向けず、更に力を入れ続けていると固定部が天井と共に抉れる悲鳴が聞こえ、天井の一部が膨れ上がっている。

ただ、めぐねえの言う通り棚は重く、新一の腕力を以てしても手こずった。

 

途中まで引っ張られて傾いた棚を掴んだまま深呼吸し、同時に右手に力を入れる。

 

 

右手に青筋が浮かび、筋肉が肥大化する。

明らかに尋常じゃないその変容に皆は息を呑む。

 

そんな腕で新一は少しだけ力を入れた―――つもりだった。

 

 

天井がまるでベニヤ板のように固定部を付けたまま剥がされ、棚がフワっと宙を舞った。

 

「「「へ?」」」

(……あり?)

 

材質が紙でできているかのように軽々と投げたことに一瞬、本人を含めた皆が呆けるもその直後に起こる轟音に身を震わせた。

 

「……っ!?」

 

重量感ある音と同時に巨大な棚はその形を歪めながら大穴を塞ぐように横たわる。

棚はガタガタと向こう側から押されて物音を出して揺れるも、その重量故に動かすことが叶わない。

 

そして、そんな重量を片手一本で軽く投げた新一の腕力に絶句する。

 

「いやいやいや……」

 

それほどまでの棚を投げた新一の腕力に唖然するが、本人は全く気にしないように向き直った。

 

「……じゃ、急いで避難しよっか」

「「「「う、うん……」」」」

 

涼しい笑みを浮かべる新一に皆はただ頷くことくらいしかできなかった。




オチがこんなんですみません。

「奴ら」が相手だとパラサイトと違って脅威度が若干低くなるのでヌルゲーになってしまいました。
最後はかなり呆気なくなってしまいましたが、新一が本気出し過ぎたらこんなもんだろう、と思ってこんな感じになりました。
こっちの新一は村野を始めとした人の死で凄く用心深く、力を使うにもミギーという抑止力もいないから原作よりもそう言った方向の自重はあまりしないという設定です。

それを考えるとミギーって本当にパワーバランス的にやばい存在だったと思い、作者的には出さなくて正解だったと思いました。

今回は盛り上がりに欠けましたが、この作品にとっての本番は実質、みーくん加入時になると踏んでいます。

次回からは別の場面、日常回を挟んでデパート編になります。
そのあたりから本格的に自重しなくなります。

それでは、また次回にお会いしましょう!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

閑話 デパートでは

「がっこうぐらし」でお馴染みの「幻覚」今作で見るのは誰か、今回は驚愕の事実回です。


雨の日から一夜が明けた。

 

学校が未曾有の襲撃事件に遭い、新一たちが危機から奇跡的に脱した直後の時間に至る。

 

「ん、大分腫れもひいてきたみたいだね」

「おー、それはよかったぁ。一時はこのまま走れなくなるんじゃないかと」

「圭は大袈裟だよ」

 

リバーシティ・トロン・ショッピングモールの店員室で巡ヶ丘高校の制服を着た女子高生がもう一人の女子高生の足に包帯を巻きながら和やかに話に華を咲かせていた。

いつだったか、新一に助けられた祠堂圭と直樹美紀である。

 

祠堂圭―――パンデミックが起きた直後、助けを待つだけの美紀の方針に疑問を抱き、一度は袂を別ったものの、失敗して再び美紀の元へ戻ってきた。

 

直樹美紀―――祠堂圭と共に運よく『奴ら』から逃れて今もなおその命を繋いでいる。一度は別れた祠堂圭を再び受け入れ、現在は祠堂圭の足の治療にあたっている。

 

二人が和やかな雰囲気で談笑していると、二人の傍に小さな影が近寄ってきた。

それに気づくと二人も微笑んで受け入れる。

 

「おはよう、るーちゃん。よく眠れた?」

 

目を擦り、寝癖を付けた少女が小さくうなずく。

その片手には大きめのタブレットが握られている。

圭と美紀はその意味をちゃんと理解しており、タブレットに大きく書かれた『おはよう』の文字に顔を見合わせて微笑む。

 

そこへ、用務員室の扉からリズムのいいノックが響く。

 

数日前の自分たちであればそれに出ることはおろか、怯えて入り口を塞ぐこともしただろう。

しかし、今はそんなことはしない。

 

外から来る人が、どんな人だか知っているから。

 

「あ、今開けます」

 

足を療養中の圭に休むよう伝えて『奴ら』を阻む重り用の荷物を下ろしていく。

扉を開けられるくらいの最低限のスペースを確保した後、扉を開けて外で待つ人を迎えた。

そこには、気の弱そうな笑みを浮かべた少し頼りない大人がいた。

 

「や、朝ご飯取ってきたよ」

「いつもすみません。宇田さん」

 

スーパーから持ってきただろうコーンフレークを片手に持った宇田を部屋の中に招いた。

 

 

 

「ごめん。もう少し開けてもらえないかな……」

「あ、すみません!」

 

出っ張ったお腹に突っかかる宇田に慌てて美紀が入り口のスペースを空ける。

その様子に圭も瑠里もクスクス笑い合った。

 

 

デパートに取り残された生存者の一日は穏やかな雰囲気から始まっていた。

 

 

 

 

宇田と美紀たちとの出会いはデパートの外で圭を救助した日に遡る。

 

美紀たちは知らないが、宇田とジョーによって襲われていた圭を救出した後、気絶する直前に残した言葉を頼りに生存者―――美紀を探し回った。

デパートの中の「奴ら」をジョーが駆逐しながら用務員室を探し回り、それを見つけることができた。

 

美紀も圭と別れた直後に自分たち以外の声を聴いて期待と怯えから中々受け入れることができずにいたが、圭が負傷したことと怪我を治すために途中の薬局で拝借した薬と包帯があること、何より子供がいるから入れて欲しいとのことを伝えると警戒よりも先に、孤独から来る恐怖から扉を開いて宇田たちを受け入れた。

 

そして、頭部から血を流して気絶する圭の姿に絶句はしたものの、宇田から手伝ってほしいとのことで色々と問い質したい欲求を抑え込み、一緒に圭の治療に取り掛かった。

 

当初は男の大人である宇田に強い警戒を表していたものの、圭を本気で治療する真摯な姿と連れている少女への柔らかな態度と懐かれ具合、そして治療が終わった後の軽い会話から伝わってくる人の好さに疑念は薄れた。

 

程なくして圭が起き上がった後、詳しい話を聞き、間一髪のところを助けられたことを聞いてから警戒心はすぐに消えた。

 

ジョーが人に舐められやすいお人好しの気質が美紀の警戒心を消したことに密かに賞賛したことは宇田本人も知らない。

 

 

その後、圭は自分が焦って早まった行動に出て暴走したことと酷いことを言ったことを美紀に謝罪し、美紀も自分から動き出すことを恐れて圭の気持ちを察してやれなかったことを互いに吐露し、謝って和解した。

そんな中、自分たちよりも号泣する宇田と『いつものこと』だとタブレットに映して見せてくる瑠里の姿に毒気を抜かれ、苦笑しながらも完全に宇田を信用した。

 

今では四人顔を合わせて朝ご飯を食べるほどになっている。

 

 

「「「いただきます」」」

『いただきます』

 

 

 

 

宇田は現在、美紀と圭と共にデパートで生活しながら散策を行っている。

元々は物資の確保目的で寄ったのだが、そこで偶然襲われている圭に出くわしたのだった。

 

ほとんどジョー頼みで救出し、美紀と出会った。

初めて会った時はすっごい警戒されていたのは鈍い僕でもよく分かった。

 

今まで女子高生だけで生きてきて、急に大人の男が加われば仕方のないことだと理解できる。

しかも、今は何しても「罪」という概念は存在しないような無法状態だから……よからぬことを考えているとさえ思われてたのかもしれない。

 

しかし、そんな彼女の誤解は「娘」の瑠里の姿でほとんど霧散した。

 

 

ジョーからの提案で、僕とるーちゃんとは「実の親子」という設定になっている。

 

 

これは前もって決めていた設定だ。

デパートは物資も多く予防線も張りやすいために生存者がいることを前提に考えていたけど、ここで一つの懸念が生まれた。

 

幾ら生存者がいたとしても、いつ死ぬか分からない追い詰められた状況で他人を受け入れることは難しい。

つまり、そういうことを懸念したが故の策だった。

だからこそ、「実の親子」になってしまおうという設定が立った。

 

ジョーは、どんなに切羽詰まっていても殺人を良しとしなかった今までの性を改めるのは難しい……わずかに残った理性を揺さぶるといったギャンブルに近い策を弄した。

たとえ得体のしれない男の大人が現れたとしても、いたいけな少女が一緒にいたらそれだけで印象も変わるだろう、そう諭された時はるーちゃんを利用することへの罪悪感もあったけど、自分の半端な躊躇いでるーちゃんまで割を食うことは僕が良しとしなかった。

 

その結果、僕は二人に受け入れられたと言ってもいい。

逆に言えば、僕だけだったらこんな簡単に受け入れてもらえはしなかっただろう。

救助したと言っても、今のような信頼関係を築くのにもう少し時間がかかっていたと思う。

 

それでも、年頃の女の子たちと一緒の部屋に眠ることは憚られたために僕だけは別の用務員室に泊まっている。

流石にジョーを見られる訳にはいかないっていうのも理由の一つだった。

 

「宇田さんって凄くお強いんですね」

「ん?」

 

朝食を食べていた時、ふと圭ちゃんが予想外なことを言ってきた。

今まで言われたことも無かったから、つい否定してしまった。

 

「強いって……今までそんなこと言われたことないなぁ。よく分からないや」

「でも、こうして私たちのために食料を取って来てくれたり、気を遣って別の部屋で寝泊まりしてるじゃないですか……万が一があった時、るーちゃんが悲しみます。私たちだって……」

 

美紀も圭と同意なのか申し訳なさそうに目を伏せる。

宇田はデパートに泊まってから毎日欠かさず、「奴ら」が蔓延る外へ繰り出している。

「奴ら」の恐ろしさを目の当たりにした美紀たちは、久しく出会えなかった頼りがいのある男の大人であり一児の父(だと思い込んでいる)である心優しい宇田の人柄に絆されていた。

そんな人が「奴ら」となるのは想像するだけでも冷たい汗が流れるのだった。

 

そんな不安を他所に宇田は何でもない様に力こぶを作る。

 

「はは、大丈夫だよ。これでも男なんだし、これくらいはね」

「……あまり無理はしないでくださいね」

 

笑って見せる宇田に圭と美紀は互いに不安な顔を合わせる。

ジョーを知っている瑠里は不安を見せずに牛乳を一気飲みしている。

そして、宇田は人の好い笑みを絶やさずに続ける。

 

「子供を護るのは大人の役目でもあるからこんな所で倒れちゃいけないことくらい僕にも分かる……助けるなんて軽々しくは言えないけど、無責任なことはしないって決めてるんだ」

 

これはジョーにも言われたけど、僕は自分から大変な道に進んでいるのだろう。

本当はこのまま新一くんと合流したいとも思っているけど、美紀ちゃんたちはこんな壊れた世界に翻弄された被害者だ。

奪われ、傷付いた子たちを見捨てるなんて僕にはできなかった。

 

「……出会えたのが宇田さんでよかったです」

「? 何か言った?」

「いえ、何でもないですよ」

 

美紀ちゃんが何か言ったようだけど、何ていったかなんて聞こえなかったけど気にしてないように流されたから大したことじゃないんだろう。

それを機に穏やかな朝食の時間は静かに過ぎていった。

 

 

 

朝食が終わると、私たちはそれぞれの役割を果たしていく。

 

宇田さんやるーちゃんとは奇跡的な出会いを果たしたけれど、ただこうして無駄に日数を重ねるだけじゃない。

宇田さんと出会う前のように無気力な生活を改め、私たちはできることをしている。

 

「じゃあ、僕はそろそろ行くよ。昼にはまた戻ってくるから」

「いつもありがとうございます。余計なお世話かもしれませんが、気をつけてください」

「まあ、無理しない程度にするよ。何か欲しいものある?」

「そうですね……今はこれといって欲しい物はありません」

「そっか。じゃあ行ってくる」

 

部屋を出る宇田さんを皆で見送りながら、今までのことを振り返る。

 

宇田さんは自ら進んで外に出て、「奴ら」の情報や物資の確保をしてくれる。

私たちは食われるかもしれない恐怖から今までできなかったから「奴ら」について最低限なことしか知らなかった。

何でも、「奴ら」は一種の生物としての性質、人だった時の記憶があるらしい。

これは宇田さん情報で本人もまだ確証が得られないと言っていたけど、少なくとも外で、しかも圭を助けた様に「奴ら」との交戦経験がある宇田さんの理論は私たちの考察より信憑性がある。

その話を初めて聞いたとき、よく言えば優し気、悪く言えば気が弱い外見に反した行動力と強さ、推察力に脱帽したことは覚えている。

 

そういえば、難しい話をするとき偶に口調が乱暴になったり牙が生えているように見えるのは何だろう?

 

「そういえば美紀、宇田さんのことなんだけどさ」

 

些細な疑問に首を傾げていると、私は朝食に使った食器を集めて小さい洗面台で洗う私にるーちゃんと部屋の掃除を始めている圭が話してきた。

思考を放棄して耳を傾ける。

 

そうでなくても、圭の言わんとしていることは分かる。

 

 

 

 

 

 

「宇田さん、“また”『ジョー』さんと話してたよ」

「……そう、なんだ」

 

その話題に圭も私も深くため息を漏らす。

それは呆れではなく、どうにもならないことを前に悲壮を滲ませる類の物だ。

るーちゃんもその話題に動きを止め、俯いて垂れた髪で表情が見えなくなる。

こんな小さい少女の胸の内など私たちなんかじゃあ計り知れない。

 

 

無理もない、自分の父親が『幻覚』を見て、それを現実の一つであるかのように見えているなんて信じたくないもの。

 

 

一度、宇田さんに用があって比較的「奴ら」の数が少なくなる夜に宇田さんの泊まる隣の用務員室の前へ行った時だ。

何かあったらと思い、私が武器を、圭が見張り役で二人で尋ねようとした時だった。

 

宇田さんが部屋で独り言を話していた。

 

 

ドアノブに手を置いた瞬間、それを聞いた私たちは身が凍るような悪寒に襲われて部屋に入れなかった。

中を恐る恐る覗いても、宇田さんは私たちに背を向ける様子で顔は見えなかったけど、明らかに誰かと話しているような会話をしていた。

しかも、「ジョー」という一人二役で声を変えるという周到な真似までして。

 

それを見た私たちは、最初、こんな状況で宇田さんが壊れてしまったか、薬に手を出してしまったのかさえ思ってしまった。

そんな考えに行き着くと、いつか妄想がひどくなって私たちを―――なんて考えに行き着き、宇田さんのことが恐ろしくなってしまった。

 

急いで部屋に戻った私たちを怪訝に思ったるーちゃんがタブレット越しで何かあったのかと尋ねた時、私たちは話すべきかどうか悩んだ。

るーちゃんを通して今夜の『あれ』を見たことがバラされてしまうのではないか、と。

 

でも、今まで見てきたるーちゃんを想う優しそうで、何より圭を助けてくれた恩人を疑いたくなく、るーちゃんに尋ねた。

最初、るーちゃんは溢れんばかりの冷や汗を流した後、思いを馳せるかのように月明りを眺めていた。

実の父親の異常な行動を白日の下に晒す、その勇気を考えると私たちは急かすこともできず、許されない物だと自覚した。

 

しかし、るーちゃんは覚悟をにじませた強い眼差しで、勇気を振り絞って思いの丈と共に真実をタブレットに映してくれた。

 

 

 

 

元々、この街には尋ねる人がいたのだが、それとは別にこの街には宇田さんの友人がいた。

それが『ジョー』という外国人だったという。

彼は口が悪かったものの、中々のタフガイで元は軍人だった。

 

しばらく、そんな友人と昔話に華を咲かせてこの街と共に夜を越した時、運命の日がやってきた。

 

 

日常が壊れ、人々が食われていく地獄の中、宇田さんを庇ってジョーさんが……

 

 

それ以来、助けられた宇田さんとるーちゃんは生き残った物の、宇田さんの中では『ジョー』さんはまだ生きて、困難な状況に直面した時は助言をしてくれているという。

それは、常日頃から宇田さんに無理矢理サバイバル知識を説いて、染みつかせようとした時のフラッシュバックを『幻覚』を通して思い出させているというのだ。

 

そう言った、故人との思い出が気弱だった宇田さんの気持ちを昂らせ、強くしているのだという。

 

 

 

 

一連の話に、私たちは涙を禁じ得なかった。

 

それは、宇田さんの身に起こった不幸を憐れむものであり、同時にそれは自分たちの醜さに対する戒めでもあった。

 

精神に異常をきたしながらも、宇田さんは堅牢な心で私たちを見守り、圭を助けてくれたのだ。

私は専門家じゃないから詳しくは分からないけど、あの正義感は宇田さん本来の優しさと、『ジョー』さんに成りきった影響から来るものだった。

 

自分を見失っても、幻覚を見ても彼は大人として子供を護ると言ってくれたのだ。

 

 

強い、一児の父とはここまで強いものなのだろうか。

そんな人を私たちは疑ってしまった……恩を仇で返すのと同じだ。

 

 

もし、これが現実逃避の一種だったら私は苛立ち、一悶着起こしていただろう。

でも、宇田さんはこんな現実を生き抜くため、るーちゃんを護るために、『正常』を棄てたのだ。

私たちに、それを責めるなんてできない。

 

『ジョー』さんが宇田さんの心の中で生きていることを、私たちは否定するなんてできない。

むしろ、こんな状況で「正常」でいようとすれば、そっちのほうが苦しいのではないか?

そうなってしまえば本当に壊れて、取り返しがつかないことになっていたかもしれない。

 

 

つまり、私たちは見守って、肯定するしかないのだ。

 

 

 

今、るーちゃんが、私たちが生きていることは全て『ジョー』さんのおかげだ。

私たちはその人を『居る』人として認識し、合わせるしかない。

治すにしても、少しずつ時間をかけなければならない。

それまでは、せめて優しい夢だとしても―――

 

 

「大丈夫、きっと良くなる。今はそっとしてあげよう」

「うん……でも、見てるだけじゃダメだよね。もし、その時が来たら」

「……私たちで受け止めよう。それが、今までの恩返しだから」

 

圭は私の言葉に強く頷く。

 

あぁ、やっぱり圭が生きてくれてよかった。

こんなにも心強い仲間を失わずに済んで。

 

そして、そんな彼女を助けてくれた宇田さんを今度は私たちが助けよう。

 

どれだけ時間がかかろうと、どんなことが起きても。

 

 

宇田さんのために、るーちゃんのために。

 

 

 

 

 

~閑話休題~

 

掃除中に圭と美紀が強い覚悟を以て頷く光景を瑠里は目にしていた。

 

「……」

 

冷や汗ダラダラの顔を必死に隠して。

 

元々、ジョーの存在を知られたと思った時は本当にショックで出ないはずの声が出るかと思ったけど、この時だけは声を失ったことを幸運だと思った。

一番の幸運は、宇田さんが出口を背にして顔を見られなかったことか、美紀たちがジョーを見てパファされなかったことだというのは間違いない。

 

とりあえず、自分の思いつく嘘八百を並べ立てた結果、美紀と圭は事態を間違った方向で納得してしまったのだ。

幻覚どころか、実在してるから! と言いたいところだが、言ったら言ったで何が起こるか分からないが、大惨事になる以外の未来しか思い浮かばない。

如何に子供の豊かな想像力を以ってしても最後はパファしてしまうのだ。

 

本人には言わないが、宇田は自分の知らない所で『幻覚を見ている異常者』だと勘違いされているのだ。

しかし、嘘を並べ立てた手前、もはや真実を告げる勇気も力も自分にはないと諦めていた。

既に投げられた賽にイカサマできるほど器用じゃないことくらい、小学生でも理解しているのだから。

 

逆に、自分の作った物語で二人が泣いたことから「もしかして作家の才能があるかもー」と現実逃避までした。

 

 

若狭瑠里……彼女こそが間違いなく、陰の功労者であり、苦労人であることは言うまでもない。




美紀「あの、『ジョー』って誰ですか?」
るーちゃん「Oh……」

宇田さんは犠牲になったのだ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

分岐点

やっとお時間が少し取れたので投稿しました。
プライベートが忙しかったこととポケモンを探して近所を徘徊してただけなんや……


晴れやかな日差しが割れた窓から入り、例外なく部屋が暖められる。

雨が上がった後の晴れはかくも暑く、朝と言えど油断すれば熱中症になるほどだ。

温度が上がっていく中で寝苦しさを覚え、額に浮かんだ汗の量が増えていく。

 

 

 

 

新一の朝は早い。

目覚ましが無くても、完全に気が抜けない状況ということも相まって寝起きには強くなっている。

上半身を起こし、誰もいない資料室を見渡しながらジットリと汗で身体に張り付いた寝巻用ジャージの気持ち悪さに目が冴える。

 

「あちぃ……」

 

気怠そうな声を漏らしながら、布団から立ち上がる。

一瞬、二度寝してしまおうかと考えたが、寝汗で濡れた感覚が気持ち悪く再び寝ようという発想はすぐに棄てた。

 

ただ、暑さからくる寝起きだったため少し意識が揺らいでいるのが分かる。

 

(シャワーでも浴びようかな)

 

欠伸交じりに固まった体をほぐす。

緊張続きで疲れを溜めていた身体が水分を欲していることが感覚で分かる。

皆には休むよう言われているも、残念ながらそんな気は起きない。

 

(まだまだ甘かった。だからあんなことが起こったんだ)

 

今すぐにでも自分の間抜けな頭を壁に叩きつけてやりたい、という気が起こるも内心で自分に対する罵倒だけに抑えた。

新一をここまで追い詰める原因は雨の日の「奴ら」の大量発生であることは間違いない。

 

「奴らは意識が消えても生前の習慣に縛られている、か」

 

あの後、皆とのブリーフィングで判明したことを思い返す。

 

その時のみんなが思ったことを話すだけであったが、その中には新一といえど見落としていた点があった。

「奴ら」の行動パターンが人食いを除けば、ある程度の人の生活パターンに酷似していた。

だから、学校に「奴ら」が集まっていたのだと。

 

(今思えば、校庭や学校内でうろつく奴は皆、先生か生徒しかいなかったもんな……私服の一般人が全くいなかったし)

 

これだけのバイオハザードだ。

今まで学生服の「奴ら」しか確認できなかったことを今になって思えば、疑問に思って然るべきだった。

とはいえ、新一はほとんど不眠不休でくるみたちを陰から護ってきたのだ……本人も自覚していない溜まった疲労が思考力を鈍らせているとしても仕方のないことである。

 

今まで「奴ら」と一番組していたのは自分だというのに。

右手をじっと見つめる。

 

―――もし起きていたならもっと早くに対策を講じることができたんじゃないか

 

自分でもどう思っているかは自覚できないが、無意味な考えを棄てた。

身体の気持ち悪さと相まって気分も滅入ってきたのを感じ、ここでシャワーを浴びることを決めた。

汗と一緒に今の気分も洗い流そうと気持ちを切り替え、洗面用具を片手に新一はシャワー室へ向かった。

 

冴えない頭のままシャワー室に入り、流れるように服を脱いでいくと線の細い身体と……胸の傷が露わになる。

少し筋肉質な身体よりも異彩を放つ傷はあまり見せたいとは思わない。

 

以前はコンプレックスとは違う、何か複雑な気もしていたが今では胸の傷とも上手く共生している。

鏡で一瞥してもあまり気にすることなく浴室へと入った。

 

この後、新一はもっと気を張るべきだったと後悔する。

襲撃直後の溜まった疲労、寝起きで働かない頭……理由は様々だろうが普段の新一なら気付いていただろう

 

―――別のロッカーに入っている脱ぎたての制服にさえ気づいていれば

 

 

 

「……」

「……丈槍さん?」

 

ユキと新一が一糸纏わぬ姿で向かい合うこともなかっただろうに。

 

一瞬、二人は裸同士で向かい合っていたものの、事の異常性に正気に戻り、二人は一緒に顔を真っ赤に燃え上がらせた。

 

「~~~っっっ!!」

「ご、ごめん! すぐに出て……!!」

 

ユキは細い腕で胸と秘部を隠し、新一は挙動不審気味に狼狽えながらも浴室から出ようとするが、出口に手をかけた。

しかし、新一は浴室から出る直前で止まった。

外から足音が聞こえてきた。

 

規則正しい足音から「奴ら」ではないとすぐに分かったけど、こんな所を見られることを恐れて出られなかった。

もし、こんな所を見られたら……色んな意味で死んでしまう!

 

危機感を感じた新一は引き返して逃げるように壁で隔てられたシャワー室に入ってカーテンを閉めた。

しかし、何故か新一の飛び込んだシャワー室にユキまでもが一緒に飛び込んでしまったのだ。

 

「丈槍!? 何でこっちに来たんだよ!?」

「つい、反射的に……ごみん……」

 

ユキとしては、新一の俊敏な動きに何となく危機が迫っていることを察知して新一の元に付いて行っただけなのだが、今回に限ってはそれが仇となっていた。

 

今、新一とユキは裸同士で狭い個室に留まっているが、二人は背中を向け合っているので直接目に映らせていない。

裸も一瞬だけだったため、二人は気にしないよう努めるが、背中同士が触れ合って恥ずかしさもひとしおだった。

 

(丈槍の背中……柔らかいな……)

 

まるで妹のようで、色気も感じさせないほどに幼児体系ではあるが、密着して触れ合っている事実に新一の理性が暴走し始めている。

この気持ちが落ち着くまではしばらくの時間をかけなくてはならない。

 

そして、いつもは天真爛漫なユキも今の非常事態に顔がゆで上がった蛸のようになっていた。

 

(あうぅ……背中が固くて、熱いよぉ……)

 

幾ら子供っぽいとはいえ、ユキも立派な思春期真っ盛りの女の子に違いない。

しかも、つい先日に自分を含めた皆を助けてくれた同年代の男子が自分と同じく何も羽織っていない姿で背中を合わせ合っている……その事実に火照る顔が更に熱くなっていくのを感じた。

 

いつものような軽いノリなど見せられず、チラチラと窺う様子が何とも言えぬ背徳感を生み出し、新一も背後からの視線に気づいているからこそ変な気分になるのを感じる。

 

(いやいや落ち着け! きっと疲れてるんだ! 最近までずっと動きっぱなしだったしな!!)

 

邪な考えを否定するように頭を振って言い訳する。

頭で否定しても背中から伝わる小柄な柔肌があらぬ方向へ理性をふっ飛ばそうとしてくる。

鋼の精神で抗っていると、その衝撃が新一の中に冒険を生んだ。

 

―――シンイチ

(!? ミギー!! ミギーなのか!?)

 

それが幻か、自分の頭の中に産まれた妄想かは分からない。

分からないが、突然現れた親友に新一は一縷の光を見出した。

 

そうだ、俺がピンチの時にはいつも助けてくれたじゃないか。

場面だとかタイミングだとか考えると、自分で自分の思い出を汚している感がして自分を無性に殴りたくなる。ミギーに謝れ。

 

自分を叱咤しながら心の中の親友に助けを求めると、不確かな形のミギーは告げた。

 

 

 

 

 

 

―――シンイチ、生物というのは生命の危機を感じる環境下では自らの子孫を残そうという本能が働くということだ。それを頭で押さえ付けるのは愚かしいことだと私は思うぞ

 

 

 

 

(な、何故今になってそんな話を!?)

 

何を血迷ったか、そう思っていたけどミギーが俺と村野のゴニョゴニョさせようとしていたことを思い出した。

あれ? もしかしてこいつ、未だに性行為のことを未練に思っていたの!?

それだけのために俺の頭の中に現れたというのか!?

俺の感動を返せ。俺に謝れ。

 

 

頭の中で囁いてくる悪魔を振り払いながら現実に戻る。

 

と、とりあえずこの状況を何とかしなくては!

 

「丈槍……も、もう大丈夫だからそろそろ……な?」

「あ、ちょっと待っ……て」

 

外の足音が遠ざかったのも既に俺の耳が察知していたため個室から出ようとする。

丈槍を見ないように背中を見せていたのだが、後ろから腹部辺りに腕を回されて止められた。

 

「た、丈槍? 何を……」

「……」

 

問いかけられた丈槍は俯いたまま俺の身体を離さない。

それよりも、俺はもっと大変なことに気付いた。

 

(腰に当たる二つのフニッとした小さくて柔らかい……ここここここここれってまさか……!?)

 

一つしか思いつかない、その答えに新一は大いに驚き、身体も硬直した。

もはや正気でいられなくなり、頭の中が熱で溶けていくように、思考も支離滅裂で何をしていいのか分からなくなっていく。

 

いくら幼く見えているとはいえ、丈槍は同い年であることを考えると動揺せずにはいられない。

村野でさえもここまで密着しなかったのに、そう思っていると丈槍が静かに呟いた。

 

 

「あのね……今日、変な夢を見たの……」

「ゆ、夢?」

 

 

突然、何を言うのかと思いながらも話しかけられたことで少し落ち着いた。

少なくとも慌てて素っ裸で出て行くことに抵抗を感じるくらいに。

少し落ち着いてきた俺に丈槍は続ける。

 

 

 

 

 

 

何もない、暗い所で私は二つの扉の前に立ってたの。

最初はよく分からなくて、皆を探したんだけどどこにもいなかったから、皆を探そうと扉を開けて覗いた。

 

そしたらね、一つの扉の向こうはいつもの、楽しかったころの教室の風景があった。

皆、同じ教室で授業を受けて、何気ない話で盛り上がって、一緒にお弁当食べて、笑って―――

 

まるで何事も無かったような平和な「がっこう」が目の前にあって、りーさんもくるみちゃんも、めぐねえもそこにいた。

それを見て、今までの怖かった場所が夢だったんだ。本当に帰る場所はそこだったんだ……そう思ってその扉の先に行こうとした時、もう一つの扉が勝手に開いたの。

 

なんだろうなぁ……って思いながらそっちを見たら、そっちはすごく怖くて、悲しかった。

 

 

血を全身に浴びた新ちゃんが無表情で泣いてた。

それだけじゃなくて、腕もナイフみたいな形に変わってた。

 

そして、夢の中の新ちゃんは暗い闇の中へ自分から向かって……消えていった。

 

 

 

 

「私ね、その時思ったんだ。『独りにしちゃいけない』って。そのまま追いかけて連れ出そうと血の部屋に入って―――目が覚めたの」

 

丈槍の話を背中越しで聞いていた俺は何も言えなかった。

多分、答えられなかった。

話してしまうと俺の全てを知られてしまいそうなほどに、丈槍の夢は恐ろしく確信を突いていた。

 

丈槍の夢は恐らく、丈槍の持つ「能力」が原因だと考える。

 

俺はくるみたちから「あの日」の話を聞いて、確信した。

丈槍は加奈ちゃんと同じ能力を持っている。

 

人間でありながらパラサイトを直感的に見分ける能力……本来、人が持っているかもしれない先天的な力。

大抵は観察眼に優れた人か、直感が鋭い人がパラサイトの正体を何となく程度で察するくらいだ。

 

しかし、稀にパラサイトを確実に見分けるような人間も出てくる。

少なくとも俺は二人、そういうことができる人を知っている。

 

そして、丈槍が同じ能力を持っていることにはあまり驚かなかった。

ただ、悲しかった。

 

その力は確かにパラサイトから逃げるにはこれ以上にない最適な能力かもしれない。

こんな世界になっちゃったけどここに住んでいるパラサイトが『奴ら』に後れを取るなんて想像もつかない。

それどころか、人間の大半が死に絶えたことでパラサイトの活動が活発化している恐れだってある。

そんな連中を相手に丈槍の力は正に武器と言ってもいい。

 

 

 

だけど、加奈ちゃんは能力を使って……パラサイトと俺を間違えて、死んだ。

俺のような()()()()はパラサイトはもちろん、加奈ちゃんのアンテナに引っかかる……恐らく、信号で俺とパラサイトを区別するのは嘘だったんだろう。

 

きっと、丈槍にもそんな危険が降りかかることになる。

 

(いや、もうそんなことはさせない)

 

少し弱気になってしまったけど、俺だってもう同じ失敗は繰り返させない。

どんな相手が来ようとも俺が何とかするしかない。

 

(そのためにも、まずは物資の確保が重要だな)

 

俺は何を置いてもまずは物資の確保だと考えていた。

このことは今朝の会議で進言しようとしていたことでもある。

 

多分、今回の意見で色々と思う所があるかもしれない。

現に「奴ら」の大襲撃が起こった直後なのだ、誰もが武器とかの調達をくるみ辺りが提案してきそう。

 

でも、それを含めても俺には考えがある。

 

それに関しては会議の時に言うとして

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そろそろ現実に目を向けようか。

 

「どうしたの?」

 

考え込んだ俺を心配しているようだけど、このアホっ娘は自分がどんな状況か忘れているのだろうか?

何か、腰の辺りに柔らかな感触と少し、ほんの少しだけぷっくりとした何かががががががが

 

「た、丈槍……君の悩みとかそういうのは何となく理解した。したんだけど……これはまずい」

「? なにが?」

 

気付け! 最初は恥ずかしがってたのに何でこんな慣れたんだよ!

確かに最初と比べて何か憑き物が落ちた様にすっきりした顔はしてるけど。

少し胸の内を話してすっきりしたのかな、よかったね。

 

じゃあ早く離れようか?

 

「とりあえず、俺はそっち見ないから早く別の所に行ってくれ。もしくは俺が出るから」

「ん~、でも今更だし……」

「そういうことじゃなくて……とりあえず出ようか! こんな所見つかったら俺の立場が……てか、なんで出ようとしないの!?」

「背中合わせならだいじょ~ぶ!」

「な訳あるか!」

 

あまり気にしていない丈槍の様子に業を煮やし、彼女の身体を俺の方に背中を向けるよう回転させて目を瞑った後、背中を押して無理矢理追い出す。

しかし、彼女はこの状況に慣れたのか出ようとせずにブーたれる。

自分が思っていた以上に中身がお子ちゃまな丈槍をどうしようかと悩みながら必死に策を練った。

 

 

 

 

 

―――シンイチ、今の君にこの言葉を送ろう、「据え膳食わぬは男の恥」さ

 

ちょっと待てミギー!! 何でこのタイミングで出てきた!?

いや、これはまだミギーから自立しきっていない俺の心の形というものなのか……にしてもこれはひどい!!

つか、その言葉の意味分かってて言ってんのか!! いや、お前のことだから分かってて言ってるんだろうな!!

時々、俺と村野にそういうことさせようとしてはいたけど、そこまで性行為に貪欲だったっけお前!?

 

思いもよらぬ形で心の友に裏切られたショックとミギーとの思い出を汚してしまった自分に嫌になりがらも頭の中はちゃんと事態の解決法を模索している。

思わぬ展開に少し混乱しかけた新一は強行策に出る。

 

丈槍の脇を抱えて無理矢理個室から出そうとした。

しかし、とりあえず外へ追い出そうとして周りに気が回っていなかった俺は失念していた。

 

「し、新一くん……ユキちゃん……」

 

目を瞑っているけど、その声は確かに聞こえた。

いつも聞き慣れているが、この場では聞こえて欲しくなかった声だった。

 

目覚ましでシャワーに来ていた先生とこんな所で鉢合わせをしたのだろう。

 

 

二人(俺と丈槍)が揃ってスッポンポンの所を見られた。

 

「先生、こ、これには訳g―――」

「二人とも、そこに座りなさい!!」

 

この後、二人そろってメチャクチャ正座させられて叱られた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

出発準備

丈槍とのハプニングが原因で俺たちは短い間ながらもミッチリと先生に叱られた。

シャワーから出て服を着た後、正座したままお叱りを受けたことと事情を説明したことで先生も納得してくれた。

特に俺の名誉を尊重してくるみと若狭には知られないように約束してくれた先生の厚意には俺も頭が上がらなかった。

 

ただ、説教が終わった後に丈槍(元凶)がテヘペロしてきたことにイラっとして頭にチョップを叩きこんだことだけは間違いじゃない。

 

(ともかく、やることはたくさんあるな……)

 

穏やかな時間の中でも頭を働かせることだけは止めない。

 

新一はこの数日の間で様々な計画を立てていたが、先の「奴ら」の集団襲撃で本来の計画を改めていた。

 

丈槍の能力の説明、物資確保、「奴ら」の襲撃、パラサイトの脅威

 

 

丈槍の能力は言うまでも無く説明し、その危険性を知ってもらうべきだ。

加奈の時は失敗してしまった、その時の失敗を繰り返してはいけない。

 

物資の確保も大事だ。

今回の襲撃で大幅に使える物資も減ったし、確保できるときに確保しなければならないことも思い知った。

 

今まで知性を見せなかった「奴ら」の襲撃は俺たちの見通しの甘さを思い知らせた。

そして実感する、本当の本当にこの世界は地獄になったのだと。

 

敵は「奴ら」だけとは限らない。

こんな状況でパラサイトがどう動くかは俺でも想像できない。

知性があり、攻撃手段がある点で言っても確実に「奴ら」より注意すべき相手だ。

 

 

今、考えられるだけでも解決すべき点は尽きない。

これらを一つ一つ確実に、それでいて迅速に解決しなければならないと気持ちを改める。

 

「大丈夫?」

 

さっきまで頭を押さえていた丈槍が心配そうに見つめてくる。

自分では悟られないようにしていたが、知らずに表情に出ていたのか。

丈槍がそういうのに鋭いのかもしれない。

 

「あぁ、色々やることがあるから考えてただけだよ」

「そっか……無理しないでね」

 

ただ、高校生には見えないくらいに幼く、どこか芯のある笑顔に頭の中に巣食っていた重さはどこかへ吹っ飛んだ気がした。

 

 

泉新一の一日はこうして始まる。

 

 

 

 

 

くるみと若狭が起きて全員そろって朝食を食べた後、既に恒例となっている一日の行動を決める会議が始まる。

二人が普段通りに接してくれていることから、約束通りシャワーでの件は黙っていてくれたらしい。

 

一つの懸念が解決したことに安心しながら毎回恒例のホワイトボードを用意する。

 

「毎回こんなことやってたんだね~」

「そうか、ユキは参加すること自体初めてだっけ」

「それまでずっと引きこもっていたからな」

「はうっ!」

 

くるみの一言に丈槍は奇声を発して打ちひしがれる。

丈槍も気にしているようだけど、くるみも偶に容赦ないな。

事実だからフォローしようがないけど、とりあえず慰める意味合いで猫耳帽子の上から頭を撫でてやる。

 

「そう言ってやるなよ。今はこうして立ち直ったことだしさ」

「分かってるよ。あんな状況なら仕方ないってこともさ」

「うぅ、くるみちゃんがイジワル~……」

 

立ち直った今なら大丈夫と思ったからこその軽口だったんだろう。

少し意地が悪かったくるみも謝りながら笑顔を見せる。

 

でも、こうして皆が集まった様子を見ると少しだけだけど、事件の前の平和な時間が戻ったと錯覚してしまうほどだった。

こうして見せる笑顔も皆がそれぞれ苦難を乗り越えた証拠でもある。

そして、俺のやってきたことが報われた気もした。

 

「はいはい、お喋りはそこまでにして、そろそろ始めるわよ」

「自由時間はまた後で、ね?」

「「はーい」」

 

抑え役の先生と若狭の制止に二人は素直に従った。

正直、女子たちのやり取りの合間に入って抑えるのは男子の俺ではまだ荷が重い。

今まで一緒に生活してきて何を今さら、って言われるかもしれないけど状況が状況だけにそんなに気安い間柄になるってわけでもなかったし。

やっぱり二人がいて助かる。

 

二人に感謝しながら黙々とホワイトボードに本日の議題を書き上げていく。

場慣れしているという理由からいつしか司会役に抜擢された新一が書き上げる手つきも慣れたものだった。

 

「じゃあ早速だけど、今日はこういう感じにしようと思うんだけど」

 

既に皆が着席したのを確認して箇条書きで書いていく。

 

・丈槍の力の説明

・物資の確保

 

項目としては少ないけど趣旨としては間違ってないし、やるとすれば今日一日が終わってしまうからだ。

「奴ら」の襲撃の後、くるみたちとは少し話していたけど、具体的な内容を話すのは今日が初めてとなる。

 

今まで会議を欠席していた丈槍以外はどこか納得したように頷く。

 

「あれ? 私って何かあったっけ?」

 

議題に挙がった本人は無意識故に自身の能力を把握しきれていないのが様子から見て分かる。

この話は少し俺にとってもリスクがあるけど、丈槍が能力を自覚していないのはあまりに危険すぎる。

そのため、今回はほとんどの真実と少しの嘘を混ぜる。

 

「あの襲撃の時、「奴ら」に追い詰められた時のことは聞いたけど、ひょっとして前々から俺の気配とか察知できてたんじゃないか?」

「あ、うん。そうだけど」

「じゃあ俺が学校にいる時の間はずっとそんな感じだった?」

「何となくだけど、新ちゃんの気配っていうのはいつも感じてたし、場所も分かってたんだよね……やっぱりこれって超能力だったりして」

 

超能力と言われればその通りかもしれない。

自分に特殊な力があったことに興奮しているのか目を輝かせている丈槍に周りは呆れたり苦笑を漏らしている。

 

でも、ここまで聞けばもう確定的だ。

やっぱりこの子にはパラサイトを察知する力がある。

勘が鋭いとは思っていたけど、やっぱりそういうのにも依存するものなのか。

 

変な所で感心していると、黙った俺にくるみが業を煮やした。

 

「で、ユキの超能力とやらが何なのか分かるのか?」

 

それに対しての答えは持っているけど、すぐには口に出せなかった。

この話は俺の根本的な中身に触れるような物だし、内容的にもかなり黒に近いグレーなものだ。

下手したら今日までの信用が全て崩れ去ってしまうのではないか、と思うと安直に切り出すことができなかった。

 

だけど、皆の安全と比べるなら俺の心配など比べるまでも無く軽い。

刹那の沈黙を断って口を開く。

 

「丈槍のそれはパラサイトを見分けることができる」

 

 

 

新一くんの口から出てきた内容は私たちの予想を上回ったもので、一瞬だけ思考が停止した。

ユキちゃんの力には私たちも助けられたから、どんな内容が来ても私は受け入れるつもりだった。

確かにユキちゃんは何故だか新一くんのことに関しては凄く鋭くて、オカルトとかを信じない私でも一瞬とはいえ超能力を信じかけたくらいだった。

 

だけど、新一くんの口から出た内容をそのまま信じたとしよう。

 

 

 

それはつまり、新一くんは人間じゃあ―――

 

「っ!?」

 

頭の中で整理し始めたと同時に、私はうすら寒い物を覚えて声にならない声を漏らしてしまった。

慌てて口に手を当てるも、聴覚が以上に発達した新一くんに聞こえていない訳が無かった。

 

その様子に新一くん自身も凄く居心地が悪そうに私から顔を背けた。

それを見て、私は改めて自分の迂闊な行動に罪悪感で一杯になった。

 

「あ、違うの! これは……ごめんなさい」

 

何が違うのか、無意識に出た言い訳を撤回して謝罪する。

周りを見るとくるみもめぐ姉も信じられない、といった様相で新一くんを見ていたが、それでも非難の声は出していなかった。

ユキちゃんだけは目を丸くして、事態を正しく把握できているかどうかも怪しい様子だ。

 

「いや、不気味に思うのは当然だよ。俺だって自覚くらいしてる」

 

そして本人は私の行動を許してくれたが、それでも気が晴れない。

安心させてくれるような笑みを見せるけど、どこか落胆された様に思えた。

 

「でも、俺は人間だし、皆を危険に晒すようなことは絶対にしない……これだけは信じて欲しい」

 

頭を下げて真摯に訴える彼の姿に胸が締め付けられる。

死を間近に迎えた時の圧迫感とはまた違う……ゆっくりと真綿で締め付けられるような苦しさを感じた。

 

「新一くん、私たちはあなたのことを疑ってないわ。だから、そんなこと言わないで……ね?」

「そ、そうだよ。お前はもう最初っから色々とアレだったし、なあ?」

「うわ、くるみちゃん。それは無いよ」

「うっ……いや、お前はあんま分かってないだろ!」

 

めぐ姉やくるみ、ユキちゃんは既に立ち直っている。

完全に、とは言わないけど、本心では新一くんを疑うなんてしたくないのだろう。

ユキちゃんはすでに新一くんの特殊性を最初に理解してたからショックもそんなに無いのだろう。

 

少し落ち着いたところで新一くんが切り出した。

 

「パラサイトは同族同士が感知できる信号のようなものがあるっていうのは覚えてる?」

 

ユキちゃん以外の皆は頷くのを見て話を続ける。

 

「だけど、例外がある。人間にもパラサイトの信号を感じることも、パラサイトの信号を発する人もいるんだ」

 

その事実に私たちは目を丸くした。

ある程度の知識は新一くんはともかく、ニュースでも持っていたつもりだったけど新一くんの知識はそれ以上だと思う。

事件の当事者なら当然と言えばそれで終わりだけど。

 

「そういう原因は俺にも分からないけど、丈槍みたいにできる人は俺を除いて二人くらいかな」

「え、じゃあ新一も……?」

「俺は信号を発するだけで察知はできないかな。色々あって生まれつきって訳じゃないけど」

 

本当に今更だけど、新一くんは色んな意味でも常識を逸脱したような人だった。

 

普通の高校生ではありえないほどの剛力、鋭すぎる五感、どんな状況でも一瞬で落ち着くほどの精神の強さ、そしてパラサイトと生きるか死ぬかを賭けた戦いを繰り広げた経歴

それでいて、性格は私たちと同じように素朴なものだった。

 

その全ては私たちから見ればあまりに異常過ぎた。

 

性格とか能力が何か当てはまらない、そういった違和感が目立つのだ。

今まで気にならなかったというよりも、気にすることをしてこなかった。

もし、気にしてしまえば彼が私たちの元から離れる気がしたから―――見て見ぬふりをしてきたのかもしれない。

 

今回の話を繋ぎ合わせると話が繋がる。

ようやく、辻褄が合ってしまうのだ。

 

それもまた、新一くんの歩んできた道なのだろう。

 

「一応聞くけど、今回の件とは無関係……なのよね?」

「それは間違いないよ。あれは人でもなければパラサイトでもない……両方の敵だと言ってもいい」

 

不安になって聞いた私の問いに新一くんは何の迷いも無く答えた。

真っすぐな答えに少なくとも私は彼が嘘をついていないことを悟った。

 

「ううん……変なこと聞いてごめんなさい」

 

だけど、私はまだ彼に不安を抱いてしまう。

今まで仲良くしてきた人たちに襲われたからだろうか、随分と疑り深くなってしまった。

機会があったら今度、じっくりと話そうかしら。

 

「で、ここからが本題だけど、安易にその力をあまり使わない方がいい」

「えぇ!? なんで!?」

 

ユキちゃんが驚いた。

その力のおかげで皆も無事に生き残ったのだからユキちゃんの気持ちは分かる。

しかも、力があれば新一くんの位置も把握できるから凄く頼りになると思うけど。

案の定、同じことを思っていたくるみも反論した。

 

「でもさ、そのユキの力があったから皆助かったわけじゃん。今後もああいう事態が起きるかもしれないし」

「ごめん、言い方が悪かった。正確にはあまり過信しない方がいいってことだよ」

「?」

 

一瞬、何を言ってるのか分からなかったけどすぐにめぐ姉が気が付いたように声を上げた。

 

「それは区別して認識とかできないってこと?」

「はい。細かい所まで認識したっていう人はいません」

「なるほど……」

 

めぐ姉は納得して難しい顔をする。

私たちを置いてけぼりにして考え込むのに対して少しじれったくなった。

 

「めぐ姉なにか分かったなら教えてくれよ」

「めぐ姉じゃなくて佐倉先生でしょ。まあそれはともかく……ユキちゃんの力はパラサイトの信号を察知できるってことよ。もちろん、その信号を発する人間も察知できるってことよ」

「うん」

「でも、その信号は細かい区別はできないってこと」

「「??」」

 

くるみとユキちゃんはまだ分かっていないのか二人そろって首を傾げる。

その姿にめぐ姉と新一くんは苦笑して私は呆れた。

今の説明でよく分かった。

 

「つまりね、ユキちゃんが信号をキャッチしたとするわね? そして、そこに行ったとします」

「「うんうん」」

「で、そこにいたのが新一くんじゃなくてパラサイトだったら?」

「「あ」」

 

そう、つまりそういうことだ。

ユキちゃんはパラサイトの信号をキャッチできるけど、その信号元が人かパラサイトか区別ができないという訳だった。

私たちの周りには新一くんしかいなかったからよかったものの、これから外へ出る時になったら当然、パラサイトもいるかもしれない。

その結果、パラサイトに出くわすことも考えられるということだ。

 

「うわー、そりゃあ考えると恐ろしいな……でも、この街にいるのかな?」

「ん~、新ちゃん以外にそんなの感じたこと無いし、よく分かんない」

「でも、この騒動で別の街から流れついたってのもあり得るわよ」

 

それだけは御免こうむりたいけど、新一くんの予想ではあり得ることだから考えた方がいいのだろう。

何でも、「奴ら」が大量に襲い掛かってもパラサイト一体だけで殲滅できるくらい強いというのだから、もはや悪夢でもある。

 

「でも、その力を正しく使えば生き残る確率もグンと上がるのも事実だし。とにかく信号をキャッチしたら注意するんだ。幸いにも丈槍はあまり集中しなければパラサイトの信号を発することは無いと思うし、あっちから気付かれる危険は今はそんなに無いと思うよ」

「う~ん、何だか難しいよ~」

「とにかく、信号をキャッチしたら相手を確認して、俺じゃなかったら逃げるようにね」

「う、うん……」

 

ユキちゃんも不安に思ったのか尻すぼみになってしまった。

でも、これまでの話を考えると、ユキちゃんの力はどの道必要になってくることは確かね。

少なくともパラサイトから逃げるための手段としてこれ以上の物はない。

 

「力についてはこれから少しずつ探っていくとして、次の議題に入ろうと思うけどいいかな?」

「意義なーし」

 

粗方の話は終わったのか、すぐに次の話へと移った。

ボードの半分を使って書いていた文字を消して振り向いたとき、少し違和感を感じた。

 

(あら?)

 

改めて見ると、彼の顔が影を落としたように暗い雰囲気を纏っている。

それが少し気になるより先に話は続くため、私の疑問は胸の内に閉まっておく。

 

「じゃあ後は物資の確保だけど、やっぱり学校の購買だけじゃあ限界があるから外でも補給したいと思うんだけど」

「皆も分かっているように外は学校よりも危険だということね」

「この前みたいに襲撃されたらそういう意味でも面倒になるんだよなぁ」

「でも、ユキちゃんのアイディアのおかげで「奴ら」の行動もそれなりに予測できるようになったと言ってもそれはこの学校の生徒だけの話になるのよね」

「な~んか難しいねぇ」

 

ユキちゃんは早々に参ったのか机に突っ伏した。

というのも、この前の「奴ら」の襲撃を退けたのはユキちゃんのおかげでもあった。

 

私たちはなんとか生徒会室にまで逃れたけど、依然として「奴ら」の大群が下の階を埋め尽くしている。

いくら新一くんでも殲滅は不可能であり、このまま静かになるまで耐えるしかないと覚悟を決めたときだった。

 

「これって雨宿りしてるんじゃないかな? だったら放送かけたら帰るかも」

 

最初はふざけているかと思ってしまったけど、雨が降ったのと「奴ら」が襲撃してきたタイミングを考えると真っ向から否定できなかった。

そして、新一くんも思い当たる節があったことと他にできることが無いことから一縷の望みをかけて試すこととなった。

幸いにも放送室までは「奴ら」の進行が届いてない場所だったからそんなに苦労することなく辿り着き、放送をかけた。

 

その結果、「奴ら」は学校から出て行った。

 

思いもしなかった「奴ら」の性質とユキちゃんの奇策に私たちは危機を乗り越えることができたのだった。

そして、今回の件で「奴ら」の特徴を掴み、それが私たちにとっての希望の一つと言えた。

 

そして、雨の度に「奴ら」が襲撃してくる可能性があると分かり、急遽としての物資確保が課題となった。

前々から少しずつ話していたことだから別に驚くことはなかった。

 

「移動手段はめぐ姉の車ってことで、場所はやっぱりあのデパートだよなぁ、やっぱ」

「でも、私の車もそんなに物は入らないわ。最低限の衣服や器具が限度ね」

「どうしてもっていうなら、どこかで車を盗るしかないかもな。鍵ははぎ取るか盗るかになるけど」

「「「「……」」」」

「いや、そんな目で見ないでくれ! こんな状況だからそういう必要も出てくるってことだよ!」

 

偶に、本当にたま~にだけど新一くんって物騒なことを言うし考えもするのね。

今まで凄まじい戦いをしてきたというから仕方ないとは思うけど、私たちとは少し違うのだと思わされる。

 

「と、とにかく! 当面の目標は物資を集めるということでいいかな?」

 

その決定に皆も異議はない。

また「奴ら」が襲撃してこないとも言い切れない現状では物資調達は最優先事項だと言える。

 

今回のように閉じ込められて食料も何もかも尽きたと想像すると、考えるだけで気が狂いそうだった。

 

「もし行くとするなら平日の昼か朝が比較的危険も少なそうだし、色々と準備もあるから三日後くらいでいいんじゃないか?」

「そうだな。デパートの道筋も分かるし、俺が前もって道筋の下見に行くこともできるし」

「おま、冗談でも不安になるようなことはいうなよな」

「新一くん。無茶しちゃ駄目よ」

「その辺なら大丈夫だよ若狭。学校の周りって住宅街だから屋根から伝っていけばある程度は遠くまで行けると思うし」

「「「「……」」」」

「いや、だからそんな目で見ないでくれよ!」

 

それは仕方ない。

唐突に突飛も無いことを平然と言われればその感性を疑いたくもなるわよ。

やっぱり、私たちとは感性も違うのかしら?

 

でも、だからこそ私たちはこうして生きていられるのだけどね。

 

「じゃあ、本日の会議はここまでにしましょう。まだまだやることは一杯あるから皆も気合入れてね?」

 

めぐ姉の締めくくりに皆が返事をして会議はお開きになった。

 

初めて全員が揃い、初めて皆が一丸となって目標を定められて充実した気持ちを迎えることができたのは久しぶりかもしれない。




次回からようやくデパート編になります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三章 遠足
遠足日和


忙しかった毎日の中、余った時間で書き上げました。
今更ですが、ようやく遠足編です。


外へ出る。

 

物資確保の方針として思い切った行動を決めてから三日が経った。

本日が外出の日である。

朝の内からカラっと晴れ渡った天気に一息つく。

 

(この機に少しでも街に慣れておきたいな)

 

雨でも降られて「奴ら」が大量発生する心配は今の所なさそうだ。

かと言って夕立とか急な雨も考えられるため、改めて仕掛けた簡易系の罠が上手く作動することを祈ろう。

 

(万全に万全を重ねすぎる……なんて無いしな)

 

まだまだ「奴ら」に関して分かった気でいたけれど、その実、何も分かっていなかった。

今日の遠征……っと、そう言えば丈槍の言うように「遠足」と言うべきなんだろう。

 

現在、起きたばかりで布団から身を起こしたばかりだというのに頭は妙に冴えている。

こういう時、自分の中の人間じゃない部分と言うものを強く実感する。

気を抜けば食われてしまうだろう時でもしっかりと熟睡し、いつものように飯を食う。

普通ならこんな状況で精神的にも参ってしまうはずなのに、俺はこんな状況にすっかり慣れてしまった。

皆よりも多くの血を浴びてきたのに、今では驚くほどに気も重くない。

この状況に慣れてしまったことに喜ぶべきか、嘆くべきか迷う所だ。

 

(ちょっと待て、なんでこんな朝から変なことを考えてるんだ俺は)

 

不毛な考えを頭から追い出し、着替えて皆がいるであろう生徒会室へ足を運んだ。

 

 

 

 

生徒会室へ来ると皆はもう既に集まっていた。

戸を開けると皆の視線が俺の所へ集まるのを感じて挨拶する。

 

「おはよう、今日も早いね」

「はよ。まあな、今日は色々と大切な日だからな」

「はよー! 今日は遠足だしね!」

「挨拶はちゃんと返さないとダメよ。新一くんもおはよう」

「おはよう。新一くんの方こそ眠れた? 気分が悪かったら先生にすぐに言うのよ?」

 

それぞれの個性を表したかのような挨拶に苦笑しながら返す。

こんなにも凄惨な日常なのに、こうしていつも通りの風景を見てるとさっきまでの微妙な気分も晴れるのを感じた。

そんなことを考えながら、今日の朝食が置かれた席に座って皆と一緒に手を合わせた。

 

「「「「「いただきます」」」」」

 

今日は初めて外に出る大事な日。

それでも俺たちはいつもと変わらない。

あの一件以来、皆はどんなことがあっても朝の挨拶は欠かさない。

 

今日も一日、皆と一緒に生きて、不幸な状況に変えない様にと無意識に、全員で願掛けををこめていたのかもしれない。

その後、朝食として出された乾パンに丈槍が「はふぅ~」とか「モーレツゥー!」とか喘ぎながら絶賛したのを皆で苦笑していた。

乾パンが意外にもいけるのは同意だけど、やっぱパサパサ感だけはまだ苦手だった。

 

 

 

皆で朝食を食べ終え、簡単な後片付けと掃除を終えた所で早速本題に入った。

小休止のコーヒーを卓においてホワイトボードを持ち出し、俺がボードに書き込んでいく。

 

今更だけど、既に俺の立ち位置が司会役として安定してしまっていた。

 

「さて、今日は外に出る日だけど最後の確認をしようか」

 

外へ出るという方針が決まってから少しずつ皆と話し合って何をすべきかどうかを話し合ってきた。

その度に外でやることの計画を煮詰め、ようやく昨日に大方の行動方針が決まった。

やることも限られた貴重な機会だけどやりたいことも形になったことで、ようやく今日実行できるようになった。

 

「それじゃあ、今日は電灯や衣料品などの生活物資の調達、連絡用トランシーバー、実地状況の確認、最後に生存者の捜索と接触……こんなもんだけど、他にもまだ希望はあるかな?」

 

皆もここまでの提案に意義が無いのか最終確認にも沈黙と言う名の了承で返した。

 

「俺はこれから先生の車を取に行くから皆は何とか入り口付近で待機、くるみは露払いよろしく」

「それはいいけど……お前、車の運転なんてできるのか? あたしは覚えがあるから一緒に行ったほうがいいんじゃないのか?」

 

運転かぁ、俺はしてないけど一度はミギーも運転してたし今までの仮説が正しければハンドル捌きも右手でいけば何とかなるはず。

 

「一度だけ運転したことあるし、短距離なら問題ないと思う」

「経験者って……まぁ、今は何も聞かないけど」

「納得したならそれでいこう! 早くしないとまた群がってくるよ!」

 

不穏な発言に先生の視線が鋭くなったことを感じて話を切り上げる。

今が世紀末的だから大分麻痺してきたけど、普通に犯罪歴を軽々しく言うのは止めよう。

反省しながら俺は先生から鍵を受け取って先に出た。

 

 

「ユキちゃん、変なことして罠に触れないようにね?」

「むー、そこまでドジじゃないよー」

「不安なんだよなぁ、お前は」

「くるみちゃん! 私への信頼が足りないよ!?」

 

新一くんが出て行ったのを見送ってから私たちもすぐに行動した。

素早さの重要性は既に先の件から学んだ私たちの行動は早く、既に手慣れたものとなった。

何だかんだ、完全ではないにしろ皆もこの状況にようやく順応出来てきたことを感じる。

 

それがいいことか悪いことか分からないけど、少なくとも今、この状況においては必要なことなのだろう。

見た感じ、事件前と変わらない様に見えるのは新一くんの尽力の他にも、過ごしてきた環境もあるのだろう。

 

詳しいことは分からないけど、外国の大学で疑似的な刑務所の生活をしたことがあった。

学生たちが囚人、刑務官に分かれ、寝床も食事も全て忠実に再現した。

その結果、生徒たちは本来の目標、自分の立ち位置を全て見失い、完全な刑務所の生活が出来上がった。

その実験の最後は、生徒たちの行動がエスカレートしたということで途中で止めたという。

 

(学校には色々助けられたわね)

 

人間は環境一つで影響を受けるか弱い存在だ。

この子たちは今を生き残るので精一杯だ。

だからこそ、教師であり、ただ一人の大人である私がしっかりしなきゃ。

 

「おーい、めぐ姉。早くー」

「あ、うん。今行くわ」

 

私が生徒会室を最後に出て、鍵を閉めたのを確認して階段へと降りていく。

この先、外の世界で何が起こるのかは分からないけれど、彼女たちは征く。

 

何かを掴めるだろうという淡い希望を胸に秘めて。

 

 

二階の空いた教室

 

緊急用の梯子が降ろされた先を見て新一は下でノロノロと蠢く「奴ら」を見下ろしていた。

 

(何度見ても……呆れるほどに大したことないな)

 

確かに「奴ら」は人を食うようになったし、ただ一心不乱に食うことのみを考えているから、如何に知性が無くても「群」としての行動が一致している。

だからこそ、「奴ら」は群れた時、その真価を発揮する。

無意識的に統率された群は、ある意味では軍隊よりも恐ろしい物がある。

しかも、痛みとか苦痛は感じず、それで怯むことは無い。

 

考えれば考えるほどに恐ろしい、恐ろしいはずなのに。

 

(あんな……あんなのが皆を殺そうとしたのか……)

 

見れば見るほど、新一は「奴ら」をただの人を食うケダモノにしか見れなくなっていた。

いつしか抱いていた憐れみも、今ではやり場のない矛盾を含んだ……中途半端な怒りへすり替わっていた。

 

(この、ケダモノどもがっ!!)

 

あの日を忘れない。

あの雨の日、少しでも自分が遅れてたら皆は食われていた。

 

生きたまま、苦しみながら、一方的に。

 

 

あの日から、その時のことを思い出すたびに胸の中の怒りは再燃する。

彼とて、元々は「奴ら」自体が被害者だということを忘れてはいない。

 

そのことに気付いているからこそ、その怒りはより一層の勢いを増す。

このままだと、自分はまたよからぬことをしでかす。

そう感じた新一は胸に手を当て、ゆっくり深呼吸をする。

 

(……とりあえず動こう。そして、皆と合流しよう)

 

大丈夫、皆が傍にいれば自分はどこまでも強くなれる。

皆といれば、本当の自分に戻れる。

 

自分の中の感情を抑え、新一は冷静に駐車場への最短距離を計算し、どう動くかをシミュレートする。

 

(運転かぁ。何かあったら弁償かなぁ……)

 

ただ、どんなに頭の中で整理しても車の運転だけは自信が無い。

これまでの経験で、右手でなら運転できるかもしれないが、そんなものの確信もないし、できたとしてもアクセルとかペダルとか右手だけで運転できるほど車も甘くない。

 

こんな事態だから多少のミスは許されてもいい、とは思うけど、流石に弁償とかを考えるとプレッシャーはある。

世界が非常識になっても、新一の中ではまだまだ常識はある。

 

(ええい、ままよ!)

 

そして、考えるのを無駄と判断し、新一は覚悟を決めた。

今は自分の課した役割をこなすことだけに集中する、それが第一。

 

後の被害は考えないようにし、窓から勢いよく躍り出て「奴ら」の集団のど真ん中で着地した。

 

 

新一と二手に分かれたくるみ達は予定通りに正面玄関の元へ向かっていた。

できるだけ「奴ら」と出くわさないようなルートを辿りながら、且つ速やかに移動している。

敵がうろついている校内の移動は彼女たちにとって荷が重いように思われるが、実際はそうでもなかった。

 

新一が常日頃から「奴ら」を駆逐していたことと「奴ら」の大群が乗り込んできた日に再び追い返したことが関係あるのか、校内ではそれほど遭遇しなかった。

もう少し苦戦するかもしれないと覚悟してシャベルを持ってきたくるみは不謹慎ではあるが、肩透かしを食らった気分だった。

 

「あたし、いらなかったな」

「そんなことないわ。今回は運が良かっただけで、毎回こうだとは限らないもの」

「ええ、万が一の可能性も考慮して慎重になり過ぎるなんてことはないものね。前のことだってあったことだし」

「それは分かるんだけどなぁ」

 

少しの冗談にも真面目な二人は真剣に返してくるため、少し圧倒されてしまった。

 

とはいえ、くるみも二人が言わんとしていることは分かるし、それが悪いこととは思っていない。

ただ一つの懸念を除けば。

 

(それを言うなら新一もそうなんだけどな)

 

ここまで生き延び、協力し合ってきたからこそ新一の途方のない潜在能力も必要性も強さも身に染みて理解している。

皆、自分も含めてだが、新一に対しての「万が一」を失念しているように思えた。

 

自分たちとは同じ人間とは思えない力を有し、そこらの運動選手とは比べるまでも無いほどに優れた運動神経、力強さを兼ね備えている。

更には五感能力までズバ抜けて高いときた……ここまでの要素が揃っていると知った今では事件前にあったであろう運動部の部員としてのプライドもちっぽけな物に思えてならない。

もちろん、プライドに関しては意識していないために気にもならないが、くるみの懸念は他の所にある。

 

 

ふと、自分が持っている血糊の付いたシャベルを見下ろした。

 

 

(肉を潰す感触……)

 

今日に至るまで、くるみは新一の監修の下で「奴ら」との戦い方を学んでいた。

「奴ら」の大行進では勇んで武器を振り回し、道を拓こうとしたが、結果としてくるみは「奴ら」の前に屈した。

普段から平和に生き、シャベルを振り回して「人の形をした肉」を叩き潰す経験さえなかった彼女を責められる訳が無い。

しかし、くるみはその時を思い返すたびに自分の無力さを嘆き、嫌悪し、恐怖で満たされる。

 

相手が普通でない、敵だったとしても、「奴ら」を叩き潰した時の罪悪感と嫌悪感はくるみの精神を確かに蝕んでいた。

人の命は一つであっても万金に勝る重みがある、くるみの苦悩はむしろ正常である。

 

最近では夢にまで出てくるほどになっていたが、それでもくるみの精神が異常をきたすほどではなかった。

その原因と言うのが、言うまでもなく新一である。

 

 

 

新一はずっと、こんな気持ちだったのか?

 

 

 

シャベルを通して伝わってくる生命(?)を叩き潰す感触……元が死人であっても気分がいいものじゃない。

それを平然とする者は、もはや人間ではない―――獣だ。

 

情を持つ人間だからこその苦悩を初めて実感したからこそ、新一に既視感を感じることができた。

自分よりも遥かに多く「奴ら」を葬ってきた新一の苦悩は如何なるものなのだろうか?

 

 

(あたしじゃあ、無理だな……)

 

もし、新一がいなくて、「奴ら」を叩き潰す役割が自分だけだったら?

そんな想像をすると、蒸し暑い夏の気温とは裏腹に悪寒を感じて震えてくる。

 

もし自分一人だけで、自分の気持ちを共有してくれる人がいなかったら……どこかで諦めていたのかもしれない。

「奴ら」になったとはいえ、他人を叩き潰して自分だけが生き残る生活に疲れていたかもしれない。

 

もしかしたら、感覚がマヒして危険地帯であろうとも躊躇なく駆けだしては無茶やって、最後は「奴ら」になってしまっていたかもしれない。

 

これはただの想像であるけれども、既にその考えられる最悪を体現した夢を一度見てしまったのだ。

まるで自分じゃないようだった……もはや自暴自棄になっているとしか思えなかった。

 

 

でも、『こっち』のあたしはそうならない。

何故なら、新一がいるから。

 

当初はあたしから新一に頼んで戦う極意とかを教えてもらうよう頼み込んだ。

最初は難色を示していた新一も今の状況とあたしの決意を聞いて、ようやく不承不承にも納得してくれた。

 

「奴ら」と本格的に戦って、初めて新一の立ち位置を理解できた気がする。

新一は危うい、あたしよりも、夢の中のあたしよりも、だ。

 

 

恐怖を感じなければならない。

 

無茶はしてはならない。

 

根拠のない蛮勇を抱いては成らない。

 

 

密かにあたしが決めた三箇条。

この誓いを護る限り、あたしは正気でいられる。

どんなに苦しい現実でも、あたしだけは正気でいなくちゃならない。

 

 

新一、もしお前がどこかで挫けても落胆なんてしない。

お前の気持ちは、あたしが分かってる。

 

 

 

武器を取った少女は苦悩しながら、皮肉にも少年の気持ちの一端に触れることができた。

少年の苦痛を唯一、理解できているとしたら間違いなく彼女だけだろう。

 

 

だからこそ、自分から茨の道を選ぶ。

全てを失った世界の中で正気を保つことが、少年を獣にしない唯一の手だと信じて。

 

 

地獄の中で正気を保つことこそ、最も苦しいものだと覚悟を決めていた。

 

 

 

一同が正面玄関に向かっている頃、新一は苦戦を強いられていた。

 

 

時は数分前から遡る。

 

教室から外に出ると、予想通り「奴ら」がゆったりとした動きで群がってきた。

あまりに遅すぎる動きに拍子抜けして油断しそうな気持に喝を入れて駆けだした。

 

数は多い。それでも新一にとっては止まっているように見えるため、その隙間を抜けていくなど造作もないことだった。

そして、めぐ姉からは車種も色や特徴を教えてもらっていたため駐車場に到着して車に乗り込むまで焦るようなアクシデントも無かった。

 

しかし、その後に自分の迂闊さを痛感した。

 

 

(サイドブレーキってどれだっけ!?)

 

新一は車の動かし方がまるで分からなかった。

 

車に乗り込んで、運転席に座った後で新一は気付いた。

父が使っていた車の構造とはまるで違った。

 

子供のころから父が運転する前にやる動作が記憶にあったことと、ミギーが一度だけとはいえ運転した経験もあったことから新一は無意識的に何とかなると思い込み、結果的には読みを盛大に外した。

 

(えっと、たしか足にあるのを踏めって……)

 

もちろん、事前に持ち主からある程度の操作方法を教わっていたため、全く打つ手がないと言うことはないけど自分の記憶の中のギャップに焦ってしまい、レクチャーした内容も頭から吹っ飛んでしまった。

 

そして、すぐに冷静になれる新一が焦らせる理由はもう一つある。

その原因となるものを見つめて新一は冷や汗を流した。

 

 

運転席の窓にポッカリと空いている大穴を見つめて。

 

(やっちゃったなぁ……これ)

 

割れ、大穴が開いた窓を見て何とも言えない気持ちになる。

 

結果的に言えば、窓は新一が殴って割った。

 

しかし、これはワザとではなく、かと言って不可抗力かと問われれば微妙な所である。

簡単に言えば、車を動かそうと焦っている時に何の前触れも無く「奴ら」が窓にへばりついたのを新一は驚いて反射的に右手を繰り出し、奴らもろとも窓に穴を空けた。

普通なら鋭い五感で気付くものだが、新一は何かに集中したり動揺したりすると五感が鈍る傾向がみられる。

 

車の構造に軽い驚きを覚えた刹那のタイミング、「奴ら」の襲来があって新一は驚き、手を出してしまった。

 

先生の車を破損させた焦りが新一の中で燻り続けていた。

 

(どうするか、謝って許してくれるだろうか……)

 

今まさに車の周りを囲まれているというのに、新一は利き手で「奴ら」を弾き飛ばしながら命の危険よりも車を破壊した罪悪感に悩んでいた。

もはや、この状況に慣れたと言わんばかりの神経の図太さである。

 

そして、四苦八苦しながらも車を操作し、ようやく動かすことができた。

 

(よし、動いた!!)

 

心の中でガッツポーズをしながらゆっくりとアクセルを踏んで前進する。

その際、窓から頭を入れ始めていた「奴ら」の頭部を鷲掴みにして首を捻ってへし折る器用さも見せる。

 

そのままゆっくりとアクセルを踏みながら駐車場から出る時、慎重にハンドルを切って出ようとする。

 

(おぉ、何だかでかいラジコンみたいだな)

 

人生初の運転にある種の感動を覚えながらハンドルを切っていると、そこで嫌な音が響き渡った。

それと同時に微振動が車を揺らす。

その瞬間、浮かれていた気持ちが引っ込んで素の小市民的感情がむき出しになる。

 

(やばっ!! 擦った!!)

 

新一のハンドル捌きが不完全であるために隣の車のバンパーと接してしまい、小気味のいい音を出しながら綺麗なボディに一筋の長い傷を創る。

もはやここまで行くと言い訳などできなくなるほどに。

 

バックして被害を抑えようにも既に車には「奴ら」が群がっているため断念した。

それよりも「奴ら」を振り落とすことが先決だと判断した新一は心の中で先生に謝った。

 

(すみません!!)

 

右手をハンドルに添え、覚悟を決めた瞬間にアクセルを全開に踏み込んだ。

その瞬間、甲高い音とけたたましい衝撃音と共に「奴ら」は盛大に吹き飛んだ。

 

 

 

既に玄関に到着していたユキたちは物陰に身を潜めながら新一の到着を待っていた。

予想よりも到着が遅れている新一に皆は最悪の展開を予想するが、そんな考えを上書きするように轟音が響き渡った。

 

轟音と言うよりも、何かが壊れたり引っ掻いたりするような音だった。

「奴ら」が意味のない破壊をするとは考えられず、必然的に新一と関係あることだと容易に思い至った。

 

「何やってんだ?」

「様子がおかしいわね……トラブルかしら?」

 

くるみとりーさんは純粋に心配しているように見えるが、その実、どことなく不安を覚えていた。

ある種、別の不安を。

 

何故なら、そのぶつかったような音が一定のリズムを保って響いてくるからである。

明らかに人為的に起こされている音に皆は微妙な表情になってきた。

そして、車の持ち主だけは光を失った目で音が響く方向を向いている。

 

「くるま……私の……」

「め、めぐ姉? 大丈夫……?」

 

放心している恩師を必死に慰めようとしているユキの言葉はめぐ姉には届かない。

響いてくる音からして、もはや凄惨な姿しか想像できなくなっていた。

 

恩師を気の毒そうに見つめていたくるみとりーさんは辺りを見張っていた時、視界の端に動くものを捉えた。二人同時にその方向に目を向ける。

 

「「あ」」

 

思わず声に出してしまった。

 

 

血糊をベッタリと付着させ、所々凹んだボディーの車が近づいてきた。

 

うわぁー、と思いながら物騒な外見の車を見つめるくるみとりーさん。

冷や汗を流して近づいてくる車を見つめるユキ。

変わり果てた愛車を光を失った目で見つめる車の持ち主(めぐ姉)

 

その車が玄関前で停まり、派手に空いた窓ガラス越しに乗車してた新一が申し訳なさそうに頭を下げた。

 

 

 

 

「あの、ほんと、すみませんでした……」

 

呆然とするめぐ姉の口から小さく「わたしの、くるま……」と漏れた言葉は誰の耳にも届くことはなく、ただ青々とした空の中へと消えていった。




順調だったのに、ここに来て痛恨のミスを犯した新一くん。
原作では死んでしまっためぐ姉の身代わりとなったのは車先輩。
それにしても「奴ら」は群がっている中でこの面子、余裕である。

ここでのくるみは新一の後方支援という立場となっているため、原作ほどのアグレッシブさはありません。
それどころか、危険に対しては人一倍に警戒し、新一の危うさを理解した点で言うなら、最も新一に近い存在と言えます。

それでは、まだまだ忙しく、遅くなりますが次回にお会いしましょう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

予兆の兆し

色々と落ち着いたので投稿しました。
今まで書けなかった分、今作では過去最長の話になりました。
その割にはストーリーが進んでいませんが、そこはリハビリの結果として受け止めてくださいお願いします。

そして今更ですが、「君の名は。」見に行きました。
あんな恋愛、してみたかったと思いました、まる


リバーシティ・トロン・ショッピングモールの用務員室

 

朝早いため、寝ているるーちゃんの横で宇田と美紀、圭がノートを広げて話し合っている。

 

「習慣……ですか?」

「うん。ここに来てからゾンビの行動パターンを調べてみた時の結果をノートにまとめてみた」

「そんなことしてたんですか!? 危険ですよ!」

「でも、これすごいよ美紀。色んなパターンからの分析までされてる……本当に凄い……」

 

危機的状況の中で敵の調査をしていたことを聞いて二人は宇田の評価を改めた。

いつもの気弱な態度とは想像もつかないほどの行動力で彼に対して心強さを感じていた。

 

マジマジと丁寧に、ビッシリと書き込まれたノートをめくる二人から評価を上げられているなどとは知らない宇田の内心は不安しかなかった。

 

(いや、僕もパターンなんて知らないんだけど……)

 

大体の調査を行ったのは全てジョーである。

無理矢理「奴ら」が徘徊している場所に引っ張られたと思いきやノート片手に持たされてせっせと「奴ら」の狩りを始めた時は本当に焦った。

あまりにビビると正論の混じった罵倒が飛んでくるため、成されるがままになっていた。

 

(何で急に研究を始めたのかを聞くと『俺はいい加減なことは言わねえタチなんだよ』とか言って結局教えてくれなかったんだよな……はは、完全にヒモじゃないか……)

 

どこか疎外感を感じながら人知れず落ち込む。

ちなみに、今は宇田の口に擬態したジョーが全面的に話しているため、宇田自体はただ聞くだけの立場にいた。

ジョーが語り役と決まった時、なんか僕らって眠りの探偵と少年探偵みたいだな~……とか密かに思ったのは余談である。

 

そんな宇田が遠い目をしていると、美紀が細かい部分に気付いた。

 

「平日と休日での数だと明らかに違う……」

「本当だ。まるで家族連れが来たみたいに増えたり減ったりしてる」

 

圭も追従するように美紀の指摘に気付かされ、誰も知らない所で宇田も僅かな差異に気が付いた。

そんな中で宇田の口調を真似るジョーは続ける。

 

「天気別に調べた結果の方が顕著だった。ゾンビの野郎、雨が降った瞬間に集まってきやが……きたよ」

 

乱暴な口調が漏れて宇田は内心で冷や汗を流したが、二人は既にそんなところにまで頭が働かないほどの驚愕を思い知った。

ノートをめくる度に「奴ら」の本質の一旦を垣間見て、受ける衝撃も次第に大きくなっていく。

 

バイトのシフト表、事務室での人員名簿、途中で奪ったとされる免許証などの身元証明書……事細かにまとめられた証拠品の全てが二人を必然的な結果へ誘導していく。

 

「ゾンビは……生きていた時の行動に左右されている?」

「現在の見立てではその可能性の方が高いね。知性に目を瞑れば中々に効率的な所もあるし、本能的でしないとも言える」

「本能……ですか?」

「例えばこの雨宿りの行動だけど、これは自身のエネルギー確保とも考えられる。生物はどんな行動にせよ熱を使い、熱が無ければ動くことすらできないからね」

「で、でも、それなら益々おかしくないですか? 奴らは既に死んでいて、冷たくなってるのに動き続けるだなんて」

「そこは分からない。僕は学者じゃないからね」

 

事実、普通の生物の構造から考えると「奴ら」の異常性が際立つのも確か。

ある程度の予想はできるものの、勘に頼った不明瞭な答えを高い知能を持ったパラサイト独特の性質が認めなかった。

 

ただ、今のようにモーテルで引きこもる生活にもいつしか限界はくる。

事実、冷房が切れたこともあってスーパーの缶詰や乾き物、シリアル系以外の食品は全て腐ってしまった。

タイムリミットはすぐそこにまで迫っている。

だからこそ、二人は宇田たちの言わんとしていることをすぐに理解した。

 

「上手く、いくんですか?」

「……正直言って、怪しい。観察したとはいえ、奴らがいつもデータ通りにいくとは限らない」

 

僅かな希望的観点も望めない状況に二人は肩を落とし、俯く。

そんな二人の様子にジョーは感慨無しに思う。

 

(やっぱりこうなんのかよ……くそ、今は時間が惜しいというのに)

 

長い間、人間という生物を見てきたが、未だにその本質を理解しきれていない。

目の前に明確な危機が迫っているのに、ここまでお膳立てしても動かないなど、どれだけ危機察知に欠けることか。

どう転ぼうとも死ぬ可能性が捨てきれない状況で最も死ぬ確率の低い策を弄したにもかかわらず、だ。

 

項垂れる二人を前にジョーは失望しなかった。

しかし、期待もしてなかった。

 

前々から感情の有無による認識の違いは自覚していたが、やはり未だに理解に苦しむという気持ちがあった。

ましてや落ち込む人間を言いくるめる技量なんて持ち合わせていないし、知っててもただ面倒なだけだ。

 

面倒な状況になったと感じたジョーは周りに気取られることなく、普段の寄生場所へと戻って行った。

 

(こいつ、逃げたな)

 

急に支配権を移された宇田はジョーの心情を見抜いてため息を吐いた。

とはいえ、面倒事を押し付けるのは今さらだと諦め、二人に笑いかける。

 

「とにかく、今は英気を養おうね? 脱出の手順とかも覚悟を決めた時でいいから」

 

二人には何とか作った必死の笑みを向けると、申し訳なさそうに頭を下げて謝った。

僕は気にしない様にと断ってから本日の朝食の調達へ向かう。

 

実際にジョーの言うことが正しいことは分かる。

でも、今まで平和に暮らしてきた女の子にはあまりに酷な選択であることも理解できる。

今の状況だけ見て強引に脱出を試みても、覚悟できていない二人では危険だ。

 

せめて、今日だけは二人きりにしようと思いながら僕たちは僕たちなりにできることをしようと思った。

 

 

「奴ら」の出現で荒れ果てた住宅街を車が走る。

荒廃した住宅街と比較しても違和感が無いほどにボロボロになったミニクーパは荒れた道を辿って行く。

 

そんな小型車の中では何とも言えない空気が流れていた。

 

「めぐ姉はまだ落ち込み中?」

「……」

 

暗い空気を醸し出しながらハンドルを操作するめぐ姉にユキが尋ねても反応を示さない。

その様子に皆、特に新一が後部座席で小さくなる。

 

「あの、今回のことは本当に申し訳ありませんでした」

「いえ、新一くんが悪いんじゃないの……元々からこうなるって可能性はあったし、これも覚悟の上だって分かってたんだけど……ね」

「あ、はい」

 

これである。

素直に自分の非を認めて謝罪するとネガティブになっていく。

さっきからこの調子である。

かなり思い入れがあったのか、車の話題になるとかなり落ち込む。

 

この状態で慰めると面倒になることが目に見えているため、くるみたちも不用意に話しかけることができないでいる。

ただ成り行きを見守っていると、我慢できなくなってじれったくなったユキが声を張り上げた。

 

「もーっ! めぐ姉ってばしつこい! 車なんて周りのに比べたらマシじゃん! 動くし!」

「元も子もねえな、おい」

「ユキちゃん、落ち着いて、ね?」

「こんな時なんだから、車なんていつかはこうなってたよ。ただ、その時期が早くなっただけだって」

 

あまりの言いようにくるみと新一が引き攣った表情で、りーさんも困ったようにユキを宥める。

ユキの言い分も分かるが、めぐ姉の心情も分からない訳ではない。

くるみたち、特に新一はそれを理解しているから見守っていたのだが、ユキはそういう所に遠慮はなかった。

宥めて抑えようとした時、めぐ姉がそれを止めた。

 

「いいの、私だってボロボロになったのが車で済んでよかったとは思っているの。新一くんが傷付くことと比べたら……いえ、比べるまでもなく新一くんや皆のことが第一だもの」

 

ユキの発言に対しては思ったよりも肯定的に返してきたことで少しホっとした。

 

ユキが言わなくてもめぐ姉自身も今、何が一番大事かなんて理解している。

とはいえ、この車はめぐ姉が教師になったお祝いに両親から送られた物だということもあり、思い出深い品であることは間違いないだろう。

しかし、めぐ姉の懸念は別の所にあり、悩んでいた理由もそれにあった。

 

「ただ、これからも外での物資集めも必要になりそうだし……その度に車もこんな感じにされちゃ苦労しそうだなぁって」

「うっ……すいません」

「いえ、新一くんはまだ未成年で運転も習ってないでしょ? 仕方ないわ。ただ、今度からは私に任せてもらえると幸いね」

「おっしゃる通りです……」

 

新一としては少し訂正したい部分もあったが、そこは先生の厚意に甘えることにした。

車という移動手段がこれからの貴重な戦力になることなんて少し考えればすぐ分かる。

しかし、自分は車を大破寸前にまで追い込んだため、下手すれば活動範囲を一気に減らして皆を危険に招く可能性だってあった。

 

そのことに思い至って表情を硬くしていると、くるみたちも声を上げる。

 

「でもさ、こんな時だし、あたし等に運転の仕方を教えてくんないかな? もしかしたらめぐ姉が不在のときに車が必要な時もあると思うし、めぐ姉と交代した方が色々と楽になりそうだしさ」

「車の運転!? したい!!」

「そうね、私もそうは考えてたけど車は生憎とこれ一台だけだし……もし練習の一環で壊れでもしたらそれはそれで困ることになりそうだし」

「そうですよね……やっぱり」

「えぇ~、運転したいよ~」

 

ユキが駄々をこね始めたのを周りが温かい目で見ていると、新一が何気なしに言う。

 

「車は展示か売られたりレンタルしてる所から拝借してもいいんじゃないか? 鍵さえあればどうとでもなるし」

「お、おう……なんか、慣れてる感じがして怖いぞ」

「友達の影響かもね」

 

唐突に新一らしからぬ車泥棒宣言にくるみも表情を引きつらせるが、新一はそれを失言だとは思わない。

今は法律も何も無い、全てが壊れた無法地帯も同然である。

そんな所で法律を守って自分たちの命を落とすなど冗談ではない。

 

所詮、人間が平和になった世界で作った法律なのだ、こんな緊急事態時に律儀に守る必要などない。

 

(前の俺だったらこんな考え方もしなかったんだろうなぁ)

 

そんなドライな考えを浮かべる自分にも内心では少し驚いていた。

 

それというのも、今までの死闘やパラサイトとの触れ合いで変わった死生観の違いなのだろう。

 

(何だかミギーになった気分だ)

 

あの時のミギーはいつもこんな風な想いだったのだろうか?

それでも頑なに人理がどうとか言っていた自分を思い返すと、いかに傲慢だったかを思い出される。

元より、自分も人のことを気にしているほど余裕でも強かったわけでもなかった癖に。

 

「盗むかどうかはおいといて、新一くんの意見ももっともだし、状況もこんなんだから仕方ないわね」

「それは分かるんですけど……考えてみるとやっぱり気が引けますね」

「仕方ないよ」

 

とはいえ、皆も状況を理解しているため、難色は示すものの意見の一つとして取り入れる姿勢を見せる。

自分の考え方を咎められなかったことに内心で安堵しながら、その様子を表には出さない。

 

それからは静かに窓越しから街を見ないように空を見上げるドライブが続いた。

 

 

 

 

 

月明りに照らされた夜のガソリンスタンドに大破寸前の車が一台。

言うまでもなく、新一一行の車である。

 

結局、その日はデパートに着かず、野宿となった。

本来なら一時間もかからないほどに近場にあるはずだが、新一たちは遠回りに遠回りを重ね、結果として夜になってもモールに辿り着くことができなかった。

 

その原因は―――道路の破損と「奴ら」によって道を塞がれたことにある。

 

全てが壊れた運命の日(あの日)、人々は極限状態のパニックに陥り、一心不乱に逃げ回った。

他人を顧みず、自身の生を尽くす限りにもがき、荒れ狂った。

それは一般人だけでなく、当時、車を運転していた者、工事を行っていた者も例外じゃない。

冷静を失い、乗り物の操作を誤った乗り物はあらゆる物を破壊し、乗り物自身が壊れるまで破壊し尽くした。

その混乱が波紋のように伝わり、街中の乗り物が制御を失い、何もかもを破壊した。

 

その結果、道路は荒れ、倒れた電柱が道を塞ぎ、工事で空けられた穴もそのままに放置されることとなった。

 

ましてや、今使用している車も小型な上に定員オーバーで既に大破寸前と心許ない状態になっている。

既に障害物一つで車が不能にされそうになっているというのに、道路には「奴ら」が溢れ返っている。

そのまま「奴ら」を刎ねようものなら、近いうちに車の方が限界を迎えるのが目に見えている。

 

だからこそ新一たちは丁寧に障害物を避け、「奴ら」を避けながら目的地へ向かっている。

無事であり、「奴ら」が集まっていない穴場を見つけるのでさえ相当な時間と体力、運が必要となる。

その結果、こうして野宿となった訳である。

抜け道を探す過程で、実はユキが地図でのナビが得意だということを知った。

その得意技を利用し、今まで通ってきた道をマーキングしてもらい、障害物や「奴ら」の比較的少ない抜け道をマークしてもらっていた。

 

今までで一番、ユキが働いた日ということもあったので、いつもは元気っ娘のユキも夕食の後には倒れるように熟睡した。

 

そのため、ユキを除いた四人は交代で見張りを行っていた。

もはやユキの特技は命綱と言っても過言ではない。

明日には再びユキには働いてもらう予定となっているため、ユキだけは朝まで休ませる予定である。

 

一定時間ごとに外で見張り、異常があれば全員に知らせると決めた。

二人一組、戦力も均等に割り振ったため、相当なことさえなければ後れを取ることはない。

 

現在、新一は一人で車にもたれかかって夜空に輝く星を見上げている。

時間が経つにつれて魂までも引っ張られそうな程の壮大で、慈しみに溢れた空を見上げている。

 

全てが壊れたにもかかわらず、この世界は動き続けている。

もし、人間が滅んで文明が廃れようともこの夜空だけは変わらずにあり続けるのだろう。

 

「まだ、いるのかな……うわっ!!」

 

星の魔力というべきだろうか、らしくない考えを悶々と頭の中で生み出していたとき、頬に冷たい感覚が奔った。

驚いて冷たい物の先を見ると、ジュースを持ったりーさんが柔らかく微笑んでいた。

 

「あ、ごめんなさい。少し驚かせようと思っただけだったんだけど」

「はは、いいよ。気を抜いてたのが悪いんだし。ありがとう」

 

差し出されたジュースを取ってお礼しながら、気を取り直して五感を集中させる。

そんな時、りーさんが自然に自分の隣に座ってきた。

普通に座っていたのなら何も思う所は無かったのだが、二人の距離があまりに近すぎる。

肩と肩が触れ合う寸前にまで近寄っている場面に新一の強靭な精神にも揺らぎが生じる。

 

(なんだ、この距離感……それに、いい匂いがする……)

 

すぐ傍で髪をかき上げると、甘い香りが鼻腔をくすぐる。

その仕草だけでも上品であり、何よりも凄く整った容姿が新一の感情を激しく揺さぶっていた。

 

(よく見なくても若狭って美人だよなぁ……そりゃ男子も放っておかないよな)

 

こんな状況でなくても、整った容姿と見事なプロポーションに見とれないのは無理があったはずだ。

事件前でも別クラスにも関わらず、話題に挙がっていたくらいに男子の視線を集めていたのを覚えている。

 

その魅力故に思春期男子の妄想を駆り立て、本人にすら言えるはずもない妄想暴露大会を自分のクラスの男子がしていたのを覚えている。

不謹慎且つ、同じ部活の仲間だったということもあったため、無視してはいたのだが。

 

そして、不謹慎な話だが、こうして間近で見ていると、男を惑わす魔性の魔力があるように思えてくる。

 

(ああもう、集中しろよ! 見惚れて危険に陥るとか馬鹿らしいだろ!)

 

淫らな思想に取りつかれそうになる自分を叱咤していると、りーさんから不意に声をかけられた。

 

「綺麗ね」

「う、うん、そうだね! 毎日ちゃんと手間かけてるもんな!」

「? えっと、星空が綺麗ねって……」

(ひいぃ! 何を言ってんだ俺は!! 馬鹿じゃないのか!?)

 

丁度、りーさんのことを考え、綺麗だなと思っていた時に声をかけられ、反射的に思ったことを口に出してしまった。

ここまでくると、今の自分が正常ではないのだと自覚できる。

 

自己嫌悪で頭を抱えていると、りーさんの方から助け舟が出された。

 

「もしかして、疲れてる?」

「あはは、そうかも」

 

心配そうに問いかけられると、自分でもすんなりと納得できた。

 

確かに、最近では夜から朝まで熟睡していることが少なくなっていた。

感覚が鋭くなったのか、ほんの少しの物音でも瞬時に反応して飛び起きたりするようになってきた。

というのも、偶に「奴ら」がどういうわけかバリケードを押し出そうとする時がある。

何を目指しているかは知らないが、明らかに自分たちの居住スペースに侵入する反応を見せる個体が稀にいたりする。

 

もちろん、それに気づく度に始末している。

 

単体では脅威とはならないが、その個体の行動に釣られて数が増えていく危険性があった。

だから、どんなに深夜遅くでもそんな個体を確認したら、即座に始末するようにしている。

そのため、じっくり寝たとしても体が重く感じてしまう時がある。

確実に疲労がたまっているのは明らかだった。

 

しかし、常人なら異常をきたす疲労でも新一の身体は堪えられている。

今のところ、戦闘では問題はないが、思考の方にやや問題が現れたように思える。

きっと、絶対にそれが原因だ。

だから、自分がこんな妄想がひどくなっているのも仕方ない、そう思うことにした。

 

「そうよね……この遠出が終わったらしっかりと休んでね。今日までずっと動いてばっかりでしょ?」

「分かってるさ、今倒れたら「奴ら」に対抗する戦力もガタ落ちになって男手も減る……体調管理には気を付けるつもりだよ」

 

思ったことを率直に伝えるとりーさんは不服そうに表情を歪め、新一の顔を柔らかい手で掴んだ。

 

「え? ちょっ……!」

 

突然の奇行に捕まれた新一も内心で女子の柔肌を堪能していた。

そんな新一の心境も知らずに、迫力のない怒り顔を見せる。

 

「新一くん。私たちはあなたを失いたくないの。それは分かる?」

「え、うん……分かってる……つもり」

「多分、そこの所で勘違いしてると思うわ。確かにあなたは今まで私たちを助けてくれたし、凄い力だってある……でも、それ以上に私……私たちはあなたのことを失いたくないの」

 

顔に影が差す。

悲痛に歪ませながら、新一の額に自分の額を合わせる。

 

「戦力だとか、男手だとか……まるでそれだけが取り柄、みたいに言わないで。そんなもの無くたって、新一くんは大事な仲間で、大切な人なの」

 

「都合のいい話だけど」と自分を皮肉った後、続く会話に耳を傾ける。

 

「実はね、ついさっきまで私は多分、心のどこかでまだ新一くんのことを怖く思ってた」

 

その言葉に新一は咎めることなく、逆に納得した。

 

今日までに自分は高校生男子とは思えないほどの身体能力を見せつけ、「奴ら」を葬ってきた。

自分の生い立ちを話したとはいえ、そんなことを全て真に受ける人間などそうそうにいない。

むしろ、今のように受け入れられてるだけでも奇跡だったと思える。

 

「私たちのことを護ろうとしてくれてることなんて分かってる……でも、不安だったの。何が不安だったなんて、自分でも分からないわ」

 

内心で苦笑しながらもりーさんの言葉には説得力があった。

もし、自分が同じ立場だったら、少なからず警戒はするだろうと。

例えるなら、人間と一緒に虎がいるようなものだろうと。

だからこそ、りーさんの警戒は生物として、むしろ人間として正しいと言える。

 

自分は気にしていないことを伝えたいが、まだ話は続く。

 

「でもね、新一くんを見てて思ったの。新一くんは心が強い、ただの男の子だって。力が強くても、元は私たちと変わらないんだって」

「……」

 

その言葉に、新一は不覚にも驚き、目頭が熱くなった。

幸いにも涙を零れ落とすのは耐えたが、内心では嬉しさで一杯だった。

自分でも異常だと感じていた自分の力ではなく、まさしくも「泉新一」を見てくれて、認めてくれたことが。

今まで苦楽を共にした仲間から言われたとなると、その感情もひとしおだった。

 

嬉しさに感じ入っていると、不意に捕まれていた頬が解放された。

なにかと思ってみると、彼女の方が悲しそうに―――無理矢理笑っていた。

 

「それに比べて駄目ね、私は……新一くんのことを怖がるなんて」

 

声の質が一変した。

それだけじゃない、彼女の纏う雰囲気が変わったのを感じ、嫌な予感が頭の中を過った。

何となくだが、話もここで終わらさなければ、そう思った。

 

「気にしなくていいよ。こんな状況だし、不安になったり怖くなったりするのが普通だから」

「……やっぱり駄目よ。今は違うけど、一度は新一くんのことを怖くなった……命の恩人を否定してしまったことには変わりない……汚いのよっ!」

 

口調が荒々しくなり、ヒステリックになっていく。

まるで、何かに取り憑かれたかのように徐々に豹変していく姿にようやく異常を察知した。

止めようと手を伸ばすが、次の瞬間にその手は彼女に届く前に止まった。

 

「自分を言いように、見せようと、する狡い女で、弱いだけの、女なの……」

 

その双眼から玉の涙が零れた。

 

 

 

 

 

 

新一のことを想う度に自分と比較し、膨らんでいった自己嫌悪の念がこんな形になって弾けてしまった。

きっかけはあの雨の日……何もできなかった自分への嫌悪感とめぐ姉を失うと思っていた恐怖、そして新一への恐怖を自覚した時からだった。

 

本当は毎日が怖くて、いつ死ぬかもしれない現実に怯えながら、自分の居場所を確保しようと自分のできることをしてきただけ。

それが結果的に料理や菜園の維持となって、皆を助けていただけにすぎない。

本当は自分のことだけで手一杯だった。

 

それに比べて、新一はなんと強い男だろう、そう思った。

いや、新一だけでなく、くるみもユキも、何より雨の日に自分の身を投げ打とうとしためぐ姉とも比べても、いかに自分のことしか考えていなかったか理解させられてしまう。

 

そんな醜い自分の本性を打ち明けることもできず、今日まで余裕があるように振る舞ってきた。

 

そんな劣等感と自己嫌悪を払拭させたいがために、新一との二人っきりの状況を作った。

 

最初はそれとなく打ち明けて少しでも気が晴れれば、とくらいに思っていた。

 

しかし、少しだけでも自分の心の内を吐き出してから、歯止めが利かなくなった。

抑え込もうとした感情さえも口に出してしまい、あろうことに自分の一番見られたくも聞かれたくもなかったことまで吐露してしまった。

 

それだけ、彼女は極限にまで溜め込んでいたのだ。

 

 

 

―――止まって、止まって!!

 

みっともなく泣いて自己批判を繰り返す自分を理性で抑えようとしても、不安定になった情緒は止まらない。

 

言うべきじゃなかった。

ずっと、自分だけで耐えていくべきだった。

こんな物、他の人にぶつけるべき物じゃなかった。

 

後から、後からこみ上げる後悔の念でこれからどうしようかということも考えられない。

本当なら少しだけ気が晴れれば話を切り上げて、またいつもの自分を演じていくはずだった。

だけど、今となってはそれも叶わなくなったとしか、理解できなかった。

 

 

 

 

そんな時、ふと自分の身体を何かが包み込んだ。

そう感じた直後は、何が起きたのかなんて分からなかった。

でも、それが悪いものだとは思えず、それどころか心地よいものだとさえ感じた。

 

荒れ狂っていた感情の波が嘘のように鎮まり始めるのを感じた。

それと共に、自分の顔が筋肉質の体に埋めているものだと理解し、自分の状況を悟った。

 

「しん……いちく……っ!」

「うん。大丈夫だよ」

 

自分は今、新一に抱きしめられている……そのことに気付くのに時間はいらなかった。

そのおかげで感情が少し鎮まりはした。

 

しかし、感情とは裏腹に体が言うことを聞いてくれない。

涙は溢れ、何か言おうにも漏れるのは嗚咽だけ、離れたいと思っても彼の温もりを求めて彼の背中に手を回してシャツを破ろうかと言わんばかりに離さない。

 

そして、自分の背中からは優しい手つきが伝わる。

 

 

あぁ、駄目だ……そんなことされたら余計に離れられなくなる。

顔を押し付けている部分が自分の涙でグショグショに濡れていく。

 

 

何か言わないといけないのに、声を出すことすらできない。

私がなにもできないまま身体を預けていると、新一くんの方から切り出してきた。

 

「そうだよな。今まで怖かったもんな……不安で、辛くて、それでも頑張ってくれたんだもんな」

 

まるで、子供を安心させるかのような……事件の後に屋上で私たちを励ましてくれたように優しい声だった。

 

ただ、今回は、私だけに向けられている。

 

私の弱い部分だけを見てくれている。

だから、余計に彼に甘えてしまう。

 

「誰だって怖い……ましてやいつ、どこで死ぬかもしれないことを不安に思って、弱くなるのも仕方ないさ……悠里の気持ち、よく分かるつもりだよ」

 

その一言全てが私の心に巻き付いて、締め付ける。

それでも、不快だなんて思うことはない。

 

「それなのに、俺、悠里の気持ちを理解できてなかった。ほら、俺ってやっぱ皆とは色々と違うからさ、そういう所に鈍くなったのかもしれない……俺は恐怖に慣れすぎちゃったから」

「……」

「弱いことも、怖がることも悪いことじゃない。だから、そんなに自分のことを悪く言わないでくれ。そんなの、俺だって悲しいよ」

 

ここまでくると、幾ばくか落ち着きつつある。

さっきまでの嵐のような感情が嘘みたいに鎮まっていた。

そして、恐る恐るに涙でグチャグチャになった顔で新一と向き直った。

 

「落ち着いた?」

「……」

 

みっともない顔を見せたことへの恥ずかしさとまだ嗚咽しか出せないため、自前のハンカチで顔を拭きながら頷くだけに留めている。

それでも彼は静かに見守っている。

 

「俺さ、今まで悠里は大人っぽくて落ち着いた人だって思ってた……でも、本当は不安で一杯だったんだよな? 誰かに話したくて、かと言って話したらどう思われるかが分からなくて怖かったってことかな?」

 

探るように、話せないことを考慮して彼女の心を紐解こうとしている。

対する彼女もそれに静かに頷いて返す。

 

(やっぱり秘密ってのは誰にもあるんだよな……)

 

新一は気持ちを隠していたことと、ミギーを秘密にし続けてきた時のことを重ねていた。

事情も中身の重みも全て違っているが、それでも分かることがある。

 

他の人に言えない苦しみほど、辛いことはない。

 

 

かつて、自分を育ててくれたにも拘らず、ミギーという秘密を打ち明けられずに殺された人がいた。

 

 

 

かつて、ミギーの存在を最後まで伝えられず、永遠に別れてしまった子がいた。

 

 

 

かつて、ミギーの存在を知らせていれば、死なずに済んだかもしれなかった子がいた。

 

 

皆、新一の所縁の人であり、親であり、友人であり、愛した人であり、愛してくれた人たちだった。

そんな人たちは全員、自分を置いて逝ってしまった。

今となってはどうしようもない筈なのに、今でも後悔することがある。

 

(ミギーのことを知ってたら、何か変わったのかな……)

 

もし、自分がミギーを説得し、その人たちにミギーのことを話していたら今頃はどうなっていただろう。

 

 

 

母は何故か自分のことを信じ、まだ公表されてなかったパラサイトのことを警戒して旅行に行かなかっただろうか。

 

村野に話せていたらあんな別れ方をすることなく、分かり合えていただろうか。

 

加奈ちゃんに話せていたら俺の助言に耳を傾け、奴らの餌場に行くことなんてしなかっただろうか?

 

 

 

考えれば考えるほど、どうしようもない筈なのに、自責と自己嫌悪の念に潰されそうになる。

それでも、俺はそのことさえも父に言えずじまいだった。

何もかもをひた隠しにし、ひたすらに忘れようと無理矢理心の中に抑え込む。

 

そんな辛さに似た感情を彼女は抱き、今日まで苦しんできたのだろう。

 

だからこそ新一は当時、言いたかった、言って欲しかった言葉を告げる。

 

 

 

「その辛さや弱さ……俺たちにも背負わせてくれないか?」

 

 

真っ赤になって潤んだ瞳がこっちを向く。

予想だにしていなかった返しに彼女は力一杯に目を見開き、信じられないといった心境を表す。

いつもの彼女らしからぬ隙だらけな行動にも新一は優しく笑って返す。

 

「怖いなら怖いって言えばいい。我慢して、我慢し過ぎたら大切なことまで抑え込んでしまうんだ」

「……」

「我慢して苦しむ姿を見るくらいなら、どんなことでも俺たちに打ち明けてほしい。君の苦しむ姿なんて見たくない……俺は、皆を、君を護りたいんだ」

「―――っ!!」

 

感極まって、彼の胸の中へ顔を埋めた。

突然のことにも、彼は不満を言うことなく、優しく背中を擦って頭も撫でる。

 

収まりかけていた涙が、また再び零れ始める。

しかし、それはさっきまでのように冷たい涙ではない。

 

汚い部分も、弱い部分も全て曝け出し、それらをひっくるめて全てを包み込んでくれたことへの申し訳なさもあったが、それを上回る嬉しさが溢れてくる。

醜態を晒した自分を見捨てずに、受け止めてくれたことへの感謝。

 

冷たくなっていた心が再び温かくなって……涙が溢れてくる。

 

「あの日から、ずっと、恐かった! めぐ姉が、私たちが死ぬかもしれなかった時のことが、夢に出て、起きる度に夢だと分かって安心して、その後に怖くなって、夢なんて覚えてないのに、恐くて、それでも私だけが弱音なんて、言っちゃいけないって……っ!!」

 

たどたどしく、嗚咽交じりに心の内を新一の胸の中に吐き出す。

話していく度に彼と離れたくなくなっていく。

 

「本当は私、皆が思うように頼れる部長じゃない、ずっと、お姉ちゃんでいなきゃって、頼られる存在でいなきゃって……っ!!」

 

本当は泣き叫びたかった。

私だって被害者だから、一つくらい不満も言いたかった。

でも、私の周りが強い人たちしかいなかったから……私も強くならなきゃって思い込んでいた。

新一くんと戦うことを決めたくるみ、どんな時にも皆を励まし続けたユキちゃん、私たちを必死に護ろうとしてくれためぐ姉……そして新一くん。

いつの間にか、私も強くならなきゃいけないって自分に言い聞かせていた。

 

こんなことになるって分かっていたくせに……どうしてこんなになるまで皆を信じられなかったんだろう。

 

「皆だって悠里と同じだと思う。それぞれ、違った悩み、不安を抱えているはずなんだ……それらを含めて、皆は皆なんだと俺は思う」

「……私、こんなんだから、偶に泣いちゃうかもしれない、その度に胸を借りちゃうかもしれない……」

 

潤んだ目で新一と向き合う。

意を決したように、確かに口を動かす。

 

 

「こんな私を、受け入れて、くれるの……?」

 

今度は新一が目を見開いたが、すぐに優しい笑みへと変わった。

 

 

「もちろん」

 

その言葉を聞いた瞬間、顔を涙で濡らし、身体全てを新一に傾けて委ねた。

それからというもの、懐で泣き続けながら謝り、お礼の言葉を繰り返す悠里の背中を撫でた。

カーディガン越しから規則正しい寝息を感じるまで撫でながら周りを警戒していた。

 

しばらくして、交代の時間となったため先生とくるみが見張りに代わった。

交代の際、悠里が俺に体を預けて眠っていることに追求してきたが、そこは何とか誤魔化した。

 

幸いにも顔を押し付けていたため、泣き顔を見られなかったため、悠里が泣いていたことはバレなかった。

他人の秘密をバラすことへの罪悪感というものがあったが、何よりもこういうのは本人の口から言うべきだと思ったが故に、くるみたちには何も伝えなかった。

 

そうして、車の中へ悠里を運び、俺もほどなくして眠りにつくのだった。

 

 

 

 

 

 

奇妙な感覚

 

自分の感覚が感じないにしろ、妙に自分の中に馴染むような居心地を感じる。

何もない感覚にも拘らず、本能的に懐かしいとさえ感じる。

 

 

自分はこの場所を知っている。

 

ということは、俺もいつの間にか眠ってしまったのだろう。

そう思っていると、俺の頭の中に「声」が響いた。

 

―――久しぶりだな

 

何もない「無」という言葉を如実に再現した世界の中で()()()は唐突に現れた。

まるでアメーバのような形の定まっていない形態で多数の目を忙しなく動かす異形の生物が現れた。

 

普通なら恐怖を抱かせるような生物にも俺は何故か懐かしいとさえ……いや、それどころか遭遇できたことに対して僅かに安心したとさえ思った。

 

「お前は―――なのか?」

 

―――厳密に言えばそうだと言える……だが、違うとも言える。

 

意味深なことを言うものだ。

まあ、こんな語りには案外慣れてしまったのも確かだった。

 

「どういうこと?」

 

―――私、いや、本体とは違う存在だから「俺」と呼ぼうか。俺のことは本体の分身と思っておけ。

 

「分身?」

 

―――忘れているだろうが、俺の本体は後藤に取り込まれて以降、複数の思考を同時に行うことができる……俺はその思考を司る人工知能みたいなものだ

 

「な、なるほど……」

 

我ながら自分の相棒が数奇な運命を背負ったものだと苦笑してしまう。

分かったような分からなかった気がするが、これ以上の説明を求めると難しい話を雄弁に語るだろうという予感はしたため口を紡いだ。

 

ただ、どうしても聞きたいことがあった。

 

「お前が俺をここに呼んだのか?」

 

そう聞くと、アメーバみたいな身体がウヨウヨとうねり出した。

多数の目玉もあちらこちらに動いていたが、唐突に止まって全ての目が俺に向く。

 

うん、普通に怖い。

 

―――呼んだ、というよりようやく「繋がった」ということだな。

 

「繋がった? それはどういう―――」

 

―――静かにしろ……これは……

 

 

更に意味深なことを言い出したため、それを問い詰めようとした時、静かながらも有無を言わせないような力強い声に思わず口を閉じた。

 

最初から多数あった目玉が増え、その全てが不規則に、忙しなく動く。

その上、アメーバのような身体も伸縮を繰り返すなど、明らかに普通ではない。

 

色々と訳が分からない状況に置かれ、更に何が起こったのか分からない焦りからか軽い苛立ちを覚える。

対して一人だけ納得する目の前のそいつに強い口調が漏れた。

 

「おい、何がどうなってんだ! 説明しろ!」

 

状況に流されっぱなしの現状を打開しようと強気に出たのも束の間、異形のそいつの姿が光に照らされて霞んでいく。

それで分かってしまう。

ここは―――俺の夢はもうすぐで終わりだと。

 

「くそ! こんな時に!!」

 

―――シンイチ……最後に君に伝えよう。目が覚めても、俺の言葉を覚えてくれることを願いたい。

 

何も理解できなかった。

 

唐突に訪れた別れの際に、そいつは確かに言った。

夢から覚めればほとんどを忘れてしまうことだけど、最後には確かに教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

―――仲間の反応を感じた。くれぐれも気を付けろ。

 

 

俺の世界()はここで終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

モールから数キロ離れた街の中で()()はいた。

 

鋭い刃物で身体ごと寸断された「奴ら」が倒れ伏す道路を一人の男性が悠々と通り過ぎる。

その生物が着ている服が血に濡れているにも拘らず、それを拭うことも嫌悪する様子もない。

ましてや、徐々に集まってくる「奴ら」に怯え竦む様子もない。

 

何の感情も持たない顔が―――割れた。

そして、割れた部分が変化して刃物のように変わった瞬間、その刃物が消えた。

 

 

一閃

 

 

その瞬間、集まりつつあった「奴ら」の身体がバラバラになった。

斬り落とされた肉片と化したのを確認して、男性―――頭部が変形した異形の生物は歩みを再開し、やがては荒廃した街の中へと消えて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

星空が輝く夜空の下で、事態は動き出す。

 

 

その先には数々の出会いと別れ、戦いが。

 

 

彼らを待ち構えているなど……

 

 

そのことを彼らが知る由もない―――




これだけ待たせた挙句、今回はりーさん回でした。
原作でも分かるように、早めにケアしないとやばいキャラなので今回から優遇させました。
なので、今後からはりーさんとの絡みを加速させる予定です。
ヒロイン云々はまた別問題なのであまり考えないようにしてます。
りーさんの闇は深い

とはいうものの、「君の名は。」見た直後に殴り書いた、映画サウンドトラックを聞きながらの執筆だったので、テンションも今までとは違ったように見えると思いますが、突っ込まないでいただけるとありがたいです。

とはいうものの、前半は大体は新一のターンですが、後半からはがっこう勢のターンにしようと考えています。

そして、最後の最後に出した謎のキャラ……どうせ分かるパラサイトの入場です。
そのパラサイトとどう絡むかは、またのお楽しみ。



後書きで長くなりましたが、とりあえずこんな感じです。
この一年、狂ったように就活しまくり、両親からストップをかけられたことによって就活を終え、内定先も決めました。
なので、まだ卒業や引っ越しも控えてますが、ちょくちょくと書いていこうと思っています。

それでは、またいつかにお会いしましょう!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

到着

明けましておめでとうございます!

今年初めの投稿になります!


「体がギシギシする……」

「あたしもだ……おまけに暑い……」

 

学校から出発してから一夜を過ごし、再びモールへ動き出した新一たちの体調は全快とは言えなかった。

特に不満を漏らさずに運転を続けるめぐ姉もそうだが、狭い車内での雑魚寝のせいで身体が固まって鈍痛も身体に響く。

 

早く車から降りたい気持ちが車内に漂う中でも例外はあった。

 

その例外を助手席に座っているくるみがバックミラーを通して見ていた。

 

「新一くん、お水余ってるから喉乾いたらいつでも言って? 身体も痛くない? 降りたら落ち着ける所でマッサージしてあげる」

「あの、若狭……近いっす……」

「新ちゃん、りーさん、潰れるぅ……」

 

りーさんが両端に陣取る新一に絡み、新一も対応に困っている。

そして、二人の間にいたユキはグイグイと押し付けられるりーさんのたわわな果実と新一の筋肉質な身体に挟まれて唸っている。

わりと本気で苦しそうなのは気のせいではないはず。

 

(あんなに仲良かったか?)

 

ユキには同情するけど、今気になるのはりーさんだ。

どう見てもりーさんが新一に積極的にアプローチをかけているように見える。

いや、もっと言えば新一にベッタリになったようにしか見えない。

りーさんが新一を求めているなど誰の目に見ても明らかだった。

 

すると、りーさんが頬を膨らませてむくれた。

 

「私には悠里って名前があるのよ。そっちで呼んでくれてもいいじゃない」

「あ、あれは咄嗟だったっていうか……その、今思うと馴れ馴れしかったんじゃないかなって」

「いいの、もう私たちは浅い関係じゃないの。だから名前で呼んでくれなきゃヤ、よ」

 

普段はおっとりとしたりーさんが今では我儘を言う子供の様ではないか。

昨日まではいつも通り、ユキの保母さんって感じだったのが一晩で変わったことに驚きを隠せない。

座席一つ挟んだだけの所で甘ったるい雰囲気を醸し出している面々に驚愕の面持ちで見ているのはめぐ姉も同じだった。

 

「それじゃあ、これからは悠里……でいいのかな?」

「新一くんって意外と初心なのね。ふふ、可愛い」

「勘弁してくれ……」

 

少し躊躇いながら名前を呼ぶ新一にりーさんは飾り気のない笑顔を浮かべた。

大人っぽさと無邪気さが絶妙にブレンドされた魅力的な笑顔だった。

 

10人中10人が振り返るであろう魅力的な笑顔を直接向けられた新一は顔を真っ赤にして照れている。

ユキは真っ青になっている。

その光景に苦笑しながらもくるみの内心は複雑だった。

 

(やっぱり、無理してたのかな……)

 

それも当然だろうと、どこか納得できたのも事実だった。

ついこの前まではこんな地獄さえも想像できないくらいに平和だった日常が何の前触れもなく崩れ去った。その衝撃は自分も含めて凄まじいものだった。

 

今では皆と協力して生き残ってきたことで状況にも慣れたということもあり、初日並のショックも感じない。

ただ、それでも今の生活が夢だったら、と思わない日もない。

 

事実、最近のりーさんも落ち着いてきたように見えていたのだが、今の姿を見ると今までの姿も必死で取り繕ってきたものだと分かる。

 

幼い子供の様に甘えているだけに見えないのは邪推しすぎだろうか、という思考は隅に置いて。

 

(仲が悪くてギスギスするよりかはマシだよな。うん)

 

暑い上に後部座席から漂う甘ったるい雰囲気に半ば思考放棄しかけてきた。

勝手にやってくれと言わんばかりに溜息を吐く。

 

しかし、そんな雰囲気を容赦なくぶち壊す人物がいた。

 

「りーさん、新ちゃん」

 

ここで、新一とりーさんに挟まれていたユキが声を上げた。

しかし、そこにはいつものような無邪気さは存在しない。代わりに強い苛立ちを感じた。

 

突然の豹変ぶりに暑苦しく感じていた車内の空気も下がった感覚だ。

そして、それを間近で聞いた新一たちはその身を震わせた。

 

「りーさん。これ、どかして」

「ぁ……んんっ! ユキちゃん、そこは、叩かないで」

「どかして」

 

ユキは手の甲でりーさんの胸に実るたわわな果実をペチペチと鬱陶しそうに叩く。

胸に対して敏感なのか、りーさんは艶めかしい声を漏らし、新一の思春期の心を刺激する。

しかし、暑さと圧迫されたことへのストレス、そして胸に対する劣等感がユキの心を荒れさせていた。

 

「ユキ、俺たちが悪かったから落ち着いて……」

「新ちゃん、りーさんのおっぱいを見てた」

「ちょっ!?」

 

止めに入った新一にさえも牙を向ける。それどころか新一に対しては理由も分からない苛立ちを覚え、冷たい態度をとる。

りーさんは顔を真っ赤にして自分の胸を抱いているが、軽蔑や嫌悪の感情は見えない。それどころかどこか期待しているような表情は気のせいだろうか。

 

そんな光景を一通り見届けたくるみとめぐ姉は無言ながらも気持ちは一つだった。

 

(もう知らん)

 

後ろからの助けを呼ぶ声も全てスルーした。

 

 

 

何とも言えない空気の中、車で走っていると目に見えて変化が表れてきた。

 

「大分道も開けてきたな」

「住宅街はほとんど身動き取れなかったけど、都心部だとこうも違うのね」

「色々と欲しいなぁ~」

 

しばらく車で進んだ一行は住宅街を抜け、都心部に辿り着いた時から比較的少なくなった妨害(奴ら)に悩まされることなくスムーズな移動が可能となっていた。

広い車道に散在する『奴ら』を器用に避けながら移動は今までのフラストレーションを少なからず発散させてくれた。

 

そのおかげかさっきまで機嫌最悪だったユキも今では機嫌よく後部座席から乗り出して久々の都心部にテンションを上げる。

惨状の傷跡が残っているとはいえ、今までの閉鎖空間から解放された心地がするのだろう。

 

だが、それでも完全に気が晴れた訳ではない。

くるみは若干の落胆と共に呟いた。

 

「生存者……いないな」

「……」

 

期待していた。

学校とは違って物資に恵まれた都心部でなら少しでも状況は違っているものだと思って。

今まで学校で過ごしていた自分たちが今日まで生きてこれたのだから、一人くらいはいるだろうと。

 

だが、そんな期待も『奴ら』が蔓延る景色によってかき消された。

もちろん、覚悟はしていたものの、いざとなって確認すると落胆せざる得ない。

それは皆も同じ面持ちである。

 

そんな中で、ユキは重くなりかけた空気をかき消そうと精一杯の明るさを見せる。

 

「でも、もしかしたらみんなもデパートの中にいるだけかも。そうでなくても欲しい物も手に入ると思うし」

 

ここまで来て悪いことばかりじゃない。

言外にそう伝えたかったユキの言葉を理解した皆は沈みかかっていた表情を変えて笑顔へ戻る。

 

「お前はマンガとかゲームが目当てだろうが」

「にゃにおー! ちゃんと皆に必要な物も考えてるやい! 服だって欲しいと思ってるし!」

「ユキがファッションを気にしてる……だと?」

「くるみちゃん!?」

 

いつもの調子を取り戻して賑やかになった車内に、先程までの暗い雰囲気はもうない。

微笑ましい二人のやり取りの中で新一は静かに決意を新たにする。

 

(それでも、俺だけでも警戒はするべきだな)

 

自分には優れた五感があり、力もある。

こういう状況には慣れているし、敵は『奴ら』だけじゃないかもしれないとも分かっている。

 

全ての考え得る『最悪』を考慮しながら慎重に進むしかない。

 

そう思っていると、ふと自分が如何に皆からは遠い存在であるかと自覚させられて悲しくなる。

しかし、そんな余裕も許されない状況だと自分を戒める。

 

(それでも俺は……皆を護りたい)

 

今更だな、と自嘲しながら再びくるみとユキのじゃれ合いをBGMに流れていく景色を眺める。

 

(せめて一人だけでも生存者がいれば……)

 

万感の思いを込めてこれから行う調査に控えめな希望を抱く。

人知れずに決意を固めていると、運転席のめぐ姉の声が耳に入った。

 

「そろそろ準備して。もう見えてきたわ」

 

新一以外の三人は驚くこともなく荷物をまとめ始める。

まだ周辺地域に疎い新一だけが周りの様子に一瞬の戸惑いを感じ、察した。

 

気が付くと周りの建築物とは一線を画すくらいの巨大な建物が見えてきた。

ガラス張り建物は、惨劇の前であれば豪華であり、賑わせていたものだと容易に連想させるものである。

 

 

「やっと着いたわ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

潜入

新一たちがモールに到着する数分前、ジョーがいち早く感じ取った。

 

「うわっ」

 

無言で胸元をノックされた宇田は思わず声を上げてしまった。

食べ終わった朝食を片付けている最中の奇声に全員の視線が向けられる。

 

「どうかしましたか?」

 

美紀が遠慮がちに訪ねてきたのに対し、冷や汗が流れた。

こんな事態を引き起こした原因に恨み言を心の中で呟きながら、咄嗟に誤魔化す。

 

「いや、蚊が目の前を通って驚いただけだよ」

 

安直すぎたかと不安になったものの、すぐにその不安も消える。

 

「あぁ、この時期には増えますよね」

「こんな時は蚊取り線香が恋しくなりますよねー。今度、使ってみましょうよ」

「圭……我儘だよ」

「あはは……いや、僕も必要かと思ってたし構わないよ。でも、蚊取り線香を選ぶなんて今どきの子にしては珍しいと思うけど」

「すいません……この子は古いものが好きなようで」

「いいじゃん。ロマンがあって……るーちゃんも興味ない?」

『見てみたい』

「まったく……」

 

子供を味方にしてはしゃぐ親友の姿にため息を漏らしながら苦笑する。

それと同じように穏やかな心地になっているのも事実。

 

こんな緊急事態でもこんなに穏やかな時間を過ごせているのだから。

もう宇田に対しては最上級の感謝しか感じない。

彼が幻を見ていようとも、自分たちが支えようと思うくらいに。

 

 

人知れない決意を固めていた美紀に対し、宇田は部屋を出て静かにジョーに尋ねる。

 

「何だよ、急に呼び出して」

「いい加減に慣れろ。そんなんだと異常者に見られるぞ」

「たく……で、今度は何だよ」

 

いつものような罵倒から入る会話も慣れたものか、ため息を漏らしながら耳を傾ける。

口が悪いといってもジョーの助言は全て有益であり、生きるために必要なことだと今までの教訓で思い知っている。

 

また今回もそういったものだと思って続きを促すと、予想だにしなかった答えが返ってきた。

 

 

「仲間の反応だ。このモールに向かってやがる」

「なっ!?」

 

その瞬間、宇田は背中が底冷えし、驚愕の声を溜まらずに出してしまう直前にジョーに塞がれた。

手荒いものの、美紀たちには知られていない様子だったので、ジョーに感謝せざる得ない。

タップして落ち着いたことを知らせるが、その実、うすら寒い予感しか感じられなかった。

 

 

美紀たちを庇ってパラサイトに戦って勝つ可能性は―――0に近く、1から遠い。

 

 

新一のように優れた身体能力など持っているはずがなく、肥満気味な中年の体力など人体の潜在能力を引き出しているパラサイトと比較すら馬鹿らしくなるほどに開いている。

 

しかも、戦闘になれば土台となる宇田は口を塞がれ、鼻呼吸を強いられるため、直接戦うジョーの体力が真っ先に尽きる。

 

それに何より、新一と比べて交戦経験のない自分では心構えも死ぬ覚悟も決められているかも曖昧なのだ。

臆病風に吹かれて狂ってしまう恐れもある。

 

 

八方塞がりだ―――密かに頭の中で出た結論に静かに絶望した。

そして、そんな感情の動きもジョーにはお見通しである。

 

「は、早く皆とここを出ないと!」

「かなり厳しいな。相手も俺たちを察知しただろうし、ここを急に離れれば不審に思って追いかけてくる可能性もある。しかも、通常なら話もつけることもできたかもしれねえが、こんな異常事態じゃあ人間じゃねえ限り他の存在など邪魔でしかねえだろうな。人間も3人いると分かれば間違いなく、独り占めしようと俺を含めて皆殺しだ」

 

話し合いも逃走も俺なら許さねえな、そう締めくくったジョーの言葉に今度こそ顔が真っ青になった。

喉から熱い胃液が逆流しかけるも、こらえて押し戻す。

 

我慢した宇田も絶望的な状況に言葉を失う感覚によろめくが、ジョーがさり気なく支える。

 

そんな気遣いも気にならないくらいに打ちのめされている時、ジョーは指を一本作って立てた。

 

「だが、手はある」

 

その言葉に宇田は素早く壁に倒れかかっていた体を起こした。

 

「本当か!?」

「あぁ、かなり危なっかしくはあるが、上手くいけば全員、逃げることができる」

「どうすればいい!?」

 

まさしく、地獄に垂れた蜘蛛の糸を見つけた気分だった。

 

「実はな、仲間の反応は一つだけじゃなく他の所からも反応を見つけた」

「えぇ!? それって不味いだろ!!」

「うるせぇな。落ち着け」

 

さっきまでの自信ありげな発言は何だったんだと、宇田は怒りたくなったが、ジョーの変わりない話し方に少しだけ落ち着けた。

これだけでもジョーに対する信頼が見て取れる。

 

「他の反応というものがどうにも普通じゃねえ。俺の反応に気づいたわけでもないからよ」

「そこまで分かるのか?」

「殺意というものが信号の中で強いように、感情の変化で信号の強さも変わる。俺を確認した奴のほうは明らかな感情の変化を示したが、片方の方は感情が平坦だ……敵意はない」

「な、なるほど……」

「それに、感情のない方の反応がどうにも弱すぎる。まるで、寝ている時みたいにな」

 

最後の言葉に宇田は少し考えたあと、思い出した。

それはまさに、その『本人』から聞かされたことだったから。

 

その可能性に行き着いた宇田の表情に希望が含まれていた。

 

「それじゃあ!!」

 

しかし、それをジョーの静かで平坦な声が抑える。

 

「油断すんじゃねえ。今までならその考えももっともだが、こんな状況じゃあ確実にそいつらが新一とは限らねえ」

「いや、でもその反応は眠っているんだろ? その状況でこっちに向かっているということはそういうことじゃないのか?」

 

パラサイトはもともとの人間の体を完全に乗っ取って生まれた生命体。

それはつまり、体が睡眠を欲して眠りについた時には人間同様に完全に沈黙すること。

その状態で移動しているならば、新一のように人間の脳とパラサイトが完全に別離している時でしかあり得ない。

 

「その考え方は間違いねえが、俺は例外があると思っている」

「例外?」

 

そんなものがあったのか、と聞くと、直後にジョーから身の毛もよだつ可能性が言い渡された。

 

 

 

―――死体が動いているなら、どうなると思う?

 

 

宇田は今度こそ、本気で悪寒に襲われた。

それほどまでに恐ろしく、それだけでも恐ろしいことであったから。

 

「う、そ……だろ?」

「俺も考えたくはないがな。だが、可能性としては0でもねえ」

 

それはつまり、パラサイトのゾンビ化。

『奴ら』に殺されたパラサイトがそのまま『奴ら』として生まれ変わった場合、どうなるのか。

 

今まで、ジョーはその可能性を考えていたが、宇田たちを不安に陥れるということで黙秘していた仮説だった。

しかし、もうそんなことを言っている場合じゃない。

宇田の性格と性質を考慮した結果、明確な危機を提示して正確な判断をしてもらおうという狙いもあった。

 

この男は何らかの義務感が働くと、本来の性格とは想像できないくらいの行動力を発揮すると確信できる。

今はプラスになることはどんな手でも打つと決めている。

 

そう判断できるだけで、いかに宇田のことを理解しているかが伺える。

 

「どっちにしろ俺の戦闘も美紀たち(あいつら)がいるから何も出来ねえ。でも、前門の虎、後門の狼というのなら簡単だ」

「? どういうことだ?」

 

ジョーの言うことが理解できず、オウム返しをすると、次には分かりやすく言い直した。

 

 

―――要は、虎と狼をぶつけちまえばそれでいい。

 

 

 

モールに辿り着いた新一たちの行動は素早かった。

新一を先頭にモールに入り、そこからりーさん、ユキ、めぐ姉と続いて最後にシャベルを持ったくるみが続く。

新一が鋭い五感を活かして『奴ら』の比較的少ない経路を進み、その間の三人はもしもの時のサポート役に徹する。

後方のくるみは主に新一が取り逃がした時のための後処理係を担っている。

 

―――前もって組んだ最善の布陣を組んで進む。

 

軍や警察のような最適解を導くことはできなかったが、一学生と教師が考えた最善の布陣であった。

この作戦の肝は新一とくるみの『奴ら』に対して戦闘可能だと言える。

 

もちろん、皆も新一の感覚の鋭さは信頼しているが、本人としてはそんなに過信してほしくないというのが本心だった。

自分の感覚が自前ではなく、ミギーからのもらい物だからだろうか、自分の集中力でその鋭さが左右される時がある。

 

(万が一ということもあるしね)

 

もちろん、こんな状況で油断するつもりはないが、手を抜く理由にはならない。

打てる手は些細なことでも打つ、この異常事態を生き抜くには必要なことだと再認識して気を引き締める。

 

「うん、一階はちらほらいるけど二階からはそんなにはいないな」

「やっぱり階段が登れないということか」

「じゃあ早く登っちゃおうよ」

 

声を最大限に抑えながら一階のホールを徘徊する『奴ら』を迂回し、物陰に隠れてやり過ごしながら既に停止したエスカレータを目指す。

迷わず辿り着き、二階へと登ると適当な店のシャッターを見つけてくるみが上げる。

 

「ここは?」

「たしか、おもちゃ屋」

「え? 何でそこを?」

「いいから、絶対に役に立つものがあるんだよ」

 

モールを知っているくるみがなぜ、おもちゃ屋をチョイスしたか分からないものの、彼女なりの考えがあると思い、特に何も言わない。

そして、僅かに開いた隙間を抜けて中に入ると、ようやく一息つく。

 

「はぁ……疲れたわ」

「結構、集中したものね。時間を決めて休みましょ」

 

僅かな移動だけで一息つくりーさんとめぐ姉は適当な場所に腰掛ける横で、ユキは目を輝かせてテンションを上げている。

明らかに浮かれているのが分かると、くるみはため息をついて新一は苦笑する。

 

「何かゲームでも持っていこうよ!!」

「テレビゲームは無しだからな」

「え~……」

「当たり前だろ。ゲームやったその日、シャワーに入らなくてもいいってなら別だけどな」

「うぐ……」

「料理、部屋の明かりも無くなるからな~」

「……分かったよ~」

 

先に釘を刺されて不満顔を浮かべるも、くるみの言いたいことを理解してか不承不承だが納得はしていた。

学校のソーラーシステムで供給される電力には限りがあるため、ゲームをしようものなら一日分の電力が尽きるのが目に見えている。

 

能天気なユキでも生活の肝を絶やしたくないと思うのが本音である。

 

ただ、くるみとしても娯楽品の一つは欲しいと思っていたくるみの代案にユキも食らいついた。

 

「持ってくならボードゲームにしとけ」

「あ、なるほど! 人生ゲームとか、トランプもいいのかな!?」

「場所を取らねえならな」

「ラジャー!!」

 

意気揚々とゲームを探しに行ったユキを見て保護者になった気分を味わいながら、くるみは自分の目当てのものを探す。

 

「新一、ちょっと」

「なに?」

 

目的のものが置かれてある場所を覚えていたため、新一を呼び出してその場所に連れて行く。

最初は分からなかったが、その場所について指をさした商品を見て納得した。

 

「トランシーバーか」

「役に立つと思わねえか?」

 

ニヒルな笑みを浮かべるくるみに新一は素直に感心した。

 

交通、情報インフラが全てダウンした現在、携帯電話が使えないことはすでに承知済みである。

しかし、そんな状況でも変わらずに使用できるのがおもちゃ型のトランシーバーだとくるみは思った。

 

くるみは常々、自分の役割というものに疑問を抱いていた。

自分が身体能力で新一に全体的に劣っていることはすでに承知済みである。

だからこそ、『奴ら』と戦えても、あくまで新一の後処理として役割を担っている。そのことに不満はなく、当然のものだとしている。

 

だけど、それだと自分がみんなを助ける機会も少なくなるのでは、と危惧してもいた。

それに気づいたくるみは自分なりに自分にしかできない役割を模索し、考えた。

そして、考えた結論が以下になる。

 

(新一じゃあ思いつかないような案を提示するしかねえか)

 

事実、新一はパワーが強いせいか細かいところが大雑把になっている節が見られる。

それは今回のトランシーバーでもそうだった。

 

(耳と目がすごく良いっていうなら、それを手軽に連絡できたほうがいいよな)

 

新一が察知し、それを皆に伝えることで情報を共有し、危険を回避する。

情報網の伝達を思い付いた。

 

その旨を新一に伝えたところ、反応はくるみが思った以上だった。

 

「すごいなくるみ!! こんなこと、俺なんて思いつかなかったよ!!」

「お、大げさだっつの」

 

満面の喜色を見せられ、むずがゆく感じたくるみは軽く悪態をつくも、満更でもない表情を浮かべる。

予想以上に喜ばれたことに、自分の居場所ができたと思ってしまったため、口が緩んだ。

 

「まあ、あたしにできることなんてこれくらいしかないしさ。そんな大したことじゃねえよ」

「……」

 

自分で言った後、しゃべり過ぎたことに気が付いた。

しまった、内心でそう思って誤魔化そうとしたのもつかの間、新一のほうが早かった。

 

「俺はいつだってくるみがいてくれて助かったと思ってるよ」

 

掛け値無しの賞賛にくるみの動きが止まった。

不思議そうに振り返るくるみに優しい笑みを浮かべる。

 

「くるみは運動能力もあるし、俺が気付かない所を細かく指摘してくれたりするからここまで来れたのは間違いないよ」

「……あたしはそれくらいしかできないからさ」

「たとえそうだとしても、くるみはいつだって俺たちのことを優先して考えてくれるからこそできることだと思う、むしろくるみは自分のことを後回しにしすぎると俺は思うな」

「え……」

「ここに来る途中でも、気になってさ」

 

新一の言いたいことを察してくるみは何も言えなくなる。

 

モールに向かっている最中、新一たちは恵飛須沢家……くるみの家に立ち寄った。

もちろん、そこに立ち寄るべきかどうか本気で悩んだものの、本人たっての希望もあり、くるみは久しぶりの我が家へ入っていった。

でも、俺の耳には何も聞こえなかったことと、しばらくしてくるみが一人で戻ってきたことで俺たちは察し、話題に出さないように努めた。

 

赤く腫れた目についても、何も触れずに。

 

 

本当は大声上げて泣きたいはずなのに、悠里みたいに辛いはずなのに俺達には弱い姿を見せないように我慢している。

それだけで、すごく辛いように思えた。

俺だって、父さんがどうなっているか分からないし、今すぐにでも助けたいと思っている。

 

俺がくるみのような立場になったら、自分がどうなってしまうか想像もできない。

 

それを思うと、くるみはすごく強くて、俺なんかよりもしっかりしてるとさえ思う。

それでも、昨日の悠里のこともあるから不安にもなってしまう。

少しくらい、感情を吐き出してもいいんじゃないかって。

 

「……あたしがそんなに頼りなく思うか?」

「そうは思わない。でも、耐えるだけの苦しみもそれなりに知ってるからさ」

「……」

 

お互いに何も言えなくなる。

新一としてはくるみの辛い経験をほじくる必要はないと判断したが、くるみの方は新一の業の深さを垣間見たが故の無言だった。

 

話で聞いただけでは伝わらない、新一なりの苦悩が少しの会話に出てくると、改めて新一という人間の深さを知ってしまう。

耐える苦しみ、それほどの事態が過去の新一に起こったのだろうと思い至るのに時間はかからなかった。

 

互いに無言が続くと、どうにも居心地が悪くなったと感じたため、くるみの方から話題を吹っ掛ける。

 

「そういえばさ、お前としては今の状況をどう思う?」

「状況? とりあえず、生き延びてしばらくは助けを待つってこと?」

「あ~、そういうんじゃなくて、その、お前以外は全員女子だろ? 何かこう、誰か気になる人とかいるんじゃないのか?」

「は、はぁ~?」

 

悪戯っぽく聞いた質問に新一は間の抜けた声を上げる。

その反応にくるみも当初の目的を忘れて面白い話題を見つけたと攻めに転じた。

 

「昨日の見張りの時にりーさんと何かあったろ?」

「なんでそれを?」

「今日の態度があからさますぎんだろ。あれで何もありませんでした、っていうほうが無理だ」

「まぁ…………そうなんだけど、デリケートな所もあるし、悠里だって色々と無理してたらしいし、いずれは皆にも悩みを打ち明けるって言ってたし」

「ふ~ん、まありーさんの感じも少し戻ったようだし、抱き着かれて新一もご満悦だからいいんじゃねえの?」

「お、俺はそんなこと……」

「度胸はあるのに、そういうのには慌てるんだな。お前、女経験ないだろ」

 

普段は頼りになる新一を相手に手玉に取った優越感と今朝から暑苦しく見せつけられたイチャイチャへの当てつけで狼狽する新一に口撃が止まるどころか楽しんでいくようになった。

まるで普通の学校生活を送っていた時の感覚にくるみも楽しくなってからかい続けた。

 

しかし、普段の役割からか疲労が溜まった状態での新一はからかわれることを面白く感じなかった。

 

(さっきから言いたい放題言いやがって……!)

 

苛立ち、とはまた違う反抗心がむくむくと大きくなるも、新一の中で一つ天啓をえたような名案が浮かんだ。

ただし、からかってくるくるみに対して、こっちからの反撃はお世辞にも効果があるとは思えない。

それどころか相手を調子づかせるものかと思うも、からかい続けてくるくるみへの反発心に耐えられずに実行してしまった。

 

後で思い直した。俺は疲れていたんだ、と。

 

「くるみって、本当はシンデレラを夢見る乙女じゃないのか?」

「はえ?」

 

この瞬間、くるみの口撃が止まった。

効果あり、そう思った新一は猛攻に転じる。

 

「だって、口調はあれだけど俺たちの中で唯一、恋をしてたし俺に男としての意見とか求めてた時もあったし」

「そ、それは……!」

「夢は就職だっけ……お嫁さんに永久就職」

「何でお前が知って……!? いや、そんな事実は知らないな!」

「スポーツ部の女子にしては髪を伸ばして整えてたり、汗かいたら念入りに拭いたり匂い消したりしてるし」

「女子なら普通にやってるっつーの!! てか、何見てんだよ!! そこまで舐めるようにあたしを見てたのかよ変態!!」

 

自覚無いようだけど、結構人前でやってたぞ、と言うほど新一も野暮ではない。

ましてや、ユキが面白がってくるみの可愛らしい夢をチクったことも正直に言う必要もないと思いながら、とどめを刺した。

 

 

「可愛い女の子を見てしまうのは仕方ないからな」

 

冗談ではあるが、完全に嘘ではない。

 

以前からくるみは男口調の癖と勝気な性格から女子と男子からも男友達として、接してこられたのを知っている。

それなら、慣れない女の子扱いしてやれば十分な反撃になるだろうと。

何の前触れもなく女子から褒められると妙に浮つく感覚のように。

 

そう見通していた新一だったが、くるみを見て反発心も綺麗に弾け飛んだ。

 

(顔赤っ!!)

 

想像のはるか上をいった乙女な反応に新一も一瞬だけ思考が止まらざる得なかった。

そして、自分の言ったことを落ち着いた頭で考え、悶絶した。

 

(やばい……自分で言ったとは思えないくらいの軽薄さが……)

 

自分の言ったことにダメージを受けながらも必死に立て直そうとする新一だが、くるみはそれどころではなかった。

 

 

(新一……あたしのこと可愛いって……)

 

くるみは新一からの言葉を頭の中で反芻させながら、恥ずかしく思うと同時に感動さえしていた。

 

元々、くるみは口調と性格から女の子扱いを受けた機会が少なかった。

それでいて、自分でも認めるほどの乙女感覚があるのは自覚しているし、心の中だけでなら認めるほかない事実である。

現実と理想の間に乖離したギャップを覆すことは既に無理なのだろうと諦めさえしていた。

 

先輩が自分に対して可愛がるような行動から気持ちの変化があったのだから、恋心もそういう所に起因しているのかもしれない。

そもそも、めぐ姉に相談しなければ気が付かなかったほどの想いが恋心だったのかさえ、今となっては分からない。

 

(先輩でもそこまで言わなかったというのに、この男は……!)

 

思えば、先輩の可愛がり方は先輩が後輩に対するもの……もっと言えば年上が年下を可愛がるようなものではなかったかと思った。

それに対し、目の前の男はそれ以上のことをはっきりと言ったのだから驚愕も倍に膨れ上がっていた。

 

そして何より、くるみは先輩に失恋したのだ。

自分の想いを伝えるどころか、先輩が自分のことをどう想っていたのかさえ分からないまま死んでしまったのだから、最悪の形での失恋ともいえる。

無意識ではあるが、もう甘い想いを抱くこともないと思っていた。

 

 

そこへ、新一からの遠回しな告白発言である。

そう考えれば、新一の目論見がこれ以上ないほどに的中し、成功したともいえる。

 

もっとも、乙女の胸中を赤裸々に暴露されたことに対する怒りは万倍にも膨れ上がっていた。

 

「うん、俺が悪かった。だから今すぐにそのシャベルを床に置いて落ち着こうか」

 

顔を真っ赤にしながら興奮した猛獣のように荒い息を吐き、シャベルを力の限り握りしめて近寄って来るくるみに新一は恐怖した。

見た目からしてくるみの思考回路が異常なのがすぐにわかる。

 

ただ、くるみの頭の中には新一に対する怒りしかなかった。

 

「何で、お前だけ、そんなに……!!」

「……くるみさん?」

(あたしだけ動揺してんのが馬鹿みてえじゃねえか!!)

 

くるみの言いたいことが分かってない様子に、怒りの導火線に点いた火が激しさを増した。

 

新一が冗談で言ったということは自分でもわかっているはずなのに、感情の高ぶりが止まらない。

自分がこんなに苦しんでいるのに、新一に至っては何の動揺もしていないのは納得がいかない。

 

ジリジリとにじり寄って来るくるみに新一は本格的に危機を感じた。

 

(これは、やばい!)

 

危険を察知した新一は恥を忍んでその場から逃げることを選んだ。

無駄のない動作で潔く逃げた新一にくるみは捕まえることができず、代わりに口が出た。

 

「後で覚えてろよこの野郎!!」

 

背中から聞こえた声に新一は覚悟を決めた。

少し落ち着くまで逃げよう……どうせくるみからは逃げられないけど。

 

後で殴られる覚悟もするか、そう思いながらりーさんたちの元へ戻って行った。

 

 

その後、店の中で反響した会話を聞いていたりーさんたちから白い目で見られた上に、予想通りくるみから一発殴られた。




完全に嵐の前の騒がしさです。

フラグは立ちましたが、恋愛感情ではありません。
次回からはデパート編も本番に入ります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

そして少女たちは集う

ようやく書けました……
ようやく修論発表が終わり、引っ越しと修論修正に入りました。
残り少ない学生生活の中でもがいています。

社会人になるのが今から不安で仕方ないですが、この作品の執筆は続けたいと思っています。


新一がモールに到着する数分前、宇田たちは既に行動に移していた。

 

モールにジョーの反応を辿ってやってくるパラサイトの存在を美紀たちに伝えられるわけがない。

だが、それでも美紀たちを危険に晒す訳にはいかなかった。

 

ジョーとしては一応、保護対象として認識させられているが、自分たちが死んだ後はどうでもいい、ということで何も言わずに作戦に移すのがいいのでは、と思った。

しかし、そんなことを宇田が許すわけがないと知っていたため、彼女たちへの対応は宇田に全面的に任せることにした。

 

ジョーからの許可が降りた後に美紀たちを集め、大事な用事がある、とだけ伝えた。

口頭でそれしか言われず、急に自分たちの元から離れると告げられた美紀たちの胸中は複雑なものだった。

 

「宇田さん……その用事は、私たちじゃ力になれませんか?」

「それはできない」

 

美紀からの問いに躊躇いなく答える。

答える宇田の表情には強い意志が宿っているのが彼女たちに伝わる。

そこには悪感情がない、純粋な強い輝きを秘めている。

 

彼女たちを護る。

 

 

損得なしで人のために体を張る宇田の覚悟がそこにあった。

そして、僅かな時間を共にした彼女たちも彼の覚悟を感じ取り、理解した。

 

だからこそ、自分たちにできることがないことが辛かった。

 

「だからこそ、これから僕の言うことをちゃんと聞いてほしい」

 

背の高い彼が屈んで目線を合わせる。

 

それは言葉だけではない、目で、心で向き合うことを意味している。

考えすぎかもしれないけど、そんな気がした。

 

 

 

モールの外に停められていた車が一台出て行った数分後、すれ違うようにミニクーパーが辿り着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ショッピングモールの中を静かに、そして迅速に動き回る影がある。

少しの綻びで「奴ら」に襲われるという不安が付きまとう中で、その一行の足は軽かった。

 

 

ついでに言えば、その雰囲気もどこか緩かった。

 

 

その理由は、新一の頬に張り付いた綺麗な紅葉のような打撲痕で9割方勘づくだろう。

 

「はぁ……」

 

何とも締まらない表情でため息を吐きながら先導している新一はため息を吐く。

元から怪我を承知で今日の作戦を実行したつもりだったが、まさかこんなに情けない痕を付けられるなんて思わなかった。

 

まあ、雰囲気に流されてからかった自分が悪いのだが。

 

そう思いながらくるみの方へ視線を向けると、無言でシャベルを構えられた。

 

(何も言うな!)

 

睨みだけでそう言われた気がしたため、すぐに視線を戻して先導に徹する。

今の状態で話しかけるのは得策じゃないと判断し、しばらくはそっとしておく。

 

ただ、くるみ以外の皆まで自分に意味深な視線を送るのは止めてほしい。

鋭い感覚だからこそ余計に意識し、自分だけ微妙な気持ちになってしまうではないか。

あのユキまでも自分を責めるような目で見てくるのは意外であり、それだけダメージも大きかった。

 

 

(そりゃ、調子に乗った俺も悪かったけどさ……)

 

悪ふざけとはいえ、これでもデリカシーは考えた方だという自覚はあった。

だからこそ、避けられたくるみの一発もあえてもらったのだから。

 

もちろん、今の状況が持続性のものではないと分かっている。

だからこそ、ここの探索とか必要なことをして時間を潰したいという気持ちもあった。

 

そう思っていた時、ユキが突然立ち止まった。

 

「どうしたの? ユキちゃん」

 

りーさんたちも立ち止まってユキに問いかけるが、肝心の本人はとある方向に首ごと視線を向けて呆けている。

最近になっていつもの調子を取り戻しつつあるユキにしては珍しい反応だと思っていたが、めぐ姉がその原因にいち早く気が付いた。

 

「あぁ……そういうこと」

「あらあら、ユキちゃんったら」

「あ~、そういえば必要かもな」

 

女子勢は合点がいったように頷くが、新一には何が何だか分からない。

ただ、反応からして必要なものだと思って聞いてみることにした。

 

「何か必要なものでもあった?」

「えぇ、それはもう」

「異性の目もあるしな」

「ん?」

 

自分が思っていた返答と違うことに疑問を抱きながら皆の視線を辿ると、そこには服を着たマネキンがあった。

 

「え……これが必要?」

 

思わず出てしまった言葉だが、新一は思いもしなかった。

特に何も考えずに漏らした言葉が女性たちを刺激してしまったことに。

 

「そりゃ必要だよ! 私たちだってお洒落くらいしたいもん!」

「新一くんだっているもの」

「男には分からねえかな~。こういうの」

「女の子には色々とあるのよ?」

 

軽はずみな発言が女性の何かを刺激したらしいことに遅れて気が付くも、新一にはそれが分からない。

今の状況を考えると服よりももっと必要な物を探したほうがいい気がする、と思って言葉に出そうとする口を閉じる。

 

こういった状況で自分の軽はずみな発言が自分を追い詰めることを経験で分かっている。

 

 

自分とミギーが混ざり合った時を境に、自分の中の人間らしさが失われたことは自覚している。

特に、生物が従来持っている欲求とは別の、人間特有の感情というものが普通の人より希薄になっている。これでも以前よりはマシになったとは思っているのだけど。

 

それのおかげで村野と仲たがいになったことは自分の中で未だに後悔として残っている。

引き下がるときは引き下がるのが一番。

 

こういった人間らしさをを残すには自分よりも彼女たちの在り方に従った方がいいと判断した。

 

「分かったよ。物資もまだ余裕あるし、気分転換ということで」

「そうこなくっちゃ!」

 

ユキの弾けたような喜びに苦笑しながら嬉々として店に入っていく女子勢を見送る。

こういう時、女子の買い物が長くなるという前情報は持っているため長期戦は覚悟している。

 

(この隙に必要そうなものでも見繕っておこうかな)

 

とりあえず時間はかかりそうだから時間の有効活用をしようと店とは別の方向へ足を向ける。

しかし、その足を皆が止めた。

 

「あの、何してるの?」

「いや、時間かかりそうだし今の内に必要な物資の確認とか脱出経路とか見ておこうかと」

 

そこまで言うと、先生を含めた全員がため息を漏らした。呆れた目線も込みで。

自分が何かおかしいことでも言ったのか。

言い知れない不安に襲われていた時、両脇をくるみとりーさんに固められた。

 

「どうせならお前もお洒落くらい楽しめよ」

「こうして男の子と出かけるなんて初めてだもの。貴重な感想、聞かせてね」

 

既に不機嫌さは消え、悪戯そうな笑みを浮かべるくるみと豊満な果実を当てて色気を醸し出す笑みを浮かべるりーさんを振り払うなど新一にできるわけがない。

 

「え、ちょ、俺も!?」

「新ちゃんの、いいとこ見ってみたい♪」

「うふふ、楽しそうね」

 

女子二人に組み付かれて顔を真っ赤にしている新一を面白がるユキとめぐ姉の姿に味方無しと判断して諦めた。

 

「うぅ~、こんなの俺じゃあ荷が重すぎるって……」

 

女子の服なんて見繕ったことすらない男子にファッションチェックなどできるのだろうか。

どこから湧いてくるか分からない女子の底力に気圧されながら数多の服が並ぶ店の中へ連行されて行った。

 

 

 

 

 

「いや~、なんだか楽しかったねー!」

「だな。久しぶりだったから少し盛り上がったわ」

 

久しぶりに女子の時間を堪能した女子勢は満足に満ちた表情を浮かべている。

見る限り、彼女たちのガス抜きは間違いなく成功したと分かる。

 

「……」

 

ただし、女子のファッションチェックに付き合わされ、途中から着せ替え人形として成すがままにされていた新一の疲労の色は濃かった。

 

最初のころは先生を含めた女子全員が各々の意匠を凝らして服を着てお披露目していた。

ユキがネタと思わせるようなアダルト路線で攻めて来たり、めぐ姉が人知れずウエストサイズに苦戦したりと平和で賑やかな様子を眺めると癒されたりした。

 

しかし、皆が新一に「男目線」からの意見を求めた辺りから雲行きが怪しくなった。

男としてどんな感じが魅力的かを求め、詳細に意見を求め始めた時が本当に焦った。

その時は自分の乏しいファッションセンスからの意見を必死に振り絞って対抗したが、その時の皆からの生暖かい目線やら優しい目を向けられた時は本気で穴の中に入りたいとさえ思った。

 

その後はなし崩し的に皆がそれぞれの意匠を新一に合わせ、彼のコーディネートを務めながら着せ替え人形にしていた。

くるみやりーさんはともかく、ユキのふざけた組み合わせで全員に笑われたときは優し目にアイアンクローを喰らわせてやった。

 

そこまでやって荷物量の関係で必要最低限の下着や水着のみの持ち帰りになったのだから後に残る疲労感もひとしおだった。

ただ、皆の満足げな笑顔を見ると、この疲労感が嫌なものではないと思う。

 

(まあ、いいか)

 

いつ、死ぬか分からない状況の中でもこんな風に笑っていられる……それはとてもすごいことであり、尊いものだ。

そう思うと、今日の遠征は思った以上に有意義なものだったと思える。

 

 

ただ、遠征はまだ終わっていない。

 

物資の目途が立ったのなら、次にすることは事前に確認していた。

 

「よし、そんじゃあ後半戦といくか」

 

さっきまでリラックスしていたくるみはシャベルを担いでやる気を見せている。ただ、余計な気が抜けて変な力も入っていない状態はいい兆候だと分かる。

 

「後半ってなんだっけ?」

「ユキちゃん?」

「はう! 冗談だよ! 分かってるから怒らないでー!」

 

冗談か本当か分からないと問いかけるユキにりーさんが笑顔を向ける。

しかし、その笑顔を見た瞬間に顔を青ざめて訂正するユキは必死だった。

その様子にりーさんは剣呑な雰囲気を抑え、再び聖母を思わせるような慈しみの笑顔を向ける。

 

ただ、直前の笑みの後だと素直に喜べないのはここにいる全員の共通の見解だった。

 

「こんな時にふざけないの。今もこうして怖がっている人たちがいるんだから」

「うぅ、ごみん……」

 

めぐ姉からお叱りでユキは委縮し、謝りながら気合いを入れなおす。

まるで親子を思わせるようなやり取りに新一たちは笑みを漏らす。

 

「そんじゃ、生存者を探すか」

「えぇ」

 

ここで言う後半戦

それは『生存者の探索』のことである。

 

(やっぱり必要最低限の集中じゃあそう簡単には見つからないか)

 

もちろん、今までの探索最中でも新一は耳を澄まし、目を凝らしてモール全体を見ていた。

しかし、優先すべきはユキたちの安全だったため五感の集中も最小限に済ませていた。それが理由かは分からないが、新一はここに来て一度も生存者の気配すら見つけられていない。

 

もうここに生存者がいない可能性の方が高いが、一縷の望みに縋るように深呼吸をして精神を集中させる。

まず、目で見えないなら耳を澄ませる。事前に打ち合わせをしていたくるみたちは新一の邪魔をしないように物音を立てることなく周りの警護を担っている。

 

ただ、その他の些細な音はもちろん、「奴ら」の足音が邪魔で聞き分ける作業が困難なことである。

普通の人間からしたら静かに思えるが、神経を研ぎ澄ませた新一の耳には絶えず百以上の音が頭の中に響いてくる。

 

(やっぱりいないのか……)

 

それは「奴ら」の足音から風の音、小鳥の囀り、果てにはくるみたちの心音さえも聞き取れる。

故に、その中から数少ない生存者の音を聞き分け、探し当てるという作業は過酷を極める。

砂漠の中の一粒に混ざった宝石を探すような作業……新一でなければ10秒とも持たないだろう。

 

 

 

うっすらと汗を額ににじませながら新一は音という音を聞き分ける作業を続ける。

もうだめか、新一が諦めかけた時、一つの『綻び』を掴んだ。

 

(これは……!)

 

今まで別の音の中に紛れ込んでいた、そして壁の向こう側だったことで今まで見つけ出せなかった音を確かに聞き取った。

 

 

 

3人

 

 

1人の足音が不定期で息も荒い

 

 

残りの2人はまるで遅い動きに合わせるように歩いている

 

 

そして、ささやいている……頑張れ、と

 

 

「見つけた……!」

 

久しぶりに見つけた生存者に手を握った。

そして、その熱気と声はくるみたちにも伝わった。

 

「い、いたのか!? 生存者が!」

「3人だ。でも、動きが遅すぎるし息も荒い……多分、怪我してるんだろう」

「なら、早く行かないと!」

「そうだな。とりあえずその人たちに合流―――」

 

感情のままに生存者の元へ向かおうとした時、俺は一瞬だけ頭が真っ白になった。

そして、その後に感じたのは焦燥、そして恐怖を味わった。

 

「新ちゃん?」

 

一瞬だけ固まった俺を丈槍が声をかけるが、それに返事をする余裕はなかった。

何故なら、その3人が向かう先に何が潜んでいるかを『聞き取ってしまった』からだ。

 

 

 

 

 

 

 

外から迫ってくる、何かを。

 

気のせいかと思っていたが、その音は徐々に大きくなっていく。

質量、速度……そのどれもが期待していたものであり、今となっては脅威であると確信した。

 

 

音が、近づいてくる。それに気付いた新一の体は知覚する前に動いた。

 

 

くるみとめぐ姉の体を突き飛ばし

 

 

ユキとりーさんを両脇に抱えてその場から弾かれるように跳んだ。

 

 

 

その直後、モールの出入り口が突っ込んできた車によって破壊された。

 

 

 

ガラスが割れ、タイヤがタイルを引っかきながら蛇行し、新一たちがいた場所を過ぎ去っていった。

 

 

「……っ!!」

「っつう!」

「きゃあ!!」

 

一瞬の出来事にくるみたちは突き飛ばされた衝撃から反応できないまま床に倒れた。

乱暴に突き倒したことに謝罪する暇も与えないほどの衝撃がモール内に響いた。

 

そこを見ると、スリップしたのかモールの壁に正面衝突することなく横ばいになって激突していた。

それ故に、運転席は無傷であったため運転していたであろう人物が這い出るように車から降りてきた。

 

 

その人物に新一の顔色が真っ青になる。

 

「……っ!!」

「新一!?」

 

何も言わず、まだ状況を把握しきれていない彼女たちを置いて駆け寄った。

こんな状況で彼女たちを置いていくのははっきり言って自己中心的な気持ちだったと後悔するが、ここで動かなかったらさらに大きい後悔が自分を蝕むだろう、そう思ったから。

 

十秒も経たずに這い出た人物の前に辿り着いた新一は確かめるように、呼び起こすように絞り出した。

 

「宇田さん……っ!!」

 

頭部から血を流し、気絶している体を支えて呼びかけるも、起きる気配がない。

一瞬だけ最悪な予感が頭の中で警鐘を鳴らすように響き、正気を失いかけるが、その懸念は第三者によって否定された。

 

「これは衝突の時に付いたものだ。俺がいるのに嚙まれてなんかいねーよ」

「!?」

 

後方のくるみたちからは見えないように、顎の一部から伸ばされた管の先端が口となり、新一の耳元で囁かれる。

それに新一は感極まり、様々な感情が入り混じった叫びを漏らしかけた。

しかし、すんでの所でその感情を押し込み、今すべきことのみを即座に頭の中で導き出し、実行に移そうと動いた時だった。

 

「宇田さん!?」

 

金切り声のような悲鳴が上の階から響いた。

そこへ視線を向けると、くるみたちと同じ制服の女子が二人、身に覚えのない幼い女の子がこっちを見降ろしていた。

 

「人が、いたのか……!?」

「まさか……無事だったのね……っ!!」

 

くるみたちも突然現れた生存者に驚きを隠せないでいる。その中でもりーさんの反応は皆と比べて顕著に表れているが、今はそれを気にするときじゃない。

それはお互い同じだったことは言うまでもない。驚きがあまりに多すぎて今の状況を飲み込めずにいるのもお互い同じ状況だった。

 

既に騒ぎを聞きつけて「奴ら」が集結しつつある。

それを察知していた新一は誰よりも早く声を張り上げた。

 

「頼む!! この人を休ませる場所に案内してくれないか!?」

「!!……は、はい!!」

 

突然、呼ばれたことに相手は驚いた様子だったが、すぐに現実へ引き戻したからか気を引き締めた表情に戻り、応えた。

 

「皆も、早くここから離れよう!!」

「わ、分かった!!」

「悠里さん、ユキちゃんも!! 早く!」

「は、はい!!」

「分かった!」

 

すぐに皆も状況を把握してきたのか、走って停止したエスカレータを登る。

それを見届けた俺は宇田さんを担いで皆の後へ続く。

 

幸いにも「奴ら」は一階に集中していたということもあったため、二階以上の階にはそれほど多くない。

決して走って来ない「奴ら」を相手に逃げるのはそれほど難しいことではなかった。

集結しつつある「奴ら」に一瞥さえもくれてやることなく少女たちの下へ向かう。

 

「こっちです!! 早く!!」

 

焦りからか上から急かす声を聴きながら向かっていると、ジョーが再び俺の耳元に囁くように言ってきた。

 

「あいつらがいると伝えるのが難しそうだから今伝えてやる……『仲間』が現れた。明確な敵対行動を見せてな」

「なっ!?」

 

小さく、そして大きく驚きながら逃げることを忘れない。

 

動揺を最小限に抑えられたのは、少なからずの可能性として考えていたことが現実に起きたからのことだ。

 

 

危機はすぐ傍にまで近寄っている。




ようやく主要人物が集まりました。
ここまで長くなってすみませんでした……またこれから忙しいですが、これからも書いていきます。

それでは、また次回にお会いしましょう!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

奇襲作戦

学生最後の時間を過ごしていたため、遅れてしまいました。

今後は社会人ですが、ストレス発散の一環で執筆をつづけていく所存です。


一階が「奴ら」に埋め尽くされたとき、新一たちは上階の一室に逃げ込んで難を逃れていた。

宇田の乗っていた車の事故に引き寄せられ、上階に潜んでいた「奴ら」が階段から落ちて再び昇れなくなったことも偶然の生んだ幸運だった。

 

ただ、楽観視はしていられない。

まだ皆には知られていないが、すぐそこに危機が迫っているのだから。

 

「宇田さんはどうですか?」

「見た所、軽い打撲程度で済んでいると思う。念のため怪我したところの処置はしたから大丈夫だと思う」

「そうですか。それならいいのですが……」

 

宇田さんは現在、意識を失って逃げ込んだ部屋に寝かせている。

ただ、ジョーは気絶したわけではなく、皆には気付かれないように宇田さんの体も調べてもらっていた。その上で異常なしと言ってたから宇田さんは大丈夫だろう。

 

ただ、ジョーから聞く限り、状況はかなり悪そうだが。

そもそも、何故宇田さんがここにいるのか、それを含めて多くの疑問が残るが、今は目の前の問題に集中しよう。

 

「……泉先輩とこんな所で会うなんて思ってませんでした」

「俺も直樹、そして祠堂に会うとか……ごめん、考える余裕すらなかった」

「でも、泉先輩ならなんだか納得だなぁ。私はタダ者じゃないって思ってたし」

「まあでも、一番驚いたのは宇田さんだけど、ね」

 

視線だけを眠っている宇田さんに向ける。

そして、その傍らには悠里が小さい子供を抱きしめて涙を流し、再開を噛み締めている。

 

聞けば、その小さい子が悠里の妹なんだという。

そして、直樹たち二人は宇田さんと悠里の妹、瑠璃ちゃんが親子ではなかったと知って驚いていた。

もちろん、俺もそのことを知った時は驚いたが、優しい宇田さんらしいと思い、納得した。

二人も宇田さんの性格を理解していたからかすぐに納得してくれた。

 

悠里は最初、半信半疑だったが、妹からの説得で今は納得し、助けてもらったことへ感謝している。

ただ、事件のショックで言葉を発することができなくなっていたことへのショックとタブレットを使った筆談で説得に時間がかかってしまったのだが。

 

「宇田さんと泉先輩、知り合いだったんですね」

「うん、この人は俺が大変な時に助けてくれた恩人でね。この人がいなかったら今の俺はないと思うくらいに」

「へぇ、この人がなぁ……」

 

くるみは宇田さんの見た目から平凡な人としか思ってないのだろう。

先生は先生で意味深な視線を向けている。同じ大人として思うことがあるのだろう。

 

そして、ユキは何も言わずに宇田さんを凝視していた。

 

正確には首筋……ジョーの部分を

 

「この人が気になるのか?」

「え!? う、ううん! この人も大変だったんだなぁって思って」

 

くるみからの指摘を何とかかわす。

恐らく、ユキはジョーの存在に気が付いているのだろう。ただ、何を思ったかは知らないが、そのことを言わないでいる。

こういう所で、ユキは場の調和を保つのがうまいものだと感心させられる。

 

だが、今はそんなことをしている場合ではない。

 

ジョーの言う危機はすぐそこまで迫っているのだから。

 

「それよりも、皆には言わなければならないことがある。落ち着いて聞いてくれ」

 

ジョーから聞いたことを宇田さんが力を振り絞って伝えたことと前置いて皆に伝える。

今まさに、パラサイトがここに向かってきているということを。

 

そのことを聞いたとき、皆は明らかに困惑した。

 

「パラサイト……ですか」

「えっと、それって不味いですよ……ね?」

 

直樹と祠堂は夢見心地といった様子で事実を受け止めるだけだった。

恐らく、その危険性というものを理解できていないからなのだろう。

 

そして、それは俺と宇田さん以外の人にも言えることだ。

 

まだ皆、実際にパラサイトを見たことがなく、知識として知っているだけなのだから。

 

さっきからシャベルを構え、視線だけで俺についてくると意思表示してきているくるみがいい例だ。

 

 

くるみたちには前もって言ったが、この中でまともにパラサイトとやり合えるのは俺だけなのだ。

 

銃を持っていない限り、実戦経験のあるくるみと言えど殺されるのが目に見えている。

 

「皆はパラサイトに出会ったら全力で逃げることだけ考えるんだ。パラサイトは『奴ら』と違って知恵も力も速さもある……銃でもない限り、間違いなく殺られることは確かだ」

 

幾度となくパラサイトに挑んできた新一だからこそ、その言葉に込められた重みを感じた。

淡々と述べられた言葉に人並み外れた雰囲気を感じ、全員が生唾を飲み込んだ。

 

「しかも、聞く限りでは俺たちを食おうと躍起になってたらしい……逃げれば確実に追ってきて殺される」

「そんな……っ!! じゃあどうしろって言うんですか!?」

 

八方塞がり、そんな状況に直樹が恐怖をにじませた。

 

今から逃げても人間の潜在能力を引き出しているパラサイト相手ではくるみでも逃げることは難しく、全員が逃げ切る可能性は無い。

車で逃げようにもこの大人数が先生の車一台に収まる訳がない。宇田さんの車も壁に衝突して使えるかどうかが不明、それなら道は一つしかない。

 

「っ!!」

「し、新一くん……?」

 

ユキが大きな威圧に生唾を飲み込み、冷や汗を垂らした。

他の皆も新一の雰囲気が突如として変わったことに驚き、思わず後ずさった。

先ほどまでに見せていた優しげな様子でも、非常事態時に皆を導こうという頼もしさでもない。

言うなれば、“黒”の決意だった。

 

「泉、先輩……」

(なに、これ……っ)

 

冷たく、背中につららを刺されたかのような寒気を呼び起こすような気配

 

そして、パラサイトの気配を感じることができるユキは皆よりも人一倍、新一の気配を感じ取り、戦慄した。

そんな威圧をまき散らしながら、新一は強い決意を込めて現状を打破する唯一の手段を伝える。

 

 

「ここに向かってくるパラサイトを……ここで殺す」

 

まるで獣のような目をした新一の言葉に返せる者はいなかった。

 

 

 

肉体の限界が近い。

ここしばらく、まともな食事を採れた覚えがない。

 

例の市役所でのパラサイトと人間の交戦以降、人間の厄介さを改めて学び、最適な食材である人間の捕食を極力抑えながら人間と同様の食事に慣れようとしていた。

 

今までの食事を変え、人間と同じように社会で働き、金で食事する生活に甘んじることになんの感慨もない。

もともとから人間の偏ったプライドなど持ち合わせたことなどない。あるとすれば、生を授かった生物が持つ生存欲しかない。

 

ただ生きていれば構わなかった。

 

 

 

しかし、そんな事情も正体不明の大災害によって劇的に変わった。

 

乗っ取った体の持ち主が就いていた仕事の最中、老若男女問わない人間が無差別に殺され、死んでいった。しかも、ただ死ぬだけでなく、その死体が生き返ったかのように動き出し、さらに生き物を殺していったのだ。

 

最初は驚愕したが、自分たちよりも知能が低く、遅くて武器も持たない不完全な生命体に後れを取ることなどあり得なかった。

 

今まで隠していた正体を現し、生き返った死体を斬り刻み、難なく危機を脱していた。

自分の他にも生き残った人間もいたが、殺して食った。

力もなく、あのような不完全な生命体に殺されるような人間が変わり果てた世界で生き残れるわけがない。そのまま生かし、保存食にしようとしてもその前に殺され、生きる屍になる可能性の方が高かったのだ。

 

『奴ら』に食事を横取りされるなど面白くない、それよりも殺し、食った方が有効活用できるし、早いうちに栄養を摂取しておくことも必要だと判断した。

 

幸いにも街が崩壊するほどの大災害、下手に正体を隠さなくていい分、地獄と称される現状の方が生きやすいともいえる。

襲い掛かってくる『奴ら』を斬り刻むのは簡単だった。ただ数が多いだけの相手など障害にもならなかった。

 

しかし、その数故に食料となる人間を台無しにされることがほとんどだった。

しかも、『奴ら』に殺された人間も同様に『奴ら』の仲間入りすることが最大の障害だった。

そのまま死ぬだけなら食料になりえたのに、『奴ら』となった人間など食べられる気がしない。

『奴ら』の肉が腐ってるという以前に、何かの感染症を患っているのはこれまでの経過を『観察』してきて間違いないと踏んでいる。

 

その上、このパニックで寝床となる場所も制限され、衛生的にも難があるためまともな休息も取れない。

また、街のライフラインが停止し、人間用の食料でさえも管理できず、腐って食べられなくなっている。

まともに休むことも、栄養を摂取することも困難になりつつあり、体も僅かながら衰え始めている。

 

 

 

冗談ではない。

 

『奴ら』は邪魔だ。

 

我々の食料を汚染し続ける上に無限に増えていく。

 

これでは人間の方がマシというものだ。

 

 

焦りを覚え、とにかく休める場所を探していた時、久々に仲間を見つけた。

仲間と言えど、こんな状態で出会うとすれば危険性の方が大きかった。下手すればこちらが食われる可能性が十分にあったからだ。

 

最初はあちらも感知し、車で会いに来てみたら、そいつは人間の脳が生きていた。

その事実を知った時、一つの欲望に支配された。

 

 

“こいつを食う”

 

そいつが食料を分ける前提で協力関係を築こうとしていたようだが、そんなことなどどうでもいいとさえ思った。

 

見るに、そいつは脂肪を多く蓄えているうえに動きも完全に寄生した固体と比べて緩慢なこと。2.3回斬り合ってみて、そいつが自分より格下だと確信した。

 

このような上質な獲物を逃がすわけにはいかない。何としても今の内に食わなければ。

 

そいつは勝てないと判断したのか車で戻ろうとしたのだが、逃がすわけにはいかず、手元に落ちていた大きい石を投げてやった。

ガラスを突き破り、本体の頭部を狙ったがジョーと名付けられた仲間に邪魔され、逃走を許してしまった。

 

しかし、完全に防ぐことができなかったのか車は蛇行運転になり、速度も落ちた。

そんな逃走車を残った力を振り絞って追いかければ見逃すことなどなかった。

奴らを追いかけていると、また別の仲間の反応が奴らの逃げる先にあることを感じた。

 

ただ、その反応があまりに小さく、まるで眠っているかのように微弱でこっちに気付いたような反応も見られなかった。

そして、ある程度追っていった先に見えたのがショッピングモールだった。

 

こういう時、人間は『一石二鳥』と言うのだろう。

 

モールなら必要な物資もある上に、下手すれば家畜のように奴らによって飼われている人間もいるかもしれない。

寝床も少し掃除すれば確保することなど容易い。

 

 

遠くで車がモールに突っ込んだのを確認した。

 

奴は負傷しただろう、そこに着いたら食事にありつけられる。

 

 

食ってやる

 

 

絶対に逃がさん

 

 

占領しているならこっちが奪ってやろう

 

 

そう思いながら向かってくる『奴ら』を斬り飛ばしながらモールへ近づいていく。

邪魔になる肉塊を足で押しのけて進み、ようやく辿り着いた。

 

入り口付近でうろついていた『奴ら』を駆逐し、刃を戻して人間の顔のまま中に入る。

中に人間がいるならば、この状態で一瞬だけでも油断させるために。

 

 

すぐそこに御馳走がいると思うと、無表情な人間の顔とは裏腹に今までに感じたことのない高揚を感じていた。

その高揚のままに導かれるようにモールへと足を踏み込んだ先に、いた。

 

 

 

髪をかき上げた高校生と思しき人間が静かにこちらを見据えていた。

 

 

パラサイトを倒す。

先輩たちが言う『奴ら』とは違った敵。

ここ最近、発見された新生物であることで有名だ。

 

人に化け、人を食べ、人を襲うという恐るべき生き物。

一時期はパラサイト関連のニュースしかやってなかったと記憶がある。

最初の兆しは全国で起こるミンチ殺人事件、パラサイトによる高校教師、生徒の大量殺人事件。

そして、軍隊によるパラサイトの一斉鎮圧事件。

 

今ではニュースでもパラサイト関連の事件は少なくなっていっていると聞いていた。

当然、私や圭も風化していく事件を記憶から消し、忘れようとしていた。

 

しかし、それも目の前に現れた化け物を目にした瞬間、今までにないほどの恐怖を感じ、体がすくみ上った。

上階から隠れて一階ホールを見下ろすと、一人の男性が入ってきた。

 

普段なら生存者の発見に喜ぶけど、それが人間であったらの話だ。

その男性に表情はなく、群がってくる『奴ら』に対しても怯えるどころか一瞥さえしない……まるで虫けらを見ているかのように無機質な表情が『奴ら』とは違う恐ろしさを感じさせた。

 

一階に溢れていた『奴ら』がその男性に気付き群がってきた瞬間、それは起こった。

 

 

 

その男性の頭が割れ、異形のモノへと姿を変えた。

 

「……っっ!!」

 

あまりの光景に私は飛び出そうになる声を必死に手で抑えつけた。

人間の面影を感じさせない怪物の姿に私の体は震え、涙さえ浮かんだ。

 

それは皆も同じだったらしく、圭は私の服を掴んで恐怖に耐えていた。

そして先生を始めとした学校から来た人たちは目を一杯に開かせ、体を震わせながらも耐えていた。

 

そして、更なる衝撃が私たちを襲う。

 

 

一階に群がっていた『奴ら』が異形の怪物……パラサイトを喰らおうと集まってきた。

本来なら目を背ける光景のはずが、僅かに希望さえ感じた。

数で言えば間違いなく、物量的に押しつぶせるまでに圧倒的だった。

 

一階に溢れていた『奴ら』がパラサイトにむかって集まっていくのを、何かに期待して見続けていた。

もしかしたらパラサイトを倒してくれるかも、と思った瞬間だった。

 

割れた頭の一部が刃物のようなものに変わった瞬間、その刃物の姿が消えた。

 

 

「え」

 

ほんの小さい声と共にパラサイトに群がりつつあった『奴ら』の体がバラバラになって地面に落ちた。

4体を無力化させたと思ったら、再び別の刃物が消える。

 

また殺られた。

 

刃物が消えるたびに、『奴ら』の胴体が斬られて地面に落ちる。

そこからは、ただの一方的な虐殺だった。

 

パラサイトの刃物が消えるたびに『奴ら』の大群が血を噴出して倒れていく。

まるで数などどうということはないと言わんばかりにパラサイトの足は止まらない。

 

ただ、パラサイトの歩いた後に残るのは『奴ら』の亡骸だけである。

 

 

まさ、か……あの刃物で斬ったというのか!?

あり得ない……あり得ない!!

私たちを喰らってきた『奴ら』を、まるで虫を相手にするかのように容易く……!!

 

(パラサイトの一振りでさえもまったく見ることができない……あんなの、どうしようもない!!)

 

無理だ、あんなの相手にするなんてできる訳がない。

あれは怪物なんてものじゃない、人間や『奴ら』も関係なく殺す死神そのものだ。

 

一階の『奴ら』があっけなく制圧されたのを見て、体の震えがさらに大きくなる。

 

 

逃げなきゃ

 

殺される

 

 

夏なのに血までも凍らせるような悪寒を感じ、歯をカチカチと鳴らしてしまう。

 

怖い……恐ろしい!!

もっと早くに逃げればよかった、もうここで死ぬんだ……!!

 

 

そう思っていた時、静まり返ったモールの中で声が響いた。

 

 

 

 

 

 

―――待てよ

 

 

私たちの恐怖さえも僅かだが、払しょくさせるくらいに力強く

 

血に濡れた異形の怪物を前に堂々と佇むその人の姿に、目を離せなくなった。

 

 

 

正直、今ここからすぐにでも逃げ出したい。

だけど、そんなことをする気はない。

 

俺が逃げれば、この場の俺以外の皆が死ぬことになる。

 

目の前で次々と『奴ら』を斬り捨ててきたパラサイトと対峙し、恐怖に耐えながらも心は自分でも驚くくらいに落ち着き、奴の観察に専念させてくれた。

 

「お前、パラサイトだろ?」

 

とりあえず問いかけてみた。

返事はない。

 

「食料ならまだこのデパートにあるから好きなだけ持ってけよ。ただ、俺たちは見逃がしてくれ」

 

全く微動だにしないが、間違いなく奴は俺たちを見過ごさないだろう。

ジョーから前もって聞いていたからな。

 

ただ、こんな異常事態ならパラサイト相手でも「もしかしたら」何かが起こるんじゃないかと期待した。

だけど、無反応という答えからすぐに分かった。

 

説得の余地なし、と。

 

 

 

でも、それでも俺は話し続ける。

 

「こんな状況だからさ、お互いに妥協しなくちゃいけないんだと思うんだ。あんたのことは見なかったことにするし、ここの物資も好きにしていいから俺を見逃がしてくれ」

 

奴は俺を未だにただの無力な人間だと思い込んでいる。

何故なら、奴は俺に対して集中しているが、全く警戒していないと分かるからだ。

 

何となくだが、Bのように俺を舐めている……正確にはもう奴の頭の中には食欲のことしかないのだろう。

 

その様子だと休眠状態のミギーには気付いていないはず。

 

 

 

それを確認できて、よかった。

 

「とりあえず、今回のことをよく話し合おう―――」

 

その瞬間、奴の頭部が刃に変形して俺の首筋に向かってくるのが分かった。

 

 

そこから俺は動いた。

 

 

 

迫ってくる刃をギリギリまで引き付けて―――首だけ動かして紙一重に避ける。

 

「!?」

 

 

表情はないものの、パラサイトの驚愕を感じ取るが、そんなのは関係なく次の行動に出る。

 

突き出された刃を搔い潜ってパラサイトの元へ走る。

超人的なスピードにパラサイトは付いていけていない。

 

刃をひっこめてきたと同時にパラサイトの懐へ潜り込み。

 

「――ッ!!」

 

 

 

隠し持っていたナイフを抜いてパラサイトの心臓の部分へ突き出す。

 

 

 

人間だと侮っていたパラサイトの鈍った反応でナイフに対応できない。

 

「もらった!!」

 

 

自分の奇襲の成功を噛み締めた瞬間、ホールの一階に鮮血が舞った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

覚醒

仕事が忙しく、投稿が遅れて申し訳ありません。

地方は車社会であり、車の運転にまだ慣れていない私にとってはかなりの重労働に等しいです。
今では最初より慣れましたので他の車に道を譲る余裕はできました。

しかし、軽トラとトラック。てめえらは駄目だ


何が起こったかまるで分からなかった。

 

新一以外の、パラサイトから確認できない物陰で待機しながら新一たちの動向を覗っていたくるみたちの感想はまさにそれだった。

 

一人でパラサイトに会おうとする新一を止めたのだが、パラサイトに関しての理解が深いという理由で渋々と彼の策には賛成したが、本当にヤバくなったら加勢する気でいた。

もちろん、新一のことを疑っていたわけではなく、パラサイトという化物を相手に一秒でも長く時間稼ぎできたら、と思いながらシャベルなどの武器を持って待機していた。

 

しかし、たった今、自分たちの認識の甘さを垣間見た。

 

パラサイトの頭部が変形した光景に悲鳴が漏れそうになるのを我慢した瞬間、パラサイトの刃が姿を消した。ここまでは『奴ら』を有象無象と思わんばかりに斬り捨ててきた光景から超速度によるものだと理解はできていた。

 

真に驚愕すべきだったことは、新一の動きそのものだった。

 

パラサイトの刃がブレた瞬間、同時に新一の動きも同様にブレた。

 

それから一瞬だった。

彼の姿をはっきりと確認した時にはパラサイトの懐に入りこんでいた。

入り込み、心臓を目指してナイフを突き出していたのだ。

 

「くっ!!」

「ぬぅ!!」

 

刹那の間に、戦況は大きく動いていた。

 

新一の突き出したナイフはパラサイトの腕によって阻まれていた。

片腕にナイフが深々と突き刺さっているが、パラサイトにとっては微々たるものでしかない。

実に恐ろしきは、致命傷を避けるなら体の部位など簡単に捨て去る潔さにある。

 

新一は奇襲に失敗した焦りから

 

パラサイトは生物的な恐れを新一に感じて

 

短い声と共に互いに距離を取った。

 

 

距離を取った瞬間、パラサイトは刃の数を2本に増やし、新一へと襲い掛かる。

同時に新一もナイフを構えて動いた。

 

漫画でしか見たことがないような残像同士のぶつかり合いで火花が散る。

パラサイトの刃とナイフの刃がぶつかり合う度に火花だけが残される。

ただ、新一の動きを目で追えるものは……この場にはいなかった。

 

「なに、これ……」

 

ユキの言葉はこの場の全員の心情を語っていた。

 

新一と共に今日まで生き抜いてきた面子は新一の身体能力というものを理解した気でいた。

美樹と圭は少しだけとはいえ、新一の驚異的な身体能力の片鱗を見ただけだった。

 

それを差し引いても、今回の光景は誰もが言葉を失わせるには十分すぎる。

新一もパラサイトも、自分たちの理解が及ばない領域だったことを無慈悲に見せつけられた。

 

「はは……あんなの、手が出せる訳ねえじゃねえか」

 

この面子の中では新一の次に身体能力が優れているという自負があったくるみでさえも目の前の戦闘を前に武器として構えていたシャベルを下ろさざる得なかった。

もし、新一がピンチになったらいの一番に加勢する気でいたはずだったが、その自信も木っ端みじんに砕かれた。

 

美樹たちに至っては声も出せずに、唾をのむこと以外に動くことができなかった。

 

(泉先輩……あなたは一体……)

 

そんな時、不意に鳴り響いていた金属音がひと際大きく響いたと同時にパラサイトと新一の動きが同時に止まった。

弾かれるように目を向けると、刃の触手から切り傷による出血を起こしたパラサイトと付け根から折られたナイフを投げ捨てる新一の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

(馬鹿な……こんな人間がいたなんて……)

 

表情一つ変えず刃をチラつかせて牽制するパラサイトの内心は焦りで一杯だった。

 

パラサイトの一掃作戦以前から人間を喰らい、もはや人間はパラサイトの食料という認識で固定されていた。

パラサイト一掃も特殊訓練を受け、武器を許可されていた人間によるもの……要は武器さえなければ人間など敵ではない、そう思っていた。

 

しかし、目の前の人間は自分の攻撃を見切り、あろうことか反撃までしようとしている。

常人ならば見切れることもできない速度で斬りかかっているにも拘わらず、だ。

 

だが、パラサイトはもう一つの懸念を新一に抱き、恐れた。

 

(こいつ、こっちの攻撃が届くか届かないかのきわどい所を意識している……いやな距離だ)

 

最初は単なる偶然かと思った。

こっちの触手の長さに応じた攻撃範囲があり、目の前の人間はその攻撃範囲ギリギリの場所にいる。

攻撃は届く、でも致命傷を負わせることができないというギリギリの、嫌な距離だった。

 

しかし、こちらの攻撃が見えてることを考えると、最初の嫌な予感はもはや確信的なものとなった。

そして、反撃は決まってナイフによる超至近距離……触手を長くすればするほど攻撃を防ぐ反応も遅くなる。人体の性能の差も考えると刃を必要以上に増やすことは混乱を招きかねない。

 

ここまで露骨に弱点を責められると、すぐに分かる。

 

(もしや、我々との戦闘を経験したとでもいうのか!?)

 

ただの人間がパラサイトと真っ向勝負をして未だに生き残っていることがその事実の裏付けと言える。

 

(信じられん……だとしたらこいつ、人間では……!!)

「考えている暇があるのか?」

「!?」

 

一瞬の動揺が動きを鈍らせ、その隙をつかれた。

間合いに入られたナイフの切っ先が人体急所に向かっていることに気付き、咄嗟に動く。

 

刃で防ごうにも既に手が届く範囲にあるナイフを防ぐことはもちろん、弾くことも不可能。

その前に新一を切り裂くことも不可能。

 

 

しかし、万策が尽きたわけではない。

 

咄嗟に心臓部を手で庇うとナイフは手を貫いただけで肝心の心臓部に届かせることができなかった。

 

「っ!?」

 

苦虫を潰したように顔を歪める新一のナイフを貫かれた手で固定し、お返しとばかりに複数の刃を新一の背中へ振るう。

しかし、一瞬の判断でナイフから手を放した新一は常人離れした跳躍でパラサイトから距離を置き、推定できる攻撃範囲ギリギリの場所までさがった。

 

息もつかせぬ攻防戦が一時的に停まったものの、両者の間に流れる緊張は増すばかり。

肉体にストレスがかかり、両者の動きに鮮明さが欠いてきたことを理解する。

手に刺さったナイフを捨て、新しく補充したナイフを向けてくる(新一)を思案する。

 

(我々との戦闘経験からくる立ち回りと異常なまでの身体性能で中々手強い……だが、奴には決定的な武器がない。確実に仕留められる武器が)

 

 

実際の所、新一は現在、間合いの短いナイフだけで戦っている。

それは接近戦において新一の身体能力をフルに活かせるということではあるが、本来の用途は人殺しでないため殺傷能力は極めて低い。

刺さっても急所に至るか分からない短い刀身、骨にぶつかれば簡単に壊れるほど脆く、頼りない。

スーパーなどで調達したナイフ程度では毒針のない蜂の針と同じだった。

 

故に、いくらナイフを持っていようともパラサイトを殺せる確率は二、三割程度でしかない。

 

相手の狙いはパラサイトを倒すか、もとより追い出すことでもいいのだろう。

自然と勝利条件を見定め、パラサイト相手の戦い方には一切の無駄がない。

新一の手腕にパラサイトは思わず感心してしまいそうになるが、このままで終われないのはパラサイトも同じだ。

 

食料の貴重さを理解しているパラサイトは友情や愛情などの“情”に無関係な分、生きたいと思う生物本来の欲求が純粋で強固なものとなっている。

だからこそ、生にしがみつくパラサイトにとって新一は最大の天敵であり、倒さねばならぬと決めていた。

 

それ故に、パラサイトが新一のわずかな隙を見逃さなかった。

 

(ここだ!!)

 

疲労が溜まったかのように動きが鈍くなった刃を難なく避け、ナイフで肉の部分を狙い、刃を一つ切り落とそうとした。

運動性能で勝っている自分からの振り下ろしに避けるそぶりすら見せない様子に新一は勝利を確信してナイフを力の限り振り下ろした。

 

 

ナイフの刃が肉にめり込む様子を確認し、敵の無力化に成功したと内心で歓喜した。

 

 

(よし! これで無力化……っ!?)

 

 

ただ、新一が予想してなかったことさえなければ新一の勝利は揺るがなかっただろう。

 

新一のナイフが刃を斬り落とせなかったことを除けば。

 

(斬れない!? まさか、刃の部分を……いや、違う! 逆だ! 硬いんじゃなくて、柔らかい!!)

 

突き刺した刀身は折れることなく、パラサイトの肉にめり込んでいるが、感触で理解した。

あの不快な、肉を引きちぎる感触がない!!

 

それどころか押し返されるような感触を感じ、新一は違和感の正体を過去の光景から思い出した。

 

 

今までのように刃で弾かれたのではなく、ゴムみたいな弾力で押し返されたのだと。

 

 

パラサイトは何も、刃のように乗っ取った部分の肉を固くさせるだけではない。

その体の硬度を自由に操作できるのだ。

 

ミギーのように右腕をゴムのように伸ばすこともあれば、田村玲子のように銃弾の雨から我が子を護り抜いたときのように硬化以外にも軟化させることだってできたのだ。

ただ、ミギーを含め他のパラサイトは刃が少ない無駄で命を刈り取ることができると知っていたから共通して刃の形状で戦うことが多いのだ。

 

パラサイトは敵を切り裂く。

 

そんな無意識的な偏見が長い戦いの中で新一の中で根付き、その隙を付かれたのだった。

 

「くそっ!! 離せ!!」

 

脱出を試みるも、既にパラサイトはナイフを持った手に柔らかくした部分を巻きつかせた。まるで鞭のように。

 

人ひとり持ち上げることなどパラサイトにとって容易い。触手で持ち上げられた新一は抵抗するも、そんな暇を与えられることなく地面に背中から叩きつけられた。

 

「がっ!!」

 

「新ちゃん!!」

「先輩!?」

 

背中から伝わる痛みに苦し紛れの声が空気と共に吐き出さされた。その直後、耳に入ったのがユキとあって間もない美紀の悲鳴だった。

しかし、それを気にする余裕などない。

 

今の叩きつけだけで終わらせる気はなく、再び高く持ち上げられた。

それから、パラサイトは体を走らせたと思えば、新一の掴んだ触手を大きく円の字を描くように回し始めた。

 

 

長い触手の先端にいる新一は増加された遠心力に晒され、抵抗もろくにできなくない。

そして、耐える新一のとどめを刺すかのように、パラサイトは遠心力をのせて新一を力の限り投げ飛ばした。

投げ飛ばされた先の……ガラスのショーウィンドウに新一の体が突っ込んだ。

 

けたたましいガラスの割れる音と店の中の棚が壊れる音に全員の顔が真っ青になる。

 

 

「新一ぃ!!」

 

 

 

 

皆のいる場所だと丁度真下の部分だから新一の姿が見えない。

だが、音からして無傷ということではないと分かる。

 

考えうる最悪の可能性に少女たちは誰もが絶望する中、パラサイトの複眼の一つと目が合った。

 

「ひっ!」

 

目が合った、それだけで全員が恐怖し、立っていられずに座り込むのが数人。この中では新一を除いて戦闘能力があると自負していたくるみもシャベルを握る手が震えている。

僅かな時間でパラサイトの恐怖を体の芯まで理解してしまったのだから。

 

(あれらは後にするか。優先すべきはあの男の始末)

 

しかし、パラサイトはユキたちを脅威として見ず、新一を投げた場所へと向かっていく。

 

 

見えなくなったパラサイトに皆は足を震わせ、自分の無力さを呪いながら新一の無事を祈ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

決して警戒を怠らず、刃を複数用意して反応があれば即座に切り捨てる準備は整っている。

店の中へ乗り込み、倒れた棚に刃の切っ先を向ける。

 

 

このまま棚ごと新一を串刺しにする。

抵抗させる暇すら与えない、そう考えたパラサイトは無慈悲に、容赦のない斬撃を振り下ろした。

 

 

殺った、そう思ったときだった。

 

 

強烈な反応が刃の向かう先から感じた。

 

 

(な、に……!?)

 

突然のことに思考が一瞬停止し、反応も鈍った。

 

 

相手はただの人間であり、これで仕留められると思った一撃は

 

 

 

棚を突き破って出てきた

 

 

 

異形の右腕によって防がれた。

 

 

 

「なんだと!?」

 

何が起こったか分からない。ただ、自分の理解を超えることが起こったとだけしか分からない。

 

 

混乱し続けるパラサイトの刃を防いだ右腕の元は、その場から立ち上がった。

 

「また、俺と戦ってくれるのか……ミギー」

 

何を言っているか分からない。

だが、これだけは分かる。こいつは人間なんかじゃない、と。

 

頭から血を流し、手傷を負った人間は血を左腕で拭って変化した右腕を握った。

 

 

「予定変更……お前は、ここで仕留める」

 

 

パラサイトは一歩引く。

 

 

 

自分を映す、新一の目から逃げるように

 

 

 

 

本当の殺し合いが幕を開けようとしている。




右腕の変化ですが、これについては次回に触れます。

(追記)新一の最後のシーンはメンバーには見えてないので、まだバレていません。その部分の表記を


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

脱出

油断した。後藤以来、戦闘してなかったから勘が鈍ったか……いや、それは言い訳か。

もっと慎重になるべきだった。第一目標を奴を追い出すことと決めていたのに、欲をかいた。

戦いでは俺の流れだった。でも、たった一つの油断で俺は叩きつけられ、背中を殴打した。恐らく投げられたのだろう、背中が熱く、痛い。

 

陳列棚が俺の上に倒れている。足音が近寄って来るのも分かる。

普段ならこんな棚、片手でどけられるんだが、油断したからかダメージが大きく回復も遅くなっている。

 

情けない。

 

皆を護ると誓ったばかりにこのザマなんて、本当にっ!!

 

苛立ちで頭が沸騰する感覚を覚え、背中の痛みなど消えてしまった。

自分の不甲斐なさに歯を噛み締め、怒りのままに立ち上がろうとした、その時だった。

 

 

 

右手が俺の胸を叩いた。

 

 

「え?」

 

 

 

自分の意志とは無関係に動いた右手。しかし、自分の右手のはずなのにそこには別の意志が宿っている気がした。

 

 

冷静になれ

 

 

と、そう言われている気がした。

 

 

でも、そんなの無理な話だ。

戦いで絶体絶命という訳ではない……すぐそこに俺の友達がいてくれている気がしたからだ。

 

「ミギー……いる、んだろ?」

 

問いかけても返事は返ってこない。自分の右手にそう語りかけることなんて本来はおかしいはずなのに……語りかけられずにはいられなかった。

 

 

「頼む……助けてくれよ……」

 

本当は起きているはずだろ? なんで何も言ってくれないんだ? 助けてくれないんだ?

また一緒に助け合おう、敵を倒そう……のどの中でつっかえて言葉が出てこない。

 

分かっている、ミギーは長い眠りについたって。今のこの右手は自分の物だって。

 

 

自分の右手が、友達が近くて―――遠い。

 

 

こうして触れることができるのに、何も答えてくれない。

いつか起きてくることを期待してばっかりで、何もできない。

 

 

 

寂しい、辛い、怖い……

 

 

 

「頼む……」

 

たった一滴の涙も出せず、ただ暗闇の中で助けを待って震える子供のように右手に語り掛ける。

 

 

 

 

だからだろうか、頭の中に声が響いた。

 

 

―――思い出せ、君の腕は私であり、私は君の腕だ……自分の腕くらい自由に使って見せろ

 

 

懐かしいはずの声も、今はどこか空しい。

またこうして、手も届かない場所へ行ってしまう。

 

 

もう、置いて行かないでくれ。俺も連れて行ってくれ

 

 

このまま眠っていれば俺もあそこへ行くことができるだろう。

その時にはミギーに文句でも言われそうだ。

 

 

 

 

 

 

熱い感情と共に自らの額を地面に叩きつけた。

 

 

 

 

 

(なに、考えてんだ……っ!!)

 

 

俺が死んだら、ミギーだって終わっちゃうじゃないか!!

そうしたら本当に会えなくなってしまう。自分で一生のチャンスを捨ててどうする!!

 

それに、死んだらミギーだけじゃない、ユキたちだって殺される!!

 

 

 

嫌だ、死にたくない!!

俺は生きる……生きて、俺の護りたい人を今度こそ護らなくちゃいけないんだ!!

 

 

 

今もこうしている間に皆は危険に晒される!!

もう失うのは嫌だ!!

 

 

 

 

かつてないほどに自分の精神が昂るのを感じる。

生きることを放棄しかけた脳が熱くなる錯覚を覚える。

 

そして、そんな熱い感情に反応するかのように右手がせわしなく脈動する感覚に気付いた。

 

(こ、れは……)

 

人間の右手が不規則に変形する流体のようにうねる。普通なら不気味に思う光景も俺には恐怖を抱かない。

むしろ、懐かしささえ感じる。

 

しばらく動き続け、唐突に静かになった右手の手の平に目玉が開いた。

その瞬間、俺は涙を流した。

 

「ミ、ミギ……」

 

やっと会えた……そう思って名前を呼ぶが、そんなのを無視するかのように右手を人間のものではない、異形の形に変えて俺を押しつぶしている棚を突き破った。

 

突飛もなく、大胆すぎる行動に俺は気づき始めた。その動きに俺の意志も、ミギーの意志も感じられない。

動かして何となく分かった。ミギーとつながっている気が感じられない、と。

 

 

なら、この感覚は?

 

少し考えた時、自然と一つのことを思い出した。

 

 

(たしか後藤との一見以来、一度に複数の思考ができると言ってたな)

 

それが本当ならミギーは複数の脳を有していることになる。

 

 

でも、肝心のミギーはたった一人……魂も意思も感情も複製できない。

 

(てことは、これはミギーの思考力の一つが表に出ただけ……ミギーの分身……)

 

目玉もあり、化ける能力もあるがそれはミギーではない。

ミギーの一部でしかない。理論的な答えは出せないものの、新一は何となく、本能で理解した。

 

もちろん、落胆はあった。本物のミギーが帰って来たわけではない。これはただ、目の前の出来事に反応するだけの人形みたいなものだと。

 

 

 

それでも、新一はそれだけとは思えなかった。

この異形の手はミギーの一部であり、(ミギー)がいたという存在の証明。

 

 

辛いときも

 

 

ピンチも切り抜けたこの右手が戻ってきた。

 

 

 

ミギーは寝てもなお、自分を想い、生きろと言う。

なら、自分はここで腐っている場合なのか?

 

 

 

 

 

俺は生きる

 

 

 

上に被さっていた棚を押しのけて立ち上がると、案の定近づいていたパラサイトの刃は自然に動いた右腕によって止められていた。

 

 

ここで立ち止まらない

 

 

 

また失いたくない

 

 

 

大切な人を護るために

 

 

「予定変更……お前は、ここで仕留める」

 

 

奴の刃を弾き、懐へと肉薄した。

 

「!?」

 

だが、今までのような拙く、殺傷能力の低いナイフとは違う。流動体のように右手がグニャリと変形して形成した刃はあらゆる面でナイフを凌駕した。

 

威力、射程距離、そして何より文字通り体の一部だからこそ扱いやすいという所がある。

ただ、一点において決定的にいつもと違う点がある。

 

この右手、本当に俺のイメージ通りに動いたり、変形したりする。

ミギーの意志はないからひとりでに動くなんてことはあり得ない。そう考えると右手のことも何となく思いつく。

 

(ミギーの言う(複数の思考)というものなのか……俺のイメージと戦闘状況を感じ、目で見て判断し、最適解を導いている)

 

新一の行動パターンを優先的に表している状況から見てミギーの有無は確認できた。とすると、今のこの右手はコンピュータの自動操縦みたいなものだと判断した。

 

 

だが、どうしてそんなことが起こったのか?

 

理屈では出てこない、別の答えを導いた。

 

 

生きろ

 

 

そう言われ、尻を叩かれた気分がした。

 

 

皆の丁度真下……誰の目にも触れない場所で右手が変異したのも彼なりの気遣いなのかもしれない。

そう思うと、悲しみはどこかへ消えていた。

 

 

(こいつも仲間……なら何故、人間の脳が生きている!? それに、この反応の弱さも妙だ、眠っているかのように弱々しいはずなのに……!!)

 

対峙するパラサイトは新一からの攻撃を避けたり刃で防いだり、答えの出ない疑問に葛藤しながらも巧みに捌いていた。

新一だけなら互角に渡り合えたであろう攻防は新一の右手によって形勢を逆転された。

 

(なぜ、こんなにも明確に襲い掛かってくる……!! 敵はたった一人だというのに!!)

 

 

ここに来て新一たちの戦法が明らかに変わったのを身をもって思い知る。

 

先ほどまでは新一が息もつかせないほどの攻撃を休むことなく与え続け、パラサイトの機動力と体力を奪うことに特化していた。

 

しかし、ここに来て新一の攻勢の勢いが弱まった。そうはいってもパラサイトからしても十分に脅威だと思わせる力強さはある。

攻撃の手をゆるませた代わりにこちらの刃を的確且つ、確実に避けられる。攻撃と防御を両立させた形となる。

 

相手が新一だけならばパラサイトにも充分に勝機はあっただろう

 

 

 

だが、今の新一には右手がある。

意思がないのに人間の味方をするように動き、不意を突いてくる右手に悪戦苦闘を強いられ、追い詰められていく。

 

 

パラサイトに痛みという概念は基本的に存在しない。

 

しかし、人体に傷が付けば出血し、死へ近づくことを本能で理解している。

戦法を変えられてからというもの、既に人体は負傷レベルにまで達しており、このままでは出血量が致死量となって死に至るのは明白だった。

 

(体の反応が鈍い。意識も薄れて……体力と血を流し過ぎた……こんなのに敵うはずがない。逃げねば……何としても)

 

自らの人体は既に瀕死寸前と言うことを悟り、この場の離脱を決心した。

しかし、目の前の人間と右手がそれを許すとは思えない。

 

どうすべきかとパラサイトが辺りを見回した時、一瞬だけ止まった。

 

 

不自然な間が開いた。

 

 

戦闘中ではありえない停止

 

 

普通なら陽動かと疑うような場面で、攻めていた新一はその隙を見逃さなかった。

 

 

 

(ここだ!!)

 

突き出された刃を右手の刃で弾いて走り出す。

 

刹那の戦いの間でようやく見つけた隙を逃さんとばかりに新一はその一撃に全てを込める。

パラサイトとの距離が縮まっていく中、新一はその肉薄する一瞬の時が長い時のように感じた。

 

周りがスローに見えるという感覚だろうか、鋭くなった感覚をもってしても滅多にない体験に違いない。

 

 

一歩一歩を踏みしめる感覚をはっきりと感じる。

 

 

 

感覚が研ぎ澄まされた新一が感じたのは勝利への確信だった。

 

 

 

 

(っ!?)

 

右手はその確信を裏切る。

敵が無防備な場面で刃ではなく、表面積を最大限にまで広げて硬化させた“盾”を出した。

 

あまりに場違いな展開に新一は一瞬だけ混乱した。ただ、それも束の間に終わる。

 

 

右手が動く結果は常に最適解

 

 

故に、今回の盾は新一の運命を決めた。

構えた盾に何かが衝突した。

 

「なっ!?」

 

一瞬、何がと思ったが、その飛んできたものが『奴ら』だと判明する。

それも一人だけじゃない、後から続くように『奴ら』が新一に飛んできては盾に阻まれる。

 

急いで『奴ら』をどかすと、そこには既にパラサイトの姿はない。

既に新一に背を向けて走って逃げだしているパラサイトの姿に疑問が氷解した。

 

(『奴ら』を飛ばしたのはあのパラサイト……自分の体で死角を作って『奴ら』を投げ飛ばすのを隠していたのか!)

 

無防備だと思っていたパラサイトは既に逃げの布石を打っていた。

それに気付いたとき、沸騰するくらいに熱を帯びた頭で追いかけようとするも、既にパラサイトの姿は消えていた。

 

 

見えるとすれば、いつの間にか一回に集まってきていた『奴ら』の大群に覆われつつある光景だった。

 

(戦闘音に釣られてきたのか!? しかもこの数、恐らく全フロアから……!?)

 

状況を判断した時、パラサイトを逃したことなど既に頭の中から消えていた。

今はただ、『奴ら』の包囲網から抜け出すことが第一だ。

 

しかし、ここを出ようにも右手の力は必要……もちろん、『奴ら』であるなら右手で一掃することも十分に可能だ。

 

 

だが、外にはユキたちがいる……この右手を晒してしまうことになる。

 

どうする……っ!!

 

 

ジリジリと追い詰められる中、その声は唐突に響いた。

 

 

 

「耳を塞いで!!」

「悠里!?」

 

突然の指示に反射的に従った瞬間、全身が痺れるような感覚を覚えた。

耳を手で塞いでも並外れた聴覚に大音量の音が鼓膜を殴りつけてくる。多少の苦痛はあるものの、怯むほどではない。それどころか『奴ら』にとっては不快なのか分からないが、混乱したかのように俺に群がっていた足を止めた。

 

気が付けば、『奴ら』の大群の後ろから皆の姿を捉えた。皆が一階にいるということはパラサイトも既にモールから逃亡したのだろう。

その中には頭に包帯を巻いた宇田さんもこっちに呼びかけている。

 

よかった、目を覚ましたんだ。

 

だが、ここで皆に右手を見られたと思って慌てて右手を庇おうとしたが、既に右手は元に戻っていた。

恐らく、皆を察知して自動的に元に戻ったのだろう。こういう秘密主義な所もそのまんまって訳か。

 

 

ともあれ、危機的状況はなんとか脱したわけだ。

なら、後はこのまま撤収するだけ。

 

そう思ってすぐに、大音量にもがき苦しむような『奴ら』に向かって走り、その中の一体の頭を踏み台にして『奴ら』でできた『肉の壁』を軽く跳び越えた。

そのまま皆の元へ駆け寄ってみると、悠里の手に防犯ベルが握られていたため、この大音量のネタを知り、機転のよさに感心した。

 

皆は一様に喜んでいるが、直樹と祠堂だけは耳を抑えながらポカンとした顔で見つめてくる。

大方、パラサイトとの戦いと『奴ら』の大群を跳び越えた身体能力に驚いたのだろうと予想はついた。

まだ慣れていないため、これが普通の反応だろうと苦笑した。

 

 

悠里の持つ防犯ベルは一向に止まないため、会話もできないまま全員でモールの出口へと躍り出た。

 

たった数時間しかいなかったのに、夕暮れの空が妙に懐かしい気がした。

それだけ、ここでの時間が濃密だったことを意味する。

 

「泉先輩!」

「感傷に浸るのは後にしろ!! 早く乗れ!!」

「あ、あぁ、ごめん!」

 

直樹とくるみの呼びかけに意識を戻され、空を見上げるのを止めて車に乗り込む。

 

宇田さんの所は既に損傷している車を動かして先生の車、俺たちの乗る車の後ろについている。俺が最後に乗り込むと、先生が迅速にギアを解除した。

 

「構えて!! 舌を嚙むわよ!!」

 

言うとおりに体を丸めたように倒すと、今までに感じたことのないほどの力がかかり、エンジンが火を噴いた音を響かせた。

そして、座席から伝わる振動で車が走ったことを知ると、俺の力はドっと抜けて倒れそうになった。

 

「宇田さんたちは!?」

「大丈夫よ。ぴったりついてきてる」

 

どうやら宇田さんたちも無事、脱出を果たしたようだ。

身体を丸めた状態で体を起こすことですら億劫になるほどの疲労で外の景色も気にしている余裕がない。

 

「はぁ~……助かったぁ」

「間一髪……もうこんな経験はしたくないものね」

「ち、ちかれた……」

「えぇ、皆、よく頑張ったわ」

 

 

周りからは安堵のため息を漏らすのが聞こえてくる。

さっきまで生と死をかけた戦いに巻き込まれたのだからその反応も当然だろう。

 

 

だけど、俺には素直に安堵することなく、ただ感情もないままさっきまでのことを頭の中で反芻させていた。

 

 

突然になって動き出した右手とパラサイトの出現

片方は嬉しいはずなのに、今の俺にはそれすらも何かの前兆の気がして、素直に喜べないでいる。

それにつられるようにパラサイトとの闘いの日々……最愛の人たちを亡くした時のことを思い出す。

 

 

 

 

ただ、思い出すだけ……それ以上のことは考えられない。

 

 

 

 

 

ただ、意識が薄くなっていく

 

 

 

 

 

 

疲……れた

 

 

 

 

意識……遠ざかる

 

 

 

 

 

「新一くん!? その背中……っ!?」

「血まみれじゃねえか!! おい、しっかりしろ!!」

 

 

 

 

聞こえてきたはずの声も正しく理解できぬまま、俺の意識はここで暗転した。

 

 

 

 

ただ、休息を求めるがままに―――




久しぶりの投稿でしたが、何とか書きました。

今回は結果的にドローとなりました。「ここまで待たせておいてドローなんて最低!」とか思われそうですが、とりあえずこうしました。

また、書いてきますのでできるだけ早くに投稿したいと思います。

したいなぁ……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

赤い雨

今回は新一たちではなく、別視点の話となります。

それと、感想が返せずにすみません。今後からは少しずつ返していくよう努力していきます。
誤字修正してくださる人たちにも感謝です。


新一から逃げてきたパラサイトの生き残り事情は大きく変わった。

 

敵対した新一からは幸運にも逃げ延びることができ、モールの大量の食料を諦める形となったが、生き残ることができた。

しかし、生き残ったとはいっても人間社会が崩壊した現状では心苦しいものである。

 

新一から受けたダメージに加えて食料はおろか栄養の調達さえできなかったのだ。体が重く、意識も少しずつかすんできたのも気のせいではないのだろう。

 

(よもや、あんな人間がいたとは……)

 

パラサイトらしい淡白な感想だが、その胸中は複雑なものとなっていた。

 

 

このパラサイトはこれまでに近場で仲間の反応を感じたことはあまりない。時々郊外でひっそりと暮らしているであろう仲間の反応は確認したものの、下手に干渉するでもなく、現状維持のために交流を断ってきた。

そのため、弱い人間の中で生活し、か弱い人間などただの食料としてしか見れなくなったため、自分本位な性格へと形成されたのも仕方がない。

 

それどころか自分以外のパラサイトのようにいつ、敵対するか分からない存在も皆無と言えたのはまさに、この町が自分のものだと思わせることになった。

 

世間はこれを、『井の中の蛙』という。

 

 

 

そんな中で起こった謎の生物災害は確かに驚愕に値したが、内容はあまり変わらなかった。

弱者が強者に食われる、ただそれだけのことだった。自分の今までの生活と変わらないではないか、と。

 

だが、そんな考えを驕りだと感づかせたのが、新一との戦いだった。

 

 

相手はただの人間だと油断したのが間違いだった。新一の並外れた身体能力に加え、対パラサイトを想定した立ち回りで苦戦を強いられた。

一時は機転が功を奏して流れを押し流したが、その直後に起こった出来事に目論見は外された。

 

 

仲間の腕、それが人間と共に殺意を持って襲い掛かってきた。人間とパラサイトの交戦に初めて、『天敵』を認識した。

苦し紛れの策で撤退はできたものの、もう二度と出会わない保証などどこにもない。

 

 

恨む、なんて益のないことはしない。

ただ、恐れた。

 

(奴の提案でものっていれば……)

 

ひたすらに生存に関して貪欲なパラサイトは新一に仕返しをするなどという考えは浮かばない。平凡な暮らししかせず、特殊な思考に目覚めたパラサイトとは程遠い存在である。

 

強者としてのプライド……そんなものに微塵も未練もないパラサイトは早急にこの町を出ることに決めた。

 

 

新一たちが車を使っているということは、またどこかで鉢合わせする危険性が高いからだ。

本来なら動き回る死体共に食われれば万歳なのだが、新一がそう簡単に殺されないだろうと直感でなくても分かる。

 

(このまま南であれば隣県に出られるのだったな……急がねば)

 

八方塞がり

 

そう結論付けた後の行動は迅速だった。ここで破滅を迎えるのを待っているのは体力的にも限界だと感じたからだ。

念のために周辺の地理を把握していたのは大きい。このまま逃げようとパラサイトは立ちふさがる死体を斬り刻みながら足を進める。

 

 

 

 

その瞬間、強い反応に体が押しつぶされた。

 

 

「な……がっ」

 

 

パラサイトは驚愕しながら、膝から崩れた倒れた。

自身を押しつぶすものの正体は、『仲間からの反応』だった。ただ、その濃度は新一の比ではない。

あまりに濃すぎる反応はまるで質量を持ったように重く、息苦しい。逃げたくても体が言うことを聞かない。先ほどまで行った戦いの疲労とダメージ、そしてのしかかる反応に人体に過度なストレスに限界を迎えたのだ。

 

抗うことすら許されないと言わんばかりの圧力にパラサイトは思考を練ることさえできなかった。

 

 

 

 

「仲間の反応があったものの、潰れたか」

 

圧倒的圧力に耐えられずに動かないパラサイトの元に一人の男が現れた。既に人の頭として形状崩壊しているパラサイトに動じるどころか路傍の石を見るような感情のない視線を向ける時点で普通ではない。

 

 

その男は『伊藤』

 

この男も紛れもなくパラサイトだった。

 

 

伊藤は自分の反応に潰れたパラサイトを前に、拳を振り上げる。それでもパラサイトは動く気配がない。

 

 

「さして取るに足らんが、私の目的を意図しない形で邪魔されたらたまったものではない」

 

伊藤は目の前の仲間に対して、感情など動かない。

あるとすれば、一つの目的に対する異常なまでの執念だけだった。

 

 

「残念だよ。さっきまでの人間のほうが骨があった」

 

心にもない言葉と共に、振り下ろした拳を血で濡らした。

 

 

 

 

時は少し戻り、外堀に囲まれた要塞のような大学

 

聖イシスドロス

 

 

とある企業により、一つの街であり、生物災害に見舞われた今日であっても敷地内の安全と設備が保証される。

そんな大学も、少し前までは教授や生徒を含めた大学関係者が『奴ら』となり、人を喰らう地獄絵図が繰り広げられていた。

 

 

しかし、生存したごく一部の中には地獄と化した大学を立て直した者たちがいた。

 

 

それが、『武闘派』と呼ばれる者たちだ。

 

様々な分野に精通している学生が集まっているだけあって、人材が豊富だったことからこの状況を打破したといえよう。中にはこんな気が狂いそうな状況下の中で常人ではありえない趣味嗜好を開花させ、この大惨事を楽しむ者さえいた。

それもまた、この状況を生き残ってきた強みと言えよう。

 

彼らは常日頃から武器を身にまとい、外に出ては物資の確保や活動範囲の拡大に勤しんでいる。さらに、彼らは衛生管理も徹底し、1%の危険性があれば排除するスタンスまで取っている。

まさに、暴力と規律でのし上がった集団となった。

 

 

大体は武闘派が幅を利かせているということもあり、『武闘派』はいつしか自分たちが世界の中心だとも言わんばかりに増長していた。

 

 

そんな武闘派の一人が、破られるはずもない正門をボーガン片手に退屈な見張りを行っていた。

 

 

 

 

外が地獄だと言われても信じられなくなりそうな、のどかな時間

 

 

青空を仰いで交代時間が来るのを今か、今かと待っていた時、それはやって来た。

 

 

正門が開いた。

突然のことに眠りかけていた見張りは気を取り直し、訓練通りに茂みに隠れて様子をうかがう。『奴ら』であれば即射殺、生存者であれば情報と荷物を奪う。

 

どうあっても外部の者は利用するスタンスに決めた集団はいつしか正門に集まり、各々隠れて様子をうかがう。

 

(男か……)

 

門を開いて入ってきたのは中年の男だった。

一見すると、何のとりえもなさそうだが、すぐにその異常性に気付く。

 

男は『奴ら』が蔓延る外から堂々とやって来た。

 

 

車で来た可能性もあるが、エンジン音は聞こえなかった。

仮に遠くから降りて来たとしても、『奴ら』との戦闘は避けられない。

その証拠に、男の服は血で濡れている。

 

 

(応援を呼べ)

(了解)

 

 

一気に危険人物とみなし、矢を装填する。

一帯の空気が張り詰めたのにも気づかないように、血濡れの男は敷地内を我が物顔で進んでいく。

 

その様子に周りの男たちは言い知れない愉悦を感じていた。

 

 

馬鹿な獲物が網にかかった、と

 

 

 

この状況下で彼らの性格は歪み、いつしか狩りを楽しむようになっていた。

自分たちがあの男の生殺与奪を握っているという認識で、言い知れぬ優越感を感じていたのだ。

 

そんな感情をおくびにも出さず、男を完全に包囲できる位置まで来るのを待つ。

 

 

逃がしも抵抗もさせない

 

 

 

そして、男が特定の位置まで歩いたとき、待ちわびたように立ち上がる。

 

 

 

「動くな!!」

 

ボーガンをチラつかせ、男に矢先を向ける。向けられた男は立ち止まり、こっちを見据えている。

 

その間に仲間たちも次々と立ち上がって各武器を持って囲んでいることを見せつける。

 

「無駄なことはするなよ。大人しくしていれば何もしない」

 

 

これだ、この瞬間がたまらないのだ。

自分の指先で男の命を握り、それに慄き、恐れる。まるで神みたいではないか、と。

こんな狂った世界を生き抜くには自分が強くなければならない。そう言い利かせ、これまでのようにいい想いを味わってきた。

 

 

いけ好かない奴を殺し、泣いて懇願する美人も犯してきた。

 

 

それが、この世界の常識だ。これが正しいのだ!

 

 

下種な笑みを心の中にとどめ、ボーガンをチラつかせていたが、ここで違和感に気付いた。

 

 

この男、さっきから無表情なのだ。

 

 

この騒ぎで心が死んだのか。そんな連中をいくつも見てきたが、そんなのとは様子も違う。

まるで、武装集団に囲まれているこの状況が何でもない、と言わんばかりに平坦な表情だ。辺りを見回して景色を堪能しているかのような様子まで見せる始末。

 

それに気付いたとき、どっと不快感に見舞われる。

 

 

格下の相手に無視された時のようだ。

俺たちがお前の命を握ってるんだ、怖がって楽しませろ。

 

 

まるで『お前たちなど数の足しにもならん』と言われているような錯覚を覚えた。

 

 

それ故、ボーガンを握る手に力がこもる。

それでも自分たちが優勢だということを誇示したいため、苛立ちを隠して再度忠告する。

 

「これで最後だ。みぐるみ置いて一緒に来てもらおうか。拒否するなら」

 

 

 

 

これより後の言葉は続かなかった。

 

それもその筈、男は忠告の途中で頭部を押しつぶされたのだから。

 

 

 

十数メートル先に佇んでいた男が頭部を木に叩きつけて。

 

 

「は?」

 

 

そして、同胞が絶命した瞬間を見ていた者たちは理解できなかった。

男が消えたと思った瞬間、この場を仕切っていた班長役の男が首を無くした物言わぬ肉塊になったのだから。

 

男が脳漿をぶちまけた手を放し、班長だった男の体がズルズルと血の跡を残して地面に倒れた。地面が血に濡れるのも気にしていないように、男は変わらず無表情だった。

 

だが、その表情には先ほどまでとは違った。無表情の中に二つの感情が表れていた。

 

 

“退屈”と“失望”

 

 

買ったゲームがつまらなかったと嘆く子供のように、男はため息を漏らす。

 

 

そんな異常な男を前に、状況を理解し始めた男たちは体を震わせる。そんな時、血濡れの男は初めて口を開いた。

 

 

 

「その武器が飾りでなければ抵抗しろ。それとも、もう2,3人を見せしめにするか?」

 

 

その言葉に男たちの恐怖は爆発し、狂乱状態に陥った。

 

あれが何者か分からない。何だあれは、何故自分たちに敵意を見せるのだ!?

正体は分からない、でも、ここで殺さなければ自分たちが死ぬ。折角生き残ったのに、殺されるのは嫌だ!!

 

 

「ひゃあああぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「死にたくない、死んでたまるかああぁぁぁぁ!!」

 

 

悲鳴交じりに武器を乱射し、矢は全て血濡れの男に向かう。

 

 

そんな血濡れの男は、まるでスローで向かってくる矢の大群を前に口角を釣り上げた。

 

 

「実験開始だ」

 

 

 

 

この日、晴れやかな青空の下で大量の雨が降った。

保たれた平穏を無慈悲に洗い流す、赤い雨が降った。

 

 

 

化物は蹂躙するだけだった。殺し、食い、成長する。

それしか頭になく、興味もなかった。

 

 

 

だからこそ、気配は感じても無視した。

この大学から6人ばかりが出て行ったとしても、弱者に微塵の興味もわかなかったのだから。




今回は、本編でも終わりを迎える大学の状況を描きました。
でも、私としては大学編はやらない予定なので、ここで退場させていただきました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。