レッジェ・スペーランツァ (三代目盲打ちテイク)
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プロローグ

いつも通り地獄からスタート


――お前にとって世界とは何だ。

 

 それが、まず聞かれたことだった。憧れたあの人の背を追って叩いた軍部への扉。雁首並べた同じ穴の貉たちと共に、憧れと自分もというそんな夢見がちな感情のまま開け放たれた扉へと入ったのだ。

 問いへの答えを俺は、どう答えただろうか。つい最近のようで、随分と昔のようにも感じる。なにせ、いろんなことがあった。

 

 夢見がちな少年が、現実を知って大人になるくらいには、色々なことがあったのだ。自分にとって世界とは何か。

 それはこんな滅びてしまいそうな不安定な世界などではないと、血気盛んな夢見がちな少年のままに言ったような覚えがある。だからこそ守るのだと言い切ったような気もする。

 

 世界とは、人間が生きる場所。欠けてしまえば弱い人間は生きてはいけない。かつては、失われることなんて誰も思わなかったもの。

 当たり前で不変的で、きっといつまでも変わらずにそこにあり続けるのだと信じていた。だが、結果はどうだ。世界は崩れ去った。

 

 あげく人類を抹殺しようとする敵まで現れてもう阿鼻叫喚だ。当然が消え失せて、わけもわからないことになってるんだから大変だ。

 だからこそ、あの人のようになりたかった。鮮烈な輝きを放つあの人のような存在に。

 

 そして、俺はその思いから提唱者になった。軍部の適合試験に合格して、施術を受けて、いっぱしの兵士になったつもりだった。

 

――これで俺も、あの人のように!

 

 今思えば若かったのだろう。今では良くわかる。あの人の化け物加減が。同じ提唱者になって初めて気が付いた。

 規格外。天才。英雄。斯あるべくしてそうある存在というもの。

 

 俺に与えられたのは、ただ読み取る力だった。華々しい力というものはなく。ただただ読み取るだけ。それでもがむしゃらにやったつもりだ。

 だが、結局光にはなれなかった。暗い影の中に潜む誰でもない誰か。俺が慣れたのはそれくらいだった。

 

 だからせめて少しでも良くなるように、上の命令に従って殺し続けた。出来ることはこれくらいだった。他には何もない。

 潜入し、殺す。あの時も、あの時も、あの時も。殺して、殺して、殺した。

 

 何があろうとも殺して、それで世界が良くなるんだと信じていたんだ。いや、信じたかっただけかもしれない。

 だが、結果はどうだ。何か変わったか。上の命令で殺して、殺して。その上で何かが変わったと言えるのか。

 何も変わってなどいない。

 

 何のために殺しているのかわかったものじゃない。だが、それでも殺す。もはやそれ以外に生きる術などなく。矮小な提唱者は、こうやって生きるしかない。

 憧れたあの雷電の輝きは、俺にはないのだから。

 10年前のあの日に、憧れた雷電に届きはしない。だから、せめて、彼女だけは守ると決めた。

 

 俺には人類を守る器なんてものはない。だから、せめて自分の周りくらいは守ると決めた。それが、ちっぽけな男に分相応な世界(せいぎ)だから――。

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 10年前。マグノリア首都が燃えていた。提唱された焔を否定するかのように、世界が組み換わると同時にそれは起きた。

 時代を支える炎の叡智。しかし、今やそれは全て人に牙をむく。嚇炎は全てを燃やし尽くさんと火の粉を振りまいていた。

 

「――――」

 

 世界が血で染まっている。地獄とはかくあるべきだとでも言わんばかりに。此処こそが地獄、これこそが地獄絵図。

 虐殺という名の過剰殺戮が織り成す地獄は、今もなお拡大を続けている。無辜の民が悲鳴を上げて逃げ惑い、そして尽くが逃げられはしない。

 

 全ての阿鼻叫喚、全ての絶望を混ぜ込んだ魔女の窯の底。ぐつぐつと煮えたぎる窯の底ゆえに逃げ場など存在(あり)はしない。

 全てが炎上している。こここそが地獄の底だ。ならばどこへ逃げるというのか。逃げられるわけがない。逃げられる場所などありはしないのだ。

 

 建物が倒壊する。そのたびに悲鳴が上がり、紅い華が咲く。死骸は例外なく炎に包まれて燃えている。油分が大気を汚染し、燃える死骸は酷い瘴気を撒き散らす。

 肌に張り付くのは死体から出た魂の如き瘴気。生者を呑み込む死者の手招き。お前も来い、お前も来い。そう絶望の中で死者が叫んでいる。

 

 右を見ても、左を見ても、炎が燃えている。燃えていない場所ないし死骸がない場所もない。死体の博覧会会場と言われても信じられることが出来そうなくらい石畳の上は赤く染まっている。

 しかも、現在進行形で死体が増えていっているというのだから恐ろしい。おおよそ考えらえる以上に絶望に薪がくべられている。

 

 それが立った三人の反証者(ばけもの)と名乗る提唱者の手によって起こされたという事実を誰が信じられる。信じられるわけがない。

 だが、それがどうしたというのだ。この惨劇がたった三人の提唱者によって引き起こされたとして、それがどうしたというのか。15歳の少年でしかないアラン・チューリングに何ができるというのだ。

 

 何もできるはずがない。ただ何もかも捨てて逃げ惑う事意外に力のない少年にはできない。そう何もかもを捨てて。家族も、友人も何もかもを彼は捨てる以外になかった。

 いや、より正確には彼だけが捨てられる立場を維持していただけに過ぎない。つまりは、彼だけが生き残ったのだ。

 

 そこにあるのは純粋な運でもなければ、力があっというわけではない。ただそこにあるのは単純な家族がいたおかげだ。

 弟がいたから、彼はいまこうして生きているし逃げていられる。悲鳴と慟哭がオーケストラのように響く街をひたすらに駆け抜けて逃げていられるのだ。

 

 行きつけのレストランが崩れ去る。良くいく喫茶店の可愛らしいウェイトレスの首が転がってきた。誰のものかわからない目を踏んだ。

 嫌な感触が全身を駆け巡る。鋼鉄の残骸が足を切るよりも、それは強い衝撃となって脳髄を蝕んでいく。

 

「あああ、あああ――!」

 

 声にならない悲鳴を上げた。既に精神は限界。肉体もまた過剰酷使によって筋繊維が一本、また一本と千切れていく音が聞こえている。

 それでも足だけは止めない。生きたい。生きたい、生きたい。それは人間の純粋な本能。生存本能。種の保存として、己の保存としての当たり前。

 

 しかし、純粋であるがゆえに運命は彼を逃しはしない。純粋であるがゆえに、それは何よりも強く強く声ならぬ叫びとして奴らの耳に届くのだ。

 絶望をくべる火の番人。鋼鉄を打ち鳴らす鍛冶師が如き、殺戮の使徒へとそれは届くのだ。

 

 重ねて言う。運命は彼を逃しはしない。そもそも誰も彼もをここから逃すことを運命は許していないのだ。地獄の窯の底だれも逃げられるわけがない。

 そして、他に交じるものなどない欲求、想いを運命は聞き届ける。そもそもこの状況にして混じるものなどある方がおかしいのだ。願いはどこまでも届く。

 

 ゆえに、それが純粋であればあるほど呼び寄せてしまうのだ。

 

 さあ、絶望しろ。それこそが望むもの。

 

「反証せよ提唱された法則を――我らが世界を創り出さんがため」

 

 至るは破滅への道――。

 

 運命は、誰も、逃しは、しない。

 

 突如飛来する鉄風。見たこともない技術にて作られた武装。かつての世界で銃と呼ばれたそれによる銃弾が飛翔する。

 破裂音と共に連射され生きている全てを砕いていく。その威力、その速度、どれをとっても現世のものではなく超常のもの。

 

「安らぎをこそ与えよう。このような光景は間違っている。ゆえに、滅びよ世界――反証せよ」

 

 男が腕を振るう度、弾丸が飛翔し、剣林が目の前の存在を串刺しにして虐殺する。たった一人の軍隊。さながらそのような男は殺戮を続ける。

 事態は一向に好転の兆しを見せず。地獄を創りだした者の首魁の手によって更なる地獄へと加速度的に落ちていく。

 

 鉄風雷火、剣林弾雨。ただ人の身にて、数千を超える武装が彼に従う。虚空より吐き出される銃火器がただ人を殺していく。

 人を滅ぼす者。莫大な覇気が放たれる。それは死、死、死。浴びれば最後死んだと錯覚するほどの殺意。今の世界を否定する赤き目。

 

 それを捉えた瞬間、アランは逃げることを止めた。逃げ切れない。そう悟った。

 

 その瞬間、爆音とともに一人の提唱者が炎と瓦礫を突き破りはせ参じる。軍人とはこうあるべきとでもいうかのように今この瞬間、高速で移動し衝撃波を撒き散らす提唱者は敵にのみ向かってすすんでいく。

 勇猛果敢。民草を守れればそれでいいのだ。まるでそう言わんばかりに音を越えて移動するその男は、銃火器の戦列を指揮する男へと突き進む。

 

「無理だ」

 

 だが、断言する。読み取った情報を吟味するまでもなく不可能。いかに不退転の決意を示そうとも、音を越えて移動したとしてあの戦列を超えることはできない。

 

「ああ、愛いな。そう血気盛んに向かってくるなよ。僕は、争いが嫌いなのだから」

 

 そう言葉で言いながら火砲が咆哮をあげる。ただ、それだけで男の身体は飛び散り砕け散って行く。ああ、無情。救国を願い、そのためならば命を賭けるもまだ足りぬ。

 意志、覚悟、根性。そんなものが通じるのは小説の中だけの話だ。現実問題、それではどうにもできない事態が必ず存在する。

 

 その時頼れるのは地力だけ。積み上げた自らの力のみ。ゆえに、力の足りぬ者は死ぬ。呆気なく、何の感慨もなく無残に死ぬだけだ。

 しかし、ある意味でそれは幸運なのかもしれない。死ねるのだ。どういうわけか生き残ってしまったアランと違って。

 

 恐怖を長く感じることがないのだから。

 一度屈してしまった膝はもはや立ち上がることなどない。地面についた膝は張り付いたかのように動いてはくれない。

 

「次は、お前だ。救ってやる。こんな争いばかりの悲しい世界で生きる必要なんてない。夢のような世界を作ってやる。だからそれまで、眠ると良い」

「あ――」

 

 そして、ついにアランが捉えられる。

 

 数千を超える銃口がアランを狙う。アランは即座に生存を諦めた。数千の銃弾を躱すことなどアランには不可能。

 そもそも、人間が化け物に勝てるはずがないだろう。勝てるのは、物語の主人公のような英雄だけだ。

 

 悟ってしまったのだ。眼前の怪物には勝てない。存在からして力関係が定まっているのだから刃向かうことなど無意味なのだと。

 だからこそ、願う。救済を。もはや神を頼り、見捨てたはずの家族を頼り、友人に助けを求める。求める、求める求める。

 

「たすけて」

 

――たすけて、たすけてたすけてたすけて。

 

 誰でもいい。この事態を好転させるのならば神でもあくまでもなんでもいい。それもまた純粋な願いゆえに、遠く遠く聞き届けられるのだ。

 

 英雄とは、常に最後に現れる。屍山血河の最奥で積み上げられた死骸の舞台の上で初めて英雄は踊れるのだ。最後に立っていた者こそが英雄であるがゆえに。

 だからこそ、それは今だ。今、語り部となる存在がいる。英雄を英雄として語る存在がいて、そして守るべき命がある。

 

 ならばこそ今だ。英雄の誕生劇、屍山血河の舞台は完成した。さあ、今こそ、英雄譚が始まる。悲劇を痛烈な希望が照らす。

 

「――そこまでだ」

 

 軍靴の音舞い降りる。それは微かな、されど絶対の希望の旋律。閃光が(きら)めく。見たこともない輝きが男から放たれていた。

 

 これより先、悲劇に出番はない。お前の出番は終わりだ。疾く、舞台より降りるが良い。

 これより先は、英雄の舞台。悲劇などありえない。

 さあ刮目せよ、いざ讃えん。その姿に人々は希望を見るがいい。

 あふれ出る閃光の煌めきが闇夜を照らす。まさしく、世界を照らす英雄(キボウ)が降り立った。

 

「ほう」

 

 ああ、まさしく。あれこそが希望の光であった。その姿、まさしく不動にして絶対の盾。背を向け敵を見据える姿はまさに英雄そのもの。

 この劫火の中、この戦場の中。未だ無傷、汚れ一つないマントを翻し、乱れ一つない軍装姿で唯一汚れが見える軍靴をかき鳴らして男が一人、この地獄に舞い降りた。

 

「下がっているが良い。待たせた。遅れたことに言い訳はすまい。事実、オレは救えなかった。だが、立ち止まるつもりはない。死んでいった全ての者たちの夢をオレは背負おう」

 

 言葉に従い、彼の後ろに生き残っている者たちが下がっていく。

 戦闘力の有無などという理由では断じてない。そうすることが真理だと、無意識の内に強く感じ取ったがための行動だった。

 

 前に立たれるだけで感じるのは絶対の安心。この人の後ろにいればもう大丈夫。そんな安心感。ついにその男は災禍の中元凶の下へと辿り着いた。

 死骸が積み上げられた道の先、英雄譚の最終局面。今こそ、英雄の誕生の時だ。全てが死に絶えかけ、語り部が一人いるだけの状況になって今、初めて舞台は整った。

 

 英雄の誕生。極大の絶望を払い英雄となるべく運命づけられた男が今戦場にて運命と相対する。相対する男も彼を前にして視線を逸らすなどという愚を起こさないし、できやしない。

 

「このような少年すら殺すかアザゼル。貴様の誇りはどこへ行った」

「さあ、そんなもの忘れたよ、ニコラ・テスラ」

「そうか」

 

 挨拶のように放たれる銃弾。しかし、テスラは動かない。アランたちが背後にいるからか。いや、違う。

 避ける必要すらないからだ。彼の身体から放たれる光が飛来する銃弾を溶かし尽くす。超高温の輝き。アランに理解できるのはそれだけだった。

 

 それの名すら知らない。バチリ、バチリとはじける希望(それ)の名をアランはまだ知らない。腕を組む彼が放つ閃光をただただ見つめるのみ。

 

「ならば、ここでお前を殺すことになる」

「ああ、なぜお前はそうも争おうとする。傷つくことになんの意味があるというのだ。教えてくれよニコラ・テスラ」

「意味ならばある。この国と人々を護る為だ。今、オレはそのためにここに立っている。お前が産み出したものは、守るためのものだろう」

「ならばなぜ、こうも人は争い嘆き悲しむのだ。ならば間違いに決まっている。だから、この世界を破壊する。新しき世界はきっと幸福なはずだ」

 

 弾丸が飛翔し、やはりテスラは動かず全てを溶かし尽くし、閃光がアザゼルへと迫る。

 

「させんよ」

 

 テスラと呼ばれた男。まさに英雄。救世主とはこうあるべきだというその全てを体現していた。輝く御身にただただアランは畏敬の念を抱く。

 これでもう大丈夫。そう安堵したその時、

 

「アザゼル、大丈夫ですか?」

 

 怪物が現れた。一体何をどうしたらそんな生物が生まれるのか。人形をした何か。怪物としか言い様がないナニカが爆炎の中から現れる。

 その覇気は、アザゼルと呼ばれた男とそん色なく、外見に似合わない紳士的な口調がその異常性をただただ発露させていた。

 

「チャールズ、貴様もか、ならばあと一人はあの男だな」

「これはこれはテスラ殿、どうも今日は御日柄もよく」

「いらん挨拶だ」

「おやおや挨拶は人として大事でしょうにまあ、良いでしょう。あなたは、やはり相容れませんか」

「そのようだ。お前たちもまた、夢を同じくした同志と信じていたが、是非もない。国家の為、人類の為にオレは希望にならねばならん。ゆえに――」

 

 閃光がはじけ、テスラの持つ槍が輝きを増す。対する二人の覇気もテスラのものと比しても遜色なく、意志だけで相手を押し潰さんと猛り狂っていた。

 

「――ここで散って行くが良い。安心しろ。お前たちの夢、オレが背負おう。必ずや全てを救ってみせる」

「そうか。なら、ここで倒れろ。それが情けだ」

 

 もはや言葉は不要。ただ一言、開戦を告げる提唱が成される。

 

「提唱せよ我が世界の法則を――我らが世界を取り戻さんがため」

 

 言葉とともにテスラの何かが切り替わる。同時に疾風となりテスラが疾走する。同時に、相対する化け物二人もまた、駆けるのだ。

 

 まず先に到達するのは怪物だ。チャールズと呼ばれた怪物は、その剛腕を振るう。巨体であり、それに見合った膂力は人間如き木端微塵にしてしまえるだろう。

 だが、テスラは逃げない。むしろ向かっていく。手にした槍を振るうでもなく、その左手で剛腕を受け止める。

 

「なっ――」

 

 その結果に声を上げたのはアランだった。そりゃそうだ。怪物にしか見えない相手の一撃をただの人間が受け止めるからだ。

 いや、ただの人間か? そんなわけがない。あの言葉の意味をアランはどういうわけか読み取っていた。ゆえに、テスラという男の身に何が起きているかも理解が出来ぬとも悟る。

 

 身体能力が上がっている。人からその上の段階。いや、更に上か。異常なほどにテスラという男の身体能力が上昇している。

 それだけではない。迸っている閃光が輝きを増し、その熱量は先ほどとは比較にならない。

 

 左腕で受け止めた化け物の爪。

 

「オオオオオオオォォォォォ―――」

 

 英雄は吠え、怪物を投げ飛ばす。

 

 そこに突っ込むのはもう一人の男アザゼル。彼の行く先に手をかざした先に剣林が生まれる。テスラを串刺しにせんと意志を持った剣が生じる。

 

「笑止――」

 

 それを槍を振るってテスラは砕く。

 振るわれる槍。閃光が軌跡となり闇を突き穿つ。空間ごと抉るかのような鋭い突き。それをアザゼルは躱すも、背後の壁に大穴が開く。

 

 かすっただけでも肉が裂けるほどの槍の突き。いったいどれほどの鍛錬を積めばその極致へと至れるのだろうか。

 ただ思ったことは、凄まじいということだけ。

 

 そして、これですら生ぬるいということを思い知るのだ。なぜならば、まだ、提唱された法則の本分を誰一人として使っていないのだから。

 

「さすがですねテスラ殿。では、本気を出しましょう」

 

 その瞬間、空気が変わる。圧倒的な密度の殺意が怪物(チャールズ)を中心に吹き荒れていく。彼から広がるのは世界だ。

 彼自身の世界。彼が世界へと提唱する法則。

 

 紳士的な怪物。そう表現するしかないチャールズという者の殺意が展開される。何よりも強く、それだけに歪で黒い殺意をたたえたそれは違和感しかない。

 

「耐えられるものならば耐えてみせるが良い。避けるとその子供も死ぬ。失望させるな」

 

 そこに重ねられる鉄風雷火の剣林弾雨。轟音を巻き上げる灼熱が吹き荒れる。怪物ごと全てを焼くとでも言わんばかりの轟炎が吹き荒れる。

 

「にげ、逃げて!」

 

 思わずアランは声をあげていた。そうだろう。なにせ(テスラ)は、射線上にいる。避ければ生きれるだろう。だが、それが出来ない。

 アランたち無辜の民がいる。ゆえに、テスラに躱すという選択肢はない。

 

「言ったはずだ救うとな」

 

 吹き上げた炎は熱量の増大と共にその色を変えていく。赤、青、そして白から透明へ。超常の武装が産声を上げてその嚇怒を放つ。

 もはや陽炎しか見えるほど。しかし、太陽でも生まれたかのようにそこには莫大な熱量が噴出している。炎に触れずとも肌が焼ける感覚。

 

 もはやその熱量自体が致死の猛毒。拡散する熱量だけで人は近づくだけで炭化し石は溶け、鋼鉄ですら水のように流れていく。

 そんな莫大な熱量。突っ込むことすら無謀。それは、どのように強い男でも例外ではなく。人間という括り、タンパク質にて構成される人間だからこそ不可能。

 

 タンパク質は高熱で変性する。ゆえに、人体に高熱は禁忌。人が平温でしか生きれぬ理由がそれだ。例え英雄だろうと人間としての物理法則には逆らえない。

 40度を超えれば問答無用でアウト。だが、テスラは止まらない。ただ真っ直ぐに閃光となりてその研ぎ澄まされた槍を振るう。冷気の如き槍の突き。鮮烈な熱量を持つ槍は莫大な熱の壁を斬り裂いて怪物の腕すらも突き穿つ。

 

「ああ……」

 

 そうこの上なく英雄とはそういうものだ。古今東西。化け物退治は英雄の仕事。ゆえにどのような障害があろうとも達成してしまう。

 英雄は英雄たるべくして生まれてきた。ならばこそ、負ける道理などなく熱量という壁を越えていく。しかも、今だに成長しているというおまけつきで。

 

 突きが鋭くなっていく。研ぎ澄まされていた一撃一撃。無駄のない戦闘の流れが更に無駄を排して人間離れした動きを盛り込みさらに成長していく。

 技量、判断能力。戦闘において必要なものを全て備え極限まで研ぎ澄ましてきた男が更にここにきて加速度的に次の段階へと踏み込んでいく。

 

 もはや凄まじいという感想すら不相応に思えるほどだった。これが、英雄。これが勇者。

 その姿にどうしようもなく、憧れた。輝く光を背に、戦う英雄の姿は今も、この胸に焼き付いていたのだ。鮮烈に、誰よりも。

 

 だから、その扉を叩いたのだ――。

 




いつものように地獄スタートでございます。

ヴェンデッタ風味


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第1話 駄目人間

 随分と昔のことを思い出した。それもこれもきっとそこらじゅうに貼ってある将軍様の絵姿のせいだろう。やだやだ。もうそんなことなんて思い出したくもないわけで、いわば黒歴史な訳で。

 だから、いい加減自分というものを思い出す為に自分の生活習慣を思い出すことにする。寝て、食って、娼館行って、また寝て食う。良し、大丈夫だ。

 

 そんなことを思っていると起き出してきた大家と遭遇する。その視線は絶対零度もかくやといった具合だ。そりゃそうだろう。

 働かず昼ごろに起き出して、朝帰りして夜まで寝て。起きて、ご飯食べて、また寝て、昼ごろ起きる。やってることは娼館に行って女抱くか書店に行ってエロ本仕入れてくるか。そんな人間をどう思うだろうか。

 

 同居人にはダメ人間と言われた。大家にはろくでなしと言われた。表の友人には甲斐性なしと言われた。言われて当然だろう。

 そんな俺は、今日も今日とて朝帰りであった。大家は何か言いたげであるが、さっさと戻れと言わんばかりに睨んでくるのでさっさと暗い我が家に入ると、ひとりでに火気灯が付いて廊下を明るく照らす。

 

 そこには、火気灯をつけた奴がいる。可愛らしい同居人だ。

 

「うおーい、ティ帰ったぞぉ」

「また、朝帰り? うわ、お酒くさ~。もう、良い年した男だからって毎日毎日娼館に通ってたらダメでしょ」

「いやー、これは付き合いとかがね、俺にもあるわけでね」

「働いてない無職の駄目人間に付き合いなんてあるの?」

 

――ぐさっ

 

 いや、そりゃそうだと言わざるを得ないのだが同居人である未だ幼さの残るが可愛らしい少女に言われたらダメージがデカイに決まっている。

 男の子っていう生き物は何歳になっても女の子にいいかっこしたいのだ。もちろん、限度はある。だから、ほら、そんな厳しい目はやめて謝るから。

 

「はい、ないです、すみません。だって、キャシーちゃんが良い女でさぁ」

「子供の前で娼婦の話やめてよねって言わなかったっけ」

「っと、すまんすまん。お前一応まだ10歳だっけか。しっかりし過ぎで忘れてたわ」

「そーです。だから、そんなお話はやめてよねアラン君」

「以後気を漬けまーす」

 

 気を付けてもどうせまた忘れて話をするかもしれないが、今だけは敬礼でもなんでもしてティの機嫌を取るに限る。なにせ、アパルトメント二階の角部屋201号室の支配者は彼女だ。

 名義上は俺の部屋だが、それでも支配者は彼女だ。炊事洗濯、全ての家事は彼女がやっていて家計管理も彼女がやっていればそりゃ支配者と言っても良いだろう。むしろ俺の方がおまけだ。

 

 だから、いつ追い出されても仕方ないからここは誓っておく。まあ、すぐに忘れて、どうせまた同じことを繰り返すだろう。なにせ、今の(・・)俺は駄目人間でろくでなしで甲斐性なしだそうだから。

 そんな誰もがきっと見捨てる男ナンバー1に燦々と輝き続ける俺であるが、彼女の方はそれほど嫌がってもいない。

 

 こんな駄目人間にも甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。というか同居してるからいい加減追い出されると思っているのだが、追い出さず言えばお小遣いすらくれる。

 とんだダメンズ好きだというべきか。健気ととるかは人それぞれだろう。

 参考までに俺はティをダメンズ好きだろうと思っているからさっさと矯正しておかないとあとが怖いと思っている。のだが、それをやると今の自分の生活がやばいので悩んでいたりしているとんだ屑である。

 

「なんか変な事考えてない?」

「何も考えません誓って」

「そーお?」

「そーですハイ。ワタクシ、アラン・チューリングはティに隠し事なんてしません。だから、エロ本とか隠さずに本棚に突っ込んであるし、居間で堂々とで見てるからな」

「それは少しはかくしてほしいんだけど」

 

 知らんな。そもそも性欲なんてものはあって当然のものである。それをやれ悪いものだからとかで隠すとかおかしいだろう。

 いけませんとかいうお母さんだって一度はエッチなことしてるに決まっているのだ。それが、子供にはするなとか、いけませんとか。そうやって抑圧するから性犯罪が起きるのだ。

 

 その点、俺はオープンである。欲望に忠実にエロ本を堂々と買って本棚に収め、好きな体位とかシチュエーションとか相手のキャラとかのランキングをティにも見えるように壁に貼りだしている。

 娼館にはほぼ毎日通う。資金はもちろんティからもらっている。だから、性犯罪など起こり様がない。

 

「だから、俺は何もやましいことなんてしてない」

 

 隠すのはやましいと思っているからだ。やましいと思っていないのなら隠す必要はない。それに誰でも通る道。早いか遅いかだ。

 知っておいて損ではないし、将来の為にもなる知識だ。ただし一部以外はほとんど参考にならんから自分で楽しむ用なのでそこを間違えてはいけない。

 

「はあ」

 

 そこまで配慮しているというのに、ティは盛大に溜め息を吐く。本当10歳児には見えない。実は中身子供じゃなかったりしてな。

 

「とりあえず、はい、お水。いつもより酷い妄言とかは酔ってることにしてあげる」

 

 実にできた10歳児でお義父さん感激。お義父さんじゃないけど。お父さんでもないけど。

 渡された水を飲む。それでだいぶ落ち着いた。そういうことにしておく。

 

「落ち着いた?」

「イエス・マム」

「もう一杯?」

「……冗談だって。水代だって高いんだからそんなにいらねぇって」

「一番高いのは火気代だからね? アラン君を夜遅くまで待ってるおかげで今月も大変なんだよ?」

「待たなくていいてのに」

「それならどこへ行くかくらい言って行ってほしいんだけど。ごはんがいるかもわからないから二人分つくるし。それは朝ごはんにできるから良いけどさ」

「悪い悪い」

「もー、本当にそう思ってる?」

 

 思ってる思ってる。

 そう言いながらティの脇をすり抜けて部屋に上がって今の古びたソファーにだらしなく寝座って無線通信によるラジオの火源をつける。ちょうどやっているのは朝の情報番組。

 

 そんな駄目人間っぷりに。溜め息一つ吐いて昨日のごはんを温めにかかるティ。優しい同居人を持って俺は幸せです。

 

「ごはん、食べるよね?」

「おーう、いただくいただく」

 

 他にも何か言っているようだが、それらを右から左に聞き流しながら、情報番組へと耳を傾ける。

 ノイズに塗れながら陽気な音楽が流れパーソナリティーが他愛もないことを喋る。情報番組であるのだが、そのパーソナリティーは朝一のニュースをお似合いの甘い声で垂れ流す。

 

『ハローハロー、ご機嫌なあなたも不機嫌なあなたも私にハローハロー。マグノリアのラジオ放送一ご機嫌な情報番組へようこそ。こんなご時世だからこそ、陽気さを忘れてはならないと私は思っています。

 ――ああ、心にもないことを言ってしまいました。本当はそんなこと一つも思っていません。あ、プロデューサーがうるさいのでニュースいっちゃいまーす。

 さて、本日の朝いちばんはやっぱりこれでしょう。独断と偏見で私が選んだニュースです。あ、また怒ってる。プロデューサー、あんまり怒るとハゲますよー。

 さあ、ハゲそうなプロデューサー気にせず朝一番のニュースをごしょうかーい。今日の朝一はこちら。快進撃トーマス・エジソン! みんな大好き私大嫌いな提唱者トーマス・エジソン氏が率いる部隊が東部で活躍をあげています。流石ですねー、憎たらしいですねー。あの勇者(ばか)死なないですかねー。ああっと、プロデューサーがまた怒ってる。カルシウム足りてませんよー』

 

 相変わらず言ってることが酷い。だが、この放送は真実のみを語る。軍のプロパガンダとか、そう言った政府とか軍部の思惑が多分に入った思惑で肥え太った情報をこの放送は流さない。

 そんなんで良く今のご時世放送を続けられるなと思うが、あのニコラ・テスラとかトーマス・エジソンの発明がこの放送の始まりなのだから、誰も手が出せないというわけだ。

 

 どちらもこの国にて並ぶものがいない英雄(ばけもの)だ。だから上層部も何も言えないわけ。英雄が作り上げた放送の第一号を潰すとか国民感情最悪過ぎる。

 それくらい頭の固い政治家様は良くわかっている。というか国民感情を重視して票を稼がなきゃいけない政治家だからこそわかっているだろう。

 

 それに問題はないのだ。どうせ、入ってくる情報は勝利だけ。ならばそのまま好きにさせておいた方が良い。

 

 なにせ、彼らに並ぶ英雄がまだ各地にいるわけだからだ。西部のエリファス・レヴィ、北部のエルヴィン・シュレーディンガーに、南部のヴェルナー・カール・ハイゼンベルク。どいつもこいつも先に挙げた二人にならぶくらい英雄してる。

 あとは中央に残ってるガリレオ・ガリレイ、アイザック・ニュートン。そんなものだろうか。知っている限りではということになるが。

 

 だから、規制しなくても勝利の報道とかそういうのばかりだ。10年前の地獄を生き残った提唱者たちだからそれも当然のことと言えば当然のことなのだが。

 

『いやー、本当、提唱者様万歳。ああ、すみません、これプロデューサーが言えって言いました。私、そんなこと一切思ってませーん』

「本当提唱者様様だな」

 

 提唱者。軍のエリート。花形。かつて世界が滅んだ際に世界を今の形にして救った勇者だとかいろいろと言われている。特に10年前から、エリートだ英雄だとかそのいう気運は高まっていると言えた。

 なにせ、10年前、反証者とかいう連中からこの首都を救った英雄様がその提唱者だからだ。

 

 ニコラ・テスラ。このマグノリア最強の男と称される将軍だ。俺とは真逆だ。あの時助けてくれたことを今でも覚えている。

 だからこそ、色々なことをして今こうなっているわけなのだが。

 

「できたよー」

 

 わざわざ火気加熱機で加熱してくれた昨日のごはんを持ってきてくれるティ。それで可愛らしいエプロンでも着けているなら絵になるのだが、着けてるのは丈夫さが売りの実用性しか考えられていない可愛くもなんともないエプロン。

 丈夫で買い替えなくていいからと購入したものでもう長いことつかっているのだが、もっと可愛いの買えばよかったのにと思うばかりだ。

 

 それを言えば、フリルが何の役に立つの? と言われた。いったい誰のせいでこんな実用性を重視するようになったのやら。お婿さんの貰い手がなくなったらどうするのやら。

 

「はいはいっと、そこ置いといて」

「もう、一緒に食べるのが決まりでしょ」

「わかってる、今ニュース聞いてるところなんだ」

 

 甘い声を堪能してからじゃないと一日が始まったって思えないからな。どうせすぐに寝るけど。

 

「またその番組? あまり評判良くないよ?」

「真実しか言わないから評判は割といいと思うぞ」

「そうなの?」

「そーなの」

「じゃあ、勝ったのは本当なんだ」

「そりゃ勝つだろ。特に東部は最強の提唱者であるテスラ将軍と並ぶエジソン様だからな」

 

 負けるわけがないだろう。あのテスラ将軍の力を俺は生で見ているのだから。それに並ぶエジソン様の力は容易に想像がつくし、あの将軍に並ぶ男が負けるとか想像できない。

 

「そっか」

「そうそう。っと」

『――はいはい、プロデューサー、わかってますって。ハァーイ、そういうわけで、今日の朝いちばんこれで終わりです。みなさんもお仕事頑張って下さいねー。もちろん、労働こそが市民の喜びです。ではではー』

 

 そうこう話している間に情報番組が終わった。ラジオの火源を切る。

 

「終わった?」

「終わった終わった。んじゃ、食べますか」

「うん」

「はい、いただきます」

「いただきます」

 

 ああ、すきっ腹に来る。もともとは夕飯だから重いけど。男ならこれくらいは朝から食える。それに美味い。大家に料理修業に出して正解。

 

「ああ、そうそう。俺、今日出かけるから」

「そうなの?」

「そうそう」

「どこに?」

「娼館」

「……はあ」

 

 出かけるときは言ってねと言われたから行ったのに溜め息を吐かれた。

 

「なんだよ。言いたいことがあるなら言えば良いだろ?」

「別に。昨日の今日でまた行くんだなって」

「そうそうキャシーちゃんな新人なのにしまりが良くってな」

「もう! ごはん時にそんな話しないで!」

「おお、すまんすまん」

「もう、まったく」

 

 また忘れてたわ。

 とりあえずさっさと料理を食べ終わることにして、

 

「んじゃ、寝るわ」

 

 そのままソファーで寝る。

 

「はあ」

「幸せが逃げるぞー」

「逃がしてるのは誰のせいかな」

「ぐー」

「はあ」

 

 食器の片づけをするティ。それが終われば、

 

「じゃあ、わたし仕事に行くけど帰ってなかったら鍵締めて、大家さんに預けておいてね」

「ほーい、いってらー」

 

 彼女はお仕事へ。

 

「やっと行ったか」

 

 ティが戻ってこないのを確認して、懐から仕事道具を取り出す。使ったばかりのそれを自分の部屋にある布で磨いていく。

 

「やっぱ報道はなかったか」

 

 磨きながらふと、雑誌がテーブルの下に落ちているのを見つけた。秘蔵のエロ本というわけではなく、三流の女性誌のようだ。

 特集は世界が滅んだ時の事とかいう、かなーり苦し紛れの記事。三流女性誌だからこんなものだろうか。普通もっとおしゃれとかそういうものじゃないのかとも思うが、どうやらそういうのはもっと別の雑誌らしい。

 

 これは噂好きの淑女たちが買うゴシップ誌というやつらしい。

 

「世界は滅んだねぇ」

 

 そりゃ事実だ。世界は一度滅んだ。それは比喩でもなんでもなく事実らしい。らしいというのは当時の事が何もわからないからだ。

 当時というのがいつのことなのかもわかっていない。そういう概念がまだなかったからだ。

 

 世界は一度滅んだ。10年前だとかそんなレベルではなく。形もなにもかもなくしたのだ。比喩でもなく全てが消え失せた。

 

 そんな時、どうにかこうにか世界を元ある形に戻そうとしたらしい。誰がどうやって、何もなくなったところから再生したのか定かではない。

 滅びの前に誰かが対策でも立てていたのかもしれない。そのおかげか、どうにかこうにか世界は存続した。

 

 わかっているのは、どうにかした誰かさんがどういう奴かってこと。どうにかした誰かさんというのは、提唱者だという話だ。失われた法則を提唱し、世界を今の形に変えた。それが元々の提唱者。

 そうもともとだ。今の提唱者は少しだけ意味合いが異なる場合がある。

 

 今の提唱者は、新技術によって創られる強化兵のことでもある。提唱されている法則を引き出し異能として使う強化された兵士。

 敵に対して有効で強大な国家の力という奴だ。一人一人が最新鋭の戦車すら凌駕する。そのおかげで、マグノリアは今日も今日とて平和ということだ。

 

「まあ、平和が一番だ。平和平和。さあ-て、ねるか」

 

 仕事道具の手入れも終了。懐に戻して、ソファに寝転がって今度こそ目を閉じた。

 




ダメダメ主人公。光源氏計画ではないと信じたい。


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第2話 仕事

 起き出すのは夕方だ。日が暮れかけた夕時。時間になれば勝手に身体が起き出す。そういう風に出来ている。ティはまだ帰っていない。

 そりゃそうだ。そういう時間に起きるようにしているのだから。

 

「さて、行きますかね」

 

 服を着替えて玄関の鍵をかけていつもの場所に入れておく。大家に預けろとか言われたけど絶対に預けない。なにせ小言がうるさいからな。

 軋む階段を下りて大家に見つからないようにアパルトメントを出ようとして、

 

「ようやく出てきたわね」

「うお――」

 

 露骨に待ち伏せしていた大家に捕まった。

 

「どこに行く気かしら」

「ええっとですね、大家さん、わたくしアラン・チューリングはこれからお仕事にですね」

「娼館で女を抱くことが仕事か、このろくでなし。一度本格的に教育してやった方が良いか、このクズ」

「いえ、滅相もありません!」

 

 ナイスバディのお姉さんなのだが、怒るとこええんだこれが。胸とか超でけーくせして、腰は超細い。いや、本当、腰から足のラインとかすげーんだわ。

 けど怖い。並みの化け物より怖い。これで一児の母とか言うんだから、ウソだろ。こいつの子供がうらやま――じゃなくて可哀想だ。

 

「ったく。ティちゃん拾ってきた頃はまだマトモだったつうのに。何がどうしてこうなったこの石潰しが」

「いやー、わたくしとしましても? そこら辺は色々あったというか、ティの為というか」

「あん? エロ本堂々とガキに見せつけるのがあの子の為だって? うちの子にも見せてるんだってねえぇ? ん?」

「いえ」

 

 ダメだ、やっぱ勝てそうにない。本当、この大家はこええんだわ。妙に鋭いし、妙に強いし。しかも、下手したら火止められるとか勘弁してくれ。俺あったかい飯しか食いたくないんだ。

 とりあえず、今回も逃走あるのみだ。こちらにもいかなければならない事情がある以上、率先していくべき。そうめくるめく官能へと。なので、ダッシュ。

 

「そ、それじゃ――!」

「あ、待ちやがれこの!」

 

 何か汚い言葉が聞こえるが知ったことじゃない。周囲を歩く奴らもいつものことだと無視を決め込んでるし、呆れたように道を開けてくれる。

 ありがたいことだ。日頃の努力が報われる瞬間とはこういう時だろう。最悪の報われ方だがな。

 

 大家からも逃げ切ったところで足をゆるめる。走るのもこれ以上は良い。どうせ追ってこない。大家もティが黙認している以上は何も言わないからだ。

 本当、出来た10歳で頼もしい限りだ。本当本当。

 

「人が増えたよな」

 

 辺りを見渡せば人ばかり。首都の通りを歩く人の数は多い。夕方だというのに、通りを歩く人の数は減っていないし、みんな笑顔で活気に満ち溢れている。

 店をやってる奴も売っているものを買う奴も本当に平和で楽しそうにしている。それもこれも目につくところに必ずあるポスターの将軍様のおかげだ。

 

 常勝無敗の将軍様様。だから戦場から遠い首都は今日も平和なり。そういうことだろう。

 

「さて、何か食っていくか」

 

 これから仕事だ。流石に何か食べていかないわけにもいかない。懐からよれよれの金を取り出して、適当に喰い物を買う。

 この辺りは露店を出しているところもあって、安い串焼きだが味だけは保障してくれる。それ以外は保障外。何があっても店の責任にはならないという誓約書を書かされる意味不明な店だ。

 

 まあ、味だけ保障してくれたら他には何もいらないのでありがたく買って食う。相変わらずの味で良いことだ。子供の頃にはなかったものだ。

 そういうものは多い。店の商品は子供のころから増え続けているし、それを買う人の数も増えた。10年前に一度焼けたとは思えない復興ぶり。

 

 しかも、たった10年で今までを遥かに超えたというのだからまったくもってテスラ様様だ。彼が将軍になってここ中央に入ってから良いこと尽くし。

 景気は良くなって金周りが良くなるし、戦争は今のところこちらが優勢。もう二度と世界が滅びることはないだろうとすら思われるくらいだ。

 

 笑顔で家へと帰る子供たち、主婦に仕事帰りの男たち。そういった光景が日常化したのはいつごろだろうか。それから人々はところどころへ立つ兵隊へと欠かさず感謝とあいさつを忘れないのはいつからだったか。

 それを受けて兵士は、ただ敬礼を返すだけだ。無愛想だと言えばそうだが、別にそれはその兵隊さんが無愛想だというわけではないだろう。

 

 彼らは職務に忠実なのだ。英雄たちと同じ軍服に袖を通している矜持それが彼らの誇りであり、彼らの中でもっとも重視されるものだからである。

 火力文明。黄金の時代。それを支える英雄たち。ならば国民として彼らに恥じないでありたいというのは、至極もっともなことで、当然そうなるように毎日プロパガンダの応酬があるのだからそりゃこうなる。

 

――誇りを持て若人よ、お前たちの輝きこそが国家を支える礎となり国民を照らす光となるのだ。

――来たれ勇者よ、お前たちの参陣を待っている。

 

 そりゃ、英雄に待っていると言われたら男の子ならだれでも一度は憧れるだろ。俺もその口だったからわかる。ま、現実はそんなに甘くもないのだが。

 

「関係ねえか」

 

 そう関係ない。そんな輝かしいものなんて俺にはないのだから。あの背中に憧れた。でも、いざ入口に立ってみると同じ舞台にすら立てないことを思い知らされるのだ。

 やってられないと思うのか、負けられないと奮起するのかは人それぞれだが。俺の場合は、その中間あたり。やってられないけど、それを認めたくもないという意地があったりするわけでして。まあ、ニートやってるわけなんだが。

 

 そんなことを思っている間に、目的地に着く。淡いピンクの火気灯が煌めく歓楽街。耳を澄ませば女の嬌声やらが聞こえるそんなR18のいかがわしいお店がたちならぶ街である。

 こういう場所は首都にたくさん溢れるほどある。この街もテスラ将軍主導でつくられたと聞く。清廉潔白かと思いきやこういうことも平気でやるのだあの人は。

 

 勿論趣味でやってるわけもなくこういうところは犯罪の温床だ。それを防ぐために上で管理したかったのだろう。どうせ抑圧したところで出て来るものは出てくるのだから、大々的にやってしまった方がやりやすい。

 合法賭博の店なんてものもあるから民への娯楽提供ということでもあるだろう。そういうこともあって管理した方が何かと都合がいいのだ。

 

 こういう場所は上方も集まる。政治家様連中も多くここを利用している。ここで発散できない欲はない。ありとあらゆる欲望のはけ口。ここが楽園(エデン)。紳士淑女が一夜の夢を金で買う場所。

 歩く者たちは全員仮面をつけて身元がわからない。わかっても詮索しないここはそういう場所だからこそ、多くの者たちがやってくる。

 

 ベッドの男は口が軽くなる。如何に自分を大きく見せようだとか思ってよけいなことを言ってしまうのだ。女もそれをわかっているから軽く口を滑らせるように誘導する。

 怖い話である。そうやって国家の掃除をする場所。それがここであったりするわけだ。ここの情報で何度も統制局とかが動いているのを知っている。

 

 だから、最近の政治家様たちはクリーンだし、官僚も脱税とかそういったことはしていない。というか、そもそもやろうとも思わないだろう。

 あの10年前の災害を生き残ったものたちは特に。なにせ、あの輝きを見ているからだ。あの時は誰も知らなかった、雷電という凄まじい英雄の輝きを。

 

 そんな英雄がいる場所だ。その威光に畏敬の念があるのならば、不正なんてことはしない。本当、英雄様様だ。それでも汚いことをしようとする輩はいるわけで。

 そういうのの掃除ももちろん誰かがやらなければならないわけだ。そう、誰かが。

 

 俺は、目的地に辿り着いた。娼館シュプラーハ。煌びやかな火気灯が照らす看板がでかでかとある。けばけばしいというほどではなく、過剰というわけではないが妙に目立つ看板だ。それだけに客の入りは良さそうであった。

 中に入れば出迎える支配人の男。夜会服というそれっぽい服装。内装はシックな作りと似合っているが少しばかり残念な部分はある。

 

 相変わらず女の芳醇と言うべき甘過ぎるほどに甘い匂いと男の臭いがまじりあった花街の娼館特有の煙立つような匂いがする。

 空間を満たす桃色の空気は否応なくこの空間にいる全ての人間を蝕む。だからこそ、男も女もこの場に惹かれる。光に群がる蟲のように、集まるのだ。そして、ただ己の欲望のままに金を吐き出していく。

 

 そういう場所だからこそ、ある意味でここは蜘蛛の巣の中とも言える。絡みつく糸は入る者全てを標的とするのだ。

 そういう蜘蛛の糸に絡め取られるかのような感覚はやはり慣れようとしても早々慣れるものではなかった。

 

「いらっしゃいませ。アラン様、いつもの部屋へどうぞ」

「ああ」

 

 鍵を渡され階段を上がる。一段上がる度に自らを組み換えて違うものになる。

 鍵を開けて部屋に入れば迎える蠱惑的な女。絡み付くように抱き付いてきて口付けを交わす。そのままベッドへ。そこではじめて女は口を開く。

 

「今回は獅子を殺す虫のような仕事よ」

 

 彼女こそが俺の上司だった。俺が所属している部隊の上司。軍部からも政府からも独立した提唱者による暗殺部隊。つまりは暗殺者。それが俺の仕事だった。

 

「潜入、そして暗殺」

「そう、我が国の平和と同じように変わらないいつもと同じ仕事よ。詳細はさっき渡したから、次はあなたの経歴。田舎から出稼ぎに来た愛妻家。笑顔の絶えない明るい真面目君。おわかり?」

 

 女の言った言葉を反芻し、

 

「はい!」

 

 明るく笑顔で答える。現時点で合格が出るだろう。この程度の設定ならば問題はない。

 

「よろしい。それと確認だが、君は後ろは使えたよな?」

「ええ、もちろん!」

「良しよし。流石は真面目君だ。私はいつも通り君が狸を取ることを期待して皮を数えて何に使うか考えるとしよう。続きをやるかい?」

「いや、帰らせていただきます!」

「そうかい。頑張りたまえよ私の優秀な部下。鏡のような私の部下。どんな君になることも何も言わんが、それだけは忘れないようにな」

 

 その言葉を背に部屋を出た。

 

「…………」

 

 夜帰り道。どうにもいつもと違う。そりゃそうだ。いつもよりも遥かに早いのだから。そして、だからこそ裏路地へと入る。

 路地を右へ左へ。奥へ奥へ。

 

「久しぶりの潜入だからな」

 

 殺しの方はやってきたが、潜入の方は久しぶりだ。潜入して暗殺。何をするにしてもまずは少しばかりの準備運動だろう。

 大見栄張って動くなんてことはしないが、いざという時の為に動く必要はある。ここ二年そういうことをしてこなかったから、一応の点検作業ということもある。

 

「さて、行きますか」

 

 思考を切り替える。暗く暗く、何も考えない漆黒の精神状態へ。武術の極致明鏡止水などでは断じてなく、これは何もなくす行為だった。

 邪魔なものをそぎ落としていく行為。だからこそ何もなくなり、ただ単純な判断に従える状態を作り上げていく。

 

 ゆえに漆黒。まず最初に教えられる精神統一術の一つ。機械のように精神状態を全て切り離し身体の制御をよりクリアにしていく。

 身体の状態は相変わらず良好。昨日の晩と何も変わらず良好。そう良好だ。ゆえに問題でもある。良好は決して良い状態ではない。

 

 最善の状態に持っていかなければならない。だからこそここへ来たわけだ。

 己の中にある法則を提唱。それにより劇的に身体情報が変わる。数段ギアをあげたような状態。全能感、万能感が襲い来る。それは射精をした時のような快感だ。だが、それらすべて漆黒にのまれて消え失せる。

 

 必要のないものを削ぎ落としてただ待つ。ギアが上がったのは身体能力だけではなく、ありとあらゆるものだ。感覚器官、代謝機能。それらすべて。

 知覚している身体情報は最速で更新され続けている。良好から最善の状態へ。使っていない筋肉が悲鳴を上げて、一瞬で治癒されていく。

 

 普通ならば悲鳴を上げるような激痛をこらえる。これはツケだ。今までサボっていたことへの。提唱者は、その法則の提唱と共にその身体能力が押し上げられる。

 そういう風に作られる。本来の仕様ではない後付けされたものであるが、戦うためには必要なことだった。だからこそ、何度か提唱して自らの身体を慣れさせなければならない。

 

 強化の幅が普段より大きいほど慣れは必要になる。毎日やる必要はなく週に一度発動さえすればそれでいい。こまめにしておけば痛みもない。

 サボればこのざまだ。溜まった更新のツケを全力で支払っている。全身がばきばきと嫌な音を立てていた。だが、そのたびに充足感が脳内を駆け巡る。それがなくなれば更新は終わりで馴染んだということになるわけだ。

 

「ふぅ、終わったか」

 

 充足感の連続が終わる。身体が軽い。軽く腕や手足を振るう。問題はない。更新は終了した。これで身体は最善。精神の調律も問題はない。

 

「さて、帰るか」

 

 思考を戻しながら、

 

「さて、なんて言うかね」

 

 ティへの言い訳を考える。数日家を空ける。久しぶりの事だ。少なくともここ二年間はなかった。だから、どういったものか。

 

「まっ、どうとでもなるか」

 

 とりあえず、真っ直ぐに帰る。この時間ならばティは家に帰っている頃だ。火気が付いている。大家に見つからないように部屋に行く。

 普段は軋む廊下も今は、足音すら立たない。だからこそ大家にすら見つからずに部屋まで辿り着けた。やろうと思えば音もなく部屋に入ることもできるが、そうはせず、

 

「うーっす、帰ったぞ」

 

 声を出しながら入る。

 

「あれ? はやいね」

「おう、今日はな。キャシーちゃんがいなくてたたなかったわ」

「もう!」

「おっと、わりいわりぃ」

 

 切りだすならここだと思った。

 

「ああ、そうそう。俺、しばらく留守にするから」

「え?」

「仕事だよ、仕事」

 

 キスをした際に歯の奥に押し込まれていた詳細レポートと清掃員として採用するという採用通知。その片方を見せる。

 

「ほれ」

「うそ、アラン君が、仕事するなんて」

「ふっふっふ、この俺が、いつまでも10歳児に養われているだけの屑だと思っていたのか」

「うん」

 

――ぐさっ

 

「そこは、ほら、嘘でもいいから否定してくれよ」

「でも、どうしたのいきなり」

「……ああ、金が欲しくてな」

「お小遣いなら言ってくれたらあげたのに」

「それじゃ足りないんだ。大金がいるんだ。キャシーちゃんに、流行のネックレスを買うためにな!」

「…………」

 

 あ、呆れられたわ。

 

「はあ、期待したわたしが馬鹿だった。でも、うん、なんにせよアラン君が働く気になったのならいっか。いつからなの?」

「明日」

「そっか、明日? 明日ああ!?」

「おう」

「急すぎるよ」

「俺は、思い立ったら行動する男だ。だから、ここで自慰をやろうと思ったらお前がいようともやるわ」

「それだけはやめて」

 

 あ、ガチで嫌そう。

 

「まあ、冗談として割が良いのがそれくらいでな。ま、だからしばらく留守にする。困ったときは大家を頼りな」

「わかった……じゃ、じゃあさ。今日くらいは、さ、一緒に寝ていい?」

「おーう、いいぞ。で、飯は?」

「もうすぐっ!」

 

 何やら嬉しそうなティが運んでくる食事。温かなごはん。しばらくお別れだ。それを味わい、片付けて久しぶりのベッドでの就寝。

 ぬくいゆたんぽもあれば眠りやすい。そして、俺は、朝一で部屋を出た――。

 



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