インディゴの血 (ベトナム帽子)
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大西洋
Eins:愚痴


ちょっとした注意

・ぐるぐると回る忌まわしい羅針盤は存在しない。
・ドイツ海軍の艦娘が主人公。日本の艦娘は出てこない。
・よって、舞台はヨーロッパ。
・一部隊6隻が上限、なんてことはない。
・通常兵器は有効。
・艦娘の食事は人間と同じ。
・艦娘や深海棲艦は障壁(バリアー)を張れる。
・たぶん、恋愛とかそういうのない。
・設定的には私の稚作「雪の駆逐艦-違う世界、同じ海-」と同じです。そっちも読んでくれると嬉しいな。

 それでも良いって方はどうぞ楽しんでいってください。


 深海棲艦を生きたまま、捕獲せよ、と海軍総司令官は私達を呼び出し、直接言った。

 無茶を言わないでくれ、と私達は言い返した。すると総司令官は残念そうな顔をした。

 君達ならできると思ったのだがね。思い違いだったか。

 気づけば、言い返していた。

 やって見せましょう。深海棲艦を生きたまま、捕まえてみましょう!

 

 ため息を吐きたかった。しかし、周りは海軍の高官達がいて、それなりに愛想良くしてなければならない。海軍総司令部の食堂で出される料理はそれはそれはへんぴな魚雷艇部隊基地よりも上等なものだったが、居心地という点から言えば、残念としか言いようがなかった。それでも2人は不満を全く顔に出さない。それは仮装巡洋艦ゆえのポーカーフェイスなのだろう。一方で口では周りには聞こえないくらいの声で愚痴を言っている。余所から見れば2人のお嬢さんが料理に舌鼓を打ちながら、楽しそうに会話しているようにしか見えない。しかし、声が聞こえるくらいまで近づけば顔と口の差異に人は驚くことだろう。

「で、どうするわけ?」

 ジャガイモをフォークで潰しながら、アトランティスは向かいの席に座るコルモランの目も見ずに、

「知らない」

 ぶっきらぼうに答えた。

「でも、うなずいちゃったよ」

 コルモランの指摘はもっともで、アトランティス達はエルケ・ヘルター海軍総司令官の挑発に乗って、命令に首を縦に振ってしまっている。撤回するなんて、少々のことじゃできない。相手が頑固者、偏屈と知られるエルケ・ヘルターだというのもあるし、自分達が優秀な仮装巡洋艦としての誇りを持っているからでもある。

「そもそもなんで、私達に『深海棲艦を生きたまま捕まえろ』なんて言ってくるの」

「ヘルター総司令の話聞いてなかった?」

「あんな演説じみた口調、聞き流してた」

「えぇ……。そんな図太さ、私も持ちたいよ」

「で?」

「で? って何?」

「司令の話」

 コルモランはため息を吐こうとしたが、ここが司令部の食堂だということを思い出し、思いとどまる。ケチャップがかけられたソーセージをフォークで刺し、口に放り込んで、咀嚼、飲み込んだ後、コルモランは話し始めた。

 そっくりそのまま話したら冗長になってしまうので、コルモランは要約して話そうとするのだが、ヘルターの演説のような調子に影響されてしまっていて、少々回りくどい。

 要約するとこうだ。イギリスやフランス、よもやイタリアにすら艦娘技術でドイツは後れを取っている。このままだとドイツはヨーロッパの中心ではなくなってしまうので、深海棲艦を生きたまま捕まえて、まわりの国をあっと言わせたい。そんな話だった。

「できるかなぁ」

「しろ、って言ってるんでしょ。ヘルター総司令は。しかも、する、と言ってしまった」 まったく。アトランティスは心の中で悪態を吐きながら、つぶし終わったジャガイモを口に運んだ。

 実際、「艦娘技術の後れ」というものは国会でも議題になるレベルの話であり、最近のドイツの兵器輸出額が低迷化していることと関わりが大きいと言われている。艦娘が多くの国で建造されるようになった今、既存の通常兵器は一定の需要はあるものの、時代遅れになりつつある。通常兵器市場が低迷している中、艦娘装備市場は規模を急速に広げつつあるのだが、艦娘技術が後れているドイツは参入が遅れ、市場はほぼイギリスが独占している状態だ。ドイツも砲熕兵装や光学機器を売り込んでいるが、イギリスは砲、レーダー、照準システムといった兵器システムのワンセットで売り込んでいる。しかも実戦を経て実績がある兵器システムなので、買い手としてはドイツよりイギリスに流れるのだ。

 イギリスに向いた目をドイツに向け直させるためには大きなニュースを掲げる必要がある。それは「深海棲艦を生きたまま捕獲する」ということなのだろう。

「そもそも司令部まで呼ぶこと自体、私達に『はい、やります』と言わせるためだったんだ。普通の任務は無線とか郵便とかで基地に命令を出すだけなのに」

「ヘルター自身でも無茶なことだってわかってるって?」

「そういうこと」

 上品な顔をしながら、ヘルターの愚痴話。それが中断されたのはアトランティスの隣にある人物が来て、隣よろしいか、と尋ねたからだった。

 淡い金髪のツインテール。グレーの瞳。純白をベースとした服とケルト結びの模様が入ったケープ。制帽はおぼんと一緒に手に持っている。

 ドイツ海軍唯一の航空母艦艦娘グラーフ・ツェッペリンだ。

「隣、よろしいか」

「ええ、かまいませんよ」

 アトランティスは屈託ない笑顔で答えた。それを受けて、グラーフ・ツェッペリンも微笑みを見せる。

「いやはや、君達がいてくれて助かった。1人で食べていると面倒くさい輩が来るのでな。君達は―――仮装巡洋艦か」

 艤装なしの艦娘の艦種を言い当てるのは難しいものなのだが、グラーフ・ツェッペリンは1発で2人の艦種を言い当てた。

「はい。私がアトランティス。こっちが―――――」

「コルモランです」

「そうか、オートメドン号のアトランティスと巡洋艦とやりあったコルモランか。『深海棲艦を生きたまま捕獲する』なんてそれは大層な任務を請け負ったものだな」

 グラーフ・ツェッペリンの言葉でアトランティスとコルモランは少し狼狽えた。といっても目尻の形が少し変わった程度だったが、グラーフ・ツェッペリンはそれを見逃さず、丸パンを手で千切りながら、不敵に笑った。

「聞いていたの?」    

 表情は上品なままだが、アトランティスは少し攻撃的な口調で聞いた。

「聞こえた……というのが正しいな。私は耳がいい。Bf109やスツーカは航続距離が短いから、音を聞き逃さないようにしているんだ」

「へぇ……。じゃあ、他に聞いたことは?」

「総司令官の悪口のことか?」

 すべて聞かれていたらしい。アトランティスは決意し、

「お願い、誰にも言わないで」

 上品な笑顔のまま、そんなことを言った。何を言うのか、と身構えたグラーフ・ツェッペリンは少しあっけにとられたようで、苦笑する。

「仮装巡洋艦は大変だな。お偉いさんに媚びないと予算がもらえない、なんて噂は本当だったのか」

 媚びないと予算がもらえない。その言葉にアトランティスとコルモランは笑顔を崩して、顔をしかめる。グラーフ・ツェッペリンは慌てて、すまない、と弁解する。

「馬鹿にするつもりはなかった。予算やらお偉いさんの機嫌やらでいろいろと左右されるのは分かっている。気を悪くしたのなら謝る」

「そう。じゃあ、貴方のこと、今度からグラーフ(伯爵)を取って、ツェッペリンって呼びましょう。ね、コルモラン?」

「ええ、そうしましょう」

 今度はあからさまに作った笑顔と口調だった。本当にすまない、と繰り返しグラーフ・ツェッペリンは謝る。

「まあ、ツェッペリンの言うその噂は本当の話。仮装巡洋艦部隊は媚びを売らないともう、維持するのは難しいのは事実」

 コルモランがコーヒーに角砂糖を入れながら答えた。

「仮装巡洋艦は武装も装甲も貧弱だし、最近は敵もレーダーを使うしね」

「だからレーダーに映らない艦や電波を吸収するマントなどの特殊装備か?」

 コーヒーをかき混ぜる手が止まった。コルモランは波打つコーヒーから視線を上げ、グラーフ・ツェッペリンの目を見た。グレーの澄んだ瞳。グラーフ・ツェッペリンは首をかしげる。淡い金髪が白熱電球の暖かい光を受けてきらりと輝く。

 続いてコルモランはアトランティスの方を見た。アトランティスはコルモランの視線に少し反応しただけで、別に何も言わない。黙々とつぶしたジャガイモを食べている。

「噂ってそんなところまで出回ってるんだ。一応、機密なんだけどね。特にステルスマントの方は」

 ここまで知っているのならば特に隠すことはない。仮装巡洋艦部隊の装備はその他の艦娘部隊に比べて豪華だ。ステルス性を備えたSボートS-320型や電波を吸収してレーダーの映りを悪くするマントだけに限らず、偽装用のスーツやそのための資材や塗料、敵電波を観測したり妨害する電子機器。仮装巡洋艦艦娘1人当たりに潜水艦娘5人分のコストがかかるとも言われている。ドイツが艦娘を建造できた当初こそ、そのコストと戦果と釣り合っていたが、今はそうではない。敵もレーダーや航空機をよく使うようになった今、武装も装甲も貧弱な仮装巡洋艦は戦果が挙げられなくなり、最近では金食い虫とまで言われるまでになった。

「私もドイツ唯一の空母ということでそれなりに肩身が狭いつもりだったが、仮装巡洋艦もなかなかだな」

「そういうこと。私達、哀れな仮装巡洋艦を労ってちょうだい」とアトランティス。

「しかし、それこそ『深海棲艦を生きたまま捕獲する』ことができれば、仮装巡洋艦も見直されるのではないのか?」

「まあね。でも無茶な任務だよ。普通の輸送艦を拿捕するのとは勝手が違う。それはそうとして、ツェッペリン、あなたは今日、何しに総司令部へ? こんなところに艦娘が来るなんてそうないのに」

 基本的に艦娘というものは兵士と同じであって、基地で命令を受け、出撃するものである。総司令部まで出向くことはほぼないと言っていい。建造された時だって出向くことはないのだ。

「私も君達と似たようなものだ。もっとも受けた命令は全く違うが」

「聞こうじゃないの。何言ったの? ヘルター総司令は」

 グラーフ・ツェッペリンはため息を吐いて、グラスの水を飲んだ。その顔は少し憂鬱そうだ。

「ビスマルクと同じように日本に行け、とのことだ。今すぐじゃないがな」

「はあ?」

 アトランティスは思わず、ポーカーフェイスすら崩して、間抜けな返事をしてしまった。

「ちょっと待って。ツェッペリンはドイツ唯一の空母。その認識合っているよね?」

 グラーフ・ツェッペリンは頷く。

「ちょっと頭痛くなってきた」

 周囲の目も気にせず、アトランティスは額に手を当てた。ドイツ唯一の海上航空戦力であるグラーフ・ツェッペリンを手放すなんて、ヘルターのアホはいったい何を考えているんだ? 駆逐艦の1隻や2隻は良いだろう。ドイツ海軍で3隻しかない戦艦の1隻も良いとしよう。しかし、空母はどうだ? 1隻しかないのだ。それを日本に送るということは地中海の海上航空戦力をイギリスに頼り切るということと同義だ。ミリタリーバランスや外交的にどうなのだ?

 グラーフ・ツェッペリンはグラスを片手でゆらゆらと揺らしながら話を続ける。グラスの中の氷がぶつかり合って、カラリ、カラリと音を立てる。

「私は航空母艦というよりも航空巡洋艦といった方がしっくり来る艦なんだがな。搭載機は42機程度だが、砲熕兵装と装甲は充実している。日本の赤城や加賀といった普通の空母とは運用の仕方がそもそも違う。日本に行ったところで何になるやら、だな」

 だな、と言い切ったのを最後に鼻で笑って、グラスの水を飲み干した。

 

 アトランティスとコルモランはフレンスブルク駅の前で車から降りた。車の排気ガスや飲食店の匂いなど色々混ざった空気は鼻を刺激するが、ここはこういうものだとアトランティスは思い直す。

「では、また。いつ会えるかは分からないが」

 グラーフ・ツェッペリンが助手席の窓を開けて、別れの挨拶をする。「そちらも元気で」とコルモラン。「日本に行ってもしっかりやりなよ」とアトランティス。

 そして車を運転してくれているグラーフ・ツェッペリンの従兵に2人が送ってくれたことに対する感謝の言葉を述べると、従兵はお気遣いなさらなくても結構です、とはにかみながら答えた。

「ではまた」

 グラーフ・ツェッペリンが窓を閉めると車はすぐに発進した。駅前の車道は時間としては空いていて、車はすぐ遠くに行ってしまった。

「空母はいいねぇ。お付きの車があるなんてさ」

「ツェッペリンの母港はキールで近いんだから車なんでしょ。さ、列車の私達も帰ろう」

「明るい内に帰れるかなぁ」

 2人は並んでフレンスブルク駅の構内に入っていった。




 感想などお待ちしています。

 シャクティ風な次回予告(2月12日13:00投稿予定)

 夜の水平線に走る光は、イギリス海軍と深海棲艦の激しい砲撃戦でした。
 アトランティスとコルモランは英軍の討ち漏らしを狙って、Sボートから夜の海に飛び出します。
 その中、アトランティスは「インディゴ」の意味を考えました。ヘルターの言った「インディゴ」にどんな意味があるのでしょう?
 次回、「夜の閃光」。見てください!


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Zwei:夜の閃光

ちょっとした事前解説

Sボート S-320型(オリジナル兵器)
 ドイツ海軍の保有する艦娘輸送艇。主に隠密性が重要になる潜水艦や仮装巡洋艦などの母艦として使用される。
 船体は通常のSボートとほぼ同じであるが、甲板上構造物はステルス性を意識した形状になっており、そのため武装も少なめである。船体後部には艦娘の艤装や装備を保管・整備する所があり、船尾には艦娘を出撃させるための可変式スロープが装備されている。
 武装は38口径8.8㎝低圧砲1門、53.3cm魚雷発射管2門(魚雷4発)を搭載する。8.8㎝低圧砲はステルス性の高い形状の装甲カバーで覆われており、魚雷発射管の発射口も非戦闘時は装甲カバーによって隠蔽される。
 エンジンはガスタービンエンジンとディーゼルエンジン両方を搭載しており、CODOG(コンバインド・ディーゼル・オア・ガスタービン)で運用する。巡航時はディーゼルエンジンでスクリューを回し、戦闘時はガスタービンエンジンでウォータージェット推進する。これにより高い航続性能と速度性能を有している。

ステルスマント
 電波吸収繊維で編んだマント。多少のステルス効果がある。
 カーボン粉を混合したポリウレタン繊維とアラミド繊維で織られている。誘電損失により、電波を吸収するので電波を浴びた場合、熱が発生する。
 絵柄や色は数種類あり、真っ黒、灰色迷彩、海上迷彩、幾何学迷彩といった一般的なものから、深海棲艦に似せた絵柄のものもある。

パンツァーファウスト(具体的な型式はこの作品では表記しない)
 ドイツ軍の使用する携帯式対戦車擲弾発射器。ロケット弾とは異なり、弾体自体に飛翔能力があるわけではないため、その分後方へ噴出される爆炎が少ない。
 今回、アトランティス達が使用するパンツァーファウストはパンツァーファウスト250と似た形状。照準器を立て、安全ピンを抜くことで安全装置が解除される。カウンターマスには塩水が使われている。
 HEAT弾頭の貫通力はRHA(均質圧延鋼装甲)換算で650㎜。HESH弾頭もある。

HEAT弾(成形炸薬弾)
 ろうと状に成形した炸薬を用いた砲弾・弾頭のこと。化学エネルギー弾とも言われる。
 ろうと状に炸薬を成形することで爆圧が1箇所に集中するモンロー効果と、ろうと状の炸薬の内側に金属板を張り、爆破すると金属板はユゴニオ弾性限界を超え、液体化、超音速で前方へ飛び出すノイマン効果を利用している。この液体化した金属板をメタルジェットといい、これが装甲を貫通し、中の搭乗員や機器を破壊する。

HESH弾(粘着榴弾)
 ホプキンソン効果を利用した砲弾のこと。ホプキンソン効果は鋼板や岩石などに爆薬を密着させた状態で爆破した際、その裏側に剥離が生ずる現象のことである。
 HESHの弾頭はプラスチック爆薬などでできており、命中時に弾頭は潰れ、敵の装甲に密着、起爆する。そしてホプキンソン効果で装甲の裏側が剥離、飛散することで中の乗員や機器を破壊する。ちなみにHESHは装甲の内側に鋼製ネットや高分子ライナーなどの内張装甲を付けることによって簡単に無効化される。深海棲艦に対して使用する場合、胴体に直接命中すれば、内蔵をぐちゃぐちゃにしてほぼ確実に撃沈できるが、バリアーで防がれた場合は完全に無効化される。


 イギリス南部の海域。闇夜の水平線に光が灯された。照明弾の光だ。戦闘が開始されたのだろう。水平線の2箇所でぱっ、と光っては消え、またぱっ、と光っては消える。その繰り返しだ。近くで聞くとけたたましい発砲音だが、遠くで聞けばくぐもって夜の鳥が鳴いているようにも聞こえないこともない。

 アトランティスは艤装とステルスマントを付けた状態でSボートS-323の手すりに寄りかかりながら、イギリス海軍と深海棲艦の夜戦を見ていた。夜目には少し悪いのであまり見ない方が良いのだが、戦闘が終わらなければ、自分達は仕事ができないので見る必要がある。しかしSボートの船員が見てアトランティス達に伝えれば良いだけなので実際は見る必要はない。なのにアトランティスが見るのは正直に言って、暇だからだ。

 夜戦というのは端から見ると、照明弾の白い光と発砲炎の光が闇夜にちらつくだけなのだが、これだけでも戦闘推移がある程度わかる。イギリス海軍の方より深海棲艦の方が光の量が減っているようにも見える。どうもイギリス海軍の方が優勢らしい。砲撃できる艦が減っているという証拠だ。

 しばらくすると光は完全に消えた。戦闘が終了したのだろう。鋭い光とくぐもった砲声は消え、波の音と三日月がほのかに照らす夜が帰ってくる。

 Sボートの船員の1人が傍受した英軍無線の内容をメモした紙と小さなペンライトを手に船内から出てきた。当方の損害はネルソン中破、ロドネー損害軽微、ウォースパイト大破、ヴァリアント小破―――――――――――――――船員はメモ用紙を照らしながら、読み上げる。どうも戦艦6隻に巡洋艦5隻、そのたもろもろ14隻の計25隻からなる大艦隊による戦闘だったらしい。それだけの艦娘戦力を出したのなら、深海棲艦側もそれは大きな艦隊だったのだろう。夜戦の光を見る限りではイギリスが優勢。敵に残存艦あり、と報告していることを考えれば、こちらにとっては都合が良い。全滅させていたら出てきた意味がない。

出撃する。そう一言、船員に言い、夜風にマントを翻しながら、アトランティスは後部甲板に歩いて行く。

 すでに駆逐ハ級の姿を模した偽装スーツが準備されていた。スーツと言っても皮膚に密着するような物ではなく、着ぐるみと言った方が正しいかもしれない。コルモランはすでに準備しているらしく、アトランティスは急いで開けられていたハッチから偽装スーツの中に入り、自身の艤装にスーツの電源ケーブルを繋いだ。複数のモニターに「Das System start jetzt.(システム起動中)」の文字が浮かぶ。完全に起動するのは少し時間がかかるので、ヘッドホンと喉頭マイクを付け、有線通信を確認する。

「テス、テス。こちら、アトランティス。コルモラン聞こえる?」

『こちらコルモラン。通信状態良好』

「こちらも良好。こちらアトランティス、S-323聞こえるか?」

『こちら、S-323。通信状態良好』

 システムが完全に起動。スーツ内の4つのモニターが暗視装置越しの緑色の景色を映し出す。その他の機能チェック。システムが言う限りでは、異常なし。目で見ても異常なし。夜間灯はちゃんと発光するのを確認してスイッチをOFF。補助でついているウォータージェット推進器を試運転、回転は快調。今回は使わないであろう水と食料は4日分。拘束用のワイヤー。悲鳴を上げられないようにする口を塞ぐガムテープ。パンツァーファウストは両壁に2本ずつ。S-マイン発射筒の弾薬ドラムに煙幕弾を装填する。

『準備完了、アトランティス出撃可能」

『コルモラン、同じく出撃可能』

『S-323了解。スロープ傾斜!』

 無線越しの艇長の掛け声と共に艦尾の甲板が傾斜。アトランティスは偽装スーツに入った状態で海に滑り落ちた。続いてコルモランも滑り落ちる。

『ノート神のご加護があらんことを』

 北欧神話における夜を司る女神ノートに祈る声を最後にS-323とスーツの通信線が外れ、深海棲艦捕獲作戦「インディゴ」が開始された。

 

 インディゴはドイツ語で藍色という意味だ。アトランティス達はもっとかっこよい名前を作戦名に欲しがったが、ヘルター総司令が「作戦名は目立たない方が良い」ということでインディゴに決まった。

 この深海棲艦捕獲作戦が外国に知られたくないにしても、もうちょっとマシな名前はないのか、という感じにアトランティスは思う。

 S-323の艇長は作戦名くらいどうでも良いではないか、と言うのだがアトランティスにとってはどうでも良くないのである。この深海棲艦捕獲作戦は極めて危険な作戦なのだから、もっと仰々しい名称を付けたいのだった。たとえばミヒャエルとか。

 それはともかくとして、深海棲艦捕獲作戦「インディゴ」の具体的な内容を決めるのは難しかった。どこでどんな深海棲艦を捕まえるか、これすら決まっていなかったのである。

 現在、イギリス海軍とフランス陸海軍がジブラルタル攻略のための準備をしているらしく、それを察知したジブラルタル及びアイスランドの深海棲艦の動きも活発的になっている。1ヶ月前と同じ状況ならば、スエズ運河からジブラルタル海峡に向かう深海棲艦の輸送部隊は輸送クラスと駆逐クラス1隻2隻だけ、という軽い編成だったのだが、現在は重巡クラスが数隻護衛についているので、手を出すのは難しい。最初の接敵と攻撃はうまくいくだろう。しかし、その最初の攻撃でリ級を始末しきれなかったら、仮装巡洋艦のような弱い艦娘では太刀打ちできない。簡単に沈められてしまう。捕獲もできやしない。

 だったらそこらを哨戒している駆逐クラスなら? とコルモランが言うのだが、S-323艇長がでかすぎてSボートに乗らない、と言う。だったら、捕獲対象はヒト型の軽巡以上というのは確実で、仮装巡洋艦にとっては何とか勝てるかどうかという領域になってくる。

 どーすりゃいいのー、と会議室で行き詰まっていた所、基地司令があるメモ用紙を持ってきた。

 アイスランドから深海棲艦の大艦隊が出撃。イギリス南部海域に向けて航行中。

 筆跡を見ると基地司令のものではなく、通信課の伍長のものだ。どうも英海軍の通信を傍受したらしい。基地司令はなぜか得意気な顔をして「どうかね?」なんて言う。

 なにがどうなんでしょうか? アトランティスは思わず聞き返してしまう。基地司令は少し意外な顔をして、その意図を話した。

「英海軍はこれを無視しないだろう。なんたって、イギリス南部の港にはジブラルタル攻略に必要な物資が山積みだ。間違いなく、艦娘部隊を出す。大海戦になるだろうな。どっちが勝つかは知らないが、海戦が終わった後なら数も減っているし、損傷しているヤツもいることだろう。疲労だって溜まっている。そこで私達が敵に化けて、近づき、こっそり捕まえてしまえば良い」

 その手がありましたねぇ。コルモランがからからと笑った。それを受けて基地司令も良い作戦案だろう? と笑う。

 そんな感じで十数時間前に基地司令が言った「英海軍にボコられて敗退中の深海棲艦を捕獲する」という内容の作戦が実行に移され、アトランティス達はイギリス南部の海域で海戦が終わるのを待っていたのだ。

 

 出撃してしばらくすると、ステルスマントがほんのり温かくなってきた。アトランティスは緑の景色を映すモニターに目をこらす。

 ステルスマントは誘電損失により、電波を吸収するので、電波を浴びたときは熱を持つ。自分達はレーダー波どころか無線電波、IFF(味方識別装置)の電波すら出していないのだから、敵の電波で間違いないだろう。

「マントが温もってきた。敵は近いよ」

『分かってる』

 アトランティスは有線通信でコルモランと会話する。電線は会敵したら切り離す予定だが、まだ会敵しない。暇なのでアトランティスは世間話を始める。

『――――――あそこの海軍は結構過激だよね。MAS艇だっけ?』

「MSTだよ。艦娘と高速魚雷艇で攻撃するんでしょ。よくやるね」

『艦娘のじゃない魚雷も磁気信管と水圧信管で直撃しなくても大丈夫になったしね。あれってどれくらい効くんだろう?』

「さあ? イ級くらいになら十分効くって話だけど。あ、ドイツのよ。イタリアのは知らない」

『イタリアかぁ。前、地中海で任務ついていたときに駆逐艦娘と会ったよ』

「どんな子?」

『それが妙な子でね。まず髪の毛が変なのよ」

「変?」

『遠くから見れば、帽子を被っているように見えるけど、近くで見たらゴムバンドで髪くくってるの。実に変な髪型だったから良く覚えてる』

「変な髪ね。他には?」

『なんかおごり高ぶったような、でもちょっとカリスマっぽいところがあったかな。言葉に裏がある感じがかなりするんだけど、結構嬉しいこと言ってくるのよね』

「へえ。会ってみ――――」

 会ってみたいね、と言い切る前にコルモランが「敵発見。10字方向」と言葉を遮った。アトランティスは4つある内の左を映すモニターを見た。複数の人影。海の上に浮くことができるのは艦娘か深海棲艦かイエスくらいのものなのだから、艦娘か深海棲艦だ。もう少し近づいて確認すると大きな帽子とそこから生える触手がある人影があった。間違いない。ヲ級だ。他にはリ級や軽巡クラスが2体づつと戦艦ル級が1体。敗残した深海棲艦に違いない。

『どいつ捕獲する?』

「捕まえたときめんどくさくないのはヲ級だね。うん、ヲ級で行こう。捕縛はこっちがやるから援護はお願い」

『分かった。じゃあ、有線切るよ』

「では行こう」

 ヘッドホンはブツ、というノイズを最後に何も聞こえなくなる。アトランティスはヘッドホンと喉頭マイクを外し、偽装スーツ内のフックに掛ける。

 そしてヲ級捕獲のための準備をする。ガムテープを口が完全に覆えるくらいの大きさに千切り、スーツの内側にすぐ使えるように端っこだけ貼る。捕縛用のピアノ線は輪っかから線を伸ばす。ニッパーも取りやすい位置に置く。そして首締め用の丈夫なワイヤー。

 「インディゴ」。今思えば深海棲艦の血の色から来ているのかもしれない。人間では血中酸素を運ぶのはヘモグロビンという鉄だが、深海棲艦ではヘモシアニンという銅で酸素を運ぶらしく、血の色は蒼い。

 「作戦名は目立たない方が良い」とかぬかしたヘルターも、それなりには作戦名を考えていたのじゃないか、と思えないことはない。しかし、いけ好かない野郎であることには変わりないのだが。

 あいつのことを考えるといろいろと腹が立ってくるので考えるのをすっぱりとやめて、アトランティスは今に集中する。

 インディゴ作戦。本当の作戦はここからだ。




 感想などお待ちしています。

 シャクティ風な次回予告(2月13日13:00投稿予定)

 三日月と無数の星がきらめく大西洋の夜。アトランティスは深海棲艦に初めて触れる、ということに浮き足立ちながらも静かに近寄り、ヲ級の首をワイヤーで締め上げました。そのとき、アトランティスは深海棲艦に自分と同じ生命(いのち)を見てしまうのです。

 次回、「ヲ級の体温」。見てください!


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Drei:ヲ級の体温

事前解説
 StG93ライフル
 ドイツ陸海空軍で使用されている自動小銃。7.92x33mm弾を使用する。見た目はG3ライフルとほぼ同じ。


 電波を近くで大量に浴びているせいだろう。ステルスマントはまるで電熱線が入っているかのように熱く、かいた汗は服を濡らし、肌に張り付かせる。アトランティスは胸元を開いて、ぱたぱたと扇いだ。胸からの熱気と汗の臭いに少し顔をしかめる。はしたないことだが、偽装スーツに遮られて風も通らなければ、人の目線も通らない。だから、別に良いのだ。

 深海棲艦もこちらを認めたようだ。特に攻撃する様子もなく、手を自分たちの方に手を仰ぐ。合流せよ、ということだろう。こちらを増援か何かと思っているらしい。ばれてはいない。少し速力を上げて、深海棲艦の後ろについた。

 重巡リ級2体、戦艦ル級1体、軽巡ツ級1体。ホ級が1体。そしてヲ級が1体。リ級の片割れはは腹部を損傷しているらしく、内蔵らしきものがぶら下がっていて、もう1体のリ級が肩を支えている。ル級は左肩から先がない。軽巡2体とヲ級は損傷は即に見えない。深海棲艦の敗残兵はこんなもの。これだけでも仮装巡洋艦2隻にとっては荷が重いが、こちらが相手するのはヲ級1体のみ。

 やってみせるさ。アトランティスは小さく呟いて、偽装スーツとの電源ケーブルを外した。艤装からの電力がなくても、バッテリーでしばらくは勝手に動く。そして道具を持って、偽装スーツの後部、分かるように言うなら、尻尾あたりにあるハッチから音を立てずに外に出た。

 三日月と無数の星がきらめく大西洋の夜。風が遮られる偽装スーツ内の蒸し暑さと違って、さっぱりとしている。湿気をよく含んだ潮風に当てられてステルスマントも冷えていく。汗が蒸発する際の気化熱でアトランティスの体は少し震えた。

 深海棲艦達は振り返らない。音を立てないようにアトランティスは鋼線が寄り合わされたワイヤーを持って、そっと、そっと、そっと、ヲ級に近づいていく。

 狙うはヲ級の首。くるっと巻いて、締め上げる。今まで回収してきたヲ級の死骸から考えれば、ヲ級の首には人間と同じく大動脈があるはずで、その血流を止めれば失神させることができるはずだった。

 触手と歯みたいなのが邪魔だな。アトランティスはヲ級の後ろ首を見て、そう思った。頭の帽子から生える太い触手は首を絞めるときに巻き込みそうだし、タートルネックみたいに首周りに生える歯のおかげで、その歯の内側にワイヤーを入れなければならない。気をつけよう。

 そっと、そっと、近づいていく。三日月が照らす夜は思いの外明るく、ヲ級のうなじの様子がよく見える。銀髪と血色の極めて悪い灰色の肌。血が蒼いのだから、人間のように暖色の肌色というわけにはいかないだろう。

 アトランティスはふと思う。触ったらどうなのだろう? 温かいのだろうか? 冷たいのだろうか? こんか寒色の肌をしているのだから、冷たそうだが、それは色味による錯覚に過ぎない。寒色のものが温かいなんてことはいくらでもある。深海棲艦は生物学者に言わせれば血も通い、心臓も動き、ものを食べる。確定はしていないが、一応生物なのだ。しかし、深海棲艦という。深海は暗くて冷たい。私が沈んだときはそうだった。それを考えれば深海棲艦が冷たくてもおかしくはない。でもどうなのだろう? 私は手や腕、足、触手とバラバラになって死んだ深海棲艦の冷たさしかしらない。生きている深海棲艦に触ったことはない。暖かみがあるのだろうか? 深海のように冷たいのだろうか? そもそも生きている深海棲艦に触った者がいるのだろうか? いないだろう。そうだ、私が深海棲艦に触った最初の1人だ。

 もうヲ級の真後ろ。アトランティスはさっ、とあわてず冷静に、そして静かにワイヤーをヲ級の首にかけた。触手を巻き込まないように、歯みたいなところに引っかけないように、注意して。

 あとは力一杯締めるだけ、というところでヲ級が触手を首とワイヤーの間に入れてきた。気づかれたか。アトランティスは顔をしかめたが、冷静に対処する。

 すでにワイヤーは首を一周して手元で交差している。このまま締めても良いのだが、確実性を求めて、アトランティスはそうしなかった。ワイヤーの端と端を左手と右手で持っている状態から左手と口で持つ状態に変え、自由になった右手で腰のナイフを抜いた。そして、そのナイフで首とワイヤーの間に挟まっている触手を切断した。蒼い血が切断面から迸り、アトランティスの顔を濡らした。血は温かかった。

 痛みを叫ぶ余裕なんて与えない。口と左手で持ったワイヤーで首を思いっきり絞めた。ぎゅう、という締まる音がして、ヲ級がもだえた。そのもだえは数秒で止まり、ヲ級は糸が切れた操り人形のようにぐったりと崩れ落ちる。倒れて、音を立ててもらっては困るので、アトランティスは倒れるヲ級をとっさに支えた。失神してくれた今、首を絞め続けたら死んでしまうので、ワイヤーは緩ませる。死んでしまったら元も子もない。

 受け止めた際、初めて深海棲艦の体に触れた。温かかった。体温がある。ヲ級は水着みたいな格好しているから風で冷えるのか、少し冷たく感じるが、深海や鉄のようにものすごく冷たいわけではない。深海棲艦も私も同じ。同じような存在。違うのは立場と人間を喰うか喰わないか、だ。しょせん、戦争はそんなもの。アトランティスは感動の裏に自分の冷淡さを感じた。

 周りを見渡す。リ級もル級もツ級もホ級も何も気づいてはいない。アトランティスはコルモランの偽装スーツに向かって、笑いながらOKのハンドサインを出し、自分の偽装スーツに戻った。

 

 ヲ級の手足をワイヤーで動けないように拘束し、叫ばれても困るので口にはガムテープを貼る。そうしたら後部座席に座らせて放っておく。

「ヲ級の拘束完了。ゆっくり離れよう」

 アトランティスは喉頭マイクとヘッドホンをつけ、無線でコルモランに伝えた。了解、とコルモランが返事をする。

 行きは良い良い帰りが怖い、なんて言葉が日本の方にはあるが、ここで気を抜いてはいけない。

 航行速度を10ノットに落とし、相対速度8ノット差でゆっくりと深海棲艦から離れていく。このまま、気づいてくれなければ……と思うのだが、嬉しくないことにツ級が随伴してくる。アトランティス達がハ級に化けている、ということに気づいたわけではないだろう。気づいているなら、すでに撃ってくるはずだ。しかし、疑っている可能性はある。コウモリのように人間には聞こえない超音波で深海棲艦は会話しているのかもしれない。仮にそうだとすれば、アトランティスとコルモランは何の返事も返していないわけだから、疑うのも当然だろう。それにヲ級はいなくなっているわけだ。何かしら敵の攻撃やその類いを警戒するのも当然かもしれない。

『こいつ、どうする? 沈める?』

 無線を通して、コルモランがパンツァーファウストの照準器を起こす音が聞こえた。アトランティスは慌てて制止する。

「今沈めたら、リ級やらル級の追撃も受ける。煙幕焚いたって逃げ切れなくなる。対潜警戒するような感じを出して、もっと距離を取ろう。パンツァーファウストは戻せ」

「そっか」

 コルモランは少し残念そうに返事をした。パンツァーファウストの照準器を閉じたような音がした。コルモランは血気盛んなのは良いのだが、対艦戦闘になりそうになると先が見えなくなる傾向がある。史実で巡洋艦を沈めたゆえの思考回路なのか、冷静さが必要な仮装巡洋艦にとって少々致命的な性格である。

 しばらくツ級に付き添われながら、そこらの海域を動き回った。別に何事もなく、時間が経っていき、それなりにル級やリ級の深海棲艦達とも距離が取れた。そんなときだった。

 4つあるモニターの内、左側を表示するモニターが光った。左の方角は東南東でル級やリ級がいる方向だ。遅れて爆発音が聞こえた。

 気づかれたのか? そうならばすぐに砲弾が振ってくる。しかし、砲弾の飛ぶ速さは音速より速いはずで、爆発音が聞こえるなら、もうすでに砲弾は降ってきているはずだ。

 ツ級がばうばう、と鳴いて、東南東に進路を変えた。鳴き声はついてこい、という意味だろうか? しかし、ついていく義理はない。まだツ級が自分達の正体に気づいている様子はないし、もう少し状況を観察しよう、そう思った――――のだが、ヘッドホンにすさまじい大きさの雑音が走ると共にツ級が爆発した。いや、ツ級が爆発したのは表現としておかしい。ツ級の体表で爆発したというのが正しい。ツ級は爆発を受けて、10mくらい吹き飛んだ。

『まだ沈まないのか!』

 コルモランの声だった。ポタポタという水音とただの棒になったパンツァーファウストの発射筒が海面に落ちる音、続いて新しいパンツァーファウストを手に取り、照準器を立てる音が無線を通して聞こえる。

 コルモランが始めてしまった今、アトランティスとしても、ぼーっとしている暇はなかった。まだツ級は右腕を肩先から失っただけであり、戦闘不能に陥ったわけではない。すぐに反撃にしてくるだろう。

 コルモランがまたパンツァーファウストを撃った。弾頭が寸分狂わず、起き上がりつつあるツ級に当たった――――――――――――いや、障壁で防がれた。爆煙の向こうに起き上がったツ級が見えた。コルモランはHEAT弾頭のパンツァーファウストではなく、HESH弾頭のパンツァーファウストを撃ったらしい。HESHは障壁を貼っていない状況で命中すれば、ほぼ確実に仕留められる弾頭だが、障壁を張られた場合、無効化される。

 アトランティスはHEAT弾頭のパンツァーファウストを手に取った。障壁が張られようとHEATなら余裕で貫通できる。銃眼の蓋を取り、弾頭だけを突き出し、照準器を立てた。安全ピンを外し、照門と照星を重ね、ツ級に照準を合わせる。そして引き金を引いた。

 特に大きな反動もなく、600㎜の鉄板を貫通できる能力を持ったHEAT弾頭が発射筒から離れ、ツ級に向けて飛んでいく。発射筒の反対側からはカウンターマスの塩水が勢いよく噴射され、偽装スーツの中を盛大に濡らした。

 アトランティスが放ったHEAT弾頭もツ級が展開した障壁にぶち当たり爆発するが、弾頭内の内張金属がモンロー・ノイマン効果でユゴニオ弾性限界を越え、液体化。メタルジェットとなって、障壁を貫通した。メタルジェットはそのままツ級の腹に直撃し、大きな穴を開けた。

 ツ級は腹にどでかい穴を開けたまま、海に倒れ、そのまま沈んでいった。

「コルモラン、S-323に帰るよ! 高速航行と共に煙幕展開!」

『……了解!』

 くやしさをかみ殺したような声でコルモランが返事をした。偽装スーツのウォータージェット推進器2基を起動させてから、頭上にあるSマイン発射器の引き金を引いた。ぽん、という軽い音と共に煙幕弾が発射される。ぽん、ぽん、ぽん、ぽん、と4発連続発射すれば、そこらじゅう煙幕で覆われて真っ白だ。煙幕には金属粉も混じっており、チャフと似たような効果もある。まず深海棲艦は追ってこれないだろう。

 アトランティス達は自身の速力と偽装スーツのウォータージェット推進も合わせた40ノットもの高速で離脱し、S-323に帰投した。

 

 アトランティスとコルモランを回収したS-323は帰りの燃料などを補給するためにフランスのブレスト海軍基地に向かって、航行していた。

 船内ではアトランティスとコルモランの艤装整備やパンツァーファウストのカウンターマスの塩水でびしゃびしゃになった偽装スーツの中身を洗浄したり、と少し忙しい。

「ごくろうさん、ほい、コーヒー」

「どうも」

「ありがとうございます」

 艇長は椅子に座って休んでいたアトランティスとコルモランにコーヒーが淹れられたマグカップを渡す。

「できるかどうかわからない、と言っていた割には簡単にできたようだな」

「あっちは戦闘後でしたからね。熱っ」

 猫舌なアトランティスは息を吹き、コーヒーを冷ます。一方、そんなことはないコルモランはコーヒーを冷ますアトランティスを横目で見つつ、ゆっくりとコーヒーを飲んだ。

「アトランティスが外に出ても誰も気づかないんだから、間抜けでしたよ。はい」

「まあ、詳しくは報告書を読むとしよう。捕獲したヲ級は?」

「あそこです」

 コルモランが指を差した方向には手足がワイヤーで拘束されたままのヲ級が敷かれた毛布の上に横たわっている。まだ目覚めていないのか、動かない。すぐそばにはStG93ライフルを持った衛兵がいて、ヲ級を見張っている。

 艇長はヲ級のそばに行く。しばらく眺めた後、衛兵に触って良いか聞き、さっきからまたく動きませんから、かまわないでしょう、と衛兵が答えると、しゃがんでヲ級の手を触った。アトランティスはコーヒーを冷ましながらその様子を見る。

 艇長は手だけでなく、触手を触ってみたり、帽子の部分に触ってみたりする。そして首の部分に手を伸ばした。

 脈でも診るのだろうか? そんな風に思いながら、アトランティスは再びコーヒーに口を付けた。温度はちょうど良いくらいになっている。

 十数秒間、首に手を当てていた艇長はしゃがんだまま、アトランティスの方を向き、言った。

「アトランティス! こいつ死んでるんじゃないか?」

「えっ!?」

 おもわず、まだ半分以上もコーヒーが残っているマグカップを落としそうになる。どうにか両手で持ち直し、アトランティスはヲ級の元に駆けつけた。

「死んでるって、そんな」

 ヲ級の手を持ってみる。冷たい。それはさっきまで熱いコーヒーの入ったコップを持っていたから、そう感じるのか? こいつを捕らえたときだって皮膚は少し冷たかったじゃないか。今はマグカップを持っていたせいで手が温かくて、相対温度の分、冷たく感じるだけじゃないのか?

「脈がない。ヒト型の深海棲艦は人間と同じように首に大動脈が通っているんだろう?」

「そう、らしいですけど……」

 心臓もあれば、脳もある。だったら蒼い血が通う大動脈だってあるのだ。だから深海棲艦の皮膚はこんなにも青いのだ。

 アトランティスは首に手を当てた。

 脈はなかった。

「そんな……!」

 なぜだ、なぜだ、なぜだ。ふと、首に肌よりも色の濃い跡のようなものが目に入った。ワイヤーで締めた跡だ。

「締めすぎたんじゃないの?」

 アトランティスは後ろからの声にビックリして振り向く。コルモランだった。 

「気絶させるのにどれくらい締めればいいか、なんて私達知らないもんね。アトランティス、締めすぎちゃったんじゃない?」

 アトランティスはあのときを思い出す。確かにどれくらいの手加減をしたらいいか分からなかった。でも首を絞めても脈がちょっとでも止まれば脳に血がいかなくなって気絶はする、という話だし、なにしろ相手は深海棲艦だ。下手にゆるく締めて気絶せず、反撃を喰らっても困るし、きつく締めても深海棲艦なんだから大丈夫だろう。そう思った。

「確かに締めすぎたかも……」

 しばらく、沈黙が流れた。アトランティスはわなわなと震え、コルモランはちょっと言い過ぎたかなー、と目を脇にそらしながら、コーヒーを飲んでいる。StG93を持った衛兵はうわー嫌だなーこの雰囲気、と思いつつ何も言わず、艇長もまた黙っていた。

 コルモランがコーヒーを飲み終え、アトランティスのコーヒーが少しぬるくなったころ、

「うむ」

 艇長が沈黙を破った。

「今回は死んでしまったわけだが、五体満足で回収できた深海棲艦の死体もそうないわけだし……まあ、次頑張ろう」

 だいたい手に入る深海棲艦のサンプルは手だけとか、足だけ、首だけ、という具合であり、五体満足なサンプルは全くないと言っていい。今回は腕も足も首も胴体も残ってくっついているヲ級だ。

 死んでいるわけだが、ヲ級の完全体のサンプルが手に入ったのは十分な成果だろう。こっちは生きている。またやれるさ。そうだろう? アトランティス。

 艇長はそんな具合にアトランティスを慰めた。

 

 インディゴ作戦は「深海棲艦を生きたまま捕獲する」という作戦目標を達成できなかったが、五体満足なヲ級(・・)に研究者達は歓喜した。

 深海棲艦の研究する者達にも深海棲艦のランク付けというのがある。最低ランクは駆逐艦クラスのイ級で最高位は鬼や姫といったクラスである。ヲ級というのは鬼や姫の次に高いランクの深海棲艦なのだ。

 その理由は2つ。1つが高い知能。もう1つが航空機運用能力である。

 深海棲艦がどのように航空機を生産し、またそれを飛ばしているのか。これはほとんど分かっていない。砲弾精製の仕組みならば、真珠のように鉄の成分が何層も何層も重なってできることがわかっているのだが、深海棲艦航空機はどうやって生まれるのか、どうやって飛ぶのすら分かっていないのだ。

 サンプルを確保しようと思っても、空母クラスは脅威度が高く、真っ先に撃破されるため、回収が難しく、回収できたとしても肝心の頭の部分が吹っ飛んでいる、という状態が多いからだ。それを考えると五体満足のヲ級は喉から手が出るほど貴重な存在なのである。

 しかし、研修者達は歓喜してもヘルター総司令は満足しなかった。ヘルターが求めたのは「生きた深海棲艦」であり、「五体満足の死んだ深海棲艦」ではない。

 ヘルターはインディゴ作戦の一時停止を命じたものの、一部の潜水艦娘に深海棲艦捕獲作戦「ゲルプ」を発動していくのだった。

 

 ちなみにアトランティスが捕獲したヲ級の死んだ理由は呼吸や脳の血流が阻害されたことによる縊死(いし)ではなく、脊髄損傷による循環器障害によるものだと見られている。




 Q.仮装巡洋艦自体の武装を一切使用しないぞ! どういうことだ!
 A.作者の私にも分からない。貫通力とか自体は現代兵器の方が優れているから……まあ、そうねぇ。短時間に確実に仕留められる方がいいじゃない。きっとそういうことだよ。

 Q.血が蒼いって本当にあるの?
 A.ある。タコの血液は実際に青い。タコはヘモシアニンという銅が人間でいうヘモグロビンと同じ働きをしている。酸化すると青くなる。

 Q.現代兵器使えるのなら、艦娘いらなくね?
 A.深海棲艦はレーダーに映りにくい。よってレーダーにはあまり映らないからミサイルの誘導が難しい。艦娘のレーダーは特別。語ると長くなるのでこれくらいで。

 Q.アトランティス達が離れた後、ル級達の方で爆発があったけど、あれなに?
 A.イギリス海軍の潜水艦艦娘が攻撃し、ル級達に魚雷が命中した爆発。離れるのが遅ければアトランティス達にも当たっていたかもしれない。

 これで第一部終了。第二部は少し間を開けて投稿したいと思います。
 ではシャクティ風な第二部の予告。

 ついにジブラルタル海峡攻略作戦「ヘラクレス」が開始されます。地中海の入り口で艦娘と深海棲艦が激しく砲火を交わし、アトランティス達も深海棲艦の補給線を妨害するために出撃します。しかし、敵の護衛部隊は強力で…………。そんな中、停止されていたインディゴ作戦が再び発動されます。そして、それは次に艦娘同士が戦い合う狂乱の光景になったのです。
 第二部「地中海」。見てください!

 そして次回予告。
 ジブラルタル攻略作戦「ヘラクレス」が始まる前に、アトランティスは休暇が与えられました。馴染みの喫茶店でコーヒーを飲むアトランティス。その喫茶店で1人の不遇な艦娘と出会ったのです。
 次回、「帝国の戦艦との休暇」。見てください。


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地中海
Vier:帝国の戦艦との休暇


 アトランティスは猫舌なことをたまにからかわれる。コーヒーなどを飲むとき、「熱っ」と一瞬で口を離すのは少し不作法だし、フーフーしている姿は子供っぽいと言うのだ。猫舌は体質ではなく、舌の使い方が下手なだけで、舌の使い方を少し変えれば猫舌は治るらしい。

 熱いのなら冷ませば良いのだし、ゆっくり飲めば長く味わうことができる。ただ不作法なのは確かなので、「熱っ」と口を離すのは気をつけたい。そんな感じに思っていたので、アトランティスは猫舌を治す気などひとつもなかった。

 そんなアトランティスだから、喫茶店で一人コーヒーを飲むのは誰にも気を遣わなくて好きだった。休暇を与えられたときなどは小説を読みながら、数杯のコーヒーで半日居座る。「Duft(ドフツ)(香り)」という喫茶店はコーヒーも美味しいし、マスターは長時間居座っても嫌な顔しないどころか、むしろ嬉しい様子なので、最近はよく行っている。

 その日はジブラルタル海峡攻略作戦「ヘラクレス」に参加する艦娘は全員休暇に出された日で、なおかつ給料日だった。だからアトランティスは服やら少し買った後、Duftに寄った。

 

「へえ、ジブラルタル。アメリカの方にはジブラルタルコーヒーというのがありますよ」

 Duftのマスターはカイゼル髭を蓄えた初老の男性だ。少し日に焼け、皺が深く刻まれた顔にはカイゼル髭がよく似合っている。

「アメリカなのにジブラルタル?」

「ええ。なぜ『ジブラルタル』かはよく分からないけれど。サンフランシスコが起源らしいです。では今日のコーヒーはそのジブラルタルコーヒーでもどうです?」

「それでお願い」

 アトランティスは頷いた。いつもはブレンドコーヒーだが、たまには違うのも良いだろう。

 ジブラルタルコーヒーが入れられるまでの少しの時間は新聞を読む時間だ。基地が取っている新聞はたったの一紙なので主張が偏ってしまう。他のも取れ、とアトランティスは上申するのだが予算がない、とにべもなく返されている。なので、このDuftで基地が取っている新聞とは違う社の新聞を読むのだ。

 ヘラクレス作戦が発動間近ということもあってか、紙面は大きくヘラクレス作戦のことを取り上げている。地中海内には大きな深海棲艦の拠点は存在しないため、ジブラルタルを解放すれば、南部ヨーロッパと北アフリカとの交易は13年ぶりに回復することができる。それによって生まれる経済は300億マルク規模と見込まれる。そんなことが書かれている。

 片隅にはクルップ社の兵器工場で事故があって数人死亡、責任者を過失致死傷害で書類送検だとか、ロシアがドイツ向けの天然ガス価格を上げる、産業界に不安が走るだとか、兵器輸出額が4月から低迷化していて、それは艦娘技術が他国よりも送れていることが原因だとか、地方議会員が予算横領していただとか、極東で日本海軍が再び攻勢に出ただとか、そんな記事だ。

 ドイツは平和だと思う。海こそ深海棲艦が回遊しているが、フランスやイギリスのように上陸されて首都まで迫られたわけではない。石炭や木といったエネルギー資源だって国内に結構ある。足りなければロシアやウクライナから天然ガスや石油を買えばいい。食べ物だってたくさんある。帝国ジャガイモ局があった第一次大戦の時みたいに飢えてはいない。ドイツは国内で掘って、海外から買った資源で昔ながらの死の商人をやっているだけなのだ。ドイツ南部の方の新聞を読むと、深海棲艦はテレビやラジオの向こうの存在、という感じがひしひしと感じられる。今回のヘラクレス作戦だってドイツは艦娘を少数派遣するだけで、陸軍の派遣は行わない。別に悪いわけではない。平和なのはいいことだ。自分も戦時でなければ、ただの商船ゴルデンフェルスとして終わっていたのだろう。撃沈なんてされず、ボロボロまでこき使われて、解体されるのが船としては一番だ。アトランティスはそう思う。

 暖めた牛乳の香りがし始めた頃、店の入り口の扉が開き、鈴がちりりん、と軽快に鳴った。

「いらっしゃい」

 女か。マスターの声色だけで、アトランティスは新客を一別することもなく性別を判断した。このマスター、客が男か女かで少し声色が違う。女が来た時は少し声が丸い。

 女の新客は鞄を足下に置いて、アトランティスの席の2つ向こうの席に座った。

「おや、艦娘さん?」

 マスターがそう言ったのをアトランティスは聞き逃さなかった。顔は動かさず、横目で艦娘と言われた新客を見た。

「はい」

 薄い色の金髪をポニーテールにまとめた目の黒い子は自分を艦娘だと認めた。灰色の制服、脱いで手に持っている制帽、ソックスの長さからして、おそらく戦艦だろう。ビスマルクは極東に行っているから違うはずだ。ティルピッツの方だろうか?

「エスプレッソ、頂けるかな」

「かしこまりました」

 マスターは私が艦娘のアトランティスということをこの戦艦艦娘に言わない。アトランティスが一人でコーヒーを飲むのが好きなことを知っているからだ。アトランティス自身もわざわざ関わるつもりはなかった。

「ジブラルタルコーヒー、おまちどおさま」

 マスターが静かにコーヒーを置いた。アトランティスは新聞を綺麗にたたんで横に置く。新聞を読むのはここまで。あとは小説とコーヒーの時間だった。

 ジブラルタルコーヒーはカップではなく、透明なグラスに淹れられていた。色はホワイトコーヒーよりも濃い。スチームしたミルクを入れているのか、きめ細かい泡が覆っている。アトランティスはそのジブラルタルコーヒーとやらに口を付けた。

 マスターがちょうど良い温度に調節して淹れてくれているので熱くはない。味はフォームドミルクの甘さ、エスプレッソのコクや苦みが両方感じられる。面白いコーヒーだった。

「スチームドミルクをエスプレッソより少なめに入れてるのがポイントです。ではごゆっくり」

 マスターはにっこり笑って下がった。ごゆっくり。そうだ。隣の艦娘なんか気にせず、ゆっくりしよう。せっかくの休暇なのだから。そう思ってアトランティスは新聞を棚に戻し、小説の前まで読んでいたページを探している途中、横から声をかけられた。

「貴方、艦娘だよね」

 ぎくりとした。何かばれることがあっただろうか? ジブラルタルコーヒーのせいだろうか? いや、ジブラルタルなんて単語、いくらでも最近の新聞に載っている。普通の客が思い立ってジブラルタルコーヒーを喫茶店で注文したっておかしくはないだろう。

 アトランティスは目尻を細めた程度だったのだが、この艦娘はその様子を見逃さなかった。

「やっぱり。駆逐艦という雰囲気ではないし、戦艦、空母ではない。体格からして軽巡か仮装巡洋艦といったところか。たぶん、仮装巡洋艦だね」

「……よく分かりますね」

「案外分かるものだよ」

 戦艦艦娘は不敵に笑う。グラーフ・ツェッペリンといい、この戦艦艦娘といい、なぜ大型艦は不敵に笑うのだろうか。大型艦ゆえの自身だろうか? 少し腹が立つ。

「私はゲーベン。モルトケ級巡洋戦艦の2番艦だ」

「イギリス海軍を出し抜いたあのゲーベンですか」

「そうだ」

 ゲーベン。ドイツ帝国海軍の巡洋戦艦。第一次大戦勃発当初は地中海におり、アルジェリア沿岸を砲撃した後、イギリス海軍の追撃を振り切ってオスマン帝国のイスタンブールに入り、ヤウズ・スルタン・セリムと改名してオスマン海軍所属になった。その後、ロシア帝国海軍とたびたび戦闘し、第一次大戦が終結。オスマン帝国が倒れ、トルコ共和国が成立してからはトルコ海軍所属になり、近代化改装と共にヤウズ・セリムに改名し、さらにヤウズに改名した。第二次大戦中、大戦後もトルコ海軍に在籍しており、1976年に解体。

 一度目の世界大戦を経験し、二度目の世界大戦を見た、世界最後の巡洋戦艦。ゲーベンとはそんな艦だ。

「貴方は?」

「仮装巡洋艦のアトランティスです」

「ヘラクレス作戦に参加するのかい?」

 ゲーベンはグラスに入ったジブラルタルコーヒーを見ながら言った。まあ、そんなところです。アトランティスは小さく返事をした。

「ゲーベン、貴方も作戦に参加するの?」

 ゲーベンは小さく首を横に振った。

「ティルピッツの方だよ、参加するのは。僕はドイツの防衛。ティルピッツは嫌がっていたけどね」

 ゲーベンはため息を吐く。アトランティスの目にはゲーベンがとても憂鬱そうに見えた。「彼女は……いや、ドイツの艦娘のそばにビスマルクがいれば、また違うんだろうね」

「どういうこと?」

「そのままの意味だよ。あの自信過剰な艦娘がそばにいたならば、少なくとも……ね。でも潜水艦と仮装巡洋艦は違うか。小耳にはさんだ程度の話だけど聞いてるよ。すごいじゃないか」

 アトランティスは周りの様子を確認しながら、恐縮です、と言った。ゲーベンの言う「小耳にはさんだ程度の話」というのはインディゴ作戦のことだろう。機密というのはゲーベンも重々承知しているようでマスターや他の客が離れたところにいるのを確認してから、口に出したようだ。

「それに引き替え、水上艦隊は情けないよ。一昨日も潜水艦との乱闘騒ぎ。それくらい元気があるならば敵の前でもやって欲しいものだよ」

 アトランティスはさっきまで「ドイツの艦娘のそばにビスマルクがいれば、また違うんだろうね」という意味が分からなかったのだが、今の言葉でようやく思い出した。

 ドイツの水上艦、駆逐艦や巡洋艦、戦艦といった艦娘は自分達に自信が持てないでいる、ということだ。

 ドイツ海軍の艦娘は大まかに分けて2つの種類がある。水上艦と潜水艦の2つだ。

 潜水艦艦娘は第二次大戦中、あちこちで猛威を振るったことからか、自分達は世界でもトップクラスの潜水艦、という自負がある。実際、艦娘に生まれ変わってもドイツ潜水艦は優秀で外国の海軍と演習をした時はかなりの数の撃沈判定を取っている。アトランティス自身も潜水艦娘と作戦行動を共にしたことがあり、あふれ出すような自信を見ることができた。

 一方、水上艦の方はあまり良い話を聞かない。アトランティス自身、仮装巡洋艦以外の水上艦娘と関わったことがほとんどないので一概には言えないのだが、話によれば弱い、自信がない、暗いと聞く。第二次大戦では敵艦とまともに戦って勝利を収めたことは少ないし、艦娘に生まれ変わってもそれは変わらないようだ。いつぞやの英軍との演習でもぼこぼこにされて負けたという話である。

「だから、ビスマルクと駆逐艦娘2名を極東に送ったんでしょ。あの国の海軍は強いから」「まあ、そうだね。ヘルター総司令も言っていたよ。『自分の力を認識し、鍛えるために』なんてね」

 ゲーベンは少し笑う。しかし、その小さな笑いは乾いている。

 そういえば、さっきからゲーベンは渇いた笑いしかしない。愉快だから、という笑いは見ていない。もっとも愉快な話なんてひとつもなかったが。

「エスプレッソ、おまちどおさま」

「ありがとう。いい香りですね。店名通りだ」

「お褒め頂けると嬉しいです」

「そのカイゼル髭……似合いますね。ええ、とても」

 アトランティスにはゲーベンの声が少し弾んでいるように聞こえた。自分との会話は元気がないような抑揚の小さい声だったのだが、カイゼル髭の話から少し色がついたような、そんな気がした。

「昔、友人に、お前はカイゼル髭が似合う、と言われたので、そうしているのです。この髭、私も気に入っています」

「ええ、本当によく似合っています。久しぶりに懐かしいものを見せてもらいました」

「カイゼル髭が懐かしい……ですか?」

 ゲーベンは一口、コーヒーを飲んで、答えた。

「ヴィルヘルム2世を思い出すのです。僕はドイツ帝国海軍の所属でしたから」

 ドイツ帝国海軍……つまり、皇帝の海軍か。アトランティスは小説を読むふりをしながら、聞き耳を立てていた。

 ドイツ海軍といっても複数ある。ドイツ帝国海軍。ドイツ国防海軍。ドイツ連邦海軍。どれもドイツが付くが、全く違う。

 まず、ドイツ帝国海軍。これはドイツ帝国の皇帝が持つ海軍である。軍は国の持ち物のことが多いが、ドイツ帝国海軍は皇帝の持ち物である。

 次にドイツ国防海軍。これはナチス・ドイツの国防軍に属する海軍である。この場合、ドイツ帝国海軍と違って、海軍は国の持ち物だ。

 そしてドイツ連邦海軍。これはドイツ連邦の持つ海軍であり、今のドイツが持つ海軍である。ドイツ連邦海軍とドイツ国防海軍が何が違うかというと特に違いはない。第二次大戦が起こっていないこの世界では、ドイツ国防海軍というものは存在しない。第一次大戦以後、ずっとドイツ連邦海軍である。

 ゲーベンとアトランティス、この艦娘両名はドイツ連邦海軍に所属している。しかし、普通の艦だった時はゲーベンはドイツ帝国海軍、アトランティスはドイツ国防海軍の所属である。組織の根本から違うのだ。

「今はほとんど誰もカイゼル髭をしないので……少し懐かしいのです」

 少し嬉しげな、しかし、少し悲しげな声と表情でゲーベンは言い、コーヒーを飲んだ。そして一言。

「おいしいコーヒーです」

    

 コーヒーを飲んで、ゲーベンはすぐに店を出て行った。

「知り合いですか?」

 マスターはアトランティスに聞いた。アトランティスは首を縦にも横にも振らず、答える。

「噂程度にしか聞きません。有名ですよ、彼女は」

「やけに寂しそうでしたけど……彼女はヴィルヘルム2世と関わりが?」

「予想ですけど……彼女は1人なんだと思いますよ。彼女は……いえ、ゲーベンは帝国海軍の所属でしたから。私のように国防海軍の所属だったわけじゃないんです」

 マスターはいまいち要領を得ない様子だったが、それ以上聞かなかった。

(亡国の戦艦……か)

 インディゴ作戦やゲルプ作戦。これらはヘルターの話いわく、ドイツがヨーロッパの中心に居続けるため、ということだったが、それは対外的な話であって、対内的には艦娘達に自信を取り戻させるためなのかもしれない。

 ドイツ海軍は潜水艦以外、弱い。補給するときに寄港した時に良く聞く話だ。

 思い込みの心理というものもある。ヘルターは意外とドイツ艦娘のために努力しているのかもしれない。

 ジブラルタルコーヒーを飲む。少し冷めて、混ざっていたミルクとコーヒーがちょっと分離してしまっている。ミルクの部分だけを飲んでしまって、甘く感じた。




 ドイツ帝国の忘れ形見、そしてオスマンの、トルコの守り刀。それがゲーベンであり、ヤウズ・スルタン・セリムであり、ヤウズ・セリムであり、ヤウズなのです。だから、彼女はドイツの艦娘達に失望しかけているのかもしれません。

 私はコーヒーをあまり飲みません。よって知識もあまりありません。コーヒーについておかしい描写があったら、指摘よろしくお願いします。あと感想も書いて頂けると嬉しいです。

 ではシャクティ風の次回予告。(無断に変更する可能性あり)
 遂にヘラクレス作戦は開始されました。地中海の入り口で英海軍と深海棲艦が激しく砲火を交わしている中、アトランティスは地中海で行動します。機雷を撒き、敵の輸送級にちょっかいを出す中、アトランティスは見てしまうのです。撃墜され、捕まってしまったフランス空軍パイロットを……。
 次回、「人と深海棲艦」。見てください!


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Fünf:イタリア海軍のシロッコ

「オーライ、オーライ」

 Sボート320型のS-323とS-325がクレーンで降ろされ、ようやく地中海の水に浮かんだ。30m近くの長さがあるS-320型をドイツのブレーマーハーフェン基地から高速道路や鉄道を使って、イタリアのターラント基地まで運ぶのは大変なことだったろうが、無事に届いた。

 アトランティスとしてはロシアの航空会社の輸送機をチャーターして空輸すれば、ものの1日でドイツからイタリアに送れただろうに、と思うのだが、それをしなかったのは機密保持といった観点からだろう。S-320型はSボートの中でも比較的小さな部類だが、中身はドイツ最新の科学技術が詰まった宝庫である。もし事故やら何やらでロシア当局に捕獲されてしまったら、非常に面倒くさいことになる。

 ロシアは粗悪乱造、質の低い大量生産、なんてイメージが巷では蔓延っているようだが、実際は高い科学・技術力をもったすごい国だ。冶金(やきん)技術では世界最高峰といっても良いし、技術者を大切にする制度はしっかりしている。コピーされた技術がすぐに産業に応用されるわけではないが、確実に自分たちのものにし、製品として登場する。そこがロシアの恐ろしいところだ。

 クレーンから降ろされたS-323とS-325にはすぐに灰色のシートが掛けられた。S-320型はロシアだけに限らず、あまり他の国にも晒したくはない兵器である。出撃しないときはシートで隠し、武装したドイツ兵が関係者以外は近づけさせないようにすることになっていた。

 アトランティスがチェック用紙を持って、S-323とS-325と共に届けられた武器や消耗品などの確認をしていると声をかけられた。

「君は仮装巡洋艦か?」

 澄んだソプラノボイス。振り返ってみるとノースリーブのセーラー服と短めのスカートを着て、薄紫色の髪の少女だった。少し日に焼けた肌と変な髪型―――――髪を頭の上でくくっている。まるで西遊記の緊箍児(きんこじ)の輪みたいにも見えるし、帽子を被っているようにも見える。いつかテレビでやっていた日本アニメで出てきた悪役に似た髪型だ。そんな変な髪型が特徴の少女だった。ここは軍事施設なので艦娘に間違いない。スカートには赤い文字で「Sc」と書かれている。

「ええ、ドイツ連邦海軍の仮装巡洋艦アトランティスです。……貴方は?」

「イタリア共和国海軍のマエストラーレ級駆逐艦、4番艦のシロッコだ。アトランティス、君が来るのを楽しみにしていたよ」

 シロッコと名乗った艦娘は手を差し出した。握手、ということだろう。アトランティスも手を出して、握手する。シロッコの手は「アフリカから吹く暑い南風」と名の通り、暖かい。

 アトランティスはシロッコの目を見る。紫色の瞳はまっすぐこちらを向いていた。その目は暖かさも感じるが、どこか冷酷なものも感じる。仮装巡洋艦ゆえの性格か、アトランティスは新しく出会う人の値踏みをよくするが、シロッコには艦娘らしさよりももっと別のようなものを感じた。

 国や地域によって人々の感触は異なる。アトランティスはまだドイツ、フランス、イギリス、フィンランドの艦娘としか触れ合ったことがない。イタリアの艦娘は初めてだ。だから、このシロッコが普通の艦娘なのか、それとも何か思惑があるのかは分からない。ただ、今まで会ってきた艦娘とは別種なものを感じたことは覚えておいても良いだろう。

 シロッコはこっちの内心を知ってか知らでか、にっこり笑って言う。

「ドイツ仮装巡洋艦は有名だよ。君達、仮装巡洋艦なしではイギリスもフランスも深海棲艦を海に追い落とすことはできなかった、とね」

 シロッコはウッド・チップ作戦とリュンヌ作戦のことを言っているのだろう。ウッド・チップ作戦はイギリスの、リュンヌ作戦はフランスの、深海棲艦を陸地から排除するための作戦である。両作戦にはドイツ海軍も参加しており、アトランティスなどの仮装巡洋艦艦娘も参加していた。

「特に君、アトランティスは大戦果を挙げて騎士鉄十字章を与えられたそうじゃないか。今は付けてないようだけど」

「落としたら嫌ですから」

「付けていた方がもっと魅力的に見えると思うよ。ああ、そうだ。もうすぐ昼時だけど、どうかな? その美しくて魅力的な英雄と一緒に食事をさせて頂くというのは」

 さっきからぺらぺらと良く喋ると思ったら、やっぱりこれか。デートを誘ってきたのは今日で9人目だ。

 アトランティスはため息を吐きたくなるが、それは全く表情に出さない。イタリアに入ってからはシロッコで23人目である。そりゃ、ため息のひとつも吐きたくなるが、本人の前ではしない。ただ、いままで食事に誘ってきたのは全員男だったわけなのだが、このシロッコという艦娘はレズビアンの気でもあるのだろうか?

 アトランティスは残念そうな顔をして、首を横に振った。

「私も忙しくて……昼食はここの基地司令との食事会なのです」

「では夕食を――――――」

「夕食はイタリアの高級将校との作戦会議も含めた食事会です」

 嘘ではない。言ったとおり、アトランティスは基地司令と昼食、高級将校と夕食、そういう予定になっている。もちろん二人きり、なんてことはなく、他の仮装巡洋艦や潜水艦艦娘、S-323、S-325の艇長と一緒である。

「残念だな」

 シロッコは本当に残念そうな顔をして、下を向いた。でもすぐに思い改めたように、

「では明日はどう?」

 ぱっ、と明るい顔になって尋ねた。

「基地食堂で良いなら」

「……うん、そうしよう。基地食堂だね。私もOKだよ」

 少し沈黙してそう答えた。では明日基地食堂で。それを言い残し、シロッコは走って行った。シロッコの後ろ姿を見ながら、アトランティスはようやくため息を吐く。そして呟いた。

「2人と、じゃなくて、4人と、だけどね」

 今日、アトランティスに声をかけた基地の男性は6名。そのうち、アトランティスは2名と基地食堂で一緒に食事を取ることになっていた。

「別に『2人で』、とは言ってないし。さて、続き続き」

 

 艦娘に階級は与えられない。階級がないことは通常の軍隊では非常に問題だが、艦娘部隊では階級があった方が逆に問題になるからである。

 当初は戦艦や巡洋艦、駆逐艦と艦種によって階級を分けられたのだが、そもそも艦娘達の指揮を執るのは艦娘ではなく、その艦隊を管理する司令官だった。もちろん、現場で戦闘指揮を執る者は艦娘なのだが、小さな部隊単位では複数の艦種が一部隊にいること自体少なく、場合によっては一艦種のみということもある。それだと階級序列によってトップ、詰まるところの旗艦が決めれないし、艦種で階級を決めてしまってはどんなに戦果を挙げようと階級が上がることがない。それでは士気に関わる。

 そもそも艦に階級というものは存在しないし、艦隊では「旗艦」というもの以外に上下関係がそこまで発生しない。それなら旗艦とその他、ということ以外、階級なんていらないだろう、ということだ。

 ただし、艦娘も軍隊の中にいる以上、待遇というものもちゃんと考えなければならない。相手が深海棲艦なのだから、普通の兵隊では戦えない。だからそこらの兵卒よりは待遇は良くしないといけないが、全体の指揮は取れないため、司令官よりも下でなければならない。

 低くもなく、高くもなく。無難に士官扱いになる、というのは当然だった。ちなみに海軍には階級は一緒でも艦長をしている者の方が位は上、という習慣があるので、艦娘達の指揮を執る者、艦長、艦隊司令、元帥以外の士官は基本的に艦娘より位は下である。

 不等号を使うと、こうだ。

 

 元帥・総司令官>艦隊司令官・艦娘部隊指揮官>艦長≧艦娘>士官>下士官>兵卒

 

 艦娘は軍隊での地位はかなり高いのだ。国によっては艦娘は艦長と同列だったりするが、基本的には普通の士官より位は高い。

 だから、アトランティスを食事に誘ったイタリア海軍兵6名のうち、士官である2名しか食事をアトランティスと共にできなかったのである。士官と下士官、兵卒では基地食堂内であっても食事する場所が違うのだ。士官でないのに、アトランティスを食事にさそった兵はアホである。

 そしてアトランティスを誘った士官2名もかなりのアホである。そもそも基地食堂、特に士官食堂は社交場のような面はあるものの、2人っきりで食事、という場所ではない。普通に同僚も同じ場所で食事を取る。デートするならよそでやれ。そういう冷たい視線を浴びせてくるだろう。ある意味、軍隊の中に身を置く艦娘の業とも言えるのだろうか? アホ士官2名はそのことに思い至らなかったのである。

 だからアトランティスが士官2人、艦娘1人という複数人と約束したのは他人の視線、という点では非常に親切なものだった。

 

 ターラント海軍基地の士官食堂の壁にはイタリア海軍旗を始め、ターラント基地で建造された艦船の側面図や絵画があったり、肖像画があったりする。長い歴史を持つ食堂なのだと感じられる士官食堂だった。

「美しいアトランティスさんとシロッコちゃん、共にこうやって食事をできて嬉しいですよ」

「はい、僕もです。美しくて知的なアトランティスさん、かわいらしいシロッコさんと食事をする、これはとても光栄なことです」

 士官食堂で鉢合わせした士官2名は自分のアホさ加減にすぐ気付き、うまい采配をしてくれたアトランティスに感謝していた。幸いなことに、おのおのの情報交換のため、ドイツ、イタリアの艦娘や士官が同じテーブルに着いている状況だったので、アトランティスとイタリア人士官2名、シロッコの4人は異色には見られなかった。

「私もです。どうぞ本場のイタリア料理を楽しんでいってください」

 シロッコはこの事態に驚くことはなかった。分かっていながら、参加していたのかもしれない。食堂でOK、と答える前の沈黙はそれを良しとするか、考えていたのではないか? アトランティスは「美しい」とか「知的」とか言われ、照れて笑いながら、シロッコについて、そんな風に思った。

 イタリアの士官食堂のご飯はコース料理である。前菜、メインディッシュ、サラダ、デザート、コーヒーと出されていく。イタリアのコース料理はフランスのコース料理よりも品目が若干少ないのが特徴である。

 アトランティスは皿が移りゆくように会話も移り変わっていく。ドイツやイタリアの軍事情勢、ウッド・チップ作戦とリュンヌ作戦の戦闘談、MST艇やS-ボートについて、そしてデザートあたりで今回の作戦「ヘラクレス」の話に移った。出されたデザートはジェラート。イタリア語で「凍ったという意味」を持つ氷菓である。

「今作戦は艦娘が配備されて以来、イタリアにとっては最大の作戦だね。今まではアドリア海とサルデーニャ島の輸送路を守るだけだったからね」

「カッテァーティ中尉! 私達駆逐艦だって、ときどき深海棲艦のシーレーンを妨害している。このシロッコだって1隻の駆逐艦クラスと2隻の輸送クラスを沈めたのだぞ!」

 シロッコがカッテァーティの言葉に噛み付いた。自分がしている仕事を無視されるのは堪らないのだろう。「忘れていたつもりはないんだよ」とカッテァーティが謝り、

「そうそう。このむさいおっさんだって、裏の方ではよく働いてくれるシロッコさんや駆逐艦娘を良く褒めているんだよ。もしかして駆逐艦がお趣味なのかな?」

 なんて、もう1人の士官サッケーリがフォローすると共に茶化す。

「あのねぇ。まあ、それは置いといて、沿岸防備と補給線妨害に必要な艦娘だけをイタリアにはとどめて、残りは西に送られてるね。今はコルシカ島で待機しているんじゃないかな」

 イタリア海軍はヘラクレス作戦において、ジブラルタルに向かう深海棲艦艦隊の妨害である。簡単に言えば、敵艦隊にちょっと攻撃を仕掛けて疲れさせるのだ。

「ではターラントにはその補給線妨害の艦娘が多いのですか?」

「半分くらいはそうだね。シロッコちゃんもそうだね」

 シロッコは元気に返事をする。カッテァーティはシロッコににっこりと笑ってから、話を続ける。

「敵シーレーンを攻撃するのは巡洋艦や駆逐艦の機動性が高い艦娘か、潜水艦のような隠密性の高い艦娘が任されるのだけど、ターラントには戦艦艦娘もいるよ。ターラントはアドリア海防衛の要だからね」

 イタリアにとって一番守らないといけない海はアドリア海だった。深海棲艦が現れる前と同じように維持できている湾港施設はイタリアではアドリア海に面している港のみであり、漁業、貿易、艦船の整備・建造といった産業、外交、軍事といった三面で重要な海なのである。

「では、深海棲艦がイタリア艦隊が邪魔だ、ということで本気で潰しに来ても、ある程度の時間は稼げるのですね」

「それはもちろんだよ。そのために残しておいた戦艦や重巡だ。ターラントには艦娘以外にも通常艦艇や陸戦隊がいるし、高台には砲台だってあるからね。そう簡単には陥落しないよ」

 アトランティスはほっ、と安堵した様子を見せた。

「アトランティスさん、どうしたのです?」

「仮装巡洋艦は補給をしたりする港が必須だから。ターラントが深海棲艦の手に落ちたら、ジブラルタルを英仏軍が落とさない限り、ドイツに私は帰ることができないもの」

 ヘラクレス作戦内でアトランティスは空中投下物資でやりくりすることになっているのだが、ターラントが陥落した場合、航空機を物資投下に使う余裕がなくなる可能性だってある。そうでなくても、地中海でまともに機能している港はアドリア海に面してる所だけだ。もし、そうなった場合、アトランティスは数日で飢えることになる。

「大丈夫。私がいる限り、ターラントは落ちんよ」

 シロッコが自信満々に言った。実際の所、駆逐艦1隻で何かが変わるとはあまり思えないのだが、その妙に自信ありげな様子と、その妙な髪型のおかげでただの一駆逐艦が言っているようにも見えず、アトランティスはつい安堵してしまった。




 プロットはできあがっていてもプロット通りというわけにはいかないね。5話でヘラクレス作戦が始まりませんでした。次回こそ始まります。ごめんなさいね。
 マエストラーレ級駆逐艦4番艦シロッコのモデルはみなさんお分かりの通り、機動戦士Ζガンダムのパプテマス・シロッコです。あのシロッコ(Ζの方)の頭のあれは帽子のように見えますが、髪をあんな風にくくっているそうです。シロッコ(Ζの方)は「常に世の中を動かしてきたのは一握りの天才だ!」なんて言っていましたが(すぐにカミーユに否定されましたが)、シロッコ(艦娘)もそんなことを言うようになるのでしょうか? 気になるね。
 感想を頂けると作者はとても喜びます。

 ではシャクティ風の次回予告。(4話の予告と同じ。4話の予告は変更)
 遂にヘラクレス作戦は開始されました。地中海の入り口で英海軍と深海棲艦が激しく砲火を交わしている中、アトランティスは地中海で行動します。機雷を撒き、敵の輸送級にちょっかいを出す中、アトランティスは見てしまうのです。撃墜され、捕まってしまったフランス空軍パイロットを……。
 次回、「人と深海棲艦」。見てください!


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Sechs:人間と深海棲艦-前編

 仮装巡洋艦の任務というと敵国の商船を襲撃、撃沈する――――いわゆる通商破壊というものだ。

 大砲や機銃にシートを被せて隠し、中立国の旗を掲げ、無害な存在として敵船に近づく。十分に近づいたら、大砲や機銃に被せてあったシートを取り、自国の旗を掲げ、敵船の近くの海面に威嚇射撃をし、敵船を停船させる――――その時点で降伏してくれたら、拿捕して敵船の乗組員などを自艦に移乗させて、敵船から暗号表だとか物資だとかを回収する。空になった船は基本的に沈める。自国の基地が近ければ、沈めずに鹵獲船として自国の船にすることもある。もし敵船が通報しようとしたり、停船せず、逃走を図るようなら容赦なく攻撃し、場合によっては撃沈する。

 これが仮装巡洋艦の基本的任務だ。仮装巡洋艦は敵船の物資を捕獲できるので、Uボートの通商破壊に比べ、活動期間を長くできるのが特徴だ。アトランティスは602日もの間、無寄港で通商破壊戦を行い、22隻、144,384トンの船を沈め、その他多数の船を拿捕している。移動距離は161,000km。実に地球4周分の距離である。

 そんな仮装巡洋艦も1943年頃から敵国の哨戒網の強化に伴って、多くが撃沈されるようになり、仮装巡洋艦としての活動は終焉を迎えている。

 仮装巡洋艦は基本、化けて無警戒の船を襲撃、である。

 決して複数の船で編成される船団、それも重巡クラスが護衛に就いているような船団を攻撃するのは仮装巡洋艦の任務ではない。それこそ、ドイッチュラント級だとかシャルンホルスト級といった火力も防御も優れた艦がやれば良いのだ。

 そう、アトランティスは思う。

 深海棲艦が艦娘部隊や航空機がうろうろしている地中海を輸送クラス1体だけで航行させることなんて、ヘラクレス作戦が始まった今、あり得ないことなのだから。

 哨戒させていた艦載機のAr196水上偵察機から敵船団発見の報告があった。編成は輸送クラス5、重巡クラス2、駆逐艦クラス4という具合らしい。移動速度は10ノットで距離は6kmほど。かなり近い。

 艦娘でなかったころなら、私知ーらーない、と無視する。仮装巡洋艦は所詮、商船を改造したものに過ぎない。火力こそ軽巡並みだが、防御力なんて紙同然である。敵うはずもない。

 しかし、艦娘になったらまた違う。敵から物資を捕獲することができないのでバックアップなしの長期間単独行動はできないが、偽装の幅が大きく上がった。前のインディゴ作戦で使った偽装スーツやステルスマントを始め、艤装のカバーや化粧の次第では味方に敵と見間違われるくらいの偽装ができる。これも艦娘が人の姿をしているゆえにできることである。

 今のアトランティスは重巡リ級をモデルにメイクアップしている。といってもリ級のようにビキニ姿ではない。いくら温かい地中海といっても、あの姿ではさすがに寒い。なのでネ級とリ級の合いの子のような姿だ。肌は深海棲艦と同じ不健康そうな青みがかった白を塗ってあり、肌色の箇所はひとつもない。髪は地毛の金色を小さくまとめ、白いカツラを被っている。コンタクトレンズはスカイブルーの色のものを付けている。服装はネ級のように黒いノースリーブのミニワンピースで、腕にリ級のような両手を覆う黒い艤装を取り付けている。中には15cm単装砲、3.7cm連装機関砲、53.3 cm連装魚雷発射管を備えている。

 リ級やル級のように両手を覆う偽装を備えている深海棲艦は戦闘しやすい上、武装をたくさん詰められるので好まれる。逆に嫌われるのがヲ級で、頭のかぶり物が重いと不評である。

 アトランティスは敵船団の未来位置に両手を向け、魚雷発射管からFaTⅡを2本発射した。

 FaTⅡは一定時間経ったらグネグネと蛇行しながら航走する便利な電気魚雷である。命中率は通常魚雷に比べれば高い。

 アトランティスは先に進む魚雷の後を追うようにして、敵船団に近づいていった。

 

 フランス南部、地中海に面する県であるブーシュ=デュ=ローヌ県サロン=ド=プロヴァンス。そこにある第701サロン=ド=プロヴァンス空軍基地ではターボジェットエンジン2基の甲高い音が響いていた。

『リザード1、リザード2、滑走路に進入してください』

 管制灯からの指示でダッソー ミラージュⅢRD 2機が滑走路に進入する。ミラージュⅢRDはミラージュⅢの偵察型ミラージュⅢDの全天候型である。このリザード1、リザード2の垂直尾翼には数字を抱いたトカゲの紋章が描かれていた。

 綺麗にコンクリートで舗装され、中央を示す白線が引かれた滑走路は初夏の太陽光で熱されて、陽炎がゆらゆらと揺れている。2機のミラージュⅢRDはこれから地中海の深海棲艦偵察に赴くのである。イタリア空軍が地中海のかなりの範囲を担当しているといっても、ジブラルタル海峡手前といった肝心の範囲はカバーできていない。ここの部分はフランス空軍がきっちりと偵察し、ジブラルタルを攻略しているイギリス軍と自軍の艦娘に伝えなければならない。

 2機のミラージュⅢRDはエルロンやラダーなどを動かして、不調がないかの最終確認。翼下には落下燃料タンクだけ積んでおり、ミサイルの類いは深海棲艦の航空機相手には役に立たないので積まない。

 先頭のミラージュⅢRDがターボジェットエンジンの回転数を上げる。そしてアフターバーナー点火。赤い炎がエンジンノズルから噴き出す。

 ブレーキリリース。リザード1のミラージュⅢRDが小石ひとつも落ちていない清浄な滑走路を滑るように進み始めた。

 速度はどんどん上がっていく。そして浮いた。勢いを増しながら、リザード1のミラージュⅢRDは飛び立った。

 

 砂の匂いに混じって、硝煙の匂いが鼻についた。砂の匂いはアフリカ大陸の砂漠の砂で、硝煙の匂いはFaTⅡの爆発が原因だ。

 FaTⅡは駆逐艦クラスと輸送艦クラスに命中したらしい。2本の水柱が上がった後、その2体が消えていたらしい。

 アトランティスはここでAr196に軽く爆撃でもさせて敵船団を混乱させてやりたいと思うのだが、残念なことにAr196には爆弾を搭載するだけの余裕がある機体ではない。極東には潜水艦に搭載できるくらい小さく折りたためる水上攻撃機……たしか、サイランだったか? そんな航空機があると聞くが、それが欲しい所だ。ズイウンなんていう性能が高くても折りたためない機体は必要ない。

 アトランティスは敵船団に近づいていく。

 航跡のない魚雷攻撃に慌てふためく敵船団。そんなところに味方の巡洋艦が颯爽登場。やあ、そんなに慌ててどうしたんだい? そうかい、魚雷攻撃か。大変だね。僕も護衛を手伝ってあげよう。そんな筋書きだ。

 深海棲艦もこちらを認めた。重巡クラスの顔がこっちを向く。何か喋ったようにも見えたが、距離が遠くて声は聞こえないし、聞こえたとしても理解できないだろう。

 深海棲艦はアトランティスを味方と認識したらしく、砲撃や雷撃はしなかった。

 馬鹿な奴らめ。アトランティスは内心、嘲笑う。

 深海棲艦は潜水艦を警戒しているのか、敵船団の護衛艦はワ級を円で囲むように広く布陣していた。アトランティスはその一番後ろに付く。

 先頭は駆逐艦ハ級、中央がワ級で、その左右に駆逐艦二級、重巡リ級2体はワ級の後ろ、そのさらに後ろにアトランティスという布陣である。

 こっちとしては攻略しやすい布陣で助かる。

 アトランティスは両腕を上げ、左右のリ級に狙いを付けてから、15cm単装砲の引き金に人差し指を掛けた。そして引き金を引いた。

 15cm砲弾が音速の2倍ほどの速度で砲身から飛び出し、リ級2体の後頭部をぶち抜いた。脳漿やら脳髄やら首根っこの脊髄やら頭蓋骨の欠片やら。リ級2体の頭は粉々になって魚の餌となった。頭を失ったリ級の体は数秒だけ、そのまま航行していたが、すぐに倒れて沈んだ。これもきっと魚の餌になるだろう。

 発砲音でワ級と駆逐艦が振り返った。しかし、アトランティスは反撃する暇は与えない。アトランティスは15cm砲を発射してすぐに、両手に1本ずつ残っていたFaTⅡをワ級の左右にいた二級に向けて放っていた。

 電気魚雷であるFaTⅡは雷跡を残さない。二級は何が起こったか分からないまま、水柱と衝撃波に包まれ、絶命した。

 残りの敵は輸送艦ワ級3体と駆逐艦ハ級1体。ハ級は先頭にいるため、ワ級が影になり、アトランティスの姿は見えない。ハ級が事態を理解し、反撃してくるのは時間がかかる。だから、その間にワ級を始末する。

 アトランティスは15cm単装砲の下、53.3cm連装魚雷発射管の上にある3.7cm連装機関砲をワ級3体に向けて、連射した。相手は防御の弱いワ級である。3.7cmという小さな口径でも十分だ。

 発射される無数の3.7cm砲弾はワ級3体の体に次々と穴を穿っていき、四方八方に蒼い血を迸らせる。

 ワ級2体が完全に絶命したころ、ようやくハ級がアトランティスを敵と認め、ワ級の脇を通り抜けて、アトランティスに砲の照準を合わせようとする。

 遅いって。

 ハ級が砲の照準をアトランティスに合わせた時に、アトランティスはハ級に向けて、15cm砲を放っていた。砲弾はハ級最大の特徴といっても良い大きな眼に命中。砲弾は角膜、水晶体、硝子体や硝子体管、視神経などををぐちゃぐちゃに破壊しながら、ハ級の目を貫通し、体内へと突き進み、爆発した。体の白く柔らかい部分が弾け、所構わず、蒼い血がハ級の体内から外へ噴き出した。ハ級は口をがくがくとさせながら、沈んでいく。

 残ったのはワ級1体だけだった。逃走しようとするがアトランティスは容赦がなかった。15cm砲、3.7cm連装機関砲、両方を連射した。狙いがかなり適当だったおかげで嬲っているような感じになった。

 まず15cm砲弾がワ級の右腕に当たって肩から右腕をもぎ取った。3.7cm砲弾はワ級の体のあちこちに当たって、1発が頭部に当たって左半分を吹っ飛ばした。15cm砲弾が脇腹をかすって、肉を持っていった。3.7cm砲弾が左腕の肘関節に当たって、左腕が千切れた。そしてようやく15cm砲弾が下の丸い部分に命中して、まるで手榴弾が爆発したかのようにバラバラの欠片となって散った。ワ級の体の部分は丸い部分との境界で千切れて飛び、アトランティスの後方20mに着水した。そしてそのまま沈んでいった。

 海の上に残っているのはリ級とネ級の合いの子みたいに変装したアトランティスのみ。海面には深海棲艦の蒼い血や肉片、髪の毛が無数に漂っている。

「ふぅ……」

 アトランティスは一息吐く。インスタントラーメンができる3分にも満たない戦闘だったが、意外と疲れるものである。

 休みたいところだが、さっさと逃げなければならない。通信が途絶したことに気付いて、深海棲艦が調査に航空機を飛ばす可能性があるし、なにより深海棲艦の血と肉の臭いでサメが寄ってくる。敵航空機にしろ、サメにしろ、出くわすと面倒である。

 アトランティスは調査しに来るかもしれない深海棲艦が運良くひっかかるかもしれない、とそこらに機雷を撒いてから、食事や弾薬補給のために一度セーフハウスに戻ることにした。

 大西洋からジブラルタル海峡を抜けたところの地中海西部の海、アルボラン海上空6,000mをリザード1のミラージュⅢRDは飛んでいた。

 ミラージュⅢRDの機首下方には小さな窓がいくつも開いている。ここに撮影カメラがあり、下の様子を撮影するのだ。すでにリザード1は何十枚もジブラルタルの深海棲艦に補給物資を運ぶ船団や増援部隊の様子を撮影していた。

「損傷したやつが多いな。イタリア軍も意外に仕事をするもんだな」

 リザード1こと、フランス空軍パイロットのベルナール・ポミエ中尉はHUDで撮影した写真を見ながら、呟いた。

 ベルナールの言う通り、写真には損傷した深海棲艦が数多くいる増援部隊の写真が数多くあった。中には輸送艦クラスが1隻なのに護衛がたくさんいるような、編成として明らかにおかしい補給部隊の写真もある。

 12年間もアドリア海を守り抜いてきたイタリア海軍の力は伊達じゃないということかね? ベルナールはそう思う。このままいけば、英仏海軍の艦娘達がジブラルタルを抜けるもの時間の問題だろう。今日の朝刊によれば、海の方は一進一退という感じらしいが、陸の方では優勢らしい。アフリカの方からはモロッコ軍とアルジェリア軍が、イベリア半島からはスペイン軍とフランス軍が快進撃を繰り広げているそうなのだ。

 ジブラルタルが落ちるのも遠くはない。

 ベルナールはコックピット脇に貼られた写真を見た。緑青色の綺麗な瞳が特徴の白人女性が写っている。名前はクロエ。クロエはベルナールの妻でヘラクレス作戦が終わったら、休暇を取って、スイスに行こうと約束していた。

 さあ、こんな戦い、早く終わってくれよ。ベルナールはフランスにはない急峻で美しい山々を、その麓に栄える街を歩く自分とクロエの姿を想像しながら、戦闘が早く終わることを願った。



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Sieben:人間と深海棲艦-後編

 それは深海棲艦の航路に機雷を撒いて、イタリア海軍本部に敷設場所を連絡した後のことだった。

 ごおおおおおおおおおお。

 アトランティスはプロペラ機とは違うジェット機特有の音を聞いた。反射的に空を見上げると、地中海気候らしく良く晴れた青い空に白く尾を引く三角形の飛行機が小さく見えた。

「あれ……ミラージュ? なんでこんな所に」

 遠くて翼に描かれているであろう国籍マークはよく見えないが、あの特徴的なデルタ翼は間違いなくミラージュ系の航空機である。イタリア空軍はミラージュを保有していないので、少なくともイタリア空軍のものではない。そうであればフランス空軍のものだろうか? しかし、ここは地中海中央部で、フランス軍の作戦海域でもなければ、哨戒空域でもない。

「深海棲艦の動きを見に来た、ってとこかな?」

 アトランティスは燦々と輝く地中海の太陽を手で覆い隠しながら、東に向かうミラージュを見つめていた。

 アトランティスの今の位置はランペドゥーザ島100km東。そこからさらに東で、深海棲艦がいるような所はマルタ島がある。

 マルタ島は地中海における要所で、深海棲艦も基地として利用している島だった。今、アトランティスが妨害している深海棲艦の輸送船団もマルタ島に一度寄港してから、ジブラルタルに向かう。

 私も行ってみようかな? そう思ったときである。

 ミラージュが引いていた白い飛行機雲が突然、黒くなった。漫画なら、ぼへぼへという擬音が付いてそうな感じで、ミラージュは白い飛行機雲から黒い飛行機雲を引き始める。

 しばらくそのまま飛んでいたが、やがて高度を下げ始めた。

 

 黒い塊が横切ったかと思うと、金属が千切れるような、ひん曲がるような音がエンジンの方からした。

 ベルナールはこの音に聞き覚えがあった。あれは10年くらい前の深海棲艦がまだ出現していない頃の話で、滑走路から離陸した直後のことだった。鳥をエンジンに吸い込んだのである。専門用語ではこれをバードストライクと言って、航空機事故の中ではよく起こることだった。

 ベルナールがミラージュⅢRDの自己診断プログラムを実行すると、やはりエンジン系の数値がおかしくなっている。きっとエンジンに何かを吸い込んでタービンブレードが破壊されたに違いない。

 しかし、何を吸い込んだのだろう? さっき横切った黒い塊なのは違いない。しかし、高度7,000mを飛行する鳥なんて地中海にはいないはずで、エベレストなどの高山では高度8,000mを飛行する鳥がいないこともないが、それは山越えをするためであって、山があるわけでもない地中海にそんな高度を飛ぶ鳥がいるはずがないのだ。

 今の飛行速度はマッハ0.9。動体視力が優れていても黒い塊が何だったのかは分からないだろう。とりあえず、鳥だったということにして、事態の対処を考える。

 エンジンが壊れたということはこれ以上の偵察任務は不可能である。そしてフランス本国に帰還することも不可能だ。するとイタリアのシチリア島辺りの飛行場に着陸することになるだろう。しかし、少々距離がある。果たしてエンジンが壊れた今、自由飛行でシチリア島までたどり着くことができるかどうか。海上に不時着水することになれば、泳がないといけないし、下手したら深海棲艦やサメの餌になってしまう。それは嫌だった。

 幸いにも高度と速度はある。できるだけシチリア島に近づこう。ベルナールはそう思って、機体を北に向け、国際救難チャンネルで連絡しようとしたその時だった。

 周囲に無数の火の玉が出た。しかし、火の玉かと思ったら、黒煙に変わる。そして衝撃波が機体を揺らした。

「対空砲火!?」

 火の玉の正体は高射砲弾だった。今、ベルナールが飛行しているのはマルヌ島付近。深海棲艦がベルナールのミラージュⅢRDを狙って高射砲弾を撃ち上げてきているのだ。

「メーデーメーデーメーデー!」

 ベルナールは国際救難チャンネルに叫んだ。所属と姓名、今置かれている状況。すべて話す。弾着が正確になってきている。機速がプロペラ機並みに低下している。衝撃波で機体が揺られ、舌を噛みそうになる。破片が機体に当たる音がする。世界が時計回りに回り始めた。右翼を見ると半分くらい吹っ飛んでいる。

 ベルナールはクロエの写真を剥ぎ取り、胸ポケットに入れると射出座席のレバーを握り、思いっきり引っ張った。

 

 国際救難チャンネルの悲鳴と黒煙を吐いたミラージュが真っ逆さまに落ちる様子はアトランティスにも聞こえ、そして見えていた。

 ミラージュが落ちたのはマルヌ島付近。アトランティスからは南東50kmほど離れているだけである。

 助けられるかもしれない。

 アトランティスの最大速度は17.5ノット。マルヌ島まで全速力でいけば、1時間とちょっとで着く。

 国際救難チャンネルで助けを求めたといってもおそらくイタリア軍は動かないだろう。なにせミラージュが落ちたのはマルヌ島の近くである。深海棲艦の地中海一大拠点であるマルヌ島にはジブラルタルの増援に戦力が抽出されたといっても、まだかなりの戦力が残っている。イタリア空軍のパイロット救出部隊がヘリコプターで出て行っても、ミラージュのように撃墜されるだろう。イタリア海軍艦娘の主力は西のサルデーニャ島で遠いし、ターラントにはターラント自身を守るのと、輸送船団にちょっかいを出す程度の戦力しか持っていない。付近にはアトランティスと同じように敵輸送船団を妨害するドイツ潜水艦艦娘がいるはずだが、パイロットを助けたら浮上航行しなければならない。浮上航行している潜水艦はあまりにも非力だ。

 私しかいない。

 アトランティスはマルヌ島に進路を向け、ディーゼル機関を目一杯回し始めた。

 

 もう遅かった。

「Aidez-moi!(助けてくれ!)」

 マルヌ沖にたどり着いたアトランティスはフランス語の悲鳴を深海棲艦の群の中から聞いた。きっと、あのミラージュのパイロット、ベルナール・ポミエ中尉はこの群の中にいるのだろう。

「Aidez-moi! Aidez-moi!」

 助け出せるだろうか? ――――――――――――――無理、できない。アトランティスはすぐに否定した。

 ベルナールに群がっている深海棲艦は重巡クラスや軽巡クラスだったら、どんなに良かっただろう。しかし、現実はル級やヲ級といった戦艦、空母クラスというアトランティスが敵いっこない深海棲艦が20体以上、群がっているのだ。そして周辺の海域には哨戒の重巡クラスや駆逐艦クラスが跋扈している。

 助け出すことなんて叶わない。

「Aidez-moi!」

 純粋に何者かの助けを求める声がアトランティスの胸に刺さる。

 助けてやりたいのは山々だが、この状況と敵ではどうしようもない。ベルナールを助けようと行動を起こしたら、自分も沈んで、ベルナールも死ぬ。それはほぼ確実だ。それだったら、行動を起こさない方が結果としては良いではないか。1人の飛行士と1人の艦娘を天秤にかけたら、艦娘の方が重いのだから。

 アトランティスは救助を諦め、踵を切ってその場を去ろうとした、その時だった。

 悲鳴の質が変わった。

 良い方向ではない。悪い方向だ。

 苦しそうに、息もしづらそうに、途切れ途切れで、しかし、今まで以上に必死な声に、この世の苦しみを全部混ぜて鍋で煮詰めたような、恐ろしい声に変わった。

 だから、アトランティスは振り返って、見てしまったのだ。

 両腕と両足、それぞれを深海棲艦が持って、上半身と下半身の2つに引きちぎられる、人間の姿を。

 引きちぎられる瞬間の声は、どこからそんな声が出るのだろう。そんな、まさに絶叫というべき声だった。

 飛行服が千切れ、シャツが千切れ、皮膚が千切れ、肉がちぎれ、背骨が千切れ、腸が伸び、何mも伸びて、そして千切れた。大量の血が流れ出て海面を赤く染める。

 悲鳴は消えていた。

 波の音が聞こえた。

 真っ二つになった死体を深海棲艦達はさらに千切り分けた。アトランティスはその様子を見たまま、動けなかった。

 首、右肩、左肩、左の上腕と前腕、左手、右の上腕、前腕、右手、胸筋、肋骨、肺、心臓、肝臓、膵臓、腎臓、脾臓、胃、腸、左の大腿、下腿、左足、右の大腿、下腿、右足。

 アトランティスが正気を取り戻したのは、人間の血で体が朱く染まったタ級に手渡された時だった。

 おもむろに手渡されたものを見る。

 人間の左手だった。まだ暖かみがあって、ぬめりのある赤い血が千切れた所から滴っている。薬指には銀色の指輪。

 渡してきたタ級の顔を見る。タ級は不思議そうにアトランティスを見つめ返した。

 喰わないのか?

 まるで、そう言っているようだった。

 タ級は右手に持っていた頭の千切れた首部分を口の前に持っていき、囓った。プチプチと筋肉繊維が千切れる音がして、血が小さく噴き出る。タ級は口が血で赤く汚れるのは気にしない様子で人間の首を喰っていた。

 タ級に食べられる首の2つの虚ろな目と目が合った。その蒼い目にはすでに光はなかったが、しっかりと自分の目を見つめている、アトランティスはそんな気分になった。

 アトランティスは耐えられなくなって目をそらす。そして首の涙の跡に気付いた。

「あ、ああ……あああ」

 アトンラティスはいてもたってもいられなくて、その場から逃げ出した。

 

 仮装巡洋艦でなく、フランス語が分からなければどんなに良かっただろう。そうであれば、自分は地中海にはおらず、あのパイロットとあんな形で出会うこともなく、とても悲痛で必死な助けを乞う声など理解はできなかったに違いないのだ。

 アトランティスは無意識にセーフハウスのあるパンテレリア島の海岸に帰り着いていた。

 すでに無数の星と月が光り輝く夜が訪れており、カモメの鳴き声もなく、ジェット機の轟音もなく、恐ろしい悲鳴もなく、海が波打つ音だけが規則的に砂浜に響いている。

 脚部艤装の底が砂浜に乗り上げ、アトランティスは膝をつき、手をついた。

 アトランティスの手には、すっかり冷たくなって色の悪くなった、あのパイロットの右手が今もある。

 薬指の指輪が月夜に鈍く光っている。

 あんな死に方は人間の死に方じゃない。動物の死に方だ。

 寿命で死ぬ。病気に犯されて死ぬ。遭難して死ぬ。医療ミスで死ぬ。自動車に轢かれて死ぬ。毒を盛られて死ぬ。工場で機械にはさまれて死ぬ。ビルの建設現場で骨組みから落ちて死ぬ。銃で撃たれて死ぬ。ナイフで刺されて死ぬ。縄で自分の首を吊って死ぬ。

 どれも人間の死に方だ。しかし、

「あんなのは人間の死に方じゃないよ、あんな、あんな死に方は……!」

 生きながらに部位ごとに引き裂かれ、それをひとつひとつ喰われるなんて、それは決して人間の死に方じゃない。太古の昔、まだ人間がサル同然だった時代の、人ではなく、ヒトだったころの死に方であって、人間の死に方では決してない。

 深海棲艦は人間を食べる。これはずっと聞いてきたことで、文献でも読んで、人を喰っている最中の高倍率偵察写真だって何枚かは見てきていた。でも現実は想像の何十倍も違う。

 1つの命が失われようというのに、苦痛の果てに死ぬというのに、何の躊躇も憂慮も慈悲もなく、奴らは殺し、喰ったのだ。

 「深海棲艦は神が人間の代わりに新しく作った存在」なんてカルト宗教の言う耳にタコな話で、言いぐさで「人間は己の欲望のまま、神の作った世界を無法に生きている。だから滅ぶべきなのだ」なんてのも今やおきまりのパターン。仮にそうだとして、聖書の通り、「神が自分に似せて人間を作った」のなら、いわば神にとって人間は子供で愛すべき存在とか、そういうのではないのか? いくら不出来で怠惰で自分勝手なヤツだったとしてもああやって殺すのは残酷すぎやしないだろうか。しかも、それを新しく生んだ子供にやらせるのである。神というのはなんとひどいヤツなのだろう。

 そんなひどい死に方をさせたのは元を正せば神かもしれない。でももし、あのとき、自分が砲の一発でも魚雷の一発でも、いっそのこと発煙弾、Ar196に30kg程度の爆弾でも良い。何か行動を起こしていれば、あんな無残で惨い死に方にはならなかったかもしれない。非常に運が良く、あのパイロットが逃げ出せていたなら、今頃シチリア島沿岸に泳ぎ着いていたかもしれない。しかし、代わりに自分が沈んでいたかもしれない。艦娘が深海棲艦に化けている、と見破られて無数の砲弾に身を撃ち抜かれて、魚の餌として骸を海に沈めることになったかもしれない。

 もし。なら。しかし。でも。れば。しれない。

 「過去」を語る上で、それらの言葉は役に立たない。「過去」は変えられない。「過去」、「今」、「未来」の三世(さんぜ)の内、私達は「今」しか生きられない。

 だからといって、「過去」を無視してはいけない。「過去」なくして「今」も「未来」も生まれ得ない。仏教で言う「業」なくして生きることはできない。

 だから、

「……ありがとう、ありがとうございます……。貴方のおかげで私は生きていられます。ごめんなさい…………ありがとう」

 アトランティスは感謝と謝罪を冷え切った右手に言いながら、嗚咽した。




 キリスト教からなる人間の意識・認識と仏教からなる人間の意識・認識をちゃんと書き分けられるようになったら良いな、って思うこのごろ。
 ちなみにアトランティスは無宗教だけど、ドイツ生まれだからキリスト教系のものの考え方をすることが多いよ。

 ではシャクティ風の次回予告。
 ヘラクレス作戦はまだ続いているのにアトランティスには帰還命令が下ります。あのパイロットの右手と共にターラントに帰還したアトランティスを待っていたのは本国から密命を受けてきた大佐だったのです。
 次回、「再始動」。見てください!


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Acht:再始動

 撤収命令が下されたのは、アトランティスがあのパイロットの右手を火葬し、体に付いた臭いを取るために水浴びをしているときだった。

 生き物が死ねば腐るのは当たり前な、ごく自然なことである。しかし、腐れば病害虫などの温床になるし、なにより醜くなる。だからこそ、人間社会では土葬したり、火葬したり、するわけである。

 アトランティスが火葬しようと思ったのも、布きれで包んでいたパイロットの右手が異臭を発し始め、その臭いに釣られて野ネズミが集まってきていたのを見たときである。

 こうして残っている右手すら、何者かに喰われ、無残になっていくのは忍びなかったのだ。

 アトランティスはパンテレリア島の内陸部で火葬することにした。内陸部なら乾燥した木材が比較的簡単に見つかるし、火葬する際の臭いが海に漂って深海棲艦をおびき寄せる心配がないからだった。幸いなことにアトランティスは火葬するのに良い場所を知っていた。

 

 建物というものはそこに住み、管理する人間がいなくなれば、ものの数年で廃墟になってしまう。ツタや草に覆われたり、崩れたり、といった感じに。

 その森の中の小屋も同じようなものだった。迷彩服にジャングルブーツ、基本的なサバイバルグッズが入った背嚢などで固めたアトランティスは小屋の前に立った。

 元々は林業を営む人達の休憩所か何かだったのだろう。ここに至る林道には表記が色落ちた方向指示看板がいくつかあったし、小屋の隣に駐車されたまま、朽ち果てた大型トラックには「製材所」とプリントされたステンシル文字がかろうじて読めた。

 かつて、この小屋は仕事で疲れた人達が寝泊まりしたり、飯を食ったりしたのだろう。しかし、パンテレリア島から人がいなくなって9年。使ってくれる人どころか管理する人間もいなくなったこの小屋は風雨と太陽光線に晒されて外壁のニスが完璧に落ち去り、シロアリに食われたのか、小屋の半分が崩れて無残な姿になっている。

 アトランティスは律儀に崩壊したところからではなく、玄関から入ろうとした。

 ドアノブを握って回すが、鍵がかかっているようで玄関のドアは開かなかった。しかし、長い月日と虫食いでドアの蝶番部分の木が脆くなっているようなので、試しに思いっきり蹴ってみるとドアは簡単に倒れた。

 ドアが倒れると屋内に積もった9年間の埃がもうもうと舞った。アトランティスはそれに眉をしかめつつ、倒れたドアを踏んで小屋の中に入った。

 入ってすぐの部屋はリビングのようで、テーブルや椅子の他、レンガ造りの簡素な暖炉があり、日本製のブラウン管テレビやビデオデッキもあって、その上には角が立派な鹿の剥製、前にはまだ柔らかさを保っている化学繊維の絨毯が敷かれ、合皮のソファーが鎮座している。ソファーの適当に埃を払って座ってみると経年劣化のせいか、合皮はすぐに破れ、アトランティスはクッションであるスポンジに埋もれた。かなり質の悪いソファーだったのか、かなり使い古したソファーだったのかはアトランティスには分からない。アトランティスはソファーの骨組みの所を握り、スポンジの中から這い出す。

 なにやってんだか。

 アトランティスは陸上活動用の迷彩服に付いた小さいスポンジと埃を手で払い落とし、暖炉に向かう。暖炉の脇には予想通り、薪の入ったカゴがあった。特に虫に食われている様子はなく、十分燃料に使える薪だった。小屋の軒下に積まれていた薪は虫に食われて使えそうになかったのだ。倒したドアもそこらにあったさび付いた斧で割って薪にすれば十分は足りるだろう。

 

 小屋の崩れた部分からレンガを拝借し、簡易的な小さい窯を作る。底にレンガを敷き、レンガを積み上げて壁を作る。薪を入れる開口部は小屋にあった鋸を支え板にしてレンガを積み上げる。天蓋は開けっ放し。煙突は土管があれば付けても良かったが、見つからなかったのでない。

 そこらで採った枯れ葉や枝、小屋にあった9年前の新聞を丸めて入れて、防水マッチで火を付ける。

 マッチの赤い火は簡単に新聞紙に燃え移り、枯れ葉や枝に火を伝えていく。

 ある程度火が大きくなると細く割った木を投げ入れていく。そうして段階的に火を強く大きくしていく。最初は白い煙が上っていたが、それなりに透明になってきた。

 そこでアトランティスはあのパイロットの右手を鞄から取り出す。包んでいた布を取ると腐臭が広がり、思わず吐き気すらもよおすのだが、ぐっと堪え、薬指の指輪を取った。これまで燃やすことはない。取った指輪は迷彩服のポケットに入れた。

 指輪を取った右手を再び布で包み、火箸でそっと火の中に入れる。

 赤い炎の中でパイロットの右手が焼かれていく。化学繊維の布はすぐに燃え、融け落ち、皮膚が、爪が融け、肉が炎で黒ずんでいく。

 焼ける臭いは豚肉や牛肉を焼いたときの臭い、炭化する時の臭いとは全くの別物で、最悪なものだった。考えてみれば肉だけではなく、皮膚や爪、毛といったものも付いているのである。こんな臭いが出るのは当然だった。

 まずいな。これはまずい。アトランティスは窯から少し距離を取る。

 この臭いは強すぎる。林に囲まれているし、位置的に海まで臭いが届くことはないだろうが、体や服に臭いが付いてしまうのは問題だ。深海棲艦に化けるにあたっては臭いも重要な問題で、臭いから艦娘である、とばれなくても、深海棲艦ではない、と判断される可能性は十分にあるのだ。

 アトランティスは窯の中で焼かれていく、すでに真っ黒な手を見つめた。そして、

「ごめんなさい」

 一言呟く。自分への戒めとしてずっと見て、この臭いを感じていなければならないだろうが、それゆえに自分が沈むことになってはいけない。生かしてもらった命を無駄にしてはいけないのだから。

 

 アトランティスは沢のほとりで靴を脱ぎ、続いて靴下を脱いだ。ひんやりとした丸石が気持ちよい。

 さらに携帯無線機やナイフなどを取り出してから、迷彩服の上下、シャツを脱ぎ、ブラジャーとショーツを脱ぎ、畳んで濡れないところに置いた。その脇には水浴び後に着る、まだこっちに持ってきてから一度も袖を通していない迷彩服と下着も置いておく。

 何一つ身につけていないアトランティス。肩にかかるくらいの長さの綺麗な金髪。透き通るように白い肌。ほっそりとした腕。形の整った胸。程よいくびれ。腰から脚までの伸びるライン。

 その美しき姿容を見た者がいれば、必ずや十数秒は我を忘れ、アトランティスを見つめて、呆けていることだろう。

 しかし、ここは地中海に浮かぶ小さな島、パンテレリア島。この島に人間がいなくなったのは9年も前のこと。アトランティスの艶姿を見る者は燦々と輝く太陽と動物達以外にはいない。

 アトランティスは沢の緩やかな流れの中へ、右の足先だけをちょこんと入れる。冷たすぎることはない。そのまま右足を水流の中に浸けた。そして左足。ジャングルブーツで蒸れた足が清涼な水でクーリングされていく。

 アトランティスはそのまま、沢に入っていく。沢の深さは腰丈くらいしかない。アトランティスは目を瞑り、体を後ろに倒し、仰向けに水に浮いた。金髪が広がる。

 流されないように岩に手をやっておくこと以外、特に動くようなことはせず、ただ水に浮いている。

 水の流れる音。鳥のさえずり。風で葉と葉が揺れ、こすれる音。

 冷たい沢の水で体全体がゆっくりと冷やされていく。太陽光線は木々とそれに茂った葉によってある程度遮られ、ほどよい明るさを与えてくれる。

 こうしているとふと、普通の艦だった感覚を思い出す。

 錨を降ろし、港に接岸して補給や乗員達が上陸している、そんなときの感覚だ。

 波の音。人の声。カモメ。クレーンの駆動音。容赦なく照りつける太陽。口がないから、おしゃべりもできず、乗員がいなければ、自分の意志で体を動かすこともできない。

 それらはひどく懐かしい感覚に思えた。

 自分はそもそもは艦であり、何の因果か、人の体を得て、この世界に生まれ変わったのだ。人か、艦か。どっちか答えろと言われると人ではなく、艦だと答えるだろう。そういう意識を持っているのに、ただの艦だった頃の感覚を今思い出した、そんな感じだ。

 私は人なの? 艦なの?

 アトランティスが思考の迷宮に陥ろうとしていたとき、現実に引き戻したのは携帯無線機のピーッ、ピーッ、という呼び出し音だった。

 アトランティスはその音で飛び起き、沢から上がって、濡れる手を振って水を払い、携帯無線機を取った。

『こちらはドイツ海軍地中海派遣艦隊司令部である』

「こちらはドイツ海軍地中海派遣艦隊第2艦娘隊の仮装巡洋艦アトランティスです。用件をどうぞ」

『仮装巡洋艦アトランティス、貴官の任務は現時点をもって終了とする。本日二一〇〇時に迎えのSボートが貴官のセーフハウス前に来る。そのSボートに乗船し、ターラント基地に帰投せよ。復唱せよ』

「仮装巡洋艦アトランティスの任務は現時点をもって終了。本日二一三〇時に迎えのSボートがセーフハウス前に来る。そのSボートに乗船し、ターラント基地に帰投せよ」

『何か質問はあるか?』

「ヘラクレス作戦はまだ終了していません。任務終了の理由をお教え願いたい」

『それに関しては答えることができない。他に質問は?』

「ありません」

『では通信を終了する』

 ブッ、というノイズと共に通信は終了した。

 アトランティスは沈黙した携帯無線機を地面に置き、再び沢に入った。冷たい水流の中、アトランティスは体育座りをして、水から頭だけを出した格好になって、考える。

 どういうことだ? ヘラクレス作戦はもうジブラルタル半島を落とすだけ、という最終段階に至っており、敵補給線を妨害する仮装巡洋艦の任務はほぼ終了したと言っても問題はない。だが、ヘラクレス作戦が完全に終了するまで任務は終了しない、そういうのが筋だろう。ドイツ本国の方で深海棲艦が攻めてきたとか、そういう緊急事態が起こったなら、呼び戻す理由にはなるが、そんな話聞いていない。

 本国は私に、なにかやらせたがっている?

 その答えは迎えに来たS-323の乗員に聞いても、分からなかった。

 

 東の空が少し明るくなってきたころにアトランティスを乗せたSボートS-323はターラント基地に到着、桟橋に接岸した。基地は灯火管制をされている関係で建物からは一切の光は漏れておらず、静まりかえっている。まだヘラクレス作戦は続いているのだから、中建物の内部で仕事や任務に就いている人達はいるに違いないのだが、アトランティスの目には基地は眠っているようにも見える。

 実際、基地のイタリア兵とドイツ海軍陸戦隊のSボート警備兵数人がやってきて、S-323にラッタルが渡される。アトランティスとS-323の乗員の数人がSボートから降りた。

 これから、帰還や機雷敷設場所、撃沈戦果、そしてあのパイロットのことを、司令部に報告しなければならないのでターラント基地内部に急設されたプレハブ建てのドイツ海軍地中海派遣艦隊司令部に行くのだ。

 丸めがねをかけた司令官に一通り報告し、「以上です」とアトランティスが言うと、司令官は「任務の急な終了、すまなかったね」と謝った。

「どういうことです?」

「私は具体的な内容を一切知らないが、アトランティス、君にはどうも敵補給線妨害よりも大きな任務が与えられたようだ。この部屋を出たら、306号室に行きなさい。君を待っている人間がそこにいる」

 

 行けと言われた306号室の戸をノックすると低い男の声で「入りたまえ」と声があった。

「失礼します。仮装巡洋艦アトランティスです。ルントシュテット司令官に命じられ、参りました」

 アトランティスは敬礼をしながら、室内を目で見回す。306号室はただの会議室らしい。リノリウムの床に長机とパイプ椅子が並ぶだけの殺風景な部屋の中に3人いた。

 1人はドイツ海軍の士官制服を着た長身の50代程度の男。長身に見えるのは他の2人が小さいのもあるかもしれないが軍人らしく、きりっと伸びた背筋が長身に見せるのだろう。階級は大佐。足下には3つのジュラルミンケースが立てて置いてある。

 もう2人は女性だ。1人はドイツ海軍の女性用士官制服を着ており、赤髪を後ろで1つにまとめている。階級は中尉。もう1人の女性を見て、アトランティスはぎょっとする。なぜかといえば、その女性は自分によく似た―――――――いや、そっくりの女性だったからだ。

「当ててごらんなさい?」

 驚いたアトランティスを見て、彼女は不敵に笑って言った。

 当ててみろ、ということはドッペルゲンガーとか、そういう類いではなく、変装した仮装巡洋艦ということだろう。変装がうまい艦娘といったらドイツの仮装巡洋艦の右に出る者はいない。それに彼女が座る椅子の後ろにはアタッシュケースが置かれている。おそらく、あの中は変装するための機材で一杯だろう。

 では誰か? コルモランとピングィンは大西洋で偵察活動中。トールとミヒェルはインド洋――いや、カレー洋で活動中。オリオン、コメート、シュティーアはドイツ本国にいて、ヴィダーは太平洋で偵察任務。

 手が空いていて、「当ててごらんなさい?」なんて偉そうに言うのは、

「オリオン?」

「違いますよ」

「では、シュティーア」

「それも違います。さあ、言ってご――――」

「正解はー、ヴィダーでしたー」

 赤髪を後ろで1つにまとめた中尉が朗らかに答えた。

「ちょっと、コルモラン!」

「ヴィダーのクイズはいつも長ったらしいの」

 赤髪を後ろで1つにまとめた中尉に変装したコルモランは、あちー、と言いながら、赤髪のカツラを取った。垂れ下がってカツラの髪色と混ざらないようにまとめていた金髪を解く。

「ヴィダー? 太平洋にいたんじゃないの?」

「3日前にドイツに帰ってたよ。書類上はまだ、ジョンストン環礁を基点に東太平洋をハワイ周辺を偵察中、ということになっているけど。今、アトランティスの格好をして、ここにいるのは―――――」

「インディゴ作戦が再発動されたからだ」

 大佐がヴィダーの言葉を遮って、話し始める。コルモランに正体をバラされ、大佐にも話を遮られたものだから、ヴィダーは足を組んで、そっぽを向く。大佐はいじけたヴィダーを一瞥したが、慰めるわけでもなく、立ちっぱなしのアトランティスに座るように促して、話を続ける。

「詰まるところ、深海棲艦を生きたまま捕獲せよ、ということだ」

「それでコルモランと私はヘラクレス作戦に関連する任務を中断して、ここに来ている、というわけですか。でもなんでヴィダーが必要なんです?」

 アトランティスはちらりと、ヴィダーに目を向ける。ヴィダーは口をへの字にして窓の方――――もっともカーテンで仕切られ、外の景色は見えないが、そっちの方を見ていた。

「インディゴ作戦は秘密作戦だ。他国に悟られてはドイツ海軍としては面白くない。他国の目が多いこのターラント基地を現在の拠点にしているアトランティスの影武者として、ヴィダーを呼び戻したのだ」

 そこまでする必要性があるのか、少々疑問だが、ひとまずアトランティスは納得した。

「では、前回と同じように襲いやすい敵船団が現れたら、出撃ですか?」

「いや、そうじゃないらしいぞ」

 コルモランが一枚の写真を投げてよこした。アトランティスは危なげなく、その写真をキャッチし、写っているものを見る。

「ワ級?」

 球体に人のような上半身と深海棲艦らしい鋭角的なフォルムの頭部。確かにワ級である。しかし、その周りにいるのはリ級やハ級といった、ちんけな深海棲艦ではなく、タ級や姫クラスの深海棲艦だった。

「ただのワ級ではない。偵察部隊によれば蒼色のオーラを纏うスペシャルなワ級だ」

 アトランティスは大佐の顔を見る。冗談で言っているわけではないようだ。

「このスペシャルワ級を生きたまま、捕まえろと? 周りの護衛を倒して?」

「そうだ」

 無茶を言わないでくれ。アトランティスは内心うなだれた。




 ドイツ仮装巡洋艦の艦娘は敵支配海域の奥深くまで侵入して、偵察行動をすることが多いです。むしろ、それの方が主任務だったり。敵の動向を調べることもできるし、電子偵察なども可能ですね。
 次回、ヴィダー(正しくはヴィダーと一緒に帰った諜報部)の日本のお土産が登場します。お菓子じゃないよ。

 ではシャクティ風の次回予告。
 インディゴ作戦は再び始まってしまいました。ワ級とその護衛が出港するのを見計らい、アトランティスとコルモランとヴィダーが出撃します。
 アトランティスとコルモランの2人は日本の水上攻撃機とドイツの新兵器を最大に使って、ワ級を守る深海棲艦を追い払おうとするのですが、そこにイタリア海軍の艦娘部隊が突入してきたのです。
 そして、それは次に艦娘同士が戦い合う狂乱の光景になったのです。
 次回、「地中海を蒼に染めて」 見てください!


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Neun:地中海を蒼に染めて-前編

 投稿に時間が空いたので前話までのあらすじ。
 突如、ヘラクレス作戦における自身の任務が中止されたアトランティス。ターラントに戻ると、待っていたのは本国から密命を受けた大佐と仮装巡洋艦コルモランとヴィダーだった。
 大佐はアトランティスにこう言った。インディゴ作戦が再発動された、と。そして捕獲対象は姫クラスや戦艦クラスに護衛された蒼色のオーラを纏うワ級であった。



 淡いブルーと青味がかった薄いグレー。

 日本海軍独特の濃緑色塗装ではなく、空と機体の識別しにくくするためのブルー系迷彩塗装を施された晴嵐がアトランティスのカタパルトから3機、射出された。

 晴嵐の翼には鉄十字の国籍マーク、腹には800kg爆弾、つまるところ日本海軍の八十番爆弾ではなく、ドイツ海空軍が使用している1,000kg汎用爆弾SC1000を抱えている。本来より200kgも重い爆弾を搭載しているのに、晴嵐の飛行は鈍さを感じさせない。むしろ、以前よりも軽快にも見える。アトランティスで晴嵐を運用するにあたり、色々と改造を施したのが効いているのだろう。

 晴嵐が敵艦隊に向かっていくのに対して、アトランティスとコルモランはいまだにS-323の船上にいた。

「起動まだなの? サイラン飛ばしたんだけれど」

 偽装スーツの中のコルモランにかけるアトランティスの声には少しばかりのいらだちが混じっている。ちなみにサイランというのは晴嵐(Seiran)をドイツ語読みしたものだ。

「まだシステムが起ききってない。この前はもっと短かったんだが……作戦が終わったらメーカーに改善要求出してやる」

 コルモランが入っている偽装スーツ……これは第一次インディゴ作戦で使用した普通の偽装スーツではない。名称はWmK C/14と言い、Wasser(水上) mechanisierte(機動) Kanone() Constructionsjahr14(2014年式)の略である。デザインこそ、深海棲艦の中では一番大きいイ級を模しており、一見普通に見えるのだが、中身は全く違う。

 中に砲が備え付けられているのだ。しかも普通の砲ではなく、クルップ社が最近開発したばかりの戦車砲である130mm KwK12 L43滑腔砲が搭載されている。対装甲に特化したAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)という砲弾を使用すれば700mmもの装甲板を貫通できるという代物である。砲撃するにはスーツの口――イ級の口に当たるところを開けなければならないが、照準諸元さえ入力されていれば、開け終わるのとほぼ同時に砲弾が発射されるので隙は小さい。

「もう予備魚雷とか側面に全部吊してるのに……イタリア空軍の攻撃に間に合わなくなる」

「足踏みしたって、変わらないよ。イタリア軍が時間にルーズなことを期待しようよ」

「そうだけど、そうだけどさ!」

 今回の敵――――『ラピスラズリ』とコードネームが打たれた敵艦隊は今まで相手してきた深海棲艦とは格が違う。目標のワ級を護衛する深海棲艦の数は33体。そのうち、11体が姫クラスもしくは戦艦クラスで他は重巡クラスと駆逐艦クラスが半々という攻守ともに揃った強力な編成である。

 この強力な護衛をたたきのめし、ワ級を捕獲するには万全の態勢で望まなければならない。火力不足を補うためにWmK C/14や情報局第6局がテキントの一環で手に入れた晴嵐が投入されているのだし、インディゴ作戦について何も知らないイタリア空軍が敵艦隊を爆撃した後にアトランティス達が突っ込むという流れなのだ。なのに、WmK C/14の制御コンピューター起動のために時間を取られるなんて、最悪である。

「別にイタリア軍が爆撃したすぐ後に襲撃をかけなくても良いんじゃないの?」

 S-323と並走しているヴィダーが船上のアトランティスをなだめるように言う。

「駄目。もたもたしているとシチリアのイタリア艦娘が敵艦隊を叩きに来る」

 ヘラクレス作戦自体はもうすでに佳境を迎えている。周辺海域の制圧は完了し、残すはジブラルタル湾のみで、残存深海棲艦はそこに閉じ籠もっている状態だ。フランス軍は今すぐにでも突撃して制圧したい所なのだが、英軍の損耗が激しいため、態勢を整えている状況で、ここに『ラピスラズリ』が突入してきたらどうなるだろう。英軍はこれ以上の損耗を恐れて後退するかもしれないし、そうしたらフランス軍も後退せざる得ない。反攻の芽が摘まれてしまう。

 そのため、イタリア海軍には接近する敵艦隊をなんとしても殲滅せよ、という命令が下っている。シチリアのイタリア艦娘部隊は在籍する艦娘すべてで攻撃に当たるらしい。そうなると、アトランティス達にとっては『ラピスラズリ』が殲滅される前に襲撃をかけ、『ウルトラマリン』とコードネームを付けられたワ級を捕獲するしかないのだ。

 アトランティスは足踏みこそやめたが、今度は貧乏揺すりを始めた。

 WmK C/14の制御コンピューターが完全に起動するのは、それからさらに20分後のことである。

 

 少し時間はさかのぼり、アトランティス、コルモラン、ヴィダーを乗せたS-323が出撃して数時間したころ……

 今日は非番だから海水浴場にでも行って遊んですごそうと思い、いざ行かんと水着やタオル、サンダルが入ったバッグを手にとって部屋を出ようと、リベッチオがドアノブを握ったそのとき、ドアがこんこんと軽く叩かれた。

「だあれ?」

「――っ!?」

 ノックをした人物は扉がいきなり開けられたものだから、後ろに下がる暇もなく尻餅をついてしまった。

「だ、大丈夫!?」

 ノックした人物が尻餅ついたことに気付いたリベッチオは慌てて、でもゆっくりと扉を開け直す。

 尻餅をついていたのはノースリーブのセーラー服と短めのスカートを着て、薄紫色の髪の少女だった。少し日に焼けた肌と変な髪型―――――髪を頭の上でくくっている。まるで西遊記の緊箍児きんこじの輪みたいにも見えるし、帽子を被っているようにも見える。スカートには赤い文字で「Sc」と書かれている。

 リベッチオと同じマエストラーレ級駆逐艦のシロッコだった。

 シロッコはリベッチオが差し出した手をつかんで、スカートの後ろを軽くはたきながら立ち上がった。

「ごめんね、シロッコ」

「なに、問題はないよ」

「あ、そうだ。シロッコも泳ぎに行こうよ!」

 シロッコは戦闘や航行はかなりできるのだが、あまり泳ぎは得意でない。普通の艦の時、荒天時に沈没したのが影響しているのかもしれない。まだヘラクレス作戦中で非番の時でもあまり遠くに出かけてはいけない、と言われているのだが、もうヘラクレス作戦自体、佳境を迎えているのだし、増援がどうしたこうしたという話もあるが、大きなことにはならないだろう。別に今じゃなくても良いのだけれど、思いついたときにするのが一番だ。

「海水浴か……それも良いが、今日ばかりはよそう」

「え? なんで?」

「私達、第10駆逐隊に出撃命令が下った」

「出撃? 非番でしょ?」

「非番は取り消しだ。悲しいことだが……そのバックは置いて、司令部に行こう」

 シロッコはリベッチオに同情しているような悲しげな顔を浮かべた。リベッチオもシロッコの顔を見て、少し悲しくなる。

「じゃあ、また今度行こうね」

「うん、また今度行こう」

 シロッコとリベッチオが司令部の作戦会議室についた時にはすでにマエストラーレやグレカーレ、MST艇の乗員も着席していた。

「遅いよ」

 グレカーレが会議室に入ってきたリベッチオとシロッコに言う。

「だって非番だったもん」

「まあ、別に良いよ。中佐はまだだけど、そのうち来られるだろうから」

 リベッチオ達が談笑しながら、待っていると5分ほどしてターラント基地指令の中佐が会議室に入ってきた。

 ターラント基地の基地指令であるこの中佐は南イタリア出身で黒髪なのに髭が金色というトレードマークを持つ恰幅の良いおじさんで、暇があって天気が良ければ艦娘を近場の海水浴場に連れて行って水泳を教えている。南イタリア人らしく毛深く、たまに髭ジョリジョリしてくるので、潔癖な艦娘には嫌がられているが、好かれていないわけではない。最近はヘラクレス作戦の方で奔走しているので、水泳も髭ジョリジョリもできないと不満を洩らしている。

「マエストラーレ級の4人には非番なのにすまないのだが、すぐに出撃してもらう」

「それ相応の理由はあるんでしょうね?」

 グレカーレが眼鏡の位置を直しながら、中佐に尋ね、中佐は「もちろん」と返す。

「皆も耳にはしているだろうが、戦艦棲姫や戦艦クラスを中核とする深海棲艦の艦隊がスエズから出て、現在、クレタ島沖を西進している」

 中佐は持ってきた茶封筒の中から数枚の写真を取り出し、海図台の上に置いた。1枚は深海棲艦の艦隊全体を捉えた写真で、もう1枚は艦隊の先頭を航行している戦艦棲姫をアップで撮影したものだった。

「戦艦棲姫に戦艦クラス10体、他は重巡クラスと駆逐艦クラスで計32体だ。ジブラルタルはもうすぐ落ちそうとはいえ、英仏の攻略部隊はかなり損耗しているらしい。この艦隊がジブラルタルに到着したら――――」

「まずいから第3艦隊がシチリア海峡で決戦するんでしょ? そのためにコンテ・ディ・カブール級やアクィラを第3艦隊に編入したんだし」

 ジブラルタルを攻略するにあたって、スエズやマルタから深海棲艦の増援が来ることは人類側とて承知していた。だからこそ、ヴィットリオ・ヴェネト級4隻をシチリアに在する第3艦隊に加えていたのだし、今回の敵と決戦するに当たって、タラントからコンテ・ディ・カブール級3隻を引き抜き、それにイタリア海軍唯一の空母アクィラも編入させたのだ。戦艦の数では劣るが、深海棲艦側には空母がいない。そうそう負けはしないはずである。ことさら、リベッチオ達が出撃する意味がよく分からない。

「そうなんだが、シチリア周辺の哨戒任務に当てられていた第3艦隊以外の艦娘部隊も決戦に参加させることになってな」

「リベ分かった! 哨戒部隊が足らなくて、決戦前に敵の発見が遅れるかもしれないからリベ達が出て行って敵を見つけるんでしょう!」

 リベッチオが手を上げて高らかに叫ぶ。中佐は円満の笑みだ。

「ご名答。第3艦隊の要請では威力偵察してくれという話だったが、無理しなくてもいいからな」

 威力偵察というのはこそこそと偵察するだけでなく、自分達から攻撃をすることで敵に反撃させ、敵の勢力や装備などを把握する偵察行動である。威力偵察をすることで、敵の別働隊の有無が分かる場合もあるし、敵が馬鹿であれば、戦力を自分達から分断してくれる時もある。

 第3艦隊が威力偵察を要請してほしい、と言ったのは別働隊の有無を確認するためである。いくらイタリアの精鋭戦艦艦娘を集めたとはいえ、数で深海棲艦に劣っているのである。できるだけ戦闘は優位に進めたい。そのために別働隊の有無の確認は必須である。砲撃戦をしている間に別働隊に後ろを取られて挟撃、なんて堪ったものじゃない。

「なぜ威力偵察はしなくても良いのです?」

 シロッコが無理しなくても良い、という言葉に対して中佐に尋ねる。

「電子偵察機によれば、この艦隊のほぼ全個体がレーダーを装備しているらしい。だから、あえて攻撃しなくてもレーダーの索敵範囲内に入るだけで、何かしらの通信電波を出すだろうから、それで別働隊の有無はわかる」

「それで良いのでしょうか?」

「それで良い。いかんせん、相手の戦力が大きすぎる。ちんけな威力偵察で君達を失うわけにはいかない」

 

 トーネードIDS攻撃機が23機、トーネードECR電子戦闘偵察機が2機、AMXギブリ軽攻撃機が8機。計33機のイタリア空軍所属攻撃機がスエズからの深海棲艦増援を叩くべく、地中海の空を南下していた。

 これらの機体の翼や胴体下にはミサイルが大量にぶら下げられている。

 深海棲艦を通常航空機で撃破するというのは特におかしいなことではない。深海棲艦が艦娘の砲弾を食らって沈むのだから、航空機のミサイルが当たっても沈むのは当たり前なのだ。

 攻撃隊は哨戒機のブレゲーアトランティックとデータリンクすることによって、敵艦隊の位置を把握している。あとはミサイルの射程距離内に入り、発射するだけである。

 トーネードIDSやAMXが搭載している AGM-65 マーベリック対地ミサイルやブリムストーン対戦車ミサイルの射程距離は20kmで、深海棲艦の高角砲の最大射程は15~20kmのため、射程距離では五分五分なのだが、随伴するトーネードECRのジャミングのおかげで深海棲艦のレーダーは潰されているので攻撃側が圧倒的有利な状況である。

「マスターアームをエイムに」

 トーネードIDSとAMXのパイロット達がマスターアームスイッチをセーフ状態からエイム状態し、操縦桿の発射スイッチに指を置く。あとは発射スイッチを押すだけで火蓋が切られる。

「攻撃開始!」

 パイロット達はスイッチを押した。するとマーベリックとブリムストーンのロケットモーターが即座に点火し、パイロンから飛び出していく。

 その数はマーベリックが46発、ブリムストーンが16発。各機2発づつ発射した形だ。

 マーベリックとブリムストーン。62発のミサイル群は薄い噴煙で直線の軌跡を描きながら、深海棲艦目がけ、超音速で空気を切り裂いていく。

 深海棲艦側もレーダーが効かなくなってからは対空監視を厳にしていたおかげで、飛来するミサイルを距離8kmの時点で確認できた。しかし、たった8km。音速超えの速度を発揮するミサイルにとっては8kmなど20秒未満で到達できる。

 深海棲艦の動きは迅速だった。ミサイルの発見を仲間に知らせ、対空砲火を上げる。しかし、ミサイルは始まったばかりの薄い弾幕を悠々と越えて、艦隊に突入する。

 マーベリックとブリムストーンがタ級に、ル級に、リ級に、イ級に、ロ級に、二級に命中する。深海棲艦は障壁で防ごうとするが、強力なHEAT弾頭の前には敵わなかった。高温高圧のメタルジェットは展開された障壁を簡単に突破し、深海棲艦の肉体に突き刺さり、貫通する。マーベリックの中にはHEAT弾頭ではなく、高性能爆薬が詰まっただけの通常弾頭もあり、命中しなくても海面で大爆発を起こして、周囲の深海棲艦を吹き飛ばした。

 23体の深海棲艦が損害を受け、そのうち6体の深海棲艦はまともに直撃を受けて、轟沈した。

 かなりの被害。しかし、これは第一波であり、序の口に過ぎない。トーネードIDSとAMXは第二波、第三波と攻撃を繰り出した。

 あれを迎撃することなどできない! 散開! 各自回避に専念せよ!

 賢い戦艦棲姫は他の深海棲艦に命じる。第一波で飛来したミサイルの数は62発。そのうち、直撃したのは19発で、命中率にしたら約30%に過ぎない。回避行動に専念すれば、命中率は大幅に下がる。

 敵弾飛来!

 深海棲艦の誰かが叫んだ。皆最大速度で海面を走る。ミサイルのほとんどは海面に突っ込む。第二波のミサイル数は78発。マーベリックが46発、ブリムストーンが32発。

 命中したのは5発のみ。第一波で被弾し、動きの鈍った数体に当たっただけだ。通常弾頭のマーベリックは破片と爆風によって着弾半径50m以内の深海棲艦に小さな損害を与えたが、撃沈までには至らない。

 深海棲艦は駆逐艦クラスや補給艦クラスを除いて、ヒト程度の大きさしかない。元々戦車などの大型目標を撃破することが目的だったミサイルは深海棲艦に対しての命中率は極めて低いのだ。

 第三波はマーベリックが69発、ブリムストーンが48発。計117発。攻撃隊は第4波まで行う予定だったが、第二波が深海棲艦に与えた損害があまりに小さかったため、第3波に残ったミサイルすべてを放ったのだ。

 実直にマーベリックとブリムストーンは深海棲艦に突入していくのだが、あと30cm右を飛んでいれば、というくらいで回避される。回避されたミサイルはHEATのメタルジェットを海中に虚しく散らせる。

 第3波で命中したミサイルは13発。これもまた第一、第二波によって動きが鈍った深海棲艦に当たったのみで、新たに被弾した深海棲艦はいなかった。

 トーネードIDSとAMXによる空襲による深海棲艦の損害は沈没だけでも駆逐艦クラス6体、重巡クラス3体、戦艦クラス4体。

 生き残ったのは戦艦棲姫1体、輸送ワ級1体、駆逐艦クラス4体、重巡クラス7体、戦艦クラス7体。計20体。深海棲艦は約4割の戦力を失っていた。

 地中海の蒼さが増していく。

 




 うわっ…攻撃隊のミサイル、当たりすぎ…? あと2、3回攻撃するだけで深海棲艦全滅するじゃないか……。でもイタリア空軍はほぼ全力の攻撃機を出撃させて攻撃させたから、ま、多少はね。
 ちなみに現代イタリア空軍のトーネードIDS装備飛行隊は2つしかないです。深海棲艦と戦争するとなれば、戦闘機の部隊を減らして攻撃機の部隊を増やすでしょうけれど……。
 あと、投稿が非常に遅れてすいませんでした。お詫びに冒頭に出た晴嵐(独改造型)の詳細をちょっと書きますので、ご容赦のほどを……。

愛知航空機M6A1 晴嵐
 日本海軍が第二次世界大戦中に開発した水上攻撃機。こちらの世界では艦娘用艦載機として少数ながら量産されており、潜水艦娘用艦載機、航空巡洋艦用艦載機として使用されている。しかし、艦娘用レーダーの性能向上により索敵機として使用されることはなく、もっぱら潜水艦娘による奇襲攻撃に用いられる。
 使いようによっては大きな戦略性を持つ航空機のために同じ愛知飛行機の瑞雲とは違い、輸出は考えられていなかったが、ドイツ連邦情報局第6局のテキントの一環として3機が極秘に奪取され、ドイツ本国に渡ることになる。
 本機は徹底的に調査された後、いくつかの性能向上と実戦運用のための改造を行われた後、仮装巡洋艦「アトランティス」の搭載機として配備される。

改修点
・エンジンを熱田32型(1400hp)からDB605(1775hp)に変更
・いくつかの変形機構をオミット
・後部機銃を2式13mm機銃からMG 131 機関銃に変更
・カタパルト射出装備をドイツ式に変更
・爆弾懸架装置をドイツ式に変更(1000kg爆弾まで搭載可能)
・通信機をドイツ式に変更。エールストリング敵味方識別装置の搭載
・機体色をブルー系迷彩に変更
 
 本編に関しての感想を頂けたら、作者は非常に喜びます。


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Zehn:地中海を蒼に染めて-中編

MST艇
 イタリア海軍が運用する魚雷艇兼艦娘母艦。船型は全没型水中翼船型であり、高速航行時には翼航走(フォイルボーン)を行い、通常時は艇体航走(ハルボーン)する。
 武装はオート・メララ76mmコンパクト砲1門、533mm魚雷発射管2門、ブレダ30mm連装機関砲2基。運用可能な艦娘の数は4名。



 WmK C/14がそもそも開発された理由は駆逐艦娘の火力不足にあった。もちろん駆逐艦には必殺兵器である魚雷があるのだが、いかんせん魚雷は命中率が低く、1発や2発が当たっても戦艦クラスを沈められるような兵器ではない。最近の戦艦クラス深海棲艦は機敏に動くため、適当に撃ったのでは当たらないのだ。

 命中率を上げるには回避できないくらいに接近するのが一番なのだが、それは性能、練度、士気が三拍子揃った駆逐艦娘でなければならない。

 「全軍突撃せよ!」の号令一下、たとえどんな敵が撃ってこようと魚雷が当てられる距離まで、しゃむに突進する。それこそ猟犬のごとき駆逐艦が日本海軍には揃っているのだが、ドイツ海軍は艦隊決戦よりも機雷敷設や通商破壊が主で対艦戦闘には消極的であり、イギリス海軍は第二次大戦でSボートに苦しめられたのが反映しているのか、対潜戦に執着を見せている。

 そんな具合なので、駆逐艦だけの哨戒部隊などが快速の戦艦クラス深海棲艦に出くわしたら、大損害待ったなしという具合なのである。

 これは問題だ、ということで駆逐艦の火力増強を狙ってドイツで開発されたのが、WmK C/14だった。

 ドイツの大砲メーカーであるクルップ社が開発した最新戦車砲である130cm KwK12 L43滑腔砲に耐水・防錆処理を施し、海上で使うのに適したFCSやその他のシステムを備え、さらには艦娘の簡易補給所としても機能するように砲弾や魚雷、糧食の保管庫すら装備という画期的な艦娘支援装備なのである。

 ちなみにコルモランが登場しているWmK C/14は駆逐イ級の外見を模した特別仕様の外装であるが、通常型は繊維強化プラスチックの平板で構成された簡素なものである。

 

 アトランティスとコルモランはイタリア空軍が攻撃を終了して十数分後。コルモランはWmK C/14の中、アトランティスはネ級にメイクアップして海上迷彩色のステルスマントを被った状態で、敵艦隊『ラピスラズリ』まで5kmという近距離に迫っていた。

「始めよう」

 アトランティスはステルスマントを被ったまま、両腕、両足の太腿とふくらはぎに装着した4連装魚雷発射管からFaT I魚雷24発を放った。

 電気推進のFaT IIと違ってウェットヒーター推進のFaT Iは排気ガスを青白い航跡として残しながら、敵艦隊の予想位置に向かって突進していく。

「次、TV」

「右ハッチ」

 アトランティスの声にコルモランは反応して、WmK C/14内部の基盤を操作して右ハッチを開ける。

 右ハッチが開かれた先にはドイツでは量産され始めたばかりの音響誘導魚雷TVが16本がマス目状のケースに入っていた。アトランティスはTVをケースから1本ずつ丁寧に取り出し、腕と太腿の魚雷発射管に装填する。そして発射。

 16本のTVは雷跡を残さず、地中海の青い海に溶け込んだまま、敵艦隊に向かっていく。

「次、FaT II」

「左」

 続いて左ハッチ。右ハッチと同じようにFaT II魚雷が16本、マス目状のケースに入っている。FaT IIには慣れているので、流れるように発射管に装填、16本すべて発射した。これもまたFaT I、TVに続いて敵艦隊に向かっていく。

 計56本の魚雷が『ラピスラズリ』を襲うのは5分18秒、6分40秒、6分45秒たったときである。

 

 敵艦隊『ラピスラズリ』はいまだ西進を続けている。

 『ラピスラズリ』はイタリア空軍の攻撃により、戦力の実に4割を失った。しかし、旗艦である戦艦棲姫はジブラルタルに行くことを諦めていない。

 戦艦棲姫は護衛対象である輸送ワ級に目をやる。飛来するミサイルを他の駆逐艦や巡洋艦が防いでくれたおかげで、ワ級にはまだかすり傷1つ付いていない。

 私が沈んでも、コイツがジブラルタルに到着してくれれば……ジブラルタルは落ちない。

 そう、戦艦棲姫が思うほど、このワ級は深海棲艦にとって大事な存在だった。

 雷跡!

 誰かが叫んだ。戦艦棲姫は頭をぶんぶんと振って、周囲を確認する。2時方向から無数の青白い線――――雷跡が近づいてきていた。

 深海棲艦達はおのおのに回避行動を取る。所詮、雷跡を残す空気魚雷。深海棲艦は余裕で回避する。回避行動をしたことによって艦列が乱れることもない。もし敵が第2弾の魚雷を放ってくるならば、三角測量で相手の位置を推測できる。だから、進路を変わらなかったし、変えなかった。

 しかし、それはすべて裏目に出ていた。

 左舷に雷跡! 

 その声を聞いて戦艦棲姫は舌打ちをする。相手は複数体の潜水艦――――ウルフパックに違いない。駆逐艦を半数失った今、こっちから攻撃的に潜水艦を沈めに出ることはできない。こうなったら全速力でこの海域を突っ切る。潜水艦の航行速度は水上艦よりも格段に遅いのだから、逃げられる。

 とりあえず、この魚雷を避けねば。

 戦艦棲姫、その他の深海棲艦も左舷から迫る魚雷の回避に努める。無数の魚雷と魚雷の間を位置取ろうと動く。

 そのときだった。

 戦艦棲姫の背後で爆発が起こった。破片、衝撃波、悲鳴。足にバブルパルスの衝撃波を感じる。

 振り返ると、後ろを航行していたル級が足を吹き飛ばされて海面に崩れ落ちる瞬間だった。

 いったい何が? 左舷から来る魚雷はまだ到達していない。被雷したコイツが前に突出したわけでもあるまい。この艦隊には精鋭を集めたのだ。新米もしないようなミスをするだろうか、いや、するはずがない。では何が――――

 ゴツン。

 足に何か当たった。

 戦艦棲姫が当たったものが何かを理解する前に、音響誘導魚雷TVは炸裂した。

 

 ドカン。ボカン。ドコン。

 魚雷の爆発音はそんな擬音語で表現できそうな、くぐもった音のようにアトランティスは感じた。

 アトランティスとコルモランは全速力を持って敵艦隊『ラピスラズリ』に向かっていた。魚雷で攪乱し、混乱している隙を突く。これ以外に戦艦棲姫を中核とした大艦隊に対抗する手段はない。

 まだ魚雷の爆発は続いているが、爆発音の数は減っている。まだ当たらずに海中を走っている魚雷はFaT IとFaT IIしかないはず。電気推進のFaT IIは航続距離が短いから、もうあまり時間はない。

 『ラピスラズリ』まであと1.5km。確実に砲を当てられる距離までは、あと2分はかかる。17.5ノットしか出せない自分を今以上に呪ったことはない。

 アトランティスは敵の数を確認する。ざっと見て、10体いるかいないか。あと1km。

 残っていたリ級の1体がアトランティスの方に顔を向けた――――が、すぐに海面に顔を戻した。味方と思ってくれたのか、接近する魚雷の方に注意を向けただけか、それは分からないが、砲を構えたりしなかったあたり、メイクはしっかり効いているようだ。まだ勘違いしてくれている間にアトランティスは距離を詰める。あと700m。

 さすがに動きが変だと思われたのか、数体の深海棲艦がアトランティスを指さし始めた。それを見たアトランティスは無線に向かって叫ぶ。

「爆撃開始!」

 アトランティスの命令によって、『ラピスラズリ』上空で待機していた空色の晴嵐3機が急降下を始めた。

 晴嵐の腹には独ソ戦において戦艦マラートを大破着底させた1,000kg汎用爆弾SC1000。

 風切り音を響かせながら、晴嵐3機はアトランティスを指さす深海棲艦へと向かっていく。目標の深海棲艦2体は未だアトランティスが敵か味方か、判別しかねている。

 レーダーはECMによって潰され、空に溶け込むブルー系迷彩に塗装された晴嵐に気付くはずもない。

 投下された1,000kg汎用爆弾SC1000は間抜けなタ級とリ級に命中。爆弾は脳天をかち割って、胸の辺りまで体内に侵入してから爆発した。2体はミンチより悲惨な何かへと変わる。

 晴嵐の仕事はまだ終わらない。機体を水平に引き起こしてから、赤、黄、青といった派手な信号弾を撃って、他の深海棲艦の目を引く。

 数体の深海棲艦は悪態を付いて、ふざけ腐った晴嵐を打ち落とすべく、砲を空に向ける。

 しかし、その砲が撃たれることはなかった。

 アトランティスが放った15cm砲弾は的確に晴嵐を狙った深海棲艦の頭部を刈り取っていた。

 頭を失い、首から蒼い血を噴き出させる深海棲艦は、糸が切れた操り人形のように力なく、海面に斃れる。

 アトランティスは15cm砲をワ級に向ける。撃破させまい、と間に割って入る戦艦ル級。アトランティスは15cm砲を撃つが、戦艦にとって豆鉄砲同然の15cm砲弾は余裕で弾かれる。

 ル級はにたりと笑った。そして、それが最後だった。

 真横から音速の4倍以上の速さを持つ矢が飛来し、ル級の腹部を貫いた。コルモランが操るWmK C/14の狙撃である。

 上半身と下半身に千切れたル級は笑顔を顔に張り付かせたまま、沈む。

 アトランティスとコルモランはまだ自体を理解できておらず、棒立ちの状態だった他の深海棲艦を次々と撃ち抜いていく。

 

 こいつらは味方じゃない! 敵だ!

 戦艦棲姫がそう結論づけ、反撃に出ようとした時には、残っている深海棲艦は戦艦棲姫とワ級、ネ級の3体になっていた。

 その残っていたネ級もアトランティスから距離を取った瞬間、コルモランが操るWmK C/14に撃ち抜かれる。130mmAPFSDSは障壁などまるで紙か何かのように簡単に突き破り、ネ級の左腕を千切った。

 悲鳴を上げるネ級。そこにアトランティスの容赦ない砲撃。3.7cm FlaK M42高射機関砲から撃ち出される無数の砲弾はネ級に反撃を許さない。アトランティスはFlak M42を撃ち続けながら、ネ級の眼前に迫り、喉元にナイフを突き刺した。

 ネ級の口から蒼い血が溢れ出る。

 ネ級は最後の力を振り絞って、アトランティスのナイフを持つ左腕を残った右手で掴んだ。アトランティスはネ級を振り解こうとするが、ネ級の握力は強く、できない。ネ級は笑っている。

「くそっ!」

 アトランティスは15cm砲をネ級の右肩に突きつけるが、腔発を恐れて、引き金を引くのを一瞬ためらった。そのためらいが、隙となった。

 戦艦棲姫の怪物じみた艤装がその巨大な拳で、アトランティスをネ級もろとも殴りつけた。見た目に反しない強烈なパンチによって、アトランティスとネ級は十数mも飛ばされる。アトランティスはネ級のせいで受け身を取ることもできなかった。海面を数度水切りして、ようやく止まる。

 ネ級が沈み、アトランティスが立ち上がろうとした、そのときには――――なんという素早さだろう、戦艦棲姫は眼前にいた。すでに艤装の拳は高く振り上げられており、アトランティスを叩き潰そうとしていた。

 この距離では誤射を恐れて、撃てまい。戦艦棲姫にはコルモランのWmK C/14に対して、そのような考えがあった。ここで、この偽物巡洋艦を叩き潰し、偽物駆逐艦を叩きのめせば、終わりだ。戦艦棲姫はそう思った。

 それは侮りだった。

 WmK C/14に搭載されたFCSは揺れる海上でも深海棲艦の部位を狙って、撃ち抜くことは十分可能だった。ましてや相手は図体の大きい戦艦棲姫。できないはずがない。

 5.5mもの長い砲身から発射された130mmAPFSDSは戦艦棲姫の強固な障壁を突き破って、振り上げていた戦艦棲姫の右腕を肘からもぎ取った。

 戦艦棲姫は舌打ちしながら、艤装の左腕を振り上げさせる。装填は間に合わないはず。片手なんてくれてやれ。

 しかし、その考えも打ち砕かれる。WmK C/14には自動装填装置があった。数秒でKwK12 L43滑腔砲に130mmAPFSDSが装填され、発射された。

 発射されたのは戦艦棲姫の艤装が左手を振り下ろすのと同時。130mmAPFSDSはコルモランが狙った肘には命中しなかったが、左手首に命中した。千切れた拳がアトランティスに飛んでいったが、アトランティスを叩き潰すほどのパワーはない。

 アトランティスは飛んできた拳を精一杯の力ではねのけ、戦艦棲姫に迫った。

 逃げるのではなく、攻めてくるか!

 戦艦棲姫は意表を突かれ、後ろに下がるが、前に進むアトランティスの方が速い。

 アトランティスは右手に持つ15cm単装砲の砲身を戦艦棲姫の小さな口に突っ込んだ。ふがふが、と戦艦棲姫は何か言おうとしているが、知ったことではない。

 今度は腔発をためらわない。ここで確実に仕留める。

 アトランティスは引き金を引いた。

 

「ふぅ……」

 アトランティスは一息つく。右手が少し痛い。砲弾の爆発の衝撃波をもろに受けたせいだろう。痛みのない左手で顔に付いた血を拭う。

 目の前には頭がなくなった戦艦棲姫。怪物のような艤装部分も沈黙している。

『終わった?』

 コルモランからの通信。アトランティスはもう一度、戦艦棲姫の死体を見る。支えるものがなくなった首からは噴水のように小さく蒼い血が吹き出し、白い肌が青に包まれていく。怪物じみた艤装の口もだらしなくよだれを垂らし、砲塔も動いていない。確実に事切れている。

 死体は立ったまま、沈んでいく。

「終わってないよ」

 アトランティスは残ったワ級を見て、コルモランに返答した。

「ワ級を連れて帰らないと、ね」

 

 マエストラーレ級の艦娘4人を乗せたMST艇MST-15はドイツ側の呼称で『ラピスラズリ』と呼ばれる敵艦隊を追って、西進していた。

「通信が回復しました」

 無線手が艇長に報告する。この十数分の間、強力なECMによってイタリア軍の通信とレーダーが遮断されていたのだ。これはSボートS-323によるものなのだが、MST-15の乗員達はそのことを知らない。

 艇長は哨戒機ブレゲーアトランティック「ロメオ8」に敵艦隊の様子を聞くように指示する。無線越しにロメオ8からの報告を聞いて、無線手は顔をしかめる。

「どうした?」

「どうも、ロメオ8側が混乱しているようです。数がおかしいとか……」

「空軍が攻撃したのだろう? 1体、2体を数え間違えているだけじゃないのか?」

「いや、さきほどまで敵艦隊がいた位置に今は3体しかいないと。それも重巡クラスと駆逐艦クラス、輸送艦クラスしか……」

 無線手の困惑じみた報告を聞いて、艇長は考える。

 ECMによって通信とレーダーが妨害されていた間に敵艦隊はバラバラに散らばったか、それとも空軍の攻撃によって損傷は食らったもののすぐには沈まず、ECMの間に深海棲艦のほとんどが沈んだのか……後者はあり得ないだろう。通常の航空攻撃だけで大規模の深海棲艦艦隊を壊滅、なんてことはあった試しがない。なら前者だ。

「敵をあぶり出す必要があるな。マエストラーレ達に出撃準備させろ」




 エピローグも含めれば、あと2話くらいかな?


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Elf:地中海を蒼に染めて-後編

 投稿が1ヶ月も遅れるという……。
 さらに後編に収めようとしたら1万文字越えちゃった。


 アトランティスは痛みのない左手で3.7cm FlaK M42高射機関砲を構える。

 砲口を向けられたワ級は逃げもせず、反撃もせず、観念したしたかのように、ただ佇んでいる。

「何だコイツ……?」

 通常のワ級は数門の砲や機銃を持っており、悪あがきとばかりに反撃してくるものだが、蒼いオーラを纏ったこのワ級は慌てた様子もなく、ただ静かに佇んでいる。アトランティスはある種の気持ち悪ささえ感じた。

 今は静かにしておいて、こっちが油断したら攻撃し、逃走する気なのか。それとも、本当に武装がなくて攻撃ができないのか。

 アトランティスは今までの状況から後者だと判断する。あそこまで強力な護衛部隊に守られていたのだ。このワ級がただのワ級ではないことは確かである。

 アトランティスはワ級の後ろに回り、ワ級の背中に「抵抗したらコイツが火を噴く」という脅しとして3.7cm FlaK M42を突きつけ、進ませるためにまだ痛みが残る右手でワ級を押した。

 深海棲艦の体は色味の割には、やはり温かかった。

 

 イタリア海軍艦娘が装備しているレーダーは他国から輸入したものがほとんど……いや、全てと言ってよいだろう。イギリス製は271型対水上レーダー、279型対空レーダー、281型対水上レーダー、ドイツ製はFuMO22ゼータクト対水上レーダーやFuMG 321フレイヤ早期警戒レーダー。どれも最新式ではないが、第一線で使われている優秀なレーダーであり、イタリア海軍では自国製レーダーの開発に注力しながらも、外国製レーダーによって運用ノウハウを得ようと努力している。ちなみに配備数はイギリス製レーダーが多く、ドイツ製は少ない。

 第10駆逐艦戦隊旗艦のマエストラーレはイギリス製の271型レーダーを搭載していた。3GHzの電波は深海棲艦――もっともアトランティスとコルモラン、ワ級のことだが、それとは別の影もしっかりと捉えていた。

 マエストラーレは首を傾げ、グレカーレに尋ねた。

「この海域に出撃している部隊って私達以外、いたっけ?」

「いる。確か、ドイツ海軍の仮装巡洋艦。名前は――――」

 「アトランティス」とシロッコがグレカーレに先んじて、名前を言う。

「ああ、アトランティス。オーメドン号事件の。でもなんでまた? 仮装巡洋艦1隻の火力じゃ、何もできないのに」

 仮装巡洋艦の武装は15cm程度の砲、魚雷、対空機銃、機雷と武装だけを見れば軽巡洋艦クラスだが、砲門数は少ないうえ、改造元が商船なので装甲もなく、足も遅い。いくらメイクによって深海棲艦に化けられるといったって、積極的な偵察は難しいし、敵と判断された場合、簡単に沈められてしまう。この場にいるのは少し妙だ。

「エリント?」とグレカーレ。

「何かの極秘任務かなぁ」はリベッチオ。

「とりあえず、二手に分かれよう。私とシロッコは深海棲艦の方に、グレカーレとリベッチオは仮装巡洋艦アトランティスと思われる方に」

 マエストラーレの分け方にシロッコは少し不満げな顔をした。

「シロッコ、どうした?」

「私はアトランティスの方に行きたいのだが」

「却下」

 マエストラーレはシロッコの意見を即座に一蹴した。シロッコは顔を歪ませる。

「なぜ?」

「姉としては不服だけど、姉妹の仲で一番強いのはシロッコだもの。確実に深海棲艦と分かる方にシロッコは連れて行きたいわけ。何、私の事嫌い?」

「いや、そういうことではないが」

「なら、付いてきなさい」

 シロッコはまだ不服そうだったが、気持ちを切り替えて、マエストラーレの後ろに付いた。マエストラーレは無線で母艦のMST艇MST-15に連絡を取る。

「二手に分かれるから、MST-15は私、マエストラーレとシロッコの方に来て。共同で攻撃する」

 

「まずいですよ! 非常にまずいです!」

 窓越しのヴィダーが発する大声は艦橋の中でも十分に聞こえた。S-323の艇長は、そんなに大きな声を出さなくても良いのに、と思いながらS-323の背の低い艦橋から出る。

 艇長は少々うんざりした顔でアトランティスそっくりの格好と顔をしたヴィダーに何事かと尋ねる。

「イタリア海軍のMAS艇ですよ!」

「MST艇だろ。それくらい逆探で気付いている。もちろん艦娘らしきものもな」

「気付いていたんですか? なら早く言ってください」

「こっちも言おうと思っていたところだ」

 S-323には最新の電波兵器が搭載されているが、今は逆探以外は使用していない。ステルス性の高いS-320型でも自分から電波を発すれば、その居場所は一目瞭然になるからだ。しかし、ヴィダーはアトランティスが「ここにいる」というアリバイを作るためにステルスマントを被ってもいないし、レーダーも使用している。

「こっちじゃ、レーダーを使っている艦娘しかわからん。1隻というのは確実なんだが、他は分かるか?」

「艦娘は4隻です。あ、今、二手に分かれました。2隻と2隻です。進路は私達の方と……アトランティスの方ですね……」

 ああ、これはまずいな。そんな風に思ったのか、ヴィダーは苦笑する。一方、艇長は苦笑もできない。

「アトランティスの方に行った艦娘は何ノットで航行している!?」

「えっと、22ノットほどですね。アトランティスまでの距離は20kmくらいです」

 距離20km程度で22ノットなら30分程度である。

「あ、MASの方も動き出しました。アトランティスに行く方について行ってますね。速度は同じく22ノットです」

 それを聞いて、艇長は甲板をぐるぐると歩き始める。

 MST艇のMST-10型の最高速度は51ノットで今は22ノット。S-320型の最高速度は42ノット出せる。自分たちとアトランティス達の距離も20kmほどだから、最大速度で向かえば15分でアトランティス達の所に到着することができる。約15分の余裕ができるが、その15分でアトランティスとコルモラン、捕獲したワ級を回収することができるだろうか? 回収するだけならできるだろう。しかし、MST艇や艦娘に捕捉されるのは間違いない。MST艇の最大速度は50ノット。S-320型とは8ノットも差がある。逃げ切れないだろう。

 レーダーを妨害すれば、何とかなるだろうか? イタリア艦娘の使用しているレーダーはイギリス製の271型だから妨害するのは簡単で、ECCMは不可能だろう。しかし、MST艇の方が問題だ。アトランティス達が『ラピスラズリ』に攻撃をかけた際に一度、CW方式の狭帯域連続波妨害を行っている。ノイズ方式やパルス方式でやればもう一度、妨害することは可能だろうが、逃げ切れるまでECMができるかどうかは疑問である。

 一番安全なのは、「君達のレーダーに映っている深海棲艦は、実はドイツ軍の仮装巡洋艦だよ。深海棲艦は壊滅したよ」と教えてしまうのが一番早い。そうすれば、イタリア海軍側も追い回す必要性がなくなる。しかし、今までの経緯などを話すとインディゴ作戦の存在がばれてしまう。それはまずいだろう。

 いや、まずいのか? すでにワ級の確保には成功している。インディゴ作戦自体は深海棲艦を捕獲することが目的であり、捕獲した深海棲艦自体は後々、世界に公表されることになるのは間違いない。インディゴ作戦で秘匿したいのは「ドイツ仮装巡洋艦が行った」とか「生きたまま深海棲艦を捕獲する」ということではなく「()、そういう作戦が行われている」ということだろう。裏の事情は色々あるにしても、独力(・・)でドイツがそういうことを成し遂げた、と公表するのが「インディゴ作戦」の狙いなのだ。おそらくは。しかし、できるだけバレない方が良いだろう。

「ヴィダー、お前はここに残れ。俺達はアトランティス達を迎えに行く」

「え、じゃあこっちに来る艦娘はどうするんですか?」

「お前が対応しろ」

「そんな!」

「任せたぞ」

 

 アトランティス達はS-323との合流地点に向かっていた。

 途中、イタリア軍のブレゲーアトランティック哨戒機がアトランティス達を見張るかのように高射砲の射程ギリギリを飛行していたが、煙幕を張って針路を変えてからは見ていない。おそらく、アトランティス達を見失って、別の海域を探しているのだろう。

 アトランティスはワ級の背中に3.7cm FlaK M42高射機関砲を突きつけながら、このワ級について考えていた。

 このワ級は一体何者なのだろうか? 

 ヘラクレス作戦はすでに佳境を迎えていて、あとはジブラルタル半島とジブラルタル湾を落とすだけ。戦艦棲姫を中核とする33体の深海棲艦増援は確かに脅威ではあるが、いかんせんタイミングが遅すぎる。攻略当初ならばイギリス軍とフランス軍を撃退できたかもしれないが、ジブラルタルの深海棲艦は後退しつづけ、湾に追い込められてしまっている。イギリス軍は下手に追撃して半島の要塞砲に撃退されたが、次の攻勢ではマスタードガスやサリンの化学兵器も使用するらしい。今、増援がジブラルタルにたどり着いたとしても、湾内と増援それぞれが各個撃破されるだけになる。

 深海棲艦にとっては巻き返せないこの状況。このワ級が打開できる切り札だったのだろうか?

 この大きく膨らんだ球体部の中身は一体――――――――

 

 ――――何が入っているのだろう?

 

 アトランティスがワ級の球体部の肌をつまもうとしたそのとき、前方200mほど先に水柱が上がった。

「っ!」

 アトランティスはワ級から離れ、3.7cm FlaK M42高射機関砲を両手でしっかりと構え、ワ級の胴体中央に照準を合わせた。

 武装なしというのは勘違いか! アトランティスはさっきの水柱をワ級が前方を進むコルモランを狙って外した砲弾が上げたものだと思った。しかし、それは違うとすぐに分かった。

 水柱がまた上がった。

「えっ?」

 左前方120m。アトランティスは水柱からワ級に目線を戻す。

 ワ級は動いていない。砲煙の1つや2つが見えても良いはずなのに、それは見えなかった。

「深海棲艦の別働隊?」

 また水柱が上がる。

 

 タン、タン、タン。

 MST-15のオート・メラーラ 76 mm 砲が小気味よいリズムを奏でる。砲弾は15km彼方まで飛んでいくが、目標からは大きく外れ、無駄に海水を跳ね上げるだけ。

「はずれ、はずれ、全部はずれ。もうちょっと後方を狙って」

 マエストラーレは271型レーダーで弾着を確かめつつ、言う。マエストラーレの言葉にしたがって、MST-15は狙いを修正、また3発発射する。

 タン、タン、タン。

「はずれ、はずれ、はずれ。全部外れ。今度はもう少し奥に」

 タン、タン、タン。

「全部外れ。M(マイク)1が変針。方位3-3-0」

 M1とはイタリア海軍が深海棲艦だと思っているアトランティス達のことだ。

 タン、タン、タン。

「全部外れ。今度は後ろ過ぎ」

 タン、タン、タン。

「はずれ」

「はずれ」

「はずれ」

「はずれ。みんな、はずれ」

 マエストラーレが弾着観測をし、MST-15が修正して撃つ。これを10回ほど繰り返しても命中弾は得られなかった。MST-15の艇長は堪忍袋の緒が切れ、 

『まどろっこしい! マエストラーレ、シロッコ、乗艇しろ! 直接攻撃だ!』

 シロッコとマエストラーレは肩をすくめる。そして海面を蹴って、ジャンプ。MST-15の甲板に飛び乗った。そして艦橋側面の手すりに振り落とされないように掴まる。

「マエストラーレ、OKでーす」

「シロッコ、大丈夫だ」

 フィアット社製のガスタービンエンジンが始動、鋭く甲高い音が船内から響き始める。5500馬力もの動力は減速機を通じて高圧ポンプを回し、水中翼尾部から水流が勢いよく噴き出し始めた。

 速度が急激に上がっていき、船体が浮き上がり始める。MST-15はすぐに最高速度の51ノットに到達し、敵に向かって進んでいく。

 

 アトランティスの頭に砂のような、ざらざらとした感覚が走った。その感覚は次第に大きくなる。レーダーが見えなくなる。

「ECM……?」

 アトランティスは搭載しているFuMO27対水上レーダーをとんとん、と小突く。それでもレーダーは復旧せず、ノイズを頭の中に走らせている。

「コルモラン!」

『こっちも駄目! WmK C/14のレーダーも殺されてる』

 アトランティス、コルモラン両名のレーダーは何者かの妨害電波によって効果を発揮できなくなっていた。

 深海棲艦のECMはCW方式で対抗もできる。しかし、この感覚はノイズ方式の妨害電波。深海棲艦はこの方式を使わない。だとすれば、

「イタリア軍か」

 非常に厄介なことになった、とアトランティスは思う。先ほどの砲撃もこの妨害電波を流しているヤツが原因に違いないのだ。水柱の大きさからして75mmクラスの砲。それほど距離は離れていない。イタリア軍の哨戒艇や艦娘母艦はどれも高速であり、逃げ切ることは不可能。

 アトランティスは3.7cm FlaK M42高射機関砲を握り直す。

 砲撃してきたということは、確実にこちらを捕捉し、深海棲艦だと思っている。普通の艦載レーダーでは艦娘を捕捉することは極めて難しいから、レーダー持ちの艦娘がいるのは確実。このまま何もせず、ジグザグ航行をしながら、合流地点を目指すだけでは間違いなく、交戦することになる。それも艦娘同士で。

アトランティスは晴嵐(サイラン)を残しておけば良かった、と舌打ちをする。

 まだ晴嵐はまだ空を飛んでいるが、着水して補給はできない。晴嵐は爆弾を搭載する場合、フロートを取り外さなければならないからだ。偵察機にはなるが、攻撃機にはならない。時間稼ぎもできない。

『こっちがドイツ海軍ということをきちんと表明すれば、交戦は避けられるかもしれないよ』

 自分達は兵隊である。作戦を作戦通りに進めるのは兵隊の勤めである。

 アトランティスはワ級を見て、一応考えてみる。インディゴ作戦の中止を。

 コイツを囮にし、自分達はステルスマントを被って逃げれば、交戦せずに、それもドイツ海軍がここにいたこともばれずにすむかもしれない。しかし、それではインディゴ作戦はまたしても失敗だ。第一回の時と違って、死骸サンプルすら手に入らない。

 それにこのワ級は無駄に死ぬことになるのだ。

 無武装のワ級1体で何ができるだろう? 自分達、仮装巡洋艦が沈めてきた無数の商船のように、何もできず沈められるだけだ。さながら、あのパイロットのように。

 インディゴ作戦が成功しても、このワ級は生体実験や解剖といったことが行われるだろう。最終的には処分されるかもしれない。しかし、ここで無駄に死なせるよりかはよっぽど価値がある。

 それと比べるのなら、自分達がドイツ連邦海軍の仮装巡洋艦であり、秘密任務のため、この海域で行動していた、ということを公表しても良いのではないだろうか?

 それなら、誰も沈むことはない。上層部で誰かの首が切られることにはなるかもしれないし、自分達も少しの間、営倉に入れられるかもしれないが。

「無線封止解除! S-323に通報!」

 

「まだ深海棲艦は無線を使わないのか?」

 MST-15の艇長は無線手に尋ねる。先の砲撃から10分ほど経っていた。

M(マイク)1は先ほどから深海棲艦が使用するバンドの電波を出していますが、他はさっぱりです。あっ―――」

 無線手が機器を弄り始める。通信手は液晶画面に出たバンドの数字をぶつぶつと呟きながら、紙の対応表を見て、そのバンドが誰のものかを探る。

「どうした?」

「いえ、M1の方向から別バンドの電波が今出たんですが、深海棲艦のバンドじゃないんです。えーと、今のはドイツ軍が使っているバンドですね」

「ドイツ軍……? 傍受できるか?」

「やってみます」

 無線手はヘッドフォンを耳に付けて、そのバンドにチューニングしたが、すぐに首を横に振った。

「暗号化されていて、内容は分かりません。共通の暗号方式ではないので解析も難しいかと……」

「ふむ……」

 艇長は考え込む。この暗号通信の送り主は仮装巡洋艦アトランティスと共に行動しているドイツの艦娘だろうか? 実際、ターラント基地に届け出された書類通りならば、仮装巡洋艦アトランティスと潜水艦U-48、U-331の3人が出撃している。その通りならば、この暗号通信の送り主はU-331かU-48のどちらかで間違いない。

 マエストラーレとシロッコしかいない今、ドイツ軍と共同して威力偵察を行いたいところだが、暗号通信をしている以上、知られたくない何かをしているのだろう。強力は見込めない。

 M1までの距離はあと5km。艇長はマイクを取り、甲板で手すりに掴まっているマエストラーレとシロッコに呼びかける。

「そろそろ出番だ。気を引き締めろ!」

 

 今向かっている、というS-323の返事とイタリア軍の襲撃はほぼ同時だった。

 アトランティスは叫ぶ。

「5時方向、雷跡!」

 猛烈な速度で白い雷跡が2本、迫ってきていた。その速さはアトランティス達が使っている魚雷の4倍以上はあろうかという高速。

「キャビテーション魚雷!」

 普通の空気魚雷よりも白い雷跡とこの高速性。その正体はキャビテーション魚雷という特殊な魚雷である。

 白い雷跡は魚雷のノーズコーンで減圧されて発生するキャビテーションと呼ばれる泡とロケットエンジンから発生するガスによるもの。このキャビテーションとガスのおかげで魚雷は水に触れず、水中における摩擦抵抗は非常に小さくなり、ロケットエンジンの推進力も相まって200ノット以上の速度をたたき出すのだ。

「くそ、どうする!?」

 アトランティスは悪態をつきながら、動きの鈍いワ級を押して回避行動を取らせる。

 キャビテーション魚雷を使うのは今のところ、人類だけ。ここが地中海ということを考えれば、撃ってきたのはイタリア軍以外にあり得ない。勘違いとはいえ、人間同士で殺し合うというのか?

「この魚雷がまぐれ当たりを期待しているものだったならば……!」

 それなら直接の交戦は避けることができる。通常兵器だけが深海棲艦と戦闘する場合、通常兵器は絶対に深海棲艦の武装の間合いに入らない。つまり、海上での最大視界距離の4.64km以上。だったら、砲撃や魚雷攻撃を受けながらもS-323と合流して、ワ級を回収、帰還することもできる!

 イタリア海軍のキャビテーション魚雷が近づき、通り過ぎていく。

 ワ級は思ったよりも重く、動かしずらかったが、何とか直撃コースから逃れることができた。キャビテーション魚雷はその仕組み上、誘導装置を持つことができない。

 これで被弾は回避することができる……そう、アトランティスが一息ついたときだった。

 真横を通り過ぎようとしていた魚雷が突如爆発した。

 爆発が巻き起こした大波がアトランティスとワ級に襲いかかる。

 磁気感応式信管か! アトランティスは反射的に顔を腕で防御するも交差した腕の隙間から入り込む海水は目や口に入る。

 破片による被害はないが、海水で目が非常にしみる。

『本体が来た! 4時方向、距離3.8km!』

 コルモランからの通信。しみる目を微かに開いて、言われた方向を見ると、何かが来ていた。本体と言うからにはキャビテーション魚雷を撃ってきた魚雷艇だろう。

「なんて強気な……! 目薬さしたい……!」

『魚雷艇から艦娘! 駆逐艦クラス2隻!』

「ああ、もう!」

 アトランティスは3.7cm FlaK M42高射機関砲を魚雷艇がいる方向に向けて連射する。もっとも狙いは適当でなので当たらない。しかし、牽制にはなる。ドイツ駆逐艦艦娘との演習では適当に機銃を撃っただけでも突撃を中止して、一歩下がるのだから。

 アトランティスが発砲したのを見て、コルモランも130cm KwK12 L43滑腔砲にHESH(粘着榴弾)を装填して、左にいるイタリア艦娘の針路手前に発射する。HESHは大きく水柱を上げ、イタリア艦娘は水柱に突っ込むが、危なげもなく水柱から出てくる。

「撤退してくれ! 当てちまうぞ!」

 コルモランは次弾のHESHを装填しながら、叫ぶ。HESHは空間装甲に弱い砲弾である。そのため、障壁を二重に展開できる艦娘にはほぼ効果がない。

 コルモランの優しさを知ってか知らずか、イタリア艦娘達は肉薄してくる。

 

 機銃と砲の攻撃を受け、マエストラーレは確信する。

「相手は深海棲艦で間違いない! もっと肉薄しろ!」

 マエストラーレとシロッコは機関出力を最大にして、アトランティス達に向かっていく。

 アトランティスの「機銃を撃てば、駆逐艦は下がる」というのは完全な誤算で悪手だった。確かに弱気なドイツ駆逐艦艦娘ならば下がっただろう。しかし、イタリア駆逐艦艦娘は違う。

「20mまで肉薄! 分かってる!?」

「分かってる!」

 第二次大戦でMS艇やマイアーレ人間魚雷を終戦まで生き残ったグレカーレから聞かされているマエストラーレとシロッコである。自分達はやれる、その気概があった。逆にアトランティスが発砲したおかげで、マエストラーレ達は完全にアトランティス達を深海棲艦と思い込んでしまった。

 ちなみに巷にありふれている「イタリア軍は弱い」の逸話はほとんどがデマ、誤解によるものであり、イタリア軍兵自体(・・)は決して弱くない。

 マエストラーレとシロッコは回避運動を行いながらも、120mm連装砲を発砲しながら徐々にアトランティス達への距離を狭めていく。

「ワ級よりも先に護衛を叩け!」

 

『どんどん接近してくるぞ! どうするんだ! HESHの残弾はもうないぞ!』

 コルモランが無線でせっついてくるが、アトランティスの方は考えがまとまらず、混乱していた。

 なんで下がってくれないの!?

 アトランティスは発砲すれば、イタリア艦娘は後退するなりして、様子見すると思っていたのだ。こちらは重巡クラスに見えるように擬装しているのだし、イタリア艦娘は駆逐艦クラス2隻。重巡クラスを相手取るには完全に戦力不足のはずなのだ。なのに、イタリア艦娘は勇猛にもどんどん距離と詰めてくる。

 発砲してしまった以上、「自分達はドイツ連邦海軍の艦娘で秘密作戦の結果、ワ級の捕獲に成功した」なんて言っても信じてもらえるはずがない。

「こちら、アトランティス……。S-323、私達はどうすれば良い?」

 

 S-323の艇長はアトランティスの叫びを聞いて、MST-15に連絡を取ろうとした。

 秘密作戦なんて知ったことではない。もう作戦自体は成功しているのだ。秘匿する必要なんてない。

「こちら、ドイツ海軍地中海派遣艦隊第2艦娘隊指揮艦S-323である。MST-15応答しろ」

 連合軍共通のバンド帯で何度も呼びかけるが、MST-15からは一切、応答がない。

 一体どうしたことか。艇長は戦闘が行われているであろう、海域の方を窓から見つめる。

 

M(マイク)1の射程から離れろ!」

 MST-15の艦橋内はたった1発の砲弾で凄惨な場となった。

 アトランティスが牽制のために放った3.7cm FlaK M42高射機関砲の砲弾が運悪く命中したのだ。MST-15は20mm弾への防弾防片対策はされているが、3.7cmレベルの砲弾を防御することは考慮されていない。炸裂した砲弾は破片を撒き散らし、艇員を負傷させ、機器を破損させた。

 さらに運の悪いことに3.7cm砲弾は艦橋の装甲を貫通した後、延長線上の無線機に直撃してそれを完全に破壊してしまった。

 短距離ならばトランシーバーで何とかなるが、長距離通信は無理だった。

 

 イタリア艦娘は距離をどんどん狭めていく。もう1km程度の距離しかない。牽制としての魚雷を撃ってくるレベルの距離だ。砲の照準も正確になってくる。

 どうにか、何とかならないか?

 アトランティスは敵の砲弾を避けながらも、誤解を解く方法を探していた。

 白旗になるようなものはないし、通信も駄目。S-323が来るのにもまだ少し時間がかかる。

 どうすれば、どうすれば。

 アトランティスはふと、ワ級を見る。ワ級は至近弾の破片を食らって所々、蒼い血を流していた。

 あのパイロットの姿が脳裏に映る。

 死なすわけにはいかないのだ。しかし、イタリア艦娘を沈めるわけにもいかない。

 WmK C/14の130cm KwK12 L43滑腔砲の発砲音。

 左のイタリア艦娘の手前に低く、しかし幅の広い壁のような水柱が立った。超高初速の砲弾が低角度で海に着弾したときに発生する水柱だ。アトランティスも試作品の対艦ゲルリッヒ砲を撃ったときに見たことがある。コルモランはAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)を使用したのだ。

「コルモラン、あなた!」

『アトランティス、これは戦闘で戦争なんだ! 私は割り切るぞ!』

 お前も割り切れ。コルモランはそう言う。

「ええい、ままよ!」

 アトランティスはMAN社製ディーゼルエンジンの出力を最大の7600馬力まで上げて、イタリア艦娘に向かっていく。

 その姿は、相対するマエストラーレとシロッコには気が狂ったかのように見えた。ワ級を守るべき護衛艦が突撃してきたのだから。

 マエストラーレとシロッコは少し戸惑ったが、これ幸いと魚雷発射管をアトランティスに向ける。重巡クラスの深海棲艦が沈んでくれれば、駆逐艦クラスとワ級など、いかようにも料理ができるからだ。

 魚雷を発射する、その寸前―――――空中に黄色い花火が煌めいた。火花は白い煙を尾に引いて、たちまち辺り一面を真っ白にしてしまう。花火の正体はコルモランが放った発煙弾だ。

 アトランティスもマエストラーレもシロッコも白煙に覆われて、何も見えなくなる。

 マエストラーレはアトランティスが完全に見えなくなる寸前までいた位置に120mm連装砲を撃ち込む。しかし、手応えはない。

 次の瞬間、マエストラーレの前に黒い影が現れる。アトランティスだ。

 マエストラーレは再び120mm連装砲を撃とうとするが、まだ装填が終わっていない。

 アトランティスは120mm連装砲を持つマエストラーレの右腕を掴み、砲口を自分からずらす。そしてそのまま、一本背負いでマエストラーレを投げ飛ばそうとする。

 しかし、踏ん張りがきかず、滑る海面ではうまく決まらず、アトランティス自身もマエストラーレともつれて海面に倒れてしまう。

 大きな隙ができる。

「このっ!」

 マエストラーレはもつれ合う格好のまま、右手に持つ120mm連装砲をアトランティスの顔に向かって放つ。しかし、狙いが甘い。砲弾はアトランティスの左頬を軽くなぞっただけ。切り傷のような傷がアトランティスの頬にできる。

 アトランティスは3.7cm FlaK M42高射機関砲をマエストラーレに接射しようとしたが、握っていたはずの左手にその姿はない。9時方向から水切り音が近づいてくる。

 もう1隻のイタリア艦娘に違いない。アトランティスは腰に差しているナイフを抜き、120mm連装砲を握っていた右手の手首に突き刺す。

 マエストラーレの右手は120mm連装砲をはなし、アトランティスはそれを奪い取る。そして水切り音の方向に発砲する。当てずっぽうな射撃のため、手応えはない。水切り音はなお続く。

 アトランティスはマエストラーレを土台にして、水切り音の方向から現れた黒い影に飛びかかる。

 飛びかかられた黒い影、シロッコは当然のことながら対応できない。そもそもこのような格闘戦じみた接近戦など常識外だ。

 シロッコはタックルを食らって海面に背中から倒れる。そしてナイフを手に覆い被さってくるアトランティス。狙いは首。一撃で仕留める――――つもりだった。

 首に刺さる寸前で、アトランティスの手は止まってしまった。いや、止めたのだ。

 アトランティスの左頬から血が滴り、シロッコの顔に落ちた。

「赤い……血」

 深海棲艦の血は蒼い。赤くはない。

「貴方は……」

「アトランティスよ……この声聞き覚え、あるでしょう?」

 シロッコは小さく頷く。

「色々言いたいことはあるでしょうけど、戦い合うのは止めにしましょう」




 あとはエピローグだけです。
 S-323の直接戦闘シーンも考えていたけれど、結局書かなかった。8.8cm低圧砲の活躍はなかった……。
 
 ドイツはメートル法なのにドイツ軍の大砲の口径で88mmとか128mm、28mmと中途半端な口径になるのは砲の内径自体は90mmだけど、ライフリングも含めた内径の場合は88mmという風になり、ドイツ軍は後者の寸法を名称として使っているからだそうです。
 感想を頂けたら、作者は非常に喜びます。

 俺、「インディゴの血」を完結させたら、「雪の駆逐隊」の方も早く完結させて、マレーシアのパレンバン辺りを舞台にした神風と陸軍技術士官との恋愛物語を書くんだ……。神州丸やHVMS60砲めいた高初速砲(艦娘が持つ)も登場させるつもり。プロットが3話もできていないけど。


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Zwölf:エピローグ

 最終的にインディゴ作戦は成功裏に終わった。

 深海棲艦を生きたまま捕獲することは達成できたし、作戦の実行にあたったアトランティスやコルモラン、各Sボートにもさしたる被害はなかった。

 一方で作戦中に起こった友軍同士での戦闘や諸処の問題はあるものの、政府や軍の高官が頭を下げたりしただけで、現場の兵や艦娘に特段何かがあったわけではない。強いて言うなら、事細かく詳細な記述を求められるドイツ軍の戦闘詳報や報告書が少し厚くなるくらいだった。

 

 カタカタというキーボードを叩く音がアトランティスの部屋に響いている。アトランティスは目下、インディゴ作戦の戦闘詳報の作成中だった。

 ゴーストライターでもいれば良いのに、アトランティスはそう思うが、司令部はできるだけ本人が記述した物の提出を求める。軍事機密や軍事情報の漏れという心配からだろうが、無駄に艦娘の休息時間を浪費させているだけのようにも思う。イギリス海軍では戦闘詳報は艦娘の侍従兵の仕事と聞いたときは、うらやましく思ったものである。

 アトランティスはワ級を確保したところまでを書いて、ワードプロセッサのキーボードから手を離し、椅子の背もたれに思いっきりもたれた。

 ふと、窓に視線を移す。窓の外は朱い。日が沈もうとしていた。

「あーあ」

 アトランティスはため息をつく。昼から書き始めていたというのに、まだ終わっていないのだ。それに書くのが一番面倒くさいイタリア海軍との戦闘部分はまだ一切、入っていない。

 アトランティスは再び、ワードプロセッサの画面に視線を戻してみる。ピリオドの隣でカーソルが点滅するだけ。このワードプロセッサが思考を読み取って自動で書いてくれないかな、とアトランティスは思い、頭のどこかに力を入れてみる。しかし、自動書記など起こらない。

「何考えてるんだろ、私」

 アトランティスはうなだれる。

 このワードプロセッサはアトランティスがある任務で日本に訪れたときに百貨店で購入したものである。1文字1文字を打つ度、紙に印字されるタイプライターと違って、ワードプロセッサは画面上ですべて編集して、最後に印刷する。途中で打ち間違いをしても、文字を白いインクで打ち直す必要はない。アトランティスは他の艦娘がタイプライターで戦闘詳報などを書いているのを見て、可哀想に思う。

 しかし、他の艦娘に比べて楽だからといって、戦闘詳報を書くのが大変なことには変わりない。

 カーソルは無機的に点滅している。

 アトランティスは立ち上がった。そして手を頭の上に持っていって伸びをする。体がミシミシと鳴っている感覚がある。大西洋の荒波が船体外板を叩くのと似た感覚だ。

 夕食時だし、気分転換に喫茶店Duft(ドフツ)にでも行こう。そう思って、アトランティスはワードプロセッサの電源を落とし、部屋を出た。

 

 Duft(ドフツ)でエスプレッソと軽食のサンドイッチを注文してから、アトランティスは棚に置かれていた大手の新聞を取った。

 紙面には分厚い防弾ガラスごしに撮られたワ級の写真が掲載されている。見出しには大きな文字で「深海棲艦、生きたまま捕獲」などと書かれている。一昨日くらいまではヘラクレス作戦の戦果一辺倒な紙面だったのに、昨日の晩辺りから夕刊を見ても、テレビを見ても、捕まえた深海棲艦ワ級の話で持ちきりである。

 『この深海棲艦はヘラクレス作戦で展開せいていたドイツ海軍によって捕獲されたものであり、本日未明、イタリアの空軍基地から航空機でドイツ海軍のエッカーンフェルデ基地の深海棲艦研究所に輸送された。エルケ・ヘルター海軍総司令官は「今回の捕獲した深海棲艦により、深海棲艦の研究は一段と飛躍することだろう。捕獲に関わった兵には大変な栄誉を与えられることになるだろう」とコメントしている―――――――』

 さらには深海棲艦について研究している学者からのコメントもあり、

 『今までの研究は深海棲艦の死骸やその一部によって行われていました。死骸やその一部であったとしても生きている組織は僅かながら存在しますから、研究は可能です。しかし、生きた状態とでは比較なりません。今回捕獲した個体によって人類は深海棲艦殲滅へのステップを1つ上がることができるでしょう』

 などと書いてある。

 確かに、死んだ個体から生きている組織を採取し、実験・研究は可能だが、範囲としては限定的になる。例えば、化学兵器などだが、その採取した組織にある化学兵器の有毒物質を投与して効果があったとしても、その化学兵器が本当に深海棲艦に有効かどうかは分からないのだ。せいぜい弱らせる程度かもしれない。実際に深海棲艦に対して実験しなければ、分からない研究はたくさんある。

 また、深海棲艦が体内で砲弾や航空機を製造できる原理、障壁を発生させる原理が解明できるかもしれない。これを工業に反映させることができれば、新しい加工法やシステムが開発され、あらゆる産業の生産量が劇的に増加するかもしれない。第2の産業革命が起こるかもしれないのだ。

 深海棲艦は人類の敵で、新聞に書いてあるように殲滅すべき存在であるのだが、同時に宝箱でもあるのだ。これに気付いている資本家は多く、研究所に出資する人数は昨日から急増している。ドイツ人のみならず、イギリス人やフランス人もだ。

 世界の注目をドイツに戻す、というインディゴ作戦の目的の1つはおおむね成功と言っても良いだろう。アトランティスはサンドイッチよりも先に出されたエスプレッソに口を付けながら、思った。

 きっと、これからインディゴ作戦についての情報公開が少しずつされていって、WmK C/14といった艦娘支援の兵器やステルスマントとか、S-320型Sボートなどが輸出兵器の目録に入っていくに違いない。

「新聞じゃ、良いことばっかり書いてあるけど、逃げ出したりしたら怖いね」

 カイゼル髭を蓄えた初老の男性―――――――Duftのマスターが目を細めて言った。

「大丈夫ですよ。エッカーンフェルデ基地にはドイツ海軍精鋭の海兵大隊がいますから」

 確かに捕獲した深海戦艦が暴れて、逃げ出したりしたら大変なことだ。大きい図体に加えて、強力な火力。まさに日本の特撮映画でいうカイジュウ。下手な部隊なら、遠距離で仕留めきれなかった時点で潰走してしまうかもしれない。でもエッカーンフェルデ基地に配備されている第一海兵大隊は戦車や装甲車、ルイサイト、サリン、ソマンといった化学兵器まで装備している部隊である。逃げ出した深海棲艦にやられるにしても、増援部隊が到着するまでの時間を稼げるはずである。

「まあ、海兵大隊がやられても自分が出て行ってやっつけますよ。安心してください」

 アトランティスはにっこりと笑って、マスターを安心させる。

 ちりりん、と店の入り口の扉が開き、鈴が軽快に鳴った。

 

  ―――終―――




 時間はかかりましたが、「インディゴの血」完結しました。
 割と迷走した感じがします。特に二章から。確固たるテーマを持って書けたのは3話までのような気がします。
 ドイツ仮装巡洋艦を主人公にこの作品を書き始めたきっかけは、「なぜビスマルクのようなドイツ海軍の主力戦艦を日本に送ってくるのだ?」という所から始まりました。
「日本に送ってくるのは、戦闘ノウハウを日本海軍で学ぶためだ」→「なぜ、送るのか?」→「ドイツ海軍は英仏に比べて、艦娘技術で遅れているのだ」→「ドイツって兵器輸出は昔からの家業みたいなものよね。艦娘のせいで不振なんじゃない?」→「生きた深海棲艦捕まえれば、注目浴びられるのでは?」→「捕まえるには化けないとね」→「仮装巡洋艦」という流れで、「インディゴの血」になりました。ドイツは唯一の海上航空戦力のグラーフ・ツェッペリンまで日本に送るから、わけわかめ。
 そしてイベントの戦闘海域を見る限り、日本海軍も戦線伸ばしすぎ、各方面で攻勢起こしすぎ。わけわかめ。

 次作品として構想を練っているのは「神風と陸軍兵卒の恋愛話」と「日本空軍の基地航空隊」を考えています。その前に「雪の駆逐隊」の方は済ませます。


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