リーアのアトリエ アーランドの錬金術士 (珊瑚)
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第一話:見習いの少女
一章


 あれは数年前のこと。

 日本の埼玉県で、いつものように平和に暮らしていた私はある日大海原に沈みました。

 ……。

 ええ、こうして語っている私ですら意味が分かりません。海なし県の癖に何を言っているんだ馬鹿野郎と、今でも言ってやりたいです。

 でも、確かに落っこちたのです。

 理由は分かりません。目が覚めたら広い海の真ん中に私はいました。

 何も考える暇もなく、私は寝惚けたまま海へぶくぶく。あわや出落ちというところで、彼女が現れました。

 まさに奇跡。たまたま通りがかった彼女に救われ、私は命を救われたのです。

 諦めずにもがいた努力が報われる、なんとも感動的な物語。私はあのときほど他人に感謝したことはないでしょう。

 しかしまぁ、それが不運の始まりだとは誰も思いますまい……。

 

 

 

 ○

 

 

 

 とある無人島。

 物好きな『彼女』の小さなアトリエはそこに建てられていました。

 見た目は一階建てで、至って普通な木製の家。しかし中は普通とは言えません。

 色々とおかしなところはあるのですが、特にリビングが異様でした。

 ソファ、机、簡単な台所、大量の本。ここまではいいです。しかし部屋の奥に置かれた大きな釜だけは、しばらく理解することができませんでした。

 何年かここで過ごした今は、必要不可欠だと思ってますけど。

 

「すっかり寂しくなったものだ。なぁ、見習いよ」

 

 さて。すっかり生活必需品となった釜の前に立ち、中をかき混ぜている私に彼女は声をかけました。

 相変わらずの調子。けれど、ちょっと元気がないようにも聞こえました。

 命を助けてもらった身で、無視はよろしくないでしょう。手を止めず、視線は参考書に向けたまま私は答えます。 

 

「なんだかんだ言って、やっぱりいなくなると寂しがるんですね」

 

 ハッ、と鼻で笑う音が後ろから聞こえました。

 

「正確には寂しがっていない。騒音でも聞こえなくなると、落ち着かなくなるだろう? それと同じだ」

 

 騒音扱い……確かに、怪我してる割には元気な人でしたけど。

 

「にしても、見習い。随分と私に生意気を言うようになったものだな」

 

「生意気ではないですよ。あなた様でも寂しがるのかぁ、と単純に思っただけで――」

 

 作業に集中しているのもあり、私は普段なら絶対にしない答えを適当に返します。

 ちょうど材料を入れるタイミングだったのです。背後からよからぬ気配が近づいていることなんて、気づきませんでした。

 

「わっ!」

 

「はいぃ!?」

 

 どぷっ、と。嫌な音を立てて材料の薬草が落ちます。

 そこでようやく私は、すぐ後ろに彼女がいることに気づきました。

 驚かすなんて、子供みたいなことを……。すぐさま振りかえろうとしますが、それを声が制止しました。

 

「かき混ぜたほうがいいぞ。タイミングはバッチリだからな」

 

「は、はいっ」

 

 ぐおお、作業のせいで文句が言えない。

 また爆発なんて勘弁したいですし……。苦悩する私の後ろ、クスクスと小さく笑う声がゆっくり遠ざかります。満足してくれたみたいです。

 

「ぐーるぐると……」

 

 私はホッとして、調合を続けました。

 

 

 

 ○

 

 

 

 で、完成しました。中和剤。

 瓶の中には黄色のような、緑色のような液体が入っています。材料が適当な薬草ですし、品質は悪そう。これといって特性も見当たらない駄作です。

 けれども、これが記念すべき初めての成功でした。私はテーブルに置いたそれを、上機嫌に眺めていました。

 

「数年ここにいて……今初めて成功か。上出来とは言い難いな」

 

 対面に座る彼女――アストリッドさんは溜息を吐いた。

 黒のロングヘア、眼鏡が似合うクールな顔立ち、と結構見た目は綺麗な彼女。しかし気まぐれで掴みどころがない性格をしており、愉快なシチュエーションを好むタイプの人間で……。ここ数年、その厄介さが身に染みて理解できるようになってきました。

 彼女は海に沈んだ私を助けてくれた人で、親切にもこの家に住むことを許してくれた恩人です。

 そこは素直に感謝したいのですが、性格やら、この島から私を出してくれないやらで、その感謝も日に日にレベルが落ちてきています。

 

「ならアストリッドさんが教えてくれませんか? やっぱり一人では限界が」

 

 私は中和剤を手にし、お願いします。しかしアストリッドさんは即答。

 

「私の弟子はロロナ一人と決めている。本気で教わりたいなら、ロロナのところにでも行けばいい」

 

 それはいつもと同じ返事でした。

 錬金術士の見習いをしている私ですが、アストリッドさんに習っているわけではなく完全なる独学です。

 しかしそれでは限界があり……中和剤で詰まる始末。

 アストリッドさんに何度もお願いはしているのですが、中々首を縦に振ってくれません。

 たまに帰ってきてはあの人の看病をして、私をからかってダラダラ。そして気がつくといなくなっている。神出鬼没で、そもそもこうして会話していること自体が珍しいのです。

 

「だったら、海を渡らせて下さい」

 

 なので私も必死に食いつくのですが――

 

「勝手に渡ればいい」

 

 効果なし。

 まぁ、住む場所に生活できる環境、本を与えられているだけでも破格の対応なんですけどね……。

 なんだかんだ言って私を助けてくれますし。食べ物くれたり、怪我したときは治療してくれたり。時々ですけど。代償も求められますけど。

 これで更に何かを求めることは贅沢なのでしょうか。

 

「贅沢だ」

 

「心の中を読んだ上に断言しないで下さい」

 

 そんな気になってしまいます。

 肩を落としつっこみをする私。アストリッドさんはそれを見て、何故かにやりと笑いました。

 

「……仕方ない。では一つ頼みごとをするとしよう」

 

「えっ?」

 

 耳を疑いました。

 頼みごと。このタイミングでその単語が出たということは。

 

「まさか頼みごとをクリアしたら、錬金術を教えてくれるんですか!?」

 

「いや、海を渡る手段を与えよう」

 

 ですよねー。

 負担が少ない方を選択しますよね、アストリッドさんなら。

 ですが錬金術を学ぼうとしていたのは、島から出て元の世界に帰る手段を探るため。海を渡ることができるなら、それだけで万々歳です。もしかしたらアストリッドさんの言うロロナさんにも会えるかもしれません。

 

「どうする?」

 

「やります! やらせて下さい!」

 

 これは見逃すわけにはいかないチャンスです。元気よく挙手。

 アストリッドさんは不敵に笑いました。

 

「それでいい。肝心の内容だが……ある素材を採取してほしい」

 

「素材?」

 

 採るのが面倒な素材なのでしょうか。もしそうなると、かなり苦労しそうな予感が。

 

「これを城の人間に見せれば分かる。錬金術以外に価値がない物だ。すぐ渡してくれるだろう」

 

「は、はぁ」

 

 何故それをわざわざ私に……?

 アストリッドさんの台詞を聞くに、楽勝だとしか思えません。好都合ですが、逆にそれが気になりました。

 

「というわけで依頼内容のメモと……貴重な道具だ」

 

 アストリッドさんは懐から一枚の紙と、なにやら不思議なものを取り出しました。布――でしょうか。丸まったそれはどう見ても貴重な道具には思えません。

 

「なんですか? これは」

 

「トラベルゲート、というものに改良を加えたものだ。これを使えば、この家かアーランドの街に出るように作られている」

 

「ワープですか」

 

 なるほど、貴重な品です。しかし錬金術はそんなものまで作ってしまうのですか……。

 別世界だとは知ってましたが、地球の常識は通用しなそうです。

 

「ああ。これを使ってアーランドの街にある城で目的の品を採取してくれ。それができたら、海を越える手段をやろう」

 

「わかりました。それくらいならできそうです」

 

 おつかいレベルですね。

 それくらいできなくて、錬金術士見習いは名乗れません。

 テーブルに置かれた紙と布を手にし、私は意気込むように力強く頷きました。

 

「頼んだぞ。私はゆっくり眠っている。何日かかっても構わない……」

 

 対して、私の初仕事だというのにアストリッドさんはやる気なし。欠伸混じりに見送りの言葉をかけてくれます。

 どうでもよさそう……。

 アストリッドさんの姿を見て、私のやる気が削がれるのは避けたい。私は早速立ちあがると準備を始めます。

 ポーチに紙、布を詰めて準備完了。他に入れられるものはありません。

 ……寂しいですし、中和剤も入れておきますか。何かの役に立つかもしれません。

 

「じゃあアストリッドさん、行ってきますね」

 

 布を使う前に一応声をかけておきます。すると意外にも反応がありました。

 

「ああ。おお、そうだ。私の名前は出さないようにな」

 

「……なんでですか?」

 

「私は別にいいが、見習い自身が大変な目に遭う」

 

 なんだかすごく怖くなってきましたよ。誰かに追われているとか、指名手配されているとか、この人なら有り得なくはないです。

 用心しておこう。心に決めて、ポーチから布を取り出します。

 縛っている紐を解き、布を床に広げる。するとどうでしょう。普通の布かと思われていたそれが光を放ち、不思議な文字を描きはじめたのです。

 まさに魔法の道具、といったところ。不安はありますが、好奇心の方が勝り、私はゲートへと足を踏み入れました。

 刹那。視界を光が覆い、私は目を閉じました。

 

 

 

 ○

 

 

 

 光が治まるのを感じ、目を開きます。

 私は目を疑いました。周囲には何もない原っぱが続くばかり。一面に広がる草原が、私を出迎えています。

 広い。広いですが、ここがアーランドの街なのでしょうか。ここが街だとしたら、世界中が街になりそうなんですけど。

 

「そんなわけないですよね……」

 

 ゲートを回収。

 苦笑し、周囲をよく見回す。アストリッドさんのことです。目的地が大雑把に設定さえていても何ら不思議ではありません。

 目をこらしてみれば、はるか彼方に城壁のようなものが見えました。もしかしたら、あれがアーランドの街かもしれませんね。歩いて……一時間くらいかかりますね。

 無人島は数分で行き来できる広さでしたし、久しぶりの運動です。

 伸びを一つ。テンション高めにスキップして歩いていきます。数年無人島にいた私は、最早『広い』というだけで嬉しくなる、なんだか末期な状態でした。

 それにしても。街が城壁らしきものに囲まれているなんて、相当古い時代みたいですね。錬金術が実在している時点でファンタジーなのは理解していましたが、地球にいた私からしたら本当に信じられないことです。

 アストリッドさんは何も教えてくれなかったですし、今回は世界を知る良い機会にもなるかもしれませんね。せめて自分のいる世界がどんな感じなのかくらいは知りたいものです。

 

「可愛い子がいるといいなぁ――あれ?」

 

 ご機嫌に歩く私の前方。なにかが転がってくるのが見えてきました。

 青くて、液体のような感じで……あ、なんか目みたいなものも見えます。もの凄い勢いで転がってくるそれは、よくいうスライムのようなものでした。

 嗚呼、ファンタジー。そして回避が間に合わない。

 

「あいたっ!」

 

 見事に轢かれました。

 そりゃローリング体当たりが迫っているのに、のんびり観察していたらそうなりますよ。避けようと思った時には手遅れでした。

 青くてぷにぷにしたそれは私に体当たりをぶちかまし、跳ねかえって地面に着地します。やはりスライムらしき何かです。目や口は可愛らしいのですが、なんとも不気味というか。流石モンスター。

 

「いつつ……」

 

 私は服に付いた汚れを払いながら立ち上がります。

 あれだけの勢いがあって、それほど痛くなかったのは幸いでした。叩かれた腹部より、むしろ尻餅をついたお尻の方が痛かったです。

 スライムというものは弱いと相場が決まっております。このぷにぷにした物体も雑魚なのでしょう。攻撃力は皆無に等しいです。

 となれば。 

 ふっふふ。数年無人島生活で溜まりに溜まったストレス(夕食抜きに相当)を晴らすときがやってきたというわけですね。

 私は握り拳を作って笑みを浮かべます。ぷにぷにさんが怯えたように見えたのは気のせいでしょう。

 

「いきます! 錬金ナッコウ!」

 

 説明しましょう! 錬金ナッコウとは錬金釜をかき混ぜ続けた者のみにできるただのパンチである!

 技名、そして解説をしながら、ぷにぷにさんに接近。拳が届く範囲に入ると、捻った腰を使いながら投球のように拳を振りおろしました。

 拳は綺麗に命中。手ごたえはありませんが、確かに殴ってやりました。

 

「ぷにっ! ぷにに」

 

 しかし倒れる気配はありません。むしろ元気よく鳴き、身体を左右に揺らしています。

 それは誰かに呼び掛けているようで……すごく嫌な予感がしました。

 

『ぷに? ぷーにっ』

 

 数秒後に予感的中。どこからともなく大勢のぷにぷにさんが現れます。

 青いのだけでなく、緑や黄色のぷにぷにさんもちらほらと。青と比べて、震え方に威厳を感じます。

 つ、強そう……。とても装備なしでは勝てそうにない敵なんですけど。

 

「ここは逃げの一手です!」

 

 人生引き際も大切です。私は後ろに走り出そうとして――足を止めました。

 後ろにも、というか私の周りにぷにぷにが大勢集まっており、とても逃げられそうにありません。

 人生とは気づかない内に詰んでいるものです。私は遠い目をして笑います。

 

『ぷにに!』

 

 まさに知恵の勝利。華麗に逆転劇を決めたぷにぷにさんは、勝鬨を上げようと勇んで鳴き声を上げます。

 が、彼は次の瞬間真っ二つに両断されていました。

 

『ぷに!?』

 

 ぷにぷにさんたちに動揺が走ります。何が起きたのか、私もさっぱり分かりません。

 まさか、と言うようにぷにぷにさん達は私を見ますが、困惑している私を見て違うと分かった様です。

 ――いったい何が?

 周囲を見回す私。その間も、ぷにぷにさんたちは次々と切られていきます。まるでカマイタチ。次は私が切られるのではと内心ひやひやです。

 

「――大丈夫?」

 

 動くこともできずに見守っていると、不意に声がかけられました。

 女性の声です。私は素早くそちらへ顔を向けます。剣を二本持った女性がチラッと見え、そしてまた消えました。は、速い。

 ポカンとする私。そのすぐ後、私の近くへ誰かが着地しました。

 

「――よっと。もう大丈夫よ。安心して」

 

 チラッと見えた女性です。二本の剣を構えると、彼女は私へ声をかけます。

 綺麗な方でした。茶色の短い髪はさらさらで、身体は細くスレンダーな体型。年齢はさっぱり分かりませんが、いっても二十代後半くらいに見えます。

 二本の剣、コート、ブーツ、これらから予想するに、旅人なのでしょう。見た目からして強そうです。

 

「は、はい。ありがとうございます」

 

「どういたしまして。ちょっと待ってて。すぐ片づけるから」

 

 小粋にウインクなどし、女性は目に見えないほどの速度で走り出します。

 ぷにぷにさん達がスパスパと撃破されて全滅するまで、そう時間はかかりませんでした。

 

 

 

 ○

 

 

 

「私はエスティ・エアハルト。一応アーランドの……公務員? みたいな仕事をしてるわ」

 

 何故そこで疑問文になるかは分かりませんが、エスティさんは敵を全滅させると自己紹介してくれました。

 剣を納め、フレンドリーに私へ声をかけてくれます。

 

「こ、公務員であんな人間離れした動きをするんですか……?」

 

 ありがとう、と言う前にそんな疑問が口から出ました。

 残像が見える攻撃を見たら、そりゃ誰だって驚きます。

 

「鍛えてるから。もっとすごい人もいるし、そう珍しいことでもないわ」

 

「まじですか」

 

 しかしエスティさんは笑顔でそんなことを言います。この世界では鍛えれば残像が出せるんですか。……下手したら必殺技とか出てくるかもしれませんね。

 

「さて、あなたの名前を聞かせてくれない?」

 

「あ、はい。すみません」

 

 すっかり忘れていました。促され、私は頭を深く下げると名乗ります。

 

「私は松原 理亞。『リーア』とアスト――げふん。人々から呼ばれています。先程はありがとうございました」

 

 危ない危ない。アストリッドさんの名前を出してしまうところでした。

 

「どういたしまして。リーアちゃん、ね。どうしてこんな場所に一人でいたの?」

 

「それは、ある物を探しにアーランドの街へ行きたくて」

 

「そうなの? 度胸あるというか、無謀というか……武器も持たないで徒歩は危ないわよ?」

 

 エスティさんが感心した顔をします。無論悪い意味の感心です。

 私もあんな魔物がいるなら、武器の一つや二つ用意したのですが……。あのグータラ眼鏡を恨まざるを得ませんね。教えてくれてもいいのに。

 

「次からは気をつけなさい。今回は私が通ったからよかったけど」

 

「はい……ですよね」

 

 いやー、私は何人命の恩人をつくるのやら。こんなことしていてはいつまでも人に迷惑かけますし、気をつけないといけませんね。

 

「素直でよろしい。さて、じゃあ私についてきなさい」

 

「一緒に行ってくれるんですか?」

 

「ええ。一人だと危ないわよ?」

 

 当然のように頷いてくれます。なんと親切な……助けた見返りに労働を要求してきたりしないんですね。

 私は感動しながら、エスティさんの横を歩きます。

 

「それにしても、リーアちゃんは一人で出ていってなにも言われなかったの?」

 

「そ、それはですね。何も言わないというか、何も聞かなかったといいますか」

 

 なんて言ったらいいやら。この世界についてすら知らないのですから、外が危険だと知りませんでした。なので自ら突っ込んでいったと言っても過言では……。

 あまりアストリッドさんのせいにするのも情けないですし、ここは世間知らずな馬鹿が飛び出したことにしておきましょう。うん。

 

「頼みごとだけ聞いて飛び出してきちゃいました! あはは」

 

「笑いごとじゃないわよ? あなたみたいな人が外を歩いてアーランドの街に行くなら、せめて護衛くらいつけないと」

 

 護衛? 仲間ってことかな。私、この世界に知り合いなんて二人しかいないですし、縁のない話です。

 

「そこできょとんとされると、すごく不安になる……。リーアちゃん? 街の外が危ないことは知ってるわよね?」

 

「知りませんでした。今まで一度も外に出なかったので」

 

 エスティさんが絶句しました。綺麗に笑顔のままで硬直しましたよ。

 

「……本当に?」

 

「はい、本当に。家から半径500メートル以上出たことないです」

 

「そ、そう……大事に育てられたのね」

 

 あ、なんか自分で理由作って納得してます。

 

「――分かったわ。だからこんな無鉄砲なことをしたのね」

 

「まぁそうですね」

 

 ファンタジー具合が思ったより高かった。ただそれだけのことです。

 けろりと答える私。エスティさんはとても困った表情をしています。

 

「相当世間知らずみたいだけど、帰りは大丈夫? なんなら、私が護衛につくわよ?」

 

「いえ、帰りは大丈夫です」

 

 帰りはおそらく魔物に襲われたりしないです。あるとすれば、無人島付近の海にどっぽんですね。

 流石にそれはないと信じたいですが、なんとも言えません。

 

「そう? 危ないと思ったらすぐ逃げるのよ。ここらの敵はそれでなんとかなるから」

 

「ですね……」

 

 頷きます。見極めは大切ですね。今度仲間呼ぶような動きをしたら、疾走するとしましょう。

 

「モンスター、かぁ」

 

 ここは地球ではない。早く常識を身につけておかないと。

 私は帰りたいとも思わず、そんなことを自然に考えていました。

 

 

 

 ○

 

 

 

 着きました。アーランドの街です。

 やはり城壁に囲まれた場所がそうでした。石で舗装された道や、橋。大小様々な家が立ち並んでいる街並みはまさしく圧巻です。無人島とは比べ物になりません。

 エスティさんの話しによれば、ここが『アーランド共和国』の中心であるとのこと。国の中で最大の都市であるアーランドの街は、その名に違わぬ活気で溢れています。

 人が多いこと多いこと。流石は都市。

 

「はあぁ……なんか凄過ぎて言葉になりません」

 

「ふふ、私も少し前に帰ってきたばかりだから、気持ちはよく分かるわ」

 

 田舎者丸出しできょろきょろする私。エスティさんは苦笑を浮かべていました。

 

「さて……」

 

 街の門をくぐり、橋で一度立ち止ります。

 街に着いたら護衛も終わり。名残惜しいですが、彼女とはここでお別れです。

 

「私も用事があるからさよならだけど……大丈夫?」

 

「はい。目的地なら見た目で分かりますから」

 

 ここからでもお城はしっかり見えます。迷う要素がないです。

 

「無茶はしないようにね。困ったらお城に行けば誰かしら助けてくれるから。遠慮しないで頼りなさい」

 

「あ、はい。すみませんエスティさん。助けてもらった上にこんな親切にしてもらって」

 

「気にしない気にしない。人生の先輩――いや、お姉さんとして当然のことよ」

 

 何故言い換えたのでしょう。

 首を傾げる私へ。エスティさんは笑いかけます。

 

「じゃあね、リーアちゃん。また会いましょ」

 

 そして街の中へと去っていきました。

 街の喧騒の中、橋には私一人。ちょっと寂しいのは気のせいではない筈です。

 私は溜息を吐いて、近くにあるベンチへ腰掛けました。

 

「アーランド共和国、アーランドの街……ううむ」

 

 エスティさんの話から、大体状況は理解できました。

 ここはアーランドと呼ばれている地。魔法や錬金術が当然のように存在し、モンスターや異なる文明の機械すら出現する、人々の冒険心をくすぐる世界なのです。

 

「なんじゃそりゃ、と」

 

 小さな声で突っ込みます。

 何の突拍子もなく沈没し、魔法の世界へようこそ。喜ばしいですが納得はできません。

 ここはなんとしても海を渡る手段を手に入れ、世界を知るべきですね。そこに私がこの世界へきた理由もある筈。

 そうと決まればさっさと城に行きましょう。私は意気揚々とベンチから降りて歩き出します。

 このとき私は何か違和感を覚えたのですが……まだその原因に気づくことはありませんでした。

 

 

 

 ○

 

 

 

 街に入ったときもそうなのですが、お城もあっさりと入ることができました。

 というか、入り口に誰も立っていませんでした。『共和国』、と名乗っているからでしょうか。王様がいなくなったお城は、一般人にも開放されているようです。

 ぴかぴかの床に、綺麗な絨毯。高級感漂う城内には様々な人達がいました。エスティさんのような冒険者風の方、特徴のない民間人、商人らしリュックを背負った人等、年齢から性別までバラバラです。

 

「ほへぁ……」

 

 思わず変な声が出ます。まさかお城にこんな人がいるなんて。

 ……っと。いけない。私は採取にきたんです。とりあえず、受付に行きますか。

 周囲を確認。受付らしい場所は一つしかありません。私はポーチからメモを出すと、その前へ行きます。

 

「あの」

 

「はい。何か御用ですか?」

 

 小さな女の子が丁寧な口調で返事を返してくれました。ええと、カウンターの中にいるのは見えましたけど……まさか。

 

「あの、受付ですよね」

 

「そうですよ? どういたしましたか?」

 

 まさかの受付だった!

 えー、でも一応ここはお城で、今は何になっているかは分かりませんが、共和国でも重要な機能を果たしている場な筈。そのお城の受付をこんな小さな子が任されているなんて……この世界では子供を働かせることが当たり前なんですか!? な、なんておそろしい……。

 

「……お嬢さんは何歳ですか?」

 

「あぁん?」

 

 あれ? もっと恐ろしい声が聞こえたような。

 見れば、笑顔を浮かべていた女の子が表情はそのまま、こめかみをひくひくさせていました。

 姿はとても可愛らしいのに、言いようのない威圧感が場を支配します。

 

「何がいいたいのかしら? 正直に言ってみなさい」

 

 ゴゴゴゴなんて擬音が聞こえてきそう。返答次第では死ぬ。命の危険を感じ、私は話を逸らすことに決めました。

 

「い、いえっ、なんでもないです! これを探していまして!」

 

 メモを受付のカウンターに乗せます。

 小さな女の子は殺気を鎮め、そちらへと視線を移します。命の危機は去りました。

 最初から余計なこと訊かないでこうしていればよかった。

 

「うん? これは……ああ、そういうこと。でもあんたがねぇ……まぁ、ものは試しか」

 

「ええと、あります?」

 

「ええ、あるわよ。まだ誰も受けに来てないし」

 

 いつの間にか敬語を止め、気さくに頷く女の子。私はホッと安心します。

 

「そうですか。まだ誰も受けて……え?」

 

 受けていない。

 えと、なんですかね、この嫌な響きは。まるで依頼のように言うんですね。あはは。

 

「え、って受けてに来たんでしょ? 依頼よね?」

 

 くそぅっ! やっぱりだ!

 働かざる者食うべからず。目的の品を手に入れるには、依頼という名の労働をこなさなければならないようです。

 あの眼鏡さん……なにがすぐ渡してくれる、ですか。

 正直、騙された感しかしませんが、むしろ何もないとは思ってなかったので、依頼の説明を聞くことにします。

 何かを持ってこい、とかならできそうですし。

 

「はいこれ。色々書いてあるから、しっかりやりなさいよ」

 

「……あの、説明を聞いてから判断してはダメですか」

 

「ふふ、なに甘えたこと言ってんの」

 

 笑顔が怖いっ。まだ根にもってますねこの人!

 とてもノーと言えない雰囲気に戦慄しつつ、手渡された一枚の紙に目を通します。メモは返してもらいました。

 ふむふむ。依頼名は『素材渡します』。内容はサンライズ食堂で素材を渡す、とのこと。

 

「なんですか? このいかがわしい依頼は」

 

 簡単過ぎて逆に行きたくなくなるんですけど。

 

「知らないわよ。匿名で出された依頼だから。けど集まるのは食堂だし、そんなに怪しいものでもないわ。と思いなさい」

 

 適当な調子で女の子は言います。匿名、ですか。更に怪しい。

 できれば関わりたくないです。けれど――

 

「……分かりました。とりあえず行ってみます」

 

 これも海を渡るため。頑張りましょう。えんやこらです。

 紙をポーチにしまい、頭を下げます。

 

「ありがとうございました」

 

「いいのよ、仕事だから。あんたも仕事頑張りなさい」

 

「はい! 頑張って食堂行ってきます!」

 

 敬礼。踵を返し、私は城の出口を目指します。

 あんな小さいのに、仕事の手際はいいんですね……見習わないと。

 

「さぁ、食堂にレッツゴーです」

 

 小さくガッツポーズ。

 見ていてください、グータラ眼鏡……げふん。アストリッドさん!

 

 

 

 ○

 

 

 

 城を出て職人通りと呼ばれる道を歩いていると、食堂はすぐに見つかりました。

 お昼過ぎの現在。窓から窺える店内には食事をしているお客さんがいます。中々盛況のようです。

 雰囲気もよさそう。いい匂いが漂ってきますし……。

 おっと、いけない。私は流れそうになるよだれを抑えつつ、観察を続けます。

 店先にある看板には、今日の日替わりメニューやおすすめなどが書かれています。細かな配慮です。

 ええと、一番安いランチが500コールですか。この世界の通貨は『コール』らしいです。1コール何円なのかな。これでは安いのか分かりませんね。

 

「普通以上のレストランです」

 

 観察を終え、ここはいかがわしい取引には向かないと判断しました。通りに面した目立つ立地ですし、なによりも健全な雰囲気です。犯罪なんて絶対に起きそうもない。

 

「大丈夫ですね」

 

 頷いて、私は店内に入りました。

 外に漂っていた香りが強くなります。

 ランプで照らされた店内は外で見た通り雰囲気もよく、料理の賑やかな音、人々の会話、食器の奏でる音が心地よい音楽のように私の耳へはいってきました。

 これはこれは。ここで食事ができたら、さぞかし幸せな気分になれることでしょう。

 

「いらっしゃい」

 

 横から声がかかります。そちらへ振り向くと厨房を兼ねたカウンターに端整な顔立ちをした男性がいました。

 赤いタイ、丈夫そうな素材の白い服、黒いズボン。男性はどうやらコックさんみたいです。爽やかで、どこか少年の面影を感じさせる……イケメンです。アイドルだとか言っても驚きませんね。

 彼は顔立ちに似合った爽やかな笑顔を浮かべます。

 

「どうした? 好きなところに座ってくれ」

 

「あの、私依頼を受けにきたんですけど……」

 

 依頼? と一度首を傾げる爽やかな男性。しかしすぐ合点がいったのか、手で店の奥を示します。

 

「いやー助かった。ありがとな、依頼を受けてくれて。依頼主ならあそこだ」

 

 助かった、とは一体……。

 

「あそこですね。ありがとうござ――」

 

 示されるがままに身体を向け、私は言葉に詰まりました。

 依頼主と思われる方が、店の奥から私を見ていたのです。それは別にどうでもいいことなのですが、その方の顔が怖いこと怖いこと。殺気にも似た鋭い空気を放つ彼の周囲だけ、店内の雰囲気が違って見えます。

 黒いロングコートを着ており、一見冒険者にも見えますが……あれは何人かやっている人の目です。彼のすぐ横の壁に、恐ろしく大きい剣が立てかけられてますし。

 

「ええと、あの方まさか怒ってます?」

 

「あー、そうかもな。けどお前には怒らないから安心しろ」

 

「安心できない……」

 

 うう。私に怒らないなら、怒ってないと言ってくれてもいいじゃないですか。

 正直者な爽やかコックさんに肩を落とす。怖いけど、ここまで来て帰るわけにはいきません。勇気を振り絞って近づいていきます。

 

「こ、こんにちは。依頼を受けたリーアと申します」

 

 できる限りのスマイル。ひきつっているかもしれませんが、きちんとした笑顔を浮かべる余裕もありませんでした。

 盛大におどおどしながら挨拶する私。すると鋭い視線を向けていた男性が、急に席を立ちました。

 

「よく来てくれた。私はステルケンブルク・クラナッハ。ステルクと――大丈夫か?」

 

「だ、大丈夫です……」

 

 び、びっくりした。いきなり立つから、意識が飛びかけました。テーブルに付いた手を離します。

 一応悪い人ではなさそうです。私の心配をしてくれてますし。

 

「す、ステルクさんですね。よろしくお願いします」

 

「……。ああ、よろしく。とりあえず座ってくれ」

 

 そう言って、ステルクさんは椅子に座りなおしました。言われた通り、私も彼の向かい側に座ります。

 一瞬ステルクさんが悲しい表情をしたような気が……。気のせい、ですよね。

 目を瞬かせる私へ、ステルクさんはまず尋ねました。

 

「君は、誰かに言われてここに来たのか?」

 

「え? いえ、違いますけど。珍しいものが手に入ると聞いて、自ら受けました」

 

 アストリッドさんは名前を出さない方がいいと言っていましたし、ここは首を横に振ります。

 しかし何故こんなことを訊くのでしょうか。

 

「そうか……錬金術以外では無価値だと書いたのだがな。失敗したか」

 

「私が来たらまずい依頼だったんですか?」

 

「いや、そういうわけではない。ただ」

 

 ステルクさんが少々慌てた様子で首を横に振ります。そして訂正しようとするのですが、何故か途中で言葉が途切れました。

 

「ただ?」

 

「ただ……知人に頼まれて特定の個人への罠を張っていたのでな。ベタな手の方が逆にかかるかもしれない、と」

 

 錬金術にしか価値のない素材で罠ということは、錬金術士に対しての罠である可能性が高い。

 アストリッドさんは名前を出すな、とまるで追われているような発言をした。

 ……あれれー。私なんでこんなドキドキしているんだろう?

 

「ちなみにその個人とは?」

 

「アストリッドという名の錬金術士だ。君も名前くらいは聞いたことがあるだろう」

 

「あ、あはは……はい、知ってます」

 

 そ、そういうことですか! トラップをかわすために私を使ったんですね!

 ステルクさんが入店した私に目を光らせていた理由も理解できました!

 

「だがこうなっては君に品を渡すしかなさそうだ」

 

 懐を漁るステルクさん。依然として鋭い目のまま、彼は小さな木の箱を取り出しました。

 

「これが約束の素材だ。君が錬金術士か知らないが、有効活用してくれると嬉しい」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 手渡しで受け取ります。箱をポーチへしっかり保存。これでアストリッドさんの依頼は完了です。

 

「これで依頼は終了だ。さて。ロロナくんに報告しなくてはな……」

 

「私も一応ギルドに――え?」

 

 ロロナくん? はて。聞き覚えのある名前ですよ。確か……あ! アストリッドさんの弟子!

 

「ろ、ロロナさんがいるんですか!?」

 

「どうした? いきなり大声を出して」

 

 席を立とうとしていたステルクさんが、きょとんとします。

 錬金術を教えてくれるかもしれないロロナさん。彼女に会えるかもしれないと分かり、依頼のことなんて私の頭から吹っ飛んでいきました。

 

「ロロナくんなら、この通りのアトリエにいる。すぐ近くだが……」

 

「本当ですか! よーし、ちょっと行ってきます! 素材ありがとうございました!」

 

 そんな近くにアトリエがあったなんて! これは行かない手はありません。

 戸惑うステルクさんにお礼を言って、急いで食堂を出ます。

 

「お、おいっ。少し落ち着い――」

 

 ステルクさんの宥める声なんて気にせず、私は駆けました。

 錬金術をマスターできれば私の可能性も広がる筈。そのためにも、ロロナさんに会って話を。あわよくば弟子入りも……。

 ロロナさんに会うのは何年も待ち望んでいたことです。私は興奮を治める術を知りませんでした。

 

 

 

 ○

 

 

 

「失礼します!」

 

 ステルクさんの言う通り、ロロナさんのアトリエは食堂から出てすぐの場所にありました。 

 少々ひび割れも見えますが、頑丈そうで可愛らしい外観をした家です。

 看板を確認、アトリエの観察を短く終え、私は早速中へ突入しました。

 

「ロロナさんは……あれ?」

 

 中は無人島のアトリエと大して変わりません。

 釜があり、おかしなものもある。私の知る一般的なアトリエです。

 きょろきょろしながら描写をする私。しかしロロナさんが見当たらず、首を傾げました。

 留守でしょうか。ステルクさんはここにいると言っていたのですが。

 しばらく諦めずに探し、ついに出直しを覚悟したとき。アトリエのドアがノックされました。

 

「はい?」

 

 疑問形の返事を返す私。

 家主でないのは重々承知していましたが、つい口から出てしまいました。『あら?』みたいなノリです。

 

「失礼する。……やはり既にいたか」

 

 ノブを捻り、入ってきたのはステルクさんでした。彼は不法侵入を果たした私を見て嘆息をもらします。

 

「まぁいい。ロロナくんは?」

 

「それがいないんです。勢いで入ってしまったんですが、留守なのでしょうか?」

 

「……アトリエの前で待つべきだったか」

 

 謀らずも不法侵入の仲間が一人増えました。

 ステルクさんは憂鬱そうに呟き、踵を返す。アトリエからのとんずらを試みているようです。私もそれに便乗しようと足を上げました。

 

「むにゃ……」

 

 と同時に典型的な寝言が聞こえてきました。

 幸せそうで、気も間も抜けている声。ステルクさんが出す声とは思えません。もし彼が言っていたなら、私は即座にゲートを使用しようと思います。 

 

「今のは?」

 

「何故怯えた様子で私を見る。……考えられるのは一つしかないな」

 

 心外だというように溜息を吐き、ステルクさんはアトリエの入り口から横方向に進んでいきます。すっかり見落としていましたが、そこにはソファがあり――

 

「眠い……」

 

 その上で女性がぐっすりと眠っていました。

 ピンク色でセミロングの髪。フリルの付いたシャツとスカート、そしてマント。全体的にピンクで、少女チックな人です。幸せそうな寝顔は少女そのものですが。

 彼女がロロナさん、なんですよね。アストリッドさんが自慢げに語っていた特徴とも一致しますし。

 ただ、眠っているのに眠いとはいかがなものか。

 

「おい」

 

 ステルクさんは彼女に近づき、軽く肩を揺さぶりました。

 短く、ぶっきらぼうな感じの台詞ですが、何故だか優しさを感じさせます。仲がよろしいみたいです。

 

「ふえ? あ、ステルクさん」

 

「寝ているところを起こしてしまってすまない。君に会いたいという子がいてな」

 

「え、私に? わわっ、ありがとうステルクさん。起こしてくれて。急いで準備しないと」

 

 飛び起きるロロナさん。思ったよりも子供っぽい口調で言い、彼女は自分のぼさぼさになった髪を手で撫でつけながらきょろきょろします。

 

「帽子、帽子……あ。あった」

 

 それからソファの近くに落ちていた帽子をかぶり、

 

「お客さんなんて久しぶりだからしっかりしないと――あ」

 

 立ち上がろうとしたところで、私と目が合いました。

 ロロナさんはフリーズし、機械のようにぎこちなくステルクさんへ顔を向けます。

 

「ステルクさん。あの人が……?」

 

「ああ。君の客だ」

 

「わああ! やっぱりー! ちょ、ちょっと待ってて下さい! 準備! 準備するから!」

 

「……外に出よう」

 

「は、はい。そうですね」

 

 可哀想なくらい慌てるロロナさんを見かね、私達は一旦退散することにしました。

 

 

 

 

 ○

 

 

 

「ステルクさーん、もうお客さん入れて大丈夫ですよ」

 

 そんな台詞が聞こえてきたのは、外に出て十分くらい経った頃でした。

 僅かに開いたアトリエの窓から、ぼそぼそと聞こえるロロナさんの声。私は苦笑を浮かべました。

 内緒話のように小さな声で言っているけど、私にもばっちり聞こえてます。

 

「すまないな。どうやら久しぶりの客で張り切っているらしい」

 

 外に出てから聞いたことですが、ロロナさんはしばらく外出続きで、アトリエを留守にすることが多かったようです。それで、アトリエに行ってもどうせいないだろうと思われ、仕事があまりこなくなったとか。

 なので張り切る理由も分からなくはないのですが。

 

「私別に仕事を頼みに来たわけでは……」

 

「説明不足とはいえ、勝手に感違いしたことだ。君が気にすることはない。それに、ただ会いに来ただけでも喜ぶだろうから問題はないだろう」

 

 何故だろう。私の中でロロナさんの精神年齢がどんどん下がっていくんですけど。

 

「まあ、問題無いってことですね。失礼します」

 

 ステルクさんを信じて進むことにしましょう。私はドアを開いて中に入ろうとします。

 

「いらっしゃいませ! ロロナのアトリエへようこそ!」

 

 すると、髪や服を整え、見事な笑顔を浮かべたロロナさんが立っていました。

 すごい。先程の慌てっぷりが嘘みたいな再登場です。けど演技くさい!

 

「……普通にした方がいいと思うが」

 

「えー!? な、なんで!?」

 

 私もステルクさんに同意見です。

 

「うう……イメージよく、って思ってたのに。あ、お客さんはここに座ってて下さい。ステルクさんも」

 

 一瞬落ち込んでいたロロナさんでしたが、すぐ立ち直りました。ぱっと表情を変えてソファを指差し、慌ただしく走っていきます。

 

「元気な人ですね」

 

「『すぎる』が付いてもいいと思っている」

 

 とか言いながら、ステルクさんは少し笑った――気がします。顔が怖くて変化が読み取りずらいですが、多分笑いました。

 

「はいどうぞ。……今日は、何の御用ですか?」

 

 しばらくすると、ロロナさんがトレイを持って現れました。

 ティーカップを私とステルクさんに渡し、メモを見ながらたどたどしく尋ねます。

 あのメモに接客のことが書いてあるようです。これまでどうやってお客さんに対応してきたのか、すごく気になりました。

 

「ええと、敬語とか気にしなくて大丈夫ですよ。それに私はお客ですけど、仕事を頼みに来たわけではないですし」

 

 カップの中身を一口飲みつつ答えます。

 入っていたのは普通の紅茶でした。いい香りで、すっきりした味わいの中にほのかな甘みもあります。すごく落ち着く味。

 

「あれ? でもステルクさんは……仕事なんて一言も言ってない」

 

 言いながら気づいたようです。ロロナさんはがっくりと肩を落としました。

 

「早とちりだな」

 

「あああ。ステルクさんそんなこと言わないで下さいー」

 

 やっぱり仲がいいみたいですね。顔を赤くさせるロロナさんを鑑賞しつつ、ぼんやり思う。

 いや、ただ仲がいいだけではないかもしれません。もしかしたら二人は付き合っていたり……はないかな。ロロナさん敬語だし。

 

「じゃあ、何の用できたのかな?」

 

 改めて、という感じで咳払いしロロナさんが尋ねた。

 ちなみに、顔はまだ赤いです。からかいたくなる気持ちを抑え、私は言いました。

 

「実は錬金術を教えてもらいたくて来ました」

 

「え……本当に!?」

 

 途端にロロナさんが目を輝かせます。すごく嬉しそう。アストリッドさんとは正反対な反応です。

 これなら何も問題なく錬金術を教えてもらえそうですね。

 

「君は錬金術士になりたいのか?」 

 

 まるで珍しいとでも言いたげな台詞。ステルクさんは横目で私を見ます。

 錬金術士って珍しいんですかね。みんななりたがる職業、みたいな認識でしたが。

 

「はい。今は一応見習いと名乗らせてもらってます」

 

「見習い? 何か調合したことはあるのかな?」

 

「中和剤を一回だけ。レシピを見て自分でやりました」

 

 ポーチから中和剤の入った瓶を取り出します。

 ロロナさんはそれを見て嬉しそうに頷いた後、明るく言い放ちました。

 

「なるほどー。じゃあ私に教えられることはレシピに関してくらいだね」

 

「ですね。……はい?」

 

 ついナチュラルに肯定してしまいましたが、今、なんと?

 

「えーと、お名前は?」

 

「リーアですけど……」

 

「リーアちゃん! 君はもう錬金術士だよ!」

 

 断言されました。なんということでしょう。

 

「えぇ!? でも私、中和剤以外作れなくて――」

 

「初めは誰だってそうだよ。でも折角来てくれたから……はいこれ!」

 

 ロロナさんが本棚から一冊の本を取り出し、私に差し出します。

 分厚い本でした。黒い革の表紙は新品同様にぴかぴかで、中の紙も綺麗な白色をしています。

 困惑しながらも、私はそれを受け取る。

 

「ありがたいですけど――ちょっと待って下さい。中和剤を作れるだけで錬金術士なんですか?」

 

「うん。あとはレシピを読んで、その通りに作るだけだよ。大丈夫。中和剤は基本だから、それが調合できるなら他もできる! ……ハズ」

 

 アストリッドさんからセンスが重要になる技術だと聞きましたが、まさかこんなアバウトだとは。なるほど、珍しそうな目で見られるわけです。

 もしかしたら錬金術士自体少ないのでは?

 もう自分で極めていくしかないんですね。精々誰かからアドバイスを貰うくらいで、後は本人の努力と……。

 仕方ありません。やる気はあるので、やれるだけやる。それだけです。

 意気込み、貰った本を開いてみます。

 表紙を捲り、1ページ目。パラパラと目を通す程度に読んでいきます。

 錬金術のレシピ本でした。初歩的なものなのか、工程が少なく、私でも理解できる程度の易しい内容です。

 

「これは……貰ってもいいんですか?」

 

 私が尋ねると、ロロナさんはにっこり笑いました。

 

「うん、私からのプレゼント。それはリーアちゃんみたいな子のために書いたんだから」

 

「書いた? 君がか?」

 

 ステルクさんが私にも分かるくらい目を張って驚きました。

 すごく失礼なリアクションに見えるんですけど、どういう意味でしょう?

 

「う……実は殆どトトリちゃんに手直しされました。紙が勿体ないとか言われて」

 

 さらに失礼なこと言われてました。トトリちゃんって誰ですかね。

 

「つまり君が執筆、トトリくんが監修というわけか」

 

「恥ずかしいけど、その逆でも間違ってません……あはは」

 

 得意げな顔をしていたロロナさんが、すっかり肩を落としています。

 トトリさん、という方も錬金術士みたいですね。それもおそらく、ロロナさんより後輩なのでしょう。

 

「それでも、有り難いことには変わりありません。ロロナさん、ありがとうございます。私、頑張って立派な錬金術士になりますね」

 

 今後の方針、それに良い本をいただけました。床に立ち、感謝を込めてしっかり頭を下げます。

 

「リーアちゃん……うん! 分からないことがあったら、いつでも相談にのるから! 頑張ってね!」

 

 良かった。元気を出してくれたみたいです。

 些か単純な気もしなくはないですが、やはり女性には笑っていてほしいものです。

 私は再度頭を下げます。今度は浅く、会釈程度に。

 

「はい。よろしくお願いします、先輩」

 

「せ、先輩……」

 

 何故そこで感動するんですか。  

 単純以前に、この人からは天然のかおりがプンプンします。

 本当にアストリッドさんの弟子なんでしょうか。数日で餌食になりそうな、のほほんとした人ですけど。

 ……あ。アストリッドさんといえば。

 

「そういえば依頼の話をしてませんよね」

 

「む。そうだった」

 

 紅茶を呑み終えたステルクさんが反応しました。

 

「依頼? リーアちゃん、ステルクさんに何か頼んだの?」

 

「いや違う。罠の件だ。やはりあいつはかからなかった」

 

「あ、もしかしてリーアちゃんが依頼に? そっかぁ。残念だけど、リーアちゃんにならあげちゃうっ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 私からアストリッドさんに渡るんですけどねー。うふふ。

 

「ステルクさん、わざわざ付き合ってくれてありがとうございます」

 

「なに、食堂にいるだけだ。君も交代してくれたし、それほど辛くない。それに……私よりも食堂にお礼を言ったほうがいいかもしれないな」

 

「あぁ……何日もコーヒーと紅茶だけで居座っちゃいましたしね」

 

 二人揃って溜息を吐きます。

 だから助かったとか言ってたんですね、コックさん。

 しかしそれほど迷惑をかけてまで罠を張るなんて……アストリッドさんは何をしたのやら。後で問い詰めなくては。

 

「――さて。では私はそろそろ失礼しようと思うのだが……」

 

 ステルクさんの視線が私に向きます。

 多分、エスティさんみたいに心配しているんですね。私は武器らしき物を持っていないし。

 

「私もギルドに報告して帰ります。ちなみに安全に帰る手段は見つけているので、安心してください」

 

「……そうか。しっかりしているな、君は」

 

「うん。リーアちゃんはいい錬金術士になるよ、絶対」

 

 罪悪感がわきますね……。嘘ついてるから物凄く。

 私は紅茶を飲み干し、ごちそうさまと一言。ロロナさんにカップを手渡し、ソファから降りました。 

 

「ではまた。お二人とも、今日はお世話になりました」

 

 頭を下げて足早にアトリエから出ていきます。

 今更ですが、これ以上嘘をつくのは嫌でした。

 いっそ正直に話すという選択肢もあるのですが……やめましょう。嘘も暴露も私は苦手です。

 馬鹿をするなら得意なんですけどね。

 

 

 

 ○

 

 

 

 冒険者ギルドに戻ると、入り口をくぐった途端、小さな女の子の声が聞こえてきました。

 

「あ! あんた、依頼できたの?」

 

 顔を覚えられていたようです。周囲の目を気にしながらカウンターの前へ。

 声を抑えて主張します。

 

「あの、そんな大きな声で話されると恥ずかしいんですけど」

 

「いいじゃない。で、ちゃんとやった? 逃げたりしてないわよね?」

 

 悪びれなく言い、機嫌よさそうに笑う女の子。

 私は頷いて返します。

 

「達成です。きちんとやったので報告しに来ました」

 

「ん、感心感心。ところで、あんたの名前は?」

 

 またえらく脈絡のない質問ですね。

 

「リーアですけど」

 

「フルネームで」

 

「リーア・マツバラです」

 

「リーア・マツバラ、と。珍しい名前ね」  

 

 別世界の名前ですしね。

 ……ところで、なんでこんな質問をしてくるんでしょうか。

 私は女の子を見る。視線を僅かに下げた彼女は、いつの間にか何かにペンを走らせていました。

 カード、みたいなものです。

 

「何してるんですか?」

 

「今気づいたの? 折角だから、冒険者免許を発行しようと思ってね。歳は大丈夫そうだし、ずっと使えるから、遠慮なく受け取りなさい」

 

「冒険者免許? まぁ、タダならいいですけど……」

 

 資格は大事ですし、貰えるなら貰っておきましょうか。

 

「無料だから安心しなさい。本当は依頼の前に発行するべきだったんだけど、うっかりしてたわ。……はい、できた」

 

 女の子がカードを差し出します。

 数字と名前、ランクが記されており、思ったよりもしっかりした免許です。私はそれをポーチに入れ、お礼を言いました。

 

「ありがとうございます。これはどんな効果があるんですか?」

 

「ギルドの依頼を受けられたり、ランクによっては危険な場所にも立ち入ることができるわ」

 

「なるほど……重要ですね」

 

 最重要アイテムに分類されます。

 海に出られるようになったら、当面の目標はランクアップになりそうです。

 

「大事だから失くさないようにするのよ?」

 

「分かりました。感謝します。ええと……」

 

「クーデリア。呼び捨てで構わないわよ、リーア」

 

 可愛らしい笑顔を浮かべて言います。

 気のいい方ですね。受付が天職だと言えるかもしれません。

 

「いえ、クーデリアさんで。ありがとうございました、クーデリアさん」

 

「真面目ねぇ。どういたしまして。免許、無駄にしないようにしなさいよ」

 

 無論です。私は笑顔で頷き、お城を後にしました。

 報告も終わり。これで後は帰るだけです。小走りで職人通りに出て、狭い路地へ入ります。

 周囲を確認。――よし、誰もいません。

 ポーチからトラベルゲートを取り出し、その中へ。

 

「海に落ちませんように」

 

 祈りを捧げると同時に、私の視界は白で覆われました。

 

 

 

 



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二章

 次に目を開いたとき、私は見慣れた風景の中にいました。

 釜とソファ、テーブル。無人島のアトリエです。

 これまで出たい出たいと思っていた場所ですが、おでかけの後ですと、なかなかどうして愛着がわくものです。

 

「おお、帰ったか」

 

 これでアストリッドさんにも愛着がわくなら、少しは私のストレスも解消され――

 

「あれ? お客さんですか?」

 

 声のした後方、玄関の方を見ると、アストリッドさんの他に見知らぬ人が二人いました。

 メイドさんと執事さん? ぼんやりとした目の、小さな男の子と、女の子が一人ずつ。あまり人間味が感じられない、不思議な雰囲気を放つ子たちでした。

 

「見習いは初対面か。そういえば、いつも夜中に外で会っていたからな……仕方ないことか」

 

「子供と夜中に? それも外で? アストリッドさん、何か怪しいことでもしてたんですか?」

 

「なに、採取の指示をしていただけだ。食糧を与えていたりもしたが」

 

 指示……こんな私くらいの子供に。

 あっけらかんとアストリッドさんは言いますけど、結構可哀想なことをしているような。

 

「そんな犯罪者を見る目をするな。おい、自己紹介してやれ」

 

『了解です、グランドマスター』

 

 アストリッドさんの指示に二人が声を揃えて応じます。頭を下げる仕草までぴったりです。この動きに、呼称、そして覇気のない目……。

 

「調教……」

 

「違う」

 

 アストリッドさんにツッコミをされるとは思いませんでした。

 

「ホムたちはグランドマスターによって作られたホムンクルス」

 

「現在はグランドマスターのお手伝いをさせていただいています」

 

 流れるように二人で自己紹介をします。

 ほほう。ホムンクルスとな。それも美少年と美少女。

 

「アストリッドさん、ホムンクルスって作るの難しいですか?」

 

「見習いでは無理だ。諦めろ」

 

 きっぱりと言われましたね。くそぅ、美少女ハーレムとかできると思ったのに。

 

「それで、ホムさん達に採取をさせていたんですよね? 何か作っているんですか?」

 

「うむ、いい質問だ。実はずっと密かに準備していたものがあってな……ついにその材料が集まったので、ホム達を招集したのだ」

 

「ずっと……」

 

 確かアストリッドさんの話によると、ここを拠点にしたのは約八年前。怪我したあの人を助けて、その三年くらい後に私が海にどっぽんしたんですよね。

 となると、短くて八年。長くてそれ以上の年月をかけたわけで。

 

「そんな珍しい材料なんですか?」

 

「天才の私が言うのもアレだが、それなりに苦労した」

 

『長い道のりでした』

 

 ホムさん達もアストリッドさんに同意しています。

 本当に長い時間をかけたみたいです。

 

「……何を作りたいんです?」

 

 そこまでアストリッドさんが入れ込むなんて、よっぽどなことです。私は気になり、尋ねてみます。

 

「気にするな。それに、すぐ分かるようになる」

 

「なんか怪しいですね……。世界を滅ぼしたりしないでくださいよ?」

 

「はっはっは。あまり変なことを言うと、見習いから滅ぼすぞ」

 

「す、すみません」

 

 本気でやりかねない。それに失礼なことを言ったのは私だ。即座に謝っておく。

 

「まぁ、私の我儘だ。見習いを巻き込むことはない」

 

「はぁ……」

 

 珍しいですね。アストリッドさんが自分の行為を我儘なんて言うとは。

 口調も心なしか暗いというか、自虐的ですし……。失礼な発言を、謝っただけで見逃すというのもらしくありません。

 

「それで、素材はとってきたか?」

 

「はい。しっかりやりましたよ」

 

 渡せ、とアストリッドさんが私に手を出します。私はポーチから箱を取り出し、アストリッドさんの手に乗せました。

 箱を開き、中を確認する彼女。満足げに笑うとアストリッドさんはポケットにしまった。

 

「よし……確かに確認した。ご苦労だったな、見習い」

 

「大した手間ではありませんでした。ところで、それには何が入っているんですか?」

 

 ふと気になり、訊きます。アストリッドさんが私に頼んでまで欲しがったもの。それが何なのか。

 

「なんだ見てなかったのか? 思ったより好奇心のないやつだな」

 

「好奇心はあるんですが、その、悪いことかなと」

 

「見習いは本当に真面目人間だな。面白味がない」

 

 自分でもたまに思いますけど、アストリッドさんに言われると複雑……。

 

「オルトガラクセンで見つかった歯車だ。調合で時の調整に使用――と言っても分からないだろうな」

 

 腰に手を当て、気だるい感じで説明してくれるのですが、言われた通りさっぱりです。

 まず場所らしき名称がどこだか分からないですし、時の調整云々もさっぱり。

 

「とにかく微調整に必要なわけだ。後は自分で調べろ」

 

「結局、そうなるんですよね」

 

 嗚呼素晴らしき放任主義。面倒見る義理もないのですが。

 苦笑する私。授業は期待できません。報酬を求めることにします。

 

「それで報酬の話ですが……」

 

「ああ。渡したトラベルゲートを使うといい」

 

 アストリッドさんはそれはもう簡単に言いました。

 

「え? いいんですか? 貴重なんじゃ」

 

「初めからやるつもりだったから気にするな。あげられないような道具を渡して、何日かかってもいいなんて言わないだろう?」

 

 ――なるほど、違和感の原因はこれですか。

 既に海を渡る手段を持っていたんですね、私は。それも実質無期限の手段を。

 ゲートがあり、アストリッドさんは何日かかってもいいと言っていた。なのに私はくそ真面目に仕事をこなして……。

 世界を知りたいとか言っていた人間の行動ではないです。

 

「凄まじく阿呆です、私……」

 

「はは、まさしくそうだな。だが私のプレゼントをいち早く受け取れるのだから、むしろ賢いと言えるかもしれない」

 

「プレゼント? ゲートですか?」

 

 首を傾げる。

 余った日にちを自由に使えるのですから有意義ではありますが、それほど得に感じません。

 違う、とアストリッドさんは両手を広げ、誇らしげに告げます。

 

「このアトリエだ」

 

「はい?」

 

「このアトリエと、アランヤ村への固定ゲート。これを見習いに押し付け――与えよう」

 

 『押し付け』言いましたよこの人。

 なにやら怪しげな報酬ですね。しかし、アトリエと村へのゲートが貰える……響きは悪くありません。ギルドの依頼もこなしたいですし、拠点がもらえるのは大きなメリットな筈。

 それに村へワープで行けるなら――言わずもがな。

 

「悪くない話ですけど、アストリッドさんはどうするんですか?」

 

「私は出ていく。目的のため最後の仕上げだ」

 

 これまたあっさりと重大なことを……。

 つまりこのアトリエが用なしになったから、私に押し付けようと。そういうわけですね。

 寂しい気もします。けれども彼女を止める理由はありません。

 ましてや、出ていく理由は目的のため。他人がどうこう言えるものではありません。

 

「分かりました。それでは好き勝手に利用させてもらいますよ?」

 

「ああ。看板はもう作ってある。ゲートも作成済みだ」

 

 そう言ってアストリッドさんは玄関へ歩いていきます。ホムさんたちも彼女についていく。

 本当に行ってしまう。私は彼女の背中へ問いかけました。

 

「また会えますよね?」

 

 私は何を言っているのでしょう。いつもならば笑顔で手を振ってお見送りする場面なのに。

 

「分からん。だがリーアが錬金術を続けていたならば……いつか会えるかもしれないな」

 

 ドアが閉まります。アストリッドさんとホムさん達はアトリエの中にいません。

 この世界で一番長く過ごしてきた空間にいるのは私一人のみ。

 たった数日でここまで環境が変化することは、私にとって初めての経験でした。

 

「……そんなに寂しくはないかな」

 

 自嘲し、振り向きます。

 誰もいないベッド、椅子、空っぽの本棚。

 ぽっかりと、言いようのない気持が胸を襲います。愛着は知らず知らずの内に持っていたようです。

 ここから。そう思うことにしよう。

 ここから私の生活ははじまるのです。

 元の世界に戻れるか、アストリッドさんに会えるかは自分次第。

 そう考えれば、私の未来は希望に満ち溢れている気がしました。

 

「頑張りますね」

 

 とりあえず、今日は休もう。

 のんびりと考えて、私はベッドへ横になりました。

 するとすぐ耐えがたい眠気が襲ってきます。おぼろげになっていく私の意識。走馬灯のようにこれまでのことを思い返した私は、あることに気づきます。

 

「そういえば……初めて名前で呼んでくれたな」

 

 まったく、あの人は最後の最後に……。

 

 

 

 ○

 

 

 

 長く続けた習慣により、私は自然と目を開きます。それは朝の訪れを示していました。

 ベッド横の窓からは眩しい光が注ぎ、鳥の鳴き声が耳に届きます。

 

「よく寝た……」

 

 欠伸一つ出ない爽やかな目覚めです。

 身体を伸ばしつつ立ち上がり、私はお風呂のある部屋に向かいました。昨日は身体を洗わずに寝てしまいましたし、まずは身支度です。

 ちゃちゃっと水を浴び、髪を整えて着替えます。

 服は……折角ですし、あれにしましょう。

 下着姿でリビングへ。タンスを開いて『あれ』を取り出します。

 錬金術士になるなら、と貰った服です。派手で嫌だったのですが、気合いを入れるため気分を変えるのもたまにはいいでしょう。

 手早く着替えます。

 カーディガンと黒と白のワンピース。その上からフード付きの赤いコートを羽織る。可愛いけど、スカートの丈が短いのが気になります。

 鏡を見て苦笑。続いて丸く、大きなつばが周囲にある白い帽子を被ります。赤いリボンが可愛い品です。あとは膝までの白いソックスを穿いて、完成。

 ワンピース、コート、帽子にフリルが付いており、ロロナさん以上に少女チックな感じ。

 

「……コスプレ?」

 

 黒髪の私がこんな格好をしていると、とても違和感があります。いや、髪色など関係なく、日本人ならコスプレと感じるでしょう。この服装は。

 魔女の少女版みたいな。露出が少ないのは幸いですが、なんともまぁいかがわしいことで。

 

「まぁいっか」

 

 気にしないことにします。人の反応を見て、あまりに馬鹿にされるなら着替えるとしましょう。

 さて、身支度も終わりましたし、日課と同時にゲートを確認しておきますか。

 玄関の横、壁に立てかけられた釣竿を持ってアトリエから出ます。

 

「んー。今日もいい天気」

 

 眩しい日差しが私を出迎えました。大海原の中心は今日も快晴です。

 アトリエ周辺の草原を歩き、崖の近くへ。

 無人島は海面からかなり高い位置にあります。嵐が来ても平気で沈まないレベルで、災害の心配も殆どありません。釣竿を垂らすには不便ですけども、致し方ないです。

 しかしそれも心配ありません。ご飯の危機だと主張し、アストリッドさんの卓越した能力で階段を作ってもらいましたから。

 崖の近く。十分な道幅のある螺旋状の階段を下っていきます。崖を削って作ったこの道は、錬金術で虫よけもしているので、安心して通ることができます。

 ……今考えると、これホムさん達が作らされた可能性がありますよね。アストリッドさんの性格的に。

 この階段を作る途方もない作業――どれだけ時間と手間がかかったのやら。

 

「感謝、と」

 

 ま、まぁどちらが作ったせよ感謝です。長い釣り糸が不要になったんですから。

 少し歩くと薄暗い道から、太陽の光が届く場所に着きます。階段を下り、道を進んだ先にあるここは、船の乗り降りや釣りをするための場所です。

 円形に削られた岩に座り、いざ釣り開始。餌は先日釣り上げた魚の切り身。

 今日は記念すべき日。故に大物狙いです。

 

「そいやっ」

 

 掛け声とともに海へ針を投入。ぽちゃんと気の抜ける音を立てて沈みます。カラフルな手作りの浮きが海に浮きました。

 などどダジャレを仕込みつつ、持ってきた本を片手で開きます。

 ロロナさんから貰った錬金術の本です。内容はとても簡単です。まず最初に書いてあるのは中和剤。私のような人向けと言っていたのが頷ける解説で、分かり易くまとめてあります。

 時折『ぐるぐる』だとか、『パラパラ』とか書いてあるのが意味不明でしたが。

 中和剤の他にはヒーリングサルヴ、手作りパイ、プレーンパイ、クラフト、ゼッテル、研磨剤、塩、小麦粉のレシピが書かれていました。

 難しい参考書ばかり読んでいたせいか、どれも理解することはできました。ただ材料が足りないものもあるので、調合するためには採取をしなくてはいけません。

 

「もしかして、私って結構優秀なのかも……」

 

 これで調合できたら、早くも初心者卒業ですかね。ふっふっふ。

 ほくそ笑む私が読書の世界から帰還すると、釣竿にかかる力に気づきました。

 ようやくご飯にありつける。素早く読書を止め、ポーチに本をしまいます。

 昨日の昼過ぎから何も食べていなかったので、お腹はぺこぺこ。今まで恥ずかしいので気にしないことにしていましたが、何度お腹が鳴ったことか。お腹と背中がくっつきそうです。

 なので、かかった獲物を逃がすなんてことはできません。

 

「これは中々」

 

 浮きの沈み具合、引きの強さ。これらから予想するに、餌をいただいた魚は大物である可能性大です。

 さて、ここは腕の見せ所ですね。魚さんの動きを予測して――

 

「とうっ!」

 

 思い切り引っ張ります。ゲームとかでいう『ぶっぱ』です。

 初心者なので腕力、釣竿の性能で勝負するのみです。それが果たして腕に分類されるのか。それは永遠に解明されない謎です。

 

「――っとと」

 

 力技が功を奏したのか、魚らしきものが派手に海面から飛び出し、陸に着地します。べたっ、と気分が悪くなる音とともに。

 引っ張った勢いで、私は後ろにあった石の椅子に着席。安堵の息を吐いて釣り上げたそれを見ます。

 大きな魚でした。魚の知識はないため、それしか言えません。

 サイズは50センチ程度。各種ヒレをそれとなくとり揃えており、魚、と聞けば大半の人間が思い浮かべるであろうポピュラーな形です。ええと、例えるならば……大きな鯵? 

 身体の厚みもありますし、毒々しい感じはありません。食べるにはもってこいですね。

 早速ご飯にするとしましょう。針を口から外し、魚の尾を持って帰路へつきます。

 そういえば……どうやって食べましょう。いつものように塩焼きやからあげでもいいですけど、めでたい、記念といったらお刺身ですよね。しかし私はおろしかたを知りませんし……。

 

「――あ。その前にゲートですよ」

 

 もっと大事なことを忘れていました。空腹で家出た途端に忘れるんですから、私は間抜けです。

 魚を置いたら見に行くとしましょう。アランヤ村というのも気になりますし。

 そんなことを思いながら歩いて、アトリエ前に到着。ドアを開こうとして……。

 

「わー、すごい。本当にアトリエだー」

 

 手を止めました。

 何故ですかって? アトリエの中から聞き覚えのない声がしたからですよ。

 朗らかな幼女らしき声なので一瞬興奮しかけましたが、冷静に考えてみると恐怖を感じました。一番有り得ないことです。周りを海に囲まれた無人島に幼女がいるなんて。

 少女の形をした幽霊なんて結構ありきたりですし、これもそういった類いかもしれません。モンスターが出るなら、幽霊も出て当然ですし。

 

「トトリのアトリエより小さいけど、一人用なのかな」

 

 歩きまわっているのか、ぱたぱたと元気な足音が聞こえてきます。

 幽霊はあんな派手に足音立てませんし……まさか本当に小さな女の子がここに?

 いやでも、船はあそこになかったです。そうなると侵入口は……。

 

「あ、まさか」

 

 思い当たりました。

 アランヤ村という場所に作られたゲート。そこを通れば子供でも簡単に来れるのでは。

 なるほど、そう考えれば自然です。子供は好奇心が強い生き物ですから。

 納得。子供ですが相手は初めてのお客様。誠意を込めて対応しましょう。意気込みます。

 さてと。中にお客様らしき人がいるとき、私はどうやって入るべきなんでしょう? いらっしゃいませは違うですよね。ううむ。

 

「……誰かいるんですか?」

 

 結局思いつかなかったので普通の台詞です。

 おそるおそる、といった様子を演じつつドアをゆっくり開く。それに気づいたのか、中から聞こえていた足音が止まりました。

 

「あ、リーア?」

 

 声のイメージ通り、いやそれ以上に可愛い女の子がアトリエの中にいました。

 髪の色は緑っぽい黄色。おさげがとても似合っていて、髪や首元、額のアクセサリーに付けられた蒼く光る宝石が彼女のキュートさ更にを高めています。

 ロロナさん達に比べると、服装は幾分か民族っぽいです。アクセサリーもそうですが、服に金色で描かれた模様が特徴的ですね。

 いやー、可愛いです。『子供』のいい意味を揃えたような少女ですよ。

 

「はい、リーアですけど……。お、お嬢ちゃん。どこから来たのかな?」

 

 つい変態みたいな感じになってしまいましたが、仕方ありません。

 可愛い幼女さんに、小首を傾げながら名前を呼ばれたのです。はあはあしない方が失礼と――いかん。私の悪いくせが出てますね。平常心平常心。

 

「外の光ってるところから。リーアのアトリエ、って書いてたから」

 

 女の子は明るく返してくれます。やっぱりゲートから来たみたいですね。

 安心しました。しっかり繋がってます。村側に看板があるみたいですし、ゲートを使って驚かれるということもなさそうです。

 

「そうですかー。お譲ちゃんの名前はなんていうんですか?」

 

「ピアニャだよ」

 

「ピアニャさんですか。よろしくお願いしますね。今日は何か用事でも?」

 

 アトリエ、というだけで何もできないし、もし用事があるなら断っておかないといけません。

 私が尋ねると、ピアニャさんはにっこりと笑いました。

 

「リーアと友達になりたくて!」

 

 ぐおおお。今まで生きてて初めてですよ、こんな大歓迎できる友人は。

 

「むしろ私からお願いします! 末永くよろしくです」

 

「わーいっ。錬金術の友達が増えた」

 

 嬉しそうに飛び跳ねるピアニャさん。そこに喜び以外の感情は見えず、彼女が本当に純粋無垢なのだと見て知れます。

 本当に友達になりたくて来てくれたんですね。

 ――良かった。こんな可愛い子に何か頼まれて、できませんなんて言った日には……罪悪感で死ねますからね。しょんぼりした顔も可愛いでしょうけど。

 ピアニャさんの笑顔に自然と笑みをこぼし、私は思い出します。

 釣竿と魚を持ったままでした。

 魚片手にあんなはあはあしていたなんて……斬新な試みです。

 

「えと、ピアニャさん。ご飯は食べました?」

 

「まだ食べてないよ」

 

 それは良かった、と私は手にしていた魚を軽く上げます。

 

「じゃあ食べていきます? 朝から焼き魚は食べられますか?」

 

「うん! ごちそうになります」

 

 たどたどしい敬語で、両手をまっすぐ挙げて頷くピアニャさん。

 ああ、可愛いなぁ……。

 子供を欲しがる人の気持ちが、14歳ながら痛いほど分かりました。

 

 

 

 ○

 

 

 

 一時間程かけ、料理が完成しました。

 二つに分けた焼き魚と、白いご飯。一般的な朝食ですが、魚のサイズもありボリュームは夕食すらも超越しています。カロリーも相応でしょう。

 ――まぁ私には足りないくらいなんですけどね。

 料理をテーブルに並べ、私はピアニャさんに声をかけます。

 

「さて、食べましょうか」

 

「やった。ごはんごはん」

 

 釣竿を眺めていた彼女はすぐさまテーブルの席に座る。そしてテーブルに手を付き、並べられた料理を見て目を輝かせました。

 なんだか食いしん坊なペットを彷彿とさせます。

 

「食べていい?」

 

「はい。その前に……いただきます」

 

「いただきます」

 

 手を合わせて食べはじめます。

 ピアニャさんの分の魚は骨を丹念に抜きましたし、味付けも確認済み、毒見もしっかりしました。多分何も問題ない筈です。

 と思っているのですが、心配です。ピアニャさんの方が気になり、食べずについ見てしまいます。

 

「どうですか?」

 

 ピアニャさんが焼き魚を口へ入れました。

 もぐもぐと行儀よく食べ、のみこみます。緊張の一瞬。しっかり口の中のものがなくなってから、ピアニャさんは言いました。

 

「美味しい! 焼いただけなのに!」

 

 ホッと胸を撫で下ろします。

 流石は塩焼き。無難で、新鮮な魚ならば一番旨味を感じられる偉大な調理法です。

 

「これ、リーアが釣ったの?」

 

「はい。釣竿で一本釣りですよ」

 

「へー、リーアすごい」

 

 私でもすごいと思うくらいですからね。まさかこのサイズがあの釣竿にかかるとは。釣り上げてしまう自分にも驚きましたけど。

 

「ん、本当に美味しいです」

 

 自作の箸で魚を一口。塩がしっかりきいており、魚の旨味を凝縮したような脂も感じられます。焼き魚といえばパサパサしているものですが、この魚は肉みたいな瑞々しさがあります。これは焼き魚にして正解でしたね。煮てもよさそうです。

 白米との組み合わせもいいですし……嗚呼、幸せ。空腹が満たされる至福の時です。

 目の前には可愛らしい女の子がいますし、言うことなしです。

 

「――そういえばピアニャさん。他に錬金術の友達がいるんですか?」

 

 ふと思い出したので尋ねます。

 『錬金術の友達が増えた』。さっき彼女が言っていたことです。増えた、ということは他の錬金術士を知っているかもしれません。

 もしくは、彼女自身が錬金術士なのか……。

 

「うん。トトリとロロナ」

 

 まぁ、大体予想通りの言葉が返ってきました。

 ロロナさんとトトリさんの名前が揃って出てくるところを考えると、やはり錬金術士はマイナーなのかもしれません。

 

「そうですか……。トトリさんは錬金術得意なのですか?」

 

「トトリはすごい錬金術士だよ。ピアニャが作れないものも簡単につくっちゃうの」

 

「ですがロロナさんよりは下、ですよね」

 

「先生だから」

 

 こくりと頷くピアニャさん。

 先生……そういうことですか。本の監修を恥ずかしがるわけです。

 つまりロロナさんとトトリさんは師弟関係だと。

 うーん、世界は狭いですね。

 

「ピアニャさんはどうなんですか? 錬金術に興味があるみたいですけど」

 

「ピアニャ? ピアニャはフラムまで作ったよ。リーアは?」

 

 ん? まずい。フラムってなんですか。

 まさかピアニャさん、私よりすごい錬金術士なんですか? ど、どうしよう。中和剤とか言って笑われたら。年齢は私より低そうなのに、腕前で負けるなんて恥ずかしい。

 ここは『金』とかドヤ顔で言――

 

「ちゅ、中和剤のみです……初心者です」

 

 ――えるわけがありません。

 顔を背けつつ私は答えます。幼女には正直に生きたいのです。

 

「そうなの? リーアすごいね。初心者なのに自分のアトリエがあって」

 

 押し付けられたようなものですけどね……うふふ。

 嘘を言っているわけでもないのに、ピアニャさんのまっすぐな目が胸に刺さります。

 

「しょーらいゆうぼうなんだよ、多分」

 

「あはは……ありがとうございます」

 

 どっちかと言えば、ピアニャさんの方が有望なんじゃないですかね。

 ピアニャさんに負けてられません。これから頑張りましょう。本気で覚悟を改めつつ食事を続ける。

 すると不意に、アトリエのドアが勢いよく開きました。

 

「――ピアニャちゃん!」

 

 これまた見知らぬ人でした。 

 長く、黒に近い茶色の髪。胸に青い石のペンダントをしており、服は緑色のシャツと白っぽいスカート。服装は地味ですが、スタイルがよく顔立ちはまさに美少女という感じ。

 そんな美少女さんは物凄く焦った表情でピアニャさんの名前を呼び、アトリエへ駆けこんできました。

 

「……」

 

 なんか嫌な予感がするなぁ、と私は魚を頬張りながら他人事のように思うのでした。

 

「ちぇちー。おはよう」

 

「ピアニャちゃん! よかった元気そうで……」

 

 私なんかいないかのようにピアニャさんへ一直線。ちぇちーさんはピアニャさんの保護者みたいです。

 ピアニャさんの無事を確認し、心底安心した様子でちぇちーさんが胸を撫で下ろします。

 うう、罪悪感が……そりゃ心配しますよね。こんな可愛い子です。一分でもいなくなったら警察に連絡したくなりそうです。

 

「あなたがリーアさんですか?」

 

 ちぇちーさんが私の方を向きました。その目は少し鋭いです。敵意まではいきませんが、僅かな怒りが窺い知れます。

 

「は、はい。リーアです」

 

「……ピアニャちゃんのことは楽しそうですし、お礼を言います」

 

 そう言って頭を下げるちぇちーさん。

 意外です。すっかりピアニャさんを拘束したとか怒られるかと思っていたのですが。

 ぽかんとする私へ、彼女は続けます。

 

「ですが、私達の家の前に無許可であんなものを作ったことはちょっと……」

 

「あんなもの?」

 

 はて。私は覚えがありませんし、なんでしょう?

 アストリッドさんが作ったのかな。でもあの人は本気で怒られるようなことを、見ず知らずの人にする筈は……。

 

「ゲートと看板です!」

 

「――分かりました。ちょっと待って下さい」

 

 なにやってんだあの人!

 村に繋いだとか言ってたから、てっきり空き地とかに配置したと思ったのに! まさか人様の敷地に設置するとは……。

 思わずタイムを要求してしまいましたが、考えても解決策は思いつきません。溜息を吐き、私は答えます。

 

「全て私の師匠がやったことなので知りません」

 

 地球の得意技、責任逃れです。

 事実なのですから仕方ありません。

 

「……本当ですか?」

 

 笑顔ですさまじい圧力をかけてくるちぇちーさん。

 どことなくギルドの小さい女の子を彷彿とさせますが、威圧感が比べものになりません。あちらがゼロなら、ちぇちーさんは十を超えそうです。

 

「なら、説明してください。納得できる理由で」

 

 ――恨みますよ、アストリッドさん。

 心の中で呟きます。

 この後、私はちぇちーさんへこれまでの事情をおどおどしながら語ることになりました。

 その間もピアニャさんは食事を続けており……とても居心地が悪かったのは言うまでもありません。

 怒られているところに、無関係の人間がいる。それだけで怒られている人は心苦しいものです。

 夕食の際、試験について怒られたときもこんな気持ちだったと、よく覚えています。勉強したと弁解する私を見る弟の視線が痛いこと痛いこと。

 その関心が夕食に向いていることは見ていてよく分かるのですが、話を聞かれていると思っただけでダメージは避けられません。そういうものです。

 今回もそんな感じです。

 ピアニャさんは魚に夢中なのですが、時折私に視線を向けてきて……死にたくなります。私が。

 

「つまりリーアさんはアトリエを受け取ったけど、ゲートの場所は知らなかった、ということですね?」

 

「はい……その通りです」

 

 それでも頑張って説明すること数分。

 アストリッドさんの名前を伏せ、頼みごとから現在に至るまでを説明することに成功しました。

 私が本当に何も知らないと分かってくれたのか、ちぇちーさんから放たれていた威圧する感じはなくなっています。

 

「そうですか……。なら、仕方ないですね」

 

 釈然としない顔をしながらも、一応は信じてくれたみたいです。

 ちぇちーさんが物分かりのいい人で助かりました。

 

「じゃあ一度だけゲートを移動できないか試してくれませんか? 結構邪魔で」

 

「はい。勿論です」

 

 それくらいなら。何もできなそうですけど。

 私は急いで朝食を平らげ、ピアニャさん、ちぇちーさんと共に外へ向かいました。

 

 

 

 ○

 

 

 

 ゲートはアトリエから前方、行き止まりに繋がる曲がりくねった道の先にありました。

 見た目は立派な石の台座がです。四角形のそれから、不思議な光によって魔法陣が浮きあがっていました。

 光は絶えず1メートル程上へ、円形に渦巻いて上昇。移動するぞ、という雰囲気をひしひしと感じます。

 私が携帯しているタイプとは違いますね。とても動かせる大きさではありません。それに、心なしか地面と同化しているような。

 

「これは無理かもしれません」

 

 とはいえ、何もしないわけにはいきません。駄目元で台座を押してみます。

 しかしびくともしない。動かなければ、隠し階段が現れたりもしません。

 蹴ったりもしますが、やはり反応なし。

 これは力技でどうにかなる問題じゃないですね。

 

「す、すみません……無理です。今度師匠に会ったら言っときますので、それでなんとか」

 

「仕方ないですね。まぁ、ピアニャちゃんにお友達ができたと考えれば……」

 

「リーアといつでも会えるの、ピアニャ嬉しいよ」

 

 いい人達で有り難いことです。ショバ代とか請求されたらどうなっていたことか。

 ――にしても、アストリッドさんは何を考えているんですかね。人様の家にゲートと看板を作るなんて。ところかまわず迷惑かける人じゃない……と思いたいんですが、また会えたら追求しときましょう。

 まさか、ちぇちーさん宅にゲートを作る理由が? いや、ないでしょう。多分。

 

「あ、そうだ。私はツェツィーリア・ヘルモルトです。これからよろしくお願いします」

 

「こ、こちらこそ。迷惑をかけさせてもらいます……すみません」

 

 頭を下げ合う私達。現在進行形で迷惑をかけているのに、こんな丁寧な挨拶をしてくれるなんて。この人とも仲良くなれるといいなぁ。

 それと、ちぇちーさんじゃないんですね。

 ぺこぺこと頭を下げる私に、ツェツィさんは笑いかけました。

 

「もう気にしないでください。それに、錬金術士の人には慣れてますから」

 

 何故か遠い目をしています。なんだろう。家が火事になったような哀愁を感じます。

 

「よかったらトトリちゃんとも仲良くしてあげてください。ピアニャちゃん、ご飯のお礼は?」

 

 うん? トトリちゃん? まさか。

 

「リーア、ごちそうさまでした」

 

「じゃあ私達は帰りますね。いつでも遊びに来てください。歓迎しますから」

 

 質問する間もなく二人はゲートで帰ってしまいました。

 初対面ですし、長居は悪いと思ったのでしょうか。やたら素早い動きです。勝手にゲートを作った以上、嫌われた可能性も否めませんが。

 ……さて。ゲートがどこに繋がっているかは分かりましたし、準備をしてから村へ参るとしましょう。

 まずは挨拶ですよね。村の住人の方々と良好な人間関係を結べるよう努力いたしましょう。

 外を歩くなら護衛も考えないといけないですし、武器だって必要です。やるべきことは多くあります。

 

「しばらくイベント続きですね」

 

 可愛い子との出会いとか期待してもよさそうです。

 

 

 

 ○

 

 

 

 ゲートを通って一瞬。問題なくアランヤ村に到着しました。

 私の前方に見えるのはオレンジ色をした屋根の家や、広場らしき場所、埠頭に停まっている船。海沿いに広がっているアランヤ村の一部です。

 私が立っているのは高台のようで、ちょうどそれらを見下ろすことができます。

 のどかな風景です。活気は感じませんが、生活するならこれくらいがちょうどいいでしょう。

 潮の香りが鼻に入り、長年無人島暮らしをしていた私は無性に落ち着きます。

 

「ここがアランヤ村……」

 

 中々いいんじゃないですか? 安い値段でいい魚が手に入りそうです。

 

「あ、リーア!」

 

 ぼんやり遠目に観光すること数分。不意にピアニャさんの声が聞こえます。

 後ろです。振り返ると、笑顔のピアニャさんがいて――その後方に比較的大きな家が一軒見えました。

 正確には二軒でしょうか。普通の家の隣に、小さなもう一つの家がくっついています。ドアも付いており、看板らしき物も見えました。

 ……見事に家の前にゲートが作られてますね。

 家の場所を確認して、文句が出ても仕方ないと痛感しました。

 私がいるのは崖沿いの場所。そこはツェツィさん宅の斜め前で、歩いていて踏む、なんてことはなさそうですが、とてもゲートが目立ちます。光ってるし、大きいし。

 アストリッドさんは何を考えてここに作ったんですかね。

 

「おはようございます、ピアニャさん。また会いましたね」

 

 返事をする。ピアニャさんの笑顔が明るさを増しました。

 

「うん、さっきぶり。村に行くの?」

 

「挨拶しに回ろうかと思いまして。ピアニャさんもどうですか? 案内してくれると……」

 

「ごめんなさい。ピアニャ、約束あるからいけない」

 

 私の近くに来た彼女は、申し訳なさそうに目を伏せます。

 うぐぅ。ピアニャさんがいたら、和やかに挨拶できると思ったのですが。

 

「それは仕方ないですね。ではまた今度遊びましょう」

 

 強要する必要はありません。これまで自分の力で生きてきた自分です。挨拶くらいできなくては困ります。

 ピアニャさんの頭を撫でて、私は歩き出しました。

 

「頑張ってね、リーア」

 

 背中からかかる声に、手を挙げて答えます。

 ピアニャさんの声援があれば百人力ですとも。

 女の子の応援へニヒルに返す私。気分はダンディな主人公です。

 とりあえず広場に向かいましょう。そこに村の重要な機関が集まっているはず。

 主人公らしいといえばらしい安易な発想で、私は道を下っていきました。

 

 

 

 ○

 

 

 

 それほど時間がかからずに広場へ到着しました。

 シンボルらしき巨大な錨が中心に置かれたその場所は、思ったより多く人がいました。活気もアーランドの街ほどではありませんが感じられます。

 

「何かないのでしょうか」

 

 例えば、人が集まる場所とか。

 広場に並んだ店らしき家を順番に見ていきます。

 なんてことはない普通の店が並んでますね。アトリエは見当たりませんし、『男の武具屋』なんて興味を誘われるお店もありません。

 『パメラ屋さん アランヤ支店』というのは気になりましたが、後回しにしておきましょう。多分名前だけの普通な店でしょうし。

 

「……何もないですね」

 

 どうしましょ。『バー・ゲラルド』は酒場でしょうし、私には縁がありません。パメラ屋さんしか行けるところがありませんね。

 ここは恥ずかしいですが、誰かに聞いてみますか。適当な方に……あ、なんか酒場の横に立っている人がいますね。

 服装は地味ですが、結構強そうな剣を腰に差しています。顔立ちはやんちゃな少年といった感じ。明るそうで、人がよさそうな顔をしています。あの人に聞いてみましょう。

 

「あの、ちょっといいですか?」

 

「ん? ああ、いいぞ。何か用か?」

 

 おお、イメージ通りの返答。

 初対面の私に対して、怖気づきもせず対応してくれます。

 

「私、今日この村……らしき場所に住むことになったのですが、行くべきところとかありません?」

 

「なんだそれ」

 

 やんちゃさんが訝しげな顔をしました。

 いやまぁ、自分でもおかしいと分かりますよ? けどあのアトリエの場所をどうやって説明すればいいのか、私には見当がつきません。

 しょうがないです。通じないことを前提に長文でお話しましょう。

 

「信じてもらえないかもしれないですけど、高台にワープするゲートを設置しまして。私の家はそのゲートの先になっているのです」

 

「ワープ? ゲート……おお! そっか」

 

 ……通じた? 納得するように手を叩きましたけど。

 

「それって錬金術だろ? トトリがまた何か作ったんだな」

 

 楽しそうに言うやんちゃさん。

 またトトリさんですか。さっきもツェツィさんが言ってましたし、やはりあの高台の家が……。

 

「いえ、やったのは私の師匠です」

 

「そうなのか。けど錬金術なんだろ? あ、ということはお前も……」

 

「はい。錬金術士です」

 

 やっぱりか、とやんちゃさんが笑います。

 

「通りでひらひらした服を着てると思ったんだ」

 

 この世界では、錬金術士とひらひらはイコールだという式が成り立っているみたいです。

 錬金術がやりづらくなると思うんですけどね。

 ――はっ。ちょっと待って下さい。ひらひらの式が成り立つならば、あの方も……。

 

「トトリさんもひらひらなんですか?」

 

「おう。お前よりすごいかもな」

 

 なるほど、楽しみが増えました。ぐへへ。

 

「あれ? お前トトリと会ってないのか? 高台にはトトリの家があるんだぜ」

 

 トトリさんの服を知らない。つまりは彼女に会っていない。

 それを疑問に思ったようで、やんちゃさんは尋ねます。

 

「ええと、実は……」

 

 かくかくしかじか。軽くこれまでの経緯を語ります。

 アトリエを押しつけられた翌日、ピアニャさんが来て、ツェツィさんに怒られ――

 

「というわけで、トトリさんはあの家にと思ってたのですが、迷惑かけた手前とても気まずくて。まずは村にと思った次第です」

 

「師匠ひどいな」

 

 普通そう思いますよね。やんちゃさんの感想に救われた気がします。

 確認しない私も悪かったですけども。

 

「けどツェツィさんは気にしないって言ったんだろ? なら気にしないで行けばいいじゃん」

 

「流石にそれは。明日辺り行こうかと思ってますけど」

 

「心配性だなぁ」

 

 あはは……パパッと行ければいいんですけどね。

 言葉ではなく常識を気にしてしまう辺り、私は真面目ではなく小心者なのかもしれません。

 

「えと、それで行くべきところとかは……」

 

「錬金術士なら、この店には顔だして損はないと思うぜ」

 

 そう言ってやんちゃさんは隣の店、酒場を指差しました。

 

「酒場、ですよね。錬金術に酒を使うんですか?」

 

「いや、依頼が……あー、詳しいことは行けば分かる」

 

 後頭部を掻き、ニッと笑います。

 酒場で依頼? 仲間を集める、とかはゲームでよく聞きますけど、依頼は初めて聞いたかも。

 

「分かりました。とりあえず行ってみます」

 

 頭を下げてお礼を言います。さて、酒場に突入です。

 

「ちょっと待った。名前を教えてくれないか?」

 

 歩き出そうとした私の肩にやんちゃさんが手を置きます。

 あ、自己紹介がまだでしたね。

 

「リーアです。リーア・マツバラ」

 

「リーアか。オレはジーノ。冒険者だ。これからよろしくな」

 

「はい、こちらこそ」

 

 冒険者……先輩ですね。

 私が頭を下げ、挨拶は終わり。ジーノさんへ一言言うと、私は酒場へ入りました。

 

 

 

 ○

 

 

 

 落ち着いた雰囲気のお店です。

 酒場のドアを開いて中へ入ると、そこは別世界と言うべき空気を漂わせていました。

 広く、ゆとりのある店内。石造りな店の外見と違い、中は木造のイメージを前面に出しています。

 店内に数組置かれたテーブルと椅子。奥にはカウンターがあり、そのどれもが木でできていました。カウンター上部の柱には操舵輪が掛けられていて……なんだか店全体が船のよう。

 

「わー。バーですよ、おしゃれバー」

 

 それも隠れ家的な。お客さんもそれほどいませんし、静かで雰囲気は完璧です。

 先程ダンディにヒロイン(幼女)と別れた私にはぴったりな感じですな。ふふふ。

 

「いらっしゃいませ」

 

 カウンターに立つ男性が私に声をかけました。

 ほほう、ダンディなお方です。シャツと蝶ネクタイ、サスペンダー、そして口髭。体格がよく、酒場のマスターという単語を体現しているかのような男性です。声も渋めでよろしい。

 ほぼ無人の店内を歩き、私はマスターさんへ話しかけます。

 

「あの、私今日からこの村……の近くに住むことになったリーアと申します」

 

「村の近くに? そうか」

 

 マスターさんの視線が真っ直ぐ私へ。彼は下から上へじっくりと見て、一言。

 

「錬金術士かね?」

 

 本当ね、錬金術士は服装で認識されているのかと。

 

「あ、はい。そうですけど……やっぱり服装ですか?」

 

「ああ。あと杖があれば確定だったな」

 

「だから疑問文だったんですね」

 

 納得です。

 一般的な錬金術士はひらひらに加えて、杖を持っているみたいですね。杖……何に使うのかな。

 

「それで、錬金術士ならここに行ったほうがいいと言われまして。何かあるんですか?」

 

「そうだな。アトリエの知名度があるなら、必要ないかもしれないが。冒険者免許は持っているか?」

 

「あ、はい。持ってますよ」

 

 ポーチから免許を取り出します。

 ランクは1。ポイントの欄らしき場所は0で美しく染まっています。綺麗な初期の状態です。

 

「それなら話は早い。一言で言えば、ここでアーランドの依頼を受けることができるんだ」

 

「依頼を?」

 

「ああ。ポイントについては聞いただろう?」

 

「全然です。ランクが上がると行動範囲が増える、くらいの説明で」

 

「そうなのか? じゃあ俺が説明するか」

 

 マスターさんは何も知らない私へ、細かく説明をしてくれます。

 例えば地図に書かれた場所へ向かう、モンスターを倒す等。そのような冒険者らしい行動をとるとポイントが溜まっていき、ポイントが一定値を越えるとアーランドのギルドでランクアップができる。

 要約すると、こんな感じのお話でした。

 依頼関係のポイントも多く、高ランクを目指すためには必要不可欠となるらしいです。お金稼ぎにもなりますが、冒険の妨げにならない程度に受けるのが重要なのだとか。

 

「――と、こんな感じだ。分かったか?」

 

「よく分かりました。ありがとうございます」

 

 頭を下げます。

 クーデリアさんが何故説明しなかったかは分かりませんが、マスターさんが話してくれましたし、結果オーライとしますか。

 

「どういたしまして。早速依頼を受けるか? 討伐、調達、調合などあるが」

 

 そう言ってマスターさんは紙を数枚取り出します。

 カウンターに置かれたそれには、依頼の詳細ついて書かれていました。目標、期限、報酬などこれを読めば大体のことは把握できそうです。

 早速読んでみます。

 青ぷに討伐、アードラ討伐、ヒーリングサルヴ調合、マジックグラス調達。細かいは細かいのですが、一通りみても『難易度』というものが分かりません。青ぷにやアードラは避けた方がいいと分かるのですけど。

 

「材料を集めに近くへ出かけようかと思ってたんですけど、何かいい依頼はあります?」

 

 ここは質問してみることにしました。

 

「そうだな……。武器は何か持っているか?」

 

「持ってません」

 

「まずそれからだな」

 

 即答です。溜息を吐きながら即座に答えましたよ。

 

「リーア。武器なしではどれも危険すぎる。どこかで武器を手に入れた方がいい」

 

「やっぱりですか……」

 

 どうしましょ。アーランドの街に行くには、一時間危険地帯を歩かないといけませんし、この村に武器屋があるとも思えません。ここはエスティさんに護衛を――って、ここにいないでしょうし。

 あれこれと思案する私。

 というか、アーランドの街に行ってもお金がないんですよね。世知辛いものです。

 

「そうだ。トトリを頼ってみたらどうだ?」

 

「トトリさん?」

 

 マスターさんの提案に、私は苦い顔をします。

 そりゃトトリさんは先輩です。錬金術士が使うような武器防具を少しは持っているでしょう。しかしまだ会ったこともない彼女を頼るなんて、とてもできません。情けなくなります。

 

「ああ。アトリエにいるだろう」

 

「いや、しかしですね、会ったこともない人から頼られたら、トトリさんも迷惑じゃ……」

 

「多分大丈夫だ。後輩、それも錬金術の仲間となれば、彼女も喜ぶだろう。この前なんて素材について話せる人が少ない、とか嘆いていたぞ」

 

 それは私もついていけるか分からないんですが。

 ……まぁ、お金がない今、ヘタなプライドは命取りですかね。

 たまには情けないくらい人を頼ってみますか。

 

「分かりました。ではトトリさんを頼ってみます」

 

「そうするといい。困ったときはお互い様ってやつだ」

 

 礼を言ってマスターさんへ頭を下げます。

 錬金術士のトトリさん。よく名前を聞く彼女は、一体どんな人なんでしょうか。

 できれば、ロロナさんみたいにぽわーっとしてる人がいいなぁ、なんて考えたり。

 

 

 

 ○

 

 

 

 んなわけで、戻ってきました、アトリエに。

 ふふ、我ながら中々破天荒な再開です。季語がないところに趣があるというか。

 ……。

 

「はぁ。トトリさんを頼る……」

 

 溜息。いくら盛り上がろうと句を読んでも、この気分が晴れることはありません。

 ツェツィさん宅を前にして、私は憂鬱な気分で立ち尽くしておりました。

 何年か前とはいえ、私はばりばり都会派な少女。顔を知らぬ誰かを頼るなど、したこともありません。

 なんでしょうね……頼ることが恥ずかしいことではないと分かっているんですけど、どうにも気が進まないというか。やりたくないというか。

 簡単に言えば、私が小心者ということでしょう。ええ、間違いありません。

 

「ここは流れに身を任せる……そうしましょう」

 

 自分が生活するため。恥は捨てる。これが一番です。

 いつも通り馬鹿で愉快にいきましょう。

 私は覚悟を決め、ドアノブに手をかけました。

 ドアが二つあるので迷いましたが、とりあえず大きな方から入ってみようと思います。

 

「し、失礼します……」

 

 元気はありませんが突入しました。

 ノックを数回。ドアを開いて中の様子を窺います。

 リビングのようでした。テーブルが置いてあり、その奥には暖炉、無人島の家よりしっかりした台所が見えます。

 台所にはツェツィさんが立っていて――僅かに見えた光景から、温かな雰囲気が窺い知れました。

 

「お姉ちゃーん、ご飯まだー?」

 

 私に気づいていないのか、中からそんな声が聞こえてきます。

 声を出した人の姿が見えませんが、可愛らしいながらとてもダルっとした声です。だらけきってます。

 

「まだよー。大人しく待っててね――あ、リーアさん」

 

 ダルっとした方に返答しようとしたのでしょう。振り向いたツェツィさんと目が合います。

 ちょっと遅れて、家の中からガタッと物音が立ちました。

 

「だ、誰か来てたのっ?」

 

「早速来てくれたんですね。入って大丈夫ですよ」

 

「あ、はい。お邪魔します」

 

「好きなところに座ってください」

 

 怒っていたり、嫌われている気配はありませんね。

 お言葉に甘えて家の中に入ります。席は入り口の近くをセレクト。

 ふむ、中の大部分を見てもイメージはちっとも変わりません。よく整理整頓されているお宅です。

 まず部屋を観察。そして目的の錬金術士さんらしき方へ視線を落とします。

 

「あなたがリーアさんですか?」

 

 本当にひらひらした女の子がおりました。

 青とピンクのワンピースみたいな服を着ていて、ピラピラしたリボンのようなものが床近くまで垂れています。

 頭にかぶっている傾斜のついたカチューシャは、一見するとナースキャップのよう。しかしなんとなく錬金術士らしい模様が。

 なるほど、服装で判断されるのも分かります。個性的ですもの。スカートなんて透けてますよ、見せるタイプですよ、けしからん。

 純粋そうで、大人しそうながらまっすぐな目をした方です。ツェツィさんに似て顔立ちはとても整っています。

 けれど……なんでですかね。心なしか彼女の方が大人に見えるんです。

 いや、見た目は明らかにツェツィさんが大人なんですけど。胸も背丈も。

 

「あの……」

 

 トトリさんだと思わしき女の子が不安げに私を見ます。

 はっ。またぼんやりしてしまいました。

 

「はいっ、リーアですよ。あなたはトトリさんですか?」

 

 こくりと頷きました。やはりトトリさんだったようです。

 

「トトゥーリア・ヘルモルトです。トトリって呼んでください」

 

「ヘルモルト……お二人は姉妹ですか?」

 

 親子でも違和感はないのですが、もし間違っていたら失礼極まりないので姉妹と尋ねておきます。

 

「トトリちゃんが妹で、私が姉です。トトリちゃんが18歳よね?」 

 

「うん」

 

 18……だと。

 どう見ても十代前半くらいにしか見えないんですけど、私より4歳上だとは。低身長で美少女なのは羨ましいですね。

 

「意外ですか?」

 

「いえ、そんなことは。少し思いましたけど」

 

 正直に答えるとトトリさんが苦笑しました。顔に出ていたみたいです。

 

「ふふ、意外よね。今も『おねえちゃーん』ってだらけてたトトリちゃんが、そんな歳なんて普通思わないもの」

 

「お、お姉ちゃん! 聞いてないかもしれないのに!」

 

 トトリさんが赤面します。料理中で背中を向けたままですが、ツェツィさんは笑いをこらえているように見えました。

 トトリさんはやや視線を泳がせ、

 

「……リーアさんは錬金術士らしいですね」

 

 話を綺麗に逸らしました。可愛らしい人です。

 

「ええ。先日中和剤を完成させたばかりですから、トトリさんが先輩になりますね」

 

「そうですね……」

 

 あれ? なんでそこで複雑そうな表情?

 私が後輩だと嫌なのかな……。

 

「どうしました?」

 

「な、なんでもないです。えと、その、リーアさんは何歳ですか?」

 

 うん? 何故年齢が。

 

「14歳ですけど」

 

『14!?』

 

 ツェツィさん、トトリさんの声が綺麗に重なりました。

 

「え、それじゃあトトリちゃんより年下なの?」

「お姉ちゃんと同じくらいの後輩なんて、複雑だと思ってたのに」

 

 そうですか。私は結構な歳に見られていたわけですか。

 考えてみれば、酒場では普通に接客されてました。この世界の成人になる年齢が低いのかと思いましたが……なるほどです。

 

「あ。ごめんなさい! リーアさん身長高くて大人っぽいから、つい」

 

「まぁ、師匠にも言われたことなので気にしてません」

 

 ぺこぺこ頭を下げるトトリさんを宥めます。

 アストリッドさんにも、怪我していたあの方にも言われたことです。

 身長は高くて胸がでかい。おかっぱ頭にキリッとした目、そして敬語。私にはそれらの大人びて見える要素が数多くある、と。

 錬金術士としては邪道だとも言われましたね。見た目でそこまで言われるとは思いませんでした。

 

「敬語とかも気にしなくていいですよ。私は子供なので。リーアちゃんって呼んで下さいっ」

 

「う、うん、リーアちゃん」

 

 引いてますねコレ。ウインクは痛いですかやっぱり。

 引きつった笑みを浮かべるトトリさん。彼女は咳払いする私を見て、何かに気づいたようでした。

 

「そういえばリーアちゃん、杖持ってないね」

 

 おお、そうでした。すっかり紹介に気をとられてましたね。

 

「そうなんですよ。私、長らく島で過ごしまして。武器という物を持ってないのです」

 

「島? でも海を渡るなら武器が――あ、ゲートから来たんだっけ」

 

「はい。そんな状態で飛んできたから、モンスターがいることすら知らなかった次第です」

 

 答えつつ、先輩へ期待を込めた眼差しを送ります。

 優しそうな彼女のこと。きっと私の望む言葉をかけてくれる筈。

 

「そうなんだ。使わないのが少しあるけど……要る?」

 

「要ります。是非ください」

 

 期待通りです。私は立ち上がると頭を下げます。

 

「じゃあちょっと待ってて。今持ってくるから」

 

 トトリさんが小走りで去っていきました。

 リビング横のドアを開いて、どこかへ行きます。隣の部屋ですかね。

 

「トトリちゃん嬉しそうね」

 

 食器をテーブルへ置いたツェツィさんが、開きっぱなしになったドアを見ながら言いました。

 

「ツェツィさんも嬉しそうですけど」

 

「そうね。私も嬉しいかも」

 

 『かも』と言いながら、彼女は娘の成長を喜ぶ母親のような表情をしていました。

 

「前まで頼りなかったのに、昔では信じれないようなすごいことをして……今は後輩の面倒も見てるんだもの」

 

 言ってることも母親みたいですね。

 

「信じられないこととは――」

 

「リーアちゃん、持ってきたよ」

 

 台詞の途中でトトリさんが帰ってきました。

 どこか張り切った様子の彼女は、一本の杖を手に握っています。

 

「試しにハゲルさんと考えて作ったものなんだけど、どうかな」

 

「そうですね……」

 

 差し出されたそれを受け取り、私は考える。

 長さは1メートル超え。先端と尾の部分に小さな金の装飾があり、棒の部分は赤い金属で形成。形状的には杖というより棒です。

 魔力の類いより、攻撃力の増加が望めそう。

 見た感じ、攻撃力上昇、速度上昇、還元、属性攻撃一つ……といったところでしょうか。特性は中々。それに高品質です。金属の艶が美しい。

 

「いいと思います。けど本当に貰っちゃっていいんですか?」

 

「うん。私は違うのを持ってるから」

 

 きっとこれよりいい杖なんでしょうね。魔力だけでなく、体力とかも上がっちゃうお得なやつに違いないです。

 

「それに、あげといてなんだけど、その杖ってあまり錬金術士向けじゃないんだ。釜はかき混ぜやすいけど、何故か物理にだけ特化しちゃって」

 

 やっぱりですか。

 少々落胆しますが、まぁこの方が私に合っているかもしれません。錬金術の合間にトレーニングもさせられてましたし。筋力ならちょっとは自信あります。

 

「ごめんね? 今こんな杖しかないの」

 

「謝らないで下さい。この杖で嬉しいですから。ありがとうございます」

 

 棒術は憧れです。

 この杖でモンスターをバッタバッタ倒してみせると誓いましょう。

 なんか錬金術士として間違ってる気がしてなりませんけども。

 申し訳なさそうにするトトリさんへ、私は心の底からお礼を言います。

 彼女は照れ笑いを浮かべた後に小さな声で言いました。

 

「……どういたしまして」

 

 人を抱き締めたいと本気で思ったのは、久しぶりでした。

 

 

 

 ○

 

 

 

 トトリさんが遅めの朝食をとるということで、迷惑をかけないために、ヘルモルト家から退散しました。

 外に出た私が向かったのは件の酒場。

 武器を手に入れましたし、今度こそ依頼を受けられる筈。

 と、勇んでカウンターのマスターさんに話かけたのですが。

 

「一人では不安だな。護衛をつけたほうがいい」

 

 年齢を告げたことが裏目に出て、武器以外の心配をさせてしまいました。

 歳相応に扱ってほしいという乙女心が仇になるとは……。

 

「ひとりでは駄目ですか? 私、まだ友達や知り合いが2桁もいないんですが、それで護衛というのもおかしな話じゃありません?」

 

「それもそうだな。――おい、メルヴィア」

 

 入り口近くを見て、誰かの名前を呼ぶマスターさん。

 はて。店に誰かいましたっけ。一人女性はいましたけど……。

 

「はいはい、なに? ゲラルドさん」

 

 その女性がこちらにやって来ました。

 水着のような露出度の高い服を着た、背も胸も大きな女性です。日焼けした肌が健康的で、喋り方や顔立ちからは元気な印象を受けます。

 名前はメルヴィアさんと言うらしいですね。

 

「この子の旅についてやってくれないか?」

 

「旅に? 別にいいけど、あたしよりトトリやジーノの方が……ああ、免許の更新か」

 

「え? 更新ですか?」

 

 冒険者免許は永久に使えると言っていましたし、何の免許なんでしょう。

 首を傾げる私へ、メルヴィアさんは伸びをしながら説明します。 

 

「ええ。今新規で冒険者になる人には永久資格を与えているけど、トトリ達のときには期限つきだったのよ。明日は永久の免許を貰うための更新日なの」

 

「なるほど、そういうわけですか」

 

 それなら出歩くわけにはいきませんね。

 マスター……ゲラルドさんがメルヴィアさんを最初に呼んだのも納得できます。

 

「あたしでいいなら一緒に行くわよ。ごちそう食べ損ねるのはちょっと痛いけど」

 

「はい、お願いします。一回外を調べてみたいんです」

 

 頭を下げます。メルヴィアさんはニコッと笑いました。

 

「ん、了解。じゃあ早速行こうかしら。依頼は受けた?」

 

 あ、そうでした。お金とかポイントを稼いでおかないと。

 慌てて青ぷに討伐の依頼と、たるリス討伐依頼を受ける手続きを済ませます。期限は約一ヶ月先。多分達成できる筈です。

 

「――これで討伐後は、ここかアーランドの街で報告ができる。どうしても無理なときは依頼をキャンセルすることもできるから、覚えておくといい」

 

「はい。分かりました」

 

 頷きます。が、私はおそらくキャンセルなんてしないと思いました。

 キャンセルしたら、クーデリアさんに何を言われるか分かったものじゃありません。

 

「それとこれも渡しておこう。おそらく貰っていないだろう?」

 

 ゲラルドさんが何かをカウンターから取り出し、私へ差し出します。

 綺麗に折りたたまれているそれは、地図でした。アランヤ村やアーランドの街をはじめとして、各地の地名や入場可能なランクが一枚の大きな紙に記してあります。

 開いた地図を畳み、ポーチへ投入。頭を下げてお礼を申し上げます。

 

「便利ですね。タダで貰っていいんでしょうか?」

 

「支給品だからな。お金を取ったら叱られてしまう」

 

「……地図は必需品ですものね」

 

 それを渡さないなんて、クーデリアさんは結構抜けてるのかもしれません。

 ――さて。これで準備は終わった筈です。仲間もできたことですし、順風満帆といったところでしょう。

 ゲラルドさんに一言挨拶し、私とメルヴィアさんは早速村の外へ向かいました。

 

 

 



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三章

 草が除かれただけの、『道』とギリギリ呼べる道を歩いていると、明らかにこれまでと異なった色が目に入りました。

 一面の緑です。

 目に眩しいくらいの青々とした草原。その上に色鮮やかな花畑が点在しています。

 奥の方には川が流れており、なんだか絵に描いたような行楽地。

 とてもモンスターを倒しに向かう場所だとは思えませんでした。

 無論、青くてぷにぷにしたあいつの姿も見えるのですが、それを含めても美しい場所です。

 ここが『西方の平原』ですか。村から数日かかる距離ですが、他と比べたらかなり近い採取地です。生息しているモンスターもあのぷにだけで、比較的安全らしいです。

 ランクで言えば、冒険者免許を持っていない人間でも立ち入ることができるんだとか。

 

「着いたわね。あたしはここで待ってるから、頑張ってきなさい」

 

 青ぷにの居場所を教えてくれ、ここまで案内してくれたメルヴィアさん。

 彼女は入り口近くにある木の高台に座ると、そんなことを言いました。

 武器であるばかでかい斧を置き、私へ笑いかけます。

 

「あの、戦ってくれないんですか?」

 

「あたしが戦ったら一撃よ? それでもいいならやるけど」

 

 説得力のある言葉でした。

 現に彼女は、歩いている途中で遭遇したぷにの集団を一撃で薙ぎ払ってましたし。

 出発前に斧を持ってきた時点で理解できましたが、メルヴィアさんはかなりの怪力みたいです。身長くらいはある重そうな斧を軽々振り回し、持ったまま走ったりしても顔色を少しも変えません。

 あんな細い身体のどこから力が……とも思いますが、愚問ですかね。

 

「危なくなったら助けてあげるから。ファイトファイト」

 

「うう……分かりました。すぐ来てくださいね」

 

 ここまで来て自分が何もしないのは情けない。経験値もほしい。成長したい。

 そんな小さなプライド、経験値取得のために私は一人で戦うことを決めます。

 はぁ。ゲームなら仲間が全部倒しても経験値が入るんですけどねぇ。現実は世知辛いです。

 

「確か四匹でしたね」

 

 暢気な笑顔で手を振るメルヴィアさんに見送られ、高台を降りる。

 周囲を見回せば、数多くの青ぷにが、何を考えているか分からないポーカーフェイスで平原を跳ねまわっています。

 ここは一匹一匹相手にする作戦でいきますか。多対一で痛い目見ましたし。

 考え、私は歩き出しました。

 戦うポジションは高台の前辺りにしましょう。メルヴィアさんの目につきやすい場所ですし。

 

「――よし」

 

 無事到着。近くには青ぷにが一匹。絶好のシチュエーションです。

 私は果敢にも駆け出します。武器を手に入れた今、こんな雑魚に手間取る私ではないのです。

 背中を向けている青ぷにへ近づき、杖の先端を勢いよく突き出す。

 豆腐を箸で刺したような、軽い手応え。走っていた勢いもあり、攻撃は容易くぷにぷにボディを貫きました。しかし、まだ生きている。動こうとする気配を感じます。

 攻撃する隙は与えません。

 私は杖を担ぐ様に持ち替え、ぷに背中を向けます。

 杖は釣竿。ぷには餌。今私の体勢は、まさに針を水へ入れようとする釣り人です。

 あとは投げるだけ。杖を持ち上げ――思い切り振り下ろす。

 杖に刺さっていたぷには、派手に地面へ叩きつけられました。

 ……我ながらバイオレンスな攻撃です。悪役がやりそう。

 なにか大切なものを犠牲にした気がしますが、一匹倒せたのでよしとしましょう。

 

「中々やるわね、リーア。錬金術士より、本格的な冒険者目指したら?」

 

 高台のメルヴィアさんが楽しそうに言いました。パイらしきもの片手に、完全な観戦です。暢気なものです。

 

「お世辞はいいですよ――っと、素材素材」

 

 モンスターを倒すと素材を落とすことがある。

 行きでメルヴィアさんに教えて貰ったことですが、本当でしょうか。

 あおぷにだったブルーな液体をよく見てみます。するとすっかり液状となったものの中に、カラフルな色をした玉を見つけました。

 触ってみると、ぷにぷにしていて良い感触をしています。こころなしか動いているような気も。

 これは何かに使える筈。とりあえずポーチへ投入。

 液体は使えなそうなので放置しておきます。

 

「リーアー。集中してると危ないわよー」

 

 メルヴィアさんの声が聞こえました。

 なんでしょう。台詞の割に危機感は感じませんが。

 のんびり顔を上げると、

 

「あ、あれぇ!?」

 

 ぷにさん達が私の周りに集結していました。

 再来する一日前の出来事。あの時と比べて、今回は青しかいないので幾分か楽なはずなのですが。

 なんでしょうね。目が笑っていない口だけの笑顔が、ものすごく怖いと感じます。

 

「メルヴィアさん! ヘルプミーです!」

 

「えー。まだ危なくないでしょ。大丈夫よ。三年目のトトリよりいい動きしてたし」

 

「そんな殺生な!」

 

 お言葉は嬉しいのに、まったく喜べない!

 とかなんとか言っている間に、ぷに達は私へ襲いかかってきます。

 多対一なのに遠慮なく波状攻撃をしかけるぷに達。一撃二撃はなんとか杖でしのぐものの、このままではダメージは必至。私は素早く視線を巡らせ、通れそうな隙間を探します。

 ――ありました。私の斜め右、ぷにがいない手薄な場所が。

 三撃目を払うと同時に、そこへ疾走。すれ違いざまに左右にいたぷにへ攻撃を加えます。

 偶々当たり所がよかったのか、それだけで二匹のぷにがやられました。

 残りは――四匹。

 残りの数を把握し、再び走る。間抜けに跳ねていたぷにの背後をとり、杖で叩き上げます。

 大きく飛んだぷに。それを叩き落とし、他のぷにへぶつける。べちゃっと音を立てて崩壊。今の攻撃で二匹がダウンしました。

 よし。あと少し。

 成長を確信する私。しかしそれを否定するように脇腹へ衝撃が奔りました。

 

「あいたっ!?」

 

 ついに喰らってしまいました。

 咳き込むように息を吐きだし、私は攻撃された事実を認識します。

 脇腹へ不意を突く攻撃。倒れこそしませんが、ダメージは大きいです。

 だけど、これは想定内。一回も被弾せずに勝てるなんて甘い考えは、平原に行く前から捨てています。

 私は痛みに片目を閉じつつ、視界の端に浮かぶ青色の球体を手で殴り飛ばしました。

 私に体当たりをかまし、跳ねかえっていたであろう青ぷに。無防備な攻撃後を突かれ、彼は地面を転がっていきました。

 まだ生きています。私はとどめを刺すべく、もう一体に構わず大きく足を踏み出します。

 このタイミングなら――間に合う。

 弾丸の如く鋭く、真っ直ぐに。私の放った刺突は、転がるぷにを見事に貫きました。

 あと一匹。杖を抜き、融けるようにして絶命したぷにを確認。それから残りのぷにを探します。

 ――と、その時。微かな草の音が聞こえました。

 無意識の内に私は音のした方向へ向き直り、空いている手を前に出しました。

 

「ぷにっ!」

 

 そこへぴったりぷにが体当たりを仕掛けてきます。

 ダメージはなし。驚くような声を上げるぷにへ笑いかけ、私は容赦なく杖を突き刺しました。

 口からその裏側まで貫通。青い液体を流し、ぷにはほどなくして形を崩します。

 これで全滅。私を襲っていたぷには、全て葬り去りました。

 

「……なんか違う」

 

 しかし私の中に残ったのは、多大な違和感のみ。

 原因は分かっていました。

 弱い者虐め。残酷な仕留め方。

 ――そう。主人公らしくも、錬金術士らしくもないのです。

 

「悪役チック……」

 

 雑魚モンスター虐殺なんてゲームで何度もやっていることなのに、視点が変わるだけでこうも空しいものなのですね。

 遠い目をしながら、敵の残骸を漁ります。

 虐殺後の死体漁り。

 私は……なんなのですかね。

 

 

 

 ○

 

 

 

 まぁそんなことはすぐ忘れてしまう私なのでした。

 

「メルヴィアさん。生き残りましたよ、私」

 

 素材を採取すること数分。ぷにぷにした玉を手に入れた私は、彼女のいる高台へ戻ります。 

 

「お疲れ様。思ったより強いじゃない。これからアイテムも使うようになるなら、もっと戦えるようになるわね」

 

「そうなんですかね。自分では実感がわきませんけど」

 

 苦笑します。初めてのまともな戦闘で、あれくらい戦えれば上出来なのでしょうか。よく分かりません。

 メルヴィアさんは斧を支えにして立ち上がり、欠伸をもらします。

 

「さて。じゃあ採取もしていく? 錬金術の初心者なら、ここの素材とかちょうどいいんじゃない? あまり知らないけど」

 

「そうですね。採取の方法も試したいですし、何かないか探しましょう」

 

 今まで本で見てきただけですしね。採取がどんな感じかも知っておくべきです。

 二人並んで平原に降り、採取できそうなものを探します。

 確か本には草むらだとか、花とか、何かありそうな場所を調べるといい、みたいなことが書いてありましたね。

 

「あそことかいいかな」

 

 ちょうど小さな花畑を見つけました。あそこなら何かあるかも。

 近づいて調べてみます。メルヴィアさんはその間守ってくれるようで、斧に手をかけつつ私の周囲を警戒していました。表情は真面目で、彼女がそこにいるというだけで多大な安心感を得られます。

 

「……そういえば」

 

 採取している間無言なのも嫌なので、気になっていることを尋ねることにしました。

 チラッとメルヴィアさんを見て、

 

「トトリさんは何かすごいことをしたそうですね。錬金術関係ですか?」

 

「そうねぇ。錬金術もすごいけど、あの子村を一つ救ったのよ」

 

 メルヴィアさんは視線を私に向けずに答えました。

 村を救う……ツェツィさんが言っていた『すごいこと』は本当にすごいことでしたか。

 驚きながら、てんとう虫のような虫をポーチに入れる。

 とてもそんなことをした人物には見えませんでしたが、多分かなり強いんでしょうね。

 あ、でも戦ったとは限りませんよね。単に錬金術で村の状況を好転させたとか。ありがちなところでいくと――

 

「どうやって村を救ったんです? 錬金術で病を治したとかですか?」

 

 メルヴィアさんが首を横に振ります。 

 

「塔に封印されていた悪魔を倒したのよ」

 

 思ったよりもすごいことしてそうですよ。

 倒して、村を救ったと言われるレベルの悪魔。どれだけ強いんですかね。

 そしてそれを倒してしまうトトリさんの強さも気になります。錬金術士って、そんな強いのかな。

 ロロナさんとかトトリさんはそんな感じ全然しないのに。

 アストリッドさんは得体の知れない怖さがありましたけど。

 

「あの、もっとトトリさんのこと聞かせてくれませんか? 後輩として、トトリさんに興味があるんです」

 

「ん、いいわよ。採取には時間かかるだろうし」

 

 それから、メルヴィアさんは私に沢山お話をしてくれました。

 トトリさんが冒険者になる前、なってから、海を渡るとき、そして塔の悪魔を倒したこと。トトリさんは様々な困難に直面し、それを乗り越えてきたそうです。

 けれどメルヴィアさんは、彼女がどうしてそのような道を歩んできたのか――その理由を語りませんでした。

 それがとても不自然であったのですが、追求しようとは思いません。

 一般人だったトトリさんが、危険な旅をしてきた。その理由はきっと、軽々しく口にしていいようなものではないのでしょう。

 話を聞いて疑問は残りましたが、多くのことが分かりました。

 今なら、トトリさんが大人っぽく見えた理由も分かるかもしれません。

 

 

 

 ○

 

 

 

 採取を終えたときには、二日ほど日が進んでいました。

 草やら虫やら、どれが素材か判断したり、特性を見極めたり、品質を計算したりと色々やっているとあっという間に日が過ぎてしまうから不思議です。もっと早く済みそうなものですが。

 

「よーし。これで粗方採りつくしましたね」

 

 それはともかく。探っていない採取ポイントはもう無くなりました。平原で採れるものはもうないでしょう。

 ちょっと重くなったポーチを軽く叩き、私は隣のメルヴィアさんを見ます。

 

「やっと終わった。錬金術士の採取は相変わらず長いわね」

 

 何日も野宿したからか、元気な彼女も若干うんざり気味です。

 それでも、私よりはるかに元気そう。私はもうへとへとです。体力はあるのですが、力が出ないというか。精神的疲労でしょうか。

 

「じゃあ帰りましょ。トトリ達、今頃更新してのんびりしてるのかなー」

 

「メルヴィアさんにも報告したくて、うずうずしてると思いますよ。――あ」 

 

 一歩踏み出し、私はふと閃きました。

 そういえば私、便利アイテムを持っているんでした。一瞬でアトリエに戻れるゲートを。

 

「どうしたの? なにか忘れ物でもした?」

 

「いえ、私便利なゲートを持っているのを思い出しまして」

 

 ポーチを漁りながら答えます。

 トラベルゲートを使って、アトリエに戻ってからアランヤ村。このルートならば一日もかかりません。我ながらナイスアイデア。

 確かここらへんに入れて……あ。ありました。

 

「トラベルゲートー」

 

 一見折りたたまれた布ですが、これを広げて乗ればあら不思議。あっという間にアトリエかアーランドの街に――

 

「あれ?」

 

 ゲートを広げた私は硬直しました。

 光っていない。それどころか、あの変な模様が書かれていません。

 当然地面に敷いて踏んでも効果なし。

 頼れるアイテムは、ただの布になっていました。

 

「おかしいです……。なんで何も反応しないんですか」

 

「爆発はよく見たけど、このタイプの失敗は新鮮ね」

 

 私も新鮮ですとも。

 うう……まさかアーランドの街に行ったときのズレらしきものは、この前兆? 壊れかけていたんですか?

 有り得る。むしろ偶然壊れたのではなく、計算された上で壊れ――否、効果が切れたのだと考えても自然です。

 

「すみません。歩いて帰るようですね」

 

 いずれにせよ、ゲートは使えません。布を回収し元通り縛ってポーチへ。

 メルヴィアさんは気にしていないと微笑みました。

 

「それが当たり前だし、謝ることじゃないわ。のんびり行きましょ」

 

 そうですね。

 ま、自分の力でゲートを作るという目的が増えたと思いましょう。

 ついでに、アストリッドさんを糾弾できる理由も増えましたし。

 今回は収穫も多くありました。帰り道くらいはゆっくりしていいでしょう。

 私達は笑い合い、ゆっくりと歩き出しました。

 村で起こっていることも知らずに。

 

 

 

 ○

 

 

 

 帰ってまいりました、アランヤ村です。

 慣れ親しんだ爽やかな潮の香りが、私達を出迎えます。

 草原の爽やかな空気もいいですが、やはり母なる海ですね。

 

「よいしょ。どうだった? 初めての冒険は」

 

 入り口から進み、広場のベンチに座る。

 水を汲んで一息つくと、メルヴィアさんはいかにも先輩っぽい問いを投げかけてきました。

 普段なら煩わしく思うタイプの質問です。けれど不思議とそんな気分にはなりませんでした。何日か一緒に生活していたからでしょうか。

 

「大変でしたけど、楽しかったです。メルヴィアさんのお陰ですね」

 

 キリッとした顔で告げます。疲れていてもポイントを稼げる場所は見逃しません。

 

「ふふ、そう。それなら良かったわ」

 

 メルヴィアさんは安心したように息を吐き、村の入り口の方へ視線を向けました。

 そしてぼそっと呟きます。

 

「……あいつがいないわね。馬車を出すなんて一言も言ってなかったのに、何かあったのかしら」

 

「あいつ?」

 

「あ、気にしなくていいわよ。どうせ大したことじゃないと思うし」

 

 けろりとした顔で、本当に大したことなさそうに言うメルヴィアさん。

 馬車……そういえば、出発前に村の入り口で馬車を見た気がしますね。その近くに男の人がいたような気も。

 その方がいないのを気にするとはこれはまさか――

 

「あうっ!?」

 

 私が妄想を膨らませようとしたまさにその時、村に爆音が響きました。

 雷のように低く大きな音で、音と同時に地面が微かに揺れた気がします。

 突然のことに身体が飛び跳ねる。間抜けな声を上げ、私はベンチからずり落ちそうになりました。

 

「な、なななんですか!? 敵襲ですか!?」

 

 もしやモンスターが!? いやでも何日か前はあんなに平和だったのに。

 

「高台の方ね。行くわよ」

 

 軽くパニックを起こす私に対し、メルヴィアさんは全く怯んでいません。

 斧を持って勇敢に高台へ走っていきます。

 いや、行くわよと言われても。

 私、役に立てますかね。瞬殺される未来しか見えないんですけど。

 ああ、でも一人でいる方が危険かもしれないし……。

 

「お、置いてかないでください!」

 

 色々考えた後、結局私は彼女を追うことにしました。

 主人公的にもトラブルは放っておけますまい。

 ――なにもないといいんですけどねぇ。

 

 

 

 ○

 

 

 

 しかし私の期待は、意外な形で裏切られるのでした。

 火のないところに煙は立たないとはよく言ったもので。

 私達が高台に上がると、まず倒れている人達に目が行きました。トトリさん、ジーノさん、それと見知らぬ女の子。三人が武器を手に倒れています。

 そしてその前には……

 

「あれ? 加減間違えたかな」

 

 あの方です。ワンピースの形をした服の上から赤いマントを羽織り、長い髪を後ろで括っている――名前なんでしたっけ? そういえば一度も聞いてませんでしたね。

 ま、まぁともかく、ファルシオンを腰に提げた冒険者風の女性がそこにいたのです。

 

「な、なんであなたがここに!?」

 

 私は驚きました。

 つい一ヶ月ほど前。怪我が完治し、無人島から意気揚々と帰っていった筈の女性。

 その女性が、何故アランヤ村に?

 そして構図的にあの方が三人を叩きのめしたようにしか見えないんですけど、どうなんでしょうか?

 驚愕から言葉も出ない私。隣にいるメルヴィアさんも、口を開いたままで固まっています。

 そんな私達にやっと気づいたのか、女性は視線をこちらに向けてひらっと手を挙げました。

 

「あ、メルヴィア。それにリーアも。やっと帰ってきたね。何日もどこ行ってたんだい?」

 

「え――あ……ギゼラさんがそれを言うの!?」

 

 知り合いだったみたいです。メルヴィアさんが物凄い大声でつっこみましたよ。

 

「あはは、普通逆か。けどまぁ、おかえり。久しぶりだね」

 

「は、はぁ……ただいま?」

 

 混乱してますね。頭の上に?マークが浮かびそうな顔をしながら、返事だけは返しています。

 この場に彼女と話せる人間は私くらいしかいないようです。

 深呼吸。しっかり落ち着くと、私は口を開きました。

 

「あの、あなたはこの村の住人で?」

 

「うん、アランヤ村はあたしの故郷。言ってなかったかい?」

 

 さも当たり前のような顔をして言います。この人は相変わらずですね。

 

「一言も言ってませんでしたよ。田舎だとは聞いてましたけど」

 

 旦那がーとか、子供がーとか、そんな自慢や武勇伝を語っているばかりで、具体的な名前はまったく出てきませんでしたからね、この人の話は。

 

「で、最近帰ってきて……何故このような惨状に?」

 

「惨状? ――ああ。話をしてる内に戦ってみたいってなってね。実際にやってみたんだけど」

 

 なるほど。大体事情は分かりました。

 色々聞きたいことはありますが、ギゼラさんは敵ではないようですし、まずはトトリさん達の無事を確かめなくては。

 

「それでどうやったらこうなるんですかね。メルヴィアさん、ひとまず三人を」

 

「え、ええ。そうね」

 

 声をかけると、メルヴィアさんはすぐ我に帰りました。流石は冒険者。不測の事態にも強いです。

 ギゼラさんにトトリさんを診るよう言い聞かせ、私は見知らぬ少女に声をかけます。

 

「大丈夫ですか?」

 

 倒れている少女は黒い髪をサイドテールにした、トトリさんより少し大きな子でした。大きめのマントと、身長に合わない長さの槍が特徴的です。

 怪我はありません。声をかけて数秒の後、軽く肩を揺さぶります。

 

「……う」

 

 反応がありました。少女はゆっくり目を開くと、飛び上がります。

 

「はっ!? な、なにがあったの!?」

 

 武器を手にキョロキョロ。少女達はわけも分からず撃沈したようですね。状況を理解していません。

 

「ギゼラさんにボロ負けしたようです」

 

「あ……トトリ! 大丈夫!?」

 

 私が言うや否や少女はトトリさんの方へ走っていきました。

 健康そうです。ホッとしつつも、若干の寂しさは否めません。お礼とか欲しかったなぁ、なんて。

 

「うん、大丈夫だよミミちゃん。ジーノくんも怪我はない?」

 

「ああ。身体が痛むけどな……。ありがとう、メル姉」

 

 二人も既に起きていました。

 加減を間違えた云々言っていたので不安でしたが、皆さん無事みたいです。

 

「流石っ。いやー、強くなったねトトリ。全員ピンピンしてるじゃないか」

 

「いや、割とダメージがすごいんだけど……」

 

 元気よく笑うギゼラさんに、トトリさんが苦笑して返します。

 怪我はありません。しかし三人とも目に見えてぐったりしていて、戦闘不能一歩手前な感じ。確かにダメージが見て知れました。

 

「私達が手も足も出ないなんて、名に恥じない実力だったわ……」

 

「あーっ。まだ一流じゃないんだな、オレ。当たり前だけどさ」

 

 というか肉体的ではなく、精神的なダメージが大きいのかも。ボロ負けしたみたいですし。

 

「とりあえず無事そうで安心したわ」

 

 メルヴィアさんが嘆息混じりに言います。

 その表情に安心が見えないのは、きっと事情を理解できない混乱があるからでしょう。

 私達は出掛けていたわけですし、一ヶ月前まで面識のあった私と比べて、メルヴィアさんは十年ぶりに近い再会の筈。

 対応できなくて当然です。

 ここは説明要求といきますか。

 

「それで。何がどうなってこんな状況になっているんですか?」

 

 

 

 ○

 

 

 

 説明終了。

 なんと冒険者免許を更新した日、お祝いの準備をしているときにギゼラさんがフラッと帰還したそうです。

 で、村は大騒ぎ。呑んだり食ったりして帰還をみんなで喜んだ、と。

 そしてその騒ぎも治まってきた本日。ミミさんがどうしても力を知りたいということで、攻撃アイテムを制限して戦いを始めたそうな。

 それから、ぼっこぼこにされたところへ私達が戻った――という話でした。

 

「じゃあ本当にギゼラさんなの?」

 

 説明を終え、メルヴィアさんは信じられないといった面持ちでギゼラさんを見ます。

 事情は分かりませんが、八年ぶりですからね。死んだと思われても仕方ないでしょう。

 そんな方が帰って村でドンパチしていたら、そりゃ驚きます。無論、混乱だって。

 

「うん、お母さんだよ。今でも信じられないけど、助けてもらったって」

 

「助けてって。それじゃあ、海の上で偶然?」

 

「すごい運だよな、ギゼラおばさん」

 

 ジーノさんがしみじみと言います。

 

「らしいといえばらしいけど……急すぎてわけわかんないわ」

 

 メルヴィアさんがまた溜息。

 余程死んだと思ってたんですね。

 

「まぁいいんじゃない? 生きてたんだし」

 

「あんたが言うんですか」

 

「そりゃ手紙出さなかったあたしも悪いけどさ。そこまで死人扱いされてるとは思わなかったよ」

 

 さも被害者風に肩を竦めるギゼラさん。

 死人扱い? と私が首を傾げると、ミミさんが苦笑いを浮かべ、

 

「お墓が造られてたのよ。村を救った英雄だとか」

 

 あぁ……それは死んだと思われても仕方ないですね。

 

「あのおばあちゃん、今度会ったら文句言ってやる」

 

「あはは……ピルカさんお母さんにすごく感謝してたから、あんまり責めない方が」

 

 トトリさんが苦笑しました。

 まぁ、お墓を造られるのは感謝の形ですし。それほど責められませんよね。

 って、あれ? なんか聞き逃したらいけない言葉がさっきから耳に入っているような。

 

「お母さん?」

 

 トトリさん、ギゼラさんのことをお母さんだとか言ってません?

 気のせいですよね? だって全然似てないですし。

 

「散々言ったでしょ? 可愛い娘がいるって」

 

「ええ!? じゃあ娘がトトリさんとツェツィさんなんですか!?」

 

 驚く私へ、ギゼラさんは当たり前だと頷きます。

 言われてみれば、なーんか面影が。目とか似てるかも。

 ……でも納得できません。トトリさんは優しくて可愛いのに、ギゼラさんは傍若無人ですし。

 

「なんか失礼なこと考えてるでしょ巨乳娘」

 

「変な呼び方しないで下さい。病み上がりさん」

 

 やっぱり似てない。

 こんなブン殴りたくなる人がトトリさんの母親なんて。

 

「リーアちゃん、お母さんと仲良しみたいだね。あ、そうだ」

 

 何か思い出したらしいトトリさんが、おそろしい勘違いをしながらポーチを漁ります。

 元気のない様子で彼女が取り出したのは、金色をしたひし形のケースに入っている何か。ケースの中心に収まっているのは緑色の液体で、なにやら神秘的な雰囲気を放っています。

 あ、あれは……アストリッドさんの参考書で見たことがあります! たしか『エリキシル剤』!

 対象へ高い回復効果を与えるアイテムだとか。特性によってはあらゆる病や状態を治療する万能薬にもなりうる、調合難易度の高い品です。

 

「一応使っておくね。さっきは発動する間もなくやられちゃったけど」

 

 特性は、生きている、気付け、生命の源、効果アップ、それと価格ダウン……ですね。品質の割には安っぽく見えます。

 トトリさんはそれをジーノさん、ミミさんへ手渡し、そして自分も飲みました。

 すると皆さん、みるみるうちに元気を取り戻します。効き目はばっちりですね。

 

「ありがと。……それじゃ、私は行くわね。ちょっとゆっくりしてるわ」

 

「よーし! オレも特訓メニューを考え直すか。戦ってくれてありがとな、ギゼラおばさん」

 

 二人とも簡単に負けて、思うところがあるのでしょう。

 トトリさんとギゼラさんに謝辞を述べ、去っていきました。

 

「二人ともなんだかやる気になってましたね」

 

 ジーノさんはともかく、ゆっくりすると言っていたミミさんからも何かしようとする意思が窺えました。

 歩いていく二人の背中を見つめる私。ギゼラさんは笑います。

 

「目標ってやつじゃない? いやー、若いっていいことだね」

 

「おばさんが言うと説得力ありますよね」

 

「ん? いつの間にそんな生意気になったのかな? リーアちゃん」

 

 最初からですよー。ベーっ、だ。

 にやけるギゼラさんへ舌を出しておきます。好き勝手やってる人ですし、これくらいは生意気カウントされないでしょう。

 

「二人とも負けず嫌いなところがあるから。きっと色々考えたりするんじゃないかな」

 

「ジーノ坊やの場合は突っ走るだけでしょうけどね」

 

 と、トトリさん、メルヴィアさん。

 負けず嫌いですか。確かに、そんな性格の方がこんなふざけた人に負けるのは納得いかないでしょうね。

 

「……ところで、リーアちゃん」

 

 うんうんと頷いている私へ、トトリさんが声をかけました。

 

「はい、なんです?」

 

「お母さんと知り合いみたいだけど、どこで会ったの?」

 

 訊かれるとは思わなかった質問です。私のこと言ってなかったんですね、ギゼラさん。

 ここはアストリッドさんの名前は伏せて、それとなく伝えることにしましょう。

 

「それは」

 

「ね、あたしお腹空いたんだけど、細かいことは家で話さないかい?」

 

 この人はまたいいタイミングで。

 途中から入ってきたギゼラさんを睨みます。できるだけ怒りの感情を込めて。

 ですが彼女はなんの悪びれもない様子で、私の肩に手を回しました。

 なんですかね。馴れ馴れしい。

 

「ごちそうするから。好きだよね? 分厚いお肉」

 

「お供します」

 

 グッと拳を握ってガッツポーズ。口の端から涎でも出ているかもしれません。

 我ながら気持ちのいい掌返しです。

 しかし仕方ありません。私は好物のお肉を年単位で口にしていないのですから。

 深刻な脂感不足は、無人島生活の問題でして。私が誘惑に負けるのも自然な道理です。

 

「単純だねぇ、あんた。まいいや。さ、ごはんごはん」

 

「はいっ! お肉っ、お肉っ」

 

 二人して欲望丸出しの合唱。私とギゼラさんは肩を組んでヘルモルト家へ向かいました。

 

「やっぱり二人は仲良しだね、メルお姉ちゃん」

 

「そうね。波長が合うのかも」

 

 なんだか失礼な言葉が後ろから聞こえてきた気もしますが、好物のことを考えている私の耳には届きませんでした。

 お肉。その響きは広大な大地よりも私を高揚させます。

 それが分厚いともなれば、私のテンションはうなぎのぼりでした。

 

 

 

 ○

 

 

 

「そんなわけで、私とギゼラさんは師匠に助けられた者同士なのです。あのアトリエ内で、なんだかんだ五年くらいの付き合いがありまして、お別れしたのは一ヶ月ほど前のことです」

 

 ヘルモルト家のリビング。そこへまたお邪魔した私は、これまでの経緯を当たり障りなく語りました。

 具体的に言えば、師匠関連の話をうやむやに説明したのです。

 それでも必要最低限以上の情報が詰まっていますので、意味が通じる筈。

 

「そうなんだ……」

 

「なるほどね」

 

 通じたみたいです。

 トトリさんとメルヴィアさんの二人は、合点がいった様子で首を縦に振ります。

 流石は私のトークスキル。名称という重要な要素を欠いても会話を容易く成立させる手腕は、我ながら立派と言わざるを得ません。

 これで師匠がアストリッドさんだとバレることはな――

 

「リーアちゃん。師匠って誰なのかな?」

 

 ――かったらよかったんですけどねぇ。

 

「な、なななんでそんなことをお聞きになるのですか?」

 

「え? だって、お母さん助けてくれたからお礼くらいは、って」

 

 どもる私へ、きょとんとした顔をするトトリさん。

 そうきましたか!

 っていうか、十分予測できた範囲の質問ですよ!

 トークスキル以前に会話の流れから詰んでましたね。

 ギゼラさんもアストリッドさんの名前は知っているでしょうし、言い訳はできません。

 

「とても言いたくないんですけど、聞きたいですか?」

 

「うん。聞かせて」

 

 深く嘆息。

 名前を口にしてトトリさん達と険悪になったら、アストリッドさんを恨むとしましょう。

 私は悪くないです。ええ。

 

「……私の師匠はアストリッドさんです」

 

 嗚呼、ついに言ってしまった。

 そして勝手に師匠にしてしまった。

 不安と罪悪感。永遠とも思える数秒の間の後。

 

「え……アストリッド、さん? ええぇ!?」

 

 トトリさんが口の前に手をやって驚愕します。

 アストリッド。その名前にどんな逸話があるか知りませんが、ロクなことではないとなんとなく分かります。

 なんたって、ロロナさん達が罠を張るくらいの人物ですからね。

 

「それってロロナ先生の師匠だよね? あの人がお母さんを!?」

 

「なんか、本当に偶然なのか疑いたくなるレベルね」

 

 あれ? 二人とも驚いているだけで、特に他のリアクションがないですね。恨みだとか。

 

「あの。こんなこと私が尋ねるのもなんですが、アストリッドさんはどんな人なんですか?」

 

 挙手。ずっと気になっていたことを訊きます。

 ステルクさんやロロナさんはアストリッドさんを犯罪者みたいな扱いをしてましたけど、実際のところどうなんでしょうか。

 

「え? 詳しいことは分からないけど、魔女だとは。あとほむちゃんを取ったとか」

 

「あたしはアーランド一の錬金術士だけど、すごく気紛れだって聞いたわ」

 

 ……と、とりあえず犯罪者ではなさそうですね。安心しました。

 魔女は印象通りだから問題なし。

 ただ一つ気になるのは、『ほむちゃん』。ホムさん達のことでしょうか。

 もしそうだとしたら、誘拐なのでは。

 師匠に新たな疑いが浮上しました。

 

「……けど、そっか。海の上にいたなら、ロロナ先生が見つけられないことも納得かも。そんな場所まで探さなかった筈だし。アストリッドさんは今どこにいるの?」

 

「すみません。何かを作るらしく、行き先も告げないで出て行きまして。どこに行ったかはさっぱりです」

 

 どこか新たな拠点を作っているかもしれない。素材求めて冒険しているかもしれない。

 どちらにせよ、私が彼女の位置を知る術はありません。

 私が申し訳なさそうに言うと、トトリさんは首を横に振ります。 

 

「気にしなくていいよ。神出鬼没な人だって聞いたし」

 

「そう……ですね」

 

 たとえ居場所が分かっていても、簡単に見つかる人ではありません。

 あの人はグータラな様でいて人の一歩前をいっていますからね。天才とはアストリッドさんのことを言うのかもしれません。

 私とトトリさんは二人揃って溜息を吐きます。

 

「二人してなに溜息吐いてるのよ。いいじゃない。アストリッドさん本人が放浪してるんだから」

 

「うん。だけどいつお礼が言えるのかなぁ、って」

「そうなんですけどね……」

 

 ほぼ同時に低テンションな調子でメルヴィアさんへ返事をする私達。

 アストリッドさんがいなくても大した問題はないのですが、なんかモヤモヤするというか。複雑な気分です。

 

「よーし! できた!」

 

 場の空気が何故か淀み始めたとき、暢気な調子の声が台所で上がりました。

 完成を喜び両手を挙げたのは、さっきまでずっと料理をしていたギゼラさんです。

 念入りなシーズニングがようやく終わったみたい。

 時間が空いてすっかり落ち着いたテンションが、再び高まりはじめます。

 アストリッドさんなんかどうでもよくなりました。

 ギゼラさんはフライパンを出して慣れた手つきで点火。油をひいてお肉を丸ごとフライパンへ投入しました。

 食欲を刺激する芳しい匂いと音。スパイスが鼻をつき、お肉の焼ける美味しい香りが後に続きます。

 別にお腹が空いているわけではありませんが、口に涎が溢れるのを自覚できました。

 

「リ、リーアちゃん、涎がすごいことになってるよ」

 

「あーあー。女の子がだらしない」

 

 なんと言われようとも、抗えないので仕方ありません。

 年単位でお肉なし。冒険中はパンや携帯食料で脂分皆無。これで反応しないほうがおかしいのです。

 

「……はい、完成! おまたせ、リーア」

 

 涎を少しでも減らそうと努力すること数分。

 そういった種類のお肉なのか、かなり短い焼き時間でギゼラさんが料理を完成させました。

 彼女はお皿に載ったお肉をテーブルに置きます。重みからか、お皿と接触した木製のテーブルが大きな音を立てました。

 音に驚く私。ですが、その姿を見て納得しました。

 すごい。日本では考えられない分厚さ――否、厚さだけではありません。単純なサイズが私の常識を軽く超越していました。

 今までスパイスの香りで若干薄く感じていた、濃厚なお肉の匂いが至近距離から漂います。

 切り口は生焼けで赤く、透明な脂が滲み、そして流れる。脂身と赤身。赤身の霜降り具合。見とれるような芸術作品がそこにありました。

 

「あたし特製のスペシャルミートだよ」

 

 名の通りスペシャルなお肉ですね。

 今回ばかりは、胸を張るギゼラさんにも不快感を受けません。むしろ頭を下げたいくらいです。

 

「……いただいても?」

 

「いいよ、冷めないうちにいっちゃって」

 

 待ちきれずに尋ねると、有り難いお言葉が。

 お肉の美味しさは温度によって決まると言っても過言ではありません。早速いただくとしましょう。

 手を合わせて、いただきますと一言。用意してあったフォークとナイフを持ちます。

 さて。このお肉、どうやって切りましょうか。薄切りにするのは何か違う気がしますし、ここは四角形ですかね。この大きさだと長方形になりそうですが。

 一人頷き、押さえるためにフォークを刺す。何気なく行った当たり前の行為。しかしそれは私に驚愕をもたらします。

 肉汁です。驚くほど容易く刺さった三点から、肉汁が溢れ出てきました。

 ……なるほど。

 私は確信しました。このお肉を食べるのに、切り分けるなんて発想は不要だったのです。

 ナイフを捨て、フォークを深く刺します。刺した場所から、切り口から肉汁が溢れ、お皿に小さな溜まりができました。

 刺したそれを持ち上げる。そして口へ近づけると同時に、私もお肉を迎えます。

 ――そう。このお肉を一番おいしく食べる方法はきっと、直にかじること。

 調理を最低限に抑えたこの料理だからこそ、シンプルな食し方が適する筈です。

 

「あむっ」

 

『うわー……』

 

 まぁ引かれますよね。それは想定内なので問題ありません。今大事なのは味。他人を気にしている場合ではないのです。

 躊躇なく噛みついた私が感じたのは、まず熱さ。肉、肉汁の温度が伝わり、続いてしっかりした歯応えと旨味が迸ります。

 美味い! そう一言で言い切れる味でした。

 溶けるような脂身はお肉の美味しさが凝縮されており、噛み応えのある赤身は、これがお肉なのだと私に強く主張してくれます。

 それはちょうどいいバランスだと思えました。

 何年も前ですが、高級な霜降り肉を食べたときとは違う美味しさがあります。

 あちらは味や脂を、口触りを楽しむもの。

 対してこちらのスぺシャルミートは『肉』を楽しむもの。脂、歯応え、そしてボリューム。上品さはありませんが、お肉らしい要素を全て持っている料理です。

 そしてお肉もそうですが、スパイスの絶妙さも見逃せません。

 塩、胡椒、そしてハーブ類。詳しい分量は把握できませんが、ギゼラさんのスパイスにかけた時間の長さに納得できるクオリティです。

 お肉の影に隠れず、尚且つ前に出過ぎない。主役のお肉らしさを引き立たせている良き支え役です。

 

「――美味しいです。これはかなりのものですね」

 

 一口食べ終え、私は作成者へ感想を告げました。

 口には自然と笑みが浮かびます。一口だけでも多大な幸福感が得られました。お肉、それもステーキというものは、人を幸せな気分にするものだと改めて思わされます。

 ステーキ、という言葉だけでわくわくしますしね。え、私だけ?

 

「そうでしょ? 長年作ってる料理だからね、自信はあるよ」

 

 次の料理を作るべく、再び台所と向き合っているギゼラさんは誇らしげに笑います。

 その間も私はこの素晴らしい料理を黙々と消費していました。勢いが止まることはありません。

 文章にしてたった数行の間に、お肉はもう半分ほど。切る手間がかからないせいで、とても早いペースでお肉がなくなっていきます。

 

「トトリ達は普通のサイズでいいよね? っていうか、それしかないけど」

 

「う、うん」

 

「あれは流石に無理ね」

 

 いつの間にかすごくアウェーな感じになっていました。

 常軌を脱し、レールを一個横にずれた私の食べっぷりは、特急電車の如く走り去り彼女達から離れるばかり。易しく表現するならばドン引きです。

 いずれは攻略したいと目論んでいる私からすれば、それは大問題なのですが、お肉の幸福感は優先順位を著しく狂わせます。

 ビバ捕食。常識ポイ捨て。野生化です。

 

「リーアちゃん大食いなんだね」

 

「リーアはちっちゃい頃から、ああだったよ。食べる物があるなら食べる、ないなら我慢って感じで、決して暴食ではないからいいんだけど」

 

「はは、だからあんなに育ったんじゃないの?」

 

「私も今からでも間に合うかな」

 

『……』

 

「なんでシリアス顔になるの!?」

 

 以下、お肉のせいで周囲に意識を向けられなかったので、省略と致します。

 

 

 



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終章

「食べ過ぎました……」

 

 お肉を完食、そして続いて出てきたお魚もつまんで、パンもいただく。

 全て食べ終えたとき、私は腹の満たされた気持ちと共に、若干の吐き気を覚えました。

 会話の隙を見極め、よろよろとヘルモルト家のドアから外へ。村の景色を眺めて、少し風に当たるとします。

 時刻はお昼どきでしょうか。柔らかな日差しと海の香りが私を迎え、少し気分が良くなりました。

 深呼吸。息を吐いて吸います。

 

「はぁ」

 

 故郷の味、とまではいきませんが落ち着きます。

 私は苦笑し、高台から見える村を眺めました。

 ……一週間程度の期間。

 たったそれだけの間に、知り合いと呼べるであろう人物は二桁を突破していました。

 他人と関わらないようにしていた、以前の私からは考えられないことです。

 長い間、一人で考えた結果でしょうか。

 そう思えば、無人島での五年も決して無駄ではありません。

 ひねくれていた私がようやく見習いになれたのですから。

 

「リーア」

 

 過去に思いを馳せていると、背後から声がかかりました。

 ギゼラさんです。からかうような笑みを浮かべ、彼女は私の横に立ちました。

 

「どうしたのさ? 一人で黄昏ちゃって」

 

「なんでもないです。気持ち悪くなったついでに、ちょっと幼女な私の思い出に浸っていただけですから」 

 

 本当になんでもない程度の話なので誤魔化します。

 私が笑顔で言うと、ギゼラさんは特に追求はせず話を切り替えました。

 

「そういえば、護衛の当てはあるのかい?」

 

「特にありませんが……皆さん、頼めば断らない人だと思います」

 

 なんとなくですが、皆さんそんな感じがします。用事がなければ断られることはないでしょう。

 

「そうかい。あたしもその一人だから、遠慮なく声をかけてくれていいよ」

 

 村へ視線を向けたギゼラさんがサラッと言います。

 えーと、この人は何て言ったのかな? その一人? 遠慮なく?

 ああ、つまり護衛をいつでもしてくれると。

 

「え……」

 

「ん? なんで嫌そうな顔をするんだい?」

 

 つい表情に出したら、ギゼラさんに脇腹を軽く突かれました。

 

「いや、だってギゼラさんと私って結構タイプ違うじゃないですか。気を遣うと言いますか、正直やり難い相手でして」

 

「そんなの何年も前から分かってることさね。まだそんなことを言うなんて、尚更あたしに慣れるべきだね、これは」

 

 私の直球な暴言に対し、ギゼラさんは全く気に留める様子はなく。私の肩に手を回して笑います。

 相変わらずですね、この人は。

 ギゼラさんを押し返しつつ私は頷きました。

 

「分かりました。助けが必要な時は呼びます。あなた、かなり強いみたいですしね」

 

 三対一で簡単に勝ってましたし、さぞかし頼りになることでしょう。

 敵をギゼラさん一人で無双、経験値独占――みたいなことが起こりそうで不安ですが、できるだけ頼るとしますか。

 

「けどいきなりどうしたんですか? いつもなら面倒そうなことに名乗りなんて上げないのに」

 

 抵抗を止め、嘆息混じりに尋ねます。

 私にくっついたままのおばさんは、年齢にそぐわない仕草で首を傾げます。

 

「聞いてないの? あたしがリーアの世話を頼まれたって」

 

「は? ――じゃなくて。なんですか、それ?」

 

 いけません。不意を突かれて、つい乱暴な言葉遣いに。

 世話? 一体誰から……あ。思い当たることが一つあります。

 

「メガネのねーちゃんが治療料金の一部だ、ってあたしに」

 

「世話を頼んだわけですか……」

 

 そういうわけですか。

 わざわざ人の家にゲートを造ったかと思ったら、そんな理由があったんですね。

 ちなみにメガネのねーちゃんとはアストリッドさんのことです。眼鏡をかけているからか、ギゼラさんはこの名前で彼女を呼びます。

 

「だから子供みたいに甘えてもいいよ? リーアちゃん」

 

「止めてくださいいい歳して」

 

 厄介な人に世話を頼んだものです。

 軽く頭突きを入れます。すると彼女はあっさり私を開放しました。

 

「反抗期だね、こりゃ。手に負えないや」

 

 ふざけてますね……楽しそうなことで。

 私は一歩離れ、

 

「――それで、久しぶりに故郷に戻ってどうでした?」

 

「どうって?」

 

「村の様子だとか、お子さんと会ってどうだとか。思ったことは沢山あるでしょう?」

 

 八年ぶりです。何も思わなければ、それは異常と言えるでしょう。

 私が尋ねると、ギゼラさんは両腕を組んで唸りました。

 

「うー……村は特に変わってなかったでしょ。みんなも特に変わってなかったし……トトリくらいだね、目に見えて変わっていたのは」

 

 つまりトトリさん以外には懐かしいくらいしか思わなかったと。ギゼラさんらしいです。

 

「トトリさんですか。聞きましたよ、すごいことをしたって」

 

「――うん。あたしを探して旅に出るなんて、思いもしなかったよ。しかも悪魔まで倒しちゃってさ」

 

「子は成長するものですよ」

 

 しみじみと言います。

 皆さんの口ぶりだと、トトリさんは普通の女の子だったみたいですね。それが旅に出て、悪魔を倒すほどになるなんて……話を聞いただけでも信じられません。

 私は柵に手を付いて、深く息を吐きます。

 いなくなった母親――ギゼラさんを探すため。おそらく、トトリさんが旅に出た理由はそれでしょう。

 それくらいしか思いつきません。お墓がだとか言ってましたし。

 母親を探すために、女の子が命を懸ける。それがどんなに難しいことか、私には少し分かります。

 私にはできなかったことを、トトリさんは成し遂げたのです。

 

「……私も成長できますかね」

 

 あれから考え直し、見習いのラインに立った私。どうなるかは自分次第です。

 成長か、それとも……。

 小さく呟いて、私は伸びをします。

 

「成長できるさ。なんたってあたしがいるんだから」

 

「そうですね……。頼りにしてますよ」

 

 仲間もいますし、きっと大丈夫。

 ギゼラさんの言葉に頷いて、今度は心の中で言います。

 頑張りますよ、お母さん。と。

 

 




【リーア】冒険者Lv.5 錬金術Lv.1

HP 70
MP 50
LP 20
攻撃力 30
防御力 10
すばやさ 28

スキル
 ・『万事複製』
 アイテムをタイムカード化して使用。威力40%のものを三つ。タイムカードの間隔はランダム。MP消費なし。

 ・『完璧主義』
 アイテムの発動にMPを要する。レベルが増えると必要な量も増え、MPが足りなければアイテムの使用はできない。タイムカードのアイテムが発動されたときも適用。

 ※ステータスは武器防具効果も含む



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第二話:錬金術士として
一章


 理亞。と声がしました。

 かつて私が呼ばれていた名前。それはとても懐かしい声で再生されています。

 暗闇の中。それでもどこから聞こえているか分かる、光のような声。

 私の記憶が、母だと結論を出します。私を呼んでいるのはお母さんなのです。

 私は母の声に喜び、その元へ向かおうとします。

 しかし身体が動かない。

 仰向けのまま身体を伸ばし、固定されているように身動き一つとれません。

 そこで分かりました。これは夢なのだと。

 よくよく考えれば有り得ないことです。母は地球人なのですから。

 困惑していると、優しく語りかけるような母の声は次第に元気を失っていきました。

 最終的には途切れ途切れとなり、弱々しい吐息も耳に入るようになります。

 それでも母は私の名前を呼び続けました。懸命に、何度も。私がやめてくれと思うくらいに。

 お母さんが死ぬ。そう分かっていても、何もできません。できなかったのです。

 私はお母さんを――

 

「リーアちゃん!」

 

「はいぃぃ!?」

 

 至近距離で炸裂した、爆撃の如く大声。それと同じく急に肩へ重量を感じ、私は飛び起きました。

 目を開くと視界の隅に、鮮やかな色をした羽が見えます。これは確か……。

 

「ロロナさん?」

 

 ロロナさんの帽子に付いていた羽ですね。出会った時のインパクトが強いのでよく覚えています。

 目を擦りつつ顔を横へ。するとやはりロロナさんがいました。ベッドの横に座っており、ジッと私を見つめています。

 アランヤ村に帰還して一日後。旅の疲れを癒やすべく睡眠をとっていたのですが、まさかロロナさんが私のアトリエを訪ねてくるとは。何かご用でしょうか。

 

「うん、私。朝早くにごめんね」

 

「別にいいですよ。ロロナさんと会えて嬉しいですし」

 

 起き上がる。ベッドの上に座り、私は欠伸をもらしました。

 ロロナさんは手を身体の前で握り、真剣な顔をしています。事情は分かりませんが、なにやら必至な様子。来訪が嬉しいのは事実ですし、ここは話を聞いておくことにします。

 

「あのね、トトリちゃんにリーアちゃんは師匠の弟子だって聞いたんだけど……本当?」

 

 表情とは対照的にのほほんとした口調で問います。

 師匠の弟子。つまり、アストリッドさんの弟子かということですね。

 ふむ。私を訪ねてきた理由が分かりましたよ。

 コートは着ていないのに、何故だか汗が止まりません。焦ってますね、私。

 

「え、ええ。形式的にそうなるといいますか、自称といいますか」

 

「このアトリエに師匠がいたっていうのも本当なのっ!?」

 

 否定しない私に、ロロナさんが身を乗り出して喰いつきました。

 

「はい……そうですね」

 

「それで最近出ていったのも!?」

 

「で、ですねー」

 

 あああ、トトリさんに説明してしまった手前、嘘を貫くこともできません。

 いつか説明しようとは思ってましたよ?

 依頼の件で嘘をついたのを忘れていそうな期間を空けてですが、きちんと話す気でいました。

 けどこんな早くバレるなんて。

 地図ではアランヤ村とアーランドの街はかなり離れていたのに、どうやってこんな短期間で……。あ! トラベルゲートですね! あれならたった一日でも私のことを話し、アトリエを訪れることも可能です。

 一ヶ月近くかかる道のりをたった数分で行き来とは。錬金術士、おそるべし。

 これで私はロロナさんに嫌われ――

 

「そっか……もう手遅れなんだね」

 

 あれ? なんかしょんぼりするだけですね。

 リーアちゃんの嘘つき! とか言わないのかな。

 

「あの。私前に会ったとき嘘を言ったのですが、怒らないんですか?」

 

「え? だって師匠に何か言われたんだよね? リーアちゃんが理由なしで嘘言う筈ないし」

 

 なんでそうなるんですかねー。

 出会ったばかりの私より師匠の評価が低いってどうなんでしょ。

 まぁ、アストリッドさんに何か言われたのは事実なんですけども。

 しかしそれでアストリッドさんのせいになるというのも納得がいきませんね。仕方ありません。わざわざ馬鹿みたいですが……。

 

「けど、ロロナさんがアストリッドさんを探していると知った上で、嘘を選んだのは私です。なので私にも責任はあるかと思います」

 

「いや、悪いのは師匠だよ! こそこそしないで出てくればいいのに、きっとほむちゃんを独占したいだけなんだよっ、楽したいから」

 

 アストリッドさん、ロロナさんに何をしたらこんな評価をいただくんですか。

 こうも力説されると、私は悪くないのではという気すらしてくるから不思議です。

 

「それにもう半分諦めてたんだ。師匠って、狙ったときは本当に姿を現さないから」

 

「あはは、なんとなく分かります」

 

 がっくり肩を落とすロロナさんに同調します。

 物欲センサーならぬ感情センサーとでも例えましょうか。

 人が油断しているときばかり出現し、必要としているときは消える。本人にとって都合が良く、他人にとって都合悪い神出鬼没。それが彼女です。

 それでも、たまにいいこともするんですけどね。

 

「だから嘘とかも怒ってないよ。師匠が無事だってはっきり分かったなら、それで十分かな」

 

 ……心配はしているみたいですね。良かった。本気でアストリッドさんが嫌われているのかと思いましたよ。

 ロロナさんの苦笑を見て、ホッとする私。

 

「あ、そうだ。リーアちゃん、あれから錬金術はどう? 何か作ってみた?」

 

 ロロナさんがパッと表情を変えます。

 素晴らしい切り替えの早さ。彼女は気にしていないと言ってましたし、私もあまり自己嫌悪しないようにしておきましょう。帽子をかぶり、話に乗ることにします。

 

「いえ、冒険には出たのですが、あれから何も作れてません」

 

「そうなの? じゃあ、今やってみる? 私が見ててあげるよ」

 

「え、いいんですか?」

 

 有り難い提案です。私が思わず聞き返すと、頼れる先輩は力強く頷きました。

 

「後輩の面倒を見るのも、先輩のお仕事だからっ」

 

 若干子供っぽいのが不安ですが、悪魔を倒したトトリさんの師匠です。錬金術の腕はすごい、筈。

 

「ありがとうございます。ではお願いします」

 

 そうと決まれば早速調合です。立ち上がり、近くの壁に立てかけてあった杖を手にします。レシピは確か……ポーチの中ですね。

 テーブルの上に置いてあるポーチからレシピ本を取り出し、私は目星をつけておいたページを開きました。

 

「まずはヒーリングサルヴというものを作ろうと思うのですが、どうでしょうか」

 

 ヒーリングサルヴ。レシピによると傷薬のようです。  

 それほど強い効果は出ないと書かれていましたが、通常の薬よりは即効性が強いのだとか。簡単な部類に入るようですし、自分にぴったりでしょう。

 

「うん、基本だね。材料は揃ってるかな?」

 

「はい、一応採取はしたので……あ」

 

 レシピを再確認し、問題発見。

 材料不足です。『マンドラゴラの根』がありません。

 ……。えっと、目星つけといて今更なんですけど、マンドラゴラ? なんとファンタジーな。

 

「どうしたの? 何か足りない?」

 

「あ、はい。マンドラゴラの根がなくて」

 

 私の言葉に、あるある、とロロナさんが懐かしそうに頷きました。

 

「採取できない材料だね。それなら、なくても仕方ないかな。ちょっと待ってて」

 

 ロロナさんがポーチから何かを取り出しました。

 猫の形をしたバッグのような物です。

 なんだか可愛らしく、ロロナさんにぴったり――という声は心の中におさめておきます。トトリさんが18歳なのですから、ロロナさんの年齢は……ねぇ?

 皆さん、そして私の夢を守るためにもそのようなリアルの描写はノーサンキューなのです。可愛い方は可愛い。イケメンは自重。これこそ世の真理。

 

「あったあった。はい。品質も特性もパメラのところと同じだから、ずるじゃないよ」

 

 ロロナさんがネコさんバッグから、マンドラゴラの根らしきものを取り出しました。それを三つほど私に手渡してくれます。

 品質は30くらい。特性は皆無。

 手と足、胴体、そして頭。人間の形をしていますが、へたの先から枯れた葉っぱが生えており、植物なのだと一目で分かります。

 これで顔が可愛ければそれなりに見られたものとなっていたでしょう。

 しかしロロナさんから渡されたそれは、断末魔が聞こえてきそうな、ひどく恐ろしい顔をしていました。

 迷わずポーチへボッシュート。使用するとき以外、顔を見るのはよしておきましょう。

 

「ありがとうございます。あの、パメラって何ですか?」

 

「パメラはパメラだよ。アランヤ村でパメラ屋さんって見なかった?」

 

 にこにこ笑って説明するロロナさん。

 そういえばパメラ屋さんというものを見かけたような。確か、広場の近くにありましたね。

 マンドラゴラの根を扱っているなんて、どんなお店なんですかね。てっきりパメラというものを売っているお店なのだと思ってましたが。

 先程貰ったマンドラゴラの根は採取できないようですし、お世話になることが多くなりそうです。パメラ屋さん、覚えておきましょう。

 

「それじゃあ、張り切って調合しよう! 見ててあげるから頑張ってっ」

 

 材料も揃ったところで調合開始。ロロナさんがテンションを高めて釜の近くにスタンバイします。

 何日かぶりの調合。果たして、うまくいくのか。そして見習い錬金術士は、調合の果てに何を見るのか――

 と、典型的かつ壮大な感じでハードルを上げておきます。

 これなら、失敗してもギャグぐらいにはなりそうです。

 

 

 

 ○

 

 

 

 案外、あっさりとできました。

 一日を費やしてヒーリングサルヴは完成。順調と言うしかないペースでできあがりました。

 

「うん。上手にできたね、リーアちゃん」

 

 ロロナさんは自分のことみたいに喜んでますけど、私はまだ実感がわきません。

 あれだけ中和剤で失敗したのです。こんなあっさりと成功してはあの日々がなんだったのかと言いたくなります。

 嘆息し、私は調合したヒーリングサルヴを見ます。テーブルに置かれているそれは、はっきり言ってダメダメな仕上がりでした。

 品質は39くらい。特性はマジックグラスに付いていた『カッコイイ』の一つ。

 発揮される効果は低そう。塗ればかすり傷が治る程度ですかね。

 ……まぁ、クオリティはどうあれ、完成したのです。素直に喜ぶとしましょうか。

 

「そうですね。まさかこんなあっさりできるものだとは思いませんでした」

 

 まったく嬉しさを込めない棒読みで私が言うと、ロロナさんがなにやら考え込むようなポーズをとります。

 

「うーん。これなら中和剤止まりだったのが疑わしいレベルなんだけど……どうしてだろう?」

 

「自分でもよく分かりませんね。ロロナさんがいたからでしょうか」

 

 真面目に考えてそれくらいしか思いつかないです。

 少しですが、調合の際にアドバイスを貰いましたし。意味不明な擬音ばかりでしたがタイミングを把握しやすくはなったので、決して無駄ではなかった筈です。

 もしくは、私が中和剤作ることだけすごく苦手だったとか。

 

「……ま、いっか。できたんだもんね」

 

 深く考える私の前で、ロロナさんがあっさり思考を放棄します。

 結論が出ない以上、私もそうするしかありません。考えるのを止め、完成したものを忘れずにポーチへ入れておきます。

 効果が低くても、私くらいの体力なら全快するかもしれません。

 

「ありがとうございました、ロロナさん。これで少しは錬金術が上手くなった気がします」

 

 数値にして、レベルが1くらいは上がりましたね。頭でっかちだったのが、ちょっと器用になりました。

 

「どういたしまして。錬金術士が増えて私も嬉しいよ」

 

 ロロナさんが杖を手にしにっこり笑います。その笑顔には善意意外に何もなく、見ていてこちらも癒やされます。

 優しいお方です。顔にそれが如実に表れております。

 眼鏡かけた誰かさんとは大違いですね、まったく。

 

「じゃあ私はそろそろ帰るね。錬金術頑張って」

 

「はい。また会いましょうね」

 

 ポーチを肩にさげて帰っていくロロナさん。お礼の気持ちを込めて頭を下げます。

 思いがけない来訪でしたが、すっかりお世話になりました。

 バタンとドアが閉まります。

 ロロナさんがいなくなり、また一人です。

 さて……私はどうしますかね。

 一人、アトリエで思考します。やるべきことは多くあるのですが、優先度を考えなければ。出かけたり、調合をするだけで日数がどんどん過ぎていきますからね。

 

「そういえば依頼がまだありましたね」

 

 思い出しました。

 たるリス討伐。最初に受けた依頼のもう片方です。

 たるリスがいるのはニューズの林。

 名前にニューズが付くくらいなのですから、ニューズが採れるはず。そしてニューズはクラフトの材料にもなる素材です。

 これは行くしかありませんね。

 クラフトは攻撃に使えるみたいですし、弱い私にはうってつけです。

 そうと決まれば突撃。杖とポーチを装備し、勢いよくアトリエから出ていきます。一人になったことを憂いている時間はないのです。

 

「あ、リーア」

 

 太陽が眩しい無人島の朝。

 思わず帽子を深く被ったところで、奇遇なことにピアニャさんと出くわしました。

 彼女は私を見ると、嬉しそうに目を輝かせます。

 

「おはようございます、ピアニャさん。私に何か御用でしたか?」

 

 ちょうど出かけるところだったのですが。

 こちらへ駆け寄ってきたピアニャさんは元気よく頷きました。

 

「うん。今日遊べる?」

 

 おおう。なんてタイミングでございますか。

 本格的な冒険と可愛い女の子。

 どちらをとるべきなのか……ゲーム業界の苦悩を見た気がします。

 

「あー……のですね、わたくし、今日はお出かけしようかと思いまして。遊べないかもしれません」

 

 悩んだ末、私は先に決定したことを選択します。

 よくこうして、友達に誘いを断れられたものです。先に予定が入っているから、と。断られた側は意外と落ち込むんですよね。嫌われてるんじゃないかとか思ったりして。

 ピアニャさんにそんな思いはさせたくないのですが、今回ばかりは仕方ありません。

 幼女ときゃっきゃうふふしてて何年も過ぎてましたー、なんて笑えません。やるべきことはやらないといけないのです。

 断る側も辛いのです。ピアニャさんもそれは分かってくれる筈。

 

「お出かけ? ピアニャも行っていい?」

 

 私の心配とは裏腹に、落ち込むことなくピアニャさんが尋ねてきます。

 懐いてくれているみたいで嬉しいです。しかし外は危険な世界。ピアニャさんのようないたいけな少女が出ていけば、あっという間にお持ち帰りされてしまうことでしょう。

 なので断じてノー。私は首を横に振ります。

 

「すみません。私は村の外に出るつもりですから。ピアニャさんは連れていけません」

 

「なんで? リーアが行けるならピアニャも行けるよ?」

 

「いや、でも外は危険で――うぐぅ」

 

 ピアニャさんが我儘のように言った台詞。それに反論しようとして、私は思い当たります。

 錬金術士として彼女は、私より高レベル。フラムなるものを作れるのですから、私より強いかもしれないです。

 なのでピアニャさんの疑問ももっともでして……。

 今日日子供に論破されたのでは年下に示しがつきません。考えて、勝てそうな主張を用意します。

 

「あのですね。錬金術で作ったものは確かに強いと聞きます。ですが、外では単純な肉体での戦闘力も大切になりましてね。大人げないですが、私はアイテムなしでもモンスターをほいほい消し去り――」

 

「リーア14歳でしょ? ピアニャもう13歳くらいだよ」

 

 なんですと!?

 くらい、というのが気になりますけど、13? 私と大して変わらないじゃないですか。こんな小さくて可愛らしいのに、私とたった一歳差……ああ、羨ましい。

 

「――じゃなくて、駄目です。ピアニャさんまともに武器も使えないでしょう」

 

 いけないいけない。

 若さに嫉妬するおばさんの気分を理解してしまうところでした。ダークサイドというやつです。

 私は必死になってお断りしようとします。けれどピアニャさんは意地になっているのか、少しくらいしか話を聞いてくれません。

 

「ピアニャも行きたい! もっと外を歩いてみたい!」

 

 仕舞には語気を強めてだだをこねる始末でした。

 私の言うことは聞いてくれそうにありません。溜息を吐く。ここは他人を頼ることにします。

 

「分かりました。ではツェツィさん達がいいと言えば連れていきます」

 

 子供に言い聞かせるには親です。あれは絶大な効果があります。

 ピアニャさんを溺愛している彼女のこと。必ずやツェツィさんは同行を阻止してくれるでしょう。

 もしツェツィさんがいいと言っても、私のパーティーにはギゼラさんがいます。だから、危険のことはそれほど考えなくても大丈夫なはず。

 まったく隙がない二段構えの策です。我ながら惚れ惚れしますね。

 ピアニャさんは私の思惑に気づいていないようで、この妥協案に快く賛同します。

 計画通り。私達はヘルモルト家へ向かうことになりました。

 

 

 

 ○

 

 

 

「駄目! 絶対駄目よピアニャちゃん!」

 

 予想通り、ツェツィさんは常識のある保護者っぷりを発揮してくれました。

 村の外へ出たいとピアニャさんが一言言ったらこれですよ。入り口の前に立つ私は、あまりの即答っぷりに同情の念すらわいてきました。

 まぁ、普通の保護者ならそうですよね。魔物がいる場所に可愛い子を出そうという発想はしないでしょう。

 けど……。

 

「ピアニャも外を見てみたいのに……」

 

 なんでですかね。

 さっきまで私に反論していたピアニャさんが、涙目になりながら弱々しく呟いているのを見ると、とても罪悪感が……。

 保護者の効果は確かに絶大だったのですが、効きすぎて可哀想に見えてきます。

 無人島で過ごしてきた私には、ピアニャさんの気持ちが分かります。

 13歳。一年前の私は、無人島という檻のような場所から、何故だかとても出たいと思っていました。

 無人島が安全で、不自由のない場所であっても、私は何かを求めていたのです。

 それが原因で無鉄砲に海へ飛び込んだりして――療養中だったギゼラさんに迷惑をかけたことも。

 それを考えると、彼女の頼みを無下に断る――ましてや、保護者に言いつけるような行為は正しいと言えないような気がします。

 もう手遅れなので後悔しても仕方ないんですけどね。

 

「すみません、リーアさん。迷惑かけたみたいで」

 

 今にも泣き出しそうなピアニャさんの頭を撫で、ツェツィさんは困ったような表情をします。

 絶対駄目と言いながらも自信がなさそうな、後ろめたさを感じさせます。

 やはりツェツィさんも罪悪感を抱いているのでしょうか。

 

「いえ、そんなことは。……ただ、意外ですね」

 

 首を横に振り、ピアニャさんを見ます。

 外を見たい。その気持ちを主張する彼女からは執念に近いものを見た気がします。

 

「ピアニャさんが意地になるなんて」

 

「それほど、あの村で過ごした日が長いってことさね」

 

 欠伸混じりの声が聞こえます。

 リビング横のドアから、寝起きらしいギゼラさんが出てきました。髪が跳ねていて、目もまだ眠そうに半開き。だらしない格好ですが、それでも何故か確固とした覇気のようなものを放っています。

 

「あの村、ですか?」

 

「船で大陸を渡った先にある、最果ての村。この子はそこからここに来たらしいし、外に興味を持つのも自然な道理さ」

 

 すぐ駆け付けたツェツィさんに髪を梳かされつつ、ギゼラさんが語る。

 そういえば、メルヴィアさんからそんな話を聞いたような。

 トトリさんが倒した塔の悪魔。それが暴れる際の被害を、最小限に収めようと置かれたのが生贄。生贄は一定の周期で塔に捧げられ、彼女らが集まって最果ての地に村ができあがった……らしいです。

 なるほど。ピアニャさんの顔はツェツィさん達とあまり似ていないと思ってましたけど、彼女は最果ての村出身なのですね。

 あそこは厳しい環境で、村に住む女性は他に行く場所を知らなかったと聞きます。

 生まれたときから鎖された場所で何年も過ごしてきたのでしょう。

 ――さっき言った、気持ちが分かるは撤回です。私の場合とは違いすぎます。

 ピアニャさんの意地もなんとなく分かる気がします。あくまで私は本人ではないので、なんとなくですが。

 

「まさかお母さん、ピアニャちゃんが外に出ていいとか言わないわよね?」

 

 髪を整え、顔をタオルで拭き、ギゼラさんの身なりを綺麗にしたツェツィさん。一息つくと彼女はギゼラさんの肩を押して椅子に座らせます。

 こうして見ると駄目人間ですね、ギゼラさん。

 

「いいんじゃない? 本人が行きたいって言うなら。何事も経験って言うし。ツェツィ、ごはん」

 

 そんなあっさりと……。

 無人島にいた時と少しも変化がない態度に、私は肩を落として嘆息しました。そして娘に躊躇なくご飯を要求するのはどうなんでしょ。

 

「お母さん! またそんなこと言って。ピアニャちゃんにもしものことがあったら、村の人達に顔向けできないじゃない」

 

「大丈夫だよ、そんな心配しなくて。トトリはピアニャの歳くらいから冒険を始めたんでしょ? なら問題ないと思うよ、あたしは。少なくとも昔のトトリよりは強そうだし」

 

「確かにそうだけど……」

 

「否定しないんですね」

 

 ピアニャさん以上に弱い状態から、悪魔を倒すほどになるなんて、トトリさんの成長ぶりが怖いんですけど。

 しかし13歳から冒険ですか。中々危険なことをしていたんですね。

 

「頭もいいし、これからさ。ねー? ピアニャちゃん」

 

「え? う、うん」

 

 すっかり駄目だと思っていたピアニャさんも、結論が逆転しそうな展開に困ってます。

 涙を拭きつつ、きょとんとした表情で頷きました。

 結局、ピアニャさんも冒険についていくことになりそうです。彼女の意思を尊重するならば、それで問題ないでしょう。しかし……保護者の方はどう思うか。

 ツェツィさんはしばらくギゼラさんをジト目で見ていましたが、

 

「はぁ……とりあえずご飯作るから」

 

 やがて諦めた様子で嘆息し、台所へ向かっていきました。

 トトリさんが冒険に出たときもこんな感じだったのですかね。なんだかんだ言って、親は子の想いを叶えてあげたいものです。

 

「やった。多めで頼むよ、ツェツィ」

 

「うるさい。黙ってて」

 

 若干不機嫌ですけど。

 

「ちぇー。つれない態度だねぇ」

 

「いきなり出てきてどんでん返しですから、仕方ないと思いますよ」

 

 誰だって不機嫌になります。

 指摘されると、ギゼラさんは何故か愉快そうに笑います。そして手招きしました。

 

「いつまでそこに突っ立ってるつもりだい? リーアもこっち来てゆっくりしなよ」

 

「私冒険に出ようとしてたんですけど?」

 

「あたし抜きじゃあはじまらないでしょ。ほら、早く」

 

 すっかり護衛を頼まれる気でいます。まぁ頼むんですけどね。

 断ってやりたい衝動に駆られますが、言われた通り彼女の隣に座ります。すると私の肩に手を置き、ギゼラさんはウインク。

 

「というわけで、今回はリーアとあたしとピアニャで出ようか」

 

「なにがというわけで、ですか。まだいいと言われたわけじゃないのに」

 

 ツェツィさん不機嫌になってますし、どう見ても許可してくれた雰囲気ではありません。

 それなのにどうしてこの人は、そんなことをいえるのでしょうか。

 

「大丈夫だよ。ああ言って、ツェツィは止めないから。ね、グイード?」

 

「いきなり架空の人物を持ちだすのはどうかと思い――」

 

「そうだね。多分問題ないと思うよ」

 

 誰もいないと思っていた場所から声がしました。

 入り口近くの席。いつからそこにいたのか分かりませんが、男性がそこにいました。

 トトリさんやツェツィさんより少し明るめのウェーブがかかっている茶髪、うっすらと生えた顎髭。素朴、というかこれといった特徴の見当たらないお方です。顔は悪くない筈なのですが、それを特徴と思わせないというか。

 とりあえず、無害そうな人なので安心しました。

 

「どなたです? この人」

 

「あははっ、やっぱり気づいてなかったんだね。グイード。私の旦那さ」

 

「えっ、こんな普通そうな人があなたの旦那さんなんですか?」

 

 もっとごつくて、誰にも負けたことなさそうな漢、みたいなのを想像してたんですけど、意外です。

 

「うん。私にはもったいないくらいの旦那だよ」

 

 ずいぶんのろけますね。まだまだ女の子ということですか。

 楽しそうに話すギゼラさんから視線を逸らし、私はグイードさんへ頭を下げます。

 

「す、すみません。失礼な話ですが、見落としてみたいです」

 

「気にしなくて大丈夫だよ。何日も僕に気づいてなかったしね」

 

 何日も……と言うと、私がヘルモルト家を訪れたときにいたんですよね。全然気づかなかった。

 

「初めて会ったのは釣りをしていた時かな。錬金術の本を見ていたから、また村が賑やかになると思ったよ」

 

 そんな日から会ってたんですか。

 この方は本当に気配を消すのが得意みたいです。存在感ばりばりなギゼラさんと、その対称とも言えるグイードさん。その二人が夫婦なのですから、世の中分からないものです。

 

「ま、家の旦那の存在感はともかく、ツェツィが話を止めたときは頷いたも当然なのさ」

 

「トトリが冒険者になるときもああだったから。きっと心配なんだろうね、ピアニャのことが」

 

「諦めた、の方が正しい気がしますけど……どうなんでしょう」

 

 時には強引さが必要だと人は言います。

 しかし、今回は人の命がかかっていること。そう易々と決めてよろしい問題ではありますまい。

 

「大丈夫さ。そんな危ない場所に行くわけでもない。それに本人が行きたがっているんだ。止める理由はないだろう?」

 

「うーん……」

 

 ピアニャさんへ視線を向け、唸ります。

 トトリさんは13歳で旅をしたと言いますし、私は彼女と1歳しか違わない。

 頷きたい。ですがそうして、後々ピアニャさんにもしものことがあったら責任が……。

 責任、私ちょっと嫌いです。『責任、とってね……』みたいなロマンチックな展開ならばっちこいなのですけど。

 

「ピアニャさん。外は危ないですけど、本当にそれでいいんですか?」

 

 迷った挙句、私は再度ピアニャさんへ尋ねます。

 彼女は迷うことなく頷きました。

 

「うん! リーア、お願い!」

 

「――分かりました。では一緒に行きましょう」

 

 ピアニャさんのまっすぐな目に負けました。これだけ本人が望んでいるのです。断れるは筈がありません。

 こうなれば彼女にもしものことが起きないよう、努力するとしますか。

 

「わーい! ありがとう、リーア!」

 

「良かったね、ピアニャ。迷惑かけないように用意するんだよ?」

 

「うん。ピアニャ頑張るよ」

 

 ギゼラさんに頷いて、ピアニャさんはリビングから去っていきました。やる気満々です。空振りを心配するところですが、彼女はしっかりしていますし心配無用でしょう。

 ――いい区切りです。私は立ち上がり、テーブルに立てかけていた杖を拾います。

 

「さて。私もちょっと準備してきますね。村の広場で集合しましょう」

 

「ああ、いいよ。ピアニャはあたしが連れてくるから」

 

 お邪魔しましたとツェツィさんとグイードさんに声をかけ、私はヘルモルト家をあとにします。

 目指すは村の広場。そこにあるお店です。

 『パメラ屋さん』。

 そこに錬金術と関係するものがあるなら、もしかしたらすぐ使えるものもあるかもしれません。お金はありませんが、見ておいて損はないはずです。

 準備と言いましたが、正確には『気になること』ですね。

 まぁ、冒険を前に気がかりを失くすこともある意味準備と言えるでしょう。

 冒険を前に酒場で依頼の報告、ついでにパメラ屋さんとやらを見ておこうと思います。

 

 

 

 ○

 

 

 

「いらっしゃいませ~」

 

 パメラ屋さん。そう記された看板のあるお店に入ると、妙に間延びした声が店内から聞こえました。おっとりさを前面に出したような声です。けれどもそれほど間抜けに聞こえません。

 どうやらその声は、カウンターにいる女性が発した模様です。

 大人みたいで、それでいて少女のような可愛らしさを感じさせる笑顔。紫色の長い髪。女性らしいスタイル。大人みたいで少女みたいな、不思議な印象を受ける方です。

 この方がパメラ……さんでしょうか。もっと魔女みたいな人を想像していたんですけど、これはいい意味で期待を裏切られました。

 

「初めまして。パメラさんですか?」

 

「そうよ~。あなたはリーアかしら? トトリから聞いたわ~。アストリッドの弟子なのよね?」

 

 既に話が回っている……トトリさん、結構おしゃべりさんなんですね。隠すことではないですが。

 

「ええ、まぁそう名乗らせてもらってます。今日は挨拶しに来ました」

 

「聞いた通りしっかりした子ね~。感心しちゃうわ~」

 

 全然感心してなさそうなのほほんとした口調でパメラさんが言います。

 この人も良い人そうで安心しました。

 私は苦笑を返し、店内を見渡します。店にはお客さんが一人二人いて、村の規模から考えるとそれなりに盛況しているように思えました。

 ゲラルドさんのお店と違い、活気も華もあります。ただ置いてある品はよく分からないものも多いですけど。

 

「ここでは錬金術に関係したものも売っているそうですね」

 

「そうよ~。けどちょっと都合があって量販店の機能はなくしてるの」

 

 量販店? なんでしょうか?

 とても便利な響きなのは理解できますが。

 

「チェーン展開も視野に入れてるから、楽しみにしていてね」

 

「は、はぁ。よく分かりませんが、頑張って下さい」

 

 錬金術の素材を扱っているお店が増えるならば万々歳です。これからこのお店がどうなっていくかは分かりませんけど、期待するとしましょう。

 激励しつつ、視線を棚へ。

 すると驚くべきものを発見しました。

 二つに割れた卵から覗く、不気味な二つの目……あれは『時空の卵』!

 アストリッドさんのレシピ本にも書かれていたものです。あれを使えば、か弱い錬金術師でも常人の何倍もの行動をできるとかなんとか。特性によっては六倍もの効果が出るらしいです。

 とても欲しい……。

 しかしあれは上位の道具。私では買えるか分かりませんし、使えるかも不安なレベルです。

 でもあれがあれば物凄く活躍できるんでしょうね……。

 

「どうしたの? そんなに一点を見つめちゃって」

 

「あ、あの、あれは商品なのですか? なんだか10個くらいは置いてありそうですけど」

 

「あれ? あれは商品だった物よ~。さっき言った量販店にトトリが登録したものなの~」

 

 終了した量販店に登録されていた商品。つまり、もう買えないもの。

 ……ま、まぁいいですよ。気にしてません。落ち込んでません。元から買えるお金なんて持ってないんですから。

 

「ごめんね~。片づけておくべきだったわ~」

 

「気にしなくて大丈夫ですよ。全然落ち込んでませんから」

 

 大丈夫と言いながら、私、今かなり声に抑揚がないと思います。

 大人っぽいとはいえど、私も14歳。精神的にはまだまだ子供なのです。

 

「あ、そうだ~。これをあげるから元気出して」

 

 不貞腐れたような私に気を遣ってくれたのか、パメラさんが何かをカウンターから取り出しました。

 日本でも見慣れた紙袋に入っているそれは、小麦粉でした。それをうんしょうんしょ言いながら五つカウンターに載せ、パメラさんは微笑みます。

 

「これ、試作品なの~。良かったらお料理とか錬金術に使って」

 

 なんか申し訳ないですね……誰かから何かを貰ってばかりな気がします。

 しかし貰えるのだから頂いておきますか。あっさりお礼を言って、私は小麦粉をポーチへ入れていきます。

 小麦粉はパイを作る材料ですし、アトリエには一応オーブンもあります。錬金術にも料理にも使えるならば、貰っといて損はありません。

 

「ありがとうございます。小麦粉は作ろうか悩んでいたものなので、とっても嬉しいです」

 

「元気がでたわね~。よかったわ」

 

 現金な人ですよね、私。

 けど皆さん何か貰えたら嬉しい筈です。それが善意によるものであれば尚更。

 そして送り主が美少女なら、なんであれ歓喜するものです。

 貰った物をしっかりポーチに詰め、私は頭を下げます。

 

「えっと、それでは今日は帰りますね。お金ありませんし。なんか物乞いに来たみたいですみません」

 

「気にしないで。あとで感想聞かせてくれればそれで十分いいから~」

 

 これで商売ができているのかと不安になる優しさを見せ、パメラさんが手を振りました。

 お金が貯まったら、真っ先に何か買いに来ましょう。

 お店を出て、私は密かに誓うのでした。

 

 

 

 ○

 

 

 

 さて。気がかりも失くしましたし、後は依頼を報告するだけです。

 パメラ屋さんを出た私は少し重くなったポーチに手をやり、歩き出します。ゲラルドさんのお店は今日どれくらいお客さんが来ているのでしょうか。パメラ屋さんと比較するのが楽しみです。

 

「そこの人。ちょっと待ってくれないかな?」

 

 性格の悪さを脳内で露呈していると、横から声がかかりました。

 

「はい? なんです?」

 

 道案内ならできないですけど、私に何の用ですかね。

 反射で返事をしながら横へ振り向きます。気さくに笑う女性がそこにいました。

 

「いきなりごめんね。ちょっと時間いいかな?」

 

 長く青い髪。それをポニーテールにしている、凛とした雰囲気の方でした。

 身長は私より低く、スタイルは平均的。顔立ちが中性的で、雰囲気も相まりなんだか女性にモテそう。

 服装はシャツとショートパンツの上から、マントを着用。すこし色合い的には地味ですが、マントにはピアニャさんを彷彿とさせる民俗っぽい模様が描かれており、結果的に彼女の与える印象は強いです。

 ボクという一人称も強烈ですね。容姿に似合ってるからこそ、そこが目立ちます。

 

「はい、ちょっとならいいですよ」

 

 快く頷きます。

 これほどのボクっ娘と話せるならば、むしろ長時間でも大歓迎です。

 

「ありがとう。ボクはヴィント。海の向こうから来たんだ」

 

「海の向こうからですか……」

 

 となるとまさか、トトリさんの話に出てきたあの村の……?

 ピアニャさんみたいな雰囲気がありますし。

 私が復唱すると、ヴィントさんは頷きました。

 

「うん。そこからはるばるトトリさんって錬金術士に会いに来たんだけど、アトリエがどこにあるか分からないかな?」

 

 これもう確定ですね、多分。この方はあの村からアランヤ村を訪れたに違いありません。

 お礼を言いにあちらの住人が海を渡ってくるなんて、いい話じゃありませんか。

 

「トトリさんのアトリエなら、ここからまっすぐ登っていけばすぐですよ。頑張って下さい」

 

「え? うん、頑張るね」

 

 道を大きくボディーランゲージで示します。

 何故頑張る? みたいな感じできょとんとされましたが、これでいいでしょう。私ができることはこれくらいですし、それに全力を込めるべきなのです。

 

「では私はお邪魔なので、これで」

 

 英雄との再会。その場面に私は不要です。

 キリッとした顔でクールに去ろうとする私の肩を、ヴィントさんが掴みました。

 

「あぅ。……なんですか?」

 

 変な声が出ます。微妙にかっこがつきませんね。

 

「ごめんね。けど今度お礼をしたいからさ。君の名前を聞かせてくれない?」

 

「リーアです。リーア・マツバラ」

 

 私が名乗ると、ヴィントさんは何度かリーアと呟き、  

 

「ん、リーアだね。覚えておくよ。案内ありがと」

 

 明るい笑顔を浮かべ歩いていきました。

 彼女とはまた会う気がします。去っていくヴィントさんの背中を見送り、私はなんとなくそう感じました。

 

 

 




 この章から出てきたヴィントさんは原作にいないオリジナルキャラです。しかし立ち位置というか、設定は原作にあったものになる予定です。
 そして最近、『リーナのアトリエ』なるものの存在に気づきました。


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二章

 それから10分ほど待機して、ようやくギゼラさんとピアニャさんがやって来ました。

 ギゼラさんはいつもと変わらない風貌で、ピアニャさんは短めの杖を持って歩いてきます。

 冒険が余程嬉しいのか、それともあの方との再会が嬉しかったのか、ピアニャさんは満面の笑みを浮かべており、とても機嫌が良さそう。足取りも軽やかで、今にもスキップでもしそうです。

 意外にもギゼラさんはそんな彼女を気にかけるように、目を離さず見ていました。流石は二児の母。そこらへんはしっかりしています。

 ギゼラさんは広場のベンチに座っている私に近づくと、笑顔を浮かべました。

 

「よ。待たせてすまないね。懐かしい顔に会って時間食っちゃったよ」

 

「仕方ないですよ。ヴィントさんに会ったんですよね?」

 

 さらっと言う私。

 ギゼラさんとピアニャさんは驚いたように目を見張りました。

 

「おや、知ってたのかい」

 

「リーア、魔法が使えたの?」

 

「いえ。偶然道を訊かれただけですよ」

 

 店を出たら声をかけられたのだと説明します。

 ギゼラさんが面白そうに笑いました。

 

「やっぱりこの村は狭いねぇ。ま、それがいいんだけど」

 

「そうですね。それで、どうでしたか? 懐かしい方に会えて」

 

「泣かれたね。死んだかと思ってたって。いやぁ、困ったよ」

 

 まぁ……ですよね。

 恩人のトトリさんに会いに来たら、死んだと思っていたギゼラさんがいた。さぞかし驚くことでしょう。すっかりギゼラさんのことを忘れてましたね、私。もし覚えていたら、気の利いた伏線めいたことくらいは言えたのですが。

 やはりヴィントさんはあの村からやって来た人なのですね。二人とも知っているみたいですし、ギゼラさんと会って、死んだかと思ったなんて言うのはあの村の住人くらいでしょう。

 

「ピアニャ、ヴィントの泣いてるところ初めて見た」

 

「それほど嬉しかったんですよ、きっと」

 

 好き勝手暴れるギゼラさんも、少しはいいところはありますしね。人に慕われるのも分かります。むかつくことが多いですが、そこは認めましょう。

 それにギゼラさんは村のために命を懸けた恩人。彼女が泣きたくなる気持ちも理解できなくはありません。同じ立場なら私だって……。

 

「今度村に行かないとですね、ギゼラさん」

 

「そのうちね。今はリーアの冒険が優先さ」

 

 本当はさっさと行ってもらいたいものですが、彼女がいないと私が困るかもしれないのもまた事実。頼りない返答をするギゼラさんへ、私は苦笑しました。

 

「ではパパッと用事を済ませることにしましょうか」

 

「そうだね。初心者二人だしそれほど早くなくてもいいとは思うけど」

 

 珍しく謙虚なお言葉がギゼラさんの口から出ます。

 ピアニャさんがいるからでしょうか。私と接するときの暴虐さは影を潜め、気持ち悪いくらいの優しさが前面に出ています。言葉にも表情にも。

 

「なんでそこで嫌そうな顔をするんだい。ほら、行くよ」

 

「リーア、早く早く」

 

 優しいギゼラさんに一つ二つ抗議してやろうとも考えますが、ピアニャさんに手を引かれ、その機会は失われます。

 文句は後に回しておくとしましょう。

 先頭をギゼラさん、その後ろを私とピアニャさんが並んで歩きます。

 こうしていると、傍目からは親子に見えていたりするのでしょうか。

 ふと浮かんできた考えに苦笑。ギゼラさんの後姿を見やる。

 彼女の背中は頼もしく、それでいて今はどこか優しさを感じさせました。それがとてつもなく変に感じるのですが、不思議と嫌ではありません。

 むしろ何故今まで私にその優しさを向けてこなかったのかと憤るくらいです。

 

 私が海に落ちたのは9歳のとき。

 その時点でギゼラさんと会っているのですが……全然優しくされた記憶が見当たりません。

 やれ治療だ、料理だ、掃除だ、筋トレだ……等々、気を遣われず、こき使われたものです。

 筋トレに至ってはさせる意味が分かりませんでしたし。

 まぁ、ギゼラさんが私に優しくない理由は分かります。

 皆さんお分かりの通り、わたくしはゲームが好きで、可愛いものが好きな若干変態とも言えるレベルの人間。

 そんな人格が無人島で形成されるわけもなく、私は無人島に来る前からおかしい子供だったのです。

 ピアニャさんのような純粋無垢な子供と、変態のエリートである私は正反対の位置にいると言っても差し支えないでしょう。

 なので対応がピアニャさんと真逆になっても、おかしくはありません。

 しかし……苛立ちます。

 多分ギゼラさんだからです。私は彼女を天敵として認識していますからね。

 ちょっとのことでもケチつけたくなるのでしょう。優しくされても「馬鹿にされてるのでは?」などと思うだけなのに、難儀なものです。

 

「目的地はニューズの林です。いいですか?」

 

 村を出た辺りで思い出し、目的地を告げます。ギゼラさんはすぐ頷きました。

 

「いいと思うよ。あそこなら、ピアニャの心配もいらないし」

 

 ふむ。またピアニャさんですか。

 ギゼラさんから発せられた言葉に、今度は怒りではなく落胆する私。

 自分でもよく分かりませんが、すごくもやもやしますね。

 ……よし。少し、試しに言ってみましょうか。

 原因不明の症状を解消すべく、私はギゼラさんへ近づき、肩を軽く叩きました。

 

「私への心配も不要ですしねっ。ねっ?」

 

「なに言ってるのさ?」

 

 冷静に返されましたよ。

 心なしかいつもと立場が逆な気がします。私はふてくされたように口を尖らせました。なんか面白くない。我ながら不思議で複雑な感情です。これが乙女心というものでしょうか。などと考えていると、ギゼラさんの顔がこちらを向きました。

 

「あ、リーア。まさか焼きもち?」

 

「は、はぁ!?」

 

 にやにやしながら言われた台詞に、私は普段のキャラを忘れて絶叫しました。焼きもち。私がピアニャさんに? 有り得ないです。

 

「なんて恐ろしいことを言うんですか。そんなこと有り得ません。むしろピアニャさんと仲良さげなギゼラさんに嫉妬してると思います」

 

「あはは、その趣味は相変わらずだね」

 

 できるだけ視線を合わせぬよう顔を逸らし、早口で言うとギゼラさんは笑いました。彼女は私の趣味嗜好を理解している数少ない人物です。

 可愛い女の子好き、お肉好き、等々。私のことは大抵知っているでしょう。

 

「けど、本当にあれだね。あんたたち二人が並んでると……」

 

 私達の方を向き、バックで進みながらギゼラさんは私とピアニャさんを見てきます。

 

「並んでると、なんです?」

 

「姉妹――いや親子にも見えてくる」

 

「ブン殴りますよ?」

 

 笑顔で首を傾げます。たった一歳差なのに親子呼ばわりとは、大人っぽいとかそういうレベルじゃありません。ピアニャさんが見た目キュートな子供なのは理解できますが。

 

「せめて綺麗でセクシーなお姉さんレベルに収めてください」

 

「自分で言うんだ……」

 

 ギゼラさんが呆れた顔をします。勿論冗談なのですが、結構真面目にとられてますね。トトリさんに会った時のウインクも引かれてしまいましたし、どうしてこう私の冗談は真正面から受け止められてしまうのでしょうか。リアリティがあるんですかね。爆弾が『俺爆発するかも』とか言ったら笑えませんしね。

 

「せくしーって?」

 

 あ、いけない。真っ白な女の子がすぐ近くにいることを忘れていました。

 

「ええと、女性らしいってことですかね。私の人のようなことを言って、ギゼラさんのような人はスレンダーと言います」

 

 またギゼラさんから呆れられたような目を向けられますが、事実といえば事実なので躊躇することなく解説します。この説明なら健全な筈ですし、ピアニャさんに害はないはず。

 

「そうなんだ。リーアはセクシーなんだね」

 

「え、ええ。まぁ、はい」

 

 自分で言ったことですが、ピアニャさんに言われると途端に恥ずかしくなるから不思議です。顔が熱くなるのを感じながら、首を縦に振ります。

 

「ぷくく。一四歳でセクシー……」

 

「うっさいですよ、スレンダーさん」

 

 いつもの調子でからかい合う私達。互いに爽やかな笑顔を浮かべているのですが、攻撃を忘れることはしません。ある意味で仲がいいのかもしれませんね、私達は。

 

 

 

 ○

 

 

 

 昼食をとり、休憩を挟みながら歩くこと約五時間。私はふと空を見上げました。

 もう夕方が通りすぎ、辺りは薄暗くなっております。空はオレンジ色から黒へと徐々に色を変えていき、そろそろ夜の帳が下りてきそうな時刻です。外は歩いているだけでモンスターと遭遇する危険地帯。よって夜中に移動するのはあまり得策であるとは言えません。ピアニャさんの疲労も気になりますし、私はそろそろ野宿の開始を提案しようと考えました。

 ――が、ここであの方々が現れます。

 

「おお、モンスターだね」

 

 恒例のぷにさん方です。青と緑のぷにが数体草陰から飛び出してきます。スライムはやはりこの世界でも雑魚の代名詞なんでしょうか。ものすごい出現頻度です。

 ギゼラさんはそれらを特に驚くこともなく確認し、後ろに下がりました。

 

「戦わないんですか?」

 

「あんなのと戦っても退屈なだけさね。二人で頑張って。ほらっ」

 

 まぁ、そうですよね。ギゼラさんが戦ってたら私達はレベルアップできそうにありません。ギゼラさんに背中を押され、私とピアニャさんはぷにさんの前に出ます。

 

「ピアニャさん、大丈夫ですか?」

 

「うんっ。頑張ろう、リーア」

 

 短い杖を胸に抱くように持ちながら、力強く頷いて返すピアニャさん。言葉は頼もしいのですが、その表情からはとてつもない緊張が見て取れます。実感はないでしょうが、これから命のやりとりをするのです。仕方ないことだと言えました。私は彼女の手を握ります。

 

「私は強いですから。すぐ終わっちゃうかもしれませんね」

 

 何言ってんだと思われたかもしれませんが、私なりの激励です。だから安心して、ということです。我ながら不器用というか、なんていうか。

 ピアニャさんは一瞬意味を理解できていなかったようで首を傾げましたが、すぐ笑顔を浮かべました。

 

「頼りにするね、リーア」

 

「ええ。今日は回復アイテムも持ってますから後ろの方にいますね、私」

 

 何事も経験。外を出歩きたいならば、モンスターと抵抗なく戦うことも重要な技術となるでしょう。今回はピアニャさんを前衛に、私はサポートを試みます。

 対峙するピアニャさんとぷに。私は彼女の少し後ろで構えているのですが、気が気ではありません。可憐な少女がモンスターに……なんてものは私の性癖からは大きく外れますし――って違います。

 我が子が初めて自転車に乗るのを見守る親の心境でしょうか。プロテクターやヘルメット、それら安全を保証する要素があっても安心することができません。

 親は我が子が傷つくのは嫌ですが、それ以前に転ぶこと自体が嫌なのです。となれば、プロテクターとヘルメット――ギゼラさんと私という保険がいても、やはり安心することは叶わず。しかしそれは流石に過保護だと、私はおっかなびっくりそれを見守るしかない。

 私にできることは最悪の事態が起こる前に止めることだけです。私は杖を握り直し、苦笑します。親になったこともない人間が妄想で語るなんて、私も緊張しているのでしょう。

 まず動いたのは青ぷにでした。私のときは見せなかった隠れた紳士性を発揮させ、一匹だけがピアニャさんへと近づいていきます。相変わらずの無表情な笑顔。ピアニャさんは彼の動きにびくっと身体を跳ねさせて反応します。そしてぷにの動きに反射するように走り出しました。

 

「やあぁ!」

 

 ちょいと気の抜ける声ですが、ピアニャさんは勇んで叫びながらぷにへと接近。慌てた様子で震えるぷにへと杖を叩き下ろします。ふむ、中々いい感じの振り方です。手にかかる負担とかは分かりませんが、頭の上から両手で持った杖を振り下ろすそのフォームは、杖の重量を利用した、一つの完成された攻撃方法と言えるでしょう。威力もあるはずです。

 などと感心しましたけど、ピアニャさんの腕力は弱いでしょうし、杖もそれほど強そうには見えません。なのでそれほど攻撃力はなかったのでしょう。若干のダメージを受けたであろうぷには身体を揺らし、何事もなかったかのように突進をしかけました。

 ピアニャさんにそれを避ける術はありません。腹部の辺りに体当たりを受けた彼女は、小さく呻きながら後ろに下がりました。攻防が一度ずつ展開されるそれは、ターン制RPGを彷彿とさせます。

 さて。

 私はポーチからあのヒーリングサルヴを取り出して準備をしておきます。ここが使いどきでしょう。三回くらいは使えるはずですし、ここは出し惜しみせず豪快に使って――

 

「お、アイテムを使うのかい?」

 

 横からかかる声。のほほんとした様子のギゼラさんがいつの間にか私の隣におり、笑いかけていました。

 

「そうですけど、なんですか?」

 

「あれやらないの? アイテムの節約になるんじゃない?」

 

 あれ? と考えて、私は思い出します。

 『万事複製』。私の得意とするスキルです。その効果はアイテムを対象に使うときの効果を複製し、それらをバラバラな時間に振り分ける、というもの。その説明だけ聞くと大層なものにも思えますが、アストリッドさん曰く才能があれば原理を理解しなくとも使えるものなのだとか。

 特にデメリットもコストもなく使用できますが、私はアイテムを使用すると疲労してしまうのでそれほどほいほいと使えるようなものでもありません。今後のために温存するべきではないでしょうか。と思ったのですが、スキルを使用せず普通に使ってしまえば、三回でヒーリングサルヴがなくなってしまいます。そうなれば回復の手段は皆無。ジリ貧です。ギゼラさんやピアニャさんが回復の準備をしているとは思えませんし、慎重に使用するべきでしょう。

 ここはギゼラさんの言う通りに万事複製を使用した方がいいかもしれません。私は集中を始めます。こうして悩んでいる間にもピアニャさんは戦っているのです。素早く行動しなくては手遅れになってしまいます。

 

「ピアニャさんっ」

 

 集中を終え、戦っている彼女へと駆け寄る。ヒーリングサルヴは塗り薬。近寄らなければ使用することはできません。ピアニャさんに近づき、私は目についた傷にヒーリングサルヴを塗ります。その間何故かこれまで動いていなかったぷにさん方が、親の仇が如く体当たりの集中砲火を浴びせてきましたが、なんとかなりました。

 

「これで大丈夫ですね……けほっ」

 

 集中した後にアイテムを使用する。ただそれだけで万事複製は完了です。再び後ろに下がった私は、咳き込みながらアイテムをしまいました。脇腹と鳩尾を的確に狙ってきますよ、あの雑魚キャラ……。私を殴ったくせに、今はもうピアニャさんから離れてぴょんぴょん跳ねてるだけですし。無性に腹が立ちます。

 

「あんたぷにに何かしたのかい?」

 

 ギゼラさんが呆れ顔で声をかけます。何かされた記憶しかないんですけど、何故か私に容赦ないんですよね、ぷにさん。そりゃまぁ、虐殺しましたけど、ギゼラさんの方が殺害数が多いでしょうし、そこは関係ない筈です。

 

「気に食わない容姿してるんじゃないでしょうか? 私の美しさに嫉妬、とか」

 

「ないね」

 

 即答しなくてもいいじゃないですか。決め顔を作っていた私がものすごく馬鹿みたいじゃないですか。馬鹿ですけど。

 

「まぁ、あんたの人気は置いといて……中々戦えてるじゃないか、ピアニャ」

 

 ギゼラさんの目線を追い、私もぷにとピアニャさんへと視線を向けます。

 紳士的にタイマンをしてくれるぷにさんのせいもあるのでしょうが、ピアニャさんはそれなりに戦えていました。アイテムの効果があるとはいえ、あの短い杖と小さな体でよく頑張れるものです。筋は中々よさそう。

 

「そうですね。これなら、冒険に出ても大丈夫そうです。錬金術も使えるみたいですし」

 

 私はこくこくと頷きました。武器を使った戦闘はまだまだぎこちなさがあるものの、これにアイテムをプラスすればそれなりに戦えるようになるでしょう。私は先輩のような心境で考えました。

 まだまだ私には及ばない。そんなことすらも考えておりました。このときまでの愚かな私は。

 

「そうだ。ピアニャ、道具持ってたんだ」

 

 ぷにさんをようやく一体倒し、ピアニャさんはのほほんとした様子で手をポンと叩きます。それから服のポケットをがさごそとやり、可愛らしい仕草で何かを出しました。赤い棒状のそれは先に糸のようなものがついており……なんだかダイナマイトのように見えます。なんでしょうか、あれは。首を傾げる私の前、ピアニャさんは導火線を軽く手で擦って点火。飛び跳ねるぷにの群れの中へと放り投げました。

 緩やかな放物線を描いて落下していく赤い棒。ぷにさん方は何が起きるのか理解しているのかしていないのか、近くに落ちたそれを見つめていました。その後の一瞬、空気がとても静かになった気がします。

 刹那、赤いそれが爆発を起こしました。範囲は爆弾にしては小さいものの、腰を抜かすかと思うほど大きな音です。威力も計り知れません。

 思わず目を閉じた私が、次に見たのは消失したぷにさん方。哀れ彼らは地面に広がる液体となっていました。なんとも言えない物淋しさを感じさせます。

 

「ぴ、ピアニャさん? なにしたんですか? 今の」

 

 私の目で見た限り、ピアニャさんがにこやかに爆弾を取り出してぷにの群れを爆発四散させたように見えたんですけど……あり得ないですよね。ぷにさん方が勝手に爆発したんですよね。

 私はそんな希望を込めて問いかけるのですが、杖を持った彼女は服のポケットから、またあの赤い棒を取り出します。そして眩しい笑顔で、

 

「フラムだよ。ピアニャの自作!」

 

 こ、これがフラム……ピアニャさんが作れると言っていたものですか。錬金術はこんなものを作ることもできるんですか。それもピアニャさんみたいな人が。

 ……何故でしょう。喜ぶべきなのに、少し怖くなってきましたよ。

 

「それがフラムかい。トトリが言ってたけど、まだまだ初歩みたいだね」

 

「初歩なんですか!? あの威力で!?」

 

 ギゼラさんから告げられた衝撃の事実に私は驚愕します。

 ——しかし、なんとなく分かっていました。私が作ろうとしていたクラフトというアイテムも、種が飛び出ると書いてありましたが、よくよく考えると怖い品です。種が鉄の玉だったら……うふふ、考えたくもありません。

 

「練金術士ってすごいんですね……」

 

「あのトトリが戦えるようになるくらいだからねぇ。本人の努力もあるだろうけど」

 

 ですよね。か弱い女の子が悪魔を倒せるほどになった技術です。取り扱いに気をつけなくては。私は決心を新たにします。自爆なんてしたら大変なことになりそうです。荷物は間違いなく吹き飛ぶでしょうし、下手したら自分が吹っ飛びかねないです。そんなエンド誰が望むものか。

 

「ピアニャさん、取り扱いには十分気をつけてくださいね。すごく心配です」

 

「大丈夫だよ、リーア。ちゃんと整備してあるから」

 

 目を瞑りたくなるほどの笑顔で頷くピアニャさん。整備なんて難しい言葉をお使いになって……まぁ、見た目の割にはしっかりしている彼女のことです。言った通り整備してあるのでしょう。私はフラムのことをよく知りませんし、そこは自己責任ということで。ただレシピを手に入れたら私が本格的にチェックしようかと思います。今は知識なし。触れることすら怖いです。

 

「じゃあキャンプの準備でもしよっか。リーア、用意手伝って。ピアニャはリーアと一緒にいて勉強しといて」

 

 歴戦の冒険者らしくてきぱきと指示を出し、ギゼラさんは野宿の準備を始めます。こういうところは頼もしい人です。メルヴィアさんより二倍ほど頼れる感があるでしょうか。この人を中心に火山が噴火しても、近くにいれば生き残れそうな、そんな理不尽ながら安全を感じさせる何かがあります。――なんかこう語っていると、ギゼラさんからギャグ補整が働いているようにも思えるから不思議です。強すぎて存在がギャグ……ふむ、言い得て妙です。

 私は一人真面目な顔をして頷き、ギゼラさんギャグ世界の住人説を頭の中で唱えます。とりあえずこの下らない思考はここで捨てておきましょう。視線を下げ、私はピアニャさんを見る。冒険者の先輩として尊敬されるよう指導しなくては。

 

「ではピアニャさん、始めましょうか。まずは……」

 

 先日メルヴィアさんから教わった技術を活かされるときが、すぐやってきましたね。冒険者歴二週間にも満たない私のある意味卓越したスキルをご覧に入れましょう……っ!

 

 

 

 ○

 

 

 

 案の定、慣れない手つきでひどい熟練度のスキルを披露することになりました。ゲーム的な数値で表現するならば1でしょう、多分。スキルを使えるようになった手ほどきを受けた程度です。そんなレベルで人に手本を示せるわけはありません。人生の厳しいところです。

 

「さて、できたね」

 

 あわやテント破壊というところでギゼラさんのストップが入り、ピアニャさんとギゼラさんが二人で頑張ること数分、なんとか野宿の支度が整いました。『なんとか』が文章表現に入った原因が私にあるのは言うまでもありません。私がいなければスムーズに終わったことでしょう。

 

「すみません。なんだか邪魔してしまって」

 

「気にしなくていいさ。あたしなんかあれ以上のことを何回もしてきたから」

 

 ギゼラさんが珍しくお優しい言葉を私にかけます。正直嬉しいのですが、私がギゼラさんサイドに入れられている気がしてなりません。健康な乙女はテントの一つや二つ容易く破壊するものだと思います。とすれば、私はまだ一般人であると言えるでしょう。言いたい。

 

「じゃあご飯を食べて……寝ようか。明日には着くはずだから」

 

 我らが頼れるリーダーの合図で、食事の用意をはじめることに。携帯食料のみの簡素な食事でしたが、それでもお腹が膨れるだけで割かし活力が出るものです。人間の良い意味での単純さですね。気分がいいときは大体そんな感じです。

 

「ふぅ、中々美味しかったねぇ。家の料理とまではいかないけども」

 

「ごちそうさまっ」

 

 食事を終え、手を合わせる二人の表情は幸せそうなものでした。ピアニャさんはあれだけ叩かれていたにも関わらずダメージの色がそれほど見えません。可憐な見た目に反してタフです。

 

「……そういえば、あそこに何をしに行くんだい?」

 

 私がごみを片づけていると、ふとギゼラさんが口を開きました。そういえば目的地を伝えただけで、目的は伝えていませんでしたね。

 

「討伐の依頼と、調合の素材を手に入れようかと思いまして」

 

「討伐ねぇ、どうせ雑魚なんでしょ?」

 

「まぁ雑魚ですけど、それは承知していることですよね?」

 

 圧倒的なレベル差はもう一目で分かりますし。私とピアニャさんはギリギリ同等ですが、ギゼラさんはオーラが違います。その辺のぷになら、もう殺気だけで蒸発するのではと思うくらいです。

 

「承知してるけどね。すごく退屈なんだよね、あたし」

 

 露骨につまらなそうな顔をするギゼラさん。草でも食ってろと言いたい。

 

「なら名ばかりのベテラン冒険者としてピアニャさんにアドバイスしてはいかがでしょうか」

 

「えー? 名ばかりってあんた」

 

「わー、ピアニャ、ギゼラのお話聞いてみたい」

 

 先程と同じように面倒そうな顔をする彼女でしたが、ピアニャさんのような可愛らしい子にお願いされては無視することはできません。しばし唸った後に渋々首を縦に振り了承いたしました。

 

「……」

 

 が、ものの数秒もしないうちに沈黙。腕を組み偉そうな姿勢をとったままかくんと首が曲がります。俯いて顔が見えませんけど……まさか寝たとかいうオチじゃないですよね。

 

「ギゼラ?」

 

 ピアニャさんがきょとんとした顔で彼女の名を呼びます。呆れる私に反してピアニャさんは本気で心配している様子。私は俯いたギゼラさんの頭をぺしんと叩いてやりました。

 

「なにしてるんですか? まさか記憶がないとか言わないでくださいよ」

 

「いや、そうじゃないんだけどね」

 

 意外にも反応はすぐ返ってきました。ギゼラさんは私へ耳打ちします。

 

「ピアニャの教育にいいものかと」

 

「あー……って、自分で言うんですか」

 

 納得しかけましたが、なにかがおかしな気がします。自分が教育に悪い存在だと自覚しているという点でもう既に違和感バリバリなのですが。自覚しているならば普段の傍若無人さも少しはマシになっている筈なのですが。

 

「敵を何匹倒しただの、誰に勝っただの、物騒じゃないかい?」

 

 そっちですか。てっきり何か破壊しただの、街で暴れただのそんなことを言おうとしていたのかと。これは全然自覚してませんね。

 

「大丈夫ですよ、そんなの。普段のギゼラさんの方がよっぽど教育に悪いです」

 

「まーたリーアはそんなこと言って。あたしのどこが教育に悪いのさ。健全な冒険者そのものじゃないか」

 

 胸を張り、やはり自覚ゼロで堂々とそんなことを言います。ギゼラさんが健全な冒険者ならば世界は一日もせずとも滅んでいると思います。

 

「健全かは置いといて……話していいんじゃないですか? 子供というものはドラゴンとか好きですし、そこらへんをセレクトしてみては」

 

「あんたも子供でしょうが。けどま、あんたがそう言うならそうしようかね」

 

 耳打ちでの会話を終えて、ピアニャさんに向き直るギゼラさん。さて……なにを話すのでしょうか。私は不安が半分、期待が半分の少しわくわくした気持ちで見守ります。彼女の冒険譚には私も少なからず興味があるのです。

 

「あんたの町の近くの塔の中に――」

 

「あかーん!! です!」

 

 堂々とトラウマ話であろう話題をチョイスしたギゼラさんを私は即座に止めました。

 

 



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三章

 翌朝です。私はいつものように自然と目を覚ましました。

 目を開けばテントの天井が視界に映ります。そして横からは二人分の寝息が。

 大胆にも見張りもなしで三人熟睡……という自殺めいたことをしたのですが、幸運にも夜は無事過ぎたようです。やはりギゼラさんのオーラがあるのでしょうか。神的なものに感謝をしながら身体を起こします。私の隣にはギゼラさん、その奥にはピアニャさん。二人ともぐっすり眠っており起きる気配はありませんでした。

 私は二人を見つめ……溜息を吐きます。

 ギゼラさんに私の性癖がばれていなければ、ピアニャさんと寝られたかもしれないのに。惜しいことをしました。

 

「さてと」

 

 反省はほどほどに少し跳ねた髪を手で整え、枕元に置いていた帽子を手に私はテントから出ます。今日もアーランドはいい天気です。海から少し離れたからでしょうか、木や土の香りがいつもより強く感じられ、素朴ながら不思議と気持ちが落ち着きます。

 アランヤ村を出て一日。しばらくは海と草原しか見えなかったですが、今は木も点々と生えており目的地が近付いてきたことが見てとれます。確か目的地はあと一日くらいで到着するはず。一番近場という割には結構遠めです。地球では考えられない移動時間ですね。

 地球では……ですか。

 

「……いけないいけない」

 

 つい暗い気分になってしまいました。地球の話題はいかんせん良い思い出がなくいやがおうにもテンションが下がってしまいます。私は地球で、私ができることを何もしなかった。その後悔の念は五年近い年月の経った今でも、時折私を押しつぶします。

 帽子をかぶり、私は頬を軽く叩きます。

 後悔することも反省することもいい。しかしそれだけでは進みません。私はここで、私のできることをするのです。そして地球に帰る手段を見つける。それから地球で償いを――

 

「私は何ができるんでしょうか」

 

 長く考えた結果、私はその結論に至りました。地球に戻るためにできること、私のすべきことできること、償い……その全てが不透明で曖昧です。それはかつて自分の存在価値を探したときの結論と似ていました。誰にも分からない。でもこうだと自分で決めることもできる。しかしそれはきっと自己満足で、傍から見れば下らないものなのでしょう。

 ぐるぐると目まぐるしく頭の中に過去の思い出と、私の想いが浮かんでは消えます。

 

「どうしたの?」

 

 声に驚いて隣を見やれば、そこにはピアニャさんがおりました。

 頭を抱えて唸っている私のことが心配になったのでしょう。眉をハの字にさせて私を見上げています。それは奇しくも上目遣いであり……私の脳内は一気にピアニャさんのことで一杯になりました。

 

「なんでもないですよっ。おはようございます、ピアニャさん」

 

 満面の笑みで挨拶をします。小難しい話やっぱりよりも可愛い子ですよね、うふふ。

 

「でもさっきすごい声を出してなかった?」

 

「ちょっとした哲学ですから、気にすることはありませんよ。それよりギゼラさんはまだ寝てますか?」

 

 まだ爆睡していることは容易に想像できるのですが、話題を変えるためにも尋ねます。

 

「うん、ぐっすりだよ」

 

「そうですか。なら少し周りを散歩しませんか? 何か拾えるかもしれませんし」

 

「え? うんっ、いいよ」

 

 よし。夜の添い寝イベントは逃しましたが、朝のデートイベントは勝ち取りました。小さくガッツポーズをしつつ私はテントから杖を出し適当な場所へと歩き出します。その隣をピアニャさんはとことことついてきます。

 

「朝日が気持ちいいですねぇ」

 

「ちょっと眠いけど、そうだね」

 

 なにやら元気のない声が返ってきます。疑問を感じた私が隣を見れば、いつも元気そうな顔をしているピアニャさんが暗い顔をしていました。な、なにか悪いことをしてしまったでしょうか……私と出歩くのが嫌だとか? まさかピアニャさんを心の中で愛でていることがバレたんですか!? いや、でもそれなら通報されてもおかしくないレベルですし……。

 

「ねぇ、リーア。さっきはなに考えてたの?」

 

 自首を決意する辺りで、ピアニャさんが口を開きました。私のことをまだ心配してくれていたみたいです。良かった。ムショに入らなくてもいいんですね。

 

「さっきですか? ええと、だから哲学をですね」

 

「ピアニャに話せないこと?」

 

 ピアニャさんの純粋な目が私に向けられます。ああっ、さっきまで手を繋いで抱擁――なんて想像してた私には眩し過ぎますっ。消えてなくなりたくなります。

 

「少し……昔のことを思い返しまして」

 

 彼女に心配させた挙句、その気遣いを無下にするなんてことはできません。私はさきほど考えていたことを語りはじめました。

 

「私が別の世界から来たことは知っていますか?」

 

「ちきゅうだよね? ギゼラから聞いたよ」

 

「そこにいた頃のことを思い返しておりました」

 

 前方に視線を向け、言葉を続けます。

 

「私には何ができるのか。何のために生まれてきたのか。私はそんなことばかりをあそこで考えてきました」

 

 口は自然と言葉を紡いでいました。それが私の本心かどうか、それは自分にも分かりません。

 

「そうしないと、お母さんが何のために命を捨てたか……」

 

 ほぼ無意識で口から出ていた台詞はそこで止まりました。

 

 ――ここで彼女に話してどうなる?

 

 頭の中に冷静な自分の声が響きます。そう。ここでピアニャさんに話しても、それは過ぎたこと。何の得にもならないのです。他人を傷つけるためだけに話をすることはない。私は首を横に振りました。

 

「いえ、お母さんのために、他人のために貢献することはできるか考える……それはとても難しく、結論は出ませんでした」

 

「リーア、すごく難しいこと考えてたんだね」

 

 かなり厳しい誤魔化し方でしたが、なんとか成功したようです。ピアニャさんは感心した様子で言い、笑顔を浮かべました。良かった。やっぱり誰も得をしない話はしないべきですよね。この問題は地球、理亞のものです。他人を巻き込むわけにはいきますまい。

 安心して私は彼女から、道へ視線を戻す。そのとき、ぼそりと小さな声で何かが聞こえてきました。

 

「何のために……」

 

 ピアニャさんが発したであろう声は、ぞっとするほど似ておりました。かつての私、松原 理亞に。私は思わずそちらへ振り向こうとします。――が、視線の先、黒い何かが空から遠くから飛んでくるのを見かけ、その機会は失われます。

 

「あれは……?」

 

 遠くからでも分かる圧倒的な違和感。それは私の視線を謎の飛行物体へと引きつけます。距離はどれくらいか分かりませんが、とにかく大きいことは分かりました。そして、速い。砲弾のようにも見えたそれはぐんぐんと進み、徐々にその姿を確認できるようになってきました。

 ドラゴンです。まさにファンタジー、創作の産物とも言える赤い生物が真っ直ぐと空を飛んでいます。アニメや漫画が好きな人なら、彼に少なからず憧れを持つことでしょう。しかし実際目の当たりにすると恐怖くらいしか感じませんでした。血の気も引くとはこのことです。

 ――どうする。

 焦っていたところに、予想だにしない強敵の来襲。私の頭はかつてないほど混乱していました。こういったときはなにをするべきなのか。考えるだけで私の身体は動きません。ドラゴンの速度を見たからでしょう。逃げても追いつかれると思い込んで、何もしないという最悪の選択を知らず知らずの内に選んでしまったのです。

 

「リーア、逃げよう!」

 

 ドラゴンの姿を目視できるようになって、しばらくしてから声をかけられます。ピアニャさんも突然のことに驚いている様子でした。

 年下の彼女の方がしっかりしている。その事実に一気に頭が覚めました。本来は私が守るべき立場。人生、冒険者としても先輩なのにふがいない。

 

「は、はい! とりあえずギゼラさんのところに」

 

 居眠りをしていたところを起こされたようにハッとし、私は踵を返そうとします。が、遅い。ドラゴンは道を遮るように私達の前へ着地しました。信じられない速度です。冗談みたいな地響きが起こり、私は尻餅をつきそうになります。

 これで、ギゼラさんのところに向かえなくなりました。私は深呼吸し、ドラゴンを観察します。

 炎のように赤い鱗に包まれた大きな身体。人間など容易く切り裂きそうな爪。翼、尻尾、角……全てが巨大で、我々人類とはスケールが違います。彼は私達へ今にも襲いかかりそうな殺気を放ち、じっとこちらを見ています。その威圧感は凄まじく、言葉こそ口にしないものの何をしようとしているかは理解することができました。

 私達は間違いなく敵としてみなされています。もしかしたらドラゴンというもの自体がそういった種族なのかもしれません。ドラゴン自体が初見な私にそれは窺い知れません。……が、不思議と殺気以外の何かが感じ取れました。焦り、でしょうか。何故か私には彼が追い詰められているように思えました。どう見ても逆なのに。

 

「ピアニャさん、せーので逃げましょう。場所は目的地です。ここからまっすぐ後ろで着くはず」

 

 なんであれ、ドラゴンは様子を見ています。ここは逃げの一手のみ。目的地に向かえばギゼラさんも……まぁ、いつか来てくれるでしょう。全てにおいて運で左右される作戦ですが、今はこれくらいしか選択肢がありませんでした。戦うなんてもっての他です。

 ピアニャさんもそれに文句はないようで、ドラゴンを見ながらこくこくと頷きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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