東方短編集 (八連装豆鉄砲)
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深く遠い記憶の底で
意識が深い闇からゆっくりと浮かび上がる。
目を開けると見馴れた屋敷の薄暗い行灯の灯る自室の天井が視界に映る。
まだ気だるい身体を起こし、背後にある枕に目をやる。
枕は涙に濡れていた。
「またか・・・、」
私は毎年のように冬眠するが、いつからであっただろうか、もう千年以上も前から冬眠から目を覚ますと枕を涙で濡らす様になった。
多くの人妖にとって古い記憶は『曖昧』なものが多いであろう。永い時代を生きる神々や妖怪などはそれは顕著であり、ましてや最も古い記憶など言うまでもない。
私の最も古い記憶は、ただひたすら『泣き続けていたこと』
何故泣いていたのか、それは私には分からない。
同じ種族のいない私には勿論だが親と呼べる存在は無い。
だから、孤独に耐えきれず泣いていたのかもしれない。
何処へ行っても人間にはこの能力の為に忌み嫌われる、妖怪には神にも等しいこの能力欲しさに追われるのみであった。
私を守ってくれる者など存在するわけもなく、まだ扱いに慣れない能力で覗き見る他の人妖の家庭の暖かさを羨んでいたこともある。
だが、本当にそれだけであろうか?
冬眠から目覚めた時、毎年涙に濡れた枕を見て同じような感情に襲われる。
孤独感だけではない。何故か恋しく、懐かしい夢を見ていて、言い様の無い『喪失感』と『後悔』の様な感情に胸を痛めつけられている。
私は冬眠中、一体どういう夢を見ているのだろうか。
それが気になり覗こうとしたことは幾度とある。
だが、見ることができたことは一度として無い。
能力を用いてあらゆる方向から覗こうとして来た。
私は能力を使って他人のに限らず私の記憶や夢を覗いたり入り込んだり、時には弄ったりもする。
だが其処だけは決して覗くことすらできないのだ、まるで其処に固く鍵が掛けられているように。
一体其処に何が、どのようなモノが封印されているのだろうか。
何を喪ってしまったことに対する喪失感なのか。
どういったことをしてしまったことに対する後悔なのか。
それを知る術は無い。
毎年のように私は冬眠から目覚めた刻こういった思考の渦に嵌まる。
雪見障子の硝子の向こう側には雪の残る庭園が映る。
自室の厳重な結界を解除し寝起きの重い身体を起こし布団から出て、障子を開け縁側へと出る。
池の脇に佇む老木の梅がちらほらつぼみを開き始めている。
どうやら今年は少し早めに目覚めたようだ。
春の足音が近寄って来ているとはいえ、まだ雪の残る季節である。寒風に悴む手に、はあと白い息をあてる。
ふと、目を横へと向けると、其処にはいつの間にか忠実な九尾の式が跪いて控えていた。
「お早うございます、紫様」
「お早う、藍」
また、長く短い一年が始まる。
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