武器と魔法と、世界とキミと。 (菱河一色)
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プロローグ
『絶巧』の軌跡


 古来より、如何なる英雄も、その暴君を止めることは出来なかった。

 だが、今日まで人類が生き延びて来ていることは、紛れもなく、勇敢に散っていった名も無き戦士たちの、立派な功績の証左である。





 

 

 

 それは、歴史に残らぬ死闘であった。

 

 生存者も、目撃者も皆無。誰にも語り継がれず、何者も知り得ぬ戦である。はずだった。

 

 迫り来るは、隻眼の黒竜。その身を天災とし、死を振り撒く絶対的存在としてただただ蹂躙す。

 

 迎え撃つは、歴戦の戦士たち。自ら死地に赴き、絶望を打ち砕き、災厄を祓うべく彼等は集う。

 

 巨大な黒竜と相対してなお、彼等は思わず相好を崩していた。こんなところまで、ついに来てしまった、と。

 

 五年前。世界の中心であり絶大な力を擁する大都市から、当時の最高戦力がこの黒竜のもとに送り込まれた。

 結果は惨敗。主力は軒並み息絶え、その戦力を有していた組織は事実上の解散を余儀無くされることとなった。

 黒竜もその戦で片目を失い隻眼となった。しかし、それだけである。撃滅に至らなかった時点で、それは敗北と同義なのだ。

 

 人々は絶望する。最強と名高かった英雄たちでさえ成し得なかった大業。彼等が出来ず、一体誰が完遂できようか。誰もがそう思った。

 それは、黒竜の咆哮を間近で受ける彼等も同じであった。だが、彼等の想いには()()()()

 

 

 

 一人の青年が剣を掲げ、声を張り上げる。

 

 その鼓舞を受けた者は、誰であろうと全身に英気を漲らせ、心に希望を抱く。

 こいつがいれば、或いは、と。

 

 

 

 

 

 青年が飛び出すと同時に、そこにいた全員が一斉に散開し、世紀の一戦が幕を上げた。

 

 正面から迷いなく突撃してゆく青年を囮に、左右から俊敏な狼人(ウェアウルフ)の男と小人(パルゥム)が飛び掛かる。

 対して黒竜は右腕を持ち上げその鋭利な爪で小人(パルゥム)を引き裂き、その体躯を揺らすだけで狼人(ウェアウルフ)を弾き飛ばす。そして上がった右腕を正面の青年目掛けて振り下ろした。

 身体を捻り、青年は辛うじて回避する。飛ばされた狼人(ウェアウルフ)も無事に着地するが、なんでもないように対処されたことに、彼等は歯を軋ませた。

 

 たった一度の交錯で、黒竜の途方も無く高い潜在能力を察した彼等は、一段と警戒を強める。

 仲間の死を、悼む暇など、ない。

 

 そして、黒竜の背後に回り込んだエルフを筆頭に、等間隔に黒竜を囲んだ三人の魔道士が詠唱を開始する。

 迷いもなく黒竜は斜め前の魔道士に向け突撃する。しかしその挙動は読まれていた。

 即興の術士に化けていた人間(ヒューマン)の女性は、掌から眩い光芒を黒竜の眼に向けて放ち、視力を一時的に潰すと、速攻で離脱する。

 一瞬、視界を奪われた黒竜は奇襲を受けまいと暴れまわる。その隙にもう一人の魔道士が移動阻害魔法を掛け、少しおいて、最初に詠唱を始めたエルフの魔法が炸裂した。

 

 極大の雷が、黒竜の背に直撃する。鼓膜をつんざく轟音、目もくらむほどの雷光が戦士たち諸共黒竜に襲いかかった。

 

 しかし、背の表層が焼け焦げただけで、黒竜自体へのダメージはそう大きくないように見える。それでも、確実に黒竜の生命を削っているのは確かだ。

 

 戦士たちは折れずに、ひたすら黒竜に立ち向かってゆく。

 

 

 熾烈を極める激戦は、次第に加速する。

 

 青年が黒竜に剣を突き立てる。

 

 黒竜の尾が数人を薙ぎ払う。

 

 人間(ヒューマン)の槍が黒竜の鱗に弾かれる。

 

 黒竜の吐く炎が盾を構えるドワーフに直撃し、背後の術士諸共吹き飛ばす。

 

 猫人(キャットピープル)のナイフが黒竜の脚に裂傷を刻む。

 

 黒竜の顎が猪人(ボアズ)の胴体を噛み砕く。

 

 人間(ヒューマン)の男性が渾身の上段蹴りで黒竜の腕の軌道を逸らし、懐に飛び込む。

 

 黒竜は翼を羽ばたかせ、群がる戦士たちをまとめて後退させる。

 

 

 

 

 圧倒的な力の前に為す術もないはずだった彼等は、黒竜が如何に恐ろしいかその身で実感してなお、無残に散ってゆく仲間を見てなお、その瞳に力を宿らせ確かに立ち向かってゆく。

 

 この戦場で同胞の大半が絶命することになるだろう。それでも、彼等は逃げない。止まらない。退かない。その足が地に縫い止められることはない。

 

 どのみちここで黒竜を退かせない限り、この暴虐の王は各地で破壊の限りを尽くすだろう。他の選択肢など、端から示されてすらいないのだ。

 それだけではない。彼等には、今も必死で黒竜の正面に立って一人敵愾心を高めている、一人の青年がいる。

 その青年はいつでも彼等の先頭に立ち、皆を引っ張る役目を果たしてきた。ここにいる誰だって、あの青年がいたから戦ってこれたのだ。どんな絶望的な状況でも諦めずにいられたのだ。

 

 だから、彼等は何度でも、何度でも立ち上がれる。

 

 

 

 

 

 黒竜の腕の一撃により、青年の右腕が千切れ潰れる。

 青年の足運びが不安定になる。肩口から鮮血が吹き出す。左手で抑えるも、勢いは止まらない。

 それまで気丈に注意を引きつけ続けたその疲労は計り知れない。青年は意地でもその場を離れまいとするが、犬人(シアンスロープ)の男性に回収され、小人(パルゥム)の女性とハーフドワーフが代わりに黒竜の正面に立つ。

 

 一旦戦線を離脱し、ハーフエルフの男性による治癒魔法で止血と応急処置を受けたと思えば、青年はすぐさま復帰しようとする。

 その端正な顔を歪めながらも、いまも戦い続ける仲間たちを慮って駆け出す彼を、止められる者はいなかった。

 

 戦闘はすでに、始まってからかなりの時間が経過していた。集中が途切れがちになり、戦闘不能に追いやられる人数がじわじわと増えていく。このままでは敗北するのは目に見えている。

 だが黒竜の方もまだ余裕があるとはいえ、かなり消耗していることは確かだ。知能が高いなら撤退も頭をよぎる頃合いだろう。

 

 決着の瞬間は、刻一刻と近付いていた。

 

 

 

 強大な敵を相手にするときは魔道士、つまり魔法が主攻を担うことになる。しかしよほどの使い手でない限り、並行詠唱などという曲芸じみた技能は使えない。つまり誰かが彼等より高い敵愾心を稼ぐか、彼等を護るか、両方かをしなければ、魔道士は攻撃を繰り出すことができず、戦闘は果てしない泥沼と化してしまう。

 

 だからこそ、それができる青年は最前線で敵を引きつけ続けなければならない。

 片腕が潰されようと、青年は自分がすべきこと、できることのみをひたすらに考えていた。

 

 青年が前線に復帰したのは、ちょうど小人(パルゥム)の女性が黒竜に弾き飛ばされる瞬間だった。ハーフドワーフと交代し、再び黒竜と睨み合う。

 その光景を受け、機を見るに敏、散り散りになり生き残っていた魔道士たちは一斉に捨て身の全力詠唱を開始する。

 先ほど割とまともなダメージを受けたときと同じ展開だと気付いたのか、黒竜はすぐさま魔道士たちが描く円から逃れるため動きだそうとするが、その進撃を、青年は正面から受け止める。

 

 ここが分水嶺だと悟った戦士たちが次々に、黒竜の動きを止めるため、死に物狂いでその進路を塞ぎにかかる。

 

 爪に切り裂かれ、脚に踏み潰され、翼に打ちつけられ、魔道士を狙うブレスをその身で受け、死にゆく仲間達の名を叫びながら、青年は涙を隠さず、全身全霊をもって黒竜の歩みを留める。

 

 

 悲しくないわけがなかった。これまでずっと一緒に過ごしてきた大切な仲間が、何も言わぬ肉塊に成り果ててしまう瞬間を見ていたいはずがなかった。

 

 

 

 許せるはずがなかった。黒竜も、仲間を死なせないでいられるだけの力がない自分も。

 

 

 

 

 

 負けるわけには、いかなかった。

 

 

 

 

 魔道士たちの詠唱が完了する。

 

 しかし、文字通り命を張ってくれた前衛たちの離脱を待つことは出来ない。彼等の無事を祈りながら魔道士たちは限界まで魔力を注ぎ込んだ魔法を放つ。

 

 精神疲弊(マインドダウン)で倒れゆく魔道士たちに向け、黒竜は再三、炎弾を吐き出す。もう、盾になれるような人員は、いない。

 道連れだと言わんばかりに魔道士全員を消し炭に変えた黒竜に、全てを賭けた、彼等の魂の一撃とも言える魔法が同時に着弾する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 閃光。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 回避など間に合うはずもない。幸運な者は凄まじい衝撃波に空を飛び、あらゆる部位を地に打ち付けながら転がり、ぼろ切れのようになりながらも、なんとか一命を取り留めた。

 

 そこらじゅうに砂埃が舞い、視界が効かない。他の生存者がいるかどうかも、黒竜がどうなったかも不明だ。

 

 黒竜がいた場所には、天まで届くほどの炎柱が立ち昇り、空気には紫電が迸り、地面は凍りついて、地獄の様相を呈していた。

 

 不意に聞こえた、腹の底にまで響くような音、いや、声。決して風などではないその死の足音に、身体が固くなる。心が恐怖で満たされる。

 

 砂埃が晴れ、視界が開ける。先ほどまで戦場であったそこには、こと切れた仲間達の亡骸。そして、いまだ力強く、君臨し続ける隻眼の黒竜。

 

 

 まだ、足りないのか。

 

 

 これでも、届かないのか。

 

 

 こんなやつに、勝てる筈が。

 

 

 

 

 

 それでも、青年は立ち上がる。

 

 それは、蛮勇ではない。無謀である筈もない。

 

 左手に大剣を携え、肋骨が幾つか折れているだろう腹に力を込め、ボロボロの脚を踏ん張り、まだ死んでいない、鋭い眼光で宿敵を射すくめる。

 

 

 その勇ましい様は、まさしく英雄。

 

 

 まだ生き残っている仲間達の視線が、青年の背に注がれる。もう戦闘続行が可能な人員が他にいないことを感じとった青年は、彼等の方へ振り返った。

 

 

「今まで、ありがとな。ここで、お別れだ」

 

 

 彼等は、そんな言葉は聞きたくなかった。

 

 生存者たちは無力を恥じ、悔み、憎む。結局、最初から最後まで、助けてもらってばかりで、彼に何も返せていない。

 

 青年はゆっくりと、黒竜に向けて歩みだす。

 

 必死に立ち上がろうとする。彼を追おうとする。彼と共に戦おうとする。彼の力になろうとする。

 

 しかし、叶わない。

 

 

「じゃあな。また、どこかで」

 

 その言葉を最後に、青年は黒竜を目掛け駆け出してゆく。

 

 彼等は、その後ろ姿を捉えながら、悔し涙を流しながら、意識を失っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼等が目を覚ますと、もうそこには、青年も、黒竜も存在しなかった。

 

 

 

 その後、青年の姿を見た者はいない――

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一章 オラリオへようこそ
第一話 五年ほど間違えてるよ、これ。


これは、もしかしたら「あった」かもしれない、物語。






 

 

 

「うーん、やっぱり、どこにもない……」

 

 ギルド職員、ノエル・ルミエールは、ギルドの資料室で唸っていた。

 

 種族はヒューマン、本人は気にしているらしい鋭めの瞳と、邪魔にならないよう後ろで緩く結ってある艶やかな髪はどちらも青みがかった黒。

 ギルドの制服である、これまた黒のスーツとパンツも相まって、色素が薄めな彼女の肌とのコントラストが眩しい。

 その着こなしは完璧であり、誰がどう見ても仕事がバリバリできるキャリアウーマンだ。しかしギルドでの仕事は二年目、十八歳である。悩みは実年齢より年上にみられることだとか。

 

 窓口受付嬢の彼女が早朝からこんな、とにかく紙で埋め尽くされた空間で調べ物をしているのにはもちろんワケがあった。ギルドを訪れた人からの依頼、というよりは嘆願である。

 

でも、そんなに待たせてもいけないだろうし。しかし待たせた上で、やっぱりありませんでした、などという返答は自らの矜持が許さない。

 

 そうひとりごちて、今度はオラリオ内の店舗一覧を手に取る。別にオラリオ内で店を開くのは自由なのだが、治安などの関係もあり、ギルドは独自の調査でオラリオ中の店舗の情報を持ち合わせている。

 

 さっと店舗名に目を通してゆくけれど、探している単語の面影を残しているようなものすら出てこない。

 人名及び通称、敬称、二つ名、(ジョブ)などの資料を引っ張り出してきたものの、該当するものはなかった。母数が膨大なため、全て確認したわけではないが、頭文字が一致しているものを重点的にやってきたので、見落としの確率は低いはずだった。

 

 ギルドで働き始めて早二年。調べても訊かれた物事がわからない、というのは、それなりに仕事ができるという自負もあったし実際そうだった彼女にとって、初めてのことで。

 

 

 そういえば。

 視点を変えようとしたところで、依頼者の名前がふっと浮かび、ノエルは違う棚へと歩き出す。

 確か、極東方面の名前、だったはずだ。その辺りには何か、手がかりになるものがあるかもしれない。

 

 夏ヶ原司。早朝のギルド窓口にやってきた、今朝オラリオを訪れたという彼は真剣な表情で、ノエルにとある情報を求めた。

 ギルドとして、機密事項であるものや【ファミリア】内部のもの、個人の情報は渡せないが、それ以外の重要度がそれほど高くないもの、例えばモンスターの生態や各【ファミリア】の入団条件などは、求められれば開示することになっている。

 

 新人だった去年に散々調べ物を押し付けられて、悔しかったので主要な質問に対する回答を片っ端から覚えていった結果、二年目で窓口受付嬢になった。容姿がいいのもあるだろう。しかし、それ以上にこのポストは実力が求められる。情報の正誤は冒険者にとって死活問題だ、よって、ダンジョンでは全てが自己責任とも言うが、冒険者に正しい情報を提供できなければ、この職は務まらない。ノエルはいまの仕事にそれなりに誇りを持っていた。

 

 極東方面で纏められた棚から、またいくつかの資料を取り出し、ぱらぱらとめくる。しかし、目当ての文字はどこにもない。

 極東の方からの冒険者、行商人は他と比べてかなり少ない。やはり距離的な問題が大きいのだろう、最近は増加傾向にあるが、それでもまだ圧倒的少数と言える。そのせいで、ギルドが持つ極東の情報は乏しい。

 そうなると、ギルドが持つ情報よりも、夏ヶ原司、彼の方が、特定分野においては造詣が深い可能性すらある。もしそうなら、彼の要求に応えられないことも十分あり得た。

 

 極東の資料にも、目的のものについての記述は皆無だった。

 探し尽くした、というわけでは決してないが、これ以上続けても見つかる気がまるでしない。

 しかし、とノエルのプライドが声を上げる。ここで諦めていいのかと。もう少し探せば出てくるのではないかと。ワーカホリックぎみな心の声に揺さぶられながら、ノエルは苦悩していた。

 

 そもそも、手がかりがなさすぎるのだ。こんなことならもっと詳しく訊いてくるんだった。

 ここは、正直に言いつつ一回納得してもらって、また後日、探す時間をもらった方がいいのではないか。でももし彼が切迫した状況下に置かれていて、一刻を争うような状態だった場合は、その場合、は。どうしようか。どうしたものか。

 

 

「もう……一体なんなのよ、『テンセイシャ』って」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、知らない天井……ではなく、どこまでも青く澄み渡った大空が広がっていた。

 

「…………え?」

 

 しばしの思考停止の後に、辛うじてそれだけ発声する。ちょっと、頭がついていかない。

 

 俺の家の天井は白だったはずだ。それ以前に、俺はちゃんとベッドで寝ていたはずだ。それに、いくらなんでも外まで転がっていくほど悪い寝相をしていた覚えもない。

 つまり、ここは俺の家ではない。確定的に屋外だ。しかし、なぜ?

 

 誘拐、拉致、強盗……不穏な単語がいくつかよぎるが、ひとまず状況を確認しないことには始まらない。強盗なら殺されているだろう。なら、ここは死後の世界の可能性もあるわけだ。

 

 起き上がると、俺が寝転がっていた場所が、石でできている、橋、というよりは、城壁のようなところの上であることが推測できた。それなりに幅も広く、ずっと先まで、緩いカーブを描きながら続いている。

 

 そして、俺がいま着ている服にも気がついた。

 制服。それも、去年卒業したはずの、高校のときの黒いブレザーの制服だ。石畳の上(こんなところ)で寝ていたので、白っぽい汚れが付いてしまっている。

 

「なんで、こんな……」

 

 もう着ることもないだろうと、クローゼットの奥に吊るしておいたはずのもの。いまの俺は、完全に高校生のときそのままの格好だ。

 

 近くに人がいると眠れないタチだったから、寝ている間に着替えさせられたということはあり得ない。睡眠薬でも盛られたか。だとすると、相当物騒な話になってくるので、どうかイタズラでした、ってオチになってほしいな、と願いながらゆっくりと立ち上がった。

 

 俺の期待はものの見事に裏切られることとなる。

 

「こ、れは……さすがに…………」

 

 腹ほどの高さの石壁の向こうには、雄大で美麗な大自然がこれでもかと広がっていた。

 手前の方は背の低い草原がずっと続いており、いくつかの馬車道が遥か先まで伸びている。遠くには鬱蒼と生い茂る濃緑色の森林があり、鳥の群れが飛び立つのが窺えた。霞むほど遠方には白い帽子を被った、険しい山脈が連なっている。

 とにかく綺麗な景色が、そこにはあった。日本の首都圏に住んでいてはなかなかこんな風景は拝めないだろう。空気も澄んでいて、視界を遮るものはなにもない。俺の視力は決していいわけではないが、それでも、はっきりくっきり見える。

 

 ここまでくればドッキリ企画程度の話ではない。ひょっとして夢か、と一瞬思ったが、今まさに昇ってきている朝日の眩しさ、頬を撫でる爽やかな風、微かに聞こえる鳥の鳴き声。それらはあまりにも()()()()()()

 

 しばし石壁から身を乗り出し、固まっていた俺は現状の把握に努めるも、まるで考えがまとまらない。

 ここは日本ではない。憶測だがここまで壮大な自然は、恐らくない。ならここはどこだ? 俺はなんでこんなところにいる? 何が起こった?

 

 

 

 ――日本は一夜で滅亡し、綺麗な自然だけが残りました。

 

 現実性がない。だいたいなんで俺だけ生きているんだ。

 

 

 ――実はドッキリでした。これはアフリカ南部の広大な草原だよ。

 

 こんな平和な大自然があってたまるか。現代ではどこも人の手が入っている。それに、この立派な城壁はどう説明する。

 

 

 ――ここは異世界だよ。異世界転生だよ。

 

 冗談もほどほどにしろ。

 

 

 

 くだらない考えを巡らせていると、ふつふつと当て所ない怒りがこみ上げてきた。

 そもそも、今日は俺の第一志望校の合格発表の日のはずだった。一浪して、必死になって受けた試験の合否判定が出る日。だから昨日は早めに寝た。眠れなかったけど、なんとか睡魔はやってきてくれた。

 

 起きたらこれだよ。

 

 運が悪いどころではなかった。最悪だ。

 きっと合格発表は観られない。例え受かっていたとしても手続きに大学に赴くこともできないだろう。何者かに俺の努力を全て無駄にされたことで、どうしようもないほどのやるせなさが襲ってくる。これまで頑張ってきたのはなんだったんだ。こうなるなら最初から言っておいてくれよ。俺は結果も出ていないのに過程を振り返って満足するような人種ではない。

 

 しかし怒り狂っていても仕方が無い。俺は深呼吸をし、新鮮な空気及び酸素を取り入れる。こうしてエネルギーの無駄遣いをなくさないと、多分保たない。身体も、精神も。

 多少なりとも落ち着くと、先ほどまで感じていた焦りは鳴りを潜め、代わりに諦観がやってくる。

 

 これは、どうしようもない、と。

 

 一番可能性がありそうなのが、異世界転生だということになんとも言えない嫌な予感を覚える。そもそも俺は寝ていたのだ。転生トラックがうちに突っ込んできたとでも言うのか。閑静な住宅街に立地していたんだぞ。心臓発作だとしたら、まだあり得るが、それでも限りなくゼロに近い確率ではあるだろう。なら、ただのトリップであるかも知れない。トリップの時点で「ただの」ではないのだが、それはこの際どうでもいい。

 確かに俺も異世界モノを読んで、異世界転生でもしてみたいな、などと思ったことは一度や二度ではないけれど。憧れてはいたけれど。小さい時から、異世界に飛んでしまったらどうするかを何度も何度もシミュレートしたけれど。

 実際遭ってみると、帰りたい、という感想しか抱けない。タイミングが悪いのもあるだろうが。

 

 本当に、どうしたものか。とりあえず、この世界がどんなものなのか、俺が知っている世界なのか、知らなくてはならないか。

 

 そういえば俺が立っている城壁のような石壁は、こちら側に張り出すように弧を描いている。そしてこちら側には草原。つまり、こっちは外だ。

 そして、俺の背後の方が、この城壁のような壁の中ということになる。そんなことはまず気付いて然るべきだし、薄々感づいてはいた。でも、振り返るのが躊躇われていたのだ。

 もし、まったく文明が発展していない世界だったらどうしようとか、いや、こんな壁を築けるのだからそれなりに繁栄はしているだろうが。亜人間の世界で、俺のような人間が虐げられている世界であるとか、恐ろしい化け物が跳梁跋扈する鬼畜外道な世界とか。嫌な想像は止まらない。

 しかしここで振り返らなければ、結局なにも変わらない。ポケモンにおいて旅に出るのが怖いから家に閉じこもっているようなものだ。例えがひどいな。

 

 

 俺は、意を決して振り返った。

 

 

 

 そこには、街があった。

 

 ただの街ではない。中世風の建築、途轍もなく巨大で円形の外壁に囲まれた、どこか見覚えがある街。白亜の摩天楼……五十階立ての天を突く塔を中心に据えた、大都市。

 

 

 

 

 

 迷宮都市オラリオが、そこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここがほぼ「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」略して「ダンまち」の世界であることが確定した後、俺がすることは至極単純だった。

 まだ目覚めきっていない早朝の街を急ぎ足で通り抜け、ギルドまで赴く。それだけだ。

 とりあえずギルドに行けば多分なんとかなる。いろんな情報をもらったり、【ファミリア】の紹介をしてもらったり。少なくとも、そこらをうろうろしている方がよっぽど危険だろう。

 

 ギルドに行く。それだけでも、相当な神経を使った。早い時間といってももう太陽は顔を出しているし、道端にはそれなりの人がもう出てきていたのだ。大体丸一年、自室で勉強漬けの日々を送ってきた俺だ。外に出ること自体久しぶりだし、日差しは目に染みるし、人の視線にも敏感になりすぎてしまった。たまに行くコンビニの恐ろしさを思い出す。不躾な店員の視線を。

 それに、あまりに場違いなこの服だ。一応ブレザーは脱いで腕に掛けているが、それでもこんな小僧がピシッとした服装でいれば、デキるイカした青年か、どこぞの世間知らずのお坊ちゃんかに思われるだろう。前者ならまだいいが、後者など、この街では格好のカモに変わりあるまい。

 

 道幅も結構あるメインストリートの一本を、早足で黙々と進んだ。俺が寝ていた市壁は、太陽の様子からして東だった。この世界でも東から日が昇るのならば、だが。というか、オラリオ自体かなりの大きさがあるのだろう。ギルド本部がある北西のメインストリートまでかなりの距離があった。

 ギルドの内部に足を踏み入れると、白大理石のホールに圧倒された。想像以上に大きなロビー、壁の近くの彫像などもなんだか独特の雰囲気を出していて、そしてなにより、受付窓口にいる、『冒険者』たちから、これぞ異世界、という空気をひしひしと感じた。ここに来るまでの道端でもちらほら見かけたが、やはり今からダンジョンにもぐろうとしている人たちはオーラが違うし、たくさんいるとそれだけ存在感も増す。

 

 そのまま突っ立っていると、ただでさえ注目されているのにさらに衆目を集めてしまいそうだったので、まず、探すべき人を探した。それはもちろんエイナさんだ。

 エイナ・チュール。原作において主人公である「ベル・クラネル」の担当アドバイザーを務めているギルドの窓口受付嬢。ハーフエルフであり、仕事人っぽい見た目ながら案外親しみやすい性格であり、評判もいいらしい。この時点でエイナさんがいるといないのとでは大違いだ。いなかった場合、最悪頼れるような人と巡り合えることを願いながら街を徘徊することになるかもしれない。

 しかし、確認できる限り、エイナさんは窓口のカウンターにはいなかった。いや、シフトというものもある。そのときいなかっただけで、エイナさんはいないと断定するのは早計というもの。

 

 とりあえず、情報が欲しかった。この街の大まかなシステムやらは識っているので、ここは異世界転生のことについて訊くべきだろうか。

 

 ……なんてことを思って、一人の綺麗な窓口受付嬢に訊いて、今俺は、小さな一室――個別ブースのようなものだろうか――で、ノエルと名乗ったギルド職員の帰還を待ちわびている。しかし、もうすぐ一時間が経過しようとしているが、彼女は一向に現れない。

 

 もうそろそろ街も本格的に起きて、外の喧騒が僅かにここまで届くようになってきた。大丈夫か、遮音機能は。

 

 こんなに時間がかかるということは、やはり情報の捜索が難航しているのだろうか。それとも、実は機密事項で、教えるべきか否か話し合っているとか。単純に調べる資料が膨大なのかも知れない。何にせよ、俺にできるのは待つことだけだ。

 おもむろに天井を見上げてみる。そこには、見慣れた蛍光灯や電球の代わりに、魔石灯が光り輝いていた。それだけで、ここはいままで生きてきた所と違うのだ、ということが実感できてしまう。

 テーブルの脇に置いてある観葉植物に触れてみる。現世でいう「パキラ」に似ているが、なんとなく、違うような感じもする。これもこの世界特有のもの、なのだろうか。

 

 異世界、ときたら、まず大きな障害となるのが文化の違いだ。残念なことに、相当進んでいる現代から主人公たちが飛ばされる先の世界は、なぜか中世風であったり、かなり荒廃していたりする。しかし、さすが主人公とでもいうべきか、彼らは即座に異世界に溶け込んでゆく。最初は「アニメとか漫画とかじゃなく、現実、なんだよな」なんて言ってたのが嘘のように。

 しかし実際はどうだ。どっぷりと近代技術に頼りきっている俺たち現代人が突然中世に放り込まれても、すぐに馴染むなど至難の技としか思えない。すぐ流行病にでも罹って死にそうだ。

 

 文明の利器に頼れないのも辛い。移動はせいぜいが馬車だし、インターネットなども存在しない。現代からしてみるとどれだけ時代遅れなことか。

 その点では、ここ「ダンまち」の世界に来たのは運が良かった方だと言える。魔石製品は魔石灯だけでなく、発火装置や冷蔵庫の役割をする冷凍器などのものがあり、中世「風」ではあっても完璧に中世でない辺りは非常に心強い。まあ、それでも不便を感じることはあるだろうけど。

 

 衣食住に関してはどうだろうか。ギルドの窓口受付嬢の制服がスーツとパンツなことから鑑みても、衣はあまり心配ない。食についても、ベルくんが「豊饒の女主人」でパスタ頼んでたし、じゃが丸くんなどの例外もあれど大体は現代と遜色はなさそうだ。

 問題は、住環境だろう。中世と言わず、普通欧米では家の中でも靴を履いている。最近では靴を脱ぐ家庭も増えているらしいが、それは今関係ないとして。日本で育った俺はそんなの気持ち悪くてできそうにない。極東、という地方は日本をイメージしてあるのだろうが、少し古臭い感じは否めない。どちらにせよ、住に関しては……我慢するしか、ないだろう。嫌なら自分で文化を広めるのもやぶさかではないが。

 

 今はまだ、無理やり外国旅行に来ている気分になって誤魔化している。しかしそのうち限界がくるのは明らかだ。そのとき、取り乱さずにいられるかが重要、なのだが、それまでに環境を整えておくことが必要不可欠だろう……できるかどうかは別として。

 

 することもないのでつらつらとそんな思考をこねくり回していると、扉がノックされ、たと思うと間髪入れずに開かれた。それノックの意味あります?

 

「すみません、お待たせしました。結論から申し上げますと、ナツガハラさまの御期待に添えるような資料を見つけることができませんでした。申し訳ありません」

 

 部屋に入って早々に、ノエルさんは謝罪の姿勢をとる。お美しい。

 

「え、いや、全然大丈夫です。ダメでもともと、くらいの気持ちでいたので」

 

 そう、悪いのは彼女ではない。おそらくこの世界には存在しないであろうことについての情報をくれ、などと無茶振りをした俺に全責任がある。なので、謝られると逆にこっちこそ申し訳なくなる。

 あわててフォローを入れると、ノエルさんはちょっとだけほっとしたように雰囲気を緩め、テーブルを挟んで俺と向かい合わせの椅子に腰を下ろした。

 

「一応、これを……」

 

 そして、入室時から小脇に抱えていたバインダーのようなものをテーブルの上に出してきた。

 

「これは?」

「モンスターの転生についての資料の一部です。せめて、何かの参考にでもなれば、と思いまして」

 

 いくらかの紙がはさまっている黒のバインダー。的なもの。これはこの世界でバインダーと呼んでいいのか、まだわからないから曖昧だ。

 

「あー、じゃ、じゃあ、これだけでも借りていってもいいですか?」

 

 十中八九、関係ないだろうが、知識を増やすのに越したことはないだろう。結構分厚めなのでここで読み切るのは無理だ。

 

「はい。では、こちらの用紙に必要事項の記入をお願いします」

 

 既に用意してあったのだろう、ノエルさんはどこからともなく紙とペンを取り出し、俺の方へ差し出す。その用紙に書き込もうとして――固まる。

 懸念事項がありすぎる。

 

「どうしました?」

 

 紙にペンが触れる直前でぴたりと停止した俺を訝しんで、ノエルさんが声を掛けてきた。

 

「すいません、俺、文字が……」

 

 まず文字。この世界では、どんな文字を使うかわからない。作中では共通語(コイネー)という、文字通り共通語を使うらしいが、それがどんなものか、皆目見当もつかないのだ。作中では、外伝五巻において、『共通語(コイネー)とも【神聖文字(ヒエログリフ)】とも異なる、『D』という形の記号』という一文があるのみで、今のところ、恐らくアルファベットは存在しない、くらいしか情報はない。

 

 というか、それならこのモンスターの転生だかの資料を借りても読めないだろう。なんか小難しそうだし勉強したとしてもすぐに読めるようになるとも思えないし。

 

「そうなのですか? では、私が代わりに書きましょう」

「お願い、します」

 

 ここはノエルさんが書くところをよく観察し、この世界の標準語を学ぶ足掛かりにしなければ。

 あれ? 標準語? そういえば、俺、なんで……。

 

「ナツガハラ・ツカサさん、で、よろしいですね?」

「え? あ、はい」

 

 ここで、一つの疑問が生じる。俺、なんで、普通に会話ができてるんだ? この世界の言語は、知らないはずなのに……。

 さらさらとノエルさんが紙にペンを走らせてゆく。その光景を目の当たりにした俺は、雷にでも打たれたような衝撃を受けた。だって、それは。

 

「あの、ノエルさん、やっぱり俺、その共通語(コイネー)、書けると思います」

「あら、そうですか?」

 

 ノエルさんから新しい紙と、再びペンを受け取り、迷いなく自分の名前を記入する。――漢字で。

 

 そう、共通語(コイネー)は、()()()()()()()。少し考えればわかることだったのだ。窓口でノエルさんに言葉が通じた時点で、気付くべきだった。恥ずかしい。異世界転生にありがちなチート自動翻訳機能かと。でも、なぜ日本語、なのだろうか。

 

「その、ずっと無知なまま引き籠っていたもので。まさか自分が使っていた文字が共通語(コイネー)だったとは、思わなかった、と、いいますか」

 

 思わず口からでまかせを言ってしまう。いや、でも、案外間違ってはいないのかも知れない。的を射てはいる。でも、文字を書けるならもう大丈、

 

「そうでしたか。では、次に、所属【ファミリア】名の記入をお願いします」

 

 大丈夫じゃなかった。

 

「俺、【ファミリア】に入ってなくて」

「ああ、そういえば、今朝オラリオに訪れたと仰られていましたね。しかし、そうなりますと、身元の確認がとれないので貸し出しができませんね」

 

 仕事のデキる女性を体現したような容姿のノエルさんが、しまった、というような表情をするのはなんだかとても新鮮だ。こう、グッとくる。

 

「やっぱり、その資料はいいです。後日、落ち着けてからまた、借りに来たいと思います」

「はい、わかりました。……ほ、他に御用件はありますでしょうか?」

 

 仕事熱心なのか何なのか、立て続けに仕事を完遂しそびれたノエルさんはテーブルに身を乗り出して迫ってくる。やばい、いい匂いする。免疫が非常に衰えている今の俺にはキツい。

 

「じゃ、じゃあ地図をもらえ、いや貸してもらえませんか。【ファミリア】の本拠(ホーム)を個々に記してあるものとか、ありますかね?」

「地図ですね。少々お待ちください!」

 

 入ってくるときよりも素早く退室していったノエルさんは、すぐ外にいた上司らしき人に、走るなと怒られていた。あの人、見た目と中身が微妙に食い違っている感じがする。ギャップ萌え狙いとかだろうか。ないか、ないな。

 

 

 

 やっと仕事を全うできる、と喜びに満ち溢れている立派なワーカホリックなノエルさんを目の当たりにした同僚は、もっと彼女を休日に外に連れ出してあげよう、と心に決めたとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 迷った。

 

 どこともつかない裏路地には、人っ子一人いなかった。

 

 地図と、団員の募集をかけている【ファミリア】一覧をノエルさんからもらい、いくらか相談に乗ってもらった後、直接本拠(ホーム)を訪れて入団志願しようと思ったの、だが。

 

 手元の地図に目を落とす。読み方はわかるし、方向音痴なわけでもない。ちゃんと道順もしっかりしていたはずだ。それでも、こうして迷ってしまっている。

 ついさっきまで聞こえていたメインストリートの雑踏も聞こえない。不気味だか神秘的だか、辺りは静寂に包まれている。

 テレビでしか見たことはないが、ヨーロッパの歴史的な街の裏路地、みたいな感じだ。ただし人は全くいない。

 

 もちろん、何かおかしい、と気付き、もと来た道を引き返そうとしたのだが、なぜかメインストリートまで辿り着けなかった。それでこのザマだ。

 さすが迷宮都市だぜ、なんて言っている場合ではない。食料も飲料水もない今は、都市の内部であろうと、ちゃんと生命の危機に違いないのだ。

 とりあえず、元の道には戻れないことがわかったので、今度は進むことを選択する。

 

 

 

 そもそも俺は、【ヘルメス・ファミリア】の本拠(ホーム)に向かっていた。

 

 ノエルさんとの会話を思い出す。

 

 まず、ノエルさんが持ってきた一覧にざっと目を通し、抱いた疑問をぶつけてみた。――【ヘスティア・ファミリア】はないのか、と。

 返ってきた答えは「ありません」だった。

 

 他にも、【タケミカヅチ・ファミリア】がまだ結成されておらず、【アストレア・ファミリア】が健在であった。そして、【ゼウス・ファミリア】、【ヘラ・ファミリア】が壊滅したのは、()()()()()()と、ノエルさんは語った。

 原作において、ゼウス、ヘラ両【ファミリア】がオラリオから追放されたのは、()()()()()()()()()()()。つまり、この世界は原作開始五年前、もしくは都合のいいパラレルワールドである、ということだ。おそらくは前者だろうが。

 

 となると、どこに身を寄せるのがいいだろうか。何にせよ、【ロキ・ファミリア】や【フレイヤ・ファミリア】には入れる気がしないし、【ガネーシャ・ファミリア】や【デュオニュソス・ファミリア】なども一応大手とあっては簡単に入団できるとも思えない。【アポロン・ファミリア】や【イケロス・ファミリア】などは論外。他にもいろいろ【ゴヴニュ・ファミリア】や【ディアンケヒト・ファミリア】なども候補に挙がったが、やはり好奇心から、探索系【ファミリア】に入りたくなったために見送った。【デメテル・ファミリア】には後ろ髪を引かれる思いがしたけれど。何故かは言わない。

 

 というか、ここで一つの疑問が生じる。本編に関係がある【ファミリア】に入るべきではないのかどうか、だ。オリ主のダンまち二次小説は割と読んでいたが、結構本編に関わるような話が多い気がした。そういう話は平行世界として処理されるのが定番である。そうなると、干渉をしても問題ないことになる、のだが。しかし、こうして実際訪れる側になってみると、影響を与えてしまうことに恐怖を感じてしまう。

 なまじ、原作の展開を知っているがゆえに、世界が自分の知らない形に変化していくのは不安になってしまうのだ。

 この世界が「ダンまち」の世界である、と捉える以上、「ダンまち」でなくなったとき、崩れ去る可能性すらあるのが恐ろしい。

 

 そういう考えもあり、【アストレア・ファミリア】や【ソーマ・ファミリア】に入り、流れを変えてしまうことが躊躇われた。結果がわかっている立場だからこそ、リューさんやリリを助けたい気持ちが先行する。しかし、それでは決して「原作に繋がらない」のだ。本当はそんなことを気にしなくてもいいのかも知れないが、万が一、ということもある。それに、何故俺がこの世界に来てしまったのか、まだわかっていないから、という言い訳も。

 

 そんな葛藤を経た上で出した候補は、【ミアハ・ファミリア】と【ヘルメス・ファミリア】の二つ。

 もう、ある程度の干渉は仕方が無い。しかし、もしこの世界が原作の展開に続くというならば、【アストレア・ファミリア】崩壊を回避することも、リリを救うことも、控えなければならない。見て見ぬ振りをするようで罪悪感があるが、そうしないと「ダンまち」は成り立たない。ナァーザさんの件についても、そのとき俺が【ファミリア】を離れなければいいだけの話だ。ナァーザさんには嫌な顔をされるかもしれないが。

 その二つでダメなら、どこか原作に出てこない【ファミリア】を探すことにする。

 

 というわけで、まずゼウスの話をすればこちらの話も聞いてくれそうな【ヘルメス・ファミリア】に向かっていたのだが……。

 

 

 

 さっきまでの、活気溢れるメインストリートとは程遠い、ひんやりとした空気のみが満たされている裏路地を進む。

 もうすぐ最高点に到達するはずの太陽の光も差し込まない日陰のみの道は暗く、このまま進んでいってもいいものなのか不安になる。

 裏路地とはいっても、道の左右に壁となって建っているレンガ造りの建物は、なぜか、どこも出入り口が存在しない。表にしかないのかも知れないが、それでも異様なほど生活臭がしない道に、薄気味悪さを感じずにはいられない。

 

 まさか、入ってはいけないようなところに迷い込んでしまったのでは……? こんなファンタジーな世界に来てまでホラー展開は嫌だぞ。

 なんとなしにいくつかの角を曲がり、歩き続けていると、段々腹も減ってきた。これは最早遭難と呼べるのではないだろうか。

 

 このまま餓死もしくは凍死なんて嫌だ……と冷や汗をかいていると、不意に、吹き抜ける風の音だけだった路地に、ぱしゃ、ぱしゃ、と、水を散らす足音が聞こえた。なんだか甘い匂いも漂ってくる。

 その音のする方へ小走りで回り込むと、長くまっすぐな道の先に、陽光が差し込んでいる空間があった。

 やっとこさどこかに着いたらしい。どんな所かはまだわからないが、とにかく行ってみるしかないだろう。

 

 警戒しつつ、長い直線を、足音を立てないよう気を付けながら歩ききる。

 

 

 

 視界に飛び込んできたのは、たくましい木々、揺れる草花、流れる小川。まるで森の中だ。突然の場面転換に、しばし立ち尽くす。

 

 美しい森林の理想を体現したかのような美麗な景色に、言葉を失う。大都市の内部に、こんな浮世離れした場所があるとは、思いもよらなかった。

 鳥のさえずりや、川のせせらぎ、木々のざわめきが穏やかな風に乗って流れてくる。どこぞの楽園かと見紛うほど優美な空間だ。妖精などが住んでいそうな雰囲気に呑まれそうになりながらも、人が通った形跡がある小道を見つけ、神秘的な雰囲気を放つ森の中へ、分け入っていく。

 

 ここが街の中だということを忘れてしまいそうになりながら、少し歩くと、石畳の小さな広場のような場所に出る。四方向から流れてくる小川が水路に変わり、中央の噴水に注いでいた。

 どうやら、ここが中心らしい。とすると、この森、そんなに大きくはないかもしれない。こんな森があること自体イレギュラーなので大きいも小さいもないだろうが。

 

 先程耳に届いた足音が、一つの小川の方からまた、聞こえてくる。それは、けして粛然とは言えないこの空間において、不自然なほどよく通った。

 恐らく、この領域の主のような人物だろう。挨拶くらいはしておくべきだ。それと、なんとか助けてもらえはしないだろうか。

 きっとこんなところにいるのだから、さぞや幻想的で綺麗な人に違いないと勝手な妄想をしながら、水が跳ねる方へ向かう。

 

 そして、ちょうど足音の主がいるであろう場所のすぐ手前、先を見通せないほぼ直角の曲がり角で、俺はあることに気付き、立ち止まった。

 これ、よくあるラッキースケベのシチュエーションじゃないか?

 多分このままそこの角を曲がって声を掛けたら相手は水浴びでもしていたところで、悲鳴をあげられるような、そういうのじゃないか? いやただの妄想だけど、ここは異世界なんだ。可能性は十分にある。多分。

 

 どうやら向こうはまだこちらに気付いていないらしく、再び水をぱしゃぱしゃやっている。

 もし本当にそうならば、そこら辺に衣類やらが置いてあったりするはずなので、飽くまで確認のために辺りの捜索をする。もう一度言うけど、飽くまで不慮の事故を回避するために、捜索しています。

 

 そして、案の定、石の上に、折りたたまれているふわふわした白いものを見つけてしまった。

 衣類かどうかも釈然とせず、ちょっと見ただけではよくわからないので、近寄って、手に取ってみる。他には何もないようだけれど、これは……?

 

 白いモノは、まるで質量がないようで、持っている、という実感が湧かないほどに軽かった。ずっと触っていたくなるほどに手触りも素晴らしい。しかし、これはなんだ。シャツでもズボンでもコートでもない。あまり触ってはいけないと思いながらも、広げようとしてしまう。

 

 その瞬間、びっくり箱からおもちゃが飛び出るような勢いで、それは()()()()()()()()

 

「これは……」

 

 一気に横三メートル、いや、三M(メドル)ほどに開展したそれは、まさしく。

 

「あ、あのー……」

 

「!」

 

 硬直。

 

 小川の方から、困惑気味の声が掛けられる。瞬間的に今の自分を客観視してみて、さっき事故を回避するためにとか言ってた過去の俺をぶん殴りたくなった。そしてこれの持ち主の心情も察せた。本来誰もいないはずの場所に、なぜか自分の衣服を手に取り広げている輩がいれば、それは困惑もするだろう。

 全力で謝ろうともう心に決める。こんなことをしておいて今更だろうけど。それでも、誠心誠意土下座すれば、或いは。

 

 そんなことを一瞬で考え、ぎこちない動作で、声の主の方へ振り向く。

 

「私の羽衣、返してくれませんか……」

 

 

 

 そこには女神が立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二話 『箱庭』の女神たち

 その昔、神が地上に舞い降りた。

 ある者は娯楽を求め。ある者は自由を求め。

 そしてここにも、また一柱。




 ブリュンヒルデは、不機嫌そうにしながら小川の流れの中に足を浸し、友神たちの到着を待っていた。

 

 またの名をブリュンヒルド、戦死した兵士をヴァルハラへと導く戦乙女(ヴァルキュリヤ)

 背中の半ばまで伸びる艶やかな濡羽色の髪、神と呼ぶに相応しい完璧なプロポーション。決して子供っぽくはなく、しかしまだ大人びてはいない、絶妙な容姿の中で、天色の瞳が輝いている。

 柔らかな陽光が差し込む、まるでお伽話の中に出てきそうな幻想的な森の中で、ちゃぷ、ちゃぷ、と、透き通った水に足を浸す姿はまさしく女神のそれ。

 

 ここは『箱庭』。迷宮都市オラリオにおいて、神威に通ずる者たち、つまりこの世界では神だけが入ることのできるプライベートエリアだ。

 

 如何に神たちが下界に慣れたからといって、それでも気が緩み余計なことを言う、もしくはする可能性は捨てきれない。

 世界の核心や本質に触れるような、必要以上の干渉を与えるべきではない、というのは神々の共通認識であり、子供達に変な事をバラさないようにこうした『神々だけの憩いの場』というものが不可欠なのだ。

 

 また、ゲームのプレイヤーとして降りてきた神々の身体的スペックは、天界から見た下界の民とそう変わりない。

 そのため、『神殺し』は絶対の禁忌とされているが、『殺すこと』が禁じられているだけで、その実、拉致、監禁などはやろうと思えばできてしまう。そのため【ファミリア】結成前の神々がそのような不届き者から身を守るためのセーフティゾーンとしての役割も備えている。

 

 それは基本的に、この森のごとき『箱庭』のような秘匿されているものだけでなく、子供達にもよく知られている『神聖浴場』などなど、割とたくさんあるのだが、どれくらいあるのかは、神以外に知る者はいない。

 中でもこの『箱庭』は一部の女神にしか知られておらず、最近ではもっぱらブリュンヒルデら戦乙女たちの溜まり場となっていた。

 

「はあ……なんでみんな、私の【ファミリア】に入ってくれないんだろう……」

 

 思わず深いため息が漏れてしまう。

 ブリュンヒルデは、つい先日、とはいえ一月前ほどにひっそり下界に降臨してから、ずっと勧誘活動を続けていた。

 既にちゃんとした【ファミリア】を立ち上げ、実に楽しそうに暮らしていた友人たちを見て、思わず飛び出してきてしまったが、結果は現在の通り。全くと言っていいほどに集まっていない。

 

 基本的にどの【ファミリア】に入っても、授かる『恩恵』に差はない。そもそも『神の恩恵(ファルナ)』というものは人間を効率良く成長させるためのいわばアクセサリのようなものなのだ。

 だから、ブリュンヒルデも【ブリュンヒルデ・ファミリア】に入ってくれる冒険者志望の子供達を期待していたのだが。

 やはりネームバリューという力は強く、誰も彼もが構成人数ゼロの無名【ファミリア】などには見向きもしないのが現実であった。

 これでは刺激を求め、わざわざ天界から降りてきた甲斐がない。

 

 とりあえず一月、頑張ってみたけれど、もうそろそろ限界が近くなってきている。

 それで、このどうしようもない現状をなんとか打破するために、天界でも割と交流があった、同じ戦乙女(ヴァルキュリヤ)の友神たちに助けを求めた。

 いまはその友神たちを待っているところである。

 

 石の上に座っているのにも飽き、濡れるといけないので羽衣を脱いで丁寧に折りたたみ、背後の茂みにでも置いておいて、立ち上がって、ぱしゃ、ぱしゃ、と、水を散らしながら適当に歩く。

 羽衣を脱ぐとほぼ下着みたいな格好になるけど、ここには()()()()()()()()()()し、男神たちにはこの場所は知られていないから、大丈夫だろう。

 

(甘く見てた……でも、皆はどうやってこんなどん底の状態から、あんなに大きな【ファミリア】を築きあげられたのかな……)

 

 やはり時期的なものは大きいのだろう。最初期や、世界が大きく動いていたときならば、もっと勧誘も楽だったかもしれない。

 この頃、段々オラリオを訪れる冒険者の絶対数自体が減ってきているのにも、要因はありそうではある。

 何かと物騒な事件は起こるし、ダンジョンでは数年前から『モンスターの大量発生』が不定期に発生し、その度に多くの犠牲を出している。特に後者はダンジョンの『上層』で起きており、初心者はそれの影響で死亡率が極端に高まってきている。

 

 そうすると、どうなるか。

 当然命を惜しむような者はオラリオに赴くことをせず、腕に自信がある者は、訪れてもほとんどが大手【ファミリア】に自分を売り込みに行くだろう。当然【ファミリア】側も、戦闘員なら少しでも戦闘経験がある、最初から強い人材を欲しているので、両者の利害が一致、入団。そうして、弱小と大手との差がまた開いていく。

 そういうサイクルが出来上がってしまっている状態だった。

 生憎ながらブリュンヒルデは、とてもタイミングが悪い時期に来てしまったのだと言わざるを得ない。

 

 いろいろ、原因はあったのだが、やはりブリュンヒルデは落ち込んでしまう。徳が高い神なら、きっとこんな状況でもしっかり眷族を集められるんだろうけどなあ、と。

 

 ちゃぷ、ちゃぷ。冷たい水が心地よい。

 

「私の何が悪かったんだろう。何か、何かしら他に私にも原因があるはず……」

 

 例えば、何だ。

 個性が足りないからか。大手【ファミリア】の主神は軒並みどこか突き抜けた神物(じんぶつ)ばかりの気がするし。

 

 認知度か。やはり神話の主神などは人々に広く知られている。それに比べると、戦乙女(ヴァルキュリヤ)というのは、やはり知名度で劣るように思える。

 

 冒険者たちが入りたいと思えるような【ファミリア】の設計がなってないのかも。

 目標とか、方向性とか、スローガンとか、キャッチコピーとか。そういうのが必要な気がしてきた。

 衝動的に降りてきてしまったので、特に定めてもいなかったのだ。

 アットホームな【ファミリア】です。とか? いやダメだ、かえってブラックに見えてしまう。【神の眷族(ファミリア)】は家族みたいなものだけど、それを強調するってどうなの。

 自由な【ファミリア】です。これもダメな気がする。運営を放ったらかして空中分解した【ファミリア】もあると聞いている。そうならないためにも、ちゃんと運営はするつもりだ。そのためにはあまり『自由』を押し出してはいけないだろう。

 みんな明るい【ファミリア】です。みんなって誰だよ。まだ誰もいないよ。

 

 どの道、とりあえず一人目を確保しないことには何も始まりそうにないことだけはよくわかった。その一人目が大変なのだが。

 要するに手詰まりというやつだった。

 

 ため息量産機と化しているブリュンヒルデは、そろそろ身体も冷えてきそうなので、小川から上がり、羽衣を置いておいたところに戻り、固まった。

 

 

 何者かが、羽衣を広げている。

 

 羽衣は、翼のようなものだ。広げたまま身に着けると『神の力(アルカナム)』を通せる状態となり、そのまま空を飛ぶことが可能となる。しかし翼と違うところは、折り畳んでおくと普通の服として着ることができることだ。使えば白鳥にもなれるが、割と不評である。

 ヴァルキュリヤにも、極東で語られているという羽衣伝説のような、羽衣を男に取られるという話もある。一応、警戒はしていたつもりだったが、絶対安全圏の中だからと思って油断していた。

 

 悪人ならば取り返すのに『神の力(アルカナム)』を使うことも厭わない。

 でも、こんなに早くに送還されるのは不本意極まりない。できればまだ下界に留まっていたい、と願いながら、ブリュンヒルデは意を決して声をかけた。

 

「あ、あのー……」

 

 

 青年は硬直する。

 

 みたところ極東の出身だろうか。でも友人のところにいた極東出身の子供達とは雰囲気とか、服装とかが違うような。

 

 なんにせよ、頼むから、善人であってくれ。

 

「私の羽衣、返してくれませんか……」

 

 青年の視線がこちらを向き、フリーズする。

 それで、ブリュンヒルデは、自分が下着だけの痴女のような出で立ちをしていることに、今更ながら気付いてしまった。

 

「…………」

 

 静寂。青年もブリュンヒルデも、みるみるうちに顔を赤くしてゆく。

 

「すっ、すいませ『何しとんじゃゴラ!』がっ!」

 

 青年が地面に両膝を付いた――『ドゲザ』の構えだろうか――その瞬間、青年の後頭部に怒りに打ち震える拳が叩き込まれた。

 鉄拳の持ち主は倒れていく青年の手から羽衣を奪い取り、ブリュンヒルデに駆け寄りすぐさま着用させる。

 

「おーい、ヒルダ、大丈夫だったー?」

「え、うん。なんともないよ」

「ここに人間が入って来るなんて、珍しいどころじゃないわねえ。バレてもいいから侵入不可の方に強化するべきかしら」

 

 次いで、二柱の女神が歩いてくる。彼女らが、ブリュンヒルデが待っていた友人の戦乙女(ヴァルキュリヤ)たちだ。全員、小規模ではあるがそれなりに名の通った【ファミリア】を経営している。

 

 先ほど物理的制裁を下した一柱が、倒れ伏す青年をげしげし蹴って覚醒を促す。どうやら当たりどころがよかった……いや、悪かったのか、青年は先ほどの一撃で昏倒してしまったようだ。

 

「オラ、さっさと起きろ覗き魔が」

「気絶してるよ。どんだけ強く殴ったのさ」

 

 さすがに見かねた他の一柱がやんわりと止めに入る。

 

「私は、大丈夫だから」

 

 ブリュンヒルデもフォローを入れると、三柱の神々は意外そうな表情をする。

 さっきのやりとりを思い返す。ブリュンヒルデだけでなくこの青年も顔を赤らめていたところから察するに、それなりに純粋(ピュア)な心の持ち主なのではないか、と感じたのだ。邪な考えを持っていたようには見えなかった。飽くまで、憶測の域を出ない期待に過ぎないけれど。

 

 それに、『神の力(アルカナム)』を封印した神の鉄拳一発で意識を手放すようなヤワな冒険者はいない。とすると、一般人だろうし。

 

「お前がそういうなら、まあ、これ以上は許してやらんこともないが……」

「じゃあ、この子が起きるまで待ちましょうか」

 

 

 願わくば、善人であれ。

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

「なるほど。つまりキミは初めて訪れたこのオラリオで道に迷い、ここまで来てしまったと。そんでさっきの羽衣の件も故意ではない、とな」

 

 無邪気そうな雰囲気の、やけに楽しそうに喋る女神、ヘリヤ。

 そんなに時間も経っていないはずだが、彼女はとにかく豪気に笑う神物(じんぶつ)だ、という印象が固まりつつある。それと、フラット。どこがかは言わない。

 

「こんな奴の言い分をそんなホイホイ信じるんじゃねえよ。まだこいつの素性も割れてねえだろ」

 

 先ほど俺に力強い拳をくれた、少々荒々しさが目立つ女神、カーラ。

 見た目は肌も白く、どこぞの令嬢さんかな? と思うが言動と行動で幻想はぶち壊れる系。それでも十分すぎるほど美しいのだけど。それも個性か。

 

「でも、この『箱庭』には意図的には入って来られないようになっているし、『招待状』を持っているわけでもなさそうよ。だとしたら、迷い込んだ、という彼の言うことが一番有り得そうに思えるのだけれど」

 

 穏やかであってもおっとりとは感じない、いろいろとふくよかな女神、エイル。

 なんだかんだいって彼女がこの場を支配している気がする。それは彼女の包み込むような柔らかな雰囲気が成せる業か、それとも。

 

「迷い込む、って、今までにもあったの?」

 

 そして、先ほどラブコメ的展開になってしまった女神、ブリュンヒルデ。

 他の三柱が割と大人びている美人然としているのに対し、彼女だけは美少女と美人の間を彷徨っているような感じだ。降りてきて間もないらしいから、貫禄が足りないとか、そういうことだろうか。

 

 前者三人の名前を聞いてもピンと来なかったが、ブリュンヒルデとなるとさすがに、戦乙女(ヴァルキュリヤ)であるとわかった。

 ここにいる女神たちは当然、全員並外れた容姿である。しかし、なによりの神の証である、その身に纏う独特の神威(ふんいき)というものがあまりよくわからない。この世界に馴染めば、わかるようになるだろうか。

 

「いやー、前例はないよ。この子が初めてさ」

 

 そして、俺はどうやら、本来神々だけが入れる場所に迷い込んでしまったらしい。これも異世界補正ってやつなのか、ちゃんと理由があるのかどうかはまだわからない。

 

「今回は、特殊な例外と捉えていいのかしら。他にもこういうことが起こったら困るのだけど」

「この子も嘘をついてはいないようだし、今のところはそう考えるしかないだろうね。もしもこれから同じようなことが起こるなら流石に対処せざるを得ないけど」

「シャクだが、確かに嘘はついてねえ。ここはヒルダに免じて信じてやる」

「ありがとうございます……」

 

 どうやら、助かったようだ。このままブチ殺されるかと思った。

 話が一段落したところで、森の中を移動することになる。立ち話もなんだから、というやつだ。

 

 道中、ブリュンヒルデさんが申し訳なさそうに話しかけてくる。

 

「さっきはごめんね。私が変なところに羽衣置いといたから、あんなことに」

「こちらこそすいませんでした。というか、俺が全面的に悪いので謝らないでください……」

 

 ノエルさんといいブリュンヒルデさんといい、圧倒的に俺に非があるのに謝ってこられるのはやめていただきたい。罪悪感で圧死してしまいます。

 

 少し進んだところに、円形テーブルと幾つかの椅子があった。貴族の庭にでも置いてありそうな、オシャレなティーセット一式も乗っている。

 

「四人で話すからって椅子四つだけにしなくてよかったよ。ささ、キミも座ってー」

 

 にこやかなヘリヤさんに促され、席につく。よくよく考えなくても、同じテーブルに座っているのは四柱もの神だ。プレッシャーこそ感じないものの、やはり萎縮してしまう。

 そもそも、宅浪していたために母親以外との会話なぞここ一年でコンビニの店員さんくらいとしかなかった俺にいきなりこんな美人美少女四人と向かい合うとか無理です。会話履歴がない。もっと昔からなかった気もするけど。

 

 早速、ヘリヤさんがテーブルに両肘を付き、顎を両手で支えながら会話を始める。

 

「ナツガハラ・ツカサくんだったよね。Youは何しにオラリオへ?」

 

 なにかで聞いたことがあるフレーズだなそれ。

 ここは、どう答えるべきか。どう答えたとしても嘘ならバレる。かといって、嘘ではないけど真実でもない事を言ってこの場を切り抜けられるほど、言葉遣いが達者なわけでもない。

 

「えっと、信じられないかも、しれませんが……。気付いたらここの市壁の上にいたんです。家で寝ていたはずなんですが」

 

 記憶喪失は通じない。ならば、現世――異世界の話をせずにある程度の真実を話すしかあるまい。

 

「また、ニワカには信じ難い話だな」

「まあまあ、カーラちゃん。聞いてあげましょうよ」

 

 信じられなくても無理はない。普通はこんな話を信じる人などいないだろう。

 

「それはなんでか、わかるかい?」

「いえ、まったく。脈絡もなにもないと、思います」

「そうかそうか。それは大変だったなあ」

 

 果たして、俺がこの世界に来たことにどんな意味があるのだろう。神様転生ではないし、もともとチートな能力も持ち合わせていない現代人の俺なんかが。

 もしかしたら何もないのかもしれないが、どちらにせよこの話、考えれば考えるほどに理不尽に思えてくる。

 

「ところで、キミは極東の出身かい? 名前が如何にもなんだけど、その服装は初めて見るね」

 

 きた。出身地の質問。ここはうまくはぐらかすしかない。こんな胡散臭いやつが、さらに「異世界から来ました」とか言ったとして、受け入れられるようなことはあるだろうか。いや、ない。

 ひとまず信用してもらうために誤魔化す。矛盾していそうだ。

 

「多分、一応、極東なんですけど、ちょっと特殊なところでして」

「特殊ぅ?」

「えっと、はい。閉鎖的で先進的といいますか、こういう服を着たりする、極東でも珍しい文化圏で……」

 

 どうだ、これは通るか? なんか麻雀で危険牌切ったときみたいな緊張感に襲われる。

 

「お前、信用してほしいのか、してほしくないのかどっちだ?」

 

 ……ダメだったか?

 

「言葉の中の「珍しい」が嘘だったぞ」

「あ、あぁ、それは多分、外の世界に出たことがなかった俺の中では、それが「普通」になってるから、では、ない……ですかね?」

 

 訝しげな視線をくれるカーラさんは、それ以上追求してはこなかった。助かった、のか? 確かに現世ではそれほど珍しくもなかったしな、制服。

 苦し紛れの申し開きだったが、今のような言い訳じみた言葉でも通じるらしい。案外判定が甘いのかもしれない。

 

「ほうほう、んじゃ、それで色々疑問も湧いてきたから更に質問させてもらうぜ?」

 

 心底楽しそうに、ヘリヤさんは続ける。

 

「まず、なんでキミがここら辺で迷っていたか、だ」

 

 その質問は、まずい。一見なんともないように思えるが、その実相当やばい聞き方だ。

 

「キミはオラリオ初心者の癖して結構なことを知識として持っている。これはキミがまず、ギルドに迷わず向かった点から間違いないね?」

 

 ヘリヤさんは、俺がノエルさんから貰ったオラリオの地図と勧誘活動を行っている【ファミリア】一覧を渡してくる。倒れていたときに抜き取られていたらしい。

 今の時間から逆算して「今日」が始まってから割と早く、この馬鹿でかい都市の北西メインストリートのギルド本部に行かなければ、それらを持ってここには辿り着けない。

 

 その行動の速さがまず怪しいと言われているのだ。

 

「もちろん、ギルドの場所も知識として知っていたのかもしれないし、行動力も元からあったら関係ないんだろうけど。でも、そっち。私が言いたいのはその『団員募集中【ファミリア】一覧』の方だよ」

 

 いきなりオラリオに飛ばされてきてしまって、なぜ()()()()()()()()()

 無一文であろうとも、なんとか後払いで、極東まで行くキャラバンに同行させてもらうことなどは可能であるはず。

 きっと、一度でもここオラリオで【ファミリア】に入ってしまえば、戦力流出阻止のために外出制限がかけられることも知っているはずだ。

 しかし、キミは帰ろうとせず、それらをギルドから貰ってどこぞの【ファミリア】に入団しようとしていたね? まるで、()()()()()()()()()()()()()()

 

 そこまで言われたらかなり厳しい。そこからうまくはぐらかすことは恐らく、出来ない。

 背中を冷や汗が伝う。これは、また疑われてしまうけど、正直に言うしか――

 

「つまりキミは、【ファミリア】入団希望者なんだよね!」

「はい、実は……え?」

 

 

 ――は?

 

 

 虚を突かれ、思わず返事をしてしまう。

 

「じゃあ、ここで一つ提案があるわね」

「提案っつーか、まあ半強制的なんだけどな」

「ちょっとアレだけど、まあ悪い子じゃないみたいだしね。なにやら隠してはいるみたいだけど」

「しかし、本当に安全か? イマイチ信憑性に欠ける人柄っていうかさ」

「逆にこういう子の方がいいんじゃないかしら? 真っ直ぐな子の方が、確かに裏表とかはなくていいかもしれないけれど、それだと苦労するのは明らかよ」

「オルたんはクレバーな子だからねー。説得力が違うぜ」

「シーヴちゃんやヒメナちゃんも、かなり聡明な子だと思うけれど?」

「よく言うよお前ら。行商も医学も、頭良くないととてもやってられんだろうに」

 

 隠し事はしっかりバレていた。判定甘いとかいって調子に乗っていた自分を蹴り飛ばしたい。

 

 なにやら、ヘリヤ、カーラ、エイルの三柱だけで話が盛り上がっていく。これが元来の神々のテンションか。置いてけぼりにされた俺は、隣で同じく置いていかれたブリュンヒルデさんと目線を合わせてしまう。

 

「みんなはいつもこんな感じなの。私たちと接するのは初めて?」

 

 大方、自分たちの「眷族」の話をしているのだろう彼女らを横目で一瞥し、やんわりと微笑むブリュンヒルデさんは、素晴らしく可憐だった。

 やはり、女神。三次元の限界を優に超えている。

 

「そう、ですね。めちゃくちゃ緊張してます」

 

 理由はちょっと違うが。

 

 またくすりと笑って、ブリュンヒルデさんは続ける。

 

「ナツガハラさんはやっぱり、ダンジョンにもぐる冒険者志望なの?」

「今のところは、はい」

 

 頭の中が真っ白になってゆく。思考がおぼつかない。さっきまで聞こえていた小鳥の声や風の音や木々のざわめきも、女神たちの会話も、耳に入ってこない。世界が、狭まる。

 言葉がうまく口から出ていってくれない。どうしたんだ、俺。

 

「もう、入る【ファミリア】とか、決まってたり?」

「決まってはないですけど、一応、候補に【ミアハ・ファミリア】とか、【ヘルメス・ファミリア】とかを考えてはいます」

 

 候補がある、と言った時、ブリュンヒルデさんがちょっと切なげな表情をしたのを、俺は見逃さなかった。ああ、きっとこの(ひと)も。

 

「ていうか! 私たちの話はあとでいいじゃないか! いまはヒルダの問題解決が先だろう!」

 

 そういえば、狭い世界を作るのも、狭い世界をぶち壊すのも神の仕事だった。

 やっと身内話を終わらせた彼女らが、勢いそのままに迫ってくる。

 

「ナツガハラくん! とにかくキミは、入団を受け入れてくれる【ファミリア】を探している! そうだね⁉︎」

「は、はい」

 

 俺の対面に座っていたヘリヤさんは立ち上がり、ブリュンヒルデさんの椅子の後ろに回り込み、その華奢な肩を掴んだ。

 

「そこで! このヒルダことブリュンヒルデもちょうど構成員を探している! というわけで、キミは【ブリュンヒルデ・ファミリア】に入団するんだ!」

「わかりました」

「言っておくが、基本的に拒否権は与えられないと思え。故意じゃなかったとはいえ覗き未遂(あんなこと)をした――って、は?」

 

 カーラさんだけでなく、今度は俺以外の全員が虚を突かれ動きを止めた。

 

「でも、考えている候補があるって……」

「飽くまで候補、です。絶対にそこに入りたかったわけでも、ありませんし」

 

 一人ぼっちで困っている、こんな美しい女神を誰が放っておけるだろうか。この世界の住人はみんな、目が節穴にでもなっているのかと疑いたくなる。

 そもそも、何が悲しくて、好き好んで男神のところへ行かなければならないんだ。俺の事情がなんだというんだ。ここはやはり何よりもまず浪漫を追い求めるべきだろう。

 折角この「ダンまち」の世界にやってきたんだ、麗しい女神との交流がなくては、それは「ダンまち」ではない。断言させてもらう。

 

「えっと、ホラ、ヒルダ、あとはキミの了承だけだよ?」

 

 一月もの間、誰からも求められず、見向きもされず寂しい思いをしてきたブリュンヒルデにとって、その申し出はまさに待ち望んでいたものだった。

 

「……本当に、私で、いいの?」

 

 なんだか告白みたいだな、と、思う。実際にはしたこともされたこともないけれど、今回ばかりは。

 

「いいです、貴女の【ファミリア】がいいんです。むしろ、俺みたいなやつが入っても大丈夫ですか?」

 

 やっぱり恥ずかしかったので、思わずベル君の言葉を少し借りてしまった。

 

「全然、大丈夫だよ。ありがとうね。これから、よろしくお願いします」

 

 俺に合わせてくれたのか、ブリュンヒルデさんが綺麗なお辞儀をする。原作には出てきていない女神たちに【ファミリア】。不安もあるけど、それでも、この出会いに幸があることを信じて。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 

 

 ここに、確かに【ブリュンヒルデ・ファミリア】が発足した。

 

 

 

 

 

 

 

 それからの展開は早かった。

 

 喜び勇んだヘリヤさんたちと早速詳しい自己紹介を済ませ、すでに空が朱と金に染まりかけているのを確認すると、ひとまず俺たちは『箱庭』を後にした。

 カーラさん、エイルさんの二柱の女神と別れ、ヘリヤさんに、結構な大きさの建物に案内された。

 どうやら【ブリュンヒルデ・ファミリア】が結成できたら、【ヘリヤ・ファミリア】が扱っている「不動産」の一つを【ブリュンヒルデ・ファミリア】の本拠(ホーム)として融通してもらえる(ローンを組める)という約束をしていたらしく、ヘリヤさんはその中でもなかなかの物件を回してくれたのだった。それも格安で。

 

 その場のノリで決めてしまっていいものかと、思わず訊いてしまったが、ヘリヤさんは「割と劇的な出会いを果たしたキミたちを祝してだよ。今どきあんな古典的シチュも珍しいからねえ」とのこと。

 そうだった、この世界の神というものはそういう存在なのだった。

 

 その上、彼女の【ファミリア】に所属している極東出身の人からいろいろ聞いていたらしく、ちゃんと土足厳禁の板張りの床で、風呂もついていた。感謝感激雨あられである。

 なんでも、最近は土足禁止の家が流行ってきているらしい。現世よりかなり先取ってるな。

 

 両親が共働きだったこともあって、去年いっぱいは結構な回数、自炊していた俺が簡単な料理を振る舞った。IHに慣れてしまっていたので多少手間取ったが、ブリュンヒルデさんは料理できないそうで。

 そして風呂に入り、今は自室で今日の出来事を記録しているところだ。

 最初はどうなることやら心配でたまらなかったけれど、こうしてちゃんと夜に室内に居られて本当によかった。そうでもなければ、無一文だったので野宿からの追い剥がれるルートまっしぐらだっただろう。

 

 早朝にオラリオの市壁の上で目覚めて。

 ギルドでノエルさんに協力してもらって。明日冒険者登録も兼ねてお礼に行こう。

 よくわからない道で迷い。

 そして『箱庭』に辿り着き。ブリュンヒルデさんはもう気にしていないらしいけど、俺は今でも気まずい。

 なんやかんやあって、今はここにいる。

 

 文にすると、とても呆気ない一日に思える。でも、十九年の人生の中で間違いなく最長記録を更新しただろう、長い長い一日だった。

 細かい記述はまた明日から思い出し思い出し書けばいいだろう。机にペンを置き、紙は机の中のものに巧妙に混ぜ込んでおく。今はまだ、見つけられてはいけない。

 

 思いの他ペンの書き心地は良かったが、やはり紙の質は現代のものには劣るようだった。そういうちょっとした違いにも、異世界情緒が感じられる。

 

 すっかり暗くなった窓の外から、小さく喧騒が漏れ聞こえてくる。

 ダンジョンから帰ってきて、これから一杯やろうぜという人たちの笑い声。今日の品物をなるべく売り切ってしまおうと躍起になる店主の掛け声。これからの稼ぎ時に向けて客引きを行う給仕さんたちの声。賑やかな雑踏が、溢れている。

 この世界も、案外悪くないのかもしれない、と。そう思わせるだけの何かが、そこにはあった。

 なんだか穏やかな気持ちになっていると、部屋の扉がノックされる。

 

「入ってもいいかな?」

「どうぞー」

 

 タオルを首に掛けたブリュンヒルデさんが入ってくる。纏めた髪がしっとりしているし、風呂上がりなのだろう。ほんのりと桜色に上気した首筋とか、そんなつもりではないのに何かに目覚めてしまいそうだ。

 しかし普通の寝巻きで来られると、ただの美少女にしか見えないので正直やめてほしい。いえやっぱりやめないでください。そのままの貴女が一番です。

 

「とりあえず今日中に済ませておきたいと思ってね。今、大丈夫?」

 

 ああ、そういえばまだアレをしていなかった。

 

「大丈夫ですよ。座ってですか? ベッドでですか?」

「じゃあ椅子で」

「了解です」

 

 背もたれが右側にくるようにして木製の角ばった椅子に腰かけ、上半身の服を脱ぐ。風呂にも入ったし心配事項はあまりない。

 

「よーし、始めるよ。じっとしててね」

 

 一瞬だけ、ひんやり。しかしすぐに温かな体温を伝えてくる指が、背中をなぞる。

 

 ただ『神の恩恵(ファルナ)』を刻印するためだけの儀式なのに、どうにも緊張してしまう。余計なことを考えるなよ俺……!

 

「えっと、あれ……うまくいかないな」

 

 なにやらブリュンヒルデさんは不器用属性でも付いているのか、苦戦しているご様子。なるべく早めにはしてほしい。

 

「えっと、ブリュンヒルデさん?」

「ごめんね、やっぱりベッドに寝てくれる? あと、私のことはヒルダでいいよ」

 

 いきなり呼び捨てとか、ハードルが高いです。

 

「慣れるまでヒルダさんでいいですか」

「んー、まあ、それでもいいや。早めに慣れてね?」

「努力はします」

 

 うつ伏せでベッドに身体を沈める。結構柔らかい感触に、今日の快眠を期待した。

 ブリュンヒルデさん改めヒルダさんが腰より少し下くらいのところに座り込んでくる。今ほどうつ伏せという体勢に感謝した時はない。

 

「そういえば、ヒルダさんはどうして降りてきたんですか?」

 

 ただこうしているのもアレなので、原作ではヘスティアがベル君に投げかけた定番の質問を少し変えて、今度はこちらから投げかけてみる。

 

「そうだねえ。今日会った、女神たち……みんな戦乙女(ヴァルキュリヤ)仲間なんだけどね? 最近降りていったみんながみんな、すごく楽しそうにしてたの」

 

 ゆっくり、ゆっくり。今の幸せを噛みしめるように、ヒルダさんは手を動かしながら、語る。

 

「今の私みたいに、一から【ファミリア】を作りあげて、眷族(子供)たちと、とっても幸せそうにしてるのを見たら、居ても立ってもいられなくなって。気付いたら降りてきてたの」

 

 その素直な想いを聞いて、やっぱり俺なんかが、なんて思ってしまう。こんな、得体の知れないやつとなんか。

 

「だからね、ツカサくん。私はきみと楽しく暮らしたい。幸せな【ファミリア】を築きあげたい。これから、一緒に歩いていきたいの」

 

 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、ヒルダさんはそう語りかけてくる。

 昼のことといい今といい、この女神は無自覚に周りの人間を魅了してしまうらしい。これは、嫉妬に駆られることが多くなりそうだ。

 

 そして、『神の恩恵(ファルナ)』の刻印が終わる。

 俺の背中及びベッドから降りて、部屋の中央に立つヒルダさん。俺は自然とその正面に跪く。

 この部屋には手鏡もないので確認はできないが、俺の背中にはたくさんの漆黒の文字が刻まれているはずだ。

 

 俺の【ステイタス】を表す、荘厳な【神聖文字(ヒエログリフ)】の羅列。

 様々な出来事を経験することによって得られる、文字通り【経験値(エクセリア)】を用いて、俺だけの物語を描いていくための、いわば『白紙の本』。書き手はもちろん目の前の女神だ。

 

「これから、私と一緒に、生きてくれる?」

 

 ヒルダさんが差し出す、その手を取る。

 

「喜んで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これからどんな物語が紡がれていくのかは、誰にもわからない。

 

 

 背中を預け、命を預け、共に戦う掛け替えのない仲間との邂逅。

 

 かつてないほどの、凶悪で強大な、恐ろしい敵との激しい戦闘。

 

 魅了的な人物との恋物語なども、あってもいいかもしれない。

 

 大切な人々との離別だって、待ち受けていることだろう。

 

 それでも、きっと、大切なものを見つけられると信じて。歩いてゆこう。

 

 

 

 この果てしない世界で。

 

 きみは誰と出会い、何を知り、どんな道を歩んでゆくのだろうか。

 

 これから私が記すのは、キミの人生の軌跡。

 

 

 

 

 

 

 たった一つの、【眷族の物語(ファミリア・ミィス)】だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三話 三つの【ファミリア】


 夢とは、情報処理に伴ったノイズである。

 でも、果たして、本当にそれだけだろうか?





 夏ヶ原司は、空を飛んでいた。

 

 

 自力で飛んでいるのではない。後ろ向きのまま、何かに引っ張られ、風を切って空中を滑っているのだ。

 眼下に映るのは見慣れた街の景色。昨日まで司が住んでいた街だ。

 

 凄まじい風の音が鼓膜を叩いているのに、なぜか人の声が聞こえる。その存在が視認できる。

 最初は母親だった。次は妹だった。その次はこの頃仲が悪かった父親だった。母親がよく玄関先で話していたお隣さん、斜向かいの同級生、近所の知り合いの子供、小学校の時の担任、駄菓子屋のおばちゃん、仲の良かった友人。

 みんながみんな、何かを叫んでいた。でも、何を言っているのかはよく聞き取れない。

 次々に、記憶にある人、懐かしい人が現れては遠ざかってゆく。

 自分の家、徒歩五分の小学校、よく行くスーパー。近所の河川、大きな公園。小さい時から見慣れている風景が、遥か彼方へ飛んでゆく。

 

 

 

 司はいつも通りの日常を過ごしていたはずだった。

 

 いつも通り起きて、いつも通りバスに揺られて、いつも通りの時間に学校へ行き、いつも通り授業を受けて、いつも通りの仲間たちといつも通り会話し、いつも通りの時間に、いつも通りの家に帰ってきた。

 玄関の取っ手を握った途端、ぐんっ、と、後ろ襟を何かに掴まれ、司は空へ飛び立ったのだ。

 勢い良く開かれる玄関、飛び出てくる司の家族。無意識に取っ手を握っていた手は、なぜか指が根負けせずに取っ手をもぎ取っていた。

 

 

 そして、今、司はよくわからない街の空を飛んでいた。

 どこかで見たことはあると思うのだが、思い出す前にすぐ違う街に変わっていく。

 

 こんなことをするやつは一体何なんだ、と、司は犯人を確かめるべく振り返った。

 巨大な黒竜の尾が司の襟を掴んでいた。

 瞬間、司は何かを諦め、再び引っ張られるだけの体勢に逆戻りした。

 

 また、地上の形が変わる。

 今度は、司が一昨年まで通っていた高校になった。不自然なほど低空飛行に、低速飛行になり、時間と距離の感覚が狂ってゆく。

 普段は立ち入り禁止になっている屋上に、人が大量に飛び出してくる。

 三年間一緒だったクラスメイト、同じ部活だった友人、歴代の担任、教科担任、ほとんど話したことがないやつら、実は好きだった女子、卒業したはずの先輩たちも制服を着て、また、司に何かを叫び、届けようとする。留めおこうとする。

 遠ざかってゆく彼らの声を聞こうとしても、次第に変な雑音が割って入ってきて、やはり内容はさっぱり伝わらない。

 それだけでは足りないと思ったのか、屋上の彼らは大きく手を振ったり、司に向けて手を伸ばしたり、何かを司に訴えかけようとする。

 

 

 しかし、もう既に、司は彼らの方に目をやっていなかった。

 やがて現れる、果てしなく遠い世界、限りなく青く澄み渡った空、地平線の向こうまで続く豊かな緑。

 

 

 

 最早、彼の目に映るのは、美しい女神の姿だけ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めると、知らない天井……ではなく、昨日の夜、寝る前にも見た天井があった。

 

「…………ああ、そうだった」

 

 次第に頭が今の状況を理解していく。そうだ、俺は「ダンまち」の世界に来たんだった。やっぱり、夢ではなかったのだ。

 柔らかいベッドの上で、上半身を起こす。窓の外はまだ暗い。

 すっかり朝方生活になっている身体は異世界でもきちんと働くらしい。しかし、昨日の疲れが残っているのか、瞼が重い。視界が滲む。ヘリヤさんにもらった寝巻きの袖で、目元を拭おうとして。

 

「え……?」

 

 自分が、泣いていることに気付く。

 涙を止めようとしても止まらない。よくある描写だけど実際にはあり得ないだろう、と思っていた。でも実際にそうなると、とんでもなく焦る。理由もわからないのに、自分が勝手に泣いているのだから、混乱に陥る。

 そうだ、こういうことは、感情の昂ぶりが最高潮に達したときに起こるのが相場。

 つまり、原因は夢、だろうか。しかし、さっきまで夢をみていたことは覚えているのだが、夢の内容が一切思い出せない。今考えてみると、何か、とても大切なものの夢であったことは、確かに感じられるのに。

 

 少し、ホームシックぎみにでもなってしまったのかもしれない。

 でも、俺はこの世界で生きていくと決めたのだ。いまさら悲しいだなんて言っていられない。

 深く、深く、深呼吸をする。肺を意識するのでなく腹を意識する、心を落ち着かせるための呼吸。受験日前日の眠れない夜もこうして乗り切った。

 今回も、きっと。

 

 次第に涙が収まってゆく。

 完全に止まったことを確かめてから、少々強めに目元を拭い、大きく伸びをする。

 

 

 そうだ、今日から新しい生活が始まるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ヒルダさんは案外ねぼすけだった。

 

 顔を洗って歯を磨き、またヘリヤさんからもらった服――今度代金を払わなければ――に着替え、昨日の出来事の詳しい記録をつけ、朝日が差してきたので台所に立ち、腕を振るった。

 しかし、街が起きだしても、俺が料理を完成させ、完食しても、街が完全に起きて、騒がしい喧騒が小さく聞こえてきても、ヒルダさんは起きてこない。

 

 これは起こしに行くべきだろうか。でも、そうするとまた昨日みたいな展開になりかねない。

 それは避けなければならない。そんなベタなシチュエーションは例え読者が望んでいたとしても俺が望まない。これから共に生活していくんだ、こう言っては何だが、ラブコメの主人公のような強靭な理性を持ち合わせているわけでもない一般人にはとても耐えられるものではないだろう。

 自分で考えて情けなくなるけど、昨日のアレだけでかなり意識してしまっている俺だから仕方が無いのだ。

 

 やっと念願の一人目と出会えたから今までの疲れがどっと押し寄せてきたのかもしれないし、ここは寝かせておいてあげるのが吉だ。俺にとっても。

 

 しかし、ヒルダさんが起きてこないとおいそれと出掛けるわけにもいかないか?

 さすがに初日は何も言わずに出掛けるわけにもいかない気がする。

 今日はギルドに冒険者登録をしに行った後で、昨日の三柱の【ファミリア】に挨拶に行く予定だ。ヘリヤさんが誘ってくれた。戦乙女(ヴァルキュリヤ)同士仲良くしようぜ、ということらしい。

 この異世界では人脈はとても大切だ。特に構成員の少ないうちのような【ファミリア】にとって、この戦乙女(ヴァルキュリヤ)同盟みたいなものは非常にありがたい。ダンジョンにもぐるにしても、単独(ソロ)であるか複数(パーティ)であるかで生存率も変わってくるだろうし。

 誰もが原作ベル君みたいに、単独(ソロ)でうまくいくわけではないのだ。

 

 挨拶回りが終われば、【ヘリヤ・ファミリア】の人とダンジョンに初挑戦することにもなっている。あの女神のことだからきっといい人なのだろうけど、俺にまともな人付き合いができるだろうか。

 会話は得意な方ではない。初対面とあらば九割がたどもるだろう。

 まあ、今から緊張していてもどうしようもない。なるようになるさ、と自分に言い聞かせる。

 

 

 そういえば、武器はどうしようか。

 やはり剣だろうか。近接戦闘はやはり怖いのでベル君のようなナイフと格闘術、というのはいきなりは厳しいだろうし、リーチが長い槍とか棍もいいかもしれない。いやしかし、ダンジョンの中で上手く扱える気がしない。斧とか鎚というのも何か違うし、魔法が使えないので杖もない。弓も経験がないし、何よりソロのとき困るだろう。

 となると剣か。他の武器も使ってみたいが、まず何かで戦えるようになるのが先決だ。

 ではまず、片手剣か、両手剣か。

 俺が全くの初心者なので、最初は攻撃よりも防御を優先した方がいい気がする。多分いざとなったら浪漫をぶん投げてでも生存を取るだろうし。

 防御主体になるなら日本刀系統なども候補に挙がってくる。逆にレイピアなどの細いものは防御には向かないだろうしひとまずナシとして……

 

 いろいろ考えていると、ヒルダさんことうち【ブリュンヒルデ・ファミリア】の主神、ブリュンヒルデさんが寝惚け眼を擦りながら自室から出てくる。一応、着替えてはいるようだが。

 

「おはようございます」

「んー……おぁよ。あや起きらねぇ……ふぁあ」

 

 なにそれ可愛い。

 なぜ寝起きの美少女というものはこうも形容し難い魅力を放っているのだろうか。舌足らずか? 眠たげな表情か? ああ、全部か。

 

「顔、洗ってきた方がいいですよ」

「そうするー……」

 

 ヘスティアに乗っかられたベル君の心情もこんな感じだったんだろうなあ、と妙な親近感を覚えつつ、ゆっくりふらふら洗面所へ歩いていく背に心中で悶えまくる。

 これは早目に対策を練らなければいけない。

 どうしたものやらと頭を捻らせていると、今度は玄関から軽快なノックの音が聞こえてきた。やけにタイミングがいい。メタ的な警察とかじゃないだろうな。

 

「はーい、どちらさんですか」

 

 木製の扉にはインターフォンやドアスコープのみならずチャイムすらついていない。防犯上不安なので近いうちにつけてもらおう。インターフォンはちょっと技術的に無理があるかもだけど。

 

「【ヘリヤ・ファミリア】の者っす。今日の同行者って言ったらわかりますかね?」

 

 少々くぐもった青年の声が返ってくる。わざわざ迎えにまで来てくれたのか。

 扉を開けると、ちょうど二十歳くらいのザ・好青年という風貌をした人が良さそうな男性が立っていた。直感で察する。この人はいい人だな、と。

 

「どうも、トルド・フリュクベリっていうっす。あなたが【ブリュンヒルデ・ファミリア】のナツガハラ・ツカサさんっすか?」

「そうです。はじめまして。ちょっとうちの主神の朝飯がまだでして、先に上がってください」

「あ、そうすか。んじゃ、お邪魔します」

 

 この薄茶色の、レザーアーマー? の上に、土色のライトアーマー一式が鈍い光を放っている。昨日も結構いろんな人の装備を見かけたけどやはりこう、間近で見てみるとやはりかっこいい。腰の辺りに二振りのナイフが備え付けてあるので、彼はベル君のような近接戦闘スタイルなのだろう。

 背中には大きめのバックパック。中身はあまり入っていないのだろうか、空気を抜いてしぼめてある。

 

 これが、冒険者。本物の冒険者。

 現代世界で生きていては、一生会うこともなることも叶わない別人種。俺も、その仲間入りをしたのだ。

 

「そこのテーブルにでも」

 

 席についたトルドさんに、心配だったから昨日のうちに煮沸消毒して冷やしておいた水を出す。

 

「お構いなくっす。ツカサくん、昨日はよく眠れたっすか?」

「普通に熟睡できたし寝覚めも良かったよ。あと呼び捨てで頼む。俺は十九だけど、多分同年代だろ?」

「おお、ボクと同じっすね。じゃあお互いに呼び捨てってことで」

 

 年下の美少女とかでなくてよかった。そっちでも嬉しいだろうけど、多分俺のキャパを超えてしまう。今はヒルダさんだけで満杯なのだ。

 

「初めてオラリオに来た人や冒険者になったばかりの人はよく眠れないことが多いんすけど、それなら心配いらないっすね」

「ああ。今日はよろしく頼む」

「こちらこそっす!」

 

 固く握手を交わす。現実じゃあこんなに早く仲良くなれた友人、いなかったな。

 

「お腹すいたー……、あれ、トルドくんじゃない!」

「あ、ブリュンヒルデ様。どうもっす」

 

 身だしなみを整えたヒルダさんが戻ってくる。彼女の朝飯を温めなおすために、俺は台所へ向かう。

 

「【ファミリア】結成、おめでとうございます。これで居候からも卒業っすね」

「ありがとう。うん、もう厄介にはならないよ。なんてったって私にはツカサくんがいるからね!」

「でも、彼だけで運営していけるんすか?」

「あ、えっと、それはホラ、なんとか……」

「初心者のうちは一日二○○○ヴァリスくらいがいいとこっすよ。武器や道具も手入れしたり補給したりで初めは特に金が要るっす。ヘリヤ様もまだ続けるよう伝えろって言ってました」

「うあー、結局バイトはするのかー」

 

 ヒルダさんは昨日まで【ヘリヤ・ファミリア】に居候していて、そこでバイトもしていたとか。そういえば何屋なんだろうか。

 

 トルドの顔を見るなり素早くテーブルにつき、にこやかに会話を弾ませる主神。俺は昨日に会ったばかりなのに、厚かましくもちょっと嫉妬してしまうのは、きっと自然の摂理のはず。

 

「ヒルダさんは今日どうするんです?」

 

 朝食を運びつつ、テーブルで飛び交う会話の合間に割って入る。

 

「今日もヘリヤのところでバイトかなー」

 

 零細規模の【ファミリア】は、団員がダンジョンで稼いでくる金だけでは運営していけない。ある程度軌道に乗るまでは、主神だろうと働いて足りない分を賄わなければならないのだ。

 しかもこの主神様、案外食べるのだ。まあ個人的には食が細いよりかずっと愛らしく感じるのだが。

 

「そういやトルド、俺、戦闘経験皆無なんだけど大丈夫?」

「全然大丈夫っすよ。ボクもそうでしたから。でも、やっぱり最初に、モンスターを倒すときに生理的嫌悪を感じる人はいるっす。そこら辺が分かれ目っすね」

「……やっぱりグロいよな?」

「倒し方にも依るっすけど、まあそれなりに。血が吹き出たり脳漿的なのが散ったりなんて茶飯事だと思っていいっす」

「うわー……」

 

 スプラッタは苦手なので、割と不安になる。生憎、普通に生きてきた俺にはそういうものに対する耐性は付いていない。

 その他にも、心構えしておくべきショッキングな場面を教えてもらっていると、ヒルダさんが不機嫌そうに睨んでくる。しまった、この状況でする話じゃなかった。

 

「私ご飯食べてるんですけどー……おかわり」

 

 隣でグロの話しててもおかわりはするのね。食欲減退してないじゃないですか。

 

 今度は黙々と食べ進めるヒルダさんに留意しつつ、話題を他の懸念事項に移す。他の、というか、多分メインの問題だ。

 

「あと、最初はなにかと金が入用だって言ってたけど、具体的にはどれくらい必要なんだ?」

「そうっすねー、求める性能にもよるっすけど、武器でだいたい四○○○前後、防具で五、六○○○前後、ポーションの最安値が五○○なんで、アイテムで一五○○前後、軽めで計一一○○○ヴァリスくらいってとこですかね。準備費用としては」

 

 確か、一日ダンジョンにもぐると二○○○ヴァリスほどの収入になるので、単純に考えると五日ちょい。でも、そこに毎日の食費、武具防具の整備費、道具の補充費やこの家のローンなども入ってくるわけで。

 そう考えると金額的には結構厳しい。浪漫溢れる職業だと思っていたのに、一気に現実的になってしまった。やはり初めから楽して稼げるような仕事はないということか。

 

「割とシビアなんだな……」

「でも、そこくらひは心配しなくへひいよ、ツカサくん」

 

 もぐもぐしながら、ヒルダさんはどこから取り出したのか、その拳より二回りほど大きい布袋を差し出してくる。中から、硬貨が擦れ合う音がする。

 

「んっ……これ、一五○○○ヴァリスは入ってるから。使って」

 

 口の中のものを嚥下して、真面目な顔で俺に布袋を渡すヒルダさんは、どことなく申し訳なさげにしているように感じられた。

 

「ヘリヤのところでバイトして貯めたの。いつか入ってくれる誰か(きみ)のために。私には、これくらいしかできないから」

 

 神は、ダンジョンに入ることができない。原則としてそうなっている。

 ゆえに、神はダンジョンという危険地帯に挑む冒険者たちの生還を、ただ願うことしかできないのだ。

 

「ありがとうございます。大切に、使わせてもらいます」

 

「うん。初期装備はケチっちゃダメだからね。遠慮しないでしっかりいいものを買ってくれたまえよ」

 

 その不安を押し殺し、麗しき女神は朗らかに微笑む。

 

 

 ああ、いい女神(ひと)と出会えたなあ、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まず必要なのは、準備だ。

 

 最初は一番近いらしい【ヘリヤ・ファミリア】の店舗、「最果ての放浪者」に行くことになった。ヒルダさんを送ることも含めて。

 トルドとヒルダさんの案内で、北のメインストリートまで歩く。

 北のメインストリートは、主に商店街として活気付いているところだ。有名なものだとあの【ロキ・ファミリア】の本拠「黄昏の館」や、ジャガ丸くんの屋台もここにある。

 

「そういえば、【ヘリヤ・ファミリア】って何屋なんです? 不動産とか扱ってますけど」

「んー、どう言えばいいんだろ」

 

 ヒルダさんがバイトできるということはそれなりに専門色の薄いものだと思ったのだが。

 

「言ってしまえば萬屋(よろずや)っすね。不動産を扱うときもあれば、普通に雑貨を売ってたり、遠方の特産品をギルド相手に仲介したりしてるっす」

「そうそう、それそれ」

 

 話によれば、【ヘリヤ・ファミリア】の構成員はわずか七名。しかしギルドとの太いパイプを持っており団員が割とスムーズにオラリオの外へ出られることを強みとし、積極的に外の物品を仕入れて売っているらしい。いわゆる商業メインの【ファミリア】だ。

 道幅がかなりあるメインストリートから一本、外れたところにある、結構大きめの建物がそれだ。看板代わりに、旅人と馬車を描いたエンブレムが掲げられている。

 

「早速ですけど帰ってきたっすー」

 

 店内は、実に異国情緒溢れる……と、言いたいのだが、そもそもこのオラリオ自体異世界なわけで、和服などが飾ってあると、むしろ親近感を覚える。

 

「あ、トルドさん、おかえりなさい」

「そちらが【ブリュンヒルデ・ファミリア】念願の一人目かの? ブリュンヒルデ様」

 

 店内には可愛らしい少女と老齢の男性、それと数人の客の姿があった。

 見渡せば食品、衣服、日用品など非常にさまざまな物品が並べられているのがわかる。その中でも極東寄りの物が多いこともなんとなく。梅干しとか、海苔とか。極東コーナーだけ俺のホームだ。

 

「そうさ。おかげさまでようやく巡り会えたよ」

「夏ヶ原司です。よろしくお願いします」

「私はジーナといいます。こちらこそよろしくお願いします」

 

 幼さと綺麗さが絶妙に混ざり合った抜群の容姿、尖った耳。エルフ……いや、ハーフエルフだろうか。歳はだいたい十前後、あどけなさを残しながらも、その落ち着いた振る舞いはしっかりした性格であることをうかがわせる。

 俺、ロリコンでなくてよかった。

 

「グスタフ・ノルダールじゃ。よろしくのう」

 

 頭髪はすでに真っ白で、多くの皺が刻まれているにも関わらず、背もまっすぐで足腰も丈夫そうで、壮健な雰囲気を漂わせる姿は想像上の執事のよう。「じいや」とか呼ばれていそうな外見である。

 

 いまは他の団員は出払っているようだ。ヘリヤさんもギルドの方に出張っていて、いないとのこと。

 極東出身の人に会ってみたかったが、しかたない、またの機会を待つことにしよう。

 

「ところで今日は……ブリュンヒルデ様はアルバイトのためとして、顔見せついでに極東の武具防具を見に来た、といったところですかな?」

「あるんですか?」

「ありますよ。こっちです」

 

 ジーナに連れられ、大量の兜や甲冑、刀などが陳列された棚まで移動する。

 

「極東のものはまだあまり入ってきていませんので、結構多くの方がここでお求めになるのです。いまは少し品薄ですけど」

 

 壁に飾られた太刀、刀、薙刀、槍。確か、大鎧に胴丸に腹巻。そこは浪漫の塊のような空間だった。

 

「うわあ……」

 

 胸が躍る。こういうのだ、こういうのを求めていたのだ。

 

「好きなものを選んでいいからね。予算の範囲内で、だけど」

「こればっかりは個人の感覚に委ねるしかないので、なるべくよく手に馴染むものがいいと思いますよ」

「手に馴染む……ですか」

 

 とりあえずそこにあった太刀を手にとろうとして、値札に目が行く。一二○○○ヴァリス。あ、これダメだ。

 まだこれから防具や道具も購入しなければならないのだ、なるべく出費は抑えたい。

 いろいろ物色しながら、より安価な方へ歩いていく。七六○○、五二○○、四一○○。ここくらいがお手頃だろうか。

 

 日本刀は攻守共に扱える万能武器だが、盾を持つことは難しい。刀に盾って聞いたことないし、両用であるのは心強いけど、やっぱり不安でもある。あと結構重いし。他もそうではあるけど、刃渡りが長いということはそれだけ重量もあるということで。

 

 じゃあリーチが長い薙刀、槍はどうか。攻撃に特化した分、モンスターを寄せ付けづらくはなるだろう。しかし、やはり防御面が危うい。懐に入られても、素人の俺では対処できるとも思えない。

 

 では間をとって取り回しやすい脇差、短刀はどうだろうか。小回りが効く分自由度は増える。まあ、懸念事項はモンスターとの間合いか。やはりまだ見ぬ化け物と戦うとなると距離をとる戦法でいった方がいい気はするのだ。

 

 それに、防具は。防御力と機動性の両立を求めたいけれど、そうなると値段がつり上がる。大鎧は値段的にも重量的にも難しいとして、胴丸か腹巻だろうか。でも、やはりもっと、トルドが着ているようなものの方がいい気がするのも事実。

 

 どうしようか……。難しい。これがゲームのキャラメイクだったら気楽に格好良さ重視で決めるところなのだが、実際に命を守るためのものを選ぶとなると途端にこれといったものが見つからなくなる。当然と言えば当然ではあるけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

「決めました」

 

 結局、五十C(セルチ)ほどの刃渡りの脇差を手に取る。値段は四六○○ヴァリス。名称は紅緒。赤みがかった鋼色の刀身が綺麗な一刀だ。刀匠の名前は入っていなかった。

 

「それでいいの?」

「はい。やっぱり、いきなり刀とか薙刀とかはハードルが高くて」

「そっかそっか。まあ、最初は個性が強いのは扱いづらいよね。防具はどうするの?」

「もっとこう、全身を守れて軽いやつの方がいい気がしまして」

 

 防具の方もざっとは見たけど、これといったものは見つからなかった。そもそも極東……日本の防具は、遠距離戦を、特に弓に対してを中心に考えられたものなので、軽くて全身を、というものはなかなかない。

 

「それなら、カーラさんのところに行った方がいいっすね。ボクのこのライトアーマーも、【カーラ・ファミリア】製っす」

 

 紅緒と、ついでに中くらいのパックパックを購入し、「最果ての放浪者」を後にする。戦乙女(ヴァルキュリヤ)同盟のよしみということで多少割引してもらった。

 

 

 

「そのトルドのそのライトアーマー、土の色だけど、銅とか?」

「ああ、これっすか。これは銅じゃないっすよ。この色は特注品の証で、ちょっとした恩恵が込められてるんす」

 

 それは【カーラ・ファミリア】団長の魔法に依るもので、それなりの値段と引き換えに、衝撃吸収効果を付けることが(エンチャント)できるそうだ。

 ただ、かなりするらしい。それもそのはず、それも一種の特殊武装(スペリオルズ)だろう。

 

 どうやら【カーラ・ファミリア】は北と北東のメインストリートのちょうど真ん中辺りに位置しているらしい。それに、ただの鍛治【ファミリア】かと思いきや、最初は探索兼服飾系であったとか。団長に鍛治の才能があるとわかったので鍛治の方面にも手を出し、今に至るそうだ。

 

「そういや、【ヘリヤ・ファミリア】の団長はトルドなのか?」

「違うっすよ。ヒメナ・カリオンって人が団長っす。今は外に出てていないっすけど」

 

 確か、昨日エイルさんが褒めていた人か。さぞ有能な人に違いない。

 

「ここっす。【カーラ・ファミリア】本拠、店舗名「星空の迷い子」っすよ!」

 

 そう大きくはないが人通りが結構ある通りの一角にでん、と建っているその建物は、一見して服屋にしか見えない。ディスプレイもほぼ服を展示しているし、お客も一般の女性ばかりだ。

 それも、かなりひらひらふわふわした服がメインのようで、とても鍛治も行なっているとは信じがたい。

 なんだか、入るのが躊躇われる。こんな明らかに女性向け服屋に男二人が堂々と入っていっていいものなのか?

 

「おう、お前ら店先で何止まってんだ。客が入りづれえじゃねえか」

 

 立ち止まっていた俺と、入店しようとしていたトルドに後ろから声が掛けられる。昨日も聞いた声だ。

 

「こんにちはっす、カーラ様」

「おうトルド。今日は何の用だ?」

 

 振り向くと、そこには見目麗しいお嬢様……ではなく、外見はそうなのだが、荒々しいことで俺の中でキャラ付けされたカーラさんと、獣人の女性がいくつかの紙袋を持って立っていた。

 

「ボクはツカサの付き添いっす。防具を探しにきたんすよ」

「ん? 極東の防具にするんじゃねえのか」

「はい。軽くて動きやすいのがいいと思いまして」

「そうか。まあとりあえず入れや。ビビることなく堂々とな」

 

 うわあバレてら。

 

「貴方が、【ブリュンヒルデ・ファミリア】のナツガハラ?」

 

 歩きながら、獣人の女性が話しかけてくる。彼女は感情がないかのように無表情だ。しかし言葉には少なからず好奇心が乗っているように思えるので、不器用な人かもしれない。

 カーラさんで外見と内面が一致しない人の見分け方のコツを身につけた気がする。

 

「はい。夏ヶ原司といいます。夏ヶ原が姓で、司が名です」

「……そう。シーヴ・エードルント。団長。よろしく」

 

 台詞だけだとすごいぶっきらぼうな人かと思うが、目を合わせて会話するところだとか、極東の文化に合わせてか御辞儀をしたりするところから、感情表現が乏しいだけだとわかる。メタ的な表現をするならばアイズさんに似てる感じか。

 

「あ、よろしくお願いします」

 

 彼女が下げた頭には、可愛らしい獣耳がぴょこんと乗っかっていた。それを見るに、犬人(シアンスロープ)……いや、狼人(ウェアウルフ)らしい。

 

 女性ばかりの店内を通り抜け、店舗の奥へ進む。遮音のための重い扉を二つほどくぐると、全く別の内装が施された空間に出た。

 先ほどまでの煌びやかな感じとは違い、無駄な装飾はされていない、質素な室内には大量の武器や防具が所狭しと置かれていた。気が付くとシーヴさんはいなくなっていた。

 

「おかえりなさい。そちらの方は?」

 

 カウンターの向こうの扉――おそらく鍛治場に繋がっているのだろう――から出てきた少年が出迎える。

 

「昨日話した【ブリュンヒルデ・ファミリア】の新入りだ。防具が欲しいっつーから、とりあえずキッカと交代してきてくれるか」

「了解です」

 

 見た目の割りに大人びて落ち着き払っている少年はカウンターから出て服屋の扉を開けて行く。小人族(パルゥム)だろうか? 違う気もするが……。

 

「んで? どんなんが欲しいんだ?」

「そうですね、とりあえず軽くて動きやすいのがいいんですけど、それでいてなるべく全身を守れるようなものとか、ありますかね?」

「その条件だとボディアーマーってのがだいたい当てはまるが、それは特別繊維を織り込んだモンだから安いのはねえな」

 

 やっぱり、そんな良い条件のものはないか。

 

「借金して買う手もあるっちゃあるが、正直やめときな。初っ端から防具の性能に頼ると防御や回避が身につかねえ。やっぱり初心者のうちは死なない程度に経験を積むのが一番だ。失敗と痛みの、もな」

「じゃあ、ボクみたいに薄手の革鎧(レザーアーマー)に要所要所のプロテクターを付けるって方向性になるっすかね?」

「そうだな。それが一番現実的だ。おい、予算はいくらくらいあんだ」

「えっと、七、八○○○くらいあります」

「んー、ま、そんくらいありゃ、一式揃えられるか」

 

 カーラさんとトルドは、いろいろと話しながらプロテクターなどが雑多に置いてある一角へ歩いていく。

 思ったより、カーラさんは良い女神(ひと)なのかもしれない。昨日の邂逅の仕方が悪過ぎたお陰で、もう荒々しいイメージが定着していたけど、落ち着いて接すると、なんかいい姉御っぽい感じだ。

 

「はいはーいお待たせしました! ナツガハラさんですね! では早速失礼をば」

「はっ、え?」

 

 突然、服屋に通じる扉からハイテンションな女性が飛び出してきたと思ったら腕や脚をぺたぺたと触られていた。この人が、さっきカーラさんが言っていた「キッカ」さんだろうか?

 カーラさんたちは特に気にせずにプロテクターを物色しているので多分そうなんだろう。

 さっきの少年とは正反対で、大人ではあるのだろうが、その表情から読み取れる無邪気さがやけに彼女を子供っぽく見せる。

 

「ふんふん、なるほどなるほど」

 

 一通りぺたぺたし終えたキッカさんは、一度何かに納得したように頷くと、レザーアーマーがたくさん掛けてある方へ駆けていった。

 今ので、採寸してたっていうことか? 定規もメジャーも使わずに?

 

「キッカは見ただけで大体の身体構造を見抜き、触るとほぼ100%把握できる変態だぞ」

 

 籠手や関節部分に当てるプロテクター、プレストプレートなどをいくつか見繕って持ってきてくれたカーラさんが、俺の疑問に答えてくれる。

 

「やー、このよくわかんないけど便利な技能のおかげで良い思いさせてもらってますよ。ぐへへ」

 

 あ、百合の人でしたか。

 レザーアーマーを掴む右手とは別に、キッカさんの左手はアーマーの胸の辺りを揉む動作を、多分無意識に行っている。もちろん男用のアーマーに胸はない。

 

「ほれ、こういうのはどうだ」

 

 カーラさんたちは鈍色のプレストプレート、腕と脛、肩、肘、膝に腰を守るプロテクターを手渡してくれる。それぞれにも名前があったはずなんだけど思い出せない。かっこよかったから覚えた記憶はあるんだけどな。

 

「案外軽いんですね」

 

 もっとずしっとくるのを予想していたのだが、そんなことはなかった。拍子抜けしてしまう。

 

「そりゃ、薄いからな。致命傷を避けるための最低限の厚さはあるが、飽くまで機動性を上げるために防御力をレザーの方に依存してんのは忘れんなよ」

「わかりました。耐久力の方は、どれくらいあるんでしょうか」

「んー、これだとウォーシャドウ相手に裂かれる可能性アリだね。でも初心者ならウォーシャドウを相手にすることもないだろうし、しばらくはこれでいけるはずだよ」

 

 黒く染めてあるレザーアーマーを持ってきてくれたキッカさんが代わりに答えてくれる。ウォーシャドウは、確か六階層以降に出現するはず。初心者なら交戦する機会もない。

 

「これで全部っすかね。あっちの試着室で着てくるといいっすよ」

 

 試着室は、思ったより大きかった。全身タイツみたいなレザーアーマーを下着の上から着る。今の俺は某探偵漫画の犯人みたいだ。

 よく考えて見ると、この装備群が二巻でベル君が装備していたものにそっくりなことに気付き、苦笑してしまう。

 四苦八苦しながら、どうにかプロテクターを身に付け、その姿を鏡で確認して、改めて自覚する。

 

 

 俺は、もう冒険者なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まいどー」

 

 黒のレザーアーマー、鈍色のプロテクター一式、それに白いナイフを購入する。計七五○○ヴァリスなり。多分割引してもらった。

 

「違和感がありゃあすぐに来るんだぞ」

「はい。ありがとうございました」

「そりゃ店側(こっち)のセリフだっての」

 

 そうして「星空の迷い子」を後にする。

 さっき買ったバックパックに服は入れてあり、俺の格好はすでに冒険者だ。いますぐダンジョンへももぐれるだろう。

 

「んじゃ、その荷物を置きがてら、【エイル・ファミリア】に行こうっす。そこでポーションとかを買ったらいよいよダンジョンへ初アタックっすよ」

 

 他のファンタジーと違い、この世界には回復を行う術士なんてのは基本的にいない。【ロキ・ファミリア】のリヴェリアさんなんかはできるらしいが、知る限り彼女だけだ。

 つまり、回復は、回復アイテムであるポーションの独壇場なのだ。

 逆に言えば、ポーションなしでダンジョンに突っ込むのはかなり危険だということでもある。

 そしてポーションを取り扱っているということは、【エイル・ファミリア】はそういう商業【ファミリア】なのかと、道すがらトルドに訊いてみるのだが。

 

「まあ、ポーションとかの道具も売ってるけど、そうじゃないっす。【エイル・ファミリア】は一言で言えば病院っすよ」

「病院?」

 

 ポーションがある以上、冒険者は大抵の怪我や傷をポーションで治してしまう。そんな世界において病院とは、需要はあるのだろうか?

 

「病院は病院でも、基本的には一般人、オラリオの普通の市民相手にやってるんすよ。流行病とかは、治癒が主効のポーションじゃ対応し切れないっすから」

「ああ、なるほど……」

 

 それに、とトルドは続ける。

 

「冒険者相手にはもっぱらメンタルっすね。ダンジョンでトラウマを持ってしまった人たちの心の治療とかをしてるらしいっす」

 

 ふと思い浮かぶのは、【ミアハ・ファミリア】のナァーザ・エリスイスさん。まだ【ミアハ・ファミリア】は落ちぶれていないから、彼女も健在のはずだ。

 結構、いるのだそうだ。ダンジョンにもぐれなくなったり、武器を握れなくなる人が。

 それと、その病院は【エイル・ファミリア】のみの運営ではなく、一般人の雇用もしているらしい。

 

「そうやって、【ディアンケヒト・ファミリア】とかとの区別を図って競合しないようにしてるのか」

「その通りっす。……っと、着いたっすよ」

 

 歩くことしばらく。西のメインストリートの近くにその建物はあった。西、というと、あの「豊饒の女主人」とかがあるところだ。

 病院、というと、あの白い外観しか思い浮かべられない俺にとって、石造りというのはいささか違和感を感じたのだが、中はちゃんと病院であった。

 まず受付に待合席。奥の方に診察室などが連なっていて、二階以上は病室になっているらしい。案内板に書いてあった。

 

「こっちっすよ」

 

 待合席の後方の扉から、現代でいう薬局的な場所へ入る。別に、直接こちらへ来ることもできるのだが、挨拶のために探している女神(ひと)がいる。

 

 カウンターは病院の処方箋受付と道具売り場が分かれていて、そのうちの道具売り場に。

 

「あら、トルドくんとツカサくん。ポーションを御所望かしら?」

 

 エイルさんが座っていた。

 

「どうもです。はい、ポーションを買いに来ました」

「こんにちはっす。エイル様自らっすか」

「たまにはね?」

 

 柔らかく微笑むエイルさんは、また女神だけあって美しい。そこらで順番待ちをしている人たちもエイルさんに見惚れている。

 

「どれくらいのを何本お求めに?」

「そうっすね、お手頃なのを、ツカサに二、三本、ボクに一本でお願いします」

「はーい」

 

 ほんわかした雰囲気で、エイルさんは背後の棚から幾つかの試験管を取り出す。なんだか怪しげなクスリにしか見えないような色をしている。

 ちょっとだけ不安になるが、飲んだり掛けたりするだけで傷が治ったりするのだ、摩訶不思議な効力なら見た目もそれなりだろう、という解釈で乗り切る。

 

「そうね、八○○ヴァリスのが三本、五○○のが一本で二九○○ヴァリスになるかしら」

「……エイル様、すみません、それ普段一○○○ヴァリスで売ってるやつっすけど」

 

 トルドが小声で、笑顔のエイルさんに正直に申告する。

 

「初回サービスってことで。あと、ツカサくんにはこれも付けちゃうわ」

 

 エイルさんは、小さいポーチ的なものを更に取り出す。いや、多分レッグホルスターとかいうやつだ。ベル君がポーションを入れるのに使っていた記憶がある。

 正直助かるが、こういうことをしても大丈夫なものなのだろうか。ミアハさんは同じようなことをしてナァーザさんに怒られていたけど、【ファミリア】の経済状況次第なのかもしれない。

 

「失礼しますがエイル様? 何をしていらっしゃるのですか?」

「ひゃっ」

 

 知らないうちに、エイルさんの背後に怒気を漲らせた犬人(シアンスロープ)の女性が立っていた。エイルさんは驚き危うくポーションを取り落としそうになる。

 

「わ、私は休憩に入ったロザリーの代わりにちょっとこの仕事をね」

「ロザリーはただ今マクシミリアンの手術補佐をしております。何か他に申し開きは御座いますか?」

「ありません……」

 

 穏やかで底が知れない女神(ひと)だというイメージは一瞬で崩れ去った。案外お茶目だった。

 

「午後の診察が始まります。戻ってください」

「せめてこの場だけでも、やらせてくれたりは」

「ダメです。申し訳ありません。すぐに代わりの者を寄越しますので」

 

 眼鏡を掛けた理知的な出で立ちの犬人(シアンスロープ)の彼女は、渋るエイルさんを半ば引きずっていってしまう。ノエルさんと同じような、仕事の出来る女性といった感じの人だった。

 

「あの人が、オルなんとかさん?」

 

 昨日のヘリヤさんのように、あの人をオルたんとは言えない。

 

「そうっす。あの人はオルタンシア・シントラ。【エイル・ファミリア】団長っすよ」

 

 オルたんが名前そのまま、だと。

 

「お待たせしました」

 

 俺たちと同い年くらいの青年がカウンターに入る。愛想がよく、顔も悪くないので、きっとモテるのだろう。順番待ちをしていたおばちゃんたちから黄色い声が飛ぶ。

 

「ヨシフ、久しぶりっすね」

「そうだね。三ヶ月くらい?」

「それくらいっすね。えっと、ツカサ、こいつはヨシフ・レザイキンっす。古い友人なんすよ」

「ナツガハラ・ツカサくんかな? ヨシフです。よろしく」

「ツカサです。こちらこそよろしくお願いします」

 

 昨日エイルさんがすごく嬉しそうにみんなに俺のこと、というよりはヒルダさんのことを話していたそうな。

 

「さて、会計だったね。二九○○ヴァリスになります」

 

 ヨシフさんは、エイルさんが提示した金額のまま会計を行おうとする。

 

「その値段でいいんですか?」

「いいさ。主神がそういうならそれで。その代わり、うちを是非ともご贔屓に」

 

こういうときに、どう返したらいいのだろうか……。商売は苦手だ。値切りなども申し訳なくて、いままで一度もしたことはない。こういう交渉のときも、何かうまいこと言えたらどれだけ楽なことか。

目の前のイケメンみたいなスマイルができたなら、少しは違っていただろうか。いや、スマイルだけではダメだ。※イケメンに限る が付いてしまう。

 

「……はい。ありがとうございます」

 

結局、それだけだ。ちょっと情けない。

 

 

脇差「紅緒」、無銘の白いナイフ、黒のレザーアーマーに鈍色のプロテクター。バックパック、レッグホルスターにポーション。

 

 

 

 これで、準備は整った。

 

 

 



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第四話 緑色のニクイやつ



 何時だって、誰だって、一歩目には勇気が要るもんだ。

 でもほら、そのたった一歩で、世界は変わる。




 

 

 

 

「はい、ではこれで、ナツガハラ・ツカサ様の冒険者登録及び【ブリュンヒルデ・ファミリア】の結成を承認致します」

 

 閑散としたギルド内部、冒険者受付窓口。静かな空間に、ノエルの声はよく響いた。

 いくつかの必要事項を記入してある用紙を回収した彼女は、いささかばかりの驚愕を抱かずにはいられなかった。

 目の前の冒険者……に、成りたての男性にちらっと視線を飛ばす。

 夏ヶ原司。昨日、オラリオに来たばかりの彼に応対したのも彼女だ。そのときは、少しの知識を持ち合わせただけの、戦闘経験もないオラリオ初心者だとしか思えなかった。希望していた【ファミリア】に入団させてもらえるかを心配してすらいたのだ。

 

 それが、いまはどうだ。

 彼は一月前から勧誘活動を始めたばかりの構成員ゼロの【ファミリア】に加入し、たった一夜で見事に装備を整え、冒険者としてもうオラリオに溶け込んでいるではないか。

 余程数奇な巡り会いを果たしたらしい。それくらいしか、ノエルはわからなかった。

 しかも、まさか自分より年上だとも、思っていなかった。極東の人の年齢は、オラリオにおいても判断されづらい。

 

「つきましては、ナツガハラ様の担当は私ノエル・ルミエールが務めるということでよろしいでしょうか」

「はい。よろしくお願いします」

 

 まず、ダンジョンに初挑戦する彼の装備一式と、同行者の有無に実力、探索予定階層を確認する。

 担当アドバイザーとしての仕事は、冒険者に正しい情報を渡し、ある程度の危機管理を行い、冒険者の生存率を高めることにある。

 冒険者が長いこと生き残り成長すれば、それだけ深い階層へもぐれるようになり、質のいい魔石を持ち帰ってきてくれる。結果的に、ギルドの収入が増えるのだ。

 しかし、ただ窓口に立って、担当冒険者と情報交換を行えばいいという生易しいものではない。

 

 大半の冒険者はLv.1、いわゆる下級冒険者のまま一生を過ごす。そうなるには様々な要因があるのだが、まずレベルアップの難しさが最も注目される。

 レベルアップ。神々に言わせれば、どちらかと言えば「クラスアップ」の方が相応しそう、らしいが、とにかくレベルアップだ。冒険者のLv.を上げるためには何らかの「偉業」を達成し、より高度な「経験値(エクセリア)」を得ることが要求される。

 その「偉業」というものは、普通敵わない相手に死力を尽くして立ち向かったり、強大な敵との戦闘において貢献したり、『迷宮の孤王(モンスターレックス)』を一人で撃破したりと様々であるが、共通して、神がそれを「偉業」であると認めればそれは「偉業」となるのだ。

 そのため、「偉業」達成には通常とは比較にならないほどの危険が伴う。達成できずに散ってゆく者も決して少なくない。

 強くなりたい。でも命を落としては元も子もない。そういう人は「偉業」を達成することは出来ない。だからといって、自らの生命を顧みない勇猛な人が達成できるとも限らない。

 要は、バランスが非常にシビアなのだ。

 

「ツカサさんはダンジョンに入れる状態だと判断できました。もぐっても大丈夫ですよ」

「はい」

 

 多分、この人は頭がいい。無茶なことはそうそうしないだろうと思い、ノエルはツカサにダンジョンへの許可を出す。拘束力はないが、少なくとも指標にはなる。

 ギルドが出す推奨階層、推奨装備、推奨依頼は大抵が「安全」なものである。

 本当に「偉業」を達成してしまう者はしてしまう。それを見越して、そうでない者を無闇に死なせないためにも、ギルドは、特にアドバイザーは、厳しすぎるくらいに過保護にするのだ。普通は。

 しかし、そんな配慮を嘲笑うかのように、ダンジョンは彼らを惨殺する。

 

「おお、トルドくん帰ってたの?」

「あ、ナターシャさん。三ヶ月ぶりっす」

 

 ツカサの連れであるトルドに、ノエルの同僚である猫人(キャットピープル)のナターシャ・ロギノフが話しかける。どうやら担当冒険者のようだ。

 ノエルからしてみれば、ほぼ年上しかいないこの受付窓口嬢の職場において、唯一接していて心が休まる貴重でありがたい存在。それがナターシャであった。

 

「今からダンジョン?」

「そうっすね。リハビリがてら、彼の初ダンジョンの付き添いっす」

 

 ダンジョンは「生きている」。

 モンスターを生み出し、傷を修復し、何時如何なる場合においても挑んでくる冒険者を葬ろうと襲いかかってくる。そんなダンジョンで長年生き残ること自体難しいものであるのだが、最近は更に、ある「異変」が起こっている。

 

「周期はどうっすか?」

「それなんだけど、まだまだ解明されにゃいのよ。でも、前回きたのがちょうど三ヶ月前だから、そろそろ危にゃいんじゃにゃいか、って言われてるよ」

 

 年上の同僚の「な」が「にゃ」に変わってしまう癖を聞くと、ノエルはいつも和んでしまう。だって可愛いのだ。そのことで一度あざといあざとくない論争が巻き起こったのだが、本人が本気で困っているっぽかったので、みんなの暗黙の了解で気にしないことになっている。

 

 それはそれとして、数年前――公式に認められたのは二年前だが、それ以前にもあった可能性もある――ダンジョンの中層付近で、原因不明の「モンスターの大量発生」が起こった。しかも、()()()()()()()発生だった。

 当然、冒険者、特にLv1の中では強い方に属する大勢の冒険者が巻き込まれ、死亡。オラリオは騒然となった。

 それだけならばまだ大規模な「大量発生(イレギュラー)」として処理されただろう。過去にもそういう異常事態はなかったわけではない。

 しかし、その事件には不可解な点が幾つかあった。

 

 そのうちの一つが、生存していた冒険者がいた階層である。

 発生源だとされた階層の、上下二階層に生存者は一人もいなかった。それにも関わらず、()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 当時、Lv.3の冒険者もモンスターの波に呑み込まれて絶命していた。しかし、生存者は軒並みLv.1かLv.2。集団であったとか、一人であったなどということは関係ない。他が殲滅されたのに対し、彼らのみ生き残った。当然、彼らはそのことについて、しっかりした追及を受けることになった。

 しかし、彼らの証言におかしい点は見受けられることはなかった。

 

「それじゃ、また外に出る予定もあるし、ツカサに付きっ切りになるかもっすね」

「え、また外行くの⁉︎ それにゃら、また仕入れて欲しいものがあるんだけど」

「二週間後っす。リストとか作ってくれればできるだけ仕入れるっすから、他の人とかの希望もまとめといてくださいっす」

「了解!」

 

 生存者がとある一つの【ファミリア】からしか出なかったのもあり、強い疑いをかけられた彼らは、いまでもギルドで要注意【ファミリア】に指定され、監視を受け続けている。

 原因に繋がっていそうな要因が、それ以外にないのだ。かといって、証拠は出ないまま二年が経過している。もう、諦めてそういう「仕様」になってしまったのだ、という意見まで出る始末だ。

 

(でも、それを解決しない限り、これからの冒険者は育ちにくくなるし、オラリオを訪れる冒険者志望者自体も減ってしまう。なんとか、したいわよね……)

 

 それなりに会議は重ねられているはずだ。これからのギルドの対処に期待するほかはない。

 周りに和みをばら撒く可愛い同僚を追い、窓口を後にする。そろそろ交代の時間だ。

 

「なあ、トルド、さっきの「周期」ってなんだ?」

「ああ、それはっすね……」

 

 そして、最も不可解である点。

 

 

 

 それは「何度も繰り返す」ということであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バベルとは、ダンジョンからモンスターを出さないようにするための蓋みたいなものだ。

 

 昔はそんなものはなく、モンスターが次々に地上へ出てきていたらしい。そんなものが古代からあったら人が繁栄する前に絶滅するだろうから、多分いきなり出現したのだろう。

 最初のバベルはあまり高くなく、降臨してきた神が破壊してしまって、再建されてあの高さに……というのはまた別の話。

 バベルには、冒険者のためにシャワールームや簡易食堂、換金所、治癒施設などの公共の施設が入っている他、フリーのスペースにはテナントとして貸し出されている。例えば、四階から八階を席巻している【ヘファイストス・ファミリア】が有名だろう。

 また、二十階から上はギルドの管理のもと、神々に賃貸されている。五十階がフレイヤさんのプライベートルームであるように。

 

 そして、その足元には。八本のメインストリートが一挙に合流する中央広場(セントラルパーク)が広がっている。

 昨日も来たけど、それにしても広い。サッカーや野球のコートなど何面もとれるほど広い。バベルに辿り着くまで一苦労だ。

 

「んで、その周期、実は定まってないんすよ」

「それは周期って言わないんじゃ……」

「まあそうなんすけど。二年前、その現象が起こってから一年、ほぼきっちり三ヶ月周期に起こってたんすよ。だいたい季節の変わり目っすね」

「それが今は不定期だと?」

「そう。例はまだ少ないっすけど、五ヶ月空いたり、逆に二ヶ月しか空かなかったり。しかもほぼ決まって中層以上で起きるんで、新米冒険者はすっかりびびっちゃって」

「へえ……でも、それはモンスターが地上に出てくることには繋がらないのか?」

「そういうことはまだ流石にっすね。まあ、五階層より上に被害はまだないっすから、あっても先のことになるっすね。それまでにギルドが対策を練るなり原因を突き止めるなりしてくれるといいんすけど」

 

 それをフラグと呼ぶのではないのか。

 

 でも、そんなことが起こっているなんて。読んだことがない。つまり、五年後には完全に収まっているということだ。

 そうすると、俺がこの世界に来た原因も、その辺りにあるのかもしれない。飽くまで推測だけど。

 

 バベルの内部に足を踏み入れる。そういえば、バベルってかなり昔から建っているはずなのに、真っ白なままなのはなぜだろう。やはり、神が手を加えたから「神の力(アルカナム)」が用いられていたりするのだろうか。

 これまた巨大な柱が何本も並び、天井には本物かと思うほど精巧な天の絵が描かれている円形の広間を歩き、中央の直径十M(メドル)ほどの「大穴」を見下ろした。

 

「さあ、いよいよダンジョンに突入っすよ」

 

 バベル地下一階。ダンジョンへ続く大穴を、外周に沿って取り付けられた階段で降りていく。まだ昼過ぎということもあって、人は疎らだ。

 階段を降りきると、そこは「始まりの道」。とにかく横幅がある大通路だ。

 

「なんか、何もかもがでかいな」

「巨人の住処にでも迷い込んだ気分になるっすよね。でも、はじめの方のモンスターは割とちっちゃいっすよ」

 

 小さい方が厄介な気もするけどね。

 ダンジョンは割と明るい。地下のはずなのに一階層など、天井部分が点々と光を発しているために、まるで地上にいるかのような錯覚を引き起こしてしまう。

 少し歩き、人の流れから脱して横道に逸れてゆく。そろそろ、モンスターが出てきてもおかしくない。

 

「とりあえず、一回目はボクが戦うっす。悪いっすけど、武器の取り回しとか教えるのは出来そうにないっすから、立ち回りとかを見ておいて欲しいっす」

「わかった。トルドの武器はナイフと格闘術か?」

 

 トルドは俺より少しプロテクターを増やした格好だが、明らかに軽装。腰に差した二本のナイフに手を掛ける姿はかなり様になっている。

 

「二刀流に足技を使うのがボクのスタイルっす。ツカサより間合いは狭いっすけど、それなりに似通うところはあるはずっすよ」

 

 どうやら他にも腕のプロテクターに予備の、レッグホルスターに魔石を取り出す用のナイフも常備してあるらしい。

 対して俺は、五十C(セルチ)ほどの脇差、紅緒がメイン武器で、無銘の白ナイフがサブ兼魔石用。武術経験はない。本当に大丈夫だろうか?

 

「おっ、来たっすよ」

「あれは……ゴブリンか」

 

 緑色のちっこい人型のモンスターが、先の角を曲がり、こちらに気付く。

 大きさは中型犬が立ったくらいで、数は二。確かドロップアイテムは『ゴブリンの牙』。言わずと知れた有名モンスターだ。

 

「じゃあ、行くっすよ。少し空けて付いてきて」

 

 僅かに、トルドの表情が変わる。口調も変わる。

 ダンジョンの中では、油断は許されない。「まぁいいか」をより積み重ねた者から、ダンジョンは積極的に殺しにかかる。

 命のやりとりとは、そういうものだ。

 

 

 

「――覚悟しろよ」

 

 こちらに走ってくるゴブリン二匹に、トルドは正面から向かってゆく。その勢いに、ゴブリンたちもたじろいだ。

 

 ぶつかるかと思った瞬間、角度を変え、速度そのままにゴブリンたちの真横に至り、一体を蹴り飛ばす。壁に叩きつけられた個体が苦しげな声を上げた。

 

 ちょうど、その勢いでゴブリンたちとすれ違う形になったトルドと俺で、健在の一体を挟み撃ちをするような状態になる。

 

 戸惑い、戦意がなく武器も構えていない俺の方に飛び掛かろうかとしたゴブリンの首を、背後からナイフが貫く。

 

「余所見はいけないな」

 

 鮮血が噴き出す。ちょっとだけ、生理的嫌悪感。

 

『!?』

 

 そのまま一振りに首を掻き切ったトルドは、いつの間に突進してきていたもう一体に、その場で一回転し、踵蹴りを喰らわす。

 

 頭部に鋭い一撃をもらい、転がるゴブリン。なんとか回転を止め、もう一度立ち上がろうと地面に腕をついたところに、ブスリ。今度はトルドの方が飛びかかった。

 

『グキャァァ……』

 

 魔石に届く一撃で、ゴブリンは断末魔を弱々しく吐き、やがて灰に成り果てる。灰になる分、グロ要素は少ない方か。

 

 絶命しているもう一匹の胸部から小さな魔石を抉り出すと、ようやくトルドは硬くなった雰囲気を和らげた。

 

 

「……とまあ、こんな感じっす。参考になったっすかね?」

「多分、怖さは薄らいだと思うよ」

 

 今の戦闘、トルドは全力を出していなかった。それは素人目にもわかる。それにも関わらずゴブリンを圧倒していた。

 だからといって、成り立ての俺が上手くいく保証はないのだが、少なくとも苦手意識はなくなった。多分近所のよく吠える犬の方がまだ怖い。

 

「じゃあ、次はツカサの番っすね。危なくなったらボクが入るっすから、自由に戦っていいっすよ」

「うーん……頑張るよ」

 

 しかし、どうにも、自分が戦うというビジョンが全く浮かんでこない。妄想でなら、ゴブリンなんかとは比べものにならないほどのやつと何度も死闘を繰り広げたことがあるけど、実戦には役に立たないようだ。

 現実での戦闘経験なんて幼少のときに、近所の犬に追いかけられるイベント戦みたいなのしかない。あれでどうしろと。

 でも、この道を選んだのは俺、俺自身なんだ。ここでびびってどうする。

 

「重要なのはイメージっす。どんな風に動きたいか、動くようにするか。身体が自然に動くのは慣れてからっす。初心者のうちは、理想の動きを描いて、それをなるべくなぞるようにするといい、って団長が言ってたっす」

 

 イメージ、か。圧勝する俺、瞬殺する俺、ばかりではなく、一体一体確実に相手取り、しっかり葬る俺を思い描く。

 

 いや、その前にまず素振りからだ。よく考えたら買ってから、まだ鞘から抜いてすらいなかった。

 紅緒を引き抜き、握りを確認する。いろいろ本で読んだりして、ぼんやりとではあるけど一応日本刀の振り方は知っている。体勢も、素人ながらしっかり。

 右手と左手の指は少し離す。しかし全て離すのではなく、くっついている部分とくっついていない部分を上手く使って安定を得る……だっけ。右手を前に、左手の親指の付け根あたりに手首が乗るように。

 振りかぶる瞬間は、決して強く握ったりしない。指で柄を支えるだけ。優しく。

 斬るときは、確か、茶巾絞りを意識。茶巾絞ったことないんだけど。

 手を絞り込むのではなく、小指を軽く締める。刃筋をぶれさせない。

 斬り終えたとき。は、斬り終える前から徐々に両手を離し、抜重。これがまた難しいのだ。というか全部難しい。

 

 修学旅行で買ってきた木刀で幾分か練習したことはあるが、やはり真剣は違う。繊細で、取り扱いが非常に困難だ。やっぱり、叩き斬るスタイルの洋剣にした方がよかったかな……?

 

「へえ、なかなか様になってるじゃないっすか」

「いや、これはただの型だから、戦闘に役立つかどうかは微妙なところなんだけどな。これを身体に覚えこませて、戦闘中に刀を振るときに自然と出るようにならないと」

「うちにも刀使いが二人ほどいるっすけど、そのうちの一人はそんなこと気にせず、テキトーに振ってるように思えるっすけど」

「刀はテキトーに振っても全然斬れないはずなんだけどな……」

 

 かといって、いまの型を戦闘中にずっと意識しているわけにもいかない。いきなり不安になってきたぞ。

 いまさら悩んでいると、トルドが肩を叩いてくる。

 

「出てきたみたいっすよ」

「えっマジか」

 

 道の向こうから、俺たちの姿を捉えたゴブリンが駆けてくる。数は一。

 まだ準備は万全じゃないんだけど。主に心構えが。でも、もうこれは。

 

「やってみるしか、ないか……!」

 

 俺の、人生初戦闘が始まった。

 

 

 

 

 さっきのトルドを参考に、俺もゴブリンに向かって突進する。

 

 音が消える。視界が狭まる。紅緒を握る手に、余計な力が入る。

 

 しかし、思い切りか、速度が足りなかったのか、ゴブリンは躊躇わず突っ込んでくる。くそ、こいつ舐めやがって。

 

 紅緒で唐竹を……いや、間に合わない。走りながら構えとくべきだった。

 

 刺突、できればまだよかったのだが、そんなことに頭が回らず、正面からタックルする形になり、ゴブリンを跳ね飛ばしつつ俺も転がる。軽い相手で助かった。

 

「くっそ……っ!」

 

 思考が働かない。ここからどうすればいい。畜生、無様だ。

 

 とりあえず立ち上がらなければ。立ち上がらないことにはどうにもならない。

 

 紅緒を手に持っているため、少々手こずりながらもなんとか二本の足で立つと、すぐ目の前までゴブリンが迫っていた。

 

「ふっ!」

 

 サッカーボールを蹴る要領でゴブリンを蹴り飛ばそうとするも、躱される。こいつ、こんなに素早かったっけ?

 

 いや、俺が遅いんだ。自惚れてるんだ。横腹に一撃を喰らい、やっとそう判断する。トルドと同じような動きをしようなんて思ってはいけない。俺は俺のレベルで、俺の動き方をするんだ。

 

 ん、待てよ? 思考が働かないと思っていたが、思ったより考えが巡っている。こんなに高速で思考が出来るなんて初めてだ。

 

 ゴブリンの攻撃の勢いを殺さず、咄嗟に地面に転がる。

 

 慌てない。上半身を起こし、近づいてくるゴブリンに袈裟斬りをかます。しかし、間合いを測りきれず顔面を浅く切り裂くだけに留まる。

 

『ギャアッ⁉︎』

 

「大丈夫、落ち着け俺……」

 

 再び立ち上がり、今度はその場で紅緒を構える。

 

 冒険者になったことで、多少能力の上方修正でも入ったのかもしれない。派手に転んだのに、あまり痛くない。

 

 一瞬怯んだゴブリンは、また襲いかかってくる。でも、もう見える。

 

 立ったままでは紅緒の長さが逆に不利になる。腰を落とし、中腰に。重心を固定して、その場で迎え撃つ体勢を整える。

 

 さあ、来い。

 

 逆袈裟。は避けられる。しかしそれはフェイク。かつてないほどの速度で抜重、右薙ぎ。

 

 

 

 その瞬間、俺の中で確かに、時が止まった。

 

 

 斬れた感覚が後からくる。ズレるゴブリンの上半身に、次いで噴き出る赤黒い血。

 

 

 俺は、しばらく呆然としていた。

 

 

 紅緒に目を遣る。ゴブリンの死骸に目を遣る。トルドに目を遣る。

 

「やった……のか」

「そうっす、やったんすよ!」

 

 いまにも飛び出しそうな格好ではらはらしながら観戦していたトルドが、満を持して駆け寄ってくる。

 力が抜け、座り込みそうになる。しかしそれは余りにも情けないだろう。震える膝に力を入れ、しっかり立ち直る。こんなことくらいでへたるわけにはいかない。

 そうだ、魔石。ゴブリンの胸に紅緒を差し込み、回し、抉る。小指の爪程の大きさの、紫色の光を弱々しく放つ結晶が転がり出た。

 

「勝った……」

 

 その勝利の証は、輝く紫紺。

 

 

 

 

 俺の人生初戦闘は、なんとも無様な、しかし確かな勝利に終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第五話 欲張りでいいです。

 二兎を追うより。

 どうせなら、全部求めてみては?




 

 

 どうにも、落ち着かない。

 

 座っていて妙な居心地の悪さを感じ、立ち上がったりまた座ってみたり。手を握ってみたり、緩めてみたり。時計に目をやったり、出来上がった料理を気にしてみたり。

 まだかまだかと。扉を叩く音は、帰りを告げる足音はまだかと、玄関の方に意識が持っていかれる。

 傍からしてみれば、そわそわ、という擬音が似合うんだろう。

 

 大丈夫、大丈夫だ、と、自分に言い聞かせる。

 みんなから聞いていた以上だ。

 昨日想像していたのより、ずっとだ。

 だいぶ、つらい。

 

 お金を貯めておいて、最初にまともな装備を揃えさせてあげられるようにした。友人たちと同盟を結び、初挑戦の危険度を限りなく低くした。昨日は「輝く戦い」(ブリュンヒルデ)としての心からの祝福だってした。

 でも、「輝く戦い」というのは、散り際の、魂が煌く死闘のことも表すのではないか、などと余計な考えを巡らし、結局思考の泥沼へはまってしまう。

 もうできることはない。無事の帰還をただ待ち、笑顔で迎えるだけだ。

 

 神々はダンジョンに入ることを禁じられている、というよりは、入らないようにしている。

 ダンジョンは、強固な巨塔(バベル)で蓋をしてくれた神々を恨んでいる。そのため、神々がダンジョンに入るとどうなるのか、なにをしてくるのか、わからないのだ。

 それに、力を持たない者たちが如何にして冒険するのか。それを見守っている方が、より()()()ではないか。それが、大体に共通する意見だ。

 よって、ダンジョンに挑む冒険者たちを、神々は待つだけになる。

 待つことしかできないというのは、思ったより苦しいのだと、初めて知る。

 

(トルドくんもいるし……一階層しか行かないって言ってたし……装備も割とちゃんとしたのだし……)

 

 それでも。起こり得ないと思っていてもなお。

 自分が特別心配性なのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。程度の差こそあれ、誰もが通る道であって、誰もが感じること。

 その道に入るまでずっと焦がれていた、一人目だからこそ思い入れ……とは少し違うか。愛着……そう、愛着的なものが、既に感じられているからこそだ。

 

 本気で、嬉しかったのだ。

 神に寿命はない。地上には何千年も君臨し続けている存在もある。

 そんな()と、一緒に生きてくれると言われたとき、本当に嬉しかったのだ。

 

 これはゲームなんかじゃない。

 多くの神々は、地上に降臨し【ファミリア】をつくり、運営することを「ゲーム」と捉えている。娯楽の一種だと考えている。

 

 凡ゆる事象を理解し、把握し、全てを支配するに至った神々は退屈という新たな脅威に襲われた。そして時に喜び、時に嘆き悲しみ、時に黄昏れ、時に理不尽な世界に抗い奇跡さえ起こしてのける、そんな下界の民(こども)たちに、彼らは娯楽を見出した。

 無論、その心情や行動原理、全ての結末なども容易に識ることができた。だからこそ、興味を抱いた。

 要するに、皆、興味本位で降臨したのだ。それこそいつでもログアウトできるネットゲームを始めてみる感覚で。一旦ログアウトすると再ログインは不可能だが。

 下界の民たちと同じスペックの身体を用い、『神の力(アルカナム)』を封印して、「攻略本がない圧倒的自由度のゲーム」を楽しむために。

 先がわからない、というのはそれだけで娯楽に成り得た。そして、一瞬にして、下界はゲームのフィールドと化したのである。

 

 しかし、もうブリュンヒルデ()には、これがゲームである、などとは考えられない。

 やっと出会えた一人目。昨日、触れた肌の感触はまだ残っている。あの温かさは、ちゃんと彼が生きている証拠だ。

 これは確かな現実なのだ。

 

 

 

 がちゃり、と。

 願いが届いたのか、玄関の戸が開く音がする。

 椅子を蹴って立ち上がり、すぐさま駆け出す。

 

「おかえり!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、これで更新できたよ。これ共通語(コイネー)になおしたやつね」

 

 ヒルダさんから、俺の『ステイタス』を書き記した紙を受け取る。

 

 

 ナツガハラ・ツカサ

 

 Lv.1

 

 力:I 0→14 耐久:I 0→15 器用:I 0→10 敏捷:I 0→18 魔力:I 0

 

 《魔法》【】

 

 《スキル》【】

 

 

「初日にしては伸びた方じゃないかな」

「ずっとこんな風にさくさく伸びてったら楽なんでしょうけど」

「あはは、そうだね。でもそれじゃただのチートだよ」

「ですよね……」

 

 ぽんぽん上がるのは最初くらい。すぐに上がりにくくなって、頭打ちになる。それがこの世界での普通であり、本来誰もがぶち当たる壁である。

 最終的に『ステイタス』の基本アビリティは、CからBくらいに落ち着き、得意なものであればAまでいくこともある、程度なのだ。

 

 Lv.1からLv.2に上がるまで、上がる人はだいたい三年で、早くて二年、最速記録が一年。もちろん「偉業」を達成しなければならないし、レベルアップするほど、次のレベルアップまでの間隔が長くなっていってしまう。アイズさんだってLv.5からLv.6になるまで三年かかってるし。

 そう考えると、改めてベル君はチートなんだなあ、と再認識させられる。

 

「これから、やっていけそう?」

 

 ベッドの縁に腰掛けながら上目遣いで尋ねてくるヒルダさん。刺激が強いので控えてほしいけどやめてほしくない。

 

「まあ、なんとか」

「そっか」

 

 最初は身体も硬く、経験したことのない戦闘という非日常に恐れを抱いていたが、何匹かゴブリン、コボルトを屠るうちに、段々慣れていった。

 トルドが同行してくれたのは大きい。お陰で安全に経験を積むことができた。

 できれば、トルドが外回りに行ってしまう前、この二週間の間になるべくスキルアップしておきたい。

 

「頑張るのはいいけど、無茶して死なないでね?」

「それはもちろん。俺だって死にたくないですし」

 

 この世界に蘇生魔法とかはない、はずだ。

 なので死んだらそのまま、即ゲームオーバーとなってしまう。命を粗末に扱うことはできない。

 ダンジョンにおいて、上手く引き際を見極められることは生存率に直結する。欲を出して深追いした者から死んでいくのだ。

 

「それが聞けたら充分ね」

 

 頷き、ヒルダさんは立ち上がる。ふわりと甘い匂いが香ってくる。疲労感でうとうとしていたのに、危うく完全覚醒しそうになった。

 やはり、羽衣を着ていないヒルダさんは普通の美少女にしか見えない。普通の美少女ってなんだよ。

 

「じゃあ、また明日ね」

「おやすみなさい」

「おやすみー」

 

 ぱたむ、とヒルダさんが扉を閉めるのとほぼ同時に柔らかいベッドに倒れこむ。ぼふん。

 

 とんでもなく疲れた。

 肉体疲労もそれなりだが、やはり精神的なものがかなり大きい。

 平和な現代日本で暮らしていれば絶対に遭遇することのないモンスターとの戦闘は、自分で望んだこととはいえ、俺の精神をごりごり削った。流石に命の危険まではなかったものの、明確な殺意を向けられるのは相手が人間でなくともかなりクるものがある。

 こうしてベッドに突っ伏して力が抜けていくのを感じてやっと、ずっと力んでいたことを知る。

 

 初めての戦闘、初めての血飛沫、初めての殺傷。

 いつか、この日常に慣れる日が来るのだろう。これが当たり前だと思い、何も感じなくなる時が来るのだろう。

 それが、この世界の常識であり、通常であり、理なのだ。俺が生きていた世界とは異なる現実。頭では理解できる、でも。

 

 

 少しだけ、恐ろしいと感じてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オラリオでの生活は思ったより充実していた。

 

 トルドと共にダンジョンにもぐり、ひたすらレベリングを行った。ヒルダさんと交代で、時には一緒に料理に勤しんだ。オフの日にはノエルさんから借りた色々な資料や、貸し本屋の本を読み漁った。ちょくちょく戦乙女(ヴァルキュリヤ)同盟の【ファミリア】に顔を出しもした。【神聖文字(ヒエログリフ)】の勉強も始めた。

 ちゃんと【ステイタス】も伸びてきている。滑り出しは好調と言えるだろう。

 

 やはり不便さを感じることもあるが、魔石製品が想像以上に発達していたこともあり、割と快適な異世界ライフを満喫してさえいた。

 衣類は主に「最果ての放浪者」で取り扱っている和服を身につけている。やっぱり何かかっこいいし、なにより着心地がいい。通気性なんて抜群だ。

 食生活は現世とそう変わりない。しいて言うならヒルダさんもいるし、ヘルシー志向になったことくらいだろうか。あと、じゃが丸くんは結構美味しかった。

 住環境が一番気になるところだったが、家は大した不都合もなく、街自体も、ギルドが業者でも雇っているのか、滅多に捨ててあるゴミも見受けられない。

 

 要するに、全然悪くないということだった。

 

「他に何か要るものあるっすか?」

 

 馬車に荷物を詰め込みながら、最終確認を行うトルドが尋ねてくる。

 

「そうだな、リストアップしたものの他に、この紅緒の刀匠の他の作品とか頼めるか?」

「いいっすけど……武器は刀系統に決めたんすか?」

「いや、まだ決めてないけど、使えておいて損はないかなと」

「了解っす。じゃあ脇差があったら脇差を持ってくるようにするっす」

「よろしくなー」

 

 程なくして、トルドたちを乗せた馬車は、他十数台もの馬車と共にオラリオの市壁門をくぐって出立していった。

 俺たちは見送りだ。俺とヒルダさんの他にシーヴさんとグスタフさんがいる。

 

 都市外部での交易が認められている【ヘリヤ・ファミリア】は、こうして途中の街まで商隊(キャラバン)の護衛などの仕事も請け負っていたりする。

 このオラリオで暮らすのもいいが、やはり外にも出てみたくはある。のどかで広大な世界を旅するとかかなり憧れじゃないか。

 

 

 

 俺がオラリオに転移してから二週間。

 特にこれといったトラブルもなく、平和な日々を過ごしていた。

 

 しかし、トルドたちが外回りに出て行ってしまったので、これからは単独(ソロ)でダンジョンに挑まなければならなくなる。普段懇意にしている【ファミリア】は揃って探索系ではないのだ。

 二週間ちょっとで帰ってくると言っていたが、それでもいつもトルドと共にもぐっていたので、少し心細い。でも、思い返せば頼りすぎでもあったので、ここで一人でも戦えるようになっておかなければ。そんな決意もあった。

 今日から一人。緊張もするが、頑張らなければ。

 

「じゃあ、行きましょうか」

「そだね。あー、トルドくんたちがいなくなるから忙しくなるー」

 

 本日は、ヒルダさんを「最果ての放浪者」まで送ったあと、ダンジョンへ。そんなアバウトな予定となっている。

 やっぱり段階を踏んで、第一階層からにした方がいいだろうか。しかし俺だって成長しているし、二、いや三階層からでもいいのではないか。

 ダメだ。そんな甘いことをほざいていたら速攻で死ぬ。初日のことを思い出して、決して気を抜いたり実力を過信したりすることの危険性を再認識する。

 というか、またノエルさんに相談した方がいいだろう。ほぼ間違いなく一階層からだと言われるけど。

 

「やっぱり一層からか……ぬぁっ」

 

 後ろ襟を引っ張られ、思案を途切れさせられる。振り返ると、狼人(ウェアウルフ)の女性の覇気のない瞳が迫っていた。

 

「えっと、シーヴさん? 何か御用で?」

「……今日、の、予定は?」

 

 余談だが、シーヴさんは普段まともに喋らない。だいたい側にカーラさんがいるのもあるだろうが。他人に関心などないかのように無口でいるのだ。

 そんなシーヴさんがスケジュールを訊いてくるなんて、そんな気は無いのだろうと知っていても戸惑ってしまう。

 

「いつものようにダンジョンに行くだけですよ。今日からソロですけど」

「……じゃあ、「最果て」で待ってて」

「え、あ、はい」

 

 それだけを言い残し、シーヴさんは若干の早足で去ってゆく。

 もしかして、シーヴさんもダンジョンに同行してくれたりするのだろうか。そういえば、【カーラ・ファミリア】の人達ともぐったことがない。まだトルドとグスタフさんとだけだ。

 鍛冶、服飾系の【カーラ・ファミリア】と医療、商業系の【エイル・ファミリア】を戦力的に捉えたことがなかったから、全くわからない。

 

「稽古のついでに武器決めを手伝ってくれるそうじゃぞ」

「え、そうなんですか?」

「相変わらずシーヴくんはわかりづらいなあ……」

 

 わかるグスタフさんもグスタフさんだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 再び第一階層。

 

 とんでもなく大きく、隙間から色々飛び出しているバックパックを背負ったシーヴさんが一緒だ。

 シーヴさんは予想外に、袴姿で、六十C(セルチ)ほどの刀を差していた。和装のケモ……普通にアリですね。アンバランスな大荷物を差し引いても、すごい似合っている。

 狼人(ウェアウルフ)であることもあって、まずシーヴさんは凛とした雰囲気を纏っているから和服がすごく様になっているのだ。これで目に覇気があればキリッとした美人なのだが。

 

 一応、文字通り肩代わりを申し出たのだが、「いい」の一言で拒絶されてしまった。気まずい。というか傍からみたら女性に巨大な荷物を一方的に持たせている畜生なので、周りの視線が痛い。

 

「……ここら辺で。始めようか」

「あ、はい」

 

 通路の角を曲がると、すぐそこには犬頭のモンスター、コボルトが二匹。

 

 今回は、モンスターを倒すことが目的ではない。シーヴさんが持ってきてくれた武器をひたすら試し、武器決めを行うのだ。

 

 武器決めというものは、冒険者が成長していく上で軽く見られがちだが、実はかなり重要な工程である。

 様々な武器を手に取り実際に使用することで、ただ単純に最も馴染む武器、これから使っていく武器を決めるだけでなく、それぞれの武器の長所短所、特徴や間合いなどを知ることができる。

 その知識は何らかの理由で自分のものでない武器を扱う時の対応力に繋がるし、仲間とパーティを組んで戦うとき、コンビネーションを発揮するには欠かせないものとなる。

 

「じゃあ、まずそれ。えーと」

「脇差の紅緒です」

「それで。やってみて」

 

 腰のベルトに差してある紅緒を抜き放つ。相変わらず鋼色の刀身は輝きを失っていない。買ってすぐに折れてくれても困るけれど。

 

 コボルトたちもこちらに気付いたようで、徐々にスピードを上げながらこちらに駆けてくる。

 慌てず、焦らず。紅緒を持つ右半身を後ろに、半身に構え、深めの呼吸を一つ。大丈夫だ、落ち着いている。

 この二週間、ただトルドに頼ってばかりいたわけではないのだ。コボルトなら何十匹も斃した。俺一人でもしっかり戦闘をこなせるってことを示してやる。

 

「ふっ!」

 

 息を吐きながら、コボルトたちに向かって全速力で突進する。

 

 コボルトたちはぎょっとして避けようとするも、遅い。瞬時に接敵し、二匹の間をすり抜ける。すれ違いざまに右の一体の首を切り飛ばすのも忘れない。

 

 こうしてまず正面からぶつかっていくと、もうコボルトやゴブリンは大抵、怯んでくれる。この頃は距離が離れている時は大体その接近方法から戦闘を始めるようになっている。パターンってやつだ。

 

「初戦闘とは大違いだ、なっ!」

 

 この辺のモンスターは身長が低いために刃を当てづらいが、慣れてしまえばそうでもなくなる。

 

 両足でブレーキをかけ、即座に膝のバネを使って左回転、低い体勢で右薙ぎ。厳密に水平ではなく、斜め下に。膝をついて勢いを殺す。呆気にとられているままに二体目の首も飛んだ。

 

 素早く離脱して、戦闘終了。断頭は楽だし確実なのだが、なにせ死体がグロい。そして血が噴水の如く噴き出すので、倒れ、血の勢いが弱まるまでなるべく近づきたくないのだ。

 

 絶命している二体の胸部から魔石を取り出し、紅緒を鞘に戻しつつシーヴさんの元まで戻る。

 

「どうでしたか?」

「まあまあ。でも、振り方が甘い。斬れ味があまり活かせてない」

「やっぱり、そうですよね」

 

 極東の刀は、とても扱いづらい。ただ振るだけではブレてしまい、まともに斬ることもできない。

 剣先をブラさない安定、適度な力の抜き具合、そして振り下ろした後での抜重。間違って使えば手首を痛めてしまうことだってある。紅緒は脇差なので抜重は難易度が低いが、シーヴさんの刀くらいになるととんでもない難しさになる。

 

「次は、これを使ってみて」

 

 やっぱり刀の道は険しいなと思った矢先、シーヴさんはその腰に差していた刀を渡してきた。

 これ明らかに高そうなやつなんですけど。怖い。

 

「シーヴさんの私物、ですよね? 使っていいんですか……?」

「構わない。さっきの脇差が使えるなら、それもある程度振れるはず」

 

 脇差と刀はまた違うと思うんですけどね。

 

 鞘を左腰に差し、ちょっと、構えてみる。最初は脇差で刀の構えをしていたので、まあ確かに無理ではない、が、やはり色々違う。

 紅緒は五十Cほどなので、長さにおいては十も離れていないはずなのに、重心がまるっきり異なっていて戸惑ってしまう。本物の侍ならどんな刀でも立ち会いができるらしいが、俺はまだまだだ。

 

「できるかな……」

「速さだけで戦うのは駄目。戦い方の幅を広げないとやっていけない」

 

 何回か型に当てはめて振るってみる。

 やはり重い。紅緒の時みたいに素早く動いて斬る、という戦闘スタイルはできそうにない。

 

 刀は端的に言えば防御用の武器だ。範囲はそう広くなく、それこそ対人戦なら「自分の足を相手の股座に差し入れる」くらいの間合いしかない。そのため、俺は動き回り、近づいては斬り、近づいては斬り、という戦い方をしていたのだが。

 

 シーヴさんにお手本を見せてくれと頼むも、シーヴさんの振りは俺と全く違うという。今度参考程度に教えてもらうことにしよう。

 そうこうしながら歩いていると、一体のゴブリンとエンカウントする。

 

「それじゃあ……おい、グリーンモンスター! こっちだ、かかってこい!」

 

『!』

 

 こっちから仕掛けるのが難しいなら、迎え撃つだけだ。

 

 正眼の構え。小さいゴブリン相手に効果的かどうかはわからないけど、動きやすい体勢にしておいて損はないはずだ。

 

 ゴブリンが走って近付いてくる。いつもはこっちから出向いているので、やけにゆっくりに感じる。

 

 七M(メドル)、五M(メドル)、三M(メドル)。距離が縮まってゆく。

 

(もう少し、もう少し……今だっ!)

 

 約一Mになったところで、すり足で強く一歩、踏み込む。それほど挙動が速くない俺は、不意を突いてなんとか当てるしかない。

 

 一気に接近し、最小限の動作で逆袈裟斬りを繰り出す。

 

 しかし、避けられる。そのままゴブリンは特攻してきた。脇腹あたりに重い一発が入る。

 

「ぐ……うっ!」

 

 紅緒を使い、速度に乗って戦っている時にはあり得ないだろう喰らい方。取り回しづらい、次の動作に移りづらい。対応が遅れる。

 

 駄目だ。やはり小さい目標に対して上から攻撃するのは当てにくい。かといって刀は重いし低い姿勢での水平斬りは軸がブレるだろうしできない。

 

 じゃあ、下からの攻撃か。

 

 何回目かのゴブリンの突進を捌き、後退。ダメージが蓄積しているかのように膝をついてしゃがみ込む。

 

「調子に……」

 

『ギシャァァ!』

 

 この誘いを好機とみたか、ゴブリンがまた突進してくる。バカめ。

 

 刀を鞘に戻し、鯉口を切って待ち構える。再び、ゴブリンとの間合いが一Mを切った瞬間に、また、大きく踏み込む。

 

 居合。

 

 低い体勢から刀を振り回すのではなく、抜き放ってそのまま斬る。

 

 今度は大きく前後に足を開き、腰を落としたままにすることで、刀が低空飛行するように、角度が緩い右斬り上げを見舞う。

 

「乗るなよっ!」

 

 ゴブリンの上半身と下半身が離れる。魔石も斬ってしまったようで、そのまま断末魔を上げると灰になって崩れていった。

 

 居合、または抜刀術というのは、実は大して速くはない。抜く時に大抵は鞘との摩擦があるからだ。普通に二本の腕で振るった方が速いに決まっている。

 それでも、速く見えるのは、鞘から抜ききったときに摩擦がゼロになり、一時的に速度が上がるためだ。緩急で騙しているということだろう。今回はゴブリン相手なのでそれが通じた。

 そして、抜刀術の一番の利点は、太刀筋が見えないということ。予備動作もなく斬りかかるわけなので、振るうスピードが低くても斬れるというわけだ。

 でも、毎回こんなことをしていたら正直疲れるし鞘が保たないしなによりこんなの使えるのは一対一の場合だけだ。

 

「すいませんシーヴさん、鞘を痛めてしまいました」

「いい。気にしないで。それより、太刀筋。全然なってない」

「よろしければ御教授願えますか……」

「今度見てあげる。次はこれ」

 

 ちょっとご立腹なシーヴさんから、刀と引き換えに長い得物を受け取る。

 槍だ。穂は平三角の直槍。長さは……割とそんなに長くない。二Mくらいだろうか。中途半端に武器の知識はあるけど、使い方まで学んではいなかった過去の自分を今更ながら恨むぞ。

 

「一番短い手槍。二Mちょっとしかないから。使い方は、わかる?」

「えっと、刺突と打撃、ですよね?」

「それだけわかれば十分」

 

 段々シーヴさんの口数が増えてきている気がする。それは心を開いてくれているのか、それとも単に俺にイライラしているのか。多分後者だ泣きたい。

 

 とりあえず敵と遭遇するまで素振りをしてみる。

 

 ただ振るう、片手を筒のようにしてまっすぐ突く。払う。いくらか振り回していると、遠心力や重力、柄の長さを用いた回転、慣性などを利用するととんでもない威力を発揮することに気付いてしまった。

 なにより叩きつけが強い。抜重にある程度精通しているおかげで寸止めできるが、多分できなかったら地面にぶつけて折ってしまいそうだ。

 

 棍のように振り回すこともできそうだ。棍なんて持ったことはないけど、登山用の長い棒なら振り回して怒られたことがある。

 肩や腹などを支点にしたり、足や腕を力点にしたりして梃子の原理で扱ってみると、風をきって勢いよく振るえる。もしかして俺は棍系の才能があるのかもしれない。冒険者補正も多分に含まれてはいるだろうが。

 

「……長く持つだけじゃ対応力が低い。中くらい、短く持つことも試してみて」

 

 案外槍を使いこなしている俺に、機嫌が良さそうに見えるシーヴさんがアドバイスをくれる。

 

 さっきは太刀筋に対して怒っていたようだ。よかった。

 

 中くらいに持つとさっきの棍術のような感じになるが、取り回しが一気に難しくなる。短く持つと、より刃物を意識した戦いができるようになるが、これも振り回したりはなかなかできない。

 

 難しいけど、楽しい。決してモンスターを屠るのが楽しいとかではなく、自分が色んな戦い方を学んでいくのが楽しくなってくる。

 

 しばらく練習していると、ちょうど近くの壁に亀裂が入る。

 モンスターが生まれてくる。

 

「……行きます!」

 

 槍を構え、駆け出す。

 

 

 俺は今、成長している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様」

「あ、ありがとうございました……」

 

 バベルから出ると、とっぷりと夜がふけていた。多分八時は過ぎている。

 

 結局、刀や槍だけでなく、薙刀、長巻、野太刀、戦斧、ハルバード、ナイフ、片手剣、両手剣、大剣、レイピア、棍棒、棍、メイス、槌、ウォーハンマー、戟、弓にクロスボウ、ナックルダスターや鎌なども試した。

 

 正直もう腕が上がらない。実質ずっと一人で戦っていたので、普段より遥かに疲労感が濃い。

 

 もう大半の冒険者は帰還したようで、この時間にバベル周辺にいるのはダンジョンから出てきたばかりでなく、シャワーや食堂を利用して身支度を整えた人の方が多そうだ。

 中央広場は閑散としているが、メインストリートの方はそれぞれ明るく、騒がしい声が微かに聞こえてくる。

 魔石灯は、現世の街灯ほど光度が高くないようで、空を見上げると、宵闇の中に、強く輝く満月だけでなく、ちらほらといくつか星が瞬いていた。

 

「結局、それでいいの? 大変だと思うけど」

「はい。選択肢が広がるし、折角色んな武器を手にとって使ってみて、それぞれのいいところ悪いところを知れたわけですから」

 

 武器は、決めないことに決めた。

 決まらなかったのではない。様々な武器を使ううちに、全部使えたら格好よくない? という思考に陥りじゃあ全部使えるようにします、となったのだ。

 

 もちろん使える武器の種類は多い方がいい。でも、一つに絞って使った方が上達も早いし、なにより沢山使うとすると金がかかる。

 しかし浪漫というものには抗えない。

 どれもかっこよかったのだ。一つに絞るというのはどうにもできなかった。

 他のものを特に欲しがらないで質素に過ごせば、金はなんとかなりそうだし、刀はシーヴさん、ナイフはトルド、弓はグスタフさん、などというように、それぞれ師事すればいいだろう。

 厳しかろうとやってやる。中途半端にやるより突き抜けた方がいいに決まっている。

 

「……食堂で食べていかないの?」

「本拠で食べます。いつも交代制で作ってるんで」

「へえ……」

 

 今日はヒルダさんの担当だ。外食するのはなるべく避けたい。食費は案外バカにならないのだ。

 シーヴさんは食堂で食べていくつもりだったらしいが、この際どうだろう。

 

「うちで食べます? ヒルダさん、結構料理上手くなってきてるんですよ、急速に」

「……じゃあ、お邪魔する」

「大歓迎ですよ」

 

 どうせだから礼も込めて食べていってもらおう。作るのはヒルダさんだが、教えたのは俺だし。

 

 ヒルダさんは多めに作り、もったいないと言って大食いするタイプなので、シーヴさんがくればちょうどいい感じの量になるはずだ。

 来客はトルド以来になる。ヒルダさん、喜ぶだろうなあ。

 

 

 帰りは流石に、意地で荷物を半分持たせてもらった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、姉ちゃん今帰りか?」

「……」

「俺らが奢るからさあ、一緒に飯でもどうよ」

「…………」

「美人の姉ちゃんよぉ、ちょっとでいいんだよちょっとで」

「………………」

「そんな冴えなさそうな奴置いといてさぁ」

 

 冴えなさそうってなんだよ。

 

 まずギルドに寄って、魔石やドロップアイテムを換金しなければいけないので、北西のメインストリートに入るのだが。

 

 メインストリートと中央広場の境目あたり、人の往来が増えてくるところで、割と人目につくところで、チャラそうな……というわけではなく、屈強そうなむさ苦しい三人の男が絡んできたのだ。リアルナンパとか始めて見た。しかもこんなベタな。

 

 三人とも、なかなか強そうではある。周りの人たち(ギャラリー)も遠巻きにしているだけで、止めようという人はいない。

 しかも「またあいつら……」などと聞こえてくる辺り、ここら辺ではよく出る奴らなのかもしれない。こんなメインストリートの入り口に居られると困るな。

 

 シーヴさんはさっきから無反応だ。しかしその振る舞いが彼女を美人に見せている。目が死んでいても。

 

 いや、まあ。ここは止めなくて何が(おとこ)か。

 

「あの」

「あァン? なンだ兄ちゃん、文句でもあんのか?」

 

 反応が早いです。まだ何も言ってねえじゃねえかよ。三人揃ってガン飛ばすな気持ち悪い。

 

 シーヴさんの腕を掴む。華奢な腕で、とてもあの重い荷物を持っていた人の身体つきとは思えないほど……はいまはどうでもよく、逃げる体制を整える。

 ぶちのめしてやりたいところだが、こんな輩、いちいち相手にしてられない。

 

「こんな奴ら放っておいて、早く行きましょう」

「んだテメェ、なに出しゃばってくれてんだよオイ」

「ちょっと待てやお前。さっきから邪魔なんだよ」

「こいつ先に()っちまおうぜ」

 

 俺たちが逃走するより早く、三人に取り囲まれる。思ったより連携がとれているようで、動きも機敏だった。まずい、上級冒険者か?

 

 シーヴさんを逃がすだけなら、なんとかできそうではある。そのための武器は、この場合だと殺人は出来ないので、棍。

 

 

 バックパックから飛び出している棍に手をかけ、ようとしたところで、三人がそれぞれ武器を()()()襲い掛かってきた。予想より、速い。

 

「オラ、死「市街地での戦闘は禁止だ」ぐふぁ!」

「ぎゃふぉっ!」

 

「……え?」

 

 わかったのは、誰かが乱入してきたということ。

 棍をなんとか取り出して構えたところで、目の前の男のみならず右の男も、その誰かに一瞬で弾き飛ばされる。

 

「ここ近辺で最近よく騒がれている者だな。これで面も割れた、証人もいる。もう逃げる術はないぞ」

「こいつ、【アストレア・ファミリア】か……⁉︎」

 

 その木刀は。その声は。その顔は。

 

「くっ、くそ……⁉︎」

 

 無謀にも、圧倒的実力差を見せつけられてなお、男たちは逃走しようとする。

 

 その男たちを追う姿は、俺の目にはほぼ()()()()()()()()

 

「無駄だ」

「ぐぁっ!」

「がはぁっ!」

 

 その人は、即座に二人の逃走者を取り押さえ、後ろ手に縛り上げてのけた。傍観していた人々から、拍手が飛ぶ。

 

 一息ついて、その凛々しい人はこちらに振り返る。髪が揺れ、ほっそりと長い耳が見えた。

 

 颯爽と現れ速攻で悪漢をのめしてみせたエルフの美女、いや美少女は。

 

「怪我はありませんでしたか?」

 

 

 

 

 

 

 

 ――『疾風』、リュー・リオンだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六話 近付く距離、離れる心



 心同士は触れ合うことが出来ない。

 どれだけ近付いたって、そこには身体という絶対的な隔たりが、存在しているから。





 

 

 拍手の海で、渦中の少女だけが浮かび上がる。

 

 まるで、スポットライトがそこだけ照らし出しているかのように、その姿は俺の目に強調されて映った。

 湧き上がる歓声を、さも当たり前だとでも言うように静かに佇む彼女は、女神にも劣らない澄んだ空気を纏っている。

 

「怪我はありませんでしたか?」

 

 原作登場キャラクター、リューさんこと『疾風』のリュー・リオン。Lv.4の第二級冒険者。

 

 そう問いかけてくる彼女は、全てが完璧であった。

 凛とした立ち振る舞い、切れ長の、空色を帯びる眼を含めこの世のものとは思えないほど整った顔立ち、女性が揃って思い浮かべるようなプロポーション、風に靡きさらさら流れる髪、空を裂きよく響く声。

 もう、存在感からして違う。こういう人が物語に登場するような人種なのか。この人に比べれば、俺なんかその辺のモブと何ら変わりない。

 

「は、はい。ありがとうございます」

 

 なんとか返事をするので精一杯だ。

 確か原作時では二十一歳だったので、いまは十六歳か。そして、まだ【アストレア・ファミリア】が潰される前、ギルドのブラックリストに載る前のリューさん、ということになる。

 

 リューさんが所属している【アストレア・ファミリア】は、オラリオ内の治安維持を目的とした運営を行っている、いわゆる正義の【ファミリア】だ。

【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】という二大【ファミリア】が実質解散してから約十年。その当初こそ治安の乱れようも凄まじかったという。いきなりトップがいなくなったことにより、一気にパワーバランスが崩れ、大混乱に陥ったのである。新興の【フレイヤ・ファミリア】や【ロキ・ファミリア】が台頭してきても、治安の回復には長い年月を要した。

 

 いまはそれほど荒れてはいないものの、やはりならず者はいなくなることはなく、ダンジョンを管理しているギルドが名義上オラリオの管理も請け負ってはいるが、『恩恵』を授かっていない一般人では、冒険者相手には限界があるのが実情。

 そこで【アストレア・ファミリア】などが代わりに街を治める仕事を買って出ているということだ。

 

 五年後には【ガネーシャ・ファミリア】が『オラリオの憲兵』とも呼ばれているし、きっとそういう仕事をしているのは【アストレア・ファミリア】だけではないはずだが、オラリオ全域となるとなかなか厳しく、増え続ける犯罪者に手を焼いているらしい。

 また、その活動方針ゆえに、そういった【ファミリア】には敵が多い。

 原作の流れに沿うなら、【アストレア・ファミリア】は敵対【ファミリア】に潰され、リューさんが主神アストレアを逃がして、その敵対【ファミリア】の団員を皆殺しにし、力尽きたところをシルさん及び「豊饒の女主人」に拾われる、という道を辿ることになる。

 

 その結末と、原作での活躍まで知り得ている俺がここで彼女に出会ったのは、果たして偶然か、否か。

 

「そちらの方も、大丈夫でしたか? ……いや、助けは要らなかったかもしれませんね」

「えっ?」

 

 後ろ手を縛られた暴漢二人を立ち上がらせ、半ば引きずって歩いてきて、俺の背後に目をやりリューさんは苦笑した。

 額縁がない絵画のようなその美しさに見惚れてしまうが、その言葉の真意を図りかね、背後、シーヴさんの方に振り返る。

 

「ぐ、ぅうぇえぇぇ、放し、でぐれえぇぇええっ」

「『疾風のリオン』。放しても?」

「十分です」

 

 

 シーヴさんの細腕が、一回りも二回りも大きい体躯を持つ男の襟を掴んで持ち上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「御協力、ありがとうございました。それでは、後は私共が責任を持って引き継がせていただきます。オズワルドさん、お願いします」

「任せてください」

 

 手首を縛られた先ほどの三人組は、より筋肉質で大きな男性職員に連行されていった。

 野次馬が報せたのか、俺たちがギルドホールに入るなり、ノエルさんと大男さんが駆け寄ってきたので、引き渡しはスムーズに行われた。

 

 どうやら、シーヴさんをナンパしてきた三人は、ギルド周辺で犯罪を繰り返すような奴らだったらしい。

 話によると、ダンジョン帰りの初心者や一般人を狙った金銭の強奪や恐喝などをしていたとか。犯人にLv.2が混ざっているらしく、なかなか捕まらなくて困っていたそうだ。今回は気が大きくなっていたのだろう、ナンパして捕まるとは情けない。

 

「災難でしたね」

「ええ、まあ。でも、あの二人がいたので」

「確かに、正義の『疾風』に乱神の『槌を振るう狼(ファベル・ルプス)』がいれば大抵の冒険者は敵いませんね」

「『槌を振るう狼(ファベル・ルプス)』……?」

「御存知ないのですか? シーヴ・エードルント様の二つ名ですよ」

 

 二つ名。Lv.2以上の上級冒険者に付けられるそれはいわば強者の証。

 

 そりゃ、そうだ。あんなに重い荷物を軽々と背負っていたのだから。あの扱いづらい高そうな刀を使っているのだから。心の何処かで、シーヴさんは強くないと思い込んでいたらしい。

 まさか、結構な人に教えを請いていたのか、俺は。 改めてヒルダさんが整えてくれた環境の良さに気付き感謝が止まらない。

 

「知らなかったです……」

「エードルント様とダンジョンに御行きになったのではないのですか?」

「いや、シーヴさんが戦うところは見ていないので」

 

「……見なくていいし、知らなくて、いい」

「へ?」

 

 知らないうちに、リューさんと会話していたはずのシーヴさんが俺とノエルさんのすぐそばに立っていた。

 煩わしそうに、シーヴさんは眉を顰める。

 

「別に、武勇で名声を得たいわけじゃない。だから、知らなくていい」

 

 このオラリオにおいて、武勇を轟かすのは大抵の冒険者の目標である。その簡単な指標がLv.であり、皆Lv.5以上……一級冒険者を夢見てダンジョンにもぐるのだ。

 もちろん、鍛治師(スミス)となって名匠として名を馳せたり、薬師や商人になり財を築き上げる人もいる。

 シーヴさんは、後者なのか、それともあまり騒がれたり表舞台に立つことが好きではない人、なのだろうか。

 

 事情を知らないノエルさんは不思議そうな顔をし、共感できるらしいリューさんはほんの少しだけ頷く。俺は……わかる気はする。表彰されたくて勉強するわけじゃない、という感じに似ているかもしれない。

 

「す、すみません」

「謝らなくていい。それより……早く行こう」

 

 居心地悪そうに、シーヴさんは身体を寄せてくる。貴女もそういうの気にしないタイプだったんですか。

 気が付くと、俺たちを中心に、ちょっとした人垣ができていた。さっきのこともあり、リューさんとシーヴさんが一緒にいるのを珍しがっているように感じる。

 その流れから俺まで注目されるのが居心地悪い。俺は無名なんです。

 

「では、これで失礼します」

「あ、お疲れ様です」

「有難う御座いました」

 

 用を済ませたリューさんは、いつの間にか合流していたらしいパルゥムの少女と共に去ってゆく。彼女らを避けるように人混みが割れる様は、実力とその知名度を如実に表していた。

 ギャンブルの勝ち方を教えた人、だっただろうか。彼女はいま存在している。この時は、まだ【アストレア・ファミリア】は生きている。なるべく干渉はなしでいこうと決めていても、やはり心は揺らいでしまう。

 

 でも。ここで彼女らに出会ってしまったということは、原作からズレてきてしまっている、ということでもあるのかもしれない。もし、そうなら、俺はどうするべきなのか――

 

「……ほら、行くよ」

 

 リューさんたちの背が見えなくなるまで突っ立っていた俺は、シーヴさんに手を取られ、やっと我に返る。

 

「ナツガハラ様、エードルント様、有難う御座いました。いつでもいらっしゃってください」

「はい、ノエルさん、また」

 

 リューさんがいなくなったことで、次第に散ってゆく人波を掻き分けながら進む。

 

 俺の手首をつかむシーヴさんの手は、不自然なほど強い力がこもっていて、その足取りも速い。

 魔石換金窓口に向かう彼女は、初めて見る必死さをわずかに滲ませていた。

 そんなに嫌だったのか。これから、目立たないように気を付けないと。

 

「ちょっとシーヴさん、速いですって」

「速くして。急ぐの」

 

 力強くも柔らかな指が手首に食い込んでやんわり痛いんです。嬉しいですが痛いんです。

 

 換金中も異様なほどそわそわしていたシーヴさんは、何かから逃げようと慌てているようにも見えた。

 いったい何が、彼女をそこまで……、と戸惑っていると。

 

 ぐう、と不意に大きな音が鳴る。

 

「……お腹空いた」

 

 

 ああ、そういうことだったんですか……。

 

 

 

 

 

 

          ○

 

 

 

 

 

 

 

「第四十八回、『箱庭』会議ぃー!」

 

『『『イェーイ!』』』

 

 元気な掛け声に、三柱の陽気な返事が揃う。

 

 そこには、ブリュンヒルデを新たなメンバーとする、「戦乙女(ヴァルキュリヤ)同盟」の面々の大半が揃っていた。

 

 ここは『箱庭』、陽だまりの広場。洒落たティーセットが乗っているテーブル、これまたセンスのいいイス。夏ヶ原司とここにいる神々の交渉の場でもあったこの木漏れ日が作り出す自然の空間は、彼女らのお気に入りだ。

 

 普段から交流はあるものの、やはり友神同士顔を突き合わせて話をしたくなるときがある。

 それなら『神の宴』で、でも良いのではないか、と思うのだが、やはり半公式の場か、完全プライベートな場かどちらか選ぶとしたらまあ後者になる。

 しかし、情報はそこまで隠しあっていないし、実際に話す内容など高が知れていて、ただの世間話の域を出ない。

 開催欲求は高いけれど必要度は低い。彼女たちにしてみればなければならないものなのだろうが、周りの者は思案顔だ。なので彼女らの眷族(こども)たちは親しみを込めてこう呼ぶ。

 

 そう、「女神会(じょしかい)」と。

 

「いやー、一回言ってみたかったの、これ」

「初参加でいつもの感じを出すなんてヒルダもなかなかやるじゃねえか」

「ちょっと練習してた」

「今のを?」

「今のを、だよ。暇だったし」

「おーい働けうちの従業員ー」

 

 基本的に、集まって話すだけ。眷族自慢したり、愚痴ったり、調子はどう? 的なものでもなんでもありだ。

 憩いの場である『箱庭』で他に何をする、という話でもあるが。休憩するための場所では競い合って憩うのが彼女らのマナーというものである。

 

 眷族たちも一緒になって楽しめるような話をして感覚を養ったり、時には下界の民が理解できないような話題を飛び交わしたりして、【ヘリヤ・ファミリア】が取り寄せた紅茶やお茶請けをその腹に収めてゆくだけの作業。

 しかし、一般人にとっては麗しき女神たちが集う神聖な会議に見えるのだろう。

 

「そういやこの前、うちのシーヴがヒルダんとこ邪魔したらしいな。飯美味かったって言ってたぞ」

「あら、ヒルダちゃん料理できるようになったの?」

「ま、まあね。ホラ、うちは一人しかいないし、やっぱり疲れて帰ってきた子にはあったかい手料理を食べさせて労ってあげたいと思ったの」

「おお、それは殊勝な心掛けだね。……一体誰に習ったんだい?」

「……うちの子(ツカサくん)です」

「ダメじゃねえか!」

「そういうのは陰で努力しといて、指に巻いた大量の絆創膏で健気アピールするもんなんだよ! 怪我してなくてもね!」

「それうちのロザリーもやってたわね」

「ほらぁ! そういうのが効果的なんだって、やっぱりさぁ!」

「えぇ、そ、そんなこと言われたって、私そんなつもりなんて」

「お前にはあざとさが足りないんだよ」

「カーラには言われたくないんだけど……」

「あたしはそういうキャラじゃないしいいんだよ。巷でなんて言われてるか知ってんだろ? 乱神だぞ乱神。可愛さとかとはかけ離れた位置にいんの」

「うーん、だからこそカーラちゃんのギャップ萌えとかいいと思うんだけれどねえ」

「おーいいねいいねそれいいね。例えばどんな感じにいくんだい?」

「こう、お淑やかにして、一人称はわたくしで、控えめなドレスなんか着て……とか、どうかしら」

「ぶふっ、それめちゃくちゃ見てみたいんだけど」

「それギャップとか関係なく別人じゃねえか」

「今度宴あったらそれでいってみないかい? もちろんわざとでいいからさ」

「ヤだよそんなん」

「そう言わないでさー、ちょっとでいいんだちょっとで」

「その言葉を使う奴は絶対ちょっとで済ませねえだろうが」

 

 盛り上がってゆく女神たちから意識は離れ。

 でもやっぱり、ヘリヤの言うとおりにしておけばよかったのかもしれない。ブリュンヒルデはそんなことをぼんやりと考える。

 

 やっとこさ見つけた一人目だ。愛想を尽かされてはたまったものではない。そのために、自分にできることをできる限りしよう、という気ではいる。

 

 しかし。してあげられるようなことがない。

 ヘリヤのところの最初の子は商学を学びたいと、まあ楽して金を稼ぎたいという希望があった。カーラのところの子は服飾、エイルのところは医学。それぞれに望むところがあってそれぞれ【ファミリア】に入団したのだ。

 定番ではあるが武勇、名声。強くなりたいだとか有名になりたいだとか、果ては出会いを求めてだとか。何かしらを求めてオラリオに来たのが冒険者なのだ。

 

 ツカサにはそれがない。

 

 武器を手にダンジョンに挑む冒険者ではある。でも彼には目的がない。欲がないというわけではないのだろうが、そうであっても彼にとっての原動力となるものが見当たらないのだ。

 強い武器を欲しがるわけでもなし、特に仲間を欲しがるわけでもなし。彼はただ生きることだけを所望する。

 こう言ってはなんだが、ダンジョンにもぐる冒険者という職業は、死ぬ時は本当に一瞬で死んでしまうものなのだ。そんな危険な職につく理由として、そんな返答は、あり得ない。

 

 では何故、彼はダンジョンにもぐるのか。

 

「おい、ヒルダ聞いてっか」

「えっ、なっ、なに?」

 

 中途半端に思考に浸かっていたブリュンヒルデは呼び声に応じ、慌てて現実に回帰する。

 

「いやさ、キミのところの子(ツカサくん)の話なんだけどね?」

「成長も早くて、いろんなことをすぐ吸収できる子なのよね。ちょっと羨ましいわ」

「確かに、あいつがいい素材なのは認めるところだ」

「そうなの? ツカサくん才能あるんだ……」

 

 評価はツカサに対してだが、彼の主神としてそれなりに誇らしい気持ちにもなる。

 彼と運命的な出会いを果たしたのは自分で、彼を育てているのも自分なのだ。自分の子を褒められて嬉しくないわけがない。

 

 この、神々のセーフティゾーンである『箱庭』で、という出会いは少々どころでなく特異である。いまだに何故彼が入ってこれたのかはよくわからないが、その件からも実は彼の特殊性は窺い知れていた。

 

「才能っつーかさ、もともとの知識が深いとか、理解が早いとかそんな感じだよな」

「高い教養を身につけている、が根底にあるよね。オルたんやヒメとかとは違うタイプの頭の良さだ」

「態度や振る舞いからも、それなりの礼儀正しさを求められる社会で育てられてきたとか、地位のある家柄だったとか、そんな雰囲気がするのよね」

「特殊なところから来たって言ってたし、やっぱり隠し事は出身地のことなんだろうね」

「ヒルダはそこら辺、訊いてみたのか?」

「あ、いや……訊けてない」

 

 彼女らは知る由もないが、夏ヶ原司の評価されている能力に該当するものは、現代日本の教育の賜物である。

 理解力、記憶力、順応性、当然の礼儀。ツカサにとって求められて当たり前であったそれらは、この世界ではそれなりに持て囃されるものだ。

 

 戦術理解度が高い、状況把握が早い、即時判断が的確であることで有名なのは【ロキ・ファミリア】団長のフィン・ディムナ。遥かにある力量差は置いておいて、こと性質においてはツカサも同じようなタイプであると言えよう。

 

「でも、ツカサくんは普段暇な時とかにギルドとか貸本屋とかから借りてきた小難しい資料や本を読んでるけど、謙遜に嘘はなかったよ」

「っつーことは、やっぱりヤツの故郷の教育機関が発達してるってことだよな。かなり進んでんだろそこ」

「だねー。ちょっと調べたいな」

「無理矢理は駄目よ? これまで知られていなかったのだもの、何かしら大きな力が働いていることはほぼ間違いないでしょうし」

「それは、わかってるけどー」

「下手に暴いたりしちゃいけねえのはわかるけどよ、変に隠されてる方が嫌な気分になンだよな」

「ヒルダはさ、その辺どう思ってるんだい?」

「私は……」

 

 彼が何故、ここへ来たのか。何故、ダンジョンにもぐるのか。彼は一体誰なのか。

 

 面と向かってそれらを訊く勇気は、ブリュンヒルデにはまだない。

 

「私は、ツカサくんが話してくれるまで、話したいと思ってくれるまで待つよ」

 

 実は訊いてもそれほど問題はないのかもしれない。ただちょっと知られたくないだけなのかもしれない。知られたくない情報だとしても、家族同然になったのだから、教えてほしいという気持ちも、もちろんある。

 

 それでも、崩れてしまう方が、怖い。

 

 お互い傷つくのを恐れた。心が離れてしまうのを避けたかった。不安で不安で仕方なかった。

 

 でも。だからこそ。彼がどこの誰であろうとも。

 

「話したいと思われるような、そんないい主神(かぞく)になれるように頑張るの」

 

 思ったより真面目で、しっかりした答えが返ってきたことに、三柱は何も言わず、女神の慈愛をもって微笑んだ。もうブリュンヒルデは、ちゃんとした女神でいる。眷族を見つけられなくて泣きそうになっていた彼女ではない。

 

「そうか。ヒルダもちょっと頼もしくなってきたな」

「友神としても仲間としても嬉しく思うね」

「もちろん私たちも協力しないわけにはいかないわ」

「み、みんな……」

 

 不意に感じた友情にブリュンヒルデの心は強く打たれた。自分にはツカサくんの他にも、こんなに優しくて頼れる関係がある。目尻に涙が溜まってしまうではないか。

 

「じゃあまずはヒルダちゃんの魅力アップからよね。あざとさはヒルダちゃんには似合わないし、やっぱり純朴な可愛さ推しでいきましょうか」

「ぅえ⁉」

「そうだな。まずは好かれることからだからな」

「ついでにカーラもイメチェンしようよー」

「だからなんであたしを巻き込もうとしてくンだよ!」

 

 

 ああ、やっぱりいつものみんなだ。

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

「はい、それじゃあ【ステイタス】の更新を始めるよー」

「よろしくお願いしまーす」

 

 ぴと、ぺたぺた。背を滑らかに踊る指の感触には、まだ慣れない。

 というか、ベッドにうつ伏せになっているときに腰の辺りに美少女に跨られている体勢など慣れる気がしない。椅子に座って後ろからならまだ緊張は和らぐだろうが、でもやっぱりどっちの方が嬉しいかと問われれば断然こっちの方がいいですはい。

 

「もうすぐトルドくん帰ってくるんだって?」

「予定では明日ですね」

「探索が楽になるねー」

「そうですね。みなさんもちょこちょこ手伝ってはくれるんですけど、如何せん連携がうまくいかなくて」

「それぞれのお店もあるからねえ。ごめんね、新しい入団希望者見つけられなくて……」

「ヒルダさんは悪くないですって」

「でもさあ……」

 

 もう既に、俺がオラリオに来てから、優に一月以上が経過していた。

 仲のいい【ファミリア】の主神及びメンバーたちとはほぼ顔見知り以上になったし、ギルドではノエルさん以外の人からでもスムーズに資料を借し出してもらえるようになった。近所さんたちと仲良くなったりもした。

 

 しかし、一向に事件性のある物事に出くわさない。

 最近の特筆すべきことなんて、この前のリューさんとの遭遇くらいなものだ。それも二週間以上前の出来事なのだけれど。

 西のメインストリートに赴き、「豊饒の女主人」を覗いてみたが、知っている人は見当たらなかった。この時のシルさんなんかは十三なので、当然といえば当然だ。

 他にも、後の【ヘスティア・ファミリア】の本拠となる廃教会を探してみたりしたが、土地勘もないので見つからなかった。

 原作との接点は今のところリューさんのみ。

 それは喜ばしいことなのか、避けるべきだったのかはわからない。他に何かがないと、判断のしようがないのが現状だ。例の大量発生も、全然起きないし。

 

「ん、終わり」

「ありがとうございます」

「はいこれ、今回の【ステイタス】ね」

 

 ベッドの縁に座り直し、ヒルダさんから俺の【ステイタス】が書かれたメモを受け取る。

 もう共通語(コイネー)ではなく、神聖文字(ヒエログリフ)での記述だ。【ステイタス】は定型だし数字メインなので、もうそっちでも読めるようになってしまった。

 

 

 ナツガハラ・ツカサ

 

 Lv.1

 

 力:H 124→127 耐久:H 138→143 器用:H 170→178 敏捷:H 101→105 魔力:I 0

 

 《魔法》【】

 

 《スキル》【】

 

 

「うーむ……」

 

 優秀な冒険者が、半月という時間幅(スパン)で達する妥当なラインがH。なら普通の冒険者は一月でだいたいH前半、というところ。

 

 要するに、中の上くらい。

 

 ヒルダさんが、身体が接触することを気にせずにメモを覗き込んでくる。俺の背中に書いてあることと変わらないですよ。

 

「最近、「器用」がぐんぐん伸びるね」

「毎日武器交換してるからだと思います。ありがたいっちゃありがたいんですけど」

「けど?」

「戦闘でまともに使えるのが大抵その日の半分以上過ぎてからなんで、それまでがキツくて」

 

 武器の使い方はわかっても、使いこなすまでには時間がかかる。振れても敵に当てて倒すのとは全く違うのだ。

 もちろんそんなことをしていたら格好の的で。序盤は楽勝なはずの奴らからダメージを喰らいまくってしまう。そのお陰で耐久が上がるんだけど。逃げ回って敏捷も上がるんだけど。……あれ、案外理に適った修行とかですかこれ。

 

「あれ、紅緒は? いつも持って行ってはいるんでしょ?」

「万が一のために身につけてるだけで、使ってはいけないことになってるんです。紅緒が無くても戦えないといけないってシーヴさんが」

「正論、だねえ」

「なんですよねえ」

 

 意外にも、オラリオでの冒険者ライフは順調だ。

 ブリュンヒルデ様改めヒルダさんともそれなりに仲良くなれているし、ダンジョンの探索だってそこそこうまくいっている。

 

 ただ、時々感じる、現世とのギャップが、少しだけ胸を締めつける。

 

「まあ、死ぬのはもちろん、怪我もなるべくしないでね? ダンジョンに行かせたくなくなっちゃうから」

「努力はします」

「いっつもそればっかりじゃない。もうちょっとさ、なにか確約してよ」

「……死にませんよ。ヒルダさんを残しては死にません。ヒルダさんを一人にするほど甲斐性なしじゃありません」

 

 何言ってるんだ俺。何か勘違いして浮かれてはいないか。恥ずかしい。

 いつも、恥ずかしい言葉を言うときにはベル君を参考にさせてもらっている。だからといって恥ずかしさが緩和されるわけじゃないけど。

 

 一瞬だけヒルダさんは驚いた顔をし、すぐにふにゃっと笑む。ああ、この笑顔だけはダメだ。グッときてしまうではないか。

 

「ふふっ、ありがと。それくらい聞けたら十分かな」

「俺が喰らった小っ恥ずかしさの分くらいの効果はありましたか?」

「あったあった。私も結構恥ずかしいから、そろそろ退散しちゃうね」

 

 終始にこにこしながら、ヒルダさんはご機嫌で俺の部屋を出て行く。

 

「おやすみー」

「おやすみなさい」

 

 やっぱり、一つ屋根の下に美少女と暮らすのはとてつも無く精神力を使う。

 敬うべき神様なのには変わりないのだが、俺はまだ神威を感じ取れないし、何より寝巻きのヒルダさんは破壊力が高すぎる。

 

 何か対策を講じなければ、と思いながら、柔らかなベッドに倒れこむ。全体が低反発まくらみたいな感じで、ゆっくり身体が沈む。

 

 

 疲れた。

 

 

 やっと慣れてきた、知らない世界、知らない土地、知らない街、知らないルール、知らない人たち。

 

 最初は遠いところへ旅行にきた気分でいて、次にホームステイしている妄想を膨らませ、VRMMORPGででも遊んでいる感覚になってなんとか()()()()()()()()()()

 

 それでも、どうしても、現世のことを、思い出す。

 

 食事をしているとき。街を歩く人たちを見るとき。ダンジョンにもぐっているとき。ヒルダさんと接するとき。こうして一人でいるとき。いつも、消えることはない。

 

 

 俺は、そんなに強い人間じゃない。

 

 そりゃあ、異世界転生やトリップの妄想は幾度と無く繰り返したし、来たときこそ反射的に帰りたいと思ったものの、それからは多少なりともわくわくしていたのは確かだ。不安から目を逸らすため、以上のものがそこにはあった。

 

 ブリュンヒルデと契約し、【ファミリア】に入ったのだって、諦めより期待の方が多く混ざっていたからだ。

 

 こうしてオラリオでの生活に慣れたのも、この世界で生きていこうという意思が伴っていたからだ。

 

 それでも。どうしても、涙は零れる。

 

 

 だって理不尽だ。だって不条理だ。だって無茶苦茶だ。

 

 いくら前向きに捉え、希望で心を満たしても、現実には戻れないのではないかという思いが上書きされてゆく。どうしようもないほど空っぽになる。

 

 現世との、絶望的な距離。どうやって埋めたらいいのか、そもそもどうすれば近づけるのかすらわからない、絶対的な隔たり。

 

 溢れ出る希望を閉じ込めておこうと、瞼が閉じられる。固く、強く押し付けられているのに、隙間から止め処なく流れてゆく。

 

「っぐ……ぐうぅぅっ」

 

 脳裏に浮かぶのは、現世の記憶。何度も思い出されることですっかり定着してしまった、強力な記憶。

 

 

 自分の家、自分の部屋。妹の部屋、両親の部屋。リビング、和室、キッチン、風呂場、洗面所、手洗い。近所の家々、大きなマンション、古いアパート、近くの小学校、ちょっと遠くの中学校、駄菓子屋、スーパー、コンビニ、広い公園、狭い公園。バスから見る景色、電車から見る景色、高校の四階から見る景色、体育館の壇上から見える景色。音楽ホール、総合病院、市民プール、郊外のショッピングモール、国道沿いの大型書店、ファミレス、近場の私立大学。父方、母方の祖父母の家、親戚の家、田舎の町並み。修学旅行で行った古都、南の島、試される大地、幻想的な街、広大な海、壮大な草原、切り立った山々。テレビで見た綺麗な風景、世界遺産、外国の街、深海の世界、遥か上空、月、太陽、銀河系、天の川。家族の顔、友人たちの顔、教師たちの顔、近所の人たちの顔、朝よく見る人たちの顔、コンビニでいつもいるバイトの顔、アニメキャラの顔。読んでいた漫画、小説、観たことのあるアニメ、映画、ドラマ、やったことのあるゲームに聞いたことのある音楽。いままでの勉強、人間関係、使った金の行方。毎日の生活、小学生のころのこと、中学生のころのこと、高校生のころのこと、浪人生のころのこと。俺が今まで生きてきたすべて。

 

 

 忘れちゃいけないものが、主張してくる。

 

 俺に、どうしろっていうんだ。帰る方法も、手段も理論もなにもかもわからない、俺に。

 

「うっ、……あぁああぁあぁぁああぁぁぁっ」

 

 

 俺はこの世界で生きていくと決めたのに。ヒルダさんと生きていくと約束したのに。一人にしないと言ったのに。

 

 

 嗚咽が漏れる。

 

 

 枕が濡れる。

 

 

 肩が震える。

 

 

 

 

 くそ、ちくしょう。なんで、帰りたくなるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

          ○

 

 

 

 

 

 

 

 ブリュンヒルデは、音を立てず扉に寄りかかったまま、拳を握り締め、唇を噛んだ。

 

 微かに届く、小さな声を、ブリュンヒルデの耳は取り逃がさない。

 

 気付いてはいた。多分、女神たちはみんな。でも、どうすることもできない。

 

「……………………っ」

 

 悔しくても、悲しくても、どんなに惨めでも。

 

 

 いまの私では、彼の力になることはできない。

 

 

 

 

 

 ああ、なんで私はこんなにも無力なんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第七話 迷宮は牙を剥く


 さあ、覚悟はいいか?

 一度目の絶望との邂逅は、もうすぐだ。





 

 

 よくは、眠れなかった。

 

 

 

 赤く腫れてしまった顔を、冷たい水で冷やす。こんな涙の跡を、ヒルダさんに見せるわけにはいかない。

 

 早い時間では、いかにいつも騒がしいオラリオといえども、静寂に包まれている。

 耳鳴りがするほど静かな朝。まるで、この世界に生きているのが俺一人であるかのような錯覚に陥ってしまう。

 

 しかし、水を止めたところで、リビング、いやキッチンの方から、なにやら物音がしていることに気付いた。

 泥棒、強盗? ……違う、何かを切る音、何かを焼く音、何かを、作る音。

 

「……ヒルダさん」

「あ、おはようツカサくん。もうすぐ朝ご飯できるから待っててね」

 

 普段着にエプロンをつけた主神が料理をしていた。

 しかも、扱っている食材や、漂ってくる匂いからして、極東の食事。俺にとっては故郷の食事、和食。

 

 瞬時に悟る。昨日の夜のことを、知られてしまったと。無様な様子を晒してしまったうえで、この(ひと)に気遣わせてしまったと。

 

「今日の朝は俺の担当のはずです」

「知ってるよ。偶々早く起きちゃって手持ち無沙汰だから作ってるの。駄目だった?」

「……いえ、すみません」

「ツカサくんが謝ることはないよ。こうしてダンジョンに赴く眷族(こども)の英気を養ってあげるのも私たちの仕事だから。テーブルに座ってて」

 

 そんな言い方をされては、断ることもできない。

 大人しくテーブルにつき、調理を続けるヒルダさんをぼんやりと眺める。その背中を、俺より一回りも二回りも小さなその背中を、後頭部、高めの位置で結われた髪を、ぱたぱたと忙しなく動き回る細い脚を。

 

 懐かしい、感じがする。

 

 いつも、朝飯を用意してくれていた母親の後ろ姿が思い出される。現世では、俺にとっては当たり前で、いつも通りだった光景。今となってはもう二度と見られないかもしれない光景。

 

 どうにも、重なる。どうしても、重ならない。

 

 異世界転生などした数々の主人公たちも、俺のように悩み苦しんだのだろうか。孤独を嘆き悲しんだのだろうか。誰かの背に涙したのだろうか。

 

 ああ、ダメだなあ、俺。

 

 こうして言外に、心配してくれている人もいるというのに。

 

 ヒルダさんがいるのに。

 

 俺は一人ではないというのに。

 

 こんなところで、挫折してる場合じゃ、ないだろ。

 

 ヒルダさんは訊かないでいてくれた。問い質さないでいてくれた。何も言わずただ労ってくれた。

 こんなに優しい主神を、悲しませるわけにはいかない。その優しさに、報いなければならない。

 勝手に、心に決めさせてもらいます。

 

 

 慈愛に満ちた微笑みを浮かべる女神と食べる朝食は、温かかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、行きましょうか」

「忘れ物はない? 新しい武器の代引き料金は?」

「ここに」

 

 ほぼ空っぽで軽いバックパックとは対照的に、ずっしりと重い財布は胸部のプレストプレートの内側に格納してある。だいたい、一五○○○ヴァリス。

 

 駆け出しの冒険者がソロで稼げる一日分がだいたい二○○○ヴァリス。俺はもう一月は優に経つが、武器の件で毎日それくらいのままだ。トルドと二人でもぐっていたときの方が高給だったくらい。

 それでも、質素に暮らしていればそれなりに貯まるのだ。

 シーヴさん及び【カーラ・ファミリア】から試用武器を貸し出してもらっているのも大きい。

 自分で選んでおいて何だけど、多く武器を持つということはそれだけ装備に金をかけるということでもあって。もちろん成り立ての俺にはそんな財産はない。今回トルドから買うのが二つ目だ。白のナイフは別として。

 

「よーし、じゃあ出かけよう」

 

 ダンジョンに行く日も行かない日も、朝にはヒルダさんを【ヘリヤ・ファミリア】の「最果ての放浪者」まで送って行くのが日課になっている。

 別に過保護にならなくても、神に不貞を働くような輩がそうそう居るわけではない。それでも、俺にとっては彼女に対して過保護にならざるを得ないのだ。

 

 この世界の一般人は彼女らから滲み出る神威(ふんいき)を感じとって、あ、神様だ、と気付けるらしいのだが、生憎別世界出身の俺にはそれが出来ない。見た目で判断するしかない。つまり俺から見ればヒルダさんも人間の美少女にしか見えないというわけだ。

 神々は皆絶世の美男美女であるため、綺麗な人がいたらだいたい神様だと思うようにしている。

 他にも、俺と同じような感覚の人がいるかもしれない。そう思うと付き添わずにはいられないのだ。

 

 まだちらほらとしか人が出てきていないオラリオの住宅街は、静かなものだった。

 石畳の道は多少でこぼこしてはいるものの、全体的に整備されていて綺麗。隙間に靴の先が入ってしまうことなどもなさそうだ。

 

「あら、お早う御座います」

 

「あ、おはようございます」

「おはようございます。フューゲルさんも早いですね?」

 

 少し歩くと、道に出ていたご近所さんと出会う。小さな娘さんが一人いる三人家族のフューゲル家だ。割とよく会うし、ヒルダさんともよく井戸端会議的な集まりをしているのをよく見る。俺はお察しだ。精々早めに挨拶をしてヒルダさんの後ろに侍っているしかない。

 

 世界の中心、迷宮都市オラリオといえども、冒険者と【ファミリア】だけの街というわけではない。

 当然人口の大半は一般人で占められており、そうした市民の働きがなければ都市の経済は回らない。飽くまで「冒険者」というのは職業の一つに過ぎないのである。

 

「うちの夫が朝早いもので、少し見送りに。ブリュンヒルデ様たちも今から御仕事に参られるのですか?」

「はい。今日はちょっと早めに起きてしまったので」

「そうなのですか。この頃、早朝や深夜帯の犯罪率が上がってきているらしいので、どうか御気を付けてくださいね」

「もちろんです。最近物騒な事件が増えてますよねえ。私も一人で出歩かせてもらえなくて」

 

 ちらりとこちらに目を遣るヒルダさん。俺は間違っていないはずですよ。少々窮屈でも安全が確保される方が優先です。

 

 幸いなことにここら辺ではまだ殺人やら強盗やらの話は聞かない。より賑やかで冒険者密度が高いところで起きる傾向があるようだ。

 

 ヒルダさんとフューゲル夫人が会話に花を咲かせているので、微妙な立場の俺は黙って行方を見守るしかない。何故女性同士の会話は長いのだろうか。これが俺とトルドだったら「この頃事件多いらしいっすよ」「そうなのか。気をつけなきゃな」くらいで終わりそうなのに。

 

 そんな感じに視線をあちらこちらに飛ばしていたところ、フューゲルさんの右後ろから俺の方をじっと見つめてきていた少女と目が合う。

 確か、テア。テア・フューゲルちゃんだ。小学校低学年くらいに見える。

 

「おにーさんも、ぼうけんしゃなんだよね?」

「そうだよ。俺も冒険者の端くれだ」

 

 テアちゃんとは会う度に話をして、それなりに懐かれている……と、思う。彼女からしてみると、俺は近所の大きなおにーさん、みたいな感じ、だろうか。

 

 近所付き合いは意外なほど重要だ。特に俺たちのように住宅街のど真ん中に本拠を構えている場合は。まあ普通の一軒家なのだが。

 やはり、住みづらくなるのは困る。オラリオは広いが、面積は無限ではない。悪評は一度広まれば、取り返しのつかないことになりかねないのだ。

 しかし俺はトークスキルに恵まれていない。そのため大人同士の付き合いは主にヒルダさん、その間の子供たちの相手は俺、という図式ができている。いかに話下手であっても、子供の話を聞くくらいはできる。

 

「ぼうけんしゃは、だんじょんにもぐるんだよね」

「うん。ダンジョンにもぐってモンスターを倒してくるのが仕事みたいなものさ」

「でも、だんじょんももんすたーも、きけんだっておとーさんがいってたよ」

「確かに危険だけど、やり甲斐があるからやってるんだよ。ダンジョンには色んなものが詰まってるんだ」

「だんじょんって、おもしろいの?」

「うーん、面白くは、ないかなあ。テアちゃんの言うとおり、危ないことの方が多いよ。死と隣り合わせの職業でもあるからね」

 

「おにーさんも、しんじゃうの?」

 

 一瞬だけ、ヒルダさんの挙動が止まる。

 

 冒険者は、常に死の危険に晒され続ける職業。テアちゃんの「おにーさんも」という発言からは、一般人の、冒険者に対する認識がよくわかる。

 多分、冒険者になりたくない人には決して理解出来ないのだと思う。冒険者の、動機なんて。

 

「死なないよ。おにーさんは死なない」

 

 強く頷き、テアちゃんを安心させられるよう努めてみる。ヒルダさんにも、俺の思いは伝わっているだろうか。

 不安そうな表情をしていたテアちゃんは、わずかに口角を上げた。

 

「しなないでね、おにーさん」

「おうともよ」

 

 できる限りなるべく爽やかな笑みを見せる。爽やかかどうかはその人次第だけど。

 

 もうすぐ、ヒルダさんたちの話も終わりそうだ。

 

「それじゃあ、そろそろ御暇します」

「私も、この子の朝御飯を用意しなければならなかったんでした。御話できて楽しかったです。それではまた。ほら、テアも御挨拶しなさい」

 

 フューゲル夫人は右側に振り返り、テアちゃんに挨拶を促す。テアちゃんはヒルダさんに姿を見せ、きちんとお辞儀をする。

 

「またね、テアちゃん」

「うん。おねーさんもまたね」

 

 実に微笑ましかった。

 

 帰ってゆく親子に手を振った後、にわかに活気を帯び始めた道を歩く。

 段々と日陰がなくなっていく街。ゆっくりと温度を上げる空気。周りから飛んでくる数多もの足音は、歩けば歩くほど増えてゆく。

 目的地に辿り着くまで、俺とヒルダさんはお互いに無言だった。でも、それは心地よい沈黙だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンジョン内部、第四階層。

 

 薄青色が眩しい。いつ来ても時間の感覚が狂いそうになる。俺的にダンジョンには時計が必須だ。

 だいたいこの階層までのモンスターの魔石は小爪サイズで、魔石の欠片とも称される。その分モンスターも弱い。要するに、初心者向けエリア、ということだ。

 なんとかここまでは今の俺一人でもクリアできる。つい先日踏破したばかりだ。

 

 しかし、これ以降下へ進むと、ダンジョンは一変する。

 内部の色は薄緑になり、構造も難化、七階層で初出の『キラーアント』を筆頭とした、初心者殺しとも呼べる、厄介なモンスターが一気に増える。

 何より特筆すべきはモンスターの出現間隔(インターバル)が短くなることだ。四階層までと同じ感覚でいるとまず痛い目に遭う。戦闘中、気が付けば囲まれていた、なども十分にあり得る話だ。

 

 冒険者の最初の難関。それが五〜七階層であると言える。ちょうど自信がついてきた頃に突然訪れる桁違いの脅威に、調子に乗った駆け出したちは挫かれてしまう。

 その辺に、「冒険者は冒険してはいけない」という言葉の真意があるように思える。

 己の力を過信してはならない。地道な積み重ねを軽視してはならない。駆け足で進んではならない。驕った者から屠られてゆく、それがダンジョンだ。

 そのため、まず一〜四階層でダンジョンに慣れること。準備を万端にすること。あらゆる力を蓄えることが必要になる。

 

 俺はまだ五階層に挑戦できない。トルドと共に行ったことはあったけど、その時に、正直まだまだ通用しないことはよくわかってしまった。

 それに、今回は約一月弱、ダンジョンにもぐっていなかったトルドの軽いリハビリと、俺の新武器の件もあって、この階層が適切だと判断した。

 

「どうっすか? ここまでの戦闘を見る限り結構使えてるみたいっすけど」

「これは比較的取り回しやすいからな。シーヴさんのとかと比べたら全然、簡単だ」

 

 刃に付着した血を、一振りで払う。片手でも振るえるほど、その武器は軽かった。

 

晴嵐(はるあらし)』。 紅緒を打った刀工の別作品の、刀。俺の正式な二刀目だ。

 

 それほど特徴のある外見ではないものの、特長は顕著である。

 

 刀を振る時に聞こえることがある「刃鳴り」。ヒュー、だとか、ピュッ、という音だ。空気抵抗の関係で、より薄い刀を、より速く鋭く振れば振るほど、高く短い音が出るようになっている。

 普通の刀を用いて刃鳴りをきれいに出すことは、相当な熟練者でも困難とされる。そのため刃鳴りを出せる使い手は、それだけで強さを証明できることになる。

 

 そして、刀身に「()」という溝を入れることがある。これは、強度を損なわずに重量を調節するためのものだが、入れることによって空気抵抗が増し、結果的に刃鳴りが出やすくなる。樋を入れることにより、初めて鳴りやすい刀が生まれるのだ。

 しかし、空気抵抗が増す、ということはつまり、振る速度は当然落ちるわけで。

 つまり、樋が入っている刀はよく鳴るが、あまり実戦的ではない、ということになる。

 

 では晴嵐の長所とは何か。

 

 それは、樋がなくとも刃鳴りが出やすく軽い、という点である。トルドが聞いた話によれば、春の嵐の如く、また、晴れの日の嵐の如く、空を駆けその音を響かせる、らしい。

 

 通常の刀よりも刀身を()()することによって、軽量化、切れ味の向上を実現している、職人技が光る一刀であった。そんなの聞いたこともないが、この世界の固有技術に素材の特性だろう、多分。

 お一つ一二○○○ヴァリス。まあ性能は駆け出しが持つにしては高めなので、充分良心的な方だろう。

 

「でも、この明らかに薄い刀身を見てると、折れないかすごく心配になってくるな」

「確かに、ボクのナイフとかと比べると半分くらいの厚さっすね。硬いものに対しては腰が引けそうっす」

「これでキラーアントの装甲を……ダメだ折れる想像しかできん」

 

 往々にして、個性が強く、尖っているものは扱いづらいものだ。この晴嵐も、聞く限りは強度面も通常のものと遜色ないらしいが、どうしても不安になる。

 まあキラーアントなどとエンカウントするのは七階層からだ。それまでに経験値を溜めて上手く使えるようになればいいだろう。

 

 そこらに倒れ伏すモンスターたちから魔石を回収し終わると、それを待っていたかのように、近くの壁に亀裂が走る。

 

「次の獲物が来たみたいっすね」

「ああ。また返り討ちにしてやろう」

「じゃあこれまでと同じく、ツカサくんが斬り込んでボクが援護及び討ち漏らしの殲滅、でいこうっす」

「ごめんな。トルドの方がずっと強いのに、俺が戦闘してばっかで」

「全然。むしろツカサくんには早く育って欲しいっすから。ボクも、いつも一緒にもぐれる人が増えて嬉しいんすよ。……ほら、来るっす!」

 

 びきり、びきり。

 

 亀裂が大きくなる。俺たちは一旦退がり、体勢を整え戦闘に備える。

 

 壁が破られ、ばらばらと、ダンジョンの破片が地面に落ちる。

 

 ダンジョンとは、迷宮であり、モンスターを生み出す母胎でもある。その構造で迷わせるだけでなく、モンスターを自らけしかけ殺しにくるのだ。

 迷宮の壁を壊し出てくるモンスターたちは、既に戦える状態で生まれてくる。成長の時間など必要としない。すぐにでも俺たちを葬るためだけに、この世に存在を成すのだ。

 

 モンスターたちの足が、地に着く。

 ゴブリンが二体、コボルトが三体、ダンジョン・リザードが二体。少々、多い。

 でも、今の俺たちなら苦もなく撃破できる。

 

 

「行くぞっ!」

 

「応、っす!」

 

 晴嵐を抜刀したまま、モンスターたちに向かって駆け出す。抜刀術など使って、鞘と擦れさせるわけにもいかない。居合は封印だな。

 

 真っ直ぐ、高速で突っ込んでゆく。敵に迎撃体勢を整えさせず、一方的に先制攻撃をぶち込むための瞬間的加速。

 

 反応が速かったのはダンジョン・リザード。二体とも、塊になっていたモンスターたちから一早く離脱し、壁に飛びつく。

 

 頭上から奇襲でもしてくるつもりなのか。でも、姿が視認できれば怖くはない。

 

「ふ、っ!」

 

『⁉︎』

 

 攻撃範囲、ぎりぎりのところで、それまで以上の速度の刺突を繰り出す。鋭い切っ先は、ゴブリンの喉元を簡単に刺し貫いた。

 

 後ろからトルドが追いついてくる。

 

 ダンジョン・リザードへの警戒はもう低めでいい。先にこの五体の小型を始末する。

 

 ゴブリンの喉に突き刺さった刃を横に倒す。肉が無理にかき混ぜられる音と感触。ちょっと気分が悪くなりそうだ。

 

『ガッ、ギャァァァッ!』

 

 苦悶の咆哮はいつもより小さめだ。だが俺は、わざわざ痛めつけるために抉ったのではない。

 

 軸足に重心を集中させ、上半身を回転。横薙ぎにゴブリン二体にコボルト一体を両断する。

 

「次ッ!」

 

 正面から直角に横を向いた体勢そのままから、今度は逆方向へ、反動を用いて身体を捻じり、先ほど踏み込んだものと逆の足を前に出し。

 

 力強く、斜めに斬り下ろす。ヒュッ、という風を切る刃鳴りが起こる。豆腐でも切っているかのように、刃がすっとゴブリンの肉体を通り過ぎた。

 

 あと一体。

 

 ここで、最後に残ったコボルトが飛びかかってくる。

 

 刀は敵の攻撃を受け止めるためにも使えるが、晴嵐の特性上あまり盾にはしたくない。

 

 バックステップで安全に後退する。横目でトルドの方を確認すると、壁を這いまわるダンジョン・リザードの一体を切り伏せたようだ。

 

『グルァァァァッ!』

 

 威嚇をしているつもりか、コボルトは吠えながら着地、そして再び飛びかかる体勢を整えて。

 

「遅い」

 

 その自らの足でではなく、素早く距離を詰めた俺の蹴り上げによって身体を浮かび上がらせる。

 

 格好の、的だ。

 

 空中において無防備になったコボルトは、一息に繰り出される唐竹割りを躱すことができない。

 

 少しだが、手応え。

 

『ギャ、ァッ⁉︎』

 

 勢い余って魔石を斬ってしまう。正中線をしっかり切り裂けたということなので、そう悪いことでもないけれど。

 

 空中で灰に還ってゆくコボルト。これで残りはダンジョン・リザード一体のみ。

 

 晴嵐を持ち上げつつ、辺りに視線を巡らせる。しかし、トルドもダンジョン・リザードも、周りには見当たらない。

 

「ツカサ! 上だ!」

 

「!」

 

 顔を上に向けると、ちょうど天井からダンジョン・リザードが降下してくるところだった。ヤツの攻撃範囲は広い、迎撃する。でも晴嵐は身体の前で構えている、間に合うか?

 

 瞬間、視界をトルドが横切る。

 

 どうやら壁を蹴って俺の頭上を跳び越えたらしい。いよいよ戦闘がファンタジーじみてきた。

 

 ダンジョン・リザードと交錯するトルド。しかし空中では致命傷を与えるには至らなかったようで、手足を何本か切り落とすだけに留まる。

 

 だが、それで十分。一瞬でも落下速度が低下し、俺の構えが間に合えばそれでいい。

 

 上段に構え、タイミングをしっかり測って、ただ振り降ろす。

 

「は、ッ!」

 

 一閃。

 

『ギ、ァァァ……』

 

 ダンジョン・リザードの身体は真っ二つになった。ちゃんと斬ると同時に後退し、返り血を浴びるのを避けるのも忘れない。

 これで、残っているモンスターはいない。戦闘は終了――

 

「向こうの角のところ、新手っす! 数は一体、種類は……「フロッグ・シューター」!」

 

 まだ、終わってはいなかった。

 

 フロッグ・シューターは第六階層付近に出現するモンスターだ。しかし、モンスターは、産まれ落ちた階層の上下二階層ほどは移動することがある、と聞いたことがある。

 気が付けば、俺たちは五階層への道にほどなく近いところまで来ていた。六階層のモンスターと鉢合わせることは珍しくても、決してないとは言えない領域に足を踏み入れていたのだ。

 

「ここはボクが行く! ツカサは他の道からの奇襲を警戒して! こいつだけとは限らない!」

「了解!」

 

 俺は、まだフロッグ・シューターやウォーシャドウといったモンスターたちと戦ったことがない。ここはトルドに任せるしかない。

 周囲に気を配り、他のモンスターが出てこないかどうかに集中する。トルドなら楽勝だとは思うが、挟み撃ちなどの不利な状況になる可能性を消すのに越したことはない。

 近くの通路を覗き込んだとき、女性の悲鳴とモンスターの声が聞こえてきた。そう遠くない位置で戦闘が行われている。トルドが勝利したら、そっちに向かうべきか。

 

 

 

『…………』

 

 

「!」

 

 

 トルドの方に振り向こうとした刹那、背後から殺気を感じ、通路に転がり込む。

 

 

 しまった、他の通路から出てきたモンスターに気付かなかったんだ。トルドと分断されてしまった、早くこいつを倒して合流しなければ――

 

 

 

 

 

「なっ……!」

 

 俺に襲いかかってきたモンスター、その姿を捉え戦慄する。

 

「ツカサ⁉︎ どうした⁉︎」

 

 突如姿を消した俺に、トルドが大声で呼びかけてくる。反響具合や大きさからいって、まだ動いてはいないようだ。

 

「問題ない! こっちもモンスターが出ただけだ! すぐ倒して戻る!」

 

 駆け付けてくるのではなく、大きな声で問うてきたということは、トルドの相手がフロッグ・シューター一体だけではなかったということ。

 全滅させたら、こちらに援軍に来てはくれるだろうが、それをあまり頼りにするわけにもいかない。俺だけで、この戦局を乗り越えなければならない。

 

 目の前の敵を、俺はしっかり知っている。

 

 そいつは、約一六○C(セルチ)ほどの、漆黒で、人の形に近い体躯を持つ『影』。黒く染まっていないところは、十字状の頭部の前面中心にはめ込まれた円形のパーツのみ。

 

 

 

 六階層出現モンスター、『ウォーシャドウ』。

 

 

 

 原作でベル君が苦戦した、鋭利な三本の『指』と、純粋に高い戦闘能力を備えた手強い相手。

 

 一瞬で、臨戦態勢に入り、集中する。

 

 俺が、まだ戦ったことのない強敵。新米がぶち当たる壁とも呼べるこのモンスターを、俺が、ここで、一人で倒す。倒さなければならない。そうしなければトルドと合流できない、なによりこいつが逃がしてくれないだろう。

 

 戦闘は、音もなく再開される。

 

『…………』

 

「⁉︎ くっ!」

 

 先手はウォーシャドウ。

 

 予備動作なしで、その異様に長い腕を伸ばして、ナイフのような三指を突き出してくる。

 

 俺の顔面を狙っていた一撃を、首と身体を一度に捻りなんとか躱す。ヒュゥ、と風を切る音が耳元で聞こえた。

 

 速い。そして鋭い。それだけでわかる、いままで戦ってきたモンスターたちとは一線を画す存在だということが。

 

 約二倍の期間を経ているとはいえ、こいつらと初めて戦ったときのベル君に、俺は【ステイタス】上で敏捷以外が優っている、などという慢心は捨て去れ。

 

 続いてウォーシャドウは、俺に一歩近づき、足元から掬い上げるような切り上げを放ってきた。

 

 俺の胴を切り裂く軌道を描くだろう斬撃を、晴嵐の刃で受け止めに行く。少々心配だったが、しっかり耐えてくれた。

 

 そのまま指を押し返し、今度は俺がウォーシャドウの胴を狙い斬り上げを放とうとするが。

 

「くそっ!」

 

 逆からウォーシャドウの指が迫ってきていた、間違いなくヤツの攻撃の方が先に届く。

 

 晴嵐は間に合わない。如何に速く振るえるといっても、それは俺の技量に懸かっている。わかっている、確かに敏捷が足りない。

 

 咄嗟に膝を落とし、後ろに転がる。後転なんて体育のマット運動以来だ。

 

 即座に膝立ちで晴嵐を横薙ぎに振るい、牽制をして急いで立ち上がる。しかし、その牽制は意味を成していなかった。

 

 

『…………』

 

 

 

 ウォーシャドウは、待っていた。俺が立ち上がるのを、俺が再び向かってくるのを、俺とまた刃を交えることを。その場から一歩も動かずに。

 

 ダメだ、俺は舐めていた。

 

 もとより、「早くこいつを倒して」行こうと考えること自体が、慢心ではなかったか。こいつにも俺は楽に勝てると確信してはいなかったか。何の苦もなく切り抜けられると思い込んではいなかったか。

 

 今はただ、こいつと戦うことだけに、集中しろ。でないと、殺される。

 

 だが、どうする。このウォーシャドウに速さで敵わない以上、晴嵐の長所の一つである振りの速度が活かせないことになる。仮に紅緒に替えたところで、晴嵐よりも遅い斬撃で太刀打ちできるとも思えない。

 

 やはり、ここは晴嵐。綺麗に勝とうなどというこだわりは生ゴミにでも出しておけ。泥臭くても血塗れでも、意地でも勝つ。その意気さえあれば十分だ。

 

「すまんな、見苦しい戦いをして。でも、ここからは全力で行かせてもらう」

 

『…………!』

 

 モンスターに言葉が通じるとは思えない。しかし、ウォーシャドウは俺が晴嵐を構えると同時に、その腕をゆっくりと持ち上げ、「構え」をとった。

 

 二者は同時に走り出す。もともとそうなかった距離がものの数瞬もなく縮まり、消える。

 

 まず、刺突。晴嵐の切っ先と、ウォーシャドウの指が交錯する。

 

 俺が繰り出した、胸、その中の魔石を狙った全力の刺突をウォーシャドウは難なく避ける。しかし、その反動で、同じく胸を狙っていたウォーシャドウの指も到達点を変える。

 

 

 肩を刺し貫く軌道に乗っていたその指を、俺は()()()()()()

 

 

 俺のプロテクターが小さかったこともあり、そのぎりぎりを深々と、俺の身体を突き破っていく指。その感覚は、おぞましくも冷たい。

 

 痛みは、それほどない。恐らく興奮によって痛覚が一時的に鈍っているのだろう。この状態のうちに、勝負を決めなければならない。

 

『……⁉︎』

 

 まさか、これまでの経緯より、俺が避けるだろうと予想でもしたのか、ウォーシャドウは動揺を見せた。知性と学習能力が高い個体のようだが、今回はそれが隙になる。

 

 肩関節は怖くて動かせない。肘だけを使って、貫かれている方の手でウォーシャドウの腕を捕まえ、晴嵐の刃を押し当てる。

 

 真っ黒な腕が切断される。綺麗な切断面から、どろりとした漆黒の液体が溢れ出す。

 

 突然の手痛い反撃にたじろいだウォーシャドウは、後退し俺から大きく距離をとった。

 

「言ったろ、全力で行くって」

 

 刺さったままだったウォーシャドウの腕を引き抜き、今まさに隻腕となった敵を強く睨め付ける。

 

 しかし、俺の方も、大きな血管が破れたらしく、傷口からの出血がひどい。これは、短期決戦で終わらせ、早くポーションで治療を施さないといけないだろう。

 

 お互いに片腕のみ、しかも早い勝利を条件としたこの対峙は、一見ウォーシャドウ有利に感じる。だが、ここで晴嵐の利点が活きてくる。

 

 バランスと使いやすさ、万能性を強みとする紅緒とは違う、より軽さに特化した晴嵐。

 ただ薄いだけじゃない。ただ切れ味を増しただけじゃない。ただ速く振るえるわけではない。そのためだけの軽さではない。

 晴嵐の軽さ。重心のバランスからなる安定感。刃の薄さ。それは「片手でもある程度扱える刀」であるということ。この規格外は、当てて、押すだけで、斬れる。この状態でもしっかり武器の務めを果たす。

 

 しかも、片腕が使えなくなっただけの俺に対し、ウォーシャドウは腕そのものを失ったために、バランス感覚を失う。

 

 もう、この俺はさっきの俺ではない。

 

 ゆっくりと、余裕そうに、一歩、一歩、近付いていく。ここで、決める。気迫でも出ていたのか、ウォーシャドウが途端に焦り出す。

 

『…………! …………!』

 

 体勢を崩しながらも、俺を近付かせまいと慌てて残っている腕を振り回し威嚇するその姿は、恐らく、こいつに遭遇した直後の俺と同じ。

「防御」に傾倒し、「攻撃」をした分受けるダメージのリスクを恐れ、結局中途半端に攻めきれなくなる。

 格下相手には十分通じるだろう。堅守だって悪いものではない。しかし、格上に挑む際には、それを受け入れ、かつその危険を上手く捌くことが必要になる。

 

 縦横無尽に飛び回る指をかいくぐり、レザーアーマーを浅く切り裂かれながらも、ウォーシャドウの懐に潜り込み。

 

 

 

 迷いなき一閃。

 

 

 

「ありがとう。お前のおかげで大切なことに気付いたよ」

 

 ウォーシャドウのもう一本の腕が、その胴体が、地に落ちる。魔石も斬れたのか、少ししか間を置かずして灰となり崩れていった。

 

 

 

 勝った。

 

 

 

 これが、冒険。

 

 ベル君がミノタウロスに立ち向かったときとは比べものにならないくらい小さな冒険。しかし、俺にとっては確かな成果だ。

 

 ただ無鉄砲に向かっていくのではない。ただ危険を顧みず突っ込んでいくのではない。全てを理解したうえで、天秤に掛けたうえで、己の勝利を十分に確信し勝負に出る。それが冒険なんだ。

 

 

 

 

 

 黒い刺客をなんとか撃破した後、急いでポーションを傷口にぶっ掛け、手持ちの布で縛って圧迫止血を試みながら応急処置を施す。

 

 こんな状態でトルドの元へ向かっても、彼の負担を増やしてしまうだけだ。ダンジョンでは全てが自己責任となる。

 またすぐ戦闘になっても大丈夫なように、軽く、しかしきっちり準備を整えてから通路に飛び出す。

 

「トルド! 大丈夫か!」

「それはこっちのセリフだよ!」

 

 一体のフロッグ・シューターと戦っていたトルドの周りには、なお二体のフロッグ・シューターと、一体のウォーシャドウ、三体のダンジョン・リザード。

 六体ものモンスターに囲まれていても、トルドは危なげなく一体ずつ倒してゆく。それだけならまだ、また上がってきたモンスターと運悪く交戦しているという状況であっただろう。

 

 しかし、その足元には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 なんだ、その数は。上層でそんなに連続してモンスターとエンカウントするものなのか?

 

 ――いや、違う。これは。

 

「これは例の『大量発生(イレギュラー)』だ! これから更に増える、ツカサ、逃げるぞ!」

「五階層から上は被害に遭わないんじゃなかったのかよ!」

「わからない、でもこの数は間違いなく例のやつだ。ボクも一度だけ遭ったことがある、この感じは覚えてるよ」

 

 トルドは比較的スピードがあるウォーシャドウの魔石を突いて倒しつつ、駆け寄ってくる。

 

 先ほどまでトルドが戦闘を行っていた場所には、更にモンスターが押し寄せてきている。数は、十じゃきかない。

 あのすぐ先は五階層への階段だ。トルドがなんとか食い止めていたモンスターの波が、堤防を失い暴走する。一気に、ここ四階層に流れ込んでくる。

 

 思えば、ウォーシャドウとの戦闘の直前に聞こえた悲鳴、あれも今回の大量発生の被害者だったのかも知れない。

 

 しかし、モンスターたちは俺たちを追うわけでもなく、ほとんどは目もくれずにばらばらの方向へ散ってゆく。

 それでも、その数の多さからいって、俺たちと同じ道を選んだ奴らだけでも、通路をいっぱいにするほどの規模がある。はっきり言って、異常だ。

 

 地下で起こる、肉の津波。呑み込まれたら死、あるのみの絶望。

 

 かなりの速度で迫ってくるモンスターたちに、追いつかれるわけにはいかない。

 

「まずい、既にモンスターの方が先を走っている」

「走っている? どういうことだ? 大量発生って、ただモンスターが多く出現するだけじゃないのか?」

 

 並走するも、トルドの足を引っ張っているだろう速度しか出せない俺の脚力が恨めしい。

 ウォーシャドウにやられた傷が痛むが、弱音を吐いている場合でもない。肩を庇いながら、出来るだけ速く走る。

 

 トルドの、本来は戦闘中だけのはずの口調が続いているということは、まだ気を抜いてはいけないということだ。そんなことは、これまで一度もなかった。否応にも緊張が高まる。

 

「最近、定期的に起こる大量発生は、それまでに稀に起こっていたものとは全く違うんだ。前も話したと思うけど、モンスターたちが階層を跨ぐんだ。普通は、動いたとしても一つか二つの階層を上下するだけ、だろ?」

「あ、ああ。それくらいだって聞いた」

「でも、この時だけは違う。この大量発生のときだけは、モンスターたちがそれ以上の移動をする。本来十階層から出現するはずのオークが、六階層まで上ってきたりするんだ。ただ大量に発生するんじゃなく、他の階層へ大量に移動する。それがいま起こっている大量発生なんだ」

 

 発生階層から、上下のいくつかの階層へ、途中の階層のモンスターを巻き込んでの大移動。道中の冒険者を軒並み呑み込み無残に噛み砕いてゆく、生きた津波と化し、ただただ蹂躙する。

 

 広いルームに陣取り迎撃戦を行っても、階層の隅に逃げても、結局数の暴力で押し潰されて死ぬ。

 しかも、調査のための上級冒険者パーティが発生階層に到達したりすると収まりやすくなるらしいが、わかっているのはそれだけで、原因は釈然としないらしい。そんなの、手に負えないじゃないか。

 

 原作で定義される「大量発生」とは、まるで違う。

 

 そして、トルドが呟いた「先を走っている」という言葉。それはつまり。

 

「つまり、今俺たちは……」

「多分だけど、モンスターの波の真っ只中にいる。発生階層がわからないからどこまで行くのかは不明だけど、このままでいればほぼ間違いなく呑み込まれて死ぬよ」

 

「それじゃあ、どうすりゃいいんだ⁉︎」

「……正規ルートを通らず、なるべく三階層に近いところまで行けば、あるいは」

 

 正規ルートとは、次の階層にスムーズに移動するために定められたものだ。そのため基本的に、最短経路が正規ルートとなる。

 よって、ほとんどの場合、その道を通ればその階層を最も早く横断できる、ということになる、なってしまう。

 

 それは、どういうことになるかというと。

 当然、その道を通ってきたモンスターの波の方が確実に速い。通路はだいたい七、八M(メドル)くらいの幅があるのだが、それでも正規ルートは()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という絶望的な予想が成り立つ。

 

「モンスターの流れは、多分三階層まで届く。でも、発生地点から遠ざかれば遠ざかるほど、その勢いは落ちてモンスターの密度も小さくなる。突破できる可能性も出てくる」

「なるべく薄いところから抜け出ようってことか」

「でも、必ずそうできるわけでもない。限界まで行っても、足りないかもしれないけど……」

「それが一番可能性あるんだろ。それでいこう」

 

 どのみち、俺一人だけでは生き残れるはずもない。

 むしろ、俺を置いていけば少しは生き残ることができる可能性が高くなるだろうに、こうして共に行動してくれているトルドに、異を唱えるわけもなかった。

 

「……わかった。こっちだ」

 

 四階層の地図は頭に入っているのか、トルドは迷いなく、これまでの方向とは違った曲がり角を曲がる。

 

 やはり下の階層からモンスターが流れてきているのか、そこらにもちらほらと下層のモンスターが見受けられる。

 フロッグ・シューターやウォーシャドウなどが当たり前のように闊歩している四階層など、怖くて歩けない。となると、やはり討伐部隊が組まれるのだろうが、もう何度も行われていることだし、運が良ければその討伐部隊に助けてもらえる可能性もある、とのことだった。

 

「そういえばこれから三階層に向かうってことだけどさ、それまではどこに向かってたんだ?」

「ああ、さっきまでは食料庫(パントリー)に行こうとしてたんだ」

 

 トルドは、難なくフロッグ・シューターとダンジョン・リザードを屠りながら語る。

 

 これまで、この大量発生において生存者は少ない。この頃は、先程のような前兆がある場合がほとんどであって、むしろ大量発生に出くわす前に脱出できている冒険者の方が多くなってきているらしいので、事情はちょっと異なるが。

 とにかく、初回のときを例外として、毎回多少の生存者が出ている。それは実力者であったり、大所帯だからであったりするのだが、彼らが生き延びた場所として、階層の端である食料庫が最も報告が多いそうだ。

 階層全体がモンスターに支配されていても、ほんの少しはマシであるため、討伐部隊も生き残りを捜索する際、まず食料庫から確認に行く、ということなのでそこを一番に考えていたらしい。

 

「でも、ボクたちはLv.1だし、たった二人だ。正直言って望みはかなり薄いと思っていたんだけどね」

「まあ、厳しそうだよな」

「それに、ボクがさっき通路で抑えてたモンスターの勢いが、そこまでじゃなかったのもある。あれなら、三階層近くになれば相当、速度も下がるし数も少なくなるはず。そう考えると、上に向かう方がいいんじゃないか、とね」

 

 横道から飛び出してきたウォーシャドウを、トルドは一突きで葬る。

 

 段々、モンスターが飛び出してくる頻度が上がってきている気がする。時折、その横道を覗き込むと、遠くにだが大量のモンスターを捉えられるので、もうそんなに猶予はないようだ。

 

 

 

 しかし。ひとまずは、俺たちの勝ちだ。

 

 二人して、足を止める。

 三階層にほど近い、正規ルートに合流するところの横道から、その目的の通路を窺う。

 

 

「こんなに大量のモンスター、見たことないぞ……」

「まだ、少ない方だと思うけど……やっぱり、凄まじい数だね……」

 

 

 

 正規ルートは、モンスターに占領されていた。

 

 

 

 モンスターたちの進軍速度は徒歩で追い越せる程度だが、その数が圧倒的だ。比喩でもなんでもなく、()()()()()()()()()()()ひしめいている。

 

 それに、五階層の近くで遭遇したモンスターたちは、それなりに急いで、まるで何かから逃げているかのように走ってきていた。

 しかし、対してこの三階層付近の奴らは、やはり俺たちに目もくれないものの、切迫した雰囲気はないように思える。発生地点から離れてきたから勢いが削がれているだけなのか、それとも。

 

「後ろからも来てるし、怖気付いてる時間もないね。中に入れば、ボクたちが敵の数を減らして逃げ切るのが先か、ボクたちの体力が削り切られるのが先か、の厳しい戦いになる。準備はいいかい?」

「……おう、大丈夫だ」

 

 とにかく、このモンスターの海を掻き分け進み、脱出することができれば俺たちの勝ちだ。

 

 紅緒ではなく、晴嵐を抜き放ち、構える。

 

 こんなところで死ぬわけにはいかない、意地でも生きて帰る。ヒルダさんに気を遣わせておいて、自分で勝手に誓っておいて、無様な最期は許されない。

 

 

 長く長く、息を吐き。

 

 

 大きく大きく、空気を吸い込んだ。

 

 

「んじゃ、行こうや」

「うん。行こう」

 

 

 

 そして、目の前のモンスターの海に飛び込もうと、踏み出そうと、した、その瞬間に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モンスターたちが、宙を舞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第八話 君達は何者なんだ?



 出逢いは偶然に満ち、それでいて必然が占める。

 例え、心構えが有ろうと無かろうと。

 それは突然やってくる。





 

 

 モンスターが、宙を舞った。

 

 

 

 

 正確には、モンスターたちが、ふわり、と、重力がなくなったかのように宙に浮いたのだ。正規ルートを一直線に貫く円柱のような形状をもって、巨大なモンスターの塊が形成される。

 

 俺とトルドは、何が起こったのかわからず、前に出していた足の行き場をなくして、硬直するどころかふらついた。

 

「な、なんだこれは⁉︎」

 

 突然の出来事に驚いているのは、俺たちだけではない。浮かび上がったモンスターたちも、事態を理解できずに慌てふためき、手足をがむしゃらに動かして同士討ちを始めたりしている。

 通路を満たしていた全てのモンスターがそうなったわけではない。端に寄っていたり、天井に張り付いていたりしていたモンスターは影響を受けていないようだ。動揺はしているだろうが。

 

 明らかに、不自然。人為的に引き起こされたであろうことは一目でわかる。だとすると、魔法、か?

 

「――ッ⁉︎」

 

 

 一迅の風が、吹いた。

 

 

 浮いていたモンスターたちが、一斉に落下を開始する。不明な浮力が失われ、万有引力に従って地へと墜とされてゆく。

 

 しかし、彼らが地面に激突する前に、予期せぬ衝撃が()()()()()()()()()()()、浮かんでいたモンスターを軒並み、奥の方へと弾き飛ばした。

 ただ弾かれ飛んで行くだけではない。威力が強すぎて、その衝撃をモロに受けた個体は耐えきれずに内臓をぶち撒ける。灰に還るとはいえ、やはりグロはなかなか慣れないものだ。

 

 間違いなく、Lv.2以上。確実に上級冒険者の所業だろう。それでも、一○○ではきかないほどの数のモンスターを一撃で葬るなど、ちょっと考えられないけれども。

 モンスターを空中で束にし、纏めて吹き飛ばす。そんな、次元の違う戦闘だと理解する。

 

『シャアアアアアアアアア‼︎』

 

「ツカサ、来るよ!」

「!」

 

 圧倒的な力に恐れをなしたのか、運良く巻き込まれなかったモンスターたちが逃走を始める。当然、正規ルートを通ってではなく、俺たちがいるような横道を使って。

 

 ざっと、八体。

 ゴブリンが三、ダンジョン・リザードが一、キラーアントが四。出現階層が七からであるはずのキラーアントが三階層にほど近い四階層まで来ているのも、この状況なら予想できたことだ。

 流石にトルドにメインを張ってもらう。初見での戦闘は安全であるのがいいと、先の戦闘で思い知った。

 

「キラーアントはボクが引き付ける! あとの四体は頼むよ!」

「任された!」

 

 通路の中心を爆走してくるキラーアントの群れ、壁を這って逃げてくるダンジョン・リザード、その後ろからついてくるゴブリンたち。配置的に、俺は戦いづらいが、やるしかない。

 

 気色悪い挙動で近づいてくる大型の蟻のモンスターに対し、トルドはその場で待ち構え、脱力した。

 

 速度に乗ったまま、キラーアントは障害を退けるために、鉤爪を持ち上げ、即振り下ろす。

 

 一瞬、危ないんじゃないか、と思ったが、全然そんなことはない。

 

 何てことないように、トルドは、ひらり、と紙一重で躱し、つんのめったキラーアントの硬殻(こうかく)の隙間にナイフを差し込んだ。

 

『――ギッ⁉︎』

 

 トルドの力と武器ならば、硬殻をも砕き刃を肉に届かせることもできるだろう。しかし、テンポとスピードを重視し、手っ取り早く魔石を砕くためにはこのような技術が不可欠になる。不慮の事故を防ぐ上でも必須だ。

 

 その間に、俺は壁を伝ってくるダンジョン・リザードを狙いに行く、のだが。

 

 届かない。パッと見て、届く気がしない。登れないことはなさそうではある、けど時間がない。どうすればいい。

 

 ――いや、いけるかもしれない。

 先ほどの戦闘で見た、トルドの跳躍。あれが冒険者の【ステイタス】によって強化された身体能力に依るものだとすれば。

 俺にも、ある程度は出せる。

 

 走っている状態から、膝を曲げ、腰を落とし、腕を振り、反動を付けて。勢い良く、ダンジョンの壁に向かって斜め方向から跳んだ。

 

「はぁっ!」

 

 約一M(メドル)半ほども、身体が浮き上がる。

 

 これなら届く。

 

 ダンジョン・リザードに晴嵐を突き刺し。壁を蹴って再び飛び上がる。また、斜めに。

 

 三体目のキラーアントを倒したトルドを横目に、後から来ていたゴブリンのところへ着地、強襲。

 

 晴嵐が虚空を駆ける。

 

『――ァッ⁉︎』

 

 ゴブリンの首が飛ぶ。残された二体のゴブリンは、それでも臆することなく向かって来る。彼らにも逃げ道はない。

 

 それで、俺が恐れたり、後ずさりそうになったりはしない。正面から受け止めるだけだ。

 流石に、一ヶ月以上もこいつらと殺し合いを続けていたら、個体としては違うかもしれないが、そりゃ、慣れる。

 

 威嚇のための右薙ぎ。出鼻を挫かれたゴブリンたちはたたらを踏む。大きな刃鳴りが、俺を強者と錯覚させる。

 

 すかさず、刃を返しつつ、大きく一歩、踏み込む。

 

 刀という武器は、間合いが狭い。本当に目の前に立たないと届かない。

 練習中は怖くて突きばかり使っていた。槍や薙刀などの武器を扱う日は、僅かばかりの安堵さえ感じていた。でも。

 

 急速に、目と鼻の先ほどに接近されたことに、ゴブリンたちは焦る、が、体勢を崩した状態で対応などできはしない。

 

「ふっ!」

 

 

 本命の左薙ぎ。

 

 

 薄刃が、静かに緑色の肌に沈む。

 

 振り抜いた後に残るのは、刃鳴りの残響と、二つの物言わぬ屍のみ。

 

 戦闘、終了だ。

 

 トルドの方はといえば、もう既に四体目のキラーアントの首を刈り取り、勝利していた。

 布で血を拭っておく余裕もなければ、魔石を取り出す時間もない。ひとまず晴嵐は抜き身のままで、トルドと合流する。

 

 とにかく今は脱出することが先決。まだ例の魔法か何かを使った人物の像も、目的も、そもそも味方か敵かもわかっていないために危険ではあるが、三階層へ早く避難した方が無難だろう。

 たった一階層移動しただけでも、状況はかなり変わる。モンスターの波も弱まるだろうし、討伐部隊と出会える確率も高まる。何よりモンスターが弱体化している。難易度は一気に下がるのだ。

 

 

 しかし。まだ逃げ遅れていたキラーアントが、正規ルートの方から顔を出し、た瞬間に殴り飛ばされる。

 

 

「あっ、いたいた」

 

 

 代わりに現れたのは、一人の青年。

 

 旅人がするような軽装に、マント的なものを羽織っていて、その手に武器はない。素手だ。ナックルダスター、もといメリケンサックも持っていない。

 

 彼は、ハッとするような美形で、異様なほど輝かしいオーラをまとっていた。まるで、何かの物語の主人公のような、歴史的な英雄のような、讃えられるべき勇者のような。

 そして、強く自己主張してくるその長く鋭い耳。一つの種族を表す、これ以上ないほどの特長だ。

 

「まだ聞いた人たちかはわからないけど、とりあえず二人、発見したよ」

 

 青年は来た道を振り返って、後ろに誰かいるのか、報告するように言葉を発した。声までかっこよくていらっしゃる。

 

 遅れて、息を切らした女性が青年のところまで走ってきた。服装は青年とそう変わらなく、それでいて素朴な感じ。ゲームで例えるなら幼馴染ヒロインのような。マントは付けていない。

 こちらも、青年ほどではないにはしてもかなりの存在感を放っている。その髪が揺れる度に爽やかな風が吹き荒れるかのような……自分でも何言ってるかわからん。

 彼女は、誇らしげな顔をしている青年を見て、俺たちの方に目線を移し、青くなった。

 

「もし、あの人たち、が巻き込まれ、ていたらっ、どうするつもり、だったんですか⁉︎ あれは大雑把すぎる、から危険だっ、て、ウルスラグナ様も仰られて、いたはずです、よっ!」

「あー、いや、まさか「波」を逆走しようとするとか思わないでしょ? 僕はてっきり、食料庫(パントリー)のほうに逃げ込んでいるものとばかり」

「そうだとしても、有効範囲、を考えるべき、ですっ! 見えないところ、まで効果を延ばすの、は、どう考えても危険です!」

 

 女性が青年を責めたて、彼の様々な言い訳をことごとく論破していく。と、言ってもがみがみ言うのではなく、嗜めるようなものばかりではあるが。

 薄々というか、ほぼわかっていたことだが、あの、モンスターを纏めて吹き飛ばすという芸当をやってのけたのは、そこの青年らしい。

 女性に怒られてしゅんとしている姿に威厳などないけれども、間違いなく、実力者だ。

 

「そもそも、ろくな準備もせずに大量発生(イレギュラー)に突っ込むこと自体おかしいんですよ、今回は比較的モンスターも柔かったものの、もっと下の方で発生していたらどうなっていたか」

「ご、ごめんよアル。どうしても放っておけなかったんだ」

「それはわかります。ですがそれで犠牲者を増やしたり、貴方が犠牲になっては本末転倒なんです。自分のことをちゃんとできて、初めて自分以外の人のことに手が出せるようになるんです」

 

 とりあえず、敵ではないようではある。

 女性が「ウルスラグナ様」ということを言っていたことからして、【ウルスラグナ・ファミリア】だろうか。でも、ノエルさんからもらった資料に載っていたかもしれないけど、俺はそんな【ファミリア】と面識はない。様子を見るにトルドも同様。

 それなのに、まるで俺たちを探していたかのような口ぶりは、どういうことだろう。

 

 というか、ここはまず礼を言うところなのだろうけど、なんだかタイミングを逃したみたいで、どうにも切り出せない。

 

「貴方は同じことをいつもいつも――」

「ちょっと待って。先にアレを」

 

 苦い顔をして浅くうつむいていた青年が、いきなり真剣な表情で俺たちの背後を指差す。

 

 はて、後ろになにかあったかな、と振り返ると。

 

 忘れていた。フロッグ・シューターやキラーアントを含んだモンスターの濁流が、押し寄せてくる。正規ルートがすっきりしたことにより、もう終わった気になってしまっていた。まだ大量発生は終わってはいないのだ。

 

 やけに重い身体を動かし、逃げるか迎え討つか、ほんの少しだけ迷う。普通に考えれば俺程度が立ち向かえるはずもないのだが、もはやまともな判断力は失われていた。

 そんな俺と、武器を構えたトルドの間を、青年がすり抜ける。

 

「ちょっと失礼」

「帰ったらお話の続きですからね!」

「流石に勘弁して!」

 

 青年は、悠長に会話をしながらモンスターの波に突っ込んでゆく。

 普通に考えたならば、通路を埋め尽くすほどの量のモンスターに突っ込むなど自殺行為でしかない。数の暴力に打ち負け、呑み込まれ、無惨に散る以外の末路はない。

 

 ただし。そう試みる者が、普通の人間ではない場合は、その限りではない。

 例えば、Lv.1である俺やトルドなら、きっと不可能だろう。しかし、Lv.2以上の上級冒険者で、あるならば、もしくは。

 

 青年の手に武器などない。その拳を大きく振りかぶり、力強く踏み込んで。

 

「ふんっ!」

 

 

 

 一撃。

 

 

 

 それだけで。モンスターの波が打ち砕かれる。

 

 直撃したのはせいぜい数体の、大雑把な攻撃。それでも、効果は十分すぎるほどに現れた。

 

 あまりの威力に、まるで青年の手から爆発でも起こったかのように、余波だけでモンスターが吹き飛ばされる。爆心地にいたモンスターは耐えきれず内側から爆散する。モーセが海を割ったように、モンスターの波が衝撃で真っ二つになった。

 同じ冒険者でも、こうも違うものか。レベルが一つ二つ離れるだけで、ここまで異なるものなのか。

 いや、素手でこんなに凄まじい結果を出すのには些か無理がある。明らかに異常だ。魔法か何かを用いていないと、こうはならないだろう。

 

 それでも、青年の攻撃を運良く回避し、こちらに向かってくるモンスターも、何体かいる。ふらつく足を踏ん張り、迎撃しようとするが。

 

「お二人とも、走れますか?」

 

 女性が俺たちとモンスターとの間に滑り込み、華麗なナイフ捌きで蹴散してのける。キリッとした横顔が美しい。

 そういえばこの世界、やけに美人美少女率高くないだろうか。まあそんな話、今はどうでもいいとして。

 

「ボクは、走れます、けど……」

 

 ちらりと、トルドの心配そうな目が俺の、負傷した肩を捉える。

 ポーションで治したからもう出血はないものの、止める前に流しすぎたのか、出血多量の症状としてめまいがする。でも、それだけだ。冒険者の身体は、思った以上に強靭にできている。

 

「俺も大丈夫です。問題ありません」

 

 何より、この状況で動けないなどと言えるものか。

 俺たちのやりとりを聞きながら、モンスターを切り続けていた女性は、こちらに向き直るなり移動を開始する。

 

「では、これから脱出します。着いてきてください。……行きますよ!」

「了、解!」

 

 まだ大量のモンスターと戦闘を繰り広げていた青年が、余裕綽々で追いついてくる。

 最早モンスターの波は勢いを失い、俺たちを追うだけの速度はない。女性が先頭を、青年が殿を務める布陣では、突発的に襲いかかってこられても崩れることはない。

 

 助かったのだ。

 

「生きて帰れる……感謝するっす」

「た、助けていただいて、ありがとうございます」

「礼なら、君たちがいることを僕らに教えてくれた人にしてくれよ。僕らは当然のことをしたまでだ」

 

 青年は当然と言うが、本来、ダンジョンでは全てが自己責任。わざわざ大量のモンスターを退かせながら助けになど、普通は来ない。依頼ならばあり得るかもしれないが、そんなお人好しではこの厳しい迷宮を生き抜けないからだ。

 

 だが、おそらく、二人はギルドが募った部隊ではない。完全に善意だけで、助けてくれた。

 こんな人たちも、いるのだ。自分勝手だけど、この世界も捨てたもんじゃないと思える。

 

「今更っすけど、お二人は……?」

 

「僕はパンテオン・アブソリュート。彼女はアルベルティーヌ・セブランだ」

 

 

「私たちは【ウルスラグナ・ファミリア】。味方に勝利を齎す神が治める【ファミリア】です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、真っ白な天井が見えた。

 

 適度に冷えた空気、静寂に満ちた空間。【エイル・ファミリア】の診療所、その病室だ。

 

 大量発生から逃れた俺たちは、幾人かの冒険者と合流しつつ地上に帰還した。その冒険者の中に【エイル・ファミリア】所属の団員がいたので、負傷した人はとりあえずこの診療所に運ばれた。

 

 回復薬――ポーションは便利だが、万能というわけではない。

 差はあるものの、どれもだいたい同じ様な効能で、自然治癒力を高め通常ではあり得ない速度で傷口を塞ぐ、疲労を軽減し活動力を高める、ということが主としてある。

 しかし、物理的な外傷、内傷を治すことはできたとしても、使用者がその傷で負ったダメージまでは肩代わりできない。痛みは和らぎ、体力は回復するが、それで失った血液などは補充できないのだ。

 無論、血液供給を早める効能もある。しかし、急激な血圧変化は血管に負担をかけてしまうために、その効果を強めるわけにもいかないのが現状だ。

 飽くまでポーションは外傷に対して自然治癒のために用いるものであって、例えば、骨折や血管の破れなどは治せるが、骨密度の低下や食生活などによる血管の老朽化などは治せない。

 その辺はまだ研究中で、もしそういったこともポーションで回復できるようになれば、不老不死も実現できるなどと言われているが、科学技術で発展した現世でもそういうのは難航していたので、実現はかなり先の話になりそうな分野である。

 

 結局、ポーションは体力や患部をもとの状態に戻すための道具であり、決して万能薬ではないということだ。

 そんな事情もあり、肩の怪我による出血多量で意識が朦朧としていた俺は優先的に搬送され、輸血を受けているらしい。

 らしいというのは地上に戻ってきてからの記憶が曖昧であるからで、起きたとき腕に針が刺さっているのを確認したからだ。こんなファンタジーの世界でリアルな話だな。

 

「起きたっすか?」

 

 俺が寝ているベッドの横、病室の隅ではトルドが簡素なスツールに座っていた。

 

 とりあえず、起き上がる。壁も棚も仕切りのカーテンも白で統一された病室には、俺のを合わせて四つのベッドがあった。

 

「…………」

「ここがどこかわかるっすか?」

 

 トルドの問いに、小さく頷くことで返事をする。

 

 頭がぐわんぐわんと揺れ、めまいが止まらない。吐きそうで、上半身を起こしていられなくなり、またベッドに倒れ込む。

 まだ肩は痛む。痛むが、我慢できないほどではない。こうして生きているだけで儲けものだろう。

 

「寝てなきゃ駄目っすよ。看護師さん呼んでくるから待ってるんすよ」

「……お、う」

 

 やけに現世的な会話と状況に若干の時代錯誤……いや世界錯誤を感じずにはいられない。入院経験はないが、現世でもこんな感じではないだろうか。

 立ち上がり、病室を出ようとしていたトルドは扉を開ける前に立ち止まり、こちらに戻ってきた。

 

「向かいのベッドに寝てるのがボクたちのことを【ウルスラグナ・ファミリア】の人たちに教えてくれた人っす。一応、礼を言っておくんすよ」

「……わかった」

 

 小声でそれだけ伝えると、トルドは今度こそ病室を後にする。扉は横にスライドするものだった。いよいよ現世じみてきたな。

 

 さて、他の二つが空いているので向かいの人と二人きりなのだが、しっかり仕切られており、そのご尊顔を拝見することができない。というかそもそも起きているかもわからない。

 まあ、挨拶をしないことには始まらないだろう。

 

「あのー……、その、ありがとうございました。お陰で、助かりました」

「……………………当たり前のことをしただけです。御礼には及びません」

 

 返ってきたのは、やけに幼さが目立つ女性……というよりは、少女の声。

 どこかで聞き覚えがあったその声は、思い返せばウォーシャドウとの戦闘の直前に聞こえた悲鳴、それと同じ質だ。

 しかし、それだけでもない気がする。他にも何かで聞いたことがあるような、ないような。

 

 確かめるには、もう一度話しかけて会話をするしかない、のだが。何と言えばいいのだろうか。こういうときに言葉が出てこない己の能力が恨めしい。

 

「えっと、僕は【ブリュンヒルデ・ファミリア】所属の夏ヶ原司です。あ、貴女は?」

「……………………【ワクナ・ファミリア】のカテリーナ、です」

 

 ここで俺、なんて言うことは躊躇われたが、僕、とか慣れない一人称を使うとこっぱずかしい。

 

 しかし、【ワクナ・ファミリア】に、カテリーナ、か。ダンまちに出てきていない【ファミリア】にキャラクターで間違いはなさそうではある。でも、拭いきれないこの既視感は何だ。

 原作に登場しないキャラの雰囲気ではない。だがリューさんのような圧倒的な存在感を放っているわけでもない。確かな矛盾が、このカテリーナという人物に潜んでいる。

 これは、少しばかりカマをかけたりした方が、いいかもしれない。

 

「えと、カテリー」

「カテリーナあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「ちょ、声が大きいぞ主神」

 

 俺の言葉は、何者かの大声と、扉を開く音に遮られてしまう。

 入室してきたのは、一人の幼女と赤髪の青年。こちらも、見覚えがあるような、ないような。さっきから俺は何に引っかかっているんだ?

 

 そんな俺の疑問は、次の瞬間に氷解する。

 

「心配したんだよ、無事だったんだねカテリーナぁぁぁぁぁぁ!」

「あっ、ちょっ……」

 

 これまた大きな音を立てながら、幼女――青年が主神と言っていたことからして、おそらくワクナという神――がカテリーナさんのベッドを囲っていたカーテンを勢い良く開く。

 強く引きすぎたのか、俺にもカテリーナさんの姿が確認できた。

 

 

 できてしまった。

 

 

「…………は?」

 

 号泣でもしそうなくらいに声を上げる女神らしき人物と、冷静さを保とうとしながらも感情の吐露を隠しきれない青年を横目に、俺だけが目を見開き固まる。

 

 思い出した。

 

 その声は、その外見は。

 

 原作第二巻初登場、元【ソーマ・ファミリア】所属で後に【ヘスティア・ファミリア】に改宗(コンバージョン)する、ヒロイン候補の一人、小人族(パルゥム)の、少女。通称リリ。

 

 

 リリルカ・アーデ。

 

 

 トレードマークの巨大バックパックはないものの、一○○(セルチ)ほどの小さな体躯、栗色の髪、円らな瞳。目つきは悪いけど。

 瓜二つというよりは、まるで本人。声も内田真礼さんだし、多少補正がかかってはいるものの、原作やら各メディアやらで見かけるリリルカ・アーデのものと同じ外見をしている。

 

 そう考えると、カテリーナに抱きつくツインテールの幼女は、いくらか年齢退行させた女神ヘスティアに見えるし、赤髪の青年は何年か歳をとった刀匠ヴェルフ・クロッゾに見える。

 ワクナさんは神ヘスティアの格好でもなく、例の紐もない、というか巨乳でない。そこを除けば本当に、妹と言えば信じてしまうだろうほどには似通っている。

 

 これは、どういうことだ。本格的に原作世界からズレてきているのか。それともここまで全て偶然の成せる他人の空似か。後者はないとは思うが。

 

「うわあああぁぁぁぁぁぁよがっだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「ワクナ様、ここは医療機関ですし静かに……あれ、そっちの奴は?」

 

 カテリーナさんに飛びつき泣きじゃくる幼女神を置いておいて、赤髪の青年がこちらに気付く。

 中肉中背、炎を連想させる真っ赤な髪はあからさまにテキトーに切られているのがわかる。男前で精悍な顔つき、よく鍛えられた身体。

 武器も持っていないし、服も違う。でも、確かに、ヴェルフが何歳か成長すればこんな感じになるのではないか、というくらいにはそっくりだ。

 

「被害者仲間、です」

 

 母親さながらにワクナさんの頭を撫でながら、カテリーナさんはやけに醒めた表情、言葉で返す。心なしか空気も張り詰めている気がする。

 

「ふうん?」

「ど、どうも……」

 

 訝しむような、不思議なものを見るような、そんな視線。正直、向けられて居心地が良いものではない、が、青年はそれをカテリーナさんにも向ける。

 

 若干、嬉しそう、にも感じられる。もう、複雑な背景がありそうな気しかしない。

 

 

 色々、訊きたい。

 

 相当に似ているからして、原作と無関係とはとても思えない。

 彼らが、原作に対して、【ソーマ・ファミリア】や【ヘファイストス・ファミリア】に対してどのような関係性を持っているのかいないのか。【ヘスティア・ファミリア】との違いとか。

 リリルカ・アーデやヴェルフ・クロッゾ、ヘスティアのそっくりさんがいるなら、ベル君や(みこと)さんのそっくりさん等もいる可能性は十分にある。

 何らかの情報を得ることで、この世界のことがわかるかも知れない。俺がここに来た理由なども判明するかも知れない。

 

 でも。逆に、ここで質問してしまっていいのかもわからない。俺の存在自体どんな事情があるかもまったくわかっていない以上、無闇矢鱈と喋っていいものではないだろうし、そもそも彼らが、俺からしてみれば敵である可能性だってあるのだ。

 

 結果、もどかしいが、適切な機を待つことにする。情報は欲しいけど安全が先だ。

 

「【ブリュンヒルデ・ファミリア】の夏ヶ原司です。今回は、その、カテリーナさんのお陰で助かったといいますか」

「あああカテリーナぁ、大きな怪我とかは――ぇ」

 

 俺が話し始めると、ワクナさんがぴたりと泣き止み、赤髪の青年もきょとんとした顔をする。

 なにかまずいことでも言ったかと不安になってしまうが、どちらにせよ注目されていることに変わりはないし、今更止めるわけにもいかない。

 

「……別に、私が直接助けたわけじゃないです」

「それでも、カテリーナさんがいなければ俺はここにいないと思いますし、こんな状態で申し訳ないんですけど、えと、ありがとうございます」

 

「…………そうなのかい、カテリーナ?」

 

 暗く沈んだままのカテリーナさんに、ちゃんと女神らしく、慈愛を感じさせる微笑をたたえるワクナさんは優しく問いかける。

 

 事実、カテリーナさんが【ウルスラグナ・ファミリア】の二人に俺たちのことを報せてくれなければ、俺たちはモンスターの海に飛び込み力尽きていただろうことは想像に難くない。

 だから、こちらとしては十分に感謝に値するし、命の恩人と呼んでも差し支えないだろう。

 

「……偶々、です」

「そっか、そっか。それは喜ばしいことだよ。ボクも嬉しい」

 

 ワクナさんの笑みで、空気が、少しだけ緩む。

 

 やはり、先走って質問など飛ばさなくてよかった。とてもじゃないが何か訊けるような雰囲気ではない。

 

 

 なんだか一段落ついたのか、大した負傷もなかったカテリーナさんはもう立ち上がれるようだ。

 

「イネフ・マクレガーだ。俺もしょっちゅうダンジョンにはもぐってるから、なんかあったらよろしくな」

「ボクはワクナ。えっと、わかると思うけど【ワクナ・ファミリア】の主神をしてる竈の女神さ。食堂みたいな店を出すつもりだから、その時には是非来てみてね」

「……それでは」

「はい。また」

 

 退院して行くであろうカテリーナさんを、付添いの二人をベッドの上から見送る。

 

 ヘスティアでない竈の女神に、ダンまち原作登場キャラクターに酷似した人物たち。ほぼ間違いなくこの世界、というよりはこの世界が辿る運命に関わっている。

 

 今でなくても、いつかは必ず真実を知る時が来る、その時まで生き延びてみせろ――

 

 そんなことを、言われているように思えた。

 

 

 

 

 

【ワクナ・ファミリア】の三人と入れ替わりに、【エイル・ファミリア】団長、犬人(シアンスロープ)の医師オルタンシアさんと、脱出する際に出会った団員のロザリー・ドレイパーさん、そしてやけに静かなヒルダさんが入室してくる。

 看護師然とした白衣を身に纏っているロザリーさんは、ダンジョン内ではやけにごつい大剣を軽々担いでいた。人って見かけに寄らないなあ。

 

「はいはーい脈測りますねー。腕出してくださーい」

「あ、はい」

「ある程度回復出来ている様ですね。まだ目眩などの症状は残っていますか?」

「ちょっと頭がぐらぐらします」

「かなり出血していましたからね。疲労感は……迷宮探索の後では見分けが付きませんか」

「輸血パック交換しますねー」

 

 てきぱきと進められる回診に対し、ヒルダさんはベッド脇のスツールにちょこんと座ったまま動かない。若干俯いているために顔も窺えない。

 

 なんとなく、怒っているんだろうな、とは当たりがつけられるのだが、まだヒルダさんから怒られたことがないので、俺自身どうしたらいいのか見当もつかない。いつも表情豊かなために起こる弊害、随分と贅沢な悩みではあるのだけれど。

 

「ああそうそう、ギルドの方からナツガハラさんに通達がありましたよー」

「俺にですか?」

 

 何かやらかした覚えはないが。

 とすると大量発生関連か。俺なんかに時間を割くよりトルドから聴取するだけでいいのでは、とは思ってしまうけれども。

 

「後日ノエル・ルミエールさんかナターシャ・ロギノフさんの所までお越しください、とのことです」

「わかりました」

「トルド君や【ウルスラグナ・ファミリア】の人たちは速攻でうちの待合室使ってやられたけど、流石に怪我人相手はね」

 

 仕事ですから、と、あの巨漢のオズワルドさんが押し切ったらしい。俺やカテリーナさんは寝ていて助かった形になる。

 

 俺が寝ている間に、【ウルスラグナ・ファミリア】の二人は帰ってしまったらしい。せめて礼だけはさせてほしかったが、それも仕方ない、今度出会えたときにでもしよう。

 

 

 ややあって、オルタンシアさんがカルテ的なものを閉じる。この世界にコンピュータのような便利アイテムはないので、当然紙のカルテだ。

 

「では、これで今日のところは終わりになりますが……一応、大事をとって一泊、入院して頂くことになります」

「え、でも……」

 

 今日の夕飯担当も俺のはずだ。いや、それ以外に、それ以前に。

 

「それでですねー、もう外も暗いですし、どうせならブリュンヒルデ様も泊まっていきません? 幸いベッドも空いてま」

「そうさせてもらうわ。ありがとう」

 

「了解です。じゃあ、わたしたちはこれで」

「一時間程で夕食の案内に参りますので、遠慮なく寛いでいてください。では」

 

 そそくさと、逃げるようにロザリーさん、オルタンシアさんが退室していく。できれば残っていてほしかったのだが。

 

 だってヒルダさんは絶対怒っている。台詞の被せ様なんて分かり易すぎだろう。

 

 上手く言い表せない沈黙が落ちる。微動だにしないヒルダさんが恐ろしくてたまらない。

 

 とりあえず、謝ったりしておいた方がいいのだろうか。でも何を? 何に対して謝罪すればいいのだろうか? 逆ギレしているわけでもなく、純粋にわからない。

 

 

「……差し当たって、はね」

「は、はい」

 

 顔は伏せたまま、ヒルダさんはゆっくり言葉を紡ぎながら、俺の胸に掌を押し当てる。

 何を、とは言えなかった。その腕は、小刻みに震えていた。

 

「一先ず、無事でよかったよ……」

「……すいません、心配かけました」

 

 がばっ、と、ヒルダさんは勢いよく上体を起こし、少し潤んだ瞳で睨んでくる。迫力などない。むしろ庇護欲を掻き立てられるような、逆らい難い力を孕んでいる瞳だ。

 

 そのまま、ヒルダさんは何かを言おうとして、物凄く複雑そうな顔をして、結局口を噤む。

 

 代わりに、俺の肩を、怪我をした方の肩の付け根を掴んだ。

 

「ぁっ⁉︎ い、っだだだだっ⁉︎」

 

 いくらヒルダさんの細腕であろうと、まだ治っていない傷口を触られて痛くないわけがない。

 反射的に払いのける。ヒルダさんはやけにあっさり、抵抗もなく手を放した。

 

 透き通るように澄み切ったヒルダさんの双眸が、俺のそれらを捉える。なにもかも見通してしまいそうな、綺麗な二つの水晶が、俺の内部を覗き込んでくる。

 

「その傷は、止むを得ないもの? 仕方のないものなの?」

 

 ウォーシャドウに貫かれた傷。

 

 それは 勝利のための致し方ない犠牲、などと称すれば格好もつくのかも知れない。しかし、果たして名誉であるかと問われれば、それはまた違う話になってくる。

 

 別に、この怪我をしなくてもあの場を切り抜ける方法はあった。トルドに助けを求めるなり、逃げるなりの手段をとることもできたはずなのだ。決して、回避ができなかったわけではない。そもそも警戒を厳にしていれば防げた事態だっただろう。言ってみれば、俺の所為で俺が危機に陥っただけのことだ。

 

 だからこそ、意地になってしまった。子供っぽい、馬鹿で浅はかな考えだと、自分でも思う。

 

 

 神に嘘は通じない。

 

 でも、それでも。今、このちっぽけなプライドを捨ててはならない気がした。

 

 

 死んでしまう気がした。

 

 

「これがなければ俺は死んでいました。肉を切らせて骨を断つ、ってことですよ」

 

「……そう。なら、いいんだ」

 

 美しい。

 

 なにもかもを見通して、なおいつものように、ふんわりと笑うヒルダさんに目を奪われる。

 あぁまったく、何をしているんだ俺は。情けなさ過ぎて擁護などできたものではない。今朝の俺に申し訳が立たない。

 

 

 感情が、ふつふつと湧いてくる。

 

 

「……神様」

「ん? なに?」

 

 きっと、これは怒りであって、悔しさであって、切実な願望だ。

 

 俺は知っている。こういう時、なんと言えばいいのかを。主人公はなんと言うのか、俺はわかっている。

 

「……俺、強くなりたい、です」

 

「うん、……うん、わかるよ、わかってるよ」

 

 

 俺ごときがおこがましい、などということなど百も承知だ。その想いの強さも、俺なんかとは比べ物にならないことなどわかっている。

 

 

 

 

 

 だけど。この気持ちは、正しく本物だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第九話 才能と凡人と


 差異の淵源は、何処に在るのだろうか。

 全知全能の創り手に依らないとしたら、何処に。





「正直に言うと、ツカサくんには経験が足りないと思うの」

「踏んだ場数が少ない、ってことですか」

「そうそう。ここに来るまでまともに戦闘したこともなかったんでしょ?」

「まあ、ダンジョンに入って初めてモンスター見ましたからね……」

 

「平和なことは望ましいんだけど、冒険者になるっていうなら話は別。探索系【ファミリア】への入団希望者は、ほとんどが腕に覚えのある人だっていうのは知ってるよね?」

「ギルドで聞きました。やっぱり見所がないと入団に不利だって」

「仕方ないことではあるんだけどね。元から強い人は即戦力になるし、なにより育成が楽だし、【ファミリア】側だってプラスになる人材が欲しいし」

「じゃあ、俺はスタートラインが他の大多数よりかなり後方にあるってことですよね……」

「それはそうなんだけど、最初から強い方が有利、なんて決まっているわけでもないんだよ」

「どういうことです?」

 

「冒険者って、【経験値(エクセリア)】と【ステイタス】制度のお陰で随分早く成長するでしょ? でもそれは、素材が良ければ成長が早くなるわけではないの」

「え、でも才能とかは大いに関わってくるって聞いたことありますよ?」

「もちろんそれもあるよ。そうね、【ロキ・ファミリア】のアイズ・ヴァレンシュタインさんは知ってるよね?」

「Lv.2へのレベルアップの最短記録保持者(レコードホルダー)ですよね」

「うん。彼女は実際才能がある。でもね、才能があってもレベルアップができない子も、たくさんいる。その違いはなんだと思う?」

「環境……とかですか」

「もちろん、それも大事、なんだけど、一番大切なのは、『意志』なの」

 

「『偉業』達成のための?」

「レベルアップに必要なのは、神々が認める『偉業』っていうのは当たり前の話だよね」

「そう、ですね」

「そのときに『意志』が要るのは当然のことだけど、それ以外の、通常時でも必要になってくるの」

「普段から『偉業』を意識するよう努めるってことですか?」

「そこまでいかなくてもいいけど、ずっと上を見上げて、向上心を持って当たらないと駄目、ってこと。上層階でゴブリンとかを狩っているだけで、レベルアップが許される段階にまで【ステイタス】を伸ばすのは至難の技よ」

「そもそもレベルアップ自体に挑戦できない、と」

 

「【ステイタス】の伸びに伴って、段々上がり幅は短くなっていくけれど、それはその分上質な【経験値】を必要としているからなの。格下相手に無双するだけってのは経験として数えられなくなる、ってことだね」

「レベルアップに、より高い次元の【経験値】が必要なことは知ってましたが、それは初耳です。つまり普通に【ステイタス】を伸ばすためにも、ある程度の、所謂『冒険』が要る、と捉えても?」

「……少なくとも、私はそう思う。まだ降りてきて間もないから何と無くではあるけど、私が見た限りだとそう推測できるの」

「それなら成長率にも、頭打ちの理由にも一応の説明が付きますし、まああながち間違いとは言えないのではないかと、俺も思いますが」

 

「ありがと。それで、この仮説が正しいなら、そのレベルでこれ以上は本当に望めないよ、って状態のことが『頭打ち』に該当することになるの」

「自分が、その次元での最高状態になって初めて、レベルアップのための【経験値】を積めるようになる、ってことですか」

「所詮理想だけどね。実際にはそこまで行くことの方が大変だろうし、そうでなくとも、仲間と協力すればいい話。それに、レベルアップのための【経験値】はちまちま貯めていくものだし」

「劇的じゃなくても、地道にでもいいんですか」

「もちろん。そうでなきゃすぐに死んじゃうよ」

「で、ですよねー……」

 

「そういうことで、『意志』は大切なの。でも、そこに落とし穴があるんだ」

「落とし穴?」

「向上心を持つということは、現状に満足せず、常に自分を高めていこうという志を持つこと、ともとれるよね」

「まあ、その通りだと思います」

「だから、ちゃんと自己分析ができて、反省を次にしっかり活かせる人はすぐ強くなっていく。ヴァレンシュタインさんなんかはいい例ね」

 

「……でも、大半の人たちはそうもいかない?」

「あー、その、言っちゃうけど、探索系の【ファミリア】に即戦力で入るような人たちって、自分に自信があってここに来るわけじゃない?」

「確かに、そういう人じゃないとなかなかやっていけないでしょうし、大手に所属できる人なんかはそこら辺顕著ですよね」

「自分を高めるために来ました、とかならいいんだけどね。大抵は自分の強さがどこまで通用するか、ってことに挑戦する気持ちで来るらしいの」

「……それが落とし穴、ですか。(まさ)しく『井の中の蛙、大海を知らず』、と」

「『されど空の蒼さを知る井の中の蛙、大海知らねども花は散りこみ月は差し込む』。他の場所でならそれでいいんだけど、ここオラリオでのみ、そんな意気込みではまず通用しない。他とは違って、上級冒険者がごろごろいて、第一級まで存在する。そんな魔窟に、自らへの過信を抱えて入ってきたりしたら」

 

「まず間違いなく潰れる……。上を見上げて絶望するか、無理に焦って無茶して死ぬ」

「正解。弱さを自覚して、謙虚に向かい合っていけないと、器の昇華は成し得ない。私は、そういうことを『向上心』って言うんだと思うの」

 

「成る程、「冒険者は冒険してはならない」ってのは、そこら辺から来ているのかもしれませんね」

「その点は、うちの子(ツカサくん)なら大丈夫だって信じてるよ? それに、子供(きみ)たちが【神の恩恵(ファルナ)】を受けとる時の、初期の【ステイタス】はみんな同じだから、伸び代っていう可能性の所でも、実は地味にアドバンテージを持ってたりするし」

 

「あ、そうか。【神の恩恵】は飽くまで「効率的に成長させる力」であって、際限なく強化していけるわけじゃ、ない」

「冴えてるね。そう、きみが察したように、理論上は「最初は弱い人」の方が結果的に強くなりやすい、なんてことになる。確信は、持てないけど」

「いえ、筋は通ってますし、納得できます。ちょっと自信もついてきましたし」

「それなら良かった。これで、ツカサくんに足りないのは、経験、つまり技術だってことはわかったね?」

「はい」

 

「なら話は簡単。自分だけで考え続け、常に上を目指すか、誰かに教わるか――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「簡単、だったらよかったんだけど、ね。ごめんね、ツカサくん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 というわけで、第三階層。今日も地下なのに煌々と照る明かりが眩しいぜ。

 

 本日の講師を務めていただくのは、【ヘリヤ・ファミリア】のトルド・フリュクベリさんです。

 この道五年目、俺と同じく一切の戦闘経験がない状態からのスタートを切り、先輩に倣って知識と経験を積み上げ、感覚を養うことで順応を果たした冒険者の一人だ。

 

 実際、トルドはLv.1の中では強い方だと思う。【ステイタス】を教えてもらったわけではないが、戦闘を観ていると、確かにそう感じる。

 上層のモンスターに対し、多対一でもほぼ無傷で制圧するだけの胆力、キラーアントやウォーシャドウなどの厄介なモンスターの急所を狙い、一撃で確殺できる技術、二本のナイフを主とし、また体術も適度に使い熟す多才さ。どれをとっても今の俺とは比べものにならない。

 このLv.1同士の差さえ圧倒的に思えるのに、さらにその上など、現時点では想像もつかない。つい先日のパンテオン・アブソリュート氏を参考にしたとして、彼らと俺との間にとんでもない開きが存在することが辛うじてわかる程度だ。

 

 しかし、トルドは否定する。

 

「ボクは強くないっすよ。それは、ボクより強い人を見れば一目瞭然なんす。器用貧乏にもなりきれないボクは、ただ優柔不断なだけ」

 

 土を踏む音が乾いて響く。彼の声は壁に、床に、天井にぶつかり様々な方向から主張する。

 

 謙遜もいいところだ。勿論、何も知らない側からしてみれば。

 

 迷宮都市オラリオでは、他では十分に通用する強さの物差しの一切が効力を発揮しなくなる。国家規模を超える戦力をいち【ファミリア】が有していたりと、まるでスケールが違いすぎるのだ。

 手強いモンスターを生み出し続けるダンジョン。それがない都市外では、そもそもレベルアップのための【経験値】を貯めることができる機会があまりない。そのため、Lv.3に到達できれば、飛び抜けた強者であると捉えられる。

 

 しかし、それが英雄格の人物であったとしても、ここでは第二級冒険者。掃いて捨てるほどとはいかないまでも、けして珍しくない。強さだって中の下くらいしかない。

 せめてそれくらいであればいいものの、掃いて捨てるほどいるようなLv.1では、強いなんて称されるべきではない。そう、言いたいのだろう。

 

「優柔、不断?」

「才能がないことなんて、最初からわかっていたはずなのに、色々やろうとして全部中途半端に終わってるんすよ。ボクのナイフ術だって、この前のセブランさんの方がずっと巧い」

 

 対になっている二本のナイフ――「双月ノ弍」をどちらも逆手に持ち、軽く振ってみせるトルドの口元には、諦めを孕んだ曲線が描かれている。

 

 二振りのうちの一つ、上弦の弍を、初速度を大きめに袈裟斬りの軌道に乗せ、勢いのまま回転しつつ突き出す形の蹴り。

 

 出した脚を鞭のようにしならせ、踵から地面に落とす。その足に重心を移動、上体を前方に傾けながら、もう一方の手に握られている下弦の弍で刺突。

 

 全ての動きを滑らかに行う姿は、演武か何かの役者のよう。

 極度に平和ボケした世の中でこれまで生きてきた身としては、一体何が悪いのか、何が足りないのかわからない。

 

 そもそも、現世とこの世界とでは「強さ」そのものの次元が違う。

 個として実力者と評されても、こちらでは有象無象の域を出ない。史実の英傑たちでも、最高でもLv.3といったところだろう。

 

 それほどまでに【神の恩恵】とは凄まじいモノで、また残酷なモノであるのだ。

 

「まあそんなわけで、ボクから教えられることはそんなにないっす。でもここは先輩として、友人として。できる限り協力するっすよ」

「ありがとう。正直、助かる」

 

 俺みたいな素人が我流で鍛錬しても、すぐ壁にぶち当たるだろうし、挫折するだろうし、死ぬだろう。

 その他諸々のことを考えても、「戦乙女(ヴァルキュリヤ)同盟」の【ファミリア】らがなければ、ここまでうまくいくことはなかったと断言できる。

 

 本当、ブリュンヒルデ様さまさまだ。

 

「ところでツカサ、ボクたち戦闘経験皆無組はまず、何から学べばいいと思うっすか?」

「そうだな……武器の扱い、防御の仕方、敵の情報収集……あ、地形の把握か?」

「どれもそうなんすけど、やっぱり一番は、間合いの測り方だと思うんすよ」

「間合い」

「そう。攻撃は当てなければ意味はない、躱せるなら防御は必要ない、勝てるなら情報は価値がない。例外はもちろんあるっすけど、生き残るためにはそういう「常識」に慣れなければならないっす」

 

 トルドは、上弦の弍を真上に放り投げ、回転するそれを見ずに片手で捕る。一瞬でもタイミングを逃せば大怪我を負いかねない、危険なジャグリング。

 

 そんな「当たり前」も、俺には出来ない。

 

「戦闘には欠かせないスキルっす。最初から強い人たちはみんな、勝手に身に付いてるらしいっすよ」

「日々を修羅の中で生きている奴らはやっぱり違うねえ」

「でも、その方がいいとは限らないんす」

「どういうことだ?」

 

「闘争の内にいつの間にか習得するのと、意識して身体に染み込ませるのとはまた別の話、ってことっす」

 

 感覚的に時間をかけるより、理論的に、そして反省的に回数をこなす方が効率が良い、とトルドは語る。

 

 行動が習慣になり、意識が無意識に変わるまでには膨大な期間を要する。しかも移行中は、不安定で危険な戦闘を常に強いられることになってしまう。

 それよりかは、意図的に学び、計画的に経験を蓄積していった方がいい、ということだ。現世風に言うなら、理論派のデータ使いになれ、ということになるだろうか。噛ませになりがちなポジションだ。

 

 敵の動きを知り、自分の動きを知り。自分の攻撃範囲を知り、敵の攻撃範囲を知り。肌に染み込ませるのではなく、脳の皺の一つと刻む。『意志』を持って成長する。

 

「じゃあ、ダンジョン内のモンスターと戦ったことのない状態からなら、俺たちみたいな奴の方が順応速度が早いってことか」

「嬉しいっすよねえ。現実がそうなら、っすけど」

「現実には、違う、のか?」

 

「そこら辺を丸無視して、ボクらをあっという間に追い越して行くのが「才能」溢れる人たちっすよ」

 

「…………」

「そんなに暗い顔することないっすよ。ボクたちはボクたちなりの方法で強くなればいいんす。ほら、今日の敵がお出ましっすよ」

 

 曲がり角の奥から、二匹のコボルトが姿を見せる。

 

 今日は、こちらから強襲することはしない。いつもは、先手を取り主導権を握るために、即接近しているのだが、こうして待ち受ける側になってみると変な感じだ。

 二、三歩ほど後退し、一応紅緒に手を掛けておく。

 

 二本のナイフを弄んでいた手を止め、一人の冒険者は臨戦態勢を整える。纏う空気は一変し、穏やかだった眼は鋭い眼光を放つ凶器と化す。

 

『グオォォォ!』

 

「それじゃ、ボクの戦闘を観ていてほしいっす」

 

 二匹のコボルトが、余裕を見せるトルドに揃って襲いかかる。

 

 鋭利な爪を用い、身体に裂傷を付けようと腕を振りかぶる一匹、喉元に食いつき、噛みちぎろうと大きく口を開く一匹。

 

 対してトルドがとった行動は、半歩横にズレるだけの、立ち位置の微調整のみ。

 

 しかし、結果、見事に爪撃は空振り、牙は虚空を食むだけに終わる。

 

 紙一重。

 

 漫画やアニメなどでよく目にする、見事な回避に付される形容詞は、読んで時の如く紙一枚程度の距離で攻撃をやり過ごす高等技術を示す。

 

 それは、決して簡単なことではない。

 

「重要なのは、臆病にならないことっす。被弾を恐れる気持ちはわかるっすけど、怖がっていたら動きが大仰になるし反撃に繋がらなくなる」

 

 体勢を崩したコボルト二匹を押して下がらせるトルドは、彼の経験に基づく、彼なりの論を展開する。天才には理解出来ない、凡人の心得。

 

 再開される戦闘は、またコボルトがトルドに飛びかかるところから始まる。

 

 今度は、時間差で爪を振るい、一匹が大振りな攻撃を繰り出した後に、もう一匹がすかさず追撃に走る、というような行動をとるコボルト。

 

「慎重なのはいいことっす。でも怯えてはいけない。恐怖と親しい友人になるんす」

 

 膝を折り、腰を落とすことで上段からの切り下ろしを避け、顔面を狙う突きと同じ速度で上半身を反らし、一定の距離を保ったままコボルトの腕を突き出させる。

 

 的を追いすぎてつんのめった形になったコボルトの腕を払い除け、トルドはやっと反撃に出る。

 

 折っていた膝を使い、勢いよく前方に飛び出す。

 

『ガッ……』

 

 意表を突かれた二匹は、さしたる反応も出来ずに喉元にナイフを喰らうこととなった。

 

 トルドが同時にコボルトの喉を切り裂き、戦闘は終了する。

 

 

 五年かけて積み上げたそれは、()()()()()()

 

 

 コボルトの腕と爪の長さを見抜き、その攻撃がどこまで届くか見極め、範囲外ぎりぎりでやり過ごしたのも、避けきれることを知っていて、身体を反らすだけで済ませたのも、全ては経験の賜物。

 反射で躱すのではない。培った感覚と、覚えられる限りの情報と、それまでのあらゆる戦闘を駆使して躱す。

 

 普通に戦うだけなら、そこまでする必要はない。

 ある程度の経験と、ある程度の集中をもってすれば、コボルトごとき無傷で斃せるだろう。俺だって二体相手なら楽に撃破できる。

 

 しかし彼はそうしない。

 

 自分が弱いことを最大限に理解し、莫大な時間をかけて備え、整え、万に一つの事態も起こらないことを当然とするべく努力する。

 

 それがトルド・フリュクベリの回避術であり、流儀(スタイル)

 

 

「……とまあ、こんなもんっす。少しは何かの参考になったっすかね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【カーラ・ファミリア】本拠(ホーム)、服飾店兼鍛冶屋、「星空の迷い子」は今日も盛況である。

 

 時代を先取りするファンシーな服、ひらひらがたくさんついた服、色合い鮮やかな服、可愛らしい服。

 とにかく服、服、服。そして女性客。

 オラリオの北北東に位置するこの店は、主に女性一般市民に人気だ。とてもあの荒々しいお方が主神の【ファミリア】が経営しているとは思えない。

 そもそも【カーラ・ファミリア】の団員のほとんどが女性で構成されていることもあり、店員も女性のみで、店内は非常に姦しい。毎回入店するたびに過剰な心労に襲われる。

 

 もちろん、服を買いに来たのではない。俺は中身も外見も男だし、ヒルダさんに頼まれたって一人では来る度胸もない。

 目的は店舗の奥の扉の向こう、鍛冶屋の部分の方である。

 

 やけにいい匂いがする華やかな衣類の森を無事に抜け、無骨な扉を開けた先には、打って変わって色気の欠片もない空間が待ち受けている。

 鍛冶場と、住居スペースに続く二つの扉以外の壁はほとんど黒い棚に覆われていて、そのどれもに所狭しと武具防具が並べられている。それでも足りないのか幾らかは床にある箱に入っていたが。

 他にあるものは、くすんだねずみ色の小さなカウンターくらいだ。その向こうに、まだ幼さを残す少年が座っている。

 

 エルネスト・ソル。

 

 ここ【カーラ・ファミリア】において唯一の男性団員であるヒューマンだ。職人風の飾り気のない服に、一見無造作に切られた頭髪。こちらの店舗の店番は、大体彼が受け持っている。

 まだ十五ほどの年齢であるにも関わらず落ち着き払っており、そこらの大人より大人っぽい。それは女性ばかりの場所で生活しているために身についた処世術とかだろうか。

 

「こんにちはー」

「どうも、ナツガハラさん。防具ですね?」

「ものの見事にウォーシャドウにやられちゃって。あれ完全にフラグだったよ」

 

 前に、ここで防具を買ったときに、店員のキッカ・カステリーニさんに言われた通りにしっかり裂かれたレザーアーマーを取り出す。

 

 腹部や腕部に細い切り傷が結構あるが、やはり肩部の大穴が目立つ。

 

「これは……買い替えた方がいいですね」

「やっぱりそうなるか。まだ使いたかったんだけどな」

「武器のための節約ですか? 大変ですね」

「うん、まあ。初心者が下す判断じゃなかったとは薄々思ってきてるけど」

 

「別に、悪い選択じゃあないと思いますよ?」

 

 カウンターを出、レザーアーマーが吊るしてある一角で立ち止まったエルネスト君は、ぽつりとそうこぼす。

 前回俺が買ったものとほぼ同じものを取り、何枚ものレザーアーマーを掻き分け更に他のものを探しているその体躯は、そう大きくない。

 

「初心者は、金銭的なことも戦闘効率的なこともあって、最初に選んだ武器が、その後メインに据えられる確率が高いんです。一番馴染むから、って。一番使っていたのがその系統なんだから、当たり前でしょう」

「それは、なんとなくわかる」

「大手なら適性をみてから選ばせてもらえたりもするんでしょうが、俺に言わせてみればそれでも足りません」

「足りないって、期間が、ってことか?」

「そうです。ずいぶん上達してから停滞し、それから一切伸びなくなる人もいる、だからって他の武器に手を出そうとしても、今まで使っていた武器の感覚が身体に染み付いた状態では、ゼロからどころじゃない、マイナスからのスタートになっちゃうんです」

 

「どこまで伸びるかはわからない、限界までいかなければ気付けない。でも、その時はもう遅い、と」

「はい。だから、ナツガハラさんの選択はそんなに悪くはないと思うんです。本来、もっと、いわゆる「お試し期間」をとらないといけないんですよ。普通は」

「普通は、か。なんか引っかかる言い方だな」

「それを必要とせずに強くなっていくのが「才能」のある人たちですからね」

「ここでも「才能」か……」

「ま、それはそれとして」

 

 十五といえば、現世ならちょうど中学生と高校生の中間くらいの年齢。

 

 背丈が伸びる時期は、人それぞれだ。ずっと等速で伸び続ける人もいれば、あるとき一気に伸びる人もいる。だがどちらも大体中高生のうちに迎える。第二次成長期とは、そういうものである。

 しかし、俺が知っているのは現世のそれ。中世ヨーロッパ風のこの世界では当然、そんな常識も変化してしまう。

 現代では、今でこそ平均寿命も延び、平均身長もまた伸びているわけだが、それは栄養状態の改善と科学、医療技術の発展の賜物であるわけで。現世とはまた違った文明が栄えているこの世界では、事情が異なるのだ。

 

「体格だとか、ぱっと見の格好良さとかで決めると後々後悔するかもしれませんよ、ってことです」

 

 要するに、まだ希望は捨てたものではないが、彼の身長に関してはあまり期待ができるようなものではない、ということだろう、か。

 

「…………」

「あ、俺はまだ諦めてませんから。二十歳になって急に伸びた親族がいるんで。牛乳やらの乳製品も積極的に摂るようにしてます」

 

 辛気臭い想像をしていたのは、どうやら俺一人だけだったようだ。ちょっと申し訳ない。

 この世界での、そういった常識的なことも、ノエルさんから資料を借りて学ぶべきだろう。いや、ここはいっそオルタンシアさんとかの方がいいだろうか? まあ、それはまた今度として。

 

 

「背を伸ばしたいなら、そういうのより肉とか魚、卵を食べるといいぞ。チーズもな」

「……え」

 

 摂るべきはカルシウムではなく、たんぱく質だ。何かの雑学で読んだ。現代の研究成果なのだがそれだけは伝えてあげておきたかった。

 

 

 

【エイル・ファミリア】で聞いた話と違いますよ、いや実際はそうなんだよ、などと当初の目的を忘れ身長談義で盛り上がっていると、奥の二枚の扉のうちの一つ、鍛冶場の方からシーヴさんが姿を現す。

 

「俺の村でも効くのは牛乳とかだって――」

「本当のことを言うとそれらは骨を強くするだけで伸ばす効果はだな――」

 

「……何してるの」

 

「そういえば接客中だった!」

「えっ、あっシーヴさん⁉︎」

 

 ジト目で俺たちの暴走を止めてくれたシーヴさんの格好を確認し、俺は思わず目を逸らした。

 

 今まさに焼き入れからの仕上げでもしていたのか、髪は背中で纏められていて、いつもの和服でなくつなぎのような作業服を着ている。

 

 

 ()()()()はいい。

 

 

 暑かったのか、その作業服の()()()()()()()()()()のだ。黒いスポーツブラのような下着を身につけてはいるものの、大量の汗をかき火照った艶かしい肢体は俺みたいな奴には目に毒だ。そこにいつもよりずっと頻繁にぴこぴこ動く狼耳の微笑ましさよ。キュートさとエロスが混じり合って混沌(カオス)と化している。本当に。

 

 でも案外シーヴさん胸あるんだなとか、そんな格好でも綺麗だなとかああああ何考えてんだ⁉︎

 

 とりあえず俺は死んだ。

 

「……?」

「シーヴさん、こっちに出るときは服装、ちゃんとしてくださいって何度も言ってるじゃないですか」

「ツカサだから、いいかなって」

「知り合いでも知り合いじゃなくてもダメなものはダメなんです! さあ早く」

「……暑いのに……」

 

 ごそごそ、という衣擦れの音を無心になって聴く。心臓に悪いよまったく。

 しかし、下着と水着で布面積はそう変わらないのに、なぜ下着を見るとこうも慌ててしまうのだろうか。水着でもキョドるけど。

 

「ナツガハラさん、もう大丈夫ですよ」

「ああ……ありがとう」

「俺も、その反応してました。最初は。慣れって怖いです」

 

 妬ましいやら羨ましいやら。でもそんなことを言ったらヒルダさんに怒られるからやめておく。

 不満げなシーヴさんはちゃんと上下を作業服で固めていた。これも嬉しいやら悲しいやらだ。

 

「もう出番ですか?」

「そう。でも、ツカサの買い物がまだ? なら待ってる」

「わかりました、では後で。……お待たせしましたナツガハラさん」

 

 エルネスト君がこちらに向き直るが、すごく脱ぎたそうにするシーヴさんが気になる。そういうの気にしない人だったのか……。

 

 何はともあれ、前回俺が買ったものとほぼ同じレザーアーマーと、それより耐久力も値段も少し高いレザーアーマーをそれぞれ片手に持ち、エルネスト君は営業スマイルを浮かべた。

 

「どちらにします? それとも別の、もっとがっちりした鎧とかも試してみます?」

「あー……、フルプレートとか? そういうのは値が張るだろうしいいよ。金は武器の方でかなり使うだろうし」

 

 俺にはこれ以上軽装にするという選択肢はない。そもそも普段着でダンジョンに突っ込む主人公とか、水着並の露出度のアマゾネス姉妹とか、そういった原作キャラの方がぶっ飛んでいるのだと言いたい。フィクションって怖い。

 現実でそんなことができるわけもない。俺は強くもないしそんな度胸も持ち合わせていないのだ。悲しいことに。

 

「では、とりあえずこの、同じ規格のものか少々上等なものか、どちらがいいですか? もちろん、他のが見たいと言うなら他のも用意しますが」

「いや、その上等なものにしておくよ。しばらくスタンスを変える気もないし」

 

 実際は直立不動のシーヴさんが気になるから早いとこ済ませたいという気持ちが強かった。

 

 でもまあ、レザーアーマーで要所要所にプロテクター、という感じに慣れてしまい、それ以外を試してみようという気が薄れているわけでもあって。さっきのエルネスト君の話からいって、他の防具にも挑戦してみるべきなのだろう。が、やはり恐ろしくもあるのが実情だ。

 結局、少し黒さも増したレザーアーマーを購入することにした。四○○○ヴァリス。今度はプロテクターも新調しなきゃなあ。

 

「それで、ナツガハラさん。折角なので、俺たちの作業、観ていきますか?」

「え、それは、いいの?」

「まあ、はい。気にしてたみたいだったので、それで多少判断を急がせてしまったかな、という後ろめたさもあるんで気にしないでください」

 

 確かに、わざとか、とは思ったけれど。シーヴさんと打ち合わせしておいて、プレッシャーをかけ即決させ、次への購買意欲を駆り立てる経営戦略の一環かな、とは思ったけれど。そこは突っ込まないでおこう。

 

 いいんですか? という感じにシーヴさんと目を合わせると、頷いてもくれた。

 

「……じゃあ、エルはモニカ、呼んできて。ツカサは先にこっちに」

「は、はい! 呼んで、きます」

 

「鍛冶場ってなんだかんだ言って初めてです」

 

 何やら大人びた余裕を失くしつつ服屋の方へ駆けていくエルネスト君を見送り、シーヴさんに促され熱気が漂ってくる工房に足を踏み入れる。

 

 やはり、まず感じたのは強い鉄の匂い。換気扇は全力で回っているものの、空気は熱く濁っている。

 魔石灯が照らす室内には予想外に大きな炉、鉄床、そして中央の大きな機械。鍛冶に用いるのであろう、鎚や鋏、(たがね)など大量の道具が壁に吊るされていた。

 

 こういうところだ。こういう、リアルにファンタジーな場所を求めていたのだ。ダンジョンは危険だから別として。

 正直、テンションが上がる。こういう所にロマンを感じるのは(さが)というものだ。

 

「楽しそう、だね」

「こういうところ、俺、好きです」

「エルもそうだったし、男の子はみんなそうなの?」

「みんなかどうかは定かじゃないですけど、きっと大半はこういう場所、好きだと思いますよ」

「ふーん……」

 

 しかし鉄を打つ作業はもう終わっているらしく、シーヴさんは完成品と思われるプレストプレートらしき金属の板を持ち、中央の機械に寄りかかった。

 少しばかり髪の毛が揺れていることから、風が出るような機械ではあるようだが。

 

「その、異様な存在感を放っている巨大な装置は何なんですか?」

「これ? 空気清浄機、らしいよ」

 

 この世界にも、空気清浄機はあるらしい。

 どうやら、ここは住宅街のど真ん中なので窓を開けて澱んだ空気を垂れ流すわけにもいかないし、その代わりに最新式の空気清浄機を置いている、とのことだった。そんなの聞いたこともないが、多分それでなんとかなるのだろう。

 窓がないのは、防音のため、という話も聞いた。それに壁と扉には加工が施されており、さっきも俺たちには鍛冶の音など聞こえなかったことから、その質の高さが(うかが)える。

 案外、色んなところが現代風に改変されてるんだなと、改めて感心した。空気清浄機、便利だもんね。

 

 他にも色々と道具を観て回っていると、扉が開く。

 

「よ、呼んできました」

「お待たせしました〜」

 

 エルネスト君の後から入ってきたのは、服屋の方で店員としてよく見かける、小柄な少女。

 

 モニカ・パスカル。

 

 くりっとした目が特徴的な、ほんわかした雰囲気の少女の種族はハーフドワーフ。といっても、ドワーフのように身体は大きくない。むしろ小さめだ。春色のワンピースに空色のエプロンがとても似合っている。

 しかし、容姿がそうでなくともドワーフの血が流れているためか、彼女のメイン武器は槌、それも特大サイズのものだ。温厚そうな少女が巨大なハンマーを振り回しモンスターを圧殺するのはなかなかのギャップであった、とだけ言っておこう。

 

「ところで、これから何をするんですか? それ、もう出来上がってるように見えるんですけど」

「それはですねえ、フリュクベリさんなどから聞いたことなどはありませんか? 【カーラ・ファミリア】の属性付与(エンチャント)の話を」

 

 モニカちゃんが、シーヴさんからプレストプレートを受け取りつつ、にこにこ笑顔でそう告げる。

 

 フリュクベリとは、トルドのファミリーネーム。はて、あいつとそんな話は……した。初めての買い物のとき、トルドのライトアーマーの色の話からそうなったはずだ。

 

「えっと、シーヴさんの、魔法? で、できるんでしたっけ」

「そうです〜。団長と、エルくんの魔法の合わせ技なんです。すごいんですよ?」

「べ、別に、そんなに凄いわけじゃ……」

「すごいですよ〜。もっと自信持ってください。二人は【カーラ・ファミリア】の星なんですから!」

 

 興奮するモニカちゃんに手を握られ、エルネスト君は俯きぎみに謙遜する。心なしか顔が赤いように思える。満更でもないようだ。

 二人の魔法で、武具防具に属性を付与し、『特殊武装(スペリオルズ)』とする。その技術は、聞いただけでも凄まじいものだ。だから、この鍛冶屋はこんな店構えをしているのかも知れない。

 

「……じゃあ、始めよう」

「わかりました〜。ナツガハラさんは、もう少し離れていた方がよろしいかと」

「俺たちの後ろに来るといいですよ」

 

 モニカちゃんが白銀のプレストプレートを胸の前に掲げ、トライアングルを描くようにシーヴさんとエルネスト君が立つ。そして俺が入りいびつなダイヤモンドを構成した。

 エルネスト君が真剣な顔で振り返る。

 

「一応、このことは口外しないよう、お願いします」

「了解しました」

 

 空気が変わる。空気清浄機の仕事の結果としてではなく、確かにこの工房の中の空気が張り詰める。シーヴさんもキリッとして、いつになく美人だ。

 

 シーヴさんと、エルネスト君の手が挙げられる。

 

 魔法の、詠唱が、始まる。

 

「いくよ。【――天駆ける煌きよ、揺らめく紅蓮よ】」

 

「はい。【――遙か遠き神聖なる創世の刻】」

 

 二人同時に、別々の詠唱が開始された。シーヴさんの方にはごちゃ混ぜになった複雑な空気が、エルネスト君の方には重苦しい空気が纏わりついたように感じられる。これが、魔力とかいうものなのだろうか。

 この世界に来て、初めて見る魔法。パンテオンの時にも目の当たりにはしたが、あれは詠唱も発動も見ていないのでノーカウントだ。

 

「【地を奔る奔流よ、吹き抜く疾風よ、轟き叫ぶ雷鳴よ、心に巣食う暗闇よ】」

 

「【無より生み出されし万物を孕む土壌は、何者にも帰順することはなく、凡ゆる物を受け容れる】」

 

「【神より授かりし恩恵を以っていまここに顕現し、大地より託されし権能に依って一つの玉と化し】」

 

「【この一瞬においてのみ、我が身は神々へと至り、理をも超越する】」

 

 その言葉を聴くに、シーヴさんは様々な属性の力を借りる系、エルネスト君は自然を操る系……か?

 二人の掌の数C(セルチ)ほど前に、僅かに光球がちらつく。完成は近い。

 

「【世界の意思に順いて唯一つの祈りを込められよ】」

 

「【愚かで賢しい我の呼び声に応え、汝、千変万化の礎と成りて形を為せ】!」

 

 終了はほぼ同時。しかし、シーヴさんの方が早くその魔法の名を叫び、行使する。

 掌の光球が、一際大きく輝く。

 

「【グラント・エンチャント】!」

 

 シーヴさんの光球が、モニカちゃんの手のプレストプレートへ吸い込まれて、光を伝える。

 それだけではない。何らかの引力でも働かせているのか、エルネスト君の光球が光り輝く防具に引き寄せられる。もしかしたらその光球も、シーヴさんの魔法の演出かもしれない。

 

 次いで、エルネスト君がその魔法を発動させる。

 

「【アース・イーター】!!」

 

 土塊の色をした光が、胸部装甲に溶け込み、同化する。

 一瞬の輝きをもって、激しく振動するプレストプレート。難なく押さえつけるモニカちゃん。

 

 その光が止むとき、すでにそこには白銀の物質は存在しない。

 トルドの防具と同じ、土の色。【カーラ・ファミリア】製の、特殊武装(スペリオルズ)の証。

 

「これで、完成」

「ですね」

「す、っげえ……」

「でしょう? ナツガハラさんも、お一つ、いかがですか~?」

 

 相次ぐ発光により目がちかちかするが、興奮は冷めやらない。本物の魔法に、否応にもテンションが上がるのも、そりゃあ当たり前だろう。

 

 どういう原理でどういった感じの代物なのかは、企業秘密なので教えてもらえないが、その特性、「衝撃衰微(アブソーブダメージ)」について、モニカちゃんといろいろ会話する。

 衝撃吸収効果が付与された防具は、その名の通りあらゆる衝撃を吸収し弱める柔軟性と、簡単には欠けることもなくなる強度を矛盾することなく両立させる、らしい。

 確かに、「不壊属性(デュランダル)」や「魔力吸収(マジックドレイン)」に比べれば見劣りはする。しかし、リーズナブルさと、()()()()()()()()()()という点が「衝撃衰微(アブソーブダメージ)」のウリである。

 

 そうであっても、そんなに有名ではなく、原作読者の俺でも聞いたことのない特性であるわけは、【カーラ・ファミリア】の経営方針にある。

 こう言ってはなんだが、【カーラ・ファミリア】はまだまだ弱小の部類に入る。団員だって二桁いない。それは主神が認める人物の条件が厳しいからなのだが、まあそれは別の話として。

 

 そんな小さい【ファミリア】が、専用特殊武装を作り出せるという、特別な力を手に入れれば、どうなるか。

 当然、狙われるわけで。引き抜かれるだけならまだいいが、無理矢理潰されたうえに強奪、吸収合併などされてはたまらない。

 そのために、まず表立った鍛冶営業をしないのは当たり前として、大手【ファミリア】相手を優先、また割安で提供することで、半ば庇護を得るようにして生き残りの策としているのだ。

 

 いろいろ、あるのである。

 

「ところで、値段の方はどんな感じなんですか!?」

「あ~、それは、えっと……」

 

 モニカちゃんは言いよどみ、箱詰め的な作業をしていたシーヴさんと目を合わせる。

 

 

「ん、同盟? だから、割り引いて、プロテクター一つにつき――五○万?」

 

 

「すいません遠慮します」

 

 

 とりあえず、俺にはまだ早い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この頃、一日当たりの換金額が上がってきてますね」

 

 場所も日にちも変わって、ギルド、相談用ブース。

 冒険者、ナツガハラ・ツカサ。

 担当者、ノエル・ルミエール。

 

「えっ、そんなの記録してたりするんですか?」

「いえ、普通はしないのですが……何分、初めてなもので、そういうこともした方が良いかと思い立ちまして」

「初めて、って、担当が、ですか?」

「ええ。無知を晒すのは忍びないのですが」

「そんな。ノエルさんにはいつも助けられてますよ」

「だったら、良いのですけれど」

 

 知らなかった。だとしたら新人、もしかしたら俺より年下なのかも知れない。

 いつもスーツをびしっと着こなし、まさにできる女という雰囲気なので、そんなことは露にも思ってはいなかった。もちろんそうでない可能性もあるが、そう考えると途端にノエルさんに萌えそうになる。

 

 まあそれは置いておいて。

 

「今はまた、一人でもぐっていらっしゃるのですよね?」

「はい。たまに複数人でもぐることもありますが、ここ最近はもっぱら一人(ソロ)です」

 

 トルドがまた外回りの仕事に出て行ってしまったので、しばらくは一人で行くか、グスタフさん、シーヴさんやエルネスト君と組むしかない。でも彼らにも彼らの本業があるために、それは本当にたまに、でしかない。

 

 それでも、使える武器が増えてきたこともあり、効率が上がってきているように感じてきているのは確か。

 成果がそういう形で出ていますよ、と言われて、嬉しくないわけがない。

 

 しかし、やはり人数が多ければその分楽になるし生存率が上がるのも事実だ。

 

「やっぱり、危ないですよね」

「そう、思うのですが……」

「うちはまだ俺だけですし、難しいってのが正直なところではあります。勧誘の方も、頑張ってみてはいるんですけど、あまり芳しくはなくて」

「一人でもぐることが悪いわけではないとは思うんですが、その場合、より深い階層への挑戦がし辛くなったりは」

「それはもう、仕方ないかな、と。実力が足りていないのも事実ですし、しばらくはこのままでも」

 

 ヒルダさんに言われたとおり、浅い階層で経験を積むことに重点をおいた活動をしてきて、そろそろ五階層にも進出してみようかな、なんて思うようになり始めた矢先にトルドの離脱である。先に進みたい気持ちは十分だ。

 

 しかし、それで調子に乗って死にかけたのもまた事実なのだ。俺一人だけでは危険、それはよくわかっている。

 

 だから、ひとまずはトルドが戻ってくるまでは今まで通り、最高でも四階層までで我慢しようと思う。

 

 

 

 

 

 ギルドを後にして、今日も今日とてダンジョンに向かう。

 

 背には棍、癖のある打撃用武器だ。これも【カーラ・ファミリア】から貸してもらった品だ。

 

 先にギルドに寄ったものの、まだ昼までにはかなり時間がある。日の出と共に起床する生活に慣れると、なんだか毎日得をした気分になる。

 浪人生時代では夜十一時には就寝、六時起床、というなかなか健康的な生活リズムを保ってはいたと思うが、今は四時半起きとかそれくらいだ。

 その分朝も昼も食事は早く、寝る時間も早まっているが、特にこれといった娯楽もないために順応するのは簡単だった。

 郷に入っては郷に従う、までもなく。俺はこの変革を受け入れつつあった。

 

 中央広場は、市街地と比べると流石に静かではあるが、遥かに熱気を帯びているように感じられる。

 ちょうど、ダンジョンへ向かう冒険者の数はピークを迎えている。

 右を向いても、左を向いても、大勢の冒険者。皆、とても強そうに見えてしまう。

 

 パーティメンバー、か。大抵トルド、と思ってはいたが、そろそろ考えなければならないだろう。

 

(【ヘリヤ・ファミリア】の人たちは大体仕事で忙しいし、極東出身の二人にはまだ会ってすらない。【カーラ・ファミリア】も言わずもがな。【エイル・ファミリア】はそもそも戦闘を想定していない【ファミリア】だろうし……)

 

 そういえば、【ウルスラグナ・ファミリア】や【ワクナ・ファミリア】の人たちはどうだろう。

 面識はそんなにないが、それでもあの大量発生(イレギュラー)を共に乗り切ったこともあるし、他の所よりかはずっと可能性はあるだろうし。

 

 今度、調べて訪問しに行ってみようかと思った、ところで。

 

「そこの、黒髪黒目、棍使いの人」

 

 どうやら俺を呼んでいるらしい声に、思考を中断させられる。

 

「えっ、俺?」

「そうですそうです。こっちです」

 

 辺りを見回すと、噴水のところに座り込んでいる青年が、いた。

 

 短く清潔に刈り込んだ頭髪、快活そうな顔は如何にも世の女性にウケそう、つまりはイケメンだ。そして、青年といっても、俺よりかはずっと上。しかし三十路ほどの大人にも見えない。

 服装は、先日出会ったパンテオンよりもリアルに旅人風で、長めの西洋剣と、色あせたローブが渋さを醸し出している。もしやイケメンはみんなこんな恰好をするものなのだろうか。

 

「えと……何か、御用でしょうか?」

 

 しかし、面識はない。噴水が水を勢いよく吐き出す音、水が落ちる音が、やけに大きく響く。

 

 訝しげな表情で、青年の双眸を見据える。

 青年は、にこり、と微笑むと、ゆっくり立ち上がった。この人も、恐らく「才能」がある側の人だと、直感する。

 そんな、見た目からして強そうな彼が、俺なんかに、何の用だろうか?

 

「突然ですみませんね。気になったもので、つい」

「はあ……」

「ぼくは、スハイツ、といいます。貴方、ソロプレイヤーですよね」

 

 それは、俺が背負っているバックパックを見れば一目瞭然だ。でも、しかし。

 

 

 あれ、これは、まさか――

 

 

 

 

 

「サポーターは、要りませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十話 弱きを護るモノ



 強いモノは、弱いモノを護ることが出来るから強いのだ。

 弱いモノは、己が弱く、強いモノに護られていると解らないから弱いのだ。





 

 ギルド窓口受付嬢、ノエル・ルミエールにとって、夏ヶ原司は初めての担当冒険者である。

 

 受付嬢は、ギルドの中で最も外部に露出するポストで、当然ではあるが、見目麗しい女性のみで構成されている。そもそも冒険者は男性比率が高い、彼らも癒しを求めているのだ。

 美人であることは最早絶対条件とも言えるが、その席に就くには学の高さも必須である。ギルドとしても、下手なアドバイスをしたり無理な依頼(クエスト)を紹介したりなどして、稼ぎの元である魔石を持ち帰ってくる冒険者たちを無闇に死なせるわけにもいかない。

 

 そこで余談なのだが、世界の中心、最もアツい街オラリオともなれば、言うまでもなく学問も進んでいるわけで。学問が発展すれば教育機関も発達する、わけで。受付嬢の大半がオラリオ出身者で占められることになる。

 そんな事情もあり、都市外の人間は能力面からしてなりにくい職である。けれど、就職から二年目にして抜擢されることができたノエルは、それなりに誇らしい気持ちでもあった。

 

 しかし忘れてはいけない、彼女はこの部署では、右も左もわからない新人である、ということを。

 いくら基礎能力が高く、オラリオ出身の人々に遅れをとらない程度の教養を持ち合わせていたとしても、初めてではどうしようもないことが、あることを。

 

 

 

 つまるところ、ノエルは困り果てていた。

 

 ほんのつい三○分ほど前に送り出したはずの、自分の担当冒険者の言葉に耳を疑い、萎縮している彼の申し訳なさそうな目を見据える。

 先ほど一人(ソロ)でもぐることの危険性や、パーティを組むことのメリットなどについて話し合ったけれど、彼に仲間が増えるといいな、とは思ったけれども。

 

「さ、サポーター、ですか」

「不味いです、かね? やっぱり」

 

 そうではない。私が求めていたものはそういう展開ではない。

 もっとこう、【ブリュンヒルデ・ファミリア】への新規入団者とか、【ファミリア】同士の新たな同盟だとか。そういったことを期待していたのに。

 

 ナツガハラさんが連れてきた、ギルドロビー入り口近くに立っている、旅人風の青年を確認する。

 いかにも腕が立ちそうな、なんと言うか、強そうな雰囲気を纏っている。しかしそんな人が、サポーターをする、だろうか?

 

 サポーターという職は、勉強、として同【ファミリア】の高レベル冒険者に付いていくために成る場合もあれば、様々なパーティと契約し、雇われとして成る場合もある。

 前者はまだしも、後者は何らかの理由でつまづき落ちこぼれた冒険者が転職して成るパターンが多く、そういう路を辿っている人たちは冒険者からの蔑視の対象となりやすい。

 

 しかし、強いのにも関わらず他の【ファミリア】の人と組むサポーター、という例は聞いたことがない。それは私が新人だから、という訳ではないだろう。常識的に考えればおかしいと気付くはずだ。

 

 明らかに、何かがある。それだけは確実だった。

 

「一応、無所属(フリー)では、ないんですよね?」

「あ、はい。えっと、確か、ホルス。【ホルス・ファミリア】のスハイツ・フエンリャーナ、って言ってました」

 

 聞いたことが、ない。それは私がオラリオ(ここ)に来てからまだ日が浅いから知らないだけなのかどうかは、まだわからないけれど。

 

 でも、少なくともこの街に本拠を構えている【ファミリア】ではないことはわかる。ナツガハラさんに団員募集中【ファミリア】一覧を渡した後、念のため現存する【ファミリア】を全て把握しておいた私の労力が少しだけ役に立った。

 

「わかりました……。では、面談用ボックスの方で話をしたいのですが、ナツガハラ様と私だけでの方が都合が良いかと思われますが、どうでしょうか」

「大丈夫だと、思います」

「では、できればその旨をフエンリャーナ様に伝えてから待っていてください」

「はい。いつものボックスでいいんですよね?」

「そうですね、今、空いているようなので、そちらでお願い致します」

 

 ナツガハラさんを先に行かせ、また、埃っぽい資料室へ向かう。

 現在オラリオに存在しないとしても、もちろん都市外にも【ファミリア】は沢山有る、恐らくそちらの方に所属する人なのだろうと当たりを付け、資料を探すのだ。

 

 

 今回は、ありますようにと祈りながら。

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつものボックスで、スハイツさん及び【ホルス・ファミリア】を調べてくれているであろうノエルさんを待つ。

 

 情けないことだが、俺には直接交渉ができるほどのスキルはないし、この世界の常識すらいまだに危うい奴が真っ当な判断を下せるかも疑問、なのでこうしてノエルさんあたりに助けを求めるしかない。

 先ほど、俺が初の担当冒険者であるとノエルさんは言っていたので、面倒くさいことは極力持ち込まないようにしたかった、けれど、これは明らかに相談案件だ。

 他所の【ファミリア】の冒険者との契約、など、現世で丸一年、人付き合いとは懸け離れた暮らしを送っていた俺にはハードルが高すぎる。

 

 背もたれに寄りかかり、無地の天井と対面する。きっと今の俺は、とても情けない顔をしているだろう。

 

 サポーターとは、所謂、荷物持ち兼雑用係……と言ってしまえば随分有用度が低く感じられる。しかし、真面目に考えてみると、結構重要な役割でもある。

 

 まず、荷物の運搬。ダンジョンにもぐる際に、ポーションなどのアイテムや、予備の武器等を多く持ち込めるようになる。不慮の事故や突然の武器破損にも対応しやすくなるし、なにより帰り道の危険度がぐっと下がる。一瞬で帰還できるような便利システムなどがないこの世界では、如何に準備を周到にするか、で生存率が大幅に変わってくるのだ。

 

 戦闘面においては、モンスターの死骸を退ける、などが挙げられる。アニメでの演出のように、斃したモンスターが即座に爆散する、などという現象は現実(この世界)にはない。魔石を砕くか抉り取るかしなければ、死骸はかなり長時間その場に残り続ける。つまり敵が複数の場合にはそこらじゅうに死体が積み上がっていくわけで、もちろん戦闘の邪魔になる。それらを戦場から除けていくのも、重要な役目である。

 

 そして、魔石の回収。魔石を持ち帰らねば、命の危険を冒し迷宮にもぐった意味がない。しかし戦えば戦うほど体力は減り、背負う荷物は重くなる。そうなれば逃走が難しくなり、本末転倒の死を遂げる、なんて結末を迎えやすくなってしまう。

 

 こう考えていくと、サポーターという職はかなりどころではなく必要に感じられるのだが、意外にも世間での評価は低い。俺の感覚がズレている、とは思い難いけど、実際どうなのだろうか。

 

 

 サポーター、と言えば、原作二巻で登場するリリルカ・アーデが思い浮かぶ。【ソーマ・ファミリア】に属する冒険者、兼サポーターとして生活していたリリだが、その元からの環境を考慮に入れずとも、かなり生きづらい立場であったことは、皆の記憶にあるだろう。

 そしてベル君はそんなリリと出会う。世間慣れしていないお人好しのベル君は、リリからしてみればいいカモだったわけだ。

 

 しかし、ここで勘違いしないでほしいことがある。

 

 本来同じ【ファミリア】の冒険者と共にダンジョンにもぐるはずの、半専業サポーターと出会えたベル君は、相当なラッキーボーイだったのだ。

 

 原作開始五年前の今でなら、まだフリーのサポーターという人員も探せば見つけることも出来よう。だが五年後、ベル君がリリと出会う頃こそサポーターのほとんどはどこかしらの【ファミリア】に入っていて、無所属などどこを探してもいない。

 エイナさん曰く「フリーの人はわざわざダンジョンにもぐろうとはしない、ってことなのかもね」らしいが、確かに【神の恩恵】なしでダンジョンに入るのは危険すぎるし、収入だって安定しない。フリーサポーターが消えるのも道理ではある。

 

 それならどこぞの【ファミリア】に所属しているサポーターと組めばいいじゃないか、と思う、が、それは互いに交流があり、普段から懇意にしている【ファミリア】同士くらいでしか上手く成り立たない。いざこざでも起こった時の収集が難しくなるためだ。

 

 つまり、原作二巻時では、サポーターと新規の契約を結ぶことは非常に困難であったのだ。

 

 そんなわけで、仲間がいない状態からサポーターを雇うことに成功したベル君は結構運が良かったことになる。単に主人公補正だろと言われればそれまでではあるが。

 

 

 では今、スハイツさんと出会った俺は果たしてラッキーなのか?

 

 その問いに答えるのは、非常に難しい。

 出会うこと自体に対しては疑いようもなくYesだ。しかし、場合によってそれも変わってくる。

 例えば、ベル君とリリの例のように、スハイツさんが俺から金品を盗むつもりで誘ったとか、そういうことなら百害あって一利なし、勉強になったと強がるのが関の山だ。

 

 出来れば、この出会いが良いものであってほしいのだが……。

 

 

「ナツガハラ様? よろしいですか?」

 

 つらつらと思考を連ねていくことにも飽きてきた頃に、扉がノックされる。

 今回は、返事をするほどの間が用意されていた。

 

「大丈夫です」

 

 入室してきたノエルさんの小脇には、分厚めのファイルが一つだけ、あった。初日に見た黒いバインダーよりも厚みがありそうだ。

 

「お待たせしました。ほんの少しですが、【ホルス・ファミリア】及びスハイツ・フエンリャーナ氏の情報はこちらになります」

 

 俺に公開できる、ということは機密度は低いだろうが、優良かそうでないかだけでも判断材料にはなる。

 

 テーブルの上で古めのファイルが開かれる。そのタイトルは[都市外の【ファミリア】について 179]だ。

 ノエルさんの手によって、付箋でマークされたとあるページまで一気にスキップされる。

 

「まず、【ホルス・ファミリア】はオラリオには存在しない【ファミリア】です。神ホルスがオラリオを訪れたという記録も残っていません」

 

 第三○八頁、【ホルス・ファミリア】。太陽神ホルスを主神とした、移動式【ファミリア】。

 そのエンブレムは剣と槍と弓と杖が少しずつズレて重なり合っている様子を模したもの。

 初期団長、人間(ヒューマン)、ティマフェイ・スラクシン。創立時団員四名。

 約九二年前。遠い東の小さな村で、結成された。平和の実現を目的とし、モンスターや盗賊などの討伐を主に行う、所謂()()()【ファミリア】であった、と伝えられている。

 様々な村落、都市を巡り、広範囲の治安維持に尽力した。従来の【ファミリア】と異なり、特定の本拠(ホーム)やホームタウンを持たず、【ファミリア】単位で移動を繰り返す稀有な例である。

 その特質からか、二○年ほどで外部【ファミリア】には珍しいLv.3を育て上げることに成功する。将来性を大いに期待されるが、あまりの勢力拡大速度に恐れをなした周囲の【ファミリア】からの攻撃がなかったわけではないだろう。

 これ以降、特に目立った活躍もないまま徐々に勢いを失っていく、と思われたが、ちょうどオラリオから【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】が撤退したのとほぼ同時期に、大きく力を伸ばし、一時的にその地域で有名になった。

 しかし、それから五年、勢力がこれまでにないほどに膨れ上がったところで、突如団員の大半を失い、消息を絶つ。一説では『三大冒険者依頼』の『黒竜』に挑んだ、とも言われているが、原因はいまだ不明。

 一貫して優良と呼ぶことができる【ファミリア】であり、最盛時の推定【ファミリア】ランクはCにもなるとされている。

 

「探せばもっと古い時期のものも見つけられるとは思いますが、恐らくこれが最も詳しいかと」

 

 いや、ちょっと引っかかるようなところもないわけではないが、十分すぎるくらいの内容だった。

 見開き一頁に書かれている内容は、これが全てで、これ以上の情報は、このファイルには載っていないようだ。

 

「私は、ナツガハラ様がフエンリャーナ様をサポーターとして雇うことに、一応は賛成します」

「一応、ですか」

「はい。【ホルス・ファミリア】の評判は悪くないどころかかなり良い部類ですし、私個人としてはナツガハラ様に早めにパーティを組んで頂きたいのもあります。ただ、何かしら事情がありそうだと思ったので、一応、です」

 

 ノエルさんの職務は既に果たされている。後は俺の判断、自己責任の領域だ。

 

 正直、その「何かしら」は気になる。気になる、のだが、俺なんかをつけ狙ったとして、何が得られるだろうか。

 金銭? 蓄えなどほとんどない。俺の暗殺とか? こんな雑魚を斃して誰が喜ぶというのか。ブリュンヒルデ様? それは、困る。でもまあそれならうちに入ってくるだろうし、それもなんだかんだない。

 

 となると、答えはほぼ決まったようなものだろう。

 

「ありがとうございます、ノエルさん。参考にさせていただきます」

「お役に立てたのなら光栄です。あ、念の為、スハイツ様がお持ちならばエンブレムの照合をした方がより確実かと」

 

 ファイルの中からエンブレムが記されているページを一枚、貸してもらい、ボックスの扉につま先を向ける。

 ロビーには待合用のチェアがあるにも関わらず、スハイツさんは律儀にその場から微動だにせず立ったまま待っていた。やけにイケメンなため、周囲の視線をかなり惹き付けて止まない、近寄るにも勇気が要る。

 

 幸いにもスハイツさんの方からこちらに気付いてくれたものの、その爽やかな笑顔に格差を感じずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通路の曲がり角から出てくるのは犬型のモンスター、コボルト。俺よりは小さいくらい。

 

 全部で三体。多くはないが、侮ってもいけない数。

 

 俺たちに気付くと、奴らは即座に体勢を低くし、駆けてくる。

 

 背負っている棍に手を伸ばす。狭い場所で長物は厳禁だが、この世界のダンジョンは通路がかなり広い構造のため、例に当てはまらない。

 

 さあ迎え討とうと踏み出したところで、さっき歩いてきた、後方の通路の壁面に亀裂が入る。モンスターが生まれおちる前触れだ。

 

 このままだと挟みうちとなり、危険な状況に陥りかねない。モンスターが出てくる前に走り抜けられる確率に賭けるか、いや背を向けるのは危ない。ここは速攻で正面突破。

 

 手汗が滲もうと滑ることもなく馴染んでくれる材質の良さに感心しながら、棍を構え走る。

 

 よく発達した爪で切り裂こうと飛びかかってくるコボルトを、すれ違いながらいなす。

 

 撃破しなくともこのまますり抜ければいいのでは、と思った矢先、前方、コボルトたちが出てきたのと違う曲がり角からダンジョン・リザードが何体か、這い出てくる。

 

 ダメだ、厳しい。挟みうちを避けるために挟みうちに飛び込むのは愚行。

 

 左右前方から迫る二体のコボルト。

 

 棍の扱い方について詳しくは知らないけれど、シーヴさんからレクチャーしてもらったし、主人公が棍使いの小説も好きで読み込んでいた。後者は、だから何だという話ではあるが。

 

「ふんっ!」

 

 安定させて突き出し、片方のコボルトの顔面にめり込ませる。少なくとも視界は潰せたはずだ。

 

 身体を沈み込ませつつ、踏み込み一体を押して突き飛ばす。

 

 突いた方の端を短くするように持ち替え、手元に残した方を跳ね上げ、遠心力でもう一体の喉元にぶち当てる。骨が折れる音が伝わってきた。打撃武器の感触にはまだ慣れない。

 

 後方の壁が崩れ落ち、ゴブリンが二体、コボルトが一体、ダンジョンに降り立つ。横目で確認しつつ、己の判断ミスを恨んだ。

 

 最初に受け流したコボルトが飛びかかってこようとしたところに、振り上げていた方の端を今度は振り下ろし叩きつけた。頭蓋骨が陥没する音が響く。

 

 初期の見込みではここで体勢を立て直し、生まれおちたモンスターたちに向かい合うところだが、もう一方から這ってくるダンジョン・リザードを見過ごせない。

 

 

 どっちから先に対処するか一瞬だけ迷った俺は、動き出しがワンテンポ遅れた。

 

 

 そしてダンジョンにおいて、その思考停止は、行動の遅れは、それが僅かであっても命取りとなる。

 

『ガアアアアァッ‼︎』

 

 かなり近くで発された唸り声に、驚いて振り返る。

 

 新しく誕生したばかりのコボルトが、早くも爪を振りかぶって、きた。

 

「!」

 

 咄嗟に棍を横に構え、受け止める。一切の受け流しができなかったため、衝撃を直接喰らった腕がびりびりと痺れ、棍を取り落としそうになる。

 

 二体のゴブリンも寄ってきている、震える腕では紅緒も晴嵐も扱えない、手放すまいと黒材の棒を握り締めた。

 

 結果的に、それは失敗であった。

 

『ゲゲェッ‼︎』

 

 ゴブリンでも、コボルトでもない叫び声が聞こえてきたのは、前でも後ろでも右でも左でもなく、()()から。

 

 そうだ、ダンジョン・リザード。天井から奇襲してくる奴らを相手取ったのは一度や二度ではない、頭の隅にはあったはず、が。

 

 既に降下してきているとして、対処はもう間に合わない。

 

 まずい、これは非常にまずい、と警報が鳴り響くが身体は動いてくれない。頭では理解していても、というやつ、だ。

 

 

 周囲の音という音が消え去る。

 

 

 背筋に冷たいものが滑る。

 

 

 死が視界によぎる。

 

 

 無防備に晒された俺の頭部に、ダンジョン・リザードが強襲――

 

 

「危ない!」

 

 ――するかという瞬間、飛んできた投げナイフがダンジョン・リザードに命中し、()()()()()()()()()()()

 

 ダンジョン・リザードの血肉がそこらじゅうに飛び散り、地獄もかくやな情景に相成る。視覚的にもそうだが、生臭い匂いが不快感をより強くさせる。

 

 別に投げナイフ自体に特殊な機構が備わっているわけでも、魔法が掛かっているわけでもなく。ただ単純に、その威力だけでその異様な現象を起こしてみせたのだ。

 幸いにも俺の頭にはかからなかった……いや()()()()か。

 驚いたは驚いたが、完全に予想ができなかったわけでもない。いきなりの惨劇にすくみあがるコボルトの脳天に棍を振り下ろし、すぐ近くまできていた二体のゴブリンも弾き飛ばす。

 

 それぞれ頭部に、確実に絶命するように打撃を加えられ吹っ飛んでいく二つの遺骸は、地面に激突する前に、異常なほど素早い腕に掻っ攫われていった。

 

「これで、終わりかな?」

 

 余裕綽々な声の主の方を振り向くと、漆黒のグローブをぶらりと垂らす旅人風の冒険者。

 

 その傍らにはコボルトとゴブリンで築かれた、ちょっとした小山ができている。

 

「あれ、ダンジョン・リザードの方は……?」

「何匹かいましたが、急に逃げて行きましたよ。魔石を回収するので少し待っててくださいね」

 

 きっと、先ほどの俺のように、やばいと本能的に理解したに違いない。圧倒的な力が垣間見えた瞬間は俺も恐ろしく感じた。

 

 

 

 すぐそこに落ちた陳腐な投げナイフは、最早原型を留めていなかった。

 

 

 

 

 

「いやー、助かりました。路銀が尽きかけてまして」

「俺もサポーターなりパーティメンバーなりを探してたんでいいんです……けど」

 

 ダンジョン第四階層、第三階層への階段近くの通路にて。ちらほらと見受けられる冒険者たちを横目に、異様なほど萎縮した態度で闊歩する。

 ここまでは正規ルートを辿ってきているため、最低限の戦闘しかこなしていないのだが、それでも気付いたことが、というかよくわかったことがあるのだ。

 

「……スハイツさんの方がずっと強くありません?」

 

 それなりに大きいバックパックを背負い、黒いサポーターグローブを着け、俺の斜め後ろを歩くスハイツさんの出で立ちは完全に専業のサポーター。しかし醸し出す雰囲気は強者のそれ。

 背丈も俺より高いし、戦闘中でも驚くほど落ち着き払っていたり、視野も広いし行動も速いし、正直言って人としての次元が違う。

 なのですれ違うあらゆる冒険者各位から「えっ、どういう状況?」とでも言いたげな視線がいくつも飛んでくる。

 先輩冒険者が駆け出しに付き添いとして同行することはあれど、我の強い人が多いこの業界においてはわざわざサポーターの役を買って出る上級冒険者はまずいない。なので明らかに弱そうな俺の方が、実は強いんだろうか? という無駄な誤解が絶賛量産中だ。

 二ヶ月くらい前にもこんなことがあったような、なかったような。それは純粋に荷物持ちの問題か。

 

 常に周囲を警戒しているらしく、スハイツさんは俺の斜め後方をキープしながら苦笑う。

 

「失礼を承知で申し上げると、そうかもしれません。ですが、ぼくには重大な欠陥があるのですよ」

「欠陥、ですか」

「はい。ぼくが所属している【ホルス・ファミリア】については、もう知ってらっしゃると思うんですけども」

 

 契約するときにも、スハイツさんの事情は訊かなかった。一先ず、その優良という評価と、俺へのメリットを優先させた形になる。

 別にこれといって怪しいところも見当たらないし、問題があるようにも思えなかった、のだが、何か起こってからではアレなので半ば賭けでもあるが、そこはまあ運だ。この人より性格が良さげな契約(フリー)サポーターは見つからないだろうな、というのもあった。

 

「昔は野盗も野良モンスターも普通に相手取れていたんですけど、一回、とんでもなく強い奴と戦ったことがありまして」

「はあ……」

 

 ついさっき、とんでもない芸当を目の当たりにした身としてはとても信じられたものではない。

 それに、【ホルス・ファミリア】は都市外の【ファミリア】だ。その〝とんでもなく強い奴〟とは一体、どんな化け物なのだろうか。資料に載っていた、あの『黒竜』くらいしか思いつかないのだが……?

 

「それ以来、人間以外と正面切って戦えなくなってしまって。実は今日、朝一でもぐりに来たんですが、最も弱いと言われているゴブリン相手でさえ、上手く戦えませんでした」

 

 スハイツさんは、俺に見えるようにマントの前面を開き、シンプルでもよく鍛えられていそうな剣の柄に手を触れる。

 

 先ほど、凄まじい力を発揮したはずのその手は、弱々しく震えていた。

 

 歩いていてもなお、その震えが見て取れる。かたかた、という音も聞こえてきそうなくらいだ。

 いわゆる、PTSD、というやつだろうか。

 

「それはまた、なんというか、気の毒な」

「まあ、積極的にモンスターを虐殺したい、とかではないのでそこまで困るようなことでもありません。こうしてサポーターとして雇ってもらえていますし、金銭面での困窮があるわけでもなし、大した問題じゃないですよ」

「そう、ですか……」

 

 なんだか、とてもやり辛い。年上の部下、の相手をするような。部下が出来たことも社会に出たこともないけれど、多分こんな感じだろうな、ということはよくわかった。決して、スハイツさんを下に見ている、というわけではないので、あしからず。

 

 でも、そんな体験をしているスハイツさんは、どれくらい強いのだろうか。そんな疑問がふと浮かぶ。

 仮にスハイツさんら【ホルス・ファミリア】が本当に『黒竜』に挑んだとして。

 歴代最強を誇った、あのゼウス、ヘラ両【ファミリア】ですら大敗北を喫した怪物、だ。世界の中心であるこの都市の最高戦力でも及ばなかった敵に、Lv.3が精々と言われる都市外の【ファミリア】が、相手になるはずもない。文字通り()()がいいところだろうに、対峙してなおこの人は生き残っている、ことになる。

 相当に運が良かった、では片付けられるものでもあるまい。彼自身の力量に依るところも大きいと考えるのが自然、ではあるが――

 

 まあ、それも全て仮定に過ぎない。

 都市外にもかなり強いモンスターがまだ残っているのかも知れないし(それはそれで問題な気もするけれど)、彼が幼少の頃に大きなモンスターに襲われトラウマになった、という旨の話かも知れない。俺の想像が妄想の域を出ることはないのだ。

 

 気になることが山積みではあるが、この街の基本スタンスは無干渉。深い事情を聞けるほどの仲でもなし、なるべく意識しないのが大人の対応、ってやつだろう。

 

「ん、何か……いますね」

 

 やんわり笑んでいたスハイツさんは、その何かを発見したらしく、目を細め、臨戦態勢をとる。

「約五○M(メドル)前方に敵影確認。挙動からしてゴブリンが……一体。でも、油断は禁物ですよ」

「重々承知しております、はい」

 

 慢心は死を招く。それはもう、軽々しく。先刻の戦闘で、よく思い知らされた。

 

 俺はまだまだ弱い。せっかくこんな強いサポーターと契約できたのだ、このチャンスを逃す手はない。

 

 

 俺は、棍を手に取り、緑色の異形を討伐すべく駆け出した。

 

 

 

 

 

          ○

 

 

 

 

 

「――ということ、でして。事後報告なんですけど、サポーターを雇うことにしました。すいません」

 

 ベッドでうつ伏せになってそう告白する彼は、背を滑る指がくすぐったいのか、僅かに身じろぎした。

 

 もちろん申し訳なさそうな感じは声に乗っているけれど、面と向かって言わないところはズルい、と思わざるを得ない。でも、気持ちがわからないわけではないので、スルーはしてあげよう。

 

「きみが、その人を雇ってもいいかな、ってちゃんと判断したのなら、私が口を挟むところはないよ」

 

 聞けば、信頼できるらしい担当アドバイザーの子もGOサインを出したみたいだし、私があれやこれや言うのも筋が違うだろう。

 日頃からダンジョンについての情報を集めたりしていても、専門職に敵うはずがないし、もう私よりツカサくんの方がずっと詳しい。そこの所の、身の程はしっかりと弁えているつもりだ。口うるさくして嫌われるのが怖い、なんて理由もあったりするのは内緒だ。

 

「それに、優秀な子なんでしょ? きみの探索が安全になるのを歓迎しないわけがないよ」

「……ありがとう、ございます」

 

 こう言っては何だけど、ツカサくんが暮らしていた国、地域、コミュニティは、随分堅苦しいものだったんだろうなあ、なんて思ってしまう。

 上下の関係性はきっちり整えられ、常の情報開示を是とし、上位命令に従うことに非を認めない。彼のような真面目な若者にはさぞ生き辛そうな世界だ。

 そういう制度自体が悪いとは限らない。享受する側が不満を抱かないうちは。

 

 でも、少なくとも、ここにいる間は、自由だ。気楽で気ままな暮らしをしてもらいたい、けれど。

 

「契約期間とか、あるの?」

「はい。今日から約一ヶ月、です。ちょうどトルドたちと入れ替わりになりそうですね」

「ここ二週間くらい休みなしでもぐってるけど、大丈夫なの?」

 

 カーラのところで、シーヴくんとエルネストくんの魔法を見せてもらってから、正確には、二週間ほど前にトルドくんとダンジョンに行ってから、妙にやる気なのだ。

 気合いが入っているのはいいことではあるけれど、迷宮に入れ込みすぎても危ない気もする。

 

 もっと普通に、命の危険がないような生活をして欲しくはある、しかしそれは強要していいことではないだろう。

 というか、強要しても無駄な気がするのだ。

 

 その辺のことに関して、気付いたことが、いや、前から気付いていたことが一つ、ある。

 

「全然大丈夫ですよ。むしろめちゃくちゃ強いスハイツさんがいるうちは怪我もしないような感じがするんです。死ぬなんて以ての外で」

「それなら、良いんだけど……。はい、おしまい。写すからちょっと待ってね」

 

 

 ナツガハラ・ツカサ

 

 Lv.1

 

 力:G 242 → G 246 耐久:G 278 → G 280 器用:F 326 → F 332 敏捷:G 211 → G 214 魔力:I 0

 

 《魔法》【】

 

 《スキル》【】

 

 

 多分、至って普通、平均、平凡。特に良くもなく、別段悪くもなく。そういう【ステイタス】だ。

 

 背に記してあるまま、【神聖文字(ヒエログリフ)】で書き写した紙を手渡し、改めて確認する。

 

 

 ツカサくんは、少し()()()()()

 

 

 彼の感性が、とか、生死観が、とかについての話ではなく、恐らく人格そのものが。性格がおかしいわけでも、行動や言動が狂っているわけでもなく、その存在そのものが。

 普段の彼は非常に安定した人格だ。会話が上手いわけではないけれど、口下手というわけでもなく、一貫性があって、きちんと、人間としての精神が構築されている。

 しかし、細かな歪みがあることが、その普段から感じられるのだ。

 

 彼は争いが少ない、それはもう平和な国から来たと言っていた。モンスターなんか居らず、国民の殆どが戦闘などの経験もなく天寿を全うする、と。

 それくらいならまだいい。このオラリオで暮らす一般市民も、その大半は戦闘などしたこともないだろう。発展した都市部ではその方が当たり前だ。

 

 それでも、彼の国は更に先をゆく。

 まともな戦闘を、見たことも聞いたこともない、という。作り物の小説や文献の中でのみ触れるものであり、血を見ることすら稀であって、戦争も近隣ではほぼ聞かない……らしい。

 

 想像する。そんな血生臭さから隔絶されたような世界に生まれ、これまで平和に平和に生きてきた彼が、いきなり武器を持ち、殺すか殺されるかの世界に身を投げ、いきなり順応できるか、を。価値観がとことん異なる世界に、この二ヶ月とちょっと、という期間だけで馴染むことは可能なのか、を。

 

 

 

 不可能だ。

 

 

 

 剣も持ったことのない彼が刀を振るいモンスターを斬ることも、重たい防具を付ける初めての日にいつもと変わらない動きをすることも、飛び散る血の香りに、肉を割き骨を砕く感触に、こんな短期間で慣れることも、恐らく全く違う文化圏で平然と暮らすことも。

 

 

 考えれば考えるほど不可能だ。

 

 

 それは、私が無力を噛み締めたあの夜の、彼の様子からもよくわかる。耐え切れず溢れ出す慟哭は、今も耳に残っている。

 

 

 考えられるのは、精神の分裂。

 

 極端に言えば新たな人格の形成。急激な変化から心を守るため、贄となるもう一つの人格を作り上げる、のだが、ツカサくんはそこまでいってはいない。一部を切り取り、ひとまずはそれで受け止めようとしている、という感じだ。飽くまで仮説、だけれど。

 

 慣れればもう少し大きな部分で支えるようになるのかもしれない。ずっと対応するところは代わらないかもしれない。それでも、その無意識の動きはそれなりに上手く機能してくれている。いつか壊れる可能性もあるけれど、その時までに私が頼れる存在に成ればいい。

 

 しかし、それに対して、今回の妙な情熱は非常に害悪なものとして作用しかねない。

 折角頑張ってくれている彼の精神に、重大な負担を与える恐れがあるのだ。

 

 それを防ぐためにも、なるべく無理はしないで欲しいし、できればダンジョンに行く回数も減らして欲しいのだけれど……。

 

「……そんなに必死になる必要はないんだよ? 私は、きみが生きていてくれればいいんだから」

「不測の事態に対処できるようになるためにも、経験を積むことが必要、じゃないですか。それに、早くヒルダさんを楽にさせてあげたいので」

「え、あー、う、うーん……」

 

 面と向かってそう言われると、どうにも。さっきも優秀なサポーターが付くなら安全になるねって旨のことを言ってしまっているし、反論の機会を逃してしまう。

 

 嗚呼、ダメだ私、甘いなあ。

 

 

 ぎこちなく微笑む彼の瞳は優しい色に染まっていて。直視できない。

 

 

 ありのままでいる、元々の貴方。弱々しくもがく、新しい貴方。

 

 

 

 

 

 今の貴方は、どっちなの?

 

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

 異形の叫び声と、地を蹴る二組の足音が、地下迷宮の静寂を破る。

 

 両手持ちの剣を、上段から、とにかく力任せに振り下ろす。

 

『ガッ⁉︎』

 

 緑色の生物は、真っ二つに切り裂かれただの肉塊と化す。大剣が地面にぶつかり多少の衝撃が伝わってくるも、大したことはない、続行だ。

 

 歯を食いしばり、横に一歩、踏み込むことで犬頭の攻撃を回避しつつ、もう一体の緑色に、強烈な斬り上げを見舞う。

 

 見栄えの悪い頭蓋とずんぐりした胴体がおさらばする。

 

 太刀筋はブレにブレているが、刀と違い、西洋剣は()()()()ための武器だ。かなり重いので取り回し辛いことに目をつぶれば、当てさえすれば切れるので、ストレスが少なく、戦闘が爽快になる。

 

 スハイツさんがいるので基本的に足元を気にする必要はない。大振りに振り切った状態で一瞬だけ静止してから、逆方向に思い切り踏み出す。

 

「うお、らぁぁぁっ!」

 

 今度は斬り下ろし。二足歩行の犬頭めがけて勢いよく、ずどん。

 

 ゴブリンが二体、コボルトが一体。撃破完了だ。

 

 刀身に付着した血液を拭き取りつつ、スハイツさんの素早い仕事ぶりを観察する。

 俺も魔石回収用に白いナイフを持っているので、最初の頃は手伝おうとはしたのだが、スハイツさんが拒否するし、実際スハイツさんだけでやった方が早いので任せっきりになっている。

 

 最近は、どの武器も一回以上ずつ使ったこともあって、だいぶ戦闘が楽にこなせるようになってきた。上層のモンスターたちにはもうほとんど遅れもとらない。

 まあ、こういうときこそ気を引き締めなければならないのはメタ的に理解している。

 

 斜めに背負っているこれまた大きな鞘に大剣を収納し、傷を負っていないか確認する。知らないうちに防具が壊れていた、などはよくある話、だそうだ。

 白のナイフはもちろん、紅緒、晴嵐もだいたい携帯している。それなりに重いが、そこは仕方ないと割り切って、装備の一部のつもりにしている。いくらスハイツさんがいるからといって、試用武器だけでもぐるのは危険すぎる。

 

「終わりましたよ。行きましょう」

 

 三つの魔石と一つの「ゴブリンの牙」をバックパックに詰め込んだスハイツさんは、にこやかにそう告げる。

 

 

 なかなか、順調にいっていると思う。

 小中でサッカーをやっていた、くらいしか運動経験がなく体力もかなり落ちていたけど、段々と身体を動かす感覚も鮮明になってきていて、戦闘中の咄嗟の思考も少しずつだが現実のものとなりなんだか楽しくなってきている。

 よく漫画とかである、一瞬のうちにめちゃくちゃ心の中で喋ったりする、アレだ。流石に命のやり取りを繰り返せば嫌でも身についてくるものだ。

 

「四階層まで、だいぶ早く到達できるようになってきましたねー」

「そうですね、これもスハイツさんのおかげですよ」

 

 スハイツさんがいるおかげで、目の前の先頭に集中できるのだ。トルドらと共にもぐっているときが悪いわけではないけれど、なんていうんだろう、安定感が桁違い、とでも。

 

「いやあ、ナツガハラさん自身の力が上がってきているんだと思いますよ」

「え、その、……そう、なんですかね?」

 

 まだまだ未熟だと自覚しているけれど、褒められて悪い気はしない。社交辞令? んなもん知らん。

 

 ほんのちょっと浮かれていると、スハイツさんは俺の真横まできて並走……ではなく、並歩する。彼は、古き良き大和撫子の在り方を体現しています、とでもいうようにずっと俺の斜め後ろを歩いていたので、少し違和感を覚えた。

 

 なので、とスハイツさんは続ける。

 

 

 

 

 

「もっと下、行きませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一一話 サポーターのち、デート?


 何時だって、人は擦れ違う。





 

「やあ、いらっしゃい。今日は何をお求めに?」

 

 

【エイル・ファミリア】本拠、医院併設の薬局。特に名前はないらしい。

 なにやら計算をしていたらしいヨシフは、手動扉を押し開いて入ってきたのが俺だとわかると、わかりやすい営業スマイルを浮かべた。

 

「二○○○と一五○○のポーションを二つずつ、あと解毒薬を一つ」

「はい、ちょうど一○○○○ヴァリスになります。こんな朝早くから、元気だね」

「そっちこそ、こんな時間じゃ客も来ないだろ」

「案外来るものだよ。探索前に急にポーションを買いたくなった冒険者とかね」

 

 現在時刻、推定、午前四時過ぎ。まだ日は顔を見せていない、街はまだ眠っている時間帯だ。

 こんな早朝から開いている店舗はあまりない。集客率も悪いし、強盗に入られる危険性も高いからだ。栄えている街ほど、治安も悪くなりがちなのはどこの世界も同じか。

 

 しかし病院は話が別だ。どこでも夜間に急患は発生するもので、そのときに受け入れてくれるかどうか、というのは評判に直結する。勿論、経営的な観点からだけでなく、苦しんでいる人を少しでも多く助けたいというのが本音、とヨシフは語る。

 薬局の方もその理念を持ち合わせてはいるが、日中と違い、やはり利用客は専ら冒険者だ。用途は、そう、今の俺のような感じ。

 

「最近は、七階層あたりに?」

「まあな」

 

 四本の試験管もどきと、極細のビーカーもどきがカウンターに乗せられる。

 ポーションは懐の余裕が出来次第、より高価なものを買い求めているが、解毒薬も一緒に購入するようになったのは最近から。

 七階層付近には、パープル・モスという毒鱗粉を撒き散らすいやらしいモンスターが出現するために、その辺りを主に探索する場合は、解毒薬があった方が安心、というか半分必須である。そこから俺がその近辺に行くことを悟ったのだろう。

 

「トルドがいなくて大丈夫なのか?」

 

 一月ほど前から、【ヘリヤ・ファミリア】の交易のため、俺のいつものパーティメンバー、トルドは都市外に出ている。

 今回も新しい武器を依頼してあるので楽しみではあるが、ダンジョンには基本的にトルドと組んでもぐっている俺にとっては相当の痛手だ。

 

 二人のときでさえ安全圏――四階層くらいまでだ――だけを探索しているというのに、たった一人のときに敢えて新しい階層に挑む、というのは道理が通っていないし、十分に強い人ならまだしも、そんなに強くもない俺の場合はただの自殺行為と大差ない。

 

 普通なら、だが。

 

「めちゃくちゃ強いサポーターと、期間限定だけど契約できてな。あいつがいない間に頑張って強くなって驚かせちゃおう作戦実施中だ」

「なるほどね。でも、フリーで強いサポーター? なんかワケありな感じがするけど……」

「正面からモンスターと相対できないんだとよ。本当かどうかはさて置き、気にはしてるけどまあ実害はないし、口出し無用かな、って」

 

 幾つかの硬貨と引き換えに、毒々しいまでに鮮やかな色合いをした薬液を手に入れる。初めて飲むときはかなり躊躇したものだ。

 

 実際、ポーションってどんな原理でできているのか不思議でならない。

 流血を堰き止め、即座に傷口を塞ぎ、痛みを和らげ生命力を高める。骨が折れようと、皮膚が焼けただれようと、四肢が潰れようと、引きちぎれようとも、多分、治す。だからといって実験してみようとは露ほども思わないけれど。

 死に至る損傷であっても、その効き目と早さには差があれど治癒させ確実に復帰させる。これを見るたびに、つくづくファンタジーというものを思い知らされる。

 

 これが現世にあったらどんなに便利か、なんて仮定は無意味だ。どうせ戦場とか救急医療の現場くらいでしか使われまい。こんな世界で、俺たちのような奴らがいるからこそ、需要があるのだ。

 

「ま、何かあったら遅いし、気をつけなよ。ブリュンヒルデ様や担当アドバイザーさんほどではないにしても、相談に乗るくらいはできるからさ。こっちとしてもお得意様を失うのは痛いしね」

「おう、その時は頼む」

 

 購入したポーション類を、脚に着けてあるホルスターに収納する。大きさ的にこれで限界だ、探索が厳しくなるなら代わりを考えなければ。

 もっと大きなものを買うか、より高性能なポーションに乗り換えるか、いっそのこと両脚に着けてみるとか。動きが悪くなるからそれは無しか。

 

 スハイツさんとの契約が切れればまた、バックパックを装備しての探索になる。そう考えると、改めてサポーターのその有用性が浮き彫りになってくる。荷物の心配をしなくていい、というのは思った以上に楽なのだ。

 

「そういえば、ヨシフも、もぐったりするのか? 大体ここにいるけどさ」

 

 戦乙女(ヴァルキュリヤ)、エイル自身医学に通じているだけあって、ここ【エイル・ファミリア】は基本的には商業、というよりは医療系の【ファミリア】である。

 所属する団員は医師か医師志望、婦長クラスの看護師がほとんどで、運営する人員の割合が、団員より一般市民の方が高いという珍しい【ファミリア】で、都市外から医学を学ぶために留学してくる者までいるという。実はそこで都市外の国、市町村と交友関係を結び、【ヘリヤ・ファミリア】に仲介し……と、同盟ぐるみで中々強かに生き残りを図っているらしい。それはまた違う話だが。

 

 このような深夜、早朝の営業ではそれなりのリスクも伴うため、今カウンターにいるヨシフ・レザイキンは少なくとも強盗相手に戦えるほどの実力は備えているのでは、と思った次第、だ。

 

「いや、昔はもぐってたんだけどね。二年と少し前かな、例の大量発生(イレギュラー)に遭ったのがトラウマになって、もう戦えないんだ」

 

 それでもトルドはほとんど一人でもぐり続けていたんだけどね。ちょっと情けないや。と、ヨシフは自嘲気味な笑みを浮かべた。

 

「その、すまん」

「別にそんなつもりはないから気にしないでいいよ。同じような症状の治療の時に地味に役立つし、こういう時間の窓口対応をするのは少なくとも戦えるやつがやる方が安心だろ?」

 

 ヨシフの表情に悲壮感はない。

 治せないわけではないだろう。そういう心の傷の治療も行っている【エイル・ファミリア】で、ヨシフは敢えて治さないことを選択している、のか。

 

「だからさ。トルドに新しい仲間ができたって聞いたとき、嬉しかったんだ。自分勝手かも知れないけど、ね」

「あいつは、そういう考え方はしないだろ」

「僕もそう思う。感情を自己完結できたことが嬉しかったんだ、多分」

 

 きっと、トルドはヨシフを責めるようなことはしない。けれどヨシフはそれで苦しんでいた。関わり合いとは面倒なものなのだ。

 

 そう考えると、あの時のサービスは、そのつもり、だったのだろうか。主神エイルも彼の感情を理解した上で、感謝の意を、俺に伝わらないようにしながら彼の傷を癒そうとしていた、のだろうか。憶測が過ぎているかな。

 

「でも、うちには僕の他にももぐってる人がいるし、僕もまたもぐりたくなる時が来るかもしれないから、さ。その時は、是非とも頼むよ」

「もちろんだ」

 

 なら、その時が来るまで、研鑽を積み実力をつけるのが、俺とトルドの役目だ。

 

 

 薬局を後にし、バベルの足元、中央広場へ足を向ける。

 最初に出会ったところで、今日もスハイツさんが待っているだろう。そういえばあの人は毎日何時くらいから待っているのだろうか。行けばいつもいるけれども。

 

 思えば、現世に比べて随分と関係性が増えた気がする。

 

 もともとそんなに知り合いも多くなかったし、浪人中はまともな話をする機会もなかった。そこから考えれば飛躍的な変化だと言えるだろう。

 

 現世では煩わしかったり、面倒だったりしたから避けていた、でも。

 

 

 

 今は、少しだけ、心地良いと感じられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一振り。

 

 大仰な構えも、無駄な動作もいらない。

 

 ただ、確実に切り裂く一閃があれば、それだけで十分だ。

 

『ギッ⁉︎』

 

 踏み込んだ刹那、赤みがかった刀身が煌めく。

 

 最期の鳴き声を発した巨大な蟻型の頭部が、音もなく胴体から離れ落ちてゆく。

 

 見届けている余裕はないし、その気もない。

 

 即座に次の動作へ入り、敵の追随を許す時間も作らず、戦闘を続行する。

 

 俺に戦闘継続能力はあまりない。するならば速攻、できれば一撃が望ましい。贅沢なのは承知の上だ。

 

「!」

 

 真横から、何かが高速で飛んでくる。

 

 たったいま出来上がった死骸を押しのけ、もう二匹の『キラーアント』が押し寄せる。

 

 それだけじゃない、いつの間にか『ニードルラビット』まで足元に迫ってきている。

 

 一見すれば、少しでも対応が遅れたら被弾が避けられない、少々危機的状況。身体は竦み、四肢は勝手に動き出そうとする。

 

 大丈夫だ、思考を紡げ。

 

 手首を捻り、紅緒を縦回転。頭部を狙っていた『フロッグシューター』の舌を斬り飛ばす。

 

 続けて持ち上がった刃を、重力に従い振り下ろし、ニードルラビットを脳天から一刀両断する。

 

 型としては推奨されないが、冒険者の技量的に片手だけでも安定させられないこともなく。無理に空けた方の手で晴嵐を鞘から抜き、少し前方の()()()()()

 

 抜重にも慣れて、滑らかにこなせるようになってきた。腰を落とした体制から、キラーアントに向けて鋭い斬り上げを放つ。鋭いは当社比だが。

 

『シ、ャ――』

 

 威嚇などさせてもやらない。先ほどとほぼ同じ軌道を描き、ほぼ同じ切断面を作った。

 

 しかしそれでは、すぐ横で鉤爪を振り上げるもう一体のキラーアントへの攻撃が間に合わない。角度的にも、重量的にも、技量的にも、俺の腕ではこれが限界だ。

 

 力任せに反撃することはできる。しかし硬殻に阻まれ致命傷は与えられないうえ、向こうが先手を取る以上、賢い選択とは言えない。

 

 だからといって、諦めるわけにもいかない。

 別に、無理にこの場面を選ばなくてもよかった。一旦引いて各個撃破する方法でも全然よかったけれど、敢えてこうした。

 本来なら俺程度の能力値で、このモンスターたちを相手にして、安全に切り抜けるのは少々難しい。だが今の俺は、足元を気にしなくてもいいし、更に言えば相当なことがない限り死ぬ確率も極めて低い。

 

 

 この境遇で、挑戦しなくてどうする。

 

【ステイタス】で劣るくらいで怖気付いているなんて勿体無い。弱いなら弱いなりにもがくまでだ。

 

 強くなりたいなら力をつけ、技を磨き、心を鍛えるのみ。

 

 

 斜め上方に振り切った紅緒を、握り締める手の握力を一息に抜き、()()()

 

 呆気なく、俺の愛刀は宙を舞った。

 

 そして、片足を踏み込み重心を強引に下げ、地面に刺しておいた晴嵐を掴み。

 

「うお、らぁ!」

 

 居合の要領で、引き抜きつつそのまま振り抜き、鉤爪を持つ腕を斬り落とす。

 

 これなら、刀身への負荷を抑えつつ素早い抜刀術もどきの攻撃ができる。現世でこんなことが可能なのかは知らない。

 

 前脚を失くして平衡感覚を上手く保てなくなったキラーアントの、硬殻の隙間に晴嵐を差し入れ魔石を破砕し、また晴嵐を地面に突き立て次へ。

 

 素早く方向転換し、最後に残ったフロッグシューターへ駆ける。

 

 落ちる寸前の紅緒を掴み、身体に引き寄せてから、疾る勢いを乗せて、全力の刺突。

 

『ィ、アッ』

 

 鼻先から頭蓋を突き破り、反対側へ出た刃を即座に上方へ平行移動、脳をやって確実に絶命させる。どうにも生理的嫌悪を催す死体になってしまうが、何より楽なのだ。

 

 

 これでひとまず、襲いかかってきたモンスターは全滅させたことになる。スハイツさんはというと、既に骸を一ヶ所に集めており、解体を始めていた。早い。

 

 キラーアント三体、ニードルラビット一体、フロッグシューター一体。戦闘終了後もしばらくは気を抜かず、周囲を警戒する。

 近辺から音がしなくても、気配がなくても、モンスターはどこからともなく現れる。いくらスハイツさんが強くとも、解体中に襲撃されるのは面倒なはずだ。

 

 

 現在、第七階層。

 三週間より以前には、実質四階層までしか到達できていなかった俺にしてみれば、飛躍もいいところだ。ベル君なんかはスキルの恩恵もあって難なく進出するけれど、現実的に考えればとんでもない速度だということが改めてよくわかる。

 

 俺は強くはない。見栄から、少なくとも今は、と付け加えておくが、覆りにくい事実だということに変わりはない。

 現に、先の攻防においては晴嵐をちょうどいい位置に立てなければキラーアントへの斬撃は成らなかっただろう。そうなれば形勢不利からスハイツさんの助太刀が入っていたところだ。

 

 ここらの階層に出るモンスターたちを相手にするのも段々と慣れてきているとは思うのだが、如何せん俺の【ステイタス】が足りない。スハイツさんともぐるようになって、伸び率がかなり良くなったことを考慮しても、正直まだまだとしか。

 だから全力で頑張っている、けれど、三回のうち一回くらいは実際負ける。スハイツさんがいなければ何百回天に召されているかわからない。

 

「終わりましたよ。ここで少し休息(レスト)をとりましょうか」

「あ、はい」

 

 モンスターから魔石を剥ぎ取ったスハイツさんは、銀色のシート――花見に使うようなやつだ――を広げ、腰を下ろす。なかなか綺麗好きな人なのだ。

 

 差しっぱなしの晴嵐を回収して、俺も敷物の上で脚を休める。大体三時間に一度、激しい戦闘ばかりの日は一時間に一度、くらいの頻度で俺たちは休息をとっている。スハイツさんは多分なんともないだろうし、スペックで劣る俺のために。

 情けないが、ここは気遣いをありがたく受け取っておくのが礼儀というものだ。

 

 生臭い血液と脳漿がべっとりと付いている紅緒と、血と細かな砂が付着している晴嵐を、丁寧に専用の布で拭って手入れをする。

 斬れ味が落ちても、とにかく力任せに振るえば斬れる、と言ったら語弊がありそうだが、とにかくどれだけ斬ってもある程度の力を出せる西洋剣と違い、刀は血を浴びせればすぐに斬れなくなってしまう。まあ、一流の料理人が、包丁に脂が付かないように刺身を切ることができる例からして、それも使い手の腕次第でどうとでもなるんだろうけど。

 しかし特に技術が秀でているわけでもない俺は、こまめに手入れをしておかないとほんの二、三回の戦闘をするだけでなまくらにしてしまう。今度シーヴさんあたりに師事してもらいたい。

 

「さっきの武器入れ替え、面白い動きですね」

「どうやっても敏捷値が足りてないので、ああでもしないと一気に捌き切れないんですよ」

 

 ヒットアンドアウェイなどの戦闘スタイルにすれば対応はまた違うのだろうが、何度も接近と離脱を繰り返すとそれだけ敵に突っ込む恐怖を味わうので、なるべく一回の交錯で済ませてしまいたい、というささやかな傲慢がある。

 だから戦闘継続能力の伸びが悪いわけだけど、早めに終わらせた方がいいとは思うのだ。効率万歳。

 

「なるほど、そこであの方法ですか。でも、刀身が傷みやすくなりませんか?」

「そうなんですけど、抜刀術を使うよりかはまだ磨耗が少ないと思って、見て見ぬ振りを……」

 

 いいアイデアかもしれないが、地面に刀を突き刺すという行為にはやはり抵抗感を禁じ得ないのも事実。

 それに、今回は薄い晴嵐の方を使ったので内心はおっかなびっくりだった。さすがにこれくらいで折れてはくれないと信じているけど。

 

 現世で読んだことのあるライトノベルに、何本もの剣を地面に刺しておいて、幾つもの得物を高速で使い分ける、という戦法があった。ファンタジーの中の話だが、この世界だってファンタジーなのだ、実現は可能、そういう希望的観測のもとにおいて再構築された戦術、のつもりだ。相違点はより動き回るところ。

 思いついたのはつい最近で、実戦で試すのは初めてだったけれど、とりあえずうまくいってよかった。まだまだ改善の余地は見受けられる、これからモノにしていけばいいだろう。

 

 なんて考えは、どうやら、かなり非効率的かつ非現実的らしかった。

 

「じゃあ、上に放り投げる方を重視するのはどうでしょうか」

「投げる方……ですか?」

 

 俺としては、到達点がたまたま振り上げた形だっただけで、最初から意図して放ったわけではなかった。横方向や下方ならそのまま落とすだけだっただろう。

 

 しかし、その偶然の対応を、スハイツさんは指摘する。

 

「地面に突き立てることを、空中に置くことで代替するんです。それなら負担も少なくなるのでは?」

「お手玉、いや、ジャグリング……みたいな感じですか」

「そうですね、ただ、それと比べるには難易度が違いすぎます、けど」

 

 一旦切られる言葉に、俺は無意識に期待してしまっていた。今まで戦闘面では特筆すべきものもなく、無難でいた俺に、何かがあるのかも知れない、などと。

 

 想像してみる。そんな特殊な戦闘スタイルをとり戦う俺を。相当難しいだろう、複雑で難解な動きを難なくこなす、俺を。

 

 実行するのに必要なのは、俺と、敵の動きの予想、滞空時間と回転角の計算、机上の理論を実現させるだけの能力。ちょっと尻込みしてしまいそうに、なるけれど。でも。

 

「ナツガハラさんが意識していなくても、先ほどの動きができたというのなら、見込みがあるものかと思いますよ」

「……そう、ですね。やってみます」

 

 その言葉は甘美だった。

 

 中学、高校、大学の各受験で敗戦を重ね、それでも努力を続けてきて、結局実ったかどうかを確認できずにこの世界に飛ばされてきた俺にとって、成功というものは、どうしても欲しくて、どうしようもなく手が届かないもの。

 しかし、手にすることが出来るのなら。俺にも出来ることがあるのなら。

 

 休息もそこそこに立ち上がり、早速鞘に収めたままの晴嵐を何度か真上に投擲し、その感触を確かめる。

 

 もしこれが出来るようになれば、単純に手数が増えることに加えて、敵の意識を分散させたり誘導したりと、戦況をコントロールできる技能が身についたことと同義だろう。

 

 

 できることがあるのなら、俺はやってみたい。

 

 

 

 少しでも、強くなりたい。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

「……………………」

 

 夏ヶ原司は、気付かなかった。

 

 言葉を安直に信じ込み、その気になって練習に打ち込む彼に、向けられた視線に。

 

 可哀想な物を見るような、見下すではなく、ただ残念だというような、そんな憐れみを込めた、彼の冷めた眼差しに。

 

 

 

『生存者』スハイツ・フエンリャーナの溜息は、司の鼓膜に届く前に、空気に融けて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この頃、ツカサくんがどうも熱心だ。

 

 風呂上がりに、リビングのテーブルに着き、髪を乾かしながらうむむと唸る。

 

 ただやる気を見せているのならいい。真剣に、真面目に活動しているならそれに越したことはない。

 

 しかし、彼のそれは少々()()()()()()()ように思われてならない。いや、確かにやり過ぎだ。

 

 まだ空が白んでもいない時間に起きだして、朝食を私の分まで作って出て行き、夜が深まる時間に、ときには日付が変わる頃に帰還する。最近の彼の一日はそんな感じで、睡眠を除いてほとんどの時間が探索に充てられている。

 一時期は、彼が担当する日も、私が半ば無理やり朝食を作っていたのだけれど。今ではまるきり逆、どころか私が起きたら彼は既に本拠を出ていて、テーブルの上に保温具を被せられた食事が用意されている、という朝の方が圧倒的に多くなった。

 

 当然、朝に顔を合わせる機会が減れば、交わす言葉自体も少なくなる。

 三日に一回くらいの【ステイタス】更新をするときか、何か別の用事があって早めに切り上げてきたとき以外で、会話らしい会話をした記憶はない。

 

 眷族が一人だけ、という探索系零細【ファミリア】では割とよくあることなのかも知れない。普通なら気にすることでもないのかも知れない、けれど。

 オラリオでの生活にも慣れてきて、探索も軌道に乗り始めて。調子が上がってきているのはわかる。偶然にも強い人とパーティを組めて気合が入るのも、今の状態が恵まれていることも、それが期間限定だからと張り切る気持ちも、【神の恩恵(ファルナ)】で繋がっているのだ、十二分に伝わってはいる。

 

 でも。

 

 この傾向は、良くない気がする。

 

 単純に身体への負担が大きい。いくらポーションがあるからといっても、あれも薬液の一種であり、常飲はいただけないし、頼りすぎは厳禁だ。寝不足や精神的な疲労は回復できないことからも、きちんとした休息は必要不可欠。

 

 それに、ツカサくんの中には精神面での懸念事項が依然として居座ったままだ。私の見立てだと現実逃避からなる二つ目の人格の形成、なんて可能性を考えてはいるけれど、今その方面の知識は皆無に等しく、詳しいことは何もわからない。一回エイルに診てもらった方がいいだろうか。

 

 ともあれ、不安定な状態で、危険が蔓延るダンジョンに通い続けるのは見過ごせない。「もしも」は何時でも起こり得るし、起きてからでは遅いのだ。

 

 あと、地味に寂しいし。

 折角の【ファミリア】なのだ、もう少し一緒にいてくれてもいいではないか。私も容姿は悪くないし、料理も出来るようになってきた。不満があるなら遠慮なく言ってほしい……ではなく。

 とにかく、あと一週間ちょっとくらいとはいえ、目に見えて疲労が蓄積してきている彼を放っておくことはできない。

 

 しかし、優しく言っても、なんだかんだ彼の言葉に丸め込まれてしまい、その場が有耶無耶にされることも少なくないので、対策を練らねば。

 

 例えば、どんなものが有効になるだろう。

 

 いつもより厳しめな語調で?

 

 普段とは違い、わかりやすく怒っている様子で?

 

 逆に涙に訴えるのもありか、うーむ、効くのだろうか?

 

 ……いや、策などいらぬ。今日こそ、がつん、と。言ってくれよう。

 私だって威厳ある神の端くれなのだ。なんかこう、後光的なものを幻視させるくらいはできてもおかしくない。それをなんとか出して、抗えない空気を作りつつ諭すように。

 それならうまく行きそうだ。そうと決まれば早速後光の練習を――

 

「ただいま帰りましたー」

「おっ、おかえりっ⁉︎」

 

 駄目だ、間に合わない。そもそも後光の出し方なんて知らないし。

 

 時計を確認するも、まだ午後九時過ぎ。今日の探索はなかなか順調に進んだらしい、喜ばしいけれども恨めしい、なんで今。

 玄関に通じる扉を開き、ツカサくんが居間に進撃してくる。時間はない、恐らく帰りがけに食事は済ませてきているはず、湯浴みからの即寝コンボが決まってしまう前に大事なお話をしなければ。

 

 今からお風呂作る作戦、は却下。私がお風呂上がりなのは明らかだ。お湯ももったいないので当然捨てていない。

 

 寝る前に【ステイタス】更新しよう作戦、も却下。昨日もしたし、彼は恥ずかしがって連日で更新しようとしない。私が不器用なばっかりに。

 

「風呂、いただきますねー」

「えっ、あっ、うん! まだあったかいと思うから早めに入っちゃって!」

 

 反射的に返事をしてしまって、しまった、と後悔する。なに促しているのだ。ここは留めておくところだろうに。

 

 早く、速く引き止めなければ、でもどうやって? なんて言う? どうすれば彼を休む気にさせられる?

 思考が定まらない、頭の中で同じ問いがぐるんぐるん回っている。なんとか、なんとかしなければ。

 ああ、もうツカサくんが脱衣所に消えていってしまう。

 

 迷っている暇はない。突撃だ。作戦なんてない。行き当たりばったりだ。

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 勢いよく扉を開け放つと、存外大きな音が出た。少し強かったかな。

 

 ツカサくんはプロテクターを外して、レザーアーマーを上半身だけ脱いだ半裸できょとんとしていた、手は腰に当てられているし、危ないところだった。

 数瞬の後、「はっ、あっ⁉︎」などと狼狽え始めるけれど無視する。こっちは割と真剣なのだよ。

 

 えっと、何を言えば。

 

 要するにダンジョンに行かないようにするには、何らかの不調、あるいは用事ができればいいわけだ。それも一日丸々使うような、長時間の。

 でも、そんな急を要する要件は特に……そういえば前の『箱庭』会議で、こんな感じの話題が出ていたような。

 男の子に効果的な色々、とかの話でエイルを中心に盛り上がっていたっけ。もっとしっかり聞いておくんだった。

 

 なんとかその場の記憶を引っ張り出し、捏ねくり回してアイデアを練ると、一つのワードが引っかかる。この間僅かに約二秒。

 

 そうだ。

 

 

 

「で、デート! デートしようっ! ツカサくん!」

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「……………………え?」

 

 それは、俺が生きてきた一九年間で、間違いなく最高の、渾身の「え?」だった。

 

 あまりの衝撃に、腰のあたりで掴んでいたレザーアーマーから手が離れる。ちゃんと下半身は着ているので全裸になることはなかったが、そんなことを考えている余裕は皆無。

 

 自慢じゃないが、俺は現世で異性から想いを寄せられたこと――つまり、告白されたり、恋人がいたり、なんてことは一度たりともなかった。本当に自慢じゃないな。

 中高とサッカー部に所属していても、勉強と部活をうまく両立しても、髪型とか気にしてみても、意味は全くなかった。そのおかげで浪人期間中頑張れたのだが、それは置いておくとして。

 

 改めて、俺が脱衣所で脱衣していた所に突撃してきた、とんでもなく見目麗しい女神の双眸と相見える。

 

 若干の必死さと、人の思い描く理想に限りなく近い各パーツ、淡い桜色でもって真剣な表情を形作るその所業は、正に神の奇跡。ていうかこの(ひと)風呂上がりか。破壊力が三割増しだ。

 

 浮いた話題など一切なかった、端から見れば非常に硬派で真面目なヤツだっただろう俺に。

 

 この現実離れした美しさと、現存する言葉では到底語り尽くせないほどの純真さ、無垢さ、儚さを兼ね備えた超越存在(デウスデア)は、なんと言った?

 

 僅かな間があって、熱が引いたのか、自分が言ったことを反芻でもしたのか、朱に染めた頬に手のひらを当てる愛らしい仕草に、否が応でも期待が高まってしまう。

 

 頼むから聞き間違いだったなどといわないでくれ、この耳が刺激として捉え、俺の脳に伝わった通りであってくれ。

 そうでなければ、俺はきっと勘違いで舞い上がった分だけの高度を命綱なしでダイブし、結果無惨な死を遂げてしまう。

 

 祈りが届いたかどうか。立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花、を地で行く彼女が口を開き。

 

 

「や、その、デートじゃ、なくて……」

 

 

 俺は死んだ。

 

 

 愚かにも天上目掛けて飛び上がった俺は、無様に墜ちてゆく。無理だったのだ、無謀だったのだ。その報いを受けて、圧潰して臓物をぶち撒けるのがお似合いなのだ――。

 

 

「服を、ね? そう服。『神の宴』に行こうかと思って、それで、着ていく服を一緒に選んでくれないかなあ、って。だめ、かな?」

 

 転落死寸前で、救いの手が差し伸べられる。ここが生き延びられるかの瀬戸際だ。

 

 是非もないお誘いを、断るはずもなく。縋らせてもらいます。でも服を買いに行くとかデートじゃないですか? デートじゃないですか。

 身長差からなる自然な上目遣いに内心悶えながらもヘドバンさながらに激しく首を縦に振って意思表示をする。

 

「いつにします?」

「あー、なるべく早くがいいけど、ツカサくんの都合がつく日でいいよ」

 

「じゃあ、念のため訊きますけど次の『神の宴』はいつですか?」

「え、えっと、うーん、み、三日後?」

「三日後⁉︎ もう直前もいいところじゃないですか、すぐ行きましょう。明日スハイツさんに伝えるので明後日にでも。それでも前日は厳しい気がするので、それより前が良かったら悔しいですが俺抜きで……」

「それくらい大丈夫だよ。それに、私はツカサくんに選んで欲しいんだよ? きみがいなくちゃ意味がないの」

 

 なんだそれは。反則じゃあないのか。

 

 そんなことを言われては、例え行くつもりがなくても「行きます」としか答えられないではないか。端から行かない選択肢などないが。

 

「明後日なら行けるんだよね?」

「行きます」

「わかった。それじゃ明後日、朝から付き合ってもらうから、しっかり覚えてお……ぃ、て」

 

 唐突に、彼女の全ての動作が停止し、言葉が切れてしまう。

 

「ヒルダさん?」

 

 呼びかけると、鮮やかな紅から健康的な肌色に戻っていたその頬が、再び、しかし先ほどより急速に火照ってゆく。

 固定されたままの目線の先を追えば、俺の胸部あたり。そういえばまだ上半身裸だった、肌寒くなってきたような。まさか――

 

「そ、それじゃっ! 引き留めてごめんね!」

 

 入ってきたときに勝るとも劣らない勢いで引き戸を閉め、出て行くヒルダさん。

 

 まさか、俺が半裸だから、恥ずかしがって逃げるように去っていった、のか? なんというか、今更なのに?

 いつも【ステイタス】を更新するときも上は脱ぐ。だから半裸程度見慣れているとは思ったのだが……。だいたいうつ伏せだから正面に免疫がない、とか。そのまま座ってたりもするんだけどな。

 

 あれか、水着は良くて下着は駄目理論か。いや、ちょっと違う気もする。でも多分シチュエーション的なものだろう。

 

 何にせよ、初心すぎないか、ヒルダさん。可愛い、可愛いんだけども、あんまりそういうことをしてくれると耐性がない俺にはきついというか。

 そう考えると、ベル君は相当強い鋼の自制心を持った少年なんだなあ、と思う。朝起きたら女神が上に乗っかっている、なんて想像しただけでもやばい。何がやばいって、とにかくやばい。

 同じ寝床、でなくとも、同じ部屋で寝起きするような環境でなくてよかったと、ヘリヤさんに心からの感謝を送る。

 

「へっくしっ」

 

 身体が冷えた、もう風呂に入ろう。

 

 レザーアーマー諸々を脱いで、風呂場へ続く扉を開き、湯を汲もうと、浴槽の蓋を持ち上げた、ところで今度は俺の動きが停止する。

 

 

 ……あ、湯船……。ヒルダさんが、浸かった、後、だ。

 

 

 ああもう、意識しないようにしてたのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺がすっかりのぼせてから出ると、ヒルダさんは既に就寝した後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一二話 嘘か、本音か、建前か


 嘘が嘘であると分かったとして。

 それが本音であると、誰がわかるのだろうか?




 

 そして二日後。

 

 

「これ、どうかな?」

 

 持ち上げられたのは、赤い、肩を出すタイプのドレス。原作一巻で神ロキが着ていたようなものだ。

 どうか、と俺に訊いておきながら、彼女自身も結論は出ているらしく。確かに、苦笑いするヒルダさんにセクシー系は似合わない。

 

「それは、微妙だと思います」

「やっぱり? こういうのも着こなしたいとは思うんだけどねえ……じゃあ、こっちは?」

 

 次に選ばれたのは、紫の、童話に出てくる貴婦人が着るようなドレス。肩のあたりのぼわっとしたのはなんのために。

 そんな服を着ているヒルダさんを想像しようとしても、文化祭で悪ノリした結果、みたいな感じにしかならなかった。とてもパーティに着ていくものとは思えない。

 

「それもちょっと、どうかと……」

「うーん、ここら一帯のは駄目かなあ。あっちの方行こ?」

「もっとこう、清楚というか控えめというか、そんなのがいいと思いますけどね」

 

 例えば、現在ヒルダさんが身につけているような。ラベンダー・ブルーのカーディガンにゴーギャンオレンジのロングスカート、らしい。コーディネートとかは一切わからないけど、落ち着いた、彼女らしさがよく出ている格好だとは思う。ドレスではないが。

 前を歩く彼女の背中で、先端から五C(セルチ)ほどのところでまとめられた髪がふわふわ揺れているのを、ついつい目で追ってしまう。猫じゃらしを眼の前で振られている猫のような気分、はこんな感じだろうか。

 

 ドレスをメインに扱っている店を回って早二時間。三軒目、考えうる予算からして上限近くの価格帯の店舗。そろそろ腹も減ってきたし、ここで一区切りになりそう、なのだが。

 

「こ、こんなの、は……」

「……………………えっ、と……」

 

 あっちの方、と示されやってきたのは白系の、比較的清楚だが華やかさが非常に強く主張してくるモノのコーナー。向こう側が透けて見えるくらい薄い布や、色の合った靴らしきものも一緒に並べられている。

 

 いわゆるウエディングドレス売り場だった。

 

 俺は知っている。まだ【アポロン・ファミリア】が眷族連れ参加型のものを開催する前のこの世界においても、ただの冒険者の端くれではない俺は『神の宴』がどのようなものか、よく知っている。それも文面で読んだだけなのだが、一般人に比べればとても多くを。

 

 パーティと言っても、神々の、という形容詞が付けばそれだけで荘厳で厳粛なイメージを抱いてしまうもの、しかしこの世界に顕現している神々は、どちらかといえば現世の俺たちに近い性格をしている、特に男神は。まあ全員容姿は整っているのだが。いや現世がどうとかいう話じゃないです、はい。

 よって『神会(デナトュス)』だけでなく、『神の宴』も、実は想像よりもずっとはっちゃけた感じ、なのだ。……何が言いたいかというと。

 どんな過程を経たとしてもウエディングドレスを着ていく場ではない。そういうひょうきんなキャラクターを確立しているならまだしも、いや、ヒルダさんにはそんな仮定も有り得ない。

 

「あー、うん、わかってた、よ。これは流石にない、よね。うん」

 

 強張った笑みを貼り付けてその場を後にする彼女を追いながら、俺は思案の海に沈む。

 

 今日のヒルダさんは、どうも空回っている気がしてならない。

 朝だっていつもより大幅に寝坊してくるし、移動中もかなり口数が多かったし、今だって、明らかに()()()ない服ばかり手に取っている。女性の買い物だからおかしくない、と言われてしまえばそれまでだが、しかしその行動がわざとらしすぎる。

 

 原因はわかっている、と、思う。昨日の夜、理解した、つもりだ。

 俺は鈍感主人公のような人種ではない、それなりに人の気持ちは慮ることはできるし、むしろ深くまで疑ってかかって無用な心配をするのが常だ。

 そんな俺でも、彼女の意図を察することはそう難しいことではなかった。

 

 ヒルダさんはきっと、俺を休ませようとしてくれているのだ。

 

 デートというのはその口実。どうやらデートではないらしいが、これはもうデートと呼んでも差し支えないだろう。したことないからわからないけれども。

 思えば、ここ一月以上、明確に休んだ日はない。毎日必ず、律儀にダンジョンに通い詰めていた。冒険者の強靭な肉体に、便利な回復薬に、依存していた。

 多分、『神の宴』など、ないのだろう。もしくはあっても行かない。だから折角ドレスを買いに来ているのに、ふざけ半分で色々試してみているだけ。

 

 涙が出そうだ。

 

 何が「早くヒルダさんを楽にしてあげたい」だ。逆に迷惑をかけて、心配させて。結局考えてるのは自分のことだけだったのだ。ヒルダさんの【ファミリア】観は原作のベル君とほぼ同じ、「家族」のようなもの。彼女が望んでいるのは暖かい空間、だったのに。

 

 嗚呼、情けない。

 

 不甲斐なさに、ヒルダさんの優しさに、視界がぼやけそうになる。

 また、俺は向く方向を間違えていた。この三ヶ月間で、こんな短い期間で、一体何回目だ?

 浮かれていた俺が、如何に馬鹿であったことか。

 こんなに、想ってくれている(ひと)が、いるというのに。俺は一体、何をしているんだ。

 

 

 何をしているんだ。

 

 

「こ、この辺のは……駄目だね。あんまり派手だと場に合わないや」

 

 ウエストから下がボリュームのあるスカートの、確か、プリンセスドレス。明らかに用途が違っているそれらが陳列された一角に来て、彼女は改めてわざとふざけてみせた。

 

 ここを後にすれば、あとはヒルダさんに似合うものが並べられたコーナーくらいしか、行くところはなくなる。

 本当には購入の予定はない、けれど俺についた嘘では明日の、『神の宴』に着ていくためのものを求めなければならない。

 別の店に行く、ほか、やっぱり買わない、などという逃げ道がないわけではない。けれど予算の関係上、これ以上は望めないし、そもそもの名目はドレスだ。でもこのままいけば厳しい家計に余計なダメージを与えてしまう。できれば買わずに済ませたいけれど……なんてことを考えているのだろうか。

 

「えー、と、さっきのオトナっぽいものを、試着だけでもしてみようかな、案外いいかもしれないし……」

 

 俺がその分稼いでくればいい話だし、俺自身が見たいのもあるからドレスを買うことには反対しない、しかし彼女が俺のために困っているというのは見過ごせない。

 

 

 恥ずかしいだとか、キャラじゃないとか、そんなのは要らない。行動に移す思い切りだけ、あれば。それだけで。

 

「ヒルダさん」

 

 歩き出そうとする女神の腕を掴み、少々強引に引き寄せる。柔らかくて、細くて。温かい腕。力を込めればすぐに折れてしまいそうな、けれど、ずっと俺を支えてくれている、力強い腕。

 

 つんのめって、たたらを踏んで。至近距離から相対した彼女からは、ふわり、と、甘い、しかし甘ったるくはなく、なんだかクセになりそうな匂いが香ってくる。

 

「な、なに? いきなり、どうしたの?」

 

 天色の瞳が困惑に染まる。目を合わせていると、何もかも奪われてしまいそうで、でも逃げることはできなくて。

 

 ああ、やっぱりやめたい。口がうまく開かない、空気をちゃんと吸い込めない。

 

 それでも。

 

「よく考えたら、それを着たヒルダさんを、他のひとに見せるための服、を買おうとしてるんですよね」

「そういう、ことに、なるね、うん」

 

「嫌です」

「え」

「なら、俺は、自分勝手ですけど、嫌です。選びたくありません。出ましょう」

 

 これは俺の我儘でなければならない。ヒルダさんに負担をかける類のものであってはならない。

 俺さえたった二日でヒルダさんの意図に気付けたのだ、多分、すぐに悟られる。

 

 それでいい。それがいい。

 

「あっ、ちょっと……!」

 

 俺は、俺たちは、巨大な何かから逃げ出した。

 

 お高めの洋服店から出、ヒルダさんの腕を引きながら、歩く、歩く、歩く。

 

 とにかく、一刻も早く、北のメインストリートから遠ざかりたくて、まともに口も利かず、脇目も振らず一心不乱に驀進する。

 

 傍からすれば下男が、女神と思しき美少女の意思を無視して拐かそうとしているように見えるかもしれない。しかし、俺を止めようとする者は現れない。

 

 ヒルダさんがやけに無抵抗なことから察したのかとかはよくわからないけど、今はそれが助かる。中途半端に立ち止まるわけにはいかないから。

 

 前だけを向いて、というか前しか向けない。女性の手をとって歩くなんて初めてだ、とても振り返ることなどできそうもない。

 

 もう、俺の身体において、俺の制御下にあるものは何一つない。ヒルダさんに触れる手も、せかせか動く両脚も、目も、俺の意思を必要とせずに自律する。主体であるはずの俺には、各感覚器官からの情報はほとんど入ってこない、俺であって俺ではない何かに、今の俺は、乗っ取られている。

 

「……サ、く、……ツ、……んってば!」

 

 行き交う人々の間を縫って、大きめの通りを避け、比較的狭い路地に入る。いくつかの角を曲がり、人気のない宅地を横断する。どこかの【ファミリア】の本拠を横目に、特に定めた目的地があるわけでもなく、ただ何か、得体の知れないものから逃げるように、薄暗い裏道を、生活臭が溢れる家々の裏手を、子供達が遊ぶ広場の横を、敬愛する女神を連れて、どこまでも。

 

 幾度も幾度も、空気が変わる。熱気に満ちたものからひんやりとしたもの、どこか寂しげなものから、また熱を帯びたものへ。

 

 そんな、周りの変化も、俺の精神には何ら影響を及ぼさない。俺の中身には響かない。他の要因に膨大なリソースを割いていて、そんなことは気にもならない。

 

「美」を冠していなくとも、偶像的な超常の存在である彼女らは、多少なりとも俺たち(にんげん)を虜にする能力を有してでもいるのか、やはり触れ合っているだけでも、心が乱される。乱されてしまう。

 

 確かな温度を伝えてくるヒルダさんの細腕を掴んでいると、あまりに弱々しく思える生命の脈動を感じていると。冗談でない、本物の欲望が顔を出してきそうになる。

 

 いっそこのまま、遥か遠いところまで歩いて行けたら。他に誰もいない、二人だけの空間に逃げ込めたなら。

 

 腕だけじゃない、指だけじゃない、掌だけじゃ、足りない。もっと、近づけたなら、その肌に触れられたなら。

 

 この、たまらなく美しい女神(ひと)を、際限なく庇護欲をかきたてるいじらしい存在(ひと)を、人を魅了して止まない、人智を超えた偶像(ひと)を。

 

 

 俺だけの女性(ひと)、に――

 

 

「……カサ、くん! ツカサくん! ねえってば! 止まっ、て!」

「!」

 

 いきなり、強い抵抗を感じ、俺の身体が、精神が我に帰る。主導権が戻ってくる。

 それと同時に、それまでの行動を、この短いのか長いのかよくわからなかった逃避行の間の、思考の過程と行き着こうとしていたその先を、自覚した。

 

 

 自覚してしまった。

 

 

 立ち止まれば、市壁のほど近く、多分、北西のメインストリート周辺。かなりの距離を歩いてきていたことがわかる。

 振り返ると、膝に手をつき息を切らすヒルダさんから、上目遣いながらも明らかな怒気を孕んだ鋭い視線が飛んできて。俺の両目を容赦なく突き刺す。

 

「そ、その――」

「もう、何考えてるの⁉︎」

 

 眩しい頸に目を奪われている時間もなく、ヒルダさんは上半身を起こし、仁王立ちになったかと思うと厳しい口調で詰め寄ってくる。

 その怒りも当然だ。嘘であろうとなかろうと、俺の我儘により買い物を中断され、こんなところまで連れてこられたのだから。真実でなくとも、彼女には俺を叱責する権利があって然るべき。

 

 というか、嘘でない可能性だってあったのだ。明日には本当に『神の宴』があって、俺に着ていくドレスを選ぶのを手伝ってほしい、というのが本心である場合だってあったのだ。

 今更ながら、勝手な思い込みで随分と中途半端なことをしてしまったものだと思うが、もはやどうしようもない。非難くらいならば甘んじて受けようではないか。

 

「まったく、楽しくショッピングをしてたっていうのに、キミというものは」

 

 覚悟はしていたものの、彼女の次の言葉は驚くほど穏やかで。

 腕を組み、ぷいっと横を向くヒルダさん。私怒ってます、とばかりに頬を膨らませる仕草が可愛らしい、しかし。

 

 わざとらしい。

 

 やっぱり、少しばかり()()()()()()()()

 そうだ、気付かれないはずがなかったのだ。ただでさえ感じていた気恥ずかしさが瞬時に倍増して、俺の小さな虚栄心をあっという間に呑み込んだ。

 

「あーあ、これじゃあ明日の『神の宴』には行けないなあ。すっごく行きたかったんだけどなあ」

「すいません……」

 

 そういう演技が上手いのか、実際に行きたかったのか、それとも普通に大根役者なのか。俺には、よくわからない。

 

 項垂れるように頭を下げていると、明後日の方角を向いているヒルダさんから、言葉だけが届けられる。

 

「……本当、に?」

「えっ?」

 

 何のことを言っているのかわからなくて、でも当の本人の顔を窺い見ることもできなくて。

 ほんのちょっとだけ、ヒルダさんの、結われた髪先が揺れる。

 

「さっき、キミが言ってたこと。あれは、本当に、そう思ったから、こんなことした、の?」

「あれは、えっと、その」

 

 言い訳とか、本心とか、さっき思ってしまったこととか。言いたいことは色々あって、でもそれらのことごとくが喉に突っかかって、出てこない。

 ここは、どう答えるのが正解だろうか。

 

 ――いや、どう答えれば()()()()()()()()()

 

 此の期に及んで、俺の思考はまさかの「逃げ」を選択する。

 後ろめたさを晒さず、かつ取り繕わず、彼女が望む返事に限りなく近付ける。その理想も憶測に過ぎないけれど、話の流れからなんとなくは察することが、できなくはない。

 そんな結果が得られるのなら、俺の恥など塵芥に等しいだろう。

 

 なんて、格好つけてはみたものの。

 

「なんというか、気が付いたら口が、手が、足が動いてて、俺じゃない俺に突き動かされていたというか、うまく言い表せないんですけど、でも、それも俺で、嘘、ではなくてですね」

「…………」

 

 しかしいざ言うとなると躊躇が半端ない。様々なラブコメ次元の主人公たちはよくあんなにすらすら口説き文句とか言えるな、と。鈍感とか朴念仁とかすげえな、と。

 

 素直で正直な人って、羨ましいな、とか。

 

 この頃、俺はやけに、しなくてもいいことを敢えてしている気がする。スハイツさんとのときのようにうまくいくこともあれば、今のように猛烈な後悔の念に駆られることも、ある。

 どうなったらうまくいって、どんな過程を経ればうまくいかなくなるのか、法則性はまるで掴めない。多分、いくらサンプリングしても一般に帰納することはできないのだろう。

 

 詰まる所、やってみるしか、道はないのであって。

 

「行き過ぎた発言だったといいますか、まあ神々に対して失礼だとは、またヒルダさんに対して無礼だとは重々承知しているんですけど、それでもその」

「……………………」

 

「すいません嫉妬してました」

 

 うわあ叫びたい。誰もいない世界の端っこで、力の限り恥を叫びたい。

 

 なるべく平静を装って言ったつもりだけど、顔が熱くて仕方がない。この真っ赤だろう表情を見られていなくてよかった。

 

 

 恥ずかしくなって逆に思考が冷えて、ふと気付く。嘘ではないけれど、おそらく本音でもない、そんな返事に、ヒルダさんは何を感じ取るのだろうか。何を理解してくれるのだろうか。

 

 

 店を出ようとしたときの心情は「無理をさせたくない」で、「嫉妬」を自覚したのはついさっきで、でも申告したのは初期からの「嫉妬」だ。神は嘘を見抜くらしいが、嘘の内容まではどうだろう。複雑に入り組んだ虚偽はどう捉えるのだろう。俺が、もし最初から「嫉妬」していたとしたら、彼女は一体何を見抜くというのだろう。

 

 

 

「……そっか。うん、わかった」

 

 そんな俺の疑問は届くわけもない、しかしヒルダさんは、何もかもわかったように小さく頷いた。

 連動して、髪先が揺れる。俺に対して、ほとんど背を向けているヒルダさんから得られる情報は、それが全てで、それが全てを物語るように思えてしまう。

 

 暫し、沈黙が二人の間を満たして。

 

「もう、仕方ないなあ」

 

 とても良い笑顔で、俺の女神が振り返る。

 

「キミのその言葉に免じて、私は今日ドレスを買わないし明日の『神の宴』にも行かない。これでいいかな?」

「うっ……はい」

 

 ああくそ、やられた。

 

 まるでイタズラがうまくいって喜ぶ子供のような、してやったりとでも言いそうな、それでも見惚れてしまうほどに美しい笑み。

 しかしそれだけでは飽き足らなかったのか、ヒルダさんは更ににやりと口角を吊り上げる。

 

「ツカサくんがそんなに独占欲の強い子だとは思わなかったよ。でも、それを満たしてあげるのもまた主神の務め。いまは、私を、キミに独り占めさせてあげようじゃないか」

 

 戯けて、でも慈愛を込めて。ヒルダさんは両手を広げ、俺に後光的なものを幻視させた。

 いますぐ逃げ出したかったが、ある程度予想できたことだし、そんなヒルダさんもたまらなく可愛いのでなんとか耐える。それに、これが望んだ決着だ。

 

 その代わり、と彼女は続ける。

 

「ドレスは買わないとしても、せっかくだし普通に服を見たいから、今日一日は付き合ってもらうからね」

 

 

「そりゃもう、喜んで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――普通に、明日はちょっと急な予定が入ってしまいまして、って言ったら偶然スハイツさんも今日に用事が入っていたらしくて。まあ別段そういう取り決めはしてなかったんで、変に揉めたりしないでよかったですね」

「そうなんだ、ならよかった。でも、その子も大変だねえ。一人でオラリオ(ここ)に来て、ツカサくんと一緒にずーっとダンジョンにもぐり続けてるんでしょ?」

「でも、スハイツさんのレベルは少なくとも三以上だと思いますし、肉体的な面では俺よりずっとタフですよ。それほどになっても、今回の俺みたいにもぐりっ放しが堪えるかは、わかりませんが」

「うーん、外だと結構大きかった【ファミリア】なんでしょ? いくら没落したっていっても一人で出稼ぎはなさそうだし、観光とか情報収集、はダンジョンにもぐる理由にならないのよね……それ、もう一切れちょうだい」

「確かに、身の上話はちょこちょこしてくれるんですけど、オラリオに来た理由は聞いたことないですね、まあ、親しくもないのに隠していることに踏み込むのも野暮、ですけど。……はい、どうぞ」

「一ヶ月も連日でダンジョンにもぐって得られるものとかは、魔石、ドロップアイテム、くらいしかなさそうだけど……ありがと、んむ、美味しい! もう一切れ!」

「……もう一枚頼みますか?」

 

 街角の小洒落た店のテラス席。座るヒルダさんの前には俺のものより一回り大きな、盛られていたパスタのソースの残滓を僅かに残す丸皿。

 

 ウェイターさんが両手で運んできたときには俺がそのあまりの量に驚き、それを注文したのがヒルダさんだとわかると今度はウェイターさんが驚いた。

 

 しかし彼女はそのパスタの山をぺろりと平らげ、今度は俺のピザをつまんでいる。しかももう八切れのうち三枚目をご所望。

 幸せそうに食べるのを見ているとほっこりするけれど、その細身のどこにそんなに入るんだ、と突っ込みたくもたくもなる。あれか、ブラックホール内包型とかか、どこかで読んだぞ。

 

 俺はまだ大きな一枚の半分ほどしか食べていないが腹が膨れてきたし、でもヒルダさんがまだ食べるというのなら追加注文も、と思ったのだが。

 

「んーん、そこまではいいや。ご馳走様、だよ」

「まだ余裕あるんですか……。いや、これだけでも流石に食べすぎな気がしますよ」

「朝をしっかり摂れなかったからね。それに、ほら、無理に走らされたからってのもあるし?」

「もう勘弁してくださいって」

「ふふ、ごめんごめん」

 

 多分、このネタでひと月はいじられるだろう。被害は甚大と言わざるを得ない。その場のノリと勢いというものは恐ろしいものだと改めて実感する。

 それでもまあ、こうして笑い話にできている分、随分とマシな方だ。

 

 彼女に続いて、両手を合わせ、食物への感謝を示してからゆっくり立ち上がる。

 

「それじゃあ、行こっか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼過ぎに街をぶらつく、というのは案外にも新鮮な気分を味わえるものらしい。

 

 普段は迷宮にもぐっているか、本拠で休息しているか、仮に外に出たとしても目的地まで一直線、という生活スタイルを送っている俺にとっては、特に何をするでもなく歩き回るなんて、ほぼ初めての経験だ。

 思えば、現世で忙しく暮らす日々の中で、ゆっくりのんびり、なんて日常は存在しなかった。日本人の性分恐るべし、だ。

 

 立ち並ぶカフェや飯屋の前を通り過ぎ、人の流れに従って歩く。

 ひとまずは大通りまで出て、そこからは気の向くままに。そんなアバウトなプランでも、心が躍るのはなぜだろうか。

 

「お昼のオラリオって、あんまり知らないでしょ? 私が色々案内してあげるからね」

 

 俺よりオラリオ歴が三十日ほど長い先輩は、午前中までとはうって変わって、とても楽しそうに歩を進めている。

 

「「最果て」で働いてるとそういう情報とか、結構入ってくるんですか?」

「うーん、ヘリヤのところだと、都市内より専ら都市外の話の方が多いかなあ。情報を仕入れるのは、だいたいアルヴィトのところなんだけど――あ、アルヴィトは知ってる?」

「えっと、「全知」を表す戦乙女(ヴァルキュリヤ)、でしたっけ」

 

 現世での黒歴史にも等しい活動と、こっちへ来てからの情報収集で、こちらに降臨してきている神々はだいたい覚えた。

 それに、一応【アルヴィト・ファミリア】も戦乙女同盟の一員、らしい。会ったことも紹介されたことも話題に上がることすらなかったけれど、実は、彼女らの在り方としてはとても正しい。

 

「そう。アルヴィトは情報屋をやってるの。私たちよりずっと前からオラリオに居て、すごいいろんなことを知ってるんだよ」

 

 長年都市に存在しているものの、つい数年前に一人目の眷族をとったほか、中々姿を現さない、とても人見知りが激しいことで知られるシャイな神物(じんぶつ)だそうな。

 知られる、といってもそれも小さなコミュニティの中での話であって、【アルヴィト・ファミリア】がどういう組織なのかに精通する人は少ない。しかしその一人眷族(ひとりっ子)である青年の顔が結構広いため、運営としてはかなりハマっている、らしい。

 

「表向きはギルドと連携して、都市の情報誌的なものを作ってるの。私はそれに対して味とか雰囲気とかの感想と引き換えに色々教えてもらってる、ってわけ」

「なるほど……」

 

 道理で、すぐに美味しい店を探しだせたわけだ。ヒルダさんもヒルダさんで、しっかりこの生活を満喫しているのである。

 

 いつかお目にかかりたいものだと思いながら、彼女の話を聞き相槌を打ちつつ、とりあえず北西のメインストリートを目指して進む。

 

 だいぶ、ヒルダさんと二人きりで話すことに抵抗がなくなってきた。最初の頃はまともな経験もないし心臓ばくばくだったけれど、なんとかなるものだ。今だに他の女性と話すときには緊張するが。

 

 

 

 

 

「〜♪」

 

 大通りのほど近くまで来たところで、どこからか、人の歓声と、歌、のようなものが聞こえてきた。それも吟遊詩人が唄うような感じではない、もっとポップスな、跳ね回るようなやつだ。

 

 なんだか、ちょっと聞いたことがあるような、ないような。

 

「これ、なんでしょうかね?」

「えーっと、北西、だから……確か、広場での【ウェウェコヨトル・ファミリア】の野良ライブ、のはずだよ」

「ら……ライブ?」

「アイドルって呼ばれてる冒険者――【ウェウェコヨトル・ファミリア】の場合は可愛い女の子かな――が歌ったり踊ったりするの。吟遊詩人の場合はステージね」

「マジですか……」

 

 その発想はなかった。

 

 いや、いくら()()()()()()()()とはいえども、神々の存在を考えれば、絶対にない、とは言い切れない。むしろあって必然のような気にもなる。

 ギルド窓口受付嬢に麗しい女性が起用されるのと同じく、偶像の担い手として癒しを与える存在を、世間が求めている、ということだろう。

 

 しかしこの世界でなら傷害事件が大いに問題になるだろう、と思ったが、アイドル自身も冒険者というなら少なくとも一般人相手には負けることはないし、そう考えるとまあ現世よりかは上手くいく、のか?

 

「い、行ってみる……? 一応、無料(ただ)だったと思うけど」

 

 戸惑い気味に、ヒルダさんが顔を覗き込んでくる。

 

 そりゃそうだ、真面目で通していた眷族(かぞく)が実はドルオタだった、など、ピュアなヒルダさんからしてみたらヒくのも当然だ。

 

 

 なんてベタな思考はしない。

 

「いえ、俺は興味がないので」

 

 そう、ヒルダさんに笑いかける。

 

 女性と二人でいるときに、他の女性の話をしてはいけない、という、半分常識のような不文律があることを、俺は知っている。何かで読んだ。

 

 野良ライブ会場らしき方面から「みんなー、今日は来てくれてありがとーっ!」等の声が聞こえてくる。俺は現世でも何かのライブとかに行ったことはないけれど、多分そう変わりはないだろう。

 ちょっとだけ、現世っぽさを感じて動揺しただけなのだ、それより今はヒルダさんが優先なのは当たり前のことだ。

 

 そんな感じに、少々格好付けて、先を促した、ところ。

 

「あ、え、そっか、そうだよね。うん、メインストリートの方に行こう」

 

 なんだか名残惜しそうに、野良ライブ会場の方向に目をやってから、大通りの方へ勢いよく歩き出すヒルダさん。

 

 

 ……もしかして、ヒルダさん、貴女が行きたかったんですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒルダさんの服選びに付き合ううちに、気付いたことがある。

 

 今日の俺の服、最高に合ってねえ。

 

 店内を見回した後、もう一度自分とヒルダさんの服装を確認してみる。

 控えめだがそれなりに洒落ている服が所狭しと並べられている、方向性としてはエルフ的な感じを意識したのだろう店内には、ざっと客が五組、店員が二人。男は俺の他に一人、他は全員女性、そしてみんな超シャレオツな雰囲気と布を纏っていらっしゃる。

 

 とても楽しそうにあれやこれやと吟味を繰り返す女神は、まあ女神だけあって完全に溶け込むどころか彼らとも一線を画している、のだが。

 逆にそのせいで、いつもの甚平(長いやつ)でいる俺が非常に際立って見えてしまう。もちろんいい意味ではなく。

 

 普段着でいいよと言われ、しかし割とファッションセンスがないなりに真剣に悩み、結局よくわからなくなって、何をトチ狂ったかダンジョンにも着ていくこれをチョイスしてしまった己の考えのなさに嫌気が差す。

 ヒルダさんと並ぶとアンバランスもいいところだ。デートっぽく見えない、という方向性では合格点の例なのかも知れないが、そんなの全く嬉しくもない。

 

「……ねえ、聞いてる?」

「あっ、すいません聞いてませんでした」

 

 慌てて彼女の方へ意識を引き戻す。

 濃い藍色と淡い紅色の、色違いの……えっと、カットソー、を、姿見を使いつつ自分の身体に当てていたヒルダさんがゆったりと振り向く。

 

「まったくもう、カーラのところに定期的に通ってるからこういうお店も慣れてるでしょ? 堂々としてればいいの」

「いや、「星空」の空気にはそうそう慣れそうにないですし、ここも全然違いますし」

「情けないこと言わない。当然、また一緒にいろいろ付き合ってもらうつもりなんだからね」

「が、ガンバリマス」

 

 笑顔笑顔。

 

 現世でもまともに服なんか買っていなかった俺にはユニクロ以外の服屋に入った記憶があまりない。精々がB&Dとかオーソリティーとかだ。偏ってるし服屋じゃないし。

 ましてや、女性向けの店など。堂々としていろと言われても、どうすればいいかもわからない。

 

「それで。これ、どっちがいいと思う? 色が選べなくて、ツカサくんに決めてもらいたいんだけど」

「えー、っと……」

 

 かといって。意見を求められるのも困る。まあそれが今回の俺の役目の一つでもあるのだけれど、正直どれがいいとかはまったくわからないからだ。

 

 というか、女性がこの手の質問をするときは大体自分の中で答えが決まっていて、背中を後押ししてほしいだけ、みたいな感じじゃなかったか。どちらにせよ、答え方は皆目見当もつかないわけだが。

 

「俺は、今のヒルダさんの装い的に、合うのは青の方だと思いますが、赤の方もなかなか捨てがたいと思い、ま……す?」

 

 主に色相環くらいしか知識を持ち合わせていない俺には荷が重いと思います。

 

 しかし、ヒルダさんは俺の答えが不服らしく、意識してか無意識か、僅かに頬を膨らませる。やっぱり難しい。

 

「結局、ツカサくんはどっちがいいと思ったの?」

 

 両の手にそれぞれを持ち、俺に突きつけるように迫ってくるヒルダさん。正直どちらもそう変わりはないと言いたいが、そんな答えは許されないだろう。

 

 

 今度、キッカさんあたりにご教授願おう。俺は確かに、そう心に決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わあ……!」

 

 そこから見える景色は、色とりどりの鮮やかな、華やかで幻想的な光の海。

 

 無数の魔石灯でライトアップされた迷宮都市の夜景が、そんな中でも綺麗に白の主張を貫く巨塔が、夜の闇に浮かび上がる。

 

 隣で詠嘆の吐息をもらすヒルダさんは、銀河が映り込んだように輝く天色の瞳を開き、ただただ見入っている。

 

 よかった。前に来た時は昼間だったので、夜がどんな風になるかはまだ確認していなかったのだ。文章からして、絶景であることはわかってはいたが。

 

「だ、誰に教えてもらったの?」

「誰にも。偶然見つけたんですよ。俺も夜に来るのは始めてですけど」

「そ、そうなんだ……」

「棚ぼた的なもんですけど、気に入ってもらえたなら嬉しいです」

 

 西のメインストリート、その外れにある、古びた鐘楼。原作二巻でベル君と神ヘスティアがデートをしそびれて辿り着いた所だ。

 

 五年ほどの年月などそれ自体の歴史からしてみれば些細なものなのだろう、とも言えるほど年季が入っている鐘は、煉瓦の塔は、もう機能を持っていなくともなお荘厳な雰囲気を纏っている。

 日が暮れる頃、何処か行きたいところはないか、と訊かれたので、時間もちょうどよさそうだし、原作聖地探しをしていたときに偶々見つけたここに誘おうといった次第だった。

 

「はー……」

 

 陽は落ち、街が自ら光を放ち出す時間帯。さしたる高層建築物もないオラリオは、遥か遠くまで見渡すことができた。

 夜景など、一切興味がなかったはず、だけれど。あれは残業中のマーカーなのだと、斜に構えた見方をしていたけれど。

 

 なかなかどうして、悪くない。

 

 それは、この異世界情緒あふれる光が為しているからか。喧騒から遠く、静寂に包まれたこの場所からだからか。それとも。

 

 しばらくの間、俺たちは言葉もなく肩を並べて、その世界の全てに魅入っていた。

 

 

 

 この瞬間が、とても愛おしく思えた。

 

 

 

 そして唐突に腹の虫が鳴る。

 

 顔を赤らめたヒルダさんと、目が合う。

 

「…………」

「……ああ、もう。せーっかくこんなに綺麗な景色観てるのに、空気が読めないんだから……」

 

 残念そうに、雰囲気をぶち壊した腹をさすりながら愚痴るヒルダさんもまた、可愛らしい。

 

「でも、俺も腹、減りましたし、そろそろ行きましょうか。えーと、どこかで食べるか、本拠(ホーム)に帰るか、ですね。まだ金は残ってますけど――」

「帰ろう。久しぶりに、キミの作る晩御飯が食べたい」

 

 ヒルダさんは即答し、照れ隠しか鐘楼を早足で降り始める。

 その後に続くと、案外その小さな背は素早く遠ざかってゆく。慌てて追いかける。

 

「了解しました。……で、何かリクエストは」

「美味しいならなんでも!」

「そういうのが一番困るんですけど……」

 

「最近困ってなかったでしょ、たまには存分に悩みたまえ、ツカサくんよ」

 

 塔を降り切ったところで振り返り、悪戯っぽく笑うヒルダさんに、言い返す言葉はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冒険者にとって、最も大切な施設は何か。

 

 答えは決まっている。魔石の換金施設だ。折角必死こいて調達してきた成果も、極論、金にならなければ意味がない。彼らがダンジョンに求める一攫千金は、地上で換金という行為を通して初めて実現する。

 

 換金施設といえば、ギルドに設置されているものを思い浮かべるだろうが、オラリオには他にもいくつか存在する。

 バベルにも簡易なものがある他に、自ら買取をしている【ファミリア】もある。もっとも、信用的観点から大手の一部に限られるが。

 

 それでも、シェアではギルドがずっと独走状態にある。

 

 商業系にとっては自分たちで取りに行くより、探索系【ファミリア】と契約して卸してもらう方が、より楽で、より質の良い魔石が手に入り、また商いや研究に没頭できるという様な利点が多く挙げられる。しかしそれも規模が大きいことが前提であり、また鑑定員の資格を有する人員が必要なことからも、なかなかにハードルが高い、らしい。

 他にも諸々の事情はあれど、やはり自ら【神の恩恵(ファルナ)】を刻み戦力を保持することを是としない、【ウラノス・ファミリア】とも呼べるギルド、の運営資金源が魔石の貿易である、ということが一番の理由だろう。お株を奪われてはたまらない、と、換金施設普及を妨げている、などの噂が立つほどだ。

 そのためギルド以外の場所では、かなり待たされることも多々あったりする。けれど。

 

「お待たせしました、ナツガハラさん」

「比喩でもなく全然待ってませんよ」

 

 バベル二階、簡易食堂。

 夕食にはいささか早い、夕方から夜の境目ほどの時間帯。探索を早めに切り上げてきた冒険者は、席の三割から四割程度。それぞれに、食事を摂ったり、計画を練ったり、その日の儲けの分配をしたりしている。

 

 そして、俺たちもその例に漏れず。日が落ちないうちに帰還し、混まないうちに色々済ませてしまおうと考えてはいたのだが。

 

「何をしたらそんなに早く換金できるんです……?」

 

 ちょっと、スハイツさんが速すぎた。

 

 駆け出しで、ソロで、日帰りで。そんな条件下なら魔石の質も数も知れたものであり、またギルドでなら窓口数も多いことからして素早く換金してもらえるのだが、それなりに多くを、簡易施設で、となると相応に時間がかかるのが常。

 だから飯でも食いながら待ちましょうと、俺は食堂へ、スハイツさんは換金施設の方へ。一旦別れて、とりあえず席をとっておこうと座ったらスハイツさんが来た。しかも換金所は三階、階まで跨いでいる。

 

 速すぎないですか?

 

「ちょうど人が途切れたのと、換金額の査定を提出してみたので。いい人でよかったですよ」

「査定、ですか」

 

 今日の稼ぎを入れた麻袋を音を立てないようにテーブルに置きながら、スハイツさんが俺の対面に座る。

 

「魔石の大きさと質と量から概算してみただけですけど。自分がいまどれくらい稼いでいるのか、ダンジョンの中でわかったら便利じゃないかと、覚えてみたんです」

「え、それって鑑定員の技能そのものじゃ……」

「そうかもしれませんね。でも、そう難しいことではないとは思いますよ。少し勉強すればナツガハラさんも出来るようになるかと」

「まあ、確かに有用ですけどね……」

 

 前々から思っていたが、この人スペック高すぎである。何処ぞのチート系主人公かよ。見た目も雰囲気もそんな妄想を彷彿とさせるし。

 強くて、思慮深くて、強くて、人間できてて、格好良くて、優しくて強くて、とにかく強くて。そのうち時空とか歪めだしたりするんじゃなかろうかってくらいだ。

 

 しかし、今のスハイツさんにその能力は必要、なのだろうか。いや、多分。

 

「おそらくナツガハラさんが考えている通り、そう遠くないうちにまた、オラリオを訪れると思います。そのときは、よろしくお願いしますね」

「俺が力になれることなら、是非」

 

 そのうえ、心まで読めるときた。流石の超人度合いである。

 

 

 

 

 

 今日で、ぴったり三十日だったスハイツさんとの契約は切れる。これで俺はフリーに逆戻りだ。トルドはもうすぐ帰ってくるけれど。

 

 長くも短くも、やっぱり長く感じたこの期間で、俺の【ステイタス】はかなりの成長を見せてくれた。スキルの力を借りたベル君並みの伸び幅ではないにしても、俺からしてみれば十分すぎるほどの速度で。

 

 もちろん、それは正面に座るサポーターもどきのスハイツ・フエンリャーナさんのお陰だ。

 無謀とも思える、というか無謀そのものである特攻探索は、彼がいなければとても成り立ちはしなかった。

 

 俺(たち)は原作――ベル君の英雄譚を読んでいるために度々錯覚することがあるが、本来はあんな成長速度はあり得ないと理解しなければならない。原作一巻での普段着突貫など、常識的に考えれば自殺行為もいいところだ。

 

 そういった感覚のズレを、最近、ようやっと修正できてきた、と思う。俺は、弱い。基礎能力も低く才能も知れたもので、特殊能力など以ての外。

 でも、その現状を正しく認識できなければ、きっと先はない。

 だから、この一ヶ月の間、自分の弱さを自覚しながらも、失敗しても死ぬことはない、という好条件下での挑戦を延々と繰り返せた経験は、今後につながる大きなプラスとなった。

 

 もっとも、スハイツさんにとってもプラスだったのかどうかは、不安なところではあるが。

 

「このひと月は、どうもありがとうございました」

「いえいえ、こちらこそ。助かりましたよ」

 

 多分、スハイツさんからしてみれば、別に俺でなくてもよかったのだ。彼ほど強ければ、誰だってよかったはずなのだ。

 この出会いは、きっと偶然。この幸運を、俺は、上手く扱えただろうか。

 

「……でも、本当によかったんですか? 毎回、ぼくが半分ももらってしまって」

「勿論です、というかもっと貰ってくれないと心苦しいと言いますか、逆に申し訳なくなりますよ」

「これ以上は要りませんよ。路銀は必要ですけど、稼ぎたいわけではないので、これでも多すぎるくらいです」

 

 麻袋の中身は、ざっと二四○○○ヴァリス。スハイツさんと俺のそれぞれの取り分は、一二○○○ヴァリス。

 

 毎日の収入は、スハイツさんときっちり半分ずつ、山分けするようにしていた。俺としては2:8、いや1:9にでもしたかったのだが、そんなに頂けない、とスハイツさんが引かなかったためだ。

 実際、俺が一人で戦闘を行うとしても、貢献度は圧倒的にスハイツさんの方が上なのは明らかで、むしろ俺が金を払うべきなのでは、とも思ったこともある。

 しかし彼の契約上の立場はサポーター。過度な優遇は無駄な軋轢を生みかねない、如何に有能だとしても特別扱いが彼自身の不利益に繋がる可能性がある以上は、周囲への牽制も兼ねてこの辺りが限界だった。

 

「スハイツさんがいなければこんなに稼げることもなかったんです。それくらいは取っておいてください」

 

 そう言って、スハイツさんに半額を無理に押し付ける。これ以上遠慮されたらこっちがたまったものではない。

 

「……そう、ですね。有難く、頂いておきます」

 

 苦笑いしつつ、彼は麻袋を受け取った。

 

 

 この金銭のやり取りを以てして、俺とスハイツさんの契約は、満了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長さは、微妙。

 

 打刀の晴嵐よりかは長い、しかし太刀と呼ぶには幾分か短くも感じる。

 

 重さも、微妙。

 

 紅緒よりは重く、重心が若干剣先寄りなので取り回しに難がある。

 

 形状も、微妙。

 

 打刀の反りは先端部、太刀の反りは手元だが、太刀に準ずる長さで先端の方で反っている。

 

 値段も、微妙。

 

 晴嵐の二倍強、紅緒の五倍強の、きっかり二五○○○ヴァリス。ちょっと悩んだ。

 

 

 半太刀、『渡鴉(わたりがらす)』。例によって銘はない。

 

 この、微妙さを手当たり次第に詰め込んだような、非常に中途半端な性能をした刀が、俺の新しい武器だ。……新しい武器だ。大切なことだから二回言った。ここテストに出るからなー。

 

「どうっすか? いいのが出来たから持ってけって、紅緒や晴嵐の作者さんがツカサに推してたやつ、なんすけど」

「うー、ん……」

 

 正直言って、扱いづらい。晴嵐の方が振りやすく、紅緒の方が安定感に優れている。

 

 攻撃力は、まあ高いだろう。大きくて幅が広い方が威力があるのは当たり前の話だ。それに反りも強いので、より楽に斬れる、とは思う。

 質が高いのもなんとなくわかる。他と比較して刀の機微を察せるわけではないけれど、俺自身刀の良し悪しの何たるかにも詳しく精通していないけれども。

 

 でも、どこかに引っかかりを覚えるのは何故だろうか。

 太刀でも打刀でもない半太刀という分類すら始めて聞いた俺には、打刀にしては長く太刀にしては短く、両方の性質が混在している、ということくらいしか感じ取れない。

 

「もっと具体的にさ、こういう特徴があって、どんな使い方が最も適してるとか、聞いてない?」

「特には何も言ってなかったっす。ただ、冒険者用に仕上げた、とだけ」

「冒険者用……?」

 

 一般人、強いて言うなら侍用と冒険者用とで、何か異なっているということ、か? しかし紅緒や晴嵐との決定的な相違点は見られない。

 何度か素振りをしてみても、その重量と重心からして少し前に引っ張られる、くらいだ。それは比較的軽い紅緒や超軽量級の晴嵐ばかり使ってきたからこその差異なのか、渡鴉の元々の性質なのかも釈然とせず。

 

 それでも、違和感だけは頑として居座り続ける。これはどういうことなのか。俺が冒険者じゃないとか? ははは御冗談を。……冗談だよね?

 

「まあ、使っていくうちに慣れる、かな」

 

 何はともあれ、三振り目の、俺の武器。

 どれもこれも刀系統ではあるが、数が増えてくると無性にテンションが上がる。ゲームで使える魔法が増えた、みたいな。まだ魔法使えないけど。

 

 とりあえず渡鴉を腰の鞘に収める。重量バランスと雑多さ加減からして紅緒と晴嵐が左、渡鴉が右だ。利き手が右なので全部左にするべきかな、とも思うが俺は三刀流とかできないので別に問題はないはずだ。エナメル質の強度が足りんよ。

 

「そんじゃ、そろそろ行こうっす」

「応」

 

 現在、第三階層。正規ルートを通ってきたために戦闘はなかった。

 

 久しぶりにトルドと二人でもぐるダンジョンは、スハイツさんと共に来た時のものとは全く異なっている。物質的な違いではなく、心理的な。

 

「ボクがいない間はシーヴさんとかともぐってたっすか?」

「いや、短期間だけどフリーサポーターと契約して、その人とずっともぐってたよ」

「ほう、五階層くらいは行ったっすかね?」

「ふふふ、聞いて驚け、七まで行った」

「えっ、なんすかその早さ」

「ひと月前の俺と同じだと思うなよ? 男子三日会わざれば刮目して見よ、だ」

「俄然楽しみになってきたっす。なんか新技とか身についたり?」

「ああ、もちろんだ」

 

 自信満々、といった風に頷き、晴嵐と紅緒を、刀身が出てこないように紐で縛る。

 

 まだ練習を始めて一週間ちょっとしか経っていないが、ヒルダさんの幾ばくかの安眠と引き換えにそれなりになったものがある。深夜に何度も大きな音出してすいませんでした。

 

 紅緒と、晴嵐をそれぞれ手に持つ。

 

「えっ、何するんすか?」

「見てりゃわかるさ、こう……するんだっ」

 

 まず紅緒を宙に放り、空いた手に晴嵐を滑り込ませて、紅緒が落ちてくる前に、同じ軌道を描くように投げる。

 

 回転しながら放物運動をし、落下してきた紅緒を投げた方ではない手でキャッチ、すぐにパスしてもう一度投げ上げ、晴嵐でも同様の動作を繰り返す。

 

 繰り返す。

 

 

 繰り返す。

 

 

 

 繰り返す。

 

 

 

「……………………」

 

 そこには、沈黙と、困惑したトルド・フリュクベリと、二本の刀でジャグリングをする道化師(ピエロ)だけが存在していた。

 

 殺傷能力も実用性も何もない、一発芸としても微妙なお手玉。せめて刀が抜き身であれば格好もついたかもしれないが、まだツカサは真剣で出来るほど鍛錬を積んではいなかった。

 

 そこから更に何ループかして、なんとも言えない催し物が、やっと終わる。

 

 

「……どうだった⁉︎」

 

 

「あー、えっと、まあ、うん。いいんじゃないんすかね? そこから上手く発展させたりすればトリッキーな動きができるようになったりするっすよ! きっと」

 

 

 ――それは、嘘か、本音か、建前か。

 

 

 だが、まず間違いなく、本音では、ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一三話 凶星の兆し



 報せるのは、二度目の遭遇。

 準備は、万端か?




 迷宮(ダンジョン)生き残り講座、第二講。

 

 

 今回は第六階層からお送り致します。

 

 本日の講師は【カーラ・ファミリア】所属、Lv.3、シーヴ・エードルントさん。二つ名は『槌を振るう狼(ファベル・ルプス)』、冒険者と鍛冶師の二足の草鞋を履きこなす強者。

 冒険者歴八年、【カーラ・ファミリア】初期団員、そして現団長。トルドや俺と違い、最初から戦闘経験もセンスもあったため、気が付いたらレベルが三になっていたという、天性の才能を持つ。

 

 本業は鍛冶の方ではあるが、極東出身の冒険者がまだまだ少ない中、刀を扱う数少ない上級冒険者、として密かに注目されている、とはカーラさんの談。浪漫だからね。

 基本的に誰かの面倒を見ることはないらしいが、最初の武器決めのときに聞いた言質もあって、頼み込んでなんとか了承してもらえた。防具買わされたけど。

 今日も例によって標準装備の獣耳に和服。これで目に覇気……とはいかないまでも、少なくとも生気が宿っていれば凛とした美人になるのだろうが、残念なことにシーヴさんはダンジョンにもぐるときは大体胡乱な目つきをしている。ダンジョンにもぐっていないときも大抵は眠そうにしているけれど。武器を触っているとちょっと回復する。

 

 

 そんな彼女は、ダンジョンが嫌いなのだという。

 

 

「……大抵のことなら、失敗しても、またやり直せばいい。でも、これ(ダンジョン)は違う。……失敗したら、次はない。だから、嫌い」

 

 ほとんど動かない唇から、溜め息混じりの言葉が漏れ出づる。

 

 たった一度の選択ミスが、ほんの一瞬の判断ミスが、容易く死に繋がることもある。安定して十年以上やってきた猛者でも、なんでもない一回の戦闘で命を落とすこともザラにある。

 

 それが迷宮(ダンジョン)だ。

 

 ダンジョン内では全てが自己責任となる。進もうが戻ろうが、逃げようが戦おうが、喧嘩を売ろうが買おうが、死のうが生きようが。あまり推奨されることではないが、もちろん【ファミリア】間の抗争についても、当事者同士だけで扱われるべき事案に変わりない。

 

 シーヴさんは鍛冶師でもある。きっと、多くの失敗を経験してきたのだろう。それを背負って、その重みを感じながら、今日までやってきたのだろう。様々な失敗があったからこそ、今があるのだろう。

 

 でも。

 

「……基本的に、ダンジョンでの失敗は、死と同義。何度も失敗する人は、運はいいだろうけど、向いてない。ただ、成功し続ける人だけが、生き残る」

 

 失敗は、同じ失敗をしない方法を教えてくれるだけで、直接成功に繋がっているわけでは、ない。その失敗を反省し、次へと活かすことで未来の成功の可能性を引き上げられるようになる、だけ。

 

 詰まるところ、冒険者として成功したければ、成功するしかないのであって、成功し続ける以外に道はない。ジレンマのように思えるが、実際そうでなければ上級、下級、などという枠組みも意味を成さないし、そもそも、毎日を生き残ることからして不可能だ。

 

 そんな世界で、傍目からしてみれば成功し続けている側の彼女は、何故、迷宮を毛嫌いし、それでももぐり続けるのか。成功を求めるのか。

 

「……ん、退がって」

 

 敵の気配を察知したのか、狼人(ウェアウルフ)特有のもふもふの耳がぴくり、と動き、俺に警戒を告げる。

 同時に、彼女の重心が僅かに沈み。纏う空気も、澄んで冷えきったものに代わったような錯覚を起こさせた。

 長く冒険者をやっている人たちは、こういう切り替えが早く、上手い。個人差はあれど、戦闘時と通常時の落差が大きくなる傾向にあることも、その強さの一因であるように思える。

 

 ゆっくりとその刀、『正蛇(せいじゃ)』を抜くシーヴさんの斜め後ろに退がるも、俺は近くにいるらしいモンスターの気配を感じ取れない。

 

「……前方、突き当たり右手通路、に、ウォーシャドウ、が、三体。約十二秒後に、見敵」

「そんなに遠く、どうやって感知してるんです?」

「音と匂い。狼人(わたしたち)は、感覚器官が優れている、から」

 

 そういえば、外伝二巻で【ロキ・ファミリア】の狼人ベート・ローガが、神デュオニュソスの匂いを嗅ぎ分けていた。第一級冒険者の比率からしてみても、獣人は――というか亜人(デミ・ヒューマン)自体――元々の身体能力が高いのだろう。

 

 シーヴさんの宣言通り、きっかり十二秒後、通路の奥から、音もなく、黒い影が三つ、ぬっ、と。姿を現した。

 

「……じゃあ、距離を保って、付いてきて。なるべくゆっくり戦うけど、多分、速すぎるから」

「はい」

 

 嫌味でもなんでもなく、ただの事実。Lv.1の俺とLv.3の彼女との間には、天と地のそれよりも大きな差が存在している。

 

 集中、しろ。

 

 この戦闘を通して技術を学び、有意義な経験を得るためには、俺にとって極限とも言える状態まで意識を持っていかなければならない。

 一緒にダンジョンにもぐることは何度かあっても、シーヴさんの戦闘を見たことはほぼなく、実質、これが初見。

 Lv.4であるリューさんの動きは、多少の手加減が加えられていようと、全く見えなかった。それは俺の動体視力が鍛えられていない、というのもあるのだろうが、やはり、彼女が途轍もなく速かった、という結論に帰着する。

 それは、シーヴさんも同じことで。

 

 一瞬でも気を抜けば、彼女らは即座に俺の知覚限界まで加速してしまう、俺の認識領域を突き抜けて彼方へ消えてゆく。

 

 少しの間だけでいい、張り詰めろ。

 

「……いくよ」

 

 言い終えるかどうかの瀬戸際、シーヴさんは体勢を低くし、弾丸の如く駆け出した。

 

 全力で後を追う。抑えているとはいえLv.3の速度だ、当然置いていかれる。しかし、目だけは彼女を捉えて離さない。

 

『…………⁉︎』

 

 瞬きの間に、シーヴさんとウォーシャドウたちの距離が忽然と消失した。

 

 先頭の一体の胸部を狙う右薙ぎが疾る。狼狽える影は咄嗟に臨戦態勢をとろうとするも、もう遅い。シーヴさんに攻撃を許した時点で、()()()()()()()()()()()

 

 迎え撃とうと持ち上げられた腕、しかしその直前で『正蛇』は鉛直上方へと方向転換し、直後にまた水平移動に戻り。鈍色の光が、ウォーシャドウの頸部に煌めいた。

 

 空中に描かれるその太刀筋は、まるで稲妻のように鋭く蛇行し敵の急所へ的確に到達する。それが彼女の剣戟の特徴。

 

 俺も一度だけ使わせてもらったことがある、あの刀は重心が独特で、慣れていないと扱うことは難しい。

 

 振り切った形から高速の抜重、そしてシーヴさんは敢えて踏み込まず一歩、後退する。と同時に、反応もできず硬直していたウォーシャドウの、黒々とした頭部が滑り落ちる。

 

 本来の実力を正しく発揮した彼女ならば、それこそ刹那の内に、残り二体も即殺できただろう。

 

 だが、この不甲斐ない俺のために、シーヴさんはわざと不利な状況へと、挑む。まあ、彼女にとっては窮地でもなんでもない、単純な雑魚戦に過ぎないのだろうが。

 

「でも。それでも、余程でないと、失敗を避けることはできない。だから」

 

 シーヴさんは、なんでもない風に、日常の一場面のように、極々自然に。二体のウォーシャドウの間に歩いて割って入る。

 

 挟み撃ちの形となり、計四本の漆黒の鞭が、計十二本の「指」が、縦横無尽の軌道を描き、彼女の柔肌を貫かんと迫る。

 

 俺だったら、形振り構わず離脱を最優先するだろう、絶対に避けたい場面。死角から鋭い攻撃が飛んでくるというのは、想像よりもずっと恐ろしく、危険だ。

 

 しかし。

 

()()()()()()()()()()()

 

 首を横に倒すことで、身体を僅かに旋回させることで、ほんの少し、重心をずらすだけで。シーヴさんは全ての刺突を躱し切る。

 

 それは、トルドがするような、間合いの把握からなるものでも、優れた感覚器官が為すものでも、強者の力が作り出すものでもない、普通の回避。決して俺には不可能と言えない、ありきたりな対処。

 

 当然だが、混乱や焦りは思考を制限し、視野を狭窄し、感覚を鈍らせる。

 

 溺れている際に無闇にもがくことが、却って生存率を下げるように、危機的状況に於いて、己の手綱を手放すことほど愚かな判断もない。

 

 シーヴさんは、それらを、能動的な選択に、積極的な行動に依ることで、跳ね除け寄せ付けず、自由を手にして血の海を駆けるのだ。

 

『…………!』

 

 斬撃も、彼女には通用しない。伸ばしきった腕を振るうも、ウォーシャドウたちの指は悉く躱され、いなされる。

 

 そして奴らに、僅かでも綻びが、隙ができたなら。

 

 もう、シーヴさんの独擅場、だ。

 

 俺にも見える範囲で、俺にも再現可能な速度で、彼女が大きく踏み込む。『正蛇』が虚空を裂き、一体のウォーシャドウの胴体を狙い滑空する。

 

 だがそれでは先ほどの一撃と異なり、ウォーシャドウの防御が間に合ってしまう。鋭利な指で受け流され、攻勢へと転じられてしまう――

 

「……甘い」

 

 ――はず、だった。

 

 ところが『正蛇』は敵に触れる直前で進行方向を大幅に変更、完全にその気でいたウォーシャドウの両腕の間近を交錯し、またも無防備だった首を刈り取った。

 

 あと、一体。

 

 シーヴさんの太刀筋の妙は、その不規則さに起因する。

 

 真っ直ぐ進んでいるかと思えば直角に曲がり、右に薙ぐかと思えば左に返す。勿論意図的に、相手の攻撃と噛み合わず、防御をすり抜け、ただ己の主張のみを押し通す。

 

 それを可能にするのは、何時如何なる瞬間にも即座に抜重ができる技術。振り切っていなくとも、その場で加力方向を変え、()()()()特殊技巧。

 

 強引に軌道変更をすることも不可能ではないが、腕への負担が非常に大きい上に、西洋剣などでは力の入り方が足りず、威力が大幅に低下してしまう為、あまり現実的ではなく。

 

 鍛冶師として修練を積むうちに、より適切な選択を求め続けるうちに、繊細な身体制御法を身に付けることに成功した彼女と、反りにより小さな力でも斬ることができる打刀、それも重心の在り方が独特な『正蛇』との組み合わせが為す、ある意味固有の技とも言えた。

 

 これが、シーヴさんの戦闘体系。現時点での選択式の極致。

 

 圧倒的な実力差を感じ取り、恐れをなしたのか、彼女の背後に残る一体が慌てて再度腕を伸ばそうとする、も。

 

『……!』

 

 シーヴさんは許さない。

 

 今度は抜重せず、振るった勢いのまま、遠心力で半回転、背後のウォーシャドウの先制を一閃で封じてしまう。

 

 そして、動きが止まれば。

 

『正蛇』より数瞬遅れでシーヴさんの身体が反転し、地を蹴り、再加速。

 

 対してウォーシャドウは、()()()()()()()、自然と首を防護しようとする。

 

 予め二体のウォーシャドウを、敢えて誤誘導を混ぜつつ斬首という形で葬る。シーヴさんがしたのはそれだけだ。しかしそれにより、残り一体の生存本能に、首への優先警戒が刷り込まれることとなったのだ。

 

 当然、そうなれば。

 

「……終わり」

 

 すれ違いざま、必死の構えを嘲笑うように、魔石ごと、最後の人影が両断される。

 

 後手には回らない。ずっと、自分がしていることを意識し理解して、次の瞬間を想像し、仮定し、最良の未来を探り見付け出す。失敗がこの世界に顕現する前に、()()()()()()()()()

 

 それが、彼女に求められたこと。【カーラ・ファミリア】団長として、皆の拠り所として、シーヴさんが選択したのは純粋な強さではなく、負けない方法。全てを背負い、生き抜く術。

 

 俺が、彼女から学べることは、何だ。

 

 

 シーヴさんはダンジョンを嫌悪してなお、【ファミリア】という『家族』の為に、自らを錬磨すべく、挑み続ける。

 

 

 これが、負けられない彼女が紡ぎ出した、とある一つの生存戦略(ストラテジー)

 

 

 

「……あと、もう二、三回、やろうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……新手、キラーアント二、フロッグ・シューター三が第一から、ニードルラビット四、パープル・モス一が第二から、キラーアント三が第三から、ウォーシャドウ二とパープル・モス一が第四から」

 

「「了解!」っす!」

 

 激しい戦闘、次から次へと襲い来るモンスター。騒然とした空間に於いても、シーヴさんの声は不思議とよく通った。

 

 眼前には前脚を大きく振りかぶる、巨大な蟻の化け物。並の攻撃及び武器では弾かれてしまう防御性能を誇る硬殻を持ち、瀕死になると仲間を呼び寄せるフェロモンを撒き散らす厄介な敵だ。

 

 対処は簡単、容赦なく撃滅することである。

 

 振り上げたその鉤爪を、キラーアントが降り下ろすより、速く。早く。晴嵐がその首を刎ね飛ばす。

 

 次いで、俺は大きく振り上げた晴嵐を、握力を抜き何時ぞやのように、慣性に従わせ宙に放り投げた。

 

 いくら晴嵐が軽いからといって、腕だけを振り回すよりかはずっと力も時間もかかる。今のように、手数を優先させたい場合には、きっとこれの方が効率がいい、はずだ。多分。

 

 身体を半分、後方に向け、しならせるようについてこさせた両腕で、計算通りの位置に落下してきていた紅緒を掴み。

 

「ぃよいしょぉ!」

 

 体勢を低くしながら踏み込み、影の化け物の上半分と下半分をおさらばさせる。ついでに片腕も落とした。

 

 今度はしっかり抜重、地面を強く蹴って、こちらに勢いよく飛びかかってくるニードルラビットを斬り上げ、重力に身を任せながらパープル・モスを両断する。

 

 着地する際に、まだ片腕が残るウォーシャドウの顔面、円形のパーツに紅緒を突き立て地に縫い止め、確実に絶命させて。そこから身体を起こし、軸足を残してまた逆回転で反転し、サッカーボールにするように、自由落下してきていたキラーアントの生首を華麗にボレー、壁にぶち当てて爆散させる。

 

 やばい、ちょっと楽しい。あまりに上手くいった。

 

「ツカサ! そっちに影、三体行った!」

「あいよ!」

 

 くるくると回転しながら落ちてくる晴嵐を、誤って指を落とさないように気を付けながらキャッチし、迫り来るモンスターたちを迎え討つ。

 

 

 ダンジョン、第七階層。

 

 

 俺たちが陣取っているのは割と広い、通路が四方に伸びているルーム。そこで、押し寄せてくるモンスターをひたすらに捌いている。

 

 別に『大量発生(イレギュラー)』が起こっているわけでは、ない。

 

 だが中層ですらない階層で、この密度の戦闘は、一般的に考えてあり得ない。では何故、次から次へと、大量のモンスターがこのルームに入ってくるのか。

 

 仕掛けは、中心部に置いてある『あるもの』にあった。

 

「……そこ。フロッグ・シューターがフリー」

「――ッ、ボクが行く!」

 

 奮闘する俺たちを無視してルーム中央――シーヴさんが待機している所へ一目散に駆けてゆく、二匹の蛙の化け物を、双月ノ弐が背後から刺し貫き、魔石を砕く。

 

 しかし、一旦後方へ退いてしまったことによる戦線の拡大は、Lv.1のトルド一人ではどうしようもないほどになる。

 

 まずい。早く持ち場を交代しないと、()()決壊してしまう。

 

 パープル・モスを優先的に斬り伏せ、二匹のフロッグ・シューターと一体のウォーシャドウをまとめて薙ぎ、キラーアントの硬殻の隙間へ的確に刃を差し入れる。

 

 みるみるうちに、そこらじゅうがモンスターの死骸だらけになってゆく。ウォーシャドウなどは足場を気にして屍を避ける傾向にあるが、キラーアントなどはそれがどうしたと言わんばかりに乗り越えてくるからやりづらい。

 

 仕方がない。勢い余って殺してしまわないようにしながら一匹のキラーアントの頭部を切り取り、若干どころではなくだいぶ気持ち悪いそれを片手にその場を離脱する。

 

「俺が、押し戻す! トルドは別方向、を!」

「わかった!」

 

 乱れる呼吸をなんとか抑え、今まさに崩壊しかけていた戦線に突っ込む。度重なる連戦により集中力もそろそろ限界だが、まだ倒れるわけにもいかない。

 

 二本のナイフと体術で戦うトルドは、モンスターが密集している場所より、それなりにばらけている所の方が向いているだろう、という判断。ウォーシャドウのヘイトを集めたまま、フェロモンに釣られたキラーアントの群れを引き連れて、苦戦していた彼と入れ替わる。

 

 シーヴさんから教わったのは、心得や刀の振り方だけではない。長時間斬れ味を落とさず保つ方法も、下手ではあるがなんとか会得した。まあ、心得とかもまだ理解できていないけれども。

 

 兎に角、今は目の前の敵を屠ること、だけを考えて紅緒を、晴嵐を振るう。渡鴉にはまだ慣れない。

 

 

 斬る、斬る、蹴る、躱す、投げる、殴る、掴む、斬る、蹴る、投げる、払う、跳ぶ、掴みつつ斬る、着地しつつ斬る、どつく、受ける、投げ――

 

 

 面倒くさい。

 

 紅緒を、直上ではなく、後方へ、なるべく回転しないように放る。

 

「すいませんシー、ヴさん、持ってて、ください!」

「……ん」

 

 トルドに呆れられてから二週間、必死に特訓を重ねて抜き身でも出来るようにしたが、やはり実践でこれを戦闘に組み込むには少々無理があるように感じる。

 

 せっかく物理的な計算もして、落ちてくる時間やキャッチするタイミングも練習したけれど、あまり役に立っているとは言い難い。

 

 つまりおそらく、まだ俺の実力が、【ステイタス】が足りないのだ。スハイツさんが提案してくれたのだ、間違っているとしたら、俺の方だ。

 

 まだまだ、足りないものだらけ。

 

 身体中、どこもかしこも痛い。攻撃を受けたからか、単に限界なのか。いや、そんなのはもうどうだっていい。

 

 

 もっと強く、もっと速く。

 

 

 ただ踏み込み、刃を振るえ。

 

 ウォーシャドウの腕を斬り落とす。フロッグ・シューターの眉間を突き、頭蓋を切り裂く。パープル・モスの羽根を破損させ、墜とし、踏み潰す。

 

 俺だって。少しは、強くなっているんだ。

 

 様々なモンスターが入り乱れ、阿鼻叫喚の地獄絵図のような戦場を、刀一本で切り拓く。

 

 キラーアントの突進を引きつけてギリギリで避け、背後に迫っていたウォーシャドウと衝突させる。フロッグ・シューターが打ち出したその舌をいなし、キラーアントの顔面に直撃させる。

 

 基本的に全ての攻撃は俺を狙って飛んでくるのだ、俺さえ避けられれば周りの何かに誤爆するのは半ば必然。

 

 フロッグ・シューターの舌を斬り飛ばし、足元のニードルラビットに蹴りを入れ吹き飛ばす。膝を曲げ体勢を低くし、真横から迫るウォーシャドウの腕を頭上にやり過ごし、がら空きの懐に踏み込み逆袈裟で斬る。

 

 

 もっと強く、もっと速く。もっと、高みへ。

 

 

「……は、っ、……はッ、ぁっ……」

 

 

 疲労も極限状態に達しようかという、その時。

 

 

 一匹のニードルラビットが、俺やトルドの周りに展開されている戦場を避け、ルームの中心部へと駆けて行くのが、視界の端に映った。

 

 

「しま――」

 

 止めようとするも、意識が別方向に割かれたことにより一転、防勢を強いられ、俺は抜けられなく、トルドは殲滅に追われそもそも気付いていない。

 

 

 間に、合わない。

 

 

 そして、兎のモンスターは。この部屋の中央、シーヴさんの方へ、走っていって。

 

 

 

 

 

 彼女の足元の生肉に飛びついた。

 

 

 

 

「……はい、終わり」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冒険者用アイテム、生肉。食用に比べて硬い、多分横流しの処分品なので賞味期限切れだ、食べてはいけない。

 

 その魅力的な、なんだろう、匂いか。モンスターたちはその匂いに釣られ、呼び寄せられる、らしい。ウォーシャドウとかはメカニズムがわからん。口も鼻もないし。

 まあとにかく、一見、用途が意味不明に思えるこのアイテムも、効果的に使う道を探ってみれば、案外便利なものにクラスチェンジする。

 

 今回の「生肉防衛作戦」は、俺がなんとなく考えついた、アホみたいな特訓だ。

 

 方法は簡単。

 一、わりかし広い、通路が四本のルームの中央、または三本か二本のルームの隅っこに生肉を置きます。

 以上。

 後は次々にやってくるモンスターたちから生肉を守護し続けるだけだ。念のため周囲に他冒険者がいないか確認しておくことと、脱出用の強めの冒険者を用意しておくことを忘れてはならないぞ。

 あ、生肉は一、二個とかケチなことしないで、ちょっとした小山が出来るくらい置いておくといい。蟻塚ならぬ肉塚サイズが効率的にベストだった。

 

 とまあ、おふざけはここら辺までにして。

 案外、いい戦闘訓練というか、戦闘の最中にも周囲に気を配ることを身につけるための練習としてはそれなりだと思う。シーヴさんがいなければ普通に実戦だけど。

 魔石の稼ぎを度外視した、【経験値(エクセリア)】目当ての作戦というのは、貧乏でいるとなかなかしづらいものなのだ。付き合ってくれるトルドと、特にシーヴさんに感謝をば。

 

「あー、ごめんっす! 自分の周りばっかり気にしてて気付かなかった!」

「いや、トルドの方はモンスターが分散してたから抑えるのが難しかったろ、仕方ないよ。気付けても対応出来なかった俺が悪い」

「でもそれを招いたのはボクがフロッグ・シューターを見逃してたからで」

「あの時は、俺がフォローに回るべきだったのに飛び出せなかったのが――」

 

 シーヴさんの先導で防衛作戦実施場所から脱出した俺たちは、長めの休息(レスト)を挟んだ後、反省会を開いていた。

 

 先の『大量発生』において力不足を実感した俺たちは、どことなくシチュエーションが似ているこの特訓にいろいろと思うところがあり、普段から激しい責任の()()()()にも拍車がかかっている。

 というか、正直な話、トルドには実力があるからといって、無双シリーズではないのだ、Lv.1の俺たち二人で対応出来る数にも限りがあって。でも、やっぱり悔しくて。

 

「二人しかいないから、大きく二方向しか守れないのが辛いよな」

「そうなんすよね。だからといってヘイトを貯めて引きつけて戦っても、新手はこっちを気にせず突破していくし」

「いっそのこと動きながら各個撃破して、全方向を素早くカバーしたりとかできないかね」

「うーん……ボクたちじゃ厳しい気がするっすよ。それに、本当に全方位から一斉に来られたら打つ手がなくなるっす」

 

 実際には、特に何かを護りながら戦うというより、自分の身を守りながら前に進む、ということになるだろうが、それでも圧倒的多対一という状況に慣れておくに越したことはない。

 

 もうスハイツさんとは一緒ではないし、シーヴさんがいつも付いて来てくれるわけではない。自分の身くらいは自分でどうにかできるようにしなければ。

 まあ、『大量発生』に行き当たる可能性自体微々たるものだが、それでも怖いものは怖い。遭遇したら即死、では本気で洒落にならないのだ。

 

「……つまり、ボクが走り回ってヘイトを高めて、引き連れたモンスターをツカサが横殴りにする、感じっすかね?」

「んー、だな。まあ、俺の処理能力が不安なところではあるけど」

「大丈夫っすよ。ほんとに強くなってるんすから、もっと自信持っていいと思うっす」

「そう、かね。じゃあ、次はその方向性でやってみるか」

「よっし、早速、手頃なルームを探しに」

 

 行こう、と言い終わる前に。

 

 

「……やる気があるのはいいかもだけど、もう生肉、ないよ。それに、さっきの戦闘は、効率も動きも、かなり悪くなってた。これ以上やると、危険」

 

 

 シーヴさん(先生)からの待ったが掛かったので、今回の探索もとい生肉防衛作戦は、終了となります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「二人とも、広範囲制圧力が、まだ低い」

「そりゃあ、シーヴさんとかと比べられると……」

「レベルは関係ない。どう立ち回るかが、重要」

「もっと動き回れってことっすよね。ならもっと一体一体を処理する速度を上げるようにすれば」

「……ちょっと違う。大切なのは倒した後で、そこから次の動きに、すぐ移れるようにしておく必要が、ある」

「残心、ってことですかね」

「そんな感じ」

 

 講評をもらいつつ、帰路。

 

 朝早くからもぐっていたので、時計を見るにまだ昼過ぎではあるが、生肉も切れたし、俺たちもかなり体力を削ったし、シーヴさんが飽きてきたこともあり、俺たちはダンジョンを出ることにした。

 

 この三人でもぐるのは割と珍しい。まあ俺たち基準でいってシーヴさんは強すぎるので、戦闘をするのは実質二人なのだが。

 それでもやはり、一人でいるのと、二人でいるのとでは安心感が全然違う。さらにそこに強い助っ人がいるなら尚更だ。

 

 しかし、スハイツさんともぐっていたときと同じように、余程のことがない限り助けてもらえる、というのは相当に有難いこと、ではあるが、その状態に慣れてしまっては意味がない。シーヴさんが言っていたように、最初から失敗しないための努力を重ねることを目的にしなければ、いつまでたっても進歩はない。

 そういう意味では、今回の奇行はまあまあ有意義だったと言えるだろう。

 

 生肉防衛作戦についての話は終わり、近況だとか、今回の都市外紀行はどんなことがあったかとか。会話は雑談に切り替わっていく。

 商業に従事するうちに身についたのか、饒舌な語り口で滑らかに言葉を紡ぐトルドと、普段あまり喋らないのに今日は口を開き過ぎて疲れているらしく、無言で聞き役に徹するシーヴさん。俺はその二人から、少し遅れて、歩を進めていた。

 

 自分の右腰のあたりに、そっと手を添える。

 

 半太刀、渡鴉。使い始めてから、二週間が経った。けれど、まだ。一向に、慣れない。

 いくら下半身を安定させても、一度振るえば重心が前方にずれてしまう。お陰でまだ素振りもまともに出来やしない。

 

 トルドから又聞きしたところ、これの作者さんは、「冒険者用」の刀、だと。

 それが、どんな意味を持つのか。どんな意向を込められて、これが創られたのか。俺はまだ、理解するに及んでいない。

 俺の現状に鑑みると、まるで、「お前は冒険者ではない」とでも言われているような、そんな感じがする。してしまう。

 

 スハイツさんとのひと月の探索で、無茶することを覚えて、無茶しないことを覚えて。その時からは随分と【ステイタス】が上がったが、元の状況に戻った途端に伸び悩みが来た。

 決して、シーヴさんやトルドともぐることが非効率的で意義が薄い、なんてことはない。ただ単に、俺が上手く歩けずにいるだけなのだ。

 

 改めて前方を歩く二人の姿を窺う。

 彼らと俺との距離は、僅かに数M(メドル)。しかし、気安く埋めることが出来ないほど、遥かな遠方であるようにも感じる。

 

 

 やはり、何の変哲もない一般人が、こうした修羅の世界に足を踏み入れることは、無謀であったのだろうか。見栄を張らず、商業、服飾、鍛冶、医療、果てはギルド職員にでも、なるべきだったのだろうか――。

 

 

「あっ、えー、っと、ナツガハラさん!」

 

 不意に、背後から聞いたことのある、やけにイケているメンの声が飛んできた。声だけでもうかっこいいとか反則じゃないですかね。

 

 正規ルートを通れば様々な冒険者たちとすれ違う。だが知り合いに遭遇することは稀、そうそうあることではない。

 俺の、数少ない既知の人物といえば。

 

「……パンテオン、さん。と、セブランさん」

 

「お久しぶりです。敬称はいらないですよ」

「私も、アルベルティーヌで構いません。長ければアル、とでも呼んでいただければ」

「いきなり呼び捨てどころか愛称は抵抗がちょっと」

 

 旅人風イケメンのパンテオン・アブソリュートと、町娘風美人のアルベルティーヌ・セブラン。【ウルスラグナ・ファミリア】の二人組だ。一言キャッチコピーは今考えた。

 彼らも帰り道の途中なのだろう、その背のバックパックはわかりやすく膨れ、纏う色褪せた布にはところどころ何かの血痕が散っている。

 パンテオンはまだしも、アルベルティーヌ、さんはどこかやつれているように見えるが、それを言うのはデリバリー、いやデリカシーとやらに欠けそうなので黙っておく。

 

「おお、パンテオンにアルベルティーヌじゃないっすか。先の『大量発生』以来っすね」

 

「どうも」

 

「そうだね、トルドも元気にやってる?」

「もちろんっすよ。最近は外に出ることが多くてあんまりダンジョンにはもぐれなかったっすけど」

「外? 外って、都市外のこと? 【ファミリア】所属の冒険者は外出制限厳しいんじゃなかった?」

「普通はそうなんすけど、うちは外の色々な都市とのパイプがあるから比較的スムーズに出られるんすよ」

「へぇ〜、いいなあ。迷宮(ここ)にもぐるのもいいけど、旅ってのもロマンがあるよねえ」

「ん、もしかしてパンテオンのその服装もそれを意識してたりするんすか?」

「実はそうなんだ。なかなか出られない分、こうして気分だけでも旅人風にってさ」

「ほほう、それならうちにそういう旅人御用達の服やアイテムも数多く取り揃えてるっすよ。是非一度ご来店を……おっといけない、接客モードになりかけたっす」

「あはは、でも興味湧いてきたよ。今日早いしこの足で行ってみようかな?」

「大歓迎っすよ!」

 

 うわあ、トルドくんはもう仲良くなってる。

 

 にこやかに挨拶を交わす男二人に、自分から進んで発言する気はないという風に一歩引いて侍るアルベルティーヌさん、あと暇そうなシーヴさん。俺は言うまでもなくぼっちの立ち位置だ。

 こういう、友人が他の人とすごく仲良くしてるのを間近で見てるとなんか複雑なことになるよね。それが共通の知り合いとかだと尚更。トルドの場合は職業柄ってこともあるだろうけど。

 

 上層で、さしたる危険もないことから、場が和やかに緩む。二人だけの盛り上がりが勢いを弱めてきて、パンテオンの目がシーヴさんの方に向けられる。

 

「ところで、そちらは?」

「……【カーラ・ファミリア】、シーヴ・エードルント。よろしく」

「よろしくお願いします、って、【ヘリヤ・ファミリア】じゃないんですか?」

「ツカサも【ブリュンヒルデ・ファミリア】で、ボクらは全員【ファミリア】自体は違うっすよ」

 

「へえ、珍しいね。……っと、危ない危ない。わかってるって、アル。そんな目しないでよ」

「いえ、私は何も?」

 

 すましたように目を閉じるアルベルティーヌさんに、パンテオンは苦笑いする。

 

 そして、こちらに向き直った彼の表情は、別人かと思うくらいに真剣で。強者同士の何かを感じ取ったのか、シーヴさんの耳がぴくりと揺れる。可愛い。

 

 この場を包む空気が変わる。通常時から戦闘に移行するときのような、緊張を伴う変調が、俺たちの危機感知機構の警報を掻き鳴らす。

 

 

「……まさか」

 

「ええ。恐らく、ナツガハラさんが今憂慮なさった通りの事が、起こる、いえ、もう起こっているかも知れません。私たちは、既に中層近辺で、例の兆候を確認しました」

「なるほど。ゆっくりするのは、ここを出た後、ってことっすね」

「そういうことなんだ。こっちから呼び止めておいてなんだけど、先を急ごう」

 

 

 

 

 

――また、()()が、起こる前に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ○

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 休日。

 

 なんと心踊る響きだろう。仕事の仕事による仕事のためのデスマーチに奔走し、時間の概念が吹き飛ぶほどに仕事漬けだった天界での日々からしてみれば地上はまるで天国のようである。

 

 なぜなら休みがあるから。自由な時間というものが私たちに与えられるから。

 

 降りてきたばかりの頃は、生活のためにまた働くしかなかったけれど、それでも環境は文字どおり天と地ほどの差があった。もちろんいい意味で。

 魂の選別作業等を行っていた身からしてみれば、品物の善し悪しなど一目瞭然、力仕事を除いて、レジ打ちも接客も、何ら難しいことはなかった。私だってそうスペックが低いわけではない。ちょっと不器用なだけで。

 ツカサくんと【ファミリア】を立ち上げてからも、一応【ヘリヤ・ファミリア】、「最果ての放浪者」での仕事は続けている。しかし強制的ではなくなった時点で、半分は惰性と習慣のようなものではある。

 無論、まだまだ貧乏な零細【ファミリア】であることには違いない、彼一人に収入の一切を頼り切るのもまた別の話であって。このまましばらくは、ヘリヤのところも人出が足りないだろうし手伝うつもりだ。

 

 それでも。休憩時間なんて限定的なものでなく、まるまる一日フリーで居られることには喜びを感じる。感じられなければ立派なワーカホリックなので、精神科にどうぞ。

 この間のときのように、またツカサくんとどこかへ出掛けたりはしたいものの、彼は普段ダンジョンにもぐりっ放しのため、専ら一人なので、若干寂しくはあるけれど。

 

 

 ヴァルハラに残してきた仲間たちの冥福を祈りつつ、しっかり食材を搭載した買い物袋を提げ、私は昼下がりの大通りを歩いていた。

 

 世界で最もアツい街、らしいけれど、お昼はのどかなものだ。

 子供達の楽しげな笑い声、青果屋の元気な客引き、行き交う人々の雑踏。遠く、鳥の鳴き声も聞こえる。

 大通りには緑こそ少ないものの、活気溢れる豊かな街、といった感じ。

 

 冒険者たちは朝早く出掛け、夕方から夜遅くに帰還する。日帰りなら大体がそんなスケジュールであり、昼のメインストリートを完全武装で闊歩するような輩はほとんど見られず、普通の街と大きく異なるようなところはない。

 十年ほど前、【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】が都市を去ってからすぐは非常に治安が悪かったらしいけれど、【アストレア・ファミリア】や【ガネーシャ・ファミリア】のお陰で最近はかなり回復してきたとか。有難い話である。

 

 時折すれ違う御近所さんや顔見知りの人たちと挨拶を交わしつつ、ゆっくりと本拠の方角へ歩く。すっかり地元密着型みたいな感じになった、暮らしやすいのはいいことだ。

 買い出しは終わったし、時間もあるしどうせだから何か甘いものでも食べようか。そんなことを考えながらふと辺りを見渡すと。

 

「あれ……テアちゃんかな?」

 

 広場の方へ走ってゆく遊びたい盛りの子供達の塊、から離れ、ぼんやりと彼らの背を見詰める知り合いの娘を見付ける。

 もとからあまり活発な子ではないけれど、どうしたのだろうか。どうやら仲間はずれにされている、というわけではないようだけれど。

 

 ひとまず、一人別方向へ歩き出す彼女に近付き、声をかけることにした。だって見過ごせない。

 

「テアちゃんテアちゃん。こんにちは」

「ぶりゅんひるでさま。こんにちは」

 

 無邪気に笑う彼女はとても可愛く、思わずこちらの頬も緩んでしまう。しかし目的は見失ってはいない。私だって神なのだ。

 

「どしたの? みんなと遊ばないの?」

 

 本当は遊びたいんでしょ? という気持ちを込めた言葉は、彼女の視線を、遠ざかってゆく少年少女たちに誘導する。

 

 つぶらな瞳が、寂しげに揺れた。

 

「あそびたいけど、きょうははやくかえってきなさいって、おかーさんが」

 

 予定とかがあるのかな、だとしたらお節介だったかな、と思った、けれど。

 

 彼女は、予想外なほどに真っ直ぐな眼差しで、私の眼を見据えてきて。そして、その細い腕を持ち上げ、小さな手の小さな指で、白い塔、バベルの上空を指し示す。

 

「きょうは、いけないほしがみえるって、おかーさんが」

 

「いけない……星?」

 

 彼女の指差す先を望むも、そもそも昼だ、星なんか見えない。でも、なんだか。

 

 

 急に気温が下がった気がする。

 

 

 ついさっきまで聞こえていた喧騒も、どこか遠方の世界の出来事だったかのように、もう、私の鼓膜に響かない。

 

「うん。あのほしがみえるひは、きけんだからはやくかえってきなさいって」

 

「そ、そうなんだ。それって、星占いみたいなもの、なのかな?」

 

「ううん。おかーさんもわからないって。でも、みえるひはいやなかんじがするーって、いつもよりとおくまでおとーさんをいってらっしゃいするの」

「それ、は……」

 

 朝早く出る職人の旦那さん。彼を見送りに出ているフューゲル夫人と出会ったのは、後にも先にも、まだ一度きり。

 

「たまにね。おかーさんはいやなほしをみるの。そのひははやくかえって、わたしがだいじょーぶよって、してあげるの。ともだちともあそびたいけど、おかーさんのほうがすきだから」

 

「……そっか。呼び止めてごめんね。ちゃんと一人で帰れる?」

「うん。だいじょーぶよ」

 

 本当は、近所だし、私がこの子を送って行くのが道理なのかもしれない。でも、今。私の頭の中は、嫌な予感で埋め尽くされていた。

 

 背を、雫が滑る。

 

 だって、だって。その日は。ツカサくんが、大怪我を負って帰ってきた日。

 

 上手く笑えているかどうかもわからないけれど、笑顔のつもりで、テアちゃんに向けて手を振る。でも頭の中はぐちゃぐちゃで、何も考えられやしない。

 

「じゃあね、テアちゃん」

「さよおなら、ぶりゅんひるでさま」

 

 腕を振るだけの機械のように、小さな体躯が道を曲がって消えてゆくまで、ただ突っ立っていた私は。

 

 

 

 寸分の迷いもなく、来た道を走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一四話 英雄の選択は。


 もし。君が何も選ばなければ、君は間違うことはない。君は躓くことはない。

 だがもし、君が何かを選んだなら。





 横道から、何体かのキラーアントが這い出てきて。

 

 事務的にパンテオンに殴り殺される。

 

 

 別の通路から、ウォーシャドウが一体歩いてきて。

 

 無言のシーヴさんに斬り殺される。

 

 

 

 現在、ダンジョン、第五階層。

 

 俺たち五人は、パンテオンとアルベルティーヌさんの証言より、徒歩での移動を止め、疾走に切り替えて進んでいた。下ではなく、上へ。

 

 Lv.3のシーヴさんと、Lv.2のパンテオンを軸、というか先鋒に据え、一刻も早く脱出を目指す。残念ながらLv.1の俺はお荷物だ。

 

「六階以降のモンスターが増えてきたっすね。これはもう確定、っすか」

「それ以前に、エンカウント率が異様に高くなってきた。まあ、まず間違いないな」

 

 もうすぐ四階層に着くというのに、出てくるのはキラーアントやウォーシャドウ、フロッグ・シューターなど、二層以上も下から出現するモンスターばかり。

 それに、上へ上へと進んでいる俺たちに対して、正面からくるモンスターはほぼおらず、ほとんどは()()()()()()()()()()()()、正規ルートに合流するような形で鉢合わせている。

 

 他にも、『大量発生(イレギュラー)』をもっと意識していれば、如何にもそれだというような兆候が見受けられていたかもしれない。……もっとも、俺たちは変なことをしていた所為で気付くことが出来なかっただろうが。

 

「……なんとか、なりそうだな」

「そうっすね。今回は無事に帰れそうっす。……」

 

「…………」

 

「…………」

 

 普段の倍以上の人数がいるというのに、俺たちはやけに静かでいた。

 俺とトルドが時折喋る以外に、五人のうちで会話はない。実際、その必要もないけれど、俺たちはなんとなく義務感に駆られ、口を開いている。

 臨戦態勢でいるために、というわけ、だけではなく。ただ、空気が悪かった。

 

 原因、というか、発端というか。出処は、パンテオンとシーヴさん、と言えなくもない。

 

 正規ルートを逆走することから必然的に、道中、幾組かのパーティと遭遇し、主に彼が警告を発してはいるものの。

 

「下に行くんですか?」

「そうだけど、何か用か、(あん)ちゃん」

「『大量発生(イレギュラー)』が起こっている可能性が高いんです。できれば僕たちと引き返す方向に……」

「あぁ⁉︎ 何言ってんだ、俺たちに指図しようってのか⁉︎」

「いえ、決してそういうわけではなくて」

「なら俺たちの勝手だろうが。あんまり人のことに口出すもんじゃねぇぞ」

「口出しとかじゃなくて、ただ、モンスターの出現頻度と構成割合がいつもと違うことくらい、あなたも分かるはずでしょう?」

「ふん、知らんなあ。あんまり見くびってんじゃねえぞ、オレはLv.2だぞ、お前らみてぇな弱くて臆病な雑魚とは違ぇんだよ」

 

 残念ながら、まともに聞こうとする者はほとんどいない。ここら辺にも、犠牲者が減らない原因があるような気がする。

 

 無知というものは、やはり罪であるもので。

 忠告を聞き流し、傾向を無視し。本当に『大量発生』が起こっているのなら、自ら死地に向かうのと何ら変わりない愚行を冒すことになる、という危険性を微塵も考慮しない無謀な彼らに、わざわざ警告してやる義理もないだろうとは思うけれど。

 

 しかし、パンテオン・アブソリュートという冒険者は、そういう人々に対しても迷いなく救いの手を差し伸べるような、この業界では珍しい人種であった。

 

「……行きましょう」

 

 中年の冒険者集団とすれ違い、しばらくの沈黙の後に、何も言わず立ち尽くす彼に、同【ファミリア】のアルベルティーヌさんが声をかける。

 

 きっと、今回のことだけではないのだろう。どこぞのヒーローのような正義感に満ち溢れた性格で、彼が今まで同じようなことを何度も繰り返していただろうことは想像に難くない。その大半が失敗に終わることも、結果として彼らが損を被ることも。

 彼の行動は、倫理的に間違っているはずがない。けれど、冒険者としては致命的なまでに、パンテオン・アブソリュートは真っ直ぐだった。

 それで俺たちは前回助けられたし、別段非難されるようなことでもない。しかし、何度も言うが、ここはダンジョンなのだ。そんな綺麗事が罷り通るほど易しい場所、でならよかった、のだが。

 

「……うん、みんなも、ごめん。次はもっと上手く――」

 

「アブソリュート、くん」

 

 残念ながら、そんな考えを持ちながら生きていけるほど、迷宮は甘くない。

 

 全てが自己責任になる世界において、俺たちよりずっと物事に精通している、狼人(ウェアウルフ)の先達の視線が、彼に突き刺さる。

 

「もう、いい。やめて」

 

「やめて、って、その、説得……ですか?」

「そう。時間の無駄。君も、わかってる筈だけど」

 

 まだ眠たそうな半眼に宿るのは、同情と、僅かな侮蔑。

 この場の誰よりも強く、誰よりも長くこの修羅の世界を生き延びてきた彼女の判断は、見解は。それ故に誰よりも正確で、冷静で、それでいて無慈悲。

 

「全員無視して進んだら、今頃は安全圏、のはず。……対して、成果は?」

「……ない、です」

 

 彼の表情が鈍重に曇る。

 

 残念ながら、客観的にも主観的にも、俺たちの脱出行において、パンテオンの行動はマイナスでしかない。もちろん、彼がすることに思うところがないわけではない。多分それは四人とも、同じで。だからこそ半ば黙認していたのだけれど。

 

 やはり、ここで異を唱えたのはシーヴさんだった。

 

「でも、僕は、ただ、無闇に人が死んでいくのが、耐えられ、なくて」

「……ちょっと、意味がわからない」

 

 いつになく厳しい態度で、パンテオンに相対する彼女は、あからさまに彼の所業を否定する。

 

「死ぬことに、無闇も何もない。自分の力を過信して、他人の力を見誤って。そんな人たちが淘汰されていくのが自然。この世界の摂理。違う?」

「違い……ません、でも、僕は……」

 

 どちらかといえば、一般大衆からしてみたら賞賛されるべきはパンテオンの方だ。愚かな者を愚かだとして切り捨てるシーヴさんより、そんなものは関係なしに救済の手を差し伸べるパンテオンの方が、より支持を得る考え方なのは間違いないだろう。

 

 だが、それは自らが切り捨てられたくないという心理に起因する。しかもその事実に気付きにくく、実はどちらもエゴイズムに依って成される選択、だということが度々無視される、というおまけまで付いていると、最早手に負えるものではない。

 それが、例え実現不可能な綺麗事であっても、人は安易な理想に縋り付く。残酷な現実から目を逸らしたくて、自ら盲目になる。

 

 君も、そうなっているんじゃないの?

 

 見た目は変わらない、しかし帯びた感情の鋭さがまるで違う半眼が、そう、問いかけていた。

 

「死ぬ人なんて、みんな、そんなもの。所詮それまでだった、ってこと。ここで生き永らえたとしても、どうせ次はない」

 

「……ずいぶん、厳しいんですね」

「別に。普通」

 

 そう言って、もう他に用はないと示すように、シーヴさんは再び前を向く。

 

 繰り返すが、ここはダンジョン、生と死が混在する空間だ。地上の常識など通じないし、ましてや別の状況下での例を挙げたところで意味は皆無。

 自己責任が基本となる迷宮(ここ)で、如何に人助けに精を出そうとも、わざわざ仁義を通そうとする者もまともにいなければただの無駄骨に過ぎず、今現在の俺たちの、生還という目的に対しての障害にしかならない。

 

「……先を、急ぎましょう。エードルントさん、サポートさせて頂けますか」

「……ん」

 

 息が詰まりそうな沈黙を押しのけ、アルベルティーヌさんとシーヴさんが動き出し、次いで俺とトルド、最後尾にパンテオンが続く。

 

 彼は、もう先頭に戻ろうともしなかった。

 黙々とモンスターを斬り裂き道を拓いてゆく狼人が、身内の失態を挽回するべく、とでもいうように奮闘する同僚が、彼を責めることはない。

 

 俺も、わかっていた。

 パンテオンとシーヴさん、どちらも正しくて、ただ相容れないだけなんだと、わかっていた。それはトルドやアルベルティーヌさんも、きっと同じで。

 

 もし、俺がもっと強くて、もっと正義感も人望も話術も魅力もあって、所謂万能系オリジナル主人公並みのチートを有していたとしても。俺はパンテオンのような考え方は出来ない。そんな選択肢は選べない。

 嫌な奴は嫌だし、助けたくなんかならない。嫌いな奴が死んだって、多分、ざまあ、としか思わないんだろう。自分でも、自分が嫌な奴だってのは自覚している、でも、普通の人間ってのは、そういうものなんだと、思う。

 だから、誰にでも分け隔て無く平等に接して、いい奴も悪い奴も、根こそぎ全員救ってしまうような。そんな理想の主人公を求めるんだ。それはこの世界におけるベル君だったり、オリジナルの主人公だったり、人によって違うけれど、時には勧善懲悪を実現するための偶像が求められることもあるけれど。

 

 きっと、そこにある感情は大体一つであると、俺は勝手ながら、そう思っている。

 

「……ごめん」

 

 辛うじて俺とトルドが聞き取れる小ささで、パンテオンが言葉を吐き出す。

 

 何が? などという無粋な返事は投げ掛けない。

 

「まだ、誰かが死ぬようなところなんて、見たこともないのに。おかしいよね、僕」

 

 悔しそうに、しかし自嘲するように(わら)う彼の視線は、真っ直ぐに、前方を駆けるシーヴさんに向けられていて。

 彼女が、パンテオンの独白を聞き取っているかどうかは、わからない。

 

「本当は、わかってるんだ。僕が言ってることが、どれだけおかしなことかなんて。シーヴさんが正しいってことなんて」

 

 彼は、続ける。

 

「でも、どうしても、見過ごせないんだ、僕は。そうしなくちゃいけない気がして。もちろん、それが都合のいい戯言(ざれごと)に過ぎない、ってこともわかってる。実現の可能性なんてほぼないってことも」

 

 続ける。

 

「だいたいいつもそうなんだ。冒険者になってから長くはないんだけどね。アルに窘められて、ウルスラグナ様に呆れられて。結果が伴ったときなんて、ほとんどなかった」

 

 

 前を向き続ける彼の瞳の中に、淡い、しかし力強い火が盛る。

 

 

「それでも。そうしないと。僕の中の何かが、消えて無くなっちゃう気がするんだ。とても大切な、何か、が」

 

 

 そこまで言って、パンテオンは自分のことについてずいぶん語っていると自覚し、ハッとして口を噤む。

 やってしまった、とばかりに彼は気まずそうに頬をかき、茶化そうと。

 

「ま、まあ、僕みたいに自己満足すらなくて、義務感で動くのは、褒められたこと、じゃないだろうけどね」

 

「……別に、いいんじゃねえの」

「え」

 

 そりゃあ、見ず知らずの他人を助けようとして自分や仲間を失ったりしたら、本末転倒もいいところだけど。

 そうでもなければ、しようとしていることに後ろめたさなんかないだろう。そんなものは受け取り手の感じ方の問題であって、パンテオンがどう思うかの話ではない。誰だって、自分が正しいと思うことをする、それだけのことなのだ。

 

 とまあ、偉そうな論は色々と浮かんでくるものの、俺ごときが彼の内面を推し量れるはずもなく。意見を挙げたところで、その純粋な善意への理解が深まる、わけでもなく。

 ならば、伝えることは至極簡潔。

 

「俺は、かっこいいと、思うよ」

 

 きっと、かっこいいと思うからだ。

 

 まさしく、自分に出来ないことをしてもらう理想の存在として、彼らを祭り上げるのだ。

 

 それは時と場合に依り、英雄と称えられたり、勇者と崇められたり、偶然にもとある物語の主人公として、妄想を体現する器として描かれたりするのだろう。

 

 今回はタイミングとシチュエーションがちょっと悪かっただけで。おそらく彼も、その類。

 パンテオン・アブソリュートは、目を見開き、素早く顔を逸らす俺と、小刻みに頷くトルドを見、再び顔を伏せて。

 

 

「……うん」

 

 

 

 

 

 まだ小さき理想は、少しだけ微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

          ○

 

 

 

 

 

 

 

 内心、それなりに気を張ってはいた。

 

「お、オイ、アイズ。今暇か?」

 

「暇なわけないじゃん、巣に帰りな狼男!」

「うっせえバカゾネス! オレはアイズに訊いてんだ、しゃしゃり出てくんじゃねえ!」

「そっちこそ出て来るな! アイズはこれからあたしとフィンの交渉に付いてくんだ、あんたの暇つぶしに付き合わせる暇はないんだよ!」

「嘘付け! 今日フィンが連れてくのはバカゾネス姉妹とラウルのはずだろうが!」

「なんで知ってんのさ!」

「どうだっていいだろ!」

 

 遠征を約一月後に控えたとある日の昼下がり、まだ先のこととはいえ、準備に駆られる団員が俄かに目につくようになる時期。

 

 唐突に張り上げられた二つの声に、周囲の人間はまたかと嘆息し、興味を持たずに各々の日常へ戻ってゆく。

 片や狼人(ウェアウルフ)、片や戦闘狂(アマゾネス)の啀み合いは、今に始まった事ではない。大体誰にでも噛み付く彼に彼女が反駁、反発し、直ぐに口論に発展するのも何時もの調子といったところだ。

 

 しかし、今日に限ってなんでもない風を装って珍しく勇気を振り絞った彼にとっては、普段以上に鬱陶しく感じられることだろう。

 

「大体、何の用でアイズを誘うのさ。このいたいけな美少女を」

迷宮に行く(もぐる)んだよ。他に何もねえ」

「そんなの一人で行けばいいじゃん。わざわざ付き添って貰わなくても、ねえ?」

「誰かを同行させるようにリヴェリ(ババ)アに言われてんだよ、仕方無えじゃねえか」

 

 一人で暴走して、()()()()()()()ように。彼にはそれが条件として言い渡されてあった。

 

 最初はラウル辺りで我慢しようかと思ったものの、前述の通り団長の付き人の役目があり不可。そうなると彼のそもそもの選択肢の少なさが露呈するわけであって。

 

 雑魚を連れていくとなると好きに戦えないし、面倒をみるなど真っ平御免、かといって年上、先輩達に頭を下げて付いてきてもらうのも違う、なによりプライドが許さない。けれど同年代くらいで彼に匹敵する者がそうそういるわけもなく。

 

「っつーことで、アイズが一番ちょうどいいから声掛けたんだっての」

「いや、一見筋が通ってそうに聞こえるけどそれあんたの勝手な都合でしょ。アイズを無理矢理付き合わせるのは違うんじゃない?」

「本人に訊きゃいい話だろ」

 

 正直なところ、彼はこうして何らかの正当な理由でもって彼女を誘い出せることがそれなりに嬉しかったりする。間違っても尻尾を振ったりはしないが。

 

 彼は弱者は嫌いだが強者は好きであった。端的にいうと強さ、そのものが。それは年頃の男子にはよくあることだけれど、彼は特にその傾向が顕著で。

 自分より幼くして早くも自分と同じ次元、Lv.4に到達しているアイズ・ヴァレンシュタインという天才に対しては、年下に追い付かれるのはシャクだが悪い気はせず、むしろ好意を持っているし、この業界に鑑みては尊敬すら抱いている。

 

 強さという絶対的尺度が、そこには在るから。

 

 そして、彼の感情に呼応するように、まだ無垢な金色の双眸が煌めく。

 

「……ダンジョン」

 

「ほら見ろ」

「うー……」

 

 彼女もまた、一人の探求者であることに変わりはない。

 すると同じく、強さに惹かれる性質(たち)を体現するような種族としても、彼らの行動を咎めるワケにもいかず。

 

「ティオネー! もう出るわよ早くしなさーい!」

「あーもう! とにかく、アイズに変なことしたら許さないかんね!」

「誰がするかボケ!」

 

 実姉の声が飛んで来た玄関方面へ、慌てて駆けてゆく彼女の背に怒鳴りつつ、彼は勝ち誇った気分を存分に味わう。

 そも、直近の仕事を与えられていない時点で、つまり訓練し己を高めよ、と言われているのと同じだと解釈することも出来るわけで。なれば、ダンジョンに行く以外に鍛錬の手段もあまりないわけで。

 

「すぐに準備します」

「おう」

 

 逸る気持ちが抑えられない子供のように――実際十一歳なのだから適切である――早足で自室に戻っていく彼女を横目に、どうせそんなにかかりはしないだろうと見当を付け、玄関ホールで待つことにする。

 

 そこには既に五人の冒険者が集まっていた。

 

「ん、ベートも外出かい? リヴェリアが何か条件を付けたって聞いてたけど」

「なんだ、もう付添人が見付かったのか? 暫くは探索に出掛けられないだろうと踏んでの判断だったのだが」

「まぁな。つか俺にだけ言っておいてそっちこそお付きの者は居ねえのかよ」

「大した用事でも無い上、余り仰々しく街を闊歩するのも好きではないのでな。ダンジョンにもぐるわけでもあるまいし」

「団長ー、あたしもダンジョン行きたいんですけどー……。なんでベートやアイズには仕事ないの?」

「アイズはともかくベートじゃ交渉なんて出来るわけないでしょ。私たちがやらなきゃ誰がやるのよ」

「オイてめえ」

「ラウルがいるじゃん」

「俺一人じゃ団長の代わりは荷が重いっすよ……」

「お? 皆揃って何しとるんじゃ?」

「ちょうど出るタイミングが重なっただけだよ、唐突だけど留守を頼むね」

 

 小人族(パルゥム)の男性に、エルフの女性、アマゾネスの少女が二人、人間(ヒューマン)が一人。そこに狼人(ウェアウルフ)の少年とドワーフの男性が集まれば、そこはもう凄まじい空間になる。

 七人で、合計レベルは三十三。ほぼ全員が第一級冒険者であり、名実ともにこの都市の最強格の集団。

 

「あ、アイズ来た。早いなー」

「そういえば、そろそろ次の『大量発生(イレギュラー)』が起こってもおかしくない時期で、何となくそんな感じもするし、気を付けてね」

「今更『大量発生』なんて気を付けるまでもねぇよ。雑魚じゃねえんだ、楽に蹴散らせる」

「慢心はいかんぞ。そうさな、まあ先にギルドにでも寄っていくといいじゃろ」

「面倒くせぇ……」

「ちゃんとガレスの言うこと聞きなよバカ狼。アイズも後でこいつがちゃんとギルドから行ったか教えてね」

「……ん」

「じゃあ、行こうか」

 

 

 彼らも、そう遠くない未来において、この世界の主役となる。それだけの素質が、才能が、ここには集まっている。

 

 

 だが、彼らはまだ、この世界の行く末を、知らない。

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 第四階層に辿り着いても、モンスターの出現頻度は上がり続け、常時敵影が確認できるような異常事態と至った。

 

 ここまでくると流石に気付くのか、それとも比較的プライドやレベルが高くない冒険者の割合が大きいからなのか、すれ違うようなパーティはもうない。

 もちろん、引き返してくれているのならいい、のだけれど。

 

 そうではなく、残念ながら()()()()()()()()者も、ちらほらと見受けられるようになってくる。当然だ、初心者御用達の安全圏と謳われていた四階層以上は前回の『大量発生(イレギュラー)』で初めてその侵略の対象となった。まだ警戒度が低くても不思議ではない。

 というか実際、『大量発生』を察知できるのは()()()()()()だけなので、警戒をしていたところでどうしようもない節があるし、せいぜい格上の相手を振り払い逃げる術を身につけておく、くらいしか。

 

「…………っ」

「まだ、慣れないっすか?」

 

 俺たちも一歩間違っていればそうなっていたかもしれない、そんな冒険者たちの無惨な姿を、俺は直視することができない。

 現世で見た人間の死体は、親族の葬式での、綺麗に棺桶に収められたところくらいで。道端に、しかも血塗れで、あまつさえ捕食され欠損しているようなものに、耐性があるわけもなく。

 

 今までもそういった屍を目にすることがなかったわけではない、しかしそれほど間をおかずに幾度も幾度も目撃していれば、考えるなという方が土台無理な話であって。

 小説や漫画などで多少の死亡描写は目にしてきたものの、やはり創作(フィクション)現実(リアル)の間には大きな懸隔がある。

 それに、濃く、強い死臭が鼻を突いて止まない。吐き気を催させるそれらはモンスターたちのそれよりずっと粘り気があって、嫌な感じがして、この光景が現実のものであると、明確に認識させてくる。

 戦争や人死になんかとはほぼ無縁な世の中で生きてきた俺には、この短期間で慣れることは、とてもじゃないが不可能だった。

 

「ちょっと、まだ、無理」

 

 込み上げてきそうなものを抑え、先を急ぐ。

 

 シーヴさんとアルベルティーヌさんはほとんど無反応で、トルドは苦い顔で、幾つもの遺体の横を通り過ぎてゆく。

 みんなは、どれくらいで慣れたのだろうか。いつから内臓をぶちまけ事切れている様子を日常茶飯事だと捉えるようになったのだろうか。そういった常識に染められて、どうして普通に生活が出来ているのだろうか。ただ麻痺しているだけなのか。わからない。

 

 異常、ではないか?

 

 それは、現代日本出身の俺だからこそ抱く疑問なのか、それともこの迷宮という空間自体が狂っているのか。

 どちらにせよ、馴染むには、まだかかりそうだ。

 

「ツカサは、冒険者になってからどれくらい?」

 

 不意に、パンテオンが横に並ぶ。彼は、冒険者だった肉塊一つ一つに、一瞬ながらも目を瞑り祈りを捧げていた。

「えっと、四ヶ月、くらいだ」

「それで、まだ慣れないのか」

 

 顎に手を当て、少し考え込むパンテオン。そんな細かい動作からもイケメンオーラが出るあたり、こんな状況でなかったら小一時間ほど自分の存在意義について考えてしまいそうだ。

 

 同じく、トルドも思考に沈むのを受け、途端に心配というか、不安になる。

 

「やっぱり向いてない、のかな?」

「あ、いや、そんなことはないよ。むしろ逆だ」

 

「逆?」

 

 トルドは五年、シーヴさんは八年。おそらく二人と同等の経験を持っているパンテオンたちに対して、俺は圧倒的にキャリアが短い。

 それだけ長く続けるにはグロテスクでスプラッタなモノへの慣れ及び耐性が必要、だと思ったのだが。

 

「毎日でももぐってるような人は、だいたい一ヶ月か一ヶ月半、遅くても二ヶ月くらいすれば慣れちゃうんすよ」

「慣れ、『ちゃう』とは」

「慣れも行き過ぎると悪影響、ってことっす。早いと危険でもあるんすよ」

「それこそ冒険者になる前から戦闘漬けとか、生まれたときから冒険者で、物心付いたときにはもう剣を握っていた、くらいまでいくと問題はないんだけどね」

「清々しいほどに振り切れてるのは別として。例えばボクみたいな、普通の農民がこの殺伐とした世界に足を踏み入れるとき、そこにはもちろん大きなカルチャーギャップがあるっすよね?」

 

 のどかな農村で畑を耕していた奴が、いきなり剣持って化け物共と殺し合う生活に順応できるか、と言われても想像がつかない。まあ常識的に考えると難しいよね、というのはわかる。

 よほどアレな人格をしているか、相当適応力が高いか、の話、ではないようだが。

 

「多くの人はその違いに戸惑って、混乱して、耐え切れなくなる。無論耐え切れる人が冒険者として生き残っていくわけなんすけど」

 

 俺自身そこまで抵抗を感じていなかったから失念していたが、当然、冒険者に()()()()()()()()()()()()人もいる。

 モンスターにやられトラウマを持ってしまう、などということとは異なり、最初からその違いを受け止め切れず、スタートラインにすら立てなかった人も存在するのだ。

 

「そこから繋がる道はいくつかあるっすけど。大枠で分けると、死ぬか、諦めるか、続けるか、ってとこっすかね」

「続けられる、もんなのか?」

「られる、られない、っていうか。続けざるを得ない、って感じっすね」

「?」

 

 横道への警戒のため、他所を向いたトルドの代わりに、パンテオンが言葉を継ぐ。

 

「耐えきれなくなった心が選ぶのは二つに一つ。折れるか、麻痺するか、だよ」

 

 また、通路の端に追いやられている骸が一つ、俺たちの視界の隅を流れてゆく。

 ここに至るまでの何かが違うもので、もしかしたら俺も、ああなっていたかもしれないと思うと、背筋に冷たいものが滑る。

 

「それで。慣れるのと、麻痺するのは、全くもって別物だけど。感覚的には同じように思えることもあるんだ」

 

 なんとなく、わかる気がする。

 

 何かが「当たり前」だと思うようなことが「慣れ」だとしたなら。「麻痺」は極限状態を描く創作作品において、登場人物が「狂う」のと同じようなもので。自分は正常だと思い込みつつ、確かにズレているような。

 

 どちらにせよ、地獄だ。

 至極平和な日本国で生まれ育った身()()()()

 

「「慣れ」も十分怖いんすけど。どのみち避けなきゃいけないのは、死を恐れなくなることっす」

「ああ……」

 

 やはり、問題はそこに帰着する。

 前にトルドが言っていたように、恐怖を親しい友人のように感じられるようになっても。それは俺たちにとって忌むべきものであることに変わりはないのだ。

 

「だから、多分まだ「慣れ」ても、「麻痺」してもいないだろうツカサは、覚えておいてほしいんすよ。こんなことを言うのは珍しいんすけどね」

 

 俺が、この世界の常識に染められることなくここに立っているのは、果たして幸か不幸か、そして何故なのか。

 

 

 それについて考える時間は、どうやら与えられないようで。

 

「おう――」

 

 返事を返しながら、なんともなしに、横道に目を遣っていた、ところ。

 

 ちょうど、直線が続く通路だったのか、随分と奥の方に、ひしめくモンスターたちが見えて。もう「波」はすぐ近くまで迫ってきている、ということを考えるより前に。

 

 

 

 その更に奥で、()()()()()()()何かが、ちらりと揺れた。

 

 

 

 同時に、パンテオンのその長い耳が、動いて。

 

 

「「待った!」」

 

 

 気付けば、共に叫んでいた。

 

「⁉︎ ど、どうしたっすか⁉︎」

「此の期に及んで、奥へ進もうとする冒険者でも?」

 

 一行の進撃が止まり、トルドとアルベルティーヌさんは驚きながら、シーヴさんは煩わしそうに振り向き無言で駆け寄ってくる。

 

 集合するより早く、パンテオンと視線を交わす。

 

「確証は、ないんですけど」

 

 この、テンプレートな主人公のような人間である冒険者は、柄の悪い奴らも、初対面の人でも、悪人ですらも。誰彼構わず危機に陥っているのなら助けずにはいられない、そんな、純粋な志を持った主役気質の青年で。原作から例えるなら、性格で言えばベル君か。

 

 まあそれは一旦脇に置いておいて。彼がその流儀を貫くのは自由である、しかし、さっきの今で、また同じようなことを言わせるのは得策ではない。

 優しい勇者は、正しく正義であるべきだ。

 

「この、通路の奥に、誰かがいました」

 

「…………」

 

 パンテオンだけでなく、俺まで皆に制止をかけたことで、俺に注目が集まり、シーヴさんの訝しみが一層強くなる。威圧感が半端ないんですけど。

 

「髪しか見えなかった、ですけど」

「遺品を奪ったモンスターとかの見間違いとか、そういう可能性はないっすか」

「いや……」

 

 不思議なことに、俺には妙な自信があった。

 

 あの燃えるような紅色に、起こるべくして起こるであろう何かの前兆を、感じ取っていた。

 

 

「イネフ・マクレガー、さん、だと、思う」

 

 

 特に迷うこともなく、俺はその名を口にする。

 

 それは、竃の女神が治める【ワクナ・ファミリア】所属の、赤髪の青年。前回の『大量発生』の際、共に被災したカテリーナさんの同僚であり、俺からしてみれば、原作四巻登場キャラクター、「ヴェルフ・クロッゾ」に酷似した外見を持つ、この世界にとって異様な存在である人物。

 パンテオンとアルベルティーヌさん、トルドも前回の『大量発生』の時にか、面識はあったらしく、この場の、シーヴさんを除く全員が緊張に包まれる。

 

「本当に、イネフさんが見えたっすか?」

「……正直、わからない。でも、それっぽい感じではあった。多分、イネフさんだ」

 

 もう一度その横道に目を向けるも、既にモンスターの「波」が遠くに見えるだけで。

 

 時間はない。こうしている間にも正規ルートであるこの道が呑み込まれる危険性すらある。

 知り合いかもしれない人がいたかもしれない、ではそうだとして、一体どうするというのか? 一分一秒を争うこの場において、どういった対応を選び、行動するのか、素早く決めなければ。

 俺が、次の言葉を決めかねていると。

 

「僕も、聞いた。一人分じゃない、イネフさんらしき男の人の声と、確か、カテリーナさん、の、声を」

 

 パンテオンから、思わぬ発言が飛び出す。

 

 カテリーナさん、は、同じく【ワクナ・ファミリア】所属の冒険者。原作二巻登場キャラクター、リリルカ・アーデに酷似した外見と、内田真礼さんに酷似した声を持つ、前回の『大量発生』のときの俺たちを助けてくれた女性で。

 見ず知らずならいざ知らず、しかし既知、しかも命の恩人までいるかもしれないとなれば――無論イネフさんだけだったとしても――その可能性が少しでも高まるだけで、意識は一気に傾く。

 ただ、元から俺の中で決まっていた結論を、()()()()()と感じていた行動を。言葉にして表すだけの行為に、何の躊躇が生じようか。

 

 ここで俺が言うべきことなど、最初から一つしかない。

 

 

「……助けよう。もしその二人だけなら、「波」を突破するのは困難なはずだ」

 

 

 俺の中で何かが弾け、全身に広がっていく。

 

 前回の結果より、おそらく二人ともLv.1。俺とトルドが特攻しようとした時より激しいものに、下級冒険者が打ち勝てるとは思えない。

 俺の言葉に、トルド、パンテオン、アルベルティーヌさんの三人は一層、真剣味を強くする。言わずとも同じ見解であることを示してくれる。

 

 

「ツカサ」

 

 

 一人、シーヴさんを、除いて。

 

 眉を顰め、反対の意を表明する彼女は、決して間違っていない。

 己の安全を最優先するのが英断であって常識。他人を助ける、なんてことは余程余裕のある者だけが行えるエゴに過ぎない。ましてや助ける側の人間は相当の困難を強いられる、軽々しく出来ることではないし、してはいけない。

 

 そんな苦難を、シーヴさんはいつも背負ってくれていた。

 俺たちが死なないよう見守り、手助けし、時には直接介入し、俺たちの生命を護ってくれていた。助けてくれていた。彼女が選択するのは、仲間が死なない、仲間を死なせない道だ。

 今だってそうだ。前回とは状況が違う、パンテオンだけではLv.1の俺たち三人がスムーズに脱出までいけるかはわからない。彼女がいたからここまで順調に来られたのだし、このままシーヴさんに頼っていけ

ば楽に帰還することも出来るだろう。

【カーラ・ファミリア】団長として、団員を守る責任がある立場にいることによって、彼女は保護者として弱者を守り続けてきた。

 

 だからこそ、彼女は。人を助けるということが、その生命を背にし盾になるという行為が、どのようなものか、よく知っている。

 

「――それは」

 

 彼女は、俺たちが如何に無茶で無謀なことをしようとしているか、わかっていて。俺たちを想うからこそ、諌めてくれている。

 

「それは、『すべき』こと? それとも、しなければ『ならない』こと? わたしたちの帰還を押してでも?」

 

 何故、ここまできて。彼女はそう、問いかける。

 

 言葉は飾り気がなく、固く、鋭い。でも、しっかりと暖かい。

 

 

「俺は、「助けたい」と、思いました」

 

 

 正直なところ、俺は「すべき」だと考えている。この世界に、俺がここに来たことに、何か関係があるんじゃないか、繋がっているんじゃないか、と。

 

 もちろん、普通に助けたいという気持ちもある。しかし、彼ら、原作キャラによく似た人たちに対しては関わるべきだ、という気持ちの方が強い。

 俺があまりに弱いせいで、立たなかったフラグ、分岐する余地すらなかったルートも、あるのかもしれない。そう思うと、この『出来事(イベント)』を逃してはならない気がするのだ。

 

 だが、今それを正直に告白するわけにもいかない。俺は、まだまだ、この世界について、知らないことが多すぎる。

 となれば、必要となるのは先ほどのような諍いを回避しつつ、確実に救出へ向かうようにする策。誰かが死ぬ展開は有り得ない、俺も、トルドもシーヴさんもパンテオンもアルベルティーヌさんもイネフさんもカテリーナさんも、全員まとめて助かる未来だけが、求めていいものだ。

 

 差し当たって、自分の本心は隠したままで、しかし嘘はつかずに、この場の意思決定を操る方法は。

 

「俺だって、そりゃあ安全に生きて帰りたいですよ。早く地上に出てギルドに報告でもして本拠に戻って風呂入って今日こんなことがあったんですよーってヒルダさんと話でもしながら飯食って寝たいですよ。死にたくないなんて当たり前じゃないですか」

「……………………」

 

「でも、やっぱりそれだけじゃ納得出来なくて、後味が悪くなる俺がいると思うんです」

 

 既に、皆の腹はもう決まっていると、感じ取ることができる。

 そちらを見ずとも分かる、間違いなくパンテオンは助けに行くだろう。シーヴさんに咎められてから逆走する冒険者と出会っていないので、結局、彼は全ての人を救おうと行動を起こしたことになる。そのスタンスが今更揺らぐことはないと、俺でもわかる。なんだかんだ言ってアルベルティーヌさんも彼に付いていくだろう。彼女も、パンテオンと志を同じくしているということが、その節々から読み取れる。ただ、彼の行動力が少しありすぎるだけで。

 

「……すいません、ボクも、同じっす。見知らぬ他人ならまだしも、ボクらを助けてくれた人を見殺しにした、かもしれない、ってだけで、きっと夢見が悪くなる」

 

 そしてトルドはいい奴だ。ましてや前回、俺たちを助けてくれたカテリーナさんに対して、見捨てる等、しようとするはずもない。

 もう定まりつつある、この雰囲気を、使う。

 

「あの流れを逆走して、辿り着けても」

 

 わたしたちじゃあ、戻って来られるかどうか、わからないのに。と。シーヴさんはその憂慮すべき不確定要素に言及する。

 

 上層だとしても、その密度と勢いに呑まれたらLv.3でも厳しいモンスターの「波」。今はまだそれほどの規模でもないが、救出に向かった帰り道に、どれほどまで激しくなっているかは不明で。そんな理不尽に、どうやって立ち向かうつもり? と。

 

「なので」

 

 彼らの優しさをいいように利用するみたいで悪い、シーヴさんの気遣いを踏み躙るようだ、なら逃げ道を探せばいい、誰もが望むところへ導けばいい。

 彼らは救出を、彼女は全員の命の保障を。

 

 

 俺は――。

 

 

「シーヴさんは先に地上に戻って、応援を呼んできてくれませんか。この『大量発生』が上に伝わっているなら、すぐ救出部隊が組まれるはずです。その先導をしてほしい……」

 

 ここでシーヴさんに懇願して、一緒についてきてもらったとしても、怪我人が出るかもしれないパーティを無事に送り届けることは、やはり難しい。

 だからここは、一人でも確実に脱出が出来る彼女に救援要請を委託、俺たちは食料庫(パントリー)で籠城でもして援軍を待つ、という作戦。

 

 決して、考えなしに突撃しようとしているわけではない、ということを、伝えたい。俺たちは「麻痺」していないのだと、訴えたい。その上で、協力を求めたい。

 

「……ん、ですけど、その、お願い、できますか」

 

 勝手なことを言っておいて、偉そうなことを述べておいて。結局シーヴさんの、優しさに縋る形には、なってしまうのだけれど。

 でも、今考え得る限り、俺の貧相な頭脳から導き出せるのはこれくらいだ。

 

 これで、世界(ルート)は変わるのか。これで物語(シナリオ)は進むのか。

 

「…………」

「烏滸がましいことだとは思います、が、非力な私共に、今一度御力添え、頂けませんでしょうか」

「ボクからも、お願い、します」

 

 シーヴさんは渋い顔をしながら、アルベルティーヌさん、パンテオン、トルドを順番に見、溜め息を一つ。

 

「……好きにして」

 

 これ以上の関与はしない、ではなく、引き受けてやるから早く行け、という旨の言葉少なな返答に、胸を撫で下ろすと共に、気を引き締める。

 これから、今までの比ではない、生死を賭けた戦闘へ赴くのだ。引率者も居らず、つまり自分たちだけでなんとかしなければならない、厳しい戦場へ。

 

 その獲物、正蛇を抜き放ち、身を翻しながら、狼の獣人は、ただ一言を残して行く。

 

 

「生き残って」

 

 

「……はい!」

 

 

 彼女が第三階層へと走り出すのと同時に、俺たちも、人影が見えた方角の食料庫へ向けて、全速力で駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いくらシーヴさんが速かろうと、地上、ギルドまでの道のりを往復するとなると、やはり相当の時間がかかるだろう。

 

 その間に【ワクナ・ファミリア】所属と思われる二人を回収しつつこの階層の食料庫へ逃げ込み、文字通り持久戦を行い、さらなる救助が来るのをひたすらに待つ。誰一人欠けることなく、最も望ましい結末を迎える。

 

 そのためには、まず、勢いを増しつつあるモンスターの「波」を押し退け奥へ奥へと進む必要がある。次いでおそらく怪我を負っているだろう二人を庇いながら、開けた場所で敵を迎撃し続けることも。

 冷静に考えてみるとかなりきつい道のり、だが、少なくとも前者はそう難しいことでもない様だった。

 

「ほっ!」

 

 パンテオン・アブソリュートの拳が蛙型の化け物の顔面にめり込み、大きくひしゃげさせて突き飛ばす。

 

 頭部が潰れ、瀕死もいいところの蛙は結構な速度でモンスターの「波」に突っ込み、そのまま多くを巻き込みながら驀進、モーセを彷彿とさせる見事な道を作った。

 

 急いでその空白に体を捻じ込ませ、勇猛な特攻隊長の背中を追う。神話のものとは残念ながら状況が違い、左右から邪悪なる異形が襲いかかってくるのだ、遅れれば即ち死、あるのみ。

 

 蟻の化け物を三分割しながら、腹と肩に微妙に痛いダメージを負いつつ、紛らわすために口を開く。

 

「あと、どんぐらいだ⁉︎」

「ここを突き当たりまで直進したら右、少し行ったら左手に入り口! もう少しっす、頑張れ!」

「それ最後の最後でまるっきり逆流じゃないのか、大丈夫なのかコレ!」

「気合いだよツカサ!」

「解決になってねえけど⁉︎」

 

 十字路に出たところで、俺たちは()()から流れてくる大量のモンスターを受け流しながら進んでいた。

 どうにも数年前に流行った芸人の顔が浮かぶが、そんな場合でもない。受け流すと言っても、向かってくる奴らを斬りながら自分の隙間を確保しているだけのようなものだし、スペースがないので左になんか流せない。

 

 キラーアントの前脚だけを斬り落とし、バランスを崩したところを他の脚ももらっていく。上層では比較的大きいその体躯を転がせば、多少なりとも流れを割ることが出来る。

 

 息はとっくに上がっている、まるで余裕なんてない。

 

 

 脅威は敵の攻撃ではなく、数でもなく。その密度にあった。

 

 比喩でもなんでもなく、地面が見えない。

 

 この描写もどこかの即売会で学んだ覚えがあるが、あっちは相手が人間で、こっちはモンスターだ、気を遣って避けてくれるどころか、排除せんと迫ってくるわけで。

 

 一体を斬る間にも、脚に、腰に、腹に、背に肩に頭に。次々に夥しい量の攻撃が飛んでくる。逆に距離が近すぎるために威力こそ低いものの、まともに食らえば普通に痛い。絶えず身体を動かし、なんとか跳ね除け続ける必要があった。

 ついでにこのパーティは、徒手、刀、ナイフ、格闘術、と、かなり近接系に偏っている構成なので、リーチがない分余計につらい。本来盾のはずの俺が率先して切り込み役になっているほどだ。

 

「空いたよ! こっち敵少ない、急いで!」

 

 一人、大きな十字路を一足先に抜けたパンテオンが周りのモンスターを蹴散らしながら進路を確保してくれる。

 

 先にナイフ派の二人を行かせ、横合から伸びてきたウォーシャドウの腕を斬りとばす。その間にも脚に鈍い衝撃が伝わり、腕に裂傷が走って血が飛び散った。

 

 思うようにいかない。俺が斃す速度を、敵が寄せる速度が上回っている。

 

 

 もっとだ。

 

 これじゃ足りない。

 

 もっと、速く。

 

 

「く、っそ!」

 

 

「ツカサ!」

 

 何体かをまとめて薙ぐ。しかし、その死骸を踏み越え、すぐに次の「波」が迫ってくる。

 

 飛びかかってきたニードルラビットに対して防御しようとするも、トルドの腕に引かれ、体勢を崩しながら脇の通路に文字通り転がり込んだ。

 

「っぐ!」

 

 晴嵐が仲間を傷つけないように気を付けながら何回転か。俺たちはやっと、激しい「波」を抜けた。

 

 俺を追うように路を曲がってこようとするモンスターはパンテオンが寄せ付けない、だが案外にもその数は少なかった。

 

「大丈夫、っすか⁉︎」

「おう、すまん助かった。それより……」

 

 レッグホルスターから幸運にも割れていないポーションを取り出しつつ、ゆっくりと立ち上がる。

 

 

 そうするだけの、余裕があった。

 

 

 原因不明の『大量発生』によって形成されたと思われる、荒れ狂うモンスターの「波」。それは、食料庫へ続くこの道には、何故か勢いよく押し寄せて来ることがないようだった。

 

「モンスターが少ないっていうか、いない、っすね」

「私達より先行していた一団は、やはり振り返ることもせず、食料庫の方へ向かって行きました。戻って来ないという事は」

 

 食料庫が広いためにまだ流入する容積を残しているのか、()()()()()()()()()()()

 後者の場合は、十中八九、生存者が残っていることの表れとなる。俺が見、パンテオンが聞いたのは、ほぼ間違いなく、人間の存在証明だったということだ。

 

「準備はいい⁉︎ この分だと食料庫までモンスターはいない、一気に突っ込むよ!」

 

 裂けたレザーアーマーの下の傷にポーションを塗り、身体のどこも不具合を起こしていないことを確認し、晴嵐を構える。腹のところにもプロテクターが欲しいな。

 食料庫に進入すれば、もう後戻りはきかない。シーヴさんら救出部隊が突入してくるまで、ひたすら持ち堪えるしかない。相手にする量は、今パンテオンが抑えている分の数倍どころではなく、常に死と隣り合わせの戦闘となる。

 先ほどやっていた生肉防衛戦とは、似てはいるものの危険度は段違いで、セーフティもない。

 

 死が、現実味を帯びて、禍々しい牙を擡げ、俺たちを絡め取ろうと、巣食っている。今更、足が竦みそうにもなる。

 

「はい、行けます」

「いつでも行けるっすよ!」

 

 当然だ、俺はただの一般人だ。まだまだ冒険者になりたてのひよっこだ。そういって本当はすごい血筋を継いでいたり、とんでもない力を秘めていたり、いきなり覚醒したり、実は強キャラでした、なんてことはない。後付け設定は便利だが、誰にでも付くわけではないのだ。

 

 俺は弱い。単純な強さならこの場の三人に敵うはずもない。今だってこれから起こる戦闘を恐れている。死ぬかもしれない、それだけで足が地に縫いとめられてしまいそうだ。

 

 残念ながら俺は、カッコ良く強い、死を恐れず強敵や困難に立ち向えるような、ほんの少しの言葉だけで人の価値観や人生観すら変えてしまえるような、運命をも捻じ曲げ未来を切り拓き世界を救えるような、そんな主人公たちとは違う。

 

 

 それでも。

 

 

「大丈夫だ、行こう!」

 

 

 

 

 

 それでも、俺は。

 

 

 

 

 

 

 

 

         ○

 

 

 

 

 

 

 

 

 速く。

 

 わたしの前を走る何か、ヒトじゃない何か、を、追い抜きざまに切り捨てる。

 

 早く。

 

 呼吸が乱れ、胸が弾む。全力で走るのなんて、何時ぶり。

 

 

 速く。

 

 

 また、何か、いや、あれはヒト。たくさん。邪魔。飛び越えて先へ。

 

 

 早く。

 

 

 あと少しで、地上、でも、足りない。ギルドまで。行かなきゃ。

 

 

 

 もっと、速く。

 

 

 

 こんなにも、迷宮から出たくないと思ったのは、初めてだ。戻りたくなった、のなんて、初めてだ。

 

 

 

 もっと、もっと早く。

 

 

 

 こんなことで友人、を、仲間、を、失うのはごめんだ。もう、御免、だ。

 

 

 

 

 

 もっと、もっと。もっともっと、はやく。

 

 

 

 

 

 始まりの道を駆け抜け、まだ入ってくる方が多い冒険者たちに奇異の目で見られながら、大穴の階段を三段飛ばしで飛び上がる。バベルを出、中央広場を一目散に走る。広い、走る、走る。北西のメインストリートに入る。何事かと驚く人混みを掻き分け、ギルド、へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

          ☆

 

 

 

 

 

 

 

 何でもない、いつもの昼下がりだった。

 

 別段差し迫った仕事もなく、対応すべき冒険者の姿も疎ら。窓口受付嬢もこっそりと欠伸を嚙み殺す時間帯。

 大半が休み(オフ)の人達の中、【ロキ・ファミリア】所属のアイズ・ヴァレンシュタインとベート・ローガは、色んな意味で衆目を集めては散らしていた。

 

「――そうですね、今日は『大量発生(イレギュラー)』は起こっていにゃいようです」

「そうか、それだけ確認できりゃいい」

「ですが、『勇者(ブレイバー)』がそう仰っていたにゃらば、やはり警戒すべきにゃのかも知れにゃいですね。前回の発生も三ヶ月ほど前ですし、いつ再発してもおかしくにゃい時期ですし」

「……どうでもいいんだが、その口調はなんとかならねぇのか」

「え、私、にゃにかおかしい所ございましたでしょうか?」

「…………」

 

 彼が率先してギルド受付嬢に話しかけること自体珍しいことだし、相手はマスコット的存在のナターシャだし、二人組で連れはアイズ・ヴァレンシュタインだし。

 

 窓口受付嬢、ノエル・ルミエールは、自分の喋り方の癖に気付かない同僚(先輩)と荒々しいことで知られる大手【ファミリア】の若手のやりとりをはらはらしながら見守っていた。

 ギルドロビーにいる人たちは皆、明らかに彼らの挙動に注目している、しかしまじまじと観察できるほど肝のすわった人物はいないようで。

 そりゃあ、彼だって一般常識くらい身につけているだろうし、あのヴァレン某もいるし、荒事にはならないとわかってはいるのだが。

 彼女はわざとやっているのではないのです、無意識なのです可愛いでしょう、可愛くないですか、とフォローを入れたく「――あの!」なる。

 

「あっ、はい!」

 

 狼と猫の獣人同士の会話に気を取られていたところを、突然の来訪者に引き戻されたノエルは、しかしノータイムで笑顔を作り、応対に入る。

 

「……っ、はっ……、えっと……、っ」

 

「お、落ち着いてください」

 

 走ってきたのだろうか、息を切らし訪ねてきたのは、極上の美少女、いや、女神。

 

 ここで神に応じるのは初めてで、しかも何か急を要しそうな話が飛び込んで来そうで、ノエルの身体は自然と、不自然に強張った。

 艶やかに輝く濡羽色の頭髪も、激しく上下する薄い肩も、羨ましいほど完璧な体型も、子供から大人への移り変わりの最も美しい瞬間を永遠へ切り取ったような容姿も、その中で燦然と煌く天色の瞳も。彼女がこの世の理を超えた『超越存在(デウスデア)』であることを猛烈に主張している。

 

 ノエルはその女神を、最近何かで見たことがあった気がした、しかしそう簡単に出てはこない。

 

 少しして、まだ整わない呼吸で、額には玉の汗を浮かべながらも、女神は再び口を開く。

 

「今日、何か物騒な、物事は起こっていませんか⁉︎ オラリオでも、ダンジョン、でも! 殺人とか、事故とか、『大量発生』とか! これから、起こりそうなこと、とか……!」

「ええと、本日はダンジョン内には、事件性が高い案件も、災害的な事も、報告はありませんね。オラリオ内となると……」

 

 その懸命さたるや。事情を何一つ理解していなくとも切迫感が嫌という程に伝わってくる。

 しかし後方のデスクに置いてある紙に素早く目を通すも、めぼしいものどころか、今日の事物自体がほとんど載っていない。

 朝からここにいても、この時間までには都市全体に関する情報は大して入ってこない。大抵は冒険者たちが帰ってくる夕方から夜にかけて、その日()()()事柄を受け取る形なので、新鮮さにおいてはギルドはそこらの情報屋に劣る。

 

「捜索願が一週間前に一つ、五日前に二つ、二日前に一つ出されており、五日前のものはどちらも本日に解決、一週間前のものは捜索打ち切り、二日前のものは今だ続けられておりますが、他に目ぼしいものは……」

 

 残念ながら、とノエルが口にしようとしたところ、いつの間にか麗しき女神の横に立っていた、緑色のフードの女性がすっと紙束を差し出してくる。

 

「北東の職人通りで派手な喧嘩が一件、南西の方で強盗が二件と南の方で小競り合いが少々。あとはそれほど大きなものはありませんでした」

 

 そこには【アストレア・ファミリア】のエンブレムと、今日起こった物事が列挙、詳細までが克明に記載されていた。

 

 それに、今度は、その凛々しい声と尖った耳、整った容姿を、ノエルは知っていた。

 

「リオン様。情報提供、感謝します」

「いえ、いつもの事ですので」

 

 丁重にそうことわった上で、彼女は困惑ぎみに感じられる女神の眼を覗き込む。

 

「喧嘩の件で槌を食らった職人が重症ですが、総合して直接的な死者はまだ確認出来ていません。何か、トラブルでも?」

「そうなんですけど、そうじゃなくて。何か、起こっていないなら、起こらないならいいけれど、これから何かが起こるかもしれなくて――」

 

 

 ノエルは、ふと、ギルドホールの出入り口に飛び込んで来た誰かに、気が付いた。

 

 

 

『――――!』

 

 

 

 刹那のうちに、空気が明白に切り替わる。何でもなかったはずの一日がそこで終わりを告げ、不確かな『何か』へと、変化する。

 

 女神が、何かを言い切る前に。

 

 その瞬間、何故か、ギルド内外、周辺にいた人物の視線及び注目が、ただ一点に集められた。

 

 五感的には、そこまで特異な光景でもない。

 

 しかし、そこにいた全員は、皆、何かを直感的に、その身に感じ取った。

 

 

 入って来たのは、長い髪をぼさぼさに乱れさせ、血に塗れた和装を身に付け、先ほどのこの女神よりもずっと呼吸を荒げた、一人の狼の獣人、の、女性。

 

 

 たった、一拍。その僅かな空白の後に。

 

 

 

 

 

 誰もが、全てを理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

 食料庫(パントリー)は、想像以上に地獄絵図だった。

 

 緑色の石英が照らす、巨大な地下空間は、その空間は。本来なら大空洞と称される階層最深部は、確かにあった。俺たちが入ってきた入口もなかなかに高い位置にあったが、異様に高いその天井はさらに上。ここが地下深くであることを思わず忘れてしまうほどの大容量。

 

 そう、そこは確かに広かった。

 

 

 

 しかし。

 

 

 

 サッカーの公式試合が出来るコートを何面もとれるほどに広いはずのそこは、見渡す限り化け物(モンスター)異形(モンスター)怪物(モンスター)。しかも「波」とは違い、その動きに指向性はなく、個別に動き回っているため、まるで地面そのものが蠢いているような錯覚すら起こさせる。

 

 モンスターハウスなどという表現が生易しく聞こえる大軍勢。絶望が、塊を成していた。

 

「っ、どこだ……⁉︎」

 

 背後からも「波」が押し寄せてきているため、猶予はあまりないが、無策に飛び込むわけにもいかない。

 

 この中にいるはずの生存者を見つけ出さなければ、ここまで来た意味がない。眼下に映る「海」を見渡し遭難者を探す。

 

「所々盛り上がってる辺りがある、多分その内のどれか、っすけど」

「でも、ざっと十ヶ所以上あるぞ!」

 

 人間に群がっているために作られた盛り上がりだけではないだろう、その人間が死者の可能性もあるし、見ていれば、ただモンスターがぶつかり合って一時的に縦に重なっているために成っている所、もあることもわかるし、地面が隆起しているだけの場合も多々あると思われる。

 

 一つ一つ調べる余裕はない。一度飛び降りればもう場所の確認はできないし、何よりこの量のモンスターを掻き分けて進むのは至難の技だ。

 しかし、じっくりと見比べ判断する時間もない。今もきっと、イネフさんとカテリーナさんは死の淵で戦っている。

 

 焦るな。

 

「まるで区別が、付きません……!」

 

 冷静に。

 

「この騒がしさじゃあ、声も聞こえないっ」

 

 素早く。

 

「まずい、もう「波」が来るっす!」

 

 確実に。

 

「っ、こんなの、どうやって――」

 

 ――いや。

 

 俺たちが、今すべきことは、【ワクナ・ファミリア】の二人を()()()()()()()じゃ、ない。

 

 そうだ、闇雲に探しても海難者はそう簡単には見つからない。

 

 逆だ。

 

 例えば現世の映画などで、こういう時に生き残ることができた人物たちは、何をしていた? 「見つけてもらう為に」何をした?

 

 

 息を吸う。仄かに熱を帯びた空気を、肺いっぱいに取り込む。

 

 俺は、あの笛を吹き居場所を報せるシーンが、やけに印象的に、記憶に残っていた。

 

 

 

「助けにっ! 来たぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 

 

『!』

 

 

 

 大きく吸って、もう一度。

 全力で。

 

 

 

「場所をっ! 教えてくれええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 

 

 

 叫ぶ。

 

 大きな食料庫に、これでもかというほど張った俺の声が響き渡り、こちらに気付いたモンスターたちが這い寄ってくる。でも、どのみち時間はないんだ、関係ない。

 三人は一瞬だけ驚いた様子を見せたものの、直ぐに声を出さず、耳を澄まし、目を凝らし、相手側からの返事を、待つ。

 

 四方八方から襲い来る凄まじい喧騒の中、俺たちはただ無音の世界にいた。

 

 暫しの静寂を、経て。

 

 

『――――ッ!』

 

 

 聞こえてきたのは、イネフ・マクレガーさんと思われる男の声、そして。

 

 中央付近のモンスターの塊が、この空間の全ての音を無理矢理に掻き消すほどの破裂音を轟かせ、勢いよく爆散した。

 

 

「見つ、けた……!」

 

 

 鼓膜が破れるかと思うほど激しい空気の振動をまともに受けてなお、瞬間、動けたのはトルド・フリュクベリただ一人だった。

 

 音もなく飛び降り、直下の敵を()()()進む。

 

 俺たちも、モンスターたちも。突如巻き起こった爆音に面食らい、硬直する。そんな中、彼だけが固まるモンスターたちを踏み付け、因幡の白兎の如く、疾走していく。

 

 爆心地は血肉が降り注ぐ空白地帯となっており、精神力(マインド)を使い切ったのか、倒れゆくイネフさんと、キラーアントに組み敷かれ、今にも首を掻き切られそうなカテリーナさんの姿が、覗けた。

 

 

「【集え、循環せし無限の生命】!」

 

 

 数瞬遅れて、パンテオンが飛び降りる。その拳は光の粒子を帯び、逆巻く風を纏い、武器と成る。

 

 あの時の、魔法か?

 

「俺も――」

「駄目です!」

 

 続こうとするも、アルベルティーヌさんに腕を掴まれ仰け反った。はっとして下を見下ろすと、既にモンスターたちは動き出している。

 

『グギャアァァァァァァァァァァァ!』

 

 奴らの意識が完全にこちらに向いている今、飛び降りれば恰好の餌食となってしまう。

 

「――【荒れ狂え】!」

 

 Lv.2であるパンテオン以外は。

 

 

「【ウェントゥス・ウェルテクス】!」

 

 

 地面、及びそれを埋め尽くすモンスターたちの頭上で、パンテオンの拳から、風――圧縮された空気の奔流――が、放たれる。

 

『――――!』

 

 彼がした動作は、腕を振るう、ただそれだけ。

 

 しかし確かに魔法が込められたその一撃は、想像を遥かに超える威力を内包した暴風を、撒き散らした。

 文字通り着地狩りを行おうと待ち構えていたモンスターたちは、逆に彼の腕の振りが放つ殺人的な風圧を食らうことになり、圧し潰され、身体を抉られ、四肢をもぎとられ、ただの肉塊になり吹き飛ばされる。

 そこにいた数十体の生物は、一体残らず惨殺され、その血肉すらも強風に運ばれ、存在の痕跡からして跡形もなく消し去られる。

 

 時間にして僅か数秒にも満たない虐殺が引いて、残されたのは地面が描く曲面のみ。パワーキャラのパフォーマンスとしてよく使われる、地面クレーターによく似た更地を、俺は初めて見た。

 

 

 圧倒的。だった。

 

 

「行きますよ!」

 

 アルベルティーヌさんと共に、パンテオンが作った半径十M(メドル)ほどのスペースへと、飛び降りる。

 

 落ちながら、もう一度【ワクナ・ファミリア】の二人がいる方へ目を遣ると、トルドが、イネフさんを脇に抱えながら、カテリーナさんを押さえつけていたキラーアントの魔石を砕くところだった。

 

 彼が先行したお陰でぎりぎり間に合った形だが、人二人分の体重を肩代わりしながら、両手を塞がれた状態で、全方位から襲い掛かってくるモンスターを撃滅するのは不可能だ。絶体絶命な状況に変わりはない、早く駆けつけなければ、トルドまでやられてしまう。

 しかし、有効な手段を持たない俺は、パンテオンが道を切り拓く様をただ見ているだけしか出来ない。

 

 自分の無力が、改めて、心の底から恨めしい。

 

「【集え、循環せし無限の生命】!」

 

 俺たちが着地する前に、パンテオンはもう一度、詠唱を始める。

 だがその魔法では効果範囲が不確定だろう、先のは地面に打ったからある程度抑えられていたものの、トルドたちの方へ放てば、彼らまで巻き込んでしまう可能性もあるのではないか?

 

「――【吹き抜け】」

 

 なんて、俺の浅はかな考えは即座に打ち砕かれる。

 

 

「【ウェントュス・トルレンス】!」

 

 

 今度は真っ直ぐ水平に突き出された正拳突きから、確固とした指向性を持った突風が、彼の腕の延長直線上のモンスターを、まとめて吹き飛ばす。

 

 本来同系統同士のはずの風が突風となって空気すら引き裂き突き進むそれは、まるで災害。

 

 しっかりとトルドたちがいる地点の直近を通り、空間ごと向こう側の壁まで圧し退けたその魔法が残したのは、先ほどよりずっと大きな、直径五Mほどの「道」と、壁の真っ赤な染み。

 

「ついてきて!」

 

 特に何かを交わすこともなく。晴嵐を抜刀し、振り返らず走るパンテオンの後を付いていく。

 

 

 次元が、違う。

 

 

 なんだこれは。魔法って、こんなにすごいものなのか。奥義、切り札、最終兵器、などでもなく、なんでもない風に連発していいものなのか。あれだけの短い詠唱だけで、たった数秒に満たない僅かな時間で。ここまでの威力が出るものなのか。

 

 いや、さすがにそれはない。

 どう考えても、今の一撃は、ベル君が黒ゴライアス戦で放った三分(フルチャージ)ファイアボルトと同等か、それ以上。飽くまでアニメの演出上のものしか知り得ていないが、実際にあの規模ならば、確実に上回っている。

 たまたまエルフだろうパンテオンの魔法が強いだけなのか、本当は原作五巻の戦いの方がずっと熾烈なのか、はたまた。

 

 この優しき勇者が、「主人公格」、であるとか。

 

 一体、なんだっていうんだ。

 いや、気にしても仕方がない。

 気持ちを切り替えて、引き締めていこう。もとから割と締まってるけど、千切れない範囲のぎりぎりまで。

 

 

 食料庫の地面を埋め尽くして、気持ち悪いくらいいたモンスターたちは、パンテオンの魔法二回で五分の一程度が灰と化して、真夏の市民プールに匹敵されるまでには密度を縮小させている。

 とはいえ、現在進行形でまだまだモンスターは侵入してきている、彼の魔法が如何に強力だとしても、楽観的になれる状況でもない。

 俺たちを呑み込みにかかる有象無象を斬り捨て、圧倒的劣勢に立たされているだろうトルドの元まで、急ぐ。

 

 いつになくやけに遠く感じる、第四階層食料庫中央部付近が、今回の最後の戦場だ。勝利条件は、シーヴさん率いる救出部隊到着までここにいる計六人の生存を保つこと。

 

「はっ!」

 

 パンテオンがウォーシャドウとキラーアントを立て続けに殴って押し退け、最後の壁を砕く。

 

 そこは、モンスターが取り囲む、人工のリングだった。何故か一気に迫っては来ないのは、先ほどの大爆発を警戒している、からか。

 色は赤。鮮やかなものではない、どす黒い、生理的嫌悪を催すような赤。それが様々な肉片と協力して地面にいびつな円を描いている様は、不快を通り越していっそ滑稽にも感じられる。

 

 先の爆発に依って形成された半径約十二、三Mほどもあるだろうその空間に、俺たちは勢いよく突入、悪臭に顔を顰めながら、見回すと。

 

 俺たちが捜し求めていた二つの身体は、ちょうど中央付近の紅に跳ねて飛沫を散らした。

 

 そして。

 

「……!」

 

 もう死の淵に瀕しているだろう二人を文字どおり負担しながら孤軍奮闘していた勇敢なる闘士は。

 

 片脚を踏み潰されながら力無く地に伏しており。

 

 その胸部に、鋭い鉤爪が、振り、降ろさ

 

 

「――あ”ぁッ!」

 

 

 気付けば、薄い刃が、昆虫類特有の節足を、六本全て斬り飛ばしていた。

 

 踏み込みは特段大きく。振り切った後の体勢は極端に前傾。残心もなく、次の動きへのイメージは皆無。刀の使い手としては落第もいいところ。

 七、八Mほどあった距離をどう縮めたのかもわからないし、晴嵐をどう振るったのかも記憶にない、こんなに型が崩れて何故ちゃんと斬れたのか、それは晴嵐の性能か。しかし兎に角、疑問は次々と湧き出で積もる、けれど。

 

 

 不思議と、俺の中で、何かがかっちりと噛み合った気が、した。

 

 

「はぁっ!」

 

 全ての脚を失くし、何も出来ず倒れてくるキラーアントを、その硬殻を、パンテオンの右脚のボレーが弾き飛ばす。相変わらず一挙手一投足が豪快だ。

 

 素早くトルドの状態を確認、乗られていた右脚の何ヶ所かに骨折、左脚の大腿部に大きな裂傷。右腕に浅い切り傷が複数、左腕には上腕二頭筋辺りに尖った何かが突き刺さっていて、後頭部からは流血、肩と脇腹に鋭い刺突跡、打撲やらは数え切れない。

 でも、生きている。ちゃんと呼吸は繰り返されている。気絶しているだけだ。

 

「ツカサ」

「大丈夫だ」

 

 俺がパンテオンに返した言葉は、何に対してのものなのか、俺自身わからなかった。

 

 そう言わなければいけないと思った。

 

 

 頭を揺らさないように気を付けてトルドを担ぎ、趣味の悪いリングの中央へ退却する。モンスターたちの包囲が、狭まってきている。

 完全に気を失っているカテリーナさん、とにかく怪我が酷いトルドに対し、イネフさんは主に精神力切れだけだったようで、彼は既に立ち上がり、大剣を携え己の意思を示していた。

 

 言葉など必要ない。俺たちは一度だけ視線を交錯させ、目的を共有する。

 

 俺、パンテオン、アルベルティーヌさん、イネフさんの計四人で、トルド、カテリーナさんを護りつつモンスターを迎撃、しばらく持ち堪える。

 

 しかし、ここで一つの問題が生じる、はずだった。

 道中、トルドを含む四人で話し合って決めた陣形はいわゆる楕円。Lv.2のパンテオンとLv.1でも経験豊富なトルドを長軸端に、防御主体の俺とアルベルティーヌさんを短軸端に、被害者二名を中央に。インファイト中心の二人が広範囲で暴れ、俺たちが残りを殲滅する、そういう作戦になっていた。

 だが現時点でトルドは戦闘不能、消耗しているイネフさんが代わりに四人目となっているような臨時のパーティで、同じことが出来るかと言えば、難しい。

 かといってパンテオン一人に任せきって三人で防衛、というのも彼の負担が大きすぎるし、何よりさっきの生肉防衛戦での経験から、長時間の耐久性に不安が残る。

 

 何度も繰り返し逆説を用いるが、ここで再び、しかし。しかしだ。

 

 飽くまでその問題は、生じる()()だった。というより、トルドが飛び出していった時から、もうどうするかは、俺の中で決まっていた。

 

「お、俺が、や」

 ぐっ。

 

 俺がやる、と言いたかったのだが。こんな短いフレーズで二回も噛むとかどうなってんだ。

 

 そうだよ緊張してんだ。怯えてんだ、恐れてんだ怖がってんだ。死ぬのが嫌なんだ。でもこれは俺が、俺自身が決めたことなんだ、今、こいつらとここにいるのは他でもない俺の意思なんだ。

 

 

 俺がパンテオンと対になって戦う。

 

 トルドをカテリーナさんの側に横たえ、間髪入れずに真後ろへ加速、振り返りざまにウォーシャドウを斬り捨てる。

 

 止める、もしくは異を唱える者はいなかった。

 そうするしかないのもわかる、俺では不安だろう、それもわかる、俺だって不安だ。冒険者始めて四ヶ月ちょっと、経験も少ない俺なんかに任せて大丈夫なのか、とは俺でも思う。

 俺の過失は即座に全員に還元され、死でもって償われることになるだろう、失敗は許されない。

 

「お願いします」

「すまん、頼んだ」

 

 そんなことはわかっている。ダンジョンにもぐる以上、失敗など元から許されていない。シーヴさんからちゃんと教わった。彼女の教えはしっかり俺の胸に刻まれている。

 

 ならば、俺がするべきことは。

 

 

 生き残ること、他の仲間を守ること、敗北の未来を力づくで捩じ曲げること。

 

 

 ちょうどいい位置にいたゴブリンを「海」の方へ蹴り、その足で大きく踏み込み、右薙ぎ。横並びだったフロッグ・シューター、コボルト、コボルト、ウォーシャドウ、をまとめて葬る。

 

 五人から一足先に離れ、俺は俺だけのリングの上に立つ。

 

 もう戻れない、戻らない。

 

「任せたよ、ツカサ!」

 

 後方から、パンテオンの声が飛んでくる。振り返らない。

 

 眼前には数百じゃあきかない絶望的物量のモンスターの「海」。俺を、俺たちを呑み込もうと押し寄せてくるそれと、対峙する。

 

 腕が震える。脚が震える。最大限気を張っていないとすぐに崩れ落ちてしまいそうだ。

 俺はトルドほど強くない、トルドの代わりは務められない。俺はパンテオンほど強くない、自力で他人を助けられない。俺は弱い。

 

 キラーアントの鉤爪を、腰を低く落とすだけで避け、上げる動作で斬り上げる。そこから方向転換しつつもう一体のキラーアントに袈裟斬り、しかし硬殻に阻まれる。

 

「ッ!」

 

 身体が強張る。全ての動作が停止し、思考すらも凍り付く――

 

「【勇気ある者に祝福を】!」

 

 パンテオンの声が、俺の身体を包む。比喩でもなんでもなく、その言葉から力を受けた俺の腕は勝手に動き出し、晴嵐はそのまま硬殻を斬り裂いた。

 

 正気に戻れ。大丈夫だ。思い出せ。

 魔法か、スキルか。どっちでもいい。まだ発動していなくとも、俺が対象でなくとも、それだけで俺は俺を強く持てる。

 

 転生でもトリップでも、少なくとも何か特有の能力やらを貰えないことに、随分と戸惑ったものだ。そういったものを活用して活躍するのではないのか、と。チートじゃなくてもいいから、何かが欲しかったものだ。こうして援護してもらわなければ多分すぐに死ぬであろう俺には、あまりに厳しい仕打ちだと嘆いたりもした。

 

 

 でも。そんなものは、必要なかった。

 

 

 共に戦う仲間がいる、約束を交わした友人がいる、身を案じてくれる人がいる、俺の帰りを待ってくれる女神(ひと)がいる。

 

 それだけで、俺には充分だった。世界の片隅で一人生きてきた俺には、十分すぎた。

 

 俺は、選ばれし者、とか、世界の危機を救うために派遣された者、とか、大層な使命とか運命とかを背負っているような奴では、ないのかもしれない。こうして必死に戦うことも、意味のないことなのかも知れない。

 

 素晴らしい物語に出てくるような登場人物でも、きっとない。俺は聡明な勇者でも、高名な魔術師でもないし、剛健な傑物でもなければ、凛々しく気高い剣士でも、俊敏で獰猛な狼でも、強さをひた求める戦闘狂でも、ましてやあの無垢で純粋な兎でも、ない。

 

 

 でも、それでも。

 

 いや。

 それがどうした。

 

 格好悪くても、弱くても。無様でも、泥臭くても。

 

 

 それでも。

 

 

『勇気祝杯』(ブレイブオブヒーロー)!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は、戦う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一五話 誰が為の勇気


 理由なんて、なんだっていいんだ。

 ただ、君が立ち上がった、その事実だけで、十分なんだ。




「うむ、よく寝た」

 

 

 目覚めと同時に、彼はそう独り言ちる。

 

 起床直後にも関わらず、その瞳はばっちり潤っていて、二度寝の気配は微塵もなく。ほとんど坊主同然にまで刈りそろえられた短髪に寝癖は当然含まれず、その寝巻き、どころか寝具にも僅かの乱れも見受けられない。

 

 床に着いたときと寸分違わぬコンディション、端からしてみれば、寝返りも打たないというのは健康面的に危ないのではないか、と思うようなスタイル。

 

 しかし彼はせっかく完璧であったその状態を自ら台無しにするように跳ね起きると、床に落ちる「掛け布団的なもの」には目もくれずに、大股で窓際へ寄り。

 

 

「はあっ!」

 

 

 上部のシャーってなるやつが壊れかねない力と勢いでもって、一息に両開きのカーテンを全開にする。ちなみに彼はここひと月で既に三回は壊していた。

 

 両手を大きく広げたそのままの姿勢で、彼は太陽の光を浴びる。体内時計がリセットされ、また新たな一日が始まるのだ。

 

 清々しい、理想的な寝起きの状況、であった。

 

 

 それが昼過ぎでなければ、の話だが。

 

 

 既に陽は高く昇りきり、下降へと転じた後。早朝のひんやりとした空気はどこにもなく、熱気を帯びた風が人々の声を運んでくる。

 

 一応、彼の弁明を肩代わりするならば、前日の寝付きが異様に悪かったからだ、と述べておく。皆様方にもやけに眠れない日が、たまにはあるだろう、つまりはそういうことだ。

 とはいっても、別に酒を飲み過ぎたとか、花粉症だとか、エアコンが壊れたときに限って熱帯夜とか、寝る前にブルーライトを浴び過ぎたとかではない。

 

 彼は窓を半開きにして、部屋を出、耳をすます。

 

「……むう」

 

 何も、聞こえない。遠くから雑踏やら何やらは耳に入ってくるが、この本拠(ホーム)、というか家、の内部からは、他の何者の存在も、感じられはしなかった。

 

 ゆっくりと、一つ一つの個室を回り、扉を開く。前日には空っぽだったそこに、今日も誰も居ないことを確認しながら、彼はリビング、日本でいうところの居間に行き着く。

 もしも帰って来ているなら、それぞれの自室か、それともリビングか。出来れば、その姿をこの目で捉えたかった。

 

 出来れば、そこにいてほしかった。

 

「…………まだ、か」

 

 六人掛けのテーブルには、誰も着いておらず、どこにも人影は、ない。

 

 つい数日前に、幼い少女の意を汲み、迷宮へと赴いた二人は、予定の日付を五日過ぎた今でも、まだ帰還していなかった。

 二日前に届け出はした、捜索部隊にも出てもらっている、しかし吉報が届かなければそれも無意味だ。

 

 難しい依頼だった。それこそ、彼らが容易に死んでしまうことも考えられるほどの。まだまだ貧弱な自分たちが請け負っていいとは、とても言えないようなそれを、彼らは自ら進んで引き受け、そしてこのような事態に相成っている。

 

 後悔がなかったわけではない。困窮している弱者に手は差し伸べるもの、という己のポリシーを曲げてでも止めるべきだったかもしれない、と、考えないわけではない。

 

 だが、信じていないわけでもない。

 

 その身に宿る『神の力(アルカナム)』と繋がっている『神の恩恵(ファルナ)』を通じて、彼らがまだ生存していることが、確かに感じられる。戦っていることが分かる。抗っていることが、伝わってくる。

 

 

「おれは、知っているぞ……。おまえたちの心が、その信念が、揺らぐことのない強さを持っている、そのことを。そして」

 

 

 たった一人で、空いている席に腰掛ける。

 

 

 もの寂しいテーブルの上には、二枚の紙があった。

 

 

 つい一週間前に出掛けていった眷属たちが、確かにここにいた、その存在証明が、そこにはあった。

 

 

【ウルスラグナ・ファミリア】主神、ウルスラグナは、彼らの【ステイタス】を記したその紙を手に取り、再び、独り言ちる。

 

 

 

「そして、正義は、必ず勝つということを」

 

 

 

 

 

 アルベルティーヌ・セブラン

 

 Lv.1

 

 力:E 412 → 418 耐久:F 356 → 361 器用:B 725 → 732 敏捷:A 852 → 859 魔力:I 0

 

 《魔法》【】

 

 《スキル》

 

 【恩義応返(ヘーローイス・バーシウム)

 

 ・親近者の成長補助

 ・親密性により効果向上

 

 

 

 

 

 パンテオン・アブソリュート

 

 Lv.2

 

 力:C 648 → 664 耐久:D 532 → 547 器用:E 489 → D 501 敏捷:C 655 → 674 魔力:B 753 → 778

 

 再生:I

 

 《魔法》

 

【*】

 

 ・連続詠唱魔法

 ・風属性

 ・詠唱式に依り効果変化

 

 ・詠唱式第一段階

 【集え、循環せし無限の生命】

 

 【ウェントュス・】

 

 ・【吹き抜け】【トルレンス】

 ・【包み込め】【レーニス】

 ・【荒れ狂え】【ウェルテクス】

 

 ・詠唱式第二段階

 【永久より来れ刹那の栄光

  揺籃に抱かれ眠る大海を

  静寂に包まれ黙する大地を

  彼方に座する無数の星々を

  解き放つ烏有の輝き】

 

 【ヴェントゥス・】

 

 ・【貫け】【プロケッロースス】

 ・【凪げ】【マラキア】

 ・【爆ぜろ】【テンペスタース】

 

 ・詠唱式第三段階

 【其は在りて其に非ず

  其は非ずして其と成る

  其は成りて其に還らず

  其は還らずして其を示す

  其は己を示し其に在るを得る

  望めば叶わず、道は閉ざされん

  鼓動の尽きる時、唯魂魄のみが救いを得ん

  天蓋を巡りて世界を綴り

  白紙の讃歌を地平に刻む】

 

 ・【叫べ】【インペテュス・ウェンティー】

 

 

 

【フロンス・ペルクッソル】

 

 ・完全相殺魔法

 ・詠唱式

 【恒久たる数多の奇跡は自らを窶し輝きを棄て去る

  如何なる希望が此の破滅を阻む防人と成らんや

  無き力を嘆け、無き理を呪え、我は嘲嗤わん

  遠き彼方へ堕ち、冥府に名を連ねよ】

 

 

 

【イニティウム・フィーニス】

 

 ・転生魔法

 ・詠唱式

 【希望を懐き魔を払う双の腕

  地を蹴り運命を曳く対の脚

  絶望を打ち砕く高潔なる魂

  未来を見据え同胞を導く勇姿は

  潰えず絶えず崩れず滅びず

  挫けず諦めず、幾度でも蘇る

  連綿なる命脈を紡ぎし英霊

  今ここに再び立つ】

 

 《スキル》

 

勇気祝杯(ブレイブオブヒーロー)

 

 ・危機的状況に応じる能力解放

 ・同状況の人物に効果伝播可能

 ・起動式【勇気ある者に祝福を】

 

 

永劫咆哮(イモータル・スピリット)

 

 ・生命と精神力の等価交換

 ・任意発動可能

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘開始直後。

 

 

『勇気祝杯』(ブレイブオブヒーロー)!」

 

 地の底、血の獄において、彼の声が俺の鼓膜を叩くのと、俺の身体がワケの分からない不思議な感覚に包まれるのはほぼ同時だった。

 

 魔法かスキルか、どちらかは判らない、しかしこれが何らかのバフの類だということは直感的に理解できる。

 

 それは飽くまでゲームの中のもの、どこか別世界の話だ、という認識が今ここで覆り、俺という存在は更に深い所でこの世界に溶けていく。

 

「ふっ!」

 

 押し出す形の蹴りで、斬り捨てたばかりのキラーアントの胴体を退け、その足を大きな踏み込みとし、一閃。

 

『……!』

 

 鋭い風切り音と共に、こちらに迫ってきていたウォーシャドウの上半身と下半身が離れる。

 

 他に、右方から、キラーアントが四体、フロッグ・シューターが一、コボルトが二、その下にダンジョン・リザードが一いて、フロッグ・シューターが二、ウォーシャドウが一、で折り返し、キラーアントが二、その足元にニードルラビットが一、ゴブリンが一、ウォーシャドウが二、コボルトが一、その後ろのごちゃごちゃした大群はカウントしない。空間的に半月状に相手取る全てのモンスターが、俺の担当だ。

 

 一歩下がり、予想通り伸びてきたウォーシャドウの腕を斬り上げ、返す刀で接近してきたキラーアントの頭部をかち割る。本来もっと手こずるはずの硬殻は、豆腐のように刃を受け入れた。

 

 まだ余裕が少し。刃が俺の腰の高さを通過しようかという段階で腰を捻り、晴嵐の軌道を変える。

 

 飛び掛かってきたコボルトの胴を薙ぎながら素早く引き寄せ、後続のコボルトと、身動きが取れないでいたフロッグ・シューターの魔石を一挙に狙い。

 

 突く。

 

『ギャアアアァァァァァ……』

 

 強く踏み込むその足を、地面に這い蹲っているダンジョン・リザードの頭に撃ち下ろすことも忘れない。潰せはしないが止められはする。

 

 灰に返せば刀の消耗及び斬れ味低下も比較的防げる上、動きを制限されにくくなる、積極的に狙いにいこう。

 

 右に寄った分左手側が押されている、斜め左後方へ二歩、キラーアントの鉤爪をいなし、前進。すれ違いざまに二体、どちらの魔石もあっさり砕く。

 

 視界の端に、ちらりと後方の様子が窺える。

 

 俺たちの陣形は楕円に近い。長軸端で俺とパンテオンがなるべく広範囲の敵を相手に暴れ、単軸端のアルベルティーヌさん、イネフさんの負担をなるべく減らし、トルドとカテリーナさんを守護するための作戦行動。

 その布陣の性質より、俺とパンテオンにはかなりの負荷がかかる。自分から引き受けておいてなんだが、Lv.2のパンテオンと比べ、俺には相当厳しいはず、だった。

 

 

 それが、この状況は一体どうなっている。

 

 

 悪いわけではない、むしろ俺のレベルを考慮すると出来すぎなくらいだ。じわじわと戦線が狭まり俺達の陣地が削られていくが、それは最初から予想できたことなのでセーフで。

 

 無論、パンテオンの援護であることは疑うべくもない。というかこれを素で出来るならば俺はレベルの概念を超越した天才か何かだろう。いやそうだったらよかったんだけど。

 

 具体的に何が変わったかというと、身体感覚と思考がクリアになっている。それはちょうど彼が叫んだところの「勇者の勇気(ブレイブオブヒーロー)」が備わった感じだ。

 

 いつもよりずっと、手足が動く。頭が回る。周囲が見える。

 

「よっ!」

 

 振り下ろされるキラーアントの腕を半身になるだけでやり過ごし、ゴブリンの腹部に爪先での蹴りを入れながら、上から飛んできたコボルトの顔面に晴嵐を差し入れ、突き出されたウォーシャドウの指を払い除けたその腕で鏡のような円盤(ウォーシャドウの顔)をぶち破る。

 

 意識して気を張り詰めていなくとも、多数の敵の一挙手一投足が認識出来る。次々に来る攻撃は、ほとんどが俺に届かず無駄に空を切るだけ。

 

 強い奴は、これを地で行うのだ、流石としか言いようがない。

 今更だが、俺はこれをパンテオンの力なしでやろうとしていたのか、と思うと、ちょっとぞっとしてしまう。

 

 先ほどの生肉防衛戦での物量にすら二人がかりで押し負けていたのに、それを遥かに超える数を、背後の心配をしなくていいとはいえ一人でなんとか抑え込むなど、現状の最高状態だったとしてもほぼ不可能に近い、としか。

 たった四ヶ月程度の経験に、あとどれだけ継ぎ足せばここまで達せるのか。その果てしない間を埋めている力が如何に有能か。

 

 

 言うなれば、「主人公補正」でも受けているような。

 

 

 でも、まだ足りない。

 

 まだなんとかなっているとはいったものの、押され続けていることに変わりはなく、現状を打開する、とまではいかなくとも、敵の進撃を食い止める、押し返すくらいはしないと、ジリ貧で圧殺されるだけだ。

 

 予想以上に、敵の数が多い。精精これくらいだろうという俺達の想像を遥かに超えた大軍勢を前に、こちらの戦力はたったの四人。数の暴力は次第に、しかし確実に戦況を傾け続けている。

 きっと、いや、絶対に、「このまま」ではシーヴさんたちが来るまで保たない。それに、ただ生き残ればいいという単純な状況でもない、死に瀕し地に伏している仲間を護りながらの戦闘のため、難易度は段違いだ。

 

 俺自身が、もっと強く成らなければいけない。

 

 しかし、どうやって?

 

 パンテオンのバフを受け、考えうる限り最高のパフォーマンスを維持しているだけでも驚異的なのに、これ以上の出力が出せるかといえば、まあ無理だ。

 

『グォォォオオ!』

 

 俺の肩を食い千切らんとするコボルトの、大きく開いた口に晴嵐を差し入れ、斬り上げ。そこから円軌道を描き、背後をすり抜けようとしていたコボルトの上半身を真っ二つに割る。即座に横移動、キラーアントの進軍を止めに入る。

 

 ただでさえ大変なのに、モンスターも個体によって行動に差があることが、更に状況をより複雑に、より難しくしていた。

 俺を無視してより空間的に余裕がある方へと流れていく奴らを斬りに行けば、俺を殺そうと突撃してくる奴らの対処が後回しになり、退がらざるを得なくなる。かといって正面から向かってくる奴らばかりを相手していれば容易く決壊する、結局後手後手に回りながらモグラたたきのようなことを繰り返すしか現状、手は無い。

 多分パンテオン側は押されるどころか押し返していそうだが、それでも他三方向ものフォローは難しいだろう。

 

 頭は回るんだ、コンディションは最高なんだ。じゃあ、一体、後は何が足りないというんだ?

 

 

 ほんの少し、思案の海に足を浸け、たことで、次に対処すべき相手から視線が切れる。

 

 

 それだけで、致命的な、遅延が発生する。

 

 

「がっ!」

 

 

 即座に、即頭部に鈍い衝撃。次いで脚を尖ったものが掠めて行き、鋭い痛みを生む。

 

 視界が揺れ、意識が遠のく。

 

 胸元が切り裂かれ、胸部装甲に鋭い爪が走り、不快な音を響かせる。脇腹が浅く裂かれ、煩わしい熱を持つ。

 

 しまった油断した。すぐに立て直せ。

 

「……っ!」

 

 噛み千切らない程度の強さで舌に歯を押し付け、血が出るまで削る。もう口内は鉄の味に占拠されていたのでどれだけ血が出ているのかはわからないが、ぼんやりとしていた思考が鮮烈な痛みと共に現実に復帰した、遅い。

 

 力任せに身体を捻って群がってくるモンスターを振り払いつつ、大きく薙ぎながら後退する。

 

 

 やはりこれではダメだ。

 

 いくらモンスターを斬り裂いても、何体叩き潰しても、どれだけぶっ殺しても。形勢は逆転しない。

 

 当たり前だ、こっちは何も変わらないのに、敵の勢力は増す一方。迎撃速度を引き上げなければ、このまま押し切られてしまう。

 

 考えろ。この一瞬で崩れかけた戦線を戻さないと敗北する。考えろ。

 

 俺に出来ることは少ない、しかし普段から、こういう場合を妄想して対策を考えていなかったわけでも、ない。伊達に想像上異世界転生していたわけではないのだ。それはこっちに来てからも同じで。

 

 変えるのは俺の能力じゃない、ていうか任意で覚醒とかできるならとっくにやっている。

 先も考えた様に、出力の面ではこれが限界。この戦い方ではこれ以上は望めない、それなら。まず変えるのは、戦法。

 ぶっつけ本番で慣れていないことをするのは本来自殺行為に他ならないが、『勇気祝杯』で強化されている今なら、なんとかなるかもしれない。

 

 いや、なんとかしなければならない。

 

 トルドを助けた時に受けた妙な感覚、あれに寄せたいという気持ちもあるが、まだ判然とはしないものに頼るより。

 

 敵の数は圧倒的、必要なのは対応の早さ。ここで必要なのは。

 

 

 

「……手数!」

 

 

 

 

 

 紅色の華よ、晴れの日の嵐に舞い踊れ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ○

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢をみた。

 

 

 

 とても温かく、優しい夢を。思わず涙が零れるような、昔の夢を、みた、気がした。

 

 でも、いつも、目覚めと共に愛しい夢は没収され、膨大な記憶の中に、ばらばらに封印されてしまう。私の中に残るのは、夢をみた、ただその自覚だけ。

 

 しっかりと器を作っている筈なのに、重ねた手の平から水が無くなっていくように。虚しい喪失感以外の全てが、溶けて消えてゆく。留めておこうと試みれば試みるほど、私の手は質量を失っていって。止める術は、何処にもない。

 

 

 そんな非道いことをするのなら、いっそのこと、夢などみさせないでほしい。どうせ打ち砕くのなら、淡い期待など抱かせないでほしい。

 

 辛いだけだ。苦しいだけだ。こうして遺された私達にとっては、煩わしいだけなのだ。

 

 もう二度と戻ってくることのないあの日々を思い出す度に、私の心は穿たれ、穴だらけになってゆく。痛ましい血も流れきって、もう何も残っていない私を、空っぽの私を、これ以上どうしようというのか。

 

 こんなまやかしは、要らない。こんな幻想は、必要ない。どんな偽物も、真実でないなら、意味など宿りはしない。私はそんなものは欲しくない。

 

 

 嗚呼、早く、覚めさせて。

 

 

 

 どうしようもない痛みを伴う現実に、救いのない世界に、早く、引き戻して――

 

 

 

 

 

 

 

 目を開くと、そこは地獄だった。

 

 

 その情景は、瞼が勝手に落ちる前と、殆ど変わりはない。高い天井や壁、無駄に広い地平のあちこちに、緑玉かと見紛う巨大水晶が散りばめられたこの空間は、今や完全に異形に席巻されている。

 

 無数の化け物の怒号が重なり合い、不快な不協和音が空気を揺らす。鉄の匂いが強く鼻腔を突く。

 

『ギシャァァァァ!』

 

 全方位、何処を向いても怪物だらけ。通常時ならば決して有り得ない、凄まじい数の人外が蠢く様を、それ以外にどう形容すれば良いのか、学のない私は相応しい語彙を持たない。

 

 如何に足掻こうが結末に待つのは死。しかし、まるで希望の無い窮地に、先程と異なる点が、一つだけあった。

 

「はぁぁっ!」

 

 押し寄せるモンスターを、豪快に殴り飛ばす旅装の青年。機敏に切り裂く女性。大剣で打ち倒す同僚。幾度も交錯しながら刀で斬り伏せていく青年。

 

 見慣れない同業者たちが、猛烈な理不尽を前に、必死に抗っていた。

 助けが、来てくれたのか。私達なんかに。こんな死地に。

 

 手が血で濡れるのを気にせず、キラーアントに押し倒された時に後頭部を強く打ったのだろう、痛む頭に顔をしかめながら上半身を起こす。

 

 すぐ側に、全身傷だらけの青年が横たわっていた。私が殺される直前に飛び込んできてくれたように記憶する彼は、何処かで見覚えがあるような気がする。周囲に楕円を描いて散開、各個で迎撃を行っている、同僚以外の三人も同様。

 確か、徒手空拳の青年と女性は、前回の『大量発生(イレギュラー)』の際に出会った記憶が無くもない。満身創痍の青年と刀使いの青年は、その時に顔を見たりでもしたのだろうか。

 

 いや、何でもいい。まだ、私は生きている。死なないでいるだけで僥倖だ。

 

 しかし、そう安心できるものでもなく。

 

 四人も、壮烈に戦ってはいるものの、やはり状況は芳しいとは言えず、恐らくLv.2に達しているであろう、マントを翻し拳を振るう青年を除き、三方はじわじわと後退を続けている。

 腕の一振り毎に途轍もない衝撃をぶちかまし、周囲のモンスター諸共に弾き飛ばす様な戦闘スタイルでさえ、押し留めるのが精一杯なのだ、何故か一向に動きの質が落ちない刀使いも、対応する敵が比較的少ない同僚も、女性も、彼に比べればまだまだ及ばない、なんとか崩れないではいるものの、それが精一杯。

 

 対して、幾ら葬ろうとも、モンスターは次々に食料庫(パントリー)に押し入って、彼らが減らした分をすぐに補充してしまう。『大量発生』は、終わっていない。

 このモンスターの「海」の真っ只中に居ては、脱出は不可能。となると、彼らの目的は、恐らく耐久。救出部隊が駆けつけるまで、持ち堪えるつもりだ。この絶望的な物量差を前にして。

 

 信じられない。正気とは思えない。けれど、彼らはこうなることが分かっていて尚、ここへ来てくれたのだ。あの人たちのようなお人好しが、他にもいたなんて。じんわりと、視界が滲む。

 だが、ただ護られている立場から傍観するだけ、というのも憚られる、私も何か、何かしなくては、と、立ち上がろうとする、も。

 

「……あ、れ」

 

 ぐらり。どさり。世界が傾ぐ。

 

 目が、まわる。

 

 地震ではない、平衡感覚が狂っているのだ。尻餅をつきながら、歪む景色に酔う。

 

 地面に叩き付けられた時に、脳が揺らされたのか。症状を自覚すると、途端にそれまで息を潜めていた眩暈と吐き気が襲い掛かってきて、もう、上半身を起こしていることすら難しい。

 

 ここに来る途中でバックパックは失くした、ポーチの中に入っていたポーションも全て割れ、不規則に広がる赤色に吸われている。

 動けない。身体に蓄積していたダメージが次第に、思い出したように手足を重くしていく。

 

「う、うぅ……っ」

 

 食料庫に充満する、灰に還らなかった遺骸が生み出す生臭い死臭が、吐き気を催す。

 

 肉を裂き骨を断つ音が、打撃が何かを打ち砕く音が、刃物が大気に擦れる音が、モンスターの断末魔が、血肉が地面に飛び散る音が、痛みに歯を食い縛る音が、四方八方から飛び込んでくる。私の鼓膜に伝わってくる。

 

 

 何をしている。周囲で、必死に戦っている人達がいるのに。私は何をしているんだ。

 

 

 どう考えてもこのままでは戦線は崩壊する。私如きが与したところで高が知れているだろう、それでも無いよりはマシな筈。戦況を見れば、独りずつ各方面を塞き止める、など、長続きするわけがない。それに、少しずつではあるもののモンスターの勢いが増してきている、瓦解はそう遠くない。

 

 そもそも、こんな状況を作り出せたこと自体が奇跡のようなものだ。多分同僚の魔法が炸裂した結果だと推測出来るけれど、あれは一度限りの起死回生を狙う技であって、その後、となると。

 この不利な形勢をひっくり返す何かがなければ、呑み込まれるのも、時間の問題だ。

 

 なのに、何も出来ない自分が、とても惨めで。悔しくて。せめて彼らの勇姿を目に焼き付けようと、視線を巡らせる。

 

「ぐっ……畜生が!」

 

 利き手が上手く動かなくなったのか、遠心力を駆使しながら片手で大剣を振り回す同僚は、撃破より被弾の割合が高くなっていて、まるで余裕がなく、詠唱をする暇も見い出せていない。

 

 敵はそう強いわけじゃない、それでも、息もつかせない波状攻撃となれば話は別になる。

 

 威力の高い攻撃技を持たないらしいナイフ使いの女性が、相性的には一番分が悪い。数多の暴力を躱し、受け流し、懐に潜り込んで的確に魔石(きゅうしょ)を破砕していく様は鮮やかだ、でも明らかに処理速度が敵増援に遅れをとっている。退路もなく、敵に連続して相対しなければならないこの戦場では、対少数、対人戦では役に立つだろう敏捷性の利点が殺されてしまうのが致命的だ。

 

 そして、何より厳しく見えるのが、素手の青年とほぼ同じだけの数を相手取る和装の青年。

 

 一人だけ、あまりに不相応すぎる戦いを強いられている彼は、動きもそう鋭くなく、武器の扱いに特に長けているわけでもないように思える、しかしその立ち回りからだろうか、奇跡的な均衡を保ちつつ、敵の進軍を尽く防()()()()

 

 ぼんやりと、より辛い方面に当たっている二人の周囲に、類似した残光のようなものが確認できる。魔法か、スキルか何かの産物のようだ、そのお陰かもしれない。

 どちらにせよ、それが偶然を積み重ねた上に成り立っている現状だということには変わりはない。着実に損害も増えている、安定しているように感じられるけれど、その実最も危険で、立て直しが効かないのは間違いなく彼――

 

 

「がっ!」

 

 

 息が詰まった。

 

 刀使いの青年の側頭部に、キラーアントの脚が直撃した。もう少しズレていれば表皮が裂かれ頭蓋に被害が及んでいたかもしれない。

 

 ふらつく彼に、容赦ない追撃が降り注ぐ。和装はもう被服の役割を果たしておらず、これもぼろぼろのレザーアーマーと局所プロテクターが露出している。

 

 

 嗚呼、もう駄目なのか――

 

 

「手数っ!」

 

 

 突如として、刀使いの青年は、薄刃の一刀を片手持ちに切り替え、()()()()()()()()()()()()()引き抜きつつ、眼前のコボルトの顎を打ち抜いた。

 

 もともと、刀は両手持ちの武器だと聞いたことがある。切れ味が良く、鋭い斬撃を繰り出す為には諸手でもって太刀筋を安定させる必要があり、一般の両手剣等とは違い、雑に叩き切ることは出来ない、と。

 

 しかも、刀はその刃が届く範囲が極めて狭く、防御に傾倒したもので、極東でも攻勢には専ら槍等が用いられる、とも。

 

 要するに、その使い方は、異端。

 

 

 けれど。

 

 

「うお、らぁ!」

 

 ウォーシャドウの上段突きを、上体を沈み込ませることで躱し、膝を使い反動を付けて斜め上へ斬り上げ、ウォーシャドウと、すぐ隣にいたコボルトを斬殺。遅れてきたもう一振りで、()()()()、残った死体を撥ねる。

 

 今度は返す刀、斬れない方でゴブリンの頭部をかち割り、もう一振りは軌道を同じくせず、正面のフロッグ・シューターを袈裟斬りにした。

 

 彼の動きは止まらない。

 

 流れるように、斬れない方の遠心力に任せてその場でターン、斬れる方でコボルトを切り上げつつ、半回転して戻ってきた斬れない方でキラーアントの頚椎を狙って叩き折る。

 

 敵に背を向けたその体勢から、斬れる方を身体に引き付けて止め、真横に一歩。肘を伸ばしきりながら、すぐ傍を抜けようとしていたニードルラビットに斬撃を浴びせ、勢いに乗せて背後のウォーシャドウ、キラーアント、コボルトをまとめて薙ぎ斬った。

 

 怯むモンスターたちの頭部を的確に狙い、斬れない方で打ち込みつつ、サイドステップ、他の敵にも素早く対応しに行く。

 

 時折左右の刀を持ち替えながら、斬る、打つ、突く、叩く。振り回す速度に身を任せ、刀に振り回されているように戦うその姿は、踊っているかの様で。

 どうして片手持ちの刀でそう滑らかに切断することが出来るのかはわからない、しかし、咄嗟の二刀流のお陰で敵の進撃速度が目に見えて抑えられている。手数を増やすことで、上手く対応が出来ている。

 

 

 それでも。

 

 

 まだ足りない。完全に押し留めるには至っていない、寄せる波を打ち払うには届かない。

 

 彼の奮闘を感じたのか、他三方の動きも一時的に向上しているように聞こえてくる。

 疲労も溜まってきているだろう、救出部隊はまだ来ない、モンスターの「波」はまだ止まない。でも彼らはまだ、諦めない。

 

「うっ……ぐ……」

 

「!」

 

 背後から呻き声が聞こえ、振り返ると、気を失っていた青年が、上体を起こそうとしていた。

 

 流血こそ殆ど止まってはいるものの、数え切れないほどの傷跡は目を背けたくなるほどに痛ましく、それでも尚起き上がろうとするその姿は恐怖すら覚えさせる。

 

「だ……駄目です、その怪我、では……」

「状況、は?」

 

 私に訊きながら、彼は素早く周囲に目を向け、現状把握に努めようとする。再度、戦おうと志す。

 

 外傷は少ないながら立ち上がれない自分と、許容量を振り切る苦痛に耐えながらも毅然と闘志を見せる彼の違いは一体、何なのだろうか。

 彼のその姿勢に、同じ【ファミリア】の人間が、重なって視える。

 

 どうしたら、私もそっち側へ行けるのだろうか。

 

「なんとか、保っ、ていますが……、依然として……厳しいまま、です」

 

 そう、等と言ったのか、彼の口元が僅かに動く。体力も残っていないのは明白なのに、彼の目は強い意志を湛えて止まない。

 

 どうやら右脚が折れているようで、半分無駄だと判ってはいるらしいけれど、彼は苦い顔をしつつ、二本のナイフを鞘ごとベルトで巻き付け、無理やり添木に仕立てようとする。

 何処から、そんな気力が湧いてくるのか。こういう人種に限界はないのか。

 

 思わずその横顔を見詰めていると、不意に――実際はそういきなりでもないだろうけれど――一際大きな破砕音が轟き。

 

 

「みんな! 聞いて!」

『!』

 

 

 唯一、この圧倒的不利を覆す可能性を秘めた勇者、の声は。騒がしいでは収まらない戦場においても、不思議とよく通った。

 

 

 

()()()()() 魔法を使う、少しでいいから援護をお願い!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボクが冒険者に成ろうと思ったのは、どうしてだったっけ。

 

 

 

 確か、なんの変化もない農耕生活に飽きてしまったから、だったように覚えている。

 

 定期的に訪れる行商人から、村の外のことを教えてもらって、偶然村を通りがかった冒険者たちが、やけに格好よく見えて。

 別に、特別頭がよかったとか、運動が得意だった、というわけではなかった。ただ、他の子より少しだけ、知らないものへの好奇心が強かった気はする。

 

 だから、なのかもしれない。

 

 冒険者という、ボクらから掛け離れた存在を知ってしまえば。それまでと全く違う世界が、村の外にあることを知ってしまえば。

 

 そこからは、止まらなかった。

 

 毎日、代わり映えのしない作業の繰り返しだけをするみんなが奇妙に思えた。毎年、全く同じことをひたすら続けるみんなが気持ち悪くなった。自分とは別の何かに見えた。

 なんで、「他」を知ろうとしないのか。なんで、「それ以上」を望もうとしないのか。なんで、「それ以外」を拒絶するのか。幼いボクには、もっと刺激的なものを識ったボクには、理解ができなかったんだ。

 

 ヘリヤ様は言っていた。安定とは停滞だと。いつだって、革新が、変化が、異端があったからこそ、人類は発展してこれたんだと。

 

 でも、()()()人々は、ボクの村の大半は。それらから目を逸らし、今を優先する。

 今さえ良ければ。その考え方もわからないわけじゃあない、普通が大多数でなければ特殊は生まれない。その結果、問題にぶち当たってから慌て始めるのもご愛嬌みたいなものだ。

 

 そう考えると、冒険者という人種はこの世界にとって異端で。そう思うと、ボクという人間は、その村の中には、もう、どこにも居なかった。

 周囲の反対を押し切って、恐ろしいものから逃げるみたいに、自分を探し求めるみたいに迷宮都市(オラリオ)に出てきたボクを、ヘリヤ様は快く拾ってくれた。ヒメナやヨシフ、シーヴさんたちはボクを仲間として迎えてくれた。

 

 ここでの生活は、ただただ、楽しかった。

 

 

 

 冒険者とは。

 

 

 

 生命を賭して、富を、名誉をひたすら求める。それは、戦争で戦果を挙げるのとは少し違う。

 

 全部、自分で決めて、自分で考えて、自分で行動して、自分の意志で戦って、自分のために死ぬ。全滅は指揮官のせいじゃない、その事態を招いた自分自身のせいになる。

 

 詰まるところ、全てが自己責任。何にも縛られず、何にも支えられない、何にも保障されない、不安定極まりない危険な職業。()()()人からは、そう見える、らしい。

 

 

 ボクからしてみれば、それは『自由』。

 

 

 ある意味の自由を手に入れるためには、それなりに何かを失う必要がある。そこで失うものによって、得られる自由というものには違いが生じる。ヘリヤ様にはそう教わった。ヒメナがそう解してくれた。

 

 家族だとか、村だとか、地域とか、国とか、そこの規則とか法律とか。そういう社会的なものに縛られ、制限されることで、大きい意味での『自由』を失い、その中での安全な『自由』を手にするも一つ。

 

 それらのしがらみを一切合切捨て去って、広い世界の中で、頼れるものは何も無く、自分を自分たらしめるものはそれこそ自分だけ、そんな『自由』を手にするも一つ。

 

 

 ボクが、そして多分、ボクらが、欲しくなったのは後者だった。

 

 実際には【ファミリア】があるわけなんだけど、それを差し引いても、ボクらにとっての『自由』は、冒険者としての人生にちゃんとあった。

 

 それは、ボクらに不安を抱かせない。

 

 それに、ボクらは恐怖を感じない。

 

 それが与えてくれるのは、清々しい爽快感。生きているという確かな実感。生命の輝きによってボクらの世界は彩られ、財産や名声が装飾として付随する。

 

 

 ボクにとっての『本物』は、生まれ育った農村の外側にあった。何もかもが、きらきらと綺麗に輝いていた。

 

 

 冒険者としてダンジョンにもぐって、モンスターと戦うのも。

 

【ヘリヤ・ファミリア】としてオラリオの外に出て、貿易の仕事をするのも。

 

 何もかもが初めて見るものだらけで、初めて聴く音だらけで、初めて嗅ぐ匂いだらけで、初めて食べる食材だらけで、初めて感じるモノばかりで。

 

 

 そう、楽しくて仕方なかったんだ。

 

 

 

 最初の『大量発生(アレ)』が、起こるまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うっ……ぐ……」

 

 全身が、とにかく痛い。節々は軋んで嫌な音を立てるし、筋肉は思い通りに動かない。それに、信じられないほど身体が重く、息が苦しい。

 

 上半身を起こすと、ツカサとパンテオン、アルベルティーヌさんにイネフさんが、膨大な数のモンスターと戦っている姿が確認できた。

「だ……ダメです、そのケガ、では……」

「状況、は?」

 

 なんとなくわかってはいるが、反射的にそう問いかける。カテリーナさんは、起きてはいるものの、四つ這いでいるのがやっとのようで、腕がか弱く震えている。

 ひとまずは、助けられたようだ。ボクが飛び込んだのは無駄じゃなかった、それだけで、幾らか救われる気がした。

 でも、これから、ちゃんと生還できなければ意味がない。この場にはシーヴさんもヨシフもいないのだ、ボクが頑張らなければ、きっとあの二人も報われない。

 

 身体のどこもかしこも、動かすたびに激痛が走り、頑張って気を張っていないと、意識を手放してしまいそうになる。

 

 普段なら、こんなずたぼろになるまで戦わないし、きっと起き上がれもしなかった。でも、今回は、今回だけは、別だ。

 

 周りを見回し、自分でも状況を確認する。

 

 戦闘不能になったボクの代わりに、イネフさんが即席のパーティメンバーとして戦っている、けれど。事前に決めておいた、ボクが入る予定だった位置では、ツカサが紅緒と晴嵐を用い、二刀流で奮戦している。だが圧倒的に劣勢だ。そしてパンテオンだけは優勢、アルベルティーヌさんとイネフさんも劣勢。決して、好ましい戦況にはない。

 四人がかりで、特にパンテオンとツカサが目覚ましい活躍で、蹴散らしているというのに、ゆっくりと、だが確実に、圧されている。ボクはよくこんなところに独りで突っ込んだもんだなと思う。

 

 いや、でも。改めて、この数は明らかにおかしい。

 この類の『大量発生』は、階層移動という点で特殊だとされているはずだ、だから食料庫が避難場所として勧められているし、だからイネフさんとカテリーナさんも、退避先にここを選んだんだろう。

 

 なのに。これは何なんだ。また例外なのか、仕様が変わったのか。こうまでして、ボク達冒険者を殺したいのか、迷宮ってやつは。

 行きどころのない怒りが込み上げてくる、けど、いまそんなことに頭を使っていても意味がない。考えるんだ、どうしたらいいかを。ボクは今何をしたらいいのかを。

 

 

 あの日、どうすべきだったのかを。

 

 

「なんとか、保っ、ていますが……、依然として……厳しいまま、です」

「そう、ですか」

 

 口の中で篭った返事は、カテリーナさんに届いていたんだろうか。そのときのボクの思考は、もう別の方向へ突き進んでいた。

 まず脚をなんとかしなければならない。どうせ立てないだろうけど、いざという時に痛くて動けない、じゃあ話にならないし、せめて固定くらいはしたい、んだけど。

 添え木になりそうなものはあまりダンジョンには落ちていないし、そこらに散らばった骨にちょうどいいものもなさそうだし、双月を鞘ごとベルトで巻き付けて補強する、が関の山か。

 

 痛い、骨折ってのは成人でも思わず叫んでしまうほど痛いというけれど、初めてでもない、泣き言を言っている暇もない。

 

 

 もう、間違えるわけにはいかないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 二年と半年ほど前、【ヘリヤ・ファミリア】に、ベッテ・レイグラーフ、【カーラ・ファミリア】に、リリー・ヴェーレ、という名の冒険者が、まだ所属していた頃のことだ。

 

 

 

 初めての『大量発生』が起こったその日は、ボクらもダンジョンにもぐっていた。パーティはボクとヨシフとシーヴさんと、ベッテとリリー。そのとき、シーヴさんはLv.2だった。

 

 当時の発生階層は九。そこから上下二階層以内、十一から七までの階層のうち、生存者がいたのは九層のみで、他の冒険者は軒並みモンスターの「波」に押し潰された、とされている。

 だがそれは、「救助された」生存者の話。当然、自力で脱出してきた冒険者もいる、そうでなければ異変は異変として認知されていないだろう。そしてボクも、最初の『大量発生』を経験した一人で。

 

 ボクらはちょうど、八階層を進んでいた。帰り道だったんだ。いつもより早めに帰ろう、と言い出したのはシーヴさんだった。彼女はボクらより感覚が鋭いから、多分、何か嫌なものを感じていたんだと思う。

 

 ボクとヨシフは、愚かにも彼女の意見に反対した。その日はやけにエンカウントが少なくて収穫も乏しかったし、体力は十分すぎるほど余っていて、何よりボクらは麻痺していた。戦い足りなかった、もっと戦いたかったんだ。

 

 シーヴさんとベッテとリリー、対してボクとヨシフという形で意見は真っ二つに割れた。

 

 結局、年長者に従うということで、渋々帰還することにした、けれど。

 

 

 

 もう、その時には、何もかもが、遅すぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんな! 聞いて!」

 

 一段と大きな音を立ててモンスターを撃破し、食料庫じゅうの注意をかき集めてから発されたパンテオンの声が、化け物たちの叫びに負けずにボクらの耳に飛び込んできた。

 

 戦っている最中の他の三人も、きっと肌で感じ取っている。彼の次の言葉に、この戦場を左右する重みがかかっているだろうことを。

 

「溜まった! 魔法を使う、少しでいいから援護をお願い!」

 

 果たして、溜まった、とは、魔力のこと、なんだろうか。魔力、いわば精神力って、戦闘中に溜まっていくようなものだっただろうか?

 いや、いまはどうでもいい。彼が魔法を使ってこの状況をなんとかしようとしていることが解れば、それだけでいい。

 

 並行詠唱なんて高等技術を持っているならば話は別だが、普通は無理だ。するともちろん詠唱中は無防備になる、攻撃を受ければ魔力暴発(イグニス・ファトゥス)も起こしかねない。そのため、大半の魔法の発動には援護もとい護衛が不可欠なのだ。

 でも、今ボクらは食料庫のほぼ中央部で、全方位から囲まれている形、パンテオンを護るとなれば。

 

()()()()()()()! 三人で対処します!」

「「了解!」」

 

 すぐに、楕円が小さくなる。手を伸ばせば、バックステップで集まってきた仲間達の背中に触れられる距離、直径は、約三M(メドル)

 

 この手が失敗に終われば、即ゲームオーバー、全滅の領域。非常に危険な綱渡りが、始まる。

 しかしあのままでも勝機はない、出来るならどこかで賭けに出る必要があった、それがいまだというだけの話だ。それに、最初からボクらが細い綱の上にいることなんてわかりきっている。

 

 ボクらのすぐ側に立ったパンテオン・アブソリュートと、目が合う。真っ直ぐな瞳が、希望に満ちて輝いていた。

 

 

 信じてくれ、と、訴えていた。

 

 

「【集え、循環せし無限の生命】――!」

 

 

 言葉と共に。彼は、目を瞑る。

 

 何があっても詠唱に集中するという意思表示、彼を護る三人への絶対的信頼。彼は全てを賭けて、彼の勝負へと踏み込む。

 

 ボクらが、信じないわけ、ないだろう。

 

 詠唱が始まった、これから先は失敗の許されない、極限の時間。分水嶺、ってやつ、だっけ。

 ここから数十秒間の攻防の行方がどこに着地するかで、この戦闘の結末が大きく、変わる。

 

 ボクも、ボクに出来る支援をしなければならない。

 

「イネフさん、アルベルティーヌさん!」

 

 負傷の激しいイネフさんに、湾曲したプレストプレートの裏に保存しておいたポーションを。得物の疲労がひどいアルベルティーヌさんには、ボクの双月、下弦ノ弐を。それぞれ放って渡す。

 

 突然の敵の後退に少し戸惑ったのか、幸運にもモンスターの足並みが、数秒だけ乱れ、揃わない。

 何匹かは三人を追って飛び掛ってくるが、まだ大挙して押し寄せては来ない。

 

 嵐の前の静けさ、例えるならそんな感じだ。

 

 ボクらがさっきより小さくまとまっている分、モンスターの「波」はより密度を増し、苛烈に襲いかかってくるだろう。

 

 この瞬間以降に、補給のタイミングはない。

 

「助かる、ありがとよ!」「お借りします!」

 

 大丈夫、こんな時のための秘蔵のお高いポーションだし、シーヴさんが打ったボクの愛刀だ、きっと、しっかり仕事をしてくれる。

 

 それでもやっぱり、自分が戦えないというのは、どうにもしがたい歯がゆさと情けなさが付きまとう。

 まぶたが、重い。身体全体が、加速度的に重量を増して、ボクの意思を地に縫い付けようとする。眠くないのに意識が落ちそうになるのは、流石に初めてだ。

 

 でも、ここで倒れているわけにも、いかない。その主体のない悪意を跳ね除けて、上半身を起こす。顔を上げる。前を向く。

 

『グルォォォォォッ!』

 

「パンテオン! 頼むぞ!」

 

 堰を切ったように、大量のモンスターが、自分たちのセーフティエリアからボクらを取り除こうと、一斉に動き出す。

 

 正念場、ってやつだ。

 念のために、意識が途切れ途切れになっているカテリーナさんの身体を引き寄せる。いざという時には、ボクの身を盾にしなければならないだろう。

 

 

「――【永久より来れ刹那の栄光】!」

 

 

 パンテオンの周囲に、どこからともなく風が吹き、彼の身体を包み込む。

 

 爽やかな風だ、新鮮な空気を運ぶ、清らかで透き通った、気持ちの良い風だ。

 

 希望に満ちた空気の流れは、ゆっくりと、ボクらの目の前に、集まっていく。

 

 

 一方、彼の詠唱を無事に完遂させるための戦闘は、既に熱を帯び、激しく火花を散らしていた。

 

 アルベルティーヌさんが、飛んできたフロッグ・シューターの舌を下弦ノ弐の刃で受け止め、二つに割ききって眉間を貫くと同時に、真横からのウォーシャドウの腕を掻い潜って、顔面に掌底。怯んだところにナイフが駆け付ける。

 

 彼女の戦闘スタイルはボクのように二本持ちではなく、空けた片手で敵の攻撃を滑らかに受け流し、ナイフで急所を突きにいく、というもの。

 

 縦軌道のコボルトの爪に横から手を当て、少しズラして体勢を崩させ、胸を突く。僅かな力で敵を操る、美しい戦い方。それでいて素早く、ナイフの持ち手は高速で入れ替わり、動きが流動的で掴めない。殺すための、というよりは、護身術に近いものに見える。

 

 

 イネフさんが、大剣を豪快に振り回し、横に並んだコボルト、ゴブリン、ウォーシャドウ、を一刀のもとに斬り捨て、魔石が砕けていなかった死体を雑に、しかし突撃体勢に入っていたニードルラビットに向けて蹴り飛ばす。

 

 一撃で範囲内の敵をまとめて薙ぎ払う、ある意味で場を整えながらのその戦い方は、こうした敵の密度が高い特殊な場合において、非常に有効であると言えるだろう。

 

 斜め方向への振り下ろしにより、また、キラーアント、フロッグ・シューター、ゴブリン、ダンジョン・リザードが一息で死に絶える。確かに有効、だが、その戦法の性質上、屍が灰になりにくいのと、取りこぼしが出やすいのが難点か。

 

 

 ツカサが、迫るキラーアントの喉元に晴嵐を差し入れ掻き斬り、地を這うダンジョン・リザードの脳天に紅緒を突き刺し、たかと思えば、直ぐに晴嵐はコボルトを上下に真っ二つに断ち、紅緒はゴブリンの頭蓋をかち割る。

 

 彼が二本の刀を同時に扱っているところを、いや、刀という武器が二刀流に用いられるのを、少なくともボクは初めて見る。

 

 両方で斬る、というのは、相当に難しいはずだ。だが彼は紅緒での斬撃を捨て、打撃武器として使っている。使えている。一つ一つの威力は落ちるが、その分手数は増えている、動きもいつもより数段上で、まるで別人のようだ。

 

 

 それだけを、目の前のことを捉えるだけだと頼もしい仲間たちのお陰で安泰、にも思えてしまうかもしれない、が。

 

 小さくまとまることにより、一度に対面するモンスターの数は少なくはなった、だがそれにより、目の前の一体一体を的確に、かつ高速で捌くことが最低条件にもなった、気を抜けば終わりなのは、変わらない。

 

 そもそもこんな場合を、誰が想定出来るのか。彼らの戦法は飽くまで普通のもの、どこまで通用するかすら、わからない。

 

 

「――【揺籃に抱かれ眠る大海を】」

 

 

 彼の、突き出された両腕に、風が巻きついていく。その滑らかな動きは、見えないはずなのに、まるでボクにも見えるかのような錯覚が起きる。

 

 あまり魔法という存在に通じていないボクでも、彼が放とうとしているものがいかに凄まじいものなのかがわかってしまう。

 

 それだけ高度な魔法なんだ、きっと魔力制御も難しいはずで。疲弊していて集中力も落ちているだろうに、彼は必死に詠唱式を紡ぐ。

 

 探索帰りで相当に体力が削られているはずなのに。大量のモンスターに襲われ、深刻なダメージを負っているはずなのに。彼女はナイフを操る。彼は大剣を振るう。

 

 まだ余裕があったとはいえ、対多の作戦を何回も繰り返して、ここまで来るのに積極的に前に出て戦っているのに、それでも彼は懸命に刀を握る。

 

 彼らは、あの日のボクとは違う。自ら未来を切り拓こうとしている、シーヴさん的に言うならば、どうしようもない現実に抗い、力づくで捻じ曲げようとしている。

 

 

 

 あの日のボクに足りなかったものが、ここにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、ボクらが異変に気付いたのは、帰途についてから、だった。

 

 

 モンスターが、まるで()()()()()()()()()()()()()、退却するボクらを追いかける形で襲いかかってくる。それも一度や二度ではなく、正規ルートに近付いていくほど頻度は高くなっていく。

 

 どちらかというと聡いベッテと慎重なリリーは、引き返して食料庫に居座ろう、という提案をした。それなら上に行こうとするモンスターたちをやり過ごせるし、何が起こっているかわからない現状、明らかにモンスターが集まっているだろう正規ルートは危険だ、という旨のものだった。

 

 だが、それは同時にこの異常の「原因」に近付いていく、ということでもあったし、むしろこれから何が起こるかわからないからこそ、早く脱出した方がいいのではないか、というボクらの見解が、彼女らの意見を押し退けた。除けて、しまった。

 どちらが正解だったのか、それは誰にも分かりはしない。正解なんて、その時にはもう、なかったのかも知れない。

 

 

 結果、ボクらは「波」に呑み込まれた。

 

 

 正規ルートに流れていたのは、ボクが前回、ツカサと共に突入しようとしたときのもの、と同じくらいの「波」。

 

 しかし、そこにボクらが分け行って、苦戦しながらある程度進んでいたところで。突如、()()()()()()()()()()()()()()()()。後続が、より下の階層から来た個体が、一気に追い付いてきたんだ。

 

 何もかも取り込んで破壊していく濁流に対して、ボクは、何も出来なかった。

 秩序なんかない。自分がどんな体勢で、どの方向を向いているかもわからない。上下左右、どっちが地面で天井なのか、区別がつかない。目も開けていられない、呼吸すらままならない。

 四方八方、三百六十度、まったくそんなもんじゃない、その時の世界の全ては、ただ純粋な暴力だけ。

 死にものぐるいで、とにかく両手両足を力の限り振り回し、押し潰されまいと抵抗した。でも、常に全身に衝撃が叩き込まれ続ける状態で、意識を保つことは不可能で。

 

 

 ふっ、と。

 

 

 全身から力が抜けて、思考が緩慢になって。何も感じられなくなって、闇に包まれたとき。ボクは死を覚悟した。

 

 

 

 

 

 次に、ボクの目が覚めたとき。

 

 そこは、【エイル・ファミリア】の、病室の一つ、だった。

 

 

 その病室には、ベッドが四つ、あった。

 

 

 

 そこには、ボクと、気を失っているヨシフと、一際傷だらけのシーヴさんがいた。

 

 

 

 

 ボクと、ヨシフと、シーヴさん、()()()、生を享受していた。

 

 

 

 

 

 本来はそこにいるはずの、ついさっきまで横にいたはずの、ここにいなければならない存在、が。その空間には、決定的に欠けていた。致命的に抜け落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 生命の数が、足りなかった。

 

 

 

 

 

 

 唯一、気が確かなままに帰還した彼女は、ボクに何も言わなかった。

 

 責任の一端どころか、ほぼ全てを担うボクらに、何も言っては、くれなかった。

 

 

 その日からだ。

 

 その日から、シーヴさんはダンジョンを忌み嫌い、極力避けるようになった。

 

 その日から、ヨシフはモンスターに相対出来なくなった。ダンジョンに入れなくなった。

 

 

 

 その日から、ボクは――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――【静寂に包まれ黙する大地を】」

 

 

 踊る二本の刀が、小刀(ナイフ)が、大剣が、次々に迫り来る異形を切り伏せていく。

 

 彼らは、形のない暴力を、防ぎきれない理不尽を、豪雨のように降り注ぐ絶望を、死にものぐるいで耐えている。ボクらに被害が及ばないように、一身に引き受け続けている。

 

 鋭利な鉤爪が、俊敏な黒い指が、獰猛な牙が、尖鋭な角が、その防具を砕き、その肌を割き、命を貫かんとして、彼らに襲いかかる。

 

 鬼気迫るものを感じさせる死闘を繰り広げる彼らを目にして、ボクも、何かしなければ、という思いに駆られるのは必然だった。

 

 詠唱を遮らせないよう、周囲から何かが飛んでこないかどうか警戒するために視線をやや上の方に向けると、ふと気付く。

 今現在目線が低いボクからでも見える位置にある、食料庫(ここ)の出入口。そこから流れ込んでくるモンスターの「波」が、止まっている。

 ボクらが入ってきた最も高いところ、から、わりと低めのところ、まで。まだちらほらと入ってくるものもいるが、確認できる範囲内において、『大量発生』の大きなうねりが、収まったこと、が、見てとれる。

 

 

 光が、差した。

 

 

 通常(といってもそうそう起こるものでもない)は、原因を調査し、それを取り除かれることで収束する。

 

 だが、この類の『大量発生』は、持続性がない。放っておいても数時間も経たないうちに、「波」が収まるのだ。もちろん、その後に残るモンスターの集団を片付けないといけないが。

 形を成した暴力そのものは、それゆえに、自身を構成する要素も撃滅し、やがて自壊する。モンスターの「波」が地上まで続かないのはそういうわけがある。

 

 あと、もう少し。

 

 この耐久戦を潜り抜け、パンテオンの魔法により形勢の逆転に成功すれば。シーヴさんたち救出部隊が来る前に、食料庫での安全が確保できれば。

 

 

 生還に、大きく近付く――

 

 

「――【彼方に座する無数の星々を】」

 

 

 ――はず、なのに。

 

 

「ぐうっ!」

 

 ウォーシャドウが、横薙ぎの大剣が通り過ぎた、その下から腕を伸ばし。反応が遅れたイネフさんの脇腹を抉った。

 

 血が、吹き出る。そのままにしておくわけにはいかない、だがポーションも、もうない。彼は片手で傷口を抑え、片手で大剣を持つことを余儀なくされる。

 

 

「――っ!」

 

 キラーアントが、ちょうどコボルトの魔石を突いたナイフを握る手、が一瞬だけ止まるのを見計らい、細い二の腕に、鉤爪を振り下ろし。アルベルティーヌさんの腕の太さの半分ほどまでを掻き切った。

 

 腕が、だらん、と、下がる。彼女は慌ててもう片手で下弦ノ弐を掴む、が、片手が動かせない状態では、彼女が得意とする戦法が使えない。

 

 

 そんな、ここまできて。

 

 

 限界、が。

 

 一定の間隔をもって離れ、戦っていた先ほどまでと違い、この近距離では片手で大剣を振り回せない。片手を動かせない状態、ナイフを持つ片手だけでは、満足に敵の攻撃を捌けない。

 

 そして、こちらの迎撃の手が緩まれば。

 

「く、そがっ!」

 

 当然、モンスターたちは、彼らを押し退け、踏み潰し、ボクら全員を蹂躙せんと、進撃する。

 

 イネフさんが胸部に衝撃を受け、倒れる。彼に向かい、ウォーシャドウがその腕を振り上げる。

 

 アルベルティーヌさんが、鋭い爪に引き倒される。コボルトの牙が、ナイフと鍔迫り合いを演じる。

 

 

 彼らの横を通り過ぎ、ボクらに狙いを定め、速攻で接近してきたキラーアントが、ゴブリンが、ダンジョン・リザードが。

 

 

「まだ、」

 

 

 ――二本の刀により、灰へと還る。

 

 

「だ、ッ!」

 

 

 自分の持ち場を捨ててこちらに駆け寄り、ボクらに迫るモンスターの魔石を瞬時に砕いたツカサは、それまでの攻防でも見なかったほどの速さで、紅緒と晴嵐を()()()

 

『ギャアァァァ……』

 

 晴嵐が、牙でナイフを押し止め、その爪でもってアルベルティーヌさんを食い千切ろうとしていたコボルトの頭部に突き刺さる。

 

『…………!』

 

 紅緒が、大剣を持つ手を足で踏んで抑え、鋭い刃物のような指でもってイネフさんを刺し殺そうとしていたウォーシャドウの顔面、円盤に激突し、砕く。

 

 

「――【解き放つ烏有の輝き】!」

 

 

 だが、そこまでだ。

 

 

 ツカサは残った最後の一振り、渡鴉に手を掛けるも。それを抜く際に、紅緒や晴嵐のときと比べて、ほんの少し、動きが乱れる。

 

 

 彼がそれを差しているのは左ではなく、右。バランスを考えてのことだった、が、とっさの状況では、その僅かな誤差が命取りに、なる。

 

 本当に少しだけ、対応が遅れたツカサに、モンスターが殺到する。まだ動ける奴から先に仕留めると言わんばかりに、迎撃体勢が整わない彼に向かっていく。

 

 イネフさんとアルベルティーヌさんは、なんとか、四肢を力の限り動かし、覆い被さってくるモンスターたちを跳ね除けようともがいている。ちょうどあの日の、ボクのように。

 

 

 ここまできて、無意味に終わってしまうのか。

 

 あの日味わった悔しさをなお抱いて。今度はここにいる彼らも道連れに、立ち上がれもしないで。結局誰も救えないまま、死ぬのか、ボクは。

 

 

 そんなこと。

 

 

 

 そんなの、認められるわけ、ないだろうが。

 

 

 

 

 ボクも、戦うんだ。

 

 

 言葉もなく、ボクに抱えられるままだったカテリーナさんを、そっと地に寝かせる。

 

 動けないなんて言っている場合じゃない。この状況を打開するために、ボクも、武器を。

 

 

 ナイフを。

 

 

 双月、上弦ノ弐はベルトで縛ってある、取り出せない。いつも使っているそれではなく、切り札の一振りを。

 

 一本だけ残った、僕の最後の武器、明月。ナイフと呼ぶには少々大きいそれを、腰の後ろの鞘から引き抜きつつ、ボクとカテリーナさん、パンテオンに近付いてきていたゴブリンの胴体を、魔石ごと、斬る。膝立ちでも、何とかなるもんだ。

 

 今のボクに出来ることは、跳んでの捨て身の特攻だけ。それも片脚のため、飛距離にも期待できないときた。

 それで、何を、すればいい。

 

 ボクらに寄ってくるモンスターたちを倒すか。

 イネフさんか、アルベルティーヌさんを救出するか。

 

 いや。

 

 ここからあと数秒、持ち堪えるためには。()()()()()が生き残る可能性が最もある選択肢は。

 

 ツカサだ。

 

 比較的動けているツカサを助ければ、周りのモンスターを排除すれば。まだ、なんとかなるかもしれない。

 

 彼の元へ跳ぶべく、膝立ちの状態から、折れていない方の片脚を、立てる。

 

 踏ん張る。

 

 折れていない脚も、やはり相当にダメージを負っている、動かすだけでみしみしと軋む、でも。

 

 片足が折れていても、関係ない。どれだけ傷を負っていようが、腕がまともに動かせなかろうが、まったく問題ない。

 

 ただ、この刃が届けば、それでいい。

 

 この一回だけでいいから、これで粉々に砕けてもいいから。限界を超える出力を、出してくれ。

 

 歯を食い縛る。止めどなく沸き起こる痛みは、限界を迎え、落ちかかっている意識を保つ、いい気付け薬だ。

 

 膝に、腿に、足首に、脹脛に。ありったけの力を、込める。

 

 前傾になり、ボク自信が弾丸と化して飛び出す、その直前に。

 

 

 もう動けないらしいカテリーナさんの唇が、僅かに動く。

 

 

 阿鼻叫喚のこの空間では、彼女が何を言っているのかは、聞き取れない。でも、その何かは、確かにボクに、勇気を与えてくれた、気がした。

 

 

 

 

 

 明月に、ボクの腕に、脚に、全身に。輝く光の粒子が、まとわりつく。

 

 

 

 

 

 ボクは、心のどこかで、この日を待ち望んでいた。

 

 ボクは、ずっと、この日のために、ダンジョンにもぐっていた。

 

 ボクは、救われたかった。ずっとずっと、助けて欲しかった。シーヴさんに、お前が悪いんだと、お前らのせいだ、と。罵って欲しかった。

 

 

 でも、彼女はそうしなかった。

 

 

 ボクを救うために。ボクを助けるために。ボクらを、生かすために。

 

 でも、それだけじゃ、ボクは救われなかった。

 

 ボクは、『大量発生』を求めて、ダンジョンにもぐった。でも、意地の悪い運命ってやつは、ボクを『大量発生』に巡り合わせてはくれなかった。

 

 ツカサと『大量発生』に遭ったとき、正直ボクは、心底嬉しかった。それと同時に、恐ろしくなった。今度は彼を失って、またボクだけが生き残ってしまうんじゃないかと、思ってしまった。

 

 だから、パンテオンとアルベルティーヌさんに助けられたとき、ボクは安心すると同時に、言いようのない悔しさを、抱いた。

 

 

 

 次こそは失敗しないと、誓った。

 

 

 

 

 そして、今回。

 

 

 ツカサとパンテオンが、イネフさんとカテリーナさんを感知してくれて。彼らを助けに行くと、行きたいと言ってくれて。

 

 すごく、嬉しかった。

 嬉しく、なってしまったんだ。

 

 シーヴさんを説得するとき。ボクがツカサに与したときに口にした「夢見が悪くなる」は、イネフさんとカテリーナさんを見殺しにする罪悪感からくるものでは、なかった。

 

 ボクがモンスターの海に一切の躊躇なく飛び降りたのは、そこに沈んでいた、イネフさんとカテリーナさんを助けるため、ではなかった。

 

 

 ボクは、もっと奥にいる、ベッテとリリーを助けるために、飛び降りたんだ。

 

 

 ボクは、ボク自身を救うために、戦っていたんだ。

 

 

 それは、今も、変わらない。自分を助けるために、あの日の、モンスターの「波」に囚われて苦しんでいる自分を、助けるために、ここにいる。必死に自分と戦っている。

 

 別れる時のシーヴさんは、ボクがそう思っていたことを、理解していただろう。ボクが何を考えて、自らこんなところに行きたいと言ったのか、きっと解っていただろう。

 

 そして。彼女が分かっているのを分かっていて、ボクは彼女の気持ちを利用した。

 

 そのときの気持ちに嘘はない。確かにボクは、誰よりも自分のことを考えていた、あの場の誰よりも『麻痺』していた。

 

 

 でも。

 

 

 ボクらを護って戦う彼らを見て、気付いた。ボクらを護ってくれたシーヴさんの姿を思い浮かべて、気付けた。

 

 

 自分だけじゃ、駄目なんだ。ベッテとリリーを助けるだけじゃ、駄目なんだ。

 

 

 ツカサも、パンテオンも、アルベルティーヌさんも、イネフさんも、カテリーナさんも。シーヴさんも、ヨシフも。ヘリヤ様も、カーラ様、エイル様、ブリュンヒルデ様、ウルスラグナ様、ワクナ様も。その【ファミリア】のみんなも。

 

 

 

 ボクは、全員を救うために、戦うんだ。

 

 

 

 全員が救われて初めて、ボクは過去と決別できる。そんな気がするんだ。

 

 

 これは、お別れだ。ベッテと、リリーへの、そしてボクへの。

 

 

 これは、未来への、最初の前進。

 

 

 全てを受け入れて、終わらせて。新しく歩き出すための、一番初めの、小さくて大きな一歩。

 

 

 

 片脚で、でも全力で。ボクは、地面を蹴る。

 

 

 

 

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 

 

 

 

 明月が、ツカサに群がるモンスターたちを斬り裂き、彼の姿を照らす。

 

 弱々しい光かもしれない。だがそれは、ボクらを、彼を、きっと導いてくれる、柔らかな救済の光芒だ。

 

 彼の両眼が、驚きに見開かれて。

 

「――おおおおおッ!」

 

 自由になった渡鴉が、虚空を駆け、漆黒の軌跡を残しながら、怪物達を両断していく。

 

 ツカサは、大きく踏み出しながら、勢いそのまま地面に激突しようとしていたボクの身体を受け止めた。

 

 流れるような動作で、彼はボクをパンテオンの方へ緩やかに転がし、一歩で追い越す。

 

 

 後は、頼んだ。

 

 

 

「――【爆ぜろ】」

 

 

 

 消えゆく意識の中で、ボクの目は確かに、信じられない速度で躍動する、彼の姿を捉えていた。

 

 大きく、長い踏み込みでパンテオンの真横にまで到達し、彼の背後に迫るウォーシャドウとゴブリンを薙ぎ斬る。

 

 ()()()()()()()()()()()()()重心移動、無謀にも思えるほどの勢いで、イネフさんの周辺のモンスターの群れに突っ込み、舞うように一回転。

 

 鮮やかに。円状の空白が出来上がる。落ちていた紅緒をこちらへ放り、気を失っているイネフさんを片手で掴み、()()()()()。そして、加速。

 

 ボクらのすぐそばを走り抜けながら、イネフさんを置き去り、接近していたキラーアントとニードルラビットを斬り捨てる。

 

 またも、突貫。モンスターの「波」に渡鴉をねじ込み、無理やりに切り開く。

 

 今度は晴嵐を回収、素早く納刀し、抵抗を続けていたアルベルティーヌさんを片手で抱き抱え、こちらに向かって、跳躍。

 

 彼が滑り込んでくるのと、ボクの気が遠くなるのと、パンテオンの詠唱が終わるのは、ほぼ同時だった。

 

 

 

 

 

「【ヴェントゥス・テンペスタース】!」

 

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

 

 

 全てを変える一撃が、放たれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一六話 小さき弱者に祝福を

 誰、一人として。




 現在、迷宮内で発生している『大量発生(イレギュラー)』には、通常のものと、幾つかの差異が存在している。

 

 まず、周期的である、という点。

 一般的に『大量発生』と称される現象は、何らかの原因があってモンスターが異常発生する事態を指す。それも頻度は高くなく、裏を返せば原因を取り除くことで鎮圧することが出来る。

 しかし、最近になって起こり始めた『大量発生』は単発性ではなく、たった何ヶ月かの間を置くだけで、()()()()()()()

 

 また、その原因が判然としない、という点。

 生存者に聴取しても、冒険者依頼(クエスト)を受けた制圧部隊が調査を行っても、謎の『大量発生』の実態は、最初の発生から約二年、実に七回目を記録しても、なお明らかにはなっていない。

 しかも、起こるのは決まって十六階層以上。特に中層付近が多く、有望な若手が巻き添えになる確率が高いために、ここ最近ではそもそも冒険者志望の絶対数が減少傾向にすらある。

 

 極め付けは、モンスターが大幅な階層移動を行う、という点。

 普通ならば階層を跨ぐとしても精々が二階層、のはずが、軽々と四、五階層を飛び越えて、モンスターたちは進軍する。

 

 どこにこんなにいたんだ、とも思える程の、正規ルートを埋め尽くす圧倒的質量を持った異形の流れは、言い得て妙、正しく『波』で。

 何もかもを呑み込み、砕いて殺す悪夢の濁流は、それこそ下級冒険者などではとても太刀打ち出来るような代物では、ない。

 

 とはいえ、Lv.4にも達する冒険者にかかれば、余程気を抜かない限りは、ただ雑魚が群れているだけにしか、感じられないのだろうが。

 

「死ね」

 

 狼人(ウェアウルフ)の少年の一発の蹴りが、『波』の()()()コボルト、その顔面に炸裂し。

 

 

 爆発。

 

 

『ギャォオオォォォァァァ!』

 

 たった一撃で、暴力の濁流が、真っ二つに割れる。

 

 特段何でもない風に、その勢いを文字通り一蹴した彼は、嬉々として迫り来る後続に向かい、駈け出す。

 

「おらぁッ!」

 

 最早、立場は逆転していた。かなり弱まっていたとはいえ、並の冒険者ではまるで歯が立たないその肉の津波、それを易々と蹴散らしてゆく少年と、何が何だかわからないままに次々殺されてゆく化物たちの図は、悲劇的ですらある。

 

 Lv.1や2のパーティではやり過ごすのも精一杯だろう威力を、唯一人で打ち砕く。更なる力でもって制圧する。それが出来るだけの能力が、彼にはあった。

 

【ロキ・ファミリア】所属、ベート・ローガ。

 齢十三にして、既にLv.4。主に脚を武器に戦う、速さが自慢の若手の狼人。

 

 遠慮なく分け入って行き、破壊の限りを尽くす彼、に対し、彼よりも大きな体躯を持った大量の異形たちは、脇目も振らずに逃げ惑う。

 奥から次々に押し寄せる後続に押され、彼の周囲という処刑台へと登らされる憐れな個体を横目に、彼を避けて速度を増す生き残りは、そして愚かなことに、そこにいたある冒険者に牙を剥き。

 

「もうここまで来ているのですか」

 

 神速の木刀に、木っ端の如く散らされる。

 

 しかしモンスターたちとて、立ち止まるわけにもいかない。いくら前門に虎がいたとしても、後門では文字通り狼が暴れている、彼らとしては、なんとかして突破する以外の道はない、のだが。

 

「帰路が面倒になりそうだ、ここでなるべく減らしておきましょう」

 

 緑色のフード付きのケープを纏ったその人物は、慈悲などは一切抱かず、手当たり次第に殲滅にかかった。

 果敢に、いや無謀にも抗ったものも、壁を這って命からがら逃げ出そうとしたものも、どっちつかずでその足を止めたものも。

 

 その場に流れ込んできた、幸運にも狼の暴虐から逃れたモンスターたちは、一匹残らず、彼女によって葬られる。

 いくらローガが事前にその数を大きく減らしているとしても、元は正規ルートを占めるまでの物量なのだ、当然取り零しも少なくない、はず。にも関わらず、その全てが。瞬く間に排除されてゆく。

 

【アストレア・ファミリア】所属、リュー・リオン。

 まだ十四、それでいて早くも、彼と同じくLv.4。木刀を主武器とする俊敏な強者。

 

 若き二つの新星は、生命を喰らう激流を堰き止めるどころか、押し返し、押し戻しさえしてのける。

 

 荒れ狂う彼の脚に触れただけで。掠っただけで、モンスターが千切れ飛ぶ。弾けて絶命する。周りを巻き込み無惨な最期を遂げる。

 

 何十何百という数が雪崩れ込んで来ようと、この狭い地下を馳け廻る彼女の木刀が、その(ことごと)くを微塵に切り裂く。血肉が舞い踊り、無骨な空間を鮮やかに塗り替える。

 

 迷宮都市の大半の冒険者を震え上がらせる『大量発生』、その『波』を、たった一人で、真正面からぶち壊す。僅か二人で蹂躙する、してしまう。

 出来てしまう。そんなことが出来てしまうまでの絶対的な強さが、そこにあった。その二つの肉体に宿っていた。

 

 まるで、次元が、違う。

 

 少なくとも、自分もそれなりに鍛錬してきたつもりではいた。そもそもレベルアップに辿り着ける人の方が少数、その中で二回もそれを成し遂げだ自分は、このオラリオにおいては上位層に入っていると自負してもいた。

 

 でも。

 

 こんな光景を目撃してしまったら。

 

 自分達が挫折した道程を、自分が完膚なきまでに敗北した理不尽を、いとも容易く踏み潰してゆく彼等を観てしまえば。

 

 嫌でも、わかる。自分が、如何に脆く陳腐な弱者であるか、ということが。

 

 強くなった気でいた。この自分なら、仲間を、【ファミリア】(かぞく)を護ることが出来ると思っていた。

 

 もう一度同じことが起こったときに。また、窮地に陥ったときに。今度こそ、()()()()()()()()、皆で生き延びるために、努力した気でいた。

 

 

 そんなことは、なかった。

 

 

 わたしは、強くなんて、なってなかった。

 

 

「おい、気付いてっか!」

 

 少年の声が、轟く異形たちの悲鳴や断末魔を押しのけ、こちらにまで届く。

 それはわたしではなく、恐らくリオンに向けてのもの。二人の討ち漏らしを撃滅するために後方から付いていっているだけで抜刀すらしていないわたしには、戦闘をする資格すら、ない。

 

「ええ、判っています! 明らかに、()()()()()()()()()()()!」

 

 耳を疑った。

 

 これで、少ない、のか。幅約五M(メドル)、高さ約七、八Mのこの正規ルートに所狭しと詰まっている状態で、まだ。

 恐らく二人は救出、及び制圧部隊経験者。彼等が言うなら間違いはない、のだろうが。ならば、それは一体、どういうこと、なのだろうか。

 最初の『大量発生』の時と、規模的には()()()()()()()()ように思えたけれど。もしも彼等の言う通り、だとしたら。

 

「エードルントさん!」

 

『疾風』を冠する彼女が、モンスターを倒す速度は保ったままで、こちらへ振り返る。

 

 先程、トルド達と別れたときにも感じた空気の流れが、同様に、漂っている、と、感じられる。

 

 

 嫌な、予感がする。

 

 

 あの日、あの時と、似たような。

 

 また、誰かの生命が散ってしまうような、そんな、血の匂いに満ちた、禍々しい、感じだ。

 

「急ぎましょう、討伐より進行を優先します! 行けますか⁉︎」

 

 ――駄目だ。

 

 同じ事を繰り返しては、駄目なんだ。

 

 二年前から、何一つ変わっていないわたしでは。

 

 逃げている、ままでは。

 

「……勿論」

 

 

 

 ベッテと、リリーが、死んでしまったのは、トルドやヨシフの所為では、ない。

 

 

 

 

 悪いのは、わたし、なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

 思い切り。紅緒と晴嵐、を投擲し、二本とも狙ったところに着弾したことを視界の端に捉えながら、俺は、右腰に差してあるそれに手を掛ける。

 一瞬だけ、躊躇する、が、背後から押し寄せて来ているだろうモンスターたちに対処しないわけにもいかない。俺一人だけでも、戦うんだ。

 差すには長く、佩くには反りが足りない。極めて扱いにくいそれをなんとか抜きつつ、振り返る。

 

『グルァァァァァァァァッ!』

 

 ぞわり、と。嫌な感覚が、生理的に受け入れ難い悪寒が、全身を巡った。

 

 俺の利き手は右、なので主に使う紅緒と晴嵐は左腰に差している、が、重量バランス的にも、使用頻度からも、渡鴉だけは右腰に差している。普段している動作の鏡写し、しかし左右が逆になるだけで、動きの滑らかさは格段に失われる。

 

 紅緒や晴嵐を抜くときよりも、ほんの数瞬。準備を整えるまでの、極めて短い時間、だけ。それだけの遅れが、生まれた、だけ、でも。

 

 直感的に、でなくとも判る、既に目と鼻の先まで迫ってきていたモンスターに、反撃が、間に合わない。

 

「くっ!」

 

 まず正面からきたコボルトの爪に刃でもって応じ、その腕諸共真っ二つに割り上げる。だが勢いは殺せない、顔面のすぐ横を過ぎていく爪が避けきれず、頰が浅く裂ける。

 

 今度は左右から来るキラーアントとゴブリンの突進に意識を向ける。正面のコボルトに止めを刺している余裕はない。

 

 片手持ちに切り替え、キラーアントの硬殻の隙間から魔石を狙って振り下ろし、空いた手でゴブリンの眼に直接指を突き入れる。

 

『ギイィィィィ……』

 

 運良くキラーアントの体内の魔石に刃が届き、灰の塊が霧散する。眼を抉り、脳にまで入った指が気持ち悪いが、気にしているだけの時間も惜しい。

 

 腕を動かし、斬撃をかます余裕も、そのための間合いも潰されているし、振りが小さい斬りかかりは威力が格段に落ちる。こんなことが続けられるわけがないのは明らかだ。

 

 だが。

 

 間髪を入れずに、次が来る。俺の体勢は整っていない、これは、まずい。

 

 殺しきれなかったコボルトが牙を剥いて飛び掛かってくる、キラーアントの遺灰を掻き分けながらウォーシャドウが突っ込んでくる、頭上ではパープル・モスが毒鱗粉を撒き散らし、足元ではダンジョン・リザードが脚を狙い口を開く、後ろへ回り込んできたゴブリンが視界にちらりと映る、絶命したゴブリンを踏み潰し、キラーアントが鉤爪を振り翳す、密集したモンスターの間からフロッグ・シューターの舌が――

 

 あ。

 

 

 これ。

 

 

 

 駄目だ。

 

 

 

「がふっ!」

 

 まずは、腹部に打撃。多分フロッグ・シューター。痛みに悶える暇もなく、肩から胸にかけて、荒い、鋸のような刃が傷を残していき、腿に何かが刺さる感覚があったと思えば、足首の辺りに何かが食いつく。

 

 後ろに退がろうと思ったものの、脚が文字通り喰い止められていて十中八九転ぶ、逃げられない。

 

 ウォーシャドウの突きはなんとか躱すが、今度は背中に鈍痛、側頭部に衝撃。腕を振り上げコボルトを殴り飛ばし、脚に角を突き刺していたニードルラビットを斬る、が、鋸のような鉤爪が今度は腕を切り、また後ろ腰に何かが叩きつけられる。

 

 

 完全にモンスターに囲まれた、()()()()()()()()()

 

 

 このような圧倒的数的不利戦において、最も陥ってはいけない状態に、陥れられてしまった。

 

「がああっ!」

 

 無理矢理に腕を振り回し、刀を振るおうとする、だが速度がまるでない攻撃は、周囲の異形を打ち倒すには到底、力不足。

 

 どこからでも絶え間なく襲い来る暴力が、俺の感覚を完全に奪う。どこに何を食らっていて、自分がどんな体勢でどのような抵抗をしているか、わからない。

 

 自分の視界が、モンスターで埋め尽くされている世界が、段々と、黒く、染まってゆく。

 

 

 自身が、この生命が、終焉に向かっていることが、わかってしまう。でも、わかっていても、俺はどうすることも、出来ない。

 

 

 

 全てが、スローになる。時間が、途方もなく緩やかに流れるのが、わかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前が真っ暗になる。何も聞こえなくなる、何も感じられなく、なる。

 

 

 何もない空間に、漂っている。

 

 

 地面も天井も、重力も、上下左右の概念もない、無だけが充満する、空虚な世界。

 

 そして、人影が、暗闇に浮かび上がってくる。真っ暗な中で真っ黒なものが見えるはずもないけれど、俺には確かに、そこに誰かがいるのが、わかった。

 

 それは、元の世界の、家族だった。

 

 それは、元の世界の、友達や同級生だった。

 

 それは、元の世界の、知己だった。

 

 それは、この世界の、住人になる。

 

 それは、ノエルさんだった。

 

 それは、ヒルダさんだった。

 

 それは、カーラさん、ヘリヤさん、エイルさんだった。

 

 それは、トルドだった。グスタフさんだった。ジーナちゃんだった。シーヴさんだった。エルネストだった。キッカさんだった。オルタンシアさんだった。ヨシフだった。ナターシャさんだった。リューさんだった。オズワルドさんだった。テアちゃんだった。パンテオンだった。アルベルティーヌさんだった。ロザリーさんだった。カテリーナさんだった。イネフさんだった。ワクナさんだった。モニカちゃんだった。スハイツさんだった。

 

 ああ、これは。ひょっとして、走馬灯ってやつか。

 

 

 走馬灯、ってやつは。記憶を整理する、とかではなく、それまでの記憶から現状の打開策を導き出そうとする脳の危機管理能力に依るものだ、という話を、どこかで読んだことがある。

 でも、それでは。それでも、意味がない。

 今の俺は、もう一人では戻れない、打破の糸口さえ掴めない深みに、深淵に、沈み込んでいる。

 

 何一つ、活路は、現れない。

 

 

 人影が、消える。

 

 

 何も無い、無と俺だけが在る空間に、取り残された。

 

 まだ握り締めていた、その刀に、ゆっくりと、目を向ける。

 結局、お前のことを、まだ何も分かってあげられていないままだ。

 この空間の中でも際立つ、その漆黒の刀身に、触れる。

 

 半太刀、渡鴉。

 

 太刀に準じる長さを誇りながらも、打刀の特徴である先端寄りの反りを持つために、直立状態からの抜刀に難がある。重心がかなり前にあることから、その場で素振りをする、なんてことすらまともに出来ない。

 

 扱いがよくわからないこれは、冒険者用の刀、らしかった。

 では、それを上手く扱えなかった俺は、最期の最後まで、冒険者ではなかった、ということになる。

 何も知らずにこの世界に来て、何かを掴むこともなく、無様に散ってゆく際になっても、俺はまだ、何にもなれていなかった、のか。そう思うと、なんとも遣る瀬が無い。

 

 結局、冒険者って、なんだったんだろう。

 

 危険を伴うことを敢えてすること。成功の見込みの少ないことを無理にやること。「冒険」を辞書で引くと、大体そんなことが書いてあると思う。

 それなら、そういうことをしている人たちを、総称して冒険者と呼ぶのだろうか。いや、俺と一緒に安全圏にもぐっていたトルドや、ダンジョンにもぐらずに魔法も使って鍛冶を営むシーヴさんがいるだろう、それは違う。

 なら、【ファミリア】に入れば、ギルドに登録されれば。それで冒険者、なのだろうか。いや、それこそ違う、都市外の【ファミリア】だってあるんだし、それなら俺が渡鴉を使いこなせているはずだ。

 

 じゃあ、彼らは一体、何だったんだろうか。

 俺は、どうすれば、よかったんだろうか。

 

 多分、きっと、答えは、出ない。

 

 全身から、力が抜けていく。

 

 渡鴉から手を離し、自然に目が閉じるままに任せる。

 

 

 この妙な空間の中にいてなお、意識が薄れていく。

 

 

 

 薄れて、ぼやけて。溶けて、解けて。俺という存在が、無に帰して――

 

 

 

 ――嫌だ。

 

 

 

 こんなところで。

 

 皆を、残してなんて。

 

 ヒルダさんを、遺してなんて。

 

 嫌だ、嫌だ、嫌だ。俺はまだ生きていたい、あの笑顔に触れていたい。あの温もりに接していたい。

 

 

 何も無い、何も見えない方へ、でもきっと、光が在る方へ、手を伸ばす。

 

 細切れになる視界を繋ぎ、救いを求めて空を掻く。

 

 巫山戯んな、勝手に何もかも悟ったように気安く手放そうとするんじゃねえ。

 終わらせるのは一瞬だ、楽だ、簡単だ。誰にだってできることだ。

 

 望む何かを手に入れる方が、持ち続ける方が、ずっと難しいし、疲れるし、面倒くさい。

 

 でも、たった一度でもその価値を、その甘美さを、素晴らしさを知ったなら。

 

 

 もう、失う方が、遥かに苦しくなっている。

 

 

 手を伸ばす、手を伸ばす、手を伸ばす。

 

 まだだ、まだ、俺は、俺は――。

 

 

 

 

 

『――――』

 

 

 どこか、とても深いところへ落ちていこうとしていた俺、の腕を。誰かが執った。

 

 ヒルダさん、ではない。数多の傷に覆われた、細くとも力強い手。

 誰だ。俺を、引っ張り上げてくれているのは。

 顔を上げ、その何者かの容貌を窺い見る。

 

 その誰かは、俺が、まだ見たことがない人だった。現世の方の人間ではない、おそらくこっちの世界の誰か。

 でも、同時に、俺は、彼をどこかで見たことがあるような気が、した。

 記憶を探ろうにも類似した人相は思い浮かばない、けれど、何故か、初めての気がしない。

 

 まるで、何かの物語の主人公のような、歴史的な英雄のような、讃えられるべき勇者のような。

 そんな、異様なほど輝かしい雰囲気を纏っている、誰か。

 

 彼に引かれ、俺は、深淵から、引き上げられる。

 もう一度、武器を、渡鴉を、強く握り締める。

 

 

 ――頑張ってくれ。君はまだ、終わっていないよ。

 

 

 

 

 

「――――ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 

 

 

 そして。暗闇が、輝く光の粒子を纏った斬撃が(もたら)したような亀裂を生じ。

 

 一気に、崩れ去った。

 

 光に満ちた世界が、緑色に染まった地下空間と、赤色で塗られた地面、俺たちを取り囲む化け物たちが、俺に回帰する。

 俺の後方の敵が、頭上の敵が、一撃の元に散ってゆくのが、わかった。

 とある光景が、とある文章が、俺の頭に浮かぶ。

 

 その、輝く光の粒子は。

 

 その、攻撃は。

 

 紛れもない、原作四巻において主人公のベル・クラネルが習得したスキル、【英雄願望(アルゴノゥト)】に依るものと、同じ。

 

 斬撃を放った本人である、トルドと、目線がかち合う。

 闘志に満ちた、勇気で縁取られた、希望を湛えた、その瞳。その眼は、他にどう形容していいか分からないほどに、()()()()()()

 

 瞬間、俺の頭の中に、怒濤の勢いで、記憶の濁流が流れ込んで、くる。

 

 それは、トルド・フリュクベリの、シーヴ・エードルントの、パンテオン・アブソリュートの、アルベルティーヌ・セブランの、スハイツ・フエンリャーナの、俺がこれまで共闘した人たちの、戦闘の情景。

 戦場を駆け回り、撹乱し、戸惑う敵を手際よく屠っていく、その姿。敵の反撃や対応までも操り、自らの手で運命を捻じ曲げ生き延びる、その姿。剛腕を振るい並み居る敵を薙ぎ倒し、堂々闊歩する、その姿。敵の攻撃を利用し、受け流し、最小の動作で滑らかに、的確に急所を突く、その姿。底の知れない実力の端々を垣間見せ、如何なる敵であっても即殺する、その姿。

 

 それだけでは、ない。

 

 実際に目撃したものだけでなく。原作に綴られている各『冒険者』達の、描写。語られる側の人々の、劇的な戦闘の記録までもが、流入、容積を増してゆく。

 膨大な文量が、この世界と反応し、より緻密に、より厳密な質感を伴って、俺の中で実を結ぶ。それは現世ではただの文章に過ぎないかもしれない、でもこちらの世界においては、紛れもない真実であり、現実。

 

 それは、アイズ・ヴァレンシュタインの。

 

 それは、リリルカ・アーデの。

 

 それは、ベート・ローガの。

 

 それは、ヴェルフ・クロッゾの。

 

 それは、フィン・ディムナの。

 

 それは、リュー・リオンの。

 

 それは、俺が読んだことのある範囲内での、全ての人物の、全ての戦闘。英雄譚に登場する錚々(そうそう)たる者たちの生き様。

 

 

 そして、それは、ベル・クラネル、の。

 

 

 ああ、わかった。

 

 渡鴉、お前が伝えたいことが、わかったよ。

 

 まだ、『冒険者』ってのが何なのかは、わからないけど。けども。

 少なくとも、俺が今、どうすればいいのか、は。ちゃんと、理解出来た。

 待たせてごめんな。

 

 さあ、飛ぼうか。

 

 

「――おおおおおッ!」

 

 

 トルドが空けてくれた、背後の空白を使い、腕を伸ばす。渡鴉を、遠心力を使って、俺を軸に見立てて、円を描くように。

 

 一回転。

 

 足首に噛り付いているダンジョン・リザードの牙が肉を割き、骨を削る。気にしない。とんでもなく痛いけど、そんなことはもう、どうでもいい。

 

 周囲に群がっていたモンスターを、ほぼ全て、まとめてぶった斬る。

 

 それでも食い付いて放さなかった蜥蜴擬きの脳天を突き、俺はその場から、解放された。

 もう、自由だ。その両翼を、力の限り、翻せ。

 俺が担当していた方面の敵は、突然の反撃に怯んで多少足が止まって、いる。こっちはもういい、先に他の人たちの救助を。

 

 パンテオンの方へ一歩。落ちてくるトルドを片手で受け止める。意識が落ちかけているのか、力が抜けていて、重い。

 

 有難う。まだ終わっていないので口には出さないけれど、心中でそう声を掛け、カテリーナさんの横へ、その身体を、転がす。

 

 

 後は、任せろ。

 

 

「――【爆ぜろ】」

 

 先ほどの【ウェルテクス】と【トルレンス】のときも、最後は短い命令形だった。つまり、もう、パンテオンの詠唱が、終わる。

 この状況を打開するには【ウェルテクス】のような広範囲攻撃、だろうから、やっぱりアルベルティーヌさんとイネフさんの救出が最善手。

 

 まだ、パンテオンが掛けてくれた「何か」の効果は残っている、あと数秒もないが、俺に出来る精一杯を今、ここで。

 

 

 まずは。

 

 大きく、長いストライドで。跳ぶようにパンテオンの真横まで踏み込み、イネフさんのいる方向を、確認して。

 

「はっ!」

 

 斜めに振り下ろし、ウォーシャドウとゴブリンを両断。先端寄りの反りのおかげで、正確に振るわなくても斬ることが出来る。

 

 それだけじゃ終わらない。地面に触れそうなほど低空まで達した渡鴉の軌道を、持ち上げると。

 

 下に凸の放物線を描き、大きく浮かび上がった渡鴉は、()()()()()()()()()

 

 重心が随分前にあるために、振ったならばその独特の重量感に釣られてバランスを崩し、前に出てしまうために、素振りすら出来ない。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

 渡鴉の、その特徴は。

 それは、俺を動かす為の仕掛け。こいつは、俺がもっと、俺を、俺の動きを、意のままに操る為の武器。

 振るうことに依って、無理矢理に重心を移動させ、本来ならばそこで一旦完結する筈のものを、滑らかに、次に繋げる。動作を止めずに、僅かな時間と時間の隙間を、『渡る』。

 

 大きく、イネフさんのいる方へと渡鴉を振ると、瞬間的に硬直するところだった身体が、その先へと、動き出す。

 

 重心が強引に変更される、普通ならばよろけてしまうかもしれない、でも、俺は、俺の身体は冒険者だ。この程度、なんてことはない。

 強く、強く地を蹴り、モンスターの塊に、勢いよく突っ込む。加速が止んだなら、渡鴉の翼を借りて、もう一度。

 

 倒れているイネフさんにのし掛かっているキラーアントを斬り飛ばし、彼の身体を跨ぐ。押し寄せる敵を一掃するために、腰を捻って。

 

 もう一度、回転斬り。

 

 足元に気を遣わなければならなかったので先ほどのように上手くはいかなかったが、それでも十分、空白が生まれる。

 

 素早く、そこに落ちていた紅緒をパンテオンの方へ放り、気を失っているイネフさんを片手で抱え、渡鴉を振って、前傾、飛び出す。

 

 世界が、遅い。時間の流れが、やけに緩慢だ。でもそれはもう、死の淵にいるからではなく、最高に思考が澄んでいるから。

 

 また、パンテオンの側にイネフさんを置きつつ、すれ違いざまにウォーシャドウ、ニードルラビットを一薙ぎ。紅緒が、彼の足元に突き立つ。

 武器を振り回しながら突撃、とか。文字に起こされると阿呆みたいだが、今だけは、しっかりと意味がある。

 

 犇めく異形たちの僅かな間隙に、その暗闇を思わせる刀身を差し込み、捩り、文字通り『斬り開く』。

 

「……!」

 

 思わず目を背けなくなるほどに、全身隈無くずたずたにされて、血に塗れてなお、アルベルティーヌさんは意識を保っていた。

 

 その気力には舌を捲くが、やはり絶望的な状況に心を折られかけていたのか、虚ろだったその双眸に、しかし、希望が宿る。

 

 悪いが時間がない。今度は晴嵐を急いで納刀し、弁明は後でちゃんとするとして、こちらも片手で小脇に抱き抱える。思ったより、ずっと軽い。

 

 離脱の為に膝に力を入れ、顔を上げると。目的地に佇んでいた一人の青年と、目が会う。

 どうやら、俺は間に合ったようだ。

 彼の口が再び開かれるのと、俺が彼の足元に滑り込んだのは、全く同時であった。

 

 

 

 空気が振動を伝える。

 

 

 

「【ヴェントゥス・テンペスタース】!」

 

 

 

 天に向けて高く掲げられたその手から。何故か可視状態にある空気の流れそのものが巻き付いたその腕から。パンテオン・アブソリュートの、その掌から。

 

 

 虚空を劈く爆発が、()()()()()

 

 

「――ッ⁉︎」

 

 

 アルベルティーヌさんがカテリーナさんを庇い這い蹲るのを受け、慌てて、トルドとイネフさんの身体を抑えて地に伏す。

 

 当然、直下の俺たちにその爆風は指向しない、来るとしても下向きのもの、それでも、半身でも起こしていようものなら即吹き飛ばされてしまうだろう程の暴風が、この広大な食料庫を、蹂躙する。

 

 目も開けていられない、耳を塞ぎたくなる大災害。正に『大嵐』(テンペスタース)

 必死に耐えているので精一杯、とても抗うなど考えられない。絶対的で圧倒的な力の前に、ただただ平伏し、過ぎ去るのを待つだけ。

 爆発が継続しているという意味の分からないこと以外、周囲の状況が何一つ掴めないまま、時間だけが過ぎてゆく。

 

 とんでもない。

 凄まじい、なんだこの力は。あまりにも、()()()()

 

 予想だにしていなかった規模の反撃に、味方であるはずの俺たちまでもが灰塵に帰しそうだ。

 さっきの二種類の風魔法だけでも目を見張る威力を誇っていたというのに、高々詠唱時間が数倍伸びただけで、ここまで性能が向上するものなのか。

 

 それはない、有り得ない。あの短文のみで【英雄願望】の三分(フル)チャージファイアボルトと同等以上の時点で異常なのだ、このレベルの魔法が一般的だなんて荒唐無稽。

 

「ぐっ、うぅぅぅッ」

 

 背に吹き付ける風は、最早衝撃波と何ら変わりがない。背骨が軋む、呼吸がままならない。安全圏で受けている、それだけで痛みを伴うなんて、ぶっ飛んでいる。

 その余波単体ですら十分な攻撃魔法として成り立つだろう、彼の規格外のそれは、まるでこの世界観に合っていない。むしろわざと合わせていないのではないかと思えてくるまでだ。

 

 力を込めた四肢が段々と痺れてくる。十秒にも満たない――いやそれだけ爆風が吹き荒れ続けること自体信じられないのだがーーそれだけの間でも、俺たちには数分にも、長く感じられた。

 

 そろそろ腕が限界だ、というところで。

 ふっ、と。前触れもなく、唐突に爆発が収まる。

 

 間髪入れず、何かが落下する乾いた音。

 静寂が訪れる。漂ってくるのは、生臭い血の匂い、だけ。

 

 上半身を、起こす。

 

 見渡す限り、そこは()()()()()()だった。

 

 元は薄青色の地面や壁や天井も、緑色の光を放っていたはずの水晶たちも。凡ゆる箇所が無造作に絵の具をぶちまけられたかのように、べっとりと、どす黒い血液を、被っている。

 緋色の雨が、降ってくる。天井に着いた命の残滓が絶え間無く滴り落ちて、恨みがましく、俺たちを濡らしてゆく。

 本物の地獄だって、もっと色彩が豊かであろう。そんな感想が浮かんでしまうほどに、食料庫は紅一色に染まり上がっていた。

 

「…………は」

 

 言葉が、出ない。あまりの衝撃に、俺の語彙が追い付かない。

 

 こんな、こんなの。

 

 反則(チート)、だろ。

 

 外伝一巻での、三方が壁のルームでの戦闘。その時のレフィーヤの魔法、の比では、ない。

 高が数十M(メドル)四方の小さな部屋ではないんだ、ここは食料庫(パントリー)、面積でいえばその何倍も、何十倍も。容積でいえばその何百倍、もの広さが、ある、のに。

 そこを埋め尽くすほどいたモンスターを、一掃、したっていうのか? いくらLv.1相当のモンスターだけとはいえ、数えるのも億劫になるような量を?

 何なんだ、パンテオン(あいつ)は。ただ単に超強力な魔法を複数持っているだけ、なのか。到底、それだけだとは思えない、が。

 

『――オオォォォッ!』

 

 俺が思考に嵌まり込んでいると、不意に、静まり返っていた食料庫に、異形の雄叫びが、響き渡った。

 

「⁉︎」

 

 声がした方向へ目を向けると、随分と遠方ではあるが、死んではいなかったらしいコボルトが、その二本の足で立ち上がるのが窺えた。

 それだけではない。流石に数十が精々だろうが、見回すと、そこらから、続々と起き上がる生き残り共が現れる。

 

 殲滅出来たわけではなかった、地面から生えている水晶に隠れて見えなかっただけ、死体に見えていただけ、遠くてよくわからなかっただけ、だったのだ。

 そりゃあ、そうだ。いくら強大な力だとはいえ、一匹残らず殺し尽くすのは至難の業、況してや元からあれだけの数がいたのだ、比例して生存数も多くなる。

 

 まだ、終わっていない。

 

 要救助者二名を救出し、押し寄せる敵を退け、救出部隊が到着するまで持ち堪える。この戦闘は、完了していない。

 

「ナツガハラ……さん!」

 

 俺が(ほう)けている間に、倒れているパンテオンの側まで寄っていたアルベルティーヌさんが、悲痛な面持ちで声を上げる。

 分かっている。俺も解っているし、彼女もまた、判っている。

 パンテオンは精神疲労(マインドダウン)だ、暫くは意識が戻らない。トルドもイネフさんも、カテリーナさんも限界だ、アルベルティーヌさんだって、立ち上がることすら困難なはず。

 

 つまり。

 

「勿論……です。任せ、て、ください」

 

 渡鴉を杖代わりにして、震える脚を無理矢理、地に立たせる。

 

 彼女から、俺の最初の刀、脇差、紅緒を受け取る。

 

 多少ふらつきながらも、戦闘不能の五人を背に、進み出る。

 

 必然的に。消去法でも、優先度でも。

 

 俺以外に、誰がいるっていうんだ。

 

「なるべく討ち漏らさないようにしますが……皆のことは、頼みます」

「申し訳ありません……お願い、します」

 

「はい」

 

 紅緒と、渡鴉を、痛いほどに、握り締める。

 

 

 これが、最終局面。

 

 

 ここを乗り切れば勝ち、耐えられなければ負け。

 

 見渡しがよくなった、真紅の食料庫で。

 

 全方位から迫る敵は数十、しかしいずれも手負い。

 

 対してこちらはたった一人、しかも疲労の蓄積も激しく、弱い。

 

 戦況的にはかなり厳しい、確かに難しい、けれど。

 諦めるわけにはいかないし、するつもりなど、微塵もない。ついでに言えば、負ける気も、ここで死ぬ気も毛頭無い。

 俺の背後には仲間がいる、彼等には彼等の【ファミリア】(かぞく)が在る、その帰りを待ち望む人達が居る。絶対に、断ち切らせてなるものか。

 

 そして、俺にだって。ヒルダさんが、居る。

 

 独りになんてさせるものか。それが例え俺一人の勝手な思い込みだと、しても。

 

 

 

 夏ヶ原司は、何度だって起き上がる。幾度も、幾度でも、立ち上がる。

 

 

 もう一度、あの暖かい場所へ、帰るために。

 

 また、ただいまを言う為に。

 

 

 

 

 この翼が折れることは、決してない。

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

 コボルトの首を刈り、少しでも進行を遅らせるべく、事切れた身体を蹴って転がし、飛び越えてきたフロッグ・シューターの、無防備な胸部を突いて魔石を砕く。

 

 横合から伸びてきたウォーシャドウの腕を斬り上げ、すぐ側に居たコボルト諸共、袈裟懸けに斬る。八階層出現モンスター程度では、反撃どころか僅かな延命すらも叶わない。

 

 背中は仲間に預け、常に後退しつつ、迫り来る異形の化け物達をひたすらに斬る、斬る、斬る。鈍色の刀身が駆け巡る、絶え間無く血肉が舞い踊る。

 

 斬撃が鋭くなればなるほど刀の斬れ味は落ちにくくなる、Lv.2の技量を以ってすれば、相当数を斬ったとしても性能は保たれたままで、何時までも。

 

「くっそ、殺り辛ぇ……!」

「殺せなくても横に退かせ! 効率優先だ!」

 

 先頭、渋滞を起こしているモンスターを掻き分けながら道を拓く役目の二人の、苦戦する声が聞こえる。

 

 少し早足、くらいの速度で進む流れは、それほど脅威というわけではないが、確実にこちらの体力を削ってくる、あまり長いこと内部に居過ぎるとすり潰されてしまうだろう、長居は無用だ。

 ただ、問題なのは、この流れが何処から始まっていて、何処まで続いているのか、ということで。

 飛び込んでから優に数分が経過している、しかし敵の密度も速度も一向に変わる気配はなく。一体何時まで耐え忍び続けていればいいのかもわからないままで延々と武器を振るう、というのは、精神的にかなり厳しい状況、と言わざるを得ない、が。

 

「シーヴ! まだいける⁉︎」

 

 斜め後方から、若干焦りが混じっている少女の声がわたしの名を、この騒々しい空間に響かせる。

 わたしも経験したことのない異常事態なのだ、彼ら彼女らが動転するのも道理で、それは織り込み済み。

 

「これくらいは問題ない。……それより」

 

 ここまでの量と勢いを相手にするのは流石に初めてだが、殿を務めることも、引きながら戦うことも、これまで幾度もあった。それに、これよりはまだ中層の方が、厳しい。

 こちらに向かって飛びかかってくるニードルラビットを一刀のもとに斬り伏せ、返す刀ですぐ横から出てこようとしたゴブリンを斬り飛ばしつつ、短い言葉を投げる。

 

 この異【ファミリア】間パーティは結成してから日が浅くない、すぐに意を汲んだ発言が返ると信じて。

 

「恐らく、八、七階層間階段付近まで到達していると思われます! あと一、二分以内に階段が目視出来る距離かと!」

 

「聞いたか男共! それくらいは踏ん張りなさい!」

「ったり前だ!」

「右に同じっす!」

 

 リリーが現在地を概算し、ベッテがトルドとヨシフを叱咤する。

 多分このモンスターの行進は、七階層にも続いている、それは殆ど間違いない。いくら倒しても次々に湧いてくるこいつらを殲滅するのは無理があるし、このままもうひと階層を踏破は出来ない。

 

「階段を登り切ったら直ぐに横道へ! 方向は状況を踏まえて随時判断します!」

「了解!」

 

 モンスターたちの進行方向は総じて上階層、その為に、そこらへ分岐している路から、ここ、最短の道程である正規ルートに流入してくる。

 だが、階層の終着点、次の階層への階段付近となれば話は別。モンスターたちがわざわざ遠回りしたり引き返したりすることは恐らくない、よってそこだけはこの流れとは関係が無い、はずだ。

 

 キラーアントの足の付け根を切断して迫るダンジョン・リザードとウォーシャドウを妨害しつつ、隙を突いて眉間に、首に刃を差し込んで殺す。この程度ならば、まだまだ余裕で捌ける。

 

 初めて遭遇する事態ではあったが、安定して対処出来ている、皆の動きもそう悪くない。安全圏に逃げ込み、階層の縁をなぞるように移動して敵を避けつつ脱出。そこまでの筋書きは完成している、()()()()()()()()()()、生還は確実、だが。

 

「やはり、これは『大量発生(イレギュラー)』、なのでしょうか……!」

「……何とも言えない。こういう類のものがあるのかも知れないし、『全く別の何か』の可能性も十分にある」

 

 そもそもの話として、『大量発生』が起こること自体、そうあることではない。況してやこの様な集団移動など、誰が前例を知っているというのか。

 ただ、判るのは、下――九階層方面に、この膨大な量のモンスターを追い立てるような()()がある、ということくらいだ。

 

 一体何があるのか、それとも何も無く、まったくの偶然に過ぎないのか。

 推測から原因を突き止められれば、より良い立ち回りや対処法も採ることも出来るかも知れない。が、確かめる術を持たないわたしたちからすれば、それも無意味な仮定だ。

 究明なら専門の者が後でやればいい、今の目的は飽くまで脱出。言わずとも、その認識は皆に共有されている。

 

 全員で。五体満足で。生還するだけで、いいから。

 

 勢いよく突っ込んでくゴブリンを両断、次いで接近してくる――ような個体、が。

 

 いない。

 

「⁉︎」

 

 時間にして斬撃二回ほど。たった一秒にも満たない、極めて短い、空白が、激流の間隙が、生まれる。

 

 予期されなかったそれは、かつて帳と桐花から聞いた、とある現象を彷彿とさせた。

 

 

 ――「一旦、波が引くのです。水位は下がり、静寂が訪れ。丁度、力を溜めているかの様に、不気味に」

 

 

 それは。

 

「見えたぞ! 階段!」

 

「前方約五十M(メドル)! 渋滞になってる、ヨシフちょっと前出ろ!」

「おうよ!」

 

 追いついてきた後続の先頭にいたコボルトの首を刎ね、その死体を押し退けてきたキラーアントの胴を水平に薙ぐ。刀を片手持ちにし、空いた方でゴブリンの顎を打つ。

 

 ヨシフが、トルドが、何か言っている。頭の隅でその事実を認識してはいるものの、意識されるには至らない。

 本能が、力の限り警報をけたたましく鳴り響かせている。致命的な事態が巻き起こる、と。具体的な『死』が、襲い掛かってくる、と。

 

 

 ――「そんでさ、一気に来るんだよ。どばっ、となんてもんじゃねえぞ、もっとこう、ぐわっ、とさ。ぜーんぶ呑み込んでいくんだ、抗う術なんてねえよ」

 

 

 それ、は。

 

「滅茶苦茶混んでんぞ! どうする⁉︎」

「武器をしまって五人で固まる! 気合いで押し返すわよ!」

「それでいきましょう! 突入しますよ、シーヴさん!」

 

 ウォーシャドウを斜めに斬り上げる、口を開いたゴブリンの頭部を狙い、撫で斬る。手首を返し、頭の上半分が無いゴブリンと、腕を振り上げたコボルトを纏めて断つ。小さく跳び上がり、突進してきたダンジョン・リザードに両脚で体重を乗せた蹴りを放ち、反動で後退、着地と同時に、左右から寄せてきたフロッグ・シューターとコボルトを一振りで葬る。

 

 加速度的に、手数が増えてゆく。攻撃の予備動作を目にすることが多くなる、一度に斬る対象が一匹から二匹になる、刀以外での対処を強いられる、速度を上げざるを得なくなる、段々と、迎撃の間隔が狭くなっていく。

 

「――シーヴ、さん?」

 

 殆どあってないようなインターバルを挟み、目前まで近付いてきた後続、モンスターの群れが。

 

 これまでも十分過ぎるほどの質量であった怪物の『波』が。

 

 

 大きく、大きく。()()()()()

 

 

「『津波』が来る! 振り返って!」

 

「はぁ⁉︎」

「後少しなのに、ついてないっすね……っ!」

 

 我武者羅に得物を振り回すものの、そもそもわたし一人ではさっきまでの『波』すら止められなかったのだ、その勢いを緩めることすら、出来はしない。

 

 比較的広い「正規ルート」。その()()()()()()()()()()()()()()()モンスターの濁流が、あっという間に距離を詰めてきて。

 

「方策に変更無し、ですっ!」

「意地でも生き残るわよ! 皆!」

 

 

 そして、わたしたちは、凄絶な流れに、呑み込まれた。

 

 

「――っ!」

 

 

 一瞬で、世界が暗闇に包まれる。

 

 

 揉みくちゃにされ、方向の感覚どころか、重力の概念が失われる。

 

 最早恐慌に陥っているモンスターたちに敵意や害意は無い、様だが、凡ゆる部位を打撃が襲う、斬撃が走る。

 

 何かが肩に強くぶつかる。

 

 鋭利なものが二の腕を突き刺す。

 

 後ろ腰に硬いものが激しく打ち付けられる。

 

 額に鈍い衝撃、脚に荒い刃物が擦りつけられるような刺激。

 

 瞼の裏に火花が散る、粘性の高い液体が身体のあちこちを舐めるように滑る。

 

 よく、わからない。

 

 全身が熱い。空気が上手く吸い込めない。迷宮の壁の発光は遥か遠く、淡く、細くしか届いて来ない。

 

 痛い、苦しい、辛い。そんな感覚も、次第に遠ざかっていく。薄れて、消えてゆく。何も、失くなってゆく――

 

 

「うあっ、あああああああああっ!」

 

 

 無理にでも、意識を掴んで引き寄せる。

 

 思い切り。苦し紛れに。渾身の力で。必死に。周囲のすべてを跳ね除けるように、四肢を突っ張り、駄々を捏ねる赤子の如く、もがく。

 

 駄目だ、駄目だ、駄目だ。

 抵抗、しなければ。

 多分もう階段には入っている、抜ければまだ脱出の機会は巡る、諦めるな。

 

 でも。わたし一人だけではいけない。

 皆も。皆を助けなければ。皆で揃って帰るんだ。

 リリーと。ベッテと、トルドと、ヨシフと。全員で生きて帰るんだ。

 

 ほんの少し、周囲に空間ができる。どちらが上でどちらが下かを判断し、体制を整える。刀は半ばで折れていた、もう使えないので投げ捨てる。

 

 何処だ、皆は何処に居る。

 五月蝿(うるさ)いなんて言葉では言い表しきれない喧しさ、騒がしさの中ではまともに聴覚は働かない、無論視覚も、嗅覚も。

 

 ただし、それが普通の人間のものならば。

 

 狼人(ウェアウルフ)の発達した五感を最大限に活用し、混沌とした状況ごと、感じる。

 

 言語を介しての理解は余りにも遅い。見ただけで、聴いただけで、嗅いだだけで、直感で受け取った、だけで。

 秩序が欠けている盤面を、正確に把握する。

 止めどない情報が、頭に入ってくる。

 嚙み砕く事無く、飲み込んで己の一部と為す。

 

(そこ……っ!)

 

 予想した方向に、腕を伸ばす。進路上に入ってきたコボルトを殴り除けつつ、主張を押し通し。

 

 掴む。

 

 決してモンスター等のものではない、柔らかく滑らかな手触り。

 生命が宿っていることが分かる、優しい温もりが、仄かな安心感を与えてくれる。

 だがまだ一人目。後三人、頑張れば見つけられる、どうやってわたしに繋ぎとめておくか。二人を抱き抱えつつ二人を持つ、か?

 

 いや、それは後で考えればいい、まずは一人目を引き寄せて確保。細さと、ブレスレットの感触、からいって、これはリ

「――⁉︎」

 

 突如として、宙空に放り出される。

 

 階段が終わり、広い場所に出たのだと理解する。きつく押し込められていた波が、解放されて勢いよく弾けたのだ。

 

 空中で体勢を整えながら落下、横方向に大きく滑りながら、モンスターを蹴散らしつつ着地。幸いにも衝撃はそこまで大きくない。

 少し戸惑ったが、これは好機。敵の密度が小さくなった、勢いの向きに気を付ければ、わたし一人でも何とかなる。仲間を見付け易くなる。

 

 大丈夫だ、まだ間に合う。わたしが、皆を助けるんだ。皆で――

 

 

「……ぇ」

 

 

 意気込み。()()()()()()()()()を視界に入れた瞬間、わたしの世界は時を忘れた。

 

 ……これは。

 

 

 これは、なんだ。

 

 

 わたしが掴んでいるものは。

 

 

 この、肌色をしている細長い物体は。

 

 

 銀色の環状のアクセサリーを着けているものは。

 

 

 何か硬いものの周りを柔らかい肉が覆っている存在は。

 

 

 生臭い真紅の液体を、端から垂らしている、白っぽい塊、は。

 

 

 

 まるで力任せに、乱暴に、肘から先だけを千切られたような、()()()()()()()()()()()()()()()は。

 

 

 

 ……これハ。

 

 いったイ、こレは、ナんなのダ?

 

 

 ワタしは、わタシのあタまハ、コれがなニか、ワかラナい。リかいデキなイ。

 

 

 

 コノマま、アたマがマッしロのまマ、ジカんをオモイダしテ、ワたシモ、オナジよウニーー

 

 

 

 

「っあぁああぁああああぁあぁあああああああぁぁぁぁぁあああああぁああああぁぁぁああぁぁぁぁああああぁあああぁぁぁあああぁあっ!」

 

 

 

 

 何もかモを手放しテしまう寸前、誰かノ絶叫が鼓膜を叩ク。

 

 わタしを、現実へ、引き戻ス。

 

「!」

 

 気付けバ、わたしは手にしていタよくわからないモノを投げ捨て、声の主の方へ大きく一歩、踏み出シ、て。

 

 

 

 ……あれ?

 

 

 

 わたしは、今。何を投げた?

 

 視界の端に、同僚の身体の一部かな、と思われるような何かが、ちらり、とだけ映り、モンスターの波に沈んでゆく。

 

「あ……っ」

 

 

 わたしの中から、何かが失くなってしまう。

 

 

 感じるのは、折れた刀を捨てたときと同じ、多少動きやすくなった身軽さと、僅かばかりの喪失感、そして、わたしに穿たれた空虚を抜けていく、冷たい風の音。

 

 腕を伸ばしかけ、やめる。

 

 

 わたしは何を捨てたのか。もう。わからない。

 

 

 代わりに、大量に群れる異形共を力づくで掻き分け、ぼろぼろの襟を掴み、一息に引き寄せる。

 

 ヨシフ・レザイキンは、側頭部から流血し、意識を完全に失っていて尚、その血に塗れた両手に、何かを握り締めていた。

 確か、元は灰色であったはずの、チョーカーは。ベッテ・レイグラーフが身に付けていたはずのそれは、痛々しいまでの紅に染まり、それでいてまだ、環を保っていて。

 

 がつん、と。とんでもなく固いもので、頭をとんでもなく強く、殴られた気がする。

 

 ついさっき、まで。

 

 ほんの十数秒前まで。皆で一緒に生きて帰ろうと、言っていたじゃあないか。

 

 なんで。

 

 

 なんで、こんな。

 

 

 どうして。こんな、ことに。

 

 

「――ぅあ」

 

 

 何かが、間違っていたのか?

 

 どうすれば、よかったんだ?

 

 それともこれは、悪い夢か何かなのか?

 

 頼むから、そうであってほしい。そうであるなら、早く、早く、覚めてほしい。

 

「――ぁぁぁぁああああっ」

 

 

 お願いします、カーラ様。

 

 

 どうか、わたしに、力を。

 

 この、悪夢を。

 

 終わらせる、力を。

 

 

 荒れ狂う乱神の、加護を。

 

 

「――――ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 

 脱力したヨシフを脇に抱えて。

 

 強く、強く、強く。

 

 全身全霊でもって、周囲のモンスターを、弾き飛ばす。

 

 空いている腕を振るい、手当たり次第に蹴り、身体を当て。敵を一切寄せ付けず、人二人分が生きる場所を強引に作り出す。

 

 トルドは、トルドは何処だ。

 化け物一色の中から、ただ一つの存在だけを、感知する。

 集中しろ。限界まで研ぎ澄ませ。その双眸は、その耳は、鼻は、口は、脚は、腕は。この身体は。

 

 何の為にある。

 

 少なくとも、仲間の最期を見届ける為では、ない筈だ。

 眼を凝らす、耳を澄ます、鼻を効かせる。意識を全方位に広げ、支配し、救うべき大切な者を。

 

「見つ、けた……!」

 

 探し出す。

 

 三たび。鮮血を被ったこの穢らわしい腕で、まだ誰一人助けられていない腕で、生命そのものを掴み。

 

 モンスターを跳ね、飛び込んで、胸に抱く。

 もう離さない。この脈動する二つの魂を、二度と失ってたまるものか。

 

 さあ、あとは『波』に逆らい、横道へ逃げ込むだけだ。そうすれば、少なくとも自分を含めこの三人は助かる。

 

 

 ……三人?

 

 わたしたちは、五人パーティ、では、なかったか?

 

 ついさっきまで、五人で固まって、共に脱出を目指し協力していなかったか?

 

 なのに、何故。わたしが抱えている身体は、二つ、だけなのか。

 

 

 視界が滲む。

 

 

 邪魔なモンスターを蹴り、進路を確保する。もう、密度も数も、絶望的な程ではなくなった。あと数歩、数M(メドル)歩くだけで、この地獄から抜け出せる。

 

 脚が、止まりそうになる。

 

 熾烈な頭痛が苛んでくる。

 

 凡ゆるものが白んでいく。

 

 違う。これは裏切りではない。諦めることと同義ではない。見捨てるわけではない。自分たちだけ助かろうとしているわけではない。彼女らが仲間ではなかった、わけがない。

 

 では何故、わたしは今、歩を進めているのか。

 

 それは、それ、は。

 

 

 

 

 

 それは。

 

 

 

 

 

 もう、わたしの眼は、何も映してはいなかった。

 

 それ以降の記憶は、何一つ、無い。

 

 

 次に気が付いたとき、わたしは泣いていた。

 

 

 

 

 

 土や血が付くことも厭わず、痛いくらいに強く、抱き締めていてくれたカーラ様の胸で、わたしは無力を噛み締め、悔み、嘆き、泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 

          ○

 

 

 

 

 

 

 

 地下に降るのは、赤い雨。

 

 噎せ返るような鉄の匂いが漂い、吐き気を催させる。

 闇を照らす源でさえも侵食され、広々とした異形の安寧の地は、元々の色がどの様であったのか、現在の様相からは察することも叶わない。

 

 第四階層、食料庫(パントリー)

 

 永くも、また短くもあった激戦が、間も無く、幕を閉じようとしていた。

 

 数百では利かない数を誇っていたモンスターたちも随分と減り、残すは数十、といったところ。

 

 対して、迎え討つは、たった一人。

 消耗は相当に激しい。少々特殊な状況下での特訓をこなし、それからほぼ休みなく動き続けているのだ、限界などとうに越えている。

 身に付けていた和装は千々にそこらに散り、裂傷まみれのレザーアーマーはもう防具としての役割を果たしてはいない。

 

 それでも。

 

 彼は。

 

【ブリュンヒルデ・ファミリア】所属、ナツガハラ・ツカサは、再び剣鋒を上げる。

 

 上半身を起こし、弱々しい動作で怪我人の応急処置をするアルベルティーヌ・セブランの眼には、彼の両手にある二本の刀が、長さも太さも全く違う歪な二刀流が、あたかも荘厳な一対の翼であるかのように映っていた。

 大きく、美しく、気高く、麗しく、神聖な、純白の双翼。が。優しく、柔らかく、暖かく、愛おしげに、彼を包み込む。

 

 戦乙女(ヴァルキュリヤ)の加護が、実を結ぶ。

 

 彼は、弱い。この場にいる六人のうちでは、異論の余地もなく彼が最弱だと言って何も差し支えはない。同様に、戦闘も上手いとは評し難く、動きもまだまだ稚拙で、立ち回りも初心者のそれと変わりない。

 だが、それ故に、彼は今、一人立ち上がっている。他の仲間たちが総じて力尽きているのに対し、立ち上がれている。

 全力で戦う、それ以外を知らない、から。自分の体力の残量を気にしながら、敵を如何に手際良く、効率良く、楽に倒せるかを考えながら、などという領域には、彼はまだ到達していない。

 その為に、半端に手加減をして、不測の事態に手こずる、ということと無縁でいられた。それはもう、誰にとっても予想外なほど。

 

 だから、彼の女神と噛み合った。

 

 戦乙女ブリュンヒルデ、その名が冠する意は『輝く戦い』。

 勿論、彼女の【神の恩恵(ファルナ)】に何か特別な能力が宿っているわけではない。だからどうにかなる、という話でもない、それだけで強くなれるわけがない、現実はそう甘くはない。

 

 彼女は、ただ祈っただけ。

 

 彼が、生きて帰って来ますように。彼に、輝かしい未来が訪れますように、と。

 信心深い者でさえ、熱心に祈れば救われる。ならば本来祈られる立場にある女神(かのじょ)が祈れば、何が祝福を授けるというのか。彼女は何に祈るのか。

 

 答えは至って単純である。

 彼女自身に、だ。自分の祈りが彼を護るように、自分自身が彼の力になるように、彼女は最も身近な神性(じぶん)に帰依した。

 この世界においては、神の力は抽象せらる。神威が神を神であると認識させることや、美の女神が魅了の力を振り撒くことからも、それは明らかで。

 

 結果、彼女の祈りは、届いていた。

 いつだって()()()()()()()()()彼は。ずっと『輝く戦い(ブリュンヒルデ)』を繰り広げていた小さき弱者は、常に祝福を授かっていたのだ。

 

 それだけではない、本当は、もう一つ。

 

『シャアッ!』

 

 片足を引き摺りながらもその目を血走らせ、殺意を剥き出しにしたコボルトが吼え、加速する。

 

 足元が覚束ないツカサは、待つことはせず、勢いよく、飛び出す。

 

 血液が降るこの状況では、顔を上げて走ることは自らの視界を潰すことに繋がる。下を向き、床に広がる血の海を蹴る足音を、散る飛沫を、捉えるしかない。

 だがそれは、敵にとっても同じこと。互いに体勢を低くしたツカサとコボルトの距離が、あっという間に無くなる。

 

 やはり疲労は色濃く、彼の膝は笑い転げている、そんなことも御構い無しに、ツカサは濡羽色の翼を羽ばたかせ。飛ぶ。

 アルベルティーヌは、彼らが交錯する瞬間、急に速度を増したツカサの身体がふわりと浮かび、コボルトが反応するより速く、その横を通り過ぎるのを、しっかりと観た。

 

『ガァ……?』

 

 紅緒でコボルトを一撃の元に斬り捨てたツカサは、渡鴉を振るい、少々ぬめる地面に足を取られながらも方向転換、また走り出す。

 

 近付いてきていたゴブリンの額に紅緒を突き入れ、頭部を縦に()(さば)く。

 

 戦闘不能の五人の方へ一目散だったダンジョン・リザードの魔石ごと、その胴体を両断。

 

 渡鴉でウォーシャドウの首を切断、その勢いで回転、反転して即、別方面へ駆ける。

 

 たった一人の傍観者であるアルベルティーヌは、悔しさに唇を噛み締め、彼の背を目で追う。

 何故、今。死力を尽くして闘っているのが、自分ではないのか。最もパンテオンの力になれているのが、自分ではないのか。その答えを探して。

 

 対多、特に今回のように敵の数が膨大な時には、自分のようなスタイルは通用し辛く、イネフのような戦い方が有効で。それに先ほどまでツカサはパンテオンの『勇気祝杯』(ブレイブオブヒーロー)により強化されていた為、余力が少し残っていたから。ということは、彼女も理解していた。

 

 そういったことが識りたいわけでは、ない。

 

 自分には何が足りなくて、彼には何が有ったのか。普段、パンテオンと二人で行動している時の自分と現在の自分が、如何に異なっているのか。

 ふらふらになりながらも、歯を食いしばり、こちらに向かって走ってくる彼の姿を、凝視する。

 

「頭、上っ、失礼し、ます!」

 

 前方の敵を一旦殲滅したツカサは、アルベルティーヌらを跳び越え、逆方面へ刃を向ける。注意を大きく引きつけてはいるものの、それだけでは全方位から迫り来るモンスターを止められはしない。迎撃しきる他に活路は皆無だ。

 

 一際大きな水音を響かせ、着地、接近してきていたコボルトを袈裟に斬り、その直ぐ後ろにいたゴブリンの胸部、魔石を狙って渡鴉を突き刺す。

 

 大股の二歩を経て、紅緒で振り上げられたキラーアントの腕を斬り飛ばし、間髪入れずに渡鴉で止めをさしつつ、また別方向へ、飛ぶ。

 

 ここまできて。極限に達して初めて、ツカサは新たな段階に足を踏み入れていた。いや、ここまで追い詰められた()()()()なのかも知れない。

 

 紅緒でも、斬撃が放てている。

 

 それは、なるべく小さい労力で大きな成果を挙げようとする無意識下の働きに通じるところがあった。打ちつけることに比べ、斬り裂くこと自体は、神経は使うものの力はそこまで必要ではない、効率的だ。

 晴嵐は元々の性質からして、また反りが独特な渡鴉は先端付近のみだが、二刀共、片手斬りを可能としてはいる、ものの。今のツカサには、あまりに重量が違う二本のバランスをとりながら戦えるだけの体力が残ってはいない。限定的ではあるが、今回の紅緒の扱いにおける熟達は、確実に彼を助けている。

 

 しかし。

 

『キシャァッ!』

「ぐっ!」

 

 ゴブリンを斃し振り返るツカサに、キラーアントの鉤爪が強襲する。避けられず、咄嗟に紅緒で受け止め、渡鴉で反撃を試みる、が。

 

 視界の隅から、どす黒い何かが伸びてくる。

 通常時ならばそのウォーシャドウの腕を斬り落とした上で、キラーアントも撃破していただろう。そう、普通の状態だったならば。

 

「う、ぉあっ」

 

 知覚してから反応、動くまで。普段ならば有り得ないラグが、生じる。当然、対応は遅れ、必死で離脱する以外の選択肢が潰された後に、やっとツカサは動き出せる。

 

 ここで勘違いしてはならないのは、揺るがない事実として、彼はまだ弱いままだということだ。片手で紅緒を使えるように成ろうと、女神の加護を受けていようと、彼自身としては何一つ変わってはいない。

 気合だけで強くはなれない。覚悟だけで敗けは覆せない。そんな摩訶不思議なことが起こるのは漫画やら小説やらの非現実だけだ。

 

『……!』

「く、っそ! 影響無し、かよ!」

 

 連続して追撃の腕を伸ばすウォーシャドウの頭部前面、白い円盤は降り頻る禍々しい赤を受け流し、淡い色も付かない。圧倒的、不利。

 しかも手こずればその分だけモンスターは集まって来、他五人の安否にも関わる。またウォーシャドウだけでなく、その背後のキラーアントにも気を使わなければならず、後手後手に回らざるを得なくなる。迅速にこの流れを断ち切らねば、敗北は決定的になってしまう。

 

 現実は、これでもかと言わんばかりにしつこく何度も何度も、高圧的に、絶望を突き付けてくる。

 ここまでだ、膝を折れ、と。もう無理だ、諦めろ、と。

 

 死ね、と。

 

 防御に割く余裕はない、機動力は落ちに落ちていて回避もそうそう上手くはいかない、握力も衰え、敵の守りを砕くことも叶わない。

 ウォーシャドウの攻撃を躱すこともあまり繰り返せないだろう、そのうち脚が縺れ転ぶ。かといって受け流すための立ち回りも同様に難しい、跳ね返すなんて論外だ。

 なんとかしてこの影を倒しても、その後のキラーアントの攻撃をなんとか出来るかといえば厳しい。しかし、このまま後退し続けても勝ちはない。一見、詰んでいるような状況。

 

 では、どうすれば良いのだろうか?

 ツカサは、その答えを持っている。逆に、それしか持っていない、とも言えるが。

 

「……手数、っ!」

 

 紅緒が上昇しつつウォーシャドウの指を弾く。衝撃が腕に伝わり、ツカサは顔を顰める、だが口元には、笑み。

 

 それは、先ほどの策と、完全に同じ言葉。擬似二刀流に移行したときと、同じ表現。

 けれどツカサは既に二刀流、納めている晴嵐を含め三本の刀を持っているとはいえ腕は二本、それ以上の同時使用は、不可能だ。

 

 勿論、それが普通の方法でならば、の話だが。

 

 斬り上げとしての軌道を描く紅緒、に対し、斬り下ろしを警戒したウォーシャドウは防御を試みる、も。

 

 その予想に反し、紅緒は必要以上に高度を上げ。ツカサの腕が、肘が、肩が、伸びきったところで。

 

 ツカサの手を離れ。

 

 

 呆気なく、宙に舞う。

 

 

『……⁉︎』

 

『⁉︎』

 

 眼前のウォーシャドウとキラーアントのみならず、周囲に迫っていた数体のモンスターたちが、そしてアルベルティーヌ・セブランまでもが。反射的に、その放物線を、目で追った。

 

 モンスターにも、当たり前ではあるが、生存本能が存在する。迷宮から生まれ落ちた時より備わっているそれは、己の命を奪わんとする冒険者、及びその武器へ、特に強く表れる。それは、ギルドから大量の資料を借り読んでいたツカサにとっては、既知の事実。

 

 故に、それは不可抗力。

 

 顔と思しき白の円盤を天に向け、無防備な隙を晒した影の化物と、目線を逸らしたことで対象を見失った蟻の化物は。

 

 

 敗北する。

 

 

「……っ!」

 

 残っている渡鴉で、無抵抗のウォーシャドウの胴を斜めに斬り上げ。

 

 膝を折り、体勢を低く。三本目、晴嵐の柄を握る。出来る限り、強く、優しく。

 

 ウォーシャドウの上半身が滑り落ち、キラーアントの視界が開けた時には、もうその懐に、忍び寄っている。

 

「…………は、ぁっ!」

 

 キラーアントの頸が、血の海に沈む。

 

 三本目の刀を使った、囮。流れの中に予想外の不純物を混ぜ込み、気を引きつけさせる、視線を誘導してしまう。無い三本目の手を、有るように見せかける。

 

 晴嵐を納め、落下中の紅緒を掴み、接近してきていたコボルトへ向き直る。

 

 突撃の構えに入っている犬の化物に対し、ツカサはまた、紅緒を放ってみせた。

 

 ただし、先程より緩く、小さく。

 

『グァ⁉︎』

 

 今さっきの攻防を確認していたコボルトは、咄嗟に腕を交差させ、頭部を守りながらツカサへ突っ込む。が、それでは視界は閉ざされていて。

 

 そのまま、一歩、二歩。おぞましい感触を足裏に感じながら組みつこうと前進したコボルトは、しかし予想していた距離を走り抜けても何の手応えもないことに、戦慄する。

 

 騙された。そう思い顔を上げ――

 

「もう遅い」

 

 憐れなモンスターが上体を起こすより、渡鴉が虚空を駆ける方が、ずっと速かった。

 

 背後から魔石ごと斬られたコボルトの断末魔を聞くこともなく、ツカサは別方向へ。紅緒と渡鴉を手に、軋む身体に喝を入れ、前へと、進む。

 

 アルベルティーヌには、まるで彼が、戦っている、というよりかは、踊っている、様にも見えていた。

 冒険者の命綱である武器を放り投げ、舞うかの如く敵の攻撃をひらりと躱し、流れるような動作で鮮やかに葬ってゆくその姿は、何かの芸でも披露しているみたいで。

 

 凶器の舞踊(ジャグリング)でも、しているみたいで。

 

『ガアアアアァァ!』

 

 威嚇しながら迫ってくるコボルトと、その陰に隠れ機会を窺っているフロッグ・シューターへ、ぼろぼろのツカサは立ち向かっていく。

 

 時間経過と共に粘度を増して足を取る血塗れの地面の所為か、もうまともに力が入らないのか、その足取りは重く、血の雨に打たれる背は今にも崩れ落ちそうだ。

 接敵し、攻防が始まる前に。また、ツカサはその手の脇差を天に振り上げる。

 

「お……ぉっ!」

 

 青年の軋む腕を離れ、三たび、紅緒は空を舞う。

 

 朱い光を反照して。紅い雫を反撥して。

 

 滑らかな放物線を描く。

 

『グルォァッ!』

 

 しかし、コボルトもフロッグ・シューターも、紅緒には目もくれず、ツカサへ仕掛けていく。

 

 それは、もう、その場の誰もが予想出来ることに成り下がっている。最初の意図である奇襲性は薄れ、十分に注目を集められるだけの特異性も失われ、ただの奇策でしか、ない。

 

 はずだ。

 

 そう、思ってくれていれば上々。と、ツカサは渡鴉を両手で構え。

 

「だっ、らぁ!」

 

 コボルトを、両断する、が。

 

 アルベルティーヌの視点からは、それはどう考えても悪手でしかなかった。

 動作が大振り過ぎる。これでは少し離れた所で構えている蛙の遠距離攻撃が躱せない。せめて移動込みでの片手振りでなら間に合ったかも知れないのに、何故――

 

「⁉︎」

 

 フロッグ・シューターの舌が発射されるかという間際、困惑するアルベルティーヌの思惑などを裏切り、事もあろうにツカサは踵を返し彼女たちの方へ走り出す。

 

 当然、その舌を打ち出そうとしているフロッグ・シューターに、背を向けて。

 

 同時に、彼女は重い水音を背に受ける。モンスターが至近まで忍び寄っていたのだ、気付かないでいたことにぞっとすると共に、彼の行動にも納得しかけ、心中で否定する。

 また自分たちの頭上を跳び越えようとしているならば、尚更。彼は蛙の攻撃を避けられない。一体、どういうつもりで。

 

『ゲァァ――』

 

 その問いに応えたのは、物言わぬ鋼。

 

 ツカサは、正面のコボルトを見据えていた。アルベルティーヌは、片足で踏み切りを付けるツカサを眺めていた。フロッグ・シューターは、跳び上がる冒険者の背中に狙いを定めていた。

 

 

 要するに、誰も。それの行方を、追っていなかった。

 

 

『――ィァ』

 

 大きな口をぽっかりと開けた蛙の脳天に、紅緒が突き立つ。

 

 派手に囮を使って魅せ、意識させてから今度はその新しい戦法自体をも囮に仕立て上げる。こっちの世界に来てからも止めなかった妄想と、練習の成果。

 ツカサの持つアドバンテージは、現世で得た別質の知識と、膨大な量の創作に触れたこと。それを活かすには、空想を実現出来るだけの努力を積み重ねるしかなかった。

 足を止めるな、手を止めるな、思考を止めるな。それだけが、活路と成り得る。

 

「う、ぉあっ」

 

 コボルトの爪に腕を切り裂かれながらも、手放されなかった渡鴉は肉を断ち、骨を砕く。

 

 しかし、空中姿勢も整わぬまま力任せに振り回したために、翼は想定外の空気を孕み、主の重心を乱し、体勢を崩す。

 

「ぐっ、」

「ナツガハラさん、!」

 

 受け身も取れずに地面に激突し、血の海を転がる。降り注ぐ雨だけで大分色付いていた衣類が、瞬く間にどす黒く染まっていった。

 

 あと、どれくらいだ。何体残っている。早く、立ち上がらなければ。大丈夫だ、まだやれる。立て。ツカサの思考は口を押し開け呟きと化し、暗示を掛ける。

 中途半端に固形化した血液に手足が滑り、起き上がれない。出来うる限り急いで、でも焦ってはいけない。早く速くと急く度に手綱が遠ざかっていく。

 

「ち、っくしょうが……!」

 

 手が白くなるほど強く刀を握り込んでいるのに、他の部位がまるでいうことをきかない。

 

 服が水分を吸ってのしかかってくる。手足は鉄球でも付いてるんじゃないかってくらいに鈍い、頭は濃霧に突っ込んでいるかのように不鮮明。

 雨音の中、足音が段々と大きくなる。警鐘が鳴り響き、身体がかあっと熱くなる。

 

「右っ、来てます!」

 

 片足を立て、踵を地にめりこませ、固定。もう片足で踏み切り、力任せに振り上げ。

 

 腰を捻り、強引に右方、足音からしてゴブリン、に斜め斬り上げをかまし、勢いのまま立ち上がる。

 

 周囲に視線を巡らせるも、掠れかけの視界には確かな情報は映らない。視覚、聴覚、嗅覚、味覚までもが麻痺し、触覚も狂いだしていて、立っていられているのが不思議なくらいだ。

 

「は、っ……はぁ、っ、ぐっ、はあぁぁっ」

 

 苦しい。全身が痛いし目が回って気持ち悪い。吐きそうだ。

 今にも倒れて死んでしまうのではないか。ぼんやりとそんな考えが浮かぶ。

 

 ぶんぶんと頭を振って眼を瞑り、俯いて集中。最後の一体を屠るまで、諦めるな。

 

「!」

 

 微かな足音を頼りに、飛び出す。

 その数からして二足二体か四足一体、間隔からして四足、大きさからしてダンジョン・リザード。

 

 経験から感覚を引っ張って来、適度なところで逆手に持ち替え振り下ろす、その直前に膝から力が抜け。片膝のような状態で頭部に渡鴉を突き立てる形になる。

 

『ギィィィィ……』

 

 偶然にも上手いこといったが、少しずれていれば足をとられ、そのまま動けなくなっていたかもしれない。とはいえ気を付けるも何も、踏ん張る以外に対処法はなく。ここまでくれば後はもう根性だとか、そういう精神論の世界で。

 垂直に立った渡鴉に体重を預け、一拍。前のめりになった身体を跳ね上げ、引き抜く。

 ふらつきながら、歩き出す。

 

 そのツカサの姿に気を取られていて、自信もかなり疲弊していたこともあったのだろう、アルベルティ―ヌは、至近で起き上がる彼に、気が付かなかった。

 

 極限を迎えている身に、赤い雨は厳しく打ち付ける。彼の意志を挫くが如く、彼の意思を穿つが如く。

 

 生還までの長い道程に、新たに立ち塞がってきたのは、またもや黒い影。

 しかも、他と比べて大したダメージも負っておらず、機敏に動ける体力を残していると見える。

 

『…………』

 

 三ヶ月前、こいつ一体に、肩に大穴を空けてまでしてやっと勝利をもぎ取った時、より、随分と強くなってはいるけれど。軽く三桁に届く数を斃してきたけれど。やはり素早く、鋭い攻撃を繰り出してくるウォーシャドウは、依然として、油断すれば容易に敗けるだろう強敵であることに変わりなくて。

 初対戦時の印象もあるのだろう、どうしても苦手な感覚が拭えない。

 要するにこの状況からして、最も相手にしたくない敵、だった。

 

「っそ、が……」

 

 内心毒づきつつ、ツカサはやたら強く握れている渡鴉を正眼に構え。

 倒れこむような角度をつけて、地面を蹴る。反応勝負では勝てない、先手を取って攻撃させずに完封しなければ、やられる。 

 

「……【弾け飛べ】」

「!?」 

 

 アルベルティ―ヌは、上半身を起こし、片手で負傷した脇腹を抑えながら、もう片腕を水平に突出す彼に、やっと気付く。

 彼はツカサのいる方へ、揺らめく淡い光を纏った掌を向け、言の葉を紡いで式を成す。

 

「ぅぉ、おっ!」

 

 半身になるウォーシャドウ相手に距離を詰めつつ、ツカサは溜めるように上半身を捩じり、斬撃の予備動作と認識させるよう声を上げる。

 

 影は牽制として腕を伸ばす、が。渡鴉の性質として、一回空振って加速、という使い方が出来るツカサにとって、それは格好の獲物でしかない。

 

『……!』

 

 若干振り回されながらも、ウォーシャドウの腕を飛ばし、速度を増す。

 

 そのまま敵の懐に潜り込み。

 斬り伏せる。

 

「――【限外の異形】!」

 

 イネフ・マクレガーの声は、ツカサの耳には届かなかった。

 

 代わりに彼が聞いたのは、黒い足音。

 激しい雨音に掻き消され、ツカサは感知できず、目を逸らしていたアルベルティ―ヌは視認出来ていなかった。

 

 刀を振り切った体勢では、横から来る漆黒の凶器を防ぐのは難しい。

 

「くっ!」

 

 無理矢理身体を捻り、ぎりぎりのところで回避する。直ぐ傍を、ウォーシャドウの腕が、風切り音を鳴らしながら通り過ぎていった。

 

 バランスを崩し、転びそうになるが、一歩後方になんとか踏みとどまり、攻勢に、転じ、ようとして。

 

 力が、抜ける。

 

 膝から崩れ落ち、腕が下がる。

 敵の攻撃に対し、完全に無防備な姿を、晒してしまう。

 

「ん、な……!」

『…………!』

 

 血の雨が頬を打ち、目に入ることも厭わず考えられず、ツカサは、黒い影を、見上げる。

 

 赤く潰れてゆく視界のなかで、どこまでも暗い深淵が、その腕を振り上げ。

 

「【ジャック・オー・ランタン】っ!」

 

 胸部が紫色に光ったかと思えば、唐突に、内側から弾け飛んだ。

 

「……!?」

 

 倒れている仲間たちから離れているツカサには、何が起こったか、まるで理解できなかった。目の前で、いきなりウォーシャドウが爆発したのだ、無理もない。

 そして赤に塗り潰されていた彼の世界は、混乱している一瞬のうちに、暗転する。

 

 

 その場において、傍観役のアルベルティーヌのみが、霞む思考の中で状況を把握していた。

 先ほど、ナツガハラが大声で呼び掛けた時の爆発。恐らくそれと同じ魔法、を、マクレガーが使用した。出力は大きく違うが性質は同系統。

 魔法の詳細はどうでもいい、重要なことは、これでナツガハラは絶体絶命の危機を脱した、ということであって。

 しかし、マクレガーは精神力切れで今度こそ完全に脱落。参戦はおろかこれ以上の援護は期待出来ず、もう立ち上がれる者は他に無い。

 それだけならばまだよかった。

 マクレガーの行動に誤りはなかった。間違いなく最善の判断であった、だが皮肉なことに、それが仇となる。

 

「ナツガハラ、さん……目、は!」

「駄目、です……!」

 

 唯一残った戦力であるナツガハラの、眼が使えなくなった。爆散するウォーシャドウの体液が、天井から降ってくる血が、上を向いていた彼の目に入り、視力を潰してきたのだ。

 直ちに害は無い、後で洗い流せばいい、けれど戦闘を継続するには、余りにも厳しすぎるハンデ。

 視覚に頼らない格闘術など、きっと彼は身につけてはいない、まず確実に、続行は不可能。

 

「指示を!」

 

 不可能、の、はず、なのに。少なくとも彼女は諦観しかけたのに。

 

 それでも。

 

 それでも弱々しい声を張り上げるツカサに、彼女の眼が、いつも頼もしい相方であり恩人であるパンテオンの姿を、重ね合わせる。ぶれて、分かれる。

 

 どちらにせよアルベルティ―ヌに選択肢は与えられておらず、また彼女としても、断るつもりは無く。

 

「右、反転三○度、キラーアント、一……!」

「はい!」

 

 濡鴉の翼は、主の眼を失ってもなお、翻る。

 彼女の声に反応し、迷いなく駆け出すツカサには、一切の疑念が存在していなかった。

 

「対象まで五M……三……一!」

「っ!」

 

 アルベルティ―ヌの支援音声通りに、キラーアントの足音が近付いて、近付いて、遠ざかっていく。

 何度も何度も仕合った敵だ、間合いさえ把握出来るならば、何処に向けて刀を振れば斬れるか斬れないかが、大まかにならわかる。

 

「左九○度、約八M、コボルト!」

 

 怖い、という感覚は感じられなかった。そんな余裕がない、ということもあるだろうが、何よりも、あることを思い出したことが大きいだろう。

 

 地面の滑り気にも慣れ、死骸の位置も覚えている、走行はある程度安定していた。

 それだけで、彼は戦える。

 

「左七○、度、約一二Mに、ゴブリン、続いて、ニードルラビット!」

 

 パンテオン・アブソリュートの魔法が吹き荒れたのちの戦闘では、アルベルティーヌという傍観者はあれど、ツカサはたった一人でモンスターたちと渡り合っていた。

 それは状況的にも必然で、むしろ彼自身望んでその役目を引き受けた節すらあった。他の者が立ち上がってくることに期待を寄せていなかったどころか、望んでいなかった、まである。

 

「背後、約三M、にキラーアント、接近!」

 

 憧れて、いたのだ。

 

 数多の敵を前に、独りで立ち上がる英雄に。単身、勇猛果敢に挑む勇者に。そう、たった今そこに倒れているパンテオンの様な、そんな人間に。

 絶対に成れない理想に、手が届くと思って。追い求める自分が、格好いいと酔って。なまじっか力を得てしまったばかりに、ツカサは、愚かにも、思い上がってしまっていた。

 

「右九、○度、コボルト、約六M!」

「は、ぃ!」

 

 そんなこと。

 

 そんなことは、所詮幻想でしかない、のに。

 

 そんなことは、わかっていた。わかっている、けど。だからこそ。

 

『ゴギャアアアァァァ!』

 

 思えば、迷宮(ダンジョン)にもぐるときは大抵、誰かしらと一緒、だった。

 

 ほんの一時期の間以外は、トルドやシーヴ、グスタフやエルネストにスハイツといった面々と共に探索することが常であった。ベル君の様に一人(ソロ)で挑むことはほぼなく、つまり戦う際には、いつも誰かが、自分より強い(なにがし)が、側にいたわけで。

 現世から移って来た彼としては、命のやり取りにはこの世界の住人以上に過敏にならざるを得ないし、不安を抱かずにはいられない。

 

「左六○、約四、ダンジョン・リザード、キラー、アント、各一!」

 

 何が言いたいかといえば、まあ。

 

 

 怖かった。それに尽きる。

 

 

 だから完全無欠な英傑を思い描いて精神を補強し、万が一の保険として仲間に同行してもらうことで生命の安全を確保しようとした。

 

『ギシャァァァァ!』

 

 それらが無くなったとき。頼れる仲間と別れ、強い仲間が倒れて、自分独りになったときの、絶望感といったらなかった。

 

 何の後ろ盾も無くなって。自分だけならまだしも、他五人もの生死を背負うことになって。

 

 尋常ではない。並の人間には耐えられない。逃避して妄想でもしなければやっていられない。その点では彼も例に漏れてはいなかった。

 

「正面、約二○M、コボルト!」

 

 しかし。その代わりに。

 

 己が一人でも、決して独りではないことに気が付けば。

 

 共に闘ってくれている人がいることを知ったなら。それが判ったのなら。

 

 彼はもう、大丈夫だ。

 

「っあぁっ!」

『ギャウゥッ!』

 

 折れない翼は、何度でも羽ばたき風を起こし、異形の命を吹き散らす。

 

 加護を纏い、血で覆われた地を蹴り、勇ましく翔け回る。

 

 きっと、他の者、特にLv.2以上の実力者が彼を見たとしても、それほどの力を感じることはないだろう、大して強いとも思わないだろう。

 

 だが今は、今この時この場に居る者にとってのみ。極めて短いこの瞬間に限り。彼は、眩い輝きを放って止まない。

 

「左一二○、約八、ウォーシャドウ!」

 

 残るモンスターの数を数え、アルベルティーヌは歓喜と緊張を同時に抱く。

 

 あと、六体。彼の活躍ぶりからいって、それほど厳しい数にも思われない、けれど、気を緩めてはならない、いつだって油断は敗北へ繋がっている。

 パンテオンと共に幾つもの死線を潜り抜けてきた彼女は、()()()()()()側の人間だった。最後の最後まで策を練り手を探し、生き残りに全力を掛けることの重要性を、深く理解出来ていた。

 

 だと、しても。

 

 

 それは、予測不能に近かった。

 

 

「……!」

 

 ぞわり。と。彼女は、全身が粟立つ感覚を覚える。

 

 何かはわからない、しかし、とんでもなく嫌な予感には襲われる。経験則から、それだけは肌で感じ取った。

 無意識のうちに、頭部を守るように、腱が切れていない方の細い腕が、上がる。支えを失い、上半身が重力に従って、血の海へ倒れて行く。

 

 

 直後。

 

 

 彼女の意識を刈り取るには十分すぎる衝撃が、天井から()()()()()

 

 

「が……っ、は!」

 

 その正体は、【ヴェントゥス・テンペスタース】により吹き飛ばされ、食料庫の上面に叩きつけられてもまだ生きていたダンジョン・リザード。それが頃合いを見計らい、強襲してきたのだ。

 

 だが、後頭部への直撃は避けたものの気を失ってしまった彼女はもとより、視界を奪われたツカサも、事態を把握する術を持たなく。

 雨に濡れたグラウンドに豪快に倒れ込むような、そんな音が響いた、手掛かりはそれだけだ。

 

「アルベルティーヌさん⁉︎ だ、いじょう、ぶっ、ですか⁉︎」

 

 息を切らし、ウォーシャドウを斬り殺したツカサは指示を仰ぐべく、彼女の安否を尋ねるべく、必死に声を張り上げる。

 

 その答えが返ってくることはない。しかし、何も無い、それが彼女に()()()()()()ことを如実に表している。

 

 大まかな場所はわかっているのだ、今すぐにでも駆け寄りたい、でも不慮の事故が怖くて不用意に近付けない、助けに行けない。

 ここまで補ってもらっておいて、いざというときに何も出来ない自分の無力さに、嫌気が差す。

 

「くっそ、がぁっ!」

 

 少なくとも、アルベルティーヌさんたちへ、これ以上の追撃を許してはならない。力の限り絶叫し脚を振り下ろし、注目を一身に受ける。

 敵の位置と数は、音により辛うじて判明している、あとは倒すだけだ、なんとかして倒すだけだ。

 

 ……倒し、たとしても。アルベルティーヌさんたちは。トルドやパンテオン、イネフさん、カテリーナさんたちへ迫っている脅威を、どうやって取り除く?

 

 勝利条件が満たされない。それは敗北と同義。

 

 正面、約五、六Mに、恐らくコボルト。それほど速くないため多分手負い。

 

 どうすればいい。目が開かない、もう恐怖はないが迷いが生じる。

 

 コボルトの飛び掛かりのタイミングは、距離はどれくらいだったか。その高さは。どこを優先的に狙ってくるか。思い出せ、的確に対処しろ。

 

 あまり時間はない、あと残っている敵はどんな風に動いているか。アルベルティーヌさんが発した情報は他にないか、受け取り損ねてはいないか。

 

 刀を構え迎え撃つ体勢になるか、まだ起きている人は他にいなかったか、いや交錯して斬り捨てた方がいいか、やはりリスクは承知で側に行けばまだなんとか、ここは避けつつ後手に斬って迅速に動いた方が

 

『ギァォ!』

「づっ!」

 

 鋭い爪の一撃に、肩を深く切り裂かれる。痛覚が麻痺しているのか、痛いというより、じんわりと熱が広がっていく。

 

 駄目だ、思考がまとまらない。

 

 戦闘に集中、したいのに。どうしようもないというのに、仲間の安否が気になって仕方がない、気が散って定まらない。

 

 反射的に渡鴉を振るうも、手応えはなく。

 

 まずい。

 

 全身から、一気に汗が噴き出す。コボルトが至近にいるうえ、あと四体のモンスターも、同時に相手をしなければならなくなる。一体ずつならまだしも、この条件では、厳しすぎる。

 

「うぁあっ、おぁぉっ!」

 

 

 死ぬ。

 

 

 焦りが最高潮に達し、訳も分からず、兎に角刀を振り回す。上に、下に、斜めに、水平に、垂直に。敵を寄せ付けまいと、それはもう、滑稽(こっけい)なほどに。

 

 気圧されたコボルトが一歩、二歩と後ずさり、周囲のモンスターたちも自然と彼の動きに視線を向ける。

 振り回して、振り回して。中途半端な姿勢で扱ったために、重心が乱れ、ふらついて転ぶ。生臭さが鼻を突く、ぬめりがまとわりついてくる。

 

 食料庫の中央では、俄かに戦闘中であるとは信じ難い光景が、展開されていた。

 

 

 結果的に、それは功を奏す。

 

 

 ツカサが取り乱し、モンスターたちが呆気にとられている間に。

 

「……!」

 

 

『勇気祝杯』の効力が、再び現れる。

 

 

 精神力を使い果たし倒れ伏していた筈の青年が、ゆらりと立ち上がる。その頬を苦痛に歪めながらも、その眼に確固とした光を宿し、溢れ出る怒気を背負い、まるで物語の主人公かの様に、復活する。

 

 限界に達していようと関係がない。極限を迎えていようと仔細はない。彼は仲間の危機を見過ごさない、正義は弱きを救い、護り、その身朽ちるまで戦い続ける。

 

 

 パンテオン・アブソリュートは、音も無く地に足を付け、上体を起こし。気絶しているアルベルティーヌと、その(くび)を喰い千切らんとするダンジョン・リザードを視界に入れると。

 

 

「離れ、ろッ!」

 

 目にも留まらぬ速度で接近、蜥蜴(とかげ)の顔面を爪先で捉えつつ、蹴り飛ばす。

 

 憐れなダンジョン・リザードは、断末魔をあげる暇も無く頭部をトマトのように潰されつつ、何十Mもの距離を低空飛行し、地面と擦れ四肢を断裂、臓物をぶちまけながら戦場を彩った。

 

 攻撃の機会を窺っていたコボルト及び四体のモンスターは、身を強張らせ静止する。

 

 補正を受けたツカサが、その隙を逃すわけもなく。

 

「だっ!」

 

 コボルトを、今度こそ袈裟に断つ。

 

 しかし、長くは続かない。一時的に立ち上がったとしても、精神力が枯渇しているのは変わらない。時間制限はパンテオンが倒れるまで、意識を飛ばすまで。

 

 それまでに、あと四体。ここにいる全てを殲滅して初めて、勝利は齎される。

 

 時間制限は、余りにも短い。

 

 やるしかない。

 

 いや。

 

 やってやる。

 

 渡鴉が、飛ぶ。力強い羽ばたきに、黒い羽根が舞う。

 

「んぐッ!」

 

 体を捻り、最も近くにいたキラーアントの元へ、大股で二歩。血を弾き、漆黒の烏は翼を翻す。

 

 最早そこには、余計な思考、その他諸々の雑念は存在していない。生存への本能、帰還への執念、自身の証明、のみ。

 あと、三体。ゴブリンとコボルトと、ウォーシャドウが一体ずつ。近いのはゴブリン、ざっと六から七Mか。

 

 迷いなく、踏み込む。

 

 既に、彼の勇姿を視認している者は誰一人としていない。静観していたアルベルティーヌも、仲間の窮地に際し一時的に復活したパンテオンも、息を切らし走るシーヴも。彼がまだ一人で戦い続けていることを認識している者はない。

 

 ただ、信じている者は、いる。

 

 トルドは彼を頼って渾身の一撃を絞り出した。パンテオンは彼を見込んで祝福を授けた。シーヴは彼に託して単身離脱した。ブリュンヒルデは、彼を信じて送り出した。

 この場にいなくても。見ていなくとも、感じていなくとも。彼の奮闘を信じている者がいる。

 

 それが、彼の力になる。血となり肉となり、彼の限界値を押し上げる。

 パンテオンの『勇気祝杯』は、ただ能力の上乗せを行う、などという単純なものではない。それは対象人物の『最大値』を引き出すスキル、であり。

 そしてその最大値は【ステイタス】を参照するだけではなく。周囲の評価により補正され、変動する。買い被れば上方修正され、見縊れば下方に正される。対象への信頼を、そのまま対象の力に変換する、そんなスキル。

 

 つまり。ツカサはこの様な場を乗り越えられる、と皆が思っているならば、彼はその理想に近付くことが出来る。例えそれが、不可能なことであろうとも。

 

 身体は、動く。

 

「おおぉおぉぉぉぉおおぁっ!」

 

 手応えを感じたならば、視線はやらなくていい。意識はもうゴブリンとウォーシャドウの二体に向いている、振り返るな。

 

 止まらず、突き進め。

 

 この場を突破する力は、宿っている。翼としてその背から広がっている、女神の加護を受け、光り輝いている。

 

 渡鴉を用いて加速。ゴブリンは反射的に腕を上げるが、それより速く、晴嵐が轟いた。

 

『……ガァ?』

 

 次が最後の、一体。

 

 ここでまた、ウォーシャドウ。こいつを斃せば、全部、終わる。シーヴさん達を待たずして、生存が確定する。

 

 脚が、腕が、全身が、軽い。これなら。

 

 

 流れるような足捌きで接近、経験と勘で体勢を低く保ち、黒い短刀の如き攻撃を回避、二振りの刀で、影を、斬り捨て、

 

 

 ようと、して。

 

 

「――っ、あ」

 

 

 その足元に、崩れ落ちる。

 

 

 瞬間、彼は察する。

 

 祝福が、消えて、無くなる。薄れて、溶けてゆく。

 

 支援が尽きた。打つ手はない、覆す術はない。

 

 

 もう、どうしようも、ない。

 

 

 彼程度では、主人公には、遠く及ばなかった、それだけの事実。たったそれだけが、現実と結びつき、彼の首を掻き切る。胸を貫く。生命を、奪う。

 

 届かなかった。応えられなかった、勝てなかった。

 

 何も感じられない、何も思えない、考えられない。

 

 全てを、受け入れる以外に、何が許されているというのか。

 

 手が力を失い、渡鴉を手放す。

 

 

 

 夏ヶ原司は、これから数瞬後に起こるであろう衝撃を、ただ、待った。待つしか、なかった。

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

 気付いたのは、ほぼ同時。

 

「「!」」

 

 狼の獣人の並外れた嗅覚で感じ取ったある臭いに反応し、わたしは全力で反転、横道に突っ込んでいく。

 同じく感知したローガが続き、リオンが苦も無く追ってくる。流石はLv.4だ、少しの遅れもない。

 

「……おいおい、なんだこりゃあ。俺たちでもしねえぞ、ここまで……」

 

 最大手、【ロキ・ファミリア】の構成員である彼が言うことにより、異常性が増して強くなる。思わず足が先を急ぐ。

 

 急がなければ。

 

 これは、どうなっているのだ。

 

「何か、あったのですか?」

「お、おお……」

 

 リオンが、わたしを横目に、ローガに尋ねる。それはこの道中では初めてのこと。

 これまで不機嫌を隠さず、話しかけるなという雰囲気を(かも)していた彼が、動揺から年相応じみた挙動をしているということもあるだろうが、それ以上に、多分、わたしが酷い顔をしているから、だろう。

 

「……血の、臭いだ」

「血液、ですか? 要救助者の……では、ないようですが」

 

 血液だろうがその他の物だろうが、わたしは別としてローガが識別出来る理由がない。

 

 それは、誰もが知る()()()()()()()

 

 ただし。

 

「何十じゃ利かねえ、()()()()()()()()()()()()が、一方向から流れてきやがる」

 

 考えられないほど、濃い、濃すぎる悪臭が漂ってくるのだ。

 しかもそれは、第四階層の食料庫のうちの一つから。ツカサたちが向かっていった方向から考えて、ほぼ間違いない。

 

 これのお陰で一つ余計に間違った方を回らずに済んだ、しかし、不安は限りなく募ってゆく。

 

「それでは、彼らがモンスターを殲滅している、と?」

「いや、まだわかんねえ……おいお前、そいつらのレベルは何つった!?」

 

「……二が一人に、一が五人、の、筈」

「ふざけてんだろ……」

 

 そう、それだけの戦力で、こんな短時間で。数えきれないほどのモンスターを殺し尽くすなど、出来るわけがない。

 Lv.3になってようやく優位を保て、Lv.4で無双が可能になる程度の脅威に対して、彼らが真っ向から挑んで勝てるわけがないのだ。

 

「第三者の介入があったと見るべきでしょうか」

「普通に考えたらそうなるだろうな。今んとこはなんとも言えねえが」

 

 とにかく、行ってみるしかない。

 いままでわたしに配慮していたのだろう二人が、速度を上げる。が、ここで置いていかれるわけにはいかない、意地でも前を走る。

 

 わたしのスキルが効果を増大させる、力が漲る、身体が軽くなる。

 

 先ほどまでとは打って変わって、不自然なほどモンスターがいない道を駆け抜ける。

 これは「波」が止んだからか、ここら一帯の個体が全て近隣の食料庫に流れ込んだのか。いや、そんなことはどうでもいい。

 

 少しでも、速く。早く、彼らのもとへ。

 

 間に合うんだ。今度は、間に合わなければならないんだ。

 

 

 わたしは、もう、あのころのわたしではない。

 

 

 夥しい量の血が集まっている食料庫、に、飛び込む。

 

「……!」

「こ、れは……」

「すげえな、おい」

 

 広がっていたのは、()()()()()()

 

 どこまでも赤く紅く、朱い、地獄。

 

 わたしの足は、止まらなかった。

 

 足を踏み入れた瞬間から、わたしの眼は仲間を捉えている、まだ戦っているツカサと立っているアブソリュート、倒れている四人。

 見逃すものか。

 

 悪臭や足場の悪さ、は、わたしが立ち止まる原因にならない、少しでも立ちすくむ理由にならない。

 

 わたしの中で鼓動する【孤高狼王(ウルリーケ)】が、わたしに力をくれる。

 

 ツカサがコボルトを断ずる、眼を瞑っているのが見える、彼が明らかに限界を迎えているのがわかる。

 わたしが守れなかったモノを、彼が護っている。

 

 彼は雄叫びを上げながら、ゴブリンを斬る。

 

 

 もう。

 

 間に合わない、なんて。

 

 

 彼が、ウォーシャドウの懐に飛び込み。

 糸が切れたように、力なく、崩れ落ちる。

 

 

 そんなことは、許さない。

 

 

 正蛇が、漆黒の影を斬り裂いた。

 

 この瞬間を、一撃を、待ち望んでいたんだ。

 

 

 わたしは。

 

 

 最後まで戦い抜き、ぼろぼろになった彼を、抱きしめる。

 

「……?」

 

 困惑するツカサを、そっと、でも強く、強く、胸に抱く。

 

 

「ありがとう……ありが、とう」

 

 

 わたしは、ずっと。

 

 

 

 ずっと、この温もりを感じたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう、赤い雨は、止んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           ○

 

 

 

 

 

 

 

 バベル内は、冒険者でごった返していた。

 探索に出ようとして入り口で足止めを食らった者、『大量発生』の討伐及び救出部隊として編成され、出撃を待っている者、騒ぎを聞きつけて野次馬根性を燃やし集まってきた者、迷宮内に居るであろう者たちの身を案じ駆けつけてきた者。

 当然その中には、黒髪碧眼の美少女、もとい神の姿もあった。

 

「……ツカサ、くん……」

 

 端正な顔立ちを曇らせ、眷族を想う彼女を、ノエルは不思議そうに見詰めていた。

 経験が浅いノエルは、神と接した経験が乏しく、対して知識は豊富である。そのためこの可憐な女神の行動が少し興味深いものに思われたのだ。

 

 この世界に顕現している神々の基本的なスタンスは不干渉。飽くまで楽しげな出来事を近くで見ていたいというくらいの動機しか持ち合わせておらず、眷族に関してはそこまで入れ込むことはあまりない、と聞いている。

 

 理由は単純だろう、生きている時間が違うからだ。

 超越存在(デウスデア)である彼等は、基本的に歳をとらない。普通の人間とほぼ変わらない身体を持っていても、基本的にいつまでもそこに存在し続けることが出来、老衰することがない。聞けば何百、何千と生き永らえている柱もあるそうな。

 故に、愛着も弱くなる。必ず別れることになる相手に愛情を注ぐのも、いなくなることがわかっている相手と過ごすのも、そう簡単ではないだろう。

 

 そんなことを考えていたが、そういえば彼女は降臨から長くはなく、半年も経っていないらしい。

 新米の神、ならばそういうこともあるのかも、と思ったが、しかし期間が短い分、そこまで愛着が湧くものなのだろうか、とも。

 

 いや、ギルド窓口受付嬢には、分からない世界の話、なのか。

 

 

 ギルドで即席救助隊を見送り、追って現場に到着してから数時間。何回かに分けて部隊が投入されてはいるが、まだ帰還してきたところは無く、内情は不明のまま。

 

 一般の者に許された境界線の最前で、神ブリュンヒルデは一歩も動いていない。

 視線は変わらず大穴の方向へ向けられており、ナツガハラ氏が出てくるまで、決して動かないという雰囲気をひっしと感じられる。

 

 誰にも触れられず、声すら掛けられない静謐な神威を纏う彼女には、ノエルですら近付けない。

 

 少し休んだ方がいい、と提言しようとは思うのだが。

 

「やめとけ。言っても聞かねえだろうよ」

「ですが……」

 

 神カーラに止められる。彼女も眷族を送り出している身として、通ずるところがあるのだろう。

 だがどことなく、焦燥や恐怖は窺えない。それはキャリアが長いからか、それとも。

 

「大丈夫だ、もうすぐ戻ってくる。うちのシーヴが行ったんだ、心配はいらねえ」

「随分……信頼していらっしゃるのですね」

 

「当たり前だろ。神が自分の眷族(こども)を信じるのに、理由なんてない」

 

 そういうものなんだよ。と、彼女は退屈そうに答える。

 

 神は、力の一端である【神の恩恵】を通じて繋がっている相手の存在を感じ取れるというらしい、が。多分それとは違う、別物のなにかが、彼ら彼女らの中には確かにあるのだ。

 その証拠に。とでも言うように、神カーラは神ブリュンヒルデに向けていた目線を大穴へ移す。

 

「ほらな」

「!」

 

 彼女の動作がきっかけであったかのように。

 

 

 血まみれの集団が、多くの冒険者に囲まれながら、階段を上り、帰還した。

 

 

 銀色のブーツを履いた、不貞腐れている狼人の少年、緑色が鮮やかなエルフの少女、と和服の狼人の女性、その人に肩を借りている全身真っ赤な青年。

 後続には、大量の血を浴びたと思われる、計五人の人々が救出要員達に背負われ、抱えられている。

 

 扱いを見るに、誰一人、死亡してはいない。

 

「……っ!」

 

 碧い瞳が揺れ、黒い髪が翻る。

 

 弾かれたように、神ブリュンヒルデは飛び出していく。

 

 規制線を引いていたギルド職員たちの脇をすり抜けるも、彼らが止めることはない。

 

「ヒ、ルダ……さん……?」

 

 ナツガハラ氏が、主神の気配を感じ、顔を上げる。

 全てを察したエードルント氏が、そっと彼から離れ、神ブリュンヒルデと入れ違うように、こちらへ歩いてきた。

 

 

「ツカサ、くんっ!」

 

 

 彼らは、お互いに腕を伸ばし合い。

 

 

「おかえり……おかえり!」

 

 

 ひしと、抱き合う。

 

 

 

 そしてもう一組の【ファミリア】では。

 

「只今、戻りました」

「お疲れ。よく頑張った」

 

 腕を組み満足げな顔をする神カーラに、ぎこちない笑みを浮かべたエードルント氏が(うやうや)しい礼をする。

 

「もう、大丈夫か?」

「! ……はい」

 

「そうか。よかった」

 

 敬愛する神に髪を撫でられ、シーヴ・エードルントは、こんどこそ朗らかに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その家は、端的に表現すると、『異常』であった。

 

 まず、建っている場所がおかしい。

 見た者が百人いたならばまず百人が「どうしてあんな場所に」と言うだろう断崖絶壁の中腹、大きく抉れたところに、それはぽつんと佇んでいる。

 まあ、そもそも()()を眼にすることが出来る人間は、かなり限られているのだが。

 

 二つ目に、外観もおかしい。

 正面は普通のログハウス然としているのに、右から見れば煉瓦造り、左から見れば白い石造り、と、随分とあべこべなものになっている。

 しかもちゃんと接合されているので、非常に不可解な建築に違いない。

 

 そしてやはりというべきか、当然内装もおかしい。

 本来は灰色だったのだろう壁は、地がどんなものかわからなくなるほどに、文字や幾何学的な模様でびっしりと埋め尽くされており、奇妙、としか言いようがなく。

 家具にも統一性は皆無で、暖炉があり、カーペットが敷いてあるかと思えばそこには炬燵と座椅子、ハンモックにシャンデリアにちゃぶ台、と、なんでもありの様相だ。

 

 そんな住居に住んでいる、者は、また、帰ってくるような者は、一体どんな人物なのかというと。

 

「帰りました」

 

 手入れなどろくにされていないのにどこかワイルドさを感じさせる、適度に伸びた頭髪。常に不愉快そうに歪めている顔はそれでも格好よく、鋭い眼光はそれに磨きをかける。年齢は二十後半、といったところの、青年。

 かなりくたびれて色あせている、いかにも旅人が着ていそうなローブを羽織っているが、汚れやほつれなどは一か所たりとも見受けられない。腰に帯びている西洋剣も同様に、年季を感じさせる見た目に反し、その実相当な切れ味を誇るであろうことは、誰が見ても明らか。

 

「あー、やっとかえってきたー」

「おう、ご苦労だったな」

 

 対して出迎えるのは、間延びした言葉を放つ大柄な女性と、きびきびした口調の小柄な男性。

 女性は研究者が身に着けるような白衣をだらしなく着て大きなソファに寝転がっていて、男性は燕尾服でロッキングチェアに腰掛けていた。

 

 青年はどうやらデフォルトらしいその表情を変えず男性の元へ歩いていくと、彼の眼前で()()()

 

「そんな態度を採らなくても良いと、いつも言っているというのに。いつまでも変わらんな、()()()()

「いえ、もうこれは一種の習慣のようなものですので」

「うっそだぁ~。どうせひくにひけなくなってるだけでしょぉー?」

「黙れ。てめえは静かに責務を全うしてろ」

「ずっとやってるも~ん。あんたがいないあいだにのこりもぜんぶさがしといたんだよ?」

「じゃあ今は何やってんだ」

「きゅうけーい☆」

「…………」

 

 無言で、【ホルス・ファミリア】現団長、スハイツ・フエンリャーナは拳を握り締めた。

 しかし、簡単に怒りをまき散らすほど彼は愚かでもなく、小物でもない。

 

「先に、【ステイタス】の更新でもしておくか。何らかの変化があったかも知れんしな」

「恐らくそんなことはないと思いますが……いえ、お願い致します」

 

 スハイツはローブや諸々の衣服を脱ぎ、上半身を晒す。

 数えきれないほどの傷が刻まれているその屈強な背は、彼が相当な猛者であることを物語っている。

 

 小さく切って神血(イコル)を滲ませた神ホルスの指先が、彼の背に触れ、『神聖文字(ヒエログリフ)』を浮かび上がらせる。

 

「久々のオラリオはどうだった? 何か新しい刺激は得られたか?」

「残念ながら。最強と謳われている【フレイヤ・ファミリア】のオッタルも、大したことはありませんでした」

 

「お~? ほんとかぁー?」

「本当だ。あの人にはともかく、オレにすら及ばん」

「ふむ、では今回も、オラリオ主体の策は採用出来そうにないな」

「ですね。まあ、心配ありません。次は、オレが必ず仕留めますので」

 

「期待しているぞ。……終わりだ。ほれ結果」

 

 ホルスがスハイツに手渡した紙には、『神聖文字』のみが書き連ねてあった。

 

 

 

 スハイツ・フエンリャーナ

 

 Lv.7

 

 力:A 876 → 877 耐久:C 689 器用:B 722 → 723 敏捷:B 753 → 754 魔力:S 909 → 910

 

 狩人:C 対異常:G 剣士:B 拳打:C 魔導:D 精癒:E

 

《魔法》

 

【ベリューレン・エルデ】

 

 ・付与魔法

 ・土属性

 ・固体への主導的干渉

 

 

【ベリューレン・ヴィント】

 

 ・付与魔法

 ・風属性

 ・気体への主導的干渉

 

 

【ベリューレン・ヴァッサー】

 

 ・付与魔法

 ・水属性

 ・液体への主導的干渉

 

 

 《スキル》

 

王権玉座(ホルス・ベフデティ)

 

 ・能動的行動に依る環境変化の自動修正

 ・環境に依る影響の無効化

 

 

陽光動地(ハロエリス)

 

 ・太陽下条件達成時のみ発動

 ・『力』と『耐久』のアビリティ極限補正

 

 

月下咆哮(アルエリス)

 

 ・月下条件達成時のみ発動

 ・『器用』と『敏捷』のアビリティ極限補正

 

 

 

「やはり、大した影響は得られませんでしたね」

 

「可哀想な奴よのう。伸び代を使い切り好敵手もおらん孤独。それほど悲しいこともあるまいて」

 

「! てめえは……!」

「久しぶりじゃの。そうでもないか?」

 

 この場において、誰もが気付かなかった。

 いつの間にか。そんな副詞が相応しい。

 

 現世でいうところの東南アジア風のハンモック。そこに、小さな子供かと思うほどの体躯の少女が、腰掛けていた。

 童顔に、これまた小さな着物。外見だけなら非常に愛くるしい美少女、いや美幼女、だ。

 

「わー、おひさだー。おらりおにいたんじゃないの~?」

「ついさっきまで居たがの。ちょいとひとっ跳びよ」

「ほんとー? すご~い!」

 

「おい」

 

「だとしてもいきなりは現れないで頂きたい……」

「すまんすまん。次からは予告して来るとしよう」

 

「おい! なんでそいつと慣れ合ってんだよ! そいつは……!」

 

 大柄な女性と小柄な男性が少女に柔らかく対応する一方、スハイツだけが敵意を剥き出しにする。

 語気を荒くしたスハイツが立ち上がり、少女に詰め寄、ろうとして。

 

「わしが、なんじゃ?」

「っ!」

 

 逆に。ずい、と。距離を潰されて、出鼻を挫かれてしまう。

 その細くか弱そうな外見とは裏腹に、彼女は信じられないほどの存在感を纏い威圧をこれでもかと放ち始める。

 

 彼が言葉を呑み込んでしまうのを受け、男性は申し訳なさそうに苦笑いし、女性はにやりと口角を上げた。

 

「やめなよぉ~。『えんげん』さんはなにもわるくないじゃん?」

「んなことはわかってんだよ! それでも……!」

 

「おお、やけに騒がしいと思えばスハイツ貴様、帰っていたなら早く言わんか!」

 

 空気が張り詰め、今にも弾けそうになったところで、狙っていたかのように見事に水を差したのは、家の奥から歩いてきた胴着姿の女性。

 玉の汗を額に浮かべ、頬が上気していることから何かしら訓練のようなことを行っていたことは明らかで。

 そう考えるとただ純粋に偶然であった確率が高くなる。空気は必然的に緩む。

 

 ある意味、ここでこの話題が遮られて助かるのは、スハイツであった。

 

「軽く三ヶ月ぶりか⁉ ウルフもローズも出払っていて退屈していたのだ、手合せをしてもらおう、さあ準備してくれ!」

「まあ待てレミィ。その交渉は報告を聞いてからだ」

「う、うむ。すまなかった、主神」

 

 息巻いていた彼女は、神ホルスの言葉に素直に従い引き下がる。

 

 そして後には、なんとも言えない微妙な空気だけが残される。小さな少女だけが不敵に笑みを零した。

 

 遣る瀬を失ったスハイツは、一層険しくなった顔を取り繕おうとすることもなく、再び口を開く。

 

「……今回の遠征の成果、ですが。正直なところ、芳しくはありません」

「それは、『候補者』と接触出来なかった、ということか?」

「いえ、そうではなく」

 

 彼は一旦発言を切ると、眉間に皺を寄せて少女をちらりと見てからホルスに向き直る。

 言いづらいわけではなかった、理由は単に。

 

「今回の対象であった『ナツガハラツカサ』が、クソ雑魚であった為です」

 

 ムカついた、からであった。

 

「冒険者になったようですが【ステイタス】も別段変わった所は無く、固有能力も『武器』も持ち合わせていませんでした。間違いなく歴代総合で最弱だと断言出来るかと」

 

「えぇ~? そうだったの~?」

「ああそうだ。身体(フィジカル)精神(メンタル)もゴミ。一般冒険者と比べても遜色ねえ。とんだはずれくじだった、丸三ヶ月を無駄にした気分だ」

 

 吐き捨てるようにまくしたてた彼は、暇そうに足をぶらぶらしていた少女に矛先を向ける。

 

「てめえが「あいつが一番重要度が高い」って言ったんだろうが、なんだあの小物は!? あんなやつをてめえは大切に見守ってんのか!? バカなのかよオイ!」

「まあそうかっかするでない。寿命が縮まるぞ? それと「あやつ」じゃ」

「んなことはどうでもいい! てめえが推した理由を言え理由を! ったく、あんな取るに足らねえ奴にあの人の加護が付いてるのかと思うとムカつくぞ……!」

 

 

――これは、神とその眷族たちが確かに残した歴史、その一部を切り取ったものである。

 

 

「んーでもそれはたしかにいやだなあ~。ラーラもしりたいかも~」

「そうだな。『候補者』に個性が無いことなど考え難いだろう。私も気になるぞ」

 

「グレンデス嬢の云うとおり、個性……と表現してよいのか曖昧なものを、あやつはもっておる。それが、とても面白いものでの。しかしそれは必ずしも強さに繋がる代物ではないうえ、お主らが掲げる『黒竜討伐』にも役立たんかもしれん」

「じゃあなんで……!」

 

 

――そしてまたこれは、世界の根幹を成す基盤の、僅かな歪み。から派生して生まれた、一つの不条理へ立ち向かってゆく者たちの記録でも、ある。

 

 

「未知、だったからじゃ」

「はあ?」

 

「この世界から最も遠く、近い世界からの渡航者。不確定は予想外を生む。それは言い換えれば、可能性に満ち溢れているともとれる。故にわしはあやつの保護をしておる」

「冗談だろ? あんなやつが、何を持ってるっていうんだ?」

 

「未来を」

「……ほう? そんな、神々(われわれ)の如き力を、有していると?」

「力、ではない」

 

 

 

――これは、もしかしたら「あった」かもしれない物語。

 

 

 

 

「ナツガハラツカサは、この世界の結末を、知っておる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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閑話 其の一
閑話 第一話




 君がいない世界にも、物語はきっと、ある。




 

 

 

 

 妖しい少女の言葉に、【ホルス・ファミリア】の面々は揃って眉をひそめる。

 

 驚いたのではない、あまりの話の飛びように呆れたたけだ。意味が理解出来ないわけではなく、彼女の意図が読み取れなかった。

 

「……説明を、いただけるかな?」

「勿論。まあ楽にして聴くと良い。エウスタキオ嬢のようにな」

 

 彼女が笑むと、胴着姿の女性――レメディオス・グレンデスがまずすとんと座椅子に腰を下ろし、神ホルスはロッキングチェアに座り直す。スハイツ・フエンリャーナは、ソファで寝転がるラーラ・エウスタキオを一瞥して仁王立ちの構えを固めた。

 

 彼には、どうあっても態度を和らげられない理由があった。それがほとんど八つ当たりの様なものであったとしても、絶対に。

 

「ん、座らんのか。それでも良いがの。反抗期の眷属(こども)を持つと大変じゃのう、心労察するぞ」

「御託はいい、早く始めろよ」

「焦るな焦るな。何事をも仕損じるぞ?」

 

 少女はひらひらと手のひらを振ってスハイツをあしらい、先ほどのハンモックにひょいと飛び乗る。

 それはまだ、あどけない幼子の動作そのもの。だが彼女は、紛れもなく人ならざるなにか。

 

「まず、何から話そうか。いきなり核心では混乱してしまうじゃろうて、ふむ」

 

 彼女がその顎に手を当てると、異様な空気が渦を巻き始める。

 

 それはまるで、生きているかの様に。彼女に纏わりつき、揺らめき、濃淡を絶えず移り変わりながら、そこらを漂う。

 威圧感は一切ない。確かに害意は感じられない、しかしスハイツはこれが嫌いで仕方がなかった。自分たちだけの場所が、大量の土足で勝手に踏み荒らされることに例えられる気持ち悪さが、ひたすらに込み上げてくる。

 

「そうじゃな、『世界の結末』から語ろうか」

 

 スハイツら眷属たちだけでなく、神ホルスですら、彼女の挙動に注目し、固唾を呑む。

 

 彼らは、何と無く、その意味を推し図ることが出来ていた。

 

「今更の問答になるが、御主らが望む『結末』とはなんじゃ?」

「……決まってんだろ、()()()をぶっ殺すことだ」

 

 語気を荒げるスハイツに、【ホルス・ファミリア】の皆が無言で同意を示す。気を抜いていたラーラでさえも、目が据わる。

 

 彼らは目的を共にする仲間であり、命運を同じくする家族(ファミリア)であり、ただ一人の人間の元に集う英傑。志には僅かな綻びもない。

 

「そう、前にわしが説いた通り、()()はこの世界の歪みそのもの。正すことで初めて、本来の流れに戻ることが出来るはず」

 

 彼女は小刻みに頷きながら呟き、目付きを鋭くして言葉を切る。

 

「しかし飽くまでもそれは『はず』という曖昧な仮定により形作られたものに違いない。わしらは、その後のこと、世界が正しく直ったのかどうか、について知る術を持たん」

「あの雑魚にはそれを判定する能力がある、っつーことなのか?」

「正答には近いが本質には遠いのう。確かにあやつは判別が可能じゃろうが、それは何らかの異能に依るものではない」

 

 特別な力無しに、物事の絶対的な成否を決めることなど、常人には不可能に違いない。だが彼女は、夏ヶ原司にはそれが出来ると断言した。

 一体、何をもってそんな超常的な判断を下せるというのだろうか。神ホルスでさえ、内心で首をひねる。

 

 答えは、ごく単純で、誰にでもある力。

 

「記憶、じゃ。あやつはこの世界についての知識を、記憶として元から有しておる」

 

「それがあいつの『武器』か?」

「いや。正真正銘、ただの知識じゃ」

 

 誰もが、息を呑む。

 

 他の世界より訪れた存在が、その先の世界のことを最初から知っている。そんなことが、神以外に有り得るのか。

 

「理由は偏に、あやつの世界において、こちらとの繋がりを生み出した人間がいること」

 

「……は?」

「全くの偶然じゃろうが、その個人の精神がこの世界の観測に成功し、歴史上で最も特筆すべきところを文字に起こし、出版した」

 

 それは、現世では所謂『原作者』という呼称に当たる人物と、『原作』と呼ばれる書物のこと。

 

 観測される側の立場からは、簡単に飲み込めることではない。異なる世界の見知らぬ誰かがこの世界のことを把握し、物語として編んだ末に世に送り出している、など。それは、まるで。

 

 神の如き所業、ではないか。

 

「記されているのは、今からざっと五年弱ほど先の話」

「……それが、この世界の正史、なのですか」

「書いた当人が気付いておるかどうかは定かではないがの。じゃが、最も望ましい道筋であろうことは間違いなかろうて」

 

 皆、考え込むように口を噤む。

 

 彼女の話が本当であるならば確かに、その書物を読んだ人間は、創作の中の世界と、この世界が正しく重なっているかどうかが、判るだろう。

 ズレてしまったモノを元に戻す場合に、正解の場所を知っていることは、それ自体が何よりも使える能力と成り得る。

 

「だとしても、何であの雑魚が選ばれた。人口に膾炙してんなら、もっと基礎能力が高くて強え奴も山ほど居んだろうが」

「さーあ、そこまでは知らんな? 案外無作為に選出されたやも、な」

 

 これ以上訊いても無駄だと判断したスハイツは舌打ちを残し押し黙る。飄々とした笑みを浮かべた彼女は何所か楽しそうでもあった。

 

 これで、一先ずは答え合わせが終了したことになる。だがその場の【ホルス・ファミリア】の誰もが、納得出来ない想いを抱えているのは明らかで。

 

「……ゆうようなのはみとめるけど~。あのひとがかごをつけるほどのものなの?」

「いやいや。大事だから付けたのではない。ついさっきそこの小僧が言うた通り、弱すぎるから、じゃの」

 

 常人がいきなり異なる世界に訪れて、簡単に生き延びられるかといえば、当然、そんなことが有り得るわけがない。所詮異世界転生など夢想の為せる幻であることなど、少し考えればわかることだ。

 

 その点、先が一般的な人類という生物が繁栄しておりある程度文明も発達しているこの世界だということは恵まれていると言えるところだろうが、それでもとても足りたものではない。

 それこそ神から反則技を授かるなどの特典でもなければやっていけない、ということは、共通認識としてよく描かれている。

 

 その感覚は、実に正しい。

 

「未知の病への免疫に体内細菌の更新、味覚の改変……は、そんなに要らんかったか。それに翻訳。他にも色々あるが、それくらいの手助けをしてやらねば、呆気なく逝ってしまうじゃろうしな」

「ふ~ん、『てんせいしゃ』にもそんなこたいがいるんだねえ」

「そもそも彼の世界にそれほど屈強な者が居らんこともあるがの。特異性で選ばれた故、贅沢は言えん」

 

 国どころか地域を移動するだけで言葉が通じなくなることもあるのだ、異世界同士で言語が同じなわけがない。文字も、文化も。似通う方が珍しい。

 何もかもが初見にも関わらず順応して生きていける方が、ずっと異常であるだろうが。

 

「まあ、こんなところか。理解は出来たか?」

「ああ……だが、我々が誰を支援するかについての判断に影響を及ぼすほどだとは思わない。純粋な弱さは記憶という強みを打ち消して余りある、実用には耐えられまい」

「冷静な判断、実に良い。頭ごなしに否定する者とは訳が違うな、流石は神か」

 

 少女は神ホルスに向けて笑むが、当の彼は僅かにも相好を崩すことはなく。しかし、つれない態度を取られたにも関わらず、彼女は更に口角を吊り上げる。

 

 これ以上は話すことも話す気もないことを彼女が言外に語っているのを受け、スハイツは苛立ちを振り払うように踵を返す。

 

「レミ行くぞ、相手になってやる」

「ん……おお、難しい話は終わりか? 是非もない、すぐにやろう」

 

 レメディオスを促し奥へ歩いていくスハイツの背を一瞥したラーラは、大きな欠伸をしてまた目を閉じた。

 

「情報提供、感謝する。……ここで休んでいく、か?」

「いや、遠慮させてもらう。わしとてそんなにヒマではないのでな」

 

 そう言い終える前に、彼女の身体が揺らぎ、空気に溶けて薄れて消え始める。

 

 それは、【神の力(アルカナム)】に依る代物ではない。もっと他の、人智を超えた別の何かだ。

 

「……はてさて、一体誰が役に相応しく成るか。見ものじゃの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは、地下、奥深く。とても太陽の光など差し込まない深淵であった。

 

 しかし光源はそこら中に蔓延り、少しも暗い印象はない。自然が為す所業としては信じ難いが、実際の現象なのだから認める他はないだろう。

 

 不可思議極まりないそんな環境には、亜人や犬、伝説上の牛頭人身や竜など、実に多岐にわたる種類の生物が生息している。人類は、これらを総じてモンスターと呼ぶ。

 モンスターという怪物は、一般的な動物と異なる点を多く持っており、全く違う性質の存在である、ということは周知の事実で。

 

 まず一つ目は、ほぼ例外なく、人類を襲うことが本能に刻まれているということ。それは生まれ落ちた時より変わらず、自らの力が全く及ばない相手に対しては逃走も行うものの、その命を失うまで延々と殺戮を繰り返す。

 

 二つ目は、迷宮内の壁から産まれるということ。外に出た個体は生殖を行い数を増やすが、ダンジョンでは幾ら倒そうとも、実質無限に補充され続ける。つまり奴等は絶滅することがなく、恐らく未来永劫、人間を脅かす存在であることだろう。

 

 三つ目は、核として魔石を胸部に有しているということ。基本的に紫紺の煌めきを放つその鉱石は強度がそこまで高くなく、手頃な武器で破砕することが容易なため、それにより一撃での確実な殺傷が可能。しかしその魔石は相当な潜在能力を秘めており、比較的高値での取引が為されている。

 

 その他の特徴や、『迷宮の孤王(モンスターレックス)』、『異端児(ゼノス)』などの例外的存在も在るが、上記の情報だけでもモンスターについての記述としては十分だ。

 

 詰まるところ、迷宮にはモンスターと呼ばれる化け物がいて、またそれらを倒し、魔石を持ち帰るために戦う冒険者たちがいる。逆に、おおまかに言えば、その二種類しか()()()、はず、だった。

 

 しかし。

 

「右手に曲がった! 先回りしろ!」

「了解!」

「他の奴らに先取りさせんなよ!」

 

 数十にも及ぶ数の足音と、興奮が隠しきれていない大声が、迷宮の沈黙を破っていく。

 

 予め、人払いを済ませてあるため、彼ら以外の【ファミリア】は周囲にはいない。では同業者でなくて、彼らの獲物を一体誰が横取りしようというのか。

 

「モンスター、多数接近! シェイラ班を出します!」

「おう、あいつらに任せとけ、他は構うな! さっさと追い詰めて()()()()()()を出させろ!」

 

 そう、競合相手はモンスター。幾多もの怪物は、本来襲いかかるはずの冒険者たちには目もくれず、彼らと同じ標的を追う。

 それならば、モンスターからも冒険者からも狙われる存在、とは。

 

『~~~~!』

 

「モンスター、反転! 逃走していきます……!」

「来るぞ、構えろ!」

 

 三つの通路のうち二つを彼らに、一つをモンスターに塞がれたルーム内で、緑色の粘液じみた『それ』は、悲鳴をあげるように蠢き出す。

 悶えるように、苦しむように、何かに、助けを求めるように。

 

 ちょうど『それ』がその行動を取り始めたと同時に、今まで目を爛々と輝かせ、追い回していたはずのモンスターたちは、一目散に逃げていく。

 恐怖を感じたのだ。自分たちでは到底敵わない強者の気配に、怯えてしまったのだ。

 

 スライムのような『それ』が生み出す、化け物に。

 

『――ォォォォオオオオオオ!』

 

 一頻り振動した『それ』から分裂によって出現したのは、人の形をした、しかし人間らしい特徴は何一つ持ち合わせていない、緑色の化け物。その大きさは軽く三M(メドル)を超えており、口が無いのにどこからか咆哮を上げる。

 

 モンスターに狙われる『それ』だけでなく、それより生み出される、モンスターに恐れられるその化け物もまた、()()()()()()()()()

 その緑の巨人を出せばもういいのか、彼らは、モンスターが逃げていった通路を通っていく『それ』にはもう目もくれない。

 

「さァ……今回もまた、狩らせてもらおうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




【ブリュンヒルデ・ファミリア】
・ナツガハラ・ツカサ

【ヘリヤ・ファミリア】
・トルド・フリュクベリ
・ジーナ
・グスタフ・ノルダール

・ヒメナ
・トバリ
・トウカ

【カーラ・ファミリア】
・シーヴ・エードルント
・エルネスト・ソル
・モニカ・パスカル
・キッカ・カステリーニ

【エイル・ファミリア】
・オルタンシア・シントラ
・ヨシフ・レザイキン
・ロザリー・ドレイパー

・マクシミリアン

【ワクナ・ファミリア】
・カテリーナ
・イネフ・マクレガー

【ウルスラグナ・ファミリア】
・パンテオン・アブソリュート
・アルベルティ―ヌ・セブラン

『ギルド』
・ノエル・ルミエール
・ナターシャ・ロギノフ
・オズワルド・シールド

【ホルス・ファミリア】
・スハイツ・フエンリャーナ
・ラーラ・エウスタキオ
・レメディオス・グレンデス

・ウルフ
・ローゼマリー


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第二章 Who am we ?
第一七話 自称、エルフ。


  
 彼女は、薄く笑みながら言った。

「本当はわたし、デザイナーになりたかったんだ」




 昼過ぎのギルド本部は、案外にも閑散としていた。

 

 午前中は相当に騒がしいものの、来訪者の主層である冒険者の多くがダンジョン探索に出掛けると、ロビーは途端に静寂に満ち、職員の仕事は激減する。

 この時間帯にギルドに訪れるのは、明日に備え巨大掲示板を確認する者、早めに切り上げて換金、報告をする者、休業日に担当官とゆっくり打ち合わせを行う者、などだけで。至って緩やかな午後。

 

 穏やかな日差しが差し込むロビーの片隅では、いつものように話し合いが行われていた。

 

「――では、もう先日の負傷は」

「はい。ほぼ完治しました」

 

 大規模な『大量発生(イレギュラー)』から、一週間あまりが過ぎる頃。

 

 先の激闘を生き延びた冒険者、夏ヶ原司は、ギルド窓口受付嬢、ノエル・ルミエールの元へ、当事者としての事件の事情聴取を兼ねて、担当官への報告をしに来ていた。共に戦った他のメンバーは、パンテオンとカテリーナ以外はまだ経過観察処置止まりであり、今日は訪れていない。

 トルド・フリュクベリは全身に遍く様々な負傷を抱えており最も重症だった。イネフ・マクレガーもまた満遍なく傷を負い、切られた脇腹の治りが悪かったらしい。アルベルティーヌ・セブランの損害は比較的軽微ではあったが、腱の再生に時間がかかっていた。と、聞いた。

 

 それでも、命があるだけ十分すぎるプラスだ。誰も後遺症などが残らない見通しなので、尚更の事。まあ、回復薬なんてとんでもアイテムがある世界で、そんなことは考えるだけ無駄、なのかもしれない。先に挙げた人たち皆、もう治っちゃってるし。

 

 今回起こった『大量発生』での死者は推定で一五八人ほど。行方不明は死亡と同列に扱われる。その総数は初回に比べると随分減った、しかし、それでも、それが由々しき数値であることに変わりはなく。

 

「死亡数に対して、その影響を受けた、新冒険者の流入数の減衰率が問題でして」

「ああ……最近減ってるって言ってましたね」

 

 迷宮に潜り、一発当ててやろうと意気込んでオラリオを訪れる冒険者の数が少なくなってきているのだ。それはもう、歴史上に類を見ないほどに。

 そんな異変がなんだ、やったろうじゃねえか、という気概を持ってやって来る者もいないわけではないのだが。彼らの大半は、いざという時に真っ先に死者に数えられてしまうし、むしろそういう人々が死亡数を底上げしているとも言える。

 

 悪循環は止まらない。

 

 冒険者を志し、オラリオに旅立っていった若者たちのほとんどばかりがこぞって無残に亡くなっている、という現実を知れば。楽して稼ぎたいとか思っている者、だけでなく、将来有望な強い新人ですら。

 

「ここに来なくなってしまう、と」

「それに通常時の死亡数も合わせれば総合で大幅なマイナス、冒険者の数自体が減少傾向にあります」

 

 大手【ファミリア】が無くなったり、遠征隊が全滅したり、といった時とは話が違う。問題はこれが一過性のものではないということ、つまり、原因を取り除かない限りいつまでも状況は悪化し続けるだろうこと、である。

 

 迷宮都市の名を冠してから初めての異常事態に、オラリオは対面していた。

 このまま放置していれば次第にダンジョンに潜る者がいなくなっていき、果ては冒険者という職業そのものが消滅するかもしれない。

 

 非常にまずい、と、神ウラノスも思った、のかどうかは知らないが、ギルドが各大手【ファミリア】に調査依頼を発注し始めた、という噂も広まりつつある。

 冒険者が持ち帰ってくる魔石の関連事業で経営を成り立たせているギルドとしては、まさに死活問題なわけだし、きっと褒賞も豪華になるのだろう、と、中小【ファミリア】も張り切って調査に乗り出している、らしい。

 

 かといって。まだ構成員が司一人の【ブリュンヒルデ・ファミリア】にできることはないし、新人担当官のノエルにも言えることはないのであって。

 

「なんとか、出来ればいいんですけどね……」

「ナツガハラ様が気に病む必要はありませんよ。大手に任せましょう。死なないことが最優先です」

 

 自分にはどうしようもないだろうことは、わかっている。わかってはいる、のだが。

 

 それでもやはり、気にせずにはいられない。だってこれは、恐らく『原作』に出てこない要素だ。

 

 この世界が『原作』のものと違うということを示唆しているのか、取り除かねば『原作』に合流できない異物の存在を表しているのか、それとも。

 知りたい、そして出来ることならば解決に導いてしまいたい。しかし、俺はどこぞの主人公のような特殊なスキルも、チートも持ち合わせていない。普通の冒険者と何ら変わらない、正真正銘の一般人に過ぎない俺が処理可能な事ではないことはわかる。わかってしまう。

 

 だから、せめて。

 

「それはそうと、入団希望者候補の件……も、芳しくないですよね」

「残念ながら。やはりこの情勢ですと、どうにも厳しいものがありますね」

 

 仲間、特に同【ファミリア】の新しいパーティメンバーが欲しい、のだが。現実はそううまくはいかないもので。

 

 今回、『大量発生』を切り抜けられたのは、共闘者が多くいたからだ。誰一人欠けたって助からなかっただろう、それほどに数はモノをいう。

 パンテオンやイネフさんなど他【ファミリア】の人たちとは偶然組んだだけだし、トルドやシーヴさんたちともいつも一緒にいけるわけではない。いわば固定メンバーが必要だと、そう思い至るのは必然だった。

 

 しかしそもそも母数が小さくなっている時点で、俺たちのような弱小に好き好んで入ろうとする物好きがいる確率は相応に下がるし、その内訳を考えると更に下がる。それはもう地を這うような推移が描けるほどに。

 

 ヒルダさんことうちの主神様は、勧誘活動に関しては全面的に任せてくれと言ってくれてはいる。俺を探索に集中させてくれるための措置だろう、が。彼女の実績の面からしてみると、申し訳ないが不安でしかないのも実情だ。

 

 総合すると、時期が悪い。それに尽きる。

 

 それに、一応戦乙女同盟にも入っているし、協力関係はある、現状もそう悲観するようなものでもない、のかも知れない。

 これは、仲間を得るのはまだまだ先になりそうだ、とノエルさんと苦笑いを交わすと。

 

「あのー、はにゃしの途中失礼にゃんだけど、ちょっといい?」

 

 彼女の肩を、ぽんぽん、と、横から叩く手が一つ。

 それなりにギルドに通い詰めて話なり資料の貸し出しなりしている俺は、小さいその手の持ち主を知っている。

 

「? なんでしょう」

「あ、にゃツガハラさんも聞いてくれます? というかあにゃたの方におはにゃしがありまして」

 

 猫の獣人(キャットピープル)のナターシャ・ロギノフさんは一歩引こうとしていた俺を独特のあざとい言葉遣いで呼び止めた。

 トルドの担当官をしていたりする、ギルド窓口受付嬢の中でもマスコット的存在として非常に親しまれている彼女は、似つかわしくない困ったような微妙な表情を浮かべている。何かあったのだろうか。

 

「俺にですか、なんでしょう」

「実はですね……あちらの方にゃんですけど」

 

 ナターシャさんが手で指し示した方向には、目を疑うような美少女が、いや、間違いなく美少女だと確信させるような人物が、佇んでいた。

 

 白いローブ、目深なフードに遮られ顔は窺えない。しかし僅かに覗く金色に輝く頭髪と、纏う荘厳な雰囲気は、生物として、生命体として美しいということをこれでもかと主張してくる。

 

 この不思議な空気を、ツカサは何度か味わったことがあった、気がした。そう、リュー・リオンや、パンテオン・アブソリュートと初めて出会った時に、感じたものと同じような、少し違うような。

 

「冒険者を希望されてまして。それで、にゃツガハラさんが所属している【ブリュンヒルデ・ファミリア】に興味がある、と」

「うちにですか?」

「ええ、まあ、そうにゃります」

 

 まさかの展開に、内心動揺が止まらない。確かに仲間が欲しいとはいったものの。

 と、いうか。驚きというよりかは、どちらかといえば疑問の方が大きくもある。ローブの女性(多分)には申し訳ないけれど。

 何故うちなのか。今の冒険者事情に鑑みても、これはどう考えても不自然だ。それとも、彼女もまた原作ベル君のようなケース、なのだろうか。それなら納得出来なくもない、むしろそのパターンくらいしかないのではないかと思っていたくらいだし不自然では、ない、といえる。

 

 訝しげな視線を向けていることが相手にも伝わったのか、場の空気を読んだのか、美しく洗練された動作で彼女は無造作にフードの下からその頭部を現す。

 

「エリン・ヴァランシーだ。ナツガハラ、といったか。貴方への質問が少々あるのだが、構わないか」

 

 程よく吊り上がった琥珀色の双眸、つんと高い鼻筋に、凛とした声調を形作る薄い唇、腰の辺りまで真っ直ぐ伸びている、眩い光を放つ金髪、すらりとした細い胴、腰の括れ、胸のささやかな膨らみ。彼女を構成するすべての部分がこれでもかと美しさを表現している。

 

 神威を感じ取れない俺は、この場にノエルさんやナターシャさんがいなければ神かと思い込んでいただろう。それほど、までに。

 

「大丈夫、ですけど……」

 

 当然、そんな美少女と目を合わせられてどもらないはずがない。ヒルダさんならまだしも。

 

 そのごついブーツからは考えられないが、全く足音もなく、一歩、二歩とこちらに近付いてきた彼女は、おもむろに指を三本、立ててみせる。なんか良い匂いがする。

 

「我々が訊きたいことは三つだ。まず一つ目、【ブリュンヒルデ・ファミリア】は探索を主活動としている【ファミリア】か?」

「そう、ですね」

「では次だ。【ブリュンヒルデ・ファミリア】に所属する団員は貴方一人のみか?」

「は、はい」

「三つ目。【ブリュンヒルデ・ファミリア】は結成されてからそう日が経っていない【ファミリア】か、またそれはどのくらいの期間か?」

「できてから約四ヶ月半、くらいだと思います」

「そうか、成る程……」

 

 矢継ぎ早に質問を飛ばしてきたエリンさんは、口を閉じると、顎に手を当て何やら考え込む。

 

 なんだったんだ、今の三つは。何を求めているのだろうか。いや、それより、妙に意識の端に引っかかったのは、彼女の自称。確か、「我々」と言っていた。

 

 呆気に取られていると、同じく困惑している様子のノエルさんが俺の肘をつつき、「戦乙女同盟(あれ)」を言わなくていいのか、と目で訴えかけてきた。

 

「あ、えと、うちは戦乙女同盟というものに加入してまして。同じく戦乙女(ヴァルキュリヤ)が運営する商業系やら幾つかの【ファミリア】と友好関係にあります。一応」

「ふむ。それは、それで都合が良い、かも知れんな」

 

 俺の言葉を受けて、エリンさんは何処かに納得した表情を見せたかと思うと、一人で深く頷く。

 

 俺たちの周囲には、あまり関わりがあると思われる人物は見当たらない。だとしたら彼女には、別行動をとっている仲間がいる、ということ、だろうか。

 もし複数人であるならば、先の問いかけの意図を多少なりとも推測出来るようになってくる。例えば、弱小であるこの【ファミリア】を乗っ取ろうとしている可能性、等も、有り得る。

 

 警戒、しなければ。

 

「では、貴方の主神に会わせてくれ。話がしたい」

「……わかりました」

 

 ここからはギルドの介入はない。俺とヒルダさんとこの美少女、エリンさんの三者の話になる。正直不安しかないが、やるしかない。

 嘘を感知出来るヒルダさんがいれば、それなりに交渉は有利に進められるはずだ。少なくとも、俺が一人で臨むよりはずっと。

 

 

 この出会い、吉と出るか、凶と出るか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、それでは。面接を始めたいと、思います」

 

 俺の主神は、至ってにこやかに会話を開始した。

 

 四人掛けのテーブルの一辺に俺とヒルダさん、対辺にエリンさん。結局、帰路に彼女が誰かと合流することはなかったし、連絡を取り合う様子も見られなかった。だからといって、警戒を解くわけではないが。

 

 前回、『箱庭』での時は、ヘリヤさんカーラさんエイルさんの三柱がいたため、実は俺はヒルダさんの交渉能力をあまり把握できていない。まあ仮にも神なので大丈夫、だとは思う。

 あらかじめ要件は話し合ってあるし、エリンさんの「我々」発言のことも伝えてある。その上で、流れはヒルダさんに任せる。

 

 目標はもちろん、新団員の獲得。

 

 仲間が増えるのは純粋に嬉しい。相手の素性が分からない以上はまだ数の面でしか言及できないが、場合によっては【ファミリア】そのものの活動の幅が広がる可能性すらある。

 

 避けなければならないのは、もしこのエリンさんが俺たち【ブリュンヒルデ・ファミリア】を乗っ取る、あるいは騙すかして罠に嵌めようとしていた場合の被害だ。

 まだうちは団員が俺一人だけなので、どこかの一般的な団体がその気にでもなれば、簡単に壊滅してしまうだろう。逆に、そのためにメリットが見出せない、というのもあるが、動機などは些事に過ぎない。

 

 前もって『戦乙女同盟』を出したのは、単なる判断材料の追加、だけでなく、そのような危惧への抑止力として働くことをも期待してのこと、だったのだが。

 

「よろしく頼む、神ブリュンヒルデ、ナツガハラ」

「うん、よろしくね。それじゃまずは、簡単な自己紹介をしてもらえるかな?」

 

 それにしても。面接というものにはいい思い出はない。ある奴などかなり少数派だとは思うけど。

 現世での、特に大学受験の苦しみが思い出され、俺はまったく関係ないことに胸を痛ませる。

 

 そんな俺とは違い、エリンさんは実に落ち着き払った様子で語りだす。

 

「名はエリン・ヴァランシー。オラリオ(ここ)には、知見を得る為に訪れた」

「ん、それじゃあ、短期間の滞在を希望してるってこと?」

「いや。半永久的に留まるつもりだ」

 

 横目で捉えている限り、ヒルダさんは嘘を感知していない。

 神威が効かない俺の嘘も破れるのだから、恐らく神のその能力は絶対的なもの。信頼できるはずだ。

 

 だと、すると。少し、引っかかるのだが。

 

「ほうほう。じゃあどうしてうちに? こう言っちゃなんだけど、普通はこんな零細より大手に行くところじゃない?」

「規模が小さい方が、都合が良いと考えた結果だ」

「その都合、って?」

「大きい組織では個人の自由が利きづらい。そういった点で、融通が利く、という意味だ」

 

 他にも、なんとなく。態度の面でも、気になるところが。いや、気に食わないとかそういう話ではなく。

 

 うちを選んだ理由がやけにさらりと流されたが、まあ確かに、理屈は通って、いる、のか?

 

「なら、放任主義のところは考えなかったのか? 【ソーマ・ファミリア】とかさ」

「そういったところは、積極的に「奥」を目指そうとしていない。我々の目的に合致していない為、候補には入れなかった」

「えっと、「奥」って……ダンジョンの下層のことか。まあ、そうだろうが……目的?」

「先ほども述べたように、見分を広めることだ。迷宮についての知識を深めたい」

 

 ヒルダさんが何も言わないということは、嘘はないということ。

 正直、ただエリンさんを迎え入れるつもりならば、こんなに問いただすべきではないのかもしれない、とも思う、が。入団すれば、こんなに小さい組織なのだから、どのみち明かすことになるだろうし、結果としては変わらない、と考えていてくれることを願うしかない。

 

 そんなことを、いまだに主神に大きな隠し事をしている俺が願えたことではない、だろうが。

 

「それは、探索をして名を上げたい、とか、一山あてたい、とかじゃなくて。情報収集がしたい、ってことでいいの?」

「認識としてはそれで差支えない」

「……個人的に謎の解明が出来ればそれでいい、のか?」

「有益な情報は適宜公開される方が都合が良いとは思っているが……ああ、外部の者と共有するのか、ということだな?」

 

 まずい、踏み込み過ぎてしまったかもしれない。察しが良いのか、想定していたのかはわからないが、反応が鋭すぎる。

 露骨に警戒していることが伝われば、下手したら交渉決裂どころか【ファミリア】の存亡が危ぶまれかねない。今更だが余計な口出しはせず、ヒルダさんに丸投げした方が良い気がしてきた。

 

「正直に言っちゃうと、私たちはまだあなたを信頼できていないの。不確定だったり不安な要素があればどんどん突っ込んでいくけど、いい?」

「【ファミリア】に加入する以上、それくらいは当然だ、一向に構わない。要求に応じて我々の如何なる情報も開示しよう」

「話が早くて助かるわ。じゃあまず、話の続き。あなたは外部の何らかの組織に属しているか、から訊かせてくれるかな」

 

 面倒くさいやりとりは終わりにしよう、とばかりに二人はさっさと進めていく方向に切り替える。

 いまの言葉だけで、十中八九、組織ぐるみでここを乗っ取られてしまうことを恐れている、という意図が伝わってしまうだろうが、もう仕方ない。ごめんなさい。

 ここまでの感じからいって、彼女の返答はまず間違いなく肯定。知識を得ても保存する先がないのも気になったし、何より「我々」という一人称。逆にひけらかしているようにも思えるそれは、何を思っての発言なのか。

 

「我々は……そちらが言うところの『組織』には、入っている、ということになるだろう」

「その表現の真意は?」

「一般にはそう呼称するだろうが、我々はそうは認識していないからだ」

 

 俺たちから見れば組織であり、彼女からしてみれば組織でない。そんなところか。そんな風にわざわざわかりにくくする理由はわからん。

 

 それにしても。不気味なことに、彼女は先ほどからずっと微動だにしていないし、その上、物音一つ立てていない。なんか、機械のような冷徹さ、とでもいうのだろうか。そんな印象を受ける。

 

 とても、人間では、ない、ような。

 

「それは、後々訊くであろう『我々』という人称とも関係がある。オラリオに別の仲間がいるか、という問いにも繋がる」

「それだけで大体のことに説明がつくようになるってことね」

「まあ、そういうことだ」

 

 彼女は、人間(ヒューマン)でないようには見えない。少なくとも、俺からは。

 

 ドワーフのようにそう筋肉質ではなさそうだし、アマゾネスのように肌が褐色ではなく、獣人に特有の身体的特徴も一切ないし、当然ながら小人族(パルゥム)でもない。唯一ありえそうなのがエルフ、ではあるが、()()()()()()()()ので、それもない。はず。

 

 それでも感じる、この違和感はなんだ。

 

「我々は一であり、全である」

 

 なんだ、哲学かなにかか。

 

 俺は胡散臭さに眉根を寄せるが、ヒルダさんはその逆に、より真剣な眼差しを彼女に向ける。

 

「要するに、組織は我々であり、我々自体が組織。そこに個人などという概念は介在せず、全てが単独で組織である故に我々は、我々という言葉で線引きをしている」

「ん、なるほどね」

 

 口頭で色々と小難しいことを言われても、俺にはよくわからない。ヒルダさんはしっかり理解出来ているらしいが、せめて文章で示されないと俺には無理だ。

 初めから思ってはいたが、彼女、結構、面倒くさい類。堅物、という言葉が似合いそうな感じ。

 

 さっきは否定したけれど、あの種族に似ているように思えてくる……。

 

「よって、組織には属している。ここには仲間はいない。何故我々がそう言うのかは――」

 

 その瞬間、彼女は面接もとい会話が始まってから、初めて。定型ではない行動をとった。

 

 少し目を閉じ。ゆっくりと開く。

 

 外見的には確実に人間であろう彼女は、その薄い唇を小さく動かし。言葉を解き放つ。

 

 

 

「――我々が、『エルフ(elf)』であるからだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オラリオ北東北、住宅街寄りの区画。

 竃の女神ワクナの眷属たち【ワクナ・ファミリア】が経営する食事処、「竃」。主に一般人向けに開かれているその店舗で、今夜は冒険者たちの声が響いていた。

 

「僕はトルド・フリュクベリっす。やー、嬉しいっすね、エリンさん、よろしくっす!」

「此方こそ。あと、敬称は出来れば止めてくれ。好きじゃないんだ」

「了解了解! 私はロザリー! よろしくね! こっちの愛想悪いのがー」

「……シーヴ・エードルント」

「キッカ・カステリーニ! あたしもキッカでいいよ! というかエリン超美人! お人形さんみたいに完璧じゃん! ちょっと、さ、触らせてもらってもい、いいですか……?」

「丁重にお断り申し上げる」

 

 集まっているのは、『戦乙女(ヴァルキュリヤ)同盟』の【ファミリア】の面々。

【ヘリヤ・ファミリア】からはトルド、ヒメナ、グスタフ、【カーラ・ファミリア】からはシーヴ、モニカ、キッカ、【エイル・ファミリア】からはロザリー、ヨシフ。あとは【ブリュンヒルデ・ファミリア】の二名、そして各神々、計十四名。

 

 いわゆる、歓迎会、というやつである。

 

「二人目二人目、めでたいねえ。飲もうぜ飲もうぜ」

「そうねえ。ここは奢ってあげるから飲みましょ~」

「いや、主催はうちだしそれは流石に悪いよ」

「遠慮すんなよ。どうせ飲みたいだけだろうし、気にしなくていいと思うぞ」

「ええ……」

 

 店内は実質貸切と化しており、二十人入るかどうかというところに、各々が好きなように座っている。

 中央の大テーブルには新入団員のエリンと、彼女を取り巻く社交性の高い面々、四人席には女神たち。そしてカウンターに俺、ヨシフ、ヒメナさん。

 

「急だったのに、わざわざありがとうございます。えっと、大丈夫ですか? うるさすぎたりとか」

「全然構わないよ、むしろ大歓迎だ。いつもこんな感じだし、賑やかな方がこっちも楽しいし」

 

 どう見ても小学生としか思えないほどの体躯を持つ女神ワクナは、一端の神らしく、不釣り合いなほど大人びた穏やかな笑みを浮かべてくれる。

 

 原作の女神ヘスティアが割と子供っぽい面が多い印象なので、それを更に幼くしたような容姿の彼女には何とも言えない違和感を覚えてしまう。失礼だから絶対言わないけど。

 

 わいわいと盛り上がっている皆の声を聞いていると、こちらとしても楽しくなる。

 

 結局、エルフを自称する少女、エリン・ヴァランシーは、俺たち【ブリュンヒルデ・ファミリア】に入団する運びとなった。不安要素がないわけではなかったが、彼女は敵意も害意も一切持ち合わせておらず、信用に足るとヒルダさんが判断した。

 その決定に意を挟むつもりはない。むしろ任せた方がいいだろう。そういう方面は、俺より彼女の方がずっと優れているだろう。本職戦乙女だし。

 まあそんなこんなで、主に『戦乙女同盟』への通達を済ませ。歓迎会をしよう、という提案が女神たちの間であがり。そういえば【ワクナ・ファミリア】が経営する店があったはずだ、頼んでみよう、となり。その翌日の夜。

 

「おうツカサ、来てくれたのか。ありがとな」

「……どうも」

 

 赤髪の青年と、言葉少なな小人の女性が、料理の皿を運びつつ言葉を投げかけてくれる。負傷は、もうどこにも見られない。

 

「是非とも、今後もご贔屓に頼むよ~」

「はい、もちろん」

 

 過去二回の『大量発生』(イレギュラー)を共に生き抜いた仲間であり、原作のキャラクターに酷似した外見を持つ不可解な二人、イネフさんとカテリーナさんが給仕に動き回る。それが佳境に入ったと見るや、ワクナさんは店の奥へ駆けて行った。

 

 聞く限り、【ワクナ・ファミリア】の眷属は現状四人。ワクナさんも合わせて計五人で切り盛りしているらしい。残りの二人は厨房だろうか。

 

 見かけだけでなく、その声も、恐らく人格も。俺が知っている人物達と被る部分が非常に多いこの【ファミリア】は、俺からしてみれば不可解極まりない存在であった。善人であることはほぼ確定してはいる、がしかし、「なにかある」こともまた、同様に確からしい。

 

 現状、何のために、どうして俺がこの世界にいきなり来てしまったのかについての手掛かりは何も無いのだ。

 そのために、まず調べてみるべきは、原作との乖離が起こっている点。一つ目は言わずもがな『大量発生』であり、二つ目は今の世界のオリジナルキャラクターとでもいえる人物たち。前者は俺単独での攻略が困難なため、今出来ることは自明に後者のみ。

 その中でも最も特異であると思われるこの【ファミリア】にならば、何かあるのではないか、と目星を付けている。リリルカ・アーデやヴェルフ・クロッゾに似た人物がいるなら、女神ヘスティアに似た竃の女神がいるならば、きっと。

 

「ナツガハラさん、ですか?」

 

 

 原作主人公、ベル・クラネルに似ている人も、いる可能性が高い、と。そう、考えていた。

 

 

 白髪に赤目と、まるで兎のようなカラーリングの少年が。

 

 

「仲間がお世話になったようで。どうもありがとうございます」

「ぁ……いえ、こちらこそ。それに、俺一人の力ではなかったので」

 

 少しだけ。呼吸が乱れる。予想はしていてもやはり頭が追いつかなかった。

 

 料理を出し終えたのか、厨房から出てきた一人の青年が笑みかけてくる。

 

 歳は、俺と同じくらいだろうか。二十前後くらいに見える。落ち着いた穏やかな雰囲気を纏い、立ち振る舞いも爽やかで自然。しかし声はそれなりに高く、特徴的な感じ、というか松岡さん。白い髪は恐らく原作より長めで、どちらかというと中性的な印象を抱かせる。紅い瞳に宿った幾許かの憂いは、大人っぽさを醸し出す。

 

 ヴェルフ・クロッゾに対してのイネフ・マクレガーと同じく。ベル・クラネルが成長したらこうなるだろうな、というその人物は、すっと手を差し出してきた。

 

「それでも、貴方のお陰でうちの団員が助かったのは事実です。【ワクナ・ファミリア】団長として、感謝を」

「恐縮、です。えっと」

 

 彼の手が、俺の右手を力強く、それでいて優しく握る。

 

「クロッシュ・ソナーです。【ウルスラグナ・ファミリア】の方たちにもお伝えください。ここにお誘いいただくのも歓迎しますよ」

「紹介しておきます」

 

 前に会ったことのある、原作キャラクターのリュー・リオンさんとはまた別の。圧倒的なまでの存在感を放つ彼は、明らかに俺なんかとは格が違う、それだけはすぐにわかった。

 

 少なくとも、Lv.1ではない。2か3かはわからないが、纏うオーラは強者のそれ。か弱い兎など、連想できるはずもない。

 でも、如何に中身が違おうとも、何かしらの関係はきっとあるはずだ。こんなに原作主要キャラ達に似通った人々がいて、偶然でした、では済まされないだろう。

 気になる、というよりは。これは、()()()()()()()()()()()要素では、ないのか? これは、前の『大量発生』と同じく、原作の世界とズレている部分なのではないか?

 

「では、僕はこれで。まだ仕事がありますので」

 

 確かめようかどうか、訊くかどうか。俺が意を決する前に、クロッシュは厨房へ戻っていってしまう。

 

 その背に、声をかけることは、できなかった。

 まだ、わからないことが多すぎる。この世界に来て四ヶ月、生活に慣れるのには十分な期間だが、理解するには短すぎて話にならない。

 彼がもしベル君と関わりがあるならば、女神フレイヤは、ゼウスは、ヘスティアはどう関係してくる? 他のメンバーは、ヘファイストスやソーマ、タケミカヅチは? 世界のシステムと直結している神々はこれの一端を担っているのか? 俺がここにいることと何の因果があるんだ?

 

 わからない。

 

 手がかりも心当たりもヒントも何もない現状では、動きようがない。ゲームの中ではないのだ、セーブも出来ない以上は全て一発勝負、そんな、間違えれば即終了の可能性があるうえやり直しがきかない状況で、無闇に行動するのは自殺行為にも等しい。それは勇敢ではなく無謀という。

 先の見えない暗闇に足を突っ込むのが、怖くて仕方がない。捉えどころのない恐怖が、俺の声を喉の奥に縫い止めていた。

 

「ツカサ、どうかしたのか?」

 

 俯いて固まっていた俺の顔を、ヨシフが訝しげに覗き込んでくる。彼の手を視界に認めたところで、思考が回り出す。

 

「あ、いや……なんでもない」

 

 本人達に直に訊くのも、他人にその疑問や思考を漏らすことも、してはならない。何に繋がるか知れたものではない、危険は極力避けるべきだ。

 かといって、不自然な反応をしておいて本当に何もないというのも相当に怪しいし。どう返したものか。

 

「クロッシュ・ソナー。通称『鮮血の兎(ブラッド・ラビット)』のクロ。探索において名を馳せたLv.3ともあろう強者が、何故最近になって飲食店経営なんかに興じているのか、気になっている。とか」

「え」

「ほう」

 

 答えに窮しているところに、ヨシフの向こうからヒメナさんの独り言じみた言葉が飛んでくる。はっとして目を向けるも、しかし彼女はもうスープに口をつけて前を向いていた。

 これは、助け舟、ですか。

 

「そう、不思議なことではないとは思うけど、な。シーヴさんの例もあるし」

 

 シーヴ・エードルント、【カーラ・ファミリア】団長の彼女は、服飾関連の仕事をしたくてオラリオに来たし、今は店も開いている。残念ながら本人は別の部署を預かっているのだが、それはまた別の話。

 けして珍しいわけではない、はずだ。探索系だけが【ファミリア】じゃない、【ヘファイストス・ファミリア】や【ゴヴニュ・ファミリア】のように鍛冶を生業とするところや、【ディアンケヒト・ファミリア】のような店舗系や【デメテル・ファミリア】という農業系まで存在する。形は多種多様、自由だ。

 

「まあ、そうだろうね。でも、確かに。気になるところはあるね」

「……だな」

 

 先ほどのヒメナさんの情報からすると、彼はシーヴさんのように成り行き上、というわけではなく、望んで探索系【ファミリア】につき、レベルを上げたように思われる。

 だとすると、そこには転向理由があるだろう。その点は割と、気にはなる。本筋ではないにしても。

 

「トラウマ、だとしても。多分うちには来てないね。応対した覚えがないよ。……話も、聞いたことはないかなあ」

 

 ヨシフが所属している【エイル・ファミリア】は、一般人には病院として、冒険者には精神のリハビリ施設として運営されており、彼はそこで経験を活かして主に働いている。仕事上、同業者と情報を共有する機会も多いはずで、クロッシュが訪れていれば彼の耳には入るだろう。

 

 いや。

 

 他の病院の精神科にかかっているのかもしれないし、治す気がない可能性だってあるし、そもそも原因はまったく違うことかも知れない。

 

「限界を感じたとか、諦めたとか、満足したとか。引退の原因はいろいろあるからなあ」

「僕としては、申し訳ないけど、勿体無い、って思っちゃうな。やっぱりさ」

 

 冒険者の大半が辿り着けないとされているLv.2を上回るLv.3。そこまで到達していながら、彼はそこで降りた。

 探索に行きたくても行けない奴もいる。そういう人間からしてみれば、とんでもなく贅沢な選択に思われて仕方がないのだろう。

 

 ヨシフの眼は、クロッシュに何を写したのか。

 

 俺には、わからない。

 

「平気だったら、パーティでも組んでもらえないかと思ってたんだけどな」

「厳しいねえ」

 

 解消してからしばらく経つが、やはり、未だにスハイツさんと組んでいたときの感覚は忘れ難い。

 圧倒的強者に背を守ってもらえる安心感。それがあるから俺は積極的に戦闘をこなしていけた。短期間での大幅なスキルアップに繋がった。その意識が残っていたから、前の『大量発生』を生き残ることが出来た。

 

 だがしかし、そうは言っても頼り切ることもよくはない。あのまま続けていれば、スハイツさんのような格上に帯同してもらわなければすぐ死ぬような奴に成っていた可能性も十分にある。

 そんなわけで、今回はクロッシュと組めないということは、俺にとってはよかった、のかも知れない。

 

「ま、トルドももうすぐいつものように出掛けるだろうし、しばらくはエリンさんと二人かなあ」

 

 それでも、一人でないというのは相当大きい。

 相手が弱かろうが強かろうが、関係はない。弱ければ慎重になるし、フォローにまわる必要が出てくる。人数が増えること自体が、生存率の上昇に直結するのだ。

 油断しないこと、身の丈に合った冒険をすること、などがまず前提になってくるが、それでも精神的にはだいぶ楽になることは間違いない。

 

「もう彼女の実力はみたのか?」

「いや、まだだ。明日あたりシーヴさんと一緒に初探索の予定……なんだけども」

 

 俺だけではやはり難しいかも、ということで、付き添いをしてもらうことになっている。俺には、『付き添う側』の経験が皆無だから。

 しかし。ちらりとテーブル席の方へ目をやると。

 

「もう一杯」

「はーい」

「……シィ、そろそろ止めたら? 明日迷宮(ダンジョン)行くんでしょ?」

「やめときなロザリー、無駄だって。わかってんでしょ、こいつ飲み始めたら止まんないんだから」

「ん、大丈夫。まだいける」

 

 当のシーヴさんは、もう何杯目かわからないお代わりをワクナさんに追加注文しては即飲み干す、を延々と繰り返している。

 明日、本当に大丈夫だろうか? 一抹の不安がよぎるのだが。

 

「そーだもっといけシーヴ! どうせエイルの奢りなんだ、飲め飲め!」

「おいおいあんまり煽るなって。ほらヒルダからも何か……って、寝てるし」

 

 場の雰囲気的にも、実力的にも。今のシーヴさんを止められる人はいない。いくらいつもは温厚な人とはいえ、酔ったLv.3に近付くのは危ない。

 

 あの様子だと、きっとまだまだ飲むつもりなのだろう。夜は始まったばかりだ。

 

「駄目かも、しれないな」

「一応、覚悟はしておくか……」

 

 普段は冷たく凛としているシーヴさんの顔は明らかに紅潮しており、その目はとろりとろりと揺れて、心なしか狼耳もくたりと垂れているようにも見える。あれは多分無理なやつだ。

 

 二人でも、なんとかなるとは、思うけれど。

 

 苦笑いを浮かべながら、身体をカウンターの方へ戻そうとする、その刹那。ぞわりとした感覚が、全身を駆け巡る。

 

 

 空になったジョッキたちが並んでいる向こう。いつの間にか、輪の中心から外れていたエリンさんと、ふと目線がかち合う、というよりは。わざと、()()()()()

 

 

「……!」

 

 気付けば、周囲の喧騒が既に遠ざかっていく。賑やかな居酒屋の内装が、他の人物たちが、色褪せて、存在が希釈されていく。

 

 世界が、狭まって。俺と、エリンさんと。二人だけに、なる。

 

 温度がどうとかの話じゃない、醒めきっている。完全に据わった眼というものを、初めて直視した。

 

 釘付けにされたように、目を逸らせない。逃げられない。彼女に、囚われている。黄褐色(アンバー)の瞳が、俺を縛り付けている。

 

 怒っているような? 違う。

 

 軽蔑し、嘲笑うような? 違う。

 

 落胆、しているような。何か、中身を、奥底を、覗き込まれているような。

 

 この世ならざる一対のそれを、どう形容したらいいのだろう。

 

 

 そう、これは――

 

 

「おうツカサ、ちょっといいか?」

「! あ、なん、でしょう」

 

 肩を叩かれ、硬直が解ける。驚くべきことに、何秒間にも、何十秒間にも感じられたその一瞬がまるで嘘だったかのように、エリンさんはトルドと向き合って話をしている。ずっと、そのままだったかのように。

 

 眼の錯覚でも、幻覚でもない。確かにあったはずのその時間は、消え去っていた。

 

 エリンさんの目に呑み込まれそうになっていた俺を引き戻したイネフさんは、先程までとは少し違った様子で。

 

「あー、その、敬語はやめてくれ。なんかむず痒くなっちまう。っと、じゃなくてだな。いや、それもあるんだが」

「?」

 

 妙な態度で言葉に詰まる彼は、困ったように顔を歪める。

 

 頭を掻き、顔を俯けるイネフさん……イネフ。の、身体に隠れるようにして、カテリーナさんが若干怯えるような面持ちで此方を見詰めているのにも気付く。

 

 二人揃って、何か用だろうか。一応、礼とか恩とかそういうのは無しにしようという事の運びにはなっていたはず、だけれども。

 

「えぇと、前もって言っておくが、これはこの前の事とは直接的には関係ねえし、聞いてくれてもくれなくても構わねえ。実質的にはただの俺らの我儘みたいなもんだからな」

 

 それを踏まえた上で頼む、とイネフは続ける。

 あれ、こんな展開はどこかで読んだ気もするぞ、と思った時には、次の句は紡がれていた。

 

 

 

「俺たちを、お前のパーティに入れてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一八話 水面下に蠢く

  
 次いで彼女は、少し苦い顔をしながら言った。

「私は、医者になんてなる気はなかったわ」



 歓迎会の翌日。【カーラ・ファミリア】本拠兼店舗、「星空の迷い子」前にて。

 

「えっと、「ごめん、頭痛い。無理」だそうです」

「やっぱり」

 

 

 言わんこっちゃない。という言葉は押し留め。

 

 モニカちゃんからシーヴさんの苦しげな言伝を受け取った後。俺とエリン、イネフ、カテリーナさんの四人は、バベル二階の冒険者食堂の片隅で、出撃前打ち合わせ(ブリーフィング)を行っていた。

 朝は朝だが早くはなく、割と人は少なめ。別にそんな心配をする必要はないが、盗み聞きされる可能性は薄い。交渉には向いている。

 

 外見は多少異なるものの、原作の挿絵や画面越しで見ていたキャラクターと会話をする、ということは何か変な感じがする。妄想なんかじゃ味わえない、存在の圧が肌にキて堪らない。

 

「なあ、本当にそんなんでいいのか? こっちとしちゃあ助かるんだけどよ」

「実を言うともっと取っていってもらいたくはあるんだけど」

「あー、いや、もういい。それでいこう」

 

 頭痛がする錯覚でも引き起こしているのか、イネフは片手で額を抑え、片手で俺を制す。

 

 交渉は別に得意なわけではないけれど。今この場を掌握、というか、主導権を握っているのは俺だった。驚くことに。

 話は簡単だ、スハイツさんの時と同じ条件、きっちり山分け。エリンと俺、イネフとカテリーナさんで二対二、数としては丁度いい。戦力的なことを考えると、【ワクナ・ファミリア】の二人にもっと持っていってもらっても一向に構わないのだが。

 間違いなく、彼らの方が強いはずなのだ。こちらが同行を、頭を下げてまで()()()()側であるわけがない。

 故に、何か理由があるのは確かだった。しかしそれが前回の『大量発生(イレギュラー)』に関係があるものなのか、クロッシュや【ワクナ・ファミリア】自体の問題に依るものなのかは定かではないうえ、こちらも詮索する気はない。エリンについてですら不明なことが沢山ある現状に鑑みて当然である。

 

 まあ、単純に戦力が増えるのは嬉しいし良いことだろう。『戦乙女同盟(ヴァルキュリヤリーグ)』以外で繋がりを作るのは俺たち零細【ファミリア】にとってはとても重要だ。

 

「報酬条件はそれでいいとして、【ステイタス】はどこまで開示すりゃいい? ツカサには俺の魔法、割れてるよな?」

「ああ、そういえば。範囲は……戦闘に関わる魔法は共有したいかな。スキルも場合に依っては」

 

 この業界において、【ステイタス】はなるべく秘匿すべき個人情報である。数値から能力を推定することも出来るし、魔法やスキルの把握の有無は対峙した時の対応に大きく影響し、対人の状況に限るが、生存に直結する。

 レベルを偽るとか、希少なスキルが知れることを防ぐため、なんていう場合もあるが、総じて【ステイタス】は簡単に教えるようなものではない。

 

 何も口を挟まず、俺の隣に座っているエリンに目線を遣る。否定の意思を一切込めていない瞳が覗き返してきた、一先ずは肯定ということか。

 魔法もスキルも、何の技能も有していない俺と違い、エリンは最初から()()()()()()()()。そのため、こちらが晒すとしたら彼女の魔法に関してのみになるのだ。

 

「前のことから、お前は信用できる奴だと思ってる。その仲間のヴァランシーもな。……っつーわけで、いいか?」

「私は、構いません。あなたがそう決めたなら、それで良いと思います」

 

 何の事は無し、というように、カテリーナさんは小さく、短く首肯する。

 それはエリンのそれとは全く別種、異議無し、と意見を表すのでなく、決定権は要らない、と、責任を放り出すような、そんな意思表示に感じた。

 

「んじゃこれ、俺らの【ステイタス】な。そっちのはまた今度でも」

「いや、丁度持ち合わせてる」

「おお、用意がいいな」

 

 イネフが懐から二枚の紙を取り出す、それに合わせて俺も二枚、神聖文字(ヒエログリフ)から共通文字(コイネー)に直した、【ステイタス】を記した紙を卓上に置く。

 こんなこともあろうかと、回復したときに更新してもらった俺のものと、昨日契約したエリンのものを持参してきたのだ。

 

 

 

 イネフ・マクレガー

 

 Lv.1

 

 力:B 712 → 714 耐久:A 809 → 814 器用:A 865 → 866 敏捷:E 488 → 491 魔力:C 635 → 638

 

 《魔法》

 

【ジャック・オー・ランタン】

 

 ・魔力拡散魔法

 ・詠唱式

 【弾け飛べ、限外の異形】

 

 《スキル》

 

魔力製錬(ソルシエ=アルチザン)

 

 ・魔力と精神力を混同する

 

 

 

 

 

 カテリーナ

 

 Lv.1

 

 力:D 588 → 591 耐久:D 562 → 566 器用:B 723 → 724 敏捷:C 661 → 663 魔力:D 511 → 512

 

 《魔法》

 

【サン・リオン】

 

 ・偽装魔法

 ・具体性欠如の際は失敗(ファンブル)

 ・詠唱式

 【灰に堕ち、灰を擁き、灰を着飾れ】

 ・解呪式

 【榛の樹は揺れる】

 

 《スキル》

 

英雄渇望(アルゴノゥト)

 

 ・能動的行動(アクティブアクション)に対する強化(バフ)付与権

 

 

 

 

 

 ナツガハラ・ツカサ

 

 Lv.1

 

 力:E 402 → 420 耐久:E 459 → 480 器用: D 566 → 582 敏捷:F 385 → 397 魔力:I 0

 

 《魔法》【】

 

 《スキル》【】

 

 

 

 エリン・ヴァランシー

 

 力:I 0 耐久:I 0 器用:I 0 敏捷:I 0 魔力:I 0

 

 《魔法》

 

【ベイナ・アウラ】

 ・発現魔法

 ・詠唱式

 【✳︎】

 

【アルナ・バニ】

 

 ・再生魔法

 ・詠唱式

 【悠遠の彼方に座する我らよ

  遼遠の果てに散り開く我らよ

  須臾に我らが故郷(アルヴヘイム)に集え】

 

 【】

 

 《スキル》

 

【全個総一】(オール・フォー・オール)

 

 ・同一個体による能力互換

 ・展開式

 【我々は唯一にして無限、極限にして原点。遍く存在せし断片は此の号令に依り、今ここに顕現す】

 

 

 

 なんというか。

 

 予想はしていたものの、彼らの【ステイタス】、いや、《魔法》や《スキル》は、原作キャラ、ヴェルフ・クロッゾとリリルカ・アーデに寄っているものであった。こう言ってはなんだが、突っ込みどころ満載だ。

 しかし動揺は見せてはいけない。俺は彼らの【ステイタス】を初めて知ったのだ、既知のものは一つもない。エリンさんにはバレていそうだが。

 

 とりあえず、イネフの《魔法》を指で示す。

 

「この魔法がモンスターを()()()()()()やつ、だよな」

「おう、そうだ。こいつは主に魔石に反応して、魔力を拡散させる――つまり、爆発させる」

「一撃必殺じゃないか」

「それはそうなんだが、その実そこまで使い勝手は良くない。めちゃくちゃ精神力(マインド)使うし、格上には通用しないし」

「なるほど……じゃあゴライアスとかを殺せるようなモノじゃないんだな」

「あいつレベルの魔石は俺が精神疲弊(マインドダウン)まで頑張っても砕けねぇだろうな。なんだ、見たことあんのか?」

「いや、話と絵を見聞きしたくらいだ、あんなデカい奴とは戦いたくない」

「そりゃそうだ」

 

 類似している、というわけではなく。方向性とか、性質に同じ傾向が見出せそうな感じ。

 ヴェルフ・クロッゾの魔法は【ウィル・オ・ウィスプ】という対魔魔力魔法(アンチ・マジック・ファイア)、つまり魔法を封じるもの。それに対して、この魔法は魔力そのものを否定し打ち砕くという。

 

 制限付きの対魔物限定、ただし問答無用で弾けさせる。そういう魔法。

 

「じゃあこのスキルは? 効果の想像がつかないんだが」

「こいつは……実物を出した方が早えな」

「実物?」

 

 そう言って、イネフは腰に差してあったいくつかの小さな剣のうち、一つをゆっくり抜く。

 

 本来なら、鉄や鋼で拵えられた剣の身は、鈍色かそれに似通った色に光っているはず。それはこのファンタジーであるダンまちの世界でも、変わらないはずだった。

 だが、彼が持つ短剣の刃は。

 

「紫……?」

 

 鮮やかな、紫紺。

 

 光を浴びても全てを跳ね返さず、低めの透明度を保ちつつ穏やかな光沢を持つそれは、まるで。

 

「魔石、を加工したものだ」

「そんなことが、出来るのか」

 

 原作の描写からも、モンスターの核となっている魔石の硬度は高くなく、破壊が容易であることは読み取れる。実際に、簡単な刀剣であっても切ることが可能なのだ。少なくとも、それを刃物に加工しようと試みる者を聞いたことがないくらいには。

 

「ああ、出来る。精神力を混ぜることによって強度が増すんだ。仕組みはさっぱりわからんけどな」

「混同って、そういう」

「これはこれである意味の『魔剣』だな。本家の効果には及ぶべくもないが」

 

 そうきたか。

 

 この世界では、魔法を込めた剣、魔法を放てる剣のことを魔剣と呼んでいる。それは高い鍛冶スキルを持つ者、またはクロッゾという一族のみが打てるものであり、一般人は作成不能となっている。

 そのため、冶金に就いている風でもなく、クロッゾでもない彼が、ヴェルフの特徴的な要素の一つである魔剣にどう関係してくるのかと思っていたら、魔剣の方を変更してくるとは。

 

 魔「石」剣の持ち手を捻り、立てて見せるイネフは得意げな顔をする。

 

「こいつは魔法を撃てない。ただし、使ってる魔石を持っていたモンスターと同じ種類のモンスターは、装甲とか、防御とかを一切合切無視して斬り裂ける」

 

 つまりは、ゴブリンの魔石を使用すれば対ゴブリン最強の武器に、カドモスの魔石を使用すれば対カドモス最強の武器が出来上がるということだ。

 キラーアントだろうが、ハード・アーマードだろうが、何だろうが。恐らくは、それこそゴライアスだろうが、三大冒険者依頼の三体だろうが、何の問題も、手応えもなく断てる、と。

 確かに、その性能は正に魔法の如き剣と称しても良い代物だろう。発展アビリティ、狩人の究極形のような感じか。

 

 自慢できて満足だ、とばかりに魔剣を仕舞い込むイネフは、自分の【ステイタス】を除け、カテリーナさんの【ステイタス】を俺たちの前に寄せた。

 

「俺はこのくらいだ。次はカティアの……あ」

「この際です、カティアか、リーナで呼ぶようにお願い致します。戦闘中に私の名前は長いかと思われるので」

 

 うちの主神は勿体ない、って言ってそのまま呼ぶんだけどな、とイネフは言うが。

 ヒルダさんのことを未だに愛称呼び捨てに出来ていない時点で察してほしい、俺はそういう名前の色々はどうにも苦手なのだ。多種多様な人々が集まるオラリオでは普通なのだろうけれども。

 

「では、カティア、と呼ぶことにしよう」

「はい。どうぞ宜しく」

「同様に、我々はエリン、と呼び捨ててもらって構わない」

「おう、了解」

「わかりました」

 

 そんな俺を知ってか知らずか、エリンさんは当然のようにカテリーナさんを呼び捨てにしていく。

 しかしここで怖気付いているわけにもいかない。もうすぐ二十歳になる、コミュニケーション能力くらいは人並みにしなければ。

 

「よ、よろしく頼む」

 

 カテリーナさ……カテリーナは、軽く会釈を返してくれる。彼女はイネフやクロッシュと違い、原作のリリルカ・アーデの容姿そのものなので、違和感が半端無い。

 

 俺の齢といえば。今まで気にはしていなかったが、ここでの暦はどうなっているのだろう。現世と同じとみていいのだろうか。でもそんなことを訊けばこの世界の住人でないことまでバレやしないか。カレンダー的なものを意識して探すようにしよう。

 

 まあ、今はカテリーナに関して、だ。

 リリルカ・アーデの魔法は【シンダー・エラ】。シンデレラをもじったものだろう。自分の姿を変更する効果からもそれがわかる。

 

 対して。カテリーナの魔法は。これもシンデレラをモチーフにしたものだとしたら。恐らく、フランス語訳、サンドリヨンをもじったものである可能性が非常に高い。だからどうした、という話ではあるが。

 

「私の魔法は、他人の外見を偽装するものです。効果範囲は私と対象以外。神には通用しません。合意があれば対象の精神力を消費する仕様に切り替えられます」

「掛けられた側が解除することは?」

「可能です。解呪式を述べれば戻ります」

 

 やはり、見た目を変える魔法。だがこれは自分自身ではなく、他の人の外見を変化させるもの。使い勝手はそこまで良くなさそうだ。

 

 ここで、ある疑惑が持ち上がってくる。

 彼女ら【ワクナ・ファミリア】は、もしかすると、彼女の魔法によってその外見を【ヘスティア・ファミリア】に寄せている、かもしれないという、考えが。

 何故微妙に異なっているのか、カテリーナだけ他の人たちと比べて似通っているのか、などなどわからないことは多くあるが、その確率自体は揺るがなく存在する。そもそもそんなことをする理由も判明していない以上は、追求することも叶わないけれど。

 

「変更後の姿は、私か対象のイメージに依存します。自由に構築することも出来ますが、模倣が無難ではあります。消費する精神力量に依っても精度を向上させられます。他に質問は御座いますか?」

「無理やり掛けたとして、相手はそれに気付ける?」

「難しいとは思います。ただし、私の視界から外れると維持するための私の消費精神力量が跳ね上がる為、長くは保ちません」

 

 逆に、相手の同意があれば離れていても偽装を継続出来るということだ。制限が厳しいのか緩いのか、いまいち判然としない。

 でも、使い方次第で化けそうな魔法ではある。

 

「次ですね。【英雄渇望】ですが」

「これは、トルドに使ってたやつ?」

「はい。光る粒子が対象者の身体に付き、一度だけ、『英雄の一撃』とも言える攻撃、または何らかの行動を起こすことが出来ます」

「超高火力ってだけ、じゃない?」

「状況に最適なものが適用されます。距離が必要な時は射程が、敏捷性が不足している時は速度が。丁度良い奇跡が働きます」

 

 前の大量発生では、俺がモンスターに群がられた時に、トルドがその『英雄の一撃』を放っている。

 しかしそれは、俺の周囲のモンスターのみを斬り飛ばすという、今思い返してみれば不可思議なこと極まりない、ナイフ一本では到底不可能そうなもの、だった。

 それもまあ、所謂御都合主義だとか、主人公補正の様な代物が影響を及ぼしていた、ともなれば、納得出来ないこともない。

 

「何らか、ってことは攻撃以外もか」

「はい。跳躍、疾走、防御等でも同様に、適切な出力の補正が得られます。私の意識と引き換えに、ではありますが」

 

 術者本人の戦闘不能を代償に発動する、一人に対する絶大な強化。起きるまでの再使用時間を考えると一戦闘で一度きりの、正真正銘の切り札。

 ベル君が持っている【英雄願望】とは毛色が違う、英雄の登場を待つ人のスキルだ。

 

「私は以上です。他に特筆すべき点は持ち合わせていません」

「じゃあ、次は俺、だけど……」

 

 自分の【ステイタス】が書かれている紙に触ろうとして、やっぱり手を引っ込めた。

 ちょっと申し訳なさそうに、イネフが苦笑いしてくれる。有り難いような、恥ずかしいような。いや、俺がおかしいのではなく。

 

「俺は、魔法もスキルも持ち合わせていない。戦闘用かどうかは関係なく、何もだ」

「この数値の伸びは? 普通に考えたら相当なもんなんだが」

「これは大量発生の数日前から貯めてた分と、当日に相当数を倒した分と、大量発生で倒した分の経験値(エクセリア)を一遍に更新したからで、特に秘密なんかはない、んだ」

「当日に相当数? 食料庫(パントリー)での戦闘とはまた違うのか」

「あの日は経験値稼ぎの為に潜ってたから。二人を見かけたのはその帰りだ」

「そうなのか。でも、なのにあの動きだったのは凄えと思うが」

 

 生肉防衛作戦などというふざけた行動をしていたからこそ、疲れ切る前に早めに帰路に着き、シーヴさんが帯同しており、パンテオンら【ウルスラグナ・ファミリア】と合流出来た、と考えれば、結果的には大正解になる。

 

 それにしても。改めて見てみても。俺の【ステイタス】は平々凡々もいいところではないか? 仮にも異世界から来ているのだから、もっとこう。

 

 いや、駄目だ。

 

 望んじゃいけない。主人公のような力も、技能も、能力も、英雄みたいな人望も、身体も、活躍も。

 俺はそんな高貴な魂を持ち合わせちゃいない。無垢でもない、と思う。そんな俺がチートを手に入れればきっと、堕落してしまう。終わってしまう。

 

 ()()()()()()()。あんなことがあったにも関わらず、今もこうして生を享受している。つまり、続きがあるということだ。紡がれるに足る理由と未来を擁して、物語が続いているということだ。だとすれば、困難はまたやってくる。きっと、ではなく、確実に。そしてそれは、段階を踏んで難度を増していくことだろう。

 

 最初からチートを与えられていたなら。初めから無双出来ていたなら。いきなり力だけを手に入れたとして、俺は使いこなせただろうか。そこから成長出来ていただろうか。闘いなど経験することのない日本で生まれ育った俺が、まともに戦えただろうか。

 無理だ。このまま原作まで生き延びる為にはあと四年半近くもある、その間ずっと、進歩し続けられる気がしない。

 

 全て、()()()()()()()()()()()という仮定の元に成り立つ仮説に過ぎない、が、そうとでも思わないとやってられなくなる。

 だから。

 

「あれはパンテオンの補助があったからだよ、俺自身が強いわけじゃない」

 

 これでいい。

 

 それ以上の追求を拒むように、そそくさとエリンさんの【ステイタス】を一番上に持ってくる。申し訳ないが、後は頼んだ。

 

「ん、っと、エリンは、つい先日契約したんだってな。だとすると、これらは先天性のものか?」

「ああ。魔法もスキルも、我々の種族特有の性質を反映したものがこうした形で表れていると思われる。ただ、効果の想定は可能だが試してはいない。迷宮に入ったときに実演と説明を、と考えている」

 

 一見したとき、わりと真面目に自分の目を疑ったものだ。だってエリンの【ステイタス】はまるでチート系または無双系オリジナル主人公のそれだ、最初から魔法二つ、スキル一つが備わっているとか何それずるい。

 俺のものとは全く違う。これが才能の差というやつか。彼女はスペック的に大当たり枠に違いない。初見でヒルダさんが絶句するのも至極自然であった。

 

 しかし。どうやら能力的には非常に優秀である彼女には、俺たちからみて、決定的に不可解な要素が存在する。

 

「実演と説明のところはいいんだけどよ、種族特有、ってのはどういうことだ? ドワーフにも小人(パルゥム)にも見えねえし、アマゾネスや獣人の特徴も持ってねえしよ」

「ふむ、やはり我々の種族差は認識され難いのか」

「外見は人間(ヒューマン)と変わらないからな。パッと見、違いはわからないんだ」

「するとツカサ、お前もそうだったりするのか? 人間じゃなく?」

「いや、俺は人間だよ。エリン、だけだ」

 

 敬称略を言いつけられてはいるが、なんとも慣れない。俺より落ち着きがあるし大人びてるし。

 

 そう、この金髪美人は、理解出来ない言動、誤解を招くような表現を用いる。それはいくつかあるが、一際印象的なものとしては、彼女が自らを指すとき、必ず「我々」と呼称することと。

 

「我々はエルフ。世界と共に生き、終末を見届ける為の存在だ」

 

 この、エルフを自称すること、であった。

 

 驚くべきことに、彼女のその発言に、ヒルダさんは嘘を感知しなかった。虚偽であることがあまりにも明らかになっているのにも関わらず。

 種族の定義について、その根底を揺るがす宣言に、イネフのみならず、終始無表情を貫いていたカテリーナですら動揺を見せる。

 

「エルフ? に、しては……確かに容姿は整っちゃいるが、でもよ」

「耳、が、尖っていない様に見受けられます」

「そう、それだ。そこが俺たちの知るエルフと違う」

「違う、と言われてもな。真実であることに変わりはない。神ブリュンヒルデにも保証はされている」

 

 エリンは、エルフである。しかし、耳が長いという特徴や、この世界のエルフについての一般的な認識を持ち合わせていない点で、どう考えてもエルフではない。

 しかし、そこは何でもありの街オラリオの住人とでもいうべきか、彼らはそう時間をかけず冷静さを取り戻してゆく。

 

本当(マジ)、かよ」

「まあ、そういうことになってる」

 

 その点については俺も困惑している。現世ではファンタジーにもまあまあ精通してはいたが、エルフについてそこまで詳しいわけではない。

 ただ、【アルナ・バニ】の詠唱式の中に含まれている『アルヴヘイム』という単語は覚えている、エルフの故郷、であったはずだ。それと酷似した音が【ロキ・ファミリア】のリヴェリア・リヨス・アールヴの名前に含まれていることからも、元ネタであることは推測出来る。

 だが、まだまだわからないことだらけだ。現世のことを下手に知られても困るのでヒルダさんと話し合うことも憚られる、実質手詰まりだ。

 

「他に訊く事は有るか?」

「じゃあ、この【ベイナ・アウラ】の詠唱式が無いのはどういうことなんだ?」

「発現魔法は、詠唱式の形式そのものが性質を決定する。つまり、火を語れば火が、風を語れば風が属性となり、槍を謡えば槍として、砲を謡えば砲として形を成し、爆裂を願えば爆裂を、穿通を願えば穿通を現象として起こす事になる」

「え、っと?」

 

「敵を貫く火の槍でも爆発する風の弾でも、詠唱式で表せばその通りの効果が出る、ってことだ。そういう魔法、なんだと」

 

 要するに属性も形も能力も、全てを詠唱で変更、決定するというなんとも原作ブレイクな魔法。レフィーヤ・ウィリディスの【エルフ・リング】も涙目である。

 

 まったく、盛り過ぎもいいところではないだろうか。なんだその魔法は。ぼくがかんがえたさいきょうのまほう、か何かか。やめてくれ、無能力の俺がますます惨めになるではないか。

 

 先ほどと同じく、二人の眼が驚きに見開かれる。これは主神のチート(ズル)を疑うレベルだ、すこぶる無理はない。

 実際の威力や使い勝手の程は、俺もまだ知らない。直接見せてもらうのが最も手っ取り早いだろう。

 

「ん、じゃ、こっちの魔法、は」

 

 少々遠慮がちにイネフが【アルナ・バニ】を指す。一つ目のインパクトが強すぎるが、大丈夫、それも充分チート級だ。

 

「記述の通り再生の魔法だ。打痕、創痍等の負傷に加え、毒や麻痺等の状態異常も、凡そ全てを我々限定で回復する」

 

 ポーションを根底から否定するとんでもない魔法。ラストエリクサーを彷彿とさせるそれは、ダメージに対しシビアな世界観のここでは反則そのものだ。

 

 もう、彼らはあまり驚いていない、いや驚いているけれども慣れたというか。わざわざオーバーにリアクションするほどではないのだと察したのだろう。まだあと一つは残っているからね。

 シンプルな効果、用途故に追加の質問はない。イネフは【アルナ・バニ】を指していた指を下方にスライドさせる。

 

「最後だが……これの具体的な使い方は」

 

 彼女のスキル、【全個総一】。一見してどういう代物なのか、最もわかりにくいと思われる。

 個人的には、これに一人称「我々」の理由等が関わっているとみている。自らのことを集合体の様に呼称しておいて個体扱いをしているのは些かばかりの矛盾を感じられそうだ。

 

「解り易く言語化すると我々の性質変化だな。単純ではないが強化と考えて差し支え無いだろう。とはいえこれは積極的に使用すべきものとは異なる。披露する機会は少ないな」

「そうなのか。デメリットは何かあるのか?」

「特に無い。精々我々の精神が混和するくらいだ」

 

 それがどういう現象なのか、俺たちには更に訊き込む勇気はなかった。それに、空気でわかる。

 

 

 彼女は、理解の外に居る者だと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先頭を行くのは【ワクナ・ファミリア】所属、イネフ・マクレガー。燃えるような赤髪の青年である。最高到達階層は一九。

 

 主武器は幅広片刃の大剣。雑に背負っているそれの銘は彼曰く「忘れた」らしい。自作ではないがどこで買ったのかも同様、頓着しなさすぎだ。

 着流しに鎧を重ね着した和洋折衷なその格好は、時代設定がめちゃくちゃだ、でも不思議と似合ってはいる。

 

 彼はヴェルフ・クロッゾとは異なり、鍛冶を営んでおらず、戦闘慣れしている。耐久の値が高く本人も性に合うと認めている、根っからの前線維持者(タンク)

 

「前の『大量発生(イレギュラー)』以来か、二週間も経ってねえってのに、やけに久々な気がするぜ」

「俺もだ。直前までほぼ毎日来てたから、なんていうか、懐かしい心地すら感じるよ」

 

 続いて【ブリュンヒルデ・ファミリア】所属、夏ヶ原司。黒髪黒目の純日本人である。最高到達階層は七。

 

 主武器は現状、脇差の紅緒。今日は春嵐と渡鴉は留守番だ。本日のお試し武器はナックルダスター、銘は銀拳。メリケンサック、の方がわかりやすいだろうか。

 防具はイネフとは逆で、黒のレザーアーマーと鈍色の各所プロテクターの上に薄い着物を羽織っている。複数枚買うと安くなるものなので実質消耗品扱いだ。

 

 戦闘スタイルは基本戦況管理者(バランサー)だが、今日は近接打撃武器なので近接格闘者(ストライカー)

 

「今日は行っても三階層くらいまでか」

「そうだな。初探索の奴もいるし、俺らも試運転が必要だろうし。お前に至っては慣れない近接打撃武器だしな」

「これはいつものことだし心配はいらないけど……連携の練習はしないとね」

「前衛二人と後衛二人。上層ではそこまで苦労することもないと思われます。エリンの実力、適応力が如何程なのかに拠りますが」

 

 次いで再び【ワクナ・ファミリア】所属、カテリーナ、愛称はカティア。小人族の女性。最高到達階層は一九。

 

 主武器は小型化されたクロスボウ、ハビリス・スコルピオ、と片刃のナイフ、デンテ・レプス。近距離も中距離もこなせるオールラウンダーの構えだ。

 彼女はリリルカ・アーデとは異なり、スキル【縁下力持(エーテル・アシスト)】を所持していない為、サポーターの如き特大のバックパックを背負ってはいない。ボロのローブに小人族の体格に合ったものを装備している。

 

 イネフと二人で潜る際には近中どちらの戦闘も行う積極攻撃者(アタッカー)であったが、前衛が既に二人いるので今回は射撃攻撃者(シューター)戦況管理者(バランサー)を担う。

 

「要するに我々が遅れをとらなければ良い訳だな? 成る可くやって見せよう」

「手本は要らないんだったっけか。結構戦い慣れてたりすんのか?」

「経験の積み重ねは少ないが我々にはある。其れなりには戦える筈だ」

 

 最後に、【ブリュンヒルデ・ファミリア】所属、エリン・ヴァランシー。エルフを自称する金髪と琥珀色の眼を持つ美人。最高到達階層は本日付で一。

 

 主武器は杖。銘は無し。魔力制御補助、魔力備蓄、魔法保留、魔法強化、精度補正、精神力消費減少などの効果を持つ。耐久性にも優れ、殴打にも使える。

 白く艶やかなローブと、その下に装備しているであろうまた白を基調とした服は簡易で清楚なドレス型、だが見た目に反して性能は高く、自浄作用すらついている。

 

 本人の言では遠近両方とも対応可能。独学の杖術と体術を既に身につけており、【ベイナ・アウラ】なら短文詠唱での速攻から超長距離高火力砲まであらゆる状況に対応出来るため、まるで隙がない。

 

「んじゃ、お手並み拝見といくか」

 

 正規ルートから少し脇道に逸れたところで、十M(メドル)程先のT字路の角から、犬型のモンスターが姿を現す。

 

 コボルト。上層の浅い階層に出現する、オラリオの冒険者なら知らない者はいないほどポピュラーな魔物だ。ドロップアイテムはコボルトの爪、複数匹で群れていることが多い。

 

「一体だけ、か。エリン、いけるか?」

「無論だ」

 

 案外大きなその体躯に、初見では萎縮してしまう冒険者も多い。かく言う俺がそうだった。

 

 しかし、エリンはそうではないようで。

 

 向こうがこちらに気付き、威嚇の構えをとったと同時に、彼女は俺たちを置き去り、即座にコボルトに肉薄する。

 

『ガ、ァッ⁉︎』

 

 そのまま杖をコンパクトに片手で振り抜く。声を放とうとしていたコボルトは、眼を白黒させよろめいた。

 

 速い。移動が、判断が、攻撃が。少なくとも、初期の俺の比ではない。現時点での俺、もしくはトルドにまで迫るほど。

 

「む」

 

 それでも、まだ速いだけではあった。打撃は鋭くとも、致命傷には至っていない。虚を突かれたとはいえコボルトもすぐに向き直り、今度は飛びかかる体勢に入る。

 

 モンスターとの戦闘においては、こと一撃で決着を付けることが望ましい。

 

 俺たち冒険者と違い、奴らは最初から人間を殺す為に生み出された生命体であり、文字通り死ぬまで攻勢を仕掛けてくる。そういう手合いほど、死にかけで何をしてくるかわからないからだ。

 

 また、迷宮は下に行けば行くほどエンカウント率が高くなっていく。素早く、確実に捌いてしまわないと物量に押し潰されてしまう。

 

 故に、杖を持ち魔法に傾倒した冒険者は、刃物や巨大な鈍器を携える他と違い、基本的に近接戦には向いていない。

 

 はず、だが。

 

『グルァ、ッ!』

 

 再び振るわれる杖、またも強制的に横を向かされるコボルト。

 

 それは一撃目と同じ構図、しかし彼女は直後に、更に同じ軌道の攻撃を放つ。

 

『ク、カ』

 

 既に九◯度以上転回させられていたコボルトの首が限界を超え、硬いものが勢い良く折れる音を響かせて捻じ曲がる。

 

 即死、とはいかないまでも、死亡は確定。哀れな犬の魔物はぷつりと糸が切れるように崩れ落ちた。

 

「こんなものか」

 

 自らの方へ倒れ込む死骸を興味無さげに一蹴しつつ、金髪美人はどうだと言わんばかりに徒歩で近付いていた俺たちへ振り返る。

 

 余裕を残した形で、エリンは初戦闘を勝利で飾った。

 

 が、カテリーナが何かを感じ取り、ぴくりと反応して歩を止める。

 

「あと、三体。来ます」

「いや、七体だ」

 

 被せ気味に、エリンは早口で返す。

 

 現段階で、俺にはモンスターの足音も声も聞こえない、匂いも特に感じ取れない。しかし彼女らは気配やらを敏感に感じ取っているらしい。

 

 通常、獣人などに比べ耳や鼻が発達していない人間は、感知を視認に頼らざるを得ない。経験を十分に積んだ者ならば可能になるとかならないとかいうが、カテリーナのそれに対し、エリンはどういう理屈なのだろうか。

 

「通路奥、左から三、右から二。我々が来た方から二だな」

「どうする? 一人でやるか? 流石にいきなり数が多い」

「仔細ない。全て我々が仕留めよう」

 

 そこで立っていろ、というジェスチャーを短くした後に、彼女は再びT字路へ身体を向ける。

 

 ほどなくして、左の方から三体のコボルトが歩いて来るなり、飛びかかるようにこちらへ駆け出す。

 

『ガルァァァッ!』

 

 初めから全速で、三匹は威嚇しながら突進してくる。同種の死体を見て悠長にしている暇はないとでも判断したのだろうか。

 

 対してエリンは正面から迎え撃つ構え。

 

 ただ迎撃体勢を整えるわけではなく。寄ってくるコボルトたちに対し、見せつけるようにその杖を持ち上げ、先を向ける。

 

「【色は赤。形は剣。空を裂き魔を貫け】」

 

 しかし。左の手で構えた杖にではなく、彼女は空になった右手に魔力を充填させる。杖とコボルトたちとを一直線上に捉え、詠唱を紡ぐ。

 

 コボルトに対して手を隠し、魔法を放つ気か、それは撹乱か、狙いを読ませないためか、それとも。

 

「――【ベイナ・アウラ】」

 

 詠唱の長さに応じて魔法が変化するパンテオンのそれとは違い、恐らくどのようなものであっても同じ名前らしい。何語かはわからないが、途轍もなく応用力が高い脅威の魔法だ。

 

 だが効果は実に分かり易い。その魔法は、彼女がそう詠った通りに姿を変える。

 

 エリンの右掌から、先から順に火でできた剣が射出され。

 

「おおう」

 

 射たれて数十C(セルチ)で、彼女の持つ杖の先、透明な宝玉に吸い込まれてゆく。その光景は空間が捻じ曲がっているような錯覚を引き起こし、イネフを唸らせた。

 

 それに対しコボルトは、困惑はするものの魔法が飛んで来ないならば、と勢い良く突っ込む。

 

「遅いな」

 

 一体目の体当たりを、エリンはいとも簡単にひらりと躱し。ついでの様にその個体の脳天に杖を振り下ろして、頭蓋骨をかち割る。

 

 二体目は間近でブレーキをかけ右腕を使い、鋭利な爪を振るう、が。その攻撃が届く前に顎を下から杖が撃ち抜いた。

 

 三体目。顎を砕かれ天を仰ぎふらつく二体目に進路を塞がれ、仕方なく回り込もうとしたところに、顔面に杖の先がめり込む。

 

『グ、ギ……』

 

 今度は力の調整を間違えなかったようで。一瞬にして綺麗に頭部のみが破壊された三つのコボルトの死体が出来上がった。その手際は恐ろしく鮮やか、今の俺でも真似ようとしても難しいくらいだ。

 

 しかしそれで終わりではない。T字路の先、右側の通路から更に二体のゴブリンと、俺たちが来た道の方から二体のコボルトが現れる。

 

『グァァァォォォ!』

 

 第一階層において、ここまで連続遭遇する可能性は高くない。けれどないわけではないし、もっと深くもぐるならば、これくらいは簡単に撃破出来なければやっていけないだろう。実際俺やイネフ、カテリーナなら、こいつら程度七体は楽に捌ける。

 

 俺たちは通路の脇に避け、エリンが自由に動けるようにする。そのまま立っていればほぼ同時に四体が襲いかかってくるが、どう対処するか。

 

 コボルトの方を一瞥した彼女は、少しの迷いもなくゴブリンの方へ走り出す。

 

「――なっ」

 

「【色は青。形は剣。空を駆け魔を滅せよ】」

 

 詠唱を、行いながら。

 

 まさかの、並行詠唱。短くはあるが、それでも魔力を練ることと脚を回し走ることを同列に扱い、共に熟す高等技術を、彼女は極当たり前の様に披露してみせた。

 

 散々規格外のものを聞かされ見せられた俺はしかしもう驚かない。だがカテリーナ、思わず声が漏れる君の気持ちはよくわかる。

 

 本来それは相当な実力、経験が無ければ成し得ないものであるが、まあ最初から出来る人もこうして存在してはいるのだろう。にわかには信じ難いことだけども。

 

『ゴォァァァ――ブギッ⁉︎』

 

 またもかなりの速度で距離を詰めたエリンが、ゴブリンの側頭部へ杖を打ち込む。首の骨だかが折れる音がよく響いた。

 

 後続のもう一体がたじろいでいる間に二歩ほど踏み込みもう一度杖をぶつける、もしくは今詠唱している魔法を放つ、と思っていたが。

 

 彼女はそのまま、振るった速度を保ったまま身体を回転させ。

 

「――【ベイナ・アウラ】」

 

 水でできているらしい剣と、次いでほんの僅かなラグを生じさせ、杖に吸い込ませた火の剣を、俺たちの方へ、正確には俺たちの向こうにいるコボルトの方へ射出する。

 

 回る彼女は止まらない、その軌道を見もしない。

 

 目にも留まらぬ速度で俺たちの目の前を通り過ぎた二本の魔法でできた剣がコボルトを仕留めるのと、エリンが踊るように大きく一歩踏み込み、ゴブリンの頭部を弾き飛ばすのは、全くの同時であった。

 

 どさり。と、複数の骸が倒れ臥す音だけが。火の剣が空気を焦がした匂いだけが。世界の全て。

 

「【土を以て。数は八、玉を抉りて集え眷属】」

 

 全匹を倒し、戦闘を終了させると、彼女は三度詠唱を開始する。

 

 その言葉からして、魔石を回収する魔法だとでも。なんだもう、やりたい放題か。何でもできるじゃないか。

 

「――【ベイナ・アウラ】」

 

 自分の仕事は終わったとばかりにこちらへ悠々と歩いてくるエリンの足元が蠢き、変形し。鳥や猫や犬や蛇など、計八体の動物に成り、それぞれ、魔物の死体へと向かっていく。

 

 

 なんかもう、あいつ一人でいいんじゃないかな。

 

 

 確かにそう思ったけど、誰も口に出すことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はー。初日から六階層かあ。……六階層? え、すごくない?」

「ですよね」

 

 目を丸くするヒルダさん、あなたの気持ち、わかります。

 なんか昨日もこんなリアクションしたなあ。なんて思いながら、朝食を摂りつつヒルダさんと会話を続ける。

 

 打ち合わせがあったため開始が昼だったのと、試しとはいえそれなりに本腰を入れて探索に取り組んだので、帰還が夜遅くになってしまったため、このように報告が翌日になった。まあこれも悪くない。

 

 ヒルダさんは料理の腕を日に日に上げている、日本にいた時より美味しい和食を食べている気さえする。ホームシックにはならなさそうだ。

 

「ウォーシャドウとかキラーアントとかにも全然臆さず対応して。下手すれば俺より活躍してましたよ」

「うーん、結構な戦闘経験があるのかもね。大変な子が来たものだ」

「大変というかなんというか……頼もしくはありますけど」

「才能があるってことはなんとなくわかるんだけど。ヴァレンシュタインさんみたいな?」

「あー、わかるようなわからないような、そんな感じはしますかね」

「上手くやっていけそう?」

 

 結局、六階層まで潜った際には予定通りの陣形と役割で探索を行い、エリンは主に援護を担っていた。

 しかし、予想以上に彼女は巧者であり、連携も容易く、そして相当に適切にしてみせた。およそ非の打ち所がないほどに。そのお陰で一回目の合同探索は成功も成功。

 

 本来なら、初心者で六階層などに通用するはずがない。経験者だとしても、いきなり強さを増すモンスターたちには苦戦を余儀なくされる。それこそ【神の恩恵(ファルナ)】無しでそれほどの強さに達している者なら可能、なのかも知れないが、まさか。

 

「それは、まあ。ある意味正直で誠実、でも悪意は見られませんし」

「私が探知したからそこは安心だね。キミと違って女神(ひと)羽衣(ふく)を盗らないし」

「その節は勘弁してください……」

 

 にっこり笑む彼女は、俺の反応を楽しんでいる節がある。許しては貰えているだろうけども、掘り返される度に心臓が跳ねるのは必定。

 それも、この朗らかな笑顔でどうでも良くなってしまうからどうにも出来ない。

 

 だが流れは変えさせてもらう。いくら眼福だとしても。

 

「あの、ところで。アルヴィトさんは何と?」

「ん、うんそれ。それなんだけどさ」

 

 まだ直接会ったことはないが、『戦乙女同盟(ヴァルキュリヤリーグ)』に属している全知の戦乙女、アルヴィトのことはヒルダさんからよく聞いている。

 今回はエリンの件に関して、俺たちだけでは色々わからない事が多くあったので、オラリオの情報屋としても活動している彼女の力を貸してもらおうかと思った次第であった。

 

 俺たちが迷宮に行っている間、ヒルダさんが彼女を訪問してくれていたはず、だが。

 

「やっぱり、エルフに種類なんてないって。全てアールヴを王とする一部族からの派生、容姿は整っていて魔法に長け、長命、()()()()。それに例外は存在しない、ってことになってる」

「駄目でしたか」

「駄目でした。アルヴィトもエリンも嘘はついてない、それでも矛盾が生じちゃう」

「知の女神でもわからない、ってぶっちゃけ異常じゃないですかね」

「普通はね。でも、私たちにもよくわからないことって割とあったりするの。『箱庭』にキミが許可無しで入れたこととか、いまだに何故か分かってないし」

 

 その辺りについては、そもそも世界を司る立場にいた神々がどれくらい情報を持っていてどれだけ公開出来るのか等、かなり不鮮明な領域ではある。

 

 しかし、この世界の根幹に関わってくるような、種族そのものについて神が把握していない、ということはおかしいだろう。

 

「でも、定義上のエルフと異なる部分は、分かる範囲だとあの耳くらいなものじゃない? それくらいなら突然変異的な見方も出来なくはない、かな。苦しいけど」

「精々可能性があるかも、くらいでしょうね。俺としては一人称が「我々」ってのが気になるんですが。まだよく分かってないですし」

 

 最初の話し合いのときに、ヒルダさんは理解していた様だが、俺には難解だったあれだ。その答えも得ていない。

 

「なんて言うのかな、単独で複数人を担っているというか、そういう意味だと思うんだけど」

「一人で多数? 種の命運を背負ってる、みたいな感じですか?」

「それはそうなんだろうけど、ちょっと違うかな。概念的じゃなくて、もっと実質的な話」

 

 やっぱりよくわからない。それなりに読解力はあったつもりだが、手強い。やはり知識だけ中途半端につけていても、限界があるか。

 

 もう少し噛み砕いて教えてくれませんかと乞おうとしたところで、階上より階段を降りる足音が耳に届く。

 これまで約四ヶ月ちょっとの間、この拠点(ホーム)には俺とヒルダさんの二人だけしか住んでいなかったため、最近増えた三人目の生活音には敏感に反応してしまう、というよりは、毎回少しびびる。

 

「終わったみたいだね」

「ですね」

 

 朝、彼女の起床確認に行ったヒルダさん曰く、早くから瞑想を行い、精神統一をしていたとか。睡眠は必要無く、食事も摂らずに生きられるらしい。

 なんというか、そこまでいくと最早「人類」の枠組みから外れているようにすら思えてしまう。ヒルダさんたち神ですら人間の身体を有し、俺たちと何ら変わらない生活を送っているというのに。

 

 ともあれ、これで一旦は会話は打ち切りだ。空になった食器を流しに持って行こう。

 

「二回目だけど。おはよう、エリン」

「お早う御座います、神ブリュンヒルデ。ナツガハラ」

「……おはよう」

 

 このエルフを自称する美少女は、一体何者なのだろうか。

 

 現世の知識を持ち合わせている俺にもわからないということは、この世界独自で、原作に描写されていない要素なのか。そうなると詳細を知りようがないが。

 

 それとも。彼女の能力的にみると。まるでチート系主人公の様なスペックから、本当に物語の主役であったり、して。

 

 

 ……まさか、な。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オラリオ、西のメインストリートからほど近い商店街にて。俺たち【ブリュンヒルデ・ファミリア】は買い出しを行っていた。

 

「結構買ったけど、大丈夫? 重くない?」

「全然平気です。むしろこれくらいしか俺は役に立てないので」

 

 率先して引き受けた一つの箱と二つの紙袋を抱えながら、ごく普通そうに応える。実際重いがまあなんとかなる。冒険者だしな。

 

 新入団員の身の回りの品を揃えるのと、食材やら何やらを購入するために出てきているのだが。

 当の本人のエリンは、常に清潔なローブがあるため防具は買う必要がなく、魔法で回復できるためポーションも携帯する必要がない。そのため彼女の迷宮の為の用品などはほぼ買っていないうえ、特に欲しいものもないとかで。経済的すぎる。

 なので荷物は食品関連ばかり。夕食が豪華になりそうだ。

 

 それにしても、エリンがヒルダさんの眼にも劣らない知識量を誇っていたことは驚いた。

 普段はヒルダさんが魂の善し悪しを判断していた戦乙女の経験を活かし、眼で見て直感で良いもの悪いものを判別していたのだが。今回はそれに加え、エリンが観察によってその質を見極めるダブルチェック体制に移行。

 この野菜はヘタを見る、この果物は模様を見る、葉の詰まりを、種子を、芯の色を、筋を見る、などなど。どんな食材に対しても的確な見分けを教えてくれた。

 

 おかげでヒルダさんもいつもより多めに買い込んでいる。感覚を共有できる相手がいればそれは心地良いだろう。

 

 それだけではない、一目見ただけでその店の特徴や評判などもピタリと当ててしまう。食品以外も、武器や服飾、雑貨や諸々、全てをだ。

 まるで綿密に下調べをしてきたかの様な彼女に、またもヒルダさんはご機嫌になる。それもそのはず、ヒルダさんも神アルヴィトとギルドの協力という名目でこの都市の様々な情報を有しているのだ、語り合うことができる相手が嬉しそうで。

 

 更に更に、エリンは【ヘリヤ・ファミリア】本拠兼店舗「最果ての放浪者」にて、ヘリヤさんやヒルダさんに先んじて物品の解説を行えた。はっきり言って初見で店主や従業員より詳しいのは異常である。

 

 エリン、有能すぎやしないか。いやエルフなら博識であって何ら不思議ではない、けども。

 

「あと、何でしたっけ?」

「えーと、あれとあれは買ったからー、もう買わなきゃいけないものはないかな。そろそろ帰ろっか?」

「そうですね、夕飯の支度もしなきゃですし」

 

 迷宮に行かない日は大体俺が夕食の当番だ。基本的に独学だが、最近はわりとてきぱき動けるようになってきている気もする。

 団員は増えたものの、相も変わらず食卓には俺とヒルダさんの二人だけ、でもそれで十分ではあった。ヒルダさんめっちゃ食べるし。

 

 空も暗くなってきて街灯も点き始め、街の様相が変わりつつある。買い物も終盤、帰路に就こうとした、ところで。

 

「あ、テアちゃんだ」

「え、あー、本当だ、薬屋……ですかね」

 

 本拠のご近所さんであるフューゲル家の娘、テアちゃんが薬屋の前でウィンドウを見上げ、立ち尽くしているのをヒルダさんが見付ける。

 

 確かあの店は薬自体ではなく、薬の原料を色々取り扱っているところだった。子供が一人で訪れるにはあまり似つかわしくない。それこそお使いででもなければ。

 明らかに何かあったと思われる、特に何の躊躇いも無く近付いてみる。俺一人ではなく女性も二人いるのでその点でも躊躇い無く。

 

「テアちゃんテアちゃん」

「あ、ぶりゅんひるでさま、と、おにーさん。こんばんは」

 

 声をかけられたテアちゃんは、振り向くなり困ったような顔を綻ばせた。可愛い。

 しゃかんで目線を合わせたヒルダさんは兎も角、袋に顔の下半分を隠されていてもなお判別してくれるとはなかなか嬉しい。エリンは少し遠巻きにしているので、関係者とは思われなかったようだ。

 

「こんばんは」

「はいこんばんは。どしたの? お買い物?」

「えっとね、あのね……おかーさんがびょーきでくるしいから、わたしがおくすりかいにきたの」

「へえ、偉いね、親孝行だ」

「でも、でもね、おかーさんがかいてくれためも、なくしちゃって」

「そっか、それで困ってたのね?」

 

 こくり、と頷くテアちゃんは、現状を再認識したのか急にしゅんとなる。

 

 成る程、とはなったものの、どうしたものか。薬に関しては知識が無いし、下手に手伝うことは逆効果にもなり得る、動きづらい。

 ここに【エイル・ファミリア】の誰かがいればまた話は別だったろうが、俺たちは探索系【ファミリア】だ。

 

「だとしたら……一旦戻ってまたメモを書いてもらうのが一番、なのかな」

「それが最善手の気がしますね」

 

 同じく眉尻を下げた困り顔のヒルダさんと目を見合わせる。他に打つ手がなさそうだ、それしかないか。

 せめて病名がわかればまだなんとかなりそうではあったが、テアちゃんはそこまで知らないようで。薬も自家調合だと俺たちにはどうしようもない。

 

「私たちと一緒に一回帰って、また来ようか。テアちゃん、それでいい?」

 

「その必要は無い」

 

 諦めて帰ろうかとするところで、それまで静観を決めていたエリンが毅然とした態度で近付いてきた。

 

 突然知らない美少女が接近してきたことで、テアちゃんは多少動揺したようだったが、エリンがヒルダさんと同じく屈んで目線の高さを揃えたことでそれも和らいだようだ。

 

「つい先日、【ブリュンヒルデ・ファミリア】に入ったエリンだ。あのお兄ちゃんの仲間だよ」

「そーなの?」

「ああそうだ。ところでテアちゃん、お母さんは熱を出していたか?」

「えっと、うん。おねつでてねてる」

「そうか、では他に――」

 

 これまで数日の間の様子とは打って変わって柔らかな雰囲気を醸し出すエリン。お硬い感じの普段の彼女を知っている身としては驚くばかりである。

 しかしそれは飽くまで一面でしかないのかもしれない。彼女だって現実に生きる人間なのだ、話し方、接し方や振る舞いが相手によって変わったり、気分やその時々の状態、環境に左右されるのは必然であるだろう。

 特に幼い子供への対応は、人間性を観る格好の試金石だ。その点彼女は非常に上手くやっている、他の事例も含めて考えると、相手に合わせるのが得意ということだろうか。

 

 大丈夫だと察し、そっと離れて俺の隣に立ったヒルダさんと二人でエリンとテアちゃんのやりとりを見守る。

 

 一頻りテアちゃんからフューゲルさんの病態を聞き出したエリンは、これでよし、とばかりに立ち上がった。

 

「発熱と悪寒、頭痛、全身に及ぶ関節痛。季節外れの流行病だな。問題無い、効く薬の原料も識っている」

「ほんと⁉︎」

「ああ、少し待っていろ」

 

 テアちゃんに微笑みかけ、エリンは薬屋に一人で入っていく。

 

 なんだろう、とても頼もしいというか、予想を常に上回ってくるというか、上回り過ぎているというか。典型的な万能かつ無双系主人公の物語を読まされているような感じ。

 

 現世で俺がそれほどその類の作品に触れてこなかったからあまり詳しくはないが、そういう話で綺麗に完結するものをあまり見たことがない気がする。大抵は投げっぱなしというか、キャラに世界の方がついていけなくなるというか。多分、持て余すのだ。

 強すぎて早々に目的を達成して目標を失う、初めから巻き込まれ型で用意していためぼしいイベントを粗方消化してしまい扱いに困る、行き場を迷う、などなど。そんなこんなで投げられてしまうことも少なくないと思われる。

 

 ではあの美少女はどうだろうか。目的としては半永久的にここオラリオに留まり、迷宮に関しての知見を得る、というものを公言しているわけだが。一応そこに今のところ終わりは無く、その点ではある意味NPCじみている。最前線に辿り着くまでに数年どころではない時間はかかるだろうが、栄養も休息も必要のない再生能力付きの彼女ならいずれ到達するだろう。

 

 要するに。この数日間で形成されたエリンへの所感としては、やはり現実感が薄いという印象があまりにも強い。これでもかというほどに、()()()()()()()()()()()()()

 

 彼女は。

 

「……早とちりはいけないよ、ツカサくん」

 

 テアちゃんの相手をしていたはずのヒルダさんが、いつの間にかすぐ隣に立っていて。静かな小さい言葉で、俺をぐいっと引き戻す。

 

 甘い、けれど爽やかな空気が鼻腔を滑る。神威の為せる技なのだろうか、やけに視界が綺麗になる感覚がした。

 

「ほんの少しの経験で物事を判断するのは、しなければならない時だけに限りたいね。正しい直感は、それこそ積み重ねの賜物だ」

 

 呟くように。囁くように。ヒルダさんが発した音は解けて俺の中に浸潤する。じわり、と滲む。

 

 同じ方向を見ている。同じ対象を観ている。彼女の景色と、俺のそれは違うけれど。ヒルダさんは俺が何を目に映しているか、きっと分かっている。

 

「キミは私のような眼を持たない。でもその代わり、キミは何にも染まっていない、何にも左右されない眼を持っている」

 

 ちらりと彼女に目を遣ると、丁度目線が一直線に重なった。透き通る鮮やかな天色の玉に魅入られ、釘付けだ。

 

 その口角が上がる。目尻が下がる。眷属(こども)の成長を喜ぶ親の如く、慈愛を与える聖母の如く。ヒルダさんは柔らかく微笑む。

 

 その笑顔に触れると、いつも胸の奥が暖かくなる。安堵する。逸る心が宥めすかされ、すっと落ち着く。

 

「だから、キミは私の代わりに、その純粋な瞳で彼女を見ていてあげてほしい。見守るだけでいい。見極めなくていい、決めつけなくていい。時間はたくさんあるんだから」

「……はい」

 

 互いに示し合せることもなく、自然と前を向く。

 

 曲がり掛けた背筋を伸ばされたような気分だ、不思議な高揚感に包まれている。悪くない。

 

 薄茶色の紙袋を提げたエリンが、悠々と薬屋の扉を開けて出てくる。

 

 万能の彼女は、どんな人間なのだろうか。

 

 

 ただ、見ていることにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっとええか?」

 

 

 それは、唐突だった。

 

 

 またも昼過ぎ、俺とシーヴさんは、ギルド窓口を訪れていた。先日の『大量発生(イレギュラー)』の事情聴取のためだ。

 

 今日は休み。【ワクナ・ファミリア】の二人とエリンと四人パーティを組み始めてから、一日置きで出撃することが習慣になりつつある。それでもやっていけるほど効率も上がるし、楽だしヒルダさんも安心してくれる。

 

 今回、何度も俺たちがギルドに呼ばれるのは、ただ『大量発生』で生き残ったから、というわけ、だけではなく、避難場所として推奨されていた食料庫(パントリー)で大規模な戦闘を行ったうえ、凄まじい数のモンスターを倒し切ったことによるところが大きいらしい。

 まあ大半は俺ではなくパンテオンがやったのだが。それを俺が申告するのは彼に対して失礼だ、そもそもどんな魔法かすら知らないから言えないけども。

 

 そんなことで、閑散としたホールを抜け、窓口にノエルさんを見付け、挨拶をしたところで。

 

「自分ら、この前の『大量発生』におった奴やろ?」

「あ、ええ……そう、です、けど」

 

 とある()から声を掛けられる。

 

 口調はこの世界において異質な関西弁。その体躯は小さく、起伏はほぼ無く、しかし子供っぽい印象は抱かせない。神として当たり前のように整った顔立ちの中で、細い糸目が特徴的だ。

 

 つまり、神ロキ。

 

 現オラリオ最強格の一つ、【ロキ・ファミリア】主神。北欧神話のトリックスターとして伝えられる、非常に強い神格を持つ存在。それらの評判は原作開始五年前の今でも広く人口に膾炙している。

 

 そんな神が、原作でも印象が強く、特徴的であるキャラクターが、いきなり俺たちに、話しかけてきた。内心、穏やかであるはずもなく。

 

「な、んで……」

「んん? そんなビビらんでええよ、まあ気持ちはわかるけどな。こんな麗しい女神様にいきなり話しかけられて恐れ慄いとんのや、な!」

「あ、はい」

「ノリ悪いなキミ」

 

 下手な受け答えをしたら消されてしまってもおかしくないのではないか、そんな不安が付きまとっているときに軽快な切り返しなどできない。もとからできはしないけども。

 

 思わず口を突いて出た動揺は耳聡く聞き取られた。そもそもロキは原作でも切れ者として書かれている、慎重にいかなくては。

 

「えー。普通こないな美神(びじん)に話しかけられたら嬉しくて舞い上がってしまわん? それとも何や、ウチに取って喰われてまうかもって怯えてるんか?」

「後者の方を若干、考えてます」

「あっはは、正直でええなあ。まあ安心しいや、抗争とか物騒な話にはならんわ」

 

 彼女も女神だ、例外はなく嘘は効かない。虚偽は自分の首を絞めることになる。

 

 というか、向こうから当たり前のように接触してくることもあるのか。想定していなかった、何故か心のどこかでそういうものだと勝手に思い込んでいたらしい。

 前には一度、【アストレア・ファミリア】のリューさんと少しだけ関わったことがあったけれど、それは悪漢を挟んだ間接的なもので、しかもその内訳はシーヴさんが多くを占めていたため、飽くまで偶然だと捉えていた。

 

 しかし今回はしっかり、俺に対して言葉を投げかけてきている、認めるしかない。シーヴさんもすぐ背後にいる、でも彼女は別の方向に意識を向けている。何してるんですか助けてください。

 もしかしたらそのトリガーはシーヴさんなのかと一瞬考えるが、まあ無きにしも非ずとも言えないほどなので棄却しておく。

 

 これで、原作への流れに何か変な影響が出ないといいんだが。

 

「あの、神ロキ」

「おお、すまんな美人のねーちゃん。これから事情聴取やんな、ならウチらも一緒にやってくれへん? どうせだったらあんなゴッツいおっさんよりねーちゃんみたいな美人さんと話す方がええに決まっとるわ」

 

 困った顔をするノエルさんに瞬時に近付き、もう俺たちはそっちのけで話し始めるロキ……さん、は、また別の窓口を親指で指し示す。

 どうやらさっきからシーヴさんが気にしていた方向と同じようだが、そこには屈強なギルド職員のオズワルドさんと、ベート・ローガらしき少年がいた。

 

 二人は何やら話していたようだが、こちらからの注目を察するとゆっくり歩いて来る。

 

「困りますよ神ロキ。セクハラの被害報告が絶えない故、私が対応すると言っていますのに」

「嫌や〜。あんたみたいなんはガレスだけで腹いっぱい、今は女の子と話したい気分なんや」

「そう言われましても」

「じゃあこっちとそっち、合同でやろうや。後で証言照らし合わせたりするのめんどいやろ? 手間はできるだけ省いてこ」

「それ、ならまあ……なんとか。ルミエールさん、そちらは大丈夫ですか?」

 

 自然と巻き込まれている。目的は直接俺たちの話を聞くことだろうが、その辺りを上手く和らげているように思えた。

 個人的には同席は避けたいところではある。が、訳を話すわけにもいかないし嘘はつけない、仕方ないとしか。それを相手が神だという要素で繕うか。

 

 相変わらず誰と一緒になろうと興味無しとばかりの様子のシーヴさん、と対照的に、なんだかやけに苦い表情をしているノエルさん、どちらからも判断を俺に委ねる、という空気が伝わってくる。

 

「構いません」

「決まりやな。あと……うん、ぴったし」

 

 六人の団体となり、奥の広いブースへ移動しようとするところで。ロキさんの呟きじみた一言と、その視線の流れに釣られ、誰もがロビーの入り口を注目すると。

 

 『緑のローブ』に身を包み、木刀を佩いたエルフの少女――『疾風』のリオンが、図ったかのようにギルドへ足を踏み入れてきた。

 

 実際、謀られてはいたのだろう。だが俺やシーヴさんが今日この時間にここに来た偶然性を加味すると、彼女が一体どこまで考えていたのか、それは永遠に不明である。

 

 

 

 

 

 

 

「――ここまでの話を纏めますと。特筆すべき事柄は今回の『大量発生』にみられた特異性として、三点になりますね」

 

「一つ。これまでにない高階層での発生。二つ。モンスターの食料庫への流入。三つ。その流入経路の不審点。やな」

「ええ。これらがこの先も継続するならば、下級冒険者は迷宮に潜ること自体が困難になる可能性すらあります。早急な分析と対処は不可欠、調査を進めて参りましょう。その際には【ロキ・ファミリア】の方にも協力を依頼するかと思われます、どうかよろしくお願い致します」

「あーはいはい。有望な子が来なくなっても困るからな。情報ちゃんと寄越しや」

「勿論です。他の皆様も、本日は有難う御座いました。また何かあれば宜しくお願い致します」

 

 スーツ姿だがこの場の誰よりも見た目だけは強そうなオズワルドさんが深々と頭を下げ、これで事情聴取及び情報共有会合は終了した。

 

 解散になり、皆が席を立つ。広めの個室型ブース、出口に最も近いところに座っていた俺はとりあえず出る。

 

「お疲れ様です、お手数おかけしました」

「あ、お疲れ様です」

 

 すぐ背後に付いて出てきたのはノエルさんだった。しきりに内部の方を気にし、資料とメモを胸に抱え逃げるように早足で歩いていく。

 いつもきっちりしっかりした印象を持つ彼女がこんな風になっている場面に会うのは初めてだ。少なくとも俺たちの対応の時は普通だったはずなので。

 

「……もしかして、オズワルドさん苦手なんです?」

「っ、ど、どうしてでしょう」

「いや、わりと分かりやすく行動とか表情に表れていたので」

 

 そういえば前に知ったけど、大人びて見えるノエルさんだが、実は俺より年下の十八歳、現世で言えばまだ高校生くらいの女の子でもあるので、その辺りはまだ年相応、ということなのかもしれない。少なくとも実務面では俺よりずっと上だけども。

 

 目を泳がせて顔を紅潮させ、悶えて二の句を継げなくなっているノエルさんは、歩きながらちらりと後ろを、先ほどの部屋の方を確認する。

 

「その、嫌なら全然無理して答えなくて良いというかえっとあの」

「あの人の筋肉がですね」

「はい?」

 

「苦手なのです、と言いますか」

 

 ぼそっと、しかしギリギリ俺にだけ聞こえる大きさで、ノエルさんは呟く。

 

 メモや資料を持ち上げ、目元までを隠して誤魔化そうとしているが、真っ赤になった頰はこちらからしてみれば結構見えているし、何なら頭を傾けるもんだから同じ色の耳が髪の間から出ている。

 これがギャップというやつなのか。くそうドキリとくるぞ。でも、何だか方向性が。

 

「筋肉のつき方が歪なのです。それが嫌で」

「つき方、ですか」

「はい。人の筋肉の約70%が下半身に集中しているのはご存知のことかと思われますが」

 

 すいません、ご存知でなかったです。色々な知識は身に付けてはいたが残念ながら筋肉に関しては詳しくない。

 

 でも何か、何だろう、筋肉フェチ? なんでしょうか。意外だ。

 

「なので、上半身よりも下半身の筋肉を重点的に鍛える方が、身体のバランスが良くなるのです、下半身を鍛えれば自然と上半身も鍛えられるのです。なのに」

「なのに、鍛えない、と」

「そうなんです! あの人は頑なに上半身だけ鍛えるんです、だからその、見ていられないと言いますか」

 

 言われてみれば。オズワルドさんは上半身はスーツが盛り上がるほどの筋肉を誇っているのに、下半身は別にムキムキというほどではない、気がする。

 

 段々とヒートアップしてきているノエルさんは、口調もちょっと崩れかけ、恥じらいをかなぐり捨てて握り拳を作り力説し始めた。

 

「何度も言ってるんです、でもあの人は聞き入れてくれなくて、そういうところも苦手で。すごく話しかけてくるんですけど、自慢話しかしなくて、ああ、愚痴になっちゃってますね、すみません」

 

 なかなかに熱が入っていることを自覚したのか、彼女は瞬間的にすっと落ち着く。案外上がり下がりが激しい性格なのかもしれない。

 でも、ずっときりっとぴしっとしているよりは、こうして恥ずかしがったりしゅんとしてたりする方がずっといい気がする。まあ他人の個人的な意見でしかないけど。

 

「その点、ナツガハラさんはすごく良いです」

「え」

 

「刀は脚力が大切なんですよね、それで下半身がしっかりしてきているので、上半身とのバランスもちゃんとしています、素晴らしいです、うん」

 

 いきなり話題が俺に向いたと思えば、ノエルさんはいつもより近くに身体を寄せ、俺の全身に目をやり頷く。今日も和服なので体つきはあまりわからないはずだが。

 

 もう少しでロビーというところで曲がり角を迎え、更に距離が縮まる。微かに甘酸っぱい香りがして、心臓が跳ねた。

 ヒルダさんと暮らすことで多少は慣れたといっても、それはヒルダさんに、だ。平静を保っているふりはできても、やはりまだまだ緊張はする。仕方ないだろう。

 

「ちょっと、あの……ノエルさん?」

「ナツガハラさんは利き手でない左でも武器を扱ってますよね、お陰で左右も均整がとれています。良いです」

 

「おぉーいちょい待ちー」

「!」

 

 ロビーに出る直前で、後方から関西弁が飛んでくる。またもやはっと我に帰ったノエルさんは、素早く飛び退く。

 助かった、けれど、助かった気がしない。

 

「自分ら歩くん速いわ。ん? なになにどしたん、セクハラ?」

「違いますよ!」

「あ、では、私はこれで……」

 

 再び顔を赤く染めたノエルさんが、小走りで受付窓口の奥へ入っていってしまう。せめて何か弁明していってほしかった。

 

 共にブースにいた他の人々はまだ追い付いて来ていない。俺とこの神、二人きり。通路には魔石灯が変わらず輝いているはずなのに、視界の光度が下がる。

 

「でも気持ちはわからんでもないで。ノエルちゃん可愛ええもんな」

「まあ。そうですね」

「なんやつれないなあ。赤面させる話術教えてもらお思っとったのに。ついでに、食料庫一杯のモンスターを一息に殺した方法も」

「……!」

 

 やはり、最強格の【ファミリア】からしても、あの光景は異常だということか。

 

 全面がモンスターの血で塗れた、真紅の食料庫。本来なら緑色の光で溢れているはずのそこを赤く潰す、なんてのは、並大抵のことではない。

 

 でも、相手が神ロキだろうと。

 

「それは、教えられません。個人情報、【ステイタス】に関わることなので」

 

 それを成したパンテオン・アブソリュートの魔法のことを、【ヴェントゥス・テンペスタース】を、漏らすわけにはいかない。

 あれほどの威力を出せる魔法を保持する冒険者がいる、というだけでも注目されるのだ、彼が()()L()v().()2()()()()ことまで考慮すれば、原作での【アポロン・ファミリア】のように強奪しようとする組織が出てきて不思議ではないどころか、まず出てくる。

 

 きっと今回の件に携わった各位は、おかしいと気付いてはいる。Lv.1と2だけのパーティでは、普通、あんなことは出来ないはずだから。

 だとしても、ここで止めるということ自体に意味がある。

 

「ええやん、ヒントくらいくれや。何、自分がやったんやないの?」

「すみません、答えられません」

「うーん、答えられないっちゅーことは、他の誰かに義理立てしてるってことかいな?」

「何も言えないです」

 

 神に嘘はつけない、ついたらバレる。少しでも誘導されたら負けだ。

 

「ならやっぱり唯一Lv.2だったあのアブソリュートとかいう子なん? 一番有力なのはわかるやろ?」

「…………」

「楽しく会話くらいしてくれや。沈黙は是ってことでええの?」

「さあ、どうでしょう」

 

 だから、いくら笑顔で凄まれようと折れられない。相手がどれほど強大な組織を率いていても、元が凶悪な存在だとしても。

 内心冷や汗が止まらなくても、怖くても、恐ろしくても。答えるな。

 

 暫くの沈黙を経て。そろそろ曲がり角の向こうから残りのメンバーがやってくるのではないか、という頃合いになって。

 

「良いな、自分。とてもええわ」

 

 彼女は、唐突に破顔する。

 

 直後、角からシーヴさんたちが姿を現した。また、最初からそれがわかっていたかのようなタイミング。図っていたのではと疑う、いや、疑わせる手腕。

 これだから困るのだ、神の相手は。

 

「簡単にバラさん義理堅さは重要や。ちゃんとボカし通したんは偉いで。そのまま貫いとき」

「……はい」

「【ブリュンヒルデ・ファミリア】のツカサ、な。一応覚えとくで。ほんじゃまたなー」

 

 最後に若干その糸目を開いたか開かなかったか定かではないが、目に力を入れた後、彼女はベートを待たずロビーの方へ歩いていってしまう。

 

 原作キャラに覚えられて、よかったのだろうか。舞台裏でひっそりとしていた方が無難だとは思うが。

 でもまあ、終わってしまったことは今更どうしようもない、次のことを考えていこう。接触が許されているならば、してみたいことがある。

 

 目標は、シーヴさんの少し後ろを歩くエルフの少女、リュー・リオン。

 

 彼女と時たま会うというシーヴさん曰く、彼女はほぼ毎日、早朝に鍛錬しているとか。他にも、彼女が属する【アストレア・ファミリア】はオラリオの治安維持の為の市内巡回(パトロール)を行なっているが、最近は犯罪件数が増加傾向にあり、人手が足りていないとか。

 そこで、俺はある()()()を考えた。

 

「あの……えっと、お疲れ様です」

「お疲れ様です。何か用でしょうか?」

 

 彼女を呼び止めると、シーヴさんも振り返りつつ立ち止まる。しかし下手くそな話しかけ方だ。

 コミュニケーション能力の無さは多少改善されてきたと思ってたんだけどなあ。まだまだすぎる。

 

 だがしかし彼女はまだ十四か十五そこら、現世でいえば中学生くらいの年齢である、怖じるな。俺はロリコンではない、いくら可愛くても動揺することはないはずだ。

 

「単刀直入に言うと、師事させてもらえないでしょうか」

「私に、ですか?」

「はい」

「所属する【ファミリア】が異なりますが、こちらに改宗(コンバージョン)する、ということでしょうか」

「あ、いや、そういうことではなくて。朝に鍛錬しているという話を耳にして、御一緒することなどはできないかな、と思った次第で」

 

 中学生くらいの少女に二十前の男が謙って頼み事をする図。犯罪臭しかしない。

 

 別に【ファミリア】を絡めての大ごとにせずとも、原作でのベル君とアイズの市壁上の特訓のように、個人的に行う分には公式な決議などは必要ないだろう。

 問題は、相手が了承してくれるかどうか、なのだけれども。

 

 あまり表情が変わらず、初期シーヴさんのように感情や思考が読み取れない彼女は、淡々と言葉を放つ。

 

「それは構いませんが、最近は巡回に時間を割くために鍛錬自体行えていないのが現状でして」

「なら、俺も手伝います。一人じゃそれほど役には立たないかもしれませんけど」

「そう、ですね……。せめてあともう一人いればなんとかなりそうではありますが」

 

「じゃあ、わたしも参加する。それで少しはましになる?」

 

 意外なことに、無関心かと思っていたシーヴさんが、悩む素振りを見せたリューさんに対して機敏に名乗り出る。しかしこれは救いの手。Lv.3が協力するとなれば話も大きく違ってくるだろう。

 

 そういえば二人は、案外仲が良かったりするのだろうか。こう、高レベル冒険者同士通じ合うものがあったりとか。

 

「……わかりました。では後ほど、両【ファミリア】へ時間と場所を通知致します。日時は自由に決めてもらって構いませんが、連絡はして頂くようお願いします」

「承知した」

「よ、よろしくお願いします」

「こちらこそ。それでは、失礼します」

 

 流麗な動作で小さくお辞儀をして受付窓口の方へ向かっていくリューさんを見送る。立ち振る舞いなどには確かにエリンにも通ずるものがある、エルフの共通項かもしれない。

 

 しかし、シーヴさんの助力があったとはいえ、こんなにすんなりいくとは思ってなかったので、多少なりとも動揺している。

 相手が原作キャラという点や、エルフであるという点、違う【ファミリア】であるという点からして、実際難しいのではないかと憂慮していたのだが、案外にもうまくいくものだ。

 幼くしてLv.4に辿り着いている天才、原作においては十八階層での黒ゴライアス戦、対【アポロン・ファミリア】の戦争遊戯(ウォーゲーム)などで活躍したことが描かれている彼女と接触しておけば、原作との乖離を把握しやすいうえ、単純に強くもなれると思われる。この好機は逃さないようにしないと。

 

 ただ、少し不安があるとすれば。

 

「……あれ、俺微妙に避けられてませんでした?」

「そう?」

「そんな風に感じたんですけど……でも、初対面とあんまり変わりないですし、当然ではあるとは自覚してますが」

 

 取り付けた後で言うのもどうかとは思うが、まあやはり心理的な距離はあるだろう。容易く身体的接触を許さない種族的特徴がそうさせるのかどうかは、わからないが。

 まあほぼ面識のない人と予定を組むこと自体に結構なハードルがあると考えられるので、それくらいは仕方の無いことだろうけども。

 

 けれど、何時にも増して眠たそうな眼をしたシーヴさんは、首を傾げる。

 

「何を感じたかは分からないけど。違うと思うよ」

「……何がです?」

「多分、気にしてる。『大量発生』と、食料庫の件に関して」

 

 また、それか。

 

 あれを乗り切ったのは凄い事なのかもしれない、散々言われるうちにそう思うようにはなってきた、でも。あの戦いの立役者は俺ではない、あれを成したのは俺ではないのだ。

 

「でも、功労者は俺じゃない」

「最も活躍した人だけが讃えられる? 少なくとも、最後まで戦ってたのは君だけだよ」

 

 言葉に詰まる。謙虚でいることと、卑屈になることは別だ。評価されたならば、認めない限り下した相手に失礼。むず痒い感覚が背中を這い回る。

 

 現世での失敗の経験からも、見上げてばかりで勝手に打ちのめされて失っていたが、少しくらいは自信を持っても良いのかもしれない。過剰は身を滅ぼし受験を失敗に導くこともあるけど。

 

「どんな事が起こったかは知らないけど。君は、君たちは。想像以上に、注目されている」

「そう、なんですか」

 

 それは、純粋に嬉しい。褒められて、持ち上げられて良い気分になるのは自然な反応だ。

 

 でも。

 

 喜べない。

 

 これで、いいのだろうか。俺の行動は、選択は、間違っていないだろうか。原作からの決定的な破綻を生み出す行為を、していないだろうか。

 強くはならなければならない、しかし目立っていいのか。原作には俺のような人間は出てこない、名が売れるといけないのではないか。正しい流れに戻せなくなるのでは、という考えが、俺をどこまでも捉えて離さない。

 引き返せない。時間を巻き戻す特殊能力などない。過ぎたことのたらればを考えるほど暇なことはない、だが考えずにはいられない。

 

 どうすれば。どう動けば、どう話せば、どう生きればいい。そもそも何故俺はこの世界に来た。何を成すべきか、成さざるべきか。方針も、誘導も、天啓も、神託も、俺には与えられなかった。

 

 目的地はどこだ。俺は、道は、標は、どこにある。

 

 

 俺は、正しく歩めているのだろうか。

 

 

「終わったか。……ナツガハラ?」

 

「……エリン?」

 

 ロビーの片隅で、解の無い思考に呑まれかけていた俺に声を掛けたのは、シーヴさんではなく、同僚の少女だった。

 

 いつもと何も変わらない服装、恰好ではあるが、その表情だけは何か違うように映る。どこか、探るような、不審に思うような。

 

「気分でも優れないのか? 健康には見えるが」

「あ、ああ。大丈夫だ、問題ない」

「そうか。深くは訊かないが、もし何かあるならば主神にでも相談すると良い」

 

 俺の顔を覗き込み、目を細める。それだけでも美少女は絵になる、恋に落ちそうだ。でも、若干様子が違う、感じがする。どこがとは言えないし、分からないけれど。

 

 ありがとう、とだけ返し、シーヴさんと改めて向き直る。

 

「ところで、どうしてここに? 俺に言伝とかか?」

「いや、同行の要請だ。星空の迷い子まで来るようにと、神カーラから」

「頼んでた防具の件かな。シーヴさんも、帰りますよね」

「うん」

 

 今は悩んでいる場合でもない。まだなにもわかってはいないのだ、考えるだけ無駄、だ。

 

 それでは行きますか、と歩き出したところで、エリンは窓口の方に眼を向ける。

 

「先程会話していたあの女性……」

「ん、リューさんか?」

「リューさん」

「【アストレア・ファミリア】所属のLv.4、【疾風】のリオンこと、リュー・リオンだ」

 

 そういえば、いつ、【アストレア・ファミリア】は崩壊するのだろうか。俺の記憶では、壊滅させられる、という事実までしか判明していなかった。巻数が重なればそのあたりの話も書かれていたのだろうけども、世界が違う以上、俺にはもうそれらを知る術はない。

 

 原作知識があるといっても、こうしてみると穴だらけだ、気を付けていかなければ。

 

「彼女は……エルフ、なのか?」

「えー、そう、だな。その、一般的だとされるエルフ、だ」

 

 一切後ろめたいこともないというのに、どことなく言いづらい。

 

 しかし、探索や買い出し以外でまともに外に出ないために、彼女は今日までエルフをしっかり見たこともなかったというのか。

 

 それは、自称する種族を前にした気持ちは、一体。

 

 足は止めず、一定で。リューさんを見詰める目が、温度を捨て去る。

 

 俺は、とても小さいその呟きを、幸か不幸か、聞き逃さなかった。

 

 

「あれが……()()()()()()()()()

 

 

 その視線を、瞳を。俺は知っている。

 

 

 

 

 

 黄褐色の輝きは、何を照らしているんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一九話 虚空を眺むその瞳

  
 そして彼女は、表情を変えずに口を開く。

「あたしは、もっとガンガン潜る冒険者に、なるはずだった」



 順調とは、とてもとても言えなかった。

 

 エルフを自称する少女、エリン・ヴァランシーの加入から二週間が経過し、【ブリュンヒルデ・ファミリア】と【ワクナ・ファミリア】の混成パーティはあれよあれよと第八階層に進出。一月半ぶりに、俺は最高到達階層をまた更新することに。

 この世界に来て五ヶ月とちょっと。俺とエリン、原作キャラのヴェルフとリリに酷似している冒険者、イネフとカテリーナ。まともなパーティとして成り立ってきた。

 連携も段々と上手くいくようになってきており、それほどの難も無く進むことも出来た。初めは戦況管理者(バランサー)として戦闘の俯瞰も行なっていたカテリーナは純積極攻撃者(アタッカー)へ移行、超攻撃的な布陣に相成る。

 

 それもこれも、当の少女、エリンが皆の想像を遥かに超える活躍を見せていることが要因だ。一人で遠近両方を対応し、適切な判断で他全員を的確に補助。その働きには誰もが目を見張るものがあった。

 

 つまり、快調も快調、怒涛、破竹の勢い。そういった意味合いで、順調とは程遠いと言える。回りくどかったか。

 

「ここら辺が適正かね。いけそうか?」

「ああ、これくらいなら」

 

 大剣を背の鞘に収めながら問うイネフに、こちらも紅緒を収めつつ応える。ちょうど連続した戦闘を終了させ、一息つくところだ。

 

 前に使っていた無銘の白ナイフが限界を迎えたので新しく「最果ての放浪者」で購入した魔石抉出用ナイフを取り出し、モンスターの死骸を一つ一つ漁ってゆく。

 刀を扱っているときにはあまり感じない、肉を断つ感覚には何度触れても肌が粟立つ。ただ切るだけならいいが、魔石を抉り出すのが中々えぐい。その後に屍が灰となってくれるのが救いか。

 

「悪いな、俺たちに合わせてもらっちゃって」

「いや、そんなことはねえよ。俺らだってあんま慣れてねえからな」

「え、最高到達階層は十九って言ってなかったか?」

 

【ワクナ・ファミリア】は元々探索系。団長であるクロッシュ・ソナーがLv.3に到達していることから、彼らもそれなりに迷宮に潜っているものだと思っていたが。

 

 器用がBなだけに、手際良く魔石を取り出してゆくイネフは、屈託のない苦笑いで返してくれた。

 

「行っただけで、辿り着いたわけじゃねえんだ。クロたちに連れてってもらっただけでよ。だから、自分の力だけで潜るのはこれが初めてだ。まあお前らと一緒だけどな」

 

 とすると、彼らは【ワクナ・ファミリア】結成時から、もしくは後から入団したということになる。

 

 意外だった。イネフの冒険者歴がクロッシュのそれより短いということは、原作におけるベルとヴェルフの時系列的関係と類似しない。相似と乖離の有無、程度で判断するのは早計であり危険でもあるけれど、重要な手掛かりに成り得ることも事実。

 外見が似ている、内面も恐らく似ている。しかしその【ステイタス】は方向性は似通っているものの、差別化はされている。境遇に至っては全くの別物だ。判断材料は、まだ少なすぎる。総量の検討がつかない以上はなんとも言えないが、突っ込むにはいささか早いか。

 

「だから、自力到達階層は同じ、ここ、八だ」

「じゃあ実質、ここがスタートラインってわけか」

「そういうこった。気ぃ引き締めてかねえとな」

 

 周囲全てのモンスターを解体し、ルームの中を改めて見回す。少し離れていたところで同様の作業を行なっていたエリンとカテリーナも合流した。

 

 第八階層からはまた迷宮の形状が変化するため、これまでの延長線上の戦い方とは違う対応をしていく必要がある。初見なら尚更。

 まず、天井が高くなる。三から四M(メドル)程度であったものが、一気に十Mほどまで拡張される。まあこれは開放感が得られるとか、音の反響具合が変わるくらいなものなので、さほど影響はない。

 特筆すべきなのは、通路が短くなり、ルームの数が飛躍的に多くなることだろう。これにより通路での戦闘は大幅に減り、ルームでの戦闘が大幅に増える。通路では二方向からしか敵が来ないが、ルームでは三六◯度全方位からの攻撃に対処することが要求される、その違いを考えると難易度は確実に上昇している。

 

「とりあえず、あまり奥には踏み込まずに浅いところで戦闘を繰り返して慣れようか」

「そうだな。ここまで早足で来たが、こっからはしっかり攻略してく方針でいいだろ。そっちの二人の意見はどうだ?」

 

 イネフがエリンとカテリーナの方へ話を振る。結果は分かっているけども。

 

「異論有りません」

「右に同じだ。問題は無いと思われる」

 

 二人は決して主体性に欠いているわけではない。必要最低限の発話、応答を選んでいるだけで。受け取る人によっては冷たいとも感じられるかもしれないが、別にそんなことはない、はず。

 俺たちが誤っていれば提言はしてくれるし、意思表示はちゃんとしている。そもそも嫌ならこうして同行してくれていないだろうし。

 

「んじゃ、ここら辺を索敵しつつ回るか」

 

 大量の灰が残されたルームを後にし、イネフを先頭に据えた形で移動を開始する。

 

 壁は苔が生した木の色に、地面は足首くらいの高さの植物が茂る草原に。太陽を思わせる強目の燐光は、ここが地下深くであることを忘れさせるほど。

 不思議な感覚だ。地下の閉鎖された空間にいると自覚していても、つい屋外にいる錯覚を引き起こしそうになる。なんだろう、ローグライクゲームに入り込んだみたいな。

 

 これまでもそうだったが、異世界感がより強く感じられる。現世では、まず味わえない状況。

 

 しかし、あまり心は踊らない。第八階層ともなると相当に地下深く、ここまで来るのも一苦労だ。冒険者になって五ヶ月弱、それなりに鍛えられてきたとはいえ俺にはまだ体力的な問題もある。

 深く潜れば潜るだけ、地上までの距離は長くなっていく。更に突入時とは違い、疲労した状態で脱出しなければならないのだ、帰還には想像以上の危険が付き纏う。余裕を持てる切り上げどきを見極めることは、冒険者には必須の技能だとも言えた。

 

「探索には慣れたか?」

「二週も費やした故、それなりには。此処らの階層ならば苦も無い」

「そっか。なら良いんだけど、きつかったら言ってくれよ。パーティなんだからさ」

「心得ている。が、敢えてそれは杞憂であると伝えておこう」

 

 外見だけでは、エリンの疲労度は測れない。俺の観察力が乏しいこともあるだろうが、何より彼女は生粋のポーカーフェイス。まず表情が変わらない。

 見ているとは決めたものの、流石に取繕われた表面だけを眺めているわけにはいかないだろう。まだ俺にはそれが本音かどうかなど、見分けがつかないけれど。

 

 歩いていると、僅かに空気の流れを感じる。そよそよと足元の草が揺れる、頰を風が撫でてゆく。

 風か吹くということは、温度変化があるということ。天井の光によって気温が上がっているためか、いつものひんやりしたものとは違った、穏やかな雰囲気が醸し出されている。血の匂いが混じっているため台無しもいいところだけど。

 

 そういえば、この階層には緑があるからわからなくはないが、他の層での酸素濃度というのはどうなっているのだろう。壁から生成とかされているのか。今更ながら、地下深くにいて呼吸の心配がないというのはなかなかに不可思議なものなのでは。

 

「お、会敵。コボルトが三体だ」

 

 いくつかルームを経た後、今日はトマトが安いぞ、的な気軽さでイネフが報告を飛ばしてくる。

 

 全員が緩やかに戦闘態勢に移行、それぞれ武器を構え少しずつ距離を置く。

 現在のルームは比較的狭め、繋がっている道はこちらからとその向こうの二本のみ。一つ前のルームは少し広めで道が三本だったので、引きつけて退がる選択肢もある。

 

「ここでやるか?」

「そんなに広くはねえが、こいつらだけなら十分だろ。増えたら一つ後退でいこう」

「おっけ」

「はい」

「了解」

 

 向こうもこちらに気付き、すぐに飛び掛かってくる。イネフをその場に残し、俺たち三人は即座に散開した。

 

 今日の俺の武器はハルバード、槍斧だ。【カーラ・ファミリア】の鍛冶師エルネストの試作品のため銘は無い。長さ、重さともに三Mに届かないくらいで、良くも悪くもバランス型といったところか。

 

 数の上ではこちらの方が優っている、撹乱の意味でも攻撃しやすさの意味でも、散らばるのは有益と言える。

 

 コボルトらは標的がばらけたことに対し、意思の疎通がとれず、一体はそのままイネフに突撃していったが、残りの二体は急停止して俺たちを目で追う。

 

 距離的に俺が一体、エリンとカテリーナで一体を処理する状況。向こうは二人で角度をつけ、カテリーナがクロスボウで牽制しつつエリンが素早く間を詰めていく。

 

「だらぁっ!」

 

 大剣が左切り上げの軌道でコボルトの胴を斬り裂いた。その豪快な動作と大きな掛け声に、一瞬注目が集まる。

 

 格好の獲物だ。

 

 コボルトの目線が俺から逸れた瞬間を狙い、槍の要領で胸部を狙い、右わき腹に構えた槍斧(ハルバード)を突き出す。

 

『ギッ!』

 

 しかし、流石に視界には入っていたのか、コボルトは半身になりやり過ごした。その双眸は既にこちらを完全に捉えている。

 

 コボルトはそのまま脚に力を込め、飛び掛かろうとする、が。

 

 それは間違いだろう。これは槍じゃない、槍斧だ。

 

 左手はそのままに、右手を柄の表面を滑らせながら身体の後ろまで持っていく。身体を支点にして、捻るように。

 

「ふ、っ」

 

 鋭く細く息を吐きつつ、槍斧を横に振るう。

 

『ガ、』

 

 二本の鋭利なスパイクがコボルトの側頭部と頸部に突き立ち、動きを完全に停止させる。だが脳は生きているのかまだ目の動きがある、即死とはいかなかったようだ。

 

 ならば、と。身体との接点を無くし、突き刺さったスパイクを抜いたその勢いを活かして、頭の上を通るように槍斧を回転させ。

 

 スパイクとは逆側、三日月型の斧部分をコボルトの頸部にぶち当てる。

 

 斬れ味は悪くなく、すっぱりと、コボルトの首が飛んだ。

 

 エリン、カテリーナの方も難なくコボルトを仕留めている、これで一旦は戦闘終了。なのだが。

 

「……む」

 

 早くも魔石を抉り出そうとしていたエリンが、ぴくりと何かに反応する。

 毎回のことだが、彼女の探知能力は驚くほど秀でている、魔物の奇襲を絶対に許さない性能だ。

 

「多いか?」

「少し。この先から九体と、来た方から四体だ。九がコボルト、四がゴブリン」

 

 挟み撃ちの構図が瞬時に組み上がる。数は合計して十三、本来ならば特に問題はなく対峙、撃破出来る程度だが、状況が簡単にそうさせない。

 ルームが狭すぎる。コボルト三体に対して目一杯に使うレベルの面積で、その四倍以上を相手取るのは厳しいなんてもんじゃない、ぐちゃぐちゃになる。

 当然負傷の危険性も上がる、戦線を綺麗に保つことは生き残るには必須の技能だ。

 

「退がろう! 俺とイネフでコボルトを留める、エリンとカティアで道を拓いてくれ!」

「おう!」

「はい」

「了解」

 

 槍斧と大剣を得物とする俺たちは、通路で複数を相手にするには向いていない。そちらは小回りが利く彼女らに任せ、対面の通路から飛び出てきたコボルトに対し、構える。

 八、九階層に出現するモンスターは、コボルトやゴブリンといった、一から四階層で既に戦ったことがあるものばかりで、新しい種は存在しない。

 とはいえ勿論、その強さは最初のものとは異なる。個体一体一体の能力値が大幅に上昇しているため、同じ感覚で挑むと返り討ちに遭うだろう。

 

「おらァ!」

『ガウァァァッ!』

「はッ」

 

 先頭の一体を袈裟斬りにしたイネフ、に飛び掛かろうとした一体の首元に突きを食らわせる。先端は細いため絶命には至らなかったが貫通している、十分だ。

 

 刺さったハルバードを抜こうとするコボルトの顔面に靴裏での蹴りを見舞い、吹っ飛ばす。ちゃんと抜けた。

 

 その反動に逆らわず素早くバックステップ、イネフの左斜め後方に回り込む。と同時に、イネフの大剣が彼の前面の敵を左から右へ、薙ぎ払う。

 

 大振りの攻撃は範囲は広いものの、隙も大きく殺傷力もそこまで出ない、しかしその欠点は俺が埋める。

 

 合図も無く。イネフの身体が右へ流れる。俺の進路を空けるように。

 

「宜しく!」

 

 彼の動きを見ずとも、俺は既に、もうそうなるものだと察して踏み出していた。

 

 二週間も共に戦っていれば、ある程度の連携までは習得出来る。まだ高度とは言い難いが、この近辺の階層でなら。

 

「任された!」

 

 十分に通用する。

 

 振り抜いた後、大剣の慣性に従って離脱するイネフに代わり、後列から飛び出して来たコボルトの脳天目掛け、槍斧の斧部分から振り下ろす。

 

 角度が良かったのか、頭蓋を滑らかに断割した槍斧は、勢いそのままに地面に深々と沈み込む。

 

 この階層特有、柔らかい土だからこそ起こる現象。ここぞとばかりに、コボルトたちは俺に牙を向けてくる。

 

 だが、それも当然。狙ってやったこと。

 

「もらったぁ!」

 

 槍斧は刺したまま。引き抜くのではなく寧ろ逆に、自ら伏せ頭を下げる。俺の頭上、ぽっかり空いたスペースに、イネフが掛け声と共に飛び込んできた。

 

 一度脇に避けた彼は、薙ぎ払ったときとほぼ同じ軌道に大剣を乗せ、気を逸らしたコボルトたちを一網打尽にする。

 

 それほど難しいことではない。目の前の対象を何度も変更させることで判断力の低下を引き起こし、攻撃を鈍らせ統率を乱す。

 

 自分の上をイネフが通過したことを感じ取り、立ち上がる動きのついでに槍斧を回収しつつ下がって次の行動に備えて、構え。

 

 ちらりと、コボルトたちの肩の向こう、逆側の通路の奥に、更に別の何かの影が目の端に移る。

 

 残る個体はあと三、うち一体が喉をやられ動けない。

 

 しかしモンスターはこれくらいで冒険者への敵意を喪失することはない。動ける二体は、一瞬考えた後、イネフには目もくれず俺に突撃してくる。

 

「こちらは開けた、退がれ!」

 

 背中側から四体のゴブリンを片付け終えたらしいエリンの声が届く。俺たちは反射的に後退、広めのルームに戦いの場を移す。

 

 あと三体を倒せば終わり、のはずだったが。既にルームの端、通路付近まで後退していたことと、対面側の通路の先から何やら追加のモンスターの影が見えたことから。

 

 この場面ではやはり、先ほど立てた方針、より広いルームに移動することが安定行動となる。今の攻防においては運良く連携も決まったうえに一度も被弾がなかったものの、いつもこううまくいくとは限らない。

 

「エリン、追加だ」

 

 入り口で反転、盾役となるイネフの脇をすり抜けてルームの奥へと飛び込んだ。

 コボルトの対応をカテリーナとスイッチし、安全地帯に退がり。同じく後方に待機していたエリンに敵の増援報告をする、けれど。

 

「……エリン?」

 

 反応が帰ってこない。再出撃の構えを解き、彼女の動向を確認する。

 いつだったかの、あの冷たく空虚な瞳が、イネフらの背後を、中空を、虚を見つめていた。その表情には余計な感情も温度も時間すらも、絡まっていない。

 稀に。この状態が、エリンに惹起される。数瞬にも満たないが、戦場においては致命的な隙。

 

「! ああ、そうか……うん、確かに。正面から五体のゴブリンと、更にその後に四体のコボルトだ」

「わかった! そいつらの突入に合わせて散開、さっさと片付けよう!」

「おうよ!」

「はい」

 

 未だ事故には繋がってはいないが、それでいいわけではない。そもそも迷宮内で事故ったらほとんど一発アウトだ。

 無銘のハルバードを握り、イネフとカテリーナの後ろ姿を確認する。頼もしい、と同時に、少し恐ろしくもあったりする、トルドやスハイツさんとは違う、初めての対等な仲間。

 

 一方的に命の保障をしてくれるほど強さが離れていない人々と、組む。それは、相互に相手の生命を預け合う、握り合うことと同義でもある。

 頼ることと、頼られることの一体化。あらゆる行動に、責任が付き纏う。

 

 当たり前だ。そんなのは誰もが承知していることだ。

 

 ……でも。

 

「次きたぞ!」

「よし、俺が正面を請け負う!」

 

 丁度現存していた全てのモンスターを片付け終えたイネフの掛け声に呼応し、真っ直ぐ飛び出す。

 

 すぐ後ろについて来ている少女は。何を思ってここにいる。

 

 槍斧を、大きく、振りかぶった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふーぅ、お疲れさん」

「お疲れ様。今日はなかなかうまくいったな」

「だなー。この調子でいくと近いうちに九階層に進めそうだ」

 

 簡易食堂の片隅に疲労を溜め込んだ腰を落ち着け、軽く水を含む。

 

 換金は自発的に買って出てくれたカテリーナに任せ、俺とイネフ、エリンでテーブルを囲み、一足先に反省会。

 時刻は一八をまわったところ。そこかしこで一探索終えた冒険者たちが夕食や軽い飲み会をおっぱじめているが、俺たちはそうするわけにもいかない。うちはヒルダさんが作って待っていてくれているし、イネフたちはそもそも本拠ホームが飲食店、なので余計な物を胃に詰めて帰るのは節約の精神に反する。

 

「エリンはどうだった、八階層」

「……大した脅威は無いと推察出来る。あの程度であれば、問題にもならん」

「た、頼もしいなぁおい。冒険者歴二週間ちょっとでそれは洒落になんねえぞ」

 

 確かに、このペースでいけばとんでもない記録が樹立されるかもしれない。彼女の【ステイタス】も尋常でない速度で伸びており、ヒルダさんと目を合わせ驚いたものだ。

 

 でも、実際そんなことが可能なのだろうか、という疑問も当然ある。

 エルフという種族が皆、エリンのように優秀であるならば。あのアイズ・ヴァレンシュタインを上回る才能を有しているというのなら。今頃最前線はエルフだらけになっているだろう、というかそうなっていなければおかしい。

 

「白紙から始めた冒険者とは思えねえな。自信なくしちまいそうだわ」

「それは、まあ、うん、確かに……」

 

 清々しいまでの笑顔で言い放つイネフは、わざわざ皮肉を飛ばすような性格ではない。しかしそれに、俺はとある冒険者を連想した。

 

 ベル・クラネル。ダンまち本編において主人公となる白髪赤目の少年、たった一月でレベルアップという前代未聞の偉業を成し遂げることになる例外。そしてその誰よりも早い、成長速度。

 

 それを、エリンは上回りつつある。

 

「なんかコツでもあるのか? 《スキル》とか言えねえことなら無理には聞かないけどよ」

「特に何も。強いて言語化するならば自己暗示と限界突破だな」

 

「ほう」

 

「凡ゆる場面に対し、我々は上手く出来ると確信すること。ただ言い聞かせるのではなく、心の底からだ。それは自信にも動力にも成る」

「思ったより精神論なのな?」

 

 単純に考えて、有り得ない。彼女の《スキル》は成長を促すものではない、それで【憧憬一途】(リアリス・フレーゼ)を上回るなど。

 

 あってはならない。

 理が許さない。原作開始時点での最速はアイズ・ヴァレンシュタインの一年でなければならない、そしてベル・クラネルにとって代わられなければならない。バタフライ効果を考えると恐ろしい、ただでさえ捻じ曲がっている流れが、どれほどの歪みを生むことか。しかし。だからといって。

 

「精神面に大きく左右されることは確かだな、揺るがなき意思は肉体を牽引し得る。限界突破もその類だ、常に我々の最大を任意に引き出す様にする、だけではあるが」

「聞いたことあるぞ。自己防衛の為のリミッターってやつだろ。でも、そんな簡単にどうこうできるもんなのか?」

「本人次第、としか言う他は無い。我々は再生魔法を有している故に最短だと判断出来ただけだ」

「そういやそんなんあったなあ。回復の術があるからこその手段だってことか。意識的な上限解放だけでもかなり便利だと思ったんだが」

 

 どうすることも、できはしない。

 彼女の成長は妨げられるものではない。いくらこうして不安を抱いていたとしても、俺はただ、観ているだけしか。

 

「明らかな『死』を思考することで、擬似的な効果は得られるだろう。一時的な集中力の底上げにはなる」

「うーん、明らかな『死』ねえ……あ、ダメだこれ」

「? どうした?」

「ついこないだカティが大事そうにとって置いてたケーキを食っちまったときを思い出してな……やべぇこれ死んだわってなった記憶が強くてシリアスにならねえ」

「なんだそりゃ」

 

 いや、ここはヒルダさんを信じる。

 俺は観ている。それだけで、いいはずだ。

 

 気持ちを切り替え、どうやらカテリーナは甘いものに目がないらしいという話題に切り替えられた場に向き合う。

 エリンが何かを隠していようが、それはヒルダさんが既に見抜いているはず、ならば心配は要らない。俺よりヒルダさんの方が、そういう考えの巡らせ方は上手いだろうから。

 気をつけるべきは、エリンの何かしらが崩壊、失敗した時だ。もしそうなるとしたら現場に居合わせていること、そしてその際の被害を抑えること。まだたったの二人だが、俺の立場はもう強制的に『団長』である、せめて責任くらいは背負わなければ。

 

 雑談もそこそこに、内容はデブリーフィングかくあるべしという方向に変わっていく。

 

 ほぼ毎回のように開かれるこれは、一時間以上かかることもあればほんの数分で終わることもある。お互いの【ファミリア】の都合もあるが、基本的には話すことがあったかなかったかに拠っているからだ。

 連携がうまくいったかいかなかったか。判断が正しかったか間違っていたか。次はどこまで行くか、冒険者依頼(クエスト)を受けていくか、何を目標に据えようか。【ワクナ・ファミリア】の本拠(ホーム)は飲食店だし、【ブリュンヒルデ・ファミリア】ではヒルダさんが夕食を作って待っている為、大抵は一九時にはお開きになる。

 

 今日は比較的()()方。エリンが八階層でも問題なくやっていけるかどうか、新しい地形、敵の構成や出現速度に対して今日の連携は適切だったか。そしてなにより。

 

「ていうか、階層進めるなら予め言っておいてくれないか? 初めて触る武器で挑むのは結構怖いんだぞ」

「そうか? の割にはお前、それなりに動けてたと思うんだがな」

「基本的な扱いは槍や棍とそこまで変わらないから、まだなんとかなっただけだ」

「わかったわかった。次からはちゃんと計画を練るって」

 

 八階層への挑戦は、突如朝にイネフが提案したものだった。それについて。

 

 槍斧だったからよかったものの、これがトンファーとかチャクラムとかそういう本気で使ったことのない物だったら駄目だった。

 まあそれは流石にわかっているとは思うけれど。今日この武器だったから進んだ、まである。それでも、紅緒や晴嵐、渡鴉を使えればもっと安定しただろう。

 

「やっぱり、いつものに固定した方が」

「別にいいって言ったろ。それがお前のやり方なら、それに合わせるのが俺らのやり方だ」

 

 最初に、彼らとそういう諸々は話し合ってある。俺が武器をほぼ日替わりで色々使う事も含めて。

 

 だから了承済み、何も問題はないはずではあるけれど。

 割り切れる割り切れないの前に、別の要素として引っかかるところがあるのも事実。これでもしもが起こってしまっては元も子もないのだから。

 

「……じゃあ、今回のこいつ、ハルバードはどうだった?」

 

 しかし、あまりそこに固執するのも良くはない。今日活躍した俺の獲物を指差し、意見を募る。

 

 俺とイネフの武器は身に付けたまま着席するには大きすぎるので、槍斧は先端の殺傷能力がある部分を布で包み、大剣はこれもまた武骨で巨大な鞘に納め、それぞれ近くの壁に立てかけてある。特に槍斧は、持ち運びに少々難ありだ。三M近くあるからな。

 

「うーん、リーチは長くてすげえ攻撃的になれるのは良いんだが、集団戦になると取り回しづらかったんじゃねえか? あんま連携には向いてないかもな」

「良くも悪くも、振り回している印象だな。身体の動作と槍斧の動作が別個になっている」

「やっぱりそうか……」

 

 前にもエリンには同じようなことを言われた記憶がある。

 様々な武器を取っ替え引っ替えして使う俺は、それら一つ一つに対しての熟練度を積み難い。だがそれでも戦えるようにしなければならない為、素の体術に頼らざるを得なくなっており、個々の武器に適当に順応しきれていない、と。

 

 薄々わかってはいたものの、ある程度戦えるようになって初めてぶち当たる、壁。強くなったから武器が上手く使えなくなってしまう、なんてふざけた話ではあるけども。

 

「あとあれだ、そいつの特徴を活かそう活かそうとして選択肢を自分から減らしてる、みたいな感じがあったぞ。棍みたいな使い方は全然してなかったぜ」

「そう、言われてみればそんな気もする……なんだろうな、意識してやってるわけじゃないんだけど」

「使い熟すことを、武器の強みを活かすことに重ねて考えているのかも知れんな。要するに応用に気を回せていない、ということだ。目の前の出来る事に安易に飛び付いている」

「これまで培ってきたことも使え、ってこと、か」

 

 多方面の経験値を積む段階は過ぎた、ここからはまた別の方法、手段をとっていく必要がある。最低でもこれまでを引き継いで、新たなものを獲得していかなければならない。

 

 未知の地平に踏み出すのだ。

 

 わかってはいたが、手引きがないのは割ときつい。名を馳せた先駆者がいないことは、足跡も順路も標識もない闇の中を手探りで進むことに等しく。それに、武器一つ一つの説明や特訓などは受けることはできるものの、種類や数的にも限界がある。薄っすらと後悔も浮かんでしまう。やるけども。

 

「でもよ、試みとしてはいいと思うんだよな。どんな武器でも使い熟せる、とか、単純に凄えって」

「先は長そうだけどね……」

「本人の成長に伴うスキルアップを繰り返していくしかないだろう。極端に長い道を選んだのだ、それ以外に方法は有るまい」

 

 詰まるところ、俺自身が強くなる以外なく。引き返すならここ、だがその気も更々ない、ならまあ、頑張るしか。

 とはいえ、皆は肯定的に意見してくれるものの、やはりそれで支障が出てしまうのは駄目だろう。それに関しては、早急に対処が必要だ。

 

 アテは、今のところないのだが。

 

「そんでいつも気になってたんだが、その色んな武器はどこのだ? やけにシンプルで良いし、お前が使ってるのを観るにわりと結構な数を作ってるはずだ。でもどこかで見たような覚えはねえんだよ」

「ああ、これは」

 

 口を開き、一瞬躊躇する。よく考えてみれば、【カーラ・ファミリア】本拠『星空の迷い子』の武器工房は秘匿主義。俺たち『戦乙女同盟』(ヴァルキュリヤリーグ)以外には、知られていないはずだ。

 理由は明白、シーヴ・エードルントの《魔法》、【グラント・エンチャント】がその名の通り、属性付与(エンチャント)を可能としているから。今のところ俺は『衝撃衰微』(アブソーブダメージ)しか知らないが、おそらく様々な特殊武装(スペリオルズ)を創り出せる彼女の可能性は、公にしてはならない。

 

 一応、交流は無いとは言えない。エリン歓迎会以降もワクナさんはカーラさんらとたまに会っているとかは聞く、けれど。

 

「……えー、っと。すまん、今は教えられない。今度確認しておくよ」

「そうなのか。まあ無理には言わねえけど」

「装備の打診?」

「いや、単純に鍛冶の師事にな。俺の《スキル》さ、腕次第で品質変わるんじゃねえかなって」

 

 彼の《スキル》、【魔力製錬】(ソルシエ=アルチザン)は、確か魔石を用いて特定の魔物に対する超特攻武器を作り出すことを可能にするというもの、だったはず。

 

 でも。

 

「どんな相手でも確実に斬り裂ける、んじゃなかったのか?」

 

 完全防御無視の攻撃以上の性能を持たせることが出来るとでもいうのか。

 

 質問を受け、目を丸くした後にイネフは大袈裟に被りを振ってみせる。ちょっと口元に笑みを浮かべて。

 

「前に見せたアレなんだが、まるで耐久力が足りねえんだわ」

「道理で。一度も使わないわけだ」

「作る手間と使える効果のバランスがなあ」

 

 大体、一、二回使えば壊れるくらい脆くて。とてもじゃないが実戦に投入するには心許ない性能だとか。

 迷宮内でまともに使っているところを見ないなと思ってはいたけれど、まさかの致命的な弱点があったとは。まあそれくらいのデメリットがなければぶっ壊れと言っても過言ではないくらいだし丁度いい、のか?

 

「使い勝手悪いな」

「全くだ。大量の魔石と精神力使うしな。割に合わねえんだよ」

 

 雑魚の魔石ほど手に入りやすいがわざわざ加工する意味は薄く、かといってゴライアスやらの強モンスターの魔石はそもそも手に入れ難い。入手したとしてもそれを次回討伐用に消費してしまうか、と考えれば首を捻ってしまう。

 

 なかなか難しい《スキル》のようだ。

 これを活かすとしたら。できるかどうかはわからないが、鍛冶能力を上げるなどして耐久面を強化して実用性を持たせるか、例えば【ロキ・ファミリア】等の上位【ファミリア】と提携して委託製作する、とかだろうか。

 

「しかしその《スキル》、知名度を少しでも上げてしまって良いものか? 余り詳しくはないが、希少性が在るものだろう」

「そこら辺はある程度割り切ってはいる、でも大手じゃねえんだろ? なら盛大に広まりはしないと踏んだんだが」

「うーん、まあ少なくとも世間に周知されることは無いと思うよ」

「ならいい。頼むぜ」

 

 からっと笑うイネフに頷きを返す。彼なら多分、カーラさんとの相性的な問題は大丈夫だろう。共に生き延びた仲間としても、この前の宴会の関係としても、心象はいいはずだ。

 

 では次は何について話すか、といったところで、換金に出向いていたカテリーナが戻ってくる。

 

「お待たせしました」

「おう、お疲れさん。どうだった」

「魔石の質の上昇と、八階層初挑戦故の数の少なさがそれなりに釣り合った感じです。有り体に言えば普通ですね」

「実質損無しか。次からは八階層で問題なさそうだな」

「よし、それじゃあ今度のルートと目標も決めておこうか」

 

 本日の報酬を山分けしながら、カテリーナを加えた四人で改めて、次に備えての作戦会議を始める。

 

 パーティの安心感。一人で戦うときとはまるで違うその感覚は、いとも容易く。確かにあったはずの不安の種を、包み隠してしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 早朝。まだ街が目覚めていない時間帯、【アストレア・ファミリア】近くの中くらいの広場。

 

 今日はリューさんに師事する日。少なくとも四日に一回、多いと二日に一回。探索に行かない日の朝に鍛錬、昼に【アストレア・ファミリア】と共に市内巡回を行うことになっている。

 

「おはようございます」

「お早う御座います。今日も時間通りですね」

「そりゃもう」

 

 麗しきエルフの少女と朝の挨拶を交わす。最近は早朝でもまあまあ過ごしやすい気温になってきたため、互いに軽装だ。

 

 接触を極度に嫌うはずなのに肌を露出させているのは元からなのか、すらりと伸びる健康的な脚や、手袋を着用していない細っそりと滑らかな腕を曝け出している姿を観ていると、エルフとは一体、という疑問を抱きそうである。

 しかし一見隙だらけに感じることもあるかもしれないが、彼女は既にLv.4、触れようとしようものならきっと命の保証はないだろう。

 

 原作登場キャラクター、リュー・リオン。原作開始四年半前とはいえ、その雰囲気や人となりは変わりない。

 

「それでは、始めましょうか」

「ちょ、ちょっと待って……まだ眠い……」

 

 リューさんが獲物の木刀、アルヴス・ルミナを軽く構えたところで、俺の背後から情け無く弱々しい声が飛んでくる。

 

 俺の所属している【ブリュンヒルデ・ファミリア】と『戦乙女同盟』を結んでいる【カーラ・ファミリア】の団長、シーヴ・エードルント。狼人(ウェアウルフ)の女性で、Lv.3の強者。ただし酒や朝には滅法弱い。その特徴的な耳もふにゃりとくたびれている。

 

 そう。狼は狩りの後、朝方に巣に帰る。その習性を反映してか否か、彼女は極端に朝に弱い。かなりの低血圧なのだ。先程リューさんが時間通りだと言っていたが、俺自身はだいぶ余裕を持って本拠を出るようにしている、殆どはこの人の支度を整え、連れて行くことに費やしているのだ。

 

「相変わらず朝が駄目なのですね」

「こればっかりは……ムリ……。ふわ……ぁ、ちょっと休んでる……」

「では、ナツガハラさん。一対一で」

 

「えっ」

 

 大きな欠伸をしながらそこらに無造作に置いてある木箱に座り込み、シーヴさんは俯いて完全に寝に入ってしまう。

 最近はイネフさんを工房に迎え、そっちの方の仕事もまあまあ忙しくしているとは聞くが。今日はそれを抜きにしたとしても、なかなかの低血圧ぶりだ。夜更かししたな。

 

 当然だが、俺は冒険者になってからたった五ヶ月と少し。まだLv.1だ。

 繰り返す、まだ俺はLv.1だ。特殊な《スキル》や《魔法》も発現していない、彼女らに比べたらただの凡庸なだけの雑魚に過ぎない。

 

「いや、俺一人じゃあ流石に無理があるというか、リューさんも鍛錬にならないのでは?」

「ウォーミングアップを兼ねます。それに、私は受けるだけにしておきましょう。これで如何でしょうか」

「そ、うですね、じゃあ、はい」

 

 城壁の上でのベル君とアイズの特訓を思い出すな。こっちは普段シーヴさんと二人掛かりでのされているけども。

 

 でもまあ、ここで無駄な時間を過ごすのも看過しがたい。情けないがリューさんに手加減をしてもらえるのだ、やろう、俺は強くなりに来ているのだから。

 

 二、三歩下がり、紅緒に手を掛けて重心を落とす。

 

 今日の武器は、紅緒、晴嵐、渡鴉のいつもの三本に加えて一・四Mもある大きな両手剣(ツーハンデットソード)。それぞれ腰と背に装備。

 

「何時でもどうぞ」

 

 無造作に構えたリューさんは、余裕を持ってこちらに呼びかける。

 絵面だけ受け取ると、薄着の少女に刀で襲い掛かる悪漢、ともなるかもしれない。だって彼女はまだ一四で俺は一九、五歳差だ。

 

 でも。

 

「ふッ」

 

 軽く息を吐き、可能な限り疾く大きく踏み込み。

 

 右手に掴んだ柄を、全体の動作が滞らない範囲内で()()()()()()()引き抜く。

 

 抜刀術。

 

 それは、刀を鞘から抜くまでの速度と、抜いた後の速度の乖離を生み出し、その落差をもって感覚を乱し斬撃を捉えさせない剣術の一種。

 

 少なからず摩擦が起こる故あまり数は撃ちたくないが、ここぞというところで放つに値する歴とした技だ。

 

 が。

 

「速い」

 

 少なくとも俺が行う抜刀術は初見、それでもリューさんはいともあっさりと木刀で受け止めてみせた。

 

 わかってはいた。俺程度の渾身の一撃など、その場から一歩も動かずに衝撃まで完全に殺しきって攻略されるだろうということは。それほどまでに、俺と彼女の間には距離がある。

 

 だからこそ。出し惜しみは無しだ。

 

「らァ!」

 

 当然。止められることがわかっていたならば。次の手に移行すればいいだけの話。

 

 紅緒がアルヴス・ルミナと衝突するより早く、俺の左手は右腰、晴嵐に向かっていた。気付かれてはいるだろう、けども。

 

 既に刀身を朝靄に潜らせ、高い風切り音を響かせながら、その刃は彼女に向かって行く。

 

 二本目。偶然、今日は装備の重心の関係上、右腰に佩いているのが渡鴉ではなく晴嵐だった為、この即席の奇襲が可能になっていた。

 

「成る程」

 

 それでもリューさんは瞬時に紅緒を打ち払い、返す刀で容易く晴嵐も弾いてみせる。

 

 衝撃を御しきれず、進んで一歩退がる。両手に脇差と打刀を携え、今度は体勢を低く。織り込み済みだ。

 

 刃の向きを修正。普段と異なる見上げるアングル。その違いは彼女にとっても同じはず。

 

 二刀流。

 

 両手にそれぞれ武器を持ち、同時に扱う技術の総称。手数が増えることや攻防どちらにも傾倒出来ることを長所とする高等技能。

 

 しかし、扱いが難しいうえに不利に働くことも多い為、主流にはならない、なっていない。

 

 そもそも日本ですら珍しい戦法であるのに、ここオラリオで他に使用している人間もそう居ないだろう。つまりリューさんにとっては初見と同義。

 

「だッ!」

 

 低い軌道から、右脹脛と左脇腹に斬撃を放つ。同時に木刀で防ぐことは出来ない。全力で応じられたら多分またあしらわれるのだろうが。

 

 対して彼女は半歩身を引き、アルヴス・ルミナで軽くいなすことで刀の予測軌道上から易々と逃れる。

 

 

 だがそれも、想定内。

 

 相手の正面まで鋒が移動することから僅かな遅れもなく、一瞬の制止、そして刺突。逃がさない。

 

 シーヴさんが正邪で行う攻撃方法、反射的な弱点追撃を意識的に模倣した、中途での強引な切り替え。

 

「二本では、」

 

 それを、リューさんは今度はアルヴス・ルミナの腹を用い、両方共止める。これも正確に、適切に、簡単に。まるで硬く大きい岩にでもぶち当たったような感覚が、目論見の失敗を告げていた。

 

 これで終わらせない。木刀に先を擦らせながら無理やり刀身を動かしてズラし、ブレながらも再び刃を彼女に突き立てんとする。

 

 けれど。

 

「厄介、ですね」

 

 木刀をすり抜け進もうとした瞬間、それはいきなり高速で回転し、先ほどと同じように豪快に弾き飛ばす。

 

 よく言うものだ。厄介などとは、きっと露ほどにも思っていないだろうに。

 

 いや。自分と同等程度で俺の戦法を使用する相手との仮装戦闘、を想定しながら、評価を下しているのか。この幼気な少女(リューさん)は。

 

 

 化け物かよ。

 

「まだまだァ!」

 

 右、左。紅緒、晴嵐、時に足払いやらの体術も織り交ぜながら畳み掛ける、ものの。一撃たりともまともに決まらない。直撃は勿論のこと、ちゃんとした防御もさせられない、全て児戯を受け流すが如く捌かれてしまう。

 袈裟切り、唐竹、右薙ぎ、左切り上げ。左前蹴り、左薙ぎ、右切り上げ、足払い、逆風。あらゆる攻撃がいなされ、木刀に止められ、時には徒手で無効化される。

 息が上がる。リューさんはそれほど動いておらず、表情一つ変えずに冷静に、的確に対応してくる。その一つ一つの動作も恐ろしく速く、太刀筋などは目視で捉えられすらしない。

 

 レベルが三つも離れればここまでになるのか。

 

 世界の違いを、感じる。

 

 このままでは埒が明かない、一旦距離をとり、攻撃の手を緩め、小休止。

 停滞ではない、転換の為。

 

「やっぱり、これだけじゃ無理だな」

 

 自嘲を孕んだ笑みを口元だけに表出させ、晴嵐の柄で左腰のもう一本の刀、渡鴉があることを改めて確かめる。

 

 先の『大量発生』(イレギュラー)からほぼ一月が経過している、毎日違う武器を使っていたから実際に戦術に組み込むのはかなり久々だけど、上手くやれよ、俺。

 指先の感覚、よし。風はない、周囲に目立った障害物もない。身体はまだある程度思い通りに動く。持ち手のグリップもいつも通り。脚はいつでも動かせる、イメージもちゃんと作れている。大丈夫だ、いこう。

 

 右手の紅緒を放れば、それが始まりの合図。

 

「……⁉︎」

 

 僅かに、リューさんの表情に困惑が混じり込む。しかしやはりLv.4、目で追わずともその行方はしっかりと捉えているようだ。

 

 関係ない。

 

 放物線を描いて飛んで行く紅緒は、リューさんの少し後方に落ちるようにしている。ずっと警戒していようがいまいが、途中で注意を打ち切ろうが、それ自体には何の仕掛けもないのだから。

 

 踏み込みを鋭く二歩、晴嵐で右薙ぎを放つ。

 

 当然流される。しかしそれは最早既定事項。ここで止められるか流されるかで取る行動は変わったが、やることには変わりはない。

 

 晴嵐の勢いは止めず、むしろ身体を委ね、左方に流れ、一歩ズレた正面に移動しつつ、空いた手で渡鴉の柄を掴み、最初に見せたものと同じ技、至近距離での抜刀術の構えをとる。

 

 することがバレれば当たり前だが対策される。リューさんは俺が構えたときにはもうアルヴス・ルミナを防御に回していた。

 

 速い、とても追いつけるものではない。

 

 でもそれは、普通の抜刀術に対してのもの。これは先程とは、全く違う。

 

「はぁッ!」

 

 わざと声を張り、今から目掛けて刀を振るうぞとアピールする。と同時に、渡鴉の翼を広げる。

 

 実際には、刃は正面からではなく、真横から襲ってくるのだが。

 

「!」

 

 渡鴉を振えば、その重心の位置の関係上、俺の身体は前に引っ張られることになる。それを抜刀術で行い、踏み込みを介すこと無く側面に回り込んだ。

 

 不意打ちに近い攻撃は、木刀を無視してその無防備な横腹に向かい。

 

 目にも留まらぬ迎撃に叩き落される。

 

「くっ、そ!」

 

 悔やみの言葉も思わず漏れる。それほどに上手くいったと感じられる攻撃であった。

 

 しかし、今度は多少の本気を以って。脅威として排除されたのだ。

 

 全力の三割も引き出せれば上等。一瞬でも五割を引きずり出せば僥倖。でもそれだけじゃあ、満足出来ない。

 

 無視していた脚を着き、急激にブレーキをかけ、空かさず晴嵐を振り返りざまのリューさんに向け、アルヴス・ルミナが逆方向に行く間にまた右薙ぎ。

 

 それもまた弾かれる。

 

 足りない。まるで足りない。この膨大な実力差を、決して埋まらない決定的な隔たりを、どうにかする術が足りない。そう思え。どうせやるなら、()()()()()で立ち向かえ。

 

 手首のスナップだけで晴嵐を上方へ投げ、腕を交差させ丁度空いた左手で紅緒を受け止める。案外上手くいくものだ。

 

「次!」

 

 思い切り。

 

 紅緒と渡鴉を同時に、左右対称に斬り上げる。二本合わせて、一つの動作で返り討ちにされる。

 

 渡鴉の効果で接近している、左手で紅緒を逆袈裟に斬り下げ、右手で後ろ手に渡鴉を、頭上を越えるように大きく放る。木刀で止められる、それを放棄して回し蹴りを打つ。

 

 半歩退がられ、肘打ちで墜とされる。また落ちてきた晴嵐と宙に取り残されていた紅緒を、それぞれ左右に収め、身体の前で両方を持ち替えて踏み出す。

 

 目まぐるしく左右の刀を、飛んでいる刀を入れ替える。俺の刀は紅緒、晴嵐、渡鴉の順に全て大きさが異なっている、攻撃範囲も、その速さも違う。それを活かし、どれくらいの間合いを取るべきか、どのタイミングでどんな防御をするべきかという判断に、思考回路自体に負荷を掛けていく。

 

「ならば!」

 

 一際強く。アルヴス・ルミナが紅緒と晴嵐を押し返す。

 

 こちらは手数を増やそうとしている、それに対して一撃一撃にかける時間を強制的に増やさせる、というのは実に効果的だ。

 

 対応が早い。

 

 ではどうするか。

 

「作戦変更」

 

 その呟きは、おそらく彼女の鼓膜にも届いている。いや、これも届かせたというべきか。

 

 正面衝突ではまるで敵わない。常に脚を動かし、側面に回り込もうとしながら斜めに攻撃を仕掛ける。身体全体の動きを追加させ、なるべくこちら側の不利益を減らす方向に。

 

 二、三回斬撃を放っては弾かれ、意図的に渡鴉の落下位置に入る。

 

()()()!」

 

 言いつつ、紅緒も晴嵐も手放さない。渡鴉の腹に当たるように紅緒を振るうことで、その場で回転させるように扱う。

 

 紅緒で斬りかかると、その直後に空中で縦回転する渡鴉が突っ込んでいき、同時に晴嵐で逆から死角を突く。

 

 手数をバラし、更に増やす。宙で回転する刀の攻撃力自体は推して知るべしだが、無視するにはいかない程度の殺傷力は備えている。

 

 元から少しは考えてはいた。こんなにサーカスじみたふざけた技はこうした対人戦くらいでしか使えないので、そもそも出す場も無かったのだが。

 

 誰もが初見の、凶器舞踊(ジャグリング)の発展技。初試行にして初成功、そして渾身の出来。計三つの鋭利な刃がリューさんに迫る。

 

「――考えますね」

 

 

 それでも。

 

 

 それでもやはり、彼女には届かない。

 

 時間差で襲い来る紅緒、渡鴉、晴嵐、全てを流麗な動作と神速の剣技で退ける【疾風】のリオンは、その名に恥じぬ力でもって圧倒する。

 

 四、五歩ほど後退しながら紅緒、晴嵐を納刀、弾かれた渡鴉を右手で受け止め、それも鞘に収める。これ以上同じことを繰り返しても意味はない。終わりだ。

 

「だろ? 初めてだけどちゃんと出来て驚いたよ」

「これで終わり……では、ない、ですか」

 

 ただし、次で。

 

 警戒を解かないままに、リューさんは最初とほぼ同じように、こちらの出方を窺う様子を見せる。

 

「あと一回だけ、だけど」

 

 もう出来ることはほとんどない。初見技で攻めるしかない俺にとってはどうあがいても次が最後、この手合わせは終了。

 

 残念ながら、ここが俺の限界だ。

 

 少しでも彼女を本気にさせられただろうか。意外性を示し、評価を上げられただろうか。所詮有象無象の域を出ることはない俺程度なのでたかが知れてはいるが、それでも。

 

 それでも。

 

「どこからでも、どうぞ」

 

 本気でやってやる、以外にない。

 

 ノーモーションから、予備の白ナイフを放る。大きくゆっくり、今彼女が立っている場所のすぐ前に目掛けて。武器らしい武器ではないが、陽動には十分だ。

 

 さあ、いこう。

 

 リューさんはもう、白ナイフには目もくれない。視界の端に捉えるだけでも、確実にその動向は把握することが出来るだろう。その意識の裂き方、注意の分配法だけでもレベルの高さが窺える。少なくとも俺には難しい。

 

 では、その強者をどう崩していくか。考えてみようか。

 

 まず思いつくのは、数で押すこと。原作五巻の攻城戦でも、【アポロン・ファミリア】はリューさんに対して人数をかけることで抑えていた。白兵戦であるならば妥当かつ最も単純な策だ。

 

 次に、遠距離から狙うこと。高所なら尚良い。つまり相手の攻撃が届かない場所から一方的に叩くということ。魔法や飛び道具には気を付けなければならないけども。

 

 後は、相手の長所を潰し、なるべく短所を突くような戦い方をすること。リューさんの場合はその二つ名にもあるように、高速の機動力と、攻撃を的確にいなす体術。他人に触れられることを嫌うエルフの本能もその性質を高めている。

 

 対処法は、狭い閉所や足場の悪い場所などを選んで戦うこと、防御を打ち抜くくらいの威力でもって一撃一撃を与えること、行動制限系の仕掛けや罠、魔法を使うこと、とかだろうか。

 

 まあ、今の俺にはそのどれもが不可能なのだが。

 

 だがそう悲観することもない。攻略不能ということがより明らかになっただけだ。

 

 今回の戦闘を通して、俺が行なってきたのはひたすら攻撃手段と頻度、回数を増やすこと。そしてそれに対し、リューさんは攻略しきってみせた。が。

 

 そのうち、たった一瞬だけだったけれど、彼女が対策を立ててきたところがある。唯一、受動的ではなく主体的にこちらを封じようとしてきた場面。

 

 ただなんとなく、だけだったのかもしれない。でももしそうだったのなら、こちらには好都合。

 

 成功パターンを新しく学んだ人間は、同じ状況に対すれば意識が引っ張られる。その記憶が新鮮であればあるほど、体験が行動に反映される、縛られてしまう。

 

 つまり。やるべきことは。

 

「もう、一度」

 

 同じことをしつつ、違うことを織り交ぜる。

 

 武器を目まぐるしく切り替え、一つずつしっかり打ち込んでいく。それまで以上の速さでもって。

 

 一歩、二歩。それなりの速度で足を運び、腰を落として手を腰に送り、抜刀の構え。

 

 ただし、紅緒と渡鴉、二刀同時に。

 

 腕を交差させ、体勢を低く速く踏み込みながら、身体全体で表現する。

 

 ()()()()()()()()、ということを。

 

 俺が撃てるなかで最も疾く見える攻撃、抜刀術を左右から繰り出す。しかし鞘から抜くまでの動作は最初より遅く。抜き身にした後は最初より速く。

 

 ズラせ。

 

「!」

 

 ほんの少し。数えるのも馬鹿馬鹿しいほど少しだけ、リューさんの反応が遅れる。二本の刀をどちらも問題なく弾いたとしても、それは感じ取れた。

 

 次だ。アルヴス・ルミナに跳ね返された紅緒を手放し、宙に舞わせて右手を自由に。渡鴉をその勢いのまま後方に回し、身体を引っ張らせて。

 

 頭上に掲げて即、縦に振り抜く。振るう時に発生する重心移動が前方に向かないように、防御のために構えられた木刀に捕まらない軌道で、相手の予想をわざと裏切るために。

 

 腹程度まで下ろした時に、両足で地を蹴り、小さく飛び上がる。

 

 渡鴉を引き寄せ、その重量の指向性を利用し、冒険者の力をフルに用いてほぼほぼ移動無しに、縦回転。

 

 四分の一ほど回転したところで、右脚を伸ばす。ここから踵落とし、もいいかもしれない。

 

 でも。

 

 忘れてはいないだろうか。

 

「な」

 

 強化された動体視力により、目視で微調整。丁度飛んできた白ナイフを踵で捉え、回転する勢いでそのまま蹴り落とす。

 

 これが当たるかどうかは別にどうでも良い。そちらに意識を強制的に向かせる。その間に渡鴉を開いて構え、晴嵐に手を掛け、抜く準備を整えておく。

 

「うぉぉぁっ!」

 

 片手でも、遠心力で加速した渡鴉ならば十分すぎる威力を出してくれる。けれど。

 

 渾身の一撃を、アルヴス・ルミナは難なく受け止めた。が、それと同時に晴嵐を下方から迫らせる。

 

 その程度で不意を突くことは出来ないのか、それともリューさんの反射神経が鋭敏すぎるのか。晴嵐の襲撃はあまりにもあっさりと、阻止されてしまう。

 

 渡鴉を手放し、先に着いた右脚で踏ん張り、左脚を軸にしてその場で右回転。再び晴嵐を叩きつけ、空いた左手で回収した紅緒で即座に追撃をかける。

 

 何度も。間髪を入れず、可能な限り強い攻撃を、叩き込み続ける意気込みを。そのつもりを前面に押し出せ。気圧せ。騙せ。錯覚させろ。

 

 リューさんは取り合わず、木刀で受け流すと同時に後方へ一歩退がり、連撃に一拍の遅延を設けようとする。

 

 左を前にした半身で回転を止める、けれど勢いを完全には止めず、後ろ手に紅緒を彼女に向けて投げ。

 

 身体を捻った分の回転力を遠心力に変換。晴嵐で渡鴉を弾きながら、三度斬りかかる。横に薙ぐ斬撃と、縦に入る中空から飛んでくる刀。先ほどとほぼ同じシチュエーションだ。

 

 当然、対応はされるだろう。

 

 こっちが同じことをする気ならば。

 

「⁉︎」

 

 ()()()()()()

 

 それによって縦回転する渡鴉だけがリューさんへ向かって行き、晴嵐は目前で宙を泳ぐ。

 

 投げた紅緒にも、晴嵐を当てる。これで回転しながら彼女へ向かっていく二本の刀が出来上がり。

 

 それじゃあ、満を持して踏み込もう。左肩を落として左右非対称な体勢を作り出そう。左方に振り切った晴嵐はもう仕事を終えた、手放す。その手で、背負っていた両手剣の柄を握り。

 

「はぁぁぁッ!」

 

 力の限り、振り抜く。

 

 再三に渡って先ほどの攻防と同じだという印象を出しつつ、それとは違うことを繰り返して違和感を、ズレを積み重ねていった。

 

 渡鴉で俺の最重の攻撃を防御させてから、薄く軽い晴嵐を使って三回斬撃を与え、最後には相手に当てもせず、重量への意識を少しずつ削いだ。

 

 二本の刀を舞わせ、手数を確保してから。今の俺の最高攻撃力をこうして注ぎ込む。一つ一つを徹底することができなければ組み合わせて補うだけのこと。

 

「くっ!」

 

 尽くしに尽くした俺の最後の一撃は、紅緒と渡鴉を高速で弾き、急いで戻ってきたアルヴス・ルミナの腹を捉え、更に前進する。

 

 そう、最初に彼女は「受けるだけ」と言った。故に彼女は俺のあらゆる攻撃を、必ず受けなければならない。現にリューさんはここまで一度たりとも躱してはいない。どれもを受け止め、流し、いなして捌いた。素晴らしい有言実行ぶりだ。

 

 だがそれが唯一にして最大のハンデ。いっそこのまま振り抜くところまで――

 

「……ぐ」

 

 ――は、いかなかった。

 

 剣が、突然がちりと止まる。リューさんの指が、両手剣の刃を包み、押し留めていた。

 木刀を用いてはいるものの、片手での真剣白刃取りは見事なまでにきっちり極まっている。そこまでされてはもう此方に出せる手札は無く、これ以上は見込めない。

 

 強すぎる。敵うかこんなもん。

 

 力を抜くと、リューさんの指も離れていく。そこらを満たしていた緊張感が霧散し、どっと疲労が押し寄せてくる気がする。

 これがLv.4とLv.1の差。文字通り次元が三つほど違う力関係にあるということだ。

 思いつく限りのやれることはやり尽くしたが、まだやれたはずだ、という思いが首をもたげ主張してくる。いつからこんなに負けず嫌いになったのか。

 

「ありがとう、ございました」

「有難う御座いました」

 

 着物を正して礼をした後、そこらに散らばった俺の武器を一つずつ拾い集める。消耗品には勿体無さすぎる物を飛び道具扱いするとこういうデメリットがある。

 

 紅緒、次いで晴嵐を手に取り、刀身の状態を確認して砂を払う。

 

 日々の手入れは欠かしていないが、時折でもこういう使い方をしていればどうしても細かい傷は蓄積されていく。たまにシーヴさんに研いでもらってはいるが、それでも耐用年数は磨り減っていく。

 しかし。刃こぼれなどはまだほとんどない。【ヘリヤ・ファミリア】本拠『最果ての放浪者』が極東から仕入れたものをかなり安価で購入したのだが、異様なほどの性能を発揮している。それこそ、あと二つは桁が違ってもおかしくはないほどに。

 

「……ん」

「あ、ありがとうございます」

 

 二本の刀を鞘に収めると、シーヴさんが渡鴉と白いナイフを差し出してくれる。

 俺とリューさんの手合わせを観て眠気は覚めたのか、彼女の耳はしっかりと立ち、ぴこぴこと可愛らしく動いている。眼は相変わらず気怠げだが。

 

「もう眠くないですか」

「うん、大丈夫。休憩要る?」

「いけます」

 

 ナイフを収納し、渡鴉は抜き身で持つ。

 

 これまでは飽くまでもウォーミングアップ、準備運動と同義だ。少なくともリューさんにとっては。なのでこれからが本来の訓練、実戦形式の二対一でひたすら戦う、かなりの強度を誇るいつものやつだ。

 二人で揃って【アストレア・ファミリア】のエース、【疾風】を冠するエルフに向き合う。

 

「では、始めましょうか」

 

 改めて木刀、アルヴス・ルミナを構えたリュー・リオンは落ち着き払った様子で戦闘開始を提案する。余裕をひけらかしているわけではない、初手を譲るのでかかってこい、と、誘っているのだ。

 

 夏ヶ原司は渡鴉を左下段に置き、もう一人の狼人の出方を窺う。どの流派にも無いであろうその構えは、勢い良く飛び出す為の、彼流に言えば「翼を広げ、飛ぶ」ための準備である。

 和装で刀を携えている男女二人は、側から見れば長年を共にした師弟かパートナーもかくやいう風体で息を合わせようとしている。幾度も繰り返した甲斐もあるだろう、それも段々と板についてきており、Lv.4にも確かな威圧感を感じさせるほど。

 

 いつも通りであって、かつ今までとは全く異なる対峙。

 

 とてもただの訓練だとは思えないような緊張感が、人気もなく静寂に満ちた早朝の広場を支配する。

 

 司は、この瞬間が好きであり、またこれを()()()()()()()()()()()()()

 

 以前に、スハイツ・フエンリャーナと迷宮に潜っていたときと似た感覚。弱い自分でも格上に気楽に挑戦出来るという幸運、危険に晒されることなく良い経験を積むことが出来るという環境に、甘えているのだという自覚が苛んでくるからだ。

 

 弱さに感けてしまうことなかれ。

 

 強くなれ。

 

 その為に今出来ることは、何だ。

 

 狼人の麗人がその獲物を抜く動作に合わせ、司は高く聳え立つ壁に向かって駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

「久しぶり〜! 一月くらいかな?」

「そんなに経ってねえよ。この前の会議の後の飲み会でしこたま飲んだだろうが」

「ほら、飲んで潰れて記憶無くすいつものパターンよヘリヤちゃんは」

「実は私もあんまり覚えてないんだけど……」

「ヒルダちゃんはお酒が入るとすぐ寝ちゃうから仕方ないわ。毎回のことね」

「うう、強くなりたい」

「力が……欲しいか……ヒルダよ……」

「ヘリヤレベルまではいらない……」

「お前は毎回毎回飲み過ぎなんだっつの」

 

 迷宮都市オラリオにあるとは思えない風光明媚な森の中で、女神たちの艶やかな声が跳ねる。

 

 ここは『箱庭』、神だけが出入り可能なセーフティでプライベートな場所。彼女らはここで眷族にも秘す会合を定期的に開いていた。

 まあ、大抵はわざわざ隠れて行うような内容でもないのだが。それでも友神(ゆうじん)家族(ファミリア)は別物、こういう関係性だから話せることもあり、同じ超越存在(デウスデア)でなければ共有できない情報もある、その為の集まり。

 

 普段は『戦乙女同盟』の戦乙女数柱で行われるこの会議に、今日は見慣れない神物(じんぶつ)の姿があった。

 

「えっと……ボクも参加してよかったのかい?」

「そりゃもう! 良いに決まってるじゃないか! よろしくねえもう!」

「この前ぶりだな。よろしく」

「その節はどうも。イネフは迷惑かけてないかい?」

「全くもって大丈夫だ。シーヴもやる気だしてるしな」

「それは良かった」

「うちのツカサとエリンがお世話になってます」

「ああいや、こちらこそイネフとカテリーナがいつもご迷惑を……あ、エイルもうちのクロが」

「いえいえ、いいんですよぅ。こちらは仕事ですし。ウルリーカさんはお元気?」

「なんとかだね。近いうちにまた伺うと思うよ」

 

 戦乙女、ヘリヤ、カーラ、ブリュンヒルデ、エイル。そして竃の女神ワクナ、計五柱。

 

『箱庭』中心部、白く鮮やかな石造りの広場。ドーム型の骨組みだけの天井と六本の柱、それらを伝う蔓植物、これもまた純白な円形のテーブルと五脚の椅子、とそれに座する麗しき女神たち。静謐なその空間を構成する全てが、浮世離れした美しさを湛えている。

 ここに神でない者がいたならば、花は咲き乱れ、鳥が唄う幻覚を五感で受け取ってしまっていたことだろう。

 

「そういや今日の茶は? 良いのが手に入ったって言ってたが」

「まあ待っててよ、今入れるからさ。ヒルダ、先に配ってて〜」

「はーい。今回は……これだ!」

「ああ、『愛しい人(Milimili Makamae)』。って、はあ⁉︎」

「ヒルダ、本物なの、これ?」

 

 中くらいの箱を意気揚々とテーブルに乗せるブリュンヒルデ、対してヘリヤ以外の面々はその箱に書いてある店名を目にして思わず驚嘆の声を上げる。

 

「えっと、何? どういうことなんだい?」

「ワクナお前ッ、『愛しい人(Milimili Makamae)』を知らないのか⁉︎ 一月前に北のメインストリートに出来た【カマプアア・ファミリア】の甘味屋(スイーツショップ)!」

「毎日限定五十個のみの販売、予約も一切受け付けない幻のケーキよ。開店初日から必ず数分以内で売り切れ続ける記録を更新し続けているわ」

「へ、へえ、そうなんだ。それを五個も」

 

 この中で唯一飲食店系【ファミリア】を運営しているワクナのみがカーラとエイルの興奮具合についていけていない。

 

 識っていたヘリヤは落ち着いているものの、昨日、これが次の会議の茶請けになると聞いた時にはそれなりに取り乱していた。

 だって大人気のケーキだ。美味しいもの、しかも甘いものであるとすればそれらもう良質な娯楽だと言い換えても過言ではない。彼女らは現在、女神であって年頃の女性。流行やスイーツを追い求めるのは世界の理であるからして。

 

「そう。そうなんだよ。よく手に入れたなあオイ。早朝からツカサと並んだのか?」

「ううん、これはアルヴィトのコネで。例の雑誌に載せる注目店の取材って名目で、私たちの分まで貰っちゃったんだ」

「凄いわね……対価は評判、とかかしら?」

「ご明察。一人につき二十〜三十字の一言でいいから寄せてって。六つもあれば説得力あるでしょ」

 

 白い箱の中には、五つのごくシンプルなケーキが確かな存在感を放って鎮座していた。

 

 一つずつ皿に移していくブリュンヒルデを横目に、ヘリヤは茶の用意を進める。蒸らしている間に底の浅いカップの方も温めておいて、準備は万端だ。

 

「五つの層から出来ていて、中の二つのクリームの層に……カマプアアだから、タロイモ? が練り込まれてるのかな。なるほど、美味しそうだね」

「だな。いやあ運が良いぜ」

「でも、今回がこれじゃあ次の御茶請けのハードルが上がるわねぇ」

「偶然手に入っただけだから気にしなくても」

「はいは〜い、淹れるよ〜」

 

 最後にポットの中をスプーンで軽く混ぜたら、完成だ。茶こしを使いながら回し注ぎしていく。

 如何にも、という赤褐色の鮮やかな色を発している紅茶は、少し土っぽく芳醇な甘い香りを周囲に漂わせる。それは栗や南瓜、焼いた芋などに似ていた。

 

「えーっと、確か、アッサムだっけ? その色」

「正解! 都合の良いことに、こないだセカンドフラッシュが届いたんだよねえ。もうこれは出すしかないなってさ」

「本当、ぴったりね。今日はこれだけで満足しちゃうわ」

 

 紅茶の一種類であるアッサム、その上質な茶葉にはゴールデンチップというグレードが付けられる。オーソドックス製法のアッサムにはこれが混ざっているのだが、五から六月の夏摘みで得られる茶葉はセカンドフラッシュと呼ばれ、ゴールデンチップの割合が高く、高級品として扱われる。

 

 外の贅沢品を、格安で確実に入手できる。オラリオの外部と大きなパイプを持つ【ヘリヤ・ファミリア】の強みはまさにこれだった。

 

「全員にケーキと紅茶は行き渡ったかな? 渡ったみたいだね?」

「よし、んじゃあ始めるとするか」

「そうね」

 

 茶と茶請けが全員の前に配られたところで、カーラが音頭をとる。

 

 ここでは互いにもう神ではない。

 

 

「――第五十五回、『箱庭』会議ィ!」

 

 

「「「イェーイ!」」」

 

 

 そう、ただの女神(じょし)会。

 

「い、イェーイ?」

「あっゴメンこのノリ伝え忘れてた……」

 

 いつもの面子に神ワクナを加え、スタートである。

 

 

 

「ん? このケーキ、なんか」

 

「どしたの? 髪の毛でも混入してたかい?」

「いや、そういうことじゃなくてよ」

 

 紅茶を嗜み、ケーキにフォークを刺したところでカーラが何かに気付く。

 

「美味いことには美味いんだが……人為的なモノが入ってるというか」

「あら、人工添加物とか駄目なタイプだったかしら」

「そうじゃねえよ、とりあえず食ってみろ、毒とかってワケじゃないみたいだし」

「まあそりゃ、食べるけどさ」

 

 ヘリヤ、エイル、ブリュンヒルデ、ワクナも『愛しい人(Milimili Makamae)』特製、タロイモのケーキを口へ運ぶ。見た目的には何らおかしなところは無かったけれど。

 

 ふわふわのスポンジ部分はすぐに溶けてなくなってしまうほど。潰したタロイモがこれでもかと練りこまれたクリームはしっとり濃厚で、ほどよい甘さを伝えてくる。しかしそれでいてイモの粘り気やねっとり感は一切無く、絶妙なバランスを保っている。

 

 その中に、味とは全く別のところに、確かに「何か」が混ざっていた。

 

「この感じは……なんだろう」

「美味しさを邪魔してはいないけれど、ちょっと違和感が残るわね」

「だろ」

「うーん、『神の力(アルカナム)』っぽい? ものが加えられてるのかな。微々たるものだけどさ。ワクナはなんかわかるかい?」

「ボクも竃の女神だし、神の力を使って料理をしたことはあるけど。でもこれは違うね。子供が魔法でも使って作っているような印象だ」

 

 恐らく、神でなければ気付きもしないような小さな小さな何か。折角、相当に美味であるのに、この微妙なノイズが全体をぼやけさせてしまう。

 特に問題にはならないのでそこまで気にすることでもないけれど。意識してしまえば鎮めるのは難しい。

 

「隠し味、ってことなのかな」

「味とは言い難いけどね。ヒルダ〜、これ書いた方がいい?」

「普通の人はわからないでしょうし、言及しない方が良いかもしれないわ」

「二十から三十文字だろう? そこまで書いていたら間に合わないね」

「あー、すまん。すげえ余計なこと言った感ある」

「いいよいいよ。言わなかったら言わなかったで多分こっちが気付いてたし」

 

 とはいえ、それだけで価値が暴落するような仕込みでもなく。

 評価自体は高いものである。ただ、ちょっと期待にそぐわなかっただけで。

 

 これは神ならではの感想である、ということはその場の全員が察していた。普通の人間種ならば、ほんの僅かに薄く混じっている魔法的ななにかには気付きもしないだろう。

 

「じゃあこれはここで終わり。なかなかに美味しかった! ところで今日の話題なにがあったっけ」

「次の『神の宴』に行くか行かないか。ぶっちゃけあたしは行きたくない」

「同意見ねぇ。微妙に趣味悪いのが滲み出ているというか……」

「えっ、そうなの? みんな行くものだと思ってたんだけど」

「そうか、ブリュンヒルデは、あ、ボクもヒルダでいい?」

「うん、勿論」

「ありがとう。ヒルダはまだ知らないと思うんだけど、定期的に会場を提供するんだよ。でも毎回女神の出席率は悪くてね――」

 

 悪い方向に向かいそうだった空気を、ヘリヤがぶった切り、カーラが流す。

 

 折角の楽しい時間だ。不穏な事柄で水を差すことなどしたくはない。それは、誰もが同様に想っていた。

 

 

 

 時間は流れ、会話は弾み、話題が移り変わる。

 

「へえ、その隊商(キャラバン)、珍しいところに行くんだねえ」

「でしょでしょ。まあ普通に行くとめちゃくちゃ遠いんだけどさ」

「魅力的な特産品があるのか?」

「うーん、まだわかんない。でも女の子が可愛かったから契約しちゃったよ」

「お前なあ」

 

「嘘だって。四割冗談さ」

「本気度の方が高いじゃねえか」

「そろそろ新しいルートを開拓したかったからね。どうせなら見目麗しい子が沢山いる方がいいだろ? そういうこと」

「隊商の子と現地の子の容姿に直接の関係はないと思うけど……」

「完全に偏見ねえ」

 

「なんだよー、極東は割とソレだったんだぞー」

「ボクたちには例が少ないからわからないよ」

「極東の子達は結構な割合で主神と【ファミリア】を組んだうえで来るからね。私でも良く知ってる」

「その点、トバリちゃんやトウカちゃんは意欲的よね。たった二人で交渉しに来るなんて」

「まあね〜。ウチは運が良かったよ」

 

「そういやその二人、そろそろ戻って来るんだっけか?」

「極東からかい? 往復はとんでもない長旅になりそうだね」

「ああ、そこは【ホルス・ファミリア】を通すから一月もかからないで済むんだ」

「? 【ホルス・ファミリア】が一枚噛んでいると、どうして早くなるんだい?」

「転移系の《魔法》の使い手がいるのさ。ここだけの秘密だぜ?」

「外に出ないあたしたちにゃあ意味の無い情報だっつの」

 

「まあそうなんだけど。だからワクナも何か欲しいものがあったら言ってね。なるべく取り寄せてみせるよ」

「美味しい調味料……とか?」

「おっけおっけ、トルド君に伝えとく」

「トルドくんといえば、戻ってきたらまたツカサくんとパーティを組むのかしら?」

「あーそっか、ワクナのところの子たちと四人パーティ組んでるんだっけ」

「多分、ボクのところの子たちは喜んで歓迎すると思うよ」

「私も。ツカサくんもエリンも同じだと思う」

「うん、ありがとう。トルドはいい仲間を持ったねえ」

 

「……んで。その件のエリンについてなんだが」

 

 皆が予想出来ていたことだ。【ブリュンヒルデ・ファミリア】に先日、といってももうほぼ一月ほども前、に入団したエリン・ヴァランシーについて。

 

 そう、もう一月も経つというのに。

 

「収穫無し。新しい地域を拓いても影も形も見当たらないよ」

「右に同じ。留学生たちも、全員揃ってそんな話、種族は聞いたことがないって言っていたわ」

「ボクもだ。過去の文献にも記述はなかった」

「ごめん。私も新しい情報はあんまり無い。ただ、頭髪も爪も、やっぱり変化はなかった。私が知らないところで細かく切り揃えてるかまではわからないけど」

「なるほどなァ……」

 

 エルフを名乗る少女の正体は、依然として不明であった。

 

 はっきり言って、異常。そもそも知の女神であるアルヴィトが突き止められなかったのだから、初めからわかる見込みも薄いのだが。

 それでも。古今東西、如何なる寓話や伝承、記録にも欠片すら見つけられないのはおかしいのだ。種族などという大きな括りがヒントとしてあるにも関わらず、彼女にまつわる情報は何一つ出てこない。

 

「食事や排泄、果てには睡眠すら必要としない。精神力の回復の為に精神統一は要る様だが。ぶっちゃけそんなん、()()()()()()()()()()

 

「エルフという種族は、例外なくアールヴ――【ロキ・ファミリア】のリヴェリア・リヨスが代表的だよね――に系譜を同じくする単一民族。というか一つの生物だ。限りなく人間(ヒューマン)に近い」

 

「でも、あの子はそうでない。逸脱し過ぎている。それに、どうやら私たちが良く知るエルフを、知り得ていなかったというし。どころか、知識の欠落が不自然なほどに多いわ」

 

「意味不明なこと、だらけだね」

 

「嘘は無いんだ。悪意や害意も一切ない。それは一緒に暮らしていてわかる。今はそれが、逆に」

 

 ブリュンヒルデは、自信なさげに視線を落とす。

 

 

 客観的な、確かな事実がある。ただしそれは、全く意味が不明であり、論理が破綻している。

 

 

 神ですら太刀打ち出来ない底無しの闇に包まれ正体を完全に失った真実は、すぐ目と鼻の先に、不気味に鎮座しているままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二十話 心は通じない、言葉は届かない

 第七階層。

 

 普段の【ワクナ・ファミリア】と組むパーティではない。今日は休日、【カーラ・ファミリア】のシーヴ・エードルント、キッカ・カステリーニ、エルネスト・ソルとの限定的な探索であった。

 

「ぃよぃしょ、っと」

 

 ずっしりとした重量感が、両手からこれでもかと伝わってくる巨大なメイスを担ぐ。

 それは冒険者となった者の筋力をもってしても「重い」と称するになにも差し支えないレベルの大物。片手では十分に振り回せそうもない。俺のレベル、力が足りないせいもあるだろうが。

 

 メイスが肩の金属部とぶつかって、がちゃり、という音を立てる。

 まだ慣れない感覚だ。いつものレザーアーマーに和装でなく、ほぼ全身を覆うプレートアーマーは、頼もしいが多少音と着心地が鬱陶しい。

 

「お疲れ様~。どうどう? 動ける?」

「なんとか。慣れて、ないから、かなり窮屈、では、あるよ」

 

 戦闘終了直後、素早く駆け寄ってきたキッカさんに、正直な感想を伝える。

 

 顔面部分の金属板をスライドさせ、直接外気を吸う。ぶっちゃけ、フルアーマーはかなり熱が籠る。暑いのだ。

 当然戦闘用のアーマーなので音はなるものの、関節は特に不自由なく動かせる。全身に三十kgの負荷が常にかかるのだが。修行ですか? まあ一応修行の類ではあるけども。

 なので。なんてことない軽い戦闘でも、すぐに息が切れてしまう。

 

「……ふっ、ふぅ、っ、はぁっ」

 

 急いで息を整える。全力疾走したあとみたいに心臓が早鐘を打っている。

 思うように体が動いてくれない。苦しい。

 

「なるほどなるほど。まだいける?」

「それは、まあ。いけ、ると。思う」

「エリン、は、様子を見るに、訊くまでもないかな」

「ああ、問題無い。ツカサも動けている、続行すべきだ」

 

 対するエリンは俺のようにプレートアーマーを身に付けているわけではないが、普段と動きが違う俺と組んで戦っているために、負担はいつもよりずっと多いはず。それでも涼しげな表情を見せるのは、さすがと言う他ない。

 戦闘は、まだ俺とエリンの二人だけでほとんど目立った障害もなく熟せてはいる。

 

 しかし。

 

「もうそろそろ、厳しくなってきますかね」

「そうだね。あたしも準備しとくかぁ」

「いえ、俺だけで十分です。キッカさんは、無理しないでください」

「んんん、そうだよね。そうします……」

 

 本拠(ホーム)が服飾店兼鍛冶屋の【カーラ・ファミリア】だが、その実、所属冒険者は意外にも戦闘に秀でた者が多い。

 シーヴさんはLv.3、エルネストはLv.2。単純に、付いて来てもらうだけで安心感が桁違いだ。

 

「前方一六(メドル)の横道の先一二M、キラーアント四」

「了解」

 

 そう、基本的には()()()()()()()

 エルネスト作のこのメイスと、シーヴ、キッカさんら作のプレートアーマー、その性能を試す為の探索。一般的な、いやそれより低いくらいの実力の俺には、割とそういう話が良く来る。ほとんど身内みたいなものだから、というところが大きいのだろうけども。

 だから、彼らが介入してくるのは本当に危なくなったときだけ。なるべく、俺たちだけで対処しなければならない。

 

「先に行く」

 

 重い鎧を引っ提げて、疲労を押し留め移動する。刃物が通りにくいキラーアントの甲殻でも、衝撃は阻むことはできない、打撃武器は有効な方だ。

 

 横道に到達、確かに十M前後の前方に大型の蟻を模したモンスターの姿、四つを視認。

 戦闘に移行する。

 

 難なく背後に付いてきたエリンと、示し合わせを行う。

 三匹が横並びに先行、そのすぐ後方にもう一匹、という位置関係。どちらがどれを撃破するかを各自判断、音声で伝える。

 

「右二体と奥一体をやる」

「承知した」

 

 キラーアントたちも、こちらに気付いた様子を見せた。

 シーヴさん、キッカさん、エルネストが俺たちの戦闘を観察できる位置についたことを受け、突撃。

 

 今回の武器は、特に難しいことを考える必要はない。

 一Mを少し超す大きさの全長の、球形頭部を有する先端部を、敵に叩きつけるのみ。

 それだけ。それだけで、恐るべき威力を出すのだ。

 

 距離を詰めながら。両手で右に大きく振りかぶる。プレートアーマーが軋む音がする。

 

「らァッ!」

 

 渾身の力でもって、右と中央のキラーアントをまとめて殴り抜く。硬い甲殻を砕き、内部を粉砕する感触が体を走り抜けていく。

 

『ギ……ァ』

 

 内部を空洞にし、軽量化して扱いやすくすることもあるらしいが。冒険者向けにはあまり必要のない工夫であり。

 少なくとも、これはただ殴打するだけを目的としていない、故に。

 

 ずんッ、と。

 

「ッ!」

 

 メイスが地面にめり込む。

 重い。あまりに重過ぎるために、一撃一撃が強力な代わりに連打が不可能なのだ。

 

『キシャァァァァァッ!』

 

 姿勢が崩れた俺に、三匹目、一列の左側にいたキラーアントが狙いを定め、威嚇する。

 

 直ぐにメイスを振り回すことはできない、好機とばかりに俺にその鋭い鉤爪を振り下ろそうとした、が。

 

「はっ」

『キッ⁉︎』

 

 それは叶わず、急速接近してきたエリンが振るう杖に阻まれる。

 

 キラーアントの前脚は上に弾かれ、即座に追撃はできそうもない。しかしエリンもまた、腕を大きく振り切った状態、半ばわざとらしいほどに、隙を見せていた。

 

 四匹目のキラーアントが、優先的に攻撃を仕掛けにくるように。

 

 再びメイスを振るう体勢を整え終えた俺の前で、無防備になるように。

 

「余所見だ、ぜッ」

 

 掬い上げる形のスイングが、キラーアントの頭部をしっかり捉え。首を千切り、吹き飛ばす。すっぽ抜けそうな持ち手部分をしっかり握る。

 

 気持ちいいほどクリーンヒットした余韻に浸りながら見上げる。これが野球ならホームランも狙えるだろうライナー性のその打球は、天井にぶちあたって実に派手に爆裂した。たまや。

 

 対してエリンは、杖で正確にキラーアントの首の中心を突き。抵抗も断末魔も許さず、胴体と頭を切り離した。

 

「……は、ぁぁぁっ」

 

 戦闘、終了。

 

 メイスを逆さに地面に刺し、片手でヘルムの前板を上げる。

 ごく短い交戦であったが、これまでの度重なる交戦で段々と疲労が蓄積されてきたこともあり、それなりに厳しくなってきた。

 

「はいはーい、休んでてね〜」

 

 杖代わりにメイスに体重をかけ、息を切らす俺の横を通り、キッカさん、シーヴさんが素早く魔石の回収に走る。

 最初は俺もエリンも参加していたのだが、俺は次第に余裕がなくなっていき、エリンは強く押し止められ、処理は全て任せることになっていた。都合に付き合わせるのだからこれくらいは勿論する、とのこと。

 

「握力、()ちます?」

 

 エルネストは今回は加わらず、メイスの使用感をメモる方に回るらしい。

 メイスから手を離し、金属が擦れ合う音を出しながらゆっくり握って、開いて。意を介さず、筋肉が痙攣する。

 

「多分、まだ、あと二、三回は」

 

 きついが、限界はもう少し先。通常であればこうなった時点で全力で引き返すし、こうなる前に帰路につくが。今回はエルネストやシーヴさんがいるから、本当に動けなくなるまで戦闘に明け暮れることができる。

 まだ動ける体力は残っているが、体を動かすスタミナがほとんど残っていない。筋持久力が音を上げた。

 

「そう、ですね。戻りますか」

「データは十分?」

「ええ。できれば消耗時の撤退戦も見せてほしいですけど」

「行き合ったら頑張るよ」

 

 軽く会釈したエルネストは、モンスターの屍を処理したシーヴさんらと合流し、帰還する旨の話をしに行く。

 

 一先ず、仕事の大半は終わったわけだ。

 ふう、と息を吐き出す。まだ安全地帯に入っているわけではないが、敵追加申告が無いので多分大丈夫な、はず。

 

 はず?

 

「エリン、終わったばかりですまないけど、周囲には……」

 

 そこまで言ったところで気が付く。すぐ横で立っていたエリンは、既に灰になったモンスターの亡骸の跡、のあたりへ目線を投げたまま、放心したように動いていない。

 唇は微妙に震えているが、こちらの呼びかけに反応している、というわけでもない様子。

 

 ()()か。

 

「エリン」

 

 少し近付き、確実にその耳に空気の振動を伝える。

 先ほどより、強く。

 

「ん、あ、ああ。哨戒か。現時点で周囲に脅威は存在しない。問題無い」

 

 我に返った彼女は、俺の言葉を聞き逃したりはしていないらしい、意識しなくとも把握は出来ている。それでは、今のはやはり何なのだろう。

 

 こういったこと、が。約一週間前から、度々見受けられる。戦闘中にもたまにあるので、危険だと思うのだが。

 何かに気を取られている、というよりは、どちらかといえば考え込んでいる、という印象が強い。

 だからといって、何かできる、というわけでもない。指摘はしたものの、どうも自覚はあるようで。

 

「よーし、そんじゃあ帰りますか!」

 

 三人がこちらに戻ってくる。キッカさんが殊更大きく伸びをしながら、今回の探索の打ち切りを告げた。

 

 

 

 

 

 第六階層。

 

 和装の麗狼人が先頭を行き、金髪の美人が後に続く。その後ろに俺と、普段とあまり変わらない、いでたちが一般市民のキッカさん、そして殿にエルネスト。完璧な布陣である。

 前の二人が足音をほぼたてずに歩いているために、がっしゃんがっしゃんと全身鎧(オレ)の音が周囲に響き渡る。うるさいだろうが、俺はその三倍くらいうるさく感じてるから大目に見てください。

 

 身体が非常に重たい。疲労と重い鎧の組み合わせが想像以上に凶悪なため、この状態で一人(ソロ)であったら遭遇即敗北だろう。その点でいえば、試験としては失敗に当たるのかもしれない。先ほどはまだ二、三回はいけると言ってしまったが、正直それも厳しい、一回いけるかどうか。

 それに付き合わされる形でいつも以上には消耗しているエリンと、いつも以上に気を張っているシーヴさん、エルネストもまあまあ疲弊しているはずだ。

 

 しかし、そんな皆に対し、今も元気が有り余っている様子の人が一人。

 

「今日は、なんかいつも以上に元気ですね」

「そう? いやー、久しぶりに潜るから張り切っちゃってただけだよぅ。それにさ、エリンがいるからさぁ……!」

 

 すぐ目の前を行く自称エルフを追うその視線は、あからさまに臀部のあたりに照射されている。

 

 特別な修行を積んだ結果、見ただけで人のスリーサイズはもちろん、肩幅・身幅・着丈・袖丈・股上・股下・腿幅・頭囲、等が大体わかるようになったというキッカさんは、特に女性に対してその力を行使することに一切の躊躇がない。

 曰く、「当人も把握してないような胸囲の成長などを密かに知って、一人で微笑みたいだけなのです」だそう。

 俺にそれを教えてくれたあたり、どうも何か偏見を持たれているのではないかと邪推するが。もしそうなら深く頷きつつ否定の言葉を吐かねばなるまいて。

 

「いやあ、あの完璧と言って何ら差し支えないしなやかで滑らかな肢体、是非ともこの手で触れてみたいものです、が。みだりに肌を晒さない種族性、そもそも何もかも彼女に合った形で設えられた自浄作用付きのローブ。あたしが出張るには余りにも力が足りません」

「まあ……そうだなあ。特にエルフらしいエルフ、って感じがするもんな」

「そう! 正にそれなんですよねえ! だからこそこう、見ているだけで満足できるわけなんですがね」

 

 でも。

 

 今日のそれは、エリンを間近で観察できるということ、以上に。

 

 他に要因があるようにも感じられる。

 いくらエリンが現状、武具防具の追加を必要としないとしても。決して顔を合わせないわけではないし、むしろ会おうとすれば会える範囲にいる。そう、恋焦がれるものでもない、とも思うのだ。

 だからこそだ、などと言われてしまえばそこまでなので、追及をするまでではない、けども。

 

「食事もなければ排泄もない、故に完璧なプロポーションが崩れることもないということで。ある意味神と同等ですよそんなの。永遠性という意味のもとでは」

「わからんでもない、けども」

 

 女神であるヒルダさんと日頃接しているために。最も美しい状態を維持し続ける、その価値については普段から実感している、けれど。

 

 違和感はどうしてもある。

 この世界のエルフは、年をとる。生命の種族として人間と源流を同じくする、単なる長命の亜人(デミ・ヒューマン)、に過ぎない。

 

 対して、彼女はいささか、逸脱しすぎてやいないか。

 それこそ、キッカさんの言う通り、神に近しいような。

 

「――前方二八M、間もなく視認。フロッグシューターが一体だけ」

 

 無機質であまり覇気を感じられない、シーヴさんの報告が届いた。

 

 一体か、これでは撤退戦ではなく遭遇戦にしかならない。だがまあ、やってやるぜ、と。

 

「やります」

 

 四人を置いて、前に出た。自然な流れで、エリンがすぐ後方に控える。

 普通にきついが、相手がフロッグシューター単体であればそこまでの脅威ではない。慢心ではなく、飽くまで客観的な分析によっても、これは楽なほうだと断言できるだろう。

 

 がっしゃ、がっしゃ、と音をたてながら、標的が出てくるであろう通路への分岐に近づいていく。たてすぎると当然気付かれるので、最後の方は差し足忍び足で。

 

「これくらいなら、俺一人で」

「無論だな」

 

 もちろんだ。

 

 背負っていた特大メイスを少し震える手で持ち。横道のすぐ側で出現を待つ。角待ちだ。特別な捜索技能がなくとも、流石に数M先の化け物の移動音や匂いは感知できる。

 

 べったん、べったん。すぐそこまで来ている蛙の足……? 音から判断し、メイスを頭上に構えようとして、腕が直上を通らないことに気付く。

 まずい。しかし焦らず慌てず、横から腕を回すことで後頭部側に振りかぶり、蛙の頭部が見えたところで。

 

 勢いよく下ろす。

 

『ピギッ』

 

 どずん。あまり抵抗もなく、頭から身体の前半分が諸共押しつぶされた。メイスが重過ぎて、感触はあまり伝わってこない。

 

 しかし、魔石ごと抉ってしまったようで、なかなかグロテスクな身体後ろ半分だけの屍は、灰になってさらさらと消えていく。

 と、そこまで終えて。この戦闘とも言えないただの角待ちからの狩りは、まるでデータとして意味のないものであると気付いてしまう。もっと正面切って戦うべき、だったか?

 

「まあ、仕方ないよな……」

 

 ともあれ戦闘終了だ。振り返り、みんなの方に向きなおろうとした。

 

 瞬間。

 

 視界の端、すぐ脇、の迷宮の壁にできた大きな亀裂から、黒い腕が伸びてくる。

 

 的確に、プレートアーマーの接合部、隙間を狙って。

 

「ッ!」

 

 咄嗟に体を捻り、すんでのところで回避。ぎりぎりぎり、と、鋭い爪が金属に擦れ、不快な悲鳴を上げた。

 

 それでも想定外の激しい重心移動に耐え切れず、バランスを崩し側面から転倒する。脳が揺れる、衝撃が大きい。駄目だ、受け身なんかをとる力もない。

 

 地面に打ち付けられ、肺から空気が抜ける。まずい、追撃が、

 

「ぐ、っ」

 

 腹部に、もう一発。体が「く」の字に曲がる。

 

 縦に伸びた亀裂からぬっと伸びてきた漆黒の脚が、アーマーの腹の辺りを蹴飛ばしたのか。

 

 まずい、立てない。重い。腕が上がらない。頭がぐわんぐわん鳴って、吐き気が湧き上がってくる。

 

「エリン!」

 

 キッカさんの叫び声が混乱する耳に届く。そうだ、エリンは。何をしている。

 

 くそ、反撃、いや、体勢を立て直して。とにかくこいつから離れなければ、

 

「はっ!」

 

 凛々しい掛け声と共に。黒い手足が、吹き飛んだ。

 

 狭い視界の隅に、白いローブが閃く。どうやらなんとかはなったようだ。多分。

 

 思うように力が入らず、上半身をもうまく起き上がらせられない俺を、シーヴさんの腕が抱き起こす。金属に阻まれて触覚も嗅覚も視覚も機能してはいないが、何故かなんとなくそれはわかるものだった。

 

「……ごめん」

「いや、シーヴさんの、せいじゃ、ないです」

 

 まだ目は回っているが、状況は何となく把握できた。というか、予想できる。

 俺がフロッグシューターを叩き潰したとき。衝撃と騒音で、壁の亀裂の生成に気付かなかったんだ。シーヴさんとエリンなら察知できたかもしれないが、少なくとも人並みの知覚しか持たない俺には不可能。

 それで、壁から生まれてきたウォーシャドウが至近の俺へ攻撃を仕掛けてきて。疲弊していた俺は反応が遅れ、あわやという事態に陥ったわけだが。

 他パーティメンバーが近くにいることで慢心し、俺自身が警戒を怠っていたことももちろんある。普段ではまず無い状態で、想定が足りなかったことも含めても。それは疲労やらで片付けていいものではない、当然の可能性として考慮すべき点だったはずだ。

 

 問題は、そこでエリンが動かなかったこと。

 理由、というか原因は、まあまあ予想はつくが……。だからといって、どういう対応をすればいいのかはわからない。

 仕方ない、で済ませていいものではないかもしれない、でもこれも疲労で説明がついてしまうのも事実。看過していいレベルではないけれど、過敏になりすぎるのも良くはない。と、思う。今のところは。

 

 悪意は一応、感じられない。それはこれまでの経過からしてそれなりに信用できる。

 

「我々の失態だ。……済まない」

 

 角度的に俺からは表情は見えないものの、自責の念を込めた言葉が聞こえ。

 

「大事に至らなくて良かったです。消耗しているんでしょう、無理を押して頼んだ俺たちにも非があります」

 

 駆け寄ってきたエルネストが 納めてくれる。

 

 情けないがもう俺は口も回らないので。恐らく軽い脳震盪かそこらの症状を負っている、これ以上の行動は出来そうにない。

 

「よーし、それじゃああたしも戦うかねぇ!」

「キッカさんは殿、後方警戒を。遭遇機会はそう無いでしょうが、ここからは全部、俺一人で対処します」

「……はーい」

 

 不服そうな、だがどこか安心するかのような返答。不思議な感じだが、それだけで彼らが組み慣れていることがうかがえる。

 確かな信頼関係と、それに基づくチームワーク。生憎、俺は彼らの全力の戦闘を観たことはないけれど。それはよくわかることだ。

 

「シーヴさん、ナツガハラさんをお願いします」

「任せて」

 

 ぐいっ、と持ち上げられ。もふっ、と。シーヴさんの髪に顔が埋もれる。背負われたのか。

 

 俺もまあまあ体重はある方だが、それでも同年代の女性にこうも軽々と担がれるとやはり驚きのような、羞恥心のようなものが湧き上がる。この世界ではそうそう珍しいことではないけれど。

 シーヴさんは現時点で俺たち『戦乙女同盟』(ヴァルキュリヤリーグ)の最高戦力だ。違和感はあろうとも【ステイタス】的にはおかしなことは何もない。

 

 これで安心、安全に帰還できる、のだが。

 でも。これはこれで、別に心配することができてしまう。

 

 アーマー越しなので感触はほぼ伝わってこないからまだマシなものの、その分、ダイレクトに匂いが感じられるというか、えっと、なんというか。

 

 違う意味で。

 

 

 無事に、帰れるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鍵を使い、玄関の扉を開け、靴を脱いで居間を横切る。いつもと同じ後ろ姿が、キッチンに立っていた。

 

「おはようございます」

「あ、おかえり。ツカサくん」

「ただいま、です」

 

 眩しい笑顔に会釈を返しながら、その背を通り過ぎる。鮮やかな色の卵焼きと、香ばしい匂いを放つ魚の干物が見えた。

 

 エリンが【ブリュンヒルデ・ファミリア】に加入し、俺たちが【ワクナ・ファミリア】のイネフ、カテリーナとパーティを組んでから四週間、約一か月が経過する頃。迷宮に行かない日の早朝には俺がリューさんの稽古に出向くようになったため、朝食の担当はすっかりヒルダさんに定着している。

 まあ、担当といっても俺かヒルダさんかしかいないのだが。

 

 脱衣所で早くも汚れた服を脱ぎ、風呂場でシャワーを浴びる。リューさんとシーヴさんとの稽古は毎回汗だくになるほど激しい。一人だけレベルが低い俺にとっては特に。

 

 朝日が昇らないほど早くから、完全に朝になるまでの一刻半が、最早日課となっている。

 そうでもしなければ、パーティメンバーに追いつけない。そうでなくとも、この世界で生き抜いていけなくなるだろう。

 

 曲がりなりにも、俺は異世界転生者だ。一応。

 何かしらの世界の危機であったり、そういった不測の事態に巡り合うことは半ば確定事項というかお約束というか、物語であれば当然の展開、のはず、なのだが。

 しかし一向に、異常事態は起こらない。強いて言えば『大量発生(イレギュラー)』かとも思う、けれどそれも大したことではない気がするのだ。

 

 起こらないのであればそれでもいい、その方が望ましいはずだ。

 でも。

 だとしたら。どうして俺はダンまちの世界( こ こ )に来た?

 

 異世界転生だとして。最後の記憶が就寝時であることから、死因は心臓発作か何か予期できないトラブル。

 であっても。よくあるテンプレートとはかけ離れている。手違いをした神を名乗る人物も、権能や恩恵を雑に与える神という設定もどこにもなかった。ただ、何もない状態で市壁の上に投げ出されていただけ。

 記憶が消去されているということにしてしまえば一応の説明、いや言い訳にはなる。ここに辿り着いた理由にも、経緯にも。

 

 だがそれには必然性が伴わない。

 俺がギルドまで行き、地図を手に入れ道に迷い、『箱庭』に迷い込んでいなければ。戦乙女(ヴァルキュリヤ)ブリュンヒルデに巡り合わなければ、俺はこの見知らぬ土地で野垂れ死んでいたかもしれないのだ。それを考慮すれば、何者かが仕組んだこととして、わざわざ俺を連れてきておいて何もさせず死なせてしまった場合、それこそ完全にミス、無駄な努力に他ならない。それに、言葉が通じることや免疫の適応などに関しても、何者かの介入が為されているのは明らか。

 そう考えると。あの状況に置かれていたことに、そして今こうしていることに対して、何らかの明確な説明、意図がある、と考えるのが自然ではある。

 

 しかし、どうしてかはわからない。

 というか、こちらの世界の神のような何者かのただの娯楽、暇つぶしでしかない可能性もあるし、そもそも理由なんてないのかもしれない。いくら考えたって、現時点で答えに行き当たることは恐らく不可能だ。

 何の戦闘技能も、特殊能力もない一般人に過ぎない存在を、果たして他の異世界転生者と比べるのが間違いである、ってこともあり得る。

 

 うーん、如何ともしがたい。

 もやもやとした気持ちを抱えつつ、いつもの服装を身に纏い、風呂場を後にする。

 

 居間の机には、丁度料理が並べられているところであった。

 

「手伝います」

「んー、じゃあご飯よそって?」

「はい」

 

 うち、【ブリュンヒルデ・ファミリア】では、和食が空前のブームとなっていた。

 この中世ヨーロッパ風の世界観を持つ迷宮都市オラリオではパン食、パスタ食が主となっているが、極東、現代でいう日本である地域出身者もちらほらいることからして、米食も隅の方で細々と生き残っているのである。

 それと、『戦乙女同盟』の同盟相手、【ヘリヤ・ファミリア】が交易で米を輸入してきてくれていることも大きかった。そのおかげで、安定して米を入手することができている。

 

 白く光る白米を二人分の茶碗によそい、鯵の開きに卵焼き、ほうれん草の煮浸し、かぼちゃの煮物と味噌汁が揃った食卓に並べると、まるでここは日本かと錯覚してしまう。

 むしろ、日本にいた時より豪華な和食な気さえ。

 

「いただきます」

「うん。いただきます」

 

 二人して手を合わせ、ゆっくり食べ始める。食材の命に感謝するという作法が、魂を管理するという仕事をしていたヒルダさんの琴線に触れたらしく、いたく気に入っていた。

 

 元の世界と暦の仕組みが完全に同じならだが、あと二、三週間で六か月、およそ半年が経過する。

 それだけの日数を、交代交代とはいえほぼ毎日料理を続けていれば、そりゃあ上手くもなるだろうし。

 

「……箸、持つの上手くなりましたね」

「え、あ。そういえばそうだね。慣れちゃった」

 

 綺麗に箸を握る手から目を移し、愛らしく笑むヒルダさん。なんでそんな可愛いんですか。

 

「慣れると便利なのもあるけど、何より和食にはこれって感じがするからね。私形から入るタイプだから」

 

 ヘファイストス然りロキ然り、派手な髪色の神が多いところに対し、この女神は黒髪に天色の瞳、奇しくもヘスティアやワクナと同じカラーリング……といったらメタ的だが。ギリギリ和寄りである。そういう点も、俺の心の支えとなっているのかもしれない。

 

 多分、この異世界で現状最も危惧すべきなのは、地味だが「ホームシック」だ。

 日本に戻る術は全く分からないうえ、現代日本由来のものは何一つない、何かのコンテンツにも触れられず、家族、知り合いにも会えない、声を聞くことすらできないという状況は、かなり心にくるものがある。

 自然なコミュニケーションが可能であること、生活がヒルダさんらと共同であることのプラスを考えても、急激な環境変化と合わせれば差し引きゼロ。

 ノスタルジアを感じることは度々あるけれども、ホームシックまではまだ至っていない。しかし、いつなるかもわからない。

 

「この卵焼き、いつものと何か違うような」

「気付いた? 作り方変えてみたの。ワクナのところのクロくんに教わったんだ」

「道理で。美味しいです」

「ほんと? よかった。ふわふわで食感も良くなってるよね」

「はい、とても」

 

 だから、なのかもしれない。

 

 ヒルダさんが、朝食を慣れない和食にし続けることも。

 密にコミュニケーションをとることを是とし、とても良くしてくれることも。

 俺を、俺の精神を慮ってのこと、なのかもしれない。

 

 今更になって、こちらに来てまだ日が浅かった頃、夜、たまにベッドで泣いていたことを知られているかも、という考えに行き着く。そういえば、無理に朝食の担当を代わられたときがあったっけか。

 

「なんか、ここのところ朝食はほとんど毎日任せちゃって、申し訳ないです」

「んん? そうなっちゃう?」

「え」

 

 箸を置き、顎に手を添え、不満そうな目をこちらに向けてくるヒルダさん。そんな些細な仕草すら絵になる、なってしまう。

 どうしたものか。そんな言葉を口に出さずとも聞き取れる気がする。

 

 行き場を失くした俺の視線は、白米が全て無くなった茶碗ですら受け止めてくれない。

 

「ツカサくんてさ、そういうところ結構気にするよねぇ」

「まあ……決めたことですし」

 

 今更何を言っているんだ、と。心のどこかでは思ってはいるものの、口が止まらなかった。

 

 細かいことをいちいち気にするような女神(ひと)ではないと分かっているのに。いや、わかっていても、いるからこそ。()()()()返答が欲しいと思ってしまっているのかも、しれない。

 決して。そんなことはないよ、と。自分がしたくて。好きでやっているのだ、と。

 押し付けてしまっているのではないか、無理させてしまっているのではないか、という罪悪感に苛まれる俺を救ってほしいという幼稚な願いを。無意識に声に出してしまっていたことを、遅ればせながら、恥じる。

 

「まあ、そうなんだけど。でも、今は色々状況が違うでしょう。【ワクナ・ファミリア】の子たちとパーティを組んだり、シーヴくんに、『疾風のリオン』と鍛錬なんて。良い意味で考えられなかったし、それは望ましい変化だよ」

 

 優しく、諭すように。それでいてこちらに自信を持たせるように。

 

 ヒルダさんは俺が危惧していたこととは、少し違う言葉を投げかけてきた。

 

「正直、私はいつもキミに感謝してる。私の一人目の眷族になってくれて。こうして立派な家に住んで、美味しい食事を食べるためのお金を稼いできてくれて。天界で忙しくしていた私一人じゃ、とても考えられなかった生活をくれて」

「…………」

 

 可愛くも、美しくも、儚くも、綺麗な笑顔で彼女は語る。

 

 それは、過大評価だ。こうなるに至ったのは、ヒルダさんが最初から他の戦乙女たちと良好な交友関係を築いていたことが非常に大きい。

 とても。俺だけの力だなんて自惚れられない。

 

「だから、それに対して私が頑張るのは当然なの。相応のものができているかはかどうかはわからないけど、貰ったら返さなくちゃ」

「蜂蜜酒を、振る舞ってくれるのと同じだと」

「そそ。戦乙女の本領ね。今の私にはこれくらいしかできないから、せめて出来ることはしっかりしよう、と考えてるわけ」

 

 彼女に見初められた俺は、昼にはヴァルハラで戦い、夜には酌を受けるエインヘリャルというわけか。

 

 その神性を利用した返しに、妙に納得してしまう。

 

「正直なところ、私も、折角降りて来られたんだからあんまり働きたくはない、っていうのが本音だけどね」

 

 でも、と彼女は続ける。

 

 ふわり、と。微笑む。

 

「でも、私はこの日々が、結構好きだから。ツカサくんの為になるなら、できるだけ頑張るよ」

 

 うっ。

 

 思わぬ威力に息が詰まる。

 意図していなかった、むしろ別のものを期待していたことを考慮しても中和しきれぬ罪悪感と、単純に額面通りの受容からなる幸福感の板挟みにがっちりと捕らえられた気分だ。

 

 それが本心であろうとなかろうと。俺をその気にさせるための発言であろうがなかろうが。

 無理だ。受け止めきれない。童貞舐めんなってやつ。

 身体は箸を中途半端な位置で止めて微動だにしていないまま、心の中では溜め息をつく。

 色んな思考が頭の中をぐるぐる回っていたはずだけど。一発で吹き飛んだわ。何考えてたっけ。

 

 いや、どうでもいいか。

 

 どうせそんなに深刻なことでもない、現時点でこれより大切なことがあるか。いやない。断言する。

 俺が臆病でよかった。生き残っててよかった。

 

「……あの。何か言ってくれないと、恥ずかしいんだけどな」

「あっ、ああ、ごめんなさい」

 

 ちょっと思考能力が麻痺してまして。

 

 ともあれ。段々と忙しくなっていくのは【ファミリア】としては喜ばしいことだし、ヒルダさんも尽力してくれるということはわかった。意思確認は重要である。とはいえまた時間があるときにでも色々分担などの話をするべきではあるだろう。

 

「まあ、俺も精一杯頑張ります、ので」

 

 今は。この生活を守る為に。

 そしていつか、来るかもわからないが。俺にとっての終末の日(ラグナロク)を戦い抜く為に。

 

「うん。よろしくね。ところでご飯のおかわりは?」

 

 しゃもじを片手におひつの蓋を少し開けてみせるヒルダさんがいるならば。俺の答えは決まっている。

 

 

「よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 洗面所で鏡を見ながら歯ブラシを上下左右前後、縦横無尽に動かす。あまり気にしたことはなかったが、中世風のこの世界ではきっと歯科治療といえば「抜歯」一択であろうことは想像に難くない、虫歯になんてなったら悲惨だろう。ベル君やヘスティアだってOPで歯を磨いてたし。

 

 魔石を使用した物品があまりにも時代を飛び越えている性能をしているせいで、文化レベルに関しての認識がどうも麻痺しがちだ。冷蔵庫や電球、ガスコンロなどの機能を代用する魔石は、あまりにも優秀すぎる。

 現代においての電気にも匹敵する、むしろ上回るまであるポテンシャルを持つ魔石がある以上、きっと現世よりも技術の発達スピードは早いはずだが……。いや、頼り切ることで停滞する危険性もあるにはあるけども。

 

 そして、現代と異なる点はあと二つ。『神の恩恵(ファルナ)』と【魔法】の存在だ。

 前者に限っては主に身体能力を底上げする、成長を早め促す効果の()()()()()()()()()()()()に過ぎないが、後者はそれくらいでは説明がつかない決定的な「ファンタジー要素」である。

 

 原作二巻の途中でベル君が魔導書(グリモア)によって魔法、【ファイアボルト】を習得していた。そのときの記述には確か、先天系と後天系の二種類がある、と書かれていたはず。

 先天的なものといえば、まあエルフなどだろう。それに対してほとんどの人、特に冒険者は後天的に手に入れるのだろうが、問題はその習得過程と条件。

 各個人の【経験値】(エクセリア)に依って発現するとされている魔法は、理想に対する自己実現であるとされている。これはこっちに来てから調べたから多分間違いない。というか俺だって原作の描写一つ一つを覚えてはいないし、基本こちらの世界で文献を読み漁ることでしか知識を深めてはいけない。当然だけども。

 

 その『自己実現』というものが難しい。確か自己実現は最上位に位置する欲求であり、自分の能力、可能性を最大限に活用したうえで自分を、成り得るものにしなければならないというものであった、気がする。

 自分が何を出来るか、自分はどういう可能性を持っているか完全に把握したうえで適切な具体化を行わなければならないのである。恐らく。

 

 いやわかるわけないだろ。

 魔法は興味である、とか言われても。そもそも魔法が存在しない世界で生きてきた俺にとって魔法は「有り得ないもの」だ。そりゃあ魔法が使える妄想だってしたことはあるが、それを『妄想』であると自覚している時点で、無いものだと認めていることと同義だし。

 俺だってそりゃあ、こんな世界に来たのだからカッコいい魔法くらい使いたい。どうすれば習得できるか分からないのだが。

 

 思考が逸れた。

 

 奥歯まで入念に磨きつつ、魔法の可能性について考えを巡らせる。

 

 ここで注目したいのは、汎用性だ。

 ベル君やリューさんのもののように、ほとんど冒険者のためだけの、言ってしまえば戦闘で役に立てるためだけの代物であるもの、ではなく。

 リリの【シンダー・エラ】やカテリーナの【サン・リオン】のような。戦闘以外でも使えると思われる種類の魔法。

 それらがあることで、魔法は一気に技術としての側面を見せる。

 

 誰もがベル君のように、「必殺技」や「神秘」であるとは考えない。その中にはきっと、遠方への移動であったり交信、治癒や育成などの概念も願われるはずだ。

 だとすれば。そういう方面を向いた魔法も在る、と思う。まだ確認してないけど。

 例えば、【カーラ・ファミリア】のエルネスト・ソルの【アース・イーター】は地とそれに続くものを操作する魔法だが、それを活用すれば土木業界では英雄にも等しい扱いをされることは必至だろう。

 色んな業界でそういうことになれば全体で大きなブレイクスルーが起こるとは思うのだが。如何せん個人情報、企業秘密的な考え方をされている限り難しい。惜しい。

 

 ここまでが「文化的」な考え。

 

 口を濯ぎ、歯ブラシを収納してキッチンへ。

 

「手伝います」

「ありがとー」

 

 ヒルダさんが洗い上げのかごに上げた食器を、布巾で拭いて食器棚に移してゆく。

 

 次に考えるのは「個人的」なことだ。

 

 エリンは最初から【魔法】を持っていた。【ベイナ・アウラ】と【アルナ・バニ】という二つの魔法を。

 これはつまり、先天的である、と言えるのだろう、が。

 果たして本当にそうなのだろうか。

 

 魔法種族(マジックユーザー)であれば早期習得が見込める。しかしその属性、特徴は偏るとされている。

 

 それに対して。エリンの魔法はどうだ?

 あんな「ぼくのかんがえたさいきょうのまほう」じみた魔法が、種族的特徴を受け継いでいるとは考えづらい。というか、属性が無いだろう。強いて言うならば創造魔法とかになるそれが、どこぞの系譜に連なるものであるという仮説が信じがたい。

 要するに、まず後天的にそういう魔法にした、という可能性。そして先天的であろうとも、どうにも自然発生的な感じではないという印象からして。

 極めて。人工的な意図が読み取れるような。そんな気がするのだ。

 

「……下りてきませんね」

「だね。そんなに多く借りてるのかな」

 

 入団直後の頃より、エリンは図書館に入り浸っていた。

 休日は開館の少し前に出て行き、日中のほぼ全てを費やしながら書籍を読み漁り、文献を大量に借りてきては次の休日に返しに行く。その知識欲が成せる行動には目を見張るものがあったというか。

 どこか、鬼気迫るものにも感じられた。

 

 睡眠を必要としないという彼女は、夜間でも眠気に襲われず読書に耽ることができるのだろう。と考えても異常な量なのだ。とてもではないが俺には不可能な数……一晩で小難しい学術系の本を十冊は読破している。

 しかしそれでいて、一日おきに設定されている休日の朝には必ず全て返却するのである。

 一緒に行った日には、司書さんにエリンの利用方法について質問されたこともあった。あまりに早いペースであるため、複製やらの違法行為を行っているのではないかと疑われていたらしい。

 実際の彼女の読書風景を見てもらったら、理解できないながらも納得はしてもらえた。渋々ではあったが。

 

 そんなエリンが。

 

 最早なろう系チート主人公もかくやというスペックを誇るエリンが。

 ここ数日、何か体調でも崩しているかのように行動が変わっている、らしい。

 

「それだけなら、いいんですけど」

 

 探索では、最初の頃とは異なり、何かに気をとられていたり、反応速度が落ちていたり、精彩を欠いている。パーティ内での交流、連絡もほとんど俺ばかりがするようになった。それは半ば元からかもしれないけども。本拠での会話も減った、というかまず部屋から出てくることがあまり無くなった。そして今回。

 

 明らかに、何かある。それだけはわかっている。

 逆に言えば。それだけしかわからない。

 

「前に言ってた、調子が悪そう、って話?」

 

 今日の朝食に使った食器、調理器具を全て洗い終えたヒルダさんは、エプロンを脱ぎ髪を解く。

 ふわっと広がる艶やかな長髪は、妙に落ち着く甘さを香らせた。

 

 食器を拭き終え、布巾を洗濯籠に投げ込む。

 

「こっちはまだ誤差的と考えることもできますけど。迷宮(ダンジョン)では割と顕著になってきてまして」

 

 居間に戻ると、ソファに腰を下ろしていたヒルダさんが手招きする。

 隣に座れ、ということか。

 

「まあ、俺の主観的な感想に過ぎない、んです、けど」

「いやいや、主観は大事だよ。私とツカサくんじゃあ見るところも気にするところも感じるところも違うはず。話して話して。どうせなら更新しながらにしよう」

「座ってできるようになりましたっけ」

「練習~。何事も挑戦あるのみです」

 

 苦笑しつつ上半身の服を脱ぐ。良いことか悪いことか、もう抵抗は全然無い。

 

 ややあって、先程まで冷水に晒されていたためにひんやりとした指先が背中に触れ、ぞくりとして思わず身震いする。これは駄目だ、なかなか慣れるものではない。

 しかしそうないうちに、冷たい感触はじんわりと熱を帯びてゆく。確かな体温を伝えてくるそれは、ゆっくり、滑らかに俺の背中を這う。

 

 アニメ版のように文字が浮かび上がることはなく、背中に刻まれた【神聖文字】(ヒエログリフ)を弄ることで【ステイタス】は変更される。それに合わせて力が漲る! ……なんてことはなく、実感できるような変化はまずない。現実なんてそんなものだ。

 

「うーん、ごめん、ちょっと倒れてくれる?」

 

 まあ予想通りといえば予想通り。頭を下げ、ソファの手置きに寄りかかる。

 それで安定したのか、ヒルダさんは軽快に指を走らせた。

 

 さて、今日の雑談の内容は決まっている。

 

「探索中、どうも心ここにあらず、っていう場面が増えたというか。それに気づくことが多くなりました」

 

 二週間ほど前からそれらしき兆候自体はあったものの、回数も影響もそれほどでもなかったため、あまり気にはしていなかったのだが。

 

 ここ最近。特に先日、シーヴさんらと潜ったときにそれは顕著に表れた。

 

「それはエリン自身は自覚してる感じ?」

「うーん、多分、そうですね」

 

 一時的にぼーっとしているだけで、意図的に意識を散らしているわけではない、と思う。

 声を掛ければ我に返るし、何ならわざわざ言わなくとも戻る。タイミングの問題だ。

 何ならそうした後に、「そんなことをした自分に苛立ちを覚えて」いるようにも感じられる。自己嫌悪、なのだろうか。

 ただ、迷宮探索中にそうした行為はいわずもがな、大変危険である。戦闘中に別のことに気を取られていればそれは致命的な隙となってしまうし、褒められたことではない。

 

「自覚、できていないはずがないと、思います」

「まあそうね。あれだけ優秀なら、自己分析もしっかりできてるはずだもんね」

「はい。ですが」

 

 彼女がそれをわかっていないわけがない。恐らく能力的には最も優れているはずの彼女が。

 

 でも。

 

「それでも直さないのであれば、()()()()と考えるのが自然だと、思いました」

 

 全てを完璧に仕上げようとする彼女が。自分のみならず、共に在るパーティメンバーまで危険に晒す行為を看過することに違和感を感じる。

 

 俺の感覚がズレており、最初からそういう人格であった、と言われれば閉口するしかないけども。

 だから、俺のこの思考も。全くの見当違いである可能性も十分あるが故に。不安が渦巻いているのだ。

 

「その原因が、今日みたいに行動が変化していることと関わってる、と」

「同時期ですし、別々に考えるよりかは」

 

 そうは言ったものの、正直その原因などは一切わかっていない。

 

 俺は名探偵ではないのだ、そうポンポン色んなことを解明できるわけないだろう。ましてや元々謎が多いエリンとなれば、散々考えて「やっぱり何かありそうだ」が関の山。

 情けないなぁおい。

 

「原因、ねえ」

「本当は睡眠や食事が必要じゃないか説は」

「確認したけど、嘘じゃない。体力も魔法で回復してる。体調は常に万全に保たれてるっていうのは、虚言じゃないよ」

「……聞けば聞くほど、耳を疑いたくなりますね」

 

 地味に今まで考えてこなかったが。強豪の【ファミリア】に目をつけられたら大変なことになりそうだ。

 オラリオ全域を監視する女神フレイヤの干渉が無いのは、彼女はやはり主人公格に及ぶ存在ではない、ということなのだろうか。それはそれで英雄の定義が揺らぎそうなものだが。

 

「じゃあ、精神的なもの、なんですかね」

「そっちの方が可能性的にはありそう、だけど」

 

 言葉が途切れ、ヒルダさんの指が背から離れる。【ステイタス】の更新が終わったようだ。

 

「ちょっと待っててねー」

 

 はーい、とそのままの姿勢で返事をし、傍のローテーブルで書き写しを行う手を横目に見る。

 その速度は、いつもよりは少し鈍いように思えた。

 

 適度なところで起き上がり服を着、ヒルダさんから【神聖文字】(ヒエログリフ)で記述された俺の【ステイタス】の写しを受け取る。

 

 

 

 ナツガハラ・ツカサ

 

 Lv.1

 

 力:E 495 → 498 耐久:D 542 → 543 器用: C 634 → 636 敏捷:E 475 → 477 魔力:I 0

 

 《魔法》【】

 

 《スキル》【】

 

 

 

 何の変哲もない、魔法もスキルもない平々凡々な文面だ。

 もうちょっとこう、なにかあってもいいんじゃないか。そんな文句を投げつけたくなるような。

 ところがどっこい、これが現実。これが普通。都合のいい奇跡はそう簡単に起こっちゃくれない。

 

「順調、かな」

「まだ頭打ちにならずに伸びてくれてますね」

「うん。いい感じ」

 

 原作主人公、ベル君の成長速度が異常なせいで感覚が麻痺する。している。

 普通は、早い方の人でもレベルアップには約二年近くかかるという。しかしそれも、飽くまで()()()()()の話であり、Lv.2に到達できない人の方が大多数である厳しい世界だ。

 あの【ロキ・ファミリア】のアイズ・ヴァレンシュタインですら一年かけているというのに。一か月半はいくらなんでも早すぎる。

 

 そして。

 

「エリンの【ステイタス】、見てもいいですか」

「あー、いつもの通り、良いとは言われてるけど……見たい?」

「はい」

 

 あまり芳しくない返答をするヒルダさんの気持ちはよくわかる。

 

 物語の主人公の、現実離れした成長度合い。それに追随するどころか追い抜くほどの勢いを見せていたエリン・ヴァランシーの【ステイタス】。

 比較するな。君はこの子とは違う。と言いたいのだろう。俺のモチベーションを維持させるために。しかしそれを言うことで不随意に優劣の意識を与えてしまうことを恐れてもいる。多分。

 

「大丈夫ですよ。嫉妬に狂ったり、自己嫌悪したりとかは。少ししかありませんから」

「正直な子だこと……」

 

 ちょっとだけ息を吐き出すと、ヒルダさんはこれまでに書きだした【ステイタス】の写しを保管庫から取り出してきてくれる。

 

 嘘偽りはない。それよりも、気になることがあるのだ。

 

「なるほどね」

 

 何かに納得した表情で戻ってきた彼女は、何枚かの紙の束をローテーブルに置き、俺と共に覗き込む。

 

 

 

 エリン・ヴァランシー

 

 力:D 502 → 513 耐久:E 423 → 436 器用:C 678 → 692 敏捷:D 556 → 568 魔力:B 706 → 722

 

 《魔法》

 

【ベイナ・アウラ】

 ・発現魔法

 ・詠唱式

 【✳︎】

 

【アルナ・バニ】

 

 ・再生魔法

 ・詠唱式

 【悠遠の彼方に座する我らよ

  遼遠の果てに散り開く我らよ

  須臾に我らが故郷(アルヴヘイム)に集え】

 

 【】

 

 《スキル》

 

 【全個総一】(オール・フォー・オール)

 

 ・同一個体による能力互換

 ・展開式

 【我々は唯一にして無限、極限にして原点。遍く存在せし断片は此の号令に依り、今ここに顕現す】

 

 

 

 これで、たった一月。

 僅か一ヶ月で半年間先を行っているはずの俺に追い付くどころかほぼ追い越しているという、普通に考えればとても有り得ない【ステイタス】である。

 

 だが、今俺が、俺たちが注目すべきはそこではない。

 

 ヒルダさんがすっと手を伸ばし、恐らく計十三枚あると思われる紙の、一番上のものを下にずらす。

 

 

 

 エリン・ヴァランシー

 

 力:E 488 → D 502 耐久:E 413 → 423 器用:C 664 → 678 敏捷:D 546 → 556 魔力:C 691 → B 706

 

 《魔法》

 

【ベイナ・アウラ】

 ・発現魔法

 ・詠唱式

 

 ――――

 

 

 

「これが三日前のもの」

 

 つい最近、更新されたものと思われる能力値の変動が示されている。

 

 魔法やスキルは今日に至るまで変化は無い、そちらは見なくても良いだろう。

 問題は、この【ステイタス】が、これだけ見れば何も変哲のないものとなっている点、だ。無論、たった一日分ずつの【経験値】(エクセリア)だと考えれば破格もいいところ、なのだが。

 

 一番上の紙は横に除けられ、また二枚、三枚と捲られていく。

 

 

 

 力:E 476 → 488 耐久:E 402 → 413 器用:C 652 → 664 敏捷:D 535 → 546 魔力:C 678 → 691

 

 力:E 465 → 476 耐久:F 390 → E 402 器用:C 637 → 652 敏捷:D 522 → 535 魔力:C 662 → 678

 

 力:E 453 → 465 耐久:F 378 → 390 器用:C 623 → 637 敏捷:D 510 → 522 魔力:C 647 → 662

 

 力:E 440 → 453 耐久:F 365 → 378 器用:C 609 → 623 敏捷:E 499 → D 510 魔力:C 634 → 647

 

 

 

 ほとんど一日おきに更新されているため、推移を見れば、いつどの能力がどれだけ伸びたかという情報は容易に得られる。

 

 六枚目に触れたヒルダさんは、ちらりとこちらに目くばせした。

 

「確かに、全部繋がってると考えた方が自然、かもね」

 

 

 

  エリン・ヴァランシー

 

 力:F 376 → E 440 耐久:G 296 → F 365 器用:D 511 → C 609 敏捷:E 412 → 499 魔力:D 538 → C 634

 

 

 

 七枚目。

 

 向上能力値、トータル4()0()0()()()()()

 

 約二週間前に書き換わった【ステイタス】は、異次元の伸びを見せていた。

 この伸び幅が、入団から二週間、実探索期間一週間にして続いており。つまり彼女はたった七日で2547もの値を稼いでいたのである。

 

 それは、壊れスキル、【憧憬一途】(リアリス・フレーゼ)を持つ原作主人公、ベル・クラネルの一巻時点での記録をもってしても達成不可能な成長度合い。

 誰も追い付けない高みへ凄まじい速度で邁進していた彼女は。しかしちょうど二週間を境に急ブレーキをかけている。まあ、それでもなお、反則を疑う速度ではあるのだが。

 

「ツカサくんの気付き通りなら。エリンの行動に変化が訪れた時期と、いきなり能力の伸びが鈍った時期が、ちょうど重なるね」

「やっぱり、ですか」

 

 エリンの二回目の更新以降、特に気にしてはいなかったものの。今回の件でなんとなく気付いていたこと。

 それぞれが観察者の違いによって関連付けられず、表面化しにくくなっていた。

 

 行動の変化。

 

 戦闘時の不意な弛緩。

 

 能力値上昇の急激な段階的鈍化。

 

 それらが同時期にもたらされたものだとすれば。

 

 きっと、単純な問題では。

 

「そうまでなるなら、原因は考えられなくはないよ」

「えっ」

 

 ない、はずでは。

 

「前にエリンが『我々は一であり、全である』って言ってたじゃない? 入団の時に」

「面接、を、したときでしたっけ。忘れてました」

「そうそう。そうでなくとも、あの子は一人称を『我々』にしているでしょう。その話なんだけど」

 

 結局、よくわからないままになっている点だ。

 何故彼女は自らを「我々」と称するのか。他視点からすれば「組織」であり、自視点からすれば「組織」でないものに属しているというのはどういうことか。哲学じみた文言を用いるのはどうしてか。

 

「つまり、エリンは魂を複数所持している。正確にはそれぞれが対等な存在ではあるから、どちらかといえば同乗、と言った方がいいかな」

「魂……? の、複数、同乗、ですか」

 

 ちょっと突拍子もないその発言に、俺は上体を起こし、上手く吊り上らない唇の端を見せる。

 

「うん。概念的にはわかってたんだけど、確信が持てなかった。でも、状況証拠的にもこれしかない」

「もう少し早めに教えてくれても……」

 

 そんな俺に合わせるように、ヒルダさんもゆっくりローテーブルから離れ、こちらの眼を見据えてくる。吸い込まれそうなほど深い瞳が、俺を覗き込む。

 

「ごめんね。間違ってるかもしれない推測を伝えるのは、良くないと思ったんだ」

 

 でもまあ、分からなくはない。

 

 そんな突拍子もないことをいきなり言われても、咄嗟に理解出来そうにないし、更に真偽不明なのであればもうよくわからない。

 散々考えた末の今ならば、そこまで問題はないけれど。

 

「つまり、エリンは基本一人に一つしかない『魂』を、たくさん持ってる、ってこと、でいいんですよね」

「その認識で概ね正解。彼女のものではない『魂』が、あの身体に留まっている。それで、彼女自身の『魂』の質の話に移るんだけど」

「質」

 

 戦乙女は優秀な戦士の魂の選別をする役割を持つことからして、良し悪しが分かるという。

 だから、女神フレイヤのように、特別な視点で魂を観測出来てもおかしくはない。野菜とか、物品の質などは分析できているし。

 

「魂の質は、基本的に常にほんの少しずつ変化し続けている。人生のあらゆる経験を糧としてね。いきなり変わるのは、あんまりない、と、思う。徹底的に堕ちきった時とか、人生観が変わる程の出会い、行動をした時、くらいで」

「それは、『色』とはどういうところが違うんですか」

「ああ、そっちは本当に変わらない本質の話だよ。質は、いわゆる人間としての完成度合、って感じかな。完成形はそれこそ人それぞれだけど」

 

 そもそもの資質と、成熟度合。違いとしてはそんなものかな。と言ったところで、ヒルダさんはふと不自然に動きを止める。

 何か不穏な空気を感じなくもないが、何か……あっ。

 

「でもどうして、魂に『色』があることを知って……?」

「い、いや、何かで読んだんですよ。そんな風に魂を観測する神も存在する、って。それをふと思い出して」

「そうなの? 案外知られていたりするものなのね」

 

 嘘ではないため、追求までいかない程度の疑問で処理できた。危ない。

 

 だとしても、迂闊すぎるぞ俺。無いとは思うが、もしフレイヤがその『神の力』(アルカナム)由来の能力を秘匿していて、かつそれを俺が知り得ていることが伝わってしまったら。

 タダでは済まないことだけは確定的に明らかだ。原作知識ばかりに頼るのもあまり褒められたことではないな。

 とにかく、上手く逸らせたからには本筋に戻さねば。

 

「話の腰を折ってすいません。それで、えっと。質、の話、でしたっけ」

「ああうん、魂の『質』は滅多に大きくは変動しないと言っていい。そんなにころころ変わったら観測する側も困るしね」

 

 まあ、確かに。長年ずっと魂を精査してきた彼女の話なら、まず間違いはないだろう。

 

「でも、エリンは違った。彼女の魂は、こちらで容易に観測できるほど()()()()()()()()()()()()()

 

 少しだけ。困ったような表情を見せ、二階へ続く階段の方を窺った後、ヒルダさんは続ける。

 

 朝食から既に三十分ほど経っている、如何に行動が変化しているとはいっても、いつ下りてくるかはわからない。

 何より、これは彼女が聞いていい話かどうか、が見当もつかない。

 

「普通の人間ではまず有り得ない速度で、頻度で、振れ幅で。変わり続けている。有り得ない速度で目まぐるしく変化し続けているの」

「えっと、それは、どういう……?」

 

 当然と言えば当然なのだが、言っていることはともかく、それがどういう意図で、どういう意味を成しているのかがわからない。

 

 対するヒルダさんも、まだ言葉がまとまってはいなかったのか、数秒見つめ合った後、目を逸らして唇に人差し指で触れ、考えるポーズをとる。

 どうしてこうも。ああいや、なんでもないです。

 

「簡単に言うなら。尋常なら一生に一度あるかないかレベルの、人生が変わるほど大きな出来事が、毎日やってきてるようなものよ」

「そんなことが……」

「でも、なんせそんなことは私も初めてだったから、確信が持てなかった。さっき言ってた色んなことが重なったタイミング、あるでしょう」

 

 ぴっ、と。ヒルダさんは人差し指でローテーブルの上の紙束を指した。

 一旦そちらに顔を向け、また戻す。

 

「それまでは変化のパターンがあった。周期的に、定型的な形を繰り返していたんだけど。その日から、明らかにその法則が乱れている。()()()()()()かとも考えたけど、これが原因と考えた方が説明がつくと思って」

 

 魂の乱れ。つまり、最初から変動しっぱなしで逆に安定していた彼女の精神が、ここにきて不安定になっており。

 体調にまで影響を及ぼすほどになっている、と。

 

「普通は少し変わるだけでも当人には甚大な影響があるはず、なんだけどね」

「成る、程」

 

 短時間で色々な情報が入って来すぎて、処理に戸惑う。

 いくらそういった会話に(妄想で)慣れているとはいえ、実際にされると付いていくのに精いっぱいだ。

 

「要約すると。彼女はその身体を器として、いくつあるかわからない大量の魂を宿している。それらが彼女自身の魂に作用することで、断続的な変化が起きている。ここまでは観察する限りはぼ確定」

「はい。それは、わかります」

「問題は次から。その変化が、例の日からとても不安定で、規則性が無いものになっている。一連の出来事は、それが関係しているんじゃないかな」

 

 エリン・ヴァランシーの内部には、複数の魂が宿っていて。恐らくそれらがエリン自身の魂に作用しており。

 そのせいで、どうも不透明な行動の変化、不調を引き起こしている、かもしれない。ということ。まあヒルダさんが言うからにはほぼ当たっているだろう。

 

 ……しかし、何故。いまだエリンの正体が掴めないうえ、その目的も、行動原理も何もわかってやいないのだ。決めつけるのは、まだ、早い。単に俺が臆病すぎるだけかもしれないが。

 

 問題のおよその原因は分かった。だが解決法も、原理も理由も判明していない。小説ならまだ「承」の部分、情報が足りない。

 

 

 さて。どうしたものか。

 

 

 

 

 

        〇

 

 

 

 

 

 無数の人々が行き交う大通りは、朝早くから夜遅くまで喧騒に満ちている。

 そこには、人種、民族の隔たりは無く。実に様々な容姿の()()が、当然の如く闊歩し、互いの在り方になど、全く気にする様子も見せない。

 

 ただ、一人を除いて。

 

()く在るべし』

 

 声が。

 波と成って大気を伝うような、鼓膜を震わせる媒体に昇華されない、聴覚を介さない声が、聞こえる。

 

 それは我々の中の一つが発した意思。

 我々が、我々らしく在れかしと思考した結果の発露。

 

 原因は明らかだ。

 西のメインストリートを行き交う人々に紛れる、幾人かの「elf」。その姿を我々の眼が捉える度に、存在した我々の定義が揺らぐ為である。

 

 我々は「elf」である。

 

 しかし、我々と姿形、存在方式が異なる彼らもまた、「elf」である、とされている。

 端的に表すならば。容姿端麗、精霊に次いで魔法に長けているとされる種族であり。己の認めた者以外との直接的接触を過度に忌避し、皮膚の露出が少ない衣服を好んで身に着ける、とされている。

 

 それが()()()()()()()()()()

 

『斯く在るべし』

 

 揺らぐ。それを我々が繋ぎ止め、元の場所に、元の形状に戻し置く。

 既に外力に依って、変化した我々を、無理にでも。

 

 我々は「elf」である、それは結論付けられている、決して覆ることはない。我々はそう在るべくして今、ここに在るのだ。

 

 しかし。我々でない「elf」が存在するとなれば。

 

 もしそのような事態になれば。

 

 我々は。

 

『斯く在るべし』

 

 

 

 

 

 夕日が彼方の市壁に沈み始める(とき)

 

 冒険者や、無所属の一般市民の帰宅によってそれまで以上に一気に活気付く街があった。

 絶え間なく流れる人の波。次第に点灯する街路の魔石灯の輝き。そこかしこから天に向かって煙が立ち上ってゆく。

 書き入れ時を逃すまいと張り上げられる客引きの声。どこまでも広がる雑踏が地面を蹴り舞い上がる砂埃の掠れ。そこかしこで乱立する雑談の柱。

 そこら中から流れ出で、漂うのは食事と酒、そして僅かな血の香り。彩鮮やかな匂いが生活を形作る。

 

 迷宮都市オラリオでは、最大級の神秘を込めたローブを身に纏っていようが、神樹からできた杖を持っていようが、誰も気にすることはない。

 単純に価値がわからないこともあるだろうが、それだけのものを装備しているということは、それに見合うだけの実力、または戦力を保持しているということであると、分かっている者しかいないからだろう。日々生と死の狭間を文字通り冒険している人々は、永く生きる術を身に着けなければならない為に。そういった意味で愚かな人間は、比率にしてみると案外低い。

 

 しかし、それでも治安の問題が叫ばれるのは、(ひとえ)に弱肉強食の構造に耐え切れなくなった弱者が更なる弱者を虐げるからに他ならない。例え、その結果更なる強者に叩き潰されることがわかっていたとしても。

 

 故に。オラリオで犯罪に巻き込まれない為には。

 強者として振舞うこと、強者の威を借りること、強者として名を轟かせること、等が有効である。

 正に、斯く在るべし、なのであって。

 単にそう在るだけでなく、そう在るように見えることが重要なのだ。

 

 その点、「elf」という種族はどちらに対してもある程度の扱いが保証される為、便利ではあった。

 ほぼ先天的に魔法を習得していることより、まず有力な【ファミリア】に所属している可能性が高いこと。それにより必然的にレベルが二以上、上級冒険者である可能性が高いこと。

 そもそもその種族的特徴だとされている人体的接触に対する潔癖に関して、その信条を貫けること自体が能力の証明ともとれるわけで。

 だから、「elf」の異性に自ら近付く者たちは命知らずと呼称される。

 

 そうした仮説を元にした推論の結果、エリン・ヴァランシーはかなりの精度で「elf」であると考えられている、といえるだろう。

 ()()()()()()耳さえ隠してしまえば。他は何も身体的特徴などありはしないのだ。

 

 歩み寄ることなどしなくとも、それは最初から類似したものだった。

 根本的な何かが、決定的に違っていたとしても。

 それが在ったのであれば。

 

『斯く在るべし』

 

 

 暫く歩を進めると、中央広場(セントラルパーク)から少し離れたところで、乱れ飛ぶ歓声が耳に届く。

 

 メインストリートから一つ外れた、それなりに大きな舞台で行われている何かの出し物、確か……「idol」、いや、「icon」の「live」、であったか。が遠目から窺えた。

 複数の【ファミリア】に所属しているそれぞれの眷族たちが、入れ替わり立ち代わりステージに立ち、歌唱や舞踊で観客を魅せる、という演目であるらしい。

 知ってはいたが実際に目にするのは初めて、今は別の目的があるが、多少興味が引かれる。

 

 身体能力に優れていれば、当然視力も秀でている。距離がそれなりにあろうと、この眼は問題なく対象を捉えた。

 このオラリオにおいて名声を得ている者の名と顔、その他の情報は手当たり次第に集めてある。現在一人で壇上に上がっているのは、【ウェウェコヨトル・ファミリア】所属のミランダ・ヴァニア=ザッカルド。Lv.3、『灰被り』の二つ名と、『先駆者』の異名を持つ有名人だ。

 他にも様々な人材が映る。それなりに気にはなる、が。

 

 最もこの眼に特徴的に主張したのは、同【ファミリア】のナツガハラ・ツカサと、主神ブリュンヒルデ。

 どうやら、二人でステージを観に来ていたらしい。察するにブリュンヒルデの方が提案したのだろう。

 

 彼らは、こちらの事情を、多少なりとも隠密に探ろうとしている節がある。

 同日の午前には我々のことについて話していた様だが。彼らはこちら側を理解しようとしているだけだ、何も責めるべきところはない。寧ろ、都合のいいように利用しようとしているだけのこちらの方が客観的に非が認められるところだ。

 まだ一月ばかりとはいえ、それなりに共に過ごした彼らの姿を視界に収めていると。

 どことなく後ろめたさを感じ、現在の目的を再提示され、我々の脚は動き出す。

 

 何を、どうしてかは理解する段階にない。それは現在のこの我々が思考する必要がないからだ。概念崩壊を食い止める方向にリソースを割かなければならない状況で、余計なことに意識を向けるのは無駄である。

 彼らの考察は的を射ている。現時点で、ほぼ正解に辿り着いているといって差し支えない。

 こちらは別に情報の遮断も、妨害もする気はなく。どころか訊かれたならば開示する用意すらある。隠す必要性も無い。

 

 しかし。

 

 我々はそれでも断言できる。

 

 この世界に、我々を理解できる存在は我々以外にいない、と。

 

 だからこそ我々は。

 

『斯く在るべし』

 

 

 日は既に落ち、夜闇に星が瞬き始める。が。ここからでは空は見えない。代わりに、高い天井には本物と見紛うほどの精緻な蒼穹の絵画が広がっていた。

 

 バベル内部、地下一階。

 中央に迷宮へと繋がる大穴を構えた青と白の大広間。等間隔に空間を貫き床と天を繋ぐ巨大な柱は一見、広さを錯覚させるほどに多い。

 神殿も斯くやというほど、造りに意匠が凝らされていることは誰の目にも明らかである。しかし豪奢ではなく、質素でもない。荘厳な空気が、その場を通る者たちに祝福を与えてくれているようだ。

 如何に粗暴な者ですら、この広すぎる間に足を踏み入れる際には、気を引き締め、安心に心を緩めるのである。

 

 最も帰還してくる冒険者の数が多くなる時間帯に、我々はこの場に訪れた。

 

 理由は一つ。

 今日、この時間に【ロキ・ファミリア】が遠征を終え、迷宮から脱出してくるため、であった。

 

 基本的に、彼らは一七階層以上では全体を二つに分ける。そのうち一つ、先行する方の部隊、それを統括する人物は。

 

 リヴェリア・リヨス・アールヴ。

 

 この世界における「elf」という種族の最高峰、「王族」(ハイ「elf」)

 言ってしまえば、「elf」の中の「elf」。その種族の祖となる血を引く……いや、それに関しては考えない。

 

 つまり、他の何がどう有象無象であろうとも、彼女さえ本物であればそれだけで我々の存在の証明が為されるのだ。「elf」という概念が引き締められるのだ。多少変容していようが関係ない。この揺らぎも少しは統制されるだろう。

 そのために。わざわざ様々な方向からの情報を得、こうして待ち伏せにも近い形で観察を敢行する結びとなった。

 

 大穴の淵に辿り着いたと同時に、下層の方面から、『始まりの道』の奥から。今も尚続いている人の流れが、どよめきを伝えてきた。

 推測通り。【ロキ・ファミリア】が、その姿を現したのである。

 

 彼らは何にも恐れることなく、至って堂々と歩む。それだけで、人の海は割れ、道が拓かれる。

 螺旋状に設置された階段を昇り、地上へと帰還する彼らは確かに、強者の雰囲気を纏っている。それは名声だけではなく、数多の戦場を駆け抜けた経験が、無数の死線を潜り抜けた確固たる生命が、周囲の者に対して目に見えず、肌で受け止めるだけしか出来ない圧と成り、全力で示しているのだ。

 大広間まで上がってきた彼らに視線を縫い付けている者は多くいる、例えその中の一人が特定の誰かを更に凝視していたとて、何も不思議なことはない。

 

「あ~、終わっちゃった~」

「あんた、いつもそれ言うわね」

「帰るときにいくら満足してても、ダンジョンから出るときは名残惜しくなるんだよ。ならない~?」

 

 そう言いながらも、先頭を切って歩くのはアマゾネスのヒリュテ姉妹。【ロキ・ファミリア】の中でもかなりの有望株である。

 長期間、戦闘に明け暮れて相当に消耗しているはずにも関わらず、笑顔で余裕たっぷりな会話を繰り広げているのは、流石の生命力だと言わざるを得ない。

 

「団長が決めたことだもの。それに従うのが私たち、ってだけ」

「そうじゃなくてさ~、思い返してみるとあそこはもっとやれた、とか、あれはちょっともったいなかったな~、とか。そういうのだよ。そういう物足りなさー」

「ただの反省点じゃない。そういうのは反省会で発散させるものよ」

「その悔しさが湧き上がってくるって言ってんの~。アイズもそう思うでしょ?」

 

 彼女らが話しかけるのは、オラリオでは既に噂に聞かぬ者はいないとまで言われている金髪近眼の少女、アイズ・ヴァレンシュタイン。

 浮世離れした美しさをその身に宿す彼女は、奇跡と謳われるほどであり、「elf」や女神にも劣らない、とも。

 

「私は、今は、そんなに」

「ほら」

「ええ~」

「……でも、そう思うことは、それなりにある」

「気を遣われてるじゃない」

 

 控えめ、とは少し異なる。感情を極端に表出していない彼女は、それ故に神秘的だと称されるのだ。

 

 まるで理解はできないが。

 

「アイズを一緒にすんな。それだけお前が未熟だってこった」

「はあ~!? 団長だってこの感覚は大事だって言ってたんだけど!」

 

 それに口を挟むのは、狼人(ウェアウルフ)のベート・ローガ。左頬の入れ墨が彼の性格を物語っている。

 

「当たり前だろ。それを昇華せずにいつまでも引きずってんのがしょうもねえっつってんだよ」

 

 気怠そうに、しかしあからさまに機嫌が悪いことを仄めかすように。彼は喧嘩腰でティオナ・ヒリュテにつっかかってみせる。

 対して彼女は、何かを思い出したかのような表情を見せた。

 

「いやいやベートさあ、そんなこと言えた立場だと思ってんの?」

「んだと糞女」

「いっつも帰還した後、一人で色々ぶつぶつ言いながら悔しがってんの。知ってんだから」

「はぁ!? そんなことしてねえっつの!」

「そうかなあ。けーっこうバレバレなんだけどなあ。みんな微笑ましく見守ってるの知らないでいたのかあ~。可哀そうにぃ」

「殺すッ!」

「止めろ、馬鹿者共」

 

 そして彼女らを呆れ顔で(たしな)めるのが。

 

 三人の【ロキ・ファミリア】最古参の内の一人。『九魔姫』(ナイン・ヘル)

 

 真の「elf」、である。

 

「あからさまで安い挑発には乗るな、するな。自分の品位すら疑われるぞ」

 

 が。

 

 我々の眼に映る彼女は。

 

 オラリオ屈指の実力者、アールヴの名を冠する者は。

 

 どうしても、どうあがいても。

 

 ただの亜人(デミ・ヒューマン)でしか、なかった。

 

 不意に、偶然か否か、かち合った視線は。その目は。

 

 

 純粋な、()()()()()()()()()

 

 

 それが意味するのは。

 

 

 

 (すなわ)ち。

 

 

 

 

 

――『斯く在るべし』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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