神喰い達の後日譚 (無為の極)
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第1話 思い出の1ページ

完結した物語のセルフ・スピンオフとして連載をします。
物語の構成上、当時の状況を思い出す様な描写が多くなるために、作中の時間軸が大きく変化しやすいです。
内容そのものは分かり易い様にしているつもりです。

自己満足の世界ですが、宜しくお願いします。



「本当に大丈夫?」

 

「はい。私の事なら大丈夫です」

 

 エイジとアリサは2人でのミッションの為に嘆きの平原に足を運んでいた。キッカケはアリサ自身の要望ではあるものの、通常のミッションである事に変わりはない。これまでも誰かを忌避する様な考えを持つ事が無かった事から、エイジはアリサの提案に関して断る事は無かった。

 一方のアリサは以前とは明らかに自分が違う事を自覚していた。それだけではない。洗脳じみた事をされていた当時には感じる事が無かったアラガミへの恐怖がここに来てやけに強く感じていた。

 眼下に居るアラガミが闊歩する姿は、これまでの様にただ討伐だけを考えていた感情が一切出る事は無かった。未だ気が付かないからなのか、シユウは周囲を見回しながら何かを捕喰している。これ以外のアラガミの姿が確認出来ない以上、後ははこの場から飛び降りてミッションを開始する事だけだった。

 

 

「時間だし、行こうか」

 

「は、はい」

 

 端的にアリサに言うと同時に、エイジは自分の神機を掲げ一気に降下していた。音も無く着地し、気配を消すかの様にゆっくりとシユウへと距離を詰める。既に準備していたのか、大きな黒い咢がシユウの下半身に大きく齧り付いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私に戦い方を教えて下さい」

 

 洗脳から復帰したアリサはこれまでの様な冷酷な考え方は完全に消え去っていた。自分の無意識下で刷り込まれた内容はこれまでの様に恐怖感をも心の奥底へと追いやっていた。しかし、感応現象による事実はその追い込められた事実までもを浮上させていた。その結果、明確な記憶が戻った最初に感じたのは過剰なまでのアラガミが発する殺意の感受だった。

 生きる者すべてが捕喰の対象であると同時に、アラガミは本能の趣くままに攻撃を繰り返す。いくら対抗すべき手段があったとしても、それはアラガミその物がマイナスとなる事は一切無かった。

 幾ら部位欠損しようが、捕喰すれば最終的にはオラクル細胞の力で元に戻る。だとすれば強靭な肉体を持ち、目の前の生物を捕喰する事が如何に大事であるか、圧倒的な捕食者の意識が完全に自分に叩きつけらる事実を前に自我を保つ事が可能なのかが、今のアリサには厳しい現実として求められていた。

 本来ならばこれまで辛辣に対応してきたのだから断られる可能性は極めて高い。いくらそこまで嫌悪感が無かったエイジであっても、その事実に間違いは無かった。

 

 

「僕で良ければ」

 

「お願いします」

 

 そんなアリサの感情を他所に、エイジは快諾していた。今の第一部隊でまともに戦闘をしようと思えば、遠距離型のコウタやサクヤでは意味が無かった。単純にアラガミを討伐するのであれば問題は無いが、それでは接近戦になった場合、自分とアラガミの間合いが完全に異なってくる。かと言って、ソーマに頼んだ所で断られるのも間違い無い。最初はそんな消去法の様な、どこか妥協した様な考えがアリサにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘘………」

 

 今のアリサはただ呆然とするしかなかった。最初の頃にリンドウとエイジと3人でミッションに行った際にはそうまで感じる事は無かったが、今の様に2人でミッションに来る事でアリサは改めて目の前で起こっている事実に目を背ける事は無かった。

 下半身を齧るかの様にバーストモードに突入した瞬間、エイジの神機はシユウの翼手の先端だけを狙っていた。シユウ種は下半身が強固な為に、よほど破壊力が高い神機かブラスト型の様に破砕に特化したバレットを使用しない限り、攻略そのものは限定されやすい状況が多分に存在していた。

 それはゴッドイーターであれば誰もが知る事実でもあり、ある意味では教科書通りの攻撃方法でしか無かった。同じ部分を寸分違わず攻撃し続け、短時間で結合崩壊を起こす。本来であれば更に追撃をかけるが、エイジはそんな事をする事もなく、すぐさまインパルスエッジで下半身を攻撃していた。

 

 シユウとてただ立っている訳では無い。自身の本能とも言うべき捕喰の有り方を存分に活かすべく、攻撃の所々でカウンター気味の攻撃を仕掛けていた。大きな翼手が刃の様に襲いかかる。いくら結合崩壊を起こしているとは言え、その攻撃力に遜色は無かった。

 本来であれば完全に防ぐか、攻撃の隙間で直撃を受けるのが普通だが、エイジはそんな素振りすらなかった。攻撃の瞬間を見切るのか、シユウは翼手を刃の様に回転させるが、攻撃レンジを見切っているのか、それすらも届かない。

 寧ろ完全に攻撃出来る多大な隙をめがけて一気に下半身だけでなく、跳躍しながら刃を向ける事で頭部までもを破壊していた。既にシユウの両翼手は着地した瞬間に斬り落とされ、攻撃しようにもその手段すら失われている。

 かろうじて両足があるだけだが、それもまたインパルスエッジの多用により、足の機能は事実上失われている。今のシユウに出来る事はこの場から無理にでも退却する事だけだった。

 

 

「アリサ!銃撃で決めろ!」

 

「は、はい!」

 

 エイジの言葉にアリサは無意識とも取れる感覚でレイジングロアの引鉄を引いていた。ガトリングに近い形状の銃口からは数多の銃弾がシユウへと襲いかかる。既に退却していたシユウはその全弾を背中に受けた事でその短い生涯を終えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサ、大丈夫?」

 

「はい。でも、なんで私に最後を?あれならエイジが全部一人でやれたんじゃ……」

 

「でも、それだとアリサの為にならないよね?」

 

 鮮やかな攻撃はこれまでのアリサが知りうる戦い方を一気に後方へと追いやっていた。攻撃に澱みがないからなのか、流麗に動く斬撃と一点集中による攻撃はアラガミの反撃すら許す事は無かった。命を懸けて戦うべき戦場でありながら、どこかここが訓練室の一室だと言わんばかりの一方的な攻撃が何を意味するのかは、今の時点で漸く理解出来ていた。

 アリサの言葉通り、戦い方を教える。明らかに教科書通りと言いたくなる攻撃は既にアリサの予想を良い意味で大きく裏切っていた。

 

 

「そうでしたね。でも、今まであんな戦い方なんてしてませんでしたよね?」

 

「してない訳じゃないよ。今までもやってきてたんだよ。まだ一対一だから出来るけど、これが複数だと厳しいよ。僕だってまだまだ修行中の身だからね。せめてこれが複数でも出来れば良いんだけどね」

 

 今の戦いを見せられても、なお修行中と言われれば、これまで我が物顔で戦場に出ていたゴッドイーターは果たして何なんだろうか。今の言い方からすれば、決して満足している様には見えず、上にはまだ上が居る様にも聞こえて来る。確かに最初に声をかけた際には若干妥協した部分も存在していたが、今のアリサには既にそんな感情は何処にも存在していなかった。

 ある意味では理想とも取れる攻撃方法。反撃を許す事無く一方的な攻撃は、言い方を変えれば安全である事に変わりない。絶技とも取れる行動にアリサは知らず知らずのうちに魅入られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも実際にやろうとすれば何か特別な訓練をしないと出来ないんじゃないですか?」

 

「特別な事は何一つしてないよ。敢えて言うならば、攻撃は神機を出すだけじゃないって事だよ」

 

 戦場から戻りはしたが、余りにも呆気なく終わったミッションに汗をかく様な素振りすら無かったからなのか、エイジとアリサは訓練室に来ていた。当初はあまりにも早すぎた帰投だった為にミッションをキャンセルしたのかと思う部分もあったヒバリだが、運ばれたコアと破壊された細胞片を取得した事からミッションが終わった事を理解していた。

 シユウ一体であれば然程時間はかからない。ましてやこれが新型の二名でのミッションだからと理由付けする事で、それ以上考える事を放棄していた。

 

 

「でも神機を使わずに攻撃するってどうやるんですか?」

 

 アリサの言葉は尤もだった。これまでどの支部であっても、訓練の際にはアラガミを疑似的に投影したシミュレーションで訓練をするのが常だった。しかし、今の訓練室にはそのシミュレーションの元となるはずのアラガミの姿は何処にも存在していない。何も無い状況で出来る事は精々が肉体を苛める為にやるトレーニング位だった。

 

 

「動きを確実に自分の物にしているのかの確認は必要だろうね。因みにアリサは対人戦ってやった事ある?」

 

「格闘訓練程度ならありますけど」

 

「じゃあ、試してみようか?その代り全力で来ないと困るんだけどね」

 

 エイジは無手のまま、ゆったりとした構えを取っていた。半身になりながら左手を前に、右手は自分の胸の前へと出す。ゴッドイーターがなぜ対人戦なのかは理解出来なかったが、アリサもロシア支部にいた際には軍隊格闘術を多少なりとも経験していた。

 その事実を言わないままに構えた以上、アリサは少しだけ驚かそうと考えたからなのか、構えを作りエイジと対峙した瞬間だった。

 

 時間にしてコンマ数秒。厳密に言えば瞬きをした瞬間だった。お互いの視線を外す事無く対峙していたはずだった。距離にして3メートル程。しかし、今のアリサとエイジの距離は事実上の接近戦とも取れる距離でもある50センチ程度にまで接近されていた。既に構えから攻撃の態勢へと移行している。この距離で繰り出される攻撃を回避するだけの技量がアリサにはあったはずが、何故か回避する事が出来ないままだった。

 繰り出される拳が眼前に出された瞬間の出来事。迫り来る拳が一瞬にして消え去る。気が付けばアリサの眼前には肘が寸止めされていた。

 

 

「と、こんな感じなんだけど……」

 

 目の前で起こった事実について行く事が出来なかったのか、アリサはその場で膝から崩れ落ちていた。先ほどの刹那の時間に起きた現象の説明をする事が出来ない。お互い対峙したはずが、距離を瞬時に潰され拳が眼前に迫ったと思えば、気が付けば肘が目の前で止まっている。驚愕の事実に理解が追い付かなかった。

 

 

「ご、ごめんなさい。私では分からなかった…です」

 

 アリサの言葉を理解したのか、エイジは思わず頭をかいていた。意味を正しく理解出来るかどうかは本人次第ではあるが、体験した方が手っ取り早いと考えた結果でもあった。しかし、実際にはあまりにも短時間で起きた事実に理解が追い付かない理不尽な結果だけが残されていた。

 

 

「えっと……簡単に言えば、相手の様子をじっくりと観察して、その意識を外した部分で行動を起こすんだよ。組み手や対人戦をするのはその感覚を磨く事が目的なんだよ」

 

「それが訓練になるんですか?」

 

「そう。アラガミは確かに人間に比べれば力そのものは強いし、凶悪なのは間違い無いよ。でも、よく見れば生物特有の関節の稼動領域で攻撃範囲もある程度限られるし、そこから推測できるのも事実だからね。相手を見るのも訓練になるよ」

 

 そう言いながらエイジは用意していた飲み物を口にしていた。僅かな時間にも関わらず、強く集中していたからなのか、アラガミの討伐の時よりも汗をかいている様にも思える。それが何を意味するのかは改めて考えるまでも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ、随分と懐かしいですね。でもこんな写真が何であるんですか?」

 

 今のアリサの手にあるのは当時の状況を映し出した数枚の写真だった。この頃の記憶は未だに鮮明に残っているからなのか、写真を目にする度に何かと思い出してた。あの時の状況は事実上の黒歴史でしかない。既にコウタやソーマからは散々弄られているからなのか、今のアリサに取っては手慣れた対応をする事が多くなっていた。

 

 

「偶々掃除してたら出てきたんだよ。こうやって改めて見ると何だか懐かしいね。アリサもまだあどけない様にも見えるからね」

 

 そう言いながらエイジは用意した食事をテーブルへと運んでいた。日付を見ればまだ三年しか経過していない様にも思えるが、その三年はあまりにも濃密な内容だった。三度の終末捕喰を迎え、その結果ブラッドの活躍で事実上の収束に向かった事は既に隠しようが無い事実となっていた。

 本来であればラウンジで食事をするつもりではあったが、幸か不幸か今日から明日の夕方までは珍しくお互いがオフとなっていた。何時ものであれば、どこか食事をしながらでも仕事が頭の片隅をチラついていたが、今回の作戦にはクレイドルとしてもかなりの作業が組み込まれた結果の休暇だった。

 

 

「じゃあ、今はどうですか?」

 

「そうだね………随分と綺麗になったかな。僕には勿体無いかもしれないね」

 

「もう、本当に口が上手くなりましたよね」

 

「そんなつもりは無いんだけど」

 

 何気なく言われた言葉にアリサの頬は赤く染まっていた。写真に写る自分の姿をを見たアリサは当時の自分と話をする事が出来るなら、今の関係を話したくなるだろう事を想像しながら目の前の出来事を見ていた。あの時の事は今思い出しても恥ずかしいだけでなく、他人に対してどこか申し訳ないと思う部分がった。

 まさかあれがキッカケでエイジの事を意識し出した事は結婚した今でも直接言った事は無い。色んな意味での宝石の様な思い出に違い無かった。

 

 一方のエイジもまた、そう言いながらシチューをよそった皿をテーブルへと置いて行く。出来立て故の湯気が立ち込めるだけでなく、サラダやスープ、バゲットまでもが次々と用意されていた。今では二人の状況に応じた食事を作る事が多くなっている為に、誰が作るとか言った分担事は無くなっていた。

 ただ、仕事が忙しすぎたり、自分しか食べないと分かっていれば、アリサもラウンジで食事をする事が多かった。勿論、食事そのものは美味しいのは間違い無い。しかし、ムツミには申し訳ないが、アリサにとってはエイジと一緒に食べる食事は何事にも勝る物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?こんな時間に何だろう?アリサ、何か予定ってあった?」

 

「私の方は無いですね。ミッションなら端末が鳴るはずですから」

 

 食事が終わり、後片付けをする頃、部屋のチャイムが唐突に鳴っていた。今日は緊急での要件は無いからこそ休暇が決定していた為に、呼ばれる様な事に記憶は無かった。

 仮に緊急時のミッションであれば各々の端末が鳴るはず。しかし、その端末も沈黙したままだった。このまま無視する選択肢は2人には無い。他の人間が来る可能性が低いのであれば、一旦は誰なのかを確認した方が早いからと、アリサは入口へと歩いていた。

 

 

 



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第2話 イメチェン

 

「こんな時間に珍しいですね。どうかしたんですか?」

 

 アリサとエイジの目の前には3人の女性がソファーに座っていた。元々非番である事を聞いていたからなのか、どこか申し訳ない表情を作っている。自分達にどんな要件があるのかは分からないが、今はその要件を確認しない事には何も進まないままだった。

 

 

「こんな時間にすみません。実はアリサさんにお聞きしたい事がありまして」

 

「私に……ですか?」

 

「はい。実は今調査中の聖域の件なんですが、少し力を貸していただきたいんです」

 

 アリサに声をかけたのはシエルだった。隣にはナナとリヴィも一緒にいるが、口を出すつもりがないのか、今はシエルの話す言葉に頷く事しかしていない。一方のアリサも聖域の言葉が出た為に、何となくその要件が何なのかを察していた。

 

 これまでに色々な調査をした結果、聖域は終末捕喰がゆるやかに進行した結果ではあるが、その進度は目に見える程早い訳ではなかった。オラクル細胞の影響を一切受け付けない事実は驚愕の一言だが、問題はその有効活用だった。

 今の時点でオラクル細胞由来の物質が当たり前の様に流通しているが、その聖域ではこれまでの常識が一切通用しなかった。水だけでなく、大気やその土壌までもがオラクル細胞を発見する前の段階にまで戻っている。その結果、今後の活用の一環として農業が提案されていた。

 

 

「農作物なら確か、協力して頂ける方が居たと聞いてますが?」

 

「はい。その件であればロミオの知り合いの老夫婦の方に色々と聞き及びながら作業を続けているのですが……」

 

 どこかシエルの言葉には奥歯に引っかかる様な言い方があった。クレイドルとしても聖域の調査結果には多大な期待は寄せているが、現時点ではその地に入るにしても隆起したオラクルを超える必要があるだけでなく、今後何が起こるのかすら分からない為に、誰でが簡単に立ち入る事が出来る様にはしていなかった。

 今聖域に入る事が出来るのは、ブラッド以外には一部の技術協力者以外は許可が出ていない。その為に、アリサやエイジも今の聖域の状況を完全に把握していなかった。

 

 

「実は、農作業に関する事じゃないんだ。ロミオがあの場所に人が住める様な場所を作りたいと案を出したんだが、その提案を実現するに当たって誰に聞けば良いのか分からなかったんだ。そんな事があったので弥生さんに聞いたらアリサに聞くと良いと言われたので」

 

 リヴィの言葉に漸くアリサは事の事態を理解していた。クレイドルとしてもサテライトの拠点作成には職人に必ず発注をかけている。勿論、誰でも良い訳ではなくアラガミ防壁の事を理解し、そのノウハウがある人物となれば該当すべき人間は限られていた。ましてや聖域はオラクル細胞の恩恵は一切無い。となれば何をするにしても人海戦術に頼らざるを得ない状況になっていた。

 

 

「弥生さん……幾ら何でも……」

 

 職人に関してはアリサよりも弥生の方が面識があるはずだった。屋敷の関係者である以上、弥生とて棟梁とも面識がある。付き合いの深さで言えばアリサ以上のはずだった。そんな丸投げに近い状況を察したアリサは気が付かない様にそっと溜息を吐いていた。

 

 

「要は小屋か何かを建てたいって事ですよね?」

 

「ああ。ロミオの我儘なのは理解してるが、聖域にそう言った物があれば、今後はそこを活動拠点にしやすくなる。それに道具もそこにしまう事が出来るならば、ミッションの帰りでもすぐに立ち寄る事が可能だと判断したんだ」

 

 正論とも取れるリヴィの言葉にアリサも少しだけ考えていた。今の時点では何か特別な事は出来ないが、それでも今後の事を考えれば決して損に成る様な事は無いのもまた事実。今は少しだけ時間にもゆとりがある事を理解しているからこそ、改めてどうするのかを考えていた。

 

 

「そうですね。でも、私だけの一存で決めるのは無理です」

 

「そうなのか……」

 

「だったら明日屋敷で確認したらどう?特に予定は無かったんだし、今なら棟梁以外の人達も居るはずだよ」

 

 まさかのアリサの言葉に落ち込んだ矢先の事だった。確かに予定らしいものは無かったが、それならばと考えが無かった訳では無い。しかし、エイジからやんわりと促された以上、アリサとしても拒否する事は出来なかった。

 

 

「あの……それと、少しお願いがあるんですが……」

 

 これまで一切話に入る事が無かったナナが僅かに口を開いていた。2人に比べればどこか元気が無い様にも見える。態々こんな状況の中で頼む事が何なのかアリサとエイジは少しだけ身構えていた。

 中々言い出せないのか、ナナの表情が何時もとは明らかに違っている。その理由が程なくして判明する事になっていた。静まり返った空間に、まるで生き物の鳴き声の様な音が小さく響く。アナグラではカルビ以外の生き物を飼っている事実はない。それに反応したのか、ナナは顔を赤くしながら俯いていた。

 

 

「そっか。もう結構な時間だね。今日は確か……」

 

 先程のそれを聞かなかったフリをしながらエイジは今の時間を確認すると同時に、状況を確認していた。今日は元からムツミが休みを取っていた為に、代役としてエイジがラウンジに行く予定だった。しかし、突発的なミッションが発生した事から、今日はそのまま臨時休業となっている。その結果、今日は食事を取るには事前に何かを用意しておく必要があった。

 気が付けば時間はそれなりに経過している。時計を見て何かを悟ったのか、エイジはその場から立ち上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「重ね重ねすみません」

 

「気にしなくても良いよ。本当なら僕がラウンジに入るはずだったんだし」

 

「シエルちゃん。このパスタ、麺がモチモチしてるし、パンも外はカリッとしてるのに中はふわっとしてるよ!」

 

「ナナさん。少し落ち着いて下さい」

 

 3人の前にはボロネーゼとコンソメスープ、サラダとバゲットが人数分用意されていた。時間が遅い為に、今から外部居住区へ行くにも開いている店が無い可能性が高い。かと言って折角頼ってきてるのに、このまま放置する事もエイジの中では良しとはしなかった。

 お腹が空いていたのか、ナナだけでなくリヴィもひたすら食べている。気持ちが良い程の食べっぷりは見ているこちらも悪い気はしなかった。

 

 

「そうですよ。折角来てくれたんですから、これ位の事はしますよ」

 

 そんな3人を見ていたからなのか、アリサも笑みを浮かべながらアップルパイを口にしていた。甘いアップルパイに、ほろ苦いコーヒーがマッチしている。気が付けば3人の前にも同じ物が出されていた。

 

 

「そう言えば、お二人は普段はその格好なんですか?」

 

「そうだよ。慣れればこっちの方が楽だからね」

 

 何かを思いついたかの様にシエルはエイジとアリサを見ていた。普段であればクレイドルの制服を着ている姿を見る事が多く、ラウンジに居る際にはエイジはコックコートを着ている姿が殆ど。そう考えると今の2人は浴衣や着物と屋敷に居る時と変わらない格好をしていた。

 

 

「そうですね。私も最初はこうじゃなかったんですけど、今はこっちの方が楽かもしれませんね」

 

 3人も屋敷に居る際には浴衣を着ていたが、普段はそんな格好をする事は殆どない。実際には何時もと同じ方が何かにつけて便利だからと、部屋着に関しては特に考えた事はなかった。そんな中で2人の姿はアナグラでも珍しい部類に入る。既に食事を終えたからなのか、今は出されたコーヒーを口にしていた。

 

 

「やっぱり結婚してからなんですよね?」

 

「どうでしたかね……」

 

 ナナの何気ない言葉にアリサも改めてこの状態になったのが何時だったのかを思い出していた。結婚の前からこんな状態だった様な記憶はあったが、それが何時と言われると返答に困る。当時の状況を少しだけ思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、エイジはここでも同じなんですか?」

 

「そう…だね。特に意識した事は無かったけど、何だかんだでこの格好には慣れてるからね」

 

 共通のIDで開錠出来る様になってからは、アリサはエイジの部屋に居る事が格段に増えていた。気が付けばちょっとした着替えや荷物がエイジの部屋のあちらこちらに点在している。任務が別の場合はアリサも自分の部屋に戻るが、一緒の任務の際には割とエイジの部屋に居る事が多かった事が原因だった。今のエイジの姿は屋敷同様に着流しを着ていた。

 ゴッドイーターのミッションでは、私服をそのまま着て望む人間が割と多く、事実第1部隊で制服を着ているのはエイジとリンドウだけだった。リンドウの場合は制服ではあるが、厳密に言えば士官用の制服である為に、従来の物を着用しているのはエイジだけ。

 

 元々エイジは自分の私服の様な物を持ち合わせていなかった。屋敷では殆どが着物か浴衣で過ごし、ミッションは制服となれば、それ以外の服は必要とはしない。精々が自室で寛ぐ時に着る程度でしかないだけでなく、帯一本で着る事が出来るそれは案外と便利な代物でもあった。

 

 

「やっぱり、私も同じ様な格好の方が良いですか?」

 

「僕の場合は好き好んで着ているだけだからね。アリサは無理に合わせなくても良いよ」

 

 本当の事を言えばアリサにも着て欲しいと思う部分はあった。そもそもエイジがアリサを意識しだしたのは屋敷で見た浴衣姿。当時の事は話した訳では無いが、それでも何時もとは違った姿に見とれていたのは紛れも無い事実だった。

 アリサも屋敷で療養した関係上、浴衣そのものはいくつか普段使い用として持っている。しかし、今の生活の中では着る機会が圧倒的に少ないのもまた事実だった。

 

 今までエイジの部屋には何度か入った事はあったが、屋敷以外でその姿を見たのは初めての事だった。アナグラに居ながら屋敷に居る様な感覚は当時の事を思い出す。療養の原因となった事実は苦々しい思い出ではあるが、それ以外の事に関してはアリサにとっても大事な思い出。何かを思い出したのか、アリサの頬は僅かに赤く染まっていた。

 

 

「実は私も幾つか持ってるんです。屋敷から頂いたのは良かったんですが、中々着る機会が無かったので……これからここに居る時は私も着ます。折角着付けも覚えましたから」

 

 そう言われればエイジもそれ以上否定する事は無かった。出来ればと言った感情はあったが、アリサの表情を見れば何かを思い出していたのか頬は僅かに赤く染まっている。エイジとしても若干望んでいた部分があった為にそれ以上の明言は避けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結婚前の話ですね。何だかんだで屋敷に行く事も多かったですし、皆さん知っての通り、あそこは常時着物か浴衣が殆どなので」

 

 当時の事を思い出したまでは良かったが、何故と聞かれれば回答に困る事実があった。共通のIDで開錠出来る事実を知っているのはヒバリだけで後は誰もその事実を把握していない。今となっては結婚している為に然程気にする様な事は無いが、当時はそれでも随分と気を使った様な記憶だけが残っていた。

 

 

「一人で着るのは大変じゃないですか?私も着ましたけど、完全に着れるのかと言われれば少々自信がありません」

 

「それは慣れですよ。私だって最初は結構苦労しましたから。慣れれば案外と楽なんですよ。髪型だって、簪じゃなくてボールペンを代用する事も出来ますからね」

 

 一本差しの簪であれば髪を軽く巻きながら刺せば、それだけで短くまとまる。確かにアリサを見れば偶に髪を上げている姿を何度か目にした記憶があった。

 

 

「シエルさんも、ナナさんも長さがあるので、やってみたらどうですか?」

 

「でも、何だか難しそう……」

 

 アリサの手つきを見れば簡単な様にも見えるが、実際には慣れていないと案外と面倒な部分が多分にあった。以前ラウンジで何か作業をしていた際に、髪がうっとおしいと感じたのか、それとも暑かったからなのか、アリサは無意識の内に余ったボールペンで髪を結っていた。

 初めて見た人間はあまりにも自然な流れで髪を整えるアリサを見て驚いていた。特に女性陣からは鮮やかな手つきに憧れを持ち、男性陣は普段は見る事が無いアリサの髪型にそれぞれ何らかの思惑を感じていた。偶然居たナナとシエルも当時の事を思い出していたのか、どこか表情が何時もとは違っていた。

 

 

「そんなに難しくありませんよ。簡単なやり方もありますから」

 

 どこか尻込みをする二人を見ながらアリサは少しだけ考え方の方向性を変えていた。以前に女子会を開いた際に酔った勢いでリッカから出たエピソード。それが何を意味するのかは分からないが、何か動きがあればそれはそれで面白い事が起こるかもしれない。そんな下心とも取れる思惑があった。

 

 

「偶には違う髪型を見せれば、どんな男性も考えも変わるかもしれませんね」

 

「えっ?そ、そうなのかな……」

 

「それは本当でしょうか?」

 

 予想外の食いつきにアリサは少しだけたじろいでいた。髪型云々はともかく、これまでとは違ったイメージは何かのキッカケになる可能性が高い。事実、テーブルに置いてあった写真を見たからこそ当時の状況を思い出していたのは間違い無かった。

 今の二人が誰に対し、どんな感情をもっているのかは分からないが、何かに対して焚き付ける事に成功したのは間違い無かった。

 

 

「ロミオが一番分かるんじゃないですか?復帰後って以前の服装に戻ってないですよね?」

 

「ああ~確かにそうかも。ロミオ先輩って前はどこか軽い雰囲気があったけど、最近は少し違うよね。何だろう?大人の余裕って感じかな?」

 

 ナナの言葉にシエルも当時と今の状況を改めて思い出していた。当時のロミオはどこかあどけなさを持つと同時に良い意味では素直、悪く言えばどこか子供の様な部分があった。

 しかし、復帰してからのロミオは以前の様な部分は殆ど消え去っていた。本人も気に入っているのか、羽織だけでなく、髪も今は括っているからなのか、以前の様なニット帽を被る事は無くなっていた。一部の新人は以前のロミオを知らない為に、どこか憧れる様な目をしている者もいる。明らかにイメージが異なる良い見本だった。

 

 

「確かに言われてみれば、今のロミオはどこか雰囲気を持っている様にも思える。私の知ってるロミオじゃないのが残念だな……」

 

「リヴィちゃん。ひょっとして……」

 

 まさかこんな話にリヴィが食いつくとは思っても無かったのか、ナナはリヴィの顔を見ていた。どこかクールな側面があるリヴィではあるが、今の顔は何時もとは無いかが違う様にも思える。既にアリサは蚊帳の外へと追いやられている様にも見えた。

 気が付けば相談事があったはずが、今ではすっかりと食事会からお茶会へと変わっている。既にエイジはそんな四人をそのままに作業を始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だか変に盛り上がっちゃいました」

 

「随分と楽しそうだったね」

 

 3人は結局の所、明日の約束をしたことでそのまま帰っていた。来た当初と、帰り際の話の内容が明らかに違うものの、やはり女性はおしゃべりが楽しいからなのか、気が付けば既に結構な時間へと差し掛かっていた。

 既に明日の朝食の準備を終えた為に、今や特にやるべき事は何も無い。落ち着いたからなのか、手元にあるのはコーヒーではなくほうじ茶だった。

 

 

「ここ最近は厳しいミッションが続きましたからね。これでも気分転換には十分ですよ」

 

 余程楽しかったのか、今のアリサを見れば十分な程に笑顔で溢れていた。普段が厳しいだけに、こんな時位は息抜きをしない事には精神的にも疲れが溜まる。それが解消出来た事はエイジに取っても悪い事では無かった。

 時間を持て余していたのか、エイジは何かの本を読んでいる。このご時世、紙媒体の本は珍しく、普段であればタブレットかノルンが一般的だった。

 アリサは後ろからこっそりと見えれば、見た事も無い様な文字が書かれている。興味を惹かれたのか、アリサはエイジの背中に身体ごと押し付けて覗いていた。

 

 

「どうしたの?」

 

「別に……なんでもないですよ」

 

 自分の双丘を押し付けながらも、そう言うアリサの表情は赤いままだった。何かスイッチが入ったのか、アリサの目の奥には欲情の炎が見えている。それ以上お互い何も言う事は無かった。

 エイジもアリサが何を考えているのかは何となく理解しているからなのか、それ以上の言葉を告げる事は無かった。アリサの柔らかい感触はエイジから離れる事なく続いている。読んでいた本を閉じ、何時もの就寝時間よりも早めに消えた照明がこれからの予定を物語っていた。

 

 

 



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第3話 蘇るあの日

 黛ナオヤの朝は日が昇る前から始まっていた。

 フェンリルに勤める人間の殆どは外部居住区かアナグラの居住スペースで生活をする者が殆どだった。勿論、神機の技術者でもあるナオヤもその例外には漏れず、建前としては外部居住区に住所がある事になっていた。

 単に整備士として生活をするのであればそれでも問題は無いが、教導教官としての側面がある以上、普段から鍛錬を欠かす事は出来ない。その結果、今も屋敷から通っている現実があった。

 

 日が昇らない早朝の空気はかなり澄んでいる。事実上の日課でもあるのか、ナオヤは直ぐに寝間着から稽古着に着替えると屋敷の道場に向かっていた。整備士の傍らで教導の教官をツバキから任命された際には思わず絶句していた。自分はあくまでも整備士であって現場に出る様な事は何も無い。ましてや実技の教導ともなればその対象者は間違い無く神機使いでしかなかった。

 ゆっくりと動くなかに行動の一つ一つを確認するかの様に身体を動かす。鍛錬の中でもかなり地味なこれは慣れた今でも厳しい物に変わりなかった。

 槍術の基本姿勢を崩す事無く突き、受け、払いの型を何度も繰り返す。早さは無いが正確さを求められる動きに乱れは一切起こらない。日が昇り、道場全体にも光が差し込む頃には既に体中から湯気が立ち上っていた。

 

 

「相変わらず早いね」

 

「何だ。もう起きたのか?」

 

 鍛錬が終わるのを見越したのか、ナオヤの背後から一人の女性の声が聞こえていた。振り返れば、浴衣が若干着崩れているリッカが立っている。何を思ったのか、その手には水筒が握られていた。

 

 

「私も何時もはこれ位には起きるよ。起きたら居なかったからちょっと驚いたけど。はい、これ」

 

「良く寝てたからな。こっちも何時もの鍛錬だ。気にする必要は無い」

 

 リッカから渡された水筒の中を確認したのか、ナオヤはそのまま煽る様に飲んでいる。大量に吹き出た汗を癒す様に体内に染み入る水はまさに甘露だった。

 

 

「ツバキ教官から最初に聞いた時は驚いたけどね」

 

「それは俺も同じだ」

 

 誰も居ない道場の中で、リッカは少しだけ休憩とばかりに腰を下ろす。既に日課は終わったのか、ナオヤは道場の床を拭きながら片づけをしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺、ゴッドイーターじゃ無いんですよ。そんなんで出来るはず無いです」

 

「お前の腕が確かなのはエイジだけじゃなく、無明からも聞いている。実際に実技となれば何かと体力の問題もあるのは分かるが、最初からそんな事は求めていない。

 教導カリキュラムの中で身体の運用技術と、神機としてではなく武術としての考え方を学ばせたいと考えている。知っての通り、ここでの教導は精々がダミーアラガミとの戦いだ。中型種程度までなら今のやり方でも問題無いが、今後現れる可能性が高い大型種となればいつまでも第1部隊に任せる訳には行かないからな」

 

 ツバキの言葉は正論だった。整備をすればそのゴッドイーターの力量は自ずと見えてくる。ただでさえベテランよりも新人の方が多くなる現状を考えれば、ベテランは事実上大型種の討伐任務が多くなる事は間違い無いが、それ以外にも弊害が直ぐに予想出来た。

 極東支部の正規の基準では無いが、ゴッドイーターの中での区切りがある。大型種の中でもとりわけ良く出没するヴァジュラの単独討伐はここでの一人前になれるかどうかの登竜門としての役割があった。

 

 数年前までは極東と言えど大型種が出没するのはそう多くは無かった。しかし、当時のアーク計画の隠れ蓑となったエイジス計画が公表される頃から、頻繁にその姿を見る事が多くなっていた。

 当時はノウハウも無ければ、今の様に新型神機すら無い状況。そんな中での討伐はかなり厳しい戦いを要求されていた。しかし、当時の第1部隊長でもあったリンドウ達が出動する様になってからは、戦術や戦い方のノウハウが確立されるようになっていた。

 そんな中での新型神機の開発により、更に戦術やその戦果は格段の向上していた。単独でも遠近両用で戦う事が可能になった現在では、単独での討伐は一つの節目の様な役割を果たしてた。

 

 

「それに関しては否定しませんけど。でも、俺はこれまで指導なんてやった事ないですよ」

 

「それには及ばん。お前が屋敷で子供達の指導をしている事を私が知らないとでも?」

 

「それは……」

 

 屋敷では年長者が年少者に対し、何かと指導する事が半ば当然の様になっていた。元々大人が指導する事もあるが、基本的には昼間は不在になる事が多く、その結果、年長者のナオヤやエイジがその代わりを担っていた。

 自分達もまだ求道者の様な側面はあるが、教えて貰いながら新たに教える事は自分の知識を深める事にもなり、場合によっては新たな発見に繋がるケースもある。そんな目的を当時の無明から伝えられた事で、今に至っていた。その事実を知っている以上、ナオヤの言葉は虚偽でしかなくなる。今のナオヤにツバキに反論出来る材料は何一つ無いままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、偶に見てると楽しそうにも見えるよ」

 

「そうか?そんな風に考えた事は無いな」

 

「案外と自分では気が付かないんだよ」

 

 そんな取り止めの無い会話が道場の中で続けられていた時だった。不覚にもこの時、小さな侵入者の気配を察知し損ねていた。

 

 

「何、朝からここでイチャついてるんだよ。道場は神聖な場所だぞ」

 

「ああ?誰と誰がだ」

 

「ナオヤ兄とリッカ以外に誰がいるんだよ」

 

 気が付けば子供の指導の時間なのか、入り口には数人の子供達が来ていた。今の状況を客観的に見れば乱れた浴衣姿のリッカと鍛錬が終わった後のどこか着衣が乱れたナオヤしかいない。ある意味ではそう捉えられても仕方ない様にも見えていた。

 

 

「ったく。お前らは誰からそんな知識を仕入れてくるんだ。お前達にはまだ早い」

 

「え~だって、この前シオ姉ちゃんとコウタが言ってたぞ。あとアリサ姐も」

 

「そうか………後でシメるか」

 

「私も一旦着替えに戻るから」

 

 何気なく出た言葉に2人は唖然とながらも、このままここに居れば迷惑になると感じ取ったのか、リッカは改めて部屋へと戻っていた。何時もはここに来る事は無いが、何故か今日に限ってはここに行こうと考えていた。それが何を意味するのかは分からないが、今は着替える為に意識をそちらに向けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ。リッカさんも来てたんですか?」

 

「皆こそどうして?」

 

 朝食が終わり、少しだけ寛いだ時だった。普段であればこんな時間に来客が来るのは屋敷では珍しい時間帯。それも一人、二人ではなく大人数で来る事は殆ど無い。玄関に出迎えると、そこにはエイジ達だけでなくブラッドが全員集合していた。

 

 

「聖域の件で少し相談があるらしいって。棟梁たちはまだ居るよね?」

 

「ああ例の件ね。確かまだ居たはずだよ。さあ、どうぞ」

 

 何気にリッカが対応した事に誰もが疑問を持つ事もせず、部屋の中へと入っていく。今回の件はどうやらリッカも多少なりとも聞いていたからなのか、エイジの言葉に理解が早かった。

 

 

 

 

 

「なるほどな。で、予算と人員はどうするつもりなんだ?あそこはオラクルが働かない地域なんだろ。神機兵も動かないんじゃ労働力は結構いるぞ」

 

「その件に関しては、我々の農業にも関する件になるので、労力を惜しむ様な事はしません」

 

 棟梁との話は隊長の北斗では無く、ジュリウスが代表として話合いの場を設けていた。

 元々の発案者でもあったロミオが本来であれば話をするのが筋ではあるが、事前に考慮した結果、ここはジュリウスの方が適任だと判断していた。厳密に言えば、ここの関係者の大人はどちらかと言えば全員が何かしらの雰囲気を持っているのか、ロミオも子供以外に話す際にはかなり気を使う事が多かった。全員ではないが、やはり職人のほぼ全員がそれに近く、発案者のロミオがそのまま交渉すれば即決裂の可能性が高いとシエルが判断した結果でもあった。

 

 

「だが、肝心の資金はどうする?今のままなら建築するだけでもそれなりに時間がかかるだけじゃない。そこの若嫁の仕事もある。生憎と俺達も生活があるんでな」

 

 何気にアリサの事を言われた事を思い出したのか、既に長期に渡るサテライトの建設計画を中断する訳には行かなかった。いくら神機使いと言えど、聖域の中では一般人と大差ない。

 何も無くそのまま建築だけするなら未だしも、感応種やそれ以外の討伐任務が入ればどうしてもそちらに時間を割く必要が出てくる。それだけで無い。農業に関しても今は全員が一丸となってやっている為に時間はかなり限られていた。となれば、建築物にまで手が回らない事実に流石のジュリウスも思案せざるを得なかった。

 

 

「あの、建築ってどれ位の時間がかかるんですか?」

 

「そうだな……1年は必要だな。ここと同じ様な物を建てるんだろ?」

 

 棟梁の何気ない言葉にロミオだけでなくジュリウスも固まっていた。当初はログハウスの様な小屋を考えて居たはずが、今の棟梁の言葉は屋敷の様な純日本家屋の事を考えている。確かに立派な建物が建つならそれに越した事は無いが、元からそこまで考えていた訳では無かった。

 

 

「あの……我々が考えていたのはログハウスの様な小屋なので、ここの様な物は特に考えてないんです」

 

「ログハウスだと?」

 

「……はい」

 

 緊迫した空気が流れていた。気のせいか、目の前の棟梁の顔色が僅かに曇っている様にも見えている。徐々に怪しくなる雰囲気に、アラガミとの戦いで緊迫した空気に慣れているブラッド全員が、思わず息を飲んでいた。

 

 

「何だ。だったらそれを先に言えよ。おい、クニオ!クニオは居るか!」

 

「何だよ親父。そう大きな声を挙げなくても直ぐに来るぞ」

 

 新たに入ってきたのは如何にも現場に居る様なタンクトップとニッカポッカを穿いた一人の職人だった。これから出る予定だったのか、手には道具箱を持っていた。

 

 

「こいつらがログハウスを建てたいらしい。お前、明日からそっちの現場に行け」

 

「はぁ?何を訳の分からん事を言ってるんだ。俺は002号サテライトの現場に行くんだぞ。誰がそんな事決めたんだよ」

 

「今、俺が決めたんだよ。ログハウスならお前、監督やれるだろ?」

 

 傍若無人な棟梁の言葉にブラッドの面々は既に話の展開について行く事が出来なくなっていた。資金面や人材面は何一つクリアされていない。にもかからず、目の前では既に計画が勝手に進められているからなのか、暫し呆然とそのやりとりを見ているだけだった。

 

 

「って事で、棟方クニオだ。明日から聖域での建築をする事になった。詳しい話は追々詰めるが、今はここの面子だけでやるんだよな?」

 

「はい。そのつもりです。しかし、先ほどの話では資金の事もありましたが」

 

「ログハウス程度ならそんなにはかからん。あんたたちがアラガミを討伐した資金でも十分に出来る。ただ、人材が少し足りないのも事実なんだがな……」

 

 いち早く再起動に成功したのかジュリウスがクニオとのやりとりをそのまま進めていた。他のメンバーは未だ呆然としている。そんな中でジュリウスの次にシエルが再起動をしていた。

 

 

「その件であれば榊博士とも相談していますが、どうやら宛てがあるそうです」

 

「そうか。だったら話はこれで終わりだ。必要な材料は聖域の中で調達するんだろ?だったら後は現場でやるだけだな。図面ならいくつか直ぐに用意出来る。多少のデザインの変更は構造が変わらないなら問題無い。それはそっちで決めてくれ」

 

 大よそ話合いには程遠い事実ではあったが、気が付けば殆どの事が簡単に終了していた。当初は何かと計画を立案しながらと考えていたジュリウスもどこか拍子抜けしたのか、結果的には何も問題が無いと判断された事で一息吐く結果となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分と早かったんだな」

 

「何時もの事だよ。棟梁に話をした時点で結果は見えてるからね」

 

「まぁ、確かにそうだな」

 

 既に話が終わったからなのか、ナオヤが道場で指導をしているとエイジ達も来ていた。ここは足を運んだ事があるのはこの中ではロミオしかいない。北斗やジュリウスに関しても周囲を見る事で終始してただけだった。

 

 

「あっ!ロミオだ。また来たのか?」

 

「お前ら少しは俺を立てろよ」

 

 ロミオに気が付いた子供達の反応は早かった。一時期ここでの遊びと言う名の訓練の際に、散々苦労した記憶が次々と蘇る。ロミオは無意識の内に苦々しい表情を作っていた。

 

 

「時間あるんだろ?だったら遊ぼうぜ!」

 

「いや、俺はこう見えて今は仕事中なんだよ」

 

「仕事って、何もしてないじゃん。少し位は良いだろ?」

 

「ロミオ。我々も予定は既に前倒し出来たんだ。少し位ならば大丈夫だぞ」

 

「ほら、そこのイケメンの兄ちゃんも言ってるんだから、早速やろうぜ!」

 

 子供達を援護するジュリウスの言葉にロミオは内心項垂れていた。ここでの遊びがどれ程過酷なのかを知っているのはブラッドではロミオだけ。そんなやりとりを見ていたナオヤとエイジは止める素振りすら無かった。

 

 

「だったら、他の連中も一緒が良いだろ?ほら、ナオヤさんやエイジさんも居るからさ」

 

「2人が居たら遊びにならないからダメ。ここはロミオがやらないと」

 

 勢いに押され始めたのか、2人の事は即却下となっていた。既に援護はどこにも存在しない。そんなロミオに光明の一筋が舞い降りていた。

 

 

「だったら私もやろう。折角遊ぶなら、人数が多い方が良いだろう」

 

「おっ。お姉ちゃん話が出来るな。なんだロミオの女なのか?半人前の癖に生意気だな」

 

「お前らの方が生意気なんだよ!」

 

 アナグラでは若干背伸び気味のロミオではあるが、ここでの扱いは何も変わらないままだった。大人びた口調の子供に一々起こるのも面倒だと思ったからなのか、リヴィはそのまま話を流していた。

 不意に言われた言葉に内心驚いたが、この場で弁解する訳にも行かず、今はこの流れのままにする事を優先していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつも、ここではこんな事をしていたのか?」

 

「ああ。今はまだマシだったけど、当時は大変だった」

 

 結果的にはリヴィだけでなく、ナナとシエル。北斗も交じっての行動となっていた。事前にエイジから説明は受けたまでは良かったが、まさかこうだとは誰も思ってもいなかった。

 多分に漏れず、ここの子供の運動量と判断力は尋常ではない。気配を完全に殺しながら行動するだけでなく、周囲の状況を判断しながら急な方向転換にナナとシエル、リヴィはついて行く事が出来なかった。北斗でさえも最初は目が追い付かなかったが、時間と共に何とか子供達の動きを予測出来た為に、他の人間よりかは幾分マシな状況となっていた。

 

 

「こんなに動くとは思ってもいませんでした」

 

「私も結局最後までダメだったよ」

 

「確かにこれは訓練になるな」

 

 既に疲れ切ったのか、シエルとナナは完全に座り込んでいた。リヴィも何とかその場で立っているが、状況そのものは同じ様な物だった。

 

 

「何だよだらしないな。じゃあ、次の場所に行こうぜ」

 

 既に見切りをつけたのか、子供達は他の場所へと走りだしていた。無尽蔵の体力を持っているのかと錯覚する程の動きに誰もが呆然と見ている。そんな中で何かを思い出したのか、北斗はロミオに確認していた。

 

 

「ロミオ先輩。そう言えば、ナオヤさんとエイジさんは?」

 

「多分、道場だと思う。何だかんだで一緒に組手とかしてるみたいだけど」

 

 ロミオの言葉に触発されたのか、北斗の脳内にここに来た当初の事が思い出される。当時と今はどれ位差が縮まったのだろうか。折角だからと自己弁護しながら道場の方へと歩き出していた。

 

 

 



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第4話 それぞれの過ごし方

 道場の中から聞こえるのは2人の男の息遣いと、激しい打ち合いによる打撃音だった。既に状況は終盤に差し掛かろうとしているのか、これまでリズミカルに聞こえたはずの息遣いの所々が乱れ始めている。空気を斬り裂く音の後に続く音は一切無い。お互いは防ぐのではなく、回避している証左だった。

 既に体力の限界が近いからなのか、男はこの一撃に全てを賭けるべく、これまで斬り裂く様な行動から突きへと変更したのか、地面と水平に向けると同時に、刃引きされた刃は相手に向けられていた。自分の目に映るのは右腕に赤い腕輪をした人物。お互いが全力だったからなのか、その男もまた肩で息をすべく上下に揺れていた。

 僅かに漏れる息と同時に3本の剣閃が走る。狙撃銃の様に狙いすますのではなく、散弾銃の様にボンヤリとした狙いを付けたそれが襲いかかる。走った剣閃の内の2本は止められたが、そのうちの1本だけは肩口を僅かに掠めていた。

 

 

「あいかわらず出鱈目な攻撃だよね」

 

「あれを防がれたらもうやりようが無いぞ」

 

「エイジ。お疲れ様でした」

 

「ナオヤもよくやったね」

 

 2人の元に同じく2人の女性がタオルと水筒を持って駆け寄っていた。既に緊迫した空気は徐々に弛緩し、何時もの状態へと戻り始めている。お互いが全力の結果だったからなのか、既に肩で呼吸を繰り返していた。

 

 

「流石は教導教官ですね」

 

「あれ、来てたのか?だったら声の一つもかけてくれれば良かったんだが」

 

 ジュリウスの声が道場内に響いた。既に要件が終わったからなのか、入口にはジュリウス以外にブラッド全員が立っている。しかしよく見ればジュリウスとギル以外はどこか疲れたような表情を浮かべていた。記憶を辿れば、ここに来る前に子供達と遊んでいた結果だと理解するには然程時間は必要とはしなかった。

 

 

「流石にあの状態の中で声を掛けるのは難しいです。教導でもあれ程の緊張感を感じる様な事は殆どありませんので」

 

 ジュリウスの言葉にナオヤとエイジは渡されたタオルで汗を始末しながら会話を続けていた。先ほどの戦いに当てられたのか、北斗はどこかソワソワしている様にも見える。それが何を意味するのかを知っているナオヤは苦笑するしか無かった。

 

 

「そう言えば、ジュリウスとは組手とかした事無かったよな?」

 

「確かに。ですが、今の攻防を見れば既に自分の戦闘能力よりも大きく上回っているのは間違い無いですから」

 

「それは謙遜しすぎだ。どこまで行っても神機使いと一般人の力の差は覆らないのが事実だからな。俺がやれるのは技術があるからであって、同じ土俵に乗れば負けるさ」

 

 ナオヤの言葉に偽りは無かった。これまでの経験と、武に関する技術だけが自分の教官としての生命線である事を誰よりも自覚している。今の戦いに関しても、手加減はしないが力技に頼る戦いをエイジはしていない。純粋な技術だけの戦いは見ている者の視線すら奪う程に洗練されていた。

 誰もが気が付いていないが、あの戦いを直接見た人間はこれまで途中で声をかけた事が過去に一度も存在していなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日から俺がお前達の教導をやる黛ナオヤだ。教えると言っても、俺もまだ修行中の身だ。そんな立派な事は言えんが、一定までの技量向上が今回の概要だ」

 

 新たに決まったカリキュラムは新人であれば素直に話を聞くが、問題なのはそれなりに実戦を経験した人間だった。まだ単独での中型種の討伐は認められていなくても、小型種の単独や、小隊としての行動での中型種の討伐を何度もしている側からすれば、腕輪をしていない人間をどこか見下した様な部分があった。

 幾ら事前にツバキから聞かされていたとしても、単純な力は神機使いに勝てる道理はどこにも無い。そんな驕る様な部分があったからなのか、ナオヤに向ける視線はどこか不躾な様にも見えていた。

 

 

「教官。失礼ですが腕輪をしていない一般人の様ですが、本当に大丈夫なんですか?下手に怪我でもされると、こちらも困るんですが」

 

 言葉そのものは丁寧だが、その視線は明らかに違っていた。下碑た様な視線は小馬鹿にしている様にも思える。幾ら有望な人間であったとしても、そんな事はナオヤには一切関係無かった。事実ツバキから言われた事は『鼻っ柱が高い半端者を叩きのめせ』と言われた言葉。今のナオヤにとって、目の前の男はまさにその典型でもあった。

 

 

「まぁ、その辺りは問題無いだろう。と、幾ら口で言った所でお前達も俺の力量なんて分からんからな。一度手合わせした方が効率的だろう」

 

 冷静を装いならがらもナオヤの本心は青白い炎が立ち込める様な闘志で溢れていた。今のナオヤをエイジが見れば、確実にどんな未来が訪れるのかは想像出来るが、一般人だと決めつけた目の前の男はそんな内心の変化には気が付かなかった。

 男は神機のモックを持っているが、ナオヤが持っているのは九尺に僅かに満たない棒の様な物を携えている。知る人間が居れば、明らかに槍術用の獲物である事は理解出来るが、この場でそれに気が付く物は誰も居なかった。

 

 

「どうでも良いが、必ず全力で来い」

 

「大怪我しても知りませんよ」

 

 お互いが正面に対峙しながらお互いの姿を見る。元々ゴッドイーターが対人用に訓練をする事は殆ど無い。その影響なのか、目の前の男は小型種のアラガミと対峙する様な距離を無意識の内に取っていた。

 既に準備が出来ているのか両者の視線が交差する。時間にして僅かだった。男の持っている神機はロングブレード型。器用に使う事が出来れば攻撃の幅は大きくなり、ダメージそのものはバスター型に比べれば大きくは無いが、それでも凡庸性の高さは一番だった。

 

 気合いと共に横なぎに振るう刃はナオヤが最初に言った様に、ほぼ全力に近い攻撃だった。空気を斬り裂く音が斬撃の速度を表している。確かに大きな口を叩くだけの力量はあるのだとナオヤは内心考えていた。

 まともにぶつかれば確実に獲物がへし折れる。誰もが分かり切った未来だったからなのか、振りきった男は一撃で終わる事を確信した様な表情を浮かべていた。

 

 

「雑だな」

 

 ナオヤは一言だけ呟くと同時に、横なぎに振るった刃を受け流すべく構えていた。幅広の神機は横に薙いだ以上、縦に面積が広くなる。幾らゴッドイーターの膂力があったとしても居合いの様な速度が出る事は無かった。事実、エイジとの模擬戦では基本は木刀でやる事が多く、その結果、常時神速とも取れる斬撃を躱すか往なす事が出来るナオヤからすれば、あくびが出るかと思う程度の速度でしかなかった。

 横に飛ぶ斬撃に対し、僅かに距離を離し間合いを開く。その瞬間、下から刃をかち上げる事でその斬撃を一瞬にして違う方向へと向いていた。

 全力で放った斬撃の方向が変わったからなのか、男の重心が大きく崩れる。完全に死に体となった身体に対し、ナオヤはその隙を見逃す事はしなかった。

 僅かに漏れる息と共に放たれた5発の突きに遠慮は無い。全てが人体の急所に入った事によって意識を完全に飛ばしていた。

 

 

「と、まぁこんな物だ。言っておくが、こいつが言った様に俺は神機使いではない。故に常に全力で相手をする事になる。元々技術なんて物は教わる物じゃなくて盗む物だ。最低限の型は教えるが、後は自分達の鍛錬しだいだ」

 

 瞬時に交わされた行為を完全に理解した者はこの場には居なかった。目の前の男は未だに白目をむいて意識が戻る事は無い。幾ら鍛えようが人体の急所に瞬時に撃ち込まれた突きの威力は並ではなかった。

 そんな状況を理解したのか、訓練室の中でナオヤに見下した様な視線を向ける人間は既に居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナオヤさん。大人気なくありませんか?」

 

「何馬鹿な事言ってるんだ。こっちはお前達みたいな強靭な肉体は持ち合わせていないんだぞ。常に全力でやらないと無意味だろ?」

 

 当時の状況を聞いた北斗の第一声に、ナオヤも少しだけやり過ぎた自覚があったからなのか、僅かに言葉に力が無くなっていた。確かにあの時はやりすぎたのかもしれないが、それ以降の教導は実にスムーズな物となっていた。

 次から来る人間はその事実を耳にしていたからなのか、指導一つ取っても実に素直なままだった。これまで戦略を考える事も無く、ただ目の前のアラガミを叩き潰すやり方しか知らなかった人間は次々と討伐のスコアが上昇していく。それは討伐の時間にも多大な影響を与えると同時に、生存率も大きく向上する結果となっていた。

 元々は新人から上等兵までの教導のはずが、気が付けば一部の曹長までもが対象となっている。整備の仕事と教導の二足の草鞋がどこまで出来るのかは考える事すらしなかった。

 

 

「言っておくが、全力でやったらどうなるのかは、お前達も身を持って知ったはずだぞ?」

 

「ええ。そうでしたね……」

 

 ナオヤの言葉に北斗だけでなく、ギルとロミオも思い出していた。腕輪が外れた事で一般人と同じ状態になった際に体験した事実はまだ生々しい記憶のままだった。対峙した瞬間、全身から嫌な汗だけが流れ、頭の中では常に警鐘が鳴り続けている。打ち込む隙すらどこにも無く、動いた瞬間に意識の外から来る突きは命の保証すらされていない物である記憶が蘇っていた。

 教導で命のやりとりを経験する事は本来であればありえない事実。そんな当時の記憶がまざまざと蘇っていた。

 

 

「そう言えば、自分も教導の映像を見ましたが、あれが本来の攻撃と言う事ですか?」

 

「本来かどうかは気にした事はないが、あれはあれで結構色んな業を使っているのは間違い無いな」

 

 何かを思い出したのか、ジュリウスも初めて教導の映像を見た事を思い出していた。純粋な技術の応酬がどれほど高度な物なのかは何となくでも理解していた。しかし、映像からは当時の迫力や駆け引きは何も伝わらない。しかし、先ほどの光景を見たからこそ、その本質に気が付いていた。

 

 

 

 

 

「折角ですから、私達も裸の付き合いをしませんか?」

 

 道場での一コマが終わる頃、唐突にアリサからそんな話が飛び出していた。様子を見れば、どうやらこの後は多少なりとも何かをする様な素振りが見える。このまま見ていても良かったが、折角だからとアリサは何か思う部分があった。

 冷静に考えれば、アリサとリッカ以外は子供達を遊んだ関係で、服は汗でしっとりとしている。自分の体力と精神をゴリゴリと削る遊びは既に訓練と同じ事だった。ミッション以上の疲労感はまだ残ったまま。汗の始末もしたいと考えていたからなのか、アリサの提案に対し誰も否定の言葉を出す者は居なかった。

 

 

「って事で私達は別行動をしますね」

 

「行ってらっしゃい」

 

 何かの思惑を持っているのか、アリサは女性陣と共に屋敷の中へと足を運んでいる。そんな姿を見ながらも、やはり先ほどの攻防を見ていたからなのか、北斗は教導とばかりにエイジとの対戦を申し込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は、外湯にしませんか?」

 

「露天?偶には良いかもね」

 

 アリサの提案にリッカはそのまま応諾していた。他の3人は露天の言葉に疑問を持つが、ここに来てから露天に行った事は一度も無かった。殆どが内湯だった事から、その言葉の意味は何となく理解出来るが想像は出来ない。3人が出来る事は目の前を歩く2人について行く事だけ。

 ここの中を完全に把握していない以上、今はただその後を歩くだけだった。

 

 

「一つ確認したいんだが、外湯とはどう言う事なんだ?」

 

「さあ?私達もここには何回か来た事はあるんだけど、外湯は知らないよ」

 

「でも、リッカさんが露天と言っていたのでれば、可能性としては外なのは間違い無いかと」

 

 3人は前を歩く2人に聞こえない様に話をしていた。確かに汗を始末したいのは間違い無いが、そこから外湯の意味が分からなかった。2人の様子を見ればどこか楽しみにしている様にも見える。今出来る事はただついて行く事だけだった。

 

 

 

 

 

「うわぁああああ。何これ!」

 

「こんなだとは思いませんでした」

 

「まさかここまでとは……」

 

 露天から見える景色は何時もの庭とは一味違っていた。これまでの様な檜風呂に変わりはないが、ここから見える景色は何時もの様な浴室の壁ではなかった。眼前に広がる景色は明らかに何かしらの手入れがされた庭園が広がっている。露天と言うだけあって、浴槽の上には四阿(あずまや)の屋根だけが設えられていた。

 

 

「これ、最近改修したらしいですよ」

 

「だからなんだ。前はもう少し違っていた様な気がするからね」

 

 3人の驚きの声に反応したのか、アリサが今の状態を説明していた。今はあの事件での収束と、暫くの間はアラガミの活動状況を判断する必要があるからと、サテライトの建設に関しては一時的に中止されていた。

 元々棟梁だけでないが、職人の殆どはかなりの腕前を持った集団である事から、本来であればこう言った建築物の方が得意だった。仕事が無ければ干上がるのは間違い無いからと、その間を利用した回収作業が組み込まれていた結果だった。

 出来たばかりの四阿は樹の匂いがするのか、どこかリラックス出来る雰囲気が漂っている。3人とは違い、アリサとリッカは然程汗をかいていない事から掛け湯をしてそのまま湯船に入る。柔らかなお湯はシャワーだけのアナグラとは違い、心身共に安心できる雰囲気があった。

 

 

「そう言えばリッカさんに確認したい事があったんですが、昨日はお盛んだったみたいですね」

 

 アリサの唐突な言葉に隣に居たリッカは固まっていた。言葉の意味は正確には理解出来ないが、何を意味するのかは分かる。以前にもあったその出来事から考えれば、リッカの推測は間違っていなかった。

 既にゆったりとした空気は消え、まるで何かを確認する様な雰囲気だけが漂っている。何時か通った道にリッカも既に乗っている。ここは回避以外の選択肢がどこにも無かった。

 

 

「な、何の事かな?昨日は偶々美味しいお酒があるからって事でここに来ただけで、それ以上の事なんて……」

 

 ヒバリ程ではないが、リッカもこの手の話に対しての対抗手段は持ち合わせている。既にロックオンしたのかアリサはそんな言葉を端から信用するつもりは無かった。もちろん最初は何となくだったが、湯船に入った事で疑惑が確証へと変わっている。リッカはその事実に気が付いていないのか、未だ誤魔化したままだった。

 

 

「誤魔化しても無駄ですよ。まさかとは思いますけど、これ、そうですよね」

 

 アリサの指が差した先には僅かに赤い花が咲いていた。リッカのきめ細かい肌に対し、あまりにも不自然な位置にあるそれが何を意味するのかは口に出すまでも無い。二の腕の内側と腋の下辺りにひっそりと咲いたそれは自分で付けたと言うにはあまりにも不自然すぎる場所だった。

 

 

「え……嘘」

 

 リッカ自身が気が付かなかったからなのか、改めて自分の右腕を上げて確認する。アリサの指摘通り、そこには2つの赤い花がこれでもかと主張していた。それが付く行為は一つだけ。これまでの鬱憤を晴らすかの様な表情のアリサはどこか活き活きとしている様にも見えていた。

 

 

「もう……後で言っておくから。そう言うアリサだって、そうなんじゃないの?」

 

「私はもう問題ありませんから」

 

 リッカの視線はアリサの胸の上部を見ていた。同じく赤い花が咲いているが、既に消えかかっているのかかなり薄くなっている。既に証拠は無くなりだした結果だったのか、それともこれまで散々弄られた結果なのかリッカの言葉に大きな反応をする事は何処にも無かった。

 この場にヒバリが居れば更に収集が付かなくなるが、ヒバリはこの時間は他のミッションのオペレートをしているはず。今は2人だけのやりとりとなっていた。

 

 

「あの、すみません。私達も一応は居ますので……」

 

 2人が盛り上がっているところに水を差した様な状況だと判断したのか、シエルの言葉はどこか弱々しい物だった。確かにその話をしていた際には3人はまだ湯船には居なかったが、既に身体を洗い終えたからなのか、タオルで髪を上げてそこに佇んでいた。

 

 

「ゴメンゴメン。私達の事はいつもの事だから気にしないで」

 

「ですが、折角のお話に水を差したのは事実ですから……」

 

 おずおずとしながらも浴槽にゆっくりと入る。それに倣ったのか、ナナとリヴィもそのまま入っていた。先ほどの会話から何かを想像したのか、シエルとナナの顔は僅かに赤くなっている。リヴィはまだそんな事実について行けないからなのか、どこか疑問だけが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

「でも、こうやってゆっくりと話をする機会は確かに無かったかもしれませんね」

 

 既に先ほどの空気を払拭する事が出来たのか、アリサは少しだけこれまでの事を思い出していた。あまりにも厳しいミッションだけでなく、その後は新しいプロジェクトと称して農業にも参加しているその姿は他のゴッドイーターからも色々な目で見られていた。

 今はまだ種を蒔いただけの為に、農業もやるべき事は限られてくる。詳しい事は分からないが、芽が出てからは本番だと聞かされたのはつい最近の話だった。

 

 

「確かに。でもこうやってゆっくり出来るなら悪くないかも。そうだ!聖域にも温泉出ないのかな?」

 

「この周辺は割と出やすいみたいですけど、実際には調査しないと分からないみたいですね。002サテライトも出たのは偶然みたいな物ですから」

 

 既にこの状況に慣れているからなのか、シエルとナナは寛いでいた。ただのお湯とは違い、温泉の成分が影響しているのか、これまで溜まった疲労感がゆっくりと抜けている様にも思える。数える程しか来た事は無かったが、それでも良い物である事は認識していた。

 

 

「となると002サテライトも同じ様な施設があるのだろうか?」

 

「あそこは、こことは違いますね。どちらかと言えば内湯をもっと大きくした様な感じだったと思いますよ。基本は住人の方々が利用する施設ですから」

 

 リヴィの疑問にアリサは当時の事を思い出していた。あの時も確か当初はどうするのかを悩んだ結果だった記憶があるが、実際にあの温泉施設の効果は絶大だった。

 工業プラントのイメージを払拭出来ただけでなく、温泉の影響もあってか、かなりの早さで入植出来た記憶があった。極東では旧時代にはこんな施設が幾つもあったと聞いている。ここまでのレベルの物なのかは分からないが、アリサも温泉に来るのは密かに楽しみにしていた。

 

 

「アリサ、まさかとは思うけど、ここではしてないよね?」

 

「そんな事はここではしません!リッカさんこそどうなんですか?何時からなのかは知りませんけど、冷静に考えればここに随分と馴染んでましたよね?」

 

「いやいや。アリサ程じゃないから。結婚してから更に艶々しているのはどうしてなのかな?」

 

「リッカさんこそ、最近は色気が出たって評判ですよ」

 

 寛ぎの空間は既に無く、何時もの女子会の様相となり出していた。特定の言葉を出してはいないが、それが何を意味するのかをシエルとナナも知らない訳では無い。何となく聞いた記憶があったからこそ、顔を赤くしながらも耳だけは2人の会話を聞くべくしっかりと意識していた。

 

 

「シエル。あの2人は一体どんな会話をしてるんだ?言ってる言葉の意味が分からないんだが」

 

「あの……情報管理局ではそんな話は出ないんですか?」

 

「出た記憶……は、一度も無いな。皆私よりも歳が上だし、こんな話をする機会も今まで無かったからな」

 

 赤い顔をしながらもシエルはリヴィの状況を思い出していた。厳しいミッションを潜り抜けた事実だけでなく、どこか内部はギスギスした様な空気が流れていた事を思い出していた。目の前で繰り広げられた会話を聞いているナナは先ほどよりも更に顔を赤くしている。

 詳細を聞いていないが、何かと赤裸々な話をしている事は気が付いているが、リヴィはそんな感じすら無い。個人的な感情だけで言えばシエルもアリサとリッカの会話を聞きたい気持ちはあるが、リヴィを蔑ろにする訳にも行かず、今は改めてどう説明すれば良いのかを考えていた。

 シエルとてそれほど色事に長けている訳では無い。これまでの教導の中でも多少の話が出た事を知っているだけに過ぎなかった。

 

 

「そうか。だとすればアリサとリッカにそれを聞くのが一番なんだな。よし。我ながら良いアイディアだ」

 

「ちょっとリヴィさん!」

 

 思案するシエルを尻目にリヴィは改めてアリサとリッカの下へと移動を開始していた。どんな話になるのかは分からないが、現状は違う話題へと移っている。色々と聞き過ぎた結果なのか、赤くなったナナを介抱しながら、シエルは人知れず会話に耳を傾ける事にしていた。

 

 

「どうやら私の想像を超えていたようだった。極東ではああ言った事を話すのが裸の付き合いなんだろうか?」

 

 リヴィの言葉通り、話を事実上の盗み聞きに近い状態で聞いたシエルは既にオーバーヒート気味だった。以前にもあった様に、湯あたりしたのか、それとも余りにも赤裸々過ぎたは話の内容なのかは分からない。それでも聞いている分には刺激が強すぎていた。

 

 

「何だか、あの2人の事は少しだけ今後のイメージが変わりそうです」

 

 既に話す事を終えたのか、アリサとリッカはまるで何事も無かったかの様にそのまま戻っていた。未だ現実に戻れないナナは全身を真っ赤にしたまま意識を戻す為に水を浴びている。裸の付き合いがどんな物なのかは分からないが、今のシエルとナナにとっては刺激が強すぎた内容だった。

 

 

 



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第5話 エリナの苦悩

「エリナはこのまま3時の方向から、エミールはその反対の9時の方向からそれぞれが一斉に攻撃をしかけるんだ。俺とマルグリットはそれぞれのバックアップをする。油断するなよ」

 

 アリサ達が屋敷で話に花を咲かせている頃、第1部隊はアナグラから少し離れた場所で討伐のミッションを開始していた。以前とは違い、今はクレイドルも総員が極東支部に居る事から、第1部隊は従来の部隊運用をする事になっていた。

 新人の教導や実戦のフォローはリンドウが行い、中堅レベルはエイジが担当する。その結果、他の人員を入れ替える事をしなくなった今、第1部隊の隊長でもあるコウタと副隊長でもあるマルグリットは改めてエリナとエミールとのチーム編成で挑んでいた。

 

 

「了解しました」

 

「僕に任せてくれ給え。我がポラーシュターンの錆にしてくれる」

 

「エミール。油断は大敵だから」

 

 何時もの様なやり取りではあったが、初期の頃と決定的に違ったのはマルグリットの存在だった。コウタだけの際にはエミールがやや暴走しがちな所が幾つもあったが、今はそんな状況になるとマルグリットがフォローとばかりにその場を引き締める。既に何度も同じ部隊で戦ってきたエリナはマルグリットの事を心酔しているのか、何事も素直になり、エミールもまたそんな的確な言葉に暴走する事は少なくなりつつあった。

 目の前に居るガルムは未だこちらに気が付いていないのか、何かを捕喰している様にも見える。コウタの指示により全員が気取られない様に大きく散開しながらゆっくりと取り囲んでいた。ガルムまで目測で5メートル。気配を消しながら近づく2人をコウタとマルグリットは見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、コウタ隊長。私もそろそろヴァジュラの単独任務に就きたいんですが」

 

「はあ?単独任務?まだエリナには早すぎる」

 

 エリナの言葉にコウタは思わず報告書を書いていた手が止まっていた。既に期日が過ぎた書類が幾つもあるからと、コウタは今日一日はミッションに出る様な事をせず、溜まりに溜まった書類を幾つも処理していた。

 

 第1部隊としてだけでなく、クレイドルとしての書類の提出も期限が近づいている。以前であれば両方の書類の〆切が1週間程遅れた所でお咎めは小言程度だったが、サクヤがクレイドルに加入してから状況は一変していた。

 これまでコウタが小言程度で済んでいたのは偏にリンドウと言う隠れ蓑があった為だった。コウタ以上にリンドウの書類の提出期限は遅く、リンドウが焦ってやり出してからコウタも手を付けるのがこれまでのパターンだった。しかし、サクヤの監修と言う名の指示により、リンドウの書類の提出期限はこれまでとは大きく変わっていた。

 

 自分の妻が全ての書類を手掛ける様になると、これまでの様に提出が遅れれば遅れる程にサクヤの負担が一気に増える。その結果、リンドウが自宅に居てもサクヤが仕事をしている為に落ち着く様な事が無くなっていた。幾らリンドウであっても自分だけがゆっくりとしている姿を見せたくないと思うだけでなく、自分の妻でもあるサクヤが徐々に疲弊していく姿を見たくないと言った理由もそこにあった。その結果、幾ら小言を言っても何ら改善される事が無かったリンドウが一気に優等生の如く〆切の3日前には提出が完了していた。

 

 そんな事実はコウタにまで波及していた。既にコウタだけが遅れるとなれば確実に何か言われる事は間違い無かった。仮に遅れた所で直接の被害は無いが、サクヤはまるで愚痴をこぼすかの様にコウタの事に関してマルグリットにそれを伝える。その結果、コウタは自分の彼女から確実に小言が飛んでくる可能性があった。となれば、コウタとしても面白く無い事実がそこに存在していた。

 

 

「でも、これまでの部隊の指揮もしてきましたし、イレギュラーな事があってもやってこれたんです。私もそろそろ独り立ちしたいんです」

 

「あのなぁ。エリナ、お前大きな勘違いをしてる」

 

「勘違い?」

 

 突然言われた事実にコウタは内心溜息を吐きたくなっていた。自分の仕事に取り掛かる事が遅かった事が今の現状を表しているが、今はそれよりも目の前のエリナをどうやって説得するかの方が優先されていた。事実、今のエリナは若干は鼻息が荒い様にも思える。これまで経験した内容を考えればその気持ちは分からないでも無かった。

 

 以前のジュリウスが特異点化した際に行われたミッションは苛烈な内容に間違いはなく、その後も何度か厳しいミッションをクリアしているのは部隊長でもあるコウタとて知っている。しかし、それとこれは全くの別物だった。幾ら非公式とは言え、それが一人前の事実に違いはない。エリナがどれ程厳しい教導をこなし、勉強しているのかも理解している。だからこそ、その本質を知って欲しかった事実があったが、今のエリナを見ている限り、その部分には気が付いていない様にしか見えなかった。

 

 

「単独での撃破は基本的に最初から単独で出ている訳じゃないんだ。戦場でのアクシデントを回避した結果、単独討伐になっただけであって、最初から単独で受ける事は殆どない」

 

「でも、エイジさんは受けた事があるって……」

 

「あれは他に誰も居なかったから仕方なくだ。あれだってあの後は色々と大変だったんだぞ」

 

 あの時の状況はコウタにも記憶があった。アラガミとしての強度は高くないが、それでも単独でのヴァジュラ3体の討伐ミッションはかなり厳しい物に違いなかった。少しでも大きな音をだせば他のヴァジュラが寄ってくる。一対一ならばまだしも、3体同時となれば流石にエイジとしても厳しい物が存在していた。

 結果的には傷一つ負わずに完了したものの、やはりその事実をアリサが聞きつけた結果、1時間にも渡る盛大な説教が続いていたと後でエイジから聞かされた記憶があった。

 

 

「エリナ。どうして今は新人の状態で直ぐに戦場に出さないか位は理解してるよな?」

 

「はい。新人だろうとアラガミには関係ありませんから」

 

「だとすれば、言わんとしている事は分かるよな?」

 

「でも、それとこれは違います」

 

「違わない。前にも言ったけど、俺達はアラガミを討伐するのが仕事じゃない。あくまでもアラガミから人類を守護するのが仕事だ。今のエリナを見ればそんな事すら理解してない様にも見える。個人としてだけじゃない。部隊長としてもそれを認める訳にはいかないんだ」

 

 何時もの様にどこかお茶を濁す様な部分がコウタには一切に無かった。今のエリナが目にしているのは、これまで歴戦を潜り抜けた猛者ともとれるゴッドイーター。自分達の様に遠近両用で戦う事が可能な神機ではなく、銃撃のみによる攻撃だけでこれまでの死線を潜り抜けた厳格な雰囲気がそこにあった。

 

 

「じゃあ、私はどうすれば良いんですか!」

 

「何時もと同じ事をするだけだ」

 

「コウタ隊長の馬鹿!わからずや!」

 

「馬鹿で結構だ」

 

 コウタとて同じ部隊の人間を単独で放り出したいと考えた事は一度も無かった。事実、自分とてまだマルグリットが加入した当初に事実上の単独で時間を稼いだものの、結果的にはかなりの重体にまで追い込まれていた。

 命は一つしかない。エリナとてその事実を理解してるにも関わらず、今になってそんな事を言うのには何か理由があるだろうと考えていた。

 

 

 

 

 

「なぁ、エリナの事って何か聞いてる?」

 

「私は何も……」

 

 昼間のやりとりをコウタはマルグリットの部屋で話していた。突如言われた事ではあったが、気持ちは分からないでも無かった。ここ最近のエリナだけでなくエミールに対する視線は僅かではあるがこれまでとは少しだけ異なっていた。

 事実上の安定運用をし始めた事だけでなく、新人も実力が付きだした事から、何かと第1部隊への転属願がかなり出ている事はサクヤから聞かされていた。以前とは違い、ツバキが事実上の長期休養となった事から今は殆どの案件をサクヤが捌いている。その中での事実をサクヤはコウタにも告げていた。

 

 

「多分焦ってるのかもな。最近は教導の効果がかなり出てるからなのか、結構新人の戦績は良いらしいんだ」

 

「でもエリナだってかなりの数のアラガミを討伐してるのに?」

 

「その辺りの経緯は分からないんだけど、下から上がってくる数字に突きつけられてるのかも」

 

 コウタの言葉の意味は理解できるが、その辺りの感情に関してはマルグリットは今一つ共感する事は出来なかった。まだネモス・ディアナに居た頃は、全てのミッションを単独でやって来た為に、それがどれ程厳しい状況なのかは理解出来る。しかし、下からの突き上げに関してはこれまで一度も感じた事が無い感情なだけに安易に答える言葉が見つからなかった。

 

 

「コウタとしては本当はどう考えてるの?」

 

「単独で挑むのは認めるつもりは無いけど、成し遂げるだけの実力はある。エリナは何を思っているのかは分からないけど、それがどんな結果に繋がって、どうなって行くのかをちゃんと判断してるのかは微妙だね」

 

 コウタの歯切れの悪さはマルグリットも理解していた。既にマルグリットと部隊を何度か率いて行動している中で、部隊長としての適性も判断されていた事を思い出していた。

 指揮に関しては今後も戦術やアラガミの生体を学ぶ事で精度は上がるが、問題なのは部隊長としての信頼がどうなるのかだった。功名心で言っている事では無いのは判断出来るが、何を考えているのかが分からない。

 何かの考えがあっての結果であるのは間違い無いが、それでもその真意が何なのかを理解しない事にはどうしようも無かった。

 

 

「ねぇ、それだったら、こうしたらどうかな?」

 

 何かを思いついたのかマルグリットはコウタに耳打ちをする。この場には2人以外に誰もいない為にそんな事をする必要はどこにも無いが、何となくそんな雰囲気があったからなのか、コウタもそれを普通に受け入れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エリナ。少しだけ良いか?」

 

 コウタの言葉にエリナは僅かに硬直していた。昨日の今日で個人的に呼ばれれば、話の内容は必然的に単独の話になってくる。既にコウタもそれを意識していたからなのか、話の先はラウンジではなく、マルグリットの部屋だった。

 

 

「あの……」

 

 用意された紅茶に手を付ける事すら出来ない程にエリナは緊張に包まれていた。

 ソファーの前にはコウタとマルグリットが並んで座っている。何時もの様な雰囲気は既になく、それが何を意味するのかを理解しているエリナはそれ以上の事は何も言えなかった。

 一言だけ発したものの、そこから先の言葉が出てこない。自分の言いたい事を理解したからこそ、ここでの話である事はエリナにも分かっていた。目の前のコウタとマルグリットは発言する素振りすら無い。エリナの言葉を待っている様にも見えていた。

 

 

「あの……」

 

「その前に確認したいんだけど、どうして単独に拘るんだ?」

 

 言い淀むエリナの事を察したからなのか、コウタが呼び水になればと口を開いていた。表情を見れば以前の様な厳しさはそこに無い。そんな表情を見たからなのか、エリナは自身の思いの丈をゆっくりと話し出していた。

 

 

「そうか……本当の事を言えば、エリナの実力なら多分単独での討伐は出来ると思う。これは贔屓目じゃなくて、純粋にそう思う。だけど、それとこれはやっぱり違うんだよ」

 

 コウタの言葉にエリナの表情は一瞬だけ明るくなった。これまでの様に認められていないと感じる様な部分はそこには無く、コウタの本心とも取れる言葉に満足した結果でもあった。

 本当の事を言えば、その後の否定の言葉が続く為に結果的には何も変わらない。しかし、今のエリナにとってそれがどんな意味を持っているのかを理解してくれただけでも良いとさえ考えていた。

 

 

「あのね、私もエリナの気持ちはよく分かる。だけど、()()()()()()()()のと、()()()()()()()()()()()()では違うの。私だって一時期は部隊長までやってたから分かるけど、負傷者が出ればもっとやり様があったんじゃないかって考えちゃうの。第一、そんな事をして誰が喜ぶと思う?」

 

「それは……」

 

「本当の事を言えば、実際に第1部隊への転属願がここ最近多くなっているのはサクヤさんからも聞いているけど、実際にアラガミと戦うとなれば技術だけの問題じゃ無くなるんだ」

 

 マルグリットだけでなく、コウタの言葉にエリナは耳を傾けていた。これまでのコウタを考えると、こうまで真剣な話し合いを今までした事が殆どなかった。隊長としてのキャリアや実績を考えればコウタの戦績は決して悪くはない。むしろ遠距離型のみである事を考慮すれば、かなりの数字である事は間違い無かった。

 元の体制に戻るとなれば、即ち第1部隊が極東の顔となる。一定の技量を習得した人間は、やはりその実力を試したいとの気持ちからダメ元で異動願いをサクヤの下に出していた。

 

 

「それと、仮にだけどエリナが単独討伐をこなす様になれば確実に部隊を率いる立場になるのは間違い無い。今回それを行使すれば確実にその話は出てくる。でも、今のエリナには命の重みがどれ程の物なのか理解していない様に見える」

 

「それは……」

 

 エリナはコウタの言葉の意味は正しく理解している。自分にそれだけの実力があれば部隊長の話が来る可能性が高くなるのは、今の極東ではある意味当然の事だった。これまでにエミールや他の人間の指揮を執った事はあったが、他人の命の重さには何も考えていなかった。

 改めて自分がコウタに言った事を思い出す。決して思いつきで話したのでは無かったが、本当に考え抜いた結果なのだろうか?2人の言葉にエリナは改めて自分が言った言葉の意味を考えていた。

 

 

「エリナ。妥協と言う訳じゃないんだけど、本当に適正があるのかは部隊長としての立場では確認したい。単独討伐出来る技量があるなら今後の戦術にも影響はしてくる。丁度アサインされているのは大型種1体だ。それで様子を見よう」

 

 コウタの言葉にエリナは少しだけ安堵していた。自分の感情だけでぶつかっていたつもりだったが、コウタはその先の事まで考えている。普段は幾ら適当だったとしても、自分達をしっかりと見てくれていた事実に嬉しさがこみ上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って事なんだけど、どうかな?」

 

「まぁ、やる気を削ぐ訳じゃないから妥協案といしてはまぁまぁじゃないかな?」

 

「コウタにしては立派な考えだと思いますよ。でも、それって本当にコウタの考えなんですか?」

 

 エリナとの会談を終えたまでは良かったが、コウタとしては内心ドキドキしながらの会話だった。これまでの事を考えると確かに終末捕喰の事件から厳しいミッションを幾つもこなしている。しかし、下からの突き上げを間接的とは言え知ったのが実情だと言う事は間違い無かった。

 ミッションはこなせても隊員の精神的なケアまでは経験がない。エリナが部屋から出た瞬間の疲労感はミッションでアラガミと対峙した以上だった。

 

 

「まぁ、その辺りは……」

 

「マルグリットに感謝しないとダメですよ。何でコウタなんですかね……もっと良い人は沢山居るはずなんですけどね」

 

「なんで分かったんだよ!って言うか、何でそんなに辛辣なんだよ!」

 

「だってコウタですから」

 

 言い淀んた時点でアリサは何となく察していた。コウタの事を決して馬鹿にしている訳では無いが、メンタルに関する事は自分の経験が物を言うケースが多分にあった。見えないプレッシャーとの戦いは自分自身が解決するしか手段が無い。アリサもそう言いながら自分の事を思い出していた。

 コウタだけの話ではないが、このアナグラに於いてそんな相談を聞いて簡単に解決できる人物はそう多くは無かった。

 

 

「そうだ。それで、ミッションの件ですが……」

 

「コウタも頑張った事だし、私としては問題無いわ。これがツバキ教官なら確実に却下でしょうけどね」

 

 珍しくラウンジのカウンターに居たクレイドルに誰もが遠慮したのか、近づく事は無かった。既に時間はバータイムに差し掛かろうとしている。久しぶりに顔合わせしたからなのか、言葉ではああ言ったが、コウタ自身も成長しているんだとサクヤは考えていた。

 各々の前にエイジはカクテルを差し出している。そんな空気に誰もがそれ以上の言葉を出す事は無かった。

 

 

 



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第6話 自分の自覚

「エリナは機動性を上手く使え!エミールはガントレットを集中攻撃だ!」

 

 確実に捕捉しているのか、ガルムの視線はエリナへと向けられていた。チャージスピアの機動力を活かしながら、至近距離ではショットガンの特性を活かす事が出来る様なバレットを今回のミッションでエリナは組んでいた。ガルムに特化した戦術ではないものの、対ヴァジュラ用とも取れる装備は確実に意識した物だった。

 

 

「行くよオスカー!」

 

 エリナは言葉と同時にチャージグライドの態勢を整えるべく、自身のブリリアンスにオラクルが集まり出している。走りながらもその視線はガルムから外れる事は一切無い。狙いはガルムの鼻面。距離を縮めながらも虎視眈々と狙いを定めていた。

 既に自分に対しての殺気を感知しているのか、ガルムもまたエリナを視線から外す事は無かった。巨体から繰り出される速度による攻撃は、いかにゴッドーターと言えど無事では済まない。これまでに経験した事実があるからこそ、その威力に過信は無かった。

 お互いが視線を外す事無く距離を詰める。しかし、対峙しているのはエリナだけでは無い。一点に集中しすぎたのか、ガルムはエミールの接近に気が付く事は無かった。

 既にタプファーカイトの炎は準備万端と言わんばかりにハンマーの後方の空気を揺るがしている。時間にして刹那の出来事は先ほどまでの空気を一変させていた。

 

 

「騎士道ぉおおおおお!」

 

 エミールの裂帛の気合いと共に放たれた渾身の一撃はガルムのガントレットを直撃するだけでなく、同時に結合崩壊までも起こしていた。突如として現れた伏兵にガルムも本能で意識をそちらに向けている。ギリギリの戦いの中で視線を外す行為は自殺行為と同等でしか無かった。

 視線が外れた事を確認したエリナは間髪入れずにチャージを終えたブリリアンスを解放する。ジェットエンジンを積んだかの様な加速と共に穂先はこれまで同様にガルムの鼻面を捉えていた。

 

 

「いっけぇええええ!」

 

 エリナの言葉と同時に解放されたオラクルをブースター代わりにブリリアンスは一気に最高速度へと到達する。ゴッドーターの驚異的な身体能力でさえ、完璧にチューニングしないかぎり自身までも吹き飛ばす勢いを押さえつつ、エリナは狙いを外す事無くガルムへと突進していた。

 全身の力を上手く活かし、これまで以上に勢いがあるそれを完璧に制御する。まだ配備された当時、散々だった事を考えれば今のエリナは確実に成長していた。

 

 加速すると同時にエリナの視界は一気に狭くなる。乱戦で使用すれば最悪は視界の外からの攻撃を受ける可能性があったが、今はそんなアラガミの姿はどこにも無い。一点集中とばかりに襲い掛かる穂先は鼻面から僅かに外れ、ガルムの眉間へと突き刺さっていた。

 

 凶悪とも取れる加速からの一撃は小型種であれば貫通する程の勢いを秘めている。しかし、今の攻撃で眉間には直撃したものの、貫通する程の勢いは無かった。しかし、結合崩壊を起こしたのか、ガルムは大きく悲鳴を上げながらのけ反ったと同時にその視界は一気に塞がれる。眉間に突き刺さった勢いをそのままに崩壊の度合いは右目にまで及んでいた。

 視界を失ったガルムはこれまでの様な行動を起こす事は無くなっていた。周囲の状況を確認出来ないままに飛び出せば、今度は周囲からの一斉攻撃を受ける事になる。左目でエリナを捉えているも、失われた右目の視界は暗黒となっていた。

 

 

「一気に行くぞ!」

 

 今のコウタ達にとって動きが完全に停止したガルムは既に討伐したも同然だった。破壊されたガントレットに再びエミールの強振が直撃する。既に弱点でしかないそれは再び亀裂が入り右前足は完全に崩壊していた。四本足の行動をするのものが完全に前足を失った事によってコウタの銃撃が残された視界を塞ぐべく左目へと着弾していた。

 

 

「エリナ!止めだ!」

 

「はい!」

 

 コウタの言葉と同時にエリナの渾身の一撃は、エミールの攻撃によって倒れた状態のガルムの眉間へと放たれる。渾身とも取れる一撃には無意識の内に捻りが加えられていたのか、回転しながら突き刺さる穂先は完全にガルムを死へと追いやっていた。

 断末魔を上げる事無くガルムの躯体は一瞬だけ持ち上がると同時に再び地面へと沈む。事切れたのが確認出来たからなのか、エリナはガルムのコアを抜き去っていた。

 

 

 

 

「お疲れさん」

 

 横たわったガルムはその躯体を維持する事が出来なくなったのか、徐々に霧散し、やがては塵へと消えていた。何時もであればこのまま帰投の準備か落ちている素材の回収へと移るが、今回に関してはそんな行動を起こす気にはなれなかった。これまでの戦場で培った経験がそうさせるのか、それともただの勘なのかは分からない。しかし、周囲一帯に漂う空気はそんな緩む様な事を認めないとばかりに漂っていた。

 

 

「コウタ、何か変じゃない?」

 

「マルグリットもそう感じるか?」

 

 コウタとマルグリットの様子に気が付いたのか、エリナだけでなく、エミールも警戒していた。周囲一帯に漂う空気は明らかに連続ミッションの様な雰囲気を漂わせている。そんな状況を認めるかの様に一本の通信がコウタの耳に届いていた。

 

 

《コウタさん。周囲一帯に大型種が近づきつつあります。こちらで確認できるのは全部で3体。万が一の事を考えて近隣に居るチームにも緊急連絡は伝えてあります。出来るだけその場から撤退して下さい》

 

「了解。種類は分かる?」

 

《推測ですが、ヴァジュラ、サリエルの可能性が高いです。もう一体については不明ですが、オラクルの規模から考えれば間違い無く大型種です》

 

 テルオミの言葉にコウタは周囲一帯を見渡していた。心もち大型種特有の歩く音がこちらへと近づいてくる。通信を聞いていたからなのか全員が一か所に視線を向けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ソーマさん。現在第1部隊は交戦中のミッションをクリア後に新たに大型種3体と交戦中です。現在地点より一番近いのがソーマさんですが、移動は可能ですか?》

 

「ああ。こちらの用事は全て終わっている。交戦地点はどこだ?」

 

 フィールドワークと称したミッションが完了したソーマの下にテルオミからの通信が飛び込んでいた。一時期に比べればアラガミは活発に行動する事は少なくなっているが、だからと言って完全に無くなった訳では無い。

 自分の実験の為に使う素材のストックもそこが尽きかけた為に、気晴らしを兼ねてミッションに赴いていた。そんな矢先の出来事にソーマも慌てる事無く回線を開く。第1部隊であればコウタが指揮を執っている。余程の事が無ければマルグリットも居る以上、焦る必要性は何処にも無かった。

 

 

《そこから北東に5キロです。今………》

 

「テルオミどうした!」

 

 突如として切れた通信にソーマは嫌な予感だけが走っている。先ほどの言葉が正しければ、ここからであれば然程時間はかからないはずの場所だった。しかし、これまでの嫌な予感は既に何度も経験した事実。僅かに切れた通信の合間にソーマはジープのエンジンに火を入れ、一気に加速していた。

 

 

《すみません。アラガミが予定にない行動をしたのか、全員がバラバラになっています。現在はエリナさんとエミールさんがそれぞれ単独で対峙しています》

 

 テルオミの言葉にソーマは舌打ちしながらアクセルを床一杯にまで踏み込んでいた。コウタがどちらかに居れば多少なりとも回避できる様な行動を取る事はソーマにも予測出来るが、先ほどの言葉が正しければそれぞれが事実上の単独でその場を凌ぐ事になる。お互いが合流しても問題ないが、それではアラガミを引き連れる事になる為に、今はお互いのリスクを減らす為の措置である事を瞬時に理解していた。

 

 

「アラガミは3体と言ったな。何が来てる?」

 

《ヴァジュラ、サリエル………ハンニバルです。ハンニバルはコウタさんとマルグリットさんが交戦している為に援護は厳しい状況です》

 

 激しく聞こえるエンジン音と道路の騒音で所々聞こえない部分はあるが、それでも厳しい事に違いは無かった。

 ハンニバルに関してはあの2人でも討伐は可能だが、問題なのはエリナだった。ここ最近どこか焦っている様にも見えている事実をソーマは知っている。勿論、先日のラウンジでのやりとりも踏まえれば最悪の可能性も否定出来なかった。その後どうやっているのかが分からないソーマからすれば、コウタ達よりもエリナの方が心配だった。

 勢いだけで動けば焦りが焦りを呼ぶ事になる。その結果、想定していない事態に足を掬われる可能性があった。誰もが一度は通る道ではあるが、今のソーマにとっては無き友人の妹を簡単に死なせる訳には行かない想いが先立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 肩で息をしているのか、今のエリナに精神的な余裕はどこにも無かった。以前に勢いだけで言った単独討伐の言葉が今になって理解出来ていた。最初から戦う気持ちが出来ていれば、然程苦になる様な事は無いが、完全に意表を突かれた攻撃は精神を一気に消耗させていた。

 飛び跳ねるかの様に跳躍するヴァジュラはエリナの事を完全に遊んでいるのか、一気にしとめる様な動きではなく、徐々に攻撃を与えている様にも思えていた。常に一定の距離を取っている為に、エリナのソールレムナントでは射程距離が圧倒的に届かない。

 これがコウタやマルグリットが居れば牽制としての銃撃で隙を作る戦術を取る事が出来るが、今はそれすら適わない。まるで自分達がそれぞれに狙いを付けられたかの様に動くアラガミは完全にチームを分断していた。

 

 

《エリナさん。バイタルが危険値に入ります。速やかに回復して下さい。あと5分程で応援がそこに来ます》

 

中距離を付かず離れずでヴァジュラと対峙しているエリナにテルオミの言葉は届いていなかった。対峙したヴァジュラはこちらの隙を常に伺っている。視線が互いに交差している今はそれ以外の事を完全に消去していた。

 遠吠えをしながら周囲に雷球を作り出す。今出来る事はその隙を回避して一気に距離を詰める事だけを考えていた。目の前に出現した雷球は時間と共に大きくなる。既にそれに合わせて行動を起こす事を決めたのか、エリナは心を落ち着かせながら、これまでの教導を思い出していた。

 

 

「エリナは突っ込み過ぎるだけじゃなくて、もっと周囲に気を配れ。チーム戦だったら今のままでも問題無いが、討伐に絶対はない。自分の行動がチーム全体の命運を握っていると考えればむしろ、それだけに集中せず、俯瞰的に物事を見るんだ」

 

「俯瞰的ですか?」

 

「ああ。一点集中が悪いとは言わない。ただ、人間の性質として集中しすぎると視野が狭くなるんだ。そうなれば自分の感知しない場所から攻撃を食らう可能性もある。そうなれば確実に自分の命は吹き飛ぶぞ」

 

 エイジが居ない際にはエリナはナオヤとの教導を続けていた。当時は分からなかったが、今なら分かる。業は自分の生命線であると同時に自分の事を信用する材料となる。如何に窮地に陥ったとしても、それを覆す術が有ると無いとでは雲泥の差となっていた。

 事実、ナオヤとの教導はそんな隙を突く様な攻撃が殆どとなっていた。口でいくら説明をしようが、自分が納得していなければ同じ事だと、身を持って経験させていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴァジュラ種はその種特有なのか、特定の部位は貫通系統の武器に弱い部分が存在していた。例外もあるが、大筋で前足が顕著となっている。今のエリナの神機との相性は決して悪くはなかった。しかし、今のエリナには自分を奮い立たせる様な業が有るかと言えば疑問しかない。絶対的な物を身に付けるには時間が足りな過ぎていた。出来る事は全身全霊で整備された自分の神機だけを信じる事。既に雷球は完成したのか、拡散する様に一気に放たれていた。

 

 

「行くよ!オスカー」

 

 放たれた雷球が合図となったのか、エリナは一気に距離を詰めるべく走り出していた。まだまともな攻撃は一度も当たっていない。強烈な一撃を浴びせる事でヴァジュラの行動をある程度読める部分にまで誘導する作戦を選んでいた。

 等間隔で放たれた雷球はエリナに向かって放たれている。ここで盾を展開すればこれまでの行為が無駄となる。だからこそ回避する事をエリナは選んでいた。襲い掛かる雷球を紙一重で躱したからなのか、自分の髪が僅かに焦げる。燻った匂いがどれ程接近していたかを嫌が応にも意識させていた。

 ここで止まれば次の展開が読めなくなる。鼻に突く臭いを無視してエリナは穂先を前足に向けていた。再びオラクルをまき散らしながら一気に急加速する。雷球を放った事によって今のヴァジュラは事実上の丸裸に近い状態となっていた。

 

 

「このまま一気に!」

 

 チャージグライドはエリナの目論見通りに前足に直撃した事によって大きく怯みを見せていた。痛がっているのかヴァジュラの前足が大きく宙を掻く。エリナはすぐさま自分の神機を変形させ、ありったけの銃撃を大きく見せた腹に向かって連射していた。

 ショットガンでもあるソールレムナントはアサルトに比べれば連射性能は大きく異なる。一発一発の銃弾の威力はブラストにこそ劣るが、アサルトよりも火力が強い物となっていた。

 以前の様にチャージスピア一辺倒での討伐は自分の攻撃の幅を無くしてしまう。幾ら近接型とは言え、至近距離では特別な業が無い限りは銃撃の方が遥かに効率的だった。今のエリナにそんな業は持ち合させていない。だとすればそれが今自分に出来る最適解だった。

 放たれた3発の銃弾全てが柔らかく見えるヴァジュラの腹に直撃する。周囲までも巻き込むかの様な銃創は腹部から夥しい出血を呼んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「間に合ったか!」

 

 ジープを強引に停止させソーマはエリナが居ると思われる場所に到着していた。これまでの事を考えれば交戦している事は間違い無い。何時もの様な冷静さがあれば話は別だが、あの当時の状況と、今に至るまでの環境を考えれば、決して楽観視出来る様な状態では無かった。

 崖の上から見下ろせばヴァジュラ種と一人のゴッドイーターが交戦している。直ぐにも参戦しようとソーマは改めて周囲の状況を伺ってた。眼下で交戦しているのは紛れも無くエリナだけだった。今の所は他のアラガミが合流していないのか周囲にその気配はどこにも無い。だとすれば一刻も早い参戦を決め、ここから一気に降りようとした瞬間だった。

 

 チャージグライドが直撃したのかヴァジュラは大きくのけ反っていた。これがチーム戦であればこの瞬間に火力を活かした攻撃を叩きこむのがセオリーだが、今は他のメンバーはおらず、自身が改めて攻撃をするより他無かった。今の状況だけを見れば決して悪手ではない。何か思う部分があったのか、ソーマは警戒しながらも今の状況を確認していた。

 

 

「テルオミ。エリナとヴァジュラは交戦してどれ位経過してる?」

 

《交戦してからは10分は経過してます。今の所危うい部分は何度かありましたが、既に持ち直しています。アラガミの方も攻撃をしていますが、今はエリナさんのペースで戦闘が継続されている状況です》

 

 通信の向こう側の声も先程とは状況が異なるのか、今はすっかりと落ち着いた声になっていた。テルオミの言葉が正しければ今のエリナであれば余程の事が無ければ窮地に陥る可能性は少ないのかもしれない。そんな考えがソーマを過っていた。

 3発の銃声が戦場に響く。至近距離での直撃が致命傷になったのか、ヴァジュラは血飛沫をまき散らしながらダウンしている様にも見えていた。

 

 

「テルオミ。俺も参戦するが、少しだけ様子を見る。危険だと判断したら直ぐに参戦するとコウタに伝えておけ。恐らくは戦いながらも心配してるだろうからな」

 

《了解しました。その様に伝えておきます》

 

 エリナの集中力を乱さない様にソーマは静かに戦場へと降り立っていた。ソーマの目から見てもヴァジュラは既に死に体に近く、このままのピッチならばあと数分で討伐が完了するだろう事は予測出来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エリナの眼前には完全に事切れたヴァジュラが横たわっていた。誰の力も借りる事無くヴァジュラを単独で討伐したものの、嬉しいと思う気持ちは何処にも無かった。偶然にもコウタが言った様に結果的には単独での討伐が完了したものの、そこにあった感情はただ安堵しただけの現実だった。

 止めの一撃を当てた瞬間、エリナは思わずヴァジュラを凝視していた。ひょっとしたら再び立ち上がるかもしれない。何かが起こるかもしれない。そんな猜疑心の塊となって視線を外す事なく暫くの間凝視していた。

 ゆっくりと近づくと同時に捕喰形態へと移行しヴァジュラのコアを引き抜く。ハンニバルの様な不死性は今の所確認されていない。コアの抜かれたヴァジュラがゆっくりと霧散しきった事で漸くその場で腰を下ろしていた。

 

 

「まさか単独で討伐するとはな」

 

「そ、ソーマさん。何時からそこに?」

 

「ついさっきだ。アナグラからのエマージェンシーでここに来たんだが、どうやら杞憂の様だったな」

 

 その一言でエリナは漸く今の状況を理解する事が出来ていた。元々自分の短絡的な考えで単独討伐をコウタに訴えていたが、結果的にはそれが適う格好になってた。今のエリナに高揚感はどこにも無く、ただ生き残れた安堵感だけが広がっていた。

 

 

「いえ……ただ生き残る事に必死だったので……」

 

 初めて自分のやった事に対して言われた言葉の返事がそれだけだった。気が付けば先程までは感じる事が無かった震えが全身を襲う。このままアナグラに戻れば単独討伐の話は確実に出るのは間違い無いが、それに対して何か話をする事は出来ないだろう事だけが理解出来た。

 今ならコウタの言いたい事が理解出来る。命の重さとその責任。仮にエリナ自身がここで倒れれば、確実の他の場所に行くのは間違い無い。そうなれた2次被害が起こる可能性だけが残されていた。

 

 

「何にせよ、お疲れさん。ただコウタ達とエミールはまだ戦っているはずだ。動けるならすぐにエミールの所に行くぞ。コウタ達は放置しておいても討伐はするだろう」

 

「はい!」

 

 疲弊した身体を無理矢理起こし、エリナは再び自分の神機を握りしめていた。既に全身に広がっていた震えは消え去っている。ソーマが来た事によって安堵した結果なのかは分からない。しかし、今のエリナであれば苦戦する様な気持ちを持つ事は無い事だけが理解出来ていた。

 

 

 

 



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第7話 心配事

「そんな話、私聞いてません!何でそうなるんですか!」

 

「アリサ君の気持ちは分からないでもないんだが、これは今後の極東支部の事を考えれば、ある意味では当然の措置なんだよ」

 

 少しばかり落ち着き始めた極東支部に、突如としてこれまでに聞いた事が無い発表がされていた。対象者は尉官級、若しくはそれに準じた人間。それに関しては拒否権は無く、強制的に参加する事が通達されていた。当初は何の事なのか誰も理解する事は出来なかったが、内容が改めて発表された事によってアリサはこの発案者の可能性が高いと思われる榊の下へと抗議の為に行動した結果だった。

 静かなはずの支部長室にアリサの怒声が響き渡る。毎度の事だと考えていたからなのか、それともこの窮地を脱出する為だと判断したからなのか、榊のフォローとばかりに弥生が改めて説明を始めていた。

 

 

「アリサちゃんの気持ちは分からないでも無いんだけど、今の極東支部を取り巻く環境を考えるとこれはある意味仕方ない事なの」

 

「ですが……それとこれは……」

 

「本当の事を言えば、これまでやってこなかったここにも問題はあるのよ。知っての通り、極東支部には事実上他の支部や、対外的な関係者ですら閲覧が禁止されている事項が山の様にあるのは知ってるわよね?」

 

「それは……そうですが……」

 

 弥生の言葉に先程までのアリサの勢いは既に失いつつあった。極東支部には幾つかの秘匿事項が一部の関係者を除き閲覧禁止となっている事実が存在していおり、またその許可を取る事も困難になっている。世界有数の激戦区の中でも終末捕喰やクーデターと、色々な意味で話題には事欠かない事実は当事者でもあるアリサもよく理解していた。

 

 情報管理局が来た際にも、フェルドマンですら閲覧出来ない事実が発覚した為に一時期はかなり緊張感が高まっていた。勿論、現場サイドに当時居たアリサはその事実を知らないが、弥生が言う所の閲覧禁止事項がフェンリルそのものを転覆させる程の威力がある事を理解してた。

 

 

「エイジの事なら大丈夫だとは思うわ。何だかんだでそれなりに派兵していた訳だし、その意味も理解してるはずだから」

 

「それなら良いですけど……」

 

「ちょっとだけ厳しい事を言っても良いかしら?」

 

「何でしょうか?」

 

 完全に納得していなと判断したのか、弥生は改めてアリサに今回の意義について話す必要があると判断していた。確かに内容から考えると、アリサの立場からすれば決して気分の良い物では無いのは間違い無い。しかし、個人と支部を天秤に乗せる訳にはいかず、改めて説明する事を決めていた。

 先程までと打って変わって弥生の雰囲気が大きく変わっていた。何時もの様なお姉さん的な雰囲気はそこにはなく、無明からの指示を受ける姿がそこにあった。アリサも弥生の本来の仕事が何なのかは薄々理解はしていたが、面と向かってハッキリと言われた事はない。だからこそ、今の弥生の表情にアリサは無意識の内に呑まれていた。

 

 

「今回の件に関しては仮にそれが原因で破綻したとしても、お互いに問題があるからその結果になるだけの話。貴女が心配する気持ちがあってもエイジが何を考えているのかは別の話になるの。事実、クレイドルやブラッドは機密の塊でもある為に、確実に狙われる事実はあるわ。それが嫌なら確実に繋ぎとめる努力はしなさい」

 

 穏やかな中にどこか剣呑とした雰囲気はアリサが冷や汗をかく原因となっていた。何時もの雰囲気はそこに無く、目の前に居る弥生はこれまでにアリサが接してきた人物を同じなのかすら疑いたくなっていた。弥生の言ってる事に間違いはない。今のアリサにとって弥生と対峙するのはアラガミを討伐するよりも厳しい状況となっていた。

 クレイドルは機密情報の塊であると同時に、篭絡する事が出来ればそれはかなりの戦力を引き込める事になる。今まで当たり前だと思われた事実がそうでないとなれば、多大なダメージは当然の如く予想出来る物だった。

 

 

「エイジに関して言えば、問題無いと思うけどね。だったら一度確認してみたらどう?」

 

 先程までの剣呑として雰囲気は既になく、何時もの弥生に戻っていた。情報がどれ程重要なのかだけではない。この時代に置いての人材は人財であり、ましてやそれが、かなりの実力者ともなればそれなりに期待できる部分もある。

 アラガミとは違い、人間の感情はそう簡単に測る事が出来ない以上、それはある意味では仕方ない事だった。

 

 

 

 

 

「あの、少し聞きたい事があるんですが……」

 

「聞きたい事?」

 

 弥生に言われた訳では無いが、先ほどの言葉にはどこか含みがあった。確かに信じていはいるが、派兵先での詳細については殆ど知らされていない。ましてや、あれが近日中に実施されるとなれば気にならないと言えば嘘になる。だからこそ、本当の意味で知りたいと考えていた。

 

 

「はい。例の件で、今日榊博士の所に行った際に弥生さんから言われたんですが、本部でも可能性はあるって事だったんで聞きたいんですけど……」

 

「本部?」

 

 何時もの雰囲気とは確実に違うが、それが何を意味するのかがエイジには理解出来なかった。しかし、弥生の名前と本部が出た以上、考えられるのは何かしらの任務絡みの可能性が高い。ましてや弥生の本当の任務が何なのかを理解しているからこそ、今のアリサが聞きたい事が何なのかは何となく想像が付いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何で、僕なんですか?」

 

「今回の件に関しては仕方ない部分もある。これはある意味では見栄の問題に変わりないが、それでも油断する事が出来ないのもまた事実だ。今回の件は特殊なケースではあるが、通常のミッションと同じだと思ってくれ」

 

 無明の言葉にエイジはただ驚くだけだった。本部には接触禁忌種の討伐の為に派兵している事実があるからこそ、今では備える為に通常のミッションにも出動している。しかし、今回言い渡されたそれは明らかにこれまでの物とは趣旨が異なっていた。

 

 普段のエイジの主戦場はアラガミの咆哮漂う生死の狭間の様な場所でしかない。しかし、今回はそんな命の危険はどこにも無く、何時もの様な制服からタキシードへと着替える必要があった。用意されたそれに着替えると、これまでに着た事が無かったからなのか、どこか首回りが苦しく感じる。実際には締まっていないが、それでもこれまで着た事が無い服装にどこか窮屈さを感じ取っていた。

 

 

「今回は極東支部の護衛としての役割だ。会場に武器の持ち込みは禁止されている。だからこそ、他の支部も戦闘力の高い者を派遣しているんだ」

 

「それならリンドウさんでも」

 

「リンドウの右腕がああだからな。現場では問題無くても会場の中ではそんな事は一切通用しない。事実上の社交界の戦場に危険な空気を持たらす訳にはいかないんだ」

 

 無明の言葉にエイジはそれ以上の事は何も言えなかった。リンドウの右腕はアラガミ化した影響で、仰々しいプロテクターで覆い隠している。何も知らない人間が見れば驚くのは当然だった。今でこそ見慣れたものの、ここに来た当時は恐れを含んだ視線が終始飛び交っていた。

 現場でさえもそんな状態ならば、社交場での影響は想像すら出来ない。忌避感だけが先に出る可能性が高く、その結果として極東支部の見識を疑われる様な真似が出来ないとの判断がそこに存在していた。

 

 

「って事で、俺は会場の外の警備だ。頼んだぞ」

 

 人ごとの様に言ったリンドウは既に気楽になっているのか、そのまま会場の外へと歩いていた。会場内の空気は自分が知っているそれとは明らかに違っている。今のエイジにとっては、ある意味拷問にも感じる空気だった。

 

 

 

 

「あの、今回の護衛の方ですよね?」

 

「はい。今回の護衛に就かせて頂いています」

 

 会場には極東支部ではありえない程の優雅な空間と時間が存在していた。事前に聞かされた事実ではあったが、限りない贅を尽くした料理や飲み物は支部の事情など無関係だとばかりに用意されている。

 自身でも作るからこそ分かるその料理のレベルはコストだけ考えても一つの支部の1週間分の食料に匹敵する程の内容だった。贅沢な食材に、見栄えだけを優先するのか、手に付かないままに食べる事は困難だと判断された料理は確実に廃棄される。幾ら他の支部に比べれれば多少は裕福な部分がある極東支部だとしても、目の前に行われる内容には憤りを感じていた。

 

 そんな中で一人の女性がエイジに声をかけていた。見た感じ二十代前半か、十代後半の様にも見える。肩口が大きく開き、豊かな膨らみを主張するドレスはどこか扇情的にも見えていた。先程までの感情をおくびにも出さず、エイジは目の前に来た女性に返事をしていた。恐らくは今回の参加者の一人か、若しくは身内が参加しているのは間違いない。

 普通の人間がここに足を踏み入れる事は確実に無かった。

 

 

「良かった。参加者の方だったらどうしようかと思ったので」

 

「こんな服装ですが、普段はアラガミ相手の任務ですから。正直、場違いなのは理解してます」

 

 護衛が参加者と話をするのは本来であれば禁止されている。他の護衛者だけでなくエイジ自身もそれは理解している為に、会話を続けるつもりは毛頭なかった。アルコールが入っているからなのか、僅かに赤い頬と同時に鎖骨が見える首筋までもがほんのりと赤くなっていた。

 酔った人間程面倒なのは今に始まった事では無く、エイジに取っても面倒事以外の何物でも無かった。

 

 

「そんな事ありませんよ。この場に居るよりも良く似合ってます。失礼ですが、階級はいかほどですか?」

 

 周囲の視線は更に厳しさを増していた。ここに集まった全員は始まる直後に召集された為に誰が誰なのかすら分からないままだった。事実エイジも隣で厳しい視線を投げかけている人物がどこの支部の誰なのかすら分かっていない。只でさえ酔っている人間の面倒を避けたいと考えているにも関わらず、目の前の女性はそんな事すら考えてもいなかった。

 

 

「極東支部所属の如月エイジです。階級は中尉になります」

 

「まぁ!貴方があの如月中尉でしたの?そう言えば広報誌で拝見しました」

 

 女性の言葉に厳しい視線を投げつけた人間は一斉に雰囲気が変わっていた。極東支部の中尉は他の支部では佐官級の実力者でもあり、ましてや如月性の中尉は極東の鬼とまで言われている人物。

 まさかこんな穏やかな人間だとは誰も想像していなかったのか、既に視線は驚愕に包まれていた。

 

 

「そうでしたか。今は神機使いではなくただの護衛ですから。そろそろ我々との会話を止めて元に戻られては如何でしょうか?彼方の方の視線が随分と厳しい様ですので」

 

 エイジの視界の端には連れの男性と思われる人物がこちらを睨みつけていた。関係性が何なのかは知りたいとは思わないが、不躾な視線を投げつけられれば気持ちの良い物ではない。まずはこの女性を何とかこの場から離す事だけに専念していた。

 

 

「あら……折角お話出来たと思いましたのに……では御機嫌よう」

 

 そう言いながら目の前の女性は自分に付けられていた花をエイジの胸ポケットへと差し込んでいく。元々貴族の作法など知らないエイジからすれば、それ以上の意味は理解出来なかった。

 それが何を意味するのかを知ったのは、パーティーが終わって無明から聞かされた時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って事はあったかな」

 

 当時の事を思い出したのか、エイジは何の感情も湧かないままにアリサにその事実を話していた。仮にそれがどんな意味を持っていたとしてもそれ以上知る必要は無い。そんな考えがあったからこそ、アリサに対して事実だけを述べていた。

 

 

「あの……それって誘われたんじゃないんです?」

 

「それは無いよ。完全に酔ってたみたいだし、他にも護衛は沢山居たんだ。冗談半分じゃないの?」

 

 エイジから聞かされた事実を初めて知ったアリサは不意に弥生が言った言葉を思い出してた。命令が出たのは榊からだが、明らかにその提案をしたのは弥生である事に間違いは無い。

 クレイドルの任務が一息ついた際に送られた指示に書かれていたのは、特定の対象者による教導内容。よりにもよってハニートラップの教導だった。

 極東支部は他の支部とは違い、年齢が全体的に若い人間が多く、また年齢に関係ないと言わんばかりに尉官級がそれなりに居る。これがそれなりに年齢層が高ければ誰かしらの指示や指導を受ける事はあるかもしれないが、ここではそんな人物は殆ど居ない。

 精々がリンドウかハルオミ位だが、あの2人がまともな事を言う可能性があるかと言えば首を傾げる事しか出来ない。出された指示と対象となる人物が自分の夫である以上、アリサの心配はある意味当然の事でもあった。

 

 

「エイジ。少しは女心を理解した方が良いかも知れませんね」

 

「アリサ、まさかとは思うけど、疑ってるの?」

 

「そんなんじゃありません!」

 

 エイジの言葉にアリサは僅かに動揺していた。ここだけでなく本部でもそんな状態であれば、他の支部ではどうなっているのだろうか?そんな取り止めの無い疑問が次々と沸き起こる。お互いが今の関係になってからはそんな事は無かったが、長期派兵の内容までは分からない。

 確かに今回の件も何となく聞いた記憶はあったが、当時と今は状況が違う。しかし、一度湧いた疑念はそう簡単に払拭できる様な物では無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしたの?喧嘩でもしたの?」

 

 何時もとは違う表情を察知したのはサクヤだった。書類の整理と教導の一部が終わったからとラウンジに足を運ぶと、どこか暗い表情を浮かべたアリサが目の前にある空になったグラスのストローをつつきながら座っていた。

 

 

「そんなんじゃ無いんですけど……」

 

「だったらどうしてそんな顔してるのかしら?」

 

 アリサの浮かない表情を見ながらサクヤはやんわりとムツミに視線を動かしていた。しかし、ムツミもアリサがここに来てから今の状態である為に理由が分からない。サクヤの視線に首を横に振る事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

「ああ。例のあれの事?リンドウからも聞いた事あるかな。確か当時は何かと大変だったって聞いてるわよ」

 

「そうだったんですか?」

 

「ええ。あの後は大変だったって。特にリンドウが、じゃなくてエイジがって事だけどね」

 

「じゃあ、やっぱり……」

 

「念の為に言っておくけど、エイジはそんな事はしてないわよ。とにかく逃げる事で大変だったらしいから」

 

 当時の状況を思い出したのかサクヤは笑顔のままだった。本部の派兵の際にあった護衛の任務はリンドウも時にはタキシードを着る事があった。もちろん腕の事がある為にコートを着用していたが、それでも堅苦しいと言っていた内容だった。

 当時の事はリンドウもしっかりと覚えていたからなのか、面白半分に話をしていたが、結果的には色事に関する事実は無かった。

 

 接触禁忌種の専門ミッションは本部に滞在する時間を確実に奪い去る。アリサは忘れているのかもしれないが、通信の殆どは自室ではなく指揮車からだった。となれば結果は考えるまでも無いはずだった。何時もの様に冷静になれば直ぐに分かるはずの内容ではあるが、今のアリサにはそんな簡単な事すら頭の中に無かった。

 既に弥生からも通達が来ている為にサクヤもハニートラップの教導の事は理解している。当事者にとっては堪った物ではないが、冷静に考えると戦う事に関しては全力ではあるが、それ以外の事になると脇が甘いのもまた事実だった。

 当時は分からなかったが、今ならそれがどんな意味なのか理解出来る。どんな事情があるにせよ、ここは一肌脱いだ方が良さそうだとサクヤは考えていた。

 

 

 



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第8話 ハニートラップ

 

「ハニートラップ、ですか?」

 

 今回の対象は、クレイドルだけでなくブラッドも含まれていた。クレイドルは独立した組織が故に機密情報を扱う可能性があるかもしれないが、ブラッドに関してはそんな事実は何処にもない。ましてやそんな教導が何を意味するのかすら理解出来ないままだった。

 だからこそ、シエルの言葉が全てを表していた。

 

 

「ええ。ブラッドに関してはクレイドル程じゃないけど、やっぱり聖域の件があるのが一番ね。貴方達は気が付いていないかもしれないけど、あれは既に政治的な物じゃなくて人類が共有する物だと一部の人間が判断してるのよ。もちろん、現状はそうでない事は理解していても、貴族や本部からすればやっぱり隠してるって思う部分があるのは間違いないのよ」

 

 書類ではなく弥生の口頭で伝えられた事実に誰もが言葉を失っていた。当初の経緯を考えれば、確かに今後の大きな目標の一つである事に違いない。まだ農業に関しても萌芽したばかりの為に、事実上の手さぐりでしかなく、またそれに付随する小屋の件や、それ以外に関してもまだ始まったばかりと言える内容でしかなかった。そんな中で持ち込まれた内容と現状が一致する様な事は何処にも無かった。

 ハニートラップの言葉は知っているが、本来の内容を理解している人間は多く無い。未だ理解が追い付かないからなのか、ジュリウス以外の全員が固まったままだった。

 

 

「ですが、我々も今は農業の事業が一番の正念場を迎えていると言っても過言ではありません。萌芽している今は確実に経過観察する必要があります。時間をゆっくりと取るのは厳しいかと思いますが」

 

「その件なら問題ないわよ。実際には一度しかやらないし、今は誰もが厳しいスケジュールを縫うようにやってるのは知ってるから」

 

「そうでしたか」

 

 弥生の言葉にジュリウスは暫し沈黙を保ちながら、今後の予定の事を考えていた。何時もの様な適当な内容の任務でない事は命令書が物語っていた。通常のミッションと同じ書式である以上、これは今後の重要さを踏まえているに他ならない。

 未だ北斗は理解の範疇を超えているからなのか、反応は鈍いままだった。

 

 

 

 

 

「ジュリウス。ハニートラップって何だ?」

 

「北斗、何も知らないのか?」

 

「知らないから聞いている」

 

 弥生が去ったのを確認したからなのか、ブラッドは全員がラウンジのソファーへと腰かけていた。話題は先程聞かされたそれ。北斗自身が知らない事だからなのか、全員の視線が承諾したジュリウスへと向けられている。

 そんな空気を感じたからなのか、ジュリウスは改めてその内容を話していた。

 

 

「……これは由々しき事態かと。まさかここでもやるとは思いませんでした」

 

「って事は、ブラッドからは北斗とジュリウス以外にはギルとロミオ先輩もだよね」

 

「ブラッドとなっているのなら当然の話だな。だが、何でこんな時期なんだ?」

 

 シエルとギルは理解したのか、その言葉から予想される事実は確実な物であると判断出来ていた。機密情報が簡単に流出したとなれば今後の事もやりにくくなるだけでなく、妨害が入る可能性も否定出来ない。何故なのか?ではなく、だからこその思惑に気が付いていた。

 

 

「何だ?ハニートラップがどうだとか聞こえたけど、何かあったのか?」

 

「いえ。弥生さんから話があったんで、どうしたものかと相談してたんっスよ」

 

 先程の会話を聞いていたからなのか、ブラッドが集まる場所に来ていたのはハルオミだった。元々ブラッドが集まっている所に足を運ぶつもりは無かったが、時折聞こえる内容に何か感じる物があったからなのか、確認とばかりにギルに話しかけていた。

 

 

「ああ~あれか。……確かにこの面子なら大変そうだな」

 

「何をやるのか知ってるんですか?」

 

 ハルオミの言葉に何かしら知ってると判断したのか、北斗がハルオミに確認をしていた。ハルオミの表情を見れば何となく分からないでもないが、問題なのは正規の任務としての命令書の存在だった。

 目的と内容はともかく、農業でさえ正規の命令書を発行した事は記憶にすらない。今の極東では事実上の口頭だけでも同じ様な効果を発する事が殆どの為に、態々命令書の体裁を整えてまでとなったのは珍しい事だった。

 

 

「内容はともかくだが………確かに今のブラッドには必要かもしれんな。まだ分からないかもしれないが、敵は常にアラガミだけじゃない。悪意を持った人間ですら敵になるんだ。俺の記憶でもここでそんな話は無かったから、いよいよ本格的にやるつもりかもしれんな」

 

 何かの思惑を感じ取ったのか、ハルオミはそれ以上の事を話そうとはしなかった。確かに一日で終わらせるのは間違いないが、内容を考えれば何かと人間関係に皹が入る可能性も否定出来ない。

 該当する人間がブラッドにはまだ居ない事が大事にならない原因ではあるが、今の状況を考えればクレイドルは確実に何かしらの問題を孕むのは間違い無かった。筆頭はどう考えても銀髪の女性。最悪は何かしらのトバッチリが来る可能性を否定できない。となれば、今出来る事は戦略的撤退の一言だった。

 

 

「俺は用事を思い出したからここまでだな。まぁ、何をするかは知らんが、用心しておくんだな」

 

 既婚である以上、線引きが難しいのは間違いなかった。何かを想像したからなのか、それともこれ以上ここに居るのは危険だと判断したのか、ハルオミは早々にこの場を離れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「弥生さん。アリサから聞きましたけど、本当にやるんですか?」

 

「ええ。既に支部長の正式な命令書もありますので。……やっぱりサクヤさんもそう思いました?」

 

 弥生はサクヤから聞かれた事で、恐らくはアリサが何かしら話したんだろうと考えていた。確かに本来であればそこまでやる必要は無いのかもしれないが、今回の開催に関しては多少なりとも事情が変わった事が最大の要因だった。

 

 今の時点で極東支部に来るのは殆どが神機使いか技術者だった。純粋な技術の向上の為であれば、それに関しては今の所何ら問題は無い。それよりも懸念するのが上層部の意向だった。

 情報管理局が完全に撤退した今、防波堤となるべき人間がここは極端に少なかった。年齢がではなく、情報の漏洩がどれ程厳しい現実を見せるのかをここの人間は良く理解していない節が多々あった。

 交流を重ねれば、会話の中でそれらしい話題が出る可能性は当然の事ではあるものの、やはり慎重に事を運んだ方が良い結果をもたらすのは間違い無かった。既に聖域だけでなく、クレイドルが進めているサテライト計画も他の支部から幾つも問い合わせが来ている。となれば矢面に立つのは当事者でしかない。

 幾ら大丈夫だと口で言った所で、まだ若い人材が本当に自分を制御できるのかと言えば嘘でしかない。一部の人間は自制できるかもしれないが、全体を見ればやはり確認すべき事実に間違い無かった。

 

 

「ええ。本当の事を言えば、仕方ないかもとは私も思うの。実際にここは大半が十代後半から二十代前半の人間が多いのも事実だし、欲望をコントロール出来るかと言えば、即答は出来ないのよね」

 

「本能に従うのも悪くは無いですが、そろそろここも人の悪意がどれ程の物なのかを知っておいた方が良いかと思うんです。事実、これまでの危機は全て一部の人間の暴走が原因ですから」

 

「確かにそうね」

 

 余りにも思い当たる節が多すぎるからなのか、弥生の言葉にサクヤは反論すら出来なかった。これまでの極東の危機は事実上の個人の暴走でしかない。ましてや全てが本来であれば信頼すべき人間が起こした事実は世間的にも覚えの良い物ではなかった。

 当時のフェルドマンが放った言葉ではないが、全てが極東発では今後の信頼にも大きく影響を及ぼすと判断した結果だった。事実、発案した弥生も只やった訳では無い。無明やツバキ、榊にも案として出した結果での現実でしかなかった。

 

 

「アリサちゃんの心配は分からないでもないけど、実際にはエイジとナオヤは不要なのよね」

 

「それって?」

 

 弥生が不意に放った言葉にサクヤは驚いていた。今回の対象にも入っている2人が不要であれば、それは既にその事実を知っている事になる。アリサの為にと思って動いた結果は、まさかの回答だった。

 

 

「あの子達はそんな事でたじろがないのよ。それに近い事は何度かやってきてるから」

 

「だったら最初からそう言えば……」

 

「最初から2人を排除すると勘繰る人もいるから。アリサちゃんには気の毒だけどね……でも、あれなら………」

 

 一肌脱ぐつもりがまさかの回答にサクヤはそれ以上の事が言えなくなっていた。内容や手段だけでなく、以前にリンドウから聞いた事実がそれを物語っている。

 態々出る必要は最初から無かった事だけは間違い無かったと判断したからなのか、弥生の不穏な考えに気が付く事は無かった。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古ぼけた頭陀袋を引き裂くかの様な断末魔を上げながら、ハガンコンゴウは地面へと沈んでいた。既に斬り刻む様な部分が殆ど見当たらず、両腕と背後にあった羽衣の部分は痕跡すら残されていない。

 極東でも第二種接触禁忌種の一つに指定されているはずにも関わらず、目の前の銀髪の女性の相手にはならなかった。やり過ぎとも思える攻撃に同行したメンバーは敢えて何も言う事も無く、お互いが当事者に聞こえない様にヒソヒソと話をするだけに留まっていた。

 

 

「アリサさん。荒れてるよね」

 

「例の教導が今日ですから、無理もありません」

 

「何か言いました?」

 

「いえ。特には」

 

 聞こえたのか、アリサの言葉にナナとシエルは珍しく様子を伺いながらもマルグリットに助けの視線を送っていた。既に事切れたハガンコウゴウに怒りをぶつけるかの様に戦っていたのはアリサ一人だけ。あまりの苛烈な攻撃に、何時も冷静に戦うシエルも唖然としていた。

 

 

「アリサさん。そろそろそれ位にしないと、2人が怯えてますよ」

 

「私、何時もと同じです!」

 

 そう言いながらコアを抜き取ったアリサは新たな獲物を追いかけるかの如く周囲を見渡していた。ここで何かを発見すればすぐにでも行動に移るのは間違いないが、生憎とアラガミの姿は確認出来なかった。

 既に回線を開いていたのか、マルグリットはアナグラに通信を開始している。程なくして回収用のヘリが見え始めていた。

 

 

 

 

 

「マルグリットはコウタがあんな教導に行く事に何も言わなかったんですか?」

 

「私?特に何も言わなかったかな。大よそどんな事をするのかは知ってるつもりだけど、それが原因で何かが起こるとは思ってないかな」

 

 帰投のヘリに乗り込んだ事で漸くアリサは今回の教導の内容についてポツリと話しだしていた。ハニートラップに関してはクレイドルとブラッド、それ以外に一部の人間が今回の対象となっていた。

 内容に関しては知らされていないが、それが何を示すのかはアリサも理解している。もちろんエイジの事は信用も信頼もしているが、見ず知らずの女性がその為だけに接触する事は到底容認できない内容だった。

 

 発表されてからは偶々ミッションの兼ね合いであまり一緒に居る事が無かった事も影響しているのか、ゆっくりと話をする事すら出来なかった。特段、喧嘩した訳でも無ければ言い合いになった訳でも無い。ただアリサ自身の気持ちのやり場が無いまま時間だけが経過した事が今回のミッションに繋がっていた。

 

 

「普通のそれなら私も気にしてません。ただ、弥生さんがああまで言い切った以上、やっぱり心配しか出来ないんです。今回の事で私の事なんてって考えたら……」

 

 アリサの言葉に3人は思わず、絶対にありえないと声を大にして言いたい気持ちを押さえていた。普段の生活は知らないが、誰もが2人を見て邪推する様な可能性を抱く事は無かった。

 

 確かに普段の能力を鑑みれば、憧れる可能性はあるかもしれないが、冷静に見れば誰もが直ぐに理解出来た。普段ラウンジでカウンターの向こう側に居る際に見えるそれと、アリサが目の前に居る際の視線は明らかに違っている。もちろんそれだけでは無い。

 

 アリサは気が付いていないが、出された食事一つとってもアリサに出された物は確実に一手間かかっているのは間違い無かった。他の女性陣も羨ましいと思う反面、実際にそれを頼む事は容易ではない。分かり易く言えば、メニューに無いだけでなく、その名称が何なのかすら分からない為に頼む事も困難だった。もちろん、特別ではない。

 時折リッカやヒバリもアリサの料理を見て同じ物と言えば、同じ物が出される。近しい人間はそれで済むが、それ以外となればかなりハードルが高い事実があった。

 ナナやシエルもどちらかと言えば近い部類に入るのかもしれないが、やはり安易に頼めるかと言えば、言葉に詰まる。アリサはそれが当たり前となっている為に気が付く事が出来なかった。

 

 

「幾ら何でも考えすぎですって。コウタなんて何が起こるのかって私に言う位ですよ」

 

 マルグリットの言葉に思わずシエルとナナはええ~っと口に出していた。特殊な内容ではあるが、それを楽しみにするのは如何な物なのだろうか。何も知らないからなのか、それとも誤解をしているのかは分からない。しかし、今の2人にとってコウタの株は僅かに低下していた。

 

 

「しかし、今回の内容はどんな物なんでしょう?」

 

「マルグリットちゃんは予想出来るんだよね?」

 

「あくまでも予想程度ですが」

 

 2人の関心はアリサではなく内容に移っていた。態々銘打ってまでやる以上、ただではすまない。幾ら予想出来たとしても弥生が絡む以上、予想するのは困難とも言えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会議室では正にその内容に関して開催されていた。当初はその有用性とそれを行う事についての手口や行動など、ごく一般的な座学となっていた。ブラッドのメンバーは完全に理解していないが、クレイドルはその言葉の意味を正しく理解している。

 当時の状況を全員が見ていると同時に当事者でもある。一部の悪意が引き起こすそれが何を意味するのかは考えるまでも無かった。

 

 

「では、ここからは実際に手口を実体験してもらいますね。じゃあ、最初に……コウタ君。良いかしら?」

 

「え?俺ッスか?」

 

 笑顔の弥生の表情を見たエイジは僅かに嫌な予感だけを感じていた。実際にそれに近い事は屋敷でもある程度は経験している。大よそのやり口も理解いているからこそ、警戒する事は可能だったが、明らかに含みを持つ笑顔は警戒心だけを高める結果になっていた。

 

 

 

 

 

「なぁ。コウタ、ヤバくないか?」

 

「ああ。あれだと陥落するかも」

 

 エイジとナオヤは周囲に聞こえない程度の音量で会話をしていた。実際に嘘だと理解しているにも関わらず、今のコウタはドギマギしていた。何も知らなければ問題無いが、厄介なのはその容姿と距離感だった。

 簡単に言えばあまりにもマルグリットに似た人物がコウタとの距離をゼロにしているだけでなく、女を確実に意識させるような表情と行動を伴っていた。

 

 今回弥生が召集したのは、自分が普段から知っている人物の中でもトップクラスを呼んでいた。極東に限らず、女を活かしたやり方は今に始まった事では無い。特にフェンリルの上層部ともなれば警戒は高いにも関わらず、易々とそれを乗り越えて一気に懐に入る事が可能な人選はある意味脅威だった。

 

 距離感を近くしながら時に耳元で囁くかの様に話し、時折触れる柔らかな双丘はあからさまにやっているのではなく、どちらかと言えば男の本能をくすぐるかの様に振舞う為に、嫌が応にも意識させられてしまう。

 緊張からなのか、用意された飲み物に手を付ける頃には既に状況は大きく変化していた。当初は警戒していたコウタも徐々にペースにのせられているのか、最後の方は視線が一方的に女性に向いている。身体を使う事無くその視線を奪う行為は誰もが理解出来なかった。

 傍から見れば距離感は近い事は近い出来るが、それ以外には特段変わった事は何もやっていないようにしか見えない。にも関わらず、コウタがああまで変化した事実はブラッドの全員が驚いていた。

 

 

「はい。そこまで。コウタ君は、ちょっと警戒が必要かもしれないわね」

 

 弥生の声で現実へと戻る。エイジの隣に座ったコウタは最初は視点が定まっていない様にも思えたが、時間の経過と共に正気へと戻る。記憶があったからなのか、暫くの間コウタは椅子にもたれながら天を仰ぐかの様に天井を眺めていた。

 

 

「あれは洒落にならないって」

 

 コウタの口から出た呟きでエイジとナオヤは理解していた。本人の警戒心を解くキッカケとなったのは出された飲み物に起因していた。何気なく勧められたそれに何かが入っていた可能性が極めて高い。本来であれば神機使いの代謝からはあり得ないはずだったが、用意されたそれはその代謝を易々と乗り越えていた。

 

 

「だろうな。完全にデレデレだったな。マルグリットに言ったら…」

 

「それ以上は言わないでくれ」

 

 冗談半分に言ったはずの言葉にナオヤは思わず驚いていた。確かに自分の彼女に似た人間が来れば多少の警戒は緩む可能性は否定できない。それを突破口にしてくる辺りに実践である事を理解させられていた。

 冗談半分だと思っていた空気が一気に変わる。人が変わる度にやり口が全て変わる為に、行動を見ての警戒は無意味となっていた。

 

 

 

 

 

「と、こんな感じで来るかもしれないから、確実に気を付ける様にね」

 

 肉体的には厳しくないが、精神的にはかなり厳しい内容に弥生の声を聞いた全員が安堵していた。エイジとナオヤに関しては大よそながらに推測した事もあってか回避出来たものの、やはりブラッドはジュリウス以外が事実上の陥落に近い物だった。

 終わりはしたが精神的には疲労困憊の状態に間違い無い。エイジとナオヤだけが辛うじて行動する事が出来たが、それ以外のメンバーは暫くの間は動く事すら困難な状況だった。

 

 

 

 



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第9話 それぞれの結果

「何であんなに嬉々としてやるかな」

 

「本来の任務だしね。仕方ないよ」

 

 未だ会議室でぐったりしているメンバーをそのままに、ナオヤとエイジはラウンジへと足を運んでいた。一番の目的は水を飲む事。

 エイジとナオヤの嫌な予感は飲み物に口を含んだ瞬間だった。コーヒーで味は隠されているが、明らかに何かしらの薬物である事に間違いなかった。何も気が付かなければ確実に飲むであろうそれが罠である事を見抜けた人間は限られている。

 ブラッドでは唯一そんな状況に慣れているのか、それとも幼少の頃より耐性があるからなのか、ジュリウスは飲み物に口を付ける事が殆ど無かった為に影響は少なかった。

 

 思考を僅かに濁らす事が出来れば後は赤子の手をひねるよりも簡単に事が運ぶ。心の隙間を縫うように忍び込む声はゆっくりと警戒心を崩壊させ、更に懐の奥へと静かに侵入していく。当初は何も分からなかったが、直接の行動を知っても既に後の祭りでしか無かった。

 一旦取っ掛かりさえ出来れば後は少し押すだけで簡単に崩壊する。屋敷でやり口を知っていたからこそ回避出来た手段で今回の件を上手く逃れていた。ラウンジの扉をゆっくりと開く。それには既に今回の結果を聞きたいと考えていたからなのか、アリサだけでなく他の女性陣も待っている様に見えていた。

 

 

「お疲れ様です……」

 

 どんよりと出迎えたのはアリサだった。マルグリットからも大よその事を聞かされはしたものの、やはり弥生が絡む以上、油断するとか以前の話に浮かない表情をしていた。内容に関しては基本的に極秘扱いの為に誰もが口にはしていない。あまりにも濃い内容のそれに3人以外は未だ立ち直る事すら困難な状態だった。

 

 

「ただいま。流石に今回の件は冷や汗かいたよ。まさか本気で来るとは思わなかった」

 

 エイジの何気ない言葉にアリサの表情は更に落ち込んでいく。その姿が余りにも気の毒だと判断したのか、マルグリットが助け船を出していた。

 

 

「本気って事は、何かあったんですか?」

 

「ああまでやられるとと思わなかったってのが正解かもね。ジュリウスはそうでも無かったけど、他とコウタは多分時間がかかるだろうね」

 

 そう言いながらエイジは手慣れた手つきでカウンターの中からミネラルウォーターを取り出していた。ナオヤにも渡すと同時に一気に飲み干す。まるで解毒でもするかの様な行為に、マルグリットだけが気が付いていた。

 

 

「ひょっとして何か盛られたんですか?」

 

「正解」

 

「え……そこまでしたんですか……」

 

 その言葉にマルグリットの顔色は僅かに悪くなっていた。少しだけ屋敷で聞いた諜報活動の中に薬物を使った物があると聞かされた記憶があった。

 毒殺と言った物騒な話ではない。僅かに意識を狂わせる程の物ではあるが、それと併用したやり方は確実に対象とした人間から情報を引き出す為の手段である事を聞かされていた。2人が確実に抵抗出来る事を知っているマルグリットからすれば、内容はともかく心配の種になる事だけは間違い無かった。

 

 

「教導だから微量だよ。でも、あれは流石に厳しいだろうね」

 

 エイジの言葉の内容とマルグリットの表情が変わる事に何か気が付いたのか、アリサは先程までの浮かない表情から一転し、任務に赴く様な空気を醸し出す。徐々に何時もと同じ様に戻りつつあった。

 

 

「何があったんですか?」

 

「ここではちょっと……ね」

 

 アリサの言葉に2人は一瞬困った表情を浮かべていた。基本的には今後の事もあるので、対策を立てる事が出来ない様に秘匿するケースが多い。しかし、今回の件に関してはそんなことは言われた記憶はどこにも無い。しかし、内容が内容なだけに流石に公表しても良い物なのかを考えあぐねていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、その話は本当なんですか?」

 

「実際に見てたからね。まさかあんなやり方で来るとは思わなかったから油断したよ」

 

 ラウンジではやはり言えないとの判断により、結果的には各々が確認する事にすると言った事で話をはぐらかしていた。一部の人間に関しては不満があった様にも見えるが、内容が内容なだけに公言出来る物ではなかった。そんな中で自室に戻ったからとアリサは確認の為にエイジに直接聞く事にしていた。

 ラウンジでのエイジの言葉にアリサも少しだけ疑問があった。ハニートラップである以上、一定以上の容姿の人間が女を活かして近づく事は理解しているが、やり方が他にあるのかと疑問を持っていた。事実、あの後サクヤからもやんわりと今回の件に関して弥生に話した事を聞かされていた為に何となく想像は出来る。

 言葉そのものに安堵すれば今度は自分の興味が湧いてくる。それが何を示すのかを確認したいと考えた結果だった。

 

 

「流石にクレイドルはここが長いから完全に攻略されてるよ。まさか対象者事に全部を変えてくるのは想定外だった。コウタなんてマルグリットそっくりの人だからね。あれは幾らなんでも反則だよ」

 

「それって?」

 

「中身は完全に別人だけど、仕草やふとした動作がよく似てるんだよ。傍から見ても直ぐに分かる位だから、コウタの目にはまた違って見えているかもしれない」

 

 エイジの言葉にアリサは完全に言葉を失っていた。気が無い他人が寄って来ても然程関心を持たなければ近づく事は困難でしかない。しかし、自分の最愛の人間に近いか、若しくはそんな雰囲気を持った人間であれば無意識でも視界に入る可能性があった。

 個人を完全に調べ尽くして懐に入られれば、残すは本人の自制だけが頼りとなる。弥生は完全に対象者の嗜好性を把握して行動に移していた。

 

 

「因みに、ナオヤはリッカそっくりだったよ。多分コウタは気が付いてないけどね」

 

 屋敷での一コマを思い出しのか、アリサはこれまでの様な沈んだ表情を一転し、何かを思いついたかの様な表情に変化していた。実際にナオヤにその事は話していないが、明らかに当人にそっくりの状態で近づけばすぐに理解出来る。直接聞いた訳では無かった為に事実上の暴露に等しい結果でしか無かった。

 

 

「って事はエイジは……」

 

「アリサだった。幾ら違うとは言え、薬物まで使うからね。まさかああなるとは思ってもなかった」

 

 そう言いながらエイジは思い出していた。服装だけでなく普段から着る様な浴衣をあしらった服装を身に纏い、仕草や話し方のアクセントが本人そっくりとなっている。それだけなら問題無いが、確信したのは僅かに口に付けた飲み物だった。

 僅かに含んだ味に雑味を感じる。コウタは当時かなりの量を飲んだ為に効果が一気に出たが、エイジとナオヤは僅かに含んだだけの為に薬が効く前に終了していた。

 まるで見たのかと言わんばかりの自室でのやりとりを彷彿させるやり方にエイジも思考に迷いが出たが、僅かに感じたそれに現実を取り戻していた。

 

 

「まさかとは思うんですけど……」

 

「アリサが気になる様な事は無いよ。結局は感覚が違うから気が付いたからね」

 

「感覚……ですか?」

 

 言っている意味が分からないからなのか、アリサの表情には疑問符が浮かんでいる様にも見えていた。感覚とは何を意味しているのかは分からないが、明らかに自分とは違う何かに気が付いた事は間違い無い。しかし、それが何を意味しているのかまでは理解が及ばなかった。

 

 

「匂いだよ。何時もローズウォーターを付けてるよね?その匂いの違いだよ」

 

 エイジの言葉に未だ理解が及ばないのか疑問符が消える事は無かった。ここ最近、アリサが好んで付けているのは割とあっさりとした匂いが抑えられた物だった。にも関わらずそれが決めてとなれば益々意味が分からない。そんな表情を見たのか、エイジは改めてアリサに説明をしていた。

 

 

「匂いは時間と共に変化するんだよ。本人の体臭と混ざり合うから、結局は世界で一つだけの物になる。それが今回違っていたから気が付いたんだよ」

 

「なるほど……と言う事はそれ位接近していたって事ですよね?」

 

「まぁ、それ用の教導だからね」

 

 何気なく言ったはずの言葉にエイジは後悔していた。ハニートラップであるが故に密着するのは必要ではあるが、態々口に出すまでも無い事実。しかし一度出た言葉は戻る事は無い。

 視線を僅かに動かせば、既にアリサの目は先ほどとは違っている様にも見えている。それが何を意味するのかが容易に想像できていた。

 

 

「へぇ~そんなに接近してたんですか……」

 

 どこか半目になりながらエイジを見るアリサの目は冷たかった。自業自得とは言え、これも立派な任務の一つ。しかし、今のアリサにそんな弁明が通じるとは思っても居なかった。となれば出来る事はただ一つ。このまま一気になし崩しにする事だけだった。

 

 

「……そうだ。だったらアリサもやってみる?」

 

「やるって何をですか?」

 

「同じ事だよ。体験すれば多少は考えも違うんじゃない?同じ事をやるからどうだろう?」

 

 エイジに取っては賭けに等しかった。今回の件でアリサの機嫌が悪い事はサクヤを通じて知っている。ある意味では仕方ないと考える部分もあるが、その一方では自分が好かれている愛情の裏返しでもある。無理矢理するのではなく、半ばそれに持って行く様に誘導するやり方をした方が良いだろうと判断した結果だった。

 

 

「……じゃあ、1回だけですよ」

 

「そう。じゃあ、やってみようか」

 

 その言葉にエイジは内心、賭けに勝ったと判断していた。既に何かを考えているのか、アリサは大人しく付き合ってくれる素振りを見せている。今出来る事を最大限にやる事でこの場をなし崩し的に終わらせる手段を取っていた。

 ゆっくりとアリサとの距離を近づけていく。そこから先の事を知る人間は本人達以外に誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかああまで厳しいとは思わなかったが、良い経験をさせてもらった」

 

「なんでジュリウスは平気なんだよ」

 

 再起動に成功したブラッドはラウンジで寛いでいた。当初ジュリウスを見た際には侮る部分が多分にあったが、自分の番になった瞬間、一気に挙動不審に陥っていた。

 ロミオ自身は色んな女子に声を掛ける事はあるが、それが本当に本気かと言われれば考えざるを得ない部分が多々あった。声をかける=女好きではないが、その見た目と行動にギャップがあるからなのか、けんもほろろに手痛い返しをされる事はなかった。

 しかし、目の前に居る女性はまるで自分に気があるかの様に振舞い、やや無防備気味に迫ってくる。時折身体に触れてくる気軽さに何時もの冷静さが無くなっていた。

 喉の渇きを癒す為に飲み物に口を付けてからの行動は記憶が怪しい。唯一覚えているのは弥生が手を叩いて止めた事だけだった。

 

 

「俺の場合はそこにのめり込む様な事はしなかった点だな。ロミオはもう少し精神面を鍛えるか、それに対する耐性を付けた方が良さそうだな」

 

「確かに。あの時のロミオは以前の様にも見えたからな。ジュリウスの言う事も尤もだな」

 

「ギルだって同じじゃんか。ギルの好みがああ言った系統だとは思わなかったぞ。やっぱりヤエさんみたいな人が好きなのかよ!」

 

「だからどうしていつもそっち方面につなげるんだ!」

 

 ロミオとギルの何時ものじゃれ合いが始まったのを見ていたメンバーの中で、唯一シエルだけが疑問に覆う事があった。先程の内容を聞いていると、全員が対象となるべき人物像に違いがある。ジュリウスの時には気が付かなかったが、ギルとロミオではキャラクターが明らかに異なっている。

 何かを閃いたからなのか、その回答とばかりに北斗に確認をしていた。

 

 

「あの、先程の話からすると、全員の女性が違う様にも聞こえたんですが、そんなに大人数だったんですか?」

 

「いや。クレイドルとブラッドだけだったから2人に来て貰ったと聞いている。恐らくは対象者の好みを確認して近づく様に仕向けたのかもしれない」

 

 まさかの回答にシエルは驚いていた。まだブラッドに加入する前に暗殺術の講義の際にもそんな話が微かにあった。当時は自分には関係無いと考えたからなのか、それとも教官も然程重要だとは思わなかったからなのか、内容そのものについては流している様にも聞こえていた。しかし、その効果を目の当たりにした今、当時どうして詳しく聞かなかったのかを悔やまれていた。

 

 対象者の視界に入る為にはその人物の嗜好を把握する必要が出てくる。恐らく今回の件ではジュリウスの嗜好性がハッキリとしなかった事が要因なのではと考えていた。話には聞いていたが、人物像を確実に把握して近づかれた際に回避出来るのかと言えばシエルも判断に迷いが出る。そして、確実に自分の事を意識させる術があると言う事は、対象者の好みを理解している事になる。何かを考えていたからなのか、僅かに頬が赤くなっていた。

 

 

「シエルちゃん。どうかしたの?」

 

「い、いえ。何でもありません。ただ、今回の件でどんな事をしたのかと少し考えただけですので……」

 

 ハルオミが居れば随分と踏み込んだ発言だと突っ込まれる可能性はあったが、今聞いて来たのはナナ。シエルが何を想像していたのかは分からない為に、それ以上の言葉は無かった。

 未だ口喧嘩に近いじゃれ合いをしている2人を眺めながらも、何事も無く終わって良かったと人知れず安堵していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にゴメン!」

 

「別に謝らくても良いけど……」

 

 コウタはマルグリットの部屋で謝っていた。あの後、弥生から聞かされた事実に当初は驚いたものの、コウタの話を聞くにつれ、一つの可能性を思い出していた。

 意識が怪しいとは言え、コウタの目の前に今居る女性と酷似した女性が迫ってきたのは、ある意味では仕方ないと思われていた。弥生から聞かされたのは、当事者に尤も近い人物を似せて迫るやり方と聞いた際に、何とも言いようの無い感情がマルグリットの中にあった。

 ネタばらしを聞いていなかったら自分はきっとコウタを責めたのだろうか?そんな取り止めの無い考えが次々とマルグリットの中に浮かんでは消えて行く。コウタがひたすら謝るのも偏に自分に似た人間が迫った事実でしかない為に、どうしてそれが自分に依頼されなかったのかと、見当違いの事を考えていた。

 

 

「幾ら似てるって言っても別人なんだし、俺が同じ立場だったら絶対に嫌になる。だから謝るしかないんだ」

 

 赦すも何も任務だから仕方ないとマルグリットは考えていた。確かに最初はムッとした部分があったのは嘘ではない。しかし、自分も内容を知っていたからこそ騒ぐ事が無かったが、何も知らなければ確実にアリサと同じ行動をしているのは間違い無かった。

 

 結局は全ての内容をコウタから聞きだしたが、実際に自分が同じ事をやれるかと言えば答えはNOとしか言えない。その道のプロからこそギリギリの部分を狙う事が可能だが、自分にはそんな技量は持ち合わせてない。

 何かに付けてヘタレな部分があるからなのか、実際にアクションを起こすのはマルグリットからの方が圧倒的に多かった。だからこそ、今回の件に関しても綺麗に術中に嵌ったのは容易に想像出来ていた。自分としてはもう少し積極的に来て欲しい願望が無い訳ではない。恐らくそんな考えすら今のコウタに言っても仕方ないと考えていた。

 

 

「赦してほしい?」

 

「もちろん」

 

「じゃあ………」

 

 ここまで平謝りされると今後気まずくなるのは間違い無かった。だからこそ、ここで一旦幕引きをした方が良いと考え、一つの案が浮かんでいた。視線を下に向ければ以前指にあった場所にはまだ何も付けていない。アリサをうらやましがる訳では無かったが、何かしら欲しいと考えていたのも事実だった。

 丁度明日は非番の予定。コウタが実家に行くのは事前に聞いているので、一緒に付いて行った際に何かをねだろうと考えていていた。厳しいミッションが続けば続く程、今度は使う暇すら無くなっていく。偶にはコウタに我儘の一つ位は良いだろうとマルグリットは一人目論んでいた。

 

 

 



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第10話 歌姫誕生

「今日はお疲れ様でした」

 

 溌剌としたユノの言葉に、その場にいたスタッフ全員が快く返事を返していた。終末捕喰以降、ユノの活動範囲はこれまでの様に極東周辺だけでなく、その領域を徐々に拡大しつつあった。

 既に出された販促物は軒並みソールドアウトした事からも、スタッフはライブが終わっても慌ただしく行動していた。

 

 

「ユノ、今日も良かったよ。お客さんが皆喜んでいたから」

 

「それ、本当?」

 

「貴女に嘘言っても仕方ないでしょ」

 

 終わったばかりのユノにサツキが今回の内容を伝えていた。一時期はフェンリルからも煙たがられていた部分が多分にあった事から、満足のいく出来になる事は多くなかった。

 

 ギリギリでの会場の変更や、契約の不履行など、まるでこのまま消えて欲しいと思える様な妨害活動も少なくなかった。本来であれば舞台装置の直前の変更は内容のクオリティにも影響が出やすいが、元々は慰問で行っていた事を考えればそれでもマシだからとそのまま活動を続けていた。このままだと一体どうなるのだろうか。誰もが口にには出さないが、そんな空気は僅かながらに蔓延しつつあった。

 

 事態は急展開を迎えていた。螺旋の樹の崩壊以降はその状況がクリアになったからなのか、これまでの妨害は嘘の様に消え去っていた。だからと言って確実に安心できる迄は様子を見た方が良いとのサツキの判断により、最近までは細々と活動を続けていた。

 妨害の心配は恐らく無いだろう。そんな思いから満を持した今回のライブは、久しぶりに大きな舞台装置を使用した大規模な物となっていた。

 

 

「でも、大きな会場だったから凄く緊張したんだよ。あの時以来のね」

 

 ユノが指す『あの時』は自身を軸とした特異点となった当時の事だった。人類の未来をかけた戦いはブラッドだけでなく、ユノにも厳しい選択肢を迫られていた。今となっては良い思い出にしたい気持ちはあるものの、やはり非戦闘員でもあるユノにとっては簡単に忘れる訳には行かない内容でしか無かった。

 

 

「確かに今回の件に関しては久しぶりに大規模な物だったから仕方ないかもね。そうだ。次までまだ時間の余裕があるから久しぶりに極東に寄るのはどう?それなら少しはゆっくりと出来るんじゃない?」

 

「そうだね。久しぶりお屋敷の温泉にも入りたいかな」

 

「屋敷ね……」

 

 ユノの何気ない言葉にサツキとしても、マネージャーとしてだけでなく、友人としてもその願いを叶えたいと考えていた。確かにこれまでにも何度か足を運んだ事はあったが、実際にサツキは少しばかり苦手意識を持っていた。

 あそこの施設と料理の内容はサツキ自身が経験した中でもトップクラスの内容を誇っている。アナグラの様にシャワーだけよりも身体がほぐれ、疲労感を抜くには丁度良い。ユノ自身がリラックスするのであればサツキとしては何も言う事は出来なかった。かと言って、突然行く訳にも行かない。サツキはとある場所へと連絡を入れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「噂には聞いてましたけど、まさかこれ程の規模だとは思いませんでしたよ」

 

「ここは極東支部からも近いが、設備そのものはフェンリルが認めている訳では無い」

 

 ネモス・ディアナと屋敷の調印の際に榊が場所の指定したのは極東支部ではなく屋敷だった。

 極東支部は下請けでしかないが、今後の事を考えれば極東支部内で行った方が本来であれば都合は良かった。しかし、未だに一部の議員がフェンリルに対し猜疑心がある以上、安易に事を起こす訳には行かなかった。

 そんな中での提案にサツキは襲撃直後の紫藤の姿にどこか違和感を感じていた。本来であればフェンリルの科学者が態々出張ってくる必要はどこにも無い。今回の特異なアラガミの事で調査か何かに来たのだろう程度の感覚しか最初は無かった。

 

 これまでの様にジャーナリストとしての活動で事実を確認する事も考えたものの、自分の目の前を歩く人間がそれを許す事はあり得なかった。後ろから見れば確実に鍛えられた肉体を持ち、腕にはめられているそれに封印を施した形跡はどこにも無い。

 元々フェンリル内部でも異質な科学者である事はサツキも理解していたが、何となくそれ以上踏み込む事は危険だと本能で感じ取っていた。

 

 ヘリが到着した場所に降り立つと、そこは明らかに極東支部とは景色が異なっている。どこかのどかな感じがするが、それが本当なのかを冷静に判断する事は出来ない。紫藤の背後を歩くサツキを他所に、同じく一緒に行動していた那智の様子は何時もと同じだった。何も知らなければ、視界はせわしなく動くはず。事実隣を歩くユノがそれだった。

 屋敷に着いた際に初めてここの事実が語られた事は、サツキが初めて会った際にアリサが話した言葉の意味である事を理解していた。

 

 

「ここに来るまでに視界にフェンリルのエンブレムが入らなかったのはそう言う事ですか?」

 

「そうだ。確か高峰さんだったな。以前は広報でも報道部門の情報収集班に勤務してたと聞いてるが、フェンリルの暗部をどこまで知っている?」

 

「暗部だなんて……そんなに詳しい訳じゃありませんから」

 

 はぐらかしながらもサツキの背中には嫌な汗が流れていた。確かにアリサとソーマには似た様な事を言ったものの、詳細まで語った訳では無い。仮に聞いた所で暗部の話が出る可能性は低く、まさかの言葉に返事をする事すら忘れていた。

 背後に目でもあるかと思う程に、気が付けばその歩みはゆっくりとしている。まるで自分が試されている様にも思えていた。

 

 

「何をどう語ろうが結構な事だが、何でもかんでも安易に踏み込んで良い場所はそう多くはない。情報で人の人生だけでなく、最悪はその組織すら無くなる可能性もある。向けた刃はいつか自分にも返ってくる。取扱いには注意する事だな」

 

「警告と受け止めれば良いですか」

 

「それを決めるのは自分自身だ。それと、アリサとソーマが世話になったんだ。折角だから、もてなしの一つもしておこう」

 

 何気ないはずの会話にも関わらず、どこか真剣を突きつけられてる感覚にサツキの危険を察知する能力が警鐘を促す。何時もの様な好奇心に溢れる感情はそれ以上湧く事は無かった。

 

 

 

 

「では、これで今回の件については完了した訳だが、今後の予定については早急に判断した方が良いだろう」

 

 那智と無明の調印は滞る事無く完了していた。屋敷から出される資金と、今後の防衛におけるゴッドイーターの派遣。それと今回の件に関して幾つかの条件をお互いに擦り合わせた内容は議会が見ても遜色が無い様に見えていた。

 

 事実、防衛に関しては現時点では当該地域の管理とばかりに極東支部の広域レーダーにも登録がされている。今はまだ派遣していないが、万が一アラガミの影を発見した際にはいち早く急行出来るシステムを構築していた。

 

 

「しかし、あれでは我々が一方的に恩恵を受けている様に見えますが、本当にそれで?」

 

「ああ。それに関しては問題無い。こちらとしてもそれなりにメリットがある事に違いないので」

 

 既に調印が終わったからとお互いが会食に準じていた。今回、屋鋪からの提案は二つだけだった。一つは既にこの時代に於いて廃れ始めた幾つかの樹木の植樹を復興する事を許可する件。それともう一つはユノの存在についてだった。

 当初、書面を確認した際に一つ目の条件は分からないでもなかったが、二つめの条件に関しては流石に那智も理解の範疇を超えていた。議会ではなく一人の父親として考えても、ユノの扱いに関する内容に理解が追い付かない。

 書面を見て固まった事を判断したからなのか、無明は改めて今後の展開を説明する事にしていた。

 

 

「ユノの歌に今回は注目している。今後どんな展開になるかは分からないが、少なくとも現場は歌を聞いた事で多少なりとも心の安静が見えていた様にも思える。我々としても今後はフェンリルとしての組織ではなく、一部を独立組織と化して活動を計画している。その為の広告塔としての役割を果たしてもらうつもりだ」

 

「ユノをそうまで言ってくれるのは一人の親としては嬉しい限りですが、今後のプラン等はどの様に?」

 

「一先ずは今の様な海賊放送は止めて、正式な手順で表舞台に出て貰うつもりだ。後の事に関しては本人の努力次第だろう」

 

 無明の言葉に那智は僅かに言葉を失っていた。この時代に於いてフェンリルの庇護を利用しない事がどれだけ大変なのかを一番理解している。もちろんそんな事実は目の前に居る無明とて理解してるはずだった。

 しかし、完全に計画がスタートしていない今の状況でそれを信じるのは本来であれば有りえないはずだった。肝心のオラクルリソースの確保がどれ程困難なのかは那智自身が一番理解している。

 幾ら多少の融通が利くとは言え、やはり独立したコミュニティの構築は生半可な物ではない。膨大な資金と、それに対応するだけの人的資源。数え上げればキリが無い。自分達は必要に迫られた結果でしか無かったが、今回の計画はどこからも迫られる必要性が無い。

 フェンリルから命令された訳でも無いのであれば、最悪の場合、その支部の資金は枯渇する事になり兼ねない。態々火中の栗を拾う様な真似をしようとしている現実を忠告した方がと那智は考えていた。

 しかし、ここがどんな場所なのかを考えれば、その考えは逆に失礼にもなり兼ねない。多少の手順はあったとしても、迷う事無く未知の世界に飛び込む事実に驚きを隠さなかった。

 

 

 

 

 

「私が……ですか?」

 

「そうだ。今回の条件として履行してもらう事にした」

 

 那智との会談が終わると、今度はユノがこの場に呼ばれていた。周囲を探索するつもりが、突如呼ばれた事によりその意味が理解出来ない。隣にいたサツキもどんな言葉が飛び出すのかを固唾を飲んで見守る事しか出来なかった。

 

 

「でも、私なんかに……」

 

「ユノ。今回の件に関しては全ての事実を多方面から考慮した結果だ。我々としてはお膳立てはするが、そこから先は君自身の問題になる。厳しい内容かもしれないが、やってくれるか?」

 

 無明からの提案はこれまでユノの歌声を海賊放送で流していた事を止め、正規の放送で流す事だった。当人でもあるユノは、まさかの事態にどうすれば良いのか理解が追い付かない。しかし、隣にいたサツキは今回の件は最大のチャンスだと判断していた。

 

 

「ユノ。今回の件は絶対に受けるべき。私は貴女の歌にほれ込んでこれまでやってきたのも事実。だけど、正規の放送で無い以上、今後は何かしらマークされると思う。だったら一度はやってみても良いはず」

 

「でも……」

 

 まさかのサツキの賛成にユノは少しだけ戸惑っていた。これまでの事を考えれば自分の歌が癒しの対象になるとは想像すらしていない。ましてや海賊放送ではなく、正規の電波に乗せるとなれば話は大きく変わってくる。幾ら友人が強く賛成したとしても、素直に『はいそうです』とは言える程に肝は太く無かった。

 何も知らないままにここに来たまでは良かったが、言われた事実は自分にも大きく影響を及ぼす。元々自己顕示欲が無かったユノは未だ戸惑いを覚えていた。そんな中で、僅かに漏れ聞こえる歌がユノの耳に届いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う~ん。何だか生き返った気分」

 

 温泉に浸かりながらユノは大きく伸びをしていた。時間的な部分もあるのかもしれないが、まだ太陽が見える時間に入っている為に、他には誰も居ない。周囲の事を気にする事無く自分の好きな様に出来る時間を好んでいた。

 元々屋敷では誰もが特別扱いをする事は無い。本来であればネモス・ディアナや極東支部も同じ事ではあるが、やはり世間の目はそうは扱わなかった。

 まだ極東を中心に活動をしていても、やはりその歌声が響けば響く程周りの目は少しづつ変化していく。自分に近い人間であればまだしも、ネモス・ディアナと言えど、やはり目にすれば何かしらの思惑を感じ無い訳では無かった。

 

 ここでは歌姫ではなく一人の女性として扱ってくれる。そんな以前の様な当たり前が今も変わらず漂う空気をユノは好んでいた。ゆっくりと浸かりながらも、これまでの事を少しづつ思い出していた。元々はここから始まった話が今では極東だけに話は留まっていない。一時期は確かに厳しい局面もありはしたが、今回のライブの成功で、再び大きく弾みが付く事を実感していた。

 

 

「ユノ、あんまり長湯するとのぼせるわよ」

 

「大丈夫。そろそろ出るから」

 

 長湯だったからなのか、気が付けばサツキの声が聞こえていた。時間の概念は分からないが、それなりに時間が経過している。気が付けば自身の身体は空腹感を覚えていたのか、素早く肌の手入れをしながら用意された浴衣へと着替える。サツキが待っていると思われる場所へと移動していた。

 

 

 

 

 

「とりあえず、次の予定先のスケジュールがまだ完全に決まらないから、ここには少しだけ滞在するから」

 

「え?本当に良いの?」

 

「最近は厳しい状況が続いてたんだし、少しは羽を伸ばした方が良いんじゃない?」

 

 用意された食事をとりながら、ユノは今後の予定についてサツキから聞かされていた。

 確かに妨害とも取れる中でのライブは、表情にこそ出さないまでも精神的には厳しい局面が何度か出ていた。明らかに何かしらの妨害である事は直ぐに感づいたが、それを口に出した所で何かが変わる訳では無い。今出来るのは来て貰った人達に対して最高のパフォーマンスをする事だけ。そんな一身でこれまでやってきていた。

 肉体的な疲労の回復は容易でも精神的な疲労は簡単には回復しない。そんな今の状況を判断した結果でもあった。

 

 

「そう。だったら、久しぶりに外部居住区とかに行ってみたい……かな」

 

 ユノの言葉にサツキは僅かに頬を引き攣らせていた。今の状況で外部居住区に行けばどうなるのかは何となく想像出来る。止めるのは簡単だが、折角自分の意見を述べた以上、サツキとしても何とかしたい気持ちが多分にあった。

 多少の変装をすれば問題無いだろうとは思うが、万が一の可能性も否定出来ない。そんなサツキの心情を読んだのか、気が付けばユノはどこか申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

 

 

「やっぱり、ダメ……だよね」

 

「それは問題無いから。ちょっと今後の事について考え事してただけ」

 

 そんな言い訳とも取れる言葉をそのまま受け止めたのか、ユノの顔は綻んでいた。ここ最近、ゆっくりと出来た時間が余り無いからなのか、その後の食事は楽しく過ぎ去っていた。

 

 

 

 

 

「しっかりとマネージャーをしてるみたいだな」

 

「お蔭さまで。その説は有難うございました」

 

 部屋からユノが退出した事を確認したと思った瞬間、サツキの背後から声が聞こえていた。振り返らなくても誰なのかはサツキが一番理解している。声の主は当主でもある無明だった。

 

 

「我々はただ時間とタイミングを与えただけだ。その後の努力は本人が成し得た結果でしかない」

 

「そうでしたね。まさかとは当初は思いましたが」

 

「懐かしい顔も居たんじゃないのか?」

 

 無明の言葉にサツキはやはりかと考えていた。当初、どうするのかと考えていた際に提案されたのは時折極東の情報を載せる広報誌の活用だった。

 元々は各支部の情報を載せる事が多かったが、極東の特集をしてからは既に広報誌としての側面は無くなりつつあった。

 気が付けば既に極東に関してだけは季刊誌の様に掲載されている。その中の一つの媒体に対して時間を提供されていた。当初は広報の人間も困惑していたが、サツキの事を知っていたからなのか、すぐさま打ち解けあっていた。その結果、当初は紙媒体だけのつもりが、歌の上手さを判断したのか、すぐさま映像にも割り込ませる結果となっていた。

 これまで海賊版でのゲリラ放送だった歌が正規のルートで流れて行く。身近にあったはずの極東の人間でさえもその事実は殆ど知らされていなかった。

 

 

「そうですね……それがあって今ですから。足を向けて寝る様な真似は出来ませんね」

 

「心無い言葉は不要だ。我々の契約の履行さえしてくれれば問題ない」

 

「ではその期待に応える様に、今後も精進しますので」

 

「ああ。頼んだぞ」

 

 言い争いが無駄と分かったのは、会って早々だった。短時間で調べ上げた情報の精度はサツキが知りうる中でもトップクラス。既に最終の結果すら分かっているとまで思える程に、用意された物は完璧だった。

 通常であれば手放しで感謝するが、こうまで完璧過ぎると警戒せざるを得ないのが本音だった。ユノはこの事実を何も知らない。サツキも言う必要は無いと判断した結果だった。

 だからこそユノの口からは安易に屋敷へと言葉が出るが、サツキの心情としては心中複雑だった。

 

 

 



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第11話 護衛の裏で

「これおいしいぞ!食べてみるか?」

 

「本当。これ美味しいね」

 

 ユノはシオから渡されたクレープを一口食べると、普段は口にしないのか、果物の甘酸っぱさと生クリームの甘さが口の中へと広がっていく。余程気に入ったのか、笑顔で歩くユノの隣をシオもまた歩いていた。

 普段は外部居住区に出る事は無い為に、何か目新しい物を見つける度に2人はフラフラと寄り道を繰り返していた。既にクレープだけでなく、何かしらの買い物をしたのか、幾つかの紙袋を手に携え、楽しそうに歩いている。お互いが変装しているからなのか、誰もユノとシオが歩いていると気が付いた人間は居なかった。

 

 

 

 

 

「でも、私達がこんな事してても良かったんでしょうか?」

 

「最初は確かにそう思ったけど、これも任務だと言われれば仕方ないさ」

 

 2人の背後をついて行くかの様に歩くその姿は、ただデートしている様にも見えていた。男女は共に右腕に黒い腕輪をはめている。一人は銀髪の女性。もう一人は黒髪の男性だった。

 適度な距離を取りつつ、怪しまれない様に行動している。既に外部居住区でもブラッドの事は聞き及んでいるからなのか、住民の誰もが気にしている雰囲気は既に無い。

 色んな所をフラフラしている少女を眺めつつ、様子を伺っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って事で君達に特殊任務を与えたいんだ」

 

「特殊任務ですか……」

 

 榊の真剣な表情に呼ばれた北斗の表情には緊張感が漂っていた。ここに来て以来、何度か特務と言う名の特殊任務をこなしてきたが、今回の内容はこれまでの物とは違うからなのか、榊の表情は何時もとは完全に異なっていた。

 本当に厳しいミッションだからなのか、北斗以外に副隊長としてシエルまで呼ばれている。ブラッドを招聘する以上、これから聞かされる内容は確実にこれまでの物とは違う事は間違い無いと考えていた。

 

 

「特に北斗君のFSDでの様子から君が一番の適任であるのは間違い無いんだ。しかし、今回の任務の特性上、単独は何かと憶測を呼びやすい。その為にシエル君にも同じくお願いしたいんだよ」

 

 仰々しく話す榊に対し、2人は更に緊張感が高まっていく。極東の一大事かもしれない可能性に、支部長室の空気は重くなっていた。

 

 

「で、その任務とは何でしょうか?」

 

「君達にお願いしたいのは、とある人物の護衛なんだよ。ただ本人の都合上、おいそれと公表する訳には行かないからね。北斗君は無明君からも聞いているので心配してないが、シエル君も同じ様な事が出来るとも聞いているんだ。

 我々としても苦渋の決断なんだよ。それと、今回の護衛に関しては当人に気が付かない様にやってほしい」

 

 榊のFSDと護衛の単語に何か違和感が有る様にも思えていた。ゴッドイーターが護衛任務に就くのは非戦闘員の移動に対してなので疑問は無いが、無明の名前とシエルの事を考えると幾つかの疑問が出ていた。

 公表出来ない人物となれば、有名人かVIPのどちらかでしかない。命令である以上、疑う様な事はしないが、誰が対象なのかすら聞かされていない為に、北斗だけでなくシエルも困惑していた。

 

 

 

 

 

 ユノの希望を叶えるべくサツキが考え抜いたのは、単独ではなく他の誰かと一緒に行く事だった。幾ら護衛を付けるにしても、如何にもと言った物では本人の精神的な負担になり易い。それでは折角の休養が休養にならなくなるのは当然だった。

 今回も本来であれば行かせる様な真似はしたく無い気持ちの方がサツキの中では勝っていた。しかし、休養の一環であるのと同時に、くっついて動かれると目立つのも間違い無い。となれば、付かず離れずの距離を維持しながら護衛出来ると言った、従来の考え方からは真逆の内容となっていた。

 

 それともう一つがユノそのものに興味を抱かない人物である事が条件だった。プライベートを見る為に、軽々しく公表する人間は以ての外でもり、幾ら口が堅いからと言ってその人間が完全に信用出来るのかと言えばそうでも無い。

 更に任務とは別の意味で接近されても困ってしまう。事実、極東にはサツキの希望を可能とする該当者は数人いるが、誰もが重要な人物に違いなかった。

 考えられる人選をしていくとそれに該当する人物は驚くほどに少なくなっていく。気が付けば、自ずと限られていた。

 

 

「本来ならばアリサ君やエイジ君に頼みたい所なんだが、彼らは彼らで目立つからね。今回の人選に関しては済まないが頼んだよ」

 

 あの2人であれば確かに間違いないのかもしれないが、榊が言う様にあの2人は十分すぎる程に目立っていた。これまでに何度も発刊された季刊誌には、これでもかと掲載されただけでなく、極東発の商品のグラビアまでもを飾る以上、外部居住区でも知名度はかなり高い物となっていた。

 決して外部居住区には出かけない訳では無いが、時折その姿を見れば人が集まってきた事実があった。となれば、目くらましには最適だが護衛としては失格となる。隠形の業を見に付けている神機使いに該当が無い以上、何故自分達が呼ばれたのかを北斗とシエルは理解したと同時に、この任務に対しての拒否権が存在しない事も同時に理解していた。

 

 

「分かりました。シエルと2人で任務に入ります」

 

「明日の午前中から行動する予定だから、十分気を付けてやってもらいたい。当日はユノ君だけじゃなくシオも一緒に動く為に、合せて頼んだよ」

 

 拒否権が無いとは言え、まさかシオまでが一緒だとは思ってもいなかった。これまでに何度か会った事はあるが、詳しく知っている訳では無い。精々が屋鋪に行った際に見る程度の認識しかなかった。

 そんな榊の言葉に頷きはしたものの、一つだけ確認したい言があった。護衛任務は本来であれば対象者にくっついて動く事が殆どの為に、今回の様に距離を取ると言った事の意味が理解出来ない。依頼は受けたが、やはりその真意を確認しない事にはどこかスッキリとしない気持ちがあった。

 

 

「一つ宜しいでしょうか?どうして今回は距離を開けると言った行為になるのですか?」

 

「それに関してなんだけど、ユノ君やシオ君の事を考えると自由に動いてほしいと言うのが本当の所だね。確かに極東支部は以前に比べれば治安は良くなっているから些末な問題の様にも思えるが、何せ全てに於いて彼女たちは微妙な立場だからね。幾ら親しい人間と言えど、プライベートの部分に入り続けるとストレスの原因になるからって事だよ。シエル君。君もそんな経験があるはずだよ」

 

 榊の言葉に何となくシエルは理解出来ていた。以前FSDに出た後、何かと注目された記憶は確かにあった。当時の状況を思い出すと今でも嫌な気分になってくる。

 自分はただのゴッドイーターにも関わらず、何かとプライベートでの視線を感じたり、メールもかなりの数があの後も来ている事を知っている。そんな状況を思い出したからなのか、それ以上の言葉は出てこなかった。

 

 

「それと、分かっているとは思うが、今回のこれは特務になる。他言無用は何時もと同じだよ」

 

 榊の笑みにそれ以上の言葉は出る事はなかった。突如として舞い込んだ任務はこれまでに体験した事が無い物。幾ら護衛とは言え、外部居住区の事をよく理解していない為に、今後の事について少しだけ考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「外部居住区の事について聞きたい?」

 

「コウタさんの実家があるのであれば、一番知ってるかと思ったんですが」

 

 榊からの指令に対し、一番最初にやるべき事は周辺に何があるのかを確認する事だった。極東支部は他の支部内と比べてもかなり治安は良い部類に入っている。以前はそうまで問題視される事は無かったが、とある人物の拉致事件以降、メインとなる通りだけでなく、裏通りや一部怪しいと思える様な場所にも人の目が届く様な改革が成されていた。

 

 表向きは人的資源の絶対的確保とサテライトへの一部住人の移動に伴う区画整理となっている。当初は住人からも何かと異論はあったものの、結果的には治安維持と住環境の改善を全面的に押し出されると、住人としてもデメリットは僅かに窮屈になる程度でしかなくなる。治安が向上するのであれば今後の生活も安心できると喧伝した結果だった。

 

 

「何かあったのか?」

 

「いえ。少しだけ外部居住区の方に行こうかと思いまして。私も北斗もよく知らないので、ここはコウタさんに聞いた方が良いとエリナさんから聞きました」

 

 休憩時だったからなのか、コウタの隣にはアリサも事務仕事の為の処理をしていた。コウタは何も考えていなかったが、こんな面白い話を隣にいたアリサが聞き逃す事は何もなかった。アリサの聞き違いでなければ北斗とシエルが2人で外部居住区に行く事になる。

 何時もは自分の夫の様に訓練や教導に明け暮れるはずの北斗がシエルと一緒に行動を共にする。何かしらの考えが働いたからなのか、コウタの言葉を遮る様にアリサは2人に確認していた。

 

 

「因みに何をする予定なんですか?」

 

「えっと……それは……」

 

 不意にアリサから言われた言葉にシエルはどう返事をすれば良いのかを悩んでいた。先程聞かされた特務の件は、榊からは口外無用と言われた手前アリサに対し任務ですとは言えない。それを除外すると今度はどう答えて良いのかを言いあぐねていた。

 徐々に困り出すシエルを見たアリサは何かを閃いたのか、シエルの言葉を待つまでもなく、コウタの耳元に小声で話をしていた。

 

 

「多分、デートか何かです。コウタの知ってる範囲で何か答えたらどうですか?この前だってマルグリットと出ていたのは知ってますよ」

 

「な、何で……知ってるんだ」

 

「そんな事はどうでも良いんです。ここは少し、男を見せたらどうですか?」

 

 アリサからの言葉に今度はコウタが固まっていた。少し前にあったハニートラップの教導の後に、非番だからと実家に帰るついでにマルグリットと一緒に行動したのは間違いなかった。しかし、アリサにそれを知られているとは思ってもいなかった。

 確認を取ろうにも誰からか聞いた可能性しかなく、自分の彼女は生憎とミッションに出向いている。既に周囲を固められたからなのか、コウタは2人に対し、それなりに行ける様な場所をチョイスしていた。

 

 

 

 

 

「中々有用な話を聞けましたね」

 

「ああ。後は2人がどうやって動くかだが……当日の状況次第か」

 

 コウタが2人に伝えたのは、普段カップルを良く見かける場所だった。割と甘い物を売っている店やアクセサリーなどの小物類を取り扱う店が立ち並ぶ場所を次々と伝えて行く。

 コウタの言葉を聞き洩らさないとばかりにシエルはメモに記していた。そんな姿を見たからなのか、アリサとコウタは確実に何かを誤解していた。

 確かに用事が無ければ外部居住区に一人で言っても面白くはない。そんな先入観とお互いの勘違いが織り成す状況に誰もツッコミを入れる者は居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シオちゃんは普段はここに来ないの?」

 

「普段は屋敷にいるぞ。たまにソーマとくるけど、いつも人がいっぱいになるんだ」

 

 クレープを食べ終えたと思ったら、今度はソフトクリームをシオは持っていた。事前に何かしら聞いたからなのか、フラフラする割に足取りはしっかりとしている。買ったばかりのそれを口にしながらシオは何も無かったかの様にユノと話していた。

 

 

「そっか……ソーマさんも大変だね」

 

「そうか。たいへんなのか……」

 

 何かを思い出したのか、シオの表情が僅かに曇る。何か拙い事を言ったのかと考えたユノは直ぐに話題を他の物へと変えていた。

 

 

「多分、ソーマさんはそんな風には思っていないと思うよ。きっと一緒に居ると嬉しいって思ってるはずだよ」

 

「そうかな……」

 

「もちろん。そうだよ」

 

 ユノの言葉にシオの機嫌も徐々に回復してく。既に殆ど食べ終えたのか、ソフトクリームの上部が無くなっていた。

 

 

 

 

 

「やはり私達も何かしら買った方が良いのではないでしょうか?」

 

 2人の尾行とも取れる護衛をするに当たって、怪しまれる行動をしないのは最低限の条件だった。何も買う事無く、立ち寄る事すらしないままの行動はやがて違和感を生む事になる。

 護衛のはずが一転してストーカー紛いとなれば話は大きく変わり兼ねない。そんな最悪な未来を招きたくないと考えたのか、シエルは改めて今自分達がいる場所について考えていた。

 周囲の様子を見ても、まだ誰も気が付く様なそぶりはどこにも無い。もちろんこのまま穏便に終われが良いが、その確証を持つにはまだ早計でしかなかった。

 

 

「確かにそうかもな。だが……」

 

 シエルの提案に北斗も断る選択肢は無かった。しかし、周囲を見れば甘い匂いが漂う店が多いからなのか、北斗の嗜好に合う様な類の物が見つからない。かと言って何も買わないままも怪しまれる原因となる為に、北斗は周囲を観察していた。

 

 

「あの……北斗さえ良ければなんですが……」

 

「何か気になる物でもあったのか?」

 

 北斗の観察を止めるかの様にシエルはおずおずと北斗に言い出していた。元々シエルは何事にも興味が無い訳では無い事は知っている。ただ、戦闘以外での自分の意志を表す事が苦手なだけである事を最近になって理解していた。そんなシエルの言葉に北斗はそのまま何を言うのかを待っていた。

 

 

「実は私もクレープを…食べてみたいんです……が、ダメですか?」

 

「い、いや。問題ない」

 

 何時もとは違った雰囲気で話しかけるシエルに北斗は僅かに動揺していた。特別高額な物を買う訳でも無く、それこそ子供の小遣いでも買える物をねだる様な言い方にどう対処すれば良いのかを考えていた。毎日戦闘や訓練に明け暮れる日常しか知らない北斗に今の状況を上手く回避する事が出来ない。一先ずは目に入った店に行く事が先決だと判断していた。

 

 

 

 

 

「そんなに美味しいのか?」

 

「はい。何時もはラウンジでも頂く事はありますが、今日のこれは格別だと思います。良かったら北斗も一口どうですか?」

 

 屈託の無い笑顔で差し出すされたのは先ほど少し食べていたクレープだった。何を思って差しだ出来したのかは分からないが、公衆の面前でそんな事をされるとは思っても居なかったのか、北斗は硬直していた。

 

 そんな北斗を見たシエルも冷静になりだしたのか、差し出したと同時に頬に朱が走り出す。しかし差し出した以上はそのままひっこめる事も出来ず、どうしようかと内心焦りを生んでいた。

 固まる2人に視線が徐々に集まり出す。他のカップルはほほえましく見ているが、男だけの集団はどこか恨めしく見ている様にも感じる。只でさえアラガミとの戦いで視線を感じる事が多い2人にとってこんな場所で視線を集める訳には行かなかった。気が付けば既に2人との距離は徐々に離れて行く。回避する手段が無い以上、今は差し出されたクレープを少し食べて移動する以外に無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は久しぶりに楽しかったよ。また一緒に行こうね」

 

「そうだな。今度はソーマもいっしょだな」

 

 ユノとシオの護衛任務は滞りなく完了していた。途中、変装の為の帽子が飛ばされたり、思わず歌を歌ったりと北斗とシエルがヒヤヒヤする場面が何度もあった。

 一時はバレるかと思われたが、まさかこんな場所に2人が居るとは誰も思わなかったからなのか、よく似てると言われますの一言で納得したのか、鮮やかに躱していた。このまま屋敷に滞在しても良かったが、やはり主軸は極東支部である以上、そのままサツキとユノはアナグラへと足を延ばしていた。

 

 サツキが予想した様にラウンジにユノの姿を見せると、何も知らない新人は色めき立っている。幾ら主軸が極東だとしても、中々お目にかかる事は余り無い。ましてや最近ゴッドイーターになった新人からすれば憧れる人物が目の前に居ればある意味仕方ない事でもあった。

 

 

「やっぱりここに来ると、帰ってきたって思うよね」

 

「そう?私からすれば、この視線はどうかと思うけど」

 

 何事も無かったかの様にユノはカウンターにいたムツミに飲み物を頼んでいた。何時ものアイスティーはやはり馴染んだ物だった。そんな中でも外部居住区に居た際に少しだけ気が付いた事があったのか、ユノはサツキに確認する為に改めて口を開いていた。

 

 

「そう言えば、今回の買い物って誰が付いてきてなかった?」

 

「さぁ。気のせいじゃないの?」

 

 気遣いのつもりではあったが、まさかとの思いにサツキは僅かに硬直していた。ユノが買い物に行く際にストレスを溜めない様にと榊に依頼したまでは良かったが、誰が一緒だったのかまでは聞いていない。

 何人かの可能性はあったが、特定した所で時間が戻る訳では無い。事実、今のユノは満足げな顔をしている以上、態々口にする必要は無いだろうと考えていた。

 

 

「あ、ユノさんだ。こんにちは!」

 

「ナナさん。こんには。もう任務は終わったんですか?」

 

「今日は北斗とシエルちゃんが居なかったから大変だったよ。まさかあんなにアラガミが来るとは思わなかったから……」

 

 何気なく声を掛けられたまでは良かったが、ナナの言葉にユノは僅かに疑問があった。ブラッドとしての任務は感応種の討伐が殆どで、今は通常種の場合はバラバラになる事が多かった。もちろん、その事実はユノも知っていたが、確か今日その2人を見た様な記憶があった。

 改めて周囲を見渡せば該当すべき人物の姿は見えない。偶然なのか、他人の空似なのか。些細なはずの疑問はゆっくりと大きくなりだしていた。

 

 

「ユノさん。お見えになってたんですね」

 

「あれ?シエルさんは今日は休みだったんじゃ……」

 

 何気ないはずの言葉にシエルは僅かに目を見開いていた。護衛任務が極秘であるのは当然ではあるが、まさか対象となるユノから言われるとは思ってもなかった。既に北斗は戻り次第、エイジとの教導をやってるからなのか、この場には居ない。

 誤魔化すにしてもどうすれば良いのか判断に困っていた。

 

 

「ええっと……まぁ、そんな所です」

 

「気のせいじゃ無ければ外部居住区で見た様な……」

 

「あれ?シエルちゃん。外部居住区に一人で言ってたの?」

 

 ユノの言葉に違和感があったからなのか、ナナはシエルに確認していた。ブラッドと言えど基本的に各自の休暇に関しては詮索する様な事は一切しない。ジュリウスの様に暇さえあれば農業に勤しむのとは違い、他のメンバーに関しては聞く事は殆ど無かった。

 しかし、ユノの言葉に休日のシエルの事が垣間見える。普段の事を知らないからなのか、ナナの関心はそこに移っていた。

 

 

「ええ。まぁ……」

 

「あれ?確か北斗さんと一緒だったような気が……」

 

 ユノの何気ない言葉にラウンジの空気はカリギュラですら不可能とも取れる程に凍結する勢いがあった。今日は確か2人とも休暇を取っていた事はナナも知っている。しかし、内容までは知っている訳では無く、しかも外部居住区で見かけたとなれば話は大きく変わってくる。

 現時点ではユノの言葉しか証拠は無いが、明らかにこの空気は何らかの事を聞かれる可能性が極めて高い。今のシエルにとってこの空気はアラガミと対峙する以上の何かを感じていた。

 気が付けば既に撤退する事は不可能。困惑するシエルを他所にナナだけでなく、その場にいたユノの視線も向けられていた。

 

 

「あれ?随分と早かったですね。もうデートは終わりだったんですか?」

 

 何かが音を立てて壊れたかの様な音が聞こえた気がしていた。緊張感漂う空気を壊したのはヒバリだった。自分の時間が終わったからなのか、それとも休憩だったからなのか、何も状況が分からないまま素直に告げている。堰を切ったかの様にシエルは周囲から質問攻めに合う事になっていた。

 

 

 



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第12話 小さな料理人

 ぐつぐつと煮えたぎる中身と、変化を知らせるであろう音を聞き漏らさないと言わんばかりに、一人の少女は寸胴から視線を外す事はしなかった。煮えたぎる鍋の中には何か茶色い紙の様な物が踊っているかの様に上下に激しく動いている。一定のリズムを刻むかの様な動きに対し、額から汗が流れ様が、熱気が顔を襲おうが微動だにしない。

 既に時間の概念はどこにも無く、真剣勝負をしているかの様に一心不乱にタイミングを計っていた。

 

 

「今だ!すぐに掬え!」

 

「はい!」

 

 男の指示によって茶色い紙の様な物が網で掬いあげられる。それと同時に鍋の火を止めると、先程まで荒れ狂うかの様に動いた水面がゆっくりと穏やか物へと変化している。それに呼応するかの様に、鍋の中からは完璧に出た出汁の匂いが少女の鼻孔を擽っていた。

 

 

「これが完全に出汁が出尽くした状態だ。これよりもタイミングが早かったり、遅かったりすれば、今度はそれに出汁が吸われていく。時間も大事だが、自分の目で見て判断する事が重要だ。これさえ問題無ければ後は何とでもなる。ちゃんと練習するんだ」

 

 男は少女の父親よりも年上の様に思えていた。やや白髪交じりの頭ではあるが、スッキリと帽子の中で纏まっているからなのか、僅かに見えるだけ。

 どれ程の技量と時間が今に至るまでにかかったのかを物語る程に眼光は鋭い物があった。何も知らなければ強面の様にも見えるが、少女に注ぐ視線は厳しさの中にも優しさが見える。目の前の出汁の出来に満足しているからなのか、何時もとは違い、その表情は優しく見えていた。

 

 元々ここに師事する事になったのは些細なキッカケにしか過ぎなかった。趣味の延長だったはずが、気が付けば10歳にも満たない年齢にも関わらず、一国一城の主の様に仕事をしている。周囲からすればまだ小さいのにと思うかもしれないが、本人にとっては年齢など関係無いと考えている節があった。

 

 

「ありがとうございます」

 

「そう言ってくれると俺も嬉しいよ。所で最近はあまりここには見ないが、若嫁はちゃんとやってるのか?」

 

「そうですね……ラウンジでは最近見ませんね。でも部屋では多分エイジさんもいますからやってると思います」

 

「そうか。偶にはここで修業する様に言っておいてくれ。一度どんな状況なのか確認したいんでな」

 

 割烹着を来た壮年とも取れる男性は屋敷に常駐する板長だった。ここで扱う食事は来客や、何かがあった際に必ず担当するだけではなく、屋敷に住む人間の調理に関する事も教えていた。

 事実、エイジだけでなくナオヤもこの男性から指導を受けた事があると最初に聞いた際には少女も随分と驚いていたが、厳しい中にも的確な指示に納得したからなのか、今では驚く様な事は少なくなりつつあった。

 

 

「帰ったら言っておきます」

 

 出来上がった出汁の結果に満足したのか、ムツミは笑顔で話を続けている。既に時間は夕闇が迫りつつあった。

 

 

 

 

 

「え?板長がそんな事を言ってたんですか?」

 

「はい。今度どんな状況なのかを確認したいらしいです」

 

「そうですか……」

 

 屋敷での指導を受けたムツミは何時もと変わらずラウンジで食事を作っていた。目の前には休憩で来ていたアリサがどこか諦観じみた表情を浮かべながら、哀愁が漂っている様にも見える。

 元々アリサの腕前がどれ程の物なのかを知っていたムツミからすれば、その言葉を意味を正しく理解していた。

 

 確認したいとは、即ち料理をまともに作れるのかと暗に言っているだけでなく、かなり苦労しながら教えたが故に心配しているとも感じていた。当初アナグラで料理を作り始めた際にアリサにも少しだけ教えた記憶があったが、アリサの料理の腕前はどこかチグハグな面が多かった。

 まともに作れる物もあれば、口にするのもおぞましいと感じる物まで多岐に渡っている。当初は疑問に感じたが、時折口から出る料理の教導にムツミもどこか関心を寄せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日からお世話になります。千倉ムツミです」

 

「ここの支部長のペイラー・榊だ。先だっても話した通りだが、君にはここのラウンジを任せたいと考えている。ゴッドイーターが故にかなりの量を食べる人間もいるから十分に気を付けてやってくれるかい?」

 

「はい!頑張ります。でも、気になった事があったんですが」

 

 ムツミがここに採用される経緯になったのは親戚の叔母がここで掃除をやっていた事に起因していた。

 元々ラウンジを作ったまでは良かったが、肝心の料理を作る人間の人選に難航した事から、一度採用の試験を受けてみてはどうだろうとの安易な考えが発端だった。ムツミは料理を作るのが得意だけあって、家でもかなり作る事が多く、また近所でもその腕前がどれ程の物なのかは良く知られていた。そんな中で何気に応募した採用試験の結果を聞いた際には飛び上がる程に驚いていた。

 

 極東支部はこれまでにも何度か求人を出した事はあったが、一定の期間を過ぎると必ず求人が出てくる。採用の条件は年齢問わず、どんな人間でも可となっている事が印象的だった。

 応募の条件からすればかなりアバウトな内容にも関わらず、支部の仕事である為に応募は常にひっきりなしの状態だった。にも拘わらず、一定の期間で出る求人はある意味では特異とも取れていた。

 何も知らない人間からすれば、余程環境が過酷なのかと考える人間も多く、ムツミも最初はそう考えていた。しかし、叔母から聞かされた事実によってムツミは一つの決心をしていた。応募の条件がアバウトなのは純粋にその料理の腕前だけを優先した結果だった。

 

 事実、ムツミも最初は断られると考えていたが、好奇心に勝てる道理はどこにも無く、応募した際の試験会場の案内が来た際には随分と驚いていた。厳しい試験が待っているかもしれない。そんなムツミの覚悟は一気に霧散していた。

 実際には現場で料理を作るだけで終わり、その後は自宅に採用の通知が送られただけだった。そんな経緯もあり、ムツミも榊とは今が初めて顔を合わせる程度しかなく、条件も今になって漸く聞かされていた。

 

 色々と細かい説明を確認しながら聞いて行く。そんな中で、事前に現場を覗くと違和感があった事が思い出されていた。ラウンジそのものは出来てから時間は経過しているが、何人もの人間が調理している様な雰囲気はどこにも無かった。

 鍋や器具を見ても丁寧に片づけられ、包丁に至っては触れればすぐに切れるかと思う程の存在感が出ている。少なくともここに居た人間の腕前は尋常じゃない事だけは間違い無かった。そんな人間が居るにも関わらず採用を続ける事にムツミは疑問を持っていた。

 

 

「答えられる範囲であれば大丈夫だよ」

 

「あの……調理場を見たんですが、どれも丁寧に片づけられてました。包丁に至ってはかなり使い込んだ様にも見える物が幾つかあったんですが、何故その人は居ないんですか?」

 

 仮にその人物の予備の為であれば悲しくなると考えたのか、榊はムツミの真剣な表情を見て暫し考えていた。確かにあの包丁の持ち主がここに居ないのは間違いないが、いつ戻るのかと言えば榊にも判断出来ない部分が多々あった。

 今まで応募してきた人物の料理を誰もが関心なく見ている事実がある以上、疑問を持つのは当然の事。今回応募してきたこの少女の料理だけは他の人間もどこか関心を寄せていた事を思い出していた。

 

 

「今はとある事情でここには居ないんだ。元々彼の私物は置いてあるが、今は手入れだけは他の人物がしてるだけでね。君には今後の事も含めて長期に亘って務めて欲しいと考えているんだ」

 

 ムツミが考えて居た事を看破したのか、榊は事も無く伝えていた。手入れされた包丁を見ればどれ程のレベルなのかは何となく分かる。前任者の後釜である以上、安穏とは出来ないと考えていた。

 

 

 

 

 

「あれ?新しい人ですか」

 

「コウタ君。ノック位したらどうかしら?今は来客中なのよ」

 

 榊とムツミが話をしている最中、不意にドアが開けられていた。ヘアバンドに白い制服。最近出来たクレイドルの人だとムツミはおぼろげながらに見ていたが、ここは極東支部の支部長室である以上、疑問に思う事は無い。今になって改めてここに採用された事を自覚していた。

 

 

「すんません」

 

「すんませんじゃなくて、すみませんでしょ。コウタ君。仮にも第一部隊長なんだから、言葉遣いはしっかりとね」

 

「分かりました。以後気を付けます」

 

「そうね。そうしてちょうだい」

 

 優しくたしなめられたからなのか、コウタと呼ばれた青年にムツミは親近感を抱いていた。これまでにも何度か広報誌を見た事があったが、実際にゴッドイーターをこの目で見た訳ではない。どこか他人事の様にも思えていたが、今のやりとりが功を奏したのか、既に緊張した雰囲気はどこかへと消えていた。

 

 

「丁度良かったわ。コウタ君、今度ラウンジの調理を担当する千倉ムツミさんです。今後は彼女がここの専任になるので、皆にもそう伝えてくれるかしら?」

 

「はい……」

 

 榊の隣にいた秘書の弥生の説明にコウタは珍しくムツミを凝視していた。詳しい事は分からないが、エイジの後釜である以上、それなりのレベルにある事は間違い無い。しかし、今回の件に関してはタイミングもあってか、ムツミの料理をコウタは口にしていなかった。

 

 

「言っておくけど、エイジとは方向性は違うけど、レベルはかなりの物よ」

 

「マジ……んん。そうですか。じゃあ、今後は楽しみですね」

 

「そうね。これで私もお役目御免だわ」

 

 先程の様な空気は既に無くなっていた。ここでは年齢に対しての忌避感や見下すなどのマイナスの感情はあまり無かった。ゴッドイーターの平均年齢が高く無い事が起因しているからなのか、目の前の事に対し、かなりフラットな目で見る事が多かった。

 弥生からの説明でコウタは楽しみだと言っている。このやりとりを見たからなのか、ムツミは早く厨房に向かいたいと考えていた。

 

 

 

 

 

「あの、どうでしょうか?」

 

 ムツミは渾身の出来だと思えるオムライスをコウタの前に出していた。厨房の設備そのものは新品の様にも見えるが、前任者の手入れもあったからなのか初めて使ったにも関わらず、長年使い込んだ様な感覚があった。

 

 コンロにも変な癖はなく、当たり前だと言っているかの様に炎が舞う様に出る。本当に自分が使っても良いのだろうか?ムツミはこれまでに感じた事が無い様なプレッシャーを感じながらも、コウタの要望に応えるべく調理を開始していた。

 出されたオムライスに意識が向かっているのか、コウタのスプーンは止まる事は無かった。大盛とオーダーを入れた為に、通常の量の倍の大きさで作っている。にも関わらず、そのオムライスはみるみる形を無くしていた。

 

 

「うん。旨かったよ。あいつの料理も良いけど、これもまた良いと思うよ」

 

 一気に食べたからなのか、コウタは出された水を一気に飲み干す。ガツガツと食べている様にも見えたが、自分の提供した料理に満足できたと感じたからなのか、珍しくムツミは小さくガッツポーズをしていた。

 

 

「そう言えば、前任の方の話を聞かされてなかったんですが、一体誰なんですか?」

 

「あれ?榊博士から聞いてないの?」

 

「はい。何でもとある事情で居ないとしか……」

 

 何気なく話した言葉にコウタは珍しく苦々しい表情を浮かべていた。決してムツミの料理の事では無く、そのとある事情の理由と、それを聞いたとある人物の感情を考えると平穏な生活を送る事は出来ないと感じ取っていた。

 時期的にはそろそろ帰ってくる様な話は聞いている。しかし、具体的な事を何一つ聞いていない以上、コウタは該当する人物の傍に近寄る事だけは止めておこうと考えていた。

 

 

「なるほど……別に隠すつもりは無いんだけど、ここの専任じゃないから、多分、説明しても何とも言いにくかったのかもね。ここが出来てからはずっとエイジがここに居たんだよ」

 

「エイジさんって……あの如月エイジさんですか?」

 

「あれ?知ってるの」

 

「だって私、本持ってます。あんなに凄い料理やお菓子を作るのに、レシピが凄く簡単なんです。私もかなり読み込みました」

 

 どこか興奮している様な素振りを見たからなのか、コウタも最初は驚いていたが、徐々にこれまでの事を思い出していた。自分もプリンやパンナコッタを作ったが、そんなに難しいと考えた事は一度も無かった。

 むしろこんな材料で良いのかと思う程にシンプルな物だけで作られたそれは、今でも記憶に残っている。時折実家で作るそれは今も妹のノゾミが嬉しそうに食べている事が思い出されていた。

 

 

「まぁ、ゴッドイーターやってるから、戻る時期は不明なのは仕方ないよ。ここには長期でって事だろ?そのうち帰って来たら話をすると良いよ。俺はあいつとは親友だからな」

 

「そうなんですか!」

 

 まだ帰らぬ友の事を言われたからなのか、コウタの言葉にムツミも表情が明るくなる。まだ始まったばかりではあるものの、どこか期待を胸に今は頑張ろうとムツミは一人考えながら下拵えを始めていた。

 

 

「コウタ、こんな場所で油を売る暇があるなら書類の提出をして下さい!」

 

「あれってまだ期限に余裕あったよな?」

 

「何を馬鹿な事言ってるんですか。もう期限はとっくの間に過ぎてますよ。こんな事なら弥生さんとツバキ教官にも連絡しておきますよ」

 

「それだけは勘弁して……」

 

 弥生とツバキの名前が出た事でコウタの表情は先程とは打って変わって何かに怯えている様にも見えた。目の前に現れた女性に頭が上がらないからなのか、コウタは直ぐに書類の件で退出する。突如として起こった出来事に、ムツミは下拵えの手が止まっていた。

 

 

「……ああ。お見苦しい所見せましたね。私はアリサ・イリーニチナ・アミエーラです。弥生さんからは話は聞いてます。エイジの後任みたいですね」

 

 コウタに見せた表情とは変わり、ムツミを見る視線は優しい物だった。突如として起こった嵐の様な出来事は既に無くなっているからなのか、穏やかな空気が流れている。何かを思い出したのか、アリサはムツミに飲み物を頼んでいた。

 

 

「あ、今日からなんですか?」

 

「みたいです。コウタがさっき食べてましたから、間違い無いですよ」

 

 アリサの前にアイスティーを出したと思ったら、今度はロビーに居た女性が休憩なのかここに来ていた。先程作ったかと思えば今度は飲み物の注文が出る。次々とオーダーされるからなのか、ムツミは榊の言葉を思い出しながら手を動かしていた。

 

 

 

 

 

「え?アリサさん、そうなんですか?」

 

「ええ、まぁ」

 

 休憩がてらに来ていたヒバリから自己紹介を受けた際に、アリサがエイジの恋人である事を告げられていた。最初は綺麗な人位の認識のはずが、どこか尊敬されている様な視線をアリサは感じていた。

 詳しい事は分からないが、エイジの名前が出た以上、無関係ではいられない。変に誤解される位ならばとアリサも自分の事を話していた。

 

 

「やっぱり、アリサさんもお料理は上手なんですよね?」

 

ムツミの憧れるの様な言葉にアリサは気まずい気分になると同時にヒバリはどこかニヤニヤした様な表情を浮かべている。確かに食べている姿は見る事はあっても作っている姿を見る事は殆ど無い。

 そんな事実を良く知ってるからこそヒバリは笑みを絶やす様な事はしなかった。

 

 

「私はそんなに上手じゃありません。結構出来栄えにムラも多いですし、最近は任務の方が忙しいのでゆっくりと習いに行く暇が無いんです」

 

 ここで誤魔化した所で後々嘘だと思われるのは嫌だと判断したのか、アリサは珍しく自分の事を話していた。

 以前に屋敷に居た際に、時間のゆとりがあるからと習った覚えはあったが、かなりのスパルタだった記憶だけが残っている。厳しい指導にアリサも挫けそうになった事は一度や二度ではない。失敗続きでもずっと付き合ってくれた板長に頭が上がらないままだった。

 今の時点で作れるものはかなり限られる。事実上の片手間以下の料理を人様に出す程、今の腕前は誇れる物では無かった。

 

 

 



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第13話 秘めた思い

「初めまして。如月エイジです。アリサからは色々と聞いてるので、これからも宜しくね」

 

「はい。こちらこそ宜しくお願いします!」

 

 ムツミとエイジの対面を見ながら、アリサは目の前に出されたジンジャーエールを飲んでいた。幾ら嫉妬が過ぎると周りから言われていても、流石にムツミにまで嫉妬するつもりは毛頭無かった。

 今のムツミの目は好意ではなく、むしろ憧れに近い物となっており、話の内容は明らかに料理に関する事しか話していない。普段は作る事はあっても、中々話をする機会が無いからなのか、お互いが嬉々として会話を続けていた。

 

 

「今後の事なんだけど、ムツミちゃんは学校ってどうしてるの?」

 

「今は通信がメインなので、学校に行く事は殆ど無いです」

 

 誰もが気が付く事が無かったからなのか、ムツミの言葉にその場に居たアリサも少しだけ驚いていた。確かに年齢を聞くまでも無く、本来であれば学校に行く年齢に間違いはない。まさかこの歳で飛び級をしている何て事も無い。幾らアラガミが闊歩する今でも、教育の必要性は考えるまでも無かった。

 

 

「確か通信でも何日かは学校に行く必要があったよね。だったら、ここに居る間は学校に行ける時は行った方が良いよ。ここでの仕事も分かるけど、やっぱり同年代の子達との話も悪く無いから」

 

「でも……」

 

「その辺は弥生さんにも榊博士にも言っておくから」

 

 エイジの言葉にムツミはそれ以上は何も言えなかった。決して学校がキライな訳では無い。ただ、ここでの仕事が立て込めば必然的に足が遠のくのは無理も無かった。そんな中でのエイジの提案に、ムツミは少しだけ考え方を切り替えていた。

 

 

「そうですよ。いざとなれば私もここに入りますから」

 

「その話、ちょっと待った!」

 

 アリサの言葉に突如として制止の声が響いていた。振り向くとそこにはコウタだけでなくソーマも一緒に居る。先ほどの声はコウタが発した物だった。

 

 

「何ですか?何か問題でもあるんです?」

 

「話は聞かせてもらったけど、さっきの話に関しては異議ありだ」

 

「何を馬鹿な事を……折角エイジがムツミちゃんを学校に行かせようと話をしているのが気に入らないんですか?」

 

 コウタの異議は、まるで行ってもらう事に文句がある様に聞こえたアリサは、思わず語気が荒くなっていた。確かに自分で応募した以上責任があるのは仕方ないが、これまでムツミが居なかった時の状況に戻るだけでしかない。

 まるで自分本位に考えているのかと判断したからなのか、アリサの視線は強い物となっていた。

 

 

「違う!ムツミちゃんが学校に行く事は反対しないよ。問題なのは最後のアリサの言葉だ」

 

「最後の……言葉?」

 

「ああ」

 

 先程の言葉にアリサはゆっくりと思い出す。最後に言った言葉は自分もここに入ると言っただけ。改めてコウタの言葉と同時にその意味を考える。その言葉の真意は考えるまでも無かった。理解したからなのか、アリサの表情はゆっくりと誰も気が付かない程に変化していた。

 既にコウタの目の前には一人の鬼が佇んでいる。ここでで漸くコウタは自分の発した言葉の意味を真に理解していた。

 

 

「コウタ。さっきの言葉の意味はどう言う事でしょうか?場合によっては少し話をする必要がありますよね」

 

「え……え?ぐぉっ」

 

 コウタが気が付いた時には一人の鬼が目の前に降臨していた。幾ら周囲を見ようが助け船が出る事は微塵も無い。孤立無援のこの状態を自分の力だけで打破する必要があった。

 

 本音すぎる事実に気が付けば、隣にいたはずのソーマはカウンターでエイジに飲み物を平然と頼んでいる。このやり取りを最初から見て理解した人間は既にコウタに視線を合わせる事はしなかった。

 ここで助けを呼ばれても何も力になれない。今出来る事は心の中で無事である事を祈るか、合掌する事だけだった。

 

 既にアリサはコウタの懐にまで接近していた。懐奥まで接近を許した以上、この距離での回避が出来る者は多く無い。アリサからの鋭く放たれた拳はコウタの腹部を下から持ち上げるかの様に放たれていた。

 拳がコウタの腹部に当たった瞬間、アリサの腰が鋭さを持って回転する。体重が乗った完璧な一撃はこれまでの中でも上位に入る程の威力があった。その結果、衝撃がそのまま突き抜ける形で身体を僅かに持ち上げていた。

 

 

「コウタはちょっと無神経ですね」

 

 アリサの一撃によってコウタはその場で沈んでいた。ゴッドイーター故に意識が刈り取られる事態にはならなかったのが、せめてもの救いだった。気が付けばムツミは驚きのあまり開いた口を覆い隠すかの様に手で押さえている。冷静になったのかアリサは少しだけ後悔をしていた。

 

 

 

 

 

「それに関しては問題無いよ。君がやってくれるのであれば良いし、その件に関しても元々は考えていた事だからね」

 

 ラウンジで起こった事件は今更だからとそのまま放置し、エイジは今回の事を榊に話していた。年齢を考えれば分からない話ではなかったが、以前に話をした際には通信でも大丈夫だと言っていた記憶があった。

 しかし代役が居るのであれば短期間だったとしても今後の何かに役立つのは間違い無い。幾らフェンリルと言えど、一人の人生を勝手に出来る道理は無かった。

 

 

「ありがとうございます」

 

「ただ、君だけじゃなくリンドウ君も接触禁忌種の専門なんだから、あまりのめりこむ様な事だけは勘弁してくれたまえ。今来ている話からすれば然程遠くない内にこちらに正式にアサインされるはずだからね」

 

「分かりました」

 

 榊の言葉にエイジはまたかと思う部分が僅かにあった。ここ最近は接触禁忌種でも新種の発見がいくつか存在していた。

 新種となれば戦い方や弱点としての特性などが全て手さぐりとなる。そんな事実があるからこそ本部からはラブコールの如く、クレイドルに派兵の要請を出していた。その結果として、任務がひっきりなしに舞い込んでいた。

 

 

 

 

 

「確かに教育は大事ですからね」

 

 エイジは榊に話した事をアリサにも伝えていた。今は一時的にここに居る事を知っているからなのか、時間が許す限りアリサは一緒に居る事が多かった。

 それと同時にアリサは隣に並んで鍋をかき混ぜている。隣でリズミカルに聞こえる包丁の音をバックミュージック代わりに夕食を作っていた。

 

 アリサもムツミにはああ言ったが、エイジが居る間はかなり積極的に作る事が多かった。人前には出せなくても、エイジであれば然程気にならない。当初から今の状態だった事もあってか、アリサとしても気になる様な事は無かった。気が付けば隣に立っているエイジは魚の切り身とザックリと切ったネギをフライパンで焼いている。事前に作ったタレを絡めて照り焼きが完成していた。

 

 

「それと、まだ何もムツミちゃんには言ってないんだけど、板長にも指導してもらったらどうかと思ってね。レパートリーも増えるし、今よりも味のレベルは上がるだろうからね」

 

「でも、何でそんなに急ぐんですか?時間はまだあるんじゃ……まさか…」

 

 アリサはそう言いながらも何となく事情を理解していた。急ぐとなればそれは再びエイジが派兵に出る事を意味する。考えたくない事実ではあるが、それはある意味では仕方ない部分もあった。

 

 クレイドルが発足した際に言われた事実。サテライトの建設には多額の資金が必要となる。極東支部の予算だけでは近い将来破綻する懸念があるからと、事実上の出稼ぎの様な部分でエイジとリンドウが派兵される事が決定していた。

 確かに長い期間の別離はアリサにとっても厳しい部分が存在するが、これは全て自分達が決めた未来の結果でもある。自分が決めた未来に対し、他人に抗議するのは見当違いだからと寂しい気持ちを押し殺してアリサは何も言う事は無かった。

 

 

「以前の様に長くは無いから大丈夫だよ」

 

 安心させるように出た言葉が気持ちを落ち着かせたのか、準備が出来た物から次々とテーブルへと置いて行く。アリサも完成したのか自分で作った味噌汁をお椀へとよそっていた。

 

 

 

 

 

「本当に良いんですか?」

 

「話をしたら問題無いって」

 

 エイジから話が出た際に、ムツミは驚きのあまり思わず大きな声が出ていた。何かを色々と話した結果だったからなのか、ムツミの事情は何となく理解していると同時に、今後の事を考えれば両面で新たな環境を整える方が良いだろうとの判断があった。

 幾ら正式に採用されているとは言え、最低限の教育をこなす事は決して悪い内容では無い。同年代とのふれあいから何かしらのヒントが貰える可能性だけでなく、屋敷でも新たな何かを学ぶ事が出来れば今後の幅も広がるのは間違い無かった。

 ここでの事を考えれば二足の草鞋ならむ三足の草鞋は時間の調整を考える必要があった。

 

 

「学校の方はともかく、屋敷の方も問題無いから、時間を上手く調整する必要があるだろうね。大変だとは思うけど頑張ってね」

 

「はい。私もこれを機に出来る事をやってみます」

 

 既に段取りは終わっているからなのか、予定が書かれたスケジュール表は真っ黒になっていた。この年齢としては異常にも思えるが、それぞれの場所が変われば気分も変わる。

 新たなアイディアを考える為の気分転換になるとエイジは予想していた。

 

 

 

 

 

「あの、千倉ムツミです。宜しくお願いします」

 

「中々根性が座った嬢ちゃんだな。エイジからも聞いてるが、俺で良ければ教える事は問題ない。早速だが、包丁の業を見せてくれるか?」

 

 学校に行きながらの屋敷での教えはこれまでムツミが体験した事の無い事ばかりだった。一つ一つの料理の方法に関する手順とその意味はこれまでに考えた事も無い事ばかりだった。多少の手順が違った所で味そのものは変わり映えする事は無いかもしれないが、食感が大きく変わったり、一つ一つの味が研ぎ澄まされて行く様にも思える。

 コウタの様に一気に食べて貰える事は違う意味では嬉しいが、やはり料理人である以上出した料理の事を言われる方が嬉しいのは作る側からすれば皆同じだった。

 何時もと同じ様に包丁で野菜を切っていく。何かを観察するかの様に板長と呼ばれた男性は腕を組みながらムツミの手つきをジッと見ていた。

 

 

「なるほどな。これならこちらとしても然程力を入れてやる必要は無さそうだな」

 

「本当ですか?」

 

「ああ。以前に教えたロシア人の姉ちゃんは覚えが悪くてな。早々考える事が無い様なミスをしでかした事を考えれば、今回はもっと細かい部分も教える事が出来るな」

 

 ロシアのくだりでアリサの事だとムツミは瞬時に理解していた。確かに話が本当であればその苦労は確実な物である事は間違い無かった。

 口にはしていなかったが、ここで教わった物は身体が覚えているから作れるが、それ以外となれば何も分からない。何をどれだけ入れればどんな味になるのかを理解出来なければ味付けはするまでも無い料理が出来るのは間違い無かった。

 今出来る事は、なるほどと思いながらも口にしない事だけ。アリサの腕前の源泉を垣間見た瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はここまでだ。中々普段から使う事は無いかもしれんが、やればやったで自分の物になっていく。何事も精進が必要だ」

 

 ムツミの腕を見たからなのか、板長の指導は随分と内容が濃い物となっていた。出汁の取り方や火加減などの基本的な物だけでなく、飾り切りなどの包丁の業は今の時代には然程必要としない物でもあった。

 

 極東支部では配給や店頭に並ぶ物は他の支部に比べてもかなり品質が優れている。これまでの様にただ腹さえ満たせれば良い時代は既に過ぎ去っているからなのか、食事一つとっても彩や味のバリエーションはここ数年で一気に向上していた。

 ムツミも自分で作っているからこそ、ここ数年の市場に出回る食材の品質が大きく向上している事を理解していた。安定して腹が満たされれば、次の段階は自ずと決まってくる。

 食事は食べるだけでなく、見て楽しむだけの余裕が今後求められる可能性が高いからと自分が出来る事を余す事無く伝えていた。

 

 

「ありがとうございます!明日から早速やってみたいと思います」

 

「そうか。今は不要な技術も、やがては必要とされる可能性が出てくる。ここに居るとそんな事を実感させられる。今でこそ漸くまともになったが、それもここ数年の話だ。俺も一時は包丁を持つ事を諦めていた時期もある。だからこそ、廃れ行く技術は誰かに継承してほしいと願うのかもしれんな」

 

 先程のまでの指導とは変わり、板長は何かを思い出しているのかもしれなかった。初めてここに来た際にはムツミも物珍しいだけではなく、アナグラでも手に入らない様な食材が幾つも存在していた。

 試作段階の為に作られた野菜などは、育成の度合いを見ながら市場に流通出来るのかを常にチェックしていく。中には一定のレベルに達しない物も存在するが、だからと言って粗末に使う様な事は一切無かった。

 形が不ぞろいだったり、味が安定しなかったとしても技量があればそれでカバーできる。何一つ無駄にしたく無いからこそ、その技術が要求されるのだとムツミは考えていた。

 

 

「とにかく技術は使ってなんぼだ。それがやがて自分の血肉へと昇華する。今はその準備の段階だ。向こうに行ったら若嫁にもそう言っておいてくれ」

 

「はい。伝えておきます」

 

 厳しい中にも垣間見るそれは、それ以上は踏み込む事がダメだとムツミは感じ取っていた。アナグラとは違い、ここはある意味では特別である事はエイジからも聞かされていたが、詳細までは何一つ知らない。

 まだ人生と呼べるほどの年月を生きた訳では無いが、それでも今は何も言わない事が最善だと判断し、それ以上は口を閉ざしていた。

 

 

 

 

 

「あれ?ムツミちゃん。何か味付け変えた?」

 

「特別な事は何もしてませんよ」

 

 板長の教えを受けたのは基本中の基本となる物だった。まさか出汁の取り方一つでああまで変わるとは思ってもいなかったが、実際に自分で食べてみると明らかにこれまでの料理とは違っていた。

 下味と出汁が以前に比べクッキリと出ているからなのか、以前よりも味に深みが出ている。ナナが指摘した様に味付けが大幅に変わったのかと思える程だった。しかし、味付けの配合そのものは何も変わっていない。土台がしっかりとしたからこそ、その味が活きる結果でしか無かった。

 

 

「ええ~そうかな。何だか昨日までとは違ってるんだよね……もっとこう、味が深いと言うか……」

 

 そう言いながらもナナは出されたご飯を一気に口へと運んでいる。既に気が付けばお代わりは3杯目。そろそろ止めた方が良いのだろうか?そんな他愛ない事をムツミは考えていた。

 

 

「それは……出汁ですよ」

 

「出汁かぁ……確かに言われればそうかも。ねぇねぇムツミちゃん。出汁がもっとハッキリ出るなら、私のおでんパンの味も変わるかな」

 

「多分、変わりますよ。でも、今までの味が変わるんですけど、良いんですか?」

 

 ナナのおでんパンの謂れは以前にナナ自身の口から語られていた。母親との絆とも取れるそれが大きく変わるとなれば、それは絆を断ち切る可能性があると考えた結果だった。

 余計な事はしない方がナナにとっては良いのかもしれない。そんな考えが察知されたのか、ナナは改めてムツミに話をしていた。

 

 

「おでんパンの味はお母さんが作った物だから、これはこれで完成してるんだよ。今考えているのは私が作るおでんパン。それは私が自分で味付けを考えて作る物なんだって考えてたんだよね。ほら、おでんって煮込むだけじゃなくて、時には態と冷ます必要もあるからね」

 

 ムツミの考えは杞憂だと言いたい程にナナは丁寧に話しをしていた。味が変わる事そのものは悪い事では無いが、人の記憶は匂いや味で記憶しているケースも少なくない。

 そんな中での新規開発が何を意味するのかもナナは理解した上でムツミに話しかけていた。人から人へと繋がっていく。既にムツミもここの腰掛ではなく、一人の人間としての場所を確保出来た様な気がしていた。

 

 

 



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第14話 駆け出し研究者の一日

「ここは……そうか。どうやら寝落ちしたみたいだな」

 

 朝の光が部屋の中に差し込んでいたからなのか、既に部屋の中はゆっくりと明るさを取り戻し始めていた。時計が無い為に時間は分からないが、記憶の糸を辿ると昨晩の事を徐々に思い出していた。

 

 何時もであれば絶対にありえないはずだが、まさか無明にまで勧められると思わなかったからなのか、普段は口にしない日本酒をソーマは飲んだ事が発端となっていた。

 ソーマは普段から酒を口にする事は殆ど無い。ゴッドイーターではあるが、研究者でもある以上、アルコールで脳を麻痺させる事を良しとは考えない事が起因していた。付き合い程度で口にしても酔うまでの感覚には至らない。もちろん、緊急時の出撃の事も考えているが、どちらかと言えばスタンスは前者だった。

 時間は分からないが、部屋に入る光の加減でまだ早朝である事は理解している。このまま起きても良かったが、ここはアナグラの自室では無い。何か一つするにもそれなりに移動する必要があった。

 改めて周囲の確認する。ここが客間では無い事だけが辛うじて理解出来ていた。ソーマの記憶が正しければ客間には精々が机しか置かれていないはずだが、この部屋はどう見ても誰かが生活をしている様な配置となっていた。

 所々にある小さな机や小間物が置かれている棚。何かが入っていると思われる行李(こうり)。誰が何と言おうと、この部屋には生活感が存在していた。

 

 

「ここは、誰かの部屋なのか……何だ?」

 

 周囲を見れば個人を特定する様な物は無かった。屋敷では小さな子供からそれなりの年齢に達した者まで生活してる為に、明らかに私物である様な物がそこかしこに置かれる様な事は無い。ソーマとてここには何度も足を運んでいるが、こんなプライベートの部分にまで足を踏み入れた事はなかった。

 このままここに居ても埒が明かない。一度部屋から出ようかと視線を不意に動かした瞬間だった。先程まで寝て居たはずの布団が不自然に膨らんでいる。自分だけがここに寝ていたのであれば、あり得ない結果。酒の影響なのか、昨日の記憶が何も無い。まさかと思いながらも膨らんだ布団をただ見ている事しか出来なかった。

 

 

「う……んん」

 

 五感が鋭いソーマと言えど、今のそれが何なのかは態々考えるまでも無かった。布団からは女の声が聞こえている。しかも、明らかにソーマ自身が良く知っている声。ソーマの思考がまさかの言葉と同時に加速している。今出来るのはその声らしき物が聞こえた原因を探る事だけだった。

 

 布団をゆっくりとめくっていく。まだ気が付いていないからなのか、その声が何だったのかは考えるまでも無かった。ここに住んでいる人物で該当するのはただ一人。綺麗な白髪の様な頭の持ち主が誰であって、この部屋の主が誰なのかが一瞬にして理解出来た。

 このままここに居るのは拙い。今ソーマに出来るのはこの部屋から直ぐに出る事だけ。隣に畳まれた純白の制服を手に取り、そのまま部屋を出ようと襖を開けた瞬間だった。

 

 

「早いなソーマ。何だ、これからどこに行くつもりなんだ?」

 

 ソーマの眼前にこれから鍛錬の為なのか既に準備したナオヤが立っていた。背後に見える物を隠そうかとソーマは考えたが、ここの住人でもあるナオヤには無意味でしかなかった。

 目の前のナオヤは何かを言いたそうな程に良い笑顔を見せている。ここが誰の部屋なのかを理解している以上、ソーマは早々に諦めるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだな。この論文であれば恐らくは大丈夫だろう。だが、ここの部分が曖昧な書き方をしている以上、確実に何かしらの質問は飛ぶだろうな」

 

「だが、今の俺ではこれ以上の表現が出来ない。だとすれば口頭での対処の方が良いんじゃないのか?」

 

「質疑応答まで持ち込めれば……だな。今のままではそこに行くまでに終わるだろうな」

 

 研究者の駆け出しとは言え、自身の研究の成果は学会や論文と言った形で公表するのは今に始まった話では無かった。これまでにソーマ自身が書物でも確認した物が全て論文である以上、ソーマのその道を辿る事は当然の結果だった。

 事実上の技術面による物だけでなく、戦闘時の内容における物など方向性は多岐に渡るが、一研究を確認するとなれば、それは必然でしか無かった。事実、論文を添削しているのはフェンリルでも名うての研究者でもある紫藤。支部長に至っては『スターゲイザー』の異名を持つ極めて優秀な研究者。この2人が今の極東を支えているのは誰の目にも明らかである以上、下手な物は公表出来ないとばかりに常時添削されていた。

 

 

「ソーマ。何も難しい言葉を使えと言っている訳では無い。論文の世界では態とその言葉を使うのは単に説明する必要性を省くからであって、それが正しい訳では無い。もちろん一つ一つに注釈を付ければ量は膨大になるのは仕方ない。

 だが、今のお前はまだ駆け出しでしかない。既に数年以上研究している人間ならまだしも、まだその程度の物ならば気にする必要は無いだろう」

 

 バッサリと斬られた紫藤の言葉にソーマはそれ以上は何も言えなかった。確かにこれまでの内容を読めば難しい単語が並んでばかりだとしても、その意味を理解していれば自ずとその論文の意味が理解出来る様になる。だからこそ不可解な言い回しが多分に存在していた。

 もちろん膨大な量を記載する研究者も少なくないが、それがどんな結果に反映されているのかは考えるまでも無かった。改めて自分の父親の存在の大きさを痛感する。元から困難な道である事は理解していたが、まさかこうまで厳しい物だとは考えてもなかった。

 

 

「そうか……近い様で遠い物だな」

 

「ソーマ。さっきも言ったが、まだ駆け出しが長年やってきた研究者と同じ土俵に立つと言うのはそんな意味も含まれている。研究者と言えど全てが清廉潔白では無い。実際には足の引っ張り合いでもあり、論文の盗用もまたあり得る。

 ゴッドイーターがアラガミを討伐する事で存在意義を見出すのと同じで、研究者は論文の結果で己を見出す。そんな世界に足を踏み入れた以上、それは当然の帰結にしか過ぎない。それでもまだ、この道を歩もうと考えるのか?」

 

 紫藤の言葉にソーマは改めて自分が何故この道を模索したのかを考えていた。クレイドルは独立した組織である。それはフェンリルからだけではく、世間に対してもその存在意義を表す事が当然だった。だからこそサテライトの拠点を作る事で人道的な意味合いと、人類をアラガミから防衛すると言った壮大な計画の下に勧められている。

 そんな中でソーマは自信の考えを世間に浸透させる事を考えた末の結果なんだと改めて思い出していた。事実、これまでに読んだ書籍の殆どのヨハネス・フォン・シックザールの名前が記されている。今に始まった事では無いが、自分の父親と同じ道を歩む事によってどんな景色が見えるのだろうか。

 純粋な好奇心だけではこの道を歩み続ける事は困難でしかない。厳しい世界である事は最初から想定していたにも関わらず、この程度の事で諦めるのであれば最初から歩む必要は無かった。そんな思いがソーマの中にあった。

 

 

 

 

 

「そうだな。これならば問題無いだろう」

 

 そんなやり取りから数日が経過していた。これまでの問題点を一旦全部洗い出すと同時に、一つづつ聞かれるであろう可能性を潰しながら再度作り上げる。当初の量を大幅に越えただけでなく、その無い内容に関しても以前の物に比べれば拡充されていた。

 

 

「そうか……これで一安心だな」

 

 紫藤の言葉にこれまで張りつめた糸が切れたのかソーマは珍しく脱力していた。戦いであれば決して得られる事が無い精神的な疲労はこれまでに感じた事が無い程だった。出来に関しては問題無いのであれば、後はこれを本部へと送信するだけだった。

 

 

「何だ。もう終わったのか。まだまだ時間がかかると思って差し入れ持って来たんだがな」

 

「お前の差し入れは誰の為の物なんだ?少なくとも俺はそれを貰った所で嬉しいとは思わん」

 

 タイミングを見計らったかの様にリンドウが屋敷へと出向いていた。サクヤがクレイドルに参加してからはレンの事もあって頻繁に顔を出す機会が多くなっていた。

 まだ親離れ出来ないと当初は思われていたが、まだ物心つく前からここに居るからなのか、2人が任務に居る間に寂しがる事は一切無かった。気が付けばリンドウとサクヤの呼び方もパパ、ママから父様、母様へと変化している。誰にも言ってはいないが、雨宮夫妻にとってはかなり衝撃的な出来事でもあった。

 立場を考えればある意味では仕方ないのは共に知っている。だからこそ、今はミッションや仕事が終わればここに自然と足を向ける事が多くなっていた。

 

 

「そんなケチ臭い事言うなよ。これは普段飲んでいる物とは違う物だ。偶々試作で作った物が当たりだったから俺がチケットと交換したんだ」

 

 そう言いながらリンドウが持っている手にはラベルが張られていない一升瓶があった。本来であればラベルが必ず貼られている事はソーマも知っている。だからこそ、それが試作品である事も理解していた。

 

 

「リンドウ。それは誰から誰に交換した物だ?俺は許可した覚えは無いが」

 

リンドウとソーマのやり取りに横から無明は口を出していた。屋敷に於いて無明の許可なく何かをする事は事実上あり得ない。しかし、その中でも例外が一つだけあった。

 

 

「それなら私が許可した。これまでソーマも苦労して仕上げた論文を発表するならばと思ってな」

 

「そうか……なら仕方ない。が、今後は俺にも一言頼む。でないと、商談の際に困るんでな」

 

「今回だけだ。数はまだ問題無かったんだ。それで上級チケットと交換なら安い物だ」

 

ツバキの声に無明はそれ以上の言葉を出す事はなかった。ここ最近は何かと自身が動く事もあってか、屋敷の内部の事が割と停滞する事が多くなっていた。適材適所で中を回すが、決済の判断に困る場合、無明の許可が必要となる。しかし、今後の事も考えれば、折角ここで過ごす人材を放置する事は無いからと、ツバキに一部の移譲を行っていた。

 

 

「なるほどな。リンドウ。心の広い姉がいて良かったな」

 

「何馬鹿言ってんだ。これのチケットの枚数聞いたら半端な数じゃ無かったんだぞ。お蔭で俺の今月分が全部飛んだぞ」

 

「リンドウ。レンがここに居るから好き勝手出来ると思ったら大間違いだ。サクヤとて時間を色々と考えてやりくりしてるんだ。少しはお前もその位の事をしたらどうなんだ」

 

 ツバキとリンドウのやりとりを見ていたソーマは何時もの事かと既に関心を無くしていた。確認した訳ではないが、添削された論文がどれ程のレベルになっているのかは分からないが、少なくともそれに関しては極東からの推薦は出ている。

 フェンリル名うての研究者の推薦を簡単に蹴る事は今の本部にとっては随分と厳しい事に間違いはなかった。異議を唱えようにもその意義を出す事すら既に対処されている為に、口を挟む事が出来るのは精々が言いがかり程度。まともに見れば下手な研究者以上だとソーマが気が付くのはもっと先の話だった。

 

 

「まぁ、そんな事よりもこれ飲もうぜ。折角持って来たんだ。ソーマの論文の前祝いって事で」

 

「仕方ないな。本当に俺の前祝いならな」

 

 気が付けばここに居るメンバーで飲む事が決定されていた。本来であればソーマも断るが、ここに尽力を尽くした人間が居る以上、無碍に断る事は出来ない。もちろん、ここに居る全員がソーマの性格を知っている事を考えれば、断った所で険悪なムードにならない事も理解している。しかし、これまで苦労した論文の完成に偶には良いだろうと考えた末の話だった。

 

 

「これ、本当に旨いな。何時から流すんだ?」

 

「このままなら調整と出荷の状況に目途が立ち次第だから、1か月後だろうな。だが、最初は極東には流れん。佐官級のチケットから開始だな」

 

 ここ最近の嗜好品は最初に極東に出回る事は格段に少なくなっていた。販売を当面に置く事が前提で作る物の為に、極東内部ではそれよりも遅れて入る事が多かった。

 佐官級ともなれば極東では一部の人間、即ち支部長の榊とツバキ、リンドウとエイジしか該当しない。しかし、ツバキとエイジはここで手に入れる事が出来る為に事実上、外部を優先するのは全て資金面の調達の意味合いが多かった。リンドウに関しては身内と言う事もあり割と簡単に入手は可能だが、チケットの交換が原則の為に格安で卸す事は無かった。

 

 

「でもその内入るんだろ?だったら今はこれで我慢だ。ほら、ソーマも一献」

 

「ああ」

 

 アナグラでは配給ビールが多いが、ここでは日本酒の比率が多くなる。透明な液体が零れないようにゆっくりとお猪口に注がれる。何時もとは違った色合いの液体は一気にソーマの喉を通り過ぎていた。

 勢い良く飲むその姿をツバキと無明はただ見ている。付き合いが長いからこそ、ソーマの照れ隠しの様な行動がどんな物なのかを理解していた。

 

 

「少しは味わえよ。そんな一気に流し込んでい良い酒じゃねえんだからよ」

 

「祝いなんだろ?それ位許してやったらどうだ?」

 

「しゃあねえな。ほら、もっと飲めよ」

 

無明の言葉にリンドウも何時もと同じ様にソーマへとついでいく。遠慮が無かったソーマは並々と注ぐそれを一気に飲み干していた。酒の味は分からないが、喉にツルリと落ちるそれこれまでに感じた事が無い程極上だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、あんな展開になるとはな」

 

「偶には良いんじゃないのか?少しは気を緩めないと良い結果は出ないぞ」

 

 昨晩の事を思い出しながらソーマはナオヤの隣を歩いていた。居住の空間の為に、どこに何があるのかをソーマは理解していない。自分はこれから早朝の鍛錬だからと、ついでとばかりにソーマを母屋から離れへと移動させていた。

 

 

「……そうだな。これで少しは落ち着いた。今後は鈍った身体を多少身動かしたい所だな」

 

「……あれ?昨日はお楽しみじゃなかったのか?」

 

「あ?どう言う意味だ?」

 

 隣を歩くナオヤの顔を見ると、やはり何か言いたげな様にも見える。アリサやコウタ程ではないが、エイジよりもナオヤは砕けている。今さら言葉の意味が分からない程幼い訳では無い。何を言いたいのかを察知したのか、ソーマはその場で止まると同時に、一つの可能性が頭を掠めていた。

 今朝の事実を誰がどこまで知ってるのか?ナオヤは性格的に吹聴する様な事はしない。当人に対してはその限りでは無いが、それでも疑念が拭えるのかと言えば嘘になる。

 先程のまでの朝の爽やかさはどこか遠くへと去っている。これからの事を考えるとソーマの頭が痛くなる事だけは間違い無かった。

 

 

「シオの部屋ですっと一緒だったんだろ?酔ったお前を運んだのは俺だからな。知らない訳ないだろ?」

 

「……は?」

 

 ナオヤの言葉に流石のソーマも絶句していた。確かに直接見た訳では無いが、あの頭は紛れも無くシオで間違い無かった。しかし、自分が何をやったのかまでは記憶に無い。手を出した記憶はどこにも無いが、それを否定するだけの材料と確証はどこにも無かった。

 

 

 

 

 

 爽やかな朝を迎えたと同時に、ソーマも皆と同じく朝食を取ってからアナグラへと戻る予定となっていた。既に子供達は食事を済ませたからなのか、思い思いの行動を開始している。何時もであれば旨く感じる朝食のはずが、今のソーマはまるで砂でも噛んでいるかの様な状態だった。

 

 

「ソーマ。それ美味しくないのか?」

 

 今朝はシオが作ったと聞かされたのか、昨晩はここに滞在したリンドウとサクヤも一緒だった。何時もならばエイジが作るが生憎と今はミッションの関係でここには居ない。

 まだ以前の体制だった頃の第1部隊の人間だけの食事はあまりにも珍しい物だった。そんな中で珍しくシオが自分の腕を振るった朝食を食べている。リンドウとサクヤは関心していたのかシオを褒めていたが、肝心のソーマは何処か浮かない顔をしていた。

 そんなソーマを気にしたからなのか、シオは恐る恐る聞いていた。

 

 

「これか?これなら旨いぞ」

 

「でもソーマの顔はそんなんじゃないみたい」

 

 シオが心配してくれる事は有難いが、今のソーマにとってはそれどころじゃなかった。今朝の状況と昨晩の事。あまりにも不明瞭な事態に頭を悩ませている。だからこそリンドウとサクヤがどんな表情をしているのかを確認する事は出来なかった。

 

 

「ねぇ、シオ。昨晩はどうだったの?」

 

「昨日の夜か?昨日はすごかったぞ。ちょっと痛かったけど、うれしかった」

 

 何気なく聞いたサクヤの質問の答えはあまりにも意味深過ぎた。再びまさかの言葉がソーマの脳内を駆け巡る。気が付いていないがリンドウとサクヤの顔が終始笑顔だった。

 

 

「ほう。どんなだったんだ?」

 

「最初分からなかったんだけど、温かいきもちがあったからそのままだった」

 

「って事はシオは受け入れたのか?」

 

「うん。びっくりしたけどシオもそれをのぞんだから」

 

 リンドウの言葉にシオが平然と答えていく。既にソーマの視線は泳ぎ、面白い程に挙動不審となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それならそうだとサッサと言え!どれだけ悩んだと思ってるんだ!」

 

 これ以上は気の毒だと判断したのか、リンドウは早々にネタばらしをしていた。酔ったまでは良かったが、ここはアナグラではない。最低限の礼だけは尽くさない事には申し訳ないからとリンドウはナオヤに頼んでソーマをここから運び出す事にしていた。

 既に酔いが回ったソーマはピクリとも動く気配は無い。適当な場所に放り込もうかと思った際に、シオからの申し出で部屋へと運んだ経緯があった。寝たまでは良かったが、今度はソーマが寝返りを打ってシオを抱きしめたままだった。

 以前の様なアラガミの力は既にシオには無い。最初は何とか脱出しようかともがく事も考えたが、ゴッドイーターの腕力から抜け出る事は不可能でしかなかった。今の状態はガッチリと抱かれている為に、動く事が出来ない。色々と考えた結果が今朝の出来事となっていた。

 

 

「良い目覚めじゃなかったのか?」

 

「誰だって驚くに決まってるだろうが!」

 

「まぁまぁ。ソーマも心のリフレッシュが必要なんだし、偶には良いんじゃないの?でも、あのソーマがねぇ…」

 

 リンドウに助け船を出すかの様にサクヤが2人の会話に口を挟む。この2人に対し、それ以上は無駄だと思ったのか、ソーマは何も言わないまま朝食を食べていた。

 

 

「でも……一緒のふとんに寝たから、およめに行けないって言われた……」

 

 ションボリとしたシオの言葉に再びソーマが硬直する。シオの爆弾発言に何かを見出したのか、リンドウとサクヤはソーマの言葉を待っていた。

 

 

「そんな事は無いだろ?誰がそんな事言ったんだ?」

 

「やよい!」

 

 駆け引きではなく、そうやって言う物だと聞いたからなのか、シオは屈託のない顔で答える。ソーマは内心やっぱりかと思ったが、身の潔白が証明されている以上何も言う事は無かった。

 既に論文の祝いと言ったムードは完全に消え去っている。そこには何時もの日常だけが残されていた。

 

 

 



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第15話 神機

「距離があるからと油断するな!」

 

《ナナさん。まだ距離はありますが、十分に警戒して下さい》

 

「任せといて!」

 

 ナナの体表から湧き出るかの様に赤黒いオーラが周囲へと拡散していく。ナナ自身が放つ血の力でもある『誘引』によって対峙しているアラガミは既に狙いを絞ったかの様に見えていた。

 目測10メートル程の距離は通常のアラガミであれば絶対的安全圏内。どんな行動を起こすにしても身構えるだけの余裕が本来であれば存在している。しかし、今対峙しているアラガミはそんな距離すらも無視するかの様に一気に距離と詰める術を持っていた。

 ネコ科の動物を連想させるしなやかな体躯はゼロから一気にトップスピードへと速度を高める事が出来る。視認してから構えるのでは神機の展開が追い付かない。既に一度噴出した血の力を止める事は出来ない以上、視線を僅かでも外せば吹っ飛ばされるのは自分の身体だった。

 蒔き餌の様に溶け込むそれは幸か不幸かそのアラガミ以外に影響を及ぼす事は皆無だった。お互いが視線を外す事無く距離を詰めていく。さながら西部劇に出てくる早撃ちのガンマンの様にも見えていた。

 

 

「うぉりゃああああああ!」

 

 ナナの渾身の一撃は本来であれば何も無いはずの空間に向けた一撃。何も知らない人間であれば確実に首をかしげるが、周囲の様子を見るゴッドイーターは誰一人疑問を持つ事は無かった。

 一瞬にしてトップスピードへと到達すると同時に、先程までの距離が一気にゼロと化す。巨大な腕を起点として襲い掛かる鋭い爪は、ナナの一瞬にして散らす威力を誇っている。

 ナナはアラガミが動くであろう予測を立て、全身の力をこの一撃だけに降り注いだ。自身の筋肉が引き千切れるかと思える程の一撃が何かと衝突し、反動で来た激しい衝撃はナナの腕を通じて全身を襲っていた。

 幾ら頑強な肉体を持つゴッドイーターとて、この攻撃の衝撃は完全に殺しきる事は不可能だった。衝撃を上手く逃がそうにも予想以上の為に上手く出来ない。今のナナは完全に死に体だった。本来であれば反撃は必至。しかし、手ごたえを考えればそのアラガミの生死を確認する必要は何処にも無かった。

 一気に仕留めようと接近したアラガミの頭部は、まるで弾け飛ぶかの様に頭部だと思われた物を粉々にまき散らしながらその躯体が進行方向とは真逆の方向へと弾け飛んでいる。既に生命を活動を停止したのか、頭部を綺麗に破壊されたアラガミはそのまま起き上る事は無かった。

 

 

《対象アラガミの生命反応はありません。今の所、周囲にも同じく反応はありません。皆さんお疲れ様でした》

 

 耳に装着したインカムからはオペレーターでもある真壁テルオミの何時もの声が聞こえていた。資源の回収も終え、やるべき事は既に無くなっていたからなのか黒い大きな咢がアラガミの体内を喰らい尽くす。コアを引き抜いた北斗はそのままコアを確認しながら周囲の様子を伺っていた。

 

 

「こちらも全て終わった。回収用のヘリを頼む」

 

《了解しました。既にヘリは出発していますので、到着まで暫しお待ちください》

 

「ふ~今回はすっごく疲れたよ」

 

 通信が切れたと同時に、先程まで刹那的とも取れる戦いを繰り広げていたナナは思わず座り込んでいた。肉体ではなく精神をすり減らす戦いはその後に疲れがドッと出てくるからなのか、北斗が振り向く頃には既に座るを通り越して大の字になって寝っ転がっていた。

 

 

「帰投ヘリがこっちに向かってるそうだ。恐らくは15分程だろう」

 

「今回の戦いはちょっと大変だったよ。まさかこんな事になるなんて……」

 

「そうは言っても今に始まった事ではありませんから」

 

「それはそうなんだけどさ……」

 

 シエルの言葉にナナも不満はあるが、それ以上は何も言えなかった。既に螺旋の樹の汚染による浸食により神融種だけでなく、これまで散々苦戦を強いられてきたアラガミは事実上の通常種となってアナグラでのミッションに度々名を表していた。既に崩壊した今も当時とは何も変わらないとばかりに時折出没しているのは、感応種同様に完全に種として定着した証でもあった。

 

 時間が経過したからなのかクロムガウェインの躯体はゆっくりと霧散していく。今回の戦闘は本当の事を言えば想定外の内容だった。当初はヤクシャとヤクシャ・ラージャの討伐だけのはずが、気が付けばその神融種でもあるヤクシャ・ティーヴラが乱入し、止めとばかりにクロムガウェインが討伐の対象となっていた。

 当初は応援要請も検討されたが、侵入までの時間が余り無いだけでなく、既に動ける部隊はこのアラガミに対しての能力を持ち合わせていないからと、そのまま継続してのミッションとなっていた。

 

 

「もう終わったんだからそれで問題ないだろ?ヘリに乗れば好きなだけ休めるだろうが。それに、最初の大半は北斗がやったんだ。少しは働かないとな」

 

「何だかギルが冷たい気がするんだけど」

 

「気のせいだ」

 

 そう言いながらギルが差し出した手を起点にナナも自身の身体を改めて起こしていた。既にヘリのローター音は大きくなりつつある。帰投用のヘリがここからでも目視出来る程の距離まで近づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れさん。新しい刀身パーツはどんな感じだ?」

 

「前の『暁光』も良かったですけど、この『颶風(ぐふう)』もかなりの物でした」

 

 帰投してから忙しくなる技術班の下に北斗は今回から試験運用する事になった新しい刀身パーツのデータ採取の為に足を運んでいた。ジュリウスを救出した際に砕け散った白刃の欠片は、ガラスが飛び散ったかの様にそのまま砕けて消滅していた。

 当初は何かしら言われる事を覚悟した北斗は恐る恐るナオヤの下へと向かったが、北斗が想像した結末とは違っていた。元々対魔刀の意味合いを持っていた刃が砕けたのは、それが持つ役目を全て果たした結果でしかない。周囲に何も無いままに振るった刃の力はラケルの最後の意志をも断ち斬っている。その顛末を聞いたからこそナオヤもそれ以上の事は何も言わなかった。

 

 刀身が砕けたからと言ってミッションを受ける必要が無い訳では無い。暫くの間はクロガネ系統のパーツを使用していたが、やはり何かが違っていると感じているのか、能力的には遜色ないはずの神機は違和感だけが残っていた。そんな中で、今回の戦いから新たな刀身パーツのシェイクダウンとばかりに取り付けられていた。

 

 

「そうか。まだシェイクダウンの段階だ。これからのアップデートで以前と同様のレベルにまで持って行くつもりだ。悪いが暫くは連戦が続くと思ってくれ」

 

「こちらこそありがとうございます。まさかこんな物を頂けるとは思いませんでしたから」

 

 既に作業台に乗せられた神機は直ぐに分解されていく。手慣れているからなのか、ナオヤの動かす手に澱みは一切感じられない。以前に聞いたこの手のパーツは特別な工程をいくつか含む為に通常の倍以上の時間がかかる事を聞いていた。他の神機と変わらず動かすその手を北斗は眺める事しか出来なかった。

 

 

「それと、今回の使用感もレポートにして提出してくれ。今後の開発とメンテナンスにも必要だからな」

 

 既に北斗の方を向く事無くマニュピレーターを手早く動かす。このままここに居ればかえって迷惑になると判断したかなのか、北斗はそのまま技術班の部屋から退出していた。

 

 

 

 

 

「今回のレポートですか?」

 

「ああ。ミッションの方はシエルに手伝って貰ったから問題ないが、こればっかりはな」

 

 シエルに話しかけられるも北斗の手は止まる事は無かった。作戦とは違い、使用感は本人の感覚だけが頼りとなる。ましてや今回に限った話ではないが、同じパーツを使っていても個人の癖を考えれば多少なりともチューニングする事で使用特性に違いが出てくるのはゴッドイーターであれば常識だった。

 既にレポートの大半を終えたからなのか、北斗は画面から顔を上げると缶を持ったシエルが立っている。このままも申し訳ないからと、北斗は座る様に促していた。

 

 

「しかし、フェンリルの支給する物と違うのは分かりますが、何がどう違うんですか?」

 

「違いね……大きな違いは殆どないのかもしれない。が、戦場に立った際に不思議と安心感があるのは間違い無いな。言葉では言い表しにくいのも事実なんだが」

 

 そう言いながら完成したレポートをメールで送信する。今回の感想を元に恐らくは細かいチューニングが施されるのは間違い無かった。これまでの事を考えると、珍しく次のミッションが早く来ないかと心待ちにしていた。

 

 

「北斗は何だか何時もより活き活きしてますね。何だかおもちゃを与えられた子供みたいです」

 

「そうか?そんなつもりは無いんだが……でも、有難いのも事実だ」

 

 初めて『暁光』を見た際の衝撃は今でも憶えていた。白刃のそれはどこか神秘的な要素を持ちながらも何物も触れれば切れる様なイメージだけが存在していた。

 事実、螺旋の樹の探索に於いて短時間で討伐が出来たのもそれが要因の一つでもあった。当時は切れ味だけに目が行く事が多かったが、今回の件でクロガネ装備に変更した瞬間、大きな違和感があった。

 本来であれば無機物にも関わらず、『暁光』はどこか温かみを感じる事があったが、クロガネは完全な無機物であると同時に、命を完全に預ける事は出来るのかと言えば素直に頷く事が出来なかった。

 初めてゴッドイーターになった際には刀身パーツはどこれも同じだと思っていたが、極東に来てからはその考えは大きく覆されていた。一番衝撃的だったのが、エイジが使用する神機を見た時だった。黒光りする刀身パーツからは異様な存在感が出ている。これまで激戦を戦い抜いた証なのか、それとも最初からそんな印象を持っていたのかは分からない。

 当時何気なく聞いた際には驚愕の一言だった。神機はある意味では人工アラガミと何も変わらない。しかし、使う人間に対しては無害であるのが当然の考え方の中で、エイジのそれは明らかに真逆の内容だった。リスキーな物を完全に使用して使いこなすにはかなりの胆力が必要となってくる。覚悟を決めた戦いが要求されるのは間違いないが、まさかそんな事になっているとは考えた事も無かった。

 

 

「私にはその感覚はわかりませんが、やはり他から見てもその威力は格段に違う様に思えます。事実、数字がそれを語ってますから」

 

 シエルの言葉通り、クロガネに変更してからの数字は以前に比べて若干ではあるが悪くなっていた。何が違うのかと言われれば確認出来ない程の誤差でしかない。しかし、同じ戦場に立つブラッドからすれば明らかに違う事だけは間違い無かった。

 動きそのものに問題は無い。数字的な部分では同じはずの性能であれば、そうまで異なる事はありえない。今までずっと一緒に戦って来たからこそ、その違いに気が付く事が出来たに過ぎなかった。

 

 

「そんなにか?」

 

「ええ。まるで別人の様です」

 

「確かにそれは言えてますね」

 

 北斗とシエルの背後から聞こえたのはテルオミの声だった。休憩時間だったからなのか、それとも神機の話をしていたからなのかテルオミはまるで同志を見つけたかの様に2人の下へと来ていた。

 

 

「実は北斗さんの使用している神機ですが、あれもまた特別みたいですよ」

 

「特別とは?」

 

「ここだけの話なんですが……」

 

 周囲に聞かれると拙いと判断したのか、テルオミは周囲を見渡しながら声を小さくしている。余程の内容なのか、それとも機密事項に抵触するのかヒソヒソと話すその姿はどこか異様でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何かあったのか?」

 

「いえ。久しぶりに神機でも眺めようかと思いまして」

 

 テルオミは元々クレイドル付の野戦整備士だった。当初は何も分からないままに、ひたすら覚え作業をしていたが、ある時を境にオペレーターへと転身していた。もちろん今は完全にそちらの仕事ではあるが、時折暇を見て技術班に足を運ぶ事が何度かあった。元々ナオヤも顔見知りな事もなり、特に軽視する様な事は一切無かった。

 

 

「またか。しかしそんなに好きなら態々転身しなくても良かったんじゃないのか?」

 

「いえ。僕ではこの神機を触る事は出来ませんから」

 

 テルオミの視線はナオヤではなく、現在整備中のエイジの神機へと向けられていた。初めてこの神機を見たのは何時だったのかは覚えていないが、そのインパクトは余りにも大きすぎていた。

 黒く光る刀身は明らかに他の神機とは違う雰囲気を纏っていた。漆黒の刀身に刃の部分だけが鈍く光る。これまでどれ程のアラガミを屠ってきたのかは分からないが、まるでそれが死神の鎌の様にも思える程だった。

 神機を伝う水滴すらも斬り裂く様に見える刃は、その場にいる物すら対象となる様にも見える。戦場で使う荒々しい武器であるはずのそれは、どこか美術品の様にも見えたからなのかテルオミの視線は暫くの間固定されていた。

 

 

「そんな仰々しい物じゃないと思うがな」

 

「それはナオヤさんがいつも見てるからですよ。事実、この刀身パーツは見る者を引きつける魅力がありますから」

 

「……そう言う見方も出来るのか。これには結構苦労させられたからな。今になって漸く扱い方を理解出来たって所だ」

 

「今でもそうなんですか?」

 

「これが完全に整備出来るとは思った事は一度も無いさ」

 

 マニュピレーターは刀身パーツからコアの部分へと移動していた。通常の神機は核となるコアは一つしかない。神機そのものはフェンリルからの支給となる為に、一人だけ特別に支給される事は無かった。

 当時のエイジも他のゴッドイーターと何も変わらないままに活動をしている。しかし、とある事実が終えてからは今の様に大幅なアップデートを施されていた。カバーを外すとむき出しのコアの周辺に、衛星の様に小さなコアの様な物が取り付けられている。以前に聞いたのは幾つもの制御をする為のサブ的な役割を果たす物だと聞かされていた。

 当時初めて聞いたテルオミは多少は驚く事もあったが、どちらかと言えば興味の方が先に立つ事から、一度は目にしたいと思った行動の末だった。

 鈍く光るコアの周辺にひっそりと取り付けられている。この制御がなければあっと言う間に神機に浸食されると聞いた際には作製の意図すら見えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナオヤさん。僕もこれを一度整備したいんです」

 

「気持ちは分かるが、結構シビアだぞ」

 

「それは分かっています。でも、一度は極東が誇る最高戦力の神機がどんな物なのか確かめたいんで」

 

 テルオミは技術班に来てから初めて神機の整備に携わっていた。何もゴッドイーターだけが戦っている訳では無い。確かに自身の命を賭して戦場に赴く物と同列に出来ない部分は多分にあるが、自分が整備した神機のせいで命を落としたとなれば話しは変わってくる。

 この世界に絶対は無い。あるとすればそれば決して良い意味ではなく殆どが悪い意味で使われる。テルオミが言う様に、エイジの神機を整備しているのは今でこそナオヤだけだが、そにはそれだけの理由があった。

 これまでまで二人三脚で今の状態に持って行ったのは紛れも無くナオヤの腕を信じた結果でもあり、またお互いが意見を出し合って調整した結果でもある。通常のメンテナンスであれば誰がやっても変わりはないが、まさか極東の最高戦力の神機を整備のミスで破壊する様な結果となればその責任は計り知れない。

 只でさえ手間が他の物と比べても倍以上かかる為に、積極的に関わりたいと思う人間が居なかった事も要因の一つだった。

 

 

「だがな……」

 

「じゃあ、最深部の部分はやらずに、表層の部分はどうかな?それなら誰でもやれるだろうし、現に他の人間もやってるんだからさ」

 

 渋るナオヤに助け船を出したのは、隣で作業していたリッカだった。既に自分の仕事が終えているからなのか、今は特に急いでいる様な物は無かった。

 

 

「ありがとうございます!」

 

 リッカからの許可を元にテルオミは嬉々として操作を開始する。自身でも天職だと思える程の腕を持っていたからなのか、表層分に関しては事も無く整備を完了させていた。

 

 

「……ねぇ、あれなら一度最深部もやさせてみたらどうかな?」

 

「そうだな。ああまで手際が良いなら問題ないかもしれん」

 

 テルオミの背後でリッカといナオヤは話し合っていた。基本的に手順さえ間違えなければ神機の整備そのものはそう複雑な物ではない。しかし、中心のコアと4つの衛星を司るそれは手順だけでなく、それぞれが大きな特徴を持っている。各々が異なる特徴を持っている為に、結果的には5体の神機の整備をするのと変わりなかった。

 しかも、手順を間違えればすべてが機能不全に陥る可能性を秘めているからなのか、ベテランと言えど慎重にならざるをえない代物だった。

 

 

「なぁ、良かったら一度やってみるか?」

 

「……本当ですか?」

 

「ああ。思ったよりも手際も良いし、それなら一度やってみると良いだろう。ただし無茶はするなよ」

 

「ありがとうございます!」

 

 何をと言わなくてもそれが意味するのは容易だった。テルオミも以前からこの神機の話は聞いた事が何度かあった。とにかく手間がかかるだけでなく、最新の注意を払わないと手痛いしっぺ返しがやってくる。絶対に出来ない訳では無かったが、とにかく時間がかかるからとナオヤ以外の人間が整備する事は今では殆ど居ないとだけ聞いていた。

 当初は何気なく聞いていたが、聞く人間全員が同じ言葉を並べる。決して天狗になっていた訳では無かったが、今の自分であれば問題は無いだろうと安易に考えていた。だからこそああなるとは誰も予測出来なかった。

 

 

 



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第16話 責任の所在

「さてと。今回もまた楽しいミッションの開始だ」

 

 リンドウの言葉とは裏腹に、眼下に見えるアラガミはハンニバルとその浸食種だった。以前の様に手さぐりではなく、完全に行動パターンや弱点を解析出来るアラガミは強敵ではあるが難敵では無くなっていた。

 事実、第1世代の神機使いが遠近のバランス良く入った部隊でも討伐が可能となっている。完全に分業出来るからと、一定以上の階級を持った者は各々でミッションを受注していた。この周辺にはサテライトの建設候補地が近い。厳しい戦いではあるが、これを始末しない事には計画は何一つ進まない。

 苛立ちを隠すかの様なアリサを見たからこそリンドウは軽口を言う事で周りの空気を換えようとした結果だった。

 

 

「リンドウさん。そんな考えでやらないでください。あれが居るばっかりに建設が全然進まないんですよ!」

 

「分かってるって。一々怒るなよ。本来だったら他の連中に任せる予定のミッションに態々来てるんだ。少しは力を抜けよ」

 

「……そんな事言ってますけど、私知ってますよ。今回のミッションの報酬って佐官級チケットでしたよね」

 

 おどけるリンドウを尻目にアリサは事前に聞いていた報酬の事を口にしていた。最近ではfcでの交換だけでなく、一部は佐官級チケットと交換が出来る様にと試験的に導入していた。

 ここでは討伐における報酬はそう低く無い。曹長クラスでもそれなりにミッションをこなせば金銭面で苦労する様な事が無いのは周知の事実だった。もちろん神機の整備には多額の費用がかかるのは仕方ない事だが、ここ最近のアラガミの出没率を考えると下のクラスでも使う暇は神機の整備とラウンジでの食事以外に多くは無かった。そんな状況を見据えた上での試験導入だった。

 

 

「何だ。知ってるのか?」

 

「当然です。今回のミッションから試験導入される事は、弥生さんからも聞いてますから。因みにこの前全部使いきった事も知ってますよ」

 

「何だよ。それならそうと早く言えよ」

 

 そんなやり取りは結果的に現地に来た当初の険悪な雰囲気を無くしていた。既に開始時間に近づきつつある。2人は既にミッションに赴く為に真剣な物へと変わっていた。

 

 

《クレイドルαチーム交戦を開始しました。βチームも速やかにお願いします》

 

「了解。俺達もそろそろ行くぞ」

 

「はい」

 

 ヒバリの声が通信機の向こう側から聞こえてくる。本来であれば2チームに分けての討伐の際にはそれぞれにオペレーターが付く事になっていたが、今回のチームなら問題無いだろうとの判断により、ヒバリが一人で対処する事になっていた。通信が切れると同時にリンドウとアリサは神機を持ち直すと同時に降下を開始する。今回は分断したミッションだった事もあってか、本来であれば4人のはずが今は2人だけとなっていた。

 

 

 

 

 

「さてと。ヒバリさん、対象のアラガミを発見した。僕とソーマなら問題無いよ」

 

《了解しました。βチームのリンドウさんとアリサさんも同じく開始します》

 

「了解」

 

 ヒバリの声が途切れると同時にエイジとソーマは神機を片手にハンニバル浸食種へと移動を開始していた。まだこちらには気が付いた様子は見られない。これならば奇襲と同時に開戦も可能だと考えゆっくりと向かっていた。

 ハンニバル浸食種は通常の物とは攻撃の威力は異なるが、基本行動にさしたる変化は特に無い。精々が口腔内から放たれる火球に気を付ける程度でしか無かった。何時もと何も変わらないはずのミッション。エイジだけでなくソーマも油断や慢心を持つ事は無かった。

 エイジ達は直ぐに討伐しβチームと合流する事を考えていた。戦端は何時もの様に大きな咢で捕喰する事から開始していた。ハンニバル浸食種の悲鳴とも咆哮ともつかない声が開始のゴングとばかりに唐突に始まった。

 

 

「今日は随分調子が良さそうだな」

 

「まあね」

 

 今の2人は軽口で話す程度のゆとりがあった。その最たる要因はエイジの行動とハンニバル浸食種への一方的な攻撃だった。エイジは放つ斬撃は全てがハンニバルの死角を考えた末の行動だった。死角から襲い掛かる斬撃がハンニバル浸食種の強靭な肉体を刻むかと思える程の威力と同時に、直ぐにその場から離脱するかの様に死角へと潜リこむ。如何にアラガミと言えど自身が構築した肉体の稼動限界を超えて動く事は不可能だった。

 全てを切裂くかの様に振るった強靭な腕が通過した後は完全なる隙でしか無かった。逃す事無く先程と同じ場所へと漆黒の刃が走っている。一瞬の内に繰り出された3本の剣閃は一気に籠手の部分を破壊していた。

 

 

「ソーマ!」

 

「任せろ!」

 

 僅かに漏れるハンニバル浸食種のうめき声。結合崩壊を嫌ったからなのか、ハンニバル浸食種がエイジへと改めて視線を向けた瞬間だった。ハンニバル浸食種の目に映るのは闇色のオーラを纏ったイーブルワンの刃。待ち構えていたのは、ソーマが放つチャージクラッシュだった。

 

 

「今回は随分とアッサリだったな……おい、どうしたんだエイジ!ヒバリ、緊急事態だ。直ぐにヘリをこっちに飛ばせ。あと誰でも良いから医療班を同行させろ!」

 

《どうかしたんですか!》

 

「俺にも分からん。ダメージを受けた様子は無いはずだ。とにかく急げ!」

 

 ハンニバル浸食種の頭部を粉砕し、止めを刺した瞬間異変が起こっていた。ハンニバル浸食種の躯体が倒れた先には先程まで攻撃をしていたはずのエイジがうつ伏せになって倒れている。既に生命活動を停止したハンニバル浸食種をそのままにソーマはエイジの下へと駆けつけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ソーマ!貴方がついていて何でこうなってるんですか!」

 

「アリサ。少し落ち着け。今はソーマに言っても仕方ないだろ?事実外傷は無いんだ。原因を究明する方が先だろ?」

 

 医務室の外ではアリサだけでなくリンドウやソーマ。そして話を聞いたコウタまでが揃っている。異常事態が起こった原因が何なのかすら分からない。原因究明の為に医務室に入った榊と無明が出てくるまでに、かなりの時間を有していた。

 

 

「そうだよ。外傷が無いなら少しは落ち着きなよ」

 

「そんな事私だって分かってます。でも原因も分からないままに倒れるなんてありえません」

 

 アリサは既に流れる涙を拭おうともせず、宥めるコウタに厳しい口調のままだった。攻撃を受けていないにも関わらず倒れる事態は尋常では無い。原因が何も分からないままに時間だけが経過していた。

 

 

 

 

「来て貰って済まないね。今回の件に関してなんだが、原因は分かったよ」

 

 医務室での声は同じフロア全域にまで響く程だった。このままでは他の部隊にまで動揺が走る可能性が高い。このままでは拙いと判断したのか、榊は一旦支部長室に来るように全員を促していた。

 

 

「それで原因はなんだったんだ?」

 

「その件だが、今回の調査で分かったのは神機の封印が少しだけ弱まっていたからなのか、それとも何かしらのトラブルが発生したからのどちらかだ。詳しい事はナオヤに調べさせている。それが分かれば再び招集をかけよう」

 

 榊の代わりに無明が話した事で全員がその意味を理解していた。本人の肉体には何の障害も病変もなく、結果は神機のトラブルによるものだった。しかし、問題はその中身。持ち主の命を削り取る様な代償の代わりに、過剰とも取れる攻撃能力は正に諸刃の剣だった。今思い出せば、確かにあの時のエイジの動きはこれまでに見た事が無かったかの様にも思えていた。

 神速とも取れる討伐の方に目が向いていた為に気が付かなかったが、今冷静に考えればその特性は確かに出ていた。当時の事を思い出した所で時間が戻る事は無い。何故あの時気が付かなかったかとソーマは一人悔やんでいた。

 

 

 

 

「すまない。今回の件は完全の俺の落ち度だ」

 

 再び支部長室に召集がかかる頃、ナオヤは開口一番に頭を下げていた。調査した結果、神機の制御すべき一部のシステムがエラーを起こした結果だった。ナオヤの謝罪に誰もが口を開く事が出来ない。これまで何かとエイジと話あって整備してきた人間の謝罪に対し、流石にアリサも声を荒らげる事が出来なかった。

 

「エイジは……大丈夫なんですか?」

 

「それに関しては問題無い。ギリギリで制御が働いたから命に別状は無い。が、今日は多分だが目を覚ます事は無いかもしれん。こうなると予測出来なかった俺の落ち度だ。糾弾は甘んじて受ける」

 

 そう言いながらもナオヤの頭は上がる事は無かった。どれ程の時間を費やし、今に至ったのかを知っていて糾弾出来るはずが無かった。頭を下げる人間に対し、糾弾する様な事はこの場に居る人間は誰もいない。ましてやナオヤが言い訳もせずに言う以上、それに関しては尚更だった。

 既に時間も遅くなっている。既に出来る事をやり尽くした今、時間の経過だけが解決の手段だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?こんな時間に珍しいね」

 

 リッカがこんな時間にアリサを見るのは珍しかった。何時もであれば何かしらの書類の整理やレポートの作成をしているが、アリサの目の前には空になったグラスだけが置かれていた。誰もがアリサを気遣っているからなのか、窓際に近寄ろうともしない。そんな姿を見たリッカが話しかけていた。

 

 

「大した事はありませんよ」

 

「……どうせエイジの事でしょ?」

 

 リッカの言葉が図星だったのかアリサの肩は僅かに動く。それを見たからなのか、リッカは全てを悟っていた。

 

 

「ナオヤ、ひょっとして何も言わなかったんじゃないの?」

 

「はい。ただ私達に頭を下げてました」

 

 当時の事を思い出したのか、アリサは少しだけ声のトーンが低くなっていた。原因不明だったトラブルがまさかの神機の整備不良となれば話しは大きく変わってくる。事実上の爆弾を抱えた様な神機は、そのリスキーさを代償としたかの様に異様な攻撃能力を所持者に与える。何も考える事無く攻撃をすれば、待っているのは自身の命の喪失。この世界へと二度と戻る事が出来ない死だけが純然たる結果として付いて来るだけだった。

 過去に2度封印を解いた際には死の淵を彷徨うな部分が多分にあったが、それはあくまでも自身が望んだ結果でしかない。今回の様なイレギュラーはアリサだけでなく、エイジやそれ以外のクレイドルのメンバーにも大きな影響を与える事に繋がっていく。そんな事実を理解しているからこそ、リッカもアリサに対して真摯に事実だけを伝えようと考えていた。

 

 

「そっか……あのさ、ここだけの話にしてほしい事があるんだ。あの神機を整備したのはナオヤじゃないんだ」

 

「え?それって………」

 

 リッカの発言にアリサは驚きのあまり、リッカの表情を目を見開きながら見ていた。あの時のナオヤは全て自分のせいだと言って頭を下げている。本来であれば誰から糾弾されても仕方ないにも関わらず、実際には当事者ではない。そんな事実にアリサはリッカが何かを知っているのかと考え、それ以上は話してくれる事を待つしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな馬鹿な!あの整備は何も問題無かったはずだぞ!」

 

 技術班のナオヤの下に来た一報は誰もが驚愕を覚えていた。技術班にとって神機の整備はゴッドイーターが戦場に出るのと同じ様な感覚でやっている。戦場での神機の動作不良は死に繋がるのはここでは周知の事実。ましてやエイジの神機とならばその可能性は格段に高い物だった。

 

 

《その件に関しては私達もまだ分かりません。今は医療班が同行して現地に向かっています。攻撃を受けた形跡も無いですし、バイタルも当時の状況を検証しましたが異常な数値は確認出来ません。だとすれば可能性はそれだけしか……》

 

 ヒバリが申し訳無さそうに話しをしているのはナオヤにも直ぐに分かった。万全を期したはずの神機が元で命の危機を迎える事は技術班にとっては致命的だった。

 命を預ける物で殺される。これでは神機使いと技術班の間に信頼された物が無くなるのと同じだった。

 

 

「とにかく、これ以上話しても埒が明かない。帰投後、直ぐにこちらも検証を開始する。帰投はどれ位かかる?」

 

《この調子なら後10分程で到着の予定です》

 

「分かった。こちらも準備しておく」

 

 ナオヤが通信を切ると、そこには心配な表情を浮かべたリッカが立っていた。話の内容はともかく、こんな場所で出る怒声が意味する事は神機の事しかありえない。詳しい事は分からないが、リッカの目に映るナオヤはどこか苛立ちと後悔が表情に出ている様にも見えていた。

 

 

「悪い。エイジの神機にトラブルが発生したらしい。今こっちに向かってるから、俺はそっちを優先する。悪いが他の整備を頼まれてくれるか?」

 

「私の事なら問題無いけど……何があったの?」

 

「詳しい事は分からん。が、バイタルに異常が無いにも関わらず倒れたらしい」

 

 そんな会話が周囲にも聞こえたからなのか、技術班は先程までとは違い、どこか重い空気が漂っていた。

 

 

 

 

 

「ナオヤ、これって……」

 

「ああ。衛星の1個が完全に機能不全になってる。と言うか、制御装置が半分死んでる」

 

 神機が運ばれると同時にナオヤは直ぐに分解していた。刀身そのものを外し、心臓部でもあるコアの部分を確認する。まさかの事態にリッカは言葉が出なかった。一番重要な部分が死んでいる。事実上の封印が解けた状態で戦った結果である事は直ぐに分かった。しかも、この部分は絶対に変更してはならない箇所。自分が見た際には完全にそれが機能している事を確認している。だとすればどうなっているのかを解析するしか無かった。

 

 

 

 

 

「テルオミ。聞きたい事がある。お前、設定変えただろ?」

 

「設定?ひょっとしてエイジさんの神機の事ですか?」

 

「ああ。今まで設定してあった一部の情報が書き換えられている。少なくとも俺が最後に見た際にはそうなっていなかった。まさかとは思うが……」

 

「ええ。それなら僕がやりま……」

 

 テルオミはそれ以上の言葉を出す事は出来なかった。頬に当たる衝撃をそのまま受け地面へと倒れ込む。当然の出来事に何が起こったのかを理解するには時間が必要だった。

 

 

「お前、自分で何したのか理解してるのか!」

 

「突然殴られる理由が分からないんですが。整備士として当たり前の事をしただけですよ。態々正常な機能を阻害しているプログラムがあったからそれを正しく直しただけです!」

 

 殴られた事実に双方の怒りが収まる事は無かった。自分では良かれと思ってやった事に対し、鉄拳を食らう理由はどこにも無い。ましてや態とデチューンしてある物を正常な方向へと戻すのは整備士としても当然の事。だからこそテルオミは殴られた理由が分からなかった。

 

 

「態と阻害だ?あの神機はな、何もしなければ勝手に威力が上がるんだよ。確かに整備を任せた俺も悪いが、お前はどうして勝手な事をしたんだ!」

 

「勝手だなんて思わないですね。正しい方向に導くのは当然の事じゃないですか?あんたこそ、そんな基本が分かってないんじゃないですか?」

 

 お互い一歩も引く気配は無かった。不穏な空気は技術班全体に蔓延していく。何も知らない整備士は一体何があったんだと少しづつ集まり出していた。

 

 

「お前の適当な整備のお蔭でエイジは今、意識不明の重体だ。お前がやった事はエイジに対する信頼を破壊しただけ。その事を理解しているのか?」

 

 ナオヤの言葉にテルオミだけでなくリッカや他の整備士たちも驚愕の表情を浮かべていた。エイジの神機の特性はここに長く勤務している人間は全員知っている。手間がかかるだけでなく、最悪は死に至る可能性すら秘めているのは言うまでもなかった。

 これまで出力とリスクを調整しながらやって来た事実にそれ以上の言葉は不要だった。そんな事実をテルオミは知らなかったからこそ、一番衝撃を受けていた。

 

 

「そんな訳ないですよ。精々が呪刀程度のデメリットじゃないんですか?」

 

「誰がそんな事を言ったんだ?少なくともここの中堅以上は『黒揚羽』の性質を知ってるぞ」

 

 ナオヤの言葉にテルオミは改めてこれまでの事を思い出す。誰がそんな事を言ったのか、何を思ってそうやったのか。ゆっくりと記憶の糸を手繰り寄せる。これまで聞いたのは精々が噂程度。確認もせず、そう判断したのは紛れも無くテルオミ自身だった。

 

 

「そんな話は聞いてません!どうして言ってくれなかったんですか!言ってくれれば僕だってしませんでしたよ」

 

 ここにきて漸く状況が理解出来たからなのかテルオミは当然の様に言葉を口にする。自分は何も知らなかった。だから問題無いはずだと。

 

 

「そんな戯言はどうでも良い。誰が悪いのかを聞きたい訳じゃない。気が付いたなら、どうしてそれを言わなかった?」

 

 ナオヤの言葉は全てを見透かしたかの様な視線だったからなのか、テルオミは心苦しい物があった。整備士に限った話では無く、自分が知らない事や、もしくは改善すべき事があれば担当者に確認するのは当然の事だった。各自の神機の特性だけでなく、運用方法は十人居れば十人とも異なる。自分が担当しない神機であればそれは当然の事だった。

 

「テルオミ。お前がやった事はお前一人の問題じゃない。俺達技術班全員の……ゴッドイーターからの信頼を踏みにじった事だ。知らないから何をしても問題無いと考えるなら整備士なんて今直ぐに辞めろ。お前はどんな覚悟を持って神機を整備してるんだ?」

 

 ナオヤの言葉にテルオミはそれ以上の言葉を口には出来なかった。自分の命を削ってアラガミと対峙出来るのは神機が万全である事が最低限の事でしかない。最初から動作確認をせずに戦場に赴くのは自殺と何も変わらないだけでなく、常に疑心暗鬼のままで戦う事は不可能だった。

 自分の剣でもあり盾でもある物が信頼出来なければ、単に死ねと入れているだけに過ぎない。自分の憶測だけで動いた結果がこの極東に於いて最悪の展開となったのは誰のせいなのか。紛れも無くこの状況を作り出した自分だった。

 ナオヤの言葉にこれまでの事を考える。本当に覚悟を持って整備していたのだろうか?慢心のままにやってきたのだろうか?あまりにも薄っぺらい覚悟は目の前に起こった事実に吹き飛ばされている。安易すぎた代償はあまりにも大きすぎていた。

 

 

「………」

 

「まぁ良い。この件は俺の責任だ。俺が頭を下げてくるさ」

 

 沈黙したテルオミを他所にナオヤはそれ以上の事は無にも言わず技術班から出て行った。今のテルオミに出来る事は何一つ無い。重苦しい空気が晴れる事は一切無かった。

 

 

 



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第17話 新たな決意を胸に

 

「そうだったんですか……」

 

「でも、ナオヤの言葉はある意味では当然なんだよ。神機が戦場で機能不全になればどうなるのかアリサが一番知ってるでしょ?」

 

「ええ。まぁ……」

 

 事実を聞いたアリサは驚くと同時に、その恐怖を理解している。初めてネモス・ディアナで感応種と戦った際に起こった神機の機能不全は一言で言えば絶望だった。これまで自分の手足の様に動いていたそれが、一瞬にしてただのバラストへと成り下がる。アラガミはこちらの事情などお構いなしの攻撃をしてきた事を思い出していた。

 

 

「それと、この件に関してはテルオミ君に言わないで欲しいんだ。さっきの事で本人もかなり落ち込んでいるみたいだし、ここでアリサやソーマから言われたら、本当に辞めかねない。アリサの気持ちは分かる。だからこそお願いしたいんだ」

 

「ちょっとリッカさん。そんな事しなくても」

 

 突然リッカが頭を下げて謝罪した事でアリサは動揺していた。まだラウンジに人は少ないが、誰も居ない訳では無い。突然の出来事に視線は自然と集まっていた。

 

 

「ううん。これは個人的な話じゃない。神機を整備する側の人間にとっては決して許される様な内容じゃない。恐らくはそれを理解したからこそナオヤは謝罪したんだと思う。事実、やらせたらって話は私がしたから。ナオヤは渋ってたのを強引にさせたんだから、今回の件に関しては私自身も無関係じゃない」

 

「分かりました。その件に関しては私から皆に説明しておきます。どうせエイジの事ですから気にしてないって言うと思いますけどね」

 

「なるほど……流石はエイジの事を一番理解してるだけあるね」

 

「当然ですよ」

 

 重苦しい空気を読んだからなのか、アリサは敢えてそう言う事で話しを終わらせていた。リッカもそんなアリサの気遣いを汲んだのか、軽口で返す。2人のそんな空気を察知したからなのか、ラウンジは何時もと同じ様な空気になっていた。

 

 

 

 

「なるほどね。だからあの時感じた感覚が違ってたんだ……」

 

「すまん。完全に俺のせいだ」

 

 意識を取り戻したエイジの見舞いとばかりにナオヤは直ぐに足を運んでいた。昏睡に近い状態さえ回避出来れば肉体的な問題は何一つ無い。このまま一日ここで過ごせば後は何時もと同じ様になるのは当然だった。

 

 

「それは仕方ないさ。僕だって何となく気が付いていたんだし。命に別状は無いから問題無いって。それよりも兄様は何て言ってた?」

 

「今回の件は兄貴に話はしたが、俺とお前の問題だからそっちでやれって。特に何も言われなかった」

 

 エイジの神機でもある『黒揚羽』は完全に無明の手から離れている。だとすれば後は当事者同士の話でしかなかった。今回の様な事があるからと言ってエイジは自分の神機を変更するつもりが毛頭無い事はナオヤも知っている。だからこそ、無明がそれ以上の事は何も言うつもりは無かった事が想像出来ていた。

 

 

「そう言えば、アリサは何か言ってなかったか?」

 

「今回は僕が無茶した訳じゃないから、怒られる筋合いは無いんだけど」

 

「確かにそうだな。逆に俺の方が何か言われそうだ」

 

「確かに……」

 

「おい。そこは少し位、否定しろよ」

 

「いや。アリサが真剣に起こると怖いから……」

 

 リッカがアリサに話した内容そのままが医務室で繰り広げられていた。既に何時もと同じ空気が医務室内に流れている。そんな状況の中で突如としてノックと共にテルオミが姿を現していた。

 

 

「あ、あの……今回の件、すみませんでした」

 

 突如現れたと同時に頭を下げる。余程何かを考えていたからなのか、テルオミの表情はどこか固いままだった。事情を聞いているエイジからしても、これ以上の謝罪は必要とはしていない。むしろ整備士が2人ここに居る方が問題だろうと考えていた。

 

 

「ナオヤから聞いたよ。僕も違和感は感じていたんだ。知ってて使ってるのと変わらないから謝らなくても良いよ」

 

「でも、僕が勝手な事をしたばっかりに……」

 

「テルオミ。エイジだってもう気にしてないんだ。それ以上は不要だ」

 

「ですが……」

 

 罪悪感に苛まれた結果だと言うのは2人も直ぐに理解していた。それがどんな結果を導くのかは分からないが、長く続く様なら決して良い物では無い。今は少しでもこんな空気を払拭する事が先決だった。

 

 

「仕事でヘマしたんだったら仕事で挽回しか無いだろ?このまま辞めても止めはしないが、逃げたままではつまらんだろ?」

 

 どこか挑発めいた言葉ではあるが、それがナオヤのエールである事は直ぐに理解出来た。個人的な感情の話ではない。今回の騒動は支部内における全体に影響を及ぼす可能性を孕んでいたからこそ、ナオヤは厳しい言葉を掛けたに過ぎなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、結局は辞めたんだったな。態々俺が留守の時を狙いやがって」

 

「流石に僕もそこまで図太い神経は持ち合わせていませんよ。でも、あれからです。僕がやってる仕事がどれ程の命を支えているのかを理解出来た訳ですから」

 

 そう言いながら当時の事を思い出していた。当時の経緯に関しては技術班内部に緘口令が敷かれたからなのか、その後誰も口にする様な事は一切無かった。信頼は構築するには膨大な時間を要するが、破壊するには5分もあれば事足りる。

 当時の懐かしさの方が勝ったからなのか、テルオミは『黒揚羽』を眺めながら当時の状況を思い出していた。

 

 

「でも、今ならまともな整備が出来るんじゃないのか?」

 

「いえ。自らの意志でその道を壊した訳ですから、僕にはそんな資格はありませんよ。今だってまだヒバリさんやフランさんから指導を受けている立場ですから」

 

「そうか。道は違えど。か……」

 

 テルオミの手袋は油でまみれる事は無くなっていた。当時の事を改めて考えれば、慢心したまま整備をしていたのであれば、あの後はどうなっていたのだろうか。過去に戻る事は不可能であるのは間違い無い。自分の事を改めて見つめ直す事が出来たからこそ今の自分があるんだと考えていた。

 

 

「そう言えば、この隣にある神機はブラッドの北斗さんのですよね?」

 

「ああ。あいつもまた訳の分からん理論で神機を動かすからな。エイジのとは真逆の特性を持っているから、これも制御は面倒なんだよ。しかもエイジに比べれば事実上のノーリスクみたいな物だからな。レポートは届いてるが、随分と難儀な物だ。完璧な制御は無理でもそれに近い所にまでは持って行く必要があるからな」

 

 テルオミが言った様に『黒揚羽』の隣には純白に輝く『颶風』が鎮座していた。白黒のコンストラストはお互いを引き立てている様にも見える。詳しい事は聞いていないが、恐らくはこれもまた機能性を突き詰めたが故の姿なんだとテルオミは関心していた。

 

 

 

 

 

「すまんな。今はこの『颶風』はまだシェイクダウンしたばっかりなんだ。これからまた整備をする必要があるんでな」

 

「大変ですね」

 

「でも、俺はこれしか出来ないからな。教導教官はどちらかと言えば命令された結果でしかない。この刀身パーツは今回俺が初めて一から手掛けた物だから、最後まで面倒は見たいんだよ」

 

 突如として届いたメールを見たからなのか、ナオヤは先程までと打って変わって慌ただしく動き始めていた。どれ程ここにいたのかは分からないが、時計を見ればかなり経過していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「重心のバランスはどんな感じだ?」

 

「個人的にはもう少し内側に来た方が取り回しは良いと思うんですが」

 

 新型の刀身パーツとは言え、実際には以前に使っていた物と使用感は殆ど変化が無かった。事実上の後継機となる為に元来の重心や北斗自身の行動原理を用いている為に違和感を感じる様な事は何も無かった。

 神機単体にそんな力はそもそも存在していないのかもしれない。しかし、これまでに激戦を生き抜いた人間からすれば、やはり自分の第二の半身とも取れる存在はどこか懐かしさや心強さがある事は聞いていた。

 これまでにもエイジだけでなくタツミもそんな瞬間を感じた事があったと聞いている。だからこそナオヤとしても気を許す事無く、限界値をいかに引き出すのかを苦心していた。

 

 

「そうなると、今度は斬撃の速度は良いが、威力が落ちる事になるぞ」

 

「となればここをこうすれば……」

 

 既にこのやり取りはかなり続いていた。攻撃力を高める事が必ずしも正解とは限らない。今の出来る事を全力でやるのはある意味当然の事でしかなかった。そんな事実を誰もが理解しているからこそ、口を挟む者は居なかった。

 

 

「北斗。神機の調整も良いですが、そろそろミッションの開始時刻が迫りつつありますので、準備を優先して下さい」

 

「もうそんな時間か。取敢えずは暫定使用だが、これで一度やってみてくれ。違和感が有れば直ぐに変更しよう」

 

「ありがとうございます」

 

 現地への移動時間を考えれば時間的にはそろそろ厳しいと判断したのか、シエルが痺れを切らしたかの様に技術班へと駆け込んでくる。状況を察知したのかナオヤも一度手を止めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《今回の対象アラガミはまだこちらには気が付いてない可能性があります。問題は無いとは思いますが、皆さん気を付けて下さい》

 

 インカム越しにテルオミの声が響いてくる。昔のダムの名残なのか蒼氷の渓谷は横に長く、ここでアラガミに挟撃される様な場面があれば厳しい結果だけが待っていた。

 今回のアラガミは聴覚が優れているからなのか、下手に大きな音を出せば乱戦は必至だった。銃撃を有効活用し短期決戦で臨むのか、それとも銃を使わずに音を極力出さない戦闘を開始するかのどちらかだった。

 東西のアラガミの気配少しづつこちらへと近づきつつある。今やれるのは何なのか。北斗自身は既に決めていたのか、考える様な素振りは微塵も無かった。

 

 

「今回は時間をかけずに一点集中でやる。下手に長引かせると乱戦になるぞ」

 

「了解しました」

 

 シエルの返事が全員の総意だった。時間をかけずに一転集中。今回のアラガミは聴覚が優れている事も考慮すればその方が得策だと判断した結果だった。移動しながらアラガミの現在地を確認していく。既に北斗の視界に映るラーヴァナもこちらの移動音を察知したのか、既に砲台は発射の準備を終えていた。

 

 

「遠距離で来るぞ。全員注意しろ!」

 

 北斗の言葉に全員が警戒をしながらも、走る足を止める様な真似はしなかった。距離が縮まるに連れ、砲台の中身が見えてくる。充満したオラクルが一気に放たれるまでに時間は然程必要とはしなかった。

 溜めが十分だからなのか、砲撃が距離を縮めようとするゴッドイーターへと放たれていた。極大の砲撃をそのまま盾で食い止める事は問題無いが、そうなれば近づくに連れ威力は増大していく。それを理解しているからこそ、北斗は回避行動へと移ると同時にカウンターで仕掛けていた。

 

 白く煌めく刃はただ見ているだけならば単純に美しいと感じるのかもしれないが、アラガミからすれば自分の命を刈り取る光でしかない。ラーヴァナが放つ砲撃を次々と回避した事によって着弾は全て北斗の背後で音を立てている。遠距離攻撃を諦めたのか、ラーヴァナは大きく跳躍すると同時に踏み潰すかの様に襲い掛かった。

 ヴァジュラ種特有の攻撃を見せるからなのか、砲撃を諦めた行動は時間をただ浪費するだけの存在だった。一か所に留まる事無く着地すると同時に他の場所へと跳躍を開始する。無駄とも思える行動の様にも見えるが、反対側から迫るアラガミの時間稼ぎだと考えれば厄介以外の何物でも無かった。

 

 他のヴァジュラ種のアラガミと決定的に異なる点は、躯体の強度にあった。砲撃に力が注がれているからなのか、一度直撃を与えると簡単に結合崩壊を起こしていた。

 北斗の斬撃が胴体部分を結合崩壊へと追い込んでいく。既に体内からは内臓の様な物がチラチラと見え隠れしているのか、動く度に血溜まりの様な物が出来上がる。

 アラガミはその状況を確認したのか、まるで斬り合うかの様な雰囲気を見せ、こちらへと向かう態勢が出来ていた。既に北斗だけをターゲットに定めたからなのか、他のメンバーに目をくれる様な事は無い。既に活性化しているからなのか獰猛な獣の様な雰囲気を肌で察知していた。

 

 

「北斗!」

 

「大丈夫だ」

 

 ギルの叫びが開戦の合図となったのか、一合、二合と降り注ぐ斬撃はどこか光の粒子が残っているのかと錯覚する程だった。昨日扱った際に比べれば澱みない動きを見せている。まさかこうまで変化していると思ってなかったからなのか、北斗の腕は自然と力が入っていた。

 煌めく剣閃が走った後には、まるでバターでも切ったかの様にラーヴァナの躯体は水平に分離している。然程力を入れたつもりが無かったからなのか、その威力に驚いていたのは誰よりも北斗自身だった。

 

 

《ラーヴァナのオラクル反応が消失しました。それと同時に反対側に居たアラガミが察知しています。その場に留まるのであれば最接近まで推定30秒です》

 

「了解。直ちに迎撃に向かう」

 

 テルオミの言葉が耳朶に響く。既に命が完全に散ったからなのか、横たわったラーヴァナは動く気配は微塵も無かった。

 

 

 

 

 

「今回は随分と早かったな。流石は特注品と言った所か」

 

「まさかこうまで変わるとは思わなかった。これでもまだシェイクダウンだぞ」

 

 北斗の戦い方を見ていたギルもまた驚いていた。身体の運用方法は以前とは何も変わっていない。にも関わらず、戦闘時間の短縮は偏に神機の影響による事が多かった。

 切れ味が鋭さを増すのであれば、本来であれば耐久性能は格段に低下するのは当然の事だった。細胞を切り離す為に切断面も併せて細くすれば、自ずと刃の厚みも薄くなる。事実、切れ味と耐久性能を同等に向上させるのは至難の業だった。

 最近になって神機のチューニングを始めたギルも当然の様にその壁にぶち当たっている。あちらを立てればこちらが立たず。ブラッドで誰よりも理解しているからなのか、北斗の持つ『颶風』がどれ程の業物なのかを改めて思い知らされていた。

 

 

「ギルの目から見てこの神機はどうなんだ?」

 

「それの事か?それはナオヤさんの肝いりのパーツなのは技術班の人間なら誰もが知ってるみたいだ。ただ取扱いは何かと面倒らしいな」

 

 ブラッドの使用する第三世代の神機は他のゴッドイーターに比べると耐久性能は格段に向上しているケースが殆どだった。最大の理由はブラッドアーツにおける刀身や銃身パーツの摩耗。火力が強い攻撃は反対に神機そのものも消耗させていく。自分の力に耐えられず、自ら神機を破壊するとなれば状況は一気に変わる可能性を秘めていた。

 幾らゴッドイーターと言えど、素手でアラガミと戦う事は出来ない。だとすれば万が一の事も考え、万全を期するのは当然の事だった。

 

 

「ブラッドアーツじゃなくて、例の力って事?」

 

 ナオヤが頭を悩ませる最大の要因でもあったのはブラッドレイジの事だった。瞬時に攻撃出来る最大の能力をフルに活かす事が可能であると同時に、その分の出力も半端ではない。当然の事ながらそれらを全て兼ね備えるとなれば、開発そのものが頓挫する可能性もあった。強大な力は自身も同じ目に合う。それを防ぐ為に色々とアップデートする必要があった。

 

 

「北斗。ギル。油断は禁物です。反対側のアラガミがこちらへと向かいつつあります。私達も直ぐに広い場所へ移動しましょう」

 

 シエルの言葉に北斗とギルは再びアラガミが来るであろう方向へと意識を向けていた。視線の先には赤い何かが見えている。今回のもう一つのアラガミでもあるセクメトがこちらに向けて滑空を開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《対象アラガミの討伐は全て完了しました。皆さんお疲れ様でした》

 

 完全に霧散した事が確認出来たと同時に通信が入っていた。当初の予定時刻を大幅に短縮した事から帰投の準備はまだ終わっていない。今北斗達に出来る事は何一つ無かった。

 

 

《そう言えば北斗さん。今回の神機の調子はどうでしたか?》

 

「ああ。想像以上の出来栄えだったからなのか、討伐時間は大幅に短縮出来た」

 

《そうですか……そこまでのレベルにするまでにかなり苦労したらしいですよ。因みに僕も見せて貰いましたが、ああまで高い能力を持った物は早々無いらしいです》

 

 まさかのテルオミの言葉に北斗は自分の神機をマジマジと見ていた。どんな苦労があったのかは知らないが、これを受け取った際にナオヤから言われたのは『ゴッドイーターは戦場でこそ活躍できる場がある』だった。

 技術班はそれをただ支えるだけだと聞かされた言葉だった当時の状況が直ぐに思い出されていた。それが通信越しに伝わったからなのか、テルオミもそれ以上の言葉を発する様な事は無かった。

 

 

 



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第18話 何事にもチャレンジ

 何時もならば血と汗だけでなく、悲鳴も聞こえる訓練室に明らかに異なる空気が流れていた。

 どこか男臭い雰囲気があるはずが、今だけは明らかにそんな気配すら感じさせない。ここには3人の女性が普段であればアナグラの訓練室には似つかわしく無い格好で利用していた。

 

 緊張感あふれる空間に、今では聞く事が少なくなった楽器の音が周囲に響いていた。本来であれば楽師と呼ばれる人間が奏でるはずの音があるはずだが、流石にここでは無理があった。そんな代用とばかりに一人の男性が楽器を奏でている。聞こえてくる音に合せるかの様に流麗に動かす女性の手はゆっくりではあるが、どこか気品に溢れる様な動きをすると同時に、流れる水の如く全身にまで伝播する。

 見ただけであれば優雅な動きではあるが、演者にとってはその限りでは無かった。なまじゆったりとしているだけに、身体にかかる負担はかなりの物。肌に張り付く役目を持っているかの様に滴り流れる汗は白磁を連想させる首筋にそのまま抵抗も無く流れ、やがては鎖骨を伝い胸元へと流れて行く。従来の物とは違った緊張感がこの空間を支配していた。

 

 

「エイジ。こんな感じですが、どうですか?」

 

「思ったよりは悪く無いかな。でも、時間が足りないのもまた事実だね」

 

「そうですか?私的にはアリサさんの動きは良いと思いましたけど」

 

「いや。まだ動きに澱みが見える以上、及第点は出せないよ。忙しいから仕方ないけど、折角覚えたんだし、少しは時間を作って練習した方が良いよ」

 

「そうですね。少し善処してみます」

 

 扇子を閉じ、舞を終えたのは銀髪の女性だった。以前に習得したものの、最近の激務でやる事が少ないからと今回の件で急遽参加する事になっていた。問題無いと言った女性は既にやり終えたからなのか、やはりうっすらと汗を流しながら、自身を冷やす為に扇子で仰いでいた。

 

 

「本当にこれが訓練になるのか?」

 

「もちろんですよ。この円運動が案外と馬鹿に出来ないんですから」

 

「そ、そうなのか……だが……」

 

「リヴィさん。極東には『百聞は一見に如かず』って言葉があります。幾ら口で言いっても、分かりにくいから見て貰った方が早いって話しでしたよね」

 

「それは確かにそう言ったが、参加するとは言ってない……」

 

「となれば、次は体験した方が手っ取り早いですよ。ここには他の人もいませんし、誰もが最初は初心者なんですから」

 

 2人のやりとりを見たからなのか、褐色肌の女性は僅かに戸惑っていた。キッカケは以前に話した神機の運用方法についての理論。時間がお互いに空いたからと今回の訓練に至る事になっていた。元々誘ってくれたマルグリットの神機の運用方法と、これにどう繋がりがあるのを見出す事はまだ出来ない。そんな些細なやり取りだったはずが今に至っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはりマルグリットの神機の使い方は他の人間とは違う様にも見える。神機の威力は恐らくは私のと然程変わらないと思うが、どこかが違う様にも見える。何か特殊な訓練があるなら私にも教えて欲しい」

 

 今回は珍しく第1部隊にリヴィが参加していた。これまで固定された部隊運用をしていたが、突如としてエリナがまだ新人が多い部隊に一時的に先輩として同行する事が増えていた。それと同時に、以前に行われたヴァジュラの単独撃破の影響もあってか、最近になってサクヤからも依頼される事が多くなっていた。

 幾ら第1部隊と言えど流石に3人での運用には無理が出てくる。数回程度であれば問題ないかもしれないが、やはり各自の負担が大きくなりやすいからと、代理で誰を入れるのかを考えた矢先にリヴィが立候補した結果だった。

 

 

「でも、私も特殊な訓練をした訳じゃないんで、その答えは持ち合わせてないんです」

 

 初めてナオヤとリッカからヴァリアントサイズに関しての打診があった際に何気に聞かれた事がキッカケとは言い辛い物があった。舞を習ったのは屋敷での教導の一環ではあるが、まさかこれまでもが実戦に影響を及ぼすとは当時は考えていなかった。

 事実、ナオヤに見せられるまで半信半疑でしかなかったのも事実。リヴィがどんなキッカケで今の神機を選んだのかを知らない以上、マルグリットの言葉にリヴィが呆然とする可能性も否定出来なかった。

 

「しかし、身体のキレや薙いだ際にも体幹に乱れが生じていない。あれならば純然たる円運動を会得してなければ出来ないと思うが?」

 

「まぁ、確かにそう言われればそうなんですけど……」

 

「頼む。私も更なる進化をしたいんだ。でないと私の居場所がなくなる様な気がするんだ」

 

 懇願するかの様な表情のリヴィに、流石にマルグリットもどうしたものかと逡巡する。ブラッドのメンバーがそんな事を考える可能性は恐らく皆無に近いのかもしれないが、本人はそうは思っていないのか、マルグリットに向ける視線は真剣そのものだった。

 

 

 

 

 

「何か問題でもあったの?」

 

「いえ。そんな事は無いんですが……」

 

 マルグリットは珍しくラウンジでも先ほどのリヴィとのやりとりの事が気になったのか、どこか憂いた様な表情を浮かべていた。リヴィの気持ちと熱意に答えたい気持ちが無い訳でも無いが、かと言ってその根源が確実にリヴィが考えている物と異なっている事も理解している。

 仮に自分が教えるにしても舞踊に至っては名取レベルでしかない。せめて師範レベルであればまだどうとでも出来るが、自分自身がそこまで至っていない事を理解してる以上、リヴィに対する返事は実に悩ましい物となっていた。

 そんな中でも話しかけてきたからのか、マルグリットの視線の向こうに該当する人物が居る。だとすれば今の考えをどうすれば解決できるのかを丸投げとまでは行かないまでも、何かしらの手段を構築出来るだろうと考えていた。

 

 

「あの、エイジさんにお願いがあるんですが……この後少し時間はありますか?」

 

「今直ぐには無理だけど、1時間後なら大丈夫だよ」

 

「すみませんが、お願いします」

 

 内容はともかく、マルグリットの頼み事は早々有る物では無い。何かしらの考えがあるから相談なんだと考えた結果なのか、エイジは二つ返事で了承していた。

 

 

 

 

 

「なるほどね……でも、実際の所はどうなんだろう。僕もあのレベルの教導にはタッチしてないんだ。多分、ナオヤの方が良く知っていると思うんだけどね」

 

「ですが、流石にこれまでとなれば負担も増えますし、今でも時間の区分はギリギリだって聞いてますから」

 

 自分の時間が終わったからなのか、エイジもラウンジのソファーに座りながらマルグリットの話を聞いていた。確かにそれをやろうと思えば理論上はマルグリットでも問題無いのかもしれない。しかし、今回のそれは明らかに誰かに魅せる為の物ではなく、あくまでも自分自身の為の物。

 屋敷で教わる物の大半は個人だけで完結する様な物ではない事はマルグリットも理解している。だからこそ歪んだ意識でそれを教えても良いのだろうかと悩んだ末の話だった。

 

 

「個人の見解として言わせてもらうと、確かに利己的な考えは良いとは言えない。だけど、何をするにもある程度の資質や得手不得手と言った部分で習得できるのかと言った物も必要なんだ。だから屋敷ではそれに順じた物を教えてるんだよ。事実、舞踊に関してはマルグリットよりもアリサの方が劣っているのも事実だからね」

 

「え、そうなんですか……」

 

 まさかの言葉にマルグリットは二の句を告げる事すら忘れたのかと思う程に絶句していた。比翼連理とも取れる程に一緒になっている事が多いから、どこか贔屓目に見ている部分もあるのかと思った矢先の言葉は正に衝撃的だった。立場があるからではなく、純粋にそう考えているからこその言葉は先程までの考えを払拭する程の威力があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リヴィさん。先程の件なんですが、良かったからこれからそれをやりませんか?口で説明できる部分よりも恐らくは見た方が早いですから」

 

「そうか。私もこの後の予定は特に入ってないからな。で、訓練室に行けば良いのか?」

 

「場所は訓練室に間違いないんですけど、その前に行く所がありますので」

 

 エイジからの指示を受けたのか、マルグリットはリヴィに対し、これから訓練をする事を告げ、今回の目的の場所へと移動を開始していた。

 

 

 

 

 

「マルグリット。私は決して方向音痴だと思ってるつもりはないが、ここは居住スペースのはず。訓練であれば方向が違うはずだが」

 

「今回の訓練はちょっと特殊なので、事前にやる事があるんです。どうしても今のままだと理解出来ない部分も多分にあるので……」

 

 リヴィが指摘した様に、この先は居住スペースだが自分達が居る場所ではない。明らかにベテランか、佐官級の居住区である為にリヴィも直ぐに気が付いていた。気が付けば廊下の色合いも自分達のスペースとは異なっている。

 この先に何があるのかは分からないが、前を歩くマルグリットの足取りがしっかりしている以上、間違いは無さそうだった。

 

 

 

 

 

「いらっしゃい。もう用意はしてありますから」

 

「突然ですみません」

 

「エイジから聞いてますから大丈夫ですよ」

 

 マルグリットとリヴィを出迎えたのはアリサだった。既にアリサは用意が終わっているのか、何時もの制服姿では無く、少し生地が厚めの浴衣を着ている。理解しているからなのかマルグリットはそのままアリサが居る部屋へと入っていた。

 

 

「あの……今回のこれと訓練とどう関係があるんだ?」

 

 リヴィの言葉にマルグリットは僅かに言葉に詰まる事となっていた。目的そのものは伝えてあるが、詳細までは何も語っていない。扉を開けた瞬間にアリサが居た事は気にならなかったが、部屋の中に入ると明らかにゴッドイーターの住む部屋とは様相が異なっていた。

 

 人の住んでいる気配が殆どないからなのか、生活感がまるで感じられなかった。部屋そのものは他よりも豪華にも見えるが、内装も明らかに異質なそれはどこか別次元の様にも見えている。気が付けば備え付けのクローゼットには何点かの着物や浴衣が掛けられている。そのうちの一つを持ってきたアリサは当然とばかりにリヴィに渡していた。

 

 

「これは、これからやる事の前に準備すべき物ですよ。多分着付けは出来ないでしょうから、私が手伝いますね。早速ですが、それ脱いでくれませんか?」

 

 アリサの言葉は分かるが、その理由が全く分からなかった。気が付けば隣でマルグリットは自分の服を脱ぎ、浴衣へと着替えだしている。既に手慣れているからなのか、あっという間に着付けは終了していた。

 

 

「これは?」

 

「見ての通り、浴衣ですよ。とにかくこれに着替えますので、早く脱いでください」

 

 笑顔でアリサに言われたまでは良かったが、その笑みには拒否権が無い事だけは理解出来ていた。ヴァリアントサイズの訓練を言い出した手前、マルグリットについて来たものの、ここで着替える意味を見いだせない。しかし、当人が着替えている以上自分だけがこのままと言う訳にもいかず、アリサに促される様に自分の赤いケープを取り外していた。

 

 

「リヴィさん。その服もですよ。まさかその上から着るつもりですか?」

 

 この部屋には自分とアリサとマルグリットの3人しかいない。しかし、このまま服を脱ぐのはどこか抵抗があった。決して恥ずかしい訳では無いが、せめて目的を聞いてからでも問題無いだろうと考えていた。

 

 

「すまないが、これと着替えとどう関係あるんだ?」

 

「実は、私がやっているのはこれなんです。ただ、言葉だけでは伝わらないのも事実なので、リヴィさんにも体験してもらった方が早いかと思ったので」

 

「体験?何か変わった事をするのか?」

 

「変わった事と言えばそうかもしれないんですけど……」

 

「リヴィさん。マルグリットがやっているのは舞踊なんです。今回誘ったのはそれなりに理由があるからなので、決して無駄な事をするつもりはありませんよ」

 

 言い淀むマルグリットの助け船とばかりにアリサは今回の趣旨を説明していた。舞踊における身体の細やかな運用方法や、足さばきによる歩法など、戦闘時に於いての必要な要素がこれにも含まれている事。それと、自分の身体と向き合う事で自身の行動における限界値の確認が出来る事をリヴィは聞かされていた。

 

 

「なるほど……だからこれなのか。だが、これならばここで着替え無くても良いのでは?」

 

「訓練室だと基本的に着替えるスペースは無いんです。特段その場で着替えても問題は無いんですが、流石に誰が来るのかも分かりませんので」

 

 マルグリットの言葉にリヴィも改めて訓練室の状況を思い出していた。確かに遮蔽物がある訳では無いので、誰かが来る可能性を鑑みて着替えるのであれば、誰もが自分の部屋で着替えた方が効率的だと考えていた。

 事実、中級以上に義務付けられている服も全員が自室で着替えている。いくら露出度が高い服を着ていたとしても、それは個人の趣味であって露出癖がある訳では無い。ましてや浴衣の様に手間がかかる物であれば慣れていない人間であれば時間がかかるのは当然の帰結だった。

 

 

「そうか……手間をかけた様で済まない。では早速着替えよう」

 

 リヴィは自分の来ている服を素早く脱ぐと用意された浴衣へと袖を通す。帯の締め方が何も分からないからとアリサが手伝う事で漸く着替えが完了していた。既に自分が着ていた服はマルグリットによって畳まれている。持たされた扇子を片手に再び来た道を戻り、訓練室へと足を運んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう準備は出来てるから」

 

 訓練室は何時もの様な雰囲気は既に無くなっていた。コンクリートむき出しの床には敷物が敷かれ、既に用意されていたのか、幾つもの飲み物や楽器が置かれている。事前に準備したそれが今回の内容を物語っていた。

 

 

「無理言ってすみませんでした」

 

「特に気にする必要は無いよ。偶にはこれもやった方が良いだろうし、リヴィに取っては悪い話でも無いから」

 

 エイジの言葉にリヴィも漸く状況を理解していた。ここではエイジとリンドウ、ナオヤは教導教官として利用する事が多く、今回も既に話が通っていた結果でしかなかった。違いがあるとすれば、それは神機を使うか使わないかの違いしか無い。エイジの姿を見て初めてリヴィも納得していた。

 用意された楽器を取り出すと同時に各々が準備をしていく。最初は言い出しっぺだからとマルグリットが手本となる為に扇子を片手に舞踊を開始していた。

 

 

「なるほど。確かに言う通りだ」

 

 マルグリットが舞を見せているからなのか、リヴィは関心した様に呟いていた。ゆっくりと動く為に身体にかかる負担は大きいだけでなく、何かを常に意識しながらの動きが見ている者からもまるで幻でも浮かぶかの様に目的がハッキリと見える様でもあった。

 ゆったりとした動きから時折早く動く行動はどう贔屓目に見ても負荷がかかっている事が理解出来た。円運動を連想させる動きをしても体幹に乱れは全く見えない。これ程自分の身体をコントロール出来るのであれば空中でサイズを振り回しても、ぶれる事無く動く事が可能だと一人納得していた。

 

 

「見た目はゆっくりですけど、案外と慣れるまでは大変だんですよ。普段であれば使わない筋肉を動かしますから」

 

「なるほど……だから姿勢も綺麗なままなんだな」

 

 マルグリットに限った事では無いが、確かに改めて見ればアリサやクレイドルの教官でもあるサクヤもどこか一本筋が入ったかの様に姿勢は綺麗だった。特段意識している訳では無いのかもしれないが、恐らくはこれが原因である事は間違い無い。傍から見る動きに乱れは無く、やはりこれが特訓だと言われれば説明には困るのは当然の事だと理解出来ていた。

 

 

「次は私がやりますから、リヴィさんは動きを見てなるべく覚える様にして下さいね」

 

「ちょっと。それはどう言う事なんだ」

 

 アリサが残しした言葉にリヴィはわずかに焦りを生んでいた。自分が知りたかったのは訓練のやり方であって、舞踊を習う為では無い。一人焦るリヴィをそのままに、既に終わったからなのか、マルグリットは用意された飲み物を口に喉を潤していた。

 

 

「マルグリット。私は決してそんなつもりで来た訳では無いんだが…」

 

「でも見ているだけだと多分、動けないですよ。見た目以上に動きは細かいですから。それに浴衣を着ると行動範囲も自然と制限されますから、動きもぎこちなくなりますよ」

 

 既に外堀が埋められていると悟った時には遅かった。楽器を演奏しながらもエイジはアリサだけでなく、こちらも時折伺っている。既に趣味ではなく教導としてここに来ていると同時に教官まで居る。今のリヴィに撤退の二文字は存在していなかった。

 

 

「それに、女性らしさも結構身に付きますよ。案外と身体が覚えますから」

 

「私はそんな事は考えていない」

 

「またまた。このままだとロミオさんはリヴィさんの事は視界に入らないかもしれませんよ」

 

 何気にロミオの名前が出た事もあったからなのか、リヴィの頬に僅かながらに朱が走る。褐色の肌の為に目立たないが、それでもマルグリットの言葉に何か思う事はあった。

 ブラッドのメンバーはこれまで幾千もの戦いをしてきた絆がある。ましてやロミオが今どんな状態なのかをリヴィは時折目にしていた。

 

 敢えて聞かないフリをしているが、案外と落ち着いたロミオに好感を持っている女性は少なくない。気軽に話しが出来るだけでなく、先の戦いでの活躍も既に周知の事実。幾ら何を言おうが今の自分とブラッドを比べれば、僅かに劣等感があるのも事実だった。横から入り込んだ結果が今のポジションであると自覚しているリヴィからすれば、マルグリットの言葉はどこか考える物が何かしらあった。そんな考えを察知したのか、マルグリットはそれ以上の言葉を発する事は無かった。

 既にアリサの動きを見ているからなのか、マルグリットの真剣な眼差しにリヴィも改めてにアリサの舞を眺めていた。

 

 

 



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第19話 リヴィの気持ち

 リヴィの舞踊の教導は予想以上に時間を必要としていた。初めてやった事も去る事ながら、やはり身体の動かし方が根本から異なっているのが最大の要因だった。

 本部でさえもエイジが行くまでは実戦こそ全ての部分が多分にあった為に、リヴィもその限りではなかった。今回の件で当初から予想出来た、動かす為の筋肉が最初から異なっている事をどうやって理解させるのかが、今回の最大の問題点だった。

 

 目的に応じて筋肉は必要な部分を動かすのは当然ではなるが、神機を振るう為の筋肉と舞を踊る筋肉の用途は最初から違うのは当然の結果でしかない。幾らオラクル細胞で強化されているとは言っても、今まで意識して使った事が無い筋肉を動かすのは、強化されようがされてなかろうが関係無かった。そうなれば、動きそのものがこれまで使っていない部分に意識が向く為に、必然的に時間がかかるのは、ある意味では当然の事だった。

 

 ぎこちなく踊るも今はその事実を目にしているのは誰もが一度は通ったからと自覚しているのか、揶揄する様な部分は何処にも無い。傍からみればただゆっくりと動くだけの行動がこれ程厳しい物だとは思っても無いからなのか、リヴィはこれまでにかいた事が無い汗が流れていた。

 紬の浴衣は汗を吸ったからなのか、肌に張り付く感じが徐々に広がり出していく。マルグリットやアリサの様に流麗に動く事は未だ敵わないが、ここで漸く言葉の意味を理解する事になっていた。

 

 

「一先ずは休憩しようか。恐らくはこれまで使った事が無い筋肉を動かしているから負担も大きいですし」

 

「そうか。何だかすまない」

 

「リヴィさんは気にしすぎですよ。私だって同じ事になりましたから」

 

 フォローを入れるかの様にマルグリットはリヴィに話しかける。ここがまだアナグラだったから厳しくなる事はなかったが、これが屋敷でとなれば話しは大きく変わってくる。厳しい稽古だけでなく、何をするにもその動きは常時要求されている。普段は天真爛漫なシオでさえ、舞踊の修練の際にはこれまでに見た事が無い様な真剣な表情で取り組んでいる。それを考えれば自分の時に比べれば格段にマシだとマルグリットは一人考えていた。

 

 

「そうですよ。これが屋敷だったら、更に厳しいですから」

 

 どうやらアリサも同じ事を考えていたからなのか、マルグリットと同じ様な発言をしていた。アリサに至っては当時はまだ病み上がりだった頃に開始した事もあってか、マルグリットよりも少しだけ穏やかな開始となっていた。しかし、穏やかだったのは初日だけ。その後の厳しさは今思い出しても身震いする程だった。

 幾ら興味本位とは言え、まさかああまで厳しい物だとは想像すらしていない。エイジが事も無くやっていたから、自分も多少はぎこちなくてもそれなりに出来るだろうと訳の分からない理論で臨んだ結果、その1時間後には激しく後悔していた記憶がそこにあった。

 今はまだ一定以上の技量を持っているが、当時は何も知らないまま。これが基本だとすれば病み上がりの割には随分と苛烈な生活を送っていた物だと改めて思い出していた。

 

 

「念の為に言っておくけど、これが弥生さんにお願いしたら更にハードになるよ。今後も出来る事なら続けた方が何かと良いとは思うけどね」

 

「そうか。しかし、これは簡単に出来る物では無さそうだしな。今後は少し取り入れたいと思う」

 

 短い時間とは言え、何かしら掴んだからなのかリヴィの言葉には力があった。当初は困惑だけが取り上げられていたが、今になってその意味が理解出来る。最小の動きで最大の効果を発揮するには並大抵の努力では成し遂げる事は出来ない。今出来る事を何も疑う事無くやるしかないとリヴィは考えていた。

 

 

 

 

 

「何だ。さっきから訓練室で何やってるのかと思ったら、こんな事やってたのか」

 

「今回は時間が無かったからね。まだ最初の部分だけだよ。今後はリヴィの教導に盛り込むつもりだよ」

 

 訓練室の扉が開いたかと思えば、開口一番にエイジに話かけていたのはナオヤだった。訓練室は防音仕様になっているが、射撃場程ではない為に時折小さく音が聞こえていた。教導を受けている人間はそれどころでは無いが、やっているナオヤはその音色がエイジの物である事は理解している。丁度キリが良かったからと顔を出したに過ぎなかった。

 

 

「となれば、誰がそれをやるんだ?少なくとも俺はそれだけの時間は取れんぞ」

 

「その辺りは、おいおい考える事にするよ。まだ導入だからね。触りまで行けばもっと本格的に出来るはずだよ」

 

「……そうか」

 

 エイジと話していたが、ナオヤの視線はリヴィに向いていた。既に汗で張り付く浴衣にどれ程の時間をかけたのかが容易に想像出来る。日常や戦闘で使う事が無い筋肉を使う事がどれ程大変なのかを知っているからこそ、その視線にはどこか同情の様な物が浮かんでいた。

 

 

「そう言えば、そっちは新人の教導だったの?」

 

「いや。今回は違うんだが……」

 

「ああ~!リヴィちゃんが浴衣着てる!それにアリサさんにマルグリットちゃんまで。ここで何してたんですか?」

 

 隙間から覗いたのか、ナナの声が訓練室に響いていた。ナオヤの教導の相手はどうやらナナだったのか、その姿はこちらと似たような状況になっていた。

 以前とは違い、ギルやロミオの教導は既にアナグラの中でのスタンダードを大幅に越えていた。最終決戦での戦いの結果から何か思う部分があったのかもしれないが、最近になってナナも割と受ける事が多くなっていた。

 元々メニューらしいものは何一つ無かったが、応用となれば事実上の実戦に限りなく近い物があり、ナオヤとしても本来であればやりたくない気持ちがあった。向上心は盛大に買いたい所だが、生憎と身体は一つしかない。

 本来であればリンドウやエイジにも参加させたかったが、それを察知したからなのか、リンドウはミッションへと逃亡を図っていた。エイジに関しては今日の事は聞いてなかった事もあってか、声を掛けようとした途端、既に教導メニュー中だとヒバリから告げられた結果だった。

 

 

「私はマルグリットにヴァリアントサイズの運用についての訓練をさせて貰ってたんだ。これが中々難しいのは想定外だったが」

 

「浴衣まで着てるってのは?」

 

「これに関しては……」

 

 ナナの何気ない質問にリヴィは少しだけ言い淀んでいた。このまま言っても問題無いが、先程の状況を考えると、とてもじゃないが他人に見せる事が出来るレベルにすら達していない。

 事実ナナの顔を見れば完全に何をやってるのかを知りたいだけの様にも見えるが、本当にそうなうなのか確証を持つ事は出来ない。仮に今やった所で恥ずかしさの方が全面に出る為に、どう言えば良いのか言葉を探していた。

 

 

「今日初めてやったばかりなので、人に見せられる状態じゃありませんよ。見せるならもう少し時間が必要ですね」

 

「私はそんなつもりは…」

 

「そうなんだ!じゃあ、何やってるのかは分からないけど、上手く出来る様になったら教えてね!」

 

 アリサの説明にリヴィは阻止しようと試みたまでは良かったが、ナナの言葉にそれ以上は遮られていた。既に言いたい事を終えたからなのか、ナナはこの場には居ない。当初はこっそりとやるはずの物がいつの間にか披露する羽目になっている。この時点でリヴィの退路は断たれたに等しかった。

 

 

 

 

 

「一つ聞きたいんだが、人前で見せる事が出来るレベルはどれ位かかる物なんだ?」

 

 部屋に戻り汗を流し終えたからなのか、リヴィは先程の話のやりとりの事を思い出していた。今日、初めてやったからなのか、それとも律儀にナナの言葉を考えた末の事なのかは分からない。しかし、目の前にかなりの技量を持った人間が居る以上、どれ程の時間が必要なのか位は確認したいと考えていた。

 

 

「どのレベルに行くか次第ですね。単に見せるだけならそれ程の時間は必要とはしませんが、納得できるかと言われれば……」

 

 言い淀むマルグリットの言葉にリヴィは全てを察していた。先程アリサが見せたレベルでさえ及第点が出ていないとなれば、自分は一体どこまでやれば良いのだろうか。余りにも遠すぎる道に踏み込んでしまった事を今さらながらに後悔しても何も始まらない。元々は神機の運用だったはずにも関わらず、今聞いているのはそれとは全く関係無い話。

 口にしたリヴィ自身でさえも気が付いていない事実は、そこに居たアリサだけが気が付いていた。

 

 

「マルグリット。多分リヴィさんは見せる以上は妥協はしたく無いんですよ。だとすれば、みっちりとやった方が良いかもしれませんね」

 

「なるほど……確かに誰かに見せたい気持ちがあるなら、それは当然の事ですね」

 

 アリサはリヴィがまだ自分の考えが変更されている事に気が付いていない事を理解していた。それを踏まえた上で元に戻そうとするつもりは最初から無かった。

 屋敷ではある意味何かしらの事を要求されるが、それはあくまでも極東支部とは関係無い話。将来的には必要な物もあるかもしれないが、それをどう考えるのかは各自の考えでしかない。

 今でこそエイジの身内だから分かるが、これが他人がとなれば当然それにまつわるリスクも付いて来る。戦闘時の教導であれば今も必要とされているが、文化的な物となれば話しは大きく変わってくるのは必然だった。

 アリサとしても道連れ……ではなく、同士としての仲間が少しでも多くなればと考えた末の発言にすぎない。ひょっとしたら、この時代に文化の継承は不要なのかもしれない。だからと言ってそのまま放置するのも勿体無いと感じるのもまた事実だった。

 

 既に極東支部の中でも一部はその文化としての意味合いを色濃く継承しているものも多い。屋敷での教えは今のアリサにとっても厳しい事に変わりない。リヴィの思考とその方針をゆっくりと変更していく。気が付けばリヴィの思考は元の状況から大きく逸脱していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうなんだ。だとすれば私も何かやってみたいかも」

 

 訓練室からそのまま出た事によって、明らかにこれまでの教導とは異質だったからなのか、気が付けば結構な人間が3人を見ていた。元々動く事が前提だったからなのか、本来よりも緩めに着付けた事だけでなく、汗によってはりついた浴衣が3人の身体のラインをクッキリと浮かび上がらせている。薄着が多い女性陣とはまた違った空気を漂わせていたからなのか、まるで情事の後を想像させる様な姿に周囲の空気は明らかに違っていた。

 

 普段であれば浴衣を着てアナグラを歩くケースはそう多く無い。汗ばんだ3人を見たからなのか、女性陣よりも男性陣の方が視線を送る事が圧倒的に多かった。

 アナグラでは見慣れない光景から起こる雰囲気に影響されたからなのか、伝播するかの様に落ち着かない空気が漂っている。そんな空気を察知したからなのか、ナナは珍しく休憩に来ていたリヴィに話しかけていた。

 

 

「しかし、私もまだまだなんだ。特に普段であれば使わない筋肉を使うからなのか、かなり厳しいぞ」

 

「え、そうなの?」

 

「ああ。ゴッドイーターだからと言った考えは持たない方が良い。寧ろ肉体よりも精神の疲労の方が大きいからな」

 

 最初の練習以降は、まさにスパルタの一言だった。今になって当時のエイジの言葉の意味が理解出来ていた。軽い気持ちで習ったまでは良かったが、やはりエイジもまた時間にゆとりが多い訳では無かったからなのか、その後は弥生が指導する事になっていた。

 基本は訓練室のはずが、気が付けばそこではなく屋敷で習う事が徐々に増えていた。

 

 

「でも、今では見せる事が出来るようになったんじゃないの?」

 

「とてもじゃないが今の私では無理だな。マルグリットとて今だに厳しい練習を積んでいる。それに、それ以外の精神修養が厳しい」

 

「何か他にもやってるの?」

 

 ナナの言葉にリヴィは改めてこれまでの顛末を話していた。当初は舞踊で終わる予定だったはずが、気が付けば他にも幾つかの事を強要されていた。

 本来であれば断る事も可能ではあるが、全てが目的に通じると説明された事によって、拒否権は物の見事に破棄されていた。当初は大変だったはずの正座で今はお茶までこなしている。時折、子供達と遊ぶ事はあるものの、それでもミッションの合間に習うそれは、また違う疲労感が漂っていた。

 

 

「ああ。何でも茶道とか言う物もしている」

 

「ああ、それ知ってる!お茶碗3回クルクルさせるのだよね」

 

「クルクル……ではないが、そうだな。あの抹茶と言うのも中々苦い物だな。でもお茶菓子で出される物は中々甘いな。少なくともここでは食べた事が無い。あれだけは格別だな」

 

 情報管理局に居ただけでは決して経験出来ない事を今やっていると言うのは、リヴィにとっても意外と興味深い物だった。元々の出発点は異なっているが、気付けばそれなりにやっている様にも思える。

 終末捕喰で一度は自分自身の使命が終わったも同然だったはず。こんな会話をしていたからなのか、リヴィは気が付けば自然とブラッドの中に溶け込んでいる様にも思えていた。

 

 

「そんな良い物があったなんて……私も少しは参加してみたいな」

 

「ナナ。案外と大変だが、長時間の正座には耐える事が出来るのか?」

 

「それは……」

 

 以前に屋敷に招かれた際に、ナナは慣れない正座でその後かなり苦労した事を思い出してた。足が痺れた事によってまともに立てなくなっただけでなく、何かの拍子で盛大に転んだ記憶だけが残されている。

 当時の経緯を思い出したからなのか、正座の言葉にその明るい表情は突如として急転直下で下降していた。

 

 

「ナナさん。お茶菓子が欲しいならエイジさんに頼んでみてはどうですか?」

 

「実は以前に頼んだ事があったんだけど、ここでは難しいって言われたんだよね」

 

 シエルの言葉にナナも当時頼んだ記憶があった。ここではケーキやクッキーと言った物は割と出る事が多かったが、和菓子に関しては驚くほど少なかった。元々餅を作るだけでもそれなりに時間がかかるだけでなく、一つ一つの工程に手間がかかる。小麦粉を振るう事からスタートするケーキやクッキーの方が格段に簡単だった。となれば普段から何かに付けて忙しくしているエイジでは難しく、ムツミもまた作った経験が無かった事から、その願いが叶う事は無かった。

 その結果、精々がウララが食べる煎餅を口にする事はあっても、大福や餅類の和菓子を口にした記憶は殆ど無かった。そんな事もあってか、時折話に出てくる物に関心があったからなのか、既に一度ならず二度三度とナナは頼んでいる。その結果が今に至っていた。

 

 

 

 

 

「何?お菓子の話?」

 

「ロミオ先輩。女子の会話に割り込むなんて、ちょっと無粋だな」

 

「何でだよ。さっきからお茶菓子の話してたんだろ?あそこの大福って美味しいよな。特にあの豆が混ざったのなんて今まで食べた事無かったから、つい食べ過ぎるんだよ。また機会があったら食べたいよな」

 

 特定の単語は出ていないが、ロミオが指している場所がどこなのかは考えるまでもなかった。一時期はあそこで過ごしたからなのか、多少なりともその状況は理解している。

 厳しい訓練の事を思い出すとげんなりとするが、そんなロミオも厳しい訓練をした後のオヤツはどこか楽しみにしている部分があった。

 普段であれば口にした事が無い物が多かったのは、今となっては良い思い出になっていた。気が付けば話の内容は既に当初とは大きく逸脱している。そんな2人の会話を聞いていたからなのか、リヴィは少しだけクスリと笑顔をのぞかせていた。

 

 

「何それ!私はそんなの知らないよ」

 

「そりゃそうだろ。だって言ってないんだからさ」

 

「それってズルい!やっぱり私も形から入ったら何か食べれるのかな」

 

「ナナ。まずは正座に長時間耐える事が出来るのかが問題だな。あそこでは浮かれた気分でやると後で痛い目にあうから、その覚悟はしておいた方が良い」

 

「それでも価値はあるはずだよ」

 

「ナナは多分無理じゃないかな……」

 

 ナナとロミオの言い合いにリヴィ以外、誰も口を挟む事は無かった。何時もと同じ会話をしているはずにも関わらず、お互いの共通事項がこうまであるだけで随分と話しに花が咲いている。当初は自分は皆と違うと考えていた焦燥感は既に無くなっていた。

 

 

「ナナ。そろそろ次のミッションに行くぞ。もう北斗とジュリウスが待ってるぞ」

 

「え!もうそんな時間なの?」

 

「何時まで経っても来ないから俺が来たんだ。さっさと行くぞ」

 

「ギル。ちょっと待ってよ!」

 

 ギルの視線は自然と厳しくなっていた。気が付けば現地への出発時間まで残り10分程しかない。それを確認したからなのか、ナナは慌ててラウンジを後にしていた。

 

 

「なあ、ロミオ。ブラッドは良いチームだな。以前にジュリウスが言っていた家族の意味が分かった様な気がする」

 

「……当然だろ。今さら何他人事みたいに言ってるんだよ。リヴィだって同じ仲間じゃないか」

 

「そうか。私も同じだったのか」

 

「何、訳の分からない事言ってるんだよ。そんなの当然だろ」

 

 まるで独り言の様に出た言葉に返事が返ってくるとは思ってなかったからなのか、ロミオの返事にリヴィは少しだけ驚くと同時に、壁を作っていたのは自分だった事を漸く理解していた。既にナナが居なくなった事で先程までの喧噪が嘘の様に静かになっている。ロミオの言葉にリヴィは少しだけ嬉しさを噛みしめながら同じくラウンジを後にしていた。

 

 

 



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第20話 ジュリウスの思い

 勢い良く振り下ろす刃は何の意志も感じる事無く、目標となった場所に的確に突き刺さる。既にどれ程の時間が経過したのか、その動きが止む様な事は一切無かった。

 気が付けばどれ程の時間が経過したのろうか。ここで漸く男は持っていた刃を振るう事を止め、改めて後ろを振り返っていた。男の背後にはその痕跡とも取れる結果だけが残されている。

 既に男の手によって作られた畝は数える事すら放棄すべき数になりつつあった。

 

 

「またやってるのか。ここはオラクルの恩恵が無いんだ。そろそろ休んだらどうだ?」

 

「北斗か。いや。ここはまだ開墾する必要がある以上、ここで手を止める訳には行かない」

 

 北斗の声にジュリウスは背後を振り返っていた。北斗の手にはアナグラから持ってきたと思われる飲み物が両手に握られている。既に時間も押し迫る頃になりつつあると判断したのか、漸くジュリウスも作業の手を止める事にしていた。

 

 

「幾ら何でも作り過ぎやしないか?作物の成長が早いのも脅威だけど、数を増やすと今度はその管理がままならなくなるぞ」

 

「そうだな……だが、俺としては色々な物を植えてみたいんだ。教えて貰った事の結果が出る頃にはどうなっているのかが楽しみでな」

 

 既に種を蒔いた物の一部が萌芽が始まっているからなのか、まだ小さな芽ではあるが、その結果はこれまで考えていた予想よりも遥かに早い結果をもたらしていた。

 時間をかければ今度は芽が出た物を管理していく必要が出てくる。となれば必然的に開墾の時間が取れなくなるのは当然だった。だとすれば芽が大きくなるよりも一刻も早い開墾が至上命題となってくる。だからこそ、ジュリウスは自分の時間にゆとりがあれば直ぐにこの聖域での作業に没頭していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「実はあの聖域に関してなんだが、オラクル細胞の影響を一切受け付けない事が今回の調査で判明したんだよ。今はまだあの程度の大きさではあるが、今後は目に見える程の早さは無くても、拡大するのは間違い無い。そこでなんだが、君達さえ良ければの話なんだが……」

 

 ジュリウスの救出後、榊の下に呼び出されたメンバーが聞かされた事実は衝撃的な物だった。オラクル細胞の発見から今日に至るまでに、既に20年以上が経過している。当時の事を知っている人間はまだまだ居るが、ジュリウス達が物心つく頃には既に今の様な有様となっていた。

 今でこそ旧時代と言った言い方もされているが、ジュリウス達にとっては現状しか知らない為に榊の提案に対し、どう答えて良いのかが分からなかった。

 

 

「実は今回ブラッドを召集したのは、あの地で何が出来るのかを検証したいと考えている。これは極東支部だけの話ではなく、人類の未来に繋がる物だと考えて貰えれば助かる。榊のオッサンが言った様に、あの地はオラクル細胞の影響が出ない為に、我々としては農業を一つの計画として立案したい」

 

 榊の言葉を遮るかの様にソーマが改めて説明をしていた。螺旋の樹の崩壊後、残された空間であり得ない体験した為に2人の博士の言葉を疑う者は誰一人居ない。自分達のこれまであったはずの腕輪が消滅し、細胞そのものが一度リセットされた事実は驚愕の一言だった。

 その事実を否定する事が出来ない以上、提案された物に対しどう対処するのかがブラッドに委ねられていた。

 

 

「一つ質問があるんですが、どうして農業なんでしょうか?」

 

「北斗君。良い質問だね。実は今回の計画にあたって、君達も知っての通りだが、今サテライトが幾つか建設されている中で001号は食料事業に特化しているのは知ってるよね」

 

「まぁ、それ位ならば」

 

「僕達だけでなく、君達ゴッドイーターとしても食と言う物は馬鹿に出来ない。当然の事だが、生命体はすべからく何かしらの栄養を外的な要因で取り込んでいる。もちろん、人間にとっても当然の話だ。本来であれば口に入って栄養価だけを摂取すれば良いのも事実ではあるが、やはり口に入れる以上は満足度の高い物の方が良いのもまた事実だ。それに、今の極東の食料事情が良くなったのは、ここ3年の話なんだよ」

 

 榊の言葉に、質問した北斗だけでなく他のメンバーも驚いていた。初めてここに来た際に食べた食事はフライアで移動していた頃の物よりも随分と上質な物だとは理解している。しかし、そんな短期間での変化だとは思ってもいなかった。

 他の支部では未だにフェンリルから配給される食糧を配布したり、遺伝子を組み替えた味よりも量を優先した物が出回っている。移動要塞だった頃を思い出したからなのか、このメンバーの中ではジュリウスとロミオが一番理解していた。

 

 

「3年って、ここ最近の話ですよね?一体どうやって……」

 

「その件に関しては紫藤博士が色々と開発した結果なんだよ。事実、今実験的に配布している上級チケットの大半はここで普通に賄える物が多い。ここで作った物を各地に販売しているからと言えば、分かるね」

 

「え?それだと上級チケットの意味って……」

 

「ナナ君の想像通りだ。ここでの上級チケットは事実上の嗜好品が殆どになるね。知っての通り、チケットで交換するよりも外部居住区のマーケットで買った方が安くなってる物も多数ある。あくまでもあれは実験的な物だから今後も続けるかどうかは未定なんだよ」

 

 ここ最近になって上級チケットでの報酬も可能となった事から、ナナだけでなく、他の人間も参考にと考える部分が多分にあった。実際に上級チケットの交換比率ナンバー1はアルコールの類だった。

 クレイドルの報酬が時折それで払われる事もあってか、リンドウは積極的にそれをアルコールへと交換している。だからこそ、ラウンジでリンドウのボトルを見ると変わった物が多いのは当然の結果だった。このメンバーの中でギルだけがバータイムにラウンジに行く事が多かったからなのか、やけに珍しい品揃えが多いと記憶していた。

 

 

「そんな事もあってだ。実際に聖域にはオラクル細胞由来の植物は育たない事は既に検証済みだ。今後の展望はともかく、今後の流れを考えればオラクル由来の物ではなく、従来の物を使った方がより効果的になる。工業製品では無意味だから、こちらとしても検証の為の材料としてお願いしたい」

 

 ソーマの言葉に誰もが即答する事は出来なかった。事実上の依頼ではあるが、ブラッドとて暇ではない。感応種の討伐任務は相も変わらず続くだけでなく、時折出没する神融種も厄介な代物でしかない。いくらクレイドルが居るとは言え、それも万全でない事を知っているからかこそ悩むのは当然だった。

 

 

「ソーマ博士が言う様に、本来であれば君達に頼むのは筋違いなのかもしれない。ただ、一度失った物を復活させると言うのは並大抵の努力をしても、どうしようもないんだよ。今、オラクル細胞由来の物が溢れているが、近い将来。いや、これから先の人類にとっての未来を考えると、それが不要になる可能性も出てくる。それだけじゃない。ギリギリの状態で保管している旧時代の種子も限界を迎えようとしてるんだよ。

 今だけを見るのは容易い事だが、将来を見据えた行動をするのも必要なんだよ。もちろん、即断を求めている訳では無いから、よく相談してほしい」

 

 榊の言葉の意味は誰もが理解していた。一度失った物が再び元の状態に戻る可能性は皆無だった。3年の間に食料事情が大幅に改善されているのは、既存の物を組み合わせた結果であって、それが発展する可能性はあまり高く無い。事実、聖域でのオラクル細胞由来の種子が芽吹く事が確認出来ていないだけでなく、未来に繋がる軌跡をここで絶てば、何らかの禍根が残る可能性も否定出来なかった。

 

 

「榊博士。その件に関してですが、お受けしたいと思います。ゴッドイーターは人類の守護者であって破壊者ではありません。折角の機会を頂いたのであれば、その機会を存分に活かしたいと考えています」

 

「ちょっと…そんな簡単に承諾して良いのかよ?」

 

「ロミオ。これはブラッドに依頼された物かもしれないが、俺個人としてもやってみたい考えがある。事実螺旋の樹を作り、その後の騒動を起こしたのは紛れも無く俺自身の取った結果だ。罪滅ぼしとはいかないが、未来に繋がる軌跡を閉ざそうとは思わない。俺個人の我儘だと言われればそれまでだが、それでもやってみたいんだ」

 

「ジュリウス。悪いがその考えに俺は反対だ」

 

 ジュリウスの言葉を遮るかの様に発言したのは隊長でもある北斗だった。これまでの事を考えると、反対する道理も無ければ任務外での内容の為に問題になる事は無い。だとすれば賛成しても良いとさえ思っていたシエルやナナ、ギルだけでなくリヴィも驚いていた。

 

 

「北斗。それはどう言う意味だ?」

 

「言葉の通りだ。それにジュリウス。一つだけ勘違いしてるぞ」

 

 北斗の言葉にジュリウスは珍しく怪訝そうな表情で北斗を見ている。既に周囲の状況が悪くなりだしたのか、その空気はどこか剣呑としている様にも感じていた。

 

 

「さっきの言葉はジュリウス一人だけの話だ。勝手に決められては困る」

 

「だよね。ジュリウスってさ、見た目は冷静沈着の様にも見えるけど、案外と視野が狭くなる事もあるし、一度こうだと決めたら突っ走るからね。そう言う意味では北斗より質が悪いかもね」

 

「確かにそうかもな。隊長の変更だって勝手に決めたのもジュリウスだったからな」

 

 北斗の考えを読んだからなのか、ナナは合いの手を入れるかの様に北斗の言葉に呼応する。それを聞いたからなのか、ギルまでも言葉を告げていた。

 まだ返事が無いままに勝手に進めた事を自覚したのか、ジュリウスも珍しくバツが悪そうな表情を浮かべている。それが答えだったのか、榊とソーマもこの状況を見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだ。コウタさん。榊博士から聞いたんですけど、極東支部の食料事情が良くなったのってここ3年の位の話だって聞いたんですけど、本当なんですか?」

 

 支部長室でのやり取りはその後何の障害も無く決定していた。既に準備に入ったからなのか、その後の榊はソーマと共に何かをやっている。既にブラッドとしてもやるべき事が無いからと、一先ずはラウンジへと向かっていた。

 

 

「3年ね……確かにそう言われればそうかもな。俺がここに入った頃の話だったけど、確かにそうかも」

 

「因みに当時ってどんな物が出てたんですか?」

 

「当時は遺伝子を組み替えたジャイアントトウモロコシとか、味の分からないレーションが多かったよ。実際にプリン味のレーションなんて、ただベタ付くだけの甘い物だったから、記憶に残ってるよ」

 

 コウタの言葉に何かを想像したのか、ナナの表情は言葉では言い表せない物となっていた。ラウンジも無ければ食料の配給も各自で何かしら賄う必要がある。その結果として食事事情は個人によっては随分と隔たりが存在していた。

 

 

「そうだったんですか……だとすれ、ば当時に比べれば今はやっぱり良いんですよね?」

 

「ああ。当時はラウンジも無かったから、随分と苦労したよ」

 

 コウタの言葉にムツミは苦笑いをするしか無かった。ここが出来た当初から居るムツミの記憶では厨房施設を作ったまでは良かったが、人選に難航した事実がある事を知っている。しかし、その前となれば知らないのも当然だった。コウタの言葉に当時の事が容易に想像できるのか、何時もの様に下拵えをしながらも、その意識はコウタ達の会話に向かっていた。

 

 

「じゃあ、コウタさんも自炊とかしてたんですか?」

 

「コウタがそんな事する訳ないじゃないですか」

 

 ナナの質問に返事をしたのはアリサだった。既に書類の仕事が終わったからなのか、いつも手にするタブレットも持っていない。休憩だからなのか、食事に来たからなのかコウタ達の会話を聞きつけてここに来ていた。

 

 

 

「アリサだって同じだろ。どれだけエイジにお世話になったと思ってるんだよ」

 

「当時の事はもう良いんですよ。それよりも書類の〆切は明日ですよ」

 

「やっべ……って誤魔化すなよ」

 

 コウタの言葉にその場に居たナナだけでなく、ブラッド全員がその状況を一瞬にして理解していた。材料があれど調理が出来なければ無意味でしかない。ましてやコウタが自炊なんて言葉はこれまでに聞いた事が一度も無かった。

 しかし、アリサの言葉で漸く納得出来たのか、先ほどの榊の言葉にもリンクしている。今はエイジだけでなくムツミも居る以上、食材の質が向上すれば自然と食事のレベルも上がるのは明白であると同時に、今の環境がどれだけ恵まれているのかを改めて感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ芽が大きくなれば間引きの必要もあるな」

 

「折角大きくなってきたのに抜くなんて酷いよ」

 

「ナナ。気持ちは分かるが、このまま大きくなれば最終的にはお互いの栄養素を奪い合う事になる。そうなればお互いが発育不良のままで終わってしまう。辛いかもしれないが、これも確実に大きく成長させる為なんだ。それに種子の数は限定されている。貴重な物を提供するのであれば、拘るのは当然だ」

 

 ジュリウスの言葉だけでなく、ロミオの知り合いの老夫婦も同じ事を言っていた事が思い出されていた。決して何でも悪い訳ではなく、数を調整する事で栄養を確実に回す。その結果、確実な収穫を求めるやり方を選択していた。

 元々の種子の数が限られている以上、初めての状態でもそれなりに結果を残す必要があった。

 

 

「そっか……そうだよね」

 

「ナナ。決して間引かれた物が悪い訳では無い。生存競争の果てと言えばそれまでだが、中には本来であれば間引く必要の無い物だってあるんだ」

 

どこか納得していないと判断したのか、ジュリウスは改めてナナに説明をしていた。無数の畝の表面にはまだ芽吹いたばかりの物もあればそれなりに大きくなってきている物もある。全部を確実に収穫するのが本来は最上ではあるが、実際にはそれは困難でしかなかった。

 ここに来るまでにも幾つもの苗が病気になり、悪天候によって流されている。自然の前に対して人間の努力はちっぽけな物でしか無い。いくら土砂を押さえようとしても、聖域では超人的な力は発揮されない。これが自然と戦うのだと改めて感じる事がこれまでに幾度もあった。

 そんな結果をナナも知っているからこその気持ちである事を察した結果だった。

 

 

「だが、近くにそれ以上の物があればそれを優先するのが本来の筋道だ。人間とは違い、植物はその場から逃げる事は出来ない。強大な力がそこにあればやがて淘汰されるのは必然なんだ。だとすれば、我々が出来る事はそれを如何に効率的にするのかだ」

 

 明らかにダメだと分かる物は仕方ないが、中には惜しい物もある。間引く以上は仕方ないが、それでもとの考えから、間引いた物を丁寧に取り出す。まだ根が広がっていないからなのか、ジュリウスは一度間引いた物を再び他の場所へと植え直していた。

 

 

「これならどうだ?これであれば、最初よりも条件は悪いかもしれないが、無にはならないだろう」

 

「……そうだよね。少しでも多くの作物を作るのが目的だもんね」

 

 先程までの落ち込みが嘘だったかの様にナナの機嫌は急上昇していた。間引いた物が改めて育つのかは現時点では判断する事は出来ない。だとすれば、その可能性に賭けるのも悪くは無いだろうとの考えがそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思ったよりも育成が早いですね」

 

「そうじゃな……ここは他の地域よりも成長促進が早いな。本来であればもう少し時間が必要なんじゃが……」

 

 ジュリウスは老夫婦と共に畝を眺めていた。少し前まではまだ土の色をしていたはずが、気が付けば既に萌芽で緑に染まっている。隣にいた老夫婦もやはりこの光景を目にしたからなのか、少しだけ困惑気味に笑っていた。

 

 

「まだこの地は完全に解析された訳ではありませんし、恐らくはまだそう言った物を育てた事が無い土地だからなのかもしれませんね」

 

「確かに可能性は否定できんのじゃが……」

 

「まぁまぁ。そんな事を今言っても何も始まりませんよ。予定よりも早いならその分収穫も早くなる訳ですし、今後もこの調子ならまだ沢山の物を作る事も可能ですよ」

 

「確かにそうじゃな。まずはこれを収穫せん事には何も始まらんからな」

 

 ジュリウスと老爺の心配するやりとりを他所に老婆は事も無く話す。確かに成長の度合いが早ければ、次は種子となる物も新しくなる。命の連鎖をこうやって繋いで行く事は人間の本来の有り方なのかもしれない。

 榊とソーマの言葉に何かを思う事が漠然としていたからなのか、ジュリウスは珍しくその光景をボンヤリと眺めていた。

 

 

 



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第21話 山の民

「ここが例の場所か。思った以上に木が生い茂ってるんだな」

 

「ほら。ぼやぼやしてると直ぐに日が暮れるわよ」

 

「お前ら、早くしろよな」

 

 聖域は基本的には特定の人物以外は侵入が制限されていた。未だ完全に調査が終わっていない事だけでなく、周囲をオラクルの山脈に囲まれている為に、今だ生態系が確立されていない事がその原因だった。

 幾ら人類の天敵とも言えるアラガミの生息が確認出来ないからと言って、脅威が全く無いとは言い切れなかった。見た目は穏やかでも、人類に対し有害な物が無いとは言い切れない。まだ水辺と平地以外に人の手が入る事はなく、本来であれば山間部にその声が響く可能性は無いはずだった。にも拘わらず、男女3人の声が当たり前の様に響いていた。

 時折聞こえるのは木を切り倒す音と引き摺る音。既にどれ程の時間をそうしているのかと思う程に手際が良い音が響き続けていた。

 

 

 

 

 

「これで依頼された材料は全部か?」

 

「図面を見た限りだとそうだけど、作るのはクニオさんじゃないんだよね。だとすればギリギリすぎるのも拙く無い?」

 

「確かに言われればそうだけど、流石に鋸を入れるのはクニオさんじゃないのか?素人が墨付け通りに出来るとは思えない」

 

「やっぱり少し多めにしようか」

 

 そう言いながら再び男女の影は山間部へとその姿を消し去っていく。これが当たり前だからなのか、程なくして追加の材木が運ばれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう、お前ら。例の小屋の件だが材料の調達が終わったぞ。明日からだが、現場には来れるのか?」

 

「緊急のミッションが無ければ可能です。時間はどうしますか?」

 

「そうだな……移動にはヘリを使うんなら正規の時間の朝一だな」

 

 以前に相談していたログハウスの建設は、ゆっくりではあるが確実に進んでいた。既に農業を営んでからそれなりに時間が経過していたが、肝心のログハウスに関しては思った以上に計画が進まなかった。

 計画の当初はただ作業用の荷物を入れ、人の休憩出来るスペース程度の話で進んでいたが、想定外の出来事によってその計画は大きく変更を余儀なくされていた。

 

 ここに来て作物の成長の度合いが想定よりも早くなりつつある事から、誰かが事実上常駐する必要があると判断されていた。当初はジュリウスが一人でと言った案も出たが、ここからアナグラを経由して討伐に向かうには余りにも非効率だからとブラッド全員が却下していた。その結果、老夫婦がここの様子を見る結果になっていた。

 当初は夫婦共に遠慮していたが、作物の育成に対する知識と、ロミオが一時的とは言え、お世話になった事からもサテライトや外部居住区に住まないのであれば、ここはどうだろうとの提案が出た結果だった。

 

 そんな計画の変更はそのまま設計にまで影響を及ぼす。建築するだけでなく給排水の手配に住環境の整備。気が付けば事実上の一軒家と大差ない仕上がりになる事が決定されていた。当然用途が変更された以上、それに付随する設備やコストも大きく変更される事になる。当初の予定よりも大きくなった予算に対し、ロミオが増額した分を自分で払うと言った話も出たが、これも偏に農業の一環であるからと、ジュリウスが声を大きくした事で更なる時間を要していた。

 

 

「えっと……朝一番って事は」

 

「巡回のタイミングだから6時頃だな」

 

「そんな時間なの?」

 

「何だ?起きるのが辛いなら起こしに行くぞ」

 

 クニオの言葉にナナはただ驚いていた。これまでにも農場に足を運んだ際には材木があった記憶はどこにも無い。にも関わらず準備が出来たと言うのであれば、それに従うしか無かった。

 しかし、想定外の時間にそれ以上は何も言えない。普段よりも早く起きる時間である以上、思わず声が出たのは当然の結果だった。

 

 

「そこまでしなくても大丈夫だよ。ミッションだったらもっと早く起きる事もあるからね」

 

「そうだったな」

 

「どうでも良いが、明日だからな。誰も遅れるなよ。寝坊したやつは置いて行くぞ」

 

 クニオは既に材料が運ばれたからなのか、漸くここからが本番だとばかりにこれまで以上に気合が入っていた。度重なる図面や仕様の変更にストレスが溜まっていたのかもしれない。明日にも関わらず、何もしなければこれからでも向かうのではと思う程だった。

 一方のブラッドもまた、これからの作業を待ち遠しくしていた。新たな建築物が出来る事によって農業の事業が更に過加速するだけでなく、まだ図面でしか見た事が無い物が実際に出来るまでを手掛けるのは誰もが興味津々だった。

 

 

「でもさ、材料っていつ持って来たんだ?一昨日の時点では無かったよな」

 

「確かにそう言われれば、そうですね。しかし、クニオさんがそう言う以上は間違いなんて事は無いかと思います」

 

 未だ理解の範疇を超えた事実に、思考が追い付いていない。ログハウスを建てる程であれば材料が少ないなんて可能性はあり得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すまないが、この依頼を聞き入れて貰えないだろうか?」

 

「無明殿が頭を下げる必要はありませんので。我々の力が必要であれば幾らでも融通します。しかし、何故我々に?」

 

 老爺は無明の言葉を聞き入れると同時に、一つの疑問があった。山間の木の伐採であればフェンリルにもそれを簡単に出来る者は幾らでもいるはずだった。にも拘わらず、態々ここに来てまで頼むのであれば、何かしら問題があるのかもしれない。今回の件で用意された報酬はこれまで知りうる中でも高額の部類に入っていた事が拍車をかけていた。

 

 

「今回の現場は少々普通とは異なる場所になるからだ。もちろんアラガミの心配は無いのだが、事を大きくしたく無い。だからこの報酬にはそれも含まれている」

 

「なるほど……アラガミの心配が無いのであれば我々としては気になる事はありません。では3人を派遣させましょう」

 

「そうか。では済まないが頼んだ。日程は1週間後からになる。迎えのヘリを寄越すから後の事は任せた」

 

「我々も本業故、精一杯やらせてもらいますので」

 

 無明と老爺の間に商談が成立していた。フェンリルの組織を使わないのであれば、自分達も素性を隠す必要はどこにも無い。山の民としての本業は今まで培ってきた技術を惜しみなく発揮できる。人知れず結ばれた契約にお互いが安堵していた。

 

 

 

 

 

 ここは元々人が容易に住む様な地域では無かった。アラガミから逃れるかの様に山間部に細々と暮らすここの住人は、人知れず山での生活によって生計を立てていた。もちろん自給自足の生活ではあるが、それでも時にはfcが必要となる場面が幾つもある。時折無明から依頼される内容でその費用を賄っていた。既に話を聞いていたからなのか、2人の男と1人の女性が姿を現す。まるで当然だと言わんばかりに先程の依頼の事を口にしていた。

 

 

「さっきの人って無明さんですよね?だとしたら、また何か依頼だったんですか?」

 

「ああ。内容は簡単だ。極東支部周辺の木を材木にして建築したい物があるらしい。だが、場所は秘匿事項になるから他言は無用だが、大丈夫か?」

 

「秘匿事項なんて今に始まった事じゃないから大丈夫。ここに来るヘリに乗れば良いんだよね?」

 

「そうだ。期限は2週間だ。お前達ならば心配する事は無いだろう。頼んだぞ」

 

「了解。任せておいてよ」

 

 老爺の言葉に男女はそのまま姿を消していた。元々ここでの生活が長い為に苦にはならない。しかし、場所が場所なだけに、それなりに何かが起こる事だけは間違いない。誰も居ない部屋に老爺は一人お茶をすすりながら座っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここが例の……う~ん。壮観だね」

 

「ああ。話しには聞いていたが、まさかこうまで凄いとはな」

 

「とにかく今日から依頼された日時までやるぞ」

 

 3人が降り立った場所は、アラガミはおろかオラクル細胞すら存在しない地域でもある聖域。無明の依頼に秘匿事項があるのは当然だと理解しているからなのか、3人はそれ以上の言葉を口にする事無く作業を開始していた。周囲を見渡し使える木の確認をしていく。用意された図面を元に次々と伐採した木を横倒しにしていた。

 

 

「そう言えば、北斗は元気にしてるのかな?」

 

「確かブラッドとか言う部隊に配属されたって話しだけどな」

 

「まぁ、あいつが簡単に死ぬ様な事はないだろ」

 

 周囲の状況を確認しながらもここが極東支部に近いからなのか、以前は一緒に過ごした仲間でもあった北斗の名前が不意に出ていた。終末捕喰の事件以降、ブラッドの名前を聞く事は度々あったが、最近では個人名を記す事は少なくなりつつあった。

 子供の頃から何かに付けて刀代わりに棒を振っていた一人の少年が、世界を救う様な部隊に配属された事実は今でも話に出てくる。まだそれ程時間は経っていないからなのか、それともここが極東支部に近いからなのか、3人は終始その話題で持ち切りだった。口を動かしながらも的確な衝撃を当て、芯となる材木を次々と切り倒す。

 木から木へと飛び移りながらも視線は常に次の物を物色していた。ここに何も知らない人間が居れば、その姿を確実に目にすることは不可能な程だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当初の予定よりも木材の加工は早く終了していた。本来であれば木によっては加工が難しい物もあるが、この聖域に生えているそれはそんな癖は一切無かった。伐採された物は次々と樹皮を剥いて乾燥させていく。下手に生木の状態にしておくよりは歪みは少ないだろうと、当初の依頼には無かった事までが完了していた。

 

 

「どうやらあれみたいだな」

 

 一人の青年が上空を飛ぶヘリを見つけたのか、2人もそれにつられて空を見上げる。小さな機影のヘリは徐々にその姿を大きくしていた。到着すると同時に黒い腕輪をはめた人物が次々と出てくる。そんな中で未だ記憶に残る一人の青年を見つけたからなのか、3人は思わず駆け出していた。

 

 

「北斗じゃねえか!生きてたのかよ!」

 

「何で、お前達がここに?」

 

「俺達は無明さんからの依頼でここに来てるんだ。材木の準備をしてくれってな」

 

 聖域に降り立った瞬間、北斗の視界に入ってきたのは懐かしい顔ぶれだった。まだフライアに招聘される前までは全員で過ごしていた日々が思い出される。懐かしい顔を見たからなのか、北斗は珍しく周囲の気配を察知する事を忘れていた。

 

 

「北斗!久しぶりだね」

 

 北斗の背中に柔らかい物が当たると同時に何かが一気に背中にのしかかる。背後からの行動に振り向くは出来ないが、その声と行動が誰なのかを物語っていた。

 

 

「ああ。久しぶりだな。まさかお前まで来ていたなんてな」

 

「何を他人行儀な……もう本当にそんな所は変わってないんだから」

 

 女性の唇が北斗の頬に触れる。まるでそれが当然だと思ったからなのか、北斗は嫌がる様な素振りを見せる事は無かった。

 

 

 

 

「ねぇ、あの人達って誰なんだろうね。北斗の知り合いなのか……な」

 

 北斗の様子を見たナナは遠目で眺めながらシエルに話しかけていた。何時もであればどこか冷静なはずのシエルの表情が怖い。動物的な何かで察知したからなのか、シエルの注ぐ視線の向こう側を恐る恐る見ていた。自分達と同年代の女性が北斗の頬にキスをしている。それを見たからなのか、隣に居るシエルからはドス黒い何かが立ち込めていた。

 

 

「あ、あの……シエルちゃん。大……丈夫?」

 

「何がですか?私は何時もと同じですよ」

 

 そう言いながらもシエルの視線は北斗と女性から外れる様な事は無かった。既に何かを感じたのか、ナナはゆっくりとシエルから離れて行く。ここならばシエルの行動範囲から離れたから問題無いだろうと思った瞬間だった。

 

 

「北斗も隅には置けないな」

 

 その光景を見ていたジュリウスの言葉に、周囲の空気は凍り付いていた。ナナだけでなくロミオやギルまでもがシエルの状況を感じ取って距離を置いている。空気を読まなかったジュリウスはどこか温かい目で見ているが、周囲はそれどころでは無かった。

 ジュリウスの言葉に何かが降臨したのか、シエルはまるで呼応するかの様に足取りを荒く北斗の下へと進みだしていた。

 

 

 

 

 

「北斗。顔見知りなのは良いのですが、この方達はどなたでしょうか?」

 

「…ああ。こいつらは俺の住んでいた所の友人だ。皆気のいい奴だから仲良くしてくれ」

 

 シエルの気迫に何かを感じたのか、北斗はそれ以上の言葉を避けていた。表情にはあまり出ていないが、明らかに今のシエルの表情には怒りが浮かんでいる。初めて顔合わせしたにも関わらず何故怒りを覚えてるのかは分からないが、今は下手に何も言わない方が賢明だと判断していた。

 

 

「そうでしたか。私は北斗の第一の部下のシエル・アランソンと申します。今回の件で何かとお世話になった様で」

 

 怒りを抑えたからなのか、シエルの言葉は何時もよりも機械的だった。明らかに何かしらの意識が女性に向けられているからなのか、それを察知したのは北斗だけではない。3人も原因が分からないなりに回避しようと穏便に挨拶をするしか無かった。

 

 

「俺達は今回の件で依頼されてここに来ているんだ。少し予定より早かったが、明後日まではここに居るつもりだから宜しく」

 

「そうでしたか……宜しくお願いしますね。久しぶりに北斗に会ったから恥ずかしい所み見せちゃったみたいで申し訳ない」

 

 お互いが握手するも、シエルが握る手には力が入っていた。ゴッドイーターの力であれば確実に手が握りつぶされる程の力ではあるが、ここは聖域。超人的な力は発揮できなくとも、かなりの握力に青年は苦笑するしか無かった。

 

 

 

 

 

「そう言えば、依頼されたって話だったけど、いつの間に」

 

「話そのものは2週間位前だぞ。何んでも今回の件で発生した場所で実験的にする事があるからって。場所は何も聞かされてなかったんだが、アラガミが居ないって聞いてたから、安心してやれたぞ」

 

「そうか。で、あれが今回の以来の内容って事か」

 

 北斗が視線を動かすと、そこにはログハウスの建築の為の木材が積まれていた。既に乾燥まで終えているからなのか、直ぐにでも建築が可能な状態になっている。ここが聖域だと聞かされていなかったからなのか、物珍しさの方が優先されていた。

 

 

「ああ。ギャラも良かったし、お前の顔も見れたからな。皆何だかんだと心配してたから、偶には顔の一つも出しておけよ」

 

「そうだな……まだ今の状況が落ち着かないからな。近々時間が取れれば顔の一つも出すさ」

 

 懐かしさの方が勝ったからなのか、今の北斗はブラッドに居る時とは違った表情を浮かべていた。まだ戦いに身を置く前の話。思えば随分と遠くまで来たものだと珍しく望郷の念に駆られていた。

 

 

「ところで、お前の周りの女って皆美人ばかりだな。それに何だあの巨乳の姉ちゃん。お前の女なのか?」

 

「何を馬鹿言ってるんだ。シエルが俺の女な訳ないだろ。向こうの方が迷惑がるだろ」

 

「そうか?少なくともそんな風には見えなかったがな。まぁ、楽しくやってるなら良いけどさ」

 

 既に作業そっちのけの話は少しづつ脱線している。顔馴染がまさかこうまで突っ込んだ話をしてくるとは思ってもなかったからなのか、北斗は終始押され気味だった。

 

 

「北斗。そろそろクニオさんが鋸で切るそうなので、来てほしいのですが」

 

「ああ。そろそろ行く。すまんが、また後でな」

 

「ああ」

 

 シエルから呼ばれた事で北斗はクニオの下へと歩き出す。気が付けば、幾つかの材木が適切な長さへと切り揃えられていた。

 

 

 

 

「あの、先程の方達は北斗の同郷の方なんですか?」

 

「ああ。俺がまだフライアに来る前に住んでいた所の仲間だ。久しぶりだったから作業そっちのけだったな。すまん」

 

「いえ。気にしなくても大丈夫です。私達もまだ何もしてませんでしたから」

 

 先程の件があったからなのか、北斗はシエルの表情を観察していた。既に先程の様な剣呑とした感じは受けない。一体何が原因なのかが何も分からないままだった。

 

 

「なぁ、さっきの件だが、何かあったのか?」

 

「え……」

 

 突然聞かれた言葉が何を指しているのかはシエルにもすぐに分かっていた。事実、あの場面を見た後は記憶が定かではない。これまで自分の感情に殆ど向き合った事が無かったからなのか、あの時感じた感情が何なのかはおぼろげながらに理解できる。しかし、確証が無いまま言葉には出来なかった。

 ある意味今はチャンスなのかもしれないが、それでも言い淀むのは仕方の無い事だった。

 

 

「いや。ああまで怒っているシエルを見た事が無かったからな。俺が何かしたのかと思ってな」

 

「いえ。北斗は悪くありませんので気にしないでください」

 

 決して何かを疑っている様な表情はしていない。北斗が純粋に聞きたいから聞いているのだと言う事はシエルも理解している。しかし、自身でさえも御しがたい感情を口にするにはまだ覚悟が足りないままだった。

 

 

「でもな……気になるだろ」

 

「この件は、少しだけ時間をください。必ずお答えしますから」

 

「そうか。無理に聞いてすまなかった」

 

「いえ。私の方こそ申し訳ありません」

 

 お互いが言い合う頃には全員がクニオの下に到着していた。大事にしたい気持ちと、口にする事での関係の変化。恐らくはこの問題を解決するには何かしらの覚悟が必要だとシエルは考えながらも作業を開始していた。

 

 

 



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第22話 戯れと感情

 ログハウスの材料の為に伐採された木材はクニオの手によって次々と適正な長さへと切り揃えられていた。元々若木の中でも、そうまで水分量が多く無い物を乾燥させた事により、生木特有の歪みは見られない。既にどれ程の数が切られたのか、基礎となる部分の上に次々と組み上げられていた。

 

 

「やっぱこれキツイって」

 

「ロミオが言い出した事なんだ。まずは率先して動くのが筋じゃないのか。早く運ぶんだ」

 

「分かってるけどさ。ここでは力は基本の分だけだぞ。少しは休憩もしたいって」

 

 当初の予想通り、ここでの作業は困難でしかなかった。オラクル細胞が働かないこの地域での作業は実質的には自分が本来持っている筋力の分しか力を出す事が出来ない。その結果、幾らこれよりも重量がある神機を振り回すゴッドイーターも徐々に積み上がる木材を前に疲労感が出始めていた。

 元から建築現場で仕事をしているクニオは然程疲れを見せる事は無かったが、やはりロミオだけでなく、ナナやシエルも疲労感が表情に浮かびだす。作業効率を考えればまだ序盤でしかないが、やはり厳しい作業に変わりなかった。

 

 

「ロミオ先輩は少し休憩したらどうですか?シエルとナナも少しは休憩した方が良い。このままだと最悪はミッションにも影響が出る可能性がある」

 

「しかし、北斗も疲れているのは同じでは」

 

「ここに来る前まではこんな仕事はしょっちゅうだったんだ。特に疲れる様な部分はあまり無いから大丈夫だ」

 

 北斗は肩に担いだ木材を次々と運んでいく。確かに言われれば手慣れている様にも見えるが、ここで一つの疑問が浮かんでいた。ここに居るブラッドのメンバー全員は、自分達が何かしらの要因を持って過去に向き合いながら今に至っている。その中心には漏れなく北斗の存在があった。しかし、今の作業をして初めて気が付く。私達は北斗の過去を誰一人として知っているのだろうか。今回の件で元々住んでいた人間が来ているからなのか、北斗の表情は今まで見た事が無かった部分が多分にあった。

 新たな一面を見れるのは良いが、自分達ではそれが出来なかった事実が突き付けられる。隊長になる前の事知っているのは恐らくは今は亡きラケルだけなのかもしれない。ジュリウスも恐らくは何かしらは知っているのかもしれないが、余りにも何も知らないままに過ごしてきた事はシエルの気持ちを落胆させるには十分過ぎていた。

 

 

 

 

 

「伐採だけのはずが悪かったな」

 

「気にするなって。こっちもただ見ているだけってのもつまらんからな。折角まだ日程も余っているなら、昔みたいに一緒に動くのも悪くはないかと思ってな」

 

「そうそう。一々気にするなって。こっちだって期間限定なんだからさ」

 

3人も手伝った事で建築の速度は予想を大幅に変更する結果となっていた。同じ長さに切り揃えた木材を隙間なく組むと当時に配線の部分にも穴を開け、図面を片手に常に何かしらの作業をしている。当初は静観するつもりだったが、やはりブラッドの手緩い動きに痺れを切らしたのが事の真相だった。

 手早く壁となる部分を積み上げ、壁と屋根を一気に組み上げる。最低限の土台の部分が出来れば後の作業は簡単だった。

 

 

「俺らは問題ないが、お前は良かったのか?他の任務もあったんだろ?」

 

「それは問題無い。何かアラガミの動きがあれば、こっちに連絡が直ぐに来る手筈になっているんだ。お前達が気にする必要は無い」

 

「何だか本当にゴッドイーターになったんだな。詳しい事は知らないが、大したもんだよ。里の皆も大丈夫なのかって心配してたからな」

 

 時間的には戻る事も可能だったが、やはり時間にゆとりがある間にやる方が良いだろうとの判断から、ここに泊まり込む形で作業は続けられていた。元々ここには農業用にと最低限の生活ユニットが置かれている。

 多少の事であれば何の問題も無く作業する事は可能だった。既に日は沈み、夕闇が空を彩り始めている。時間は分からないが、かなりの時間である事は間違い無かった。

 

 

「仲間が助けてくれたから今がある。俺一人では何も出来なかったさ」

 

「何をまた……てっきり孤独の中かと思ったが、そうでも無かったとはな。心配して損したぜ」

 

 これまで使用していた道具を丁寧に片付けながら、改めてログハウスを北斗は眺めていた。まだ枠組みとしか言えない様な代物ではあるが、このままの調子であれば完成の日もそう遠くない。未完成な現状に不満はあるが、それでも全員の力を合わせた結果に違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シエルさんて凄いね。女の私でもガン見しちゃうよ」

 

「そんな目で見られても困ります……」

 

 女性の言葉にシエルは思わず自分の胸を両腕で隠していた。幾ら同性と言えど、マジマジと見られれば羞恥心の一つも沸き起こる。これまでにも温泉等で裸になった事はあったが、ここはそんな施設ではなく、事実上の公共の場所。今のメンバーが覗きに来る事は無いとは思っているが、それでもいつ誰が来るとも分からない状況は2人も自然と警戒しながらだった。

 

 シエルとナナは誘われた事によって、ログハウスの建築現場から離れた所で水浴びをしていた。季節的にはまだ少し寒いが、作業が思ったよりも厳しい事から、気が付けば身体にも随分と熱を持っていた。ここにはシャワーの設備は無い為に、そのまま帰るしか方法が無い。このままでも問題は無いのかもしれないが、やはり他の人間も居る為に汗臭いままもどうかとばかりに水辺に来ていた。

 シエルとナナを横目に女性は一気に着ている服を脱ぎ捨て、そのまま裸で水の中に飛び込んでいる。何時もは奔放なナナもこの行動には驚いていた。

 

 

「そう……こんな立派な兵器を持ってるなら、ちょっとした男ならイチコロだね。私にも少し分けてくれない?」

 

「これは私のですから分ける事は出来ません」

 

「だったら、少し堪能させてもらおうかな」

 

「何をするつもり……ですか」

 

 変質者の様な手つきでシエルとの距離を少しづつ縮めて行く。ここは地上ではなく水上の為に動く事は困難なはず。にも拘わらず、迫る女性は苦も無くシエルとの距離をジリジリと詰めていた。

 何かを掴もうとする手つきにいやらしさが滲んでいる。普段とは違う行動を目の当たりにしたからなのか、シエルはどこか怯える小動物の様な表情を浮かべていた。ナナに救援を頼もうと考えたが、物理的な距離があるからなのか、助けを求める事は困難なままだった。

 水の中のはずが地上と然程変わらない動きはシエルの予想を大きく裏切ってた。ゆっくりと動いているにも関わらず、抵抗を感じさせず近づく事でシエルの背後を瞬時に奪う。シエルが振りむこうとした瞬間、既にシエルの双丘は両手に包み込まれていた。

 

 

「おお……これはまた……」

 

「ちょっと……止めて……ください。ナナさん助けて…下さい」

 

「ゴメン。ちょっと無理かも……」

 

 背後から揉まれたからなのか、シエルは逃げる事すらできないままだった。気配を読み切る事すら出来ないままの行為になす術も無い。揉みしだかれる事によって形を次々と変えるその双丘は傍から見ても淫靡な光景に見えていた。

 本来であればナナも助けようと考えるが、今ここで踏み込めば確実にその手が自分に向かってくる可能性が高い。決して見殺しにするつもりは無いが、それでも女としての危機感を抱いたからなのか、ナナは呆然と見ている事しか出来なかった。

 

 

「うんうん。やっぱり実物は凄いね。柔らかい中に、はち切れんばかりの弾力は中々の……」

 

「こんな事されたの初めてです……」

 

 シエルと女性のやり取りはそれなりに時間をかけていた。逃げようとしても身体を密着しているからなのか、動きを完全に読んだ事で行動が完全に封じ込められている。幾ら同性とは言え、自分のそれを好き勝手にされて気分が良い訳では無い。

 それと同時にシエルにとっても想定外の出来事があった。行動を封じられているとは言え、その力は決して強い訳でも無い。完全に人間の行動原理を予測した動きは、卓越した技術以外の何物でも無かった。これが何でも無い状態であれば感嘆の声が出るかもしれない。しかし、お互いが裸の状態であるからこそ、冷静になれる事は無かった。

 

 満足したからなのか、女性は自分の胸と比べ僅かに落ち込んでいる。シエルも普段であればこんな肉体的な特徴で優越感に浸る事は今までに一度も無かったが、先程の行為に対し余程据えかねる部分があったからなのか、落ち込んでいる女性を見たシエルの溜飲が少しだけ下がっていた。

 

 

「いや~最初は冗談のつもりだったんだけど、段々楽しくなってさ。色々ゴメンね」

 

「もう。知りません」

 

 水浴びは何だかんだと終了していた。まだ肌寒い時期の為にこれ以上長く浸かれば体調を悪くし兼ねない。そんな事を考えたからなのか、3人はそのまま水辺から出る事になった。

 

 

「一つだけ聞きたい事があります。貴女と北斗はどんな関係なんですか?」

 

「関係って言われてもね……」

 

 先程の事で多少はお互いの壁が低くなったからなのか、シエルは何気なく目の前の女性に、来た当初の行為について確認していた。幾ら友人だとしても、あの行為はやりすぎの様にも見える。今の空気であれば多少の際どい事を聞いたとしても問題無いだろうとシエルは判断していた。

 

 

「友人であればキスなどする事は無いはずです。やはり何か特別な関係なんでしょうか?」

 

「特にそんな事は無いよ。でも、何でそんな事聞いて来るの?だってシエルって北斗の部下なんだよね」

 

 サラッと流れるはずの会話が、まさかの展開にシエルは僅かに歯噛みしたくなっていた。これまでの言動の軽さから考えれば、ここでの質問に大きな意味は感じるはずが無い。にも関わらず直接すぎたからなのか、シエルはその言葉に対する答えを持ち合わせていなかった。

 

 

「部下ではありますが、親しい友人でもあります。少なくとも向こう100年程は仲良くしたいと考えています」

 

「ふ~ん。友人……ね。それで満足なの?」

 

「満足とはどう言う意味でしょう?」

 

 まるで何も分かっていないと言わんばかりの質問に、シエルは改めて自分の気持ちを向き合う事を考えていた。友人で満足しているのであれば、あの行為に関しても気になる部分はどこにも無い。しかし、あの瞬間は自分が自分でなくなった感覚しか無かった。

 元々は頭を冷やす意味も込めてここに来ていたが、女性のそんな一言にシエルの気持ちは僅かに揺らいでいた。

 

 

「いや、別に……。ああ見えて北斗は言葉の意味をそのまま受け取る事は多いからね」

 

「はぐらかさないでください」

 

「初対面の人間にはぐらかす必要は無いんだけどさ……」

 

「シエルちゃん。そろそろ戻らないと皆が心配するよ。早く戻ろう」

 

 助け船を出すかの様にナナの言葉にシエルは漸く現実に戻されていた。気が付けば随分と確信めいた事を話してた気がする。まるで何かに魅入られたかの様な言葉にシエルは少しだけ背筋が寒くなる思いを抱いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「水浴びしてたのか?まだ寒くないか?」

 

「平気だよ。日中は暑かったからね。君達とは違って女子は清潔さが必要だからね」

 

「清潔?今さら何くだらない事言ってるんだ。今までそんな言葉聞いた事無いぞ」

 

「あれ~そうだった?」

 

 女性と北斗のやりとりは、やはりブラッドの中とは明らかに違っていた。心が許せるからなのか、それともただ懐かしいからなのか、その判断は誰にも出来ない。どこか鋭さを残した雰囲気が今の北斗には無いからなのか、ロミオは疑問を口にしていた。

 

 

「でも、随分と親しいみたいだけど、どんな仲なんだ?」

 

「ああ。俺達は子供の頃から一緒に遊んでた仲なんだよ。北斗がゴッドイーターになる直前までは一緒だったな」

 

「なるほど。だから北斗はいつもより砕けてるのか」

 

 少し離れた場所でリヴィが食事を用意していたからのか、人数分の何かを持って来ている。既にクニオは持ってきた摘みを片手にビールを口にしていた。

 

 

 

 

「でもさ、ここって聖域なんでしょ。話を最初に聞いた時は驚いたけど、まさか本当にアラガミがいないなんてね」

 

「ああ。色々あったが、ここはまだ発展途上だ。その為の農業事業だからな」

 

 食事をしながらも北斗は現状を話していた。秘匿事項ではあるが、ここに居る以上変に隠す必要は無い。しかし、ここが出来た経緯を話す訳にもいかず、多少の嘘も織り交ぜながらの説明に、3人もどこか感心をしながら聞いていた。

 

 元々が悪意から始まった事実がこの地球を巻き込むまでの内容に発展したのは、色々な思惑が絡んだ結果だった。絶望の中に咲いた花の様に出来上がった聖域は未だ公表を許す事が出来ないままだった。

 まだ普通に生活していた頃には、世界の危機が訪れようとも何処か他人事の様にも思えていた。事実、一度終末捕喰を行ったノヴァが地球から月に放たれたそれは、自分達が何も関与しないままの出来事。しかし、二度に渡る終末捕喰は自分達が当事者である以上、これがどんな結果を及ぼすのかを理解していた。

 以前にハニートラップの講習で聞かされた『人間の悪意がどれ程の物なのか』を身に染みて理解したからこそ、ここが如何に奇跡的に出来た場所なのかを改めて考えさせられていた。

 

 

「詳しくは分からんが、大変だったみたいだな」

 

「まぁ、そんな所だ」

 

 秘匿事項である事を事前に聞いていたからなのか、それ以上の詮索をされる事は無かった。残された期間はあと2日。材木の加工だけが当初の契約であるのであれば、必然的にここでの話もそう長くは出来ない。久しぶりに会っただけでも良しとするしか無いと判断したからなのか、出された食事をお互いが食べるだけに留まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ログハウスの建築の完成までにはまだ時間がかかるが、契約された期間は本日で終了となる。既に帰る準備を終えたからなのか、3人は既にヘリを待つだけとなっていた。

 

 

「中々楽しかった。また機会があったら一緒に何かしたいな」

 

「そうだな。まだまだここでの作業も終わる事は無いが、時間にゆとりがあれば一度顔を見に行く位の事はしたいな」

 

「そうそう。シエルやナナ。リヴィとも仲良くやれそうだったから、来るなら皆で来てよ」

 

「って言うか、何したんだよ。あの後かなり気まずい空気が流れたんだぞ」

 

「その辺りは言いっこ無しだって。やっぱりゴッドイーターは皆胸が大きいのはオラクル細胞の影響なのかな」

 

「そんな訳ないだろ」

 

 ウインクしながら話す女性の言葉にあの後の事を思い出していた。水浴び以降、どこか警戒をしている様なそぶりが見えた事もあってか、シエルとナナの様子が明らかにおかしかった。

 リヴィに関しても何かがあったからなのか、どこか恨めしい目をしていた。原因を聞こうにも誰も事実を口にする事はない。何となく予想は出来るが、敢えてその可能性を排除していた。

 

 

「じゃあ、またな」

 

「ああ」

 

 そう言うと同時に3人はヘリに乗り込んで行く。徐々に小さくなるヘリを見たからなのか、どこか寂しい気持ちが北斗にもあった。

 

 

 

 

 

「何だか騒がしい人達でしたね」

 

「言動はああだけど、仕事は完璧にこなす連中だからな。ああ見えて体術はかなりの腕前だぞ」

 

「そうだったんですか……だから……ですか……」

 

 何かを思い出したからなのか、シエルの顔が徐々に赤くなりだしていく。出来る事ならば記憶の奥底に封印したいとまで思える程の行為だったからなのか、僅かに言葉が濁っていた。

 当時は気がつかなかったが、今になって分かる。背後を取られた後の行動は完全に封じ込められていた。体術に関してはシエルとて心得はおろか、軍隊格闘術を使う事も出来る。本来であれば多少の当身で距離を取る事も可能だったが、それすらも完全に把握されたからなのか、完全に成すがままだった。

 事実、毒牙にかかったのはシエルだけでなく、ナナとリヴィも同じだった。ナナは体術の心得は無い為に好き勝手されていたが、リヴィに関してもやはりシエル同様に抵抗空しく背後を取られた後は好き勝手されていた。

 

 自分の欲望が満たされたからなのか、その後の女性は何と何を比べたからなのか、どこか誇らしい様な表情を浮かべていた。それ以上の事は気にしたら負けだと判断したのか、シエルだけでなくナナも何も見なかった事にしていた。

 その後の行為に関してはシエルもナナも北斗に話すつもりは全く無い。一見、隙だらけの様にも見えるが、3人共に同じ様な部分が多分にあった。極東には無明だけでなくエイジと言った従来の神機だけを扱う事を良しとしない者が居る。

 以前に軍事訓練を受けた際にも教官に伝えられた暗殺術の説明の際にも、それとなく伝えられていた事実があった。

 

 

「大よその事は想像できるが、あいつらに代わって済まない。まさかとは思うが、何か辱められたんじゃないのか?」

 

「いえ。それには及びませんので……」

 

 改めて言われるとシエルとて何も言えなくなってくる。既に当事者が居ない以上、焦る必要は無かった。ここで漸く少しだけ落ち着く事が出来ていた。

 

 

 



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第23話 穏やかな春

 快晴の青に桜の桃色がまるで一枚の絵画を思わせるかの様に広がっている。昨年同様に気が付けば花見のシーズンに突入したからなのか、どこかアナグラ全体もそんな雰囲気に包まれていた。

 

 サテライトの区画整理が終わる頃、これまで懸念されていた住環境の改善策の一環として、そう大きな物では無いが、中心部に公園が開発されていた。既に計画は外部居住区全域に通達された事もあってか、当初懸念されるであろう抗議は結果的に無かった。

 元々居住区画の移設の際には治安維持が最大の要因ではあったが、近年のサテライト地ではネモス・ディアナを基に設計された事もあり、どこか自然を思い起こす様な作りが影響していた。

 

 

 

 

 

 既に一時期程の忌避感は無くなっているが、元々シックザール政策の際には救える人間に限りがあるからと言った建前の下、選ばれた人間だけが外部居住区に住む事が可能とされていた。

 限りあるリソースを全員に分け与えるのは美談ではあるが、それでは最終的には本末転倒になる恐れがあるのと同時に、水面下で進められていたアーク計画の妨げになると言った面が大きく影響していた。全員がその計画を知っている訳では無い。それを知っていた一部の人間だけはどこか優越感に浸る部分が少なからずあった。

 そんな事実を経験したからこそ、クレイドルが推進するサテライト計画によってこれまでの様な差別的な物は少なくなっていた。特に基本のコンセプトが最初から異なっているからなのか、農業面での001号、建設拠点の002号が完成してからは更に計画は加速され、今では住環境も整った箇所が少なからず存在していた。

 その結果、今では極東支部がそこにあるかどうか以外に大差は無く、サテライト拠点によっては極東支部よりも優れた住環境をもたらす場所も出始めていた。

 

 

「去年は屋敷だったけど、今年はまさかこんな所で出来るとは思わなかったよな」

 

「屋敷は屋敷で結構大変だからね。そう考えればここでやった方が何かと良いかもしれないね」

 

 コウタとエイジは珍しく公園周辺を散策していた。公園を作った最大の要因はネモス・ディアナに存在する桜並木。ユノの出版物にも映ったそれは、ここ極東支部でも大いに話題の提供を促していた。

 昨年の花見に関しては元々そんなつもりが無かった事も影響してるからなのか、希望者全員を参加させる事は不可能だった。元々秘匿された場所であると同時に、規模も大きく無い場所に大量の人間が行くとなれば混乱を招く原因になり兼ねない。そんな結果が全てだった。

 本来であれば桜もまだ若木の為にそのまま植樹すると無理がある可能性もあったが、結果的には早い段階で花を咲かせる結果となっていたからなのか、一部のゴッドイーターもここでの花見を開催していた。

 

 

「屋敷でもまたやるんだろ?」

 

「限定だけどね。ほら、今は何かと屋敷も慌ただしいから」

 

「確かにそうだよな。まさかブラッドの農業事業がああまで影響するとは思わなかったからな」

 

 ブラッドが主体となった農業事業は当初の予想を大幅に裏切る結果となっていた。聖域での作物の成長の度合いはこれまでのプラントレベルに近い物があり、またどの作物も上質な物が多くなっていた。

 事実、コウタは参加はしなかったが、出来た物で作ったカレーはかなりの味わいだと後に聞かされた事はまだ記憶に新しい。一番では無かったものの、後日ラウンジに運ばれた物で作られた料理は、これまでの物と何ら遜色が無い物だった。

 その結果、流通と今後の事も考え、一度本部にもこれまでの結果を発表する必要があるからと、連日屋敷と支部長室内では榊や無明が作業に明け暮れていた。

 

 

「コウタ。そろそろ皆が集まるらしいって連絡がありましたよ」

 

「そうか。じゃあそろそろ行くわ」

 

「楽しんできなよ」

 

「折角弁当も貰ったんだ。楽しんでくるよ」

 

「ノゾミちゃんにも宜しくね」

 

「ああ。サンキューな」

 

 地域の顔役でもあるコウタは、今回近所の住人との交流会と称した花見を開催するからとエイジに弁当の手配を頼んでいた。本来であればその面子で用意するのが筋だが、今回は農業の結果も兼ねた事もあってか、折角だからと依頼していた。

 元々大人数での開催では無かった事もあってか、花見の用意はそのままスムーズに進められていた。

 

 

 

 

 

「ここでも桜が見れるとはな。コウタも中々やるもんだな」

 

「いや。俺、何もしてないって。元々今回の区画整理の計画が出た際に、榊博士に少しだけ提案として言っただけだよ」

 

「でも、それがあるから今があるんだ。だったら、お前の手柄だ」

 

 コウタの音頭で集まったのは新たに引っ越した周辺の住人だった。以前から住人とフェンリルの仲立ちに入る事が多かった事から、ここでも同じ様な状態になっていた。

 第一部隊長でもあり、クレイドルの隊員でもあるコウタは元々人好きのする部分はあったが、やはり面倒見の良さから住人の中心になりつつあった。花見を企画したのはコウタではなく、周辺住人ではあったが、弁当の手配はそのままコウタへと丸投げされていた。

 コウタであれば何とか出来るだろうとの考えと同時に、面倒な事は誰もしたく無い。そんな思惑の結果でしかなかった。

 

 

「それにコウタの嫁も見れるとは思わなかったからな。一体、コウタのどこが良かったんだ?」

 

「ちょっと……何本人を目の前に言ってるんだよ。それは関係無いだろ!」

 

「いやいや。皆心配してたんだぜ。同期のあいつが所帯まで持ってるのに、コウタはそんな話はこれまで無かったからよ。これを機に何とか物にしないと逃げられたら次は無いからな」

 

 既に酒が入っているからなのか、質問した男性の顔は既に赤くなっている。弁当は用意しなくても酒だけは用意されていたからなのか、他の人間も気が付けば完全に出来上がっていた。

 一方のコウタもまさかこんな場所でそんな事を言われるとは思ってもなかったからなのか、マルグリトの言葉を聞きたいと思う反面、聞きたくないとも思える部分もあった。確かに付き合いだしてから時間は経ったが、それでも普段の任務の忙しさと、ここ最近になってエリナの隊長の話が浮上した事から、サポートでマルグリットが一緒になるケースが多々あった。

 となれば必然的に第一部隊はコウタとエミール+誰かの構図になってくる。コウタとしても一緒に居たいと思う部分もあるが、その抗議の相手はサクヤである以上、下手な事は言えなかった。

 良くも悪くもサクヤとも第一部隊の頃からは、それなにりに長い付き合いとなっている。既にアリサとエイジが一緒になっている以上、目新しいのはコウタとマルグリットである事を自覚しているからこそ、言いにくい状況になっていた。

 

 

「ちょっと待ってよ。何で俺が振られる前提なんだよ。逆の可能性だってあるだろ?」

 

「んな訳無いだろ。彼女の器量は良いし、料理だって旨いもん作るなら引く手あまたじゃねえか。ボヤボヤしてると横から掻っ攫われても知らんぞ」

 

「んな事させるかよ。マルグリットは俺のだ。誰にもやらねぇよ」

 

「あの、お兄ちゃん。後ろ見て言ったら?」

 

 親父達の売り言葉に買い言葉だったのか、ノゾミの言葉で漸くコウタは後ろを振り返っていた。そこには追加の弁当を持ったまま、顔を赤くしているマルグリットがどこか恥ずかしそうに立っている。

 ここはアナグラでもなければ屋敷でも無い。公共の公園と言う場所だからなのか、他にも花見の客は大勢いる。そんな中でも絶叫に近い内容は幾ら何でも恥ずかしすぎていた。

 

 

「あの……さっきの話ってどこから聞いてた?」

 

「えっと……」

 

 顔が赤いままにマルグリットは動く気配が無かった。今に始まった事では無いが、最近ではコウタと一緒にマルグリットも家に来る事が多くなっていた。勿論、近所の住人も知らないはずがなく、ノゾミもお菓子を持って来てくれるからと近所でそんな話をしている。

 時折コウタの母親に今はどうなっているのかと言った話は本人の関知しない所で既に何回か出ていた。

 

 

「マルグリットが気にする事は無いのよ。コウタがあんな事言ってゴメンなさいね。ほら、折角なんだし、そこに立ったままは気の毒だからここに座ったら」

 

「え……あ、はい。ありがとうございます」

 

 コウタの母親のフォローが入ったからなのか、マルグリットもコウタの隣に腰を下ろしていた。今日の花見に元々マルグリットは来るつもりは無かった。

 花見の話が出た際には日程的に任務が入るはずだったが、エリナが気を利かしたからなのか、エリナは他の人間と一緒にミッションに出ていた。予定していた物が無くなったからと、ここに参加する運びとなっていた。

 

 

「あ~やっぱりコウタには勿体無いな。どうだ。俺んとこの息子の嫁にならないか?」

 

「お前んとこじゃ無理だって。やっぱり俺んとこの息子方がまだマシだって」

 

 既に酔っ払いの戯言だからなのか、誰も話を聞くつもりは無かった。花見をするだけのゆとりが出たのも、偏に生命の危機が薄れているからだとコウタは考えていた。螺旋の樹の萌芽と消滅の後に待っていた聖域は既に誰もがそれとなく知っている。

 目先は無理でも、時間が経過すれば、当時のアラガミが居なかった頃に戻れるのかもしれない。そんな気持ちの表れだとコウタは薄々感じている。隣にを見れば、マルグリットも同じ様な事を考えていたからなのか、どこか苦笑を浮かべながらも二人で笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コウタは馬鹿なんですか?何でそこでハッキリと言わなかったんですか?」

 

「え~なんでアリサに文句を言われないとダメだんだよ」

 

 コウタ達は改めて後日屋敷でも花見を開催していた。外部居住区のそれとは違い、数ある桜は青空の色合いをバックに鮮やかな色彩を見せている。公園と同じ様な弁当が出されていたが、エイジが用意した物よりは幾分か豪華な物だった。

 既に弁当に意識が向いているからなのか、ナナだけでなくリヴィも物珍しさからじっくりと見ている。飾り切りがなされた野菜はラウンジではお目にかかる事は無いからなのか、他の人間よりも長く見ていた。

 ここでは前回同様に少人数だったからなのか、クレイドルとブラッド以外にはアナグラの僅かな人数だけがここに来ていた。

 

 

「よりもによって公園でそんな絶叫するなんて、マルグリットも立場があるんですよ。少しは自重したらどうですか?時と場所を選ばない何て、ドン引きです」

 

「それは勢いもあったんだよ。皆、俺には勿体無いって言うからさ……」

 

 自分でも自覚しているからなのか、コウタの言葉尻は徐々に弱くなっていく。確かに改めて考えれば恥ずかしい事に間違いは無いが、だからと言って後悔している訳では無い。

 事実あの後も自宅でそんな話が出た際にはハッキリとフォローをしている。改めてアリサから言われた事で当時の状況を思い出していた。

 

 

「自覚してるなら良いですけどね。でも泣かせたら承知しませんよ」

 

「って言うか、何でアリサに言われないとダメなんだよ。俺とマルグリットの問題だろ?少しそっとしておいてくれよ」

 

「何言ってるんですか。折角アナグラの女性陣で色々と画策してきた事が身を結んだ訳ですから。でも……まぁ、その辺りは評価しますよ」

 

「何で、そんな上から目線なんだよ!」

 

 公園とは違い、完全に独立したスペースでもある屋敷では、多少の大声も気になる事は無かった。事実、コウタとアリサの会話を聞いているのは他に誰も居ない。2人の会話をそっちのけでリンドウとサクヤは息子のレンと共に桜を眺めていた。ここで普段から見る事は多くとも、家族で見る機会はそう多くは無い。普段は騒がしく動くレンも、今は大人しいままだった。

 そんな中でコウタとアリサのやりとりは聞こえているも、敢えて無視する事で、数少ない家族団欒の場を楽しんでいた。

 

 

「レン。今日は随分と大人しいが、どうかしたのか?」

 

「いえ。今日は一日こうしていたんです」

 

「そうか。じゃあ、こうするか」

 

 屋敷では必然的に同世代の子供達と遊ぶ事が多いからなのか、口調もまたこれまでとは違っていた。確かに呼び方が変わった瞬間は共に驚きはしたが、サクヤまでもがアナグラに居る以上、それはある意味では仕方の無い事だった。

 事実、屋鋪の子供達は呼び方も完全に敬称を付ける事が多く、事実ツバキに関しては大人顔負けの『奥方様』と呼ぶケースもあった。特にレンからすれば事実上の身内の為に、他とは違い『伯母上』と呼ぶケースが多かった。そんな大人びた事を言うレンも、リンドウの肩車に乗せられたからなのか、はしゃいでいる。既に先程までの雰囲気ではなく、年相応の表情を見せた事でリンドウとサクヤは僅かに安堵していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが桜か。映像では見た事があったが、中々良い物だな」

 

「だよね。まさかこんなに綺麗な物だとは…やっぱりここは凄いよ。そう言えば、ロミオ先輩は見てたんだよね?」

 

「俺がここに居た時はまだ咲いてなかったからな。だからこれは初めて見るな」

 

 ジュリウスやナナの言葉に限った話ではないが、ブラッド全員が桜の実物を見たのはこれが初めてだった。フライアの庭園は確かに生花が咲き誇る場所の為に、足を運ぶ事は多かったが、幾本もある桜の景色はまさに圧巻だった。

 花霞とも取れる程に鮮やかな色合いは、そうそう見る機会は多く無い。用意された弁当を食べながらも視線は上を向いたままだった。時折散る花びらが、用意された弁当の上ににヒラヒラと舞い落ちる。これまでに見た花とは違い、どこか儚げな様にも見えていた。

 

 

「桜は他の花とは違って、満開の後は一気に散るケースが多いからな。刹那的な象徴にも使われる事は多いな」

 

「そうだったんですか。でもこれが散る場面は何だか寂しい様な気がしますね」

 

「花弁から落ちる訳じゃないから、散り際も悪くは無いさ。何せ桜吹雪って言う位だからな」

 

「北斗は見た事があるんですか?」

 

「余り無いな。それなりに数が無いと見てても綺麗にはならないだろうから」

 

「そうですか。北斗がそんなに言うなら一度は見て見たいですね」

 

 北斗の言葉にシエルもまた桜を眺めていた。呼ばれた際には多少の関心程度しか無かったが、実物を見た際にはまさかこうまで美しい物だとは予想していなかった。

 自然の中にある美しい景色は決して人間の手では作れない。詳しい事は分からないが、今はただ北斗の言葉にシエルは耳を傾けていた。

 これまでの人生の中で、こうまで色付いた生活をシエルは送ってきた事は一度も無かった。改めて振り返れば決して良いとは思えない部分も多分にはあるが、それもあって今がある。だとすれば今日のこの場面に居る為の過程だと考えを切り替えていた。

 

 

 

 

 

「お前ら、これ貰って来たから食べとけよ」

 

「ギル、それって?」

 

「何でも桜餅と言う物らしい。この葉は桜の葉を塩漬けした物だから食べる事ができるそうだ」

 

 全員を集める様にギルは大きな重を運んでいた。既に弁当は出た最初の段階で食べているからなのか、殆どが空になっている。新たな食べ物にナナだけでなくロミオも見ていた。

 ギルが蓋を開けるとそこには2種類の桃色に染まった餅が入っている。形は違えど、お互いが同じ名前のお菓子。物珍しさからナナは両方を手に持ってた。

 

 

「ナナ。良ければ茶を()てるぞ」

 

「ああ!リヴィちゃん着替えたの?」

 

「折角だからな。どうやらクレイドルもやるらしい」

 

 リヴィの視線の向こうには既に用意されているからなのか、エイジとアリサが着物を着たままでお茶の準備をしていた。元々予定されていた物なのか、その後にシオとマルグリットも着物姿で見えている。何時もとは違う雰囲気をそのままに、全員が赤い敷物の上に座っていた。

 

 

「なるほどな。ここはリヴィがやってくれるのか?」

 

「まだ修行中ではあるが、最低限の事は出来るつもりだ」

 

 ジュリウスの言葉に反応したかの様に、リヴィはクレイドルと同じく簡易セットを用意していた。クレイドルとは違い、ブラッドではリヴィだけが習っている。

 当初は何かしらの作法があるからと言った部分があったものの、クレイドルの方を少し見れば全員が正座している訳では無かった。事実、リンドウとソーマ。コウタに関しては胡坐をかいている。それを見たからなのか、ジュリウスとロミオもまた胡坐をかいていた。

 

 

「最初は誰からにする?」

 

「私が最初にやってみたい!確か最初に3回クルクル回すんだよね」

 

 ナナの言葉を他所にリヴィは苦笑しながらも用意された茶杓で抹茶をお椀に入れていく。僅かに注いだお湯を手際よく点てた抹茶の香りは周囲へと広がっていた。

 慣れない正座は厳しいからと、そこだけは砕けてはいるが、やはりリヴィの手つきが早くなるにつれ様子は真剣な物へと変化していく。かき混ぜた抹茶が僅かに泡立つ。何時ものアナグラの雰囲気とは明らかに違うからなのか、気が付けば全員がリヴィの行動を見ていた。

 

 

「……まぁ、良いだろう」

 

 以前に言った言葉ではあったが、それ以上の言葉を発するのは野暮だと感じたからなのか、リヴィはそれ以上の言葉を出す事は無かった。さし出されたお椀を宣言通り三度回転させていく。中の抹茶を一気飲みとは言わなくても少しづつナナは飲んでいく。

 普段の緑茶とは違った味は苦味の中にもどこか甘さがあった。作法と言う程厳しい事をする訳では無い。今はだただ極東の季節行事の一つとして楽しむ事だけを優先した形だった。

 

 

「……結構なお点前で?」

 

「なぜ疑問系なんだ?」

 

「いや~これが実際にはどうなのかが分からないんで……」

 

「今回は薄茶だからそう気にするな。私もそれ以上の事を言われれば、答えられないからな」

 

 誰もが最初がナナで良かった。口には出さないが全員がそう感じていた。これがジュリウスから最初にやると、その後が大変な可能性が高い。実際にはジュリウスも野点(のだて)の作法は何も知らないが、誰もがそんなイメージを抱いていたからなのか、僅かに安堵していた。

 ナナを皮切りに次々とリヴィはお茶を振舞っていく。偶にはこんな日があっても良いのだろうと考えたからなのか、穏やかな空気がそこに流れていた。

 

 

 



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第24話 救援と因縁

 砂塵渦巻く平原に、つい先程まで戦いを繰り広げていたクアドリガは、外部装甲の殆どを破壊された後に生命活動を完全に停止したまま横たわっていた。既にコアを抜いている以上、後は帰投の準備をして待つだけの時間。既に回収を終えたからなのか、同じ部隊のカノンとまだ実戦に出て乏しいと思わる人間2人がハルオミの下に集まっていた。

 

 

「全部回収は終わったか?」

 

「はい。周辺は何度か見ましたが、回収した以外の物はありませんでした」

 

「お前達はどうだ?」

 

「はい。こちらも特に気になる様な物はありませんでした」

 

「そうか。帰投のヘリが来るまでは周囲の警戒を怠るなよ。通信が入らないからと言って大丈夫じゃないからな」

 

 第4部隊としてここ最近は、教導プログラムを終えた人間のローテーションをしながら実戦に慣れさせるべく、ミッションをこなす事が多くなっていた。

 一時期は第1部隊でそんな事をやっていたが、最近になって何回かのを厳しいミッションが立て続いていた事により、新人を教導出来る程のゆとりが無くなっていたのが原因だった。幾ら精鋭でも新人のお守りをしながら厳しいミッションをこなす事は不可能に近い。その代わりとなるべくサクヤの依頼によってハルオミ率いる第4部隊に白羽の矢が立っていた。

 

 

「あの……そんな事ってあるんですか?」

 

「ここは極東だ。想定外のアラガミの出没は多々あるぞ。教導の座学で習わなかったか?」

 

 何気に答えたハルオミの言葉に、新人の2人は顔が青くなっていた。決められたミッション以外での乱入となれば、殆どが接触禁忌種かそれに近い物が多い。事実、第1部隊もそれで手痛いダメージを受けた事もあるからなのか、教導の一番最初の段階でその事実が告げられる事が殆どだった。

 

 緊張の切れる一瞬の出来事は、討伐による天国から新たな任務の地獄へと一気に状況を変貌させていく。幾らベテランでも一度切れた緊張の糸を張り直すには時間が必要となるだけでなく、改めてテンションを上げるにはそれなりの時間が必要となる。

 しかし、アラガミはこちらの都合とは関係無い。座学で同じ話を何度もするが、やはりその内の何人かは犠牲になる事が未だ数多かった。

 

「いえ。しっかりと聞いてます」

 

「オーケー。だったら問題無い。そろそろ見えてい来たみたいだな」

 

 やりとりを完全に察知したかの様に帰投用のヘリはその姿を大きくし出していた。余程の事が無い限り、後はアナグラまで到着を待つだけ。そんな事を思ったからなのか、この場にいた全員が安堵の表情を浮かべた瞬間だった。

 

 

《ハルオミさん。緊急事態が発生しました。現在地点よりも南東20キロ地点で想定外のアラガミが出現しています。詳しい事はまだ不明ですが、オラクル反応から推測して大型種の可能性が高いです。既にオープンチャンネルによって周囲の部隊に救援要請が出ています》

 

「了解。だが、ここは俺達だけでなく新人も居る。全員を向かわせる訳には行かない」

 

 飛び込んだ情報にハルオミだけでなく、カノンと新人も表情が固くなっていた。ここでは無いが、オープンチャンネルによる救援要請と今の言葉から推測出来る事は、明らかにこのメンバーでの戦闘は確実に死人が出る可能性を示していた。近づくヘリを他所にハルオミと通信越しの相手のやり取りを誰もが固唾を飲んで見守っている。

 事実上の死地に飛び込む可能性を否定出来ない以上、その結末はハルオミ以外の誰にも分からないままだった。

 

 

《既にブラッド隊にも出動要請が出ていますが、移動時間を考えると第4部隊の方が位置的に近いです。人選に関してはサクヤ教官からも指示を受けていますので、ハルオミさんにお任せします》

 

「了解。人選は現地到着時までに決定する。そちらは対象のアラガミの種を確認してくれ」

 

《了解しました。現地到着時までに情報を改めて更新します》

 

 通信が切れると同時に振り返ると、そこには死にそうな表情を浮かべた新人が呆然と立っていた。想定外のアラガミに対し、完全に戦意を失っているのはある意味では仕方ない部分があった。

 まだ実戦にさえ慣れていない人間を投入した所で、死体が増えるだけでしかない。事実それを理解しているからこそ、ハルオミはその選択肢を最初から除外していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、対象のアラガミは何か分かったのか?」

 

《こちらに届いた情報とレーダーによるオラクル反応から対象アラガミは『ルフス・カリギュラ』です。既に交戦している部隊は3人が負傷。1人は捕喰されています。このままでは全滅の可能性もありますので注意してください》

 

 『ルフス・カリギュラ』の言葉にハルオミは苦い思い出が蘇っていた。事実上の因縁のアラガミでもあり、また、自身が今に至る原因となった種。当時の仇は取った物の、やはり同種のアラガミに関しては何かしらの思いがそこに存在していた。

 

 

「カノン。行けるか?」

 

「はい!任せて下さい」

 

 短いやり取りにハルオミはそれ以上の言葉を発しなかった。事実上の被害が甚大であれば、新人を投下しても同じ結果を招く事になり兼ねない。仮に投下すれば確実に意識がそちらに向けられる為に、今度は自分達の命の方が危うくなる可能性が高かった。

 短いやりとりが意味したからなのか、ハルオミはそのまま通信を繋げていた。

 

 

「こっちは俺とカノンがそのまま出動する。だが、負傷者が居る以上、カノンは衛生兵としての役割を果たす事になる。ブラッドが向かっているとの事だが、到着までどれ程必要だ?」

 

《ブラッドは既に回収が終わり、予定地点へと移動しています。到着までの時間のズレは最大で7分です》

 

「了解した。7分間は確実に持たせる。ブラッドにはそのまま援護を要請しておいてくれよ」

 

《了解しました。厳しいかとは思いますがご武運を》

 

 オペレーターとの通信が切れると同時に、ハルオミとカノンはヘリだけでなく、新人が所持している物資を確認していた。このまま新人をアナグラへと戻し、自分達は戦場へと赴く。言葉にはならなくてもその行動から新人は思わず涙ぐんでいた。

 

 

「お前達はこのままアナグラへと帰還しろ。既に話は付いている。戻ったらサクヤさんにちゃんと報告だけはしておいてくれよな」

 

「はい。ハルオミ隊長。ご武運を」

 

 上空から見るその景色は既に見慣れた場所でしかなかった。この地でのアラガミの討伐は既に数える事すら放棄する程に上っている。眼下には何かを探しているからなのか、真紅の躯体はまるで自分達を待ち構えている様にも見えていた。

 

 

「カノン。行くぞ!」

 

「はい!」

 

 ルフス・カリギュラからは遠く離れた場所に降り立っていた。眼前で落下と同時に攻撃出来ない事も無いが、今の優先事項は負傷者の保護。カノンに保護させる間に自分が囮になるべくハルオミはカノンと別れ、様子を伺っていた。

 

 

 

 

 

《ハルさん。負傷者の確保が完了しました。まだ全員大丈夫ですが、やはり情報通り1人は捕喰されています》

 

「了解。カノンは負傷者を安全な場所へと退避。そちらに行くような素振りが俺が囮になる」

 

《ですが……》

 

 囮の言葉にカノンは言葉に詰まっていた。カリギュラも元々第1接触禁忌種に指定されているアラガミであり、またその亜種でもあるルフス・カリギュラは更に攻撃能力が高い個体でもあった。

 素早い移動と繰り出される攻撃は、僅かに油断すれば一瞬にして胴体が真っ二つになる可能性があった。バックラーレベルであれば、その破壊力は粉砕まではしなくとも破壊する威力は極悪でしかない。それとは別に、当時の因縁がどんな物なのかをカノンも知っていたからこそ言葉に詰まっていた。

 ギルの暴走により、ツバキの鉄拳が火を噴いた事実は極秘裏にアナグラの伝説となっている。今でこそ笑い話になっているが、誰もが改めてツバキに逆らってはいけないと理解した結果だった。

 

 

「カノン。まさかとは思うが、俺が死ぬ前提で考えていないか?」

 

《そんな事はありません。ただ厳しい相手ですから……》

 

「ブラッドがここに向かってるんだ。だったらそれまでの時間は生き残る事だけを考えるさ」

 

《分かりました。私も直ぐに合流できるように頑張ります》

 

「無理はしなくても良いからな」

 

 小声で話していたからなのか、ルフス・カリギュラは周囲にある物を捕喰していた。良く見れば1人を捕喰したからなのか、口元には服の繊維らしき物が見えている。それを見たからなのか、ハルオミの神機を持つ手に力が入る。青白く燃える闘志の炎が沸き上がるかの用に、高まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ着かないのか!」

 

「後少しです。目標地点は既に目視で確認出来ますので」

 

 オープンチャンネルによる救援要請を受けたブラッドは直ぐに現地へと行動を移していた。移動の途中で部隊の状況が逐一更新されて行く。既に負傷者を確保すべく第4部隊が行動していると聞いたのは、ヘリに乗り込んで直ぐの頃だった。

 

 

「フラン。現状はどうなっている?」

 

《現在は第4部隊からはハルオミさんとカノンさんが現地に入っています。ですが、負傷者の保護を優先の為に未だ交戦はしていません。負傷者の確保完了後に交戦となる予定です》

 

 状況を伝えるフランの言葉に、ギルは僅かに焦りを生んでいた。対象となったアラガミでもあるルフス・カリギュラは仇は取ったとは言え、事実上の因縁の相手でしかない。ましてや交戦しているのがハルオミだと聞いた瞬間は当時の状況を思い出していた。

 当時と今は明らかに違う。間に合いさえすれば何とでもなると自分自身に言い聞かせる事によって平静を保とうと考えていた。

 

 

「ギル。こんな時ほど落ち着くんだ。ハルオミ隊長もこちらが向かっている事は知っているだろうし、まだフランが言う様に交戦だってしていない。冷静になれなかった人間から脱落するのはこの世界の常だ」

 

「それは分かっている」

 

 ジュリウスの言葉を聞きはするが、やはりギルは内心穏やかにはなれなかった。到着まではパイロットが言う様にまだ僅かに時間を要する事になる。交戦していないとは言え、アラガミに見つかる様な事があればその限りではない。初動の遅れが手遅れになれば悔やんでも悔やみきれない。今のギルにとってこの僅かな時間さえもが惜しいと思えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カノン。負傷者の保護まで後どれ位かかる?」

 

 ハルオミは珍しく怒気が混じった様な声で通信をしていた。アラガミは大型種に限った話ではなく小型種と言えど行動原理は同じだった。

 本能の趣くままに捕喰行動をしていたかと思えば、突如として違う行動を突発的に行う。これまでにもミッションに最中に様子を見ながら交戦したまでは良かったが、想定外の行動を取られ結果的には挟み撃ちされた事が度々あった。

 戦闘音を察知するタイプであれば常に意識する事はあるが、それ以外の場合はどこかおざなりになるケースが多く、これまでにも何度かそんな場面に出くわして窮地に陥る事が度々あった。

 

 確認するかの様にハルオミの視線の先にはルフスカリギュラは捕喰を終えたからなのか、カノン達が居る場所へと向かい出している。未だ退避完了の言葉が無い為に、状況は悪化の一途を辿っていた。

 

 

《残りは1人だけです。思った以上に負傷しているので、まだ時間はかかりそうです》

 

「そうか……分かった。カノンはそのまま作業を続けてくれ」

 

 ルフス・カリギュラが向かっている事を言うつもりは毛頭なかった。未だゆっくりと歩を進めている所に下手に急がせて大きな音が出れば本末転倒でしかない。音を立てずに作業をしているのであれば、ハルオミがやるべき事はただ一つ。そちらに向かっている意識をこっちへと向ける事だった。

 この距離であれば余程の事が無い限り外す可能性は低い。これからの行動を起こすに当たって改めて今の状況を確認していた。神機を銃形態へと変形させ、スイートシャフトの銃口を頭部へと向けている。まだこちらに気が付いていないからなのか、相変わらずルフスカリギュラは歩みを進めたままだった。

 

 

───3

 

───2

 

───1

 

 照準の中に頭部が入ると同時にハルオミは躊躇なく引鉄を引いていた。一筋の流星の様に炎属性のバレットがルフス・カリギュラの頭部へと大きな衝撃音と共に着弾する。こちらに気が付いたからなのか、ルフス・カリギュラの目には怒りの様な物が浮かび上がっている様に見えていた。

 着弾地点を即時に割り出したのか、既にハルオミのステルスフィールドは意味を成していない。元から囮である事を前提とした攻撃だったからなのか、ハルオミの目に動揺は一切無かった。

 

 

「さぁ、かかって来いよ!」

 

 ハルオミを捕捉した後のルフス・カリギュラの行動は素早かった。既に剣形態へと変形させ、ワックマックを構える。恐らくブラッドが到着するまで、それ程の時間はかからないはず。そう考えたからなのか、ハルオミは迫り来る攻撃をギリギリで回避しながらも、カノン達が居る場所から遠ざかるかの様に見通しの良い場所へと誘導していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ハルオミ隊長がルフス・カリギュラと交戦を開始しました。現在は当初の位置よりも北東に移動中。恐らくは負傷者へ行かせないようにとの思惑があるかと思われます》

 

 ローターの駆動音がけたたましくなるヘリの中にも拘わらず、フランの通信音だけがやけに響いた様にも思えていた。

 これまでもブラッドがオープンチャンネルによる緊急の出動要請で急行したのは今に始まった事ではない。にも拘わらず、騒音すら感じさせない程にその事実だけがその場にいた全員に響いた様にも思えていた。

 

 元々ルフス・カリギュラとの交戦はギルとハルオミ。北斗の3人で討伐に至っている事はこの場に居るリヴィを除く全員が知っている。当時はまだ刺さった神機の影響もあった為に討伐は出来たが、それでも北斗の神機のジョイントが破壊された事実が、その攻撃力の高さを理解させられていた。

 オラクルが不完全な状況であれならば、今は完全な状態となっている。負傷者の言葉で恐らくはハルオミが囮となった事は誰も理解したが、それでも絶対大丈夫だとは言い切れないのもまた事実だった。全員の自然が一瞬だけギルへと向かう。当時の事を思い出しているからなのか、ギルの反応を見る事は出来なかった。

 

 

「後どれ位だ?」

 

「もう間もなくです……恐らくはあれかと」

 

 パイロットの言葉に全員の視線が眼下へと降りる。真紅の躯体は何かに導かれるかの様に反対の方向へと動いている。その先にはハルオミらしき人影。だとすればここから先をどうするのかは言うまでも無かった。

 

 

「シエル。ここから狙撃を。ルフス・カリギュラの意識を向こうに向けさせるな。ここからは俺とギル、リヴィが行く。その後から時間差でナナと一緒に降下してくれ。ジュリウスはロミオ先輩と負傷者の救護。パイロットは直ぐにアナグラから負傷者か、カノンさんに連絡する様に言ってくれ。これ位離れていれば通信は問題無いだろう」

 

 全ての状況を考え、ここから先の展開を思案する程の時間すら無く北斗の指示が全員に飛ぶ。既に各々は役割を理解したからなのか、短い返事だけが響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブラッドがここまで来ている事はハルオミも既に確認していた。近づくヘリのローター音がまるで存在感を示すかの様に徐々に大きく鳴り出している。既に状況を知っているのであれば、自分の場所に来るよりも、真っ先に要救護者の回収が最優先となるのは当然の結果でしかなかった。

 事実、これが新人や、まだ中堅であればこちらにも意識は向くかもしれないが、ハルオミとて伊達に第4部隊長を名乗っている訳では無い。これまでにもカノンと2人だけの任務ではなく、一部は第1部隊の代わりを果たすケースも何度かあった。

 ましてや自分はベテランでもあり、このアラガミは既に一度対峙し、討伐までもが完了している。となれば優先順位は考えるまでも無かった。

 ローター音は減速する気配もなく頭上を一気に飛び去る程の速度が出ている。心の中でそれが正解だと思った瞬間だった。

 

 

「くそっ!」

 

 ハルオミの意識が頭上に向いたのは時間にして1秒にも満たない程度。しかし、高速機動が可能なルフス・カリギュラからすれば決定的な隙でしかなかった。背中のブースターからジェット機の如き推進力を一気に放出する。時間にしてコンマ4秒程度の刹那。

 既に準備した腕の刃は何の障害も無くハルオミの胴体を上半身と下半身に分離する程の勢いを持っていた。大気をも引き裂く程の斬撃。

 この距離であれば間違い無い。人間の様な思考思考能力がアラガミ備わっていたのかは分からないが、この時点では間違い無くルフス・カリギュラはそう確信していた。

 

 

 



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第25話 辛勝

 ハルオミの命を刈り取る死神の鎌は既に至近距離にまで肉迫していた。ここからの防御は変形させる間に容赦なくハルオミの肉体を上下に分離させる程の威力を有している。

 刹那の戦いに逡巡する事は事実上の命取りでしかなく、またコンマ1秒とて時間が惜しいのは間違い無かった。

 

 このままでは自分の命が刈り取らる頃にはブラッドは間に合うかもしれないが、確実にその心には大きな何かを残すのは間違い無い。幾ら精鋭とは言えブラッド全体で見た場合、直接の人の死に慣れる事は早々ありえない。だとすればここは意地でも生き残るより無かった。

 

 同種のアラガミに対し、自分の最愛の女と同じ目に合うのは真っ平御免だとばかりに、ハルオミは大胆な行動に出ていた。幾らオラクルの恩恵があろうと、自分の身体以上の重量がある物は最短の行動を行うには無用な物でしかない。しかし、アラガミを討伐する為にはそれは必要不可欠な物でもあり、また、それが自分の命を護る為の盾である事に違いなかった。

 この場に於いての命のやり取りにはどちらが重要なのかは考えるまでも無い。本来であれば逡巡すべき内容ではあったが、ハルオミは半ば無意識の内にその命綱となるべき物を容易く放棄していた。

 

 

「あっぶね~。あのままだったらお陀仏だぜ」

 

 命綱とも言える神機をその場に置き去りにし、ハルオミは自分で動ける最大の能力でその場に転がっていた。本来であれば戦場で転がるのは追撃の恐れがある為に、決して積極的に行う様な行為では無い。

 服が汚れるとか以前の問題で、幾ら鬼の様な強さがあったとしても、それはあくまでも自身が万端の状態での話であって、こんな場面では誰もが同じでしかない。しかし、今の行為以外に最善の手は見つかる事は無かった。

 

 倒れる自分の目の前を凶刃が素早く通過していく。確実に盾を展開しようものならば、臓物をまき散らしながら死ぬ未来だけが残される事になる。回避できたのは奇跡に等しい結果だった。

 全力で振るった刃はそのまま空振りになった事で、僅かに硬直している。ハルオミは改めて神機を手に取り、ルフス・カリギュラとの対峙をしていた。お互いの視線が交差しているからなのか、お互いが動く気配は微塵も無い。既に挨拶代わりのやり取りが終えたからなのか、ルフス・カリギュラは改めて全身をバネの様に動かしながらハルオミに肉迫していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「手ごたえがありました。ナナさん。私達も続きましょう」

 

 シエルは自身の狙撃に対し、絶対の自信を持っていた。本来であればシエルの年齢を考えるとヘッドショットはかなり高度な技術と経験が必要となるが、今のシエルにとって足場が不安定なヘリからの狙撃も、地上で引鉄を引いた結果と変わらない。

 極東に来てからもブラッドバレットの研究と同時に自身の腕前の研鑽を忘れる事無く磨き続けている。その結果、既に卓越した技術を構築していた。

 本来であれば鬼門となるべき物が無ければ後は何時もと変わらない作業でしか無かった。

 

 

「了解。早く行かないとハルさんが大変だもんね」

 

「そうですね。まだカノンさんが負傷者を何とかしてるみたいですから」

 

 シエルは自身の神機をアーペルシーからデファイヨンへと変形させていた。既に北斗達は降下しているからなのか、既にその着地点姿は存在していなかった。もし、ハルオミに何かしらのダメージがあれば恐らくはシエル達の下にもその情報が届くはず。にも関わらず無いも無いのであれば、恐らくはそのまま交戦を開始しているだろうと考えていた矢先だった。

 

 

《先遣隊のブラッドが交戦を開始しました。シエルさん。ナナさん。あのアラガミはかなりの物です。大大丈だとは思いますが、それでも万が一の事があります。皆さん必ず生きて帰ってきて下さい》

 

「了~解。アナグラに着いたらハルさんに何か奢って貰わないとね」

 

《そうですね。その時は私も呼んで下さい》

 

「任せておいてよ!必ずフランちゃんにも声を掛けるからね」

 

 何時もと分からない言葉と態度。通信機越しとは言え、フランは交戦しているルフス・カリギュラの能力をある程度把握しているからなのか、どこか心配気な雰囲気がそこにあった。そんな言葉を吹き飛ばすナナの声に改めて何時もの雰囲気が戻りつつあった。

 

 

「フランさん。言ってきます」

 

《シエルさん。ご武運を》

 

 それだけを言い残すと、2人は一気に降下していた。元々の状況が状況なだけに油断する事は出来ない。お互いが本来のミッションでは無い為に携行品の数ですら限られている。

 ヘリの備蓄は然程多く無い。だとすれば、戦術を考えなければ万が一の可能性すら否定出来ない状況がそこに存在してた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ギル。無理はするなよ!」

 

 ハルオミはギルに内心そう言いながらも、目の前で荒れ狂うルフス・カリギュラの行動を常に注視しながら全体を見ていた。素早い機動性に凶悪な攻撃。距離を物ともしない加速性能は既にこれまでのアラガミとは一線を引く程だった。

 斬撃が通り過ぎた後に残されているのは大気すらパックリと切り取らたと錯覚する程の感覚。恐らくバックラーやシールドであれば紙同然とも取れる攻撃は援護に来たブラッド全員の警戒レベルを一気に引き上げていた。

 可能性があるとすれば変異種かもしれない。既に全体の指揮を執る事も考えたが、この早さの前にはそれすらも危うい可能性が高い。今は個人の技量で何とかするしかないままだった。

 

 

「了解」

 

 距離が離れた場所から鎌鼬を彷彿させる程の威力は、直撃しなくてもその圧力がどれ程の物なのかが伺しれていた。ハルオミの狙撃とシエルの狙撃で頭部こそ結合崩壊を起こしているが、それ以外はそんな素振りすら見せないままだった。

 元から携行品の数はそう多く無い。幾ら終末捕喰を回避したからと言って全てのアラガミに対し、楽勝で戦える余裕など最初から無かった。当時と違うのは初見では無い事と、当時とは明らかに神機の威力が異なる点。それが今回の戦闘の生命線だった。

 

 ギルは改めてヘリテージスにオラクルを込めるかの様にチャージを開始する。移動しながらもルフス・カリギュラの隙を虎視眈々と狙い移動を続ける。防御の要と言うべき盾を展開する事が出来ない以上、その場に留まればどうなるのかは考えるまでも無い。今出来る事はそれだけだった。

 

 

 

 

 

「食らえ!」

 

 ギルの言葉と同時にヘリテージスのオラクルは一気に解放されていた。轟音を立てるヘリテージスは既に目標物に向かって距離を詰めるだけだった。

 射程距離とも言える互いの空間が一気に消失されていく。キッカケはハルオミのブースターへの狙撃だった。

 頭部は既に2度の狙撃の影響なのか、ルフス・カリギュラの右目の周辺は既に崩壊し、眼球を確認する事が出来ない。それ以上視覚を失う様にするには逆の方向を狙う必要があった。しかし、それを確実に狙う事は今のハルオミにとって容易い事では無かった。

 移動しながらの狙撃は自ら精密さを失わせる原因を作る以外に無い。初弾もステルスフィールドを構築し、改めて狙いを定めた結果でしかない。だとすれば何をどう狙うのかは自ずと出ていた。苦戦する最大の要因でもある機動性能の低下を狙う為に、ブースターへと照準を定める。一発の狙撃音と同時に、ルフス・カリギュラの態勢が大きく崩れていた。

 

 これまでに無い最大の勝機だと言わんばかりに、ギルは行動に移していた。強烈な加速をそのままに、ギルは足に向けて最大限の推進力を破壊の力へと変換していた。

 戦いに於いて希望的観測を持つ事は悪い事では無いが、現実を直視していない可能性もある。ギルとて多少はそんな考えも過りはしたが、チャージグライドで突進した際にその考えは全て破棄していた。

 運が良ければダメージと共に崩れ落ちる可能性があり、またそこに至らなくてもそれなりのダメージを与える事は可能だと判断していた。ハルオミの射撃だけでなく、気が付けば北斗も自身の行動でルフス・カリギュラの意志をギルに向けない様に牽制をしている。

 この一撃に勝負を賭ける。口にはしないが、全員の行動がそれを物語っていた。

 

 

《ダウンです!ここが勝負です》

 

 フランの言葉に触発されたかの様に、全員がルフスカリギュラへと一気に距離を詰めていた。既に結合崩壊を起こした頭部からは血が噴出している。ギルの一撃は何の抵抗も無く、右足の破壊に成功していた。北斗の、シエルの、リヴィの刃が赤黒い光を帯びている。この瞬間に全員がありったけの力で襲い掛かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後の戦闘はこれまで同様に厳しい物だった。結合崩壊を起こしたとは言え、まるでそのダメージが最初から無かったかの様な攻撃は、ハルオミだけでなくブラッドにも脅威を与えていた。

 幾度となく斬撃を当てようと、致命傷と思われる部分に着弾する銃弾も、まるでお構いない無しとも取れる程の行為は徐々に疲労感を呼び込んでいく。元々突発的だったミッションは携行品の少なさが起因しているのか、徐々に泥沼の戦いへと引きずり込まれていた。

 

 

「シエル。ルフス・カリギュラはどの程度だ」

 

「まだ余裕があるかもしれません」

 

 北斗の問いかけにシエルは端的に答えていた。その事実に誰もがそれ以上の言葉を失っていた。既に頭部が結合崩壊を起こしているにも関わらず、未だ衰える気配の無い動きはある意味脅威でしかない。

 幾ら数の論理が働くとは言え、目の前のアラガミと自分達では圧倒的に体力差が存在している。既に何人かは手持ちが完全に無くなっているからなのか、回復している姿を見る事は出来なくなっていた。このままの状態がどれ程続くのかは誰も予測すら出来ない。ダウンの際に渾身の力でブラッドアーツを使ったまでは良かったが、想像以上に手ごたえがあり過ぎていた。

 目の前のアラガミは一体でしかないが、まるで数体のアダガミを相手にしている様な密度は嫌な予感だけを残していた。

 

 

「このままだと完全に泥沼に沈む。もう手持ちは無いんだろ?」

 

「まぁ。そんな所です」

 

 息遣いも荒くハルオミの質問にギルは言葉少なく返事をしていた。シエルの『直覚』で分かる事実に偽りは無い。本来であれば完全に討伐が終えるはずの攻撃を与えても変化が無いとなれば完全に手詰まりだった。

 

 

 

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 既に神機の切れ味も落ち始めているからなのか、攻撃そのものも鈍く感じる。これだけの人数が居ても討伐が適わないとなれば確実に大きな打撃を受ける事は間違いない。

 このままでは以前の様に逃げられる可能性がある。何かを決心したのか、ハルオミは大きく深呼吸をして一つだけ提案をしていた。

 

 

「俺が最初に突っ込むから、その背後から一気に多面攻撃してくれ。このままだとこっちが最初に被害を出す事になりかねん。出来るか?」

 

 ハルオミの言葉の意味を悟ったからなのか、ギルだけでなく、北斗も改めて今後の可能性を考慮していた。頭部は結合崩壊を起こしているが、それ以外となればブースターが崩壊直前の様にも見える。だとすれば最初に機動力を潰す事を優先すれば勝機が出てくる。余計な事は考えず、今はただそう考えていた。

 

 

「ハルさん。まさかとは思いますが、特攻は無しですよ」

 

「ギル。何馬鹿言ってるんだ。俺だってまだ死にたくねぇよ。俺は攻撃を受ける前提で盾を展開するから、その隙に背後を攻撃するんだよ。後の事は、そこの北斗とギルで何とか出来るだろ?」

 

 ハルオミの言葉に北斗とギルは頷くだけだった。会話をしながらも視線はルフス・カリギュラと対峙したまま。僅かな時間の作戦はそれ以上の綿密な打ち合わせが出来ない。だとすればブラッドのチームワークに賭ける。今のハルオミに自分の手で討伐するなどと言った感覚は既に無い。当初は感じていたケイトの影は完全に無くなっていた。

 

 

「準備は良いか?」

 

「おう」

 

 ハルオミの言葉に短い返事だけが返ってくる。既に何かの覚悟を決めたからなのか、今のハルオミの視線には力があった。射抜くかの様な視線を感じたのか、ルフス・カリギュラは一気に行動を開始していた。お互いの距離は一気にゼロ距離へと縮まる。獰猛な視線が未だ衰えを知らないからなのか、ルフス・カリギュラの鋭い爪は予想通り、ハルオミに向けて襲い掛かっていた。

 

 

 

 

 

 ルフス・カリギュラの爪は事前に察知されていたからなのか、スティルザワンの表面だけを傷付ける事しか出来なかった。予測された攻撃を上回る事が出来ない以上、後は予定調和でしかない。展開したそれの影からは北斗とギルが左右から飛び出すと同時にお互いがそれぞれの腕にめがけて斬撃を放っていた。

 体力差があろうともゴッドイーターの渾身の一撃を片腕で防ぐには無理があった。僅かに生まれた隙は既に回避させる事を拒否させるかの様にその場に押し止める。その間隙を縫ったリヴィのサーゲライトはブースターの破壊に成功していた。

 唸りを上げるかの様に出た悲鳴はこれまでに無い物。一気に勝敗を決めるかの様にシエルは跳躍しながら破壊されたブースターめがけて斬りつける。既にナナもギルの渾身の一撃で傷を負った右足の箇所へとフルスイングしていた。

 

 

《ここで決めて下さい!》

 

 フランの声が全員の耳朶へと響いてく。既に目の前のルフス・カリギュラの様子を伺う様な暇は無くなっていた。当初感じた手ごたえは消え去っている。事実上の止めを刺す為に、再度ブラッド全員の神機が赤黒い光を帯びていた。

 

 両腕の自慢の刃は破壊され、背後に背負うブースターは完全に崩壊している為に用を成していない。既にこの場から逃げる事すら不可能となっていた。暴風を思わせる波状攻撃にルフス・カリギュラは反撃の目を完全に絶たれていた。

 攻撃と移動の手段を封じられたからなのか、ルフス・カリギュラは大きな断末魔と共にその躯体が地響きを立て地面に沈み込む。漸く厳しい戦いが終了する事となっていた。

 

 

 

 

 

「カノン。こっちは終わったぞ」

 

《了解です。こちらも既にジュリウスさんとロミオさんのお蔭で負傷者の収容の準備は完了済みで、後はヘリを待つだけです》

 

「そうか。だったら問題無いな」

 

 通信に呼応したかの様にヘリがこちらへと向かっている。既にそれ程の時間が経過したのか、本当の意味での安堵感が広がり出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆さんお疲れ様でした。周囲にアラガミの気配はありません。既に負傷者の収容は終了しました」

 

《了解。俺達もこのまま帰投する》

 

 アナグラでもこの戦いの状況は逐一更新されていからなのか、出た結果にフランだけでなくテルオミもまた大きく息を吐いていた。ルフス・カリギュラとの戦いがどれ程の物なのかは、テルオミもその当時の顛末を良く理解している。

 義姉の命を奪う結果となったアラガミを幾ら直接討伐したと言っても、それだけで終わる事は早々無い。同じ能力を持つのかは分からないが、それでも同系統のアラガミが存在する以上は、今後も出没する可能性だけは残されていた。

 

 今回の戦いは、本来の部隊運用をしているのであれば完全に撤退の要求が出る程ではあったが、ブラッドの合力があったお蔭で討伐が可能となっていた。終末捕喰は回避できたが、アラガミの脅威までもが消えた訳では無い。背後から除いた数値は全員のバイタルが危険領域にまで落ち込んでいる。余力を残す事無く戦ったからなのか、返事をした北斗の言葉もどこか力無い物だった。

 

 

 

 

「お前ら、少しは手加減しろよな」

 

 ハルオミの言葉は誰の耳にも届く事は無かった。帰りのヘリの中で何かの約束がなされていたからなのか、ラウンジは厳しいミッション明けにも拘わらず、高いテンションを保っていた。

 事前に連絡された事もあってか、ムツミは既に準備万端で待ち構えていた。次々と出される料理が片っ端から綺麗に消えていく。獲物は逃がさないと言わんばかりにナナは両手の皿に盛られた料理を次々と胃の中へと収めていく。一方でシエルとリヴィも少しづつ口にしながらも今回のミッションのデブリーフィングとばかりに何かを話しあっていた。

 

 

「ハルオミさん、お疲れ様でした。最後のあれが無かったらどうなってたか想像するのも嫌になりそうです」

 

「俺だってあんな戦いはもう御免だ。何だか1回の戦いだが、数回分を終えた気分だ」

 

「俺もそうですよ」

 

 ハルオミは騒がしい場所から少しだけ離れた場所で水割りを飲んでいた。ギリギリの戦いの中で、当初感じたケイトの影が無くなっている事は最後の攻撃で気が付いていた。

 カノンに対し、敢えて状況を言わなかったのは、ひょっとして犠牲が出るからと考えた結果なのかもしれないと思いはしたが、当時の状況を今さら考えた所で何も変わる事は無い。

 以前の肩口に刺さったそれが今回は無い以上、別物であると理解したまでは良かったが、それが本心なのかと言われれば安易に返事をする様な心内でも無かった。そんな思考を海から引き揚げられた北斗の言葉にハルオミは改めて今の状況を視界に収めていた。

 凍り付いた心が融けるかの様にカランとなるグラスがハルオミの心を代弁している様にも思えていた。

 

 

 



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第26話 思い出語り

 過酷なミッションが終わると同時に開催されたハルオミ主催の宴会も気が付けば既に終了となり、ラウンジは既に先程までの喧噪がまるで嘘だと言わんばかりの状態になりつつあった。

 既に準備が完了しているからなのか、カウンターの中はムツミではなく弥生が何時もの服とは違い、夜のラウンジ専用の服に着替えている。薄暗く落ちた照明は周囲のプライバシーを守るかの様に僅かに照らし出されていた。

 

 

「今日は大変だったらしいな」

 

「まぁ。そんな所ですね」

 

 一人カウンターに座っていた隣に居たのは、他の任務に出ていたリンドウだった。事の顛末は通信越しであったが、サクヤから聞いている。事実上の因縁のアラガミとは違うものの、やはり同種のアラガミはその人間の感情を大きく揺さぶる何かがあった。

 

 リンドウの前には既に顔を見たからなのか、弥生が琥珀色の液体が入ったグラスをそっと置いている。元々ボトルがキープされている事からも、それが何なのかは確認するまでも無かった。出された琥珀色の液体を僅かに喉へと流し込みながらリンドウはそれ以上の言葉を発するつもりは無かったからなのか、終始無言のままだった。

 

 サクヤから聞かされた対象アラガミでもあるルフス・カリギュラはリンドウも大よそながらに経緯を知っている。まだブラッドがここに来た当初、ハルオミが世界中を駈けずり回って追いかけていた因縁のアラガミ。自分の嫁の仇とも取れるそれの監督の為に当時は出動していた。

 

 今回の任務は接戦に次ぐ接戦であると同時に、これまでに無い程の力を持ったアラガミだった事からも、既にそのコアは榊の下へと回され解析されている。変異種ともなれば確実に自分達の出動の要請が来るだけでなく、今後の討伐の為のデータ採取までもが必須となる為に、リンドウは現時点での内容を榊から聞かされていた。

 

 

「そう言えば、リンドウさんに少し聞きたい事があったんです」

 

「聞きたい事?」

 

「ええ。今回の戦いで改めて感じた部分があったんで」

 

 沈黙を破ったのはハルオミだった。元々討伐したアラガミによって、どんな感情を持っているのかを予測してリンドウもここに来ている為にハルオミの言葉の先が読めなかった。

 

 

「感じた部分ね………そう言えば、俺はグラスゴーの話を直接聞いた訳じゃないからな。精々が姉上から聞かされた内容しか知らん。それと何か関係があるのか?」

 

 ハルオミは現在のアナグラの中でも上位に入る程のベテランの神機使いでもある。その職種から考えれば、これまでにも幾度となく人の生死を間近で見ている為に、ある意味では死に対しどこか鈍感になる部分は多分にあった。

 そんなハルオミが思う部分があるとすれば、それは自身に近い境遇か、若しくはそれに伴う何かである事に間違いは無い。幾らアラガミを討伐する為に超人的な力が発揮できるとはいえ、精神までもが強化される訳では無い。だとすれば、それが何なのかを聞いてみるのも一つの手だとリンドウは考えていた。

 しかし、それはあくまでもハルオミのプライバシーにも大きく影響を及ぼす。ましてやこんなオープンな場で話す様な内容では無かった。

 リンドウは改めて弥生の表情を見て確認する。それを察したからなのか、弥生は周囲を僅かに眺めながらも問題無いとばかりに僅かな笑みを浮かべていた。

 

 

「俺、以前に少しだけ言ったかもしれませんが、あのアラガミを討伐する為に世界中の支部を渡り歩いたんです。結果的には自分の手でケイトの仇を討てたまでは良かったんですが、やっぱり完全に蟠りが解消した訳でもなかったみたいで」

 

 独白とも取れる言葉を吐きながらもハルオミは自分の手の中にあった液体を喉へと流し込んでいた。口の中でゆっくりと広がるピートの香りは当時の事を懐かしむかの様にも思えてくる。

 偶然討伐したアラガミがそうだったからなのか、それとも飲んでいるマッカランがそう思わせているからなのか、何時もの様な雰囲気をハルオミから感じる事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハルさん。そろそろそれ位にしないと……」

 

「俺の事は無視してくれて良いぞ」

 

 グラスゴー支部は元々アラガミの出没が然程多く無い地域であったか事から、何かにつけて他の支部よりもあらゆる面で遅れる事が多かった。事実、近隣にはドイツやイタリアと言った大きな支部だけでなく、ここからは本部にも近い。本部はさて置き、他の支部から見てもグラスゴーに関してはどこか緩やか空気が流れているのは間違い無かった。

 ギルも初めてここに配属された際には、これまでの討伐記録を見ても大型種の討伐記録は殆ど無く、精々がコンゴウが時折出る程度の事だった。当然それに慣れればその支部の人間もそれに慣れていく。だからこそ事実上のイレギュラーとも取れたルフス・カリギュラの出没は支部内を蜂の巣をつついたような騒ぎにしていた。それと同時に部隊長でもあったケイト・ロウリーの殉職。その結果に至った内容もまたショッキングな物だった。

 

 当時に限らず、今でも部隊長であれば部下がアラガミ化した際には介添えの義務が発生し、また、その情報は完全に隠蔽される事が義務付けられている。それはアラガミに対し、何の武器も持たない一般人がゴッドイーターに対し忌避感を持たない様にする為の措置だった。事実、グラスゴー支部での殉職率はゼロに近く、ケイトが部隊長をしてからは大きな怪我を負う様な事案は何一つ無かった。

 

 

「ですが……補充の人員の話はまだ聞いてないんですよ。だったら少しは」

 

「暫くは良いだろ?あのアラガミの影響でここ1週間は見る事すら無いんだ。どうせ今日だって出やしないさ」

 

 ケイトの葬儀はしめやかに行われていた。事実遺体となるべき物は何一つ無く、腕輪だけがこの支部で存在していた証でしかない。事実上の何も無いままの葬儀は形骸化していた様だった。

 ゴッドイーターの殉職ともなれば遺体が残る方が稀である事は半ば常識となっている。最大の理由はアラガミに捕喰される為に、何一つ残らない事だった。そう考えればケイトはまだ腕輪が残っただけ良かったのかもしれない。事実ハルオミとケイトの事を良く知っている支部長からもそんな言葉をかけられていた。

 

 表面上はそれで問題無いが、だからと言って個人の気持ちは単純ではない。ギルが心配する様に、ここ数日のハルオミは明らかに荒れていた。既に部屋の中には酒瓶が幾つも転がっている。酒を浴びるように飲む事で自身の感情を誤魔化しているのか、それとも自暴自棄になっているのかは分からない。ハルオミが言う様にアラガミが出没しない事実だけが残された現実だった。

 

 

「ですが……」

 

「出た所でオウガテイル程度だろ?だったらお前一人でもどうにかなるだろ?」

 

「ハルさん。そんな事は誰にも分からないですよ」

 

「良いんだって。困るなら他の連中でも行かせればさ」

 

 そう言いながらハルオミはグラスに入れる事無くスコッチの瓶をそのまま口にし、ラッパ飲みしている。目の前の人間は本当にケイトが生きていた頃の人間と同一人物なのだろうか?少なくともあの当時3人で過ごした感覚は間違いだったのだろうか。これまで罪悪感だけが出ていたギルに僅かに疑念が浮かんでくる。死者を冒涜する訳では無かったが、あまりの目に余るハルオミの言動に、ギルは何も考える事無く不意に浮かんだ言葉がそのまま口に出ていた。

 

 

「らしくないですね。って言うか、ケイトさんが愛した男がこんな体たらくだったなんて、男を見る目が無かったんですね」

 

「ギル……今何て言った?」

 

「気になったんですか?言葉通りの意味に何か問題でも?」

 

 その瞬間だった。ギルの頬に熱をもったまま衝撃だけが走る。突然の出来事に何が起こったのかは分からないが、先程まで塞ぎ込んでいたはずのハルオミは怒りを持ったまま衝撃で座り込んだギルの前に仁王立ちしていた。

 

 

「お前に何が分かる!愛する物を失ったそれがどれ程の物なのかがよ!ひよっこの分際でデカい口叩くな!」

 

 怒りに我を忘れたかの様な表情に生気が生まれたのか、眼は先程までの無気力な物ではなかった。一時的とは言え、悲しみから脱却出来た事は喜ばしい事だが、ハルオミの言葉にギルも流石に憤りを感じていた。

 事実、苦しんでいるのはハルオミだけではない。ギルとて査問会議に呼ばれ、何度も陳述を繰り返した末に今に至っている。幾ら緊急事態とは言え、周囲の目は決して良い物では無かった。

 『フラッキング・ギル』幾ら無罪放免とは言え、世間の、自分達と同等のはずの神機使いからもそう呼ばれている事実は直接聞いた訳では無いが、遠回しに聞く事が多かった。

 何かにつけてヒソヒソと噂される事実は、ギルの精神をゆっくりと蝕んでいく。ハルオミだけでなくギルもまた今回の件の実質的な被害者だった。

 

 

「本当の事だろうが!ゴッドイーターの殉職は日常だってあんたが言ったんだろうが。ただそれが自分の見知った人間だっただけだ。そこにどんな違いがあるんだ!」

 

「違いだと?お前は他人と身内が一緒だと言いたいのか?じゃあ聞くが、どうしてケイトに手をかけたのがお前なんだ!俺だって向かってたんだ。それ位分かるだろうが!」

 

 立ち上がらせるべくハルオミはギルの胸倉をつかみ自身の身の丈とも言える思いを口にする。当時の状況はギルからは何も聞かされていない。当時の状況を知ったのも支部宛に来た査問委員会の議事録で知った程度だった。今際の言葉が何だったのかすら分からない。多少なりとも何か分かればと思い、議事録を読んだが個人の感情については何も記載されていない。

 そこにあるのは今回の査問委員会の内容と結果。知りたいと思われた事実は何一つ書かれていなかった。だとすれば当人の口から直接聞くのが一番だった。幾ら叫ぼうともギルはそれ以上の言葉を口にする気配は無い。それどころか秘匿したままでいる様にも思えてた。

 最愛の人間が今際にした言葉が何なのか。どんな顔をしていたのか。それすらも分からない。ギルの言葉にハルオミの感情は最高潮にまで達していた。

 

 

「ふん。分かりたくもない。こんな腑抜けだから今際の言葉すら口にする必要性は無い!」

 

 ギルはそう言いながらもハルオミの腹に向けて拳を振るっていた。至近距離での攻撃に威力は小さいが、外す事は無い。不意にやられた攻撃に今度はハルオミがその場でうずくまっていた。

 

 

「そう言うなら、俺がどんな思いでケイトさんを介錯したのか分かるのかよ!自分だけが被害者面するな。今のお前は自分に酔ってるだけだ!」

 

「何だと!」

 

 一触即発の状態は既に通り過ぎていた。お互いが殴り合うそれを止める者はここには居ない。お互いの気持ちのやり場がなかったからだったのか、ギルとハルオミの目には光る物が浮かんでいる。少し前までは当たり前だった現実が既に崩壊している。

 この地に敬うべき神の姿は存在しなくなって既にどれ程の時間が経過しているのかは考えるまでもない。そこには単なる結果だけがそこに残されていた。

 

 

 

 

 

 お互いが殴り合ってどれ程の時間が経過したのか、部屋の中は静寂に包まれていた。お互いの気持ちを吐き出したまでは良かったが、気まずさだけが残っている。事実ケイトの最後の言葉を考えれば、現状をハルオミに見せたくない気持ちがギルには痛い程理解していた。

 決して公表しないでほしいと懇願された訳では無いが、それでも最後の言葉とケイト自身の事を考えれば口する事すら憚られていた。一方のハルオミもまたギルの言葉は図星を突かれた部分が存在していた。

 本来であればギルのやった行為はゴッドイーターとしては当然の行為でもあり、また部隊長はそれが義務付けられている。本来であれば査問委員会の招集がある事自体が異様だった。

 ハルオミの立場であれば正論を振りかざして突っぱねる事が理論上は可能である。確かに権限は支部長にあるかもしれないが、部隊の作戦中は事実上隊長が権限を持つ事になる。

 ハルオミの状況を勘案すればギルではなくハルオミがその任を担うべき内容。それが配属して間もない人間にさせるべき物ではなかった。

 

 

「少しは加減しろよな」

 

 気が付けばお互いが同じ事を考えていたからなのか、既にハルオミの部屋からギルは立ち去っていた。殴られた腹をさすりながらも今は何もしたく無いとばかりにベットに横たわりながらぼんやりと考えていた。苦し紛れに言った様に、結果的にはアラガミの気配を感じる事も無く一日が終わる。

 ギルとのやりとりで何かを思う事があったからなのか、ハルオミは不意に以前ケイトが何かを書いていた物があったはずだと思い出していた。当時は何を書いているのかを聞きはしたが、その都度はぐらかされた事実があった。形見としてではなく、不意にそう思った結果。ケイトの死がどれ程自分を蝕んでいたのかを今になって実感していた。

 

 

 

 

 

「ケイト……」

 

 それを見つけたのは偶然に過ぎなかった。ハルオミの手には本来であれば見るはずの無いそれが机の上に置かれている。ケイトが自身の記録の為に遺した物なのか、それは色々な紙に書かれた些細な日常の記録だった。日記の様な物ではなく、その時々に感じた感情が短く記されている。以前に見たそれも何かの紙片だった記憶が蘇っていた。

 

 日々の感謝すべき出来事やギルが始めてグラスゴーに配属された記録など、ケイトの筆跡にはその当時の感情が浮かんでいる様だった。そんな中で見た一枚の紙片。第1世代から第2世代への神機のコンバートと、除隊の勧告が書かれている紙片。何か水分が落ちたのかと思わる様な染みが浮かんでいる。ケイトが常に考えていた思いをハルオミは垣間見た様にも感じていた。

 ギルが心配するのは当然だと思うのは仕方の無い事。ケイトの紙片の大半は自分とハルオミの事が書かれている。それが何を意味するのか、それをどうするのか。ハルオミは改めて見る事により自身の心の奥底に溜まった澱がゆっくりと溶けていく様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リンドウさん。一つ聞きたい事があったんですけど、行方不明から帰還した当時ってどんな気分でした?」

 

「何だよ藪から棒に……その件については正直何と言って良いのか分からない事の方が多いんだよ。実際に苦労したのはサクヤであって俺じゃない。だが、再開した際には随分と心配させたって事は間違いないな」

 

 何かを思い出したかの様にハルオミはリンドウの右腕を見てから問いかけをしていた。リンドウがアラガミ化した事実は既にアナグラの殆どが知っている。当時の経緯は伏せられているが、教導や普段のミッションで一緒になれば、誰もがその異形の腕に視線が集まる。そんな事もあってか、今では座学の際にはリンドウの件も改めて伝えられていた。

 

 

「ここに居る連中は誰だって何かしらの傷は抱えてるもんだ。事実、俺がまだ第1部隊だった頃のここはもっと酷かったからな。口の悪い連中も多かったし、跳ねっかえりだっていた。でも、後ろを振り返らず誰もが傷つきならがらも前を向いて歩いている。気が付いたら今に至るって訳だ」

 

 そう言いながらリンドウは残り少なくなった琥珀色の液体を喉に流しこむ。今日はこれ位でと思った矢先に、改めて代わりのグラスが置かれていた。

 

 

「弥生さん。俺頼んでないぜ」

 

「良いのよ。これは私からの奢りよ。それとハルオミさんもこれ」

 

 空気を察したのか、弥生は2人が飲まないであろう液体が入ったグラスを2人の間に置いていた。リンゴの香るカルヴァドスはケイトが好んで飲んでいた物。まるで捧げるかの様に出されたそれにハルオミは何か懐かしさを覚えていたのか、改めて自分のグラスへと視線を戻していた。

 

 

「献杯」

 

 小さいながらも2人に響く弥生の声にリンドウとハルオミも改めてグラスを掲げゆっくりと飲んでいく。全ての思い出を飲み干すかの様に少なくなる中身は魂の癒しの様にも思えていた。

 

 

「ハルオミさんも普段からそうだったら、もっと皆の印象も変わると思うんだけど」

 

「何?俺に惚れた?」

 

「まさか。心に大事な女性を住まわせた貴方に惚れるつもりはないわよ」

 

「そりゃどうも」

 

 弥生の言葉にハルオミは何時もと同じ様な雰囲気で返事を返す。そこには何時ものありふれた日常が広がっていた。

 

 

 



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第27話 来訪者

 緊急要請を受けたチームが戦場に降り立つと、風が無かったからなのか、そこにはむせかえるかの様に血の匂いが充満していた。本来であればアラガミは捕喰をする際には一気に喰らう事が多く、その結果、死体が食べカスの様に残る事は殆ど無かった。

 周囲を慎重に索敵するも、その元凶となるアラガミの姿は何処にも見えない。一方でレーダーにすら映っていないからなのか、耳にある通信機からもアラガミに関する情報をもたらす為のオペレターの声を聞く事は無かった。

 

 

「周囲の索敵をしましたが、アラガミの姿は確認出来ません」

 

《了解しました。こちらでもレーダーの索敵範囲を拡大しましたが、アラガミは確認できませんので、帰投用のヘリを派遣します。到着は約20分程です》

 

「了解しました。ヘリが到着までは引き続き索敵を継続します」

 

 通信が切れると同時に改めて周囲を観察していく。幾ら目を皿の様にしようがアラガミの姿はおろか、足音さえも聞こえない。既にこの区域からは完全に居ないからなのか、何時もとは違った空気がこの場に漂っていた。

 

 

「アラガミの姿はありました?」

 

「こちらは何も……」

 

「支部のレーダーでも発見出来ないとの事ですので、一旦は支部に戻ります」

 

「了解しました」

 

 隊長の言葉を聞いたからなのか、部隊の人間は全員が安堵していた。

 ここはドイツ支部。極東支部とは違い、接触禁忌種の遭遇は年間で片手で数える程しかない。事実、出没した際には最大で4チームを派遣し、事実上の総力戦に近い状態でミッションをこなしている。

 遭遇してからの生存率はそう高くなく、アラガミの種によっては出動した人員の4割弱が殉職するケースもあった。事実、今回の緊急出動も正体不明のアラガミによって派遣した部隊が全滅したからと、他の場所でミッションをこなしていたアネットに出動要請が出ていた。現地での情報が皆無だっただけでなく、まさか自分達がそんな戦場に赴くとは思ってなかったからなのか、アネット以外の他のメンバーは皆青い顔をしていた。

 事実上の死刑宣告に近いミッションに誰もが尻すぼみになっていく。そんな中で唯一極東支部で教導を受けていたアネットだけが平気な顔をしていた。

 

 

 

 

 

「でも、接触禁忌種なんて洒落にならないッスよ」

 

「このメンバーだと流石にね……」

 

 部隊長でもあったアネット・ケーニッヒはそんな隊員の安堵の表情を見て、苦笑するしかなかった。帰投用のヘリに乗り込むと、一気にヘリの持続可能高度まで上昇していく。万が一アラガミが出たとしても攻撃が届かないであろう距離まで離れる事で何時もの状態に戻りつつあった。

 

 

「そう言えば、アネット隊長って極東支部に教導で出向いた経験があったんですよね?」

 

「新人の頃かな。でもあの時はまだ接触禁忌種なんて討伐した事無かったかな」

 

「噂だと極東支部はヴァジュラを単独で討伐しないと一人前だって認められないって聞いてたんですけど、それは本当なんですか?だとすれば化け物みたいですね」

 

「まぁ、本当と言えばそうなんだけど……」

 

 部下の気軽な言葉にアネットは流石にそれは無いだろうと否定したくなっていた。確かに自分がまだ極東に居た際にはそれが可能なゴッドイーターが何人も居た事は記憶している。それだけではない。アラガミの個体差は他の支部と比べても雲泥の差である事は当時新人だったアネットも理解していた。

 極東で強化した神機とそのパーツは、長らくの間ここドイツ支部でも一線級の威力を誇った状態で運用をしていた。当時は何かとやっかまれる事もあったが、極東での事実を話すと誰もがそのままアネットから距離を置いている。アラガミの楽園。アラガミの動物園と揶揄された極東支部は今も変わらずアラガミとの最前線に違い無かった。

 

 

 

 

 

「緊急ミッション済まないな。結局の所、確認出来なかったと聞いてるが?」

 

「はい。周囲を数回索敵しましたが、アラガミの気配はありませんでした。因みにアラガミの種別は何だったんでしょうか?」

 

「現在の所、周辺状況と残されたオラクル細胞の欠片の解析の結果、ハンニバル種の可能性が高い。だが、あくまでも種別だけだから、それが何なのかは実際に目で見ない事には何とも言えんな」

 

 帰投直後に呼ばれた支部長室で、アネットは支部長と話をしていた。信号がロストしてから時間はそれなりに経過しているからなのか、アネット達の到着時には痕跡だけが残されていたに過ぎない。

 細胞が風化したからなのか、それとも劣化していたからなのか、支部長の回答もまた曖昧なままだった。

 

 

「そう言えば、アネットは確か極東支部の如月エイジを知っているな?」

 

「はい。何度か指導を受けた事があります。それが何か?」

 

 唐突に支部長から言われた言葉にアネットは首を傾げる事しか出来なかった。既に極東を離れてから3年近くが経過している。それが何を意味するのかが分からないままだった。

 

 

「実は最近まで独立支援部隊の任務の兼ね合いで本部に居たらしいんだが、その契約期間が終了したらしく、現在は極東支部に戻っているらしい。今、我々が直面している事案を考慮すると、近日中に何らかの対策を講じる必要が出てくる。

 本来であればクレイドルの専門チームを派兵してもらうのが一番なんだが、生憎とそれを出来るだけの余裕が我が支部には無いのでな」

 

 支部長の言葉をアネットはただ聞く事しか出来なかった。

 接触禁忌種の討伐をクレイドルでも専門チームと称してエイジとリンドウが派兵されている事は隊長職以上であれば知りえる事実だった。それと同時に行われる教導の苛烈さも同じく耳に届いている。容赦ない教導は新人の高くなった鼻をへし折るには十分すぎる内容だと、アネットも何度か耳にしていた。

 

 

「まさかとは思いますが、極東に誰かを派兵させるつもりですか?」

 

「ご名答だ。期間は約2週間程を予定している。万が一接触禁忌種が出て厳しい状況であれば、即帰国してもらう事になると思う。行けるかね?」

 

 含みを持ちながらもニヤリ笑う支部長を他所に、当時の状況を思い出したからなのか、アネットは僅かに懐かしさを感じていた。極東でのミッションのカテゴリーは割と細かく区切られている。

 自分の力量を無視したミッションを受ければ、帰還するのは神機だけの可能性が高いからと、余程の事が無い限りミスマッチでのアサインは緊急時以外ではありえなかった。

 その結果、各自のレベルにマッチしたミッションの案内は当時も無駄が無い様にも思えていた。

 

 

「当然です」

 

 支部長の言葉に、断る要素はどこにも無かった。僅かとは言え、極東のメンバーと任務をこなした事実は今の行動原理にも組み込まれている。そんな当時の事を思い出しながらもアネットは二つ返事で頷いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。そう言えば、ドイツ支部から教導の名目で誰かが派遣されると聞きましたが、何か詳細を榊博士から聞いてますか?」

 

 シエルの言葉に北斗はここ最近の話を思い出していた。榊だけでなく弥生からもそんな話を聞いた記憶は無く、シエルも自分に聞いてくるとなれば、確実に何かしらの噂である事は理解していた。

 フライアに居た頃は他の支部との連携を考える様にと、当時ジュリウスから言われていたが、最初がここ極東支部だっただけでなく、その後もここに居た為に他の支部の話を聞く事は無かった。

 

 

「何も聞いてない。シエルはどうやって知ったんだ?」

 

「私はサクヤ教官から聞きました。何でも精鋭が来るとか……」

 

 珍しく確認せずに聞いたからなのか、シエルはどこか所在無さげに話している。事実、詳細を何も聞いていない以上、北斗としてもどんな返事をすれば良いのかを考えていた。

 

 

「ねぇねぇ!ここに『ベルリンの壊し屋』って呼ばれてる人が来るらしいね。その人は何でもハンマーを使うとか。知ってた?」

 

 シエルの話を補完するかの様に、今度はナナが話しかけていた。どうやら同じ様な話を聞いたからなのか、それともここでは数少ないハンマー使いだと聞いたからなのか、ナナのテンションはどこか高いままだった。

 

 

「すまん。さっきシエルから聞いたばかりで詳細は知らない。でも何でそんなにテンションが高いんだ?」

 

「分かってないな~。いい北斗。ここの支部でブーストハンマーを使う人って結構少数派なんだよ。折角破壊力に優れてるんだから、火力が高い人が入れば部隊としての攻撃にも幅が出るし、それだけ有名な人が来るならマイノリティーからも脱却できるでしょ」

 

「ハンマーなら他にエミールさんも居るのでは?」

 

「でもな~『ベルリンの壊し屋』って言う位だから怖い人なのかな。やっぱり最初はおでんパンで様子見かな」

 

「ナナさん……」

 

 ナナのテンションの高さについて行けなかったのか、シエルの言葉はナナには届かなかった。確かにここでのブーストハンマーを積極的に使う人間はそう多く無い。

 分布を調べた訳では無いが、教導の影響なのか、それとも何を参考にしたからなのか、ロングやショート、バスターにチャージスピアの比率は割と多かった。サイズに関しては実質的には片手で足りる程の人間しか使っていない。攻撃方法が特殊だからなのか、それとも特殊兵装が影響しているからなのか、使いこなしている人間そのものが特殊な教導をこなしている事を知っている為に、どこか遠慮した部分が存在していた。

 既にナナの意識はその先へと向けられている。その結果、シエルの出したエミールの名前はまるで最初から無かったかの様に会話が進んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど。だからここに。と言う事ですか」

 

《本来であれば我々が要請すれば良いのですが、お恥ずかしながら我が支部はそれ程資金が潤沢でもありませんし、派兵のついでに教導となれば少々厳しい物で》

 

 榊は通信相手の心情を読み取りならがも、実情を勘案していた。ああは言われたが、クレイドルの派兵は長期的な目で見れば見た目のコスト以上の結果をこれまで何度も示していた。

 戦闘時の判断や攻撃の方法など神機の強化は難しくても、それを使う人間の強化には定評がある。一時期エイジが単独で派兵していただけでもそれなりの結果を示していたが、既にその当時の人間はドイツ支部には殆ど残っていなかった。

 

 退役しただけでなく、アラガミによって命が散った人間も少なくないのが原因だった。半ば常識となっているからなのか、榊もその事実は知っていても口にする事は無かった。

 そんな中でエイジだけの派兵が終わり、今はクレイドルとしての行動をしている。そうなればそれに対する報酬や環境を整えるだけでなく、整備にもかなりのコストが要求される事になる。極東であれば容易に入手できるコアも他の支部では困難となれば、結果的には金銭のやりとりが発生する事にもなり兼ねない。実力と経済。どちらを取るのかは各支部で頭を抱える事案に違い無かった。

 そんな実情から考えれば、極東に人間を派遣させれば実力と同時に神機のバージョンアップも容易に出来る。命の心配はあれど、今出来る中での最大の低コスト案。そんな経緯が存在していた。

 

 

「我々としては歓迎します。それに彼女は以前はここに少しだけ在籍していた訳ですから、馴染むのも早いでしょう」

 

《その件は我々も心配はしてません。本人の希望していた事ですから》

 

「では、予定の通りに歓迎しよう」

 

《その様にお願いします》

 

 通信が切れると榊は手元にあった資料に改めて目を通していた。本来であれば虎の子とも取れる第一部隊長である人物をここに寄越すとなれば、その間の支部の戦力は低下が免れない。余程何かがあったからなのか、それとも単なる偶然なのか。

 真相を解明すべく、榊は弥生に目で合図をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘリから降り立った女性は、大きく腕を上に上げる事で身体を伸ばす様に身体をほぐし深呼吸をしていた。長旅で淀んだ肺の空気が一気に入れ替わる事で気持ちを切り替える。急遽決まったドイツ支部からの派兵は既に極東支部にも伝えられているからなのか、変な緊張感を持つ様な事は無かった。

 ヘリから降りた支部の光景は当時と何も変わっていなかった。土埃だけでなく、遠くで聞こえる喧噪。ここが最前線である事を嫌でも実感するだけでなく、短い期間ではあったがここに居た記憶が蘇ったからなのか、アネットはどこか懐かしさを感じていた。

 

 

「ドイツの支部長からは聞いてるよ。随分と久しぶりだね」

 

「はい。榊博士もお元気そうで」

 

 かつて知った道だからなのか、念の為にと弥生がアテンドしたが、アネットの足取りは迷う事無く支部長室へと向いていた。

 ここに来る途中では見た事が無い人間が多かったからなのか、どこか遠目でアネットを見ている様にも思える。ここに来た当時は右も左も分からなかった頃。今の自分は本当にここでも通用するのか少しだけ心配になる面もあった。そんな気持ちを知ってか知らないか榊は何も変わらない対応だった。

 

 

「しかし、第1部隊長の君が来たと言う事は、向こうは戦力が大幅にダウンするかもしれないが、何があったんだい?」

 

「実は、今回のミッションの中で未確認のアラガミの出現で部隊が一つ全滅しました。周囲の細胞片からはハンニバル種の可能性があるとは分かってるんですが、それ以上の事が何も分からないので、取敢えずはその戦力を高める方針だと聞いてます」

 

「ハンニバル種ね。確かにあの種は何かと曰くつきの話が多いから、あながち否定は出来無さそうだね」

 

 アネットの言葉に榊も何か思う部分があったからなのか、それ以上の明言は避けていた。

 以前リンドウが失踪した際に判明した事実はある程度情報としては公表しているが、その事実を知るのは支部長だけ。部隊長でも知らないケースがあるのは、ある意味では仕方ない事でもあった。それだけではない。ハンニバルの変異種ともなれば、討伐のレベルは一気に跳ね上がる。最近もここ極東ではルフス・カリギュラの変異種を相手に厳しい戦いをしてきた事実がある。

 データ上では何も分からないが、コンバットログや当人の話を聞けばどれ程凶悪なアラガミだったのかは想像も容易い。そんな事実があるからこそ、榊もアネットに対し安易な発言を避けていた。

 

 

「お恥ずかしい話ですが、今のドイツ支部でハンニバルが出れば殉職率は一気に跳ね上がります。経験もですが、やはり神機のレベルとのミスマッチだけはどうしようも無いですから」

 

「なるほど。だとすれば、今回はそんな経験値の獲得と神機の強化をメインに考えると言う事で良いかい?」

 

「榊博士がそう言ってくれるのであれば助かります」

 

 ハンニバル種までとなれば、ここでも単独でこなせる人間はかなり限られる。

 気を抜けば一気に死の淵に追いやられるアラガミは尉官クラスが居なければ、スタングレネードを使用し、即時撤退がここでは最低限の条件となってくる。只でさえ素早い動きに翻弄されるにも関わらず、防御しても弾き飛ばされる程度の腕前と神機では歯が立たないどころか、完全に役立たずでしか無かった。

 

 

「だとすれば、部隊の件は少し考えてみよう」

 

「ありがとうございます」

 

 榊の言葉にアネットも理解したからなのか、支部長室を出た後はそのまま技術班へと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?この神機ってアネットのだったんだ。またここに教導なの?」

 

「はい。2週間と短期ですが、またお願いします。リッカさん」

 

 技術班に顔を出したアネットを出迎えたのはリッカだった。既に運ばれた神機はそのまま一旦は状態の確認の為に作業台に乗せられている。ここでの任務に耐える事が可能なのかを判断する為だった。

 ドイツ支部では泣く子も黙る第1部隊長ではあるが、ここではそんな肩書は全く通用しない。元々のレベルが違う事もあるからなのか、アネットもどこか当時の状況に似たような状態になっていた。

 

 

「ああ。アネットか。久しぶりだな」

 

「ナオヤさんもお元気そうで。今日はこれで終わりなんですか?」

 

ナオヤはいつものツナギ姿から教導用の服へと着替えている。既に幾つかの予定があったからなのか、どこか忙しそうな雰囲気を出していた。

 

 

「いや。これからは新人の教導だ。これも俺の仕事だからな」

 

「ナオヤさんがやるんですか?」

 

「ああ。新人から曹長クラス迄は俺が見てる」

 

 教導の言葉にアネットも当時の事を思い出していた。常に動きながらもアラガミの行動を予測し、その攻撃の範囲と威力を計算しながら戦術を練っていく。仮にそれが厳しい状況であろうが、生き残る為には実行するしかない。身体だけでなく頭もフル回転していたエイジの教導を思い出したからなのか、無意識の内に身体が震えていた。

 

 

「どうだ。アネットも少し見ていくか?」

 

「はい。ぜひお願いします」

 

 アネットの動きを見たからなのか、ナオヤは促していた。今回の任務には入っていないが、自分も既に部下がいる身。だとすれば何かしらのヒントが掴めればと考え、同じく訓練室へと足を運んでいた。

 

 

 



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第28話 今後の可能性

 無機質なはずの訓練室に、ナオヤと対峙するかの様に面を被った男性が大太刀とも取れる物を持って戦いに臨んでいた。ここに来た際にナオヤから聞かされたのは個人の教導だったはず。にも拘わらず、目の前で起こっている攻防はアネットが知る教導の域を既に飛び越えていた。

 かなりの時間が経過したかと思い、アネットが時計を見ると時間はまだ10分程しか経っていない。訓練と言うよりも死闘に近いそれは既に訓練の領域を大きく逸脱しているのではと思える程に異様な物だった。

 

 大太刀を持っている人間も決して動きが悪い訳では無い。ここでの基準は分からないが、今の動きだけを見てもドイツ支部でも事実上のトップになれる程の体捌きは、ある意味では感動出来る程だった。

 本来であれば相手の攻撃の隙間を縫うかの様に一太刀入れる事も可能だが、相手がナオヤだったからなのか、態と作った隙に誘導され、逆にその隙に激しい刺突が幾つも男性の身体を穿っていた。仮面越しだからなのか、僅かに聞こえるうめき声だけがダメージの量を表していた。

 

 

「一旦は休憩だ」

 

「はぁ~助かった」

 

 仮面を外して座り込んだのは、今回の教導相手のロミオだった。元々このやり方を今でも周到しているのは惰性ではなく、自身の五感を鍛え悪条件下でも同じ様な行動を起こす事を目的としていた。

 アラガミとの戦いは常に万全の状態ばかりではない。雨や雪だけに留まらず、時間によっては太陽光までもが自分の障害となって立ち塞ぐ。視界を奪われたままで戦う事がどれ程過酷で困難な事なのかは考えるまでも無かった。

 幾ら強靭な肉体があろうとアラガミからすれば一般人と大差は無い。仮に撤退が出来ない状態だとすれば、必然的に厳しい条件下での戦闘も止む無しとなるのは当然だった。

 

 見ているだけでも息が詰まるかの様な重圧は確実に対峙している人間のスタミナを容赦なく奪い去る。事実、肉体出来な疲労だけに留まらす、精神的にも襲い掛かる疲労は通常のミッションでも感じる事は無い程だった。用意された水筒の水を煽るかの様に飲みこんでいく。戦場で休息を取っているのと然程変わらない様子は正に実戦を想定していた。

 

 

「次は俺も仮面を被る。手加減は出来ないから気を抜くな」

 

「ちょっと聞いてませんよ。俺、そんなだったら瞬殺じゃないですか!」

 

「そろそろ次のステップに行かないと今のままだと面白く無いだろ?」

 

「そんな事で決めないでくださいよ!」

 

 懇願しているかの様に見えるのは気のせいだろうか。そんなやりとりを見ながらアネットは何気にゴッドイーターの腕輪を見ていた。自分達とは違い、漆黒の腕輪が示すのは終末捕喰を防いだブラッドの証。詳しい事は分からないが、自分達の第2世代と違い第3世代のそれはこれまでの様な偏食因子の違いを持っている事だけは何となくだが知っていた。

 事実上の特殊部隊にも関わらず、目の前で気軽に教導しているその姿はアネットのイメージを少しだけ変えていた。これまでにも特殊部隊と称された物が何度かドイツ支部でも目にしていたが、誰もが独特の空気を纏っていた。実績そのものは何も分からない為に確認のしようが無いが、異質な雰囲気は支部内の空気を重く変えていた。しかし、目の前の金髪の男性からはそんな雰囲気を感じる事は一切無かった。まるでここに最初から居たかの様な人付き合いの良さがアネットの目にも映っていた。

 

 

「停滞は死と同じだ。ゆるやかに自分の技術を破滅に追い込む。ここで命ギリギリの教導をした方が戦場でギリギリの戦いをするよりもマシだろ?」

 

「そりゃ……そうですけど」

 

 半ば言いくるめられた様にも聞こえるが、実際にはその通りだった。幾ら訓練で良い数字を残せたとしても、実戦になれば何の役にも立たない。それどころか過信して命を散らすのが関の山だった。

 態々死にゆく者の為に技術を磨かせている訳では無い。人間が走馬灯を見るのは、死の直前になって打開策を見つける為に見せているなんて説もある。だとすれば、ここでギリギリの教導をすれば、万が一の際には生き残れる可能性が僅かでも高くなると考えた末の行動だった。

 

 

「その代わり短時間で一気に仕上げるぞ」

 

「了解しました」

 

 ナオヤとロミオは再び激突を繰り返していた。

 

 

 

 

 

 教導そのものは1時間程度で終了していた。元々決められた時間内でやる事が義務付けられているからなのか、一度時間が来れば後は随分とサッパリした物だった。

 教導中のナオヤだけでなくロミオもまた戦場に居ると思わせる程の気迫がぶつかるからなのか、大気を震わせるかと思える程の迫力がアネットにも伝わってくる。今回の目的の一つにある自身のレベルアップがこれにあたるのかと思うと少しだけ気が重くなりそうな自分がそこに居た。

 

 

「そう言えば、榊博士からも聞いてるが、神機のアップデートと実力の底上げもするんだよな?」

 

「はい。支部長が言う前に私自身もそう考えてます。ですが……」

 

 先程の場面を見たからなのか、アネットの声は弱々しい物へとなり出していた。あれが基準だとすれば確実にレベルは上がるかもしれないが、確実に自分にも何らかのダメージが残るのは間違い無い。まだ新人の頃でさえギリギリの教導をしていたが、今は当時とは明らかに違う。先程の攻防がどれ程の物なのかを肌で感じ取った以上、弱気になるのは当然の結果だった。

 

 

「それなら気にするな。こいつのは特別なんだ。他の連中にだってやっていないさ」

 

 アネットの心情を読み取ったからなのか、ナオヤもフォローと呼べる程では無いが、説明はしていた。事実、アネットの実力がどれ程の物なのかは神機が届いた際にコンバットログで確認している。こことは違い頻繁に大型種が出るとは思えないが、それでも支部内での討伐数がダントツだった。

 当時は何かと悩んでい居た事を思い出したからなのか、ナオヤは笑みを浮かべていた。

 

 

「あの、さっきから気になってたんですけど、この人は誰なんです?」

 

 ロミオの視線はアネットに向いたまま。ロミオの言葉にアネットだけでなく、ナオヤも紹介してなかった事を思い出していた。

 

 

「ドイツ支部の第1部隊長をしてます。アネット・ケーニッヒです。2週間程ですが、ここに教導の為に来ました」

 

「俺は、ブラッド隊所属のロミオ・レオーニです」

 

 溌剌した言葉と同時に握手を求めてきたからなのか、アネットの差し出した手をロミオは両手で受け取るかの様に握っていた。詳しい事は分からないが、態々ここまで来ているのであれば何かしらの思惑がある事位はロミオとて理解している。だからなのか、暫くロミオの意識は飛んでいた。

 

 

「ロミオ。その位にしておけ。アネットが困ってる。それとリヴィにも伝えておくから」

 

「ちょ……なんでリヴィが出てくるんですか。絶対にそんな事言わないでくださいよ。後々大変な目に合うんですから」

 

 これまでにも何かしらのやりとりがあった事を思い出したのか、ナオヤの言葉にロミオは激しく動揺していた。ここ極東で戦闘時に関する実力以外にも女性陣の発言力は割と大きい事が多かった。

 ヒバリやアリサ、リッカと中堅どころだけでなく、サクヤも教官としている。リンドウの奥さんである事は知っているが、それ以外にも弥生の関係もあってか頭が上がらない事が多々あった。それに感化されたのか、最近になってシエルやナナ。リヴィも同じ様な状況になりつつあった。

 

 

「いや。握手してジッと顔を見つめてたって言うだけだから問題無いだろ?」

 

「問題大ありですって!」

 

 そんなやり取りを見たからなのか、アネットも思わず笑みがこぼれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アネットじゃないですか!どうしてここに?」

 

「教導の兼ね合いで2週間程ですが、ここで過ごす事になりました」

 

 ロミオの案内でカウンターでヒバリと対面した後ラウンジへ移動すると、そこには休憩で来ていたアリサの姿があった。当時の状況があったからなのか、どこか懐かしさを感じている。時折メールが来る事はあったが、実際に目にしたのはあの時以来だった。

 

 

「教導って……確かアネットはドイツ支部の第1部隊長でしたよね。何かあったんですか?」

 

「色々と予定がありまして」

 

 本来であれば何かと話をすれば良いのだが、このラウンジと言う場所は余りにも人が多すぎた。時間が時間だったからなのか、人の出入りが煩雑になると同時に食事の時間も相まって、何かにつけて色々な話が飛び交っている。まさかこんな状態で自分達の話をする訳にも行かないからと、アネットはそれ以上の明言を避けていた。

 一方のアリサもまた何かしらの話を聞いていたからなのか、事情は知っていると言わんばかりに、他愛無い話で終始していた。

 

 

「でも、ここに来るって事は神機の事もですよね?」

 

「ええ。そんな感じです」

 

「……ここでは何かにつけて話しにくいですから、私達の部屋に行きませんか?」

 

 アリサとは久しぶりだった事もあってか、何かと話に花が咲くも、アネットの事は何も知らされていない人間が多かったからなのか、視線は常にこちらに向いていた。

 既に一部の人間は話をどこかで聞きつけていたからなのか、他とは違う視線が幾分混じっている。そんな視線に気が付いたからなのか、アリサは改めてアネットを自室へと誘っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば忘れてましたが、ご結婚おめでとうございます」

 

「有難うございます。でも、何で知ってるんですか?」

 

 アリサが部屋に入ると何かを思い出したのか、アネットの言葉にキョトンとした表情を浮かべていた。最近ではどこの支部でもゴッドイーターの婚姻は然程珍しくも無い。確かに極東であれば何かにつけて話題になる事は多いかもしれないが、まさかこんな場面で言われるとは思ってなかったからなのか、アリサは僅かに感じた疑問を口にしていた。

 

 

「実は、最近出た広報誌に載ってたので、それで……」

 

「広報誌ですか……」

 

 アネットの言葉にアリサはここ最近の自分の行動を思い出していた。広報誌が入る際にはクレイドルの活動が何かにつけて紙面を飾る事が多いが、それはあくまでも対外的な意味合いが強く、個人の事情に関して触れる事は多く無かった。そんな中で、自分もアネットへのメールでそんな内容の事を書いた記憶も無い。だからなのか、どうやって知り得たのかを聞きたいと思っていた。

 

 

「確か、これですね」

 

 何かを思い出したのか、アネットはタブレットのデータをアリサへと向けていた。ここ最近ではノルンと情報を連動させる事が出来るようになったからなのか、部隊長クラスには報告用にと支給されている。アネットも第1部隊長の為に当然の様に保有していた。

 手慣れた手順でデータを呼び起こす。そこに出ていたのは、アリサがエイジと式を挙げた際に着ていたウエディングドレスだった。しかし、ここで疑問が生じていた。画像に映っているのはアリサではなく、モデルの女性。だとすればそれに繋がる情報が何なのかが分からないままだった。

 

 

「確かにこれと同じ物は着ましたけど、これだと私だとは分からないですよね?」

 

「えっと……これじゃなくて、この記事の部分です」

 

 疑問に答えるかの様にアネットは縦に画面をスクロールさせていく。どうやら何かの特集だったのか、同じ様な姿の女性が何人も写し出されていた。そんな中でアリサが見つけたのは一つの記事だった。

 

 

「これって……まさかとは思いますが…」

 

 ドレスの紹介の際に実際に着ていたアリサの写真が小さく写っていた。あの場に広報が来ていない以上、何かしらの写真が流出している事になる。まさかと思いながらも記載された記事を書いた人間の名前を見たからなのか、アリサはそれ以上の事は何も言えなかった。『高峰サツキ』この時点でアリサは頭が痛くなりそうな思いをしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でもこれ位小さいなら、分かる人の方が少ないんじゃないの?」

 

「そうですか?少なくとも私はそうは思えません」

 

 アネットとの話のやり取りはそれなりに楽しい時間となって過ぎていた。元々顔見知りだった事もあってか、久しぶりだった事に拍車がかかる。気が付けば既に時計の短針は8を指していた。

 気が付けばエイジが帰ってきた事でそのまま3人で食事もしていく。幾らかつては多少なりとも居たとは言え、今では当時の人間はそう多く無い。事実、防衛班に関してもアナグラに顔を出す事は少ないからなのか、少しだけ緊張していた部分が見られていた。

 まだ話し足りない部分は少なからずあったものの、やはり空気を読んだからなのか、アネットはその後退出していた。何時もの夫婦の団欒が始まる。そんな中でアネットが持っていた写真の話題へと移っていた。

 

 

「ここだと皆知ってるんだから問題無いんじゃないの?」

 

「十分な程に問題ですよ。ここは問題無いかもしれませんが、他の支部では何も知らないんですよ。今後だって派兵に出ない保証はどこにも無いんです。だってこれを見たら………世間の女どもがエイジに向くじゃないですか」

 

「………そうかな?」

 

「そうに決まってます」

 

「でも、これだけで判断は出来ないんじゃ……」

 

「エイジは甘いんですよ。女の世界は厳しいんですから」

 

 

 何を思ったのか、アリサは珍しく勢いよく立ち上がりながら力説していた。しかし、これだけ見た限りでは自分が一切写っていない以上、そんな斜め上を更に突き抜ける様な考えを持つ人間が居るとは思えなかった。確かに今後も派兵が無いとは言い切れないのは紛れも無い事実。これまでに本部で新種のアラガミのデータ採取があったからこそ、結果的には長期滞在になったが、現状では余程の事が無ければその可能性は極めて低かった。

 

 聖域が発生してからの極東のアラガミの分布図は確実に変化していた。種として完全に固着した神融種だけでなく、未だゴッドイーターに対し猛威を振るう感応種の討伐は、クレイドルとブラッド以外には一部の部隊だけが引き受けているだけ。アラガミの脅威が以前よりも確実に増した今、榊がそう易々と派兵をするとは思えなかった。

 

 仮に他の支部に行ったとしても、左手の薬指のリングを見れば邪推をする様な輩は早々出てくる事は少ないはず。既に結婚してからそれなりに時間も経過している以上、その可能性は皆無だとエイジは考えていた。しかし、以前にあったハニートラップの教導以来、アリサはどこか暴走する様な部分が多分に見受けられていた。

 嫉妬してくれるのは嬉しいが、度が過ぎればどこかで引き締める必要が出てくる。自分の妻に対し、どうやれば説得出来るのだろうか。考えれば考える程悪手の様な物だけが浮かんでくる。これ以上にはならないで欲しいと願いを込めて、エイジはアリサを眺めているだけに留めていた。

 

 

「まぁ、アリサがそう言うなら警戒しておくよ。それよりも今回アネットが派遣された理由って聞いている?」

 

 強引な話題の変更が功を奏したからなのか、既にアリサは何時もと同じ様な状態に戻っていた。

 これまでも何人かの派遣された実績はあったが、殆どが新人に毛が生えた程度の人間でしかなかった。しかし、第1部隊長ともなれば実質のトップに近い物があり、当人が不在の間は残された人間で現場を回す必要が出てくる。元々顔見知りなだけでなく、教導の担当と言う立場から考えても、安易に考える訳には行かなかった。

 

 

「詳しくは何も聞いてませんね。ただ、ドイツ支部で正体不明のアラガミが出たとは言ってましたが」

 

 アリサの言葉にアネットがここに来た理由を改めて考えていた。本来アネットの実力を考慮しても接触禁忌種が束になって出てこなければ、そこまで苦労する様な実力では無い事はエイジも知っている。しかし、帰ってきたと同時に榊から言われたのはアネットの実力の底上げをしてほしいとの依頼も含まれていた。決してドイツ支部を蔑む訳では無いが、支部の看板でもある第1部隊長はそう簡単に支部から離れる事は無い。そんな思いがあったからなのか、エイジは明日改めて榊や弥生に聞いてみようと考えていた。

 

 

「エイジに聞きたい事があります。アネットさんと何かあったんですか?」

 

 突然アリサの言葉に流石のエイジも何を言っているのか意味が分からなかった。アネットと会ったのはこの部屋が最初。それまでは来ている事すら知らなかった。にも拘わらず今のアリサはどこか疑っている様にも見える。自分が何をしたかを考えても無実である事に間違いは無かった。

 

 

「何も無いけど」

 

「てっきり私に内緒で会ってたのかと思ったんですが……」

 

「会うも何も、ここに来ていたのを知ったのはさっきだよ。むしろ何でいるのか不思議な位だって」

 

 何かの地雷を踏んだのかもしれないが、心当たりが何処にも無い。あれば思いつくがそれすらも無いままだった。そんな中で一つだけ可能性があった。榊から聞かされた暫くの間は同じミッションに出て欲しいとの依頼。今のエイジに思い当たるのはそれだけだった。

 

 

「だって教導なんですよ。あの服を着るんですよ。心配じゃないですか」

 

「教導は基本的に実戦がメインだから、それは多分無いよ」

 

「本当ですか?」

 

「恐らく」

 

 最後の言葉は明らかに不用意過ぎていた。収まるはずだったアリサの感情が再び何かに染まり出している。今晩はきっと苦労するだろうと考えながら、エイジは回避する事だけを優先していた。

 

 

 

 



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第29話 アネット・ケーニッヒ

 普段はソーマに譲る事が多いラボに珍しく榊の姿がそこにあった。

 ここ最近はキュウビのもたらすレトロオラクル細胞の研究が多いからなのか、周囲に置いてある本の内容はどれもオラクル細胞学の物ばかりだった。

 元々オラクル細胞を研究していたのは当時のメンバーだった榊とヨハネス。それとアイシャの3人だけ。まだ一研究室での実験が全てではあったが、オラクル細胞が学習した結果、アラガミとなってからは一つの学術としての役割を果たしていた。

 

 これまでの地球上にある細胞や細菌を人類が完全に把握した訳では無い。事実、太古の微生物がそのまま結晶に封じ込められ、その結果が今に至っている。何も無い一からの出発となった事が最大の要因だったのか、3人が研究した結果が事実上の教科書の様な役割を果たしていた。既に当時に比べれば、今の方が格段にその内容まで詳細に記載されている。

 人類がアラガミに対抗できる唯一の方法でもある、学習し新たな物を作り出す人間の能力が辛うじて今の世界のバランスを整えているに過ぎなかった。

 

 

「これは……」

 

《やはり新種の可能性は否定出来ませんね》

 

「やっぱり君もそう思うかい?」

 

《完全に判断するとなればもう少し情報が必要でしょうが、ここまで明らかに違うのであれば当然の事かと》

 

 ラボからの秘匿回線の先に居たのは無明だった。元々今回のアネットの派遣の際に、理由付けの一つとしてもたらされたオラクル細胞の情報も併せて依頼されていた。

 『スターゲイザー』『東の賢者』と呼ばれた榊の頭脳はフェンリル内部でも不動の物となっている。それだけでなく、紫藤の名もまたフェンリル内部では高い物だった。アラガミに対する行動学やオラクル細胞の新たな論文など、数を挙げればキリがない。そんな2人の科学者を要する極東支部であれば何かしらの結果が出るだろうと、ドイツの支部長は極秘裏にデータを流していた。

 通信をしながらも榊の目に映るデータはこれまでに幾つものアラガミを解析した物とは異なる数値が並んでいる。そんな中でも気になる点が幾つか存在していた。

 従来のアラガミにはありえなかった数値。これはまだこの種だけの話に留まっているが、何かしらの拍子でこのアラガミが捕喰される様な事態になれば、今度はアラガミが全体的に能力を底上げされる事になる。今はまだドイツ支部だけの話に留まっているが、これがスタンダードとなれば、早晩にでも地球上のゴッドイーターの半分は捕喰される未来しか無かった。

 

 

「ただ、詳しい情報が必要なのは間違い無いね。だとすれば派遣したい所だが、こちらの一方的な思惑があるとなれば、周囲の支部には流石に弁解の余地が無くなるのも事実だね」

 

《だとすれば、近日中に開催されるあれを使うのであれば問題無いかと》

 

「なるほど。だとすれば、こちらも少し根回ししておく必要がありそうだね」

 

 榊が言う様に、今の極東支部を取り巻く環境はかなり微妙な物となっていた。終末捕喰の回避による聖域の実体調査だけに留まらず、各支部への技術提供や食料の販売など単独でもやっていけるだけの力と金が揃っている。

 一時期はサテライトの建設に伴う資金量の低下もあったが、001号サテライトが完全に稼動している今、当時の投下した資金は全て回収されていた。

 それと同時に、螺旋の樹の作戦の際に介入した情報管理局もが極東支部の支持に回った事も影響したのか、フェンリル内部の上層部からは何かに付けて厳しい視線が飛んでいた。しかし、それはあくまでも内部の話であって、対外的な物ではない。この事実を知っているのは支部長の榊と無明。秘書の弥生の3人だけだった。

 

 そんな中で舞い込んだドイツ支部の情報はそんな思惑すらも通り越す程の内容だった。

 極東支部であれば何らかの措置を取る事は可能だが、これが他の支部となれば状況は大きく変わってくる。

 強大なアラガミが出ても、今の極東以外の支部では全滅の可能性も否定出来ない。だとすれば、自力で防衛する必要が出ていた。これが本部であればクレイドルの専門チームの派遣も可能だが、他の支部ではそれが出来ない。

 元々高額な依頼料を設定したのは、偏に極東支部と他の支部が同調する事を危惧した本部の指示だった。明らかに高額の費用がかかるのでれば、どの支部も二の足を踏んでしまう。本部の内部では気に留める様な内容では無いが、それ以外の支部では自分の命が係わる為に重大な死活問題となっていた。

 無明の言葉に榊は自分の下に来ていた一つの招待状の存在を思い出していた。幸か不幸か今の状況であれば手練れを最低でも3人は送る事が可能となるだけでなく、大義名分までもが存在する事になる。だとすれば、今来ているアネットを叩き上げれば何とかなるかもしれない。誰も居ないラボに榊の案を知る者は誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ドイツ支部から来ました第1部隊長のアネット・ケーニッヒです。以前はここの第2部隊に所属してました。短い間ではありますが、宜しくお願いします」

 

 ここに来た当初のイメージそのままにアネットは改めて挨拶をしていた。元々ここに居たと言う事実と、偶然この場にタツミが居た事からラウンジの空気は終始穏やかな物となっていた。

 

 

「しかし、あのアネットが第1部隊長とはね……」

 

「あの時はあの時ですから」

 

「いや。純粋に凄いと思ってるって。幾らここで多少なりとも所属したからって、そんな恩恵なんぞ大した物にもならないだろ?アネットが純粋に努力した結果だって」

 

 やはり久しぶりだったからなのか、それとも当時の事を懐かしく思ったからなのか、タツミは当時の事を思いだしながらアネットと歓談している。元々短期の派遣だった事も影響しているからなのか、歓迎会と言うよりは、何時もの騒がしい空気をそのまま使っただけに過ぎなかった。

 

 

「あら。随分と懐かしい顔ね。その様子だと元気にしてたみたいね」

 

「ジーナさん。お久しぶりです。何とか今はやってますから」

 

「そう。なら良かった。結構部下が増えると面倒な事も多くなるから大変よね。私も今にになってタツミの事を尊敬出来そうだわ」

 

「だったら少しは敬えよ。一応、今は俺が防衛班の大隊長なんだぜ。書類は早く提出してくれよ。ただでさえシュンやカレルが遅いから時間ばっかりかかるんだしさ」

 

「あら?そう言いながら、ラウンジでヒバリのコーヒー貰ってるのはどう言う意味かしら?鼻の下伸ばしてる貴方を見たら、流石にヒバリも百年の恋も冷めると思うけど」

 

 さりげなく自分の事を言われたタツミはそれ以上は何も言えなかった。

 防衛班を完全に再構成してからのタツミの作業は大幅に増えていた。各隊の書類を纏める関係上、そうしても提出が遅れれば、その皺寄せはタツミにかかっていく。そうなればすべての作業がそのまま一気に停滞する可能性があった。

 ジーナとブレンダンはまだマシだが、カレルとシュンは特に遅い。そんな中でもシュンの書類に関しては、一度タツミが確認して校正しなければ提出そのものが出来ない状態だった。もちろんタツミとて任務に出る傍らで書類の整理に追われている。

 まだ慣れていないからなのか、それとも面倒だからなのか、ラウンジで奮闘しているタツミの姿を見るのは珍しい光景では無かった。

 

 

「俺達の事は良いんだよ。それよりも今はアネットの歓迎だろ?」

 

「そうだったわね」

 

 2人のやりとりがここに来た事を意識させていく。ドイツ支部でも仲が良い人間は確かに居るが、やはりここの空気は何かが違っている。

 仲間意識が高いからなのか、それともキャラクターがそうさせているからなのか。そんな光景を見ていたアネットはどこか懐かしさを覚えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私が一緒でも良いんですか?」

 

「こちらとしては人手が多ければ多い程助かりますので」

 

 アネットは目の前の金髪の男性に少しだけドギマギしながらも、本当に大丈夫なのかと確認をしていた。

 歓迎会と言う名の宴会の翌日には既にアネットはブラッドと同じミッションに出向いていた。詳しい事は分からないが本来であれば特殊部隊の位置付けをされていれば多少なりとも秘匿すべき事実が存在する事になる。しかし、いざ同じミッションにとなった際に、アネットは思わず呆然としていた。

 自分の目の前には、以前何かで見た記憶があったジュリウス・ヴィスコンティ大尉。その隣には同じブーストハンマーを使う香月ナナ准尉。それと教導で見かけたロミオ・レオーニ准尉がいる。このミッションにどんな意味を持っているのは本当であれば考える必要があるが、どう見ても秘匿すべき内容は何一つ無い。極東に来るまでは何かに付けて警戒していたが、昨日のロミオを見ていたからなのか、疑う様な雰囲気をアネットは持っていなかった。

 

 

「アネットさんって『ベルリンの壊し屋』って異名を持ってるんですよね?」

 

「そうらしいですね。甚だ不本意であるんですけど」

 

 ナナの言葉にアネットは少しだけ落ち込んでいた。最初に聞いた際には随分と物騒な異名を持った人が居るもんだと、どこか他人事の様な感覚で話を聞く事が多かった。

 壊し屋と呼ぶからには対象物を完全に破壊するに違いない。どんな厳つい人なんだろうと想像していた。しかし、些細な事から異名は自分に向けられていた事を知った際には随分と落ち込んでいた。

 まだ年齢から言っても、キャリアから言っても二つ名を頂戴する程の数字を出した記憶はどこにも無い、一時期の様なうっとおしい視線が無くなったと思った矢先に聞いた内容に、かなりのショックを受けていた。

 

 

「私、少しだけ憧れてたんです。ブーストハンマーって確かに扱いが特殊ですけど、破壊力は一番だと思うんです。アネットさんが来るって聞いて楽しみにしてんで!」

 

「なぁ、ジュリウス。ナナってあんなキャラだった?」

 

「どうだろう。何か思う所があったのかもしれないな」

 

 テンションが高いナナを見たロミオは思わず小声でジュリウスに確認をしていた。何がそうさせているのかは分からないが、やたらとテンションが高い。決して悪いとは思わないまでも、その姿は明らかに何時もとは違っていた。

 

 

「ナナ。それ位にしておくんだ。アネットさん。ナナがご迷惑をおかけした様で申し訳ありません」

 

「いえ。気にしなくても大丈夫です。私もここに来て初めてハンマーを使う人を見たので」

 

 アネットの言葉にロミオが最初に気が付いた。ロミオも気にした事は無かったが、ここでのブーストハンマーの使用率はそう多く無い。ナナ以外にはエミールと後数人の人間が使うに留まっていた。

 破壊力は確かに期待できるが、決定的に攻撃に対するリーチが短い。更にナナに至っては銃撃がショットガンである事を考えればその傾向は顕著だった。

 

 

「ですよね!よし!今後はアネットさん、一緒にミッションに行きましょう!」

 

 確実に浮かれているのか、それとも興奮しているのか、ナナのテンションが低くなる事は無かった。気が付けばそろそろ定刻になりつつある。だたでさえ高難度のミッションには冷静さが必要となってくる。こんな調子で任務になるのは危険だと判断したのか、ジュリウスが改めてナナに何かを言おうとした時だった。

 

 

「ナナさん。これから任務です。大丈夫だとは思いますが冷静に行きましょう」

 

「了解です!」

 

 アネットの言葉にナナも先程までのテンションだけが高い状態から何時もの状態に戻る。そんな場面を見たからなのか、流石は部隊長だとジュリウスは心の中で感心していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりここは極東だけある!」

 

 アネットは目の前で大剣を振るう神機兵を相手に、思わず心の内を声にしていた。元々の計画でもある自身のレベルアップと神機を強化する事を考えれば、2週間と言う時間は余りにも短すぎていた。

 当初は訓練から優先しようかと考えたものの、技術的な物よりも、今は一刻も早くコアを手に入れ神機をレベルアップさせない事にはどうにもならないと考えた結果だった。神機兵と戦った事は無いが、これまでの経験と相手の動きを考えれば、対処に困る様な事は早々無い。初見ではあるが、その動きを一通り確認したからなのか、これまで防御を主体にした動きを攻撃主体へと切り替えていた。

 

 アネットの経験の中で二足歩行のアラガミと戦った事はこれまでにも数えきれない程ある。シユウやコンゴウがそれに当たるが、基本の原理はどれも同じだった。二足歩行であれば必然的に全体重が二本の足にかかってくる。四本足であれば想像を絶する様な動きを見せるが、バランスを取りながら行動するのであれば、その動きは人間と大差無い物だった。

 大剣を周囲に振るい続ける神機兵の攻撃に正確性は感じられなかった。周囲に近づけようとしない攻撃は一つ一つを確実に対処すれば、大きなダメージを受ける事は無い。ならばと攻撃の隙を見つけたからなのか、アネットは神機兵の懐へと一気に距離を詰めるべく疾駆していた。

 

 神機のグリップを力強く握りながら視線は対象物へと向いていた。幾ら神機兵と言えど、出来る事は他のアラガミと大差無い。関節の稼動領域以上の行動をする事は仮にアラガミであっても出来ない。これはまだ新人だった頃、エイジから散々言われた言葉だった。

 逆にイレギュラーで曲がりさえしなければ、その場所は絶対安全圏内でしかない。既に懐に入った以上、神機兵は既に何も出来ない事が確定していた。近接戦闘を得意とするブーストハンマーの独特の破壊音が神機兵の膝関節を破壊する。

 幾ら装甲を固めようとした所で、稼働する箇所までもが装甲に包める訳では無い。膝の逆関節の部分から垂直に下ろすかのように、ハンマーのヘッドが地面へと向けられている。周囲に響かんとする破壊音だけがその戦闘の結末を伝えていた。

 

 

 

 

 

「流石はドイツ支部の第1部隊長ですね。ああまで鮮やかな戦闘は早々見る機会も無いですから」

 

 膝関節を完全に破壊してからの戦闘はほぼ一方的だった。一度崩れた動きを復帰させるにはそれなりの場所でそれなりの処置をする必要がある。只でさえ行動そのものに問題があるにも拘わらず、片足が事実上の不要な物と成り下がったからなのか、全員の攻撃がそのまま神機兵に襲い掛かっていた。

 次々と破壊される神機兵の装甲は既に用を成していない。破壊された装甲の隙間からは何かしらの部品や配線が見えていた。時間の経過と共に、その形を完全に変えている。時間にして恐らくは10分の経過していない。初見だった事を考えてもこの時間での終了は凄まじい物だった。

 

 

「いえ。夢中になってやった結果です。それに、今回は指揮を執る事もありませんでしたので」

 

「いや。アネットさんの動きは凄かったよ。私も、もっと頑張らないと!」

 

 アネットの動きに触発されたのか、ナナのテンションは再び高い物となっていた。冷静に考えても、この支部で手本と成る様な戦いが出来る人間は殆ど居ない。リーチの面で言えばショートがそれにあたるが、行動原理はハンマーとは明らかに異なっている。そんな中で、ある意味では手本の様な動きを見せたアネットの行動がナナに何かしらの考えをもたらすのは必然だった。

 元々神機兵の討伐だった事から既に帰投の準備を始めている。今回はアナグラからの近かった事から、ジュリウス達は置いて来たジープのある場所まで移動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうですね。今は大きな問題は無いですから、僕自身は大丈夫です」

 

「そうかい。だとすれば、日程は大よそ決まってるからこちらで調整する形になると思うが、決定次第改めて伝える事にするよ」

 

 エイジは支部長室で榊と今後の件についての話し合いをしていた。元々アネットが来たのはドイツ支部で発見されたアラガミ討伐の為の準備。

 本来であればここで一定の成果を挙げれば、極東支部としては問題になる事はないはずだった。しかし、送られた細胞片のデータから予測出来たのは新種か亜種の可能性が高い事。仮にドイツ支部でそれが発見されたとなれば、今後は極東支部でも見る可能性は高いと判断した結果だった。

 既にドイツ支部には話が付いている。後はアネットの状況を見ながら日程を調整するだけだった。

 

 

「しかし、ドイツ支部で新種ってのも珍しいですね」

 

「ここ最近はそうかもしれないね。だが、これまでの全部の種がここが最初って訳じゃない。知っての通り、ディアウス・ピターやプリティヴィ・マータはロシアや欧州が最初だからね。事実上、一度現れたアラガミが霧散しても、既にオラクル細胞はその姿を学習している。それが元で今に至る訳だから、ドイツで出没すれば近い将来ここにも来る可能性は高いからね」

 

 榊の言葉に当時の事が思い出される。アリサにとっても馴染みが深すぎるアラガミは確かにその通りだった。可能性を考えれば、交戦データが有れば有る程こちらにとっても対策を立てやすくなる。そんな思惑を理解したからなのか、エイジは榊の要望をそのまま応諾していた。

 

 

 



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第30話 進み行く教導

 アネットの教導は順調に進んでいた。懸念していた神機のアップデートは高難度のミッションが立て続けに起こった影響もあり、当初の予定よりも大幅に良い結果を生んでいた。

 元からあったパーツも決して悪い訳では無いが、やはりアラガミのコアや結合崩壊を起こした部位はドイツとは比べる要素が全く無い。既に神機のアップデートを終えた今、あとは自分の技術をいかに磨くのかを念頭に行動を起こしていた。

 

 

「ここで一旦休憩にしようか」

 

「は…い」

 

 息も絶え絶えにアネットは訓練室内で徐に腰を下ろしてた。本来であれば教導の際には自身が持つ神機のモックを使用するのが通例だが、今のアネットの実力から考えれば、それは不要だった。どんな神機のパーツを使おうが、長時間戦いに身を置けば必然的にその神機の特性を活かした行動を取る様になってくる。

 ギリギリの戦いを生き抜く為には無駄を排除しながら常に最短を狙うことが当然となってくる。これがまだ新人や中堅の手前程度であれば神機を使う事は当然の事だが、アネットとて伊達に部隊長をしている訳では無い。ブラッドとの共闘で行ったミッションのコンバットログや、時折同行したミッションから考えても、神機のモックを使うよりは、自身の身体を上手く活かせる行動力を付けた方が良いだろうとの判断だった。

 以前から教導の内容の事は知っているからなのか、エイジの提案にアネットも直ぐに了承していた。

 

 

「取敢えずは身体の使い方を覚える事が最優先かな。特にブーストハンマーはパーツそのものに恩恵がある分、制御に力が必要だろうし、今やっている事に目途が立てば恐らくは攻撃力は格段に上昇するだろうからね」

 

 滝の様に流れる汗は既に小さな水たまりを作る程の勢いとなっていた。元々教導の予定がある事は理解してるし、またエイジがそれをやる事も理解している。そんな事もあってアネットも十分に心構えが出来ていたはずだった。

 

 

「でも、ここまでやるとなると、付いてこれる人はいるんですか?」

 

「数人程度かな。今だとブラッドがそれに該当するけど、実際にはまだまだだよ。極める事は無理でも、それ以上近づける事は出来るから、後はそれに向かってどの程度で走るかだと思うよ」

 

「はい……」

 

 用意したドリンクを飲みながらもまだ荒い呼吸を少しづつ整えて行く。ゴッドイーターの強靭な肉体をもってしても、今やっている過酷な訓練は厳しさだけが残されている。以前に聞いた『極東の鬼』の言葉の意味がここで理解出来ただけでなく、新人だった頃に受けた教導が如何に容易いレベルだったのかをアネットは身を持って体験していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、サテライトの方は今は落ち着きを見せてる様だね」

 

「はい。お蔭さまで入植者も順調に進んでます。この調子ならば完全に完了するまでそうかからないかと思います」

 

 エイジとアネットが訓練室で汗を流している頃、榊はアリサを呼び出していた。元々サテライトの責任者でもあるアリサが榊に呼ばれるケースはそう多くはない。討伐よりも建設や地域の防衛に重きを置いている為に、余程の事情が必要となっている。アリサとてそんな事実を理解しているからこそ、何となく榊が考えている事を予測していた。

 これまでの経験から語られるのは、エイジの欧州派兵の可能性。毎回呼び出しを受けて癇癪を起す程アリサも子供では無かった。

 

 

「そうかい。それは何よりだ。知っての通りだが、この計画はかなり順調に進みつつある。既に一部の支部でも計画が計上されているらしいね」

 

 半ば覚悟を持って臨んだまでは良かったが、一向に榊の口から派兵の話が出る事は無かった。隣に居る弥生を見ても何かを構えている雰囲気は無く、ここに来ているサクヤに関してはどこか含みを持った様な笑みが浮かんでいる。今のアリサにとっては全く何も分からないままだった。

 

 

「あの、榊博士。そろそろ本題に入って頂きたいんですが」

 

「おっと。これは済まなかったね。では本題に入ろうか。実はアネット君がここに来ている理由は知ってるよね」

 

「はい。アネットから直接聞きました。なんでもドイツ支部で未確認のアラガミが出たとか」

 

「そこまで知ってるなら話は早い。実は今回の件で事前にドイツ支部から送られて来たデータが非常に興味深い結果を出したんだ。それでなんだが……」

 

 榊の言葉にアリサはやはりと言った感情が先に出ていた。決して根無し草ではないが、エイジとリンドウの2人がどれだけ戦力過多になるのかは一度でも同じミッションに出れば分かる話だった。

 攻撃力だけでなく、その判断と決断がこれまでに部隊の危機を救っている。クレイドルとしても戦場には出向くが、そんな中でも緊急時の出動数が他にくらべてダントツの数字を叩き出している。だからなのか、榊がこれから言わんとしている言葉の意味を聞くまでもなかった。

 

 

「……って事で時期は未定だけど、近い内に実行するからアリサ君もそのつもりで」

 

 覚悟していた事とは言え、やはり離れるとなれば寂しさが募るのも当然だった。元々から理解はしていたが、何時もならば帰れば温かい気持ちになれるが、居なくなれば無人の部屋に一人取り残された気分になってくる。

 慣れたとは口では言っても心情的には慣れたくない。そんな感情が優先していたからなのか、榊の言葉に違和感があった。先程の話の中で、聞き間違いでなければ自分にも打診されている。自分はサテライトの件があるから派兵に関しては何も意味を成さないはず。

 しかし、今の榊の言葉から導き出した結果は自分の予想の真逆だった。

 

 

「って事で、アリサちゃんも荷造りしておいてね」

 

「……あの、私の聞き間違いでしょうか?先程の話からすると私も一緒に行動する様に聞こえましたが……」

 

「まさかとは思ったけど、碌に聞いてなかったのね。いいアリサ。今回の件は事実上の極秘任務に近い物だから、建前としては貴女はサテライトのノウハウを伝えに行くのよ。実際には向こうで未確認のアラガミの討伐と、その実態調査を兼ねてるのよ」

 

 サクヤの言葉に先程の榊の言葉を改めて思い出していた。確かに最初にサテライトの事を聞かれはしたが、その後は碌に聞いてなかったからなのか、殆どの言葉が耳からそのまますり抜けていた。

 サクヤが言わなければ何を言ってるのかも分からない。そんな事実に少しだけキョトンとした表情を浮かべるしか無かった。

 

 

「まぁまぁサクヤさん。愛しのエイジがまた居なくなるかもって考えてたから話なんて耳にはりませんよ」

 

「好き過ぎるのも問題ね」

 

 未だ理解し辛い表情を浮かべるアリサを尻目に弥生はサクヤに少しだけ揶揄う様な雰囲気を残しながら言葉に乗せる。時間の経過と共に理解したからなのか、漸くアリサは全ての状況を飲みこむ事が出来ていた。

 

 

「アリサちゃん。以前と同じだけど、今回のミッションは少し特殊なの。本来であれば大手を振って行けばいんだけど、やりすぎると本部から目を付けられるから、お願いね」

 

「はい!了解しました」

 

 完全に言葉の意味を理解したからなのかアリサの目には生気が宿っていた。元々離れる前提だった内容が、気が付けば一緒に動く事になっている。決して楽観する訳でもないが、アリサからすればエイジと一緒ならどこでも構わないだけだった。

 改めて詳細を告げたからなのか、これまで単独で呼ばれた中で唯一嬉しい感情を持ったまま退出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「神機の調子はどう?」

 

「はい。ここに来た当初よりも格段に良くなってます」

 

 常時アップデートを繰り返す事によって神機との親和性を少しづつ高めていく。当初アップデートした際には単純な攻撃力の高さを実感していたが、ここに来て更に馴染ませる事に成功したからなのか、以前よりも使い勝手は格段に向上していた。

 神機との一体感が高くなれば、その分取り回しが良くなる。攻撃力の高さだけに目が行きがちだったが、今ではそんな事以上に自分の手の延長の様に思える感覚はアネットのこれまでの意識を大きく変更していた。

 

 激戦区であれば些細な取り回しが命取りになる可能性が高い。本来であれば、こんな些細な事まで気にする必要性は無い。にも拘わらず、ここまでこだわる事が当然だと言わんばかりに詳細までも確認されている。改めてここが世界の最前線である事を意識させられていた。

 

 

「そう。なら良いけど。念の為に言っておくけど、従来の物よりも攻撃力が格段に向上してるのと同時に、軽量化もしてるからね。これだけでもスタミナの消耗度合いも違ってくるよ。久しぶりに手強かったけど、良い勉強になったよ」

 

「私の為にすみません」

 

「アネットが謝る必要は無いぞ。ここは他の支部とは違って、誰もが同じ仲間だ。アラガミを討伐するのに、極東じゃないとか考えるのは無駄だろ。今回の件は俺達も普段からブーストハンマーを弄る機会が多く無かったから助かってるんだよ」

 

 リッカだけでなく、ナオヤからも言われた事でアネットは改めて感謝をしていた。まだ新人の頃も、本来であればベテランから順にアップデートする事が殆どだったが、ここではそんな序列は最初から存在していない。生き残る事で改めて次の任務に入るのに、キャリアを考える必要は無かった。

 激戦区故の結果は確実な数字を叩き出す人間からすれば、ある意味では平等な環境だった。

 

 

「そう言えば、次はハンニバルの討伐だよな。参考に聞くが、ドイツ支部では対策は立ててあるのか?」

 

「完全に確立されてる訳ではありませんが、大よそは大丈夫です。ただ、今回の件は新種の可能性が高いので、それがどこまで通用するのかと言われれば何とも言えないですね」

 

 ナオヤの言葉にアネットは改めて今の状況を思い出していた。恐らくハンニバルとの交戦経験は事実上無に等しいのかもしれない。ここでは割と見かけるケースは多いが、他の支部では大型種すら出没する事が少ない以上、明らかに経験が足りていない。本音を言えばアネットとて不安で仕方ない。だからこそ支部長は経験を積ませる為に派遣しているんだと理解していた。

 

 

「取敢えずは実践あるのみだな。幾ら教導を積んでも実際のアラガミと対峙すれば見えてくる物もある。ここでやれるのはあくまでも使用者と神機の一体感を十全にする為の行為だ。決して驕る様な事にはならないかもしれんが、それでも油断だけはするな」

 

 厳しいナオヤの言葉にアネットも頷くしかなかった。事実、アサインされているのはハンニバル討伐。事前に少しでも経験を積む事が出来ればと負った配慮からなのか、アネット以外に、エイジとアリサ。ソーマがアサインされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って事で、今回のミッションはアネットが全体の指揮を執るんだ」

 

「わ、私がですか?」

 

「ああ。今回のミッションは今後起こるべき可能性が高いハンニバル種討伐の経験の為だ。俺達の事は何時ものチームのメンバーだと思ってやってくれ」

 

 エイジとソーマの言葉にアネットは恐縮するより無かった。只でさえ経験値の為にアサインされているだけでなく、それぞれが単独でもハンニバル討伐を可能としている。この中ではアネットが一番交戦経験を持たない者だった。そんな人間が極東支部内だけでなく、フェンリルとしての上位に入る人間を引き連れるのはかなりの抵抗を感じていた。

 

 

「アネットさん。今回のミッションはあくまでもアネットさんの経験を積むのが最優先です。私達がこのままやる事に意味はありませんよ」

 

「ですが……」

 

「アネット。厳しい言い方もしれないが、ここはドイツじゃなくて極東だ。ハンニバルだけでなく、他のアラガミも当たり前の様に乱入する事は日常茶飯事なんだ。一つの事だけを考えれば、今度は自分がドイツに戻った時に誰がフォローする事になる?」

 

 エイジの言葉にアネットは改めてここに来た当時の記憶を思い出していた。

 ドイツ支部では自分が頼られる事はあっても頼る事は無い。アラガミとの戦いは生存競争の成れの果てである以上、生き残る事を最優先とするのは当然だった。

 ここでは自分がどれ程のレベルにあるのかを嫌が応にも痛感させられる。だからなのか、自分が気が付かない間に温い考えに染まり出した事を意識していた。

 

 

「そうですね。ここは極東であってドイツじゃないですからね。出来る限りの事をしますので、皆さん宜しくお願いします」

 

 改めて頭を下げ、全員の意識と統一していた。このメンバーの中では一番実力が劣っているかもしれないが、それが何か良い結果を生む事は絶対にありえない。そんな考えをしたからなのか、ハンニバルの足音と思われう物が聞こえる先に視線を映していた。

 

 

《皆さん。そろそろ時間ですので宜しくお願いします。それとアネットさん。変に畏まらずに何時もの調子でお願いします》

 

「了解です」

 

 耳に付けた通信機からのテルオミの言葉にアネットだけでなく全員が改めて音の発生先の方へと意識を向けている。既にテルオミが言う様に時間が来たからなのか、音も無く全員が戦場に降り立っていた。

 

 

 

 

 

「エイジさんとソーマさんはそれぞれ左右から展開して下さい!アリサさんは援護射撃をお願いします!」

 

 荒ぶるハンニバルを他所にアネットは冷静に戦略を立てていた。このメンバーで出向くのであれば、それぞれがかなりの高火力で一気に殲滅する事も可能だが、アネットはそうする事は一切無かった。高火力の火炎は一定以上の間合いを開け、一人に意識が向いた事を察知すれば、すぐに銃撃を当てる事によって意識を変えていく。一つの塊になって戦うのではなく、それぞれが距離をとりながら戦う手段をアネットは選択していた。

 

 

「アネット!」

 

「はい!」

 

 ハンニバルの篭手が結合崩壊を起こした事が全てのキッカケとなっていた。エイジの言葉に全員が何も言う事無く倒れたハンニバルの間合いへと疾駆していく。一撃必殺の攻撃とは違い、地味ながらも同じ個所を執拗に責めるやり方は、今後の部隊運営を睨んでの結果だった。

 痛みを感じたからなのか、それとも怒りを覚えたからなのか、ハンニバルの目はまだ死んでいない。距離を詰めたからと言って、その場で移動を止めて攻撃する様な真似は自殺行為と大差無かった。まるで先程のダウンが擬態だっと言わんばかりにハンニバルは怒りに満ちた視線を持っている。だからなのか、アネットも自然とその目の力が何を意味するのかを察知していた。

 

 

「私が凌ぐ間に顔面か篭手の部分をお願いします!」

 

 擬態がばれたと言わんばかりにハンニバルは素早く自身の体躯を立ち直していた。右腕を鋭く振るう事によって誰も寄せ付ける事をさせないと判断したからなのか、エイジはハンニバルの死角を考えながら、改めてに予想していた場所に自身の刃を振るっていた。

 疾る剣閃によってハンニバルの右腕が肘の先から飛ばされている。既に攻撃の一部を失ったからなのか、ハンニバルの動きは先程よりも遅くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《対象アラガミのオラクル反応は完全に消失しました。後は帰投準備に入って下さい》

 

 テルオミの言葉を聞きはしたが、誰もが警戒を解く事は無かった。既にハンニバルに対しての対抗策は確立されてるが、それでも何かが起こる可能性は否定できない。だからなのか、資材の回収を終えても霧散するまでは視線を外す事は無かった。

 時間が来たからなのか、ハンニバルは時間をかけてゆっくりと霧散していく。討伐時間はこのメンバーで戦っているからなのか、大したコメントが出る事は無かった。気が付けば帰投用のヘリが徐々にこちらへと近づきつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか。予想よりも随分と早い様だね」

 

《こればかりはどうしようもないですから》

 

「では、予定通り直ぐに派遣させよう。明日にはここを出る様に段取りしておくよ」

 

《お心遣い恐れ入ります》

 

 支部長室では榊のほかにドイツの支部長の声だけが響いていた。元々予定していた日数よりもアラガミの出現の方が早かった。既にドイツでは一部のチームが斥候の為に出動している。直ぐに見つかっても戦力が整わないのであれば、最悪無駄死にする可能性が高い。だからなのか、今は現状だけを榊に伝える事しか出来なかった。

 

 

「弥生君。すまないが、今回の件は明日の朝一番で出発としよう。それと該当者には連絡を入れてくれ給え」

 

「ではその様に」

 

 弥生が退出した事によって支部長室は榊以外は誰も居ない空間となっていた。現時点でこちらがドイツに行った所で本部が知る由は無い。仮に聞かれた所で適当に答えれば良いだけの話。しかし、今回は出没した地域が地域なだけに本部と言えど細かい事は言うかもしれないが、その可能性は低いと考えていた。

 ドイツと本部は距離的にはそう遠く無い場所。何かしら思惑があるのかもしれないが、それは予定していた思惑が全て完了すればが前提の話でしか無かった。

 

 

 



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第31話 緊急出動

 支部長室内は重苦しい空気に包まれていた。

 ドイツの状況を何も知らされていなかったアネットは榊の言葉に落胆を隠せないでいた。元々予定していた日程の半分を過ぎた頃に飛び込んで来た今回の情報が全ての原因だった。

 極東に派遣される前に言われた事実がここにのしかかる。今回の件でアネットが感じたのは神機の火力だけでなく、そのチームワークと互いの意志の共用が余りにも高い次元にあった事だった。討伐そのものは何の問題もなくこなす事が出来たのは、偏に各自の技量が高い事が要因だった。

 ここではハンニバルだけでも通常種と浸食種。更にはその発展系とも言えるカリギュラ種の存在がある。事実、アナグラに戻る際にエイジが不意に放ったカリギュラ種の個体の強靭さは、余りにも脅威過ぎていた。

 こことドイツではアラガミの強度が異なるのはアネットとて理解している。それ故に一人一人の神機が強化されているのは当然の結果だった。そんな状態にも拘わらず、最近出没したカリギュラの変異種の話にアネットは一抹の不安を覚えていた。これまで必死に努力した結果が水泡に帰す可能性が高い。思考の隙間を刺す様に、そんな嫌な考えが忍び込んでいた。

 

 

「これは現時点で分かっている事なんだが、ドイツに現れたハンニバル種は恐らく何かしらの能力を持っている可能性が高い。その件で今回は特別に我々からも戦力を派遣させるつもりなんだ。これに関しては既にドイツ支部と話は付いてるからアネット君が心配する必要は無いよ」

 

「はぁ……」

 

 アネットの心情を事前に考えた結果だったのか、榊は改めて説明をしていた。これまでの結果から考えれば、ドイツ支部だけに出没すると言った考えは何処にも無く、後々は極東にも出没する可能性が高い。それだけでなく、その能力を勘案すれば気楽になれる要素が存在していなかった。

 

 今回の討伐に関しても、本来であれば何かしらの報酬のやり取りが出るのは当然ではあったが、極東からの派兵コストはドイツ支部にとっても大打撃となってくる。それ故に今回は対象アラガミのデータ採取の為にコアを提供してもらう事で落ち着いていた。

 本来であれば新種のアラガミのコアは厳重に保管した後に然るべき所で解析をするのが当然ではあるが、このアラガミに関しては既に予測された能力が厄介だと判断した結果、従来のやり方をするつもりは一切無かった。

 

 まともなやり方をすれば、変異種のコアは確実に本部が召し上げる事になるが、最終的にはそれで終わり、情報が共有化される事はあまり無い。戦闘時のデータを解析すれば理論上はアラガミの能力を解析出来るとの見解がこれまで欧州における常識となっていた。

 討伐が完了した新種の情報の共有化は必須となっている。事実、極東で出没したアラガミのデータはすぐさまノルンを通じ、他の支部へも発信されている。しかし、本部に関してはこちらからの依頼が無い限り、積極的な発信をする様な事は無かった。

 

 その結果、本部だけ知り得た情報を支部が知る由も無く、結果として多くの血が大地を染め上げる結果となっていた。当時は何度も抗議したものの、データ上でのやりとりしなく、結果的には行き当たりばったりな部分が多分にあった。その結果、他の支部でも独自に情報収集をする為の措置として常に頭を悩ませていた。

 机上の空論ではやはり完全解析をする事は事実上不可能でしかない。そんな思いがあるからこそ、ドイツ支部としては極秘裏に極東支部に依頼する事を考えた末の結果だった。

 

 

「とにかく、明日の朝一番にはここを出発する事になるからそのつもりでね」

 

「分かりました。その様にします」

 

 弥生の言葉にアネットは頷く事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかとは思うんですが、このメンバーなんですか?」

 

 翌朝、集合場所に集まった顔ぶれを見たアネットは固まる事しか出来なかった。既に準備が終わっているからなのか、エイジとアリサ。ソーマだけでなく、そこにはシオの姿もあった。このメンバーの中で唯一非戦闘員であるシオの参加は先日の時点で聞いていたが、まさか昨日のメンバーがそのままだったのは完全に想定外だった。

 

 

「そうだよ。多分榊博士から聞いてるとは思うけど、本部に行くついでにドイツ支部の視察を兼ねる事になってるからね」

 

「正規の命令ですからアネットさんが気にする事は無いですよ」

 

 エイジとアリサの言葉にアネットは内心かなり心強く感じていた。通常のハンニバルでは無いとは聞いているが、現状では目視して確認しない事には判断出来ないと言われている。

 新種に対しては弱点や行動、ありとあらゆる面での調査と同時に討伐をするのが一般的な為に、このメンバーがどれ程の物なのかは考えるまでも無かった。

 

 

「しかし、榊のオッサンも考えたな。アネット。名目上はエイジとアリサは俺とシオの護衛となっている。今回の件に関してはドイツ支部にも連絡はされているが、大手を振って行く様な事はしない。あくまでも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言うだけの話だ」

 

 ソーマの言葉に漸く先日のミッションが組まれた理由が判明していた。全く分からないメンバーではないが、やはり連携を考えると数回は同じミッションをこなす必要があった。

 元々から合わせやすいのは知っているが、新種の様な未知数とのアラガミであれば、どんな行動が致命的になるのか想像出来ない。可能性を考えれば、それは当然の判断でしか無かった。

 

 

「お前らも、無理はするなよ」

 

 リンドウの声に全員が振り向くと、そこにはリンドウだけでなく、サクヤ、コウタ、マルグリットが立っていた。今回の任務は実質的にはクレイドルの派兵に近い物があり、榊が言った様に言い訳にもならない稚拙な話で出動する事になっている。当初はリンドウがとの話も出た物の、やはりエイジとリンドウでは言い訳にすらならないからとアナグラの防衛をコウタと共に行う事で決定されていた。

 既に聞き及んでいるからなのか、リンドウだけでなくコウタとマルグリットも何時もと変わらない表情を浮かべている。このメンバーであれば問題になる様な事は無いだろうとの予測と同時に、絶対的な信頼があるが故の表情だった。

 

 

「今回はハンニバルの新種らしいですからね。感応種でなければ対策の立てようもあるとは思いますよ」

 

「そうだな。俺は政治的な意味合いで行く事は出来ないが、このメンバーならだ丈夫だとも思っている。だが、新種である以上は確実に行けよ」

 

「お前に心配される程おちぶれた覚えは無いから安心しろ」

 

「シオちゃん。ソーマの事宜しくね」

 

「ソーマの事はまかせろ」

 

 クレイドルの何時もの光景と変わらないその姿は、先日まで焦りを生んでいたアネットにも波及していた。新種であろうとアラガミはアラガミ。だとすれば、態々気負う必要は無いだろうと考えを改めていた。

 既に準備が終わったからなのかヘリは一気に急上昇していく。既にアナグラの駐機ポートは小さくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え~もう行っちゃったの?」

 

「どうやら、ドイツ支部からの帰還要請が出ていたらしいです」

 

 アネットがドイツへ緊急帰国した話を聞いたからなのか、ナナはガッカリした表情を浮かべていた。幾らブラッドと言えど、歴戦の人間とのミッションはかなりの経験を享受できるケースが多分にあった。

 事実、ナナ以外にはエミールもアネットと少しだけ出た記憶はあったが、アラガミとの間合いの詰め方や、壊し方は十分すぎる程に参考になっている。数少ない神機だからこそ、ナナとしても勉強したいと思っていた。

 

 

「そっか……それだったら仕方無いよね。折角お手本になる人が来たって喜んだのに」

 

「ナナさん。それでしたらアネットさんが受けた教導をやってみるのはどうでしょうか?」

 

「確かにそうなんだけど……」

 

 シエルの提案にナナは珍しく言い淀んでいた。アネットと言えど、常時戦場で戦っている訳では無い。時には自身の身体能力を底上げする為に何度か訓練室にこもる事が多かった。

 当初はナナもどんな事をしているのかと興味本位で見ていたが、予想の斜め上を行っていた事から、少しだけ気後れしていた。

 

 

「ナナ。訓練とは地道な物だ。戦いの結果とは、これまで自身に培ってきた物の集大成でもある。見た目の華麗さに目を奪われているだけだと、返って大怪我をし兼ねない」

 

「確かにそうなんだけど……」

 

 リヴィの言葉の意味が分からない訳では無い。ただ、自分の能力をどうやって効率よく上昇させたのかが単純に知りたいと考えていただけだった。

 事実、ナナの数字はアナグラの中でもそう悪くはない。ただ、インパクトに欠けると言った実に曖昧な部分に拘りを見せていたからこそ、アネットの話を少しでも聞きたいと願っていた。

 

 

「しかし、アネットさんもまさかここで教導をしてたとはな。そっちの方が驚いたぞ」

 

「ギルもやっぱりそう思った?俺なんて未だにナオヤさんからボッコボコだぜ。何時になったら追い付けるやら……」

 

 先程まで受けていた教導を思い出したからなのか、ロミオの表情は暗い物だった。当時に比べれば格段に良くなっているのは間違い無いが、これまでにロミオはただの一度もナオヤに攻撃を当てた記憶が無かった。

 大太刀を振るのがバスターの代わりだとは理解しているが、取り回しはバスターよりも格段に良い。一撃の威力が高く、また、取り回しの良さは大きなアドバンテージだが、ナオヤからすれば気になる程の物では無かった。

 確実に攻撃の隙間に突かれる事が殆どの為に、ロミオはまともな攻撃を当たる前にカウンターで潰されていた。

 

 

「何だ。もう少しギアを上げた方が良いのか?」

 

「へ?ああ。いや……」

 

 不意に背後から聞こえた声に反応したのか、ロミオはゆっくりと首を後ろへと向けていた。そこに立っているのは先程まで教導相手として対峙したナオヤが休憩とばかりにラウンジに足を運んでいる。突然現れた事に対し、どう反応しようかと思考を加速させていた。

 

 

「一応言っておくが、アネットが今回やったのは体術を通した身体の動かし方だ。神機のアップデートだけじゃない。自分の身体が思い通りに動かなければ、厳しい場面に直面した際に、一瞬で捕喰される事になる。言っておくが、決して憎くてやってる訳では無いからな」

 

 ナオヤの言葉に誰もが何も言えないままだった。厳しい戦いを潜り抜ければ潜り抜ける程、最悪の展開時に後悔だけが襲ってくる事になり兼ねない。幾ら後悔した所でそれが戻ってくる可能性が無いのであれば、後悔する前に行動を起こすしか無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろだな」

 

 ソーマの言葉と同時にドイツ支部が視界に入り始めていた。支部の通信網が届く際に、現状を確認したまでは良かったが、結果は想像以上に厳しい結果となっていた。

 現時点で分かっている情報は見た目が完全にハンニバルである事は間違い無いが、体表の色が明らかに異なっていた点だった。明るい感じに光る体表は全身がメタリックなイメージを持つ事になる。

 クアドリガの様に何か生命体では無い物を捕喰しているのかと言った懸念もあったが、それに関しては明確に否定されていた。まだ目の前にはドイツ支部が見えるだけの位置でしか無い。だからなのか、ソーマが何気なくつぶやいた言葉の意味が重くのしかかってた。

 

 

 

 

 

「態々済まない。既に聞き及んでいるとは思うが、ハンニバルの変異種の件だ」

 

 アネットを先頭にそのまま支部長室に入ると既に聞いていたのか、支部長が険しい顔を崩す事無く机の上に置かれた書類を眺めていた。

 ヘリでの移動の最中にも一つの部隊が事実上の全滅に近く、辛うじて生き延びたゴッドイーターも今しがた息を引き取っていた。幾ら慣れたとは言え、何の抵抗も出来ない程に捕喰されたのであれば、最早打つ手がどこにも見当たらない。

 榊からの提案が無ければ生きた心地がしなかったのが事実だった。

 

 

「情報は既に確認していますが、どんな種なんでしょうか?」

 

「今分かっているのはこれまでの様な動きでは無いと言う事だけだ。攻撃能力の高さが突出しているだけでなく、そこに至るまでもが厳しい状況になっている。現時点では小康状態を保っているようだが、恐らくはこのままここに来るのは時間の問題だろう。我々としては、もう少しここから影響が少ない場所でと考えているが、そうも言ってられないだろう」

 

 エイジの言葉に支部長は淡々と事実だけを述べていた。ここに来るまでに交戦情報を確認しようにも、肝心の生き残った人間が居ないに等しい状況下では詳細までもが確認出来なかった。

 恐らくはレーダーからの情報を基に現状を推測しているが、それでも細かい部分については未知数のまま。そんな事もあってか、支部長は常に厳しい表情を崩す事は無かった。

    

 

「分かりました。時間の方は大丈夫なんでしょうか?」

 

「これまでに分かっているのは交戦中の行動と普段の行動が違っている点だけだ。仮にこのままの状態が続くとなれば、2~3日でここに最接近する事になるだろう」

 

「そうですか。では、明日に決行とします」

 

「そうか。済まないが、その様に頼む。既にかなりの数のゴッドイーターを失っている以上、このままでは今後の運営すら危ぶまれる。君達の事は榊支部長からも聞いている。明日の件も含めて英気を養ってくれ」

 

 忸怩たる思いを胸に秘め、支部長はそのまま頭を下げていた。事実上、アネットを含めた4人でのミッションがどれ程の内容になるのはまだ分からない。しかし、今で出来る事はただ祈ることだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと。明日は朝一番には行動を開始だから、時間には遅れないようにしようか」

 

「ちょっと待て。少し聞きたい事がある」

 

 エイジの言葉に珍しくソーマから疑問が出ていた。既に聞くべき事は何もなく、今晩はこのまま解散し、明日のミッションに備えるのは当然の流れだった。既にエイジとアリサは同じ部屋で荷ほどきをしている。元から少ない荷物だった事もあってか、ソーマの言葉の意味が理解出来なかった。

 

 

「気になる事でもあった?」

 

「気になるじゃねえ。何で、ここでの部屋割りが俺とシオが同じ部屋なんだ。エイジ。お前、榊のオッサンからどう聞いてるんだ?」

 

 討伐の事ではなく、目先の部屋割りの事に納得が出来なかったからなのか、ソーマの表情は僅かに険しい物となっていた。事実、ドイツ支部内では新種の交戦は命がけかもしれないが、極東からすれば、然程珍しい物でもない。

 特にエイジに関しては新種の場合はデータを取りながらの討伐任務にこれまで何度も遭遇している。膨大な経験から導き出される行動に対し、ソーマだけでなく、アリサもまたそんな心配は微塵も無かった。だからこそ、ソーマの疑問も元が何なのかは容易に想像が出来ていた。

 

 

「何言ってるんですか。今回は元から本部に行く予定のついでで、ここに来てる事になってるんですよ。ソーマだって本部に行けば何をするのか知ってる筈ですよ」

 

「そんな事は俺も何度も経験している。そんな事よりも、どうしてこうなっているのかが知りたいだけだ」

 

 アリサの言葉にソーマは改めて今回の件についての疑問を口にしていた。エイジとアリサは夫婦である為に問題になる様な事は無いが、ソーマとシオに関してはまた別の問題が発生していた。今回の目的の為に人数を調整するのは当然の話だった。

 これがソーマ1人だけであれば、護衛の数はエイジだけ。しかし、シオを付けた事によってアリサも護衛任務としての付く事が事が可能となっていた。元々アネットを入れて1チームを作る予定であれば、これ程理に適う事はない。だからこそソーマの気持ちは分からないでもないが、実際には大きな問題では無い事も同時に理解していた。

 

 

「ソーマの同伴者がシオだからとしか言えないよ。だって後のあれにも出るんだったら当然じゃないの?」

 

「だが……」

 

 ソーマの言葉が不意に止まっていた。何かを感じたからなのか、シオがソーマの袖を引っ張った事がそれ以上の会話を許さなかった。

 

 

「ソーマはシオといっしょなのは嫌なのか?」

 

「……そんな事は言ってねぇ」

 

 何かを思ったのかシオがソーマに上目遣いで見ていた。元から身長差があるからなのか、常にシオがソーマを見上げる形となっている。だからなのか、今のシオの言葉にソーマはそれ以上の言葉を失っていた。

 

 

「今回はとつぜんだったけど、ソーマといっしょだって聞いたからうれしかった。でもソーマは嫌だって……」

 

 項垂れるかの様にシオがガックリと頭を下げていた。確かに本来であればシオがここに来る道理はどこにも無い。事実、シオを派遣する意味を誰もが聞いていない。無明からは何かしら聞かされているかもしれないが、誰もがおいそれと聞ける様な内容では無かった。

 

 

「シオちゃん。ソーマは嬉しいけど照れてるんですよ。シオちゃんと一緒になれるからウキウキしてただけですから」

 

「そうなのか?」

 

「当然ですよ」

 

「おいアリサ。適当な事言うな!」

 

 ソーマの叫びがアリサだけでなくシオにも届くことは無かった。既に何かを聞いているからなのか、シオはアリサの耳打ちに意識を傾けている。既にこの状況を回避する手立てが無い事を悟ったからなのか、エイジはそれ以上は何も言うまいと決め込んでいた。

 

 

 



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第32話 神速の捕喰者

 空が宵闇から朝日を受けて朱鷺色に輝く頃、事態は唐突に動いた。

 これまでの予測を大きく裏切るかの様に支部内の警報がけたたましく鳴り響く。これまでは時間に余裕があったと思われていたはずのアラガミが突如として支部の近郊に姿を現していた。

 

 

「予想を大幅に変更し、アラガミが急接近しています。所定の部隊は速やかに出動して下さい!」

 

 オペレーターの声が人影がまばらなロビーに響く。当初予定していたはずのハンニバルの接近は事態の収拾を無視するかの様に近づきつつあった。

 

 

「アネット。例のアラガミが接近中だ。直ぐに出られるか?」

 

《大丈夫です。現在準備中。クレイドルも既に動いています》

 

「そうか。くれぐれも無理はするな」

 

《了解しました》

 

 緊急呼集を受けたからなのか、支部長室にはいくつもの情報が上がっている。当初の予定よりも大幅な変更はドイツ支部全体に動揺を誘っていた。

 強大なアラガミがもたらすのは恐怖と破壊のみ。本来であれば全部隊を投入したい気持ちはあるが、今ここで投入すれば今度はクレイドルの邪魔になり兼ねなかった。昨日の今日だった事もあってか、今回の趣旨は完全には周知されていない。だからなのか、一部の部隊からは悲鳴の様な声が幾つも上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘリのパイロットの声が響く内部では、既にアネット以外にエイジとアリサ。ソーマの準備が完了していた。当初の予定よりも早い行動は今に始まった話では無く、これまでも極東では何度かそんな状況が存在していた。

 厳しい戦いになる事は間違い無い。既に全員の意識はアラガミへと向けられていた。

 

 

「そろそろ作戦領域に差し掛かります。皆さんご武運を」

 

 パイロットの声と同時にアネットを先頭に全員が一気に降下を開始していた。上空から見る分には通常のハンニバルと大差ない。しかし、これまでの情報から鑑みれば警戒するのは当然だった。

 着地と同時に周囲を確認する。上空から見たのと変わらないからなのか、周囲に他のアラガミの姿は見られなかった。

 

 

 

 

 

「これから作戦を開始します」

 

《了解しました。皆さん気を付けて戦ってください》

 

 耳朶を打つかの様にアネット通信機からはオペレーターの声が響いていた。出発する時点では騒がしかったロビーも既に落ち着きを取り戻しているのか、オペレーター以外の声は聞こえない。ここから視界に映るハンニバルは、どこか待ち構えている様にも見えていた。

 

 

「アネット。作戦は任せるけど、最初だけは様子見に徹しよう。行動パターンが分からないままは危険すぎる」

 

「分かりました」

 

 距離はまだあったからなのか、こちらの姿を確認していないハンニバルはゆっくりと歩を進めている。この距離であればあと数メートルもすれば射程距離に達する。既にアリサは銃形態に変形を終えているのか、ゆっくりと狙いを定めていた。

 

 

 

 

「全員散開!」

 

 エイジの怒声に全員が半ば無意識にその場から離脱していた。先程まではまだ距離があったはず。散開の言葉に意味が理解出来ない訳では無かった。

 何故そんな指示が突如出たのかは直ぐに理解出来ていた。数秒前までそこに居た場所にハンニバルの姿は見当たらない。気が付けば、ハンニバルは一瞬にしてこちらの居る場所まで到達していた。

 鋭い三条の爪が自分との距離を開けるかの様に広げる様に振りぬく事で全員がバラバラに散開していた。

 先程の行動はこれまでのアラガミの中でも頭一つ飛び抜けた速度を有している。絶対的な距離が瞬時にして消滅するのは誰も予測していなかった。事実、エイジも指示を出したが、まさかこれ程だとは思ってもいない。これまでの経験なのか勘なのか。指示が出たのは偶然に等しい結果だった。

 

 これ程の速度を持ったアラガミは極東内部でもお目にかかる事は無かった。先程の行動が全員の頭の中にあったからなのか、距離があっても油断はおろか、視線を外す事すら出来ない。それこそ瞬き一つのタイミングで襲い掛かるとなれば、僅かな隙が命取りになり兼ねなかった。

 

 

「アネット!済まないが、指揮権はこっちで良いか?」

 

「はい!お願いします」

 

 エイジの言葉にアネットは逡巡する事無く応諾していた。只でさえ交戦そのものがここでは少ないアラガミである事は間違い無いが、問題なのはその速度だった。

 瞬時に近づくアラガミの対処と同時に指示となれば、確実に自分の事は疎かになるのは必須だった。思考を止める事無く別々の事を考える。新種の討伐であれば当然の事ではあったが、今のアネットにはそれぞれ別の思考を持つ事は困難だった。

 決してアネットが劣っている訳では無い。純粋に経験と実力が一定以上の水準が要求される事実だった。

 先程の攻撃を目視したからなのか、改めてアリサとソーマは神機を握り直し、様子を伺っている。この場でアネットが完璧な指示を出せるのかと言われれば、明言する事は絶対に不可能だと悟った判断が功を奏した結果となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だよ……あれ」

 

 アネットとクレイドルが交戦を開始したとの情報は支部内に瞬く間に広がっていた。当初は他所の支部が出しゃばったと言った声が出たものの、交戦のログと望遠による映像を会議室内に映し出した事によって、少なからず出た抗議の声は全て封殺されていた。

 アラガミとアネットの距離が一瞬にして消失したと同時に出された攻撃はこれまでのアラガミには無い程の威力を秘めていた。加速によって攻撃の威力は一気に加算されれば、如何にタワーシールドと言えどかなりのダメージを受ける事は必至だった。

 これまでに部隊を数度全滅させたアラガミの正体に誰もが息を飲んでいる。自分達があの場に居たとして、先程の攻撃を確実に回避出来たのだろうか。誰もが分かり切った答えだったからなのか、口を開く者は居なかった。

 

 

「これがクレイドルの力か」

 

「支部長。クレイドルって……まさかとは思いますが」

 

「君が思ってる通りだ。今回本部に予定があるからと、ついでにアネット君も呼び寄せたんだよ。神機のアップデートは既に完了している事は事前に聞いていたからね」

 

 支部長の言葉にアネットが極東に派遣されていた理由を誰もが思い出していた。元々正体不明のアラガミの討伐の為に神機と、それを扱う人間のレベルアップを至上命題として極東に派遣していた。

 事実、ハンニバル種の可能性が高いとは予測していたものの、まさかこうまでの異常な種であったとは誰も予測出来なかった。ハンニバルそのものが支部の管轄内に出没するケースが少なく、また対応も殆ど出来ていない事から、今回の計画を踏み切っていた。

 本来であればアネットが指揮を執るのが筋かもしれない。しかし、ここドイツ支部でアネットを超える人間が居ない状況下で、かつ新種の討伐をしながら指揮を執れるかと言われれば誰もが首を横に振るしかなかった。

 

 

「あれって如月中尉ですよね」

 

「如月中尉ってあの?」

 

 誰かが気が付いたのか、画面上に見える純白の制服の一人がエイジである事に気が付いていた。ドイツ支部に来る事は無くても、誰かが本部に行く事はある。だからなのか、そんな一人の言葉に誰もがその異名を思い出していた。

 

 『極東の鬼』誰もが一度でもエイジの教導を受ければその言葉の意味を確実に理解させれていた。当初は大げさだと言っていた人間ですら、その教導が終わる事には口から魂が出るかと思える程に放心しながらも、言葉の意味を確実に理解していた。

 限界ギリギリまで苛め抜く教導の後は誰もが劇的に数字が伸びていく。これならアラガミと戦った方がマシだと思える程の苛烈な内容は、教導の中身よりも先に異名の事実である事を優先していた。

 既にどれ程の攻撃がハンニバルから繰り出されても、何一つ攻撃が当たる気配が無い。これ程までに何かに特化した攻撃方法を見た事が無かったからのか、誰もがその技量に魅了されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おれは思ったよりも厄介だな。俺の攻撃が隙を狙わない限り当たる気配が無い」

 

 ソーマはこの時、初めて自分の相棒とも呼べるイーブルワンの重量を呪っていた。これまでの様な速度のアラガミであれば、先読みとも取れるアラガミの動きを予測する事は可能だが、今対峙しているアラガミにそのセオリーは通用する事は無かった。

 ソーマの全力の一撃はハンニバルに到達する前に既に離脱が完了している事もあり、空を斬る事が多々あった。

 それだけではない。時折攻撃の隙を付くかのような攻撃は強者が弱者を甚振る様にも見えていた。地面を抉るかの様にイーブルワンの刃が大地に縫い付けられる。既にハンニバルの距離が再びゼロへと差し戻される。握られたハンニバルの拳がソーマへと襲い掛かっていた。

 

 

「ソーマ!」

 

 ハンニバルの顔面に幾つもの着弾が確認出来たと同時に、その方向を見ればアリサが銃口を向けていた。ソーマに向かった意識をこちらに向けさせる事によって時間を稼ぐ。単独ではなくチームとしての機能が十全に発揮されているからなのか、致命傷となる攻撃は未だ受ける事は無かった。

 交戦してから既に30分以上が経過している。予想外の速度は如何にクレイドルと言えど、自分達が持っているイメージと目の前で戦うアラガミとのイメージにギャップを作っていた。

 大きく振りかぶる様な攻撃が空を斬り、銃弾だけが何とか着弾する程度。攻撃そのものは浸食種に近い物があったが、厄介なのはその速度だった。一撃離脱の散発的な攻撃に怯む要素が無いからなのか、ハンニバルは依然として動きに澱みが無いままだった。

 

 

 

 

 

 アネットは内心焦りを生みながらも決して意識をハンニバルから外す事はしなかった。

 一定以上の距離を物ともせずに詰め寄る姿は、走り来る像に蟻が立ち向かう様な感覚だけが残されていた。

 極東支部でもハンニバルの討伐を繰り返し、ここよりも強固な個体を次々と撃破してもこの種に関してはこれまでのイメージを大きく破壊する程だった。瞬時に縮まる距離から繰り出される攻撃の一つ一つが必殺の刃となり各自に襲い掛かる。

 エイジとアリサは回避行動をしているが、ソーマは回避ではなく防御に徹している。神機の特性を考えた末の行動だった。

 まだ見ぬアラガミとの戦いは偏に自分の中にある引き出しから最適解を作る行為と良く似ていた。攻撃のパターンがある程度分かれば、そこを中心に適正な攻撃を繰り出していく。これまで散々新種と戦ってい来たクレイドルだからこそ可能なやりかたに過ぎなかった。

 強大な力がある訳では無い。一人一人の洗練された行動が無駄な行動を削ぎ落し、最短で攻撃を繰り返していく。今はまだ散発的な攻撃をしているも、その表情に焦りが浮かんでいる様には見えなかった。

 

 

「アネット。大丈夫か?」

 

「はい。何とかやれます」

 

 アネットを気遣うかの様にエイジは声をかけていた。このメンバーの中で新種の討伐をする機会が無かったのはアネットだけ。自分やアリサ、ソーマは既に何度も死線を潜り抜けているからなのか、厳しい攻撃を受けながらも直接的な攻撃を受ける事無く様子を伺っていた。

 ハンニバルと姿形は同じでも、繰り出す攻撃の速度と威力は段違い。弱点の種別さえ分かれば、結合崩壊するであろう部分は大よそながら予測出来ていた。

 ここが極東であれば一気に決める事は当然ではあるが、生憎とここは極東ではなくドイツ支部。今後新種が出る度に自分達が今回の様な特例に近いやり方で派兵する事は不可能だと理解しているからこそ、半ば教導めいた行動を取っていた。

 

 

「そろそろハンニバルの行動パターンも分かったから、そろそろこちらから攻撃を開始するよ」

 

 エイジの言葉にアネットは僅かに息を飲んでいた。まだ戦いの中で決定打を与える事も出来ない状態にも拘わらず、攻撃を開始すると宣言した以上、一気に攻勢に出るのは理解出来る。しかし、これまでの行動でそれがどんな意味を持つのかは理解が及ばなかった。

 そんな中で僅かに可能性の一つが脳裏を過る。しかし、戦闘中であるからと、今はそれ以上の可能性を考えるよりも、目の前に対峙するハンニバルの討伐が優先だからと、これまでの思考を一旦放棄していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一気に決めるぞ!」

 

 エイジの言葉と同時にアリサとソーマだけでなくアネットもまた全速力で疾駆していた。足の一部だけを執拗に攻撃した結果、遂にハンニバルの躯体はダメージの蓄積が実を結んだからなのか、地面へと沈んでいた。

 まだ完全に倒せる程の状態にはなっていないのは間違い無い。しかし、この千載一遇とも取れるチャンスは大いに活用するのは当然の結果だった。

 全力で走りながら自身の力を神機の破壊力へと昇華させる。既にブーストハンマーのヘッドは地面に倒れたハンニバルの顔面めがけて全力で振るっていた。

 

 後方から炎を上げたハンマーは、推進力を活かしハンニバルの鼻面へと直撃する。鼻先から頭蓋に向けて衝撃が一気に伝播していた。握った柄から何かが破壊されたかの様な感触をアネットは感じていた。一度ならず二度三度と無我夢中でハンマーを振るい続けていた。

 

 

「アネット!一旦離れろ!」

 

「えっ」

 

 ソーマの声がした瞬間だった。顔面に意識が向かい過ぎたアネットを待っていたのはハンニバルの放った鋭い爪。幾ら倒れようと瀕死では無かった事から、思いの外回復は早かった。

 無我夢中になり過ぎた代償。即時展開したシールドはアネットの身体を護りはしたが、足に力が入っていないからなのか、衝撃を逃がす事が出来ない。かろうじて肉体の損傷は免れたが、そのまま一気に吹き飛ばされていた。

 

 

「アネットさん!」

 

「アネット!」

 

 アリサとエイジの声がアネットへと向けられていた。新種の討伐における最大の要因はオペレーターからの指示は極端に少ない事だった。オラクル反応は分かるが、それ以外の事は何一つ分からない。一旦討伐が出来れば大よそながらでもオレペートは可能だが、今はそれすらもおぼつかないままだった。

 これが熟練した人間であれば、オペレーターからの情報が無くとも経験則から判断も出来るが、今のドイツ支部でそれを可能とする人間は誰一人居なかった。

 

 

「私なら頑丈に出来てますから……」

 

 受け身を取ったからなのか、アネットの声に全員が僅かに安堵していた。アネットには話していないが、今回の新種の討伐にはアネットの経験を積ませる目的がそこにあった。

 本来であれば新種は臆病な程の警戒感を持ちながら、ダウンした際には大胆に攻め、引き際はアッサリするのが鉄則だった。

 本来であればアネットに向けられた攻撃は完全に意識の外からだった事もあってか、最悪は絶命する可能性もあった。しかし、これまでの教導の成果だったのか、アネットは間一髪の所で防ぎ切っていた。既にハンニバルは元の態勢に戻っている。僅かな油断すら命取りになるのだとアネットは改めて肝に銘じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 均衡を保っていた戦いは一気にこちら側傾いていた。キッカケはエイジがすれ違いざまに放った斬撃がハンニバルの右大腿を深く斬り裂いた事だった。

 片方に深手を負ったハンニバルはそのままバランスを崩し、態勢に乱れを生じさせる。

 幾らアラガミとは言え、戦闘中に身体が完全に回復要素はどこにも無い。万が一何かしら捕喰すれば状況は変わる可能性はあるが、生憎とエイジ達はそんな隙すら作らせない。

 既に戦闘区域は誘導されていたからのか、周囲に何かを捕喰出来る様な物は何一つ見当たらなかった。動きの一つ一つが確実に鈍くなり始めている。そんな隙をソーマが逃すはずが無かった。

 

 

「このまま死ね」

 

 冷たく響く声と共に、闇色のオーラがイーブルワンの刃全体に纏い出したのか、既に巨大な刃となり頭上高くまで振り上げられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりレア物だな」

 

「だろうね。まずはコアの解析を優先させて、後は崩壊した細胞片の確認って流れになる?」

 

「ああ。恐らくはオッサンの下に直ぐにデータを送って、コアの本体は後日って所だな。あとはドイツ支部にも報告する必要がある」

 

 ソーマの一撃はハンニバルの息の根を完全に止めていた。首筋を一瞬にして分断した事によりハンニバルは断末魔すら上げる暇なく命を散らす。本来であれば何時もの様に回収作業が待ってるが、今回に関しては元から予定していた新種の解析があった事から、それなりにやるべき事が多々あった。

 コアの抜き取りが完了した以上、後は霧散していくだけだが、その前に結合崩壊した部分の回収や残存している細胞片の採取などやるべき事は多岐に渡っている。既に手慣れていたのか、ソーマとエイジの手が止まる事は無かった。

 

 

「アネットさん。お疲れ様でした」

 

「はい。ありがとうございます。まさか新種との戦いがこうまで厳しいとは思いませんでした」

 

 疲れ切ったアネットは既にその場に座り込みながらもソーマとエイジの作業を眺めていた。先程まで厳しい戦いを繰り広げていたにも拘わらず、今は次の事をすべきと段取りを汲んでいる。

 身も心もタフでなかれば部隊長と務まらないのは知っているが、それでも目の前で作業をしている2人の姿はそんな事は当然だと言っている様にも見えていた。座りこんだアネットにアリサが手を差し出す。掴まる様に立ったアネットの足腰は完全に疲労が蓄積していたのか、僅かに震えていた。

 

 

「私達だって最初からこうじゃありませんでしたから。まだ戦えるだけ有難いです。感応種が出た当初は討伐なんて言葉すら口に出来ませんでしたから」

 

 何かを思い出したのか、アリサはアネットに話しながらもどこか遠い目をしていた。

 『感応種』の言葉にアネットも当時の事を思い出していた。P53偏食因子を無効化する能力はゴッドイーターの天敵とも取れるアラガミだった。当初は何かの間違いだとも思われていたが、極東支部が情報を公開したのを機にアネットも情報を覗いた際には狼狽した記憶があった。

 

 神機を停止させるそれは丸腰でアラガミと対峙するのと同義だった。何時それが発動するかも分からない状況下での戦いは思い切りよく戦えない。どこか警戒をしながら戦うとなれば完全にパフォーマンスが低下する要因でしかない。既に対策は出来ているとは言え、当時の事を考えれば神機は通常稼動する今は確かに苦にならない可能性の方が高いと感じていた。

 

 

「そうですね……ここでは未確認ですが、極東支部では出るんですよね?」

 

「そう毎回では無いですけど、時折出ますね。ブラッドが居ればそのままですけど、居ない時や間に合わない時は結構大変なんですよ」

 

「私も今回の戦いで何かが分かった様な気がします。今後はもっと頑張ってやりたいです」

 

 一人足を引っ張っていると自覚していたからなのか、アネットの握る手には僅かに汗が浮かび上がっていた。

 あのメンバーの中で何がやれたのかは本人以外に分からない。目指す頂きは高いからなのか、アネットは今の状況に慢心する事無く新たな訓練の必要があるだろうと、一人心に誓っていた。

 

 

 



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第33話 打ち上げと目的

 

「お疲れさん。随分と今回の件は参考になったんじゃないのか?」

 

「はい。お蔭さまで随分と勉強させて頂きました」

 

「そうか。今後の件についてだが、当初予定していた日程よりも随分と早かった事もあってか、クレイドルには明日一日だけだが、色々とお願いしようかと思っている。極東でも散々やったとは思うが、今回の件も踏まえて学ぶと良いだろう」

 

「はい」

 

 討伐の結果と同時に支部長からは今後の予定について聞かされていた。

 元々今回のアラガミのデータと討伐に関しては支部長マターとなった為に大きな混乱も無くデータはそのまま極東の方へと流されていた。想定外のアラガミがもたらしたインパクトはあまりにも大きすぎた。欧州では一部では強固な個体が出る事はあるが、新種に関しては完全に想定外。アネットの派兵と並行して行われた事が完全に成功していた。

 

 支部内では完全に浮かれた雰囲気になっているが、ドイツ支部の幹部からすれば看過できない内容でしかない。今回の件で事前に本部にも応援を要請したものの、遠回しに断れた事実があったのは現場の人間は何も知らないままだった。苦渋の決断とは言え、本部に対する疑心暗鬼な空気は今もなお根深く残されたままだった。

 

 本来であれば極東支部の様な発言権はどの支部にも存在している。しかし、あくまでも建前の話であって、実際には口にする機会は存在していなかった。ドイツ支部はまだフェンリルから配給を貰っている立場。下手に事を大きくすれば、何らかの障害が発生する可能性もある。だからこそ、ゲスト扱いで本部に対し、誤魔化す手段を取っていた。

 

 

「それと、明日は一日如月中尉が教導に入る事は通達してある。アネットもそのつもりで居てくれ」

 

「了解しました」

 

 後で知った話ではあったが、今回の討伐に関しては元々はアネットの教導を兼ねた物であったと知らされていた。だからこそ最初は指揮権を委ねたものの、想定外の行動からすぐさま指揮権の移譲がなされていた事実をアネットはここで知らされていた。

 あれ程の速度を持ったアラガミに真正面から対峙すれば、どんな人間であっても確実に吹き飛ばされてしまう。事実アネットもギリギリで防ぐ事が出来たのは僥倖以外の何物でも無かった。アネットとしてもまだまだである事から日程が空くのであれば、学ぶべき事はまだまだある。支部長からの言葉に改めて自身に誓いを立てていた。

 

 

「所で、極東では毎回ああいった事をしてるのか?」

 

「それはどう言う事でしょうか?」

 

 支部長の言葉の意味が何一つ分からない。自分達が任務に入っていた際にここで何が起きていたのかを正しく理解出来るはずも無く、その結果、疑問だけが残されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の榊の名代として参らせていただきましたシオと申します。短い期間ではありますが、宜しくお願いします」

 

「ああ。今回の件に関しては我々としても渡りに船の様な物だ。来て頂いたのも有難いと考えている。出来る限りの事をしよう」

 

 アネット達が緊急で出動している頃、シオは支部長室で深く頭を下げ挨拶を行っていた。元々シオが同行する予定は無かったからなのか、何時もは強面の表情をしている支部長もどこか緩んだ表情を浮かべていた。その原因はシオの姿だった。

 極東では当たり前の様に着ている物だが、ここではかなり珍しいだけでなく、またそれがどれ程の価値があるのかはおぼろげながらに理解していた。白を基調としながらも描かれた絵柄がそうなのか、今のシオは完全に大和撫子を体現した着物姿の淑女であった。

 普段はどこか天真爛漫な言動をしているが、普段の屋敷の中では舞だけでなく、何かがあっても問題ない振る舞いを常に行っている。これまで何人もの外部の女性を見る機会があった支部長も、今のシオの姿には圧倒されていた。

 一つ一つの行動に優雅さが見てとれる。恐らくはこれから行くであろう本部での華として派遣されたのか、それとも何かしらの都合があるのかは分からないが、優雅な笑みを浮かべるその姿に、支部長も何時もの様に言えずじまいだった。

 

 

「そう言って貰えれば助かります。何せ無作法故に、ご迷惑をお掛けするのでは無いかと、当支部長の榊も申しておりましたので」

 

「我々も同じ様な物。滞在期間も短い以上、気にする必要は無いですから」

 

「お心強い言葉、ありがとうございます」

 

 談笑に近い物ではあったが、やはり支部長室の中はどこか違う空気が流れていた。お茶を用意した秘書でさえもシオの姿と振る舞いに圧倒されている。そんな事もあってか、何時もとは違う支部長の態度に気が付かないままに退出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ~そう言われれば、確かにそうかもしれませんね」

 

 支部長の言葉にアネットは一つの可能性を見出していた。正確には極東支部ではなく屋敷での話である事は直ぐに察していた。当然の様に浴衣や着物を着ている事が多く、時折旧時代の文化の継承とばかりに何かしらの教導をしている。アネットは直接見た訳ではないが、時折浴衣姿で歩くリヴィやマルグリットを見た記憶が確かにあった。

 

 

「極東支部はフェンリルの一部の上層部も何かと関心がある様だな。時折、他の支部長とも話題として出てくる事がある。俺も一度は行ってみたいものだな」

 

 何か思う部分があるのか、支部長はアネットの存在を無視するかの様に話をしていた。

 他の支部とは圧倒的に何かが違う。広報誌で見る事はあっても実際に足を運ぶ機会が無いからなのか、アネットとしても支部長の気持ちが分からないでも無かった。

 

 

「そうですか……ですが、出てくるアラガミはここの比では無いですね」

 

「そうか……それは当然だな。そう言えば整備班の連中がクレイドルの神機を見て驚いていたからな。俺達が使う物よりも明らかに性能が違い過ぎる。特に如月中尉の神機に関しては極東の榊支部長からも特記事項として案内が来てたからな」

 

 ハンニバル討伐の情報は実際に画像で確認していたからなのか、討伐が完了した瞬間会議室内は歓喜に見舞われていた。これまで幾度も部隊を全滅させたアラガミはドイツ支部内に鬱憤を残したままだった。

 当初は厳しい視線も飛んでいたが、鮮やかとも取れる交戦状況に誰もが食い入る様に画面を見ていた。素早い動きを物ともせずに回避しながら攻撃を繰り返す。事実、アネットも戦場で戦っていた際に、エイジとアリサが盾を展開した場面を見た記憶は殆ど無かった。

 ハンニバル特有の逆鱗を破壊しなければ多方面への一斉攻撃が来る事は無い。精々が火球を回避か受け止める程度。そう考えるとクレイドルのレベルがどの辺りにあるのかは考えただけでもゾッとする程だった。全員が事実上の部隊長レベル。そう考えるとその差は歴然としたままだった。

 この中でまともに対峙出来る人間は何人いるのだろうか。そんな取り止めの無い考えだけが全員に過る。そんな中で止めを刺す連携は見事だとしか言えなかった。

 

 

「私もずっと出てましたが、今後の事を考えるのであれば、短期でも派遣させるのも手かもしれませんね」

 

「だろうな。俺も見たが、神機のレベルがそもそも違い過ぎてる。聞いた話だと曹長クラスでも指揮も執れるとも聞いている。今後の課題にするのが良いかもしれんな」

 

 何かを考えているからなのか、支部長は既に何かを思案している様だった。完全に脅威は無くなった訳では無いが、当面の脅威は無いのも間違い無い。今後の課題も見えたからにはそれに近づける事だけを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここもやっぱり同じですね」

 

「全くだよ。でも、仕方ないだろうね」

 

 エイジとアリサは未だ喧噪止まない集団から少しだけ距離を置いていた。帰投直後に見た光景はこれまでの経験に無い程だった。賞賛と期待が入り混じる視線の先に何かが見える。確かに極東でも厳しい戦いの後は毎回馬鹿騒ぎする事が当然の様だったが、ここでもやはり同じ結果だった。まだ夕方にすらなっていないにも関わらずアルコールが入っているからなのか、騒ぎが止む気配は一向に無かった。

 

 

「そう言えば、榊博士にデータ送ったけど、解析は少しかかるみたいだね。どのみち極東に戻ってコアの解析をしない事には進まないだろうね」

 

 何時もであればもてなす側のエイジも今回に限っては完全にもてなされる側となっていた。何時もと変わらない任務のはずが、到着した際に全員が笑顔で駆けつけてくる。今回のアラガミの脅威を考えれば、それはある意味では当然の事でしか無かった。

 本来であれば、新種が出た際には直ぐにレポートの作成や今後の展望など、考えればキリが無いと思える程にやるべき事は多々ある。にも拘わらずドイツ支部に至っては、そんな事は後回しだと言わんばかりに今回の様な騒ぎが早々目開始されていた。

 

 

「確かにあの動きは厄介ですね。初見で対応できるケースはそう多くないでしょうから」

 

 アリサの言葉にエイジもまた今回の戦いを改めて思い出していた。神速とも取れるハンニバルの圧力は通常の物とは段違いだった。

 攻撃に特化しているからなのか、あの動きに慣れる頃には人によっては捕喰されている可能性すらある。ここで出没した物が極東に現れる可能性は否定できないが、それよりもここの方が更に可能性が高い事は間違いなかった。

 帰投中に支部長からお願いされた明日一日の限定での教導は恐らく今後の事も含め、何かしらの要件があるからだろうとエイジは考えていた。アラガミの前では如何なゴッドイーターと言えどちっぽけな存在でしかない。それはアラガミが世界に現れてから今に至るまでの純然たる事実だった。人知れずエイジの手に力が入る。今後の事を考えれば素直に酔える雰囲気では無かった。

 しかし、そんな思考は長くは続かなかった。気が付けば隣に座っているアリサが微妙に揺れている。どう見ても何かに酔っている様にしか見えなかった。

 

 

「アリサ。まさかとは思うけど、飲んだの?」

 

「ここでは私の年齢でも大丈夫らしいですよ」

 

 頬が薔薇色に染まっているからなのか、それとも厳しい戦いを終えた後だからなのか、アリサは表情は何時もの凛とした雰囲気がどこにも無かった。ここでサテライトの仕事が出来る訳でもないからなのか、完全にリラックスしている。極東では口にする事が無かったアルコールは恐らくはアリサの味覚に合ったからなのか、一口だけ飲んだ様には思えなかった。呼気からも僅かにアルコール臭が漏れると同時に、眼も潤んでいる。何時ものアリサを知っているエイジからしても、今のアリサはどこか扇情的にも見えていた。

 少しだけ遠くに離れているからなのか、エイジの肩に頭を乗せ、少しだけまどろんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ではまたの機会に」

 

 エイジ達を見送りに来たのはアネットだけだった。昨日の教導の効果なのか、戦場に出ていない者の大半は何かしらの痛みを訴えていた。

 丸一日しかないからと、支部長の発案で希望者全員が教導を受ける事になっていた。

 元々やっていた事だったからなのか、エイジは気にする素振りは一切無い。しかし、受けた人間は初めてだったからなのか、改めて二つ名の意味を骨身に刻む結果となっていた。

 初めの頃はアネットも心配する様な部分はあったが、戦力として見た場合、確かにここの曹長は極東の上等兵か若しくはそれ以下の可能性が高いと感じていた。厳しければ厳しい程、それが自分の血肉となって蓄えられていく。自分が実感しているからこそ、ただ黙って見ている事しか出来なかった。

 既に死屍累々とした訓練場はどこか異様な雰囲気が漂っている。アネットの隣に居た支部長も初めて見たからなのか、口元は完全に引き攣っていた。

 

 

「また何時でも極東に来てください」

 

「はい。時間を作って行かせて頂きます」

 

 ヘリに乗り込んだ事によってアネットの姿は徐々に小さくなっていた。事実上の目的でもあったドイツ支部での内容はそのまま榊の下へと送られている。これから行く本部の事を考えれば頭が痛くなる可能性はあったものの、今回の内容に比べれば可愛い物でしかなかった。

 

 

 

 

 

「そう言えば、今回の目的はこれで終わりみたいな物ですけど、本部では何をするんですか?」

 

「今回はダミーの予定みたいだからな。俺は元々インビテーションが来てたからこのままフォーラムに参加だ。アリサは何かしらの予定が入ってたんじゃないのか?」

 

「一応はサテライトの件でとは聞いてますが、詳しい事までは何も聞かされていないんですよ」

 

 アリサが言う様に、建前はソーマとシオの護衛として来ている為に、公式な予定では無かった。サテライトの計画もある程度軌道には乗っているが、それでも万全とは言い難い物がある。何かしらのクレームを付けられる訳でも無いだとろうと、一先ずは現地に着いてから考える事にしていた。

 

 

「向こうでは僕も一緒だから、どうとでも対応できるから」

 

「そうですね。でもあそこに行くのは久しぶりです」

 

 当時はまだキュウビを追いかけていた頃にここに来ただけの記憶しかなかった。あの頃に比べれば今はかなり状況が異なっている。当時の事を懐かしく思いながらも最後の目的でもある本部へと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、ソーマは良かったんですか?」

 

「この場は俺には似つかわしく無い。ここではシオが最優先だ」

 

 当初予定された内容は問題も無く完了していた。既に恒例となった晩餐会はフォーラムの恒例行事となっている。何時もであれば何か適当な予定を付けて辞退していたソーマも、今は珍しくタキシードを身に纏い、どこか苦々しい表情で会場の壁際に佇んでいた。

 元々これがある事を知らなかった訳では無い。初めて来た際には無明の後ろに居た為に、ソーマに話題が振られる事は余り無かったが、今回に関してはシオの件があったか為に拒否する事は出来なかった。

 事実、この会場の中でも男性陣の参加者の中ではソーマが一番若い。周囲には既に慣れた空気を醸しながら談笑している人間が何人も居る。以前に聞いた社交界での噂。それにどんな意味があるのかは分からないが、貴族の会話はソーマに取っても何かと気になる部分も確かに存在していた。

 笑顔の裏には隠された刃で何かを裂こうとしている様な剣吞な空気は、ある意味では厄介な物でもあった。人一倍聴覚に優れたソーマからしても、時折聞こえる物騒な話は思わず顔を顰めたくなる程。人間の醜い部分を見せつけられる様な気がしたからこそ、一人この場から離れていた。

 

 

「なるほど。確かにあれでは大変そうですね」

 

 アリサの視線の先には何人かの壮年の男性と話し込んでいるシオの姿があった。当初シオが参加すると聞いた際にはアリサとソーマは心配する部分が多分にあった。屋敷での行動を考えると、決して安心できる材料が無い。しかし、今遠目で見ているシオはどこか別人の様にも見えていた。

 微笑みを浮かべながら場の空気を壊す事無く何かの話をしている。何時もとは別人だと言わんばかりの姿はソーマにとっても複雑な物となっていた。

 

 

「そう言えばアリサの方はどうだったんだ?」

 

「私の方は問題はありませんでしたよ」

 

 シオ同様にアリサもまた着物姿でこの会場の華として参加していた。当初は護衛だからと拒否していたものの、やはり今回の着物の件で弥生から話は出ていた。見本としての着物は今後の部分でも何かと重要となる。だからなのか、アリサも渋々参加していた。

 これまでであれば何かしらの声がかかるケースもあったが、ここでもやはりエイジの名は絶大だった。最初の段階で妻として紹介されただけでなく、一時期は水面下で自分の懐に入れたいとの思惑があったからなのか、アリサにおいそれと声を掛けるケースは無くなっていた。

 万が一何かあれば心象は最悪になってしまう。未だ諦めていない人間からすれば下手に手を出す訳には行かなかった。

 

 

「そうか。だが肝心のあいつはそうでも無さそうだな」

 

「え?……私、ちょっとここから離れますので」

 

「ああ。だが、極東支部の恥は晒すなよ」

 

 ソーマの視線の先に居たのは見た事もない女性と談笑するエイジの姿。既婚だろうと、ここに参加する女性からすれば指輪はお守りどころか何の役にも立たない。そんな光景を見たからなのか、アリサは静々とエイジの下へと歩いていた。

 幾らアリサと言えど、こんな場所で癇癪を起す様な事は無いだろうと考えはしたが、それは既に当事者の話であって自分には関係の無い話。気が付けばシオの周囲も少しづつ人が増えたからなのか、ソーマは改めてグラスを片手にシオの下へと歩き出していた。

 

 

 



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第34話 お互いの気持ち

 一組の男女がこの場所では見かける事が少ない洋装で並び立っていた。お互いが赤い絨毯の上をゆっくりと歩く様はどこか儀式めいた物。周囲には何人もの人がどこか羨望の様な視線でその2人を見ている様だった。

 共に着ている純白の服はお互いが共に染まる事を決意している様にも思えるからなのか、何時もとは違った緊張感が漂っていた。

 純白の衣装を身にまとった女性の頭には顔をうっすらと隠すかの様にヴェールがかけられている。どんな表情をしているのかを分かっているのは、その前に立っている男だけ。

 女のうっすらと朱に染まった頬を見たからなのか、男の表情には笑みが浮かんでいた。隠された顔を見るかの様に薄手のヴェールが捲し上げられる。男の瞳に映った女の表情は何時も以上に美しいとさえ感じていた。

 柔らかな唇が共に重なったと同時に、周囲からは雷の様な拍手が沸き起こる。それが合図かの様に鐘の音が頭上で鳴り響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って事で、またお願いしたいのよ」

 

「それは構いませんけど、私はもうやってますけど良いんですか?」

 

「実はアリサちゃんに関しては、以前に小さく映った写真の反響が大きかったのよ。あれは何だかんだでアリサちゃんに似合う様にデザインした物だから、モデルの人よりも写りが良かったのよね」

 

 弥生からの話にアリサもただ返事をしたりする訳にはいかなかった。今回依頼されたのは、いつもの広報誌ではなく何故かグラビアの撮影。水着や着物ではなく、今回はウエディングドレスだった。

 アリサの記憶の中にあったのはアネットに見せてもらった広報誌。自分が小さく映っていた記憶はあったものの、それと今回の件がどう繋がるのかが理解できなかった。女性であればだれもが羨む純白のドレス。

 既にアリサはドレス以外に白無垢も着ている為に、改めて弥生から言われた言葉の意味が分からないままだった。

 

 

「それは有り難いんですけど、それと今回の件はどんな意味があるんですか?」

 

「実は、最近になってからゴッドイーターの結婚がブームになりつつあるの。で、私達も今回のブームに乗って色々と画策したいって所かな」

 

「画策って事は当然やるんですよね」

 

「もちろん今回はアリサちゃんだけじゃないのよ。他の人にも依頼はしてあるから安心して」

 

 何時もの笑顔で言われたからなのか、アリサもどこか諦めた部分があった。実際にアリサとしても、もう一度着れると言うのは悪い気はしない。事実、当時の写真は部屋の中にも飾られている。だからなのか、弥生の提案にアリサは珍しく断る様なそぶりを見せる事は無かった。

 

 

 

 

 

「そう言えば、弥生さんは何を企画してるんですか?」

 

「詳しい事は聞いてないね。具体的に何かを言うって事は、既にプランが決まっているって事だから、考える必要性は無いと思うよ」

 

「確かにそう言われればそうなんですけど……」

 

 弥生から提案された事を知っていると考えたからなのか、アリサは食事をしながらエイジに確認していた。アリサが聞いている時点で、既にエイジもその事を知っていたからなのか、苦笑しながらも答えていた。

 女性とは違い、男性の側から考えると案外と気恥ずかしいケースが多く、個人的にはアリサのドレス姿は改めて見たいが、その為には自分も同じ状況に陥る事になるのは必然だった。

 アリサの中では既に決定された事項だからなのか、明るい表情を浮かべている。一方でエイジはそんなアリサを見ながらふと思い出した事があった。恐らくはアリサも気が付いているはず。話題に出ないだけで、その様子を何度か目にしている。まさかとは思いながらも、それ以上の事は藪蛇になるからと口をつぐんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日も一日お疲れ様だ」

 

「ああ。聖域が出来たとは言え、神融種は中々手強いのは事実だ。今後の事も考えれば部隊の教導のハードルをもう少し高くする必要があるな」

 

「なぁ、それでお前の所の部隊の連中は大丈夫なのか?たまに愚痴みたいな物を聞くんだが、休憩も仕事の内だぞ」

 

 タツミの言葉にブレンダンは改めてここ最近の状況を思い出していた。防衛班は基本的に対峙するアラガミを選ぶ事は出来ない。

 討伐だけであれば効率を考える必要があるが、防衛であれば回避すれば即一般人に被害が出てしまう。事実、防衛班での神機の大半は無属性か2つの属性を付けた神機を装備する事が殆どだった。

 タツミやブレンダンの様な第一世代の神機であれば細かい事を考える必要はないが、第二世代になれば、それに加算してバレットの有効活用を考える必要があった。もちろん部隊長をしているブレンダンとてその事は理解している。

 自分には無いからと何もしないのではなく、戦術としての組み立てを常に考えながら取り組んでいた。

 

 

「そうだな……確かにタツミが言う様に休息も必要だろう。どうだ。折角アナグラの付近まで来たんだ。偶にはラウンジで食事でもしないか?」

 

「おっ!奢りか?」

 

「馬鹿言うな。俺よりもお前の方が稼ぎが良いなら普通は逆だろう」

 

「あのな、稼ぎ云々はともかく、あれじゃ労働との対価が合わないんだよ。あいつらは〆切が過ぎてもまだ書類の提出しないんだぜ。少しはその後にやる俺の身にもなって欲しいよ」

 

 タツミの言葉に何かを思い出したのか、ブレンダンも当時の事を思い出していた。大隊長であれば、実際には現場に出る事無く指揮だけを執るのが通常。しかし、タツミはそんな事を最初から考えていなかったからなのか、常に現場に出る事が殆どだった。

 確かに実力者が部隊に入れば部隊運用は安定する。これまでも何度か厳しい状況を乗り越える事が出来たのは、偏にタツミの加勢があった為だった。

 

 

「だったら現場に入るのは少し控えたらどうなんだ?」

 

「馬鹿だな。そうなったら偶にあるヒバリちゃんのオペレートがあったら聞き洩らすだろうが」

 

「………なぁ、タツミ。お前もそろそろどうなんだ?」

 

「どうって?」

 

「ここでも最近になってからブラッドの加入もある。以前に比べれば多少は落ち着けるはずじゃないのか?エイジ達もああなったんだ。そろそろお前も身を固めるのも良いと思ってな」

 

 ブレンダンが指摘した通り、ここ最近になってからのアナグラの雰囲気は僅かながらに明るい様にも思えてた。事実上の終末捕喰の回避だけでなく、ツバキからサクヤに教官が変わった事も一因かもしれなかった。

 ツバキが怖いのは事実だが、厳しい空気は気が引き締まる事はあっても緩む事は無い。

 戦いや訓練時には有難いが、それ以外ではれば気が休まらない事実もあった。もちろん本人に向かってそんな言葉を出せるはずもなく、今はまだサクヤが教官だからなのか、厳しさの中にもどこかゆとりがある様にも思えていた。

 

 

「……何も考えていない訳じゃないんだよ。ただ、タイミングがちょっと……な」

 

 何かを思い出したのか、タツミの表情は先程までとは少しだけ違っていた。元々タツミはアナグラに居るのが基本だが、最近の出動要請の多さから、アナグラではなくサテライトやネモス・ディアナに出向く事が多かった。

 もちろん書類の事もある為に最低でも週に1回は顔を出すが、ここ最近ではそんな時間すら取れないままだった。

 

 

「そう言えば、最近はヒバリだけじゃなく、フランやウララも居るから、割と話しかけやすくなったらしいな」

 

「…そんな事は分かってるよ」

 

「だったら」

 

「すまんが、その辺りは俺とヒバリちゃんの問題なんだ。ブレンダンの気持ちは分かるが、暫くは時間が欲しいんだよ」

 

「すまない。そんなつもりは無かったんだ」

 

「いや。俺も言い過ぎた」

 

 タツミの表情が少しだけ暗くなった事に気が付いたのか、ブレンダンもそれ以上の事は何も言わないまま歩いていた。こんな話のキッカケはまだ任務が激務となる少し前まで遡っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの……竹田さん。よかったら俺とミッションが終わった後、一緒に食事でもどうですか?」

 

「すみません。今は勤務中なので」

 

「だったら終わってからなら良いですよね」

 

「そう言う問題ではありませんので」

 

 以前であればヒバリに対し、そんな会話をするのは専らタツミが殆どだった。2人が付き合っている事を知っているのは意外と多く無い。古参の人間は当たり前の様に見た光景も、今はタツミが不在になっている事が多いだけでなく、事実付き合っているからこそ公の場所で言う必要が無いだけだった。

 ヒバリはオペレーターの中では実力も高く、ゴッドイーターからの信頼もかなり厚い。

 事実その言葉で何度か部隊の窮地を救った事もあったからなのか、その的確な指示だけでなく、見た目も相まって人気はかなりの物だった。

 そうなれば当然そんな話が無い訳ではない。特にその勤務の特性上、ロビーに行けば必ず会える確立が高く、割とそんな光景が日常の様に見えていた。言い寄ってくる人間をあえなく撃沈させる様子は既にアナグラの風物詩になりつつあった。

 

 

 

 

 

「相変わらずモテモテだね。やっぱりタツミさんが居るから、身持ちは固いね」

 

「リッカさんこそ、職場でイチャつく様な事してるんじゃないですか?」

 

「残念ながら、私はそんな事はしないよ」

 

 休憩に来たリッカはヒバリの姿を見たからなのか、ラウンジで休憩がてら話をしていた。リッカもここ最近になってから新人が増えただけでなく、今後の防衛の兼ね合いで整備の数が圧倒的に多くなっていた。

 本来であれば相方のナオヤがやるのが筋だが、人数が増えた事によって教導の方へと出向く事が多くなっていた。既に今日の時点でこれまでの3割増しで仕事が入っている。休憩を入れなければ倒れるのではと思える程に忙しい日々を過ごしていた。

 

 

「ナオヤさん、忙しいですからね。だから最近は屋敷に通ってる事が多いんですか?」

 

「そ、そんな事は無いよ。偶に行く程度だから」

 

「へ~そうなんですか」

 

 ヒバリの感情が籠らない視線にリッカは僅かにたじろいでいた。暗に何も言わないが、ここ最近の新人の相手に疲れているのと同時に、タツミも多忙を極めているからなのか、中々アナグラにも顔を出す機会が少なくなっているのが原因だった。

 神機の整備そのものはオーバーホールやアップデートをしない限り、サテライトやネモス・ディアナでも可能な状態になっている。

 一時期の様な新種のアラガミの可能性が低い事もあってか、タツミだけでなく防衛班全体がそんな状態になりつつあった。基本的に防衛班は精神的にもタフでなければ務まらない。アラガミ用のレーダーで大よその位置は確認出来るが、アナグラのそれよりも精度が高く無い事から、時折想定外の侵入を受ける事があった。

 

 いつ襲ってくるか分からない状況が長く続けば精神的な摩耗は避けられない。まだ中堅までの人間であれば交代も容易だが、部隊長クラスともなれば話は大きく変わっていた。

 リッカの記憶が正しければ、タツミが顔を出さなくなってから既に2ヶ月以上が経過している。以前の様な関係であれば特に気になる問題も無いが、やはり今の関係になってからであれば、恐らくは最長だろうと考えていた。

 

 

「私の事はどうでも良いけど、タツミさんは元気にはしてるの?」

 

「レポートは取敢えず通信で来ているので、業務には影響無いですよ」

 

「そんな事じゃなくてさ」

 

「そろそろ休憩も終わりますから。私はこれで」

 

 ヒバリの態度にリッカも内心失敗したとは思っていた。口ではああ言うが、確実にストレスは溜まっている。厳しい状況は自分達で何とかすれば多少のスケジュールはどうにでも出来るはずだった。

 事実エイジでさえ、何だかんだでスケジュールの調整をしながら通信位はしていたとアリサからも聞いていた。タツミが何を考えているのかは分からないが、それでも連絡の一つ位はしても良いはず。リッカはそう思いながら頼んだジンジャーエールを飲み干すと、再び作業へと戻っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで終わりっと。後は………」

 

 自身の最大のミッションとも言える大隊長としての任務が漸く終わりを告げていた。何時まで経っても出てこないレポートの為に待つのは馬鹿らしいと、シュンの尻を叩く事に成功したからなのか、届いたレポートの校正を終え後は端末で送るだけだった。

 改めて端末を開く。そこには一通のメールが届いていた。

 

 

「………しかし、どうした物かな」

 

 メールの内容を確認したタツミは少しだけ溜息を吐きながら、今後の事を少しだけ考えていた。ここ最近の激務がたたったからなのか、気が付けばヒバリとの通信をする機会が格段に減少していた。

 時間は作る物だが、当時のタツミにとってそれはかなり厳しい状況にあったのは間違いなかった。それと同時に時折アナグラに言っていたジーナからもヒバリの状況報告とばかりに内容が届く。最近は何も知らない新人が当時のタツミの様にご執心だと言う内容だった。

 本当の事を言えば、多少でも顔を出せば良い事は分かる。しかし、部隊を預かる身で勝手な行動が出来るはずも無く、ただジッと耐えるだけだった。

 メールの一つでも送れば良いかもしれないが、今は生活のリズムがアナグラとは大幅に異なっている。今日出した所で返事を見るには数日後。それでは流石に申し訳ないと感じたからなのか、今の仕事を一気にこなして時間を作る方向にシフトしていた。

 そんな中でまだ忙しくなる前に注文した物の出来上がりのメール。改めてタツミはどうするのかをボンヤリと考えていた。

 

 

「大森隊長。どうかしたんですか?」

 

「いや。大した事は無い。ちょっと疲れたなって。そう言えば部隊の連中はちゃんとローテーションで休みを取れてるのか?」

 

「はい。お蔭さまで何とか取れてます。ですが、隊長も偶には取らないと幾らゴッドイーターと言えど体調を崩しますよ」

 

「だとすれば、それはシュンのせいだな。間違い無い」

 

「それはシュンさんに失礼なんじゃ」

 

 タツミの事を心配したのか、部隊の女性が気を配るかの様にタツミに声をかけていた。

 既にローテーションがどれほど回ったのかは考えるつもりすら無い。目の前の女性隊員には笑いながら軽口で話すも、やはり肉体だけでなく精神的な疲労もあるからなのか、どこか疲れが抜けないままだった。

 改めて自分の状態を確認する。最低限シャワー位は浴びるものの、やはり蓄積した疲労は完全には抜けきらない。先ほどのメールを見たからなのか、改めてタツミは手を止め休憩とばかりに周囲を見渡していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい。ではその様に」

 

 ヒバリは珍しく弥生からの連絡を受け、勤務が終わってから屋敷へと出向いていた。ここ最近は気が休まる事が無かったからなのか、弥生からの話に即答していた。寂しい気持ちがあったのか、それともかつてのタツミの様に来る新人が気疲れの原因なのか、理由は分からない。しかし、偶には温泉にでも入れば良いかと考えながら屋敷の門をくぐっていた。

 

 

「ごめんなさいね。疲れてる所に」

 

「いえ。私も勤務時間は終わりましたので、大丈夫ですよ」

 

 ヒバリが玄関に着くと、そこには弥生が既に待ち構えていたからなのか、何時もと変わらない笑みを浮かべながら立っていた。呼ばれた理由は分からないが、突拍子もない事がある訳でもない。

 アリサには身内だからなのか無茶振りをする事はあっても、ヒバリにはそんな事は殆どしない。だからなのか、疑問を覚える事もなく何時もと同じ様に接していた。

 少しだけ時間にゆとりがあったからなのか、弥生の許可を取るとヒバリは露天風呂の方へと足を運ぶ。何時ものメンバーであれば姦しい空気が流れるが、生憎と何時ものメンバーはここには居ない。何時もと違う雰囲気と、何かしら考えていたからなのか、先客が居るかを確認しないままヒバリは服を脱いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お互いが沈黙してからどれ位の時間が経過したのか、ヒバリは湯船に浸かったまま一言も声を出す事無く固まっていた。原因はここに居るはずの無い人物でもあったタツミがヒバリの隣でお湯に浸かっている。久しぶりに見たからなのか、それとも羞恥から来る物なのか、お互いが何も話す事もなく、目の前の景色を眺めていた。

 何時もなら気が付くはずが、どこかボンヤリとしていたからなのか、ヒバリは自分の迂闊さを少しだけ恨めしく思っていた。既にお互いが付き合い出してからは何度も身体を重ね合っている為に、お互いの裸身を見た所で本来であれば照れる要素はどこにも無い。

 単純にお互いが一緒に風呂に入る事がこれまでに一度も無かったからなのか、どこか気まずさが漂っていた。

 当初はタツミが真っ先に出ようと思ったが、それをヒバリが制した事もあって、今に至る。ヒバリとて何かを考えて行動した訳ではない。半ば無意識の内に出た行動でしかなかった。

 お互いが入り続けて既にかなりの時間が経過している。呼ばれたヒバリとは違いタツミがどうしてこの場所に居るのは分からないが、今はただ沈黙したままだった。

 

 

「何だか久しぶり……だね」

 

「ええ。そうですね……」

 

 タツミが言葉を出すも、そこから先の会話が続かない。お互い何か言いたい事があるのは分かっているが、そのキッカケが無いからなのか、再び沈黙が続いていた。

 

 

「漸く一区切り付いたから、少しだけ弥生さんに連絡してここに来たんだ。ヒバリちゃんはどうして?」

 

「私は弥生さんに呼ばれて来たので、詳しい事は何も分からないんです」

 

 ヒバリが言う様に弥生の話はまだ始まっていなかった。勤務が終わって直ぐに来たが、生憎と何かをしている様にも見えているからなのか、まだ内容が分からない。タツミが話しかけた事によってヒバリも漸く何時もの調子が出始めていた。

 

 

「弥生さん。また何か考えてるみたいだな」

 

「そうですね。私がここに呼ばれるケースって殆どがそうですしね」

 

 何かがキッカケとなったのか、先程までの緊張した空気は既に無くなっていた。

 ラウンジとは違い、一旦落ち着けば静かな空間。温泉の効果もあってなのか、これまで凝り固まっていた時間がゆっくりと溶けて行くような気がしていた。

 

 

 



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第35話 二人を応援

 一緒に出る訳には行かないからとタツミは時間差で温泉から出ていた。ここで誰かが居れば何かしらの揶揄う言葉の一つも出るが、生憎とここには誰もいない。目的の人物が同じだからなのか、2人はそのまま弥生の元へと歩いていた。

 

 

「あら?2人とも一緒だったの?」

 

「ええ。そんな所です」

 

「折角なんだし、一緒に入れば良かったんじゃないの?エイジ達だって偶にそうしてるわよ」

 

 何気に暴露された言葉にヒバリは少しだけアリサに同情していた。何だかんだと一緒に行動するからなのか、いつまでも新婚気分が抜けきっていない部分がある為に、アナグラでは既にバカップルの称号が本人達の知らない所で認定されている。もちろん弥生とて人を見て話す為に、多少は何かの潤滑油代わり程度にしか考えていなかった。

 先程の言葉から考えれば、偶然とは言え、一緒に入った事は知られている可能性が高い。事実、弥生の言葉と投げかけられる視線には大きな隔たりが存在していた。

 

 

「それで要件って何ですか?」

 

「そうそう。ヒバリちゃんは知ってると思うけど、ここ最近はゴッドイーターの結婚が割と増えているの。で、極東支部としてはこれを機に着物以外の販売も考えてるのよ」

 

 弥生の言葉にヒバリは以前に見た他の支部と極東支部の人材の分布を見た事を思い出していた。

 ゴッドイーターと言えど人間である。お互いが認識すれば結婚だって可能性が無い訳では無い。ただ、それに伴う妊娠による部隊の低下は看過できないとのレポートが来ている事を知っていた。

 もちろん弥生も秘書である以上、その事実は知っている。それと今回の件がどう関係するのかは何となく想像が出来ていた。

 

 

「まさかとは思いますけど、ドレス関係ですか?」

 

「そうよ。今回は思い切ってウエディングドレスの販売を視野に入れようかと思うの。それで妙齢の人達には声をかけているのよ」

 

「あの、因みに誰が?」

 

「今の所はアリサちゃん達かな。後は他にも声はかけているけど、年齢の関係もあるからちょっと難航しているのが本当の所かな」

 

 弥生の言葉にヒバリは改めて極東支部の年齢層を思い出していた。クレイドルは問題無いが、恐らくサクヤは良くてもリンドウが嫌がるのは想像出来る。コウタとマルグリットは何とも言えない。ソーマとシオに関しては性格を考えれば論外だった。

 一方でブラッドも全体的には年齢はまだ低い。シエルとナナは論外で、リヴィも雰囲気的には行けるが、相手が誰なのかにもよるかもしれなかった。男性陣であればジュリウスかギルだけ。北斗とロミオは間違い無く対象外となっている。着物とは違い、年齢層を考えれば確かに厳しい事に違いはなかった。

 

 

「それが今回の要件なんですよね?」

 

「そうね。前向きに考えてくれると嬉しいかな」

 

「因みに相手は?」

 

「ドレスがメインだから男性陣は適当になると思うわ。それが嫌ならタツミさんでも良いわよ」

 

「え、俺もですか?」

 

「嫌なら良いわよ」

 

 何気に話が飛んできたからなのか、タツミはどこか困惑気味だった。決して嫌では無い。ただ、着るのであれば撮影ではなく実際にしたい。そんな気持ちが勝っていた。

 事実、タツミが弥生に相談しようと考えていたのはそれに限りなく近い内容。まさかそんな話が出るとは思わなかったからなのか、僅かに驚きの表情が出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね。私個人として答えれば良い?それとも支部としての言葉の方が良いかしら?」

 

 ヒバリとタツミは結局食事まで終えてから一旦はお互いが離れた状態で弥生と話をしていた。立場から考えれば、今のタツミの心情に一番相談に乗り易く、また何かをするにしても事実上、榊の許可と等しい部分がそこにあった。

 これまでの状況は弥生とて知っている。既にウエディングドレスの話が出ている以上、一番手っ取り早いと考えた末の相談だった。

 

 

「個人的な部分の方が有難いですかね。実際には俺が考えていてもヒバリちゃんがそう考えているかは分からないので」

 

「因みに聞くけど、ヒバリちゃんと具体的な話ってした事は?」

 

 弥生の言葉にこれまでの状況を思い出していた。エイジとアリサが式を挙げた際に、そんな事を口走った記憶はあったが、当時はまだ支部内が慌ただしい状況だった為に何時もの軽口の様な扱いを受けていた。

 しかし、当時と今は状況が大きく変わっている。既に支部内は聖域の事がある為に一部の部隊は苦労しているが、それ以外は完全に安定していた。当時と唯一違うのは自分が置かれた立場だけ。

 忙しさが今後も緩む事は可能性としては無い事だけは間違い無いからと、タツミは自分達の事を改めて考えていた。

 

 

「……まだ…ですかね」

 

「だったら一度お互い話したらどう?折角ここに来たんだし、一日位ならどうとでもなるわよ。タツミさんだって明日の午後までは余裕があるでしょ?」

 

「ええ。まぁ」

 

 各自のスケジュールを完全に把握しているからこそ出た言葉だった。確かに温泉で話した最後の方は今までと同じ様な空気になりつつあった。固さがなくなり何時もと変わらない。だからなのか、タツミは何か覚悟した様な眼で弥生を見ていた。

 

 

「そうだ。一つ聞きたい事があったんだけど、一部の噂でタツミさんは同じ部隊の娘と随分仲が良さげだって聞いているけど、本当なの?」

 

「仲が良いのかと言われれば何とも言えませんが、人間関係は円滑ですよ。実際にそうで無ければ部隊運営は出来ませんから」

 

「……タツミさんはそれで良いと思うけど、ヒバリちゃんはそう考えてるかしら?実際に些細な事で男女の仲は簡単に壊れる物なのよ。ヒバリちゃんが言い寄られている事知ってるでしょ?」

 

 弥生の言葉にタツミは改めてジーナから聞いた噂を思い出していた。その話は当時の自分と重なる内容。人聞きの為に実際にどんな状況だったのかは何も知らないままだった。

 それに対し、自分にまさかそんな噂が出ているなんて事は思ってもいなかった。嫉妬までは行かなくとも仮に自分が同じ立場だった場合、気持ちが良い物ではない。相手の事を思い過ぎた結果、不安にさせていた事を漸く理解していた。

 

 

「だったら、直ぐに話をしないと」

 

「話した所で、それで収まるの?」

 

 弥生の表情は先程とは違い真剣そのものだった。ヒバリは実質的にはオペレーター部門のトップとなっているだけでなく、任務中のゴッドイーターの精神的な支柱となっている。些末な男女間でその能力が発揮出来ないとなれば支部にとってはマイナスでしかない。だとすれば何をどうすれば良いのか。タツミが密かに計画している事を見透かしたかの様に弥生はタツミに話しかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確かにそうかもしれないわね。でも、それは私に話すんじゃなくて本人に確認してみたらどう?」

 

 タツミの話が終わると今度はヒバリとの話になっていた。弥生としても応援したい気持ちはあるが、エイジ達とは違い、状況はかなり異なっている。

 同じゴッドイーター同士とは違い、戦闘員と非戦闘員は案外と精神状態や環境が大きく異なる事が多く、確かに2人の関係は良好ではあったが、今回の様に離れる機会が多くなればなるほど心の内は揺らぎやすくなっていた。

 

 ヒバリの様に身持ちが固いのであれば特に気になる事は無いのかもしれない。だからと言って、それとこれは別問題。戦場の恋の様にお互いの精神状態が極限の中では、冷静になれる事が多く無いのも事実だった。

 特にタツミの立場は尤もその環境に近い。これまでに何度も部隊の危機を救った経験が多い事をヒバリ自身が一番知っている。

 オペレーターであれば部隊の状況確認は日常でしかない。ましてやヒバリ自身も何度かそんな場面に遭遇している。当時は安堵感でそれ以外に意識は向かなかったが、時間が経つ事によって改めて考えていた。

 まだタツミと付き合う前に本部で話を聞いた当時の状況に近い。そんな中での噂は何かを決定付ける可能性が高い事も理解していた。ヒバリからの相談はタツミから聞いたそれに近い物が存在していた。

 

 

「確かにそうなんですが、実際に顔を見ると中々……」

 

 何時もの様な溌剌した雰囲気は無かった。ヒバリとて人生経験がそう多い訳ではない。

 以前にアリサやエイジから相談された事はあったが、それはあくまでも自分には関係が無いから冷静になれる話でしかない。これが自分の事となると話は変わってくる。

 その結果、ヒバリが相談出来る人間となれば実質的には限られていた。

 

 

「参考までに聞くんだけど、今までもこんな事が何回もあったかと思うんだけど、どうして今回はそうなの?」

 

「色々と考える事があったので……」

 

 弥生の質問にヒバリの回答は歯切れの悪い物だった。そんなヒバリの様子を見て思いついたのは一つの可能性。今回のウエディングドレスの影響なんだろうとおぼろげながらに考えていた。

 

 

「確かに色々とあるわね。タツミさんも今晩はここに泊まる予定だから、ヒバリちゃんもどう?話す時間は多ければ多い程良いと思うわよ」

 

「でも、タツミさんの迷惑になるんじゃ……」

 

「ヒバリちゃんらしく無いのね。タツミさんがそんな狭い了見だったら、ここから叩き出すから大丈夫よ」

 

 弥生はウインクしながらヒバリに話す。いつもの調子に戻っただけでなく、自分の心の内容を吐露したからなのか、ヒバリはどこかスッキリとした様子だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「昨日はありがとうございました」

 

「私は何もしてないわ。2人で話した結果でしょ」

 

「でも、昨日よりはスッキリしましたので」

 

「私で良ければ相談にのらせてもらうわよ」

 

 2人は何かしらの話が出来たからなのか、明るい表情で屋敷の門から離れていた。お互いが思い過ぎた結果なのか、それともお互いの連絡が足りなかったからなのか。原因は大よそ見当が付くも、恐らくは何かしらのキッカケが一気に進む可能性だけは残っていた。

 それと同時に、タツミと話した際に感じた決意。だとすれば何かしらの刺激になるだろうと考えたのか、弥生はとある所へと連絡を入れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうね。私としては問題無いわよ。相手も居ないし折角着れる機会があるなら良いかもね。因みに他には誰に?」

 

「今の所はアリサちゃん達だけですかね。それ以外だとサプライズがあるかもって所ですね」

 

 モデルとして打診していたジーナから快諾の返答が得られた事で弥生は珍しくホッとしていた。特に今回に関してはアリサだけでも出来ない事はないが、やはり色んなケースが会った方が結果的にはバリエーションが増える事になる。

 良くも悪くもアクが強いキャラクターは何かと引き立たせるには都合が良かった。ジーナから出た条件は眼帯はそのままにだけ。元からそれは想定していたからこそ、条件に関しては何も言う事は無かった。

 

 

「それってタツミとヒバリの事かしら?」

 

「ご存じでした?」

 

「ええ。実際に私もタツミの事は焚き付けた側だしね。折角こんな機会があるんだから活かさない手は無いと思うんだけど」

 

「そうですね。私としても今回の件は本当に偶然でしたので。これを機に少しは良くなると良いですね」

 

 ジーナも予測していたからなのか、弥生との会話は随分とスムーズに進んでいた。元々ヒバリの状況を教えたジーナとしても、そろそろアクションを起こさないと、長すぎる春ではないが、ズルズルと続けるのは厳しいと考えた結果だった。

 これまでにもゴッドイーター同士で付き合うケースは多いが、全員が必ず上手く行く訳では無かった。万が一別れた際には部隊が違えば大きな問題は起きにくいが、タツミの場合は、確実にヒバリと会うケースも多く、また立場的には上手く行ってくれた方が何かと有難かった。

 一緒になればなったで面倒な事はあるだろうとは思うが、自分が焚き付けた以上それ位の迷惑は甘んじて受けても良いだろう。そんな事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?それってどう言う事ですか?」

 

「すみません、こちらの手違いで……この差額に関しては此方の落ち度なので頂きませんので」

 

 メールを確認したタツミはとある店で頼んだ物を受け取りに足を運んでいた。元々頼んだ物はデザインリング。暫くの間会う事が出来なかったのと、当時はまさかこんな状態になるとは思わなかったから何気に頼んだはずの物だった。

 確かにデザインリングとしても若干シンプルだとは感じたが、ヒバリがどんなデザインが好みなのかが分からなかった為に無難な物を選んでいた。しかし、店頭に受け取りに来て見たそれは、明らかにデザインリングではない。寧ろシンプルな中にもどこか豪華な感じのそれは事実上の結婚指輪に近い物だった。

 

 タツミとしてもいつかはと言った感情はあるが、それが今なのかと言われれば安易に返事が出来なかった。まだヒバリには何も言っていないと言うのが最大の理由。先だっても自分の後で弥生と何か話しをしている事は知っていたが、結局は何も分からないままだった。

 本来であれば、その差額で同じ物がもう一つ作れる様な金額。とてもじゃないが、間違いでしたと言われて素直に頷ける程タツミは楽観的な性格では無かった。

 

 

「はぁ……でも、これってシルバーじゃなくてプラチナですよね」

 

「ええ。どうやら発注書の不備があったのが原因の様です。既にこちらとしても受け取って頂ければありがたいですね。どうしてもと言われれば、改めてお作りしますので」

 

 店員の言葉にタツミは改めて考えていた。間違いとは言え、こちらが頼んだ物に比べれば、遥かに高額な物に違いない。売却するつもりは毛頭ないが、何かしら使える可能性の方が高い。そんな考えが見えたからなのか、タツミの表情を見た店員は申し訳ない様な表情はしていなかった。

 

 

「いえ。これはこれで購入しますので。ですが、その差額は支払います」

 

「いえ。私どもの手違いをお客様に押し付ける様な真似は出来ませんので。当初の金額で購入して頂く。そう言っていただければ助かります」

 

 どこか納得がいかないまでも、自分が損をした訳では無い。後々の事を考えると渡に船かもしれない。そんな妥協めいた物があったからなのか、タツミは店員の表情を見る事は無かった。

 

 

 

 

 

「ええ。はい。その様にさせて頂きましたので……いえ。我々としてもあの程度であればお安い御用です」

 

 店員はタツミが店から離れた事を確認すると、すぐにとある人物へと連絡をしていた。当初持ち込まれた話にどこかいぶかしく思う部分はあったものの、詳細を聞くにつれ、今回の横槍とも言える依頼を引き受ける事にしていた。

 元々今回のイベントの件に関しては既に協賛しているだけでなく、一部の商品は事実上の宣伝になるからと、そのまま応諾していた。タツミとヒバリが知らない部分では着々と外堀は埋められていく。当人達が気が付かないまま、撮影の当日を迎える事になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は宜しくお願いします」

 

 いつもの広報誌で慣れているからなのか、今回の参加者は特に気になる様な部分はどこにも無かった。

 初めの頃は何かと緊張するケースもあったが、既に数える事すら不要だと言わんばかりに撮影をされた事によって誰もが気にする事なく撮影は開始されていた。これまでに用意されたウエディングドレスを数点着替えていく。今回の参加者が思ったよりも少なかった事もあってか、撮影には思った以上に時間がかかっていた。

 

 

「まさか貴方が受けるなんて、どんな風の吹き回しかしら?」

 

「俺が受けたのは、今回の件で報酬が出るからだ。で無ければ態々こんな場所に来る必要は無いからな」

 

「あら?報酬なんて出るの?」

 

「厳密にはそうでないかもしれないが、今の俺にとっては同じ様な物だ」

 

 ジーナの視線の先にはカレルが珍しく白いタキシードを着て準備をしていた。元々カレルの元にも依頼は来ていたが、面倒事に首を突っ込む様な真似はしたくないからと拒否していた。

 

 しかし、些細な事から状況は大きく変わっていた。カレルが経営する病院にはこれまでに無い程の患者が殺到していた。患者が来れば病院としては経営的には有難いが、それと同時に困った事も出ていた。いくら神の手と呼ばれる医者だとしても肝心の薬が無ければ話は進まない。増大する患者に対し投与出来る薬は限られていた。

 薬効を考えれば安易に減らす事は出来ない。下手に耐性を持たれると、今度は治療そのものが困難になる可能性が高かった。

 そんな中で弥生から提案された内容はカレルにとっても拒否する必要が無かった。いくら大金を積もうが、一般に出回る薬そのものはそう多くは無い。ここで非合法な薬を使えば今度は治療そのものが出来なくなる可能性もある。まるで謀ったかの様に窮地に差し出された弥生の提案はカレルにとってはまさに魅力的な物だった。

 

 

「なるほどね。身を挺してやってるって訳ね」

 

「俺がこんな物に出るだけで融通してくれるのならば安い物だ。今のご時世、金だけではどうしようも無い事の方が多いからな」

 

 ジーナとカレルの前に映る光景はアリサとエイジが数点の衣装を変えながら撮影している様だった。既に一度は来ている為に随分と手馴れている様にも見える。だからなのか、その表情には余裕が感じとられていた。

 

 

 



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第36話 想いを寄せて

 撮影は当初の予定を大幅に超えた時間を要していた。既にアリサ達やジーナ達の撮影は終わり、残す所はタツミとヒバリだけとなっていた。

 当初はどうしたものかと考えはしたものの、自分が考えている事をそのまま言う訳にも行かず、また、ヒバリからも今回の話に関しての話題が殆ど出る事は無かった。

 万が一の事も考え、用意された物に視線を動かす。青い天鵞絨の箱の中身は例の物が鎮座している。本当に良いのだろうか。確かに最近になってから時間が巻戻ったかの様にヒバリと話をする機会は格段に多くなっていた。しかし、それとこれでは話は大きく変わってくる。確かに一緒になってそれなりの時間を過ごした自負はあっても、それはあくまでも自分が勝手にそう考えているだけの話。今回の件は弥生からも言われた様に一つのキッカケでしかない。だからなのか、本当にこれで良いのだろうかとタツミは珍しく考えていた。

 

 

「タツミさん。そろそろ花嫁役の方の準備が終わりますので、お願いします」

 

「あ、はい。分かりました」

 

 撮影スタッフから呼ばれた事で、漸く現実へと意識を戻す。既にそれなりの時間が経過したからなのか、タツミは何気に用意した箱を目立たない様に上着のポケットに入れ、撮影に望んでいた。

 

 

「あの、どうですか?」

 

「あ、ああ。綺麗だよ」

 

 ヒバリの言葉にタツミはありきたりな返事しか出来なかった。これまでにもドレス姿を見た事はあったが、やはり純白のドレスに関しては今までのイメージを大きく凌駕していた。

 純白の謂れは貴方の色に染まりますと言う意思表示。これからどんな色に染まっていくのかを考えたタツミの理性は徐々に崩壊し始めていた。以前に何かの話の流れでリンドウから当時の状況を聞いた記憶が蘇る。普段は無頓着なリンドウでさえ、サクヤを見た瞬間は純粋に綺麗だと聞かされていた。改めて目の前に居るヒバリを見る。世界中の誰よりも綺麗だとタツミは考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい。こちらに目線お願いします」

 

「男性のが女性の腰の部分を抱く様にくっついて下さい」

 

 次々と出る指示にタツミだけでなく、ヒバリもまた言われるがままに動いていた。既に撮影には慣れたとは言え、やはりウエディングドレスの威力は大きい。何時もとは違う雰囲気だからなのか、お互いが少しだけ照れながらもカメラマンの言われる通りに動いていた。

 既にかなりの点数になったのか、2人も疲労の色が見え始める。肉体的には問題無くても、精神的にはやはり慣れないからなのか、どこか疲れが滲んでいた。

 

 

「これでラストです」

 

 カメラマンの言葉と同時に数回のフラッシュがたかれ、そのまま撮影は終了していた。

 気が付けばアリサやジーナ達は着替えているからなのか、そこに姿は見当たらなかった。気が付けば他のスタッフも撤収準備をしているからなのか、誰もタツミ達にまで意識が向いていない。事実上の2人だけの空間は先程までの疲れ以外にどこか重苦しい空気が流れていた。

 

 

 

 

「今日は疲れましたね」

 

「ああ。広報誌とはまた違った緊張感があったかな。暫くはもう良いや」

 

「ですね。私も少し疲れました。色が色ですから汚さない様に気を使うのも大変ですし」

 

 そう言いながらヒバリは改めて自分の来ているドレスを眺めていた。遠目から見れば白の一色だけだが、いざ着てみるとその違いはよく分かる。パーツごとに同じ白でもその度合いが微妙に違っていた。

 生地の違いで変わる色使いは動く度に色んな一面を見せていた。アリサが着ていたドレスはその最たるもので、、一歩一歩歩く度にさざ波の様に動くドレープは確実に画像では言い表す事が出来ない。ヒバリも同じ様な仕様にはなっているが、やはり素材やデザインの違いからアリサの様にはなっていなかった。

 

 

「あのさ、ヒバリちゃん」

 

「何ですか?」

 

「今日って、ドレスだけだったけど、小物とかって撮ってないよね?」

 

「そう言えば、そうですね。でもどうして何でしょうか?」

 

 今回は元々ドレスと小物類がそれぞれセットとなって撮影するはずだった。花嫁を目立たせる為の材料でもある小物類はリングやイヤリングなど多岐に渡る。事実、アリサとジーナはイヤリングやリングを見に付けていた。

 ヒバリも撮影に意識が向き過ぎたからなのか、当初に感じた違和感はそのまま忘却の彼方へと向かっている。改めてタツミから言われた事によって、その疑問が再び浮上していた。

 

 

 

 

 

 ヒバリが疑問を呈した所で、タツミの内心はドキドキしたままだった。元々今回の撮影の際にはリングが用意されていたが、事前に見たからなのか、タツミはそのリングをキャンセルしている。

 当初は断られるかと思われたものの、アッサリと了承された事によってそのまま撮影となっていた。もちろん、事前にそうなるであろう可能性をカメラマンは聞かされていた為に、タツミがどんな思いを持って言ったのかまでは分からない。

 しかし、カメラマンもその道のプロである以上、こんな場面で決意を秘めた視線を向ける以上、野暮な真似をするつもりは毛頭無かった。だからこそ、その思いを汲む為に快く了承していた。完全に撤収準備に入ったのか、背景の映像はそのままになっている。誰も居ない今だからこそタツミは自分の気持ちとばかりにありったけの勇気を振り絞っていた。

 

 

「実はさ……リングとかは元々あったんだよ。でも、俺が止めたんだ」

 

「………」

 

「ヒバリちゃんのドレス姿……すっごい綺麗でさ。俺……」

 

 タツミの様子が何時もとは違う事は直ぐに理解出来ていた。ヒバリの知る限りタツミのこんな表情は今までに見た事が殆ど無い。もちろん、この衣装を着て小物類をタツミが止めたとなればヒバリとて何を意味するのかは理解出来る。だからなのか、言葉に詰まるタツミの手をヒバリは優しく握っていた。

 慈愛に包まれた笑顔にタツミは更に言葉に詰まる。これまでにも何度もヒバリの笑顔を見てきたが、こんな表情のヒバリは見た事が無い。まるで応援している様にも見えたからなのか、タツミは改めて自分の気持ちを言葉にしていた。

 

 

「俺……ヒバリちゃん。いや、ヒバリ。俺と結婚してほしい」

 

 言葉と同時にタツミはポケットにあった青い天鵞絨の箱をヒバリの前に出し、頭を下げていた。これまでにも何度も軽口の様に出た言葉ではなく、自分の身の丈にあった言葉で思いを告げている。

 本来であればヒバリの顔を見て言うのが一番だが、今のタツミにとって、ヒバリがどんな表情をするのかが怖くて見る事が出来ない。言ったまでは良かったが、ヒバリからの返事は何も無いままだった。

 頭を下げてからどれ程の時間が経過したのか、タツミは徐々に怖くなっていた。アラガミと対峙した時でもこうまで恐怖心に襲われる事は無かった。事実、ここで断られれば立ち直る事は出来ない。ひょっとしたら任務中にアラガミに捕喰されるかもしれない程に自身の平常心を保つ事は出来なかった。時間と共に返事が無い。タツミは恐る恐る顔を上げていた。

 

 

「ヒバリちゃん?」

 

 タツミの視線の先には双眸から流れる涙に言葉を告げる事が出来ないヒバリがいた。何時もの様な笑顔でも無ければ、仕事をしている時の様な真剣な顔でも無い。色んな感情が入り混じった様な表情のまま、ただ涙を流していた。

 

 

 

 

 

「俺と結婚してほしい」

 

 この言葉を聞いた瞬間、ヒバリはこれまでの事を思い出していた。最初は些細なキッカケだったのかもしれない。もちろん、当初は気にもせず、ただうっとおしいとさえ思っていた。

 

 しかし、幾度となく極東の危機に対し諦める事無く戦い続け、時には自身の命が無くなる寸前にまで追い込まれた事もあった。自分が出来る事などたかが知れている。戦闘員に対し、非戦闘員が出来る事など無に等しいとさえ思っていた。そんな中でタツミへの感情がゆっくりと育って行く。

 もちろんヒバリとてアリサの結婚式を見て羨ましいと感じる部分も確かにあった。当時は勢いそのままで言われた為に、こちらも軽く返した。しかし、今のタツミの真摯な言葉は何の打算も無く、ただ自分の心の内をさらけ出していた。

 

 それと同時にこれまでの事を改めて思い出す。そんなタツミに対し自分はどれ程の事が出来たのだろうか。一時期タツミと仲が良いと噂を聞いた瞬間、ヒバリの心の中では色んな葛藤があった。

 決して蔑ろにした訳ではないが、やはりお互いがすれ違っていると感じていたからこそ弥生の協力でお互いがゆっくりと話をする機会が設けられた。話せば話すほど自分はやっぱり好きなんだと感じていく。本当の事を言えば今回の撮影の後でヒバリからタツミに対し、具体的な話をしようかと思った矢先だった。

 そんなタツミの言葉がヒバリの心をゆっくりと包み込んでいく。気が付けば無意識の内に流れた涙が止まる事は無かった。

 

 

 

 

 

「タツミさん。一つだけ聞きたい事があるんです。本当に私なんかで良いんですか?」

 

「ああ。ヒバリちゃん以外の誰かを好きになる事は無いさ」

 

「私、こう見えて嫉妬深いですよ」

 

「愛されてる証だろ」

 

「私よりも綺麗な人なんて沢山居ますよ」

 

「別に見た目だけで決めたつもりは無いから」

 

 それ以上の事は言わせないとタツミはヒバリを抱きしめていた。小刻みに揺れているのは何かしらの感情が高まっているからなのか、それとも他の何かがあるのだろうか。今のタツミにヒバリの心情を理解する事は出来ない。だからなのか、タツミは改めてヒバリに言葉を告げていた。

 

 

「他の誰よりも愛している」

 

 そう言いながらヒバリの唇に柔らかく自分の唇を重ねる。改めて持っていた箱をそのままヒバリに見せていた。

 

 

「これ、思い切って用意したんだ。今回の件があった訳じゃ無いんだけど、やっぱり何も分からない物よりも自分の用意した物を見に付けて欲しいんだ」

 

「はい。こんな私で良ければお願いします」

 

 ヒバリの言葉にタツミは改めて用意したリングをヒバリの左手の薬指にはめていた。

 元々こっそりとサイズを図っていたからなのか、ヒバリの指に設えたかの様にはまっていた。

 

 

「私からお願いがあります。私の事は呼び捨てにして下さい。タツミさんの……妻になるのにいつまでもそんな呼び方はちょっと……」

 

 涙の痕がメイクを少しだけ汚していた。元々泣くつもりは無かったからなのか、ウォータープルーフのファンデーションではない。崩れたメイクは本来であれば見せるべき物では無い。しかし、今のヒバリはこれまでに見たどんな表情よりも綺麗だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2人の空気がこのまま続くかと思った瞬間だった。これまでの緊張感に包まれた空気は一瞬にして崩れ去っていた。誰も居ないはずの空間に幾つもの拍手の音が重なっている。気が付けばアリサだけでなくジーナやリッカの姿がそこにあった。

 その後ろには弥生と先程まで撮影をしていたカメラマンの姿がそこにあった。

 

 

「え……何…これ……」

 

 ヒバリの言葉はタツミもまた同じだった。誰も居なはずの空間に気が付けば先程まで居なかったはずの人間がそこに居る。しかも一緒に撮影していた衣装は既に純白ではなく、色がついたカクテルドレスや着物姿だった。この場に居ないはずのリッカでさえもしっかりとドレスアップしている。突然の状況に2人の理解は追い付かないままだった。

 

 

「実は今回の件でタツミさんとヒバリちゃんが上手く行ったらそのまま式を続けようかと思ったのよ。折角お膳立ても出来てるんだし、問題無いわよね」

 

 弥生の言葉に周囲の景色は一変していた。撮影の際にはスクリーンで隠れていたが、それが落とされると既に準備は出来ていた。気が付けば部屋にはそれ以外の人間が続々と入ってくる。誰もがタツミを慕う者ばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうやら上手くいった様ね。そろそろ準備に入りましょうか」

 

 弥生はモニターの先で2人の様子を眺めていた。幾ら秘書はと言え、プライバシーは配慮しているからなのか、音声までは拾っていない。何となくでもお互いの表情を見ればそれがどんな結末を迎えるのかは理解していた。

 屋敷でお互いの話を聞いた際にはお互いが同じ考えを持っていたまでは良かったが、距離が空き過ぎた事もあってか距離感が分からない状態になっていた。

 

 タツミに関しては裏から手を回した結果が実を結んでいた。今回の結末を元々予定していた訳では無い。事実、弥生の立場からすればお互いがどんな気持ちがあったとしても、こちらからは何も出来なかった。

 エイジとアリサの時にはお互いが既に気持ちが一つになっていた為に特に気にする様な部分は無かった。もちろん身内だから何となくでも理解出来る。しかし、この2人に関しては何とも言えない部分も少なからずあった。

 戦闘員同士とは違い、お互いの立場が違う。ましてやヒバリの立場はそれを知ってなお、そんな判断を下す事が可能なのかが最大の要点だった。

 

 

「でも、上手く行って良かったんじゃないの?」

 

「あのタツミにしては上出来だな。これで多少は暑苦しさも無くなるだろうな」

 

 ジーナだけでなく、カレルもまた先程の純白の衣装から砕けた礼装に着替えていた。

 既にモニターの向こうではお互いが指輪をはめている。だからなのか、背後から来たブレンダンとシュンの存在を知ってはいたが、敢えて何も言う事は無かった。

 

 

「しかし、結末がこれならば俺達も安心だな」

 

「タツミも漸くかよ。一体どれだけ時間がかかれば気が済むと思ってるんだよ」

 

「あら?シュンも羨ましいのかしら」

 

「ち、違ぇよ。俺はまだそんな事を考える暇は無いんだよ」

 

「なんだ。まだ借金の返済が終わってないのか?」

 

「んな訳無いだろ!完済したに決まってるだろ」

 

 モニターの向こう側では未だタツミとヒバリがくっついたままだった。このまま放置しても良いが、今後の事を考えればそれは得策では無い。背後で楽しく話す防衛班の面々を尻目に弥生はアナグラ全館に伝わる様に放送を開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが極東のやり方なのか。中々感慨深い物だな」

 

「それは無いぞ。実際にエイジさんとアリサさんの時はこうじゃなかったからな」

 

 放送を聞いた瞬間のアナグラの中では色んな感情が渦巻く声が沸き起こっていた。古参の人間であればやれやれと言った部分が多かったが、何も知らない新人や中堅にとっては驚愕以外の何物でも無かった。

 戦場での頼りになる存在でもあるオペレーターの中でヒバリの存在が群を抜いている。

 冷静沈着なフランや、まだ危うい部分があるがどこかほっこりとするウララの存在よりもヒバリの適格な指示が群を抜いている。何も知らない人間からすれば寝耳に水の放送に涙した者も居た。

 そんな中でブラッドの面々もまた突如起こった放送にどこか漸くかと言った部分があった。普段はフランが多いブラッドも、時折他のメンバーと組んだ際に聞くヒバリのオペレートは安心感が漂っている。ヒバリとの関係も知っていたからなのか、どこか納得した部分があった。

 

 

「確か、白無垢とウエディングドレスだったよね。あれ?確か今回そんな撮影があったんじゃなかった?」

 

「そうでしたね。確かそんな話がありましたね。我々は年齢的に若すぎるからとは言われましたが」

 

「そうなのか?確か極東のルールだと女は16から出来たと聞いてるが?」

 

 ナナとシエルの言葉にリヴィは以前に弥生から聞いた記憶があったのか、改めて口にしていた。理論上はそれでも可能だが、実際にそうなのかと言われればやはり躊躇していた。

 事実若年の結婚はそう多くない。アリサとて18の時だった記憶があったからなのか、シエルとナナは当時の事を思い出していた。

 

 

「確かにそうですけど、中々そんな年齢で結婚なんて考えにくいですよ」

 

「だが、相手がいればそんな可能性はあるんじゃないのか?」

 

 リヴィの言葉にシエルもそれ以上の言葉を告げる事は出来なかった。今回の件だけではないが、相手がいればそれなりにの立場であれば可能性が無い訳ではない。しかし、今のブラッドにそんな話は無かった。

 普段の任務だけでなく農業にも勤しむ以上、そこまで考えている余裕は無いままだった。

 

 

「でもさ、タツミさんとヒバリさんの結婚式をやるって事は特別な料理が出るのかな?」

 

「そう言えばラウンジでエイジさんが何かやってたな」

 

「なるほどな。ナナは色気より食い気って事か」

 

「ギル。言っておくけど私だってそれなりに関心はあるんだよ」

 

 ナナの言葉にギルが僅かに気圧されていた。分かり易い程の圧力にギルは僅かにたじろいでいる。何か地雷を踏んだと感じたのか、ギルはそれ以上の言葉を口にする事は出来なかった。

 

 

「何にせよ、ナナがそうなった際にはブラッドの皆で盛大に祝おうじゃないか」

 

「それ本当!何だか楽しみ」

 

 ジュリウスの冷静な言葉に誰もが呆気に取られながらも、状況を理解したからなのか、思わず笑みが零れてた。

 

 

「で、俺達はこれからどうするんだ。弥生さんからも連絡が来てるが」

 

「そうですね。北斗はどうするつもりですか?」

 

「俺は参加する。ジュリウスはどうするんだ?」

 

「勿論、参加させてもらう。こんな機会は中々無いからな。折角だ。皆もどうだ?」

 

 北斗とジュリウスの言葉に異論を挟む者はいなかった。以前に見たエイジとアリサの式を見た際には何か心に響く物があった。あの感情が何なのかは口にするまでもなく自分達も一人の人間であり、これまでやって来た結果が身を結んだのだと感じていた。

 だからなのか、それぞれが着替える為に自室へと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジ。良かったですね」

 

「ああ。一時期はどうなるかと思ったけどね」

 

「何時から知ってたんですか?」

 

「聞いたのは最近だよ。ただラウンジに居ると色んな話が聞こえて来るからね。今回の件は何となく聞いてたんだよ」

 

 ラウンジの噂を聞いていたエイジは心中複雑だった。コウタの時もそうだが、ヒバリの時も何かと話を聞いている。ラウンジでの話を他で言うのは完全なマナー違反。それがどんな結果をもたらすのかを考えれば、安易に口にしないのは鉄則だった。

 人の噂に戸は立てられない。だからこそ自分が迂闊に口にする訳にはいかなかった。

 

 

「後はリッカさんだけですね」

 

「コウタの事は良かったの?」

 

「コウタはまぁ……あれですから」

 

「中々手厳しいね」

 

 そんなアリサ達の会話を他所に、撮影の衣装をそのままにヒバリは改めてメイクをし直していた。赤い絨毯の上を歩くその姿は何時もの2人では無かった。参加者の多さは人望が厚い2人が今まで歩んできた結果。その姿は幸福に包まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒバリさん。やっぱり綺麗でしたね」

 

「そうですね。タツミさんには勿体無い様な気もしますが。現に涙した人は多かったみたいですよ」

 

 2人の式が終えてから幾日が経過していた。突貫ではあったものの、事前に準備した事が功を奏した形となり、結果的にはエイジとアリサの時と同様に盛大な物となっていた。そんな当時の記憶が蘇ったのか、フランとテルオミは当時の事を話していた。

 

 

「あれ?ヒバリは休憩?」

 

「はい。今は小休憩ですね」

 

「テル君はあれ見た?」

 

 リッカの言葉にテルオミが何の事なのか記憶に無かった。実質ドレスを見る男性陣はそう多く無い。精々が何か違う用途で手に入れる位の可能性しか無かった。そんな中でリッカの手にあったのは例のカタログ。それを見たテルオミは漸くリッカの言葉の意味を理解していた。

 

 

「これは……中々の出来ですね」

 

「多分ヒバリは知らないと思うよ。私もさっき見てびっくりしたから」

 

「なるほど。タツミさんなら確実に手にしてそうですね」

 

 フランとテルオミはリッカが持ってきたそれから視線が動く事は無かった。表紙こそ極普通だが、中身は確実にタツミとヒバリの事がメインだと言わんばかりの写真が掲載されている。まだ目にしていないからなのか、ヒバリが戻ったらどう言おうか。そんな空気がロビーには漂ってた。

 

 

 



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第37話 映像化

 怪しさの中にどこか美しさを兼ね備えたアラガミは、まるで周囲の事など気にするつもりもなく猛毒をまき散らしながら漂っていた。

 既に数多のゴッドイーターを撃退したからなのか、新たな増援が来ようともまるで意に介さないとばかりにその存在を無視している。これまでと何も変わらない。そんな考えがあったかどうかは分からないが、今の状況は正にそれに近い物だった。

 自分の庭を歩くかの様にゆっくりと移動している。何時もと変わらないはずの日常。そんな空気が漂っていた。

 

 

「目標を発見しました。周囲に他のアラガミの姿は見当たりません」

 

《了解。シエルはもう少しだけその場で待機してくれ。こちらは現在移動中。射程距離は大丈夫か?》

 

「はい。こちらの有効射程距離にはまだゆとりがあります。万が一の際には発砲します」

 

《了解。なるべく早くそちらに行く》

 

 シエルは通信機越しに聞こえる北斗の声に改めて今回の作戦概要を思い出していた。

 元々、このミッションはブラッドが請け負った物では無かった。他の部隊が討伐の為に戦闘を開始したまでは良かったが、従来のサリエルとは違っていたからなのか討伐は思ったよりも手こずっていた。

 そんな中で近隣のミッションを終えたブラッドが応援要請を受けるべくこの地に来ていた。既に負傷した部隊の人間は北斗とジュリウスが保護に向かっている。下手に逃すよりもとシエルの狙撃を中心として作戦が立案されていた。

 未だこちらに気が付いていないからなのか、サリエルはゆっくりと移動を続けている。先程の通信から既に時間は5分が経過している。本来であればどこに移動するのかすら分からないが、幸か不幸か動く気配は無かった。

 

 

《シエルさん。今回の作戦ですが、気にせず何時もと同じ様にやって下さい。拙いと判断した場面はこちらで処理しますので》

 

「了解しました。私は何時もと同じ様にさせて頂きます」

 

 北斗ではなくフランからの通信にシエルは平常心のままだった。元々予定していなかったミッションであると同時に、今回はブラッドの戦闘を映像に残す事が事前に知らされていた。

 ミッションに関しては、余程の事が無ければ映像に残す事は殆どない。戦闘時の内容を確認するのであれば、コンバットログを見れば一目瞭然。にも拘わらず、今回はアナグラからも距離が近い事もあってか映像で残す事はが決定していた。

 

 

《シエル。こちらの準備は完了した。何時でも行けるぞ》

 

「はい。では5秒後に発砲し、任務を開始します」

 

 短い通信にシエルは改めてサリエルに向かってアーペルシーを構えていた。狙うはサリエルの頭部。ヘッドショットし、落下した所を一気に叩く作戦だった。距離はまだゆとりもあり、他の妨害も無い。既にシエルの視線は微動だにする事無くそのまま引鉄を引いていた。

 一発の銃弾が狙い通りサリエルの頭部に命中する。突然の衝撃によりサリエルはそのままゆっくりと地面に向かって落下していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の戦闘をですか?」

 

《はい。アナグラの周辺だと言う事もありますが、今後の何か役に立つかもしれないからと榊支部長からの要請です》

 

 緊急時案とあってか、周囲の状況はどこか騒めく部分が通信越しに感じていた。元々支部の近隣にアラガミが接近する事は頻繁ではないが、それなりに数があった。

 防衛の為に巡回しているも、全部に目が届く訳では無い。時折そんな防衛ラインを掻い潜るかの様に数体のアラガミが接近する事があった。今回もそんな事態に備え部隊が派兵されていたが、予想外の個体だったからなのか帰投の序でとばかりに任務が更新されていた。

 そんな中での、戦闘時を映像に残す話はこれまでに無い経験。通常の任務と同じ様にこなす事が出来れば問題無いと言われていた。

 

 

「北斗。俺達がやるべき事はアラガミの討伐だ。だとすれば映像で残したとしても何ら問題無いだろう」

 

「そうですね。我々は役者ではありませんから、何時もと同じ様にするだけです」

 

「ジュリウスの言う通りだ。今は余計な事を考えない方が良い。下手な先入観は危険だ」

 

 ジュリウスの言葉に同調するかの様にシエルとリヴィも同じ返事をしていた。元々北斗としても映像の残すから特別な事をするつもりは毛頭無い。だからなのか、他の3人の返事をそのまま了承した形を取っていた。

 手元に送られてきているデータはサリエルのそれだが、やはり幾つもの部隊を退けただけあって他の個体よりも強固な物に映っていた。

 

 

《データでも記載されていますが、今回のサリエルはこれまでの個体よりも強固になっている可能性が高いです。変異種とまでは行かないにせよ、このまま放置すればそうなるのは時間の問題だと思われます》

 

 フランの通信を聞きながら全員が改めて情報を共有する。見た目はそのままだが、中身は大幅に違う。変異種とまではいかなくても苦戦するのは間違い無かった。移動中のヘリがゆっくりと作戦領域にまで近づいていく。既に全員の心の中に映像の話は消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 予想外の襲撃を受けたサリエルは予定通りヘッドショットを受けた事により、力なく落下してきた。既にシエル以外の3人は落下地点で待ち構えている。大きく開く咢はサリエルの胴体部分を捕喰していた。

 全身に力が駆け巡るかの様に自身の身体がうっすらと燐光している。バーストモードに突入してからの行動は迅速だった。

 幾ら強大な力を持ってしても、足場の無い空中ではどうしても力が入り切らず攻撃そのものが漫然となりやすかった。もちろんその辺りは技術で何とか出来る事も多いが、やはり普段よりも落ちるのは否めない。だからこそ今回の作戦は落下した瞬間に最大の攻撃を持って一気に決める方法が取られていた。

 

 どれ程の状態なのかは分からないが、今のサリエルがヘッドショットだけでこのままの状態になるとは思えない。理想は討伐だが、今はそれよりも先に結合崩壊を起こす事によって多大なダメージを与える事を優先していた。

 ジュリウスの独特の構えから放たれた斬撃は疾走と同時に幾重にも重ねられている。自身のブラッドアーツでもあるそれがサリエルの生体部分の脆い部分を破壊していた。一度の攻撃で幾度となく与える攻撃は初めて見た当時は驚きもしたが、既に何度もミッションを重ねれば目新しさは何処にも無い。短時間で最大限の攻撃をする際のブラッドアーツはまさに短期決戦に相応しい攻撃だった。

 そんなジュリウスに負けじとばかりに、リヴィも大きく跳躍しながらサーラゲイトの刃をひっかけるかの様にサリエルの下部から一気に上へと振りぬいていた。怒涛の連続攻撃は止まる事を許さない。既に北斗も準備をしていたからなのか、剣閃とも取れる斬撃を繰り出していた。

 

 

「中々の攻撃ぶりだね。やっぱりブラッドアーツの恩恵は思った以上に大きいみたいだね」

 

「ですが、あれはブラッドだけが使える物ですから、参考にはならないかもしれませんね」

 

「確かに。事実あの後で開発したP66偏食因子の適合はまだ見られないんだ。実際にどんな効果が発揮するのかすら不明だからね」

 

 ブラッドが戦闘を開始し、既にそれなりの時間が経過していた。用意周到に練られた作戦は目論見通り最大限の効果を発揮していた。シエルの一撃から開始された戦いは今の所、一方的な展開となっている。瞬時に幾つもの部位が破壊されたからなのか、サリエルの姿は何時もとは異なっていた。

 既に麗やかな上半身は何度も切り付けられたからなのか、斬撃の痕が残されている。一部のコアなファンの中にはその美しさを一目見たいと行動し、その結果ゴッドイーターが救援に向かっているケースが多々あった。

 そんなサリエルの上半身も北斗が放った斬撃により、両腕は斬り飛ばされ欠損状態となっている。既にこの時点で勝敗は決している様にも見える。しかし、油断する事は一切無かった。それはただの生命体ではない。人々を喰らうアラガミだからこそ、集中を切らす様な事はしなかった。

 

 

「さてと。後の事は僕がやっておくから、サクヤ君はブラッドに今回の趣旨を伝えておいてくれるかい?」

 

「了解しました」

 

 既に画面の向こう側ではサリエルの討伐任務も佳境に入っていた。サクヤとて、今は戦場に出る事はないが、3年前までは第1部隊の副隊長として戦場を駆け巡っている。そんな経験があったからなのか、血の様にオラクルを噴出しながらも辛うじて動いているサリエルの討伐任務が終わるであろう事を理解していた。

 一方の榊もこの状態でブラッドが何かミスをするとは思わなかったからなのか、既にロビーから姿を消し去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど。そんな事情があったんですね」

 

「確かにこれだけでもかなり分かり易いのは間違いないんだ。ただ、いつもの様な内容じゃないからね。折角君達が居るならば利用しようかと思ったんだよ」

 

 緊急のミッションを終えた北斗達はサクヤから聞かされた今回の件についての確認をしていた。そんな中でブラッドが見たのはドイツ支部で討伐したハンニバル種との戦いを記録した映像だった。

 一部では変異種の噂は出た物の、それがどんな能力を持っているのかはブラッドも知りえない。未だ更新されていないのは、今後の状況を見ての判断だった。

 神速とも取れる捕喰者の存在は厄介以外の何者でもなかった。事実、ドイツと極東以外でこんな場面を見る機会は早々ある物では無かった。

 瞬時に距離を詰めると同時に、その剛腕から繰り出す攻撃は既にゴッドイーターの反応速度から大きく逸脱している。そんな攻撃を意図も簡単に回避しているエイジの様子は北斗だけでなく、ジュリウスやリヴィも驚愕の表情を浮かべていた。

                                        

 この映像から分かるのはアラガミの個体よりもクレイドルの攻撃のイメージが強烈な事だった。何事も無かったかの様に回避しているだけでなく、エイジの行動をフォローするかの様にアリサのレイジングロアが牽制を続けている。その結果、完全に反撃の芽を摘み、こちらの攻撃だけが一方的に出されていた。

 その場に留まる事無く動き続ける事が出来るだけのスタミナと、瞬時に行動出来るだけの判断力は群を抜いている。そんな中で時折攻撃するアネットの破壊力は緩急を要り交ぜた攻撃となっていた。

 突然の緩急が付く事でアラガミの動きにも乱れが出始める。そして最後に止めを刺したソーマの一撃でその映像は終了していた。

 

 

「流石はクレイドルだとしか言いようが無いな。俺達があの領域まで行くのはまだ難しいだろう」

 

「これまでの交戦時間にも比例するのかもしれんな。我々もここまでやれるはずだ」

 

 北斗の言葉に追従するかの様にジュリウスは冷静に見ていた。元々はアラガミの特性を理解する為に見せるつもりだったが、気が付けば既にアラガミの事ではなくクレイドルの戦闘能力の高さに意識が移っていた。

 元々見せるつもりだったからなのか、榊だけでなく後で入室したサクヤもその様子を見ている。ブラッドとは違い、当時の状況と今の状況を理解しているサクヤは違う意味で眺めていた。

 

 

「あの……これの趣旨に関しては理解出来ました。ですが、これと我々の映像とどんな関係があるのでしょうか?」

 

「実はその件なんだが、今後の戦闘時だけでなく、一般に向けての情報を公開する際に利用したいと思ってるんだ。実際に君達の事は既に何度も世界の目にさらされているだけでなく、聖域の件もある。今はまだ本部や他の支部からも話は無いが、今後はどんな事を言われるのか分からないからね。だとすれば今回の様な映像を見せる事によって他に目を向けさせない様にするつもりなんだよ」

 

「はいは~い!榊博士、質問です。これって一般向けって話でしたけど具体的にはどんな人なんですか?」

 

「良い質問だね。実はこの後になるんだが、アナグラの見学をいくつか予定しててね。世間的にはアラガミは怖い物で、それを討伐するのがゴッドイーターの仕事だと理解している。もちろん危機管理能力を持ってないのは困るんだが、今後の事も考えるとそれらを牽制する必要も出てくるんでね」

 

 ナナの勢いの付いた質問に榊は冷静に回答していた。人類にとって強大な敵でもあるアラガミはまさに厄介な存在でしかない。

 既存の兵器を受け付ける事も無く、捕喰する事で自ら学習し進化し続ける。そんな厄介な物をただ恐怖だけで知らしめるのは、今後の防衛に関しても不利に働かせると判断した結果だった。

 その背景には既に幾つも建設が進められているサテライトの中で、一部の防壁を喰い破った事によるパニックが原因だった。極東のアラガミは他の地域に比べれば格段に違っている。

 元々サテライトの計画の最初も増加する人類に対し、何とか出来ないのかと考えた末の計画でしかない。しかし、そんな内容で推し進められたとは言え、それを全員が正しく理解しているかと言えば否だった。

 アラガミに対し、攻撃や防御の術が無い一般人が立ち向かえとは言えない。だからこそ何かあった際に恐怖でその場に留まらない様にするには、アラガミとはこんな物なんだと認識させる方法でもあった。それと同時にゴッドイーターの普段の仕事ぶりも垣間見える。だからなのか、今回の件では色々な思惑を一度に解決する方法でしか無かった。

 

 

「そうでしたか。であれば、我々とて断るつもりもありません」

 

 既にジュリウスが了承したからなのか、北斗もそれ以上の言葉を出すつもりは無かった。何かにつけて発信するのは構わないが、それが回りまわって自分に返ってくるとなれば話は変わる。今の話が正しければ実質的な啓蒙活動である事が理解出来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれをですか?」

 

「そう。今の所はまだ一部の人間しか見てないから、問題にはならないと思うんだけどね」

 

 ドイツでの映像の事はアリサだけでなく、エイジやソーマも理解していた。これまでに無い形の映像はある意味では見本となる部分がそこにあった。教導の際にはエイジとナオヤが戦っている映像を結果的には殆どの人間が目にした事によって、今やっている完成形が分かり易い形で見えていた。

 目標が無いままに動くよりも、特定とは言え目に見える形のゴールがあれば誰もがそこに向かって行動をする事になる。当時の映像を今さら削除した所で何かが変わる訳では無い。だからなのか、エイジだけでなくナオヤも黙認していた。

 しかし、今回の件はまたそれとは状況が異なっている。確かに目で見た方が文字だけよりも情報量は格段に多い。教導の面で見れば良い事づくしではあるが、それと同時に一抹の不安もそこにはあった。

 戦闘そのものは問題ないが、それを真似できるのかと考えた場合、確実に一度は考えるかもしれない。しかし、それが事実上不可能だと判断した際には本人のモチベーションが大幅にダウンする可能性もあった。

 技術は一朝一夕で身に付く物では無い。地味とも言える行動を繰り返す事によってその行動が無意識の内にでも出るレベルまで到達するには、やはり時間が必要だった。そんな中でのあの映像の事を理解しているのかと、少し勘繰る部分があった。

 

 

「私は特に構いませんけど、エイジやソーマは良いんですか?」

 

「俺は気にしない。だが、エイジはそう思っていないみたいだな」

 

「教導教官なんてやってると色々と考えるんだよ。実際に同じ様な事をしたからと言って確実にアラガミが討伐出来る訳でも無いからね」

 

「それは考えすぎじゃないですか?」

 

「そうなんだけど……」

 

「どうせ榊のオッサンが何か画策しての話なんだろ?だったら何かが起これば丸投げすれば良いだけだ」

 

 渋るエイジにソーマはあっけらかんとした回答を口にしていた。以前にであれば確実に断るはずが、今は肯定している。何があったのかは分からないが、今は確かにソーマの言う通りだった。映像だけで何かが起こる訳では無い。そんな事を思いながら3人は使用許可のサインをしていた。

 

 

 



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第38話 見学会

 支部長室では何時もの光景なのか、榊はお茶をすすりながらここ最近の状況を思い出していた。新種の出現によるデータの採取の為の折衝や、今後この極東支部で起こるであろう可能性などやる事はいつも山積している。

 既に先だって執り行われたタツミとヒバリをモデルにしたドレスのオーダーは極東支部の新たな資金源となっていた。事実、榊が支部長になってからは研究室はもっぱらソーマが利用する事が多く、また、レトロオラクル細胞の研究に関しても一任している為に現時点で差し迫る様な物は無かった。

 生涯研究職でありたいと思う反面、自分だけが突出した所でどうにも出来ない事実がある。元々無明は研究職ではなく、あくまでも自分が実践している部分を論理的に発表し、周囲に情報として広く知れわたらせる手段の為に発表をしている。もちろん、それが人類にとって重要な物であると言う認識はそのままだった。

 

 

「榊支部長。どうされましたか?」

 

「弥生君か。いや、ここ最近は中々は研究職としてよりも支部長としての役割の方が些か多くなっている様でね」

 

「ですが、ソーマはまだまだ駆け出しですし、当主は純粋な研究職と言う訳でもありませんから」

 

 お茶と大福を出しながら弥生も改めてここ最近の状況を思い出していた。事務方としてのやるべき事は弥生もある程度の責任範囲の中でこなしている為に、実際に支部長にまで直接の仕事が来る事はそう多く無い。

 重要な決済が迫られた場合は榊の手を煩わせる事になるが、それ以外の段階であれば、大よその事は処理されていた。もちろん、これまでにもあった突拍子もないイベントに関しても独断で行っているのではなく、榊の了承を得た物だけを実行していた。

 

 

「そう言えば、最近は顔をあまり見ないが、どんな状況なんだい?」

 

「何時もと何も変わりません。ここ最近は研究の為の資材調達で出ている事が多いようです」

 

 屋敷は元からフェンリルの傘下に収まっている訳では無く、実質的な独立した物となっている。その為に外部のアラガミ防壁のアップデートや新たな研究など、費用に関しては極東支部と言えど費用の負担は何もしていない。その結果、無明自身が自らの手でアラガミのコアを収集し、常にそれを更新し続けていた。

 そもそも屋敷そのものもそう大きい訳では無い。時折新たな住人とも言える人間を保護するも、結果的にはサテライトへ促す事も多く、以前よりはそこに住む子供の数は少なくなっていた。

 

 

「お世継ぎの事もあるからね。僕としてはもう少し落ち着いてほしいと思ってるんだが」

 

「それは無理ですね。実際に当主がやる事によって自治が維持されてますから」

 

「そう言えばそろそろなんじゃないのかい?」

 

「そうですね……まだ少しだけかかりそうだとは思いますね」

 

 ツバキは事実上の産休の為に支部内に居る事は無かった。元々アナグラの居住区にはゴッドイーターとその家族、そして外部居住区ではなくフェンリルの一部の幹部がそこに居住していた。

 既に一部のサテライトの防衛も支部並に強化された事もあってか、一時期の様な息苦しさは解消されていた。そんな中でツバキも本来であれば居住区での生活を余儀なくされていたが、やはり防衛の面だけでなく環境の面から考えて屋敷での生活をしていた。

 

 

「しかし、ここも漸く次世代の空気が流れつつあるのは喜ばしい事だ。そう言えば、例の件なんだが僕としても未来の戦力の為に少しだけ前に進もうかと思うが、やってくれるかい?」

 

「例の件ですね。了解しました。早速その手配を開始します」

 

 榊の了承を得たのであれば、後はそのまま実行するだけだった。既に用意された幾つかの案は既にゴーサインが出ている。それを確認したからなのか、弥生は支部長室を後にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、皆さん。明後日ですが、フェンリル極東支部の内部見学を開催します!」

 

「マジか!一度行きたかったんだよ」

 

「やった~早く明後日にならないかな」

 

 ムツミは担任の言葉に驚いたままだった。ここはムツミが通っている学校。一時期はラウンジの兼ね合いで通信教育を選択していたが、エイジが戻ってきた事によって時間を調整しながら学校に通う事が出来ていた。

 周囲は全員ではないがムツミの環境をおぼろげながらに理解している。しかし、実際に支部内の話をする機会は無に等しかった。

 

 一番の要因は情報の漏えいに伴うセキュリティの問題。ラウンジは実質的なアナグラの社交場の様な部分が多分にあり、その際には時折作戦の話も出ていた。もちろんムツミには関係ない部分も少なからずあるが、やはり生活の中心とも言える場所での労働には細やかな制約も付け加えられていた。

 詳しくは分からなくても、周囲の人間がその言葉の意味を知れば何かと問題も出てくる。だからなのか、学校の担任からもそんな話が出た事によって周囲もその件に関してだけは敢えて話す事は無かった。しかし、担任が言った様に見学に行くのであれば話は変わってくる。突然出た話に何時もとは違った意味でムツミも楽しみにしていた。

 

 

「ねぇ、ムツミ。ゴッドイーターの人ってやっぱり怖い人が多いの?」

 

「そんな事は無いよ。面白い人も居れば真面目な人もいるし」

 

「この前の広報誌に出てたエイジさんって、作るお菓子とか結構おいしいのかな」

 

「ロビーに行けば誰でも貰えるよ。でも数は多く無いけど」

 

「それって誰でもなの?知らなかった……」

 

「って事は明後日は何か貰えるのかな」

 

 作戦ではなく、同級生の単純な質問にはムツミも答えていた。人物像程度であれば広報誌にも載っているだけでなく、一部のゴッドイーターは実名が寄せられている為に隠す必要は無かった。

 広報誌は基本的には一般向けに出されている物は事実上の週刊誌に近い物が多く、時には何かしらの娯楽やプレゼントのコーナーもある為に、ここの人間であれば誰もが一度は目を通す事が多かった。そんな中でもエイジが作るお菓子は、大人だけでなく子供にも絶賛されていた。

 実際には個数限定でアナグラのロビーに行くと誰もが貰える。学校がある為に子供が貰える機会はそう多く無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って事で明後日にはいくつかの学校がここの見学に来る事になったから君達にも頼みたい事があるんだよ」

 

 榊の言葉に集められた人間はまたかと言った表情を浮かべていた。事実フェンリルの極東支部としての一大イベントでもあるFSDは当初は神機使いとの交流を基にした物。最近では予算の兼ね合いもあってかFSDの当初の理念から逸脱し始めていた。

 事実上の独立採算による支部の運営は生半可な考えでは出来ない。予算があろうが無かろうが、アラガミが襲い掛かる事に対し、生涯対策を取り続けるしかない。

 もちろん今は良くても近未来で全滅では話にすらならない。だからなのか、次世代の有望な人間に知ってもらう為にも、今回持ち込まれた企画の承認をしていた。もちろん該当する人間は安全を取り計らう必要もあった為に、それなりの人間が選ばれていた。

 

 

「因みに対象となるのはどんな人なんですか?」

 

「今の所は外部居住区の学校の幾つかを予定している。年齢的にはまだまだだが、近い将来の戦力とイメージ戦略を考えた結果だね」

 

「因みにムツミちゃんが通ってる学校の生徒も来るから、皆少しは気を使ってね。でないと恥をかくのはムツミちゃんだから」

 

「了解しました」

 

 エイジの言葉に榊と弥生はあっけらかんと回答をしていた。学校の見学となれば何かと気を使う事は格段に多くなる。その内の一つがムツミが通う学校である以上、気を使うのは当然の事だった。

 

 

「でもさ、見学って言われても、俺達は何をすれば良いんだ?」

 

「特別な事はしなくても良いみたいだよ。案内関係は弥生さんか他の人みたいだしね」

 

「コウタの場合は少し周囲の様子を確認した方が良いかもしれませんね」

 

 支部長室から出たエイジとアリサ、コウタの3人はラウンジで何時もの如く話をしながら先程の内容について考えていた。そもそもFSDが支部と住民の交流であれば、今回の様な見学会は必要無い様にも思える。しかし、今後の事を考えればそれもまた一つの方法である事を理解していた。

 

 ゴッドイーターは誰もがなれる仕事では無い。むしろ適正があったとしても真っ当に退役出来るのかと言われれば、誰もが言葉に詰まる結果だった。生存率が高まったとは言え、未だ退役した人間はそう多く無い。イメージ戦略である事に違いは無いが、それは今回の見学とはまた違った結末でしかなかった。

 

 

「そうだね。コウタの場合、外部居住区にも顔は知れ渡ってるだろうから、少しは気を付けた方が良いかもね」

 

 アリサの言葉に何かを思い出したかの様に出た言葉と同時に、コウタの前にはジンジャーエールが出されていた。今日のラウンジはエイジの担当だったからのか、人は何時もよりも若干多い。決してムツミが劣っている訳では無く、純粋に無茶な注文はしないと言った自主的な思惑がそこにあった。

 

 

「俺の事よりもエイジ、お前の方が大概だと思うぞ。広報誌は意外と外部居住区でも読まれてるからさ。家に帰るとそんな話は結構聞くぜ」

 

「そうですよ。エイジはもっと自分の事をしっかりと認識した方が良いです。実際にこの前の本部に行った時だって………」

 

 アリサの言葉に当時の状況を思い出していた。アリサが言うあの時は最後の懇親会とも取れるパーティーの事だった。元々護衛で来ている為に本来であれば部屋の隅で周囲を護る事が本来の役目ではあったが、実際には部屋の片隅ではなく、むしろど真ん中とも取れる場所に位置されていた。

 

 伊達に本部でも仕事をしていた訳では無い。部屋の片隅から中心にかけて移動するのはゴッドイーターであれば然程時間を要する物ではない。にも拘わらず、一部の要望によって中心地で護衛と言う名で配置されていた。元々懇親会にアリサは重きを置いていない。

 確かにサテライトの事は幾つかは聞かれたが、実際にはあまり関心を示している様にも見えず、むしろアリサ個人に関心が高い様にも思えていた。事実、シオとアリサだけが着物を着ているのには訳があった。

 懇親会でのそれは実際に商品を見せる場でしかなく、その結果として極東に注文が寄せられる事になる。以前であればツバキがそれを担っていたが、流石にあの状態で参加する訳にも行かず、結果的にはシオがその役目となっていた。

 しかし、シオは良い意味で純粋な部分が多分にあり、魑魅魍魎が住まう政財界の会の集まりにはストレスが溜まるからとの思惑もあった。アリサも事前にその役割を聞かされていたが、やはりアリサとてストレスは溜まっていく。そんな中でエイジの周囲に集まる女性陣を見て平然と出来る事は無かった。

 

 

「あの時はアリサと同じ意味だよ。実際には結構シビアな部分もあったしね」

 

「それは……そうですけど…」

 

 その後の事を思い出したのか、アリサはそれ以上の言葉を告げる事は無かった。

 

 

「でも、今回の件は対象が小学生なんだし、気にする要素は無いんじゃないの?」

 

「何言ってるんですか!対象はそっちじゃなくて引率の先生に決まってるじゃないですか!」

 

 突然の言葉にエイジとコウタはそれ以上何も言う事は出来なかった。幾ら何でも飛躍しすぎ。平常運転と分かっていてもコウタは呆れる事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようこそフェンリル極東支部へ」

 

 準備期間があったからなのか、見学会は滞りなく開催されていた。元から弥生がアテンドする事により、次々と施設の中を紹介されていく。広報誌でもいくつか掲載されていたものの、やはり実際に目で見る光景とは違うからなのか、子供達の表情にはどこか期待する様な物が浮かんでいた。

 ロビーでは何時もと変わらない光景が広がっている。既にミッションに出た部隊もあるからなのか、ヒバリだけでなくフランもまた自分達の任務につくかの様にオペレートに集中していた。このまま何も問題無く見学会は終わるはず。そんな空気が流れた瞬間だった。

 

 

「はい……了解しました。直ちにその様にします」

 

 弥生の耳に飛び込んだのは緊急を要する情報。これまで問題が無いと思われた部隊の緊急出動要請が発動していた。

 ここ最近はアラガミの発生にイレギュラーが無かったからなのか、それとも偶然なのか本当の意味は分からない。しかし、内容を考えれば事態は急を要する結果となっていた。

 

 

「皆さん。申し訳ありませんが、緊急事態が発生しましたので、ここから速やかに場所を移動します」

 

 本来であればロビーだけでなく支部全体に警報がけたたましくなる予定ではあったが、今回の見学会の関係で音声は全てシャットアウトされていた。状況が分からないままに誘導される子供だけでなく、引率した先生もまた緊張感で表情が強張っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「了解しました。直ぐに出ます」

 

 緊急事態になってからの移動は『神速』の一言に尽きていた。元々何かを用意していたエイジは直ぐに移動を開始する。既にヘリポートには状況を確認したアリサとコウタ、ソーマが準備を始めていた。

 

 

「ここから3キロ先でヴァジュラの大群らしい。他の部隊にも要請をかけているが、時間的には厳しいぞ」

 

 ソーマの言葉に3人は改めてレーダーを見ていた。アラガミを現すビーコン反応は全部で8。それらすべてがヴァジュラであるとなれば苦戦は必至だった。

 本来であれば問題になる事は無い。しかし、ここに子供が居る以上、下手に危険である事を口にする訳には行かなかった。資材を次々とヘリに搭載していく。他の部隊が合流した際の物資補給の為に作業員の手が止まる事は無かった。

 

 

 

 

 

「一体どうなってるんだ?」

 

「何だろうね。何だかさっきから慌ただしくなってるみたいだね」

 

 誘導された子供達は純粋に心配していた。ここはアラガミの襲撃が割とと多い事は住人であれば誰もが知っている。事実アラガミがどんな物なのかは何となく理解していても、外部居住区に元から住んでいる子供は実際に見る機会は殆ど無かった。

 これまでの広報としての放送の中で見る機会はあっても、実際には何も知らない。そんな状況があったからこそ、どこか不安な空気が漂っていた。

 

 

「ムツミは、アラガミって見た事あるのか?」

 

「私は無いよ」

 

「でもあんまり心配して無いみたいだよ」

 

「それは、ここの皆の事を信頼してるから……」

 

 不安の空気は会議室内を徐々に浸食していた。何も分からない物に対し、恐怖感はあっても安心感が沸き起こる事はどこにも無い。当然襲撃された事によって一部の生徒は軽いパニックに陥っていた。

 ここは絶対安全な場所。理性ではそう考えても、本能は恐怖心に駆られていた。それはムツミとて同じ事。幾らゴッドイーターと言えど、何かが起こって捕喰される可能性がある事を知らない訳では無い。これまでにも危機的な状況をこの目で見てきたからなのか、他の子供に比べればその部分だけは若干耐性がある程度だった。

 その後の放送は何も起こらない。だからなのか、偶然会議室に入った映像を誰もが一斉に見る事になっていた。

 

 

「す、スゲェ……」

 

 誰かがポツリとこぼした一言は正に今、外部で戦っている場面だった。純白の制服を身に纏ったゴッドイーターはお互いの行動を完全に理解しているからなのか、邪魔する事無く連携を組んでいた。

 流麗とも取れる剣閃は一瞬にしてヴァジュラに多大なダメージを与えているからなのか、本来であれば純白までは行かないにせよ、その白いはずの躯体は血で真っ赤に染め上げられていた。

 時折バチバチと音をたてながら放出する雷球はまるですり抜けるかの様にエイジの身体の背後へと抜けていく。戦っている場面を見た事が無かった為に、恐怖心に染まりつつあった子供達の様子はゆっくりと変化していた。

 

 幾つものフェイントを入れながらヴァジュラの視線を固定させる事なくアリサは疾駆する事で急激に距離を詰めていた。フェイントから始まる緩急を付けた攻撃は、さながら演舞するかの様に優雅に攻撃を繰り出していた。

 遠心力を十分に発揮させる斬撃は確実にヴァジュラの命を削り落とすかの様に斬撃の痕だけを一つ二つと刻みつけていた。

 その一方ではエイジが一気に懐に入ると同時に突き立てた刃はヴァジュラの腹部を縦に斬り裂いていた。臓物らしき物が零れ落ちる前にコウタの銃撃が発砲音と同時に全てが着弾している。他の支部であれば確実に総力戦であるにも関わらず、今の子供達の網膜に映っているのは僅か4人のゴッドイーターだけだった。

 

 

 



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第39話 見学会の裏で

 ヘリから見下ろす光景は何時もと何も変わらない光景だった。

 緊急事態であると同時に、想定外の大量発生したヴァジュラは防衛班の能力を上回っていた。

 決して防衛班が弱い訳では無い。純粋な数に押し切られた結果がもたらしただけだった。本来であればこうまで一気に襲い掛かる事はあまり多く無い。にも拘わらず、まるで示し合わせたかの様な接近は理不尽な短期決戦が要求されていた。

 

 

「テル君。ブラッドは間に合いそう?」

 

《ブラッドは現在感応種と交戦中。これは恐らくですが、感応種が何らかの形で呼んだ物と推測します。現時点で分かっているのはマルドゥーク。その能力だと思われます》

 

 テルオミの言葉に全員が理解していた。感応種はこれまでには神機を制御不能に陥らせる能力がある為に、リンクサポートシステムは殆どが稼動したままになっていた。

 もちろん神機だけでは無い。特には周囲に居るアラガミを呼び寄せる内容が厄介だった。今回のヴァジュラの大量発生は恐らくはそれが影響している可能性が極めて高い。確認をした訳では無いが、寄せられる際にアナグラを見たのか、マルドゥークに寄せられた以降の行動パターンは一気に変更されていた。

 

 

「それと確認だが、本当にヴァジュラは8体なのか?」

 

《現時点ではそうです……少し待ってください。目標数は8から5に変更。それとは別に近くに大型アラガミの反応。これまでのパターンからディアウス・ピターと予測されます》

 

 ソーマの質問にテルオミはレーダーで確認したままの情報を伝えていた。元々8体のはずが、数が減少しているだけでなく、大型種として新たに出てくる。となればディアウス・ピターが捕喰した可能性だけが高くなっていた。

 同系統のアラガミを捕喰する時点で既に変異種である可能性が高い。只でさえ厄介な状況に拘わらず、まるで追い打ちをかけるかの様な出現にソーマだけでなく、エイジもまた悩んでいた。

 この場に居るメンバーの中でディアウス・ピターの変異種との交戦経験があるのは自分だけ。勿論、これまでにも極東の内部だけの更新で公表されているが、やはり攻撃方法を考えれば厳しい戦いになるのは避けられなかった。既に近寄るヴァジュラの討伐に改めて防衛班が出動している。本当であれば態々こんな日にと思いたい部分もあったが、アラガミにはそんな事は関係無かった。

 

 

「テル君。ブラッド以外で動ける人間を出来れば早急にピックアップしてほしいのと、リンドウさんは今どこ?」

 

《現在動ける部隊は距離的に近いヴァジュラの討伐に出動しています。リンドウさんも既に状況を確認し、そちらに向かっています》

 

 テルオミからの通信に耳を傾けながらもエイジの視線は眼下のヴァジュラへと向いていた。同系統のアラガミを捕喰する以上、確実にこちらに来る可能性が高い。

 本来であれば数が減ったヴァジュラをそのまま防衛班に丸投げして自分達がディアウス・ピターを討伐するのが本来の行動なのかもしれない。しかし、餌でしかないそれをそのまま放置するとなれば、戦局は一方的に傾く可能性があった。

 となればやるべき事はただ一つ。自分達も同様に餌を排除してから何とかするしか無かった。

 

 

 

 

 

「これで後は専念出来そうだな」

 

 アナグラから距離が離れていなかった為に、ヴァジュラの討伐はスムーズに終わっていた。しかし、ここに迫るアラガミの事を考えると楽観視する要素はどこにも無かった。

 まだ距離がある為に交戦までは時間がある。だからなのか、敢えてこの場所から離れる選択肢を選んでいた。

 交戦ポイントの移動の為にヘリがこちらに近づきつつある。既に全員の気持ちは次の戦いへと向いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりゴッドーターってスゲェよ。あんなの初めて見た」

 

「だよね。なんだかアニメの主人公みたいだった」

 

 恐怖心を払拭させる為に使用した映像はまさに当初の予定通りの結果をもたらしていた。

 見た事がない恐怖は勝手に自分の中で大きくなれば、それは周囲にも確実に伝播していく。人間の心がそれほど脆く、うつろい易いのは弥生が一番理解していた。

 レーダーと状況を考えれば、ここから確認出来る個体は確実に討伐に入る事は間違い無い。エイジであればそうするだろうと予測した結果だった。元々以前に撮ったブラッドの映像を考えたものの、それよりもあのメンバーのクレイドルの戦いの方が格段に良いだろうと判断した結果だった。

 結果的には無傷での勝利は弥生が予測した結果と同じだった。一方的な攻撃はゆっくりと恐怖心を溶かしていく。既に会議室の子供達と教員の目に恐怖は無くなっていた。しかし、次のミッションは確実に苛烈な物になるのは間違い無かった。これまでに戦った回数はたったの1回。しかも、当時のメンバーには無明が居た為に3人でもクリアできたが、今回はあの時とは違う。

 幾ら事前に予測したとは言え、対峙すれば別物である事が確実なアラガミであると判断出来る。あまりにも厄介なアラガミだとは思っても、現時点では何も出来ないままだった。

 

 

「ウララさん。ここで会議室の画像は一旦消しておいて。後のフォローはこちらでします。それと元の仕事に戻って下さい」

 

「は、はい。分かりました」

 

会 議室のモニターを確認し、素早く次の指示を飛ばす。既にやるべき事が決まったからなのか、弥生は再び会議室へと足を運んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 移動中のヘリの中でエイジは以前に対峙したディアウス・ピターの変異種についての解説を全員にしていた。元々強固な個体である事に変わりないが、厄介なのは、一定以上のダメージを与えた際に、覚醒したかの様に翼状の刃を展開する事だった。

 広範囲の攻撃は、確実に回避をするか、的確に防御するかのどちらかしかなかった。このメンバーの中で一番厳しいポジションを要求されるコウタからすれば、まさにその攻撃は最悪の一言。以前にハンニバル戦でやったような回避方法も危ぶまれる程に厳しい状況になるのは既定路線でしかない。最悪の事態も想定する必要がそこに存在していた。

 

 

「だとすれば、完全に間合を把握しないと厳しいって事だよな?一応参考に聞くけど、初見の時はどうしたんだ?」

 

「僕と兄様は完全に回避だったけど、リンドウさんは防御だったかな。中途半端な間合いは死に繋がる。絶対的な距離でも油断は禁物だよ」

 

 エイジの言葉にコウタは改めて現状を考えていた。元々防御が出来ない事は今に始まった事では無く、回避の能力を底上げする為に、教導でも無手での訓練をこなしていた。それはエイジとて理解している。それを分かった上で話をする以上、油断なんて物は最初から無に等しい状況だった。

 

 

「なるほどな。となれば、少し考える必要があるな」

 

「案外と厄介な事に変わりないんだけどね。それとアリサも同じだよ」

 

「え?私もですか?」

 

 コウタと話していたはずが突然自分の名前が出たからなのか、アリサは改めてエイジを見ていた。交戦経験が物を言うからなのか、言葉の一つ一つを聞き洩らす事無く耳を傾けている。だからこそ、エイジが自分の名前を呼んだ意味が分からなかった。

 

 

「通常の状態はこれまでと同じだけど、刃が出たら、出来るだけ回避してほしい。それで防ぐとなると衝撃を完全に逃がさない限り、吹き飛ばされる事になる」

 

 全体重を活かす様な突進と同時に襲ってくる刃はまさに死神の鎌と変わりなかった。アリサのブリムストーンだと確実に防ぎ切れる物ではない。事実、自分も同じ事をした際にはギリギリで衝撃を逃がす事が出来たからこそ問題が無いだけだった。しかし、そう都合よく何度も出来る可能性は高く無い。

 自身の経験した体験だからなのか、その言葉にはいつも以上に力が籠っていた。

 

 

「何時もの事だが油断は禁物。じゃあ行こうか」

 

 エイジの言葉と同時に、全員が一気に降下を開始する。クレイドルとしての戦いがここに始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「予想以上だな。これは」

 

 ソーマの言葉がここまでの全てを物語るかの様だった。序盤では戦いはクレイドルとしても手慣れた部分があったからなのか、これまで同様の攻撃を繰り出していた。

 戦いに於いて気を付けるのは跳躍した際に周囲に拡がる衝撃と雷撃。初見であれば確実に厳しい戦いになるが、この場に居る全員は既にその間合を完全に把握していた。

 ギリギリの距離で回避すると同時に、疾駆する事で距離を潰す。面倒な部分でもあるマントや攻撃の手段の一つとなる前足の部分を執拗に攻撃していた。

 先程のヴァジュラ戦の様に、やや一方的な攻撃を繰り返す。通常であれば慢心する可能性はあるが、エイジの指摘通りディアウス・ピターの肩口にある瘤が変異種である事を物語っていた。

 ソーマの重く鋭い一撃がマントの部分を破壊し、前足の一部もエイジの斬撃によって斬り落とされた瞬間だった。

 周囲一帯にいるアラガミまでもが竦む様な咆哮と共にディアウス・ピターの瘤が破裂。そこにあったのは翼の形状をした刃がゆっくりと広げられていた。

 

 

「あんなにデカいのかよ……」

 

「コウタ。回避は最新の注意を払うんだ」

 

 コウタの呟きにアリサとソーマも改めてディアウス・ピターの姿を見ていた。映像と言葉だけでは分からないその迫力は正に最悪の一言だった。

 生えた刃の羽を広げたままに一度だけ伸びをしたかの様な動作を開始する。再戦の開始。エイジの指示が飛ぶ前に全員はその場から瞬時に散開していた。

 距離があったにも関わらずそれを最初から無かったかの様にディアウス・ピターの羽は周囲を払うかの様に振り回す。単なる羽ではなく触れれば寸断されると錯覚する程の攻撃にコウタとアリサは思わず息を飲んでいた。エイジの言葉の意味がここで初めて理解できる。これを防ぐとなればソーマのリジェクター位しか考える事が出来なかった。

 

 

「羽はあるけど、基本は変わらない。結合崩壊した場所を重点的に攻めるしかない」

 

「みたいだな」

 

「そうですね」

 

 現実を取り戻させるかの様に放ったエイジの言葉で2人は瞬時に戦いへと意識を向けていた。冷静に見れば突進する瞬間や払う様に攻撃をした瞬間、僅かに硬直を見せる。周囲を払う攻撃は逆の言い方をすれば懐に入りやすいのと同義だった。近接戦で隙を見逃す程にエイジは甘くない。巨大な羽を払った後に待っているのはそれを元に戻す瞬間だった。

 刃の羽をギリギリの距離で見抜くと同時に、一気に距離を詰める。羽を払った速度と同程度の速度で接近されたディアウス・ピターの視界にエイジは映っていなかった。漆黒の刃は全てを断ち切らんと、渾身の力で結合崩壊を起こした場所に再び刃を突き立てる。

 既に弱点でしかないそこへの一撃はディアウス・ピターの躯体を怯ませるには十分すぎていた。

 

 

「コウタ!今です!」

 

「ああ!」

 

 怯んだ瞬間をコウタとアリサは見逃す事無くオラクルが尽きる程の勢いで銃撃を開始していた。数多の銃弾がディアウス・ピターの顔面へと着弾していく。視界を完全に潰した瞬間、ソーマの一撃がディアウス・ピターの顔面を深く斬り裂いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ったくこうまで厳しいなんてさ……」

 

「ですね……あの時以来ですね」

 

 横たわったディアウス・ピターの躯体はコアを抜かれた事によってゆっくりとそのまま霧散していた。アリサが言うあの時とは、リンドウの仇討ちとも取れるあの個体。当時のあれもまた強敵と言うにふさわしい物だった。

 銃撃によって怯む事無く戦うその姿は、油断をすればこちらの誰かが死を招く可能性を示唆していた。当時と今は確かに状況も戦闘技能もまだまだではあったが、やはり当時の中では事実上の最悪のアラガミ。それに匹敵するこれもまた悪夢と言えるアラガミだった。

 辛勝ともとれる戦いに、コウタだけでなくアリサも思わず腰を下ろす。仮にこの地に他のアラガミが乱入しよう物ならば即時撤退を考える程の消耗だった。

 

 

《皆さんお疲れ様でした。僕のオペレートはあまりに役立ちませんでしたね》

 

「いや。それは無いよ。今回のアラガミは実質的には初見と対して変わらないからね。今回の件で一定以上のデータが取れたから、後は改めて反映させるだけだよ」

 

 テルオミのやや自嘲気味な言葉は無理も無かった。本当の意味での初見であれば今回の様な攻撃をする事はないが、刃の羽が出てからの攻撃は事実上の初見と何ら変わらなかった。

 このメンバーの中で唯一攻撃方法を知っていたエイジが居たからこそ、大きな被害が出なかっただけに過ぎなかった。事実、コウタは確実にディアウス・ピターの行動パターンと範囲を読み切り、遠距離型特有のレンジで銃撃を行っている。一方のアリサもまた軽量故に重攻撃を繰り出すディアウス・ピターの攻撃は余程の事が無い限り回避行動に専念していた。

 前衛でもあるソーマとエイジの攻撃によって意識はそちらへと常に向かう。だからこそ中衛、後衛のアリサとコウタも通常と同じ様な攻撃をする事が可能だった。

 

 

《そう言ってもらえると助かります。僕もまだまだなので、今後はもっと精進する必要がありますね》

 

 エイジのそれとないフォローがあったからなのか、テルオミも先程よりも声は明るくなっていた。どんな状況下でも生きる事を諦めるつもりは毛頭無い。だからなのか、テルオミもまた、ヒバリからもっと学ぶ必要性があると考えていた。

 気が付けば帰投用のヘリがゆっくりと近づいてい来る。これで漸く一つのミッションが終了を迎えていた。

 

 

 

 

 

「そう言えば、見学ってどうなってるの?」

 

《その件なら既に弥生さんが手を打ってくれてるみたいです。因みに防衛班で残りのヴァジュラの討伐は完了し、現在は各部隊共に帰投しています。それと弥生さんから伝言がありますので》

 

 テルオミの言葉にエイジは僅かに心の中で構えていた。厳しいミッションではあったが、これは普段のミッションと大差ない。元々自分のやるべき事ではあるが、だからと言って他の事をおろそかにするつもりもない。しかし、弥生からの伝言だけはどこか嫌な予感だけが過っていた。

 

 

「因みに?」

 

《戻ったら至急見学用のお菓子を作って欲しいとの事です》

 

「ああ。了解。既に仕込みは終わってるから問題ない。そう伝えておいてくれる?」

 

《了解しました》

 

 元々予定には無かったが、エイジとしても折角だからと準備だけはしてあった。今回の襲撃が無ければ既に食べているであろう代物。先程までは厳しい戦いをしていたにも拘わらず、今度は日常の準備を開始する。

 あまりにも違い過ぎる状況ではあるが、これもまた極東ならではの事だと考え、着いてからの段取りを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ、旨いよ。いつもこんなの配ってるの?」

 

「毎日じゃないけど、個数は多く無いけどロビーに置いてあるよ」

 

「ムツミもこんなの作れるの?」

 

「うん。これ、案外と簡単だから」

 

「じゃあ、今度作り方教えてよ」

 

「いいよ」

 

 エイジは戻ると同時に、先程までの純白の制服から白いシャツに黒いエプロンへと着替えていた。

 元々用意してあったタネをそのまま形を整えてオーブンに放り込む。元々見学会と言っても、そんなに生徒数が多い訳では無い為に、全部を焼くのに然程の時間は必要とはしなかった。

 熱によって平らだった物が、入れ物でもあるカップの淵から零れそうな位にゆっくりと膨らんでいく。きつね色に焼けたそれをオーブンから取り出すと、仄かに甘い香りが広がっていた。

 

 

 

 

 

「はいこれどうぞ」

 

 ラウンジで用意されたのはカップケーキだった。膨らんだ上にはホイップクリームを乗せたものと、カスタードクリームが乗せらた物がそれぞれ人数分だけ用意されていた。

 元々予定にあったのはレーションの試食だけ。食事の代わりではあったが、まさかこれもそうだと思ってなかったからなのか、子供達のテンションは随分と高い物だった。

 エイジ一人では大変だからと同じくエプロンをしたアリサがそれぞれ配っていく。子供にはエイジが、引率の先生にはアリサが対応していた。先程までの厳しい戦いを見せる事無く平然と渡していく。

 弥生としても元々そんな事を口にする程の物では無いからと、それ以上は何も言う事無く2人の様子を眺めていた。

 

 

 



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第40話 それぞれの夜

 極東支部の支部長でもある榊は久しぶりに支部長室ではなく、これまでの根城だったラボで何かの研究に勤しんでいた。やるべき事は多いが、有能な部下が持ってくる殆どの案件は実質的な承認の為のサインをするケースが多く、またここ暫くはアラガミの動向が穏やかだった事から、これまで幾つかストップしていた研究を一部再開していた。

 

 

「やはり、これはこう使うのは一番かもしれないね。仮に何かあったとしてもデメリットも無ければ、こちらとしても懸念事項が一つ減る事になる。まさに一石二鳥だ」

 

 榊の呟きを聞く者はこの部屋には誰も居ない。一人何かを企んだ様に浮かべた笑みは一時期マッドサイエンティストと呼ばれた頃のそれに近い物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは一体………」

 

 聖域での作業を終えたジュリウスがアナグラに戻ると、そこは何時もの様子とは異なっていた。これまでであれば、照明が煌々と照らす為に時間の概念すら感じる事がないロビーが、どこか薄暗い雰囲気を醸し出していた。

 事実、聖域で作業をしていたとしても緊急出動が発生すれば、速やかに出動する事が出来る。もちろん作業中であってもアナグラからの通信を聞き逃す事をしない為に端末は肌身離さないまま。そんな事もあってか、今の現状に理解が追い付かないままだった。

 

 

「実は、先程アナグラの電力の一部がショートしたみたいで、今は予備電源なんです」

 

「予備電源と言う事は、復帰まではかなり制限されるのでは?」

 

「はい。ですので、現在の所は支部長室とラボ、整備に関する部分だけが通常と変わらずに電力を供給してますが、それ以外となれば日常生活にも影響が出ます。それと現在は復旧中なんですが……」

 

 ジュリウスの困惑した表情を見たからなのか、ヒバリは申し訳なさそうに答えていた。突然襲った停電は以前に一度、ロミオの血の力が発動した結果ではあったが、今回のそれは明らかに何か特別な事をした為に配線が焼き切れた可能性が高かった。

 既に復旧の為に作業は開始されている。確実に明日まではかかる事だけをヒバリはジュリウスに伝えていた。

 

 

「しかし、万が一アラガミが出没したとなれば、任務にも影響が出るのではないですか?」

 

「その件であれば今の所は問題ありません。仮に出ているとしても現在は戦闘指揮車でリンドウさんが出ていますので、感応種が出た場合にだけブラッドに出動要請が出る手筈となっています」

 

「そうか。ならば安心だな」

 

「ええ。そうですね……」

 

 ヒバリは安心した表情を見せるジュリウスに少しだけ申し訳ないと考えていた。元々戦闘指揮車を出す必要性が全く無いにも拘わらず、リンドウが率先して出動していた。

 本来であれば余程の状況が無ければ出動させる必要はなく、今回の件もサクヤが少しだけ席を離れた際にリンドウが押し込んだ結果だった。戦闘指揮車を使う理由は一つしかなかった。幾ら復旧を急ぐとは言え館内全域をくまなく検査する必要があり、また、その原因も同時に解明する必要があった。

 補修と調査の同時進行は手間ばかりが率先されていく。その結果、翌日の夕方までかかる事が判明したと同時に、日常生活に影響が出る事を予測した結果だった。

 

 

「一つ確認したいのですが、ここでこうならば、居住スペースはどれ程の影響が?」

 

「現在の所は復旧作業が完了後、順次元に戻す予定ではありますが、やはり一部の方からは自分達の方を優先してほしいと言われまして…」

 

 ヒバリの歯切れの悪い言葉に、ジュリウスもその意味を正しく理解していた。ここは住人の中でも色々な意味での階級が存在している。本来であれば自分達の事よりもゴッドイーターに優先的に回すのが本来の役目だが、常に自分達が一番などと無意味な事を口にして騒ぎ立てる者も少なからず存在している。これまでにも何度かそんな話は出ていたが、今回の様な内容で無かった事から、大きな話へと繋がらないままに立ち消えしていた。

 

 

「いや。ヒバリさんが気にする様な事は無い。事実、大きな顔をしてここに来ているのであれば、元から居た場所の人間は圧迫されるのはどこも同じだ」

 

 元々ジュリウスもそちら側の人間。家がああならなければ、右腕に黒い腕輪をする未来はここにない。申し訳ないと感じたからなのか、ヒバリはそれ以上の言葉をつぐんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「流石は俺のかみさんって所だな」

 

 リンドウは自身の持つ刃で迫り来るボルグ・カムランの尾を跳躍する事で回避すると同時に、落下の勢いを利用して後ろ脚を斬りつけていた。

 元々弱い部分だった事も影響したのか、回転直後にボルグ・カムランは態勢を崩すと同時に大きな音を立てながら転倒している。バランスを失ったアナガラミが再び立ち上がるまでには、まだ時間が必要となっていた。

 倒れたアラガミに対し、その場にいた全員が一気に攻撃を開始していた。元々このミッションはハルオミとカノンだけだったはずが、想定外の停電によってリンドウがそのまま参戦していた。

 まさかの参戦に当初は戸惑いと同時に厳しいミッションになるのではとの憶測があったものの、話の聞けばごく単純だった。停電になった事によって居住区の全域へ回す電力が足りなくなっている。その結果として、今晩の過ごし方が窮屈な物であると判断した結果だった。既に用意してあったのか、リンドウは戦闘指揮車の運転席へに素早く乗り込む。2人の賛同を待つことなくそのまま発信していた。

 

 

「幾ら何でもバレるのは当然です!」

 

 カノンのスヴェンガーリーから放たれた銃弾は派手な音を立てながら強固な盾を破壊する事に成功していた。既にこれまでの戦いでかなり痛めつけられているからなのか、立ち上がる事に成功したボルグ・カムランは既に虫の息とも取れるように全身からオラクルが漏れるかの様に噴き出している。

 既に尾を振り回すだけの力が無かったからなのか、ハルオミの強烈な一撃によって地面へと沈んでいた。

 

 

「確かに無断で持ち出したのはあれだけど、幾らなんでもこれは厳しいぜ」

 

「でも、これが動くのはそれが前提ですから仕方無いですよ」

 

「リンドウさん。カノン。お疲れ様。取敢えずはここでいったん終了だ」

 

 ここまでの戦いはかなり厳しい結果となっていた。元々は中型種1体の討伐任務だったものの、回線を開いたサクヤはここぞとばかりに広域ミッションを発注していた。

 広域ミッションともなれば戦闘指揮車を出す大義名分を得る事が出来る。事実上の無断に近い状態で持ち出したリンドウを擁護する為に依頼するなどと言ったそんな甘い考えをリンドウは当初は予測しただけだった。

 しかし、事態はまるでこの事を待ち構えていたかの様に深刻化していた。乱入に次ぐ乱入は3人だけでは厳しい内容。幾ら補給出来るとは言え、戦闘中に満足に出来る様な甘い物では無かった。

 

 幾ら極東でも上位の破壊力を持つリンドウが居たとしても、徐々に押される状況は流石に厳しい物がある。まるで砂山を削るかの様に、ゆっくりと深く疲労感が3人の身体を蝕み始めていた。そんな中で応援に寄越されたコウタ達第1部隊の合流によって、漸く落ち着く事を許されていた。

 

 

「おう。コウタの所も終わったのか?」

 

「こっちは思った程の戦局では無かったんで」

 

「コウタの活躍は中々だったぞ。あれならマルグリットも惚れ直すんじゃないのか?」

 

「ちょっとハルオミさん。何言ってるんですか!」

 

 既に終わったからなのか、一定以上の緊張感を保ちながらコウタはハルオミとマルグリットを引き連れたまま戻ってきた。既に通信が来ていたのか、姿はまだ見えないがエリナとエミールもこちらに向かっている。当初とは違い、気が付けば結構な大規模ミッションレベルにまで人員が膨れ上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結果的にはあれだったけど、偶にはこんな日も悪くないな」

 

「確かに。中々このご時世簡単に出歩くのは危険ですから」

 

 リンドウとハルオミはこっそりと持ってきた黄金色の液体が入った缶の蓋を開けていた。シュワっと聞こえる音と共に苦味が喉をすり抜けていく。本来であれば戦場での飲酒は禁止されているが、1本位ならとリンドウが持ち込んでいた。

 これまでの中で戦闘指揮車を使ったミッションはそう多くない。使っても精々がクレイドルとしてか、ブラッドが使うだけ。防衛班であれば余程の事が無ければ使用する機会は無い。だからなのか、普段は中まで見る機会が少ないカノンやエリナは物珍しさから色々と見ている事が多かった。

 

 

「あれ?なんでそんな物飲んでるんです?」

 

「コウタか。なに、これ一本だけだから、目を瞑ってくれよ」

 

「いや。俺は特に気にしないですけど、マルグリットやエリナに見つからない様にしてくれないと、こっちも困るんで」

 

 リンドウの言葉にコウタも目くじらを立ててまで言うつもりは無かった。本来であればこの面子で連続ミッションをするケースは殆ど無いに等しい。広域になればなるほどアナグラからの距離は離れていく。幾ら防衛班が優秀だとしても、第1部隊として長期にアナグラを開ける様な真似は出来なかった。

 棲み分けされている訳ではないが、事アラガミの討伐に関しては特殊性を考えると第1部隊には膨大な経験がある。本来であれば代が変われば一旦はリセットされやすいが、コウタが部隊長として就いている為に、戦場に於ける経験値はそのまま継承されていた。

 それだけではない。コウタ以外はまだ新兵に毛が生えた程度だが、マルグリットが加入した事により部隊そのものの安定度は格段に増していた。恋人だと言う部分はあれど、今は関係ない。口うるさいのではなく、純粋に部隊の事を心配しているからこそ苦言が出ていた。

 

 

「なんだ?コウタはもう尻に敷かれてるのか?ここは女性陣の方が強いんだな」

 

「まぁ。その点は否定しないな。実際うちも同じ様な物だしな。頑張ってエイジ達の所位じゃないのか?」

 

「そうですかね……」

 

 リンドウの言葉にハルオミは改めてここ最近の様子を思い出していた。エイジはムツミと交代でカウンターの中に入る事が多い為に、必然的に視界に入る事は多かった。

 ハルオミはどちらかと言えば来る側なので、ローテーションで入ればずっと付きっきりになる。そうなれば時間にゆとりが出るアリサもまた、視界に入る事は多くなっていた。

 尻に敷かれるというよりも、あれは完璧にコントロールしている様にも見える。確かに所々で何かをしている様にも見えるが、結果的にはお互いが尊重しあっている様にも見えていた。

 

 

「あの、ご飯が出来ましたので」

 

 2人の会話を遮るかの様に、カノンの声が聞こえていた。今晩の食事はマルグリットとカノン、手伝いとしてエリナが何かと作業をしている。だからなのか、カノンの言葉に3人は皆が居る場所へと移動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ旨いな。ひょっとして聖域の野菜使ってるのか?」

 

「はい。以前に収穫された物なんですが、そろそろ期限も近そうでしたので、少し譲ってもらいました」

 

 リンドウやハルオミの前に出されたのはカレーだった。元々重装備をしての出発では無かった為に、レーション関係は何も載せないままだった。

 当初は少しだけ後悔したものの、サクヤからの通信で、それなりに資材が搭載されている事は聞かされていた。この車はエイジとリンドウが使う事が多く、結果的には調味料なども各種装備されていた事によって下手に凝った物を作るでのはなく、無難にカレーとなっていた。

 

 

「いや。これは旨いって。ロミオからも聞いてたんだけど、やっぱり素材がこうまで違うと味も違ってるみたいだな」

 

 ラウンジと変わらない何時もの光景なのか、コウタは既に1杯目を完食し、2杯目に入ろうとしていた。空腹である事だけでなく、この風景もまた食事の一部だからなのか、いつも以上に食が進んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く、リンドウったらしょうがないんだから」

 

 リンドウがそのまま出た事によって、その尻ぬぐいとも取れる行動をサクヤはしていた。戦闘指揮車の使用許可だけでなく、それに伴うミッションの概要など、多岐に渡る書類を一人でこなしていた。

 ツバキが居た頃は戻ってから厳しい一言でやらせていたが、今回に限ってはその可能性を除外していた。目の前の討伐だけであれば間違いなくそうなるが、偶然極東支部の広域レーダーに引っかかったアラガミの数は思った以上に多かった。

 距離的にはまだ余裕がある為に慌てるつもりは無かったが、リンドウが強引に出た事を利用し、そのまま発注していた。もちろん、ハルオミとカノンの3人だけではあまりにもリスキーでしかない。そんな思惑があったからこそ、帰投予定のコウタに連絡する事でそのまま合流となっていた。

 以前の第1部隊であれば、規律も何もあったものではないが、マルグリットが居るのであればコウタは確実にそっちにつく事は間違いない。そんな思惑があった結果だった。

 既に予定されているアラガミの姿はレーダーから消え去っている。だからなのか、サクヤはリンドウに頼むことなく書類を纏めていた。

 

 

「サクヤさん。そろそろ終わりですか?」

 

「ええ。申請はもう出したから、今日はこれで終わりよ」

 

 作業の終了間際に聞こえたアリサの声にサクヤもようやく一息つける状態になっていた。いつも一緒の様に見えるが、今日はエイジがサテライト建設予定地の巡回に出ているからなのか、珍しく1人だけだった。

 

 

「リンドウさんも出てるみたいですから、たまにはゆっくりとしませんか?」

 

「そうね……アリサは一人寝が寂しいの?」

 

「ち、違います。さっき弥生さんに誘われたので、一緒に行くならと思ったんですけど」

 

 揶揄われている事は理解するが、サクヤが言う様に今日は少しだけ一人寝は寂しいとアリサは感じていた。恐怖心がある訳ではないが、ここ最近はエイジと一緒だった事が多く、今日は想定外の停電と言うイレギュラーもあった結果だった。

 自分のやるべき事は既に終わっている。弥生が誘う位だから、確実にここではない事は間違いなかった。リンドウ達も厳しいミッションに出ているのは知っているが、周囲の状況にアラガミの気配はない。恐らくは一晩野営した後の帰投である事を判断したからなのか、アリサからの提案をサクヤが蹴る要素はどこにも無かった。

 

 

「冗談よ。折角だし行きましょうか。あっちはあっちで楽しんでるでしょうから。それにレンの顔も見たいしね」

 

 教官と言う立場は思いの外、精神的な疲労感を感じる事は多かった。教導実技に関してはリンドウやエイジが居る為に苦労する事は少ないが、実戦となれば話は変わってくる。

 幾ら訓練を積もうが、アラガミは常に同じ行動をする訳ではない。単体での戦場であればオペレーターの技能でどうとでも出来るが、それ以外の補給や他の部隊との調整までとなればオペレーターだけでは厳しすぎた。

 ヒバリであれば可能かもしれないが、それでも戦場に神経を集中しながら他の事まで出来るのかと言えば否としか言えない。だからこそ、その負担をヤクヤが請け負っていた。肉体的な疲労とは違い、精神的な疲労は中々抜ける事はない。だからなのか、アリサからの申し出を断る選択肢は無かった。

 

 

 

 

「やっぱりここは良いわね」

 

「そうですね。疲れた時は一番かもしれませんね」

 

 湯船につかりながらサクヤだけでなくアリサもゆっくりと息を吐いていた。既にここに来るのに特別な意味は無いが、やはり別格であるのは間違いなかった。何時ものメンバーでも悪くはないが、サクヤと一緒に来る事は殆ど無い。ましてや一緒に温泉に入るなんて事はこれまでに一度も無かった。だからなのか、珍しく第1部隊当時の記憶がよみがえる。僅かではあるが、感慨深い物があった。

 

 

「でも、ここには結構来てるんでしょ?随分と馴染んでるみたいだし」

 

「そうですね。何回来たのか数えてませんが、今思えば随分と甘えてますね」

 

「良いんじゃないの?だって貴女もここの一員なんでしょ?」

 

 珍しい本音の吐露にサクヤは少しだけアリサの事を見ていた。このサテライト計画が始まってからは随分と駆け足で来ていた事は理解している。それこそリンドウとエイジが派兵している際には随分と無茶な事もしていた。しかし、最近になってからようやく軌道に乗った事だけでなく時間にもゆとりが出始めていた。

 人員の増加だけでなく、帰還による精神的な安定。一時期の顔色の悪さを思えば随分と血色はよくなっていた。だからなのか、不意にサクヤはアリサに聞いてみたくなっていた。

 

 

「ねぇアリサ。エイジと子供を作る予定はあるの?」

 

「え……今の所は特には…」

 

 突如言われた事で珍しくアリサは狼狽していた。普段もそんな話はあるが、どこか揶揄いじみた部分を感じた為に誤魔化していたが、隣に居るサクヤの目はそうではなかった。

 1人の女性としてだけではなく、一児の母親としての視線だった。どこか真剣なそれにアリサは何時もとは違う事だけは感じている。だからなのか、ゆっくりと考えていた。

 

 

「別に作りなさいなんて言うつもりはないわ。事実私だって意気込んで作った訳じゃないから。確かにまだ貴女達は若い。まだ時間もあるかもしれない。サテライト計画はまだまだだけど、軌道に乗った以上は以前の様にはならないと思うの」

 

 サクヤの言葉はアリサも理解していた。既に建設だけでなく、初期のサテライトは完全に自治が出来ているとも言える内容になりつつあった。ネモス・ディアナと言った手本があったのは間違いない。それと、そこに住まう人々の顔は当初に比べれば明るくなっている。そう感じた矢先のサクヤの言葉にアリサは改めて考えていた。

 自分達は今のままで良いのかと言われれば何とも言えない。しかし、一人の女として最愛の男性との子供を望まない訳ではない。子供が居るから支障をきたす事は無いだろう。それは今のサクヤを見れば一目瞭然だった。

 

 

「色々と言いはしたけど、これも一つの人生だと思ってね」

 

「分かりました。少しだけ考えてみます」

 

 そんなサクヤの言葉が身に染みたのか、アリサは今だけを考えるのではなく、珍しく少しだけ先の未来の事を考えていた。そうしてそれぞれの夜は過ぎていた。

 

 

 

 



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第41話 フランの思い出

 アイスブルーの瞳には先程から数字の羅列の様な物がアットランダムに映し出されているのか、その瞳が他の場所を映す事は無かった。

 目に飛び込んでくる情報は猫の目の様にめぐるましい程に変動を繰り返している。時折赤く染まる事もあれば、アラガミのバイタル情報が一気に減少していく。傍から見れば圧倒的な情報量にも拘わらず、金髪の少女は終始冷静に判断をしていた。

 

 

「α1。バイタルが危険です。速やかに回復をして下さい」

 

「アラガミのバイタルが大幅にダウンしています。あと僅かです」

 

 耳に付けたインカム越しに響く音は戦場での出来事。端末と音の二つの情報で少女は戦場を完全に把握していた。

 ピアノを演奏するかの様に端末を叩く音に澱みはなく、次々と指示を繰り出していく。この少女にとっては今手掛けているミッションは何時ものブラッドのメンバーではなく、極東の新人から中堅までの部隊のオペレート。何時もとは勝手が違うからなのか、既に時間にしてどれ程の時間が経過しているのは判断する事すら出来ない。このまま終わりが見えないと思われた瞬間だった。

 

 

「オラクル反応が途絶えました。皆さんお疲れ様でした。帰投の準備は出来ていますので到着まで暫しお待ちください」

 

 その一言で漸く厳しい戦いに終止符が打たれていた。インカムを外すと同時に、大きく息を吐く。先程までは殆ど呼吸をしていなかったからなのか、肺に入る冷たい空気はどこか心地よく感じていた。

 

 

「フランさん、お疲れ様でした」

 

「いえ。私はまだまだです」

 

 背後から声をかけられたと同時に落ち着く事ができたのは、ヒバリが持って来ていたアイスティーを口に含んだからだった。端末上では先程の戦闘データが改めて確認しやすく出来るようにログデータとしてまとめられている。

 何時もと違ったミッションはフランの冷静な見た目にそぐわず極悪な物だった。普段であれば連続ミッションはこのレベルの部隊が受注する事は殆ど無い。仮にあったとしても第1部隊やクレイドル。若しくはブラッドが入る事が多く、またどの部隊も隊長そのものが冷静に判断するからなのか、オペレートする側もかなり安心できる事が殆どだった。

 

 『戦場では冷静さを失った者から脱落していく』誰が言った訳でも無い言葉ではあったが、今の極東はまさにこの言葉がピッタリと当てはまる事が多かった。

 連戦に次ぐ連戦は肉体だけでなく精神までもが疲労を蓄積していく。その結果、集中力が低下し、やがてはアラガミに捕喰される運命だけが待ち構える事になるのはここの常だった。

 初めて配属されたフライアはどこか実験施設の様なイメージがあった為に、ここまで厳しいミッションに当たる事は殆ど無い。精々が小型種が数体か、時折単体で見る中型種のミッションが殆どだった。もちろん、本部でも今のシステムが導入されてからは生存率が大幅に向上した事は知っているが、この程度のミッションであれば、態々自分達が出るまでも無いとさえ考えていた。もちろん現場を軽視している訳でも無ければ、慢心している訳でもない。精々がシミュレーションをそのまま実行しているだけにしか思えなかった。

 

 そんな中でラケルの計画によって極東支部に来てからのフランはこれまでの常識を良い意味で破壊されていた。ここでは常にイレギュラーが発生し、そのどれもが高難易度ミッションに相当している。

 戦うアラガミだけに集中すれば、今度はその戦闘音を察知して他の地域に居るアラガミがまるで吸い寄せられるかの様に戦場に舞い降りる。実際にこの目で見た事はないが、確実に生きたまま地獄に放り出されている様な錯覚を覚えるのは既に両の手で数える事すら不可能な程だった。

 

 

「そうですか?少なくとも私はフランさんと同じ頃はそんな事は出来ませんでしたよ」

 

「それはここのシステムが優秀だからですよ。私はただそのシステムの現す内容を口にしているだけですから」

 

 出されたアイスティーはゆっくりと量が減っていくのと同時に、これまで乾ききった喉は潤いが起こったからなのか、フランも落ち着きを少しづつ取り戻していた。本来であればロビーのカウンターの中で飲食をする事は褒められた物ではない。万が一精密機器に問題が発生すれば、全ての任務に大きな影響が出てくる。

 だからなのか、カウンターの中では無く、少し離れた場所にある椅子に腰を下ろして話をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フラン=フランソワ=フランチェスカ・ド・ブルゴーニュです。名前が長いのでフランとお呼び下さい」

 

「私は竹田ヒバリです。これから宜しくお願いします」

 

 フライアから配置転換されたばかりだからなのか、フランは少しだけ緊張していた。各地を転々と変わる事はオペレーターの場合、殆ど無い。戦闘時におけるサポートだけでなく、それ以外にも色々とやるべき事が多い為に、事実上の事務的な仕事も多かった。

 キッカケは実に些細な事。これまで運用をしていた神機兵について色々と情報の開示請求を出しはしたものの、返ってきた答えは事実上のフライアからのパージだった。

 

 決して何かを探ろうとした訳ではない。フランとしては万全を期したいが為に情報を開示してほしいだけだった。何もわからないままでは任務にも多大な影響を及ぼす。仕事を全うする為の当然の行為だった。しかし、ラケルが出した答えはこの地からの転属。自分の身に何が起こったのかすら分からないまま極東へと配置転換していた。

 

 極東支部の支部長でもある榊から誘われた事実はフランにとっては喜ばしい物だった。従来であればパージした人物を受け入れようなどと思う可能性はかなり低い。理由はともあれ、何かしらのトラブルを抱えているに違いない。そう思われるのが関の山だった。

 ここにはブラッドが居るだけでなく、一時期本部で共同任務をした凄腕のオペレーターが居る事もここに来る材料の一つだった。初めてシステムが導入された際に、一番の実績を叩き出した人物が居るのであれば、自分もその高みに至りたい。実績を考えればかなりのベテランだと勝手に予測した事もあったが、目の前に紹介された人物はどう贔屓に目に見ても、自分と対して年齢が変わらない様にも見えていた。

 いくらあれこれと想像した所で実際に見ればすぐに分かる。自己紹介された際のヒバリはまさに年齢に見合わない落ち着きを持っている様にも見えていた。

 

 

「貴女があの竹田ヒバリさんですか。お噂はかねがねお聞きしてます」

 

「私は特に変わった事は何一つしてませんよ」

 

 柔らかな笑みを浮かべはするが、ここに来るまでにフランは情報を確認していた。当時導入された際にはこれまでの様にただ状況を伝えるだけではなく、確実にゴッドイーターをサポート出来る能力は生存率を大幅に引き上げている。

 もちろんシステムが優秀なのかもしれないが、それだけであれば本来であれば全体が底上げされるのが当然。しかし、当時の状況を見れば突出した成果を収めているのは極僅かだった。そんな中でも極東支部の成績はダントツ。だからなのか、フランもここに決まった際にはかなり緊張したままだった。

 

 

「ですが、本部での成績は竹田さんが一番でしたので、私としても是非指導して頂きたいんです」

 

「いえ。私の出来る事なんて限られていますので」

 

 フランの言葉にヒバリは照れながらもどこか謙遜している様にしか見えなかった。ここでは自分を前面に押し出す様な文化は殆ど無く、常に控えめにしている事が多いと聞いている。だからなのか、そんなヒバリの言葉を全部受け入れている訳ではなかった。

 自分がここに来た経緯を正確に知ってるのは支部長でもある榊だけ。事実上のパージはオペレーター失格の烙印を押されている様にも思えていた。

 

 

「そんなに卑下する必要はありませんよ。フランさんがここに来るまでにナナさんや北斗さんからも話は聞いてますから。かなり優秀な方ですって」

 

「え……そうでしたか」

 

 何気なく言われたヒバリの言葉にフランは自分の顔が熱くなった様な気がしていた。ブラッドの様に戦闘に出ている訳では無い。自分の様な非戦闘員を普段はどんな目で見ているのかはフランも何となく理解していた。それは元々のフランの立ち位置にも大きく影響していた。

 

 実際にフランは元からオペレーター志望として入隊した訳ではない。元々は本部の士官候補生としてフェンリルに配属されていた。士官ともなれば見るべき物は多岐に渡る。そんな中で現場の視察に対する一幕がフランの価値観を大きく歪めていた。

 士官候補生とは言え、現場に出ればそれなりの階級を実質的には持つ事になっている。

 それは命令系統に大きく由来する部分が多分にあるだけでなく、緊急時における指示やそれに伴う責任の所在を明確にする為だった。大きな権利を有する者はそれに伴い大きな義務も発生する。自分勝手に行動を起こせば大事な人的資源でもあるゴッドイーターの命を脅かす可能性があった。

 事実、本部では殆ど無いが、現場での対応を誤った結果、部隊の全滅などあった日には確実に候補生と言えど責任の義務が発生する。だからなのか、適当過ぎた司令が最悪の結果をもたらしていた。

 本来であれば士官候補生と言えど厳罰は免れない。

 指示系統を一本化した際に、事実上の責任が発生した案件で、フラン以外の候補生はその際に、一人の人間の誤った指示であると責任を擦り付けていた。その結果、担当した人間は弁解をする間もなくその職を追われ、気が付けば何時の間にかパージされていた。

 

 一度はフェンリルでの職に就いた者の末路は哀れの一言だった。これまで何不自由なく生活出来た物が、パージされた事によって日々の配給に並ぶ生活を強要される。慣れ切った者が悪いのか、それともそんな環境が招いた結末なのか、その人間は人知れず自殺してこの世を去っていた。フェンリルからすれば大した事が無い人材の世話など一々しない。

 財閥の跡取り程度であれば何かしらの便宜を図る事も可能だが、生憎とそんな都合の良い物は早々存在しない。だからなのか、そんな陰謀や責任転嫁を当然の様に行う人間が部下に恵まれる可能性は皆無だった。

 そんな事実を知っているからこそフランは最初に言われた言葉の意味を理解するのに時間がかかっていた。短い期間にも拘わらず、こうまで評価してくれる人間はあまりいない。だからこそ、ナナと北斗がヒバリに話した言葉はフランにとっては驚きの結末でしかなかった。

 

 

「実際にフライアでの稼動状況は少しですが入手しています。私も今のままは結構大変なので、フランさんが来れば助かります」

 

 ヒバリの飾らない笑みはフランの緊張した雰囲気を壊していた。データ上ではかなりの才女の様なヒバリではあったが、今のフランの目に映るそれは歳相応の姿。そんな光景を見たからなのか、フランはここならばと思いながら今後の任務の事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「α1直ぐにその場から離脱して下さい。α2は周囲の索敵を!」

 

 順調に進むと思われた時間は一瞬にして過ぎ去っていた。本来であれば何ら問題無いはずのミッションだったが、災厄は突如として舞い降りていた。

 『感応種』ゴッドイーターをまるで嘲笑うかの様にイェン・ツイーは上空から舞い降りていた。シユウ種の武人の様な雰囲気とは違い、どこか貴婦人を思わせるその姿は、ただ見る分には問題無いかもしれないが、ここが戦場である以上、うっすらと浮かべた様に見える笑みはまさに地獄への片道切符でしかなかった。

 極東のルールではブラッドが居ない場合、スタングレネードを使用しその場からの緊急離脱を義務付けている。その為に、どんなミッションでも最低限1個は保有しておく必要があった。

 しかし、見えない何かに導かれるかの様にアラガミが次々と沸き起こった事から手持ちのスタングレネードはゼロ。その為に今出来る事は動かない神機を持ちながら逃げ惑う事しか出来なかった。

 幾ら通信機に叫ぼうが、次々とバイタルを表す数字は減少を続けている。気が付けばα3の生命反応は消失し、α1は風前の灯火。本来であれば救護に向かうべきα2はフランの指示で周囲の索敵を行いながら離脱の可能性を探っていた。

 

 

「α1バイタルが危険です。直ぐに回復を!」

 

《まだ感応種に襲われたままだ。振り切る事は不可……》

 

「α1、応答して下さい!」

 

 フランの言葉も空しくそこから聞こえるはずの声は既に無くなっていた。画面に出ているのはバイタル信号を発信していないα1のデータ。先程の途切れた声と画面上から判断出来る事は捕喰された事実だけだった。

 自分の指示をこなしたはずの人間が、自分の指示によって命が消えている。これまでにもフランは何度もシミュレーションを繰り返した際に、何人かのゴッドイーターが犠牲になった事はあった。しかし、それはあくまでも戦略的な結果であって仕方の無い事でもある。当時はそうやって割り切れたものの、最後までフランの耳朶に残った声は紛れも無い現実でしかなかった。

 先程まで激しく動いた数字は完全にゼロから動く事は無い。動かないバイタルの数字を見たフランはそのまま呆然としていた。

 

 

「α2、離脱可能ですか?」

 

《ああ、何とか可能だ》

 

「であれば速やかに離脱して下さい!」

 

《だが、他の仲間が》

 

「もう間に合いませんので」

 

《……了解した。直ちに行動を開始する》

 

 呆然としたままのフランの通信を横取りしたかの様にヒバリはまだ生き残っているα2に向けて通信を繰り返していた。本来であれば到底容認される様な内容ではないが、緊急事態が故の判断だった。既に位置情報を確認すればギリギリアラガミの索敵範囲から外れたのか、アラガミはその場から動く事は無い。漸く死地からの脱出ともとれるミッションに幕が下りていた。

 

 

「フランさん……」

 

 今のヒバリの目に映るフランは呆然した表情を浮かべていた。詳しい事は分からないが、フライアでオペレーターをした際には経験した事が無かったのかもしれない。そんな考えがヒバリの脳裏を過っていた。

 フライアの頃は何も分からないが、実際に自分のオペレートで死者が出たとなればショックは大きい。事実、自分も一度は通った道だからこそヒバリは今のフランの心情を理解していた。

 他の支部は分からないが、ここでは何だかんだと死者の数はそれなりに出ている。実際にヒバリも自分のオペレートでも亡くなったゴッドイーターを何人も見ているからこそ、立ち直って前に進むしかない事を理解していた。

 

 

「フランさん。亡くなった方の事を思えば気持ちは分かりますが、だからと言って何もしなくても良い訳ではないんです。直ぐにα2の回収の準備を行ってください」

 

「…………」

 

「フランさん。一度しか言いません。亡くなった方にばかり目を向けたら生き残ったα2は一生気に病む事になります。貴女がどうなろうと勝手てすが、生存している方を優先して下さい」

 

 慰めるのではなく、冷徹にヒバリはフランに対し指示を出していた。未だボンヤリとはしているが、言われた言葉を辛うじて理解したからなのか、ノロノロと指示を出す。覚束ないまでは行かなくても初めの頃の様な手つきは一切見えなかった。

 

 

 

 

「私は……」

 

 フランは人が少なくなったラウンジのカウンターの端で一人最後のミッションの事を思い出していた。自分の指示が誤りだったのだろうか?それとも他のやり方があったのだろうか。幾度となく色々なプランが浮かんでは消え去っていく。自分の手で守る事が出来たのは単なる偶然にしか過ぎない。自分の手は何て小さいままなんだろうと、一人悔やんでいた。

 

 

「隣、良いですか?」

 

 落ち込んだフランはただ言われたからなのか、その声が誰なのかを確認せずにそのまま座る事を応諾していた。特別な事は何もない。そんな空気だけがそこに残されていた。

 

 

 



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第42話 それぞれの記憶

 人の少ないラウンジには、カウンターの前に居る弥生以外にはフランと隣に座った人物以外に人は居なかった。

 顔馴染だからなのか、シェイクする音の後に何も言わないにもかからず二つのグラスが差し出されている。一つを自分が取ったからなのか、残りの一つはフランの前に置かれていた。

 呆然としたままのフランの前に置かれたグラスから漂うそれが、意識をとり戻させる役割を果たしたのか、改めて隣に座った人物が誰なのかを確認する為に振り向いていた。

 

 

「ヒバリさん……」

 

「少しだけ付き合ってくれませんか?」

 

 何時もと変わらない様な笑顔の様に見えるが、その瞳はフランを心配している様にも見える。本来であればやるべき事はいくつかあるが、今の段階で手につく事が出来ない為に何もする気が起きない。特にこれと言った予定も無かった事からヒバリの言葉通り、目の前に出されたグラスを傾けていた。

 仄かに赤い色合いから想像した通りの甘酸っぱさを残すが、どこか爽やかさを残す。出されたそれが何なのかは分からないが、フランの落ち込んだ空気が少しだけ緩くなった様にも感じていた。

 

 

「私も、実はこの仕事に入った頃は悲惨でした。今みたいな体制にはなってないですから、毎日誰かしら殉職していくんです。朝、顔を見た人が帰りには腕輪だけになって戻ってくる。そんな事はしょっちゅうでした」

 

 ヒバリが何を話しているのかはすぐに理解していた。それは紛れもなくヒバリ自身の経験。もちろん、聞いてほしいなんて言われた言葉は何一つかけられていなかった。

 本来であれば自分語りを聞く必要は無いのかもしれない。仮に自分の方がもっと悲惨な経験をしていると言いたいのかもしれない。しかし、そんな言葉が何も出ない以上この場で行動する選択肢はフランが持っている。先程口にしたそれが少しだけ気持ちを溶かしたからなのか、フランはヒバリの声に耳を傾けようと思っていた。

 

 

 

 

 

「ヒバリちゃんどうした?」

 

「いえ。何でもありませんので」

 

 ここ最近、ヒバリはあまり眠れない日を過ごしていた。理由はたった一つだけ。ここ最近のアラガミの襲撃が予想以上に激しい事から出動するゴッドイーターの殉職率が高くなっている事だった。

 元々極東では討伐専門の第1部隊以外にも防衛を専門とする第2、第3部隊とそれぞれの任務を持った組織編制が行われていた。危険度から行けば第1部隊がその最たる物だが、ここ最近は部隊長のリンドウの活躍が著しい事から、新たな人員を投入するのではなく、基本となったメンバーに時折追加する程度だった。

 もちろん、本来であればチームワークなる言葉も存在するが、それぞれが個性的な戦い方をする事から、この部隊に於いてはそれほど気にする様な事は無かった。

 

 それよりも重要なのは第2、第3部隊。任務の大半は討伐に対する事よりも、アナグラの周囲の集落の保護や、時折外部居住区に侵入するアラガミの討伐がメインとなる為に、常に厳しい戦いが要求されていた。撤退戦はただ逃げれば良い訳ではない。護るべき物を抱えながらとなる為に、人員の投入が多く、また、その内容は多岐に渡る。その結果、討伐すべきアラガミに捕喰されるケースが多かった。

 そんな中でもここ最近のアラガミの数は尋常とはいいがたい程の数にまで膨れ上がっている。その結果として、ほぼ毎日誰かしらが殉職する日々だった。

 

 

「まぁ、俺が言うのもなんだけど、気にしすぎない方が良いと思うよ。そりゃ、殉職した手前悲しむなとは言わないけど」

 

 ヒバリに声をかけたのは第2部隊長でもあった大森タツミだった。元々神機の適合率が低かった事によって一時は何かと悩む部分は多分にあったが、最近になってからはこれまでとは違い、数字上では格段に良くなっていた。

 まだヒバリがここに配属された当初は、何かに悩み常にもがいている姿しか見た事が無かった。

 そんな中でとある出来事を乗り越えてからは、これまでとは打って変わって大幅に数値が上昇していた。その結果、第2部隊の配置された箇所での殉職率はかなり低い物になっていた。

 部隊全体の技量が突然上昇する事は無い。何かが突出しているからこそ今の結果になっているが、その原因は目の前に居る人物が原因だった。

 

 

「ですが……」

 

 タツミは手にしていた缶の一つをヒバリに渡していた。元々何かを話すつもりだったからなのか、それとも偶然だったのかは分からない。しかし、目の前に居る人物もどれほど困難な状況の中で今に至っているのかを知っているからこそ、ヒバリも無碍に扱う様な事は無かった。

 カシュッと開けた缶からは柑橘系の匂いがヒバリの鼻孔を擽っている。明らかに自分の事が気になっていたんだと言う事を理解していた。

 

 

「悲しんだ所で、死んだ連中が生き返る訳じゃ無い。無理に割り切ったり、乗り切るなんて考えるのもダメ。もしそう思うなら、その思いを胸に秘めたまま自分が成長すれば良い。幾ら戦術書を学んだ所で、それはあくまでも一例なんだ。戦場は生き物。だったら自分ならどうするのかを考えた方が良いと思うよ」

 

「でも、それでダメだったら……」

 

「簡単な事だよ。辞めれば良いさ。逃避は赦されない行為かもしれない。でも、それは当人にしか分からない話なんだ。だって自分が壊れた所で他の人は何も思わないんだったら、その行為は無意味にしかならないんだからね。これがゴッドイーターなら懲罰物かもしれないけど、ヒバリちゃんは違うんだからさ」

 

 アッサリとした物言いにヒバリは驚きならがらもタツミの言葉に耳を傾けていた。確かに殉職はしている。だが、それが全部指示による結果なのかと言われれば違うとしか言えなかった。

 事実、オペレーターと言えど、全てを見透かすかの様に知る事はまだ困難なままだった。常に遅れて更新されるデータだけでなく、完全に調整がされていないからなのか、ヒバリが指示を飛ばす頃には既に結論が出ている事は日常茶飯事だった。もちろんタイムラグある事はヒバリが誰よりも知っている。だからと言ってシステムのせいにする事無く、あくまでも自分の指示が原因であると考えていた。

 責任感が強いと言うのは良い事かもしれない。しかし、それが方向を見誤る事になるのであれば本末転倒でしか無かった。厳密に言えばオペレーターはヒバリ以外にも何人かは居る。しかし、今の状況になってからはヒバリに一極化しつつあった。

 それが何を意味するのかはヒバリとて理解している。しかし、自分が前面に出ている今、タツミが 提案する事は本当に自分の命が掛かっている状況以外には許されない物でしかなかった。

 

 

「そうだ。第1部隊の連中にリンドウさんは常にこう言ってるよ。『死ぬな』『死にそうになったら逃げろ』『そんで隠れろ』『運が良ければ不意をついてぶっ殺せ』だって」

 

「それは……」

 

 タツミの言った言葉にヒバリは暫し呆然とするしかなかった。ここの第1部隊は精鋭中の精鋭。とてもじゃないが、そんな事を言っている様には思えなかった。

 ひょっとしたらタツミが嘘を言っている可能性も否定出来ない。しかし、そんな事は本人に一言確認すれば良いだけの話でしかない。だからなのか、その言葉に気が付けば自分の考えに拘りすぎているんだと気が付いていた。

 

 

「色々と考える部分はあるかもしれない。事実、俺だって目の前で何人も捕喰される場面を見てるんだ。だけど、全部を助けるなんて出来ない。だから俺は自分の出来る範囲の事だけを悔いなくやるしかないんだ」

 

 ヒバリの返事を聞く事無くタツミは缶の中身を飲み干したからなのか、そのまま缶を捨てその場から離れていた。

 自分が出来る事は何なのか。本当に全力だったのだろうか。その答えを知る者は誰も居ない。気が付けば、缶を持ったままヒバリはもう少しだけ気持ちを切り替える事に成功していた。

 

 

 

 

 

 フランはヒバリの独白の様な物を聞いて、改めて自分のこれまでの事を振り返っていた。自分でもやれる事を本当にやり切った結果なんだろうか。本当に間違いは無かったのだろうか。まさか自分と似たような悩みをヒバリが持っているとは思ってもいなかったのか、驚きながらも隣を見る事はなかった。

 聞いてくれと言われた訳では無い。恐らくヒバリにそれを言えば確実に独り言を言っただけだと言われる可能性だけだった。それ以上の事は何も言う事が無かったのか、隣に居たヒバリは出されたカクテルを静かに飲んでいた。

 

 

「フランさん。はい、これ」

 

「私は未成年ですから……」

 

 無意識に出た物を飲んだからなのか、空になったグラスを片付け、弥生は改めて新しい物を出していた。グラスは先程と同じ物だったのか、シェイクされた赤い液体が入った中に氷が僅かに浮かんでいた。

 

 

「これは、『バージンブリーズ』ノンアルコールのカクテルだから大丈夫よ」

 

 弥生がそう言いながら出したグラスにフランは視線を動かしていた。確かにアルコール特有の匂いはしない。先程出された物と同じではあったが、気が付いたら全部飲んでいた為に、完全に記憶には残っていなかった。

 改めて口にすれば爽やかな甘酸っぱさが口腔内に拡がっている。先程の言葉も聞いたからなのか、フランの心はどこか軽くなった様な気がしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、あの時の事なんですが…」

 

「あの時の事ですか?」

 

 アイスティーを飲み干したフランは改めて当時の事を思い出していた。あの時の言葉がキッカケだったのかは分からないが、今になって漸く言葉の意味が理解出来た様な気がしていた。

 自分の足りなかった物。そして僅かではあるが慢心していた事。それらが無意識の中で存在していた事を改めて反省していた。今、戻る事が出来るなら思いっきり自分を叱りたい。非戦闘員だからこそ出来る事がどれ程多く、また、その考えかた一つで現場で戦う戦闘員の命をどれ程救えるのかを。

 過ぎ去った時間を戻す事は出来ない。だからこそ、今出来る事を最大限にやるしかないと改めて考えていた。

 

 

「はい。あの時の言葉が無ければ私はいつまでもあの時の頃から前には進まなかった様な気がします」

 

「そうなんですか」

 

 敢えて具体的な話をする事は無かった。あの時はまだオペレーターとしてもまだ極東に馴染んで居なかった頃の話。今となっては当時以上の厳しい局面を乗り越えはしたが、それもヒバリのサポートあっての話でしかない。そんな中での今回のミッションはどちらかと言えば、単独でどこまで出来るのかの試験の様な部分があった。

 

 次々と送り込まれるかの様に現れたアラガミはその場に居るゴッドイーターの精神をへし折るだけの物量で迫っていた。突出した攻撃力を持たない部隊編成は確実にオペレーターからの戦術が必要な局面が多分に出ていた。

 討伐と出現の速度が僅かでも狂えば、一気にアラガミが押し寄せ部隊は全滅。仮に救援を呼んでもそれが来るまでも戦線が持ち堪える事が出来るのかすら危うい戦場はこの場に居たフランも背中に嫌な汗が流れる程。しかし、これがゴールではなくまだスタート地点に立ったに過ぎなかった。

 まだまだこの先には幾つもの道がある。そんな取り止めの無い事をフランは考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の帳が落ちた同時に、ラウンジもまた何時もとは違い照明が少しだけ落とされていた。あの時と違うのは隣に居るのはヒバリだけではなく、ウララとテルオミが一緒だと言う点。珍しく突発的なミッションが発生しないからとフランはヒバリとウララ、テルオミを誘ってラウンジへと足を運んでいた。

 周囲の人間もミッションが終わったからなのか、それともこの雰囲気に合っているからなのか、どこか静かな空間を醸し出している。僅かに聞こえる音楽がそんな空間に彩を添えている様だった。

 

 

「あの、これはアルコールじゃないですか?」

 

「それはノンアルコールです。ここだとアルコールは20歳以上ですから」

 

 ウララは出されたグラスを見ながらただ驚くだけだった。普段は賑わいを見せるラウンジではあるが、特定の曜日の時間となると、照明が落ちると同時にどこか大人びた空間になる事があった。

 それはここの人員の構成による物だった。未成年であれば普段から賑わう空間ではあるが、これがそれなりの年齢に達した者からすればどこか物足りない空間でしかない。只でさえここは憩いの為の場所として作られた経緯がある為に、全てを満たす必要性があった。

 しかし、全ての時間をそうするには今度は人が足りなくなる。ムツミの様に外部から引き入れるには余りにも時間が短すぎる事から、弥生かエイジが入らない場合は何時もと変わらない空間にしか過ぎなかった。

 そんな事もあってかウララがこの時間帯にラウンジに足を運ぶ機会が極端に少ないからなのか、どこか気後れしていた。気が付けばヒバリとフランの手元にはシェイクされた飲み物が入ったグラスが置かれている。ウララがそう感じたのはこの場の雰囲気がそうさせている為だった。

 

 

「じゃあ、皆さんお疲れ様でした」

 

 はしゃぐ程の声ではなく、この場に居る数人にだけ聞こえる様にヒバリが音頭を取ると、グラスがカチンと合わさった音だけが周囲に聞こえる。普段は騒がしい空間も、今は静まり返った空間である事を意識した結果だった。

 傾けるグラスは確かにアルコールの味は無い。おっかなびっくり飲んだウララも漸く違うと理解していた。

 

 

「でも、珍しいですね。僕まで呼んでくれたのは嬉しいですけど、やはり女性同士の方が良かったんじゃないんです?」

 

「確かにそれはそれで楽しいんですけど、何となく皆でこんな空気に浸るのも悪く無いかと思ったんですよ」

 

 テルオミの疑問に答えたのは以外にもフランだった。確かに話しはヒバリから聞いたものの、実際に主催したのがフランだと知らなかったからなのか、テルオミは確認すべく口を開いていた。

 元々同じ職場の先輩でもあるフランは、どこか凛とした部分があるからなのか、初見では意外と話し辛い部分があった。テルオミも当初はそう考える部分はあったが、実際に話をすればそんな空気は余り無い。

 自分やウララにとっては何かをよくしてくれる良き先輩だった。テルオミは時折兄のハルオミに呼ばれてここに来る事はあるが、ゆっくりとここで飲んだ記憶は余り無い。

 常に酔っ払いの介抱が要求されるからなのか、この時間帯のラウンジにはあまり良いイメージを持つ事は無かった。

 

 

「テルオミさんはここには来ないんですか?」

 

「う~ん。僕の場合はどちらかと言えば兄の回収ってイメージが強くて、ここに来る事はあっても、こんな風に居るケースは無いですね」

 

 そう言いながらテルオミは自分が頼んだカクテルを口にしていた。年齢からすれば兄の影響が強すぎたのか、ここでの年齢よりも幾分か早くデビューしている。ウララとは違い、飲んでいるそれもまたアルコール度数が強い物だった。

 知らない人が見ればただのアイスティーにも見える。ウララやフランの年齢を考えたからなのか、あまり違和感が無い物を選択していた。

 気が付けばウララの前にはオレンジ色の液体が入ったグラスが置かれ、フランの前には赤い液体のグラスが置かれていた。

 

 

「流石に未成年にアルコールは出さないわよ」

 

 そんな空気に気が付いたのか、弥生は各々に出した物を説明していた。ヒバリとテルオミは通常のカクテルではあるが、ウララとフランはノンアルコール。ここでは雰囲気に合った物を差し出すからなのか、弥生は相手を見た上で確認していた。

 赤色の液体が入ったグラスを僅かに傾ける。以前に味わったあの時の様子が脳裏に浮かんだからなのか、フランは少しだけ笑みを浮かべながら、出されたバージンブリーズを味わっていた。

 

 

 



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第43話 シエルの思い

 周囲には人の営みが全く感じられない程に無機質な壁だけがそこにあった。僅かに上方を見上げれば、そこには数十平方センチメートルの空間に鉄の棒が差し込まれている。そこから見える青空が、そこから見上げている空間を一層冷たい物へと意識させられていた。

 既にここに入ってからどれ位の時間が経過したのだろうか。そんな取り止めのない考えを持ちながら銀髪の少女は自分の膝を抱えながら丸くなって座っていた。

 

 

「時間だ。そこから出ろ」

 

 まるで人間ではなく動物でも扱うかの様な男の声に銀髪の少女はゆっくりと立ち上がり、ノロノロと動きながら格子の外へと歩き出す。既にここでのやりとりは何回目なんだろうか。そう考えながら光が差す方向へと視線と向けた瞬間だった。

 

 

 

 

「夢……ですか」

 

 目を開くとそこは何時ものコンクリートむき出しの自室の天井ではなく、木目がしっかりと入ったどこか温かみを感じる天井。目覚めたばかりの脳がゆっくりと回転し始めたからなのか、漸くここが屋敷の一室である事を思い出していた。

 掛け布団をどかし、周囲を見ればナナが掛け布団を蹴飛ばし大の字になって寝ている。その隣には反対側を向いているが、リヴィの寝息が僅かに聞こえていた。外は薄明るいが、時間は恐らくはまだ早い。規律正しいシエルにとって、想定外の起床だったからなのか、これからどうしようかと僅かに悩んでいた。

 時計が無い為に正確な時間は分からない。恐らくはまだ誰もが寝ているだろう。そんな取り止めの無い考えと同時に、自分の浴衣の襟を直しながら扉を開けて外の空気を吸いに出ていた。

 早朝の空気はまだ澄んでいるからなのか、肺に入った新鮮な空気が脳を活性化させる。

 思考がクリアになったからなのか、シエルは自分が知りえる範囲を少しだけ歩こうと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シエルちゃん。今日って時間空いてる?」

 

「今日ですか?」

 

「うん。今日だね」

 

 シエルは突然ナナから言われた事によって改めて今日の予定を思い出していた。日常のルーティンとも取れるバレットの研究や戦術書を読むのは既に日課となっている為に、改まって何かがある様な記憶は無かった。もちろん、今日が非番である事も間違い無い。

 ナナから予定を聞かれるまでは、カルビに餌を与えた後は何も決まっていなかった。

 

 

「特に何かがある訳ではないですね。どうかしたんですか?」

 

「実は、リヴィちゃんが屋敷で例の教導の為に行くんだって。特に予定も無いから一緒に行こうかと思って」

 

 ナナの言う例の教導はリヴィの舞踊に関する事だった。元々はマルグリットの強さの秘密を教えてもらうだけのはずが、気が付けば本格的な内容へとシフトしつつあった。

 これが単なる舞踊だけであればリヴィとてそうまで入れ込む事はなかったが、やはり重心が不安定な態勢でも安定し、その結果として自身の神機の攻撃方法が多彩になった事から益々その動きに磨きをかける様になっていた。

 元々リヴィだけでなく、マルグリットやアリサも同じ事をしていたのもあったからなのか、気が付けば既にそれなりの腕前に変貌しつつあった。

 

 

「私達も一緒に行って大丈夫なんですか?」

 

「念の為に弥生さんに確認したらOKだって」

 

 ミッションとは違い、好奇心もあったからなのかナナは既に確認済みだった。シエルとしても特に大きな予定がある訳ではない。だからなのか、ナナの言葉にシエルもそのまま行動する事になっていた。

 

 

 

 

「もっと手の動きを緩やかに。品が感じられません」

 

「ゆっくりと丁寧は違います。もっと動きの一つ一つを意識して下さい」

 

「足さばきが乱れてます。もっと流れる様に」

 

 以前に見たリヴィの演舞は自分達が見る分には何の問題も無いと思われていた。

 事実、素人が短期間でああまで動けるのは本来持っている運動能力が寄与している部分もあるが、ナナやシエルからすれば十分すぎる内容だった。

 そんなリヴィの舞も屋敷に来てからは指導と指摘のオンパレード。ゆっくりとしか動いていないにも拘わらず、リヴィの額や首筋には玉の様な汗が浮かんでいた。厳しい指導にナナとシエルも息をする事も忘れる位に今の状況を見ている。張りつめた空気は一層の鋭さを持っていた。

 

 

 

 

 

「は~見てるこっちも疲れちゃったよ」

 

「そうですね。ですが、中々面白い物もありましたよ」

 

 リヴィの教導が終わると、まるで今まで呼吸すらしてなかったのかと思える程に2人は大きく深呼吸をしていた。

 既に時間がどれ程経過したのかは分からない。それ程までに濃密な内容に思わず言葉が漏れた様だった。

 

 表面上に見える優雅な動きは、あくまでも見える範囲だけの話。しかし、着物の中では全身の筋肉を余す事無く使い切り、自分の指先にまで細やかな気配りが要求されていく。

 思考しながら行動を起こす事は簡単では無い。意識すればするほど脳は酸素を求め、身体への供給が少なくなり、その結果パフォーマンスは低下していく。

 もちろん、思考した結果、動きに優雅さが消えれば、今度はそれを指摘される。

 緩やかな中での並行思考は実際にアラガミと対峙している時と大差ないからなのか、その疲労度は、これまでに一度も感じる事が無い程だった。

 慣れない動きだからと加減される訳でもない。だからなのか、リヴィは心身共にゆっくりと追い込まれていた。

 

 当初は何となく眺めていたシエルも、その意図に気が付いてからは自分の脳内で色々と動きをシミュレートしながら見ていた。動きの一つ一つに無駄が無く、それが動く意味を理解させられる。

 当初は何故と言った疑問が生じていたが、ここまで見て唐突に理解していた。どんな動きにも必ず何かしらの意図があり、また常に最短を通さなければ流麗な動きにはなり得なかった。

 迷いがあれば動きに澱みが出る。だからこそ、細やかな部分まで意識する必要があった。

 

 

「面白いものって?」

 

「動きの一つ一つを意識付けると言うのは案外と難しいんです。実際には私達が普段の生活をする際に、一々意識しながら身体を動かすなんて事はしませんから」

 

「なるほど……確かに言われてみればその通りだね」

 

「恐らくですが、意識する事によって稼動限界や効率の良い動かし方を身体に覚え込ませているのかもしれません。だからこそ舞踊が教導に活かせる意味なんだと」

 

 ナナに説明をしながらシエルはリヴィのこれまでのミッションの事を思い出していた。

 ヴァリアントサイズはその特性上、曲線運動となる為にどうしても重心や体幹を意識する必要があった。直線運動が出来ないとなれば必然的に攻撃にはタイムロスが生じてくる。

 中距離であれば回避出来るチャンスもあるが、これが近接攻撃となれば致命的な隙を生む。相手が人間であれば生き延びる事は可能だが、これがアラガミとなれば待っているのは自身が捕喰される未来だけ。だからなのか、リヴィは一時期マルグリットに何かを聞いている事を思い出していた。

 

 

「へ~まさかそんな意味があったなんて知らなかったよ」

 

「確かに無駄にはならないのは確かですからね」

 

「流石シエルちゃんは目の付け所が違うのね」

 

「弥生さん!」

 

 背後から声を掛けられた事によって振り向くと、そこには弥生が立っていた。いくら舞踊の教導を見ているとは言え、まさか気配を察知出来ない程とは思ってもいなかった。

 普段に弥生を見れば秘書である事は理解しているが、まさかこうまで気配を殺して接近されるとなれば何かしらやっているのかもしれない。あまりにも自然に入り込んだからなのか、シエルは僅かに動揺していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうね。ここでは最低限それ位の事は教えられるから、特に意識した事は無いわね」

 

 先程の事が気になったからなのか、シエルは改めて弥生に問いかけていた。元々ここでどんな事を習うのかは、住人と一部の人間しか知らない。事実、短期間とは言え、ロミオがここに居た事でそれがどんな事なのかは理解したつもりだった。

 子供達と『遊び』と称してやった当時の記憶が蘇ったからなのか、シエルは弥生の言葉を聞く以外に無かった。

 

 

「確か、シエルちゃんは軍事として一通りの事は習ったのよね?」

 

「はい。格闘や銃撃、暗殺術など色々とです」

 

「ひょっとして、シエルちゃんの暗殺術の教官って、この人の事かしら?」

 

 何かを思い出したのか、弥生はシエルに一枚の写真を見せていた。金色の短髪の男はどう見ても暗殺術を教える様な雰囲気にには見えず、むしろ線が細く整った顔立ちをしていたからなのか、一昔前のモデルの様だった。

 

 

「はい。この方が私の教官でした」

 

「やっぱりね。この人も元々はここで学んだのよ。厳密に言えば、当主ではなく先代だけどね」

 

「そうだったんですか」

 

 弥生の何気ない一言にまだここに来た当初の事を思い出していた。どこか懐かしい様な。しかし、圧倒的な何かを何となくでも感じ取っている。まさか自分の教官もここに居たとは思ってもなかったからなのか、シエルはただただ驚くだけだった。

 

 

 

 

「シエル。暗殺術は相手に気取られたら終わりなんだ。気配は常に殺したままにするんだ。でなければ自分が逆の立場になるぞ」

 

 息も絶え絶えにシエルは何とか男に行動を悟られないように気を配っていた。暗殺術を行使する場面は今のご時世では殆ど無い。下手に何かをする位なれば、拉致した所でアラガミが出る場所に放置するだけで良かった。

 

 ある意味では死体を処理するのはこの時代、それ程難しい話では無かった。

 元々人類の天敵とも取れるアラガミに捕喰されたのであれば仕方が無い。それが今の時代の常識でもあり、仮に何かしら疑いがかかったとしても、何も問題なく処理されていく。そんな事実があるからこそ、幾らでもやりようがあった。

 しかし、今シエルに教えているのはそんなやり方ではなく、純然とした武術の様にしか見えなかった。シエルの両手には刃が潰された短刀を両手に持っている。誰かから習った訳では無く、むしろ本能に近い物だった。

 常に動き回り狙いを読まれない様にする。既に発見された以上、あとは如何に効率よく攻撃をしかけるかしか無かった。

 元々大人と子供のリーチの差はどう頑張っても埋める事は出来ない。だとすれば、やれるのは攪乱からの奇襲。一定の場所に留まらないのはその為だった。

 相手の攻撃を出させる為に牽制しながら動き回る。僅かに生まれた隙は正に致命的な物だった。

 懐に潜り込んだ瞬間、シエルは短刀で斬るのではなく刺突する事によって致命傷を与える選択肢を選んでいた。斬りつけるよりも遥かに殺傷能力が高く、極めて効率が良い攻撃。だからなのか、シエルは子供ながらに僅かに笑みを浮かべた瞬間だった。

 

 

「ぐはっ」

 

 無意識とも取れる下からの攻撃は、シエルの行動を一瞬にして止める事に成功していた。固い何かがシエルの腹部を直撃する。その正体は男が蹴り上げるかの様に繰り出した膝だった。

 奇襲をかけたはずが逆に奇襲を喰らう。隙は出来たのではなく、敢えて作る事によって誘われた結果だった。強烈な一撃は事実上のカウンター。シエルの心を挫くには十分すぎていた。

 

 

「シエル。考え方は良いが、それは悪手だ。隙は生まれるのを待つんじゃない。あくまでも作るものだ。自分の勝手な都合は戦場では通用しない。常に周囲を気にするんだ」

 

 倒れ込んだままのシエルに男はただ吐き捨てるかの様に言葉を投げかけていた。任務の失敗は自分に回ってくる。命を狙う代償はあまりにも大きい物。だからなのか、この教導では失敗すればすぐに懲罰的な意味合いで独房に入れられていた。

 

 

「あ、あ……りがとうござい……ました」

 

 辛うじて聞き取れた言葉に優しさは微塵も感じる事が出来ない。シエルはそのまま意識と手放していた。

 

 

 

 

 

「そうだったんですか……」

 

 当時の事を思い出したのか、シエルはどこか懐かしさを感じていた。あれが無ければ自分はブラッドに招聘されていたのだろうか。そんな取り止めの無い考えだけが幾つも過っていく。自分には他の人間とは違うものの、それでも思い出と呼ばれる物があった事の方が嬉しいとさえ考えていた。だがそれと同時に、ふと浮かんだとりとめのない疑問。まさかそれがどんな意味を持つのかをシエルは改めて悩む羽目になっていた。

 

 

「何が良いとか悪いとかではなく、純粋な結果ね。何事も突き詰めるには時間が少なすぎるわ」

 

「何の話だ?」

 

 気が付けば既に汗の始末をしたのか、リヴィが先程とは違う浴衣姿でこちらに来ていた。まだ完全に乾かない髪はまだ湿り気を残している。気が付けば弥生もまたこの場からは居なくなっていた。

 

 

「いえ。少しだけ思い出した事があっただけです」

 

「そうか。そう言えばナナはどうしたんだ?」

 

「確かそこに……」

 

「シエルちゃん。あ、リヴィちゃんも来たんだ。さっき弥生さんからすれ違いざまに聞いたんだけど、今晩はここで泊まって行かない?偶にはブラッドの女子会も良いと思うんだけど」

 

「女子会か……ふむ。一度は体験した方が良さそうだな」

 

「シエルちゃんも良いよね」

 

「え、あ、はい。大丈夫です」

 

 リヴィの言葉の答えとばかりにナナはこちらに向かって走り出していた。余程嬉しいのか、身体全体で喜びを表している様にも見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは……中々だな。一度ムツミに頼んでみるのも手だな」

 

「やっぱりここはご飯が美味しいよね」

 

 用意された食事を皆で食べる機会が少なかったのか、ナナだけでなくリヴィもまた物珍しいのか、運ばれた料理に手を伸ばしていた。まだ出来立てだからなのか、茶碗蒸しを木のスプーンで掬い、息を吹きかけながら食べたリヴィは余程口にあったのか、顔が綻んでいた。

 普段は中々出てこないからなのか、一気に食べ始めている。一方のナナもまた久しぶりだったのか、天麩羅に箸が止まらないままだった。気が付けば既にご飯をお代わりしている。普段とは違った食事が食欲を誘っている様だった。

 

 

「あれ?シエルちゃん。どうかしたの?」

 

「いえ。何でもありません」

 

 ナナから言われた言葉にシエルは改めて箸で天麩羅を摘まんでいた。口に入った瞬間、カリッと香ばしい歯ごたえと同時に、かぼちゃの甘味が口の中に拡がっていく。美味しいのは確かではあったが、やはり弥生から聞かされた言葉が気になったのか、思ったよりも箸は進まなかった。

 

 

 

 

 昼間の暑さは日が沈むと同時に、涼し気な空気を纏うかの様に浴衣を着たシエルの頬を優しく撫でていた。既に温泉の熱は消え去ったからなのか、心地良い風はまるでシエルを包み込む様だった。

 

 

「シエル。何か心配事でもあったのか?」

 

「いえ。そんな訳では無いんですが、まさかここの人と私が当時師事された方と繋がりがあったなんて思ってもなかったので、少し感慨深くなっただけです」

 

「そうか。誰にでも思い出の一つや二つはあるからな。それが自分の深い部分に関与してるなら当然だろう」

 

 リヴィはそれ以上は何も言うつもりはなかった。元々ここに来てから何かを考えている様にも見えはしたが、それはあくまでもシエルの問題であって自分には関係の無い話。

 もちろんお節介をやこうと思えば可能だが、それはシエルの為にはならないだろうと考えた末の結論だった。

 事実、自分もまだ螺旋の樹の探索に於いてブラッドには何かと世話になった手前、何とかした気持ちが無い訳では無い。しかし、心情に持つそれが一体何なのかが分からないとなれば、安易に踏み込んで良い物ではない。

 それ程までに人の心は難しく、また繊細な物だった。何かしら考えているからなのか、シエルはぼんやりと景色を眺めている。そんなシエルにリヴィは持っていたお茶菓子と抹茶をそっと置いていた。

 

 

「シエル。何を考えているのかは分からないが、時には自分の思いを口にしてみるのも悪くはないと思う。無理にとは言わないが、私もナナも皆シエルの味方だからな」

 

 リヴィは返事を聞く事なくその場から立ち去っていた。

 人間である以上、悩みは誰にでもある。詳しい事は分からないが、それでも同じ戦場を駆け巡った仲間の力にはなりたいのもまた事実だった。

 どんなわだかまりがあるかは分からないが、今は少しだけそっとした方が良いだろうと判断した結果だった。

 気が付けば下弦の月は少しづつ天高く天頂に向けて移動を開始している。今のシエルが悩んでいる事が解決出来れば良いだろうと、心の中で呟きながらリヴィは遠目でシエルを眺めていた。

 

 

 



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第44話 積み重ねと

 朝の特有の空気はあの時の記憶の欠片でもあった夢を流すかの様に清々しい物だった。

 アナグラであれば、朝は基本的には外気に晒される事は数える程しか無い。精々が任務に出た時位だった。

 ここはサテライトと同じく地下に施設が有る訳では無い。当たり前と言えば当たり前だが、そんな些細な違いに改めてここがアナグラでは無い事だけが理解出来ていた。屋敷そのものに足を運ぶ事はこれまで数える程しかない。決して機密ばかりが有る訳では無いからと、シエルは周囲を少しだけ探索しようと考えていた。

 日本間特有の畳の匂いだけでなく、歩く廊下も掃除と手入れがキチンとされているからなのか、塵一つ見当たらない。光が差し込む廊下はまるで光っている様にも見えていた。

 

 

「ここは思った以上に大きいですね……あれは…」

 

 周囲を歩くと言っても限界はあった。幾ら多少なりとも見知った場所だとしても、基本的にはゲストとしてここに来ている為に、勝手に動く訳には行かないと思った矢先の事だった。決して小さくない建物からは何か音が激しく聞こえて来る。改めて耳を澄ませば、それは何時も教導で聞く様な打撃音にも似ていた。

 決して誰かに言われた訳では無い。もちろん、そこで何が行われているのかは分からないが、今のシエルにとっては珍しく興味深い物だった。

 

 以前に見た北斗が瞬時に倒された戦いはシエルに取っても驚愕の一言だった。事実、今の北斗はエイジと戦っても直撃する様な一撃を与える事は困難となっている。決して北斗自身が何もしていない訳ではない。

 常に時間があれば研鑽している姿はこれまでにも何度も見ている。にも拘わらず、目指す頂きはあまりにも高いままだった。そんなエイジでさえも無明のとの戦いにはかすり傷一つ与える事が出来ない。そんな記憶がふと思い浮かんだからこそ、シエルはその音の発生源まで足を運ぼうかと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呼吸する事すら困難な状況の中で青年は少しでも一矢報いようと、回避しながらも脳は常に三手先、四手先を意識し続けていた。普段のアナグラの教導では常に十手先を考えて行動するが、今戦っている相手にそんな事は不可能でしか無かった。

 何時もとは違い、たった三手先程度での攻防は最早読みあいですら無かった。

 今、目の前に対峙する男は自分が知るうる中でも最強の人間。こちらがどれ程の攻撃を仕掛けようが、先読みしたかの様に攻撃は全て往なし空を斬る。

 自身が持つのは普段から使う九尺弱の槍ではなく、あらゆる攻撃と防御に有効な長さにまで抑えた結果だったのか、持っているそれは四尺程の長さの物。それに対し、相手はリーチを一切考慮しない無手のまま。

 当たり前の様に考えれば獲物を持っている方が圧倒的に有利な状況に変わりなく、戦いに於いては有効なはずだった。

 

 

「ナオヤ。踏み込みがまだ甘いぞ」

 

 ナオヤが持つ棒は刀に見立てたのか、鋭い一撃は男の首筋めがけて袈裟懸けに振り下ろされていた。その勢いはまさに渾身の一撃。

 それなりに腕が立つレベルであれば、最悪は命すら散らすと思われる程の斬撃は完全に見切られたのか、鼻筋1ミリを見切られ床へと叩きつけんとする勢いだった。

 渾身の一撃を回避された以上、次に待つのは自身への攻撃。なまじ力が入り過ぎたからなのか、床への一撃によって無防備な身体を完全にさらけ出していた。

 達人をも超える領域の人間に対し、あまりにも無慈悲な刹那だった。男の放った拳は腹に直撃した瞬間、ナオヤの身体はくの字へと曲がり、そのまま衝撃を逃がしきれなかったのか壁に激しく激突していた。

 

 

「まだまだ!」

 

 激しい音と共に壁に激突したナオヤもここで怯むつもりは毛頭なかった。先程叩きつけられた壁を発射台の如く利用し、一気に距離を詰めんと疾駆していた。

 体制は低いまま。何でどこを狙うのかを察知されな無い様に、持っていた棒は地面スレスレを薙いでいた。横一閃の斬撃。

 脛の周辺を打ち込む事により、回避だけでなく致命的な一撃を与えんとしたのか、その斬撃は丸い棒にも拘わらず大気を切裂いていた。

 

 

「こ、これは一体………」

 

 半ば偶然とは言え、シエルの目の前に拡がる光景は正に死闘ともとれる攻防だった。

 ナオヤの相手をしているのは、ここの当主でもある無明。どれ程の時間が経過しているのかは分からないが、濃密な殺気に似た空気はこの道場から発せられている。普段の教導を知っているシエルから見ても、まさに異質な戦いの様にしか見えなかった。

 

 一方的に攻め立てるナオヤは既に疲れを見せるだけでく、呼吸とは言えない程に息が荒い。

 無呼吸での活動時間は然程ではないが、こうまで高度な攻防を続ければ、確実に肉体だけでなく、精神をも疲労するのは間違い無かった。地面スレスレ水平に疾る斬撃は見惚れる程に鮮やかだった。

 しかし、その渾身の一撃はまるでそこに最初から何も無かったかの様に空を斬っている。ここで漸くシエルは今の攻防が如何に高度な物であるのかを悟っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり俺はまだまだだな」

 

「もう少し流れを読まねば逆に思うつぼになるぞ」

 

 先程までの攻防は、やはりなのか無明の一方的な攻撃で幕を閉じていた。

 どちらがどうなのかは言うまでも無かった。方や呼吸すら困難な状態にも拘わらず、対する片方は息切れ一つしていない。素人目に見ても互いの技術がどれ程隔絶した物なのかは考えるまでも無かった。

 先程までは命のやり取りをしている様にも見えた攻防は既に消え去っている。そこには純粋な師弟関係が見えるだけだった。

 

 

「今の俺にはあれが限界って所かもな」

 

「そうだな。獲物を変えるのは戦略的には有効かもしれん。だが、それによってこれまでの経験が一部失われているのも事実だ。ナオヤはエイジとは違い器用な部分があるからな。だからこそ悩むのかもしれんな。それと勝手に限界を決めるな。そこで成長は止まるぞ」

 

「何だか褒められてる様な貶されてる様な……って誰だ!」

 

 無明との会話を途切れさせたのはナオヤが何かに反応した結果だった。元々覗いていた訳では無いが、異様な空気に吸い寄せられたシエルはただ見ている事しか出来ないまま。だからこそナオヤの声に反応が少しだけ遅れていた。

 

 

「すみません。覗くつもりは無かったんですが……」

 

「なんだシエルか。誰かと思ったぞ。で、どうしたんだ?」

 

「少しだけ早く目覚めたので散歩しようかと思ったんですが、ここが気になったので……」

 

 覗いていた自覚があったからなのか、シエルは返事が淀んでいた。先程の戦いは明らかに何かしらの教導の様にも見える。常に先手を取るのではなく、むしろ相手を誘導しながら自分の領域に持ち込む戦闘技術はこれまで一度も見た事が無かった。

 まだブラッドに入る前に習った教導ですら児戯の様にも見える。それ程までに先程の攻防は鬼気迫る何かがあった様に思えていた。

 

 

「隠すつもりは無いから覗かなくても入口から入れば良いだろう。ナオヤ、今朝の訓練はこれで終わりだ。後は任せたぞ」

 

「あの、待ってください!」

 

「何か用事か?」

 

「あの、出来れば私もお願いしたいんですが、宜しいでしょうか?」

 

 立ち去ろうとした無明を引き止めたまでは良かったが、今度は何故そうしたのかがシエル自身も分からなかった。

 先程の時点で自分が相手にすらならない事は誰よりも自分が一番理解している。そもそもアナグラの教導でナオヤに一矢報いる事すら出来ない人間が先程まで完璧に戦った相手に適う道理は無い。しかし、今朝の夢の影響もあったからなのか、思わず口にしていた。

 

 そもそもここに来たのは予定があったからではない。偶然に過ぎないままに来たからこそ、自分の出した言葉が暴挙に近い物であることは認識している。それでもなお、シエルは自分も一度戦ってみたいと感じていた。

 

 

「俺は問題無い。だが、その格好では些か無理がある。ナオヤ、着替えと場所を教えておくんだ」

 

「それは問題ないんだけど、シエル。本当に良いのか?」

 

 ナオヤの言葉は尤もだった。自分と同等かそれ以上の人間でさえも事実上攻撃する事が困難でしかない。もちろんシエルとて認識している。純粋な教導であればナオヤも否定的な気持ちになる事はなかったが、今のシエルを見ると安易に返事をする事は憚られていた。

 どこか迷いを持っている様にも見える。自暴自棄でやれる程甘く無い事を知っているからこそ、改めて確認をしたに過ぎなかった。

 

 

「はい。一度自分と言う物を見つめ直したいんです」

 

「…そうか。だとすれば問題無いか。兄貴、直ぐに来るから」

 

 シエルの目には迷いはあれど、どこか力が籠っている様にも見えていた。

 碌な準備もせずに戦うとなればお互いが時間の無駄でしかなくなる。もちろん、そんな事は自分よりも無明の方が理解しているはず。だからなのか、ナオヤはシエルを着替える為に促す事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では行くぞ」

 

「はい。お願いします」

 

 常在戦場の様な攻撃をすれば、一瞬にして決着がつくからと、お互いが試合の様な形で開始していた。シエルは自分の持つ神機と同じ長さの木刀を持ち、無明は先程同様に無手のままだった。

 

 

 

 

 

「まさかこれ程とは…」

 

 開始と同時にシエルは一瞬にして劣勢に立たされていた。普段であれば殺気を関知すればすぐに態勢と整える事も可能だったが、対峙した無明はそんな生ぬるい攻撃をする事は一切無かった。想定外とも取れる攻撃にに対しそんな事すら出来ず、一気に追い込まれていた。

 そうなった最大の要因は無拍子で動くだけでなく、自分の呼吸を盗まれ、殺気すら持たないまま交戦した結果だった。幾ら視界に入っていたとは言え、気が付けば既にシエルの懐奥まで最接近を許している。ここから繰り出される一撃は既に致命傷だと言わんばかりの一撃だった。

 口から洩れた言葉が周囲に響くまでに倒された回数は既に分からなくなっていた。

 自身が木刀を振り上げた瞬間、シエルが目にしたのは無明が放った掌底。ナオヤの時でさえ振り下ろした瞬間が碌に見えなかったにも拘わらず、今のシエルの目に映った光景はまるでコマ送りされた何かの様だった。

 ゆっくりと見えるそれの意味が分からないはずがない。疑似的な走馬灯をイメージしたのか、シエルは防御する暇も無く綺麗に弾き飛ばされていた。

 口の中を僅かに切ったのか鉄の味がする。改めて何と対峙したのかを嫌と言う程に理解させられていた。

 

 

 

 

 

「どうした?これで終いか?」

 

「まだまだです!」

 

 既にシエルと無明の戦いは朝の気軽な物ではなくなっていた。シエルは無明と対峙しながらも1秒でも長く生き残れるかを考えていた。アラガミとの戦いでさえ、そんな考えは持つ事は殆ど無い。それ程までに対峙した無明は強大だった。

 瞬き一つ許されない戦いは一気にあらゆる物を疲弊させていく。まだ時間にして10分も経過していない。既にシエルの顔や首には水を浴びせたかと思える程に汗が流れていた。

 何時もであれば身体が熱を持つはずのそれは逆に身体を冷え込ませる原因となっていた。当時に比べ、格段に今の方が体術が向上しているはず。そんな事を考えた事すら過去に置き去りになっていた。

 余計な事すら考える余裕も無い。僅かな時間に何度倒されたのかすら数える事も出来ないまま時間だけが過ぎ去っていた。

 

 

 

 

 

「少しは蟠りがほぐれたんじゃないのか?」

 

 無明の言葉にシエルは珍しく反応する事もできず荒い呼吸だけを繰り返していた。既に無酸素運動の限界を超えた動きは身体に大きな制限をかけているからなのか、言葉を発する余裕さえ奪い去っていた。

 

 

「何を考えているかは知らんが、自分がこれまでやってきた行動は目に見えない部分にまで影響をもたらす。それが良かれ悪かれだ。自分の過去をどう捉えるかではなく、むしろ、それすらも経験にする方が建設的だろうな。精神が及ぼす影響は案外と馬鹿には出来ん。今よりも更なる精進をすると言いだろう。ナオヤ、シエルの事は任せた」

 

 シエルが言葉を発する事すら出来ない事を確信した上で無明はそのまま道場を去っていた。本来であれば悔しい気持ちもあったのかもしれない。しかし、ここまで完膚なきまでにされたからなのか、シエルは先程の言葉を改めて考えていた。自分の過去はそれほど無意味な物だったのだろうか。キッカケはリヴィの演舞と弥生の言葉。

 自分の意志でやった物であれば確実に血肉になるのは間違い無いが、自分の場合はそれとは正反対。確かに嫌々やっていた訳では無い勝ったが、それでも本当に自分の為なのかと言われた際に疑問だけが残されていた。

 そんな中での無明の言葉は自分の考えが見透かされたかの様にも思えていた。厳しい戦いではあったが、どこか清々しい。無意識の内にシエルの顔には笑みが零れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「また随分とやらかした物だな」

 

「なに。仮ではあるが弟弟子のフォローみたいな物だ。それに彼奴のやり方は人を選ぶ。実際にシエルとてどこか心が壊れたからこそ生きていたんだろうな」

 

 無明とシエルの戦いをまるで見ていたかの様にツバキは無明に確認していた。ツバキとて身重であっても自身の能力が低下した訳では無い。明らかに周囲に巻き散らした殺気に近い覇気は嫌が応にも周囲にまで伝播でしている。

 確実に今日の子供達の訓練は変わるだろう。そんな取り止めの無い事を考えていた。

 

 

「確かにあれ以来ブラッドも落ち着いて来たのは分かるが、実際にはまだまだだ。もっと厳しくするのも一つの手なんだろうな」

 

「今はサクヤがやっている以上、ツバキ程厳しくはやれてないだろう。それに、実力が不足していると自覚出来てる分だけ立ち直りは早くなる。何時までも同じ場所に留まる様であれば成長はそこで終わり、その結果その人間は更なる高見を目指す事すら出来なくなるからな」

 

 シエルの悩みを最初から知っていたかの様に無明とツバキは先程までの事を話していた。

 明らかな実力差がある場合、余程の事が無ければ倒す事はおろか、攻撃を当てる事も困難になりかねない。今回の件に関しては元々弥生からも話があったからかのか、無明はそれ以上の言葉をかける事を敢えてしなかった。

 自分が自分の事を理解出来ないままで戦場に出るとなれば、遅かれ早かれ死と言う結果だけが待つ事になる。自分がやって来た事に無駄など最初から無いと知っているからこそ、他人の力を借りるのではなく己の力だけ気づいてもらった方が本人の為になると思った結果だった。

 

 

「確かにそうかもしれんな。只でさえ変異種や感応種に戸惑う事を引き合いに考えるとこのままの停滞は死と同意だろうな」

 

「何にせよ、後は自分次第だ。俺達がやれる事なんてそう多くはない」

 

 極東に来てそれ程時間が経過した訳では無いが、無明としてもやはりブラッドの戦力は多少なりとも宛てにする部分はあった。最大の要因は感応種の討伐ではあるが、クレイドルとは違った部分で周囲に及ぼす影響は少なからずあった。

 既にクレイドルは極東の中でもどこか別格の様な雰囲気を持っているが、ブラッドに関してはまだそこまでの認識は広がっていなかった。

 

 確かにブラッドアーツに代表される力は魅力的にも思えるが、それは以前までの極東であればが前提だった。既にエイジやナオヤとの教導では未だ互角に戦っている姿を見る機会が殆ど無い。それ故に隔絶した実力差があるとは思われていなかった。

 ブラッドアーツに頼らずに圧倒出来る実力が目の前にある以上、そこでの停滞は無い。そんな思惑がそこに存在していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりですか……」

 

 シエルは無明との教導の後、一人温泉へと足を運んでいた。手加減から程遠い戦いは幾ら代謝が良いゴッドイーターと言えどダメージは確実に残る。白くキメ細かい肌には戦闘で付けられた打撃による痣が無数に付けられていた。

 一つ一つが急所の付近。あれ程の戦いの中でも手加減された事実は自分の身体が示していた。

 

 

「あれ?シエルちゃんもここに……ってどうしたのそれ!」

 

「これは先程まで無明さんとの教導の結果ですから大丈夫ですよ」

 

「え……シエルちゃん。まさかとは思うんだけど、やったの?」

 

「はい。私は正直、足元にも及びませんでしたけど」

 

 シエルの言葉にナナは微妙な表情しか出来なかった。無明がどれ程の戦闘力を持っているのはナナとて知っている。北斗でさえも瞬殺に近いのに、自分が対峙すればどうなるのかは考えるまでも無かった。

 暖かい温泉に入ってるにも拘わらずどこか寒気を感じてしまう。それがナナが持っている印象だった。

 

 

「でもシエルちゃん。ここに来る前に比べてら随分と表情が明るくなったと思うよ。昨日の晩は少し怖かったから……」

 

 ナナが折角楽しくと誘ったにも拘わらず、自分のせいで気を使わせてしまった事をシエルは悔やんでいた。元はと言えば自分が完全に招いた結果。人の機微に敏いナナからすれば尚更なのかもしれない。そんな申し訳ないと感じたからなのか、シエルは少しだけ困っていた。

 

 

「気を使わせた様ですみません。次回はきっと楽しめると思いますから」

 

「じゃあさ、第2回も近いうちに開催しようよ。その時は他の人も誘って!」

 

「そうですね。もっと多い方がきっと楽しいでしょうね」

 

「じゃあ、早速皆に確認しないと」

 

 ナナは既に開催される前提で物事を考えていた。

 楽しく会食するのは何も問題無いが、少しだけ気になる部分があった。以前にアリサとリッカが一緒に居た際に、随分と赤裸々な話になった記憶が僅かにあった。シエルも関心が無い訳では無い。ただこれまで話をする機会が無かっただけだった。

 そんな気持ちを察したのか、それとも何も考えていないのか、ナナは楽しく話を続けている。少しだけ先の約束にシエルもまた楽しみを一つ覚えていた。

 

 

 



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第45話 暑い日の休日

 何時も何かと騒がしい整備室は今日に限って珍しく静寂に包まれていた。

 全員が出動しているのではなく、その逆の状態。そんな珍しい事態だったからなのか、一つの神機の前に男女が何かを画策していた。既に準備は完了しているからなのか、横に起かれた神機はマニピュレーターによって少しづつ分解を始めている。これまでの所要時間から考えると、然程時間そのものはかからない程度の物だった。

 

 

「リッカ、準備は出来てるか?」

 

「もちろん。これが綺麗に出来れば今まで以上の数値は確実だよ」

 

「だろうな。でも、よくもまぁこんな事を思いついた物だよな」

 

「……でも、その辺りは博士なんだし」

 

「違いない」

 

 そう言いながら笑みを浮かべるも、端末からは目を離す事は無かった。本来であれば今回の件はある程度許可を取る必要があった。

 元々事の発端を作ったのは支部長でもある榊。だからなのか、それとも当事者にも近いからなのか、その提案を断る要因はこの2人にはどこにも無かった。幸か不幸か本人は不在にしている。他の用件も無いからなのか、事実上の悪ノリとも考える事が出来る行為を止める者は誰一人居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっつ~い。まだこの時期なのに暑すぎだよ」

 

「確かに言われてみればその通りですね。ですが、まだ空調もそこまで稼働していないのであれば、ある程度の我慢は必要になると思いますよ」

 

 まだカレンダーを見れば春と初夏の中間位の時期。本来であればこうまで暑くなる事は殆どなかったが、偶然にも起こったフエーン現象によって既に真夏ともとれる程の気温がアナグラに襲い掛かっていた。

 周囲を見ればナナとシエルだけでなく、他のメンバーもまたうだる様な暑さに少し疲労感が滲んでいる。既にラウンジでは真夏のメニューの一部を先取りで開始していた。

 

 

「こう暑いと確かに疲れるのは間違いないよな」

 

「コウタ隊長。ここって全館空調じゃなかったんですか?」

 

「今日はメンテナンスで稼動は殆どしてないんだよ。少し前に停電騒ぎがあっただろ?その状況確認なんだって」

 

「ええ~」

 

 エリナの質問に対し、コウタは各部隊長に通達された情報を思い出していた。特に狙った訳では無いのは送信された時期を考えれば間違い無い。多少なりとも知っていたからなのか、既にコウタは前もって頼んでいたアイスクリームを口にしていた。

 

 

「エリナよ。この程度の暑さであれば極東から伝わる言葉があるではないか!『心頭滅却すれば火もまた涼し』中々有難いとは思うではないか!」

 

「エミールは少し黙ってて。こんなに熱いのに更に暑苦しいのはうんざりするから。それに今のエミールを見てそう言うのはどうかと思うんだけど」

 

「そんな事は無いだろう」

 

「あるに決まってるでしょ!」

 

 エリナのツッコミは的確だった。エミールの格好は既に何時もとは違い、半袖にハーフパンツのいで立ち。任務は偶然にも入っていない事を確認したからなのか、何時もとは違った軽装にエリナは呆れるしかなかった。

 ラウンジはかろうじて空調は効いているが、それでも涼を取りに来た人間が多いからなのか、何時も以上の人数に、精神的にも物理的にも気温が高くなっている。頼まれた物を作っているムツミも、気が付けば珠のような汗を流しながら火の前で調理していた。

 

 往々にして冷たい食事を出すとは言っても、その途中では確実に火を使わない事には一向に調理する事は出来ない。只さえこの時期は暑さを感じるにも拘わらず、何時もと同じく火を使っている。そんな中で更に熱くなったこの状況下では僅かな涼は焼け石に水でしかなかった。

 

 鍋からは煮えたぎったお湯があるからなのか、過度な熱を持った蒸気が立ち込めている。既に頼まれた内容は佳境に入っていたのか、用意された麺を鍋に投入していた。熱湯の中で踊る様に麺が蠢いている。どこか黒ずんだ様にも見えるそれはここ最近になって仕入れられた蕎麦だった。既にオーダーは幾つも入っている。茹でられた蕎麦は瞬く間に冷水をかける事で急速に冷やされていた。

 

 

「ナナさん。はいどうぞ」

 

「やった~。では早速……」

 

 ナナの前にはコウタも同じく蕎麦を頼んでいた。このメニューが導入されたからまだ時間は然程経過していないにも拘わらず、出た数は今日一番。既に数えてはいないが、この暑さだからと事前に予想した結果だった。

 

 

「やっぱり暑い時はこうじゃなくちゃ」

 

 ナナに出された蕎麦は怒涛の勢いでナナの口の中へと消えていく。余程口にあったのか、ナナは勢い良く蕎麦を啜っていた。

 蕎麦を器用に一口分だけ取って次々とつゆへとつける。同じ事の繰り返しではあるが、やはりの食べている姿を見た他のメンバーもまた同じ物を注文していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は随分と暑いね」

 

「流石にこれではちょっと……」

 

 アナグラでうだる様な暑さをしのぐ一方、エイジとアリサもまた別の場所で同じ様な事を考えていた。普段のミッションで行く溶岩が流れる場所はミッションだからと自分に言い聞かせる事は可能だが、それでも終われば汗はた滝の様に流れてくる。

 今回もまたミッションに出向いたものの、今回はそんなステージではない。にも拘わらず汗は同じ様に流れていた。

 

 

「最近はアラガミの様子が落ち着きを見せてるから、今日は多分大きなミッションは無いと思うんだけど、この後はどうする?」

 

「そうですね。特に用事もありませんでしたし、一度戻ってから考える事にします」

 

 既に帰投の準備も終えたのか、後はヘリを待つだけだった。周囲にアラガミの気配は無く、アナグラからの通信もまた同じ結果を示している。暑さだけが原因ではないが、やはり故郷のロシアの事を考えると、極東の湿度の高い暑さはアリサにとっても厳しい物となっていた。

 気が付けばヘリの姿が徐々に近づきつつある。アナグラに戻れば多少は暑さも凌げるだろうと考えていた。

 

 

《この後なんだけど、少しだけ時間を欲しいんだけど時間はあるかしら?》

 

「時間は問題無いですが、どうかしたんですか?」

 

 ヘリに乗り込む直前だった。突如飛び込んで来たのは弥生からの通信。オペレーター権限ではなく、通常の回線を使った通信。緊急事態で無い事だけは理解出来たが、それが何を意味するのかは分からないまま。そんな事もあってか、アリサは弥生の通信をただ聞くしか出来なかった。

 

 

《実はこの暑さでこっちも大変なの。で、人が多すぎるから少し時間をどこかで潰してほしいんだけど》

 

「それって、どう言う意味ですか?」

 

 アリサが疑問に思うのは無理も無かった。アナグラは元々全館空調が機能している為に、余程の事が無い限り、快適な温度が常に保たれている。確かに今日は空調が一部機能しない事は知ってたが、それとこれがどう繋がるのかが分からない。これまでに無い案内に、ただ疑問だけしか残らなかった。

 

 

《実は空調の整備が少し遅れ気味なの。今日中には終わるんだけど、今くるとアナグラは蒸し風呂みたいになってるから、暑さを我慢できるなら問題無いんだけど、大丈夫?》

 

 弥生の言葉にアリサは改めて考えていた。既にこの段階で暑さは尋常では無いとさえ考えているにも拘わらず、戻れば更に暑いのは決定事項。弥生の言葉を素直に聞くのであれば、考える事は皆同じなのかもしれなかった。

 事前に確認した情報では、今回の件では居住区は影響が大きすぎる為に空調は最小限度に抑えている。その結果として、ロビー周辺が完全に停止した状態になっているはずだった。

 ロビーで仕事をしているヒバリ達は勿論だが、最近のアラガミの数が少ない事からそれなりの人数が待機していた。恐らくはこのまま戻っても何も出来ない事を考えた末の話である事は当然だった。

 そう考えると弥生の声もどこか申し訳ない様な雰囲気が幾分にも感じられる。だからなのか、アリサは隣に居るエイジに視線を向けていた。

 

 

「因みにどれ位かかるんですか?」

 

《今日の夕方から夜にかけての予定よ》

 

 弥生の言葉にアリサは再び考えていた。暑いのは正直な所、得意ではない。最近になって漸くここの暑さに慣れはしたが、それはあくまでも空調が完全に利いているからであって、こんな状況ではない。事実、何時もであれば代替え案が浮かぶはずの弥生もこの暑さからなのか、どこか何時もとは違った雰囲気が漂っている。改めてどうしものかと考えていた矢先だった。

 

 

「弥生さん。それだったら、例の所に行きますから大丈夫ですよ」

 

《例の所……ああ、あそこね。連絡がつくなら問題無いわよ。だったら手配しておくわ》

 

 話の経緯を知ったからなのか、エイジの言葉に弥生は直ぐに快諾していた。2人は知っているものの、アリサは何も分からない。疑問を浮かべながらも今はエイジの言葉を待つしかなかった。

 

 

「実は、穴場的な場所があるから、そこに行こうか。まだ時間的には大丈夫だし、一度戻ってからだね」

 

「分かりました。でも、それって私が知らない場所ですよね?」

 

「知ってるのは一部の人間だけだよ。殆どは知らないんじゃないかな」

 

 既にエイジは戻ってからの事を考えているのか、レポートを手早く作ると同時に、何かを依頼している。回収されたヘリの中も既に熱を持っているからなのか、これから行く場所がどんな所なのか、少しだけ期待していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここがそうなんですか?」

 

「そう。ここを知ってる人間はそう多く無いから、穴場なんだよ」

 

 アナグラに付くと同時にエイジは直ぐに準備を開始していた。元々その場所はここからそう遠く無いからなのか、移動はジープを借りてだった。

 屋敷の近くの森林を抜けると、そこには川の水がせき止められ、天然のプールに似た様な場所が広がっている。上を見れば木々の隙間から太陽の光が漏れて、周囲は少しだけ静寂を保っていた。

 

 

「俺達も良かったのか?」

 

「別に隠してた訳じゃないし、折角行くなら皆で涼んだ方が良いかと思ってね」

 

「まさかこんな所があったなんて俺知らなかったよ」

 

「ここを見つけたのは偶然なんだ。屋敷の外縁を探索した時に偶然だよ。それ以降は暑い日はここに来て涼む事が多かったかな。でも川だから少し水温は低いかもね」

 

「いや。あのままアナグラに籠るよりはマシだって」

 

 既に着替え終わったからなのか、コウタだけでなくエイジも水着へと着替えていた。

 元々用意した訳では無かったが、アナグラに戻る前に折角だからとコウタにも連絡を入れたのがキッカケだった。

 外に出ていた為にアナグラの状況は何一つ分からないままに連絡を入れた物の、その状況はエイジが予測した以上に厳しい状況に陥っていた。事実、ロビーではフランも暑さにやられたのか何時もよりも険しい表情で仕事をし、隣にいたテルオミも既に無表情となっていた。

 ゴッドイーターとは違い、オペレーターは勝手にその場から離れる訳にはいかない。

 暑さに耐えながらの仕事は周囲から見ても気の毒だと思える程だった。幾ら人払いをした所で体感温度は僅かに下がる程度。

 既にテルオミに関しては制服のベストも脱いだままでオペレートしている状況だった。

 そんな中でのエイジの言葉にコウタだけでなく、行動を見たエリナもまた半ば力づくで話を聞いていた。既にコウタの中で誰を誘うのかは言うまでもない。だからなのか、半ばなし崩し的に付いて来ていた。

 

 

「そう言えば、話は変わるけど、エイジの身体って何気に傷が多いよな。確かオラクル細胞の恩恵を受ければ傷なんて付かないだろ?」

 

「これはゴッドイーターになる前の物だからね。多分、これがデフォルトだと認識してるんじゃないかな」

 

「そっか」

 

 コウタが言う様にエイジの身体には無数の切り傷の跡や一部の刺し傷の様な後が残っていた。コウタが言う様に、本来であればオラクル細胞の恩恵によって余程の事が無い限り傷が残る様な事はない。もちろん限度はあるが、それでもミッションで傷が残る様なケースは稀だった。

 気が付けば背中にはうっすらと三条の傷が残っている。それが何なのかを理解したからなのか、コウタはそれ以上言うつもりは無かった。

 

 

「お待たせしました。どうですか?」

 

 僅かな沈黙を破ったのはアリサだった。一度戻った際に用意したのか、赤いビキニを身に着けている。どこか恥ずかしい部分があったのか、頬はわずかに赤くなっていた。

 

 

「似合ってるよ。でも、いつ買ったの?」

 

「ここに来る直前です。弥生さんに頼んだらこれでしたので」

 

 何時もの制服とあまり変わらない様な気はするも、まさかそのまま口にする訳にはいかなかった。

 アリサの表情を見るかぎり本当に初見だったのか、なんとなくサイズが合っていない様にも見える。それ以上の凝視も何だからと判断したのか、エイジはアリサの後ろに視線が動いていた。

 

 

「コウタ……ど、どうですか?」

 

「えっと……き、綺麗だよ……」

 

 アリサの背後に居たのはマルグリットだった。アリサとは違い、オレンジ色のビキニはマルグリットの肌の白さを引き立たせている様だった。

 やはりアリサと同じ初見だったのか、顔は同じく赤くなっている。そんなマルグリットを見たからなのか、コウタも同じく顔が赤くなっていた。

 

 

「コウタ隊長。もう少し何か言い方があるんじゃないですか?」

 

「いや、まぁ……似合っているよ」

 

 エリナの言葉にコウタはわずかにしどろもどろになっていた。ビタミンカラーの水着はマルグリットの溌剌とした色気を醸し出しているのか、何時もとは違ったイメージにコウタは珍しくあたふたしていた。

 事実として、水着の姿を見る機会はそう多くは無い。精々が写真の撮影できがる事が多く、実際にコウタも自分の目で見たのは今回が初めてだった。これまでに見た事が無い一面に珍しくドギマギしている。そんなコウタを見かねたのかエリナが思わず助け舟を出した結果だった。

 

 

「コウタはそのまま放置しておけば問題無いですよ。それよりもエリナの水着は自分で買ったんですか?」

 

 お互いが顔を赤くしたまま硬直しているからなのか、アリサはそのまま放置する事にしていた。2人がどんな付き合いをしているのかは何となく知っているも、実際にそれを口にした事は無かった。

 以前の自分を思い出したのか、会話はエリナへと変わっている。恐らくはこれもまた同じだろうと考えたからなのか、話題は既に水着へと移っていた。

 

 

「こ、これは私が買ったんじゃなくて、同じく弥生さんが用意したんです」

 

「なるほど……」

 

 エリナの水着はアリサやマルグリットとは違い、ワンピースタイプの水着だった。腰の周囲には赤いリボンがあしらわれているからなのか、2人とは違い、どこか健康的なイメージを表していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うゎ、冷てぇ!」

 

 ドボンと豪快な音を立てながら飛び込んだ第一声はまさにその一言だった。川の水は思いの外冷たかったのか、入った瞬間は思わず直ぐに出たく成る様な感覚に囚われていた。

 他とは違い、この部分だけは水流が遅くなっている。天然のプールとも取れる場所に全員がそのまま入っていた。先程までの身体のほてりは一気に冷却されていく。事前にエイジが言った様に、川の水は思いの外冷たかった。

 

 

「水は確かに冷たいですけど、この景色は良いですね」

 

「周りにに何も無いからってのあるけど、ここは意外とアラガミが来ないんだよ」

 

 一度川に入った事によって身体を冷やしたからなのか、アリサは未だ川に入り続けるコウタ達を尻目に足だけを川面に浸けていた。冷たい水がゆっくりと全身を冷やしていく。当初の目的を果たしたからなのか、改めて周囲を眺めていた。

 木々の隙間から降り注ぐ太陽の光は川面を照らすたけでなく、そこにあった自然をスポットライトの様に照らしていた。光り輝く自然はまるで一枚の風景画。ここ最近の激務で改めて心がが休まった記憶が無かったからなのか、アリサの無意識の内に漏れた言葉にエイジはそのまま返事をしていた。

 

 

「って事はサテライト拠点みたいな地域って事ですか?」

 

「平地じゃないから仮に来た所で捕喰する様な物が無いと判断したんだろうね。実際にここの水源は殆ど汚染されてないからね」

 

「そうだったんですか。でも何時ここを?」

 

「まだゴッドイーターになる前だよ。ここを知ってるのはナオヤと弥生さん。あとは数人って所だね」

 

 アリサも何気に聞いたからなのか、エイジも深く考える事無く答えていた。

 アリサとしてもこの景色を眺めたからなのか、どこか心が安らぐ様な感覚になっていた。気が付けばコウタとマルグリットは一緒に泳いでいる。

 エリナは何か気になる物があるからなのか、どこか違う所を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「後は元に戻すだけだね。でも、確実に何か言うだろうね」

 

「その辺は何とかなるだろ。カラーリングしたとでも言っておけば?」

 

 整備室のマニュピレーターにはソーマの神機でもあるイーブルワンが鎮座されていた。

 本来であればメンテナンスの時期にはまだ早い。しかし、榊が持ち込んだそれが何か琴線に触れたのか、2人は一気に仕上げに入っていた。

 これまでの様な鉛色をした禍々しい刃は天使の羽を思わせる程の純白な色をもたらせている。実際に使った物を聞けばどんな反応を見せるのかは何となく察してた。

 

 

「しっかし、今日は暑いね」

 

「そう言えば、エイジ達は涼みに出てるらしいな。さっき弥生さんから聞いたけど」

 

「確かにこの暑さはちょっとね」

 

 そう言いながら時間を見ればまだ昼を少しだけ過ぎた程度だった。集中したからなのか、時間の概念は無い。気が付けば汗が止まらない程に滲んでいた。

 

 

「折角だし、俺達も涼みに行くか?」

 

「どこ行くの?」

 

「ああ。とっておきの場所だ。多分エイジ達もそこに居るはずだ。水着用意しておけよ」

 

「了解。直ぐに行くの?」

 

「ああ」

 

 

 ナオヤの言葉にリッカはどこを指しているのか理解は出来ないままだった。しかし水着を用意する以上はどこかへ行く事だけは間違い無い。暑い一日を凌ぐ時間はまだまだ残されていた。

 

 

 



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第46話 純白の刃

 今迄に見た事が無い程に白くなった刃は、迫り来るディアウスピターの後ろ足に大きく斬りつけていた。

 鋸状の刃は斬りつけた周囲を抉るかの様に巻き込みながら、通常の刃とは違ったダメージを与える。

 想定外のダメージを受けたからなのか、瞬時に怯んだアラガミに対し男は一切躊躇する事は無かった。刃より出した黒い咢はそのまま斬りつけた場所に喰らいつく。ブチブチと繊維を引き千切るかの様に齧りついた咢はそのまま残った繊維状の物を捕喰していた。

 斬りつけられた事なのか、それとも捕喰された事に気が障ったのか既にアラガミは怒りに震えながら、その男に対し威圧的な咆哮を出しながら突進していた。

 

 

「獣の分際で随分と偉そうだな」

 

 先程の咢によって全身にアラガミの生体エネルギーがこれでもかと激しく駆け巡っていく。既に自身の体内から激しい程のエネルギーが噴出したのか、上段に構えた刃には闇色のオーラを纏っていた。

 上段から繰り出される絶対の刃は突進したディアウス・ピターをも止める程の勢いがあった。振り下ろされた刃は大気を分断し、断罪するかの様に顔面へと斬り裂いて行く。

 刃筋は偶然にもディアウス・ピターの右目を綺麗に切り裂いていた。

 

 

「ったく。忌々しい程の攻撃力だな」

 

 吐き捨てるかの様に呟いた声はディアウス・ピターの悲鳴にかき消されていた。これまでに無いダメージに致命的な程の隙を与えたからなのか、純白の刃は目の前に倒れたそれを撫でるかの様に水平に閃光が走っていた。

 断末魔と共にその場に巨体が崩れ落ちる。息を吹き返さないかと確認した所で改めてコアを抜き取っていた。

 

 

「こっちは終わった。そっちはどうだ?」

 

《こっちも今終わったよ。周囲のアラガミ反応はどう?》

 

「ああ。特に問題無い。恐らくはアナグラのレーダーも同じだろう」

 

《了解。そっちに向かうよ》

 

「ああ。そうしてくれ」

 

 任務が終わったと同時に入った通信は自分と全く同じ状況だった。既にディアウス・ピターの個体は霧散し始めているからなのか、横たわったその輪郭が徐々におぼろげな物へと変化していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと待て。どうして俺にその話が来てないんだ?俺が使ってる神機だろうが!」

 

「それは止められたからね。仕方ないよ。でも、その分、神機の戦闘力は格段に上がってるから問題無いはずだよ。まさかとは思うんだけど、その謂れが恥ずかしいなんて思ってないよね?」

 

 神機のアップデートが終わったからとソーマはリッカの下へと足を運んでいた。

 ここ最近、研究の方が忙しかったからなのか、ソーマは珍しくアナグラと屋敷を往復していた。

 最大の要因は自分が普段使っている研究施設を珍しく榊が使っているからだった。元々ラボは榊が使用していた部屋。しかし、支部長に就任した事から使う頻度が少ないからと、ソーマが利用していただけだった。

 本来の持ち主が使用する以上、ソーマはどこかでやるしかない。だからなのか、屋敷へと直参する機会が格段に多くなっていた。

 

 

「そんな事は思っていない。ただ、なんでそれを使えたのかが知りたかっただけだ」

 

「それは私に言われても分からないよ。それこそ榊博士に確認したらどうかな?」

 

「ああ。そうさせてもらおう」

 

 整備班を後にしたソーマは迷う事無くラボへと足を運んでいる。ここ数日は何かしらやっていた事は知っているが、まさかそんな事をしているとは思っても無かった。

 確かにこれまで以上にイーブルワンの戦闘力が上がっているのは認めるが、まさかそれが原因だとは思っても無かった。

 

 

「おい、オッサン。どうしてあれを使ったんだ?」

 

「ソーマか。あれでは分からないよ。ちゃんと口にしてくれないとね」

 

 怒りが滲んだソーマの視線を榊は怯む事無く受け止めていた。本来であれば、あるはずの無い物。それが自分の神機に使われてるとなれば、決して気持ちの良い物では無かった。

 

 

「ハッキリと言ってやる。どうして()()()()()()()()があったんだ?」

 

「なに。簡単な話だよ。シオがアラガミから人間になった際に、一部の細胞らしい物が剥がれ落ちたんだよ。これまでは今後の研究の為にと思って保管してたんだが、不意に調べた結果、そろそろ維持するのも怪しくなりつつあったんでね。だとすれば上手く加工が出来れば神機にも使えるだろうと判断した結果だよ」

 

 シオが当時から今に至る結果となった事はソーマが一番理解していた。アラガミだった頃は自身の生体を形状変化させる事によって神機と似たような物を作っていた。しかし、一旦抜かれたコアを再び結合させた際に、神機となった部分の一部が欠片となって剥がれ落ちていた。

 確かに重大な研究材料である事は間違い無いが、それと同時にこれは確実に災いの種となるのもまた事実だった。螺旋の樹の騒動を起こしたラケルの姦計で、一時期情報管理局が介入した際には榊も少しだけ冷や汗をかいていた。

 発見される可能性は限りなくゼロに近いが、決してゼロではない。騒動そのものはそのまま終わった事によって問題が発覚する事はなかったが、再度確認した際に、僅かに劣化していた事実が判明していた。

 このまま風化させるのも一つの手かもしれない。しかしながら新たに人間として生きる事を選んだシオの事を考えたからなのか、一番近しいソーマの力になればと考えた結果だった。

 

 

「だったら、俺にも一言位良いだろうが」

 

「言ったら君は反対するだろ?だから言わなかったんだよ。リッカ君とナオヤ君がやってくれたんだ。神機としての性能は以前に比べれば格段の向上している。ソーマとしても多少は感謝してもバチは当たらないよ」

 

「そうか……」

 

 何時もの人を食った様な笑みにソーマはそれ以上の言葉を告げた所で無駄だと悟っていた。事実、今から何をしてもイーブルワンが元に戻る事は無い。これまでの鉛色の刃が純白に変わっただけ。自身でそう言い聞かせる事によってそのまま榊の居るラボから出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、ソーマさんの神機って少し変わりました?」

 

「いや。何も変わっていない。それよりも今回の対象アラガミはディアウス・ピターとスサノオだこれだけ離れて居れば問題無いと思うが油断はするな」

 

 ソーマの言葉に、何か違和感があったと感じたロミオはそれ以上の事は言えないままだった。

 ロミオ自身がソーマと一緒にミッションに行く事が無いだけでなく、使っている神機の特性から考えても一緒に行く可能性はそう高くはなかった。

 事実ソーマは何となくだが苛立ちを持っている様にも見える。何かを悟ったのか、ロミオはそれ以上の事は何も言わないで置こうと胸に秘めていた。

 

 

「取敢えず、今回のミッションなんだけど、僕とカノンさんがスサノオに行くから、ソーマとロミオはディアウスピターの方に行こうかと思うんだけど、それで良い?」

 

 どこか苛立ちを持ったソーマが気になっているものの、それ以上の言葉をかける程ロミオは親しくは無かった。

 誰とでも話せるロミオではあるが、実際には声を掛け辛い人物の中でもトップに位置するのがソーマだった。クレイドルとも交流があるが、それはあくまでもエイジやリンドウが居るからであって、ソーマと直接話す機会は然程多く無い。研究職である為に、現場には余り出てこない事も要因の一つだった。

 しかし、過去の数字を見れば間違い無く極東支部の中でもトップクラスの数字を叩き出している。それだけでは無い。自身も使うヴェリアミーチはバスター型の神機。それに対してソーマの使うイーブルワンもまた同じくバスター型であるからこそ、何かしらの参考になればと思って今回のミッションに参加していた。

 初見では無いが、明らかに自分の記憶の中で見た神機とはどこか違っている。当初はカラーリングを変えただけだと思ったが、何となくその雰囲気も違う様に思えていた。

 

 

「ああ。俺は問題無い」

 

「お、俺も大丈夫ですから」

 

「えっと……私も頑張ります」

 

 エイジの指示にそれぞれが頷いていた。本来であればソーマの動きを参考にしたい気持ちがあった為に、ロミオとしては問題無かった。可能性としてはカノンと同じか一気に一体づつ討伐する事も考えられたが、このメンバーだからなのか、エイジに対し異論は無いままミッションは開始されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロミオ。ディアウス・ピターとの交戦経験はあるか?」

 

「そう多くは無いですが、あります」

 

 既にエイジとカノンは索敵とばかりにこの場を離れていた。ここに居るのはソーマとロミオだけ。やはり先ほどのやりとりのイメージが強すぎたからなのか、ロミオの返事はやや固い物だった。

 

 

「そうか。それとさっきの件だが、俺の神機はどうやら知らない間にチューニングされてたみたいでな。何も知らない間に弄られるのは気持ちが良い物ではない。気分を害したなら謝る」

 

「い、いえ。そんなつもりじゃないですから。そろそろ見えてきましたよ」

 

 突然の言葉にロミオはただ驚くだけだった。何気なく聞いただけのつもりがまさか謝罪されるとは思ってもいなかった。誰にだって気になる事や機嫌の悪い事がある。恐らくは先程のソーマの言葉が原因なんだと分かったからなのか、ロミオは誤魔化すかの様に周囲を見た結果だった。

 

 

「そう言えば、ブラッドアーツだったか。リンドウから聞いたが、破壊力は凄いらしいな。少しだけ期待してるぞ」

 

「え、あ、はい。頑張ります」

 

 ロミオのそんな様子を見たソーマは少しだけ口元に笑みが浮かんでいた。自分自身でも、まさかこんなやりとりが出来るとは思ってなかったからなのか、珍しく高揚していた。

 これまでであればそんな気遣いをした記憶は殆ど無い。偶然なのか必然なのか、これがこんな状態になった原因でもある一人の少女を顔を思い浮かべたソーマは改めてこちらに向かってくるディアウス・ピターに視線を移していた。

 

 

「ロミオ。あれは通常種だ。遠慮はするなよ」

 

 ロミオの返事を聞く事もせずソーマはイーブルワンを構え迎撃の態勢へと移行していく。既に捕捉されているのであれば、態々こちらから移動する必要は無い。だからなのか、それに習ってロミオもまた同じく行動を共にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「冷静に対処すれば問題無い。絶対に慌てるな!」

 

「はい!」

 

 ソーマの指示にロミオはただ従うだけだった。元々同じ神機の構成だけあって、その行動原理は決して難しい物では無かった。

 一つ一つの動作を確実に行使すると同時に、際どい部分は確実に防ぎ、隙を見せた際にだけ斬りつけるといった極めてオーソドックスな方法だった。事実、通常種のディアウス・ピターは動きを確実に読み切れば対処そのものはそう難しく無い。際どい戦いをせず、確実に倒す事だけを行っていた。

 

 ロミオはソーマの基本的な指示に意外性を感じていた。バスター型の場合はどうしても動きが鈍くなりがちになる為に、焦りを呼べば確実に攻撃の間に致命的な隙を持ってしまう。これまでにロミオもその経験を痛いほどしていた。

 教導を受ける様になってからは格段に被弾率は少なくなったのは偏にナオヤやエイジのやり方が基本の忠実だったに過ぎなかった。ディアウス・ピターの放つ雷球をシャットアウトするかの様にカーザミーアには次々と衝撃が走る。タワーシールドの表面が僅かに焦げた程度の攻撃はロミオにまで届く事は無かった。

 

 

「ロミオまだ大丈夫だな」

 

「こっちは大丈夫です」

 

 ロミオの返事に迷いは無かったからなのか、ソーマは大きく迂回しながらディアウス・ピターに向けて走り出していた。元々人面に近い顔を持つ為に視界は然程広い訳では無い。

 事実、ロミオが攻撃を完全に防ぎ切った事からディアウスピターは再びロミオに向けて攻撃を開始している。視界げ狭い事を利用したその瞬間をソーマは狙っていた。

 純白の刃は真横から腹部めがけて刃を走らせる。本来バスター型では出せない程の斬撃は無防備な腹に喰らい付くかの様に斬りつけていた。

 

 

「ロミオ!今だ!」

 

 ソーマの指示にロミオは直ぐに銃形態へと変形させ、すぐさまディアウス・ピターに向けて発砲していた。ソーマとは違い、距離があれば剣ではなく、銃で対処する。第二、第三世代特有の攻撃は攻撃の隙間を作る事は無かった。

 顔面に着弾したバレットの衝撃にディアウス・ピターに大きく怯む。これがブラッドであればそのまま全員で攻撃を行うが、今のロミオはソーマしかいない。だからなのか、着弾を確認すると同時にロミオが走りだした瞬間だった。

 

 

「えっ……」

 

 ロミオの目に映ったのはソーマが既に場所を移動し、チャージクラッシュの態勢に入った場面だった。闇色のオーラを纏った巨大な刃はディアウス・ピターのマントに向けて振り下ろされていた。

 鋭い一撃はマントを引き千切るかの様に斬りつけ、そのまま勢いが衰える事無く大地を叩きつける。本来であればバスター型の神機使いの攻撃はそこで終わるはずだった。

 しかし、ソーマの斬撃が大地を叩きつけた反動で下からの斬撃へと変化している。V字の斬撃にこれがバスター型の攻撃なのかと、戦闘中にも拘わらず見ているだけだった。

 振り下ろしからの攻撃が、そのまま跳ねあがった攻撃へと変化する。その衝撃に耐えきれなかったのか、マントはその勢いに負け結合崩壊を起こしていた。

 

 

「ロミオ!ぼさっとするな!」

 

 ソーマの言葉にロミはすぐさま我に返っていた。元々バスター型の正しい攻撃方法なんて物は誰にも分からない。そもそも教導の際には大太刀を使用している為に、今の様な攻撃をする事は全く無かった。

 恐らくエイジやナオヤとてそんな攻撃方法を知らない訳が無い。だからと言って見よう見真似でやれるかと言えば否定しか出来なかった。

 本来であれば勢い余って大地に叩きつけた物を跳ね上げる発想は無い。あまりにも鮮やかな攻撃にロミオの常識は一瞬にして消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの……俺にも戦い方を教えてくれませんか?」

 

「戦い方?」

 

「はい。さっきの攻撃方法は凄かったです。俺にはあんな風に攻撃する事は出来ません。だから…」

 

「お前は確かナオヤの教導を受けていたんじゃないのか?」

 

「それは……そうですけど」

 

「だとすればそのまま受けると良い。俺のやり方を誰かに教える事が出来る程の物ではない。ただ感情に任せて振るってるだけの物だからな」

 

 帰投のヘリでロミオは思わずソーマに懇願するかの様に話をしていた。これまでの教導が無駄では無いが、やはり自分のやっている事よりも先程のソーマの戦いの方が印象が強かったからなのか、思わず自分の考えを口にしていた。

 もちろん、これまでの事を蔑ろにするつもりは無い。今以上の戦いのバリエーションを増やす事によって僅かでも自分が生き延び、戦いに勝つ可能性が上がればと考えた結果だった。

 

 

「それでも!」

 

「……お前が何を考えているのかは分からんが、俺とお前の神機の特性や攻撃の方法が異なるのは当然だ。それと、あいつらの教導は基本を忠実にやっている。そう考えれば俺のやり方は邪道だ。基本が出来ない人間が小手先の技術に走っても碌な事にはならない。あいつらだってそれを理解しているからこそ、基本に重点を置くんだ」

 

 ソーマとてロミオの気持ちが分からないでも無い。教えるのは構わないが、そうなれば今度は自分の時間が取れなくなっていくる。確かに戦場には出るが、自分も既にベテランの域から場合によっては退役の勧告が出てもおかしく無い程の年月が経過している。

 そんな人間に教える事は無いと言いきった後、ロミオの視線を振り切るかの様にタブレットを操作していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「折角後輩が出来たんならそのまま教えてやれば良かったじゃねぇか」

 

「俺がか?柄にもない」

 

 帰投後にリンドウに掴まったソーマはそのままラウンジへと連れられていた。今でこそ落ち着いた雰囲気を醸し出しているが、当時はまだ手が付けられない程の有様。そんなソーマに何の打算も無く近づいたロミオを見たからなのか、リンドウは自分との呑みに誘っていた。

 グラスの中の氷がカランと音を立て、ゆっくりと溶けている。既にかなりの量を飲んだのか、リンドウの顔は赤くなっていた。

 

 

「またまた。何言ってるんだよ。当時のお前に今のお前の事を言ってやりたいぜ。まさかあんなに捻くれてたお前が真っ直ぐになるとはな」

 

 そう言いながらリンドウはグラスの中の琥珀色のの液体を流し込んでいた。既にソーマの返事など聞くつもりは無いとばかりに味わうかの様に飲んでいる。そんな雰囲気を察したのか、ソーマはそれ以上何も言う事は無かった。

 

 

 

 

「今日はエイジなんだ。私、モヒート一つ」

 

「エイジ、私はサラトガクーガーを一つ下さい」

 

 2人の沈黙を破るかの様にリッカちアリサもラウンジへと足を運んでいた。今日は弥生が不在な為にエイジがカウンターに立っている。2人の注文を受けたのか、そのまま手早くステアしていた。

 

 

「ソーマ。使い勝手はどうだった?」

 

「ああ。悪くは無かった。俺が想像した以上だな」

 

「だよね」

 

 何気に聞かれたリッカの言葉にソーマは嫌な予感を感じ取っていた。元々神機のアップデートをした人間がここまで来てその話をする必要性は何処にも無い。事実、リンドウとアリサは何を言ってるのか疑問を浮かべている。

 カウンターの中にいたエイジは何かを知っていたのか、珍しく口元には笑みが浮かんでいた。

 

 

「リッカさん。ソーマの神機に何があったんですか?」

 

「それはね……」

 

「リッカ!」

 

 ソーマが慌てて止めようとしたが、距離があった為にリッカの口を塞ぐ事は出来なかった。珍しくソーマの行動を呼んでいたのか、リッカの腰は既に浮いている。この時点でソーマが止める手段は無いに等しかった。

 

 

「シオの残った生体パーツを神機の一部に転用したんだよ。そのおかげで威力が上がって幾分か重量が軽くなったんだよね。いや~中々今回は良い仕事させてもらったよ」

 

「それって……」

 

「おいおい。マジなのか、それ?」

 

アリサとリンドウの視線がリッカへと向いている。既にリッカは止めるつもりがなかったのか、そのまま事実だけを告げていた。

 

 

「マジも大マジ。だってそれを作るのにアナグラの配線までショートした位だからね。いや~最初に聞いた時は流石に私も驚いたよ」

 

 ソーマは既に諦めたのか、再び椅子へと座り直していた。元々機密に近い話なだけに、周囲に人が居ない事を確認した上で話をしている。ここでソーマが大声を上げよう物なら確実に注目される事になる。

 シオの重大な機密をここで暴露する必要はどこにも無い。だからなのか、それとも諦めたからなのか、ソーマは再び沈黙していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな事があったんですか」

 

 バータイムの時間も終わり、アリサは改めて自室でエイジから事の真相を聞いていた。

 あの場ではそれ以上騒ぐのは拙いからとお開きになったものの、やはり物が物なだけにアリサとしても詳細を聞きたいと考えていた。この部屋なら誰も居ない。だからなのか、何時もと同じくリラックスした中でエイジから聞いていた。

 

 

「僕も弥生さんから聞いただけなんだけどね」

 

「でも、今の状況を考えれば当然かもしれませんね」

 

 アリサの考えは奇しくも榊と同じだった。既にシオは本部にも顔を出している以上、多少なりとも認知はされ始めていた。まさか元特異点のアラガミだと言うつもりはないが、何かのキッカケで過去を探られるとこまる部分も多分にあった。

 現時点でのシオの立場は『紫藤明の義理の娘』となっている。フェンリルでも名うての研究者の身内となれば、手を出せない現実があった。

 これまでにも何度か問い合わせはあったが、全て断っているだけでなく、公の場でも徐々に姿が確認されている為に、下手な情報操作よりも簡単に出来る事を選んだ結果だった。

 

 

「確かに。それと以前の様に、ここに何かが介入されると困るってのもあったんだろうね」

 

「確かにそれは言えてますね。でも、ソーマもその位は素直になれば良いんですけどね」

 

「中々言えないんじゃないのかな」

 

「でも、羨ましいです。だって自分を気にかけてくれる人の物を見に付けるなんて中々出来ませんから」

 

「あれ?アリサには何も渡さなかった?」

 

「何も無いですね」

 

 アリサの言葉にエイジは改めてこれまでの事を思い出していた。自分の神機は確かにアリサから貰ったパーツをそのまま使っているが、自分からアリサに渡した記憶は無かった。

 そもそも渡せる物が何一つ無いのもまた事実。それ以上は藪蛇になるかと思ったのか、それ以上は何も言う事は無かった。

 

 

「私も何か欲しいんですけど……」

 

「善処するよ」

 

 上目遣いで見るアリサは何時もとは違った雰囲気だった。さっきまで居たバーの雰囲気がまだ残っているのか、何時もとはどこか違っている。そんな空気を察したのか、2人の部屋の明かりは何時もより早く消えていた。

 

 

 



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第47話 あの食材が再び

 ミッションの帰投時のそれぞれの対応は個人のパーソナリティを表すかの様に人によって異なっている。戦闘中でも無ければ、これから挑む訳でも無い。そんな空白の時間帯だからこそ、思い思いの行動を取る事は当然の結果だった。

 

 

「ねぇジュリウス。それって何読んでるの?」

 

「これか。実は今度聖域で何を作ろうかと悩んでてな。それと同時に、今残っている種の事を考えると中々順番も厳しい物があるんだ」

 

 帰投時の行動の中で以前であればジュリウスはレポートの作成の為の資料を作る事が殆どだった。しかし、現時点でのブラッドの隊長はジュリウウスではなく北斗となっている。

 もちろん困った際には多少なりともアドバイスをするつもりではあったが、気が付けばその役目はシエルが担っていた。当然そうなればこれまでよりも格段に時間が増える。だからなのか、今出来る事を優先した結果、新たな作物の栽培へと思考はシフトしていた。

 

 

「でもさ、今でも結構な物を作ってるよね?」

 

「そうだな。今は葉物や根菜類が多いのは事実だな。やはり主食を優先するのはある意味当然の事だ。本当の事を言えば、米の栽培にもチャレンジしたい所だが、あれだけは流石に小人数だと厳しいと聞いている」

 

「確かにお米は重要だよね。ムツミちゃんのご飯は基本的にはどれも美味しいんだけど、やっぱりお米が不味いと何食べても美味しくないからね。炊き立てのご飯か~何だかお腹空いてきちゃった」

 

「確かにそうかもしれない。だが、時期を考えると米に関してはその内にと言った所だな」

 

「そっか~残念だな」

 

「やれる様になったら頼むぞ」

 

「うん。任せて」

 

 ジュリウスとナナの会話を聞きながら北斗は少しだけアナグラの食事事情を思い出していた。

 フライアとは違い、ここでは完全に人の手によって作られている。ムツミの家庭料理の味わいだけでなく、エイジの店舗で食べる様な洗練された食事は確実にここでしか食べる事が出来ない。

 2人の料理人が作るそれはその方向性が正反対だからなのか、ラウンジの食事に対して、飽きる事は無かった。

 当初は和食を食べる機会が少なかったギルやロミオでさえも今では普通に箸を使いこなして食べていた。

 

 

「北斗、どうかしたんですか?」

 

「いや。ここに来てから皆随分と和食に馴染んだと思って。来た当初は皆大変だったからさ」

 

「そう言われればそうですね。気が付けば随分と食事の嗜好は変化したかもしれませんね」

 

 そんなシエルの言葉に北斗は一つ思い出した事があった。まだジュリスが囚われた際に思った出来事。自分が知りうる中ではジュリウスがそれを口にしている場面は見た事が無い。だからなのか、ナナとジュリウスの会話に割り込む様に北斗は口を挟んでいた。

 

 

「ジュリウス。それなら大豆を作らないか?あれなら色々な物に使えるし、それに栄養価も高いはず。主食ばかりよりも多少は副食としての何かがあっても良いはずだと思う」

 

「……なるほど。確かに大豆の様な豆類は一つの良案かもしれない。一度榊博士とも相談してみよう。態々提案してくれて済まないな」

 

「まぁ、そんな事言わなくても良いさ」

 

 半ば自分の悪戯心を刺激した話だったにも拘わらず、ジュリウスは感謝の念を伝えていた。

 確かに目的はそれだけではない。大豆から作られる物を考えれば、使い道は多い。だからこそ、それ以外の部分にも目を付けるかの様に提案していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど。大豆は盲点だったね。確かに作れる物はここでも割と重要な物となる事は多いからね。それならばこちらも準備しておくよ」

 

「有難うございます。では用意が出来次第早速作りたいと思いますので」

 

「そうかい。出来上がりを楽しみしているよ」

 

 榊への提案は何の問題も無いままに了承されていた。

 大豆があれば味噌だけでなく豆腐や枝豆としても食べる事が出来る。もちろん、本来考えていた用途にも使える為に、北斗は内心喜んでいた。

 しかし、時間の経過と共に一つの疑問が浮かんでいた。ここで食べた記憶は自分も殆ど無い。ムツミに聞くよりもここはエイジに確認した方が早いと考えたのか、北斗はすぐさま通信を繋げていた。

 

 

 

 

 

「どうでしょうか?」

 

「一度作ってるから、そんなに手間はかからないはずだけどね。確かに言われてみれば、ここで出した記憶は無いかな。でも、ブラッドとして考えるならロミオは既に経験があるかもしれない。僕も全部を知っている訳では無いからね」

 

 ラウンジでは先程の話のやりとりを北斗はエイジとしていた。以前に聞いたのはまだ完全に出来上がった訳では無いが、味そのものは悪くは無いとの会話。北斗自身は口にした事があった為にそれ程気になる様な事は無かったが、それ以外のメンバーとなれば話は変わってくる。

 だからなのか北斗は誰も居ないと思われる時間帯を狙ってラウンジへと足を運んでいた。

 

 

「そう言われればそうですが……でも、目的はジュリウスなんで、その辺りは気にしない事にしてます」

 

「なるほどね。クレイドルのメンバーは大半が一度は口にしてるから多分大丈夫だろうとは思うよ。でも肝心の材料が無いと話にならないから、まずは作る事を優先した方が良いかもしれないね」

 

 エイジの言葉に北斗は少しだけ今後の事を思い出していた。

 聖域での作物の成長の度合いはかなり早い。これはブラッドだけの認識ではなく、他の人間もまた知っている事実だった。流通させるには数が足らない。しかし、そのまま放置するのも勿体無いとの考えから、僅かではあるが、ラウンジや他の報酬の代わりとなるべく少しづつ流れていた。

 

 本来であればそれそのものがかなり価値が高い物。ここが極東ではなく、本部や他の支部ともなれば驚愕とも取れる程の品となっている。しかし、元から食糧事情が良い極東ではそこまで話が大きくならなかったのは、偏に食材の味をしっかりと理解していない人間が多く、また食材のレベルが低くても調理する人間のレベルが高い事から口に入る頃にはそれ程の差を感じる事は無いのが原因だった。

 それだけではない。ミッションが苛烈になればなる程、体内はあらゆる栄養素を補給しようと味付けが濃くなりがちになっている。和食の様な完全に出汁や素材の味わいを優先しないからこそ、理解出来ない部分が多分に存在していた。

 

 

「確かにそうですね。恐らくは育成の速度も速いはずですから、出来た時点で一度持ってきます」

 

「そうだね。大豆ならリンドウさんとハルオミさんも喜ぶだろうからね」

 

 そんな些細なやり取りは時間の経過と共に記憶の奥底へと追いやられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紫色の小さな花が咲いてからは想像以上の早さで収穫が始まっていた。伸びた枝から生えるサヤは一気に大きくなっていく。元々大豆を作る事が目的ではあったが、ここで出来た一部だけを早めに収穫していた。

 

 

「まだ、途中だよね?本当に良いの?」

 

「これは、枝豆って言って取れたてを茹でて食べると美味しいのよ。本当なら完全に熟成した物を食べるのが一番だけど、これはこれで大豆のおいしさの一つなの」

 

 老婆の言葉にナナは少しだけ疑問を持ちながらも、茹でて食べるの言葉に、一部の棟だけ収穫を速めていた。まだ青々とした色合いのサヤはぷっくりと膨れてはいるが、まだ未成熟である事を物語っている。ナナと同じ様にジュリウスもまた一部だけを収穫していた。

 

 

 

 

 

「では早速……」

 

 収穫してからのナナの行動は通常のミッションと同じかそれ以上の早さを誇っていた。

 事前に用意してあった鍋に大量の水を入れ、沸騰するまでずっと番をしている。元々何が出来るのかを知らなかったシエルやリヴィは今のナナの行動に疑問を持ちながらも敢えて何も言う事はしなかった。

 グラグラと煮えたぎる鍋に塩を入れ、先程収穫した大豆のサヤを次々と投入する。未だどんな結果が待っているのかは誰も分からないままだった。

 

 

「なるほど。これはこれで良い味をしてるな」

 

「大豆ってこんな味がするんですね」

 

「これならビールにも合いそうだな」

 

 ジュリウスとシエルだけでなく、ギルもまた茹で上がった枝豆を口にした感想は正に感動の一言だった。これまでにも何度も収穫した物を口にした事はあったが、今回の様に直ぐに口にした事は一度も無かった。

 初めて作った際にはカレーにした事もあってか、野菜の味を確認する前に、カレーの香辛料の方が強かった為に素材そのものを確認した訳では無い。しかし、今回口にした枝豆は純粋に塩だけの大豆そのものの味。緑色の未成熟を他所に、その味は正に大地の味とも取れる程だった。

 気が付けば茹で上がった物を次々と口にしていく。ナナに至っては感想を出すよりも、素早くサヤから豆を取り出しながら口にしていた。

 

 

「なるほど……これが枝豆」

 

「ナナそんなに焦らなくても枝豆は逃げないぞ」

 

「思ったより美味しかったからつい……」

 

 北斗の言葉にナナは漸く手が止まっていた。気が付けばかなりの量を食べたのか、中身が無くなったサヤだけが積まれている。他のメンバーも同じく味わって食べるが、やはり収穫したての野菜の味が強烈だったのか、暫し無言のままが続いていた。

 

 

「お前さん方、野菜は収穫したてが一番旨いんじゃ。後はゆっくりと味が落ちていく。獲れたての野菜を食べる事が出来るのは作った人間の特権なんじゃよ」

 

 老爺の言葉に誰もが驚いた様な顔をしていた。

 これまでに食べた物もそれなりに味わい深い物だと認識していたが、今回の枝豆の味はまさにその典型だった。改めて自分達が作った畑を眺め、その視線が茹でた枝豆へと視線が動く。これまでにやってきた成果がどれ程の物なのかを漸く理解していた。

 榊が言った農業の意味。命を育む事の大切さは農業を営む者にとっては当然の話。しかし、これまでにそんな事を考えた事もなかった人間からすれば、改めて驚く結果でしかなかった。

 

 

「俺、これから好き嫌いはしないよ……こんなに野菜が旨い物だなんて知らなかった」

 

「そうだな。ロミオの言う通りかもしれない。私もこれからは玉子だけでなく、野菜も少しづつでも取る様にしよう」

 

 ロミオの言葉に感動したのか、リヴィだけでなくジュリウスもまた自分がこれまでしてきた成果を垣間見た気がしていた。

 当初は贖罪の意味もあったかもしれない。しかし、この新しい大地と戦った成果としてこの野菜を口に出来た事はこれまでも苦労すらも凌駕する程の物だった。

 ロミオが言う様にまだ何も知らない人間は大勢いるはず。だとすれば、これが完全に成熟した大豆もまた皆にとって忘れがたい物になるに違いない。そんな思いを胸に秘めていた。

 感動に満ちたそんな中で北斗だけは一人、今後の事を少しだけ考えていた。実際に口にはしたが、北斗自身はゴッドイーターになるまでに何度も経験している。確かに味が良い事は納得したが、他の皆とは違い、そこまで感動する事は無かった。

 それと同時に収穫した後の事を考える。これならばと一人だけ違う事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「例の物だけど、もう出来たよ。参考に聞くけど、北斗は取敢えずどうするつもり?」

 

「折角なのでラウンジで提供出来ればと考えています」

 

「でも、エイジさん。私もここでは出した事が無いんですけど、大丈夫なんですか?」

 

「それなら問題無いよ。以前にも一度ここでは無いけど出した事あるから」

 

 心配げなムツミの言葉にエイジは以前の記憶を辿っていた。まだそれが完全に出来ない頃、一人で研究した結果だった。

 既にあれからは似たような物が出回っている為に忌避感は無いはず。勿論ブラッドのメンバーだけでなく、ここに居る大半の人間は口にしているかは知らないが以前出した際には賛否両論が出ていた。

 そんな記憶があるからこそムツミの言葉にエイジはフォローを入れていた。

 

 

「それなら大丈夫ですね。でも、これ以外の物ですけど、本当に良いんですか?やっぱり私も手伝った方が……」

 

「ムツミちゃんも知っての通り、これは出来れば後はそんなに難しい物じゃないから大丈夫だよ。使い勝手は良いし、副食としても品数が出来るからね」

 

 既に仕込みを開始してるからなのか、エイジの手が止まる事はなかった。

 用意された物は幾つかの手が入る事によって次々と違う品へと変わっていく。北斗の本命のそれは、万が一の事も考え、数は少なめに設定してあった。だからなのか、他の人間が来てもその存在に気が付く事は無いまま時間が過ぎていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗がお願いしたなんて珍しいね。どうしたの?」

 

 大豆の収穫を終えた後、北斗は一部の製品をエイジに託すと言った体で一部を貰っていた。そのまま食べる事は無い位の事は理解したが、何故と言った疑問に北斗が出した回答だった。

 経由はすれど、最終的に行きつく所はただ一つ。だからなのか、北斗はそれ以上の質問を受ける事無くそのままエイジの手に渡していた。既にそれなりに時間が経過した頃。唐突に北斗の提案でブラッド全員がラウンジへと足を運んでいた。

 

 

「実は今回の件で、少し思う所がって、エイジさんにお願いしたんだ。で、今回はその結果って所だ」

 

 丁度夕食の時間も相まったからなのか、ブラッドは誰もが疑問に思う事なくソファーが置いてある場所へと座っていた。

 何時もとは違った様子に誰もが疑問を感じている。本来であれば気にする必要は無いはずが、今日に限っては少しだけ違和感があった。

 まだ気が付かないからなのか、各々の前に和食としての味噌汁やご飯が置かれて行く。

 そんな中で目にしたのは真っ白な豆腐と、他に用意された幾つかの小鉢だった。

 

 

「あの……これって」

 

「これは大豆を絞って作った豆腐と、それを材料にした白和え、それに卯の花だ。どれも大豆から作られた物だ。とは言っても俺は何もしてないが」

 

「そうでしたか。豆腐は偶に見る機会はありましたが、口にした事は殆ど無いですね。ではこれも同じ様な物なんでしょうか?」

 

 シエルが疑問に感じたのは、少し茶色をした和え物だった。豆腐と白和えは何となく理解できるが、これが一体なんなのかが分からない。色からしてもそれが大豆なのかと言われれば疑問だけが残っていた。

 

 

「それは卯の花。大豆の絞った残りだ。栄養価はあるし、味付けもちゃんとされている。そんなに違和感は無いはずだ」

 

「そうでしたか。無駄が無いんですね」

 

「シエルちゃん。それよりもそろそろ食べようよ。お腹すいちゃったよ」

 

 これ以上は待てないとばかりにナナは既に食べる態勢に入っていた。

 今回のミッションは何かと苦労した事もあり、何時もよりも空腹感は随分と強い。だからなのか、我先にと食べ出していた。

 

 自分達で収穫しただけでなく、素材の味を完全に引き出した今回の食材は以前に食べたカレーとはまた違った要素を含んでいた。

 ここでも時折出てくる豆腐はそれなりに何かをかけない事には味がどこかぼやけている様にも感じているが、今回出されたそれは、薬味や醤油をかけなくても十分に味が濃いままだった。

 その隣には緑色をした何かも同時に置かれていた。質感だけ見れば豆腐の様にも見えるが、それは自分達が知っている物では無かった。

 

 

「これも、豆腐なの?」

 

「どうやら枝豆を混ぜた豆腐らしい」

 

「随分と色が鮮やかだな」

 

 崩れない様に口に運ぶと、普通の豆腐とはまた違った味に、全員が改めて驚いていた。

 一つの食材でこうまで色々な物を作れると思ってなかったからなのか、物珍しいそうに食べている。本来であればここで終わっていたが、ここで漸く北斗が望んだ物が改めて用意されていた。

 

 

「北斗。一つ聞きたいんだが、これは腐っているんじゃないのか?」

 

「ジュリウスの言いたい事は分かる。だが、これは腐ってないんだ。ただ発酵しているだけ。チーズなんかと同じ様な感じなんだ」

 

 小鉢に出されたそれが今回、北斗がジュリウスに食べさせたいと考えていた物だった。

 厳密に言えばラウンジで出た事はこれまでにも数回あった。しかし、その見た目が悪いそれはどうしても口にするには勇気が必要だったのか、人気としては下位に位置している。

 もちろん身体の事を考えれば決して悪い物ではない。事実、ここに居るメンバーでそれを口にした事があるのはロミオと北斗だけ。ギルとナナ、シエルに関しては見た事はあったが口にするまでには至っていない事実があった。既にジュリスの前だけでなくリヴィの前にも同じく出されている。

 その独特の見た目と匂いがそうさせるのか、先程とは違い何時もの落ち着いた雰囲気のジュリウスはそこに居なかった。

 

 

「そうなのか……参考に聞くが、皆は食べた事があるのか?」

 

「それなら俺はあるぜ。見た目はあれだけど、案外と食べると旨いと思うぞ」

 

「確かに薬味として色々と入れると味も変わるから、案外と食べる事が出来ると思う。案外と人によっては味付けは違う事が多いな」

 

 想定外のロミオの言葉に北斗も追撃とばかりに言葉をかける。本来であればジュリウスの言葉はブラッド全員を指しているが、それをそのまま伝えれば確実に回避するのは明白だった。

 そんな思惑があったからなのか、北斗はロミオの言葉をそのまま全員の総意の様に話していた。ロミオの言葉に何かを思ったのか、リヴィはそのまま口にしていた。

 口の中に入れても箸は先程の糸が引いたのか、細い何かが垂れ下がっている。当初は恐る恐る食べたリヴィを見たからなのか、ジュリウスも改めて口にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれは初めて食べたが、恐らくは人によっては好き嫌いが出るかもしれないな。だが、総じて今回の食事はかなり有意義な物だったと思う」

 

 そう言いながら最後に出された豆腐を使ったデザートに全員が舌鼓をうっていた。

 元々今回の発端は北斗がジュリウスに納豆を食べさせたいが為に考えた物。結果的には全員が食べはしたが、やはり最初から口に合わなかったからなのか、ギルとシエルは苦戦していた。

 ナナに関しては当初はおっかなびっくりではあったものの、一度口にした際に、何かが良かったのか、何時もと何も変わらないままだった。

 

 

「でも、その割には納豆には苦戦してた様だが?」

 

「あれは人生の中で初めて口にしたな。まさかとは思うが極東には他にも変わった物があるのか?」

 

「旧時代であれば他にも色々と口にする物が多かったとは思うが、今の段階では何とも言えないな。以前に聞いた際には他にも復活した食材が有るらしい」

 

 納豆の衝撃がデザートによって和らいだからなのか、ジュリウスは既に何時もと変わらない表情を浮かべていた。豆が糸を引くケースは殆どが腐っている場合。もちろん衛生管理が厳しいラウンジでそんな事になる可能性は皆無に等しかった。

 

 

「なるほどな。だとすれば今後は食材の取り扱いも考えた方が良さそうだな」

 

「今の事だけで手一杯なんだ。それ以上の事は専門の人間に任せた方が合理的だぞ。それに一人でやれる事なんて知れてる」

 

「そうだったな」

 

 北斗の言葉にジュリウスは農業の導入の件でのやりとりを思い出していた。自分一人で出来る事は限界がある。だからこそ全員の力を頼り生きていく事を考える。

 改めて自分自身がやれる事だけを考える。そんな考えが思い出されていた。

 

 

 



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第48話 失いし物

 人影すら無いはずの場所に2つの影がゆっくりと動きをみせていた。

 本来であればそこは完全な立ち入り禁止区域である為に、特定の人間以外の出入りは許されていない。ここに在籍する職員ではなく、侵入者であれば何かしらのセンサーは探知しているが、今はそのセンサーは何の仕事もしていなかった。

 怪しく蠢く影がゆっくりと何かを操作している。警報機すら鳴らないそこは事実上の密室に近いからなのか、その影たちは警戒するそぶりすら見せず、ただ作業だけを開始していた。

 

 

 

 

 

「フェルドマン局長!第1神機兵保管庫から3体の神機兵が無くなっています!」

 

「警報機とセンサーはどうなっている!」

 

「既に何者かがハッキングしている為に、こちらかのコマンドは受け付けません!」

 

「警備チームを直ぐに現場に派遣させろ!」

 

「了解しました!」

 

 フェンリルの本部直轄でもある情報管理局に激震が走っていた。

 本来であれば立ち入りを禁止したはずの場所での盗難事件。そこにあったのは現在開発中でもあった新型の神機兵が3体。その全部が本部の保管庫より持ち去られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フェルドマン君。今回の顛末はどうなってるんだ?」

 

「現在の所、原因は未だ不明のままです。ですが、あの保管庫はシステムが完全に外部から遮断された環境下となっている為に、完全なる内部犯の仕業かと」

 

「そうか。だとすればその犯人は一刻も早く捕獲する事だ。それと同時に、今回盗難にあった神機兵だが、外部に漏れる様な事があれば廃棄処分とする。方法は君に任せるが、万が一の際には……理解しているな」

 

「はっ。おおせのままに。直ぐに調査チームを作成し、速やかに開始します」

 

 円卓になったテーブルが置かれた会議室はフェンリルの取締役会の場だった。

 これまでのゴッドイーターのコスト削減を考えたフェンリルは、極東で起こった一連の流れから、新たな神機兵の改良と作成を極秘裏に開始していた。

 これまでのクレイドルからの派兵を惜しんだのではなく、今後の神機兵の投入をする事によって既存のゴッドイーターは危険な任務に行く事を極力少なくし、その結果、死亡時の高コストを何とか打破しようと苦慮した結果だった。

 そんな中での事実上の強奪事件はあまりにも外聞が悪い物だった。

 これまでの様にゴッドーイーターを募集する事無く、戦場の掃討を誰もが簡単にこなす事が可能となれば、今後はオラクル細胞を利用しない未来が来ても人類の滅亡は回避できる。そんな取り止めのない考えが蔓延していたからなのか、取締役会は速やかな処断をフェルドマンに求めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フェルドマン局長……」

 

「いや、大したことは無い……と言いたい所だが、君も厳密には当事者の様な物だな」

 

 普段であればありえないと思う程の狼狽ぶりにレアは珍しくフェルドマンに声をかけていた。

 あの極東での忌まわしい事件から既にそれなりの時間が経過している。当時の傷跡ですら未だままならない中での今回の事件は余りにも無常な事実だけを突き付けていた。

 普段は絶対に他人に隙を見せる事の無いフェルドマンに明らかに疲労の色が滲んでいる。部外者であれば気にはしても、今のフェルドマンに声をかけるのは憚れる程に余裕が無かった。

 

 

「と言う事は私の研究絡みと言う事ですか?」

 

「違うと言いたい所だが、残念ながらその通りだ」

 

 レアとフェルドマンは珍しく外部のバーを利用していた。本来であれば本部の中にも同じような施設はあるが、今回の内容は幾らバーテンダーの口が固いとしても内部で話す様な物では無かった。

 事実、情報管理局はフェンリルの中でもその組織名が表す様に、情報の管理にはかなり厳しい。仮に局長であっても同じ事だった。

 外部居住区とは言え、どこで誰が聞いているのかすら分からない。だからなのか、お互いの会話には決定的な単語が口から出る事は無かった。

 

 

「実は今回の件なんだが、かなり厄介な部分がある。君も知っているとは思うが、今の状況は本当の事を言えば決して良いとは言えない。今はまだ尻尾すら見えないが、近日中には大なり小なり動きはあるはず。我々としては悠長な考えを一切持っていない。だからこそ、今回の内容に関しては、一部の任務を君に任せる事になると思う」

 

「そうですね。今回の件に関しては私も無関係とは言い難いですから。ですが、本部からとなれば、内部に協力者がいない限り、あそこのセキュリティは解除できないはずでは?」

 

「その件に関しても同時に捜査を開始している。部下には両面作戦を強いている以上、こちらとしても確かな何かが必要になる」

 

 秘密性が保たれたバーには、お客となるべき人間はこの場には誰もいなかった。もちろん、目の前に立っているバーテンダーはフェルドマンの子飼いの人物。仕事柄、完全に秘匿出来る場所を持つのは当然の事だった。

 確認する為なのか、レアが少しだけ目をやるも、こちらの事に関してはまるで無関心だと言わんばかりにグラスを磨くかの様に拭いている。事前に聞かされた事実に相違ないと判断したからなのか、レアはそれ以上視線を向ける事を止めていた。

 

 

「しかし、あの新型ですが、私自身どこか懐疑的な部分が多分にあります。以前の話ではプロジェクトは凍結したまま、現状使用できる物だけをメンテナンスだと聞いています。ですが、今回のそれは明らかに新規で開発していたと言う事になりますが、その辺りはどうなんですか?」

 

「君に言うのは申し訳ないんだが、実はあの機体は本部でも上から降ってきた話になる。しかも個人としての寄与に近い形で渡された為に、我々としても全貌を知っている訳では無い」

 

 レアの質問にフェルドマンはそれ以上の説明をする事が出来なかった。

 元々本部でも一部の人間が神機兵の運用に関して厳しい意見が出る事が多く、これまで中途半端に破壊された神機兵がオラクル細胞の影響を受ける事によって、市民の命を脅かす事案が発生している為に満足な動きを取る事も出来ないままだった。

 最悪の事態に陥れば、確実にこの研究はここで幕引きされる事になる。だからなこそ秘密裡に行動している事実が存在していた。

 

 上の思惑を他所に、それ以上の汚染が広がらない様にするだけで精一杯。整備済みの機体も極東ではサテライトの建設の重機の代用として利用する事が多く、アラガミが現れた場合も同じく戦う事は殆どしていなかった。

 

 

「そう言えば、新型のそれに名前はあるんですか?」

 

「ああ。名前は確かシロガネ型だった記憶がある」

 

 フェルドマンも一つの事案にだけ時間を割く訳には行かなかったからなのか、それ以上の事は覚えていなかった。

 新型配備された経緯と、その有効活用できそうなデータがあれば一番だが、そうなれば今度はこちら側がトラブルを持ち込む事になっていしまう。だからこそ秘密裡に事を進めたいと言う気持ちだけが優先されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だと!その話は本当なのか!」

 

「まだ一部の人間にしか知らされていませんが、間違い無く事実です」

 

「そうか。で、フェンリル側としてはどんな幕引きを考えているつもりなんだ?」

 

「まだその件に関しては何とも……ただ、情報管理局の預かりになっている事だけは間違いありません」

 

「そうか……下がって良いぞ」

 

 秘書だと思われた人物がそのまま部屋から出たのか、扉が閉まった音を確認したと同時に、男は机の上にあった葉巻に火を付けていた。紫煙をくゆらせ、何も無い空間を見ながらどこかぼんやりとした表情を浮かべている。その視線とは別に指だけはせわしなく動いていた。

 突然出た情報がどれほど機密性が高いのかを考えれば、男の取るべき行動は一つだけだった。

 何か考えが纏まったからなのか、灰皿に押し付け火を消す。ガラスに映るその表情には、何かの企みを持った様な薄汚れた表情だけが浮かんでいた。

 

 

「おい。俺だ。誰でも良い、直ぐにここに来てくれ」

 

《了解しました。直ぐにお伺いします》

 

 通信機を使い、誰かを呼び寄せる。既に何かを思いついたからなのか、それ以降の行動は尋常では無い程だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう……こちらとしては問題ないけど、どうしてこんな時期に?以前に点検してからそう時間が経っていないはずだけど」

 

《今回の件はちょっと緊急性が高いのよ。問題無いのはわかってるけど、上からの指示が来てるから。多分明後日は命令書が出るはずだから、近日中にはそちらに顔を出す事になると思う》

 

「そう……こちらとしても特に問題無いから断る理由は無いわね。じゃあ、来る日程が分かったら連絡頂戴」

 

《ええ。ではまた》

 

 通信が切れると同時に、弥生は少しだけ疑問を持っていた。通信の相手は友人でもあるレアだが、以前の様な暗さがそこに存在していた。

 今回の要件は極東にある神機兵の緊急整備。表面上は神機兵に使用されているOSのアップデートに伴う機体整備になっている。

 本来であれば、大義名分が話になっている為に、先程の様に思いつめた様な表情になるはずが無い。そんな単純な事も忘れて話をするレアに弥生はどうしても疑問を拭う事が出来なかった。

 

 

「榊支部長。こちらにある神機兵の関連で明後日、命令書が届くとの事です。派遣されるのはレアだけですが、何か裏がありそうな雰囲気があります」

 

「君がそう言うなんて珍しいね。君の方で何か情報を掴んではいないのかい?」

 

「先程の件であれば裏を取る必要は無いのですが、どうしてもそれが建前の様にしか見えないんです。ここに害が無ければ気にする必要は無いんですが……」

 

 通信を終えた弥生がそうまで言う以上、何らかの裏があるのは間違いない。しかし、突然沸き起こった情報に裏を取るには時間が短すぎた。

 命令書が出るのが確定している以上、後はこちらに出来る事は限られている。だからなのか、弥生は珍しくため息を吐いていた。

 

 

「弥生君の方でも今回の件で何か分かる様であれば調べておいてくれるかい?君がそんな表情をしていたら他の人間もまた不安を覚えるかもしれないからね」

 

「そうですね。今回の件はこちらでも調査してみます」

 

 既に思う部分があったのか、先程までの表情から一転し、いつもの笑顔へと戻っていた。命令書が発行される事が決定している以上、先程のレアの言葉を敢えて額面通りに受け取る事を決めていた。余りにも不自然すぎる事がもたらす結果に碌な事が無いのは今に始まった事ではない。

 下手な行動を起こした後に責任と称して詰め腹を切らされる様な真似だけは無い様にと、事の事態と責任がここに及ばない様にする事を優先していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レア先生がですか?確か最近も来ていたでのでは?」

 

「ええ。でも、今回の件は神機兵のアップデートの関係らしいから、ここに来るのは決定しているのよ。そうなるとまたシエルちゃん達にお願いする事があるかもしれないから、その時は宜しくね」

 

「はい。私達に出来る事があるのであれば」

 

 弥生は今回の件に関して、ブラッドに対処する様に考えていた。

 仮に重大な何かが起こった場合、対処の仕方一つでここの立ち位置が変わる可能性があった。只でさえクレイドルの方も色々な仕事が立て込みだしたからなのか、新たなサテライトの建設が始まった事によって周辺地域の警備が更に高い物へと変化している。オラクルリソースを使う際に、誘引剤としての役割を果たすからなのか、最近は建設の初期段階でアラガミの姿が随分と増えだしていた。

 その原因はアラガミ防壁の短期間で建設をする為に、一部の部材にアラガミを誘引する効果が表れる事だった。本来であればそれを使用するのは得策ではない。しかし、アラガミが押し寄せるリスクと同時に、これまで以上に格段に建設する速度が上昇するからと、問題を含みながらもそのまま使用していた。

 これまでの様な小型種や中型種だけならまだしも、それを餌とする大型種が来る為に、必然的にエース級の人間がその地に投入されていた。そんな状況の中で、サテライト建設を中断してまでクライドルを使用するのはリスキーすぎる。そんな考えと同時に、これまでのレアとの付き合いを考慮すればブラッドに任せた方が適任だと判断した結果だった。

 

 

「何か特別な事をする必要は無いのよ。ただ、最近はレアも激務らしいから少しだけ疲れてるかもしれないの。シエルちゃんにはその辺りも考慮した上で対処して貰えると助かるかな」

 

「私自身が何か特別な事が出来るとは思ってませんが、少しでもレア先生が良くなるのであれば、何とかします」

 

「忙しいのに無理言う様でごめんなさいね」

 

「いえ」

 

 最近のシエルは一時期に比べて随分と明るくなった様にも見えていた。一時期は何か思い詰める様な部分もあったが、当主でもある無明との教導以降、随分と吹っ切れた様子を見せていた。

 直接聞いた訳では無いが、どうやら何か悩んでいた物が解決したらしい。無明経由でそんな話を聞いたからこそ弥生もまたシエルに声をかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽が少しだけ大地に近づく頃、当初の予定通り本部からのヘリは極東支部のヘリポートへと降り立っていた。レアが言う様にあの通信以降、明後日には極東支部に対し、正式な命令書が下っていた。

 しかし、今回の内容に関しては些か懐疑的になるのは当然だった。

 本来であればフェンリル執行部の名の下に命令書は発行されるが、今回の発行元は執行部ではなく情報管理局。今回の件は内部にはおおよそながらに説明はしたものの、下手な混乱をさせる訳には行かないからと詳細を省いた上で説明をしていた。

 徐々に大きくなるヘリは確実にこちらへと向かっている。内容が内容なだけに弥生の表情は僅かに険しくなっていた。

 

 

「貴女が出迎えなんて珍しいわね」

 

「流石にあれを聞いて他の人にはちょっとね」

 

 ヘリから降り立ったレアを出迎えたのは弥生だった。これまでであれば秘書としての立場を考えると一番の業務の様にも思えるが、元々友人同士だった事からも、レアが来る際には同行者が無ければ弥生が顔を出す事は殆ど無かった。

 だからのか、レアの言葉に弥生は珍しく苦い表情を浮かべている。あれが何を意味しているのかを理解していたと認識したのか、レアもまた何時もとは違い、若干表情が固くなっていた。

 

 

 

 

 

「まさかとは思ったんだけど、そんな大それた事があったなんてね」

 

「最初に聞いた際には私も驚いたわ。まさかあの時と同じだと思った位だから」

 

 弥生はレアと共に屋敷の部屋で話をしていた。あの後で弥生が確認出来た事実は、本部で開発中の神機兵の強奪事件が発生している事。それと同時にハッキングによる何らかのデータ改竄の痕跡があった事だった。

 タイミング的にはどちらが早いのかは分からない。しかし、当時の状況を確認すると明らかに内部の人間が居ない事には成立しない様な内容に情報管理虚構が現在調査中である事実だけだった。

 

 そんな結果を先に公表したからなのか、レアは驚きはしたものの、どこかやはりと言った表情を浮かべていた。本部に居た際にもどうやって確認したのかは分からないが、仕入れた情報に一切の齟齬は無かった。

 一つ一つの情報の意味がどれ程の物なのかと当時者だけが一番理解している。当時も驚きはしたが、それは今に至っても何も変わらない事実だった。

 

 

「でも、その神機兵って何か特徴は無いの?幾ら神機兵だとは言え、どれも見た目は変わらないでしょ?」

 

「そうね。ただ、今回の神機兵は特徴よりも見た瞬間、直ぐに分かると思うわ。何せこれまで神機兵よりも格段に大きいのと、色も赤ではなく白のカラーリングがされているから」

 

「なるほどね。確かに見た目がそれなら分かり易いわね。それは分かったんだけど、実際にはここにはどんな用事があるの?私としてはそっちの方が気になるんだけど」

 

 弥生が気になるのは無理もなかった。最近になって新たなサテライトの建設が始まっている事は、ここに来るまでにもレアも理解している。

 そうなれば最大戦力でもあるクライドルが戦場に立つ事が困難なだけでなく、他の戦力もまたアナグラの周囲を護る必要があるからと、実際には防衛そのものが手薄に近い状態になっている。もちろん精鋭が揃う極東だからこそ心配はするが、それ程深刻にはならないだけだった。

 

 

「OSのアップデートの話は本当よ。これはオフレコなんだけど、今回の件はひょっとしらプログラムを書き換えられた可能性が高いの。本部とここでは距離もあるから大丈夫だとは思うけど、万が一の事も考えると、本部としても安穏とは出来ないらしいわ」

 

 レアの言葉に弥生もまた鼻で笑いたくなる様な内容だと理解していた。そもそも極東支部の神機兵に直接叩ける様な装備は持ち合わせていない。厳密に言えば持ってないのではなく、最初からその用途に使うつもりが無い事だった。

 事実、神機兵の数は限られている。仮にどこかのサテイライトの警備を任せるとなっても、結果的には幾つかの部隊を派兵させる結果になる。となれば今度は神機兵そのものがお荷物になる可能性が高いからと、極東支部では割り切った考えをしていた。

 

 

「馬鹿馬鹿しい。何か裏があるのかって勘繰っちゃたわよ。ここに来る可能性は否定できないし、ここだって絶対って訳でもない。でも、武器を使わない神機兵を戦力としてカウントしていない以上、気にしすぎだと思うわ。それよりも手口を確実に解明した方が合理的だと思うけど?」

 

 弥生の言葉は最初にレアが考えた可能性の中の一つだった。本部の人間とは違い、レアはこれまでに何度もここに足を運んでいるからこそ、その実情を理解している。

 本来であれば一笑したかったが、それ以上の言葉を告げた所で無意味だからと呼ばれた際には何の反論もしないままだった。

 

 

 



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第49話 見えない存在

 そこには既に最後の一体以外にアラガミの気配は存在していなかった。

 通常のアラガミとは一線を引いたそれは甲高い咆哮を上げながら、オラクルの塊を上空へと打ち上げている。既にそれが何を意味するのかを理解したからなのか、対峙したゴッドイーター達はそれぞれの方法で回避に専念を余儀なくされていた。

 上空に打ち上がったオラクルが破裂しかの様に、周囲へと拡散していく。まるでホーミング機能が付いた銃弾の様なオラクルは上空から雨の様に降り注いでいた。

 

 

「コウタ!大丈夫か!」

 

「ああ。何とか。マルグリットの影に助けらた」

 

 サテライトの建設予定地に発生したはずのアラガミは何時もの如く討伐されていた。

 今回建設に使われている建材はこれまでの様なパッケージではなく、時間の短縮を図る為に、一部のオラクルを剥き出しにしたまま建設する事になっていた。

 

 本来であればアラガミを呼び寄せる事は決して得策では無い。むしろアラガミが来る事はマイナスでしかなかった。しかし、今回の建設に於いては一部仕方ない部分が存在していた。

 元々サテライトの建設予定地はアラガミが好まない場所を基本コンセプトとして建設をしている。それは今回の件でも同様だった。そんな中で事実上の愚策とも取れるのはその場所にあった。候補地と周辺には何の問題も無いが、そこに至るまでの交通網が予想以上に悪路だった事に起因していた。

 そこに人が住んだ場合、物資の運搬レベルであれば何も問題になる様な事は無いが、これが今回の様に建築に携わるとなれば話は別。

 大型車での移動をしよう物ならば、それなりに時間が必要とされてしまう。かと言って中型車では運搬に時間がかかる。どちらに転んでも時間がかかるのは仕方の無い事だった。

 

 候補地に余裕があれ切り捨てる選択肢も取れたのかもしれない。当初はそんな話すら出ていた。

 しかし、候補地の選定はそんなに簡単ではなかった。今なおアラガミの脅威から怯える人々に対し、これまでのサテライトの実績はクライドルが考えているよりも期待は大きい物へと変貌していた。もちろん急がせた所で何かが早くなる訳では無い。そんな事実があるからこそクライドルに対し、直接声を届ける事はしなかった。

 少数精鋭と言えば聞こえは良いが、実際には立案から実行までを手掛ける事が出来る人間は限られている。だからこそ、期待はすれど声にする事は無かった。

 

 人類の反映を自身の安全。そんな取り止めの無い思考の末に一気に運んで建設そのものに時間をかけない方法にたどり着いていた。その結果、事実上の誘引剤の代わりとなりかねない膨大なオラクルリソースはアラガミの餌として引き寄せていた。

 この事実に対し、榊も予測していた事からクレイドルを一時的に選任チームとして対策を練っていた。

 

 

「ったく来るならこんな時じゃなくても良いだろうに」

 

「こればっかりは仕方ないですよ」

 

 リンドウのボヤキとも取れる言葉にエイジはやれやれと言った表情を浮かべていた。

 ここに来るまでに討伐したアラガミはそれ程問題になる事はなかったが、厄介だったのは、その後現れた『キュウビ』だった。本来であれば中々お目にかかる事が少ないこのアラガミは未だにレトロオラクル細胞の研究には欠かせない物だった。

 建材の護衛としてエイジとリンドウが請け負った任務のはずが、キュウビが現れた事によってすぐさま任務が更新されている。そんな中で2人に対し、第1部隊からコウタとマルグリットが急遽派遣されていた。

 

 

「俺もそんなに交戦経験は無いですけど、あれは厄介じゃないです?」

 

「そうか。コウタはそれ程交戦経験は無かったか」

 

「一応ここに来るまでに挙動なんかは確認しましたけど……っと危ねぇ!」

 

 リンドウとコウタの会話の最中に、キュウビが放った黒球がコウタめがけて襲い掛かっていた。元々神機の特性上、後方での射撃をしているコウタからしても若干ホーミングするからなのか、攻撃の回避は厳しい物だあった。

 激しく回転している為にギリギリで回避する事は出来ない。距離を取っていたからこそ何とか無傷での回避に成功していた。

 

 

「とにかく今は時間をあまりかける暇は無い。でないと他のアラガミが襲って来たらどうしようも無いぞ」

 

「確かに」

 

 攻撃の回避に成功したコウタはモウスィブロウのマズルフラッシュと共にキュウビに向けて発砲していた。

 既にデータを確認したからなのか、火炎属性の弾丸はそのままキュウビの顔面と捉えた瞬間、幾つかの小爆発を起こしている。着弾したバレットの衝撃にキュウビは僅かに怯んでいた。

 

 

「エイジ!後は頼んだ!マルグリット!バックアップ頼む!」

 

「ああ!」

 

「了解」

 

 コウタの指示と同時にエイジはキュウビとの距離を一気に詰めるべく疾駆していた。

 キュウビが怯んだ時間は僅か数秒。しかし、今のエイジにとってそれだけの時間は距離を縮めるには十分だった。

 漆黒の刃がキュウビの太ももに向けて一気に斬り裂かんと詰め寄る。ここまでならば何時もと変わらない攻撃。戦場で磨かれた勘が何かをそう思わせていたのか、エイジは視線を僅かにキュウビへと移した瞬間だった。

 キュウビの目に明確な意志が感じられる。エイジの首筋が僅かに寒くなった。それが何を意味するのかを考える暇はそこには存在していない。半ば本能とも取れたのか、まだ何もしていないにも拘わらずエイジはその場から一気に跳躍を開始した瞬間だった。

 

 

「エイジ!」

 

 コウタなのかリンドウなのか叫んだ時点でエイジはその場から既に回避したのか、キュウビは狙いすました様に自身の尾を刃に見立て水面を斬り裂くかの様に疾らせていた。既に跳躍している為に、その場にエイジの姿は無い。

 刃に見立ては尾は空を斬ると同時に、上空へと回避したエイジを完全に捉えていた。

 跳躍した時点でエイジが回避する術はどこにも無い。このまま攻撃が直撃するかと思った瞬間だった。

 これまで何も無かったはずの空間に時間差で向けられたのは同じく漆黒の刃。刀剣の直刃とは違い、湾曲を持つ刃はマルグリットが放ったラウンドファングだった。お互いが交差するかの様に刃がぶつかる。この時点でキュウビの意識はエイジからマルグリットへと向けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リンドウさん!」

 

「任せておけ!」

 

 マルグリットとキュウビの意識が完全に交差した瞬間、エイジの行動は神速と言える速度でキュウビへと肉迫していた。前方に大きく跳躍する事によって反対側へと着地する。

 既にマルグリットに向けられた意識が再びエイジへと戻った瞬間、キュウビの腹は大きく裂かれていた。

 ドクドクと流れる赤い何かがキュウビの体力を容赦なく奪い去る。これまでの攻撃の成果が出た瞬間だった。4人はお互いの攻撃が干渉しない様に四方へと散っていた。

 既に腹が裂かれた以上、キュウビが出来る事は自身の命の選択だけ。

 しかし、このメンバーの時点で撤退する事は叶わなかった。コウタの陽動とも取れる銃撃は再びキュウビの意識をここに留める事に成功していた。

 キュウビとコウタの視線が僅かに交差した瞬間、側面からのリンドウの一撃がキュウビの頭蓋に直撃し、そのまま巨体は絶命しながら横たわる事しか出来なかった。

 不意打ちとも取れる攻撃によって地面に叩きつけるかの様にキュウビの躯体が沈んでいる。ここで漸くキュウビの討伐が完了していた。

 

 

 

 

「これ持ち帰ったらソーマのやつ喜ぶぞ」

 

「確かにここ最近は見なかったですからね。それと、フォローありがとう」

 

「いえ。何となく見ていたらここだと思っただけなので……」

 

 マルグリットの持つヴァリアントサイズはこれまでの神機とは一線を引く様な兵装なのは既に周知の事実だった。その最大の特徴がエイジのフォローをしたラウンドファングの咬刃展開による攻撃方法だった。

 広範囲にわたる攻撃は、これまでの様に距離を詰める事なくその場から展開する事によって前衛のフォローには最適の神機。しかし、広範囲の攻撃をする際には最悪は仲間そのものを巻き込む可能性が高い事から使いどころはかなり限定されていた。

 そうなると今度は同行したメンバーの力量によってはその戦績が如実に現れる事から、使い所がかなり限定されるケースが多々あった。エイジからすればカノンの銃撃を回避出来るほどの読みがある為に、後方からの攻撃も察知している。その結果として、時間差で飛んでくるかの様に襲い掛かる刃はアラガミにとっても厄介な代物だった。

 完全に外されたタイミングである以上、回避する事が出来ない。今回の戦いもまた、これまでに培ってきた戦術を活かした結末となっていた。

 

 

「あれはあれで使いどころが難しいんだ。教導の成果って事だよ」

 

「いえ。あれはエイジさんが回避したからこそなので」

 

 お互いが遠慮しながら言い合っている。既にコアの剥離を終え、周囲に見えるのは4人だけだった。

 

 

「お前ら、それ位にしておけよ。エイジ。後でどうなっても知らんぞ」

 

「了解です」

 

 リンドウの言葉によって改めて周囲を確認する。既にアラガミの気配は無くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様でした。食事の準備はもう出来てますから」

 

 エイジ達を出迎えたのは拠点地域の守護をしていたアリサだった。ここは他とは違い、まだ護るべき防壁は存在していない。だからなのか、交代で周囲を見張っていた。

 既に寄越された防衛班の一部もまた同じ神機使いとして拠点防衛を続けている。だからなのか、これまでとは違った活況だけが存在していた。

 

 

 

 

 

「なるほどね。また何かあったんだ」

 

「ですが、本当なんでしょうか?」

 

「レア博士が来てるなら、ある意味ではそうなのかもしれないね」

 

 用意された汁物を口にしながらエイジはアナグラでの事を思い出していた。具体的な話はまだ弥生の口から出ていない為に、詳細は何も分からないままだった。

 これが何かしらの問題が起こっているのであれば、真っ先に連絡が来る。にも拘わらず何も話が無いのであれば、今はまだ様子の段階の可能性しか無かった。

 事実、気配だけを見れば何時もとは何も変わらない。そんな事があるからこそエイジとしても重要視する事が無いままだった。

 

 

「あれ?この味付けって……」

 

「ちょっとアレンジしてみたんですけど、どうですか?」

 

 会話をしながらだったかなのか、エイジは何時もと違った味の汁物に直ぐに気が付いていた。これまでの様に自分が作った物では無い為に、改めて味を確認する。アリサが言う様に少しだけ味付けが違っていた。

 

 

「これはこれで良いと思うよ。僕も参考にしたい位かな」

 

「本当ですか?」

 

「嘘は言わないよ」

 

 何気に言われた言葉にアリサの表情には笑顔が宿っていた。これまではエイジが作ってきたレシピを参考する事が多く、また今回の様な野戦ともなればそれが更に顕著となっていた。そんな中で今回の様なキュウビが現れた事によって、全ての準備がアリサの下で行われている。

 エイジが言った事で気が付いたからなのか、リンドウもまた味の違いに気が付いていた。

 

 

「当時と比べればアリサの腕も随分と上がったな。これで漸くビクビクしながら食べる生活ともおさらばだな」

 

「リンドウさん。それってどう言う意味ですか?」

 

 何気に話したはずの会話が既に違う意味を持っていた。リンドウとしては特に地雷を踏んだ記憶は無かったが、やはり褒められた直後なだけにその可能性を否定出来なかった。

 周囲にはアリサが作った食事を取っていた人間が何事かとリンドウ達を見ている。

 今、このメンバーの中で当時の事を知っているのはエイジ以外にはリンドウとコウタだけ。アリサとしても折角褒めて貰った物にケチが付いたと感じたからなのか、リンドウを見る視線は何時も以上に厳しい物へと変化していた。

 少しづつ変わる空気にリンドウの背中には冷たい何かが流れていく。エイジに助けを求めようと視線を映した瞬間だった。先程まで穏やかだったはずのエイジの視線が僅かに厳しい物へと変化している。そんな空気を感じ取ったからなのか、アリサだけでなくリンドウもまたエイジの方へと改めて視線を動かしていた。

 

 

「なぁ、何かあったのか?」

 

「いえ。何か少し聞こえた様な気がしたんですけど……」

 

「そうか?俺は何も聞こえなかったが」

 

 そう言いながらもリンドウは改めて周囲の情報を知る為にタブレットで周辺地域の様子を確認していた。仮にアラガミであれば直ぐに対処する必要がある。しかし、レーダーを見る限り、そんな情報は何も映し出されていなかった。

 

 

「エイジの気のせいじゃないですか?」

 

「だと良いんだけど……何となく嫌な感じがするんだよ。少し気になるから周囲を少し見回る事にするよ」

 

「じゃあ、私も行きます」

 

 アリサの言葉にエイジは未だ警戒心を解く事は無かった。既に周囲には何も反応が無いものの、これまで培ってきた勘が何か警鐘をならしているかの様にも感じている。

 だからなのか、アリサもまたエイジと共に行動する事を選んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり何か変だ。嫌な感じだけがする」

 

「確かに言われてみれば違和感がありますね」

 

 エイジとアリサは後片付けをコウタ達に任せる事で周囲を探索していた。これまでの様にゆっくりと歩きはするが、警戒だけはし続けていた。

 元々はただの勘でしかなかった。しかし、周辺を回るにつれ、何かが決定的に違っている。改めてそれが何だと言われれば言葉には出来ないが、それでも違和感だけは2人の感覚に残っていた。

 姿は見えないが、何かがいる様な気がする。何時までも拭いきれない違和感は徐々に強まり出していた。

 

 

《お前さん方、何か見つかったか?》

 

「いえ。今の所は特に何も……ただ、何となくですが嫌な感じだけはします」

 

《そうか。こっちも何か反応があれば直ぐに対処する。悪いが、何時ものルートをそのまま探索してきてくれ》

 

「了解しました」

 

 本来であれば様子見で動いている以上、何も無ければ帰るしかない。しかし、エイジだけでなく、リンドウもまた歴戦の猛者である為に、戦闘で培われた勘を否定する様な事はなかった。

 事実、違和感だけは未だに残ったまま。だからなのか、徐々に戦闘時の感覚へと変わり出していた。

 

 未だ気配は何も感じられない。既に何時ものルートを半分程回ったその時だった。

 アラガミは霧散した時に残る特有の臭いが鼻についていた。レーダーには何も映っていない為に、生命反応は既に無いのかもしれない。しかし、この時間のこの場所に残るだけの臭いは確実に何かしらの戦闘があった事だけは間違い無かった。

 恐らく僅かに聞こえたのは戦闘音。正体が分からない今となっては、それが何なのかを突き止める必要があった。

 

 

「アリサ。これってやっぱり……」

 

「そうですね。ここで多分戦闘があったのかも知れません」

 

 臭いの元を辿った先にあったのは周囲の樹木が何かに蹂躙されたのか、歪んだまま立っていた。なぎ倒せば確実にその音で気が付くはず。しかし、この現場では草木が倒され、樹木は歪んだまま。明らかな戦闘の後を見たからなのか、2人の警戒は最高潮にまで達していた。

 

 

「リンドウさん。恐らくですが、ここで何か戦闘があったのかもしれません。ただ、アラガミは既に霧散してますので何も残っていません」

 

《そうか…だとすれば随分と厄介だな。音も拾えないんじゃ解析のしようも無いしな。警戒しながらこちらに来てくれ。こっちも警戒レベルを引き上げる事にする》

 

「了解しました」

 

 僅かに荒れた跡地を後に、今はただ戻る事を優先していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だと!どうしてそんな重大な事が今まで知らされてなかったんだ!搬入時のチェックは誰がしたんだ!」

 

 フェルドマンは珍しく部下に対し声を荒らげていた。強奪された神機兵の所在は未だ不明のままだったが、その手口だけが判明していた。

 誰かが侵入して強奪したのではなく、カメラの画像を差し替えた状態で中から移動しただけだった。当初はまだ稼動そのものが出来ないと報告を受けていたにも拘わらず、実際には通常の稼動はおろか戦闘機動すら可能となっている。

 改竄された書類にはその事実は完全に伏せられていたからなのか、フェルドマンの前に立っていた情報官の足は僅かに震えていた。

 

 

「も、申し訳ありません。我々が調査した際には既に担当者は変更されていました。今回の神機兵に関しては全て外部からの搬入時に確認しただけの様です」

 

 震える足をそのままに情報官はただ現状だけを伝えていた。

 既にこの場に居ない人間の事を今さら糾弾した所で何かが変わる訳では無い。抑える事無く出た怒りが伝わったからなのか、情報官はそれ以上動く事は出来なかった。

 

 

「今回の件に関しては既に我々は後手に回っている。仮にあれがそのまま稼動しよう物ならばフェンリルの評価だけじゃない。神機兵のプロジェクトそのものが地に堕ちるどころか、そのまま廃止になるだけだ。直ぐに所在の確認。そして速やかに破壊しろ!」

 

「ですが、あれは上層部の肝煎りでは……」

 

「たかが機械仕掛けの人形とフェンリルへの信用。どちらが重いかすら判断出来ないのか?」

 

「いえ……直ぐに行動に移ります」

 

 情報官に言いながらもフェルドマンは最悪の状態を考えていた。知らされた内容の中に一つ厄介な物が搭載されていた。

 本来であれば神機兵には不要の物。それが何を意味するのかを考えたからなのか、すぐさま自身も行動に移っていた。

 

 

 



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第50話 不自然な内容

 榊だけでなく、弥生とレアはフェルドマンからの通信が切れた後、暫し考えが纏まらなかったのか珍しく言葉にならない沈黙が続いていた。

 

 フェルドマンがもたらした神機兵の機能の中に搭載されてるのは、光学迷彩とステルス機能。元々アラガミと戦う際に光学迷彩は極めて有効な物だった。

 視覚に映らないのであれば最接近をした後に致命的な一撃を最初に与える事が可能となるだけでなく、最悪は退却する際にもアラガミから僅かでも視界から外れる事が可能であれば、戦術的には極めて有効な物だった。

 

 これがゴッドイーターであれば体臭や息遣いで察知される可能性はあるが、神機兵の場合はそんな物に影響される事は無い。万が一の場合には起死回生の一手さえも可能となっていた。

 有効性を考えれば納得は出来る。しかし、追加装備でもあるステルス性能はアラガミには全く関係の無い物だった。ゴッドイーターが使用するステルスはどちらかと言えば光学迷彩に近い意味合いがあるが、神機兵に踏査されたそれは明らかに対レーダー用。

 通常の神機兵でさえ、アラガミの大型種とは対等に戦う事が可能となっている。そんな神機兵以上に巨大なそれは破壊力もまた尋常では無い。

 まともな運用を前提として考えると、気にはなるが、問題視するレベルではない。しかし、最悪の状況を考えれば看過出来る物では無かった。

 仮にそれが支部に向けられるとなれば、事前に対処は不可能に近い。アラガミ以上に厄介な代物だった。

 

 

「仮にあの話が事実だと仮定した場合、一体どんな考えを持ってやったんだろうね」

 

「今の所は何とも言えません。ですが、通常には無い装備をしている以上、何かしらの意志がある事は明白です。現に情報管理局でさえ特定出来ないのであれば、今後はここも厳重に警戒する必要があるかと」

 

 榊の言葉に弥生は一つの可能性と前置きした上で自分の意見を告げていた。

 事実、明らかに破壊活動に方向性を振った装備を持っている以上、可能性はゼロではない。本部からは距離はあるが、だからと言って、それが安心できる材料にはなり得なかった。

 仮に協力者が居た場合、物理的な距離は輸送機を使えば一瞬にしてクリア出来る。何も考えなければ荒唐無稽だと笑い飛ばす事も可能だが、誰もそんな楽観視する気持ちににはなれないままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど。だとすれば次の一手はそこになりますな」

 

 男は紫煙くゆらせ、誰かと話をしていた。

 秘匿回線でつながっているからなのか、その声の主が誰なのかは判断する事は出来ない。人払いをしたからなのか、隣の部屋で待機している秘書もまた知りえない内容だった。

 高級な調度品がその人物の性格を表しているからなのか、ただ高級なだけで、その調度品には統一感すら感じられずどこか下品な様にも見える。誰もが口にはしないが、その部屋を見た第一印象は皆同じ。

 自らの功績を目立たせる様な勲章の数は自己顕示欲の表れなのか、部屋の一番目につく場所に飾られていた。

 そんな部屋の持ち主が何を話しているのかが聞こえない以上、会話の内容が外部に漏れる事は一切無かった。

 

 

「ええ、後はそちらにお任せします。こちらからでは手出しが出来ませんので……はい。ええ。もちろん今回の件に関しても成功した暁にはそれなりの物を」

 

 通信相手は男よりも格上の人間だったからなのか、どこか畏まった感じのままに会話は進んでいた。

 今回の計画は些細な物から始まっていた。お互いの欲望の利害関係が一致しただけ。そこに信頼関係は無いが、元々は商売人だからなのか、契約にはうるさかった。

 お互いがそんな状況下で計画を進めて行く。密室で行われる話にはどこか剣呑とした空気が漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この内容そのものに間違いなんだけど……」

 

 レアはフェルドマンから依頼された当初の予定でもある、極東支部に配備された神機兵のメンテナンスをずっと続けていた。

 キッカケはフェルドマンからのその後の内容に若干ではあるが、システムを見た際にどこか違和感を感じた点だった。

 あの当時、九条が暴走した際には感じられなかったが、今見ているシステムには何となく何かが違う事だけは感じ取れていた。しかし、幾ら何を確認した所で、不具合や破綻した部分ははどこにも見えない。

 

 そもそも今の神機兵は螺旋の樹の安定化を図る際に、無人型から有人型へと全てシフトしている。理論上は遠隔操作も出来るようになっている為に、動きはぎこちなくても無人機としての機動は可能となっていた。

 仮に、内部から操られた場合、如何に極東支部と言えど受けるダメージはアラガミの比では無い。極東に限った話ではなく、どこの支部でも外敵からの防衛に重点は置くが、内部からの攻撃に関しては想定していない。

 上空から襲い掛かるアラガミが居るのであれば話は変わるが、それはあくまでも外部居住区の話でしかなかない。仮にアナグラの内部から直接攻撃されるとなれば、確実に致命的な打撃を受けるのは間違い無かった。

 

 

「レア先生。どうされたんですか?」

 

「シエルこそ、どうしてここに?」

 

「ここに籠ってからかなりの時間が経過していたので、一度休憩でもと思って呼びに来ました」

 

 シエルの言葉でレアは漸く時刻を確認していた。元々午前中から作業を開始したものの、気が付けば時間は既に夕方へと迫っていた。

 どれ程の時間をここで過ごしたのかは分からないが、シエルの言葉に漸くレアも食事すらしていない事を思い出していた。

 

 

「気を遣わせたみたいね」

 

「いえ。そんな事はありません。ですが……」

 

「どうかしたの?」

 

「私が気にしすぎなのかもしれませんが、何か大きなトラブルでもあったのではないのかと…」

 

「トラブルって程じゃないのよ。ただ、ちょっと神機兵の関係で少し変更する点があったから、それを修正する為なの」

 

 幾らシエルと言えど、事実上の特命に近い内容を話す訳には行かなかった。

 本部で開発したシロガネ型の神機兵はあまりにも特化しすぎた性能を誇っていた。

 詳細については何も知らされていないが、一部フェルドマンから見せられたプログラムの一部は神機兵がまだ完全にシェイクダウンする前のそれに近い。

 今は亡きラケルが作った意図的に暴走するそれはまだフェルドマンにすら伝えていない。自分の中でここにある物だけでも一旦は修正した後に話す方が良いと判断した結果だった。

 

 

「そうでしたか。ですが、多少は休憩を入れないと、脳の回転も鈍ります。良ければ、これをどうぞ」

 

 シエルが差し出したのはどこか形が歪なクッキーだった。

 明らかに既製品で無い事は間違い無い。しかし、ここで作る人間がこんな不格好な物を作るとは到底思えない。良く見ればシエルの頬には僅かに朱が走っていた。

 

 

「これって、シエルが作ってくれたの?」

 

「はい。何とか教わりながら作ってみました。味は私ではありませんので、それに関しては問題無いですから」

 

 そんなシエルの言葉にレアは一つだけクッキーを齧ってみた。確かに甘さは調整されているからなのか、見た目はともかく味そのものには何の問題も無かった。レアが知るかぎり、こんな事をシエルがするとは到底思えない。だからなのか、レアは笑顔で感想を述べていた。

 

 

「ううん。美味しいわよ。あともう少しで作業の方はメドが付くから、これが終わったら、今日の作業は終了にするわ。クッキー有難うシエル」

 

「はい」

 

 レアの言葉にシエルは満面の笑みで答えていた。恐らくは何度か失敗はしたのかもしれない。しかし、そんな見た目ではなくシエルが自分の意志で作ってくれた事にレアは感動を覚えていた。

 まだフライアに居た頃とは明らかに違っている。そんなシエルを見たからなのか、レアは改めて残った作業に集中していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう……分かったわ。出来ればそっちの作業が終わった時点でこちらに来てほしいの。ええ。でも万が一の際にはこちらの指示を優先して」

 

《了解しました》

 

 支部長室で弥生はサテライト建設地で起こった事実をエイジから聞いていた。

 正体不明のそれが何のかはフェルドマンからもたらされた内容と酷似している。

 仮に何も聞いていない状況であれば、確実に高度な警戒態勢を取って居たはず。本部で行方不明になった物が既にこの地に来ている可能性が高いのは間違い無かった。

 だからなのか、エイジとの通信が切れた際に、弥生は無意識のうちに溜息を吐いていた。

 最悪の可能性。しかし、それが何を意味するのかまでは分からないままだった。

 事実、弥生も何もしていない訳では無い。これまでに培ったネットワークだけでなく、自身でも出来る事を幾つか行使していた。

 そんな中で必ず最後にぶち当たるのは第一級の『機密事項』の壁。これは当事者かそれに担当している人間だけがアクセス出来る物。既に何人かに確認したものの、肝心の当事者が誰なのかまでは未だ掴み切れていないままだった。

 

 

「中々厳しいみたいだね」

 

「そうですね。せめて目的が何なのかが分かれば良いんですが、今の段階では何とも言えませんね」

 

 弥生の言葉に榊もまた判断に困っていた。これがアラガミが大群で押し寄せる内容であれば対処の一つも出来るが、今回の内容は明らかに悪意とも取れる人為的な何か。

 事実上のテロ行為と何ら変わりない物。対アラガミとは違い、相手は自分達と同じ人間である事が悩みの種だった。

 見えない何かに引っ張られる感覚に榊は僅かに背中が冷たくなる。幾ら支部長だとは言え、対人間との関係のプロではない。今出来る事は無事に何かが解決する事だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暴走したと思われるシロガネ型神機兵は、一時的に機能を停止していた。自ら行動はするものの、その行為そのものに疑問を持つ事は無かった。元々一つのプログラムである事が最大の要因の為に、人間の様な葛藤や疑問と言った物は最初から存在していない。

 今やるべき事は自己判断による自身の検証。無限ともとれるエネルギーの摂取をしているからなのか、神機兵はそのままステルス状態を維持し、待機していた。

 

 

《…………》

 

 どれ程の時間が経過したのか、シロガネ型の目に改めて光が宿る。用意されたプログラムなのか、それとも新たな指示なのかは分からない。しかし、起動した神機兵は改めて手に持った巨大な兵装を手に目的の地へと移動を開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フェルドマン君。まだ原因は分からないのかね?」

 

「申し訳ありません。現在の所は目下捜査中ですので、詳細についてのお答えは出来ません」

 

「君がそう言ってからどれだけの時間が経っていると思ってるんだ。既に例の神機兵が暴走して支部を襲撃したと言う情報も入ってる。このままでは我々の統制はおろか、嫌疑の目を向けられる可能性もあるんだぞ。それを理解しているのか」

 

 フェルドマンは内心舌打ちしたい気持ちを押し殺して幹部の話を聞いていた。

 既に強奪事件から5日が経過している。本来であれば極秘裏に捜査していたはずが、正体不明の何かによって一部の支部ではアラガミ防壁が破壊された事実が発覚していた。

 フェルドマンがその事実を確認したのはここに来る1時間前の話。にも拘わらず詳細を知っている役員が居る事に疑問を感じていた。

 

 

「いいか。このままでは今後の君の処遇にも影響が出てくると考えた方が良いだろう。このままだと誰かが責任と取るしかないからな」

 

 反論しないフェルドマンを見た一部の役員は愉悦の表情を浮かべていた。

 元々今回の発端となった神機兵の搬入に関してはその役員の一存で決定した節がある事をフェルドマンはこれまでの捜査の中で掴んでいる。既に一部の協力者が居るでのはとの推測までは立っていたが、今の会話によって疑念が確信へと変わりつつあった。頭の中で混ざったパズルのピースが音をたてはまっていく。

 どれだけの罵詈雑言を聞こうが、既にその思考は別の事を考え出していた。

 

 

「まぁまぁ。だが、我々もこのまま寛容な目で見る訳には行かないのもまた事実。せめてその神機兵を奪取するか、せめて廃棄処分にしない事には他の支部からの突き上げがあった際に示しが付かなくなる。大変だとは思うが、早急な対処をしてくれ給え」

 

「ではその様にさせて頂きます」

 

 会議室を出たフェルドマンの目には既に何かを捉えた様な力が宿っていた。

 情報管理局は警察機構の様な役割ではなく、本来であれば公安に近い性質を持っている。

 確かに行方不明の神機兵の関してはこれまで極秘に捜査していた事もあってか、隠密行動に近い物があった。しかし、一部の情報が暴露された以上、正規の手続きをもって大体的に行動する事が可能となっていた。

 既に手に持った通信機には『準備完了』の文字が浮かんでいる。先ほどの鬱憤を振り払うかの様にフェルドマンの足は力強く動いていた。

 

 

 

 

「すまないが、今回の神機兵の搬入元を調べてくれ。今の本部周辺でそれを可能とする企業の数は限られている。だとすれば、その企業がキーとなるだろう」

 

「ですが、情報を開示しない場合は?」

 

「別件で放り込め。後は絞れば何か出てくるだろう。既に幹部の連中だけでなく、他の支部にも影響が出始め居ている以上、悠長な事は出来ない。なに、製造元だと判明した暁には多額の賠償と長期の投獄が待っているだけだ」

 

 フェルドマンの顔を見た情報官はここに配属された当時の事を思い出していた。

 まだフェルドマンが就任する前はフェンリルの上層部はかなり揉めていた記憶があった。

 贈賄や横領だけでなく、自身の権力の為に物資を勝手に変更するなど、当時の腐敗ぶりはすさまじい物だった。そんな中で一刀両断の如く幹部を処罰したフェルドマンは色々な意味で恐れられていた。

 当時の粛清を行った時と同じ表情だと思い出したからなのか、指示を受けた情報官は直ぐに自分のやるべき事の為に行動に移していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 野生の狼の様な遠吠えは、周囲に潜んでいたアラガミを一気に呼び寄せていた。これまでは戦闘音を察知しない限り寄ってこなかった小型種や中型種がマルドゥークの声に呼び寄せられたのか、既に周囲の戦場は混沌とし始めていた。

 

 マルドゥークが飛ばす巨大な火炎を纏った飛礫は北斗へと向けられていた。

 巨大な岩石の様な飛礫は盾で受ける事は可能だが、それと同時に種劇で直ぐに行動するのは厳しい状況に陥る事が多かった。既に乱戦状態なのか、マルドゥーク以外には堕天種のグボロ・グボロが鼻の様な砲塔から同じく火球を放っている。

 周囲には隠れる場所も無い為に、多方向からの攻撃は回避以外の選択肢を確実に奪い去っていた。

 

 

「北斗!」

 

 ナナは北斗に向けられた飛礫に向かって自身のアンベルドキティの引鉄を引く。元々射撃その物を得意とはしないが、この至近距離でもあれば恐らくは大丈夫だと判断した結果だった。

 ショットガン特有の散弾が炎の飛礫を破壊する。粉砕された事によって北斗は確実に回避していた。

 

 

「すまんナナ!」

 

 北斗はナナに礼を言うと同時に、直ぐにマルドゥークに向かって走りだしていた。

 飛礫を飛ばしたからなのか、態勢が不自然なままの状態になっている。目の前にある絶対的な隙を北斗は逃す事無く純白の刃を眼球に突き立てていた。飛び散る鮮血を浴びながらも、北斗は確かな手ごたえを感じ取っていた。

 アラガミと言えど、眼球への攻撃は大ダメージを負うからなのか、マルドゥークはこれまでに無い程に大きな隙を作っていた。顔を大きく左右に振る事で先程の攻撃を振り払うかの様な行動は戦闘時には致命的だった。

 本能が先に来たからなのか、マルドゥークは僅かにブラッドから意識を逸らした瞬間だった。

 

 

「確実に行けるやつからだ!」

 

「了解しました」

 

「おう!」

 

「任せて!」

 

 北斗の言葉にナナだけでなく、シエルとギルもまた顔を振っているマルドゥークに向けて一斉に射撃を開始していた。着弾する銃弾の属性なのか、北斗が突き立てた眼球の部分は徐々に凍結していく。反作用的な属性は既にマルドゥークの体力を一気に奪い去っていた。

 

 

「いっけ~!」

 

 ナナのコラップサーはマルドゥークのガントレットを二度三度と叩きつけていた。連続した攻撃によりガントレットはきしんだ音をたて皹が入ったのか、徐々に大きく広がっていく。止めの一撃だと言わんばかりに皹の中心に直撃した事により、堅牢な防御能力は完全に失われていた。

 事実上の弱点でしかないそこに、再びギルの銃撃が着弾していく。弱々しくなったからなのか、その動きは既に失われいていた。

 

「シエル!」

 

「任せて下さい」

 

 北斗は直ぐにシエルに3度連続してアラガミバレットを受け渡していた。

 何度も捕喰した事により大量に保持したアラガミバレットは次々とシエルに渡っていく。自身のレベルが最高値になったからなのか、シエルは自身から溢れるオーラと共にアーペルシーの引鉄を引いていた。

 

 

「これで終わりです」

 

 呟きと同時に銃口から発せられるアラガミバレットは灼熱の色を表す紅の弾丸。これまでに無い程の衝撃を残しながらマルドゥークに着弾すると同時に大きな爆発を起こしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の任務は結構大変だったよね」

 

「ああ。極東らしい任務だったな」

 

 地面に沈んだマルドゥークを他所に、北斗達はそのままグボロ・グボロも追加で討伐していた。

 元々現れた時点では気にもしていなかったが、今になって思えば余りにも簡単すぎていた。改めて記憶を辿れば、ここに現れた当初からダメージを負っていた様にも思える。

 アラガミ同士が戦ったのであればどちらか捕喰するまで続くはず。幾ら呼ばれたからと言っても、それは余りにも不自然すぎていた。

 帰投の中でシエルは改めて考える。レアがあれ程入念に神機兵をチェックするのは何か意味があるはず。今回の訪問が何も問題無いとは考えにくかった。

 

 

「どうしたシエル。考え事か?」

 

「少し気になる事があったんですが、あのグボロ・グボロは最初からダメージを負っていた様な気がしたんです」

 

「確かに言われてみれば…」

 

 北斗もまた改めて考えはしたが、確かにグボログボロは最初から動きにキレが無かった様にも思えていた。

 しかし、今となっては確認する手段は何処にも無い。詳しい事は分からないが、何かしらの問題が発生している可能性も否定出来なかった。

 

 

「とりあえず、一旦戻ってからだな」

 

 北斗の言葉にシエルもまた、今回のミッションの内容をレポートに纏め、一路極東への帰路に身を委ねていた。

 

 

 



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第51話 その正体

 突発的なミッションにも拘わらず、何時もと同じ様に討伐したブラッドは、念の為にと今回のミッションに関しての気になった部分をそのままレポートにして提出していた。

 普段であれば気にも留めない一文。しかし、今の取り巻く環境を考えるとそれは決して無視出来る様な内容では無かった。

 既に今回の件に関してはクライドルは何かしらあったと判断しているが、ブラッドはまだそこまでの考えには至っていなかった。

 

 

「今回の件なんだが、一度公開した方が良いかもしれないね。このままだと最悪の被害が出る可能性もある」

 

「そうですね。我々だけの胸の内に留めるには無理がありますね。ですが、これが本当なら敵は身内になりませんか?」

 

 北斗が提出したレポートを見た榊は直ぐに決断していた。

 フェルドマンの情報から考えれば、姿が見えないとう言うのは色々な意味で厄介な部分が多分にあった。何も無い場所であれば音や景色が歪になる為に確認が可能だが、これが戦闘時となれば話は大きく変わってくる。

 神機兵の敵性が何なのかはプログラムの確認をしない限り、外部からは判断出来ない。

 仮に感応種や神融種との戦いの最中に乱入ともなれば最悪の結果しか生まない可能性がある。となれば、常に後手後手になってしまう。

 公表すれば動揺するのは確実だが、それでもむやみに被害を出す事も良しとは言えない事情がそこにあった。

 

 

「サクヤ君。今回の件に関してなんだが、この神機兵の最初の謂れから既に黒に近いんだよ。事実、情報管理局も現在は確認をしているんだが、出所については調査中。アラガミが作れる訳が無いんだが、これも本来の目的が何なのかすら分からないんだ。公表の際には開発中の神機兵が暴走している体で発表しようかと思っている。でなければ何かと面倒な事になり兼ねないんだよ」

 

 榊の言葉にサクヤも改めて現状を思い出していた。まだここでは話題には上っていないが、万が一があった場合、厳しい対応を迫られるのは間違い無かった。

 かと言って事実だけを告げるのもまた悩ましい結果だった。下手な対応をすれば事実上の内乱と受け取れる事も出来る。ベテランや中堅であればそれで終わるが、それ以外となれば確実に動揺するのは間違い無い。

 アラガミが迫るこの場所で、無駄飯だけを食べさせる余剰戦力は極東支部には無い。今の厳しい局面を乗り切るには、榊の提案に乗る以外に方法が無いまま時間だけが過ぎていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コウタ隊長。今回は一体何があったんですか?」

 

「俺も何も知らないんだ。サクヤさんから緊急招集が掛かったから来てるだけで、発表はこれかららしい」

 

「そうね。私もアリサさん達にも聞いたけど、今回の件は何も知らないって言ってたかな」

 

 エリナの質問に、コウタだけでなくマルグリットでさえも知らされていない事実だからなのか、エリナは何時もとは違った緊張感が襲っていた。

 通常であればアラガミの大群が押し寄せるケースが多く、そうなればレーダーにも反応する為に用件は何となく理解していた。しかし、今回の件に関しては全く分からないままだった。

 部隊長レベルでさえも知らされていない事実に第1部隊だけでなく、他の部隊にも動揺が走っていた。

 

 

「今回の件なんだけど、まだ未確認の神機兵が暴走している可能性があるの」

 

 サクヤの冒頭から始まる経緯に誰もがその内容を確認せんと耳を傾けていた。

 厄介な部分だけを削除しながら事実だけを淡々と述べていく。暴走した神機兵そのものはまだ極東に居る為にそれ程の動揺は無かったが、問題なのはその大きさだった。

 

 通常の神機兵の1.5倍以上ある巨体が神機と同様の兵装で来るとなれば対応はかなり厳しい物となっていた。

 これまでに見たアラガミの中でも確実に大きい部類に入っている。クアドリガ種の大きさを持ちながら通常の神機兵に近い機動を持つとなれば、今度は違う意味で厄介な代物だった。

 画像データすら無い事実に誰もが無言のままにサクヤの説明を聞いている。何を想像しているのかを判断するには些か厳しい結果となっていた。

 

 

「サクヤさん。それって、ここに来てるんですか?」

 

「正直な所、まだ確認はされてないの。でも他の支部では既に被害はそれなりに出てる。分かってるだけでもアラガミ防壁の一部は破損してるから、一刻も早い討伐が必須よ」

 

 サクヤの言葉に誰もがその破壊力を想像していた。アラガミとは違い、神機兵に関しては案外と厄介な部分が存在している。

 一見獣の様な動きを見せるかと思えば、今度は理知的な攻撃を仕掛けるケースもあった。

 アラガミとは違い、神機兵の装甲は神機との相性は決して良いとは言い難い。確実性を考えるのであれば、メンバーの中にブーストハンマーかバスター。ブラストを所持しない場合、固い装甲を破壊するには通常以上に時間を必要としていた。

 尤も部位破壊さえ出来れば問題は無いが、そこに至るまでの過程が神機兵の討伐を厳しい物へと変化させていた。そんな中での通常以上の巨体を持った神機兵となれば、確実にそれ以上に手間がかかる。

 ここに居るメンバーは、これまで何度か討伐した記憶があったからなのか、表情は厳しい物へと変化していた。

 

 

「今回の件に関しては逐一情報が入り次第、各部隊長への通知をします。常に確認だけはしておいて下さい」

 

 最後の締めの言葉と同時に解散となっていた。姿が見えない事実が厄介ではあるが、実際に光学迷彩に関してはまだ完全に裏を取っていない。フェルドマンからの情報に偽りは無いとは思っても、やはり確実性が無いからとその部分の公表だけは避けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レア先生。今日のサクヤさんが言っていた件ですが、本当なんですか?」

 

「そうね。私も直接見た訳じゃないの。ただ今回の件だけじゃないけど、万が一の際に、ここにある神機兵にも影響が出る可能性があるからって言うのが今回ここに来た理由よ」

 

 サクヤからの発表はその場にいた全員に周知したあとは何時もと変わらないままだった。

 アラガミが襲撃している訳でも無ければ危機が訪れている訳でも無い。あくまでも情報提供の体で話したからこその結果だった。

 しかし、ブラッドに関してはマルドゥーク戦での内容が気になったからなのか、ここに居るレアに対し、改めて確認する選択肢を取っていた。

 

 

「しかし、本部はどうして巨大な神機兵を投入しようと考えたんでしょうか?」

 

 シエルの疑問は尤もだった。本来であれば既存の神機兵だけでアラガミの討伐は事足りている。そんな状況にも拘わらず、新たに巨大な神機兵を投入する必要性が見当たらなかった。

 

 

「その件に関しでは私にも分からないの。実際に本部とは言っても上層部の権限で搬入されたって事実だけだから。本当の事を言えば私も詳しくは分からないのよ」

 

「そうっだったんですか……」

 

 レアの言葉半分は正しいが、もう半分は嘘だった。現時点では大よその事は知っているが、それを公表するとなればブラッドもまた何かに巻き込まれる可能性が極めて高かった。

 ただでさえ神機兵の事に関しては出来る事ならブラッドには関与してほしく無い。仮に今回の件で何の損害も出なかったと仮定しても、やはり経緯を調べれば何の目的があって製造された事なのかは確実に知れ渡ると考えていた。

 既に情報管理局が動く以上、何も無いで終わるはずが無い。幾ら時間が経過しているとは言え、神機兵の開発に携わってきたシエルにとって、無駄な苦労を掛けさせたくない。そんなレアの考えがそこに存在していた。

 

 

「今は注意しながら行動しろって事位ね。貴女達なら大丈夫だとは思うけど、どこで何があるか分からないのも事実よ」

 

「そうですね。今後はそれも考えて作戦行動に移ります」

 

 シエルの言葉にレアは笑みを浮かべるだけに留めていた。

 既に矢が放たれた状況である以上、着地点がどこにあるのかは誰にも分からない。

 今出来る事が何なのかを理解したからこそ、レアは改めて今回の役に立てる事が出来ればと、新たなプログラムの作製に取り掛かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サテライト建設予定地では既にアラガミの討伐が終わったからなのか、建設の作業は急ピッチで進んでいた。

 本来であればオラクル細胞を剥き出しにしてアラガミの餌にする事は無いが、場所と時間の都合上仕方の無い事だからと、手順の一部を削除した結果だった。

 行程の一部が無いからなのか、周辺を護るかの様に円形状に模るアラガミ防壁の建設も残す所3割を切っていた。ここが正念場。ここで被害が出れば最悪は一からの再出発となる。

 昼夜を問わず警戒しているからなのか、一部の人員を除いて今は休息の為に眠りにつく者が殆どだった。

 静まり返る闇は如何なる侵入者の姿をもくらます。そんな周囲を確認するかの様にリンドウとエイジは夜間の警護の為に周辺状況を確認していた。

 

 

「しかし、例の話だが本当なのか?」

 

「詳しい事は僕も分かりません。ですが、相手がアラガミでは無くても神機兵であればかなり厳しい戦いになるのは仕方ないですよ」

 

「だよな……何時も見るあれよりもデカいんだろ。気が滅入りそうだぞ」

 

 本来であればサクヤがもたらした情報は確実に榊や弥生も知ってる内容だった。

 しかし、今回に関しては詳細なアナウンスはクレイドルにも降りてくる事は無かった。これまでの事を考えれば異常とも取れる状況。

 リンドウだけでなく、エイジもまた今回の件に関しては神機兵の大よその事しか知らされていなかった。

 

 

「ですが、神機兵に装備された光学迷彩とステルスは厄介ですよ。こっちが気が付かない間に接近されるなんで悪夢以外に無いですから」

 

 エイジの言葉にリンドウもまた同じ事を考えていたからなのか、苦虫を噛み潰した様な表情をしていた。

 見えないと言うだけでどれ程戦闘が苦戦するのかは考えるまでも無い。それだけではなく、神機兵全般に言える事でもあるが、本能で動くアラガミとは違い、神機兵はどこか理知的な行動をする事が多かった。

 単純に来るだけでもそれなりの質量があるが、それに知性も加わる攻撃はかなり厳しい戦いになる事が多く見られていた。

 完全に暴走すれば問題無いが、時折現れる暴走とまでは行かないが、かなりの動きを見せる個体が厄介な物だった。一度アナグラで確認した際にはまだ序盤に配備された物と後半に配備された物では明らかに思考が異なっているケースが多い。

 その結果、単純に神機兵の討伐の際には現地入りするまでは何も分からないケースが多かった。

 

 

「ったく。厄介な物を作ってくれたもんだ」

 

「本当ですよ」

 

 2人の身体にはまだ冷たさが残る風が当たっていた。周囲には何も見当たらないからなのか、2人以外に気配は無い。そんな取り止めのない瞬間だった。

 身体に当たった風が一瞬だけ何かにせき止められたかと思った瞬間、再び風が何も無かったかの様に当たっている。未だ周囲には何も見えない。しかし、今の2人には嫌な予感だけが全身を駆け巡っていた。

 

 

「エイジ。急ぐぞ」

 

「はい」

 

 半ば全力に近い速度で走り出していた。サテライトの建設予定地までは走れば時間にして数分で到着する程の距離。理由は分からないが、これまで培ってきた戦闘本能だけが危険だと告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何故私がこんな所に呼び出されなければならないんだ。まさかとは思うが、内容によっては貴様の事など、どうとでも出来るのだぞ」

 

「我々は貴方方とは違い、やるべき事が多すぎましてね。無駄な事は何一つしたく無いんですよ」

 

 情報管理局の局長室では冷ややかな対談が行われていた。

 フェルドマンの前に座っているのは、()極致化技術開発局長でもあったグレゴリー・ド・グレムスロワだった。

 ラケルの反乱によって一時期は査問委員会への招致も検討されていたが、結果的には追求するだけの材料が無かった事から有耶無耶の内に終わっていた。

 身内の反乱にフライアの摂取。自己の資金を投入した物が結果的には奪われた事と同時に、フェンリルに対し多額の慰謝料までを分捕ったからなのか、依然と同様に横柄な態度は何も変わっていなかった。

 

 

「単刀直入に聞きます。例の神機兵。あれは御社の工場で作られた物ですね?」

 

「ああ。それは間違い無い。だが、見知らぬ賊に奪われたのだから、仮に損害が出たとしても我々に落ち度は無い」

 

「我々はそんな事に対し関知しません。それは法務部が考える話ですから。ただ、あの神機兵。随分と不相応な兵装を搭載してますが、ご存じでしたか?」

 

 僅かに笑みを浮かべたフェルドマンの言葉にグレムスロワは僅かに考えていた。何とは口にしないが、暗にそれがある事は明言している。

 ここで態々相手の土俵に乗る必要は無いと判断したからなのか、兵装に関しては口を閉ざし、様子を見る事にしていた。

 

 

「不相応?何の事だ」

 

「知らないのであれば結構です。我々としてもそれ以上の事は捜査の内容に関わる事ですので。今回お越しいただいたのは、その所在と製造元の確認だけですから」

 

「ふん。だったら態々呼び出す必要はあるまい。次回からは君が来るんだな」

 

「ええ。是非そうさせていただきます」

 

 これ以上の事は無用だと判断したのか、グレムスロワの言葉にフェルドマンはあっさりと引き下がっていた。

 事実、詳細を話した所で『それがどうかしたのか』と言われれば言葉に詰まる。お互いの情報がこれ以上でないのであれば時間の無駄でしかない。

 だからなのか、グレムスロワは帰り際のフェルドマンの表情を見る事はないまま局長室から退出していた。

 

 

「恐らくはクロだ。だが、あれだけ落ち着きを払う以上は何かしらの背後が有るはずだ。資金トレース、出来る範囲で構わん。追跡してくれ」

 

《了解しました》

 

 フェルドマンの指示に通信機越しの相手が了承している。既に何かを掴みつつあったからなのか、フェルドマンの表情は対峙した時よりも更に険しいままとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 闇に蠢く物を見たのは奇跡にさえ等しいと思えていた。本来であれば光学迷彩を纏ったそれを移動しながら発見する事は出来ない。純粋に移動した際に、息継ぎでもするかの様に僅かに光学迷彩が揺らいでいた。

 完全に見える訳ではないが、おぼろげながらに物体の輪郭だけは歪んだ様に見えている。既に考えるまでもなくエイジは通信回線を開き、即時に指示を飛ばしていた。

 

 

「総員。敵が接近!至急警戒せよ!」

 

 

 

 

 エイジの言葉に、眠っていた人間も全員が一気に目を覚ましていた。元々野戦が基本なメンバーだからなのか、その一言だけで十分だった。

 眠りから一瞬にして覚醒し、隣に置いていある神機を握り周囲の気配を探索する。訓練でも無いかぎり、全員が瞬時に戦闘態勢へと意識を変えていた。

 

 

「一体どこに……」

 

 飛び起きた先に見たのは何時もの空間。エイジの言葉で飛び起きたが、アラガミの姿はどこにも無かった。

 冗談なのか訓練なのか判断に苦しむ。改めて周囲を見渡した瞬間だった。

 

 

「……何?」

 

 誰かが疑問を発した瞬間だった。突如として建設途中だったアラガミ防壁が爆ぜていた。

 周囲にアラガミはおろか、敵性行為すら見えない。幾ら目を凝らしても全員の目に映るのは何時もの空間だけだった。

 周囲を見るも、防壁が破壊される事実だけ。それが何を意味するのかすら判断できないままだった。

 何かが居るのは分かるが、それが何なのかを理解出来ない。これだけの精鋭の目の前で確実に建設された防壁が破壊されていた。このままでは拙い。誰もがそう思った瞬間だった。

 突如として放たれた銃弾が何も無い場所で小爆発を起こす。誰もが何が起こったのかを理解できないまま時間が僅かに流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リンドウさん。あれって」

 

「ちょと遅かったみたいだな」

 

 2人の目には何も無い空間が建設中の防壁を破壊している姿だけが確認されていた。

 しかし破壊される瞬間、僅かに空間が歪んだ様にも見える。明かりと暗闇の対比がそうさせたのか、エイジの目には見えない様に見える何かが破壊活動をしている様にも見えていた。

 振りかぶる何かが破壊活動をしている。これ以上の破壊活動を容認出来る程にエイジの心中は穏やかではなかった。

 走りながら狙いだけは大よそでつける。走りながらの銃撃が難しいのは誰もが理解しているが、元々厳しい姿勢でも射撃が出来る訓練をしてきたエイジからすれば大きい的に外す要因はどこにも無かった。

 アサルトの特性を活かし、3点バーストの様に3発の銃弾が着弾する。そのうちの1発が何か重要な個所を直撃したからなのか、先程まで見えなかった姿がゆっくりとその姿を現していた。

 

 

 

 

「あれが例の神機兵だ。総員注意しろ!神機兵の戦闘音を察知する可能性は高い。部隊を通常から臨戦に変更。すぐさま周囲の索敵を開始だ。それとアナグラにも連絡!」

 

 エイジの言葉に自分達の役割を思い出したかの様に部隊の配置が完了するとすぐさま周囲の索敵を開始していた。

 これまでもサテライトの建設の際には戦闘音を察知したアラガミからの強襲は数えるのを止める程あった。ましてや今回の様な資材を使用する以上、寄ってくるのは必須。厳しい戦いになるだけではなく、負傷者の数を広げる訳にはいかないからと、そんな思惑もそこにはあった。

 シロガネ型神機兵はエイジとリンドウを捉えたからなのか、既に顔の無機質なレンズを向けていた。

 

 

 



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第52話 同時攻撃

 シロガネ型神機兵の強襲はすぐさまアナグラにも一報が届いていた。

 現時点で既にその正体を表しているからなのか、エイジとリンドウを中心に交戦中だった。これまでに討伐した神機兵とは違い、今戦っているのは更に上方修正された物。

 飛び込んだ通信の内容を確認すると同時に、別の回線からも同様の通信が飛び込んでいた。

 

 

「サクヤ君。聞いての通りだ。サテライトの件は既に交戦中だが、極東支部の外壁の破壊は未だ正体不明のままだ。既に防衛班が出動しているが、今後の事を考えると決して良い流れにはならないだろう。直ぐにブラッド隊にも出動要請してくれ給え」

 

「了解しました」

 

 榊の言葉にサクヤもまた同じ事を考えていたからなのか、その行動は早い物だった。

 

 

 

 

 

「極東支部外縁部が正体不明の何かに破壊されているわ。現時点での襲撃に関する詳細は不明。でも、サテライト建設地も同様の結果が出ているのと同時に、現在交戦中。現時点を持って正体不明の破壊活動は神機兵に断定とする。本作戦は速やかに実行よ」

 

 サクヤの言葉に召集されたブラッドだけでなく、他の部隊の人間もまた表情が一変していた。

 開示された情報が殆ど無く、また討伐方法そのものが確立されない。何よりもこれまで新種との討伐経験が少ない部隊にとっては最悪の展開だった。

 

 これまで極東支部に於いては教導を終えたメンバーが最初にやる事はノルンに記載されたアラガミの情報を確認する事だった。

 他の支部とは違い、交戦した経験が豊富だからなのか、そこに記された情報は膨大だった。

 弱点属性だけでなく、行動原理や特性など覚える事は多岐に渡っている。勿論、忘れたからと言って困る事は少ないが、それでも事前に知っているのと知らないのでは天地程の差があった。

 そんな戦い方をすれば当然新種が現れると対処する事は格段に厳しくなっていた。

 交戦経験が無いままの戦いは純粋に本人の技量が試される事になる。

 突出した戦力があったとしても、全てをフォローする事は不可能に近い。そんな事実があったからなのか、既に招集された人間の殆どがこれまでに無い程に厳しい表情を浮かべている。

 そんな状況を見てもなお、サクヤは淡々と状況説明だけを続けていた。

 

 

「サクヤさん。シロガネ型神機兵と断定する以上は、こちらとしてもそれなりに対処する必要があります。情報開示はどれ位出来ますか?」

 

「現時点での情報開示は伝えた通りまでよ。実際には交戦中のチームから逐次情報が届いてからね」

 

 サクヤの言葉に質問したシエルもまた考えていた。

 実際に新種との交戦はクレイドルだけでなくブラッドもまたそれなりに経験をしている。これまでに螺旋の樹で討伐した神融種の経験は思った以上に部隊の底上げをしていた。

 今出来る事は目の前で続けられている神機兵の速やかな排除。サクヤが言う様に開示された情報は少ないものの、神機兵である以上はやってやれない事は無いだろう。そんな考えが浮かんでいた。

 一方のサクヤもまた、シエルと同じ様な事を考えていた。ブラッドのこれまで行って来たな戦いを自分の目で見た訳では無いが、コンバットログを見れば大よその事は判断出来る。

 虚偽などありえないとばかりに、示されたデータが他の部隊に比べればまだ安定している様にも思えていた。大型ディスプレイには襲撃を受けている箇所にはアラガミの姿はおろか、敵性の確認すら出来ない。

 僅かに聞き及んだステルスと光学迷彩の威力を現時点をもって体感していた。

 

 

 

 

 

「畜生!何だよこれは!」

 

「攻撃が届かない!」

 

「誰か救援を頼む!」

 

 突如として破壊されたアラガミ防壁の周辺には予想通り破壊音に寄せられたのか、小型種を中心にアラガミが寄せられていた。

 未だ姿を目視出来ないからなのか、小型種の討伐を開始した瞬間、見えない何かに攻撃が阻まれていた。

 全てを斬り裂かんと横薙ぎに振るった刃は、目の前に居るオウガテイルに届く事無く見えない何かに阻まれるからなのか、手に跳ね返る衝撃と共に態勢が大きく崩れていた。

 本来であれば乱戦になったとしても、こうまで厳しい戦いになる事は最近は殆どなかった。

 そんな攻撃を嘲笑うかの様にこちらの攻撃は阻まれるが、オウガテイルの攻撃は当然の様にこちらに届く。振り回した尾は豪快な風切り音と共に不意討ち気味に一人のゴッドイーターの横っ腹に届いていた。

 幾ら小型種とは言え、アラガミの力は強大。盾の展開が間に合わなかったからなのか、肋骨の何本かは粉砕されていた。吐血と共にゴミ屑の様に弾き飛ばされる。これまでに対峙した大型種ではなく、雑魚扱いしてきた小型種によって生命の灯は消え去ろうとしていた。

 群れに放り込まれ、餌とばかりに飛ばされた先には無数のオウガテイルが大きな口を開けている。飛ばされたショックで意識が飛んだからなのか、飛ばされた男は逃げる事すら出来ず、それぞれの腕や足、頭が引き千切られ、そのまま無数のオウガテイルの腹の中へと消えていた。

 

 

「このままだと防衛班に甚大な被害が出ます。既に破壊された防壁の周辺には小型種だけでなく、中型種の姿もレーダーで確認出来ます。このままだと外部居住区にも被害が出ます」

 

 端末を叩きながらヒバリは今の状況を巨大な画面に映し出していた。

 極東支部に向かって数多のビーコン反応が寄せられている。それが合図となったのか、既に幾つかの部隊が生命維持の危険水域にまで落ち込みだしていた。

 

 

「ブラッドに緊急ミッション。神機兵の討伐、若しくは周辺から遠ざけて」

 

「了解!」

 

 サクヤの言葉に北斗だけでなくロミオやギルも頷いていた。既に被害は徐々に拡大しつつある。既に交戦中だからなのか、クレイドルがこの地に来る事は無い。

 それを理解したからなのか、北斗達はすぐさま神機を取りに整備室へと駈け出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ったく。ここだけじゃないのかよ」

 

 リンドウはサクヤからの通信を聞きながらも視線は目の前に対峙するシロガネ型の神機兵へと向いていた。

 交戦してから既にどれ程の時間が経過したのかは分からない。お互いが致命的な一撃が一切入らない事によって戦闘時間の長さに拍車をかけていた。

 

 これまでの神機兵とは明らかに装甲が異なっている。元々真正面からの攻撃が通用しない事は予想されていたが、まさかこうまで厳しい結果になるとは思ってもいなかった。

 動きが機敏だからなのか、神機を模した兵装の射程距離の長さにリンドウだけでなくエイジもまた攻めあぐねていた。

 迂闊に近寄れば手厳しい反撃だけが待っている。周囲を人払いしただけでなく、実質的には夜間の戦闘だからなのか、視界は良好とは言えないままでの戦闘が続いていた。

 

 

「ですが、ここを何とかしないと向こうには行けません」

 

 リンドウのボヤキとも取れる言葉にエイジもまた様子を伺いながら言葉にしていた。

 既にアナグラの襲撃情報は届いているが、だからと言ってこちらを放棄する訳にも行かなかった。

 既に完成まで僅かの所まで来ている。アラガミの大群が来ているのであれば止む無しと判断出来るが、今の襲撃は目の前の神機兵1体だけ。お互いがその場にとどまる事無く常に移動しながら、攻撃のタイミングを伺っていた。

 リンドウが攻撃をして瞬間を狙うかの様にエイジはアサルトの引鉄を引いていた。

 装甲が固いのは今に始まった事ではない。幾ら堅牢だとしても膝裏や肘の内側の様に関節部分に装甲は無かった。

 一点集中とばかりに数発の銃弾が着弾する。僅かに当たった痕だけがそこに残っていただけだった。

 

 

「エイジ。無理するな」

 

「大丈夫です」

 

 反撃とばかりに神機兵は巨大な刀剣を振り回す。通常のゴッドイーターが使用するバスター型よりも巨大な刃はこれまで以上に厄介な代物だった。

 盾で受けよう物ならば確実に吹き飛ばされる。既にどれほど脳内でシミュレーションしようが、直撃だけは最悪の未来しかみえないままだった。

 無目的に振り回す刃は破壊の嵐。振り回す行動を見ながら常に隙を探し続けていた。幾ら理知的とは言え、何かしらのパターンが存在する。これまでにも討伐した経験から察したのか、エイジの目には神機兵の行動を予測するかの様に映していた。

 振り回すタイミングは全部で5回。叩きつける地点は違うが、殆どは一定のパターンで動いている様にも見えていた。

 

 

「リンドウさん。大よそですがパターンが決まっている様にも見えます。一先ずは様子を見ながら懐に入ってみます」

 

「無理はするな。ここに援軍は期待できないだけじゃない。最悪は俺達も援軍として行く必要があるからな」

 

「分かっています」

 

 リンドウの言葉にエイジは改めてパターンを読みながら数を数える。既に3回叩きつけた。あと1回叩きつけた瞬間を狙うべく、自身の精神を今以上に研ぎ澄ましていた。

 まるで決められたかの様に叩きつける刃を数え、そのまま一気に突入しようとエイジは態勢を整え、まさに動こうとした瞬間だった。

 本来であれば神機兵に生命の意志は感じられない。しかし、偶然見たそれが何処か嫌な予感だけを覚えさせていた。

 あり得ないとさえ思える馬鹿馬鹿しい考え。こんな状況でなかれば決して思う事が無い感情が芽生えていた。

 

 

「どうしたエイジ?」

 

「何となくですが、誘われたんじゃないかと」

 

「神機兵にか?」

 

 態勢まで整えた以上、タイミングをに計らっていくはずのエイジはその場に留まっていた。

 これまでのパターンを考えればこのまま隙を逃す事無く突入出来る。にも拘わらずその場でとどまった事に疑問を持っていた。

 そんな状況でのエイジの言葉。まるで確かめるかの様にリンドウは改めて神機兵へと視線を動かしていた。これまで5回叩きつけたはずの攻撃は気が付けば、そのまま6回7回と続いている。まるでこちらの考えを読み切ったと思える程にタイミングをずらしていた。

 

 

「なるほど。戦場の勘も大したものだな」

 

「それよりも問題なのはこのままだとジリ貧って事だけです」

 

 タイミングをずらしながらの攻撃はこちらの連携を完全に封じ込んでいた。事実この場で戦っているのはリンドウとエイジの2人だけ。本来であればあと2人いれば手数で翻弄しながら攻撃する事も可能だが、今の神機兵にはそれすらも怪しいと思える程だった。

 本当にプログラムで動いているのかすら判断に苦しむ。厳しい戦いは更に泥沼へと入り始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジとリンドウさんが?」

 

《はい。現在は例のサテライト建設地で交戦中です。ですが、周辺の状況と今のアナグラの状況を考えると増援は難しいと言わざるを得ません》

 

 他のサテライトに足を運んでいたアリサとコウタ達第1部隊は突如飛び込んだ情報に厳しい表情を浮かべていた。

 少し前に聞いた正体不明の神機兵の話は、周辺にある既存のサテライトにも多大な影響を及ぼしていた。

 防衛班は既に建設地だけでなく、本体でもあるアナグラの防衛の為に手薄になったサテライトの防衛を担っていた。周囲を囲むかの様にそれぞれが警戒している。

 そんな最中の情報にコウタだけでなくアリサもまた難しい選択を迫られていた。

 

 

「ヒバリさん。それって例の神機兵の事ですか?」

 

《はい。現在は既に姿を現している為にこちらからもレーダーで確認が出来ます。ですが、支部を襲撃している物は未だ映っていないんです》

 

 ヒバリの言葉にアリサは歯噛みしていた。姿が見えないだけでなくレーダーにすら映らないとなれば、最悪はここにも来る可能性を秘めている。

 神機兵の襲撃は聞いているが、その数が実際には分からない。既に2体が行動している為に、アリサだけでなくコウタもまた迂闊に行動する事が出来なくなっていた。

 ここを任せた場合、襲撃されれば確実に甚大な被害が予想されるだけでなく、エリナやエミールとて無事であるとは言い切れない。マルグリットも確かにいるが、今度はフォローしながら攻撃出来るのかと言った事が予測されていた。

 厳しい戦場では冷静な判断と戦闘を同時に行える人間はそう多く無い。仮に出来たとすれば、それは今交戦しているエイジやリンドウ位だった。

 

 

「そうか……俺達とアリサはここに残る。後の事は他に任せるしかない」

 

《ですが……》

 

「ヒバリさん。エイジとリンドウさんの事なら心配はいりません。恐らくは何時もと同じ様に討伐するだけですから」

 

《分かりました。今の所、そちらの周囲にはアラガミの姿は確認できません。ですが警戒を緩めないでください》

 

 コウタの言葉にヒバリはそれ以上何も言えなかった。

 厳しい判断ではあるが、僅かな可能性も否定出来ない以上、迂闊な行動は部隊を危険に招くだけではない。最悪はそのままサテライトの破壊にまでつながる可能性を考慮した結果だった。

 事実コウタの言葉にアリサも同意したからなのか、異論は出ない。そんな状況を理解したからなのか、ヒバリはただ情報を与えるだけに終わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり手数は重要だよな…っと」

 

 リンドウはそう言いながら神機兵が薙ぐ様に振るう刃を回避していた。当初は防ぐ事も考えたものの、重量がある物体が加速している物を受け止めるのがどれほど難しいかを悟ったからなのか、ほぼ回避だけに徹していた。

 状況的に間に合わない場面だけ盾で防いだものの、やはり予想した通りだからなのか、防ぐと言うよりもそのままの勢いで飛ばされた感じになっていた。

 

 

「無い物ねだりは無理ですよ」

 

 薙いだ瞬間を狙いすましたかの様にエイジのアサルトは寸分たがわず神機兵の顔面に着弾していた。

 これまでに隙を狙い銃撃で攻撃を続けていた物の、アサルトの火力では厳しい結果だけが残されたままだった。既に銃撃によるオラクルは枯渇寸前まで陥っている。

 どこかで補給するか何かしない事にはこのまま体力だけが奪われる事態となるのは時間の問題だった。

 

 

「何だと!」

 

 リンドウとエイジの下に飛び込んだ情報は僅かに意識を集注させる物だった。

 ここだけではなく支部もまた襲撃を受けていた。既に応戦はするものの、こことは違い、未だ神機兵の姿は目に出来ない。

 光学迷彩の威力とステルスの組み合わせは最悪の結末だった。

 被害は時間と共に増大していく。幾らブラッドが応戦しようにも、見えない事がどれだけ厄介なのかは自分達が一番理解していた。

 

 

「ちょっと拙いですね」

 

「ああ。まさかアラガミが群れを作ってくるのは流石にな」

 

 神機兵だけならば対処のし様もあるが、アラガミも同時となれば事実上の総力戦になるのは当然だった。既に他のサテライトの防衛もこの襲撃に寄せられる可能性が高いからと警戒を続けている。

 それが何を意味するのかは考えるまでもなかった。ここでも既に散開しているが、一部ではアラガミと交戦している。耳朶に届く情報は更なる厳しさだけを予測させていた。

 

 

「エイジ上だ!」

 

「はい!」

 

 神機兵の放った銃弾は頭上からエイジに向けて加速しながら落下していた。これまで一度も使わなかったバレットは僅かに回避を遅らせていた。

 リンドウの言葉に気が付いたからなのか、エイジは瞬時に離脱する。攻撃パターンの変化に再び様子を見ながらの行動を余儀なくされていた。

 

 

「ここが正念場だな。腹くくって行くぞ。エイジ。援護頼む」

 

「了解です」

 

 時間の経過は被害の大きさだけを招く。ここでこれほど苦労するとなれば他の部隊にも影響が出るのは考えるまでもなかった。

 

 パターンが分かるからと言って神機兵の行動が止まる訳では無い。援軍の見込みが無い今、やれる事はこのまま一気に仕留める事だけだった。

 リンドウは神機兵に向かって事実上の特攻に近い行動を起こしていた。加速する度にお互いの距離が一気に詰まる。既に迎撃態勢に入ったからなのか、神機兵は既に武器を構えていた。

 リンドウは疾駆しながら通り過ぎるかの様に刃を寝かせ、一撃離脱を試みていた。これまでの中で一番攻撃の後の被害が少なく済む戦法。

 短く無い時間戦ったリンドウが出した答えだった。風切り音は自身の身体から出るのか、それとも薙ぐ刃が生み出した物なのか。誰にも分からないと思えり速度は既に互いの間合いに入り込んでいた。

 

 

「しゃぁああああ!」

 

 リンドウの気合いに触発されたかの様に神機兵もまた刃を上段から振り下ろしていた。

 唸りを挙げた音は全てを叩く潰さんとの意志の表れ。通常であれば怯んで速度が落ちるが、リンドウは更に加速していた。

 お互いの刃が激しく交差する。まさにその瞬間。神機兵の意識はリンドウだけに向けられていた。

 

 

 



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第53話 暴かれる陰謀

 お互いが交差する剣閃は一方的な決着となっていた。

 突然起こった出来事にリンドウだけでなく、エイジもまた理解出来なかった。

 先程まで圧倒的な攻撃を見せていた神機兵の左腕が何故か空中に飛ばされている。その瞬間、態勢を大きく崩したからなのか、神機兵の斬撃はリンドウから大きく逸れていた。

 渾身の一撃とも取れるリンドウの薙いだ刃は神機兵の胴体を一閃する。左腕が飛ばされた衝撃が強すぎたからなのか、神機兵は無防備な態勢のそのままにリンドウの攻撃を受け、たたらを踏んでいた。

 この場に誰もいないはず。戦闘中にも拘わらず、お互いは僅かに神機兵から意識を別に向けていた。

 

 

「まさかこんな事態になってるとはな」

 

「兄様!」

 

「無明なのか」

 

 漆黒の闇から浮かび上がったのは、この場にいないはずの無明だった。漆黒に彩られた刃がその存在を証明するかのように妖しく光る。

 これまで苦戦していたからなのか、現在考える事が出来る中での最大の増援だった。

 

 

「ああ。リンドウ、お前の嫁に感謝するんだな」

 

「サクヤが何か言ったのか?」

 

「厳密にはサクヤからツバキに連絡が入ったんだ。俺は偶々この周辺に居たからここに来ただけだ」

 

 無明が言う様に改めて周囲を見れば、アラガミのコアや素材が入ってると思われたキャリーケースの様な物があった。

 無明は基本的に極東のセンサーから登録は外れている。表面的には退役しているからなのか、その足取りを掴む者は極僅かだった。

 当然だと言わんばかりに2人と会話しながらも先程倒れた神機兵を見ている。ここに来るまでにも大よその事は聞いていたが、こうまで苦戦しているとは思ってもいなかった。

 

 

「なぁ、あれについて何か知らないか?」

 

「大よそはがつくが、その程度ならば」

 

 リンドウの質問に対し、曖昧な返事が返ってきたからなのか、エイジは内心驚いていた。

 今回のミッションはあまりにも不可解な事が多すぎた。降りてこない情報に、詳細が何も伝えられない事態。そして目の前にいる無明でさえ確実な事実を掴んでいない点はこれまでの言動を考えればあり得ないとさえ思っていた。

 特にこの神機兵に関しては厄介以外の何物でもない。こうまで苦戦するとは思っていなかったからなのか、無明が来なければ未だ泥沼の戦いを強いられる可能性が高いとさえ考えていた。

 

 

「大まかで良い。実際にどこまで掴んでる?」

 

「今回の神機兵に関してだが、そもそも搬入の時点で通常とは違ったルートで流れている。詳しい事はまだ解析中だが、あれは案外と幹部連中のゴタゴタが原因だ。事実、幹部会では責任の擦り付けが始まっているらしい」

 

「…またかよ。どうして毎度毎度学習しないんだ?俺達の敵はアラガミであって人間じゃないぜ」

 

「下々はそれで良いんだよ。特権階級の連中が求めてるのは権力と金。以前の様に国と言う概念が無くなった以上、フェンリルのトップに上り詰めれば世界のトップだ。それに、本部に居れば安泰だと思ってる輩の方が多いからな」

 

 無明の言葉にリンドウだけでなくエイジもまた呆れかえっていた。確かに本部に居た頃はそんな思惑や、これみよがしに権力を振りかざす人間を何度も見ている。それの殆どは実戦を知らず、ただぬくぬくと権謀術数を駆使した結果に過ぎなかった。

 そんな人間が態々足元の事を気にする事は無い。余りにもくだらなさ過ぎた内容に頭が痛くなりそうな思いだった。

 

 

「そろそろ倒さないとアナグラもやばいぞ」

 

 無明の言葉に2人もまた改めて気を引き締めたのか、視線はゆっくりと立ち上がった神機兵へと向いていた。

 

 

 

 

 

「これで止めだ!」

 

 片腕だけとなった神機兵は余りにも脆かった。

 最大の理由はこれまで刀身を振りかざした際には両手を使う事によって斬撃を制御し、遠距離では銃で攻撃していたが、片腕となった為にその攻撃の殆どが封じ込まれていた。

 隻腕の攻撃に当初の威力は欠片も見えない。

 温くなった攻撃は既に3人の回避によって完全に無力化されていた。

 エイジの銃撃で視界を潰し、リンドウはその瞬間を狙って神機兵の装甲が薄い部分を狙っていた。僅かに見える弱点とも取れる箇所。手負いとなったそれにこれまでの鬱憤を晴らすかの様な怒涛の攻撃が再現無く繰り返されていた。

 

 連続攻撃の隙間を無くすかの様に無明が放つ剣閃は装甲の継ぎ目と継ぎ目の隙間をこじ開けるかの様に刃が食らい込む。アラガミの様に肉を斬る手応えは無いが、代わりに関節の中にある人工筋肉と配線を斬る手応えがしっかりと感じる。

 斬撃の勢いそのままに残された右腕もまた遠く後方へと吹き飛びオラクルが充填されていたからのか、爆散していた。両腕を欠損したからなのか、神機兵の反撃の目は完全に消失していた。

 

 

「とにかく助かった。あとはアナグラの様子だな」

 

「ここは俺が引き受ける。今回のシロガネ型神機兵は総数が何体搬入されているのかは不明だが、少なくともここ極東の範囲では3体前後のはずだ」

 

 胴体だけを残し、神機兵は既に動く気配は消え去っていた。

 これがアラガミであれば霧散するが、生憎とそんな気配は何処にも無い。既に戦闘が終わった以上、次の場所へと移動する必要があった。

 ここで時間を取られれば、今度は極東支部そのものが危険になる。それを理解していたからなのか、リンドウとエイジはこの場に残ると言った無明に全てを託し、乗ってきた車に火を入れると直ぐに移動を開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「分かったわ。直ぐに連絡するから」

 

 サテライト建設地での撃破の一報は直ぐにサクヤの下に届いていた。これまでのコンバットログから分かった事実は、明らかに第三者の意図的な何かがあっての結果だった。

 本当の事を言えばサクヤとて怒りが湧かない訳では無い。これまでに何度も経験した理不尽が目の前に起こり、本来であれば流れるはずの無い血が既に流れている。これまでに届いた負傷者の数は徐々に広がりを見せていた。

 

 

「ブラッド。そっちの様子はどう?」

 

《こちらはまだ神機兵の姿が見えないままです。小型種だけじゃなく中型種の数も多くなりだしています》

 

 本来であれば退避も止む無しと言いたい所ではあったが、今回の様な防衛戦ではそれは事実上の不可能に近い物だった。

 ここでゴッドイーターが退避すれば、空いた防壁の隙間からアラガミが一気に流れ込んでくる。事実上の最終防衛ラインなだけに、ここで食い止める事しか出来なかった。

 退路を断たれた戦いは消耗の度合いも大きい。これまでに殉職したゴッドイーターの数はここ最近の中では最悪の結果だった。

 

 

「ジュリウスさん。そっちにリンドウとエイジが移動している。厳しいとは思うけど、もう少しだけ頑張って」

 

《了解した》

 

 サクヤの言葉にジュリウスが短く答える。それが今の戦局を表していた。

 

 

「榊支部長。サテライト建設地のリンドウさんとエイジさんがここに向かうそうです」

 

「何とか間に合って良かった。サクヤ君の機転のお蔭だよ」

 

「私は何もしてません。ツバキ義姉さんのおかげですから」

 

 ヒバリからの通信が切れると同時に届いた榊の言葉には僅かに安堵が滲んでいた。

 戦線は未だ厳しいままではあるものの、2人とは言え、援軍が来れば士気は高くなる。

 それ程までに2人の存在はここには無くてはならない物だった。移動を開始した以上、到着までまだ時間はあるが希望だけは残される。

 画面を見ながらも榊だけでなくサクヤと弥生もまた好転するであろう事だけを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思ったより厄介だな」

 

 ギルは呟きならがらも寸分違わず同じ個所に刺突していた。瞬時に刺さるヘリテージスの穂先がオウガテイルの目を三度貫く。痛みを強く感じたからなのか、オウガテイルが怯んだ瞬間、素早く変形させる事によって幾重にも放たれた銃弾がその命を一気に散らしていた。

 

 

「でも、エイジさんとリンドウさんも、こっちに来るんだろ?だったらそこから一気に挽回だな」

 

 ヴェリアミーチを振り回すかの様にロミオは神機を無造作に動かしていた。本来であればそんな使い方は推奨出来るはずが無い。しかし、事実上の乱戦となった今、大雑把な攻撃であっても何かしら刃がアラガミに届いていた。

 既にどれ程屠ったのかすら数える事無く動き回っている。休息を取る事も出来ないままの戦闘は少しづつ雑になり出していた。

 

 

「ロミオ!攻撃が雑になってる。気を付けるんだ」

 

「お、おう。サンキュー」

 

 リヴィのサーゲライトの刃はギロチンの様に上空から振り下ろされていた。咬刃展開した刃は視界に入っていないのか、頭上から一気にオウガテイルめがけ迫り出す。重力の恩恵を受けた刃はその首を一刀両断の元に斬り落としていた。

 血を盛大にまき散らしながら首だけが跳ねる様に地面に転がる。背後からロミオを襲おうとしたそれは既に動く気配は無くなっていた。

 

 

「俺達よりも北斗達の方がやばいだろ。姿が見えないままに戦闘するのは精神的にもキツイからな」

 

「確かに。でも、大丈夫なのか?」

 

「北斗だけじゃない。ジュリウスとシエルにナナもいる。ここをせき止めるからこそ、向こうも集中して戦う事が出来るはずだ」

 

 ロミオの不安を払拭するかの様にリヴィは改めて話していた。これまでに何度も厳しい状況を潜り抜けはしたが、こうまでの乱戦は経験が殆ど無かった。

 鼓舞するかの様にギルだけでなくリヴィも口にするが、内心ではロミオ同様に疲弊したままだった。

 数を減らしたからのか、襲いかかる数は少なくなっている。その隙間を縫うようにリヴィはポーチから回復錠を取り出し喉に流し込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぉりゃぁあああああ」

 

「ナナ!大ぶりは止せ!」

 

 ナナは目標が完全に見えはしないが、僅かに歪む空間に全力でコラップサーを振り回していた。

 当初は何も分からないままだったが、暗闇に対比するかの様に色の違いを見たからなのか、おぼろげながらにその姿を確認していた。

 目が慣れれば分からない事は無い。だからと言って通常の様な攻撃をすることは不可能に近かった。

 場当たり的な行動しか出来ないからなのか、これまでの戦い以上に消耗の度合いは激しい物へと変化している。

 ハッキリと見えないからなのか、ナナの攻撃が空を切った。大ぶりの攻撃の代償はあまりにも大きい。その隙を狙われない様にジュリウスはレインフォースを展開しながらナナのフォローに入っていた。

 詳細は分からないが、時間差で迫る衝撃が反撃された事を理解している。その瞬間を狙うかの様に、北斗もまた大よその当たりをつけながら斬撃を繰り出していた。

 

 

「北斗!」

 

 一筋の剣閃は手に衝撃を残しながら大きく歪む。攻撃が当たったまでは良かったが、当たり所が悪かったからなのか、攻撃は事実上の不発だった。態勢が崩れた北斗のフォローとばかりにシエルもまたアーペルシーで援護する。攻め手に欠ける攻撃は既に何度経験したのかすら分からなかった。

 

「サンキューシエル!」

 

「いえ」

 

 シエルの援護に礼を言いながらも北斗は未だ見えにくいままの神機兵から視線を切る様な事はしなかった。

 一度捕捉したからなのか、脳内で補正し、大よその存在を確認する。どこかに光学迷彩を司る機関があるはずだが、それがどこに有るのかは未だ不明のままだった。

 肉体的な疲労は然程感じないが、精神的な疲労は尋常ではない。常に集中し続ける事でその存在を辛うじて把握しているだけだからなのか、北斗だけでなくシエルもまた精神的な疲労感に襲われていた。

 

 

「しかし、こうまで厄介だとは思わなかったな」

 

「ですが、未だ姿が見えないのであれば厳しい事に変わりありません」

 

 シロガネ型神機兵の装甲は従来の神機兵とは違い、装甲に一工夫してあった。

 攻撃は直撃すれば衝撃と共に内部の機関にも大きな影響を及ぼす可能性が高い。そんな弱点らしくない弱点さえも改良が施してあった。

 交戦している北斗達が知る由も無いが、この神機兵の装甲は衝撃を受け流す為に表面は加工が施されている。摩擦力が極限まで低くなっている為に斬撃に対する抵抗値が高く、その結果、光学迷彩を暴く為にペイント弾を使用したとしても直ぐに流れ落ちる程の性能を誇っていた。

 事実、エイジ達が討伐の際に光学迷彩を暴いたのは偶然に近い。アサルトの特性を活かしたそれが光学迷彩を司る箇所に着弾しただけの話だった。

 しかし、現時点でその内容を知らない以上、北斗達の戦いは事実上の消耗戦へと雪崩れ込んでいた。

 

 

「ジュリウス。ここは単発じゃなくて一気に攻めるか、属性を考慮する必要があるぞ」

 

「そうだな。このままでは埒が明かないのも事実だ。だが、どうする?」

 

 ジュリウスの言葉に北斗は僅かに考えていた。

 今のチームの属性と敵の相性を考えると、貫通性能を誇るシエルやジュリウスと北斗の様にそれに近い属性は攻撃が当たっても直撃する様な事は一度も無かった。唯一ナナの装備だけが効果を発揮するからなのか、神機兵の行動もナナに関しては完全に回避行動に移っていた。

 これまでの行動を考えれば当然の帰結。そう判断したからなのか、ジュリウスの言葉に北斗はナナに視線を向けていた。

 

 

「ナナ。この神機兵は明らかにナナの攻撃を嫌がっている可能性が高い。これからの攻撃はナナを中心に俺とジュリウス、シエルでやる。行けるか?」

 

「私的には問題無いけど、姿が見えないから攻撃が当たるかどうかが分からないよ。それでも良い?」

 

「ああ。その件はこっちでフォローする」

 

 ナナが杞憂していたのは自分が神機兵をあまり把握出来ない点だった。ナナ以外の人間は皆何となくでも把握している。それは攻撃のレンジがナナ以外が全員、中距離から遠距離型である事が起因していた。

 遠目で見れば何となく理解出来るが、至近距離では視線が動く範囲が大きい為に、集中はしていても眼に飛び込む情報量が多すぎる為に脳が把握しきれない事実があった。

 

 

「じゃあ、一気に行くよ!」

 

 このままいたずらに時間だけが消耗すれば、確実にこちらの方が分が悪いのは間違いなかった。

 無限に近いスタミナを誇る神機兵と、人間を比べるのは最初から無理があった。既にリンドウとエイジがこちらに向かっているのであれば、ここが一つの正念場。

 残された回復錠を口にすると同時に、ナナは全力で疾駆していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「弥生。レアに至急連絡してくれ。解析を任せたい」

 

《了解しました。至急そちらに回します》

 

 リンドウとエイジが移動を開始してから無明は弥生に連絡を入れていた。今回の件に関しては詳細は聞いていないが、可能性の一つとして確認したい事があった。

 人間は幾ら着飾ろうが、権力を持とうがその本質は変わらない。

 過去にフェンリル本部の人事さえも動かした側からすれば、何かしらの思惑がある事は予想出来た。

 エイジが周囲に対し索敵を命じたからなのか、無明以外には誰も居ない。音を頼りに周囲を確認するも、幸か不幸かアラガミの気配はどこにも感じ取る事は無かった。

 気が付けば何時もとは違うヘリの音。

 アラガミとは違い神機兵は両腕と両足を欠損した状態のまま横たわっている。解析が出来ればあとは任せれば良いだけの話。

 この内容如何でフェンリルと言う名の組織に大きな変革をもたらす可能性があると感じたのか、珍しく無明の口元は僅かに歪んでいた。

 

 

 

 

 

「で、どうだ?」

 

「そうですね……これを見る限りでは少なくともアラガミだけが対象と言う訳では無さそうです」

 

 胴体部から繋いだケーブルによってレアの持つ端末にデータが次々と流れ込んでいた。

 これが頭部あたりに集中していれば確認する術は少なかったかもしれないが、この機体は胴体部にそれがあった。

 完全に吸い上げたデータから分かった事実はあまりにも当初予想していた内容以上に悪い物だった。

 本来神機兵は対アラガミの機能を有するが、決して意図的に建造物を破壊する様なプログラムはされていない。暴走する神機兵は単純に破壊命令だけを実行するが故に討伐対象となるが、この神機兵は明らかに暴走した痕跡が無かった。

 数字の羅列と共に幾つか不自然な数値が弾き出される。どれも暗号化されていたが、レアの持つ端末はそんな暗号をも解析していた。

 

 

「だろうな。これがそうなら意図的に作ったと考えるのが妥当だろう」

 

「しかし、これだけではどうしようも無いのでは?」

 

「いや。これで十分だ。それとこのまま榊支部長にも流してくれ」

 

「ですが、ここだとハッキングの可能性もあるのでは?」

 

「それも併せてだ。念の為にそれとは別で保管もしてくれ」

 

「分かりました」

 

 疑問に感じながらもレアは榊の下へも同時にデータを流していた。こんな状況下でハッキングの恐れは無いだろうとの考えと同時に、この情報を横から取ろうとする人間は今回の首謀者であると公言するも同じ。だからなのか、珍しく大胆な行動に出ていた。

 

 

「すまないが、アナグラで届いたデータと違いが無いか確認してくれ」

 

「ではその様にします」

 

 再び飛び立つヘリを尻目に無明はこの後の事について考えていた。

 この情報の出所と今の本部の内情を考えれば確実に何人かの人間の首が飛ぶ。解析前の推測がそのままだったからなのか、改めてやるべき事が順番立てて出てくる。

 既にその思考は僅か先の未来へと向いていた。

 

 

 



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第54話 決着

 サテライト建設地から戻ったレアは真っ先に榊と弥生に情報の確認を求めていた。

 既に全部のデータを吸い上げた端末から出る情報は、今回の襲撃事件を起こした神機兵のほぼ全てのデータだった。

 設定された数値から読み取れたのは、対象となる物がアラガミだけでなく建造物も含まれている。対象となった内容を把握したからなのか、何時もの様にどこか気が置けない様な榊の視線が強い物へと変化していた。

 

 

「レア君。この件に関してだが、これが仮に事実だとした場合、本部の中で何が起こると思う?」

 

「本部の中で…ですか?」

 

「そう。本部の中でだよ」

 

 榊の言葉にレアは少しだけ考えていた。

 元々レアは権謀術数を生業とする世界に住まう住人では無い。これまでの様に純粋な研究者としてフェンリルに居た事から、榊が発する言葉の意味を深くは理解出来ないでいた。

 そもそも政治と研究に交わる機会は早々無い。それはフライアでの神機兵の制御の際に実感した程度だった。

 

 

「榊支部長。レアは研究者です。その手の事は知りませんよ」

 

「なるほど。確かにそうだろうね」

 

 榊の言葉を弥生は(たしな)めはするが、だからと言って知らないという事で貶めるつもりも無い。

 これまでの付き合いからしても弥生がそんな無駄な事をするとは思って無かった。そんな事もあってか、レアには理解出来ない点があった。

 

 そもそも神機兵は消耗するゴッドイーターの代わりになる物として開発され現在に至っている。

 事実、極東には何体もの神機兵は配備されているが、そのどれもが有人型であり以前の様に危険を伴う様な個体では無くなっていた。

 神機の様に適合出来ない人間はアラガミが出没した際に身を護る術は無い。そんな人達の為にとこれまで開発に専念してきた事実だけしかなかった。

 もちろん、友人でもある弥生とてその事実は知っている。しかし、先程の問いかけには明らかにそれを知った上で榊に話していると理解していた。

 

 

「レア。貴女が悪い訳じゃないの。ただ、今回の神機兵は明らかに敵対する者を破壊する様に命令するプログラムが混入している可能性が高いの」

 

「なぜそんな物が?」

 

 レアは純粋に弥生の問いかけの意味が分からなかった。

 破壊するプログラム云々は先程見せたから理解している位の事は分かる。だが、それと今回の件に関しての関連性が何なのかが見いだせないでいた。

 

 

「気を悪くしないでね。今回の神機兵は簡単に言えばスケープゴートなのよ。恐らくシナリオはこうね。『暴走した神機兵に関する権利の主張と、その事案に関する責任』って所だと思うわ」

 

「権利の主張?責任?神機兵が勝手に動いたから責任を取れって事なの!」

 

「レアがって話じゃないのよ。あくまでも神機兵の製造に関する権利の主張。それと責任は当初の製造に関する内容に不備がなかったのかを問うつもりかしら」

 

 今のレアの立場は微妙な物となっていた。そもそもラケルに端を発した事件には常に神機兵が関与しているのはフェンリルの上層部では公然の秘密だった。

 如何に優れた物だとしても、最終的には使用する人間の思惑一つで目的が異なっていく。良く切れる包丁の様に、優れた料理人の手に渡れば素晴らしい料理が作られるが、犯罪者の手に渡れば立派な凶器と成り下がる。そんな意味合いが弥生の言葉に込めらえていた。

 螺旋の樹の最終決戦に於いても操られたとは言え、九条の暴走によって事態は深刻化している。決定的だったのは九条が暴走した事実ではなく、再び神機兵が事態を大きくしたと言う点だった。

 

 

「私はそんなつもりは微塵も無いわ!」

 

「だから落ち着いてって言ってるでしょ。これはまだ推測の領域なんだから。でも、今回の件に関してはかなりキナ臭い部分が多分にあるの。レアから開発する権利を奪うんじゃなくて、恐らくは製造に関して何かしらの思惑が存在しているの]

 

 弥生の言葉にレアは少しだけ落ち着きを取り戻していた。

 弥生の言葉は事実では無いが、どこか確信めいた部分が見える。その瞬間、レアの脳裏にが以前のやりとりが思い出される。神機兵の稼動試験のあの言葉だった。

 

 

「弥生。まさかとは思うんだけど、あのシロガネ型神機兵の製造元って確か……」

 

「そう。グレムスロワ・インダストリーよ」

 

 何時もと変わらない表情のままに告げられた事実によってここで漸くレアはあの事件の後の事を関連付け出来ていた。

 フェンリルに対し多額の賠償金を取っただけでなく、その資金を元手に新たな神機兵の製造をしたのであれば、どんな結末なのかは考えるまでも無かった。金に関しては妥協を許すはずがない人物の下で作られたのであれば、レアの存在は明らかに邪魔でしかない。

 既に神機兵の運用が決まった際にやったのはパテントの取得だった。神機兵プロジェクトは結果的には凍結されず今に至る。となれば、それがどれ程の利益を生むのかはレアが考えるまでも無い話だった。

 

 

「実際に私達にも大きな損害が出てるのもあるから、ここは少しだけ私の方からも手は回すから安心して」

 

 ウインクしながらも弥生の目には確固たる意志が宿っていた。

 情報戦に関してだけでは無い。本部がどうなろうと極東支部からすればどうでも良い話でしかなかった。事実上の独立独歩の為に最低必要限度の情報を入手しながらトラブルから回避する様に手を回してきた。

 しかし、火の粉が飛んでくる以上は払う必要がある。既に目の前にいる弥生はこれまでレアが一度も見た事が無い表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これまでの戦いの中でナナは銃に関してリンクバースト以外で使う事はあまり無かった。

 苦手である事は間違いないが、ショットガンと言う性質上、至近距離でしか使えないのであればハンマーを振り回した方が早いと考えた末の結果だった。

 以前にも使った事はあったが、どちらかと言えば偶然に近く今回の様に銃をメインにとなれば事実上初めてとしか言えなかった。

 シエルが立てた作戦が実に単純だった。アサルトやスナイパーライフルは点としての攻撃をメインとする為に精密射撃には向いているが、面制圧する様な場面では決して向かない装備。今回の作戦に於いてはショットガンの攻撃範囲の広さを活かし、何かしらの対策と取る事を優先させていた。

 斬撃によるピンポイントではなく、全体的な攻撃によって最低限何かしらのダメージを与えると同時に警戒させる事で機動性を抑える。そんなシエルの考えた作戦の内容に誰もが理解を示していた。

 

 

「ナナ!無理はするな!」

 

「ただ当てる程度なら大丈夫!」

 

 北斗の言葉にナナは気軽に返事をしていたものの、内心は穏やかでは無かった。

 接近した際に盾の展開が出来ない事は仕方ないが、それでも何も問題無いとさえ考えていた。周囲はそこまで考えた事は無かったが、今回の戦いに於いては自分が全面的に頼られている。そんな事を察したからなのか、ナナのテンションは何時も以上に高い物となっていた。

 微細な狙いを付けず、大よそ程度の当たりだけを付けアンベルドキティの引鉄を引く。

 周囲にばら撒く様な銃弾はシエルの予想通り、見えない神機兵の一部に着弾していた。

 

 

「やっ……たの?」

 

「まだです。ナナさん、油断しないで下さい」

 

 着弾した手応えにナナは少しだけホッとしていた。これまでに何度か射撃の訓練紛いの事をした記憶はあったが、その当時のどれよりも今回の射撃はプレッシャーに圧されていた。

 自身が外せば部隊の受けるダメージは計り知れない。幾ら戦術に疎いナナだとしても、今回の結末がどうなるのは考えるまでも無かった。本来であれば色々と話術を駆使しプレッシャーを撥ね退ける事も可能性としては否定できないままだった。

 しかし、ナナはそんな方法を良しとはせずにこれまで自身がやらなかった事を後悔しながらも照準を合わせていた。

 

 

「ナナ。お手柄だ!」

 

「ナナさん。お疲れ様でした」

 

「ううん。まだまだだよ」

 

 ジュリウスとシエルの言葉にナナは僅かに照れていた。今はまだ戦闘中。先程の攻撃がまぐれだったと思われない為にも、改めて気を引き締めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アナグラの状況はどうなってるんだ?」

 

《はい。現在は未だ交戦が続いています。このままこちらに向かっているのであれば、先にブラッドを援護するのではなく、防衛班の方にお願いします》

 

 リンドウの言葉に、一拍置いてからウララの返事が返っていた。移動しながらでもアナグラやサテライトの周辺情報は逐一更新されている。タブレットで確認はしたが、やはりタイムラグが発生しているからなのか、リンドウの質問に答えるウララの言葉はどこか固いままだった。

 リンドウの隣に居るエイジもまた、その通信を聞き判断している。元々はブラッドへの合流のはずが、想定外のアラガミの大群が押し寄せたからなのか、任務は緊急事態とばかりに更新されていた。

 

 

「了解だ。どのみちどちらを優先させるかなんて、考えるまでも無いからな」

 

 リンドウが言う様に今回のミッションに限った話ではないが、支部と部隊を天秤にかけた際に、どちらに重きを置くのかは考えるまでもない。

 勿論ブラッドを見殺しにする訳では無く、純粋に帰るべき場所を無くしたまま生還した所で、待っているのは無だけ。アラガミに対し、一般人が対処できる手段が無いのであれば当然の判断だった。

 

 

《既に大型種の一部もレーダーで観測されています。今はまだ防衛班の人達もギリギリ踏みとどまってます。ですが、大型種が来れば…》

 

 レーダー画面を見たからなのか、ウララの声は未だ暗いままだった。本来であればサテライトに留まる人間も招集したいとさえ考えたが、それが不可能である事は言うまでも無い。だからなのか、事態が好転する様な雰囲気は無いままだった。

 

 

「ウララ。俺達が到着するのと、大型種がアナグラに着くのと、どっちが早い?」

 

《移動速度を考えればリンドウさん達の方が僅かに早い…です》

 

「そうか。だったら問題無い。それよりもオペレーターのお前さんがそんなだと士気が下がる。良いか。苦しい時程笑うんだ。幾ら声だけだとしてもそれに感情が混じる。分かったか?」

 

《……はい!分かりました》

 

 リンドウの言葉にウララは素直に答えたのか、先程とは声のトーンが明らかに異なっていた。そんな反応を感じ取ったのか、リンドウだけでなくエイジもまた笑みを浮かべていた。それと同時にアクセルは常に全開のまま。

 2人が乗る車の速度がそうさせるからなのか、流れる景色がより一層早くなった様にも感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「了解しました。早速そこを中心に攻撃を開始します」

 

 未だ姿の見えない神機兵との戦いは、ゆっくりとだがブラッドが優勢になりつつあった。

 最大の要因はナナの活躍によるショットガンを使用した広範囲の攻撃。

 最初の銃撃を無事にクリアできたからなのか、その後も何度か発砲した際にこれまでの様な攻撃になるケースが少なくなっていた。

 闇雲にアンベルドキティを使うのではなく、時折フェイントをかけるかの様にコラップサーを振るう。銃だけを警戒したからなのか、神機兵の脚部の一部に直撃したからなのか、これまでの様な反応を見せる事は無くなっていた。

 

 

「シエル。何か情報が?」

 

「先程神機兵の解析が終わったと同時に、設計図から光学迷彩の発生させる個所が特定できました。人間の頸椎に該当する部分の奥にその発生装置があるとの事です」

 

「そうか……作戦変更だ。ナナ!やるぞ!」

 

「任せて!」

 

 ジュリウスとシエルの会話を聞いたからなのか、北斗はすぐさま作戦を変更していた。これまでの様に動きを制する事よりも、姿を見せた方が効率が高くなると判断した結果だった。

 幾ら斬撃が当たりにくいとは言え、見えないよりも見えた方が格段の攻撃の幅が広がる。常に詳細にまで目を凝らす事よりも他に集中した方が効率が良いと判断した結果だった。

 一度方針が決まれば後は簡単だった。

 伊達に見えないままに交戦していた訳では無い。

 神機兵の持つ巨大な刃は周囲をなぎ倒すかの様に振るう際には大きな隙が出来る。大剣型としての致命的な隙だった。

 力を込めて振り回した瞬間、首の部分が無防備になる。北斗は自身を囮にしながら、その攻撃を誘導するかの様に行動に移していた。見えないからと言って、間合が変わる訳では無い。これまでに経験した事実から大よその判断を付けていた。

 

 

「今だ!」

 

 姿が見えない刃は大気を斬り裂き唸りを上げる。

 既に把握した間合から僅かに半歩後ろに下がる事によって完全に回避に成功していた。

 振り回した最後に力が放出したからなのか、神機兵の動きが僅かに停止する。その瞬間を狙うべく、ナナは大きく跳躍していた。

 光学迷彩独特の歪みを捕捉し、首の箇所に狙いを定める。既にナナのコラップサーの背後には青白く炎が揺らめいていた。跳躍した事により重力の恩恵とブーストハンマー独特の加速が神機兵の頸椎の部分へと向かっている。

 完全に死角からの攻撃だったからなのか、コラップサーのヘッドは深部にある部品すら破壊するかの様に衝撃を与えていた。

 亀裂が走ると同時に、光学迷彩の効果が解除される。これまで放った銃弾が象徴するかの様に神機兵の胴体と右腕の部分に歪みが生じると共に、亀裂が入っていた。

 

 

「一気に決めるぞ!」

 

 北斗の言葉にシエルとジュリウスもまた距離を一気に詰めていた。

 先程のナナの攻撃が未だ効いているのか、神機兵の動きは鈍いまま。そんな状況下を見逃す程に甘くは無かった。

 

 

「うぉおおおおおおお!」

 

 ゼロスタンスと言う独特の構えから放たれたジュリウスの赤黒い光の刃は、未だ動かない神機兵へと向けられていた。実体化したかの様に幾重にも重ねられた刃は神機兵へと襲いかかる。

 出没した当時のままであれば鏡面加工された装甲で弾かれたはずの攻撃は、既にアンベルドキティが放った銃弾によってその効果は失われつつあった。歪んだ部分に力押しに近い攻撃を繰り出している。

 その状態だからなのか、ジュリウスの放ったブラッドアーツによる斬撃は神機兵の装甲を斬り刻んでいた。

 

 

「北斗!このまま決めて下さい!」

 

 ジュリウスと北斗は示し合わせたかの様に行動に移していた。空中からの攻撃の為にナナは直ぐには動けない。それをフォローするかの様にシエルのアーペルシーは神機兵の顔に搭載されたカメラの部分へと援護射撃をしていた。

 寸分たがわない銃撃は確実に神機兵の視界を潰す。その動きを見たナナは直ぐにその場から離脱していた。

 

 

「これで終わりだ!」

 

 北斗の斬撃は神機兵の弱点とも取れる関節の内側へと向けられていた。

 これまでの神機兵の討伐でも北斗は必ずと言って良い程に神機兵のそこを責め立てている。

 アラガミとは違い、堅牢とも取れる装甲に態々攻撃する必要はどこにも無い。先程までとは違い、完全にその姿が見えるからなのか、ジュリウスの放ったブラッドアーツの切れ目を縫うかの様に純白の剣閃が膝裏つ肘の内側へと疾っていた。

 

 

「これで終わりだよ!」

 

 既に片手片足の神機兵に反撃の目は完全に失われている。動きを封じられたそれが待つのは先程の一撃を見舞ったナナのコラップサーだった。

 上段から垂直に振る下ろすハンマーは神機兵の頭部ユニットを破壊し、そのまま地面へと叩きつける。

 衝撃が強すぎたのか、胴体から頭部は離れそのまま地面とハンマーのヘッドの部分に挟まれたからなのか、原型と留める事は無かった。

 アラガミとは違い断末魔を上げる様な事は一切無いからなのか、僅かに動いたと同時にそのまま行動を停止していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前ら!あと少しだ!」

 

 リンドウの鼓舞する声に、防衛班のメンバーの最後の攻撃とばかりに全力てアラガミと対峙していた。

 遠目から見える大型種の接近はこれまでギリギリの戦いを繰り広げていたメンバーの心を折らんとする程の威力があった。

 見えない神機兵によって小型種に捕喰されたと同時に、討伐した先から中型種が寄ってくる。既にアラガミだけでなく、数時間前まで馬鹿な話をしていた仲間が次々と捕喰され、血だまりだけが残されていた。

 

 この地に同じく戦っていたブラッドも、接近していた感応種の討伐へと向かったからなのか、この場には居なくなっている。そんな中でのリンドウとエイジの存在は正に砂漠の中で渡された水の様に、全員の弱気になった気持ちを高め、士気が改めて上がっていた。

 薙ぎ払う刃にアラガミの死体がセットで作られる。

 小型種に限ってはたった一振りの剣閃によってなぎ倒されていた。先程までの死地での戦いから一転し、既に戦線が破壊された防壁付近から手前500メートルにまで押し上げられている。

 ここが正念場と言わんばかりにそれぞれは奮闘していた。

 

 

「リンドウさん!もう一体の神機兵の討伐が出来たそうです」

 

「了解!って事は、残すはここに居るだけだな」

 

 エイジの言葉を耳で聞きながらもリンドウは何時もと同じ様に自身が作り上げる刃を振り回すかの様に振るっていた。既に刃の有効範囲にアラガミの姿は無い。

 リンドウが居た場所には小型種だけでなく、一部の中型種までもが横たわっていた。

 

 

《ブラッド隊。感応種の討伐が完了しました。直ぐにリンドウさんとエイジさんの下に集結します》

 

「了解。周囲の状況はどうなっている?」

 

《現在確認出来るのはそこから目視出来る程度です。既に一部の大型種は進路を変更しています》

 

 テルオミの声が耳朶に届いたからなのか、リンドウは不意に笑みを浮かべていた。テルオミの言葉が正しければ、既に残されたアラガミは10体にも満たない。既にエイジの手によって数体のアラガミの首が飛ばされているからなのか、他のアラガミは逃走の態勢へと移行していた。

 

 

「全部狩り尽くせ。1体たりとも逃すな!」

 

 リンドウの言葉に再び防衛班からの声が挙がる。先程までの鬱憤を晴らすかの様に追撃したゴッドイーターの猛攻は止まる事無くアラガミへと向かっていた。

 

 

 



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第55話 事の顛末

 今回の戦闘は極東支部に於いても到底看過出来る様な内容では無かった。これまでに出た死者と負傷者はかなりの数に上っており、一部の階級の人間の殉職は少なからず支部に於いてもダメージを残す結果となっていた。

 既に手は打ってあるも、ゴッドイーターのレベルは急激に上がる事は無い。

 事実上の時間が解決する以外に何の手だてもない現状だけがそこに残されていた。

 

 

「今回の件に関しては、我々としても厳しい追及をする必要が有る様だね」

 

「その件ですが、既に当主が本部へと飛び立っています」

 

「そうかい……となれば、我々としては結果を聞くだけに終わりそうだね」

 

 出された数字に目を通し、榊は弥生が出したお茶に手を伸ばすとそのまま口にしていた。

 神機兵の破壊したアラガミ防壁の修繕に関してだけでなく、今回尤も大きな被害が出たサテライト建設地もまた改めて回収作業が早急に必要となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どんよりとした空は今のこの状況を映し出している様にも見えていた。

 今回の襲撃はこれまでのアラガミが原因の物とは違い、明らかに人為的な物である事はこの場に居る誰もが理解していた。

 事実上の戦争に近い惨劇はゴッドイーターの心に深く色々な思惑を刻み込んでいる。そんな空気が蔓延した中で、一人の少女の鎮魂歌がその場にいた全員の心を癒すかの様に響き渡っていた。

 

 

「シオ。ご苦労さん」

 

「うん」

 

 サテライトの建設に伴い実行された区画整理は、人々の心の安然を図る目的も踏まえた公園を中心に、一部の区画にはこれまでに無い区画がひっそりと作られていた。

 これまでは場所の関係で何も出来なかった事が考慮された結果だったが、改めて鎮魂とその勇猛さをたたえる為に慰霊碑の区画が作られていた。

 そんな区画では何時もとは違い黒い服を身に纏ったシオと同時にクレイドルやブラッド、防衛班の一部の人間が参加していた。

 

 

「今回の件は流石に上も重要視しているみたいだな」

 

「人類の盾となるべき物が刃を向けるとなればね……」

 

 ソーマの言葉にエイジもまた今回の顛末に関してはやんわりと伝えられていた。

 シロガネ型神機兵は、対外的には完成間近で暴走した事になっているが、実際には暴走どころか緻密なプログラムによって明らかに敵対する様に仕組まれていた。

 当初は驚きもしたが、解析を続けるにつれ一つの仮説を立てていた。

 当人からすれば重要だと認識するのかもしれない。しかし、それ以外の人間からは余りにも稚拙な考えにしかないと言い切れる程に、仮説の内容は従来の物からかけ離れていた。

 しかし、人間の考えは時にアラガミよりも非人道的な考えを持つ。

 この状況を知った榊達はすぐさま今回の件に関して情報管理局に捜査依頼をかけていた。そんな依頼を受けたからなのか、フェルドマン局長を中心に今回の中心人物が誰なのかが極秘裏に捜査されていた。

 

 

「今回の件は緘口令が出てますから、それ以上の事は口にしない方が……」

 

「確かに。流石に後味が悪すぎるしな」

 

 アリサの言葉にコウタもまた何か思う所があったからなのか、何時もの様に緩めた感じでは無く、しっかりと制服を着ながら小声で話していた。

 目の前にはシオの歌が終わったからなのか、次々と人が献花している。

 クレイドルとしても何かしたいとは思ったものの、防衛班としての内容だからと、大隊長でもあるタツミから参加だけにしてほしいと、やんわりと断られていた。

 今は勤務の関係上、非番か勤務明けの人間だけがこの場に来ている。既に関係者には連絡が行っていたからなのか、親族らしき人物も何人か見えていた。

 

 

「本当の事を言えば調査もこちらでってのが当初の予定だったらしいんだけど、敢えて情報管理局に任せたらしいよ」

 

「情報管理局にか?」

 

「今回の件に関しては兄様も何か思う所があるみたいだからとは聞いてるけど。リンドウさんはその辺り何か聞いてませんか?」

 

 エイジの言葉にソーマも珍しく疑問を持っていた。

 これまで極東支部における事案の大半は無明が裏で処理している事はエイジからも少しだけ聞く機会がこれまでに何度かあった。本来であれば今回の事案もそれに沿う形を取ると思われていた。

 しかしエイジから出た情報管理局の言葉に少しだけ驚きを見せていた。

 

 

「いや。俺も何も聞いてないな。サクヤは知ってるか?」

 

「私も知らないわ。多分、義姉さんなら知ってるとは思うんだけど、流石に今回の件は無理だと思うわ」

 

「だよな。完全に裏の仕事になるし、彼奴だって態々俺達に言うなんて事も無いだろう。聞いた所ではぐらかされるだけだな」

 

 ツバキの顔が浮かんだ物の、完全に今回の件に対しどう聞いて良いのか誰もが悩んでいた。

 厳密に言えば既に支部長が動いている事案になっている為に、自分達が聞いた所で仕方のない部分しか無かった。

 仮に弥生に聞いた所で同じ結果しか生まない。

 既に事案の内容は一支部の内容ではなく、フェンリル全体を巻き込んだ政治にまで発展している。その意味確実に理解いているからこそ、誰もがそれ以上の事を口にする事は無かった。

 だからなのか、今はそれぞれが献花している光景を眺める事しか出来ないままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フェルドマン。これが今回使用されたシロガネ型神機兵の全容と搭載されたプログラムだ」

 

 無明は極秘裏にフェルドマンと顔を合わせていた。

 今回の件に関しては本来であれば無明自身が直接手を下せば済む話。しかし、今回の事案の裏にあった陰謀を考えれば明らかにスマートなやり方で処理すると、今後も同じ事を繰り返す可能性が出てくると判断した結果だった。

 既に解析を終えたプログラムだけでなく、今回の一連の内容に関しての事実上の証拠がいくつも添付されている。

 既に証拠が完全に揃っている以上、後の捜査は実にやりやすい物となっていた。本来の業務でもある公安としての領分からすれば、これ程簡単に事が終わる事は無い。

 これまでの様に幾つもの証拠を積み上げて取り調べて追い込むのではなく、証拠を付きつけるだけで終わってしまう。

 毎回こうであって欲しいと思うと同時に頭を抱える程の内容にフェルドマンもどうした物かと考えていた。

 

 

「しかし、これが表に公表出来るかと言えば厳しい現実が待ってますね」

 

「完全にやり込めば。が付くがな」

 

「粛清として考えるのであれば丁度良いかもしれませんね」

 

「それがお前達の領分なんだ。偶にはデカい仕事も悪くは無いだろう。当時の様な部下が居ないのであればだが」

 

「その説は申し訳ありませんでした」

 

 無明の言葉にフェルドマンはまだ極東に赴任した当時の事を思い出していた。

 これまでの情報管理局の局員は然程厳しい仕事をした経験が無かったからなのか、自分達が全能である様な錯覚を覚える仕事しかしてこなかった。

 既に情報管理局が来ると言う事を理解しているからなのか、殆どの人間は素直に応じる部分が多分にあった。

 

 確かに仕事の内容に区別を付ける事は無い。しかし、あまりに簡単に進み過ぎる内容に誰もが優越感を覚えたからなのか、人として当然の事を忘れていた。

 事実、極東支部でも局員の何人かがそんな事をしたからこそ査問委員会に出す前に処分している。

 増長した人間をそのまま放置すれば、最悪は情報管理局そのものの存在意義までが疑われてしまう。そうなれば以前のフェンリルに逆戻りすると同時に、腐敗したまま自浄作用が働かない事を意味していた。その為の布石として極東で起こった事案の処理はこれまでの中でも最速とも取れる処理をフェルドマンは行使していた。

 仮に身内であっても容赦はしない。そんな内容が周囲にも漏れたからなのか、それ以降は以前の様には成らなかった。

 

 今回の様な上層部を巻き込んだ一大スキャンダルに誰もが疲弊しながら仕事を続けていた。何せフェンリルの幹部はこれまでの様な小物では無い。場合によっては手痛い反撃を貰う可能性も秘めている。

 これまでの様に若干でも強引に物事進める事が出来ないからなのか、捜査そのものも極秘に行われていた。

 

 

「やるべき事をやればそれ以上の事は何も無いはずだ。既に教育が行き届いてるのであれば、仕事で見せれば良い」

 

「そう言ってもらえると助かります。ですが、今回のこれは今までの捜査を一気に進める事が可能でしょう」

 

 そう言いながらフェルドマンは用意されたレポートから目を離す事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回は、前回お伝えした様に我々の方から出向かせて頂きました。要件に付いては察してるとは思いますが」

 

「察するだと?一体何の要件だと言うのだ。俺も忙しいんだ」

 

 無明から渡された証拠を精査した後のフェルドマンの行動は神速とも取れる程だった。

 今回の事案に関しては既に捜査対象者の洗い出しが終わっているからなのか、証拠を突付けた際に絶望とも取れる表情を浮かべ項垂れていた。

 今の世界は国家ではなく企業としての体で運営されている以上、罰則と言った物は過激な物ではなくなっていた。

 命の危機は丸腰で外に放り出せば結果を言う必要も無い。それに金と権力にしがみ付く連中からはその権利を剥奪すれば全てが事足りるだけだった。

 それが今のやり方であるのは上層部の人間は誰もが知っている。だからなのか、フェルドマンの訪問に関しても目の前で葉巻を咥え、傲岸不遜な態度をグレムは崩す事は無いまま紫煙を吐き出していた。

 

 

「言葉遊びをしても仕方ありませんので 、お互い忙しい身ですから単刀直入に言わせて頂きます。明日、情報管理局への出頭を命じます。なお、強制はしませんが、来ない場合はそれなりの対処をさせてもらうつもりです」

 

「出頭だと?」

 

「ええ。それ以上でもそれ以下でもありません。詳細につきましては、明日説明させて頂きます」

 

「待て。俺が誰なのかを理解した上で物を話してるんだろうな?」

 

「勿論です」

 

 

 

 

 

 フェルドマンの言葉にグレムは僅かに疑問を覚えていた。

 以前の様なやり取りはなく、既に決定事項だけを述べ、そのまま帰ろうとしている。

 もちろん情報管理局がどんな事をしているのかを知らない訳では無い。だからなのか、その言葉の真意を探るべく口にしたまでは良かったが、返ってきたのは短い返事だけだった。

 気が付けばフェルドマンは既に部屋から出たからなのか、グレム以外に誰も居ない。

 先程見たフェルドマンの態度とその口調。これまで企業間で培ってきた第六感が何かが起きている事を察知していた。

 

 

「おい。通信を例の所に繋げてくれ」

 

《分かりました》

 

 端末に端的に告げると秘書らしき人物が通信を繋げている。

 既にこれまでであれば直ぐに繋がるはずのそれが、一向に繋がる気配が無い。先程の言葉がやけに気になる。だからなのか、今度は違う箇所へ通信を繋げる様に指示していた。

 

 

《また随分と懐かしい人間からの通信とは。珍しい事もあるものだ》

 

「そんな前置きはどうでも良い。今の幹部連中はどうなってるんだ?」

 

《幹部?また随分と物騒な話を持ち込んで来たものだね。それが君とどう関係が?》

 

 グレムは苛立ちを隠しながら通信相手との会話を続けていた。

 今回連絡したのは以前に神機兵の関連で競合した企業の経営者だった。表面上は敵対する部分もあるが、このご時世お互い多少なりとも信用出来る部分も存在していた。

 本来であれば余程の事が無い限り連絡する様な間柄では無い。だからなのか、表面上は穏やかな話を続けていた。

 

 

「いや。大した事ではないんだが、珍しくあの方と連絡が付かない。付いては貴公の連絡網に何かキャッチしてないかと思ったんだが」

 

《なるほど。だが、我々の情報網は貴殿よりも広くも深くも無い。期待に沿う事が出来るとは思えない》

 

「そうか……つまらない事を聞いて済まなかった」

 

《何。大した事が出来ないのであれば気に病む必要はあるまい。では》

 

 取り止めの無い話で終わったにも拘わらず、グレムの脳内では警鐘が鳴り続けていた。

 企業間の競争は時には血が流れる事も出てくる。ましてや通信先の相手はこれまでお互いに何度も苦渋を飲まされた間柄でだからこそ話したはず。

 にも拘わらず、直ぐに切れた通信は一層の不気味さを物語っていた。

 

 

 

 

「やはり貴方の言う通りでしたな」

 

「当然の結末でから。あれは向けてはいけない物に何を向けたのかを理解していないのであれば当然でしょう」

 

 グレムとの通信が切れたと同時に、先程話していた経営者は無明へと視線を向けていた。

 元々この経営者と無明は既知の間柄。これまでにも何度か極東で開発した物の量産化等でお互いの信頼関係は堅く築かれていた。

 当然の来訪にも拘わらず、直ぐに目通りを出たからなのか、経営者もまた今後の予定をキャンセルした上で面会していた。

 

 

「最初に聞いたが、あれは馬鹿な男だ。よりにもよって権力の中枢に入ろうなどと。たかが一企業の経営者が。極致化技術開発局で留めておけば良かったんだが」

 

「経営に関しては此方の関与すべき話では無いので。だが、情報管理局が動いた以上、今後の流れは確定してる。我々としても今後の事があるので、ここで確実に止めを刺す必要があるのもまた事実」

 

 無明の言葉に、経営者はグレムスロワインダストリーの未来を垣間見た様に思えていた。

 既に証拠が固まっているだけでなく、その後ろ盾は既に査問委員会への出廷が決定している為に、既に情報管理局の下で監視されている。

 先程の通信からもその事実を知らされていないからなのか、半ば呆れながらも通信を繋げていたに過ぎなかった。

 

 

「今回の件で企業そのものは解体になるか、新たな経営者を招く事になるでしょう。因みにその件に関しては?」

 

「その件は既に案としては纏まっている。今回の概要はこうなっている」

 

「……なるほど。これなら対外的も我々としても損になる要因は無いですな」

 

 無明は今後のプランを経営者に詳しく話していた。

 既に構想は実行に移すだけの状態となっている。こうまで鮮やかな交代劇を見せられれば、誰が誰に対して喧嘩を売ったのかが良く分かる構図だった。

 別の視方をすればちょっとした企業は簡単にどうとでも出来る。だからなのか、経営者もまた目の前の無明には逆らうつもりは毛頭無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フェルドマン。これでは話が違うではないか!何故俺が査問員会に出廷する事になっているんだ!」

 

 情報管理局長室にグレムの怒声が響いていた。

 出頭したグレムに待っていたのは査問員会への出廷。しかも任意ではなく強制だった。

 査問委員会への出廷の中でも強制となれば事実上の有罪確定の場でしかない。それはフェンリルに近い人間であれば誰もが知っている事実だった。

 既に命令書が出ている以上、ゲレムに拒否権は存在しない。

 だからなのか、部屋から漏れる怒声に、外にいた秘書は肩を竦める程だった。

 

 

「我々に言われても仕方無いでしょう。我々は今回の事態を全て調査した物をまとめて報告したにすぎませんので。しかし、よくもこれだけの罪状がボロボロ出てきましたね。我々も驚きましたよ」

 

 そう言いながらもフェルドマンの目は笑ってはいなかった。

 今回の調査に関しては過去に行われた事実までもがつぶさに調べ上げられたからなのか、初めて命令書を見たフェルドマンでさえ驚きを見せていた。

 パッと見ただけでも、脱税、殺人教唆、特別背任、横領とこれだけでも相当な処分が待っているにも拘わらず、一部贈賄が幹部にも渡っている事実はフェルドマンの仕事を更に加速させていた。

 既にグレムの後ろ盾になっていた人物は更迭されただけでなく、私財もすべて没収されている。

 まだ知らない事実ではあるが、既に件の人物はフェンリルに居場所が無いと辞任し、その行方は誰も知らないままだった。

 

 

「何だと!」

 

「貴方もご存じかもしれませんが、罪状は査問委員会が決める事で、私の一存で決まる物ではありません。ですが、これだけの罪状では……まぁ、明日のこの時間には決定しているでしょう。私も誰かが何かをしたお蔭で忙しい身です。今日の所はこれで」

 

 既に用は無いと言わんばかりにフェルドマンはソファーから立ち上がっていた。

 一方のグレムは既に明日の内容が想像出来たからなのか、そこに座り込んだまま。事実上の有罪判決にそれ以上は思考する事を諦めたからなのか、動く事すら出来ないままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかこうなるとはね……」

 

 榊は支部長室でフェンリルが今回の事案に対する発表を確認していた。

 事実上のクーデターに近い内容に驚きながらも、これまでに行われて来た過去の清算。

 すなわちまだブラッドがフライアに所属していた時代からの内容が全て清算された事が書かれていた。

 今回の処置はまだヨハネスが支部長をしていた頃に近い程の大量の処分者を出している。過去最大とも取れるスキャンダルは一方的に幕を下ろしていた。

 

 

「当主が動きましたので、当然の結果です。ですが、今回の件に関しては……」

 

 榊の言葉に返事をするかの様に弥生もまた今後の対応をどうするのかを言いあぐねていた。

 フライア時代にまで遡れば当然ながらブラッドだけでなくレアにもスポットライトが当たる事になる。只でさえ討伐任務をこなすなかでの一連の内容に関してマスコミが動けば何かと問題も多いのは当然だった。

 出来る事なら通常任務と聖域での活動に専念させたい。そんな思惑があったからこそだった。

 

 

「今回の件は万が一の事もある。まずは今回の一連の流れを説明した方が良いかもしれないね。弥生君。ブラッドとクレイドル。共に招集してくれるかい?」

 

「了解しました」

 

 榊の言葉に弥生は本来の業務でもある秘書としての役割を果たすべく、それぞれに連絡を入れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかこんな顛末になるなんてな」

 

「ああ。だが、あの時の事を考えれば因果応報とはよく言った物じゃないのか?」

 

 ギルは何時もの神機ではなく、鍬を大きく振りかぶりながら、その力を大地に向けて放っていた。

 ここではオラクルの能力は一切発揮されないからなのか、何時もの戦闘以上に大粒の汗を流しながら大地と戦っていた。隣にいた北斗もまた同じく鍬を持って振りかぶる。

 既に手慣れたからなのか、北斗はギルほど汗はかいていなかった。

 

 

「確かに……当時は嫌味の一つも言いたかったが、こうまで哀れになると返って言い辛いがな」

 

 榊からの呼び出しで聞かされた内容は支部長クラス以外に知る由も無い内容だった。

 フェンリルの上層部のゴタゴタに関して、普通の市民からすればどうでもいい程度の話でしかない。

 報道に関しては大よそ程度の内容しか触れないのはそんな部分が多分にあるからだった。

 

 一部更迭された内容と一企業の合併に関しても、それに関連していない人間には全く関係の無い話。

 だが、ブラッドの立場からすれば、今は極東支部の管轄ではあるが、その前身は間違い無く当事者。態々ブラッドに直接取材する様な真似はしないまでも、やはり何かしらの思惑があるからと、今回の顛末を話していた。

 査問委員会への出廷によってグレムは自身の会社を失い、製造責任を追及された事によって事実上の破産に近い処分となっていた。

 

 

「でもさ、詳しくは分からないんだけど、当時のあれは北斗が動かなかったからシエルちゃんが大変な目にあってたんだし、仕方ないと思うよ」

 

「そう考えると北斗は私の命の恩人なんですね」

 

「別にそんなつもりは無かったんだが……」

 

「何照れてるんだよ。もっと胸張っても良いんだからさ」

 

 ロミオのツッコミにナナだけでなくシエルもまた笑顔で話をしていた。

 既に耕された畑には苗の様な物を植えていく。手慣れた作業をしながらも今回の顛末の話題は尽きる事はないまま作業だけは続けられていた。

 

 

 





これで一旦長い物語は完了です。
次回からは。再び通常に戻る予定です。




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第56話 有効活用

 極東支部の福利厚生の一環として新設されたラウンジは、通常であればゴッドイーター達の憩いの場として提供される事が多く、その殆どは任務の終わりに食事や休憩の為に立ち寄る事が多い。しかし、そんなラウンジにももう一つの側面があった。

 気が付けば既に時間が遅かったからなのか、照明は何時もの様に明るさを感じる事は無い。周囲を見れば少し薄暗いからなのか、何時もの溌剌とした雰囲気から一転し、落ち着いた風景がそこに広がっていた。

 

 

「弥生さん。私に何時もの下さい」

 

「偶には違う物でも良いのよ」

 

「私、この味が結構好きなんです」

 

「そう言ってもらえると嬉しいわ」

 

 取り止めの無い会話をしながらも弥生の手は止まる事は無かった。カウンターの下から出されたボトルを取り出すと、氷が入ったシェーカーに適量を注いでいく。既に手慣れた手つきだからなのか、シェイカーの蓋を閉めると同時に小気味良いシェイク音が周囲に広がっていた。

 

 

「はいどうぞ」

 

「ありがとうございます」

 

 カウンターに座っているのはのは仕事に区切りがついたアリサだけだった。本来であればバーカウンター故に他の利用者も居る事が多いが、今日は珍しくカウンターの利用はアリサ一人だけだった。

 ここのラウンジは特定の曜日はムツミの都合で終わる時間が早くなる事があり、その結果、バータイムとなってからの利用率は低くなる事が多かった。そんな事実はアリサとて理解している。その原因は極東でのアルコールの提供年齢が起因していた。

 アリサの前に出されたのは少しだけ黄色味がかった飲み物。『コンクラーベ』のクリーミーな味わいと共に甘酸っぱさが口に拡がるそれをアリサは好んでいた。

 

 

「チェイサーでサラトガクーガも作るわね」

 

「すみません。お願いします」

 

 何時もと違った光景なのか、アリサの背中を見ながら周囲にいた男達はアリサから視線を背ける様な事はしなかった。暗がりに見えるアリサの髪は照明の影響なのか、鈍く輝きながらその存在感を放っている。弥生とて視線を察知したものの、それ以上声を掛ける様な事も無い事を知っているからこそ、敢えてサラトガクーガを作る為に取り出したライムを切り分けていた。

 

 

「でも、随分と飲みなれた感じね。以前とは違って雰囲気出てるわよ」

 

「そうですか?そんなつもりは無いんですけど」

 

「ううん。ノンアルコールのカクテルなんて、実際にはジュースと変わらないのよ。確かにそれなりにテクニックも必要とするから、通常の物とは違うんだけどね」

 

「確かに言われてみればそうですね」

 

 弥生と話をしながらもアリサは残ったコンクラーベを飲み干していた。

 確かに昼間に飲むジンジャーエールに比べれば雰囲気だけでなく、その味も深く感じる。

 本来であればアリサがここに来るのは年齢から考えても間違い無い。アリサとてそれを当初は理解していたからこそこの時間帯に来る事は無かった。

 しかし、そんなアリサをここに誘ったのは目の前に居る弥生本人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確かに仕方ないね。だが、時間だからと締め切るのも申し訳ないと思うんだ。どうだい。何か良い案は無いかね?」

 

 榊の唐突な案に呼ばれたコウタは固まっていた。元々ラウンジはゴッドイーターの憩いの場として提供されていたが、実際に稼働していたのはエイジがまだ極東に居た頃の話。

 既に料理人としてムツミが来まってからは従来の様な不安定な営業ではなく、事実上の安定した営業が行われていた。

 コウタもラウンジに関しては利用する事は多かったが、夜に関しては任務の関係上、利用する頻度は多くなかった。確かに時間外の食事は簡易的な物が出ているが、通常になれれば味気ないのは事実だった。

 そんな事があったからなのか、突然呼ばれ榊から告げられた言葉にコウタはそれ以上は何も言う事が出来ないままだった。

 

 

「えっと……夜って確か終わりは8時でしたよね?」

 

「今はそうなんだが、今後の事も考えるとムツミ君の状態によっては営業時間もバラバラになるかもしれないんだ。確かに弥生君は良くやってくれてるんだが、それでも中々要望に応えきるのは難しくてね」

 

「確かにそうなんですけど……」

 

 コウタとしてもムツミに料理人が決まるまでに紆余曲折あった事は知っている。

 ムツミ以外の料理人が他に居ればこの問題はクリアできるかもしれないが、これまでに来た人間の事を考えると頭が痛い案件でもあった。

 

 

「取敢えず、今直ぐと言われても答えが出ないんで、少しだけ時間貰えませんか?」

 

「もちろんだ。コウタ君の感性に期待してるよ」

 

「はぁ。考えてみます」

 

 何時もの笑みを浮かべた榊の顔にコウタは少しだけ苦笑をうかべながら支部長室を後にしていた。これまでにも何度かあった無茶振りではあるが、今回もまた頭を痛める羽目になったからなのか、どこか浮かない表情のままだった。

 

 

 

 

「時間外のラウンジの運用?」

 

「そう。さっき榊博士からそんな事言われたんだけど、案なんて全然思い浮かばないって言うか……俺が出来る事なんて何にも無いんだぜ」

 

「因みにソーマは何て?」

 

「一言だけ。『勝手にしろ』だぜ。如何すりゃいいんだか」

 

 榊からの依頼を受けたコウタとしても、何とかしたい気持ちは多分にあった。

 確かに折角施設があっても常に使えないのであれば意味が無い事は理解している。事実エイジが居た頃はまだ稼動していない為に、それほど気にする人間は少なかったが、今はムツミが居る為に何らかの期待を持っている事は明白だった。

 もちろん遅い時間までムツミにお願いする訳にはいかない。同じ年代のノゾミが居るコウタからすれば、最初からそんな案は存在していなかった。

 

 

「アリサとしては何か良い案は無い?」

 

「そんな事突然言われても、案なんて直ぐには出ませんよ。それに今はサテライトの件でここに遅い時間に来る事は無いですから」

 

「そっか……でもさ、偶には休めよ。最近無理しすぎてるんだろ?」

 

 コウタがアリサに話したのは純粋に提案に対する話では無かった。エイジとリンドウが派兵に出てからはサテライトの建設に関してはアリサが事実上の責任者として動く事が多くなっていた。

 常に書類と格闘している姿はここに居る誰もが見ている。

 コウタとしても少し位は手伝おうかと思ったものの、膨大な申請書類と、解読すら困難だと思われる専門用語の多い書類は、これまでやってきたレポートなど児戯だと言いたくなる内容だった。

 

 

「そんな事はありませんよ。私なんかよりもエイジやリンドウさんの方がもっと大変なんですから」

 

「まぁ……そう言われればそうなんだけどさ」

 

 派兵に行ってからも、以前の様に単独で欧州に行った当時と同様にマメに通信は来る事が多かった。教導だけでなく接触禁忌種の討伐など派兵先でもやるべき事は山積したまま。

 常に何かしらやっている事はコウタも理解しているからこそ、眼の前で話をしながら書類と格闘するアリサを眺めていた。無駄話をしながら多少の気分転換を図るのも悪く無い。そんなコウタの思惑がそこにあった。

 

 

「とにかく私に聞く位なら弥生さんにでも聞いたらどうですか?その方が建設的な意見が出ると思いますよ」

 

「……そうだな。それとアリサ。最近寝てるのか?目の下にくまが出来てるぞ。あんまり酷いとエイジも心配するんじゃないのか?」

 

「その時はコンシーラで隠しますから大丈夫ですよ」

 

「それダメじゃん」

 

「コウタに心配される必要は無いですから」

 

 会話は終了だと言わんばかりにアリサは再び目の前にある申請書類に取り掛かっていた。

 あのネモス・ディアナ以降、漸くサテライトの目途が立ったからなのか、ここ最近は徹夜に近い物がある事をコウタは知っている。

 アリサは戦友であるとい同時に親友の彼女でもある。幾ら誤魔化した所でバレるのは時間の問題でしかない。

 ラウンジの運用も去る事ながらここは一つ何かやった方が良いだろうと、コウタは改めてロビーを後にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね。コウタ君としてはアリサちゃんの事が気になるのね」

 

「別に何かやましい事がある訳じゃないですから」

 

「そんなの知ってるわよ」

 

 榊からのラウンジの運用に関してはコウタとしては既に手詰まりの状態に陥っていた。

 元々ラウンジにはバーカウンターやビリヤード台と言った、明らかに何の為に使われるのかを示す設備が備わっている。態々コウタを指名せずとも結論は既に出ているも同然だった。

 そんな単純なロジックに気が付いたのは既に榊から伝えられて36時間が経過した頃。だとすればやるべき事は確認を取るだけ。コウタは直ぐに弥生の下を訪ねていた。

 

 

「でも、何であんな事、榊博士は言ったんです?」

 

「あら?気が付かない?」

 

「ええ。まぁ………」

 

 歯切れの悪い返事に弥生はゆったりとした笑みを浮かべながらコウタの話を聞いていた。

 この『柊 弥生』は最近になって極東支部の秘書として赴任していた。当初はどこか妖艶な雰囲気を持つ美貌からなのか、割と他の女性職員からも妬まれる事はあったものの、本人と直接会話した人間はその気さくさからなのか、当初持っていた感情は既に無くなっていた。

 元々本部の上層部付の秘書ともなれば機密の一つや二つ知っている事が多い。これまでにも何件かの相談があった際には割と際どい解決方法を取った事もあった。

 そんな部分を見ていたからなのか、コウタにとっては良く出来た姉の様なイメージを持っていた。

 

 

「簡単に言えば、アリサちゃんが少し無理をし過ぎてるのよ。確かにサテライト計画はクレイドルにとっても……ううん。広義に見れば、フェンリルにとってもかなり意識されてる計画なのよ。コウタ君。本部から見た極東支部ってどんなイメージがあるか知ってる?」

 

「ここの…イメージですか?」

 

「ええ。ここのイメージよ」

 

 先程まではどちらかと言えばアリサの話をしていたはずが、気が付けば話はサテライトからフェンリル全体へと変わっていた。

 元々どんな意味を持っているのかを考えた訳では無い。そもそもコウタとしてもここで産まれて、ここでゴッドイーターになっている。

 だからなのか、外部からのイメージと言われても全く想像が出来ないままだった。

 

 

「………ちょっと想像出来ません」

 

「素直なのね。簡単に言えば、フェンリルの中でも特に上層部からすれば目の上の瘤なのよ」

 

「なんでそんな事になるんですか?」

 

 弥生の言われた事にコウタは理解出来ない。確かにここが基準となっているだけでなく、比較対象が無いのであれば比べようが無い。しかし、目の前に居る弥生は本部に居た為に事実を知っている。

 これまでに考えた事が無い事実。だからなのか、いつもと違った考えがコウタの中に渦巻いていた。

 

 

「簡単な事。ここは他と比べても色々な意味でトップクラスなのよ。今回のサテライト計画もその一つじゃなかったかしら?」

 

 弥生の言葉に初めてサテライト計画の案を榊に聞かされた事を思いだしていた。既に人口の増加だけでなく、食料事情が格段に向上している事はコウタも理解している。しかし、それが他と比べるとなればどう違うのかが分からない。

 だからなのか、コウタはただ弥生が告げる言葉に耳を傾けるしか無かった。

 

 

「確かにそうですけど……でも、それとこれにどう関係性が?」

 

「要は嫉妬よ。本部に近いか、それ以上の設備と住環境。周囲に対するアラガミへの防衛力だけでなく、それを活かした研究はフェンリルの中でも断トツ。言い出せばキリが無いの。そんな中で今回出たサテライトが仮に破綻した場合、どうなるのか分かるでしょ」

 

「確かに……」

 

 弥生の言葉にコウタは改めてこれまでの経緯を思い出していた。事実上のサテライト拠点とも言えるネモス・ディアナは完全に自治として機能しながら住環境も決して悪いとは言えない内容だった。

 極東支部の様にひしめき合って生活するよりも、緑が豊で落ち着いた雰囲気を持っていた記憶がある。

 住環境を良くすればその分、人間が住まう場所は限られてくる。そう考えれば随分と贅沢なんだと改めて考えていた。幾らアラガミとの戦いに明け暮れていたとしても、その程度の事は想像出来る。

 仮にそれが失敗したとなれば、周囲の声は確実にアリサに向かうのは予想出来る事実だった。

 

 

「そんな事もあったから少しは気分転換させたらどうかって事なの。でもアリサちゃんの性格を考えると、それも難しそうね」

 

 コウタだけでなく弥生の目から見ても今のアリサはオーバーワークと言う言葉すら陳腐な様にも思えていた。

 責任感の強さ故なのか、確かにここが勝負所なのは理解出来る。だからと言って、そのまま簡単に容認する訳には行かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え……休めって本当に言ってるんですか?」

 

「ああ。このままやってもアリサが倒れたら元の子も無いだろ。根を詰めた所で良い結果が出る可能性は低いだろ」

 

「私はコウタとは違いますから。ほっといて下さい」

 

「ちょっと待てよアリサ!」

 

 コウタの言葉もむなしく、アリサは自身の殻に籠るかのように没頭していた。コウタが知っている中でも既に徹夜しているのは1回だけの話ではなく、既に何度か目にしている。

 本来であれば親友でもあるエイジからも言ってほしい所だが、今のエイジ達が置かれた状況を考えれば、安易に連絡する訳にも行かなかった。

 

 

「相変わらず真正面から行き過ぎよ。それだと返って逆効果よ」

 

「分かってはいたんですけどね……」

 

「まぁ、後は私の方で何とかするわ」

 

 アリサが去った痕、コウタの背後からは弥生の声が聞こえていた。恐らくは先程のやり取りを聞いたのかもしれない。だからこその台詞だった。

 1人でやれる事には限界がある。これまでのミッションを考えれば、アリサの行動はまだ極東に配属された頃と変わりなかった。

 既に提出された書類の内容に関しては不備は少ない。多少の漏れは弥生がフォローしているが、それでもその膨大な書類をやりきれる程甘くは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラウンジの開設……ですか?」

 

「そうなの。元々から計画はあったんだけど、中々人選に困っちゃってね。漸く目途がついたから、今晩から開設なのよ。折角なんだし、アリサちゃんも感想を聞かせてほしいのよ」

 

 弥生からの言葉にアリサは少しだけ困惑していた。元々サテライトの建設に関しては概要は屋敷の人員も関わっている。幾らアリサと言えど独学で建築の事まで学びながらは無理があった。

 多少の事は聞きかじりながらでも可能だが、肝心の防壁の強度やコスト面。完成後の維持に関してはやるべき事は多岐に渡っている。

 1人でやれない事は無いが、そうなれば今度は他の申請に無理が生じる可能性が高かった。

 

 

「私は基本的にアルコールは飲めませんよ。それにそんな暇なんて……」

 

「暇ね……アリサちゃん。悪い事は言わないわ。今の申請書類が完璧に出来てると思ってるの?」

 

「え……そんな事ありえません。私何度も確認しました」

 

「だったらこれは、どう説明するつもりかしら?」

 

 弥生が見せた書類は先日入植者の対象に関しての立案書類だった。

 現在の外部居住区に住める人間はフェンリルに関わっている人間が優先されている。身内がゴッドイーターであれば他の誰よりも先に優遇されていた。

 人口増加による懸念事項を解決する為に計画されているサテライト計画はその選から漏れた人達を救う為にやっている。

 そんな中でも最重要ポイントとも取れる対象者の選別基準が記載された書類。弥生の手には完全に間違った内容が記載されていた。

 

 

「こ、これは……手元が狂っただけです」

 

「手元が狂ったで済めば良いけど、これが仮に直前で発覚した場合、現場は混乱するだけでは済まないのよ。このままだと極東支部を作った当時と同じ現象が起きる事になる。同じ轍を踏む必要はどこにも無いのよ」

 

 その重要性を誰よりも理解しているからこそアリサは弥生の言葉を真摯に受け止めていた。

 恐らくはこれまでにも何度も間違いがあったのかもしれない。しかし、今のアリサにとって過去を振り向くだけの時間と心のゆとりは無くなっていた。

 

 

「これ以上責めるつもりは無いの。ただ、少しだけ立ち止まる事も時には必要なのよ。だから今回のラウンジの運用に関しては息抜きと言うよりも、任務だと思ってもらった方が良いかと思うわ」

 

「…任務だと言うのであれば……」

 

 どこか釈然としないものの、弥生の立場から任務だと言われればアリサもそれ以上の事は何も言えなかった。

 既に準備されているからなのか、扉を開けるとそこはアリサが知っているラウンジでは無かった。

 薄暗い照明が周囲の景色を隠すかの様になっている為に、大勢が居るにも拘わらず、どこかプライバシーが保たれているようにも見える。何時もは食事をする為だけに利用していたからなのか、明らかに違った雰囲気にアリサは少しだけ驚きを見せていた。

 

 

「あの……こんなに違うんですか?」

 

「そうよ。でも設備に変更点は無いわよ」

 

 カウンターの向こうでは何時ものスーツ姿とは違い、白いシャツにベストを着た弥生がカウンターの向こう側に立っていた。既に用意されているのは明らかにアルコールだと分かる物。今日が初めてだったからなのか、ここい居る顔ぶれも何時もとは明らかに異なっていた。

 

 

「でも、こんなに変わるなんて……」

 

「それは着眼点の違いよ。同じ設備でも見せ方が変われば受け止め方も変わる。よく見れば皆同じよ」

 

 弥生の言葉にアリサは改めて周囲を見渡していた。確かに設備に違いは無い。

 薄暗い照明とテーブルの上に置かれたキャンドルの暖かな光が席に座ってる人物だけを照らしていた。

 

 

 



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第57話 振り返れば

 支部長室には今回異動してきた一人のゴッドイーターが榊の前に立っていた。

 見た目は二十代後半の男性。身に着けている服からはそれなりに個性が強い事は読み取れるが、僅かに見える身体の一部にはゴッドイーターには似つかわしくない傷が幾つも刻まれている。通常であれば激戦区を生き残った猛者だとも取れるが、目の前の男からはそんなイメージがどこにも無かった。

 その最大の理由は身に着けた付属品。アクセサリーが過度に付けられているからなのか、僅かに動く際には金属の擦れる様な音が鳴っていた。

 

 

「極東支部にようこそ。確か、真壁ハルオミ君だったね。以前在籍していた支部長からも話は聞いてるよ」

 

 榊はそう言いながらも真壁ハルオミと呼んだ男性を見ていた。

 ここ極東支部では実力と年齢のバランスが極めて悪く、本来であれば他の支部では二十代後半はベテランと中堅の中間位だが、ここ極東支部に関して言えば明らかにベテランに属していた。

 男もまたここの支部の事は大よそながら事情は理解していたが、こうまで歪だとは思っても居なかった。

 これまでに見た異動先も決してレベルが低い支部では無い。しかしここが世界有数の激戦区だからなのか、支部長本人の目には口では語らないが、強い意志がそこに存在していた。

 

 

「俺……自分はそこまで実力があるとは思いません。ですが、ここに来た以上はやれるだけの事はやりたいと思います」

 

「そう固くならなくても良い。ここは君の様な年代のゴッドイーターは少なくてね。一人居るには居るんだが、生憎と今は本部に派兵中でね」

 

「それはリンドウさんの事ですか?」

 

 ハルオミの言葉に榊の分かりにくい目が僅かに鋭くなっていた。

 ここではリンドウの名前は広義に有名だった。ゴッドイーターがアラガミ化をしながらも生還しただけでなく、これまでの実績を考えれば知っててもおかしくは無い。

 事実、今のハルオミには隠す様な視線は感じられなかった。

 探ると言うよりも、そこか懐かしい様な表情。それを見たからなのか、榊は以前に見たハルオミのプロフィールを思い出していた。

 

 

「確か君は元々はここだったね。因みにリンドウ君とはどこで?」

 

「ええ。ここに来る少し前に本部で会いました。確かここの部隊長でもある如月エイジも一緒でしたね」

 

「……そうかい。君とは面識があったんだね」

 

 ハルオミもここに来る前に偶然ながらリンドウとエイジとも会っていた。

 当時は懐かしさがあったものの、それでもミッションでも一緒に行動した事実がある。

 たったそれだけの話ではあるが、目の前に立っているハルオミを見て、榊にとってはその技術力がどれ程の物なのかを示す結果となっていた。

 

 そもそも派兵中の二人はここだけではなく、他の支部から見ても過剰戦力とも取れる程の実力を有している事は割と有名だった。定時報告とも取れる内容を見ても、討伐任務や教導などの結果を残してるだけでなく、本部は各支部からの人材の出入りは割と激しい。その結果、本人達が望む必要が無いにも拘わらず、名前だけが一人歩きしていた。

 もちろんその弊害も多々あった。

 

 幾ら極東支部とは言え、精神的にも戦力的にも支柱を欠いた戦場を完全に回す事が出来る訳でなく、それぞれの実力に見合ったミッションが常に発行されている。実力があればそれに準じたミッションをこなす事になるが、それでも完全に手が足りているとは言い難い背景がそこにあった。

 

 

「君には来たばかりで申し訳ないんだが、今の極東支部が知っての通り、部隊長クラスが派兵で不在になっている。部隊運営に関しての経験がある様だから部隊長を引き受けてくれないかな」

 

「俺で良ければ」

 

 榊の視線に力が籠っていたからなのか、ハルオミはそのまま受諾していた。

 元々ここには捜しているアラガミが居るとの情報をキャッチしたからに過ぎない。これまでにも異動先で何度か部隊長をした経験があったからこそ、何時もと変わらない返事をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「す、すみませんでした……私、誤射しない様に精一杯やってるんですけど……」

 

「オーケー、オーケー。カノン。誤射に関しては一々気にするな。確かに訓練と実戦は違う。だがそれなりに経験を積めばその内何となくでもコツを掴む事は出来るはずだ」

 

「ですが、私もこう見えてここにはかなり居るんです……確かにハンニバルも討伐はしました。ですが、あれ以降は中々上手く出来なくて……」

 

 榊から指示されたのは第4部隊長への就任要請だった。これまでに何度か部隊長を経験したが、まさか自分と一人だけとは想像していない。当初はカノンの姿を見て役得だと思ったが、数回のミッションをこなしてからの、これまでのリザルトとコンバットログを見たハルオミは内心焦りを生んでいた。

 

 元々唯一の隊員でもある台場カノンはここ極東支部の中でも極めて高い適合率を有する期待されたゴッドイーターだった。

 当初はプロフィールだけしか目を通さなかった為に、その事実と現状のギャップに疑問を抱いていた。これ程までに高い適合率を持ったゴッドイーターをハルオミも見た記憶が無い。恐らくは期待された新人なんだとばかり考えていた。

 しかし、現実はそう甘くは無かった。改めてカノンのデータを確認すると、これまでは防衛班に所属していた為に、小型種や中型種の討伐数が圧倒的に多かったが、そんな中でも一部大型種が混じっていた。

 本来であれば大型種が混じるケースはそう多く無い。極東の基準は分からないが、少なくともこれまでハルオミが所属していた支部の殆どは大型種が出没した際には事実上の総力戦となるケースが多く、ハルオミもリンドウやエイジと共に行動する前であれば同じ様な感覚を抱いていた可能性があった。

 そんな大型種の中でも接触禁忌種に指定されているハンニバルのログを発見した際、ハルオミは盛大に驚いていた。

 

 

「まぁ……その辺りは追々考える事にするさ。それよりもここの福利厚生のラウンジだったか?確か今日からバーとしても利用できる様になるらしいな」

 

「詳しい事は分かりませんが、確か弥生さんがそんな事を知っていた記憶はありますね」

 

 ラウンジの夜間の利用に関しては全員に一斉で通知されていた。

 元々決まった時刻に働く様な職場ではなく、アラガミの出没の状況如何で出動が常に要求されるからなのか、ここでのメールの確認は必須となっていた。

 事実、ハルオミだけでなく、カノンもまたここの全員が集まる様な機会を得た事は一度も無い。だからなのか、ハルオミの言葉にもどこかぼんやりした返事しか出来ないでいた。

 

 

「取敢えず、今日の所はここでミーティングだ」

 

「ええっ!良いんですか?」

 

「第4部隊のミーティングなんだ。部隊長の俺が言うんだ。問題なんて無いさ」

 

 おどける様な言い方ではあるが、カノンとしても興味があったからなのか、否定する様な真似はしなかった。

 ヒバリへの報告を終えると足早にラウンジへと歩み始める。ゆっくりと開けた扉の先には何時もの様な雰囲気は微塵も無かった。

 

 

「随分と本格的だな」

 

「何だか気後れしそうですね」

 

 落とされた照明は部屋全体を照らす事は無かったからなのか、辛うじて利用している人間が見える程だった。

 元々アルコールの種類も本部にこそ負けるが、他の支部よりも格段に多い。カウンターの中には何時もとは違った服装の弥生がバーテンダーの様に準備をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら?ハルオミさんとカノンちゃん。珍しい組み合わせね」

 

「はい!今日はここでミーティングだそうです」

 

「カノン。それ以上はちょっと……」

 

 雰囲気に呑まれたからなのか、カノンの言葉に珍しく弥生の表情が険しくなっていた。

 何時もは穏やかな笑みだが、今は剣呑とした笑みを浮かべている。先程口走った言葉が原因だからなのか、ハルオミもまた引き攣った表情を浮かべていた。

 

 

「今日は初めてだから大目に見ますが、そんな事でここを利用しない様にして下さいね」

 

「ええ……善処します」

 

 窘められたからなのか、ハルオミもまた苦笑するしかなかった。言葉の綾みたいな物だが、目の前に極東支部長の秘書が居る以上、迂闊な言葉を口にする訳には行かない。

 だからなのか、ハルオミとカノンはカウンターではなく、ソファー席を利用する事にしていた。

 

 

 

 

 

「な、カノン。少しは落ち着いて狙ったらどうなんだ?確かに焦る気持ちは分かるんだが、それで誤射するとなれば無意味だぞ。何事も時間をかけてゆっくりと…だな」

 

「ですが、それではアラガミが逃げちゃいますよ」

 

「う~ん。カノンにはまだこの話は早かったか」

 

 琥珀色の液体が入ったグラスを片手にハルオミは少しだけまともな話をしていた。

 元々関心があったとは言え、弥生の手前何も話さない訳には行かない。もちろん、常日頃同じ事を言ってるつもりだが、やはり何時もとは違った雰囲気だからなのか、ハルオミはいつしか上機嫌になっていた。

 

 

「やっぱり私の努力が足りないんでしょうか……」

 

「そんな事は無いさ。カノンが努力してる事を俺は知っている。その内きっと良くなるからもう少し焦らず落ち着いて…だな」

 

 余程口にあったからなのか、それとも何時もと味わいが違った物だったからなのか、ハルオミは既にそれなりの酔いが回っていた。

 気が付けば時間もそれなりに経過しているからなのか、カノンの姿は見えなくなっている。そんな中で、ここでは目にする機会が少なかったアリサの姿に少しだけ違和感を感じていた。

 

 元々ここでの飲酒の出来る年齢にアリサは達していない。事実、ここで未成年を見かける事は無かった。気が付けば他の人間もアリサを見ている。

 弥生が居る以上、下手な事が無い事位は分かるが、それでも普段目にする機会が無いからなのか、ハルオミは自身の好奇心を殺す事無くアリサの下へと歩いていた。

 

 

 

 

 

「あれ?なんでここに?」

 

「あ、ハルオミさんこそどうしてここに?」

 

 ハルオミに気が付いたからなのか、アリサは少しだけ驚いていた。

 元々気分転換の為…ではなく、弥生からの任務の名目で来ていたからなのか、既に酔ったハルオミに対し、アリサは僅かに構えた様子が見て取れていた。

 ハルオミが近づいた事で先程までのアリサに向けられた視線が完全に弱くなっている。そんな雰囲気を察知したからなのか、弥生はそれ以上何も言わず、アリサの前にカクテルを差し出していた。

 

 

「私、アルコールはちょっと……」

 

「それなら大丈夫よ。一口飲めば分かるから」

 

 細長いロングタイプのグラスにはミントらしき葉と、炭酸が効いているのか弾ける音が聞こえている。これが何時ものラウンジであれば間違い無くアリサも飲んでいるが、ここはバータイムのラウンジ。出されたグラスが普段とは違うからなのか、少しだけ緊張した面持ちだった。

 弥生から促される事で恐る恐るストローを咥える。ゆっくりと口に含んだそれにアルコールの雰囲気や味はどこにも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なるほど。だが、一人でやれる事なんて、たかが知れてると思うんだが」

 

「そんな事は分かってます。でも、私が先頭に立ってやる事に意味があるんじゃないかと思うんです」

 

 アリサと話をしながらハルオミは内心舌打ちしたい気持ちがあった。

 元々こんな話をするつもりで近寄った訳では無い。単純にアリサと言う人間がどんな人間なのかを見たいが為に近寄ったに過ぎなかった。これまでに何度かハルオミもアリサの姿を見た事はあったが、こうまで近寄る事は殆どなかった。

 常に何かに追われている様にも見えるからなのか、どこか心に余裕が無くなっている。

 今はまだ大きなミスをしていないが、張りつめ過ぎた物が破裂するのは時間の問題だった。

 アリサと会話をしながら横目で弥生を見る。自分の考えがまるで読まれたかの様に、その顔には慈悲の笑みが浮かんでいた。

 

 

「……まぁ、ここは俺にとってはまだ新参者だが、ゴッドイーターの先輩。年長者として一つだけ言わせてもらうと、周りはそんな事を考えてなんかいない。そもそも一人でやり過ぎる位だからハラハラしているはずだ。それだったら出来る事と出来ない事を選別して効率を図った方がかなりマシだと思う」

 

 ハルオミは内心説教臭いとも感じながら以前にいた支部の事を思い出していた。

 スカーフェイスで少し人間味にかける部分はあるが、芯では素直な新人。そんな事を思い出したからなのか、口でこそ説教じみてるが表情にはやさしさが浮かんでいた。

 

 

「そうでしょうか……」

 

「ああ。少しは気を紛らす事も仕事の内だ。張りつめた雰囲気は周囲にも伝播するからな」

 

 そう言いながらハルオミは自身のグラスを傾けている。既に無くなったからなのか、空になったはずのグラスの隣に新たなグラスが置かれていた。

 

 

「これは私からの奢りよ」

 

「そりゃどうも」

 

 ハルオミと弥生のやりとりを見たからなのか、アリサはこの時初めてこれまでの事を振り向く事にしていた。

 確かに一人でやってきただけではない。事実、サテライトの建設に関しては弥生に頼った事はあったが、実際には細かい部分までフォローされていたはず。

 今回ここに来るキッカケになった書類も改めて確認すれば、自分がやった記憶が無い書類も幾つか混ざっていた事実があった。

 

 

「そうですね。少しだけ……」

 

 何気に出されたグラスに口を付ける。先程とは違った少しだけコクがある様な味のカクテルなのか、アリサは少しだけ意識を手放していた。

 

 

 

 

 

「おいおい。こんな所で寝るなよ。で、どうする?」

 

「それなら問題無いわ。ちゃんと手は打ってあるから」

 

 この場所で寝たままにする選択肢は無かった。今のアリサに手を出そうと考える人間はゼロではない。過去はともあれ、一人の女性として見た場合、アリサは羨望の的だった。これまではエイジと言う名の抑止力があったが、今は居ない。

 ゴッドイーター全員が品行方正ではない。そんな当たり前の事を知っているからこそハルオミは今のアリサの原因を作った弥生に視線を向けていた。

 

 

 

 

 

「ったく人遣い荒すぎると思うんだが」

 

「丁度良かったわ。ナオヤ、貴方これから帰るんでしょ?だったらアリサちゃんの事任せたわよ」

 

「は?何言ってんだよ。俺がそんな事出来る訳無いだろ」

 

 突如呼ばれたからなのか、何も知らないハルオミを前にナオヤは極当たり前に弥生の言われた事に反論していた。

 確かに女性を送る行為は親しい関係であれば問題無いが、恋人が居る場合、その限りでは無い。事実ハルオミもアリサを見た際に、目に飛び込んだのは右手にはめられたリングだった。

 

 昨日今日はめた物ではない。既に長い期間はめているからなのか、細かく付いた傷が当然だと言わんばかりに存在感を放っている。当初は口説く目的もあったが、そんな状況を見たからなのか、ハルオミはそれ以上の事はしない事を決めていた。

 もちろん、これがあと6~7年若ければ行動に移したかもしれない。しかし、自分も同じ立場だったからなのか、今では簡単なセクハラ程度で留める事にしていた。

 だからこそ、このナオヤが呼ばれた当初はアリサの男だと思ったが、会話を聞くに連れ違う事だけは理解出来ていた。

 

 

「どうせ、リッカちゃんも居るんでしょ。2人で連れて行って。手配はしておくから」

 

「………分かったよ。じゃあ、後で回収に来るから」

 

 何か葛藤があったのか、ナオヤは渋々ながらも了承していた。余程何か弱みでも握っているのだろうか。突然の出来事にハルオミは暫し呆然としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ……ここは」

 

 アリサが目覚めた先は何時もの天井ではなく、屋敷の天井だった。板張りの天井に見覚えがある。屋敷の中でもここはエイジの部屋だった。

 

 

「あら、もう起きたの?もう少し寝たらどう?」

 

 アリサの様子を伺いに来たのは昨日ラウンジで作業をしていた弥生。気が付けばアリサの服も制服ではなく浴衣へと着替えさせられていた。

 

 

「私が着替えをさせたから大丈夫よ。身体が休息を要求してるんだから、少しは休みなさい」

 

「ですが……」

 

「休暇届は出てるから安心して」

 

 アリサの言いたい事を理解しながらも弥生はアリサに戻ろうとすることを許すつもりは無かった。気が付けば昨日まで感じていた頭の鈍痛が消え、身体は少しだけ軽くなった様にも思える。

 弥生が言う様に身体が悲鳴を上げていた事は間違い無かった。

 

 

「分かりました。今日一日は静養します」

 

「よろしい。ご飯は何時もの場所だから」

 

「色々とすみません」

 

 伝えたい事を言いきったからなのか、弥生はそれ以上アリサを構うつもりは無かった。

 弥生が出た事で部屋には静寂が訪れる。改めて周囲を見ればやはりエイジの部屋に間違い無かった。

 

 

 

 

 

「顔色は随分と良くなったみたいね」

 

 食事が終わるとアリサは勝手知ったる場所だからなのか、自分の行動出来る範囲で屋敷の中を歩いていた。

 子供達の声が聞こえ、道場からは時折お互いが稽古しているからなのか、激しい声が聞こえて来る。これまで後ろを振り向く事無く進んできたが、改めて振り返った先には自分の理想とする場所がそこにあった。

 アリサがサテライトの建設に邁進したのは、初めてここを訪れた事が起因している。ここでは人間の当たり前の営みがあり、誰もがお互いを尊重しながらも生活をしている。

 この場所を見て、ネモス・ディアナを知ったからこそ、アリサは一刻も早い建設を考えていた。そんな中で声をかけられたからなのか、振り向くと、そこには弥生が立っていた。

 

 

「何とか。これで明日からも頑張れます」

 

「そう。でも、急ぎ過ぎるのは禁物よ。今回の件だってエイジからも心配されてたみたいだから」

 

 この場に居ない名前が出たからなのか、アリサは少しだけ焦っていた。最後に通信をしたのは2日前。あの時は顔色やくまはメイクで完全に誤魔化しきれたはずだった。

 元々外部に居る事が多く、通信時も本部ではなく外からだったはず。どれほど知られていたのかは分からないが、心配された事実に間違いは無かった。

 

 

「メイクして誤魔化したんですけど……」

 

「馬鹿ね。その程度のメイクじゃバレるわよ。それに声にも張りが無かったんだし」

 

 当然だと言われた事でアリサはそれ以上何も言えなかった。自分では完璧だと思ったはずが実際にはバレバレの状態。間違い無くかえって来たら文句の一つも言われるのではと思う程だった。

 

 

「もう。エイジも直ぐに言えばよかったのに……」

 

「きっと遠慮したんじゃないですか?最近の私は結構厳しかったみたいですし……」

 

 これまでの状況を改めて理解したからなのか、アリサの言葉はどこか自虐めいていた。

 もし自分が倒れる様な事になれば、作業が遅れるだけでなく、全体にも影響が出てくる。その結果、更に遅れて行くのは、ある意味当然の事だった。

 

 

「自分で理解したなら問題無いわ。今度からは少し緩める事も考えなさい」

 

「そうですね。体調管理も仕事のうちですから」

 

 張りつめた糸が切れる事無くゆっくりと弛緩していく。

 今回の計画は対外的に見ても失敗は許されない状況にあるのは間違いなかった。

 責任感が強いアリサからすれば失敗すれば自分を赦す事はしないはず。成功が前提の計画だったからなのか、前のめり過ぎてそのまま倒れる事だけは避けたいと感じていた。

 その結果がラウンジでの所業だった。アリサに気が付かれない様に僅かに弥生はアルコールを含ませていた。

 本来であれば味が変わる為に直ぐに気が付くが、今回はいつも以上にシェイクする事によって味そのものを随分と誤魔化す事に成功していた。空気を大量に含んだそれは新たな味わいを作り出す。その目論見が成功したからこそ、今がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの時は随分と前のめりでしたね」

 

「そうね。少なくとも周囲はハラハラしてたみたいだけど」

 

 当時の事を思い出したからなのか、弥生は空になったグラスを下げていた。目の前にあるのは既に半分程になったサラトガクーガ。当時の事を思い出したからなのか、中にあった氷も僅かに溶けていた。

 

 

「でも、今日はどうしたの?一緒じゃ無かったの?」

 

「実は急遽やる事が出来たので、まだ向こうなんです」

 

 アリサの言葉に最近のサテライトの事情を思い出していた。

 今回はアラガミの強襲ではなく、以前同様に近くに何か動物が居るからと探索する事が記載されていた。本来であれば気にする必要は無いが、ブラッドから聖域で住まわせる為にとの話があった為に、最近では建設地で見かけた際には捕獲する方針を取っていた。

 アラガミとは違い、野生に近い動物は案外と厄介な部分が多分にある。今回も帰る寸前に見つけてしまったが故にエイジ達が率先して行動していた。

 

 

「今後は無理しちゃダメよ」

 

「そうですね。ここにきてやっと軌道にも乗りましたから」

 

 一度軌道に乗ってからの建設は想像以上にスムーズな物となっていた。

 これまでやってきた実績だけではなく、現場もまた慣れだした事が一番大きかった。

 苦労して時間がかかった物に改善の痕があれば後はいとも簡単に事が進む。それを理解しているからこそ、ようやくゆとりが生まれていた。

 

 

「あ、アリサさん、ここでしたか」

 

「アリサさん!私も隣良いですか?」

 

「ええ。構いませんよ」

 

 アリサの姿を見たからなのか、シエルとナナもラウンジの中を歩いてくる。周囲を気にするかの様に近寄るが、エイジからの通信を聞いたからなのか、アリサの表情はどこか明るいものだった。

 

 

 



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第58話 新しい作物

 周囲には見渡す限り実験的に栽培された作物が所狭しと並んでいる。

 既に聖域と言う農業実験は開始されはしたが、それが人類に対し有効だと判断するにはまだまだ時間と労力が必要とされていた。

 事実、聖域で取れる作物は品質は良いが、オラクル細胞が働かない為に人力でしか栽培出来ない。ブラッドが事実上の毎日に近い日々をそこで過ごすも、流通に乗せるには今だ時間が必要とされていた。

 そんな中でこれまで新種や新たな食物を提供してきた実験農場でも、一つの収穫物のピークなのか、幾人もの人間が1個でも多く収穫すべく動き回っていた。

 

 

「おお!……これ大きいぞ。早くたべたいな」

 

「シオ。気持ちは分かるが今は少しでも早く収穫するんだ。それは食後に出してやるから」

 

「ほんとうか!よし!がんばるぞ!」

 

 何時もの様な浴衣ではなく、麦わら帽子と農作業に適した服装だったからなのか、シオは先程まで叩いて様子を見ていた緑の丸い物体を慎重に運んでいた。

 叩く音は身がぎっしりと詰まっているからなのか、どこか重い音が聞こえる。既に夏も近いからなのか、朝の早い時間にも拘わらず汗を流しながらシオは忙しく動いていた。

 緑の色だけでなく黒の模様もまた濃いそれは一つだけ持つのも苦労させられる程だった。

 落とせば中身が飛び散るだけではない。食べる事も出来ないからと誰もが慎重に作業をしている。シオもまたそんな一人だったからなのか、一生懸命に取り組んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは中々面白い試みだね」

 

「いきなり聖域で栽培しても良かったんですが、流石にどれ位認知されるのかが未知数なので」

 

 無明は久しぶりに極東支部に訪れていた。これまでの経緯を考えれば当然の事ではあるが、最近は屋敷に足を運ぶ人間も多くなったからなのか、一部の人間からは当然の様に思われていた。

 元々今の極東支部の食糧事情を作り上げたのは、無用がこれまでに行って来た実験農場での農作物の安定した収穫が大元だった。一度安定して作られた後はサテライトへと渡され、その後はそここが流通元となって支部内だけでなく、他のサテライトや一部は他の支部へと販売されていた。

 これまでの様に遺伝子を組み替えた野菜類も未だにあるが、それでも旧時代から馴染んだそれの方が、販売価格が高くても売れている事実があった。

 

 既に他の支部とは違い、極東支部内ではフェンリルからの配給の量は極僅かとなっている。全員が仕事に従事する事は今だ敵わないが、それでもサテライトの建設現場や農業、建築物等の製造などと従来の資本主義は復活しつつあった。

 資本が豊になれば次に向けるのは自身の欲求を満たす事。

 本部とは違い、大きな格差はここでは余り見られないからなのか、一つの方向性が決まるとそれに習う様に行動するケースが時折確認出来ていた。

 

 

「なるほどね。で、実際にはどれ程なんだい?」

 

「糖度は物によるので一概には言えませんが、市場に出せる程度には出来たかと」

 

「そうなると、まずはどんな物なのか様子を見たい所だね」

 

「暫くの間は、ここのラウンジにも置いてみようかと。それに伴って一定以上の数字が出る様であれば支部内に流通させます」

 

 これまでの実績が物を言うからなのか、無明の言葉に榊も珍しく自身の関心外の分野に笑みを浮かべていた。

 恐らくは今の人間でこれをまともに見るのは少ないはず。だからなのか、実験とは言うものの、その結果はある程度予想出来る内容だった。

 

 

「弥生君。すまないがこれをムツミ君の所まで運んでくれるかい?」

 

「承知しました」

 

 榊の言葉に、弥生はそのままラウンジへと運んでいた。

 元々実験農場はこれまでにオラクル細胞によって失われた物を品種改良しながら、現代において復活させる事を目的としていた。

 聖域とは違い、一定量のオラクル技術を投入しているのは、現状仕方のない事でもあった。幾ら植物とは言え、動物同様に、外部の環境に大きく影響を受ける以上、収穫量が定まらないでは安定した供給を行う事は不可能とも言える。

 万が一があってはならないとの考えによって、僅かながらでも技術を投入するのは今に始まった事では無かった。

 元々生きる為に食事をするのは人間だけでなく生きる者すべてが行う事。少し前の様に味よりも量を優先していた頃では考えられない程に、少しづつ戻り始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうそんな時期なんだ」

 

「今回の物は実験農場で作ったらしいぞ」

 

「確かに、夏と言えばって物に違いは無いけど、あれって収穫大変じゃなかった?」

 

「今回の件はシオも珍しく張り切ってたらしいぞ」

 

「なるほどね……」

 

 ラウンジではムツミと交代したエイジがカウンターの中で炎と格闘すべく、手を動かしていた。既に昼のピークは過ぎたからなのか、周囲に人影はまばらとなっている。

 元々混むのを嫌ったからなのか、ナオヤは時間を外してラウンジに来ていた。

 屋敷の実験農場で何を作っているのかは屋敷の人間であれば誰もが知っている。そもそも実験である為に少量だけを作るからなのか、出来が良くても全員の口に入る事は早々無かった。

 実際にエイジだけでなくナオヤも食べそびれる事が度々ある。だからなのか、今回持ち込まれたそれはこれまでになく珍しい試みだった。

 

 

「で、冷やしてあるのか?」

 

「ああ。ここにね」

 

 エイジは視線を下に向ける事でそれがどこに有るのかを示していた。

 元々大きいからなのか、当初はスペースの確保に気を使ったものの、他の食材を幾つか使い切った事でそのスペースの確保に成功していた。

 

 

「って事は早ければ、今晩か明日の昼以降か?」

 

「まだ決めてないかな。こっちの一存で決める訳にも行かないだろうし。因みに屋敷の方はどうなっているの?」

 

「確かシオのテンションがやたらと高かったな。あそこはタライに沈めてたからやっぱり同じじゃないか?」

 

 当初、最初に収穫した際にナオヤは屋敷で偶然見かけていた。

 元々野菜類とは言え、本当の意味での野菜では無いからとシオを中心に子供達が関心していた事が記憶に新しい。

 無理にその輪に入っても良かったが、子供達の事を考えると流石に厳しいと感じたからなのか、遠目で見るだけに留まってた。

 そんな中で一部がここに運ばれた事を聞いたからこそ、ナオヤはカウンターに居たエイジに聞いたに過ぎなかった。

 

 

「種から珍しくやってからね。まさかあんなに大きくなるとは思わなかったけど」

 

 エイジもまた当時の事を思い出したからなのか、思わず苦笑していた。

 これまでにもシオだけでなく、子供達も何度か実験農場で種まきから野菜の栽培の手伝いをしている所を何度か見かけている。

 表面的には実験農場は極僅かな人間だけで管理しているが、基本的に手伝う事に関しては断る事はしなかった。

 これは子供達の興味を活かすのもさることながら、今後自分達がどんな道を歩むのかの選択肢の一つにもなっているからだった。子供の頃の体験がどれ程影響を及ぼすのかは分からないが、これはエイジやナオヤも同じく辿った道。

 だからなのか、そんな光景を見る事に違和感は無かった。

 

 

「だな。まさかあれだけの物になるとなれば、俺達が出しゃばる必要は無いだろう。で、何かそれで作るつもりか?」

 

「いや。まずはそのまま切っただけで出すつもりだよ」

 

「だよな。やっぱり一回は素のままが良いよな」

 

 そんな取り止めの無い会話をしながらエイジはナオヤに頼まれた炒飯と中華スープ、野菜炒めを出していた。

 元々昼のメニューには無いものの、人が少なければ気軽にオーダーを受けていた。もちろん材料が無ければ無理だが、今日のランチメニューの材料を活かしたからなのか、当たり前の様に出されていた。

 出された物を一気にかきこむかの様に口へと運ぶ。遅めの昼食は意外と空腹には勝てなかった。

 

 

 

 

「あれ?今ごろ食事なの?」

 

「ああ。ちょっと忙しかったからな。で、リッカもか?」

 

「私は違うよ。ちょっと休憩かな。最近は割と神機の消耗率が早いからだと思うんだけど、思ったよりも数が多くてね」

 

「……確かに」

 

 そう言いながら、リッカはナオヤの隣に当然の様に座りエイジにオーダーを出す。

 既に用意されていたのか、エイジもまた軽食の様に小さ目のハムサンドとジンジャーエールを出していた。

 リッカが言う様に最近になってからこれまで教導だけだった新人が現場に出る事が多くなり、そのしわ寄せが技術班へと伝播している。

 初めての実戦は当然の様に固くなりがちになる。その結果、教導では出来ていた物が出来なくなるケースが多かった。無駄が多くなればそれに比例するかの様に神機の消耗も激しくなっていた。

 今に始まった事では無いが、やはり整備する側からすれば仕事量が一気に増える要因でしかなかった。

 

 

「そう言えば、ここに来た時に何か話してたけど、屋敷で何かあったの?」

 

「いや。大した事じゃないんだ。ちょっと今回の実験作物の件でな」

 

「えっ!新作出来たの!」

 

「ああ。今回の新作はシオも張り切ってたからな。今晩か明日には出せるらしいぞ」

 

「そっか。因みに何?」

 

 興味があるからなのかリッカはエイジに確認していた。

 元々この話は隠す訳ではな無いが、下手に喋られると自分達の分が無くなる可能性を秘めていた。

 これまでに食べた事はたったの1回だけ。意地悪するつもりは無いが、やはりご相伴に確実預かろうと考えれば情報漏洩だけは避けたいと考えていた。

 

 

「その時にかな。まぁ、数が少ないから楽しみにしておいて」

 

「そっか。じゃあ、ちゃんと教えてね」

 

「ナオヤに連絡するよ」

 

 何時もの光景がそこにあったからなのか、ラウンジの空気は緩やかに流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕方になってから早々に出す事をエイジはムツミと相談しながら出していた。

 元々実験農場で作る物は数がそう多く無い。一つの品種だけを栽培するのは効率が悪いだけでなく、場所が限られる以上、制限する必要があった。

 ここではお馴染みになりつつある食材も、実験農場で作った際には数は多く無い。これまでの野菜類では無かったからなのか、今回の事を知っている人間以外は偶然この場に居合わせた者だけが口にする事が出来ていた。

 大きな玉の様なそれを二つ冷蔵庫から取り出す。

 中心に向かって一気に振り下ろしたそれは中までギッシリと実が詰まり、瑞々しさが見える。これまでに見た事が無い人間が殆どだったからなのか、誰もが興味津々だった。

 

 

 

「思ったよりも甘いな」

 

「結構良いレベルかも」

 

「私は初めて食べました」

 

 運ばれた際に初めて見たからなのか、ムツミはこれが何なのか理解出来ないまま冷蔵庫へと入れていた。

 弥生が持ってきた大きなそれは明らかにこれまでに見た事が無い食材。名前は聞いたが、それが何なのかは分からないまま時間だけが過ぎていた。

 それぞれに行き渡る様にカットしていく。赤い実の部分はこれまでに見た事が無い代物。

 誰もがエイジの手元を食い入る様に見るだけだった。出された物をいち早くナオヤが齧り付く。それを見た他の人間もまた同じ様に齧り出していた。

 

 

「エイジ。これって何ですか?」

 

「これは西瓜だよ。今回の実験農場で作ったらしいんだけど、今回は珍しくシオが力を入れて作ったらしいからね」

 

 アリサの質問に当時の事を思い出したのかナオヤを会話した時と同様に笑みが浮かんでいた。

 恐らく今回の西瓜はシオが一番望んでいた物なのかもしれない。毎日眺めては記録を付けている事はやんわりと聞いていた。

 だからなのか、アリサの質問にも気軽に答えていた。

 

 

「でも、これってフルーツなんですか?」

 

「基本的にはフルーツよりも野菜寄りかな。明確な基準は無いんだけどね」

 

 一口齧った際に瑞々しい甘さが口の中に拡がっていく。確かにアリサが言う様に野菜として考えるのは難しいとさえ思えるそれは、やはり生産に対する情熱の証。エイジの答えに何かを想像したのか、アリサもまた笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

「何だよ。俺にも声かけてくれよ」

 

「コウタの分は……無いですね」

 

「ちょっ……それは俺の分じゃないのかよ!」

 

 コウタが真っ先に見つけたのはカウンターに人が多く集まった光景だった。

 今回の件に関しては一部の人間以外には何も知らされていない。そもそも試作段階の物が故に告知する必要性はどこにも無かった。

 コウタの目に飛び込んでい来たのはあと2切れのみ。だからなのか、真っ先に行動していた。

 

 

「これはマルグリットの分ですよ。それとエリナの分です」

 

「え~マジかよ」

 

「私の分だったら少しあげるから」

 

「マルグリットに感謝しなさいよ」

 

 余りにもガッカリしたからなのか、コウタをフォローするかの様にマルグリットが助け船を出していた。

 元々数が無い事はマルグリットも知っている。

 事実、屋敷に数日間居た際にも同じ様な光景を何度も見たからなのか、簡単に説明された時点で理解していた。

 もちろん、アリサとて理解している。今直ぐに食べる事は無理でも、時間があればその内市場にも出回る事を知ってるのと同時に、マルグリットの性格を考えればどんな結果が待っているのかも理解した上でコウタに対し辛辣な言葉をかけていた。

 コウタは気が付いていないが、エイジとムツミ、ナオヤはマルグリットの為に残したそれがエリナの物よりも大きい事を知っている。

 もちろん本人の考えを考慮した結果だった。

 

 用意された西瓜が好評だったからなのか、切ってから無くなるまでに然程の時間を必要としなかった。

 旧時代の様な環境になる為には自分達がアラガミを討伐するより手段は無い。今回の様な事がこれからも何度も続くのであればとの思いが出たからなのか、ラウンジには笑顔が溢れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これって……」

 

「これは何でしょうか……」

 

 聖域での農業の相談があったからなのか、ブラッドは珍しく屋敷へと出向いていた。

 普段であればエイジかアリサが居ない限り、ここに来る事はそう多く無い。今回呼ばれたのは実験農場で作った作物に関する件で呼ばれていた。

 何時も居る人間が居ないからなのか、誰もが少しだけ緊張感を持ちながら敷地内を歩いている。そんな中で目についたのが桶の中に沈められた西瓜だった。

 

 

「水に冷やしてあると言う事は何かしらの果物では無いのだろうか」

 

「果物にしては大きい様な気もするぞ。ロミオ、これが何なのか知らないか?」

 

 不思議そうな顔をしながらもナナとシエルは近づきはするが、これが何なのかが分からない為に触る事を躊躇っていた。

 下手に触る事で何か良く無い事が起きた場合、フォローする事が一切出来ない。只でさえ機密の塊の様なここにある以上、ここから先に近寄る事は難しいとさえ考えていた。

 一方のジュリウスとリヴィもまたこれが何なのかを知らないからなのか、遠目で見る以外に何も出来なかった。

 

 

「いや。俺だって何でも知ってる訳じゃないぞ。それにこれが何なのかは全く見当が付かないから」

 

「勝手に触る訳にはいかないだろうな。向こうに着いたら聞けば良いだけじゃないのか?」

 

「確かにそうだな。ではギルが言う様に着いてから聞く事にしよう」

 

 ギルの呟きに答えるかの様に、ジュリウスもまた同じ意見を口にしていた。

 元々呼ばれたからここに来ただけなので、詳しい事は何も分からないまま。だとすれば直接聞いた方が建設的だとするジュリウスの言葉に誰もが従っていた。

 

 

 

 

 

「ところで一つお聞きしたい事があるのですが、今後の聖域に関しては極東支部としてはどの様な見解を持っているのでしょうか?」

 

 無明に呼ばれたのは今後の聖域に関する権限についてだった。

 現状では極東支部の管理下で農業を営んでいるが、先般の神機兵事件の際にフェンリル本部としてもどんな内容の物なのか、一度この目で確認したいとの意見が噴出した為に、今後の事も見据えた上での確認事項だった。

 

 元々アラガミが居ない頃を知っている人間からすれば懐かしさがあるかもしれないが、今のブラッドの様にアラガミが居ない世界を知らない人間からすれば、聖域とはすばらしい区域だと判断されていた。

  強制ではないものの、やはり何かと問題が出る可能性は否定できない。だからこそ今回の提案が如何に重要な結果を齎すのかを知ってほしいとの思惑で呼ばれていた。

 事実、話の殆どはそれに終始していたが、話が一区切りついたからとジュリウスがこれを機に確認していた。

 

 

「聖域に関しては従来通りに運用する以外に何も無い。一部では聖域の視察の話も出ているが、現時点ではそれを承服するつもりは最初から無い」

 

「ですが、このままでは我々だけが独占しているとの思惑があるのでは?」

 

 無明から言われた言葉にジュリウスが反応するのは当然の事だった。

 ここが出来た直接の原因が自分の起こした出来事であるからなのか、聖域に関する件ではかなりデガティブになり易かった。

 農業そのものも、今では推進している立場ではあったが、元々は贖罪の意味も含まれている。

 だからなのか、アッサリと言われた言葉に対し若干懐疑的な部分がそこにあった。

 

 

「ジュリウス。もう一度言う。()()()()()だ。誰も恒久的にしないとは言っていない」

 

「………申し訳ありませんでした」

 

 現時点の言葉にジュリウスは漸く意味を理解していた。

 詳しい事は分からないが、これまでの極東支部の事を考えると全てを秘匿する様な事は一度も無かった。言葉にした様に期間を示すのは何かしらの思惑があっての事。

 ましてや最近まで色々とあった神機兵の事案に関しても表面上は解決したものの、水面下ではそんな事が起こっているのはを知る術はどこにも無い。そこまで理解したからこそジュリウスはそれ上何も言えなかった。

 

 

「ねぇ、そんな難しい話よりも、少し聞きたい事があるんですけど……」

 

 無明とジュリウスの言葉を遮るかの様にナナの言葉が場の空気を変えていた。

 元々こんな難しい話はナナだけでなく北斗やロミオも得意とはしていない。

 自分達が出来る事は政治ではなく現場でアラガミを討伐する事しか出来ないと知っているからこその発言だった。

 ナナの質問に改めて視線が集中する。だからなのか、ナナはどこか言い辛そうに話していた。

 

 

「来る時に、桶の様な物に丸い何かが入ってたんですけど、あれって何ですか?」

 

「ああ。あれの事か、あれなら…」

 

「とうしゅ~。もう切ってもいいのか?」

 

 場の空気が先程までの状態を払拭していた。

 シオの声で全員が背後に振り返る。既に待ちきれない表情を浮かべたシオがまるで急かすかの様に立っていた。

 

 

「もう冷えてるのか?」

 

「たぶん冷えてると思う。ちゃんと氷水にしたから!」

 

「ならば良いだろう」

 

「りょうか~い」

 

「皆もシオの後に着いて行くと良いだろう」

 

 何の話なのかを誰もが理解出来ないままに会話が終わる。そんな状況を見たからなのか無明もまたブラッド全員に対し、これからの行動を促していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ、おいしいな!」

 

「シオ姐、頑張ったもんな!」

 

「次はもっと作りたいよね」

 

 既に切り分けられたのか、シオの歩いた先にブラッドが付く頃には既に屋敷の子供達が何かを食べていた。

 これまでにも屋敷だけなくラウンジでも色々な食事を食べてきたが、誰もがそれに覚えが無かった。

 真っ赤な実は瑞々しいからなのか、果汁の様な物が滴り落ちる。誰もが笑顔で齧りつくからなのか、そんな光景を見て最初の行動したのはナナだった。

 

 

「それって何?」

 

「これか?これ、スイカって言うんだぞ」

 

「スイカって……」

 

 ナナの疑問にシオはとにかく食べれば分かると言わんばかりに切った西瓜を渡していた。これまでに見た事がない食材ではあるが、子供達が食べている顔を見れば不味い物ではない。だからなのか、何の疑問も持たないままナナはそれを齧ってた。

 

 

「ナナさん……」

 

「こ、これは……」

 

 シエルの心配を他所にナナはそのまま無言で食べ続ける。そんな光景を見たからなのか、改めて差し出された西瓜を北斗も手に取っていた。

 

 

「なるほど……これは甘いな」

 

「どうだ!シオが毎日世話をしたんだぞ」

 

 北斗の表情に満足したのか、シオもまた改めて西瓜を食べ始めていた。

 既に用意された物は残りも僅か。ブラッドの全員も同じく手に取り齧りついていた。

 初夏の暑さがそうさせるからなのか、冷えた西瓜の効果はこの後聖域での農作物の一つとして加えられていた。

 

 

 



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第59話 熱き戦場

 全ての物を飲みこまんと、溶岩は灼熱をまき散らしながら濁流の様に流れ込んでいる。

 如何にオラクル細胞の恩恵を受けようとも、一度そこに落ちれば待っているのは死への片道切符。だからなのか、この地で挑むゴッドイーター達は常に細心の注意を払わなければならなかった。

 一向に止まる気配が無いからなのか、入口からゆっくりと階段を下りて行く。一歩、また一歩と進む度に大気の温度は上昇し続けるからなのか、地獄の底へ向かう様な錯覚を覚えていた。

 

 

「こんな暑い時に暑い場所でミッションだなんて冗談じゃないぜ」

 

「でも、仕方ないですよ。誰でもやれるミッションでも無いですから」

 

「だよな。さっさと終わらせて冷たいビールをこう……」

 

 リンドウの言葉にエイジもまた同じ様な事を考えながらも、今回のミッションを思い出していた。

 『煉獄の地下鉄』と呼ばれたこの地に、これまでに無い多数のアラガミ反応を確認したからなのか、偶然帰投したリンドウとエイジに出動命令が出ていた。

 

 

「すみません。本来であれば我々が受ける任務だったんですが」

 

「良いって。彼奴らだって感応種の緊急討伐なんだろ?だったら俺達しか居ないなら当然だろ。一々気にするなって」

 

「ですが……」

 

 今回のミッションは元はブラッドが受注する予定だった。ここ最近のアラガミの出没に関しては一定の波があるからなのか、随分とその内容に幅が生じていた。

 今はまだ閑散期と取れる状況だからなのか、アラガミの数はそう多く無い。しかし、常に一定の間隔で出没するかと言われれば、現時点では調査中、若しくは研究中としか言えなかった。

 

 

「数はどれ位なのかは分からんが、とにかく大量発生してるなら時間との戦いになる。ここじゃあこんなのは当たり前だろ?」

 

「確かにそうですね」

 

 リンドウの言葉にシエルもまた先程までの様な申し訳ないと感じた感覚は既に無くなっていた。

 今回はこの地にアラガミの巣があるのか、当初から大量の大型種の反応が見られていた。既に種はヤクシャである事は確認されているが、やはり油断は禁物とばかりに追加メンバーをそのまま参加させていた。

 

 

「緊急だったけど大丈夫でした?」

 

「わ、私なら大丈夫です。でも、本当に私で良かったんですか?」

 

「カノンさんの火力には期待してますから、特に問題はありません」

 

 今回のメンバーの選考に当たっては、偶然に過ぎなかった。

 元々ブラッドの出動は決定だったが、万が一の事もあるからと常にアナグラには2人は常駐させる事が多かった。確かにリンクサポートシステムが有る為に、それ程気になる事は無いかもしれない。しかし、ここは極東支部。万が一データに無い感応種が出た場合対処できない事実がそこにあった。

 そんな中で当初はシエルだけを考えたものの、今回のミッションは大火力が必ず必要になってくる。そう判断した結果、カノンに白羽の矢が立っていた。

 

 

「んじゃ、取り得ずエイジはカノンと頼む。俺の方はシエルと動くから」

 

「了解しました。じゃあ、カノンさん、宜しくお願いします」

 

「は、はい」

 

 既にこのパターンはエイジが参戦する際に定着しつつたった。

 元々カノンの誤射の影響もあってか、誰もが一緒に行動したいと考えるケースは多く無い。事実内容によってはアラガミからの攻撃よりも誤射によるダメージの方が多いケースた度々見受けられていたからのか、カノンの出動率はあまり高い物では無かった。

 

 本来であれば今回の内容は各個撃破か数に物を言わせての短期決戦のどちらかを選択する事になる。しかし、今回はアラガミの巣があるのかと予想出来る事から、リンドウはツーマンセルによる各個撃破の選択肢を選んでいた。

 既に索敵を開始したからなのか、エイジとカノンの姿は小さくなっていく。一方のリンドウとシエルもまた同じく索敵行動に移っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの……リンドウさん。どうして何時もカノンさんとエイジさんが同じミッションなんですか?」

 

「……ああ、それか。特に決めは無いんだ。ただ被弾率がここの中でエイジが低いだけの話だからってのが本当の所だな」

 

 まるで当然だと言わんばかりに出した指示と、それが当たり前だと言わんばかりに受けた内容にシエルは珍しく驚きを覚えていた。

 これまでにも何度も同行したからなのか、シエルもまたカノンの特性を理解していた。

 元々神機の組み合わせの関係上、シエルが直接の被害を被る事は殆ど無い。カノン同様にどちらかと言えば中衛から後衛気味だからなのか、その被害がどれ程のレベルなのかは視覚情報としては理解していたが、実際に体験した事は一度も無かった。

 

 

「ああ……まぁ見てれば分かるんだが、ここで被弾しないのはエイジだけなんだよ。カノンも悪気があってやってる訳じゃないんだが……」

 

 歯切れの悪い回答に流石にシエルもリンドウの言わんとしている事を理解していた。

 コンバットログを偽る事は基本的には出来ない。

 個人の戦闘の記録だけでなく、行動やそれ以外のデータは初めて部隊を組む際に、必ず必要となる情報源。そんな重大な内容を変えるのは自身の命を軽視しているのと同じだった。

 しかし、コンバットログは基本的には部隊長権限の為に一般の階級では見る事が出来ない。リンドウやエイジ、アリサとソーマの様に部隊長ではないが、クレイドルの場合は人材の配置の関係上、同様の権限が与えられていた。

 

 

「リンドウさんの言いたい事は分かりました。ですが、本当の事を言えば私自身の目でどんな戦闘機動を行っているのは関心がありましたので」

 

「そうだな……今回のミッションは確かヤクシャだったな。だとすればあまり参考にはならんだろうな」

 

「出来れば一度ログではなくこの目で見たいと思ったんですが」

 

 シエルの言葉にリンドウもその意味を何となく理解していた。

 基本的にコンバットログを見れば大よそながらその戦闘内容は把握できる。しかし、内容はあくまでもとしか言えないレベルなのは、偏に細かい動きやアラガミに攻撃する前に細かいフェイントなどが入った場合、完全に拾う事が出来なかった。

 

 過去に無明がカノンを上手く指揮する事によって討伐できたハンニバル戦はそんな内容のオンパレードだった。

 当時の状況は分からないが、常に新人が入る事によってカノンも中堅になり、その結果新人とのミッションでは本当に中堅なのかと思われる事も度々あった。

 現在の教導の中でリンドウが一番新人とミッションに行く回数が多いからなのか、そんな話がある事を一番理解していた。

 

 

「だが、あの動きを参考に出来るかと言われるとな……」

 

「そんなに凄いんですか?」

 

「凄いと言えばそうなんだろうな……」

 

 ここ最近のエイジの動きは、まだ配属された頃から比べればかなり洗練された動きを見せていた。恐らく目指す頂きがハッキリと見えているからなのか、今のエイジの動きは無明を彷彿をさせる程にまで成長している。

 本人は気が付いていないかもしれないが、あれを見てコピー出来るとは到底思えない。

 シエルが関心するのはカノンとのミッションにおける被弾率ではなく、恐らく何らかの動きを参考にしようと考えているのではと予想していた。

 

 

「とりあえずは同じミッションなんだ。こっちのアラガミを討伐すれば見る機会も出てくるだろう」

 

「……そうですね」

 

 リンドウはそう言いながら視線は階段の方を向いていた。既に移動しているからなのか、ヤクシャの足音がこちらへと近づいてくる。

 お互いがそれに気が付いたからなのか、改めて戦闘態勢に移行していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジさん。今回のミッションなんですが、私も少しチャレンジしたい事があるんです」

 

 カノンの言葉に索敵をしていたエイジの足が不意に止まっていた。元々ベテランや中堅が入るミッションの中でも同じ部隊のハルオミを除けばエイジが一番カノンとの出撃数が多かった。事の発端はハンニバルを討伐した頃にまで遡る。あの時の動きが身体に残っているからなのか、カノンは出来る限り当時の状況になってやりたいと考えていた。

 

 

「チャレンジって何をするんです?」

 

「はい。実はこれまでも私の神機の火力を活かすにはどうすれば良いのかをずっと模索していたんです。ですが、実際には思ったように動く事が出来なかったからなのか、どうしても誤射が多くなっていたんです。私も今のままが最良だとは思っていません。ですから、今回のミッションではポジショニングを少し考えようかと思いまして……」

 

 断られると思ったからなのか、カノンの言葉尻は徐々に小さくなっていた。

 カノンとしても誤射ばかりで良いとは微塵も考えていない。

 訓練をする際には問題ないが、いざ現場となった瞬間これまでの様な感覚を一切忘れ、常に引鉄を引く事だけを考えていた。そうなれば当然連携は無くなる。

 射線上に入るから悪いのか、それとも狙う方が悪いのかが区別できないままだった。

 

 

「ポジショニングであれば、僕としても少し考えたい事があるんだ。出来れば僕の方も少しお願いしたい事があるから、カノンさんの件については問題無いよ」

 

「え!本当に良いんですか?」

 

「うん。今回はちょっと考えたい事が幾つかあってね」

 

 快諾された事にカノンは驚くだけだった。もちろん任務である以上、早急な対応が優先される。

 ただでさえ今回のミッションはヤクシャの数が多い。一つの戦闘に時間をかけすぎれば戦闘音を察知する事で不用意に集まる可能性が高かった。

 だからなのか、極東でも上位を誇るカノンの火力を当てにするのはある意味当然の話だった。

 

 

「分かりました。ではやれるだけの事をやりましょう」

 

 決意を新たにカノンは10メートル先で何かを捕喰しているヤクシャを確認したからなのか、音を完全に殺しながらエイジと共にゆっくりと距離を詰めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シエル、援護を頼む!」

 

「任せてください」

 

 リンドウの言葉と同時にシエルの持つアーペルシーが放った弾丸は、狙いすましたかの様にヤクシャの頭部へと着弾していた。

 幾重にも起こる小爆発がヤクシャの視界を完全に殺す。幾ら聴覚が優れようと、頭部に着弾した際に起こる破裂音はリンドウの行動を確認出来る程優れてはいなかった。

 リンドウに比べヤクシャの躯体はかなりの大きさ。着弾した箇所から鈍い音が聞こえると同時に見えたのは結合崩壊を起こしたそれだった。

 

 まともに振るっても刃が頭頂部に届く事は無いからなのか、リンドウは走る勢いそのままに大きく跳躍を開始していた。ゴッドイーターの人間離れした力がヤクシャをそのまま飛び越えんとする程の高さまで瞬時に上がる。リンドウは巨大な刃をそのまま縦に空中で大きく回転していた。

 前方へと向かう勢いと、器用に身体を曲げる事で回転する速度を落とす事無くヤクシャの肩口を斬り裂いていた。人間で言えば僧帽筋にあたる部分が一気に切断される。鋭い一撃はヤクシャの右腕の稼働を許す事は無かった。

 

 

「ちっ!浅かったか!」

 

 リンドウは回転していた事もあってか、目視での状況を確認する事は出来なかったが、その手応えが全てを物語っていた。

 軽い手応えは多大なダメージを与える事が出来なかった証。空中では如何なる行動も不可能である事は既に言うまでも無かった。回転した事によって斬撃の威力は向上しているが、その分運動エネルギーは大きくロスしている。事実上の死に体。今のリンドウは実質的には無防備な状態と何ら変わらなかった。

 

 

「そうはさせません」

 

 ヤクシャとてこのままダメージだけを一方的にに受ける様な事は無かった。

 回転しながら斬りつけたまでは良かったが、明らかに傷は浅い。本能がそうさせるからなのか、動かない右腕ではなく、自由が利く左腕を使い、自身を斬りつけた存在に反撃を開始する。

 

 通り過ぎたリンドウを狙おうとするのは必然だった。発動から発射まで時間を有する射撃は本来であれば余裕をもって回避できる代物。しかし、今のリンドウにとっては回避する術が無いからなのか、ヤクシャはリンドウに銃口を向けた瞬間だった。

 一度だけ聞こえた銃声は結合崩壊を起こしたヤクシャの眼球に直撃していた。頭部が結合崩壊したとしても、アラガミの生存本能は通常の生物とは比較する事すら烏滸がましかった。

 自身のダメージよりも本能の方が勝ったのか、受けたダメージを無視する事で攻撃を加えたそれの生命反応を終わらせる。そう思った瞬間だった。

 一発の弾丸が眼球を直撃したままその勢いは衰えることなく頭蓋を貫通し、背後の壁面へと着弾していた。

 弾丸の勢いそのままに脳漿と思わる何かが周囲に飛び散る。既に息絶えたのか、ヤクシャはそのまま短い人生を終えていた。まるでその場だけ時間の概念が無いかと思える程にゆっくりと動いている。気が付けばヤクシャは膝からゆっくりと崩れ落ちていた。

 

 

「危なかったぜ。すまんな」

 

「いえ。その為のチームワークですから」

 

ピクリとも動かないヤクシャからコアを引き抜き周囲を確認する。既に気配を感じる事が出来ないからなのか、リンドウは珍しく煙草に火を付けていた。

 

 

《リンドウさん。周囲にアラガミの気配は感じられませんか?》

 

「こっちか?こっちは……」

 

 突然ウララからの通信がリンドウの耳朶に届いていた。声のトーンは何時もと変わらないが、少しだけ様子がおかしかった。改めてシエルの方に視線を向けるが、同じ通信を聞いていたからなのか、シエルは顔を横に振るだけだった。

 

 

「こっちは無いな」

 

《そうですか……》

 

「で、何があったんだ?」

 

 歯切れの悪い言葉に何かを察したからなのか、改めてウララへと確認していた。

 元々今回のミッションはアラガミの巣を模した様な部分が多分にあるのか、出没数は通常よりも多かった。事実、先程のヤクシャで既に討伐数は二桁に届いている。これが通常の内容であれば間違い無く救援が出てもおかしく無い内容だった。

 

 

《地下だからと言うのもえるかもしれませんが、これまでに無い程の強いオラクル反応と磁場が発生しているからなのか、エイジさん達との交信が途絶えがちなんです》

 

「今の様子は?」

 

《バイタルに問題はありませんが、やはり信号のキャッチが弱々しいです》

 

 ウララの言葉にリンドウの表情が険しくなっていく。今交戦しているのであれば、何らかの要害が発生した可能性が高かった。

 エイジに限って遅れを取る様な事は無いはず。そんな考えが過ると同時にまさかとの思考も過っていた。

 

 

「ウララ。エイジ達の場所を教えてくれ」

 

 その言葉と同時に加えていた煙草を一気に吸い上げ、そのまま溶岩へと投げ捨てる。一瞬にして燃えた音と同時に、エイジ達の下へと移動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カノンさん。大丈夫ですか?」

 

「はい。何とか大丈夫です」

 

 エイジ達は想定外のアラガミの出現に一旦態勢を整えるべくスタングレネードからの退避を余儀なくしていた。

 元々今回のミッションではヤクシャの討伐がメインだった。今のエイジにとってヤクシャはそう怖いアラガミではない。しかし、時折そんなヤクシャに混じって襲い掛かるヤクシャ・ラージャには手を焼いていた。

 元々カノンの神機の特性を考えると必然的にお互いの立ち位置は決まってくる。ましてや誤射の事を考えればその立ち位置は尚更だった。

 お互い挟みこむ様にヤクシャと対峙し、瞬殺とも取れる程の速度で屠っていた。既に5体程討伐した頃、まるでイレギュラーなのか、それとも図ったからなのか、時折ヤクシャ・ラージャが混じった事により少しづつ混戦めいていた。

 

 自分に限った事では無いが、最悪は盾を展開して防御する事でダメージを軽減する事は当然の行為。しかし、第1世代型神機でもあるカノンは遠距離型故の防御する手立てがどこにも無かった。

 突如突進するヤクシャ・ラージャはカノンの攻撃の隙間を縫うかの様に突進してくる。

 幾ら回避しようとしても、距離があるからなのか回避先へと向かってくる。その結果、ある程度の行動を見切らない事には回避する事は困難になっていた。

 このままではカノンだけを狙われてしまう。そんな思いが過ったからなのか、エイジはスタングレネードを使用した結果だった。

 

 

「このままだと拙いかも」

 

「私のせいですよね」

 

「それは無い。完全に僕の落ち度だ。だからカノンさんは気にする必要は無い」

 

 気配を殺し音を立てない様に様子を伺う。このまま単独でやっても問題無いが、懸念するのはそれ以降の事だった。今はまだ1体しか居ないが、これが複数となれば話は変わる。

 単独の間に一気に屠るか、それともリンドウ達を呼ぶのか選択を迫られていた。

 

 

「カノンさん、リンドウさんに連絡出来る?」

 

「それが……幾らやってもつながらないんです」

 

 カノンの言葉にエイジもまた僅かに迷っていた。ここで戦闘する際にコクーンメイデンを見た記憶は一切無い。可能性があるとすれば他の要因しか無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サクヤさん。今リンドウさん達の戦域でジャミングの影響なのか通信が繋がりにくいです」

 

 ウララの言葉にアナグラのロビーはにわかに騒がしくなっていた。今回のメンバーを考えれば苦戦する要素はどこにも無い。これが他のメンバーであれば動揺を誘うが、リンドウやエイジに限ってと言うのが本当の所だった。

 しかし、通信が途絶えたとなれば何らかの措置が必要となってくる。既に出動した人間が殆どだったからなのか、今のアナグラに直ぐに動ける人間は誰も居なかった。

 

 

「アリサとソーマを念の為に呼んでちょうだい。それと、防衛班で近い場所に居るチームにも万が一に備えておく様に」

 

「了解しました」

 

 

サクヤの指示により、アナグラはにわかに騒がしくなりつつあった。

 

 

 



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第60話 迫りくるアラガミ

 弾む息を無理矢理押し込めたかの様にリンドウとシエルはアナグラからもたらされた情報を元にエイジとカノンが居るであろう場所へと走っていた。

 かろうじてつながっているビーコン反応は未だ存命である事を意味している様に微弱ながらに信号を発信している。万が一があってからでは遅いと判断したからなのか、2人の走る速度が衰える様な事は一切無かった。

 

 

「エイジさん達は大丈夫なんでしょか?」

 

「問題無いとは思うがな……何かあってからでは遅いのも事実だ。今はとにかく急ぐ事を優先するぞ」

 

「そうですね」

 

 流れる景色を他所に今はただ目的地へと駆け抜ける。途中幾つかの小型種が出たものの、リンドウとシエルは全てを一刀の元に斬捨てていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりこうなったか。カノンさん、囲まれない様に注意して下さい!」

 

「分かりました!」

 

 エイジはカノンに指示しながらも、予測した通りの展開に内心呆れかえっていた。こうまでヤクシャが居る中で時折ヤクシャ・ラージャが出没するとなれば、確実に1体だけでは収まらない。

 事前にカノンにも告げたからなのか、隠れながらにカノンに今後のプランを説明していた。

 

 

 

 

「カノンさん。恐らくはですが、あのヤクシャ・ラージャを討伐してもこのまま終わる可能性は低いです」

 

「そうなんですか?」

 

「あくまでも推論ですが、ヤクシャ・ラージャが仮に1体だった場合、こんなランダムに出るはずが無いですし、ひょっとしたらこれを皮切りに一気に出てくる可能性も否定出来ません。こちらとしては乱戦は避けたいんですが……もしそうなれば、カノンさんのフォローが確実に出来なくなります」

 

 エイジの言葉にカノンは思わず唾を無意識の内に飲みこんでいた。ここまでは自分の神機の火力だけでなくポジショニングの効果もあってか、お互いが無傷に近いままに討伐を繰り返していた。

 しかし、時折現れるヤクシャ・ラージャがその王道に待ったをかけていた。ヤクシャの様に銃撃だけで攻撃するのではなく、自身の鋭い爪を持って至近距離まで迫ると同時に繰り出す爪は危険な刃そのものだった。

 接近されればカノンは自身の身を護る術はどこにも無い。

 仮に1体だけならば何とでも出来るが、万が一複数のヤクシャ・ラージャが出た場合、どうしようも出来ない可能性だけが残されている。

 そんなギリギリに近い状態の中からフォローとなれば、何かを犠牲にする必要が出てくる。そこから先の末路がどうなるのかは考えるまでも無かった。

 

 

「もちろん単独でって訳じゃないです。ただ、さっきまでのフォローが厳しくなりますので」

 

 エイジの言葉にカノンは理解したからなのか、頷く事しか出来なかった。

 このままここに隠れ、リンドウ達を待つ事も出来ない訳では無い。幾らエイジの戦闘能力があるとは言え、油断できない事実は何も変わらなかった。

 

 

「分かりました。私も出来る限りの事をやりますので、エイジさんも自分の事を優先して下さい」

 

 既にカノンの気持ちが固まったからなのか、先程とは違い目に力が入っている。気が付けがこちらに気が付いた訳では無かったが、ヤクシャ・ラージャはこちらへとゆっくりと向かっていた。

 

 

「取敢えずはあれを討伐するしかないです。カノンさん、さっきと同じ様にやりますので」

 

「はい。分かりました」

 

 カノンの返事を聞く事無くエイジは向かってくるヤクシャ・ラージャに向かって疾駆していた。

 元々索敵能力が高いからなのか、エイジを捕捉した瞬間、ヤクシャ・ラージャは同じく巨体をもろともせずに走り出す。エイジは神機を構え迎撃態勢に入ったからなのか、そのまま漆黒の刃をちらつかせながら走る勢いが衰える事は無かった。

 ヤクシャ・ラージャは自身の爪でエイジの身体を引き裂かんと腰の位置から一気に振り切る。一方のエイジは刃を下段の状態にしながら迫り来る爪を攻撃するつもりなのか、お互いの刃が一瞬にして交差していた。

 

 

 

 

 

「カノンさん!」

 

「はい!」

 

 エイジの言葉にカノンは、ほぼ無意識の状態のまま引鉄を引いていた。

 先程交差した刃の結果は見るまでも無かった。ヤクシャ・ラージャの鋭い爪は既に腕から完全に分離していた。

 中段の高さで横殴りに近かったからなのか、切断された爪はそのままエイジの遥か後方へと飛んでいく。漆黒の刃は溶けたバターでも切るかの様にそのまま胴体へと食い込ませていた。

 脇腹を切裂かれた事によってそれまで突進していたヤクシャ・ラージャは改めて足を止める。止まった瞬間待ち構えていたのはカノンが所有するスヴェンガーリーの銃口だった。

 

 ブラスト特有の大口径から放たれる銃弾はヤクシャ・ラージャの胴体を狙っている。

 幾ら誤射率が高いカノンとしても、至近距離からの一撃は外す要素がどこにも無い。

 確実にその命を奪う銃撃だった。通常のヤクシャであれば確実に胴体に大きな風穴が空いたのは間違い無い。しかしヤクシャの上位種だからなのか、腹の一部が抉られながらもまだ命を奪うまでには至らなかった。

 本来であれば至近距離からの銃撃は大きな隙が出来る。カノンもまた同じ道を辿るはずだった。

 既に斬り飛ばされたからなのかヤクシャ・ラージャは砲身が付いている右腕でカノンを殴り飛ばそうと丸太の様な腕を一気に振り下ろす。迫り来る瞬間、カノンは思わず目を瞑っていた。

 

 

「あ……れ…」

 

 丸太の様な腕が直撃するかと思われた瞬間、先程と同じ光景が再びカノンの目の前で繰り返されていた。本来でれば、そこにあるはずの砲身を保有する腕は同じく斬り飛ばされたからなのか、既にカノンに当たる事は無かった。

 完全に攻撃の手段を失った事でカノンに直撃する事無く空を切る。気が付けば頭頂から股下まで一本の筋が入っている。既に終わったからなのか、エイジはヤクシャ・ラージャの向こう側で血を振り払うかの様に刃を振っていた。その瞬間、ヤクシャ・ラージャの躯体が中心から左右に離れていく。

 一刀両断の剣閃は鋭さが優先されたからのか、お互いの胴体が地面に倒れ込んだ瞬間、血が噴き出していた。

 

 

「助かりました」

 

「それよりも、やっぱり予想が当たったみたいです」

 

 喜んだのは束の間だった。先程の戦闘音によって新たなヤクシャ・ラージャの姿が3体見える。既にこちらを捕捉したからなのか、迷う事無くこちらへと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジがですか?」

 

《はい。恐らくは大丈夫だろうとは思いますが、現在ビーコン反応が途切れ気味なので詳細が分からない状態です。バイタル情報そのものは特に問題は無い様です。既にリンドウさんとシエルさんも移動を開始してますが、念の為にアリサさんにも連絡をとサクヤさんから指示がありました》

 

 ウララからの通信にアリサもまた驚いていた。

 バイタル情報に問題が無いのは良い事かもしれないが、ビーコン反応が途切れると言うのは、これまでに経験が少なかった。

 ジャミングされていれば可能性は高いが、移動しながらアリサに届く内容にコクーメイデンの姿は確認されていない。余程の特殊な事情が無い限り、あり得ない事実にアリサだけでなく、その場に居たソーマもまた同じく移動を開始していた。

 

 

「ソーマ。こんな事ってあり得るんですか?」

 

「可能性だけ考えればあり得ないとは言い切れない。ただ、本来ではこんなケースに出くわすのは早々無いな。だが……」

 

 シープを運転しながらも、ソーマはこれまでに見た書類や本の内容を思い出していた。

 かなり前の記録だったからなのか、明確には思い出せないが、何かが確実に引っかかっていた。

 

 

「何か知ってる事あるんですか」

 

「……完全に思い出した訳じゃない。ただ、以前にもこんなケースがあったと言う文献かレポートを見た記憶があっただけだ」

 

「それってどんな物なんです!」

 

 運転するソーマの言葉にアリサは思わずソーマの肩を掴んでいた。内心、焦りを生んでいるからなのか、握られた箇所は大きな皺が出来ている。

 これがソーマだったから運転に問題は無かったが、コウタであれば確実にハンドルはとられている程だった。

 

 

「少し落ち着け。このままだと向こうに着く前に俺達が回収対象になる。確か記憶だと、以前誰かが交戦した際にも同じ様な現象が起きたらしいんだが、その時もジャミングはされていたが、アラガミの仕業じゃなかったと書かれていた記憶がある」

 

「そんな事ってありえるんですか?」

 

「具体的には戦闘中の話だから検証のしようが無い。だが、あの場所ならジャミングされると言うよりも、特殊な磁場を形成する可能性は高いだろうな」

 

 ソーマの自己完結に近い話にアリサとしては何をどう理解すれば良いのか判断に苦しんでいた。

 確かにエイジの力量であればそれなりに囲まれても脱出する事は可能だろうし、逆に討伐する可能性も高い。だが、あくまでも単独の場合が付いていた。

 今回はツーマンセルで任務に入っている事は移動中の情報から知っている。しかし、相手がカノンである事から話は別問題となっていた。

 誤射の様な話ではなく、純粋に神機との相性の問題だった。乱戦になればなるほど第1世代の遠距離型ゴッドイーターは苦戦を強いられる事になる。

 元々後衛でもあるそれが前衛になるには相当な回避技術を身に付けるか、それともその前に倒しきるかのどちらかしなない。

 小型種程度であれば後者の考えは可能だが、今回のそれには当てはまるとは思えなかった。当然エイジの性格を感がれば見捨てる様な真似はしないはず。だとすれば乱戦は厳しい状況に陥っているとかんがえるのは妥当だった。答の無い疑問の解決に、アリサの表情は徐々に険しくなっていく。今出来る事が何も無いからなのか、ただソーマの隣に座る以外に選択肢は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 乱戦が既に既定路線だったからなのか、エイジだけでなく、カノンもまたお互いの攻撃が干渉しない様に一定以上の距離を取りながら目の前に対峙するヤクシャ・ラージャと戦っていた。

 鋭い爪だけでなく、地面に砲撃を叩きつける攻撃はヤクシャの様に、自身の目の前だけに衝撃を与えるのではなく、もっと広範囲にまで衝撃を与えていた。

 地面に叩きつける攻撃は銃砲を使うのと同じ様に時間差はあるが、広範囲だからなのか、おいそれと近づく事は困難になっていた。元々カノンの神機でもあるスヴェンガーリーはブラストタイプ故に射程距離が短い事が特徴的だった為に近づくことすら厳しい状況が続く。そうなると広範囲に繰り出す攻撃と自身の射程距離が合致するからなのか、攻撃の回数は自然と少なくなっていた。その結果、火力の低下によって戦闘は徐々に長引いていた。

 

 

「カノンさんはまだ大丈夫ですか」

 

「私の事よりもエイジさんの方が……」

 

「僕の事は問題ありません。ですが、このままだとジリ貧なのも当然です。出来る事なら手練れがあと一人居れば何とか出来そうです」

 

 エイジの言葉にカノンはそれ以上の言葉が見当たらなかった。

 ヤクシャ・ラージャ3体の攻撃はどこか連携じみた動きを見せるからなのか、1体だけ討伐した先程に比べれば、難易度は格段に上昇していた。

 幾らエイジと言えど、連携された攻撃を完全に凌いでからの攻撃は完全に自分の間合いから離れた物だった。

 肉的な損傷はないが、カノンのフォローをしながらの攻撃は精神を確実に蝕んでいく。リンドウ達はここがどこなのかを完全ん把握しているのであれば、本来ならば4人での討伐となっている。しかしジャミングの影響は想像を絶する程に厳しい物となっているからのか、援軍としての存在を当てにする事は出来なかった。

 

 

「ですが、このままと言うのも……」

 

「一度息を整えてからにしましょう。カノンさん。後どれ位撃てますか?」

 

 息を整えながらもエイジは現状把握を優先していた。

 現時点で援軍を当てにする事が出来ない以上、補給が出来無い為に手持ちの物だけでやり過ごすしか出来ない。

 自分はまだ良いが、カノンの場合はそれが深刻な状態に陥る可能性が高いと判断した結果だった。時間と共に呼吸を整え状況を確認する。未だ通信が届かないからなのか、エイジの耳朶にはノイズ音だけが響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サクヤさん!現地にこれまで観測されなかった強烈な磁場と異様な偏食場パルスが確認されています」

 

「どの程度のレベルなの?」

 

「現時点で確認出来るのは今エイジさん達を中心に拡がりつつあります。状況が分から無い為にこれ以上の事は分かりませんが、最悪は神機にも影響が出るかもしれません」

 

 異変に最初に気が付いたのはヒバリだった。既にジャミングを受けてからそれなりの時間が経過しているが、エイジ達だけでなくリンドウ達とも連絡が取れない状況が続いていた。

 時折ジミングが緩むからなのか、僅かに通信回線が開くも戦闘音だけを察知する程度に終わっている。

 言葉の端々からはまだ生存確認が取れているが、状況が一切判断出来ない。ヒバリは現地の地図を出しながらも今後拡大する可能性が高いからとシミュレーションを開始している。既に拡大を続ける異様な偏食場パルスと磁場は、神機にも何らかの影響を及ぼす可能性が高い。

 既にミッションの帰投時間を大幅に越えているからなのか、目的地まで移動しているソーマとアリサに連絡を取る以外に何も出来なかった。

 

 

「ソーマ、聞こえる?今現地には異様な偏食場パルスと磁場が形成されているの。ここからの確認が出来ないからそっちにお願いするしかないわ」

 

《了解した。だが、少しだけ確認したい。そっちからは確認が出来ないのは間違い無いな?》

 

「そうよ。ここからはビーコン反応はほぼ確認出来ない。だから現地に行く必要性が高いの」

 

《念の為だが、周辺地域のデータは確認出来るか?》

 

「ええ」

 

 ソーマはサクヤとの通信の中で、何かを閃いたからなのか、思わず確認していた。

 これまでに得た情報を一つづつ整理していく。今回突発的に発生した内容と過去の履歴から何かを導きだそうとしたからなのか、サクヤのとの通信のはずが、やけに静かに感じられてた。

 

 

「これは一つの可能性である事を前提に考えてくれ。今はそれが正しいのかすら判断出来ん。それを常に意識してくれ」

 

 何かを思いついたからなのか、これまで沈黙続けたソーマの推測はこれまでに無いとせ思う物でもあった。

 しかし、現実はソーマの言葉に信憑性だけを積んでいく。最後の意見を言い終えてからは誰もが呆けているのかと思う程だった。

 

「ソーマ。それは可能なんですか?」

 

「だから言ってだろう。あくまでも可能性に過ぎないんだ」

 

 隣にいたアリサも疑問をソーマにぶつけていた。可能性は否定できないからなのか、言葉に力が籠っていない。

 今出来るのは一刻も早い現地への到着。だからなのか、細かい事を一旦無視するしか無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カノンさん!」

 

 エイジの声が怒声混じりなのか、何時もとは違った声が響いていた。

 これまで善戦していたものの、遂にカノンがヤクシャ・ラージャの攻撃に捕まっていた。

 ギリギリまで回避した為に致命傷にはまだ遠い。しかし今の一撃がこれまで何とか保つ事が出来た調和が崩れた様にも思えていた。

 銃砲を見に付けた腕だったからなのか、カノンは周囲の壁に激突し肺に入っていた空気が衝撃で全部抜けていく。強烈なダメージだったからなのかカノンはそのまま倒れる事しか出来なかった。

 

 一方のエイジもまた目の前に居るヤクシャ・ラージャの攻撃を開始しながら反撃を続けている。完全にカノンから意識が無くなったのは時間にして僅か数十秒の事だった。

 エイジの目に映るのは追撃とばかりにカノンに爪を振るおうとする一つの躯体だけ。既に動く事すら出来ないのか、カノンはその場から動く事は出来なかった。このまま見ているだけなのか、振り下ろそうと爪がカノンの胴体の部分へと一気に迫る。その瞬間、聞こえたのは何かが斬られた様な音だった。

 

 

「えっ…………」

 

 カノンは目の前で起こった現象に理解が追い付かないからなのか、声すらまともに出る事は無かった。

 目の前に迫ったはずの爪はカノンの手前とも言える距離で停止している。それは爪だけでは無かった。ヤクシャ・ラージャの肩口からはここにあるはずの無い鋸状の刃が背中から前に向かって袈裟懸け共取れる勢いで斬り裂かれたままだった。

 ここに援軍が来るのであればエイジが真っ先に気が付くはず。となれば、これが一体何なのか想像出来なかった。禍々しい刃はそのまま肩口から引き抜かれた事によって血が噴出している。

 ゆっくりと倒れた先に居たのは同じくヤクシャに似たアラガミ。ヤクシャ・ティーヴラが立っていた。

 

 

「カノンさん!直ぐに退避!」

 

「は、はい!」

 

 エイジの言葉に我に返ったからなのか、カノンは直ぐに隣にあったスヴェンガーリーを片手に一気に距離を取っていた。

 爪だった箇所に鋸状の刃を持つ神融種。既に臨戦態勢に入っているからなのか、アラガミは既に活性化を果たしていた。

 腕に取りついている銃砲からは炎が漏れていると錯覚するかの様に大気が揺らいでいる。この時点で漸くこのジャミングの発生源を唐突に理解していた。

 元々ここでの戦闘は初てではない。どれ程長時間戦っても暑さを感じる事は無かった。しかし、時間が迫るからなのか今回に限ってはやたらと暑さを感じていた。

 戦闘中の為に詳細を知る事は出来ない。だとすれば今回の一連のアラガミは全てこのヤクシャ・テイーヴラが直接の原因である可能性が高いままだった。

 仲間を殺されたからなのか、エイジと対峙したヤクシャ・ラージャは狙いを変更している。事実上の同種の戦いの隙を狙ってエイジはカノンの下へと移動していた。

 

 

「一体どうなってるんですか?」

 

「詳しい事は何も分からない。ただ、あのヤクシャ・ティーヴラからは禍々しさを感じるよ」

 

 まるでエイジに関心すら無いと言わんばかりに2体のヤクシャ・ラージャは現れたヤクシャ・ティーヴラへと肉迫していた。

 同種のアラガミが対峙する光景は一見すれば多く感じるが、実際いはそんなケースはレアだった。

 既に斬捨てた1体は霧散したからなのか、地面にその躯体を沈めていく。残しった2体との戦闘を眺めながらもゆっくりと自分達の優位な場所へと移動を開始していた。

 

 

 



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第61話 灼熱からの脱出

 既に移動を開始してからそれなりに時間が経過したからなのか、、リンドウとシエルは徐々にエイジ達の居る場所へと接近しつつあった。

 元々シエルの血の力『直覚』は時間と共に親和性が発揮されたのか、ジャミングの影響を緩和しはじめている。オラクル細胞の活性化が影響しているのか、距離が縮まると同時に徐々にどんな現状なのかをおぼろげながらに理解していた。

 

 

「リンドウさん。エイジさん達を確認しました」

 

「そうか。で、どの辺りに居るんだ?」

 

「作戦領域のほぼ端の部分です。ですが……」

 

 直覚がもたらした情報の内容は極めて拙い状態である事を示していた。

 事実上の乱戦なのか、エイジとカノンの周辺には中型種の反応が幾つか浮かんでいる。そんな中で一つだけ曖昧な表示となっている物があった。

 これまでの経験からこれが何なのかは大よそ予測出来る。しかし、確実にと言われると返答出来ない事実だだけが残されていた。

 

 

「…とにかく、俺達は急ぐしか出来ん。エイジなら問題無いが、カノンは厳しい」

 

「そうですね。今出来る事だけをやりましょう」

 

 目的地が分かっているからなのか、更に速度を上げて疾走している。このままなら目的地までは然程時間がかからない。その感情だけが胸中を占めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如として現れたヤクシャ・ティーヴラは自分達の同胞とも取れる存在を無視するかの様に鋸状の刃で斬り裂くと同時に捕喰していた。既に本能による欲求が勝っているからなのか、エイジ達の事は眼中に無いとばかりに捕喰を続けている。

 クチャクチャと聞こえる音と同時に周辺の温度が一段と高くなったのか、呼吸する際に入る空気は肺を焼く様な感じになりつつあった。

 ただでさえ『煉獄の地下鉄』と呼ばれるこの場所は、マグマ溜まりがある為に気温は普段から高い。それに輪をかける暑さは汗までも直ぐに蒸発する勢いがあった。

 既に二人の来ている服も熱によって繊維が脆くなっている。元々服に防御力を求めて居ない為に、気になる程では無いが、それでもこの暑さは異常としか言えなかった。

 

 

「恐らくは変異種です。因みにカノンさんは変異種の討伐経験は有りますか?」

 

「へ、変異種はありません」

 

「これまでの行動とは一線を引いた動きをするケースが多いですから油断はしないで下さい。それと今の内にこれを」

 

 エイジがカノンに差し出したのは自分の分のOアンプル剤。既に自身のオラクルの度合いも厳しかったカノンにとっては有難い品ではあるが、そうなると今度はエイジの手持ちが無い事になる。それを察知したからなのか、カノンは遠慮なく受け取る事が出来なかった。

 

 

「ですが……」

 

「僕ならこれが有ります。ですが、カノンさんは何も無い訳ですから」

 

 存在感を示すかの様に『黒揚羽』の刃は怪しく光っていた。

 これまでに幾度となく戦って来た相棒は、まだ足りないと言わんばかりにアラガミを求めている様にも見える。

 無機質なそれに意志が宿っている様な錯覚を覚えたからなのか、カノンは改めてエイジからOアンプルを受け取ると素早く口に含んでいた。

 枯渇したかの様な感覚がゆっくりと癒されるかの様に自身の体内にオラクルが駆け巡る。完全に補う事が出来たからなのか、ここから先の展開をどうするのか、改めて考えていた。

 

 

「一つ確認したいんですが、カノンさんはオラクルリザーブって使えますか?」

 

「その件でしたら……」

 

 エイジの言葉にカノンとしても期待に応えたい気持ちは十分にあった。

 ブラストを使用している人間であればオラクルリザーブの効果がどれ程の物なのかをよく理解している。これまでの様に神機の機構だけに頼った物ではなく、余剰な物を蓄える事によってこれまでに無いバレットを作る事が可能な技術。オラクルリザーブがどれ程効果的なのかはエイジ以上にカノンが一番理解していた。

 

 しかし、自分の神機にはオラクルリザーブの相性はかなり悪い。最悪は暴発する可能性があると以前にハルオミから聞かされていた。破壊力を落としたブラストは余程バレットを調整しない限り、十全の力を発揮できない。それを理解しているからこそ、返事の言葉は歯切れが悪かった。

 

 

「……詳しい事は分かりませんが、無いと判断して良いですね」

 

「……はい。すみません」

 

 エイジの言葉にガックリとカノンは肩を落とす。そんな言動を見たからなのか、エイジは僅かな疑念と共に、改めて気持ちを切り替えていた。

 変異種であろうが、1体のアラガミでしかない。幸いな事にヤクシャ・ティーヴラが他のアラガミを全て捕喰したからなのか、改めて湧き出る様な気配は感じられなかった。

 

 

「カノンさん。ハンニバルと初めて戦った時の事覚えてますか?」

 

「ハンニバルですか?」

 

「はい」

 

 エイジの言葉に当時の事を思い出したのかカノンは当時の状況を思い出していた。

 あの時の動きは今も脳裏に鮮明に浮かんでいる。あの動きがあったからこそ今もあの時の行動をバネにやっている様な物だった。

 理想の自分を思い出す。それが表情に出たからなのか、カノンは少しだけ明るさを取り戻していた。

 

 

「当時と状況は違いますが、僕が射線と発射のタイミングを指示します。カノンさんはその状況を見て引鉄を引いて下さい」

 

「でも……」

 

「カノンさんだけじゃないです。僕もあの時とは違いますから」

 

 エイジの言葉にカノンは改めて気を引き締めていた。射線とタイミングをコントロールすると言う事は、即ちアガラミの動きもコントロールする事になる。

 只でさえ極限とも取れる動きの中でそれが出来たのは無明の力量があっての話。

 ましてやここまで厳しい戦いになれば些細なミスすら許されない。自分の行動に命を預けろ。カノンはそう言われた様に感じていた。

 一報のエイジもまた同じ事を考えていた。当時と今と比べる事は出来ないが、一度口にした以上、やるしかなかった。

 

 

「分かりました。ではやりましょう」

 

 カノンの言葉が全てだったのか、改めて視線をヤクシャ・ティーヴラへと向ける。

 全てを捕喰したからなのか、全身に膨大な熱量を帯びていた。周囲の温度は不明だが、周囲の空気が揺らいでいる。

 高温下での戦いはエイジだけでなく、カノンも未体験。だからと言ってこのままリンドウ達を持っている程の余裕は無いと感じたからなのか、既に気持ちは互いに一つとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 灼熱を思わる大気はエイジとカノンの予想を大きく裏切っていた。

 距離を詰める事に肺に流れる大気は高熱を帯びているからなのか、新鮮な空気を入れようとする意志を拒むかの様に薄い物となっていた。

 呼吸が出来なければパフォーマンスの低下は避けられない。幾ら対策を取ろうとしても、灼熱の空気をどうにかする事は不可能だった。

 

 姿さえも揺るがす程の大気の熱がこれ程なのは想定外だった。既に捕捉したヤクシャ・ティーヴラは間合を詰められるのを嫌ったからなのか、幾重にも出されたオラクルの銃砲は全てエイジへと向けられていた。

 ヤクシャととは違い、発射までのタイムラグは極めて小さい。逃げ場さえも塞ぐ様に出されたそれはエイジの行動を大きく変更させるだけの数が揃っていた。

 一斉射撃であれば大きく躱す事が出来るが、それを予測したのか、態と時間差で発射していた。

 ギリギリで躱せば次弾が被弾する。盾を展開すれば今度はその場に縫い留められる。

 今出来る事は回避行動の一択だった。

 向けられた砲弾を回避すべく、エイジは壁に向かって一気に方向転換を図る。壁の突起を活かすと同時に、エイジは僅かに壁の側面を走っていた。

 先程まで居た場所に時間差で3発の銃弾が過ぎ去っていく。エイジの予想した通り、時間差によって回避行動を制限したに過ぎなかった。

 

 如何にエイジと言えど無限に壁面を走る事は出来ない。距離にして僅か2メートル。僅かとはこの接近戦での2メートルは大きな意味を持っていた。

 短いながらも距離を詰める事に成功していた。鋸状の刃に至ってはどうとでも出来る。そんな思いがあったからなのか、エイジは一気に懐へと飛び込んでいた。

 

 

「まずはここから!」

 

 小さく跳躍した事で、エイジはその場に留まるのではなく、一気に離脱する方針を固めていた。

 黒揚羽の威力を存分に振るうべく逆袈裟で斬りつける。本来であれば一気に仕留めたいが、相手は変異種。ヒット&アウェイの如く斬りつけた手応えを感じた瞬間、反対方向へと跳躍していた。

 威力を押さえ手数で決める。これがカノンに提示した作戦だった。斬られた事によってヤクシャティーヴラはエイジを逃がすつもりは無いからなのか、反対方向へと跳躍する姿を捕捉し、鋸の刃を振りかざす。

 本来であれば先程の行動は悪手でしかない。しかし、エイジに焦りの表情が生まれる事は無かった。

 

 

「今です!」

 

 エイジの合図と共にカノンのスヴェンガーリーの銃弾はそのまま鋸の刃を直撃していた。

 通常であれば出した刃を引っ込めれば良いだけの行動。しかし、追い打ちを狙ったからなのか、鋸の刃が引っ込む事はなかった。

 完全に伸びきった刃はいつの間にか移動していたカノンの目の前。至近距離からの銃撃に誤射の要素はどこにも無かった。

 激しい砲撃音と共に来る衝撃はヤクシャ・ティーヴラの態勢を大きく崩す。カノンもまたその瞬間を狙って回避行動を開始していた。

 

 

「エイジさん!」

 

 カノンの言葉に再びエイジが接近していた。先程の銃撃によって今だ態勢が整わないのであれば、それは致命的な隙でしかない。

 エイジの持つ黒揚羽の漆黒の刃は先程直撃した鋸の刃に向けられていた。お互いが刃を交わせば体格差でエイジが飛ばされる。しかし、それを読み切っていたからなのか、エイジはお互いが正面からぶつかる選択肢を選んでいなかった。

 突進する様に見せかけながら不意に入ったフェイントで一気に横へと駆け抜ける。ギリギリまで引きつけてからの方向転換はエイジの残像だけを残し、鋸の刃はのまま空を切り地面を叩きつけていた。

 振り切った事によって腕が完全に伸びきっている。完全に真横へと変化したからなのか、漆黒の刃は鋸の刃の側面を斬り付けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこの角を曲がって50メートル程です!」

 

 シエルは自身の感覚を活かしながらリンドウをナビゲートしていた。幸か不幸か時折繋がるアナグラからの情報に交戦中のアラガミが強大である事を告げられていた。

 詳細は不明だが、距離が縮まるごとに、息苦しさが先行している。これまでに無い状況だからなのか、シエルも僅かに違和感を感じていた。

 

 

「おいおい……マジかよ」

 

「これ……は」

 

 二人が角を曲がって最初に見た光景は自分達が知っている地形では無かった。

 『煉獄の地下鉄』は確かにマグマが流れる高温地帯。しかし、今の光景はそんなこれまでの景色を一変させていた。所々に浮かぶ島の様な足場を頼りにエイジは交戦している。

 時折狭い場所を活かしたのか壁を駆けあがる事によって有効活用しながら対峙していた。

 攻撃をしながらゆっくりとヤクシャ・ティーヴラを誘導する。時折態と見せる隙が気になったが、その疑問は直ぐに解消していた。

 

 

「カノンさん!」

 

「はい!」

 

 渾身の一振りを誘導する事によって回避させる事を許さないからなのか、叩きつけた鋸の刃の目の前にカノンが銃口を向けている。

 冷却に特化したバレットは直ぐに凍結にまで追い込んでいた。急激な熱による膨張と収縮はアラガミであっても同じ事が起こるからなのか、それとも取り込んだ物が神機だからなのか、銃撃が着弾すると常に亀裂が広がっている。

 元々ヤクシャの上位種とは言え、目の前で戦うそれは明らかに変異種の特徴を持っていた。

 

 肩に隆起した瘤の様な物は盾の役割を果たしているからなのか、援護射撃するカノンの銃弾を完全に防いでいる。一方のエイジもまたカノンの隙をフォローするかの様に自分が攻撃をする際には確実に意識を向けていた。

 ツーマンセルの動きとしても見れば極上だったのか、時間にしてほんの数秒程度ではあったが、リンドウとシエルはその機動に見惚れていた。

 死角からの攻撃によって常にお互いの有利なポジションを確保する。危うい行動はそこにはなく、ただ機械的に行動している様にも見える程に同じパターンでの攻撃が決まっていた。

 

 

「シエル。ここから援護出来るか?」

 

「やってみます」

 

 シエルの能力を十分に理解しているからこそ、リンドウもまたシエルの狙撃の隙に距離を詰める準備をしていた。

 既に狙いを付けてるのか、シエルの銃口は微動だにしない。そんな状況をまるで見ていたかの様にエイジもまたそれを利用しようと考えていた。

 

 

 

 

 

「狙い撃つ」

 

 一言だけ呟いたシエルの言葉にヤクシャ・ティーヴラの頭部が弾けていた。

 想定外の銃撃によってこれまでエイジに向けられた視線が不意に緩む。その方向から疾駆するリンドウを見たからなのか、ヤクシャ・ティーヴラの意識が完全にエイジから途切れていた。

 

 

「俺達も混ぜてくれよ…な!」

 

 リンドウの持つ刃はヤクシャ・ティーヴラの振りかざす刃と完全に交差していた。これが戦闘の序盤であれば恐らくは力負けしたかもしれない。しかし、これまでに執拗な程に同じ個所を攻撃していたからなのか、強靭なはずの刃は激しい音を立て、完全に折れていた。

 想定外の行動にヤクシャ・ティーヴラはここに来て大きく怯む。致命的な隙を逃す様な人間はこの場には誰一人いなかった。

 砕かれた刃に動揺したのか思わず膝を付く。これまでに無い距離感は既にエイジだけでなくリンドウとカノンの的でもあった。

 一筋の流星を感じさせる程の剣閃は肩鎧の部分に斬り付けると同時にすぐさまインパルスエッジを敢行する。突然の衝撃はこれまでの攻撃とは質が異なるからなのか、限界が来たのかと思う程に破壊されていた。

 

 

「私も負けられません!」

 

 カノンもまたリンドウ動揺にスヴェンガーリーの銃口を頭部へと向けていた。

 幾らヤクシャの上位種とは言え、弱点や脆い部分が早々変わる訳では無い。極寒を思わせる蒼白の銃弾は疑う事無く頭部へと着弾していた。

 瞬間だけ氷付くも熱によって直ぐに溶解する。膨大な熱量は未だ活きているからなのか、これまでの様に致命的な攻撃には成らなかった。

 これまでの戦いの中でそれを学んだからなのか、追撃や深追いをするつもりはどこにも無い。一撃離脱を絵に描いた様な行動はこれまでのカノンとは一味も二味も違っていた。

 

 

「リンドウさん!一気に決めます!」

 

「任せた!」

 

 エイジの言葉にリンドウだけでなく、シエルもまた同じ様にエイジの行動を注視するだけに留めていた。

 倒れたヤクシャ・ティーヴラの肩口に大きな咢が喰らい付く。バーストモード特有の青白いはずのオーラはどこか色が違っていた。

 熱による色覚の変化なのか、それとも何か異変が起きたのか、そこからのエイジの行動は正に閃光と呼ぶ程だった。

 

 実体すらも残さないと言わんばかりに斬撃があらゆる角度からそれぞれの部位へと斬り付けられる。一振りのはずの斬撃の痕は少なくとも三度斬り付けた様に見えていた。

 これ程の状態をリンドウが見た記憶は一度も無い。黒揚羽の封印が解けた訳でも無い。そこにあるのは純粋な攻撃と移動速度だけだった。

 

 

「す、凄い・・・これ程とは……」

 

 異様な光景にシエルは思わず感嘆の言葉が漏れていた。ここまでの早さで攻撃するとなれば、ジュリウスのブラッドアーツでもある『神風の太刀』のそれに近い物があった。

 しかしあれはあくまでも血の力による発動だが、エイジが行っているのは純粋な体術と剣術の組み合わせ。

 バーストモードの恩恵を受けているとは言え、余りにも破格の攻撃だった。

 そんな状況を見ながらシエルは少しだけ現実に戻っていた。一体どれ程の修練を積み、どれ程の研鑽をすればこの高みに登れるのだろうか。

 自分達が使うブラッドアーツとは違うそれは、シエルの背筋に冷たい物が走る様でもあった。

 

 

「カノンさん!」

 

「はい!」

 

 エイジの言葉にカノンは目の前にあるヤクシャティーヴラの頭部に向けて改めて引鉄を引く。事実上の止めとなるからなのか、至近距離から放たれた銃弾はそのまま頭部を粉砕していた。

 頭部が破壊された事によって僅かに震えた瞬間、悲鳴を上げる事無くそのまま地面へと横たわっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ。やれやれだぜ。地上がこんなに涼しく感じるなんてな」

 

「ですね……でもまだ喉と肺が痛みます」

 

 灼熱地獄とも言える地下から地上に出た瞬間、4人は思わず深呼吸をしていた。

 正確な温度は不明だが、確実にあの周辺の気温は50度以上あるのは間違い無かった。

 凍結するはずのバレットでさえ瞬時に蒸発する以上、少なくともヤクシャティーヴラの体表温度は100度以上あったはず。地上も本来であればこの時期特有の暑さがあったが、地下からすればまさに涼しいとさえ思える程だった。

 

 

「取敢えず、戻ったら診察受けろよ」

 

「そうします。ですが、暫くの間はここに来たく無いですね」

 

「違いない」

 

 穏やかな笑みを浮かべながら漸く何時もの時間に戻りつつあった。

 既に帰投の連絡をした際に、こちらにソーマとアリサが向かっている事を聞いたからなのか、珍しく地面に腰を下ろしていた。

 

 

「そう言えば、カノンさんの神機の件なんですが、ハルオミさんが言ってたんですよね?」

 

「はい。そう聞きました」

 

 先程の攻撃を仕掛けた際に放った銃弾は少なくとも高負荷が掛かっているはず。元々オラクルリザーブの技術は蓄積しやすい様に高濃度に圧縮するシステムだとナオヤから聞いた記憶があった。

 もちろん、それが本当の原因なのかは分からない。しかし、今回の様な厳しいミッションになればなる程オラクルの総量は多いに越した事は無い。

 恐らくは例の事が大きく影響しているのは間違い無いが、だからと言って、それとこれを分けるのは愚の骨頂だと考えていた。

 

 

「あの……エイジさん。一つだけ教えて欲しいのですが」

 

「僕に分かる事なら」

 

 カノンの神機の事を考えながら不意に呼ばれたからなのか、エイジは何気なく答えていた。

 背後から声をかけたのはシエル。どこか何時もとは違った様な雰囲気にエイジもまた疑問に思いながらも、様子を伺っていた。

 

 

「実は最後の攻撃の事なんですが、どこまでやればあれ程の戦闘機動が可能になるのでしょうか?」

 

「どこまでって言われても……」

 

「勿体ぶるなよ。さっきの動きはまるで無明みたいだったからな。俺も少し驚いたぞ」

 

 リンドウの言葉にエイジは嬉しいと考えていた。元々リンドウはこれまでの中で一番無明とミッション出ている数が多く、またその機動を目の前で何度も見ている。そんな人間の言葉に嬉しくならない訳が無い。

 これまで高すぎた頂きが少しだけ見えた様にも思えていた。

 

 

「特に変わった事をしたつもりは無いですよ」

 

「ですが、最小限の動きで最大限の結果を出すのであれば、何らかの鍛錬が必須だと思いますが?」

 

 シエルの言葉にエイジも頬を掻きながら考えていた。自分では何一つ特殊な事をしているとは思っていない。これまでの鍛錬が積み重ねた結果でしかなかった。

 他人の目からどんな風に見えるのかは知らないが、自分でも分からないと言うのが正解だった。

 

 

「シエル。とりあえずは戻ってからにしようや。そろそろ迎えが来たみたいだからな」

 

リンドウの言葉に少しだけ先を見ると、こちらに向かっているのか、ジープの影が徐々に大きくなっていた。

 

 

 



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第62話 それぞれの考え

 今回のミッションの結末はヤクシャ・ティーヴラの変異種であると結論付けされていた。

 これまでに数度アラガミの変異種を確認してきたが、その原因についてはまだ何も分からないまま。仮にこれが当然の様に出てくるとなれば、今後の対応は厳しい物へと変わり出す。

 流石の榊も今回の件に関しては打つ手が何も無かった。

 

 

「でも、あの暑さはたまらんな」

 

「確かにそうですね。でも、あれはあの変異種の影響が一番だと思うんですけど」

 

 アナグラへ戻ってから最初に行ったのはエイジとカノンの治療だった。

 リンドウとシエルも同じ場所に居たものの、至近距離で戦った二人に比べればそれ程の内容ではなかった。実際には分からないが、確実に気温は高かったからなのか、神機もあと1時間もあの場に居れば、最悪は機能停止を起こす可能性があった。

 既に戦闘の傷は癒えたものの、肝心の神機は高熱にさらされた影響を考えて完全オーバーホールとなった為に、エイジとカノンは完全休養となっていた。

 

 

「詳しくは分からなかったんですけど、そんなに暑かったんですか?」

 

「あれは……暑いを通り越していたとしか言えん。出来る事なら暫くは勘弁願いたいな」

 

 アナグラに帰る頃には既に時間も完全に日が沈みかけていた。

 元々突発的な内容に近い為にエイジもラウンジでの仕事は入れてない。そんな事もあってか、リンドウだけでなく、エイジとアリサ。それ以外にはソーマや他のメンバーもまた屋敷を訪れていた。

 既に時間は食事の時間。用意された食事をしながら今回の顛末を改めて思い出していた。

 

 

「そう言えば、例のジャミングの件ですが何か分かったんですか?」

 

「いや。原因はさっぱり」

 

「ビーコン反応が怪しくなったって聞いた時は心臓が止まるかと思いましたよ」

 

「ゴメン。結果オーライなのは良かったんだけどね」

 

 既に身を清めたからなのか、誰もが浴衣を着て食事を開始している。ねぎらいを兼ねたからなのか、事前に用意された配給ビールはこれまでの物とは違い、新たに開発中の試作品。これまで以上のキレとコクが口にあったからなのか、リンドウは出されたビールを片手に少しだけ上機嫌だった。

 

 

「あの件だが、恐らくは高温によってセンサーの認識が出来なかった可能性が一番だな」

 

「それって?」

 

 エイジとアリサの会話に何かを思いついたのか、ソーマが今回の件で疑問にあったビーコン反応の見解を示していた。

 元々今回のミッションで事が大きくなった最大の理由でもあるそれは、事実上の生命線に近い物があった。当初は高温によって腕輪の地一部が機能不全を起こした可能性も見られていたが、確認した際にそれは確認できないまま。となれば何かしらの問題がある可能性も否定出来なかった。

 まだ調査の段階ではあるが、今回の様に異常な高温の中で活動した為であると結論付けしている部分も多分にあった。

 

 

「バイタル信号の大元は脈拍や体温による確認だ。誰もがそうだが、激しく動けばバイタルの状態は大きく変動する。だが、それが常時続く事は人間にとっては想定していない。高温が故にバイタルのセンサーが誤認したと今は考えている」

 

「でも、そうまで高くなる事なんて………ああ、そう言う事ですか」

 

 ソーマの言葉にアリサも何か理解したのか納得した表情を浮かべていた。今回のミッションは最初から事実上の乱戦に近かったが、そんな中でも変異種による高温となったエリアは更に気温が上昇していた。

 熱で焼かれた様になった気管支は既に治療によって回復しているが、当時の状態を考えると決して良いとは言い難い状況でしか無かった。

 

 

「実際には検証する必要があるのかもしれん。かと言って、もう一度同じ状況が揃う可能性は無い。今はこの程度の事しか言えんがな」

 

 自分の見解を言い終えたからなのか、ソーマも再び食事を始めている。何時ものメンバーによるお馴染みの光景ではあったが、そんな中で、エイジだけが少しだけ浮かない顔をしていた。

 

 

「エイジ。何かあったんですか?」

 

「そうだ。アリサ、一つ聞きたいんだけど。カノンさんの神機ってどうしてオラクルリザーブの追加装備がされてないの?」

 

 エイジの一言にリンドウ以外の全員の手が止まったと同時にエイジに視線が向いていた。内心はどう思っているのは分からないが、それが何を意味しているのかは理解出来る。

 だからなのか、二人の会話のやりとりを黙って見ている事しか出来なかった。

 

 

「えっと……」

 

「誤射の事は良いんだけど、それ以外で何か技術面で問題でもあったのかって」

 

「私も詳しい事は分からないんですが……」

 

「その件ならハルさんからの依頼だよ」

 

 言い淀むアリサのフォローとばかりにアナグラから戻ってきたナオヤが答えを示していた。

 元々カノンは第4部隊の処遇である為に、神機の扱いはこれまでと何も変わらなかった。

 これが防衛班であれば出先機関での整備が多いが、第4部隊はアナグラでやっている。だからなのか、ナオヤの言葉にエイジは更に疑問を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の件だけじゃないんだけど、あの威力で装備されていないって無理があるんじゃない?技術的にはどのブラストにも組み込めるんだから、普通は怪しむと思うけど」

 

「誰でも普通はそう思うよな。先に言っておくが、俺個人としてはカノンの神機に取りつける事に反対はしない。少なくとも俺だけじゃない。リッカも同意見だ」

 

 技術班的には問題は無いのであれば、尚の事意味が分からなくなっていた。食事の際にも言った様に、誤射があるだけでは到底意味が無く、仮にそう思うなら自分が回避すれば良いだけの話。

 特に今回の様に厳しいミッションではオラクルの枯渇がどんな結果をもたらすのかは言うまでもなかった。

 

 

「だったら、確りと説明すれば良いだけじゃないのか?」

 

「世の中そんな甘くは無いんだよ」

 

 改めてナオヤは今回の件に至るまでの事をエイジに伝えていた。

 元々エイジはクレイドルとしての任務がある為に、ここに滞在する事はそう多く無い。当然ながらその真実を何も知らなかった。

 

 

「だったら回避すれば良いだけの話だろ?」

 

「エイジ。誰もがお前みたいに回避出来る訳じゃないんだからな」

 

「それとこれは関係無いんじゃない?」

 

「大ありだ。お前だけだ。あんな事出来るのは」

 

 何気ないエイジの言葉にナオヤだけでなく、アリサやソーマ。リンドウでさえも呆れていた。

 元々カノンの誤射は今に始まった事では無い。今もなお誤射姫や固定砲台と影で言われるように射撃の腕は一向に向上する気配は無かった。

 事実、アナグラでの誤射の被弾率が0なのはエイジだけ。本人はかなり努力している様にも思えるが、結果がついてこないからなのか、その成果は目に見える事は無かった。

 

 

「でも、オラクルリザーブ付けた所で、結局はバレットの組み合わせが全てだと思うんだけどね」

 

「それを言われればそうなんだけど、やっぱり問題は……」

 

「周りのイメージって事だよね」

 

 エイジの純粋な意見は正論だった。オラクルリザーブそのものは神機に取っては何の問題も無かった。

 基本的には多大なオラクルの蓄積だけのシステムである以上、誤射をしようがしまいがバレットの構成が全てだった。もちろんナオヤだけでなくリッカや技術班の人間であれば誰もが知っている。

 多大なオラクルを必要とするバレットを開発した際に起こる可能性。自身に直接の影響はないが、やはり着弾した際に起こる爆風や衝撃までもが無くなる訳では無い。その結果、ギリギリの戦いを強いられている際に、行動が不能となる可能性を排除したいと考えた結果だった。

 仮に個人の意見だけであれば即却下となるが、これがそれなりの人数でハルオミの下に来た為に、なくなく今の状況に落ち着いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は随分とカノンさんの事に話題が集中してましたね」

 

「そんなつもりじゃなかったんだけどね」

 

 食事も終わったからなのか、エイジとアリサは自室へと移動いていた。

 元々厳しい戦いであっただけでなく、アリサもまたソーマ同様に緊急としてエイジ達の場所へと向かった結果、サテライトの建設地には戻る事は不可能となっていた。

 距離があるだけでなく、夜間の移動は色々な意味で危険を孕んでいた。

 夜間の見回りはアナグラやサテライトでも行っているが、基本的には光が届く範囲までが基本となっており、襲撃が無い限りはその規則は確実に護られていた。

 

 こちらから目視は出来なくても、アラガミには関係無い。一時期は遠距離にまで投光器を使用する案も出たものの、結果的にその光でアラガミが近寄る可能性が存在していた。

 その結果、余程の緊急事態が無い限り、夜間の移動は誰であろうと禁止されていた。

 そんな事があったからなのか、アリサとしても想定外の結果に内心は喜んで居た。最近はサテライトの建設の兼ね合いでお互いの顔を見る機会がかなり減っている。

 だからなのか、久しぶりの逢瀬にも拘わらず会話の内容がカノンの事ばかりとあって、内心は少しだけむくれていた。

 

 

「だって、今までそんな話は一度もありませんでしたよ」

 

「そう?今回の事があったからだと思うよ。普段は然程気にならなかったんだけど、あれがまた起きると正直厳しいかもね」

 

 灼熱地獄と言いたくなるほどのミッションはエイジにとっても初めての経験だった。

 焼ける空気が肺に入らず浅い呼吸のままに戦った代償は予想を超えて厳しい物だった。

 気管支が焼かれただけでなく、酸素が行き渡らないからなのか、討伐が終わった瞬間、エイジだけでなくカノンも同じく意識を手放していた。

 何も状況が分からなかったアリサが暴れる寸前の所で意識が回復した為に他のメンバーへの参事は免れたが、それでも手放しでほめられる結果では無かった。

 ギリギリの戦いで生き残れるのは単に運が良いだけでは話にならない。そんな僅かな可能性も考えた末の話でしかなかった。

 

 

「私が隣に居るのに、ずっと他の女性の話題なんて……面白くないじゃないですか……」

 

 自分で何を言ってるのかを理解しているからなのか、アリサは顔を赤くしながら横に背けていた。

 元々エイジがナオヤと会話していたのは純粋なゴッドイーターと整備班の話。しかも内容が神機に纏わる話である以上、そこから色付いた話に発展する可能性は皆無だった。

 

 

「そんなつもりは無かったんだけど」

 

「分かってます。これは私の我儘みたいなものですから」

 

 そんなアリサを他所に、エイジは少しだけ方針を変更していた。

 元々今回の件に関してはカノン云々ではなく純粋な戦力としてのミーティングに近い物だった。

 それを知っているからなのか、リンドウも口を挟む事無く聞いている。アリサとて理解はしているが、やはりそれとこれは違っていた。

 ここ最近の忙しさはアリサだけでは無い。エイジ自身も多忙な日々を過ごしていた。

 時折時間の都合でラウンジで顔を合わせる事はあるが、まともに話をする程の時間の確保は出来なかった。

 本当の事を言えばアリサだけでなくエイジもまたアリサを渇望していた。厳しいミッションは肉体だけでなく精神をもゆっくりと蝕んでいく。幾らリフレッシュを図ろうが、心の奥底にある物を解消できなければ癒えるケースはそう多くなかった。

 それを理解しているからなのか、エイジはアリサの腰を手にこちらへと引き寄せる。突然の行為だったからなのか、アリサは驚いた様にこちらを向いていた。

 

 

「たまにはゆっくりしよう。アリサ、疲れてるでしょ」

 

「そうですね……」

 

 自分の方に意識が完全い向いていると判断したからなのか、アリサもまた少しだけ甘えようとエイジの肩に頭を乗せていた。

 一時期に比べれば少しだけ穏やかな時間を過ごすのは難しくなっている。

 特にアラガミ防壁が完成間近だからなのか、防衛する側も神経がピリピリしている中での休息はアリサにとっても穏やかになれる要因だった。

 

 何時もなら照明を付ける事が多かったが、今回は季節のイベントの準備に入っているのか部屋には薄明るい行燈だけの明かりが何時もとは違う雰囲気を出している。

 普段のアナグラの自室とは違い明るさは部屋の隅までは届かないが、お互いが近くに居ればその姿が見て取れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏の朝は早いからなのか、何時もよりも早い時間にメイジは目覚めていた。

 これがアナグラならラウンジの準備があるが、今は屋敷の為にそれをする事は無かった。隣に眠るアリサを起こさない様にゆっくりと動く。首筋に見える赤い花を確認しながらもエイジは精神を覚醒させていた。

 何時もとは違うが、まだ早い時間だからなのか、エイジは久しぶりに道場へと足を運んでいた。この時間ならナオヤが居るはず。規則正しい生活は今もなお変わる事はなかった。

 近づくにつれ呼吸音と同時に空気を斬り裂く音が聞こえてくる。ナオヤの方が早かったからなのか、エイジは着く頃には既に大量の汗をかいていた。

 

 

「珍しいな。どうした?」

 

「目が覚めたからね。久しぶりにやらないか?」

 

「ああ。俺は何時でも良いぜ」

 

「ちょっと着替えてくる」

 

「早くしろよ」

 

 ナオヤに促されるだけでなく、鍛練用の服に着替えながらエイジは少しづつ自身の感覚が入れ替わっていく事を確認していた。

 既に臨戦態勢に入っていたからなのか、ナオヤだけでなくエイジもまた先程までの起きた直後の様な雰囲気から、ミッションに入る直前の様に集中していた。

 何時もの教導とは違い、そこまで制限する必要が無い相手。お互いの視線は既に火花が散る様だった。

 

 

 

 

 

「まだここから回転が上がるのかよ!」

 

「昨日のミッションで何か掴んだ気がしてね!」

 

 お互いが既に力の差があるにも拘わらず、事実上の互角の戦いが道場内で繰り広げられていた。

 お互いは木刀と槍なだけに距離感がまるで違う。本来であればリーチに勝る槍の方が有利なはずが、素早い動きで行動する為に狙いは完全に絞り切れなかった。

 ナオヤの叫びと同時に三条の刺突が両肺めがけて突き出される。

 一方のエイジもまた木刀でそれを往なしていた。

 お互いの狙いは基本的に悟られる事は無い。これまでに幾度となく交戦した経験から互いにここを狙うであろう予測を立てた結果だった。

 

 神速とも取れる刺突は既に目標をギリギリで変化させるのか伸びきる直前に手首と肘を返して軌道を逸らす。生き物の様に曲がり来る刺突は完全にエイジの想定外だった。

 曲がったと錯覚さえすれば術中に嵌る。一方のエイジもまた僅かに力が入った手首の筋肉の動きを読んだのか、錯覚する事無く本来来るであろう軌道の穂先を完全に往なしていた。

 互いに一合二合と数える事すら忘れる程の攻撃の交差。既にお互いの目には相手だけしか映っていなかった。厳しい中で何かが分かり合えた気がする。お互いに決定打が入らないままに訓練は終了していた。

 

 

 

 

「また腕が上がったんだじゃないのか?」

 

「自分では分からないけど、昨日のミッションではリンドウさんが兄様みたいだって言ってたかな」

 

「成程な。何となくその意味が分からないでも無かったぞ」

 

 ナオヤも僅かながらにエイジの動きが無明と被った様にも思えていた。完全に動きは違うが、どこか気を色々な意味で緩める事が出来ない雰囲気とその行動原理はよく似ていた。

 これまでに何度も戦って来たからこそ分かる事実。また一歩近づいたんだとナオヤは感じていた。

 

 

「暫く見ないうちに随分と腕を上げた様だな」

 

 休憩の最中に聞こえた声に二人は思わず声の方向へと視線を動かしていた。

 視線の先に居たのは何かの用事があったからなのか、珍しく戦闘用の服装をした無明が立っていた。

 既に任務の終わりだからなのか、横に置かれたケースは何かしらのコアが入っている様にも見える。事実上の単独での任務をこなしているからなのか、いつもよりも雰囲気は異なっていた。

 

 

「先日のアラガミの討伐で何かを掴んだ様な気がしますので」

 

「そうか……だとうすれば一度は確かめる必要があるだろう」

 

 無明の言葉にエイジの気持ちは既に戦闘中の物へとかわりつつあった。

 これまでに自身が知る中で呼吸をする暇すら与えられず、刹那の時間さえも意識を他に動かせば自身の命すら危ぶまれる。そんな経験を嫌と言う程にしてきた。

 自身の目指す頂きの頂点。先日のミッションでどれ程の理解を深める事が出来たのかを判断にするにはお釣りがくる程の相手。まさかとは思いながらも準備するエイジには既に脳内であらゆるシミュレーションが行使されていた。

 

 

「準備は良いか?」

 

「はい。大丈夫です」

 

 お互いの距離は腕を伸ばせば確実に届く距離だった。以前の段階では手も足も出ないままに終わっている。前回のミッションでは何かを掴む事を理解したからなのか、どこかその雰囲気は違っていた。

 恐らくエイジは今の状況を理解し、更なる実力を身につけている可能性が高い。その事実を知るのは対峙した無明だけだった。

 

 

「予想したとは言え、だままだ先は長いな……」

 

 ナオヤが無意識に呟いた様に、既に教導の領域を遥かに超えた戦闘は命のやりとりそのものだった。

 至近距離で迫る刃は回避する事は事実上不可能。そんな至近距離で出来る事は来るであろう攻撃の起点を潰し、自身の持つ刃で往なすか受け流すしかない。

 

 時間にして僅かのやりとりの中に死を感じさせる攻撃が幾つも存在する。遠目で見ているナオヤでもすべての攻撃を確認する事は不可能だった。

 無明は攻撃の際に殺気を放つ様な事はしない。仮に出してもそれはあくまでも威嚇でしかなく、その結果、殺気を感じての防御は出来なかった。

 戦場で培った勘だけを頼りにエイジもまた迫りくる刃を流すしかなかった。

 

 

「……ここだ!」

 

 無明の体裁きが僅かに乱れたと思った瞬間、右手に持つ苦無は無明の喉笛に向かっていた。

 僅かに揺らいだ隙を狙うべく最短距離を一気に詰める。まさに乾坤一擲の攻撃。しかしそんな攻撃を知っていたかの様にエイジの持つ苦無はそのまま空を刺していた。

 

 

「まだ甘い」

 

 一言だけ告げられたまま先程とは真逆の状態。気が付けばエイジの喉元に無明の苦無が突きつけられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか……銃撃に関してはアドバイスらしい物は出来ないが、基本的には投擲と変わらないはずだ」

 

 厳しい戦いを終えたからなのか、エイジだけでなくツバキやアリサ。リンドウもサクヤとレンを連れて朝食となっていた。

 話題に出たのは先日のカノンの件。誤射が問題なのか、それとも同行したメンバーが問題なのか。どちらとも言い難い内容をエイジは思いきって無明へと質問していた。

 

 

「投擲はそれ程殺傷能力は無い変わりに正確性が必要になる。それを上手く生かせばどうだろうか?」

 

 無明の言葉にエイジもまた自分の経験した事を思い出していた。

 確かに正確に狙わない事には致命傷はおろか、殺傷する事も出来ない。

 そうなればこちらの存在だけが一方的に知られる事になる。そうならない為にも正確な狙いが要求されていた。

 

 

「お前、まだ教導をするのか?」

 

「そんなつもりは無いですが、流石にあんな状況になれば嫌でも意識しますよ」

 

 リンドウの言葉にエイジはそう答えるしかなかった。

 今の時点でカノンに対し教導の名目でやる必要性は何処にも無い。しかし、第1世代の遠距離型はオラクルが枯渇すればどうなるのかを考えれば、今回の件に関しては実に悩ましい結果となる。

 一定以上の結果が出れば恐らくは今後の事を考えても多少なりと改善されるであろうと予測して結果だった。

 

 

「そんな事じゃない。隣のアリサにそれを説明したのかって事だよ」

 

 リンドウの言葉にエイジは改めに隣を見ている。揶揄っている事は気が付いているが、無いかと話をしたからなのか、アリサは何時もと変わらないままだった。

 

 

「今回の件はエイジにも影響が出ますから。私としても気になる点はありませんよ」

 

 穏やかな笑みを浮かべながらアリサは食事をしている。揶揄ったはずが空振りに終わったからなのか、それ以上の事は何も起こる事は無かった。

 

 

「リンドウ。お前の方こそ何かした方が良いのではないのか?」

 

「まぁ、その辺りはおいおいと……」

 

 ツバキからの言葉に先程とは違いリンドウの表情は少しだけ困っていた。

 ここ最近は新人の実戦に同行する事が多く、またその内容は少々厳しい物になりつつあった。

 新人の技量に合わない任務にリンドウが常にフォローする。そんな事が続いているからなのか、少し疲労感が滲んでいた。

 

 

「無理にとは言わないが、少し気を付けるんだな」

 

「了解です姉上」

 

 姉の言葉に誰もが納得していた。ここに来たのは多少なりとも気分転換を図る為。そんな意図があったからなのか、少しだけ穏やか時間を過ごす事になっていた。

 

 

 



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第63話 夏の一時

 日差しは既に初夏から完全に夏へと変化していた。以前の様に突発的な暑さでは無く、ほぼ毎日が熱さと戦う事になっている。既にエアコンを利かせているアナグラでも夏のジリジリと来る暑さはロビーだけでなく、全館の温度を徐々に高く上げ始めていた。

 

 

「何だか、今日はもうダメ~。こんなに暑いとやってられないよ」

 

「確かに暑いです。これが噂の極東の夏でしょうか」

 

 ロビーにはこのままだと溶けるのではないかと思える程のナナは小さな机に上半身を乗せ項垂れていた。

 最初はヒンヤリしたテーブルもナナの体温で徐々に温くなっていく。先程までのミッションが終わったまでは良かったが、今後の予定に関しては未定のままだった。

 

 

「確かにそうだな。そうだ。暑いなら思い切って聖域での作業をしたらどうだろうか。このままここでこうしているよりは随分と建設的な案だと自分でも思うぞ」

 

「え~ジュリウスはそれでも良いかもしれないけど、やっぱり女子だから日焼けするのはちょっと……」

 

「だったら日焼け止めを塗るのはどうだ?」

 

 暑さも影響しているからなのか、最近の聖域での農作物の管理は随分と難しい物へと変わっていた。

 暑さによって土中の水分量が一気に減少すれば、作物が成長する際に必要となる水分が枯渇する。だからと言って太陽が燦々と出ている際に水を撒けば、今度はお湯へと変化する為に作物が枯れてしまう。事実トライ&エラーの繰り返しではあるが、やはり目の前で枯れた作物を見るのは精神的にも厳しい物があった。

 これまでの様に農業用の機械が導入されている訳では無い。かと言って、昔ながらの人海戦術に頼ろうとしないのは色々な意味で余計な混乱を招く元を防ぐ為だった。そんな事を理解しているからなのか、ナナの良い訳じみた言葉に誰も否定出来なかった。

 

 

「そんなんじゃ無いよ~あ~暑い~」

 

 ジュリウスの言葉を遮るかの様にナナは再びテーブルの上に突っ伏していた。ラウンジに居ても結果は同じ。かえって料理を作る熱が充満するにも思えていた。

 

 

 

 

 

「コウタ隊長。今日のミッションってこれで終わりですか?」

 

「ああ。今日は緊急のミッションは無さそうだし。最近は休みも少ないからこの後は事実上の非番だな」

 

「って事は、あそこに行っても良いですか?」

 

「別に俺に許可とならなくても……」

 

「じゃあ、マルグリットさん。一緒に行きましょう」

 

「私も?」

 

「勿論です!」

 

 第1部隊も同じく終わったからなのか、疲労感を滲ませながらロビーへと戻っていた。既に今日の予定が何も無いからなのか、エリナのテンションは高いままだった。

 この暑さに随分と元気なのはどんな意味を持っているのだろうか。下から聞こえたエリナの声に、ナナだけでなくシエルもまた関心を寄せていた。

 

 

「ちょっと……マルグリットはこの後俺と一緒に」

 

「コウタ隊長。ため込んだ書類の整理にマルグリットさんを使うのは如何な物ですかね」

 

「…まぁ、ほら、最近忙しかっただろ。それで結構溜まってるんだよ」

 

「でも、エイジさんはそんな事無いですよね。ラウンジにも普通に入ってますよ」

 

 まさかの言葉にコウタはそれ以上何も言えなくなっていた。確かに最近の多忙さはこれまで以上の様にも感じる。一般の隊員とは違い、隊長は何かと書類整理が多くなるからなのか、時間には常に追われていた。

 そんな中でもクライドルの扱う書類は部隊長よりもは遥かに多い。アラガミ討伐だけでなくサテライトの申請やその調整など、やるべき事は多岐に渡る。それすらも無視するかの様にカウンターの中に入るエイジはコウタから見ても異常としか良い様が無い程だった。

 

 

「コウタ隊長は少し見習った方が良いですよ。私、新しい水着新調したんです。一緒に行きましょうよ」

 

 グイグイ責めるエリナにマルグリットは苦笑いするしかなかった。コウタと一緒に居たい気持ちはあるが、かと言って部下の誘いを断るのも忍びない。事実エリナに関しては実力が伸びている事から、少しゆっくりと話をする機会が欲しいとさえ考えていた。

 そんな中での誘いは渡りに船。暑いのも影響しているからなのか、エリナの考えに徐々に傾きかけていた。

 

 

「コウタ……」

 

「ここは俺が一人でやるからエリナと行ってきなよ」

 

「ゴメン。行ってくるね」

 

 既にコウタに選択肢は残されていなかった。

 元々書類の提出期限は既に過ぎている。幾ら温厚なサクヤと言えど、このままの状態が続けばどうなるのかは考えるまでもない。そんなコウタを確認したからなのか、エリナはマルグリットの手を引っ張りエレベーターへと消えていた。

 

 

 

 

 

「あの、コウタさん。さっきエリナちゃんが言ってたのって何なんですか?」

 

「ナナか。ここ最近、一気に暑くなっただろ?だから川に泳ぎに行くんだよ」

 

「ここにそんな所があるんですか?」

 

「ああ。割と人気(ひとけ)も無いし、アラガミも出ないから案外とゆっくりと過ごせるんだよ。俺も書類さえ無ければな……」

 

 エリナにマルグリットを取られたからなのか、既にコウタの目に生気は失われていた。

 提出期限を守らなかった以上仕方ない話。誰も同情する事はなかった。既にエリナ達は姿を消している。そんなコウタとのやりとりにナナは少しだけシエルと相談していた。

 

 

「ねぇ、シエルちゃん。私達もそこに行かない?」

 

「ですが、私は何も持ってませんよ」

 

「その辺りは何とかするんだよ。はっ、リヴィちゃんにも声をかけないと……」

 

 ナナの勢いにシエルは弱々しく答える事しか出来なかった。しかし、ここで大きな問題があった。場所がどこなのかが分からない。既にコウタはラウンジへと移動した為にその確認が出来なかった。

 時間は刻一刻と無くなっていく。既に時間との戦いになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんな所にこんな場所があるなんてな」

 

「でも、こんなに綺麗な場所、あるのは知ってたけど、この光景は俺初めて見たかも」

 

 意外な事に場所を聞く事が出来たのはアリサが通りかかったからだった。

 元々以前に足を運んだ記憶があったからなのか、アリサの説明にシエルが場所の確認をする。元々は屋敷の近くである事から、その場所の正確な位置はロミオが知っていた。

 場所を特定してからの行動力はまさにアラガミと対峙しているのかと思う程だった。ナナだけでなくシエルやリヴィも水着など買った事すら無い。当初はどうした物かと考えていたが、幸か不幸か自分達の持っている素材を有効活用する事で準備が完了していた。

 

 

「あ!マルグリットちゃんだ!」

 

「あれ?ブラッドの皆さんもここですか?」

 

「うん。アリサさんに教えて貰ったんだ」

 

 ナナの声に気が付いたのか、マルグリットは驚きのあまり声にしていた。元々ここは穴場的な場所ではあるが、秘匿されている訳ではない。

 誰も来ない場所をエイジ達が偶然見つけたに過ぎなかった。うだる様な気温を忘れるかの様に静かな水辺の風景が一層この状況を引き立たせていた。

 マルグリットやエリナは知らないが、この光景は聖域に近い物があった。

 

 

 

 

 

「うわ、水冷た!」

 

 大きな音と共にロミオが真っ先に飛び込んでいた。ここは天然のプールの様な場所ではあるが、水はこの場に留まるでのはなくゆっくりと流れている。その影響もあってなのか、飛び込んだ水の温度は想像以上に冷たい物だった。

 勢い良く入ったからなのか、ロミオは思わず川から出る。それを見たエリナとマルグリットはクスクスと笑っていた。

 

 

「笑わなくてもいいじゃん!」

 

「だってロミオさんらしいですから」

 

 マルグリットの言葉にロミオは少しだけ顔が赤くなっていた。自分でも恥ずかしい自覚があったからなのか、色々と良い訳じみた言葉を出しながら語尾が徐々に弱くなる。

 そんな光景を見たからなのか、ギルや北斗だけでなくジュリウスもまた笑っていた。

 

 

「そう言えば良かったんですか?」

 

「輪番の件か?」

 

「はい。アナグラにブラッドの人間が常駐していないとなれば何かと問題があると思うのですが」

 

 水の冷たさに驚きながらも、時間と共に慣れだしたからなのか、ロミオは気が付けばエリナとマルグリット。リヴィと四人で泳いでいた。元々水の流れは早くない。ゆっくりと流れる水流を活かしながら身体をほぐすかの様に動いていた。そんな光景を見ていた北斗にシエルからの質問。振り向いた隣には白のビキニが北斗の目に飛び込んで来た。

 

 

「ここは屋敷からも近いのと、万が一の際には神機も持って来ているから行動は直ぐに起こせる様になっている。いざとなればこのまま動けば良いだけだ」

 

 北斗の言葉に驚きながらもシエルは少しだけ驚きながらも、思わず納得していた。

 元々この場所は聖域のエリアと距離はそう変わらない。ここに来る際に神機の所持が出ているからなのか、北斗の説明に納得していた。

 

 

「それで神機の所持が出てたんですね」

 

「元々ここはエイジさん達が見つけた場所らしいから。万が一の襲撃があってもこれだけのゴッドイーターが居れば対処できるだろうし、ミッションでも人数が居れば問題は無いんだろうな」

 

 そう言いながらも北斗はシエルの方へ視線を向けるのを躊躇っていた。

 普段はあまり見る服装では無いからなのか、距離が近い事に困惑していた。元々シエルのスタイルが良い事は知っているが、水着になるとそれが顕著だった。

 

 北斗自身ロミオの様な性格をしている訳では無い。だからなのか、今のシエルを見る事に戸惑いを隠せなかった。一方のシエルもまた何時もと同じ距離感だったからなのか、北斗の態度がおかしい事に気が付いていた。

 元々シエルにとって自分のスタイルを気にした事は一度も無い。精々が誰かに言われる際にそうなんだと思う程だった。気が付けば北斗の視線はこちらに向いていない。何時もと違う態度に、少しだけ疑問を持っていた。

 

 

「北斗。今日はどうしたんですか?何時もとは何か違う様にも思えますが」

 

「……そうか?何時もと同じだと思ったんだが」

 

 そう言いながらもやはり視線が自分に向く事は無い。何が原因なのかは分からないが、そんな北斗の様子にシエルは更に疑問を深めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ………」

 

 川遊びをしている一方でラウンジでは少しだけ重苦しい空気が漂っていた。何時もは賑やかはずの空気を重くしているのは第1部隊長でもあるコウタ。事の経緯を大よそながらに理解しているからなのか、カウンターの中に居るエイジは苦笑いするしかなかった。

 

 

「コウタ。それなら書類を終わらせてさっさと行ったら?」

 

「……出来る事なら既にしてるよ。でも、これ見ろよ。絶対に終わらないって事だけは間違いないぜ」

 

 コウタの隣にはこれでもかと思わせる程に資料が積まれていた。

 元々紙媒体を使う書類はこの極東支部の中でも重要な意味を持つ物が多かった。データの書類であれば重要度はそう高く無い。そんな程度の書類であれば感嘆に終わらせる事は出来るが、紙媒体の書類は内容が余りにも重要だからなのか、代筆すら許されない内容だった。

 その結果、書類の作成は一向に進まない。思い溜息を吐くコウタを見たからなのか、何時もは騒がしいラウンジも今日ばかりには空気が重くなっていた。

 

 

「まだ終わらないんですか?今までサボったツケが来てるだけじゃないですか?」

 

「そう言うなよアリサ。最近忙しかったから、ついそっちの方に意識が向いてたんだよ」

 

 アリサの言葉に半ば不貞腐れながらもエイジが出したアイスコーヒーを飲みながら視線は書類へと向いている。既に時間は皆が出かけてから1時間は経過しようとしているが、肝心の祖類は一向に減る気配は無かった。

 

 

「どうせマルグリットを当てにしてたんじゃないですか?」

 

「それは無いよ。今回の書類は部隊長だけの物だから、居ても何も出来ないからさ」

 

「へ~珍しいですね」

 

 コウタが取り組んでいたのは、新人の行動や今後の事に関する内容だった。

 教導を終えたばかりの新人は、時折コウタ達第1部隊で大よそながらに適性を見る事が多かった。

 第2世代型神機はその使い勝手の良さが幸いに凡庸性がかなり高い。しかし、個人の神機の使用頻度によっては本当にそのやり方で良いのかを逐一確認する必要があった。

 近接を得意としても視野が狭く行動が遅ければ、その適性を疑う事になる。本来であればリンドウがやるべき仕事ではあったが、コウタの様に遠距離型の神機を使用する方が視野が広いからと、その内容の一部をに担っていた。

 新人の適性を確実に計らない事には命を失う可能性も格段に高くなる。それを理解しているからこそ、マルグリットではななくコウタに求められていた。

 

 

「それ、結構大変だよね。僕も苦労したから」

 

「だろ?アリサが思ってるのとは違うんだよ」

 

 溜息ばかりに吐いた所で何かが改善される訳では無い。先程のアイスコーヒーを口にしたからなのか、コウタの手は一気に動いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?どうかしたんですか?」

 

「ううん。何でも無いの」

 

 川ではこれまでの暑さが嘘だと言わんばかりにヒンヤリとした空気が相変わらず漂っていた。以前に着た際には楽しかったが、今日は何となく面白くない様にも思える。それがどんな意味を持っているのかは直ぐに理解していた。

 エリナだけでも楽しいが、やはりコウタが居る時とはかなり違う。何気ない光景を見ながらも、今のマルグリットはそんな事をぼんやりと考えていた。

 

 

「確かにコウタ隊長が居ないのは残念ですけど、書類を溜めてたのも事実ですし、仕方ないですよ」

 

「そう言えばそうなんだけど……ね」

 

 コウタが後回しにしていた書類が何なのかはマルグリットも知っていた。

 元々あの書類は誰がやっても時間がかかるだけでなく、事実上の人事考査を兼ねている。

 その為にどうしても隊長権限が無ければ情報の更新はおろか、閲覧すら出来ない物だった。

 その内容によって当事者の配属される隊が決定する。今コウタがやっているのはその中でも防衛関係ではなく、討伐部隊に関する内容だった。

 その中にはエリナやエミールも含まれている。幾らマルグリットと言えど手伝う事は最初から不可能な物だった。

 

 

「でも、何だかんだでコウタ隊長、ここに来ますよ」

 

「そうかな」

 

「だって、コウタ隊長ですし」

 

 エリナの言葉にマルグリットは苦笑するしかなかった。良くも悪くもコウタの事は信頼している。ここに来る前に言った言葉も恐らくは奮起してもらう為に言ったんだと理解していた。

 

 

「何だかんだでエリナも信頼してるのね」

 

「わ、私はそんなんじゃ……ちょっと泳いできます」

 

 照れくさいからなのか、エリナの足は川辺へと向いていた。これまでの第1部隊に比べれば確かに戦闘力の面では敵わない事は自分達が一番理解している。

 今の極東支部をとりまく環境からすれば、討伐班だからとか防衛班だから等の垣根はかなり低くなっていた。だからなのか、部隊内の人間関係はその分、これまでの既存の部隊とは明らかに違っている。今のコウタやマルグリットはそんな部分を誇らしく思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、ここって魚とかっていないのかな?」

 

「どうだろう?ここだけは他とは違うみたいだから、いないんじゃない?」

 

 海水ではなく真水だからなのか、一度潜ると水中は随分と透明度は高かった。

 旧時代の様に水源が汚染される事は多くない。ここの水源も実際には飲料が可能な数値を出していた。

 

 

「そっか~居たら見てみたかったんだけどな」

 

 ナナの疑問にロミオもまたこの周辺の地図を思い出していた。森や林の木々の隙間の様になっている為に、上流の水源に関しては何も知らなかった。

 屋敷の外苑を探索するのはそこに住んでいる住人だけ。だからなのか、ナナの質問に対しての明確な答えは持ち合わせていなかった。

 

 

「どこかにはいるんじゃないのか?」

 

「そっか…そうだよね。でも、ここって何だか聖域に似てるよね」

 

「まぁ……確かに言われればそうだな」

 

 周囲からは隔絶したかの様に、今のこの空間にはこの場に居る人間の声しか聞こえていなかった。静寂を感じるだけでなく、川の水も冷たいからなのか、そこか浮世離れした空間の様に見える。

 既に身体が少しだけ冷えたからなのか、ナナだけでなく、他のメンバーも一時的に川から上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、終わった……」

 

 ラウンジでは気合を入れたコウタがこれまでに無い勢いで書類と格闘を続けていた。

 苦手な分野ではあるが、冷静に考えれば何時もやっている事と大差は無い。だからなのか、一度スイッチが入ってからのコウタの動きは目覚ましい物があった。

 多少は怪しい部分はあるが、それに関しても最悪は口頭で修正が利く程度。そんなコウタの様子を見ていたからなのか、エイジはラウンジの作業と並行しながらとある物を作っていた。

 気が付けばそこそこ大きいバスケットには色々と作っていた料理を入れていく。時間的にはまだ食事をするには早すぎる時間帯。それを見越したからなのか、軽食を色々と詰めていた。

 

 

「まだ時間もあるだろうから、今から行けば間に合うよ。それとこれ、持って行って。恐らくは何も用意して無いだろうから」

 

「サンキュ。何だか悪いな」

 

「良いって。気にしなくても良いよ」

 

 水の中で泳ぐ行為は、本人の気が付かない部分で深い疲労を残している。そうなれば必然的に栄養の補給は必須だった。

 元々エイジが用意したのはそれを見越した結果。少しだけ手間をかけたそれはコウタも理解したのか、用意されたそれを遠慮なく受け取っていた。

 今ならまだ時間的にも間に合うはず。そんなコウタの思いを代弁するかの様にその足取りは軽い物だった。

 

 

「エイジは少し甘いですよ」

 

「そんな事無いよ。誰だって思う事は一緒だよ」

 

 コウタとのやり取りの見ていたからなのか、アリサもまたそんな言葉を口にしていた。

 元々エイジの担当で無ければアリサだって行きたいのは当然だった。誰でもこの暑さから逃れたいのは同じ事。しかし、各々の役割があるのであればそれを自分の都合だけで放棄する訳にはいかなかった。

 

 

「何だかんだで忙しかったのは事実なんだし、それに実際には弥生さんかサクヤさんに頼めば済む話だよ。それを一気にクリアしたんだから、そこは素直に称賛してもいいんじゃないかな」

 

「それは……そうですけど」

 

「今日の埋め合わせは必ずするから」

 

「約束ですよ?」

 

「ああ」

 

 コウタの姿は既に無くなっているが、この二人には全く関係なかった。先程までの重苦しい空気は既に霧散している。何時もの空気がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だかお腹空きませんか?」

 

「確かに。今日は結構泳いでるしね」

 

 一息入れる頃、ここで落ち着いたからなのか、その拍子に空腹感がエリナとマルグリットを襲っていた。まさかこうまで泳ぐとは思っていなかったからなのか、何も用意する事なく来ている。ここには周りに何も無い。だからなのか、今後の予定を考えていたその時だった。

 

 

「これ持って来たぞ」

 

「え、もう終わったの?」

 

「ああ。何とか終わらせた」

 

 先程までの表情とは打って変わってマルグリットは笑みが浮かんでいた。コウタの手にあるのは大きめのバスケット。それが何なのかは考えるまでも無かった。

 

 

「エイジが皆にって。ロミオ達も食べるだろ」

 

「良いんですか?」

 

「その為に持って来たんだし、皆で食べようぜ」

 

 コウタが持ってきたバスケットの中身はサンドウイッチやスコーンと言った物だった。それとは別に用意されたポットには水出しのコーヒーと紅茶が入っている。それを見たからなのか、先程までの喧噪が一転し、穏やかな物へと変化していた。

 

 

 

 

                                                    



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第64話 サプライズの為に

 何時もであれば時間に余裕があれば常に聖域に足を運ぶはずのジュリウスは珍しくラウンジで一人一冊の本を眺めていた。

 表題はカバーが掛けられているからなのか、内容に関しては推測すら出来ない。しかし、その本の厚みが物語っているのか、本の中でもどうやら小難しい書籍の類ではなかった。

 

 

「ジュリス。ここに居るなんて珍しいけど、何かあったのか?」

 

「北斗か。実は先だっての川での状況から、少し思う所があってな」

 

 珍しい人物が居たものだと北斗は何気にジュリウスに声をかけていた。特に意味は無い。

 何となくだが、ここ最近の農業よりの考えにブラッド全体が巻き込まれている様に感じたからなのか、偶にはと言った程度に話しかけただけだった。

 

 

「で、その思う所とは?」

 

 カウンターではなく窓際の席だったからなのか、北斗は自分が頼んだ飲み物のグラスを片手に隣に座っていた。終末捕喰が終わってから、ブラッドとしてのミッションで動く事はあったが、聖域の農業以外でこうやってジュリウスと話した記憶は殆ど無かった。

 農業に至っては自身の贖罪の意味が強いからなのか、一人でも作業を黙々とこなす事が多く、特に仲間外れにした記憶は無かったが、やはり何かにつけてジュリウスの姿を碌に見た記憶は無かった。

 そんな事を思い出したからなのか、北斗としてもジュリウスとこうやって話すのは随分と久しぶりの出来事だった。

 

 

「この前の件で感じた事なんだが、ブラッドも何かしら団結を図る為に何かした方が良いかと思ってな。だが、生憎と何をどうすれば良いのかが俺には思いつかない。それで参考になればと思って本を読んではいたんだが……」

 

 そんなジュリウスの言葉に北斗は先程までジュリウスの言葉が読んでいいたと思われる本に少しだけ視線を動かしていた。

 元々何か目的があって読んでいるからなのか、本は文字よりも明らかに写真の方が多い。何時もと違った光景に北斗もまたどう返事をすれば良いのかを迷っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね、だから朝からあんな調子だったのか」

 

「確かにブラッドも家族同然だから、そんなに気にする必要は無いんだけど……な。でもこいつら何とかならないのかよ!」

 

 北斗は既に数える事すら嫌になる程にひたすら宙を浮くザイゴートの群れとも言える数をひたすら叩き落とさんと攻撃を繰り返していた。

 元々ブラッドが出るまでも無いはずのミッション。これまでにもまだフライアに所属している際には何度も対峙した事があったが、極東に来てからは事実上の初めてに近い物だった。

 

 小型種である為に、他の地域との比較は中々出来ないが、それでもこうまで数が多いのは誤算だった。今は北斗とロミオがこのミッションをこなしているが、倒す度に次から次へと湧き出るかの様に出没していた。

 通常であれば然程問題点は無いのかもしれないが、時折放つ毒ガスはこれまでに感じた事が無い程に極悪だった。

 通常の毒ガスであれば気にする事は殆どない。極限まで鍛え上げられたゴッドイーターの身体能力は直ぐに解毒を開始する。その結果、完全に毒が全身に回る頃には解毒が完了している事が多かった。しかし、今回のミッションで宙に浮かぶザイゴートはこれまでの物とは一線を引く程だった。

 一番の特徴は毒ガスの規模が大きく、完全に解毒するまでにはかなりの時間を要する点だった。元々ここの特有の種なのか、異常な耐性を持ちながら猛毒は吐き出すそれはブラッドと言えど油断できない物だった。

 事実、北斗もアサルトの連射能力とバレットエディットによって火力の底上げをしているが、完全に打ち切る程に銃弾を浴びせない事には地に伏す事すらない。かと言って、幾ら跳躍した所で足場が無い為に与える斬撃の威力は微々たる物だった。

 

 

「ちょっと予想以上に……くそっ!」

 

 北斗だけでなくロミオもまた苦戦していた。北斗の様にロング型の神機の取り回しで何とか均衡を保つ事が可能だが、バスター型のロミオは更に厳しい戦いを余儀なくされていた。

 空中に居る間はまともな攻撃を許す事が無ければ、今度は地に伏した物を狙おうとすれば援護するかの様に体当たりで迫ってくる。

 自身の装備しているブラストでもあるキチェルカが放つ弾丸は一撃でザイゴートを叩き落とすも、追撃の前に他の個体がロミオを襲う。その結果、ヴェリアミーチを振り回した方が早いと結論付けられていた。

 攻撃力の高さは随一ではあるが、その代わりに致命的とも言える程に隙が大きい。こうまで乱戦になればその隙は一歩間違えれば致命傷すら受ける程の物。

 本来であればフォローを入れる事を前提として4人での戦闘だが、実際には他の2人は違う場所で違うアラガミと対峙していた。

 

 

 

 

「ナナ。9時の方向から攻撃が来るぞ!」

 

「了解!」

 

 リヴィの指示にナナは瞬時にマンチムームーを展開していた。展開した瞬間、激しく続く連続の衝撃がナナの手から全身へと伝わってくる。

 今回対峙しているアラガミは以前に螺旋の樹で何度か見かけたシルキーだった。動きそのものは緩慢で有る為に、回避や防御そのものは問題無い。

 しかし、その攻撃方法は厄介な物だった。

 時折時間差で来る攻撃は完全に防御の意識が無くなってから来るからなのか、攻撃よりも回避に苦戦していた。

 従来の様に直接的な攻撃ではなく間接的な攻撃はこちらのリズムを大きく狂わす。これまでに4体のシルキーが現れたものの、何とか半分の2体までは討伐が完了していた。

 

 

「何だかお化けみたいだから嫌なんだよね」

 

「だからと言って合流する訳に行かないぞ。あっちはあっちでザイゴートの群れが出てるらしいからな」

 

「え~それも何だかな~」

 

 これまでの様に数体の大型種や中型種との討伐は何度もあったが、こうまで小型種のオンパレードは早々目にする事は無かった。僅かな時間も気を抜く事は出来ず、その結果、予想外からの攻撃は自分達の体力を確実に奪ってくる。

 既にどれ程の時間が経過したのかすら分からない程に手間取っていた。

 

 

「このっ!」

 

 半ばやけくそ気味にナナはアンベルドキティへと変形させた瞬間、一気に引鉄を引いていた。

 元々ショットガンは微細な狙いを付けて撃つ様な性質ではなく、寧ろ接近戦に於いて至近距離で放つ事を前提としている。

 もちろん、直接の攻撃の方が手間を考えれば早い事に変わりない。しかし、今回はそのショットガンの特性を十分に活かすべく一つの攻撃方法として選んでいた。

 元々実体が薄いのか、それとも単に直接攻撃を当てる事が困難だと判断した結果なのか、広範囲に渡る攻撃は予想以上の戦果を挙げていた。

 のらりくらりとこれまで攻撃を回避したが、炸裂した銃弾が広範囲に飛び散った事によって完全に回避は困難な状況へと陥っていた。その結果、全ての銃弾がシルキーの体躯に直撃する。

 これまでに無い程のダメージはそのままシルキーの生命反応を停止していた。

 

 

「やったぁ!これなら何とかなるかも!」

 

「ナナ。はしゃぐのはまだ早い。残りがまだある」

 

「そうだね。油断は禁物」

 

 リヴィの言葉にナナは改めて気を引き締めていた。これまでに無い戦果はナナの意識を変えていく。

 まだブラッドに入りたての頃はこうまで銃形態を使おうとは思わなかった。しかし、これまでの培ってきた経験がナナのポジショニングを洗練させていく。

 気が付けば半ば無意識の内に隙を見つけ、その懐に入る移動方法を構築していた。その結果、コラップサーよりもアンベルドキティの方が効率的だと判断していた。

 

 

「ナナ!少し下がれ」

 

 リヴィの叫び声を聞いた瞬間、ナナはその場から大きく離脱する。

 本来であれば致命的な隙である為に反撃される可能性が高い。しかしその反撃は決してナナに届く事はなかった。大きく後ろへと跳躍した瞬間、その影から湾曲した刃が水平に飛び込んでくる。

 リヴィの咬刃展開したサーゲライトの刃はシルキーの胴体部分を一気に引き裂いていた。

 元々実体が無いに等しいからなのか、どこか恨めしい様な叫びと共に上下に分断される。既に事切れたからなのか、漸くここで戦闘が終了を迎えていた。

 

 

「こんなに一気に現れると流石に疲れちゃうよね」

 

 コアの剥離を終えたからなのか、ここで漸く一息入れる事にしていた。まだ向こうのチームは戦闘状態。耳朶に飛び込む情報がそれを物語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何でこんなに大量発生したんだろうね」

 

「理由は不明だな。だが結果的には討伐出来たんだ。細かい事は榊博士に任せればいいんじゃないのか?」

 

 戦闘中の熱を取り払うかの様にヘリに乗り込んだ瞬間、用意された水を煽る様に飲んでいた。

 ここ最近は暑い日が続くからなのか、帰投の際には水分補給する事を義務付けられている。

 幾ら頑丈に身体が出来ているとは言え、帰投の最中に万が一があると問題が発生する。だからなのか、到着までに自身の体調を整えるのはある意味では必須条件と言えていた。

 渇ききった身体に少しづつ冷えた水が染み渡る。少しだけ落ち着いたからなのか、出動する前に少しだけ話をしたジュリウスの事を北斗は思い出していた。

 

 

「そう言えば、ジュリウスの様子が少し変だったが、何か知らないか?」

 

 突然の北斗の質問に誰もが意味を理解出来なかったからなのか、キョトンとした表情を浮かべるしかなかった。

 今のブラッドが持つジュリウスのイメージは明らかに農作業に従事し、土と共に生活をしていると言っても過言では無かった。

 事実最初の(うね)を作った際にもほぼ一人の状態で作り上げている。

 それだけではない。愛おしいと思える程の愛情を作物に注ぐその姿は色々な意味で問題を提起していた。発育に関するレポートや試行錯誤する肥料など、言い出せばキリが無い。

 そんなジュリウスが徐にそんな話をしだしたからなのか、誰もその状況を思い描く者は居なかった。

 

 

「特に悩んでる様にも見えなかったと思うけど……」

 

「確かに。ロミオ先輩じゃないけどジュリウスが奇行に走るのは想像出来ない……かな」

 

「俺がいつ奇行に走ったって言うんだよ!」

 

「そんな事よりも、具体的にはどんな行動だったんだ?」

 

「俺の事は無視か!」

 

 騒ぐロミオとナナを他所にリヴィは北斗に当時の状況を確認すべく疑問を投げかけていた。

 奇行は無いにせよ、ジュリウスは意外と変な方向に考えをもたらす事が多く、その結果がどうなったのかを誰もが知っている。

 結果論ではあるものの、やはりこのまま放置すべき疑問では無い事は誰の目にも明らかだった。

 

 

 

 

「………でも、それってそんなに思いつめる様な事なのかな?」

 

「そう言われればそうだけど……」

 

 北斗が直前に見た光景をそのまま伝えたまでは良かったが、返って来た回答は予想通りの結果だった。

 元々川で泳いだのは暑さから来る結果であって、特に部隊の親睦を絡めてのイベントではない。確かにコウタが最後に持ってきたあれは嬉しかったが、それが何を意味するのかは予想すら出来なかった。

 

 

「まてよ……そうだ。多分バスケットだ。ほら、ジュリウスって最初の頃よく言ってたじゃん」

 

「ああ!確かに。でもそれって今さらじゃないの?」

 

 何か答えを導きだしたまでは良かったが、リヴィは何を言っているのかを理解出来ない。二人の会話で何かが思い出されたからなのか、北斗もまたその事を思い出していた。

 

 

「で、私は未だに理解出来ない。良ければ教えてくれないか?」

 

「ああ。実はさ…………」

 

 ヘリの内部はけたたましい音を響かせているからなのか、誰もが中心に集まる様に会話を続ける。特段誰も聞いていないはず。

 にも拘わらず、四人の表情はどこか活き活きとしている様にも見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはりこの時期は水と温度の管理はシビアになるな」

 

「夏だしな。仕方ないだろ」

 

 この時期に関してはある意味ではどうにも出来ない事の方が随分と多かった。最大の原因は日替わりで変化する気温条件。旧時代に比べれば幾分かはマシになってきたとはいえ、それでもこの時期特有の暑さは作物にとってもシビアになりつつあった。

 予想気温が分かる訳でも無ければ明日の気温がどうなのかすら分からない。

 時折降り注ぐ雨も一定量では無い為に、常に神経を擦り減らす事が多くなっていた。

 時間的にはまだ昼には早すぎるものの、太陽の光は大地を暑くするかの様に照っている。この場にはジュリウスとギル以外に他のメンバーの姿は見えなかった。

 

 

「そう言えば、ミッションはもう終わったのか?」

 

「詳しい事は分からん。だが、帰投の連絡は入ってるはずだぞ」

 

 額に汗を滲ませながら用意した水筒の中身を喉へと流し込む。事前に氷を入れたからなのか、水筒の水は冷たさを維持していた。

 カップに注ぐ際に氷が動く音と共に水が注がれる。口に入れるとその冷たさは際立っていた。

 

 

「取敢えずは今日の作業はこれで終いだ。あとは草を取る程度だが……まだ大丈夫だろう」

 

「……そうだな。今日はこれ位にしよう」

 

 ギルの言葉にジュリウスもまた理解したからなのか、農場を後に老夫婦の住まうログハウスへと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、大丈夫ですか?」

 

「大丈夫って、何が?」

 

 シエルの心配を他所にナナの手に握られた包丁は目の前にある野菜を丁寧に切っていた。

 普段はおでんパンを作っているから手慣れているはずの手つきはどこか怪しさが漂っている。

 記憶が正しければ料理の教導で包丁を握ってからどれ位の時間が経過してのだろうか。冷静に考えるとあれから料理の事は特別何をやった記憶は殆ど無かった。

 

 

「何だかナナさんの手つきがちょっと怪しいので……」

 

「これなら大丈夫。料理の教導の後でも何度も作ってるからね。今回の料理はちょっと作った事が無いから頼りなく見えるだけだよ」

 

 そんなナナの言葉を見たからなのか、シエルは更に隣を見ていた。

 まな板の上で格闘するナナの隣ではリヴィが鍋の温度を管理しているからなのか、一向にその場から動く気配は無かった。

 鍋の中にはいくつもの玉子が投入されている。殻に皹が入らない様に見ているのか、その視線が揺らぐ事は一切無かった。

 元々ここのキッチンは大人数で作業をする前提では作られていない。だからなのか、今のシエルは完全に手持無沙汰になっていた。

 

 

「あ、そうだ。シエルちゃんは、これを用意しておいてよ」

 

ナナは事前に用意したのか、何かの袋を取り出していた。中身は分からないがどこかで見た記憶がある。念の為にとシエルは袋から中身を取り出していた。

 広げればそれなりに大きいそれに見覚えがあった。野戦装備の一つでもあるからなのか、シエルは思いきって全部を広げている。断熱機能が働いたシートがその全部をさらけ出していた。

 

 

「ナナさん。これは畳んでおけば良いのですか?」

 

「うん。簡単に広げる事が出来る様にしておいて」

 

ナナの言葉にシエルもまた理解したからなのか、先程よりも更にコンパクトに畳んでいく。

 本来であれば用意する必要は無いのかもしれないが、これから行く場所がまだ未定である以上、準備だけはする必要が出てくる。

 視線を僅かに動かせば今だ食材と格闘しているからなのか、ナナだけでなくリヴィもまた何か作業をしていた。

 

 

「あ!鍋が噴きこぼれてるよ!」

 

「ナナ。この茹で卵だが、次はどうするんだ?」

 

「えっと……ちょっと待ってて」

 

 シートを畳み終えたシエルに目に飛び込んだ光景は既にカオスの様相となっていた。

 元々こっそりと作る事はが大前提ではあったものの、冷静に考えると自分達の料理に対する力量は全く考慮されていなかった。

 

 元々ナナがおでんパンを作るのと同じだの言葉に始まると、今度はリヴィも同じくその言葉に同調していた。

 しかし、冷静に考えるとここで一つの大きなミスを犯していた。リヴィは確かに茹で卵を作って食べる光景はめに目にしたが、それ以外のレパートリーを見た記憶が全く無い。

 確かに茹で卵と簡単に言うが、温度管理によって中身は色々と変わってくる。

 茹でるのは調理方法の一つではあるが、だからと言ってそれ一辺倒であるのは些か厳しい物があった。

 一方のナナもおでんを作る以上、多少の包丁の技術はあるかもしれないが、恐らくは今作っているのは自分がこれまでに口にした事はあっても作った事は無い可能性が極めて高い。

 作り慣れたものではなく初見で作る事ごどれほど厳しいのかは恐らくは考えていない。

 この時点でシエルは少しだけ頭が痛くなりそうになっていた。だからと言って自分も然程作る事は得意とはしていない。だとすれば、万が一の保険をかけた方が良いだろうと判断していた。

 人知れず部屋を後にする。決してナナ達を信じていない訳では無いが、やはりやるからには成功させたい。そんな気持ちが前面に出た結果だった。

 

 

 



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第65話 ピクニック

 ギルはこれまでに無い程に焦燥感に苛まれていた。

 恐らくは自身が追い求めていたルフス・カリギュラの討伐以上に厳しい内容。しかし、ここを完全にシャットアウトしなければ皆の行為が完全に無になる可能性が高いのは間違い無かった。

 だからと言って今のジュリウスを止める為にはどうすれば良いのか。頭の中で最善策を練る為にフル回転する。しかし、何をどうひねっても今の状況を打破するには厳しい状況へと陥っていた。

 

 

「そう言えば、他の皆はどうしたんだ?ここに来る旨は聞いているが、時間がかなりかかっている様だな」

 

「アラガミの討伐に手こずってるんじゃないのか?」

 

「いや。先程アナグラのヒバリさんに確認したが、現在は帰投中だそうだ」

 

「だったら、突発的なミッションでも入ったんじゃねえのか?」

 

 先程からジュリウスは、まるで全員が早く来ないかと完全に待ちわびていた。

 元々何かを計画しているのかもしれないが、作業中にそんな話は全く何も無い。何時もであれば適当にお茶を濁す様な会話で誤魔化す事も可能ではあるが、今のジュリウスにそんな事は何も通用しない。

 気が付けば何かに付けてアナグラに通信している。逐一帰投の状況を確認しているからなのか、その都度返事をするフランの心情を察したギルは心の中で謝罪していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど……でも、皆でやるんだよね?」

 

 万が一の事を考えたシエルが向かったのはエイジ達の部屋だった。

 ラウンジはムツミが担当している為に今のエイジは非番となっている。元々大きな予定が無かったからなのか、シエルが訪問した際には快く応じていた。

 

 

「はい。決してナナさんとリヴィさんの事を信用していない訳では無いんです。ですが、折角であればと思ったんですが……」

 

 シエルの言葉にエイジもまた思案していた。今やっているのは間違い無く善意であると同時にサプライズを仕掛けるつもりである事は間違い無い。しかもブラッドの内部となれば自分が態々口出しする必要が無いのもまた事実だった。

 今やっているのはサンドウイッチに違いないが、それだけの量を作るとなれば明らかに量が不足している。仮に出来たとしてもシエルが心配する様に全員に完全に行き渡る可能性は低いのは間違い無かった。

 時間的に余裕がある訳でも無い。何とかしてあげたい気持ちはあっても、材料が無ければ何も始まらなかった。

 

 

「まだ時間はあるよね?」

 

「はい……まだ多少は」

 

 シエルの言葉を確認するとエイジはどこかへと連絡を入れていた。何か色々と言われている様にも感じるが、会話の内容は一切聞こえない。だからなのか、今のシエルに出来る事はその会話が終わるのを待つ事だけだった。

 

 

「了解。じゃあ、悪いけど直ぐに行くよ」

 

「あの、大丈夫なんですか?」

 

「それなら大丈夫。じゃあ、行こうか」

 

 エイジの言葉と同時にシエルも行先は分からないままに行動を共にしていた。

 時間の制限がある以上、買い出しをする訳にも行かず、仮に何かを作るにも時間が足りない。

 そんな事はエイジとて理解している。だからなのか、シエルは無言でついて行くしかなかった。

 

 

 

 

「突然で悪いね」

 

「いや。俺の方は問題無いよ。それに食材だって自分で使う訳じゃないからさ」

 

 行先はコウタの部屋だった。元々コウタが自分で料理をするなんて聞く事は殆ど無い。

 しかし、先程の会話からすれば食材だけは常に保存されている様にも聞こえる。コウタが作らなくても作る人間が居る事を思い出したからなのか、これ以上は野暮だと判断しシエルは待っている事に徹していた。

 

 

「偶には自分でも作ったら?」

 

「家に帰れば偶に作るんだけど、ここでは中々ね」

 

「そう。マルグリットにもこの埋め合わせはするって言っておいて」

 

「……了解」

 

 エイジとコウタの会話の端々に普段の付き合いが見えていた。

 元々同期の間柄である為に、細かい部分で何かと付き合いがそこにあった。事実、今回の件に関してもジュリウスが望む意味は分からないが、以前の経験から任務以外の付き合いも案外と悪く無いと感じている。

 元々家族同然だと言うジュリウスの言葉ではないが、やはり団結した何かはクレイドルの方が強いのかもしれない。シエルはそんな取り止めの無い事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、誰の部屋で作ってるの?」

 

「今はナナさんの部屋です」

 

 食材を持ちながら今後の予定を考えると個人の部屋での調理は厳しいとさえ感じられていた。

 元々ゴッドイーターの個室にある調理器具やスペースはそう大きい物では無い。

 これが家族や士官が使うレベルであればそれなりに設備は充実しているが、基本的に個人の場合は簡素な物が取りつけらえている。

 その結果、ナナの部屋で2人が作れば、あぶれる人間が出るのは当然の話だった。

 

 

「せめてもう1人位誰かの部屋を提供した方が良いと思うよ。このままだと中途半端になるから」

 

「ですが、今の状況だと使える部屋がそう無いので」

 

「誰の部屋でも良いよ。特に特殊な調理方法をする訳じゃないから」

 

 移動する途中で、今回の件に対しエイジがやる事はレシピの提供と調理方法だった。

 元々ブラッドの親睦を深める為に行為に自分が出るのはお門違い。そんな言葉が出たからなのか、シエルは少しだけ緊張していた。

 もちろん、この件に関しても既に連絡しているからなのか、ナナだけでなくリヴィもまた快諾している。

 その結果、自動的にシエルの部屋でやる以外に選択肢は無くなっていた。

 

 

 

 

 

「シエル。大丈夫なのか?」

 

「多分……大丈夫かと」

 

 エイジから渡されたのは一部の調理器具と味付けに使うソース類。それとレシピだった。

 自分やアリサが作るのであれば態々用意する必要はどこにも無い。しかし作るのがシエルである以上、分かり易い書き方をした物が必要だった。

 器具や具材を用意する間にレシピがメールで送られてくる。一通り見て理解したのか、シエルは思い切って行動へと移していた。

 元々サンドウイッチをナナ達が作っているのであれば、シエルが付くるのはそれ以外の品。同じ物を作る意味は無いからとレーションも活用しながらの作製に取り掛かっていた。

 

 

「俺は何をすれば良い?」

 

「それでしたら野菜を洗って下さい。私はその間にやる事が有りますので」

 

 北斗が手伝いに来たからなのか、随分と作業の効率は高い物になっていた。

 一人でやろうとすると想定外の事が起きた場合何も出来なくなる可能性が高い。

 しかし、誰かがフォロー出来るのであれば、そんな問題すら解決できる。ましてや何だかんだと連続ミッションが発注されてからはそれなりに作る事も可能となっている。

 だからなのか、時間が押し迫る中で、シエルは冷静になる事に成功していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、今日に限ってどうしたんだ急に?」

 

「いや。大したことでは無いんだが、以前の件でコウタ隊長が来た際に見たあれが随分と印象に残っててな。それで今日、皆がここに来るならと思って提案したいと考えていたんだ」

 

「そうだったのか……」

 

 ジュリウスの言葉を聞きながらギルな内心冷や汗をかいていた。元々その発端となったあれは確かに自分が見ても十分に魅力的に感じていた。

 何かをお互いが言い合うのではなく、さりげなく気が付いた結果としてエイジが用意した物。

 もちろんそこには打算や妥協などと言った感情はなく、純粋に好意としての結果に過ぎない。

 

 エイジだけでなく、コウタもまた過度なありがたみを持つのではなく、日常の中での感謝の程度で終了していた。

 恐らくはこうれまでにも何度も同じような光景があったからなのか、それとも何か他の要因があったのかはわからない。そんな事があったからこそ、あの場に居た誰も遠慮なく口にしていた。

 何時もと変わらず旨い事に変わりはないが、それでも何時も以上の旨さを感じた事を思い出していた。

 

 

「そうか。だが、まだ帰投中であれば仕方あるまい。今は休憩しながら待つよりないな」

 

 どこか達観したした様な眼をしながらジュリウスは農場の方へ視線を向けていた。

 これまでに作った野菜の数だけでなく、それもがかなりの味わいを見せる程に成長していた。

 恐らくはのカレーの事でも思い出しているのだろうか。そんな感情がギルに課せられたミッションのハードルを一気に天高くへと押し上げていた。

 ロミオとは違い、ギルはコミュニケーション能力はそう高くない。これが酒でも入れば話は変わるのかもしれないが、今のギルにとって最大の関門とも取れる様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ~ようやくこれだけ出来たよ。そう考えるとムツミちゃんやエイジさんは凄いよね、感心するよ」

 

 どれ程の時間を費やしたかすら分からない程に苦戦して出来た物は2人の努力の結晶だった。

 当初はおでんパンと同じ程度で軽く考えたまでは良かったが、問題だったのは具材だった。

 

 出汁の中に入れて煮込むだけのおでんとは違い、全てが一から作るそれは想像以上に手間取っていた。人数分作った事で達成感が沸き起こる。

 そんなナナに対し改めてリヴィは現状を眺めた瞬間、一つの可能性を考えていた。

 

 

「ナナ。これだけで足りるのか?」

 

「え?」

 

「いや。これだけでは明らかに足りない様に見えるんだが」

 

リヴィの言葉にナナも現状を改めて確認する。確かに一人分の分量を計算すれば確実に分量としては足りないのは明白。しかし時間は既に残されていない。

 今のナナに取って新たに作るには時間が足りなさ過ぎていた。

 

 

「どうしよう……このままだと全然足りないよ」

 

「そうだな……」

 

 お互いが見えない行く末を悩んだと同時に一つの事を思い出していた。

 本来であればここに居るはずのシエルは既に他の部屋で何かを作っているはず。

 調理をしながらだったからなのか、当時は何と無く返事をしたものの詳細に関しては聞いた記憶が一切無かった。

 気が付けばそれなりに時間が経過している。記憶が正しければ自室で何かをしていると言っていたはず。

 既に出来上がったタマゴサンドを形を整えるべく丁寧に切り分けていく。自分がやるべきことをやりくつしたからなのか、ナナとリヴィは改めてシエルの部屋へと移動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど……これなら確かに簡単ですし、時間もそうかからないみたいですね」

 

 シエルはエイジから送られたレシピを見ながら丁寧に手順を守りつつ作業を開始していた。

 元々時間が無いのは当然の事。本来であれば一度に出来る作業はかなり限られていた。

 

 冷凍したパンを蒸篭に入れると同時に、小さく切った野菜も同じ様に投入する。北斗もまたシエルの作業の邪魔にならないように最低限の手伝いをこなしていた。

 元々一人でも出来ない事は無いが、2人でやれば作業効率はかなり高い。

 送られたレシピに特殊な技術を必要としなかったからなのか、北斗は用意したレーションをそのまま温めていた。

 

 極東支部のレーションは以前の様に乾燥した何かではなく、限りなくレトルトに近い食料となっているのが殆どだった。もちろん移動時間の事を考えて従来の様なタイプの品も存在するが、あくまでも緊急時用の意味合いが強く、実際にはラウンジで食べそびれた人間は配給されたレーションで済ますケースも少なくなかった。

 そんな経緯があるからなのか、北斗は隣に居るシエルを横目で見ながら自分がやるべき事をひたすらこなしていく。

 温めされたレーションを取り出すと、少しだけてを加える事で従来のレーションの色合いをかなり薄めていた。

 

 

「でも、あのレーションがまさかこんな風になるとはね……中々思いつかないもんだ」

 

「確かにそうですね。事実、ここのレーションはフェンリルでも一番だと聞いてますから」

 

 時間にゆとりが出来たからなのか、北斗だけでなくシエルもまた会話をする程度の時間が生まれていた。

 元々は思い付きに近い物ではあるが、実際にこうやったのは初めての経験。だからなのか、いつもとは違った感情がそこにあった。

 

 

「熱いですから気を付けてください」

 

「子供じゃないから大丈夫だって……熱っ!」

 

「ほら。言ったじゃないですか」

 

 蒸篭の蓋は予想以上に熱を持っていた。熱く熱せられた蒸気が北斗の手にかかる。

 何時もはアラガミの攻撃でも神機を手放さないはずが、反射によって今回は思わずそのまま落としていた。

 

 

「思った以上に熱かった」

 

「時間があまりありませんから急ぎましょう」

 

「了解」

 

 お互いが短時間でやるべき事をこなしていく。シエルの手だけでなく、北斗の手もまた止まる事は一切無かった。

 そんな中で不意にノックの音が聞こえる。こんな時間に来るのは大よそながらに予測出来る。だからなのか、シエルは返事と共にドアを開ける様に促していた。

 

 

 

 

「何だかそっち方が美味しそうに見えるんだけど……」

 

「これはレーションを使用してますから、ナナさんの方がよほど良いですよ」

 

 ナナが最初に見たのは自分と同じ事を考えた末の結果だったのか、北斗と一緒に何かを作っている姿だった。

 テーブルの上には幾つかの出来た物が置かれているが既に紙に包まれている為に全容が見えない。

 シエルからすればエイジのレシピに沿った物しか作っていないが、それでも見栄えはやはりに気になっていた。

 

 

「何だかなぁ……」

 

「そんな顔しなくても大丈夫だ。こっちはエイジさんからレシピを貰ってその通りに作ってるだけだ。ナナの方が凄いさ」

 

「そ、そうかな……」

 

 北斗の言葉にナナの機嫌は少しづつ元に戻っていた。確かに何とか作ったまでは良かったが、これだけでは足りないのは間違い無いと考えた末の結果。

 見た目も去る事ながらレシピの通りであれば、現地についてから食べればいい。今はその考えだけを優先していた。

 

 

「そろそろ時間が無い。ギルも大変だろう」

 

「そうだね。準備万端ならすぐに行こう!」

 

リヴィの言葉でギルの事を思い出したのか、各々が用意をしながらギルとジュリウスが居る聖域へと移動を開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ですが、今後の事を考えると一定以上の収穫量をキープする必要がありますね」

 

「じゃが、この人数であれば限界も見えてくる。ここでは神機使いとしての能力は無いんじゃ。無理は禁物じゃよ」

 

 ギルの時間稼ぎは功を奏した形となっていた。

 あのまま何もせずにここい居れば確実にアナグラへと移動するのは目に見えていた。時間的にはそろそろのはず。そんな中で老夫婦と今後の予定について話を振った事でジュリウスもまたその話合いを継続していた。

 

 

《ギルさん。ナナさん達はそちらに向かいましたので》

 

「了解」

 

《次は私も誘ってくださいね》

 

「そうだな。そう伝えておく」

 

 話合いの中でギルの下に通信が届く。漸く準備が完了したからなのか、ギルは内心ホッとしていた。

 移動を開始しているのであれば後は簡単だった。時間をこれ以上時間を稼ぐ必要は無い。ギルはそのままジュリウスへと話を伝えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どう!これ、私とリヴィちゃんが作ったんだよ」

 

 何も聞かされていなかったからなのか、ナナとシエルが持っていた大きなバスケットが何なのかを理解するまでにジュリウスは僅かに時間を要していた。

 元々考えはあったものの、まさか自分が考えている間に実行するとは思っていなかったからなのか、珍しく驚いた表情を浮かべていた。

 

 事の発端はまだフライアに居た頃にジュリウスが漏らした一言。この時代では中々実現するのは不可能に近い物だった。

 事実ピクニックと口にはするが、ジュリウスも体験した訳では無い。

 過去の映像や本に記述が載る程度の事でしかなく、以前の川でコウタが持って来ていたバスケットがやけに印象的だった。

 そんな事があったからなのか、ジュリウスもまた色々と模索していた。

 これまでに農業よりの話が多かったからなのか、ブラッドの全員とゆっくりとした時間を過ごした記憶は余り無い。そんな意味合いもそこに存在していた。

 

 

「タマゴサンドか。では…………」

 

 ジュリウスは言葉と同時に一口齧る。事前に味見はしている為に問題無いのは間違い無いが、やはり誰かだ食べるとなれば話は変わる。

 おでんパンや炊事の教導とは違い、自分達ですら普段はあまり作らない代物。だからなのか、ナナだけでなくリヴィもまた咀嚼しているジュリウスをジッと見ていた。

 

 

「……中々の味だ。これは玉子以外に……なるほど。刻んだ野菜も入れてあるのか」

 

「正解!玉子だけよりも美味しいかと思ったんだよね」

 

 ジュリウスの言葉を皮切りに全員がタマゴサンドをそれぞれが持つ。ジュリウスが言う様に単なる玉子だけでなく、中には刻んだ玉ねぎやパセリの様な物も入っていた。

 

 

「そう言えば、シエルの持っているそれは何だ?」

 

「そうそう。私も何が入ってるのか気になってたんだよね」

 

 ナナがシエルの部屋で見たのは柔らかく暖められたパンとベーグルだった。

 既に何かを挟む為に用意してのかレタスが敷かれている記憶しか無い。細かい所までは見せて貰えなかったが、レシピがある以上はそれなりの内容に間違い無かった。

 全員の視線がシエルの手荷物でもあるバスケットに移る。だからなのか、シエルもまたその蓋を開けていた。

 

 

「シエルちゃんズルい」

 

「え?」

 

「だってこんな美味しいの作るんだよ。私の立場が無いよ」

 

 シエルの用意したベーグルサンドは夏野菜とレーションの食材を取り入れた物だった。

 時間が無い割に見た目は随分と豪華に仕上がっている。

 元々レーションで使われている調味料を活かした為に、シエル自身が直接手を入れた部分は然程多くは無かった。

 

 

「これはレーションを使ってますから、私のやった事はそう多くは無いですよ」

 

「でもさ……」

 

 ナナの言いたい気持ちは誰もが理解していた。

 手間を考えれば確実にタマゴサンドの方が勝っている。しかしシエルの用意したそれはベーグルを使ったハンバーガー。

 中心となる具材でもあるハンバーグはレーションをそのまま流用していた。

 

 

「俺達のはエイジさんのレシピだ。ナナとリヴィの作った物と比べれば全然違うさ」

 

「それは嬉しいんだけど……でもね…」

 

 そう言いながらもナナはシエルの手元にあったハンバーガーを頬張っている。気が付けばロミオだけでなくギルもまた同じ物を口にしていた。

 

 

「だったら次の機会に作ってみたらどうだ?」

 

「確かに。今度は私もレシピを見ようかな」

 

「ちなみにこれは北斗が作ったんですよ」

 

「えっ!何だか北斗にも負けた気がする……」

 

 これだけでは心もとないと、追加で作った物の一つに冷製のコンソメスープがあった。

 蒸篭で蒸す事によって野菜に熱を入れる時間を大幅に短縮し、そのままコンソメの顆粒を活かして手早く作る。これもまたレシピに書かれていた内容だった。

 用意されたカップに口をつける。野菜の旨味が濃縮されたそれは暑い日には丁度良い冷たさ。そのまま食が進むのか、誰もが作って来た食事を平らげていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかこんなサプライズを受けるとはな……」

 

「元々は俺のアイディアじゃない。例を言うならロミオ先輩だな」

 

 食休みなのか、木陰で休憩した際にジュリウスが不意に北斗に話かけていた。

 元々計画していたはずが、気が付けば自分が既にそれを受けている。以前にも食べたカレーもだったが、やはりブラッドだけでこんな機会を作る事は無かったからなのか、珍しく目を丸くしていた。

 

 元は2人からの出発だったブラッドも、気が付けば7人まで膨れ上がっている。

 当時の言葉では無いが、やはりブラッドだけで食べる食事は格別だと考えていた。

 全員が偶発的にやったとしても取り纏める人間は必ず必要になる。既に自分が原隊復帰したものの隊長職ではない。

 やはり自分の考えは正しかった。今はそんな思いが先に出ていた。

 

 

「いや、それでもだ。今日の事は嬉しかった」

 

「だったら帰りに全員に言えば良い。俺は何もしてないからな」

 

「そうだな」

 

 木陰から見る聖域にはこれまでに開墾した農場や果樹は幾つも植えられている光景が見える。失われた過去がこうやって蘇っている様な錯覚に陥るのは自分だけではないはず。

 そんな思いを持ちながらジュリウスは北斗と長話をしていた。

 

 

 



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第66話 世間のイメージ

 極東支部に於いてブラッドの位置づけは色々な意味で特殊な部分が多分にある。

 その最たる物はこれまでのゴッドイーターとは違い、投与されている偏食因子が従来のP53ではなくP66偏食因子。

 その結果、右腕に填めらえている腕輪の色も赤ではなく黒。まだ何も知らないに新人でさえも事前情報で聞かされているからなのか、誰もが直ぐに分かっていた。

 そしてそれは日常だけではなく、戦闘に於いても最たる物だった。

 

 

「北斗!受け取ってください!」

 

 シエルから放たれた生体エネルギーを活かしたリンクバーストは瞬時に北斗の身体から青白いオーラを発すると同時に、格段の運動性能を高めていた。只でさえ早く動くそれがリンクバーストによって底上げされる。

 北斗はその恩恵を十分に活かすべくそのまま対峙しているボルグ・カムランへと疾駆していた。

 

 ボルグカムランは基本的に防御能力が高いからなのか、神機の相性が悪い場合、討伐にかなりに時間を必要としている。

 その結果、一部の弱点を攻める事によってこれまでにダメージをあたえるのがこれまでのやり方だった。

 

 

「サンキュー。このまま一気に決めるぞ!」

 

 北斗の言葉にシエルだけではなく、リヴィとロミオもまた同じくして北斗の行動を注視しながら各自の行動に移っていた。

 警戒するボルグ・カムランは自身の尾を振り回し近づけようとするつもりは無い。

 この戦いに於いてどれ程の凶悪とも取れる攻撃が自身の命を脅かそうとしているのかを本能で嗅ぎ取ったからなのか、常に距離を取ろうとしていた。

 丸太以上に太い尾は大きな音をたてながら北斗に向かって放たれる。

 既に攻撃を予測していたからなのか、北斗はそのままの勢いで前方に小さく跳躍を開始する。

 

 本来であれば何かしら当たるはずの攻撃もバーストモードに突入しているからなのか、事も無いままに回避されていた。

 小さく跳躍したからなのか、北斗はそのまま体制を崩す事無く一気に距離を詰める。

 既に大きく回転しているからなのか、ボルグカムランは何も出来ないまま接近を許すしかない。

 事実上の懐に入った瞬間、北斗の持つ『颶風』は赤黒い光を帯びながらボルグカムランの後ろ足を斬り付ける。一合二合と斬撃は常に同じ個所へと責め立てる。幾ら強固な装甲を持つボルグ・カムランも本能で嗅ぎ取ったのか、同じ個所を寸分違わず斬り付ける北斗を振り切らんとその巨体をものともせずに距離を離すべく行動へと移しかけた瞬間だった。

 既に幾度となく襲いかかっているからなのか、この時点で後ろ足の一部は関節を中心に大きな亀裂が入った瞬間、瞬時に斬り飛ばされていた。悲鳴に近いアラガミの声が周囲に響く。

 

 

「今がチャンスだ!」

 

「任せておけって」

 

 それが合図となったのか、北斗の叫び声と共に全員が一気に距離を詰めていた。

 完全に横たわった体躯は強敵のアラガミではなく、只の的に過ぎない。ましてや勝機を逃す様な愚かな真似をする人間はこの場には居なかった。

 既に様子を見ながら心の中でカウントしていたロミオは斬り飛ばした瞬間に倒れるであろう箇所に向かって闇色のオーラを纏った刃を振り下ろしていた。

 ボルグ・カムランの盾ごと大地までもを斬り裂かんと渾身の力で振り下ろす。

 

 既に抵抗出来ないからなのか、倒れた矢先にこれまで絶対の防御を誇っていた盾は容易く破壊されていた。確かな手応えと同時に直ぐに次の行動へと開始する。

 その移動の隙をフォローするかの様にリヴィのサーゲライトもまた横薙ぎに振るった刃は尾の先端部分を激しく斬りつける事で先端部分は分断されていた。

 

 

「これで終わりです」

 

 シエルの言葉少な目な一言は既に横たわるボルグカムランの顔面に向けて一発の銃弾が放たれていた。

 アラガミの生体エネルギーをそのまま生かしたアラガミバレット。

 既に幾度となく隙を見つけては捕喰したからなのか、アーペルシーからの膨大なエネルギー反応は、そのまま留まる事無く放たれていた。

 巨大な針にも見える銃弾はボルグ・カムランの装甲を貫通し、多大なダメージを与えていた。事実上の止めとなったからなのか、ビクンと僅かに動いた瞬間ボルグカムランはそのまま絶命していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《オラクル反応が消失しました。皆さんお疲れ様です。帰投の準備をしますので、ブラッドは周辺地域の捜索と負傷者の手当てをお願いします》

 

「了解。ただちに開始する」

 

 元々今回の作戦領域はブラッドの管轄ではなかった。

 感応種の討伐任務が入った為に、そのまま一気に作戦が開始され、その帰投の途中。

 オープンチャンネルによる救援要請。既にバイタル情報だけでなく、負傷者がその場から動く事が困難な為に半ば時間との戦いが要求されていた。

 瞬時に叩かなければ他の部隊の人間が捕喰される。そんな鬼気迫る内容にも拘わらず、冷静に処理する事に成功していた。

 

 

 

 

「あの…ありがとうございました。お蔭で助かりました」

 

「オープンチャンネルでの救援要請なら気にする必要は無い」

 

「それでも……ありがとうございます」

 

 北斗と話をしていたのは部隊長にしてはどこか違和感を感じる様なタイプだった。

 元々極東支部においては部隊長の権限はあっても早々行使するケースは少ない。

 基本的に一定以上の水準があれば誰でもなれるが、それと同時に資質が無いと判断されれば絶対になれる事はなかった。

 これまでの部隊長を見れば何かしらの資質を持っている。にも拘わらず、目の前に居る女性からはそんな雰囲気すら感じる事は出来なかった。

 

 

「そこまで頭を下げられても……」

 

 救助した女性がひたすら頭を下げ続けた事によって北斗もまた困惑していた。

 元々オープンチャンネルによる救援要請は一刻を争うケースが多く、それが小型種程度であれば気に留める事は無いが、中型種や大型種となれば生命の危機である事は必然だった。

 今回の救援要請もそんな事実が事前に発覚しているからこそ時間を惜しんでいた。その結果、最短とも言える速度での討伐に至っていた。

 

 

「ですが、私達の部隊では倒す事も出来ませんでしたので……」

 

「それでも……」

 

「北斗。どうかしましたか?」

 

 お互い一歩も譲らないと言わんばかりの空気を割ったのはシエルだった。

 既に周辺地域の捜索を終えたからなのか、何時もの様な雰囲気を感じる事は無い。

 むしろその女性に対して疑問を持っているかの様な視線を投げかけていた。

 

 

「あの……救援ありがとうございました。実は私、このミッションは初めて部隊長としてやったばかりだったんで……」

 

「ああ…そうだったんですか。私はこのブラッドの副隊長と勤めてますシエル・アランソンと申します」

 

 その一言で全てを察したのか、シエルは自己紹介をしていた。しかし、幾ら初めてとは言えボルグカムランはこの1体だけ。変異種でもなければ通常種と何ら変わらない内容でしかない。

 ブラッドとしての戦力を勘案したとしても、やはり緊急事態に陥るのは無いだろうと考えていた。

 

 

「わ、私は……」

 

《緊急事態です。その位置から北東200メートル地点にアラガミ反応を発見。個体は不明ですが、その数は2です。現地への到着までの予想時間は30秒。すみませんが速やかな討伐をお願いします》

 

「ブラッド、了解した。直ちに移動を開始する。それと救援者はどうする?」

 

《救援者はこのまま回収しますので、その場から動かない様に指示をお願いします。それと回収までの間は交戦地域に来させない様にして下さい》

 

「到着予定時刻は?」

 

《大よそ15分です》

 

「了解した。直ちに急行する。悪いが君達は回収のヘリが来るまで動かないでくれ」

 

 既に自己紹介のタイミングを失ったからなのか、北斗だけでなく、その場にいたロミオやリヴィもまた臨戦態勢へと突入する。一方のシエルもまた『直覚』によって詳細な場所の割り出しを開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大型種はフランの指示通りにその姿を現していた。既に臨戦態勢に入っているからなのか、侵入を確認すると同時に一気に攻めたてていた。

 元々の個体がそう強く無かったからなのか、今のブラッドにとって気にする程の力は見当たらない。

 既に事切れたヴァジュラはコアの消滅に伴い霧散を開始する。もう1体が到着するまでに僅かに時間があった。

 

 

「そう言えば、さっきの部隊って見た事あったか?」

 

「そう言われれば……」

 

 時間にゆとりがあったからあのか、北斗は先程の状況を不意に思い出していた。

 元々ブラッドにもそうだが、この極東支部ではかなりの数のゴッドイーターを受け入れる事が多かった。

 理由はそれぞれだが、一番の要因はその技量の向上しやすい環境にあった。

 どの支部も虎の子とも言えるゴッドイーターを派遣するのは、偏に自分達の防衛能力の向上が影響している。

 仮に同じ支部内で教導を繰り返しても、結果的には絶対的な経験値は不測する傾向にあった。

 本来であればクレイドルの2人を派遣させるのが一番手っ取り早い。しかし、要求される報酬額の事を考えれば呼ぶよりも派遣させた方がマシだとの判断の結果だった。

 もちろん最悪の展開も視野に入れる必要がある。下手にKIA認定されれば手痛いダメージを受けるのもまた事実だった。

 他の地域に比べればアラガミの能力は格段に高い。既にブラッドもここの環境に慣れたからなのか、この地域の異常さを感じる感覚は既に麻痺していた。

 

 

「そろそろ来るぞ。気持ちを切り替えろ」

 

「あれって……ガルムか?」

 

 リヴィの言葉にロミオは来るであろう場所に視線を動かす。どこか狼を連想させるそれは炎の纏っている様にも見えていた。

 これが白い躯体であればマルドゥークだと言えるが、体表は純白ではなく土色。前足のガントレットが象徴する様にガルムの遠吠えは周囲一体に知らせるかの様だった。

 その体躯を誇示するかの様にガルムはブラッドの前に立ちはだかるかの様に降り立っていた。

 既にここに来る前に感応種のイェン・ツイーとボルグ・カムランの討伐を行っている。

 事実上の連戦ではあるものの、誰の表情にも疲労感が浮かぶ事はなかった。

 

 

「このまま止めを!」

 

 シエルの言葉にリヴィはガルムへと一気に疾駆していた。

 自身の全身をバネの様にしならせ、そのままの勢いで跳躍しガルムの頭上を飛び越える。何も知らない人間からすればリヴィの行動の意味が理解出来ないままだった。

 大きく飛び越えた瞬間、リヴィの持つサーゲライトは咬刃展開をしながら、一気に縦回転を始める。その勢いは神機をもっても変わる事は一切無かった。

 迫り来る刃が視界に入らない様に回転する。その瞬間、ガルムの首は稲穂を刈られた様に音も無く落ちていた。                           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ。それなら他の支部から来たチームじゃないかな」

 

「にしても、こんな時期は珍しいですね」

 

 連続ミッションを終えたからからなのか、北斗達は何時もの如くラウンジへと足を運んでいた。

 既にカウンターにはエイジが入っている。その前には指定席の様にアリサが座っていた。

 

 

「だからですか……我々の事はあまり知らなかったみたいですから」

 

「そうか?結構理解してる様にも見えたけどな」

 

 既に仕事が片付いたからなのか、アリサは早めの食事をとっていた。

 元々自分でも作るが、今日はここにエイジが居るからなのか、ラウンジでの食事を取っている。

 そんなアリサにつられたのか、北斗とシエルはカウンターの端の方に座り、お互いが食べたい物を注文する。ムツミの時とは違い、エイジの時は材料に問題が無ければ大よそ頼んだ物が出てくる。

 だからなのか、アリサの目の前に置かれた胡麻豆腐や焼魚を中心とした夏の御前料理に目が行っていた。

 

 

「エイジさん。アリサさんと同じ物を頼んでも良いですか?」

 

「大丈夫だよ。少しだけ時間がかかるけど良い?」

 

「はい。大丈夫です」

 

 シエルがアリサと同じ物を頼むケースはあまり多く無い。

 一番は頼みにくい事が原因ではあるが、それ以外にも要因があった。

 基本的にアナグラでは珍しい完全な和食は準備にも時間が必要となる。特に一つ一つの大きさが小さく、また個数が多いからなのか、準備に手間がかかる。

 何時もであればここの人数が多い為に頼むのは気が引けるが、今日は人が何時もよりも少ない。そんな周囲の状況を鑑みた結果だった。

 

 シエル自身も料理をする様になったからなのか、その手間暇がどれ程なのかは直ぐに理解できている。一つの作品とも取れる出来栄えは屋敷ではなく、ここアナグラは貴重だった。

 そんな事もあってか出来るまでに時間がかかる。何時もであれば気にならない周囲の会話が珍しくシエルの耳に届いていた。

 

 

「やっぱり極東支部って他とは違うよね。まさかコンゴウがあんなに強いとは思わなかった」

 

「そうそう。私の所もそうだけど、やっぱり世界有数の激戦区は違うのよね」

 

 先程のエイジの言葉に思い当たる様に他からの編入だからなのか、各々がミッションでの感想を口にしていた。

 シエル達ブラッドもここに初めて来た際に感じたのはどんなアラガミであっても自分達の記憶に無い程の強固な個体があまりにも多かった。

 事実、小型種でもあるオウガテイルも堕天種やヴァジュラテイルまで進化した個体は他の地域の中型種以上の脅威を感じ取っていた。

 幾ら事前にシミュレーションしようが、その予想をいとも簡単に上回る。

 だからこそ新人が戦場で簡単に命を散らさない様に教導する意味を初めて理解していた。

 そんな会話を聞いたからなのか、当時の状況が少しだけ思い出される。思えば随分と遠くまで来た物だ。何となくそんな気持ちが浮かんでいた。

 

 

「でもさ、ここの人達って、結構カッコイイ人多いよね。クレイドルの人達が着てるあの白い制服、私達が居た支部でも話題の的だったんだよ」

 

「ああ~それ分かる。だって皆がかなりの実力者なんでしょ。あの制服に袖を通すには結構な実力が必要だって聞いたよ」

 

 シエルは内心冷や汗をかいていた。位置的には今のアリサが見えていないのか、話をしているのはどうやら窓際。完全に背中を向けている為にアリサの存在に気が付かない。

 そんな恐ろしい会話を聞きながらシエルは僅かに北斗を見ていた。北斗もまた同じ会話を耳にしたからなのか、シエルを飛び越え視線はアリサへと向かっている。

 意味深な視線だったからなのか、シエルもまた恐る恐る隣を見ていた。

 

 

「あの……アリサさん……」

 

「どうかしましたか?」

 

「いえ。何でもありません」

 

 アリサの背中には何か目に見えないオーラの様な物が発生していた。戦闘中でも無いのにバーストモード特有のオーラが見えた気がする。

 これ以上ここに留まるのは危険しかない。しかし既にエイジを見ればもう出される間際なのか、配膳の準備がされている。

 このままでは美味しいはずの食事が味気なくなる。シエルだけでなく北斗もまた同じ事を考えていた。

 

 

「はい。お待たせ。北斗の分はこれから作るから」

 

「あ、はい」

 

「それとアリサ。これ、デザートだから」

 

「ありがとうございます」

 

 エイジもまたアリサの様子を知っているからなのか、気が落ち着く様に注文に無いデザートのシャーベットを出していた。

 元々アリサとてオーラは出すが、それ以上の事は何もしない。精々が話す事しか出来ないと知っているからだった。

 しかし、周囲はそう思わないからなのか、エイジが逆に気を使う。元々注文に無かったからなのか、アリサも驚きはするが、気にする事無く口にしていた。

 

 

 

 

 シエルは出された緑ががった豆腐を口にした瞬間、思わずエイジを見ていた。

 この味は聖域でとれた大豆を使った物なのか、当時の味にかなり近い物だった。

 滋味深い味は当時の事を思い出す。思わず感動しながら食べている隣では既に出されたからなのか、大きなどんぶりで出されたカツ丼を北斗は食べていた。

 これならば味わって食べなければ申し訳ない。そんな事を考えていた瞬間、再びシエルに耳に先程と同じ様な会話が飛び込んで来た。

 

 

「そう言えば、ブラッドの人達も皆イケメン揃いじゃない?あの隊長さんやジュリウスさんなんて格好の好物件じゃない」

 

「あれ?クレイドルの人の方が良かったんじゃないの?」

 

「だってクレイドルの人は皆相手が居るんだよ。リンドウさんはサクヤ教官だし、エイジさんはアリサさんでしょ。絶対に勝てないんだよ」

 

「だよね~私も流石にあの2人の隣には立ちたくない……」

 

 衝撃的な言葉にシエルは思わず箸が止まっていた。

 確かに考えてみればクレイドルの尉官級はそれぞれに相手が存在する。

 リンドウやエイジは既に広報誌にも出ているだけでなく、コウタに至ってはマルグリットは自分の部隊の副隊長。

 ソーマは分からないが時折、着物を着たシオがここに顔を出す事が少なからずあった。

 

 幾ら極東で見慣れた着物姿でも教導で着る浴衣ではなく、正式な着物はあまりにも目立ちすぎる。

 そしてシオ自身も清楚なイメージを世間が持っているからなのか、時折ソーマとラウンジで話す姿が確認されていた。

 基本的にフェンリルは軍隊ではない。厳しい規律が有って無い様な物だからなのか、誰もがそれ以上のツッコミをする事はなかった。

 しかし、何も知らない他の支部からの一時的な出向者にとってはそんな事実は分からない。

 だからなのか、時折聞こえる会話が何時もと違うのはそんな理由があった。

 本来であればシエルもラウンジを利用している。利用する時間帯が違うから聞いた事が無いだけだった。

 

 

「やっぱりジュリウスさんが一番だよ」

 

「確かに。王子様だもんね」

 

 そんな会話を聞きながらシエルも最近になってそんな事を考え始めていた。

 確かにジュリウスはそんなイメージを持っているのかもしれない。

 普段の聖域での野良作業着をきている姿を見れば確実に幻滅する可能性は高い。だが聖域には気軽に足を入れる事は出来ないからなのか、その姿を知っているのは限られた極僅かの人間だけだった。

 何も知らない人間の会話を聞きながらシエルは食事を続けていた。

 

 

「シエル。どうかしたのか?」

 

「いえ。何でもありませんよ」

 

「そうか。笑みが浮かんでいたからそんなに旨いのかと思ったんだが」

 

「それもありますね」

 

 知らず知らずの内に笑みが浮かんでいたからなのか、北斗の言葉にシエルは笑顔で返していた。

 既に食事が終わったからなのか、北斗の手元にはお茶が置かれている。

 あまりの早さに少しだけ驚いていた。しかし、そんな笑みはそう長くは続く事は無かった。

 

 

「でもジュリウスさんよりも隊長の北斗さんも良いよね。実力もあるし、何だって終末捕喰を止めた人だしね」

 

「確かに。見た目は少し怖そうだけど、話すと気さくな人だよね。私、この前助けられたんだもん」

 

 先程まで楽しかったはずの食事が一瞬にして急転直下にまで落ち込んでいた。理由は先程の会話。隣に居た北斗は手持無沙汰だったエイジと話しているからなのか、先程の会話に気が付いていない。

 しかし、横目で見るとアリサは聞こえていたからなのか、シエルを少しだけ見ると同時に、どこか何時もと違った笑みを浮かべていた。

 

 

 



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第67話 思い出と共に

 早めの食事に入ったのは北斗とシエルだけでなはなかった。

 ロミオもまたリヴィと同じくラウンジで食事を取る事にしていた。元々注文が北斗と同じだったからなのか、ロミオも似たような丼物を頼んでいる。

 目の前に置かれたのは半熟気味のトロトロな親子丼だった。

 

 

「ロミオ、それはメニューには無かったと記憶しているが、どうやって注文したんだ?」

 

「これ?今日はエイジさんだから、要望を言えば大概の物は出来るんだよ。実際にはちゃんとしたメニューを頼むのが筋なんだけど、こっちの方が旨いんだよね」

 

 出された親子丼を目の前に、ロミオは器用に箸を使いこなしていた。事前に食べにくいかもと用意されたスプーンではなく箸で摘まむ。

 一口の大きさが思った以上に大きかったからなのか、リヴィはその姿をジッと見ていた。

 

 

「えっと……そんなに見られると食べにくいんだけど……」

 

「すまない。そんなつもりじゃないんだ。ただ余りにも美味しそうに食べるから…つい」

 

「そうか?だったら少し食べてみるか?これ結構旨いんだよ」

 

 リヴィの言葉にロミオは横に置かれたスプーンで掬い、そのままリヴィへと差し出していた。

 元々リヴィもオムレツを頼んでいる為に、それ程気にした訳では無かった。にも拘わらず気軽にくれた事で、リヴィもまた遠慮なく口にしていた。

 

 

「……これは旨いな。半熟気味なのが更に良いな」

 

「だろ。俺、結構これ好きなんだよね」

 

 

 何時もと変わらない空気を醸し出しながら食事はそのまま進んでいく。そんな中で偶々なのか、ジュリウスと北斗の名前が出た事でリヴィは思わず言葉の発せられた先を見ていた。

 ここでは色々な支部の人間が出入りしている関係上、新しく来ても人間関係については一部を除くと希薄な部分が多分にあった。

 一番の要因は短期間の滞在になる為に、人間関係を構築する前に元の支部に戻るケースが圧倒的に多く、その結果極東支部の所属以外は少なからず構築しようとする気持ちがあまり無い点だった。

 部隊編成が絡めばその限りでは無い。戦いの最中に何も分からないでは戦術の立て様が無い事が一番だった。故に、ラウンジで色々な人間関係に関しての話題は殆どが他の支部の人間だった。

 

 

 

 

 

「ロミオは人気が無いのか?」

 

「へ?何の話?」

 

「いや、先程ジュリウスと北斗の話題が少し聞こえたんでな」

 

 食べる事に夢中だったロミオはリヴィの言いたい言葉の意味が理解出来ていなかった。

 元々リヴィに限らずロミオもまたブラッドとしてここに配属された際には何かと言われた記憶はあったが、既に一戦力としても認知されているだけでなく、何かと話題も多かった事から今ではそれ程気にする部分が殆ど無かった。

 

 

「人気は知らないよ。それにここでの人の噂ってあんまり当てにならないんだ」

 

「そうなのか?」

 

「まぁ、言い出せばキリが無いんだけど……」

 

 食べながらの話は行儀が悪いと感じたからなのか、ロミオは一度箸を止めて改めてリヴィと話していた。

 ジュリウスに関しては以前と何も変わらないだけでなく、北斗もまた部隊長だからと言った側面があった。しかし、それとロミオの言葉に接点はどこにも無い。ロミオがどんな気持ちでそれを言ったのかを察するにはあまりにも材料が無さ過ぎていた。

 

 

「そうか……何だかすまない」

 

「あのさ、それってフォローになってないんだけど」

 

 口ではそう言いながらもロミオは特に怒るでもなく改めて箸を進めていた。

 そんな中、リヴィは改めてロミオを見ていた。

 自分の記憶にあったロミオと今のロミオはどの位違うのだろうか。話せば今も昔も変わらない事は間違い無いが、容貌は大きく変化しているのは直ぐに分かる。

 あの螺旋の樹の探索に於いて自分達が内部を探索するのとは全くの別行動によってロミオは救出されていた。

 経緯に関してはここに来るまでに報告書を読んだだけにすぎない為、詳細については何も分からないまま。時折そんな話をシエルやナナにするものの、やはり内情まで口にする事は無いままだった。

 

 

「そんなつもりでは無かったんだ……」

 

「気にしなくても良いって」

 

 一度そう言った事により、リヴィも改めて自分のオムレツを口にする。ここではムツミとエイジが交代で作るものの、お互いの手順や材料が違う事から、同じメニューでも実際には全く違うなんて事も多々あった。

 それは悪い意味ではなく、良い意味での違いの為に誰もが口にする事はない。

 リヴィとて実感しているからこそ改めて口にした事は無い。しかし、ロミオの食べている親子丼に関しては未だ経験が無かったからなのか、先程の味見は少しだけ驚いた。

 ふとした事で意識が僅かに自分へと向く。そんな際に聞こえた話はリヴィ自身に向けられた言葉だった。

 

 

「そう言えば、同じブラッドでもロミオさんってやっぱり、リヴィさんだけなのかな」

 

「やだ、ロミオさん狙ってたの?」

 

「狙うって訳じゃないんだけど、ほら、着てる物も他の人達とは違うし、如何にも極東支部所属って感じじゃない?」

 

「それは……そうだけどね。あれだって普通に売ってないんだよね。ここの着物は一通り見たんだけど」

 

 何気に聞こえた声にリヴィはおもむろに隣を見ていた。

 元々気にしない性質なのか、我関せずを貫きながら食事を続け居てる。既に丼の中身は無くなったからなのか、味噌汁を啜っている。

 そんなロミオを見ながらリヴィは改めて自分の事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「相変わらず他の支部の人が来ると同じ反応するね」

 

「確かにそうですね」

 

 先程のシエルの事を眺めながらエイジはアリサと何気ない会話をしていた。元々時間に余裕があるからなのか、アリサは何時もとは違い、随分と穏やかな表情を浮かべている。

 恐らくは先程の会話の内容なのか、アリサは既に何時もと変わらない状態になっていた。

 

 

「でも、ブラッドはこれから大変そうですね。一時期よりも注目度が高いからですかね」

 

「ブラッドに限らずじゃないかな。ここは何も知らない人間からすれば厳しい環境に変わりないんだし、ここに居る時位は良いんじゃないの?」

 

 北斗とシエルは用事があるからと既にこの場から居なくなっていた。

 既に噂をしていた他からの派遣組もこの場に居ない。だからなのか、ふとした事思い出したかの様にアリサは口を開いていた。

 

 

「そう言えば、ロミオが普段着ている羽織ですけど、あれって非売品ですよね?」

 

「ああ、あれね。確かに販売目録には入ってないね。基本的に屋敷で一定以上の教導をした人間にだけ渡す物だから、中々見ないんだよ」

 

 エイジの言葉にアリサも改めて思い出していた。

 基本的には羽織を着る機会はそう多く無い。特にそれがどんな意味を成すのかを理解している人間はここではエイジ以外にナオヤしかいなかった。

 

 事実、男性用の羽織の幾つか販売されているが、ロミオが身に着ける羽織は色合いが特殊だった。

 烏の濡羽色を彷彿とさせる漆黒は闇に紛れやすい様に一切の光沢が入る事が無い色合い。

 羽織を着る着ないは人の自由ではあったが、やはりその姿は色々な意味で異質に見えていた。

 一時期に比べればロミオの髪もかなり伸びたのか、既にポニーテールに近い長さになっている。フェンリルの制服ではなく、見る機会が極端に少ないその姿は注目の的だった。

 何時もであればロミオの話も出る事が多いが、実際にはリヴィと一緒に動く事が多く、それを見た他の人間もまたリヴィが元々どこの所属だったのかを知っているからこそ、それ以上の事は何も言えないでいた。

 先程の話題はイレギュラーでしなかない。アリサとしては自分達に被害が出ないのであればそれは見てるだけで随分と楽しめる物だった。

 

 

「そうだったんですか。でも無明さんは何て言ってるんですか?」

 

「特に何も言わないよ。あくまでもあれは一種の証明みたいな物だからね。気潰しても新しい物は言えばくれるよ……でも、そんな必要は無いかもね」

 

 そう言いながらアリサはエイジの目線をそのまま追いかけていた。

 既に食事を終えたからなのか、ロミオの羽織をリヴィが直していた。リヴィの教導は既にここだけで終わらず、屋敷でやる事が増えてからは洋裁だけでなく和裁も覚えていた。

 元々リヴィの性格を考えれば、一つの事をやり出せば自分の出来る事は覚えていきたいと考える節が多々あった。

 

 事実、当初は自身の神機の効率を考えた延長で舞踊を習っているが、最近ではそんな当初の意味すら置き去りになっている様にもおもえていた。

 既に幾つかの演目を習得してからは格段にその動きが多くなっている。当初の目的でもあった神機の扱いに関しても、やはり細かい動きや体重移動が明確になっているからなのか、以前に比べれば格段に動きは良くなっていた。

 屋敷ではシオと同様に厳しい稽古を付けている事を知ってるからなのか、エイジは少しだけ苦笑いをしていた。そんな部分があるからなのか、今の2人は初々しい雰囲気は既に無く、どこか長い間一緒になった夫婦の様な雰囲気が滲んでいた。

 あの姿を見れば横槍を入れる事は難しい。お互いが知ってか知らないでなのか、周囲を全く気にしていない様にも見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロミオ。その羽織、随分と草臥れてるみたいだな。所々ほつれてる。少しだけ貸してくれないか?」

 

「ああ。良いぜ」

 

 食事を終えた際にジッとロミオを見ていたリヴィの目に留まったのは僅かに袖口が綻んでいる点だった。

 これまでの戦いはどれも楽な相手ばかりではない。時折攻撃を受けて飛ばされる事があるからなのか、着ている服はどの場所を見ても色々な痕跡が残されている様だった。

 連戦に次ぐ連戦では肉体的な物だけでなく、精神までも疲労する。そんな状況下であってもロミオは自身の事よりも他人の事を優先していた。

 神機の組み合わせもあるのかもしれない。しかし、ロミオの本質はリヴィが知っている当時と違っていないからなのか、渡された羽織を繕いながらも口元には僅かに笑みが浮かんでいた。

 

 

「どうした?何か良い事でもあったのか?」

 

「そんな事は無い。ちょっとだけ和裁を習って良かったと思っただけだ」

 

 そう言いながらリヴィの手が止まる事は無かった。なぜなら先程の話の中で自分とロミオの話題がリヴィの耳にも届いていたからだった。

 元々そんなつもりは毛頭ない。しかし、子供の頃に交わした枠約束を考えれると、今の自分がそれだけ助けになっている様にも思えている。そんなささやかな行為がリヴィの為にもなっていた。

 

 

「そら。出来たぞ」

 

「おお!サンキュー」

 

「しかし、随分と大事に着てるな」

 

「そりゃ当然だって。無明さんから貰った物だし」

 

 繕った部分を完全に補修した羽織は貰った当時の様になっていた。全体を見ればやや草臥れた部分が幾つもあるが、それはロミオが戦場で戦った出来た証。

 以前のロミオであれば間違い無く自分の身に着けている物を意識していたかもしれないが、この羽織りを着る様になってからはそれ程気にする事は少なくなっていた。

 それはこの羽織りを受け取る際に無明から入れた言葉に起因していた。

 

 

 

 

 

「ロミオ。生憎とお前の力を完全に伸ばす事は時間的威は難しい。だが、今の気持ちを忘れる事無く精進だけは続けるんだ。お前も知っての通り、エイジだけでなくナオヤも常に時間を作って鍛錬を続けている。1日休めば取り戻すのには最低3日必要となる。それを常に忘れるな」

 

「はい。分かりました。短い期間ではありましたが、ありがとうございました」

 

「折角ここまでやったんだ。自分を常に客観視しろ。焦りや油断は死に繋がる。折角それを経験したんだ。あとは言わなくても…分かるな」

 

「はい」

 

「では、これを渡そう」

 

 相対した所で渡されたのは一枚の羽織。紋付の様に家紋も無ければフェンリルのエンブレムすら入らない漆黒の羽織は、これまでに見た事が無い品だった。

 軽いはずの羽織がロミオの手に渡された瞬間、どこか言い様の無い重さを感じる。だからなのか、これまで感じた事がない感情がロミオの中を駆け巡っていた。

 

 

「これはここで一定以上の鍛錬をした者にのみ渡す物だ。どんな場面に着ても構わないが、それを着る限りここでの事を忘れるな」

 

 無明の言葉にロミオは改めてここでの教導を思い出していた。子供と遊ぶ事で瞬間的な判断力と視野の広さを学び、無明と対峙する事で自身の力量を嫌と言う程に理解させられている。それは当時、北斗やナナを見て自分の立ち位置を見失った頃の事を思い出させる部分がそこにあった。

 しかし、当時と今は決定的に違う。絶対的な力を持つ人間が指導する事で自身の欠点を理解し、それを克服するだけの事を学んでいた。

 時間が足りないと思うのはある意味では当然でもあり、ロミオも本当の事を言えばまだまだやりたいと思う気持ちが無い訳ではない。

 しかし螺旋の樹の探索が佳境に入っている以上、悠長な事も出来ないのも事実だった。いち早く実戦に等投入されても結果を要求される。

 ロミオ自身が自分の立ち位置を完全に理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだ。リヴィは屋敷でも教導をしてるんだよな。実際にはどんな事してるんだ?」

 

「私か?私は……そうだな」

 

 突然の質問にリヴィは改めて考えていた。まだ情報管理局に居た頃はただ仲間だった人間を屠る仕事だけを命題にこなしていた。自身の異様な能力を最大限に理解しているからこそ出来る任務。

 常にアラガミではなく人間か、若しくは人間だった物を討伐する任務に明け暮れる事によって、周囲の状況が何も見えないままに過ごしていた。

 

 だが、今となっては過去の話に過ぎない。今屋敷で学ぶ事は舞踊や華道。茶道の様な旧時代の習い事と呼ばれる物を習う事が格段に多くなっている。

 元々の動機はともかく、随分と人間臭いどころか逆にここの人間以上に馴染んでいると思う節もある。アリサやマルグリットの様に早々足を運ぶ機会無いかもしれないが、それでも時折向かった際には温かく出迎えられている記憶があった。

 

 

「色々とやってるな。和裁もそのうちの一つだ」

 

「あ~確かに。花見の時のあれも良かったよな」

 

「……そうか。ロミオはああ言うのが好きなのか?」

 

「う~ん。実際の所は分からないけど、やっぱり少しだけ滞在してたから気になるのは間違い無いかな」

 

 当時の事を思い出したのか、リヴィもまた同じく花見の際に出したお茶の事を思い出していた。当時は今よりも手つきは怪しかったが、今では堂に入っているのか随分と安定している。ロミオの言葉に、次回の花見にはもっと本格的にやろうかとリヴィは密かに考えていた。

 

 

「そうか。だったら次は楽しみにしていてくれ」

 

「ああ。楽しみに待ってる」

 

 ロミオの笑顔にリヴィは胸の辺りが温かくなった気がしていた。既に先程聞こえた声の事など自身の記憶から遠くなったのか、気にする事は無くなっている。

 既に2人の空気は他の誰もが入り込めない程になりつつあった。

 

 

 

 

 

 

「何だか2人の世界って感じだよね」

 

「このままあそこに行くのはちょっとだけ勇気が必要ですね。私達は少しだけ離れませんか?」

 

「その方が良いかも。確か極東で言われた言葉があったよね。え~っと。確か馬に蹴られて死んじゃえだっけ?」

 

「ちょっと違いますが、概ねその通りですね」

 

 ナナとフランは珍しく時間が合ったからとラウンジまで足を運んでいた。

 元々フランはオペレーターの為に規則的にはなっているが、ローテーションの関係で食事をするタイミングが重なる事は少なかった。

 そんな事もあってか久しぶりにラウンジへと足を運び、扉を開けた瞬間に飛び込んだ光景に2人はそれ以上の事は何も言わず、大画面ディスプレイの置かれたソファーの場所へと向かっていた。

 

 

「お二人だけなんて珍しいですね。どうしたんです?カウンターの方が良いと思いますけど」

 

「あ!アリサさん。ちょっとあの雰囲気の中であそこに行くのは……」

 

「確かに言われてみればそうですね」

 

 2人を見た事によって移動してきたアリサも改めて2人が座っている席を眺めていた。

 ここに来てからずっとだった事はアリサも知っているが、それ以上何を言ってるのかまでは聞くつもりは無かった。

 楽し気な表情を見れば何を思って話してるのかは大よそ想像出来る。だからなのか、アリサもまずはとばかりに2人の分の飲み物をあらかじめ用意していた。

 

 

「ついでにオーダーなら聞きますよ。何にします?」

 

「今日はエイジさんなんですよね。だったら……あれが良いかも。フランちゃん。偶には変わった物を食べない?」

 

「変わった物ですか?」

 

「そう。中々食べる事が出来ないんだよね」

 

「そんなのがあるんですか」

 

 アリサを見たナナは何かを思い出したかの様に話をフランに振っていた。突然振られた事でフランもナナの思惑に気が付かない。そんなナナの質問にフランも何となくの返事しか出来なかった。

 

 

「あの、アリサさんが食べたのと同じ物を頼んでも良いですか?」

 

「私と同じ物ですか?何時もと変わりませんよ」

 

「それでも良いんです」

 

 ナナの言葉にアリサも疑問を持ちながらも特に意識する事は無かった。しかしアリサは自分の食べるメニュー、特にエイジが作った物しか食べない為に他とはどう違うのかを理解していなかった。

 そもそもアリサが口にするのは殆どが純和食と呼ばれる内容なだけに、他の人間が早々口にする機会は無い。

 一方のアリサからすれば普段と同じでもあり、屋敷で食べるのも最早変わらない物と言った認識しかない。それはあくまでもアリサの目線。他からすれば垂涎のメニューでしか無かった。

 

 

「じゃあ、頼んでおきますね」

 

 そんな言葉を聞いたナナはどこか満足気な表情を浮かべ、フランは未だ疑問を持ったままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかこれ程とは……」

 

「何だか屋敷で食べた時の事を思い出すよ」

 

 用意された食事を見た瞬間、ナナの目は輝き、フランは只々関心だけしていた。

 フランの認識ではこんな食事をラウンジでした記憶は殆ど無い。時折口にする焼魚を中心とした定食を口にする事はあっても、こうまで豪華だと思える物は口にした事は無かった。

 普段の焼魚の様に醤油をかけるのではなく照り焼きになっている事によって味わいが深く、またその他の胡麻豆腐や枝豆を使った豆腐の2色が普段とは違う物だと認識させられている。

 実際には何時もの定食に小鉢を数点付けているだけの品。しかし、調理の手順や見せ方が違うからなのか、ナナだけでなくフランもまた珍しく味わっていた。

 

 

「何時もと同じだと思うんですけど」

 

「アリサさんはそうかもしれないですけど私達にとっては貴重なんです」

 

「そうですね。ここまでの物はここで食べた記憶はありませんね」

 

 美味しく食べる2人を横目にアリサはエイジから貰った緑茶を飲みながらロミオとリヴィをこっそりと眺めていた。

 あのままあそこに居ても良かったが、エイジとて作業を開始すればアリサは手持無沙汰になるしかない。だからと言って他の場所に移動するのも気が引けていた。

 そんな中でナナとフランを発見した事によって自然と移動に成功している。

 お互いが思いやる姿を見たからなのか、アリサもここ最近の仕事内容を改めて確認していた。

 今の段階で抱えたり、緊急となる仕事は何も無い。ここは一つ例の如く屋敷で少しだけ皆と話をするのも悪くは無いはず。今ならサクヤと弥生に話せば問題無いだろうと一人が画策していた。

 

 

 



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第68話 雨宮家の休日 前篇

 普段は激しく響く剣戟と、何かに叩きつけられる音が響く道場は少しの音だけを残してその存在感を表していた。

 常に何かしらの教導があるにも拘らず、今に限ってはそんな気配は微塵も無い。だからなのか、僅かに聞こえる剣戟の音に誰もが気がつく事は無かった。

 普段の竹刀に比べ、僅かに短いそれは、常に攻撃を続けるからなのか、回転が早く、相手の攻撃を許す事は無かった。

 常に少し先を予測するからなのか、其れとも攻撃させる事を目的としているからなのか、防御に回った側は反撃の素振りは見当たらない。

 既に数える事すらしていない攻撃はまだ未成熟な肉体のスタミナを容赦無く奪い去る。気が付けば攻撃をしていた側は肩を激しく動かす程に、身体が要求する酸素を強引に取り込んでいた。

 

 

「取り敢えずは一旦休憩だ」

 

「まだやれます」

 

「ダメだ。まだ身体が出来てないんだ。無理にすれば良いって訳じゃないぞ」

 

「でも……」

 

 

 道場に居たのは、何時もの子供達ではなく、一組の親子だった。父親は既に休憩だと言わんばかりに仰々しい籠手が付けられた方の手で竹刀を片付けている。そんな状況を見たからなのか、子供もまた竹刀を片付けていた。

 

 

「まだ時間は沢山あるんだ。この後はまた違う事をすれば良い」

 

「本当ですか?」

 

「ああ。今日1日は完全な非番だ。子供がそう気を使うな」

 

 父親が子供の頭を激しく動かすと髪がクチャクチャになっていた。本来であれば真っ先に直す所だが、生憎とここには2人以外に誰も居ない。

 そんな父親の言葉に子供は改めて笑顔を浮かべ、次にやる事を決めていたからなのか、母親の声を聞くと直ぐに道場を後にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「姉上がですか?」

 

「先程連絡があってね。どうやら無事に産まれたらしいよ」

 

 何時もと変わらない任務を遂行し、リンドウは簡単な報告書をサクヤに提出していた。

 元々今回は教導を終えたばかりの新人に随行した為に、それ程難易度が高いミッションでは無かった。

 監督の為にリンドウ自身は余程の事が無い限り手は出さない。そんな事があるからなのか、報告書もかなり簡素な内容となっていた。

 そんな中で飛び込んできた榊からの話にリンドウは改めて妻でもあるサクヤにも確認をする。既に情報が届いていたからなのか、サクヤもまたリンドウを見ていた。

 

 

「リンドウ、今日はこれで終わりよ。折角だから義姉さんの所に顔を出さない?」

 

「それは構わんが、サクヤの方はどうなんだ?」

 

「私の方も今日はこれで終わり。緊急事態が無ければね」

 

「ま、大丈夫だろ?今日はエイジも居るみたいだしな」

 

 そんなリンドウの言葉にサクヤも改めてロビーの方を見ていた。

 そこには既にミッションから戻ってきたからなのか、エイジだけでなくアリサと珍しくソーマも居る。今日のミッションの内容が何だったのかはともかく、現時点での最高戦力が居るのであれば気にする必要は無いだろうと考えていた。

 既に時間もそれなりに経過しているからなのか、太陽は大地へと沈みかけている。サクヤが言う様に、この後に緊急の何かが無ければこれで終わりなのは間違いなかった。

 そんな中でリンドウは改めて冷静に思い出す。2人が一緒に終わったり、非番になるなんて事はここ最近の中では数える程しかない。

 久しぶりの家族水入らずと判断したからなのか、いつもの様に息子のレンを迎えに行ってではなく、姉の所に顔を出す事を決めていた。

 

 

「お~い。今日は俺達ちょっと姉上の所に行くから後は頼んだぞ」

 

「了解しました。偶には家族水入らずで過ごして下さい」

 

「悪いが、そうさせてもらうぞ」

 

 リンドウの言葉にエイジも理解したのか、そのまま応諾している。エイジも同じく榊から連絡が入ったからなのか、特に何も言う事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「義姉さん。お疲れ様でした」

 

「ああ。まさかああまで痛みを伴うとはな。あれならアラガミと戦っていた方が何倍もマシだな」

 

 出産後もあってか何時もの様に凛とした雰囲気を持つことが無かったからなのか、ツバキはどこか疲れ切った表情のままだった。

 別室には産まれたばかりの子供が居るからなのか、この部屋にはツバキ以外に誰も居ない。本来であればここに無明が居るはず。にも拘わらず、この屋敷の当主でもある無明は席を外していた。

 

 

「そう言えば、無明の姿が見えないが、何処に?」

 

「今はここには居ない。産まれた直後に任務に出たからな」

 

「せめて産まれた時位は居れば良いだろうに」

 

「そう言うな。あれも忙しい身なんだ。実際にここ最近は仕事が滞っているのも事実だからな」

 

 ツバキの言葉に何か思い当たる事があったのか、リンドウではなくサクヤが僅かに思案顔をしていた。

 ここ最近に限った話ではないが、サテライトにどんな物を優先するのかを検討する際に、アリサだけでなくエイジもまた無明と相談するケースが多くなっていた。

 

 農業と建築のプラントがフル稼働する事になれば、当然の事ながら人も金も大きく動く。幾らサテライト計画の責任を考えているとは言え、完全に調整する事は不可能だった。

 入植者全員が善人ばかりではない。時折自分の都合だけを主張する人間を見る機会が多くなっている事から、その対策を練る為にどうしても確認すべきことが幾つも存在していた。

 幾らクレイドルと言えど権謀術数に長けている訳ではない。世間から見ればゴッドイーターとしての実力はあれど、策謀に関しては素人の域でしかない。

 折角サテライト計画を聞きつけて自身の命の危険を顧みずに来ている人間を放り出す事は出来ない。だからなのか、イレギュラーな対応をする為の対策がここ最近になって急増していた。

 

 

「確かに、最近のサテライト計画を順調すぎる位だしね。昨日もアリサが少しぼやいていたわよ。時間が足りないって」

 

「そうか……最近は俺も新人の事が殆どで、サテライト関係の事はノータッチだったからな」

 

 アリサだけでなくエイジもまた同じく何かにつけて対応を迫られる事が多くなっていた。

 只でさえ極東の上位戦力を持つ人間は万が一の事を考え、現場に置いておきたい。しかし、クレイドル計画の最大の目標でもある人類救済は未だ道半ば。

 エイジがラウンジに入る回数も少しづつ少なくなっている事をリンドウも思い出していた。

 

 

「こっちの事は気にするな。それよりもお前たちが夫婦揃ってここに来るのは随分と久し振りじゃないのか?幾らレンがここに普段から居るとは言え、もう少し親らしく過ごしたらどうだ?」

 

「その件はまぁ……おいおいと」

 

 ツバキの言葉にリンドウは苦笑するしかなかった。

 確かに屋敷では同年代の子供も多く、何事も気にする様な事は無い。実際にここでの環境は色々な意味で恵まれていると思える分が多分にあった。

 

 一番の理由は外部居住区ではないからなのか、誰もが自分の理想を掲げている点だった。

 そもそも屋敷に住まう子供の大半は何らかの理由によって自分の親と一緒に生活する事が無く、また、遊ぶ子供の年齢に差はあっても、それが元で何らかの差別は一切発露しない事だった。

 子供は自分の産まれを望む事は出来ない。

 大半の人間はアラガミからの強襲を逃れ、常に糊口をしのぐ生活を余儀なくされている。

 仮に外部居住区やサテライトであれば人間としての最低限の生活は送れるが、それ以外の人間に関する待遇は格差を通り越して呆れるしかない。

 どんな時代も犠牲になるのは常に弱者。そんな子供達を保護しているからこそ、有事の際にはしっかりとした対策を練る必要があった。

 傍から見れば家庭を犠牲にしているともとれるが、それがあるからこそ今に至る事を知っているツバキからすれば、そんな時に不在にするのは些細な事だと判断していた。

 

 一方でツバキから不意に言われた事により、リンドウもまた改めて自分の事を考えていた。

 派兵に行っていた頃はある意味仕方ない部分があるものの、今は完全に極東支部内に居る。しかし、アラガミの強襲の際には駆り出される事も多く、実際に息子のレンとは通信はする事が多くても触れ合う機会はそれほど多くは無かった。

 

 

「まぁ、良いだろう。無明からの伝言だ。明日が非番ならここで一日ゆっくりと過ごせとな」

 

「なるほど……それならお言葉に甘える事にしますよ」

 

 ツバキの言葉にリンドウだけでなくサクヤもまた同じ事を考えていた。

 レンに関してはツバキが居る事もあってか、居住区画で生活するのと屋敷で生活する割合は殆ど同じ様になっていた。

 まだ小さい子供が居ると言うのはあくまでも平和な世界だった頃の話。確かにゴッドイーター同士の婚姻は増えているが、それに伴う規制や規律は未だ出来上がっておらず、戦力の低下を考えれば、暗に子供は難しいと言外にしている部分もあった。

 そんな事を考えればレンは随分と恵まれているのかもしれない。今の2人は同じ事を考えている様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に!」

 

「ああ。明日は休みだ。いつもかまってやれなくてすまんな。その分一緒に遊ぶか」

 

 部屋に戻った際にリンドウがレンに対しての第一声にレンは珍しくはしゃいでいた。

 元々ここでは大人びた口調で話す子供も多く、またそれぞれが何かしらの特技を持っているからなのか、小さな子供からすれば10歳前後の年齢は随分と大人びた印象を与えていた。

 元々誰かが教育した訳では無い。ここでは規律を正しく守る事と、自分達が大人になってから何が出来るのか、何がしたいのかを考えるだけの環境があった。

 食だけではなく、アラガミの脅威に怯える機会が少なくなれば、その事に関しての考えを持つ必要性は希薄になる。

 もちろん、世間を何一つ知らない訳では無いが、それでも小さな子供達が自分の将来をゆっくりと考える事を可能にしていた。

 そんな自分よりも年上の子供を見ているからなのか、レンもまた年齢の割に大人びた発言をする事が多かった。

 

 そんな中でのリンドウとサクヤの休日はこれまでのレンの口調を変える程だった。屋敷の中でも数少ない自分の親が居る子供。だからなのか、レンは思わず何時もとは違い、年相応の言動となっていた。

 

 

「だったら、朝は道場に行きたいです」

 

「道場?」

 

「毎日稽古してるんで……」

 

「そうか……じゃあ、明日は早起きだな」

 

「はい!」

 

 レンの顔には自分がどんな事をしているのかを知ってほしいと言っている様にも見えていた。

 リンドウとて大よその事はサクヤから聞いては居るが、実際にこの目で確認した訳では無い。何となく聞いていたからなのか、レンの言葉にリンドウもまた実際に目で見た方が早いだろうと判断していた。

 

 

「あら?随分と楽しそうな話をしてたみたいね」

 

「明日の朝は父様と道場に行くんです」

 

「そう。だったら今日は早く寝ないとね」

 

 サクヤの言葉にレンは改めて明日の事を楽しみにしていた。既に自分の中でやりたい事が決まっているのか、興奮して中々寝付かない。

 本来であればそんな様子を見て窘めるが、夫婦そろって忙しい日々を過ごしたからなのか、今のレンを見て窘めるつもりはどこにも無かった。

 

 

 

 

 

 昨晩寝付けなかったのが嘘の様にレンだけでなくリンドウもまた早朝から目を覚まし、身支度を済ませた後に道場へと足を運んでいた。

 既にナオヤが自主鍛錬をしていたからなのか、朝特有の冷たい空気は無く、既に自身の熱気によって暖められた空気が漂っていた。

 

 

「お。早いなレン。それとリンドウさんもでした?」

 

「ああ、今日は一日非番なんでな。偶には家族サービスもしないとダメだろ?」

 

「そうでしたか」

 

 お互いが気が付くと挨拶をしながらも、ナオヤはやるべき事を止めるつもりは毛頭無かった。

 既に自主鍛錬は佳境に入っているからなのか、足元には汗が多量に落ちている。実際にどれ程の時間をここで過ごしたのかを知る術は無い。

 既にそんな事など知っているとばかりにレンは正座をしてナオヤの動きをジッと見ていた。

 大気を斬り裂かんと振りぬく棒は元々教導をこなしているからリンドウも知らない訳では無い。しかし、あの技量を支える程の鍛錬をこんな時間からしているとなれば、息子のレンも同じかとリンドウはそう考え、今はナオヤの動きを目で追っていた。

 

 

「今日は一日リンドウさんと鍛錬だな」

 

「はい!そうです」

 

 どこか子供らしくはないが、ここではそれが当たり前なのか、ナオヤもまた同じ言葉をかけ、汚れた床を掃除し道場を後にする。

 既に用意していたのか、レンもまた小さな竹刀を手に素振りを開始していた。

 

 

 

 

 

「まさか、ここまでとはな………」

 

 レンの息遣いだけが響く道場の中でリンドウは独りごとの様に呟いていた。

 元々サクヤからも話は聞いていたが、まさかこうまでだとは思ってもいなかった。まだ年齢を考えれば何となく振っている様に思うも、レンを見れば一振り一振りに強い意志を感じてしまう。

 親の欲目かもしれない。しかし、今のレンから感じるそれは既に子供の気迫ではなく一人の男として鍛錬をしている様にも見えていた。

 自分達の偏食因子の影響なのか、同年代の子供に比べれば肉体的には見劣りする部分が少ない。まだ産まれた当時は毎週の如く検査する事があったが、今ではその検査も精々が三月に一度程度。

 時折聞く榊の言葉からも他の子供とは違う事だけは聞かされていた。

 

 

「父様。少しだけ手合わせをしてほしいんですが……」

 

「良いのか?」

 

「せひ!」

 

 屈託の無い顔のレンは純粋に話をしたに過ぎなかった。もちろんリンドウとて自分の子供の成長を見守るつもりがある為に拒否する事は無い。精々がどこまで手加減すれば良いだろうかと考える程度だった。

 道場の壁にかけてあった大人用の竹刀を左手に握る。何時ものガントレットでは竹刀そのものを破壊する可能性が高いからと言った理由だった。

 お互いがゆっくりと対峙する。レンは念の為に防具も着けたが、リンドウは竹刀以外には何も持たないままだった。

 お互いの目線が交差する。レンは既に戦う意志を見せているからなのか、リンドウを見る目は先程とは違い、お互いの相手と言う認識に変化していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見ない間に随分と強くなったな」

 

「ここではまだまだです。僕なんてここでは弱いですから」

 

「年齢と経験を考えれば十分だ」

 

 レンと対峙したリンドウは少なからず驚く部分の方が多かった。元々の事を抜きにしてもレンが放つ斬撃はとてもじゃないが4歳児が放つそれではない。

 時折ヒヤリとする斬撃はリンドウをしても厳しいとさえ感じる攻撃。

 一方のレンもまた、どれほど叩きつけても全ての攻撃が完全に回避ではなく攻撃の一部の箇所に気が付かない程に手を出されていた。

 力の方向性が変わった以上、レンの攻撃はそのまま床へと叩きつける結果となり、手が痺れたのか、僅かに制止する。

 手加減をしているとは言え、我が子にこんな感情があったのかとリンドウは改めて驚く。そんな事を思いながら一合二合と斬り合っていた。

 幾ら鍛えているとは言え、やはり子供と大人の体力差は覆る事は無い。気を抜いたからなのか、レンは肩で息をすべく、呼吸を荒らげていた。

 

 

「リンドウ……レンもここだったのね。朝ごはん出来てるわよ」

 

「もうそんな時間か」

 

「お腹が空きました」

 

 サクヤの声に道場の時間は再び動き出してた。気が付けば時間もそれなりなのか、周囲に音が宿り出す。

 リンドウとレンは改めて客間へと足を運んでいた。本来ならば用意されるのはここの人間が用意した物。しかし、今日はツバキの言葉通り、家族水入らずだからなのか、サクヤが用意していた。

 何時もと変わらない朝食ではあったが、やはりここでもレンは嬉しさを隠す事無く食べていた。

 

 

「しかし、ここはいつ来ても変わらないな」

 

「そうね。ここに居ると本当に日常から切り離されてる様に感じるのよね」

 

 レンと食事をしながらもリンドウは少しだけ庭に視線を映していた。

 元々ここは外部居住区よりもネモス・ディアナに近いからなのか、庭には緑が生い茂っている。

 春は桜が満開になるそれも、既に青々とした葉が夏の彩を浮かび上がらせていた。

 サクヤが用意した味噌汁を飲みながら改めて考える。エイジはこの光景を見たからこそサテライトの計画に邁進し、アリサもまた同じ様な事を考え今に至る。

 あの2人の存在意義を垣間見た気がしていた。

 

 

「ここが旧時代の日本なら、外部居住区はどうなんだろうな」

 

「そうね。今でこそ区画整理が終わっているからかなり住環境は良くなったみたいだけど、中々それはそれで問題があるみたいよ。この前もコウタがそんな事言ってたわ」

 

 アナグラでは無いからこそ改めて自分達の思いを呼び起す。恐らく一人だけの休日であればそんな風に感じる事は無い事は間違い無かった。

 ここまでゆったりとした時間を過ごしたのは何時以来なのか。レンだけでなく、リンドウとサクヤもまたこれからの未来を考えたからなのか、どこか穏やかな顔をしていた。

 

 

 



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第69話 雨宮家の休日 後編

 リンドウ達が休日となった一方、アナグラもまた珍しくゆったりとした時間を過ごす事になっていた。既に懸念された事案に一応のメドがついただけでなく、最近の忙殺気味だったそれが落ち着いた事もあってか、ロビーだけでなくラウンジもまた穏やか時間が流れていた。

 本来であれば時間や予定を見越して休暇を回す事が多かったが、今回は突発的な状況だったからなのか、誰もがそんな時間を過ごす事はなく、ただラウンジで話す程度だった。

 

 

「そう言えばリンドウさんとサクヤさんは見かけませんでしたが、今日は共に非番なんですか?」

 

「そうみたいですね。ですが、最近の多忙さを考えれば当然でしょうね」

 

 何気に話したフランの言葉にヒバリもまた思い出したかの様にスケジュールを確認していた。

 元々日程の都合がついた際には独身者よりも既婚者を優先して休暇を取り易くしているのは、偏に家庭を大事にする方針を極東支部が取っているからだった。

 事実、リンドウとサクヤにはレンが居るが、お互いが多忙になれば必然出来に触れ合う時間が削られて行く。元々の経緯を知っているヒバリからしても、どこか申し訳無い部分が多分にあった。

 最近はサテライトの兼ね合いで極東支部を支える戦力が一時的にダウンしている。エイジだけでなくアリサとソーマが建設地の防衛と入植に関する業務をこなしている為にリンドウが必然的に出動回数が多くなっていた。

 そんな事を察したからなのか、ヒバリは弥生に相談した結果、お互いの休日を合わせていた。

 

 

「確か、レン君でしたよね。普段はどこに居るんですか?」

 

「レン君の場合は基本的には居住区に居ますが、結構屋敷のほうに居る事も多いみたいですよ。あそこは同じ様な子供も多いですから」

 

「そうだったんですか」

 

「確かにゴッドイーターの婚姻は増えましたが、子供までとなると中々難しいみたいですよ。実際に子育ての環境をどうやって整えるのかは今の所試行錯誤してるみたいですし」

 

 ヒバリはそう言いながらムツミが用意した飲み物を口にしていた。

 元々ここではメニューすら無かったからなのか、ムツミも何かを見ながら作っている。ヒバリとフランが口にしているのはこれからの時期に合った新メニューでもあるスムージーの炭酸割。

 程よい甘さと炭酸の刺激はこれまでに無いからなのか、実験的に用意されたクッキーと同時に出されていた。

 

 

「実際に難しい部分も多いみたいですね。一番は戦力的な意味合いですが、やはり住環境を考えるとアナグラの居住区では難しいですし、だからと言って外部居住区にその時だけ引っ越すのも無理ですから」

 

 何かを思い出したのか、ヒバリは弥生と榊が話し合っている場面を偶然にも見ていた。

 屋敷の様な環境を維持するには、それなりに人員と設備が必要となる。だからと言って屋敷を開放する訳にも行かず、悩みの種は尽きないままだった。

 

 

「所でヒバリさんの所はその辺りの予定はどうなんですか?」

 

「私の所よりもアリサさんの所の方が先ですよ」

 

「ですが、授かりものって言う位ですから、順番は関係無いかと」

 

 フランの言葉にヒバリの分が悪くなりだしたのか、徐々に言葉に詰まり出す。

 元々そんなつもりで言った話でも無ければヒバリとて考えていない訳では無い。しかし、今の現状を考えると中々そんな事を言いだせない部分もそこにあった。

 そんな事もあってかアリサの方へと話を向けるも、これまでに散々ヒバリと話しているからなのか、フランは変更する気配を見せない。

 万事休す。そんな言葉を思い起こす瞬間だった。

 

 

「あっ!フランちゃん。今日はサクヤさんを見ないんだけど、知らない?」

 

 ヒバリへの攻撃はナナからの質問によって遮られていた。ここが撤退のポイントだと判断したのか、ヒバリはまだ残っているスムージーを飲み干しそのまま退散する。既にフランもナナと会話しているからなのか、その流れで解散となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば最近のアナグラの様子はどうだ?」

 

「そうですね。義姉さんが居た頃とは多少は違いますが、それでも雰囲気は悪くないですね」

 

「そうか。色々とやることだけは多いからな。体調がよくなってある程度の目途が立てば復帰できるんだが」

 

 レンは食事の後、屋敷を離れていた。元々予定していたからなのか、レンだけでなく他の子供達も一緒の行動している。だからなのか、何時もはどこか喧噪が聞こえる屋敷も少しだけ静まり返っていた。

 夏特有の空気が部屋を通り抜けるからなのか、それとも周囲を囲む木々がそうさせているからなのか、少しだけ熱が籠った部屋に一時の清涼感が漂っていた。そんな中で、ツバキもまた何かを思い出したかの様にサクヤに現状を確認している。

 ツバキが最後のアナグラを見たのは螺旋の樹の終焉と同時に聖域が出来た当初の光景だった。

 

 

「結構大変ですよ。男の子なら尚更です。レンも今でこそああですけど、最初は大変でしたから」

 

「そうか。ここには一応乳母代わりにと、人が来ているからな。時間に関しては多少は融通が利くだろう」

 

 ツバキの言葉にサクヤは内心羨ましいとさえ考えていた。

 確かに子供が成長する事を見るのは喜ばしい事ではあるが、実際には夜中に泣いたりと時間の概念が大きく狂う。それを実体験としているからなのか、サクヤはツバキの言葉に羨ましいを通り越し、ここは他とは違う。そんな取り止めの無い気分になっていた。

 

 

「それでも大きくなるまでは油断も出来ないですから」

 

「そうだな。その辺りは追々考える事にしよう。それと済まなかったな。リンドウもレンだけと遊ぶ事が出来なかった様で」

 

「構いませんよ。普段からここにはお世話になってますから。それに人数が多い方がレンも喜びますから」

 

「そう言ってくれると助かる」

 

 元々早朝の稽古の後はどこかに出かける予定だった。本当の事を言えばここでも十分ではあるが、だからと言ってそれだけで終わらせる訳には行かないと、リンドウは半ばなし崩し的に子供達の引率をする事になっていた。

 行先は水遊びの出来る場所。アラガミの危険性は少ないが、万が一の事がある。

 本来ならば神機を用意する必要があるが、リンドウに関しては自分の能力で神機の代わりが出来るからと、突発的ではあったがそのまま実行されていた。

 

 

 

 

 

「あいつらからも聞いていたが、まさかこうまでだとはな……」

 

 リンドウの向かった先には以前にもエイジ達だけでなく他のメンバーも来ていた場所だった。

 流れはあるが急では無く、また浅い場所もある為に、リンドウの監視の元それぞれが思い思いの場所で遊ぶ事になっていた。

 気温に合わない水温に子供達の歓喜の声が響く。レンもまた同じだっただのか、年相応にはしゃいでいた。

 

 

「父様もどうですか?」

 

「そうだな……一緒にと言いたいが、生憎とここの用意をしてないからな」

 

「そうでしたか……」

 

 落ち込むレンを他所にリンドウもまた心の中で謝っていた。

 服を着ている分には何も問題ないが、実際に何も着ずに入れば自分の右腕がどうしても晒される事になる。

 右腕に付けられたガントレットは水がかかったとしても何ら問題は無い。それよりも問題だったのは、肩周辺の付け根の部分だった。

 ここは隠す事が出来ない為に、どうしても脱いだ際には体表とアラガミ化した部分の境目がはっきりと見える。

 気にしないだろうと言われれば確かにそうだが、それでもこのアラガミ化した腕を安易に見せるのは気持ちの良い物ではない。レンは仕方ないとしても他の子供の影響が懸念される。

 だからなのか、用意していない事にしてその場を誤魔化す以外に無かった。

 

 

「レン君。一緒に行こうよ」

 

「そうだぞ。折角来たんだし、泳がないと勿体ないって」

 

 同年代の男女がレンの下に来ていた。元々仲が良いからなのか、リンドウの事を気にしながらもレンを誘っている。

 元々入らない事を考えていたからなのか、どこか寂し気な顔をするレンをリンドウは促す事にしていた。

 

 

「レン。泳ぐのも鍛錬の一つだ。そう言えば、ちゃんと泳げるのか?」

 

「少しなら大丈夫です。見ていて下さい。じゃあ、行こうか!」

 

 呼ばれたと同時にレンは呼びに来た2人と一緒に泳ぎ始めていた。

 冷静に考えるとここには誰かが連れてきているからなのか、レンだけでなく、他の子供達も泳いでいた。

 元々アナグラだけでなく、外部居住区にそんな施設は無い。にも拘わらず当然の様な光景にリンドウは再び驚きながらも、全体の様子を眺めていた。

 

 

 

 

「さてと……そろそろ昼か」

 

 水辺での時間は予想以上に長い時間が経過していた。元々水中は身体に対する負荷がかなりかかるだけでなく、意外と疲労を伴いやすい。

 ましてや子供であればその傾向は更に顕著だった。空腹のままの状態は決して良い物では無い。だからと言って、未だ出る気配が無いからなのか、リンドウもまた思案した矢先だった。

 

 

「お~い。ごはん持ってきたぞ」

 

「あ!シオ姉だ」

 

 シオの声に子供の視線はそちらへと向いている。手に持っているのは大きな風呂敷。

 お重が入っているからなのか、その包みはどこか角ばっていた。

 

 

「まさかサクヤも来るなんてな」

 

「あら?私が来ちゃ変かしら?」

 

「いいや。そんな事無い。こっちはずっと子供の監視だからな。助かった」

 

 シオの持ってきたお重には幾つものおにぎりや、簡単に摘まめる様なおかずが幾つも詰められていた。

 ご飯を見たからなのか、子供達が一斉にシオの下に集合する。そこから先は何時もと同じ光景だった。

 

 

「レンもいつの間にか泳げる様になってたぞ」

 

「あら?本当なの」

 

「ああ。随分と楽しく過ごしてたな」

 

「それは良かったわ」

 

 リンドウはサクヤから渡されたおにぎりを片手にこれまでの事を話していた。

 実際に、こうまで時間の許す限りレンを見る機会はそう多く無い。サクヤはまだここに来る前はずっと過ごしていた事もあってかそれ程では無いが、リンドウの目からすれば驚きの連続だった。

 早朝の稽古から始まり、体力が続く限り泳いでいる。この光景を見たかったから今までやってこれたと思える程に十分すぎている。

 まさに望んだ平和そのものだった。

 既に用意されたご飯は残り僅か。だからなのか、誰もが片手に持ちながらもう一方の手がお重へと伸びていた。

 

 

「そう言えば、これはサクヤが作ったのか?」

 

「私もだけど義姉さんとシオにも手伝ってもらったのよ。因みに、だし巻き玉子は義姉さんが作ったのよ。念の為に数も多く作ったんだけど……」

 

 サクヤの視線の先には我先にと争奪戦が始まっていた。

 作った当初は多すぎるとも思われていたが、身体を常に動かしているからなのか、食事の手が止まる事は無い。

 これまでに見た事がない子供の一面にリンドウだけでなくサクヤもまた目を細めていた。

 そんな中、リンドウの耳朶が僅かな音を拾う。距離的には問題無いが、万が一の事を考えれば先に行動する必要が有る。だからなのか、リンドウの行動にサクヤだけが気が付いていた。

 

 

「ちょっと外す。直ぐに戻る」

 

「…気を付けてね」

 

「レンだけじゃない。他の子供も居るんだ。下手に怪我でもさせたら姉上にこっぴどく叱られるからな」

 

 子供達を尻目にリンドウは既に何時もと変わらない目をしている。この空気を壊す事無く、ひっそりと周囲に溶け込むかの様に行動を開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「折角の休みだって言うのに……こいつらは次々と」

 

 リンドウが拾った音はアラガミの足音。元々通信機は持ち歩くが今日に限っては持っていなかった。

 数は不明だが、見た限りでは然程問題になる事は無いはず。小高い崖から見下ろした先にはコンゴウが一体だけ闊歩していた。

 元々音を聞き分ける能力が高いアラガミ。

 今は問題無いが万が一の事を考えれば真っ先に倒すべき物。だからなのか、リンドウは何も躊躇する事無く一気に飛び降りていた。

 

 何も無かったはずの右手からはロング型神機同様の刃が一気に精製される。元々リンドウとしてもこのまま放置すべき物では無いとの認識があるからなのか、一気に殲滅する方針を取っていた。

 ここはアナグラのレーダーでも確実に察知する範囲。既に指示が出ている可能性も高い。

 防衛班の人間が来るのは間違い無いが、待つ位ならの考えを優先していた。未だ気が付かないコンゴウの頭頂にリンドウが振り下ろした刃が直撃する。

 悲鳴と同時に開戦の火蓋は切られた。

 

 

 

 

 

「あれ?リンドウさん。どうしてここに?」

 

「何だタツミか。俺は休暇中だ。偶然音を察知したから来ただけだ。悪いがこれのコアと他の事は任せたぞ」

 

「良いんですか?」

 

「下手に何かしたら色々と面倒なんだよ。それに休暇中だからな」

 

「……取敢えずは分かりました。でもこんな所に何があるんです?」

 

「ここは水辺があるからな。多分エイジ達も知ってると思うぞ」

 

「そうですか。帰ったら聞いてみます。休暇楽しんで下さい」

 

「そうさせてもらうぞ。おっと……あんまり遅いとサクヤも心配するしな。じゃあ後は頼んだ」

 

「了解です」

 

 一番足が速かったタツミの後に配属されたばかりなのか、息も絶え絶えに他のメンバーが走ってくる。

 元々リンドウの振り下ろした一撃は事実上の致命傷を与えていた。

 斬撃と同時に来る衝撃はコンゴウの頭頂の一部を破壊し、そのまま一気に斬りつけている。

 最初の一撃で結合崩壊を起こすと同時にリンドウはそのまま攻撃の手をを止める事は無かった。再度袈裟懸けから逆袈裟へと二筋の剣閃がコンゴウに向けられている。

 事実上の八つ裂きに近いそれは、如何に生命力が高いコンゴウと言えど瞬時に絶命する程だった。

 タツミが到着した際に見た光景は、横たわったコンゴウの前にリンドウが立っている姿。到着直前になってリンドウが居る事を聞いて居なければタツミも混乱していた可能性があった。

 極東支部の上位戦力。何も知らない配属されたばかりの人間はただ驚くだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら?早かったのね」

 

「タツミが丁度来てたから、事後処理は丸投げだ。で、まさかとは思うが下に着てたのか?」

 

 瞬殺とも取れる早さで討伐をこなし、改めて戻るとそこには再び遊んでいる子供と、黒いビキニを着たサクヤと青いワンピースの水着を着たシオもまた一緒になっていた。

 元々場所によっては大人でもそれなりの深さを持っているからなのか、サクヤとレンだけでなく、他の子供もサクヤとシオと一緒に遊んでいる。

 帰ってきたリンドウを見たからなのか、サクヤは川から上がり、リンドウの隣に腰を下ろしていた。

 

 

「最初は予定してなかったんだけど、折角だからと思ってね。私もまだいけるでしょ?」

 

 サクヤの言葉にリンドウは改めてサクヤを見ていた。ゴッドイーターだからなのか、それとも本人の努力成果なのか、レンが産まれる前と体形に変化が見られない。

 恐らくはサクヤの事を知らない人間が見れば、とてもじゃないが子供が一人いるとは思えないプローポションだった。何時もとは違った光景にリンドウはまだ結婚する前の事を思い出していた。

 

 

「何?どうかした?」

 

「いや……全く変わっていないと思ってな」

 

「何突然そんな事言ってるのよ」

 

 リンドウの肩を叩くも、それに力は入っていない。照れ隠しなのか、いつものアナグラで見る表情とは大きく違っていた。

 

 

「お~2人とも仲良しだな」

 

「そりゃ、夫婦だからな」

 

「そっか。アリサとエイジも同じなのか?」

 

「俺達以上だろうな」

 

 シオの質問に何時もの光景を思い出す。自分とサクヤが不在である以上、今頃アナグラはどうなっているのだろうか。そんな思いが胸中を過るもこちらは非番。だからなのか、そんな考えを瞬時に一蹴していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は中々充実した一日だったな。漸くレンをじっくり見れたぞ」

 

「これからはもう少し時間を取る様にしたいわね」

 

「まぁ……難しいだろうな」

 

 余程楽しい時間を過ごしたからなのか、レンは夕食の後は直ぐに布団に入っていた。

 普段の内容は分からないが、寝顔は年相応。

 あどけない表情のレンを眺めながら2人は晩酌をしていた。

 元々もてなすつもりがあったからなのか、ツバキだけでなく無明もまた顔を出していない。

 非番は実質今日で終わりだが、明日は午後からの任務予定。せめて翌朝までは一緒に居たいからと3人は川の字に布団を敷いていた。

 

 

「しかし、ここでずっと過ごしてたら、どうなるんだろうな」

 

「そうね……ある意味では凄いのよね」

 

 用意された冷酒を飲みながらリンドウだけでなく、サクヤもまた今日一日の事を思い出していた。

 早朝に行われた鍛練は明らかに同年代の子供がやるべき内容ではない。しかし、レンだけが異常ではなく、誰もが同じ様な内容をこなしている。

 だからこそ誰もが疑問に思う事は無かった。

 

 

「前に無明に聞いたんだが、強制はしてないらしい」

 

「そうなのよね。でも、エイジやナオヤを見てたら分からないでもないかもね」

 

「ああ……」

 

 サクヤの言葉にリンドウもまたエイジが配属された直後の事を思い出していた。

 新人にありがちな気負いはなく、淡々と神機を振るっていた。

 それだけではない。新人ではなくベテランでもああまでの攻撃方法をするのはリンドウが知る中では数える程しか無かった。

 アラガミとの間合いや攻撃のつなぎなど、言い出せばキリが無い。エイジだけでなく無明の技量も考えれば納得できる内容だった。

 それだけではない。一般人にも拘わらず教導教官をこなすナオヤもまた、かなりの技量を有している。嫌々やってもあれほどの技量は身につかない。それが何を意味しているのかは言うまでも無かった。

 

 

「どんな結果になるにせよ。レンの人生はレンの物だ。俺達がどうこう出来る様な物じゃない」

 

「そうね……」

 

 そう言いながらリンドウはお猪口の冷酒を一気に飲んでいた。

 キンキンに冷えているにも関わらず、辛口のそれはこれまで味わった事が無い程のキレがあった。

 一方のサクヤもまた少しだけ口にしながらも笑顔で眠るレンの表情を眺めていた。僅かな一時。

 久しぶりに味わった休暇を後に明日からの任務に気持ちは向かっていた。

 

 

 



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第70話 新たな食糧事情

 何時ものとは違った空気がそうさせるからなのか、自分の座るべき椅子に座ったまま榊は厳しい表情を浮かべていた。

 既に用意された書類を見てから微動だにする事は無い。

 まるで接着剤でくっつけたかの様に榊が椅子から離れる事は無かった。そんな榊を見たからなのか、秘書である弥生もまた僅かに休憩をする様に促したのか、何時もの湯飲みを机に置く。

 普段であれば真っ先に手にする湯飲みすら気が付かないからなのか、細いままの目は常に左から右へと動いていた。

 

 

「一度、休憩されてはどうですか?」

 

「ああ。気を遣わせしまったみたいだね」

 

「いえ。これも仕事ですので。ですが、余程重大な案件でも発生したんですか?」

 

 弥生の言葉に榊は一息つけたように湯飲みの中にあるお茶を啜っていた。熱くなかったからなのか、湯飲みの中の熱量は何時もよりは感じられない。半分程飲んでから榊は漸く書類の件を口にしていた。

 

 

「重大と言えばそうかもしれないね。だが、これを実行しようとするとかなりのコストが必要になるだけじゃない。それなりに人も必要になるんだよ」

 

 そんな取り止めの無い事を言いながら榊は先程まで見ていた書類を弥生に渡す。

 元々機密事項でもなかったからなのか、その書類には警告の文言は記されていなかった。

 出された書類を弥生も読んでいく。確かにこの内容は完成すれば確かに影響は大きいかもしれない。しかし、そこに至るには余りにも膨大に動く物が多すぎた。

 その結果、普段であれば苦も無く口にするであろう計画の承認ではあるが、これだけは慎重にならざるを得なかった。

 

 

「しかし、これは……」

 

「そうだね。これにかんしては一度皆と相談した方が良いかもしれないね」

 

「では、早急に手配します」

 

 その言葉を残して弥生は支部長室を後にしていた。元々これが完成すれば今よりも更に住環境が良くなる可能性だけでなく、今後の極東支部の取り巻く状況も向上する可能性が高かった。

 しかし、これをまともに計画すれば明らかにかなりの資材を放出する可能性が高かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは……」

 

「その計画に関してどう感じたんだい?」

 

「確かに言わんとする内容は素晴らしいかもしれませんが、余りにもリスクが高いかと思います。確かにサテライトの技術を使えば可能かもしれませんが、それに見合うだけの内容とは思えません」

 

「まぁ、僕もその件に関しては最初にそう考えたんだが。今後の事を考えると捨てるには惜しいかと思ってね。だからこそアリサ君。君の考えを知りたかったんだよ」

 

 突然の呼び出しにアリサもまた困惑していた。

 支部長室に入り、最初に渡されたのは1枚の書類。これまでの様に簡素な物ではなく、恐らくは本部絡みの書類だからなのか、上質な紙に記載されていた。

 本部が何を考えているのかは分からないが、これをそのまま実行すれば多大な資材を投入するだけではなく、人員の動員も必要となる。

 結果的に回収できるメドは立つかもしれないが、それまでどうやって何をするのかと言われると返事に困る内容だった。

 

 

「今の状態で満足できる回答が得られるとは思えませんので、少しだけ時間を頂きたいです」

 

「それは構わないよ。時間の期限が元から無いに等しいからね。ゆっくりと考えると良いよ」

 

 そんな榊の言葉を尻目にアリサは少しだけ頭が痛い思いをしていた。今回の内容は明らかにクレイドルには関係無いはずの業務。しかし、未来の事を言われればあながち無関係とは言い難い内容だった。

 海洋資源の調査とそれに伴う新たな資材発掘。只でさえどうにも出来ない状況下で新たに湧き出た問題はアリサのキャパシティーを超える勢いだった。

 

 

「因みに支部としてはどうお考えですか?」

 

「そりゃあ、実行できるならした方が良いだろうね。だが、余りにもリスキーなだけで……ね」

 

 榊の言葉にアリサは改めて先程の内容について考える事にしていた。要求される内容はこれまでの物とは明らかに異なる物。

 確かに無いよりは有った方が良いに越した事はないが、これまでに考えて事すら無い代物はアリサにとっても安易に返答出来る物では無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今のサテライトの状況を考えればやれない事は無いと思う。だけど、この内容だと簡単に返事は出来ないだろうね」

 

「やっぱりそう思いますよね」

 

 榊から聞いた内容は、その晩エイジにも持ち掛けていた。

 榊からの提案は魅力確かにあるが、余りにもリスキー過ぎた。仮にそれが完成したとしても、今度は維持をどうするかが焦点となる。

 重要ではあるが、最優先すべき物ではない。それがエイジの第一印象だった。

 

 

「でも、どうしてこんな話が急に?」

 

「詳しい事は分かりません。ただ、見た書類は本部からの命令書に近い内容でした。まさかとは思うんですけど……」

 

 アリサの表情が暗くなるのは当然だった。未だにアリサは本部に対して良い印象を持っていない。

 そもそも本部の独善的なやり方は誰が見ても褒められる物では無い。極東支部としてもそんな無茶な計画を持ち込まれるのは何らかの意図が隠されていると判断していた。

 

 

「でも、それなら弥生さんが真っ先に調査するはずだよ。特に何も言わなかったんだよね?」

 

「そう言えば……そうですね」

 

 弥生の立場からすれば無理難題を吹っ掛けられた場合、真っ先に調査が入る。にも拘わらずそんな話が出ないのであれば、恐らく裏は無いはず。そんな単純な事を見逃していたのは今の状況が全てだった。

 エイジとアリサは普段からクレイドルの中でもサテライト関連で動く事は多いが、決して一緒ではない。

 実際には現場と指揮に分かれるだけでなく、その場でアラガミを発見した際には個人の判断で討伐任務へと変化する。その結果、常に頭の中がフル回転しているだけでなく、その内容は多岐に渡る。無理に身体を動かせば、そのツケはどこかで支払う必要があった。

 

 強化された肉体とは言え身体が資本である事に変わりない。久しぶりの夜だった事もあってかアリサは久しぶりにアロママッサージを受けていた。

 程よく暖められたオイルは新作なのか、何時もの花の匂いではなく、どこか柑橘系を思い浮かべる物。精神の鎮静効果を持っているのか、鼻孔から入るそれはゆっくりと落ち着きを呼び起こしていた。

 アリサの染み一つない白磁の背中に垂らされたオイルをゆっくりと塗り広げていく。普段から肉体の鍛錬をするエイジからすれば、どこに澱みが有るのかは触れる事で直ぐに察知していた。

 解きほぐすかの様にゆっくりと手を肩から腰へ、大腿へと這わす。緊張していた筋肉はゆっくりと弛緩していた。

 

 

「無理は禁物だよ。でも、無理しないとダメな時もあるからね」

 

「……そう…です……よ…ね………」

 

 アリサの性格を考えると、無理をするなと言った所で意味を成さない事はエイジが一番知っている。ましてやサテライトの建設関連での無理難題はそれを更に加速さえていた。

 だからこそ身体の手入れをしなければ、万が一の際に完璧なパフォーマンスを発揮できない。そんな思いから出た行為だった。

 ゆっくりと解きほぐしたからなのか、アリサからは微かに寝息が聞こえる。それを理解したからなのか、エイジはアリサにガウンをかけ、そのままアロママッサージを終了させていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら?珍しいわね。どうかしたの?」

 

 アリサが寝入った事を確認してからエイジは弥生に連絡を入れていた。

 今回アリサから聞かされた内容は海洋資源の利用に関する内容。

 元々サテライトではなく、アナグラの食料工場でも海洋生物、即ち魚介関係の養殖を一部で手掛けている。今回の内容はそれをサテライトの建設地でも可能かどうかの内容だった。

 

 各支部とは違い、サテライトは純粋にフェンリルからの予算が満額で出ている訳では無い。各地のサテライト拠点でも微々たる予算を元に実際には手弁当でそれをこなし、その維持も各支部がこなす事になる。

 極東の様に多額の資金を持ち合わせていない支部ではサテライトの建設は遅々として進まなかった。既に完成している所もあるが、それが安定的に運用出来ているかと言われれば疑問だけが残っていた。

 

 

「アリサから聞きましたが、あの計画はかなり無謀じゃないですか?」

 

「そうね。だから支部長も悩んでいたのよ。確かに地下施設で建造するとなれば何かに直結させる必要もあるし、その維持の事も考えないと後々破綻する可能性もあるわ。だからこそ、その問題をどうやってクリアするのかが焦点なのよ」

 

 弥生の言葉が全てだった。実際に地下を奥深く掘る行為はかなりの物を吐き出す必要がある。もちろんこれまでにも他のサテライトでも似たような案件はあったが、建設そのものに問題が無いだけでなく資源の回収が早かった事からそれ程深刻な状態になる事は無かった。

 しかし今回の計画は海洋資源。建設も維持も倍以上にコストがかかるだけでなく、その投下した資金の回収すらメドが立たない可能性があった。

 先程の言葉が蘇る。にっちもさっちも行かないそれの解決方法を探る為にエイジは本当の意味での確認をする事にしていた。

 

 

「幾ら食料事情に関する事だとは分かっても、これは無理ですよ。実際にどれ程の深さまで掘るのかすら見当が付きませんよ」

 

「期限は無いから現状はこのままでも良いのよ」

 

「そんなつもりは最初から無いんじゃないですか?」

 

 エイジの言葉に弥生は僅かに肩を竦めていた。元々突発的はあるが、強引にやる事をしない。解決方法が見つからないそれをどうした物かと少しだけ考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね……また随分と難儀な話を持って来たね」

 

「言う方は楽なんだけどね」

 

 時間に余裕があるからと珍しくコウタが部屋に来ていた。元々コウタも適当そうに見えるが、実際には色々と気を使う部分が多分にある。

 本来ならラウンジに行く事が多いが、今日は珍しくエイジ達の部屋だった。

 

 

「でもさ、それって結構凄い話だよな。元々そんな事を考えてサテライト建設を始めてるんじゃないのにさ」

 

「それだけ実績を積んで来たからね。特に幾つかの技術は既にサテライトが無ければ派生しなかった物もあるからね」

 

「なるほどね……」

 

 エイジと話をしながらコウタは出されたプリンを食べていた。口寂しさに自分達が作る簡素的な物ではなく、手間暇をかけた代物なのか、トロトロのそれは瞬く間にコウタの口の中へと消えていく。

 元々試作品として作ってた物だったからなのか、コウタもまた遠慮する事は無かった。

 

 

「これ、結構旨いな。これだったら何個でも行けそうだけど」

 

「そう?でも作ろうとすると結構面倒なんだよね。以前に作ったみたいに簡単じゃないから数にも限度があるんだよ」

 

「だろうな。これなら……う~ん。癖になりそう。もう一個良い?」

 

 気が付けば既に完食したのか新たな物を要求する。試作品ではあるが、コウタの反応を見る限り悪くは無さそう。このまま安定して作れるならラウンジに出そう。そんな事を思った瞬間だった。

 

 

「ちょっとコウタ。何勝手に食べてるんですか!それ私のじゃないですよね?」

 

「これはエイジから貰ったんだぞ」

 

 任務が終わったからなのか、アリサもまた部屋に戻って来た。恐らくはラウンジに居なかったからここに来た。そんな行動パターンが手に取る様に分かる。

 突然の帰宅と同時に言われた事で、コウタは思わず弁解していた。

 

 

「おかえり。ちゃんとアリサの分はあるから大丈夫だよ」

 

「本当ですか?」

 

「もちろん」

 

 エイジの言葉にコウタの事など眼中に無かったのか、アリサも改めて冷蔵庫の中を確認する。入っていた事を確認したからなのか、機嫌は少しだけ回復していた。

 

 

 

 

「で、コウタがどうしてここに居るんですか?」

 

「少しだけ時間が合ったから来たんだよ。偶にはラウンジじゃなくてここでも良いだろ?」

 

 コウタの会話をしながらアリサは折角だからと冷蔵庫から何かを取り出し、何かを作っていた。どの部屋にも冷蔵庫は完備されているが、肝心の中身は人それぞれ。

 特にエイジ達の冷蔵庫には他の部屋では口にしない物が幾つも入っていた。

 

 

「この時間なら別に構いませんよ。それよりもコウタこそマルグリット……ああ、ミッションに出てるんでしたね」

 

「最近は結構忙しくなってさ。会えない訳じゃないんだけど、時間がどうしても合わないんだよ」

 

 少しだけ寂しい気持ちが出たのか、コウタの顔には不満の色が僅かに出ていた。

 アラガミはこちらの都合などお構い無しに出没する。本来であれば帰投時間を合わせる事で一緒になれると目論んでいたものの、帰投間際のオープンチャンネルによってそのまま追加ミッションとなっていた。

 ベテランや階級が高い人間程その確率は高くなる。今はここに居るエイジやアリサ、コウタでさえもそんな事は日常でしかない。だからこそ理解はしてるが納得出来ない部分がそこにあった。

 

 

「だったら一緒に住めば良いじゃないですか」

 

「それは……まぁ……」

 

 コウタの表情を見たアリサは何かを嗅ぎ分けたのか少しだけ思案していた。

 恐らくは何かあるのか、それとも何かあったのか。次に時間が合った際には確認しよう。そんな思いを持っていた。

 ソファに座る前に用意したのは自作したメロンフロート。気が付けば上に乗せたアイスクリームが僅かに溶けて膜の様になっていた。コウタを見ながらアリサはほぼ無意識の内に解けたアイスをスプーンで掬って口にする。そんな行為を見た瞬間だった。

 

 

「どうしたんです?」

 

「ちょっと思いついた事があったんだ」

 

 そう言うと同時に近くにあったタブレットを操作しながら何かを検索する。まるで難解が解けたかの様な表情のエイジにアリサだけでなく、コウタもまた疑問を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど……それなら問題は無いかもしれないね」

 

「理論上は可能です。正直な所、居住の事を考えればこの案は無理ですが、そうで無ければ案外と行けるかと」

 

 エイジは確認すると同時に直ぐに支部長室へと向かっていた。

 元々海洋資源に関しては居住区画をどうするのかが最大の問題だった。大量の水と生活しようとすれば、最悪はその水槽が割れた際に多大なリスクを背負う事になる。自分達の命が守られるはずの施設に殺されるであれば本末転倒でしかない。だったら思い切ってその部分を切り取るか住分ける事を優先していた。

 その結果、海洋資源の問題はクリアできる。それと同時に低コスト、短期間での完成も考慮出来る内容だった。

 

 

「確かにこれまでのサテライトよりはコストはかかりますが、その分期間も短期で済むなら問題無いかと」

 

「君がそう言うならやっみてようか」

 

 エイジの提案に榊はすぐさま計画案を作成し、そのまま一気に開発へと舵が切られていた。

 元々はと言えば海洋にある資源を回収する手段は無い。

 旧時代の様な深海にも耐えうる機材があれば話は別だが、本部から提案されたのは誰にでも可能な物である事と、やはりサテライトが出来た事による食糧事情の改善が優先された内容だった。

 既に極東支部としてもこれ以上の増産はかなり厳しく、また、プラントでの製造も既にフル回転している為にギリギリの状態だった。

 そんな中での新たな計画はこれまで殆ど手を付ける事がなかった海での応対。

 アラガミの種を見ても海洋に対応できるのは現時点ではグボロ・グボロだけ。それでも陸に近い場所で出没するだけであれば防衛としても然程問題になる可能性は低い物だった。

 次々と計画が進むにつれ、漸く全貌が現れる。唐突だったからなのか、誰もが榊の話を聞いた瞬間呆けたままだった。

 

 

「実は僕も海洋の調査は少しだけしてたんだよ。これまでのアラガミの進化を考えた場合、あまりにも海洋生物に近い種が殆ど無かったとなれば、海中にはオラクル細胞の影響を減らす何かがあるのかもしれないね。これは学術的に実に面白い試みになりそうだよ」

 

 入り組んだ湾岸の一部をアラガミ防壁の技術を活かし、網状にした物を設置する事になってからは支部長室だけでなく、ラボにいるソーマもまたフル回転だった。

 元々レトロオラクル細胞の研究をしているだけではなく、あらゆる可能性を考慮し、次代に残せる何かを作るのは今を生きる人間の至上命題にも近い。

 今だけが良かればいいだろうと言った考えは研究者であれば持つはずの無い感情。だからなのか、珍しく榊とソーマは同じ研究をする事に終始していた。

 

 

「で、何がヒントになったんだ?」

 

「ヒントは元々無かったよ。ただ、海洋資源と一言で言われても完全に理解するのは不可能だからね。だったら低コストで何ができるのを考えたんだよ」

 

 既に海洋資源の効果は如実に出ていた。これまでであればアナグラに出た料理の中ではどちらかと言えば川魚が殆どの為に、海の魚を口にする事は殆ど無かった。

 アラガミが現れてからは船を出す事も無かったからなのか、用意された網でかこまれた箇所は大きな漁場となっている。網状が故に開閉は簡素化されている。だからなのか、これまで以上にアナグラの食生活は充実していた。

 

 

「でもさ、これだったらその内、海で泳ぐ事も出来る様になるんじゃないか?」

 

「理論上は可能だけど、実際には無理だよ。移動手段の確保もいるし、サテライトの建設は地盤の固さも要るからね。海辺は流石に無理だって」

 

「そっか。良い案だと思ったんだけどな」

 

 獲れた魚をエイジは三枚におろすと同時に、次々とパン粉を付けて油で揚げる。以前に聞いた刺身でもとは思ったものの、やはりどれ程の物なのかが分からない為にフライにしていた。

 熱した油に投入される度に弾ける音が食欲を誘う。気が付けばコウタだけでなく、大人組のリンドウとハルオミもまた待っている様だった。

 

 

「やっぱりビールにはこれだな」

 

「やっぱりリンドウさんもそう思いますか?」

 

「そりゃそうだ。これまでは魚っぽい何かだったが、これならもう前には戻れんな」

 

 ビール片手にリンドウとハルオミは既に晩酌が開始されていた。一方のコウタもまたタルタルソースが乗せられたそれを食べている。試食と言う名の食事は材料がなくなるまで続けられていた。

 

 

 



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第71話 油断大敵

 見渡す限り、周囲には何も無い事だけが分かるからなのか、かなり先に見える大型種は何かを捕喰している姿だけがハッキリと捉える事が出来る。

 ここ『嘆きの平原』は遮蔽物が殆ど存在しない。故にお互いが見つければ即開戦となる場所だった。

 

 

「今の所は気づかれていないですが、ここでは確実に捕捉されます。細心の注意だけは払いましょう」

 

 全員が警戒しているからなのか、シエルの言葉だけが周囲に響く。

 既にこれまで数えきれない程の討伐をこなしてきたからなのか、今更改めてこれからの行動を口にする必要はどこにも無かった。

 未だ気が付かないマルドゥークに向けて全員がゆっくりと歩を進めている。ここまでは何の障害も存在していなかった。

 

 

「とにかく油断は禁物だ。特性を考えると周囲のアラガミを呼び寄せる。時間はかけずにやるぞ」

 

「でも、久しぶりの相手だからな」

 

「ロミオ。今はそんな事言ってる場合じゃねぇぞ」

 

「分かってるって」

 

 不意に出たロミオの言葉にギルが少しだけ注意を促す。

 既にシエルだけでなく、北斗もまた臨戦態勢のまま進んでいた。

 これまでの事を考えれば確実に至近距離に近づくまでに補足されるが、今回はロミオの参戦に伴い『対話』の力が働いているからなのか、気が付けれる事は無かった。

 

 目的との接敵まであと数メートル。特に気配の隠蔽は血の力でクリアはするが、音までが完全に消えた訳では無い。だからなのか、全員はそのままファーストアタックを完全に意識していた。

 自分達の戦意を完全に消し去り、神機から湧き出るかの様に捕喰する為の巨大な咢がそれぞれ出現する。それが開戦の合図とばかりに戦いの火蓋は切られていた。

 

 

「作戦は何時もと同じで!」

 

「任せておけ」

 

「おう」

 

「皆さんお願いします」

 

「気合入れてくよ」

 

 北斗の声が戦場に響く。既に打ち合わせが終わっているからなのか、全員がバーストモードに突入した証でもある青白いオーラを放ちならが散開していた。

 事実上の奇襲だからなのか、マルドゥークは突如捕喰された事にどこか苛ついている様にも見える。

 捕喰された場所に振り向くと、そこにあるはずの姿は無くなっていた。巨体で振り返る際に、顔だけを動かす事は困難だからなのか、マルドゥークは身体全体を大きく動かす。

 元々周囲には丈の長い草が生い茂っていたからなのか、その姿は完全に捕捉しきれていない。視界が広く無いからなのか、方向を変えた際に見せた動きはどこか緩慢だった。

 事実上の無警戒の胴体は目の前にある。急襲するには持って来いだった。

 

 

「最初は任せろ!」

 

 ギルは言葉と同時に既にチャージが完了していたからなのか、ヘリテージスは既にオラクルを周囲に巻き散らしながら短い距離を一気に駆け抜けていた。

 短距離でのチャージグライドを躱すとなれば、それはかなりのレベル。ましてや至近距離ともなれば詰めた速度は刹那としか言えなかった。

 瞬時に飛び込んだからなのか、穂先はマルドゥークの柔らかい腹部を完全に捉えている。

 このまま止めと言わんばかりの直撃はマルドゥークを怯ませるには十分だった。

 開幕直後なだけにマルドゥークは何が起こったのかを完全に理解してない。しかし、本能だったのか、突然の攻撃によって大きく態勢を崩していた。

 

 

「隙有り!」

 

 だからなのか、追撃とばかりにロミオのヴェリアミーチは同じく肩口に向けて振り下ろされていた。

 これまでに既に数える必要すらない程に狩ってきたアラガミ。しかし、それと感情はまた別物だったからなのか、何時も以上にブラッドは殺伐としていた。

 既に突き裂かれた腹部だけでなく、肩口を直撃した斬撃はその部位を断つのではなく、そのまま抉り取るかの様に切断される。だからなのか、マルドゥークは短い悲鳴を上げていた。

 

 

「よっしゃ!このまま行くぜ」

 

「ロミオ!そこで気を抜くなよ」

 

「それなら大丈夫だ」

 

 北斗の忠告にロミオは改めてマルドゥークにに視線を固定していた。

 これまでとは違い、理想的な攻撃を当てたからと慢心する事は既に無くなっている。

 何があるのかがここでは分からない以上、気を抜けば次は自分に死神の鎌が向けられる事になる。だからなのか、ロミオはマルドゥークから視線を外す事は無かった。

 

 咆哮と共に誰もが意識を改める。これがまだ交戦経験が浅ければ咆哮に身が竦むかもしれない。しかし、今のブラッドにそんな事で反応する者は誰も居ないからなのか、誰もが驚く事無く冷静に見ているだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「博士。用件とは何でしょうか?」

 

「忙しい所済まないね。実は少しだけ君達に協力して欲しいんだ。実はここ最近のアラガミの出現は色々な意味で偏っているみたいでね。支部内のリソースの一部が枯渇気味なんだよ。特にここ最近だけ言えば、官能種の数がね……」

 

 榊の言葉に誰もが瞬時に理解していた。実際にブラッド自体には榊からの直接の命令はそう多く無い。一番多いのはクレイドル。当初は何かあったのかと勘繰る部分もあったものの、最近ではどこか達観したのか、またかと言った感情の方が優先されていた。そんな榊からの依頼は内容そのものが厄介な部分が多分にある。だからなのか、誰もがその様子を見て近寄ろうとは思わなかった。

 

 

「しかし、今回のこれはな……」 

 

「確かにギルの言う通りです。この計画書には我々の事を機械か何かだと考えている節があります。早急な計画の見直しが必須ですね」

 

 

 命令書を確認すると、既に必要だと思われるコアや部位はこれまで何度もミッションで回収してきた以上の物を遥かに上回っているからなのか、その表情はどこか影と落としていた。

 榊が言う様にブラッドに依頼された物の大半は感応種由来の物。これが個人的な使い方で消費しているのであれば文句の一つも出るが、実際にはリンクサポートデバイスの維持の為と言われれば、それ以上の事は何も言えない。

 現状を事細かく説明されたからこそ、誰も反論する事は出来なかった。

 

 

「あれ?ブラッドが勢揃いでこんな所に居るなんて珍しいけど、どうしたんだ?」

 

「あっ!コウタさん。これ見て下さい。榊博士、酷く無いですか」

 

 ナナがコウタに紙を見せた途端、コウタの表情が曇る。全く同じでは無いが、以前にもこれと同じ様な経験が微かにあった。

 まだクレイドルではなく第1部隊だった頃。あの時はまだシオの食事替わりと言った部分があったが、今回はそんな事は一切聞いていない。

 にも拘わらずこれ程の物を要求するのであれば、何かを考えているに他ならなかった。

 

 

「………まぁ、頑張れって事で」

 

「それだけですか?そこは少し手伝おうかって話になるんじゃ……」

 

「いや。だってこれ感応種の割合が多いし、俺達がやるならリンクサポートデバイスの申請が必要になるんだよ。今は万が一の予備しかないんだ。そうしたいのは山々だけと、流石にちょっとね」

 

「え~少し位は手伝ってくれても……」

 

 コウタの言葉に誰もが何も言えなくなっていた。自分達の様にP66偏食因子は特殊なだけあって、その恩恵はあまりにも大きな物だった。

 感応種に何も無いままに対抗できるアドバンテージを持つのは未だブラッドだけ。極東だけでなく、フェンリルの全支部でも改良されたP66偏食因子のデータは渡っているが、それが適合したと言った話はまだ聞いていない。

 通常のP53偏食因子でさえも適合が厳しい現状で、更に貴重なP66は更に特殊な物。だからなのか、コウタの言葉にナナだけでなく、他のメンバーもまたそれ以上は何も言えなかった。

 

 

「俺に出来る事は何も無いんだ。精々が旨いもん作っておいてくれって言うだけだよ。俺もまだ用事があるんだ。力になれなくてすまん」

 

「コウタさ~ん」

 

 ナナの力ない言葉に、コウタはそれ以上は何も出来ない事をアピールしながらこの場から去っていく。そんなやり取りを見たからなのか、他の人間もまた少しづつブラッドから無意識の内に遠ざかっていた。

 

 

 

 

「そうでしたか……でも、仕方ないですね。私達も人員は常にギリギリですから」

 

「ですよね~」

 

 ラウンジに居たアリサを発見したからなのか、ナナは先程のコウタとのやり取りを念頭に、改めて任務の内容を不自然さが無い様に伝えていた。

 アリサの性格を考えれば無下にする事はないはず。そんな希望を胸に、改めて確認していた。記憶が正しければここ最近はそれほど忙しくはしてなかったはず。そんな根拠の無い自信がナナを後押ししていた。

 

 

「決して何もしない訳じゃないんです。ただ、最近は現場に入る事が多かったんで、今のうちに書類や申請書を一気に仕上げる必要があるので」

 

 そんなアリサの言葉を聞きながらナナはその隣にあったファイルに視線を動かす。

 既にいくつかのファイルが置かれているが、どれもまだ手付かずの状態。

 アリサの性格を考えれば、この状況下であっても頼み込めばやってくれるかもしれない。しかし、そのファイルの山を見たからなのか、それ以上の言葉は何も出なかった。

 仮に自分がアリサと同じ立場だった場合、果たして受けるのだろうか。事実上の答えが出ている質問は無駄以外の何物でもなかった。

 これ以上は申し訳ない。そんなナナの心情を察したからなのか、アリサは少しだけ困った笑みを浮かべていた。

 

 

「……何とかやってみます」

 

 猫耳の様な髪型のそれも、どこかしょんぼりと項垂れている。どこもそうだが、極東支部内で余剰戦力を抱えている部隊は一つも無い。今は第4部隊のハルオミ達でさえ常にミッションに駆り出されている。

 事実上の退路を断たれたからなのか、ナナもまた改めて次の行動を考えていた。

 

 

「ナナさん、気持ちは分かりますが、今はアナグラも手一杯です。感応種の討伐ですから、我々だけでやり切るしかありませんよ」

 

「だよね……よし!何とか頑張ろう」

 

 どこか力ない言葉だけがロビーに響く。既に準備は成されているからなのか、シエルに着いて行く様にナナもまたヘリポートへと足を運んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《マルドゥークが活性化します。これまで以上に十分に警戒して下さい!》

 

「皆さん、警戒して下さい!」

 

 警戒と言うには余りにも刹那だった。耳朶に届く情報は既に遅かったからなのか、マルドゥークの遠吠えは周囲のアラガミをおびき寄せる効果を発揮していた。

 ブラッドを囲むかの様に真紅に染まったサイゴートは既に準備が完了しているからなのか、人間の肺があると思われる部分は既に大きく膨らんでいる。

 そこから吐き出されたのは燃焼性を含んだ有毒なガスだった。

 

 一体程度であれば然程問題にはならない。しかし、周囲を囲むかの様に沸いたサイゴートは既に10を超えていた。

 燃焼性が高いからなのか、周囲の気温も僅かに上昇を開始する。既に敵はマルドゥークだけではなく、どこか乱戦に近い物へと変化していた。

 

 

「このままだと拙い!総員一時散会。一旦マルドゥークからサイゴートに目標を変更!」

 

 戦場での逡巡は死に近づく事になる。それを打破すべく、北斗の指示で全員が散会する。既に一部の毒素が体内に侵入したからなのか、ナナだけでなくシエルの顔色も青褪めていた。

 

 

「シエル、ナナ直ぐに回復だ。急がないと囲まれるぞ」

 

 有毒ガスによって淀んだからなのか、アラガミも去る事ながら、視界もまた僅かに悪くなっていた。周囲に振り撒かれた燃焼性能は熱によって大気に歪みを発生させる。

 熱と毒の多重攻撃は予想を遥かに上回る。

 このままでは戦力の低下は免れない。すぐさま2人は回復の為にデトックス錠を口に含んでいた。

 一旦態勢を整えての再戦。誰もがそう考えた瞬間だった。

 

 

「ナナ!回避だ!」

 

「えっ?」

 

 北斗の叫びの意味が分からない。周囲を確認しようにも有毒ガスの影響なのか、視界がどこかぼやけている。

 今、北斗は何と言ったのだろうか。そんなとりとめの無い事を考えた瞬間だった。

 轟音と共に、これまでに無い衝撃がナナを直撃する。サイゴートに気を取られたからなのか、マルドゥークの存在を完全に忘れていた。

 

 盾に変形させようにも既に火炎を纏った強大な礫は砲弾の様に飛来する。既に展開する事は不可能だと判断したからなのか、ナナは出来る限り自身の身体を回避しようと行動に移した瞬間だった。

 

 

「きゃああああああ!」

 

 悲鳴と同時に礫はナナへと直撃する。大気の歪みは目測を大きく誤わせる要因となっていた。

 火炎を纏っていたからなのか、ナナの腕からは肉が焼けた臭いが鼻孔へと届く。

 回復を優先したまでは良かったが、これほどの数に囲まれた経験はそう多くない。本来であれば救援要請を出すが、生憎と感応種の前ではブラッド以外のゴッドイーターは沈黙するしかなかった。

 礫の勢いが勝ったからなのか、ナナはそのまま遠くへ弾き飛ばされている。本来であればすぐにでも駆けつけたいが、この状況下では困難でしかなかった。

 

「ナナ!」

 

「ナナさん!」

 

 北斗とシエルの呼びかけに返事が返ってくる事は無い。先ほどの直撃はナナの意識を飛ばしたからなのか、微動だにしないままだった。

 

 

「畜生!」

 

 ギルの放ったスタングレネードが周囲を白い闇へと包み込む。活性化の影響からなのか、マルドゥークだけでなく、サイゴートもまた視界を完全に失っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか……了解した。直ぐに現地に向かう」

 

 今回の任務はこれまでの様に4人で1つのチーム編成ではなかった。

 元々今回の任務は長期戦が予想されたからなのか、異例の5人でのミッション。ブラッドの編成上、残されたジュリウスとリヴィは飛び込んできた情報にこれからの予定の変更を余儀なくされていた。

 

 

「ジュリウス。何があった?」

 

「マルドゥークとの交戦中に呼び寄せられたサイゴートとの戦闘中にナナが負傷したらしい。今の所は難を逃れているらしいが、時間の問題だ。このまま俺達も緊急出動だ」

 

 元々今回のミッションは5人だからと、何時もの様に心配になる事は殆ど無かった。

 これまでの戦績はそのまま戦闘力の表れになる。だからなのか、ジュリウスだけでなく誰もが同じ様な事を考えていた。

 慢心と言われればそれまでだが、今回はマルドゥーク1体だけの討伐任務。そんな部分が多分にあった結果だった。

 

 

「状況的に、私達2人だけでは少々厳しいかもしれないが、どうする?」

 

 現場はマルドゥークだけでなく、サイゴートが未だに浮遊していた。

 小型種が故に然程問題になる可能性は低いと判断したまでは良かったが、問題なのはその毒性だった。

 従来のサイゴートとは違い、燃焼性を持った有毒ガスは予想以上に面倒な代物だった。

 周囲一帯に吐き出されたそれによって視界が歪み、僅かでも吸い込めばその毒性によって体力を奪われる。

 ナナが負傷したのはそれが原因だった。そんな状況下でマルドゥークの攻撃は最悪と言える物。

 砲弾の様に飛来するそれは、獲物を集団で効率よく狩っている様だった。

 せめてサイゴートだけでも排除出来れば状況は一変する。それが分かっていながらも有効な手立ては何も無いままだった。

 

 

「まさかマルドゥークだけでなく、サイゴートに苦しめられるとはな……」

 

 ジュリウスの呟きが全てだった。

 神機が動かなければゴッドイーターが出る意味は全く無い。既にリンクサポートデバイスは防衛班が使用している為に、万が一に備えるのは当然の話。ブラッドが出動している以上、安易に使用するのは躊躇われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫か?」

 

「な、何とか……」

 

 スタングレネードを使用した事によって索敵が出来ない場所への移動に北斗達は成功していた。

 元々活性化した中での行使によって通常以上の効果を発揮しているからなのか、予定の場所よりも遠保への退避となっている。

 既に回復錠によってナナの火傷の部分も問題は無かったが、それ以上に悩ましいのが現状の打破だった。

 

 僅かな攻撃でも間断無くされれば少なくとも安易に考える事は出来なかった。

 今は一時的に視界を奪った為に隠れている場所を探し当てるには時間が必要だったが、問題なのは今の攻撃をいかに回避しつつ反撃するかだった。

 周囲の気温は少なからず高くなっている事から、自分達の最上のパフォーマンスが発揮出来るのかは未だ未知数。何も分からない中での博打は事実上の死に等しい内容だった。

 

 

「ナナさん、まずは回復を優先させて下さい。今の所はまだ問題もありませんので」

 

 そう言いながらシエルはナナに回復球を使用する。緑の柔らかな光は焼けただれたナナの皮膚を瞬時に元の状態へと戻していた。

 体力の回復はまだ時間を要するが、それでも表面上の最悪の状態だけは避けられていた。

 

 

「とりあえず今後の作戦をどうするかだな」

 

「シエル。サイゴートは全部で何体いるんだ?」

 

「そうですね……今の時点で確認出来るのは全部で10体。しかし、マルドゥークが再び呼び寄せる事があれば今後の数は未知数です」

 

 シエルの言葉に北斗だけでなくギルもまた苦渋に満ちた表情を浮かべていた。

 シエルの能力では、アラガミの位置は分かっても、今の現場の状況までは把握できない。

 それに加えて未だ有毒ガスを吐き続けていると仮定した場合、真っ先にやるべき事はサイゴートの始末。

 今の状態でそれを可能とするのはシエルだけだった。北斗にせよギルにせよ、射程距離はそう長く無い。ナナは最初から論外だが、ロミオもまた悩ましい部分が多分にあった。

 

 

「出来れば先にあれを始末しない事にはさっきの二の舞になる。シエル、Oアンプル後どれ位ある?」

 

「手持ちは全部で5個です。ですが、今の状態で狙撃となれば数は足りません。後は狙撃音を聞いてマルドゥークがどう動くかですね」

 

 シエルの言葉に北斗は改めて今後の行動を考えて作戦を思案していた。既に時間がどれ位経過したのか分からないが、このままここに居る訳には行かない。

 残された手が無いとは言え、このままにする訳にはいかない。そんな時だった、北斗の耳朶にテルオミからの通信が届いていた。

 

 

 



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第72話 起死回生

 ブラッドの窮地はアナグラにも伝えられていた。

 元々各自のバイタル情報を常に表示しているが、急激に数値が悪化しただけでなく、それと同時に現れたアラガミの数がそれを示していた。

 詳細までは分からなくとも、その内容が現状を示している。そんな事もあってか、直ぐに応援としての部隊派兵を決定していた。

 

 しかし、そこには大きな問題が一つだけあった。

 現在のアラガミ反応の中でも異質なアイコン。感応種の存在だった。

 元々今回の感応種の討伐はブラッドが主体となって交戦する前提での作戦が組まれている。通常であればリンクサポートデバイスの使用も視野に入れるのが当然だが、既に防衛班に貸し出されているだけでなく、万が一の事があってはならないとばかりに予備機は動かす事が出来ないでいた。

 

 

「我々2人だけで、行かせて下さい」

 

「ジュリウスの気持ちは分からないでもないけど、今の現状で2人だけで行くのは承認出来ないわ。本当の事を言えば4人の一部隊を派遣させたい位なのよ」

 

「ですが、感応種が相手であると同時に、リンクサポートデバイスの使用が出来ないのであれば仕方ないはず」

 

 ロビーでは珍しくジュリウスがサクヤと出動に関しての言い合いをしていた。

 元々イレギュラーの5人態勢で派遣した状態で今の結果となれば、これが2人を追加した所で結果が好転するとサクヤは思えなかった。

 それだけではない。仮にブラッドを全員投下した場合、万が一の際には何も出来ない事になる。となれば、アナグラの防衛が完全に低下する為においそれと許可出来ない事情があった。

 ジュリウスの気持ちは自分も良く分かる。リンドウがああなった際にどれ程後悔したのかを知っているからこそ、ジュリウスの言い分を聞きたいと思っていた。

 しかし、アナグラの戦力を天秤にかけるとなれば話は変わる。今の状況で軽々しく行動出来ないからなのか、サクヤの中で良案が出る事は無かった。

 

 

「気持ちは分かるの。でも、ブラッドが完全にここから居なくなった場合の戦力の事を考えて貰わないと、こちらとしても容認出来ないわ」

 

「……しかし」

 

 サクヤの言葉にジュリウスは明確な返答を持ち合わせていなかった。

 激情に駆られたと言えばそれまでだが、無策のまま戦場に行けばどんな結果が待っているのは考えるまでも無かった。

 事実、この窮地を作ったのはこれまで殆どのベテランが歯牙にもかけなかったサイゴートの堕天種。

 通常種とは異なる有毒ガスとその燃焼性は周囲に大きな影響を与えていた。視界を奪うと同時に連携したかの様にマルドゥークが巨大な飛礫を飛ばしている。

 モニターでは何も分からないが、実際にコンバットログを確認すればその連携は一目瞭然だった。

 対案を示さねば出動は出来ない。そんな膠着した状態は数分間にも及んでいた。

 

 

「北斗の能力があれば問題無いのではないか?」

 

「そうだ、それがある」

 

 リヴィの提案は正に盲点だった。元々北斗が持つ『喚起』の能力は感応種に対して絶大な効果を発揮していた。

 本来であればブラッド以外のゴッドイーターはなす術もなく神機が機能不全を起こしていたが、その喚起の力が及ぶ場合はその限りではない。

 どんな効果を持っているのは未だ不明ではあるが、それは確実な実績を残していた。

 希望の光が見え始めた。まさにその瞬間だった。

 

 

「その意見には残念だが、同意できないね」

 

「榊博士!どうしてですか?」

 

 希望を見た瞬間冷や水をかけられたかの様に榊の言葉がロビーを覆っていた。

 効果がどれ程あるのかを榊とて知らない訳では無い。だからこその良案は榊の言葉に潰されていた。

 

 

「実は今回の件で、少し奇妙な物を探知してね。どうやらあのマルドゥーク、これまでの個体とは少しだけ異なるみたいなんだ。

 確かに『喚起』の力は素晴らしい物がある。その点に関しては否定しないんだが、問題なのはその有効範囲なんだよ。

 偏食場パルスから探知した結果、あのマルドゥークはこれまでの物よりもはるかに高い能力を有している可能性が高い。恐らくは北斗君の近くで戦う分には問題無いが、厄介なのはどれ位離れるとその効果を失うかなんだ」

 

 榊の言葉を正しく理解したのはジュリウスとリヴィだけだった。

 元々近い場所で戦えば、その恩恵はかなり受ける事が可能となっている。しかし、距離が離れた場合に起こりうる可能性は多岐に渡っていた。

 交戦出来ないのであれば撤退の二文字だけだが、アラガミが大人しく待ってくれるはずが無い。

 常にアラガミの重攻撃に怯えながらの撤退は肉体だけでなく、精神をも削り取る。

 機能不全を起こした神機はかなりの重量を持っている。逃走した場合の結果は考えるまでも無かった。

 

 

「だからと言って、このままと言う訳には」

 

「助けに行かせないと言ってる訳じゃないの」

 

 ジュリウスの言葉にサクヤとしても無策では無かった。

 現状を打破する為には最低でもサイゴートの始末が必要だった。

 今の状況下ではそれが可能となるべき対象者が誰も居ない。だからなのか、ジュリウスを説得させる為の材料が必要だった。

 

 

「あら?珍しいわね。こんな所でどうかしたの?」

 

 未だ解決の要素が何処にも無かった瞬間だった。振り返ればそこには居るはずの無い人物。ジーナ・ディキンソンだった。

 

 

「ジーナさん。防衛班の方は良かったんですか?」

 

「ええ。今日はこれまでのスケジュールの調整と報告を兼ねてここに来たのよ」

 

 ジーナの言葉にサクヤは改めてスケジュールを思い出していた。

 記憶を辿れば確かに近日中にここに来る予定になっていた事を思い出す。本来であればそれで終了だったが、この場に相手は色々な意味で都合が良かった。

 ジーナを見たからなのか、サクヤに一つの案が浮かんでくる。このアナグラに於いては恐らくは一番最適な人物でもあった。

 

 

「ジーナさん。今日の予定はどうなってますか?」

 

「そうねぇ。これの提出が終われば後はフリーかしら」

 

 ジーナの言葉はまさに天啓だった。クレイドルやブラッドに限らず、防衛班は多忙を極める事が多いからなのか、中々スケジュールが開いているケースは多くなかった。

 だからなのか、これからの事を少しだけ考える。そんなサクヤの思いを読み切ったからなのか、榊もまたジーナに確認していた。

 

 

「ジーナ君。実は緊急のミッションがあってね。良ければ参加してもらえないかな」

 

「私は構わないけど……詳しい事は知らないけど、ブラッド絡みって事は感応種が相手だと思ったんだけど、間違ってないかしら?」

 

 ジーナの言葉は当然だった。

 元々詳細までは分からないが、先程のやりとりから考えれば、対象は感応種だと推測できる。自分は第1世代型神機を使用する以上、リンクサポートデバイスを使用するのは当然だった。

 

 

「それには及びません。今回の作戦はそこまでシビアな物を求めている訳じゃないので」

 

「あら、そうなの」

 

 サクヤの言葉に今回の作戦の概要を改めて伝える事になっていた。

 元々北斗の『喚起』が使えれば特に問題になる事は無い。しかし、万が一言って以上の距離まで離れた場合、何かしらの問題が発生する点だった。

 その結果、木乃伊取りが木乃伊にならないように立案されていた。概要を初めて聞いたからなのか、ジュリウスだけでなく、リヴィもまた驚きの表情を浮かべている。

 冷静に考えれば得策では無い様にも聞こえるが、それはあくまでの通常の人間であればの話。

 この極東支部に於いてジーナの狙撃の腕は事実上の1番だった。だからこそ可能となる作戦。榊もまた同じ事を考えていたからなのか、口を挟む事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《目的地までの到着予定時間は5分です。突発的な任務ですが、お願いします》

 

 ヘリの中ではヒバリの声がローター音に邪魔されながら響いていた。

 今の極東ではスナイパー装備を持っているゴッドイーターはどちらかと言えば少数だった。

 近接攻撃と異なる属性を使う事が今のスタンダードだからなのか、アサルトやブラスト装備が多数派だった。

 事実、狙撃となれば自身の精神を削っての一撃必殺の意味合いを持つからなのか、大雑把な射撃でも通用するアサルトが好まれていた。

 

 

「私はあくまでもここからの狙撃なのよね?」

 

《はい。今回は緊急ミッションですので、かかる経費に関しては気にして頂く必要はありませんので》

 

「あら?嬉しい事言ってくれるのね」

 

 今回の作戦概要は色々な意味でシンプルそのものだった。

 上空からジュリウスとリヴィが降下する際に、周囲に浮かぶサイゴートをジーナが狙撃によって排除する内容だった。

 

 元々この地に浮遊していた訳ではなく、マルドゥークの咆哮によって呼ばれた為に、これだけで終わる可能性が極めて低い。

 仮にジュリウスとジュリウスとリヴィがこのまま増援として入っても、最悪は同じ展開になる可能性が高く、万が一の保険の役割も果たしていた。

 

 マルドゥークの影響がしない高度を維持しながらの射撃は相場が常に安定している場面とは大きく事なる。

 幾ら普段から使用していたとしても、この場面で求められるのは高精度の業。以前からその実力が知られているからこそ、ジーナの姿を見た際に実行可能であると判断していた。

 既に準備が出来ているからなのか、ジーナの足元のケースには大量のOアンプルが入っている。狙撃では無く掃射に近い内容だからなのか、ジーナの口元には微かに笑みが浮かんでいた。

 

 

《ジーナ君。この作戦は君の腕が全てなんだ。しっかりと頼むよ》

 

「私が出来る事はこれ位だから。さぁ、綺麗な花を咲かせて頂戴」

 

 ジーナの言葉を皮切りにジュリウスとリヴィは降下を開始する。2人が飛び降りた事を確認したからなのか、ヘリはすぐさま高度を上昇させていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《北斗さん。これから増援を向かわせます。ですが、今回の対象アラガミがマルドゥークとなっていますので、ジュリウスさんとリヴィさんです》

 

「了解。だが、サイゴートの群れはどうする?このままだと俺達の二の舞になる可能性があるぞ」

 

《その件であれば、問題点は大よそですがクリア出来る予定です》

 

 北斗の耳朶に飛び込んだのは応援を派遣する内容だった。

 元々今回のミッションは感応種が目標なだけに他のゴッドイーターを投入する事は事実上の不可能だった。

 事実上の総力戦。だからなのか、北斗だけでなく、同じ通信を聞いたシエルもまたこれから起こりうるであろう事を予測したからなのか、体調の回復を優先していたナナ達に事実だけを伝えていた。

 

 

「これからジュリウスとリヴィが援軍で来る。その勢いのまま一気に殲滅するぞ」

 

「でもそれだとサイゴートの群れはどうするの?」

 

「その件に関しては既に何かしらの用意はしてあるらしい。俺達はサイゴートをそのまま無視しても大丈夫らしい」

 

 ナナの質問が今回の現状を作り出した全てだった。

 恐らくこのメンバーで戦うのであればサイゴートの処理は最優先となってくる。

 マルドゥーク特有の行動はブラッドに限らず、他のゴッドイーターから見ても脅威でしかなかった。

 既に賽は振られている。皆がそう感じたからなのか神機を握る手は自然と力が籠っていた。

 

 

《援軍の到着まであと300秒です》

 

「了解。こちらも準備に入る」

 

 テルオミからの通信により事実上のカウントダウンが開始されていた。

 元々この地で隠れる事が出来る様な場所は殆どない。シエルが感知した時点でもアラガミはマルドゥークを中心に動く事は殆ど無かった。

 本来であればサイゴートは事実上の斥候としての役割を果たすはず。にも拘わらず、動く気配が無いのは偏に何かしらの進化をしている可能性が考慮されていた。

 

 

「総員、準備は良いか?」

 

「ああ。俺達の事ならもう問題無い」

 

「さっきの借りは返させてもらうさ」

 

 北斗の言葉にギルとロミオの力強い返事。恐らくは急襲された事による自身の不甲斐なさを感じたが故の言葉だった。

 何時でも行動を可能にしている。後は到着を待つだけだった。

 

 

《到着まであと30秒です。ジュリウスさんとリヴィさんはアラガミが捕喰している場所への降下を予定しています。皆さん、後の事は宜しくお願いします》

 

「了解。直ちに行動に移る」

 

 テルオミとの通信が切れると同時に、全員が行動を開始していた。

 先程の戦いも、結果的にそれなりに捕喰している為に、体力の低下を望むのは余りにも楽観すぎる。再スタートである事を念頭に5人は改めて行動を開始していた。

 

 

 

 

 

「じゃあ、私もそろそろ開始ね」

 

《はい。既にブラッドも行動を開始していますので、あとはジーナさんのタイミングでお願いします》

 

「まずは……あれからね」

 

 ヒバリとの通信を切ると同時にジーナの視線は既に周囲を漂うサイゴートへと向けられていた。

 元々今回の作戦の最大の要因でもあるサイゴートの始末は事実上、ジーナの手によって始末される事が前提だった。

 既に狙いを定めたのか、ジーナの目が僅かに細くなる。まるでこれが日常だと言わんばかりに引鉄は簡単に引かれていた。

 高高度からの狙撃は本来であれば厳しい条件だけが揃っていた。

 本来であればヘリをホバリングさせた状態での狙撃が望ましいが、アラガミの特性とヘリの状態を考えるとそれは得策では無かった。

 ホバリングによる機体への負担とアラガミから狙われるリスクを考えれば、必然的に異動しながら狙撃する事になる。

 その為に、本来であればかなりの技術が要求されていた。視線の先にはヘッドショットと言わんばかりに一撃で破裂したサイゴートが地面に横たわっている。

 その結果に満足する暇もなくジーナは無心に引鉄を引き続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「す、凄いです」

 

 頭上から降り注ぐかの様に撃ち下ろされた銃弾はサイゴートの人型の頭の部分を一撃で貫いていた。

 本来であれば銃撃は意外と緻密な部分が多分にあるからなのか、精密射撃をする際には細心の注意を払う必要があった。

 風や対象物との高さなど考えればキリがない。そんな一撃必殺の銃弾ははるか頭上から降り注いでいた。

 これまでに苦労していた灼熱の色を持ったサイゴートは次々と地面に沈む。そんな異様な光景を見たシエルもまた、この技術がどれ程高度な物なのかを理解していた。

 

 

「シエル。関心するのは後だ。今はマルドゥークを一気に叩く」

 

「り、了解しました」

 

 先程までの群れの様にいたサイゴートは既に全てが亡き者となったかの様にそのまま地面で霧散していた。

 本来であれば全部を捕喰するのが理想だが、これから対峙するマルドゥークの事を考えると、そんな悠長な事は出来なかった。

 既に残りは1体だけ。その最後の1体もまた、当然の様にヘッドショットによって地面へと沈む結果となっていた。

 

 

 

 

「呼ばれると厄介だ。最大火力で一気に決めるぞ!」

 

 如何にマルドゥークと言えど、ブラッド7人が相手では殆ど問題になる様な事は無かった。

 先程までの鬱憤を晴らすかの様にギルのヘリテージスがチャージ音を立てながら距離を詰める様に疾駆する。事実上の全包囲からの攻撃はマルドゥークに的絞らせる事を許さなかった。

 チャージグライド特有の加速と同時に、その穂先には赤黒い光を帯びている。見た目は問題無さそうだが、如何にアラガミと言えどこの程度の時間で完全い回復する様な事は無かった。

 本来であれば直線的な攻撃は読まれやすい。そんな動きをまるでフォローするかの様に北斗はアサルトの的をマルドゥークの顔面にしていた。ばら撒かれる銃弾によってギルではなく北斗に意識が僅かに動く。

 視界の死角を突いたかの様にヘリテージスの穂先は最初の時と同様に胴体部分へと向かっていた。

 

 

「ギルにばかり良い格好させられるかよ!」

 

 ロミオもまたギルと同様に、すぐさまヴェリアミーチを肩に担ぎ、そのまま闇色のオーラが刀身を覆い出していた。

 ギルだけでなく、全方位からの攻撃は各自への意識を希薄化させる。

 だからなのか、ロミオもまた十分にチャージするだけの時間を稼ぐ事が可能となっていた。

 

 ヴェリアミーチから伸びた刀身のオーラは再度マルドゥークの肩口へと向けられる。既に直撃したギルの攻撃に怯んだ瞬間だった。上段からの重攻撃は先程の状況を思い出させたからなのか、マルドゥークは辛くも回避に成功していた。

 重たい一撃は戦局を一気にひっくり返す程の威力を有している。だからなのか、マルドゥークは珍しく回避だけに専念していた。

 大きくバックジャンプした事によって肩口ではなく、目標は地面へと変更されている。直撃を回避すればその大きな隙を狙う事が出来る。マルドゥークが人間と同じ様な思考能力を持っていればそんな言葉が当てはまる瞬間だった。

 当初の予測通りヴェリアミーチはそのまま地面へと叩きつける結果となっていた。

 

 

「まだまだ!」

 

 本来であればバスター型神機は一度力を開放すれば、その後は致命的な隙が生じる。

 それを本能で嗅ぎ取っていたからなのか、マルドゥークは半ば無意識で動いていた。

 本来であれば地面を叩きつけて終わる。そこにイレギュラーが無ければが前提だった。

 

 ロミオは叩きつけた後、そのまま力のベクトルを縦から横へと変化させていた。

 地面を叩きつけた事によって神機の一部に損傷が出たかかもしれない。そんな常軌を覆した瞬間だった。

 地面から水平に放たれた斬撃は回避が完了したマルドゥークのガントレットに直撃していた。

 方向を変えた事によって生じる隙を逃すつもりは最初から無い。事実上の追撃とも取れる攻撃はマルドゥークの想定外。着地した瞬間だったからなのか、棒立ちの状態の所に致命的な一撃が叩きつけられていた。

 派手は音と共に破壊されたガントレットは肉の様な部分が剥き出しになっている。その部分をジーナの狙撃に触発されたシエルが銃撃していた。

 

 

「着弾確認。相応のダメージを与える事に成功したと思います」

 

「一気に攻めるぞ!」

 

 シエルの手応えと同時に、北斗の叫びが戦場に響く。既に用意していたからなのか、リヴィの刃は再度破壊されたガントレットの部分へと斬りつけていた。

 防御の要から弱点へと変化したそれは戦局を一気にブラッドへと傾けていく。

 その状況を悟ったからなのか、マルドゥークは再び咆哮する事によって周囲に居るアラガミを呼び寄せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「再び戦場に小型種と思われるアラガミの出現が確認出来ました」

 

 戦場でブラッドが戦っている頃、アナグラのロビーでもまた同じくヒバリとテルオミが様子を常に確認していた。

 本来であれば殆ど専門でオペレーターが付く事はそう多く無い。そんな中でブラッドやクレイドルの戦いは別格だった。

 その内容の苛烈さを嫌が応にも理解していく。画面の見つめる目は常に表示される情報を片っ端から映し出しては消えていく。だからなのか、テルオミもまた現地で戦うゴッドイーターを同じ様に戦っていた。

 次々と湧き上がる光点はアラガミ出現の証。その光点は再び何も無かったかの様に消え去っていた。

 

 

「流石はジーナさんね。狙撃の腕は相変わらずだわ」

 

 テルオミの見ている画面を少しだけ見たからなのか、サクヤはその現状をまるで見たかの様に理解していた。

 

 

 

 

「こんな位置からの狙撃も悪くは無いわね」

 

 ジーナは高高度からの狙撃をしながらも暇を見てはOアンプルを次々と飲み干していた。

 元々数に制限がある訳では無い。サクヤの言葉が正しいのであればこれは全てが極東支部としての在庫。既に空になったアップルは幾つかが床に落ちていた。

 灼熱の色を持ったサイゴートはまるで風船が破裂したかの様に次々と地面に沈み込む。

 既にマルドゥークが何度呼び寄せたのかは分からないが、その全部をジーナが一人で狙撃していた。

 遠目の為に詳細は不明だが、戦場で戦うブラッドはマルドゥークが幾ら呼び出そうとしても、出た瞬間に片っ端から始末される現状を理解したからなのか、それ以上呼び寄せる真似をする事は無かった。

 時間の経過と共にマルドゥークの色々な箇所が結合崩壊を起こしている。このまま地面に沈むのは時間の問題だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回は危なかったね。まさかあんなに苦戦するとは思わなかったよ」

 

「そうですね。我々もどこか油断していたのかもしれませんね。まさかあんなに 規則性を持って動くとは思いませんでしたから」

 

 マルドゥークを討伐した事を確認し、本来であれば連続で続くはずのミッションは一時的に中断されていた。

 今回のサイゴートの行動はこれまでに無い連携だったからなのか、すぐさまレポートを提出する事になった。

 口では何とか話しているが、今回の戦いは身も心も大幅に疲労を感じている。これがミッションで無ければ確実にベッドにダイブする程だった。

 手早く北斗の手にまとめられたそれは直ぐに榊の下へと送られている。

 既に何かしらの予測を立てていたからなのか、今回の処遇については特に問題になる事は無いままだった。

 

 

「ああ。ああまで規則的に動かれるとなると今後の対処方法は改める必要があるな」

 

「今回の件だが、極東ではそんな事を『油断大敵』と言うらしい。これを機にもう少し訓練をした方が良いかもしれんな」

 

 ジュリウスの言葉に誰もがその脅威を感じていた。

 今回の件は単純に運が良かっただけでしかない。狙撃の優れた技術は色々な意味で重宝すると判断しからなのか、シエルもまた先程の光景を思い出していた。

 

 

「とにかく今日は一旦はお疲れ様って事で」

 

「賛成!早速ラウンジに行かなきゃ!」

 

 ロミオの言葉に反対する者は居なかった。常に戦場では油断を招いた者から退場する。それが身に染みた出来事だった。

 

 

 



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第73話 教導と試験

 窮地の後で浮き彫りになったのはこれまでの実力に関する点だった。

 決して慢心している訳ではないものの、やはり窮地に陥った結果は少なからずアナグラにも影響を与えていた。

 クレイドルに次ぐ実力がありながらも窮地に陥るとなった場合、他の部隊ではそこから脱出出来る可能性が極めて低いと判断されれば士気は確実に低下する。仮にクレイドルだとしても苦戦する場面はるが、余程の事が無い限り応援要請が出る事は無かった。

 士気の低下は目に見えない部分でゆっくりと蝕んでいく。そうならない為にも早急な対応が迫られていた。

 

 

「今日の分がやっと終わったよ~」

 

「ナナ。まだ座学が残っているんだ。まだ気を抜くには早すぎるぞ」

 

「そうなんだけどさ~」

 

 当初は支部内の蒔き直しを図る為だと企画されていた。しかし、各自の習熟度合を考えると、どうしてもその実力にはムラがあった。

 北斗やジュリウスは問題無かったが、予想に反してナナとギル、シエルの動きは思ったよりも良いとは言えない数値を出していた。

 元々シエルは技術はあるものの、やはりその神機の特性だからなのか、それともこれまでの動きの積み重ねが歪みを生んだのか、満足する数値では無かった。ナナ至っては体力はあるが、技術力にムラがあり、ギルもまたシエルと同じ様な内容だった。

 

 

「こう言うのってロミオ先輩が真っ先に名前が出ると思ったんだけどな」

 

「ロミオは何だかんだと鍛えられているからな。あそこでの教導を聞いたが、ここに比べれば随分と苛烈だったらしい」

 

「そっか~でも、屋敷の教導ってあれなんだよね?」

 

 ナナが示していたのは一日だけ子供達の相手をした時の話だった。元々気軽に話したまでは良かったが、その後の遊びは尋常では無かった。

 あれが毎日続くと、嫌が応にも先読みして行動を起こさない事には、捕まえる事は出来なかった事実。当時の事を思い出したからなのか、ナナは少しだけ身震いしていた。

 

 

「ひょっとして、屋敷の話か?」

 

「ロミオ先輩ってあそこにはどれ位居たんだっけ?」

 

「どれ位って言われてもな……」

 

 記憶の糸を辿りたく無かったからなのか、ロミオはどこか苦々しい表情のままだった。

 元々今回の蒔き直しは3人だけでなく、ブラッド全体でやっている。本来であれば農作業に当てるはずの時間ではあったが、『自分達が安心して動く事が出来るのは神機使いの活躍があってこそ。自分達の本来やるべき仕事を優先する事だ』農業もちゃんとやれると老夫婦から言われた事で、予定を大きく変更する事になっていた。

 本来であれば教導は時間をかけてゆっくりとするのが本来のやり方。しかし、安穏とするだけの時間が少ないからと、ゴッドイーターの体力に物を言わせるかの様に教導のスケジュールは詰め込まれていた。

 

 

「さぁ皆、休憩時間は終わりよ。次は座学なんだけど、このまま支部長室に行ってくれる?」

 

「了解しました。さぁ、ナナさん。私達も行きましょう」

 

「そう……あ~何だか頭が混乱しそうだよ」

 

「ナナ。心配するな。俺だって嫌なんだからさ」

 

 ナナのボヤキにロミオがツッコむだけで終わっていた。

 元々座学はアラガミ行動学と今の極東を取り巻く環境から来る現実を理解しない事には以前の様な状況に陥る可能性は極めて高かった。

 事実、あの後確認されたのはサイゴートの中に1体だけ司令を出す役割を果たした個体があった事だった。

 傍からみればどれも同じに見える為に、集中して攻撃する事は出来ない。その結果、有毒ガスの散布に巻き込まれていた。

 今思えば、あれだけ狡猾な攻撃をされれば窮地に陥る可能性がかなり高い。極東由来の種になっているのか、それとも突然変異なのかすら判断出来ない以上、自分達が対策を立てる以外に手は無かった。

 

 

 

 

 

「とりあえずはここで一旦休憩にしよう。どうやら先程までの教導で疲れてるみたいだしね」

 

「やった~」

 

 榊の言葉に一同は少しだけ休憩を入れる事になった。元々座学と言っても、初めてゴッドイーターが教えられる物ではなく、これまで極東支部を取り巻く環境から派生したアラガミに対する知識の補充だった。

 ここ極東支部では、他の支部には無い大きな特徴がアラガミの強さによって攻撃方法の変化が生じる事だった。これまでの変異種がそれに当たるだけでなく、先だって対峙したサイゴートもその一つだった。

 

 アラガミの進化の速度と人間の進化の速度は比べものにならない程、大きな隔たりが存在する。しかも見た目に何の特徴も無いが故に、対応を間違えれば、幾ら尉官級とは言え全滅は必至だった。

 自分達が肌で感じ、経験したからなのか、誰もが榊の言葉に真摯に耳を傾ける。そんな説明が続いたからなのか、榊の休憩の言葉に誰もが大きく伸びをしていた。

 

 

「ナナさん。ここで気を抜くと後が大変ですよ」

 

「それはそうなんだけど……榊博士、休憩はどれ位ですか?」

 

「そうだね。ここまで結構駆け足だったから30分程取ろうか」

 

 榊の言葉に誰もが一旦は外の空気を吸おうと外に出ていた。

 元々厳しい教導は今日一日。明日からは少しだけ趣向を凝らした内容になる事をブラッドは誰も知らないままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だか大変そうだな」

 

「コウタさんもやっぱり教導で座学とかってあったんですか?」

 

「いや。俺達の時はそんな事は無かったな。本当に初期の段階で榊博士から少しだけあった程度かな」

 

 休憩時には何か口にしようとそれぞれがラウンジへと足を進める。ミッションが終わったからなのか、そこには珍しくコウタが一人で椅子に座っていた。

 周囲には珍しく誰も居ない。だからなのか、ナナだけでなくロミオもまたムツミに飲み物を頼むと、そのまま今回の件でコウタに確認していた。

 

 

「実はさっきまで榊博士と座学だったんです」

 

「座学ね……多分、あれが絡んでるんじゃない?」

 

「あれって何です?」

 

「ほら、そろそろ昇格試験の時期だから、その関係じゃないのか?」

 

「それって私達の事なんですか?」

 

「それは榊博士に聞いた方が早いよ。実際にエリナとエミールも曹長の試験があるからさ。ブラッドは確か、ロミオ以外は全員が尉官だろ?だったらロミオの試験があっても特段変じゃないと思うけど」

 

 コウタの言葉にナナは当時の事を思い出していた。

 元々極東での階級は何も意味を持たない。しかし、ブラッドに関しては本部の横槍に近い物があった為に試験を受ける事になっていた。

 事実、拝命された際には感心した部分はあったが、いざミッションとなった際に何も変わらないままだった。

 精々が個人のプロフィールに階級が載る程度。だからなのか、コウタの言葉を聞くまではナナだけでなく、シエルもまた同じ様な事を考えていた。

 

 

「そう言えば、あれって随分苦労したよね。確かにあれがあるなら納得かな」

 

「ですが、ロミオは特例では無いって事ですよね?だとすれば学科と実技があるんじゃないですか?」

 

「俺達の時は学科だけだったが、確か実技は……」

 

「それならリンドウさんかエイジじゃないかな」

 

「マジっすか……」

 

 シエルの言葉にコウタだけでなく、ギルもまた何かを思い出したのか、当時の言葉を思い出していた。

 曹長だけではなく、尉官もまた教導教官が対峙しての結果となったはず。そして、その対戦相手がリンドウかエイジの二択である事も思い出していた。

 コウタの言葉にまさか自分がそうだとは思ってなかったのか、ロミオは先程までとは違い、厳しい表情を浮かべている。

 今の階級を思い出したからなのか、それとも実技試験の事を考えているのかは分からない。しかし、厳しい試験である事だけ理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ。そう言えばそうだったね。いや、忘れていた訳では無かったんだが。基本的には自己申告になるか、上司の判断が基本だからね」

 

 休憩が終わり、改めて支部長室で榊に確認するとそのまま肯定の言葉が返っていた。基本的に試験の前日までに申請を出せば誰もが試験を受ける事は可能である。

 仮に極東支部に入ったばかりの新人も受験は可能だが、実技の事を考えると結果的には尻込みするケースが殆どだった。

 

 アラガミとの立ち位置だけでなく、特徴や攻略方法など、見るべき点は多々あった。

 その結果、技量が圧倒的に不足すればそのままフェードアウトする可能性も出てくる。だからなのか、今では試験の前日までに何かしらの教導教官か上司からの証が必要とされていた。

 

 

「俺の場合はどこまでなんですか?」

 

「ロミオ君の場合は立ち位置が少々特殊なんだ。だから今回の試験では少尉ではなく准尉になるだろうね」

 

「それなら私達と一緒だね!」

 

「ロミオ、ここで落ちる様な事はするなよ」

 

「何とかなるって……多分」

 

 榊の言葉にロミオは改めて試験の概要を聞かされていた。

 座学は自分でやるしかないが、問題なのは実技の方だった。明確な基準は事実上無いに等しいからなのか、どうすれば良いのかを考えていた。

 確かに尉官になれば聞こえは違うかもしれない。明確な目的が出来たからなのか、それ以後の座学は更に真剣に取り組む事になっていた。

 

 

 

 

「そう言えば、今日、ロミオから試験の話が出たんだけど、今回もやるんだよな?」

 

「そうだね…まだ何も聞いてないけど、予定が合えばやる事になるだろうね」

 

 夕方からのラウンジはムツミからエイジに変わっていた。

 既に仕込みを終えたからなのか、後は人が来るまで待つしかない。この時間帯はまだ余裕があるからなのか、コウタも食事を兼ねてエイジに事実を確認していた。

 

 元々教導の実技は一定以上の技量が有るのかを確認する為であって、その結果で合格が決まる訳では無い。

 実際にこの事実を知っているのは榊と弥生、リンドウとエイジ以外にはサクヤしか知らない事実。コウタやアリサも何となくは聞いていたが、直接聞いた訳では無いからなのか、あくまでの推測でる前提で話をする事が多かった。

 以前に開催された試験ではブラッドとマルグリットは実技を免除されている。

 本来であればロミオも免除の対象ではあるが、既に時間がかなり経過しているからなのか、それともブラッドの殆どが尉官だからなのか、今回に関しては特例は認められなかった。

 

 

「そう言えば、結果はどうやって判断するんだ?」

 

「明確な基準は無いんだよ。ただ、普段通りにやれるのかとか、実際に技量がどの程度なのかを確かめる事にはなるんだけど、ロミオの場合はちょっと難しいだろうね」

 

 コウタの質問に答えたまでは良かったがエイジも実際にロミオの判断をどうすれば良いのかは迷っていた。

 元々極秘で教導をしている時点で、アナグラでもかなりの上位に食い込むのは間違い無い。

 事実、自分だけでなくナオヤや無明までもがロミオに対しやってきている。本来であれば実技の必要性は何処にも無い。しかし、今の状況下でロミオだけを特別視する訳には行かないとの判断がそこにあった。

 下手に高いレベルを設定すれば、今度は他とのバランスが明らかに歪になる。エイジはその事に危惧を抱いていた。

 

 

「でも、実技って公開なんだよな?」

 

「実際には榊博士とサクヤさん位だけどね」

 

「意外と少ないんだな」

 

「それ以外はブラッドは既に状況を知ってるし、それ以外となると人数は必然的に少なくなるのは仕方ない………そうか。それがあったか」

 

「何か良いアイディアでも浮かんだのか?」

 

「ちょっと試験の事でね」

 

 コウタとの会話でエイジは少しだけ今回の実技試験に関してのとある考えも持っていた。

 誰も異論は無いだろうが、念の為に根回しだけはする必要がある。そう考えたからなのか、エイジは作業をしながらも頭の中で急速に内容を纏めていく。

 既に道筋はが出来上がったからなのか、僅かに笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね……悪くないと思う。でも、それだと手間がかかると思うが良いのかい?」

 

「実際に試験の判断は僕達に委ねられるのであれば、それも一つの提案かと。実際にはロミオだけにしか通用しませんから、他への影響は最小限になると思います。それと、ついでにブラッドの底上げも可能かと」

 

 翌日になって、エイジは榊の元を訪ねていた。今回の試験に関しては元々予定されていた物だからなのか、何時ものやり方を少しだけ変える事にしていた。

 元々ロミオは屋敷の教導でもかなり良い数字を出している。本来であればこんなやり方は到底認められないが、明らかに異なる状況を考えれば納得できる内容だった。

 

 

「君の方が理解していると思うが、ここでの階級は殆ど意味を成さないからね。そのやり方が今回だけであれば、特に止めるつもりは無いよ」

 

「有難うございます」

 

「取敢えず、今回の件でブラッド全員が尉官級になってくれれば、後々の事を考えると助かるからね」

 

「確かにそうですね」

 

 既に試験の方法は極秘裏に決定されていた。元々技量を図る必要性は無いが、それでも対外的にそれ程動けるのかを示す必要だけはあった。

 幾ら実力があったとしても対外的にそれを判断する材料は結果的には階級だけになる。だとすれば周囲にも分かり易い方法を取った方が良いだろうと考えた末の結果だった。

 

 

「では、その様に伝えておきます」

 

「頼んだよ」

 

 その言葉と共にエイジは支部長室を後にしていた。

 日程的には厳しいが、今の実力であれば問題無いはず。だからなのか、今後の判断材料になればとの思いだけがそこにあった。

 

 

 

 

 

「そうですか……」

 

「実際にはする必要は無いんだけど、周囲には実力を示す必要があるからね。これまでと同じ試験をするとなれば、確実に当落線上に立つ事になる。だったら対外的な実力を示した方が合理的だと判断したんだ」

 

 エイジの言葉にその場にいたロミオだけでなく、リヴィも驚いていた。

 元々試験は一定以上の実力を示す必要がある為に、試験管は常に相手のギリギリか少し上の実力で戦う事を想定していた。

 しかし、今のロミオでそれをやった場合、各方面に何かと問題が起こる可能性があった。

 一番の問題点は明確な基準が無い為に、その印象だけで決まる可能性だった。既に上から数えた方が早い人間との対人戦は圧倒的に内容が違ってくる。

 実際に用意された試験でロミオの実力を図る事は厳しいとしか言えなかった。だからと言って、当初の予定していた内容の試験だけでは判断が出来ない。

 だからなのか、今回の様な変更に至っていた。

 

 

「なるほど。突出しすぎても問題があると言う事か……中々難儀な話だな」

 

「俺の試験ってそんなに大変なのか?」

 

「大変だから今回の件でエイジさんが悩んでいたんだろうな」 

 

 未だ気が付かないからなのか、ロミオの言葉にリヴィは少しだけ呆れる様相を見せていた。

 詳細についてはまだ何も分からないまま。今から何かの対策をしようにも、何一つやれるkとは無いままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教導は一日だけで終わる事はなかった。当初の予定通り、ブラッドは珍しく屋敷に来ていた。

 これまでにも何度か来た事があるが、今日はどこか空気が違う様にも感じる。そんな違和感を察知したのか、全員が何かを感じ取っていた。

 周囲からは見えない何かがブラッドに注ぎ込まれている。冷静なはずのジュリウスもまたどこか緊張した面持ちだった。

 

 

「全員そろったな。今日はここでの教導だと聞いている。私は特に何もしないが、皆、全力で取り組む様に。それと今回のここでの内容は危機管理の力を存分に働かせる事にある。油断すればすぐに脱落する。気を抜かない様に」

 

 本来であればサクヤが仕切るはずが、今はツバキがここを仕切っていた。

 今は休暇中にも拘わらず、その鋭い雰囲気にまだ極東に来た当時の事を思い出す。

 事前にサクヤから聞かされていなければ、何時もとは違った空気に耐えられそうに無かった。

 ツバキの言葉が終わると同時に、全員の緊張感がピークに達していた。本来であればどこかのどかな雰囲気の屋敷は戦場にいるかと思える空気を醸し出していた。

 

 

 

 

「誰がやられたんだ?」

 

「反応を見る限りリヴィさんかと。ですが、このままでは我々も同じ結果を辿るかもしれません」

 

 北斗だけでなく、シエルもまた緊張感に包まれながら周囲を確認していた。ここでの教導は今までの総決算なのか、事実上のサバイバルだった。

 神機を使えない為に、全員が神機の代わりとなる物を渡されていた。北斗だけでなくシエルの手には木刀が握られている。屋敷の一部の敷地を除く全てがブラッドに対し牙を剝いていた。

 

 

「しかし、まさかここまでだとは思わなかったな」

 

「はい。これが訓練でなければ瞬時に我々の命は危ういでしょう」

 

 

 

 

 

 ツバキの言葉が終わると同時に一方から挨拶とばかりに矢が射かけられていた。

 音も無く飛来するそれは余程集中しなければ回避すら危うい。時間差で飛来する矢はあらかじめ回避するであろう先にも向けらえていたからなのか、回避と同時に払う事で直撃を避けていた。

 

 既に開始から20分が経過している。その短い時間の中で真っ先に狙われていたのは、リヴィだった。

 元々屋敷でも子供達は武術を学んでいる。ここに来た回数は少ないが、これまでに舞踊で何度か足を運んでいる事を知っている。それだけではない。今回の教導では共闘されると厄介な人間を真っ先に狙う事を優先したからなのか、このメンバーの中で真っ先に狙われていた。

 矢を回避したかと思った瞬間、死角から槍の穂先が丸くなったそれがリヴィへと襲いかかる。

 仮に余裕を持った回避をすればこの攻撃は受ける事はなかったはず。しかし、回避に手間取った事によって、この中で一番最初に脱落させる事が決められていた。

 

 死角から放たれた突きはギリギリで回避出来たものの、その後の攻撃はアラガミと対峙している状況に近かった。

 元々木刀だけの為に銃撃で距離を取る方法が使えないからなのか、リヴィの周囲には3人の子供が囲んでいる。各々がここでの年長組なのか、その突きだけでなく、他の獲物を持った子供も連携を取って攻撃を繰り出していた。

 

 一つの攻撃だけに専念すれば他の攻撃が直撃する。常に死角から狙われる攻撃は確実に追い込んでいくやり方だった。

 本来であればそれを見た北斗やシエルも加勢に行くべきだが、その行動は同じく阻まれていた。今行動に映せば確実に先程の矢が2人に襲い掛かる。下手に時間を消耗すれば、次の標的は自分達。まだ様子を伺う段階での勝負は余りにも厳しい物でしかなかった。

 

 

「まさかここまで窮地に追いやれるとは……くそっ!」

 

 リヴィは思わず自分のふがいない行動を唾棄したくなっていた。

 ここの雰囲気が何時もとは違う事は理解していたが、まさかこうまで苛烈な攻撃が出されるとは思ってもいなかった。

 元々ここでは子供でも小さい頃から訓練を開始している。常にどんな状況下でも自分の見失う事無くただ結果だけを求めるかの様に繰り返した訓練は自分の域とは切り離された状況でも半ば自動的に動いていた。

 身体が覚える一つの型は、どんな状況でもぶれる事は無い。3人で囲むのは本来であれば卑怯だと言われても仕方ないが、訓練であると同時に子供達から見れば実戦でしかない。

 口にする頃にはその攻撃は反撃の機会を与える事無く直撃するのは当然だった。

 

 幾ら実戦経験が豊富だとても、完璧な連携を崩すには並大抵の力量では突破は不可能だった。

 矢によって誘導された動きは完全に獣の猟と変わらない。ましてやリヴィは普段はヴァリアントサイズを使う事から接近戦は厳しい現実を突きつけられていた。

 サイズの間合いではなく槍と刀の間合い。木刀の一撃を往なす事が僅かでも出来なければ攻撃が届かない場所からの突きがリヴィの身体に突き刺さる。

 幾ら子供とは言え、修練を重ねた業は並の大人と大差なかった。

 

 当初は攻撃を回避し、間に合わない場合は往なす事を優先させていたが、多勢に無勢。

時折上空から意識を向けるかの様に飛来する矢を叩いた瞬間だった。

 回避し続けていた2本の木刀と1本の槍がリヴィの身体に突き刺さる。これがゴッドーターでなければ悶絶する痛みは、リヴィの想像を超えていた。

 槍の払いで大腿を叩かれ、サイズの代わりに持っていた獲物が木刀で叩き落とされた瞬間、肩口に激しい痛みを覚えている。

 事実上の反撃は空を切ったからなのか、リヴィはそのまま地面へと沈んでいた。

 

 

「まずは一人目だね」

 

「ああ。それに何人かは隠れてるみたいだしね」

 

 地面に倒れたリヴィを捕獲したからなのか、、子供体は僅かに無邪気な笑みを浮かべていた。

 これが今回の教導であればどれ程厳しい戦いになるのだろうか。リヴィの様子を見ていた物は人知れず戦慄を覚えていた。

 

 

 



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第74話 模擬戦

 子供達とリヴィの戦いを見ていたのは北斗とシエルだけではなかった。

 隠れていた場所から見た光景は正に効率的な狩りを思わせるやり方。何時もは慕って来るはずなのに、どこか冷たい雰囲気が漂っていた。

 既にリヴィが捕獲されたからなのか、そのままリタイアとなっている。

 今の状況で自分が同じ立場ならば反撃の可能性があるのだろうか。ナナはそんな事を考えながら自分の次の行動を考えていた。

 以前の遊びから判断すれば、このままだと見つかるのは時間の問題。先程の光景から考えるに、少なくとも自分もツーマンセルで行動することが先決だと判断していた。

 隠れながらに移動を開始する。しかし、その様子は既に屋根の上から人知れず捕捉されていた。

 

 

「あ!ギル。大変だよ。リヴィちゃんが捕獲されちゃった」

 

「リヴィがか?」

 

「うん。どうやらここの子供達は私達と敵対しているみたいだよ」

 

 ナナの言葉にギルは顔を顰めていた。元々ここの子供がどれ程技量を持ているのかは同じ槍を使うからなのか、ブラッドの中でも北斗と同じくらいに理解していた。

 ナオヤを筆頭に槍術は単に突くだけの技術では無い。受けと払いすらも習熟しているからなのか、その行動に澱みを感じた事は殆ど無かった。

 まだ年齢を考えれば異様としか言いようが無い。だからなのか、ナナの言葉にギルは内心焦りを浮かべていた。

 

 

「だとすれば、ちょっと拙いかもな。とにかく単独は危険だ。ナナ、ここからは一緒に行動するぞ」

 

「うん。分かった」

 

 お互いが共同する事で障害を排除する。同じ近接同士ではあるが、ハンマーのナナと槍のギルでは間合が違う。近距離から中距離をカバー出来るからなのか、ナナは僅かに安堵した瞬間だった。

 

 

「ナナ!後ろだ!」

 

「えっ?」

 

 ナナが振り向くよりも早くギルが真っ先に動いていた。

 牽制の為に放たれた矢はナナの胴体めがけて放たれた物。判断が早かった為に矢はナナに届く事無く、そのまま地面に叩き落とされていた。

 それと同時に二の矢が来ないかと警戒する。牽制だったからなのか、次に飛来するはずの矢は飛んでこなかった。

 

 

「あ、ありがとギル」

 

「ナナ、ここは拙い。直ぐに離れろ。時間をかければ囲まれるぞ」

 

「そ、そうだね」

 

 ギルの判断は早かった。矢が飛んでくる時点で既にここは捕捉されている。

 このままではリヴィの二の舞になるのは決定事項。だからなのか、この場から直ぐに離れる事を判断していた。気が付けば気配が僅かに感じてくる。2人は逡巡する暇すら与えらえなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロミオ、リヴィがやられたんだが、本当にここの子供達がやっているのか?」

 

「ああ。少なくとも技量は人によっては俺達以上かも」

 

 リヴィ捕獲の情報はジュリウスとロミオの下にも届けられていた。なす術もなく捕獲された事実は予想以上の衝撃が大きい。

 当初は何も分からないままに進んでいたが、リヴィの情報を耳にしてからはこれまでの様な慢心は完全に無くなっていた。

 事前に渡された神機代わりの木刀がやけに小さく感じている。これまでにこんな形式の訓練をした事が無かったからなのか、ジュリウスは無意識の内に手に汗を握っていた。

 

 

「そうか……これは慢心を無くす為に用意された物かもしれんな」

 

「だよな。俺もそう考えてる。後はどうやって回避するかだよな」

 

 既に2人の思考から甘えは無くなっていた。元々ここに呼ばれた時点で何かしらある事は間違いかった。

 事実、今の状況に陥る事で漸くその意味を理解している。ここから先に出来る事が何なのかは誰も知る由も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、リヴィ姉さんはこちらにどうぞ」

 

 捕縛されたかと思った瞬間、リヴィは厨房へと運ばれていた。

 既に縄は解かれ、前に歩く子供の後に着いて行く。厨房に向かっている事は理解していたが、それが何を意味するかまでは分からないままだった。

 

 

「私はこの後何をすれば良いんだ?」

 

「取敢えずリタイアしたから、この後は食事の準備をするんだよ。皆、出払ってるから」

 

 子供の言葉にリヴィは大よそながらに理解していた。

 今回の教導が屋敷の敷地内全域である事から、駆り出された人間はほぼ全員。幾ら何をしようが人間である以上、動けば腹が減るのは道理だった。

 誰も居ないからなのか、一部の子供達だけで作るのは大変な作業。だからこそリタイアしたリヴィはその大事な人員として確保されていた。

 

 

「なるほどな。確かに合理的だ」

 

「じゃあ、この野菜の皮を剥いてね」

 

 渡されたのはピーラーとジャガイモ。数は数える事すらしたく無い程の量だった。

 何を作るのかは聞かされていないが、見れば既に作業は開始している。既に外部との接触を絶たれたからなのか、今はだた作業をするしか無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギルとナナは周囲を確認しながら移動を開始していた。

 元々ここで過ごす事が余り無いからなのか、今がどんな状況になっているのかを判断するには材料が足りなさ過ぎていた。

 確保されてからの状況は不明だが、何処に連れて行かれたのかが分からない。事実上のリタイアだった。

 なるべく音を立てる事無く動き続ける。未だ絡みつくような気配は消える事は無かった。

 

 

「何だか嫌な展開だな」

 

「確かにそうだよね」

 

 ゴッドーターの脚力であれば仮に追跡されたとしてもその速度で振り切る事は不可能では無い。しかし、それは障害となる物が何一つ無い状態である事が前提だった。

 事実、建物が常に何かしらの死角を作り出すと同時に、行動の範囲までもが制限されていく。

 それだけではない。ナナはここの子供達がどれ程常識から逸脱した行動をするのかを理解しているからこそ、行動は何時もの様に大胆に動くのではなく細心の注意を払っていた。

 気配だけでなく、音すら立てる事無く忍び寄る。時折頭上も確認するが、ギルとナナは何も気が付かないままに行動していた。

 それを見たからなのか、一人の子供が持つ弓が一気にしなる。効率を高めた弓は既にギルに狙いを付けていた。

 

 

「ぐぅっ!」

 

 声にならない悲鳴はギルの口から洩れていた。殺傷能力は低いがそれでも直撃すればかなりの威力を発揮する弓から放たれた矢はギルの腹部を直撃していた。

 突如として飛来した矢を確認したものの、その先にいるはずの子供の姿はどこにも無い。矢が刺さった事によって、周囲の探知は記憶から抜けていた。

 

 

「ギル!」

 

「来るな!周囲を確認しろ!」

 

 ナナの心配する声を制し、ギルは改めてナナの方へと視線を動かす。

 時すでに遅し。ナナの意識がギルに向かった瞬間に飛び込んで来たのは一つの刺突だった。

 

 

「きゃああああああ!」

 

 一度ではなく二度突いたからなのか、ナナもギル同様に腹部と大腿にダメージを受けていた。

 意識が一方に向いた瞬間に間合が完全に詰められたからなのか、既に槍の有効範囲だった。

 腹部を突き、反動で戻った所を素早く払う。払った先にあったのはナナの大腿だった。

 幾ら強靭な肉体を持っていしても瞬時に受けたダメージが直ぐに回復する訳では無い。衝撃はそのままナナの悲鳴を誘っていた。

 

 

「ナ……ナ!」

 

 一方のギルもまたそれ以上の声を出す事は無かった。ナナだけではない。攻撃に参加しているのは全部で3人。

 ナナに意識を向けた瞬間、物陰からギルめがけて斬撃が飛んでいた。油断した為に、側面から薙ぐ様に木刀が直撃する。無意識下での一撃はやはりギルの動きを完全に止めていた。

 蹲ればこのまま終わる。それを理解したからなのか、ギルは思わず落としそうになった自分の槍をそのまま握り、汚れる事すら構わずに回転しながらその場から離れていた。

 

 

「こんな所で!」

 

 悲鳴はあがったものの、ナナとてこのままやられるつもりは毛頭なかった。

 無理矢理痛みを押さえ、自分が持つ槌を攻撃が受けた方向へと向けていた。

 槍と槌の間合いは大きく離れている。距離が離れたままでは致命的だった。

 以前の教導で対峙したナオヤと姿が重なって見える。気配を完全に消し去ったからなのか、ナナの視界に映るのは一本の槍だけだった。

 ギルだけでなくナナ自身も今の状況のままでは終わる事を理解していた。先程のリヴィを捕獲した際に見た連携はまさに死角すら見当たらない。事実上の連携攻撃はある意味ではナオヤ以上に厄介だった。

 しかし、今は一対一。これなら何とかなるだろうとナナは無意識の内に自分の持つ槌の握りを強く握っていた。

 

 

 

 

 

「まさか、こんなやり方があるとはな……」

 

 ナナが対峙した事を確認したからなのか、ギルもまた木刀を持った2人と対峙していた。

 間合を図りながらゆっくりと移動している。気が付けば既にそこはギルの得意とする場所ではなくなっていた。

 若干狭くなった場所で槍を振れば何かに衝突する可能性が高く、また刺突するにしても狭所だからなのか、攻撃の範囲は自ずと限られていた。

 狭所を忘れギルは二度三度と突きを続ける。しかし、来る場所が分かっているからなのか、フェンイトすら入らない攻撃は全て無効化するかの如く往なされる。攻撃の手を止めれば反撃が待ち構えてるからなのか、ギルは対峙した子供に対し手を止めるつもりは無かった。

 

 

「お兄さん、甘いよ」

 

「クソッたれが!」

 

 刺突は距離を活かせる為に槍術の考えからすれば間違った選択肢では無かった。寧ろこれだけの狭所であれば事実上の正解に等しい行為。しかし、それはあくまでも一対一での話に過ぎなかった。

 狭い事を有効活用したからなのか、後ろに居たはずの子供は直ぐに壁を使って三角飛びの容量でギルとの距離を詰めていた。

 これまでとは違い、明らかに殺意が籠った一撃はギルの懐へと飛び込んでくる。

 刺突の為に放たれた槍は何時もの様に戻る事はなかった。伸びきった腕を止めるかの様に往なした行動から一転、槍の穂先の部分を地面に叩きつける。

 衝撃が槍と通じてギルへと流れ込んだ瞬間だった。懐に入った子供の一撃は、再びギルの腹部を直撃する。

 突きを出した事によってギルの身体は完全に死に体だった。痛烈な一撃だけに留まらす、二撃目までもが連続して叩き込まれる。

 これが実戦であれば自分の胴体が斬られたと錯覚する内容にギルは終始驚きを見せたまま意識を失っていた。

 

 

 

 

「このままやられる訳にはいかないよ!」

 

 ナナは渾身の力で槌を振り回していた。ギルの事も一瞬脳裏を横切るが、自分が対峙した相手の事を無視する訳には行かなかった。

 間合が確実に異なる為に、一方的な防戦を余儀なくされている。本来であれば分断された時点に何かしらの対策を練る必要があった。

 これがエイジやナオヤが相手であれば確実にそうする。しかし、相手が子供である事がナナの行動を方向付けていた。

 ここで何とかすればギルの所に向かう事が出来る。今のナナはその一点だけに囚われていた。

 槌を振りながら圧力をかける。一方の子供もまた間合を取ながら牽制を続けていた。

 このままならば確実に押し切れる。そう考えた瞬間、何か重要な事を忘れている可能性があった。

 自分達はなぜこの場所で戦っているのか。どうやってここに来たのか。戦いの最中が故に脳が高速回転し、思考が加速する。その瞬間だった。

 

 

「忘れて……たよ」

 

 ナナの腹部に矢が命中していた。ここにくるまでに誘導されたのは一本の矢。そしてお互いが対峙した瞬間、その意識は完全に槍を持った子供だけに向けらえていた。

 死角からの一撃。ナナの動きが僅かに緩んだ瞬間だった。

 裂帛の気合いと共に3本の衝撃が襲いかかる。これが神機であれば盾で防ぐ事も可能だが、あいにくと槌ではそれが出来ない。

 両肺と腹部への質突はナナの意識を奪い去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり予想通りと言うか、何と言うか」

 

 物見櫓から見た光景はエイジが予測した結果に落ち着き始めていた。元々今回の教導のは事実上のロミオの実技試験も兼ねていた。

 対戦するまでもなくそれなりに上位のレベルであれば、分断された場合や、情報が無い状況での判断をどうするのかを見定めていた。

 

 真っ先に退場する事になったリヴィはともかく、警戒していたはずのギルとナナまでもが捕獲されている。本当の事を言えばギルは状況を把握し、ナナは相手の力量を判断する必要があった。

 視覚から入る情報は確かに重要ではあるものの、やはり万が一の予測を立てない限り、逆に返り討ちにあう。

 恐らくは時間さえかければナナも様子を伺う事を優先したのかもしれないが、やはりギルの事を考えての行動に間違いなかった。

 その結果として自分が捕獲されれば本末転倒。このままでは改めて戦術論の座学に突入するのは間違い無かった。

 

 

「でも、あの子達って確か、ここでもかなりの上位でしたよね?」

 

「まぁね。ナオヤまでは行かないけど、それに近い技術は持ってるよ。恐らくは見た目に惑わされたんだろうけどね」

 

「それは……私だって多分同じだったら、そう判断しましたよ」

 

 櫓から見ていたのはエイジとアリサだった。今回の教導にあたり、エイジは無明とツバキに今回の概要を説明していた。

 元々子供達も他の人間と模擬戦をすれば更に技量を高める事も出来ると判断し、ブラッドもまた臨機応変に行動する事を学ぶ事が可能だと判断した結果だった。

 実際にエイジは子供達に何かしらの作戦を指示した訳では無い。子供達が各々の判断で決めた結果だった。

 

 

「でも、見た目だけに囚われたら、この前と同じなんだ。実際に変異種と普通種に見た目の差は無いからね。戦っていれば何となく分かるかもし、最悪は再戦でも良いかもしれないけど、今のアナグラではそれが出来ない。厳しいかもしれないけど、ここは乗り切ってもらうしか無いんだよ」

 

 エイジの目は何時もの教導と同じだった。

 決して貶めようとしている訳では無く、純粋に危機管理能力を持ってもらいたいが故の判断だった。

 確かに途中でツーマンセルでお互いの不備を庇い合う考えは正解だが、簡単に分断されれば意味を成さない。誘導された時点で周囲の様子を伺いしれないのであれば、今後はそれも教導に盛り込む事を優先していた。

 気が付けば、ギルとナナは予定してた場所へと運ばれる。恐らくはこれから厨房に回される事になるのを知っているのはエイジだけだった。

 

 

「でも、どうしてアリサがここに来たの?本来はリンドウさんだったはずじゃ」

 

「そ、それはちょっとサクヤさんからお願いされたので……」

 

 言い淀むアリサにエイジはそれ以上の事は無いも言わなかった。

 恐らくはサクヤが気を使ったのかもしれない。最近は慌ただしい時間が続いたからなのか、お互いがゆっくりと出来ない。

 今回の様に事実上、まる1日がここだからと知った上での指示に違い無かった。

 

 

「そうなんだ」

 

 全てを悟ったからなのか、エイジは再び周囲を確認していた。

 櫓からでは軒下の入られると行動が全く見えない。今見えるのは屋根伝いに行動している子供達だけだった。地上と同じ様に移動している。此方は此方で成長の度合いがよく見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっと……」

 

「ナナ。漸く気が付いたのか」

 

 ナナの視界に飛び込んできたのはエプロン姿のギルだった。気が付けばここは厨房の隣なのか、扉の向こうからは何か騒がしい声が聞こえて来る。ここが屋敷の中だと気が付くのに僅に少しだけ時間を必要としていた。

 

 

「ギルは何してるの?」

 

「見ての通りだ。隣で全員の食事を作ってる。リヴィも既に駆り出されているぞ」

 

「って事は私達も捕獲されちゃったんだね」

 

「ああ。冷静になれなかった俺達の負けだ」

 

 ギルの言葉にナナも漸く自分達が捕獲された事に気が付いていた。

 確かに冷静さを失ったのは拙かったが、まさかこうまで一方的になるとは思わなかった。

 奇襲だけでなく自分が持っている武器の特性を完全に理解しているからこそ立案された作戦。分断した時点でお互いが苦手な場所へとおびき出された事実は明らかに戦術で負けていた事になる。

 一度脱落してからの再起は不可能。だからなのか、ナナも自分の置かれた状況を理解しながらもどこか悔しい気持ちが勝っていた。

 

 

「何だか悔しいね」

 

「ああ。これからはもっと戦術論も学ぶ必要があるな」

 

「そうだよね。聞いてただけじゃこんな風になるなんて思わなかったよ」

 

「あとはロミオ達と北斗達だな」

 

「せめてブラッドしては頑張って欲しいよね」

 

 リタイアした為に、ここから先の展開を伺う事は出来なかった。既に時間もそれなりに経過しているからなのか、どこか良い匂いがナナの鼻孔をくすぐる。

 今日のメニューは何だろうか。そんな事を考えていた時だった。

 

 

「ナナ。ギルも何時まで油を売っているんだ。お前達も参戦しないと食事は抜きだぞ」

 

 エプロンではなく割烹着を来たリヴィは、おたまを持ったままここに来ていた。

 未だ準備中なのか、出来上がった要素はどこにも無い。少しだけ視線を動かせば、小さな子供とシオが陣頭指揮をとって鍋と向かい合っていた。

 

 

「了解。そう言えばリヴィちゃんのそれは私物なの?」

 

「これか?これはここで作る際に借りてる物だ。案外と使いやすいぞ」

 

 エプロンとは違うからなのか、動く事に対し気にする様な要素はどこにも無かった。

 今回の食事は何時もの人数では無い。ブラッドが参加している為に料理の手間だけは余計にかかっていた。

 

 

「ナナ。これはお前の分だ。取敢えずは今の俺達に出来る事はこれ位だからな」

 

「そうだね。折角なんだし、ここは一つ私の腕の見せ所かな」

 

 既に先程までの悔しさの影は消えていた。幾ら悔しい気持ちを持っていても、今出来る事は何一つ無い。

 負の感情をズルズルと引き摺る事無く気持ちを切り替える事を優先してたからなのか、ナナも用意されたエプロンを付け、そのまま厨房へと向かっていた。

 

 

 



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第75話 佳境へと

 北斗とシエルは既に捕捉された事実を知り、改めて対策を立てる事を優先していた。

 ギルとナナがどの様に捕獲されたのかは分からないが、これまでにここでの様子を何度も見てきた北斗からすれば、どの様な事をしたのかが直ぐに予測出来ていた。

 元々ここの子供達は常日頃何かしらの鍛錬をしている為に、通常以上の身体能力を有している事は既に知っている。そして、それは肉体だけに限った話では無かった。

 毎日同じ様に寝食を共にする事によりお互いの連携が確実に取れ、瞬時の判断についても淀む様な事はどこにも無い点。これは自分達でも同じ事が言えていた。

 

 連携を取る事によって強大な力にも立ち向かう事はゴッドイーターとしても当然の話。ましてや子供達はゴッドイーターの様な超人的な力など持っていない。本当にどこにでもいる子供と同じだった。

 しかし、確実な連携は自分達ゴッドーターすら捕獲するのであれば、その力がどれ程のレベルなのかを確実に感じ取っていた。

 

 

「シエル。今回のこれは、俺達の連携訓練も兼ねている可能性があると思う。で無ければこうまで鮮やかに分断されるとは思わない」

 

「言われてみれば確かにそうですね。ですが、今の状況で立て直す事は難しいかもしれませんね」

 

「連絡を取れないのはある意味厄介だからな。このままだと個の力で集団と戦う事になる。早めの対策が必要だろう」

 

 北斗の言葉にシエルもまた同じ事を考えていたからなのか、理解は早かった。

 ギルとナナが捕獲されてからは完全に警戒をしたからなのか、視線は常に止まる事無く動いていた。

 仮にこの状況で攻め込まれた場合、どうやって反撃するのか。その策が未だ立たない。

 立地を考えれば完全にアウェーでの戦いだからなのか、今出来る事は確実に反撃出来るだけの対策を練る事だけだった。

 残されたのは自分達とジュリウス、ロミオの4人だけ。余りにも手慣れた攻撃は如何に自分達が神機に頼っているかを浮き彫りにさせていた。

 

 

「この中で一番厄介なのは矢を射かけられた場合だな。音が無いだけでなく、完全に遠距離攻撃だから先にそれを潰す必要がある。でないと、おちおちと攻撃する事も出来ない」

 

 北斗が言う様にスナイパーではないが、一方的に攻撃を受ける事は得策ではない。

 事実、自分達も距離があれば真っ先に銃撃でアラガミの先手を取り、有効な間合いを活かしながら戦いを開始する。今の状況はアラガミとゴッドイーターの立場が逆になっていた。

 既に音が無い遠距離攻撃によって分断されたからなのか、お互いの居場所を探知する事も出来ない。

 本来であればシエルの『直覚』の能力を活かす事も考えられたが、相手はアラガミではなく人間。シエルの能力でも探知する事は不可能だった。

 それともう一つがシエル自身にあった。射撃を中心とした攻撃が既に出来上がっているからなのか、完全な近接攻撃となった場合、一抹の不安があった。

 今回は純粋な体技が勝負の要になってくる。シエルの始業が劣っている訳では無いが、何か想定外の何かが起こった際に対処が遅れる可能性が高かった。

 

 

「確かに北斗の言う通りです、遠距離攻撃を真っ先に排除し無い事には我々の勝機は厳しいでしょう。ですが、相手方の出方が全く見えません。そこが一つのポイントになりますね」

 

 シエルの言葉に北斗も改めてこれまでの事を考えていた。仮に自分であればどうするのか。そう考えた際には一つの提案が浮かんでいた。

 

 

「だとすれば誘い出すしか無い。俺が囮になって矢を防ぐ間にシエルが仕留める。これでどうだ?」

 

「ですが、相手もそんな事は百も承知のはずです。みすみす乗ってくるでしょうか?」

 

「その辺りは何とか出来るはずだ。後は個人技の話になる。シエル、流石にこれでブラッドアーツを使う事は不可能だが、大丈夫か?」

 

「はい。と言いたい所ですが、技量に関しては恐らく私は子供達よりも劣るでしょう。後は地形を有効活用されれば確実に私は墜ちます。北斗はその際にどうしますか?」

 

 シエルの自己分析に北斗は自分を完全に理解していると判断していた。

 そしてそれが元でどうなるのかも含めて。

 シエルの言葉に以前の神機兵の事が思い出される。自分を犠牲に任務を遂行する。シエルが口にしたのはその当時の再来だった。

 

 

「状況に応じてだな。特段、攻撃を受けたら負けではないなら、最悪はその場からの脱出も視野に入れる事になるだろう」

 

「北斗は相変わらずですね」

 

 緊張の中に僅かな笑みが生まれていた。ギリギリの戦いでは無いものの、やはり緊張感が高まればその分、自分達が想定していない動きになる恐れがある。だからなのか、今の笑みで少しだけ固さが抜けたと思った瞬間だった。

 

 

「シエル。来るぞ」

 

「はい」

 

 僅かに聞こえる足音は恐らくは3人ないし、4人。

 矢が飛来しなかった事は良いが、それでも警戒する必要だけはあった。

 音が聞こえないからと言って来ない訳では無い。改めて自身が持つ木刀を握る力が無意識に強くなる。相手もそれに感付いたのか、既に足音は聞こえなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかここまで実戦形式での訓練になるとは思わなかったな」

 

「確かに。でも、ここの内容を考えるとあながち無謀でも無いんだ。各々の実力もだけど、連携が上手い。俺達がアラガミの立場になるなんて夢にも思わなかったよ」

 

 息をひそめるかの様にジュリウスとロミオは周囲を探っていた。

 今回のこれにどれだけの人数が投入されているのは何も聞かされていない。分かっているのはここの子供達の中でもかなりの手練れが対戦相手である事実だけ。

 既にリヴィから始まり、ギルとナナが捕獲されている。北斗達がどんな状況なのかは分からないが、決して安泰では無い事は間違い無かった。

 

 

「だが、これはまだブラッドが……いや、北斗とナナが来た当初に言った言葉と同じだな」

 

「良くは分からないんだけど、何か言ったんだ」

 

「ああ」

 

 ジュリウスは先程のロミオの言葉に、まだ北斗とナナがブラッドに配属された当時に言った言葉を思い出していた。

 アラガミは人間に比べれば遥かに強靭で強大。幾ら神機を所有し様が個の戦いに於いて優勢になる事は少ない。だからこその意味を込めた言葉を伝えていた事を思い出していた。

 個で無理ならば集団で戦う。自分達ゴッドイーターの強大な力に負けない様に連携を深めるのは当然の事。正に当時のジュリウスの言葉を自分達が体験していた。

 お互いの行動を見ながら隙を無くしていく。如何に強大でも研ぎ澄まされた連携は強大な結果をもたらしていた。

 

 

「今の俺達に出来る事を優先するんだ。下手な事をしても、今の俺達ならば無意味でしかない。とにかく今は少しでも良いから情報を引き出す事を優先しよう」

 

 ジュリウスはこれまでの様に隠れながら移動するのではなく、己の姿をさらした状態で行動する事を決めていた。

 下手に隠れた所で見つかるのがオチであると同時に、自分達が慣れない事をする事で此方もまた不利になると判断した結果だった。

 既に捕捉されている前提であれば、奇襲を受けても対処は可能。だからなのか、ジュリウスだけでなく、ロミオもまた同じ様に行動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「取敢えず、分断しても安心は出来ないね」

 

「思ったよりあの金髪のお兄さんは大胆な考えだね」

 

「だとすれば、真っ先にそっちから叩く?」

 

「稚拙な攻撃は無意味だから、様子を伺いながら行動して、隙を見せた瞬間に一気に攻め込むのが一番かも」

 

 事実上の分断に成功したまでは良かったが、色々な意味で厄介な組み合わせになったと子供達は考えていた。

 本来であればロミオと北斗を最後に、先にジュリウスとシエルを各個撃破、若しくは両方を一気に攻める方針で行動を開始していた。しかし、ロミオと北斗はそれぞれが異なる展開をしたた為に、今後の行動に少しばかり修正を加えていた。

 ジュリウスの実力は未知数ではあるが、やはり最初の部隊長だっただけあって、随分と豪胆な戦術を取っていた。

 常に迎撃を意識しながら動くために、下手な攻撃はこちらも手痛い反撃を喰らう可能性がある。

 それだけではない。仮にそこでの時間が長引けば、確実に北斗達も来る事は容易に予測されていた。

 そうなると明らかにゴッドイーターの方に天秤が傾く。そんな思惑があったからこそ、様子を見ながら今後の作戦の変更を余儀なくされていた。

 

 

「だとすればどうする?」

 

「やっぱり狭所に誘いこむしか無いと思う」

 

「だとすれば犠牲が出ないか?」

 

「止む無し……と言いたいけど、それはダメだよ」

 

 特攻はできるだけやらない。仮にやればその瞬間に結果が出せなければ、今度は自分達が手痛い反撃を受ける事になる。常にそう教えられているからなのか、誰もが自己犠牲を前提とした考えを持つ者はいなかった。

 

 

「となれば、個別に撃破だね」

 

 誰とも言わず方針が固まっていた。分断した後に合流される位なら、最初から各個撃破によって合流させなければ良いだけの話だった。

 既に上位者から部隊編成を開始している。時間的にもそろそろ限界が近いからなのか、子供達もまた真剣な表情を崩す事無く行動を開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかここまで差し込まれるとは……」

 

 シエルは思わず目の前の敵と対峙しながら考えている言葉が無意識の内に口から漏れていた。

 本来であれば強靭な肉体を持つゴッドイーターとナオヤ程では無いにせよ、一般人との戦いが互角になる事はなかった。しかし、今のシエルにとって、目の前の子供はある意味脅威だった。

 槍とは違い、己の武器と同等の長さしかない木刀はお互いの攻撃範囲を限定させている。

 純粋な技量は自分よりも格上かもしれない。そんな事を考えながらもシエルは常に思考を止める事無く対峙していた。

 お互いの剣戟が木製にもかからず甲高い音を発している。シエルの周囲に北斗の姿は存在していなかった。

 

 

 

 

「シエル。本当ならここで連携するのが一番かもしれない。だが、この場所は思ったよりも良く無い」

 

「そうですね。だとすれば厳しいですが、個別撃破で合流が一番かもしれませんね」

 

 足音が察知出来ないだけでなく、こちらに向かっていたのであれば既に捕捉されてるのは当然だと判断していた。

 仮に4人だと仮定した場合、この場所は一方的な展開になるのは間違いなかった。事実上の狭所は攻撃を仕掛けるには厳しく、また守りになれば確実にその場所を活かした攻撃が来る事は直ぐに察する事が出来た。

 だとすれば一刻も早くこの場所から離れる事が最優先でしかない。しかし、こちらがそれを理解している以上、相手もまた同じ考えを持っている可能性が極めて高い。

 既に出口は前後にしか無い。だとすれば一点突破か各自の散開しか選択肢は無かった。

 

 

「いけるか?」

 

「行くしかありませんので」

 

 既に2人はこれが訓練である事を頭から完全に消し去っていた。

 思考は既にアラガミと対峙しているそれに変化していく。驕っていたのはどちらだったのだろうか。改めて2人はその考えを捨て去り、今出来る事だけを優先していた。

 

 

 

 

「このまま負ける訳にはいきません!」

 

 シエルは自身を振るいたたせるかの様に気合と共に自身の考えを口にしていた。

 迫りくる斬撃は既に教導でのそれと酷似している。

 お互いが対峙した空間は一種の結界の様だった。視線を常に動かし、お互いの隙を探りながらフェイントを入れていく。

 互いが斬撃を繰り出しながらも、その脳内は常に相手の一歩先を読みあっていた。

 繰り出される斬撃はお互い同じなのか、一合二合と凌ぎ合う。恐らくはシエルがゴッドイーターでなければ確実に最初の一撃で終わっていたはず。そんな思いが脳内を占めていた。

 こちらの攻撃は常に往なされ無効化される。これが本当に子供の技術なのかとある意味では驚愕していた。

 自分が同じ年代だった頃、本当にこんな攻撃が可能だったのだろうか。そこにはそんな思いが占めていた。

 

 

「シエルさん。強いね」

 

「お世辞は止してください。私は貴方の足元にも及ばない」

 

 既に子供の方は息切れしているのか、純然たる体力勝負に持ち込んだシエルに分があった。

 しかし、このまま北斗の所に向かせるつもりは毛頭ないからなのか、引き下がる気配はどこにもない。ただそにあるのは純粋な勝負だけだった。

 幾ら体力に分が有ろうと無限ではない。事実シエルも表情にこそ出していないが、限界寸前だった。

 あと一撃分の体力だけを残して全てを賭ける。この瞬間、少しだけ北斗の気持ちが分かった気がしていた。

 

 

「では………」

 

 目の前に対峙しているのは子供ではなく、一人の武人だった。

 これまで爆発的に出ていた気がまるで濃縮されたかの様に小さくなっていく。既に構えたそれはまるで居合いだった。

 半身になりながら摺り足で距離を縮めていく。お互いの決着が決まるのは僅かな刹那の時だった。お互いの間合いが詰められていく。まさにその瞬間、お互いの剣閃が交差していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「残念な結果でしたね」

 

「今回は作戦負けか」

 

 シエルと北斗はお互いがエプロンをしながら人参の皮を剥いていた。

 あの瞬間、シエルが打ち勝ったと思ったはずだった。

 全く意図しない場所からの弓による狙撃はそのままシエル意識を奪っていた。お互いが剣だけで勝負するとは誰も言っていない。最後まで隠し通せた弓の存在がその勝利を決めていた。

 

 

「確かに言われてみれば、剣だけだなんて決まってませんでしたね」

 

「全くだ。でも、今回の件でシエルも大きな収穫があったんじゃないの?」

 

「そうですね。技術だけじゃないですね。まさかあの場面で狙撃の重要性まで知るとは思いませんでした」

 

 意識外からの攻撃は思いの外、甚大なダメージを与える事を身を持って経験していた。

 卑怯だと言われればそれまでだが、命のやり取りに卑怯の言葉は存在しない。更に言えば、アラガミに対し、人間の道理を説く事自体無益だった。

 その後は北斗が集中攻撃を受ける。幾ら北斗と言えど、完全に囲まれた状況からの脱出は不可能だった。

 多勢に無勢。木刀ではブラッドアーツすら発動し無い為に、北斗もまた打ち取られていた。

 

 

 

 

 

「北斗さん、シエルさん。気持ちは分かりますが、今は早く作らないと時間も無いですし、それが無いと紅白なますが作れません」

 

「じゃあ、先にこれから使ってくれ」

 

 1人の少女は直ぐに皮を剥いた人参を持って行く。詳しい事は分からないが、どうやら調理は佳境なのか、大よそ何を作っているのかは匂いだけが教えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうやら俺達だけが残ったみたいだな」

 

「まさか北斗とシエルまでとは想定外だ」

 

 ジュリウスだけでなくロミオもまた同じ事を考えていたからなのか、緊張感がピークに達していた。

 既に打ち取られている以上、目標は自分達だけ。ここから勝ち残るには完全に相手を倒す以外に選択肢は無くなっていた。

 情報が流れてからは数分が経過している。だからなのか、既にその身を晒しているにも関わらず、攻撃が来ない事に違和感を感じていた。

 

 

「でも、意外だったよな。俺達に真っ先に攻撃が来るかと思ったんだだけど」

 

「確かにそうだ。だが、俺も無策だった訳じゃないからな。これまでは皆奇襲攻撃を受けた結果だが、ここならそれを防ぐ事が可能だ。それに動かなければ向こうから来るしか無い。俺達が防戦になろうが最後まで経っていれば勝ちなんだからな」

 

 屋敷の中で唯一広場の様な場所にジュリウスとロミオは陣取っていた。

 周囲にには隠れる様な場所はなく、仮に襲いかかってきたとしても即時対処は可能となっている。

 自分達の技量が無ければ出来ない戦法。既に周囲を確認すべく2人互いの範囲の監視をしていた。

 

 

 

 

「あとはロミオ達だけど、どうする?」

 

「奇襲も無理だし、ここは正攻法しか無いかもね」

 

 2人の様子を見ながら子供達は完全に攻めあぐねていた。何も無い場所での交戦は確実に技量だけが全てとなる。事実、ここまで5人を捕獲したからと言って、驕る様な空気は存在していなかった。

 元々体力差がどれ程違うのかは、これまでの交戦で一番理解している。幾ら数では勝っていたとしても、技量が高ければその考えも意味を成さなくなる。

 だとすればどうすれば良いのだろうか。そんな考えを持ちながらも視線が他に向く事はなかった。

 

 

「うん。最後は連携で行こう」

 

 誰ともつかない言葉に子供達は完全に腹を括っていた。

 回避される前に攻撃を叩きこむのか、それとも波状攻撃で攻撃そのものをさせないようにするのか。今出来る選択肢はそれだけだった。

 ロミオの実力は大よそながらに理解しているが、問題なのはジュリウスの方だった。

 元部隊長であればそれなりに腕が立つのは自明の理。だとすればそれぞれが警戒しながら行動に移るしか無かった。

 既に時間も残り少なくなっている。今出来る事はそう多く無かった。

 

 

「合図と共にだな」

 

 一人の子供が発した内容に全員が頷く。既にそれだけの言葉で何を示したのかは考えるまでもなかった。

 周囲に隠れる場場所はどこにも無い。既に動き始めた事によって勝負の行方はどちからが勝つまでだった。

 それぞれおが自分の間合いを捕捉しながら2人に対し攻め入る。既に模擬戦ではなく何かの演習に近い物。

 お互いが残された気力を振り絞る。周囲を囲む攻撃に、隙は殆ど見当たらなままだった。

 

 

「厳しい……か」

 

「ジュリウス。油断するなよ」

 

「ああ。分かってる」

 

 ロミオの言葉にジュリウスは何時もの状態へと持ち直していた。

 元々背中を預けていたロミオとはブラッドを設立して最初の部隊員。お互いの行動や攻撃の癖は完全に熟知していた。

 周囲からの攻撃もまた、アラガミよりも強大だと思える程の圧力にジュリウスはひたすら剣を振るっていた。

 迫り来る刃に一切の妥協や慢心は無い。一対一ではなく、常に二対一に近い戦いは常に後手後手になりつつあった。

 一つの攻撃だけに集中すれば、もう一方の攻撃が自身を襲う。一つの攻撃だけに意識を向ければ待っているのは敗北の二文字だった。

 

 

 



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第76話 模擬戦と試験

 木刀による連撃は如何にジュリウスと言えど完全に捌ききるのは容易ではなかった。

 一刀だけを意識すれば、次に来る一刀がジュリウスの胴体を狙って来る。お互いの隙を完全に無くす連撃は脅威としか言えなかった。

 自分の背中を護るロミオもまた同じ状況へと追いやられている。

 相手が太刀の長さに対し、ロミオは大太刀。有効範囲は広いが、その特性を理解している子供達からすれば、どうやって利点を潰すのかは容易だった。

 的確に弱点だけを付け狙う。お互いが防戦になっているも、この地では奇襲が出来ない事から、目の前の対処だけを優先すれば良いだけだった。

 迫り来る連撃に対し、反撃する隙がどこにも見当たらないからなのか、ジュリウスは僅かな綻びすら見逃さないとばかりに視線を集注させていく。

 その恩恵があったからなのか、まるで二刀流とも言える連撃に僅かな隙を見つけていた。

 

 これまで連戦を繰り返してきたからなのか、ジュリウスよりも子供達の方が疲労の色が濃くなっている。幾ら子供と言えど、この戦いに於いてはそんな感情は既に捨て去っていた。

 僅かに乱れた連携を力任せに強引に喰い破る。本来であれば完全に下策ではあるが、今のジュリウスに周囲の視線を感じる暇はどこにも無かった。

 

 

「やり方を変えて来たぞ!」

 

「隙を見せるな!」

 

 強引に押し返した事により、その攻撃網は確かに破る事は成功していた。

 本来であればここから反撃を開始するのが当然の事。しかし、ジュリウスもまた強引過ぎたからなのか、態勢は大きく崩れていた。

 死に体になれば確実に攻撃を受ける。最悪はそれだけは避ける事を意識し、ジュリウスは改めて対峙した者を見据えていた。

 

 

「お兄さんやるね」

 

「これだけ見事な連携の前には皮肉な言葉だな」

 

 お互いは既に肩で息をしているからなのか、会話をしている最中でも強引に呼吸を整えていた。

 幾らゴッドイーターと言えど無呼吸での攻撃には限界がある。本来であれば、ここで銃撃を浴びせながら一旦間合を取る戦法が使えるが、生憎とその銃撃は封じられている。

 だとすれば、この会話の中で呼吸を整える以外に手段は無かった。

 

 

「でも、本当にそれで良いのかな?」

 

「何?」

 

 会話そのものには何の意味も無かった。まるで無策かの様に木刀を構え、ジュリウスめがけて疾駆していた。これまでにこんな雑な攻撃を受けた事は一度として無かった。

 本来であれば常に隙を狙い、一撃の下で叩きつけているはず。どこか違和感を持ちながらもジュリウスは改めて木刀を構えていた。

 

 疾駆しながら中段の八相の構え。これではカウンターを狙ってくれと言わんばかりの攻撃。横薙ぎに迫る斬撃に違和感を持ちながらもジュリウスは攻撃を回避するつもりだった。

 何かしらの特殊な攻撃なのかもしれない。そんな危機管理の能力が働いていた。

 大気を切裂く攻撃はまともに受ければそれなりのダメージを受ける事になる。

 木刀が直撃する寸前までそう考えていた。しかし、こちらに向かっているその位置はジュリウスでは無い様な気がする。

 何を狙っているのだろうか。その刹那、ジュリウスは唐突に理解していた。

 

 

「好き勝手させる訳には行かない!」

 

 ジュリウスの怒号に近い声と同時に、大木の様にその場から動く事をしなかった。

 事実上の直撃に近い物はあるが、完全に防御の態勢を保った為に、その攻撃は完全にシャットアウトする事に成功していた。

 

 

「へぇ……」

 

 これまでの様子が一変していた。先程までのどこか子供特有の表情からまるで何か目的を持った様な、表情が抜け落ちた顔へと変貌している。

 先程までの攻撃とて決して油断した訳でもなければ手を抜いていた訳でも無い。細められた目と冷徹さを感じさせる口調。変わった表情からうかがい知れる情報は何一つ無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 背中で防戦しているジュリウスの行動はロミオも直ぐに理解していた。

 元々ここの人間の技量は自分に比べれば、遥かに高みに居る事は最初にここにきた当時から理解していた。

 自分達も安穏とした生活送って来た訳では無い。常にアラガミとの戦いによって命のやりとりを繰り返す日常に居るからこそ、その攻撃は時間と共に洗練されていく。

 しかし、目の前に対峙した子供達はそのロミオが持っている経験を遥かに上回っていた。

 幾らアラガミと戦った事が無いにせよ、確実に自分達以上に格上の相手に怯む様子は最初から無かった。大太刀の利点は通常の刀身よりも有効範囲が広くなっている点。

 ロミオ自身、元々個人技でも負けているからなのか、その差を気にする様子は一切ない。むしろ、屋敷の中では下から数えた方が早いとさえ考えている。

 既に受けるだけでも厳しいとさえ感じていた。そんな中で澱みなく続く攻撃を受けながらロミオは自分の背後で起こっている変化に気が付いていた。

 

 

「ジュリウス!さっきまでと同じだと思うな」

 

 ロミオは半ば無意識の内に出た感情をそのまま言葉に乗せていた。

 明らかに変化した氣は明らかに異質な物。ジュリウスは気が付いていないが、ロミオはこの感覚が何なのかを理解していた。

 以前に真剣を使った教導で放たれた物。明らかに何かを決定付けさせるそれは、決して気を抜けば自身の命に係わる可能性を持っていた。

 

 

「くそっ!」

 

「ロミオ。対戦相手間違ってない?」

 

 子供達の言葉にロミオは自身に対し苛立ちを感じていた。

 確かに指示はしたが、それが本当にジュリウスに伝わったのかを確認する為に意識を完全に変えた事が裏目に出ていた。

 これまでの様にまるで防御を無理矢理引きずり出すのではなく、明らかに仕留めにかかる攻撃は今のロミオにとっては厳しい物だった。

 連続して迫る斬撃は全てが致命傷を負わせる物。大太刀の特性でもある長い刀身の全てが防御の為に使われる。

 背後に動く気配を察知しながらも、今のロミオに出来る事は目の前の嵐の様な斬撃を防ぎ切る事だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「出来た!」

 

 ジュリウスとロミオが交戦中のままに食事が完成していた。

 真っ先に脱落した者から作業に入った為に、本来であれば既に出来上がっているはずだった。しかし、普段は器用さを発揮するシエルやリヴィもこれが料理となれば話は変わる。

 細かい指導を下に何度も修正を余儀なくされていた。

 

 

「漸くですね。流石にこれ程の量を作ろうと思うとかなり大変でしたね」

 

「だが、身に付いていたからと言って困る様な内容でもないだろう。だとすれば、今後も精進すれば良いだけの話だ」

 

「俺はジュリウスとロミオの様子を見てくる」

 

 ナナの言葉に終わった事が認識出来ていた。

 これだけの人数の料理を作る事は早々無い。精々が部隊の人数分の食事を作っただけだった。

 既に準備が出来たからなのか、そろそろ模擬戦は終わっているはず。そんな事を思い出したからなのか、北斗は改めて戦っているであろう場所へと移動していた。

 

 

「あれ?エイジさん。どうしてここに?」

 

「ちょっとだけ用事があってね。丁度今、終わった所だよ」

 

 北斗の歩いていた先にはここに居ないはずのエイジの姿があった。

 元々今回の件に関しては既にアナグラにも通達されてるからなのか、教導の一環として来ている。そう考えればここにエイジが居る事に納得は出来るが、その視線は少しだけ違和感があった。

 本来であればもっと細かい部分まで見ている様にも思えたが、今の視線はどこか全体を俯瞰で見ている様にも思える。それが何を意味しているのかは分からないが、何か様子を探っている様にも見えていた。

 そんなエイジの視線の先には既に疲れ切ったからなのか、2人は既に疲労困憊だった。

 ジュリウスは腰を下ろしているが、そこから立ち上がるには恐らくはそれなりに時間が必要になり、ロミオに関しては地面に大の字になって寝そべっている。

 2人の息は荒く、恐らくは何かしらの教導の結果でしか無い。勝敗の行方は不明だが、苦戦の末に敗北、若しくは辛勝かのどちらかの様にも見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やった~メシが食える」

 

「お腹空いたよ」

 

 子供達の勢いはそのまま途絶える事無く食事へと突入していた。

 既に模擬戦の様に冷たい雰囲気はどこに見当たらない。戦闘と日常は別物だと完全に割り切っているからなのか、その様子を見ていたジュリウスは少しだけ驚いていた。

 

 

「ジュリウス。どうかしたのか?」

 

「いや。先程までの戦いとは全く違うと思ってな」

 

「あ~それね。ここでは完全に割り切ってるんだよ。俺も初めて見たときは驚いたんだけど、こうでもしないとずっと引き摺るからって聞いた覚えがある」

 

 用意された食事は全員で多くの量を作ったからなのか、豪華と言うには程遠い内容だった。

 疲労を抜く目的もあるからなのか、酸味が多めの食事ではあったが、誰もが遠慮する事無く口に運んでいる。

 元々今回は全員で食べる予定だったからなのか、子供達とシオもまた同席していた。

 不揃いに切られた各々の野菜は各自の技量を表している。作っていた人間は誰が何をしたのかを知っているからこそ口に出す事無く食べている。

 味付けだけは完璧に仕上げられたそれは何時もの食事とは違っていた。

 

 

「なるほどな。しかし、あれだけの技量を見せつけられると俺達も改めてうかうかと出来ないと感じたのも事実だ。改めて自分の事を見つめ直すには良いキッカケだったのかもしれん」

 

「確かに。最後の攻撃はヤバかったからな。あの時だけはもうダメだと思ったんだよな」

 

 ジュリウスとロミオの最後の戦いはまさに紙一重の攻防だった。

 まるで図ったかの様に挟撃されたのは、お互いの獲物が不得手な攻撃。本来であれば各々が対処するはずだったが、ロミオは最後の土壇場でお互いの身を入れ替える事で反撃していた。

 しかし、刹那の時間が勝敗を分ける攻防での交換による隙は致命的だった。一撃目は防ぐ事が出来たが、その後に続く連撃はそのまま直撃を受けざるを得なかった。ギリギリの攻防での隙はまさ生死に拘わる可能性を秘めている。

 一方の子供達もまた反撃を受けた事によってかなりのダメージを受けていた。

 これが実戦であればまだ続くが、あくまでも模擬戦。だからなのか、その時点でエイジが制止していた。

 

 

「って事はブラッドは結局全敗か?」

 

「最後は引き分けだな」

 

 ギルの言葉にジュリウスは自分達を有利にするつもりは無いからなのか、純粋に自分が感じた事を口にしていた。

 ジュリウスの言葉に北斗やシエルも頷くしかなかった。以前に北斗がエイジと教導をした際に、徹底的にブラッドアーツを封じ込まれた当時の事を思い出していた。

 強大な力に対し、常に策を練り思考をし続ける。正に身も心も全身全霊を使用した模擬戦は明らかにどちらに天秤が傾いたのかを表してた。

 誰もが実感するからなのか、今は少しだけ騒ぎながら食事をしている子供達を見ていただけだった。

 

 

「私も今回の件はかなり参考になりました。不意の一撃は恐らくアラガミにも有効だと思いますから」

 

「私は少し反省かな……まさかあんな風にやられるなんて思わなかったよ」

 

「それを言うなら私もだ。奇襲もある事を念頭に置かなかったんだからな」

 

 それぞれが自分の思った事を口にしていた。ここがアナグラであれば中々言いにくいのかもしれないが、屋敷である以上誰も言う事は無い。

 そんな慌ただしい食事も終盤にさしかかろうとした時だった。

 

 

「皆、今日はご苦労だった。それと今回の模擬戦の件だが、ロミオ・レオーニ。貴官の実技に対する試験は合格だ。後は学科に励むんだな」

 

 ツバキの言葉に全員が固まっていた。それはブラッドだけではなく子供達も同じ事。

 先程までの喧噪は無く、全員が正座でツバキの話を聞いていた。

 

 

「って事は今回の件は試験を兼ねていたって事ですか?」

 

「そうだ。その為に今回の件では櫓からエイジが常に行動を見ていた結果だ。今後はこの事を念頭に精進するんだ」

 

 ツバキの言葉に漸くジュリウスとロミオは最後に止められた理由が理解出来ていた。

 元々模擬戦である事は当然ではあるが、まさか試験の実技を兼ねているとは思ってもいない。それが理解出来たからなのか、漸く全身に疲労感を感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結果的には模擬戦での連携の大切さも理解できたのではと思います」

 

「ブラッドには今後も支部の看板としての役割もはたして欲しいからね。確かに君達でも悪くはないんだが、今後の事を考えるとブラッドにシフトした方が良さそうだね」

 

「僕らも完全に出来る訳ではありませんが、考える事は同じですから」

 

 支部長室では今回の顛末をエイジの口から報告されていた。元々ロミオの准尉に対する試験は事実上不要となる部分の方が多分にあった。

 しかし、既に終わっているブラッドの試験に無理矢理ねじ込むには時間が経ちすぎていた。下手に何かしようものならば本部の介入の口実にもありなかねない。そんな思惑があった末の判断だった。

 

 実際にどれ程出来たのかは言うまでも無かった。神機を使わない連携は自然と考えながら行動する事を優先し、その結果これまで以上の成果が生まれる可能性を秘めていた。

 未だP66偏食因子を完全に解析出来ない以上、ブラッドアーツそのものが徒花になる可能性も含まれている。だとすれば一度何も無い状態での戦闘能力がどれ程の物なのかを知っておく必要があった。

 仮にクレイドルとぶつければ、結果は見るまでも無く、また支部内に於いても何かしらの問題を孕む可能性もある。そんな中での屋敷での模擬戦はまさに想定上の成果を叩き出していた。

 

 

「とにかく、今後も宜しく頼むよ」

 

「はい。ですが、そろそろ教導教官の正規の人間の派遣はできませんか?僕もですが、ナオヤもかなり手一杯の状態が続くので」

 

「その件に関しては済まないが、暫くの間は続くと思ってくれると助かるね。実際に君やリンドウ君の様に現場のたたき上げの人員はどこの支部も貴重でね」

 

 部隊での活躍が出来るから指導も出来る訳でない。実際にエイジやリンドウがやっている事はこれまでに自分達が経験した事実を焼き直している点だった。

 既に他の支部からも実戦形式の教導名目で派遣されている以上、数の少なさは致命的だった。

 どの支部も自分達のエース級を放逐するつもりは毛頭無い。以前のドイツ支部の様に派遣を受け入れるのであれば膨大なコストが要求されるが、こちらから派遣する分には費用は掛からない。

 その影響もあってか、極東支部はここ最近の中ではかなりの人数に膨れ上がっていた。

 

 

「それと、ここだけの話になるんだが、そろそろ現場の居住区も余裕が無くなって来てね。そろそろ、そちらの面も考慮する必要があるんだよ」

 

「ですが、幾らなんでもそれは無理があるんじゃ……」

 

「何言ってるんだい。君だって心当たりが無い訳じゃないだろ?」

 

 榊の言葉にエイジは思わず言い淀んでいた。

 事実アリサとは結婚する前に暫く一緒に済んでいた事がある。当時はまだ人数だけでなくスペースにもゆとりがあった為に表面化しなかったが、今の段階でそれをやれば、人間関係が何かと複雑になる可能性もあった。

 

 

「……それと、これとは違いますので」

 

「そうか……良いアイディアだと思ったんだがね」

 

 弥生ではなく榊の口から出たからなのか、エイジは何となく嫌な気配を感じていた。

 自分達は問題無いが、それ以外の人間には何かしらの影響が出るのは間違い無い。

 榊に関しては支部長である為に権限も有している。仮に支部長権限を使用されれば確実に混乱の元になるのは間違い無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シエルとナナは食事後にサッパリしたいからとそのまま温泉へと足を運んでいた。既に夕闇になるからなのか、昼間とは違った雰囲気に2人は思わず息を飲んでいた。

 露天から見る空は満点の星空。周囲には態と光量を抑える為なのか、照明は提灯や行燈が幾つか置かれていただけだった。

 薄暗いとは言え、全く何も見えない訳では無い。だからなのか、何時も以上に温泉に浸かっていた。

 

 

 

「これは……中々良いですね」

 

「そうだね。湯上りなのに涼しく感じるよ」

 

 湯上りに用意されたのはハッカ油を使ったローションだった。

 これまでに色々な物を見た記憶はあったが、これは初めて見る物。

 用途は事前に教えられたからなのか、2人は湯上りに塗っていた。

 先程までの火照った肌に冷たく感じるそれは明らかにこれからの時期に向けての商品。籠った体内の粗熱は既に払われていた。

 

 

「そう言えば、これはこれから出す新商品らしい。涼感を重視しているみたいだな」

 

 既に着替えが済んだからなのか、リヴィもまた浴衣に着替え2人を待っていた。

 事実上の模擬戦は心身共に使いきっている為に、今の時点でミッションが発注される事は無いからと、ブラッドはそのまま屋敷で逗留する事になっていた。

 

 

「でも、今日のあれは厳しかったよ。まだ少しだけ痣になってるし」

 

「あれだけ適格な仕掛けは私も驚きました」

 

 ナナだけでなく、シエルもまた矢を射かけられた場所は急所の一つでもある水月の部分だった。

 弓はあくまでも外部の影響を受けやすい。風や重力など言い出せばキリが無かった。

 銃撃もそれなりに細心の注意を払うが、弓に比べれば雲泥の差。しかも激しく攻撃している中でのそれは確実に対象物の動きを読まない事には出来ない芸当だった。

 確かに言い出せばキリが無いのかもしれない。しかし、今回のこれに関しては実質的な完敗に違いない。

 今日はそれなりに厳しい一日だからなのか、また明日からのミッションでは改めて考える必要があると考えていた。

 

 

「取敢えずは今日の反省はここまでだ。既にジュリウス達も出ているみたいだから、あっちと合流だな」

 

「何だか旅行しているみたいだよね」

 

「偶には悪く無いかもしれませんね」

 

 リヴィの言葉にシエルとナナも後を着いて行く。時折吹く冷たい風はハッカ油の涼感を引き立たせるからなのか、どこか心地良さを感じさせていた。

 

 

 



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第77話 夏の彩

 夕闇の中、天高く爆発音とも言える程の大音量を伴いながら開く大輪の花はアナグラだけでなく、周囲にまで範囲を広げていた。

 大きな音の後に大気の振動が周辺へと降り注ぐ。

 当初は何事かと慌てて外にでた住民も、今ではその花を見る為に外へと出ていた。

 一つ、二つと花開くからなのか、誰もが以前よりも住環境が良くなっている事を実感している。時折連続で上がるからなのか、打ち上がる花火の合間に人々の歓声が周囲に響いていた。

 

 

「思った以上に大盛況だね」

 

「そうですね。ウララ、周囲にアラガミの反応は?」

 

《今の所、半径10キロ圏内にアラガミの反応はありません。引き続き索敵を継続します》

 

「そう。お願いね」

 

 通信越しのウララの声も今回開催されている花火に若干気を取られているからなのか、声はどこか上ずっていた。

 旧時代にあった花火は今のオラクル技術を使用しているからなのか、従来の花火よりも更に大きな大輪の花を咲かせている。元々それに伴ってなのか、事前に依頼されていたイベントの申請を出したサクヤもまた、普段のクレイドルの制服ではなく珍しく浴衣を着ていた。

 

「サクヤ君も折角なんだ。リンドウ君達と家族水入らずですごしたらどうだい?その為の浴衣じゃないか」

 

「そうですね。ではお言葉に甘えて」

 

 ロビーからの通信をそのまま支部長室に繋いだものの、打ち上がる音の方が圧倒的に大きいからなのか、通信はタイミングが悪ければ聞き取りにくい程の音量。

 支部長室からも見えるそれは、これまでに記憶でしか無い程の大きさの花火がガラス越しに暗闇を彩っていた。

 次々と打ち上がるそれは、かつてアラガミがまだ闊歩する前に当たり前の様にこの時期に打ち上がっていた物。

 事前に周囲に居るであろうアラガミを打ち払ったからなのか、今日の為にクレイドルだけでなく、ブラッドや防衛班までも総動員しての大規模ミッションを開催していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「榊博士。俺達に用事って何です?」

 

「実は今回、君達には大規模ミッションに就いて貰おうかと思ってね。それぞれ忙しいとは思うんだが、宜しく頼むよ」

 

 支部長室にはこれまでに無い程に極東支部の主要なメンバーが召集されていた。クレイドルからはリンドウとエイジ、ブラッドからは北斗とシエル。防衛班からはタツミ。そして技術班からはナオヤとリッカが召集されていた。

 誰もがこのメンバーを見て思ったのは、極東に大きなアラガミの襲来の兆候が見えた際が殆ど。だからなのか、誰の顔も皆が緊張感に溢れていた。

 

 

「アラガミの到達予測は出来るのですか?」

 

「……いや。今回はそれじゃないんだ」

 

 シエルの言葉に榊は思わず何時もと同じ様な表情を浮かべながら普通に返事をしていた。

 招集されたメンバーの誰もが疑問を浮かべ榊を見ている。質問したシエルもまた同じ事を考えていたからなのか、今は榊の考えている事を聞くより無かった。

 

 

「あの、アラガミの襲撃では?」

 

「今回に関してはそれは無いんだよ。実は今回の件は君達に依頼したい事があってね。本来であれば少数での任務にしたいんだが、生憎とこちらが予想しているよりも厄介なんだよ」

 

 アラガミの襲撃で無ければ一体何なんだろうか。誰もが更なる疑問を浮かべていく。

 元々榊は自分の感心がある事に部隊を巻き込む事はこれまでに何度もあった。

 しかし、今回の件に関しては明らかにその度量を超えている。実質的な総動員に何の目的があるのかを把握出来た人間は誰も居なかった。

 

 

「素材集め……それが今回の依頼なんですか?」

 

「実際には特定の素材と言う但し書きが着くんだよ。サテライト計画もひと段落しているみたいだし、支部内の慰労も兼ねてるんだ。で、折角だから少し夏の彩があっても良いかと思ってね」

 

「夏の彩……ですか?一体何を?」

 

 何がどう折角なのかを横に置き、榊の提案にこの場に居た誰もが嫌な予感を感じていた。榊の提案は基本的には支部に関する事が殆どではるが、時折自分の思っている事を優先する事があった。

 榊の口から慰労の言葉が出たものの、それが決して自分達に向けられている物では無い。恐らくはゴッドイーターよりも居住区に住む人間を優先した結果だと言うのは薄々感じていたが、誰もそれにツッコミを入れる真似はしなかった。

 最終的には支部がダメージを負う可能性は無いかもしれない。しかし、これまでのメンバーを持って、まさかの素材集めとなれば、予測不可能としか言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ。これって何する為なんだ?」

 

「そんな事、知るか。何で俺達までやらなきゃならないんだ」

 

 タツミから聞かされたのか、ラウンジでは珍しくシュンとカレルが榊からの依頼の件で話しあっていた。

 回収される素材は殆どが金属系に関連する物。新たに神機を作るのであれば分からないでもないが、神機の制作に関しては殆どがアラガミ由来の物が大半を占める。しかし、事前に聞かされた内容にはアラガミ由来の物は少なかった。

 そんな事もあってなのか、今回の依頼の品には完成形が全く見えないままだった。

 疑問に思うも榊の考えを十全に理解出来る人間は居ない。ましてや防衛班は榊との繋がりは少ないが、その性格は他の部隊の誰よりも理解している。

 下手に口を挟んでややこしい事になるのであれば、最初から何も言わない方が得策だと考えつつあった。

 しかし、それとこれは状況が違う。取敢えずは話を持ってきたタツミに聞くより方法が無かった。

 

 

「一応は支部長案件なんだし、俺達だけじゃなくてクレイドルやブラッドにまで招集をかけてるんだ。そんな簡単に断る訳には行かないだろ」

 

「でもよ。俺達だって暇じゃないんだ。そんな回収だけなら防衛班を使わなくても彼奴らだけでいいんじゃねぇのか?」

 

「今回の件に関しては不本意だが、俺もシュンに同意だ。そもそも今回の依頼が特別な何かなのかが分かれば話は別だが、それだけで部隊を動かすのは流石に同意できない」

 

「はぁああああ!何で俺の意見に不本意なんだよ!」

 

「そんな事は今はどうだって良い。タツミ。何をするのか榊博士から概要だけでも聞けないか?」

 

「確かにカレルの言う事にも一理ある。詳しい事は聞いておくよ」

 

 カレルの言葉にタツミも確かに確認は必要である事は自覚している。

 目的が無いままに防衛班を使うのは流石に負担が大きすぎる。

 そもそも素材の回収であればアラガミを選ぶ事も出来ない防衛班の立場から言っても得策とは言えなかった。

 せめて何かしらの概要だけでも分かればと判断したのか、タツミもまた榊以外に今回の件を理解していそうな人物に聞く事を優先していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、これって何をする為なんですか?」

 

「詳しい事は分からないんだけど、これまでの経験から判断すれば何かしらやろうとしているのは予測出来るかな。でも、詳しい事は何も……だね」

 

 アリサの質問にエイジもまた困惑気味に答えるしかなかった。

 これまでの経験から判断すると、榊がああまで招集するのであれば何かしらのイベントが絡んでいる可能性が高いと判断していた。

 そもそもこれまでの経験からすれば、FSDにせよ当初から支部全体を巻き込んでいた記憶がある。今回もまた夏の彩と称したまでは良かったが、それが何を意味するのかまでは分からないままだった。

 

 

「でもさ、夏の彩って言葉は何を意味するんだ?」

 

「夏……に関する物だよね……」

 

 コウタの言葉にエイジもこれまでの記憶を探るかの様に何かを思い出している。

 ここ最近の流れを考えれば七夕に代表される様に、幾つかの旧時代のイベントが復活していた。これまでに実績を考えれば、まさかとは思うが、それが本当に可能なのかすら怪しい。大きな音を聞きつけてアラガミが寄ってくる可能性も否定出来ない。

 一抹の不安が表情に現れたのか、アリサもエイジの顔を見ているしかなかった。

 

 

「お前ら、こんな所で何してるんだ?」

 

「あっソーマ、丁度良い所に来た。さっきエイジとリンドウさんが榊博士から招集を受けたんだけど、目的が分からないんだ。何か知ってる事は無いか?」

 

「俺が一々そんな事まで知る訳無いだろ。この前だって何か訳の分からん事をやっていたんだからな」

 

「因みに何をしていたの?」

 

「過去のアーカイブを見ながら火薬がどうとか、金属粉がどうとか言ってたな」

 

 ソーマの言葉にエイジは何となく榊が考えている事を理解した気がしていた。

 完全に知っている訳ではないが、火薬と金属粉と夏の彩を考えれば自ずと何を意味しているのかを理解している。しかし、ここで大きな問題が一つだけあった。

 どれ位の規模の物を作るのかは分からないが、大きな音が出る以上、アラガミの対策は必須となる。幾ら夜とは言え、万全の注意を払わない限り、何かと問題が起きるのは間違い無かった。

 

 

「エイジは榊博士が何をしようとしてるのか、分かったんですか?」

 

「大よそながらにだけど。でも、問題も大きいんだよ。本当に出来るのかも怪しいんだけど」

 

「で、何?」

 

 何かを思いついた表情を見たからなのか、アリサは答えを知るべくエイジに聞く。

 ソーマの言葉で分かったのであれば間違いは無いはず。だからなのか、アリサだけでなくコウタもまたエイジの言葉を待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「また、今回の榊博士の依頼内容は特殊ですね」

 

「しかし、この素材は一体何を意味してるんだ?ロミオ、何か知らないか?」

 

「いや。そんな事、俺に聞かれても……」

 

 北斗とシエルが榊から渡された素材の一覧を偶然見たからなのか、2人だけでなくリヴィもまた首を傾げる事になっていた。

 これまでに何度も無茶振りとも言える苛烈なミッションを依頼されたからなのか、ブラッドも徐々に極東に毒されつつあった。

 素材を見ても何を考えているのか皆目見当もつかない。そんな中で必要とさせる内容を見たからなのか、このメンバーでは誰も分からないままだった。

 

 

「あれ?こんな所でどうしてるの?」

 

「ナナさん。実は先程、榊博士から素材回収の依頼を受けたんですが、これが一体何を意味しているのかが分からないままでしたので、皆で色々と考えていた所です」

 

「へ~榊博士の依頼なんだ。で、何を依頼されたの?」

 

 渡された用紙に書かれていたのは、これまでの中で然程重要視された事が無い物が殆どだった。

 既にリストになっているのは良かったが、問題なのは要求された数。

 通常の神機の様にレアな素材を要求されている訳では無いものの、やはり凡庸な素材とは言え、その数は尋常ではなかった。

 これが何にそう繋がるのかは分からない。そんな取り止めの話をしていた時だった。

 

 

「………あれ?これって………」

 

「ナナさん。何か知ってるんですか?」

 

「知ってると言えば知ってるんだけど、これ全部じゃないんだよね……」

 

 ナナの呟きを聞いたからなのか、シエルが真っ先に反応していた。

 幾ら何かをする物だと理解していても、それが本当に大丈夫だと思える物なのかどうかで、ミッションに挑むテンションは大きく変わる。幾らそれ程厳しくないとは言え、挑む為にはモチベーションは大切だった。

 

 

「ナナの知ってるレベルでも構わない。私達も何も知らないままに戦場に出る訳には行かないからな」

 

「…でも間違ってるかもしれないよ?」

 

「それでも構わない。さぁ、話してくれないか?」

 

「リヴィちゃん。ちょっと近いんだけど……」

 

 リヴィの言葉だけでなく、その場にいた全員の視線がナナに突き刺さる。まさか呟いた程度の内容にこうまで喰い寄るのは想定外だったからなのか、ナナは珍しく引き気味だった。

 

 

「以前に、スタングレネードの開発を少しやってたのは知ってるよね?その時に開発した『ときめきグレネード』の素材によく似てるな~って」

 

 当時の事を思い出したからなのか、ナナの言葉尻は徐々に弱くなる。

 このメンバーの中でそれを知ってるのは北斗だけ。だからなのか、誰もが改めて疑問を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 既に数える事すら諦めたかの様に、周囲にはアラガミの横たわった姿が幾つもあった。

 既に事切れたアラガミから次々とコアを引き抜き、周囲にある素材の全てを掻っ攫う。

 既に考えるまでもなく作業と化したからなのか、自分の意識とは切り離したたままでも身体だけは動いていた。

 ゆっくりと霧散していくアラガミはこれまでに戦った痕跡すら残さないと言わんばかりに消えていく。まるで自分達のやっている事がどこか無意味だと言われている様だった。

 

 

「どう?あったか?」

 

「全然。もう暫くは見たく無いかも」

 

 ロミオの言葉にナナは力なく首を横に振っていた。

 これまでに同じ個体を何度も討伐したからなのか、既にナナだけでなくロミオの目にも生気は失われていた。これまでに榊から提示された素材の7割は集まったが、そこからが意外と難航していた。

 元々アラガミの出現に規則性は無い。常に同じ個体だけを討伐しようにも、それだけを優先させる訳には行かなかった。

 

 連戦に次ぐ連戦。既にアナグラから発って3日が経過しようとしていた。

 これまでのミッションで討伐のスコアが格段に伸びているのは知っているが、誰もがその数を見たいとは思わなかった。

 仮に一度でもそれを目にすれば確実に何かが崩壊する可能性が高い。激戦区と評判の極東支部ではあるが、その中でも最たる動きをするのはやはり、ブラッドだった。

 クレイドルや防衛班に関しても、全く何もしない訳では無い。ただ、お互いに抱える仕事の量が多いからなのか、多少の協力をしているだけに留まっていた。

 

 

「取敢えずは一旦指揮車に戻ろう。このままここに居ても、恐らくは何も変わらないだろう」

 

 流石に北斗の声にも疲労が滲んでいた。ここまでに討伐したアラガミは予定されていない物が圧倒的に多かった。

 基本的に依頼された素材はどちらかと言えば小型種の物が多く、既に回収している素材と合わせてもまだ数には物足りない部分があった。

 しかし、今討伐しているのは明らかに中型種や大型種。既に目的から大幅に違っているのは何となく分かっているが、やはり口に出せば明らかに疲労が現れるからなのか、誰もその話題を口にする事は無かった。

 

 

《皆さんお疲れ様でした。ここで一旦休憩を入れますので、指揮車に戻って来て下さい》

 

「了解した。参考に聞くが素材の進捗状況はどうなってる?」

 

《今回の討伐に関しては特段有用な物はありませんでした。ですが、リッカさんとナオヤさんから別で依頼が来てましたが、その分はクリアされています》

 

 フランの言葉に北斗は溜息が漏れていた。ついでとばかりに依頼されていたものの、内容を確認する前にクリアされているとなれば、恐らくは中型種か大型種関連の素材。

 榊博士の依頼が達成されていない以上、フォローとも取れるフランの言葉もどこか虚しさだけががこみ上げていた。

 このままここに居るよりはマシだろう。座りこんでいる他のメンバーに声をかけ、北斗達は改めて指揮車の下へと帰還していた。

 

 

 

 

 

「お疲れ様でした。これはクレイドルからの差し入れです」

 

「やった~アイスクリームだ!」

 

「この甘さが良いですね」

 

 フランの出迎えと共に準備された物をそれぞれに渡していく。

 今回のミッションに関しては当初の予定を大幅に上回る内容だったからのか、誰もが疲労の色を見せていた。

 傍から見ても厳しい内容である事を理解したからのか、フランも何か用意ようと思った矢先にエイジからの差し入れ。疲れて熱を持った身体に冷たさが染み入る。

 ナナだけでなく、シエルやリヴィもまた冷たいアイスクリームに舌鼓を打っていた。

 

 

「そう言えば、先程クレイドルからも少しだけ話がありましたが、クレイドルの方でも幾つかの素材を入手したとの事です。ですので、この調子だと明日には終わるかと思われます」

 

「そうか……今回のミッションは中々厳しいかと思ったが、案外と疲れはあるが以前程じゃないな」

 

「多分、屋敷での模擬戦の影響じゃないのか?あれに比べれば、今回のミッションはまだ気疲れが少ないからな」

 

 ジュリウスだけでなく、ギルもまた同じ事を思っていたからなのか、その言葉に同意していた。

 模擬戦とアラガミとのミッションが同じだとは思わないが、やはり精神的な物まで勘案すればアラガミの方がまだマシとも思えていた。

 確かに命の危険はあるかもしれない。だからと言って余程の事が無ければ窮地に陥る可能性は低かった。

 元々指揮車にもレーダーが備わっているからなのか、不意討ちされるケースは少ない。

 それだけではない。元々アラガミが隠密行動をするには些か図体が大きすぎていた。その結果、近くに来ても足音や物音で判断出来る。

 模擬戦の効果は思いもよらない部分で恩恵を受けていた。

 

 

「それと、どうやらこの周辺はアラガミの巣の様な物があったのかと思われます。既に対象のアラガミだけでなく、周辺にその影は感じられません。恐らくは大元を断つ事に成功したと考えた方が無難かもしれません」

 

「どうりで。だとすれば明日はどうなる?」

 

フランの言葉に北斗も少しだけ懸念していた。対象アラガミが居ないのであれば、再び終わり無きミッションへと変貌していく。そんな北斗の考えを汲み取ったからなのか、フランは少しだけ笑顔で答えていた。

 

 

「明日の件に関しては既に必要分の補充分の位置づけになります。ですので、万が一何も出てこない場合はそのまま帰投となります」

 

「了解した」

 

 フランからの言葉に北斗はこれまでの状況を確認していた。隊長権限で覗いた情報はブラッドのメンバー全員の討伐数が軒並み上昇していた。

 既にこれまでの上位の中でも両手に入る。事実上の遠征任務に漸く一区切りつけるのだと実感していた。

 

 

 



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第78話 それぞれの楽しみ方

 ブラッド、クレイドル、防衛班の努力によって当初の予定通りの素材はそのまま技術班のリッカ達の下へと運ばれていた。

 当初は何も聞かされないままだったものの、最終目的を聞かされた事によって改めて今回の概要だけでなく、これから行われるイベントの準備を開始していた。

 

 元々神機の整備が出来るからといって、全ての事が出来る訳では無い。ましてや今回のそれは従来の金属粉と火薬だけで構成されるものではなく、以前にナナが開発した『ときめきスタングレネード』を元に大幅に改修した物だった。

 一からでは無い為に然程手間はかからないかと思われていたが、ここで大きな問題が発生していた。

 今回榊が指定したのは旧時代の花火の中でも三尺玉と呼ばれる物。爆発の中心地から直径600メートル。打ち上がる推定距離は800メートル。

 まさにグレネードと呼ぶよりも、もはや兵器に近いそれは開発も難航していた。

 

 

「しかし、これで本当に上がるのか?」

 

「シミュレーション上は可能なんだけどね。でも本当ならこんな物じゃないよね」

 

「確かに。オラクル技術を投与しているから問題は無いが、実際には厳しいだろうな」

 

 本来であれば名の通り三尺の大きさの花火。空中に上げるにもそれなりに技術が必要だった。

 しかし、今回のこれはスタングレネードを流用しているからなのか、大きさそのものは通常のスタングレネードよりも少しだけ大きいに留まっていた。元々これはアラガミの視界を奪う物。しかし、それもまた考え方の一つでしか無かった。

 

 

「でも、俺達よりもブラッドの方が苦労してるみたいだからな。俺達にやれる事だけをやるしか無いだろう」

 

「そうだね。差し当たっては目の前の起こる事だよね」

 

 本来であれば実際につくってみるのが一番好ましい。目視する事で、実際にはどんな状態になるのかは一目瞭然だった。

 しかし、で今回のこれは事実上の極秘に近い。だからなのか、2人は常に端末を使用する音だけを鳴らしながら調整するより無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「榊博士。今回の件なんだが、俺にも一枚噛ませてもらえないか?」

 

「噛む?ああ。今回のイベントの事だね」

 

 素材の回収を終えたからなのか、それとも今回の真意を確認したからなのか、カレルは珍しく支部長室で榊に話を持ち掛けていた。元々今回の件は事実上の極秘で進めている。

 しかし、カレルが口にした以上、誤魔化す事は不可能だった。既に何か思惑があるからなのか、何時もとは違った雰囲気を纏っている。

 幾ら支部長を任されている榊とは言え、カレルの考えている事が何なのか真意までは掴む事は出来なかった。

 

 

「ああ。折角派手にやるんだったら、それなりに色々とあった方が良いだろう。その方が盛り上がると思うが」

 

 カレルの提案に榊は改めて考えを纏めていた。確かに花火を上げる事は考えて居たものの、娯楽と言う意味ではカレルの言いたい事は分からないでも無い。

 FSDの時と違い、今回はゴッドイーター全員に何かしらの指示を出している訳では無い。既にFSDで支部としての大きなイベントをこなしている以上、それ以上の労働となれば何かしらの軋轢が出る事は間違いなかった。

 

 

「カレル君。その件に関しては支部として動く事は厳しい事は分かってもらえるかい?」

 

「当然だ。今回の件に関しては既にFSDとは違い、大義名分がどこにも無い。俺が噛むと言ったのは名前と情報だけを提供して欲しいだけだ」

 

「名前と情報……ね」

 

 改めてカレルは今回の趣旨を榊に伝えていた。元々支部を動員してまでとは考えていない。

 名前と情報はあくまでも打ち上がる物が何なのかと、その時間だけ。勿論、それが何を意味するのかを榊とて理解出来ない訳では無い。僅かな時間ではあるものの、回答は既に出ている。

 支部としても余計な何かが無いのであれば断る要素はどこにも無かった。

 

 

「そうだね。では、弥生君から改めて今回の趣旨と上げる時間帯を通知する様にしよう」

 

「そうか。無理を言う様で済まなかった」

 

 交渉が纏まった以上、後は時間との戦いだった。

 恐らくは何かしらの予定を立てている事は理解しているが詳細までは分からない。既に支部長室から退出しているからなのか、榊はカレルに詳細を確認する事無く、この場は何時もの日常に戻っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「花火ですか?」

 

「みたいだよ。さっき弥生さんから支部長案件で通達が来てたよ」

 

 ラウンジでは何時もの光景だからなのか、カウンターで作業をしながらアリサだけでなく、久しぶりにクレイドルとして集まっていた。

 元々予定していた訳では無いが、今日はここ最近の慌ただしさが少し解消した為に偶然集まっていた。

 カウンターにエイジが居る為に、事実上、カウンターはクレイドルの指定席となっている。そんな空気を読んだのか、誰も注文以外にカウンターに近づく事は無かった。

 

 

「って事は、また何かするのか?」

 

「いや。今回は特に無いよ。特に弥生さんからも通達が来てないからね」

 

 2人の会話に何か思う事があったのか、コウタはジンジャーエールを飲みながらこれまでの事を思い出していた。

 ここ極東では何かにつけて娯楽を楽しむと言った概念が色々とあった。FSDだけでなく、春には桜を鑑賞しながら花見をする。今の時期であれば七夕などが代表される行事だった。

 支部が動けばもれなく配下のゴッドイーターも動く事になる。コウタだけでなく、ソーマやリンドウもまた、同じ事を考えていた。当時の第1部隊であれば可能かもしれないが、今はクレイドルでの行動範囲はかなり広くなっている。

 既に自分達の意志一つでなんとか出来る時代は当の前に過ぎ去っていた。

 

 

「それと今回に関しては各自で気になる物があれば自己責任で。って事はあったかな」

 

「ふ~ん。グラスの中身が一気に無くなると思える程のコウタは一気に中身を飲んでいいた。何か思う事があったからなのか、どこか上の空の様にも見えていた。

 

 

「エイジは何かするのか?」

 

「僕は何もしないよ。そう毎回何かある度に出るのも大変だからね」

 

「そうか……」

 

「何だソーマ。折角だからシオと一緒に見る予定でもあったのか?」

 

「相変わらずの考えだな。折角なら落ち着いて見た方が良いだろうと判断しただけだ」

 

 ソーマもまた珍しく内容について考えていた。予定されているものは殆どが大玉に近い物が多く、また打ち上げの場所は不明だが上空に打ち上がる高さを考えればアナグラではなく屋敷からでも見えるのは間違い無かった。

 そんな考えを見透かしたからからなのか、リンドウがソーマに揶揄い半分で話を振っている。だからなのか、アリサもまたソーマと同じ様な事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはりでしたか……」

 

「でも、規模はすっごく大きいよ。私ビックリしちゃったよ」

 

 弥生からの通達は同じくブラッドの下にも伝えられていた。ナナの予想通り『ときめきグレネード』をベースに作られているからなのか、その大きさはナナの予想を良い意味で裏切っていた。

 三尺玉がもたらす爆発はかなりの大きさ。ナナの開発した物は大きさこそそれなりだが、その分数は多かった。しかし、今回開発された物は数をこなす事をせず、純粋に大きさだけを示した物。

 もちろん、全部が全部大きな物だけでは構成しておらず小さい物や連続して打ち上がる物も多数ある。元々今回のイベントが極東で初めての試みだったからなのか、ナナだけでなく他のブラッドのメンバーもまた純粋に驚いていた。

 

 

「だが、これだけの大きさだとアラガミが音で寄ってくるんじゃないのか?」

 

「その点は問題無いらしい。どうやらあの時の素材収集の際にアラガミの巣の様な場所も壊滅したらしいから、暫くは出てこないと予測しているみたいだ」

 

「……出来る事ならあんなミッションは暫くは御免だな」

 

「確かにな」

 

 ギルも何か思う事があったからなのか、当時の事を思い出す。

 連戦につぐ連戦は気力と体力を多大に消耗させる。休養をしても何時も以上に回復に時間がかかった事はまだ記憶に新しかった。素材集めが前面に押し出されていたが、その結果アラガミの大量討伐に繋がっている為に、北斗もまたそれ以上の事を言うつもりはなかった。

 

 

「でも、これだけの事をするにも拘わらず榊博士からアナウンスが何も無いと言うのは少し気になりますね」

 

「シエル。それはどう言う意味だ?」

 

「実は………」

 

 リヴィはここに来てまだ大きなイベントらしい事を経験していないからなのか、シエルの言葉に疑問を持っていた。

 情報管理局時代に大よその事は調べたが、それはあくまでも文字として記載されているだけの話。詳細まで知らないからなのか、今のリヴィはどこか興味を持っていた。

 

 

「なるほど。だが、ここは他の支部とは違うんだ。全部が支部主導と言う訳ではあるまい」

 

「そう言われれば…そうですね」

 

「でも、実際にはどうなんだろう?」

 

 リヴィに言われ、シエルだけでなくナナもまた疑問を持っていた。

 こんなに大きなイベントにも拘わらず、榊から言われたのは花火に関する事だけ。可能性があるとすれば弥生からと言うのは否定できないが、それでも未だに沈黙を貫ている。

 実際には開催日まで時間があるからなのか、今の状況では判断材料が全く無いからなのか、誰もが何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが今回の概要になる。どうだ?時間的に出来るか?」

 

「そうだな……問題は場所だな。ここだとメインの通りを使えるのと使えないのとでは格段に差が出るぞ」

 

「その点は問題ない。既に支部長からの許可は出ている。今回のこれに関しては支部そのものは直接の関与はしないそうだ。これに関しては全て俺が仕切る事になる」

 

 カレルの言葉に召集された男達は悩みながらも答えを出していた。

 確かに外部居住区も他の支部に比べれば格段に住環境は良いが、中々簡単にお金を使うまでには行かなかった。

 経済は回してこそ意味がある。今回のイベントを起爆剤にそれぞれが利益を出す為に知恵を絞っていた。

 

 

「そうか。だとすれば後は準備だな。それと金額の設定は各々に任せるので良いか?」

 

「それに関しては俺は何も言わない。今回の事で多少なりとも活性化出来るのであれば俺は気にしない。多少のコンサル料だけは貰うがな」

 

「相変わらずだな」

 

「支部の許可があれば大手を振って営業出来るんだ。だとすれば安いとは思うが」

 

 カレルの言葉に男達はそれ以上は何も言う事は無かった。

 幾ら民間主導でも、最後は支部の許可が必要になる。実際に一般からも許可を取る事は可能だが、それをどうやって持って行けば良いのかが分からなかった。

 要望であればその辺に居る部隊長レベルで問題無いが、やはり今回の様なケースでは何かしらの大義名分が必要だった。

 

 

「確かにな。よし、お前ら!景気良くやるぞ!」

 

「おう!」

 

 男の声に、今回参加した人間の歓声が響いていた。既に計画が動いた以上、後は時間との戦いになる。そんな光景を見たからなのか、カレルもまた目を細めながら様子を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわ~何だか凄い事になってるよ!」

 

「これが極東支部のイベントなのか」

 

 事前に開催時期を確認していたからなのか、花火を打ち上げる当日は予想以上の人が来ていた。打ち上げまではまだ時間がある。メインの通りには両側に所狭しとそれぞれの飲食店が自身の店の商品を販売すべく準備を開始していた。

 

 

「ナナさん。私達はまだアナグラに戻る途中ですので、まずはアナグラに戻ってからです。時間にもまだ余裕がありますから大丈夫だと思いますよ」

 

「はっ、そうだよね。じゃあ、早く行かないと!」

 

 シエルの言葉にナナだけでなくリヴィもまた帰投の途中である事を思い出していた。

 上空から見るその光景は明らかに何かしらのイベントを開催する事だけが判断出来る。事実、今回のこれに関しては支部としては一切に関与していなかった。

 流石に花火を上げる事位は告知できるが、それ以外は何もしていない。恐らくは関係者が何かしらの告知をした事だけは間違い無かった。

 

 

 

 

 

「何だかすっかりお祭り気分だね」

 

「そうですね。まさかこれ程だとは……」

 

 ナナだけでなく、シエルもまたアナグラに到着した途端に飛び込んで来た光景に少しだけたじろいでいた。

 気が付けば一般職やゴッドイーターに関係なく浴衣に団扇や扇子を持っている。何時もとは違った華やかな空間に、先程まで命のやりとりをしていたはずの3人も呆然とするしかなかった。

 

 

「あ、お疲れ様でした。今日はこれで終わりでしたよね」

 

「え、あ、う、うん。そうなんだけど……」

 

 気が付けばカウンターで作業をしているはずのフランやヒバリも同じく浴衣を着ていた。女性陣ばかりに目が行くが、実際には男性陣もまた浴衣や甚平に着替えている。

 ミッションに行く前まではそんな素振りは微塵も無かったはず。あまりの違いにフランだけでなく、ヒバリもまた少しだけ笑みが浮かんでいた。

 

 

「これは急遽決まったんですよ。勿論、皆さんの分もありますよ」

 

「でも、これって……ひっとして弥生さんが?」

 

 ここアナグラでこんな事をするのは弥生以外に該当する事は無かった。これまでの事を考えても疑う余地はどこにも無い。そんな事が読まれたからなのか、その答えははフランから出ていた。

 

 

「そうですよ。折角だからと言う事で提供されました。この後は各自にプレゼントとなるそうです」

 

「でも、これって結構高いんじゃ……」

 

「これは今後の予定している簡単に使える物らしいです。ですから、後で着心地のレポートだけは欲しいそうです。それと、通常の洗濯機で洗えるそうですよ。流石に全員の分とは行かないので、ナナさん達の分は確保しておきました」

 

「フランちゃんありがとう!リヴィちゃん。着付け教えて」

 

「ああ。じゃあ、シエルも私の部屋に来てくれ」

 

 話をしながらもフランの手は止まる事はなかった。報酬の手配や物資の配送。浴衣を渡した後は通常の業務へと戻っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おお~すごいな」

 

「ああ。まさかここまでだとは思わなかった」

 

 アナグラではなく屋敷ではソーマとシオが花火が見える一から眺めていた。元々詳細は聞いていないが、開始時刻だけは聞かされている。

 本来であればアナグラで見るつもりだったが、予定以上に研究に時間を費やした為に、結果的にはここでの鑑賞となっていた。

 元々着ているからなのか、シオは特に変化は無い。しかし、隣に座っているソーマはいつもの制服ではなく同じく浴衣に着替えていた。

 紬独特の風合いと色はソーマの褐色の肌に合っている。当初はそんなつもりは無かったものの、シオが残念がるからと自ら着替えていた。

 

 

「ナオヤとリッカも苦労したらしいよ」

 

「だろうな。まさかこんな事までするとは……榊のオッサンも少しはまともな事を考えるもんだな」

 

「でも良かったんですか。ここよりもアナグラの方が賑わってるらしいですよ」

 

 2人の背後にはエイジとアリサが同じく浴衣を着て何かを持って来ていた。ソーマの様に偶然にではなく、元からここで眺める予定だったからなのか、用意された物は口寂しくならない程度の軽食と飲み物。

 エイジだけでなくアリサもまた同じ様な物を持っていた。

 

 

「アナグラは落ち着かない。ここなら静かに眺める事ができるからな」

 

「本当はシオちゃんと一緒に居たいだけじゃないんですか?」

 

「……アリサ。そろそろ俺も怒るぞ」

 

「図星みたいですね。私達は少し離れていますから、これ2人でどうぞ。エイジが作ってましたから」

 

 そう言いながらアリサがソーマとシオに渡したのは、冷えた緑茶と冷酒。それに冷奴と枝豆だった。隣には少しだけ厚めに作られた玉子焼きも置いてある。既に食事も終わっている為に、空腹感は元々無い。確かに少しだけ食べるには十分すぎていた。

 

 

「そうか。気を遣わせたみたいだな」

 

「気にする必要はありませんよ。私達も同じ物を持っていますから」

 

 既にエイジは先に場所を整えているからなのか、アリサもエイジの下へと歩いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は凄い人だね」

 

「ああ。何だかんだと皆感心もってるんだよ」

 

 コウタもまた妹のノゾミとマルグリットと3人で行動していた。

 元々今回の件はコウタも住人から聞かされていた為に詳細までは何も知らなかった。

 ミッションが終わり自室に戻った際に家からの連絡は多少は驚いたが、内容はやはり今回の花火の事だった。元々コウタも行くつもりだったからなのか、話はそのまま進んでいた。

 

 

「でも、私も一緒で良かったんですか?折角なら兄妹で一緒の方が……」

 

「マルグリットお姉ちゃんも一緒じゃなきゃダメなの。折角浴衣も着てきたから見せたかったの。それに……」

 

「ノゾミ。お待たせ……ってコウタさんも一緒だったんですか?」

 

 3人の後ろからはコウタが聞いた記憶が無い声を掛けられていた。名前は知っているが、実際に会った記憶は一度も無い。まさかの予感にコウタはノゾミを見ていた。

 

 

「あっくん。一緒に行こうよ」

 

「でも……」

 

「ノゾミ。一緒に行きたいんだろ?」

 

 まさかの言葉にノゾミは思わず目を見開いていた。まさかコウタの口からそんな言葉が出るとは思わなかったからなのか、ノゾミだけでなくマルグリットも同じだった。

 シスコンとまで呼ばれたコウタにどんな心境の変化が起こったのかは本人以外には分からない。僅かに固まったものの、このままここに居る訳にも行かないからといち早く回復したマルグリットはノゾミの声をかけていた。

 

 

「はぐれない様にしてね。それと困ったらするにコウタに連絡する事」

 

「はい。分かりました」

 

「じゃあ、気を付けてね」

 

 状況を確認する前にいち早く行動に移す。見送った後のコウタの真意を聞きたいとは思うが、今はこうやって2人だけ。だからなのか、コウタに聞く前にマルグリットはコウタの腕に自分の腕を絡ませていた。

 

 

「えっと………」

 

「嫌でした?」

 

「……嫌じゃない」

 

 この場にアリサがいれば確実に揶揄われるのは間違い無いが、生憎とこの場には誰もいない。気が付けば大輪の花が夜空高くに花開く。

 皆が頭上をみているからなのか、寄り添った2人の事が視界に入る事は無かった。

 

 

 



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第79話 お盆

 うだる様な夏の暑さにも拘わらず、目の前で汗が噴き出る事すら気にしないと言わんばかりにエイジは目の前で揚げ物をしていた。

 既に幾つかの物は出来上がっているからなのか、余分な油はキッチンペーパーに吸われている。既に時間もそれなりにかかっているからなのか、青空の昼下がりだったはずの空は徐々に夏の夕闇が濃くなりつつあった。

 

 

「アリサ。そろそろ、そっちの方は大丈夫?」

 

「そうですね。殆ど油は抜けたと思いますので、次の事をやりますね」

 

「だったら、そっちを頼むよ」

 

「はい」

 

 何時ものラウンジとは違い、屋敷の厨房は多少の人数でも行動が出来る程の大きさを誇っている。普段であれば専属の板長がここで腕を振るうが、今日はお盆の兼ね合いもあってか、ここではエイジとアリサだけが作業を続けていた。

 既に用意された精進揚げと椀物、和え物は既に完成している。残すは稲荷寿司だけ。油抜きが終わったからなのか、次は味をしみこませる工程へと進んでいた。

 

 

「醤油はもう少し足しても良いと思うよ」

 

「でも辛くなりませんか?」

 

「後で砂糖を足すから大丈夫だよ。それに、少し強めにしないと案外と味が染みないんだよ」

 

 当初は皆で作る話があったものの、ここで初めてお盆ならではの精進料理の調理を経験するからなのか、珍しくアリサが自分の手を挙げていた。

 屋敷でのアリサの腕前は全員が知っている。本来であれば真っ先に反対したいが、エイジがフォローするからとの言葉にそのまま敢行される運びとなっていた。

 

 

「でも、こんな手間がかかるなんて知りませんでした」

 

「基本的に精進料理は肉や魚を使わないからね。食べるだけなら案外と分からない物だよ。作るのはこのお盆の時位かな」

 

「確か死者が戻ってくる日でしたよね」

 

「そうだね。基本はお供えなんだけどね」

 

 そう言いながらも2人の手が止まる事無く動き続けている。既に味が染みた油揚げは煮汁から上げられ、今は少しだけ冷ましている途中だった。

 

 

「でも、死者を敬う気持ちは分かりますので」

 

「アリサのお父さんとお母さんもここに来ると良いね」

 

「そうですね」

 

 そんなやり取りをしながらも稲荷寿司は佳境に入りつつあった。

 用意したご飯も幾つかの種類があるからなのか、それぞれに詰め込んでいく。

 何時もなら多少の味見もする所だが、今日はエイジが居るからなのか、確認をする事も無くそのまま続けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お盆……ですか?」

 

「そう。休みが取れたから屋敷に行こうかと思ってね。因みにアリサの分も申請してあるよ」

 

 既に霧散したアラガミを他所に、エイジとアリサは久しぶりに2人でのミッションを行っていた。

 元々サテライト候補地だった事もあり、露払いの変わりとなるべく複数のアラガミを討伐していた。元々サテライトの建設候補地はアラガミが寄り付かない場所を基本に探索している為に、周囲の自然はまだ綺麗に残されている事が多い。

 捕喰されない環境は自然の美しさをそのまま保っている。だからなのか、ミッションの終わりに素材回収の一環として探索する事をアリサは好んでいた。

 

 

「でも、何か特別な事でもあるんですか?」

 

「何時もの様な行事では無いんだけど、年に一度死者を弔うからってのが正解かな。多分アリサにとっては経験が無いとは思うんだけど」

 

 そんなエイジの言葉にアリサもまた改めて自分の事を振り返っていた。両親がアラガミに捕喰されてからは、洗脳されていた事実はあったものの、それはあくまでも仕方の無い事。

 しかし、今は既にそんな環境にある訳ではなく、出来る事なら死が2人を分かつまで同じ道を歩みたいと考えている。そんな記憶の中で自分の両親に対してだけではなく、一度位は過去を振り返っても良いだろうとと考えていた。

 

 

「確かに言われればそうですね。でも、私も何か手伝う事ってありますか?」

 

「特に無いかな。本当なら何かしらするんだろうけど、精々がお墓参り程度だよ」

 

 そんなエイジの言葉にアリサは改めてどんな事をするのか関心を持っていた。

 元々異文化の象徴でもあるここでの行事はアリサの価値観を大きく変えている。

 既に当たり前の様に着ている浴衣もその一つ。折角ならば何かの役に立ちたい。そんな考えがそこにあった。

 

 

 

 

「これって……何ですか?」

 

「これは精霊馬って言って、死者を乗せる物だよ」

 

 屋敷に入って最初に目に飛び込んで来たのは胡瓜と茄子に棒を刺した物だった。

 このご時世、食べ物で遊ぶ様な真似は出来ないだけでなく、ここではそんな事をする可能性すら無いとさえ思える。そんな中でのこれが何なのかはエイジからの説明を聞くまでは何も分からなかった。

 

 

「死者をですか?」

 

「年に一度、死者の魂が現世に来ると考えられてるんだよ。早く来てゆっくり帰る為に、胡瓜と茄子を馬に見立てるんだよ」

 

「そんな風習があったんですね」

 

 そんな説明をしながら皆が居ると思われる場所へと移動している。既に他の人間も居たからなのか、シオが冷えた緑茶を振舞っていた。

 

 

「アリサも来たのか?だったらこれどうぞ」

 

「ありがとうシオちゃん」

 

 まだ暑さが残るからなのか、冷たく冷えた水出しの緑茶はスッキリとした味わいを残しながら喉へと流れる。一服の涼感が先程までの暑さを払っていた。

 

 

「アリサ。一度、汗を流して着替えて来たら?」

 

「何だかすみません。そうさせて貰います。でも、エイジは何を?」

 

「これから食事の準備だよ。今日は結構面倒だからね」

 

「あの……良ければ手伝いますけど」

 

「今日はお客さんだから大丈夫だよ」

 

 エイジの言葉にアリサはそれ以上告げる事は出来なかった。既に準備に入るからなのか、エイジはそのまま厨房へと消えていた。

 

 

 

 

 

「これ……凄いですね。何て言うんですか?」

 

「これは鬼灯よ。この時期特有の物ね」

 

 浴衣姿に着替えたアリサを出迎えたのはサクヤだった。まだお腹が少しだけ目立つものの、アリサ同様に浴衣姿だからなのか、どこか自然な姿の様だった。

 鬼灯と呼ばれたそれを今までに見た事が無かったからなのか、アリサは鉢植えに咲いている鬼灯を物珍しそうに眺めていた。赤く彩ったそれはまるで袋の様に膨らんでいる。所どころ破れた所から見えるのは赤く熟れた丸い実だった。

 そんな中、呼ばれていたからなのか、サクヤ以外にもソーマが来ている。コウタの姿だけはここには無かった。

 

 

「これは霊を導く提灯の代わりなのよ。観賞用だから食べるのは無理だけどね」

 

「そうなんですか……そう言えば精霊馬?でしたか。あれと同じなんですよね」

 

「エイジから聞いたの?」

 

「はい。ここ来た時に聞きました。そう言えば、サクヤさんはどうしてここに?」

 

 アリサの疑問は尤もだった。元々今回の件に関して特段大きな予定やイベントとして呼ばれた訳では無い。お盆だからと言われた為にアリサもまたここに来たに過ぎなかった。

 サクヤも時折ここに来ている事は知っているが、今日に関してはゲストのもてなしではなく、どこか家族としての集まりの様にも思えていた。

 

 

「私は偶然昨日から来てたのよ。そろそろリンドウも来ると思うわ」

 

「何だ。俺が最後か?」

 

「そうね。コウタは家に帰るって言ってたから、リンドウが最後ね」

 

「リンドウ。お前、今日はそれほど厳しい任務は無かったんじゃないのか?」

 

「ちょっと予定外の事があってな。で、少しばかり時間がかかったんだ」

 

 既にリラックスムードが漂うからなのか、リンドウもまた冷たい緑茶を飲んでいた。コウタは居ないが第1部隊のメンバーがここ来ている。

 既に何かあるのかもしれない。そんな考えがアリサの脳裏を過っていた。

 

 

「お前達。態々済まないな。特段何かする程では無いが、今日はお盆だ。多少はそれらしい事をしようかと思ってな」

 

「無明。何だか俺達まで済まんな。で、姉上はどこに?」

 

「どうしたリンドウ。私が居ないと寂しいのか?」

 

 リンドウの背後には同じく浴衣を着たツバキが立っていた。何時もとは違い、髪も整えられ、簪を刺す事によって上げている。何時もとは余りにも違うからなのか、リンドウだけでなくソーマとサクヤもまた驚いていた。

 

 

「あ、姉上……」

 

「何を呆けているんだ。それとお前達を誘う様に言ったのは私だ。コウタが居ないのは残念だが、少し位は慰労も兼ねてと思ってな」

 

 ツバキが言う様に最近の第1部隊の動きはこれまでの様な討伐だけに主眼を置いた任務は少なくなりつつあった。

 既にアナグラでも一部の組織変更に伴って、第1部隊は討伐をやりながら新たに発足させる組織造りに重点を置いていた。

 もちろん、人類の守護者でもあるゴッドイーターが任務放棄をする事は無い。そんな二足の草鞋を履いているからこそ、最近になって慌ただしさが出始めていた。

 

 

「確かにここ最近の動きはそうだな。アラガミはこちらの都合なんぞお構い無しだ。このままの状態が続くのは得策では無いだろう」

 

「ソーマ。随分と珍しい事を言ってるな」

 

「俺はお前とは違って肉体だけでなく頭脳も使ってる。疲弊の度合いは比べものにならない」

 

 シオがお代わりのお茶を渡したからなのか、ソーマは再び冷えた緑茶を飲んでいた。

 空調設備はあるが、今は稼働していない。襖を開けたままにしてあるからなのか、時折風が部屋の中を通り抜ける。熱さを凌ぐだけではなく、籠った熱すらも取り去る風に吊るされた風鈴がチリンと音色を奏でていた。

 

 

 

 

 

「これ全部使って無いんですか?」

 

「肉類と魚類だけじゃなくて脂もそうだよ」

 

 エイジが用意した精進料理は何時もとは少しだけ趣が異なっていた。

 普段であれば魚や肉も出ているが、今日のご膳にそれらしい物は一切無かった。

 元々ベジタリアンでも無い為に、本来であればどちらかがあっても良いはずが、今日に限ってはそれが無い。ゆっくりと箸でつまんだがんもどきを口に入れ、アリサは少しだけ驚いていた。

 

 

「アリサ。お盆の時は基本的に肉類を使わない精進料理を食べるんだ。殺生をしない前提だからな。決してベジタリアンになった訳じゃないぞ」

 

 既にリンドウは食事よりもどちらかと言えば出された冷酒を飲む方が多くなっていた。既にどれ程の量を飲んだのかは不明だが、珍しく赤くなっている。

 ゴッドイーターの代謝を考えれば赤くなって泥酔する事は無い。だからなのか、リンドウが赤くなっているのであれば、かなりの度数になっている可能性があった。

 

 

「ちょっとリンドウ、飲み過ぎよ」

 

「大丈夫だ。まだ行けるぞ」

 

 既に銚子の数はかなりの物だった。順番に片付けられているからなのか、総量は分からない。しかし、今のリンドウを見ていると普段以上のピッチで飲んでいた。

 その飲みっぷりにソーマも少しだけ口を付ける。冷酒特有のキリッとした味わいにソーマも少しだけリンドウの気持ちが分かった様な気がしていた。

 

 

「サクヤ。これは上物だ。飲むなと言う方が無理だ。泥酔したならここに放置しておけば良い」

 

「ソーマがそんな事言うなんて珍しいわね。そんなに美味しいの?」

 

「俺も嗜む程度だが、これはこれまでに口にした事は無いな。だとすれば、大方新製品だろう」

 

「そう。私はまだ飲めないから仕方ないわね」

 

 まだ妊娠中の為にアルコールの摂取は厳禁だった。絶対ダメとは言わないが、胎児にもかなりの影響を与えると聞いてからはサクヤもこれまでの生活を一新させていた。

 動く際には周囲の様子を確認している。慎重に慎重を重ねるからなのか、何か一つするにもそれなりに時間を要していた。

 

 

「アリサは飲むなよ」

 

「当然じゃないですか。頼まれても飲みませんよ」

 

 アリサの言葉に隣に座っていたエイジは苦笑いするしかなかった。以前に間違えて飲んだ際に盛大にやらかしてしまた経験は今もなお生きている。

 だからなのか、リンドウの言葉に素早く返事をしている様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、アリサも一緒に作るのか?」

 

「何か問題でもありました?」

 

 リンドウの何気ない言葉にアリサの眉がピクリと動いていた。

 元々予定していた物では無かったからなのか、珍しくリンドウもまた屋敷に顔を出していた。

 元々この時期は来ることが多く、またツバキの兼ね合いもあってなのか、リンドウだけでなくサクヤもまたレンを連れて来ている。そんな中でのアリサの言葉にリンドウだけでなくサクヤもまた驚いた表情を浮かべていた。

 

 

「ねぇ、アリサ。気持ちは嬉しいんだけど、結構な量を作るのよ。本当に大丈夫なの?」

 

「サクヤさん。アリサだけで作る訳じゃないんで大丈夫ですよ」

 

「あら……そうなの」

 

 エイジのフォローが入ったからなのか、サクヤも安堵の表情を浮かべていた。確かに最近はまともに作れるレパートリーが増えた事は以前にも聞いたが、今回作る量はかなりになる。

 サクヤだけでなくリンドウもまた心配しらからこその言葉だった。

 

 

「もう、あの時の私ではありませんから」

 

「そう。だったら期待しておくわ」

 

 既に準備は整っているからなのか、アリサは襷がけをしていた。これからの作るのは、以前に食べた精進料理。エイジだけに頼るのではなく、自分も既に家事は出来るからなのか、そんなアリサを見ながらサクヤは笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日も一日頑張ったよ」

 

「そうですね。今日もまた連戦でしたので、消耗の度合も大きいですね」

 

「ねぇ、シエルちゃん……あれって、何時から置いてあったんだろう?」

 

「そう言えば……そうですね」

 

 屋敷での経緯がまるで嘘の様にアナグラは何時もと変わりない様子だった。

 少しだけ違うのはラウンジのカウンターの隅に置かれた精霊馬。ここでも同じく胡瓜と茄子で作られた物が目立たない様に置かれていた。

 そんな中で不意にそれがナナの視界に入る。昨日までは置かれていなかったはずの物だったからなのか、ナナだけでなくシエルもまた疑問を浮かべていた。

 

 

「これは精霊馬って言うんです。今日はお盆なので、飾ってみたんです」

 

「お盆……ですか」

 

「はい。なので、今日は特別料理です」

 

「特別料理って……ムツミちゃん。何が出るの?」

 

 ムツミの特別料理の言葉にナナは僅かに色めき立つ。極東出身のナナがお盆の意味は知っているが、それ以上の事は何も分からないままだった。

 ムツミの言葉に徐々にテンションが高くなる。先程までの疲労感は瞬時に無くなっていた。

 

 

 

 

 

「これが極東ならではの食事か……初めて食べたが、中々良い物だな」

 

 ジュリウスだけでなくギルもまた物珍しいからなのか、海苔巻きを器用に箸でつまみながら食べる前にじっくりと見ていた。

 特別料理として出されたのは、簡易的な精進料理。普段のアナグラでは出る事が無かったからなのか、ラウンジに来た殆どの人間が物珍しく見ていた。

 出された物には何一つ肉類が見当たらない。だからなのか、別メニューとして幾つかの献立が用意されていた。

 

 

「これは、全部野菜だけなのか?」

 

「はい。精進料理って基本は肉だけじゃなくて魚やその脂も使わないんです。でも、皆さんには物足りないなら他にも出しますよ」

 

「そうか……済まないが、俺に一つくれ。旨いんだが、やはりパンチが効いた物も食いたいんでな」

 

 ジュリウスは未だに物珍しく食べているが、ギルはやはり物足りなかったからなのか、別の物も頼んでいた。

 既に用意がされているからなのか、ムツミは焼きたてのスペアリブを出す。精進料理に手間取ったからなのか、肉料理は簡単に出来る塩麹に漬け込んだ物だった。

 

 

「しかし、これが全て野菜だけで作られるとなると、極東の調理技術はかなり高度だな」

 

「そうか?そんな事考えた事もなかったがな」

 

 ジュリウスは野菜だけで作られたとの言葉に反応を示していた。

 既に聖域での農業は軌道にのりつつある。未だ新しい品種の植え付けをしながらも従来の野菜をそのまま作り続けている。以前に食べたカレーとはまた系統が違うからなのか、ジュリウスはどこか思案顔をしていた。

 

 

「なあ、北斗。少しだけ提案があるんだが」

 

「調理の件なら断る」

 

「随分と即決だな」

 

「以前にやった教導で少し大変な目にあったんでな」

 

 北斗の即断にジュリウスは驚いていた。野菜類だけでこれだけの物が作れるのであれば、今後はそれも活かした野菜の栽培を視野に入れる事が可能となってくる。そうすれば今の様に手当たり次第にやるのではなく、効率の良い栽培が出来ると判断した結果だった。

 まさかの即断と教導の言葉に疑問しかない。7人体制になってからのブラッドでそんな事をした記憶が無かったからなのか、ジュリウスは改めて北斗に確認する事にしていた。

 

 

「なるほど。そんな事があったのか」

 

「ああ。あの時はまだレーションだけだったから大きな問題にはならなかったんだが、その後は結構大変でな。結局教導もそれ1回だけに思わったんだ」

 

 連続ミッションとなった際にジュリウスが一番驚いたのはその食事の光景だった。

 これまで連続ミッションを経験した事が無かったからなのか、指揮車を起点に僅かな機材で生活をした経験はこれまでに一度も無い。

 当然その中には食事などの生活も含まれていた。

 当時はレーションを加工した物を食べた為に然程気にした事は無かったが、その後は何度か調理した場面を見ていた。

 当時の経緯を知っていた北斗やギルは驚く事は無かったが、それ以外のメンバーは驚愕の表情を浮かべていた。

 

 

「そうか。だったら俺達も一度は経験した方が良さそうだな」

 

「だが、精進料理はハードルが高いぞ」

 

「そうか……良い案とは思ったんだが」

 

 精進料理を気に入ったからなのか、ジュリウスは改めて箸を進めていた。

 用意された助六や煮物、お浸しはどれも滋味深い一品。口にしながらもジュリウスは今後の事を考えながら食事を続けていた。

 

 

 



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第80話 それぞれのお盆

 外部居住区に新たに設置された慰霊碑の周辺には、ここに住まう人達が所狭しと賑わいを見せていた。

 元々極東ではお盆の風習はあったものの、実際にはアラガミによって常に生命を脅かされる状況下では鎮魂の意味を持つお盆の風習は少しだけ廃れていた。元々配給による食材の少なさが人々の心の豊かさを確実に削っていく。まだアラガミが出没した当初は風習も残っていたが、ここ数十年はそんな事すら開催する事が困難な状況になっていた。

 既にいなくなった人よりも、まずは自分達の命が有っての話。それはある意味仕方のない事だった。

 そんな中、最近になって漸く旧時代に近づけた様な雰囲気が外部居住区にも浸透していた。七夕だけでなく、少し前に打ち上がった花火は当時の事を思い出させる。

 以前に建立された鎮魂の為の慰霊碑の会場は誰かが音頭を取った訳でも無く、自然と集まっていた。

 

 

「でも、マルグリットは屋敷に行かなくて良かったのか?」

 

「私は特に問題無いですよ。どちらかと言えば、あれは身内の集まりみたいでしたから」

 

 コウタだけでなく、マルグリットやエリナ。エミールもまたこの慰霊碑の場所へと足を運んでいた。

 元々ゴッドイーターがここに来る必要性は無い。しかしコウタの場合、少しだけ事情が異なっていた。元々引っ越した当初から何かとコウタをフェンリルとの話をする窓口として慕われてただけでなく、季節の行事事にも積極的に顔を出していた。

 ゴッドイーターでもあり、部隊長でもあるからなのか、何か話をするにも事実上のトップに直接伝わる事が多く、その結果として今では近所でも引っ越しの前と同様に顔役として知れ渡っていた。

 

 

「そうか……それにしてもエリナとエミールがまさか、ここに来るとは思わなかったんだけど」

 

「私は少しだけ用事があったんで……」

 

「エリナよ。そう誤魔化す必要がどこにある。昨日も明日はどうしようかと悩んでいたではないか。だったらもっと胸を張って本当を事を言うが良い」

 

「ちょ……何訳の分からない事言ってんのよ!ああ!もう!」

 

 エミールのツッコミにエリナは憤慨したものの、やはり本音は第1部隊が故にと言う事だけでなく、鎮魂の意味を込めて自分の兄の事を多少でも弔う気持ちがあったからだった。

 元々ゴッドイーターの殉職の場合、五体満足に帰還するケースはありえない。実際にはアラガミに捕喰されるか、仮に生きながらえたとしても、腕輪を破壊されていればアラガミ化しているケースが殆どだった。

 全く居ない訳では無いが、やはり現実的には対面するケースは稀だった。そんな中、鎮魂の意味を捉えたからなのか、コウタとマルグリットが参加するのであれば、自分もまた同じく参加しても違和感は無いだろうと判断した結果だった。

 

 

「エリナ。そんなつもりじゃ無い事は皆知ってるから」

 

「でも……そう改まって言われる事じゃないんで」

 

「そうそう。マルグリットの言う通り。弔う気持ちの方が大事なんだからさ」

 

 マルグリットだけでなくコウタからも言われる事でエリナは少しだけ顔を赤くしていた。

 自分の気持ちが知られていた事だけでなく、未だに兄に囚われているのではと思われるのが嫌だったからに過ぎない。しかし、ここでそんな事を言った所でだれも茶化す様な真似はしないからなのか、誰もが見守る程度で4人を遠目に見ていた。

 

 

「取敢えずここにずっと居ても他の人の迷惑になるから、家に行くか?」

 

「え?良いんですか?」

 

「多分……いや、間違い無く俺ん家に今行けば結構な人数が来てると思う」

 

 そう言うコウタの顔にはどこか疲れ切った様な疲労感が滲んでいた。

 事実、コウタもその事を知ったのはつい最近の話。当初はあまりにも馬鹿馬鹿しいと思ったものの、周囲からすればやはり何かあった際にはとの思惑が絡んだ結果だった。

 事実、引っ越してからのコウタの実家は以前よりも大きくなっている。部隊長であるが故にの部分は否定できないが、実際には榊の思惑がそこに存在していた。

 

 

「エリナはコウタの実家が引っ越した後って行った事あった?」

 

「そう言えば……行った事は無かったですね」

 

 マルグリットの言葉にエリナは改めて思い出していた。

 コウタの家だけでなく、以前の外部居住区はどの家も同じ様なレベルの家が多かった。

 良く言えば古民家。悪く言えばあばら家とも取れる程。しかし、最近になってからの区画整理に伴い、一部サテライト拠点の技術と簡易施設の建築技術が民間にも広がった影響で、住環境は格段に向上していた。もちろん級時代から比べればまだまだではあるが、やはり今の環境下ではそんな事を口にする人間は居なかった。

 

 

「まぁ、行けば分かるからさ……」

 

「では、我々も行こうではないか!」

 

「何であんたが仕切るのよ!」

 

 エミールの言葉に、全員が改めてコウタの実家へと足を運んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だコウタ。遅かったな……何だ皆も来たのか?」

 

「ああ。折角だからと思ったんだけど………出来上がるの早くない?」

 

 コウタが家に入ると、そこには数人の以前の住人らしき人達がお重を前に酒盛りをしていた。元々用意したのはコウタであって、誰もが持参していない。

 既に用意されたはずの一升瓶の幾つかは中身が無くなっているからなのか、どこか侘しさを醸しながら横たわっていた。

 

 

 

「思ったよりも上等な物だったんでな。先に呼ばれてるって訳だ」

 

「あのな……」

 

「まぁまぁ。何だかんだ言いながらも皆もコウタの事が心配なのよ。あら、エリナちゃんとエミール君。久しぶりね。マルグリットもいらっしゃい」

 

 コウタの言葉に母親がフォローに入る。

 普段から近所付き合いがあるからなのか、母親だけでなくノゾミもまた同じ様に食事の支度をしている。普段の状況は分からないが、コウタも時折返った際にそんな事を聞いているからのか、何時もの顔ぶれの人間にどこか身内の様な対応をしていた。

 

 

「はい。お邪魔します」

 

「突然のお伺い、ご迷惑かと思いましたが、折角ですので」

 

「何だかいつもすみません」

 

「気にしなくても良いのよ。ほら、早く行かないと無くなるわよ」

 

 コウタの母親の言葉に4人は改めて皆の居る場所へと移動していた。元々聞いていたからなのか、既に大量のお重には稲荷寿司や太巻きの助六が用意されている。おかずにと幾つかの煮物や和え物もまたそれなりに用意されていた。

 

 

「あの、良ければこれも……多分同じ様な物ですけど」

 

「ありがとう。何時も悪いわね」

 

「い、いえ。気にしないで下さい。私が好きにしている事なので」

 

 マルグリットもまた同じくお重を持っていた。元々食べるつもりで作ったものの、同じ物があった為に、どこか申し訳なさそうにしていた。

 もちろん、誰もが完全に無くなるまで食べる事は無いが、無いよりは会った方が良いに決まっている。そんな事も考えたからなのか、母親もまた笑顔で受け取っていた。

 

 

「そうだ。これ、エイジから貰ったんだ。折角だから冷やして食べると良いんじゃないかな」

 

 コウタの手には大きな袋がぶら下がっていた。形状は不明だが、袋の底が丸くなっている。

 幾ら食料事情が良くなったとはいえ、それが何なのかはコウタとマルグリット以外他の誰もが疑問を持っている。それは同行していたエリナとエミールもまた同じだった。

 

 

「これは?」

 

「これ、西瓜だよ。実験的に作ってるからまだ一般流通はしてないんだけど、折角だからって」

 

 西瓜の言葉に母親だけでなく他の人間もまた注目していた。

 元々旧時代にはこれでもかと言う位にあった代物。しかし、今となってはその品種そのものを目にする機会は無かった。

 事実、それが何なのかを理解していないノゾミは首を傾げるだけ。エリナとエミールも以前にアナグラで試食した事はあったが、それでもこうまで丸々1個は見た事が無かった。

 

 

「コウタ。それ本当に西瓜なのか?」

 

「ああ。出がけに貰ったんだよ。皆集まるだろうからって」

 

「まさか、生きてる間にもう一度目にする事になるとはな……」

 

 実際にアラガミによって失われた物は数知れない。桜だけでなく他の食材もまた復活して物流に乗るまでにはそれなりに時間を要していた。

 そんな中で夏の風物詩とも取れる西瓜はその場にいたノゾミ以外の人間はどこか懐かしさを覚えていた。

 

 

「だからって無理に持ってきた訳でもないし、頼んだ訳でも無いから」

 

「誰もそんな事思ってないさ。コウタは周囲に恵まれてるだけだ。俺達の分もお礼を言っておいてくれよ」

 

 1人の中年男性の言葉にコウタも当然だと言わんばかりの表情を浮かべている。

 元々父親を早くに亡くしてからのコウタにとって、周囲の大人の男性が事実上の父親の代わりの様でもあった。当時の場所に居た人達との交流も未だに続いている。今日来ている人間は、殆どが当時隣近所に居た住人ばかりだった。

 

 

「何だか褒めらえてる気分がしないんだけど」

 

「当然だろ。コウタが何かしたとは思えんからな」

 

「本人目の前にそんな事言うなよ!」

 

「今さらじゃないか」

 

 笑いながらの言葉にエリナやエミールもどんな表情をして良いのか判断に迷ってた。

 ここに来ている人間はエリナとエミールも見た何度かある。何時もと変わらない家族同然の温かい感情がそこには流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だか申し訳ないわね。態々来て貰ってるのに……」

 

「いえ。気にしないで下さい」

 

「そうです。普段はコウタ隊長にお世話になってますから」

 

 母親の言葉にマルグリットだけでなくエリナもまた同じ言葉を返していた。

 実際にクレイドルだけでなく、ブラッドや第1部隊も変則的な休日となっていたからなのか、それぞれが自分達のやりたい事をやっている。事実、コウタ以外の人間は屋敷にいる。

 元々コウタも誘われていたものの、やはり自分の家に帰る事が事前に聞かされていたからこそ、マルグリットだけでなくエイジもまた西瓜を用意する事が可能だった。

 

 秘匿する訳では無いが、おいそれと試作品を流す訳には行かない。見聞きした所で特段何か罰則がある訳ではないが、やはり限定品を一人、若しくは少数で食べるとなれば何かとやっかみもあるだろうと判断した結果だった。

 食べ物の恨みは決して軽くは無い。食料がそれほど貴重で、今の状況がどれほど充実しているのかは外部居住区に住む人間の殆どが実感している。

 実際に未だにアナグラを頼る人が少なくなる事は無い。コウタが直接サテライトの件にタッチする事は無いが、それでもやはりそんな人を目にすれば自分達のやるべき事がなんなのかを改めて考える。

 そんな気持ちがコウタだけでなくエリナやエミールにも伝わっていた。

 

 

「でも良かったの?西瓜はまだ出回っていないんじゃないの?」

 

「西瓜は既に実験農場でもサンプルが完成してますから、今年は無理でも来年には出回りますでの大丈夫です」

 

「そう……なら安心ね。他の人達の口に入らないのに私達だけってのはね」

 

 マルグリットの言葉にコウタの母親は安堵していた。元々ゴッドイータが恵まれているのは誰もが知りうる話だが、実際に聞くと見るでは大きく意味が異なっていた。

 誰もが羨むのは偏にその家族が常に命の危険にされされながらアラガミを討伐していると言う事実。誰もが簡単に神機を扱える訳では無い為に、幾ら志願しても適合する神機が見つからなければそれは無意味でしかない。

 コウタは適性がるからこそ戦場に身を挺し、今もなお戦いを続けている。

 特にサテライトではなく外部居住区に住む人間の大半は、家族がゴッドイーターの関係者。幾ら恵まれていとは言え、やはり周囲と比べれはそれは破格の内容だった。

 

 

「今日はここに泊まっていくの?」

 

「私とエミールはこの後アナグラに戻る予定なの」

 

「そっか……じゃあ、マルグリットお姉ちゃんは?」

 

 後片付けをしている背後から聞こえたのはノゾミの声だった。

 元々全員が休暇を取れた訳では無い。厳密にはコウタとマルグリットは明日の午後から、エリナとエミールは明日の朝から出動となっている。

 既に部隊編成も終えている為に、間に合わない訳では無かったが、やはり他の事も考えれば時間にゆとりを持つのは当然だからなのか、2人はこのまま帰る予定だった。

 

 

「私は……どうしようかな」

 

「じゃあ、今晩は一緒に寝ようよ。色々な話も聞きたいから」

 

 ノゾミの言葉にマルグリットも少しだけ考えていた。今日の件に関しては元々決まっていたものの、その後の予定までは何も決まっていなかった。

 ここで寝泊まりするのは今に始まった事ではない。そんな事があるからなのか、ノゾミもまた遠慮する事無く気軽に話していた。

 

 

「え……でも」

 

「私達の事なら気にしなくても良いのよ。コウタには伝えておくから」

 

 母親までが肯定した以上、拒否するつもりは無かった。元々それなりの身だしなみを整える道具類は既に置いてある。実際には自分の身一つだけだった。

 

 

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 

「やったぁあ!」

 

 希望が叶ったからなのか、ノゾミの歓声が台所に響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここも結構な人が来てますね」

 

「ああ。前に例の神機兵の件で出来た物なんだけどな。やっぱり人の思いは重要なんだって改めて感じるよ」

 

 コウタ達とは時間が異なっていたが、タツミとヒバリもまた鎮魂の為に慰霊碑の場所へと足を運んでいた。

 元々神機兵の事件での殉職者の数は以前の状態に限りなく近い数を出したのはまだ記憶に新しかった。

 これまでに幾度となく同じ部隊でアラガミを討伐していた仲間が自分達の攻撃が悉く阻まれ、その都度アラガミの強襲を受ける。幾ら歴戦を戦い抜いた物も防戦一方での数の論理の前には無残に散るしかなかった。

 本来であれば以前の様に宴会でもすれば良いが、流石にこれ程の甚大な被害が出たとなればそれ以前にやるべき事の方が多すぎていた。

 以前であれば支部と外部居住区の防衛だけで終わるが、既に作られたサテライトの数を考えれば早々騒ぐ時間はお預けするしかない。仮にここで何かをしていた際に、サテライトを襲撃されれば今の計画は確実に破綻する可能性を秘めている。

 ゴッドーターとは違い、一般の人々にはアラガミに対抗する牙とも言うべき神機は無い。精々が防衛か逃走の為のスタングレネードを使用するに留まっていた。

 減らされた人員の補充はそう簡単ではない。今でも人材不足解消の為に、他の支部から技術を学びに来ているゴッドイーターを防衛に組み込む事で漸くまともに回り出している現状だった。

 

 

「そうですね。あれだけじゃないです。これまでに幾人もの人達が散っていきました。私は相変わらず神機の適合もありませんからタツミさんの力になれてるかは分かりませんが……」

 

「そんな事は無いよ。実際にヒバリのオペレーターで救われた事実もある。実際に戦場での情報は重要なんだ。今は神機が無いからじゃない。実際にヒバリの言葉で俺も助かった事もあるから」

 

「えっ!」

 

 タツミの言葉に思わすヒバリは驚いていた。ヒバリの立場でオペレーションが一緒になるケースは早々無い。

 実際にタツミが居る戦場は常に一定の場所ではなく、その殆どが激戦区に近い場所。大隊長の立場が故にはあるかもしれないが、それでも他のゴッドイーターに比べれば苛烈な戦場を渡り歩く事の方が多かった。

 仕事柄、タツミの行動を確認する事はヒバリも可能となっている。詳細を知りえないからなのか、タツミの言葉にヒバリは思わす驚いていた。

 

 

「そんなに厳しい事ばっかりじゃなかったんだけど……心配させちゃったみたいだね」

 

「当然じゃないですか。だって……つ、妻ですし」

 

 顔を赤くしながら言うヒバリに、タツミもまた同じく顔を赤くしていた。既にそれなりに時間が経過しているが、実際には中々一緒になれる機会はそう多く無い。

 基本的にタツミはアナグラの配属ではあるものの、防衛班と言う特性上、他のサテライトに行くケースが殆どだった。通信越しでのやりとりが多いからなのか、久しぶりに見たヒバリの顔にタツミの表情はどこか崩れていた。

 

 

「お前ら、こんな場所で何、ピンク色の空気を出してるんだ。他の人の迷惑だろ。さっさとどっか行って存分にくっついてろ」

 

「か、カレルか。脅かすなよ。でも、何でここに?」

 

 カレルの声にタツミだけでなくヒバリもまた改めて現実に戻っていた。周囲を見ればどこか悲しみの色をしていたはずが、こちらを見る目に色々な感情が滲んでいる。

 ヒバリとてアリサと同様に外部居住区での知名度は高い。もちろん最近になって結婚した事も知っているが、やはりそれとこれは別物なのか、主に男性からのじっとりとした視線が幾つも突き刺さっていた。

 

 

「ここは俺の病院の傍なんだよ。で、折角だから顔を出しただけだ。お前らみたいにデートしに来た訳じゃない」

 

「デートじゃない。業務の隙間があったあら来ただけだ。少ししたら戻るつもりなんだぞ」

 

「それこそ俺には関係無い話だ。ここに居るだけでも迷惑になる。デートでもなんでも好きにしろ。それとヒバリ、例の報酬の件だがまた頼む」

 

「分かりました。では、その様にしておきますね」

 

「ああ。頼んだぞ」

 

 既に何時ものモードなのか、ヒバリもまた引き締まった表情に戻っていた。

 タツミが言う様に休憩時間に来ただけだからなのか、手こそ繋いでいるが、その頭の中では既にアナグラに戻ってからの行動を考えていた。

 タツミとしても残念ではなるが、やはりこの場に於いては不適切だと判断したからなのか、この場を後に改めてアナグラへと足を運んでいた。

 それぞれがそれぞれの時間を過ごす。何時もの光景もまた自分達の努力の成果である事を思い、2人は離れる事無く歩いていた。

 

 

 



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第81話 想定外の

 普段であれば自室の水音を聞く機会はそう珍しくはない。それは自分が利用するから当然ではあるが、残念ながらこの部屋の主は水場ではなく、ベッドに座っていた。

 そうなれば当然、他の誰かが利用している事になるが、それもまたこの部屋ではある意味ではよくあるはずの音。しかしながら問題なのはその音の発生源だった。

 元々今回の件に関しては寝耳に水でしかなかった。しかし、今の支部の事情を考えればある意味では仕方ないとさえ考えていた。

 

 本来であれば回避する事も可能だったはず。にも拘わらずそれを受け入れた以上、ある意味では腹を括るしか無かった。突然の出来事に未だにどう反応すれば良いのか判断する事が出来ない。

 元々永続的な話ではなく、短期だった事も影響したからなのか、安易に返事をしただけに過ぎなかった。しかし、今の現状でそれが本当になると話は大きく変わる。

 コウタとて、もう何も知らない子供では無い。だからなのか、コウタは一人ベッドの上で悶々と悩んでいた。

 

 

「あの……もう良いかな?」

 

「へ…あ、ああ……大丈夫だよ」

 

 ガラッと空いた扉の向こうに居たのは、先程までシャワーを浴びていたマルグリット。まだ髪に少しだけ水分が残っていたからなのか、仄かに香る柑橘系の香りはコウタを理性を試そうとしている様にも思えていた。

 

 

「でも、本当に良かったの?コウタだったら実家も近いんだし……」

 

「いや。マルグリットが気にする必要は無いよ。別に俺達だけじゃないみたいだから」

 

 マルグリットもまたコウタが座っているベッドの横に腰を下ろしたからなのか、その重みで僅かに軋んでいた。本来であればマルグリットが言う様にコウタにも他の手段があったのは間違いなかった。しかし、打診された際に、そんな考えは既に無かった。

 確かに多少の下心が無かったかと言えば嘘になる。しかし、そんなコウタの考えなど最初から無かったかの様にここまで手回しが早かったのは想定外の事でしかない。今になって当時の自分が何でそう言ったのかを問い詰めたいとさえ考えていた。

 

 

「コウタがあれだったら、私は別に屋敷の方でも良いんだけど……」

 

「お、俺なら大丈夫だから…マルグリットが気にする事は無いよ」

 

「そう………」

 

 そう言いながらもコウタもまた内心は緊張に溢れているからなのか、心臓の音がやけに煩く感じている。実際にマルグリットがコウタの部屋を訪れるのは珍しい事では無かった。

 お互い普段であれば気軽に話しをするものの、今になってからはそれすらも憚られる。2人の間に流れる沈黙は大いに緊張している証でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちらコウタ。対象のアラガミ討伐が完了したんで、帰投の手配をお願いします」

 

《了解しました。ヘリの手配をしますで暫しお持ちください》

 

「了解。それまでは素材の回収でもしてるから」

 

《コウタさん。それと、戻りましたら支部室までお願いします》

 

「支部長室……榊博士からだよね?」

 

《そうですね。詳細については不明ですが、帰投後直ぐに来て欲しいとの事でしたので、帰投後に直ちに出頭して下さい。その際に副隊長でもあるマルグリットさんも同席して欲しいとの事です》

 

 討伐を終えたばかりだからなのか、通信機から聞こえるテルオミの言葉にコウタは内心疑問を持っていた。ここ最近のミッションでも大きな被害も無ければミスも無い。

 だからと言ってテルオミの声には焦りすら感じられない。事前に何らかの情報でもあれば良かったが、それすらも感じられなかった。

 未だ横たわるアラガミを背後に、コウタは耳朶に届く情報を色々と精査するも、やはり該当する情報は何一つ無いままだった。

 

 

「詳しい事は今の時点では分からないって事なんだよね」

 

《そうなりますね。お疲れの所、申し訳ありませんが》

 

 これ以上は何を言っても判断するだけの材料は無かった。幾らテルオミに話を聞いても、分からない人間同士が話す事に意味は無い。

 コウタはそう考えたからなのか、今は全員が合流してから考えるより他無かった。

 

 

 

 

 

「って事があってさ。取敢えずは戻ってから直ぐに出頭なんだよ」

 

「でも、何でしょうね。全く覚えもないですし、コウタが何も聞いていないなら私も知らないですよ」

 

 帰投のヘリの中でもやはり話題は榊の話だった。

 既にこの距離からはアナグラの全容が見える。到着の時間を考えれば然程かからないとは思うものの、やはり何を意味しているのか見当すらつかなかった。

 今回のミッションは然程厳しい内容では無かった為に、エリナだけでなくエミールもまた外を眺めている。部隊長と副隊長を呼び出すのであれば何らかの意味があるのは間違い無い。

 今更何を考えた所で結果的には出たとこ勝負でしかなかった。

 

 

 

 

 

「藤木コウタ以下、第1部隊入ります」

 

「忙しい所済まないね。実は君達に少しだけお願いがあるんだ」

 

 コウタとマルグリットを待ち受けていたのは榊だけでなく弥生とサクヤもだった。

 緊迫した空気は漂っていないが、それでもこのメンバーがここに居る時点で何らかの問題が発生している可能性が高い事だけは間違い無い。これまでの様に榊だけや弥生だけなら話はともかく、サクヤまでとなれば事実上の機密に近い物があるのは間違い無かった。

 これまでの経験がそうさせているからなのか、コウタだけでなくマルグリットもまた同じく息を飲んで榊の言葉を待っていた。

 

 

 

 

 

「って事なんだけど、頼めるかい?」

 

 榊の細い目が更に細くなったからなのか、コウタは暫しどうした物かと考えていた。

 今回の内容は確かに機密ではあるが、それと今直面している問題とはどこか筋違いの様にも感じる。事実、隣のマルグリットもまたどうすれば良いのかを判断し兼ねているからなのか、どこか思案顔だった。

 

 

「それは構いませんが、緊急時の時には何かと問題もあるんじゃ……」

 

「その件に関しては一時的な物だから、君が気にするまでもないよ。今はブラッドも特殊な任務が入っている訳じゃないからね。エイジ君達も常駐しているんだ。多少の時間の融通位は何とでも出来るよ」

 

 榊の提案は、近々極東支部に視察が入る為に、一時的に部屋を開けてほしいとの事だった。

 元々極東支部でも外部からの来訪者が多くなっている為に、常に居住用の部屋には余裕を持っている。しかし、今回の視察に関しては数はそれ程ではないが、問題なのはその階級だった。

 ここアナグラでの部屋は一般用とベテラン用、妻帯者用と幾つかの分類に分かれている。通常のゴッドイーターの受け入れだけであれば一般用に放り込めば問題無いが、今回来るのは佐官級の人間と一般人、その護衛の人間だった。

 護衛は一般用でも問題ないが、佐官級の人間を宿泊させるためには最悪でもベテラン用の部屋を提供する必要がある。しかし、ベテラン用の部屋も実際にはそう多くは無い。

 今回のゲストの中でも佐官級の人間と一般人はどうしてもベテラン用の部屋を利用する必要があった。当然来る人間が事実上のVIPに近い性質を持っている。

 本来であればコウタには全く関係無いはずの話。しかし、今の現状では妻帯者用を動かすよりも、身軽な人間に一時的に開けて貰う事で凌ぐ以外に無かった。

 

 

「コウタ君。無理にって話じゃないの。私としてもマルグリットちゃんなら屋敷でも構わないし、実際には部屋にも余裕があるから特段の問題は無いのよ。それか、コウタ君が一時的に実家に行っても距離的には問題無いはずだから」

 

「ですが……部隊を率いる立場で考えると、流石にそれもどうかと……」

 

 弥生の言葉にコウタの反論は尤もだった。そもそも一般隊員ではなく部隊長が緊急時に指揮が執れないのは問題しかない。

 確かにクレイドルやブラッドが居る為に緊急時における行動はそれ程気にする必要性は無い。しかし、万が一の際にはやはり自分達の都合だけを優先する事は不可能でしかなかった。

 これまでにも何度も緊急時の襲撃があった事はコウタが一番理解している。弥生の言葉も分からないでは無いが、それでもやはり譲れない部分が多分にあった。

 

 

「だったら2人一緒にってどう?お互い付き合ってそれなりなんだし、別に問題無いわよね?」

 

「そ、それって………」

 

 特大の爆弾をサクヤ放り込まれたからなのか、お互いが顔を見た途端固まっていた。

 確かに付き合っているのは間違いないが、まさかサクヤからそんな事を言われるとは思っても居なかった。

 お互いの部屋に入る事はあっても時間になれば自分達の部屋に戻る。そんな当たり前の日常があっさりと崩れる内容だった。

 そんなサクヤからの言葉に2人からは反論の言葉が何も出ない。そんな状況を見たからなのか、弥生は内心では面白い事を思いついたものの、表面上は穏やかな状態にして2人に迫っていた。

 

 

「その件なら気にする必要は無いのよ。期間も1週間程だし、今回の査察は特段問題になる事では無いの。嫌なら無理にとは言わないけど。マルグリットちゃんの部屋の準備は直ぐに出来るから」

 

 コウタとマルグリットに話しながらも弥生は少しづつお互いの意志を誘導していた。元々今回の視察が何なのかは事前に聞いているからなのか、弥生としても気にする程の内容では無かった。

 一部の技術交流と、それらに関する契約の確認。本来であれば極東支部に来る必要はなかったが、相手の希望を聞いたが故の結果だった。

 多少なりとも本部での発言権があるならば、何かをするにも障害は少なくするにこした事は無い。それがコウタとマルグリットの件を抜きにした本当の所だった。

 

 

「ちょっと待ってください。一つ確認したいんですけど、部屋はどっちの方を使用するんですか?」

 

「今の状況だとコウタ君の部屋は生活する分には問題ないのよ。本当の事を言えば、マルグリットちゃんの部屋も今の階級を考えれば合わないから、今回の件は引っ越しのついでみたいに考えてくれると助かるわね」

 

 コウタの質問に弥生は内心ニヤリと笑いたい気分だった。そう考え居ている時点で既に一緒に生活するのが前提になっている。

 元々今回の件が終われば一度内装のクリーニングをしてそのまま引っ越しを予定していたのは紛れもない事実。態々誤魔化す必要性が無いからなのか、その点に関しては弥生だけでなくサクヤもまた同じだった。

 お互い確認した訳では無いが、それぞれが同じ事を考えているからなのか、サクヤもまた弥生と同じ心境だった。

 

 

「私の時もリンドウが戻って来てからは一緒だったでしょ。今回もそれと同じよ。無理にって訳じゃないんだけど」

 

「…言われてみれば確かに」

 

 リンドウが戻って来て早々の事をコウタは思い出していた。

 事実上のMIA認定からKIAに変更される際にヨハネスの計画を阻止し、その後戻った際には既にリンドウの部屋は無くなっている。

 その時は事実上の特例に近い内容でサクヤとリンドウは一緒の部屋だった。もちろん、当時の事はコウタも記憶している。だからなのか、今回の件も同じ様に考えていた。

 

 

「じゃぁ、決まりで良いかしら?」

 

「俺は問題無いです」

 

「じゃぁ、直ぐに手配しておくわね」

 

 当然の様な流れでコウタとサクヤの話は終了していた。しかし、今回の件に関してまだマルグリットの意見は何も聞いていない。既に手配をする為なのか、サクヤはタブレットで指示を出している一方、弥生もまた同じ様に作業を始めていた。

 

 

「ねぇ、コウタ。私はこれからどこに引っ越すの?」

 

「あ………」

 

 コウタは思いっきり失念していた。弥生とサクヤの言葉に納得した為にそのまま話は進んでいたが、肝心のマルグリットに関しては何の発言もしていなかった。

 既に手続きが進められているからなのか、サクヤと弥生もタブレットを操作している。一方の榊は既に用件を伝えた事で部屋から退出していたからなのか、この場には居なかった。

 

 

「コウタ。手続きは終わったから、この後直ぐにお願いね」

 

「あの…サクヤさん。もうですか?って因みにマルグリットの事は……」

 

「あれ?一緒の部屋よね」

 

「その話の前提でやってたんだけど、何かあったかしら?」

 

 サクヤと弥生の言葉にコウタだけでなくマルグリットもまた絶句するしかなかった。

 確かにコウタの話の流れだけを聞けばそれが前提となっている。しかし、その一方で自分に意見が求められなかった事に少し違和感があった。

 元々屋敷でも部屋を用意されるのであれば特段問題無い。マルグリットの考えはその程度でしかなかった。

 そんな中での2人の言葉にマルグリットもまた改めて考えていた。確かにコウタと一緒でも良いとは思うが、まさかこんな性急な話になるとは夢にも思っていない。

 突拍子も無いままに進んでいたからなのか、どこか他人事の様にも感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へ~コウタがですか。また随分と大胆な事しましたね。でも、嫌じゃないんですよね?」

 

「まぁ、そうなんですど……」

 

 コウタ達の部屋割の変更はどこの誰かが意図的にリークしたからなのか、既にラウンジでは待ち構えていたかの様にアリサだけでなくリッカとヒバリも待っていた。

 既に何か言いたげな視線の意図はマルグリットにも理解出来る。遅かれ早かれヒバリ辺りはその手の手続きをしている為に、確実に聞かれる事は間違いない。

 女は度胸。誰かが言った言葉では無いが、今のマルグリットにとってはそんなイメージが脳内を過っていた。

 

 

「でもさ、何でそんな話が急に出てきたの?」

 

「実はまだオフレコなんですが、近々本部の人間がここに視察に来るらしいんです。で、その関係で居住スペースの確保が必要なんですよ」

 

「え?だって、まだここって余裕があったよね?」

 

 リッカの疑問は尤もだった。そもそも部屋が不足するなんて話はこれまでに一度も聞いた事が無かった。事実、どんな人間であっても来客用のスペースが常に確保されているのが常であり、今回の様なケースは完全にイレギュラーでしかなかった。

 今でこれならば将来的にも同じ様な可能性は当然有り得る。疑問に思いながらもその答えはヒバリが用意していた。

 

 

「実はここ最近になって外部からの徴用が一気に増えたんです。例の神機兵の暴走で防衛班も多大な人間を失いましたので……」

 

 そう言うヒバリの表情は少しだけ影を落としていた。

 シロガネ型神機兵の暴走は未だにその尾を引き摺る部分が多々あった。

 元々少数精鋭を気取っている訳ではないが、どうしても支部以外の防衛にも一定以上の技術水準が求められてしまう。その件があってなのか、自然とゴッドイーターの人員も増加するしかなかった。

 

 サテライトは支部の近くにあるだけではない。アラガミが近寄りにくい場所に建設する為に、どうしてもこちらの戦略からは大きく外れる部分も多々あった。そうなれば常に常駐するメンバーが出てくる。今回の件はそれに問題があった。元々ここの所属であればサテライトへの一時的な移動もお願い出来るが、外部からの徴用となればそうは行かない。

 あくまでも彼らはお客さんであって、ここの人員では無い。一時的な人員を動かすにはそれなりの大義名分が必要になっていた。

 

 当然の事ながら極東支部所属の人間を一時的に移動させるしかないが、それもまた困難を極めていた。

 簡易メンテナンスが可能になればアナグラに顔を出す機会は自然と薄れていく。だからといって、勝手に部屋を動かす訳にもいかない。その結果、不在がちになりながらも事実上の家主は居るからなのか、部屋割りを勝手に動かす事は出来ないでいた。

 当然、その皺寄せはどこかにやってくる。今回は()()にもコウタとマルグリットが選ばれただけに過ぎなかった。

 

 

「でも、サクヤさんも弥生さんも同じ意見なんだよね。だったら何が問題なの?」

 

「えっと……その……」

 

 当たり前の様にリッカが話したものの、今回のそれはこれまでの人生の中で経験した事が無い物だった。

 今のメンバーを見れば独身なのはリッカだけだが、そのリッカも何だかんだと屋敷に顔を出している事はマルグリットも知っている。アリサやヒバリに関しては既に既婚である為に何も言えない。

 過去にギースとの付き合いは確かにあったものの、まさかここまで踏み込んだ事は一度も無かった。これまでの生活が一瞬にして逆転する。そんな変化にマルグリットはまだついて行く事が出来ないでいた。

 

 

「だって、以前は付き合ってた人居たんだよね?だったらそんなに問題にする事は無いんじゃないの?」

 

 リッカの言葉にマルグリットは改めて当時の事を思い出していた。

 まだ極東に来た当初はゴッドーターではなく、リッカと同じく整備士として来ていた。

 しかし、当時のフライアに助けを求めてからの状況は一転していた。整備から実戦の場への変更。

 当時の事を今さら悔やむ気持ちは毛頭無いし、ギースに対しての感情も全くと言って良い程に無い。冷徹と言われればそれまでだが、既に過去を振り返るには余りにもここに来ての生活が濃すぎていた。

 屋敷での戦闘教導から始まるそれは、これまでに何一つ経験した事が無い物。料理程度ならまだしも、失われつつある文化の継承や部隊の副隊長などやるべき事は多岐に渡る。

 コウタとの考えを優先すればする程過去の物は消え去っていた。

 

 

「あの、参考に聞きたいんですけど、皆さんは初めて一緒に生活した時ってどうったんだですか?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 マルグリットの言葉に初めて3人は固まっていた。どうやら悩んでいるのは嫌な気持ちではなく、どうやって過ごしたかの一点だけ。

 しかも、それに答えるとなれば自分達の日常を公開する事になる。先程までの優越とした表情はなく、気が付けばお互いが牽制している様にも見える。

 だからなのか、マルグリットを除く3人は珍しく三竦みの状態になっていた。

 

 

「やっぱり、ここは既婚者の2人に聞いた方が早いと思うんだけど……」

 

「それならやっぱりこの中で一番早かったアリサさんの方が……」

 

「え~っと。私よりもここは………」

 

 2人の視線は既にアリサへと向けられていた。気が付けば既にアリサに退路は無かった。

 2人の視線だけでなく、マルグリットもまた同じ事を考えていたからなのか、どこか目が輝いている様に見ている。アリサは少しだけ溜息を吐く以外に何も出来なかった。

 

 

 



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第82話 視察と護衛

 本部からの視察の日程は事前に聞かされていたからなのか、大きな問題も無く勧められていた。

 元々任務にだけ就くゴッドイーターにはあまり関係の無い内容。だからなのか、一部の部隊長以外には現時点では大よその内容しか聞かされていなかった。

 

 

「今分かってるのは、ここに来るのは本部の佐官級の人間と一般人。後は護衛が3人だけ。因みに、護衛の人達の要望で、滞在期間中は第1部隊にお任せするわ。コウタ、お願いね」

 

 サクヤのブリーフィングの声にコウタだけでなく、北斗とエイジもまたサクヤの下で話を聞いていた。

 既に決められているからなのか、部隊編成も記されている。基本的にはコウタが指揮を執るのが筋だが、本部のゴッドイーターがどんな感情を持っているのかを事前にツバキから聞かされていたからなのか、サクヤも第1部隊副隊長でもあるマルグリットを隊長として組んでいた。

 他の支部とは違い、極東支部の場合は殆どが第二世代神機が今では主流となっているが、一部の部隊長は第一世代型神機を使用している。

 生き残れる力がある以上、下手な二世代型よりも格段に実力は高い。しかし、あくまでも極東支部内の話であって、周囲ではそこまで知られている訳では無かった。

 未だに心無い人間は第一世代を下に見ている。だからこそ、コウタではなくマルグリットを主体としてゲストを部隊内に置くつもりだった。

 

 

「了解です。でも、3人なんですよね?って事はマルグリットの所に全員ですか?」

 

「ううん。流石にお客さんに就いて貰うのに3人は無謀すぎるから、そのうちの1人か2人ね。あとは要求される技量がどれ程あるのかにもよるんだけど」

 

 サクヤの言葉にコウタも同感だった。これまでに外部から来たゴッドイーターの大半は当初にコウタを下に見る事によって自分の技量を勘違いするケースが多かった。

 想定外のミスマッチは死に直結する。他の支部とは違い、極東支部でのミスや油断は命の危険性も孕んでいた。

 全員が無事に生き残れる訳では無い。如何に経験豊富な極東のゴッドーターも超人ではない。判断ミスによって目の前で捕喰された事はこれまでにも何度かあった。

 

 

「何時もなら仮に死なれてもどうとでも言えるんだけど、今回はちょっと……ね。榊博士だけじゃなくて、いざとなったら無明さんからのフォローも入るから問題は無いんだけど、現場に変な緊張を持たれても困るのよ」

 

 何時もの様な軽快な雰囲気はどこにも無かった。

 事実サクヤとしても実力不足を棚に上げての抗議は正直な所、相手をするだけ無駄だと考えていた。

 ここでは容赦ないスパルタによって、どこか強制気味に技量が向上する為にプライドを持つころには逆にへし折られている。戦場での数字が自ずと上がる事からも、それが正解だと考えていた。

 しかし、全員が素直に応じる訳ではない。時には自分の実慮億を勘違いしたまま戦場に出て、直ぐに捕喰された事実もある。慢心した未来は何も見通しが立たない。だからなのか、最近ではその事実を伝えると直ぐに教導をメニューに取り込む物が続出していた。

 

 

「確かにそうですね。因みに誰が来るとか、階級は何かとか分かりませんか?」

 

「多分だけどギリギリにならないと分からないわね。他の支部とは違って本部はその辺りがルーズなのよ」

 

「……そうですか」

 

「来たら直ぐに教えるから安心して」

 

 ウインクしながらコウタに伝えるとサクヤはそのままカウンターの方へと歩いていた。

 コウタとて態々自分が居る部隊に配属された人間を素直に捕喰されようととは思ってもいない。しかし、本部から来るであろう事実と、階級によってはコウタの指示はおろか、誰の言う事も聞かない可能性もあった。

 力で劣るからこそ、その組織力を活かした行動でアラガミを狩る。エイジやリンドウ、ソーマの様に単独で確実に討伐出来る人間も居るが、それでも万が一の事を常に考えるからなのか、部隊としての行動を当然の様に行っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、実際には本部の連中ってどれ程なんだ?」

 

「人によるよ。僕が教導したのはどちらかと言えば若い世代が多かったからね。護衛をする位ならそれなりにベテランを付けるんじゃないかな」

 

「ベテラン……ね。全員が悪いとは言わないんだけどさ、どうしてもその系統の連中は俺達みたいに第一世代型をポンコツかアンティーク扱いしてるんだよね」

 

 ラウンジのカウンターではコウタが珍しくエイジと話をしていた。本部からの護衛が来る事は事前に聞いているが、それが誰なのかを探るのであれば、そこに滞在した人間に聞くのが一番効率が良い。そう考えたからなのか、コウタはエイジが居るカウンターの椅子に座っていた。

 注文らしい物のは何一つしていないが、顔を見るなり辛口のジンジャーエールとスコーンを出す。まるで阿吽の呼吸の様にコウタもまた考える事無くスコーンを口にしていた。

 

 

「実際に体感しない事には分からないレベルなんだけどね。ここだとヴァジュラが出ても、一部隊だけで討伐出来るけど、他の地域だと少なくとも中隊レベルの人員を投入する事が殆どらしいよ。実際に本部で大型種が出るなんて稀だから」

 

「……って事は実力は?」

 

「それなりだよ。鍛えた人間は分からないけど、一回も来ていないとなれば実力は未知数だよ」

 

 そう言いながら夕食の仕込みをしているからなのか、エイジの手は止まる事は無かった。既に時間も食事の時間に近くなりつつある。何時もであればこのまま食事になるが、ここ最近のコウタがここで食べる機会は格段に少なくなっていた。

 

 

「そう言えば、一緒に住み始めたんだよね?」

 

「一緒にって……まぁ、そうだけどさ」

 

 まさかこの話題がエイジの口から出るとは思わなかったからなのか、コウタは僅かに動揺していた。

 実際に今回の視察の兼ね合いで半ば仕組まれ気味になった部屋割りではあったが、コウタとマルグリットの生活は実際には何時もと然程変化はないまま過ぎていた。

 寝る時とシャワーは仕方ないが、それ以外はマルグリットもコウタの部屋に居る事が多く、その結果銃閑居に大きな変化は見られなかった。時折起床時に目を開けるとマルグリットのアップが目に飛び込む事はあったが、それも最近になって漸く見慣れつつあった。

 

 

 

 

 

「なぁ、エイジの時はどうだったんだ?」

 

「僕の時はあまり変わらないよ。特段変化はしない様に心掛けていたからね」

 

「そっか……」

 

 既にコウタとエイジの立場は大きく異なっている。既婚者が故の余裕なのか、本人の性格が成せるからなのか、その正しい答えをコウタは知らない。しかし、少しだけ口にしたからなのか、コウタも少しだけ気分が楽になった様に感じていた。

 

 

「そうそう。本部の件だけど、恐らくは三日後にはここに来る予定らしいよ。さっき弥生さんから聞いたから」

 

「了解。せめて素直な人間ならな~」

 

「そろそろ時間だからコウタも自室に戻りなよ。料理、作って待ってるかもよ」

 

「そうだな。あと聞いてくれてサンキューな」

 

 既に飲み終えたからなのか、コウタはラウンジを後にしていた。元々何かを悩むのがコウタではあるが、だからと言って悩み過ぎるのは良い結果を生まない。だとすればどこかでガズ抜きをするのが一番だった。本来であればその役目はマルグリットにお願いしたいが、今の環境に慣れない限り、容易く口にする事は恐らくない。

 そんな事を思いながらエイジは部屋に居るマルグリトに対し、内心頼んだと言いたげだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようこそ極東支部へ」

 

「こちらこそご迷惑をおかけします」

 

 本部からの来襲とも呼べる訪問は弥生の言葉通り三日後に来る事になっていた。

 元々本部に居る人間の誰もが胸に一物を持っている訳では無い。事実、今回来ているのも本部内では穏健派と呼ばれた人物だった。

 物腰が柔らかいからなのか、言葉のの一つ一つに配慮が見える。遠目でしか見ていないが、まさに紳士と呼べる人物だった。

 

 

「いえ。今回の視察が有意義な物になればと考えていますので」

 

「では、我々は現場に行こうかと思うのですが」

 

「ああ。その件については既に連絡してある。ロビーかカウンターに行くと良いよ」

 

 何時もの榊とは違い、既に支部長としての仮面を被っているのか、それとも研究者としての仮面を被っているのか部屋の中の空気は何時もとは違っていた。

 そんな中で、護衛と思われる人物が口を開く。既に支部内に居るからなのか、その態度はどこか護衛とはまた一味も二味も違う様だった。

 

 

 

 

 

「すまないが宜しく頼む」

 

「何で俺達よりも階級が下の連中の指揮下に就くんだよ。俺達の方が上だぜ」

 

「ここでは我々はゲストなんだ。当然だろ」

 

「まぁまぁ、初日から揉めなくても……」

 

 年長者とその部下、恐らくは研修と言う名の厄介払いなのか、護衛で来た3人がロビーで自己紹介をしていた。

 元々護衛に成れる以上、それなりに技量が無ければ話にならない。これまでにも極東でも護衛任務に就けるのは最低でも曹長以上が条件だった。そんな中、本部から来たのは全員が尉官級。

 だからなのか、その中の一人の態度はどこか尊大な様にも見えていた。

 

 

「元気があって良いわね。私の名前は雨宮サクヤ。ここの教導兼指揮官をしてるわ。これから貴方達は別れて部隊配属する事になるからそのつもりで。それとここでは油断はしない事ね。これまでにも外部からの志願者はかなりの数に上るけど、うち最低でも3割が何らかの負傷、若しくは死に繋がってる。ここでは無理をしない様に」

 

 笑顔ながらに話の内容は尋常ではなかった。これが他の支部であれば強面の男が脅すかの様に話すが、ここではサクヤが担当しているからなのか、そんな雰囲気は微塵も無かった。

 決して下に見ている訳でも無ければ、ないがしろにしている訳でも無い。純然たる事実だけをサクヤは述べていた。

 

 

 

 

「あ!如月中尉、お久しぶりです!」

 

「あれ?どうしてここに?」

 

エ イジが声をかけられたのは偶然だった。まだエイジが本部に派兵に出て居た頃に何度か教導で扱った事がある青年。当時の面影は未だ残っているからなのか、屈託のない笑顔は当時と変わっていなかった。

 

 

「実は護衛の関係でここに来たんです。元々志願制だったんで真っ先に手を挙げました。時間があれば、またお願いします」

 

「そうだね。こっちも今の所は融通が利くから、その時は連絡するよ」

 

「はい。お願いします」

 

「おい!いつまでこんな所でサボってるんだ。さっさと行くぞ」

 

「は、はい。分かりました」

 

「あんたが如月エイジか。俺の方が階級は上なんだ。何かあるなら先に俺に話を通してくれ」

 

「そう。で、君は誰なんだい?」

 

「どうせ短い期間なんだ。態々名前なんて言うまでもないだろ」

 

 エイジとの会話は不意に途切れていた。青年の背後には20台後半の男性の姿が見える。

 階級が下だからなのか、それとも何かあるのかは分からない。慌てて向かうその姿にエイジは少しだけ疑問を持ちながらも、自分のやるべき事の為にその考えは直ぐに追いやっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何なんだよあいつは!」

 

「何かあった?」

 

「実はさ、さっきミッションに行ったんだよ。で、例の護衛の一人とさ……」

 

 ラウンジでは珍しくコウタが何時も以上に疲れ切った表情で項垂れていた。

 エイジの記憶の中では護衛の人間もミッションに組み込まれる事は記憶にあったが、肝心の内容に関してはまだクレイドルには来ないからなのか、何も聞かされていないままだった。

 ただでさえ第1部隊はエリナとエミールの扱いで気苦労が多いが、それは何時もの事のはず。にも拘わらず、目の間に座るコウタの姿はどこか哀愁が漂っていた。

 そんなエイジの視線を感じたからなのか、コウタは愚痴を零すかの様にエイジに先程までの内容を話していた。

 

 話の内容の大半は、アラガミの動きに対する慢心からくる部隊運営だった。

 どこの支部の人間であっても最初はそんな性質なのかを知らないからなのか、割と素直に動く事が多い。極東は他の支部とは違い、アラガミの強度やその行動すらも他とは一線を引いているのが全ての要因だった。

 しかし、幾ら極東とは言え、全部が全部ではない。時折動きの鈍いアラガミが出てれば、そこは他の支部の対処方法と何も変わらない内容だった。

 偶然コウタ率いる部隊はそれが続いたからなのか、突如として一人が暴走。

 その結果、何時もであれば楽勝だと言えるレベルのミッションのはずが、気が付けば辛勝で終わっていた。

 本来であればデブリーフィングで再度内容を確認するが、当人は何を勘違いしたのか、そのまま何もせず去っていた。

 

 

「確かに褒められた内容では無いね。確か大尉なんだよね?」

 

「確かそう聞いてるな」

 

 そう言いながらコウタはエイジが差し出したコーラフロートを口にしていた。ミッション帰りだからなのか、何時もであれば甘すぎると思えるそれが心地良い。相当疲労が溜まっている証拠だった。

 

 

「多分、それが原因かもね。実力はともかく、見た目だけの階級は向こうの方が上なんだし」

 

「そんな事は理解してる。ただデカい口開くから、一回だけ運営を任せてみたんだよ。で、その結果が散々だったから、今後の事を考えると頭が痛くなりそうだよ」

 

「それも一つの経験だよ。これをクリアすれば、きっとエリナとエミールの事も寛大な目でみれるから」

 

「エイジは気楽で良いよな。まだ、俺やる事あるんだよな……」

 

 既に中身が無くなったのか、ストローからは空気を吸い上げる音だけが響く。恐らくはまだやる事があるからなのか、その背中には哀愁が漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「り、リディア先生!どうしてここに?」

 

「アリサじゃないの。綺麗になったわね」

 

 佐官級と来た一般人はアリサの友人の姉でもあったリディアだった。

 元々薬品の兼ね合いでここに来ていたからなのか、アリサがその姿を捉えたのは偶然だった。

 元々家族ぐるみの付き合いもあったが、あの事件以降は連絡する事無く今に至っている。

 当初は警戒したものの、従来の性格がそうさせたからなのか、アリサだけでなく、リディアもまた喜びのあまり抱き合っていた。

 

 

「はい。私も、もう結婚もしましたので」

 

「確か、相手って如月エイジさんだったわよね」

 

「そうですけど、どうして知ってるんですか?」

 

「以前に写真に載ってたじゃない。それを見てそう思ったのよ」

 

「あ、あれはですね……」

 

 何かを思い出したのか、アリサの顔は一気に赤くなっていく。羞恥なのか照れなのか、本人以外には分からない。だからなのか、話は中々進まなかった。

 

 

「良かったら時間があればお話ししない?お互いに積もる話もあるだろうし」

 

「はい。時間は少し調整します!」

 

 久しぶりの邂逅にアリサの表情は明るくなる。その影響なのか、また足取りも軽やかだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「成程。ではこの装備での討伐は危険だと?」

 

「危険かどうかは各自の判断に任せるが、少なくとも俺の立場で言わせてもらうと、これで挑むのは正気の沙汰出は無いだろうな。少なくとも2段階……いや3段階は上に振る必要があるだろうな」

 

 護衛の中で一番の年長者だったのか、その男性が最初に向かったのは整備室。

 元々ここに来るまでは一線級のアラガミが自分達の基準だった。しかし、一度戦場に出た事によっての価値観は一気に崩れ去る。ここが世界の最前線であり続ける意味が漸く理解でいていた。

 

 

「しかし、我々には素材が……」

 

「それなら、今回の素材に見合うけのミッションを発注するよ。実際のランクにあった方が良いだろうしね」

 

「それは済まない」

 

「それに、いきなり同レベルのミッションだと危険だから」

 

 リッカの言葉に男は頷く以外に何も出来なかった。

 既にここが極東である以上、火力の底上げは必須となる。ましてや整備士の言葉を蔑ろにするつもりが微塵も無いからなのか、3人の護衛の中でも一番の年長者は行動の一つ一つに意味を持っている様だった。

 元々ゴッドイーターの職歴が長い人間はそう多く無い。殆どが捕喰され未来を失う事が多いからなのか、年齢に関係無く階級やスコアが上の人間の方が偉いと言う風潮が徐々に出来始めていた。

 結果が全て。そう言われればそれに反論するだけの材料は一切ない。だからなのか、その落ち着いた性格をナオヤは珍しいとさえ考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒバリちゃん。現地に到着した。周囲の状況を教えて欲しい」

 

《現在の所、周囲に気になるアラガミの姿は目標以外には見当たりません。ですが、少しだけオラクル反応が渦巻いている部分がありますので注意して下さい》

 

 コウタの耳朶にヒバリのからの情報が逐一伝えられている。

 今回の対象アラガミはボルグ・カムラン1体。本来であれば然程気になるレベルでは無かったが、素材の回収を優先した為に何時もよりは少しだけミッションの難易度は低めだった。

 しかし、お客さんをそのままする訳にもいかず、変則的にコウタとマルグリトを中心に本部からきた2人の4人体制でのミッションとなっていた。

 嘆きの平原は見通しが良い場所。コウタ達の目にも既にボルグ・カムランを捕捉していた。

 

 

「了解。万が一の際には知らせてほしい」

 

《了解しました。こちらで確認後、直ぐに報告しますので》

 

「って事で、これからなんだけど……」

 

 ヒバリとの通信が切れると同時にコウタは後ろに振り返る。既に一人が戦場に降り立ったからなのか、マルグリットともう一人だけがそこに立っていた。

 

 

「コウタ……もう行っちゃったよ」

 

「……そう」

 

「本当に済まない。ちょっと戦果に走る所があるからと忠告したんだが」

 

「いえ。それも含めて部隊長ですから」

 

 最初からのこれにコウタだけでなく、マルグリットもまた呆れるしか出来なかった。

 

 

 



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第83話 新たな火種

 極東支部はその置かれた立場によって考え方や、捉え方は随分と事なるケースが多かった。

 曰く、技術の塊であり、曰くアラガミの動物園であり、曰く技量を持たない物には優しく無い。

 最初からここしか知らない人間からすれば、恐らくは感じる事は無いはずの感情。しかし、これが外部から来ればその限りでは無かった。

 アラガミの動物園と揶揄されるのは決して極東支部を下に見ている訳では無い。純粋に自分の技量を嫌が応にも理解させられる。そんな環境が揃っている事に大きな問題があった。

 

 

「無理するな!」

 

「お前らの指図は受けん!」

 

 ボルグ・カムランはサソリに近い形状をしているが故に、自身の尾を使った攻撃は想像以上に広範囲にわたって攻撃する事が可能となっていた。

 丸太よりも太く、鞭の様な柔軟性を持って、それなりの距離であれば吹き飛ばすかの様な一撃は余程動きを見きわけるか、遠距離からの攻撃で絶対に届かない場所かの攻撃をするのがセオリーだった。

 事実、しなりを持った尾は躯体の回転よりも僅かに時間差が生じるからなのか、胴体だけを見れば確実に直撃する。これは極東だけでなく、他の地域全てでも同じ事が言える内容だった。

 うなりを上げたアラガミの一撃。実際にまともに止める事が出来る人間は誰一人居なかった。

 

 

「ぐぁああああああ!」

 

「マルグリット、フォロー頼む!」

 

「分かった!」

 

 コウタは吹き飛ばされた方向を見る事無くモウスィブロウの銃口をボルグ・カムランへと向け、素早く連射する。

 本来であれば吹き飛ばされた人間のフォローをするのが筋かもしれない。しかし、今のコウタにとって、吹き飛ばされた人間を気遣う暇は既に無くなっていた。

 元々今回のミッションに関しては事前に今の基準となるであろう強度のアラガミを指定したはずだったが、ミッション前に実際に見た瞬間違和感だけが先に感じられていた。

 

 元々アラガミは見た目で変化する様な事は余程の事が無い限りあり得ない。事実コウタだけでなく、マルグリットもまた同じ様な事を考えていた。

 極東由来の変異種。通常のレベルの数段上となる種はこれまでにも何度か討伐された記憶はあったが、だからと言っておいそれと目に留まる様な個体では無かった。

 見た目がだけが同じで、中身は全くの別物。だからななのか、これまでに遭遇しての生存率は然程高い物では無かった。

 これまでに生存が確認されたのはクレイドルやブラッド程度。防衛班に関しても討伐するよりも時間を稼ぐ事を優先して救助を求めるのが一般的だった。

 

 単純な攻撃力も去る事ながら、その気性はどこか狡猾なイメージを持っている。事実上の部隊長権限でしか確認出来ないからなのか、何も知らずに窮地に陥った男は既に意識を飛ばしていた。

 無数のバレットがボルグカムランの盾の部分に着弾する。これがまだ高火力の神機とバレットであれば対処出来たのかもしれない。しかし、コウタの使う神機では火力の面では完全に劣っていた。

 数える事すら放棄したくなる程のマズルフラッシュ。まるで小雨が当たる程度の威力だからなのか、全ての着弾がボルグ・カムランの盾によって阻まれていた。

 

 

 

 

 

「早くこっちに!」

 

 マルグリットは素早く飛ばされた地点へと向かっていた。これまでの行動パターンから想像出来るのは、このアラガミは通常種や堕天種ではなく変異種。確実にアナグラが観測した強度以上のアラガミ故に、このまま放置しておけば被害が広がるのは当然だと判断した結果だった。

 既に意識を失っているからなのか、男は動く気配すらない。だからといってこのまま神機ごと捕喰させる訳には行かなかった。

 

 

「何してるのよ!早く動いて!」

 

 マルグリットの言葉に漸く目が覚めたのか、男は意識を取り戻していた。元々意気込んでいったにも拘わらず、まるで最初から眼中にすら無いと言わんばかりに飛ばされたからなのか、男は未だ呆然自失だった。

 既に動けない程のダメージを受けたからなのか、今目に飛び込んでくるのはコウタが一定の距離をとりながらこちらに来ない様に誘導している動き。自身の事を顧みない行動を見てもまるで反応を拒否するかの様に動く事は無かった。

 

 

「もう動けるわよね?」

 

「あ、ああ……」

 

 これ以上この場に留まるのは危険だと判断したからなのか、マルグリットは改めて回復錠を男に渡すと直ぐにコウタの下へと駈け出している。まるで映画でも見ているかの様な光景は、今がフィクションの様にも思えていた。

 

 

 

 

 

「ヒバリちゃん。多分、これは変異種だ。直ぐに救援部隊を出してくれ。このままだとヤバイ」

 

《了解しました。そこかから近いのはブラッド隊です。既に移動を開始していますので、あと5分だけ待ってください》

 

 こちらにおびき寄せる事に成功したまでは良かったが、問題なのはその後だった。

 既に数える事すら止めている程の銃弾を浴びせても、こちらに迫り来るボルグカムランは怯む様子はどこにも無かった。幾ら遠距離型だからと準備を万全にしても、いつかはオラクルが底を着く。そうなればコウタは逃げ回るしかなかった。

 遠目に見ながらマルグリットが何かをしている。目の端に捉えたその光景も直ぐに消え去っていた。獣と変わらない威嚇音は巨大な槍の様な尾の先端を幾度となく地面に向って突き刺していく。

 既に間合を見切ったからなのか、コウタも直撃だけは避けた物の、このままでは確実に捉えられる事だけは間違い無かった。

 尾の先端を突き刺しながらボルグ・カムランは狡猾にその間合を詰めていく。コウタが気が付いた時には既に回転すれば届く間合だった。感情が無いはずのアラガミがニヤリと笑った様に感じる。その瞬間、太い尾は大きな音を立てながら鞭の様にしなり作ってコウタへと襲いかかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちら北斗。了解した直ぐに向かう」

 

「北斗、どうかした?」

 

 ヒバリからの通信が切れると同時に、北斗は改めて周囲を確認していた。元々今回のミッションでは然程気になる様な部分がなかったからなのか、周囲を一瞥するも異変は見当たらない。

 そんな行動を確認したからなのか、ナナは先程の通信の事を思い出していた。

 

 

「コウタさんの部隊がボルグ・カムランの変異種と遭遇したらしい。コウタさん達は問題ないんだが、ゲストの一人が負傷したのか動かないそうだ」

 

「変異種……厳しそうだね」

 

「だとすれば、直ぐに動くしか無さそうだな」

 

 ナナだけでなく、ギルもまた手に持っていた神機の柄を握り直す。クレイドルとは違い、ブラッドはそこまで変異種との戦いは多く無い。しかし、今の負傷者が出た部隊であれば、それが誰であろうと直ぐに行動する必要があった。

 一刻を争う戦いに躊躇する暇は無い。視界に映るヘリの先の戦場を見据えたからなのか、北斗だけでなく、ナナやギルの視線も強い物へと変化していた。

 

 

 

 

 

「マルグリット。ブラッドがこっちに向ってる。信号弾を上げてくれ!」

 

「了解!」

 

 コウタの指示にマルグリットはすぐさま信号弾を打ち上げていた。幾ら意識が戻ったとは言え、あの状態のままで再び襲撃すれば確実に命は消し飛ぶ。

 完全に戦意を失っている状態であれば命の保証はどこにも無い。既に距離は稼いではいるものの、安心できる距離ではなかった。

 雄叫びをあげるそれは、まるでこれからの未来を示すかの様に咆哮する。まさにその時だった。

 

 1発の銃弾が盾を捉えた瞬間、幾つもの小爆発を起こす。元から破壊に特化したバレットだったのか、今までビクともしなかった躯体が初めて揺らいでいた。

 大きな隙を逃す程ブラッドだけでなく、コウタ達もまた甘くは無い。先程までの守勢から一転、一気に好転していた。

 ヘリの上空から重力の恩恵を受けながら北斗が構える純白の刃はそのままボルグ・カムランの胴体の部分を一気に突き刺す。刃本来の鋭さは、いかに堅牢な躯体でさえも紙の様に斬り裂いていた。

 衝撃を受けた事によってこれまで一度も沈んだ事が無かった躯体が地面に叩き付けられる。事実上のダウンに対し、マルグリットの刃は尾の先端を斬り裂いていた。

 唸りを挙げる刃は本人の意思を示すのか、そのまま斬り裂き結合崩壊を引き起こす。返す刃はさらに尾全体を更に斬り裂いていた。

 

 

「うりゃあああああ!」

 

 上空からの襲撃は北斗だけではない。ナナとギルもまた同じく降下しながらもその視線はボルグ・カムランに向いたままだった。

 落下エネルギーをそのまま衝撃に変換する。追撃したからなのか、ボルグ・カムランはそのまま悲鳴を上げていた。

 

 

「コウタ!」

 

「応!」

 

 追撃を受けながらもマルグリットは手を止める事はしなかった。大きく口を開けた咢はそのまま尾の根元部分に食らいつく。全身を駆け巡る力をそのままにコウタぬ向けてリンクバーストを三度放っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁあんた。ここは本部じゃない。本当の事を言えば階級なんて物は何の役にも立たない事位理解してるだろ?」

 

 コウタのアラガミバレットが事実上の止めとなっていた。

 銃砲に似合わない巨大なバレットがボルグ・カムランに向けて放たれる。巨大なエネルギーはそのまま消滅する事無く直撃した瞬間、電池が切れた玩具の様にそのまま倒れていた。

 既にコアが抜かれた事でゆっくりと霧散している。周囲にアラガミの反応が感じられなかったからなのか、誰もが暴走した男に視線を向けていた。

 

 

「お前らだって元は本部付の特殊部隊じゃなぇか。どうして極東の連中の肩を持つんだ」

 

「あのさ、その前にお礼も言えないの?助けてもらったんだからそれ位はしないと恥ずかしいよ」

 

「誰も助けてくれなんて言ってない。お前らが勝手に行動しただけだろうが。たかが第1世代の神機しか使えないのに部隊長なんてそれこそ嘗めてる証拠だろ!」

 

「あんた何言ってるのか、理解してるのか!」

 

「良いって。一々気にしなくてもさ。それと、これだけは言っておくけど、俺が部隊長だからって偉いとか強いなんて考えた事は一度も無い。それに自分の事を弁える事も出来ないにも拘わらず、生き残れた事を感謝した方が良い。そんな事すら望んでも出来ない人もいるから」

 

 コウタ達の会話を来る途中で聞かされたからなのか、北斗だけでなくナナやギルの視線も冷たい物だった。命とプライド。本来であれば比べる事すら間違っているにも関わらず、今もなお悪態をついている。

 何がどうなっているのかを理解出来ないからなのか、その態度を見て誰もがそれ以上の事を言う事は無かった。

 コウタの言葉だけがやけに冷たく響く。本来であれば戦闘の後は熱くなっている事が多いが、今日に限っては空気は冷え切ったままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは大変申し訳なかった」

 

「我々としては被害が無ければ良しとするしかないですから」

 

 コウタ達の1件は直ぐに榊の下にも届いていた。

 独断専行によって討伐していれば良かったが、そのまま部隊を聞きに陥れた結果は視察に来た人間が榊に頭を下げる結果となっていた。

 元々今回の視察の最大の要点は極東支部で使用している消耗品の製造レシピの確認だった。

 元々本部としての極東由来の技術は既に確認しているが、それでも戦場の最前線で使用しているレシピまでは公開していない。厳しい局面でも何とか脱出できるのであれば、些細なプライドなど無に等しい。そんな中での不祥事は視察に来た人間の顔を青くするには十分過ぎていた。

 

 

「しかし、ああまで歪んだ精神を持っているにも拘わらず、よく護衛の任に付けたな。今回は佐官だけでなく、一般人も居るはずだが。余程、情報管理局の統制が執れない程上から依頼が来たのか?」

 

「そう言う訳では……」

 

 アナグラに珍しく顔を出していたからなのか、佐官の人間に質問したのは榊ではなく無明だった。

 情報管理局の言葉に誰もが想像を働かせる。螺旋の樹の騒動以降、極東支部としては本部の動向を感知している訳では無い。精々が近況を風の便り程度に聞くだけだった。

 既にあれからそれなりに時間が経過している。だからなのか、無明の言葉に誰もが口を挟む事は無かった。

 

 

「すまないが、今回の件で彼の処遇に関しては拘束させてもらうよ。本部に対しても形式上は抗議文を送る必要があるからね」

 

「重ね重ね申し訳ない」

 

 榊の言葉だけが支部長室に響き渡る。既に目的を果たすまで拘束が決定されたからなのか、部屋の空気は重苦しい物へと変化していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へ~そんな事になってんだ」

 

「でも、少し変だよね。護衛に来るだけならまだしも、ああまで歪んだ人間を派遣させるって事は余程の事なんだけどね」

 

 ラウンジでは何時もの光景とばかりにコウタがカウンターの席で食事をしながら事の顛末を確認していた。

 元々コウタは当事者でもあり、直接の関わりがある。本来であればコウタも何かしら事情聴取をされるのだが、今回の件に関してはお咎めが無い為にそのままだった。

 だからと言って何もしなくて良い訳ではない。今回の件に関する内容と変異種に関するレポートは直ぐに要求される。

 その結果、ミッション以上の疲労感にコウタは休憩がてらに顔を出していた。

 

 

「確かに言われればそうだけど。でもさ、そんなに第1世代型って珍しいのか?」

 

「珍しいと言うよりも、今は新規では開発もしないし、発掘もしてないんだよ。だからじゃないかな」

 

「そんなもんかね。俺からすればアラガミと戦うための手段は何でも良いと思うんだけど」

 

「案外と理解されてないんだよ。実際に大型種だってそんなに出る事も無いし、仮に出れば小隊は愚か中隊まで派兵するから」

 

 エイジの言葉にコウタは少しだけ口の端が引き攣っていた。

 元々大型種が脅威なのは今に始まった話ではない。確かにヴァジュラを単独で討伐出来れば一人前とは言うものの、実際には動き回るアラガミを効率よく攻撃する為の戦術を作る事によって、常に注視したまま行動を起こす。

 かなり神経をすり減らし、自身の安全を確保しながら戦うからが独り歩きした様な部分が多分にあった。

 余程の緊急事態で無い限り、一部の人間以外に依頼される事は無い。それが極東支部としての考えであった。

 だからこそ、万能な第2世代型神機が重宝される理由だった。遠近両用の戦術は自身の生還率を大幅に高める。だからこそ、フェンリルとしても第2世代型を優先させていた。

 

 

「なるほどね。でも出来る事なら単独は勘弁してほしいよ」

 

「確かに」

 

 討伐出来る実力があるのと対峙するのは意味が異なっていた。

 短時間で早く討伐出来れば精神的にも肉体的にも余裕が出来るだけでなく、周囲の様子すら確認できる。決して手を抜いている訳では無く、如何に安全に始末するのかを優先した結果だった。

 エイジだけでなく、コウタもまた状況によっては単独での討伐経験は何度もある。だからこそ命の儚さと大切さを身に染みて理解していた。

 そんな中で自分本位で動いた人間に同情するつもりは毛頭ない。今回の件は確実に処分の対象となるのは間違い無かった。

 

 

「そう言えば、アリサは?確か一般の人と話す予定だって聞いてたんだけど」

 

「ああ、それならアリサの知己の人だったみたい。今は屋敷にいるはずだよ」

 

「それでか……」

 

 コウタが言う様に、今回の来訪者は総勢5名。既に一人が拘束されているが、他の2人に変な様子は見られなかった。

 元々エイジが教導していたからなのか、素直にミッションへと赴いている。何も起こらなければそれで良いだろう。コウタだけでく、エイジもまた同じ事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサがまさかこんな事まで出来るとはね」

 

「そんな。私なんてまだまだですよ」

 

 まだ井草の香りがする和室では着物姿のアリサと今回の目的で来ていたリディアが茶器を挟んで和やかにしていた。

 元々極東の発表している物は隠す事は最初から考えていないからなのか、他の支部でも情報を共有する事は多々あった。

 しかし、それはあくまでも基本の話。イレギュラーな状況下でも活かしきれるかと言われれば疑問だけが残っていた。

 既に危機的な状況では助からない事の方が圧倒的に多い。そんな中でも何とか回避出来る手段があればとの気持ちで極東入りしていた。もちろん、アリサがここに所属している事も知っている。

 一時期の様な様子が既に無い事は広報誌に載った事で確認済み。だからなのか、今回の目的の一つにアリサに会う事も密かに計画していた。

 そんな事もあって、リディアはアリサと久しぶりに邂逅を果たす。今のアリサはリディアの目からみても十分に魅力ある女性だった。

 

 

「着物も似合ってるし、私の知っているアリサじゃないみたい」

 

「買い被りし過ぎですよ。ここでは私は下から数えた方が早いですから。それよりも目的は果たせたんですか?」

 

「ええ。まさかアリサが紫藤博士の知り合いだなんて思わなかったから、助かったわ」

 

 アリサの言葉にリディアもまたここに来た当初の事を思い出していた。

 紫藤の名前は知っているが、その人と成りは案外と知られていない事が多かった。

 元々研究者は人付き合いを重視する事は無い。本来であればリディアの要望はおおよそ科学者らしからぬ目的。その為にどうすれば良いのかを思案していた最中だった。

 久しぶりにあった妹分の存在に、リディアの懸念事項は瞬く間に解消される。まさかこれほどの繋がりがあるとは思わなかったからなのか、その後の話は一気に進んでいた。

 

 

「力になれて良かったです」

 

 そう言いながらアリサは自分で点てたお茶をのみ、ゆっくりと過ごす。元々計画していた訳では無かったからなのか、その後の時間は穏やかに流れていた。

 

 

 

 

 

「波乱はあったけど、結果的には問題無く終える事ができたみたいだね」

 

「恐らくは今回の件、本部はそのまま秘匿するでしょうね」

 

 来訪の目的は当初からスケジュールが決められていたからなのか、それ以外のトラブルは何も無く終了していた。

 しかし、問題は解決した訳ではなかった。事実上の更迭になるであろうゴッドイーターがああまで歪むには内部で何らかの問題を孕んでいる可能性が高いのは明白だった。本来であれば対岸の火事とするが、事の発生場所は本部。

 去りゆくヘリを眺めながら榊と無明は今後の事を考えていた。

 

 

 



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第84話 初めての経験

 派手な土煙を上げながら1台の車は背後から追われているからなのか、これ以上は出ないと思える程にエンジンが唸りを上げる。既に限界近くまで回転しているからなのか、全速と言って良い程の速度で走っていた。

 元々予定していたはずのルートから外れたのは些細な偶然が重なった結果。単純に運が悪かったからなのか、車を運転している男はバックミラーに映るオウガテイルを忌々しい目で睨みながらハンドルを握っていた。

 

 

「クソッたれが。ツイてねぇな」

 

「そんな事より救援要請は出したのかよ!」

 

「もうとっくの間に出してる!」

 

「その豆鉄砲で何とか出来ないのか」

 

「うるせぇ!とっくの間にやってるさ」

 

 運転した男に悪態を突きながらも、せめてもの抵抗とばかりに手に持っていた拳銃を背後に向けて発砲していた。

 既にオラクル細胞が進化する事によって生まれたアラガミはこの地上を闊歩する様になってからは、人間の作り出した兵器は瞬く間に無意味な物へと成り下がっている。今撃った拳銃も本来であれば大きなダメージを与える事が可能な程の口径だったが、残念な事に車に迫るオウガテイルにとっては小石が当たった程度でしかなかった。

 舗装された道路ならば速力で振り切る事に可能だが、生憎と未舗装だからなのか、床に叩きつける様にアクセルを踏み込んでも、タイヤが僅かに空回りす程度だからなのか、僅かに空転する音だけが耳朶に届くだけ。メーターは既に限界まで振り切っている。

 それでも尚ゆっくりと距離を詰めるオウガテイルを前に誰もが死を感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 

「目標を発見しました。距離は目視で2キロ。既にオウガテイルの視界に完全に入り切ってる様です」

 

《救援要請はその車から出ている様です。車載された荷物は重要な物ですから、確実に排除して下さい》

 

「了解しました。直ちに開始します」

 

 無線から届く声に、女性もまた同意したからなのか、自身の神機を銃形態へと変形させていた。既に目視している限りでは遮蔽物は存在しない。ヘリからの狙撃を確実にすべく、女性は改めてヘリの中から狙撃しやすい場所へと移動していた。

 

 

「目標を捕捉しました」

 

 女性の視線の先にはオウガテイルが涎をたらしながら疾走している姿があった。

 元々気になる様な事は何一つ無い。何時もと変わらない光景に女性は何も思う事無く狙いを付ける。

 僅かに揺れる台座を計算したからなのか、僅かに細まった目に映ったのは狙撃された事によって大きくよろめいたオウガテイルだった。

 発砲音と同時に頭蓋を突き抜けたからなのか、よろめいたオウガテイルはそのままゆっくりと横たわる。事切れたからなのか、車は暫くして停止していた。

 

 

「目標物の停止を確認しました」

 

《こちらでも生命反応の消失を確認しました。周辺にアラガミの気配はありません。そのまま対象者の保護と同時にアラガミの始末をお願いします》

 

 事切れたアラガミは大型種や中型種であればコアを抜き取るか、そのまま放置すれば勝手に霧散していく。しかし小型種の場合、コアの取り出しが事実上不可能であるからなのか、中型種以上に霧散する速度は早かった。

 既に事切れたアラガミは時間が来たからなのかその姿が徐々に失われつつある。霧散するのは時間の問題でしかなかった。

 

 

 

 

 

「助かった。あんた達、ひょっとしてブラッドか?」

 

「はい。極東支部ブラッド隊所属のシエル・アランソンです」

 

「そうか。俺達は今回の運搬を任された物だ。お蔭で助かった」

 

「いえ、任務でしたので。お気になさらなくても大丈夫です」

 

 既に安全性を確認していたからなのか、先程まで追われていた男達はどこか安堵の表情を浮かべていた。

 この時代、護衛無しでの長距離移動は本当の意味で命がけだった。重要なポジションに就いている人間であれば護衛は必ず就くが、これが一般的な物を運搬する場合はその限りでは無い。

 事実、今回の件もアラガミの動きを十分に探知した後に護衛無しで移動している。

 本来であれば内規に背くやり方は得策ではない。だからなのか、男達もまた命が助かった事実は他の何にも変えようのない最高の結果だった。

 

 

「いや。折角なんだ。外需居住区についたら一杯奢らせてくれ。これでも稼ぎはあんた達程じゃないにせよ、それなりに稼いでるんだ。折角なんだし、少しは俺達の感謝のしるしを受け取ってくれると助かる」

 

「ですが、私はただ任務をこなしただけですので」

 

「若いうちからそんな事言ってるのはどうかと思うぞ。じゃあ、荷物だけ運んでさよならは味気ないだろ。それと、今日の就業時間ももう終わりだ。このメンバーで繰り出すか」

 

 既にシエルの要望が届く事はなかった。元々計画されていたからなのか男達はそのままシエルを連れてどこかへと向かっていく。このままでは何かと困る事になる。そう感じた瞬間だった。

 シエルの付けていた通信機から弥生の声が響いていた。

 

 

《手続きの事なら心配しなくても良いわよ。フランちゃんに伝えておくから》

 

「ですが、今回の任務はこれが目的では無かったはずですが」

 

《その件なら急ぎでも無いから安心して》

 

「ですが……」

 

《その人達なら大丈夫よ。絶対に襲われる事は無いから安心して》

 

「そんなつもりで言った訳では………」

 

 既に弥生の言葉で退路は完全に断たれていた。

 シエル自身、こんな状況下に会う事はこれまでに一度も無かった。自分がやったのはただ忠実に任務をこなしただけの話。にも拘わらず、こうまで感謝される事はこれまでに一度も無かった。

 気が付けば断っているはずの内容が、何時の間にか行く事になっている。あまりの強引さにシエルは呆然としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って事があったんです」

 

「あ、その人達なら私も知ってるよ。結構良い人だよね。私の時も色々と奢ってもらったんだ。それに結構美味しい店知ってるんだよ」

 

 当時の事を思い出したからなのか、シエルの話にナナも当時の事を思い出していた。

 運搬を専門とする為に、基本的にはアラガミの対処方法を良く知っている。本来であれば護衛を付けるのは当然ではあるが、付ければ今度は移動時間が大幅に遅れていく。その結果、迅速に運ぶ事になれば必然的に声が掛かり易かった。

 事実、シエルもその存在は理解していたが、実際に会った事は一度も無い。あの当時も結果的には結構飲まされた記憶だけが残されていた。

 

 

「確かにあの人達なら当然だな。ああ見えて運搬に関してはかなりのプロだ。下手に他に任せると時間がかかるからって単独で動く事が多いらしい」

 

「北斗も知ってたんですか?」

 

「知ってるも何も、有名な人達だからな。人付き合いも良いから現場は皆知ってるはずだぞ」

 

 北斗の言葉にシエルも当時の事を思い出してた。未成年にアルコールが出る様な事は無かったが、それでも気の良い人間像はシエルにとっても少しだけ安心する材料があった。

 元々色々なサテライトにも顔を出しているからなのか、話題も富にある。他人との接触はあまり得意ではないシエルも、今回の件に関しては少しだけリラックスしている記憶が思い出されていた様だった。

 

 

「そうでしたか。私はその辺りの情報には疎いので、何も知りませんでしたので」

 

「シエル。少しは酒席とは言わないが、そんな雰囲気も知っているのは悪く無いと思うが」

 

「そうでしょうか?」

 

「そうだよ。実際にここだって普段の食事には利用しているけど、バータイムの時って殆ど使わないよね。だったら少し経験したらどうかな?」

 

 シエルの言葉にリヴィだけでなくナナもまた同じ事を考えていたからなのか、バータイムの事を口にしていた。

 元々カウンターにはムツミがいるが、やはり年齢とスケジュールの都合上、入れない時にはバータイムとしての営業をする事が多々あった。

 事実、薄暗くなった室内のはかなり親密な空気が漂っている。暗い室内ではお互いの顔が近づかないと見えない位のキャンドルの明かりだけが照明の代わりだった。

 もちろん、カウンター内にはピンポイントの照明も備え付けられている。あくまでの作業をする為に用意されているだけの代物だった。

 

 

「ですが、バータイムに未成年の私達が入るのは些か敷居が高い様にも思えますが」

 

「でも、アリサさん達も偶に利用してるみたいだよ」

 

 ナナの言葉にシエルは改めて思い出していた。元々バータイムでカウンターの中に入るのは弥生かエイジ。アリサからすれば身内が入っているから気後れする事は無いとさえ考えている。

 しかし、シエルにとってはやはり抵抗感が強い。だからなのか、ナナの提案に二の足を踏んでいた。

 

 

「一人でダメなら全員で行けば良いだけじゃないのか?だったら俺も一緒に行くぞ。その方が気楽だろ」

 

「ほらほら。ギルだってそう言ってくれてるんだし、一回位は皆で行こうよ」

 

「俺もバータイムのラウンジってあんまり経験が無いんだよな。俺も行きたいんだけど」

 

「ロミオ先輩も行くの?」

 

「何でそこで俺だけ省かれるんだよ。特に気にする要素はどこにも無いだろ!」

 

 何時ものじゃれ合いにシエルも少しだけ笑みが浮かんでいた。

 シエルとて決して嫌だと言う認識は無い。しかし、薄暗い部屋のイメージがどうしても自分にはそぐわないと判断した結果にしか過ぎなかった。

 気が付けば既に行く段取りが決められている。少なくとも、今の居るメンバーで行くのは決定事項だった。

 

 

 

 

 

「へ~中々面白い趣向だね。特にバータイムだからって誰にでもアルコールを提供する訳じゃないから問題無いと思うよ」

 

「因みに次回は何時なんですか?」

 

「スケジュールだと明日だね」

 

「分かりました」

 

 毎日開催する訳では無いからなのか、ナナは手っ取り早くエイジに確認していた。

 元々明日は弥生はカウンターの中でやる事は事前に決まっている。既に夏休みに入ってからはムツミも入りっぱなしだった為に、ここで休みを与える目的があった。

 事前に聞かされている為にエイジも既に知っている。だからなのか、ナナの提案に自分達も似たような事をやっていた事を思い出していた。

 

 

「それと、基本的には騒がない様にしないと弥生さんから注意を受けるから静かにね」

 

「は~い。了解しました」

 

 既に意識は明日へと向かっているからのか、ナナは機嫌よく返事をしていた。

 元々バータイムは数少ない年長者向けの施設として利用する事が殆どだった。もちろん、未成年との線引きは確実にされている。だからなのか、バータイムが開催されている間は案外と人の数は少なかった。

 時折アリサの姿を見かけるも、基本はエイジがカウンターにいる時しか顔を出さない。

 リッカはヒバリに誘われない限り、利用する事は稀だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「少しは見た事はあったけど、改めて見ると何時ものイメージとは全然違ってるね」

 

「そうですね。どちらかと言えば静寂のイメージでしょうか」

 

「そうか。あまり来ないならそう感じるかもな。何でも慣れればまた感じ方が違うさ」

 

 事実上のギルの引率にナナだけでなくシエルとリヴィ、ロミオもまた姿を表していた。北斗とジュリウスはまだミッションに出ているからなのか、姿は見えない。薄暗い室内の空間はどこか何時も見る場所とは違って見えていた。

 

 

「あら?今晩はギルが引率かしら」

 

「引率って程じゃないですけど、まぁ、似たような物です」

 

「じゃあ、サービスしないとね」

 

 弥生の蠱惑の笑みにギルも少しだけ笑みをこぼし返事をしていた。

 元々バータイムでは凝った食事を提供するケースはそう多く無い。事実、弥生が入っているバータイムとエイジが入っているバータイムでは趣向がそれぞれ異なっていた。

 弥生の場合は本格的なカクテルを代表とした明らかに呑む方を優先するスタイルだが、エイジの場合はその雰囲気を壊さない程度の軽食もその場で作っていた。

 勿論、派手な調理をする事は無い。事前に用意された物をアレンジしたメニューが殆どだった。今日は弥生の番だからなのか、置かれている飲み物の種類は何時もとは違う。

 既に秘書の時とは違った白いシャツとベストが全てを物語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 氷が微かに砕ける音がリズミカルに鳴ると同時に、これまではそれぞれが単なるリキュールだったものがシェイカーの中で混ざり、カクテルへと変化していく。既に冷たくなったそれは、そのまま抜栓と同時にグラスへと注がれていた。

 

 

「何だか弥生さんカッコイイね。こう……シャカシャカと振る姿がまた」

 

「案外と難しいのよ、これ」

 

 ナナの言葉に弥生だけでなくシエルもまた同じ様に見惚れていた。

 女性に対し、中々無いが、やはりその姿は自分達が知っている普段とは違い、イメージを持っているからなのか、まるで別人の様だった。

 作られたカクテルはそのままロングタイプのグラスへと入れられ、ギルの前に出される。

 ナナとシエル。リヴィは未成年の為に、用意された物はノンアルコールのカクテルだった。

 

 

「貴女達はこれね」

 

 音を立てると同時に3人の前にはやはりギルと同じ様なロングタイプのグラスだけでなくショートタイプのグラスが置かれていた。

 元々アルコールが飲めない為に、自動的に出された物をそのまま口にする。キリッとした飲み口のそれは、最早一つの作品の様でもあった。

 

 

「何だか大人な雰囲気だよね」

 

「これは、普段から出さないんですか?」

 

「普段の営業では出さないわよ。これはあくまでもバータイムの時に出す物だしね。それにどんな物でも雰囲気は大事よ」

 

 薄暗い中で揺らめくろうそくの焔がグラスの内部を照らしていた。元々容器に入っているからなのか、その灯りも間接照明の代わりとなっている。気が付けばナナ達だけでなく、他のゴッドイーターもまた集まっていた。

 僅かに聞こえるオーダーを弥生は次々とこなしていく。ラウンジの中には最近になって入れられたジュークボックスからは、ゆったりとした音楽が流れていた。

 

 

「そう言えば、この前行ってた場所ってどこだったの?」

 

「私が行ったのは、こんな静かな雰囲気と言うよりも、もっと騒がしい様な感じでした。出てくる物も色々な料理が並んでいましたので」

 

 ナナの言葉にシエルは以前の状況を思い出していた。

 元々顔なじみの店だったからなのか、店員もどこか手慣れた雰囲気が漂っていた。

 元々任務の延長の様な物でしかない。シエルにとってはその程度の認識だった。

 しかし、実際に話をした事によってシエルもまた少しだけ考えさせられる物があった。

 元々ゴッドイーターと一般人の接点はそう多く無い。幾らFSDで触れ合う機会があったとしても、実際に話し込む様な場面は余り無い。だからなのか、その話の内容はシエルが知りえない事ばかりだった。

 

 アラガミとの対抗手段を持ち合わせないのであれば、対峙した瞬間逃げる以外に何も出来ない。実際にシエルがその場面に遭遇したのは今に始まった事では無かった。

 常に何か用心しなければ生き延びる事すら許されない。それがシエルの最大のイメージだった。

 それと同時に気が付いた事が一つ。どんな人にもそれぞれの物語があると言う点だった。

 自分の生き方に疑問を持つ事が無かったシエルからすれば、目的や目標がある生き方は酷く魅力的に見えていた。

 自分は本当にそんな風に生きる事が出来るだろうか。そんな取り止めの無い疑問が次々と脳裏に浮かぶ。これまでの様にアラガミを討伐する為だけに生きているのとは真逆の内容に、シエルは改めて感がる物があった。

 

 

「あ、ひょっとして居酒屋みたいな店じゃなかった?」

 

「居酒屋がどんな店なのかはわかりませんが、酒類の提供も割と有った様に思えます」

 

「常連みたいだったから多分、私が行ったのと同じ店だよ。結構ご飯も美味しいんだよね。……少し何か食べたくなってきちゃった」

 

 飲み物だけの提供では流石に空腹は満たされない。元々弥生の当番の際には事前に用意した物しかなかった。

 だからと言って簡単に済ませる物ではない。用意されたそれもまた、何時もとは違っているからなのか、幾つかのパンやパスタが用意されていた。

 

 

「ナナちゃんはこっちの方が良いわよね。沢山あるから遠慮しなくても良いのよ」

 

「ナナ。済まないが私にも少し貰えないだろうか……これは黒いが大丈夫なのか?」

 

 弥生の出したパスタは普段であれば出てくる事は割と少ないのか、幾分か濃いメニューだった。

 これまでに見た記憶があったのは精々が赤を基調としたパスタだが、出されたそれは黒が見事に乗っている。普段は見ないメニューだからなのか、ナナだけでなくリヴィもまたジッと見ていた。

 

 

「これはイカスミを使ってるのよ。今日の昼に届いたから仕込んでおいたのよ。結構珍しいのよこれ」

 

「これ、食べれるんですよね?」

 

「でなきゃ作らないわよ」

 

 弥生の言葉にナナだけなくリヴィとシエルもまたゆっくりと口にしていた。

 元々普段とは違ったメニューだからなのか、出てくる料理の一つ一つが何時もとは違っている。パスタ以外に出てきたブルスケッタもまた普段は口にする事は無い物だった。

 新鮮なトマトはバゲットの食感と甘みを引き出すのか、かけられたオリーブオイルのアクセントは普段は口にしない物。それだけじゃ足りないからと肉類のメニューも別に用意されている。

 

 

「これ初めて食べたかも」

 

 香草をふんだん使ったグリルの品は、やはりアルコールに合う料理なのか香辛料がしっかりと効いていた。何時もの雰囲気とは全く違うからなのか、ナナだけでなくシエルとリヴィもまたアダルトな雰囲気を味わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夜は確かに違うね。知っての通り、メニューも全く違うからね」

 

「え、そうなんですか?」

 

「バータイムはあくまでもアルコールをメインにしてるから、味付けや出す物も昼間や普段とは違うんだよ」

 

 エイジの答えにナナだけでなく、シエルも思わず驚いていた。

 確かに雰囲気は明らかに違うのは直ぐに気が付いたが、まさかそこまで完璧に違うとは思ってもいなかった。

 事実、食事をしていたのはナナ達だけでない。普段はラウンジに見かけない人が多かったのもまた印象的だった。

 年齢層が明らかに違うそれは、これまでに見知ったラウンジとは大きく異なっている。だからなのか、普段とは違った一面に少しだけ驚いていた。

 

 

「私も偶に顔は出しますが、やはり雰囲気は違いますからね」

 

「アリサさんでもそう思うんですか?」

 

「私の場合はカウンターにエイジが居ますから、それ程気にはしませんよ。やはり行くなら男女の方がムードは良いかもしれませんね。弥生さんも気を使ってくれますから」

 

 アリサの言葉に誰もが想像する。確かに仲が良い友人よりもムード満点の場所では男女の方が色々と良いのかもしれない。誰が何を想像したのかは分からないが、それぞれが頬を赤く染めていた。

 

 

「で、でも、私はまだそんな人は……」

 

「別に今すぐにって訳じゃないですから、大丈夫ですよ。それにまだシエルさんは未成年ですからアルコールの提供はされませんし」

 

 昼間のラウンジは明るさを基調としているからなのか、夜のイメージは全く無かった。

 用意されたパスタもトマトの赤を基調としたメニューが並んでいる。何気なく行ったものの、やはり自分達の持っているイメージは大きく変わっていた。

 

 

「でも、凄く良い経験になったよね」

 

「そうですね。機会があればまた行ってみたいですね」

 

「どこに行くんだ?」

 

「じ、実は……」

 

 背後から聞こえた北斗の声にシエルは思わず驚いたままだった。結果的にスケジュールが合わなかった為に、あの晩は北斗とジュリウスは参加していない。詳細は不明だからなのか、楽しく話していた内容が気になって声をかけたに過ぎなかった。

 僅かに赤くなりながらも自分が体験した事を説明する。普段とは違った一面に北斗もまた感心を示していた。

 

 

 



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第85話 束の間の休日

 支部長室には珍しい来客は、何時もとは違った光景が広がっていた。

 ここ最近の出入りした人間はクライドルやブラッドのメンバーが殆ど。しかし、今この場に居るのは普段であればアナグラにすら居るのかも怪しい人物だった。

 まだ暑い日が続くからなのか、出された緑茶は冷たさの中に特有の苦みが口の中を広がっていく。

 普段は口にしないからなのか、今回呼ばれた理由が未だに見えない。防衛班大隊長の大森タツミは榊の考えを理解するには至らなかった。

 

 

「それは有難い話ですが、そんな場所がありました?」

 

「厳密にはこれからになるんだよ。ただ、現地調査をしない事にはどうにも話が進まなくてね。折角だから君達防衛班のスケジュールを上手く活かしてみたらどうかと思ってね」

 

「まぁ、そうまで言われるのであれば一度確認はしてみます」

 

「そうかい。是非、良い結果を待っているよ」

 

 緑茶と一緒に出された水羊羹を食べながらタツミは改めて考えていた。榊からの提案は確かに魅力的な様にも思える。しかし、それと同時に違和感もまた同じくらいに感じていた。

 本来であれば新たな場所の選定は防衛班ではなくクレイドルがメインとなってやっているはず。にも拘わらず、防衛班に話が回る事自体、何かあったと言っている様な物だった。

 

 

「そうそう。回答に関してはスケジュールの兼ね合いもあるから、早めにお願いしたいと思ってるんだ。済まないが今週中に宜しく頼むよ」

 

「了解しました」

 

 既に言いたい事を言い終えたからなのか、榊だけでなく弥生もまた書類の整理を始めていた。既にボールはこちらに投げられている。タツミもまた全員に連絡をすべく、支部長室を後にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほう。で、俺達にその話が回って来たって事か?」

 

「また随分と珍しいわね。でも、そんな場所がどこにあるのかしら?少なくとも私は何も聞かされていないわよ」

 

 カレルとジーナの言葉にタツミは榊から言われた通りの言葉を返していた。

 元々今回の内容に関してはタツミ自身もどこか懐疑的な部分を持っていた。

 今回の最大の目的は、防衛すべき場所が何時もとは違う点だった。元々防衛班の役割はサテライト候補地の防衛やサテライトそのものの防衛が主な任務。しかし、今回の目的地となるべき場所には人の気配が殆ど感じられない場所がメインだった。

 

 人類の守護者でもあるゴッドイーター。ましてやその最前線で盾となるべき部隊がその存在意義すら無視するかの様な内容となれば誰もが警戒するのは当然の事。言われた当初はタツミも同じ考えだったものの、改めて今の現状を考えれば、決して悪く無いと考え始めていた頃だった。

 

 

「何でも例の入り江の場所に近い所らしい。本来であればクレイドルが主任務として動くんだが、生憎と今は手が空いてないって。それで俺達に話が回ってきたって事だ」

 

「でもよ。護る物は何も無いんだろ?それにサテライト候補地だったら、事前にアナウンスがあるはずだぞ」

 

「まぁ、その辺りは何かしらあるんじゃないのか?実際に聞かされた当初もまだ完全に固まってない様にも感じたからさ」

 

 シュンの言葉にタツミは再び疑問を生じていた。このままでは誰一人了承される事無く、任務の内容が伝わらない。そんな嫌な未来を見たからなのか、冷たい汗がタツミの背中を流れていた。

 既に言うべき事は全部伝えている。だからなのか、今のタツミにとって必要なのは起死回生の言葉だった。

 

 

 

 

 

「こんなに暑い日が続くと水辺に行きたいよね」

 

「ですが、今からだと時間も厳しいですし、次の機会の方が」

 

「そうだな。何も無いままに向っても困るのはナナだと思うが。今から食事の準備は流石に無理がある」

 

 困り果てたタツミの耳に飛び込んできたのはブラッドの3人の言葉だった。

 ここ最近の暑さは確実に体力を削り取っている。旧時代に比べれば暑さは多少緩和されているが、それでも夏の季節が暑い事に変わりなかった。

 先程の会話が聞こえたからなのか、シュンが何か呟いている。シュンだけでなくジーナもまた珍しく3人の方を向いていた。

 

 

「ほら、きっと榊博士もそれを狙ってたんだって。じゃなきゃ防衛班としてなんて指名はしないはずだから」

 

「何だから乗せられた様に感じるんだけど……」

 

「俺達がそこに行くメリットは何だ?」

 

 タツミの苦悶を見透かしたのか、カレルだけでなくジーナもまたどこか怪しげな視線を投げかける。榊から言われた訳ではない。

 決して後ろめたい訳では無いが、タツミの言葉に力強さは存在していなかった。

 

 

「仕方ない。もう一度榊博士に確認してみる。言っておくけど、決定後の不参加は認めないぞ」

 

 これ以上何も無いままの説得は事実上不可能だった。

 クレイドルの様にリンドウやエイジが言えば多少の文句は出ても、皆は普通に行動する事が多く、ブラッドに関してもやはり感覚的にはクレイドルに近い物があった。

 元々細かい事を気にしない人間が多いからなのかもしれない。当初は本部直轄の特殊部隊の触れ込みではあったが、今はどちらかと言えば、そっちの方が印象としては強くなっていた。

 

 

「納得できる内容であればが前提だ」

 

「カレルの言う通りだな。俺だって暇じゃないんだぞ」

 

「お前が忙しいなんて初耳だな」

 

「何だと!」

 

 既にやる気すら無いからなのか、カレルの言葉にシュンが乗っかる。ブランダンやジーナに関しては我関せずを貫いている様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、細部に関しての質問は大丈夫ですか?」

 

「どうやらまだ、決まっていない様だね」

 

 支部長室では先程同様に榊が書類の整理を行っていた。元々今回の件だけでなく、他の案件までもが立て込んでいるからなのか、榊の姿はあれど弥生の姿は見当たらない。

 元々書類整理は弥生の職域。恐らくは関係各所に出向いている事だけは間違い無かった。

 

 

「いえ、説明はしたんですが、どうにもこうにも納得出来ないと連中が口にしてるんで、改めて詳細を確認しようかと思ったんです」

 

「なるほど。今回の任務に関しては確かに前にも言ったと思うが、やはり場所が場所なでけにね、改めて説明するよ」

 

 既にこうなる事を見越していたからなのか、榊は改めてタツミに説明をしていた。

 入り江の箇所は確かに人の気配は少ない。しかし、そこから上がる物の重要性を考えれば人命に匹敵する可能性を持っていた。

 改めて聞かされた内容にタツミもまた驚きを隠せない。既に準備だけは完了しているからなのか、後は人間が現地入りするだけとなっていた。

 

 

 

 

 

「ったく。これなら特別に報酬を貰わないと割に合わないな」

 

「だが、意外と良い所じゃないのか?肉体を鍛えるには最適だと思うが」

 

 榊からの説明をした事により、防衛班は事実上回避出来ないままとなっていた。

 元々この入り江のエリアは新たな食料の発掘となる海資源を優先的に接収する為の施設。人が住むには環境的には問題ないが、実際に住もうとすれば色々と問題が発生しやすい場所でもあった。

 

 入り江が故に建築物を建てるには通常の3倍のコストを必要とし、かつ、潮の満ち引きの影響もあってか、長期間住むには適さない場所だった。

 本格的ではなく試験的に稼動しているからなのか、まだ周囲にまではここで取れる食材は出回らない。あくまでに実験的にやっているからと言った大義名分を持っている為に、タツミも詳細までは知らされていなかった。

 カレルだけでなく、ブレンダンもまた目の前に広がる砂浜を見て何か思う所があったのか、それぞれが言いたい事を言っている。

 今回の任務の内容はあくまでも建前にしか思えなかった。

 

 

「そうは言うが、実際には俺達の休暇も兼ねてるみたいだし、偶には良いだろ?」

 

「偶には構わないが、ここで過ごすんだよな。食事の準備とかはどうするんだ?俺達は何も聞かさえていないんだぞ」

 

「その件に関しては手は打ってあるらしいんだけど」

 

 周囲を見渡すも、それらしい建物は着替えと管理する為だけに設置された建物とは言い難い小屋が一つだけ建っている。元々螺旋の樹でも活躍した簡易型の休憩スペースがその存在感を示すだけだった。

 

 

「皆さ~ん。お久しぶりです」

 

「カノンか。まさかとは思うが、今回の件はカノンにも招集が掛かっているのか?」

 

 背後から聞こえる間延びした声にブレンダンだけでなくタツミとカレルも振り向いていた。気が付けばカノンの後ろにはハルオミが居る。恐らくは合同でやる事だけは間違いないと誰もが感じ取っていた。

 

 

 

 

 

「でもさ、何で俺達まで招集されたんだ?」

 

「さぁな。詳しい事は榊博士から聞かされなかったのか?」

 

 特段やるべき事が無いからと、全員はそれぞれ用意した水着へと着替えていた。既に考える事を止めたからなのか、シュンは海の方へと走っている。カレルもまた何か思う所があったからなのか、シュンとは別方向へと歩いていた。

 そんな中、タツミの背後からハルオミの声がかかる。振り返るとハルオミもまた同じく、水着に着替えていた。

 

 

「いや、何も。俺達は基本的に遊撃が多いからな。2人だけだから小回りも利くし、今はアナグラでも緊急事態になる様な事は無かったんでな。精々が休息の代わりだ」

 

 ハルオミが言う様に、今回の任務は実質的な休暇に近い物があった。

 元々防衛班の休みはローテーションを組まない限り取る事は厳しい。しかも部隊長ともなればその傾向は顕著だった。

 部下を優先させて休みを取れば、今度は緊急出動で出撃する事になる。その結果、ローテーションで組まれた休みは砂糖が水に溶けるかのように瞬く間に消え去っていく。

 

 既にタツミだけではないが、カレルやブレンダンもまた長期間に渡って休暇を取っていなかった。強靭な肉体を持つゴッドイーターと言えど、疲労はゆっくりと蓄積していく。

 自分の身体のメンテナンスは必要不可欠ではあるが、それはあくまでも時間にゆとりがある場合の話。

 ここ最近の消耗の度合いは既に限界に近い事をタツミ自身が一番理解している。だからこそ、榊の提案に真っ先に気が付いていた。

 

 

「そっか。結構気を使ってるんだな」

 

「だったらカノンだけでなく、他の人間も呼んでくれれば良かったんだが……もっとこう、華が足りないと言うか」

 

 事前に用意されていたからなのか、ハルオミは用意されていたビールを片手にそのまま自分の欲望を隠す事無く口にしていた。視界に入るのは水着姿のカノンだけ。ジーナに関してはまだ出てくる気配すらなかった。

 

 

「あら?華が足りなくて悪かったわね。だったらこのまま引っ込めた方が良いかしら?」

 

「ちょっとジーナさん。私はここに来たのは……」

 

 2人の背後から聞こえたのは、ここには居ないはずの人物の声。まさかとは思いながらもまだアナグラで任務中のはず。突然の展開にタツミは思わず振り向いた瞬間、固まっていた。

 

 

「ひ、ヒバリ。何でここに?」

 

「詳しい事は私も分からないんです。ですが、皆さんに言われて来ただけなので……」

 

 タツミの視界に飛び込んで来たのは青いビキニ姿のヒバリだった。

 パレオが巻かれているものの、完全に隠れる様な事は無いからなのか、どこか顔が赤いままになっている。

 気が付けば隣にいたジーナの手には大きなクーラーボックスがその存在感を露わにしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒバリさん。急で申し訳ありませんが、連続ミッションの要請でヒバリさんのサポートを求められています。すみませんが、用意をお願いします」

 

「え?どこの部隊ですか。私の所には何も情報が来てませんけど」

 

 突然のフランの言葉にヒバリは少しだけ戸惑っていた。

 元々連続ミッションが入った場合、戦闘指揮車でサポートする事が義務付けられている。それはアナグラからの指示では間に合わない可能性と、現地でしか分からない何かがあった場合の緊急時の指揮系統の兼ね合いだった。

 その為にサポートが必要な場合は事前にオペレーターにも連絡が入る。

 だからなのか、フランの言葉にヒバリは何も聞かされていないからと、素直に疑問をぶつけていた。

 まさかの正論にフランも少しだけ返答に困る。下手に誤魔化した所でヒバリの権限で確認すれば直ぐに分かる話。だからなのか、フランも表面上は穏やかではあるが、内心では焦りから冷静な判断が困難なままだった。

 

 

「その件なら問題ないわよ。今さっき決まった話だから。それとヒバリちゃんのサポートは先方からの要望なの。このままここで時間を潰される訳には行かないから、早めに準備してくれるかしら」

 

「そうでしたか……分かりました直ぐに準備しますので」

 

 弥生の言葉にヒバリはそれ以上の疑問を持つ事は無かった。

 幾ら弥生とは言え、まさか適当な理由を作る事はこれまでに一度も無かった。ましてや連続ミッションの過酷さがどれ程の物なのかは、ヒバリとて理解している。

 恐らくは厳しい戦いになるに違いない。そんな思いから、先程までの疑問を全て棚上げする事を決めていた。

 用意された名前に第4部隊が入っている。余程新人では荷が重いと判断したからなのか、ヒバリは用意された荷物の確認をする事無く、そのまま出動の準備を進めていた。

 

 

 

 

 

「今日は宜しくお願いします」

 

「あれ?今日はヒバリちゃんなの?」

 

「え?」

 

 ハルオミの言葉にヒバリは僅かに違和感を覚えていた。

 そもそも連続ミッションでない限り、オレペーターが要請される事はこれまでに一度も無かった。確かに、この場にはハルオミとカノンが準備をしているが、それ以外の人間の姿はどこにも見当たらない。

 しかし、戦闘指揮車は出動の準備が完了している。この言い様の無い感覚にヒバリは少しだけ違和感を感じ取っていた。

 

 

「あの……今日は連続ミッションなんですよね?」

 

「え……ハルさん。それって本当なんですか?」

 

 ヒバリだけでなくカノンもまた同じ事を感じ取ったからなのか、視線はハルオミへと向いている。この場に於いてはハルオミが現場のトップ。まさか何も聞いていないはずがないと判断したからなのか、2人の視線が途切れる様な事は無かった。

 

 

「いや。連続ミッションに違いは無いんだけど、今回は対象となるアラガミ云々じゃない。俺が聞いているのは特定の場所の警備なんだが」

 

 ヒバリの内容とハルオミの内容が決定的に違う。まさか騙す様な事は無いとは思うが、ハルオミが嘘を言っている様にも思えない。そんな矢先に改めて詳細の指示が飛び込んで来た。

 

 

 

 

 

「でも、これってどう判断すれば良いんでしょうか?」

 

「でも、海洋資源の専門施設が有るのは事実なんだよ。最近になってラウンジでも結構魚介系のメニュー増えただろ?」

 

「確かに言われてみればそうですけど……」

 

 ハルオミの言葉にカノンだけでなくヒバリもまた改めて思い出していた。

 これまでのラウンジのメニューはどちらかと言えば肉類を主としたメニューが多く、特に魚介系のメニューを目にするケースは少なかった。

 精々が出汁を取るか、偶に出ても形が分かりにくいフライ物が多かった。

 しかし、ここ最近のメニューには明らかに魚である事が分かる様なメニューが大幅に増えていた。

 

 本来であれば出所の一つも確認するのが当然ではなるが、実験農場に代表される様に新たな養殖でも計画しているのだろう程度の思惑があったからなのか、誰もがそれ以上のツッコミをする事は無かった。

 旨ければ何でも良い。適当な考えではあるが、ある意味それが真理でもあった。

 恐らくエイジに聞けば教えてくれるかもしれない。しかし、それを知った所で何かが変わる訳ではない。ハルオミが言うまでは誰もそんな事すら考えなかった。

 

 

「とにかく海洋資源施設の防衛が任務なんだから、俺達はただそこに行くだけだ。時間も押してる。直ぐに出るぞ」

 

 ハルオミの言葉にヒバリとカノンも指揮車に乗り込む。エンジン音と同時に目的地へと移動を開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの……本当にミッションなんですよね?」

 

「そうね。名目上は海洋資源施設の防衛ね。期間は全部で3日間よ」

 

 戦闘指揮車が停止した先に合ったのは、入り組んだ入り江の入口だった。

 隙間から見せる風景は明らかにこれまでに見た事が無い景色が広がっている。

 時折吹く浜風は潮の匂いを運んでいた。来る途中まで高まった緊張感が一気に霧散していく。

 出迎えたジーナを見たからなのか、ヒバリだけでなく、カノンもまた同じ反応だった。

 

 

「でも、アラガミの姿は見えませんよ」

 

「防衛だけど、周囲の警戒は必要だから、これを要請したんじゃないの?因みに私達は何も聞かされて無いんだけど」

 

「だったら……」

 

「まぁまぁ、折角来たんだし、広域レーダーに反応が無いから今の所は問題無いだろ?気になるなら自動索敵と範囲を大きく取れば、何かあっても対処できるからさ」

 

 困惑する2人を放置する訳には行かないからと、ハルオミが横から説明していた。

 ここに来る際に弥生から聞かされた事実。最近の防衛班の緊張感がピークに達しているのと同時に、上が休まないから下も休めないとの意見で組まれたミッションだった。

 もちろん、サテライト候補地だけあってアラガミの来襲の可能性はかなり低い。

 まだ2人には知らされていないが、既に水着も用意されていた。

 

 

「ですが……」

 

「対象範囲は15キロまで拡大してるから、万が一の際にも直ぐに対応できるよ」

 

 仕事に責任を持っているヒバリからすれば、ハルオミの言葉は解らないでもない。

 しかし、これだけのメンバーが居れば過剰戦力である事もまた事実だった。

 クレイドルやブラッドとは違うが、ベテランが故に持っている感覚は馬鹿には出来ない。ヒバリもそれを知っているからこそ、改めてどうるのかを考えていた。

 

 

「ヒバリ、貴女も少しは気を抜く事を覚えなさい。でないとアナグラに居る3人を認めていないのと同じよ。あの2人も何時までも新人じゃないんだし、フランも居るんでしょ」

 

「そう言われればそうですが……」

 

 ジーナの言葉にヒバリは改めてアナグラに居る3人の事を思い出していた。

 元々今回の連続ミッションに出た時点でアナグラに残留するのは決定している。日程も3日間と知っているからこその言葉であるものまた同じだった。

 これまでに何度も危機を乗り越えている以上、信用しない訳には行かない。

 既にここに来ている以上、今更引き返す事も出来ない。色々な状況を考えた末、ヒバリとしてもここに居るより無かった。

 

 

「早速だけど、もう用意してあるから、ヒバリとカノンはこっちに来なさい。ハルオミは覗かないでね」

 

「オーケー。って言うか、俺ってそんなに信用出来ない?」

 

「出来ないから言ってるのよ」

 

 ハルオミの返事も碌に聞かず、ジーナはヒバリとカノンの背中を押しながら小屋の方へと移動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、どうですか?」

 

「に、似合ってるよ……」

 

 砂浜は一部が影になっていたからなのか、少しだけ他よりも熱量は少なくなっていた。

 事前に用意されていたからなのか、既に周りはバンカスへと突入している。

 ブレンダンは砂浜を走り、ジーナはパラソルの下で寛いでいる。

 余りにも非日常過ぎたからなのか、普段も中々一緒になれないからとタツミとヒバリも同じくパラソルの下で2人並んで外を眺めていた。

 

 結婚したからと言って、ゆっくりと出来た事は数える程しかない。

 事実、アリサ達を見ていればそれは現実だった。タツミの場合は常に現場に出る事が多く、実際にはヒバリと一緒に生活したのは数える程だった。

 そんな中で突如として出来た時間。普段とは違い、水着だからなのか、2人は言葉に出来ないまま時間だけが過ぎていた。

 

 

「そう言えば、ブラッドの人やコウタさん達も結構川に行く事が多いらしいですよ。この前も水着がどうとか言ってましたから」

 

「川?そんな事してるんだ。案外と休憩を取りいれてるんだね」

 

「ええ。この前はブラッドの人とフランさんが行って来たらしいです」

 

 沈黙が続くかと思われた矢先だった。ヒバリから聞かされた情報にタツミは少しだけ関心していた。

 元々極東の夏は暑い。それぞれが涼を取る方法は様々だった。

 実際に防衛班として活動する前はタツミも何かをしていた記憶がある。だからなのか、その言葉を聞いた際には多少の驚きはしたものの、当時とはかなり違う事だけが先に浮かんでいた。

 

 

「じゃあ、ヒバリも?」

 

「私は流石に行きませんでしたけど、結構楽しかったとは聞いてます」

 

「そっか……」

 

 ヒバリの言葉を聞いてタツミは少しだけ申し訳無いと考えていた。

 防衛班と言う特性上、常時警戒をする事が多く、実際に休暇を取るのも最後になる事が多い。

 幾ら結婚したからと言ってそのまま放置するつもりは毛頭無かった。しかし、部隊編成を考えれば時間にゆとりは最初から無い。そんな事もあったからなのか、今回の任務は少しだけ期待する部分も少なからずあった。

 事実、それが実現したからこそタツミの隣にヒバリが水着を着て座っている。皆には申し訳なかったが、今の時点ではこれでも良いだろうと判断していた。

 

 

「俺は、今回みたいなミッションがあって良かったって思ってるんだ。最近は色々な事が起こり過ぎて部隊の中も疲弊している。休みを取らないとダメだって事は理解してたんだけど、中々行動には移せなかったんだよ」

 

「タツミさん……」

 

 心の内を話したからなのか、言葉を交わす度にタツミだけでなくヒバリもまた同じ様に心の澱が消える様な感覚があった。

 確かに気を抜く様なケースはこれまでに無かったかもしれない。しかし、張りつめ過ぎた物は時として急激に破裂する。そうならない為にも一定の休息は必要だった。

 心の褥を全て出したからなのか、今は晴々としている。キラキラと光る海は2人の心の内を表している様だった。

 

 

 



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第86話 水面下の暗躍

 普段であれば物静かなはずの部屋には言い様も無い苛立ちの空気が漂っていた。

 本来であればそんな事があってはならないはずの出来事。普段であれば有りえない雰囲気を醸し出しているからなのか、その空気を呼んだ住人は誰一人近づこうとはしなかった。

 

 

「どうして今になってそんな事が起こっているんだ?」

 

《申し訳ありません。我々もその事実を知ったのはそちらで拘束した人間の背後を洗った際に出てきた事実ですので》

 

「だとすれば、上層部はどこまでその事実を掴んでる?」

 

《現在は調査中としか……ですが、このまま放置すればどうなるのは我々も理解しています。現状では一刻も早い行動を起こす必要がありますので》

 

「本部ではそれに対応できるのか?」

 

 無明の言葉に、通信相手のフェルドマンはそれ以上の言葉を発する事が出来ないまま無言を貫いていた。

 元々は護衛の人間を拘束した際に洗った背後関係から、これまでに無い記録が出た事が発端となっていた。本来、他の支部に護衛として動かす際には、幾ら本部と言えど細心の注意を払う事が殆どだった。

 名目上は本部が全ての支部を管轄している事になっているが、以前にあったガーランド・シックザールの起こした問題以降、事実上の独立自治に近い方針を取っていた。

 当然本部からと言えど、当該人物に対しての名目や素性の調査は必須となる。出先でのトラブルが発生した場合に、責任の所在を明確にする為でもあった。

 そんな中で極東支部に於いて起こった事案は少なからずとも情報管理局が関知していない人物が派兵されていた。本来であれば完全な越権行為。だからなのか、無明も榊からの依頼でフェルドマンに対し、その人物の背後を洗う様に依頼した結果だった。

 

 

《正直な所、難しいとしか言えません。実際に我々の管理下に於いて戦力として動く事が出来る人間は居ますが、今回の件に関して動けるのかと言われれば正直な所、厳しいと言わざるを得ません》

 

「そうか。だが、あの事件の二の舞を演じる事になれば、少なからずフェンリルと言う組織は何らかの形で瓦解する可能性がある事は理解していると思うが」

 

《その件に関しては既に一部の上層部でも話題には出ています。ですが、仮にあの計画を再び実行される様な事になれば本部レベルでは少なくとも対処する事は不可能です》

 

 フェルドマンの言葉に無明もまた同じ事を考えていた。

 元々本部のゴッドイーターのレベルは、世間が思う程に高くは無い。精々が中の上、若しくは上の下と言ったレベルでしかなかった。

 実際にエイジが教導をした際に感じたそれが如実に表している。仮にあの計画が再び悪用される事があれば、極東支部としては気にする程の問題は無いが、経済の部分では大きな被害を被る可能性を秘めていた。

 通信越しとは言え、言葉の一つ一つに追及の手が及ぶ様に感じる。画面越しのフェルドマンは静かに言葉を告げる無明を見て、思わす背筋に冷たい物を感じていた。

 

 

「一度、こちらも対処についての相談をしよう。近日中に方針を伝えよう」

 

《そう言っていただければ助かります》

 

 その言葉と同時に画面はブラックアウトしていた。

 既に通信が切れているものの、聞かされた内容は到底容認できる物では無かった。仮に上層部にまで手が伸びているとなれば、排除するには相応の時間と労力が必要となっていた。

 

 

 

 

 

「無明。本部で何かあったのか?」

 

「あったと言うよりも、問題が水面下で発生している可能性が高いと言うのが実情だな」

 

 通信が切れた事を確認したからなのか、ツバキの声はどこか心配気だった。

 今の段階で何がどうなっているのかを確認しようにも、肝心の情報管理局ですら把握しきれていない事実。それと同時に、一部の人間が何らかの明確な目的を持って行動している事は明白だった。

 本人は気が付いていないが、これまでのフェルドマンを知る者からすれば、かなり焦りを持っているのは間違い無い。それがどんな事態に及ぶのかは言うまでも無かった。

 

 

「以前のガーランドの事件と同じなのか?」

 

「あれならまだ可愛い物かもしれん。今の段階で実体が掴めていないだけでなく、戦力的な不安も抱えている。口にはしなかったが、こちらの戦力を当てにしているのだろう」

 

 無明の言葉にツバキもまた何か思う所があったのか、それ以上の事は何も言わなかった。

 戦力を介入させるとなれば、確実に何らかの問題を抱えている事を公言するに等しい行為。立場的に苦しい事は理解出来るが、だからと言って、こちらも勝手に事を起こす訳には行かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうなるとかなり厳しい状況になってる可能性が高いって事だね」

 

「盗聴の可能性も考えているからなのか、敢えて口にはしませんでしたが、それは間違い無いかと」

 

「しかし、あの禁忌の実験をまさか本部の御膝元でやるとなれば、相応の人物が絡んでる事になると思うんだが、実際にはどうなんだい?」

 

「現時点ではまだ何とも言えないと言った方が正解でしょう」

 

 無明と榊の対談は屋敷の中で行われていた。支部長室でも問題無いが、内容が内容なだけに、話す場所に関して慎重にならざるを得ない。

 となれば必然的に屋敷の方が安心だと結論付けられていた。

 屋敷に到着と同時に出た内容に、流石に榊も驚きを隠せない。事実上の人体実験がもたらす結果は常に良い結果だけとは限らなかった。

 

 今のソーマの要因となった『マーナガルム計画』よりも悪辣な内容に、榊も個人的にだけではなく、一研究者として看過出来る内容では無かった。

 普段であれば子供達の声が越えるはずの屋敷はどこか重苦しい雰囲気が漂っている。既に話は開始されてから二時間が経過しようとしていた。

 

 

 

 

 

「今出来るのはその計画を完全に阻止するか、無視を決め込かのどちらかだね」

 

「どちらにしても茨の道である事に変わりないでしょう」

 

 如何に討論をしようと、結論は出ているに等しかった。

 元々極東支部の立場からすれば、取り立てて要望された訳では無い。だとすればそのまま放置するのが一番だった。

 しかし、本部の権力だけでなく、万が一に事が起こった場合は完全に後手に回る。如何に挽回しようとしても、既に回避出来る手段が無いままとなれば結論は自ずと出ていた。

 

 

「だが、このまま放置する訳にも行かないとなれば、止む無しだね」

 

「それは仕方ないでしょう」

 

 榊の言葉に無明の納得するしかなかった。既に結論が出た以上、残すは人選だけ。送り込める人数が事実上決まっている為に、ここから再び難航する事になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうでしたか。ですが、果たして大丈夫なんでしょうか?」

 

「この件に関しては事実上の政治マターだと思ってもらえると助かるね。我々としても本当の事を言えば苦渋の決断なんだ。厳しいとは思うが頼まれてくれるかい」

 

「それであれば、僕の方としても特に問題はありません」

 

「私も同じです」

 

 支部長室に呼ばれたのは一組の男女だった。白い制服は精鋭でもあるクレイドル士官の証。

 事実上の単独任務に近いからなのか、支部長室には榊と弥生以外には誰も居なかった。

 

 

「一つだけお聞きしたいんですが、本当にそんな計画を企ててるのでしょうか?」

 

「その件に関してなんだが、今はまだ裏を取っている最中なんだよ。ただ、元々の原因を作ったアメリカ支部では既に色々な意味での実績はある。科学者と言う人種は実に厄介でね。一度でも成功した実体験をおいそれと闇に葬りたいとは思わないんだよ」

 

 榊の言葉にエイジは当時の『マーナガルム計画』やガーランドが計画した『新世界統一計画』の事を思い出していた。

 確かに人体実験をした事そのものは褒められた物ではない。だが、その結果があるからこそ今に至っているのもまた事実だった。

 技術確信の裏には大小様々な犠牲が付いて回るのは自明の理。それを完全に無かった事にするにはあまりにも血が流れ過ぎていた。

 

 

「参考にお聞きしたいんですが、今回は2人だけですか?幾らなんでも厳しい様にも感じますけど」

 

「その点なら今回の派兵は1チーム4人の部隊編成で考えてるんだよ。まだ正式な回答が来てないんでね」

 

 アリサの言葉に榊も既に手を打ってあったかのか、4人でのチームだと公表していた。

 クレイドルから2人であれば、他から1人ないし、2人が来る事になる。どんな人選になっているのかは榊だけが知りえていた。

 

 

 

 

 

「流石に今回の派兵は表立っての行動は厳しいと言う事でしょうか」

 

「そうだね、実際には表立っての派兵は流石に無理があるんでね。我々としても大義名分が必要になるんだよ」

 

 エイジとアリサの後に支部長室に呼ばれたのは北斗とシエルだった。

 今のブラッドの位置づけは微妙な物だった。ラケルの引き起こした終末捕喰事件は未だに世間の覚えが良いとは言えない物だった。

 聖域での農業に関してはまだ道半ばだけあってか、その活動方針までは一部の人間を除いてはまだ知られていない。また、当時の局長でもあったグレムの更迭と会社の事実上の倒産もまた、計画に影を落とす一因だった。

 ブラッドからすれば、その両方がとばっちりでしかない。しかし、今回の騒動に於いての名誉挽回の好機である事を前提に本部の治安維持の為に派兵させる前提となっていた。

 

 

「我々としては拒否するつもりはありません。ですが、派兵するのであれば、その間のアナグラの感応種討伐の事がとうなるのかが懸念されるかと」

 

「シエル君の心配する件に関しては我々としても憂慮すべき点ではなるが、現時点では新種が出た際にはブラッドの残りのメンバーでやってもらうよ。それに、今回の派兵はそれほど時間は必要とはしないだろうからね」

 

「それは一体……」

 

「まずは人選が先だね」

 

 シエルの疑問をはぐらかすかの様に榊は答えていた。時間をそれほど必要としない時点で何らかの思惑があるのは間違い無い。しかし、今の時点でそれを確認する術はどこにも無かった。

 

 

「突然で済まないが、既に今回の人選の中でクレイドルからはエイジ君とアリサ君が派兵する事になっている。因みにエイジ君は教導、アリサ君はサテライトに関しての説明が名目だね。君達の場合は人選によって改めて決める事にするよ」

 

 派兵のメンバーはエイジとアリサの時点で北斗だけでなくシエルもまた今回の事態を重く捉えていた。

 特にエイジが本部に行く事に関しては恐らくは本部側も特に受け入れに怪しむ事は無い。アリサに至っても、やはりサテライトの運営状況は他の支部でも関心が高まっている事は既に話には聞いていた。

 そんな中での派兵。実際に何が起こっているかを考えると、人選は確実に苦労するのは必然だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本部にか……」

 

「ああ。榊博士のあの言い方だと、何かしらの問題を抱えている可能性が高いと思う。日程に関しても然程は掛からないとは言っているが、実際には未定だろう」

 

 北斗の言葉にジュリウスだけでなく、他のメンバーもまた頭を抱える事態となっていた。

 既に行く事が決定しているだけならともかく、今回の本部への派生は何かしらの問題を孕んでいる。2人とは言ったものの、その2人をどうるすのかを考えると、頭の痛い事態となっていた。

 

 

「エイジさんとアリサさんなんだよね?」

 

「そう聞いてるな」

 

「となると、それなりに釣り合う必要があるんじゃないのか?」

 

「それは関係無いだろ」

 

 ナナの質問に簡潔に答えた途端、ギルの言葉の意味は北斗には分からなかった。

 元々今回の派兵に関しては何も知らされていない事実は北斗以外の人間にとっては重く捉えている部分が多分にあった。

 ブラッドの立ち位置がどうなっているのかは北斗も理解している。しかし、それがなぜそう考えるのかが分からなかった。

 

 

「いや。今回の件に関してだが、恐らくは何らかの問題を抱えているんじゃないか?でなければ精鋭中の精鋭を派兵するとは思えない。それと、今回の派兵に関してだが、俺は行けない。流石に本部にも覚えは良く無いだろうしな」

 

 ジュリウスの言葉に反論する者は誰も居なかった。幾ら表面上は名誉が回復しているとは言え、やはり人の心はそう簡単に割り切れる物では無い。根底にある恐れはそう簡単に消えない事は誰もが理解出来る。だからなのか、ジュリウスの発言と同時に承認したのと同じだった。

 

 

「だとすれば、北斗は行くべきだ。ブラッドの代表としてだけではなく、仮のあの2人とミッションをこなす事になれば、相応の力量が無ければ逆に足を引っ張りかねない」

 

「そうだな。それと、ついでに言えば、シエルで良いと思うよ。隊長が行くなら副隊長もって事でさ」

 

「そうだよね。それが一番じゃないかな!」

 

 まるで図ったかの様にリヴィとロミオの言葉が続く。ナナが声高に宣言した事により、そのままなし崩し的に決定となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか………今回の派兵に関してだが、場合によっては厳しい選択を強いられる可能性がある。留意するならそこだな」

 

 ブラッドからの人員も決定したその夜、エイジとアリサは屋敷へと足を運んでいた。

 元々今回の依頼は榊ではなく、無明を経由したフェルドマンから。詳細に関しては直接確認した方が早いだろうとの榊の言により、2人は無明の下へと足を運んでいた。

 

 

「厳しい選択ですか」

 

「そうだ。今回の件に関してだが、まだ水面下での話になる。エイジ、『アドルフィーネ・ビューラー』の名に覚えはあるか?」

 

「いえ。聞いた記憶は有りません」

 

 無明の問が何なのかはエイジだけでなくアリサにも分からなかった。

 元々フェンリルの支部は余程の事が無い限り、内部の情報が外部に出る事は殆ど無い。

 極東支部の様に外部にも情報を発信する様な事があれば話は変わるが、それ以外の事になれば終末捕喰の様な人類にとっても大きな問題を孕む内容以外は何か聞こえる事は無かった。

 そんな中でポツリと出た名前。エイジだけでなくアリサもまた同じ事を考えたからなのか、首を傾げるだけだった。

 

 

「詳しい事は言えないが、あれもまた他の支部で人体実験に関する事をやっている。一度は本部で裁判にかけられ、そのまま服役中だったんだが、どうやら外部の手引きで脱獄したらしい」

 

 無明の言葉に2人は耳を傾けていた。確かに裁判にまでかけられたとなれば、余程の事をした以外に考えらえれなかった。大罪人がどんな事をしたのかにも関心があったが、無明がそれ以上言わないのであれば、問題はそこではないのは間違い無かった。

 

 

「ですが、その程度であれば本部の人間でも問題は無いはずでは」

 

「それだけなら……な。問題なのは、あれが何をして投獄されたかだ」

 

 無明の言葉に2人は自然と息を潜めていた。人払いをした訳では無いが、恐らくはこの事実は限られた人間だけが知り得る事実。

 見えない気迫は今回のミッションに重くのしかかっていた。

 

 

 

 

 

「まさかそんな事があっただなんて……」

 

「でも、今回の件が仮に事実だとすれば看過出来ない内容なのは間違い無いよ。だから榊博士も人選には気を使ったんじゃないかな」

 

 話始めが遅かったからなのか、エイジとアリサはそのまま屋敷に泊まる事になっていた。

 翌日も特に大きな仕事は無い事もあり、2人はそのまま露天風呂にいた。

 満点の星空は見る者からすれば綺麗に見えるのは、先程聞いた話の内容があまりにも醜く感じたからなのか、話の内容に触れる事は無い。久しぶりにゆっくりとした時間は先程までの話を反芻するには十分だった。

 

 

「ですが、ブラッドまでとなると流石にやりすぎな気もしますけど」

 

「単純に考えればそうだけどね。僕には分からないけど、兄様や榊博士も何らかの思惑があっての招集なんだろうし」

 

 お湯に浸かりながらもやはり気になるからなのか、エイジの心の中は晴れる事はなかった。

 無明は何も言わなかったが、最悪は処分の可能性が高い。もちろん、その事実をアリサに伝えるつもりは無かったが、既に雰囲気はあの時と同じだった。

 まるで命令された内容をただ実行するだけの様な動きは既に人のそれでは無くなっている。

 万が一も視野に入れたからなのか、自然と表情は曇り出していた。そんな中、どこか視線を感じる。誰がとは言うまでもなく、視線を送っていたのはアリサ自身だった。

 

 

「エイジ。何を考えているのかは知りませんが、今からそんなだと疲れますよ。本部に行くのは決定なんですから、少しは気分転換も必要ですよ。眉間に皺が」

 

 アリサの指がエイジの眉間へと延びていた。気が付けばそれなりの事を考えていたのだろう。心配気なアリサもどこか表情が暗くなっていた。

 

 

「ゴメン。そんなつもりじゃなかったんだけどね」

 

「もう。折角久しぶりに一緒に入ったんですから、少しはこっちも意識して下さい」

 

 タオルで髪を上げたアリサはいつもとは雰囲気が少しだけ違っている様だった。

 確かに言われた様に一緒に入ったのは随分と久しぶりの様な気がする。これからの事を考えるのは現地に着いてからで良いだろう。アリサの言葉にエイジは一旦は棚上げする事を選んでいた。

 

 

 

 



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第87話 女の戦い

 人選が決まってからの行動は予測した以上に素早い物となっていた。

 元々極秘裏とは言え、情報管理局からの依頼は他の部署からの文句はおろか、言い訳すら許されない。名目上は異なっているが、動く人間を見れば何らかの思惑が絡んでいる事だけは間違い無かった。

 そしては移動手段にも表れていた。本来であれば本部まではヘリを使う事が多く、また何度か燃料補給のトランジットを余儀なくされるが、今回用意されたのは物資運搬用とは言え、れっきとした航空機。輸送型故に途中での燃料補給の必要が無いからなのか、極東支部から本部までは一直線に飛ぶ事が可能だった。

 

 

「まさか、これ程の物を用意するとはな。フェルドマンも相当厳しい状況に追い込まれているのかもしれん」

 

「兄様。今回の件ですが、仮にあの話が本当だとしたら交戦の記録は無いのでは?」

 

「記録そのものは本部には無い。だが、個人的にアメリカ支部での内容を把握している。

 元々あの状況をクリアできたのは偶然だと聞いている。それと、大よそではなるが、これまでの状況をいくつか見たが、基本的にはアラガミと大差無いとも判断している」

 

「そうでしたか」

 

「だが、見た目はほぼ人型。アラガミの様な形状では無かったらしい」

 

 無明の言葉にエイジは人知れず息を飲んでいた。

 元々今回の作戦は名目上は教導となっている。その建前を利用した事によって派兵が可能とされていた。

 事実、最近になって本部の周辺にもディアウス・ピターの目撃情報も出ている。

 本来であれば本部のゴッドイーターが討伐すれば済む話ではあるものの、やはり技術的な部分では極東程ではない為に、目撃した場合は刺激する事無く即時撤退を余儀なくされていた。

 

 ディアウス・ピター程になれば、元々個体数が多い訳では無い。刺激する事無くそのまま放置した所で、目に見える被害はまだ確認されていないままだった。

 しかし、そのまま放置すれば最悪は捕喰による力の肥大化が予測され、結果的には自分で自分の首を絞める事になる。

 命を惜しめば生きながらえる事は可能だが、後々に降りかかる災いは最悪な状態になる可能性も否定出来ない。

 実際にフェルドマンはその目撃情報を上手く活用していた。伊達にアラガミの帝王を名乗る個体が確実に討伐が可能であれば、最後は資金力に物を言わせるしかない。そんな思惑がいとも簡単に透けて見えたからこそ、フェルドマンが提示した極東からの受け入れを誰も疑う事無く決定していた。

 もちろん、エイジだけでなく、アリサや北斗。シエルもまたディアウス・ピターの存在を知らされている。余程変異種で無ければ早々厳しい戦いになる事は無いだろうと、誰もがそれを了承していた。

 そんな建前的なミッションよりも、やはり極秘裏に出された内容の方が重要になる。既にエイジだけでなくアリサ達もまた油断はしていないが、ディアウス・ピターの事は既に頭の中から消え去りつつあった。

 

 

「確か、リンドウさんの時にはハンニバル浸食種だったと聞いています」

 

「そうだな。これまでの経験からすればハンニバルかスサノオが妥当な所になる。だが、今回のそれは前提が違う。これまでの様に腕輪を破壊された事によってのオラクル細胞の暴走ではなく、人為的にオーバードーズさせる事によって更なる力を求めた結果だ」

 

「それだと……」

 

 無明の言葉にエイジは言葉に詰まっていた。過剰摂取させるとなれば明らかに人為的にする必要が出てくるだけでなく、最悪待っているのは被験者のアラガミ化か死亡のどちらかしかない。その最悪の二択を作り上げたからと言って、何か人類がより良くなる訳ではない。完全な化学の暴走にしか過ぎなかった。

 しかも、ゴッドイーターの生命すら玩具にしているのと同じだった。

 非人道的な行為にエイジの手にも自然と力が籠る。これまでに自分達やブラッドが終末捕喰から護ろうとした物が、こんな下らない個人の欲望に汚されて良いとは思わない。科学の暴走があったからこそアリサもあんな目に遭っている。

 普段であれば穏やかなはずのエイジには珍しく顔に険が走っていた。

 

 

「エイジ」

 

 そんなエイジを気遣ったのか、アリサはそっとエイジの手に自分の手を重ねていた。余程の事が無ければ怒る事は無いはずの人間がそんな表情を浮かべる。アリサが手を重ねたのは無意識の行動だった。

 突然の行動にエイジの感情が戻る。無明の目の前の夫婦は少しづつ成長と続けているのだと、無明の目尻は僅かに優しくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかこんなに早いとはな」

 

「ですが、本部としても看過できないが故の事だと思います」

 

 ブラッドから選出された北斗とシエルもまた同じ事を考えていたのか、窓の外を少しだけ眺めながら呟くかの様に言葉を交わしていた。

 送り出される前に出たジュリウスの言葉は、紛れもなく本心だった。

 確かにラケルの言葉に乗ったが故にと確たる理由はあるが、その本当の部分はアラガミから人類を護るためには替えが効く神機兵の方が無難だと判断した結果だった。

 

 しかし、その先に待っていたのはラケルの思惑による終末捕喰の起動。ジュリウスは事実上の贄に過ぎなかった。

 ブラッドの機転によって回避はされたものの、やはりその後のシロガネ型神機兵の暴走により、ジュリウスの純粋な思いはものの見事に粉砕されていた。

 現時点では有人型のパワードスーツや緊急時の対アラガミ兵器として活躍はしているが、やはり当初のコンセプトからすれば、当事者のジュリウスにとっては忸怩たる思いがあるのは明白だった。

 そんな中で最終確認で榊から聞かされた事実はやはりエイジ達が無明から聞かされた内容と酷似した物だった。

 極致化技術開発局付けだった頃は本部の管轄に間違いないが、今では完全に極東支部の所属となっている。

 もちろん極東支部内では認知されていても対外的にもどそうかと言われれば返事に困るのもまた事実だった。そんな事もあってか、本部への帯同にブラッドからも派兵させる事でイメージアップを図る事を考えた結果だった。

 

 

「そう言えば、シエルは本部には行った事があるのか?」

 

「私自身は記憶の中で片手で足りる程ですね。ですが、ゴッドイーターになってからは行った記憶はありませんが。それがどうかしたんですか?」

 

「いや。本部なんて行った事はないから、どうかと思っただけだ」

 

「特別な事は何一つありませんよ。精々が極東よりも少しだけ大きい位ですから」

 

 北斗の言葉にシエルも自身の記憶を辿っていた。

 元々軍閥の家系でもあったシエルは幼少の頃に本部には何度か足を運ぶ機会は確かにあった。しかし、ゴッドイーターと一般人では入れるエリアは全く違う。幾らそれなりにの地位に就いていたとしても、その差は隔絶した物だった。

 

 実際に家そのものが何の価値も見いだせなくなった際にP66偏食因子適合によってゴッドーターになった頃には既にマグノリア・コンパスだった事もあり、それ以上の記憶は無かった。

 実際に他の支部の事は何も知らない。これがギルであれば落ち着く事もあるが、北斗にせよ、シエルにせよ他の支部に足を運んだのは極東以外には無い。

 既に極東支部の所属が当たり前になっているからなのか、一時期ギルから聞かされた言葉を思い出してた。『極東支部の人間は何か普通とは常識感が違う』それが何を意味しているのかは想像すら出来なかった。

 

 

「ですが、今回はアリサさんもエイジさんも同行してますし、無明さんに関してもこれまでに何度も足を運んでいる訳ですから、それほど気になる様な物は無いと思うのですが」

 

「言われてもれば確かにそうなんだが。ただ、ギルが以前に言っていた言葉がな……」

 

「そう言えば、そんな事を言ってましたね」

 

 当時の事をシエルもまた思い出したからなのか、暫し無言が続いていた。既に目的地まではあと僅か。そんな沈黙を破ったのはアリサだった。

 

 

「そろそろ到着しますので、準備は良いですか?」

 

「え、あ、はい。大丈夫です」

 

「そんなに固くなる必要はありませんよ。別に取って食べられる訳じゃありませんから」

 

 緊張を感じたからなのか、アリサはこの空気をほぐす為に、自分の知っている範囲の事と、これからの事を改めて説明していた。

 本来の目的も去る事ながら、名目だけは確実に果たす必要があった。

 特に今回のブラッドの立ち位置は情報管理局に聖域の状況を説明する事。

 実際に農業を始めてからはこれまでに何度か本部にレポートは提出していた。もちろん、ブラッドの中でそれを嬉々として記しているのはジュリウスだけ。

 だからなのか、誰もが当初聞かされた際にそんな物があったのかと言った表情を浮かべていた。

 

 

「あ、でもシエルさんは少しだけ警戒した方が良いかもしれませんね」

 

「どうしてですか?」

 

「意外と本部に所属している人間は肉食系が多いと言うか、手が早いので……すみません。少し落ち付いてきますので」

 

「は、はい」

 

 自分で話を振ったはずにも拘わらず、その話をして何かを思い出したからなのか、アリサの表情が僅かに険しくなっていた。

 今でも思い出すのはあの内容。何かを思い出したからなのか、アリサは直ぐに元の場所へと移動していた。

 

 

「アリサさんは本部で何かあったのか?」

 

「詳しい事は何も。ですが、どこか怒りに満ちた様にも見えましたので、間違い無く何らかの事があったんでしょう」

 

 この場にソーマが居れば確実にその理由が何なのかは分かるはずだった。しかし、今回の派兵に関してはソーマが来る事は無い。

 事実、無明が来ている為にソーマは自分の研究を優先させていた。仮に何かあっても戦闘力や機転は自分とは比べものにならない。

 特に今回に関しては会合の出席も兼ねている。どう取り繕ったとしてもネームバリューは完全にソーマの方が下だった。取り止めの無い疑問が浮かんでは消えるが、やがて到着するとのアナウンスにより意識はそのままそちらへと向いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、こちらとは一時的に別れる事になる。先程伝えた通りだが、ここからは別行動になる。フェルドマンとの話はこちらで確認するから、詳細に関しては後ほど連絡しよう」

 

「了解しました」

 

 1週間程だったからなのか、スーツケースは2個で終わっていた。

 元々本部でもクレイドルの制服を着るからなのか、準備すべき荷物は少なく終わっている。だからなのか、4人はそのまま無明と別れ、一旦は本部のエントランスへと足を運んでいた。

 

 

「何だか凄いですね」

 

「ここは相変わらずだよ。実際にお偉いさんも来る事は多いから」

 

 久しぶりの本部だからなのか、エイジはアナグラの時と何も変わらないままに目的地まで迷う事無く進んでいた。一方の北斗は物珍しいからなのか、どこか視線が定まっていない。

 左右をキョロキョロしながらエイジの後を歩いていた。見渡す限り、どこか贅を尽くした様にも見える。この環境であればアナグラの方が落ち着くと感じているのは北斗だけでは無かった。

 隣を歩くシエルも表情こそ穏やかだが視線は常に定まっていない。恐らくはエイジが居なければ早々に迷っているはずだった。

 ゆっくりとエントランスを歩くからなのか、数人がこちらに視線を向けている。見知った人間は顔色が青く、また見知らぬ人間はどこか挑戦的な目で見ている。

 色々な感情が入り混じったからなのか、鋭い視線が次々と突き刺さる。一方のアリサは既に慣れているからなのか、我関せずを貫いていた。 

 

 

 

 

 

「お久しぶりです!如月中尉」

 

「やぁ、久しぶりだね。また1週間程になると思うけど、宜しくね」

 

「はい。こちらこそよろしくお願いします」

 

 エイジの言葉にカウンターに居た2人の女性は僅かに頬を染めていた。

 元々エイジはここでも教導紛いの事をやりながら討伐任務をこなしている。もちろん、それが何を意味するのかを一番知っているのは、このカウンターに居る女性達だった。

 

 

「あの……それで、お部屋なんですが」

 

「ああ。ってアリサちょっと痛いんだけど」

 

「別に……気のせいですよ」

 

 エイジと受付の女性の会話を面白く聞いているのは当事者だけだった。

 気が付けばエイジの脇腹にアリサの指が完全に肉を挟んで捉えている。

 決して忘れた訳では無かったが、やはり懐かしさが先に出たからなのか、エイジは少しだけアリサの存在を失念していた。

 

 

「そうそう。確か本部でも神機使いの家族用の部屋ってあったよね?」

 

「はい。ありますが……」

 

 突然のエイジの言葉に受付の女性は何の話なのか見当が付かなかった。

 以前と同じであれば既に準備は出来ている。当初連絡があった際には当然だと言わんばかりに用意されていた。

 にも拘わらず、家族用の部屋の言葉。それが何を意味するのかを今は待つより無かった。

 

 

「今回は僕だけじゃないんだ。妻も一緒でね」

 

「初めまして妻のアリサです。主人がお世話になってみたいで」

 

「あ、はい。って……えええええ!」

 

「つ、つま……」

 

 エイジの挨拶にアリサはこれまでに無い満面の笑みで深々と頭を下げていた。

 下げた後の顔は完璧な笑顔。今のポジションに居るのは私だと完全にアピールしている様にも見えていた。

 それと同時に、聞き捨てならない言葉が飛び出している。妻の言葉と主人の単語で想像できるのはただ一つ。それは2人が結婚していると言う事実だった。カウンターの女性は無意識の内に2人の左手を見る。そこには存在感を示すかの様に白金のリングが存在を示すかの様に鈍く輝いていた。

 突如響いた声にその場にいた誰もがカウンターに視線を投げかける。余程大きく響いたからなのか、その中の一人がエイジの元に駆け寄っていた。

 

 

「如月中尉。お久しぶりです」

 

「ああ。久しぶりだね」

 

「お蔭さまで、僕も曹長までなれました」

 

「まだまだ上に行けるよ」

 

「また、教導をお願いします」

 

「今回、時間があれば」

 

 以前に任務が終わってアリサと一緒だった際に声をかけた青年だった。

 当時の事は今でも思い出すからなのか、驚愕の表情のまま固まった女性陣をそのままに談笑を続けている。当時の事を思い出したからなのか、青年はアリサにも声をかけていた。

 

 

「アミエーラ少尉もお久しぶりです」

 

「私は今はアミエーラ性じゃなくて如月性なんです」

 

「あ、そうでしたか。おめでとうございます」

 

「ありがとうございます」

 

 カウンターでの先制攻撃に成功したからなのか、既にアリサの機嫌は最高潮まで回復していた。

 機内でシエルには言わなかったが、エイジの人柄が知られている以上、どうやって虫よけするのかが問題だった。

 まずは第一段階での女の戦いには完勝したが、まだこの先にどんな人物が待っているのかは分からない。本来の目的からアリサは徐々に脱線し始めていた。

 本部内でも認められた力はここだけではない。先程の光景を見たからなのか、色々な人間が遠目で見ながら何かを話している。また当時の様な厳しい教導が待っていると考えたからなのか、若手の一部は既に青褪めている。

 ベテランの人間はどこか忌々しい顔をしながらエイジを一瞥した後、アリサを見ていた。

 

 

 

 

 

「え……失礼しました。そちらの方は」

 

「自分は極東支部ブラッド隊所属の饗庭北斗です」

 

「私は同隊所属のシエル・アランソンです」

 

「あの、ご一緒の部屋で宜しかったですよね?」

 

 どうやら完全に正常にはならなかったからなのか、北斗とシエルも同じだと判断していた。

 既に精神的なダメージが大きいからなのか、無機質な能面の様な表情のまま受付をしている2人が同じ行動をしている。翌々考えれば直ぐに分かるはずの内容にも拘わらず、そのまま返事を聞く事もなく手続きを完了していた。

 

 

「あの……俺、いや、自分達はそんな間柄では」

 

「すみません。手続きが完了していましましたので、このままお願いします」

 

 先程までは花が咲きほこる様な笑顔の2人が既にお通夜の様になっている。

 恐らくは今晩は荒れるのだろう。話していた青年は人知れずそんな事を考えていた。

 何だかんだ言いながらもエイジが差し入れとかしてくれた為に、好感度は抜群に高い。結婚していた事実は知らなかったが、当時エイジから聞かされていたからなのか、青年は今回の結果はある意味当然だとさえ考えていた。

 既にチェックインは完了しているからなのか、そんな2人を尻目にエイジとアリサは荷物を動かしていた。

 

 

「どうする?」

 

「どうもこうもありません。既に登録された訳ですから」

 

 突然の出来事にシエルだけでなく北斗もまた動揺していた。今回の案件は色々と厳しい事が待っているのは間違い無い。しかし、まさかの洗礼に、北斗はブラッドがこれ程敵視されているのかと、見当違いの事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「態々あんな言い方しなくても……」

 

「エイジには女の戦いが分かっていないんです」

 

 部屋に入ってからは先程の事が気になったからなのか、エイジは改めてアリサに問いただしていた。

 軽く言うつもりだったはずの言葉が大事になっている。只でさえ、事実上の機密に近い任務が控えている為に、穏便に済ませたいと考えていた。

 自覚があるからなのか、アリサもまた少しだけ俯いている。自分でも言い過ぎたのと騒ぎ過ぎた事を自覚しているからなのか、声は少しだけ力が無かった。

 

 

「でも、過ぎた事だからもう良いよ。でも、今後は気を付けてね」

 

「はい」

 

 まるで気にしないといわれた様だったからなのか、アリサも直ぐに元に戻っていた。

 先程の事は元々イレギュラーだったが、カウンターでの内容は確実に広まるのは間違い無い。たった一度の牽制ではあったが、効果は抜群だったはず。

 先程のエイジも言葉もあってか、アリサも既に何時もの状況に戻っていた。

 

 

「で、今後の事なんだけど、この後はフェルドマン局長と話をする必要があるから、北斗達と合流だね」

 

「そうですね」

 

 既に機内で予定を確認していたからなのか、その後の行動はスムーズだった。元々の任務を優先させる為の段取りを優先的に確認する。2人は直ぐに自室を後にしていた。

 

 

 



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第88話 蠢く思惑

 本部の中でも情報管理局のエリアには人影が存在する様な事は無かった。

 元々フェンリル内部でも公安の位置付けだからなのか、痛く無い腹を探られて愉快な気分にはならない。もちろん、局長でもあるフェルドマンの存在もまた、その一因だった。

 フェルドマンの辣腕によって下された人間の数は枚挙にいとまがない。

 これまでに処分されたのはゴッドイーターだけではなく、一部にはフェンリル上層部にまで及んでいる。あの当時の事件で一時期は降格すらも視野に入ったものの、仮に降格した所で、これまでに得た情報まで忘却する事は無い為に、脅威としては何も変わらない現実があった。

 今迄は局長が故に行動は把握できたが、これが降格すれば個人の行動を知る術が無くなってしまう。そうなればこれまで以上に探られて困る人間の方が多すぎた。

 結果的には今まで以上の結果をもたらした事もあり、今もまた同じ要職に就いていた。

 

 

「長旅ご苦労だったね」

 

「いえ。我々としても依頼であれば、その限りではありませんので」

 

 フェルドマンの労いの言葉にエイジは敢えて通常任務と同じ様に接していた。

 元々今回の内容は自分達だけではなく、最悪は一般の人間までも巻き込む可能性が視野に入っている。だとすれば、余りにも親しくした場合、何らかのトラブルが発生すると責任の追及が曖昧になる事を懸念した結果だった。

 エイジの言葉にアリサだけでなく、北斗とシエルもまた同じ様に敬礼をし対応する。

 そんな考えを悟ったからなのか、フェルドマンもまたそれ以上は踏み込む事をしなかった。

 

 

「では、単刀直入に言おう。今回の件に関してだが、名目上は各々の役割を果たす事になっている。それと同時に目先は来て早々で申し訳ないんだが、本部周辺に生息していると思われるディアウス・ピターの討伐をお願いしたい。

 本来であれば我々としても自前で処理したいんだが、ここ数日の間に状況が変わってね。これまでの様に単体ではなく群れの様な物を徐々に築き上げている様なんだ」

 

 フェルドマンは言葉だけでなく、作戦概要も踏まえているからなのか、目の前にある巨大なディスプレイに情報を開示していた。

 偵察班からの情報ではディアウス・ピターを中心に、プリティヴィ・マータやヴァジュラが生息している。ここの戦力が分からなければ、確実に自分達だけで討伐する事になる。実際には誰もがそう考えていた。

 これまでに分かった事実は、事前に聞かされた様に本部のゴッドイーターのレベルは極東支部で言うところの、教導明けの新兵に近いレベルでしかなかった。事実、ここで接触禁忌種が出没した記録は殆ど無い。確かにカリギュラやテスカトリポカの出現例もあるが、統計上は精々が数年に一度見かける程度でしかなかった。

 

 

「フェルドマン局長。今回のミッションに関してですが、折角ですから教導の一部としてミッションの発注をお願いしたいんですが、可能でしょうか?」

 

「ああ……だが、大丈夫なのか?君は知っていると思うが、ここの連中は言う程の能力は無いんだぞ」

 

「もちろんそれは承知の上で、です。今回の様な件はそうそう依頼がある訳ではありませんし、万が一アラガミと交戦中に無いとは思いますが、襲撃に備えた方が幾分かは良いかと思います」

 

「分かった。これが終わり次第指示を出そう」

 

 出されたデータに反応したのはエイジだけでなくアリサもだった。

 北斗とシエルは知らないが、以前のまだヨハネスが存命の頃にあった『蒼穹の月』とよく似たシチュエーション。

 当時はディアウス・ピター1体にプリティヴィ・マータが居ただけだったが、今回に関してはそれにヴァジュラまで居る。ここまで来ればヴァジュラが増えた所で然程変わらないのかもしれないが、それでも多少は経験を積ませる為に部隊を配置するのも良いだろうと判断した結果だった。

 せめて曹長以上の尉官級であれば手古摺ったとして討伐は可能なはず。そんな考えが声になっていた。

 

 

「それと、例の件なんですが、フェルドマン局長はどこまで情報を掴んでますか?」

 

 エイジの冷たい声にアリサだけでなく、北斗とシエルもまた同じく少しだけ強張った表情を浮かべていた。

 元々今回の討伐は事実上の前座。本命はその裏だった。

 ここに来るまでに聞かされた情報から判断すれば、今もなお何らかの実験が行われている可能性が高かった。

 詳細まで言わなかったのは暗に自分達が把握している情報と、情報管理局が持っている情報の擦り合わせの為だった。

 仮に食い違いが出た場合、どちらが違うのかを確認する必要が出てくる。尤もエイジからすれば無明からの情報の精度が高いと判断しているからなのか、フェルドマンの顔を立てる程度の考えでしか無かった。

 

 

「完全とまでは行かないが、既に所在に関しては掴んでいる。だが、最悪な事に既に実験は行使されているのか、幾つかの目撃証言もある」

 

墜ちた者(フォールマン)ですか」

 

「そうだ」

 

 エイジの短い言葉に他の3人もまた楽観視とまでは行かないが、内心は厳しい戦いになる可能性を考えていた。

 通常のアラガミではなく、明らかに人型のそれは人間の持つ禁忌の行動を引き起こす可能性が高い。特に人型である事は即ち殺人を意味すると同時に、下手に攻撃を仕掛ければ最悪は返す刀で自身が斬られる可能性もあった。

 以前の様にアリサの救出ミッションで斬った事があるエイジは何とも思わないが、アリサや北斗、シエルに関しては未知数のままだった。実際にこの場所は既に無明も掴んでいる。

 人を斬る前提で考えない事には前に進むのは困難だと考えていた。

 

 

「因みに、現時点で確認されているのは2体だけ。だが、以前のアメリカ支部で起きたような生温い物では無いだろう。既に腕や足の一部が人間では無い事が確認されている」

 

 映像は無かったからなのか、フェルドマンは口頭で伝えるだけに留まっていた。

 幾ら精鋭と言えど、人型である為に忌避感はかなり高い。そんな事を考えた末の判断だった。

 アラガミよりもある意味では厄介なのはフェルドマンとて理解している。人間を斬るストレスがどれ程なのかはリヴィが居たからこそ理解出来る。

 本部の揉め事を外部の人間が解決するとなれば何らかの軋轢すら出てくる。エイジに限った話では無く、誰もがそんな可能性を理解していた。

 

 

「色々と思惑はあるかもしれませんが、実際に我々の立場からすれば今回の件に関しては極東支部として到底容認できないと榊は言っています。我々はその剣となる為に任務を果たしますので」

 

「そう言ってくれると助かる」

 

 エイジの言葉にフェルドマンはその意図を明確に汲んでいた。誰が何をどうするのではなく、結果だけを求める。手短に終わらせるはずのミーティングは思いの外時間をかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「博士。最初はまさかとは思ったが、こうまで上手く行くとは思わなかった。我々としては今後はフェンリルに対し、宣戦布告の用意をしようかと思う」

 

「それはご自由にどうぞ。私としては自分の理論が正しいと証明出来れば特に問題にする事は有りませんので」

 

「新たな結果、楽しみにしてますので」

 

 アドルフィーネ・ビューラーは、脱獄してからはそのまま以前の研究に没頭し続けていた。元々自身の研究でもある既存のゴッドイーターを超越した者は確かに成功していた。

 超越者が統治する世界はアラガミ無き恒久的な平和。それと同時にフェンリル内による『北の賢者』と呼ばれた自身の名声も為でもあった。

 しかし、それも想定外の結末によって計画は失敗に終わるだけでなく、自身の研究そのものすら最初から無かった事になると言う最悪の結果だった。

 

 裁判に於いても反論はおろか、事実上の決定事項だけが淡々と読まれいてる。拘留された時点でビューラーは諦めていた。

 本来であれば研究者はおろか、人間として人生も終わった様に思われていた。

 そもそも研究者が何も出来なければ死んだも同じ。そんな諦めの窮地に達した際の事だった。

 突如としてフェンリル内部に激震が走る。その際に聞いたのは、今は亡きラケル・クラウディウスの開発したP66偏食因子とそれに伴う新たなゴッドイーターの計画。

 螺旋の樹の異変と、これまで世捨て人同然だったビューラーに再び野望の灯が灯っていた。

 しかし何をするにしてもここからの脱出が不可能である今は、指を咥えているしか手立ては無い。そんな中での脱獄の計画が舞い込んだのは僥倖だった。

 元々捉えらえていた場所は通常の犯罪者が行く場所ではなく、政治犯などの犯罪者が囚われる特殊な場所。隣にいたのは宗教団体でもある『神喰教』の幹部だった。

 宗教と研究者では考え方は全くの正反対だった。教える事により神の存在を示す者と、その神自身を自らの手で作り出し、他の神を制御しようと考える者の利害の一致がそこにあった。

 そんな事もあり、外部からの手引きによって脱獄に成功している。それが今の状態になるキッカケだった。

 

 当時一緒だった幹部の男はビューラーに声をかけ終わると同時にそのまま研究用の部屋を出る。元々神を作る為の手段として完成した『墜ちた者(フォールマン)』は当初の予測を大幅に超える数値を叩き出していた。

 

 

「これで神を作り出す一歩が完成した。あとは贄となる物を如何に取り込むかだな。アメリカ支部の二の舞にはならぬようにしなければ」

 

 ビューラーは誰も居ない事を確認した訳では無い。ただ自身の考えが口から言葉となって漏れただけだった。

 狂気の研究はまだ始まったばかり。だからなのか、画面に映る実験体のデータを我が子を見るかの様に愛おしく見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「如月中尉。今回のミッションですが、僕も立候補したいんです」

 

「それは構わないんだけど、今の所はまだ正規の発注はされてないはずだけど?」

 

「表立ってはそうですが、今回の件は既に噂レベルではちょっとした人間は知っていますので」

 

 フェルドマンとの作戦会議を終え今後の準備があるからと、エイジ達は本部のロビーへと足を運んでいた。

 元々本部では他の支部の様に一つ一つ確認する事はあまりなかった。出没するアラガミの強さにそれ程差異が無い事が一番の要因ではあるが、それとは別に既にディアウス・ピターの姿が頻繁に確認されている事からも、今回極東から来たメンバーが動くのは当然とさえ思われていた。

 事実、ディアウス・ピターだけではなくプリティヴィ・マータやヴァジュラも確認されている。とてもじゃないが、幾ら極東支部のゴッドイーターだとしても4人だけでの討伐は無理がある。そんな考えからの言動だった。

 

 

「そう……間違い無く今回のミッションに関しては一部の討伐は本部で取り仕切るのは間違い無いんだけど、問題はどれだけの人数が手を上げるのか次第なんだ。もちろん志願するのであれば、それに関しては問題無いよ」

 

「分かりました。では依頼が出次第直ぐに立候補します」

 

「そんなに力を入れなくても大丈夫だよ」

 

 余程力が入っているからなのか、青年は再び元いた場所へと踵を返していた。

 今回のミッションでは確実に数は必要になる。しかし、問題なのはその力量の平均値だった。

 突出した人間だけで討伐をするのであれば単独でやった方が効率が良い場合が多い。

 アラガミの動きをコントロールし、自分の都合の良い場所へとおびき出す。瞬時に殲滅が出来れば、また次のアラガミに向えば良い。それだけの話だった。

 しかし、歪な編成になればその限りではない。何事も最適値と言うのは常に決まっている物だった。

 

 

「でも良かったんですか?」

 

「何が?」

 

「いえ。今回のミッションですが、まだ確定した訳ではありませんが、可能性だけ考えればディアウス・ピターは変異種の可能性が高いと思います。下手に実力が伴わないのであれば危険じゃないですか?」

 

 アリサの言葉はエイジが危惧していた内容そのものだった。

 (いびつ)になればなるほど連携は取れなくなり、その結果歪んだそこを起点に陣形は一瞬にして崩壊する。そうなれば今の本部の力量では討伐以前に餌にしかなりえない存在でしかなかった。

 恐らくはここの殆どの曹長から少尉までのレベルは確実にエリナよりも劣る。

 口にはしないが、そうだと言いたいのは偶然見た訓練の内容だった。良く言えば自然体。悪く言えば完全な手抜き。

 僅か数秒先の未来を生き抜く為に血反吐を吐き、時にはプライドすら叩き折られる事も当然だと言わんばかりの教導は極東ならではの内容だった。それがあって初めて実戦に駆り出される。その結果、これまで以上の生存率の高さがそれを物語っている。

 驚異的な数字を叩き出してるからこそ、今ではそのシステムに疑問を持つ者は誰も居なかった。

 

 仮にエリナがここに来れば確実に尉官級のレベルに達している。極東が故に今の曹長の階級ですらギリギリだった。

 戦場全体を見渡せる視野の広さと瞬時の判断力。そして万が一の際の一点突破すら可能とさせる技量は曹長以上に求められる最低限の内容。比べる事そのものが無意味なのは当然だとさえ思える程だった。

 

 

「アリサの言う通りなんだけど、それだけで何もしないとなれば、今後は更に困る事になるからね。だったら、確実に経験が積める時に積んだ方が効率的だよ。極東支部だって最初から今みたいな体制じゃなかったんだし」

 

「それは……そうですけど」

 

 エイジの言葉にアリサも改めて自身が極東支部に来た当時の事を思い出していた。

 当時はまだ今の様な体制になっていない為に、殆どが簡単なプログラムをクリアすれば、その後は即実戦として戦場に放り込まれていた。

 もちろん、現実はシミュレーションとは違う。新兵の殉職率が高いのは、ある意味では当然だった。

 新兵が育たないのであれば、後進は無い。今の形になったのはあの事件以降の話だった。

 

 

「フェルドマン局長も危惧してるみたいだから、極東の様に4人って事は無いと思う。それに僕らもバックアップに入る事になるだろうしね」

 

「それしかないですよね」

 

 まだ公表されていない作戦ではあるが、事実上は自分達が提案した内容。そんなエイジとアリサの考えを他所に、会談30分後には新たな作戦が公表されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だか、あの時と同じ様な感じですね」

 

「ああ。まさかこうまで似ているとちょっと……な」

 

 北斗とシエルが思わず口にしたのはある意味では当然の事だった。

 今回の作戦に関しては、極東の4人を中心に、周囲のアラガミを一掃しながら中心地点まで攻め上がる電撃作戦が立案されていた。

 周囲にはまるで砦を想像させるように視界が悪くなっている。

 しかも、高さだけを考えるとアラガミであれば跳躍すれば乗り越える事も可能だが、ゴッドイーターからすれば跳躍で登り切るのは不可能な高さだった。

 仮にバーストモード全開で行けば可能かもしれない。しかし、向こう側の状況が分からないのであれば安易に飛び込むのは自殺行為でしか無かった。

 

 天然の要塞を前に北斗だけでなくシエルもまた戦略を練っていく。

 仮にヴァジュラが何らかの結果として他のアラガミを呼び寄せようとした場合、この場所は最悪の展開を迎える可能性を秘めていた。

 幾ら自分達でも移動できるスペースが少ない場所での戦いは、最悪の展開を予測せざるを得ない。

 これまでの経験でヴァジュラがアラガミを呼び寄せる事は無かったが、可能性はゼロではない。何も知らない人間からすれば考えすぎだと言われるかもしれないが、策はどれだけあっても困る事はないのもまた事実。

 ましてや今回は本部側のゴッドイーターと言うイレギュラーも存在している。2人は改めて周囲の状況を確認していた。

 

 

「確かに言われてみればその通りだね。でも、今回はあの時とは違う。大丈夫だとは思うんだけど、序盤のヴァジュラに関しては僕らは基本的にはサポート要員として動く。その間に他のアラガミが出れば、そっちを優先だ」

 

 背後から聞こえたエイジの声に北斗とシエルが振り向く。既に準備は完了しているからなのか、隣のアリサもまた直ぐにでも戦闘を開始出来る状態だった。

 

 

「今回の作戦ですが、本部側からは6人が派兵されますでの、まずはヴァジュラからですね」

 

「あの……ヴァジュラ相手に6人ですか?」

 

「極東なら4人なんだけど、今回は6人だね。経験を積ませる事を優先させるから、せめて人数だけでも多くしないと、心理的な負担も少ないから」

 

「そうでしたか」

 

 エイジの言葉にシエルは今回派兵された6人のパーソナルデータを確認していた。

 スコアそのものは極東に比べればかなり低い。実際に自分達ですらまだここまで低いと感じた事は無かった。それと同時に、今回の作戦に関しては一つ気が付いた事があった。

 6人は殆どが曹長クラス。尉官級は1人も居ない事だった。

 恐らくは何らかの言い訳を作って戦闘には参加しなかった事が一因ではあるが、今となっては下手にやる気が無い人間を引き擦り出した所で碌な戦果が上がらないのは間違い無い。

 だとすればそれなりにやる気があった方が多少なりとも良い結果を残せる可能性が高いと判断していた。

 

 

「しかし、この数字でいきなりヴァジュラは厳しいですね」

 

「仕方ないよ。この辺だと大型種なんて早々出没しないから。だったら、このメンバーなら多少の負傷はあっても捕喰されたりする事は無いだろうからね」

 

 何気に答えたエイジの言葉に北斗は苦笑するしかなかった。

 確かにどれだけの訓練を積もうが、一つの実戦に比べればどちらの方が血肉になるのかは言うまでも無い。しかも驕る訳では無いが、このメンバーが居るのであれが、最悪の状況に陥る前には討伐が可能となっていた。

 気が付けば本部側の人間も準備が完了したからなのか、こちらへと駆け寄ってくる。その後、数分もすれば戦いの火蓋は斬られるのは明白だった。

 

 

 



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第89話 作戦開始

 常に雷を纏い続ける猛獣の目には、まるで全てを喰らいつくさんとする明確な意志が見える。

 既に周囲に散った人間達が自分を見る視線は畏怖なのか、一睨みしただけでその意志はいとも簡単に萎えていた。

 このままならば自分の進化の為の贄となり、我が身の更なる進化を遂げる事も不可能では無い。そんな取り止めの無い考えが不意に浮かぶ。全てはそこまでの話だった。

 

 漆黒の刀身を持った人間と、純白の刀身を持った人間が周囲に散った人間に指示を出す事によって、攻撃が可能な距離から徐々に離れだしている。本来であれば自分の体躯を活かす事でそのまま捕喰すれば何も問題は無かったはずだった。

 敵対する人間は先程の6ではなく2。躊躇する様な事は何処にも無いはずにも拘わらず、その小さき人間は自分すらも飲みこまんとする気迫を持つからなのか、雷を纏った猛獣は完全にその場に縫い留められていた。

 

 

 

 

 

 事前の調査が功を奏したからなのか、目の前に対峙するヴァジュラはやはり自分達では超える事が出来ない場所から奇襲をかけていた。

 元々ヴァジュラの討伐任務に関しては本部側のゴッドイーターを当てる予定ではあったが、突然の奇襲により冷静な判断が困難となっていた。

 本来であればそのまま反撃するのが当然ではあるが、やはり大型種との交戦経験が無い事が致命的だったのか、その勢いは完全に無くなっている。このままでは捕喰されて終わる。そう判断したからなのか、エイジと北斗は互いのパートナーに素早く指示を飛ばしていた。

 

 

「北斗。これはあくまでも教導の一環だ。仕留めるのではなく、一旦は仕切り直しさせるんだ」

 

「了解しました」

 

 エイジの指示に北斗は自身の神機を構え、そのまま様子を見る事を優先していた。

 元々極東以外の大型種の力はそれほど大きな物では無い。実際に自身の刃をたてれば大よそながらにもその力量は判断出来る。そんな事もあったからなのか、北斗は一旦他の人間が落ち着くまでの時間稼ぎの為にその場から動く事無く視線だけで牽制をしていた。

 

 これまでの経験からなのか、本来であれば大型種がゴッドイーターに怯むケースはそう多く無い。実際にその対比だけ見れば明らかにどちらの方が優勢なのかは考えるまでも無かった。

 大きい者が小さき者を蹂躙する。これが本来の自然界の常識でもあり、これまでの結果でもあった。

 お互いが動かないからなのか、アリサは直ぐに距離を取った6人のフォローに回る。完全に動きが見えないからなのか、漸く奇襲からの混乱が落ち着きつつあった。

 

 

「どうしますか?」

 

「あと少しだけ時間が欲しい。それと、出来るならなるべくその場に留めておいてくれれば良いよ」

 

 エイジからの言葉に北斗は視線を動かす事無く会話を続けていた。

 幾ら距離があるとは言え、実際にはヴァジュラの一足飛びで届く距離。もちろん、襲い掛かった瞬間に純白の刃は何らかの部位を斬捨てる可能性を本能で理解しているからなのか、今は様子を伺う事しか出来なかった。

 時間がどれ程経過しようと測ったかの様にその距離は変化しない。北斗はただエイジから来る言葉を待つよりなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これからヴァジュラの討伐任務に入る。基本的には僕らはサポートだけをするから、君達だけで一度やってみるんだ」

 

「……え?俺達だけで、ですか」

 

 エイジの言葉に誰もが驚きの表情を浮かべていた。元々今回のミッションに志願しているものの、クレイドルやブラッドの人間が一緒である以上、自分達は精々が手伝うか少しだけ攻撃する程度の認識しか持っていなかった。

 もちろん、それだけでも実戦の勘を養う事は可能である。幾らシミュレーションを繰り返そうとも、自分の目で直接見た情報量とは段違いになってくる。

 誰もが自分達がメインで戦うとは想定していなかったからなのか、暫くの間誰もが口を開く事は無かった。

 

 

「因みに言っておくけど、僕らもサポートで入る。今回の目的は少しでも大型種の免疫を付けてほしいからであって、それが出来ないのであればこのまま帰還して貰う事になる」

 

 エイジの言葉を聞いて誰もがこの場から去る事はなかった。

 元々教導に志願したのであれば、手ぶらで戻れば全くの無駄でしかなくなる。それを無意識に理解したからこそ、誰もが真剣な表情を崩す事無く話を聞いていた。

 

 

「基本的には攻撃の合間には結構大きい隙が出来る。その瞬間を狙うんだ。結果的にはその方が良い結果を生む。それと活性化した際には雷撃に注意するんだ。活性化時の電圧はかなり高い。最悪は麻痺した所を頭からやられるから」

 

 エイジの言葉に6人は返事をする。未だ視界には何も映らないからなのか、誰もが少しだけ警戒を緩めた瞬間だった。

 

 

「北斗!上から来ます!」

 

「全員散開!」

 

 『直覚』の効果なのか、瞬時に叫んだのはシエルだった。

 気が付けば地面には小さかったはずの影が瞬時に大きくなる。6人は半ば無意識の内にそ、その場から大きく跳躍していた。

 その瞬間、先程までそこに無かったはずの体躯が悠々と佇んでいる。突然の出現に6人に動揺が走っていた。

 既に臨戦態勢に入ってるからなのか、ヴァジュラはまるで自分に意識を向けるかの様に大きな咆哮をあげる。気が付けば、ヴァジュラを取り囲んでいたのはエイジトアリサ。北斗とシエルだった。

 全員が四方に散っているからなのか、お互いは様子を見ている。それを理解しているからこそヴァジュラもまた周囲に意識を向けながら様子を伺っていた。

 

 

「北斗。この場は4人ではなく2人で待機だ。アリサ、頼んだ」

 

「はい。直ぐに動きます」

 

 エイジは周囲に視線を走らせると同時に直ぐにアリサに指示を飛ばしていた。元々教導目的のアラガミを自分達で討伐するのは些か問題が発生する可能性があった。

 無理を言って連れて来た以上は、確実に経験を積ませたい。そんな思いがあったからなのか、そのまま体制を直ぐに変更し、それぞれが与えられた行動を開始する。

 既にアリサがこの場から離脱し、散開した人間を収集する。それまでの間の時間稼ぎをエイジと北斗がする事にしていた。

 

 

「シエルも、アリサに続いてくれ」

 

「了解しました」

 

 既に4人から2人になると同時に、エイジもまた距離を取り始めていた。このレベルであれば1人でも問題は無いはず。だからなのか、その後の指示は早かった。

 

 

 

 

 

「全員落ち着いたな。それではこれから討伐を開始する。ヴァジュラの行動には常に目を光らせるんだ。下手に攻撃を受ければ自分の命が危なくなる」

 

「はい!」

 

 エイジの言葉に全員は既に落ち着きを取り戻していた。元々それなりに戦えるからなのか、動揺していた時間は然程長い者では無かった。

 檄を飛ばすと同時に北斗へも合図を出す。北斗もまたゆっくりと距離を取り始めていた。

 改めて6人は自身の神機を握り直し、そのままそれぞれの決めていた場所へと移動を開始していた。

 1人の銃撃が仕切り直しの開戦の合図と言わんばかりに銃撃を開始する。死角からの銃撃はヴァジュラの首元へと着弾していた。僅かに怯むヴァジュラを尻目に再び開戦されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何とか……やれた」

 

「ああ。俺達だけでもやれたんだ」

 

 誰ともつかない言葉に6人は安堵の表情を浮かべていた。

 元々4人でも問題無かったミッションではあるが、やはり数の力は大型種にもダイレクトに反映されていた。

 6人での討伐は本来であればお互いの動きを余程理解していない限り、場合によっては互いが邪魔になりやすい。それに関しては最初から分かり切った話だった。しかし、今回の作戦はそれを最大に活かした事によって本来の動きと同様の効果を発揮していた。

 

 一番の利点は4人+2人の考え方。4人が常に動き回る事によって攪乱をしながら2人が銃撃をメインに行動する事だった。幾らゴッドイーターと言えど、常に動き続ければスタミナの消費も大きくなると同時に、隙も生まれやすい。

 ここが何も無い平原であれば特段問題は無かったが、やはり狭所の場合は、どこかで必ず動きが止まる場面が存在していた。

 事前に確認した際に考えられたのはその点だった。狭所での戦いを幸か不幸か北斗とシエルは嫌な記憶として体験している。だからなのか、どう動けば効果的なのかを身を持って示していた。

 その為に攪乱しながら行動した隙を埋めるかの様に止まった瞬間に銃撃の雨が襲い掛かる。スタミナの回復を兼ねているからなのか、時折動きの隙を見ながらその位置を常に変更していた。

 如何に大型種のアラガミと言えど、常に攻撃にさらされたままの一方的な展開にそのまま地面へと沈み込む。気が付けば誰もが疲れ切ってはいるものの、攻撃を受ける事は殆ど無いままに一方的な攻撃で幕を下ろしていた。

 コアを抜かれた事により、躯体はゆっくりと霧散していく。これで漸く自身のミッションは終わった。誰もがそう思った瞬間だった。

 

 

「全員散開しろ!」

 

 エイジの叫び声に全員は無意識の内に行動していた。

 命令によって出される行動は回避命令。ここで躊躇すれば待ってるのは自身の死だった。

 叫び声に反応するかの様に新たなアラガミがその場に留まる。彫刻の様な顔を持ったアラガミ、プリティヴィ・マータが出現していた。

 まるでこの瞬間を待っていたかの様に彫刻の様な顔をしたアラガミが咆哮を上げる。まるでその存在感を示すかの様に周囲に響き渡っていた。

 

 

「アリサ!」

 

「了解です!」

 

 漆黒の刃が現れたアラガミに向って振りかざされる。先の一言が全てを物語っていたからなのか、エイジはそのままプリティヴィ・マータめがけて一輝に攻め立てていた。

 疾駆する速度をそのまま活かし刃はそのまま水平に薙ぐ。一方のプリティヴィマータもまたその攻撃を読んでいたからなのか、顔面に疾る剣閃を前足を受け止めようとしたその時だった。

 

 

「ここ!」

 

 突如としてエイジの身体が僅かにブレる。先程までエイジの身体があった場所には業火とも取れる程の火球がプリティヴィ・マータの顔面を捉えていた。

 自身の身体をブラインドにし、背後から撃つアリサの銃撃を完全に隠す。

 半ば死角からの一撃は不意討ちを同様の効果を発揮していた。

 次々と着弾する銃撃にプリティヴィ・マータも大きく怯む。ブラインドの代わりに行動したエイジもまたその隙を逃す様な真似はしなかった。

 真横ではなく斜め前に移動した為に、若干の距離は離れても斬撃の間合いまでははずれてはいなかった。漆黒の刃が純白の胴体の中でも柔らかい腹に下から深々と突き刺さる。切れ味が鈍る事無くそのまま腹を縦に斬り裂いていた。

 

 

「シエル!」

 

「はい!」

 

 斬り裂かれた胴体からは内臓の様な何かが零れ落ちる。既に意識がそこに向っているからなのか、誰もがその箇所にだけ視線を集めていた。

 その瞬間、黒い影は一気に接近する。先程とは違い、今度は純白の刃は再び斬り裂かれた胴体へと疾っていた。先程とは違い、真横に剣閃が疾る。十字に斬られた事によって完全にダウンしていた。

 

 

「嫌な予感がする。この個体は直ぐに仕留めよう」

 

「そうですね」

 

 神機から湧き出る黒い咢を出しながら、エイジだけでなくアリサもまた嫌な予感だけを感じていた。

 これまでに無い程の圧力を何となく感じる。背筋や首筋に走る悪寒が全てを表していた。

 このままでは拙い。そんな戦場で培われた勘が今の行動に駆り出していた。

 4人が倒れたプリティヴィ・マータの四肢を齧る事によって全身にオーラが走り出す。バーストモードの高火力で一気に殲滅するのは既に既定路線だった。

 全員が一斉に攻撃を開始しようとした瞬間だった。

 これまでに無い最大の悪寒。口に出す事もなく全員が倒れたプリティヴィ・マータの元から飛び去っていた。

 

 

「やっぱりか………6人は一旦退却してくれ。このままここに留まると負傷だけでは済まなくなる」

 

「ですが……」

 

「今のお前達では実力が足りない」

 

「…はい」

 

 気が付けば先程までダウンしていたプリティヴィ・マータには幾重にも連なったかの様な氷柱が突き刺さっていた。

 仲間意識は元より無いからなのか、そのまま絶命した事も歯牙にもかけない。

 弱き者は死あるのみと言わんばかりに新たなプリティヴィ・マータが2体こちらを眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旧時代とは違い、今の世に於いて丸腰で外を歩くのは自殺行為と何も変わらなかった。

 実際には、これまで第一線の兵器として活躍してきた銃火器そのものが一切に通用する事は無い。今の世に於いては精々が時間を稼ぐためか、牽制程度にしか使えない代物だった。

 そんな銃火器すら持たず、一人の青年は何も手にする事無くただ彷徨うかの様に歩いていた。

 既に色素が完全に抜けたのか、雪の様に白い肌からは細胞が剥がれ落ちるかの様にポロポロと落下している。肌だけでなく髪もまた色素が最初から無かったかの様に抜け落ちているからなのか、完全な白髪のままだった。

 周囲を警戒するそぶりすら感じられない。

 そんな一人の青年はアラガミからすれば完全に餌でしかなかった。

 狩りではなく単なる食事。引き寄せられるかの様に近寄るオウガテイルは既に大きな口を開けていた。

 待つつもりも毛頭ない。そのまま大きな咢が一気に閉じようとしたその時だった。

 

 

「…………シネ」

 

 呟き程度の声量の後に出てきたのは一つの武器だった。

 ゴッドイーターの様な神機ではなく、明らかにアラガミの一部分の様にも見える。

 大きく開いた口は鋭利な槍の様な物に瞬時に貫かれていた。

 突然の出来事に理解が出来ないからなのか、オウガテイルは大きな口を開けたまま絶命している。先程まで槍の先端の様でもあった腕は、気が付けば人間の物へと変化していた。

 先程まで生きて居たはずのオウガテイルは物言わぬ肉塊へと変化する。

 本来であれば万が一の事も考えて警戒するが、その青年に関してはそんなつもりすら無い様にも思えていた。

 ゆっくりと歩く先に何が有るのかはまだ分からない。しかし、厄災をもたらすかの様な存在は誰の目から見ても明らかだった。

 

 

「……ココ…カ」

 

 そこは完全な廃墟だった。既に建物としての価値はどこにもなく、多少の強い風が吹こうものならがそのまま倒壊するのではと思う程だった。

 時折吹く風で扉の場所は軋みを上げ、窓の部分もまた歪んでいるからなのか、大きな音を立てていた。

 周囲に人影は感じられない。だからなのか、まるで最初からそこにあったかの様に地面に隠された扉を開けて、そのまま階下へと沈んでいた。

 完全に見えなくなると同時に、改めて周囲に同化したかの様に消え去っている。そこには最初から何もなかったの様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗!」

 

「だ、大丈夫だ。問題無い」

 

 シエルの叫びの様な声に、北斗は何とか返事をする事に成功していた。

 2体のプリティヴィマータはまるでこちらを見極めたかの様にエイジ達と分断されていた。

 元々この場所での戦闘は最初から厳しい事は理解していたが、まさかこうまで厳しい戦いになるとは完全に想定外だった。

 当初は何とか互角に戦っていたものの、オラクルが活性化してからの行動はこれまでのパターンから大きく変貌していた。

 

 これまでの様に特定の行動をする前には予備動作が存在したが、今の時点ではそんな気配すら無かった。

 まるで野生の本能で戦うのではなく、コンピュターが搭載された戦闘用の機械を相手にしている様な感覚はこれまでの経験を全て無かった事にしていた。

                                         銃撃の様に放たれた氷柱はこれまで以上の威力を有している。通常であれば完全に防御出来るはずのそれも、今はただダメージを軽減する事を優先するしかなかった。

 途切れる事を知らない様に北斗に向けて放たれるそれは、永遠に続くかと思われる程長時間放たれている。

 シエルとしてもこのまま手を拱く程に無能では無い。すぐさまプリティヴィマータの顔面、視覚を奪うために目に向けて発砲していた。

 僅かに尾を引きながら一筋の赤い銃弾は狙いの通りプリティヴィ・マータの目に着弾する。如何にアラガミと言えど、急所の攻撃を受ければ同じ事だった。

 

 

「ですが、この場所では私達に分が悪いです。直ぐに場所を変更するしかありません」

 

「そうだな。問題はどちらに向かうかだが」

 

 北斗は周囲の状況を改めて見ていた。周囲には切り立った崖の様になっているからなのか、周囲全体を見渡す事が出来ない。

 事前に調査した周辺地域には明らかに何も無い平原の様な場所と、ここよりも更に狭所となっている場所の2つが存在していた。

 確実性を取れば平原に誘導するのが得策だが、問題もあった。

 元々今回のミッションに関しては、プリティヴィマータの討伐がメインではなく、その後ろにあるディアウス・ピターの討伐がメインとなっている。

 平原に誘導した場合、最悪はディアウス・ピターを呼び寄せる可能性が高い事だった。

 

 ただでさえ困難な状況下で更に厳しい戦いを強いられる。幾らブラッドと言えど2人でのミッションには厳しすぎる相手だった。

 既にエイジ達も同じくプリティヴィ・マータと対峙している。まるで見えない何かに誘導されている様な感覚があるからなのか、平原に行くと言う考えに踏み切れないでいた。

 

 

「北斗!後ろです!」

 

 時間にしえ僅かなはずだった。先程のプリティヴィマータの回復は自分体が予測した以上の早さで回復していた。

 気が付けば目を攻撃された事で完全に活性化している。

 攻撃の範囲に入ったからなのか、プリティヴィマータの爪は北斗に襲い掛かろうとしていた。

 シエルの場所からも間に合わない。北斗自身も盾を展開するには完全に間合は近すぎていた。

 迫り来る攻撃に対し、回避以外に選択肢はない。しかし、接近を許したからかなのか、今の北斗にとっては最悪の事態だった。

 

 

 



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第90話 辛勝の後で

 背後からの強襲によって北斗は回避行動の選択だけを余儀なくされていた。

 事実、襲い掛かろうとしているプリティヴィ・マータは極東よりも強固な個体。このままでは自身の胴体は真っ二つになるのは確実だった。

 シエルの叫びも空しく木霊する。僅かに見える走馬灯は自身の終わりを本能が告げていた。

 一気に押し寄せる前足は行かなゴッドイーターをも圧殺する。幾ら回避行動を起こしたとしてもこの距離では間に合わない。それだけは間違い無かった。

 距離にして後1メートル。速度を考えれば致命的だった。

 

 

「北斗!」

 

 シエルが叫んだ瞬間、僅かにプリティヴィ・マータの躯体が僅かにブレる。今の時点でエイジ達がここに来ることは不可能であると同時に、シエルもまた攻撃が間に合わない。

 致命的な一撃を貰おうとした瞬間、先程まで命の輝きが見えたかの様に力が籠るプリティヴィ・マータの視線はそのまま光を無くしていた。

 勢いは有れど生命の輝きは一切見えない。今北斗に襲い掛かるのはアラガミではなく、ただの質量体でしか無かった。

 瞬時に何が起こったのかは不明だが、ただの質量体であればどうにでも出来る。それを悟ったからなのか、北斗はそのまま回避をしながら、その勢いを上手く利用していた。

 飛来する質量体の一部を掴むと同時に、右足を軸に素早く回転する。

 本来であれば躯体をそのまま持ち上げる事は困難なはずだった。しかし、今の北斗はそれを可能にしている。

 刹那に何が起こったのかを理解するには少しだけ時間が必要だった。

 

 

 

 

 

「恐らくは変異種だったんだろうね」

 

「やはりですか……何となくではありましたが、実際に対峙するとあれ程厄介だとは思いませんでした」

 

 北斗とシエルがエイジ達と合流したのは、それから10分後の事だった。

 既に討伐が完了していたからなのか、その行動に焦りは無くお互いがそれ程ダメージを負っている様にも見えなかった。

 先程まで対峙したプリティヴィ・マータの事を説明する。返ってきたのは変異種の言葉だった。

 

 

「ここでの交戦記録は全く無かったからね。仮に接触禁忌種と言えど、基本は極東よりも弱い個体の方が多いから、余計に強固な個体の様にも感じたんだろうね」

 

「ですが、まさかこの地域で変異種が出るなんて……」

 

 アリサの言葉に誰もが黙っていた。元々変異種がどうやって出てくるのかは未だに解明されていない部分の方が多かった。

 極東地域に出没する個体はどれもが異常な捕喰欲求を持った成れの果てとの要因も言われているが、それでも詳細に関しては不明のままだった。

 

 蠱毒に代表されるように互いが喰い合う事によって異常に進化する個体。それが変異種だとすれば、今回のこれもまた頭が痛くなるケースだった。

 これまで一度も出没した事が無かったのであれば、それ程問題視する事も無かったのかもしれない。しかし、現時点でそれが確認出来た以上は今後も出没する可能性が高い事だけは間違い無かった。

 何気に出た言葉によって暗い空気が周囲を包み込む。ギリギリすぎた戦いは北斗だけでなく、シエルにとってもショッキングな内容だった。

 

 

「これは本部にも報告する必要があるね。でも、それよりももう一つの問題の方が厄介かも」

 

「俺の方からは何も見えなかったんだが、実際にはどうだったんだ?」

 

 実査に北斗に襲い掛かったプリティヴィ・マータは襲い掛かる途中で絶命していた事だった。

 北斗自身は躯体の死角になっていた為に詳しい部分は一切見えていない。角度的にはシエルだけがその詳細を見ていた事になっていた。

 全員の視線がシエルへと向く。普段であれば受け流すシエルも、今は誰もがその情報を欲しがっているからなのか、自分の感情を冷静に押し殺していた。

 

 

 

 

 

「私が見た箇所からであれば。ですが……」

 

「しかし、そんなのが居れば気配で感付くんじゃ……」

 

 シエルの言葉にアリサは驚いた表情を浮かべていた。

 それ程の状況下で一撃で絶命する程の力を持っているとなれば、下手をすればエイジよりも力量がある事を示す。仮にタイミングや様々な要因があったとしても、それは考えにくい物だった。

 本来であれば、残された遺留物を調べるのが当然だが、アラガミが故に既に霧散している為に調べようがなかった。

 

 

「しかし……ってエイジ。どうかしたんですか?」

 

「いや。ちょっと気になる事があったんだけど、まだ確証が無くてね。一先ずは戦闘指揮車に戻ろう。少し休憩した方が良いだろうから」

 

 思案顔だったエイジに気が付いたアリサはそれ以上の事は何も言わなかった。

 今回の件に関しては本来の目的は討伐ではない。極秘裏に受けた任務がメインだった。

 確かに情報は聞いたが、詳細までを知っているのかと言われれば言葉に詰まる。だからなのか、今はエイジの言葉を聞いて戻る以外に出来なかった。

 

 

 

 

 

「お疲れ様です。そう言えば、通信が入ってますけど、どうしますか?」

 

「繋いでくれ」

 

 エイジ達が戻ると、そこには先程までヴァジュラを相手に奮闘していた人間が休憩していた。

 作戦中だからなのか、何時もの様にリラックスした雰囲気は無いが、それでも少しだけムードが違う。余程自分達が上げた成果を味わっていたからなのか、今はそれをそのままにつながっている通信を取っていた。

 

 

「ミッション中に済まない。実は先程まで観測していたアラガミの反応が消滅したんだ」

 

「他の個体か何かの影響ですか?」

 

「いや。こちらのレーダーで確認した為に間違いは無いとは思うが、捕捉していたのは今回の目標でもあるディアウス・ピターだと思われる。事実、先程まで君達が交戦していたプリティヴィ・マータも捕捉済みだったからね」

 

「ロストした可能性は?」

 

「消滅後は広域にまで拡大したが、やはり他の個体反応はあれど、捕捉した個体は無い。我々としても現時点で作戦を続行せず、そのまま中断とするつもりだ。既に作戦命令は出ている。済まないが、そのまま帰投してくれないか」

 

「了解しました。我々も少しだけ確認したい事が有りましたので」

 

「では帰投後に」

 

 通信の相手はまさかのフェルドマンだった。元々今回の作戦は情報管理局が主導となった立案だけに、フェルドマンが出てもおかしい部分は何処にも無かった。

 消滅した個体と先程の突然のアラガミの変化。通信を切った後のエイジは少しだけ嫌な予感を感じていた。

 仮に自分が考えている事が事実だった場合、最悪の展開になる可能性が高い。今の時点では何も確認出来ない以上、まずは帰投するより無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フェルドマン局長。少しお聞きしたい事があります」

 

「なんだね?」

 

「今回の作戦の中であわやと言う部分が戦闘中にありました。これはレーダーでも確認出来ない事実ですが、今回の相手になったプリティヴィ・マータのうち、最後に討伐したのは変異種の可能性が高いと言う事です」

 

「そうか……ここでも出没する様になったか」

 

 エイジの言葉にフェルドマンの視線は僅かに鋭くなっていた。

 変異種がどんな存在であるのかは極東に少しだけ滞在したからなのか、大よそながらに理解している。

 只でさえ接触禁忌種のアラガミが出た時点で蜂の巣を突いた様になるにも拘わらず、ここに来て変異種の存在は厄介以外の何物でも無かった。

 

 見た目は殆ど変わらず、対峙した者だけがその凶悪さを理解している。今回の様なケースであれば尚の事厄介だった。

 本来であれば北斗達も苦戦する事は無かったのかもしれない。偶然にも狭所だったが故に苦戦したと言った方が正解だった。

 多少の油断は有れど、場所が開かれた所であれば紙一重の攻防にはならなかったはずだった。

 苦戦した事実はフェルドマンも知っている。フォローと言う訳では無いが、多少なりとも必要だろうと判断した結果だった。

 

 

「だが、討伐したのもまた事実だ。今は少しだけ身体を休めてくれ」

 

「では、お言葉に甘えて本日はそうさせて頂きます」

 

 エイジはその攻防でのやり取りに関してフェルドマンに話すつもりは無かった。本来であれば言う必要はあるかもしれないが、完全に確証があった訳では無い。

 下手に騒ぎを大きくするのであればその前に無明に相談した方が良いだろうと判断した結果だった。

 伝えるべき事を伝えたからなのか、エイジはそのまま退出する。一先ずは確認する事を先決に、無明の下へと移動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 湯気が出た室内は周囲を見えにくくしているのか、ボンヤリと鏡に映るその姿は身体のラインから女性だと辛うじて理解出来る程度だった。

 頭上から流れ出るお湯を幾ら浴びようとも、あの時の光景が何時までも瞼の裏に浮かんでくる。

 なぜあの時、自分は叫ぶ事しか出来なかったのだろうか。結果的には助かったのは間違い無いが、それと同時に自分は何も出来なかった事だけが真っ先に浮かぶ。

 仮にアリサだったどうだったのだろうか。そんな取り止めの無い感情が今のシエルの中で浮かんでは消えていた。自身の身体を打ち付けるかの様に水音だけがただ聞こえる。それは自分が無力だと言っている様にも思えていた。

 

 

「私は無力…でした……」

 

 シャワーを浴びながら呟く言葉すらお湯と一緒に流れる様に感じる。気が付けば既にそれなりの時間を過ごしていたからなのか、シエルは思い出したかの様にシャワールームから徐に出ていた。

 ドレッサーの前で髪を乾かし、バスタオルで水を拭う。どこかぼんやりとしているからなのか、珍しく周囲の気配を探る事はしなかった。そもそも今は休憩中。部屋には誰も居ないはずだったのだから。

 

 

「シエル……シャワールームだったのか?」

 

「え、はい。そうです」

 

 不意に名前を呼ばれた事によってシエルの意識は現実へと戻っていた。やはり長い時間居たからなのか、そこには同室でもあった北斗の声が聞こえていた。

 呼ばれた事に当然の様に返事をする。そこまでは当たり前の行動だった。乾かした髪をそのままに声の主へと顔を出す。その時点で今の状態を完全に考える事を失念していた。

 

 

「……悪い。着替え、ここだよな」

 

「え……す、すみません。お見苦しい物を見せてしまいました」

 

 北斗の顔は僅かに赤くなっていた。どうやら着替えを持っていたと思ったものの、出てきたシエルはバスタオルを1枚巻いただけの格好だった。

 何時もとは違い、同じ部屋。入る時には北斗が不在だったのと、自身が少しだけ落ち込んでいたからなのか、シエルもまた同じ部屋である事を完全に忘れていた。

 自分の状態を判断したからなのか、北斗は反対側を見ている。シエルもまた自分の顔が赤くなっている事を自覚しながらも着替えを慌てて手にしていた。

 

 

 

 

 

「どうしたんだ?珍しいとは思ったけど」

 

 慌てて着替えた為に、シエルの髪はまだ水気が残っていた。本来であれば完全に乾かせば良いのかもしれないが、今度は髪がゴワゴワになる。

 だからなのか、何時もの様に少しだけ湿り気を残していた。

 

 

「いえ。少しだけ思う所がありましたので」

 

「そうか。だが、あれは完全の俺の落ち度だ。シエルが気に病む必要は無いぞ」

 

 北斗の言葉にシエルは改めて当時の事を思い出していた。

 あの窮地で生き残れたのは偶然でしかない。どんな可能性が有ろうとも、自分は完全の無力でしかなかった。

 あのままであれば何らかのダメージだけは確実に受けて居るはず。それを考えたからなのか、シエルの表情は再び暗くなっていた。

 

 

「ですが……私は副隊長として北斗の隣に立っていたいんです。それなのに私の判断ミスでこうなったのは明らかに私の落ち度ですから……」

 

 北斗が何を言おうが、今のシエルの考えが治る事は無かった。

 それと同時に北斗には一つの懸念があった。

 シエルは元々ブラッドに来た際にも自分の事だけで精一杯だったからなのか、人とは違った考えを持つ事が多かった。

 ゆっくりと時間を欠ける事によってブラッドとの隙間の様な物が埋まって行った記憶がある。実際にこれまでブラッドが中心となってやって来たミッションに失敗やヒヤリとする部分はそう多く無い。

 幾らゴッドイーターと言えど、完璧超人ではない。誰だってミスの一つや二つはする。そんなゆとりを少し持ってほしいと考えていた。

 そんな中、今は周りに頼れる人間は居ない。ナナにせよ、ロミオにせよ今は極東の地で戦っているはず。北斗自身が出来る事をやるしかなかった。

 そんな取り止めの無い事を考えていた時だった。来客を示すノック。それが今の北斗とシエルにとっては少しだけ空気を変えるキッカケになればとドアを開けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本部周辺にもこんな店があったんですね」

 

「僕も詳しい事は分からないんだけどね。兄様がここに来る様にって事だったから」

 

 エイジはアリサと一緒に無明が指定した店へと足を運んでいた。

 元々の予定が既に確認出来ないとなれば、無理に捜索するのが通例だが、今回に関しては上からの命令は無いままだった。

 元々ディアウス・ピターの反応が消えたのと同時に、本来の目的の反応をキャッチしている。何も知らされなければ気にもならない反応ではあるが、それを知っている人間からすれば、対外的に捜索をするのは下策だった。

 

 完全に詳細を無明は伝えていない。エイジは何となくでも理解しているが、肝心のアリサがどこまで知っているのかは、まだ未知数だった。

 仮に本当の事を話したとすればどんな反応を見せるのかはエイジにも想像出来ない。

 結果的には出たとこ勝負になるのは明白だったが、それでも避ける事が出来ない事実に少しだけ悩んでいた。

 

 

「でも、食事だけって感じじゃないですよね?」

 

「だろうね。実際には盗聴の危険性もあるし、下手に中で話す訳には行かないからね」

 

「だとすれば北斗さん達は大丈夫なんでしょうか?部屋に行った際に少しだけ空気が何時もとは違った様にも感じましたけど」

 

「多分お互いに気を使ってるんじゃないかな。僕らと違って一緒の部屋で過ごすなんて事は無いんだからさ」

 

「そうですか?そんな感じでも無かった様な……」

 

 エイジの言葉にアリサは少しだけ思い出していた。

 元々家族用の部屋を要求した後、北斗達も同じく部屋が一緒になった事は聞いていた。

 しかし、本部には元々人の出入りは他の支部以上に多い。本当なら後でも変更が出来るのは当然だった。しかし、部屋替えの気配はどこにも無い。これが何時ものアナグラであれば焚き付ける様な事もするが、生憎とここではそんな事をする暇すら無かった。

 エイジに向けられる感情の牽制には成功したが、世間はそれで諦める程単純では無い。攻める事も大事だが、護る事も大事である。

 アリサは時間のゆとりがあればエイジと一緒に過ごす事が多かった。

 

 

「どうやら着いたみたいだ」

 

 欧州の中にありながら、その店だけは何時もの見慣れた雰囲気の様にも感じていた。

 ここは屋敷をモデルにしたかと思える程に純日本家屋造りの建造物。既に準備は完了しているからなのか、エイジ達の出迎えが待っていた。

 

 

「ようこそ。既にお待ちになっておりますので」

 

「有難うございます」

 

 会釈をしながら女中の後ろを着いて行く。まさかこんな場所でこんな環境を見るとは思わなかったからなのか、エイジだけでなくアリサもまた驚きながら後ろをついて行くより無かった。

 到着した部屋の襖がゆっくりと開かれる。そこには既に待っていたのか、無明が座っていた。

 

 

「遅くなりました」

 

「いや。俺も先程来たばかりだ。気にするな」

 

 着くと同時に女中はそのままお茶だけを用意し、そのまま退出する。

 元々極東出身だったからなのか、その所作は洗練されていた。お茶が出た時点で暫くは部屋には近づかない。そこにはそんな意味が込められていた。

 

 

 

 

 

「それで今回の用事は一体?」

 

「実はこちらでもアメリカ支部に関してのデータを探っていた。殆どの内容はこれまでの調べた物と大差なかったが、新たに分かった事実が少しだけあった。それと同時に懸念事項もだが」

 

 無明の言葉にエイジだけでなくアリサや北斗、シエルもまた任務時のブリーフィングと同じ表情になっていた。恐らくここは盗聴の心配が無いのだろう。本来であれば何らかの警戒をしながら説明をするが、この部屋ではいきなりの本題からだった。

 

 元々の裏任務とも言える内容はここに居る全員が理解している。既に聞かされた任務の追加情報である事は理解していたが、その内容までは何も知らないままだった。

 無明の口から調べた結果が次々と公表される。予想以上の結末に誰もが改めて今回のミッションの難しさを実感していた。

 

 

「それと参考に一つ確認したい事があります。堕ちた者(フォールマン)の件ですが、実際に成功した事例は全部で何体でしょうか?」

 

「今の時点で確認されているのは2体。男のバージョンと女のバージョンだ」

 

「因みに知識や知能はどの程度になりますか?」

 

「これについては現在調査中だ。元々の原因を作ったアメリカ支部では完全に会話が可能な個体もあったらしい。我々としては困った話になるがな」

 

 無明の言い分はもっともだった。下手に知性を持っているとなれば、今度は処分する際に、色々な問題を孕んでいた。

 元々オラクル細胞の過剰投与をした事によって作り上げるが、意識がるとなれば当然、始末する際に問題があった。

 

 自分達の様に裏の任務でやってるならばともかく、アリサや北斗、シエルにとっては厳しい選択をい迫られる。当然、隊長であれば介錯の延長でもある為に、ある意味では当然の結果ではあるが、それでもまたメンタルの部分に何らかの影が落ちるのは得策ではなかった。

 それと同時に、既存のゴッドイーターに比べれば格段に戦力としては向こうが上になる。下手をすれば返り討ちに合う可能性もあった。

 アラガミの様に大きな躯体ではなく、人間サイズとなれば厳しい戦いが待っている。

 これまでに取り寄せた内容から判断した結果はまさに驚愕の一言でしかなかった。

 一度そうなった者は元には戻れないと言った結末に誰もが息をのむ。アラガミに攻撃された結末ではなく、第三者の悪意によってなされたそれはやはり精神的にも思う部分が多分に存在していた。

 自分の意志では戻れない。意識が無ければ問題が無い訳では無いが、やはり有るよりは無い方がまだ気持ちの切り替えは簡単だった。

 

 

 

 

 

「今回の件に関しては事実上は情報管理局の管轄になる。特に今回の件にあの『神喰教』も絡んでいる。厳しいとは思うが、それも頭に入れておくと良いだろう」

 

「了解しました」

 

「それとこの件に関しては完全に本部内での会話はするな。絶対とは言わないが、盗聴の可能性もある」

 

「そうでしょうね」

 

 無明の言葉に北斗とシエルに肩が僅かに揺れていた。やはり、あの時何か重要な話をしていたのだろう。エイジは気が付かなかったが、アリサだけはそれに気が付いていた。

 話は終わりを見せると同時に料理が運ばれてくる。そのまま食事をする事になっていた。

 

 

 



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第91話 動き出した悪意

 廃墟の様な建物の中は予想通り人の気配を感じる様な事は無かった。

 時間は既に日付が変わろうとしているからなのか、時折聞こえるのは哨戒の為に動く人間の出す音だけだった。

 元々宗教施設にも拘わらず、銃火器を持った人間が周囲を監視するかの様に歩いている。これまでに見た記憶が一度も無いが、来ている服装から信者ではなく幹部かそれに属する人間の様にも見えていた。

 気配を殺しながら3つの影がゆるりと動く。それぞれが黒装束を身に纏うと同時に、音も無く只ひたすら目的地まで移動していた。

 

 

「そろそろだ。十分に気を付けるんだ」

 

「了解です」

 

 無明の言葉にエイジもまた小さく返事をする。

 教団の調査が完了したと同時に、行動に移すまではかなり早かった。

 事前に調べた結果、実験は既に次の段階へと移行しているからなのか、知らされた情報を見た感想は迅速な対策の必要性。元々手順を考えた訳では無かったからなのか、準備から実行までの行動に澱みは一切無かった。

 影から影へと移動する。時折哨戒の人間に出くわすも、やはり感付かれる事は無かった。

 事前情報が正しければこの先に目的の場所があるはず。気が付けば哨戒に立っている誰もが今まで以上に警戒していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、今回の件ですが、私も同行させて下さい」

 

「ダメだ、それは出来ない。アリサ、今回の任務は裏の仕事であると同時に、ある程度の技量が必要になってくる。今でのお前では完全に足手まといだ」

 

「ですが、私だけがこのまま待機だなんて、納得できません」

 

 教団の情報が次々と浮かび上がる頃、一つの事実が公表されていた。

 以前に実験したデータから分かったのは、墜ちた者は異常な程に攻撃能力が高く、また最悪は自分が返り討ちに合う可能性だった。

 如何にゴッドイーターと言えど、自分の肉体の限界を超えてまで対峙した相手を討とうとすれば、その反動は決して小さい物ではない。

 肉体の限界値を超えた攻撃はアラガミ以上に厄介でしか無かった。

 

 通常であればアラガミの場合、これまでの経験から無意識に力が入る為に防御すれば事故は起こらない。

 通常種だろうが変異種だろうが一定の割合での攻撃のパターンに多少の変化はあれど、その躯体から繰り出す攻撃には一定の法則が存在している。その為に防御による対処は少なからず命を守る可能性を高めている。しかし、これが人型であれば話は変わる。

 どれ程の戦闘技量を有しているのか分からない状態での交戦は余りにも危険過ぎていた。

 

 アラガミの様に躯体の大きさによる攻撃は確かに厄介かもしれない。しかし、それと同時に大きな隙も必ず生まれる。幾ら強靭とは言え、極東で生き残った技量からすれば難しい話ではない。しかし、人型の場合、攻撃の方法が多彩になると同時に、肉体の限界を超えた一撃は事実上のアラガミの一撃に匹敵する。無明やエイジ程ではないが、アリサも以前よりも技量は高いが、それでもエイジと同等かと言えば首を横に振るしか無かった。

 無明とてアリサの気持ちは分からないでもない。しかし、以前とは違い、身内になった今、無駄な血を流してほしくはない。そんな考えが前面に出ていた。

 

 

「アリサ。何をそんなに焦る?」

 

「焦ってる訳ではありません。私も……私も屋敷の人間として、同じ様に歩みたいんです」 

 

 無明の言葉にアリサは身の丈の思いを吐き出すかの様に打ち明けていた。

 元々今回の任務の内容はエイジも完全に知っている訳では無かった。

 知っているのは情報管理局から来た依頼内容だけ。その詳細に関しては現地入りしない事には判断出来ないとの思惑があったからだった。

 事実、オーバードースさせる事によって作られた物を自身の野望の為に使うとなれば、既に結末は決まっている。

 ましてや一度は法の裁きを受けたにも拘わらず、その過程で今に至った以上、その末路は言うまでも無かった。実際にアリサとて裏仕事が何なのかは理解している。

 それはエイジからではなく自分よりも先に屋敷に住まう事になったツバキからだった。

 初めて聞いた際には衝撃の内容ではあったものの、それを聞いてからアリサは漸く本当の意味で理解していた。

 屋敷は決して個人だけで回る物では無い。先人の犠牲と今に至る結果である。まだ初めて来た当初は何となく理解した事実を今になって理解する事になっていた。

 

 

「手にかけるのがアラガミでなくても良いのか?」

 

「………ですが、エイジだって」

 

「エイジは既に己の使命を理解している。アリサ、お前の救出の際には既にそれを手にかけている」

 

 無明の言葉に、アリサは内心では薄々感じていた事を再確認させられていた。

 あの当時、アラガミ以外の人間の方が圧倒的に多い事は何となくでも感覚で理解していた。

 ゴッドイーターの力は人類を護る為にあり、いかなる理由があろうと人に向けて振るって良い力では無い。それは誰もがゴッドイーターになった際に一番最初に言われた言葉。

 幾ら何を言われようが、それは紛れもない事実だった。

 驚異的な力の代償がフェンリルの鎖に繋がれる当然の結果。仮に破れば自身のオラクル細胞はやがてアラガミへと変貌させる力を持ち人から人でならざる者へと変貌する。

 最終的にはこれまで味方だった者から刃を向けられる事になる。それが本当の意味でどれ程危険な事なのかを解っているのであれば、その言葉が出るはずがない。無明は暗にそれを伝えていた。

 

 

「薄々は感づいていました。エイジは多分、私には何も言うつもりは無いと思います。ですが、言い方を変えれば、そうさせたのは私の責任でもあります。仮に行先がどこになろうが、私はエイジの手を離すつもりはありません」  

 

 無明に対し、アリサは言い訳や口当たりの良い言葉を発するつもりは一切無かった。

 何も知らない人間が聞けば暴論だと言えるのかもしれない。しかし、一緒になってから自分が貰ったのはそんな口当たりの良い物ではなかった。

 常に戦場の最前線に立ち、周囲を鼓舞し自己犠牲など微塵にも思わない。だからこそクレイドルの皆が一丸となっている。

 もちろんその中にはアリサ自身も含まれている。しかし、幾らエイジと言えど人間である以上はいつかどこかで立ち止まる日が来る。その時にはそっと寄り添えるそんな存在になりたい。そんな想いがあるからこそアリサの視線が外れる事は無かった。

 

 

「そうか……エイジ、聞いてただろ」

 

「え……」

 

 無明の言葉に影から出てきたのはエイジだった。アリサの本音を確認する為なのか、それとも無明の指示で居たのかは分からない。しかし、先程話した言葉は間違い無く本心からだった。

 一方のエイジは既に気持ちはこの後に向っているからなのか、何時もとはどこか雰囲気が違う。止められるかもしれない。でも、アリサはそれでも着いて行きたいと考えていた。

 

 

「兄様。今回の件にはアリサも同行させて下さい」

 

「そうか……それがお前の下した判断なんだな」

 

「はい。異論はありませんので」

 

「アリサ、これに着替えて直ぐに準備するんだ」

 

「……分かりました」

 

 元々用意してあったからなのか、黒装束はアリサの寸法に合わせた物になっていた。

 これから始まるのは通常のミッションではなく、完全なる極秘任務扱い。自分で啖呵を切ったまでは良かったが、今になって僅かにてが震えている。

 本当に自分でも出来るのだろうか。自制心で震える手を止め、アリサはゆっくりと合流の場所へと歩き出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見張りなど役に立たないと言わんばかりに影は静かに移動を続けていた。

 以前の様に監視カメラがある訳では無い。事前に調べた情報からは純粋に教団としての活動をしている部分もあるからなのか、違和感は何も感じなかった。

 勿論、絶対というのは存在しない。だからなのか、監視の目だけでなく、常に周囲を確認しながら目的の場所まで一気に進んでいた。

 

 

「エイジ、気配は感じるな?」

 

「はい。ですが、何だか嫌な予感がします」

 

 無明の言葉にエイジは思った事をそのまま口にしていた。

 部屋の中では何かをしているのは気配でも分かるが、問題なのはその内容だった。

 鼻につく様な匂いと同時に何か物音が聞こえる。詳しい事は分からなくても、それがまともな事では無い事だけは間違い無かった。

 僅かに漏れ出る音が何なのかが分からない。適当に行動するのではなく、その様子をまずは確認する必要があった。

 

 

 

 

 

「さて、新たな実験体が漸く揃ったか。まずは手始めにここからするとしよう」

 

「顔に大きな火傷の痕が残った女性は、囚われた新たな実験体に何かを投与しているからなのか、画面の数値を確認しながら手元の端末を操作していた。

 目の前には囚われたばかりなのか幾つものチューブが腕に刺さっている。端末を叩くと同時に何かの液体がチューブを辿り、体内へと入っていく。

 まるで抵抗するかの様に囚われた女性は小刻みに身体が震えていた。

 

 

「ふむ。思ったよりも良い数値を出している様だな。これなら新たな神を作り出せるかもしれん」

 

「どうかね。実験の方は順調に進んでいる様だな」

 

「当然だ。私を誰だと思っている。だが、この結果はそちらの力があっての話。もう暫く待つと良い」

 

 ビューラーに話かけたのはこの教団の責任者なのか、白いスーダンと肩にかけたアルバが地位の高さを示していた。

 元々教団はアラガミを祭る事によってそれを鎮めると言った、半ば自然の成り行きで出来た様な物だった。当初は心の拠り所としての役割をもっていたのかもしれない。そんな雰囲気が服装に現れていた。

 しかし、純粋な願いは何時しか歪みを生み出したのか、気が付けば人を攫って贄とする、どこかカルト的な物へと変わりつつあった。本来有るべき神への供物。それが無ければ自身の肉体を捧げるのが当然とばかりに、教団とは名ばかりになっていた。

 

 勿論、ビューラーはその事実を知った上で厄介になっている。それは偏に実験をしやすい環境を持っていたからに過ぎなかった。

 そんな中、神を食い荒らす神機使いを駆逐する為に神が墜ちた者として今に至っていた。

 実験は既に成功しているからなのか、アラガミの偏食因子を取得する為に2人の墜ちた者が活動を繰り返す。あの時北斗とシエルに襲い掛かったプリティヴィ・マータもその仕業だった。

 変異種の様にオラクル細胞の働きが強ければ更なる強固な個体を作り上げる事も可能となる。そんな思いだけがそこに存在していた。

 

 

 

 

 

「兄様。あれはやはり……」

 

「そうだ。ここで作っている。それと先に言っておくが、あれはもう助からない。既に容認出来る摂取量は遥かに越えている」

 

「ですが、このまま放置する訳には」

 

 様子を見たものの、既にかなりの量を投与しているからなのか、女性は少しづつ元々の色を失いつつあった。

 自然界にはあり得ないはずの存在。それと同時に、無明を除く2人は少しだけ何かを感じ取っていた。まるでシオの様に真っ白なそれ。まさかの可能性に思わず無明を見ていた。

 

 

「墜ちた者は元々特異点となる物に近い。だからこそ、全ての生命力を力に転換する為に、余計な物は削ぎ落ちていく。その結果として色素が完全に抜け落ちている。まだ自我があるかは分からんが、あれは既に人間ではない」

 

「だとすればシオもまさか……」

 

「あれはこいつらのそれとは全く違う。榊博士が提唱した進化の袋小路に入った存在であるのは今でも否定しない。だが、見えるあれはその擬きだ。何が起こるのかは誰も予測出来ない。

 特異点の力を昇華させた今は終末捕喰の可能性は無い。幾ら聖域があるとは言え、万が一の芽は早急に積むのが先決だ」

 

 まさかの言葉にアリサが驚愕の表情を浮かべると同時に安堵もあった。

 元々聖域は極東支部と一部の本部の人間しか知り得ない事実ではなるが、その最たる物がゆっくりと終末捕喰が進んでいる事実だった。

 地球の意志として今現在も継続している為に、新たなそれが起こる可能性は無い。しかし、アリサだけでなく、エイジもまたそれとは違う意味での感情を持っていた。

 自分達やブラッドが命を懸けた戦いの末を見事に穢している。そんな気持ちが湧き出ていた。

 しかし、それと同時に、ここからどうするのかはアリサには想像出来なかった。ここから移動しよう物ならばかなりの距離になる。幾ら隠密に行動した所で、近づく頃には確実に気が付かれるのは当然だった。手段を思案するも、無明とエイジにそんな感情が感じられない。だからなのか、アリサはそれ以上考える事を放棄し、今は様子を伺う事を優先していた。

 

 

 

 

 

「博士。そろそろ実験の成果はどうです?今回の素体は我々も随分と苦労しました。以前に聞いた話の通りであればこの素体は我々の管理下でと記憶していますが、どうでしょう」

 

「実験はそう簡単にはいかん。今回の実験にはまだまだ時間が必要だ。言いたい事は分かるが、制御できなければ次に襲われるのは貴殿達だ。それでも尚、急がせると言うのか?」

 

「本当に完成させるつもりがお有りで?」

 

 ビューラーに近づいた教団の責任者らしき人物はどこか苛立ちを隠す事無く自分の都合だけを伝えていた。

 教団としては神を制御する為の手段として考えているが、実際にビューラーが実験している墜ちた者はそんな生優しい物ではなかった。

 

 これまでのゴッドイーターを遥かに越えた能力をもち、その力は幾ら優秀なゴッドイーターと言えど、瞬時に屠るだけの力量があった。本部やアメリカ支部のゴッドイーターのデータをベースに作られたそれは、確実にこの地に血の雨を降らせる事も簡単だった。

 既存のデータを収集し、それ以上の力を与える事によって、当時の自分が提唱した究極の存在。

 あの時は邪魔が入ったのと、想定外の意志によって阻まれたが、今の研究の成果は完全にその不合理な判断を排除している。言葉が片言なのは感情を完全い失わせた結果だった。

 自我を持たせれば当時の二の舞になるかもしれない。そんなビューラーの中にあった反省を完全に活かしていた。

 また、自身の腕や足にはこれまでに無いアラガミの部位を持って攻撃に転じる事も可能となっている。事実、あのプリティヴィマータの息の根を止めたのはビューラーが造りし者がやった事だった。

 気配を消しながら、死を誘う一撃を加える。究極の神機使いを作るその一点だけしかビューラーの頭の中にはなかった。一度捕縛され法の裁きを受けている以上、何が起こっても犯罪者である事に変わりはない。

 ただでさえ、極東発の事件はどれもこれもが既存の技術を一瞬にして過去の物へと葬り去るだけの技術を発表している。

 今のビューラーにとって教団の人間など自分にとって都合の良い存在でしかなかった。

 下手に能力があり、世間が考える以上の技術を持つ研究者にとって自分の上を軽く超える存在は到底容認できない。そんな狂気の様な感情が今のビューラーを支えていた。

 

 

「当然だ。貴様等の様に攫ってきたり洗脳している訳では無い。適当な者では完成しない事はこれまでに何度も伝えたはずだが?」

 

「だが、当初の予定からは大幅に過ぎている、当然だが、契約は守る為にあるのはご存じかな?」

 

「……これだから素人は困る。良いか、一度しか言わない。貴様等の様に簡単に出来る物では無い。只でさえ実験の素体の入手が困難になりつつある中から厳選してやっている。細かい事など言う前に、自分達のやれる事をやったらどうなんだ?」

 

 教団の人間に一瞥する事も無くビューラーは端末から視線が動く事はなかった。決められた情報は自分の頭脳の中にしか無いからなのか、動くその手に澱みは無かった。

 

 

 

 

 

「……何ですかあれ?人を何だと思てるんです?」

 

 遠目から確認したからなのかこちらの気配を感じる事は無いままに終わっていた。

 漏れ聞こえる内容は人間の尊厳など最初から無いに等しい会話。あまりにも醜悪過ぎたからなのか、アリサは本当にこれらは人間の所業なのかと考えていた。

 

 

「落ち着け。ここで感情を爆発させた所で何も事態は好転しない。それとこちらを勘付く可能性を高めるな」

 

「……そうですね」

 

 無明の言葉にアリサは落ち着きを取り戻していた。そんな光景を見て少しだけ会話を思い出していた。『今回の』と言うのであれば、他の個体があるのかもしれない。しかし、自分達が見える範囲にはそれらしい者は一切見えない。嫌な予感だけが胸中を走る。その疑問は瞬時に解決していた。

 

 

 

 

 

「き、貴様……私はこの教団のトップ……だぞ。こんな事をして……許されると思ってる…のか……」

 

「知れた事だ。貴様が言う教団とは自分の事を持ち上げるだけの存在。そして、アラガミを神とあがめるのであれば、私が造りし者はその神を従え、消滅させる者。そもそも格が違うのだよ。

 言っておくが私は貴様の事など最初から当てにするつもりは無い………ああ、それでもこの施設を提供してくれた事だけは感謝してやろう。さぁ、貴様が言う神の下へと旅立つが良い」

          

 先程まで話をしていたはずの教団の責任者の背中からは太い針の様な物が生えたかの様に出ていた。白いスーダンは針の周りからゆっくりと赤い染みを作って行く。まるでゴミでも棄てるかの様に動かなくなった身体をそのまま放り出していた。

 

 

「…コレ、ジャマ」

 

「良くやった。事前に伝えた物は用意できたか?」

 

「……マダ。シカシ、ホンブニハ…スデニ……ムカッテル」

 

「そうか。ならば待とう。ほら、もうすぐお前達の妹が完成するぞ」

 

 先程まで話をしていたそれは最初から無かったかの様に話を続ける。既に実験は終わりと告げようとしているのか、気が付けば目の前にあるのは色素が抜けたそれ。兄妹とは言うものの、元々のつながりは何も無い。それ以上は何を言うのかすら必要は無かった。

 

 

 



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第92話 見えない襲撃

 情報管理局が依頼した任務の事は北斗とシエルも聞きはしたものの、現状は本部に待機する結果となっていた。

 元々の能力を勘案すればアリサではなく、シエルが同行するのが望ましいものの、今の状況下ではそれは無理だと判断せざるを得ない状況になっていた。

 

 一番の理由は本部に召喚された内容。アリサは元々サテライトの技術発表やその運用に関する内容を種に来ていた為に、実際にはレポートを提出するだけで問題は無かった。

 元々情報管理局が依頼した内容を他の部署が横槍を入れるケースは殆ど無い。仮に入れるのであればそれ相応の対価が常に必要だった。

 

 しかし、ブラッドに関しては聖域に関する内容だった為に、ジュリウスが常時送っているレポートだけでなく、現状がどうなっているのかを公表する必要があった。

 幾ら綺麗事を言おうが、本部の貴族からすれば庶民の安寧を図るサテライトよりも、今後の益が確実に見込める聖域の方が確実に旨味が有る。当時サテライトの件で本音を聞いた際に、北斗とシエルは思わずアリサを横目で見る事しか出来なかった。

 サテイライトの有用性は一般の人間から見れば希望ではあるが、資本を提供する貴族からは良く思われていない事を熟知している。事実、資本の投下の割に旨味が少ないのは事前の計画の段階から既に予測出来る事実だった。

 

 幾らフェンリルと言えど、全ての事を施す事は出来ない。限られた資本は出来る限り自分達に還元されなければ投資する為の対象にはならない。だからこそ、最近までフェンリルとしてもサテライトに関する予算を付ける事を渋っていた。

 北斗とシエルは基本的にサテライトに関する裏事情は何も知らない。だからなのか、怒りのあまりのとばっちりも脳裏を過ったが、当のアリサは意にも介す事無く何時もと同じだった。

 

 

「しかし、聖域の事はまだ手探りにも拘わらず、こうまで食いつくとは……人間不信になりそうだ」

 

「ですが、逆の言い方をすれば今回の件でのプレゼンテーションが良ければ、今後は資金も聖域に流れてきます。そうすれば農業事業は更に良くなると思いますよ」

 

「農業そのものはジュリウスの管轄だからな。正直な所、俺はついて行く事は難しいんだよ」

 

「確かにそれは否めませんね」

 

 休憩時だったからなのか、北斗とシエルは本部のラウンジで一息ついていた。

 元々気軽に話せばい良いと思ったものの、実際にはそんな事は甘い幻想でしかなかった。

 

 事前に詳細が記載された資料が手に渡っていたからなのか、聖域の農業事業には多種多様な質問が投げかけられていた。

 幾ら本部と言えど、情報管理局が依頼した聖域の管理に横槍を入れる様な真似は絶対に出来ない。実際にジュリウスだけではないが、聖域でとれた農作物の行方は榊と無明以外は弥生以外誰も知らない。今の極東に於いては、事実上の技術輸出が殆どだからなのか、逆に他の支部から仕入れる内容は微々たる物だった。

 

 実験農場で作られた野菜類は旧時代の様に1世代だけで終わる様な物ではなく、残った種を上手く活かせば、今後は農作物を転用しながら向上出来る可能性があった。その結果、極東産の物は全てに於いて高品質になっているからなのか、些細な物も本部まで来る頃にはかなりの値段になっていた。

 そんな中で純粋にオラクル細胞の影響を受けない食料は貴族からしても高根の花。

 旧時代では当然の様に口に出来たはずの物が、今では元が何から合成されたのかすら分からない物質で出来た物を口にしている。それであれば多少なりとも無理をしても聖域に関する事業に食い込みたいだけでなく、管理はブラッドが行っている事もあり常に色々な意味で注目されていた。

 しかも、今回の出席者はブラッドの隊長と副隊長。誰もが同じ事を考えた結果、北斗とシエルの下には人が殺到していた。

 

 

「ですが、我々よりもエイジさん達の方が大変ですから」

 

「ああ。でもあの話を初めて聞いた時には流石に驚いた。まさかそんな事があったとはな……」

 

 シエルの言葉に北斗は改めて溜息を吐いていた。

 事実上の暗部の仕事は今に始まった事ではない。無明が色々とやっている事は薄々感付いていたが、まさか直接なやり取りをしていたのは初めて聞いた事実。それは北斗だけでなくシエルもまた同じだった。

 

 

「あの、饗庭さんとアランソンさん。お手数ですが、局長がお呼びしておりますので、至急局長室まで宜しいでしょうか?」

 

「フェルドマン局長が?俺達は何も聞いていないが」

 

 

 2人の背後から声をかけたのは、ここに来て最初に応対をしたカウンターの女性だった。あのアリサとのやりとりをした時にはかなりイメージとのギャップが大きいと感じたが、今目の前に居るのは完全に仕事モードなのか、どこか冷たい感じがしていた。

 

 

「詳しい事は不明ですが、早急にお願いしたいとの事です」

 

 今回の件に至っては完全にフェルドマンが全ての事を仕切っていた。

 お互いが名目の沿う形で割り振られていたからなのか、突発的な話であれば確実にアラガミに関する事実しかない。未だ本部には北斗達と肩を並べる神機使いが居ないからなのか、詳細を聞く前に既に表情は自然と厳しい物へと変化していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「急に呼び出してすまない。実は少しだけ厄介な事が起こってね。君達にはすまないが、出動要請をかけさせて貰うつもりだ」

 

「それは構いませんが、対象となるアラガミは?」

 

「実はまだ未確認だ。だが、大よその事は既にこちらも掴んでいる。敵はあまりにも強大でね。出来る事なら君達にそれを任せようかと思っている」

 

 フェルドマンの言葉に北斗とシエルは緊張していた。正体不明となれば相手は確実に新種の可能性が高かった。

 新種のアラガミの討伐ともなればデータが何一つ無いままに手探りでの交戦が基本となる。事実、極東ではその任務の大半はクレイドルが請け負っていた。

 もちろん、2人も出来ない訳では無い。ただ純粋にアラガミの能力を引き出す為の術を熟知しているのはクレイドルだからこそ、何度も同じ相手に出撃するのではなく、1回の戦闘で全てを暴く必要があった。

 情報不足による完全討伐は余程の事が無い限りやらない。今後の事を考えればそれはある意味では当然の事。それが今の極東支部のルールだった。

 

 

「あの、お言葉を返すようですが、正体も何も分からないアラガミであれば対策の立てようもありません。せめて相手の大きさなどは教えて頂けませんか?」

 

「確かに何も言わないままに戦場に放り出すのは我々にとっても無益でしかない。だが、今回の件に関してはあくまでも予想されるであろう内容である事を頭に入れておいてほしい」

 

 シエルの言葉に答えるかの様にフェルドマンは極秘である事を前提に今回の内容に関して2人に説明をしていた。

 詳細はまだ話す必要が無いと判断したからなのか、フェルドマンの口からは今後予測されるであろう事態が次々と出てくる。

 当初は全く意味が分からない内容に疑問を持ちながらも、質問は全てを聞かないと判断出来ない。それが功を奏したのかフェルドマンの説明は何一つ淀む事無く2人に伝えられていた。

 

 

「では、今ここにエイジさん達が居ないのもそれが真の目的だからですか?」

 

「そうだ。だが、ここにはまだ詳細は伝えられていない。通信も既に内部に潜入している為に殆ど分からないままだ。だが、一つだけ言えるのは、これまでのアラガミとは全く異なる点だ。それと理解してるとは思うが、この場で見た後は他言無用だ」

 

 口で伝えるのは困難だと判断したからなのか、フェルドマンは2人にだけ端末にあるデータを見せていた。

 そこにあるのはアメリカ支部で起こった事実。それと同時に当事者でもあったアドルフィーネ・ビューラーの脱獄と教団の関係が記されていた。

 それ以外のデータもあったが、それについては見る必要が無いからとそのまま端末は回収されていた。

 

 

 

 

 

 

「しかし、人型のアラガミか………」

 

「確かに、これまでに闘った事は一度もありませんね」

 

 フェルドマンからの話を聞いた後、2人は自室へと戻っていた。

 フェルドマンから聞かされた事実は少なからず動揺を誘っている。これまでに人型のアラガミと対峙した経験が無く、またそれがどれ程厄介なのかを何となく理解していた。

 

 元々見せられたデータはまだアメリカ支部当時のデータ。当然の事ながら今とは状況も違えば、本人の技量も大きく異なる。

 完全に手さぐりであれば、その過程に於いて時間と手間がかかる為に進化の度合いはそう大きくは無い。しかし、今は当時とは完全に異なっている。

 確認出来るだけで既に完成体が2体。その内の1体は教団施設に居るであろう予測だった。

 そんな中、あのプリティヴィ・マータの変異種と戦った当時の事をシエルは不意に思い出していた。

 正体不明の攻撃によって事実上の一撃であの変異種の命を刈り取る。

 強固な個体になればなるほど体力だけでなく、抵抗力もまた格段に大きくなるのは当然の事。ましてや変異種がどれ程強固な個体なのかを考えれば可能性は徐々に現実味を帯び出していた。

 シエルの仮説が仮に実現した場合、この地に居る神機使い程度の実力では逆に屠られてしまう。そんな最悪の未来を考えたからなのか、シエルの表情は僅かに青くなっていた。

 

 

「シエル。どうかしたのか?」

 

「北斗。私の杞憂であれば良いのですが、少しだけ気になった事があります。あの変異種との戦闘の事は覚えていますか?」

 

「当然だ。まさかああまで厳しい戦いになるとは思わなかったからな」

 

 北斗に認識を改めて貰う為に、シエルは先程の自分の仮説を改めて口にしていた。

 元々変異種そのものが希少な事体であると同時に、過度な戦闘力を秘めているのはこれまでに極東で見たデータから容易に推測される内容だった。

 

 強靭な肉体に、苛烈な攻撃。無尽蔵とも取れる特殊な攻撃が歴戦の猛者が集まる極東支部としても安易に闘える相手では無い。実際に中堅やベテランの知恵をフルに使い、肉体を酷使して初めて討伐が可能となる。それが今の極東支部が考える変異種だった。

 

 仮にそれが以前の状態と同等だった場合、事態は大きく変わって行く。あれ程の個体を一撃で仕留める程の技量が有るとなれば、この本部に常駐するゴッドーターは事実上の数合わせに過ぎない。

 1人が攻撃する間に3人が倒される。シミュレーションではなく、実戦で相対したからこそ確率が高いキルレートだった。

 とてもじゃないが、戦力としては当てにすら出来ない。下手に動こうものならば邪魔以外の何物でもなかった。

 

 

「考えすぎとは確かに言えないのも事実か……」

 

「我々は教導でも何とか対人戦をこなしてるので問題になる事は少ないかもしれません。ですが、ここの人達は確実に……」

 

 シエルはそれ以上の言葉を口に出来なかった。

 あのデータが正しければここに所属するゴッドイーターの半数以上は確実に殉職する。口にすればそれが実現しそうな程に明確に予測出来た。

 既にこちらが出来る事など何一つ無い。今出来るのは振られた賽の目の数が小さい事を祈るだけだった。

 そんな中、まるでそれが合図かの様に全館に緊急事態を告げる放送が鳴り響く。既に賽はこれから投げるのではなく、完全に投げられた後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ、これは一体………」

 

 北斗の口から洩れた言葉は眼下に於ける状況を表していた。

 元々本部のアラガミ防壁は他の支部と比べ、かなり強固な仕様となっている。外部居住区が地下にある極東支部とは違い、ここは本部を中心に同心円状に居住区が広がっていた。

 そのせいか、他にくらべ敷地は広く、貴族も住んでいる為に他の支部よりも隔絶している。そうなれば、外部を護るゴッドイーターがやるべき事はただ一つ。その防壁に近づけるまでにアラガミを完全排除する事が基本の任務だった。

 防壁を見れば、これまでに一度も襲撃を受けた事が無いと言わんばかりに傷一つ付いていない。

 元々大型種はおろか、中型種も早々現れないからと言った部分も存在していた。

 そんな中、警報を聞くと同時に北斗とシエルは外部へと走り出す。元々駐留していた部隊がある為に出遅れた感はあるものの、やはり警報がなるのは決して良いとは言えない。

 急いだ結果が杞憂で終われば自分達の労力だけで終わるが、万が一の可能性も否定出来ない。そんな思いを胸に現地へと着いた光景は正に凄惨と言う言葉が似合っていた。

 

 

「シエル。周辺にアラガミの気配は無いか?」

 

「いえ。今の所はそれらしい物は感じません」

 

 『直覚』の能力は周辺だけに限ればフェンリルが持つレーダー以上の能力を持っていた。

 こんな場面でシエルも嘘を吐く必要は何処にも無い。何時もであれば脳内にアラガミの反応が飛び込んでくるが、幾ら集中してもその反応はどこにも無かった。

 

 

「だが、こうまで酷いとなればアラガミの反応は出るはずなんだが……」

 

 北斗はそう言いながらも眼下の光景から少しだけ目を背けたいと思う程に酷い有様だった。

 本来ゴッドイーターは対アラガミの為に神機を用いて撃退もしきは討伐を可能としている。勿論、極東とここを比べるのは余りにも酷かもしれないが、それでも駐留部隊が弱く無い事だけは間違い無かった。

 しかし、周囲にあるのはゴッドイーターだった物が夥しい血液と共に散乱している。腕だけや足だけ。

 まるで餌を食い散らかした様な光景は確実に大型種のアラガミが存在していた証拠だった。

 

 

「すみません。幾ら集中してもアラガミの反応は感じる事が出来ません」

 

「シエルが気にする必要は無い。だが、この光景は余りにも違和感しかない。幾ら捕喰したとしてもそう時間は掛かっていないんだ。周囲に潜んでいると考えるのが自然なんだが……」

 

 落ち込むをシエルを宥めながら、北斗は自身が考えていた事を口にしていた。

 仮に本部の敷地が広大としても、移動時間を考えればそれ程ロスしているとは思えなかった。

 幾らアラガミとは言え、捕喰している時間と移動時間を考えれば、最悪は感知できる端の部分でも引っかかるはず。にも拘わらす姿が見えないのは最早異様としか言えなかった。

 事実、アラガミの姿は無いが、この現状は未だ戦場の真っただ中に居る様にも思える。常に悪意にさらされ、奇襲を受けるかの様な雰囲気は2人の警戒を下がる程では無かった。

 

 

「……シエル。さっき何か聞こえなかったか?」

 

「いえ。私は特に何も……」

 

 周囲を警戒していた時だった。不意に北斗の耳朶に何かが聞こえた様な気がしていた。

 戦闘中による集中力の恩恵なのか、それとも幻聴なのかは分からない。しかし、音だけでなく自身の勘もまた警鐘を鳴らしている様にも感じていた。

 

 

 

 

 

「そうか……気のせい……か。違う、そこのお前!すぐにその場から退避しろ!」

 

「誰に物を言って……ぐぁああああ」

 

 時間にして僅かとしか言えない瞬間だった。突如として地面から巨大な棘の様な物が幾重にも打ち出される。巨大な棘はまるで罠の様に周囲に段階を踏んでい広がっていた。

 北斗の声に反応した人間だけでなく、周辺を探索していた全ての人間がその棘の餌食になっていく。足を貫き、時には大腿や胴体、腕をも貫くからなのか、その場にいたゴッドイーターは次々と負傷し、時には命を散らしていた。

 突き出た棘は再び地面に消え去って行く。あまりの光景に北斗だけでなくシエルもまた僅かに動揺を見せていた。

 

 

「まさかとは思うが、地下からなのか?」

 

「そうみたいですね。流石に地下は盲点でした。ですが、地下では『直覚』で捉える事は出来ません。一度対策を練る必要があります」

 

「そうだな。だが、そうも言えないみたいだぞ」

 

 先程まで地中から突き出た棘は完全に消え去っていた。同心円状に広がったからなのか、周囲の地面は僅かに崩れる。その瞬間、地面から出没したのは純白の躯体を持ったアラガミ。プリティヴィ・マータだった。

 

 

「このままだと拙い。シエル、援護を頼む」

 

「了解しました」

 

 北斗は直ぐに行動に出ていた。プリティヴィマータがどれ程の力を持っているのかは分からないが、このまま見殺しにしようとは思ってもいなかった。

 事実、あの戦いに於いて変異種とは言え、苦戦を強いられ挙句の果てには命の危険にまで追い込まれた事実を否定する事は出来ない。

 幾ら周囲に強がった所でアラガミからすれば、どうでも良い事実。そんな経験を持っていたからなのか、北斗だけでなくシエルもまた侮った感情は一切無くなっていた。

 行動した北斗を見ながらシエルもまた狙いを定める。既に火炎特化型のバレットに変更したからなのか、その銃口がブレる事は一切無かった。

 

 

「間に合え!」

 

 既に倒れたゴッドイーターはアラガミとっては単なる餌でしかなかった。

 事実、先程の攻撃で持っているはずの神機は遠くに飛ばされ、今は丸腰。何の手だても無いからなのか、プリティヴィマータに迫られたゴッドイーターは思わず目を閉じた瞬間だった。

 突風の様な一陣の風はそのまま迫るプリティヴィマータへと飛んでいく。その直後に聞こえたのは紛れもなく人間ではなくアラガミの悲鳴だった。

 

 

 



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第93話 結末

 既に事切れた教団トップの男は生命反応が完全に消え去っていた。

 元々お互いがお互いの利だけを追及した関係なだけに、至近距離で見ていたビューラーは視線を向ける事無く端末に集中している。

 どれ程の実験を繰り返したのかは分からないが、その手が淀む気配はどこにも無い。先程まで言い争ったはずの人間も恐らくは何かしらの考えがあったはず。しかし、そんな考えは永久に確認する事すら出来なくなっていた。

 

 

「どうやら本部で材料の収集を開始した様だな」

 

「デハ……オレモ……イク」

 

「そうだな。お前とは違い、あれは実験体としてもほぼ完成形だからな。ここで死なれるには惜しい」

 

「ソウ……カ」

 

 気配を消しながらも無明とエイジ、アリサの3人は様子を伺うと同時に周囲を確認していた。

 元々教団施設だからなのか、セキュリティそのものは高度ではない。寧ろ普通の民家と大差ない状況だった。

 元々今回の任務は極秘のままに行動するのが義務付けられている。これまでの状況を確認するまでもなく、結末だけが決定しているからなのか、アリサ以外は何時もと変わらないままだった。

 自分で言い出した事ではるが、やはり忌避感があるのはある意味では仕方ない。本来であればこのまま一気に突入するのが定番だったが、今はアリサが落ち着くのを優先した為に、それ以上の事は何も言わないままだった。

 まるで空気しか無い様にビューラーは端末を叩き続けている。既にどれ程の内容が入力されているのかは分からないが、少なくとも目の前の実験体と思わせる女性が何かしらの反応を見せている以上、このまま待機し続けるのは得策ではなかった。

 

 

「アリサ。先程の事は良い。ここが最後の分水嶺になる。どうする?」

 

「……いえ。一度口にした以上はやります」

 

 無明の言葉にアリサの返事はシンプルな物だった。周囲には実験体を合わせて3つの生命反応しか感じられなかった。

 既に実験も佳境に入りつつあるそれに集中すべくビューラーは周囲を気にしていない。一方の男もまた完全に護る訳では無いが、それでも周囲を少しだけ警戒している様でもあった。

 事前に無明から聞かされた内容は無明がビューラーを相手し、エイジが男と対峙する。アリサは実験体を処分する役目だった。幾ら事前に助からないと言われても、傍から見れば囚われた女性にしか見えない。

 勿論、色素は完全に抜け落ちているからなのか、肌だけでなく髪も完全に白くなっていた。

 シオとは違った雰囲気はアリサに戸惑いを植え付けている。人間の、ゴッドイーターにとっての忌避行為。お前は本当に実行するつもりか。案にそう告げられている様でもあった。

 

 

「そうか。だが、無理はするな。エイジ、10秒後に突入だ。気後れはするな。最悪はこちらが逆に消し飛ぶ事になり兼ねん」

 

「了解しました。アリサ、行けそう?」

 

「……はい。だ、丈夫ですから」

 

 先程の会話が聞こえたからなのか、誰もが改めて精神を集注させていた。

 通常のミッション以上に重苦しい雰囲気が立ち込める。既に決意を秘めた視線はお互いのターゲットを確認するだけだった。

 無意識の内に神機を触る。覚悟を決めたのか、アリサの瞳には先程までの怯えは完全に消え去っていた。

 

 

「アリサ。躊躇けだけは絶対にするな。良いな」

 

「分かりました」

 

 無明は改めてアリサに一言だけ告げると同時に、そのまま一直線に疾駆していた。

 影がゆるりと動くかの様に移動しているからなのか、大きな音すら出ないままだった。

 元々温情をかける価値は既に無い。だとすればそれ以上の暴挙をのさばらせる訳には行かなかった。

 僅かな気配だけを残し、瞬時に移動する。気が付けばアリサもエイジと同時に飛び出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ビューラー。残念ながらその命貰い受ける」

 

「誰……だ」

 

 事実上の死角からの一撃は、ビューラーの口から疑問を吐く事すら許さないと言わんばかりに煌めく剣閃はそのまま一気に頸を刎ねていた。

 瞬時に刎ねられからなのか、頸動脈からは夥しい血液が噴水の様に吹き上がる。それと同時に先程まで胴体と一体化していたはずの頸はそのまま僅かに鈍い音を立て、地面へと転がっていた。

 これが何も知らない人間であれば確実に悲鳴が上がるが、この場に居る人間は誰もがそれを気にしている暇は無かった。

 驚きのまま固まる表情は自分の命がそこで止まった事すら理解出来ない程の早さ。エイジもそれに近い事は出来るが、無明からすればまだまだ修行が足りないのは明白だった。

 頸を刎ねた瞬間、無明はすぐさま端末の操作を開始する。こんな場所だからなのか、自壊する事は無いとは思うが、万が一の事を考えた末の選択だった。

 転がるそれを気にする事無く操作を開始する。どんな状態なのかを確認する為にすぐさま端末に視線を動かしていた。

 

 

 

 

「キサマ……ジャマヲスル……ナ」

 

「残念ながら向こうには行かせない」

 

 墜ちた者は直ぐに反応していた。

 頸を刎ねた時点で絶命しているのは勿論だが、不意討ちから来る攻撃に対し確実に反応していた。

 自身の手を刃の様に変化させる。幾ら間に合わないとは言え、侵入者をやすやすと見逃すつもりは最初からなかった。

 

 攻撃を開始すべく刃を向けながら疾駆する直前。墜ちた者の眼前には漆黒の刃が真横に疾っていた。

 これがアラガミならば確実に顔面はそのまま一刀両断とばかりに二つに離れる。しかし、剣速を考えても間に合ったのは本能とも取れる闘争心から沸き起こった物だった。

 互いの刃から発せられた高音と衝撃は瞬時に状況を理解させている。不意討ちのはずが完全に反応されたからなのか、エイジは僅かに驚くも、直ぐに平常心と取り戻し、次の行動へと移行していた。

 

 突然の斬撃は止まったからと言ってその場で停止する事は無い。一旦距離を取る為に、力では無く速度を重視した斬撃はそのまま墜ちた者との距離と時間を稼いでいた。

 直ぐに距離を取る事に成功したからなのか、エイジと墜ちた者は事実上のにらみ合いとなっていた。

 

 

「お前は自我があるのか?」

 

「…………」

 

「そうか……」

 

 エイジは牽制代わりに口を開く事を選択していた。

 元々ビューラーがどうなろうと始末する結末に変更は無かった。

 事実ここに来るまでに聞かされた内容は墜ちた者は特異点に近く、そして人型のアラガミである事実だった。

 

 先程の一撃は挨拶代わりとは言え、やはりどれ程の力量があるのかは衝撃と共に伝わっていた。自身の肉体から作られた刃はリンドウのそれに酷似している。以前に少しだけエイジはリンドウに聞いた事があった。

 その刃はどんな感じなのかと。リンドウの説明に理解は出来なかったが、そのニュアンスだけは何となく伝わっていた。

 

 肉体と同じならば重量を感じる事は無く、そして肉体が崩壊する様な部分がれば刃も同じく崩壊する。自分の細胞を使うが故の結末だった。

 会話らしい会話を求めるつもりは毛頭ない。事実上の戦いに周囲の気配を感じながらもエイジは改めて目の前の墜ちた者を斬捨てる事を決意していた。

 そこに立っていたはずの輪郭が僅かにぼやける。既にエイジはその場には居なかった。

 残像とも取れる物を残し一瞬にして間合と詰める。既に疾駆しているなどの温い物ではなく、無明の様にゆるりと動いているはずがその存在感は既に失われていた。

 

 

 

 

 2人の動きには着いて行けないが、アリサもまたゴッドイーターの力を如何なく発揮し、既に実験をされている少女の下へと疾駆していた。

 元々今回のミッションで一番忌避感と危険が少ないのはアリサだった。最初から訓練されているエイジとは違い、アリサはまだその重さを理解していない可能性もある。もちろん、自分の妻が血で汚す事を当然の目で見るつもりは無かった。

 

 墜ちた者との戦いは余りにも危険だけが残る。かと言ってビューラーを斬らせる訳にも行かない。その中での選択しがこれだった。遠目では分からなかったが、近くに来て初めて分かる事実。確かに肌や髪は白いが、それはシオの様に純白ではなく、寧ろ白濁した様な白さだった。

 顔だけでなく、腕や足の一部の細胞が壊死いたかの様に剥がれ落ちている。墜ちた者の作り方がオラクル細胞のオーバードースでるからなのか、身体が拒否反応を示しているからなのか、少なくとも今のアリサにはどちらでもよかった。

 下手に目を覚まされるとこちらが一気に不利になる。それを理解しているからなのか、アリサは一呼吸だけ空けて神機を構えていた。

 目を閉じているからなのか、何も言わなければ人間の様にも見える。しかし、これがアラガミであるのは明白だった。

 アリサの耳朶に届く剣戟はまぎれもなくエイジと墜ちた者とが戦っている証。自分が躊躇すれば代わりに誰かが死ぬかもしれない。そんな考えがアリサの脳裏を過っていた。

 

 

「ワタシを…ラクニさセテ……」

 

「えっ?」

 

「オネガイ。コノママだト、ワタシは…アラガミとオナじニ…ナ…ル」

 

 アリサは思わず周囲を見渡していた。

 誰もここに居るはずの無い声。無明は端末を操作し、エイジは戦っている。だとすればこの声の発信元は紛れもなくアリサの目の前に居る女性だった。

 依然閉じられた目が開く要素はどこにも無く、また先程聞こえた声もどちらかと言えば口から出た様には思えなかった。

 先程まで自分の精神を落ち着かせ、一刀の元に斬捨てるはずが、聞こえた声で改めて周囲を確認する。2人は気が付いていないのか、無視しているのかは分からない。アリサとしても聞こえた以上は確認するのが当然だと周囲を見渡していた。

 

 

「ハヤク……しテ。デナいト、アナタヲ…コうげキすルコトニ…なル」

 

 既に声は淀んでいた。改めて声の元を確認するも、アリサが感じるのは目の前の女性だけだった。良く見れば口元が僅かに動いていた様にも見える。それが何を意味するのかは考えるまでもなかった。

 既に人間に戻れないのであれば事実上の介錯でしかない。それ以上考えるのは無駄でしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサ、部隊長は大変だと思うけど、頑張ってね」

 

「はい。私も出来る限りの事はやりますので」

 

 シックザールから榊に支部長が変更され、既に周囲の空気は当時の様な物が完全に無くなった頃、アリサは唐突に榊からの依頼によって段階的な運用方法がいくつも出てきた。

 その中でも部隊長の経験を積む為には様々な事が要求される。部隊長と言えば聞こえは良いが、問題なのはその内容だった。

 実際に戦場に出れば戦術や討伐だけではない。時にはアラガミ化したゴッドイーターの介錯もが任務に入ってくる。部隊長をやれば誰もが一度は通る道。他の支部ではよくある事かもしれないが、極東支部に於いては実際に実行した事があったのは、極限られた少数だった。

 1人の命を惜しんで、仲間をさらなる窮地へと追いやる。とちらが大事なのかは考えるまでもなかった。

 勿論、エイジとてこれまでずっと部隊長をしてきたからこそ分かる。聞こえだけを重視するのであれば、一定期間過ごした中で勝手に任命すれば良いだけの話。しかし現実はそんな幻想すら許されない。故にエイジはアリサを心配した上で確認していた。

 

 

「そっか……でも、辛くなったら言って欲しい。アリサが一人で抱える問題じゃないから」

 

「……はい。ありがとうございます」

 

 どこか悲しみを浮かべた様なエイジの笑顔にアリサは少しだけ過保護じゃないのかと考えていた。

 これまでに人間の形を残したままに処分するのは、人を殺めるのと同じ行為だった。まだアラガミであればどうとでも言えるのかもしれない。しかし、完全な人型となれば忌避感は今は問題無くても、後々自身の襲い掛かる可能性だけが残っていた。

 それは実際に実行した人間にしか分からない辛さ。何事も無ければ良い。そんな事を考えながらエイジはアリサを見送っていた。

 

 

 

 

 

「まさか、今になってあの時の意味を知る事になるとは思いませんでした。……責任は重いですね」

 

 誰に聞かせるでも無いアリサの呟きはそのまま宙に消えていた。

 一刀の元に斬捨てたからなのか、アリサの足元には先程まで立っていたと思われる女性がそのまま袈裟斬りに斬られたからなのか、既に横たわっている。

 万が一を考え、そのまま暫くは横たわったそれをボンヤリと眺めていた。

 肉を斬った手応えはアラガミとは明らかに異なる感触。

 求められる責任と罪の意識。幾らアラガミだと言われても見た目が人型である以上、それなりに忌避感は襲い掛かる。

 それと同時にエイジもまたこの感覚を常に持ち続けていたのかと思うと、自然に涙が零れ落ちていた。

 

 

「アリガトウ。ワタシヲ…タスケテクレテ」

 

 アリサにだけ届く声に、漸く自我を取り戻す。

 本来であれば戦場で意識を飛ばす行為は自殺行為と変わらない程に危険な事だった。

 しかし、今は周辺にそんな気配はなく、エイジもまた墜ちた者と戦っている。そんな状況だったからなのか、アリサの身に何かが起こる事は無かった。

 

 

「私は何もしてません」

 

「ソレデモワタシハ、カンシャ……ス…ル」

 

 最後の声なのか、それ以上会話が続く事は無かった。

 これまでのアラガミと同じ様にコアこそ無いが、躯体の輪郭は徐々にその姿を維持できなくなっていた。アラガミ特有のオラクル細胞の霧散。それが紛れもなく人間ではなくアラガミだと言っている証拠だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり……か」

 

 エイジはアリサの事を気にかけながら目の前の墜ちた者と剣戟を合わせていた。

 実際に戦闘が始まり、僅か数合で自分と墜ちた者との戦闘能力の差は直ぐに理解していた。

 確かに人型故に攻撃の多彩さは従来のアラガミには無い攻撃。事実、刃を切り結んでからの力の圧力はアラガミのそれと大差なかった。

 瞬時に繰り出す攻撃は、まだ戦いを知らない人間であれば苦戦するかもしれない。しかし、幾度となく襲いかかる斬撃にはどれもこれも小さな隙が必ずあった。

 

 本来であれば相手の力量が分かれば一気に決めるが、相手は曲がりなりにもアラガミでもある墜ちた者。ひょっとして何か特殊な攻撃があるのかもしれない。そんな見えない物を経警戒しながら対峙していた。

 幾ら力が強くても、肝心の攻撃が当たらなければ何の意味も成さない。

 これまでのエイジであれば万が一の攻撃が当たる可能性があったが、今となってはそれすらも怪しくなっていた。

 教導する事によって相手の心理を読み解くだけでなく、対人戦の教導を繰り返す事によって自身の攻撃もまた、常に洗練されていた。

 

 磨かれた剣筋は徐々に最短を疾りだす。既に力量を理解出来る物であれば既にこの戦闘は集結しているはずだった。

 どれだけ攻撃を繰り出そうと、全てを完全に往なし、相手からの攻撃が当たるビジョンがどこにも見えない。

 鉄壁の護りがどれ程なのかを理解すれば、自ずと答えは出ているはずだった。しかし、今エイジと戦っているのはそんな事を考える余地すらない程の存在。

 だからなのか、これ以上の攻撃手段が無ければ即座に斬捨てるつもりだった。

 

 

「どうした。これだけか?」

 

「…………」

 

 エイジの事実上の挑発に墜ちた者は答える事はなかった。

 まるで先程と同じ様に一定のリズムで一定の攻撃を繰り返すそれは既に自分の意志は存在していない。まるで壊れた玩具かロボットの様に動くだけだった。

 エイジは気が付いていないが、ビューラーが植え付けたのはあくまでもアメリカ支部の上位者や本部の人間の戦闘データ。

 一度でも極東の流儀に沿った教導を受けた人間であれば技量がどれ程隔絶しているのかは簡単に理解出来る程だった。しかし半ばプログラムの様に動くそれは、既に同じ事を繰り返すだけの事しか出来ない。

 それが何を意味するのかは直ぐ様行動に現れていた。

 

 

「これで終わりだ」

 

 渾身とも取れる墜ちた者の上段からの斬撃はそのままエイジの身体をすり抜けた様に見えていた。

 ミリ単位の見切りによって自身の間合いは何も変わらない。寧ろ渾身の一撃が故に生じた隙は既に死の臭いが充満していた。

 

 まるで無機質な物を斬り裂くかの様にエイジの持つ漆黒の刃は墜ちた者の左肩から右脇腹へと何の抵抗もなく漆黒の刃が疾っていた。

 試し斬りの竹の様にその場で崩れ落ちる。先程までの剣戟は何だったのかと思う程にあっさりとした決着が着いていた。

 こちらもアラガミ同様に時間と共に霧散する。血の華は幾つも咲いているからなのか、どこか生臭い臭いが鼻孔についていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 周囲には生命の気配は既に消え去っていた。

 未だ端末を叩く音だけが響くのは、情報の吸い上げに時間を要している証拠だった。墜ちた者とは違い、ビューラーの死体はそのまま放置されている。流石に気まずいと判断したからなのか、エイジはアリサを自分の下へと引き寄せていた。

 

 

「エイジはいつもこうなんですね」

 

「毎回では無いけどね」

 

 言葉こそ何時もと変わらない反応を示すが、やはり今回の件に関してはアリサに取っては刺激が強すぎたと考えていた。

 サテライト計画は人類を守護すべき計画である事に違いは無く、またそれが人類の希望になっている事は誰もが理解している。しかし、今回の様な裏の仕事はその対極にある。

 守護すべき者を奪うのはやはり精神的にも負担は大きすぎていた。

 エイジに引き寄せられた事でアリサは少しだけ身体が震えている。恐らくは何かしら思う部分があったのかもしれない。

 本来であれば何か気の利いた言葉を言うのも手段の一つ。しかし、幾ら美辞麗句を並べても現実が変わる訳では無い。かつて自分が少しだけ通った道。今は自分の中で折り合いを付けてもらうしかなかった。

 

 

「あの、もう少しだけ良いですか?」

 

「ああ。気が済むまで」

 

 フェンリルの闇を垣間見るのはゴッドイーターの立場から見れば決して良い物では無い。

 誰もが人類の守護者の認識でアラガミと戦っている訳では無い。家族の為じや自分の為。目的は人それぞれ。そんな事を考えたからなのか、エイジはアリサを抱きしめた腕に僅かながらに力が入っていた。

 

 

 

 

 

 

《少しばかり良いでしょうか?》

 

「何だ?」

 

 沈黙は長くは続かなかった。戦闘が終わったからなのか、繋げた通信から聞こえたのは少しだけ焦りが浮かんでいる様に聞こえるフェルドマンの声。本来であればここで通信が繋げるはずが無い事は本人が一番理解しているはず。にも拘わらず通信を入れるのであれば何らかの事案が発生する以外に無かった。だからなのか、無明はそのままフェルドマンを促していた。

 

 

 



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第94話 消耗戦

 教団施設での戦いと同時刻、フェンリル本部周辺は既に泥沼の戦いへと突入していた。

 最初は地下からの攻撃によっての負傷を皮切りに、まるで何かに誘われるかの様にコンゴウとその堕天種が突如として出没していた。

 コンゴウや堕天種だけであれば対処のし様は幾らでもあったが、問題なのは地下からの攻撃だった。不確定要素を満載に、地面から突きだす棘は確実に戦場に降り立つゴッドイーターの集中を乱していた。

 

 幾重に飛び出す棘は足に対して容赦なく攻め立てる。幾ら回復錠や回復球で治療しても、常に同じ事を繰り返す。事実上の無限の攻撃に対し、ゴッドイーター側は各自の所有出来る総量はバラバラ。回復だけでなく、オラクルも回復させる事を考えれば、連続して受ける攻撃はまともに攻撃を繰り出す事を許さなかった。

 地面に意識を向ければコンゴウからの攻撃が直撃する。

 既に北斗とシエル以外は何度かチームが入れ替わっていたが、事態が好転する気配は何処にも無かった。

 

 

「シエル。何か対策を立てる事は出来ないか?」

 

「今の状況だと攻撃した瞬間に地面を突き刺す位です。ですが、正確な位置を特定している訳では無いので何とも言えません」

 

 地面からの攻撃を回避しながら北斗は純白の刃を回転するコンゴウに向けて振るっていた。

 弱点とも言える顔面に飛ぶ斬撃は、そのままコンゴウの顔面を上下二分割にしている。事実上の一撃必殺によって襲いかかって来たコンゴウはそのまま絶命していた。

 一方のシエルもまた、自分の方に向いてくる攻撃を回避しながら素早くデファイヨンで数度斬りつける。大気をも斬り裂く斬撃は、寸分違わず同じ個所を斬りつけていた。

 本来であればショート型の刃は攻撃力は劣るが、その分手数を増やす事で与えるダメージを大きくしている。勿論、シエルの持つデファイヨンもまた同じだった。しかし、連続で同じ場所に攻撃する事によって与えるダメージは従来の倍以上の効果を発揮していた。

 僅かに漏れるコンゴウの悲鳴が致命傷を与えている事を示している。

 既に戦闘が始まってから時間の経過は分からなくなっていた。如何に極東で鍛えられたとは言え、2人の体力は無限にある訳ではない。

 ここで何らかのテコ入れをしない限り、事態はこのままズルズルと行くだけだった。

 

 

「せめてここにナナかロミオ先輩が居ればな」

 

「北斗。気持ちは分かりますが、今は無い物ねだりです」

 

 ブラッドのメンバーの中で今の状況を打破できるとすればナナの『吸引』で一か所におびき寄せるか、ロミオの『対話』によってアラガミそのものを遠くに追いやるのが一番だった。

 勿論、シエルが言う様に無い物ねだりに違いは無い。しかし、今のこの状況ではそんな願望を口にしても文句が出る事は無いだろう。そんな取り止めの無い事を北斗は考えていた。

 

 

《ブラッドの諸君。どうやら教団施設の件は片付いた様だ。これからクレイドルの2人がそちらに向かう。暫くの間は耐え忍んでくれ》

 

「了解です。時間はどれ位ですか?」

 

《場所は元々本部の端になる。君達の居る場所からは正反対だ。恐らくは20分。いや15分は欲しい》

 

 北斗とシエルの耳朶に飛び込んで来たフェルドマンの声に、北斗は無意識に到着の時間を訊ねていた。

 元々コンゴウ種だけなら問題無いが、地下からの正体不明の攻撃を完全に理解しない事には明確な打開策は何も浮かばなかった。

 既に3度めの部隊の変更はこれまでの人間よりも格段に実力が落ちている。これまで尉官級を見ていない為に一概には言えないが、それでも居ないよりはマシだと判断し、フェルドマンからの答えにも思わずぞんざいな対応をしていた。

 

 

「了解。だが、こちらも正体不明のアラガミの攻撃に苦戦している。そちらのレーダーでは判断できないのか?地下からとは言っても攻撃に規則性が無い。可能性があるとすれば遠隔攻撃位だ」

 

《その件に関してはこちらも調査している。対策が分かれば直ぐに対応しよう》

 

 通信が切れると同時に他のメンバーの悲鳴が響く。気が付けば足だけでなく腰までやられたからなのか、完全に足が止まっていた。

 

 

「お前ら止まるな!すぐに攻撃が来るぞ!」

 

 北斗の怒号が戦場に響く。しかし、周囲の戦闘音の方が大きいからなのか、その言葉が届く事はなかった。

 足止めされた事により動きが完全に止まる。その瞬間だった。丸太の様に太い純白の腕によって、その場に居たはずのメンバーの姿は血飛沫と共に既に消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか外縁部がそんな事になってるなんて」

 

「地面からの攻撃が厄介らしい」

 

 フェルドマンからの情報を聞きながらも3人は止まる事無く走り続けていた。元々本部の居住区はかなり広くなっている。

 それと同時に一部のエリアに制限がかかっているからなのか、車での移動やヘリでの移動は結果的には時間をロスする可能性が高かった。

 3人は神機を持ちながらもバランスをとり、建物の屋根を伝って行く。音だけでなく衝撃も殆ど感じさせない移動に家の中にいた住人は気が付く事は無かった。

 

 

「新種かもしれん。それと先程の端末の情報を抜いた際に、もう1体の『墜ちた者』が居る事が判明している。先程戦ったのはまだ実験体だ。可能性があるとすれば次に対峙するのは限りなく完成体に近い。警戒は緩めるな」

 

「結局は墜ちた者は2体だけなんですか?」

 

「端末上ではそうなっている。介錯した物を含めて都合3体。それがビューラーの実験の全てだな」

 

 エイジが懸念していたのはそこだった。元々墜ちた者は力こそ強いが、戦闘データは未熟としか言えないままだった。

 実際に対峙しかたからこそ分かるレベル。極東で慣れた人間であれば問題は無いはずだった。

 しかし、ここは極東ではなく本部。実力の程は数段劣っているのは間違い無い。だからなのか、エイジはここで全ての禍根を断ち切りたいと考えていた。

 

 

「ですが、あの場には居ませんでした。だとすれば捜索した方が良いんじゃないですか?」

 

「アリサの言う事は尤もだが、現時点では捜索のし様が無い。あれはそれ程でもなかったが、今未確認のそれはもう少し知性があるはずだ。警戒した方が良いだろう」

 

 アリサもまたエイジと同じ事を考えていたからなのか、無明に確認していた。

 細かい事は不明だが、無明の言葉に偽りは無い。これまでに何度も情報の精度を見たからなのか、それ以上の言葉は見つからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シエル。俺の事よりも先に他のメンバーの回復を優先してくれ!」

 

「ですが、それでは北斗が」

 

「今は下手に数を減らすのは得策じゃない」

 

「……分かりました」

 

 外縁部の戦場は何も変化は無いと言っても良い程だった。

 未だ正体不明の地面から突き出る棘を回避しながらの攻撃は神経を常にすり減らす作業でしかない。本来であれば力の籠った一撃を加える為には、それなりに斬撃に体重をかけるのが当然である。

 幾ら刃に抜群の切れ味が有ろうとも、そこに速度と圧力が無ければ切れ味がどうこう言うレベルでは無いに等しかった。

 出来る限り回避をしながらの攻撃は腰が入らない。既にそれなりに戦っているからこその戦術。決して本部のゴッドイーターを蔑む訳では無いが、やはり火力不足は否めなかった。

 

 

 

 

 

 

「幾ら何でもこれは異常すぎる」

 

「そう言われれば確かにそうですが、何か確証でもあったんですか?」

 

 小休憩とばかりに北斗とシエルは僅かながらに休息を取っていた。

 周辺を未だ占拠するかの様にコンゴウの群れは減る気配が無い。既にかなりの数を討伐したにも拘わらず、一向に減る気配が無いのは余りにも異常だった。

 現時点で何度目かの交代かすら判断出来ない程に疲弊している。僅かに時間を確認すれば、そろそろエイジ達が援軍として来る時間に差し掛かろうとしていた。

 

 

「確証は無いけど、明らかに誘導されている様にも感じる。確か『直覚』だと多数のアラガミが居るのは分かるんだよな。だったら、移動の履歴みたいな物って分からないか?」

 

「一度やってみます」

 

「頼んだ」

 

 北斗の言葉にシエルは改めて自分の今の状況を確認しながら周囲の状況を確認していた。

 元々有効半径はレーダーには及ばないが、少なくともこの近郊程度であれば確認するのは可能だった。

 これまではアラガミと自分達の場所だけを確認していた為に、北斗が言う様な事を試した事は一度も無い。

 改めて自分の中へと意識を集注させる。履歴は分からないが、アラガミの移動方向がどこか一定方向を向いている様にも感じる。それが何を意味するのかは考えるまでも無かった。

 

 

「北斗。恐らくは推測は正解かもしれません。履歴は分かりませんでしたが、アラガミの反応は一定の場所に向けられている可能性は高いです。ですので、このコンゴウの大群はその道中に襲い掛かっていると推測出来ます」

 

「因みに場所は?」

 

「……すみません。そこまでの事は感知できませんでした」

 

「いや。無理言う様で済まなかった。だが、そろそろ援軍も来るはずだ。ここが正念場だ」

 

「はい」

 

 少しだけ項垂れるシエルをフォローしながら、北斗はもう一つだけ懸念していた。

 仮にこうまでおびき寄せるとなれば、間違い無く誘引する要素はあるのは間違い無い。

 しかし、昼夜を問わず周辺を巡回しているゴッドイーターの眼を掻い潜って出来る物なのだろうか。それだけが少し引っかかっていた。

 

 それと同時に、少しだけアラガミからかんじる違和感。これまで極東で対峙したアラガミは少なくとも捕喰欲求に従っているとは言え、それなりに目的を持っている様に感じていた。

 確かに極東と本部では環境も異なる為に、それが本当に正しいのかは分からない。事実、ここで対峙しているアラガミは少なくとも捕喰欲求に従っている様には見えなかった。

 何か強引に意識を寄せている。そんな違和感だけが漂っていた。

 

 

《こちらエイジ。そっちはどうなってる?》

 

「苦戦と言えば苦戦です。一体あたりの強さよりも、湧き出る数が厄介ですね」

 

 北斗の思考を止めたのは一つの通信だった。

 声の主はこちらに向かっているはずのエイジ。お互いの通信が届く距離まで来ているからなのか、通信越しの音声はクリアだった。

 距離は分からないが、恐らくはこの周辺まで来ているはず。無意識ながらに北斗は会話をしながら安堵していた。

 

 

《そうか……こっちはどう急いでもあと5分前後はかかる。それと、兄様からの伝言だ。『イレギュラーは全部で2体。そのうちの1体はそこにあるから気を付けろ』だって》

 

「まさかとは思うんですが、ここにも?」

 

《少なくとも教団施設内には居なかった。念の為に生活環境も調べてみたけど、結果は予想通りだった》

 

「そうです……か」

 

《こっちも到着まであと僅かだから、無茶はしない様に》

 

「了解です」

 

 エイジからの通信が切れると同時に北斗は全身をほぐすべく一つだけ大きく伸びをしていた。元々ゆっくりとした休憩を取れる程戦線は安定していない。直ぐに用意していたレーションを齧り、改めて戦線に復帰していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外縁部の戦闘は時間の経過と共にフェンリル本部内にも色々と物議を醸しだしていた。

 当初はそれ程の問題にならないと思われたはずの戦闘は時間の経過と共に苦戦の色合いが濃くなりつつあった。

 現時点でレーダーに映るアラガミの数は小さな点ではなく、大きな塊の様にも見える。

 実際に戦場の詳細はここからでは何一つ分からない。今分かるのは精々がゴッドイーターのバイタル信号の乱高下だけだった。

 

 リンクエイドすれば一瞬にして数値の回復をするが、既に現時点ではそれ程の回復を見せていない。回復できる量が少ないと言う事は、即ち現地ではかなりの苦戦を強いられている証拠だった。ギリギリまで粘り、アラガミの意識を少しだけ外した人間から一時離脱し回復に努める。今はそれが上手く機能している為に戦線が崩壊していないだけだった。

 

 幾らアラガミ防壁が強固であってもこれだけの数で押し切られれば、防壁の崩壊は時間の問題。事実これ程の苦戦を過去に一度も経験した事がなかったからなのか、既に本部の一部の人間は離脱を開始していた。

 勿論、離脱と言っても容易ではない。自分の財産が多ければ多い程持ち出す物が必然的に多くなる。レーダーを見る限りでは一方方向から襲撃されている為、離脱は反対方向からを予定していた。

 

 

「フェルドマン君。ブラッドの人間や極東の人間がいるのにどうしてここまで苦戦する?極東の人間も実際には話が誇張されただけじゃないのかね」

 

「お言葉ですが、幾ら強くてもこれだけの数を相手にすれば本来であれば戦線は早々に崩壊しています。寧ろ、彼らは良くやっているかと」

 

「そんな経過など我々にはどうでも良いんだ。早くこの状況を何とかし給え」

 

「それであれば、新たな部隊の投入許可を出してください。今戦場に居るのは大半は曹長かそれ以下の人間だけです。尉官を出せば少なくとも指揮系統も安定しますし、戦場も戦力の増加で一気に制圧できると思いますが」

 

「そんな危険な事が出来るか!尉官はここの最後の砦。そう易々と戦場に出せるか」

 

 あまりの物言いのフェルドマンは内心呆れるしかなかった。

 こうまで総力戦に近いにも拘わらず、未だ戦力を出し渋るのは偏に自分の身を護る為。

 本来であれば反対の意見も出るはずだが、生憎とここでフェルドマンの意見に賛成する者は誰一人居なかった。余りにも自分本位な意見は近いうちに自信の身を亡ぼす可能性がある。これが今の上層部かとフェルドマンは戦場に出ているゴッドイーター達に同情していた。

 

 

 

 

 

《フェルドマン。我々も現地にもう到着する。それと一つ確認したい事がある。レーダーの中で特異な動きをしている反応は無いか?》

 

「反応ですか?少しお待ちください」

 

 無明からの通信にフェルドマンは自身の権限でレーダーの画面を確認していた。

 元々情報管理局は全てのデータを閲覧できる権限を持っている。もちろん普段であれば捜査以外での使用には面倒な手続きを行う必要があったが、今の様に混乱した状況下では何も出来ない。

 それを知った上でフェルドマンは自身の端末にデータを映し出していた。

 ほぼ真っ赤に拡がる塊の中で特異な動きを探すのは困難でしかない。しかし、無明が態々言うからにはフェルドマンとしても従わない訳には行かなかった。

 目を皿の様にして動きを逐一観察する。時間はそれなりに経過したものの、目立つ動くは何処にも無かった。

 

 

「今の所は特に目立った物は見つから……一つだけ違う反応はありました。ここではありあせんが今の襲撃拠点よりも少しだけ遠くに離れた所です」

 

 何気なく画面を切り替えた瞬間だった。時間にしてそれほど経過した訳では無い。

 全体を見た際に違和感を感じた程度だった。明らかに外部から中に侵入している様に見える。データが無いからなのか、対象は『unknown』データが一切確認出来ない物だった。

 

 

《教団施設を破壊する前にビューラーのデータを全て吸い出した。その際に、『墜ちた者』は全部で2体。うち1体はこっちで討伐している。どうやらアラガミを餌として摂取するタイプらしい》

 

「……そうでしたか。ですが、今はそれをどうにかできる程の戦力がこちらにはありません。指を咥えて見ているつもりは無いですが、やはり手の施しようが無いと言った所です」

 

 フェルドマンの言葉が全てだった。既に戦線の維持が厳しくなりつつあったのか、バイタル情報は以前程動く事はなくなっていた。

 それはゴッドーターの殉職でもあり、命の鼓動が無ければデータが送られる事は無かった。減って行くバイタル信号の数に僅かに目を閉じるも、今は打開できる物が何一つ無いままだった。

 

 

《俺達が一時的に戦場に出る。それまでに戦線を維持させるんだ》

 

「分かりました。ではこちらの早急に整えます」

 

 無明の言葉にフェルドマンの対応は早かった。

 気が付けば2人のマーカーは戦場付近まで近づいている。エイジとアリサが参戦するのであれば下手な尉官を投入するよりも格段に戦力は高くなる。だからなのか、今はただ準備をしながらも時間の経過と到着を待つよりなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「現地にそろそろ着く。ここから先は推測に過ぎんが、参考に聞いてくれ」

 

 無明の言葉にエイジとアリサは話を聞いていた。元々今回の大量発生は少なくとも何らかの意図があって実行されている点と、もう一つがビューラーの完成体に近い墜ちた者の事だった。

 データを完全に確認した訳ではないが、少なくとも今回の墜ちた者はアラガミを養分として取り込む事によって確実に成長していく点だった。

 検証した訳では無いが、少なくともデータ上では吸収すればするほど力は蓄えられるが、それを使う事ににって効率的に力を発揮していく可能性がある。

 確かにアラガミを吸収すれば力は上がる。

 だからと言って、そう簡単にアラガミを大量に見つけるのは困難だった。その結果、強引でも集めれば問題無い。その結論に達した事によって人知れず、誘引する何かをアラガミ防壁周辺に設置した可能性が高い事だった。

 

 

「確かにそれなら効率的ですね。だとしたら先にそれを見つけないと、このままの状態が続くんじゃないですか?」

 

「実際に苦戦するのは地下からの攻撃を避けるが為だ。まずはそれを討伐してからコンゴウを討伐する。お前達2人は確実にそれを実行してくれ」

 

「分かりました。アリサ、僕が周囲を何とかするから、地下からの攻撃の分は頼んでも良い?」

 

「勿論です。任せて下さい」

 

「では、実行開始だ。それなりに数を減らしてからは俺がその物を処理する」

 

 既に戦場は目と鼻の先だった。コンゴウの雄叫びや咆哮と同時に神機から発射される発砲音も徐々に聞こえ出す。既に作戦が決まったからなのか、3人は既に臨戦態勢に突入していた。

 

 

 



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第95話 油断大敵

 疲弊しきったはずの戦場は不思議と戦意が落ちる事は無かった。

 既に援軍として3人がここに迫っている事を知っていると同時に、その3人は確実に1人当たりが小隊どころか大隊レベルの戦力を持っている。その場に居た誰もがその事実を知っているからだった。

 今戦場で戦っているのは殆どがエイジが教導で鍛えたメンバー。援軍が誰なのかを考えれば、まだ実際には来ていないにも拘わらず、全員の士気は高まっていた。

 

 

「今回は無明さんも参戦するみたいだ」

 

「そうですか。これで少しだけ一息入れる事が出来ますね」

 

 北斗とシエルも本来であればそれなりに戦力としては期待できるはずだった。

 しかし、現地でやっているのは指揮と戦力としての自分。どちらか一方にリソースを割けば良いとは思うが、実際には混乱した中での戦場ではまともにそれが発揮できるのかは怪しかった。

 事実上の新人部隊を指揮する際には、それなりに自分達を良く知っている人間で無ければ思う様に運営する事は出来ない。しかし、これ程混乱した中で立て直すのは並大抵の事では出来なかった。

 戦場が荒れれば荒れる程に自分達の行動範囲が狭まって行く。これがベテランであれば大きな問題に発展する事は無かった。

 しかし、この場に居るのは限りなく新人に近いか、若しくはそれに若干経験を積んだ程度の人間だけ。必然的に戦力として期待しているブラッドに意識が向いていた。

 苦しくなれば縋りたい人間の意志を2人は無碍には出来ない。それと同時に地下からの見えない攻撃。2人の精神力の摩耗は限界に近かった。

 

 

「ここが踏ん張り所だな」

 

「少しだけ考えるのを止めましょう」

 

「お前達、油断はするな」

 

 気持ちを切り替え、改めてアラガミに視線を向ける。まさにその時だった。

 一言だけ聞こえた声と同時に、鈍く光った様に感じる剣閃はそのままコンゴウの右肩から左脇を一気に斬り裂く。

 斬られた事すら理解出来なかったのか、コンゴウは僅かに視線を動かしながらそのまま血飛沫をまき散らしながら絶命していた。鋭い斬撃に見覚えが微かにある。

 倒れたコンゴウの向こう側に立っていたのは漆黒の戦闘服を身に纏った無明だった。

 

 

「北斗、シエル。お前達は少しだけ体力を回復する事を優先しろ。こちらである程度は間引く。それと同時に、今居る連中の指揮を執れ。このままズルズルと引き摺っても良い結果は生まない」

 

「了解しました」

 

 無明の言葉に北斗だけでなく、シエルもまた同意すると同時に行動を開始していた。

 元々戦力的な意味合いは確かに大きいが、それよりも重視しなければならないのは各チームの部隊編成だった。

 新人に毛が生えた程度の部隊の練度は最初から期待できない。かと言って、各個撃破も危ういとなればやる事は一つだけだった。

 危険な状況を完全に見極め、それと同時に効率よく反撃をする方が余程マシだった。

 改めて2人が陣頭指揮を執りながら周囲の状況を把握している。

 数が多ければアラガミの習性を活かして分断すれば良いだけの話。それが決定的だったのか、時間にして数分後にはこれまで大量発生していたコンゴウの一部は完全に分断されていた。

 

 

 

 

「アリサは地下からの攻撃に集中してほしい。襲ってくるコンゴウはこっちで全部対処するから」

 

「分かりました」

 

 無明が2人に合流している頃、エイジとアリサもまた現地で正体不明の攻撃をどうにかする為に行動を開始していた。

 元々地中からの攻撃そのものは、そんな難しい選択を迫られる事はこれまでに一度も無かった。しかし、時間の経過と共に学び、進化し続けるのがアラガミである以上、油断は禁物だった。

 時間と共に飛び出す棘は少しづつ威力を高めている。当初から見て居れば今の攻撃の方が凶悪な仕様になっていた。

 しかし、先程加勢に来たエイジとアリサはそんな事を考えるつもりは無いままだった。

 既に兆候が出ているからなのか、僅かに地面が振動している。戦闘時の集中も全て地面に奉げているからなのか、アリサに狙いを付けているの事を察知していた。

 

 

「ここです!」

 

 先程まで居た場所からアリサは瞬時に移動すると同時に突き出た棘を素早く斬り捨てる。

 本来であればコンゴウの攻撃を回避する必要があったが、肝心のコンゴウの攻撃は全てエイジがシャットアウトしていた。

 大気を歪め、空気砲の様に出る攻撃を盾で止め、太い腕から繰り出される攻撃は全て一刀の下に斬り捨てられる。一連の行為は、ほぼ流れ作業となっていた。

 全ての攻撃がエイジの一刀の下に斬り捨てられるからなのか、コンゴウの攻撃は徐々に収まりを見せ、確実に戦意を削いでいく。戦場に於ける圧倒的強者の前に、コンゴウは本能がそうさせるからなのか、徐々に怯えだしていた。

 

 戦場で止まっているのがアリサだけだったからなのか、完全に囮と同じ結果になっていた。アヴェンジャーから繰り出す斬撃は棘を斬り裂いた瞬間、体液の様な物が飛び散ると同時に悲鳴の様な音が聞こえる。

 場所さえ特定出来れば後の対処は早かった。アリサは渾身の力で地面に突き刺す。

 元々柔らかい場所だったからなのか、一度も姿を見せなかったそれは痛みを堪えきれなかったのか、蠢く様に地上に躍り出ていた。

 

 

「これが今まで苦しめていたアラガミか。シエル!」

 

「はい!」

 

 まるで痛みにのたうち回るかの様に動くそれはコクーンメイデンに酷似していた。

 通常の物よりも大きさは小さいが、地面に潜り続ける習性を持っているからなのか、表面もどこかシンプルだった。

 胴体部分とは別に触手の様に棘も蠢く。これ以上は見苦しいと判断したからなのか、近くに居たシエルがそのまま斬り捨てていた。

 生命反応が停止したからなのか、そのまま時間と共に霧散している。事実上の厄介な物が消え去ったからなのか、北斗は全員に聞こえるかの様に大きな声を発していた。

 

 

「厄介な地面からの攻撃は恐らくは無いはずだ。総員、反撃。ここが勝負所だ!」

 

 北斗の声に、戦場に居た誰もが苦しめていた根源が既に無い事を判断していた。残すはコンゴウのみ。全員が改めて目の前のアラガミに集中していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フェルドマン。済まないが、広域レーダーの画像をこれまでの時間の経過と共に送ってくれないか?」

 

《時間の経過ですか?》

 

「そうだ。少なくとも挑発フェロモン程度でこうまでアラガミが寄る事は無いはずだ。少なくとも大規模とまではいかないが、何らかの装置があるはずだ。このまま放置すると際限なくアラガミが来る可能性が高い」

 

《了解しました。では直ぐに作業にかかります》

 

 移動しながらも無明はこれまでの様子から勘案し、何かしらの要因がある事を察知していた。

 幾ら大量発生したとしても、こうまでアラガミが来る事が可能性としてはかなり低い。餌に群がるならまだしも、のべつ幕なしにとなれば明らかに人為的な可能性を否定出来なかった。

 墜ちた者の完成体はアラガミを養分としている。だとすれば、周辺地域で望むのは大量のエネルギー。そう考えると全てのピースがカチリと嵌っていた。

 

 

《これから画像を転送します》

 

 フェルドマンの声と同時に、時系列の動きが送られていた。時間と共に多量発生するが、ここではなく、どこか一点に向っている。移動の速度や動線から推測されるのは、外部では無く、内部から何かが出ている様な動きだった。

 瞬時に状況を推測する。そこからの判断は早かった。

 

 

「それと、至急手が空いた者で今から送る場所に人員を派遣させてくれ。恐らくは人為的に起こされた可能性が高い。恐らくは機械的な装置のかもしれない」

 

《………了解しまいた。直ぐに問題の解決に図ります》

 

 寄って来るコンゴウは瞬時に命を刈り取られ、そのまま絶命していく。刹那の攻撃は反応出来るレベルを通り越していた。

 コンゴウはどうやって斬られたのかすら理解出来ない程の斬撃に、瞬く間に周囲を血で染め上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地面からの攻撃を気にする事無く反転したからなのか、これまでの苦戦が嘘の様になりだしていた。

 鬱憤を晴らすかの様に他のメンバーが斬撃を飛ばし、銃弾を次々と撃ち込んでいく。

 既に戦場の空気はコンゴウの狩場になりつつあった。

 次々と音を立てながらコンゴウが断末魔を上げ倒れていく。次々と霧散する光景は北斗やシエルであっても見た事が無い程だった。

 

 

「これで漸く終わりが見えましたね」

 

「そうだな。このまま殲滅すれば……だな」

 

 北斗とシエルもまた指揮を執る事を止め討伐へと行動を開始していた。

 元々極東でもそれ程問題になる事が無かった個体は、ここでは明らかに弱体化している。手慣れた2人にとっては、もはやシミュレーションをやっているのと変わらなかった。

 そんな中、視界の端に違和感を感じる。それが何なのかは分からないが、圧倒的な存在感がこれまでと違う事を知らせてくる。可能性はただ一つ。『墜ちた者』の存在だった。

 

 

「北斗、シエル。前方の先に居るのは恐らくは『墜ちた者』の可能性が高い。ここはこっちでやるから、直ぐに向かってくれ」

 

「分かりました。直ぐに向かいます」

 

 エイジの声に2人は直ぐに行動へと移る。時折攻撃をしかけてくるコンゴウは全てが一刀両断され地に伏せる。今回の総決算とも取れる戦いに、2人の意識は自然とその先の戦いに集中していた。

 

 

 

 

 

「行かせて良かったんですか?」

 

「十中八九間違い無いだろうけど、今はここも大事だよ」

 

 2人の姿が消え去った頃、アリサはエイジに訊ねていた。本来であればこの場を任せて自分達が行動するのが一番の方法。しかし、アリサのそんな思惑とは裏腹に支指示したのは北斗達を送り出した事だった。

 戦力を考えればどちらが有利なのかは言うまでも無い。決して驕った見方をしている訳ではないが、それでも疑問だけが残っていた。

 

 

「実は、今回のこの騒動は内部に誘引装置があったらしいんだ。今は本部の人間が破壊しているから、今後はコンゴウ以外のアラガミが来る可能性が高くなる。少なくとも変異種も出た以上は、こちらも警戒する必要があるからね」

 

 エイジが危惧していたのは、これまでの様に強制的に誘引するのではなく、今後はこの戦闘音と血の臭いを嗅いで新たなアラガミを引き寄せる可能性が高い事を意味していた。

 これまでの戦いの鬱憤を晴らすかの様に今は効率よく動いているが、仮にそのテンションが切れた時、確実に大きな疲労感だけが残る事になる。そうなれば改めて動くには明らかに色々な物が不足する可能性が否定出来なかった。

 

 幾ら戦闘能力があっても集団をコントロールするにはそれなりの能力が要求されてくる。だとすれば、チームとしての行動が多かった北斗やシエルよりも、クレイドルとして普段から何かと指揮を執る自分達の方が何倍も効率的だった。

 事実、戦場の空気は先程までとは違い、ゆっくりと緩和し始めている。この状態で新たなアラガミの襲撃があれば戦線は何かをキッカケに崩壊する可能性を秘めていた。

 

 

「確かに言われればそうですね。他のアラガミが出た事を考えれば、それも視野に入れる必要がありますね」

 

「だから、ここで一旦手持無沙汰になりそうな部隊から退却させた方が良い。下手に全部出すと何かと厄介だからね」

 

 既に幾つかの部隊はアラガミを討伐しきったからなのか、少しだけ座り込んでいた。

 感情が昂ぶった中での戦闘は、確かに自分の普段以上の能力を発揮する可能性を秘めている。しかし、それと同時に多大な消耗をしているのも事実だった。

 精神力で支えられているだけならば砂上の楼閣と何ら変わらない。それを聞いたからなのか、アリサもまた撤退の指示を出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「居た。あれが恐らくそうだろう」

 

「そうみたいですね。見た目はそうでもありませんが、大型種と同等の反応を見せています」

 

 2人に視線の先には一人の少女が丸腰で歩いている様に見えていた。

 これ程アラガミが居る中でのそれは明らかに違和感があると同時に、瞬時に捕喰される可能性を持っている。しかし、幾ら周囲にアラガミが居ようともまるで意にも介さないとばかりにただ歩いていた。

 獲物を見つけたとばかりに襲い掛かるコンゴウ。これが通常であればどちらが捕喰者なのかは考えるまでも無かった。

 

 

「……え。今、何をしたんですか?」

 

「分からない。だが、何か攻撃したから倒れたのは間違い無いんだけどな」

 

 襲い掛かったのはコンゴウの堕天種だった。腕を振り回し、触れた瞬間、弾け飛ぶかと思われたはずの少女の前に力なく倒れ込んでいく。

 まるでスローモーションの様に倒れた光景は異様としか言えなかった。

 それを見たからなのか、コンゴウは少女に対し警戒をし始める。獲物を集団で狩るか動物の様に、同心円状に広がった瞬間、一斉に襲い掛かろうとした瞬間だった。

 一体のコンゴウの背中から細い棒状の物が突き出ている。

 遠目から見た為に、それが何かは分からない。しかし、突き出たのは1本だけではなく、何本も突き出ている。その瞬間、コンゴウは一気に霧散していた。

 

 

「シエル。ここで一旦距離をとって、様子を見た方が良い」

 

「そうですね。ですが、今のが何なのかを理解しないと我々が危険です」

 

「ああ」

 

 気が付くかどうかのギリギリの距離まで近づくと同時に2人は戦いの様子を見ていた。

 明らかに攻撃方法が何も分からないままに突っ込む事は出来ない。特に先程の攻撃は厄介以外の何物でもなかった。

 瞬時に突き出た棒状のそれは、明らかに危険な匂いしかしない。未知の敵との戦いは常に情報収集を要求している。自分達も生き残りながらの戦いがどれ程大変なのかは言うまでもなかった。

 

 

 

 

 

 まるで少女の前に首を垂れるかの様に全てのコンゴウが地に伏した瞬間、一発の銃弾が少女の眉間に放たれていた。

 衝撃と同時に少女の頭は粉砕される。本来であればこれで終わるはずだった。

 衝撃を受けた少女はそのまま後ろに倒れ込む。狙撃の先に居たのはシエルだった。

 

 

「シエル。警戒を解くな」

 

「了解です」

 

 本来であれば一気に距離を詰めてそこから接近戦に持ち込むが、今回は警戒を強めた為に、それは止めておいた。

 一番の要因は先程の攻撃が何なのかの特性を掴み切れなかった点だった。

 下手に接近した所で自分が串刺しになる未来だけは回避したい。その為には遠距離からの攻撃をする事によって様子を見るのが一番だった。

 狙撃したシエルもまた警戒を解く事無く2発目を狙っている。

 それなりの距離があるにも拘わらず、まるで至近距離で対峙している様なプレッシャーはやはりアラガミとは異なる感覚だった。

 『直覚』の反応もまた何一つ変わらない。だからなのかシエルだけでなく、北斗もまた銃撃体勢で警戒していた。

 

 

「来ます!」

 

 シエルの言葉通り、少女はゆっくりと立ち上がっていた。

 眉間を直撃したからなのか、少女の頭部が結合崩壊を起こしたアラガミの様に破裂している。このまま一気に攻めた方が良いのだろうか。そんな判断に迷った瞬間だった。

 

 

「これは……」

 

「思ったより苦戦しそうだな」

 

 時計の針を巻き戻したかの様に少女の眉間の部分が修復を開始していた。

 既に白濁した体躯は人間の様だが、決定的に腕が異なっていた。

 人間の様に何かを掴んだりするのではなく明らかに先程みせた攻撃を彷彿とさせる腕は至近距離に居る者全てを貫く一本の槍の様だった。

 

 

 

 

 

「シエル。援護を頼む!」

 

「了解しました」

 

 北斗は援護を頼むと同時にここが勝負所だと判断していた。

 吹き飛ばした事による補修をしているからなのか、墜ちた者の動きは鈍い物だった。

 幾ら人型とは言え、実際にはアラガミと何ら変わらない。こうまで隙を作るのであれば、ここ以外に勝負すべき所は無いと判断していた。

 

 距離を詰めるべく疾駆していく。北斗が近づく事に感付いたからなのか、墜ちた者は腕の槍を数度突き放っていた。

 刹那の間に3度の連続した突き。通常であれば如何なゴッドイーターと言えど致命的な攻撃を受ける可能性があった。

 しかし、北斗はまるで当然とばかりに身体を僅かに動かすと同時に全てを回避していく。教導の効果がこんな場所で発揮していた。

 

 

「まだナオヤさんの突きの方が早くて鋭かったよ」

 

 まるで幻影に向けて放ったかの様に全ての突きが北斗の身体をすり抜けていく。

 ナオヤの突きは瞬時に最大で5発放たれる。そう考えれば3発程度であれば北斗にとっては何時もよりも軽い準備運動程度だった。

 ギリギリで回避した事によって間合が一気に詰まる。

 一度放たれた槍は引き戻さない限り次の攻撃を出す事が出来ない。それが槍にとっての最大の弱点だった。

 

 

「北斗!」

 

 シエルの叫びが北斗の耳朶に届いていた。本来であれば槍の様な攻撃は必ず引き寄せる事が大前提となる。実際に教導の際にもナオヤは突く以上に引く動作を重視していた。

 本来であれば絶対的な隙。にも拘わらず、シエルの叫びによって北斗は本能的に地面に転がりながら引いていく槍状のそれを見ていた。

 返しの様に鋭い刃が先程まで北斗が居た場所を通過していく。シエルの叫びが無ければ北斗の頸は確実に胴体と離れていた。

 

 

「随分と面白い事してくれるな」

 

「……………」

 

 北斗の言葉に堕ちた者は何も話さない。話す事が出来ないからなのか、それとも話す事すら必要ないのかは分からない。お互いの隙を狙う事によって始まった交戦は徐々に厳しさを増していた。

 

 

 

 

 



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第96話 それぞれの意志

 通常であれば何かしらの音が聞こえるはずの交戦は珍しく静かな立ち上がりとなっていた。

 お互いの隙を突く攻撃は常に一進一退の様相を見せている。本来であれば援護するはずのシエルでさえも、この状況を一刻も早く打破したかったものの、常に立ち位置が変わる攻防に手を出す事を憚られていた。

 時折聞こえる音は精々が互いの攻撃を往なす際に発生するだけ。耳を澄ましてさえ聞こえるのは、大気を斬り裂く音だけだった。

 

 

「随分と余裕がありそうだな」

 

「…………」

 

 北斗の問いかけに墜ちた者は口を開く事はなかった。肌が罅割れているからなのか、時折細胞の一部が剥がれ落ちていく。

 この場に無明が居ればそれが何なのかは予測の一つも立てる事は可能かもしれな。しかし、今の北斗にとってそんな事よりも気になるのは、こちらに向けれる眼だった。

 まるで何かを観察するかの様に常に視線は腕や足に向けられる。これまでにアラガミとの戦いに於いてそんな事をされた経験は一度も無かった。

 捕喰欲求による視線はこれまでに何度も向けられている。しかし、今回の様に観察する様な視線は一度も向けられた事が無い為に違和感だけが付きまとう。

 一挙手一投足の動きが常に視線の先にある様に向けられる。アラガミと戦っていると言うよりも、寧ろ教導で対峙している様な感覚が北斗に伝わっていた。

 

 

「シエル。周囲の様子はどうなってる?」

 

「今と所は問題ありません。どうやらエイジさん達の加入が大きいかと」

 

「エイジ………キサラギカ」

 

 何気に話したはずの会話に出た名前。まさかそれに反応するとは思わなかったからなのか、北斗だけでなくシエルもまた同じく驚きを見せていた。

 元々何一つ言葉にしないと考えていたはずが突如としてその名前に反応する。一言だけにも拘わらず、口にした言葉が自分では無いからなのか、北斗は少しだけ苛立った感情を見せていた。

 

 

「エイジさんと知り合いだとでも」

 

「………キサマニハナスヒツヨウハナイ」

 

 お互いが会話の為に口を開いた瞬間、一筋の白が北斗を襲っていた。

 先程と同様に槍状の腕は連続して突きを繰り出す。先程と同じ事をするつもりは最初から無いのか、墜ちた者は最後だけ返しを出すのではなく、最初から全ての攻撃に返しを付けていた。

 放たれると同時に引き戻す攻撃は北斗の精神を僅かながらでも削り取っていく。先程までの様な最後だけとは違い、全てがそうさせるからなのか一つ一つの攻撃に対し紙一重の回避が出来なくなっていた。

 大きなモーションは時として本人の意識しない部分で致命的な隙を作る。お互いの攻防では明らかに致命的なミス。それが北斗に牙を剥いていた。

 

 

「北斗!背後に気を付けて下さい!」

 

 連続した突きの最後は北斗自身が意図しない攻撃へと変化していた。

 元々槍だけだとは誰も口にしていない。だとすればそれは完全に墜ちた者の作戦だった。

 先程までは死角を突く様に攻撃をしかけたはずが、一転して堅いはずの槍がグニャリと歪む。シエルの言葉に気が付いた時には既に遅かった。

 

 硬質化した槍ではなく、柔軟性に富む鞭の様な動きは完全に北斗の意識をそうだと植え付ける事に成功している。だからなのか、北斗は鞭の様にしなるそれを回避するだけの距離は失っていた。

 盾を展開する事は出来ない。だからと言ってそのまま直撃すれば待っているのは明確な死だった。元々この墜ちた者はアラガミを餌として生まれた経緯だけでなく、事前にこれまでに無い学習能力を身に着けていた。

 

 データベースで参考にした本部とアメリカ支部のゴッドイーターのデータ。それだけであれば既に勝敗はついていたはず。しかし、今こうやって北斗を追い込んでいるのは紛れもなく墜ちた者だった。

 鞭の様な攻撃をなりふり構わず回避する。泥臭い回避の方法ではあったが、戦場では自身が生き残る事が先決だった。これまで汚れる事が無い制服が土に塗れている。紛れもなく堕ちた者は歴戦の熟練者と同じだった。

 時間の経過と共に動きが少しづつ洗練されていく。まるで初心者が武道を始めた様な感覚は北斗に違和感だけを植え付けていた。

 幾らアラガミと言えど、こう短期間で状況が変化するのだろうか。得も言えない感情のこもった視線は逆に墜ちた者へと向けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これでは………」

 

 北斗と墜ちた者が戦闘しているものの、今のシエルにとっては援護のし様が何処にも無かった。

 常に変わる立ち位置と攻防による激しい動きは狙撃の援護を躊躇わせている。仮に銃撃を放った所で確実にそれが当たるかと言えば、答えは否としか言えなかった。

 

 事実、北斗に当たったとしても純粋なダメージがある事はない。

 元々オラクル細胞を使用した銃弾はフレンドリーファイアをする事はなかった。

 しかし、ダメージが無いだけで衝撃までもが完全に消え去る訳では無い。

 常にめぐるましく変わる立ち位置は即ち同等レベルの証。ここで自分の放った攻撃によって隙を作るのは得策では無かった。

 お互いが自分の命を天秤にかけ、生存競争の如く戦っている。ここで致命的な隙を作れば待っているのは明確な死だけ。それを一番理解しているからなのか、シエルはただ見守る事しか出来ないでいた。

 

 

「北斗!」

 

 俯瞰的に見ていたからなのか、膠着した攻防がどちらの天秤に有利に傾いているのかが見て取れた。

 それと同時に、あまりに自然すぎたからからなのか、対峙している墜ちた者は動きが徐々に洗練されている。まさかとは思うが、それでも可能性を考えればあり得ないとは言い切れなかった。

 3本の白い筋が北斗を貫くかの様に放たれる。最後の1本を見た瞬間、半ば本能的にシエルの口から北斗の名が出ていた。

 

 

 

 

 

 攻撃方法が変わった事により、北斗は内心舌打ちしたい気持ちになっていた。

 相手が想定外の攻撃をしたからではない。寧ろ、それ以外の攻撃は無いと勝手に自分が判断した事だった。

 これまでの教導でも途中で武器が変わる事は無かったが、時折最接近するクロスレンジの攻撃の際には蹴りや膝が出てくる場面は何度かあった。

 常に実戦を想定しているからなのか、教導の間は常に色々な部分に神経を使う必要があった。

 事実、初期の頃の教導では完全に向けられた刃に意識を向けと思われた瞬間、強烈な蹴りが鳩尾に入る事が何度もあった。それはエイジだけでなく、ナオヤもまた同じだった。

 意識をコントロールする技術は一朝一夕には身に付かない。最近になって漸く回避も可能となっていたが、まさかこんな場面でそれを思い出せるとは思ってもいなかった。

 北斗は改めて呼吸を整え墜ちた者と対峙する。最初は気が付かなかったが、冷静に見れば熟練者の体術をこなす体勢に落ち着いていた。

 

 

「ザコデハナカッタカ」

 

「漸く話したかと思えばそれか。随分と上からの視線だ……な!」

 

 言い終える間際、北斗は再び墜ちた者へと距離を詰める。本来であれば神機を前面に出して移動するのが通常だが、北斗は敢えて神機を隠すかの様に行動していた。

 目の前に居るのはアラガミではなくエイジやナオトと同じ存在。自身にそう言い聞かせ、これまでにないフェイントを駆使しながらの接近だった。

 

 

 

 

 

 思考を切り替えてからの攻撃は既に何かを決定付けていた。

 アラガミだと言う認識を一旦切り捨てると同時に次は教導の認識に改める。既に北斗の中には討伐の文字は無かった。

 アラガミとの戦いではそれほど先の未来まで考える事はないが、教導では常に十手先まで予測しない事には瞬時に叩きつけられる。

 その結果、肉体だけでなく頭脳もまた自分が生き残り、確実に相手を叩きのめすかの様に思考が切り替わる。この時点で北斗は無心となっていた。

 

 槍を躱し、背後から襲い掛かる鞭をも躱す。時折変化を付ける為に墜ちた者は異なった攻撃を仕掛けるも、全てを回避し続ける。ゆっくりではあるが、先程までの攻防とは違い、今度は北斗の方に天秤が傾きかけていた。

 先手と先読みによって決定的な隙を強引に作り出す。既にどちらが優勢なのかは北斗よりもシエルの方が理解していた。

 改めてシエルは銃口を向け、タイミングを計る。ターゲットの動向が読めない狙撃するかの様に、いずれ来るであろう未来を待ち続けていた。

 

 

「ここです!」

 

 お互いのタイミングは何も言わないままに実行されていた。

 事前に打ち合わせたのではなく、純粋に戦闘の流れを追った結果だった。北斗の一撃が墜ちた者の右腕を斬り裂く。

 斬られた事によって距離を離した瞬間だった。初弾と同じく眉間に着弾したからなのか、墜ちた者の頭部は破裂していた。

 

 

「これで終いだ」

 

 北斗もまたシエルの手によって作られた隙を逃す様な愚かな事はしなかった。

 先程と同様に銃弾が直撃した事によって頭部は事実上の結合崩壊を再び起こす。既に攻撃を繰り返した分だけ修復の速度は遅くなっていた。

 このまま止めを刺す。そう考え一気に距離を詰めた瞬間、背筋がゾクリとした感情を走らせていた。

 

 

「ホウ……アレヲサケルトハ…ナ」

 

 神機の刃が届く寸前、北斗は突如として横へと方向転換をしていた。

 先程まで居た場所に構える事無く槍状のそれが飛んでいく。無心が故に感じた僅かな殺気。

 完全に回避した事に感心したのか墜ちた者は修復が完了したばかりの口元が僅かに歪んでいた。

 

 

「よくある手だ。実にくだらない」

 

 当然とばかりに北斗も答えながらも行動が止まる事は無かった。

 小さく跳躍した為にそれ程大勢は崩れていない。右足が地面に着いた瞬間、それを軸に一気に方向を前方へと変化させていた。

 一輝に詰まる距離に墜ちた者は腕を刃に変え、斬撃を防ぎ切る。完全に意識が北斗に向いた瞬間だった。

 

 

「キ……サ…マ」

 

「まさか卑怯だとでも言うつもりでしたか?」

 

 墜ちた者の胸にはブルーグリーンの刃。気配を完全に殺しきったシエルのデファイヨンが胸を貫いていた。貫通した刃は引き抜かずにそのまま肩口を駆け上がるかの様に上部へと動く。必殺の一撃は先程までの攻防を一気にひっくり返していた。

 

 

「じゃあな」

 

 北斗は一瞥したかの様に自身の純白の刃で頸を刎ねる。完全に接近した一撃は二人に返り血を浴びせながら、そのまま絶命していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様でした」

 

「ああ。お疲れ様。でもよく分かったな」

 

「それは……いつも見てますから、当然です」

 

 墜ちた者は絶命した瞬間、間を開ける事無く霧散していた。

 元々オーバードースした個体は肉体の器を完全に凌駕している。生命力によって支えられたそれは、力を失った事によって一気に時間が進みだす。制御できないからなのか、自己崩壊を起こしたかの様に消滅していた。

 

 

「そうか……」

 

「ええ。そうですよ」

 

 先程までのギリギリの戦いが嘘だったかの様に穏やかな笑顔をお互いが浮かべていた。

 戦場に於いて仮定は意味が無いが、もし、意識が切り替わっていなければ確実にあの姿は自分だったはず。事実上の以心伝心に近いそれは、お互いの意識が極限にまで高まった結果でしかなかった。

 北斗の耳朶には既に帰投した他の人間からの通信が途絶える事無く伝わってくる。ここで漸く厳しい戦いの幕が終わりを告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事実上の極秘任務だった墜ちた者の討伐はそのまま情報管理局案件となった為に事実は闇へと葬られていた。

 元々は脱獄した時点で犯罪に於ける内容は極刑に変わっている。実際にどうなったのかを知っているのは無明を含め片手でも足りていた。

 

 

「今回の任務は厳しい物でしたね」

 

「そうだな。まさかアラガミがあんな事を考えるとは思わなかった」

 

 本部でも今回の襲撃は想定外だったからなのか、出動したゴッドイーターを労う為に、珍しくゲスト用ラウンジを開放していた。

 元々外部の人間が使用する為の施設が故に殆どの人間は足を運んだ事は無い。本来であれば一般用のラウンジを使用すれば良かったが、今回の緊急ミッションに関して尉官級が誰一人出動しなかった為に、軋轢を生む可能性があった。

 折角の宴に水を差す必要は何処にも無い。だからなのか、今日一日だけの限定で開放されていた。

 

 

「お二人ともお疲れ様でしたね。私達が交戦した個体よりもはるかに強度が高いって聞いてましたので、大丈夫ですか?」

 

 既に話を聞いていたからなのか、アリサもグラスを片手に北斗とシエルの下へと来ていた。

 今回の件で教団に関する事実と、アドルフィーネ・ビューラーに関する事実は一部の人間を除き完全に秘匿されている。厳密に言えば、北斗とシエルが戦った墜ちた者についても同様だった。

 

 

「実際に戦って分かったんですが、一言で言えば厄介でしたね。戦闘中にまるでこちらの技術を学んだかの様に洗練されていきましたので」

 

「アラガミが……ですか」

 

「はい。こちらも意識を切り替えて漸くでしたので」

 

 アリサに対する言葉は紛れもなく本音だった。一合ごとに洗練されていく攻撃は僅かでもこちらの意識が緩めば確実に命を刈り取る様に攻撃が飛んでくる。

 もしあのまま続けていればどうなったのかは正直な所、考えたくは無かった。結果的には勝利を収めてはいるが、それでもやはり冷や汗をかいた事実に変わりは無かった。

 ほんの僅かに意識が沈む。気が付けばアリサの隣にはエイジが来ていた。

 

 

「こっちはそれ程じゃなかったんだけどね。やっぱり完成体と言うだけの事はあったんだろうね」

 

「完成体……?」

 

「そう。兄様から聞いたんだけど、作られたのは全部処分したんだ。で、そっちに向っていたのが完成体だよ」

 

 エイジの言葉にアリサは無意識に袖を掴んでいた。幾らアラガミだと言っても忌避感は完全には消えない。心の整理はこの時間までには着けたつもりだが、それでもやはり口にされるとあの状況を思い出していた。

 エイジもまたアリサの心情を理解しているからなのか、具体的な事は何も言わない。

 少しだけ空気が沈みそうになった瞬間、背後からの声によってこの雰囲気が一瞬にして崩壊していた。

 

 

「如月中尉。お疲れ様です。明日からの予定はどうなってるんですか?」

 

「明日からは基本的には教導に入る事になるよ。事前の通りだとすれば残りの滞在は三日程あるみたいだからね」

 

「だったら、明日からお願い出来ますか?」

 

「来る物に関しては拒まないから、問題無いよ」

 

「じゃあ、お願いします!」

 

 自分の言いたい事を言いきったからなのか、青年は元のメンバーが居た場所へと戻っていた。本部に居るにしては珍しく裏表の無い青年。だからなのか、エイジだけでなくアリサにも印象が残っていた。

 そんな青年をキッカケにしたからなのか、エイジの下には数人が近寄って来ていた。

 

 

 

 

 

「やっぱりここではエイジさんは慕われてるみたいだ」

 

「正規では無くても技術を見せれば誰もがその指導を受けたいともうのは当然ですよ」

 

「……そう言われれば確かに」

 

 シエルの言葉に北斗もまた連日の様にナオヤとやっている事を思い出していた。

 神速とも取れる速度で飛び交う槍の穂先は僅かでも気を抜けば自分の意識を一気に持って行く。常に戦いの中でありながら考えを止めれば、たちまち餌食になっていた。

 連日やっても届かない頂き。今回はその経験が役立つとは思ってもいなかった。

 思考が徐々にそちらへと流れていく。そんな瞬間、北斗は現実に戻されていた。

 

 

「あの……あの時はありがとうございました。お蔭で助かりました」

 

「ああ、あの時の。俺は特に何かした訳じゃ無いけど」

 

 北斗に声をかけたのはコンゴウの乱戦の際に助けた一人だった。乱戦になった際に、指揮系統は一瞬にして瓦解している。幾らそれなりに経験を積んだとしても乱戦に於いてはその経験は役に立たない事が殆どだった。

 目の前だけに集中すれば地面からの攻撃の餌食になる。常に気を張った戦いは通常以上に消耗が激しかった。

 そんな中での北斗の攻撃はギリギリだった展開を一気にひっくり返す。北斗としては当然の行為ではあったが、目の前の神機使いにとっては当然ではなかった。

 

 

「いえ。あのお蔭で私だけじゃなくて部隊全部が助かりました。それで……お礼と言う訳ではないんですが、明日一緒にここを見て歩きませんか?折角ですから案内させてください」

 

「……え?」

 

 目の前の女性は頬を少しだけ赤くしながら北斗に提案していた。その言葉の意味が分からない訳では無い。その言葉がキッカケになったからなのか、北斗の周りには女性陣が集まっていた。

 

 

 

 

 

「あの、俺と一緒に動いてもつまらないと思うんだが……」

 

「そんな事ありません。少なくとも私の恩人みたいな物ですから、是非」

 

「ちょっと抜け駆けはダメよ。私だって同じなんだから!あの、私も助けられた様な物ですから……」

 

 北斗の周りを取り囲む女性陣にシエルは少しだけ呆然としていた。それと同時に不意にアリサの言葉が脳裏を過る。あれを言われたのは確か極東にまだ居た時の話。アリサは何をどう言っていたのだろうか。そんな取り止めの無い事を考えていた矢先だった。

 

 

「あの、アランソンさんですよね?俺、感動しました。あんなに優雅に動けるなんて、同じ神機使いとして一緒に学ばせて下さい」

 

「……あの、私に……ですか?」

 

「勿論です。他に誰が居るとでも?」

 

「アリサさんも同じかと」

 

「アリサさんは……まぁ……」

 

 まさか自分にも声がかかるとは思っていなかったからなのか、気が付けばシエルの周りにも輪が出来始めていた。しかし、誰もがみんな男性陣ばかり。突然の出来事に何が起こっているのかを理解するには時間が必要だった。

 気が付けばグラスの中身は既に空になっている。それを利用したからなのか、シエルだけでなく北斗もまた同じ様に行動していた。

 

 

 

 

 

「やっぱりこうなりましたね」

 

「アリサは知ってて言わなかったんじゃないの?」

 

「当然です。ここで介入したらこの場所が無くなりますから」

 

「考えすぎだよ」

 

「いえ。私は離れませんから。エイジはもう少し周囲に気を配って下さい。それとも、一緒に居るのは……嫌ですか?」

 

 身長差があるからなのか、アリサは自然と上目遣いになる。こんな顔でお願いされたからなのか、断ると言う選択肢はエイジからは消え去っていた。

 

 

「嫌じゃないよ」

 

「じゃあ、こうしていましょう。あの2人に関しては暫く様子見ですから」

 

 北斗とシエルを見ながらアリサは少しだけニヤニヤしていた。

 気が付けば先程までの項垂れた雰囲気は消え去っている。かつて自分も通ったからなのか、2人に対し、余程の事が無ければ介入するつもりはなかった。

 もちろん、その間にもエイジの左腕には自分の胸があたる位に近いポジションを確保している。ここで離れれば北斗達の二の舞になる事を理解しているからなのか、常に動く際には寄り添っていた。

 

 

 



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第97話 束の間の休息

 昨日までの戦闘が嘘だったかの様に、本部内にある訓練施設は一部を除いて静寂を保っていた。

 時折聞こえる剣戟の高音と、荒い息遣いだけが妙に響く。時間はまだそれが暁を迎える前だったからなのか、まだ明るさと薄暗さとの狭間だった。

 

 

「昨日のあれは大変だったみたいだね」

 

「はい。お蔭で苦戦しました。シエルの援護で何とかなりましたが」

 

「教導じゃないから2対1でも問題無いけどね。そもそもアラガミと単独なんて早々するもんじゃないから」

 

 これまでであれば教導の際にこうまで話をする程の余裕は殆ど無かった。

 事実、昨日の戦闘もあってか、本来であれば休息を言い渡される。しかし、先日の青年の言葉もあってか、エイジは独り休むつもりもなく、何時もの日課とばかりに鍛錬に勤しんでいた。

 型を確かめるかの様にゆっくりと自分の体内の内側を意識させる。そんな矢先に来たのが北斗だった。

 何時もの様に短い礼と共にお互いが距離を取る。それがいつもの開始の合図だった。

 

 今の北斗ではエイジに対し、攻撃は殆ど当たる事は無い。時折当たっても僅かに掠る程度。自分が『墜ちた者』と対峙した事によってその差は多少でも埋まったかと思われていたが、結果的には特段の変化は何処にも無く何時もと同じだった。

 3回に1回は必ずと言っていい程に吹き飛ばされる。力で強引にではなく、態と理解できるかの様にその部分だけを意識させていた。

 梃子の原理の様に作用点がそのまま力点以上の効果をもたらしていた。

 

 

「ここで一度休憩しようか」

 

「もうそんな時間ですか」

 

 エイジの言葉に北斗もまた時計を見て確認していた。気が付けば時間はそろそろ7時にさしかかる。

 早朝からの教導は誰の目にも止まる事無く終了してた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、一つ聞きたい事があったんですが」

 

 北斗とシエルは身支度を済ませるとそのままエイジ達が居る部屋へと移動していた。

 元々本部でもゴッドイーター用のラウンジだけでなく食堂も完備されている。

 通常であればそこでの朝食がこれまでだった。当初北斗は何も考える事無くそこに行こうとしたものの、結果的にそれを阻止したのはシエルだった。

 先日の状況が直ぐに解消されたとは到底思えない。仮にそのまま行ったとしても落ち着いて食べる事が可能かと言われれば否定するしかなかった。

 只でさえ人付き合いが苦手なシエルからすれば人が多いここは拷問に近い。だからなのか、内線を繋げるとそのまま北斗を引き連れて移動していた。

 

 

「聞きたい事?」

 

「はい。実はこっちが墜ちた者と対峙した際に、エイジさんの名前が出たんです。ひょっとしたらベースとなった人間と面識があったのかと思ったんですが」

 

「……実際に見てないから何とも言えないけど、面識と言う点であれば心当たりがありすぎて分からないと言うのが本当だろうね」

 

「そうですか……」

 

 北斗の質問にエイジは改めて記憶を辿っていた。

 元々教導をしていたのは若手を中心とした殆どの人間。仮に相手が記憶していたとしても、こちらは顔も何も見ていない為に聞かれた所で返事のし様が無かった。

 何故そんな話になったのかは分からない。しかし、朝の教導の際にも聞いた話から考察すれば一つの仮説が浮かび上がっていた。

 

 

「……これはオフレコでお願いしたいんだけど、あの墜ちた者は基本的には実験的に作られた物であるのは知ってるとは思うけど、その中で戦闘に関するデータはコピーされた物だと思う」

 

「コピーってそんな事が可能なんですか?」

 

「僕も詳しい事は分からないんだけど、実際に兄様から聞いたのと戦った感触がそうだと感じただけなんだけどね」

 

 エイジの言葉に北斗とシエルは驚愕の表情を浮かべていた。

 元々アリサはその話を聞いていたからなのか、特に驚く事は無い。しかし、当のアリサもまた初めて聞いた際には十分に驚いていた事実があった。

 

 

「ですが、機械じゃないんですよ。そんな事が可能だとは思えません……」

 

「これはあくまでも仮定の話なんだけど、オーバードースさせる事によって人間としての機能は殆ど失われてるらしい。それと同時にアラガミと同じだとすれば、記憶という名でデータ化し、脳に直接送り込む事が出来れば理論上は可能だって」

 

「それって……」

 

「そう。どう考えても非人道的なやり方だよね。でも、ビューラーをそれを実行した。そして結果的には脳に記憶として定着させる事に成功したんだと思う。

 アラガミは確かに構造器官がどうなっているのかは完全に解明された訳ではないんだけれど、人間であればある程度の事は解明されている。

 だとすればまだ曖昧な時に植え付けれる事が出来れば可能性は高いんだろうね」

 

 驚愕の回答に北斗とシエルは驚くしかなかった。

 理論上でも可能であれば新兵が瞬時にベテランになる。生存率がどれ程向上しようが、現実は非情だった。

 

 今の時点で対アラガミの手段はゴッドイーターによる神機での戦闘のみ。神機兵に関しては未だプロジェクトそのものが凍結されている為、それ以外の手段は何もなかった。人的資源は未だ限定的。そんな事実があるとすれば、最悪ゴッドイーターの一部はモルモットになる未来しか無かった。

 

 

「だけど、実際には幾ら脳が覚えていたとしても、肉体とのリンクが確立されてなければ、結果的には応用は無理だろうね。機械的に覚えた物は実戦では通用しないから」

 

 そう言うと同時にエイジは味噌汁を啜っていた。朝食の会話としては不適切ではあるが、流石に機密情報を公の場で話す訳にはいかない。どこで誰が話を聞いているのか分からない状況下ではエイジ達が居る部屋で話すのが一番だった。

 当初は盗聴の可能性もあったが、部屋に入ってしばらくして万が一の可能性を考えて完全に調べていた。反応が無かった事から大丈夫だろうと判断した結果だった。

 

 

「確かに……そう言われればそうですね。身体が覚えて無ければスムーズには動かないでしょうね」

 

 北斗は改めて当時の状況を思い出していた。当初は確かに荒々しい剣筋だった事は記憶している。しかし、時間が経つと同時にその剣筋は徐々に整いだしていた。

 終盤に関しては完全に教導で対峙しているのと変わらない。その状況はまるで極東に戻ったと錯覚する程の技量だった。

 

 

「まだ時間はあるんだ。難しい事は兄様や榊博士に任せれば良いだけの話だよ。それよりも、これからの予定はどうするつもりなの?ブラッドは確か聖域の状況報告でここっだたはずだけど?」

 

「その件でしたら先日の段階で既にフェルドマン局長には伝えてあります。ですから我々は自由になるかと思います」

 

「折角ですから、お二人で本部の居住区をデートしたらどうですか?ここは極東には無い珍しい物もありますよ」

 

「あ、アリサさん。そんな……私達は……」

 

 アリサの突然の言葉に反応したのはシエルだった。

 そもそも今でさえ北斗と同じ部屋で緊張はおろか、所々挙動不審になっている部分が多分にあった。

 無理を言えば部屋の交換は容易い。ロビーでそう言えば良いだけの話。しかし、そんな状況を惜しむ自分もまた存在していた。一方の北斗は今一つ何を考えているのかは分からない。しかし、何時もと違う事だけは間違い無かった。

 

 

「僕らも教導とは言っても実際には丸一日はやらないからね。精々が午前中だけだから、午後からは緊急ミッションさえ無ければ割と自由なんだよ」

 

 幾ら教導とは言え、ミッションを受注しない事には報酬が増える事は無い。

 一時期はエイジも一緒にそのまま同行する事もあったが、緊急時に直ぐに動く事が出来ない弊害がそこにあった。

 そんな事も踏まえ、今は遊撃としての立場を取っている。その結果、ゆとりを持てる時間を増やす事に成功していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「色々とお騒がせしました。心より感謝します」

 

「礼には及ばん。それよりも今後の事を少しだけ考えた方が良さそうだな」

 

「確かにやるべき事は山積してますね」

 

無明の言葉にフェルドマンは小さく笑うしかなかった。

今回の件は本部内に於いても何かと物議を醸すには十分過ぎていた。本来であれば戦場の指揮は尉官級が執り、部下として曹長以下の人間が動くのが当然だった。

 当初はコンゴウが数体出ただけだった為に事態は大きく広がらなかったものの、やはり数が尋常では無くなった時点で部隊としての亀裂はそのまま確執へと変化していた。

 指揮を執るはずの人間が前線に出ず、現場の要でもある曹長が居ない部隊は次々と消耗し続けていた。

 

 決して曹長レベルが尻込みしたのではなく、バラバラだった戦線を維持する方にシフトしたのはある意味では当然だった。

 新兵に近い人間だけで戦場が維持出来る程甘くは無い。ましてや未知のアラガミからの攻撃を受けながらでは本来のパフォーマンスすら発揮出来ないのは仕方の無い結果。

 幾らブラッドが優れていても、焼石に水の状況では手の施しようが無かった。

 

 

「保身が過ぎて部隊が壊滅では、幾らなんでも醜聞が過ぎるぞ」

 

「ええ。ですので、今回の件に関しては我々の方で捜査を開始しています。それと同時に今回の戦闘に於いては一定以上の戦果を出した人間を昇格させる手筈も出来ていますので」

 

「そうしてもらわないと、何かあっても常に我々が出張る事は早々可能では無いからな」

 

 無明とフェルドマンの話は今後の本部内部の一新を促す事になっていた。

 幾ら尉官級とは言え、上層部からの命令が出ない以上は勝手に飛び出す事は難しい。事実、今回の戦闘を指を咥えて見ているのは何故だと一部から声が出ていた。

 これがまだ新兵レベルであれば訓戒程度で済むが、尉官となれば話は変わる。現場に変な動揺をさせる位ならばと涙を飲んだケースもあった。

 全員では無いにせよ、そんな声があったからこそ、今回の件に関しては尉官級に対しての処分は行われなかった。

 

 

「そう言えば、リヴィは元気にやってますか?」

 

「リヴィか?それなら元気ににやっているようだ。それに最近は舞踊もかなり様になっていると聞いている。良ければその旨手配しよう」

 

「リヴィがそんな事をやっていたとは………我々は彼女に甘えすぎていたので、正直な所あの件以降はどうなっているのかは気になる部分は幾つかありました。今回の件でもブラッドの隊長からも現況報告を受け、少しは安心しましたが、まさかそんな事までやっているとは思いませんでした」

 

 無明のまさかの言葉にフェルドマンは驚きながら自身の心情を吐露していた。

 確かに対象者が所有している神機で処分するのが現状では最適であるのはある意味では当然の話。それはフェルドマンだけでなく、フェンリルの技術者全体の認識だった。

 しかし、それば所有者の神機に浸食される矛盾が孕む。完全にアラガミ化してからの討伐であれば今度は部隊の人間の命が脅かされる。それが一番の原因だった。

 事実極東では最悪は無明が全て始末している為に、それ程忌避感は少ない。

 今回の様に完全な人型だった場合、本当に斬る事が出来るのはある意味では未知数だった。

 それと同時に今回の件に関してはアリサが実行している。支える者か物があるのであれば、問題は無いだろう。少なくとも無明はそう考えていた。

 

 

「俺は基本的には何もしていない。ただ環境を提供したに過ぎない。残りは本人の資質だろう。実際にここでやっている教導の始めも些細な出来事から始まった物だからな」

 

「ですが、現実として実を結んでいるのであれば評価するのは当然でしょう。何よりも数字がそれを表してますから」

 

 フェルドマンが言う様に今回の昇格を可能とした人間の大半は元々エイジがここで教導した人間ばかりだった。対人戦とアラガミとの戦いは確かに異なるが、現状ではエイジとの対人戦をこなせる人間の数字が突出している事が多かった。

 僅かな空気から攻撃のタイミングを読み、半ば偶然があってもギリギリで攻撃を避ける事が出来れば、それよりも動きが遅いアラガミの攻撃を避けるのは容易い事だった。

 生還率が上がると同時に撃破数も比例するかの様に伸びていく。今回のケースが集大成とばかりに花を開かせていた。

 

 

「本部での事は我々の関知する事ではない。予定通り、期限の日にはここを発つ。それまでには今回遭遇した変異種のデータを少しだけリンクしておこう」

 

「そうして頂けると助かります」

 

 お互いが言いたい事が終われば後は日常の会話だけだった。

 元々無明は紫藤の名前でしかここには示していない。一研究者として、今回の件とは別件で来ている事になっている。既に表向きの要件が完了しているからのか、それ以上慌ただしくなる事は無かった。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、これ可愛いですね。シオちゃんとマルグリットにどうですか?」

 

「そうだね。だったら、コウタとソーマには……」

 

「あの2人なら適当でも大丈夫ですよ。どうせ何渡しても同じ反応ですから」

 

「手厳しいね。だったらリンドウさんはどうするの?」

 

「レン君とサクヤさんの分だけで十分です。リンドウさんはお酒でも買えば良いですから」

 

 教導をし、時折ミッションをこなしたものの、最終日だけは折角だからとエイジとアリサはお土産や観光にと居住区に足を運んでいた。

 元々土産を買うつもりはなかったが、今回の任務は予想外に厳しい内容だった事から、ここで一旦気分を刷新した方が良いだろうと判断した結果だった。

 既にあれからそれなりに時間が経過はしているが、アリサの心が完全に回復しているのかは本人以外に何も分からない。

 自分の前で気丈に振舞う事は無いとは思うが、それでもアリサの事を考えれば何かしたいと思ったのも事実だった。

 そんな事もあってか、折角だからと観光を兼ねてと繰り出していた。

 アリサは常にエイジと腕を組みながら店頭の品を覗いている。周囲からすれば胸やけするほど糖分をばら撒いているかの様だった。 

 

 

「そう言えば、北斗とシエルはどうしたんだろうね?」

 

「詳しい事は分かりませんが、私達は外に出るとは言いましたけど」

 

 買い物をしながらエイジはふと思い出しかの様に口を開いていた。

 実際に北斗が本部の人間と対戦する事は全く無かった。一番の要因は北斗自身が人に教える程のレベルに達していないと考えているだけでなく、実際に聞かれた際にはどう答えて良いのかが分からない点だった。

 

 それと同時に北斗がエイジとやって分かったのは、教導の際には完膚なきまでに叩きのめすのではなく、常に弱点を意識させギリギリまで追い込む事を意図的に出来る点だった。

 実際に北斗もそれがどれ程大変な事なのかは理解している。自分が外に出ている以上、何らかの理由を付けて同じく外に出るのではと考えていた。

 

 

「実際にゴッドイーターだけじゃないけど、他の支部に行くケースは早々無いからね。折角他の支部に来たなら多少は出ても良いとは思うんだけど」

 

「それについては同意しますけど、せめて私と一緒の時はそんな事考えて欲しくないんですけど」

 

「ゴメン。そんなつもりじゃないんだけどね」

 

 そんな事を言いながらもアリサの表情に怒りは見えなかった。任務が長く続けばその分ゆっくり出来る時間は削られて行く。

 只でさえ、ここは何かと精神的に疲れる事は多い。厳密に言えばアリサが見逃せばいいだけの話だった。しかし目の前で迫られて何もしない程アリサも寛大ではない。

 自身の夫を誘惑する位なら自分の感情の趣くままに従った方が何倍もマシだと判断していた。

 だったら更なる虫よけをすれば今日が最終日。明日には極東に戻るからと実に合理的な考えだと自分に言い聞かせ今を楽しんでいた。

 

 

 

 

 

「俺達も折角だし、ブラッドの皆に買っていかないか?」

 

「そうですね。特にロミオ辺りは買わないと何か言いそうですから」

 

 エイジとアリサに触発されたからなのか、北斗とシエルもまた居住区へと繰り出していた。

 元々観光はおろか、極東支部でさえもゆっくりと出歩いた事は数える程しかなかった。

 あの戦い以降は農作業が増えた為に更に時間が削られている。元々訓練以外には感心を示す事が少ない北斗からすれば、それほど気になる事はなかった。

 勿論、シエルもどちらかと言えばそれに近い物がある。事実2人だけで出歩いたのはあの護衛任務依頼が来て以来だった。 

 

 

「そう言えば、こうやって歩くのは久しぶりだな」

 

「そうですね。私の記憶だとあの護衛任務以来です」

 

 最初はお互いの距離感が掴めなかったが、時間の経過と共に何時もの様になりつつあった。

 それと同時に以前の事を思い出す。ここは極東でない為に、2人に視線が集まる事は殆ど無かった。

 だからなのか、お互いが少しづつリラックスし始めている。お土産を買う頃には変な緊張感は無くなっていた。

 

 

「これなんかナナさんが好きそうだと思いますよ」

 

「そうか?寧ろこっちだと思うが」

 

「それも良いですね」

 

 こちらもまた何も知らない人間から見れば、お互いがデートしている様にしか見えなかった。

 時折シエルに飛ぶ視線はあるが、右腕を見たからなのか、直ぐに視線が外れていく。

 ここではゴッドイーターに対しての偏見は無いが、どちらかと言えばお互いが同じ職種である為に心の拠り所になりやすいケースが多く、その結果結婚に至るケースが多々ある。

 仮に何かしたとしても身体能力が最初から異なる為に、最悪は逆に制圧されてしまう。そんなケースが度々あった為に、腕輪をした人間に絡む剛の者は居なかった。

 そんな視線に気が付く事も無く、北斗とシエルもまた極東に戻るまでの束の間の平和を満喫していた。

 

 

 



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第98話 驚きのお土産

 本部から戻った一行はそれぞれの任務に戻っていた。

 元から期間が短った事もあり、特に混乱する様な事は何一つない。何時もと変わらないはずの極東支部ではあったが、その中でも支部長室だけはそんな雰囲気が漂う事は無かった。

 現在部屋に居るのは支部長の榊と無明だけ。弥生が部屋に居ない時点で、機密性の高いやり取りである事が察せられていた。

 

 

「なるほどね。確かにこの考えは悪い物では無いと言いたくなる気持ちは分からないでもない」

 

「理論上問題は無いですが、やはり人道上までとなれば変わるでしょうね」

 

 榊が関心したのはオーバードースによるゴッドイーターの強化ではなく、これまでの戦闘データを脳内に記憶として定着させる技術だった。

 無明がエイジに伝え、それが本部で話されている頃、この技術の可能性と忌避感を募っていた。

 

 確かに人の記憶を転写させることが可能であれば、やり方によっては事実上の不老不死の如く知識は未来永劫生かせる事になる。それと同時に問題点もあった。

 一番の問題は、その記憶を転写させた際に、元の人間の人格はどうなっているのかだった。

 上書きとなれば元となった人格は完全に消滅するのか、それとも記憶として残るのかは無明が手に入れたデータからは何一つ出てこなかった。確かに戦闘経験を転写させる案は厳密に言えば、悪い物ではない。

 何も知らない新兵が一夜にしてベテランへと変わっていく。これまで教導をこなすことによって血が滲む様な努力をしなくても安易に手に入れる事が可能となっている技術は余りにも破格の内容だった。

 

 ここ極東支部ではあり得ないが、他の支部からすればかなり魅力的にも見えていた。突出した戦力が無い代わりに集団としての力は育まれていく。

 実質単独討伐を推奨しないのであれば、その方法はやはり有効だった。

 

 

「これは僕の仮説なんだけど、そんな煩わしい事全てをやらない様にする為に、一度人間としての器を破壊する方法を選んだのかもしれないね。こう言う言い方は正直好きではないが、やはり合理的に考えるならば、それが一番だろうね」

 

「確かにそうでしょうね。アメリカ支部での内容が非公開であると同時に本人は既に居ない今、確認のしようが無いですが」

 

 榊の言葉はある意味科学者としては正しい部分があった。

 幾ら感情が先走っても結果が見えないのであれば、一定の成果を求める為に分かり易い方法を選ぶ。それが正しいのか間違っているのかは誰にも分からないままだった。

 ヨハネスが提案した実験はその最たる物。当事者が容認したからこそ狂気とも言える実験の結果が今である以上は、今を見るのか未来を見るのかの違いでしかなかった。

 

 

「今回の件に関しては既にデータは完全に抹消しています。恐らくはフェンリル本部としても無かった事にするでしょう」

 

「それが一番妥当だろうね。それと、変異種に関してだが、リンクはしてあるんだけど、今後はどう思う?」

 

「ここでも変異種は見ますが、実際にはその原因が分からない以上は何とも言えないというのが本当でしょうね。ですが、あの研究が何かの要因になった可能性も否定できないですが」

 

 無明は改めて墜ちた者の考察をしていた。

 アラガミとなれば必然的にコアが生まれる事になる。それはこれまでの研究の結果、ゴッドイーターがアラガミ化しても同じ結果をもたらしているからだった。

 しかし、墜ちた者はコアを一切有する事無くそのまま瞬時に霧散していた。その時点ではアラガミと同じ結果ではあるが、やはりコアが無い事は気がかりだった。

 仮に一つの種として定着するとなれば厄介以外の何物でもない。現時点では本部周辺に出てくる可能性はあるものの、極東支部周辺だけに限定すれば対岸の火事に過ぎなかった。

 

 

「しかし、人類の天敵を人類が作り出す事になるとはね。やはりバタフライエフェクトの可能性もあるんだろうか」

 

「こればっかりは何とも言えませんね」

 

 理論が破綻している様にも思えるが、結局の所は本当の部分が何も分かららないままだった。

 榊としては研究の価値はあると考えるかもしれないが、無明にとってはここに危機が無ければ特に考える必要は無いだろうと考えている。

 様々な思惑を抱えながらも、支部長室では今後の課題と称して、そのまま終了していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え~これ本当に良いの?ありがとう!」

 

「はい。折角なので皆さんにも買ってきました」

 

 支部長室で厳しい話が行われている頃、ラウンジでは戻ってきた4人からそれぞれお土産と称して色々と配っていた。

 元々今回の本部行の任務は表向きはそれぞれの現状報告がメインだった為に厳しい内容では無かった。

 実際に戦闘した事実は最後の本部周辺の戦いのみ。墜ちた者に関しての戦闘だけは情報管理局からの指示でコンバットログや情報に関する全ての物が削除されていた。

 

 事実上の醜聞は他の支部にも影響を与える可能性が高い。そう判断したフェルドマンの言葉に、北斗達だけでなく、エイジ達もまた同意していた。

 事実関係が完全に伏せられた以上、精々がコンゴウの大量討伐程度。他の支部では分からないが、極東支部の面々からすればコンゴウの大量発生程度では驚く事は殆ど無かった。

 そんな事もあってか、お土産をシエルが次々と渡していく。少し前までの本部に渦巻く殺伐とした空気はまるで嘘の様だった。

 

 

「おっ、これカッコイイな。北斗、サンキューな」

 

「喜んでもらえて何よりです」

 

「でも、本部の連中は対応が悪かったんじゃないのか?何かと目の仇にするだろ」

 

「それは無かった。実際には全員とまでは行かなかったが、殆どがエイジさんが教導で相手した人だったから、特には無かったな」

 

 ギルの言葉に北斗は改めて思い出していた。

 来た当初はそんな事もあったが、エイジの姿を見てからはそんな空気は一変していた。

 教導のせいかなのかは分からないが、やはり自分達よりも上の人間がいる時点で不躾な事はしない。それはエイジが本部で築き上げた実績が全てを物語っている。

 実力も人柄も知られているのであれば、その周囲に居る人間にまで口を出す事は無かった。

 

 

「流石だな。それよりも聖域の事は何か言われたのか?」

 

「特には無かったな。実際にいくつか話はあったが、当面はこのままやってほしいとの事だ」

 

「ジュリウス。農業も大事だけど、他にも何か聞く事があるだろう」

 

「いや。本当に大した話にはならなかった。俺達よりも寧ろ、クレイドルの方が大変そうだった」

 

 ジュリウスの言葉にリヴィはツッコミを入れた所で北斗は改めて思い出していた。

 実際には機密の内容の方が話す内容が多く、残念ながらジュリウスが期待する程農業に関しては殆ど触れる事はなかった。

 そもそもジュリウスが毎回詳細まで記した膨大なレポートが毎週本部に送られている。態々担当者から話を聞くよりも、それを見た方が手っ取り早かった。

 常に日ごとの内容が記されたそれがどう活用されているのかは北斗にも分からない。そんな事を当然口にする事も出来ず、北斗とシエルは苦笑いするより無かった。

 

 

「そうだよね。アリサさんとか見てたら大変そうだもん。私だったら1日持たないよ」

 

「ナナは小難しい事考え無さそうだもんな」

 

「ロミオ先輩はそんな所がデリカシーが無いって言われるんだよ」

 

「んな事無いだろ。俺ほど気遣いをしている人間はそういないだろ」

 

「え~そうかな~ちょっと信じられないかも」

 

 何時もの光景に北斗とシエルは漸く極東支部に戻ってきた事を実感していた。

 本部は本部で色々とあるが、やはりここに居る方が落ち着く。気が付けば既にここが自分達のホームグラウンドだと実感していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ、使ってくださいね」

 

「ありがとうございますアリサさん。でも、これってなんですか?」

 

「それは、部屋に戻ってから開けて下さいね」

 

 ニッコリと笑うアリサの顔にマルグリットはそれ以上は何も言う事は無かった。

 態々部屋に戻ってと言われた以上は、ここで開ける訳には行かない。ラウンジの向こうではブラッドも同じ事をしているからなのか、今はそれ以上考えるのは止めようと考えていた。

 

 

「そう言えば、結構面倒なアラガミが居たんだろ?実際にはどうだったんだ?」

 

「多分変異種だと思うんだけど、コクーンメイデンの棘が地面から出るアラガミが結構苦戦した原因だったかな」

 

「地面からって厄介だな。他には何かあった?」

 

「いや、それ位かな。でも常に見えない場所からの攻撃は結構面倒だろうね。実際にこっちが戦場に着いた際にはかなり消耗の度合いが大きかったから」

 

「ここでそんなのが出ると厄介だな」

 

「少なくとも初見だと厳しいかもね」

 

 コウタの言葉にエイジもまた当時の事を説明していた。

 見えない場所からの攻撃は案外と厄介でしかない。目視できるのであれば回避や防御も問題無いが、やはり視覚の外からが続けば嫌が応にもそちらにも意識を向ける必要があった。

 実際にそれを討伐してからは数の論理を押しつぶせている。その情報だけは既に知っていたからなのか、コウタの質問は真剣だった。変異種や新種はある日突然発生する。

 以前とは役割が異なるとは言え、最前線に出る事が多い第1部隊を率いる立場としてはある意味では当然だった。

 

 

「コウタも少しは大人になったな」

 

「ちょっとリンドウさん、それ痛いんで止めて下さいよ」

 

 これまでのコウタとは大きく違ったからなのか、リンドウは自身のガントレットを付けた右腕でコウタの頭を撫でていた。

 人間の柔らかな手とは違い、ガントレットは硬質な金属の塊。撫でるというよりも、寧ろ、おろし金で削っている様だった。

 そんな2人のやりとりの他のメンバーも笑顔を見せている。漸くここに日常が戻っていた。

 

 

「でも、2人きりじゃなかったけど、旅行みたいな物でしょ、何か良い事あった?」

 

「そうです。聞いてくださいサクヤさん。最終日は任務も無かったんで、エイジと久しぶりにデート出来たんです。それで……」

 

 まるで興奮したかの様にアリサは目を輝かせながら何があったのかを話だしていた。

 どこの店に行ったとか、何をしたとか自分達の話をしたくてうずうずしていたようだった。一度開いた口が閉じる事は無い。気が付けばリンドウとソーマはこの場から離脱していた。

 それと同時に、サクヤもまた内心聞くんじゃなかったと後悔している。アリサとしては楽しいかもしれないが、サクヤにとっては苦行でしかなかった。

 

 

「そう言えば、北斗とシエルさんもデートしてましたよ。折角なんで行って来たらって言いましたので」

 

「あら、そんな事があったの?」

 

「はい。多分向こうは気が付いてないと思いますが、居住区で偶然見かけたので」

 

 アリサの言葉にその場にいた全員がブラッドの方へと視線を向けていた。

 視線の先には何やら楽しそうな話をしている。折角ならとサクヤは何をを閃いたかの様にブラッドの下へと移動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇシエル。さっきアリサから面白い事聞いたんだけど、向こうで結構楽しかったみたいね?」

 

 突然の声にブラッドの全員が思わずサクヤの方に向いていた。

 色々と話を聞いたが、楽しかった話とは何だったんだろうか。これまで話題にも出なかったからなのか、誰もがサクヤとシエルの会話を固唾を飲んで見守っていた。

 

 

「はい。お蔭様で色々な経験を積ませて頂きました」

 

「経験って、どんな?」

 

「はい。北斗と初めて一つになれたんです!あの瞬間は嬉しかったです!」

 

「え……そう……なの」

 

「はい。一体感が凄かったと言いますか、何と言えば良いんでしょうか。とにかくお互いの考えている事が交わったんだと思います」

 

 屈託のない笑顔で答えたシエルに、サクヤはどう答えれば良いのか判断に迷っていた。

 これがクレイドルを基準に考えれば、それで揶揄う事は最早お約束でしかない。確かにサクヤは教官としての立場ではあるが、ブラッドに関してはそれ程深い付き合いをしている訳では無かった。

 事実上の巨大な爆弾の様にも聞こえる台詞。気が付けばシエルは何かを思い出しているのか笑顔が絶えない。その一方でロミオはどこか視線を外しながらも耳は赤く、ギルに関しては帽子を目深にかぶり直していた。

 

 

「シエル。一体感とは何だ?」

 

「はい。これまでにも何度か感じた事はあったんですが、今回は本当に北斗が何を考えて、何を望んでいるのかが手に取る様に分かったんです」

 

「そうか……」

 

 ジュリウスの質問に、何も考える事無く即答で返す。それ以上は突っ込まない方が良いのだろうか。言葉だけを聞けばどこか卑猥な話の様にも聞こえる。

 先程まで和気藹々としていたはずの空気は一気に氷点下まで落ち込んでいた。

 

 

「ねぇ、シエルちゃん。ひ、ひょっとして階段を上っちゃった?」

 

「どの階段かは知りませんが上りましたよ。結構大変でしたが」

 

「そ、そうなんだ……」

 

「ナナさん、どうかしましたか?顔が赤くなってますが」

 

「え、そ、そうかな。そんな事無いと思うけど」

 

 余りにも投下された物が巨大すぎたからなのか、誰もが回復する事はない。

 本来であればシエルではなく北斗に確認すべき内容なのは間違いないが、生憎と席を外している。

 少し前に用事があるからとそのままラウンジを後にしたままだった。あまりの衝撃に沈黙が支配し続けている。

 何かのキッカケが必要になる程の空気に、流石のサクヤも少しだけ困ったままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「忙しいところ済みませんでした」

 

「気にしなくても良いよ。あの戦いで何かを思うところがあったからなんでしょ」

 

「そうですね。実際にはシエルが背後から刺さなかったら、あのまま俺は押し切られていたかもしれないかと思うと、少し不安なんで」

 

「焦った所で技術は急には進歩しないよ。僕やナオヤだって昨日今日で身に着けた訳じゃないから」

 

「そう言われればそうなんですけどね……」

 

 墜ちた者との最終決戦は結果的には勝ったものの、純粋な技量とて考えれば明らかに劣っていた。

 これがシエルの援護が無ければどうなっていたのだろうかと考えると気が重くなる。

 元々北斗も鍛練を続けていたはいたものの、目標となるべき者が居ないままのそれはどれだけ向上しているのかが分からない。極東支部に来て初めてその指針となるべき物が見つかった。これなら更なる階梯を上る事が出来る。そんな思いがあった。

 

 

「堕ちた者はもう無いんだ。悩んだままに鍛練を続けても良くはならない。ひとまずそれは記憶から外した方が良いだろうね」

 

「そうですね。少しだけ落ち着いた気がします」

 

 教導が終わった為に、まだ皆がいるはずだからと2人はラウンジへと歩いていた。

 一方のラウンジは未だカオスな状態から抜け出せていない。まさかこの後に一波乱起こるとは予測すら出来なかった。

 ゆっくり扉が開く。予想通り、そこにはブラッドだけでなくクレイドルもまたそれぞれの場所に集まっていた。

 

 

 

 

 

「これって………」

 

「なぁ北斗。一つだけ聞きたいことがある。正直に答えてくれないか?」

 

「あ、ああ。で、何だ?」

 

 鬼気迫るかの様な表情に教導を終えたばかりの北斗は思わず後ずさりした事で、素が出ていた。

 よく見れば、直接話すロミオだけでなくその後ろに居るナナもまた真剣な表情をしている。態々そうまで言うのであれば、ブラッドの危機か何かなのか。

 何とも言いようがない雰囲気に北斗は思わず息を飲んでいた。

 

 

「あのさ、シエルと……大人の階段を上ったって本当か?」

 

「大人の階段かどうかは知りませんが、階段はしょっちゅう上り下りしてましたよ。それが何か?」

 

「……そうか。忙しい所悪かったな」

 

「あの。ロミオ先輩?」

 

 どこか項垂れた様子のロミオに北斗は疑問だけが残っていた。階段を上る行為とその反応の意味が分からない。しかし、ナナの表情を見ればどこか驚いたまま固まっている様にも見えていた。

 

 

 

 

 

「ねぇアリサ。ブラッドは何かあったの?」

 

「私にもちょっと……」

 

 まるでお通夜の様な空気に来たばかりのエイジもまたアリサに確認していた。

 サクヤが話に行ってからの空気がまるで別物になっている。それが何なのかはアリサにも分からないままだった。

 

 

「サクヤさん。一体何があったんですか?」

 

「それがちょっと……ね。まさかあんな言葉を聞くとは私も思わなかったわ」

 

「言葉……ですか」

 

 サクヤのどこか狼狽した様子にアリサは首を傾ける事しか出来なかった。

 アリサの記憶中ではそんな慌てる様な雰囲気はない。そんな中、一つの事実を思い出した。

 自分達にとっては当たり前すぎた事だからなのか気にも止まらない。改めて確認するしかない。そんな事を思ったからなのか、アリサはサクヤに確認していた。

 

 

「2人が同じ部屋だった事に何か関係あるんですか?」

 

「え?同じ部屋だったの?」

 

「はい。私とエイジが家族用の部屋を用意してもらった関係で、何故かそのままあの2人もそうですけど」

 

 アリサの言葉にサクヤはここで漸く全ての意味を理解していた。僅かに口元に笑みが浮かぶ。新たな獲物を見つけたからなのか、再びブラッドのいる場所へと向かっていた。

 

 

 

 

 

「ねぇ、シエル。少しだけ良いかしら?」

 

「はい。なんでしょうか?」

 

「少しだけ確認したい事があったんだけど…」

 

 そう言いながらサクヤは硬直したブラッドから少しだけ距離を取っていた。

 未だそのままのブラッドを他所にサクヤはシエルに耳打ちをする。何を言われたのかは分からないが、シエルの顔はミルミル赤く染まっていた。

 

 

「私はそんな意味で言った訳では……」

 

「でも変更は直ぐに出来たはずよね?」

 

「………その通りです」

 

「そう。困った事があったら相談してね。力になるわ」

 

 漸く理解したからなのか、シエルは先程とは違いそれ以上は何も言わないようにしていた。

 そんなやり取りを見ていたブラッドの面々は何がどうなっているのかを把握する事無くその状況をただ見るより無かった。

 

 

 



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第99話 検証の為に

 極東支部の訓練場はある意味では戦場よりも過酷で苛烈。誰が言ったのかは分からないが、そんな言葉が新人の間では広がっていた。

 事の発端は些細な事から始まった教導が全てを物語っている。今では誰もが一度は通る道だが、それでも事実上の鬼の巣とも言える程だった。

 

 

「まだまだ甘い!」

 

「どうした!それだけか!」

 

 本来であれば教導を行うのは1対1を基本とし、各自の技量を高めるのがこれまでのやり方だった。

 事実、教導教官を倒す事はおろか、新人や中堅からすれば一撃を当てる為にどれ程の圧倒的な圧力を受け続け、それを撥ね退ける事が出来て初めて相対する。仮にそれを突破出来たとしても、待っているのは一方的な嵐の様な斬撃と刺突だった。

 そんな教導の中でも今回だけは何時もとは異なっていた。

 既にどれ程の時間を経過しているのかは分からないが、既に教官の対戦として対峙している2人は肩で息をしている。本来であればこの場に居る事はあまりないはずの2人の右腕には黒が鈍く光っていた。

 

 

「まだまだ!」

 

「私もです!」

 

 教導の際には限りなく本番に近い状況を作る為に、神機のモックを使用する事が殆どだった。

 これが対アラガミのシミュレーションであれば自身の神機を使用するが、対人となれば流石に早々使う事になれば万が一の可能性も否定出来ない。そんな配慮を重ねた結果だった。

 僅かな時間で息を整え、お互いが口にする事無く最初から決めた様にそれぞれに相対する。本来であればこのやり方は完全な悪手。

 まるで無意味だと言わんばかりに時間を巻き戻したかの様に再度叩きのめされていた。

 

 

「あのなぁ、考え方は間違ってないと思うが、それは悪手だぞ。もう少し連携を考えたらどうだ?」

 

「そうだね。ナオヤの言う通りかな。だったら最初から一人だけに集中した方が良いと思うよ」

 

 既に疲労が蓄積しているからなのか、2人の言葉に北斗とシエルは返事をする事も忘れ荒い息を整えていた。

 元々は本部での戦いが発端となった今、改めて今回のこれがどれほど苛烈になるのかを肌で体感していた。

 

 近接で襲い掛かるエイジの斬撃を回避するまでは良かったが、問題なのはそこからだった。

 クロスレンジの攻撃を意識した瞬間、ナオヤの槍がその隙間を縫うかの様にエイジの体躯をすり抜けていく。ブラインドの代わりになるからなのか、エイジが素早く動いた先に待っているのは穂先を潰した槍の先端だった。

 構えではなく、既に攻撃をし始めた一撃は完全に虚をついている。その結果、北斗だけでなく、シエルもまた同じ様に攻撃を次々と受けていた。

 ゴッドイーター故に怪我らしいものは何処にもない。そんな状況を見たからなのか、一旦は休憩とばかりにこれまでのおさらいをする事になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、お願いがあります。今回の教導ですが、連携を少しだけ考えたいのでこちらを2人にしても良いですか?出来ればエイジさん達も2人の方がありがたいんですが」

 

「何故そんな事を?」

 

 北斗の提案にナオヤは少しだけ訝し気な視線を投げていた。

 元々教導は個人の技量と体捌きの習得がメインだった。確かに連携の訓練は出来ないが、それはお互いの技量がほぼ同じでなければ出来ない話。

 勿論、ナオヤとてその意味を理解していると判断した上で返事をしている。

 頭から否定するのは簡単だが、まずは最初にその真意を確かめる事が先決だった。突然の話ではあるが、無碍にしない方が良い。そう考えた結果だった。

 

 

「実は、本部での戦いで偶然ではあったんですけど、シエルとの連携が上手く出来たので、まだ身体が覚えておる間にもう一度やろうかと思ったんです」

 

「連携……ね。で、誰と誰が組んでやるつもりなんだ?」

 

「勿論、俺とシエルでです」

 

 北斗の言葉にナオヤが改めてこの連携について考えていた。

 連携を考えるのは悪い事ではない。ましてや北斗とシエルのレベルであれば一定以上の成果が出る事は言うまでも無い。

 

 しかし、それと同時に懸念事項もあった。元々教導の際には銃撃は一切使用しない。

 禁止している訳では無いが、至近距離で対峙した際に、狙いを付ける前に銃撃をしようとする人間の懐に攻撃が必ず入る。

 銃撃を使用するのであれば、変形に伴う時間、狙いを付けて撃ちだす時間。これが広大な場所であれば問題は無かったが、訓練場の様な閉鎖空間では無意味でしかない。

 狙いを付ける頃には完全に自分の視線は天井を向く事になっている。それが何を意味するのかは態々口に出さなくても理解していた。

 

 

「お互いの間合いを考えたら、これはバランスが悪くならないと考えているのか?」

 

「そんなつもりはありあせんし、驕るつもりもありません」

 

「だがな………」

 

 北斗の口から出た相手にナオヤ如何した物かと思案していた。

 ショートレンジとクロスレンジだけでやるのであれば、恐らくは2人の動きを見るまでもなく問題はない。しかし、これはあくまでも教導。

 理論と実戦の違いを理解しない事には早々に人生からリタイアするのは当然だった。ましてやこの2人が理解していないはずがない。

 だとすれば、口を開くよりも経験した方が幾分かは良いだろうとの考えに至っていた。

 

 

「ナオヤさんの言いたい事は私も理解しています。それを踏まえてお願いしたいんです」

 

 シエルの言葉につられるかの様に北斗もまた頭を下げる。詳しい事は分からないが、本部では余程良い経験をしたんだろう。そんな考えが過っていた。

 

 

「分かった。だが、やるならこちらも手は抜かない。で、どうだ。動けるか?」

 

「問題無いけど、どうしたの?」

 

 ナオヤの視線は既に2人ではなくその後ろへと伸びていた。

 視線の先には用事があって来ていたエイジ。詳しい事は分からないが、ここに2人が居る事を察したからなのか、特に反対する事は無かった。    

 

 

 

 

「なるほどね。でも間合は完全にかぶってるよね?」

 

「そうだな。これは俺の予想だが、連携として考えた場合、どちらかが陽動して動く可能性が強い。だとすれば、各個撃破か集中攻撃をするのが一番だろうな」

 

「でも、それってどう考えても悪手だよね」

 

「だろうな。お互いが似たような獲物を使う以上、仕方ないだろう」

 

 準備をしながらナオヤはエイジと少しだけ打合せをしていた。

 元々突発的な内容が故に、冷静に確認をする事が幾つもある。それを口にした際に、エイジは本部での戦いを思い出していた。

 墜ちた者との戦闘経験はこれまでに無い程の化学反応を見せたのかもしれない。間違い無く今回の件はその確認であると判断していた。

 一か八かの実践よりも教導の方がもう少し経験を積みやすい。少なくともエイジはそう判断していた。

 

 

「でもよく許可したね。何時もなら絶対にしないと思ったんだけど」

 

「最初はそう思ったんだがな。だが、少しは捻りを加えた方が何かと面白いと思ったんだ」

 

「また適当だね」

 

「あのなぁ、ブラッドの連中は基本的に教導は不要なんだよ。今でさえ、訓練室のスケジュールはギリギリに近いから、何かするにも隙間を作る必要があるんだ。だったら少ない期間でお互いが楽しめたやり方の方が合理的だろ?」

 

「……あの2人は同情するよ」

 

 そんな軽口を言い合いながらもエイジだけでなく、ナオヤもまたお互いの獲物を握る手に力が入る。ナオヤが言う様にこれまでに無いやり方は、やはり気になっている様だった。

 

 

 

 

 

「さて。これからお互いペアでやるけど、内容はこれまでと同じで良いな?」

 

「はい。それでお願いします」

 

 ナオヤの言葉に北斗とシエルは何時もとは違い、緊張感が漂っていた。

 元々教導に無いからではなく、問題なのはその相手がだった。

 

 前衛にエイジが付き、後衛にナオヤが付くやり方は完全にお互いの間合いを考えた末の結果。それに対して北斗とシエルはお互いが前衛になる為に、必然的に同じ間合で闘う事が要求されていた。

 間合が違う攻撃よりも、こちらの連携の度合いの方が必然的に重要になる。

 北斗とシエルもまたそれが分からない訳では無かった。何時もと変わらない様に見えるが、エイジとナオヤはお互いが何か面白い物を見つけた様な雰囲気が滲み出ている。

 その表情を見たからなのか、北斗は少しだけ後悔していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、エイジさんとナオヤさんのコンビって最悪の組み合わせだよな。俺なら絶対にやろうとは思わない」

 

「ロミオ。幾ら何でも最初からそれはどうかと思うが?」

 

「北斗とシエルだって動きは悪く無いんだぞ。俺が同じ事したら、極端な事を言えば良い的じゃん」

 

「それは確かに否定出来ないな」

 

 ブラッドの面々にもコンビの教導の話が届くと、ロミオだけでなく、リヴィやギル、ナナもまた全体を眺める事が出来る場所へと移動していた。

 通常の教導とは完全に異なるからなのか、その場にはサクヤやアリサ、リンドウなどクレイドルの面々も来ている。

 それぞれがどれ程やれるのかを見る為だったからなのか、普段であればそう多く無いはずの部屋は、かなりの人数にまで膨れ上がっていた。

 

 

「模擬戦とは言え、こうまで完膚無きまでに叩きのめされると流石にロミオの気持ちが分からないでも無いな」

 

「そうだよね。エイジさんの影から槍の穂先が出てくるってある意味最悪だよ。でもギルなら出来るんじゃないの?」

 

「出来るかどうかじゃなくて、あれはエイジさんの動きがポイントになる。仮に俺が後衛でナナが前衛だと仮定した場合、ナナはどう動けば良いかを考えた事はあるか?」

 

 ギルの言葉にナナは改めて考えていた。

 眼下に見える動きはどちらかと言えば、エイジの方が負担が大きかった。フェイントを使い自分の攻撃を当てながら相手をナオヤの持つ槍の範囲にまでおびき寄せる。

 ナオヤも普段とは違い、どちらかと言えば気配を殺しながら動いていた。

 

 まるで最初から決まっていたかの様にエイジの姿が消えた瞬間、槍による刺突が繰り出される。ここからでは分からないが、北斗とシエルからすれば幻影だと思った攻撃が実体を持っているに等しかった。

 お互いが長い間ライバルとして研鑽を積んで来たからなのか、阿吽の呼吸でお互いが動く。流麗な連携はまさに攻撃の手本としても優秀だった。

 

 

「……どうだろう?やってみないと分からないと言いたい所だけど……多分私なら確実にギルに背中を突かれるかも」

 

「流石に俺も誘導しないと間合の外は届かないからな」

 

 既に何度同じ事を繰り返したのか分からない程の回数が行われていた。

 1人に集中しようとすれば、逆に的にされ、各個撃破を望めば今度は自分達が同じ事をされる。元々の技量が上の人間に対し、各個撃破は完全な悪手。

 本来であれば1人に集中するのが良いのかもしれないが、お互いの動き常に察知しているからなのか、その前に攻撃の殆どがカットされていた。

 気が付けば個人の教導以上に厳しい結果しか残っていない。それを見たからなのか、サクヤはどこかへ連絡を入れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「予想通りとは言え、まさかここまで一方的になえるとは思いませんでした」

 

「元から不利だからな。工夫は必要だろう」

 

 教導が終わる頃、既に空は日が沈み、夜の帳が降りようとしていた。

 元々時間はそれ程あった訳では無い。時間の隙間を狙った事から実現しただけだった。

 しかし、濃密な時間はそんな事すら気にならない。下手をすれば大型種をコンビでやるよりも厄介だった。

 

 

「考え方間違ってなかったんだけどね。ただ、もう少しお互いの事を知れば違うとは思うんだけど」

 

「もっとお互いをですか……」

 

「そうだな。何を考えているのかをしっかりと理解出来ないと無理だろうな」

 

 エイジとナオヤもまた休憩とばかりにラウンジへと足を運んでいた。元々サクヤが事前に連絡を入れた事によって、ラウンジにつく頃には既に幾つかの料理が作られている。

 無駄な時間を過ごす事無くそのまま食事を兼ねた反省会へと雪崩れ込んでいた。

 

 

「実際にどれ程一緒にやってたんですか?」

 

「エイジとなら少なくとも5年以上はやってる。戦闘中は不思議と考えがシンクロしやすいんだ」

 

「でも5年なんですよね」

 

 そう言いながらシエルはキッカケとなった戦闘を思い出していた。

 あの時は確かに打ち合わせや指示は一切飛ばなかった。実際には言う暇すら無かったが正解だが、問題はそこではなかった。

 

 あの瞬間、シエルが感じたのは北斗であればこうするだろうと言う絶対的な確信を持っていた。

 事実、お互いが対峙し始めてからは北斗の方へと意識が移っていくのは容易に理解している。その結果が気配を殺しながら背後から突いた一撃だった。

 実際にあの後は何度かやっては見たものの、どこかチグハグな感じになっている。だからなのか、今回の教導であの感覚をもう一度確認したいと考えた末の話だった。

 

 

「あれ、でも以前にエイジさんってアリサさんと連携してなかった?」

 

「あれは連携と言うよりも完全な役割分担だよ。実際には教導じゃないから銃撃も入れれば間合の問題は解消できるからね」

 

「なるほど……あ、でも私はショットガンだった……」

 

 エイジの話を聞いたからなのか、ナナは少しだけ閃いたまでは良かったが、自身の神機の組み合わせは完全なクロスレンジ仕様。どう考えてもナナに後衛は不可能だった。

 自分で閃いたまでは良かったが、自分の組み合わせはあまりにも絶望的。少しだけ項垂れる結果となっていた。

 

 

「ですが、エイジと組むと分かりますが随分とやりやすいですよ。それに私だってナオヤ以上に分かってるつもりですから」

 

「アリサ、そんな所で張り合う必要は無いと思うが?」

 

「これは重要なんです。ナオヤには分からないかもしれませんが」

 

「そんなもんか」

 

 アリサの言葉にサクヤとリンドウは苦笑するが、ナナやギルは改めてエイジに視線を向けていた。

 上から見た感じでは、特別不思議な事をしている様には見えない。しかし、対峙して分かるのは、その動きと特性だった。

 攻撃が常にブラインドの状態で届くのはある意味では最悪だった。

 攻撃をしながら誘導されていると頭では理解しても、肝心の肉体はそこまで制御できない。人間の反射行動を利用したそれが求める結果は最早必然だった。

                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだまだ先は遠いって事だね」

 

「そうですね。良い意味でのコンビネーションがどんな物なのかの一端を見れた気がしました」

 

 ラウンジのでの話はそのまま続くかと思われたものの、クレイドルはやるべき事がまだ残されていた。

 元々戦闘に特化している訳では無い。サクヤは教官として、エイジとアリサはサテライト、リンドウは新人に対する今後の計画と、結果的にはやる事が山積したままだった。

 それに比べればブラッドは農業があるものの、実際には戦闘に特化している。

 時折出没する感応種が出ない限り、緊急で呼び出される事は無かった。

 各々が楽しんだからなのか、その場で解散となっている。そんな事もあってか北斗もまたシエルと歩きながら先程までの内容を思い出していた。

 

 

「あの時は確かにお互いの考えが共有出来た様に思えたんだけど、中々簡単には行かないみたいだな」

 

「阿吽の呼吸で動くのであれば、お互いがしっかりと理解し、認識してるのかもしれませんね」

 

 シエルの言葉に北斗もまた同じ事を考えていた。あの時はシエルに指示を出すとかではなく、自然とそんな考えに至っていた。

 仮に自分ならばこうする。シエルならこうするだろうと思った結果が上手く出ただけ。実際にあの後、検証と称して同じ事をしようかと考えたものの、結果的には散々な内容だった。

 

 

「だが、一度覚えた感覚は多分身体が記憶してると思う。こればっかりは時間をかけるしかないだろうな」

 

「そう言われればそうなんですが……」

 

 北斗の言葉はある意味正解だった。元々今回の教導はあくまでもキッカケの一つになればと企画した物であって、それ以上では無い。

 しかし、対峙した相手があまりにも簡単にやり遂げた事も影響したからなのか、少しだけシエルは暴走しかけていた。

 

 

「とにかく、これは少しづつ研鑽を積むしかない。実際にあの2人だって同じ時間を長く過ごした結果なんだ」

 

「……と言う事は、長い時間を過ごせばこれまでよりも良くなると考えて正解なのでは?」

 

 突然の言葉に北斗は少しだけ固まっていた。

 まだブラッドに入隊した頃、かなり世間の常識からズレを持ちながらも、お互いが話し合う事で徐々にそのズレを修正していた。しかし、今のシエルはどう見ても入隊した当時に戻っている気がする。実害は無いが、何となく北斗は嫌な予感を感じていた。

 

 

「今でも十分に長い時間を過ごしていると思うが?」

 

 この時点でシエルが何を言うのかは何となく予測が出来ていた。理由はただ一つ。アリサとナオヤの会話。そしてそこから導き出される事は一つだけだった。

 

 

「冷静に考えると、本部ではずっと寝食を共にしていました。これは同じ空間を共有する事で互いの理解度を深めた結果ではないかと推測できます。だとすれば、今後の事もありますので一度検証してみる価値はあるかと……」

 

「一つだけ良いか?」

 

「何でしょうか?」

 

 暴走気味に喋るからなのか、シエルは自分の言いたい事を全部言い切っていた。それと同時になぜか顔が少しだけ赤い。

 理由はともかく、ここは本部ではなく極東支部。下手に騒がれると、どんな結果になるのかは考えるまでも無かった。

 

 

「期間はどれ位を考えているんだ?検証ならば一定量の結果が求められるが」

 

「……それは失念していました。取敢えずはデータが出揃うまでではどうでしょうか?」

 

「出揃うとは?」

 

「とにかく出揃うまでです」

 

 余りにも曖昧になっているからなのか、北斗は少しだけ頭が痛くなりそうだった。

 それと同時に、懸念事項が一つだけある。

 仮にこれを実行しようとした場合、当然の事ながら話は榊博士にまで及ぶ。それと同時にあの性格を考えれば承認するのは自然の流れだった。

 断る為には材料が必要になる。今の北斗にとって目の前のシエルをどうやって説得すれば良いのか、少しだけ悩むしかなかった。

 

 

          



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第100話 実証

 シエルが暴走している頃、支部長室では珍しく榊が一人で考え事をしていた。

 本来であれば喜ばしいはずの内容に間違い無い。しかし、相手が相手なだけに少しだけ慎重にならざるを得なかった。

 確かにこれが大きく拡大できるのであれば、人類が再び人口を増やし、以前とまではいかなくとも多少なりとも明るい未来を見る事が出来る。

 元々榊は科学者であり、研究職の人間でしかない。周囲から幾ら持ち上げられ様が、自分に出来ない事を無理に押し通すほど暗愚ではない。

 権謀術数に長けていないにも関わらず、ここまで極東支部を外部から運営出来たのは偏に影となって動いてくれる存在があっての事だった。

 

 

「弥生君。君ならどう思う?」

 

「そうですね。対外的には悪い話ではないかと思います。ですが、こちらから流出させると言うのは無理かと」

 

「因みに、君のご当主は?」

 

「私如きの考えでは深謀までは分かりませんが、概ね同じかと」

 

 お茶を持ってきた弥生もまた内容を確認したからなのか、少しだけ困った笑顔を榊に向けていた。

 元々の内容は弥生経由で榊の下に届けられている。当然ながらその内容を知っているからなのか、珍しく榊は弥生に確認していた。

 

 

「なるほど。だが、これだけでは判断の出来ないのも事実だ。実際にこちらから派遣できるのは精々が期間限定でしかない。それと同時に、最近は少しだけ周辺が物騒だからね。未来も重要だけど、目先の足元を固める事も重要か…」

 

 榊はそう言うと先程まで目を通してた書類を珍しく乱雑に目の前の机の上に置いていた。

 書かれているのはクレイドルの事業拡大の依頼書。送信先はフェンリル本部からだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マルグリット。そっちはどうだ?」

 

《こっちは大丈夫。負傷した人の回収は完了したから》

 

「じゃあ、悪いけど、そのままアナグラまで頼む」

 

《了解。コウタこそ気を付けて》

 

「ああ、こっちの方は大丈夫だから」

 

 耳朶に響く声が途切れると、コウタは周囲の状況を確認しながら回収できる物が無いかを探していた。

 元々近くに居た為に第1部隊が緊急で救助に向かっていたが、既に一人は完全に捕喰されたのか神機だけが転がっていた。

 到着までに届いた内容はオープンチャンネルによる救助要請。しかも、今回の部隊は元々中堅だった人間がメインの部隊。本来であれば余程のアラガミが出ない限り、要請が来る事は早々無いはずだった。

 

 

 

 

 

「な~んか最近、救助要請が多くない?」

 

「確かに言われて見ればそうかもね」

 

 コウタはアナグラに帰還するとすぐさま手続きを終え、そのままラウンジへと直行していた。

 本来であれば既にミッションは完了しているはず。しかし、突発的な要請によってそのまま追加ミッションとなっていた。

 周囲にアラガミの姿が無かったからなのか、警戒はしたものの暫くは様子を見てから帰還していた。

 既に治療を開始している人間にも事情は聴いたが、特に問題になる様な事は無い。精々が強固な個体が乱入したと極当たり前の内容だった。

 出されたジンジャーエールをストローで飲んでいく。疲れた体にジンジャーエールは何時もの辛口ではなく、少しだけ甘味を増した物だった。

 

 

「でもさ、前みたいに新種が出たって話も聞かないから、やっぱりアラガミの個体が少し変わっただけなのかな」

 

「詳しい事は聞いてないから分からないけど、新種が出ればすぐに話は耳にするはずだよ」

 

「確かにそうだよな」

 

 そう言いながらコウタがジンジャーエールを飲み切る頃、目の前には頼まれていた角煮定食が出されていた。

 以前から研究していたらしいそれは、コウタも何度か試食を繰り返している。当初は中々思った様には行かなかったが、完成した今は完全に当初の面影は無くなっていた。

 

 

「………これ旨いな。こんなに柔らかくするのは大変なんじゃないのか?」

 

「当初は大変だったけど、今はそうでも無いよ。実際に煮込む時間も圧力鍋を使えば短縮できるからね。でも、コウタがなんでそんな事知ってるの?これまでに調理方法なんて気にした事無かったよね?」

 

「まぁ、そこは色々と……さ」

 

「コウタが珍しいね。アリサにも言っておくよ」

 

「いや。返って話が面倒な方向に拗れるから良い。それよりも、あれ、本当に土産なのか?」

 

「アリサが買ったならそうだろうね。で、何だったの?詳しくはアリサも教えてくれなかったんだよね」

 

 エイジの言葉にコウタは少しだけ考えていた。

 あのアリサのお土産は確かにコウタとしては有難いと思ったのと同時に直ぐに後悔していた。

 

 元々極東でもひょっとしたら探せばあるのかもしれないが、少なくともコウタの知る中でそんな店を見た記憶は無かった。

 区画整理によって今の家になってもこれまでと同じ様に帰る頻度は同じだった。寧ろ、妹のノゾミの方が特に喜んでいる。

 詳しくは知らないが、最近では帰る度にマルグリットにベッタリとするケースが多くなっていた。

 

 そんな中でコウタの実家でアリサからの土産と称して見せて貰ったが、あまりの破壊力にコウタは少しだけ動揺していた。

 アリサがマルグリットに渡したのはベビードール。居住区の品揃えを考えれば本部らしい物だった。

 貴族なんて人種は精々がエリナとエミール位しか誰も知らない。その2人に関心を持たない人間からすればそんな人種が存在するのかすら怪しんでいた。

 貴族が故に見た目にもこだわりがある。だからなのか、アリサはエイジが少しだけ離れた瞬間に購入していた。

 

 薄手の生地はマルグリットのボディラインを隠す事無く明確に表している。元々ゴッドイーターは薄手の衣装を好むケースが多いからなのか、露出度は割と高い人間が多かった。旧第1部隊でもアリサやサクヤが露出が多く、またジーナもその傾向にあった。

 勿論、全員がそうでは無い。今であればカノンやエリナの様に普通の格好をしている人間も多い。どちらかと言えばマルグリットも後者に近かった。

 普段とは明らかに違うそれは、ミッションで鍛えられた女性らしいボディラインを浮かび上がらせている。これが自室だったどうなっていたのだろうか。

 ここが実家だった事から、コウタは辛うじてなけなしの理性で自我を保っていた。

 

 

「因みに、アリサは最近どんな格好してる?」

 

「何時もと同じだよ。特に変化は無かったと思うけど」

 

「……そうか」

 

 これ以上は聞くなと言わんばかりにコウタは残った角煮を口にしていた。甘辛く煮こまれたからなのか、口の中で肉の繊維がホロホロと細切れになっていく。

 これまでに食べた中でも一番の柔らかさは、まさに驚愕の一言だった。

 

 

「そう言えば、まだ同棲はしてるの?」

 

「ごほっ。………え、何言ってるのか意味が分からないんだけど?」

 

「いや、アリサから聞いたんだけど、あれ以来部屋のロック解除は解消してないって聞いたから」

 

 誰も居なかったからなのか、エイジの言葉にコウタは思わず食後のお茶を吐き出しそうになっていた。

 気管に入ったからなのか、咳は一向に止まらない。普段はそんな事すら言わなかったからなのか、それも要因の一つだった。

 

 

「まぁ、色々とあったんだよ」

 

「そっか。でも基本的にはヒバリさんの管轄だったよね?」

 

 エイジもまた当時の事を思い出していた。

 当時は基本的にはヒバリが手続きの全てをこなしていた為にそれ程大事になる事は無かった。

 しかし、ブラッドが編入してからは人数が一気に増えている。

 

 フランやウララはともかく、テルオミにだけは知られたくない内容だった。当時は緊急回避の要素が強く、またそれには弥生も関与した為にそれ程では無かった。

 しかし、エイジ達が本部に行く頃には完全にそれは解消されている。本来であれば元の設定に戻すのが筋だが、ミッションの忙しさと、時折それが完全に記憶から飛んでいた為に、今もまだそのままの状態だった。

 元々コウタだけでなくマルグリットもまた気にしている部分は一切に見られていない。ヒバリだけが持つ権限だった為にその事実に気が付いているが、それでも守秘義務がある為に他の3人は気が付いていなかった。

 

 

「確かにそうだけど、でも何でまたそんな話が?」

 

「昨日、連携を組んだ教導をやった際に、後で色々とね……」

 

「……教導って色々と大変だな」

 

「何時もの事だよ」

 

 暴走したシエルはそのまま話を一気に実行する為に弥生の下を訪ねていた。

 今回の教導とその趣旨。そして自身の及ぶ変化など、いろいろなデータを駆使し、説明を試みていた。

 当初は弥生も怪訝そうな目で見たものの、その視線は徐々に生温かい物になっていた。

 

 本来であればこの時点で気が付くはずだが、シエルにとっては極真面目な話。厳密に言えば、弥生の性格を考えれば少しだけ俗な意見でも問題は無かった。

 これまでの素性は全て確認している。それはシエルの立ち位置だけでなく今のブラッドが周囲に与える状況など言い出せばキリが無い程。

 そんなシエルを見たからなのか、既にその話は周囲にも僅かに漏れていた。

 

 

 

 

 

「流石に許可は出来ないわね。私としてはともかく、少なくとも支部長の許可は出ないと思うわよ」

 

「……そうですか。お手数おかけしました」

 

 残念だと全身で表すかの様に一人の男性が弥生の下から去っていた。

 事の発端は些細な話。実際に禁止されている訳では無いが、本来であれば余程の事が無ければ個人のロックを他人が解出来る様にはしていなかった。

 

 一番の理由はゴッドイーターの生存率とその不規則性。

 アナグラでも実際に恋愛を禁止している訳では無い。しかし、その特殊な立ち位置は何かと問題を孕む事があった。

 一番の問題は仮に許可を出した場合、そのまま続けば良いが、別れると何かと手続きが面倒になる点だった。

 

 MIAやKIAになった場合、部屋の整理はフェンリル側が通常は行うのが義務付けられていた。遺品の整理だけでなく、残った資産の管理やその用途など、本来であれば遺族に渡すべき物が届かないとなった場合、真っ先に疑われるだけでなくトラブルを持ち込む要因にもなっていた。

 実際には隊長権限で開錠は出来るが、それはあくまでも緊急措置としての位置付けにすぎない。

 中には特例も幾つかある。それは兄妹がなった場合と婚姻を結んだ場合、それと特例でフェンリル側から依頼した場合の3点だった。

 基本的に婚姻や肉親は当然の措置であるが、フェンリル側からの依頼は早々あり得なかった。

 実際に極東支部内であったのはコウタ達の件だけ。当事者は何も知らないが、それがどれ程稀有な内容なのかは知る由もなかった。

 

 

「あの……弥生さん。少しだけ良いでしょうか?」

 

「あら、珍しいわね。どうかしたの?」

 

「私の我儘の為に何だかすみませんでした」

 

「気にしなくても良いのよ。これまでにも何度かあった話だから」

 

 先程の青年を見送った背後から声をかけたのはシエルだった。

 元々弥生はレアとも親しい為に、シエルからしてもそれ程気にならない部分が多分にあった。事実、レアがまだ極東支部に詰めている頃、何度か2人がラウンジに居る場面をシエルも見ている。友人である事を伝えられている部分もそれを助長していた。

 それと同時に先程の様子を見たからなのか、少しだけ申し訳ないと感じる部分もある。

 本来であれば厳しい規定があると判断したからなのか、先に謝罪の言葉が出ていた。

 

 

「ですが、本来であれば規定を無視した行為になりますので……」

 

「あら、あの時資料を持ち込んで私に話した情熱は無くなったの?」

 

「そんな事はありません。ただ……」

 

 言い淀むシエルに対し、弥生はどこか嬉しそうな顔をしていた。

 シエルは俯ている為に弥生の顔を見ていない。ここで顔を上げれば確実にその表情は目に留まる程だった。

 

 

「良いのよ。今回の件はあくまでもゴッドイーター同士の技術向上による検証実験なんでしょ?別にそれに関しては榊博士も容認してるから気にする必要は無いのよ。できればもう少し柔らかい内容でも良かったんだけど」

 

 元々ブラッドの区画は他の部隊とは少しだけ異なった場所にあった為に、一部の人間以外はその事実を知る事は無かった。

 実際にブラッドは極東が排出した歌姫のユノと同じ区画に部屋がある。本来であればブラッドもベテラン区画に引っ越すのだが、色々なやりとりがあった結果、今も同じ場所を使用していた。

 そもそもユノの居る区画はゲスト用。一般のゴッドイーターが居る場所ではない。だからなのか、北斗とシエルが一時的に同じ部屋にいたとしても余程誰かが何も言わない限り、事実が発覚する事は無かった。

 

 

「柔らかい内容ですか?」

 

「そう。例えば……婚約したとか」

 

「こ、婚約ですか……」

 

「シエルちゃんの年齢だと結婚はまだダメだけど、それなら婚約なら可能だから問題にはならないのよ」

 

 突然の言葉にシエルは思わず顔が跳ね上がっていた。突然の言葉に驚きが隠しきれていない。見開いた目からは驚きの色が見えていた。

 

 

「それも正当な理由よ。知ってるとは思うけど、今は割と婚姻の年齢が低くなってるの。アリサちゃん達だってまだ若いじゃない?」

 

「そう言われれば……そうですね」

 

 突然の言葉にシエルは少しづつ元に戻っていた。

 極東でもバカップルと言われても過言ではない2人ではあるが、確かにあの時の状況は年齢を感じさせることは無かった。

 壮麗なドレスと神秘的な空気はそう簡単に醸し出される物ではない。当時はただ感動しただけだったが、今ならそれが理解できる。

 あの2人はああなるまでにかなりの何かがあったのだと理解していた。

 

 

「ブラッドだって終末捕喰を止めて今は聖域まで管理してるんだから、特段珍しさは無いはずよ」

 

「そう言われれば……そうですが」

 

 既に話の内容は結婚へとズレ始めていた。

 勿論弥生とて揶揄っている訳では無い。ただ、以前にレアからそんな話を少しだけ聞いた事があったからの会話。勿論、当人同士の話なので、下手に突っ込む事はしない。

 しかし、今のシエルを見ているとどこか弄りたくなる。そんな空気が流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、実際にはどうなんだよ?」

 

「どうって……特に何も無いですよ」

 

「本当にか?隠す必要なんて無いじゃん」

 

 シエルの暴走はジュリウスを除く全員の目の前だった事もあってか、内容そのものは概ね知られていた。

 本来であれば止めに入るのが普通だが、今回の話がジュリウスにまで届いた際には、具体的な計画書まで作成されていた。

 

 元々ジュリウスは男女の機微に敏い訳では無い。シエルと北斗の性格を考えれば問題無いだろうと勝手に判断した結果だった。

 計画書として提出された以上、榊だけでなく弥生もまた反論するつもりは無かった。

 厳密に言えば、弥生が許可すれば榊は否定せずにそのまま受諾する。規定はあるが、明確にそれがある為に対外的にも大丈夫だろうと判断していた。

 そんな上層部の思惑を横にして、最大の関心事であるのは間違い無い。教導の休憩時にロミオは珍しく北斗とそんな話をしていた。

 

 

「隠すも何も、何時もと同じですよ。ロミオ先輩じゃないんで」

 

「なんだ、何も無いのかよ。そんなんじゃつまらないじゃん」

 

「それを娯楽扱いされても困るので」

 

 基本的にブラッドの教導はエイジかナオヤが担当する事が殆どだった。

 一時期はリンドウにも話はあったものの、教導はただ暴れれば良い訳では無い。どちらかと言えば感覚派に近かったからなのか、細かい部分にまで気が付く方が良いだろうと早々に離脱していた。

 今回は特にシエルの検証をするべくお互いがペアになって行っている。北斗とシエルだけでは判断できないからと今はナナとシエルがペアになって教導を受けていた。

 

 

「ロミオ先輩。終わったみたいです」

 

「もうかよ。早すぎるだろ!」

 

 ロミオが言うのも無理は無かった。実際には2人で1組になる為に必然的に休憩を取る時間は増えていく。本来であれば喜ばしい事かもしれないが、実際には対峙している間の消耗はこれまで以上だった。

 暴風の様な攻撃は一瞬でも気を抜けば瞬時に襲い掛かる。如何に互いを庇い合って攻撃する事がどれ程効率が良いかを身を持って知らされていた。

 

 事実、ペアは少しづつ交代して繰り返される。冷静に考えればブラッドよりもエイジとナオヤの消耗の方が早いはずだが、実際にはそんな事は無かった。

 一番の要因は常に攻撃をしかける側と防御に回る側の精神的な疲労度の違いだった。

 幾ら体力があろうが、精神的に疲れ切ると身体のキレは徐々に失われて行く。そうなれば終始防戦一方になるだけだった。

 

 連撃は自分達が余程強烈な一撃を出さない限り止まる事は無い。肉体的には劣るはずのナオヤが現状を保てるのは偏に前衛と勤めるエイジの攻撃にあった。

 実際にナオヤはそう動いてはいない。時折鋭く動くが全体を俯瞰的に見ればその動きは限定的だった。

 

 

「次は少しだけ休憩して北斗とシエルがやるんだ。それで今日は終いだ」

 

 既に時間が押しているからなのか、ナオヤの言葉が全てだった。

 訓練室のスケジュールはかなり細かく区切られている。1人の我儘で他の利用者に負担を与える訳には行かなかった。

 

 

 

 

 

「どうですか?」

 

「最初の頃に比べれば良くはなってる。だが、それがアラガミに通用するかは別物だな」

 

「でも、良くなってるのが実際に見えてるから、その辺りは練度を高めれば問題無いよ」

 

「そうですか」

 

「だが、ここで妥協すれば前よりも悪くなるから続けるしかないだろうな。少なくとも同等とまでは行かなくても、それに近いレベルを維持しないと、足元から救われる可能性もある。実際に変異種なんかは狡猾だからな」

 

 シエルの言葉にナオヤだけでなくエイジもまた客観的に答えていた。それと同時にナオヤは気を引き締める為に少しだけ苦言を呈していた。

 ここ最近のアラガミは少しだけ強めの個体がよく表れている。変異種とまではいなかくても、それに近いレベルの個体が多いからなのか、整備の際に見る神機の消耗はこれまでよりも大きくなっている事を知っている。 

 

 当初の頃に比べれば北斗とシエルの動きは格段に良くなっていた。

 元々の動きにもよるが、何だかんだと慣れてきたのが一番の理由だった。

 急造では無い為に、少しづつお互いの事を考える。検証する意味では否だとしても、やはり一定の成果が出た事に北斗は内心安心していた。

 

 

 



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第101話 新たな道への模索

 調度品や装飾品で彩られた廊下は、自分達の権威を示すかの様に豪奢に仕上げられていた。

 元々この廊下を歩ける人間はそう多く無い。事実、靴音だけ歩く度に響くだけだった。

 本来であれば音をたてて歩く事など絶対にしなはずの人間が態々音をたてて進んで行く。自分が来たのだと敢えて示すからなのか、終着点でもある扉は音も無くゆっくりと開いていた。

 

 

「これは紫藤博士。ここに来るのは随分と久しいですな」

 

「そんなおためごかしはよせ。それよりもあの内容は何を意味している?」

 

「他意はありませんよ。ただ、極東であれだけの結果を残しているのであれば、今後は何かとやりやすいだろうと判断しただけです。あれに関しては上層部一同で否定的な意見は出ませんでしたから」

 

 紫藤博士と呼んだ人間はこのフェンリル本部の中でも上級に位置する幹部だった。

 実際に緊急事態になった際には円卓に座る人間。まだヨハネスが存命だった頃、あのアーク計画で排除した人間の後釜となっていた。

 通常、フェンリルの本部は殆どが他の企業の代表になっている事が多く、実際には緊急時における会議以外で寄り付く事は無い。だからなのか、無明とその男以外にこの部屋に居る者は皆無だった。

 

 

「それと同時にクレイドルは余りにも大きくなりすぎました。我々としては今は静観するか、それを有効活用するしかないですから」

 

 男が言うのはあくまでも組織としての大きさでは無かった。

 クレイドルそのものはそれほど規模が大きい訳ではない。寧ろ細々やっているに過ぎなかった。

 しかし、意図しない部分ではクレイドルの知名度はかなり高い。

 

 外部居住区に住んでいる人間は分からないが、実際にサテライト拠点を作ると同時に、仕事ができる環境や安定した収入を得られる生活はこれまでの様にアラガミに怯え、フェンリルからの配給だけが全ての柵を解き放っていた。

 勿論、当事者でもあるエイジやアリサ達はそんな事を考えた上でやっている訳では無い。

 純粋に人々を助けたいと言う気持ちから成り立っているだけだった。

 それと同時に、他の支部での援軍としての役割や広報誌を活用する事によっての知名度の拡大。実際には弥生がその辺りを一手に引き受けているも、アリサ達には本来のその思惑を何も知らせていなかった。

 

 

「だが、これまでの予算の事を考えれば目の上のたん瘤位には考える者も居るだろう」

 

「最初はそんな人間も居ましたが、実際には例の神機兵の事件で何人かが失脚したましたので、それが決定的かと」

 

 シロガネ型神機兵の暴走事件は既に完全に収束していた。

 元々一部の企業の暴走によって起こった事案ではあるものの、余りにも被害が多かったのが完全に手詰まりになる原因だった。

 既に一部の企業と人間は破綻や破産をしている。中には企業が生き残るケースもあったが、膨大な賠償がある為に外部にまで気を配る事は出来なくなっていた。それと同時にフェンリル本部の幹部の座からも滑り落ちる。

 その結果としてサテライト事業にも少額ながらの予算がついていた。

 

 

「欲をかき過ぎた者の末路だ。以前から何かと問題も多かったんだ。因果応報としか言えん」

 

「おっしゃる通りです。現状としては上層部側は純粋にクレイドルの名前でサテライト計画を推進する事になるかと。少なくとも来季は現状の倍の予算が計画されていますので」

 

「そうか……となれば、後は人員の問題か」

 

「こればかりにはどうにも出来ませんので」

 

 男の言葉に無明としても手の施し様が無かった。

 事実、極東支部としても完全にサテライト計画が完了した訳では無い。実際に今の状況からサテライトを増設しようとした場合、更なる問題も幾つか浮上していた。

 予算があっても肝心の人材を投入しなければ何も進まない。

 それだけでなく、人が住めば今度はアラガミからの脅威をどうやって回避するかが問題となっていた。

 事実、極東支部だけでゴッドイーターの配置は完全には出来ない。ネモス・ディアナが協力してくれるからこその今の体制だった。

 

 

「一つ確認したい事がある。本部が送ったクレイドルの件はこの先の事を見据えた結果なのか?それとも単なる名声だけなのか?」

 

「それに関してですが、あの件は完全に前者です。実際には反対する人間も一部はいましたが、今では完全に少数派です」

 

 無明の言葉に男はここ最近の幹部会の状況を口にしていた。

 今回の件に至ったのは元々クレイドルの計画そのものは独立支援部隊の名の通り、フェンリルから独立した組織展開をした事に始まっていた。

 予算も無ければノウハウも無い。全てに於いて全く無の様態から今に至る結果はある意味では脅威にしかなかった。

 

 ただでさえ極東の地域は他の支部から見てもアラガミの個体は強固な物が多く、またそれが結果的にはゴッドイーターの強化へと繋がっていた。それと同時にエイジとリンドウが派兵した事によって教導を進め、本部のゴッドイーターの実力はゆっくりではあるが、以前よりも実力が上がっていた。

 

 一部の人間は否定するが、実際には尉官級の人間よりも教導で一からやっている人間の方が実力はある。ただ、フェンリルの本部と言う組織は他の支部とは違い、様式美に囚われる部分も多々あった。

 その為に上に昇進しても次の昇進が出来なくなる。幾ら現場で力が有ろうとも、結果的には政治力によって昇進を阻まれていた。

 そんな中で、ドイツ支部が一時期極東支部に派兵をする動きがあった。

 名目上は研修ではあるが、部隊長の実力が向上した事により、他の支部もその利用方法を真似し始めていた。

 

 そうした動きがあれば、他の支部も徐々に実力が伴ってくる。それと同時に極東に行った人間が配属された新人を鍛える事によって支部全体の底上げもなされていた。

 本来であれば有難い話ではあるが、ここで大きな問題も浮上していた。

 他の支部に比べ、本部の実力は完全に下回り出した現実だった。

 

 これまでは技術面や資金面でリードした為に本部の意向を気にしていたが、実際には支部長の采配一つでそれが変わる。

 端的に言えば極東支部以外でも実力がある支部からすれば資金面にしか優位に立てない本部がどうして我が物顔なのかと疑問を呈す事が多くなっていた。

 本部からすれば看過できないが、かと言って実力では劣っている現実に目を逸らす事も出来ない事が今回の一端にあった。イメージ戦略と同時にクレイドルの名を有効活用する。それが今回の顛末だった。

 

 

「そうか。だがクレイドルはあくまでも独立独歩でやっている。ここで変にフェンリルの資本を組む事は出来ない」

 

「そうれは重々承知しています。我々としても苦渋の決断ではありますが、今後も極東支部の活動には横から口を挟む事はしません。ただ、世間と一部の貴族から突き上げがあるのもまた事実です」

 

「ノブレス・オブリージュか。実にくだらん話だ。それまで自分達がしてきた事を考えればそんな家は潰れれば良い」

 

「申し訳ありません。私もそんな考えはありましたが、今はその流れを誘導できるのであればと考えた次第です」

 

 無明の言葉に男は背筋に冷たい汗が流れていた。

 潰すというのは物理的だけではなく社会的も意味している。プライドだけが全ての貴族からすれば、社会的に死ぬのは実際に死を迎えるのと大差ない。それを理解した上で実行する事を理解したからこその言葉だった。

 

 

「そうか。もう少しだけこちらも裏取りをしよう。裏が取れればこちらとしても考える案件になるだろう」

 

「期待しております」

 

 男が頭を下げ再度顔を上げる頃、無明の姿は既に消えていた。

 足音一つ聞こえない空間に男とは漸く深呼吸を一つだけする。

 ここで嘘の一つも言えば次は自分が社会的にも肉体的にも死を迎えるだけ。命乞いをしようが無慈悲に出される一撃は事実上の今生の別れを意味する。

 だからなのか、男は幹部の行く末を考えながらも自身のやるべき事を優先していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね。今は本部としても少しでも他の支部との無用な衝突を避けると言う事だね」

 

「結果的にはそうなるでしょう。今の本部の人間は、以前の様に人を出し抜いてまでと言う気持ちは早々無いかと。でなければ議題にすら出ないでしょう」

 

 無明の言葉に榊も少しだけ考えていた。策謀であるならば既に概略程度は漏れてくる。しかし、今回に限ってはそんな剣呑な話はどこからも伝わらなかった。

 それと同時に今後の事を考える。無明はあくまでも極東支部に於いては居ない者となっている。

 勿論、事実が違う事は既に部隊長クラスは理解している。暗黙の了解。

 となれば、ここから先は榊がどうするのかを示すしかなかった。

 

 

「しかし、ここも人員が限られているだけでなく、問題なのはサテライトの建設に関するノウハウをどうするのかだね」

 

「それに関しては問題無いかと。実際にサテライト建設に関しては特殊な技術は何一つ使用されてません。少しだけ建設に伴う手間を省略するだけでしかないですから」

 

「となれば、後は人をどうするのか……だね」

 

「暫くは面倒ですが、ここで教育させるしかないでしょう」

 

 本部から戻った無明の言葉に榊も少し安心しながらも今後の事を考えると頭が痛くなりそうだった。

 現状ではアナグラの居住区は少しづつ拡張はしているものの、一時的な受け入れをすれば確実に面倒事も起こるのは考えるまでもなかった。

 しかし、今でも他の支部からも受け入れをしている以上、その延長で考えるより無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、随分と思い切った事をしたんだな」

 

「まぁ、仕方ないだろう。あれが妥当な意見だな」

 

 ラウンジでは珍しくリンドウとソーマが食事をしていた。

 ここ最近になってソーマの置かれている立場はかなり変化を見せていた。

 一番の理由はレトロオラクル細胞の活用に関するレポートだった。極東支部で時折現れるキュウビのコアや細胞は当初に比べれば随分と量が確保されている。

 量が増えればコアの解析も可能となる。そんな中での途中経過のレポートは本部の中でも評価は高まっていた。

 他の地域ではその存在を知っていても、コアや細胞の接収は出来ない。ゴッドイーターとアラガミの完全なミスマッチが起こった故の結果だった。

 

 幾ら理論上はこうだと叫んでも、現物を解析した物からすれば、子供の戯言にしかならない。未だ研究すらされていない内容は少なからずソーマの博士としての名声を高めていた。

 そんな事もあってか、以前よりも更に研究にのめりこんでいく。リンドウがソーマの顔を見たのは、同じ支部に居るにも拘わらずかなり久しぶりだった。 

 

 

「だとすれば、今後はお前の任務も増えるだろう」

 

「そこは、若い人間に頼るのがオッサンの知恵だろ?」

 

 林道はそう言いながらリンドウは出された冷たいビールを飲んでいた。

 既に時間が時間なだけに少し早いが夕食を兼ねる。そんな考えだったからなのか、ムツミもまたリンドウに出したと同時に頼まれた食事の準備を続けていた。

 

 

「何を馬鹿な話を……そんな事許される訳無いじゃないですか」

 

リンドウとソーマの背後から聞こえる声。2人が振り返るとそこにはアリサが任務が終わったからなのか、書類を片手に立っている。その表情はどこか呆れた様にも見えていた。

 

 

「アリサ、もう終わったのか?」

 

「もう終わったのかじゃないですよ。さっき支部長室に呼ばれて、これを渡されましたから。改めて正式な話は支部長命令で来るそうですよ」

 

 そう言いながらアリサがリンドウに渡した書類はクレイドルに関する書類だった。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            

 まだ草案だからなのか、大よその内容は理解できるが、詳細までは書かれていない。本来であればこんな不完全な物を榊ではなく弥生が渡すとは思えなかった。

 それと同時に一つの可能性がある。そんな取り止めの無い事をリンドウが考え出した瞬間だった。

 少しだけラウンジの空気が変わる。これまでの様に雑多な雰囲気ではなく、どこか引き締まった様に感じる空気。気が付けば食事の準備中にも拘わらず、ムツミもその大元なる場所に視線を向けていた。

 

 

「ソーマ。元気だったか?」

 

「ああ。今日はどうかしたのか?」

 

「これを渡しにきた」

 

 そう言いながら一枚の封筒を渡し、少しだけはにかんだ笑顔が見えていた。

 それと同時に先程の空気が変わった事を理解していた。

 時折見ているからリンドウやソーマは気が付いていないが、真っ白なアルビノ特有の肌は以前にも増して透き通るかの様になっている。それと同時に少しだけ身長も伸びたからなのか、それとも着ている着物がそうさせているからなのか、今のシオは少しだけ浮世離れしている様だった。

 ラウンジには古参ばかりが居る訳では無い。何も知らない新人からすれば、一人の美少女がソーマとリンドウに話しかけている様にしか見えない。誰もがその動きを注視していた。

 

 

「リンドウ。明日の予定はどうなってる?」

 

「明日?特に何かあったとかは記憶してないな」

 

「どうやら今回の件で少しだけ話があるらしい」

 

 ソーマの言葉にリンドウもまた気が付いていた。

 榊であれば態々シオに渡す必要は何処にも無い。しかし、シオが持って来ている以上、誰が何の為にと考える必要はなかった。

 封筒に書かれていたのは日時と時間。態々確認するまでも無かった。

 

 

「じゃあ、また明日だな」

 

「さぁ、行きましょうかシオちゃん」

 

「そうだな。早くいこう」

 

 まるで逃げるかの様にアリサはそのままシオとラウンジを出ていく。唐突に現れたと同時に、そのままこの場から去った事によって、誰もが呆然としたままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「忙しいところ済まない」

 

「いや、特に予定も無かったからな。でもすまんなサクヤは急用があるみたいで来れない」

 

「いや、後日改めて話をするから問題無い。今回来て貰ったのは今後の事についてだ」

 

 シオの案内によってリンドウとソーマだけでなく、コウタもまた屋敷に呼ばれていた。

 エイジとアリサに関しては既に来ている為に、3人が到着すると同時にそのまま合流している。

 これまでに何度かここに来ているが、今回に限っては何時もと空気が異なっていた。

 気が付けば無明の隣にはツバキも同席している。

 全員が揃ったと同時に無明が口を開く。何も聞いていなかったからなのか、コウタは少しだけ驚いた表情を見せていた。

 

 元々今の極東支部は3年前に比べると、状況は大きく変わっていた。

 単なる激戦区だっただけの支部が気が付けば3度の終末捕喰を食い止め、今では世界でも上位の支部に変貌している。

 それに関してはコウタも理解している。自身の実家が以前よりも綺麗になっているだけでなく、周囲の建物もまた以前とは違い、小奇麗になっているからだった。

 そんな中で今後の事を言われれば、何かがあるとしか言えなかった。事実その言葉に誰もが真剣な表情を浮かべている。だからなのかコウタもまた真剣に話しを聞く事にしていた。

 

 

「それなら問題は無いが、実際に裏は取れているのか?」

 

「その件なら問題無い。実際にフェンリルの本部、いや、上層部の見解は既に確認している。少なくとも陰謀などは確認出来なかった」

 

「そうか……」

 

 無明の言葉にリンドウは少しだけ安堵していた。これまでに本部が絡む案件でまともな物が何も無かった事が起因していた。

 実際に裏取りまでしている以上はどこにも瑕疵はない。それさえなければ問題無いと判断したからなのか、リンドウはそれ以上の事を聞く事は無かった。

 

 

「少なくとも我々が関知している内容であれば特段の問題は無い。だが、そうなると今よりも格段に負担が増える事になるが、そっち方は大丈夫なのか?今回の件はサクヤにも概要は伝えてある。それとアリサ。今回のサテライトの件はお前が面倒を見るんだ。何かと面倒をかける事になるが良いな」

 

「分かりました。折角なので、キッチリと教えるつもりでやります」

 

 ツバキの言葉にアリサは力強く返事を返していた。

 これまで色々とあったものの、結果的には自己満足だと言われる事も度々あった。

 確かに入植出来た人間は、少なくともアラガミの脅威から怯える心配は完全に除外されている。しかし、入植出来なかった人間からすればどうしてと声を大にして言いたい気持ちは痛い程に理解していた。

 

 精神の安定は自身にも影響を及ぼす。実際に捕喰されない事が生きていく上で重要になっているのは数字が示していた。

 サテライトの建設候補地は基本的にはアラガミが近寄りにくい場所である事が前提となる。

 これが近い場所で新たな建築が可能であれば希望が生まれるかもしれない。しかし、現実は過酷だった。

 こちらの要望を一切無視するかの様にサテライトの候補地は今よりも飛び飛びになっている。幾らクレイドルと言えど、入植予定者をヘリで移動させる訳には行かなかった。

 厳しい対応かもしれないが、一度例外を作れば次々と要望が生まれてくる。そこには純粋な生の渇望があるからだった。

 

 そんな人々からは時には厳しい言葉が掛けられる。

 当初に比べればマシだが、それでも自分達のやって来た事を否定する様な罵倒は心にしこりを残していた。

 今回はそんな苦労をしてきたアリサにとっては少しだけ自分がやって来た事が認めらえれた事は純粋に嬉しい事だった。

 

 

「あの~俺は何で呼ばれたんですか?この話からすると俺とソーマは関係ないみたいですけど」

 

「コウタには新たにやってもらいたい事がある。それと同時に幾つかの任務を兼務してもらう事になるだろう」

 

「因みに、どんな内容ですか?」

 

 流石にコウタと言えどツバキにフランクな態度では望めなかった。

 確かに見慣れてはいるが、それとこれは別の話。事実、本来であれば榊が言うべき事を態々ここで伝える事自体が異例だった。

 極東支部として考えれば悪い話ではない。そう考えた時だった。

 

 

「今回の件はあくまでも独立支援部隊としての考えだ。確かに現状は施設を極東支部に置いているが、本来であれば別の組織として考える。それが今回の提示した内容の全てだ」

 

「って事は極東支部には居られないって事ですか?」

 

 初めて聞いた内容に驚くと同時に不安もあった。離れるとなれば現状の第1部隊がどうなるのかだけでなく、自分の住んでいる場所も離れる事になる。幾ら部隊長をやっても、クレイドルに所属してもコウタのゴッドイーターになった根本は今もなお変わっていない。

 勿論、自分だけが別れるとなればそれ以外の要因もある。そんな事が過ったからなのか、コウタの表用は僅かに曇っていた。

 

 

「それは問題無い。あくあでも今回のこれは話の概要であって、実際には今と何ら変わらない。だが、今後に関してはクレイドルとしての組織を拡大すると同時に外部からも人材を多数導入する。コウタ、お前はそんな人間に部隊長としての心構えや実戦を教えるんだ」

 

「俺がですか?」

 

「私が何も知らないと思ってるのか?実際にマルグリットやエリナ。最近ではエミールもそろそろ成果が出ていると聞いてるぞ」

 

 ツバキの言葉にコウタも改めてここ最近の状況を思い出していた。

 確かに第1部隊としても活動はしているが、実際に週の中で数えるほどしか集まっていなかった。ここ最近でもマルグリットと任務には行ったが、それ以外のメンバーはエリナとエミールでは無かった。

 意識はしてなかったが、明らかに今考えると違和感だけが残る。まさかの回答にコウタはどう答えれば良いのかを考えていた。

 

 

 



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第102話 選伐審査

 戦場に降り立つゴッドイーターは何時もとは違う緊張感に包まれていた。

 新人であれば分からないでもないが、たった今戦場に降り立ったのは少なくとも曹長もしくは相当階級。フェンリルから見ても中堅と言われるはずの人間は僅かに震えていた。

 恐怖なのか武者震いなのかは当人以外には分からない。しかし、どんな状況であったとしてもアラガミからすれば、些細な話でしかなかった。

 

 

「取敢えずは慣らしですから、そんなに気負わなくても良いかと思いますよ」

 

「そ、そうですね。地域は変わっても同じアラガミですからね」

 

「いざとなれば私達でフォローしますので、安心して下さい」

 

 眼下に見えるアラガミは狼を模したガルム。主としては大型種に分類されるそれは少なくとも極東地域では割と見かける事が多いが、他の支部からすればあり得ない程の存在感と威圧感を持っていた。

 今はまだこちらに気が付いていないが、これが同じ目線に立てばどんな未来が待っているのかは容易に想像できる。

 少なくとも初対決であれば苦戦は必至だが、今は自分の隣には頼りになる存在の上司が居るからと自身を奮起させていた。

 

 

「シエル。そろそろ行こうか」

 

「そうですね」

 

 震える人間に対し不誠実だと感じるかもしれないが、今はそんな事を言っている暇は無かった。

 元々今回のミミッションは他のメンバーが出る予定だったものの、サテライトに入植する人達の近くに出没したとの連絡で、近隣に居た北斗とシエルが実戦教導中の部隊を急遽派遣していた。

 元々今回のミッションは半ば突発的な印象はあるものの、ここでは然程気にするレベルではない。寧ろマルドゥークでないからマシだと判断出来る内容だった。

 

 

 

 

 

「シエル、援護を!」

 

「はい!」

 

 北斗の指示が飛んだ瞬間、シエルのアーペルシーからは癒しの緑が北斗ではなくその隣の男とへと向けられていた。

 戦闘時の回復弾やレーザーは多少の傷程度であれば瞬時に回復していく。元々今回の戦闘に於いては予定外だった事もあってなのか、北斗とシエル以外は苦戦を強いられていた。

 先程までガルムの放つ炎を纏った岩石は直撃こそ無かったものの、その熱で一部が溶けた様に皮膚がただれていた。

 本来であれば多少の傷程度は治す事はしない。しかし火傷だけは最悪は動きを阻害する事があるからと、瞬時に癒していた。

 先程までただれていたはずの皮膚がオラクル細胞の恩恵を受け修復されていく。

 焼けた服はどうしようもないが、それでも自身の肉体の損傷がないのであればそれは些細な話でしかなかった。

 

 癒しの緑が消える頃、北斗は既にガルムの攻撃範囲の中で純白の刃をガントレットの部分に突きつけていた。

 これまで執拗に同じ個所を攻撃していたからなのか、突き立てた場所を中心に、蜘蛛の巣の様に皹が全体に走っていく。その数秒後には大きな音と共にガルムのガントレットは破壊されていた。

 

 

「総員!今だ!」

 

 北斗の言葉にシエルだけでなく他のメンバーもまた一気に走り出していた。

 先程の攻撃によってガルムの巨躯は地面に横たわっている。完全なる隙は全員の闘志を一気に吹き上がらせ、このまま止めとばかりに一斉攻撃を開始していた。

 前足のガントレットだけでなく、頭部や後ろ足の部分も部位破壊を進めて行く。通常よりも長い時間横たわったガルムはそのまま立ち上がる事は二度となかった。

 

 

 

 

 

 

「ヒバリさん。これで全部ですか?」

 

《はい。周辺にアラガミの反応はありません。現時点では緊急で発生する案件も無いと思いますので、そのまま帰投準備をお願いします》

 

「了解しました」

 

《それと戻ってからで結構ですので、一度榊博士の所に向かって下さい》

 

「内容は?」

 

《詳細についてはこちらでは分かりません》

 

「帰投次第向かうと連絡してください」

 

《了解しました。その様に伝えておきます》

 

 既に周囲の探索を開始したからなのか、周囲には北斗以外に誰も居なかった。

 今回のミッションは珍しく北斗とシエル、それに付随して珍しく他の支部から来た人間とのミッションとなっている。

 これまでに極東の人間との戦闘経験はあったものの、他の支部までは全くない。事前に榊からも聞かされてはいたものの、まさかこうまでだとは思いもしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「榊博士。用件とは何でしょうか?」

 

「忙しいところ済まない。実は今回のミッションに関してなんだが、暫くはブラッドだけでのミッションは出来なくなる」

 

 榊の言葉に北斗は一体何を言っているのか理解するまでに少しだけ時間を要していた。

 元々ブラッドは極東支部のメンバーとも何度かミッションをこなしてはいたものの、ブラッドだけのミッションに関しての制限は特に無かった。

 ブラッドの事業の一環として聖域での農業はあるが、これはあくまでも現場の状況次第でしかない。

 感応種や神融種レベルであれば他の人間を入れるよりも、もっと効率的に戦闘をし続ける事は難しい話ではなかった。

 そんな事情は態々口にしなくても榊とて理解している。しかし、今回の件は明らかに異例でしかなかった。

 

 

「理由をお聞きしても?」

 

「実はまだオフレコなんだけど、近々大きな計画が立ち上がる予定があってね。今回からは君達の部隊でもお願いしたいんだよ」 

 

「はぁ………」

 

 榊の突然の言葉に北斗は改めて絶句していた。

 今回の件に関しては本来であればクレイドルとしての案件だった。これが何時もであれば他の支部からの研修と言うだけで済むが、問題にこそならないが、榊の口から出た内容は少なくとも北斗の予想していない事実だった。

 

 確かにその言葉を信用するとすれば、間違いなくブラッドにも大きな影響が生じてしまう。あまりの規格外の言葉に、北斗はただ頷く事しか出来ないままだった。

 

 

「勿論、今回の件に関しては余程の事が無い限り、ブラッド……厳密には君達には一定量程のミッションが与えられると思ってくれると助かるよ」

 

「了解しました」

 

 既に言いきったからなのか、榊は他の事をし出している。あまりにも唐突に出た内容に今だ立ち直れないままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、クレイドルの件がまさかこうまで厳しくなるとは思いませんでした」

 

「シエルちゃんの所もそうだったの?私達の所も結構大変だったんだよ」

 

 帰投後、北斗は榊の下へ、シエルは手持無沙汰になったからなのか、ラウンジへとそれぞれが移動していた。ラウンジの扉を開けるとナナが手招きして待っている。

 そんなナナを発見したからなのか、シエルもまたナナの下へと移動していた。

 

 

「実際にはどうだったんですか?」

 

「う~ん。何と言っていいのか……」

 

 シエルの言葉にナナは少し言い淀んだからなのか、周囲を少しだけ見渡していた。

 シエルの言葉が何を意味しているのかは言うまでもない。まさかこれ程だとは思わなかったからなのか、ナナは少しだけ困った表情を浮かべながら今回の事を話していた。

 

 

「……そうでしたか。以前にギルから聞きましたが、まさかこれ程だとは思いませんでしたので」

 

「でも、他の所だと曹長レベルなんだよね……」

 

 まだ食事には早いからなのか、ナナは出されたクッキーを食べながらこれまでの事を思い出していた。

 確かに階級的にはそうなのかもしれないが、体感的には新人を脱出した程度にしか思えなかった。シエルが居た部隊はまだそれ程大した事は無かったが、ナナが居た部隊ではあまりの独断に手間取っていた。

 

 

「お前ら、こんな所でそんな事を言うな。誰が聞いてるか分からないんだ。それなら他の場所にしろ」

 

「あっ。もう終わったの?」

 

「ああ。取敢えずは任務中の内容報告だけだからな。然程時間はかかってない」

 

 ナナ達を注意したのは北斗同様に呼ばれていたギルだった。

 未だ北斗の姿は見えないが、恐らくは何かを話しているに違いない。事実、北斗も内容を話すだけのはずが、他の話を飛んでいたのを確認したのはギルだった。

 

 

「確かにこれまでにも何度か派遣された方を受け入れた事はありましたが、今回はやはり例の計画が発端になったからでしょうか?」

 

「だろうな。実際にどれだけ動けるのかを確認しない事には今後の教導のメニューも作れないし、流石にあの数を一斉にとなれば無理があるからな。まさか俺達がこんな事をするとは思わなかったが」

 

 ギルもまたシエルの言葉に否定する事は無かった。

 気が付けばラウンジには結構な人数が入り始めている。丁度時間が重なったからなのか、何時もよりも多い人数にムツミを少しだけ疲労が見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは思ったよりも芳しくない様だが、実際にはどうなんだい?」

 

「本当の事を言えば、あれで曹長レベルは無理かと。ですが、今後の事を考えれば仕方ないかもしれないですね」

 

 支部長室では榊が北斗から話を聞いていた。戦闘時の内容だけであればコンバットログを見れば良いだけの話。しかし、それだけでは分からない部分を聞き取る事によって今後の指針になればと考えていた。

 事実、既存のメンバーを仮の部隊長として聞く事によって常に印象を確かめている。

 戦闘時は色々な数値が変化していくために、その数字以外の部分が一番の目的だった。

 

 

「なるほど。君の眼から見ればと言う事で良いかい?」

 

「そう考えて貰えればいいかと思います。ですが、どうして俺達なんですか?エイジさんやリンドウさんの方がもっと細かい部分も見れると思いますが」

 

「ああ、それは簡単だよ。誰だって志望している以上は良い所を見せたいと普段以上に頑張るからね」

 

「成程……そういう事ですか」

 

 榊の言葉に北斗はここで漸く一連の流れを察していた。

 元々今来ている人間は殆どがクレイドルの新規メンバーとしての立候補者。当然誰もがその審査をするのはエイジやリンドウの様な前線に常に赴くメンバーだけだと考えていた。

 

 クレイドルに加入するには最低限が曹長以上。仮に厳しい状況下でも指揮が執れる事が前提だった。

 当然そうなればそれなりに力量が求められる。戦闘時に混乱する様な人間であれば最初から論外だった。

 当然の事ながら咄嗟の判断力は中々分かりにくい。

 だとすれば、ある意味ではブラッドはその為に試験官としての役割を果たしやすいと判断した結果だった。

 既にギルだけでく、リヴィからも話を聞いている。恐らくはこの時点で合格した人間が何人か候補になっているであろうことを北斗も察していた。

 

 

「君達には済まないとは思うが、これも少しだけの辛抱だから、頼んだよ。ただし、今回の件は他のブラッドのメンバーにも内緒にしてもらえると助かるよ」

 

「そうでしょうね」

 

 榊の言葉に北斗は特定のメンバーの顔を浮かべていた。

 幾ら隠そうとしても、所々に出る態度はどうしても違和感が出てくる。全員が何も気が付かない訳では無い。

 勘の良い人間が仮に口にすれば面倒事は加速度的に増えていく。だとすれば極東支部としても本当の意味での適正を見る事が出来なくなってしまう。

 

 クレイドルの仕事は常に輝かしい事ばかりではない。寧ろその反対の位置に居る。

 住民と直接対話する際に、あまりにも傲慢な態度を取るのであれば今後の活動はやりにくくなってしまう。今回のブラッドを利用したそれはそんな一面を見る為でもあった。

 

 

「取敢えずは1週間程を目途にしてるから、頼んだよ」

 

「了解しました」

 

 笑みを浮かべた榊を後に、北斗もまた少しだけ溜息が漏れていた。

 考え方としては悪くはない。しかし、今回のこれが良い結果をもたらせば、今後はこの依頼は加速していくのは明白だった。

 勿論、ブラッドだけがこの任務をこなしている訳では無い。事実、榊の話ではエリナやマルグリットもまた同じ様な任務についている。

 仕方がない。そんな取り止めの無い思いを抱きながら北斗はラウンジへと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エイジさん。今、少しだけ良いでしょうか?」

 

「良いけど、何かあった?」

 

 ミッションの隙間を縫うかの様に北斗は時間があれば教導に勤しんでいた。最近ではペアは時間にゆとりがある時だけにし、それ以外では従来の教導に戻っていた。今この場に居るのは北斗とエイジだけ。だからなのか、北斗はエイジに思い切って確認する事にしていた。

 

 

「実は、榊博士からクレイドルの選考を頼まれたんですが、中々厳しいと言いますか……」

 

「ああ、その件の事。何だか申し訳ないとは思うんだけどね」

 

 北斗の言葉にエイジもまた似たような思いを持ってい居たのか、少しだけ申し訳無さそうな笑みを浮かべていた。

  今回の件はどちらかと言えばクライドルの内容。これまでにも何度か派遣された際にはブラッドが殆ど関与する事は無かったからなのか、北斗も自身が気が付かない間に精神的に疲労を漂わせていた。

 

 

「ミッションでは気にしないんですが、今回派遣されている人は基本的には本部からが一番なんですか?」

 

「全員がそうかは知らないけど、今回はそんな感じでは無かったと思うよ。確か、各支部から1~2名が来てるはずだけど」

 

「そうでしたか。ですが、これ程だとは思いませんでした」

 

 北斗の言葉にエイジもまた何が言いたいのかを理解していた。

 最初から極東支部に配属された人間は気が付く事はないが、他からの派遣された人間を見ればどうしても無意識の内に比べていた。

 

 只でさえ極東は他の地域に比べてアラガミの個体は強固な物が多く、新兵や上等兵のレベルでも他の支部に行けば確実に中堅レベルになっている。

 それと同時に極東は昇進に関しては中堅までの基準はハッキリと決められている為に、足を引っ張る様な事は無かった。幾ら教導をしようが殉職数がゼロになる事は無い。自然に人数調整される為に、他の支部の様に上で詰まる現象は存在していなかった。

 

 

「これは時間が解決するから大丈夫だよ。誰だって最初から出来る訳じゃないんだし、実際にブラッドだって最初の頃はそれほど変わらなかったんじゃないの?」

 

「そう言われればそうですが……」

 

 エイジの言葉に北斗もまた自分が気が付かない間に傲慢になりつつある事を自覚していた。

 二度の終末捕喰を食い止めた実績は間違いなくトップクラスの結果。それと同時にブラッドアーツに代表される様にブラッドだけが出来る事が、ある現実を忘れていた。

 しかし、北斗の目の前に座っている人物はブラッドアーツなんて物は所有していない。

 純粋な技術だけで頂点に居る。そう考えた瞬間、北斗は自分に対し思い上がっていた事を自覚していた。

 不意に届く視線の先には僅かに笑みを浮かべるエイジの姿。それを見たからなのか、北斗は少しだけ見ると言う意識を変えようと考えていた。

 

 

 

 

 

「色々と思う所はあると思うが、暫くは静観してほしい」

 

 北斗の言葉にシエルだけでなくほかのブラッドのメンバーは少しだけ驚いた表情を見せていた。

 今回のミッションの中で一番負担を強いられてきたのは間違いなく隊長でもある北斗。そんな北斗が口にした以上、他の誰もがそれ以上の事を言う事は無かった。

 

 

「何かあったのか?」

 

「あった訳じゃないけど、気が付いた。それだけの話だ」

 

 ギルの質問に答えながらも北斗はエイジとの話を全員にしていた。

 確かに自分達はこれまでに活躍をした事実は間違いない。しかし、それとこれは全くの別物であると同時に、最初から今の状況になった訳ではない事を口にしていた。

 

 冷静に考えれば、自分達がやってきた大半の事は極東支部に来てからの出来事。

 フライアがまだ稼働したと仮定した場合に、今の状況にまでこれるのかと考えれば間違いなく否と答えるしかなかった。

 そんな北斗の言葉にロミオやリヴィは改めて考えていた。

 今の自分達の力の源泉はどこにあったのだろうか。そんなとりとめの無い事を考えたことによって北斗の考えが何となく理解出来た気がしていた。

 

 

「俺も北斗の言葉に賛成だな。確かにスパルタ的な部分はあったけど、それがあるから今に至る。じゃなかったら、俺は……いや、間違いなく終末捕喰が完全に止められたとは言えないからさ」

 

「私もロミオの意見に賛成だ。誰もが最初からできた訳ではない。確かにブラッドアーツは他のゴッドイーターから見れば垂涎の的だ。だが、それに奢った所で肝心の使う人間がダメなら所詮は無意味な物でしかない」

 

 ブラッドの中では北斗を除けば、ロミオとリヴィの2人が一番極東での恩恵を受けている。

 ロミオに至っては救助され、短期間での技術の底上げは実際にはそう簡単にできる内容ではない。リヴィに関しても舞踊から来る今の動きはこれまで本部で培った概念を大きく覆している。勿論、他のメンバーに関しても言うまでも無かった。

 

 

「そうだな。俺達だって最初からこうだった訳じゃ無いからな」

 

「そうそう。今こんな事言ってるのナオヤさんに聞かれたら多分、大変な目にあうかもしれないしね『そうか、まだ足りないみたいだな』ってね」

 

「北斗。参考に聞きたいのですが、期間はどれ程を予定しているのでしょうか?」

 

「榊博士の話だと恐らくはそれ程時間はかからないと聞いている。実際に各支部からは2名前後が派遣されているらしい。このペースだと1週間程度だろう」

 

 北斗は榊から言われた様に審査の片棒を担いている事は伏せていた。本当の事を言えば、自分もエイジと話をしなければこんな状況になっていたはず。戦闘面だけでなく人間としての器がどれ程なのかを垣間見た瞬間だった。

 

 

 



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第103話 新たなる出発

 榊が北斗に顛末を伝えてから、予定通り1週間であの忙しさから解放されていた。

 クレイドルの適性試験とは言え、アラガミが出てくる量は何も変わらない。そんな事もあってなのか、働いてもらった人間は少しだけ羽を伸ばすかの様に休暇を言い渡されていた。

 

 

「何だかすっごく疲れたよ~。出来る事なら暫くは良いかも……」

 

「そうですね。思ったよりも疲労が溜まりました」

 

 休暇とは言え、アナグラに居ても疲れが完全に抜ける事は無かった。一度増えた人数は、そう簡単に減る事は無い。

 今は静寂を保っていても、夕方になれば人が一気に押し寄せる。これでは何時もと同じ状況でしかなかった。

 

 

「でも、休暇を貰ったは良いけど、どうしようか?このままここに居ても時間が勿体ないよ」

 

「だったら外部居住区に行ってみたらどうだ?行けば行ったで多少は退屈をしのげると思うが」

 

「確かにそれもそうなんだけど……」

 

 ラウンジにはナナとシエル、リヴィの3人が珍しくソファーに座って何となく過ごしていた。

 元々大きな予定があるだけでなく、普段やっている教導も訓練室のスケジュールが空いていない。このまま今日はどうしようか。そんな空気が漂っていた。

 

 

「あ、アリサさん。おはようございます」

 

「おはようございます……って珍しいですね。どうしたんですか?」

 

「実は突然休暇を頂いたんですが、どうしたものかと思いまして」

 

「それなら聖域の作業はどうですか?」

 

 時間を持て余した3人の目にはこれからの予定をどうしようかと考えていたアリサが目に入っていた。

 確かにアリサが言う様に何もやる事が無い状況はある意味では珍しかった。時間に余裕があれば聖域での農業に時間を費やす事を考えたものの、既に幾つかの収穫が完了している為に、聖域の農作業もひと段落ついてた。

 事実、ジュリウスはこの休暇に肥料の配合を研究すべく色々な書物を読みふけっている。北斗とロミオ、ギルに関しても個別の教導を予定しているからなのか、ここに姿は無かった。

 聖域も訓練室も空いていない今、せめてアリサなら何か手伝えることは無いのだろうか。そんな考えもそこにあった。

 

 

「収穫が終わったばかりで今は何も無い。ジュリウスも肥料の配合を研究している。訓練室も空いてないのでどうしたものかと考えてたんだ」

 

「そうでしたか……」

 

 リヴィの言葉にアリサも少しだけ思案していた。

 今回の休暇はクレイドルには殆ど関係無い為に通常営業している。突発的な任務やクレイドルの仕事を手伝おうにも神機は現在オーバーホール中。であれは外に出る事すら厳しい状況だった。

 特に最近に関しては厳しい任務が続いた関係で神機のオーバーホールは事実上の支部長命令。そんな事も今回の状況に拍車をかけていた。

 

 

「そんな時間があるなら、少しだけ時間を貰えないかしら?」

 

 気が付けばそこには穏やか笑みを浮かべた弥生が珍しくタブレットを片手に立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみません。こちらに目線をお願いします」

 

「そこでもう少しだけ屈んで下さい」

 

「リヴィさん。少し表情が硬いので、もう少しだけ笑顔でお願いします」

 

 先程までどうしようかと悩んでいたはずの3人は、後悔と同時に僅かに疲労が滲んでいた。

 この少し前まではどうしようかと悩んでいたはず。今の3人はあの時どうして断らなかったんだと一瞬だけ悩んだが、その考えは直ぐに消え去っていた。

 それぞれがカメラの向こう側に視線を動かし、少しだけ笑みを浮かべている。穏やか内心とは裏腹に、内面では大量の冷や汗をかく程だった。

 次々と飛ぶ指示を受けながらギリギリのラインで笑顔を作る。既に羞恥心は欠片も存在していなかった。

 

 

 

 

 

「丁度良かった。時間があるなら少しだけ貰えないかしら?特に制限はないから気楽に考えてくれると助かるんだけど」

 

「それは構いませんが、一体何をするんですか?」

 

「そんな大事じゃないんだけど、少しだけこっちも頼まれたのよ。広報誌の仕事なんだけど良いかしら?」

 

「あの、広報誌の仕事ってどんな事するんですか?」

 

 フェンリル本部が発行する広報誌は、これまでに何度も極東支部の事や他の支部の事を面白可笑しくつづった内容を提供していた。

 当初はペラペラだった広報誌は気が付けば既にかなりの厚みになっている。

 内容は多種多様ではあるが、これは既に広報誌ではなく月刊誌の様になりつつあった。

 

 極東支部では弥生がこれを取り仕切っている。既に何度かグラビアとしての提供をしている為に、極東が特集される際には増刷される事が殆どだった。

 事実、ナナだけでなくシエルもまた広報誌には何度か出ている。弥生が口にした広報誌の言葉に少しだけ警戒をしていた。

 

 

「そんなに気にする様な内容じゃないの。今ブラッドが手掛けている農業やここ最近のクレイドルに関しての記事だから、大事じゃないのよ」

 

「そう……ですか」

 

 ニッコリと笑みを浮かべる弥生の表情にナナだけでなくシエルも少しだけ警戒していた。

 これまでそれ程じゃないと言われて引き受けたまでは良かったが、結果的には大体的な扱いになってのは一度や二度じゃない。勿論、何時もの自分達とは明らかに違っている為に、身内は笑うが、周囲は違う目で見ている。

 撮影そのものは何時もの格好ではない為に満更ではないが、その後の対応が何かと面倒でしかなかった。

 

 時間さえあれば色々と極東支部に問い合わせが殺到する。一部は非公開になっているが、撮影時の黒い腕輪は事実上の身元を公開しているに等しかった。

 次々と届くメールにカウンター作業が中断される。初めの頃はフランだけでなくウララやテルオミもまた手一杯の状況が続いたのは記憶に新しかった。

 

 

 

「丁度、今日がその日だったんだけど、少しだけ手伝ってもらえないかしら?お礼もさせてもらうから」

 

 弥生の言葉にナナとシエルは少しだけ悩んでいた、確かに時間が時間なだけにこれからの予定は皆無となっている。特段やるべき事がないならば用事を作るのが当然ではあったが、今日に関してはその予定を作る事すた困難だった。

 神機がなければバレットの研究も早々出来ず、かと言って教導は受けられない。

 聖域の作業も現在は休止となっている。つい先ほどまでどうしようかと悩んでいたばかり。既に言い逃れが出来にくい事態は考えるまでも無いほど周到に練られた罠の様だった。

 

 

 

 

 

「これで最後です。お疲れ様でした!」

 

 カメラマンの声が響くと同時に、嵐の様な撮影会は無事に終了を迎えていた。

 気が付けば撮影のスタッフは既に撤収の準備を始めている。時間そのものはそれ程かかっていないが、それでも短時間での集中は何時ものミッション以上の疲労を作り出していた。

 

 

「は~何だか一気に疲れた」

 

「流石に次回は勘弁してほしいですね」

 

 今回の撮影で一番気疲れしていたのはナナとシエルだった。

 以前にも何度かやった事はあったものの、ここまで激しくやった記憶は何処にも無かった。

 それに対してリヴィは何時もと何も変わっていない。恐らくは今回の撮影で使用したのが着物だったからなのか、何時もと変わらない表情を浮かべていた。

 

 

「そう言えば、リヴィちゃんは全然疲れてないみたいだね」

 

「そうだな……多分、撮影に使ったのが着物だったからだろう。舞踊で慣れてるからな」

 

「そっか……やっぱり慣れも必要なんだね。確かにここに来てから初めて着たけど、動きがちょっと…ね」

 

「私も最初からこうだった訳じゃない。何度もやっていく内に慣れただけだ」

 

 普段の行動で着物を着る機会は早々なかった。

 ただでさえ、ミッションの際には動きやすい服装でやっている為に、着物を着るケースは早々無い。現時点で着物らしい服装をしているのはロミオだけ。それも羽織だけなので、厳密には着物とは言い難い物があった。

 しかし、これが普段になれば話は大きく変わる。屋敷では着物や浴衣が当然な為に、リヴィもそれ程気にした事はない。寧ろ今ではこれが普通になりつつあった。

 

 

「偶に着る程度で私は良いかも」

 

「撮影だと仕方ないだろうな」

 

 気が付けば残っているのは自分達と数人のスタッフだけ。このままここに居ても仕方ないとばかりに、3人は着替える為に移動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「労働の後のご飯はやっぱり格別って感じだね」

 

「そうですね。ある意味ではこれもまた変わった体験なのかもしれませんね」

 

「体験って何してたんだ?」

 

 撮影のあとは屋敷で報酬としての食事が用意されていた。

 元々3人は聞いていた為に当然の様に足を運んでいたが、ロミオ達は特に何も聞かされていなかったからなのか、突然の事に少しだけ戸惑いを見せていた。

 

 元々今日の休暇は突発的な物ではあるものの、実際には今後の展開を大いに含んだ結末でしかなかった。

 今回の詳細に関しては特段何も聞かされていない。しかし、これまでにアラガミを討伐した事位しかなかった人間が突如として人物を観察しろと言われば、確実に何時も以上の集中を余儀なくされていた。

 実際にが自分達が感じた事をそのまま報告しているだけ。最終日に聞かされた事実はブラッドに驚きを与えたままだった。

 そんな疲労を抜くはずの休暇ではあったものの、結果的には何時もと大差ない日常を過ごしていた。

 

 

「さっきまで撮影だったんだ。何でも広報誌の撮影だとは聞いているが、詳しい事までは分からない」

 

「そっか。でも、広報誌って事は何時ものあれだよな。今回は何をするんだろう」

 

 そんな事を言いながらロミオは揚げたての天麩羅を口にしていた。最近になって海洋資源が手に入る機会が多くなったからなのか、キスの天麩羅が目に留まっていた。

 身が柔らかくなっている為に、骨があっても気にならない。当たり前の様に塩を付けたそれは、また何時もの味わいとは違っていた。

 そんなロミオを横目に一人だけ疑問を浮かべていた人間が居た。

 間違い無くロミオの言葉の意味を理解していない。だからなのか、浮かんだ疑問はそのまま口から漏れ出ていた。

 

 

「ロミオ、何時ものあれとは何だ?」

 

「あれ?広報誌は知ってるよな?」

 

「それがどうかしたのか?」

 

 未だ理解が及ばないリヴィに対し、ロミオではなくナナとシエルが驚いた表情を浮かべていた。

 広報誌は基本的に全世界にある支部に配布される物。その中で毎回必ず支部の写真が撮られていた。

 簡単な案内からそれぞれの戦績など通常であれば載せる必要が無い物までが記事になっていた。

 そんな中で一番の人気が各支部の看板のグラビア。

 

 他の支部でもそうだが、基本的には見た目を重視する傾向が多かった。

 戦績に関しては他の支部と切磋琢磨する為と言った大義名分があったが、ここ極東ではそんな事など意にも介さない。既にアリサやヒバリ、リッカに関しては、ブラッドが来る前まではその3人が担当していた。

 

 

「あの……撮影は基本的には広報誌に必ず掲載される物なんです。なので、撮影の際に少しだけメイクだとか色々とされたのはその為なんです」

 

「それは……本当なのか?」

 

「あれ?ひょっとして知らなかった……の」

 

「いや……多少は知っていた……はずだったんだが」

 

 シエルの言葉にリヴィの表情が僅かに曇る。

 確かに写真は撮られたがどんな目的に使われるのかを考えてしまうと少しづつあせりが出てくる。まさかの回答にリヴィは内心滝の汗だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「当初の予定よりは残ってるみたいだね。流石に今回は勝手にしろとは思わなかったみだいだね」

 

 屋敷でブラッドが宴会に勤しむ頃、榊はこれまで採取したデータやブラッド、他からも上がって来たもの全てに目を通してた。

 目立つような素質がある人間ならば、最初からここに来る事は早々に無い。あくまでも現時点での状況になる為に、重視するのはその伸びしろだった。

 

 幾ら歴戦だと触れ込んだ所で、今回の最終目的はあまりにも規模が大きすぎていた。

 本部からの提案が無ければ、このままの状態を維持しながら拡大していく事になる。

 そうなれば任務の中には当然ながら交渉までが含まれる事になっていた。

 

 戦闘だけに能力が偏れば、今度はクレイドルの計画が破綻する。幾ら資本がある程度注入出来ると言っても、結果的には最低限の資質は必要不可欠だった。

 今回のこれと同時に、既存の物も一新する必要がある。気が付けば弥生が用意した緑茶は既に熱を完全に失っていた。

 

 

「当然でしょうね。ですが、どこの支部もそうですが、基本は低階級の人間が多いですね」

 

「それに関してはある程度は見込んでるからね。実際に本部あたりの尉官級を寄越されるよりは余程健全だろうね」

 

「そう言われればそうですね」

 

 基本的には尉官級までなれば実戦だけでなく、それ以外にもやるべき事は多くなっていく。

 実際には部隊運営は曹長レベルに任せ、自分達はそれ以上の事が求められてくる。

 決して不要とは言わないものの、やはり無駄にプライドだけが高い人間は最初から必要なかった。

 各支部から送られた人物像を次々と選別していく。気が付けば当初に見込んでいた数よりも大幅に減らしていた。

 

 

「それと、こちらも少しだけ申請が必要になるね」

 

「既に下準備は完了しています。後は正式に手続きに入るだけです」

 

 榊の言葉に弥生は笑みを浮かべながら事前に用意していた辞令書を榊に提出していた。

 これまではそれ程重視する事はなかったが、今後はそう簡単に済ませる訳には行かない。だからなのか、それ以降の行動は目を見張る程だった。

 

 

「そうかい。じゃあ、皆の日程を調整してくれるかい?」

 

「その様にさせて頂きます」

 

 弥生に指示を出すと同時に、榊も少しだけ椅子に深く座り込んでいた。

 この計画は元々は些細なことが発端となり今に至っている。しかし、いざ実施しようとした場合、当人の資質も勿論だが、それ以上に何事にも負けない気持ちと確固たる信念が必要とされている。

 これまでにも何度か自分の論文から新たな未来が切り開かれた事は何度もあったが、今回の様に無の状態からの出発は一度も無い。だからなのか、榊もまた珍しく心が躍っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 普段であればどこか殺風景な会議室は、何時もとは様相が大きく異なっていた。

 実際にこの部屋が使われた事は数える程しかない。これまでの殆どが、何らかの危機的状況の際に使用されるか、それとも余程の事でしか使われていなかった。しかし、今回はそんな危機的状況下での使用では無かった。

 事前に下準備が完了していたからなのか、部屋の中は穏やかな空気が流れていた。

 

 

「では、今回の事例によって第1次クレイドル計画の任命式を執り行う。呼ばれた人間は前に出るように」

 

 現在は産休中だったが、今回の件で臨時に復帰を果たしたツバキの声は会議室内に響き渡る。

 既に何度かの試験を終えて、残ったのは結局10名ほどだった。勿論、尉官級では無い為に純白の制服ではない。

 しかし、今後の発展の状況次第ではクレイドル尉官の制服が与えられることになっていた。

 

 色々な適性を持った人間でなければ未開地の開拓は出来ない。勿論、ゴッドイーターとしてのアラアガミの討伐は最低限の事。そう考えると第1次に任命された人間は責任重大だった。

 先人を見て後人は学んでいく。呼ばれた人間誰もが緊張に包まれていた。

 

 フェンリルに於いてはクレイドルと言う組織は色々な意味で注目を浴びていた。

 サテライト計画に始まり、新たなアラガミの討伐やその研究。同じ組織内にあるはずのそれにも関わらず、今回に至っては極東とは違う地域で展開される事はが事前に知らされていた。

 まだ見ぬ大地で新たな種を蒔く最初の第一歩。それがどれ程過酷で大変な事なのかは、極東に居る古参の人間の誰もが知っていた。

 そんな実績を基に新たに地域を拡大していく。困難だけがあるのか、それとも最初よりも受け入れられるのかはまだ誰にも分からないままだった。

 本来であればここまで仰々しい事はする予定では無い。ただ、今回に限ってだけは本部主導で決定していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へ~これがあの時のですか」

 

「成程ね。確かにそれなら、らしいだろうね」

 

 アリサが広報誌を見ていると背後からエイジの声が聞こえていた。

 今目にしているのは、あの時の任命式の記事。今回の件は元々アリサ達は殆どと言って良い程に大きな事はしていなかった。

 やったのは精々が交渉の仕方や住人の考え方をレクチャーしただけ。実際にサテライトの建設に関しては一切何もしなかった。

 

 サテライトに関しては当初は全て自分達でと考えた時期もあったが、結果的には良く知った人間がやった方が時間も労力も大きく変わる。ましてやそれがどれ程時間のゆとりを生むのかを身を持て経験していた。

 それと同時に軌道に乗った後は一気に計画が進んで行く。それが今のクレイドルの基本となっていた。

 それと同時に、今回は少しだけ極東の色を隠していた。これは偏に本部の極東に対する介入を軽減する為の措置だった。

 アリサだけでなくエイジやリンドウも気にしていないが、フェンリルの上層部は体面を気にしている。

 これは弥生を通じて出た無明の言葉に従った結果だった。それを彩るかの様に何時もの様にアリサやヒバリがグラビアには載っていない。ブラッドの3人の艶やかな着物姿が広報誌を彩っていた。

 

 

「お二人さん。ここは公共の場だぞ。少しは自重しろよ」

 

「何言ってるんですか。これは普通ですから。それとも何ですか?早速大尉になったんで上司風でも吹かしたつもりですか?」

 

「あのなぁ……俺だってなりたくは無かったんだよ。って言うか、アリサも同じだろ?」

 

 何時もの距離感だったはずが、周囲からはそうは見られていなかったのか、リンドウの声にアリサだけでなくエイジもまた振り返っていた。

 今回の件で極東支部のクレイドルもまた少しだけ変化が出ていた。

 一番の変化はそれぞれが昇格した事だった。リンドウとエイジはこれまでの中尉から大尉へ。アリサ、コウタ、ソーマはそれぞれが中尉へ昇格していた。

 

 基本的に大尉になれば戦闘だけでなく対外的な部分も増えていく。それは偏に新たに出来た組織に関するフォローの一環だった。

 事実上の未開地での開拓は人的にも資金的にもかなりの普段が発生する。

 万が一の事を考えた場合に、中尉の権限よりも大尉の権限の方が何かと便利だからと判断された結果だった。

 開始当初は夢物語だったそれは、漸く今の状況で夢では無くなりつつある。これからどんな芽が芽吹くのかはまだ先の未来だった。

 

 

 




 これで一旦は完結とします。
 基本的には番外編にあたるので、何か新しいネタがあれば更新はするつもりですが、今までの様に定期的な更新にはならない予定です。

 前作の『神を喰らいし者と影』より今回の『神喰い達の後日譚』を含めて2年以上の連載となりました。これまでありがとうございました。




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幕外編
第104話(幕外) 侮った代償


 フェンリル極東支部がアラガミの動物園と言われて久しくなった頃、一部の支部や人間から違う意味での名称が付けられていた。

 『鬼の住まう場所』その言葉の意味を正しく理解している人間はそう多くは無かった。

 事実、極東支部に置ける殉職者の数は一時期に比べれば減りはしたが、最近になってからは少しづつ多くなりだしていた。単純な数字だけを見ればアラガミの攻撃が激しくなったと思われるが、実際には事実と異なる部分があった。

 詳細の数字を出せば出す程どこか納得できる数字。その事実と別の名称の関連性は知る人ぞ知る状態になっていた。

 

 

「くそっ何でこんな所にアラガミが」

 

「口を開く暇があるならさっさと動け!」

 

 つい先程までは予定されたアラガミの討伐が終わり、このまま帰投する流れだった。

 極東に来る前に聞かされた言葉『敵襲は油断と共にやってくる』まさにその言葉の意味を自身の躯体で感じさせられていた。

 周囲を見れば、既に何体かがこちらに降り立ったのか、気が付けば4人のチームの2人がアラガミに捕喰されている。既に死地となったこの場には生きる為の術は完全に失われていた。

 近寄ろうとするアラガミを牽制するかの様に一人の男とはアサルトをアラガミに向けていた。連射能力を活かして全ての銃口を顔面へと向ける。属性を纏った銃弾は激しい音と共に全て着弾していた。

 

 

「緊急要請!周囲にハガンコンゴウが3体とグボロ・グボロが1体。既に2人が捕喰されている。至急救援を頼む!」

 

《了解しました。既にオープンチャンネルによる救援要請が出ています。到着予想時間まで後60秒です》

 

 耳朶に響く声は冷静な女性の声だった。

 元々今回のミッションは極東に於いての事実上の初めての戦場。既に他の支部では曹長レベルだったからなのか、完全に油断していた。

 元々腕慣らしの為のミッションが故に、それ程多くの補給物資を用意していない。到着まで60秒と言われたものの、その時間は余りにも長い物だった。

 

 先程の銃撃で勢いを失ったはずのハガンコンゴウは再びこちらに向けて移動を開始している。このまま応戦するのか、それとも戦う事を選ぶのか、他の支部では歴戦と言われた人間であっても判断に迷う状況は既に死を匂わせていた。

 

 

 

 

 

《10秒後にスタングレネードが使用されます。状況に応じて行動して下さい》

 

 突然の言葉に男は意味が解らなかった。かろうじて聞こえたのはスタングレネードの単語。気が付けば上空からは勢いよく白い閃光が周囲を覆っていた。

 時間にして数秒の出来事。既に荒ぶる状況だったからなのか、襲い掛かって来た3体のハガンコンゴウは目を抑えるかの様に蹲っていた。それと同時に上空からは狙撃と思われる銃撃が振り落ちる。

 一撃必殺のそれは至近距離に居たハガンコンゴウの頭蓋を容易く貫通していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「了解しました。至急向かいます」

 

《既に2名が捕喰されており、現在交戦中です。ですが、このままでは残りの2名もまた同じになります。すみませんが至急お願いします》

 

 これまでに何度も聞いたやり取りだからなのか、通信を切った後も慌てる事は一切無かった。

 それと同時にヘリに積まれた備品から幾つかの品を取り出していく。

 これまでであれば焦りが先に行く事が多かったからなのか、何度か目の前で殉職したこた事があった。しかし、今は当時とは違う。手慣れた様に銀髪の少女は備品を確認すると、両手にはめた黒いグローブを改めて付け直していた。

 近づくにつれ状況が徐々に明らかになる。このメンバーであれば大丈夫だと判断したからなのか、少女の目に焦りは浮かんでいなかった。

 

 

「そろそろ現場です。先にスタングレネードで動きを止めてからまずは安全を確保しましょう」

 

「そうですね。ですが、ここからだとギリギリで1体が限界ですね」

 

 純白の制服の少女は漆黒の腕輪をはめた少女に指示を出していた。

 既に肉眼で見える距離だからなのか、狙いに迷いは無くなっている。狙撃を任された少女もまた焦りを見せずに冷静に視線の先に映るアラガミに狙いを向けていた。

 

 

「まずはスタングレネードから行きます」

 

 言葉と同時にスタングレネードは地上に向けて投げられていた。ゴッドイーターによる膂力は通常以上の速度を持って地面へと投げられる。叩きつけた先にあったのは白い闇だった。

 

 

「狙い撃つ」

 

 白い闇は直ぐに振り払われていた。非殺傷性ではあるが、至近距離で見れば確実に視界は奪われる。

 スタングレネードの言葉通り、周囲に居たハガンコンゴウの全部がその場で蹲っていた。

 払われた闇の先に見えるアラガミは既にただの的でしかない。一言だけ告げると同時に銃口から繰り出された弾丸はそのままハガンコンゴウの頭蓋を貫通させていた。

 

 

「一体のアラガミの狙撃に成功」

 

「では、行きましょうか。ソーマ、行きますよ」

 

「何でお前が指示を出すんだ」

 

「そんな事はどうだって良いじゃないですか。シエルさんは状況を確認後、現地にお願いします」

 

 

 

 脳漿と思える物をぶちまけたからなのか、横たわったハガンコンゴウの周囲には赤い物がまき散らされていた。

 既に物言わぬ物体になった物に用は無い。ヘリの中に居た二人の少女だけでなく、他にも同じ純白の制服を来た褐色の男と、少しだけ露出が激しい少女もまた自由落下する勢いそのままにヘリから飛び降りていた。

 

 

 

 

 

 3人が落下した瞬間、周囲が漸く見え始めたのか、3体のハガンコンゴウは新たな餌を見つけたとばかりに移動を開始していた。

 既に一体が居なくなっていても、アラガミからすればどうでも良い内容。だからなのか、最初から無かったかの様に3人に向って走り出していた。

 

 

「シエルさんは援護射撃をお願いします。私とソーマ、ナナさんは取敢えず各個撃破で!」

 

「了解しました!」

 

「だから勝手に仕切るな」

 

 ナナの元気の良い返事とソーマのボヤキが周囲に響く。

 既にシエルは狙撃の態勢になっているからなのか、無言のままに引鉄を引いていた。

 

 激しい銃撃音が周囲に響く。上空からの狙撃の様に安定していないからなのか、シエルの放った銃弾は僅かに中心を外れたからなのか、ナナに向って走るハガンコンゴウの顔面から僅かに逸れていた。

 しかし着弾した衝撃は確実にハガンコンゴウの足を止めている。気が付けばナナのコラップサーの後部は既に炎の熱気で大気が揺れていた。

 

 

「ここからは任せて!」

 

 ジェット機を彷彿させる様な高音と同時に、ナナが振り回したコラップサーのヘッドが着弾した顔面を捉えていた。

 突き抜けるかの様な衝撃は逃げる事無くそのままハガンコンゴウの顔面を粉砕する。

 本来であればそのままの勢いで飛んでいくはずのそれはどこか力任せに軌道を修正し、今度は横からではなく、縦の動きに切り替えて叩きつけていた。

 後頭部と思われし部位から叩きつけた事によってハガンコンゴウはそのまま地面に縫い付けられる。

 衝撃が物語っているのか、叩きつけられた地面はハガンコンゴウを中心に蜘蛛の巣状に亀裂が走っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空からの援軍に、先程までハガンコンゴウに追われていた男は少しだけ呆然としていた。

 上空からのスタングレードまでは分かったが、白い闇が終わる頃には執拗に追いかけていたハガンコンゴウは物言わぬ肉塊へと変わっていた。

 

 周囲にぶちまけられた赤いそれは、頭蓋から噴出した様にも見える。少なくともここに来るまでにそんな技術を見た記憶は一度も無かった。それを皮切りに上空からは1人の少女が舞い降りると同時に、3人のゴッドイーターが近寄って来た。

 

 男の目に飛び込んで来たのは純白の制服だった。極東支部に来るまでにクレイドルの名は何度か聞いた記憶があった。

 一般人のイメージはサテライト建設だが、ゴッドイーターからすれば隔絶した戦力のイメージが一般的。本来であればそんな戯言などと思う部分もあったが、目の前に起こった現実はそれが事実である事を現していた。

 元々クライドルには特定の上司と言う物が存在していない。各々が自分の判断によって任務を遂行していた。

 事実、極東に来てから純粋にクレイドルの人間に出会ったのは第1部隊の隊長だけ。しかも旧型と呼ばれた第1世代の遠距離神機の使い手だけだった。

 

 男はこれまでにありがちだった、旧型神機をどこか見下す様な部分が多分にあった。

 これが近接型であれば多少は違ったのかもしれない。しかし、遠距離型は必然的にオラクルの利用量との戦いになる。事実、オラクルが枯渇すれば単なるお荷物でしかない。

 ここは特別だとは思うも、やはり自分の認識が優先されるからなのか、碌に話をした事は無かったがそんな漠然としたイメージだけがあった。

 

 

「何だよ……あれ……」

 

 男が不意に出たのは驚愕の言葉。上空から降り立った4人は直ぐに行動を開始していた。ハガンコンゴウは基本的に接触禁忌種の部類に入る。

 通常種や堕天種とは違うその存在は少なくとも自分が交戦した事の無い個体だった。

 瞬時に散開するや否や各個撃破の体制に入っている。本来であれば有りえない光景。

 だからなのか、男は助かったとの思いよりも先に、戦闘場面を呆然と見るしかなかった。

 

 

「大丈夫ですか?」

 

「あ、はい。おかげさまで何とか……」

 

 4人の出動によって緊急事態は直ぐに解除されていた。

 元々クレイドルとブラッドの名前はこれまでに何度も耳にした事はあったが、まさかこれ程の戦力であるとは思ってもいなかった。

 

 各々が異なる神機を駆使する事でハガンコンゴウは斬り刻まれ、磨り潰されて行く。その途中で見たグボロ・グボロもまたシエルの狙撃によってそのまま絶命を確認していた。

 一体どれ程の戦場を渡り歩けばこうなるのだろうか。助けられた男は安堵を浮かべると同時に一人の少女に目が釘付けだった。

 

 純白の制服を着た一人の少女。アリサの戦闘はまさにこのメンバーの中でも異質と言える程だった。

 通常の戦闘がどんな物なのかはゴッドイーターであれば誰もが理解を示している。常に生死の狭間で生き残る為には、時には泥にまみれてもアラガミの虚を突き、その一撃に自分の命を天秤にかける。その結果、アラガミの返り血を浴びる事もある為に、その戦い方は誰もが目を向けるに値していた。

 

 ナナの様にブーストハンマーによる攻撃はある意味では一撃必殺の考えなのか、インパクトの際に起こる衝撃はアラガミの全身を疾る。強固な個体であれば見た目はそれ程変化しないが、それ程強固ではない個体であれば、体内の器官がそのまま衝撃を持って外部へと飛び出す。

 これは決して狙ってやっているのではなく、あくまでも衝撃を完全に伝えきった結果でしかない。それと対象的なのはシエルの剣使いだった。

 

 ショートブレードは基本的な攻撃は手数の多さで全てをフォローしている。当然ながらその過程はあくまでも数多の斬撃をどれだけ伝えるのかが勝負となっている。

 その結果、要求される技術は他の神機に比べて高い物が多かった。攻撃を掻い潜ると同時に懐に潜り込む技術は、まさにその集大成だった。懐に入った瞬間、躊躇なく斬り刻む。太刀筋の早さは戦闘技術の高さそのものだった。

 そんな中、アリサの戦闘方法はその2人とは明らかに異質。

 ロングブレードは良く言えば万能にも聞こえるが、悪く言えばどっちつかずの物でもあった。

 攻撃力もショート以上バスター未満。一撃必殺を狙う事が出来ず、ショートの様に俊敏に動く事も出来ない。しかし、アリサのそれはそんなゴッドイーターの常識を少し度外視していた。

 

 舞を演じるかの様に華麗に動くステップと、無理をしなくても刃を撫でるかの様に斬る動きは優美そのもの。今が戦闘中である事を忘れるかと思える程だった。

 斬りつけた瞬間、移動する事によってアラガミからの反撃を回避し、一方的に攻撃だけをし続ける。

 味方からすれば舞姫の様にも見えるが、アラガミからすれば死を運ぶ死神の舞。立場が変わる程に違うそれは、一瞬にして魅了されていた。

 

 

「ソーマ。取り合えずは要救助者を保護した事を方向して、後は任せるのはどうでしょう?」

 

「そうだな。見た感じはそれ程大きな負傷をしている様にも見えないならそれで良いだろう」

 

 そんなソーマの言葉とを聞いたからなのか、シエルは直ぐにアナグラへと通信回線を開いていた。

 既に状況を把握しているのからなのか、短い通信と共にそのまま会話が終了する。気が付けば、近くに待機していたヘリはそのまま6人を回収していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はこれで終わりですね。ソーマはどうするんですか?」

 

「今日はこれで終わりだ。最近は一日中研究だったからな。少しは休みを取る」

 

「そう言いながら、シオちゃんとデートですか?」

 

「お前……当たるなら俺にじゃないだろう」

 

 ヘリの中は先程までの空気は完全に霧散していた。

 元々今回の救援に来た人間は誰もが名前を知られている。男に目に留まったアリサだけでなく、ソーマもまた新進気鋭の研究者であることは知っての通り。

 それと隣に座っているナナとシエルもまたブラッドのメンバーとして活躍している事を知っていた。

 

 広報誌でも何度も目にしているだけでなく、グラビアでも何度も見た人物と同じだと思えば、少なくとも驚くと同時に成程と理解する。しかし、男の眼から見ても誰もが一人の女性として魅力的にも見えていた。

 だからなのか、ソーマとアリサの会話も煩いヘリの割に明確に聞こえていた。

 

 

「ソーマには関係ないじゃないですか。どうしてソーマにはいて、私には居ないんですか。少し位良いじゃないですか」

 

「だったら尚更俺に文句を言うのは筋違いだろ。それ以上言うなら弥生に文句を言え」

 

「……そんな事言える訳ないじゃないですか」

 

 そんなソーマの言葉にアリサは少しだけしょんぼりとしていた。

 アリサとてソーマにそんな事を言うつもりは最初は無かった。しかし、ここ最近のアリサを取り巻く環境の中でエイジの姿を見る機会は格段に減っていた。

 一番の要因は完成間際のサテライトの警備と、入植者の護衛だった。

 

 クレイドル計画が拡大した事によって、遠隔地になればなるほどアナグラからの移動時間が大幅に増える。その結果、最悪の事態に陥った際にはサテライトが陥落する可能性もあった。

 創造よりも破壊の方が手間も時間もかからない。そんな事情もあってなのか、支部程の設備は無いが、ある程度の出先機関として現状のサテライト施設に建造する事が決定していた。

 

 事実上のサテライト支部の設立はフェンリルとしての吝かではない。寧ろ、統治するのであればそれなりの人間を送り込む必要があった。

 それと同時に居住用施設だけでなく、支部としての神機の整備やそれに関する手順など、一からやる為に何かと面倒な事だけが多くなっていた。

 当然、時間がそれなりにかかる。

 

 支部の事までとなった際に、一番の戦力を取敢えず置いた方が良いだろうとエイジに白羽の矢が立ったまでは良かったが、問題なのはその後だった。

 エイジが動くのであれば、当然アリサも立候補する。しかし、今回の設立にあたってはアリサのそれは弥生によって却下されていた。

 今の段階で余剰戦力はアナグラには存在しない。エイジが行くのは、あくまでも護衛の一環であると同時に、立ち上げにもある程度関与させる為だった。

 アナグラでも教導はしているが、態々移動してまでとなれば厳しい物がある。だったら最初から行けば良いとの案で今に至っていた。

 それと同時にブラッドからも北斗がエイジと共に異動している。これは感応種に対する意味合が大きかった。

 

 

「アリサさん。それを言うなら北斗も同じなんです。私達だって同じ気持ちですから」

 

「そうだよね。北斗が居ないブラッドも何だか寂しいもんね」

 

 抗議の意味も含むのかシエルの言葉には少しだけ冷ややかだった。

 本当の事を言えばシエルもまたアリサと似たような部分が多分にあった。しかし、シエルの対人関係で弥生を論破する事は事実上、不可能に等しい。

 

 それと同時に弥生から何を言われるのか分からないからと抗弁する事は考えていなかった。只でさえ何かと融通して貰っている自覚がある。今のシエルにとっては頭が上がらない人物の一人だった。

 そんな会話を聞いたからなのか、戦闘時の雰囲気ではなく、年相応の会話に男は少しだけ何かを思う部分があった。

 今はまだそれが何なのかは分からない。アナグラに到着するまでは少し休憩を入れた方が良いだろう。そう判断したのか、少しだけ眠りについていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで今日の教導は終了する。次回はまた予定を組んでくれ」

 

「ありがとう……ございまし…た」

 

 他の支部から来ると必ずと言って良い程に教導の洗礼が待っていた。

 元々は赴任した当初にやっていたが、まさか一般の人間相手にやるとは思わなかった人間が殆どだったからなのか、教導の効果は芳しい物ではなかった。

 どんな物でも最終的には自分がやる気になれなければ意味が無い。その結果として、一旦はそのまま実戦に出す事によってその重要性を身に染みて理解する方向に舵を切っていた。

 これまで居た支部と同じ感覚でミッションに入る事ににってアラガミの強さを肌身で理解させる。その結果として教導メニューを導入する流れになっていた。

 当然、その間にも殉職者が出る事もある。本来であれば痛々しい気持ちになるが、これに関しては事前に確認した上で当人が決めている為に自業自得の意味合いの方が強かった。

 しかし、万が一の事も考えると多少のフォローも必要になっていくる。その為に救助に関しては手厚くしていた。

 そんな事を知ってからの男は改めて自分の実力を計るつもりで教導に挑む。瞬時に叩きつけられた事によって自分が思い上がっていた事を強制的に理解させられていた。

 得物を持ったナオヤに対し、辛うじて挨拶だけを終わらせる。ここが鬼の巣である事は後になって知らされていた。

 

 

「本当の事を言えば、最初から教導で多少でも身体能力を底上げした方が良かったんだがな」

 

「その件はここに来た当初に聞いた話ですから……その結果が今であれば後悔した所で何も変わらないですから」

 

「そうか。だとすれば、お前は散った仲間の分まで生き残る義務がある。極めろとは言わないが、それなりに精進した方が良い」

 

 ナオヤの言葉に男はその言葉を噛みしめていた。

 後悔先に立たず。極東に伝わる言葉ではあるが、ある意味では真意とも取れていた。

 自分達の思い上がりにで仲間がアラガミに捕喰されている。だとすればその連中の分まで生きるのは当然だと考えていた。

 

 

 



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第105話(幕外) 酒の勢い

 教導と言う名の実戦はこれまでアラガミと対峙し、生き残ってきた側からすればかなり理不尽だと言える内容だった。

 こちらは神機のモックだが、教官は槍の様な物を持っているだけ。しかも、右腕には本来あるべきはずのそれが装着されていなかった。

 誰もが最初に思うのは、『本当に大丈夫なのか』だった。これは心配するよりも、寧ろ嘲笑の意味合いの方が多かった。

 しかし、いざ始まるとそんな考えは直ぐに記憶から消え去っていた。余程集中しなければ見えない穂先は常にこちらの攻撃の起点を潰される。

 単純に潰れるだけであれば問題視する事は無いが、実際にはそれすらも意識を刈り取る一撃となっていた。

 一呼吸で受ける衝撃は最低でも3発。しかも全てが人体の急所の部分を狙っている為に、肉体的に強靭だと言われるゴッドイーターでさえも、すぐに意識が刈り取られていた。

 

 気が付けばそれ程地面に叩きのめされたのかすら分からない。にも拘わらず、教官は息が切れた様には見えなかった。

 それと同時に一つの事実が浮かび上がる。この教導をクリアして初めて曹長になれるかもしれない資格が手に入ったに過ぎない事実に男は内心冷や汗をかいたままだった。

 そんな思いをしたにも拘わらず、男は色々な意味で打たれ強かった。まるで何事も無かったかの様にラウンジに顔を出している。既に時間は遅かったからなのか、既にバータイムとなっていた。

 

 

「よう。どうやらここの洗礼を浴びたみたいだな」

 

「あんたは…誰だ?」

 

「おっと自己紹介がまだだったな。俺の名は真壁ハルオミ。ここの第4部隊長をしてる」

 

「そうか、俺は…アランだ。少し前にイタリア支部からこっちに来てる」

 

「イタリア……って事はここには研修か?」

 

「まぁ、そんな所だ。クレイドルの試験は流石に無理があるからな」

 

 そう言いながらアランと名乗った男はハルオミが隣に座ったのを確認したからなのか、そのまま目の前の弥生に注文をしていた。

 極東支部では最近になってアルコールの種類が格段に多くなっていた。

 元々未成年が多かった頃はそれ程でもなかったが、最近になってからは他の支部からの流入もあって、その酒類は以前の倍にまで膨れ上がっていた。

 注文と同時に弥生は手慣れた手つきで琥珀色の液体をトクトクと音を立てながらグラスへと注ぐ。丸くなった氷が先程まで常温だったそれを冷やしていた。

 

 

「クレイドルはそんなに厳しいのか?少なくとも俺の目にはそうは思わなかったが」

 

「それはそっちがここの人間だからだ。俺らからすればここは異常なんだよ。

 実際に任務に出ればすぐに2人が捕喰された。それも救ったのはクレイドルの人間なんだ。さっきまで教導に行っていたが、あれもヤバい。となれば俺には厳しいと判断したんだよ」

 

 アランが言う様にここに来てからの一日はかなり濃い物だった。

 討伐直後に乱入されただけでなく、そのアラガミがまるでこちらの都合など知らないとばかりに立て続けに2人を捕喰していた。

 アランだけでないが、少なくとも極東以外の戦場で乱入されるケースは殆ど無い。単純にアラガミの数が違うのか、それとも質が違うのかは分からない。それなりに実力があったはずのゴッドイーターが、ただ殉職した事実だけが重くのしかかっていた。

 

 

「まぁ、色々と思う所はあると思うが、ここは極東だ。生きてる事に感謝すれば良いんじゃないか?」

 

「……そう言われればそうだな」

 

 ハルオミの言葉にアランもまた同じ事を考えていたからなのか、既に重苦しい雰囲気は無くなっていた。

 極東に限った話ではないが、常に生きて帰る事が出来れば御の字である。普段はギルかリンドウ位しかバータイムで一緒になる人間が居ないからなのか、ハルオミとアランは珍しく意気投合していた。

 普段であれば頼まない様な品を次々と頼んでいく。

 本来であれば弥生は止めるのが筋かもしれないが、バータイムで語り合う人間を止めるのは無粋だと感じたからなのか、周囲の状況を見ながらも幾つものアルコールを提供していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかしよ。ここは皆レベルが高いよな」

 

「レベル?何のだ?」

 

 通常であればゴッドイーターの代謝能力を考えると余程の事が無い限り泥酔するケースは少なかった。

 アルコールに弱い体質であればある意味仕方ないが、ハルオミやアランの飲み方はある意味ではスマートだった。

 酒の席だからと荒ぶる事も無ければ説教じみた事も言わない。本来であればそれなりに理性がある証拠でもあった。

 しかし、一定量以上の酒量に差し掛かると、少しづつ状況は変わり出す。泥酔まではいかないが、ポロポロと感情が漏れるようになっていた。

 

 

「おう。戦闘もだけど、女のレベルが高いんだ。俺が助けられたのも……確か…クレイドルの制服着てたんだ」

 

「……ああ、アリサの事か……確かに色々とレベルは高いな」

 

「だろ?俺、見惚れちゃったよ。あの娘クラスだと付き合ってる恋人も居るんだろうな……」

 

 完全に酔っぱらった男の会話だった。それと同時に話題はアリサへと向かっている。既に弥生の事を完全に忘れているかの様な会話はそのまま続いていた。

 

 

「恋人……んなもん居ないぞ」

 

「マジでか?」

 

「ああ。恋人はいない……」

 

 ハルオミの言葉にアランは少しだけ驚いた表情を見せていた。

 戦闘中は気が付かなかったが、帰投の際に見たアリサはある意味では突き抜けた部分が多分にあった。

 純白の制服に負けないくらいに肌が白く、その四肢もまたスラッとして無駄な肉は見当たらなかった。唯一ついてるとすればその豊満とも取れる双丘だけ。寧ろ、その存在は制服を扇情的な物へと変えていた。

 肌も肌理が細かく、化粧は殆どしていないが健康的な色気があった。髪もその存在を十分に示す様に艶が溢れている。

 少なくともアランの目から見ても、これまでに出会った女性の中では上位にランク付け誰る程だった。そんなアリサに恋人が居ない。その一言がアランの持つ気質を火を点けていた。

 

 

「なぁ、ハルオミ。本当にいないのか?嘘じゃないんだよな」

 

「ああ、恋人は確かにいない…………」

 

 アランの言葉にハルオミはかろうじて会話が出来る程の状態だった。これがもう少し理性が残っていればアリサは人妻だがと言えたが、完全に意識が混濁し始めている為に、肝心の言葉までが言い切れない。

 ここで弥生の表情を見れば多少の反応もしたのかもしれないが、生憎とその表情を見る間もなく撃沈していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは………」

 

「ハルさん。昨日は飲みすぎっすよ。最初はどうしたのかと思ったんで」

 

 昨日の事など既に記憶にすら残ってなかったのか、ハルオミが目を覚ますと、そこは自室の天井だった。

 記憶が正しければずっとラウンジで飲んでいた記憶しかない。しかし、時間の経過と共に状況確認の為に来たギルの言葉で漸く状況が呑み込めていた。

 ゴッドイーターが故の代謝の良さに二日酔いは無い。そうは言うものの、無意識のうちに身体は水分と欲していた。

 渡された水を一気に飲み干す。昨晩の記憶が少しだけ飛んでいるものの、目覚めはそれ程悪くはなかった。

 

 

「ああ。ちょっと盛り上がったみたいでな。すっかり意気投合したみたいだ」

 

「でしょうね。やんわりと聞いたら結構な本数を開けた見たいですしね」

 

 未だ理解していないのか、ハルオミは昨晩の状況をまるっきり覚えていなかった。半ば呆れた様にギルが明細を出す。

 当初はぼんやりとみていたが、桁が違ったのか、想定外の金額に夢現な状況から一気に現実を見せられていた。

 以前にギルが払った費用を軽く超えている。先程までのスムーズな目覚めから一転して、ハルオミは少しだけ青褪めた表情を浮かべていた。

 

 

「……まさか、こんなに呑んだってのか?」

 

「弥生さんが嘘つく必要無いじゃないですか」

 

「確かに……いや。そうなんだけど、まさかこれ程の物を無意識に頼んだのかと思うと……な」

 

 ハルオミの表情が一気に変化したのはギルにも直ぐに分かっていた。

 以前ギルが払った際には、その殆どがボトルキープだった事もあり、その後は少し落ち着いた状況でじっくりと味わう事が出来ていた。

 しかし、今回の明細にはキープした事は何一つ記載されていない。確実に全部を開けた事だけは間違いなかった。

 本来であれば流し込む様な飲み方をする代物ではない。しかし、ギルは自分が支払う物では無いからなのか、その明細を見た所で感慨深さは微塵も無かった。

 

 

「ですが、飲んだ以上は仕方ないんじゃないです?」

 

「そう言いたいんだけど……しゃぁない。少しばかり強行軍になるが、一稼ぎするか。ギル、悪いけどこれから頼むぞ」

 

「ハルさん。少しは自重した方が良いんじゃないですか」

 

「まぁ、それは追々とだな」

 

 無意識とは言え、流し込んで飲む様な酒ではないものを易々と飲む人間は酒を造る側すれば冒涜に等しい。既にやらかした事実は戻す事も出来ない為にハルオミは気持ちを切り替えていた。

 手始めにラウンジでエネルギー補給とばかりに朝食を食べるべくラウンジへと足を運ぶ。そこは昨日は大きく違いどこか健康的な空気が漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カノン!これで決めろ」

 

「は、はい!分かりました」

 

 ハルオミからのリンクバーストがカノンに向けて三度向けられていた。

 既に時間はそれなりに経過したからなのか、ボルグ・カムランは事実上の満身創痍に近い。

 既に足の一部と攻撃の要でもある尾の部分は結合崩壊とともに喪失している。リンクバーストの恩恵はそのままカノンのスヴェンガーリーにはこれまでに無い程にオラクルが充填されていた。神機だけでなく、カノンもまたリンクバーストの恩恵を受け、これまで以上にオラクルが活性化しているのを肌で感じ取っていた。

 十分に受けた恩恵は余すことなく活性化したそれを神機へと注ぎ込む。既にハルオミだけでなく、ギルもまた射線上から退避している。カノンの目の前には障害物は無かった。

 

 

「これで終わりです!」

 

 力む事無くスヴェンガーリーの引鉄は引かれていた。

 ボルグ・カムランを象徴するかの様な特大の針は光を帯びながら一直線に飛んでいる。

 幾ら誤射が頻繁にあるとは言え、今回の様に遮蔽物が無ければ誤射の余地は何処にも無かった。

 巨大な針は既にボルグ・カムランが退避するだけの時間を奪ったからなのか、回避行動には至れなかった。

 それと同時に最後の抵抗とばかりに盾を展開する。これがまだ戦闘直前であれば防げたのかもしれない。しかし、カノンが放ったそれはそんなボルグ・カムランの思いを粉微塵に粉砕していた。

 高濃度のエネルギが盾を一気に崩壊させる。既に自身の護る術を失ったボルグカムランはそのままひっくり返る様に大地にその体躯を叩きつけられていた。

 

 

「お~やったな。これで終わりみたいだな」

 

「はい!私……遂にやりました」

 

「お疲れさんでした」

 

 カノンのはしゃぐ声が戦場に響く。厳しかった戦いはここで終止符を打っていた。

 

 

 

 

 

「そう言えば、昨晩は誰と呑んでたんです?」

 

「ああ。実はな……」

 

 既に他の乱入の可能性は無いと判断したからなのか、ギルは思い出したかの様に昨晩の事をハルオミに確認していた。

 基本的に呑める人間はアナグラにはそれほど居ない。平均年齢が低い事も去る事ながら、それ以外では弥生くらいしか付き合える人間が居なかった。

 ここには居ないがツバキもそれなりに飲む。しかし、ハルオミが一緒に飲めるのかと言えば否としか言えなかった。

 そんな状況でのあの量は宴会レベルに匹敵する。それ程重要だとは思わなかったものの、それでも多少なりとも気になったのは事実だった。

 

 そんな中、偶然居合わせたイタリア支部から派遣されたアランという人物が浮かび上がっていた。

 ハルオミは気が付いていないが、話を聞けば聞く程何となくハルオミに近い性格の様にもギルは感じていた。

 これまでの経験からすれば碌な目に遭わない可能性が高い。そう感じたからなのか、ギルはそれ以上の事を聞く事は無かった。

 

 

「ハルさん。先に言っておきますけど、何かあっても俺は庇えませんよ」

 

「ちょっと待てよ。それ、どう関係があるんだ?」

 

 ギルの突然の言葉にハルオミは思わず狼狽していた。元々話の流れで言っただけのはずが、気が付けばギルの視線は冷たい物に変わっている。

 流石にハルオミとしてもそれが何を意味するのかは何となく理解していた。しかし、それがどんな結果をもたらすのかが判断できない。だからなのか、ハルオミもまた、失った記憶と取り戻そうと必死になっていた。

 

 

「あの……ハルさん。どうかしたんですか?」

 

「いや。大した事じゃない。カノンさんが心配する様な事は無いはずなんで」

 

「そうですか。周囲の探索は終わりましたから、後は帰投するだけですね」

 

 ハルオミがおかしいのは何時もの事だからなのか、カノンはギルの言葉をそのまま鵜呑みにしていた。

 素直な部分はあるが、ブラッドが来てからのハルオミは少しだけ変な行動を取る事が多々ある事は何となく理解している。『触らぬ神に祟りなし』そう考えたからなのか、ヘリに搭乗しても何時もの様子が崩れる事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、アリサ。仕事は大変そうだね」

 

「ええ。でも、最近は前りも仕事量は少なくなりましたから、楽にはなりましたよ」

 

「へぇ。そんなにクレイドルの仕事は大変なのかい?」

 

「仕事だけ見れば大変だと感じる部分は多いかもしれませんね。ですが、これは私達が同じ方向を向いてやっている事なので苦にはならないかもしれませんね」

 

 ここ最近、アリサは特定の男性から割と声を掛けられる事が多くなっていた。

 その最たる者がイタリア支部から一時的に来ているアランの存在だった。

 元々アリサは人の好き嫌いはあまり持たない事が多い。サテライトの件で世間と言う物に触れる機会が多いからなのか、今でも厳しい意見を言われる事はあるが、それはあくまでも個人の価値観であり、それが今後の参考になる可能性を秘めている。

 クレームと言えばそうなのかもしれない。しかし、それもまた当然だと考えているからなのか、以前よりも忌避感は少なくなっていた。

 

 そんな中で、最近イタリア支部から来たアランはアリサに対し話かける光景を見る機会が多かった。アリサ自身がラウンジで仕事をする機会が多いのが一番ではあるが、やはり目立つからと言うのも理由の一つだった。

 アリサの個人的背景を何も知らなければ目を奪われる機会は多い。しかし、その瞬間誰もがそれ以上踏み込む事はなかった。

 一番の理由は左手薬指に嵌っている指輪の存在。誰もがそれを見たからなのか、それ以上踏み込んだ話をする事は無かった。

 実際にクレイドルと派遣された人間の接点は限りなく無に近い。

 常にアラガミの出動だけを注視するのとは違い、クライドルはサテライトの関連する事や、新たな人材の調整をする事が最近になって格段に多くなっていた。

 只でさえ話す機会が少ない所に追い打ちをかける。そんな中でのアランの行動はアリサを良く知っっている人間や、何も知らない人間からしてもある意味では脅威だった。

 

 

「でも、偶には休息も必要だと思うぜ」

 

「そうですね。確かに休息は必要かもしれないですね。でも、最近はそのあたりも旨く調整してますから」

 

「そう。時間があるなら休憩がてらここの外部居住区なんか教えてほしいね。来たばかりで詳しい事は何も分からないんだ」

 

「そうですね。機会があれば……と言う事で」

 

 ニッコリと言う言葉が似合うかの様なアリサの笑顔にアランもそれ以上踏み込む事は出来なかった。

 まだ初対面に近い状況下であり、その指輪も虫よけのはず。だからこそ、ゆっくりと親しくなるべきだ。アランはこれまでの経験でそれを学んでいた。

 だからこそ、その引き際も見極めている。アリサもまた初対面で親しくなる女性ではない。それがアランのイメージだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの……大丈夫なんですかね?」

 

「大丈夫って?」

 

「ほら、最近、アリサさんの周りにアランさんがよく話かけてる事が多いので……」

 

「う~ん。アリサさんの事だから気にする必要は無いと思うんだけど」

 

「でも、結構しつこい様にも見えますけど……」

 

 どこか歯切れの悪い言い方ではあったが、第1部隊のエリナは少しだけ不快感を持っていた。

 しかし、エリナの周囲でこんな事を話す事が出来るのはマルグリット位。コウタに聞いた所で何となく茶化されると思ったからなのか、ミッションの帰投の際に思い切って確認していた。

 

 

「最近は忙しいみたいだけど、近々解消されると思うけどね」

 

「でも、エイジさんはここには居ませんし……」

 

「コウタの話だと、そろそろ入植も落ち着く見たいだから時間の問題じゃないかな」

 

「そうなんですか」

 

「詳しい日程はまでは分からないみたいだけどね」

 

 マルグリットの言葉にエリナは少しだけ機嫌が戻っていた。

 第1部隊は各支部からの派遣を一番に受ける事が多い。そうなると色々な意味でその負担が一気に押しかかっていた。

 一番の違いはお互いの力量のミスマッチから始まる情報の齟齬。

 

 当初は階級を先に見ていた為に、いざ実戦で使えないゴッドイーターがこれまでに多数存在していた。

 ここに来る人間の大半は曹長以上の為に、実際にはどれ程の力量があるのかエリナには分からなかった。

 元々曹長と一言で言っても幅はかなり広い。限りなく上等兵に近いケースもあれば、尉官級に近い人間も多数存在している。その結果、現場がかなり混乱していた。

 事前に通達された内容と、実際に見た内容に大きな齟齬があった場合、本人だけでなく周囲にも問題をまき散らす可能性がある。

 そんな過去の経験をしているからなのか、エリナは無意識のうちにアランに視線を動かす。

 これまでにエリナが聞いた話ではアランの実力は極東支部の中でも上位に近い物がある事は聞いていた。直接見た訳ではないが、マルグリットの話だと、ナオヤが教導教官の際にも違和感なく動いている事は聞いている。

 これが他の支部のゴッドイーターの考えならば実力を重視すれば多少の人間性には目を瞑る必要があったが、ここは極東支部。少なくとも上位の人間に誰もそんな考えを持つ者が居ないからなのか、少なくともエリナの中でアランの評価は最底辺に近い物があった。

 

 

 



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第106話(幕外) 緊急招集

 事実上の派遣状態とは言え、全ての事をやらなくても良い訳では無い。常に戦闘の後に待っているのはアラガミに関するレポートに代表される事務仕事だった。

 元々他の地域から来た人間は極東に長期滞在する訳では無い。自分が感じ取った内容を常に提出するのは、他の支部から見た極東のアラガミの受け止め方の確認の為だった。

 

 他の地域と何故異なるのかだけでなく、今後元の支部に戻ってからの感覚の乖離を消すための一環でもあった。

 他の支部では事実上の一個中隊を出す程のアラガミだとしても、ここでは一つのチームだけで討伐するのは当然の事だった。

 実際に極東支部でそれ程の出動をしたのは数える程しかない。大量のアラガミが発生した場合や、正体不明の感応種が出没した際にあっただけだった。

 それでも精々が2~3チーム。だからなのか、その差を確認する為に派遣された人間はここに常駐する部隊以上の提出物が求められていた。

 本来であれば肉体労働専門と言いたいげな人物でも、皆等しく要求されている。それはアランもまた同じだった。

 

 

「ったく、なんでこんな面倒な事をしないといけないんだよ。俺達はこんな事の為に来たんじゃねえんだよ……」

 

 事務仕事は基本的には部隊長がやるべき内容だからなのか、アランはこの手の作業を苦手にしていた。

 自身もこれまでに何度かイタリア支部でやってきたが、極東支部の要求する内容は、これまでに感じた事は一度も無いと言える程の量。実際にはそれ程ではないが、体感的にはミッションよりも長い時間を必要とする程だった。

 ここに来る前に、事前に極東支部へ行っていた人間から聞いた言葉。『戦闘はアラガミだけではない』を実感していた。

 

 

「最初の内は大変ですよね。私もそうでしたから……」

 

「あれ、アリサさんもですか?」

 

「ええ。碌に教えられていないのに、それですから」

 

 アランの呟きを聞いたかの様に気が付けば隣にはアリサが座っていた。

 あのハルオミと飲み明かして以来、アランは引く程ではないが、アリサにアプローチをしていた。

 元々左指の指輪の存在も知っていたが、ハルオミの言葉を正しく理解するならば、確実にそれは男避けの指輪。恋人が居ないのであれば自分が立候補すべきとの謎の使命感を基に、時間をかけるかの様に近づいていた。

 しかし、アリサは他の部隊ではなくクレイドルの中軸として動く人物。同じ支部内のはずにも拘わらず、ゆっくりと話をする時間が殆どなかった。

 一時期はそんな環境に諦めようと思った事もあった。元々ここには期間限定で来ている為にタイムリミットが存在する。幾ら伊達男を装っていても、時間と言う物まで凌駕する事は出来ない。

 そんな中での今回の逢瀬。アランは少しだけ自身の幸運を噛みしめていた。

 

 

「結構面倒な記述が多すぎるんだと思うんですけどね。同じ様な事を何度も書いたので」

 

「私も実は最初の頃は同じ事を考えていたんですよ。でも、似たような事を書くのは意味があるので……」

 

 アリサの言葉にアランは少しだけ聞き入っていた。

 元々書類作業を得意とするゴッドイーターはそう多く無い。事実、極東でも〆切に間に合う人間は早々居なかった。

 最近になって一部の人間が少しだけ提出に関して改善されたものの、トータルで見れば少数だった。

 似たような作業が続くのは、偏に極東支部内で使う情報と、他の支部に使う情報が事なる点だった。

 最初にアリサから聞いた際には疑問が残ったものの、話を聞くうちにその意味がアランにも理解出来ていた。

 元々極東には変異種と呼ばれる個体が割と頻繁に出没する。見た目があからさまに異なる個体であれば注意する事も出来るが、通常種と何も変わらない個体となれば話は大きく異なっていた。

 見た目だけで判断すれば、待っているのは自身の死。どんなアラガミであっても侮る事は出来ない証拠だった。

 実際に侮った為に殉職した人間が居るのも事実。苛烈な環境を生き残るのはゴッドイーターだけでなく、アラガミもまた同じだった。

 

 

「成程ね……まさかそんな事があったとは」

 

「他の支部に秘匿している訳では無いんですけどね。他の支部だと遭遇する事すら少数ですから」

 

「って事はアリサさんは他の支部に行った事が?」

 

「他と言うよりも、本部ですね。何度か任務の関係で足は運びましたので」

 

 そう言いながらのアリサの表情は先程とは少しだけ異なっていた。

 旧時代とは違い、今の世で旅行に行くと言う概念は既に失われている。精々が他の支部への異動か移動。それ位しか所属する支部を離れる事は無かった。

 何かを思いだしたかの様な表情のアリサは何時もとは違ったのか、少しだけ女の表情を浮かべている。

 これがアリサの近しい者であれば、また何かを思い出しているんだと予想出来たが、生憎とこの場にはアランしか居なかった。

 そんなアリサを見るアランもまた違う側面を見れた事によって改めて自身を奮い立たせる。同じ場所に居ながら全く異なるベクトルを向けた笑顔に、カウンターに居るムツミでさえも何も言わなかった。

 

 

「へぇ、色々な所に行ってるのかと思ったんですけど」

 

「中々行くには難しいですから。それに、極東にも良い場所は幾つもありますよ」

 

「成程……出来れば、是非紹介してほしいですね」

 

「ええ。私で良ければ紹介しますよ」

 

 アリサの言葉にアランは内心ガッツポーズを作ってた。元々アプローチを仕掛ける場面がかなり少ない。勿論、そんな数少ないチャンスを潰す様な真似はするつもりは毛頭無かった。

 出来る事ならこのチャンスを元に一気に親しくなる。そんな取り止めの無い事を考えていた。

 しかし、そんな甘い考えは直ぐに消え去っていた。アリサだけでなく、アランの端末から緊急のコール音が鳴り響く。オープンチャンネルによる緊急招集の合図だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サテライトの入植は予定していた人員を全て収容して終わりではない。幾ら建物があろうが、人は霞を食べて生活している訳では無い。実際に入植してから生活の軌道が順調になるにはそれなりの時間が必要だった。

 既に配給の準備は完了している。後は日程の調整を何時までやるのかが焦点だった。

 現時点で入植者に出来事は限られている。その中には生活に関する内容も含まれていた。飢えによる感情悪化は最低限避けなければならない事態。ゴッドイーターとは違い、一般の人々はまだ何も出来ないまま。少なくともこれまで立ち上げたサテライトの経験がそうさえたのか、派遣されたゴッドイーターが最初にするのは炊き出しだった。

 腹が満たされれば、多少の苦労も乗り切れる。それと同時に、それまでの間は何らかの保証を余儀なくされていた。

 

 

「炊き出しは人数分ありますから、慌てないで下さい」

 

「何だか済まんな」

 

「いえ、折角ここまで来たんですから、温かい食事をして落ち着かれたらどうですか?」

 

「そうか……催促したみたいだな」

 

「気にしないで下さい。これも当然の事ですので」

 

 入植した者達は自分が何処に住むのかを事前に聞かされていた。

 元々サテライトの建築は外周の防壁を作るものの、内部まで手を入れる事はしなかった。

 当初はそれをやっていたものの、あくまでも黒い雨が降る事が前提だったからだった。

 しかし、今は黒い雨に怯える必要は何処にも無い。時間のゆとりがあるからなのか、建築資材を搬入しながら今後のビジョンを明確にするのかを焦点にしていた。

 だからなのか、入植した者達も初めて見た際には驚きはしたが、最終的には自分達の終の棲家となるのであればと了承していた。

 それと同時に、資材が届くまでは一定量の身の回りの事も世話をする。エイジが炊き出しをしていたのはその一環だった。

 匂いにつられるかの様に人々が集まってくる。初めて目にする光景ではない。だからなのか、エイジは来た人間に対し、次々と食事を振舞っていた。

 

 

《エイジさん。すみませんが、少しだけ時間を頂けませんか?》

 

「何かあった?」

 

《はい。実はオープンチャンネルによる緊急出動要請が出ています。既に帰投中の第1部隊と同時に、アナグラからも応援として部隊を派遣しています》

 

 炊き出しの際に飛び込んで来たのは緊急応援要請だった。エイジがここに居る事はヒバリだけでなく、フランも知っている。

 クレイドルとしてのスケジュールだからなのか、耳朶に飛び込むフランの言葉にエイジが少しだけ考えていた。

 

 

「参考に聞きたいんだけど。応援要請を受けて、出てるんだよね?」

 

《はい。ですが、こちらで観測できる状況を見ると、今は第一陣と言った所です。そちらに向かう可能性はゼロではありませんが、可能性を考えれば選択肢からは外しても問題無いかと》

 

「第一陣となれば当然、次があるはずだけど、アナグラで観測できるのと、今後の予測レベルは?」

 

《少なくとも、こちらで観測できるレベルであれば三陣までは可能性としてありえます。ですが、緊急要請で出ている部隊のバイタル情報は良いとは言えません》

 

 フランからの通信にエイジは炊き出しの状況を見ながらも少しだけ考えていた。

 緊急事態に陥る以上は救出は当然の結果。しかし、この場にはエイジと北斗。あとは数人のクレイドルの隊員しかいない。

 炊き出しを続けるのは簡単だが、少なくとも入植は今日で完了する。だとすれば、今後の予定がどうなるのかは考えるまでもなかった。

 

 

「了解した。でも、移動の足はどうするの?」

 

《それに関しては既に迎えを出しています。到着まで凡そ300秒と言った所です》

 

「了解。至急寄越してくれ」

 

 

 

 

 

 エイジの言葉に通信機越しのフランから安堵の雰囲気が漂っていた。

 元々救援要請をだすのは当然ではあるが、こちらもサテライトの入植と言う重要な内容を実行している。

 本来であればこの状況下でサテライトから離れるのは自殺行為でしかない。それと同時に折角安心できる環境に来たばかりの人間に不安ももたせる可能性もある。それを考慮するととてもじゃないが、エイジに通信を繋げる事がどれ程厳しいのかを理解した上で繋げていた。

 

 戦力としてみれば最大の戦力。しかし、クレイドルとして考えればフランが取った行動は下の下の行為だった。

 幾ら尽力を尽くそうが、些細な事で信頼は簡単に崩壊する。仮にここで横槍を入れるとなれば、ある意味で矢面に立つのはクレイドルだった。幾ら緊急事態だと言っても入植者には何の関係も無い。それを理解した上て通信を繋げていた。

 後で何を言われようとも覚悟をした上の話。だからなのか、通信が切れた際にはまるで大きな戦闘が終わったかの様に大きく息を吐いていた。

 

 

「フランさん。どうかしましたか?」

 

「いえ。何でもありませんよ」

 

「だったら良いですけど。でも随分と疲れ切った様にも見えますよ」

 

 ウララの言葉に気が付けばじっとりとてに汗を握っていた。しかし、戦場で命を懸けて戦う事を考えれば、この程度の事は造作も無い。

 フランは改めて移動しているヘリに対し、通信を繋げていた。

 

 

「取敢えずは私達が出来る事はやるしかないです。少なくともこれを見ればある意味仕方ないかもしれませんね」

 

 フランが示した先にはアラガミを表す光点が集団となっていた。

 以前にも見た大規模な派生程ではないが、それでも脅威としか言えなかった。

 今のアナグラには幸か不幸か戦力として数える事が出来る人間は割と多い。しかし、その大半はベテランではなく教導目的の派遣組だった。

 光点ではアラガミの状況ははっきりと判断出来ない。距離が近くなれば偏食場パルスで予測出来るも、現時点では未定のままだった。

 

 

 

 

 

「北斗。聞いたと思うけど緊急要請だ。炊き出しは他の人に頼んでこちらも直ぐに移動する」

 

「了解しました。ですが、ここの人達には話をした方が良いんじゃないですか?」

 

 先程の緊急の通信を聞いたエイジと北斗は切れると同時に今後の事を考えていた。

 ただでさえ疲弊した状態でここに来ている。そんな中でアラガミの強襲となれば混乱を来すのはある意味当然だった。

 もちろん北斗の考えは分からないでもないが、現時点ではそこまで話す必要は無いとエイジは判断していた。

 

 

「あの話だと、ここに来る可能性は低い。一陣と言うからにはそれなりの数にはなると思うけど、今はいたずらに告げる必要は無いよ。ここにもクレイドルの人間が居るんだ。何かあったとしても彼等を信じよう」

 

「そうですね。では急ぎましょう」

 

 連絡は2人だけではく、ここに駐留している全クレイドルの人間に届いているからなのか、入植する人達には気が付けれない程度に空気が変化していた。

 クレイドルは特定の人間がだけが突出した戦力を持っているが、実際にはここに配属される人間もまた極東支部内でも高い武力を持っている。

 

 常に人類とアラガミが対立する最前線に立つ以上、生半可な力量は無駄な死を招く一因でしかない。

 これまでは弛緩しない程度に柔らかい空気が漂っていたが、気が付けば少しづつ空気は張りつめていく。それが2人を前線に押し出すかの様にゆっくりと広がっていた。

 そんな空気を感じたからなのか、既にお互いが神機を握りしめている。今出来る事は集団だと思われるアラガミを屠る事だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……これは……」

 

 アナグラで広域レーダーを見ていたヒバリは思わず言葉が淀んでいた。

 ヒバリの記憶の中でもこれまでに何度か厳しい状況になった事はあったが、今回のアラガミもまたこれまでに経験したのと同等のレベルの数になっていた。

 未だ大量に発生するアラガミのシステムは確立されていない。事実上の防衛戦であると同時に、その中に幾つかの通常とは異なった偏食場パルスが存在していた。

 

 

「どうしたんだいヒバリ君?」

 

「榊博士。今回のアラガミの中には感応種と思われる個体が幾つかあります。ですが、それぞれが異なった場所に居る為に今の手持ちのリンクサポートシステムの数が足りません」

 

「……現在の利用状況はどうなってる?」

 

「今の所は戦闘中に使用している箇所はありません。少なくとも今から回収して現地に運ぶにはギリギリです」

 

 ヒバリの目に映っているのはリンクサポートシステムの稼動状況だった。

 最近では防衛の為に使用されるケースが多いからなのか、以前よりも数は多少なりとも増えている。

 しかし、感応種の偏食場パルスは既存のアラガミ以外には役に立たないのはこれまでに実証されていた。

 感応種特有の波形ではあるものの、今光っている一部にはデータが存在しない物も含まれていたからなのか、ヒバリの越えは無意識の内に強張っていた。

 

 

「仕方ない。直ぐに回収と同時に稼動の準備。それとブラッドには部隊を2つに分けて行動してもらおう。ヒバリ君、連絡は頼んだよ」

 

「了解しました」

 

 榊の言葉にヒバリは直ぐに通信回線を開く。この時間帯であれば北斗以外のブラッドは全員が聖域に居る。

 移動時間を考えればまだ余裕があると思われる程度だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シエルちゃん。このサツマイモ、結構大きいよ」

 

「確かにそうですね。ですが、本来はこれ程大きく育つのでしょうか?」

 

「詳しい事は分からないけど、大きいなら問題ないと思うよ。早速収穫したら試食会を開催しないと」

 

 聖域では以前に植えられたサツマイモの苗が順調に成長を続けていた。

 実際に聖域での植物の成長は通常よりも早い。それと同時に、この周辺だけは周囲に囲まれたオラクルの山脈の影響なのか、余程の事が無い限り気候は穏やかな事が多かった。

 

 

「また随分と大きく育ったんじゃな」

 

「でしょ!でも実際にはここまで大きいと味はどうなんだろう?」

 

「そうじゃな……ここまで大きいと本来ならお同じになる事が殆どじゃが、ここは土壌も良いし、味は期待出来ると考えても良いんじゃないかの」

 

 北斗はエイジと共にサテライトの地で警備をしていた事もあり、ブラッド全員が聖域での作業に没頭していた。

 周囲を見渡せばシエルは収穫された野菜を一か所に集め、ジュリウスとロミオ、リヴィは他の畑で収穫をしている。何時もの光景の中で、不意にシエルの通信機が鳴り響いていた。

 

 

 

 

 

「そうか……だとすれば作業は一時中断だな」

 

「だが、規模が大きいのと同時に、これまで観測されなかった感応種が相手になるか……」

 

 ログハウスの中で作業をしていたギルもまたシエルと同じく通信機が鳴った事で事態を確認していた。

 これまでにも何度かアラガミの大群がアナグラに向けて襲い掛かった事はあったが、結果的にはそれ程手間がかからないうちに収束を迎えていた。

 一番の要因はそれぞれが一定以上にアラガミの侵攻を食い止めた事によって、部隊を統率した事が要因だった。

 しかし、今回お襲撃はその中でこれまでに無い感応種が配置されている。リンクサポートシステムの恩恵はあくまでもこれまでに観測された感応種の偏食場パルスを相殺させた結果。

 データが無いのであればリンクサポートシステムの恩恵を受ける事は出来ない。新たに調べる必要がそこに存在していた。

 

 

「ですが、今回の件に関してはそれ程時間に余裕がある訳ではない様です。現時点でオープンチャンネルによる救援要請が出ていますので、我々もこのまま直ぐに出動する事になります」

 

 シエルの言葉に誰もが更に表情を引き締めていた。

 未観測の感応種の討伐任務となれば、それなりに様子を伺いデータの採取が優先される。ブラッドに関してもこのデータ収集の戦いはストレスが溜まりやすい任務だった。

 だからと言ってこのまま普通に討伐すると、今後の任務にも大きく影響が出てくる。だとすれば、選り好みする事無くそのままデータを優先し、完了時には即時討伐するのが今のやり方だった。

 

 

「そっか……で、応援要請した人って大丈夫なのか?」

 

「現時点ではまだバイタル情報に乱れは無いそうです。ですが、その地点までの移動時間を考えると、急ぐ必要はありますね」

 

「じゃあ、遠慮なく行くしかないね」

 

「そうですね。今回の件はサテライトに派遣している人間もまた来ますので」

 

 シエルのサテライトの言葉に誰が来るのかが直ぐに理解出来ていた。

 現在進行形でサテライトの入植を進めているのは一つだけ。それ以外は未だ建設すら始まっていなかった。

 それと同時に今回の招集。少なくとも北斗が派遣されるのは自明の理だった。

 シエルの言葉にナナやロミオもまた表情が明るくなる。今は少しでも戦力の嵩増しが出来るならと考えた所での投入はブラッドの士気を自然と高めていた。

 程なくしてヘリのローターが徐々に近づいてくる。詳細は不明だが、このまま現地合流するのであればとの思いに、全員の意志は戦場に向っていた。

 

 

 



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第107話(幕外) 混戦

 ヘリから見る光景は、これまでに見た事が無い人間であれば思わず息を飲んでしまう程に迫力があった。

 緊急出動した時点でアラガミの全容は大よそながらに把握したものの、少なくともこの光景が極東では当然だとは思いたくなかった。

 土煙で見えない部分はあるが、先頭にはガルムやヴァジュラが走っている。まるで野生の生物の群れの様なそれは初めて見た人間の戦意を根こそぎ喪失させるだけの迫力があった。

 

 

「今回のは中々規模が大きいですね」

 

「って事はこれが何時もじゃないんだよな」

 

「流石にこれ程の事は数える程しか無いですね。それもあって今回の招集は各地からの来る事になっていますので」

 

 アリサの呟きの様な言葉に、同じヘリに同乗したアランは少しだけ認識を改めていた。仮にこれが通常であれば、極東以外の支部ならば確実に滅ぶだけの物量がそこにある。そうなれば待っているのは大規模な混乱。緊急事態を打開するのではなく、一刻も早い退避が優先される内容だった。

 しかし、隣を見ればアリサは怯える様子も無ければ困った様子も見当たらない。クレイドルがどれ程の戦闘力を持っているのかを垣間見たからなのか、アランもまた混乱する事無く冷静に様子を伺っていた。

 

 

 

《第一陣が到着するまでにブラッド、クレイドルにも出動要請がかかっています。このままであれば交戦まで30秒です》

 

「了解しました。概要はどうなっていますか?」

 

《目立ったアラガミは先頭に居る大型種2体だけです。ですが、一陣の背後を動く中にはこれまでに観測されていない偏食場パルスを持ったアラガミの存在も確認されています。感応種の可能性が高い為に、二陣にはブラッド隊をぶつけます》

 

 通信回線から聞こえるヒバリの声にアリサもまた事前に確認した情報を統合していく。

 元々厳しい内容であるのは理解しているが、今のアリサにとってはその内容に脅威を感じる事は無かった。

 アランには聞こえていないが、ヘリの内部とは違う通信内容がアリサの下にだけ届く。第一陣に向っているのはアリサ達だけでなく、エイジと北斗も合流する事になっているからだった。ここ最近、碌に会えなかったからなのか、アリサの内心は少しだけ喜んでいる。

 こんな場面では不謹慎である事を理解しているからなのか、隣に居たアランも気が付く事は無かった。

 

 

「第一陣に感応種が居る可能性はありますか?」

 

《現時点では計測されていません。ですが、油断はしないでください。念の為に、防衛ラインにはリンドウさんとソーマさんが待機しています。出来る限り数を減らす事を優先させて下さい》

 

「了解しました。それと援護の到着はどれ程かかりますか?」

 

《現時点では既に回収を終え、移動を開始しています。アリサさん達の下に到着するのは約20分後の予定です》

 

 ヒバリの声にアリサは先程とは違い、完全に気を引き締めていた。20分の時間が長いのか短いのかは分からない。しかし、何時ものメンバーでは無い為に、大型種2体にどれ程に時間が必要になるのかは未知数だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「第一陣に関してはアリサさん達に任せますので、皆さんは二陣の感応種の討伐をお願いします」

 

《了解!任せておいて》

 

 アナグラでは現状の確認をする為に、レーダーの観測範囲を拡大すると同時に、一部を種別確認の為に運用していた。

 観測されていない偏食場パルスではあるが、その波形は感応種独特の物だった。

 該当データが無いとなれば確実に新種であることは間違い無い。ナナの声を聞く限りでは大丈夫だとは思うが、新種である事を考えればこれまで以上に警戒する必要があった。

 

 

「サクヤさん。大丈夫だとは思いますが、どうしますか?」

 

「そうね。少なくとも一陣に感応種が向かないようにしないと厳しいわね」

 

「ですが、現状はまだ感応種の数も未計測です。リンクサポートシステムの調整は完了していますので、後はそのタイミングだけです」

 

「今はとにかく情報が必要よ。フランさん、遠方の防衛班の出動要請と近隣のサテライト駐留部隊に待機命令を出して頂戴」

 

「了解しました。直ぐにとりかかります」

 

 大型ディスプレイに映し出された光景は大きな光点となっていた。いくつものアラガミが集う場合、細かい表示が出来ない。微細まで映る様にすれば確認できるかもしれないが、現状は広域での動きを重視している為に、切り替える事無く表示されていた。

 フランに指示は出した物の、サクヤもまた戦場を知っているからなのか、今回の襲撃が突然だった事に疑問を持っていた。

 人為的な可能性も考えられたが、ここ最近はそんな不穏な話を聞く事は無い。だとすればこれだけのアラガミを動かす何かが出たと仮定した方がしっくり来ていた。

 

 

 

 

 

 アナグラで練られている戦略とは別に、移動中のエイジと北斗もまた広域レーダーを見ながら今後の立ち位置を考慮していた。

 明滅する光点はアラガミの動きを示すが、パッと見た感じではそれ程大きな物では無い事は間違いなかった。

 これまでにアナグラに襲い掛かったケースは何度かあったが、その全てが厳しい戦いを余儀なくされた記憶だけがあった。

 

 元々生態系がどうなっているのかはまだ解明されていない。地面から湧き出るかの様に出現するアラガミの姿や繭から出た物を見た記憶はあったが、その後の事に関しては何一つ判明していない。

 時折発生する大群に関しても、当初は保管庫に保存されたコアを狙っているのではとの予測から、今では完全に外部に漏れる事は無かった。だとすればこれまで討伐した何かに引き寄せられているとの可能性も考慮されたものの、結果はやはり同じだった。

 そうなればその後の研究がはかどる事はない。その結果、大群が押し寄せる際にはアナグラの戦力を動員しての防衛線が主流となっていた。

 その事実はエイジも理解している。だからなのか、今回のこれに関してはこれまでの物とはどこか異なる可能性があると本能で察知していた。

 

 

「エイジさん。どうかしたんですか?」

 

「大した事じゃないんだけど、今回のこれはこれまでの物とは少し系統が違うような気がしたんだけどね」

 

「系統が……違う…ですか」

 

「具体的に何って訳じゃないんだけど、何となく違うかなって」

 

 北斗の質問にエイジもまたどうやって答えるのが適切なのかを考えていた。

 今の感情をそのまま口に出すならば、このアラガミは本能ではなくどこか恣意的に動いている様にも見える。人類が今の所、完全にアラガミを操るという技術は確立されていない。精々が動きを制御するだけの為に、それ以上の事は何も分からないままだった。

 捕喰欲求ではなく、何かを見て怯えている様な動きはこれまでに何度か見た記憶があった為に、何となくそう判断しただけだった。

 

 現時点で具体的な策は何も見いだせない。だからなのか、エイジもまた口にしない方が良いと無意識に判断した結果の言葉だった。

 そのエイジの言葉を聞いた北斗もまた改めて映し出された画面を見る。これまでの何かと違う点は何なのか。今の北斗にはその違いが何も判らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと……まずは俺達のやれる事を優先するか。ソーマ。最近は研究の方が多いんだろ?無理はするなよ」

 

「それはこっちの台詞だ。お前こそ、いつまでも若いままだと思うな」

 

「当たり前と言いたい所だが、生憎とそう言う訳には行かないんでな」

 

 一陣の影が見え始める頃、リンドウとソーマは所定の配置に付いていた。

 元々クレイドルとしての戦いは今回の様に圧倒的多数を減らす戦闘は殆ど無い。これまで第1部隊として培ってきたやり方を周到するだけだった。

 見えるアラガミは全て斬り伏せる。サテライトの防衛を担ってこれたのは、偏に妥協をしないやり方を徹底した結果だった。

 

 数が少ない中での戦闘は自分達が作り上げた戦線を抜かれれば、待っているのは無抵抗の人間が蹂躙されるだけの未来。少なくともリンドウだけでなくソーマもまた同様の事を考えていた。

 防衛の最前線でありながらも攻勢を仕掛ける橋頭保。サクヤから言われた訳ではなく、自然と考えた結果だった。

 アラガミの数を肉眼で見た事によってソーマも自身のイーブルワンを握る力が強まっている。そんな姿を見たリンドウもまた自身のオラクルが無意識の内に高まっていた。

 

 

《接敵まであと30秒。総員戦闘態勢に入ってください》

 

 耳朶に届く声はまさにこれから始まる終わりなき戦いの合図。先程までの軽口ではなく、これから始まる戦いを思い浮かべたからなのか、ソーマだけでなく、リンドウの口角もまた僅かにつり上がっていた。

 

 

 

 

 

 アラガミの慟哭とも取れる声は周囲一帯に響いていた。既にどれ程の数を討伐したのかは分からないが少なくとも目に見える範囲では確認が出来ない状況はソーマだけでなくリンドウもまた違和感を持っていた。

 斬って捨てたアラガミは既に霧散し、周囲に見える物は何一つ無い。

 本来であれば達成感に湧くところではあったが、拭いきれない違和感に二人は警戒をし続けたままだった。

 

 

「リンドウ。少しおかしいとは思わないか?」

 

「ソーマもか。だが、周囲にはアラガミの姿が見えないんじゃどうしようもないんじゃないのか?」

 

 ソーマの言葉にリンドウもまた同じ感覚を持っていた。元々この戦場は2人が派遣されていた。

 今回の様な攻撃は少なくとも簡単に収束する事は過去に例を見なかった。その最大の要因は配置された場所のアラガミがあまりにも呆気ない点。

 アナグラのレーダーではアラガミの強度は偏食場パルスでしか確認できない為に、実際の強さは現地の人間だけが知るしかなかった。

 

 実際に気が付いたのは戦端を開いた瞬間の最初の一撃。ソーマが上段から振り下ろしたイーブルワンが何の抵抗もなく切り裂いた点だった。

 戦場に居る為に、手応えを常に確認出来る訳では無い。幾ら手応えが無かろうとも数の暴力は脅威でしかなかった。

 リンドウと2人での討伐によって後方からの増援が無い事から一気に推し進める。気が付けば今の様な状況になった事によって漸く違和感を感じていた。

 

 

「ヒバリ。ここにアラガミの姿は無いが、周囲はどうなってる?」

 

《え、終わったんですか?こちらではまだアラガミの反応があります》

 

「どう言う事だ?少なくとも俺だけじゃない。リンドウもアラガミの反応をキャッチしていない」

 

《……少し待ってください》

 

 ソーマの言葉にヒバリもまた異変を感じていたのか、僅かに通信が途切れる。改めて周囲を確認するが、上空はおろか地中ですら反応は感じられない。

 まるで2人をおびき出す為だけに仕掛けられた様にも感じるからなのか、ソーマはヒバリからの返信を待つよりなかった。通信が切れたまでは良かったが、あの反応は確実に混乱をもたらすのは間違い無い。先程とはうって変わって静まり返った光景に、警戒を切らす事無くソーマは直ぐに行動に移せるように警戒したままだった。

 

 

「ソーマ。何か分かったのか?」

 

「どうやらアナグラのレーダーではここはまだ戦闘中らしい。原因は不明だが、今はその確認中だ」

 

「何だそれ?」

 

「今は確認している最中だろう。少なくとも混乱するのは必至だな」

 

 リンドウもまたソーマの言葉に疑問を持っていた。

 只でさえ簡単に終わった戦闘が、まだ続いていると言われれば疑問だけが残る。リンドウもまた周囲を見渡すもアラガミの気配を感じる事は無かった。

 そんな中で、半ば偶然の様に僅かに何を感じ取ったのはソーマだった。まるでオラクルの残滓とも取れるそれが僅かに感じる。何かを察知したのかを確かめるかの様にすぐにリンドウを見たものの、リンドウは何時もと変わらないままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「テルオミさん。レーダーに異常はありませんでしたか?」

 

「幾らこちらで見ても異常は感じられません。実際に他の戦闘地域を確認しましたが、どれも間違ってはいませんでした」

 

 ソーマからの通信にヒバリは万が一の事を考え、すぐにテルオミにレーダーの状況を確認させていた。

 広域レーダーはアナグラの生命線でもあり、重要な戦術の基本ベースとなる。その為に毎日の点検はおろか、常に異常が無い様に確認されていた。

 事実、アナグラのレーダーまでアラガミが接近する事態であれば誰もが気が付く。それと同時に人為的な物も視野に入れたものの、それもまた空振りに終わっていた。

 

 

「ヒバリ。このまま、あの2人をとどめておくのは勿体無いわ。万が一の事を考えて第1部隊と他の部隊をその場所に移動させて、リンドウ達を他の場所に行かせて。それと、万が一の事も考えて他からの移動をスムーズに行える様に他の部隊も指示して頂戴」

 

 サクヤの言葉にヒバリもまた、似た様な事を考えていた。元々今回の様なケースはこれまでに何度か遭遇している。しかし、肝心のレーダーに映る内容と現地の状況が異なるのは今回が初めてだった。

 勿論、防衛ラインを完全に空白にする訳にも行かない。だとすれば待機中の部隊を動かす事によって戦力を有効活用するよりなかった。

 

 

「分かりました。直ぐに手配をします」

 

 未だ変わらない画面に違和感だけが常に残る。しかし、現状ではこのままにする訳にも行かない為に、ヒバリもまたソーマ達に指示を飛ばしていた。

 

 

「あれ?これは……」

 

 混乱したアナグラのオペレーターの中で、不意に気が付いた事があった。

 先程まで現地とレーダーに違いがあったはずの画面は気が付けば全て消え去っている。

 勿論、レーダーそのものが故障している可能性は否定出来ないが、少なくとも現状は復旧した様にも見えていた。

 

 違和感すら感じないそれは、今初めて画面を見た人間からすれば何故これ程まで混乱しているのかすら疑う物だった。

 そんな中、ウララが視界の端に捉えたのは偶然だった。夥しい程の光点があったはずの画面は既に元に戻った様にも見えたが、問題なのはその過程だった。

 ウララも指示を出す中で、視界にとらえたのは光点がぼんやりと薄まったかの様に見えた途端、瞬時に消え去った事だった。

 少なくともこれまでの経験の中で光点が消えるのはアラガミのオラクル反応が完全に途切れた時だけ。即ち討伐した時だけだった。

 しかし、ボンヤリとしたまま消え去ったそれは、まるで自然に消え去った様にも見える。

 これが通常であれば何らかの現象が起こったのだとも予測出来たが、生憎と混乱した今の状況下ではその検証をする暇すら無かった。

 次々と飛ばす指示にウララもまた通信先の状況を伝えている。めぐるましく動く数値に集中したからなのか、先程の光景を確認する事なくそのまま流していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗。どうやら思ったよりも状況は悪いみたいだね」

 

「まさかとは思ったんですが、今からブラッドが移動しても間に合わないかもしれませんね」

 

 エイジの言葉に北斗もまた同じ事を考えていた。第一陣の向こう側に見えるのは、今回の大元かもしれない、一頭のアラガミだった。純白とも取れる毛並みは明らかに通常の種に比べれば巨躯の様にも見える。少なくともここ最近のミッションの中で目に留まる事は早々無かった。ある意味ではブラッドの大きな変化をもたらした存在。感応種でもあるマルドゥークが、威嚇するかの様に大きな遠吠えをしていた。

 

 

「ヒバリさん。第一陣の後方にマルドゥークが見える。少なくともこれまでの種に比べて全体的に大きい。恐らくは変異種の可能性が高い」

 

《了解しました。ですが、現状は周囲の部隊も動く事は困難です。指示は出していますが、少し到着に時間がかかります》

 

「了解。それと、こっちは北斗が居るから感応種でも大丈夫。それと同時に、偏食場パルスの計測しておいてほしい」

 

《既に準備は始めています。ですが、今はリンクサポートは第1部隊の下に運んでいます。データの観測は出来ますので、基本的な交戦はそのままでお願いします》

 

 エイジの言葉の意図が分かったからなのか、ヒバリもまた同じ様に対応していた。

 元々感応種に関してはブラッドかリンクサポートシステムを起動させるのが本来のやり方だった。しかし、ブラッドの場合は各自が交戦出来ても他の人間は行動が制限されてしまう。その為にリンクサポートシステムを併用するのはある意味当然だった。

 しかし、現時点でリンクサポートシステムを十全に運用出来ている訳では無い。だからと言って、それを権限譲渡だけさせるのも困難だった。

 その為に北斗の『喚起』の能力を活かし、同党レベルの状況を作り出す。そうなれば通常のゴッドイーターの天敵でもある感応種もまたこれまでのアラガミと同じ様に攻撃が可能となっていた。

 事実上の虎の子でもあるリンクサポートシステムは未だ完全に作動する個体の数はそう多く無い。それを考えた末の言葉だった。 

 

 

「了解。これから交戦に入る」

 

《大丈夫かとは思いますがご武運を》

 

 ヒバリとのの通信が切れる。既に肉眼でも見える距離にお互いの視線がぶつかった様にも見えていた。本来であれば4人1チームでも厳しい戦いを要求っされるマルドゥーク戦。本来であれば不利なはずの戦いはどちらが優勢だとも言えない程の戦いが始まろうとしていた。

 

 

                                      



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第108話(幕外) 変異種

 アラガミの大群の中にまるで切り取ったかの様にマルドゥークはそびえ立っていた。

 通常の個体に比べれば、その体躯は一回り大きい。本来であれば1チームが事前に完全に装備を備えた状態で戦うのが好ましい個体だった。

 

 極東に感応種が現れてから、それ程時間が経過した訳では無い。しかし、このマルドゥークと言う種に関してだけはブラッドの中では未だに因縁とも取れるべき内容なのは間違い無かった。

 今でこそ、それ程話題には上らなくなったが、それでも尚ブラッド全員の中では特別な存在。そんなアラガミと対峙しているからなのか、北斗は人知れず神機を握る力が強くなっていた。

 

 

「北斗。入れ込み過ぎは良くないよ」

 

「すみません。ですが、何度あれを見ても力がつい入るので……」

 

 現在地点の高低差を活かしているからなのか、アラガミはまだこちらに気が付いていなかった。

 実際に、この人数で全部の個体を討伐するのは流石に無理が生じる。当然ながら少ない労力で何とかする戦略が必要だった。

 見た限りマルドゥークは大群の後方から移動している様にも見える。そうなれば少なくともある程度アラガミの大群の意識をどこかに向ける必要があった。

 

 

「気持ちは分かるけど、冷静さを失ったら次に落ちるのは自分の命だ。感情的になるなとは言わないけど、少なくともせ冷静な対応が必要になるから」

 

 エイジの言葉に北斗は改めて大きく深呼吸していた。いつかどこかで聞いた様な話。北斗にそんな事を言いながらエイジはその当時の事を思い出していた。

 

 

「ブラッドとマルドゥークは因縁があるのは知ってるつもりだけど、少なくとも今回は2人で対応する事になるんだ。後からは派遣されるみたいだけど、それでも冷静に戦う事に変わりないよ」

 

「そうですね。すみませんでした」

 

 エイジの言葉に北斗も漸く冷静さを取り戻していた。

 元々の個体は当の前に討伐が完了している。実際にアラガミは霧散した時点でその個体の能力が継続される事は殆ど無かった。

 あの当時に戦ったマルドゥークは狡猾さを持っていた。しかし、アラガミの固有能力ではなく、どちらかと言えば個体差でしかない。当然ながらそれが継承される事実はこれまでに確認されていなかった。

 そんな中で当時の記憶が蘇る。完全に達観した訳では無いが、少なくとも折り合いだけは確実に自分の中でつけていたつもりだった。

 改めて見るマルドゥークに北斗の心の中の何かがざらついた様に感じている。今はエイジが言うように冷静になる事が先決だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エリナ。絶対に無茶だけはするな。引くべき時は絶対に引けよ」

 

「了解です」

 

「俺がアラガミを誘導するから、エミールは止めを刺すんだ。今回のこれは何時もとは違う。俺達が最終防衛ラインだと思ってやるんだ」

 

「我が騎士道に負けはない!」

 

「いや、だから、無理はするなって……」

 

 コウタ達第1部隊もまた、迫り来るアラガミの情報を常に確認しがら、それぞれが最適な陣形を整えていた。

 今回の様なケースはこれまでにも何度かあったが、基本的には第1部隊はアナグラの最終防衛ラインの手前に配置される事が多い。

 実際に討ち漏らした物は防衛班が完全にシャットアウトするのが今の戦術の流れだった。コウタの耳朶には既にブラッドだけでなくクレイドルもまた交戦を開始しているアナウンスが流れている。

 未だここにアラガミは見えないが、戦場特有の雰囲気だけは伝わっていた。

 

 

「ハルさん。そっちは大丈夫ですか?」

 

《こっちも準備か完了した。あとはアラガミを待つだけだ》

 

「了解です」

 

 今回の布陣で一番の要点はここに来ている外部組の扱いだった。

 元々お客さんの様な扱いではあるが、今回の様なケースでは元々の戦力と同じ様にカウントされている。

 情報の共有と同時に戦力としての情報公開。瞬時に寄せられた情報を元にサクヤはそれぞれの適性を見て配置を決定していた。

 それはコウタだけでなくハルオミも同等だった。

 本来であればコウタが両方の指揮を執るのが筋だが、実際には外部組の心情を優先してハルオミがその任に就いている。

 幾らゴッドイーターが実力主義とは言え、旧型の銃型ではこんな状況でも侮る人間は少なからず出る。僅かな油断が死につながる事を誰もが理解しているからなのか、過去の反省点を踏まえた上での結論だった。

 

 

《コウタさん。そちらにもアラガミが向かい出しました。今の所は気になる様な個体はありませんが、エイジさん達の所で変異種が確認されています。万が一の事もありますので気を付けて下さい》

 

「了解!」

 

 コウタはヒバリからの通信を切ると同時に、周囲の状況を改めて見直していた。

 既に配置についたそれぞれもまた視線は前を向いている。程なくして目視出来る距離にアラガミの姿が見え始めていた。

 

 

 

 

 

「今回の件はちょっと厄介ですね」

 

「何かあったの?」

 

「いえ。実はソーマさん達の報告だと、本来であればかなり強い個体が居たはずなんですが、実際には大した事がなかったんです。事実、レーダーの光点もかなり違ってましたので」

 

 ヒバリの懸念はサクヤも同じだった。

 結果的にレーダーに異常が確認出来ないのであれば、後はその情報を信じて行動するしかない。

 レーダーはあくまでも偏食場パルスを察知し、画面に表示するだけの存在。当然、現地の状況を確認するには当事者から聞くしかなかった。

 それと同時に変異種の存在が更に懐疑的な情報に拍車をかける。変異種に関しては完全にレーダーの索敵でも判断が出来ないままだった。

 

 

「そう言われればそうなんだけど、今はその情報を信じるしかないわね。それよりも今回の外部組の方が少し心配だわ」

 

「そうですね。こちらも常に状況を確認するしかありませんね」

 

 サクヤが言うのは今回の外部組の内容だった。

 一時期に比べれば外部からの派遣の質は大きく変わり出している。

 一番の理由は一度極東に行った人間の討伐の速度とスコアだった。少なくとも極東で慣れると、自分達の所属する支部に戻った際のアラガミのレベルは雲泥の差があった。

 一つ一つの攻撃が致命傷になりがちな極東のアラガミは自分達の支部では出てこない。

 時折高レベルミッションとなる難易度の高さで漸く中堅レベルと同等だった。

 

 当然ながらゴッドイーターの世界は完全実力主義。幾らベテランであっても支部からすればアラガミを大量に討伐する方を優遇するのは当然の流れだった。

 当時はそのたびに小さな衝突が起こる事もあったが、教導によって対アラガミだけでなく対人戦も組み込まれた事によって、結果的にはその実力を体感していた。

 当然そうなれば、新人だけでなく中堅もまた極東に派遣されていく。それが今の極東支部の状況だった。

 元々大規模作戦を経験しないままにゴッドイーターとして終わる事も少なくない。

 これが中堅やベテランであれば多少なりとも対処が出来るが、今回の派遣の内容は大半が新人に近い物だった。

 数人のベテランはいるが、それでも十全に実力を発揮できるのかは分からない。それがサクヤの不安の正体だった。

 

 

 

 

 

「総員、気を抜くな!」

 

 警告を発した事によって周囲のゴッドイーターの緊張が急激に高まっていた。既に目視出来る距離だからなのか、その姿はさながら死をもたらす戦士だった。

 口から漏れる紅蓮の色は既に臨戦態勢の証。それと同時に、この場に於いてこのアラガミと対峙するのは完全なミスマッチだった。

 ハンニバルが疾駆する事でその大きなが如実になっていく。これまで極東に派遣で来た人間は初見だったからなのか、その迫力に戦意は少しづつ削がれていた。

 

 改めて鼓舞するかの様にハルオミが周囲に聞こえる様に声を張り上げる。普段であれば余程の事が無い限り、ハルオミが声を荒らげる事は無かった。

 実際に精神的なゆとりは自身の持つ動きを代々現に高める。しかし、ハンニバルを初めて見た人間は僅かに恐怖を感じ取っていた。

 

 

「コウタ、こっちに来れるか?」

 

《何が出たんですか?》

 

「ハンニバルだ。しかもこっちは対策をしていない人間ばっかりなんでな。厳しいとは思うが頼む」

 

 通信機越しとは言え、コウタ達がどんな状況になるのかはハルオミを知っていた。

 実際に防衛の最先端で出来る限り殲滅を担当しているのは第1部隊を中心とした複数の部隊。

 コウタはそこで実質的な指揮を執っていた。

 少ない人数で対処する為には実力も去る事ながら物事の全体を俯瞰で見る目が必要となってくる。

 実際に第1部隊ではコウタがその役割を果たしていた。旧型神機使いの中でも銃型であれば、無駄撃ちを避け、常に効率よく攻撃する必要が出てくる。

 元々コウタはそんな資質は持っていない。まだクレイドルが第1部隊だった頃にその動きを少しづつ学び、自身の力を昇華させることに成功したからこそ今があった。

 

 見た限りではこれまでの第1部隊の中では火力が足りない事は極東の古参なら誰もが知っている。しかし、その火力不足を補う為にコウタが自身が努力した結果だった。

 エリナにしてもエミールにしても階級以上の実力は多分にある。しかし、それが必ずしも戦果に繋がる訳では無い。

 適材適所。コウタが采配する事によって火力不足をおぎなって来た証だった。

 しかし、それ以上にハルオミは要る部隊は火力ではなく経験が足りなかった。

 ハルオミ以外で恐らくまともに動く事が出来るのはカノンとアランの2人だけ。ハンニバルへの視線を僅かに切って周囲を見れば、既に勢いは無くなりつつあった。

 事実上の恐慌状態。そうなれば当然その結末は予測出来る。ハルオミだけでは難しいと判断した結果だった。

 

 

《了解です。ですが、こっちもまだ時間がかかりそうなんですけど、大丈夫ですか?》

 

「任せておけと言いたい所だがな………」

 

 コウタの声を聞きながらもハルオミもまた当時の状況を思い出していた。

 実際にハンニバルと対峙する場合、現時点では上等兵以下は即スタングレネード使用後に撤退が推奨されている。

 それは偏に神機のミスマッチやハンニバルの細胞対策をしていない事が起因されていた。

 実際に命をかけて討伐した後に5分と立たず復活されれば戦線は崩壊する。

 ハルオミもまた事前に調べていたからこそ冷静に対処出来ただけだった。

 理論上は派遣されている人間は全員が曹長以上。だとすればハンニバルとの交戦は止む無しだった。

 

 

 

 

 

「くそっ!極東はこんなのばっかりかよ」

 

「もう少し辛抱してくれ。援軍を呼んだ!」

 

「できるだけ早く頼む!」

 

 アランは珍しく悪態をつきながら交戦を開始していた。

 一番の理由は未経験による攻撃能力の把握だった。

 イタリア支部ではハンニバルとの交戦経験はこれまでに一度も無かった。事実、イタリア支部で交戦経験があったのは現第2部隊長でもフェデリコ・カルーゾただ一人。

 しかも極東でまだ研修中に偶然交戦しただけだった。

 当時のフェデリコと今のフェデリコでは、当然ゴッドイーターとしての経験は段違いになっている。

 しかし、これまでにイタリア支部では交戦していない以上、今戦えばどうなるのかは大よそながらに想像出来ていた。

 アランも多少なりとも極東に行く際に話しはしたものの、やはり聞くと実戦ではまるっきり違っていた。

 

 アラガミ特有の膂力でアランの展開する盾を激しく殴打する。タワーシールドが幸いした事で直撃は避ける事が出来たが、それでもその衝撃はそのまま地面に二本の溝を作る勢いだった。

 ハルオミの声にアランもまた声を出す事無く全身の力で攻撃を防ぐ。これがスモールシールドであれば、自身の躯体は容易く宙を浮く程だった。

 

 

「ハルさん!」

 

 カノンの忠告とも取れる言葉にハルオミはハンニバルの影に隠れるかの様に現れたヴァジュラテイルを一刀の下に斬り捨てる。

 戦っているのはハンニバルだけではない。僅かな油断は死を誘う。ハンニバルが出現した事によって、既に苛烈な環境へと変化しつつあった。

 

 

「悪いなカノン」

 

「いえ。それよりも今は目の前に集中しないと」

 

 既にカノンは数度のオラクルリザーブを経て、神機にはかなりのオラクルが凝縮されていた。

 ブラスト型特有のオラクルリザーブは、バレットエディットを通じてこれまでに無い破壊力のバレットを撃ち込む事が可能となっている。それはブラッドだけに留まる話ではない。実際に銃形態がどれ程のアドバンテージを誇るのかは、極東の人間であれば打もが理解している。

 既にヴェンズガーリーは何時でも射出可能な状態へと変化していた。既に経験しているからなのか、それともこれから起こるでであろう凄惨な未来を察知したからなのか、ハルオミの顔は真っ青に変化していた。

 

 

「カノン。まさかとは思うが……」

 

「何を言ってるんですか。当然じゃないですか。折角のブラストなんですから」

 

「アラン!退避だ!死にたくなかったから射線を開けろ!」

 

 未来を予知したかの様にハルオミの怒声がアランへと届く。

 アランもまた何かを感じ取っていたからなのか、戸惑う事は無かった。

 まるで予定調和の様に素早く横に避けた瞬間、これまで感じた事が無い程の衝撃が大気を震わしていた。

 爆発に近い音と同時に着弾したからなのか、衝撃波が後からやってくる。

 本来でれば近接攻撃中にアラガミから視線を外すのはあり得ない行為だった。

 大よそながらにその発生の原因とも言えるカノンに視線を移す。既にカノンの表情は何時ものホワンとしたものから、どこか怪しげな表情に変貌していた。

 

 

「ははっ。不様ね」

 

 アランはカノンの変貌に驚きながらも先程の攻撃の内容を理解していた。

 カノンが持つヴェンズガーリーの銃口からは膨大な熱量を発したかの様に湯気の様な何かが出ている。これが通常の火薬を用いた銃であれば分かるが、少なくとも神機からそんな物が出るとは思ってもいなかった。

 

 音の大きさからかなりの高威力である事に間違いは無い。そんな経験があるからこそ、幾らハンニバルと言えど無事では無い事だけは理解していた。

 改めてハンニバルへと視線を動かす。既にハンニバルは衝撃のあまり右腕は完全に吹っ飛んだからなのか、肩口から先が完全に消滅していた。

 

 

「今だ。ここで勝負を決めろ!」

 

 先程の威力にハンニバルは既に横たわっていた。

 こんなチャンスを見逃す程、ゴッドイーターは甘くない。ハルオミの声にアランは直ぐに意識を取り戻していた。

 渾身の一撃を与えるべくバスター型神機を上段へと持って行く。闇色のオーラは既にチャージクラッシュをいつでも放てる状況だった。

 渾身の一撃はそのままハンニバルの頭部に直撃する。完全に横たわった頭部はアランの格好の的だった。

 

 

 

 

 

「あれ、もう倒したんですか?これって変異種ですよね」

 

「まぁ、カノンがちょっとだけやらかしんたんでな」

 

「……あれって、そうなんですよね?」

 

「そうだな。今までの中で一番ヤバいって感じたな」

 

 コウタが驚くのも無理は無かった。カノンの放った一撃は完全にハンニバルの肉体を破壊していた。

 本来であればこんなに簡単に倒せる相手ではない。

 しかも変異種となればその脅威度は段違いに高く、これまでにコウタ自身も何度か対峙した事があったが、どのアラガミも厳しい戦いだった記憶しか無かった。

 災厄とも言える変異種は個体によってその違いは統一されていない。

 変異種に関しては、まだこれからの調査が引き続き必要になるのが通例だった。

 黒い咢が大きく開く。そのままハンニバルのコアを抜き取った瞬間、狙い済ましたかの様に一体のアラガミがこの地に舞い降りていた。

 

 

「あれは……ハルさんスタングレネードを!」

 

 舞い降りたのは一体のシユウ。本来であればコウタが焦る必要はなかった。

 偶然にもこの場に居たのはコウタ達第1部隊と第4部隊とアランだけ。

 その正体が何なのかを正確に理解してたのはコウタだけだった。

 コウタの叫びにハルオミもまたシユウへと視線を動かす。僅かに逡巡した瞬間、声なき咆哮が周囲一帯に響き渡った。

 

 

「おい、神機が動かねぇぞ!」

 

「くそっ。ここで感応種かよ!」

 

 本来のシユウには無いはずの赤い触手の様な器官を持つのは感応種の証。

 これまでにコウタだけでなくハルオミもまたその特徴だけは事前に知っていた。

 それと同時に何も知らないアランは驚愕する。

 先程までは自身の手足の様に動いたそれは、まるで死んだかの様にピクリとも動く事は無かった。狙いすましたかの様に翼手にはエネルギーが集中していく。

 誰もが回避だけを余儀なくされていた。

 

 翼手から放たれたエネルギー弾はアランへと襲い掛かる。何時もの癖で盾を展開しようとするも、神機が反応する事は無かった。

 迫り来る攻撃。今の状況で出来るのはバスターの刃で身を護る事だけだった。

 

 

「アラン!それは無茶だ!」

 

 ハルオミの声が響く。アランとて無茶であることは百も承知だった。仮に刃が折れたとしても出来る事はそれしかない。まさか神機を放り投げる訳にはいかないと、半ば無意識の行動だった。

 

 

「ぐわぁああああ!」

 

 容赦ない衝撃はそのまま襲い掛かっていた。

 ギリギリ持ち堪えたまでは良かったが、刃の根本には僅かに亀裂が走っている。

 次の攻撃を食らえば待っているのは自身の死だった。

 

 吹き飛ばされながらもこれからの行動を考える。しかし、これまでに感応種の言葉は聞いたものの、実際に対峙した事がなかったアランには次の行動をどうすれば良いのかが分からないままだった。

 ゆっくりと聞こえる死神の足音。今のアランにはなす術も無かった。

 

 

「スタングレネード行きます!」

 

 突如として聞こえた声に、その場にいた全員が無意識の内に目を閉じる。瞬時に聞こえた音と同時に白い闇が周囲に漂っていた。

 閃光をまともに見たシユウは既に視覚を失っている。

 その瞬間、僅かに聞こえたのは斬撃の音とシユウの悲鳴だった。

 

 極東の中で一番の脅威でもある感応種の中でも、事実上の原始の存在でもあるシユウ感応種は、これまでにブラッドが来るまでに一番の脅威となっていた。

 如何に強靭な肉体と身体能力を誇るゴッドイーターと言えど、生身でアラガミ対峙する事は無い。

 仮に出来たとしても一時的な時間稼ぎしか出来ず、結果的には退却するまでの時間稼ぎしか出来なかった。

 しかし、この種だけに関してはその後の調査の結果、致命的な弱点があった。

 異常な偏食場パルスを発生させるのは赤い触手の様な物を失わせる事。即ち、スタングレネードからの一連の流れが確立していた。

 女の声に、誰もが理解を示している。だからなのか、白い闇が晴れた後に残るのは既に偏食場パルスを発生させる事が出来なくなったシユウだけだった。

 

 

 



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第109話(幕外) それぞれの対処

 感応種たらしめたシユウは既に通常種と同じだと悟ってからの行動は迅速だった。

 実際にシユウ感応種は他の感応種に比べればその能力は数段落ちる。触手を斬られた事によって、全員の神機は通常の状態へと戻っていた。

 再びを息を吹き返した事により、再度ゴッドイーター達の士気が一気に上昇する。そんなゴッドイーターの前にシユウはなす術もなく討伐されていた。

 

 

「助かったよアリサ。でも、他の部隊は良かったのか?」

 

「私が知る中では問題無いはずです。既に一陣のアラガミの数はそれ程多く無いですから。ですが……」

 

「犠牲者が出るのは今更だ。気持ちは分かるが、今はそれ所じゃないさ。とにかく陣形を立て直す方が先決だろ?」

 

「そうですね」

 

 アリサの様子に犠牲者出た事は間違い無かった。実際にこれ程の数のアラガミが襲い掛かった際には少なからず犠牲者は出る。

 幾ら鍛え上げたゴッドイーターと言えど、数の暴力の前には無力だった。

 アリサの様に隔絶した実力があれば話は変わるかもしれない。しかし、全員が等しく同じだけの実力が無い以上、今は気持ちを切り替えるより無かった。

 ハルオミの言葉にアリサもまた何時もの様に戻り出す。そんなアリサを見たからなのか、コウタは改めてアナグラに通信を繋ぐと同時に現状を確認していた。

 

 

「俺達はまだここに残るが、アリサはどうする?エイジ達は今、丁度一陣と二陣の中間地点でマルドゥークと交戦中らしい。今はエイジと北斗だけだけど、リンドウさんとソーマも向かってるみたいだって」

 

「だったら、今は他の部隊もここに集める方が効率が良いかもしれませんね」

 

 コウタからの言葉にアリサは改めて状況を確認していた。

 通信機越しに聞こえる作戦群は事実上のオープンチャンネルになっている部分とその周辺用のクローズの状況に分かれていた。

 この場では分からないが、今の段階でオペレーターからの情報は概要しか確認できない。

 数少ないオペレーターの割り振りはヒバリが責任をもってやっていた。

 事実、この場のクローズの情報は一切流れてこない。それは偏にこの場よりも厳しい戦いを余儀なくされている戦場がある証拠だった。

 概要を聞く限り、今は少しだけ疲労を癒す時間がある。アリサもまたここから移動して戦場を渡るのは愚策だと判断したからなのか、自分のポーチの中から出したアンプルを口にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 轟音を立てながら飛来する火炎の飛礫は、防御ではなく回避を選択する以外の方法を選ぶ事は無かった。

 既に時間はどれ程経過したのかが分からないが、少なくともマルドゥークと対峙した2人のゴッドイーターには、ダメージを負った部分はどこにも無かった。

 本来であれば4人で討伐するそれを2人でやる。だとすれば、おのずと執れる戦術は一撃必殺の近接戦闘か一撃離脱のどちらかだった。

 回避した火炎の飛礫は岩肌に着弾した後、激しい音をたて岩壁を削り取る。既に数発のそれを回避したからなのか、周囲にはいくつもの損壊した岩壁があった。

 

 

「北斗。そろそろリンドウさんとソーマが合流する事になるから、それまでは様子を見ながら回避を優先しよう」

 

「了解です」

 

 一撃離脱を選択したからなのか、2人は常に一定上の距離を開けながらマルドゥークと対峙していた。

 大きく跳躍した際にはまるで周囲を巻き込むかの様に火炎旋風の様な物が巻き起こる。本来であればこれほど異常な攻撃を通常種がする事は無かった。

 元々の段階から体躯が一回り大きい。それを確認したからなのか、2人は特攻に近い攻撃をする事なく周囲を状況を確認しながら行動を続けていた。

 幾ら超人的な能力がろうともアラガミから見た人類は余りにも脆弱だった。

 実際に防御で盾を展開する事によって回避ではなく防ぐ事は可能となっている。しかし、丸腰のままで挑めばどうなるのかは考えるまでもなかった。

 そう考えるからこそ、回避出来るのであれば回避し続ける。幾ら神機と言えど、無限の力がある訳では無い事を理解していた。

 

 

《エイジさん。現在ソーマさんとリンドウさんがそちらに移動を開始しています。このままであれば到着予定時刻は約300秒です》

 

 回避を続けるエイジの耳朶にフランからの通信が響いていた。

 実際に移動を開始したと言っても、あくまでも予定にしか過ぎない。仮にここから反転攻勢をかけるのも危険だと判断したからなのか、回避行動が終わる事は無かった。

 幾ら単独での戦闘能力があったとしても過信はしない。これは戦争ではなく、あくまでも狩りと同じだからと、当人が来るまでは変わらない方針を貫いていた。

 

 

「周囲の状況はどうなってる?」

 

《現時点では半径500メートルにアラガミの姿はありません。ですが、マルドゥークが吠えた場合は予期できません》

 

 エイジの質問にフランもまた端的に回答を出していた。

 マルドゥークそのものと戦うだけであれば、それ程脅威にはなりえない。しかし、咆哮によって周囲のアラガミを呼び寄せる場合が厄介だった。

 ハッキリと明言した訳では無いが、アラガミの中にも序列があるのではとの研究が現段階でされていた。

 

 事実、アナグラがゴッドイーターに依頼を出す際に、明確な基準が存在する。

 詳しい理論は不明だが、アラガミが発する偏食場パルスからその強度を図る事によって、ミッションの難易度が設定されていた。

 しかし、変異種の場合はその限りでは無かった。実際には探知できる偏食場パルス以上の能力を有する事から、想定以上のランクである事は間違い無い。事実、変異種と対峙して生き残れるゴッドイーターは数える程だった。

 当然ながら一人のゴッドイーターが出来る事には限界がある。それを考えればマルドゥークが如何に厄介なアラガミなのかが誰の目にも明らかだった。

 

 ランク付けは不明でも実際には厳しい戦いが要求される。ロミオを襲ったマルドゥークの際にも、周囲を取り囲んだアラガミはフェンリルがランク付けする以上のアラガミだった。

 今回に限って言えば、対峙するマルドゥークは明らかに高位の存在。だとすれば自分と北斗だけでは荷が重いと判断した結果だった。

 それと同時に周囲への被害を拡大させないように配慮する。フランからの言葉に、エイジは少しだけ大胆に動く事を決めていた。

 

 

「半径に居ないとなれば、これまでの予測から咆哮時に接近するにはどれ位の時間が予測される?」

 

《誤差はあるかと思いますが、想定で400秒から500秒前後かと》

 

「了解。これより、少しだけ行動に移す」

 

《了解しました。無理の無い範囲でお願いします》

 

 戦闘中だからなのか、エイジの言葉尻は冷たい物だった。

 実際に戦闘の最中まで相手に気を配れば、待っているのは自身の死。フランも当初は驚いたが、今ではそれに馴染んでいた。

 改めてエイジはマルドゥークと対峙する。お互いの視線が瞬時に交わったかと思われていた。

 

 

「北斗。援護を頼むよ」

 

「了解です」

 

 お互いの距離はそれ程離れてはいなかった。

 実際に目視でもマルドゥークの体躯は巨大なまま。それ程距離が離れていない証拠だった。

 お互いがまるで事前の示したかの様に一気に飛び出す。疾駆する巨体は周囲に地響きをもたらしながら、その距離を詰めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カノンさん、無理はしないでください」

 

「は、はい。分かりました」

 

 ハンニバル変異種との戦闘はカノンにとっては大殊勲ではあったが、その代償はあまりにも大きすぎていた。

 オラクルリザーブを解禁してからのカノンはこれまでに無い程にバレットエディットに対し、真摯に向き合っていた。

 誤射する事が致命的なのは自分でも理解している。本来であればいかに誤射しない様にするにはと考えるが、カノンはそんな考えは微塵も無かった。

 誤射するのが嫌なら、最初からチマチマせず一気に仕留めた方が効率的で、安全のはず。その根拠の無い自信が全てだった。

 アナグラの中でもブラストを好んでい使用する人間はこれまでにも何人も存在している。そして、漏れなくその全員がオラクルリザーブを使いこなしてた。

 

 元々第二世代型の神機使いは仮にオラクルが枯渇したとしても剣形態での戦闘を可能としている。それ故に、それ程火力に関しては価値を見出そうとしていなかった。

 しかし、カノンに関してはその事情は適用されていない。

 ハルオミからオラクルリザーブを神機との相性の下に封印され、つい最近まではそのままの運用をこなしていた。

 回復系のバレットを使用する事によって以前に比べれば多少はマシにはなったものの、やはりブラストが誇る高火力の威力を封印したままでの戦闘は他の人間にも影響を与えていた。

 実際に火力に関してはカノンの一撃は致命的な隙を作るには持って来いではあったが、高難易度ミッションになると、徐々に火力不足が露呈していた。

 当然ながらアラガミの攻撃を受けた人間を回復しながら攻撃をするにしてもどちらも中途半端でしかない。そんな思いを持ちながらミッションに挑んでいた。

 

 そんなカノンにも転機がついに訪れていた。

 些細な事からオラクルリザーブが解禁された。それは偏にこれまに無い高火力のバレットを作る事によって一気に殲滅を狙う事が可能になった証。

 封印が解除されてからのカノンはシエルに頼み込む事によって独自のバレットを生み出していた。

 その威力によってハンニバル変異種の篭手はおろか、片腕一本を跡形もなく吹き飛ばしていた。

 それと同時に相棒とも言えるスヴェンガーリーの銃身が威力と熱量で歪む。

 この時点で発射は出来るがまともに狙う事は不可能となっていた。だからこそアリサの指示に素直に従う。折角対等になれるのであれば、この場は大人しくした方が良いと判断したに過ぎなかった。

 

 

「アランさん。先程の攻撃で神機の刃を盾代わりにしたみたいですけど、大丈夫ですか?」

 

「ああ。恐らくは大丈夫だろう」

 

 アリサの言葉にアランもまた考える事無くそのまま返事をしていた。

 本来であればもっと神機を注意深く見る必要があった。

 しかし、想定外の感応種の存在はそんな冷静さを一瞬にして奪い去る。如何にベテランとは言え、戦場の真っただ中で神機が動かない経験をする事はこれまでに一度も無かった。

 当然ながらアリサが放ったスタングレネードが無ければアランの命は完全に消し飛んでいたはず。そんな九死に一生を得る様な出来事にアランもまた迂闊に返事をするしかなかった。

 

 

「でしたらハルさん、アランさんと一緒にこのアラガミを始末しましょう」

 

「そうだな。このまま感応種を活かす道理はないみたいだしな。アランも行けるか?」

 

「ああ。さっきは驚いたが、今はもう大丈夫だ」

 

 アリサの言葉にハルオミだけでなくアランもまた何時もと同じ様に平常心に戻る。幾ら感応種としての器官を斬捨てたと言えど油断する事は無かった。

 先程までの攻撃でシユウはまだ動きぎこちなさが残っている。この最大の隙を逃す必要は何処にも無かった。

 3人がそれぞれ多方向から一気に距離を詰める。その地に響いたのはシユウの断末魔とも取れる絶叫だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マルドゥークの攻撃を嘲笑うかの様にエイジはステップを踏みながらマルドゥークとすれ違うかの様に剣閃を疾らせていた。

 瞬時に叩きこまれた剣閃は鈍い光を発しながらマルドゥークの鼻面を切り裂く。

 幾らアラガミと言えど、生物を模倣しているからなのか、痛みを感じながら大きく怯んでいた。

 如何に強靭な肉体を誇るアラガミと言えど、弱点の部分は存在する。お互いの距離を詰めながらもエイジは一人冷静に目的の部分に視線を集注していた。

 弱点の部分であればそれ程大きな力を必要とはしない。

 勝算があるからこそ、迷いを持つ様な事はなかった。

 残心とも取れるエイジの姿を他所に北斗の目に映ったのは血飛沫をあげ痛みに怯むマルドゥークの姿。これが通常のアラガミであれば確実に追撃する場面だった。

 

 

「北斗。油断するな!」

 

 エイジの言葉に北斗は動く事はせず、そのままマルドゥークを見るだけにとどまっていた。

 それと同時に、少しだけ疑問もあった。少なくとも北斗の知るエイジの考えは、殲滅しようと思えば可能なはず。にも拘わらず追撃は愚か、自分が動く事も止めていた。

 疑問だけが次々と浮かんでいく。それを理解するには余りにも材料が少なすぎていた。

 気が付けばマルドゥークは怒りに染まった視線をこちらへと向かわせる。この時点で咆哮は無いとエイジだけでなく、北斗もまた同じ判断していた。

 

 

「もう直ぐリンドウさんとソーマが来る。到着後一気に仕留める」

 

「このままでも……」

 

「まだデータが揃わないんだ」

 

 エイジの言葉に北斗の疑問は全て氷解していた。

 本来であれば北斗と行動すれば感応種特有の神機の操作不全は完全に停止する。そうなればエイジの攻撃能力からすればマルドゥークそのものは然程大きな問題にならないであろうことは理解していた。

 それと同時に先程のエイジの言葉。恐らくは変異種であると判断した為の偏食場パルスのカウンター用のデータ採取を優先した結果だった。

 フランに確認したのもリンドウとソーマが間に合うのかを確認しただけの話。最悪の展開まで判断した結果だった。

 

 時間を天秤にかけた事によってこちらの状況を優位に持って行く。それだけでなく、変異種のデータまでも取る事を同時にしていた事実に北斗は少しだけ自己嫌悪していた。

 本来であれば感応種のデータはブラッドに与えられた任務の一つ。これが単体で現れたのであれば北斗も間違い無くその内容を遂行したに違いなかった。

 しかし、今回のこれは明らかに厳しい状況。ここでゆっくりとすれば、他のチームにも犠牲が出るのは確実だった。

 その意味を理解しながら実行できるのかと言えば、素直に頷く事が出来ない。北斗は自分の視野の狭さを悔いていた。

 

 

「北斗の気持ちは分からないでもないけど、少しは仲間の事を信用してみたらどう?僕らは普通の人間よりも力は強いかもしれないけど、それだけだ。身体は一つしかない。だったらもう少し信用すると良いよ」

 

 距離が離れた事によってエイジの口調は何時もの様になっていた。

 実際にマルドゥークに攻撃を仕掛けた事によって次にどんな行動を起こすのかは誰にもわからない。それはエイジにも同じ事が言えていた。

 仮に咆哮が出れば即時間引く必要がある。特に今回に関しては周囲に呼ばれれば行動出来るアラガミの数は多い。だからこそ慎重になりながらも大胆な行動になっていた。

 気が付けばマルドゥークは突進するかの様に態勢が前のめりになっている。誰がどう見て咆哮の可能性は皆無だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一陣の後方でエイジさんと北斗さんがマルドゥークと交戦しました」

 

「ウララ、すぐに偏食場パルスの計測を開始して。テルオミはアリサ達のサポート。それと、アラガミの状況を確認して頂戴」

 

 戦場で交戦が開始すると同時に、アナグラもまた違う意味での戦場が始まっていた。

 一番の問題でもあるアラガミの集団はどんな行動を起こすのかを判断する事が出来ない。通常のミッションの様に少数だった場合は、これまでの状況から大よそながらに行動を読む事は出来たが、今回の様に大量発生した場合はその行動を読む事は不可能だった。

 

 本来アラガミが群れをなして行動するケースは極めて少ない。これが一生物として考えればあり得ない事実ではあるが、こうまで種族がバラバラの場合はその限りでは無かった。

 アラガミの捕喰欲求とも言える本能がアラガミの行動原理。多少の知恵がついたとしても自分達を捕喰する物と同じ行動をする事は無いはずだった。

 しかし、詳細を確認するにつれ、一塊の部隊の様に動いている。それは純粋に今回の大群を発生させる以上の上位種の存在がある事だった。

 未だレーダーにも捉える事が出来ない為に確証は無い。だからと言って何の指示も出さないままであれば幾らゴッドイーターと言えど、犠牲者が大量に出るのは当然だった。

 

 指揮を執るサクヤもまた一旦は深みにはまる事を押し殺し、次々と指示を飛ばしていく。

 サクヤ自身もまた戦場には長きに身を置いたからなのか、逡巡する事は死につながる事を理解していた。

 指示を出しながらもデータを映し出す画面から視線を外す事は一度も無い。気が付けば幾つかの戦闘が終了した事によって、その残存戦力を他の場所へと割り振る必要があった。

 アラガミを駆逐しながらデータ採取も並行して行う。それはエイジだけでなく自身の夫でもあるリンドウの戦闘力を確実に把握しているからこその指示に誰もが疑問を持つ事無く、そのまま戦場のゴッドイーター達に指示を飛ばしていた。

 次々と激しく変動するバイタルの数値は苦戦の証。本来であればクレイドルを他の戦場に分配する方がと考えた案も厳しい状況に、サクヤは誰にも聞こえない程度の声に溜息と落としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ソーマ、エイジ達の状況はどうなってる?」

 

「現時点では交戦中らしい。恐らくは周囲の状況を把握したからだろうな」

 

「らしい行動だな」

 

 ソーマの回答にリンドウは苦笑を浮かべながらも操作するハンドルが止まる事はなかった。

 せわしなく修正すると同時に周囲の状況も把握する。悪路故に、会話はすれど実際にはそれ程の余裕は無かった。

 交戦の相手はマルドゥーク。感応種であはあるものの、北斗と共に戦っている為に、神機の動作不全は考えていなかった。実際に感応種に対するブラッドはあくまでも偏食因子が異なるが故に当てられているに過ぎない。確かに世界を掬った英雄ではあるが、混戦時の指示や判断はクレイドルに分があった。

 少なくとも今回の様な襲撃は片手以上の数に及ぶ。その結果、必然的にそのノウハウが構築されていた。そんなクレイドルの中で一番の戦闘力を誇る人間が判断した以上、そこには何らかの意志がある事は間違い無かった。車のフロントガラスにはリンドウとソーマの顔が照らし出されている。その表情には焦りは何処にも無かった。

 

 

 



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第110話(幕外) 新種との戦い

 紅蓮の炎をたゆさせながら、マルドゥークは自身の前足の下を高温にすることによって溶岩の様に大地を熱していた。

 元々飛礫を飛ばしたり、接近した場面ではその溶岩を攻撃に使用する。これがマルドゥークが行う一連の行動だった。

 幾ら変異種で知能が高いとは言っても、周囲には岩壁しか無く、まだそれ以外の遮蔽物が何もない。そうなれば幾ら巨大な火炎飛礫を作ったととしても、態々当たる必要性は何処にも無かった。

 広大な場所を活かすかの様に巨大なそれをヒラリと躱す。既に何度目なのかすら分からない状況にマルドゥークは徐々に苛立ち始めていた。

 

 

「北斗。時間的にはリンドウさんもソーマも間に合う。ここで最後のデータ採集の為に一度咆哮させようかと思うんだ」

 

「そうですね。実際にはあらかたデータの採取も終わったみたいですから、間に合うなら最後のデータも絞り尽くした方が良いですね」

 

 エイジと北斗の視界に入るマルドゥークは既に幾つもの斬り傷が出来ているからなのか、純白の毛皮は所々赤く染まっていた。

 実際にアラガミの生体は完全に解明された訳では無い。大よその研究はされてはいたが、未だ決定打とも言える発表は一度たりともされていなかった。

 オラクル細胞学の事実上の権威とも言える榊でさえも、進化の速度が速いオラクル細胞には常に後手後手に回る。仮に何かしらの対処が可能であれば、当の前に感応種の対策がされているからだった。

 

 オラクル細胞は色々な意味で進化しすぎていた。一番の要因は限りなく生物に近づく為に、尋常ではない回復でさえ間に合わなくなった場合、生物と同じ様な現象が起こる。

 回復する必要はあるが、戦闘中が故に回復に専念する事は出来ない。ましてや戦闘にも多大なリソースを必要とするのはゴッドイーターだけでなくアラガミもまた同じだった。

 その結果、これまで自身がため込んだオラクルリソースを完全に使い切る。

 そうなれば当然ダメージは一切回復しない。その結果として血を撒き散らすかの様にしながらファンブルしていた。

 

 只でさえ厳しい戦いを強いられる相手にとっては悪夢でしかない。情報を絞り尽くすのは、この咆哮の有効範囲を確認する必要があったからだった。

 周囲に何も無いのであれば、有効半径を確認すのは困難だが、これ程までに他のアラガミが闊歩するのであれば、レーダーでアラガミの動きを捕捉すれば、確実に判明する。

 早々に討伐しなければならない部分とデータを採取する事によって出てくる損失。その両方を取る事を理解した結果だった。

 元々アラガミに対し慈悲の心は持ち合わせていない。だとすれば、効率が良い方を重視するだけだった。

 

 

「じゃあ、一気にやろうか」

 

 エイジはそう言うと同時に銃口をマルドゥークの鼻面へと向ける。既に片目にしか視力が無いからなのか、マルドゥークはここから変化すべき部分が見当たらなかった。

 これまでの攻撃の中でアラガミの限界値を探りながら攻撃した為に、この銃撃で命を奪う可能性は少ない。だとすれば、現時点で一番苛立つ部分へ攻撃すれば良いだけの話だった。

 何時もと変わらない口調で引鉄を引く。アサルトの軽い銃弾がマルドゥークの鼻面にそのまま直撃した瞬間だった。

 

 

「来るよ」

 

「はい」

 

 

 予測した様に限界を超えたマルドゥークが周囲に響くかの様に咆哮を上空へと放つ。

 事前に確認したとはいえ、アナグラのレーダーも絶対ではない。元々そう考えてたからなのか、2人は改めて神機を構え、襲撃に備えていた。

 

 

《先程まで感知できなかった場所からアラガミの群れが来ます。大丈夫だとは思いますが、気を付けて下さい。リンドウさんとソーマさんの到着まであと30秒です》

 

 咆哮が終わると同時にフランの声が耳朶に響く。周囲を伝播したマルドゥークの咆哮によって、この地は改めてアラガミを大量に屠りさる場所となっていた。

 エイジだけでなく北斗の神機の刃が鈍く光る。マルドゥークの咆哮が何をもたらすのかを理解しているからなのか、2人の視線が弱くなる事は一切無かった。

 徐々に聞こえる足音を作る原因は、この後の辿るべき運命を何一つ知らない。マルドゥークもまた自身がこのまま屠られる未来を予測出来ないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナナさん!無茶はしないで下さい!」

 

「今の所は大丈夫!」

 

 第一陣でアナグラを防衛し、第二陣でもまた討伐を繰り返す中で、一部の戦場では厳しい戦いが強いられていた。

 一陣には無く、二陣に有るのは感応種の存在。幾らブラッドと言えど、他のゴッドイーターが共闘しても、北斗が居ない為に恩恵を受ける事は無かった。

 その結果、感応種の討伐はこの二陣ではブラッドだけで行っている。現時点では半分に分けている為に3人の変則チームで戦っていた。

 

 

「お前達、来るぞ!」

 

 ギルの声にナナとシエルが注目していた。

 当初はそれほど問題になる事はなかったが、これまでに見た事が無いアラガミが出現した途端、状況は大きく変わっていた。

 これまでの中で飛翔型のアラガミは数種が確認されていたが、3人の前に居るそれは明らかにこれまでに見た事が無い物だった。

 空中を漂う事によって攻撃を受ける可能性を少なくする。ここまでが誰もが想像してた内容だった。

 空中に浮遊するのであれば銃撃で撃ち落とし、その後は一気に片を付ける。この一連の流れに誰もが異を唱える事は無かった。しかし、このアラガミに関してはその期待を大きく裏切る。

 

 

「え、嘘!何これ!」

 

「ナナさん!」

 

 ナナの渾身の一撃はそのアラガミを素通りするかの様にすり抜けていた。渾身の一撃が不発に終わった事によって態勢を大きく崩す。その瞬間、ナナだけでなく、シエルとギルもまた驚きを隠す事は出来なかった。

 撃ち落とした際には手応えは確実に感じ取っている。にも拘わらず、肝心の直接攻撃は受け付けない。これが夢か幻であれば良かったが、残念なことに現実だった。

 直接攻撃が不可能である以上は銃撃に頼らざるを得ない。このメンバーの中で、唯一ナナだけが射程距離が短い為に苦戦を強いられていた。

 

 

「防御位はしっかりやるよ」

 

ギルの声にナナとシエルが同時に盾を展開する。与えたダメージが想定よりも少なかったからなのか、そのアラガミは直ぐに復帰していた。

 頭上にはまるで遊んでいるかの様に幾つものエネルギー反応が起こっている。

 ギルの指示の瞬間、そのエネルギーは生命を与えられたかの様に尾を引きながら3人に襲い掛かっていた。                                                            

 見た目以上の威力に盾を持つ手に衝撃が走る。これが通常のアラガミであれば物量で押し込む事が可能だったが、感応種である以上、誰もが安易に戦闘に参加できなかった。

 時間だけが悪戯に経過する。少なくともこの二陣で観測された感応種の数は少なくとも二体。その内の一体がここであれば、残りがどこに居るのかは考えるまでも無かった。

 

 

 

 

 

「しかし、あれはかなり厄介ですね。銃撃だけとなれば確実に火力は落ちます」

 

「だが、そうも言ってられないだろ。今出来る事をとにかくやるだけだ」

 

「そりゃ、シエルちゃんやギルは良いけど、私なんてショットガンなんだよ。どうやって至近距離に近づけば良いの」

 

 新種の感応種との戦闘は予想以上に時間を消耗していた。

 銃撃だけの攻撃となった場合、このメンバーの中で一番の火力を誇るのはシエル。ナナの火力もそれなりに期待は出来るが、その射程距離の短さを考えれば、事実上の戦力外だった。

 至近距離まで近づいた所で、何らかの攻撃はナナに直撃する可能性を秘めている。至近距離での銃撃は完全に諸刃の剣だった。

 完全に攻撃方法を解析していない状況での接近戦は綱渡りと同じだった。仮に広範囲にわたる攻撃をされた場合、回避は出来ない。しかも銃形態であれば自分の態勢が崩れれば直撃する未来しかなかった。

 それと同時に3人は無意識の内に焦りを生んでいる。これが未観測での単独交戦であれば時間をかければそのうち討伐は可能となるが、問題なのは、ここが周囲のアラガミから近い点だった。

 宙を浮くアラガミは現時点ではアラガミを呼び呼び寄せる様な能力は持っていない様だが、戦闘音だけは隠す事が出来ない。

 実際に銃撃だけとなれば音は周囲にも響き渡る。これだけ密接した様な地域では呼ばなくとも来る可能性があった。

 事実、これまでにもこのアラガミと戦闘しているだけで、幾つかのサリエルやヤクシャとも強制的に交戦を強いられている。今の所は分担した事によって最悪の状態だけは避ける事が出来ていた。

 

 

《付近に居たヤクシャが戦闘音を察知しました。移動方向から推測するにシエルさん達の方に向っています。十分に気を付けて下さい》

 

「了解しました。周囲の警戒を強めておきます」

 

「ナナ。こんな時に変な前振りはするなよ」

 

「私、何もしてないよ!」

 

 フランからの通信にシエルだけでなくギルとナナもまた同じ事を考えていた。

 実際に混戦に近い状況下で戦う以上は仕方ない部分の方が圧倒的に多い。フランからの通信もまたそんな感情が前提になっていた。

 実際にヤクシャであれば最悪はナナが単独で交戦するしかない。時折ギルのフォローが入れば恐らくは問題が無いはずだった。

 

 

 

 

 

「思ったよりも厄介だな」

 

「でも、やるしかないよ。私達よりもシエルちゃんの方が大変なんだし」

 

 フランからの通信に、3人は接敵するであろうアラガミにも意識を向けていた。

 現時点では新種のアラガミと対峙しているのはシエルだけ。ギルのリボルスターはアサルトだけあって連射性に富んではいるも、実際には牽制程度の威力したなかった。

 実際にアラガミと対峙した際には連射性を活かし、態勢を崩した所を一気に攻め込む。これがギルの戦闘スタイルだった。その結果、火力を重視せず、連射性を高めている。

 そうなれば、現時点で銃撃しか受け付けないアラガミは自然とシエルだけが対峙する事になっていた。

 如何に第3世代型神機と言えどオラクルが無限に発生する訳では無い。シエルの援護の為にはどうしても接敵するアラガミから積極的にアラガミバレットを生成する必要があった。

 足音が徐々に聞こえて来る。事前情報通り、一体のヤクシャがその姿を見せていた。

 

 

「とにかく、倒すだけじゃなくてアラガミバレットも活用するんだ」

 

「了解!じゃんじゃんやっちゃうよ!」

 

 不意討ちではなく、事前に状況を把握している為に、2人は既に臨戦態勢に入っている。既にその意識はヤクシャへと向けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジュリウス!油断するな!」

 

 目の前に前のめりで倒れたアアラガミは最後の抵抗なのか、その巨体をジュリウスに向けて倒していた。

 既に事切れている為にアラガミには何の意識も存在しない。そんな殺気の無い行動だったからなのか、ロミオの叫びにジュリウスは僅かに反応が遅れていた。

 既にアラガミの巨躯はジュリウスの眼前にまで迫っている。ここから回避するにはその体躯はあまりにも大きすぎていた。

 これが通常の戦闘であれば仮にダメージを受けた所で然程苦にならないが、今は混戦にに次ぐ混戦。些細な怪我が今後の命の分水嶺になり兼ねない状況だった。

 スローモーションの様にも見える光景。命の危険性は無いかもしれないが、少なくともリタイアは確実だった。

 今から刃を向けても距離が近すぎる。ジュリウスだけでなく、声を張り上げ、叫んだロミオをもまた同じ事を考えていた。

 

 

「間に合え!」

 

 ジュリウスの眼前に捉えたのは赤と黒にカラーリングされた一つの湾曲した刃。

 こちらに倒れそうになった体躯は、まるでその刃にひっかけられたかの様にその場で一瞬だけ停止していた。一方の刃もまた、手ごたえを感じたからなのか、そのまま一気に移動方向が変更されていた。

 気が付けばリヴィが肩で息をしている。咬刃展開した事によって、事切れたアラガミは改めてその体躯を違う場所へと放り出されていた。

 

 

「済まない。助けられた様だな」

 

「いや。あれは仕方ない。誰がやっても同じだ」

 

 ブラッドを二分割にしてからの攻防は激しさを増していた。

 詳しい事は分からないが、周囲のアラガミはどこか通常よりも力が増している様にも感じる。

 先程のジュリウスの方に向って倒れたアラガミでもあるクアトリガもまたその中の一体だった。

 

 既に戦闘が開始されてからかなりの時間が経過している。本来であれば、どこかで休息を入れた方が良い事は理解しているが、相手でもあるアラガミにそんな理屈が通用するはずがなかった。

 これまでに通信で第一陣は既に事実上の壊滅にまで追い込んでいる。後、残す数もそれ程ではないからなのか、時間の問題となっていた。

 しかし、その第一陣が仮に全てのアラガミを討伐したとしても、ここに援軍として来る可能性は極めて低かった。

 一番の原因は感応種による神機不全はブラッド以外のゴッドイーターの天敵でしかない事。

 仮に動かないままに来られても、最悪はブラッドがそのフォローをする必要があった。

 当然ながらギリギリの戦いをしている最中でのお荷物は、だたの餌でしなかい。ここでアラガミが強固になる位であれば、そのまま待機せざるを得なかった。

 

 陣形を上手く活かせは、第二陣もまた磨り潰す事が可能となる。しかし、そうなればアナグラの援護は必須だった。しかし、現時点では感応種もまた新種の為にカウンターでもあるリンクサポートシステムも使用出来ない。当然ながら全ての負担をブラッドの双肩にかけるより無かった。

 如何に精鋭と言えど、連戦に次ぐ連戦は思考能力を歪ませ、行動に制限をかける。ジュリウスもまた、その例に漏れなかった。

 

 

「そう言えばナナ達の所は感応種の新種が出たんだよな?」

 

「ああ。しかも銃撃しか受け付けないらしい」

 

「マジか。俺、苦手なんだよな」

 

「アラガミ相手にも同じ事が言えるか?」

 

「あー無理。絶対に無理だって。ほら、いざとなったらブラッドアーツでさ」

 

 3人は漸くここに来てアラガミの波が収まったからなのか、少しだけ休憩を入れる事にしていた。

 既に3人の服もまたボロボロになっている。実際には攻撃を直接受けてはいなかったが、やはり攻撃の際に時折ギリギリの局面があった為に、あちらこちらが切り傷の様になっていた。

 

 

「ロミオ。今回の件が終わったら少しは銃撃の事も訓練した方が良いだろう」

 

「そりゃそうだけど、今はまだ剣の部分でさえ今一つなんだぜ。両方を一遍になんて無理だって」

 

「そうか……だとすれば今よりも訓練時間を延ばすより無いな」

 

「なぁリヴィ。それって俺に死ねって言ってる様にも聞こえるんだけど」

 

「その件なら問題無い。人間はギリギリまで追い込んでからの方がより伸びるらしいからな。私も少し位なら協力しよう」

 

「うへぇ。このミッションが終わって欲しくないんだけど」

 

 リヴィの言葉にロミオは項垂れるよりなかった。

 少なくとも今のロミオの訓練時間は一時期に比べて格段に増えていた。屋敷での鍛錬が一時的に終わった頃はまだそれ程気にならなかったが、問題なのは周囲だった。

 教導教官のナオヤからすれば、あの程度の業で屋敷を卒業したと名乗られるのは面白く無い。それはエイジもまた同じだった。

 必然的に事実上の弟弟子の様な立場の人間を上の人間が逃す程甘くは無い。修羅の世界に一度でも足を踏み入れた以上は後戻りは赦されなかった。

 

 ロミオが気が付かない程度に教導のレベルをゆっくりと上げていく。剣の(ことわり)も自身は気が付いていないが、傍から見れば、既にゴッドイーターとしての領域を超えつつあった。

 当然ながら時間は誰の下にも平等でしかない。居間でさえギリギリにも関わらず、ここに来ての銃撃の訓練となればあとは寝る時間か休憩時間を削るよりなかった。

 

 

「リヴィ。その位にしておけ。少なくとも今のロミオは重要な戦力だ。その予定はこれが終わってから一旦考える事にしよう」

 

「そうだな。下手に士気を落としても碌な事にならないしな」

 

「ジュリウス。話が分かって嬉しいよ」

 

 ジュリウスの言葉にロミオは少しだけ感謝の念を送っていた。

 苛烈な教導が更に苛烈になった所で、ロミオの処遇が変わる訳では無い。しかも、ジュリウスは一旦考えると言っただけで、止めた訳では無い。

 純粋に問題を先送りしただけだった。しかし、ロミオはその事実にはまだ気が付いていない。

 処遇が変わらない事実に気が付く事無く、ロミオは休息の為にポーチからアンプルを取り出し、口にしていた。

 

 

「ジュリウス。気が付いているとは思うが、アラガミの強さが少し変じゃないか?」

 

「リヴィもそう感じたか。俺も実は同じ事を考えていたんだ。事前に聞かされた情報と違う様にも感じる。今の所はまだアナグラからのアナウンスは無いが、やはり気になるな」

 

 顎に手を当て、ジュリウスは先程まで戦ったアラガミの事を思い出していた。

 幾らそれ程の強さしかないとは言え、数が多ければある種の暴力でしかなくなる。当然ながらそれは幾ら精鋭とよばれたブラッドからしても同じ結果をもたらす可能性が高かった。

 事実、先程の危機はその最たる物。そんな状況であっても、違和感しかわかない討伐は疑念を深めるには十分過ぎていた。

 

 

「2人とも何を話してるんだ?今度は何時休憩出来るか分からなんだから、さっさと休んだら?」

 

「そうだな。このまま疲弊した状況が続くのは良くない」

 

ロミオの言葉にリヴィもまた同じく賛同する。疑問を持った所で、現状が好転する訳では無い。ロミオの言葉にジュリウスもまた、周囲を見ながらも地面に腰を下ろしていた。

 

 

 



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第111話(幕外) 佳境

 リンドウとソーマがエイジ達が戦っている場に到着する直前、マルドゥークの咆哮が周囲に轟いていた。

 それが意味するのが何なのかを2人も知ら無い訳では無い。しかし、ここに来る直前にサクヤからもたらされた情報によって2人が混乱する事は無かった。

 

 

「随分と思い切った事をしたな」

 

「少しだけ気になる部分と、後は確認ですけどね」

 

「気になるのは例の件か?」

 

「ソーマ達の所も?」

 

「ああ。思った以上に違和感しか残らない。これは直ぐにでも確認が必要になるな」

 

 エイジの言葉を理解したからなのか、ソーマもまた情報と実際にアラガミが違う点を理解していた。

 合流するまでにこちらから上げた情報を元に、アナグラもまたレーダーの確認やシステムのチェックを詳細にまでしていた。結果は異状なし。システムそのものに異状が無いにも拘わらず、異なる誤差は今後の活動にも多大な影響を及ぼすのは必須だった。

 当然ながら現場に居る人間が確認する以外に方法が無い。

 エイジと北斗は最初からマルドゥークと交戦していたものの、その動きが変異種であると考えていた。

 変異種に関しての明確な変更点は殆どない。精々が偏食場パルスが通常よりも強大になってる程度でしかなかった。

 それとは別に、これまで極東の中で一番数多く交戦したエイジが判断していただけだった。

 交戦中に出た違和感。それが今回の件でさらに悩ませる要因となっている。

 しかし、肝心のマルドゥークの情報を完全にチェックが終わったアナグラからもたらされた情報はこれまでの通常種と同じとの案内。咆哮させたのは実験の為だけとなっていた。

 

 

「細かい事は知らんが、とにかく俺達が今やるのは寄せられたアラガミの殲滅だろ?細かい事はソーマが後でやれば良いだけの話だ」

 

「少しは手伝おうとか思わないのか?」

 

「俺がか?無理無理。オッサンは現場で汗をかくだけの仕事だからな」

 

「馬鹿か。そんな事を言ってるだけで終わると思ってるのか?」

 

「無理だろうな」

 

「あの、そろそろアラガミが来るかと思いますが」

 

 ソーマとリンドウのやりとりを見た北斗は少しだけ口を挟んでいた。

 この地にアラガミが寄せられるのは決定事項ではあるが、その大元となったマルドゥークは完全に討伐が終わっている訳では無い。

 今の所はエイジがにらみを利かせている為に、マルドゥークもまた様子を伺う程度だった。

 

 一触即発の状況ではなるが、マルドゥークもまた元の知能が低い訳では無い。

 本能からエイジが自分よりも完全に格上である事を理解している。

 アラガミが闊歩する現在。弱肉強食の世界は、アラガミにとってもまた自身の生存を確実にする為には相手の強さを図る事も生き残る為の技術だった。

 

 

「じゃ、そろそろやるか。それに二陣も一部は苦戦してるみたいだしな」

 

「そうだな。折角の機会だ。リンドウを扱き使うのも面白い」

 

 リンドウの言葉にソーマもまたやれやれと言った表情を浮かべマルドゥークへと視線を向ける。異なる視線を感じたからなのか、それとも自身の生存を諦めたからなのか、マルドゥークは事実上の特攻と言わんばかりに突進を開始していた。

 

 

 

 

 

 全身を血塗れにし、マルドゥークは渾身の力を込めてリンドウ達の下へと突進していた。

 巨躯が疾る度に大地が僅かに振動する。本来であればリンドウだけでなくソーマもまた回避するはずだった。

 神機を構えはするが、動く気配は何処にも無い。マルドゥークからすれば事実上の道連れの感覚でしかない。

 視界は半分塞がれ、攻撃するための爪は既に砕かれている。このまま圧し潰す以外に方法が無い。

 距離が確実に詰まる。この時点でマルドゥークは重大な事を忘れていた。

 この状態になるまでにしたのは一体誰なのか。失った視界では捉える事は出来ず、鼻もまた周囲の臭いを嗅ぐ事すら出来ない。

 突進しながらも浮かんだ疑問は瞬時に解消されていた。突如として感じる異物感。少なくとも疾走するまでの道程に障害物はどこにも無いはずだった。

 異物感は消える事無くそのまま拡大していく。気が付けば自身の臓物は地面へとずり落ちていた。

 悲鳴すら上げる事無くマルドゥークはそのまま思考する事無く、その体躯を地面へと倒していた。

 

 

「なぁ、俺達が来た意味ってあるのか?」

 

「当然です。ほら、アラガミが来ましたんで」

 

「ったくご苦労な事で」

 

 マルドゥークに止めをさしたのはエイジだった。

 漆黒の刀身はマルドゥークの血を吸うかの様にポタポタと垂れ落ちる。死角から斬り裂いた事によって、マルドゥークはそのまま動く事はなかった。

 北斗がそのままコアを引き抜く。当然の様に討伐が終えたと同時に寄せられたアラガミを屠るべく、視線を来るであろう方向へと移していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シエルちゃん!受け取って!」

 

 ナナはヤクシャから生成したアラガミバレットを惜しげもなくシエルへと渡していた。

 連続して届くそれに、シエルの体内にあるオラクル細胞が急激に活動を開始する。

 リンクバーストが最大になったからなのか、シエルの全身からはオーラが湧き出るかの様に鈍く光っていた。

 

 新種の感応種は銃撃のみを受け付ける。用意されたアンプルを使い切る前に一気に勝負に出る作戦だった。

 ナナが渡したそれをシエルはそのままアラガミへと向ける。これまでに放った精密射撃は既に一部の箇所を結合崩壊にまで追い込んでいた。

 全ての力がアーペルシーへと注がれる。そんな様子を見たからなのか、シエルは少しだけ自分の神機に対し、労わる様な笑みを浮かべていた。

 

 

「では、行きます」

 

 先程の笑みが一瞬にして消え去り、改めて狙いを付ける。

 既にシエルは神機と一体になったかの様に狙いを付けていた。

 これまでに何千と引いた引鉄に戸惑いは微塵も無い。無情の一撃はそのままヤクシャの生体エネルギーを一発の銃弾へと変更していた。

 これまでに無い程のエネルギーがアーペルシーへと集まる。

 アラガミバレット特有の制御はそのまま上空に滞在しているアラガミの頭上にある物体を破壊していた。

 

 

《対象アラガミのオラクル反応が消失しました。可能であればそのアラガミのコアは必ず持って来て欲しいと榊支部長からの依頼です》

 

「了解しました。出来る限りの物は持って行きますので。出来れば回収は可能でしょうか?」

 

《現時点では第一陣は既に壊滅し、今は周囲の警戒を続けています。回収には1チームを派遣しますので、暫くの間はその場でお待ち下さい》

 

 フランの言葉にシエルは改めて先程まで戦っていたアラガミに視線を移していた。

 これまでの記憶の中で銃撃のみを受け付けるアラガミが居たと言う情報は耳にした事が無かった。

 最近ではそれ程大きな問題にはならなくなっているが、少なくとも第1世代型神機使いからすれば、これもまた脅威だった。

 

 感応種なだけであればカウンターとしてリンクサポートシステムが使える。しかし、この種独特の特性はフォローのしようが無かった。

 遠距離型であれば対処できるが、近接型は最早絶望でしかない。

 そう考えると今後も固有の種として定着する可能性は極めて高い物だとシエルは考えていた。

 現時点ではまだ第二陣はまだ収束には程遠い。今は良くても今後は戦略を練り直す必要が出てくる事を考えると、シエルは少しだけ溜息を吐きたくなっていた。

 

 

「シエルちゃん。大丈夫だった?」

 

「はい。私は問題ありません。ですが、このアラガミのコアと一部の素材は必ず回収してほしいそうです」

 

「確かにそうだよね。私がこのアラガミと戦えって言われたら、流石に考えちゃうよ」

 

 何かを思い出したかの様にナナは疲れた様子を隠す事無く表情に出していた。

 只でさえ銃撃しかダメージを与える事が出来ず、それもまた相当の火力を必要としている。

 それだけであればこれ程疲弊する事は無かった。

 戦闘に於いては如何に想定外の事があったとしても冷静にならなければ戦場で待っているのは死だけ。それは極東に配属されている人間であれば誰もが一番最初に教えられた内容だった。

 

 改めて配属されたブラッドもまた例外にではない。これまでに感応種や神融種と言った初見でさえも撃破してにも拘わらず、今回のアラガミが行った行為はあるいみでは脅威だった。

 空中に浮遊したかと思った瞬間、他のアラガミに対し行ったのは淡い緑の光を当てた事だった。

 何も情報が無いのであれば、今の行動が気になる事は無かったはず。しかし、それを補完したのはオペレーターのフランだった。

 耳朶に響く内容にナナだけでなくギルや終始冷静なはずのシエルもまた驚きを隠せなかった。

 緑の光が表すのは偏にアラガミの体力が回復した証だった。

 これまで厳しい戦いでも気力でやってこれたのは、アラガミに回復の手段がそれ程無い点だった。

 捕喰すれば多少は回復するが、それは戦闘中ではない。あくまでも日常か戦闘時では攻撃の必要性を感じないと判断した時だった。

 しかし、交戦中の回復となれば話は大きく変わる。気力を振り絞った先に待っているのが反撃であれば確実に心が折れるはずだった。

 それはブラッドだけでなくアナグラもまた同じ。回復した事実は少なからず今後の対策を練る必要があった。

 当然ながら討伐後にはコアだけでなく一部の素材もまた研究用に回されるのは明白だった。

 

 

「感応種そのものは早々現れない。だとすれば、この個体もまた同じだろう」

 

「そう言われればそうなんだけど……でも、対処は必要だよね」

 

「そうですね。ナナさんの言う通りです。戦いに絶対はありませんから、少なくともこのコアは榊博士の手元に確実に届くようにする必要がありますね」

 

 三者三様の意見ではあったが、内容に関しては概ねその通りだった。気が付けば先程まで横たわっていた体躯はそのまま霧散している。

 これまでに無いアアラガミだからなのか、3人の疲労は何時も以上だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナナ達が新種の感応種と戦っている頃、ジュリウス達もまた同じく感応種と交戦していた。

 こちらは新種ではなく、既に何度も討伐した種。ジュリウス達に慢心は無いが、それでも多少なりとも落ち着くだけの要素はあった。

 

 

「ジュリウス。陽動を頼みたい」

 

「何か案でも?」

 

「少なくとも上空から滑空してくるのは無理だが、着地の瞬間を狙う分には問題ないと思う」

 

「って事は俺の役目は周囲の露払いだな」

 

 3人の視界に映るアラガミの姿はさながら貴婦人の様にも見えていた。

 怪しげな姿はある意味では蠱惑的なのかもしれない。しかし、それをそのまま見ている訳にはいかなかった。

 後方に大きく跳躍すると同時に、幾重にも重なるかの様に氷の刃が放たれる。戦いに於いて如何に有利な状況を作るのかは人間もアラガミも同じだった。

 放たれた氷の刃を回避か防ぐかによって次の行動が決定する。アラガミもまた同じ事を考えていたはずだった。

 

 

「そんなんで一々手間取る訳無いだろ!」

 

 氷の刃は予想外の行動で届く事は無かった。

 その原因を作ったのは髪を束ね、漆黒の羽織を着ている青年だった。

 自身の一撃によって発生した闇色のオーラによって氷の刃が人間に届く事は無かった。

 散らばった攻撃の中でも致命的な物は全て迎撃されている。散らばったはずの刃は周囲に大きな音をたて、完全に消え去っていた。

 

 

「残念だがここまでだ」

 

 アラガミは驚愕したままそれ以上の表情を変化させる事はなかった。

 防がれた攻撃の次に待っていたのはアラガミの命を消し去る死神の一撃。赤と黒のカラリーングをした湾曲の刃はそのままアラガミの首筋の部分に当てられていた。

 遠心力を活かした事によって戸惑いも無く、そのまま勢いに任せ刃を振るう。断末魔すら上げる事を許さないとばかりに頸は一瞬にして胴体から離れていた。

 

 

「何だか容赦ないよな」

 

「何だ?何か問題でもあったのか」

 

「そうじゃ無いけどさ、もっとこう……いや。まぁ早く終わったから良しとしよう」

 

 凄惨ともとれる内容にロミオの口元は僅かにヒクついていた。

 アラガミに同情する事は無いが、今回のリヴィの一撃はロミオの目の前で行われただけでなく、イェン・ツィーの表情は驚いたままで固定されていた。

 それはアラガミが意識する間に切断された証拠でもあり、またリヴィが放った斬撃は予想以上に鋭かった事を意味している。

 ロミオも普段から教導で鍛えているが、リヴィの様になる事はなかった。

 神機の特性上、あり得ない事は分かっている。しかし、そんな事も忘れる程の内容が故に無意識の内にロミオの口から感想が零れ落ちていた。

 

 

「しかし、リヴィの攻撃も以前に比べれば鋭くなったな」

 

「そうだな。少なくとも舞踊の動きを取り入れた事が良かったのかもしれない。自分でも少し驚いている」

 

 ジュリウスもまたリヴィの攻撃には素直に賞賛していた。

 話には聞いているが、まさかこれ程の効果を及ぼすとは思っていなかった。

 実際にジュリウスも初めに聞いた際には半信半疑だったが、結果を出した以上はその認識を改めてるよりなかった。

 コアを引き抜いた事によってオラクルがその体躯を維持できなくなる。風が吹けば散るかの様にイェン・ツィーは霧散していた。

 

 

《ジュリウスさん。連戦になるかと思いますが、周囲にアラガミの反応が複数あります。他のチームにも救援要請をしてありますが、油断はしないで下さい》

 

「了解した」

 

 イェン・ツィーを討伐したものの、ヒバリから届いた情報は周辺のアラガミに関する内容だった。

 既に二陣も漸く収束に向かいつつあるが、問題なのはその数だった。

 ここに来るまでに連戦を繰り返している。今回の感応種の討伐で一息つく事が出来るかと思った矢先の内容に溜息の一つも出そうになる。しかし、その後で聞いた内容に少しだけ気力を取り戻す事が出来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「現状はどうなってる?」

 

「はい。現時点での第二陣もあと僅かになりつつあります。ですが、観測されている偏食場パルスを考えるとブラッドの運用は慎重にならざるを得ません」

 

「そう………」

 

 アラガミとの戦いだけが戦場ではなかった。各チームに指令を出すアナグラのオペレーターチームもまた厳しい選択を迫れていた。

 既に第一陣が殲滅出来たまでは良かったが、問題なのは第二陣の存在だった。

 一陣の様に変異種程度であればそれなりに対処は可能となるが、二陣の様に感応種が点在するとなると、選択肢は事実上無に等しかった。

 

 リンクサポートシステムを使用する事は可能ではあるが、こうまで新種が出れば当然ながらその対策を優先させる必要が出てくる。

 中心地点で使用し、討伐したとしても、データに無いアラガミが出れば撤退するしかなかった。

 当然ながらリスクはあまりにも大きい。

 神機を放り出して退避出来るはずもなく、また神機が沈黙すれば、それはただの重りでしかない。態々行動を狭める様な状況になれば生存率が低下するのも道理だった。

 究極の二択。

 ゴッドイーターの命か神機か。どちらも限りある資源である為に天秤に乗せるには余りにも重すぎる。

 このままどうすれば良いのだろうか。サクヤもまた表情にこそ出さないが、内心はどうしたものなのかと悩んでいた。

 

 

「ヒバリ。二陣のアラガミなんだけど、どう?」

 

「現時点では偏食場パスルの観測はしたままですが、感応種はまだ見えていませんね」

 

「そう………」

 

「リンクサポートシステムは?」

 

「これまでの既存のデータから、カウンターとしての役割は可能です。ですが、二陣の場合は先程までと同じく感応種の対応は後手に回る可能性が高いです」

 

 ヒバリにの答えにサクヤは一つの決断を下そうとしていた。しかし、その決断が本当に正しいのかは誰にも分からない。

 こらまでの様に自身が戦場に立つのであれば気にもしないが、指示を出す立場となってからは常に試行錯誤の連続だった。

 自分の間違いで死者が出る。サクヤもまたその重圧と見えない部分で戦っていた。

 

 

 

 

 

「どうしたサクヤ。お前が迷えば現場は混乱する。仮に自信が無くとも胸だけは、張れ。自分に自信が生まれれば、それを見た人間は勝手に士気をあげるものだ」

 

「ツバキ教官!」

 

 迷えるサクヤを救うかの様に出た声は、まだ産休中だったツバキだった。

 これまでに何度かアナグラには来ていたが、今回の様に厳しい場面では初めてだった。

 その瞬間、サクヤの表情に安堵が見える。しかし、その表情は直ぐに変わっていた。

 

 

「この場はサクヤ。お前が指揮官としてやるんだ。どんな結果になろうとも、それを受け止めなければならない」

 

「ですが、こんな場面では……」

 

「良いか。お前に足りないのは絶対的な覚悟だ。実際に現場を知らない人間がやっているならば色々と問題も出るが、お前もこれまで第一部隊で活躍してきたんだ。方針さえ出せば後は臨機応変になってくれる。もっと仲間を信用するんだ」

 

「………そうですね。これまで経験した事を活かす様にやります」

 

 怒るでもなく、諭すかの様な言葉にサクヤもまたツバキが同じ道を通ってきた事を実感していた。

 以前に聞いたゲンの言葉。

 ツバキが看取った人間がどれ程の数に上るのか。そう考えたからなのか、先程までとは打って変わって、サクヤの表情には改めて覚悟と気概が宿っていた。

 

 

 



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第112話 因縁のアラガミ

 大画面に映るのはアラガミを示す光点。時間の経過と共にその光点はまるでアメーバの様子にその形を常に変えながらゆっくりとその姿を小さくしていた。

 既に当初の様な勢いを感じないからなのか、然程時間が経過していないにも拘わらず、誰が見ても明らかにその数を減らしているのが顕著になっていた。

 

 

「思ったよりもアラガミの討伐速度は早く済みそうですね」

 

「そうね。やっぱり、ツバキ教官の経験は私にとっては大きすぎるのかもね」

 

「でも、サクヤさんもちゃんとやってますよ」

 

「有難うヒバリ。でも、事実は事実としてちゃんと受け止めないとね」

 

 2人はちょっとした感想を言える程度にまで落ち着きを見せ始めていた。

 ツバキが来た事はアナグラにとっても大きな影響をもたらしていた。一番の要因は指揮系統を分断する事によって、戦術に対する確認と立案を容易に出来た事だった。

 元々サクヤも実戦感覚はあるが、ブラッドの様に特殊な内容に関してはそれなりに時間が必要だった。

 感応種とのアドバンテージは確かに大きいが、それ以外の事になればブラッドもまた他のチームと何も変わらない。

 

 戦場で相対する側では見えない事も、客観的に見れば見える事は幾らでもある。そうなればクレイドルの様に実戦経験が豊富なチームへの指示は遅れていた。

 勿論それだけではない。防衛班への指示やアナグラ周辺のチームの指揮も必然的に含まれる。決して戦場勘が鈍く無いサクヤでも、徐々に思考が回らなくなり出していた。

 急なアラガミの乱入には対処できるが、問題なのはその度合い。更に連続してくるのと来ないのとでは、戦術が確実に異なってくる。サクヤと言えど2チームはおろか、出兵中の全チームを同時に見るのは困難だった。

 ツバキが参入した事によってクライドルと防衛班への指示が出る。その結果としてサクヤもまたブラッドだけに専念する事が可能となっていた。

 

 

「お前達。まだ無駄口を叩くのは早いぞ。少なくとも今回の最大の原因を解明しない事には今後の討伐にも影響が出るだろう」

 

「そうですね。ですが、どうしてここまで簡単に討伐が可能なんでしょうか?」

 

 ヒバリの質問に答える為の明確な回答はサクヤだけでなく、ツバキとて持ち合わせていなかった。

 実際にここまで小さくなってのは偏に現場でのアラガミの処理が早い事。それと同時に、何故そうなのかが未だ原因は解明されていなかった。

 これまでの実績を考えれば素直に賞賛したい気持ちは無い訳では無い。しかし、今回のそれは明らかに何らかの妨害が入った状態で討伐したに過ぎなかった。

 原因を放置したままでの行動がどれ程危険なのかを理解しているからこそ、今回のこれで確認する必要があった。

 

 

「今の所は分からん。だが、これまでのコンバットログとアラガミの発する偏食場パルス。それとバイタルの確認をすれば何となくでも分かるかもしれないな。後は彼奴らが持ってくるであろう細胞の一部を解析するより無い」

 

 ツバキの言葉にヒバリもまた同じ事を考えていた。

 今回の様にこれ程レーダーに映るアラガミの反応が危うい事はこれまでに一度も無かった。

 実際には故障などしていないはずの画面に、これまでに経験した事の無い反応も直に見ている。だからなのか、ツバキの言葉にヒバリだけでなくサクヤやフラン。ウララとテルオミもまた無言で話を聞くしか無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こっちはあらかた片付いたみたいだな」

 

「……そうだな。今の所は大きな問題にはならなそうだ」

 

 一仕事終えたかの様にリンドウは自身の持っている刃を肩へと担ぎ、周囲の様子を確認していた。

 先程までマルドゥークが呼び寄せたアラガミを一掃した事もあってか、目視で確認出来るアラガミの姿は無かった。

 改めて考えると、やはり先程のアラガミもまた何となく脆弱な感触を持っていた。

 明らかに手ごたえが無いからなのか、ほぼ全部のアラガミが一刀両断の如く斬り伏せられ、一瞬にして霧散していく。今回のアラガミに関してはこれまでに無い内容な為にサクヤからもデータの収集を依頼されていたが、余りの拍子抜けにそれどころでは無かった。

 

 

「何だか、どのアラガミも最初から瀕死の状態みたいでしたね」

 

「……確かに言われてみればそうだな。だが、ダメージを受けた形跡はどこにも無かったぞ」

 

「問題はそこなんですよね……」

 

 リンドウとソーマの話にエイジもまた同じ違和感を持っていた。この場で正確な回答を出す事は出来ない。

 事実、何らかの情報が分かれば即座に現場にも情報は共通される。しかし、これまでの戦闘の中でアナグラから新しい情報は何一つ流れてこなかった。

 

 

「今はまだ完全に終わった訳ではありませんから、少しでも多くのアラガミを討伐した方が良いんじゃないですか?」

 

「……そうだな。そう言えば、ブラッドの方には感応種の新種が出たらしいな」

 

「そうですね。何でも銃撃しか効かず、アラガミを回復する能力もあるらしいです」

 

 北斗の言葉にソーマだけでなくリンドウもまた同じ様な表情を浮かべていた。

 元々ソーマの神機は近接攻撃のみの第一世代。リンドウに関しては銃撃は出来るが、本人の意向があるからなのか、それ程得意ではなかった。

 

 アサルトに近い性質を持っているが、リンドウが使うのは精々が牽制に近い使い方。当然ながら大半の攻撃は剣形態だった。

 これに関してはサクヤからも、もう少し工夫するか銃の練習をしてほしいと言われたものの、リンドウとてこれまでの第一世代の近接型だった為に、自然と銃を使うケースが少なかった。

 事実、極東に於いての誤射率はカノンが一番だが、リンドウもまた上位に名を連ねている。それを理解しているからこそ、ブラッドが交戦したアラガミの話を通信越しに聞いた際には完全に顔が顰まっていた。

 

 

「やっぱりサクヤさんの言う様にもう少し射撃練習もした方が……」

 

「まぁ、その辺りは追々とだな……それに銃で牽制をする位なら突っ込んだ方が早いだろ?北斗もそう思うよな」

 

「あの……俺は特に………」

 

 リンドウから突然話を振られた事によって北斗は僅かに焦っていた。

 北斗もまたリンドウに近い考えを持っているからなのか、ブラッド内でもシエルからは口うるさく言われている部分が多分にあった。

 北斗としては牽制した所を一気に『颶風』で切り裂いた方が手っ取り早いと考えている。本来であればリンドウの意見に賛同したい所だが、生憎と北斗を取り巻く環境もまたリンドウに近い。

 下手に何かを言おうものなら、確実にシエルからの特別な訓練が待っている為に、それ以上の事は何も言えなかった。

 

 

《リンドウ。近隣のアラガミ反応は確認出来たか?》

 

「いえ。特にはありません」

 

《そうか。だったら直ぐに他の場所に移動するんだ。現時点ではその周辺に大規模なアラガミ反応は確認出来ない。既にブラッド側には新種も確認されている以上、気を抜くな》

 

「了解であります」

 

《だったらすぐに動け。それとリンドウ、今回の作戦が終わったら一度射撃訓練を20時間程予定している。これ以上延ばされたくなかったら愚図愚図するな》

 

「え………姉上、本気ですか」

 

《お前に嘘を言う必要があると思うか?》

 

 突然割り込んで来たツバキの言葉にリンドウの態度は一変した。

 この時点でリンドウは知らなかったが、ツバキがアナグラに来たのは限りなく偶然に過ぎなかった。

 少しだけ用事があった為に顔を出したまでは良かったが、問題なのはその後だった。

 どんな作戦でもオペレーターと指揮官が居て初めて良質な作戦を行使する事が出来るが、生憎と書類上は指揮官は不在になったまま。その結果としてツバキが急遽指揮を執ったのは、それが偶然による産物だったからだった。

 

 

「あの、リンドウさん。どうかしたんですか?」

 

「……いや。特に問題は無い。このままここに居るのは得策じゃない。さっさと次に行くぞ」

 

 どこか焦った様な様子はあったが、北斗の質問に対しても通常の様な返答だったからなのか、北斗は違和感はあったものの、それ以上の事に関しては何も聞かなかった。

 ここで下手な事でも言おうものならば、待っているのは果てしない訓練。只でさえ苦手な訓練に、ツバキから指導が入るととなればリンドウからすれば拷問以外の何物でも無かった。

 妻のサクヤ同様に姉のツバキもまた遠距離型の神機を使用している。今のリンドウにとっては、どちらに転んでも最悪の展開だけが待っている状況だった。

 

 

「で、実際にはどうなってるんだ?こっちの状況は何も分からんぞ」

 

《今、解析中よ。でも、こちらで分かる事は限定的なの。悪いけど、目視で何か分かる事は無い?》

 

「いや、今の所は何も………どうやらそうでも無さそうだな」

 

 機械的な物ではなく、これまでの戦闘によって培われた感覚が意識させているのか、先程までの緩んだ雰囲気は徐々に無くなりつつあった。

 アラガミが霧散した状況下で感じるそれは明らかにこれまでに感じた物ではない。

 無意識の内にまだ見えぬ何かに視線が動く。これまでに感覚からすれば、考えられるのはこれまでに対峙した事が無いアラガミの可能性が極めて高かった。

 

 

「エイジ……」

 

「リンドウさんも感じますか?」

 

 2人の言葉にソーマもまた視線が強くなると同時に、半ば身構えている。アナグラからの案内が無いのであれば、レーダーに感知しないか、新種の可能性が極めて高かった。

 無意識の内に神機を握る力が増大する。北斗も含めた4人の視線は来るであろう場所から視線が動く事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今は判断するだけの材料が無い。一旦は合流した方が良さそうだ」

 

 ジュリウスの言葉にロミオとリヴィもまた頷いていた。

 周囲にアラガミの姿は見当たらない。ここで漸く落ち着く事が出来ていた。

 交戦してからどれ程の時間が経過したのかを考えた事は一度もない。気付けば碌に食事もとる事が出来なかったからなのか、ポーチから簡易レーションを取り出すとジュリウスだけでなくロミオとリヴィもまたそのまま口にしていた。

 

 

「極東ではこんなケースは頻繁にあるのか?」

 

「いや。ここまでの規模は記憶には無いな。何時もなら、もっと余裕があるんだけどさ」

 

 レーションを口にしながらもロミオはこれまでの状況を思い出していた。

 これまでに極東支部では何度か大規模なミッションが発生した事はあった。しかしながら今回の様に事実上の全面戦争に近い様な交戦は記憶には無い。

 以前とは違い、今の極東支部には守るべき物が多い。サテライト拠点が増えれば増える程に防衛する範囲は拡大し、その都度人員は必要とされている。その結果、アナグラのゴッドイーターの数は以前よりも少なくなっていたものの、それを補うかの様にベテランの数が増えていた。

 

 

「………そうか。だが、今回の様に感応種も頻繁に出ているとなれば、今後はかなり厄介になりそうだな」

 

「そうだな……少なくとも新種が出ればリンクサポートシステムは使えない。当然俺達の働きが重要になってくるだろうな」

 

「とにかく、今は少しでも体力を回復して次に備えようぜ」

 

 ロミオが態と明るく言う事で、先程までの緊張した空気は僅かに弛緩していた。

 常に気を張り過ぎるのは見えない部分での疲労を招くだけでなく、最悪は死に直結する。幾度となく戦ってきたブラッドも、極東で教えられた戦場の習いには従っていた。

 大きく深呼吸し、改めて気分を変える。少なくともこれで終わるとは誰も思っていないからなのか、その表情には適度な緊張感が漂っていた。

 

 

 

 

 

「了解しました。こちらも予定の場所に向います」

 

 通信が来たからなのか、シエルは何時もと変わらない表情のままに返事を返していた。

 元々厳しい戦いになる事を想定していた為に、表情にこそ疲労感は無いが、それでも消耗している事実に変わりはなかった。

 天にある太陽は既に地平へと向かい出しているからなのか、僅かに茜色に染まりつつある空間は少しだけ現実味を失わせてた。

 恐らくジュリウス達と合流する事によって、作戦の事実上の終焉に近づきつつある。これまでに現れたアラガミの質と数を考えれば、シエルだけでなくギルやナナもまた疲弊しているのは間違いなかった。

 

 

「シエルちゃん。ジュリウスの方はどうだった?」

 

「既に討伐は完了したとの事です。我々も予定ポイントに向って移動を開始しましょう」

 

「……そっか。少し位は休憩できるかと思ったんだけどな」

 

「そうですね……移動中位は何とか出来るかもと言った所ですね」

 

 ナナの自慢の髪型でもあるピンと立った耳の様な髪型が、まるで感情があるかの様に項垂れる。新種のアラガミの討伐はこれまでの種とは違い、一つ一つの行動を確認しながら交戦する必要があった。

 常にデータを採取し、その対策を立てる。その中には弱点の属性や攻撃方法など、言い出せばキリが無い程にやる事が多々あった。

 少なくとも銃撃だけでしか攻撃を受け付けないアラガミはある種の脅威。

 実際には対策を立てようにも、現状はバレットの火力を上げるよりなかった。

 仮にそれ以外となれば、精々が命中率の向上のみ。この任務が終わってからはブラッドでも一度射撃訓練を全員がやった方が良いだろうとシエルは一人考えていた。

 

 

「あの……シエルちゃん。何か考えてなかった?」

 

「いえ……どうかしましたか?」

 

「う~ん。何となくだけど、このミッションが終わってからの訓練が大変そうだなって……」

 

「気のせいですよ」

 

 シエルの考えを読んだかの様に、ナナは言葉少なげに話していた。

 あのアラガミの事を考えれば間違い無くシエルならば厳しい訓練を課すはず。これまでの経験則から来る言葉に、シエルは僅かに笑みを浮かべるに留めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しなやかな肉体を持ってるからなのか、動きに澱みを感じる事は何一つなった。一か所に留まらず、常に動き続ける。まるで狙いを定めさせることを嫌うかの様に四本の脚が止まる事は無かった。

 

 

「ったく何時までもちょこまかと動きやがって。エイジ、狙いは大丈夫か?」

 

「全部は難しいです。少なくとも銃撃は牽制程度に考えた方が無難です」

 

「そうか……」

 

 リンドウの言いたい事は理解しているが、エイジもまた目の前を動き続けるアラガミに狙いを定めるのは困難だった。

 常に動き続けている為に先読みを使って予測を立てる。そう考えエイジが引鉄を引こうととした瞬間、まるで知っているかの様にアラガミは違う方向へと跳ねていた。

 少なくとも自分達がこれまでに()()()()()()()()()()()()()()()()。明らかに新種である事を理解しているからなのか、誰もがあのアラガミから視線を外す事は無かった。

 散発的に放たれた銃弾にアラガミがダメージを受けた形跡は何処にも無い。少なくとも言葉通り、牽制する事によって少しでも多くの勝機を作り出す事を優先していた。

 

 

 

 

 

「おい……あれって……」

 

「ああ。思った通りのアラガミだろうな。だが、あれがどうして……」

 

 小高い丘から現れたのは金色の狼だった。色こそ違うが、以前にガーランド・シックザールが作ったアラガミ。人工アラガミだったはずのそれが再度エイジ達の前に立ちふさがっていた。

 

 

「あの……エイジさん。あのアラガミって………」

 

「僕等の知りうる中ではある意味因縁の存在かもね」

 

 北斗の言葉にエイジだけでなくリンドウとソーマもまた渋い表情を浮かべている、この中で北斗だけが分からなかったが、3人の表情を見る限り、自分達が極東に来る以前に何かあった事だけは予測出来ていた。

 

 

「何故とは考えない方が良い。あの時とは違う可能性も高い。それに、事実上の新種だ。挙動には注意した方が良いだろう」

 

「だな。しかし、よりによってこんな場面ってのもな」

 

「考証は何時でも出来ます。とにかく今は集中しましょう」

 

 金色の狼はガルムやマルドゥークの様に前足に何かが付いている訳では無い。

 どちらかと言えばキュウビに近い感じがあった。

 ガントレットに代表される様に、身を護る様な物を身に付けていないのであれば、確実に何らかの能力を持っている事になる。以前に対峙したフェンリルとも違う様に感じたのは偏にこれまでに蓄積された戦闘経験から来る物だった。

 小高い丘から音も立てず着地する。

 衝撃を感じさせないそれがこのアラガミの力量を物語っていた。

 お互いがにらみ合いとも取れる程に視線が交差する。半ば無意識の内に神機を構えた瞬間、何の前触れも無しに戦闘が始まっていた。

 

 

「散開して様子を見るんだ!無理はするな!」

 

 エイジの叫ぶ声と同時に全員が躊躇なく散開する。先程まで固まっていたはずの箇所には金色の狼が全身を如何なく活かした事によって衝撃を発生させると同時に地面が僅かに沈んでいた。

 

 

「リンドウさん、あのアラガミって……」

 

「実際には俺も直接交戦した訳じゃないんだ。だが、コンバットログを見た感じでは最悪のアラガミだな」

 

「でも、当時は討伐したんですよね」

 

「ああ。その代わり多大な代償も払ったがな」

 

 リンドウの言葉に北斗は改めてこのアラガミに対する認識を改めていた。少なくともクレイドルの中でも上位に入る人間の表情と言動からすれば、このアラガミがどれ程の物なのかは予測出来る。

 決して同じ個体ではないにしても、感情が揺らぐ程であれば事実上同じかもしれない。北斗もまた人知れず緊張しながらも集中を高めていた。

 

 

 



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第113話(幕外) 想定外の戦い

 まるで4人を嘲笑うかの様に金色の狼は動きを止める事はなかった。

 常に動き続ける事によって狙いを定まらない様に攪乱している。まるで最初から知っているかの様に動く事に、エイジだけでなく、ソーマもまた疑問を持ち始めていた。

 これまでに変異種の様な特殊個体であれば可能性があるが、このアラガミに関してはどこか野生の動物を彷彿とさせていた。

 

 アラガミの特性は極めて単純だった。捕喰欲求を満たす為に目の前にある物をひたすら捕喰する。これが自分よりも強大な物だとしても、死肉であれば当然の様にむさぼるのが常。しかし、このアラガミに関してはそんな可能性は皆無に等しかった。

 

 自分がどんな存在なのかを正しく理解しているからこそ、ゴッドイーターと言えど捕喰の対象となる。幾ら自分の命を脅かす存在だったとしても、気にならないのは、本能以外の何かが影響している可能性があった。

 アラガミ特有の進化を考えるのであれば、この金色の狼はキュウビを捕喰している可能性が高いと感じ始めていた。

 

 

「あれよりも厄介みたいだ」

 

「だからと言ってこちらがやる事は一つしかないがな」

 

「で、具体的にはどうするつもりだ?少なくとも、まともに交戦出来ないんじゃやり様が無いぞ」

 

 銃撃を回避し、時折命中はするが火力不足なのか、ダメージを受けた形跡は無かった。

 既に時間もかなり経過しはじめているからなのか、徐々に太陽の位置を確認する必要が出てくる。これが夏場であればまだ時間的には問題は無いが、この時期は日の入りが早い。

 純粋な時間ではなく、太陽の位置から考えればこのアラガミと対峙するだけの時間は残されていない。攻撃が当たらない為に苛立ちだけが先に募る。

 攻撃が互いに当たらない為に、千日手になりつつあった。

 

 

「このまま視界が悪くなればこちらの方が厳しい状況になるのは間違い無いでしょうしね」

 

 視線を動かす事無くエイジはリンドウの言葉に同意していた。完全に日没になってからでは確実にこちらの方が不利な状況になる。少なくとも自分達の視界が悪くなるまでには決着をつけたいと考えていた。

 無意識の内に腰に付けたポーチの中を探る。指先に触れたのはスタングレネードの先端だった。

 

 

「エイジさん。スタングレネードは?」

 

「手持ちは1個だけだね。北斗はどう?」

 

「すみません。全部使っていますので……」

 

 自分で立案はしたものの、これまでの戦いで北斗は手持ちのスタングレネードを使いきっていた。

 元々戦闘で使うケースが少ないだけでなく、普段から持ち合わせていない。普段のツケとも取れる結果に、内心は苦々しく感じていた。

 

 

「それも有効かもしれないが、やはり動き回る以上はそれを止めない事にはどうにもならないだろう。少なくとも足止めが必要だな」

 

「だが、それもどうするかだな……」

 

 疲れる概念が無いと言う程に動き回るからなのか、有効打はおろか目途すらも経たない。ただ時間だけが悪戯に過ぎようとしていた。

 

 

「リンドウさんはこれをお願いします」

 

「……エイジ。本当に大丈夫なのか?」

 

「このメンバーだと僕が一番適性が高いですから」

 

 エイジから渡されたスタングレネードが全てを物語っていた。

 エイジが使うのではなく、リンドウが使う意味は一つだけ。エイジ自身が囮になる事によって隙を強引に作る事。

 初めてキュウビと交戦した事を思い出したからなのか、リンドウの眉間には深い皺が入っていた。

 一方でエイジの言う事も理解できる。ギリギリの距離を見切って回避出来るのはこのメンバーの中では一人だけ。その事実を理解しているからなのか、ソーマからも異論は無かった。

 一方の北斗はそんな状況について行く事が出来ない。今はただ起こっている現実を見るだけだった。

 

 

「そうか……」

 

「大丈夫ですよ。その代わり、アリサには内緒でお願いします」

 

「それが可能なら苦労はしないぞ」

 

「まぁ、俺達が出来る範囲でならな」

 

 苦笑交じりに言う言葉にリンドウとソーマもまたつられた様に顔が綻ぶ。悲壮感が無いからなのか、先程までの空気は一変していた。

 作戦が決まれば後は淡々と作業の如く進めて行くだけ。それと同時に、北斗にもリンドウからの指示が飛んでいた。

 

 

「北斗、これからエイジが単独で交戦に入る。俺達は周囲に散ってから隙を見つけてこれを使う」

 

 リンドウの掌にあったのはスタングレネード。エイジが渡した物だった。単独交戦は事実上の囮でしかない。にも拘わらず3人の目には力が宿っていた。

 

 

 

 

 

 動き続けながらも金色の狼は4人を視界に捉えていた。

 知能が高い訳では無いが、本能から発する何かが警鐘を鳴らす。故に動きを止めれば待っているのは自身の死である事を認識していた。

 動き続けながらも攻め入る為の死角を探す。自身の躯体と人間の大きさを比べるのは間違いではあるが、あの4人から感じるそれは間違い無く捕喰される側ではなく、捕喰する側のそれと同じだった。

 

 アラガミと言えど無限の命がある訳では無い。周囲に散った事により、何らかの行動をしている事は間違い無かったが、狼からすればそれ以上の思考は出来なかった。

 1人の人間がこちらに向けて視線を飛ばす。事実上の挑発に、狼は当然だと言わんばかりに牙を剝いていた。

 

 互いの視線が交差したのは一瞬だった。

 お互いが相容れない存在である以上、どちらかが死ぬまで闘争が止む事は無い。それは一つの摂理の様だった。

 捕食者と非捕食者。互いの主張が交わる事は無かった。だからなのか、これまでは対峙しや隠元が常に警戒しながら集団を作っていた。しかし、今目の前に動こうとしているのは一人だけ。他の人間の様な殺気や気配すら感じにくいからなのか、狼は目標を決めていた。

 

 

 

 

 

「全員、視線を外すな!」

 

 リンドウの言葉にソーマと北斗もまたエイジと金色の狼の挙動から視線を外す事は無かった。

 互いがそれぞれの得意とする距離をとった瞬間、凍り付いたかの様に止まった時が動いていた。

 あの当時、際どい部分で対峙したあれが嫌が応にも思い出す。当時は『黒揚羽』の封印を解いた事によって討伐したが、今回はそれを完全に封印していた。

 

 一度ならず二度三度と使う事によってその動きと速度を脳ではなく、肉体が記憶していく。今のエイジは半ば無意識の内にあの時と同じ動きをトレースした事が可能だった。

 単独で飛び出す事を察知していたからなのか、金色の狼もまたエイジを捉えようと先程までの動きを取る事はなかった。

 

 獲物を捕喰する為にその動きを完全に視界の中に留める。今の狼にとってリンドウ達の事は記憶の片隅へと追いやっていた。

 疾走すると言うには余りにも早すぎていた。

 本来四つ足の生物は、短く跳躍する様に疾走する。狼もまた先程までの移動はまさにそれだった。

 しかし、エイジに対しては、やや長めに跳躍しているからなのか、まるで大地を滑るかの様だった。

 長いが故に急な方向変更は出来ないが、その分視界は安定する。これまでに動きを見切ったからなのか、狼はまるで意にも介さないとばかりに突進していた。

 

 

「エイジさん!」

 

 北斗の叫びはある意味では仕方なかった。これまでとは違う移動方法は少なからず動揺を誘う。これがブラッドであれば当然だった。しかし、これまで幾度となく同じ死線を潜り抜けた2人からすれば、ある意味では何時もの行動。アリサに言わない様に言ったのは、偏に無茶をした事がバレて説教を食らう可能性を示唆しただけだった。

 

 普段からお互いを尊重しているとは言え、アリサが心配するのはある意味では当然だった。

 これまでに厳しい戦いを潜り抜けた際には必ずと言って良い程に無茶をした高い代償を払い続けている。それが神機の特性であることは理解しているが、それでもやはり心情的には心配していた。

 場を和ませる為に言った言葉ではあったが、北斗からすればそうは捉える事が出来なかったが故だった。

 

 

「北斗、焦るな。まぁ、見てろ」

 

「ですが……」

 

 リンドウの言動は明らかに厳しい表情ではなかった。精神的な落ち着きを持っているからなのか、どこかゆとりが見える。だからなのか、リンドウの言葉に北斗も少しだけ落ち着いてみる事を決めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金色の狼の突進はエイジの予想を超えた速度だった。

 先程までは十分だと感じた距離が一気に失っていく、互いに交差するだけでなく、その移動速度が全てを物語っていた。

 鍛えられた動体視力は狼の躯体だけでなく、恐らくは攻撃するであろう前足の部分を見ていた。

 互いの速度が乗った状態での攻撃は些細な物でさえも致命傷になり兼ねない。今のエイジの役目は3人の意識と完全に切り離す事だった。

 だからこそ、ギリギリで回避しながらカウンターで攻撃を当てる。その瞬間に飛んでくるのはリンドウの持つスタングレネードの予定だった。

 迫り来る躯体。エイジもまた漆黒の刃を当てようとした瞬間、首筋に嫌な予感が迸る。その意味が何なのかはコンマ数秒後だった。

 

 

(あれは……拙い!)

 

 刃を当てようとした瞬間に飛びこんで来たのは巨大な爪だった。

 鋭く大きなそれはある意味では神機と何ら違いが無い程。通常であればこれだけでも脅威のそれは、僅かにその形を歪めている様に見えていた。

 何時ものギリギリではなく、少しだけ距離を開けて大きく回避せざるを得ない。それ程までに何かがある様に感じていた。

 交差した瞬間、エイジはその直感を改めて理解する。金色の狼は爪に真空の刃の様な物を巻きつけていた。

 着地した瞬間に、風圧によって周囲の砂が飛ぶ。明らかにただの着地だけでは起こらない現象に、エイジもまた厳しい戦いになりそうだと理解していた。

 

 

 

 

 

 

《リンドウ。交戦中のアラガミは新種なのか?》

 

「そうみたいですね。俺はそうでもないですが、ソーマとエイジは少なくとも過去に見た記憶がありそうですけど」

 

《そうか。どんな謂れがあるかは分からんが、油断はするな》

 

「了解です」

 

 何時ものおどけた空気はそこには無かった。

 ツバキが戦闘中に開戦に割り込んでくるとなれば、アナグラでも観測しているはず。間違い無く難敵である事に間違いは無かった。

 詳しい事は分からないが、エイジが直前に取っていた行動に意味が無いはずがない。今必要なのは確実に足止め出来る手段が自身の手の中にある事だけ。幾ら表情は取り繕おうが、その態度だけは雄弁に物語っている様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はい。了解しました。直ぐにこちらも開始します」

 

「コウタ、どうかしたんですか?」

 

「どうやらエイジ達の交戦相手が新種らしい。で、厄介なのは………」

 

 エイジの言葉は空しく、ツバキを経由してそのままコウタ率いる第一部隊にも連絡が入っていた。

 通信が切れると同時に珍しくコウタの表情が歪む。何となく嫌な予感を感じたからなのか、アリサはコウタに確認していた。

 

 

「ちょっとだけ、良いか?」

 

「ここじゃ拙いんですか?」

 

「拙くは無いんだけど………」

 

 言い淀むコウタにアリサは何となく何かを察していた。コウタが言い難いのであれば、それはまだクライドルが第一部隊時代に関係する事実。

 エリナやエミールはおろか、ハルオミでさえも聞かせていい話しではなかった。だからなのか、コウタとアリサだけが少しだけ場所を離れる。

 周囲の警戒を未だ解いていないからなのか、コウタが一言だけ告げた事によってエリナ達もまた、自分達の出来る事をやっていた為に聞かれる事は無かった。

 

 

 

 

「……で、何があったんです?」

 

「以前に、ガーランドが支部長やってた頃に、人工アラガミが居たろ?今回の新種はあれに近いらしいんだ」

 

 ガーランドの言葉にアリサもまた珍しく苦々しい表情を浮かべていた。

 当時の事情は今思い出しても良い物ではない。ましてや人工アラガミがもたらした事によってエイジに命の危機が訪れたのもまた事実。

 だからなのか、コウタが言い難い事の可能性が思い当たる。決してゼロではない。だからなのか、アリサの目尻が険しく吊り上がっていた。

 

 

「まさかとは思いますが……」

 

「まだ詳しい事は分かってないんだ。ただ、思ったよりも苦戦してるらしい」

 

「苦戦って……あそこにはソーマとリンドウさん、北斗さんも言ってますよね」

 

「動きがかなり早いらしく、牽制がしにくいらしい。それと、連戦が祟ってるから物資の数も厳しいみたいなんだ」

 

 第一陣が壊滅した事によってこれまで厳しい戦いを強いられてきた部隊は一時的に補給を行っていた。

 元々アナグラから近い事もあってか、補給そのものはスムーズに行われている。しかし、肝心の第二陣に関しては未だ激戦区の真っただ中の事もあり、その補給は未だなされないままだった。

 

 当然ながら回復の手段を失えば、後は回復弾による最低限しか行われない。消耗したままの戦闘は命にも影響を及ぼす。幾つかの中心から外れた部隊は可能だが、その中心を担うエイジ達とブラッドに於いては厳しい戦いを余儀なくされていた。

 

 

「だったら……」

 

「俺もそう思ってるんだけど、準備に手間取ってるらしい。で、完了後には直ぐに送り届ける手筈になってるんだ」

 

「サクヤさんがそう言ったんですか?」

 

「ああ。それとツバキ教官も同じ意見らしい」

 

 突然の名前にアリサは驚いていた。

 ツバキがアナグラに行く事は殆ど無い。月の内に数回は足を運ぶ事はあるらしいが、アリサも完全に知っている訳では無かった。

 今回の件は恐らくは偶然の結果。本来であれば色々と思う部分が無い訳では無いが、ここで幾ら考えた所で何かが変わる訳では無い。そんなツバキが指示を出している以上は何らかの考えがあっての事。

 だからなのか、アリサはそれ以上の詮索をする事はしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思ったよりも厄介だな。ソーマ、お前達が討伐したあれも同じだったのか?」

 

「いや。見た目からそう判断したが、中身は別物だ。あれはただ破壊のみを優先していたが、これは違う。でなければエイジもあれ程苦戦する事は無いはずだからな」

 

 エイジが事実上の囮になったからと言って、他の人間が何もしていない訳では無かった。

 エイジを軸に集団ではなく、あくまでも個人として散開する事によって狼の影響を限りなく薄くしていた。

 

 この面子の中ではエイジが一番気配を絶つ事が上手い。ソーマやリンドウに関しては気配はおろか、その存在を消す事は不可能に近かった。

 足音が出るのであれば、それ以上は出ない様にするしかない。だからなのか、隠すのではなくなるべく狼が着地するであろう予測地点を素早く割り出し、着地と同時に攻撃をしかけていた。

 スタングレネードを使おうとしても、実際に行使は出来なかった。

 アラガミに対し、絶大な効果を発揮するとは言え、その範囲から外れればスタングレネードはただ発光するだけに終わってしまう。

 ギリギリで回避したエイジからもたらされた情報はソーマ達にとっても厳しい現実を突きつけられただけだった。

 

 鋭い爪以外に不可視の刃でもある風を上手く使っている。その結果、どれ程の範囲をカバーしているのかを感知しない限り攻撃は厳しい物だった。仮に今のメンバーの中でコウタやアリサが居れば話は変わったかもしれない。

 しかし、無い物を強請った所でどうしようも無かった。

 

 

「せめて遠距離型を中心とした人間が居れば多少は違うんだがな……」

 

「ならばお前がやれば良いだけの話じゃないのか?」

 

「馬鹿言うな。それが出来るなら当の前にやってるさ」

 

「だろうな。言ってみただけだ」

 

「ったくこんな時に冗談かよ」

              

「そうでも無ければやってられん」

 

 狼は当初とは違い、リンドウ達も視野に入れていた。

 リンドウが言う様に遠距離型が一人ないし二人いればこの戦局は確実にこちらに傾く。しかしながら誰もが得意としていないからなのか、時間をかけて追い詰めるよりなかった。

 時間だけが無駄に浪費する。時間にはまだ余裕がある。できることなら日没になる前に仕留めたかったが、今となってはどうしようもなかった。

  

 

《リンドウ。そちらの状況はどうだ?》

 

「まだ厳しいって所ですかね」

 

《一先ずは物資の補給を兼ねた援軍をそちらに送る。もうそれ程時間は残されていないんだ。直ぐにでも決着をつけるんだ》

 

「了解です。姉上」

 

《………まぁ良いだろう。とにかくこのまま時間だけが経過しても碌な結果を生まない。直ぐに動くんだな》

 

 ツバキからの通信にリンドウは苦笑しながらも返事を返していた。現状はまだ中盤に差し掛かった程度。未だ金色のままの狼は剥き出しの牙を見せながらこちらを睥睨していた。

 

 

「って事で、姉上からも厳しい話が出てる。そろそろ決着を付けない事にはこちらが不利になるのは宜しくないな」

 

 リンドウの言葉に全員が改めて認識する。

 このまま日が落ちた状態で戦闘を続ければ明らかにこちらが不利になるのは当然だった。アラガミが日没程度で攻撃を緩めるはずがない。だからなのか、残された時間を考えてもここからは一気に勝負に出る必要があった。

 

 

 

                          



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第114話 緊迫した間合い

 太陽がゆっくりと沈むにつれて、これまではまだ温かさが残った気温は徐々に冷えだしていた。

 この時期は太陽が沈み込むと一気に冷え込む。冷えは本来であれば活動にも影響を及ぼすが、今の4人にとってはそんな影響は微塵も無かった。

 吐く息は少しづつ白くなりつつある。既に時間はあと残す所十数分程度しか無かった。

 

 

「そろそろ決着をつけたいんだが、姉上から有難い事に援軍と物資が来る。あと数分らしいが、それまでにある程度のダメージは与えておいた方が良さそうだな」

 

 リンドウの言葉に全員が頷いていた。

 金色の狼は周到な動きを見せるからなのか、攻撃の隙は思った以上に少なかった。

 これまでは自身の体躯を活かした攻撃が主だったが、日没を視野にしているからなのか、攻撃の方法は徐々に変化していた。

 これまでに無いと思われていた遠距離型の攻撃は色々な意味で厄介だった。

 ハンニバルの様に火炎を吐く訳では無いが、前足を鋭く振る事によって生まれた不可視の刃は、エイジだけでなく、ソーマもまた近づく事が出来なかった。

 

 まだエネルギーの塊の様な攻撃であれば回避か防御は可能だが、不可視の攻撃となれば、回避は出来ず常に防御を要求していた。

 単体だけではなく、時折連続した攻撃を繰り出す事によって間合を詰める事が出来ない。幾らエイジの斬撃が鋭かったとしても、距離が足りなければ攻撃出来ないのは当然だった。

 だからこそ、リンドウの言う援軍到着と同時に攻めるやり方に意味がある。

 これまでの近接攻撃一辺倒から遠距離、中距離を活かした攻撃が加わる事によって繰り出す電撃戦で一気にケリをつける。これが現時点で考えられるやり方だった。

 

 

「後はその攻撃をどうるのかだろ?これまで戦ってあれだけのダメージなら、どうするのかが先決だろうが」

 

「まぁ、その通りなんだが……」

 

「あの……それなら援護射撃を絡めたらどうですか?」

 

 打開策が見つからないままの攻撃は精神を摩耗させていく。少なくともこれまでのやり方が通用しないのであれば新たな戦術を構築するのは当然の事だった。

 そんな中で北斗の言葉に誰もが注目する。分かってはいたものの、その前提が無いからこそ今に至っていた。

 

 

「それは……まぁ、何だ。北斗、やってくれるのか?」

 

「背に腹は代えられませんから。やれるだけの事は必要かと」

 

 普段のブラッドであればこうまで畏まる事はない。ブラッドは元々ジュリウスが言う様にどこか家族の様な雰囲気はある。だからこそ気軽に言える雰囲気はあるが、このクレイドルの中ではどうしても恐縮していた。

 この場に居る全員が事実上の最高戦力。ブラッドアーツこそ無いが、その卓越した技術と攻撃力は北斗が知る中では最高峰だった。

 元々旧第一部隊である事も影響しているのかもしれない。だからこそ今の状況を打開する為にと北斗は口を開いていた。

 

 

「そうだな。何時までもエイジにおんぶに抱っこはみっともないしな」

 

 通信機越しでも、今のリンドウの言葉はどんな表情を浮かべているのは見るまでもなかった。

 現時点ではエイジを中心に狼と対峙している。少なくともこの戦闘が始まってからエイジは一度も集中力を切らした事は無かった。

 実際にゴッドイーターと言えど精神までは強化されていない。永遠とも取れる戦闘の中でも未だ集中力が続くのは見事だった。

 勿論リンドウだけでなくソーマもまた理解している。苦手だからと言う前に何かしらの打開策を打ち出すのはある意味当然の事だった。

 

 

「射線の事もあるから、北斗と俺は交差する感じでやる。で、ソーマは……」

 

「俺のやれる事をやるだけだ。状況は分かってる」

 

「って事だ」

 

 狼との距離を一定上に保つエイジを見ながらリンドウとソーマは行動を開始している。北斗もまた、リンドウの移動先を予測しながら行動を開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今の状況はどうなてるんですか?」

 

《まだ交戦中です。エイジさんが牽制しながらアラガミと交戦中です。ですが、状況的には良いとは言えませんね》

 

「ヒバリさん。到着まであとどれ位ですか?」

 

 ヘリで移動しながらもアリサだけでなく、コウタもまた情報を確認していた。

 画像が無い為にほとんどは推測ではあったものの、これまでの戦闘経験から現状は何となく理解していた。

 移動の際にも幾つかの数字を見るが、大きく変動する事は無かった。

 

 これまでの可能性を考えるとエイジが牽制をしながらリンドウ達が攻撃をする方針は既に周知の事実。本当の事を言えばアリサもそれに関しては何も言う事は無かった。

 問題なのは、あの当時と同じだった場合、その結末もまた同じになる可能性だった。

 今の神機は完全に封印されいてる為に強引にでも発動する事は無い。命の面だけで言えば、脅威は何も無いのと同じだった。

 

 厄介なのはそれ以外の点。囮よりも厄介なのは日没による視界不良の可能性だった。

 これまでに夜戦の経験が無い訳では無い。視界不良とは言え、幾度となく戦っているが、あれはあくまでもデータがあるからこその対応。新種に関してはこれまでに一度も無いと言っても過言ではなかった。

 完全に闇夜ではないが、天候はそれ程良い訳では無い。月明りすら無いままの戦闘がどれ程危険なのかは言うまでも無かった。

 

 

《そろそろ有視界で確認出来る距離になります。厳しいとは思いますがお願いします》

 

「分かりました」

 

「アリサ、見えてきたぞ」

 

 ヒバリの通信が切れる間際、交戦中と思われる場所に近づきつつあった。

 ここまで来れば後はやれる事をやるだけ。アリサだけでなくコウタもまた表情は徐々に険しさを出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「準備は良いぜ」

 

「了解です」

 

 エイジの耳朶に飛び込んだのはリンドウの短い言葉だった。

 これまでの経緯は戦闘をしながらでも通信機越しに聞いている為に打ち合わせをする必要はなかった。

 既に準備を終えたからなのか、リンドウだけでなく北斗もまた銃口を特定の場所に向けている。今のエイジに求められるのはその場所までの誘導だった。

 全身を間断なく動かすアラガミの方向性をゆっくりと誘導する。ここまでの一連の流れは完全にエイジの手の内だった。

 

 これまでに築き上げた戦闘経験は伊達ではない。幾ら個体差がろうとも、アラガミの基本的な特性に大きな違いは無かった。

 本来でればこの事実を榊に伝えれば、確実に何らかの研究を始める事は間違い無い。

 しかし、この経験則はあくまでもエイジの主観であって客観性は皆無。内容に関してはエイジも理解しているが、やはり推測の域を出ない物を態々言う必要は無いと考えていた。

 そんな経験則から導き出された誘導は新種と言えども同じ反応だった。

 これまで手強いと感じた人間が徐々にその行動に綻びが出た場合、確実に待っているのは追撃だった。

 長時間の戦闘はアラガミにとっても脅威の対象となりやすい。どちらが狩られる側なのかを示すのにこれほど分かり易い物はなかった。

 だからこそ、誘導の為に少しづつ毒を浴びせるかの様に動きを緩慢にしていく。

 ギリギリの攻防を繰り返した獲物に問題を抱えるとなればその結果はある意味では当然だった。

 気が付かれない様に狼を誘導する。あと3歩下がれは待っているのは2人からの一斉射撃だった。

 

 

「今だ!」

 

 リンドウの声に北斗もまたオラクルが尽きるかの如く引鉄を引いていた。一方方向ではなく交差する射撃の為に回避すべき場所は限られてくる。

 目の前のエイジと対峙しながら被弾するのは愚策だからと狼は大きく後方へと跳躍を開始していた。

 

 

「飛んで火にいる……か」

 

 狼が跳躍した先に居たのはソーマだった。イーブルワンの鋸状の刃は明らかに腰部を狙っている。

 ここが一つの転換点。当然ながら狼もまたその攻撃を甘んじて受けるつもりはなかった。

 空中で身を捩り、少しでも方向転換を図る。直撃よりはマシだと判断した結果だった。

 予想地点よりも外れた為に鋸状の刃は掠めるだけに留まる。ここからは一気に追撃をしようとした瞬間だった。

 

 

「ッ、ソーマ!」

 

 エイジの叫び声はソーマには届かなかった。

 狼は着地した瞬間、掠めた刃を気にする事なく再度跳躍する。ここからは反撃をされるはずだと思った瞬間、大気は予想外に震えていた。

 

 

「エイジ!」

 

「エイジさん!」

 

 狼の形状をしている以上、一つだけ可能性はあった。

 しかし、これまでのアラガミの事を考えれば、その行為はそれ程気になる可能性が低いと誰もが無意識の内に考えていた。だからこそ、狼の至近距離に居たソーマは直撃している。

 狼が放ったのは、音響攻撃とも取れる咆哮だった。音の塊が至近距離にいたソーマを直撃した事によって無防備に受ける。

 ソーマは通常のゴッドイーターととは違い、聴力は常人以上となっている。その結果、エイジ達よりも激しい結果をもたらしていた。

 一瞬だけ飛ぶ視界。三半規管もまた麻痺したからなのか、意識の回復が遅れていた。

 元々反撃をする為だったからなのか、狼は巨大な牙を隠す事無くソーマへと向ける。誰もがソーマの事を心配したと思われた瞬間だった。

 

 

「ソーマぁあああ!」

 

 狼の事実上の突進に対抗すべく飛び出したのはエイジだった。

 既に盾を展開しているからなのか、その目的は考えるまでもない。

 しかしながらこの状況での防御はある意味では危険も孕んでいた。ラージシールドではなくスモールシールド。それとアラガミの体躯は巨大な質量体となっている為に、完全に勢いを遮断する事は不可能だった。

 牙で止めを刺す前に、前足によって衝撃を与える。既に狼の前足は完全にソーマを狙っていた。

 

 重い一撃の直撃を防ぐ事が出来たのは僥倖だった。

 鋭い爪で攻撃を受ければ無事である可能性は低い。だからこそエイジは半ば無意識の内に飛び出していた。

 ソーマに迫る爪は死神の一撃。幾らソーマと言えど、無事で済むとは思えなかった。

 だからこそ、後先を考えない行動に出る。そのツケがエイジを脅かしていた。

 一撃目を防いだまでは良かったが、次の攻撃には無防備となっている。

 本来のエイジであれば当然読んでいたはずの行動。想定外の窮地によってその事実は完全に消え去っていた。

 完全に一方向からに集中した為に次の攻撃にま間に合わない。エイジはそのまま狼の一撃を受ける以外の選択肢は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コウタ!援護して下さい!」

 

「どうしたんだよアリサ!」

 

「良いからさっさとやりなさい!」

 

「お、おう………」

 

 アリサの行動にコウタはそれ以上は無駄だと悟ったのか、反論する事無くアリサの指示に従っていた。

 詳しい事は分からないが、アリサがああまで動揺するのは最近では早々無かった。

 時間を惜しむかの様にアリサは降下の準備を開始する。扉を開けた事によってスカートのすそがはためくが、アリサはそんな事すら気にする事無く一気に降下する。

 その後にコウタの目に飛び込んで来たのは吹き飛ばされたエイジの姿だった。

 

 

「ヒバリさん。エイジのバイタルは!」

 

《今の所はギリギリですが大丈夫です。ですが、このままだと危険な事に変わりありません》

 

「って事はまだ無事って事だな」

 

《はい。一刻も早くお願いします》

 

 コウタの問いにヒバリの声も僅かに動揺が走っていた。

 どんな状況なのかは分からないが、戦線が崩壊すればどうなるのかは考えるまでも無かった。

 それと同時に負傷者にエイジの名が入れば確実に士気は下がる。只でさえ時間にも余裕が無い中での情報は最悪の一手だった。

 だからこそ、アリサはコウタに指示を飛ばすと同時に行動を開始している。それを悟ったからなのか、コウタもまた直ぐに降下を開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北斗!フォロー頼む!」

 

「了解!」

 

 2人が弾き飛んだ光景を、リンドウは見た瞬間に駆け出していた。

 金色の狼の一撃がどれ程の物かは大よそながらに想像出来る。双眸に映るのは意識が半ば飛んでいる様に見える白い制服。エイジだけでなく、ソーマもまたその衝撃を殺しけれなかった為に一緒になっていた。

 本来であれば衝撃をそのまま受ける為に、肉体は強化されていても飛散する。しかしリンドウの視界に映るそれはそんな事は無かった。

 攻撃を受ける瞬間に衝撃を逃がす為に脱力したからなのか、それとも無意識の内に後方に飛んだからなのか、見た目にも損傷している様には見えなかった。

 だからと言って完全に無事である保証はどこにも無い。リンドウが駆け出したのは追撃をさせない為だった。

 疾駆するも距離的にはまだ足りない。むしろエイジ達からの距離はまだ狼に分があった。このままでは最悪の展開になり兼ねない。リンドウは走りながらも嫌な予感だけが過っていた。

 

 

「リンドウさん!」

 

 北斗もまたリンドウ同様に焦りを持っていた。

 ブラッドとしての経験はするが、厳しい戦いに関してはクレイドル程経験した訳では無い。

 ましてやリンドウに至ってはベテランの領域。だからこそリンドウの声に応じはしたが、それでも一歩動くのが遅かった。

 改めて牽制の為に銃口を狼へと向ける。倒す為では無く牽制だからこそ、そのまま引鉄を引くだけだった。

 

 適当な方向に向けて狙いを定める。本来であればそのまま人差し指は引鉄を引くが、上空からの気配にそれ以上動く事は無かった。

 天より降り注ぐかの様に緑の光弾がエイジとソーマに向けられたと思った瞬間、金色の狼の頭上には幾つもの銃弾が降り注いでいた。

 止めを刺す訳では無く牽制に近いからなのか、リンドウもまた直前で強引に停止する。本来であれば苦々しい表情を浮かべる事になるが、リンドウの表情からはそれらが一切感じられなかった。

 

 

「おう!」

 

 雨霰と言わんばかりに銃弾の雨が降り注ぐ。数多の銃撃を受けたからなのか、金色の狼の動きは僅かながらに封じ込まれていた。

 決定的な隙を逃すほどリンドウは甘くない。全力で2人の下へと駆けると同時に上空からの攻撃の意味を理解していた。

 

 

 

 

 

「エイジ、大丈夫か?」

 

「ええ。何とかですが」

 

「そうか。アリサ達が援軍で来ている。このまま一気に決着をつけるぞ」

 

 リンドウの短い言葉にエイジだけでなく、ソーマもまた理解していた。

 咆哮によって一端は中断したが、先程の攻撃はある意味では理想だった。

 銃撃によって動きを封じ込め、一気に最大火力で決着をつける。問題もまたアリサとコウタが来たことによって解消されていた。

 突如として訪れた好機は、ある意味では最後の攻撃になる可能性があった。

 

 

「もう時間も無いですからね。一気にやりましょう」

 

 既に太陽は完全に沈みきっていた。

 今残っているのは太陽の残滓。それもまた数分後にはその存在すら感じられない程だった。

 どれ程時間が残されているのか分からない。今出来る事が何なのかを全員が理解しているからなのか、意思統一は滞りなく進んでいた。

 

 

 

 

 

 

「基本はさっきと同じだ。ただ二度目だから警戒してる可能性は高いぞ」

 

 リンドウの言葉に誰もが改めて確認をする。

 先程と同じ攻撃が通用しない事は間違い。しかし、今回はアリサとコウタが加わった事によって射線が増える。警戒しながらも金色の狼の包囲網は完成していた。

 誰かが合図した訳ではない。まるでその姿が溶けるかの様にエイジは漆黒の刃を構え、その場から消え去っていた。

 

 

「気を抜くな!」

 

 エイジは姿が消えたと思った瞬間、狼の眼前まで迫っていた。

 闇の中で戦うことが出来るのはアラガミだけではない。エイジもまたこれまでのデータを完全には把握した事によって動きの予測を可能としている。

 

 決戦は唐突に始まっていた。

 漆黒の刃が向かった先にあるのは、これまで幾度となく苦しめられた前足。一振りで何もかもを切断する爪を真っ先に排除する事だった。

 光を纏うことなく漆黒の刃が斬りつける。一度懐に入ればそこは完全にエイジの間合いだった。

 近寄る事を嫌がるからなのか、狼は右の前足を横に薙ぐ。ソーマを護る為に受けた攻撃は今のエイジにとってはそれほど苦にはならなかった。

 大気の揺れを肌で感じ、ギリギリの間合いで回避する。

 痛烈な攻撃をするでのはなく、最初から目的が前足だったからなのか、僅かに疾る剣閃は赤をまき散らしながら足の部分を斬り飛ばしていた。

 追撃する事無くその場から瞬時に退避する。待っていたのは3人による一斉射撃だった。

 

 

「来るぞ!」

 

 3人による一斉射撃によて金色の狼は再度咆哮を吐こうとする。それが何を意味するのかを察知したからなのか、そこからのリンドウの動きは迅速だった。

 エイジから渡されたスタングレネードが狼の眼前で炸裂する。白い闇が完全に太陽が沈んだ事で出来た夕闇を取り払っていた。

 

 

 



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第115話 新たな戦場

 起死回生とも取れる白い闇はアラガミの運動を全て停止させていた。

 これまでの記憶の中でスタングレネードを無効化したアラガミは1種類だけ。それを除けば今までの経験の中でも獣に近い性質を持つアラガミ程、その効果は計り知れない物があった。

 

 目の前の金色の狼も例外ではない。

 事前に来る事が分かっていたエイジはアラガミの目前で瞑目する行為に出ていた。

 アラガミとの交戦の中で視界を奪われる事は死に近い物がある。事実、この戦いでも急ぐ理由はそこにあった。

 視界不良の中での交戦は生存率が大幅に減少する。そうなれば討伐ではなく、生き残る事が最優先とされていた。

 アラガミと対峙して瞑目するのは一定以上の距離があった場合のみ。そんな常識を無視するかの様にエイジは視界を塞ぐことによって聴覚や嗅覚を頼りに行動していた。

 

 スタングレネードが放つ閃光は時間にして数秒。直視すれば視界は完全に失われるが、事前に視界を遮断すれば、その影響は一切無かった。

 だからこそ事前に見た狼の位置と、感じる気配だけで目標の場所へと移動する。

 閃光が消え、目を見開いた瞬間飛び込んで来た光景は、視界を潰された狼だった。

 

  エイジが持つ漆黒の刃は既に狼を捕捉していた。

 本来であれば更に懐に入ると同時にそのまま止めと言わんばかりに攻撃を仕掛けるが、それ以上踏み込む事はしなかった。

 新種の討伐で一番必要な要素は臆病さ。これまでの様なアラガミであれば、その後の動きは予測できるが、新種となれば次の行動が読めない。スタングレネードを信用はするが、信頼まではしていなかった。

 だからこそ、届く範囲の部分だけを斬りつける。確実に攻撃の手段を失わせる事を優先していた。

 

 

 

 

 

「俺達も行くぞ!」

 

「ああ!」

 

 リンドウの言葉に反応するかの様にソーマもまた狼の元へと疾駆していた。

 先程と同じ様なパターンではあるが、決定的に違うのは狼が大きな隙を作った点。咆哮を放つにせよ、既にエイジが飛び込んだ今では最早その選択肢すら無かった。

 仮に放つ為に息を吸い込めば、エイジの刃が即座に喉元を強襲する。側面と背後からの行動はそんな可能性を完全に潰した結果だった。

 

 

「そのまま沈め」

 

 キュウビの様に回転する事によって弾き飛ばす可能性も考慮したからなのか、三人の接近は時間差となっていた。

 一の刃をエイジが、二の刃をリンドウが、三の刃をソーマが放つ事によって最悪の事態を回避する。エイジの刃が届いた瞬間に聞こえたのは狼の悲鳴だった。

 

 

「アリサ!俺達もやるぞ!」

 

「了解!」

 

 三人を援護するかの様にコウタとアリサ、北斗もまたオラクルが尽きるまで一気に掃射する。機敏な動きさえ無ければ、幾らアラガミと言えど訓練場のダミーと大差なかった。

 幾度となく放たれた銃弾は全てが動きを封じる箇所へと着弾する。この時点で戦闘の結末は見えていた。

 掃射した事によって砂塵が渦巻く。既に太陽の光を感じる事は出来なかったからなのか、狼の姿を確認する為には僅かに時間を要していた。

 悲鳴と同時に叩き込んだ攻撃は手応えを感じている。風が無いからなのか、砂塵が消滅するまでの時間がやけに長く感じ取れていた。

 

 

 

 

 

(まだ息がある)

 

 砂塵によって姿を隠した狼の状況は何も分からないままだった。

 本来であればアナグラからバイタルの状態を示す通信が届くはずだが、エイジはその通信を切っていた。

 決して信用していない訳では無い。ただ純粋に自身の眼で、耳で確認した方が確実だと判断した結果だった。

 

 あの忌々しいとさえ感じたアラガミに酷似している。だからなのか、エイジは自身の手で完全に決着をつけたいと考えていた。

 本来であれば確実な方法を取るのが通常の考えかもしれない。しかし、あの当時は神機の封印を解かなければ倒しきれなかった相手。

 特殊な溶解液を飛ばす様な事は無いが、それでも当時と今がどれ程違うのかを確かめたい衝動があった。

 

 確実に実行すればアリサから小言が出るかもしれない。それでも尚、エイジは金色の狼の止めに拘っていた。

 時間の経過と共に回復する可能性も捨て切れない。

 今出来る事が何なのかを考えるまでも無かった。僅かにとらえた狼のシルエット。エイジは再度気持ちを入れ直すと同時に意識を集注させていた。

 

 

 

 

 

「あの馬鹿が!アリサ、フォローしろ!」

 

「了解!」

 

 エイジが動いた事に気が付いたのはその場に一番近かったソーマだった。

 実際にエイジが行動を起こした事に気が付いたのではく、純粋に砂塵が揺らぐ瞬間を見たからだった。事の起こりが見えない移動が出来るのはアナグラではエイジを含め二人しか居ない。

 その内の一人が居ない以上は、誰なのかは直ぐに分かった。

 一呼吸遅れた状態でソーマは再び狼へと詰め寄る。突然言われたアリサもまた何かを感じたからなのか、レイジングロアの銃口を狼へと向けていた。

 

 

 

 

 視界は無くとも狼が何をしようとしているのかはエイジには何となく予想出来ていた。

 これまでに培った勘からすれば、確実に何らかの反撃をするのは間違いない。そしてこれまでの攻撃手段を考えれば自ずとそれが何なのかが理解出来ていた。

 気配を頼ると同時に砂塵の中に入った瞬間、その目を閉じる。

 耳から入る情報を基にエイジはその刃を自然と振るっていた。

 自身に迫る攻撃は態勢を低くすることによって回避する。

 攻撃が回避された後に狼が出来る事は何一つ無かった。

 感じる気配をそのままに無駄の無い力で鋭く振りぬく。その先にあったのは狼の喉笛だった。

 鋭い斬撃に狼の喉からは遅れて赤が噴出する。返り血を浴びる事無くエイジはその場から離脱していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれだな………そう言えば、あれが例のアラガミに似てたんだよな」

 

「そう……っすね。でも、今回のあれも大変でしたけど」

 

「お前は後からきてぶっ放しただけだろ?」

 

「……俺達だって大変だったんで」

 

 横たわった金色の狼は既に動く気配は無かった。

 実際に通信機からもバイタルの反応が無い事は知らされている。リンドウは懐から取り出した煙草に火を点け、そのまま咥えたままコウタと話していた。

 二人の視界に入るのはアリサに詰め寄られているエイジの姿だった。

 あの時のエイジの行動をソーマが知れたのは偶然に等しい。少なくともリンドウだけでなくコウタも気がつかなかった。

 結果的には討伐はしたものの、内容は褒めらえたものでは無かった。

 不意に聞こえたのは偶然だったのかもしれない。風に乗って聞こえたのはアリサの声だった。

 遠目から見る二人の姿は何となく心配している様にも見えるが、実際にはそれ程アリサは怒っていない様にも見える。

 恐らくは討伐の為に突っ込んだ事よりも、周りをもっと信頼してほしい事が前面に出ている様だった。

 

 

「でも、まぁ、何だ。新種が出ればああ言った場面があるのも事実なんだよな。誰かがやらないとって事なんだが」

 

「だったら今度はリンドウさんがやりますか?」

 

「よせやい。俺はもういい歳なんだ。少しは楽させろ。それに何時までも俺に頼るのはいい加減、卒業しないとな」

 

 一仕事終わったと言わんばかりにリンドウは煙草に火を点けていた。肺にまでゆっくりと入り込んだ紫煙はそのまま口から吐き出される。

 既に視界は闇に染まっているが、アリサから聞こえる声がどんな状況なのかは何となくでも理解していた。

 

 

「で、お前さんはどうしたんだ?」

 

「いえ。まだまだ先は長いと思っただけなんで……」

 

 リンドウの視界に留まったのは少しだけ浮かない顔をした北斗だった。

 このアラガミが厄介だったのは対峙した北斗も理解している。実際にどれ程厳しい戦いだったのかは言うまでも無かったが、このまま凹ませるのは申し訳ないと判断したからなのか、リンドウは改めてフォローしていた。

 

 

「あれと比べるな。ああ見えてここでの討伐数は一番なんだ。それにあいつの元で鍛錬を続けりゃ結果は考えるまでも無いさ」

 

「ですが……」

 

 リンドウの言葉を受け入れはするが、北斗は少しだけ意固地になっていた。

 ブラッドの隊長としてではなく、純粋に個人として技量が劣っている。そんな北斗の様子を見たリンドウはそう考えていた。

 一時期はリンドウもまた無明に対し、似たような感情を持った時期もあった。

 極限にまで動きの無駄を排除した攻撃は素人目から見ても惚れ惚れする程。無駄が無いからこそ、アラガミもまた斬られた自覚を持つ事無く地に沈んでいた。

 どれ程アラガミを討伐しようが、その上を何も無かったかの様に易々と超えていく。何をしてもまるで手が届かない。そんな当時の事を思い出していた。

 

 

「お前はお前。あいつはあいつだ。そもそも比べる事は無意味なんだよ」

 

「確かにそうですけど……」

 

「昔の俺もそうだった。俺なんて無明とだぞ。どれだけ凹んだと思ってるんだ」

 

「確かにそうですね」

 

 北斗もまた初めて無明と一緒に戦った事を思い出していた。

 常にアラガミの先を読み、攻撃の殆どを無力化する。一合二合と刃を振るう先に待っているのは血塗れになったアラガミの姿。これが同じゴッドイーターなのかと驚愕していた。

 ある意味では究極の存在。初めてジュリウスを見た際にも驚いたが、少なくとも北斗の中では無明こそがフェンリルの中でも一番の存在だとそう思った程だった。

 詳しい事は分からないが、リンドウが無明の同期である事は以前にも聞いた事があった。

 そう考えればリンドウの気持ちは良くわかる。そんな無明の下で鍛えられたエイジの実力が突き抜けているのはある意味当然だった。

 

 

「まぁ……何だ。お前さんはまだ伸び代があるんだ。もっと精進する事だな。それに、お前にはブラッドと言うかけがえのない仲間も居る。もっと信用するんだな」

 

 無い物ねだりをした所で事態が変わる訳ではない。現実を知る事は大事だが、だからと言って焦る必要はどこにも無い。今出来る事をゆっくりとするだけだった。

 ヘリのローター音が徐々に大きくなってくる。ここで漸く長い戦闘が終わろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クレイドルが金色の狼と戦闘に入るのと同じ頃、ブラッドもまたこの長い戦いの終焉を迎えようとしていた。

 既に第二陣とは言えない程にまでアラガミの数は急激に減っている。未だ原因は分からないままではあったが、今のブラッドにとっては僥倖だった。

 既に数多のアラガミを屠っている。誰の目にも分かる程に疲労のピークに達しようとしていた。

 

 

「漸く減って来たみたいだね」

 

「そうですね。ですが、まだ油断は禁物です」

 

「でも、いい加減これだけってのも何だかな………」

 

 小高い丘でブラッドの面々は小休止をしていた。

 アナグラから届くデータと、自分達の目視で見たアラガミの数は当初からはかなり数を減らしている。

 実際には後どれ位なのかと言われれば詳細までは分からないものの、それでも然程時間は必要とはしない事だけは間違い無かった。

 シエルの隣で文句を言いながらも、ナナはポーチから取り出した簡易レーションを口にしている。普段のレーションではなく、戦闘中に食べるそれは純粋なカロリーのみ。味は二の次の代物だった。

 それでも以前の物に比べれば味は格段の良くなっている。しかし、こんな状況下で口にする事を考えれば、ナナの言葉ではないが文句の一つの言いたくなっていた。

 

 

「今はそんな事を言っても仕方ない。とにかく、このアラガミを殲滅しない事には食事も何もあった物じゃないからな」

 

「はーい。もう少しだけ頑張ります!」

 

 ジュリウスの言葉にナナは素直になるしかなかった。

 実際にナナ自身も口にはしたが、本心ではない。

 これまでにも幾つもの作戦に参加したが、こうまで厳しいと思う事は早々無かった。

 

 それだけではない。ここには隊長でもある北斗の姿が無い事も拍車をかけていた。

 決して依存している訳では無いが、北斗の存在感はある意味ではブラッドにとっては精神を安定させる部分があった。苦しくても北斗が居れば何とか出来る。そんな思いがそこにあった。

 

 

「北斗だってクレイドルと一緒に戦ってるんだ。俺達がこんな所で弱音を吐く訳にはいなかいしな」

 

「ロミオの言う通りだ。私達とて極東支部の一員だ。出来る事は全力でやらないと、最悪はクレイドルにも負担がかかる」

 

 これまでの戦闘の中でクレイドルとブラッドはお互いの戦局を大よそながらに聞いていた。

 実際に連携までは行かなくとも、両方から削るのであれば効率を求めるのは当然の事。交戦中は外部の情報は余程の事が無い限り耳にする事は無いが、今の様な小休止の場面では外部の情報は必須だった。

 まだブラッドは気が付いていないが、クレイドルの戦場は驚く程に早く終わる。それはこれまでの経験が全ての要因だった。

 乱戦になろうが連戦になろうが、できる事だけをやっていく。一見、簡単な様にも思えるが、これを実行しようと考えた場合、かなりの部分で精神的な鍛練が必要だった。

 

 戦局は見える部分だけではなく、見えない部分にこそ意味がある。

 一度攻めると決めれば苛烈に動き、様子を見るのであれば徹底的に動く事はしない。通常のミッションであれば考える部分は多分にあるが、今回の様な連戦になれば目先だけを考える訳には行かなかった。

 だからこそ、温存の為に時間を短縮する。これが極東の最前線に張り続けてきた人間の経験だった。

短時間で終わらせる事によって発生する恩恵は大きい。精神的な負担を負わなかった事によって、その違いが今になって響いていた。

 

 

《シエルさん。クレイドルの交戦地域で新種が出没しました。現時点での詳細は不明。ブラッドの方にも出る可能性がありますので、気を付けてください。それとアラガミが接近中です。交戦までの時間はおよそ3分です》

 

 フランからの通信に、全員が先程までの砕けた空気から一転する。

 新種がどんな意味合いを持つのかはブラッド全員が理解している。攻撃方法はおろか、弱点となる属性すらも分からない。だからこそ改めて気を引き締めていた。

 

 

 

 

 

「やはりこれは………」

 

 先程シエルが引いた引鉄は乱入したばかりのアラガミの命を奪っていた。

 本来であれば独り言すら言わないはずのシエルが発した内容。それが意味するのは明らかに感じる違和感だった。

 これまでに何度も感じた違和感は徐々に大きく膨れ上がる。今分かる事は何一つ無いままだった。

 

 

「シエル。今は目の前のアラガミに集中するんだ」

 

「そうですね」

 

 気が散ったままでの戦いは些細な事で綻びが生じる。シエルにはそう言ったが、ジュリウスもまた同じ事を考えていた。

 クレイドルで出没した新種。

 これ程のアラガミが発生している今、仮に変異種や新種が出たとしても何らおかしい環境ではない。そう考えながら視線はアラガミへと向けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで終いだ」

 

 ギルの持つヘリテージスの穂先はオラクルの恩恵を受け、赤黒い光を帯びていた。

 既に目標としたアラガミは回避する手段を失っているからなのか、一つの光の弾丸としたギルの動きは完全に生命活動を停止させる程だった。

 

 第二陣のアラガミも残す所は後僅か。目の前のアラガミを討伐すれば、残りの掃討戦は随分と軽減できる。そう考えていた。

 既にチャージグライドが発現している為にギルがやれる事は何一つ無い。

 このまま行けば、目の前のアラガミの胴体には大きな風穴が開くはずだった。

 秒間で詰まる距離。既にギルはこの後の行動を考えていた。

 チャージグライドだけで終わるとは思わないが故の思考。偶然にもその思考があった為に、目の前で起こった事態を見る事が可能だった。

 突如として生えた鋭い爪。胸からそんな物を生やすアラガミをギルは知らない。だからこそ突如として起こった事実にギルの思考は僅かに停止していた。

 刹那の攻防での思考の停止は死と同義。そんな事は戦場に立つ人間にとっては初歩の初歩だった。

 だからこそありえない事実にギルの思考は停止する。

 これが通常の攻撃であれば何らかの行動を起こせたのかもしれない。しかし、今はチャージグライドの影響で動く事が出来ない。その結果起こったのは一つの事実だった。

 

 

「ギル!」

 

 チャージグライドがアラガミに届く寸前、突如として生えた爪はそのままアラガミの胴体を縦に真っ二つにする。

 その先に居たのは黄金色のアラガミ。これまでの見た事が無いアラガミだった。

 

 

「フラン!このアラガミは何だ!」

 

《こちらには該当データはありません。偏食場パルスから推測できるのは感応種です》

 

 通信越しではあったが、フランの声には動揺が走っていた。

 この状況下であれば新種の一つ位は出るかとは思ったが、感応種だったのは想定外だった。

 この時点で対応出来るのはブラッドだけ。しかも周囲の影響を考えると、必然的に周囲のアラガミもまた自分達で対処する事が要求されていた。

 ただでさえ厳しい状況下での新種との対峙。先程の攻撃によってギルは進行方向を無視するかの様に弾き飛ばされている。既に周囲の仲間もまた突如現れたアラガミに集中していた。

 

 

 



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第116話 作戦

 ギルが弾き飛ばされた事によって、このアラガミがどれ程の力を秘めているのかは何となく理解出来ていた。

 実際にギルが放ったチャージグライドは赤黒い光を帯びていた。それは即ちブラッドアーツの証。しかし、それすらも物ともしないそれはこれまでに無い光景だった。

 通常のそれよりも格段に上の攻撃でさえも問題にしないレベル。

 ギルは勢いを殺す事も出来ず、地面に叩きつけられていた。

 幸運にも、周囲にはこのアラガミ以外の姿はまだ見えない。フランからの言葉にブラッドは改めてこのアラガミに集中していた。

 

 

「全員、無理はするな!」

 

 ジュリウスの言葉通り、誰もが無作為の攻撃をする事は無かった。

 見た限りではハンニバル種特有の体躯を持つからなのか、太い二本足の背後にはさらに太い尾が見える。

 どこか仮面を被っている様にも見えるが、偏食場パルスから出た感応種の言葉に嫌が応にも慎重さが求められていた。

 ジュリウスの警告を発端に、一定の距離を保ち続ける。

 これが従来の部隊であればそれなりに指示を出してから戦闘が開始されるが、ブラッドにその考えは無かった。

 

 

「狙い撃つ」

 

 シエルの呟きと同時に発射された銃弾が新種のアラガミの喉元に向けて放たれる。

 最初の顔面を狙う事も考えたが、このアラガミに関しては何となくその方が良いだろうと判断した結果だった。

 アーペルシーから放たれた一撃は小手調べ。これが着弾するとは考えていなかったからなのか、シエルの後に続くかの様にジュリウスもまたエグゼキューターの銃口をアラガミへと向けていた。

 一度だけ響く音の後に待っているのはアラガミの悲鳴のはず。誰もがそう考えていた。

 

 

 

 

 

「おいおい……マジかよ」

 

「油断は完全に危険だな」

 

「何だか厳しい戦いになりそうだよね」

 

 シエルの放った銃弾は即座にアラガミに弾かれていた。

 実際にスナイパーライフルの銃弾はそう簡単に弾く事は出来ない。

 少なくともこれまでの経験からすれば精々が回避されるか、そのまま着弾するかのどちらかだった。

 しかし、目の前に起こったのはまるで事前に知っていたかの様に右腕弾く姿。

 引鉄を引いた本人でもあるシエルもまた表情にこそ出ないが、内心は驚いていた。

 だからこそ、ロミオやリヴィの言葉だけでなくナナの無意識に出た言葉に真実味が増す。

 銃口を向けたジュリウスもまた、これからの作戦をどうするのかを改めて考えていた。

 

 元々ハンニバル種はこれまでのアラガミとは一線を異なるケースが多かった。

 初見で見た最初の種だけでなく、速度に特化した神速種など通常のアラガミとは異なった進化を遂げる事が格段に多い。

 その結果、これまでに幾度となく討伐されはしたものの、その戦いも楽観視出来た事は一度も無かった。

 接触禁忌種の指定は伊達ではない。そんな種の中でも異常進化を遂げたこのアラガミはこれまでの物とは完全に違っていた。

 全身を護るかの様に、まるで鎧を着こんだ様に体表はゴツゴツしている様にも見える。

 先程の銃弾を弾き返した事からも、その反応速度もまた尋常では無かった。

 図体に見合わない運動速度はこちらの目測を簡単に誤らせる。

 これまでギリギリの戦いを続けてきたブラッドにとっては最悪のアラガミだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここまで厳しいとは……な……」

 

 誰が呟いたかすらも分からない程に戦場は混迷の坩堝と化していた。

 実際に動くそれは獣ではなく人間に近い。これが単純に動くだけならまだしも、問題なのはその速度だった。

 格闘技を彷彿させるかの様に繰り出す攻撃はある意味では攻撃しやすく、また、ある意味では困難を浮かばせていた。

 これまでの様に遠距離攻撃を放つのであれば警戒もするが、今の所はそんな気配は微塵も無かった。

 事実、この戦場に於いては回避する事だけを考えれば十分すぎる程の場所がある。そんな中で目視出来る範囲だけの攻撃はブラッドにとってもそれ程問題になる事はなかった。

 

 しかし、その弊害もまた然り。素早く動くアラガミに対し、攻撃方法はある意味では限られていた。

 実際に繰り出す両手から放たれる攻撃は周囲の岩壁すらも容易く崩壊させる。

 壁だけでなく、地面にその拳が突き刺さる事によって大地は大きな陥没を作り出していた。

 

 中空の物であればそれ程問題になる事は無いが、大地の様に破壊するには困難な物であっても容易く変形させるのは、ブラッドの側からすれば脅威でしかない。

 これがまだ体力がある状態であればどうとでも出来るが、ここまで疲弊した状態では命の危険もまた大きくなっている。

 仮に回避ではなく防御を選択した場合、恐らくは盾ごと吹っ飛ばされるか、若しくは破壊されるかのどちらかだった。

 下手に懐に入っても、攻撃をする事によって怯ませる選択肢を取る事が出来ない。

 それは偏にブラッドの部隊そのものの火力が不足している事を意味していた。

 

 ブラッドのメンバーで純粋な攻撃力だけを挙げれば、一番に来るのはロミオかナナだった。神機とアラガミの相性もあるが、共に攻撃を怯ませる前提で考えた場合、それが最善だった。

 しかし、この2名に関してはそれぞれが神機特有の弱点も持っていた。

 ロミオに関しては攻撃の速度。幾ら攻撃力が高かったとしても、それが当たらなければ意味を成さない。

 当然ながら動きが早いアラガミとの相性は最悪だった。

 幾らロミオが弱点を技術でカバーしたとしても、その特性を完全に殺すまでには至らない。

 重い一撃の代償は多大なる隙。それを理解しているからこそ、ロミオはアラガミの懐に飛び込む事を躊躇している。

 一方のナナもまた攻撃の起点からの速度は早いが、その攻撃範囲はかなり限定されている。

 当然ながらロミオ以上に接近する必要があった。

 しかし、その間合はナナだけの話ではない。アラガミにもまた同じ事が言えていた。

 一撃離脱だけを考えるのは余りにもリスキーすぎる。その結果が今の状況を生んでいた。

 

 

「ここに北斗が居れば……」

 

「そんな無駄口を叩く暇があるなら、動きを止めるな」

 

 珍しく出たロミオの愚痴はギルによって止められていた。

 勿論ロミオも本心ではない。純粋に突撃する場合や、陽動をするのであれば北斗の持つ役割は大きかった。

 神機の組み合わせだけで考えると、ジュリウスにも同じ事が言える。しかし、攻撃と同時に防御も求められる近接戦闘に於いては、ブラッドの中では北斗が一番だった。

 

 

「シエル、毎回は難しいが、やってみる価値がありそうな事が一つだけある。フォローは可能か?」

 

「理論上は可能ですが、余り良策だとは思えません。ですが、このまま手を拱いているのも事実ですから」

 

 ジュリウスが閃いた策はある意味では奇策に近い性質を持っていた。

 足止めをするのではなく、多大な攻撃を持って意識をこちらから外す。その隙を狙って一気に攻勢をかける事だった。

 実際にアラガミ1体に対し、ゴッドイーター6人は過剰とも取れる。これまでの様に4人でのチームがある意味では一番効率が良かっただけだった。

 しかし、6人になった事によって4人が全力で攻めると同時に、2人はサブに回る。

 それを繰り返し息切れをしない様に間断なく攻撃し続けるものだった。

 

 

「となれば、重要なのは連携だな。神機の持つ攻撃範囲をある程度決めた方が良いかもしれんな」

 

「それはそうだけど、実際にはアラガミがどう動くかにもよるだろ?そこはどうするんだよ」

 

「じゃあ、最初だけ決めて、後は勢いと状況に応じるってのはどう?」

 

「それが無難な意見かもしれませんね。それに連携するのであれば広範囲に亘る攻撃にも注意する必要があります。特にあの種であれば尾を横薙ぎにするだけでもかなりの威力がありそうですから」

 

「だが、そんな事よりももっと重要な事がある………」

 

 全員で対策を取ったまでは良かったが、問題なのはそんな事では無かった。

 本来であれば厳しい戦いの最中でこうまでゆっくりと出来る時間など無い。それを可能としたのは偏に今回対峙したアラガミの特性だった。

 まるで新たな獲物を見つけたかの様にブラッドと対峙していたアラガミは、突如とし方向転換を図っていた。

 当初は何が起こったのを誰もが理解出来なかった。

 これまでのアラガミであれば一度交戦すればそのままどちらかの命が尽きるまで戦うか、それとも自身の命の延命の為に捕喰行動になるのがこれまでだった。

 しかし、このアラガミにその特性は一切通じない。事実ブラッドは攻めあぐねていた為に、致命的な一撃が伝わる事はなかった。

 そんな中での捕喰行動は警戒こそするも、その思考に理解が届かなかった。

 これが通常のアラガミであれば一気に攻め立てるが、実際には体力的な部分からと、戦術面の確認を兼ね僅かながらに様子を見ていた。

 

 

「そうですね。ですが、新種であれば可能性は高いかと」

 

「そうだな。だが油断は出来ない。このまま放置しても良いはずも無いんだ。まずは先程の作戦通りに実行。その後は各自の判断に任せる」

 

 シエルの言葉が全てだった。新種のアラガミが厳しい戦いになるのは偏にデータの無さだった。

 これまでにブラッドも新種の討伐をしている。

 しかし、それは感応種や神融種などのどちらかと言えば亜種や変異種に近い物。厳密に言えば今回のアラガミも大きな分類で分ければハンニバルの亜種とも考える事も出来る。攻撃特性は先程までの内容で把握出来たものの、やはりその種特有の性質までは図り切れなかった。

 当然ながら、このまま放置すればこれまで与えたダメージが回復する。そんな事もあってか、ジュリウスの発した言葉に従うかの様に全員が改めてアラガミへと意識を向けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フラン。新種のアラガミはどうなってる?」

 

「今の所は詳しい情報は何も……ですが、偏食場パルスが時折異常をきたしているのか、観測が出来ない場面があります」

 

「その原因は?」

 

「今の所はまだ何とも……ですが、時折ジャミングに似た様な物が計測されますので、その影響だと考えるのが妥当かと」

 

 フランの言葉にサクヤは少しだけ考えていた。

 今回の作戦に関してはこれまでの様にロビーではなく会議室で行われている。フランの隣を見れば、クレイドルもまた新種と交戦しているからなのか、ヒバリの手が止まる事は無かった。

 情報が上から流れる滝の様に次々と落ちてくる。通常の戦闘ではありえない程の情報が流れてくるのは、偏に討伐ではなく情報を引き出す為の物だった。

 

 蓄積されたデータは今後も生き続ける。その結果、見知らぬアラガミの場合は蓄積しながら討伐する為に膨大なデータを処理する必要があった。

 そんな作業をしながらではフランの手伝いが出来るはずがない。かと言って他のメンバーもまたそれぞれの戦場をオペレートしている為に、今はフランが専念するしかなかった。

 表情にこそ出ていないがサクヤもまた内心では色々な選択肢が浮かんでは消えていく。

 第一陣がクリア出来たからと言って、アラガミがここに来ない保証はどこにも無い。だからなのか、起死回生とまでは行かなくとも、それに近い一手を打つ事が出来なかった。

 

 

「そうね……大変だと思うけど、お願いね」

 

「はい………サクヤさん。それと、これなんですが」

 

 厳しい戦いを予測しながらも、僅かな異変にフランは気が付いていた。恐らくは余程細かく画面を見ていない限り分からない程の変化。フランもまた気が付いたのは偶然だった。

 ジャミングによって計測されたデータの数値が明らかに異なっている。本来であれば流す程度だが、フランは何故かそれが気になっていた。

 

 

「こんな変化ってするのかしら?」

 

「少なくとも私が知っている中ではこれ程になる事は無いと思います。可能性があるとすれば捕喰したアラガミを吸収する際に起きますが、それでも気になります」

 

 フランだけでなくサクヤの視界に映るのはブラッドが交戦しているアラガミのデータ。詳細までは分からなくとも、その反応の仕方が明らかに異常だった。

 通常であれば、捕喰行動に出てもこれ程オラクルの数値が上昇する事は無い。しかし、今示しているそれは明らかに上昇の幅が大きかった。

 新種特有の何かである事は間違いない。それが何なのかを確認する必要があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「目視出来る部分では特段変化は無いですね」

 

《こちらで観測している数値が明らかにおかしいわ。詳しい事が分かればと思ったんだけど、変化は無いのよね?》

 

「はい。概ねその通りです」

 

当然のサクヤからの通信にシエルもまたアラガミを確認していた。数値の上昇値が異常であれば、当然ながらその原因があるはず。シエルもまたサクヤの思惑を理解した上で返事をしていた。目視で分かる情報はこれまで同様。しかし、回復の度合いが早い事が脅威である事は間違い無かった。

 

 

《こちらでも常に観測しながら指示を出すわ。でも、時折ジャミングがかかるみたいで情報が飛ぶかもしれない。対処はしてるけど、それに関しては御免なさい》

 

「いえ。それはこちらで対処しますので」

 

 オペレーターからの情報は戦闘中であればかなり重要な位置付けを示している。

 それは極東支部に限ったはなしではなく、他の支部でも同じだった。

 しかし、本当の意味での戦場では情報を頼りに動く事は無い。

 幾らある程度リアルタイムで分かるとしても、情報の収集と解析、そこから指示が出るとなれば、それなりに時間を必要としている。人間が間に介在する以上は仕方の無い事だった。

 しかし、それが戦場で同じ事が言えるかと言えばそうではない。だからこそ、アナグラからの情報は参考程度に留めていた。

 

 

「アナグラからは何が?」

 

「どうやら、あのアラガミの状態が分かりにくいらしいとの事です。少なくとも観測できる範囲の中では捕喰によるオラクルの上昇がこれまでに無い程の様で」

 

「シエルの『直覚』では分からないか?」

 

「すみません。私の力ではそこまでの変動は感じ取れません」

 

 未だ捕喰を続けるアラガミは既にこちらの事など最初から無視するかの様だった。

 実際の所は分からない。少なくとも、あのアラガミがこれまでの種とは一線を引いている事だけは間違いなかった。

 シエルの言葉の意味を察したからなのか、ジュリウスは再度これまでの動きを思い出している。

 捕喰中であればなおの事、こちらが考えている作戦の確立が上がる。今はそれ以上の事を考えない様にしていた。

 

 

 

 

 

「各自!油断するな!」

 

 捕喰しているアラガミの動きを確認しながら始まった交戦はジュリウスの放ったブラッドアーツで開幕を迎えていた。

 ゼロスタンスと呼ばれる独特の構えから発せられた赤黒い光は、無数の刃となってアラガミの背後を強襲していた。

 この作戦に於いて一番の問題点はこのジュリウスのブラッドアーツをどうやって直撃させるかだった。

 

 実際に予見された最大の問題点は、まさかの捕喰によって確実な物となりつつある。ここから出来る事は一つだけ。途切れることなく繰り出す攻撃の全てを只管アラガミに向ける事だった。

 赤黒い刃はアラガミの大腿部と背部に集中する。これまで全てを無視するかの様に捕喰していたアラガミは、再びブラッドに対し敵意を向けていた。

 

 

「行っくよ~」

 

 無数の刃にアラガミの動くは僅かに止まっていた。

 時間にして数秒程度。これが日常であればそれ程問題にならない時間ではあるが、戦闘中の場合はその限りでは無かった。

 止まった事によって生まれる隙は、現時点では致命的だった。

 ナナのコラップサーは既に炎を揺らめかせ、そのまま突進を開始する。

 ギルがチャージグライドで突進した時よりもアラガミの態勢は崩れていた。ナナが狙うのは右大腿。ジュリウスの放ったブラッドアーツがどこを狙ったのかをつぶさに確認した結果だった。

 通常以上の速度でアラガミとの距離を詰める。そこに待っていたのは無防備なそれだった。

 インパクトの瞬間に、これまでに無い程の衝撃が柄から感じる。事実上のクリティカルヒットによってアラガミからは僅かに呻き声が漏れていた。

 

 如何に強靭な肉体を持つラガミとは言え、その防御力は無限ではなかった。

 今回のブラッドが執った作戦は実に効果的だった。

 一点集中による意識の疎外と、隙を狙うのではなく作り出す点だった。

 ナナの一撃だけでなく、ブラッドアーツを放ったジュリウスもまた既に神機を変形させていた。

 夥しい程の銃弾は的だと言わんばかりに大腿に着弾する。見た目には然程変化は見られなかったが、動きは徐々に遅くなる。ここまでは思いの外、順調な戦闘が続いていた。

 

 

《アラガミ、結合崩壊です》

 

 耳朶に届くフランの声は全員が等しく聞いていた。

 ここまで上手く出来たのは、不意討ちから始まった一方的な攻撃だった。

 幾らゴッドイーターと言えど、常に全力で動き続けるのは困難でしかなかった。

 それ故に行ったのは4人と2人に分け、肉体的な負荷を出来る限り小さくする。

 小さな積み重ねがここに来て漸く形になろうとしていた。

 

 そんな中での結合崩壊はその意識を更に加速させる。

 出来上がった弱点を放置する選択肢は今のブラッドには微塵も無かった。

 神機での攻撃が届かなければ銃撃によって執拗に攻め立てる。そうなれば待っているのは二本足の生物特有の動きだった。

 崩壊した箇所を起点にダメージが蓄積され続ける。その限界に達したからなのか、アラガミの強靭な肉体は激しい音と衝撃と共にその体躯を地面へと沈めていた。

 未だ目には生物特有の意志のこもった残されている。

 千載一遇の好機を逃さんと、ブラッドは再び止めを刺すべく動いていた。

 

 

 



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第117話 脅威の能力

 倒れたアラガミは反撃する事が出来ないからと、その場に居た全員が一気に勝負に出ていた。

 各々が持つ神機が赤黒い光を帯びていく。少なくとも強固な鎧の様な体躯は確実に何らかの処理をする必要があった。

 ここで緩ければ、待っているのは手痛い反撃。誰もが同じ事を考えていた。

 倒される前に倒す。これまで培ってきたその経験がここでの行動を推し進める。

 本来であればもう少し様子を見る必要があったが、今のこれが次にいつになるのかが分からないからこそ、誰もが渾身の一撃を与えていた。

 

 全力行使とも言えるそれぞれの一撃は現時点で出来る最大の攻撃。一気に倒す事は出来なくても、この攻撃で少なからず多大なダメージを与える事が出来ると確証していた。

 弱点となった右大腿部だけでなく、どこか神融種を思わせる仮面の様な顔面にそれぞれの攻撃が殺到していた。

 

 

「思ったよりも堅いぞ!」

 

「一気に決めようとするな!」

 

 ロミオの持つヴェリアミーチは想像以上に食い込む事は無かった。表皮の部分だけであれば斬りつけるが、そこから先には進まない。実際に結合崩壊したはずの大腿部であれば、少なくともそれなりに刃が食い込むはずだった。

 ロミオの状況を見たリヴィもまた全員に聞こえるかの様に声に出す。その言葉を聞いたからなのか、全力で行使しながらも、どこか様子を伺う様になっていた。

 

 

「こっちもだよ!」

 

「手が痺れる位だ」

 

 ナナとギルの攻撃は大腿部ではなく顔面に向っていた。

 少なくともナナの持つ攻撃である程度破壊が可能であればギルのヘリテージスでこじ開ける事が可能だと判断していた。しかし実際にその攻撃が届く事は無い。ナナの言葉通り、表面には多少の傷は入ったまでは良かったが、そこから先の攻撃は続かなかった。

 

 幾らブラッドアーツと言えど、連続して出来る業は限られている。少なくともナナの持つブラッドアーツはそれが顕著だった。

 一旦上空へと飛び、そこから重力の恩恵を受けながら放つそれは、少なくともブラッドの中でも上位の破壊力を持っている。にも拘わらず、その一撃が届かない事態は間違い無く厳しい戦いが待っているのと同じだった。

 当然ながらギルもまたチャージグライドを放つも、その衝撃は柄を通してギル自身にも届く。かろうじて握っている事が出来たのは単なる偶然だった。

 

 

「一旦散開しろ!」

 

 ジュリウスの言葉通り、アラガミの体躯はゆっくりと起きている。先程の攻撃が余程気に障ったからなのか、アラガミの無機質なはずの目には怒りが籠っている様だった。

 ハンニバル種であれば広範囲に亘る攻撃を繰り出す可能性も否定出来ない。だからなのか、全員はジュリウスの言葉と同時にアラガミから距離を置いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ブラッド隊が交戦を開始しました」

 

 アナグラでもブラッドが新種のアラガミと交戦した事を確認していた。大よその測定だけでは何とも言えないが、少なくとも一個体が持つオラクルの量からすればかなりの個体である事に間違いは無かった。

 現場では無いものの、余りの膨大な数値にオペレートしているフランの手にもじっとりと汗が滲む。少なくともフランがこれまでに見たアラガミの個体の中でも群を抜く程の内包量だった。

 

 

「フランはブラッドだけに集中して。ヒバリはウララとテルオミのフォローもお願い!」

 

「はい!」

 

「了解しました」

 

 これまでに見た事が無いと思える程のアラガミは、サクヤにとっても未経験に近い物だった。

 これまでに何度もクレイドルとして闘った経験はあるが、実際に数値化した物を目にした事は無かった。仮に現地で同じ光景を見ているのであれば違ったのかもしれない。しかし、通常種ではなく感応種である以上は、これ以上の増援もまた不可能だった。

 少なくとも、これまでに見たアラガミの測定値を大幅に超えているとなれば時間もかなりかかってくる。それを効率良くやる為には確固たる戦術が必要だった。

 

 

「サクヤ。お前も少しは落ち着け。お前まで焦れば、それが全部に伝わるぞ」

 

「ツバキ義姉さん!」

 

 突如として聞こえた声にサクヤだけでなくヒバリもまたツバキの声がした事によってそちらを向いていた。

 本来であればこの場にツバキが居るはずがない。だからこそ、突如として聞こえた声にヒバリもまた手が止まっていた。

 

 

「私の事はどうでも良い。ヒバリ、手が止まっているぞ。フラン、お前もだ。今はブラッドを支えるんだ」

 

「は、はい。すみません」

 

 ツバキの言葉に改めて全員が大型ディスプレイへと視線が戻る。まさかの人物が来た事によってこの場は少しだけ落ち着きを取り戻していた。

 

 

「少し確認したいんだが、この数値は本当に単独個体のアラガミなのか?」

 

「はい。詳細までは観測しきれませんが、現在ブラッドと交戦した最初の時点からこうでした」

 

「そうか………」

 

 フランからの説明にツバキは少しだけ思案顔になっていた。

 ツバキとて数値だけで何かが分かっている訳では無い。これまでに幾度となく交戦した経験と、これまで指揮官としてやって来た経験から、何かしらでも判断出来ればと思ったからだった。

 僅かでも減少していくのはブラッドが交戦している証。少なくともこれが本当の意味で正しいのかを判断する事は出来なかった。

 

 

「まるで複数のアラガミの集合体みたいだな」

 

「そう言えば、交戦するまでに幾つか不明瞭な事はありました。詳しくは分かりませんが、現時点では判断する材料がありませんでしたので」

 

ツバキの呟きの様な言葉にヒバリもまた思い出したかの様に説明をする。少なくとも今回の戦いに於いてはこれまでに無い何かがある事だけは間違い無かった。

 

 

「分かる範囲で良い。少し教えてくれないか?」

 

「はい。では最初からですが……」

 

 ツバキの言葉にヒバリは今回の経緯の全てを話していた。

 これまでに分かっている不思議な現象はどれもが解明されていない点だった。

 違和感を感じながらもこれまで戦って来た状況を説明していく。そんな中、ツバキが気になったのは数値以上にアラガミが脆い点だった。

 

 純粋なオペレーターや何も知らないゴッドイーターからすればそれ程違和感を感じる事は無かったのかもしれない。しかし、これまでにも何度もアラガミの大群を潰してきたツバキからすれば明らかに何かがあった様に思えていた。

 アラガミは突如として進化する。これは半ば常識ではあったが、厳密には誰もが確実に理解している訳では無かった。

 だからこそ、何かがあった事は間違い無いが、正解にはたどり着けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これじゃあ、何時までたっても終わらないよ!」

 

 ナナのボヤキに誰もが同じ事を考えていた。

 攻撃は続けるが、その攻撃は本当に効いているのかと言われれば疑問しか湧かないからだった。

 これまでに数度ダウンで倒れたまでは良かったが、元から鎧の様な体表に攻撃が直接届く事は無かった。

 気が付けば時間もかなり経過している。決め手がない交戦はブラッドの疲弊した肉体を更に窮地へと追いやっていた。

 

 

「ナナ。幾ら言っても現状は変わらないぞ」

 

「そうだけどさ……」

 

 ロミオの言葉にナナも言葉の意味を正しく理解していた。

 実際に攻撃が通りにくいのはこれまでのアラガミとは違い、内包したオラクルの数値が異常である事に間違いは無かった。

 本来であれば既に倒れているはずのアラガミは未だ健在。愚痴の一つも言いたくなるのは仕方ない事だった。

 

 

「ですが、最初に比べれば動きは鈍くはなっています。少なくとも我々の攻撃もまた無意味ではありませんので」

 

 まるで同じ個所を狙うかの様に、シエルは銃口を胸の一部へと向けていた。

 本来であればシエルの銃撃もまたアラガミを怯ませるだけの威力を持っている。しかし、今となってはその銃撃もまた、それ程効いていない様だった。

 既に何度放ったかすら数えきれない銃弾はほぼ全てが同じ個所に着弾している。近距離まで近づけばそれがどんな状態なのかを確認する事がでいるが、銃撃を放ったと同時に移動している為に、現在がどんな状況なのかを判断する事は出来なかった。

 散発でも攻撃をしながら回避を繰り返す。この場所が開けた所だからこそ可能な戦術だった。

 

 

「今はとにかく耐えるんだ。勝機はいずれ訪れる。集中を切らすな」

 

 既にアラガミの両方の大腿は結合崩壊を起こしたからなのか、動きは当初に比べれば鈍くはなっている。しかし、それが直ぐに討伐への道筋となるのかと言われれば否としか言えなかった。

 その原因はアナグラから送られるアラガミのオラクルの数値。目視では一体だけだが、その量は複数のアラガミと戦っている様だった。

 

 

 

 

 

「やりました」

 

 無限とも取れる程のオラクルを秘めたアラガミと言えど限界は来る。それは当然の出来事だった。

 これまでに執拗に同じ個所にシエルが放った銃弾はついに結合崩壊を発生させていた。

 寸分違わない銃撃はある意味では賞賛に値するが、今の状況では賞賛するよりも先に誰もが一気に攻勢に出ていた。

 強固な鎧の様な部分が砕けた先にあったのは、脈動するかの様に蠢く肉の部分。これまでの様に大腿とは明らかに違ったそれは、誰の目から見ても致命的な物。倒れる様な事は無いがそ、これまでの様に堅いイメージは無かった。

 

 

「ここは任せろ!」

 

 ギルは直ぐにチャージグライドの態勢に入っていた。これまでの鬱憤を晴らすかの様に通常以上に赤黒い光が荒々しくなっている。既にヘリテージスの先端もまた、僅かに開いた部分をこじ開けようと疾駆するのを応援するかの様に距離を詰めていた。

 徐々に詰まる距離。既に当初の様な事にはならないと判断したからなのか、そこから先の行動に一切の澱みは無かった。

 通常の速度以上に疾る攻撃はシエルが作ったその先に向いていた。少なくとも今のブラッドの神機の特性を考えればこじ開ける事が可能なのはギルの持つ神機だけ。

 他のメンバーもまたギルの攻撃を予測するかの様に自然と散開していた。

 

 

「このままくたばれ!」

 

 アラガミの肉体の部分にヘリテージスの先端がついに喰らい付いていた。

 当初の様に堅い手ごたえは無いが、今感じるのは異常なほどに弾力性に富んだ手応えだった。

 護るべき物など無いはずにも拘わらず、激しい抵抗を感じ取る。ギルもまたここで止まればどうなるのかを予測したからなのか、まだ勢いを残ったそれを更に進化させていた。

 単純に突き刺さったそれをねじ切るかの様に手首を返して更に奥へと突き刺していく。

 これまでに無い手応え。少なくともギルの口元は歓喜に歪んでいた。

 

 

「今だ!」

 

 ジュリウスの言葉に誰もが突撃するかの様に疾駆していた。

 ギルの意地がアラガミを倒す。当初と違うのは破壊された箇所から吹き出る赤が原因だった。

 深く突き刺したと思った瞬間、ギルもまた離脱するかの様にヘリテージスを一気に引き抜く。破壊された胸の部分が吹き出るそれは明らかに致命的な一撃。

 これまでとは違い、アラガミは前のめりではなく、勢いそのままに仰向けに倒れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《そのアラガミを中心に大量のオラクルが集まっています!速やかに止めて下さい!》

 

 何時もとは違うフランの声に誰もが焦りを持っていた。

 仰向けに倒れたまでは良かったが、問題はそこからだった。

 これまで対峙したアラガミ以外に他の反応は何一つ無かった。当然ながらブラッドもまたこれがどれ程の勝機なのかを理解した上で行動を起こしていた。

 出来る事なら止めを。誰もがそう考えていた矢先だった。

 突如として一体のシユウが邪魔をするかの様に襲いかかる。まるで倒れたアラガミの時間稼ぎをするかの様に幾度となくエネルギー弾を放っていた。

 

 本来であれば人数が超過となっている為に、部隊を分ければ良いだけの話。しかし、これまでの厳しい戦いから、完全に冷静になれるだけの判断力は失われていた。

 ここで倒れたアラガミを倒すのと、新たに来たシユウ。優先順位は自ずと決まっていた。

 これが開幕直後であればシユウを選んだのかもしれない。しかし、今はどちらの方が早いのかは考えるまでも無かった。

 

 無駄な時間を過ごす必要は何処にも無い。誰もがそう判断した瞬間だった。

 まるで空中に浮くかの様に先程まで横たわったアラガミが立ち上がる。折角の勝機を失った。誰もがそう感じ取った瞬間だった。

 

 

「何だよ!あれ!」

 

 先程までこちらに向けていた本能が突如として襲い掛かったシユウへと向いていた。

 これまでに何度も見た光景だった為に、誰もが驚く事は無いはずだった。ロミオの叫びが全員の心の声を代弁する。舞い降りたシユウを捕喰する事によって大腿部の結合崩壊した場所がゆっくりと元に戻り出した瞬間だった。

 これまでに無い程の喪失感を誰もが感じ取る。原因不明の出来事は直ぐに現実へと戻していた。

 

 

《あのアラガミは通常以上にオラクルの吸収が早い様です。短時間で回復しているのはその影響かと》

 

「このままだと、完全に回復します!」

 

 フランの声と同時に飛んだシエルの言葉に、誰もがまさかと感じていた。

 これまでであればそれ程早く回復した話は聞いた事は無かった。しかし、目の前のアラガミは崩壊した箇所が時を巻き戻したかの様に修復されている。

 しかし、シエルの『直覚』もまた同じだったからなのか、その言葉に疑う余地は無かった。

 オラクルの吸収。間違い無くこのアラガミは周囲にあるオラクル細胞を無差別に吸収していた。

 当然ながらゴッドイーターも例外ではない。これまでに体験した事が無い現象に誰もが理解に追い付かなかった。

 

 

《お前ら!死にたくなければ直ぐに動け!このままだと元の木阿弥だ》

 

 呆然としたブラッドを立ち直らせたのはツバキの怒声だった。

 叱咤と言うには余りにも荒々しい。しかし、その言葉によってブラッドは再度戦意を高めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これまでに無いパターンの動きは確実に動揺を与えたままだった。

 ツバキの叱咤によって体裁は保たれているが、それでも目の前で起こっている現状は信じたく無い物だった。

 致命的な一撃を与えたまでは良かったが、これまでの努力を水泡に帰すかの如き状況は、確実にブラッド全員の心に多大な負担を残している。

 これが通常のミッションであれば一旦は退却した後に、再度戦場に赴く事も出来たが、今の状況では容認出来る物ではなかった。

 

 撤退をした瞬間、待っているのは周囲への影響。感応種特有の能力で、そのままアナグラに行けば、今の防衛では護る事すら出来ないのは明白だった。

 だからこそ、ここで踏ん張らなければどうしようもない。口にこそ出さないが、誰もがそう考えていた。

 

 

「何だ、今の反応は…」

 

 誰とも取れない言葉はそのまま事実だけを表してた。

 手の出しようがない程にオラクルを吸収していたアラガミは突如としてその動きを止めていた。

 本来であればギルが広げた弱点を重点的に攻撃するのが望ましいが、実際にはその部分への攻撃は不可能だった。

 右腕をその箇所に動かすことによって弱点の箇所を護ると同時に、周囲のオラクルを一気に吸引する。本能がなせる業なのか、確実に攻めあぐねていた。

 

 止まる気配が何処にもない。一からのやり直しかと思われた瞬間だった。

 ある意味では奇襲に近い攻撃だったからなのか、アラガミの顔の傍にある角の部分に咬刃展開したリヴィのサーラゲイトが直撃していた。

 見た目にはそれ程の変化は無いが、明らかに何かしらの動きがあった。

 これまでとは違う行動に、誰もがその意味を理解する。そこから先の攻撃の組み立ては一瞬だった。

 

 

 

 

「威力よりも正確性を重視しろ!」

 

「再度動きを止めるぞ!」

 

 一度見た勝機はブラッドの士気を瞬時に高めていた。

 結末が見えない戦いよりも、実際に見えるそれは明らかに分かり易い。これまで苦戦をしながらも戦い続けた経験は伊達では無かった。

 動きを止めるべく復活した大腿部を再度破壊する。既にこれまでの鬱憤を晴らすかの様な攻撃は、色々な意味で脅威となっていた。

 

 オラクルを吸収された事で多少の動きは復活しているが、既にその動きは初見ではない。

 大よそでも動きのパターンが見えたそれは、確実に防ぎ切る事でほぼ全ての攻撃を遮断していた。

 ナナの放ったブーストインパクトは全ての衝撃をそのまま目の前にある大腿部に浸透させる。表面上は回復していても、深部まではオラクルが届いていなかった。

 正面からではなく側面からの攻撃にアラガミは体躯をよろめかせる。追撃で来たジュリウスのブラッドアーツによって地面に沈める事に成功していた。

 

 

「ロミオ!」

 

「任せろ!」

 

 ジュリウスの声にロミオもまたヴェリアミーチを上段の構えで待ち構える。

 既にチャージが完了した闇色の刃はそのままアラガミの顔の隣にある角へと向けられていた。

 衝撃と共にアラガミの悲鳴が周囲に響く。僅かに跳ね上がった頸の隙間に待っていたのは咬刃展開したサーゲライトだった。

 地面と頸の隙間から一気に湾曲した刃が跳ね上がる。本来であれば弾かれると思った刃はそのまま喉元に深く食い込んでいた。

 リヴィもまた空中で身を捩る事によって遠心力を活かした斬撃がそのまま頸を刎ね飛ばす。

 断末魔を上げる事無く勢いで頸だけが転げ落ちる。先程まで膨大な生気を孕んだ目は既に光を失っていた。

 

 

 

 

 

 

《対象アラガミのオラクル反応は消失しました。それと、今回のアラガミに関しては確実にコアと討伐出来る部位の回収をお願いします》

 

「了解しました。それと、クレイドルの方はどうなってますか?」

 

《クレイドルの方も現在は新種と交戦中です。ですが、それも間もなく終わるかと思われます。既に回収の為のヘリは手配してあります。皆さん、お疲れさまでした》

 

 フランの言葉にシエルも全ての状況を完全に把握していた。

 これが完了していなければ、帰投用のヘリがここに来る事は無い。しかし、事実上の戦闘完了の言葉にシエルはそれ以上何も言う事は無かった。

 

 

「了解しました。では詳細は帰投してから報告させて頂きますので」

 

 耳朶に届く声を聞きながらシエルは改めて周囲の状況を伺っていた。

 既にアラガミとは幾度となく対峙してきたが、今回に限ってはその異常な能力に周囲は跡形も無い景色が広がっていた。

 コアを抜き取った事によって気が付けばナナやロミオは地面にへたる様に座っている。この戦いが先程まで対峙したアラガミ以外の戦闘も響いたからなのか、漸くここで終わった実感を感じていたとっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、今回のアラガミは洒落にならなかったよな」

 

「そうだな。まさか、あれ程強引にオラクルを吸収となれば、俺達もうかうかしてられないな」

 

 ギルの言葉には実感がこもっていた。少なくともアラガミが捕喰欲求に逆らう事なく動くのはこれまで通りだが、大気中から強引に吸収したからなのか、ブラッドもまたその影響を受けていた。

 強引に吸い取られた事によって、僅かに攻撃の手が鈍る。それと同時に身体能力もまた低下していた。

 

 これまでの業だけであれば被害を拡大したかもしれないが、その甘さも今回に限ってだけ言えば、その限りでは無かった。

 連戦が続いた事によって、自身の肉体が疲労を極限にまで効率化させたからなのか、無駄が無くなった事によって斬撃そのものに大差は無かった。

 それが良い方向に転んだだけ。誰もが完全なる実力だとは思っていなかった。

 改めてギルは自身の手を開いたり、閉じたりして確認している。今後の課題はまだまだだと一人考えていた。

 

 

「そう言えば、そろそろ日が沈みそうだよね。そう言えば、サツマイモとか、大丈夫かな」

 

「きっと残りは収穫してくれてますよ。それならアナグラに確認してみてはどうですか?」

 

「そうだよね。早速帰ったらラウンジに行かなくちゃ」

 

 ナナの言葉にシエルも思い出したかの様にしていた。

 これまでも聖域で収穫した物はアナグラへと運ばれている。今日だけに限れば、まだかもしれない。実際に戦場はここだけではない。

 第一陣はアナグラから近かったが、この二陣は明らかに距離がある。移動だけでもかなりの時間を必要としているのは間違いない。

 だからなのか、ナナにはああ言ったものの、実際には届いていないのは間違い無かった。

 

 

「折角だから、こんな日はスキヤキとか食べたいよな。あれ以来食べてないんだよ」

 

「え、スキヤキって何?」

 

「あれ?ナナは食べた事無かったか?」

 

「そう言うロミオ先輩はどこで食べたのかな~」

 

 何気に呟いた言葉はナナの耳にしっかりと届いていた。それと同時に自身の迂闊さを呪う。

 今の反応は明らかに食べた事が無い物だった。

 アラガミの戦闘と同等の圧力がロミオを襲う。実際に食べたのは屋敷だった事を失念していた。

 

 

「そりゃあ……屋敷しか無いだろ」

 

「へ~そうなんだ。さぞ美味しかったんだよね」

 

「ああ。俺、今まで食べた事無かったからな。あ、でもあの時はリンドウさんも居たぞ」

 

「リンドウさんは良いの!今度、ロミオ先輩に奢って貰わないと」

 

「お前達、そろそろそれ位にしたらどうだ?ヘリが到着するぞ」

 

 リヴィの言葉に何時もの光景が戻ったのか、ロミオとナナの言い合いはそのまま終了してた。

 今回の戦闘は厳しい物ではあったが、やはりブラッドは北斗を中心に来たんだとジュリウスは改めて考えていた。

 指示を飛ばしたのは何時ぶりだったのか。そんな事を考えながら帰投のヘリを待っていた。

 

 

 



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第118話 激戦の事後

 厳しい戦いを労うかの様に、クレイドルとブラッドの帰還にアナグラでは歓喜の声が響いていた。

 今回の戦いがどれ程厳しい状況だったのかを知らない人間は誰も居ない。事実上の総力戦によってもたらされた結末は、誰の目にも明らかだった。

 

 

「任務、お疲れ様でした」

 

「おう。でも、まぁ……何とかなったんだ。後は頼んだ」

 

「既にクレイドルに関しては各々の任務がありますので、リンドウさんは今回の件に関しての報告書をお願いします。こちらでも解析はしていますが、やはり当事者からの情報が一番ですので」

 

「それ、俺の役目か?エイジやアリサはどうしたんだ?」

 

 帰還直後の言葉にリンドウは少しだけうんざりした様な表情を作っていた。

 事実、クレイドルの中で書類作成を一番苦手としているのはリンドウとコウタ。自分で言う様に出来る人間がやるのが一番だと思ったのは、偏に最後に戦った新種の影響だった。

 未確認のアラガミであれば、より詳細が記された物が好まれる。それは今回だけではなく、これまでも同様だった。

 しかし、コウタはコウタで最後の戦いに参入はしたが、その前の第一陣に関する書類の作成が待っている為に既にここには居ない。当然ながら報告書の提出はそれ以外の人間の役割だった。

 

 

「エイジさんと、アリサさんはこの後直ぐに入植中のサテライトへと移動の予定です。ソーマさんは今回の戦いの件でいくつか解析した事があると聞いています」

 

「……だったら、北斗はどうなんだ?」

 

 頼りになるはずのメンバーは誰もが各々の仕事を抱えていた。

 確かに記憶を辿ればエイジと北斗は最初からではなく、途中からの参戦となっている。

 アリサに至っても、第一陣の報告種を出す事になっていた為に、リンドウ以外に適任者は居なかった。

 慌てて北斗の名前を出すも、気が付けば北斗もまたこの場に姿が見えない。頼れる後輩の誰もが居ないのであれば、自らが率先してやるしかなかった。

 

 

「北斗さんは念の為に神機の調整後、周辺地域の警戒に当たる予定です」

 

「……そうか」

 

 既にリンドウの中では、この件をどうしようかと考えていた。

 本当の事を言えば、リンドウも暇ではない。実際に新種との戦闘の際に出た20時間の射撃訓練は確実に実行される。

 誰が教導担当になるのかは分からないが、少なくとも易しい内容にはならない事だけは間違い無かった。

 

 

「リンドウ。射撃訓練だが、明日の一三○○より開始する。本来であれば丹念にやれるのが望ましいが、今回の件で一時的にアナグラの防衛能力が低下している。出来る限りの無駄を省く為に、ブラッドの饗庭北斗も一緒になる」

 

「了解であります!」

 

 背後から聞こえた声が誰なのかは確認するまでも無かった。

 これまでに幾度となく聞いたツバキの声。条件反射の様に動くリンドウを見たからなのか、ヒバリは少しだけ笑みを浮かべていた。

 

 

「ヒバリ。先程の件だが、訓練室を開けておいてくれ。以後、事前に連絡を入れる様にするつもりだから、その様に」

 

「はい。分かりました」

 

 ツバキの言葉にヒバリは再度端末から予約を入れていく。本来であれば予約を簡単に入れる事は出来ないが、今回の出動の影響もあって一旦は白紙となっていた。

 厳しい戦いをした翌日に、更に厳しい訓練をしたいと思う人間は早々居ない。だからなのか、リンドウもまたどこか諦めたかの様な表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「態々来なくても良かったんだが」

 

「いえ。確かに厳しい戦いでしたが、あのアラガミはこれまでに無い程の能力でしたので、油断しない為にも気を引き締めたいんです」

 

「……そうか」

 

 元々巡回予定だった北斗の隣には珍しくシエルが一緒だった。

 今回の戦いに於いては北斗はクレイドルと戦った為に、ブラッドが交戦したアラガミに関しては、コンバットログの確認だけで終わっていた。

 改めて出されたデータを見たものの、あれが本当だとすれば、かなり厄介な存在であるのは間違い無かった。

 推測ではあるが、他のアラガミを捕喰する以外にも周囲から強制的にオラクルを吸引して自身のエネルギーへと変換するのは余りにも脅威だった。単独であればそれ程でも無いかもしれない。しかし、今回の様な乱戦となった場合は厄介以外の何物でもなかった。

 幾らダメージを与えても、最悪は無かったかの様に元に戻るとなれば戦闘は泥沼化するのは間違い無い。

 

 そんな中、一つだけ光る物があった。今回の戦果に関しての一番の要因はシエルの銃撃だった。元々得意な射撃だからなのか、ピンポイントで狙うそれは、味方からすれば心強い物。アラガミからすれば最悪の相手だった。

 寸分違わない正確性を保つには、かなりの鍛錬が必要となる。

 北斗もまた日常からの積み上げがどれ程重要なのかを理解しているからなのか、素直にシエルの能力を褒めるしかなかった。

 それと同時に思い出す今後の予定。ツバキから出た20時間の射撃訓練は確実に物に出来なければ、今後の展望は暗いままであるのは、言うまでもなかった。

 だからなのか、巡回をしながらも苦々しい表情が顔に出る。北斗は無意識だった。

 

 

「あの、どうかしましたか?」

 

「あ、いや。何でもない。ただ、今後の予定を考えると気が重くなりそうだと思って」

 

「そうでしたか。ですが、私の記憶ではそれ程考える様な予定は無かったはずです」

 

「いや。ブラッドがじゃなくて、俺個人の予定なんだよ」

 

 神機を後ろに置いているからなのか、時折車の振動で神機を入れたケースの音が聞こえる。

 本来であれば徒歩での巡回となるも、今は決定的な人手不足の為にミッション移動用の車を利用していた。

 当然ながら車には北斗とシエルの二人しか居ない。まるでお互いが遠慮しているかの様な空気が漂っていた。

 

 

「個人的な予定……ですか?」

 

「ああ。実は………」

 

 北斗の話をシエルはただ聞いていた。実際に新種のアラガミとの戦闘データは基本的には秘匿されない。それは純粋にゴッドイーターの生存の確立を向上するだけでなく、万が一遭遇した場合の対処を兼ねた結果だった。

 その中で厳しかった戦いの内容に、先程まではただ聞いていたはずのシエルが少しづつ思案顔へと変化する。北斗はそれに気が付かないままに運転を続けていた。

 

 

「そうでしたか。それで20時間の射撃訓練ですか」

 

「これまでは刀身の方に比重があったからなのは理解出来るけど、問題なのは誰が監督するのかだろうな」

 

「ですが、射撃の可能性を考えれば、ある意味では仕方ないのでは?」

 

「まぁ、確かにその通りだな」

 

 北斗もまた射撃の重要性を無視している訳では無い。

 実際に厳しい戦局であっても、一発の銃弾が戦闘の流れを変える事はこれまでに幾度となくあった。だからこそ、その有用性には理解出来る。ただ、その心情に慣れないのは、偏にエイジの攻撃方法を見た事による自身の能力の疑問だった。

 これまでに同じ様な鍛錬を続けてはいたが、決定的に何かが違う。北斗はそう考えていた。

 恐らくエイジからすればそれ程の差は無いと言われるかもしれない。しかし、北斗からすれば、その攻撃方法に目を奪われた事実だけは間違い無かった。

 いきなり同じステージに立てるはずがない。頭ではそう考えていても、心の中ではそう思っていなかった。

 射撃も重要だが、今はもっとやるべき事があるはずだ。内心そう考えていた。

 

 

「北斗。一つだけ言わせて下さい。私達はそんなに頼りないですか?」

 

「それは無い。そんな考えを持った事は一度も無い」

 

 突然の言葉に北斗はシエルが言いたい言葉の意味を理解出来なかった。

 実際に思う所は何かとあるのかもしれない。しかし、北斗自身ブラッドとクレイドルを比べた事は一度も無かった。

 

 お互いが尊重しあうだけでなく、尊敬しているからこそ焦りを生んでいる。人の機微には疎いが、北斗の事なら何となくシエルは理解した様な気になっていた。

 実際にシエルもまた、帰還した直後にクレイドルのコンバットログを見ている。序盤はともかく、終盤の動きはエイジだからこそ出来たとシエルは考えていた。

 これがリンドウやソーマ。ジュリウスだとしても、到底真似できない動き。北斗自身が厳しい鍛錬を続けている事を知っているからこそ、今回の巡回も一人ではなく自分も同行しようと考えていた。

 運転しながらの会話であれば恐らくはそれ程考える事は無いのかもしれない。そう考えた結果だった。

 改めて視線を動かせば、闇夜ではあるが、うっすらとその姿が見えている。北斗の横顔には少しだけ悩みが浮かんでいる様にも見える。

 恐らくは一人になる事で自分に折り合いを付けようとしてたのだとシエルは考えていた。

 

 

「そうですか。それでしたら、私も北斗の射撃訓練にお付き合いします。私の得意分野ですから」

 

「そうだな。詳しい事は明日にならないと分からないが、宜しく頼むよ」

 

 既に闇に紛れている為に、北斗の表情を正確に理解は出来なかった。しかし、声を聞けば既に険は取れている。

 既に巡回も終える頃だからなのか、支部全体から漏れる光が二人を待っている様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し遅めのラウンジは既に宴会場に近い物となっていた。

 本来であればバータイムになっているが、今日に限ってはその限りではない。既に幾つもの料理がカウンターに並べられているからなのか、一部の人間は既に泥酔している様だった。

 

 

「よう、お疲れさん。明日の事は聞いてるか?」

 

「はい。一三○○に集合ですよね」

 

「そうだ。実際に誰がやるのかは知らんが、姉上からの直々の命令だからな。今日はさっさと寝て、明日に備えとけよ」

 

 そんな事を言いながらもリンドウの言葉に重みは無かった。時間は既にそれなりにも拘わらず、今回の件の打ち上げと言うなの宴会が終わる気配は無かった。

 周囲を見渡せば、まだそれなりの人間がラウンジに居る。まだ食事を碌に取っていなかったからなのか、北斗とシエルは視界に飛び込んできたコウタの傍へと移動していた。

 

 

「あれ、巡回は終わったのか?」

 

「はい。あれ程のアラガミでしたから、早々に出てくる事は無いと思ってましたけど」

 

「だろうな。実際にレーダーにも何も映ってなかったんだしな。そう言えば、もう食事は終わったのか?」

 

「いえ。これから頂こうかと。そう言えばエイジさん達は?」

 

 コウタと話をしながら北斗は改めて周囲を眺めていた。これまでの経験からすればこれ程の宴会であればカウンターの中に居るはず。しかし、実際に中に居たのは弥生だけだった。

 

 

「ああ、エイジならアリサと一緒にサテライトに行ってる。入植の途中の呼び出しだったみたいでさ。行かないと何も進まないみたいだって」

 

 コウタの言葉に改めて周囲を見れば確かにエイジだけでなくアリサの姿もそこには無かった。

 実際にはかなりの疲労があったはず。しかし、自分達の事よりも入植する人間の方が優先だと考えた事による行動力は素直に凄いと考えていた。

 恐らく自分との違いはこんな所なんだろう。北斗はcそんな取り止めの無い事を考えていた。

 

 

「でもさ、ブラッドも大変だったみたいだね。新種の感応種が出たって聞いたんだけど」

 

「はい。結果的には厳しい戦いではありましたが、全員の力を集結した結果を出せたと思います」

 

「だよな……ほら、俺達って、感応種に関してはリンクサポートシステムが無いと討伐出来ないし、初回は絶対にデータを採取しなきゃいけないだろ。今回の件に関しては本当にブラッドが居て良かったと思ってるんだ」

 

 グラスを片手にコウタは珍しく饒舌になっていた。普段とは少しだけ違う雰囲気に、質問に答えたシエルだけでなく、北斗もまた同じ事を考えていた。

 実際に今回の戦いは、かなり厳しかったのは間違い無かった。ラウンジはゴッドイーターで溢れているが、この場には整備班の人間は誰一人居ない。

 口にするまでもなく今回の戦いで消耗した神機の整備を終えない事には枕を高くして眠れないだけでなく、万が一の際に整備不良で出撃してほしくないとの思いがそこにあった。

 北斗とシエルもまた、出撃前に簡易メンテナンスを依頼しようとしていたが、遠くから見える部屋の中はさながら戦場だった。

 怒号こそ飛ばないが、誰もがせわしなく動いている。整備の簡略化の為に各自で担当するパーツを分けているのが原因だった。

 

 

「ですが、それが我々の存在意義では?」

 

「そう言われればそうなんだけど、俺達だって人間なんだ。護る事が出来るのは自分の手が届く範囲まで。それ以外に零れ落ちた命なんてもっとあるんだ。だからブラッドはある意味では俺達の命を護ってるって事になるんだよ。でなきゃ今頃はまだ感応種に怯えたまま戦ってるんだし」

 

 コウタの何気ない言葉に北斗もまた内心では驚いていた。

 これまでの戦績を考えればクレイドルはサテライト計画を推し進める事によって多数の命を掬ってきている。本人たちは否定しているが、サテライトの住人はその意味を確実に理解していた。

 だからこそ、コウタの言う手の届く範囲の意味は驚きだった。幾らアラガミを容易く討伐出来ても、肝心の命を救う事が出来なければ何の意味も持たない。

 事実、コウタは第一部隊とは兼務しているが、クレイドルのメンバーでもある。北斗もまたコウタを意味を理解出来ない訳では無いからなのか、先程までの焦燥感が僅かに収まっていた。

 それと同時に一つの事実が浮かび上がる。尊敬と憧れは違う。自分が持っていた感情が何なのかをここで漸く理解していた。

 

 

「コウタさん、ありがとうございます。何か分かった気がします」

 

「そ、そうなのか?」

 

「はい」

 

 北斗の言葉に、コウタは思わず隣にいたシエルに目線を動かしていた。何がどうなっているのかは分からないが、シエルの穏やかな笑みが全てを物語っている様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リンドウ!もっと集中しろ!そんな事では本番で使えんぞ!」

 

「了解です!」

 

 射撃訓練の教官は全く予想していなかったツバキが担当する事になっていた。実際にリンドウだけでなく、北斗の神機も同じくアサルトだった事が最大の要因だった。

 スナイパーの様に一点集中で引鉄を引くのではなく、寧ろ戦場を縦横無尽に駆け回りながら時には牽制、時には止めと多種多様な方法で運用が可能となっている。

 本来であればバレットエディットも訓練の中に含まれているが、今はそこまでは行かないままだった確実性を高める事によってまずはその意味を見出す事を優先していた。

 効果的な活用に関してはその後。サクヤやシエルは神機の特性が最初から異なっている。その結果として、ツバキが担当する事になっていた。

 

 

「北斗。まだ精密さが甘いぞ。的は確実に見るんだ。それと移動の際にはその速度も頭に入れろ。こちらだけが動く訳では無い」

 

「はい!」

 

 まだ始まったばかりにも拘わらず、厳しい運用はある意味では当然の措置だった。

 訓練で厳しいのであれば、本番はもう少し位は楽になるかもしれない。一番厳しい時を乗り切ったという経験はある意味では戦場での自信に繋がるからだった。

 自分達が走り出した瞬間に、的もまたランダムに動き出す。本来であればアラガミを映し出しても良かったが、結果的には遠回りとも取れる訓練の方がより実戦的だった。

 ただ立ち尽くすのではなく、常に走り続ける。従来の様に制止したままの訓練をするつもりが無いからなのか、気が付けば既に相応の距離を走っていた。

 

 実際に動く的のプログラムを施したのは支部長でもある榊。先だって苦戦した金色の狼の動きを模倣しているからなのか、訓練場内で動かせる最大の速度だった。

 アラガミよりも個体が小さい為に、当時よりも正確な射撃が求められている。走りながらの為に銃弾が外れる事もあるが、その都度ツバキからの叱咤が続いていた。

 何も知らない隊員が窓からのぞき込む。極東では射撃訓練一つとってもこうまで苛烈な訓練をするのかと、僅かに身震いしていた。

 既に予定時間に迫っているからなのか、二人の身体からは汗によって湯気が立ち上っていた。

 

 

 

 

「今日はこれまでとする。次回は明日の同じ時間を予定しているが、ミッションがあればそちらを優先する事。分かったな」

 

「あの、姉上。明日も同じ事をですか?」

 

「当然だ。突っ立ったままでアラガミが態々銃弾を受けると思ってるのか?」

 

「いえ。参考までに確認したいと考えただけです」

 

「それと、支部長には本日付けで復帰する事を伝えてある。まずはリハビリがてら、お前らの訓練を担当する事になっている」

 

「……了解しました」

 

 ツバキの言葉にリンドウはただ聞くしかなかった。

 これが他の教官であれば、自分はもうそろそろ引退の文字がチラつく程のベテランになっている。

 まだリンドウ自身が第一部隊長の頃であれば、まだ踏ん張る必要があったかもしれない。しかし、現状では既にエイジやアリサ。コウタの様に下が確実な戦力として揃っている以上、これ以上は出来るならしたく無い考えが勝っていた。

 しかし、今回の教官がツバキだと知れた今、下手な口答えは出来ない。それと同時に、恐るべき事実もまた浮かび上がっていた。

 

 今まで碌に気が付かなかったが、ツバキの服装は当時の士官服のまま。リンドウの記憶の中では未だ産休中だった為に、屋敷では着物だった記憶があった。

 まさかとは思いながらも参考までに確認する。威圧的な雰囲気を回避しながらも恐る恐る聞いた事実にリンドウは内心絶句していた。

 まだ訓練は始まったばかり。予想した答えにリンドウはそれ以上何も言う事は無かった。

 

 

「それと饗庭北斗。少し焦りを持っている様だが、お前はお前だ。誰もが上を見る事を悪いとは思わないが、もっと自分と言う物を見直した方が良いかもしれんな。お前はエイジとは違う。真似をするのは良いが、あれを十全に出来るとは思わない事だ。因みにそこの愚弟でも不可能だからな」

 

「姉上。こんな所で言わなくても」

 

「事実を述べただけだ。何か問題でもあるのか?」

 

「いえ。ありません」

 

 ツバキの言葉に北斗は改めて自分と向き合う事を考えていた。

 実際に、エイジがやっているメニューは北斗が予想すらしていない内容。日々の積み重ねがあって今に至ると仮定した場合、今の北斗は明らかに鍛錬の時間が不足していた。

 射撃は射撃と別物の様に考えるのではなく、一連の流れの延長にそれぞれがある。少なくともメニューを見た際にはそう感じていた。

 だからこそ、ツバキの言葉が身に染みる。シエルも心配していた様に、もう少し自分と向き合うのが一番だと改めて考えていた。

 

 

 



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第119話 バレンタイン

何とか間に合いました。





 フェンリルに所属するゴッドイーターの中でも、極東支部は他の支部とは明確に位置付けが異なっていた。

 アラガミのレベルが極めて高く、またそれに見合うだけの能力が無ければ着任早々に命を落とす。その対策として様々な訓練が施されるも、その内容もまた苛烈を極める。生きながらに地獄に近い物を味わえる地域。それが戦場に於けるイメージだった。

 しかし、その反対に一般人の目からみれば、ある意味では他の地域以上の住環境に、誰もが一度は訪れてみたい。そんな正反対の性質を持っていた。

 当然支部がそれであれば、周辺の外部居住区もまた然り。

 極東支部や早期に建設されたサテライトは、圧倒的に周囲の環境が良くなっていた。環境が良くなれば人の流れも増えていく。厳しい世界を生き残ってでも、一度は訪れたいと思わせる場所だった。

 

 

「何だかここに来たのは久しぶりだよね」

 

「そうですね。以前に見た景色とは随分と様変わりしてるみたいです」

 

 普段であればミッション以外には聖域に行く事が多かったが、最近は少しだけ作物のサイクルの影響でブラッドも時間にゆとりが生じていた。

 特段何もする事が無いならばと、ナナはシエルと一緒に外部居住区へと足を運んでいた。

 

 

「あ、あんな所に新しい店がある。シエルちゃん、ちょっと寄ってかない?」

 

「私は構いませんが、また何か食べるつもりですか?」

 

「……折角来たんだし、偶には…ね。でも、シエルちゃんだって、さっきの店で生クリームが沢山のクレープ頼んでたよね」

 

「私はそれだけですし、ナナさん程ではありませんので」

 

 半目になったシエルの視線にナナは少しだけ顔を逸らしていた。

 外部居住区の一部の区域は最近になって様々飲食店が立ち並んでいた。従来のフェンリルからの配給品は殆ど無く、今はサテライトから運ばれる食物を優先的に居住区へと回していた。

 

 食事の質が向上すれば、人の営みもまた活発になる。ナナには言われたが、シエルもまた以前い北斗と一緒に食べたアイスクリームやクレープを思い出したからかのか、珍しく買っていた。

 一方のナナは既に回った店に入る度に何かを口にしている。ラウンジでも食べる事が出来る様な物が多いが、中にはここでしか口にできない物もあった。

 気が付けば既にそれなりの量を食べている。ナナの性格から考えればある意味では仕方のない事だとシエルは一人考えていた。

 

 

「あれ、ユノさんだよね」

 

「……あ、そうですね」

 

 

 これまでの流れを誤魔化すかの様にナナは露骨に話題を逸らしていた。

 突然聞こえた音源に2人は視線を向ける。そこに映っていたのは普段着の様なワンピースを着たユノの姿だった。

 

 

 

 

『融ける様な口づけを貴方に』

 

 

 画面に映っていたユノは少なくとも自分体が知ってるユノとは明らかに違っていた。

 少しだけ頬を染める様な表情と同時に、まるでキスを思わせる様な顔に一口大の小さな塊が近づいて行く。

 その正体がチョコレートだったからなのか、そのまま口へと運んでいた。

 瞬間的な広告だったからなのか、気が付けば他の映像に変わっていた。

 既にユノの姿はそこに無い。2人は画面が変わっても暫く呆然と見ていた。

 

 

「何だか知ってる人がああやって映ってるのは、少し複雑ですね」

 

「確かに。そう言えば先日あった時は、こんなのやるって言ってなかったんだけどね」

 

「恐らくは契約か何かだと思いますよ。ユノさんは以前に比べればこうやって見る機会も増えましたので」

 

「今度見たらさっきの事聞いてみようよ」

 

 終末捕喰以降、ユノが再び映像で露出する事になってからは何かとこうやって広告を見る機会が増えていた。

 詳しい事は分からないが、サツキが何をしている事に間違いは無い。その影響もあってか、ユノが極東に訪れたのは随分と久しぶりの事だった。

 

 

「でも、最近は結構チョコレート関係の広告を見るよね。今だってほら……」

 

 周囲を見れば、ちょっとした店頭にはこれまでに無い程にチョコレート商品が並んでいた。詳しい事は分からないが、大量に置かれているのはここだけではない。先程入った店にもまた、同様に大量のチョコレートが売られていた。

 

 

 

 

 

「あ、シエルさんとナナさんだ!」

 

「あれ、マルグリットちゃんと、ノゾミ……ちゃん?」

 

 2人に声を掛けたのはコウタの妹のノゾミだった。

 外部居住区に居る以上は会う可能性もある。しかし、隣にマルグリットが居るとなれば少しだけ珍しい組み合わせだった。

 

 

「2人は非番なんですか?」

 

「はい。聖域の仕事も落ち着きましたので、今日は久しぶりにここに来る事になりました。それよりも、マルグリットさんはどうしてここに?」

 

「実はちょっと……ね」

 

 笑みを浮かべたマルグリットの反応にシエルだけでなく、ナナもまた首を傾げていた。

 本来であればコウタもここに居るはずが、周囲にはその影も無い。非番であればマルグリットもコウタと居る事が多かったと記憶しているからなのか、それが更に疑問に拍車をかけていた。

 

 

「実は、もうすぐバレンタインだから、準備をするの」

 

「……バレンタイン?」

 

「えっと……ナナさんはバレンタインを知らないんですか?」

 

「……お恥ずかしながら」

 

 ノゾミとマルグリットから言われたものの、ナナだけでなくシエルもまた同じだった。

 極東に来てからまだそれ程時間が長い訳では無い。事実、つい先だっても節分を初体験したばかりだった。

 リンドウとハルオミが鬼の役目だったからなのか、女性陣のハルオミに対する豆の投げ方は撒くではなく、ぶつけるに近い物だった。

 鬼としては逃げるだけの為にその勢いは更に加速する。暫くの間、ラウンジとロビーは混沌としていた記憶があった。

 そんな矢先に新たな言葉。改めて周囲を見れば店頭のポスターにも同じ事が書かれていた。

 

 

 

 

「なるほど。チョコレートを渡して愛の告白ですか。極東は中々大胆ですね」

 

「実際にはそれだけじゃないんだけどね。最近は親しい人へのプレゼントみたいになってるケースもあるから」

 

 マルグリットとノゾミが合流した事によって、4人は近くにあったオープンカフェへと移動していた。この時期特有の寒さに、ストーブの周りにはかなりのお客が座っていた。

 

 

「それでマルグリットちゃんは、コウタさんの為に買うんですか?」

 

「私はもう材料は用意してあるから、後は作るだけかな」

 

「私もマルグリットさんに教えてもらうんだ」

 

 屈託のない笑顔にナナとシエルも笑みが浮かんでいた。内心ではコウタに渡すものだと思っていたが、実際にはノゾミの更なる言葉に笑顔は引き攣り出していた。

 

 

「あっくん、受け取ってくれるかな」

 

「大丈夫。ノゾミちゃんが渡すんだから受け取ってくれるよ」

 

「そっか。頑張って作ろうっと。今日は教えてね」

 

「あの、コウタさんにでは無いんですか?」

 

「お兄ちゃんには勿論渡すよ。その為に、ほら、こうやって買ったんだから」

 

 包みの中には、そこそこの大きさのそれが鎮座していた。恐らくはマルグリットから貰う事が前提だからなのか、それは思ったよりも小さい物。

 コウタの性格からすればノゾミから貰えればなんでも嬉しいのかもしれない。しかし、男の子に渡す物とは明らかに違うのはどうなんだろうか。

 ナナとシエルだけでなく、マルグリットも同じ事を聞いていたからなのか、気が付けば3人はアイコンタクトで情報を共通していた。

 

 この言葉をコウタに聞かせるには少し申し訳ない。それと同時にマルグリットもまたコウタに渡す物は、もう少しだけ豪華にしようと人知れず考えていた。

 

 

 

 

 

「じゃあ、私達はそろそろ準備がありますので」

 

「分かった。ノゾミちゃんも、またね」

 

「バイバイ」

 

手を振りながらもナナとシエルは2人を見送っていた。それと同時に、自分達も出来るならと考え出す。

 先程の話が正しければ、今日はラウンジを貸し切りにしているはず。だからなのか、2人もまたアナグラへと急いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう始まってるみたいだよ」

 

「そうですね。私達も行ってみましょう」

 

 ラウンジの扉は予想通り締め切られていた。関係者以外立ち入り禁止。扉の向こうから聞こえるのは、何時ものメンバーの声だった。

 

 

「私達はオペレーターですから、出来るだけ全員に届く様にお願いします」

 

「私は、これ程の数を作った事が無いんですが……」

 

「簡単な物にすれば大丈夫です。それに足りない時は何とかなりますから」

 

 ヒバリの言葉に心配げな言葉を発したフランもまた僅かに安堵が広がっていた。

 これまでに簡単な料理やお菓子は作った事もある。しかし、大量となれば話は別だった。

 お菓子は料理の様に、ある程度の裁量で出来る物ではない。正確に分量を量り、時間も正しくする事が最も正確に作れる物。これまでに一度でも作った経験がフランにもあったからこその不安だった。

 しかし、今回のこれは今年が初めてではない。既に何度も経験しているからなのか、それ以上の言葉を告げる事は無かった。

 気が付けば、カノンがエプロンの紐を締めて準備を開始している。フランもまた、同じく持参したエプロンを片手にカウンターに並べられた材料を眺めていた。

 

 

「あれ、フランちゃんもやってるの?」

 

「ナナさん。今日は非番だったんじゃ」

 

 突然の言葉にフランだけでなく、その場に居たウララもまた声のあった場所に視線を動かしていた。そこに居たのは非番で外出しているはずのナナとシエル。2人の外出許可を出したからなのか、その存在に少しだけ驚いていた。

 

 

 

 

 

「なるほど。オペレーターのみんなは大変だね」

 

「ですが、これで現場の士気が上がるなら安い物です。それにこれに関しては弥生さんからも予算が出ていますので」

 

「え……そうなんだ」

 

 まさかの言葉にナナだけでなくシエルも驚いていた。

 ここに来るまでに聞いた話では、バレンタインのチョコレートは有志によるものだと聞いている。当然ながらその費用は自腹のはずだった。

 しかし予算が出ているとなれば、それは業務の一環になる。

 女性陣の比率の問題はあるものの、やはり、格差があれば多少なりとも是正した方が良いだろうとの判断がそこにあった。

 手慣れた手つきでチョコレートを湯煎で溶かす。そこにあるのは手作業で行う分担だった。

 

 

「だったら、私達も一緒にやって良い?」

 

「それは構いませんが、折角の非番ですが」

 

「それはそうなんだけど、折角なら一緒に参加した方が良いかと思ってね」

 

「そうです。私達もブラッドのみんなに配りたいですから」

 

「そうですか。でしたら止めはしません。それとチョコレートで汚れるかもしれませんので、あそこにあるエプロンの着用をお願いします」

 

 フランの示した場所には畳まれたエプロンが幾つか置かれていた。

 実際にラウンジを貸し切りにしたのは女性陣の作業効率を考えた結果だった。本来であれば男性陣からクレームが来る可能性もあったが、翌日が何なのかを知っている為に、それ以上は何もでない。

 ここで文句の一つも出れば、自分だけが何も貰えない事を分かっているからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バレンタインですか」

 

「そう。この時期はラウンジが立ち入り禁止になるんだよ」

 

「でも、それだと文句が出るんじゃ……」

 

「案外とそうでも無いよ。口では何も言わなくても期待してる人も多いみたいだから」

 

「そうそう。毎年の事だから、ある意味仕方ないんだよ」

 

 北斗は珍しくエイジとコウタの3人でのミッションとなっていた。

 当初は他のメンバーを入れる事も考えたものの、普段では一緒にならないからと北斗はそのままミッションを受注していた。

 改めて言われれば、カウンターにいはヒバリではなくテルオミがせわしなく動いていた事が思い出される。

 当時は疑問があったが、このコウタの言葉に漸くその意味が理解出来ていた。

 

 

「って事は、食事関係は………」

 

「まぁ、仕方ないと言うか、ラウンジだけじゃなくて食堂も全滅かな」

 

「俺、何も用意してないんですけど……」

 

「それなら大丈夫。エイジの部屋に行けば良いだけだから」

 

「でも、エイジさんの部屋は………」

 

 エイジの部屋に居るのはエイジだけではない。当然ながらそこにはアリサも居るはずだった。

 毎年の恒例であれば当然、アリサも準備をしているはず。幾ら誘われたとしても北斗としては遠慮したい部分があった。

 

 

「明日まではアリサは別任務が入ってるから、大丈夫だよ。それに食事だけならそれ程時間もかからないだろうけどね。多分、ソーマやリンドウさんとかも来るだろうから」

 

「そうですか……だったらお言葉に甘えさせていただきます」

 

 決してアリサの事を嫌っている訳では無い。純粋に無粋だと判断しただけだった。

 ラウンジと食堂が無ければ当然、食事の時間は自分で作るか外で済ますかになる。

 リンドウとソーマの名前も出たのであれば安心だと北斗は考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《周囲にアラガミの気配は観測できません。帰投の準備をお願いします》

 

「了解。今日って緊急のミッションは?」

 

《一部のエリアでは感応種の確認が取れましたが、リンクサポートシステムによって討伐が確認されています。現時点での討伐予定任務は無し。このまま帰投後は非番になる予定です》

 

「了解」

 

 打てば響く様な言葉にロミオは少しだけ深く息を吐いていた。

 ここ最近は感応種の出没が多々あった事から、目の前で完了したミッションがあったとしても、次のミッションの事も視野に入れる必要があった。

 当然ながら物資は補給は出来るが、戦闘によって疲弊した精神力は早々回復しない。これまでに幾度となく対峙したとしても、ふとした油断をすれば自分の命が簡単に消し飛ぶのは当然だった。

 そんな見えないプレッシャーから解放されたからなのか、ロミオが深い深呼吸を終える頃、突如として届いた通信に更なる驚きを呼んでいた。

 

 

《お疲れのすみません。実は今日と明日の午前中はラウンジは全面利用禁止となっていますので、食事等は各自でお願いします》

 

「マジで?」

 

《はい。既にラウンジだけでなく、食堂の扉も閉ざされていますので》

 

 テルオミの言葉にロミオだけでなくジュリウスもまた驚きを見せていた。事前に知らされているアナウンスではなく、突如として決まった内容に何かを思い出そうとしている。

 一方のロミオは聞いた瞬間は驚きはしたが、何をを思い出したからなのか、なるほどと呟いていた。

                                           

 

 

 

 

「ロミオ、今日は何かあるのか?」

 

「まぁ、あると言えばあるんだけど」

 

「で、何があるんだ?」

 

 先程の通信が気になったからなのか、リヴィは恐らく何をしているのかを知っている様な素振りを見せたロミオに確認していた。

 未だジュリウスは記憶の糸を辿っている様にも見えるが、解決の方法は見せていない。

 それに対して、ロミオは何となく理解した雰囲気を見せたからなのか、リヴィもまたそのまま尋ねただけだった。

 

 

「明日はバレンタインデーだから、多分チョコレート関係だと思う」

 

「それがどう関係あるんだ?」

 

「……まさかとは思うけど、知らないのか?」

 

「だから聞いている」

 

 リヴィのストレートな言葉にロミオは少しだけ頭を掻きながら誰からとなく聞いた話をそのまま伝えていた。

 極東では旧時代にあったイベントの一環として、好きな男性にチョコレートを渡す習慣があり、今日と明日が貸し切りなのは全員が一斉に作っているから。当然ながらその奮闘している姿を見せるのは野暮だからと、ラウンジや食堂は事実上貸し切りになると言う内容だった。

 実際にはロミオもまたコウタから聞いただけの話なので、詳細までは知らない。

 大よそながらの答えではあったが、その内容にリヴィもまたどこか納得した様な雰囲気を出していた。

 

 

「……そうだったのか。私もこれから参加は可能なのか?」

 

「多分、大丈夫だと思うけど確認した方が良いかもしれない」

 

「そうだな。一先ずはアナグラに戻ってからだな」

 

 ロミオの話を聞いたからなのか、リヴィの表情は僅かに砕けていた。今回の件は恐らくナナやシエルもまた知っているはず。

 それがどんな結果をもたらすのかは、誰もが理解出来ないままとなっていた。

                                                                                   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「Happy valentine!」

 

 翌日のアナグラは朝から色々な意味でテンションが高かった。

 既にもらえる予定がある人間は勿論だが、予定が無い人間もまた期待する部分が多かった。

 この時代は色々な意味で実力に優れた人間程、人気がある。

 クレイドルやブラッドは既に周知に事実だが、それ以外の人間もまたサテライトの防衛などを経験しているからなのか、各方面からも声がかかる事が多かった。

 

 

「あ、有難う」

 

「いやぁ、嬉しいなありがとう」

 

 基本的にはオペレーターから出撃後にチョコレートが貰える事を事前に告知されているからか、そこそこの内容のミッションは過去に無い程の速度で完了していた。

 ヒバリだけでなくフランやウララから笑顔で渡されたそれを誰もが大事そうに持って行く。昨日は苦労した甲斐があった。そんな事を思える光景が広がっていた。

 

 

「今年も凄いね」

 

「でも、喜んでくれてますから」

 

「そうだね。それで結果が良いなら尚更だよね。因みにタツミさんは?」

 

「今日の夜には戻るので、その時ですね」

 

「楽しみにしてるんだろうね」

 

「昨日も連絡がありましたから」

 

「相変わらずだね」

 

「アリサさん達程じゃないですよ」

 

「確かに」

 

 アリサ達もだが、ヒバリの所もまた普段からお互いが一緒になる事が少ない為に、結婚当初からのテンションが変わる事は無かった。

 防衛班はサテライトの数が増えるにつれてその範囲が増えていく。人類救済の大義名分があるだけでなく、自分達が人類の守護者であると実感できるからなのか、士気は常に高くなっていた。

 

 当然ながらタツミにも負担は加速度的に増えていく。普段は中々ゆっくり出来ないが、こんな時は必ずと言って良い程に時間を確保していた。

 この光景を見たリッカもまた驚いた様な表情を浮かべ、休憩がてらカウンターに顔を出していた。

 ミッションが早く終われば、次に忙しくなるのは整備班。既に神機の整備もある程度目途が付いた為にここに来ていた。

 今日に限ってはチョコレートが大量に出ている為に、リッカも遠慮なく摘まんでいる。元々種類があったからなのか、その手が止まる事は無かった。 

 

 

 

 

 

「あの……良かったらこれ………」

 

「……ああ、有難う」

 

 普段とは違った一面を見たからなのか、北斗はシエルから貰ったチョコレートを手に硬直していた。

 今日がそうだとは認識していたが、まさか自分が貰えるとは思っていなかったからなのか、頬が赤いシエルに対し、気の利いた言葉一つ出なかった。

 お互いが初めての経験だからなのか、空気が固まる。

 周囲から見ればツッコミが入りそうではあったが、今日は仕方ないがないと言った空気が漂っていた。

 どれ程の時間が経過したのだろうか。何かを言い出すキッカケを作ったのは、この場に突如として入ってきたナナだった。

 

 

「はい、チョコレート。北斗、これ私が作ったんだ。シエルちゃんも一生懸命作ったから食べてね」

 

「あ、ああ。有難く頂くよ」

 

「うんうん。そうだよね。で、来月は宜しくね」

 

「来月?」

 

 突然のナナの言葉に北斗の思考が一向にまとまらない。バレンタインの言葉でさえ初めて聞いたからなのか、ナナの思惑に気が付かなかった。

 

 

「来月はホワイトデーなんだって。極東だと3倍返しなんだって。楽しみにしてるね!」

 

「ちょ……」

 

 言いたい事を言いきったからなのか、ナナはそのままギルの下へと移動している。お返しが前提だったからなのか、その足取りは軽かった。

 

 

「あの……私はそんな事考えていませんでしたので」

 

「いや。何か考えておくよ」

 

「では、お待ちしてますね」

 

 これ以上は耐えられないと悟ったからなのか、シエルはそのまま直ぐに退散していた。ナナの言葉通り、来月に何かあるのであれば返す物を考えるしかない。

 手に持った2つの箱を手に、北斗はそんな取り止めの無い事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう…間に合わない」

 

 アリサはこれまでに無い程に全力でアナグラへと帰還していた。

 元々予定では無かった任務ではあったが、アリサが行かない事には収拾がつかないままだった。

 サテライトの中でも比較的新しく入居した人間は何かにつけてトラブルになる事が多かった。

 当然ながら防衛班の人間も仲裁には入るが、全部を捌く事は出来ない。本来であればエイジも行く事が可能だったが、今回の騒動の大半は男性だった事からアリサに白羽の矢が立っていた。

 

 当然ながらアリサが顔を出した事によって騒動は一気に収束していく。本来であれば直ぐにも戻る予定だったが、折角だからと住人に引き止められていた。

 当然ながらアリサもまた前日には準備して今日に挑むはずだった。しかし、時間は既にかなり遅くなっている。

 エイジならともかく、今のアリサの腕前では作る事は時間的に不可能だった。となれば既製品に頼るしかない。しかし、目の端に見える時刻は既に外部居住区の店舗も閉店している時間だった。

 最近になって漸く時間にゆとりが出来たから、エイジには期待してほしいとまで言ってのこの状態。アリサは内心泣きそうだった。

 エイジであれば気にする事は無いが、やはり今日の日に向けて予定していた事が出来ないのは色々な意味で残念でしかなかった。

 

 

「あら、アリサちゃん。遅かったのね」

 

「ええ。色々とありまして………」

 

「入植直後は何かと不安定になりやすいのは仕方ないわね」

 

「気持ちは分からないでもありませんので」

 

 サテライトは基本的には抽選による入植となっている。当然ながらそこには何度も漏れた人も居れば、簡単には入れた人も居る。温度差が異なる為に、価値観は大きく異なっていた。

 小さな事も積み重なれば、最後は大きな軋轢になる。今回はそれが爆発した結果だった。

 

 

「それと、今日はバレンタインだったわね。もう準備してあった?」

 

「それが…………」

 

「忙しかったのよね……そうだ、良かったらこれ渡したらどう?案外と喜ぶかもね」

 

「ですが、これは弥生さんのですよね?」

 

 小さな箱を渡されたまではよかったが、これが何なのかがアリサには分からなかった。

 バレンタインの言葉からすれば何かしらのチョコレートの様にも見えない事は無い。しかし、箱の大きさはそれ程ではなかった。

 今から買う事も作る事も出来ない。折角の弥生からの提供に、アリサは遠慮しながらも確認していた。

 

 

「私はあくまでも使う必要が無かったから良いのよ。それに、私よりアリサちゃんの方が余程良い使い方をしてくれると思うから」

 

「ありがとうございます」

 

「良かったら、後で教えてね」

 

 既に弥生の言葉がアリサに届く事はなかった。気が付けばアリサは既にエレベーターの中。余程慌てていたのか、弥生は少しだけ溜息が漏れていた。

 

 

 

 

 

「あの……これなんですけど」

 

「良いの?」

 

「今回は既製品ですみません。来年はちゃんと作りますから」

 

「いや。貰えるだけで嬉しいよ」

 

 食事を終えてからアリサは弥生から貰ったそれをそのままエイジに渡していた。

 中身は聞いていないが、今日貰えるのであればと確認すらしていない。迂闊だと気が付いたのはエイジが包み紙を開けている最中だった。

 パッケージを開けた瞬間、エイジが固まる。当然の出来事にアリサは少しだけ心配になっていた。

 

 

「どうかしたんですか?」

 

「これって自分で買った?」

 

「いえ。弥生さんから貰いました」

 

「……そう」

 

 エイジは中にあったと思われたメモをそのままアリサに渡している。綺麗な字で書かれていたのは、箱の中身の使い方だった。

 書かれた内容を左から右へと読んでいく。そこで漸く中身が何なのかを理解していた。

 

 

「あの、これ渡した物ですけど、使っても良いですか?」

 

「流石に僕は使えないからね」

 

 箱に入っていたのは桜色のリップの様な物だった。少しだけ甘く香るそれが何なのかは理解出来る。しかし、エイジにはそれを自分で使う概念は無かった。

 手に取ったリップをアリサは自分の唇に塗っていく。薄くついたそれをアリサはそのままエイジの唇に塗る様に押し当てていた。

 

 

 

 

 

「これって、チョコレートなんだね」

 

「はい。メモにはそう書いてありましたので」

 

 少しだけ離れた事で最低限の言葉だけを口に、アリサは再びそれを押し当てていた。

 食べる物ではあったが、まさかこんな形で渡す物だとは思わなかったからなのか、何時も以上に深く感じる。

 その日は何時もよりも部屋の証明が消える時間が早かった。

                         

 

 



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第120話 平和の時

 厳しい戦いが過ぎてから数日が経過していた。周囲にアラガミの気配が少なくなった事を確認したからなのか、アナグラでは既に厳戒態勢は解除されていた。

 当然ながらローテーションは従来の物へと戻っているからなのか、訓練場は相変わらずの利用状況となっていた。

 

 

「今日はここまでだ。午後からは教導の予定になっている。不足分に関しては、後日改めて調整する」

 

「了解であります」

 

「それとリンドウ。午後からの教導はエイジに代わりを任せてある。お前は直ぐに報告書の作製に取り掛かれ」

 

 20時間の訓練は予想以上に厳しい物だった。訓練で厳しい状況を作り出せば、実戦でも問題無くその実力を発揮できるとの概念の元で行われている。

 リンドウだけでなく、北斗もまた、その考えを否定するつもりは無かった。

 普段が緩い訓練であれば実戦では確実に自分の命が消え去る事になる。これまでに幾度となく潜って来た戦いがそれを如実に表してた。

 

 だからこそ、今回の射撃訓練に不満は無い。しかしツバキの指導は2人の予想を容易く凌駕していた。

 訓練はあくまでも自分の為の物であって、支部としての内容ではない。

 当然ながらリンドウは厳しい訓練を終えた後は自分の仕事が待っていた。教導は戦場よりはマシだが、指導する点を考えれば案外と大変な部分もある。だからなのか、ツバキの言葉にリンドウは僅かに安堵しながら、その代わりの報告書の作成に顔が僅かに引き攣っていた。

 

 

「あの、姉上。少しは休憩を入れるのも必要では……」

 

「そうか。ならば昼食の時間を与える。北斗は自分のやるべき事をやるんだ。良いな」

 

「了解しました」

 

 手厳しい言葉にリンドウはそれ以上は何も言えない。実際に、アナグラの中でも少しだけ空気が緩んでいる様に感じているのはツバキだけでは無かった。

 激しい戦いの後に気が緩むのはある程度は仕方ない部分がある。厳しいやりとりが続けば、確実に精神が摩耗するのは当然だった。

 

 肉体とは違い、精神の疲労は簡単には回復しない。それが今になってまだ響いていた。

 口頭で注意すれば最悪は士気が下がる可能性もある。だからなのか、リンドウと北斗の厳しい訓練をする事によって、場の空気を引き締めていた。

 疲れ切った身体を強引に動かし北斗はラウンジへと移動している。リンドウもまた移動しようかと思った矢先にツバキから呼び止められていた。

 

 

「リンドウ。分かっているとは思うが、済まない」

 

「このまま放置するよりはマシなんで。でも、エイジが来てるならこの空気は直ぐに無くなるでしょう」

 

「違いないな」

 

 北斗が居なかったからなのか、そこには姉弟の空気が漂っていた。

 エイジだけでなく、ナオヤもまた教導の際には手加減をする事は一切無い。ここで緩いままに戦場へ出て命を散らすのは、他の誰でもなく自分である。これがスポーツであれば負けたとしても次があるかもしれない。しかし、戦場に於いてはその限りでは無い。

 命のやり取りの前に妥協を許す訳には行かないからと、常に厳しい内容を繰り返していた。

 それを知っているからこそ、ツバキだけでなくリンドウもまた笑みを浮かべる。午後からの教導が間違い無く厳しい物になるのは考えるまでも無かった。

 

 

「でも、射撃訓練はやり過ぎじゃないかと」

 

「何を馬鹿な事を言っている。射撃訓練は最初から考えていた事だ。それに、今後の事を考えれば、お前もまたそれを現場で指導する立場になるんだ。ここで手を抜いてどうする。あの時の二の舞になるぞ」

 

「そう言われれば…そうですが………」

 

 ツバキの言葉にリンドウは内心、藪を突いた事を後悔していた。

 少なくともこの場に於いてツバキが冗談を言う必要は何処にも無い。実際に金色の狼の存在は厄介以外の何物でも無かった。

 まだ確定はしていないが、あの動きから察するにキュウビと似たような性質を持っている可能性があった。

 事実、キュウビも初見ではかなり苦労をしている。今回のアラガミもまた同じだと考えたのは、偏にその行動原理だった。

 これまでのアラガミの様に、あからさまに分かる攻撃であれば対処の仕方は幾らでもあるが、あれはエイジだからこそ気が付いた部分が多分にあった。

 爪に風を纏わせることによって攻撃の間合いを外し、一方的な致命傷を与える事が可能となっている。これが自分であれば、確実に攻撃を受けた事によって初めて理解出来ると思えるもの。僅かな大気の揺らぎを察知したエイジを素直に褒めるしか無かった。

 実際にそれだけの戦力を揃えても、内容そのものは僅差で勝利を収めただけに過ぎない。あの場にコウタやアリサが居なければ、何らかの大きなダメージを受ける可能性も否定出来なかった。だからこそ生き残る為には相応の努力もまた必要だった。

 

 

「なに。こちらもサクヤやシエルの様になれと言っている訳では無い。実戦の最中であっても、どこで何が有効活用出来るのかは分からん。ならば、どうとでも対処出来る様にするのもお前の技量のうちだ。不服があるならば、それ相応の実力を見せるんだな」

 

リンドウの言いたい言葉を全て察知したからなのか、それ以上は従う事によって見せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、どうだった?」

 

「中々厳しいですね。まさかああ迄だとは思いませんでした」

 

「でも、実戦を想定すれば、ある意味では仕方ないからね」

 

「そう言われればそうですが……」

 

 昼食の為に北斗はラウンジへと足を運んでいた。既に時間もそれなりだからなのか、午前中に終わった人間がラウンジへとそぞろに移動している。食堂も併設されているが、昼に関しては全員がアナグラに居る訳では無い。そんな事もあって、基本的にはラウンジだけの営業になる事が多かった。

 

 席はそれなりに埋まっている。空いているのは、カウンターの部分だけだった。

 本来であればカウンター席が一番早い。しかし、今は偶然なのか、それとも必然なのかエイジの前に座ろうとする人間は居なかった。

 ベテランの人間やクレイドルの人間であれば特に気にしないが、新人や派遣組はかなり気にする。

 それは午後からの教導が全てだった。基本的にエイジかナオヤが担当していた場合、その相手は確実に打ちのめされるのは半ばお約束とも取れる事だった。

 新人であれば恐れ多いと感じるが、派遣組はその隔絶した技量を見ていると、自分のやっている事が何だろうかと自信を無くす。その結果として、エイジがカウンターに居る際には近寄らない事が多かった。

 誰もが遠慮しているからなのか、北斗は気にする事無く椅子へと座る。元々、午前中の予定を知っていたからこそ、エイジもまた苦笑交じりに北斗と話をしていた。

 

 

 

 

 

「そう言えば、最近はあまり教導教官をやっていないみたいですが、サテライトの方が忙しいんですか?」

 

「そうだね。今回の件もあったから、少しだけ手間取ったのは事実だけど一応は目途が立ったよ。だから、あのサテライトに関しては後任に任せるって感じだね」

 

「って事は、今日からは暫くはここですか?」

 

「そうなるね」

 

 既に時間もそれなりに経過したからなのか、ラウンジの込み具合はかなり解消されていた。

 実際にランチに関しては余程時間に余裕が無い限り、決まった物しか出さない。

 余裕があれば問題は無いが、ムツミの場合は余程の事が無い限り応じる事は難しかった。

 実際に作る速度の問題ではない。単純に体格差を考えた末の結果だった。

 大幅な移動を必要とすれば、当然時間がかかってしまう。忙しい昼時の時間のロスは致命的だった。となれば1人の問題で済むはずがない。それならば最初からやらない方がマシと言う考えだった。

 勿論、エイジであっても忙しければ引き受けない。それを分かっている人間は敢えて時間をずらして来る事が多かった。

 事実、カウンターには整備途中なのか、どこかオイルで汚れたツナギを着ているリッカとナオヤが座っている。お互いが何かを話している事を見たからなのか、エイジもまた会話には入らず、北斗と話をしていた。

 会話はすれど手が止まる事は無い。既に注文を受けているからなのか、エイジの視線は目の前のフライパンに移っていた。

 

 肉が焼ける音と同時に香辛料を振りかけ、直ぐに蓋をする。北斗は料理に詳しい訳では無い為に、エイジが何をしようとしているのかは分からないが、澱みなく動く手を見る事によって、その先がどう動くのかを考えていた。

 料理を作る為には広い視野が必須となる。一度でも複数の物を作った事があればその意味は直ぐに理解出来る程だった。

 フライパンの様子を見ながらも既に手は他の食材を取り出し、順番に切り刻む。

 幾つもの鍋に反応があれば、その都度動きが変化していた。目だけでなく耳を使う事によって音で食材の状況を確認していく。通常であれば凄いで終わる感想も、北斗からすればある意味では驚愕だった。

 決められた手順など存在しない。それどころか素材によっては熱の入り方も違う為に優先順位を素早く決めていた。当然ながら時間がかかればその分品質は落ちていく。そうならない様にエイジはあらかじめ動きやすい配置に全てを設置していた。

 

 

 

 

 

「なぁ、今日から入るのか?」

 

「今日の午後からだけど」

 

「悪いな。神機の整備はもう少しかかりそうなんだ」

 

「あれは仕方ないよ」

 

 ナオヤの言葉にエイジは僅かに笑みを浮かべるしかなかった。

 数日が経過しているが、神機の整備は完全に終わった訳では無かった。

 実際に厳しい戦場では神機そのものが大破に近い状況になったケースが多く、本来であれば完全にオーバーホールする必要があった。しかし、全部を一からやれば現場は完全に止まる。整備班もまた事実上の24時間体制でやってはいるが、通常のメンテナンスと並行している為に、その速度は遅々として進まなかった。

 無理はしない程度で整備をしながら、様子を見ながらフルメンテナンスにかける。当初は終わる気配すら無かったが、ここに来て漸くそのメドが立ちそうになりつつあった。

 

 

「一番面倒なのがまだ残ってるんだよ。参考に聞くけど、カノンさんのあれ、お前がやったのか?」

 

「そんな事しないよ。最近はこっちもそれ所じゃなかったから」

 

 ナオヤの言うあれとはカノンが最後に放った銃撃の事だった。

 基本的にはバレットエディットによる破壊力の制限と言う物は存在しない。それはバレットの威力が神機の耐久力よりも下回るからだった。

 しかし、その耐久力の壁を取っ払ったのがオラクルリザーブだった。これまでに無い程にオラクルを神機に充填する事で、従来ではありえなかった破壊力をもたらしている。

 厳しい戦場でひっくり返す事が出来る可能性を秘めたバレットエディットは確かに魅力的ではあるが、当然ながらそこには大きな弊害が待っていた。

 

 破壊力を優先すると神機の耐久力を上回る事だった。

 当然ながらそれを放ては銃身が歪むと同時に使い物にならなくなる。

 これが本当の意味での止めとなればまだ良いが、乱戦時であれば待っているのは自身の死。神機を使えないゴッドイーターは一般人と大差無かった。

 

 当時からその懸念は整備班の中でも存在している。しかし、銃身を歪ませてまで戦う事を要求される状態では無理を言う事は出来ない。

 本来であれば懲罰は必至だが、討伐を優先させた事によって始末書で済んでいた。

 カノンもまた同じ事をしている。銃身が歪むだけでなく肝心の発射機構にまで多大なダメージを負っていた為に、カノンは色々な意味で罰則を言い渡されていた。

 未だ戦場に立てないのは、神機の整備が間に合っていないから。幾ら交換できる技術があっても、肝心のパーツが無ければ話にならない。

 後回しにしていたそれも、今となっては漸く部品が届いた事によってゆっくりと進みだしていた。

 

 

「オラクルリザーブを解禁したまでは良かったんだがな。あれが続くとなれば、再度封印せざるを得ないだろうな」

 

「パッと見た感じは随分と落ち込んでいた様だったけど」

 

「んな訳無いって。あれは神機に負担がかからないバレットの研究をしてるだけだ。実際にリッカからも厳しく言われてるからな」

 

「ちょっと、私はそんなひどく言ってないよ」

 

「あれでか?周囲はドン引きだったと思うけど」

 

 

 二人の言葉に当時の状況が容易に想像出来ていた。

 神機を大事にしていない人間は極東支部には居ない。しかし、大事にしていないと扱いが雑は別物だった。

 カノンがどんな状況下であれを放ったのかは、ログを見ればすぐに分かる。その為に言い訳じみた言葉を口にしても無意味だった。

 だからこそ、リッカもまたそれ程強く言ったつもりは毛頭無かった。

 しかし、他の人間から見ればそんな風には一切見えなかった。実際にカノンは小さくなりながら棄てられた子犬の様になっている。ナオヤもまたその現場に居た一人だった。

 ゴッドイーターは基本的な収入は討伐実勢に左右される。決して神機の修理をしない訳では無いが、やはり損傷の度合いから見れば後回しになるのは当然だった。その間は何も出来ない。だからこそ、神機を大切に扱っていた。

 

 

「もう……あの時はこっちも大変だったの」

 

「知ってるよ」

 

 ナオヤの言葉に食事を終えたリッカは、渾身の力でナオヤの背中を叩いていた。

 鍛えた肉体にリッカの攻撃はまるで効いていない。それが何時もの日常だと言わんばかりの光景が広がっていた。

 

 

「そろそろ時間だ。なるべく早く終わらせる様にする」

 

「無理はするなよ」

 

 時間の都合だからなのか、ナオヤは用意された食事を終えたからなのか、頭の中は次の段取りを考えている。厳しい戦いをしているのはゴッドイーターだけでは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、終わりました?」

 

「ああ。今日の分は終了だね」

 

 教導のメニューはある意味では過酷な内容ではあるが、始まる前に説明されている為、大きな混乱を来す事は無かった。

 始まった当初は何かと問題も生じていたが、今となっては一定以上の戦闘能力を育成した事によって殉職率は大幅に減少していた。

 ゴッドイーターは基本的に神機との適合率が全て。当然ながら適合出来る人間の数はそう多く無かった。

 

 一時期の様に徴兵じみたやり方はしていないとは言え、全員が望んでいる訳では無い。

 当然ながらそんな人間の練度は極めて低い物だった。自身の意欲が無ければ生存率にも直結する。当然ながら事前の講習ではその事実を淡々と説明されていた。

 一度戦場に出れば、頼れるのは己の手にある神機のみ。誰もが好き好んで命を散らしたいとは考えない為に、この方法が採用されていた。

 当然ながらアラガミの狂暴さを理解させた上で教導を開始する。だからなのか、訓練室の中では誰もが自然と真剣になっていた。

 

 

「そうですか。この後はどうなってますか?」

 

「今日はラウンジの当番だよ」

 

「じゃあ、先に行ってますね」

 

 先程の厳しい空気は霧散していた。顔を出したのはアリサだった。

 基本的にエイジを良く知っている人間であれば特段珍しい光景ではないが、まだここに来たばかりの人間はアリサの存在は知っているが、エイジとの関係までは知らなった。

 精々が同じ制服を着ている為にクレイドルである事位。だからなのか、どちらかと言えば興味本位で聞くつもりだった。

 

 

「あの……先程の人はアリサさんですよね?」

 

「そうだよ」

 

「あの……如月教官とはどんな関係なんですか?」

 

「……え?」

 

「だって、同じ部隊なんですよね?」

 

「そうだけど。それがどうした?」

 

「色々と知りたいと思って………」

 

 突然の言葉にエイジは珍しく言葉に詰まっていた。

 これまでのケースではこんな話をここでした事は一度も無かった。

 実際にはアリサが顔を出した事がその要因ではあるが、新人の誰もがどこか憧れやそれ以外の感情を持っている様にも見える。空気を読むのであれば多少は言葉を濁す事もあるが、ここで濁した所で近いうちにその関係性を知るのは直ぐに予測出来た。

 

 広報誌ではクレイドルに関しては、最近はサテライト関連の記事が取り上げられる事が多く、また、紹介に関してはアリサが受け持つ事が多かった。

 実際にはエイジもまた新たな予定地の探索や建設中の護衛など、やるべき事は場合によってはアリサよりも多い。当初はアリサもそれを誇示するのは意にそぐわない様子だったが、弥生の説得によって今に至っていた。

 名前からすれば理解出来るはず。エイジ自身も隠すつもりは無いが、面と向かって聞かれた事が無いからなのか、この手の質問にどう答えれば良いのかを迷っていた。

 

 

「でも、アリサさん綺麗だよな」

 

「広報誌で見たのとは違うって」

 

「やっぱり恋人とかいるのかな」

 

 適当な事を言い出したからなのか、エイジは恋人はいないが夫はいると内心突っ込んでいた。

 それと同時にこの場で公表する事もまた諦めていた。この手の話を説明した所で碌な結果にならない。少なくともエイジはそう考えていた。

 そんな事に時間を費やすなら他の事をした方が何倍もマシ。だからなのか、エイジもまた解散と告げ、自分のやるべき事を優先していた。

 

 

 

 

 

「笑いごとじゃないですよ」

 

「悪い悪い。そんな事、今まで殆ど無かったからな」

 

 ラウンジでは既にやるべき事をやり終えたリンドウが早めの食事とばかりに足を運んでいた。

 実際には自分の部屋に戻ればサクヤが食事の準備をしている為に、ここでは簡単にひっかける程度。既にリンドウの前に置かれたジョッキの中身の大半は無くなっていた。

 

 

「流石に僕も空気は読みましたよ。それに態々公表するまでも無いですから」

 

「まぁ、そう言われればそうだな。公表しなくても勝手に知れ渡るだろうしな」

 

 そう言いながらリンドウは残ったビールを飲み干していた。元々食事の前はそれ程飲む事は無い。小鉢と摘み程度の物を用意すれば、後は適当だった。

 チェイサー代わりに次のジョッキを持っている。余程報告書の事が堪えたのか、そのピッチは何時も以上だった。

 

 

「リンドウさん。それ以上はサクヤさんに怒られますよ」

 

「堅い事言うなって。今日は本当に大変だったんだぞ」

 

 既にリンドウの前には空になったジョッキが2つ置かれていた。何時もであればもう少し数が置かれるが、最近になってサクヤから厳しく言われていた。

 キッカケはツバキの復帰による物。ベテランが泥酔で戦線に出れないとなれば、何かと都合が悪くなるからと言う大義名分の元、リンドウの飲める量が制限されていた。

 自室でも飲めるが、ラウンジで飲むのとはまた違う。だからと言って、サクヤに逆らえる程家庭内のヒエラルキーは高くない。

 それが影響しているからなのか、リンドウもまたここでの飲酒は自然と控えていた。

 

 

「でも、飲ませたら今度は文句を言われるのはこっちなんで」

 

「しゃあないな。じゃあ、これ位にして一旦帰るとするさ」

 

 既に厳しい戦いの残滓は完全に消え去ろうとしていた。訓練室や戦場では分からないが、ラウンジの様に寛げる空間に居れば自然とその空気は感じ取れる。

 死傷者数が無かった訳では無いが、だからと言ってアラガミが根絶出来た訳でも無い。

 束の間の時間を過ごす空気は、既に穏やかな物となっていた。

 

 

 



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第121話 極東ならでは

 大戦とも取れる戦いによって受けた恩恵は予想を上回る程だった。

 極東支部に最初から配属された人間だけでなく、外部からの派遣組もまた相応の経験を積んでいた。

 他の支部ではこれ程までに大規模な戦いを経験する事はまずありえない。仮に起こった場合、待っているのは支部の壊滅だった。

 当初はその規模に怯える人間もいたが、ブラッドやクレイドルをはじめとして他の部隊もまた強固な能力を秘めていた。

 事実、極東支部では未だに旧型神機、即ち第一世代型の神機が現役で稼動している。当初は態度にこそ出さないが、内心ではどこか蔑んだ部分が多少なりともあった。

 

 しかし、この戦いで戦線を支えたのはその第一世代型のゴッドイーター。仮にどちらかが使えないからといって、そのまま安穏としている訳では無かった。

 近接型であれば常に間合を意識し、こちらが有利に運べる様な戦術展開は誰もが息を飲む。特にソーマと同系統の神機を使う人間からは、まさに圧巻としか言えなかった。

 バスター型でもあるイーブルワンは本来であれば一撃必殺の様に重攻撃を本来の仕様としている。当然ながら攻撃が外れた場合や、思った程にダメージを与えられなかった場合、待っているのは手痛い反撃だった。しかし、そんな事は杞憂でしかなかった。

 常に先手を取りながらも全体状況を把握する。五手、十手先を見越した戦いは傍から見ればある意味では理想的だった。

 当然ながら重攻撃が連撃で来れば如何なアラガミと言えど不様に散るしかない。だからなのか、アラガミは直ぐに物言わぬ骸と化していた。

 

 

「流石ですね」

 

「………別に何時もと同じだ」

 

「いやいや。絶対に張り切ってたって。何時もと違い過ぎるから」

 

「コウタ。言いたい事はそれだけか?」

 

「何だよ。まだ言って欲しいのか?」

 

「………勝手にしろ」

 

 ソーマの戦いに見惚れるかの様に派遣された人間は感じたままの賞賛を素直に口にしていた。

 今回のメンバーはクレイドルと第1部隊の混合チーム。ソーマ自身が依頼した内容をこなす為のミッションだった。

 既に周囲にはコンゴウやその堕天種がコアを抜かれた事によって霧散している。この程度ならば当然だと言わんばかりにソーマは周囲を索敵していた。

 

 

「まぁ、ソーマはああ見えて照れ屋だからな。見た目は怖いけど、いい奴だよ」

 

「そうだったんですか………」

 

 コウタの言葉に同じメンバーに選ばれた女はその背中を目線が追いかけていた。

 ソーマは研究職である為に、周囲に溶け込む事は余り無い。しかし、その戦闘方法があまりにも理知的だからなのか、どこか洗練されている様にも見えていた。

 実際にバスター型神機は斬るよりも叩き潰すイメージの方が強い。女もまた所属していた支部では似たような事をしていた。

 当然ながらそれが極東で通用するのかは別問題。あの当時の戦いの際にはアラガミを攻撃した隙を狙われ、被弾率が他に比べると多かった。

 幾ら強靭な肉体を持つゴッドイーターと言えど、痛みは生じる。痛みを怖がる人間程、結果的には被弾率が高かった。

 

 

「コウタ隊長。そろそろ移動しないとソーマさんに怒られますよ」

 

「やべっ!もうそんなに離れてるのか」

 

「当たり前です。私達も急がないと。それに帰ったらマルグリットさんに言っておきますから」

 

「ちょ……俺、何もしてないじゃん」

 

「少しだけ鼻の下伸びてましたよ。全くコウタ隊長のどこが良いんですかね」

 

「るせぇ。大きなお世話だ」

 

 コウタの会話はエリナの一言で突如終了していた。

 実際に戦場で気を抜く行為は褒められた物ではない。しかし、今に至っては周辺にアラガミの姿は観測されていなかった。

 実際にレーダーに反応しない個体はここ最近では現れていない。ブラッドが交戦した新種でもあった感応種が関の山だった。

 エリナとコウタのやり取りに先程までコウタと話していた女もまた急ぐ。詳しい事は分からないが、コウタには彼女が居る事だけは判明していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回のミッションは助かった。俺一人でも良かったんだが、結構面倒だったんでな」

 

「おお、ソーマが礼を言うなんて」

 

「いえ。私も良い経験と積めましたので」

 

「コウタ隊長、少し真面目にお願いします」

 

 コウタの茶化した言葉を無視するかの様にソーマは今回のミッションのアサインに礼をしていた。

 基本的には単独でもやれない事は無いが、そうなれば時間がかかるのは間違い無い。

 危険度の事もあったからなのか、コウタ達にアサインした事が始まりだった。

 大きな戦いの後、油断する事無く引き締まったのは偏にリンドウと北斗の射撃の教導と、エイジが教官として入った教導が発端だった。

 

 幾ら階級があるからと言っても、派遣された人間はその支部ではかなりの実力を持っているとの触れ込みで来ている。当然ながらそこに介入する様ならば、何かと軋轢を生む可能性があった。

 しかし、極東での実力が上位の人間が黙々と厳しい教導を行っているとなれば、周囲に対する影響もまた大きかった。

 

 幾ら厳しい戦いがあったとしても、自己研鑽を止めれば待っているのは死。生き残る為であるからと行動している為に、自然と緩い雰囲気が蔓延する事は無かった。

 それを示すかの様にコウタ達がアナグラのヘリポートに帰還すると、そこは何時もの様な光景が待っていた。

 これから任務に出るからなのか、見知らぬ人間が組んだチームが次々と乗り込んで行く。その表情に驕る気持ちは存在していなかった。

 そんな空気の中、ソーマのお礼にコウタは戸惑う。少なくともこれまでの記憶の中では言われた数は数える程。まさか言われると思わかなかったからなのか、コウタの態度は自然とおどけていた。

 

 

「いや、ちょっと驚いただけだって。それに今回のミッションは研究に必要な物があったんだろ?だったら礼なんていらないって」

 

「コウタ隊長………ちゃんと考えてたんですね。少しだけ見直しました」

 

「エリナ。お前が俺の事をどう思っているのか少し分かった気がするよ。この時間ならラウンジに行ける。よし、詳しくはそこで話そうか」

 

「えー。私も予定があるんですけど」

 

「いや。折角だから偶には第1部隊としても情報の共有化は必要だからな」

 

「ちょっと横暴じゃないですか、それ」

 

 何時もの手合いだからなのか、会話の中身こそ物々しいが、表情にそれは無かった。

 実際には単に食事をするだけの話であって、それ以上は何も無い。特に今回のミッションに関してはコウタ自身も色々と気を使う部分が多分にあった。

 これまでにも数える必要が無い程に人員の入れ替えはやっている。ただ、今回に限ってだけ言えば、同行した女性に少しだけ思う部分があった。

 決して弱い訳では無い。本人の性格から考えても問題は無いはずだが、何となく気になる部分があった。

 恐らくはエリナも感じているはず。だからなのか、コウタのアイコンタクトにエリナもまた行動に移っていた。

 

 

「そんなんで、済みませんが、この後は少しだけコウタ隊長にも付き合ってくれませんか?」

 

「私もですか?それは構いませんが………」

 

「費用ならコウタ隊長の奢りですから大丈夫ですよ」

 

「ちょっ……エリナ!」

 

「隊長なんですから」

 

 チラリとコウタを見ながらも女はエリナの言葉に頷いていた。

 少なくともソーマの戦闘力が高い事は、今回のミッションで嫌という程理解させられていた。その一方で、コウタもまた第1世代型神機でも銃形態のみにも拘わらず、部隊の指示とポジショニング、また着弾率はこれまでに見た事が無い程だった。

 実際に来た当初は、絶対とは言わなかったが多少なりとも下に見る部分があった。

 しかし、一度のミッションでその考えは払拭されている。だからなのか、エリナからの提案にも素直に応じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?今日はムツミちゃん居ないの?」

 

「風邪ひいたみたいでね。急遽だよ」

 

 何時もとは違った光景にコウタは思わず疑問を口にしていた。

 本来であれば今日はムツミがカウンターにいるはず。にも拘わらずエイジが居た事に出た言葉だった。

 病気と言われればそれ以上は何も言えない。しかし、エイジがそこに居るとなるとコウタも少しだけむず痒い部分があった。

 特にダメ出しをする訳じゃ無いが、教導をやっているエイジの目の前で大言出来る程図太くはない。だからなのか、コウタは少しだけ動揺している様だった。

 

 

 

 

 

「取敢えず研修の間は持ち回りになるはずだから、そのつもりで」

 

「分かりました」

 

 エイジを警戒したからなのか、コウタは当初考えていたはずの言葉の半分程の説明で終わっていた。

 実際にコウタが詳しく言うまでも無く基本は抑えているからなのか、動きに澱みは無い。気を付けるとすれば、ここは極東である為に目の前のアラガミにだけ注視する訳にはいかない点だった。

 実際に予定されてミッション以外のアラガミの難易度は誰にも分からない。当初は初心者のチームだけでも大丈夫だと思った矢先に接触禁忌種の乱入は日常的だった。

 当然ながらミスマッチした依頼は命を危険に晒す。だからなのか、直ぐに救援が出るのは当然だった。

 

 クレイドルやブラッドは基本的には出ずっぱりになる事も多い。だからこそコウタ率いる第1部隊の人間は精神的な緊張を常に強いられていた。

 一時的に配属された人間にも確りと説明をする。コウタの説明に、女もまた理解したからなのか頷いていた。

 

 

「世間ではどう思われているのかは分からないけど、ここでは第1部隊だからって考えは持たない方が良い。確かに討伐専門ではあるけど、俺達はアラガミだけに目を向ければ良い訳じゃないからさ」

 

「確かにそうですね。先程のミッションも本当は私のレベルじゃ厳しかったんじゃないですか?」

 

「それは無い。ソーマも居たけれど、基本はミスマッチする様な依頼は受けないから。万が一の際には何とでもなるから」

 

「……そうですか。私はまだまだ足りないって事ですよね」

 

 先程の戦いで思う所があったからなのか、女の表情に翳が僅かに落ちていた。しかし、ここで精神的に折れなければ今よりも更に上を目指す事が出来る。

 それを理解したからこそ女もまた先程よりも表情が明るくなっていた。

 

 

「そう言えば、コウタさんは銃形態だけなんですよね」

 

「参考になる部分は少ないよ。だったらエイジならどう?」

 

「いやいや。それは無理ですよ。流石に私でもそれ位の分別はつきますから!」

 

 女の言葉にカウンターの中に居たエイジは苦笑いするしかなかった。

 恐らくはエイジの人となりと噂の違いに区別がつかないのかもしれない。特にここ最近になってからはエイジが前面に出る事は少なくなっていた。

 下手に騒がれた所で碌な目に遭わない。だったら自分の知りうる範囲の中での生活をするしか無かった。

 冷静に考えれば目の前の女はまだエイジが受け持っていない。だからこそ、本音の部分が見えていた。

 極東の鬼の異名は伊達では無い。厳しい教導は力にはなるが、その過程は苛烈そのもの。だからなのか、女はそこまでの気概は無いままだった。

 

 

「あれ、コウタ。もう終わったの?お疲れ様」

 

「そっちも今終わったのか?」

 

 そんな取り止めの無い会話は背後からの声に終了していた。コウタが振り向いた先には浴衣を着たマルグリットとリヴィが居る。普段では珍しい格好だったからなのか、女は少しだけ驚いた表情を見せていた。

 

 

「うん。今回は割と簡単な部分だったからそれ程でも無かったかな」

 

「そっか。そうだ、メシ一緒に食ってく?」

 

「コウタの奢りならね」

 

 エリナと同じ会話ではあったが、確実に今の方が柔らかみがあった。

 詳しい事は分からないが、どうやらコウタとは知り合いらしい。少なくともまだここに来たばかりの人間に極東支部の人間関係を知るのは困難だった。

 

 

「私は第1部隊副隊長をしてるマルグリット・クラヴェリです。宜しくね」

 

「あ、はい………」

 

 これまでに見た事が無い格好は周囲の視線を一気に奪い去る。既に慣れている人間であれば気にも留めないが、これまで見た事が無い人間は殆どがマルグリット達に向っていた。

 パッと見ただけでも女性らしい姿に女も圧倒される。握手はしたものの、どこか現実味を帯びた様な雰囲気は無かった。

 

 

 

 

 

「そうだったんですか……」

 

 その後の食事は結果的にコウタが全面的に支払う事が決定していた。元々自分で言った手前、今更撤回する事は出来ない。かと言って、他のメンバーには何もしないのもなんだからと結果的にはそうなっていた。

 本来であれば厳しい支払になるが、幸か不幸か今日はエイジが担当している。その結果、当初の予定金額よりも安くついていた。

 そんなコウタとは裏腹に女性陣は楽し気な話になっている。浴衣の意味を知ったからなのか、色々な意味で認識が変わりつつあった。

 

 

「趣味と言われればそうなんだけど、結果的には自分の身になっているのが大きいかな」

 

「ですが、私はヴァリアントサイズじゃないんで………」

 

 舞踊の本来の目的は伝統ではなく体幹を鍛え、体重移動をスムーズにする事によって望まれる斬撃の強化。神機の強化は当然だが、最終的には自分自身が更に力を付ける事が前提だった。

 他の神機とは違い、サイズだけが直線的な動きではなく、曲線を描く。だからこそマルグリットだけでなくリヴィもまた同じだった。

 

 

「でも、他でも使えるはずですよ。だって、アリサさんもですから」

 

「そうなんですか!」

 

「使い方は違うと思うけど、基本は同じだったよ」

 

 異常な食いつきにマルグリットも思わず後ずさりしていた。極東以外の支部では神機の強化を優先させる傾向が強い為に、自身の能力の底上げは二の次となる事が多い。その為に、派遣組の殆どがここに来て戸惑う事が多かった。

 そんな中でアリサの名前はある意味では絶大だった。支部の紹介の中ではアリサの名前は何度も出ている。その結果、神機の事も世間には知られていた。

 

 

「私がどうかしたんですか?」

 

「あ、アリサさん」

 

 偶然でた名前に反応した声が誰なのかは言うまでも無かった。思わず振り向いた先には同じく浴衣を着たアリサがそこに居る。

 話の内容は分からなくても自分の名前が出た為に、そのままここに来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、何かあったのか?」

 

「まぁ、色々としか言えませんけどね」

 

 既に時間は夕食を取る頃。厳しいスケジュールをこなしたリンドウの目に映っているのは異様な光景だった。

 中堅やベテランはそれ程でもないが、まだ来たばかりの新人を中心に一部の派遣組の人間はどこか項垂れている。特に何かを注文している訳では無いのか、その目に光は無かった。

 

 

「何だ?そんな面白い事でもあったのか?」

 

「面白くは無いと思いますよ。それに内容はどちらかと言えば自爆に近いですから」

 

 取り止めの無い事を言いながらリンドウはエイジの前に座っていた。

 今日はサクヤの就業時間が遅い為にリンドウはここで食事をする予定となっている。エイジもまたそんな雨宮家の事情を把握しているからなのか、直ぐにカウンターの下から小鉢を取り出していた。

 

 

「何だ、教えてくれないのか?」

 

「これでも守秘義務はありますよ」

 

「そうか………おっ、丁度良い所に」

 

 一度は着替えたからなのか、リンドウの視線の先には先程までここに居たと思われるコウタの姿を捉えていた。

 エイジは言葉の通りラウンジで話した内容を口にする事は一切ない。これまでにも何度かそんな話があったが、実際に噂にすらなる事はなかった。

 実際にアルコールが入れば時折貴重な情報が出てくる事がある。バータイムであればその殆どが弥生かエイジが取り仕切る事もあってか、案外と口が軽い人間も多々あった。

 厳密に言えば弥生の下には支部内の情報の殆どが上がってくる。そんな事情もそこにはあった。

 だからなのか、リンドウはエイジではなく、他の人間を探す。コウタが居たのは単なる偶然に過ぎなかった。

 

 

 

 

 

「成程な。だからあんなに落ち込んでるのか」

 

「別に隠すつもりもないですし、そんなのちょっと調べたらすぐに分かるじゃないですか。実際にノルンにだって記載されてるんっすよ」

 

「確かにそうだよな………」

 

 カウンターでは既に晩酌が始まっているからなのか、リンドウの前には獲れたばかりと思われる魚の刺身が置かれていた。

 海上資源はまだ完全に流通が始まっている訳では無い。アナグラで提供される物の殆どはサテライトからの材料だが、ここ最近に関しては海から直接上がってくる事が多かった。

 ゴッドイーターであれば万が一の際にも大丈夫だと言う榊の言葉に、当初は誰もが恨めしい表情をしていたが、時間の経過によって今ではその感情は完全に薄れていた。

 新鮮であれば出来る料理は一気に増える。最近になってからラウンジでも刺身や生もの系統の料理が増えだしていた。

 何時ものビールではなく日本酒と刺身にリンドウは舌鼓を打つ。味わいながらもコウタからの事情聴取を忘れる事は無かった。

 

 

「ほら、うちの支部って結構広報誌の影響が大きいから、誰もそこまで調べようって考えないんですよ」

 

「そう言われればそうかもな………」

 

「リンドウさんは簡単に言いますけど、さっきまで大変だったんで」

 

 思い出す事も嫌だったのか、コウタは完全に位渋面を作っていた。

 キッカケはアリサが何も考えず、自分の事を話した事だった。

 アリサからすれば支部でも挙式をしている為に極秘裏でも何でもない。ただ聞かれたから答えただけの話だった。

 

 改めて名前を見れば既に改姓だけでなく指輪もしている。態々自分達の口から言う必要性も無い為に、それ以上な何も言わなかった。

 支部内の中堅以上は誰もが式の事を知っている。懸想した人間は完全な一人相撲だった。

 話はそれだけではない。周囲の反応を見たからなのか、アリサは次々と周囲の関係性までも公表していた。

 ヒバリの事は勿論の事、コウタやリッカ。次々と名前が出た頃には完全に周囲の空気は通夜の状態へと変わっていた。

 勿論、アリサが公表した事には訳もあった。自分だけなら問題無いが、これがエイジにまで波及すれば面倒事が起こる可能性も出てくる。ならばと思った事が一番だった。

 当然ながらマルグリットとて周囲から見れば羨む部分が多分にある。そんなカオスな状況が先程までラウンジで繰り広げられていた。

 

 

「何だ。かなり面白い事になってたんじゃないか。俺も見たかったな」

 

「それ、リンドウさんだけですって」

 

 気が付けばコウタの前にも食事が置かれていた。先程までは軽食だった為に、まだ腹には余裕がある。リンドウ同様にコウタの前に置かれたのはブリの照り焼きだった。

 肉厚な身と脂は甘辛いたれの味とマッチしている。恐らくは先程の状況を宥めたコウタへの気遣いである事は間違い無かった。

 コウタもまたそれを理解しているからなのか、何時もと同じくそれを口にしていた。

 

 

 

 

 

「ちょっと……俺聞いてないですよ。まるで馬鹿みたいじゃないですか」

 

「あれ、俺言ったよな」

 

「いえ。言ったのは恋人はいないって事だけです」

 

「夫は違うだろ?」

 

 何でもない様に言うハルオミの言葉にアランはそれ以上は何も言えなかった。

 確かに初めて会った際には意気投合して結構な酒を飲んだのは記憶にある。しかし、ハルオミの口からは確かに恋人は居ない事は口から出ていた。

 幾ら指輪をしているとは言え、まさか結婚しているなどとは誰も思わない。アランは実質一人相撲だった事に漸く気が付いていた。

 ラウンジに居たのは限りなく偶然の事。そんな中でコウタの言葉はまさに衝撃的だった。周囲に広がる絶望感。アランもまた同じだった。

 

 

「そりゃ……そうですけど」

 

「指輪もしてただろ?」

 

「………そうですね」

 

「でも、もう研修も終わりなんだし、後腐れ無く帰るまでの辛抱だって」

 

 今回の大規模な作戦は完全に想定外だった。

 実際に派遣された人間の中にはゴッドイーターとして再起不可能な人間も存在している。命があるだけマシと考えるのは極東支部位の物だった。

 だからこそ、刹那的な感情が芽生えるのは当然だった。しかし、今回の件に限っては完全に分が悪い。それを理解しているからなのか、アランはそれ以上は何も言えなかった。

 他の支部でもフェンリルが取る判断は同じ。しかし、ここに来る人間の殆どが実力者である矜持を持っていたからなのか、落ち込んだままのケースもあった。

 

 

「確かに、今回の件は良い経験になりましたよ」

 

「そうか。まぁ、何だ。折角だから、今晩のここは俺の奢りだ。じゃんじゃん飲んでくれ」

 

 これまでの事情を全て察しているからなのか、カウンターの中に居た弥生はそれ以上の事は何も言わなかった。

 実際に口出しするのは拗れた時だけ。勿論、エイジがハニートラップの講習を受けているのと同じようにアリサ達もまた、ロミオ諜報対策の講習を受けている。

 その事実を知っているからなのか、笑みを浮かべたまま二人の様子を眺めていた。

 

 

 



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第122話 桃の節句

ちょっとだけ遅れました。




 極東支部にはとある場所では二つの顔があった。一つは華々しい環境。もう一つは色々な意味での戦場の様な場所だった。

 ゴッドイーターは基本的にはオラクル細胞を僅かながらに摂取し、超人的な能力を持って任務へと出動する。その対価として一般の人々からすれ羨む様な報酬が懐に転がり込む。勿論その報酬は自分の命削った代償なだけに誰もが真剣だった。

 幾らゴッドイーターと言えど、栄養を補給しなければ生命活動にも多大な影響を及ぼす。だからこそ、ここではその補完をする為に朝の早い時間から動く人々があった。

 

 

「しかし、ラウンジにそれを出すってのは、随分と豪華だね」

 

「手間はかかりますが、来る人には喜ばれますから」

 

「だからと言って、あたしゃ『あそこ』だけは勘弁だね。そんな気取った物なんて作れないんだからさ」

 

「気取ってはいませんよ。ここと大差は無いですから」

 

「それは、あんただけがそう思うだけの話さ。ここの皆はそう考えていなんだよ」

 

 まだ活動の時間には少しだけ早かった。しかし、ここでは時間と共に直ぐに対応できる様に前もって準備をする必要があった。

 相手はそれなりに食べる人間。だからなのか、口は動くも手はそれ以上に動いていた。

 リズミカルに聞こえる包丁の音はまるで何かの音楽を奏でるかの様に鳴り響く。時間的にはそろそろだからなのか、既に厨房の中にはゆったりとした空気は霧散していた。

 

 

「それに、ここよりも向こうの方がコストは高いですから。やっぱり、それなりに手間暇をかけないと申し訳ないですよ」

 

「そりゃそうだ。高かろう不味かろうではね。食なんて一番の本能みたいな物だからね」

 

 既に用意された食材の殆どは綺麗に形を揃えていた。後は冷ましながら混ぜ込むだけ。ラウンジでは出来ない仕込みだからこそ、食堂の設備を使用していた。

 用意された一人用の丸重に冷ましたそれを詰めていく。手順は既に理解しているからなのか、切り揃えた具材をその上から乗せていた。

 数はそれ程ではない。丁度、ここの人数と同数だった。

 

 

「態々お借りして済みませんでした。良ければ、これを人数分だけ作りましたので、ご賞味下さい」

 

 まだ一般には完全に流通していないからなのか、切り添えられた具材はどれもが海の幸だった。

 一部は既に火を通してある為に問題は無いが、それ意外は明らかに生ものだった。だからと言ってどの食材もそのままではなく、味付けなど一仕事されている。

 元々温かい状態で食べる物では無い事は厨房の人間であれば誰もが知っている。だからなのか、仕込みが終わった人間は用意されたそれを口にしていた。

 

 

「流石だね。今の仕事を引退したらここに来て欲しい位だね」

 

「何言ってるんだい。極東のエースが引退なんてしたら、アラガミが来たら心配じゃないか」

 

「他の皆も訓練してますから、心配はいりませんよ」

 

「いや、それは違うね。あんたと言う絶対がいるから、皆が自分達のやりたい様にやってるんだよ。ここは割と新人から中堅が殆どだ。あんたの話を聞かない日は無いよ」

 

「それってどっちの事ですかね。多分、妻の事だと思いますが」

 

「相変わらず謙遜だよ。やり過ぎると嫌味になるよ」

 

 まるで親子や近所付き合いがあるかの様に厨房の人間は一時的に設備を借りに来たエイジと話をしていた。

 本来であればラウンジでやれば良いだけの話。しかし、今回用意した物は流石に仕込み量が多かったからなのか、食堂の厨房まで来ていた。

 自分の包丁を滑らせ、具材は瞬時に切り整えられていく。

 熟練ともとれる技量は元からここに居た人間でさえも目を見張る程だった。

 そんなエイジが用意したのは赤く塗られた丸重。敷き詰められた具材は(いろどり)も鮮やかだった。

 

 

「以後気を付けます」

 

「そうだよ。トップがそんなんだと、下が苦労するからね」

 

 エイジとしてはそれ以上は愛想笑いしか出来なかった。

 周囲がどう考えていても自分よりも上の人間が身近に居る為に、慢心する事は無い。どれだけ鍛錬をしようが、その上の人間は遥か先を歩く様だった。

 だからこそ、毎日の積み重ねを続けるしかない。上達するには近道は無い事を理解しているからこそ、本心でそう考えていただけだった。

 勿論、エイジの本意など周囲は知らない。精々がアリサ位の話だった。

 

 

「これは……中々の味だね。こんな手の込んだ物を今日出すのかい?」

 

「ええ。そのつもりです」

 

 既に口にしたからなのか、周囲の人間は誰もが驚いたままだった。実際に細かく味を調整している為にそのバランスは絶品だった。

 ここでは絶対に出そうとすれば大味でしか出来ない。ラウンジに足を運ぶ人間は贅沢だけども羨ましいと誰もが感じていた。

 

 

「しかし………これ、結構するんだろ?」

 

「そうですね。少なくとも何時もよりは少しだけ割高ですかね」

 

「でも、これなら納得だね」

 

「専門の方にそう言って貰えて安心です」

 

「止しておくれよ。私らはそんなんじゃないからさ」

 

 既に時間は朝の時間に差し掛かろうとしていた。ここに来る前にラウンジの仕込みは完了している。

 前日に寝かせたそれを後は焼くだけにしてあるからなのか、エイジは何時もよりは時間にゆとりがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、今日は特別メニューを出すらしいんだけど、ナナは何か知ってるか?」

 

「えー。ロミオ先輩が知らないのに、どうして私が知ってると思うの?」

 

「そりゃあ……まぁ。色々とだって」

 

 ナナの反撃の言葉にロミオは僅かに後退りしていた。

 今朝、ラウンジに行った際にエイジが珍しく動きが慌ただしい様に見えていたのが原因だった。

 普段から段取り良く動くはずの人間が慌ただしくなるのは何らかの要因がある。

 普段はそれ程気にしないロミオではあったが、今日に限っては珍しく気になっていた。

 

 ひょっとしたらサテライト絡みの事案が発生したのかもしれない。そんな取り止めの無い事を考えていた。

 最近になって、中堅の人間の数もそこそこになってからのクレイドルは、改めて本来の任務でもあるサテライトの建設候補地を探す事を再開していた。

 実際には当時とは違い、今はアラガミの分布とこれまで培ってきたデータから、かなりの精度で探す事が可能となっている。当初の様にアリサやエイジが動くのではなく、今では事前の調査は人員を増やしたクレイドルの他の隊員が動く事が多くなっていた。

 勿論、ロミオもまたそれを知っている。だからなのか、エイジに思い切って確認をしていた。

 しかし、返って来た回答はまさかの言葉。何かしらあるのは予想はしたが、それが何なのかはロミオにも分からなかった。

 

 

「ふ~ん。で、本当の所は、何かな」

 

「いや、何でも無いって。ちょっとエイジさんから聞いただけなんだって」

 

「エイジさんが、何て言ってたの?」

 

「詳しい事は時間になってからって事で、詳しい事は何も教えて貰えなかったんだよ」

 

「勿体ぶってそれだけ?」

 

「勿体ぶってないし!」

 

 何時もの掛け合いだからなのか、周囲に居たギルとシエルは二人から距離を取ってた。

 ラウンジでは何時もの光景であることに違いは無かった。事実、極東支部の中ではラウンジはある意味では特殊な環境である事に違いは無かった。

 他の支部では分からないが、この極東支部には純粋に食事をする場所というくくりで見ればラウンジ以外には食堂がある。シエル達もその存在そのものはここに来た際に弥生から聞かされていた。

 しかし、最初からここに足を運んでいるからなのか、食堂そのものに意識は向かない。だからこそ、ブラッドの中では極東の内部はラウンジにあると言ったイメージが存在していた。

 

 これがムツミだけであれば食堂にも足を運んだ可能性はある。だが、エイジがカウンターの中に居た時点で食堂に行く事は無かった。

 それは偏にエイジの存在がそこにあったからだった。

 教導教官としてのエイジは苛烈でありながらも理知的に自分が不足している部分をフォローする。何も知らない新人からすればエイジは訓練中は苛烈だが、それ以外は接しやすい。そんなイメージを抱かせていた。

 だからと言って気軽に話せるかと言われれば否としか言えなかった。本人にそのつもりは無くても、周りから必然的に注目される。そんな中で話しかけるのはかなりの勇気が必要だった。

 そんなエイジにまともに話しかける事が出来るのはクレイドルの幹部かブラッドではロミオか北斗しか居ない。

 ナナはそんな事実を知っているからこそ、真っ先にロミオに確認をしていただけだった。

 

 

「それなら、その時間になってから足を運ぶのはどうでしょうか?その方が合理的かと思います」

 

「流石はシエルちゃん。ロミオ先輩とは大違いだね」

 

「………ナナが俺をどう見てるのか分かった気がする」

 

 これ以上はブラッドの恥が拡大すると判断したからなのか、シエルは二人の元で当然の提案をしていた。

 事実、エイジが時間になれば分かると言っているのであれば、その時に行けば良いだけの話。至極真っ当な意見を述べただけにも拘わらず、ナナは盛大に感謝していた。

 

 

「ラウンジでやるなら食事関係だろ?だったらこれからミッションにでも行けば時間も経つだろ」

 

「そうだね。ミッションをこなせば美味しく食べられるよね」

 

 ギルの言葉にナナは同意していた。本当の部分は誰にも分からない。ギルもまた絶対だとは思わなかったが、可能性を考えればそれが妥当だと判断しただけだった。

 だからこそ、それ以上の事は何も言わない。仮に違った場合、何かと問題を孕む事を理解したが故の行動だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お腹も減ったし、そろそろ良い時間だよね」

 

「ナナ。今日は何かあったのか?」

 

「詳しくは分からないんだけど、特別な何かがあるらしいって」

 

「特別な………何か?」

 

 ミッションが終わったばかりだからなのか、ナナのテンションは異常な程に高かった。

 詳しい事は分からないが、このままアナグラに戻れば何かがあるらしい。実際に極東支部は他の支部に比べれば、内部でのイベントは格段に多かった。

 ナナに聞きながらもリヴィもまた自分が来てからの事を思い出す。

 冷静に考えれば先月もまたバレンタインや豆まきをした記憶があった。それが前提であれば、恐らくは何らかのイベントが開催される可能性はあるのかもしれない。まだここに来てそれ程ではないが、リヴィもまた極東支部の流儀に慣れつつあった。

 

 

「詳しくは分からないんだけど、夕方から準備するんだって。楽しみだな」

 

 既にナナの意識はアナグラへと向いていた。

 帰投の際の案内がミッション中はフランだったが、帰投の際にはテルオミに変わっている。何時もであれば違和感を感じるはずが、これから起こる何を期待しているからなのか、誰もが気が付く事は無かった。

 

 

 

 

 

「お疲れさん。どうやら問題無さそうだったな」

 

「はい。感応種でしたけど、何となく勢いが無かった様にも感じました」

 

「そうか。まぁ、今日はこれで終いなんだろ?ラウンジに行くと良いぞ」

 

 神機のメンテナンスの為に整備室に行くと、出迎えたのは何時ものリッカではなくナオヤだった。

 整備の傍らで教導をしている関係で、ナオヤがこの時間までここに居るのは意外と珍しい。基本的にはブラッドの担当はリッカだけではないので、それ以上は気になる事は無かった。

 そんな取り止めの無い事を考える最中に、ナオヤから出たラウンジの言葉。ひょっとしたらナオヤは何をやっているのかを知っているのかもしれない。そう考えたからなのか、徐に聞いてみた。

 

 

「ナオヤさんは、ラウンジで何をしているのか、知ってるんですか?」

 

「ああ。少なくとも俺には関係が無いのは確かだな。まぁ、それ以上はここで言うのも野暮だ。ラウンジに足を運ぶと良いだろう」

 

「分かりました!リヴィちゃん、シエルちゃんも早く行こうよ」

 

「ナナさん!」

 

 既にロミオの事など眼中に無いとばかりにナナは速足で向かっていた。

 アナグラの中は緊急時以外は走る事は禁止されている。これがサクヤなら窘められるだけだが、ツバキであれば確実に雷が落ちるのは確定だった。

 下手に走る事で余計な時間を浪費しない。そう考えた苦肉の策だった。

 

 

「あの、俺にはって事は、何か特別な事でもしてるんです?」

 

「特別と言えばそうだな。行けば分かる。だが、俺だけじゃなくてお前も多分同じ事を思うぞ」

 

「そうですか」

 

「まぁ、屋敷の絡みもまるからな」

 

 残されたロミオは取敢えずナオヤの言葉に疑問を持ったからなのか、まずはと確認していた。

 ロミオとて短期ではあるが、屋敷で生活した経験はある。だからなのか、その単語が出た為に何かを理解した様な気分になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆さん、お疲れ様でした」

 

「ピンチになる事は無かったよ。あれ、ところで皆は?」

 

 ラウンジへ行く道程にはロビーが必ずある。普段であればカウンターの位置はエントランスの下部である為にそのまま素通りする事が殆どだった。しかし、今回に限っては珍しく階段を下りてカウンターへと移動している。

 折角だからとナナが一声かけてからと考えた結果だった。そんなカウンターもまた何時もとは少しだけ違う光景が広がっている。

 普段であればヒバリかフランが居るはずのカウンターにはテルオミだけが佇んでいた。

 

 

「ラウンジですよ。それと………まぁ、とにかく行ってみれば分かりますので」

 

 ナナの質問に答える事無くテルオミは自分の仕事をこなしていた。

 実際に一人で回す為にオペレーター業務も入ってくる。少なくとも一定時間はここを一人で乗り切る必要があった。だからなのか、言葉短めに対応する。

 少しだけ視線をリヴィに向っていた事に気が付かないままだった。

 

 

 

 

 

「これって一体………」

 

 ラウンジの扉の先にあったのはここに所属している殆どの女性陣かと思う程だった。

 バレンタインの様に貸し切りでは無い為に男性陣も居るには居るが、その殆どはどこか居心地が悪そうだった。

 誰もが心無しか、食べる物を食べてから足早にラウンジを出る。その先に居たのは珍しい人物だった。

 

 

「お帰りなさい。任務ご苦労様でした」

 

「ユノさん!今日は来てたんですか」

 

「うん。ある程度落ち着いたから寄ってみたの」

 

 視線の先に居たのは着物姿のユノだった。普段であればワンピースを着る事が多いが、今日に限っては着物を着ている。

 恐らくはこれが原因なんだと思うまでにそれなりの時間を要していた。

 

 

「そう言えば、皆、着物とか着てるけど、どうして?」

 

「今日は桃の節句なんだって。私も知らなかったんだけど、弥生さんが折角だからって用意してくれたの」

 

 ユノの言葉にナナは漸くこの状況を理解していた。

 ラウンジの中は何時もとは違い、どこか華やいでいる。女性陣が着物を着ているからなのか、それとも周囲に飾られた花がそうさせるのかは分からない。しかし、これまでにアナグラでは見た事が無い景色はナナだけでなくリヴィやシエルの目も奪っていた。

 

 

 

 

 

「これが今日のメニューなんですか?」

 

「折角だから作ったんだよ。多分、食堂でも同じような物を作ってるはずだけど、こっち方が手間暇はかかってるかな」

 

 着物に着替えると食べるのが辛いからと3人は先に食事をする事にしていた。

 用意されたのはちらし寿司とお吸い物。エイジが言う様に丸重に乗せられた具材は海鮮をベースに彩を考えて作られていた。

 小さく切ってあるからなのか、どれもが一口サイズになっている。普段では見る事が出来ない料理にナナ達だけでなく他のラウンジに居る人間もまた満足気な表情を浮かべていた。

 

 

「本当はお吸い物も蛤を使いたかったんだけど、流石に全員に行き渡らせるのは無理だったんだよ」

 

「いえ。これまで食べた事が無い料理ですから、比べようもありません」

 

「そう言ってもらえると助かるよ」

 

 シエルの言葉にエイジもまた笑みを浮かべていた。

 実際には朝早くからの仕込みをしなければ用意できない料理。だからと言って、その過程を口にする事はない。

 食べた人の表情がエイジにとっての感想だった。改めて周囲の様子をうかがい知る。気が付けば扉付近にはソーマとリンドウの姿があった。

 

 

 

 

 

「今日はこれの用意だったのか?」

 

「ええ。事前に用意しておかないと流石に無理ですから」

 

 何時もの様にリンドウとソーマはカウンター席に座る。元々今日はこれだけの用意だったからなのか、座った途端に直ぐに用意されていた。

 

 

「あれ?ソーマの分はどうしたんだ」

 

 リンドウが疑問に思うのは当然だった。リンドウの前には既に用意されている為に直ぐに食べる事は可能だが、肝心のソーマの前には何も置かれていなかった。

 だからと言ってエイジが何かをする気配も無い。疑問を口にした瞬間だった。

 

 

「間にあったか?」

 

「丁度今来た所だよ」

 

「そっか。だったらセーフだな」

 

 まさかの声に真っ先に反応したのはソーマだった。

 も聞かされていなかったからなのか、珍しく驚愕の表情を浮かべている。ここは屋敷ではなくアナグラ。時折しか姿を見せないアルビノの少女シオの声だった。

 良く見ればシオの手には大きな風呂敷包みを持っている。誰が何を言おうと三段重ねのお重だった。

 突然の登場に各自が各々の反応を見せている。リンドウもまたこれからのシオの行動を予感したからなのか、その表情はまさにニヤニヤした物だった。

 

 

「シオ、どうしてここに」

 

「最近は顔も見てないからこっちにきた」

 

「言ってくれればそっちに行ったが」

 

「ソーマは研究でいそがしい。だったらわたしが来た方がはやいと思った。………でも、めいわくだった?」

 

 落ち込んだ表情に誰もがソーマに向ける視線に様々な感情が乗っていた。あんないい娘をと思った妬みの色を持つ感情が一番多い。

 ソーマとて嬉しい気持ちはあったが、だからこと言ってここでそんな言葉を口にするには余りにもハードルが高すぎた。

 隣に居るリンドウやカウンターの中に居るエイジは既に戦力にすらならない。

 今のソーマはまさに四面楚歌だった。

 研究明けのソーマの背中に冷たい物が流れる。誰もがソーマの一挙手一投足に注目していた。

 

 

「迷惑な訳があるか。ほら、さっさとこっちに来い」

 

「いいのか?」

 

「良いに決まってるだろ」

 

「やった!」

 

 ぶっきらぼうな言葉にシオの表情は一気に明るくなっていた。ひょっとしたら先程の表情は演技だったのだろうか。そんな取り止めの無い事を考えながらも誰もが口にはしなかった。

 ここで何かを言えば後が怖い。ソーマを怒らせる猛者は何処にも居なかった。

 

 

 

 

 

「これは……中々良い物だな」

 

 ソーマとシオのやりとりなど無視するかの様にジュリウスもまた物珍し気に食べていた。

 ロミオの様に箸にはまだ慣れていないからなのか、大きめの匙を使っている。

 味わいもさることながら、ここまで華やかな物を食べた記憶は無かった。

 物珍しいからなのか、食べる事に集中している。ジュリウスは常に平常運転だった。

 

 

 



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第123話 止まない雨はない (前篇)

 ゴッドイーターの仕事は見た目同様に過酷な物である事に間違いは無い。

 常に戦場で自身の命を対価に、人類の天敵とも問えるアラガミの命を屠り去る。そこにあるのは苛烈な生存競争だった。

 命の天秤が一方に傾けば、待っているのは自身の死。旧時代にあった自身の欲望を満たすための争いではなく、その存在を確かめる為のそれには大義しかない。

 だからこそ、ゴッドイーターという職業はある意味では人類の生き方の一つでもあった。

 

 

「こっちは終わった。そっちはどうなってる?」

 

「こちらも無事に終わりました。ですが………」

 

「オープンチャンネルの救援要請だからな。間に合わなかったとしてもシエルのせいじゃないさ」

 

 戦場の苛烈さを表すかの様に戦場には激しい雨が降り注いでいた。

 北斗が着ているブラッドの制服もまた雨を吸っているからなのか、肌に張り付く様な感覚だけが残されている。通信機の向こう側で聞こえるはずのシエルの声ですら明確には聞こえない程だった。

 

 

「ですが………」

 

「同じ事は言わせないでくれ」

 

「了解しました」

 

 普段であればありえない程に重い空気が漂う。極東支部に来て既にどれ程経験したのかは分からないが、仲間が殉職した際の空気は何時も同じだった。

 突如現れた感応種。リンクサポートシステムが稼動しなければ、P53偏食因子を持つゴッドーターは最早捕喰対象でしかない。

 頭の中では理解したつもりだが、感情は否と訴えている。ある意味では宿命とも言える事実。

 ブラッド以外には未だ後継とも言える適合者が居ないのは誰もが周知の事実だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「緊急ミッションお疲れ様でした。既に殉職した方の件に関しては連絡が完了しています。お疲れの所申し訳ありませんが、3時間以内に現地の状況をお知らせください」

 

 アナグラのロビーにも同じく重苦しい空気が漂っていた。

 他の支部では分からないが、極東支部での殉職率はそれ程高い訳では無い。それはアラガミが他の地域に比べれて弱い訳では無く、寧ろ他の地域よりも格段に上にも拘わらずだった。

 それは戦場に出るまでに徹底した教育を施した結果。幾らゴッドイーターとして配属されたからと言って、熟達した戦闘をこなせる訳ではない。厳しい訓練の結果、戦場に出るシステムを構築した結果だった。

 その為に殉職率は格段に下がる。従来の数値からすれば飛躍的な物だった。

 しかし、極東特有の感応種はそこれまで構築したシステムを嘲笑うかの様に捕喰する。今回のゴッドイーターはまだ実戦経験がそれ程では無い人間だった。

 ブラッドが駆けつけた時点で生存率は限りなくゼロに近い。それを理解しているからこそブラッドに文句を言う人間は居なかった。

 それはオペレーターにも同じ事が言える。

 ブラッドよりも更に近い通信機越しで声を聞いているが為に、より顕著だった。

 恐らくはウララが担当したに違いない。北斗達を出迎えた言葉の端は僅かに震えていた。

 

 

「了解しました」

 

「お手数おかけして申し訳ありません」

 

 人の生き死にが余りにも軽い。だからと言って、ここから逃げる事は叶わないのも事実だった。

 ここが世界の最前線とも言われる地域だからなのか、殉職がもたらす空気は重い物だった。

 

 

「俺達も、一度着替えた方が良いだろう。このままだと風邪をひくぞ」

 

「そうだな。シエルも一度着替えた方が良い」

 

「そうですね。体調管理は重要ですから」

 

 ギルの提案は尤もだった。既に赤い雨は降らないとしても、豪雨の中での戦闘は何かと厄介な部分が多分にあった。足場はぬかるみ、有効視界は一気に狭まる。何かと戦いにくい環境は誰もが同じ結果だった。

 今回の戦いに関しても、色々な悪条件が揃っていた。これがまだ晴れた状態であればアラガミの発見も早く、目視した時点で撤退も可能だった。しかし、雨によって霞む空間は全てが低下する。そんな中でブラッドの討伐は本来であれば賞賛されても良い程だった。

 だが、肝心のブラッドの空気が重い以上、周囲の空気もまた重くなる。ここでベテランが一人でも居れば空気が多少なりとも変わったのかもしれない。しかし、生憎と今はブラッドより長い人間は誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冷たく凍えた身体に染み渡るかの様に頭上からは温かい物が降り注ぐ。

 雨に打たれた身体もまたゆっくりと熱を持ち出していた。頭頂から伝うお湯はそのまま鎖骨から豊かな胸の谷間へと流れていく。弾けるお湯は全身をくまなく濡らしていた。

 透き通る様な銀色の髪も水分を多量に含んでいるのか、毛先からも既に滴り落ちていた。

 本来であればお湯を止めてそのまま出るのが当然の流れ。しかし、未だそれが止まる事は無かった。

 脳裏に浮かぶのはつい先程まで居た戦場での出来事。少なくともシエルが到着した時点ではまだ命が助かる可能性が僅かにあったからだった。

 雨の中での長距離狙撃は意外と難しい。幾ら重力の影響を受ける事は少ない神機でも、肝心の目標物が見えなければ無意味でしかなかった。

 

 狙いを付けた時点ではまだ青年は助かる可能性を秘めていた。自分の狙撃がアラガミの眉間に当たればが前提の戦場。これまでに幾度となく似たようなシチュエーションだったからなのか、シエルもまた疑問を持つ事無く狙いを定めていた。

 僅かに揺れるスコープ。息を止め一瞬だけ止まった瞬間だった。

 何時もと同じ様に引鉄を引く。本来であれば着弾し、弾けるのはアラガミの頭部のはずだった。

 しかし、今回に限ってだけはその限りではなかった。不意に起きた突風は対象物を僅かに動かし、それと同時に自分の立ち位置までもを動かしていた。

 その結果、銃弾は大きく逸れ、アラガミはそのまま青年を捕喰する。結果的には次弾が着弾した事によってアラガミはそのまま地に横たわっていた。

 普段ではありえない状況下での狙撃。これがベテランであればある程度は割り切れるかもしれない。しかし、これまで狙撃に絶対の自信を持っていたシエルにとっては大きな衝撃だった。

 

 

「シエル。そろそろ出れるか?」

 

「は、はい。すみません、直ぐに出ます」

 

 外から辛うじて声が聞こえた事によってシエルは慌ててシャワーを止めていた。

 どれ程の時間浴びたのかは分からないが、身体はかなりの熱を持っている。体温から察すればかなりの時間、浴びていたのは直ぐに予測出来ていた。

 慌てて渇いたタオルで髪を乾かし、素早く全身の水気を取る。まだ美容には無頓着だからなのか、アリサ達の様に手入れをする事無くそのまま外へと出ていた。

 

 

「すみません。お待たせしました」

 

「俺の事はどうでも良いけど、あまり気にしない方が良い。あの状況で確実性を求める事が出来る人間は誰も居ないんだから」

 

「それは……そうですが」

 

 外で待っていたのは北斗だった。3時間以内というのはあくまでも自分達の身支度と気持ちを落ち着かせる為に設定された物。それを知っているからこそ、終わってすぐに報告するのが慣例だった。

 記憶が鮮明であれば有る程、報告書の内容は濃密になっていく。誰が言ったではなく、これまで培ってきた経験からの判断だった。

 

 

「念の為に概要は既に報告してある。だから、それ程気にしなくても良い」

 

 北斗はシエルとは同じ戦場では無かったが、大よその状況はオペレーターを通じて聞いていた。

 あの状況下であれば責任を追及される可能性は無い。それ所か被害がそれで終わったと言われるのが関の山だった。

 改めてコンバットログを見れば、恐らく捕喰された青年が助かる見込みはかなり低い。生きていると言う前提だけであればまだ高い方だった。

 ゴッドイーターは頭部と右腕さえ捕喰されなければ生きる事は不可能ではない。それは微量とは言え、摂取したオラクル細胞の恩恵があるからだった。

 だが、戦場を前提にすれば事実上の引退。まだ配属されたばかりであったとしても、アラガミからすれば関係の無い話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サクヤ、これまでにブラッドが関与したミッションで殉職したケースはどれ程になるか、調べてほしい。少しだけ気になるんでな」

 

 ツバキの言葉にサクヤもまた同じ事を考えていたからなのか、そのまま首肯すると同時に、過去のデータを検索していた。

 ブラッドに限った話では無く、ゴッドイーターであればアラガミに捕喰された場面を見る機会はそれなりにある。それが完全に事切れた状態なのか、それとも助かる可能性があったのかは個人の状況にもよっていた。

 少なくともブラッドがまだフライアに配属された頃は、部隊員の概要だけは送られている。

 

 当然ながらツバキもまたその内容を把握していた。これが通常であれば気に病む事はあったかもしれない。しかし、シエル・アランソンの出自を考えればその可能性はかなり低いとさえ考えていた。

 だかこそサクヤに指示を出す。このまま埋もれてもらう訳には行かない人材である以上は、早くに原状回復させる必要があった。

 

 

「分かりました。直ぐに調べます」

 

「忙しい所すまんな」

 

「いえ。リンドウが少しだけ空腹をこじらせるだけですから」

 

「……そうか。なら問題無いな」

 

 時間が既に経過した為に、帰投した部隊の数も多くなっていた。

 ロビーでは何時もと同じ光景が広がっている。二人の業務も場合によってはここからが本番となる場合が多々あった。

 当然ながら今の優先順位はシエルが最初に来る。いざとなればリンドウもまた適当に食事をするだろうと判断したからなのか、ツバキもリンドウの扱いはどこか雑だった。

 

 

 

 

 

「ギル。コンバットログである程度は確認してるんだが、実際にはどうだったんだ?」

 

 報告に関しては既にレポートが出ている為に、随分と簡単に終わっていた。

 実際に北斗が知っているのは、感応種によるゴッドイーターの捕喰。まだ新兵に近い人間の殉職と言う実に簡潔な物だった。

 報告に関しては今後の対応と戦術を考え直す為に使われる為に、ある程度の状況を見ている人間が作るのが一般的だった。

 今回の件に関しては北斗ではなくシエルが作成している。これまでにも幾度となく殉職者に関する対応をしてきたにも拘わらず、シエルの狼狽は余りにも大きかった。

 当然ながら北斗もまた同じ戦場に立ち、指揮をしている。通信機から聞こえるシエルの声が絶望の色を見せていたのはある意味では珍しいと考えていた。

 本来であれば当事者に聞くのが一番かもしれない。しかし、今回に限ってはそれが悪手であると考えていた。冷静沈着が基本の人間が、これまでに無い程の狼狽ぶりを見せるのは、何かしら問題を抱えている可能性が高い。事実、その懸念が多分にあった。

 そうなれば次に聞くのは同じ場所に居たギルに聞くしかない。そう考えたが故に北斗は声をかけていた。

 

 

「詳しい事は俺も分からない。実際にかなりの雨で霞んでいたからな。アラガミを撃った所まではそれ程変化は無かった様にも見えたんだが」

 

「そうか………」

 

「少なくとも、俺の目から見て問題は何一つ無かった。それだけしか言えない」

 

「分かった。ありがとう」

 

 北斗もまたギルにはそれ以上聞く事は出来なかった。この時点で考える事は何も無い。時間が解決するのかもしれない。原因が分からない今、北斗が出来る事は何一つ無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シエルは報告が終わってからすぐに自室へと戻っていた。実際にシエルの狙撃が成功した事によって他の被害が抑えられたのは事実だった。

 殉職に関してはある意味では仕方がない。少なくともシエルもまたそう考えていた。

 これまでにも何度も殉職者が出た事は耳にした事がある。今回もまた、その中の出来事の一つのはずだった。

 

 実際に狙撃した初弾が外れる事は偶にある。今回の様に悪天候下であれば命中率が格段に低下する事もこれまでに分かっていた。

 ある意味では仕方がない。そう考える事も出来る。しかし、あの狙撃の一瞬だけ対象者と目が合った様にも感じていた事が原因だった。

 追い縋る様な視線と銃口を向けた瞬間に安堵した様な表情。そして初弾が外れた際に絶望した様な表情。まるでシエルが見殺しにでもしたような気分を味わっていた。

 実際に狙撃した地点からアラガミの居る場所まではかなりの距離があった。仮に狙撃に成功したとしても当たり所が悪ければアラガミが絶命する事が無いかもしれない程の距離。これまでに冷徹に戦って来たシエルに、ほんの少しだけ感情に亀裂が走った様な気がしていた。

 

 ────自分の狙撃が初弾で完了していれば

 

 ────本当に不可能だったのだろうか

 

 自問自答するも、考えが纏まらない。これまで自分が誇ってきた狙撃の腕が完全に否定された様にも感じていた。

 ブラッドの区画からは外の景色は分からない。しかし、外の天候に合わせた窓の部分にある巨大ディスプレイは未だ雨が降り注ぐ光景だった。

 

 

「私はブラッドに……血の力に目覚めてから弱くなったのでしょうか……」

 

 呟きに近い言葉ではあったが、そのままシエルの口から出たそれはそのまま宙へと消えていく。少なくとも配属されるまでの自分であれば決して感じる事の無い感情。帰投後に熱いシャワーを浴びたにも拘わらず、自分の身体はどこか冷え切った様にも混じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうね。可能性が無い訳じゃないとは思うんだけど、ある意味ではそれもまた一つの成長だと私は思う」

 

「ですが、随分と落ち込んでいたので……」

 

「貴方がそう考えるのはある意味では当然よね。でも、本当の事を言えば、心が少しづつ成長してるからこそ、振り向く事が出来たのよ。あの子は以前にも言った通りだから」

 

 北斗は珍しく本部へと通信を開いていた。画面の向こうにはレアが研究の途中だったのか、それとも寛いでいたからなのか、何時もとは少しだけ違った服装をしていた。

 少なくともゴッドイーターの殉職率が高いのは今に始まった事ではない。北斗の中ではシエルもまた職業軍人の様にどこか達観した様な部分があると考えていた。

 ブラッドに来た当初に比べれば随分と明るくなってはいるが、常に合理的な部分を追いかける作戦は明らかに軍人のそれ。

 取捨選択に迷いが無い。そんな場面を幾度となく見たからこそそう判断していた。

 しかし、レアの言葉に北斗は改めて考える。自分は一体どれだけシエルの事を知っているのだろうか。当たり前ながら表面的な事だけを知って、全てを知ったつもりになっていたのかもしれない。そう考えていた。

 

 

「シエルを心配してくれる貴方が居るから私も気兼ねなくこっちに居れるのよ。前にも言ったかもしれないけど、あの娘の事お願いね」

 

「分かりました。暫くは少し見る様にします」

 

「そう、有難う。困ったら弥生に言っておいて。多分何かの助けはしてくれると思うから」

 

 日常的な会話を挟み、画面はそのまま消えていた。

 実際にシエルの一番の理解者は間違い無くレアであるのは北斗も分かっている。これまで幾度となく厳しい戦場で共に闘う人間が落ち込むのであれば、それを掬うのも自分の義務。

 北斗もまたこれまで隊長として経験した事が無い局面になっているからなのか、打開策は現時点では何も浮かばなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アナグラの中でのブラッドのポジションは色々と慌ただしい部分があった。

 実際には同じゴッドイーターである為に、それ程大きな違いはない。しかし、感応種との交戦が通常と同じ様に出来ると言う部分だけを見れば、ある意味では特別だった。

 戦場に於いて感応種の存在は厄介な部分とそうで無い部分が多分にあった。

 これまでであれば感応種の出現が確認され次第、即時撤退が義務付けられていた。

 

 神機がまるで死んだかの様に動かなくなる事態を戦場で経験するのは、ある意味では死と隣合わせとなっている。リンクサポートシステムがあったとしてもそれは同じだった。

 事前に調査されたミッションであれば通常種と同じ感覚で討伐が可能だが、乱入した場合はその限りではない。リンクサポートシステムは未だ極東支部に置いては虎の子のシステムとなっている為に、絶対数はそれ程多くは無かった。

 一番の要員は感応種への積極的討伐ではなく、防衛による使用を重視した運用をしている事が最大の要因だった。

 攻勢の場合はこちらの都合が優先される。当たり前だが、事前にゆとりを持った運用が可能だった。しかし、防衛の場合はその限りではない。大よそながらにアラガミの接近は分かるが、感応種が絶対に来ない訳では無い。

 その結果、サテライトではお互いが融通しあう事によって防衛の一翼を担っていた。

 

 これがアナグラであればブラッドが即時出撃する事になる。その為に、緊急出動のケースは他よりも多かった。

 当然ながら最初は特殊部隊だと色眼鏡で見ていた人間も、徐々に人となりを把握する。そんな意味では、ブラッドは感応種の出現現場に出くわすケースが一番多かった。

 本来であれば相応の殉職した場面を見ている事になる。当然ながらシエルもまた同じはずだった。

 しかし、今回だけはその意味合いが大きく異なっている。シエルのこれまでに反応を誰もが知らないままに時間だけが過ぎていた。その結果、現地で何があったのかを理解しているのは生憎と本人だけだった。

 

 

「シエル。分かっているとは思うが、無理はするな」

 

「もちろんです。ですが、これに関しては私自身が自分の中で決めた事ですので」

 

 あのミッション以降、シエルは突如として訓練室にこもる事が多くなっていた。ブラッドである以上は緊急ミッションの出動はかなり多い。その結果、一度感応種が出始めれば完了するまでにかなりの時間を要していた。

 

 

「だが、疲労を溜めこめば皺寄せは必ず来る。躰を癒すことも仕事の内だ」

 

「ご忠告有難うございます。ですが、私もあと少しだけこうやって行きたいんです」

 

 リヴィが声を掛けたのはある意味では必然だった。

 ミッションが終われば自分の時間の殆どを訓練に費やす。微動だにせず撃つ場合もあれば、その逆で激しく動き回るケースもあった。

 常に射撃場はシエルの名前で予約されている。しかし、ここ最近のシエルの動きを見ればまさに鬼気迫る勢いだった。

 

 

 



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第124話 止まない雨はない (中篇)

 雨天のミッションは何かと気を使う事が多かった。降り続ける事により大地はぬかるみ、スタミナは常に消耗し続ける。その結果、如何な手練れと言えど本来のパフォーマンスを発揮するのは困難極まりないとしか言えなかった。

 

 

「やっぱり雨のミッションは勘弁してほしいよ」

 

「でも、アラガミにはそんな事、関係ないから」

 

「だよな。そうそう、今回のミッションはシエルが居たお陰で助かったよ」

 

「いえ。私のした事は大した事ではありませんので」

 

 今回のミッションは第1部隊特有の内容だった。

 幾ら百の訓練を重ねても一の実戦には適わない。当然新人を簡単に死なせるわけにはいかないからと、サクヤからの依頼で今に至っていた。

 本来であればコウタとマルグリットに加えて新人2名の布陣だったが、結果的には予定した人間の負傷により1人だけとなっていた。

 

 

「まぁ、確かに今回の件は正直な所有難かったよ。ほら、俺は基本的には後衛だし、新人の指示もあるからさ」

 

 コウタがシエルに言うのは、ある意味では当然だった。

 基本的には新人が帯同するミッションはランクが低い。コウタ達に合わせてしまうと結果的には負担が大きすぎるからだった。

 事実、新人が2人入ったチームであれば戦力がかなり低下する。そうなればコウタ達も共倒れになる可能性を孕むが故の措置だった。

 そんな状況下に加え、悪天候であればさらに危険度は増す。そんなコウタ達にシエルが志願した結果、今に至っていた。

 

 

「私の方こそ、悪天候での戦闘は良い経験になりますから」

 

 そう言うシエルの表情はどこか何時もとは違っていた。

 実際にゴッドイーターの住環境はそれ程悪くはない。それ所か良い部類に入っていた。

 少なくともブラッドであればそれが更に顕著になっているはず。しかし、今のシエルからはどこか疲労が溜まっている様にも見えていた。

 実際に隊長クラスであれば、それなりに権限がある。特にコウタに関しては新人の指導も入っている為に、より顕著だった。

 

 だからこそ気が付く部分がある。ここ最近の事だけに限れば訓練室の一室は事実上、シエルが独占している部分があった。

 ミッションの隙間を狙って入れている為に、それ程問題になる事は無い。しかし、その回数が尋常では無かった。

 実際にオーバーワーク気味になっている事はヒバリもからも聞いている為に知っている。今回のミッションに関しても、口ではああ言ったものの、実際には心配する部分も多分にあった。

 

 

「確かにそうだよな。今後は新人にも一定量の経験は必要なんだろうな」

 

「そうですね。何かがあってからでは遅いですから」

 

 不意に出たコウタの言葉にシエルの表情には翳があった。

 可能性があるとすれば、あのミッションが引鉄のはず。実際に何が起こったのは当事者以外に知る事は無かった。

 

 明らかに最近のシエルには余裕がない。何となく感じるのはある意味では強迫観念に近い感情。それがどんな意味を持っているのかを知る事が出来ないからなのか、コウタもまた少しだけ心配すると同時に、何とかしたいと考えていた。

 しかし、シエルに対する肝心の言葉が何処にも見当たらない。戦闘中はそれ程気にならないが、帰投の際に出来るふとした時間は明らかに何かを考えている様にも見えていた。

 実際にコウタもまた、サクヤから間接的に聞かされている。

 コウタの性格からすれば、ここで何かしらの言葉をかけるのがこれまでだったが、今はそんな事をする事無く、だたシエルを見るだけにとどまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだったんですか………」

 

「完全にそうだとは思わないんだけど、恐らくは何らかの面識は持っていたのかもしれないわね。流石にコンバットログと出動データだけでは完全に判断は出来ないんだけど」

 

「ですが、ああなった以上は何とかするのも隊長としてしての役割です」

 

「……貴方はそう言うと思ったのよね」

 

 少しだけ出た溜息を飲みこむかの様にサクヤはコーヒーが入っているカップに口を付けていた。

 先程まではまだ熱を持っていたはずの中身は既に冷え切っているからなのか、香ばしさは無く、苦味だけが残っていた。

 事の発端はツバキの指示による物。サクヤもまたシエルの持つ雰囲気が明らかに違う事は理解していたが、その原因が何なのかまでは正確には分からないままだった。

 

 命の軽さは今に始まった事ではない。サクヤもまた、今は一教官としての任に就いているが、リンドウとの結婚までは第1部隊の副隊長をやっている。

 当然ながら仲間の殉職に関する事は目の前に座っている北斗以上の経験をしている。慣れろとは言わなくとも、命が軽いこの戦場では常に気に病む人間はそう多くは無かった。

 

 

「恐らくは……だけど、これしか思い浮かばないのよね」

 

「これは………」

 

 

 サクヤが北斗に見せたのは、シエルのスケジュールだった。隊長であれば気軽に見る事が出来るそれは、サクヤが分かりやすく目印を付けていた。

 そこにあるのはシエルが気に病んでいると原因となった人間と会っている箇所。サクヤが北斗に見せたそれは、少し前にブラッドが行った交流と教導を兼ねた部隊運用の記録だった。

 

 

「多分なんだけど、この時に何かがあったんだと思う。でも、私もこれ以上は分からないのよ。冷たい言い方かもしれないけど、この程度の時間で親しくなれたとは思えないのよね」

 

 戦闘の内容は分からないが、少なくともこの程度の時間でシエルが親しくなれるとは、北斗もまた思っていなかった。

 実際にブラッドに配属された当初の事を考えれば、まだ今の方が幾分かは柔らかくなっている。しかし、あくまでもそれは慣れている人間が居た場合の話。何も知らない新人とパーソナルスペースが広いシエルがどうなるのかを考える程に可能性が無い話だった。

 だからこそ、仮にこれがそうであればと思いたくなる。北斗はサクヤの考察を聞きながらもぼんやりと考えていた。

 

 

「……そうかもしれませんね」

 

 当初は誰もが気に病むも、これが幾度となく続けばその環境に適応する。それはある意味での自己防衛でもあり、現実から目を背けているとも言える。

 殉職に限ってだけを言えば、慣れたくはない。死を軽んじた人間程、またそれに近くなるのはこれまでの経験に基づく結果だった。

 だからこそ、シエルの落ち込み具合が激しいのは、何らかの衝撃を受ける程の何かをしたと考えていた。

 実際にサクヤの権限でも、これまでに執り行った任務状況は確認出来る。少なくともあの当時に見た人間を片っ端から検索した際に、一人のゴッドイーターの名前が浮かび上がっていた。

 日程だけを見れば二人が会った時間は微々たる物。実戦を訓練にする際には、基本的にはベテラン、または慣れた人間が部隊に必ず入る事になっている。それがある意味では命の担保となっていた。

 担保された側からすればこれ程心強い物は無い。これもまた鍛錬の結果だからこそ、早くアラガミになれる意味合いも含まれていた。部隊運営をするのであれば会話の一つもあったのかもしれない。今はただそう考えるより無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 北斗はサクヤとの話の以後、決定的な打開策を打ち出す事が出来ないままに、時間だけが悪戯に過ぎ去っていた。

 元々ブラッドの隊長でもあったジュリウスだけでなく、北斗もまた人の機微に敏い部分は殆ど無い。

 社交性が無い訳では無い。ただ純粋に内部の事に関しての選択肢の幅が決定的に少ないだけだった。

 部隊として見れば運用実績の低下が見られない。口を出そうにも険悪では無い為に、誰もが何となく様子を窺うだけだった。

 

 

「あの、エイジさん。こんな時はどうすれば良いんですか?」

 

「シエルの事?」

 

「はい。気持ちは分からないでも無いんです。ですが、実際にどうやって声を掛ければいいのかと思うと………」

 

 既に北斗の中で有効的な手段を打ち出す事は不可能に近かった。

 普段でさえ部隊としての方針は打ち出すが、プライベートな部分に対してどうすれば良いのかは良く分からない。

 終末捕喰を止めた功績はあくまでも、これまでの部隊の延長でしかない程度にしか考えていなかった。

 ましてや、シエルの考えを完全に理解している訳では無い。何とかしたい気持ちはあれど解決策は一向に見出す事は出来なかった。

 そうなると北斗には手の施し様が無かった。同じ部隊の人間にも話は既にしているが、一向に打開策が出てこない。

 冷静に考えればブラッドの各自の性格もまた独特だった。

 人間関係に明るいのはロミオとナナ位しか居ない。その二人でさえも心配はするが、北斗同様に打開策は何も無かった。

 そうなれば他の人間に頼らざるを得ない。その結果として北斗はエイジに相談する事にした。

 

 

「僕も何となくしか聞いてないから、一概にこうだとは言えないんだけど、目の前で殉職した際に何かがあったのかもしれないね」

 

「何かとは、なんでしょう?」

 

「…………少しだけ確認したい事があるんだけど、ブラッドのメンバーの中でギル以外の人間が目の前で殉職したシーンを直接目にした事ってあった?」

 

「………恐らくは無いはずです。少なくとも自分が出たミッションでは無かったと記憶してます」

 

 突然のエイジの言葉に、北斗は改めてこれまでの事を思い出していた。

 実際に殉職した場面を見た記憶は殆ど無い。ブラッドの中で殉職に近い状況になったロミオの件でさえも、眼前に見たのはジュリウスだけ。北斗もまた情報として知る程度だった。

 

 

「親しいかどうかは横に置いて、誰もが目の前でそうなれば気持ちに変化があるのは当然だと思う」

 

「ですが、シエルはその辺りの訓練もされているらしいですが」

 

「……本当の意味で北斗はシエルの事を理解してる?」

 

「理解は……してます」

 

 エイジの言葉に北斗は条件反射の様に口にしたが、実際にはどうなのかを直接本人に聞いた事は無かった。

 元々シエルの昔の話は殆どがレアから聞いた物であり、シエルから直聞いた話は殆ど無かった。

 大よそを聞いた際には思う部分はあったが、だからと言って詳細まで聞いた訳では無い。エイジからの言葉に北斗は改めて自分の記憶を遡る。その瞬間、北斗は殆どの事を唐突に理解していた。

 自分達は家族に近いと考えながらも、実際にはその殆どを理解していなかったのかもしれない。そんな取り止めの無い考えだけが過っていた。

 

 

「僕も偉そうな事は言えないんだよ。実際に誰だって言いたくない事の一つや二つはある。でも、知ったからと言って同情しろって話じゃないんだ。ただ、お互いが同じ目線で眺めた光景に意味があるんだと思う。実際に自分の背中を預けるんだ。しっかりとした話をした方が良いと思うよ。僕等だって最初からこんなんじゃなかったから」

 

 当時の事を思い出したからなのか、エイジは僅かに笑みを浮かべていた。

 実際に北斗の目から見てクレイドルの中核のメンバーでもあるエイジ達には一定量以上の信頼関係が存在している事に間違いは無い。

 ここに来てからのクレイドルしか知らないからなのか、エイジの言葉に北斗は半信半疑の部分がある。当事者以外からすればクレイドルの人間関係はある意味では最上の物だった。

 互いの意思を尊重し、足りない部分を補う。ある意味、理想の組織だった。そんなクレイドルでさえもが一筋縄ではいっていない。エイジの言葉に北斗は少しだけ疑問を持っていた。

 だからと言って、この状況でエイジが嘘を言うはずも無い。そう考えたからなのか、北斗もまた自分から歩み寄った方が改善の余地はあるのだと考えていた。

 

 

「そうですか。でも、自分達の目から見れば問題なんて最初から無かった様に見えます」

 

「胸を張ってそうだと言えれば良いんだけどね。詳しい事はサクヤさんにでも聞けば分かるから」

 

「そうですか……」

 

「意外だった?」

 

「はい。少なくとも今はその事実に驚いていますから」

 

 何気に言われた言葉に北斗もまた改めて、これまでの考えを一旦は捨て去り、新たな考えを持っていた。

 これまでのシエルの評価はあくまでも他人が語った内容を自分の中に落とし込んだ結果であり、事実かと言われれば曖昧に返事をするしかない。

 シエルがもたらす影響が思った以上に大きいと判断したからなのか、これまでの焦りを感じながらも一旦は時間を空ける事によって、自分の感情を宥める事にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シエル。少しだけ良いかしら?」

 

「何でしょうか?」

 

 躰を労わる事もせず、ひたすら鍛錬を続けていたシエルに声をかけたのはサクヤだった。

 元々サクヤの立ち位置は以前にツバキがやっていた事。その中にはゴッドイーターのメンタルケアの部分もまた色濃く残っていた。

 実際に鍛錬を続ける事に問題は無い。寧ろ、その結果として回りに与える影響の方が大きくなっていた。

 鬼気迫る訓練に誰もが息を飲む。勿論、そのやり方が悪い訳では無い。

 ただ違うのは、張りつめた何かが既に限界値を超えようとしている点だった。

 

 現状では感応種に対抗する手段としてブラッドがあるのは周知の事実。しかし、ここで倒れられる部分があれば、討伐にも大きな影響をもたらすと考える人間の方が多かった。

 偏食因子が異なるゴッドーターの発掘は以前の新型神機使いと呼ばれた第二世代型神機の適合者を見つけるよりも困難を極めている。

 当然ながら榊もまた尖った状態ではなく、積極的に柔軟な方法を模索したままだった。

 ラケルが発見した偏食因子は、これまでの考えから大きく逸脱した結果。これまでのアプローチから違った観点での開発は遅々として進んでいなかった。                        

 

「貴女、ここ最近はちゃんと休んでる?スケジュールを見たら全然じゃない」

 

「いえ。今の私にはまだ実力が足りません。このまま現状を維持するよりも更なる上を目指す方が建設的です」

 

 シエルの言葉にサクヤは既視感を覚えていた。自分がまだ第1部隊の副隊長をしていた頃、リンドウの僅かな足跡を求めて自分の事を顧みず、ひたすら端末から調査していた事を思い出していた。

 冷静に考えれば自分が一人出来る事などたかが知れている。今になって思えば完全に下策だった。

 自分とシエルには明確に何かが違う事は理解している。サクヤもまた周囲の空気を考えた訳では無く一人の人間として何かしらの力になりたいと考えていた。

 

 口にするまでもなく、ここ最近のシエルのスケジュールは自分を追い込んでいる様にも見える。それが本当の意味での鍛錬なのか、それとも何らかの贖罪を示しているのかは分からない。だからと言ってこのまま放置して良い内容では無かった。

 周囲が気にしているのはサクヤだけでなくコウタやブラッドのメンバーもまた同様だった。

 しかし、それが起因する物が見えない以上は明確な打開策を打ち出す事は出来ないまま時間だけが無暗に過ぎ去っていた。

 

 

「建設的ね…………悪いけど、ここ最近のスコアを見せて貰ったけど、鍛錬と上を見るにしては数字はそれ程結果を残している様には見えないのよ。自分を追い込むのは悪い事とは思わない。でも、全部を自分だけがしょい込むのはどうかと思うわ。

 自分の考えだけが全て正しいとは思わない事。でなければ、私の権限を使って予定は全部キャンセルするわ」

 

「ですが………」

 

 一方的なサクヤの言葉にシエルはそれ以上は何も言えなかった。自分の肉体は休息を要求しているが、精神はまだ足りなと訴えている様に感じる。

 肉体と精神が同調して初めて完璧なパフォーマンスを発揮するのは言うまでもない。

 自分の現状はどうなのかは横にしても、このまま突っ走るのが得策ではない事に間違いは無かった。

 限りなく正論に近いからこそシエルはサクヤに何も言えない。

 自分の中で未だ正解を出せないからこそ、シエルもまた自分自身の事で戸惑ったままだった。

 

 

「………言いたくは無かったんだけど、私も実は一時期似たような事があったの。結果的には解決はしたわ。でも、それは私じゃなかった」

 

「あの……それって……………」

 

「ねぇ、シエル。人は一人では生きられないの。周りに助けを求める事は悪い事じゃない。どうしても周りに頼れないなら、せめて隊長でもある北斗には言って欲しい。自分の思いの丈を口にすれば、少し位は楽になれるわよ」

 

 サクヤのそれが何を指しているのかは直ぐに分かった。

 リンドウと結婚している今、リンドウの右腕がどうなっているのかは以前に聞いていた。

 当時の状況までは聞いた記憶は無かったが、今ならそれが何を指しているのかは何となくでも理解出来る。

 一時期に比べればマシになったとは言え、今のシエルはどちらかと言えばフライアに来た当時をそれ程違いは無かった。

 それ程親しい間柄ではない。時間にすれば僅かと言って差し支えない程しか見ていない人間の死は、シエルの心の奥底にひっそりと忍び込んでいた。

 

 

「…………分かりました。少しだけ考えてみたいと思います」

 

「………そう。こう言う言い方は好きじゃないんだけど、貴女達ブラッドはある意味では極東のゴッドイーターの希望なの。クレイドルが人類の希望なら、ブラッドはゴッドイーターにとってなの。これ以上は……まぁ、シエルなら言わなくても大丈夫よね?」

 

 人の心の機微に疎いとは言っても、サクヤの言いたい事が何なのかは言うまでも無かった。

 自分のやっている事は本当の意味で正しい事かは分からない。しかし、どこかで折り合いをつける必要もあった。

 心の奥底に溜まった澱が僅かに流れ出す。これまで停滞していたシエルの心が僅かに違う方向へと動き出した瞬間だった。

 

 

《オープンチャンネルより緊急出動の要請。出動可能者は直ちにロビーまで集合して下さい。繰り返します……………》

 

 アナグラのロビーに鳴り響くサイレン。それが何を意味するのかは考えるまでも無かった。

                                                                                                                       



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第125話 止まない雨はない (後篇)

 オープンチャンネルによる救援要請が出てからの行動は迅速とも言える程だった。

 激戦区で鳴らした極東支部では直ぐに部隊編成が組まれ、そのまま出動する。ゴッドイーターの実力が違うからと言って区別する様な事は一切無い。だからなのか、アラートが鳴って5分後にはヘリが飛び立つ事が可能となっていた。

 けたたましい音を撒き散らしながらヘリは荒々しく上空へと飛び立つ。雨が降り注ぐ中、編成された人間は現地の状況を確認していた。

 

 

《現在の所、救援要請をしている部隊の構成は先程と変化はありません。ですが、周辺状況を確認した際に、付近に大型アラガミと思わる偏食場パルスが計測されています。予測が正しければ現地到着後300秒程になるかと思います》

 

「今回の件は現地には?」

 

《現地には既に連絡は完了しています。ですが、接近しているアラガミの事も考慮し、時間までは生き残る事を提案しています》

 

 ヘリの内部からはアナグラからの情報が逐一流れていた。

 救援要請そのものはそれ程問題になる事は無い。しかし、接近しているアラガミの存在が厄介だった。

 救援する為には部隊運営をどうするのかが重要となる。幾ら計測されたデータを基に作戦を構築しようとしても、最終的にはアラガミの様子が肝となっていた。

 

 負傷した人間を救出するには誰かが囮となる必要が出てくる。ヘリの中に居るメンバーの顔触れからすれば、北斗が一番適任だった。

 だからなのか、現場の状況を聞きながらも、予想されるアラガミの行動を探る。

 信号から発するデータでは、肉体の一部が捕喰されていた。

 通信機から聞こえる反応にアラガミ化する事は無くても重症なのは間違い無い。時間との戦いは普段とは違った戦局を強制していた。

 

 

 

「ハルさん。俺が陽動しますので、カノンさんと救援をお願いします」

 

「そりゃ、構わないが大丈夫か?これだけの悪天候だと普段と同じ行動は出来ないぞ」

 

「勿論、それは承知の上です。でないと、それが原因で殉職と言うのも目覚めは悪いですから」

 

「まあ………そこまで言うなら、俺としても良いんだが」

 

 ハルオミの視線は僅かにシエルへと動いていた。ここ最近のシエルの様子がおかしいのはラウンジに出入りする人間であれば直ぐに理解出来る程だった。

 実際に食事一つするにも普段であればそれなりに時間をとって落ち着く事が多いが、とある任務以降シエルの様子はどこか落ち着かない物だった。

 

 自分の肉体を苛め抜くかの様な鍛錬と同時に、曲芸とも取れる様な偏向射撃の訓練も課している。実際にスナイパーライフルの性質を考えれば、そこまでする必要は何処にも無かった。

 リンドウや北斗がやる様に、アサルトの場合は牽制の役割を多分に為に、半ば曲芸ともとれる射撃も要求されるが、スナイパーの場合は一撃必殺の意味合いが強い為に、寧ろ安定性を重視していた。

 一言で銃器をと言ってもシエルはある意味ではその道のスペシャリスト。言うまでもなくその意味を一番理解しているはずだった。

 ラウンジを利用する大半はベテランか中堅の為に影響は少ないが、それでも鬼気迫る雰囲気はどこか近寄りがたい物があった。

 

 

「そ、そうですよ。私も衛生兵ですから、直ぐに治療した後は戦線に出ますから」

 

「カノン、気持ちは嬉しいが、まずは状況を確認する事が先決だ。どうやら負傷しているとは言うが、かなり厳しいみたいだしな」

 

「そうですね。まずはそれからですねよね」

 

 カノンの意気込みは買うが、厳しい中での誤射だけは防ぐ必要があった。

 雨中の戦闘では足元がおぼつかなくなるだけでなく、瞬時に動く事も難しくなる。実際に窓を叩くかの様に降り続ける雨は既に周囲の景色すらも見せる事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思ったより酷い。悪いが少しだけ時間稼ぎを頼む!」

 

「了解しました」

 

 事前に情報を得ていたとは言え、現場は予想以上に厳しい状態となっていた。

 実際に北斗も医療に詳しい訳ではないが、これまでの経験からこの現状がどんな物なのかは直ぐに予測出来る。

 今は意識を失っている為に大事にはならないが、倒れたゴッドイーターの左腕は完全に欠損状態となっていた。

 

 止血と回復錠の効果で命だけはかろうじて留まっている。しかし、それはあくまでも今の状態がずっと続けばが前提だった。

 周囲にはまだ徘徊しているのかアラガミの歩く音が響く。この雨でこちらの音が聞こえにくくなっているのは僥倖としか言えなかった。

 

 

「無理はするなよ」

 

「任せて下さい」

 

 ハルオミの言葉に北斗は自分のやるべき事を理解する。このまま回収する為にはアラガミを遠ざけるか、排除するしかなかった。

 神機を持つ手に力が籠る。これからの行動を示唆するかの様に北斗の視線は厳しい物となっていた。

 

 

 

 

 

 

「シエル。アラガミの状況はどうだ?」

 

「今の所は問題ありません」

 

「少なくともヘリの音を察知されないレベルまで遠ざけるか、出来るなら討伐しよう。だが、最悪は撤退も視野に入れた方が良さそうだ」

 

「そうですね。最悪は部隊を再編制するれば問題は無いと思います」

 

「悪いがバックアップは頼んだ」

 

「了解しました」

 

 シエルの返事を聞く前に北斗はそのままアラガミの近くまで一気に距離を詰めていた。地面はぬかるんでいるが、まだ運動量に規制がかかる程ではない。そもそも今回の任務はあくまでも救出であって討伐では無かった。

 北斗が言う『出来るなら』は万が一の回収に置いての憂慮を消すための行動。それを理解しているからなのか、シエルもまた口にする事無く自身の神機の確認を行っていた。

 

 遠めに見えるのは、灼熱を思わせる色を纏った巨大な蠍。ボルグ・カムラン堕天種だった。まだこちらに気が付いていないのか、何かを捕喰している様にも見える。気配を隠してからの強襲によって意識をこちらに向けるには好都合だった。

 北斗の意図に気が付いたのか、シエルもまた狙撃に適した距離を測る。先程の負傷の度合いからすれば、出来れば討伐が望ましいと考えるのは、ある意味では当然の事だった。

 

 

「これから強襲する」

 

「了解しました」

 

 二人の視界に映るそれは未だこちらに気が付いていない。短い打ち合わせと同時に直ぐに行動に移していた。

 ぬかるんだ大地を気にしながらも北斗は一気にトップスピードへと到達する。この足場では困難なはずにも拘わらず、平地と同じ速度になったからなのか、北斗の躰は直ぐに小さくなっていた。

 シエルもまた狙撃の為に準備する。これまでの鬱屈とした気分は既に消失していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《北斗さん。状況を教えて下さい!》

 

「こちらは問題無い。それよりも負傷者の回収はどうなっている?」

 

《既に回収は完了しています。あとはお二人の離脱だけです》

 

「そうか。だが、直ぐの離脱は無理だ。少なくともあれを何とかしない事にはどうにも出来ない」

 

《万が一の事も考えて、部隊の追加投入を現在調整中です。出来る事ならこのままやり過ごす方向でお願いします》

 

 オペレーターはまだ配属されて間もないからなのか、その声は既に悲しみに打ちひしがれている様にも聞こえていた。

 事実、今の状況はまさに窮地としか言えなかった。

 元々ボルグ・カムランの討伐任務のはずが、気が付けば周囲にはヴァジュラが数体闊歩している。未だ雨が止まなかった為に、現場に接近している情報を聞き逃したのは痛恨としか言えなかった。

 

 

「了解した」

 

 北斗もまたその言葉の本当の意味を正しく理解したからなのか、それ以上の通信を止めていた。

 このまま通信を繋げても問題は無い。しかし、万が一の可能性を考えると危険であると判断した為に、それ以上の通信は完全に遮断していた。

 

 

「シエル。状況的にはどうだ?」

 

「そうですね。今のままだと戦闘を開始した時点で何かと気が付かれる可能性が高いかと思います。出来る事なら、一体だけをおびき寄せて極秘裏に始末する様な感じで問題無いでしょう。

 それに、幸運にも目の前を歩くアラガミの周囲には他の気配は感じられません。各個撃破ならば今しかありません」

 

「……だったらやる事は一つだけだな」

 

 シエルの『直覚』による情報は実際に戦場で相対すると厄介だと思う程に凶悪だった。

 幾ら隠れようとしても、奇襲の為に待ち伏せされている場所を看破される。その有用さがこの状況では有難かった。

 先程までとは違い、窮地である以上は情報に瑕疵があれば、待っているのは自身の死。ここから先は事実上の綱渡りだった。

 

 

「ですが………」

 

「このままここに居てもどうしようも無い。少なくとも一体は討伐しない事には俺達が今度は二次的に危険を晒す事になるんだ」

 

 北斗が言う意味はシエルもまた理解していた。先程まで対峙したボルグ・カムランは既にヴァジュラによって捕喰された為に今は跡形も残っていない。

 悪条件が重なり過ぎたが故に起こった現状は誰が悪い訳でも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボルグ・カムランの最大の弱点とも取れる尾は、ゆっくりと左右に揺れていた。

 捕喰に集中したが故に北斗達にはまだ気が付かない。この最大の隙を活かすべく北斗は初撃に全てを賭けていた。

 討伐ではなく注意を引く事だけを優先する。そうすれば救出にはゆとりを持てるのは当然だった。

 だからこそ、疾駆した勢いを殺す事無く白刃を尾の根本から斬りつける。

 加速と筋力を活かした斬撃は、そのままボルグカムランの太い尾を完全に切断していいた。

 

 大きな悲鳴の様な咆哮と同時に、先程までは太い鞭の様に映った尾はただの肉塊へと変貌している。大半の攻撃の術を失ったアラガミは最早脅威では無くなっていた。

 足元に注意を払いながら素早くその場から離脱する。まだ尾があれば離脱一つとっても苦労するが、既にその要となる尾は失われていた。

 だからなのか北斗は精神的なゆとりを持って回避していた。

 

 このままならば討伐も不可能ではない。既に尾の切断だけでなく、幾度となく放った斬撃がそれを物語っていた。

 ボルグ・カムランの討伐の難しさは堅牢な盾を要する為。それを破壊するまでに時間が多分に必要だった。

 当然ながら単独だろうがチームだろうが、その堅さに閉口する。それが難易度を高くする要因となっていた。

 ゴッドイーターであればそれを如何に早く攻略するかが戦いの肝。それを理解しているからこそ北斗もそう考えていた。

 

 

《……アラ……が……接……………急…………してく……い》

 

 北斗の耳朶に届いた通信は雨だけでなく時折鳴り響く雷によって不完全なままに届いていた。

 本来であれば有りえない現象。しかし、悪天候はそれすらも演出だと言わんばかりだった。

 聞こえくい通信を耳にすれば集中力が濁る。それを無視するからの様に北斗は白刃をボルグ・カムランに向けた瞬間だった。

 そこにあり得ないはずの影が一つ見える。その瞬間、北斗の背中に冷たい物が疾る。本能に従うべく、目の前のボルグ・カムランを無視し、その場から離脱していた。

 

 

「シエル!周辺の警戒を頼む!アラガミがここに出た。一度態勢を立て直す」

 

 この地に降り立ったのはヴァジュラだった。

 ボルグカムランなど最初から見向きもしないと言わんばかりに、降り立った勢いそのままに背中を踏みつける。元々弱っていた部分はあったが、それでもボルグカムランは嫌な音を立てて大地へと沈んでいた。

 シエルの返事を待つ事無く、直ぐに行動を開始する。ここで時間を使えば自分の命は加速度的に危うくなる。当然ながら考えるよりも先に身体が動いていた。

 

 

「北斗!」

 

 シエルもまた条件反射の様に引鉄を引いていた。この一撃で沈めるのではなく北斗への意識を断ち切る事。それが出来るのは、今のメンバーではシエルだけだった。

 唸りをあげながらアーペルシーから放たれた銃弾はヴァジュラに着弾する。

 事前準備も無しに、なし崩し的に出来た戦場は、既に退避を許されない状態へと陥れていた。 

 

 天空から雨の代わりだと言わんばかりに雷が北斗へと襲い掛かる。盾で防ぐ事も可能ではあったが、北斗はそれを無視するかの様に回避行動に出てた。

 周囲からは湧き出るかの様に数体のヴァジュラが立ち塞がっている。ここで足を止めれば待っているのは最悪の展開だった。

 だからこそ、北斗は足を止めようとはしない。態と囲まれるかの様にヴァジュラの行動を誘導していた。

 数体のヴァジュラが北斗を囲むかの様に集まり出す。その瞬間、周囲には白い闇が広がっていた。                                                                               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 純白の刃は一体だけとなったヴァジュラの後ろ足を剣閃と共に斬りつけていた。

 機動力を潰すと同時に、一気にカタを付ける。下手に時間をかける事を嫌ったが故の戦法だった。

 幾らヴァジュラとは言え、怯んだ瞬間は多大な隙となる。既に討伐を決めた北斗にとっても、態々待つ必要は何処にも無かった。

 ヴァジュラの巨躯をくぐるかの様に地面スレスレから一気に柔らかい腹部を体躯に沿う様に斬り裂く。短期決戦で決着をつける以上は圧倒的な攻撃をしかけるしかなかった。

 臓物らしきものがダラリと地面に落ちる。既にヴァジュラの視界には北斗しか映っていなかった。

 憎々しい存在を叩き潰す。その瞬間、ヴァジュラの中にはシエルの存在は消え去っていた。

 

 

「撃て!」

 

 北斗の叫びと同時に轟音と共にヴァジュラの眼球が弾け飛ぶ。シエルの銃撃はそのままヴァジュラの頭蓋を貫通していた。

 後頭部から衝撃を逃すかの様に大穴が開く。残された片方の瞳には生命の炎は感じ取れなかった。

 巨躯が地面に横たわる。予想以上の結果にシエルもまた笑みを浮かべた瞬間だった。

 

 

「ぐぁあああああああ!」

 

「北斗!」

 

 油断をしたつもりは微塵も無かった。しかし、現実に北斗は雷撃を全身に受けた事によりその場で倒れ込む。今のシエルにとってその状況はあまりにも非現実的だった。

 倒れたヴァジュラの向こう側には既に活性化しるからなのか、全身に雷を纏ったヴァジュラがこちらを睥睨している。先程までの戦闘が勘付かれた瞬間だった。

 

 新たに接近したヴァジュラは巨躯を持て余す事無くこちらへと疾駆している。北斗が倒れた今、シエルだけで何とかするしかなかった。

 その瞬間、シエルの脳裏に一つの光景がフラッシュバックする。ここで自分がやらなければあの時の二の舞になる。あの時の表情が不意にシエルの脳裏に浮かんでいた。

 

 

「北斗だけは………させません!」

 

 本来スナイパーライフルは連射性能はそれ程高くはない。一発必中であるが故に連射よりも精密さを高めた結果だった。

 アサルトの様に連射する事で怯ませる事は出来ない。今のシエルにとって出来るのは一刻も早い北斗の回収だった。

 本来であれば回復しているはずの時間は経過している、それでもなお北斗は横たわったままだった。

 

 目測で後数メートル。ここで狙撃を外せば待っているのは北斗の死。どこか現実離れしたかの様に感じるこれが何なのかは分からない。しかし、今のシエルにそんな事を考える余裕は無かった。

 

 一発必中ではなく一撃必殺。シエルに求められているのは先程と同様の精密射撃だった。

 通常であれば焦る事無く機械的に引鉄を引く。たったそれだけの行動。しかし、今のシエルにとってその引鉄は重い物だった。

 外せば北斗の命は無い。無意識にそれが過ったからなのか、シエルの指は先程以上に動く事は無かった。

 震える指先。これまでに感じた事が無い感情が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「至急ヘリをお願いします!」

 

《既にこちらからは飛び立っています。到着まであと180秒の予定です。北斗さんの容体はどうなっていますか?》

 

「まだ……意識は戻りません」

 

《万が一の為に医療班も同乗しています。直ぐに治療をしますので、現場からは動かないで下さい》

 

 降り注ぐ雨は元からそうだと言わんばかりにシエルだけでなく北斗の全身に叩きつけるかの様に降っていた。

 雷撃を受けた程度ではそれ程問題はないはずだった。しかし、今回の雷撃が万分の一の確立とも言える状態で心臓にまで達していた。

 このままどうなるのかは考えるまでも無い。

 幾ら強靭な肉体を持つゴッドーターと言えど、長時間の呼吸停止がもたらす結果は同じ。

 既にどれ程の時間が経過しているのかが分からない今、求められるのは迅速な処置だった。

 

 一旦は止まった心臓を再度鼓動させる為にシエルは蘇生を始めていた。

 心臓の部分を強く押し、時折、口から強引に酸素を送り込む。既にシエルの目には透明な雫があふれていた。

 本来であれば周囲の警戒を優先しなければならないが、今のシエルにそこまで意識が回らない。ここにアラガミが来なかったのは単なる偶然だった。

 リズミカルに胸部を押し込むと同時に、何度も唇を合わせ強引に酸素を送り込む。僅かに動かした視線の先に会ったのは先程まで停止していたはずの胸が少しづつ上下に動く光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここ……は?」

 

「あっ、大丈夫?」

 

「ナナ……か。それよりも任務は……どうなった?」

 

「任務なら大丈夫だよ。それよりも危なかったんだからね」

 

 北斗の意識が戻ったのはそれから数時間後だった。真っ白な天井の隣から飛び出したのはナナの顔。心配げな表情が全てを物語るかの様だった。

 それと同時にゆっくりと記憶が奥底から浮かび上がる。

 あの後の記憶が途切れたからなのか、北斗は強引に上体を起こそうとしていた。

 

 

「まだ無理はダメ。このまま寝てなよ」

 

「だが……」

 

「良いから!」

 

 ナナの圧倒的な勢いに北斗は再度枕に頭を乗せるしかなかった。気が付けば喉をやられたからなのか、声すらも危うい。

 ヴァジュラを倒したまでの記憶はあったが、そこから先の記憶は何処にも無かった。

 

 

「ちょっと待ってて」

 

 ナナはそんな北斗を他所に直ぐに部屋を後にする。その後に聞こえたのはシエルの足音だった。

 

 

「北斗、意識が戻ったんですね」

 

「ああ。そう言えば、あの後は…どうなった?」

 

「後でしっかりと報告します。今はまだ休んでて下さい」

 

 何時もとは違うシエルの表情は何かを堪えている様だった。それが何なのかは分からない。

 しかし、先程上体を少しだけ起こした際に違和感を感じたからなのか、北斗はその言葉を素直に聞き入れていた。改めて目を閉じる。今はただ躰を癒す事だけを優先していた。

 

 

 

 

 

 

「………そうか。済まなかった。もう少し気を配れば良かったな」

 

「いえ。それは私の役目でしたから、私のせいです」

 

 再度目覚めた際にはゴッドイーター特有の強靭な回復力でほぼ完治に近い状態になっていた。

 既に喉の機能も回復したからなのか、声も同じく出ている。改めて用意された報告書には当時の詳細が記載されていた。

 

 

「………多分だけど、俺にも驕りがあったんだと思う。何とか出来ると判断したのは俺のミスだ。本来ならば即時撤退の方が良かったのかもしれない」

 

「そんな事はありません………あの時の判断は正しかったんだと思います。事実、時間をあれだけ稼いだからこそ救出は間に合いましたので」

 

 だれも居ない医務室には北斗とシエルの声だけが響いていた。既に点滴が抜け、後は手続きを終えるだけの状態。だからなのか、その声は随分と響いていた。重苦しい空気が漂う。僅かな沈黙でさえも随分と長く感じる程だった。

 

 

 

 

 

「あの時…………」

 

「どうした?」

 

 沈黙を破ったのはシエルだった。悲痛な面持ちだったからなのか、北斗も確認はしたものの、それ以上は何も言わなかった。恐らくは何か言いたい事があったのかもしれない。 そう感じたからなのか、北斗はシエルが言い出すのをただ待っていた。

 

 

「本当の事を言えば怖かったんです。私はあの時、狙撃を外して見殺しにした様な物ですから……………」

 

 シエルの独白とも取れる内容は、以前のミッションに関する事だった。

 これまで自信をもってやって来たはずの狙撃が逸れた事によって一人の新人が目の前で捕喰された事。その後、自分の技量に疑問を持ち始めた事。今回の件でもどうすれば良いのか判断に迷った事。これまでの思いの丈が吐露されていた。

 北斗もまたシエルの思いを汲んだのか、独白をただ聞いている。まるで後悔した事による懺悔。そんな風にも聞こえていた。

 

 

「いや。それはありえない。あの場面がどうなのかはギルから聞いた。あれをクリアできる人間なんて居ない」

 

「ですが、私は……」

 

 それ以上シエルが抗弁する事は出来なかった。

 シエルは今、北斗の胸の中に強引に押しこめられている。緩やかな圧力ではあったが、その温もりにそれ以上は何も言えなかった。

 心臓の鼓動を強く感じる。あの時は必至になていた為に何も感じなかったが、その鼓動が愛おしく感じられていた。

 

 

「悪いのは俺だ。油断した結果だからな。でも、今後はもう二度とこんな事にはならない様にする」

 

「……はい」

 

 小さく聞こえたシエルの声に、北斗はそれ以上は何も言わなかった。少しだけ扉が開いた様な音が聞こえはしたが、今はただ、その温もりに浸りたいとだけ考えていた。

 

 

 



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第126話 学ぶべき物

 周囲に轟く轟音はアラガミが落とした雷そのものだった。

 少なくとも新兵のレベルであれば殉職は余儀なくされる程の威力。それが1体だけであれば対処は出来るが、生憎と今は複数がこの地に降り立っている。

 既に討伐した数を含めれば、残す個体数は後2だけ。

 今のメンバーであればそれ程厳しいとは思えない内容だからなのか、任務の中の一部は、どちらかと言えば教導に近い物があった。

 

 

「エリナ。油断しちゃダメよ!」

 

「はい!」

 

 戦意を完全に喪失させる為に、純白に近い獣はエリナと呼ばれた少女を睥睨する。これが初めてであれば震えあがったかもしれない。しかし、これまでに幾度となく討伐した自信と同時に、今回のメンバーで後れを取る事は無いと判断したからなのか、獣を思惑は大きく外れていた。

 鋭く巨大な爪はまともに受ければ容易く胴体が上下に離れる。

 待っているのは死と言う名の現実だけ。しかし、指示が飛ぶ今のエリナにとってそんな油断は最初から無い物だった。

 横薙ぎに飛ぶ爪をバックフリップで回避する。空中で既にチャージしていたからなのか、ブリリアンスの穂先は僅かに開き、そこからはオラクルが僅かに溢れていた。

 空中で弧を描くと同時に、器用に自身の体躯を捻りアラガミに相対する。

 地面に両足が着地した瞬間、あふれ出したオラクルは一気に爆発するかの様だった。

 矢の様に短い距離を一気に詰める。攻撃の隙を狙ったからなのか、今の獣の顔面を防御する術は何も無かった。

 

 

「貰ったぁああああああ!」

 

 気合と同時にブリリアンスの穂先は獣の鼻面へと吸い込まれて行く。事実上の弱点が故に攻撃がまともに当たれば、戦居の趨勢は決したも同じだった。

 チャージグライドが発動した今、エリナに出来る事は何一つ無い。短距離が故に、不可避の攻撃は予定通りの結果をもたらしていた。

 鼻面からその先を抉る手応えは、改心の当たり。まだ経験が完全に補えたとは言えないエリナであっても分かり易い物だった。

 反作用の様に感じる手応え。既に獣に反撃するだけの余裕は失われいてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様。今回は中々良かったよ」

 

「ありがとうございました。おかげで助かりました」

 

「私は何もしてないわ。エリナちゃんの努力の成果なんだから、もっと胸を張っても良いと思うよ」

 

 エリナのチャージグライドが炸裂した瞬間、確かな手応えと同時に怯んだのは当然の結果だった。

 一撃必殺とまでは行かなくても致命傷を与える事が出来れば、後は難しくないはず。

 本来であればエリナもまたそう考えていた瞬間だった。

 突如としてエリナの背後から一つの雷撃が襲い掛かる。半ば奇襲めいた攻撃だったからなのか、エリナは今の状態から回避する事は困難となっていた。

 

 背後から来る気配にエリナは思わず瞑目する。来るべきはずの衝撃は全て遮断されていた。

 轟音が収まると同時にエリナは目を開ける。そこに居たのは盾を展開したマルグリットだった。

 防御に集中した以上、何らかの手段で反撃をしない事には追撃される事は必至。当然ながら、その認識はアラガミだけでなくゴッドイーターもまた同じだった。

 考える事が同じであれば、先に行動した方にイニシアチブが生まれる。それはある意味では自然の摂理。誰もが当然だと思った瞬間だった。

 

 轟音と共に響く銃声。今回の任務に同行したシエルの一撃はそのままアラガミの生命活動を停止させていた。

 ワンショットキル。スナイパーの代名詞とも言える実績を叩き出せるのは極東支部では二人しか居ない。1人は防衛班である為にそれ程名声は轟かないが、実績に関しては群を抜いていた。

 その片割れでもあるシエルの一撃。それによって先程まで猛威を振るったはずのアラガミは存在すら失っていた。

 だからこそエリナの窮地にマルグリットもまた遠慮する事無く動く。お互いの力量を正確に判断したが故の結果だった。

 

 

「そうですね。少なくとも今回の件は色々とイレギュラーが重なった結果ですから、素直に受け止めた方が良いかと思います」

 

「でも………」

 

 シエルからフォローされた事よりも、自分の認識の甘さが招いた結果は自身の中で消化しきれない内容だった。

 お互いの事を尊重するとは言っても、完全に把握した訳では無い。誰が何の目的で行動するのかは、ある意味では適切だった。

 数少ない経験を自分だけに注ぐ。それでもエリナの心は晴れなかった。

 

 

「誰もが最初から十全に出来る訳ではありません。今回の件でも一つの事に集中した結果ではありますが、結果的には視野狭窄に陥ったのは事実です。ならば、今後は同じ轍を踏まない様にすれば良いだけの話です。私達は同じ仲間ですから」

 

「………はい。以後気を付けます」

 

 シエルの言葉にエリナも少しだけ何かが晴れた様な気がしていた。

 どんな結果になったとしても、命があれば次に繋がる。悔やむだけに留まらす、前に進む事だけに考えをシフトしていた。

 気が付けばシエルの後ろに居たマルグリットもまた少しだけ笑みを浮かべている。それがエリナへの反応だと思ったからだった。

 

 

「そう言えば、シエルさんも最近はずっと悩んでましたよね。最近はそうでも無いみたいですけど」

 

「そ、そうでしょうか。私は何時もと同じ………ですよ」

 

「あ、確かに言われてみればそうですね。何かあったんですか?」

 

 マルグリットの突然の言葉にシエルは珍しく狼狽えていた。

 あのミッション以降、シエルの悩みが無くなったのはラウンジに居るメンバーであれば誰もが知っていた。

 詳細は分からないが、雰囲気は以前に比べれば格段に柔らかくなっている。原因は不明でも、明らかに違うそれにエリナもまた重い出したかの様に口を開いていた。

 

 

「特に問題はありませんでしたよ」

 

「へ~そうなんだ。噂では誰かと抱き合っていたとか聞いたんですけど」

 

「え、そうなんですか。相手は誰なんですか?やっぱり同じブラッドの………」

 

「そ、そ、そんな噂があるなんて…………」

 

 何かを思い出したからなのかシエルの狼狽えぶりは更に加速していた。

 マルグリットの言う行為に思い当たりがありすぎた。実際にどんな話が蔓延しているのかは分からないが、少なくともシエル自身の眼にはそれ程大きな問題になっているとは思えなかった。

 事実無根だと言い張れない事実。ここが戦場の真っただ中であれば確実に殉職は間違いない程に集中に欠けていた。

 

 

「あれ?でも間違い無いって聞いたんだけど」

 

「因みに誰がその話を?」

 

「私?私が聞いたのはアリサさんですよ」

 

「アリサ……さんですか」

 

 まさかの名前にシエルは嫌な予感と同時に、何か得体の知れない恐怖感が走っていた。

 アリサが知っているとなった時点で既に手遅れでしかない。そうなれば相手が誰であるのかは言うまでも無かった。

 冷静にマルグリットのの顔を見れば少しだけ笑みの意味が変化している。出来る事ならアナグラに帰りたくないと、早く確認したい気持ちがせめぎ合っていた。

 

 

「別に問題になる事は無いと思うよ」

 

「そうでしょうか?」

 

「……多分だけど」

 

 マルグリットはこの件に関しては自信が無かった。

 少なくとも自分の時にはここまででは無かった様な気がする。確かにコウタに言われた時は何かと周囲からの視線が痛かったが、既に自分はその時期を通り過ぎている。

 結局の所は他人事であると同時に、自分に影響が無い為に純粋にニヤニヤと眺めるのが楽しい部分もあった。

 当然ながらそんな本音を口には出来ない。この場に他のブラッドのメンバーが居れば更に面白くなったのかもしれない。澄ました表情を作るマルグリットもまた、本音を隠すのに必死だった。

 

 

「でも極東支部って結構多いですよね」

 

「何が?」

 

「だって、コウタ隊長だってマルグリットさんとだし、エイジさんもアリサさんとですよね」

 

 以前に言われた言葉。部隊長を支える為なのか、自然とお互いの過ごす時間が長くなれば親密度が高くなるのは当然だった。

 エリナが言わなくともマルグリット自身も以前に同じ事を言われている。このままでは自分に火の粉が飛んでくる。そう察知したからなのか、マルグリットの回避術はどこか強引だった。

 

 

「そう言えば、今日が初日だったよね」

 

「そうですね。コウタ隊長だって自分の事なのに、どうして忘れてるんですかね」

 

「色々あったのよ、多分だけど……」

 

 マルグリットの強引な話題回避術は見事に成功していた。

 本来であれば、今回のミッションは3人ではなく4人でのはず。しかし、出動直前になってツバキに呼び止められた瞬間、コウタの表情は愕然としていた。

 完全に忘れていたからなのか、その後の挙動は見る影もない。そもそもコウタ自身も兼任ではあるがクレイドルの隊員。外部からの訓練の前に紹介する事を失念した結果だった。

 

 

「そう言えば、私達は今回の件には全く関係ないので気にしていませんでしたが、実際にはどんな事をするんですか?」

 

「基本は単独でも動ける様にするのが目的なんだけど、今回は少しだけ方針が違うみたい」

 

 話題が完全に自分から離れた事を確信したからなのか、シエルもまた疑問を口にしていた。

 ブラッドは基本的には感応種をメインとした討伐任務を優先する為に、クレイドルの様に世間と一緒に何かをすると言う概念は薄い。ある意味ではゴッドイーターの本分ではあるが、やはりエイジやアリサの行動を見るうちに自分達も出来る事があればと言った話はこれまでにも何度かあった。

 ブラッドは全員が尉官。階級の事を考えれば、その中で出来る範囲の事があればとの思いが先に出ていた。

 

 

「クレイドルは基本はサテライト計画の推進ですよね?それ以外に何かあるんですか」

 

「今回の件も同じだよ。ただ違うのはその内容。ここだと基本的にはアリサさんを中心にサポート体制が出来ているけど、他の地域だとそう言う訳には行かないからね」

 

 マルグリットもまたクレイドル計画には関与していないが、やはりコウタや屋敷との関係がある為に大よそながらの内容は把握していた。

 今回の内容に関しては言えば、明らかにゴッドイーターの能力以外の部分がクローズアップされている。

 しかも、サテライト計画の中でもある程度根源に近い部分の教導になるのは当然の事。その一部をマルグリットもまた手伝ったからなのか、エリナの疑問に答えていた。

 

 サテライト計画の最大のポイントはゴッドーターではなく、一般の人々の救済。アラガミの討伐を重視しないのではなく、寧ろ出来て当然が故にやらないだけだった。

 希望者に関しては教導もメニューに加える事は可能となっている。当然ながらそのクオリティが下がる事は一切なかった。

 武力だけでなく人心掌握も必要となる。ある意味では一人で回す組織と大差ない物だった。

 

 

「あれ?その一部って私達も偶にしますよね?」

 

「そう。だから、この極東のクレイドルの隊員には今回の様な研修はしないのよ。基本的には実地でクリア出来る訳だしね」

 

 そんな二人の会話を聞きながらもシエルもまた少しだけ驚く部分があった。

 確かにまだここに来た当初、サツキの手引きでサテライトの現場を見学した事があった。あの時アリサがやっていたのは現場の職人に対する炊き出しだったはず。それだけではなく、入植が決まってからもその行為が止まる事は無かった。

 

 旧時代とは違い、安全の恩恵を受ける事が出来る人間は限られている。これまでアラガミの影におびえながら過ごしてきた人間の心を癒すのは、直接的な物を使うしかなかった。

 アナグラの外部居住区に居る人間だけでなくサテライトの中で住んでいる人間もまた完全に守られているとは思っていない。だからこそ、人間の本能を優先的に満たす事によって、そのストレスを和らげる事を優先した結果だった。

 人間、腹が満たされれば多少のストレスも我慢出来る。当然ながら、一定以上の調理の技量が必要になるのは当然の帰結だった。

 

 

「確かにそうですね。って事は、今回の研修ってそんな内容が中心になるんですか?」

 

「それは無いと思うよ。今回の件に関しては通常とは異なるカリキュラムが用意されてるって話だから、私も詳しい事は知らないの」

 

「そうだったんですか……でも、手慣れた人間が居ないなら仕方ないですよね」

 

 コウタだけでなくエリナもまた一部の任務にそれが含まれていた。

 実際に野営になった際にも案外と自分の役にも立つ。大半のミッションは不必要な技術ではあるが、日常生活に置いては殊更重要な内容。その一部を自分の目で見ている為にマルグリットの説明にエリナは頷いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、今回の趣旨を説明する。その前にお前達の教導を担当する人間を紹介しよう。ここに居る殆どの人間は知っているとは思うが、まずは自己紹介からだ」

 

 極東支部の会議室には今回の教導予定者全員が集められていた。

 実際に極東とは違い、誰もがここから離れた場所で活躍する事になる。仮に最悪の展開になった場合には自分の判断で決めるべき事があるかもしれないからだった。

 当然ながら自分の判断一つで責任だけでなく、これまで築き上げた信用が瓦解する。それを理解しているからこそ、ツバキの発する言葉にこの部屋に居る誰もが気を引き締めていた。

 ツバキの言葉に順番にクレイドルの人間が挨拶をする。そこに居るのは広報誌等でされもが一度は見た事がある人間ばかりだった。

 ゴッドーターはある意味では実力が全て。その実力を誰もが疑う事が出来ないからこそ、会議室の中は各自が発する声意外は静寂を保っていた。

 

 

「では、各自に割り振られた事から順番に行う。なお、この支部で起きたミッションに関しては貴君らも参加してもらう。何かと大変かもしれないが、無理はするな。去勢を張った所でどうにもならんからな」

 

 ツバキの言葉に返事は無くとも、その態度が返事そのものだった。

 単純に教導で来た人間でさえもが厳しいと感じるここで、更なる技量を身に付ける。既に期限がある以上は内容の大半を詰め込むしかない。仮に自分達が母国に戻れば、その役割を果たす事になる。自分達が指針となる事を理解すれば、下手に反抗する事は無かった。

 

 

 

 

 

「思ったよりもやる事は多いかな」

 

 今回の教導に招かれたのは一人の女性が少しだけつかれた様子ベンチに腰かけていた。

 自分がゴッドイーターになってから、こうまで濃密に学んだ経験は無かった。どれ一つとっても確実な知識に裏打ちされている。当時は目に留まる結果だけに意識が向かったが、まさかこうまでだとは思ってもみなかった。

 

 

「お疲れ様。そう言えばお久しぶりですねマリアさん。ゴドーさんはお元気ですか?」

 

「……エイジさん。お久しぶりです」

 

 一人の女性に声を掛けたのはエイジだった。今回の教導に召集された際に見かけたのは、以前アリサと一緒にヒマラヤ支部に出向いた時だった。

 既にあれから時間はそれなりに経過しているが、ここに居るのであればまだアラガミ防壁に関するトラブルは起こっていない証拠だった。

 突然の言葉にマリアと呼ばれた女性もまた一瞬は驚いたが、エイジの顔を見たからなのか、少しだけホッとした様な表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

「そう言えば、今回のこれはどうでしたか?」

 

「思ったよりも学ぶ事が多くて大変です。エイジさんやアリサさんは毎回こんな感じなんですか?」

 

「今回のこれは初めての試みなので、僕らも基本は手さぐりですよ。でも、今回のこれが良い結果で終わればこの内容が基本になると思います」

 

 教わる側だけでなく、教える側もまた苦労した結果だった。

 自分達だけでやる分にはそれ程大きな問題になる事は無い。しかし、これが他の人間や支部となれば話は別。間違ったやり方を伝えれば、苦労するのはゴッドーターだけでなく、その地に住まう人間も同じだからだ。

 当然ながらエイジだけなく、アリサやソーマもまた同じ事を味わっているはず。戦場で神機だけを振るうしかない人人間を教えるのは並大抵の苦労では出来ない。

 基本的にはその支部の実力者が召集されている。お互いが気を抜けないのは事実だった。

 

 

「そうだったんですか。でしたらお互い立場は違えど大変ですね」

 

 エイジの苦労を理解したからなのか、マリアもまた笑みを浮かべていた。

 今回の試みをやりながらも並行して自分達の本来の業務を執り行う。そう考えると学ぶ側よりも教える側の負担の方が大きかった。

 

 

「説明にもあありましたが、ミッションが入ればそちらが優先されます。大丈夫だとは思いますが、気を抜かないで下さい」

 

「ご忠告ありがとうございます」

 

 顔見知りだったからなのか、久しぶりの会話にマリアもまた何時もの調子が戻りつつあった。

 実際にヒマラヤ支部ではそれ程厳しい戦いをした記憶は何処にも無い。しかし、ここが極東である以上は苛烈な戦いになる可能性も捨てきれない。その杞憂を晴らす為にエイジもまたマリアに声をかけていた。

 

 

「この後はアリサが教えるかと思います。僕は次の予定がありますので」

 

 そう一言だけ告げると同時にエイジはこの場から離れる。支部でも忙しい人間が故にそれほどゆっくりとした時間を過ごすのは難しかった。

 離れるエイジとは反対にマリアもまた今回のこれを物にしたいと考えている。その目には再度力が宿るかの様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「実際にはどうなんだい?」

 

「そうですね。まだ手探り言った方が正解かと。正直な所、時間が足りないと言った方が良いでしょう」

 

「時間は流石にね………今回の件で大よその概要だけでも掴んでもらいたいね」

 

 幾つかのカリキュラムを実行する為に、気が付けば既に予定日数の半分が消化されていた。

 元々今回の試みは各支部の要望を満たす為の物。極東支部以外にサテライトの建設をどうやって進めれば良いのかの試金石だった。

 事実、今回の件で伝える事は山の様にある。そんな中での横槍とも取れるミッションは榊と言えども頭が痛い案件だった。

 

 

「ですが、このままだと中途半端になる恐れもあります。一度区分けするのも一つの手かと」

 

「……確かにそうだね。後はこちらで調整するとしよう」

 

 ツバキの言葉に榊は今回招集されたゴッドイーターのパーソナルデータを確認していた。

 殆どの支部で複数の派遣が為されている。人数の少ない所は仕方ないが、半端に終わる位ならと方針を大幅に変更していた。

 メガネに映る画面には複数のデータが浮かんでいる。現場だけでなく榊もまた今回の件をどうするのかを悩んだままだった。

 

 

 



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第127話 それぞれの役割

 上層部の杞憂とは別にカリキュラムは大よそながら予定通りに進んでいた。

 元々は実地で覚えた極東支部のメンバーとは違い、座学と実践を同時に行うやり方は手間がかかるものの、その分馴染むのは早かった。

 手さぐりでやっている割にはの前提はあるが、それでも教導で来ている人間もまた支部の精鋭だからなのか、どんな事でも学ぼうとする意欲を持っていた。

 

 

「流石にああまでだと、後半は大変そうかもな」

 

「ああ。今まで碌に学んだ事もないし、まさかあんな風に緻密に計画しているとは思わなかった」

 

「後半はどうなるんだろうな」

 

「だな………」

 

 ここに来た当初は割と遠慮する部分が多分にあったが、今では完全に馴染んでいるのか、今回の件でここに来ている人間の殆どがラウンジに足を運んでいた。極東支部とは違い、他の支部ではゴッドイーターの平均年齢はそれなりにある。その結果、何時もよりもバータイムのラウンジは少しだけ人の数が多かった。

 

 

「いや、そんなに心配しなくても良いぞ。やる事は基本的には同じだからな」

 

「雨宮中尉。お疲れ様です」

 

「そんなに畏まらなくても良いって。リンドウで十分だからさ」

 

「ですが、我々からすれば、中尉が教官である事に違い無いですから」

 

「そうか……だったら教官命令だ。俺の事はリンドウで良い」

 

 半ば強引とは言え、リンドウの言葉にカウンターの端に座ってい居た人間は恐縮していた。

 基本的に雨宮教官と言われれば、ここに居る人間の大半はツバキの事を指している。尤もツバキ自身はフェンリルに対しての登録は変更しているので然程気にしていないが、中堅からベテランからすればそう呼ばれると何となく背筋が寒くなる為に、リンドウに関しては何時もと同じ接し方をしていた。

 

 

「……分かりました。リンドウさんと呼ばせて頂きます」

 

「……まぁ、それなら良いか」

 

 年齢では無く、経験からしてもリンドウのキャリアは極東だけでなくフェンリル全体から見てもベテランの領域だった。本来であれば現役の引退も視野に入る。にも拘わらず、未だ続行しているのは偏に経験からくる戦闘時の指示や教導、纏める人間の少なさが原因だった。

 何も知らない人間からすれば、リンドウやソーマの実績は尋常ではない。討伐のスコアはエイジの方が上だが、キャリアと言う点では他のゴッドイーターの追従を許す事は無かった。

 

 半ば伝説じみた結果をもたらすからなのか、リンドウの事は割と知られている。だからこそ、バータイムで飲みに来たリンドウを見たからなのか、カウンターに座っていた人間は恐縮した態度を取っていた。

 

 

「弥生さん。俺には何時ものを頼む」

 

 手慣れたオーダーだったからなのか、弥生もまたリンドウのキープしていたボトルのキャップを開ける。古酒独特の香りが周囲に広がる。ラウンジがまだ食事をする時間とは違い、この時間のリンドウはビールよりもブランデーを好んで飲む方が多かった。

 

 

「今日は良かったんですか?」

 

「ああ。サクヤからも許可を貰ってるんでな」

 

 口数少ない会話なのは、偏に隣に座った事による質問を受ける為だった。

 実際に教導の時間に指示をする事は多々あるが、その殆どは時間外になるケースが多い。特にクレイドルの中でもリンドウが一番実地に顔を出すのがその要因の一つだった。

 

 

 

 

 

「しかし、事前に情報は得てましたけど、ここに来ての内容は結構大変でした」

 

「そうか?あんなもんだろ?」

 

「リンドウさん達は当たり前の様にしてますけど、あれを現場レベルでとなると俺達としては大変としか言えません」

 

 アルコールが入った事によって先程までの緊張した空気が無くなっていた。

 実際にリンドウが顔を出したのは、研修中のゴッドイーターの様子を伺う事が目的だった。

 元々クレイドルの理念だけを伝えた所で、現場が回る訳では無い。それ所か、既存の支部の内容の一部までもが影響を及ぼす為に、生半可な内容のままにする事は許されなかった。

 事実、現場の人間に対してオラクル細胞学やアラガミの行動原理を教える必要は殆ど無い。本来であれば、榊やソーマが学会で示したレポートを読めば理解出来る程だった。

 

 実際に命を賭けた職場では、自分のストレスを溜めこまない様に、それぞれが工夫を凝らしている。ノルンの中にあるアーカイブはまさにその典型だった。

 当然ながら学ぶよりも先に自分を満たさなければ話にならない。その為に、何となくは知っているが詳細は知らないゴッドイーターが殆どとなっていた。

 当然ながら余程の変人でも無い限り、学業として学ぶ人間は居ない。その結果、実技を繰り返しながらも、その意味や特性を叩き込むのにソーマは悪戦苦闘していた。

 

 

「まあ、何にせよ慣れだな。俺なんて未だに良く分かってないからな」

 

「リンドウさんがですか?」

 

「当たり前だろ。お前らは俺を何だと思ってるんだ。それに現場の最先端には他の人間が戦力として出てる。俺の出番なんて早々無いからな。年齢的には楽したいんだよ」

 

 そう言いながらリンドウは自分のグラスを傾けていた。リンドウが実際に本当の事を言っているのは間違いないが、その実情は僅かに違っていた。

 エイジだけでなく、アリサやソーマもまた現場には出たままになっている。サテライトの候補地を見つけながら転戦するのは、極東では最早常識の行為だった。

 その為に、全員が一定以上の知識を持っている。その上でアラガミを討伐している事を知ってるからなのか、二人組は驚愕の表情でリンドウを見ていた。 

 

 

「そうそう。言ってなかったが、明日は一日だけ休日を設けている。その後はアラガミとの実戦の予定だ。今の内にしっかりと休んでおけよ」

 

 その言葉を聞いた二人の顔は僅かに青くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雲一つ無い空はこれからのミッションを現すかの様だった。

 これが通常の任務であれば、それほど気にならない天候。しかし、今回の実践は本当の意味での実戦となっていた。

 

 

「事前に説明した通りだが、念の為におさらいするぞ」

 

 リンドウの言葉に誰もが注目をしていた。

 元々今回の内容は実戦ではあるが、厳密には違っている。対象となる人員を如何に安全にアラガミから回収させる為の行動原理を叩き込む事だった。

 

 本来であればアラガミではなく、シミュレーションを使用するのが筋ではあるが、アラガミと言えどどんな挙動をするのかはリンドウ達であっても分からない。

 その結果、高難易度ミッションではなく下位から中位の間位のミッションで実践する事になっていた。

 

 実際にゴッドイーターを一般人と想定する程極東支部に人員の余裕は無い。その為に、ある程度疑似的な行動にする事にしていた。

 挑発フェロモンを利用する事によりアラガミの行動を一定にする。その際にそこからどうやってアラガミを引き離すかを前面にしていた。

 幾ら挑発フェロモンを使用しても直接の攻撃を受けてまでそれに固執する個体は無い。その結果を持って判断する運びとなっていた。

 

 

「以上が今回の作戦の趣旨だ。万が一強固な個体が出ても、それはこちらで対処する。あくまでも討伐がメインじゃなくその場から引き剥がす事がメインになる。それを忘れるなよ」

 

 リンドウの言葉にその場にいた全員が周囲を見渡していた。

 気が付けばエイジとソーマ、ブラッドから北斗が周囲を固めている。万が一感応種が出たとしても万全の体制を取っている事を確認したからなのか、全員の表情に僅かではあるが、安堵が浮かんでいた。

 当然ながらそれとアラガミとの戦いは別の話。

 最悪は介入するかもしれないが、余程の状況が大前提の内容。討伐よりもある意味では厳しい事を誰もが理解していた。

 

 

 

 

 

 

 コンゴウの背中のパイプから吐き出す圧縮した空気は弾丸となってそれぞれに襲い掛かっていた。

 不可視の弾丸を回避するのは困難ではあるが、コンゴウのそれには一つだけ大きな特徴があった。

 

 砲撃はするが速度はそれ程ではなく、着弾する瞬間に周囲の大気を大きく巻き込む。

 

 その結果、着弾した瞬間の破壊力は抜群だが回避出来ない物ではなかった。

 撃ち込まれた瞬間、誰もがその場から大きく回避する。群れを為せば厄介ではあるが、単独の今となっては脅威はそれ程では無かった。

 盾で守るのではなく、回避した為にコンゴウには大きな隙が生じている。その結果、此方が予定する行動を遮る様な障害は無くなっていた。

 

 

 

 

 

 今回から教導の内容は大幅に変更されている。本来であれば全員が最低限でも全部を軽くでも触る予定だったが、想定よりも遅い習熟だった為に暫定的に今回の様な形を取っていた。

 一番の理由は時間の問題。

 他の地域と極東地域のアラガミの質にかなりの差があった事だった。

 基本的には中尉クラスの人間が参加しているものの、いざ戦場でとなった際には予想よりも低い結果となっていた。

 仮に緊張した事を加味しても、新種が出れば誰もが同じ状況になる。

 極東でも新種討伐は苦戦を免れないが、他の地域では最悪は部隊の消滅までもを視野に入れる必要があった。

 

 ゴッドイーターとアラガミのミスマッチを嘆いた所でアラガミが遠慮などはしない。そんな結果だからこそ榊もまた頭を抱える結果となっていた。

 効率を求める以上はある程度の素養を伸ばすしかない。その結果としてこれまでの内容を把握し、内容を分担する事に決めていた。

 

 

「油断はするな!ここは俺達の支部じゃないんだからな!」

 

「了解!」

 

 隊長格と思われる人間の檄に同じチームのメンバーの声が鋭く響く。

 初見では感じられなかった感覚がリンドウにも伝わっていた。

 少なくともリンドウの目視では、中位の中でも上の部類の強さに該当する。口を出しても良かったが、今のチームの士気の高さを考えれば敢えて言う必要は無いと判断していた。

 下手に口にすれば誰もが動揺する。これが通常の討伐であればやれない事は無いが、これはあくまでも一般人の救出任務。

 自分達が経験しているミッションから見れば格段に難しい物だった。

 

 着弾した瞬間を逃す事無く一人の男がコンゴウの右腕を斬りつける。今回のミッションは最初は討伐ではなく、アラガミを誘導する為の効果的な攻撃方法を行う事を優先していた。

 アラガミからすれば、人間はただの餌でしかない。当然ながら天敵と捕喰対象が同列だった場合、アラガミの殆どは本能を優先していた。

 当然ながら僅かでも行動に澱みがあれば被害は瞬時に拡大する。そうならない為にアラガミの注意を引き、対象から意識を外す事が目的だった。

 最終的には討伐はするが、その前段階でこちらのやりたい事を優先させる。危険ではあるが、ある意味では合理的な内容だった。

 斬りつけられた事によってコンゴウの意識が挑発フェロモンが設置された場所からゴッドイーターへと移る。常に一定以上の距離を取りながらもその場から人知れず離す事に成功していた。

 

 

「取敢えずは合格だ。このまま一気にケリをつけるぞ!」

 

「了解!」

 

 リンドウの言葉に研修中のゴッドイーターは各々が気炎を上げる。これまでにも数度交戦した為にこの地域のアラガミの強度は何となく理解してていた。

 少なくとも自分達の支部では上位に入るアラガミも、ここでは精々が中位か下位でしかない。

 周囲にクレイドルの人間が待機しているが、それは保険の代わりでしかない。当然やるのは自分達がメインだった。

 強引に攻め込めば手痛い反撃を受ける可能性が出てくる。そうならない為には手堅い戦法が必要だった。

 求められるのは漠然ではなく確実な結果。ある意味では通常の教導以上の結果が自然と求められていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「基本的にはこれをそのままでも問題はありませんが、それ以外の工夫は各自でお願いします」

 

 戦闘訓練を兼ねた教導の傍らで、アリサを中心に一部の人間は炊きだしや人心掌握の手法を学んでいた。

 アラガミからの脅威に怯えながら生活を続ければ、幾ら健全な人間であっても心のゆとりが失われて行く。その結果、自分だけでなく周囲にまで多大な影響を及ぼす可能性があった。

 

 只でさえ精神的にゆとりが無い場面で、何かのキッカケがあればそれは周囲に伝播する。その結果として待っているのは更なる混乱だった。

 当然ながらアリサの様に現場を幾つもこなした人間であれば、回避や宥める手段は幾つもある。しかし、何も知らない人間はなす術も無く呆然とするより無かった。

 そうなれば自分達にも開く感情が及んでくる。誰もが良い結果をもたらさない未来よりは、今出来る最善をこなした未来に近づける手段を早急に学んでもらうより無かった。

 その結果、一番手っ取り早く本能を満たし、精神を落ち着かせる。これまでに培った経験を参加者全員に余す事無く教えていた。

 

 

「このままでも良いなら、その方が手っ取り早いんじゃないですか?」

 

「本当の意味で時間が無いならそれも有りです。ですが、意外と人は見ています。仮に自分達が同じ立場だった場合にどう思うか?を念頭した方が良いですよ。全部とまでは行かなくても、それなりに体裁を繕える位の事はした方が有効です」

 

「そうでしたか」

 

 同じ場所でも立場が違えば考え方が違うのは当然だった。

 実際に極東支部に置いてはある程度のゆとりがある今は、些細な事でも対処する事は可能となっている。しかし、それはあくまでもここ数年の話。

 まだアリサがここに来た当初はそれ程ゆとりがある様には思えなかった。

 ある意味では平等ではあるが、決して恵まれているとは思えない環境。皆が等しく冷遇された環境だった為に、外部からの人間にはどこか排除する様な気質が漂っていた。

 

 極東支部が割と大らかに動けるようになったのはここ最近でしかない。サテライトと言う受け皿があるからこその対処だった。

 自分が庇護下に居る事が出来る事で精神的な負担は大幅に減る。それだけ人間の持つ感情はある意味では厄介だった。

 質問された事に答えながらアリサもまた幾つかの食材を簡単に切り刻むと、そのまま鍋へと投入する。手間としてはそれ程ではないが、やはり見た目における印象は大きく異なっていた。

 口では答えないが、見たままの感情がそのまま答えとなっている。だからなのか、質問した人間もまたアリサを食い入る様に見るしか無かった。

 何を入れたのかは分からないが、先程以上に鍋からは芳醇な匂いが周囲に広がる。

 口からただ栄養を流し込むよりも効率は悪いが、落ち着くには抜群だった。

 誰もがその内容にだけでなくアリサの手際に視線が集まる。アリサもまた最初の頃を思い出したからなのか苦笑交じりに周囲に視線を動かしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで本過程における教導は完了とし、以後各自がそれぞれ精進する様に」

 

 ツバキの言葉と同時に誰もが今回の教導の完了を実感していた。

 当初から予想された様にクレイドルとしての最低限の内容を把握するだけに終わったのは偏に時間の無さが原因だった。

 実際にエイジやアリサ、リンドウ達が今の様に最初から活動出来た訳では無い。それそれが紆余曲折した結果、最適化出来た結果だった。

 

 実際に学んだ人間もまた、想像以上に内容を詰め込まれたからなのか、精神的な負担は大きな物となっている。

 戦闘だけでなく、周囲の状況を見極め確実に対処する。ある意味では一つの支部が判断する内容と大差無かった。

 事前に来る際には、求められた曹長以上の階級の意味はそこに集約されている。まだ新人の状態で指示を出したとしても現場が混乱するのは当然の事だった。

 人間誰でもが自分よりも優秀な人間をそう簡単に認める事は出来ない。自分の力量を正確に理解し、周りに認められる頃には既に手遅れでしかない。

 緊急時であっても混乱をもたらさない様にしたのが階級制度だからだ。今ならその意味が理解出来る。そう考える事が出来ただけでもある意味では進歩していた。

 

 

「それと、今後の事もある為にクレイドルの教導修了者にはそれぞれ制服を与える事になっている。これは各支部長にも既に話は通してある。貴君らがこれを身に纏うかどうかは各自の自由だが、その理念だけは決して失わない様に」

 

 周囲の状況を確認したからなのか、更なる追加としてツバキは制服を各自の数だけ用意していた。

 フェンリルの制服とは違い、純白の制服に背負うのは狼の牙ではなく月桂樹の葉。ゴッドイーターから見れば明らかに違う紋章は全員の視線を奪っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回は大変だったよ。裏方だったけど、準備が大変でさ」

 

「そう言えばコウタはそうでしたね。すっかり忘れてましたよ」

 

「うわ、そんな事普通言わねえぞ」

 

「コウタですから、問題ありませんよ」

 

 厳しい教導が終わった事でラウンジは当初とは違った雰囲気に包まれていた。

 実際に今回参加して居る人数はそう多くはない。勿論、ここが共有の場である為に他の人間もまた事実上の無礼講となっていた。

 そんな中、エイジとムツミはカウンターの中で常に動き回っている。

 これがムツミ1人では無理だと判断した結果だった。

 それぞれが今回の内容を振り返っている。教導を受けた人間だけでなく、今回の内容を教える側もまた色々な意味で教えられる部分があった。

 

 

「お前ら、そこまでにしておけ。言いたい事があるならこれが終わってからでも構わないだろう」

 

「ソーマだって本当は面倒とか思ってたんじゃないんですか?ほら、何かにつけてシックザール博士とかソーマ博士とか言われてたの、俺見てるんだぞ」

 

「………コウタ、まさかとは思うが僻んでるのか?」

 

「んな事無いって。実際には俺だって何かにつけて相談とかされたんだからな」

 

 純白の制服は正規の人間しか着る事が出来ない物。極東支部の人間はそれ程意識した事はなかったが、今回参加した人間はその限りでは無かった。

 事実、コウタだけでなくマルグリットやエリナ。エミールもまた裏方としてミッションが無かった際には常に動き回っていた。

 表に出るだけが全てでは無い。コウタとて理解はしているが、内心はソーマが突っ込んだ通りだった。

 

 

「誰もが一丸となってやれたからこそだよ。それにコウタの事はツバキ教官だって知ってるから」

 

 3人の為に用意したのか料理をもったエイジが大皿を持っていた。

 既にここに来ている人間もまた、エイジがカウンターの中で作業をしている事を理解している。誰もが一度は面食らったが、それもまた直ぐに日常と化していた。

 

 

「まあ………俺は基本的には裏方専門だからな」

 

「裏方があっての事だよ。でないと今回のこれは成功しなかったと思う」

 

「そっか………」

 

 エイジの言葉にコウタがそれ以上は何も言えなかった。

 少し離れた所でアリサの『コウタはちょろい』なんて言葉が聞こえはしたが、敢えてそれに突っ込む事は無かった。

 当初はどうなるのかすら危ぶまれたものの大成功した事実は後々の受け入れを更に強化する結果となっていた。

 

 

 



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第128話 第4部隊の日常

 荒ぶる神との対峙は誰もが神経をすり減らす事が要求されていた。

 僅かな隙を荒ぶる神は見逃さない。当然ながら対抗すべき存在もまた同じ事を考える。どちらの命の天秤に傾くのかは、それぞれの技量が全てだった。

 

 

「残念ね。バラバラにしてあげるわ!」

 

 これまでに無い程に銃口の内部にはエネルギーが充填されていた。

 元々はこれ程の威力は無かったはずの物。しかし、改良に改良を重ねた事により、人類の、特定の人間にはこれまでに無い程の力を手にしていた。

 神から与えられた物ではなく、それを屠る為の手段。人類が唯一抗う為の物。それがもたらすのは荒ぶる神の死。

 唯一無二のそれは既に最終段階に入っていた。

 既に残す工程は引鉄を引くだけ。

 興奮状態の真っ只中にあったからなのか、高揚した女の声が聞こえたのはそれだけだった。

 

 これまでに無い程に充填したエネルギーはそのまま銃口を経て荒ぶる神へと直撃する。

 既に周囲にはそれを遮る物はおろか、邪魔する存在も無い。同じチームの人間もまた避難が完了していたからなのか、その先の未来は考えるまでも無かった。

 圧縮されたエネルギーはそのままアラガミの体躯へと直撃する。これまでに無い程の衝撃は、そのままアラガミの体躯を貫通し、背後へと突き抜ける。

 破壊力抜群の攻撃の前には如何なるアアラガミもまた同じ結果をもたらすだけだった。

 

 

 

 

 

「なぁ、カノン。分かっているとは思うが……」

 

「す、す、すみません。ついうっかりと…………」

 

「コアも無ければ素材も無い。確かに討伐報酬は出るが、その前に今回の趣旨は何だった?」

 

 何時もは温厚な男もまた少しだけ怒りに満ちた表情を浮かべていた。

 そもそも今回のミッションは討伐任務の傍らで、自身の神機のアップデートを予定していた。

 神機をアップデートする際に必ず必要になるのがアラガミの素材。ましてやコアに関しては、支部のアラガミ防壁の為の素材だった。

 

 今回のミッションの結末は、一言で表せば『爆散』

 

 オラクルを全て使い切る程の威力の銃弾をそのままアラガミへと向けた結果だった。

 事実上の塵一つ無い状況。アナグラでもまた同じ事を考えていたからなのか、通信機の向こう側からはこの結末を予測しなかったからなのか、何も聞こえてこなかった。

 

 

「はい。ハルさんの神機のアップデートの為の素材回収です」

 

「で、どうやって回収出来るんだ?」

 

「あ、あのですね…………」

 

 ハルオミの言葉にカノンもまた自覚しているからなのか、視線は完全に逸らしている。

 当然ながら回収が不可能であるのは言うまでも無い。改めて同じ個体のミッションを再度受ける必要があった。

 報酬額よりも素材を優先する。その結果として今に至っていた。

 

 

「……まぁ、悪気があってやったんじゃないのは分かってる。今後は()()()()()()()()()()()()()()にしてくれ」

 

 

「了解です。以後細心の注意を払います!」

 

 本来であれば罵倒されてもおかしくはない。目的と自分の命が掛かっている為にある意味では当然の結末。しかし、こんなやり取りは今に始まった事では無かったからなのか、ハルオミの声に怒りの感情は無かった。

 だからと言って赦された訳でも無い。だからこそ、腰から先が90度に曲がる程カノンは深く頭を下げていた。

 

 

「ハルさん。カノンさんも悪気があった訳じゃ無いですから、そろそろ許してあげても………」

 

「エリナがそこまで言うなら………カノン。次は頼むぞ」

 

「は、はい!任せて下さい」

 

 エリナの言葉にハルオミも内心ではホッとしていた。

 ここ最近になったカノンの誤射率が確実に低くなりだしていた。一番の要因は驚異的なバレットを開発した事による、一撃必殺の戦法を確立した事だった。

 

 これまでの様にダメージを積み重ねながらの攻撃である事に変わりはないが、事実上の止めの一撃に近い銃撃は先程見た光景そのままだった。

 剣形態で斬り裂くやり方も間違いではないが、万が一の事を考えればカノンの様に銃撃で屠るのが一番確実だった。

 

 しかし、そんな戦法にも致命的な欠点があった。

 事実上の爆散の為に素材やコアが一切回収出来ない。アラガミからの脅威を排除する点だけであれば問題は無いが、やはりそれ以外にも必要な物が要求される以上、この状態が長く続くのは良いとは思えなかった。

 実際にカノンはまだ気が付いていないが、ハルオミはこれがどれ程危険なのかを理解している。

 かと言って、これまで燻ってきた人間を一気に貶す様な行為は正直な所したいとは思わなかった。

 そろそろサクヤならまだしも、ツバキから何かを言われる可能性が高い。その前に何とかしなければ。そんな危機感を抱いたまま帰投していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「残念だけど、またオーバーホールだね」

 

「そうですか………」

 

 アナグラの整備室にはカノンとリッカだけがそこに居た。

 基本的にはミッション完了後には必ず神機のメンテナンスが義務付けられているが、それは偏に万が一の可能性を排除する為だった。

 互いが互いの仕事に命を、プライドを賭ける。その結果として信頼関係が生まれるからだった。

 ゴッドイーターからしても誤作動や動作不良で命を落としたいとは思わない。ある意味では整備班の言葉は絶対に近い物だった。

 そんな整備班の代表の様にリッカは笑顔で回答する。その笑顔にある目が笑っていなかったのは、この場で気が付いた人間は居なかった。

 

 

「あのさ、もう少しだけバレットの改良をした方が良いと思う。確かにこの攻撃力は魅力的だし、安全性はとにかく殲滅できるのは良い。でも、その分神機にはかなりの負担がかかってるんだ」

 

 リッカの言葉にカノンもまた驚いたままだった。確かに銃口付近に多大な熱を持つのは知っていたが、まさかそれ程だとは思わなかった。

 初めて使用した際には銃口が威力に負けた事で、歪みを持ったのはまだ記憶に新しい。

 その後、カノンもまた色々な伝手で改良を繰り返していた。当然ながら今回放ったバレットもまた改良に改良を加えた物。前回の出動の際にはそれ程では無かった記憶があった。

 

 

「やっぱり厳しいですか?」

 

「厳しいね。今はまだ大丈夫なんだけど、このまま使い続ければ最悪は撃った瞬間に神機が崩壊する可能性もある。私達もそうならない様に常に改修はしてるんだけど、この子に関しては正直かなり厳しいとしか言えない。

 神機の事だけを考えるなら、早急にオラクルリザーブの限界量を下げるしか無くなるよ。それでも良い?」

 

「そ、それは流石に………」

 

 ここに至るまでに紆余曲折あったオラクルリザーブ。これまでに無い程の限界値を詰め込む事によって、これまでに無いバレットが幾つも発表されていた。

 その源泉を封印すれば、またあの頃に状態に戻るのは間違いない。それは最悪の未来だった。

 リッカとて憎くて言っている訳では無い。しかし、現状を鑑みればそれはある意味当然だった。

 現実問題として今の神機は既に第二世代を基本とし、その中で開発を続けている。

 第一世代型の神機に関しては現時点で出ていない者は封印されている状態だった。

 限りある資源は人間か神機なのか。言葉にはしないが、リッカがどんな思いで口にしたのかを分からないカノンでは無かった。

 

 

「何せ、このまま明日には完了って訳じゃ無いから、時間があったらサクヤさんとも相談した方が良いと思うよ」

 

「重ね重ねすみませんでした」

 

「私達に出来るのはこれ位だからね。そうだ、今回の件と同時に並行してアップデートもやるよ。時期的にろそろだったから」

 

 リッカの言葉にカノンは改めて頷くよりなかった。

 薄々は気が付いていたが、実際にはかなり厳しい状況なのかもしれない。解決策が見つからないままに、カノンもまた新たなバレットを模索する必要があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうですね。私で良ければ」

 

「ありがとうございます!」

 

 カノンのお願いにシエルもまた新たな可能性を考えるべく、思い切って自分が使わないバレットの開発を了承していた。

 実際にアナグラでバレットエディットを十全に使うのはシエルしかいない。エイジやアリサ、コウタもエディットを利用する事によって改良はするものの、やはり方向性が違う為にカノンが望むレベルには至っていなかった。

 実際に3人の運用はアラガミの足止めや注意を引くものが多く、質より量を重視していた。

 一方でスナイパーやブラストは一撃必殺の質を重視する。カノンがシエルに協力を求めたのはそんな意味合いが強かった。

 

 

「ですが、私もミッションがありますし、基本的にはスナイパーとしてのエディットがメインなので、少々時間はかかりますが宜しいですか?」

 

「はい。私の神機はオーバーホール中なので」

 

 極東支部の中での一番の信頼があるシエルの言葉に、カノンの表情は晴れやかだった。

 

 

 

 

 

「サクヤ。最近の稼働率はどうだ?」

 

「以前に比べれば良くはなっています。ですが、この数字の前提がちょっと………」

 

 リッカとカノンが話をしている頃、サクヤとツバキもまた少しだけ現状の確認を行っていた。

 一番の問題はゴッドイーターの生存確率。ここ最近になって生存率が向上している事は数字としては理解していたが、その内容を考えると安穏とする事は出来なかった。

 数字の向上の原因は第4部隊が絡んだ場合のみ。他の部隊や防衛班を見てもそれ程大きな変化はしていなかった。

 これが何も考えない指揮官であれば単純な数字だけを見て満足するのかもしれない。しかし、ツバキだけでなくサクヤもまた詳細を知った事によって今の数字の根拠を認識していた。

 

 

「分かっている。台場の影響だな。だが、整備からは神機そのものに対する不安も出ている。我々としても古参の人間に限った話では無いが、少しでも万全な状態でやってほしいと考えている」

 

「そう言えば、今はブラッドのシエルと一緒に新しいバレットエディットの構築をしている様です」

 

「そうか………だとすれば、済まないが少しだけ便宜を図っておいてくれ。ブラッドには私が直接話をしておこう」

 

「その方が良かもしれませんね」

 

 アナグラに置いて正当な理由で話をするのであれば、ツバキからの言葉はある意味では正論だった。

 1人のゴッドイーターの命に関する事だけでなく、場合によってはバレットの影響を少しでも他の人間にも広める事が出来る可能性があった。

 只でさえ、銃撃そのものを殆ど使用しない人間も少なくない。

 自分の夫もまたその中の一人だった。

 一時期行われた訓練によってそれなりに改善はされているが、それでも満遍なく使用している人間に比べれば格段に低いままだった。

 銃形態の地位を少しだけ高くしても悪くはないだろう。ひょっとしたらツバキはそんな事を考えていたのかもしれない。サクヤはそんな事を考えていた。

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                「ですから、この方法だと威力の割にはエネルギーロスは大きすぎます。それが結果的には神機にもダメージを与える結果となるのではないでしょうか」

 

「でも、これだと少し面倒じゃありませんか?」

 

「確かに言われてみればそうですね。これなら再考の余地がありますね」

 

 シエルとの話し合いはかなりの時間を要していた。

 元々はカノンの使うバレットの改良だったはずが、気が付けばそれ以外の事にまで進展している。最初の頃は珍しい組み合わせだったからなのか、周囲の視線を集める事が多かったが、既に見慣れたからなのか誰もが一つの景色の様に対応していた。

 

 そもそもバレットエディットを理解している人間はそう多くはない。無理に改良をしなくても結果的には討伐が出来るからだった。

 しかし、カノンの様に第一世代型神機の中でも銃形態のみの場合はその限りではない。有限のエネルギーを使う以上は効率を重視するのは当然だった。

 何よりも攻撃の手段を失ったゴッドイーターは足手纏いにしかならない。それを誰よりも理解しているからこその考えだった。

 

 

 

 

 

「取敢えず、今日はこの位にして、次回はシミュレーションですね」

 

「はい。楽しみです」

 

 気が付けば明るかった景色に少しだけ影が出始めていた。どれ位の時間、話をしたのかは分からない。カノンにとっては何かとやるべき事が多かったが、それを超えるだけの収穫はあった。

 一方のシエルもまたどこか満足気な表情を浮かべている。恐らくはこれ程までに白熱した議論をした事が無かったからだった。

 事実、ブラッドのメンバーでさえも、シエルがバレットエディットを語り出すと少しだけ距離を置く。誰もが自分の関心事に集中するのは当然の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ物足りないのかしら」

 

 ブラスト型神機はその特性上、それ程射程距離が長い訳では無い。

 高濃度のエネルギーを使用し破壊力を重視した為に、結果的にはそこそこになっている。

 当然ながら幾らバレットで調整しても基本の特性を大幅に越える変化は出来なかった。

 

 エネルギーが減衰するならば、その前に着弾させれば良い。そんな単純な思考になるからこそ、一撃必殺の様な物が出来上がっていた。

 当然ながら神機の摩耗する速度は加速していく。今回の目的はその加速する摩耗度を抑えながら破壊力を上げる事に苦労していた。

 クロスレンジではなくミドルレンジでの射撃。今のカノンにとってはその距離が絶対だった。

 威力はそのままにエネルギーロスだけをカットする。その結果が遂に花開こうとしていた。

 

 

「カノン、無理はするな!」

 

 ハルオミの言葉を無視するかの様にカノンはアラガミとの距離を詰めていた。

 これまでであれば一撃必殺を言わんばかりに引鉄を引いていたが、新たに作ったバレットの特性だからか、これまでの様な動きは完全に息を潜めていた。

 少しだけ微調整とばかりに軽く右にステップする。事実上の死角だったからなのか、カノンの目の前には無防備な状態を晒した体躯があった。

 迷う事無く引鉄を引く。これまでであれば確実に爆散したはずの体躯は一部の損壊を作りながらも大きな問題を発生する事は無かった。

 無駄なエネルギーをカットした事によって、これまでの様にオーバーキルになると同時に、自分にも還ってくる反動は段違いに少なくなっていた。

 結果的には狙いを絞り込み、無駄な破壊が軽減される。以前の様に衝撃が大きい事による反動で拡散したエネルギーは完全に一点に絞られた結果だった。

 巨躯がそのまま地面へ打ち付ける。生命反応が無くなっているからなのか、ピクリと動く事は無かった。

 

 

 

 

 

「上手くやれたみたいだな」

 

「はい。私も少しだけ成長したみたいです」

 

 帰投の為に乗り込んだヘリではカノンは終始機嫌が良いままだった。これまでの実績だけを見ればカノンの数字は悪くはない。しかし、それを更に細かく見ればある意味では驚愕のデータが幾つも並んでいた。

 アラガミの損壊率や誤射率はトップクラス。周囲を巻き込みながらも数字を出している為に、初見の人間はカノンと組む事に忌避感を持っていない。

 しかし、ミッションが一度終われば次に組む可能性は極めて低かった。

 誤射をしない様にするにはアラガミを直ぐに始末する。その結果が故に今に至る。それが改善された事を実感している様だった。

 

 

「取敢えずはって所だな。だが、油断はするなよ」

 

「そうですね。きっと私のゴッドイーターとしても道はここからなんだと思います」

 

 これから先の未来に希望が見えたからなのか、カノンの目には力が満ちていた。一方のハルオミもまた、カノンの悪癖が無ければもう少しだけ人を配属してくれるかもしれない。そろそろ他の人間の為の肉壁は卒業したいと考えていた。

 今のハルオミ以外にある意味カノンを手なずける事が出来る人間は居ない。

 当初はカノンの見た目で許せる部分もあったが、それもそろそろ限界だった。リンドウ程ではないが、ハルオミもまたキャリアの点で言えばかなりの時間が経っている。

 少しだけはしゃぐカノンを見ながらも、そんな事を考えながら外の景色をぼんやりと眺めていた。

 

 

                                     



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第129話 女子力のすゝめ

 静寂な空間に漂うのは張り詰めた空気だった。

 元々ゴッドイーターとして生きる者からすれば、常に緊張感とは隣り合わせ。当然ながら張りつめた空気の中での当たり前の様に過ごせるはずだった。

 しかし、今回の件に関してはその限りではない。これまでに無い程の張りつめた空気はそのまま当人の緊張感を高めるだけになっていた。

 

 

「……どうした?遠慮はしなくても良いんだぞ」

 

「で、では…………」

 

 その声に何か覚悟を決めたのか、まだ少女と呼べる黒髪の女がゆっくりと出されたお椀を手にする。

 ここで粗相をする訳には行かない。今出来るのは、最低限の行動だけ。

 お椀に注がれた液体を飲み干すも、その味わいは全く分からない。緊張感が高いからこそ、その動きは更にぎこちなさを発揮していた。

 

 

「け、け、結構なお点前……で」

 

 三度お椀を回し、自分の口を付けた場所をずらす。以前にも経験はしたものの、ここまで緊張する物では無かった。

 だからと言って今更逃げる事は叶わない。自分から言い出した以上、完全に追わるまでは姿勢さえも緩める事は出来なかった。

 お椀を自分の手前に置くと同時に、薄く息を吐く。一息つける頃には、隣に居た銀髪の少女が先程の自分と同じ行動をしていた。

 

 

 

 

 

「だ~やっぱり緊張するよ。やるって言わなきゃ良かったよ」

 

「ですが、これも一つの作法だと聞きましたが」

 

「確かにそうなんだけどさ………もっとこう、ライトな感じの方が良かった」

 

 一通りの作法が終わったからなのか、女主人はそのまま部屋から退出していた。

 元々今回の言い出しっぺはナナ。シエルのツッコミは尤もではあるが、まさかこれ程だとは思わなかった。

 途中で出された生菓子の味など、記憶にすらない。女主人もまたそれを予測したからこそ、敢えて何も言わずに退出していた。

 

 

「だが、私も時折こうやって練習してる。マルグリットやアリサもそうらしいぞ」

 

「そりゃ……リヴィちゃん達は慣れてるからだよ。私は今日が初めてなんだし」

 

「誰もが最初は初心者だ。私だって当初はこんなつもりでは無かったんだが」

 

「そうですよ。誰だって最初から慣れている人は居ません。ですが、今回のこれはある意味では良い精神修養に通じるかと思いますよ」

 

「まぁ……そうなんだよね」

 

 長時間の慣れない正座にナナの脚は完全に痺れていた。

 今、何かの事情で直ぐに動けと言われても動く事は絶対に出来ない。

 慣れない行為に慣れない空間。自分が言い出した事とは言え、実際に行動に起こしたからなのか、その場でもじもじとするしか無かった。

 狭い空間に聞こえる音は風炉の音だけ。お湯が沸く僅かな音だけが背後の音を奏でていた。

 

 

「ナナ。無理に女子力とやらを高める必要は無いと思うんだが」

 

「いや。それはダメだって。折角やり始めたんだし、最後までやり切りたいんだよ」

 

 ナナの意気込みにリヴィは僅かに溜息を漏らし、シエルは笑顔を浮かべたまま。元々はこんな話ではなかったはず。

 ナナとしても最初はもう少し穏やかに出来る物だと思い込んでいた。

 別にキャッハウフフとしたい訳では無い。皆がやってるなら少しは出来た方が良い程度でしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日も疲れた~。こうやってシャワー浴びてたら漸く一日が終わったって感じがするよ」

 

「最近は特に厳しい日が続きましたからね。私も少し疲れました」

 

 ミッションが終わり、ナナ達は真っ先にシャワールームへと直行していた。

 本来であれば一旦はロビーで手続きをしてからが適切ではあるが、流石に汗の臭いを振り撒いたまま行くのはどうかと考えていた。

 実際に汗だけでなく、場合によっては泥や血に塗れるケースも少なくない。ましてやナナの様に薄着であればより顕著だった。

 しかし、ここ極東に関してはヒバリもまたそれぞれの考えを理解しているからなのか、特に厳しい事を言う事は無かった。

 ヒバリだけでなくサクヤもまた以前は同じだった為に口にする事は無い。その結果として、このやり方が綿々と引き継がれていた。

 

 

「そう言えば、リヴィちゃんはまだ出てこないね」

 

「時間的にはそろそろだと思いますよ」

 

 お互いが頭にタオルを巻き、髪の余剰水分をふき取っていた。

 躰にはまだ、バスタオルを巻いたまま。事前に用意した着替えをする事でロビーへと行く手筈だった。

 ナナが言う様に、気が付けばまだリヴィがブースから出てこない。純粋に洗うだけなのに、これ程時間がかかるとは思って無かったからなのか、何となくとりとめのない事を口にした直後だった。

 

 

「済まない。どうやら私が最後だったみたいだな」

 

「え……あ、うん。大丈夫だよ」

 

 ナナは珍しく言い淀んでいた。それもそのはず。リヴィもまた二人とは同じ状態ではあったが、何となく自分達とは違っていた。

 具体的に見た目が違う訳では無い。その存在感が明らかに違っていた。

 

 

「何だ?何か私に付いてるか?」

 

「う、ううん。違うんだけど、何だかちょっと………」

 

 言い淀むナナの態度にリヴィもまた疑問が湧いていた。リヴィそのものは何も変化がった訳では無い。

 事実、隣に居たシエルも疑問らしいものは感じていない。何が違うのかは分からないが、何となく雰囲気が違う事だけは間違いなかった。

 

 

「まぁ……気になる事が分かったら、教えてくれないか」

 

「辺に引き止めてゴメンね。さて……と。ヒバリさんの所に早く行かなきゃね」

 

 何が違うのかは分からない。何となくモヤモヤしたままシャワールームを後にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、そんな事までやってるの?」

 

「私としてはそれ程だとは思っていないんだが、結果的にはそうなってる」

 

 ナナの不意に感じた違和感はリヴィの言葉によって解消されていた。

 リヴィは元々神機の使い方の技術向上の為にマルグリットに確認したのがキッカケだった。

 同じヴァリアントサイズを使う人間はかなり限定されている。扱い方が特殊であると同時に、刀剣類の様な直線的な動きでは無く曲線を描く動きは、周囲の状況やアラガミと自分の正確な位置を把握していない限り効果的に動けない。周囲を巻き込む様な攻撃は味方からも敬遠されるからだった。

 だからこそ最小限の動きで最大限の威力を叩きつける事がこの神機を扱う上での最上の使い方だった。

 

 曲線を描く為には円運動を体幹の動きを細やかにする必要がある。その為に舞踊を習った事だった。

 この経緯はブラッドのメンバー全員が知っている。しかし、単純に神機を扱う為だけのはずが、気が付けばそれ以上の事までやっているとは思わなかった。

 精々が修練の為に着付けをする程度。ナナの認識はその程度だった。

 

 

「でも、そんな事までやってたら時間なんて足りないよね?」

 

「一つ一つを極める程であれば、そうかもしれない。私も教わっているのは初歩の初歩に過ぎないからな」

 

 リヴィの言葉にナナだけでなく、その場にいたシエルもまた驚いていた。

 実際にそれが何の足しになるのかは分からない。しかし、無駄な事を教える様な場所で無い事は理解しているからなのか、疑問にこそ思うも、それ以上は何も無かった。

 記憶を辿れば以前の花見の際にも野立てをしている。当時はまだ何も分からないままにやっていたが、今となっては当時以上に洗練されていた。

 アナグラで雅じみた事は無いが、屋敷ではありえる話だった。

 

 

「そう言われれば、アリサさんやマルグリットさんも同じですね」

 

「………なるほど。だからなのかな………でも……」

 

「あの、ナナ……さん。どうかしました?」

 

 一人ブツブツと言ってる様なナナを心配したからなのか、シエルは様子を伺っていた。

 それと同時に何となく嫌な予感がする。これまでの記憶が正しければ、ナナがこうなれば高確率で何かをする事が予測出来ていた。

 先程とは違う意味でシエルに緊張感が漂う。決して自分の身に不利にならないものではあるが、それでもやはり、ここから予想される物が何なのかは分からないままだった。

 

 

「シエルちゃん!」

 

「は、はい。何でしょうか」

 

「さっきの違和感は、多分身に付けた女子力なんだよ」

 

「はい?」

 

「だから、リヴィちゃんの身に付けたそれは女子力を高める何かなんだって!」

 

 唐突に言われた事にシエルの理解が追い付かない。少なくともシエルの脳内の辞書に女子力と言う単語は存在していなかった。

 ナナの言わんとする事は何となく分からないでもない。しかし、それがどうしてそれに繋がったのかは分からずじまいだった。

 

 

「でも、誰に言えば良いんだろう?やっぱり弥生さんかな。リヴィちゃんは誰に言われたの?」

 

「私か?私はマルグリットさんからだな」

 

 ナナの言葉にリヴィは当時の事を思い出していた。

 経緯はともかく、結果的にはマルグリットからの口利きに近い物があった。

 事実、リヴィ自身も当時は戸惑いながら気が付けばそれなりの状況が確定していた。

 当時の事はともかく、今となっては懐かしい記憶。まだ時間的にはそれ程経過していないが、それでもやはりスコアの伸びを考えれば悪い思いは無かった。

 

 

「確か、第一部隊はまだミッション中だよね。帰投したら連絡貰えるように動かなきゃ!」

 

 有言実行。ナナは進むべき道が見えたからなのか、振り向く事なくそのまま目的の場所へと走っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それは構いませんが、何か問題があったんですか?」

 

「実は、ちょっと………」

 

 ヒバリの質問にナナは少しだけ照れた表情でこまでの経緯を話していた。実際に個人の突っ込んだ内容に関しては話の内容によっては色々と教えてくれる事もあった。しかし、今回の件に関してはヒバリの範疇を超えている。

 少なくともマルグリットやリヴィの様な状況となれば、頼る人間は自ずと決まっていた。

 

 

「でしたら、弥生さんに一度相談してみてはどうですか?」

 

「でも……」

 

「大丈夫ですよ。女は度胸ですよ」

 

 笑顔で言われればナナとしてもそれ以上の事は何も言えない。当然の事ながら弥生に話を持って行く時点で何となく予想は出来ていた。

 だからと言って自分が言い出した事を簡単に翻すのもまた癪だった。

 

 

「じゃあ、話をしてみるよ」

 

 やる事が決まったのであれば、後は実行に移すだけ。その為にナナは弥生の下へと歩き出していた。

 

 

 

 

 

 

「それは構わないんだけど、時間はどうするの?」

 

「ミッションとか色々と予定もあると思うので、出来れば半日か一日位で何とか………」

 

「そうね。それ位の時間だとやれる事はそれ程多く無いわね」

 

「実際に少しだけ体験したいってのが本当の事なので……」

 

 幸運にも弥生は直ぐに捕まっていた。

 普段であれば何かと動いている為に、ゆっくりと話をする機会はそう多く無い。

 向こうからであれば未だしも、支部長室以外で会おうと思うと案外と苦労する部分があった。

 だからこそ、このチャンスを活かすしかない。詳しい事は横に置いても、今はただ自分の事を優先していた。

 

 

「確かナナちゃんのスケジュールだと明日は非番のはずよね。だったら、今晩から早速やった方が良いかもね。じゃあ、屋敷に行こうっか」

 

「でも、何をやるんですか?」

 

「それは行ってからのお楽しみって事で。その方が楽しそうでしょ」

 

「あ、はい」

 

 既に決定すた以上、ナナはその言葉に従うしかない。リヴィやマルグリットが屋敷で何かをしている以上、自分もまた同じであるのは間違い無かった。

 

 

 

 

 

「まさか、このメンバーでここに来るとは思わなかったな」

 

「でも、何だか少し楽しそうだよね」

 

 ナナだけでなく、実際にはリヴィとシエルも同じ結果となっていた。

 元々リヴィはここで既にやっている為に、大よその事は予測している。しかし、ナナとシエルに関しては、案外とここに来る機会はそう多く無かった。

 実際に屋敷とアナグラの関係は無に等しい。エイジやアリサ、ナオヤなど割と身内の関係者であれば気後れする事も無いが、ブラッドからすればそうでも無かった。

 精々がロミオが厳しい鍛錬をする際に来る程度。そんな背景もあったからなのか、二人がここに来る際には常に目新しい物が多かった。

 

 

「お疲れ様でした。今日はこのままゆっくりとして頂ければ結構です。明日は少しだけ早い時間から動くと聞いていますので」

 

「私達の為に申し訳ありません」

 

「いえ。こんな時代ですから、何事も経験出来る時にされた方がこちらとしても嬉しいですから」

 

 女中の言葉にナナは少しだけ頬を掻きながら照れくさいと同時に申し訳ない感情が先に出ていた。

 事の発端は自分の思いつきでしかない。しかし、ここに来た際にはそんな雰囲気は微塵も無かった。

 当然ながら軽く終わる可能性は殆ど無い。これが長期になれば話は変わるが、長くても今日一日でしかない為に何とか踏ん張れるだけのゆとりがそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、ナナ達は見てないが、何か予定でもあったのか?」

 

「いや。特に何も無かったと思うけど……」

 

 朝のラウンジは少しだけ何時もとは空気が違っていた。

 何時もであれば何かを騒がしい元となるナナの存在が、今日に限ってはその鳴りを潜めている。普段はそれほど気にならないが、一度気になれば後は簡単だった。

 意識した目で改めて周囲を確認する。ジュリウスが言う様に、普段の騒がしい元が無い為に、珍しく朝の穏やかな時間が流れていた。

 

 

「そう言えば、昨晩から見てなかった様な気がする」

 

「そうか。元々今日は非番なんだ。やる事も色々とあるのかもしれんな」

 

 ジュリウスの自己完結にロミオとギルもまたそれ以上は何も言う事は無かった。

 最近になってようやく農作業のコツを掴んだからなのか、以前に比べでかなりスムーズになっていた。

 既に幾つもの野菜を栽培し、その殆どが当初の目的を果たす事が出来る程の品揃えとなっている。

 幾らブラッドと言えど、非番の時まで干渉する事は無い。

 ジュリウスもまた、自分の事で手一杯だからなのか、改めてこれまでまとめてきた農作業に関するレポートの作成に取り掛かっていた。

 

 

「あれ、珍しいな。今日はブラッドは非番なんだよな」

 

「リンドウさん。おはようございます」

 

 取り止めの無い空気を壊したのは早朝の哨戒任務についていたリンドウだった。

 早い時間帯での巡回は意外とアラガミとの交戦はそう多く無い。精々が遠目に見るだけの事が多く、リンドウもまた同じだった。

 当然の様にそのままカウンター席に座る。事前に連絡してあったからなのか、頼む事無くそのまま朝食が出されていた。

 

 

「そう言えば、屋敷にあの三人が泊まったって聞いたんだが、何か教導のメニューでもあったか?」

 

「いえ。まさか屋敷だなんて知りませんでした」

 

「そうか。ナナが音頭を取ったって聞いたから、また何かするのかと思ったんだが」

 

 リンドウの言葉に三人は何となく嫌な予感がしていた。決してナナが何か思い付きでやっているなんて思いはしないが、それでもリンドウが態々嘘を言う必要は無い。余程の事が無い限りは大丈夫だとは思っても、やはりこれまでの事を考えると、どこか重い気分が漂っていた。

 

 

「俺達は何も聞いてませんので。詳しい事はまた後日でにでも聞いてみます」

 

「そうか。まぁ、何だ。色々と経験する事は悪く無いからな」

 

 リンドウもまた何か思う所があったのか、そのまま食事を始めていた。

 非番である以上は緊急出動さえ問題無ければ、何をしようとも問題にはならない。ましてや場所が場所なだけに、改めて心配する様な人間は誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いきなりこれから始まるなんて………」

 

 ナナが手にしているのは一つの扇子。時間が無いが、女らしさを手っ取り早く身に付ける為にと弥生が提案した事を実践していた。

 これまでリヴィはやってきている為に苦にならないが、ナナとシエルに関してはその限りでは無い。本来であればもう少し厳しくやる事が多いが、今回に関してはまだ触り程度の為に最低限の指導のとどまっていた。

 

 

「ですが、これに関しては実は私も少しだけ興味がありましたので」

 

「え、そうなんだ」

 

 シエルの意外な言葉にナナは驚いていた。

 元々この舞踊に関しては体幹を鍛えると同時に、自分の躰の状態に向き合う事が前提となっていた。

 ゆっくり動く事により、より微細な状態で躰を動かす事が要求される。しかも、ゆっくりと動く事によって嫌が応にも重心と言うものを理解させられていた。

 それだけではない。着物はどうしても動き一つとってもかなり制限される事が多い。

 その結果、少ない動きで最大限の効果を発揮するには持って来いだった。

 

 

「最小の足さばきで最大限の効果を発揮する事は乱戦になってからかなり有効かと思われます。それに、動きのロスが少ないとなればトータルで見た場合にスタミナ切れになる確率も減少しますので」

 

「なるほど……流石はシエルちゃんだね。私はそこまで考えてなかったよ」

 

「いえ。これもナナさんのお蔭ですから」

 

 幾ら興味があろうとも肝心の最初の第一歩はシエルにとってはあまりにも遠い物だった。

 幸か不幸か、その交渉はナナが全面的にやってくれている。ある意味ではシエルもまた今回の件には興味本位だけで臨んでいる訳では無かった。

 舞踊は足さばきだけを重視した事により、上半身の動きはそれほど大きい訳では無い。その為に思ったよりも消耗の度合いは少ない物となっていた。

 

 

 

 

 

「後はお茶だよね。確か三回回すんだよね」

 

「そうだな。だが、先程とは違って相手がある。適当とまではいかないが、細心の注意を払わないと後が大変だぞ」

 

 舞踊の内容が内容だったからなのか、ナナの中ではそれなりにリラックスし始めていた。

 話をこれまで聞いた際にはさぞ厳しい物だと思ったものの、実際にはそれ程でも無かった。

 今回に関しては大よそ半日程度で終わる予定。丸一日は難しいと判断した結果だった。

 以前に経験した野点を考えれば恐らくは何とかなるはず。ナナだけでなくシエルもまた同じ様な事を考えていた。

 その矢先に小さな音と共に襖が開く。今回の主人が誰のかが、ここで初めて知る事になっていた。

 

 

「待たせたようだな」

 

「あ、あの……ツバキ教官がやるんですか?」

 

「そうだ。今回は体験程度だと聞いている。だが、姿勢だけは崩すなよ」

 

 ツバキの言葉に屁や全体の空気が引き締まる。これまでが屋敷の人間だった為に、今回もまた同じだと勝手に判断していた。

 だからこそツバキが入室した事により、これまで弛緩し始めた空気が一気に引き締まる。ここで漸く本当の意味で始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「漸く終わった………最後がツバキ教官だなんて想定外だよ」

 

「ですが、ある意味では締まった内容になって良かったんじゃないですか?」

 

「確かにそうだけど………」

 

 最後の茶道に関してはツバキもまた三人の状況を判断しながら進めていた。

 実際にツバキの手つきに澱みは無く、またその立ち振る舞いには隙が無い。戦場とは違う緊張感がそこに漂っていた。

 

 命の危険はないが、ある意味ではそれよりも高度な緊張感が要求される。最初にお椀を取る際には、完全に手が緊張感のあまり震えていた。

 一息も緩む事が無い空間。これ程の重圧はある意味では戦闘以上であった事は後になって実感していた。

 これまで来ていた着物を脱ぎ、普段着ている服へと着替える。そこにあったのは先程まで着物を着ていた感覚だった。

 歩く所作一つとっても気品がある。ナナだけでなくシエルもまた気が付いたのは、アナグラに戻って指摘されてからだった。

 

 

 



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第130話 懐かしき思い (前篇)

 戦場特有の空気はゴッドイーターだけでなく、アラガミにも同じ様な現象を醸し出していた。

 ここに残る結果は生か死の二択。どちらもまたその生に縋る為に自らの体躯を代償に相手を屠る事に全力を尽くしていた。

 一瞬の判断がその境目を分ける。誰もかに教えて貰った訳では無く、ここまで命を生きながらえたからこそ理解した真実だった。

 

 既にこの地は混戦状態となりつつあった。

 本来であればこの状況下であれば撤退の二文字が頭をよぎる。しかし、この地に置いてはゴッドイーター側からすれば安易にその手段を取る事は出来ない場所でもあった。

 まだ距離的にはそれ程問題にはならない距離。しかし、仮にここで退くのであればどんな結果が待っているのかは考えるまでも無かった。

 

 既に周辺状況を確認し、サテライトの候補地として選定が完了している。アラガミ防壁を組んでいる為に、ここでの撤退の後は膨大な時間が要求される可能性があった。

 以前の様な中型種ではなく、大型種。それもそのまま放置するには余りにもリスキーすぎるアラガミだった。

 

 ────ハンニバル浸食種とディアウス・ピター

 

 

 よりにもよってこの種だった。

 当初は互いが捕喰関係にあったはずのアラガミ。弱肉強食のアラガミの世界でも上位に入るそれの攻防は周囲にも多大な影響を与えていた。

 実際に本来ではあり得ないアラガミの種を駆逐し、周囲の生態系を大幅に変更している。

 仮にどちらが勝利したとしても、この地に与える影響は多大だった。

 当然ながら、アラガミの生活分布を予測した情報での建築ではあるが、この影響によって先が見えなくなる。

 そうなれば、ここまで投下した多大なリソースの喪失は免れなかった。

 だからこそ、この周辺で警戒したゴッドイーターがこの地を平定する必要がある。サテライトの建設予定地にクレイドルの主力が居たのは偏に偶然の産物でしか無かった。

 

 

「こちらリンドウ。周辺のアラガミの様子はどうなってる?」

 

《現時点でのアラガミの反応は交戦中の二体だけです。少なくともこれまでの履歴を確認しましたが、恐らくはこの二体が周辺での最上位かと思われます》

 

「どうりで……か。こっちは今の所大丈夫だが、向こうはどうなってる?」

 

《バイタルやアラガミの信号からは今の時点ではそれ程問題は無いかと思われます。ですが、相手が相手ですから油断は禁物です》

 

「了解。こっちはこっちでさっさと片付ける事にするさ」

 

《了解しました。ですが、無理はしないで下さい。現時点では援軍を送る事は困難な状況です。信じてはいますが、万が一の為に準備は進めておきます》

 

 リンドウの言葉に、聞けたヒバリの声はそれ程暗くは感じられなかった。

 事実、今回の戦いに於いては纏めて対峙するのではなく、事実上の各個撃破に近い形態を取っていた。

 両方と一度に戦うとなれば苦戦は必至。しかし、今回のメンバーを考えれば各個撃破の方が結果的には早く終わるかと思われていたからだった。

 その証拠に、リンドウがゆっくりと通信と繋げる事が出来たのは、目の前のハンニバル浸食種が大きくダウンしているから。

 勿論、通信中も意識がそこから途切れる様な事は一切無かった。

 

 仮にここで集中を切らせば、今の立ち位置は逆の状態になりかねない。となれば待っているのは自身の死。

 油断せず、意識を向けたまま情報の確認をしただけだった。

 通信が切れると同時に、少しだけ大きく呼吸する。リンドウの視界に映るのは、チャージクラッシュの準備の為に、闇色のオーラを纏い、刃を振りかざしたソーマの姿だった。

 視界に入るそれは、まさにハンニバルの頸を斬り落とさんとする行為。幾ら強靭な肉体を持ち、不死性を誇るとは言え、首を跳ねれば流石に大きなダメージを与えるのは当然の事だった。

 だからこそソーマは躊躇する事無くその一点だけに集中する。

 リンドウは周囲からの妨害が無い様にフォローする為だった。

 通信越しでの情報に間違いは無いはず。にも拘わらず、僅かに嫌な予感だけがしていた。

 

 

「ソーマ!すぐに離れろ!」

 

「チッ。もう回復したのか」

 

 振りかざした刃はそのまま下ろされる事は無かった。

 実際に担いだまでは良かったが、ソーマの目にもまた、横たわるハンニバルの目がまだ死んでいない事を確認していた。

 このまま強引にやっても問題ないかもしれない。これが通常のミッションであればそれも選択肢の一つだった。

 しかし、今回のこれはある意味では防衛でもあり、ある意味では連続するミッションとなる可能性もあった。

 幾らレーダーに映らないとは言え、何が起こるのかまではアナグラからは予測出来ない。

 リンドウだけでなく、ソーマも反応出来たのは、これまでに戦場で培ってい来た勘の様な物が働いた結果だった。

 

 ハンニバルは先程とは違い、直ぐに行動を開始している。まるで近寄ってきた物全てを排除するかのように太くて長い尾は大きく横に振られていた。

 回避ではなく、神機の性能を活かして防御に徹する。

 タワーシールド特有の重さがあってもなお、その攻撃の衝撃は大きな物だった。

 踏ん張った事により、大地に踏ん張った両足はそのまま後ろへと流れていく。これが軽量級の盾であれば確実に吹き飛ばされる威力だった。

 不満げなソーマの呟きすら聞こえない程に衝撃音が周囲に拡がる。見立てが甘かったのか、未だハンニバルの勢いは衰える事は無かった。

 

 

「距離を取れ!」

 

 誰が誰に対して何をどうするなどの具体的な指示は一切見当たらない。

 それはある意味では長年培ってきた互いのコンビネーションから来る物だった。

 完全に防ぎったからと言って、直ぐに反撃する事は出来ない。変形させるだけのロスタイム。これが至近距離の攻撃では完全に悪手になる事を知っているからだった。

 リンドウの言葉にソーマは直ぐに一定の距離を取る。

 先程までは強靭な盾があったはずの場所にはリンドウの腕から作成された漆黒の刃があった。

 大気を切り裂き、先程まで鞭の様にしなっていた尾に向けての斬撃。ハンニバルのくぐもった悲鳴の様な物が僅かに聞こえていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサ。無理はしないで」

 

「大丈夫です。無理はしませんので」

 

 リンドウとソーマが戦っている頃、エイジとアリサもまたアラガミと対峙していた。

 ディアウス・ピター少なくともこれまでの戦ってい来たアラガミの中では厄介極まりない種の一つ。通常種であればそれ程苦になる事はないが、これが変異種となればその評価は一気に変わっていた。

 遠距離攻撃だけでなく、刃の翼を使用した強襲は色々な意味で最悪の攻撃。自身の体躯を使った重攻撃は、盾による防御を無へと変化させる。

 

 タワーシールドを使って全身で踏ん張ってもなお、その攻撃を完全に受け止める事は困難だった。

 だが、エイジもアリサもタワーシールドなど装備していない。

 仮に盾を装備していたとしても、今度はその質量に圧されてしまう。当然ながら攻撃に関しては余程の事が無ければ回避に専念するより無かった。

 

 当然ながら今回の対峙が初見ではない。因縁のアラガミでもあるそれに対する物はあるものの、それを乗り越えてもなお厄介な存在だった。

 お互いが適当な距離と執りながらもその動きを確認していく。

 エイジの視界に映るのは、ディアウス・ピターの肩の位置にあった小さな瘤だった。

 

 変異種。以前に一度だけ見たそれにエイジは内心焦りを持っていた。

 交戦したのはロミオを探索していたあの時にまで遡る。あれがどれ程厄介な存在だったのかはエイジの記憶にもまだ新しかった。

 ここは螺旋の樹の様な場所ではない。あの歪な場所だからこそ、あり得た存在のはずがここにある以上、アリサの事を優先するしかなかった。

 念の為にノルンには情報としては上げてはあるが、対峙した人間で無ければあの重圧は分からない。

 ましてや自分とアリサの持つ盾はバックラー。当然ながら防御そのものに信頼を寄せるには余りにも小さすぎていた。

 

 

「あれは変異種の可能性が高い。出来るだけ防御じゃなくて回避に専念してほしい」

 

「……了解です」

 

 エイジの言葉にアリサの表情が僅かに堅くなっていた。

 只でさえ厳しい戦いを余儀なくされる上に、変異種である事実は更に難易度を高めていた。

 アリサもまたエイジやリンドウから話だけは聞いている。だからなのか、エイジの言葉に一段と高い警戒をしていた。

 

 

 

 

 

 

「来るぞ!」

 

「はい!」

 

 エイジの言葉と同時にディアウスピターは二人の下へと突撃するかの様に疾駆していた。

 強靭な肉体を誇示するかの様にその勢いが衰える事は無い。その圧力は少なくともこれまでに対峙したアラガミの中でも上位に入る物だった。

 疾駆すると同時に大地が僅かに振動する。

 通常の生物とは違い、アラガミの持つ体躯は予想を遥かに上回る物だった。

 

 これまでに幾度となく討伐したはずの種。にも拘わらず、このディアウス・ピターに関してはそんな経験を払拭させる程だった。

 威嚇の為に咆哮しながら繰り出す右足からの払いはそのままエイジではなくアリサを狙っていた。

 本能なのか、それとも偶然なのか。これがアリサだけであれば確実に躰が硬直するかと思える程の攻撃。

 三本の爪は容赦なく華奢な体躯を引き裂こうとしていた。

 

 

 

 

 

「フォローをお願いします」

 

「ああ」

 

 アリサはエイジの言葉通り、その攻撃を直接受け止めるつもりは毛頭無かった。

 バックラー程度の能力では、この一撃が命取りになり兼ねない。かと言って、余裕を持たせた回避は次の攻撃を生む可能性を秘めていた。

 その結果、選択したのは攻撃のタイミングと距離を見切る事によってギリギリで回避する事。

 仮に体勢が崩れたとしても、エイジであればどうにかしてくれるとの思いからだった。

 エイジの能力を考えれば態々口に出す必要は何処にも無い。間違い無く攻撃と防御の距離を理解すれば自ずとアリサの考えている事など理解出来るからだった。

 

 口に出したのはエイジへの願いではなく自身への叱咤。

 アラガミの攻撃を紙一重で回避する技術はアリサも持ち合わせているが、それが常に実戦で使える訳では無かった。

 確実に実行出来るのは中型種まで。大型種ともなれば、自分が踏ん張れる事が無いからなのか、ある程度の余裕を持って行った。

 これが通常種であれば、こんなに際どい回避を選択はしない。変異種独特の攻撃を見極めると同時に、出来るだけ手数を少なくダメージを与える事を優先した結果だった。

 迫り来る重攻撃にアリサの六感は警鐘を鳴らす。

 全身からこみ上げる恐怖を強引に押し込む事により、その感情を無かった事にしていた。

 

 恐怖心は平常心を殺す。平常心を失う事によって起こる結果は今更だった。

 単独ではなく自分が最も信用出来るゴッドイーターが今は傍に居る。その重いを強く持つ事で、これまでに培ってきた戦闘経験が恐怖心を本能を封じ込めていた。

 

 アリサからの言葉にエイジもまたディアウス・ピターの様子を伺っていた。

 これまでに通常種に関してはかなりの数を屠ってきたが、変異種となれば話は別だった。

 蘇るのは無明が取った行動。あの時の光景は未だ脳裏に強烈に焼き付いていた。

 刃を模した翼は明らかに攻撃の範囲が広く、また速度が速い。

 本来であればタワーシールドを所持している者は確実に防ぐ事が前提だった。しかし、通常のシールドやバックラーとなれば話は別。護る事が出来るのは、少なくとも最低でも1度。上手く捌く事が出来たとしても、精々が3回程度でしか無かった。

 

 一番の理由は可変機構の不調。変形させる為の可変機構が動かなくなれば、事実上の丸腰でしかなかった。

 只でさえ厳しい戦いの最中に丸腰になる可能性は死を招く。極東支部の中で交戦した経験を持つからこそ、アリサにも警告を促していた。

 それと同時に、このディアウスピターを2人で討伐する事がどれ程厳しいのかも理解していた。

 当時の様に無明が居る訳でも無ければ、リンドウの様に圧力を跳ね返せる人間が居る訳でも無い。今の2人にとって出来る事は、出来る限り回避しながらも一方的に攻撃を仕掛ける事だった。

 だからこそ、アリサがギリギリで回避する隙をエイジが見逃す訳には行かない。出来る限りの致命傷を与える為に、その見極めを優先的に行っていた。

 

 

「今です!」

 

 三本の爪はアリサのバックラーに衝撃を与える事無く、そのまま空を切っていた。

 ディアウス・ピターはヴァジュラの様に雷を纏う様な攻撃は無い。遠距離としての攻撃はあるが、それ以外にはそれ程特殊な物は無かった。

 だからと言って弱いはずが無い。ヴァジュラの種の中でも最上級のアラガミはその力も攻撃の威力も全てが桁違いだった。

 攻撃の間合いを見切ったまでは良かったが、当初の予想通りアリサの体勢は完全い崩れていた。

 武道で言えば死に体の状態。ディアウス・ピターもまたそれを狙っていたからなのか、完全のその双眸はアリサだけを映していた。

 

 

(ここだ!)

 

 アリサの言葉と同時にエイジはそのまま神機を銃形態へと変形さえていた。

 元々アリサが作った隙を逃す必要は何処にも無い。アリサがどう考えているのかを一番理解しているからこそエイジに迷いは無かった。

 引鉄を引く事によって3発の銃弾の全てがディアウス・ピターの顔面と向かう。元よりこうの銃撃で仕留める事が出来るとは考えていない。

 

 エイジの狙いは回避した隙にそのまま時間を僅かに稼ぐ行為でしかなかった。

 威力ではなく連続性を高めた銃弾。時間にして数秒にも満たない時間ではあったが、完全にエイジの目論見通りとなっていた。

 撃った瞬間に着弾を確認せずに、そのまま変形を行使する。既にエイジの手にあるのは先程までのアサルト銃形態ではなく、漆黒の刃を纏った剣形態だった。

 近接戦闘に置いての秒数の隙は致命的でしかない。エイジが狙ったのはどちらかの眼球だった。

 疾駆しながらも、その視線がディアウスピターから外れる事は一度たりともあり得ない。アリサの影から飛び出す様に出来てきたのは刃を向けたエイジの体躯だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサはどう?」

 

「私は大丈夫です。それよりもエイジの方が…………」

 

 エイジがアリサを心配するよりも、アリサがエイジを心配する方がある意味では適切だった。

 奇襲とも取れる攻撃によってエイジの神機『黒揚羽』の刃は、そのままディアウス・ピターの片目へと突き刺さっていた。

 仮にそこから何かをしたとしても、距離感が狂えばその限りではない。正しく変異種のやるであろう攻撃を事前に潰すやり方だった。

 慣れない状況から距離感を修正するには、それなりに時間が必要となる。この隙を活かす事によって一気に決めるつもりだった。

 

 実戦は必ずしも自分の予測通りには進まない。エイジが突き刺した瞬間、ディアウス・ピターは一気に爆発するかの様にオラクルが吹き荒れだしていた。

 赤黒いオーラが周囲にまで影響を及ぼす。それはゴッドイーターであっても同じだった。

 深く突き刺さった事によって神機を抜く事に時間がかかっていた。その時間約2秒。本来であればその程度の時間は幾らでも挽回が可能な物。その可能性も鑑みた結果だった。

 

 オラクルの奔流はある意味ではゴッドイーターにとっては毒になっていた。

 暴走するオラクル細胞を制御する為には、それなりに集中して抑えるだけでなく、最悪は何らかの措置を取る必要もあった。

 以前に榊と紫藤の両博士による研究発表された内容。その内容は極東以外の支部に大きな波紋をもたらしていた。

 『感応種』と同じ様にオラクル細胞に何らかの要因で働きかける効果がある為に、常にその可能性を想定すべき。それが最近の研究内容だった。

 当然ながら、その可能性を発揮する個体は現時点ではディアウス・ピターの変異種だけ。その内容をアリサもまた知っているからこそエイジを心配していた。

 

 

「…………大丈夫。と言いたい所だけど、少しだけ動くのが厳しいかもしれない」

 

「だったら………」

 

「それはダメ。無謀な戦いは今は危険過ぎる」

 

 エイジの言葉にアリサは少しだけ拗ねた様な表情を見せていた。

 これまでにエイジが無茶をし、アリサが涙した事はこれまでに幾度となくあった。勿論、無茶をすればどうなるのかを理解している為に、今は自分しか居ないと言う現状を鑑みた結果だった。

 純粋な実力だけを見ればエイジよりもアリサの方が劣るのは理解している。しかし、今の状況を考えれば残された選択肢が少ないのも当然だった。

 オラクルの変調はゴッドイーターの肉体だけでなく神機にも影響を及ぼす。実際にエイジの体調はかなり回復している。

 しかし、肝心の神機はまだ時間がかかるのは明白だった。

 

 オラクルが乱れた状態で神機を使用するのは暴走しているのと変わりない。当然、それは持ち主にも影響を与える事をエイジ自身がだれよりも理解していた。

 只でさえ、黒揚羽はピーキーな出力を誇り、メンテナンスもまた面倒な部類に入る。

 これまでに万全に体制でやってこれたのは、ナオヤやリッカが事実上付きっきりになるからだった。通常の状態でそれならば、現状のままであればどうなるのかが予測出来ない。今はスタングレネードを使用した事によって時間を稼いでいるが、戦場はここだけでは無い。

 当然ながらこの近くにはリンドウとソーマがハンニバルと交戦している。

 厳しい最中に新たなアラガミが乱入となれば、その結果がどうなるのかは考えるまでもなかった。自分の命と仲間の命。天秤にかけるにはどちらも重い物だった。

 

 

「…………ですが」

 

「分かってる。このまま隠れているのが一番かもしれない。でも、自分の事だけじゃなく、仲間の事も考える必要はあるんだ」

 

 エイジはアリサに言い聞かせながらも自身の神機を見ていた。コアの部分だけでなく、周囲に散っている小さな欠片。それが偶然にも今の神機の状態を表していた。

 

 

 

 

 

《で、実際にはどうなってるんだ?》

 

「周辺にある物を確認したけど、大よそ四割回復って所かな」

 

《そうか………確か、今交戦してるのは変異種だったよな》

 

「ああ。ちょっとしくじったのが痛かった」

 

 神機を自分達の手足の様に使っているゴッドイーターと言えども、整備班の協力無しではどうにも出来なかった。

 実際に補修が出来ない神機はやがて崩壊する、それは既に神機ではなく人工的に作られたアラガミと同じ物。だからこそ、エイジもまた隠れてから真っ先に確認をしていた。

 自分の能力による無茶はするが、流石に神機に関してまでは出来ない。

 アリサを引き止めた以上はそれなりに対案が必要だった。時間こそ、それ程経っていないが、それでも今の状況下では長く感じていた。

 

 

《それは仕方ない。だが、その程度だとかなり制限する必要はあるな。ここからだと詳しい事は分からないが、可能性として言う》

 

 幾ら神機を優先するとは言え、それはあくまでに使う人間があっての事。ましてやクレイドルは極東支部に於いての最強の部隊。エイジ達は謙遜するが、事実として異論を挟む人間は誰も居なかった。

 だからこそ、通信先のナオヤもまた苦渋に満ちた声を発している。このままで良いなどと言う人間は誰一人として居なかった。

 

 

《銃形態への変形はするな。負担が大きすぎる。それと刀身に関してだが、出来れば三合程度。最悪でもその倍までにとどめておいてくれ。オラクルの暴走は何がキッカケで起こるのは分からない。様子を見るにも、こちらには情報が足りなさすぎる》

 

「………分かった。出来る限りそうする」

 

《出来る限りじゃダメだ。絶対にそうしろ。アリサ。聞いてると思うが、エイジには無理はさせるな》

 

 ナオヤの言葉にエイジが苦虫を潰した様な表情を浮かべ、アリサもまた同じ様な笑顔を浮かべていた。

 実際に整備班がそう言っている以上、無理な動きは完全に出来ない。それを胸に刻む事によって、今後の作戦を綿密に立てる必要があった。

 

 

 

 

 

「基本的にはシンプルに行こう。神機の制限がされてる今、アリサが全てになる。僕の所に意識を集注させるから、その隙を狙って欲しい」

 

「でも、それだとエイジにかかる負担が大きすぎます」

 

「それは仕方ないよ。実際に神機に制限がかかっている以上、アリサを主戦力に添えないと、最悪は共倒れになる」

 

 エイジが出した提案はエイジが囮に近い行動をする事だった。

 変異種の最大の特徴は圧倒的な重攻撃も然る事ながら、攻撃範囲の広さが問題だった。

 最悪でも3人居ればそれなりに距離を保ちながら攻撃する事が可能となっている。それは安全面だけでなく、間断なき攻撃をする時も同じ事。

 下手に近い距離に居れば、刃の羽の餌食だった。

 対策としては距離を保ちながら相対するしかない。そうなれば必然的にターゲットを間に挟むよりなかった。どちらか一方に意識させながら確実にダメージを与えていく。今の状況下ではこれが精一杯だった。

 

 

 



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第131話 懐かしき思い (後篇)

 自分の優位は揺るがないと判断したからなのか、ディアウス・ピターは二人から逃げる選択肢は無かった。

 実際に詳しい事は分からないが、先程までの自分の命を脅かすはずのそれが鳴りを潜めているのは何となく理解していた。

 

 見た目は小さいが、これまでに数多くの物を捕喰した側からすれば、この(つがい)のゴッドイーターは極上の餌の様に見えていた。これを捕喰すれば、更なる進化と遂げる事が出来る。獣とは言うものの、最低限の思考能力から出た判断だった。

 万が一の可能性もある。だからこそディアウス・ピターは二人から視線を外さず、周囲の状況だけを確認していた。

 自分の命を脅かす存在だった物は既にこの場にはいない。自分の片目は潰されはしたが、これならば目の前の2つを捕喰し、他の個体も適当に捕喰すれば何とかなる。ましてや先程まで戦った種が居ないのであれば、命の保全は為されているのと同じ。それをはっきりと理解したからなのか、自慢の巨躯を見せつけるかの様にゆっくりと歩を進める。

 既に意識は半ばこの二人だけに向いていた。

 

 

 

 

 

「アリサ。分かってるとは思うけど、落ち着いて狙ってくれ。基本的には視界の死角の部分から動く事になるから」

 

「分かりました。ですが……無理はしないで下さい」

 

「ああ。分かってる」

 

 まるで猫が弱った鼠を甚振るかの様にその巨躯はゆっくりと近づいていた。

 事実、先程とは違い両肩からは刃の羽がまるで死神の鎌の様にその存在感を示している。初見であればどんな攻撃になるのかが分からないが、生憎と交戦経験がある以上は脅威ではあるが、警戒しすぎる事は無かった。

 基本的な動きはこれまでと同じ。違うのはその羽の攻撃範囲だけ。当然、ディアウスピター自身に変化は見当たらない。だからこそ、これまで培ってきた戦闘経験を活かし、自分が囮となる事を選んでいた。

 本当の事を言えば強引に突っ込んでも問題はないかも知れない。しかし、その根底にあるはずの神機が不調をきたしている今、アリサの攻撃力に頼るしかなかった。

 

 自分が囮になるとは言え、何もしなければ意識はアリサへと向く可能性が高い。だからこそ、そうだと思わせないように動くより無かった。

 アリサの声には心配している感情がありありと混ざっている。それを理解しているからこそ、エイジもまた何時もと同じ様に返事を返していた。

 お互いの距離がゆっくりと縮まる。まだ間合の外だからこそ、その動きは慎重になっていた。

 只でさえ油断出来ない相手であり、その上位とも取れる変異種。自分の攻撃がブラフであることを悟られない様にエイジは漆黒の刃を改めて構え直していた。

 

 

「交戦する」

 

 一言だけ出た言葉と同時に、エイジだけでなくディアウス・ピターもまたタイミングを計ったかの様に疾駆していた。

 巨躯からなる振動の間隔は極めて短い。それはディアウス・ピターが疾走しながら様子を伺っている証拠。

 走る事によって狭まる視界を活かすかの様にエイジはギリギリのタイミングを見計らっていた。

 

 襲い掛かる三条の爪。少なくとも、どんな攻撃をするのかを警戒しているのであれば、確実に反応出来ない速度。何も知らないゴッドイーターであれば悲鳴が上がる程のそれだった。

 

 

「アリサ!」

 

「はい!」

 

 ディアウス・ピターの爪が届こうかと思われた瞬間、そこにあったはずのエイジの体躯は無くなっていた。

 ギリギリの間合いを見切った事により、素早くその場から移動する。疾駆していたディアウスピターの眼から見ても、エイジの体躯がまるで消えたかの様に感じる程だった。

 そこにあったはずの獲物が居ない。ディアウスピターは二人からは少なくともそう感じた瞬間だった。

 

 待ち構えていたのは獲物ではなく、自分を攻撃する為の手段。そこにはアリサが放ったバレットそのものがそこにあった。

 事実上の零距離。回避する事無くその銃弾はディアウス・ピターの醜悪な顔面に着弾していた。

 一度着弾した事によって大きく怯む。ここで態勢を整えるのが従来のやり方だったが、それはあくまでも十分な戦力が揃っているのが前提の話。今は確実に火力が不足している以上は僅かな隙であれも出来るだけ攻撃を叩き込むのが先決だった。

 次々と届く銃弾。着弾した端から小爆発を起こす事によって開幕はエイジ達が先制していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《リンドウさん。エイジさん達が交戦を開始しています。できるだけハンニバルの討伐を早くする事は可能ですか?》

 

「どう言う事だ?」

 

 突然の通信にリンドウは少しだけ訝しげにしていた。オペレーターの中での新人ではなくベテランのヒバリあれば、今の戦況がどうなっているのかは理解しているはず。ましてや相手がハンニバルであればそれは尚更だった。

 リンドウとソーマの戦力を加味した上でのその言葉。リンドウもまた、交戦しながらもその意味を確認するよりなかった。

 

 

《エイジさん達が交戦しているのはどうやらディアウス・ピターの変異種の可能性が高いです。現時点は肉体的な損傷はありませんが、エイジさんの神機が大幅に使えない状態になっています。厳しい事は重々承知していますが………》

 

「……そうか。直ぐにでも言いたい所なんだが、生憎とこっちも厳しいんでな。出来る限りの事はするが、期待はしないでくれ」

 

《いえ。無理を言う様ですみません》

 

 今のリンドウには、そう言うのが精一杯だった。実際に話をするだけのゆとりはあるが、だからと言ってもう片方の戦場を意識しながら戦える程の相手ではない。

 既にこちらもまた戦況はこちらへと傾いてはいるが、時間にゆとりを作るだけは無かった。

 目の前のハンニバルは既に逆鱗を破壊された事によって炎を背にしている。

 新人や中堅ならばすぐにでもと考えるが、あっちはエイジとアリサ。ならば多少の時間がかかっても何とかなるだろうと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アリサ、大丈夫か」

 

「何とか大丈夫です」

 

 戦闘開始直後はこちらの策が見事に嵌まったものの、その後は思ったよりも苦戦していた。

 一番の要因はアリサ自身がこの変異種の範囲攻撃の距離を掴み切れていない点。これが小型種程度であれば最悪は攻撃を受けてもフォロー出来るが、このクラスともとなれば、些細な攻撃一つとっても慎重になる必要があった。

 

 下手な防御をすればこちらの盾など気にする必要も無い。その為に回避行動にはどうしても隙が生まれていた。

 エイジが幾ら攻撃をする素振りを見せた所で、肝心のそれがこちらに害が無いと判断すれば、あとは実に単純な話。エイジの動きを完全に無視してアリサだけに的を絞るだけの話だった。

 幾らそぶりを見せようが、実体が伴わない牽制は既に牽制ですらなくなっている。

 その結果、アリサだけが執拗に狙われていた。

 純白だったクレイドルの制服は既に泥に塗れ、元の色すらも分からなくなっている。

 そこには幾つかの擦り傷もあった。

 

 巨躯を活かした攻撃だけならまだしも、問題なのは、遠距離でもあった雷球が全てアリサへと向いている。ゆっくりではあるが、二人は追い込まれつつあった。

 このままの状態が続けば、待ってるのは捕喰される可能性。だからと言って起死回生の手段がある訳でも無かった。

 

 

「一回だけ攻撃をする。後の事はそれからにしよう」

 

「ですが……」

 

「今はそれしかない」

 

 エイジの言葉にアリサもまた、強く反論する事は出来なかった。実際にジリ貧になっているのは間違い無く、既にアリサだけでなくエイジもまたボロボロの状態になっていた。

 最前線に躍り出て、回避だけを繰り返す。ある意味では相応の技量が求められる事。

 このままだとどうなるのかを考えれば、ある意味仕方の無い事だった。

 ここで致命的な攻撃を一度でも仕掛ければ、再度疑念を持つかもしれない。再度意識を固定させる為の手段だった。

 口にしたからなのか、エイじは改めて自分の神機に目をやる。

 無茶を承知の上での行動だった。距離を取りながらもその様子を伺う。その瞬間だった。

 

 

「お前達、無理はするな」

 

 漆黒の旋風がエイジの前に躍り出た瞬間、即座にディアウス・ピターへと向いていた。

 エイジと同じ漆黒の刃。極東支部に於いて、漆黒の刃を持ったエイジ以外にはただ一人だけ。

 潰された片目が死角になっている事を理解したからなのか、ディアウス・ピターは自身の体躯を護るかの様に羽を振り回していた。

 嵐に立ち向かうかの様に疾駆するのはこの場に居ないはずの無明。襲いかかる刃を全て回避しながらも止まることなく一気に距離と詰めていた。

 

 

「─────────!!!」

 

 周囲一帯にディアウスピターの悲鳴が響いていた。

 まだ覚醒する前にエイジが傷つけた目とは反対の目に漆黒の刃が深々と突き刺さる。視界を完全に失ったからなのか、ディアウス・ピターは悶絶するかの様に暴れまわっていた。

 

 

「2人共、一気に決めるんだ!」

 

 無明の言葉にエイジだけでなくアリサもまた神機を剣形態へと変形させる。

 暴れまわるディアウス・ピターは危険ではあるが、脅威は感じられない。だからこそ、そのまま止めを刺すべく行動していた。

 両方の前足が捉える意識も無く、ただ振り回している。今の状態の攻撃を受けるほど、エイジとアリサは愚かではなかった。

 事前に聞かされた精々が一合程度。その一合を振るうのが今である事を理解しているからなのか、エイジは全身の力をこの手に集中させていた。

 狙うは両目が潰された顔面。これまでの鬱憤を晴らすかの様にその斬撃は斜めに叩きつけられていた。

 衝撃をまともに受けた事によって態勢が完全に崩れている。そこに待っていたのは追撃する為に同じく疾駆していたアリサの姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございます。お蔭で助かりました」

 

「気にするな。ここに来たのは偶然だ。それに、時間をかければ他の人間が間に合ったはずだ」

 

「ですが、結果的には同じなので」

 

 横たわった巨躯は既に朽ち始めたのか、その姿がおぼろげになりつつあった。

 最終的に引き抜いたコアは変異種特有の物。考えるまでもなくレアな物だった。

                                                                       戦闘が終了したからなのか、アリサもまた乱れた呼吸を元に戻している。漸く厳しい戦いが終わった証左だった。

 

 

「ですが、僕等だけでは厳しかったのも事実なので」

 

「そうか。エイジ、お前の神機は早々に整備してもらうと良い。ナオヤが何と言ったのかは分からんが、実際にはこれ以上の戦闘は危険だ。直ぐに帰投の準備をするんだ」

 

「ですが、サテライト候補地のここをそのまま放置する訳には………」

 

「その気持ちは大事だが、それとお前自身を天秤にかけるな。ダメなら再度新たな候補地を見つけるだけだ」

 

 無明の言葉にエイジもまた薄々とは感じていたが、それ以上は何も言えなかった。

 詳しい事はアナグラに戻らない限り分からないが、少なくとも今の状態で神機を振るうのがどれ程危険なのかは理解している。実際にはここにアラガミが出没したとしても、神機の事を考えれば振るう事を躊躇う程。止めの一撃を加えた瞬間の手応えは少なくともこれまでに感じた事が無い物だった。 

 完全に破損すればゴッドイーターを続ける事は出来ない。何よりも無明の言葉だからこそ従うしかなかった。

 

 

 

 

 

「お前ら大丈夫………みたいだな」

 

「遅かったなリンドウ」

 

「何だ、お前が居たのか。焦って損したぞ」

 

「俺がここに居たのは偶然だ。それとそっちの方は良かったのか?」

 

 背後からは僅かに焦りを持ったリンドウの声が聞こえていた。実際の状況がどうなっているのかは通信越しで分かっている。無明がここに居た事を知らないのであれば、その状況は当然だった。

 無明の姿を見た事によって大きく息を吐く。エイジ達の厳しい戦いがどうなったのかを理解したからなのか、表情は何時もと同じ様になっていた。

 

 

「ああ。何とかって所だ。元々それとこっちのハンニバルがお互い争っていたんだ。多少なりともやり様はあったな。で、そっちは………」

 

「見ての通りだ」

 

 無明の言葉にリンドウは、まだ霧散していない骸へと視線を動かしていた。

 背中からは刃の羽が生えている。ディアウス・ピター変異種。それが何を意味するのかは言うまでもなかった。

 

 

「変異種か。何でこんな所に?」

 

「さぁな。だが、お前の話から考えれば捕喰した事による進化なのかもしれんな。実際には変異種に関してはまだ不可解な部分も多い。今回のこれもまた出来るだけの情報を早急に持ち帰る必要があるだろうな」

 

 以前に対峙した際には螺旋の樹と言う特殊な場所であった為に、何かと調査する事は困難だった。

 事実、螺旋の樹は既に崩壊し、聖域となっている。周辺の状況を確認しようにもその術は何も無いまま。しかし、この地に関してはフィールドワークに範囲に収まる。リンドウにはそれ程大きな影響は出ないが、ソーマにとっては重要な調査地点だった。

 

 

「無明。コアはどうした?」

 

「問題無く回収してある。それと一部の部位は残ったんだ。これを解析に回すだけでも前には進むだろう」

 

「そうだな。アラガミにとっては朗報ではあるが、俺達からすれば凶報でしかないからな」

 

「この件に関してはお前に任せる。キュウビの件は大よそメドがついたと聞いている。それに、こっちはこっちでやる事がまだあるんでな」

 

「良いのか?」

 

「当然だ。後進を育てるのも我々の仕事だ。今は良いが、次代はお前が主導する事になるんだからな」

 

 会話をしながらもソーマの目は常にディアウス・ピターへと向けられていた。

 余程大物だったのか、コアを抜いた今もまだその姿はまだ残っている。幾ら現場に出る事があるとは言え、これ程のアラガミと遭遇するのは稀だった。

 だからこそ完全に霧散するまでに取れるデータは全て取る。解析をする為には出来るだけ多くのデータと素材は必要不可欠だからだ。

 時間が来たからなのか、その姿は大地に溶けるかの様に霧散していく。先程までの厳しい戦いは最初から無かったかの様に静かに消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「少し歩いた先にそれなりの水源があった。そこで少し綺麗にしてきたらどうだ?」

 

「ですが、私も準備をしないと……」

 

「ここは俺がやっておく。それと、エイジ。お前もだ。アラガミは出てこないとは思うが、それ以外に何が出るか分からん。護衛として行ってこい」

 

「そうします」

 

 無明の言葉にアリサも頷くしかなかった。本当の事を言えば、言われる前にそうしたい気持ちの方が勝っていた。

 エイジにとっては二戦目だが、アリサにとっては初戦。事前に行動パターンを知っていたとしても、いざ実戦となった際には苦労の連続だった。

 確かにディアウス・ピターに変わりはないが、翼が生えてからは心もち体感速度が上昇した様にも感じていた。

 それは種特有の物なのか、それとも強制進化した結果なのかは分からない。当然ながらその認識のズレは戦いを厳しい物へと変えていた。

 

 だからと言ってアリサを責め立てる訳にも行かなかった。

 実際にアリサの攻撃があって初めて戦いが成立している。結果的に無明が間に合ったとは言え、それを維持した事実に変わりはなかった。

 泥や汗で全身が重く感じる。ある種の重圧から解放された結果なのかしれない。今回のメンバーは事実上の身内ばかりとは言え、アリサにも女の矜持がそこにあった。

 だからこそ無明の言葉にアリサは万が一の事を考え用意している着替えを持って行動する。お湯は無いが、それでも最低限身綺麗に出来るのであればと考えていた。

 

 

「すみませんが、少しだけ離れます」

 

「慌てなくてもいいぞ」

 

 元々帰投する予定が無かった為に、リンドウ達は用意してあった物資で少しだけ休憩する事になっていた。

 本来はサテライト候補地にある物を利用する前提だった為に、ここに有るのは簡素な物だけ。このまま日没を迎える事が濃厚になれば恐らくは車での移動は困難を極めるのは当然だった。

 普段であれば専用の車だが、今日は移動に重点と置いている為に何時ものジープ。

 火を起こすと同時に、ジープに乗っていた簡素な食事の準備を始めていた。

 

 

 

 

 

 

「何だかこうやって野営するのは久しぶりだな」

 

「そうだな。少なくともここ最近は無かったな」

 

 小さいながら点いた火はゆっくりと周囲を照らしていた。アラガミの気配は無いが、獣が出る可能性がある。今日の時点では可能性は低いが少なくとも、この周辺は普段の場所に比べれば緑が濃くなっていた。

 これだけの自然があれば生物は住みやすいはず。無明がエイジに指示したのはその可能性を考えた結果だった。

 幾らゴッドイーターと言えど、神機を持たないのであれば獣に対する対処方法は無に等しい。普段から苦無を持ち歩くエイジであれば、万が一があっても大丈夫だと判断していた。

 特段、この後は何かが出来るはずも無い。そう考えたからこそ、誰もが地面に腰を下ろしていた。

 

 

「いや。この面子だともっとじゃないか?」

 

「そうだな。最後にこうしたのは8年………いや9年ぶりか」

 

 揺らめく炎は珍しく当時の事を思い出させていた。まだエイジやアリサの様な第二世代型神機が開発されていない頃。少なくともまだ殉職率が高い頃に野営をした記憶があった。

 何かを動かすにも物資が全く足りていない。そんな当時の事を思い出させていた。

 

 

 

 

 

「用意ありがとうございました」

 

 アリサとエイジが戻ると、そこには既に野営の準備が完了していた。

 時間的にはまだ明るかった事もあってか、夕闇は濃くはなてっているが視界を遮る程では無かった。

 雨の心配が無ければそれ程気にする必要は何処にも無い。まだ髪に水分が残りはするが、それでも丁寧に時間をかけたからなのか、アリサの髪が輝きを取り戻していた。

 

 

「エイジはどうした?」

 

「折角だからって、少しだけ奥に行きました」

 

 アリサの言葉にリンドウは珍しくどこか思案気な表情を浮かべていた。先程の話の事が影響しているのかもしれない。しかし、今ここに来たばかりのアリサには疑問しか浮かばなかった。

 

 

「そう言えば、食事の準備はどうしますか?」

 

「ボチボチとやるか」

 

「いや。少しだけ待とう。何か持ってくるかもしれん」

 

 無明の言葉にリンドウも少しだけああと言った表情を浮かべていた。

 エイジが奥に行ったのであれば何らかの獲物を見つけた証拠。レーションなどの物資は元々用意はしてあるが、やはり味気ない物が多い為に、無明の待つと言う言葉に少しだけ期待を持っていた。

 ゆっくりと燃え上がる炎は、時折薪が弾けた音を立てている。エイジが現れたのは、それから数分後の事だった。

 

 

 

 

 

「そんな事があったんですか。でも、意外ですね。リンドウさんの新人の頃なんて想像出来ませんよ」

 

「誰だって新人の頃はあるんだよ。そう言えば、ソーマは最初から太々(ふてぶて)しかったよな」

 

「うるせえ。黙って食え」

 

 エイジが獲ってきたのは来たのは鹿だった。既に現地で解体した為に、戻ってきた際には既に肉は切り分けられブロック状になっている。以前にに同じ様な事があったからなのか、誰一人慌てる事無く何時もと同じ空気が流れていた。

 何時もであれば些細な言葉で終わるが、今日は無明が一緒に居る。だからなのか、リンドウはともかくソーマはどこか居心地が悪かった。

 何時もとは違う空気にアリサもまた物珍しくこれ幸いにと色々と話している。

 恐らくは、今後何かあった際にはネタとして使うつもりなのか、何時もとは違った時間の過ごし方に、誰もが穏やかな時間をすごしていた。

 

 

 



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第132話 出る杭

 常に雑多な感じがするアナグラのロビーは常に人の出入りが多いからなのか、静寂な空間をこれまでに作った事は片手で足りる程しかなかった。

 記憶がある中では、まだ終末捕喰に対する計画が発令され、人影が一気に消えた頃。そして螺旋の樹の崩壊直前位しか無かった。

 ここはゴッドイーターだけでなく、一般の人々も訪れる為に、余程の事が無ければあり得ない。事実、ここに一番長く居るであろうヒバリもまた、この光景は実に珍しいとさえ考えていた。

 何故なら、何時もであればあり得ないと言える程に珍しい光景を見た。その言葉が一番しっくりと思われたからだった。

 

 

「あの、今日はどうかしたんですか?」

 

「私にもさっぱり。何となくであれば予想は出来ますけど」

 

 違和感しか無いロビーの静寂を破ったのはミッションから帰投したシエル。

 記憶が正しければ特段重要なミッションも無ければ、問題も発生していないはず。厳密に言えば静寂と言うよりも、怖いと言った表情を浮かべた男の姿が多い様にも見えていた。

 

 

「予想………ですか」

 

「ブラッドの皆さんにはあまり関係が無い話ですが、元々今日から少しだけ予定があったんですよ。で、時間的にはこれからだったので、恐らくはそうなんだろうと。ただ、ちょっとだけ状況的には厳しいかもしれませんね」

 

「はあ…………」

 

 ヒバリの何とも言いようが無い言葉に、シエルもまた何となく気の抜けた返事しか出来なかった。

 ブラッドに関係が無いのであれば当然、シエル達に情報は降りてこない。これがミッションに繋がる何かであれば情報は常に公開されている事を知っているからこそ、何か奥歯に挟まった言い方をしたヒバリにどうした物かと考えていた。

 

 

「私はまだ仕事中なので、あくまでも予想です。ですが、ラウンジに行けば何となく分かるかと思いますよ」

 

「なるほど。でしたら一度見てみます」

 

 お互いが話をしながらもヒバリの手は止まる事無く動き、目も画面から離れる事は無かった。

 人の機微には疎いとは言え、これ程の状況を作り出すのであれば何らかの理由があるはず。最近になってシエルもまた少しづつ、かなり緩やかにではあったがここの環境に毒されていた。

 シエル自身は気が付いていないが、レアが見れば驚くのかもしれない。報告と報酬の授受が終わったからなのか、少しだけラウンジに足を運ぼうと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから何度同じ事を言えば分かるんだ。その件に関してはそっちの話であって、こっちには関係ないはずだ!実証?既にレポートは送ってる。どうしてそんな単純な事が分からないんだ。本当に貴様は研究者なのか!」

 

「………当然だ。その為の計画書だろうが!」

 

 ラウンジの中は混沌としていた。普段であれば穏やか空間が作られるはずの場所。にも拘わらず、今はその空間はひんやりとしている様だった。

 その原因はソーマの怒声。まるで戦場だと言わんばかりに響く声に、誰もが僅かに恐怖を感じていたからだった。

 シエルが周囲を見渡せば誰もが恐れているからなのか、カウンター席の近くに寄りつこうとしない。

 普段であれば誰が扉を開けてもそれ程気にしないが、今回に限ってだけは誰もがその先に助けを求めるかの様にシエルに視線が集中していた。

 

 

「あの………どうかしたんですか?」

 

「詳しい事は俺も知らん。だが、さっきあった連絡で問題があったらしい」

 

 シエル自身に視線が集中した事に、珍しく内心では怯んでいた。それもそのはず。人の視線はそれそものにはそれ程問題は無いが、何らかの都合で一斉に視線が向けば、まるで質量を持ったかの様に感じる。

 幾度となく戦ってきたアラガミならばともかく、まさかアナグラのラウンジでこんな視線を浴びるとは思ってもみなかった。

 未だ完全にコミュニケーションが取れないシエルからすれば、まさに無言の暴力に等しい物。助けを求めるかの様に視界に入ったギルに話しかけたのは、ある意味では当然の事だった。

 

 

「連絡ですか?」

 

「俺も知らないんだ。ただ、さっきまで普通にしていたんだが、連絡が入ってからああなっている」

 

 シエルの問に、ギルもまた自分の知り得る範囲の中で答えるしか無かった。

 少なくともブラッドが持つソーマのイメージは、常に冷静でどこか寡黙な物。しかし、今目の前で怒声を飛ばしているのもまた同じ人物だった。

 改めて周囲を見れば、今居るのはクレイドルやブラッドとは縁遠い人間が殆ど。だからなのか、ソーマの今の姿に驚きと同時に恐怖を感じていた。

 歴戦の猛者が飛ばす怒気は尋常ではない。この状況を戦場で例えるなら、神融種や変異種と交戦しているクラス。耐性が無ければ卒倒するかと思える程だった。

 

 

「因みに、ツバキ教官は?」

 

「今日は見ていない。予定があったんじゃないか」

 

「だとすれば、このまま放置しておくのは些か拙いのでは?」

 

「それはそうだが…………シエルなら行けるか?」

 

「………無理ですね。私では止める事は不可能です。今のソーマ博士に何を言えば良いのかすら思い浮かびません」

 

「そうだな。あれだけ普段は冷静になれる人がああにまでなるんだ。俺も絶対に無理だ」

 

 周囲には聞こえない程の声量だったのか、二人の会話を盗み聞きする様な人間は居なかった。

 実際に何が原因なのかすら分からない。仮に自分が知っているメンバーの中で検索したが、この状況を収める事が出来る人間は不在だった。

 仮に出来る前提で考えれば、残念な事に該当人物は誰もが不在となっていた。第一部隊は未だミッションだからなのか、まだコウタやマルグリットを見ていない。そしてクレイドルもまだ不在だった。

 珍しくリンドウはサクヤと同じ予定だったからなのかここにはおらず、頼みの綱のエイジもまたアリサと外に出ている。

 ベテランもまた頼りにならない今、この嵐の様な時間が速やかに過ぎてほしいと考えていた。

 本来であれば直ぐにでもここから出ればいいのかもしれない。しかし、威圧に近い空気がそれを許さなかった。

 未だ死線を超える事が出来ない新人は身動き一つ取れない。この空気を何とかしてほしいと願う視線はこちらに向けれているが、だからと言ってギルとシエルもまた何も出来なかった。

 

 

 

 

 

「馬鹿が。此方に責任を押し付けるな」

 

 普段であればソーマとてこれ程までに怒りを覚える事は無かった。

 以前にも聞いていた論文の盗用。ソーマ自身も最初の頃はどこか他人事の様に無明や榊の言葉を聞き流していたが、まさかそれが自分に降りかかるとは思わなかった。

 

 元々今回の件に関してはその大元となるアラガミは極東支部エリアにしか出没していない。絶対は無いが、それでもフェンリル全体のデータを照らし合わせれば、それは当然だった。

 なぜなら今回の論文のテーマが変異種等におけるアラガミの進化に関する考察。

 当然ながらそこから発生するでろう可能性と、今後の神機に関する有用性も含まれている。

 そうなれば、ある程度の実践データが必要となる為に、他の地域では事実上不可能に近い物だった。当然ながら出す前に何度も確認をしている。本来であれば明日にもここを出発する予定だった。

 

 しかし、前日になった突如の似た様な内容での論文提出。これが普通に考えれば後に出している人間に盗用を疑うが、生憎とまだ駆け出しだからとソーマが疑われていた。

 寝耳に水の情報に激怒するのはある意味では当然の事。幾ら冷静になれと言われても平然となれるはずが無かった。

 端末の向こうの担当者もソーマの怒りが伝わっているからなのか、どこか声が震えている。そもそも現場を良く知る人間ではなく、机の上だけの理論で出された人間を法を優先するのであれば、何らかの介入があると考えるのは当然だった。

 ソーマ自身、態々発表する必要は無いと最初は考えていた。しかし、内容が内容なだけにこの内容に信憑性が出れば、最前線で動くゴッドイーターにも警鐘を促す事も出来る。そんな意思の表れを踏みにじられれば、今の現状になるのは当然だった。

 通信が切れたとは言え、その感情が直ぐに収まる事は無い。周囲が見えなかったからなのか、ここで漸く落ち着く事が可能となっていた。

 

 

「当然だ。今回の件はキャンセルする」

 

 それ以上の議論は無駄だと悟ったからなのか、それ以上の会話をソーマ自身するつもりが無かった。

 何も無かったかの様に通信端末の電源を落とす。気が付けば周囲の空気は完全に呑まれた様になっていた。

 

 

「ムツミ。怖がらせたみたいだな。すまん」

 

「い、いえ。私は……大丈夫………です」

 

 少しだけ冷静になったからなのか、ソーマは改めて周囲を見渡していた。

 人の数はそれ程ではないが、誰もが顔色が悪い。自分でも少しばかり熱くなった記憶はあるが、それ程だとは思っていなかった。

 少しだけバツが悪いと考えたからなのか、珍しく頭をガリガリと掻く。この空気が誰のせいかと言われれば、確実に自分であると判断出来る程だった。

 

 

「詫びって訳じゃないんだが、ここに居る連中の費用は俺に回してくれ」

 

「分かりました。そうします」

 

「すまんな」

 

 威圧する空気が解けはしたが、それでも尚、元に戻るには少々に時間を有していた。

 本能から来る恐怖は早々解けない。仮にここにツバキが居れば確実に叱咤する場面ではあったが、生憎とツバキはこの場には居ない。今出来る事は、お茶を濁すより無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「少しは丸くなったかと思ったんですけど、何も変わってませんね。もう少し大人になったらどうなんですか?」

 

「誰だってあの状況だと怒るのは当然だ。元々多少の妨害が入る可能性はあったが、まさかあそこまで仕掛けるとは思わなかっただけだ」

 

 昼間の一件はクレイドルの耳にも届いていた。実際にソーマに限った話では無いが、エイジやリンドウもまた感情を露わにすれば同じ事が出来る。これまでにここの支部を支えてきた経験と生き残った実力は、ある意味では完全に突き抜けていたからだった。

 本来の性格からすれば早々なる事は無い。だからこそ、今回の話を聞いたアリサやコウタもまた苦笑いするよりなかった。

 事実、苦情は出ないが、噂は出る。その結果がアリサの第一声だった。

 

 

「でも妨害って、そんな事あるのか?俺達には分からない世界なんだけどさ」

 

「元々今回の件に関しては、アラガミ進化論における補完の意味合いが大きい。勿論、()()の論文を使う事は少しだけ業腹ではあったが、内容そのものが悪い訳では無い。一研究者として考えた場合に、論理的な内容は助かるんだ」

 

 ソーマの()()の言葉にアリサだけでなく、コウタもまたそれ以上は何も言わなかった。

 あれは今では機密に当たる事件の首謀者が世間に出した内容。その可能性と実証性はフェンリルにとっても大きな波紋を立てる程だった。

 その理論を利用した結果はアリサやコウタもまだ記憶には新しい。だからなのか、何故ソーマがそれ程までに感情を露わにするのかを分かっていた。

 

 

「でもさ、研究者の世界って難しいよな。自分が憎いと思った相手でも尊重出来る物は重視するんだろ。それって大変なんじゃない?」

 

「コウタの言わんとする事は分かる。勿論、俺も最初はそう考えていた。だが、感情と理論は別物だ。お前の神機だって同じ事だろ」

 

「……まあ、そう言われればどうだけどさ」

 

 ソーマの言葉にコウタは言葉に詰まっていた。

 まだ配属された初期の頃、自分の扱う神機は元々はツバキが現役の際に使用していた物だと聞かされていた。

 当然ながら中古などと言った感情は無いが、前の持ち主から叱咤される度に何の感情も湧かなかった訳では無い。今では完全に消化された感情ではあるが、ソーマの的確な言葉に、コウタは何となく理解させられていた。

 

 

「それに論文は俺だけの問題ではない。人類に対する希望の光でもあるんだ。その程度の感情なら飲み込むだけだ」

 

 何時もであれば飲まないアルコールをソーマは口にしていた。

 元々明日からは本部に行く予定が入っていた為に、ぽっかりと穴が開いていた。

 何時もであれば他の仕事や研究を入れるのがこれまでではあったが、やはり一度ささくれた感情はそう簡単には落ち着かない。その結果としてソーマは屋敷に強引に逗留する事になっていた。

 

 

「コウタだって隊長なら分かるんじゃないですか?誰だってそんな時はありますから」

 

「そう言われればそうだけど………」

 

「結果的にどうなるのかは私には分かりませんが、万が一それが盗用されて、それが発表される事になっても問題があればそれまでの話ですよ」

 

「アリサは何でそんな事知ってるんだよ」

 

(たしな)みですよ。嗜み。コウタとは違いますから」

 

「へいへい。俺は何も知りませんよ」

 

 実際にアリサもまたクレイドルの内容に近い物に関しては幾つかの論文には目を通していた。

 実際に一般人をアラガミから護る為には何らかの力は確実に必要となる。それが何であれ、人類に対しての希望となるならばとの一心からだった。

 幸いにも難しい内容は聞けば教えてくれる人物が、ここには複数居る。だからこそアリサもまたソーマの心情を何となく理解していた。

 

 

「それよりも、ソーマの心を癒す仕事は私にはありませんから」

 

「それに関しては同意だな」

 

「みんな、ご飯できたよ」

 

 二人の会話が終わった事を見計らったかの様にシオの声が響いていた。

 お盆には簡単ではあるが、幾つかの料理が載せられている。元々荒れた気分を修正する為にソーマは事実上、弥生に放り込まれた形になっていた。

 コウタやアリサが来たのはそんなソーマを気遣う為。本当にその感情があるのかは分からないが、折角来たのだからと、そのまま食事までここに残る事になっていた。

 

 

「おお。待ってました。腹減ってたんだよね」

 

「あれ、マルグリットには言ってあるんですか?」

 

「今日は輪番。時間が合わないんだよ」

 

「そうですか。じゃあ、そう言っておきますよ」

 

「ちょっと待て。今度は何を言うつもりなんだよ」

 

「何でも良いじゃないですか。コウタだってそろそろ身を固める事を考えたらどうですか?」

 

「俺の事はどうでも良いんだよ」

 

「早くしないと冷めちゃうぞ」

 

「お前らも、そろそろいい加減にしろ」

 

 アリサとコウタの言葉にソーマもまた、ふと笑みが浮かんでいた。実際に何をどうした所で出来レースになるのは既に決定している。ソーマが怒ったのは、盗用疑惑よりも寧ろ適当な内容で公表される事だった。

 研究者としてここまで順調に来すぎているのは自覚している。だとすれば、そろそろこんな事もあるかとは予測していた。

 只でさえ、本部におけるシックザールの名前は良い物ではない。今回の件に関しては完全にその余波を受けた格好だった。

 気持ちを落ち着かせる為にここに来たのであれば、結果的には良かったのかもしれない。二人の様子を見ながらもそんな取り止めの無い事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、ソーマさんも怒ると迫力あるよな」

 

「そうですね。私も初めて見ました」

 

「やっぱり凄かったの?」

 

「はい。ラウンジの空気が震えてましたので」

 

 ブラッドもまた珍しく聖域のログハウスの中で今日の出来事を話していた。

 ここ最近になって新しい品種の野菜を植えるにあたって、ここに居る時間が徐々に多くなっていた。出動の際には直ぐに動ける態勢にはなっている為に、アナグラのシフトにもそれ程影響が出る事は無い。

 少しだけアナグラから離れていた為に、シエルとギルの話は誰もが興味津々だった。

 

 

「だが、苦労して築いた物が踏みにじられるのであれば当然だろう。俺だって同じ事をされれば同じ結果になったと思う」

 

「でもさ、詳しい事は分からないけど、どうして足を引っ張るのかな?」

 

「我々とは違い、研究者は一定の成果を上げて初めて評価されます。ゴッドイーターの様に討伐だけをして数字を出すのとは訳が違いますから」

 

「うん。私には絶対無理だね」

 

「大丈夫だって。誰もナナにその部分で期待はしてないからさ」

 

「ロミオ先輩それはちょっと酷いと思うよ。私だってこれまでに色々と貢献してきてるんだから」

 

 三人の会話に割り込む様にロミオが顔を出していた。ここでの食事の準備はジュリウスとロミオ、リヴィが担当している。遠目ではまだキッチンでリヴィが格闘している姿があった。

 実際にこの状態になるまでに、それなりに紆余曲折している。

 元々4人は野営で鍛えていたが、3人に関してはそれ程経験がある訳では無かった。

 今日のメニューに関しても、慣れない手つきで野菜の皮を剥いている。手を切らなかった事だけが唯一の収穫だった。

 ロミオは少しだけ手が空いたからここに来ただけに過ぎない。

 下拵えに時間がかかっているからなのか、食事にありつけるのはまだ先の話だった。

 

 

「ロミオ、自分の分だけが終わったから何をしても良い訳じゃないですよ。リヴィの作業を手伝ったらどうですか?」

 

「俺も最初はそう言ったんだけど、どうしてもって言うからさ………」

 

 シエルの指摘にロミオは視線を横に向けていた。

 手つきが怪しくなれば、その分出来上がりの時間は遅くなる。今はまだ時間がそれ程遅くは無いが、予定しているメニューからすれば、まだ始まったばかりと変わらない。

 だからと言って横から口を出すのは気が引けていた。だからこそ、ここに居る。そんなロミオの考えを察したからなのか、ギルとナナは沈黙していた。

 

 

 

 

 

「あのさ………」

 

「言わなくても言いたい事は分かってる。何事も最初から上手く出来るとは思っていない」

 

 ロミオの言葉を遮るかの様にリヴィは真っ先に言葉にしていた。

 苦労して作り上げたのは聖域の野菜を使ったコロッケ。しかし、ジャガイモの状態が良く無かったのか、それとも調理方法が不味かったのか、出されたどれもが破裂したり、粉々に近い状態になっていた。

 

 元々簡単な様に見えて、意外と作るのは難しい。元々のレシピを見たものの、その通りに出来たのかと言われれば言葉に詰まる。勿論、最初から上手く出来るはずも無く、誰もがそれ以上口にするつもりは無かった。

 そんな中、不意に先程の会話の一部分が蘇る。

 結果の為に苦労した物を簡単に貶すのは簡単な事。しかし、当事者は常に全力でその作業に当たっている。そう考えると、リヴィだけでなく、ジュリウスにも同じく何も言えなくなっていた。

 

 

「……だな。何事も最初から上手くは行かないからさ」

 

「そうだよ。誰だって最初は下手なんだから」

 

 形が崩れたとしても材料が同じである以上は毒物ではない。味さえ整っていれば悪い物ではない。

 そんな取り止めの無い事を考えながら誰もが食事を取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、本部は相変わらず出る杭は容赦なく叩くね」

 

「ですが、今回の件でソーマがある意味認められたとも考える事は出来ます」

 

「誰もが一度は通る道。これも経験だね」

 

 榊もまた、今回の顛末は本部経由で情報が届いていた。元々今回の論文は、本当の事を言えばかなり際どい部分が多分にあった。

 ガーランド・シックザールの存在を最初から無かった事にしたいとさえ考えていた勢力の一部が暴走した結果。

 当然ながら事実上の身内に近いソーマが発表すれば色々な問題が噴出するのは予測出来ていた。

 

 実際に榊の眼から見ても、ある程度の考察は的を得ており、その先にはレトロオラクル細胞の利用法やアラガミに関する考察に発展するはずの物。それは現場を良く知るからこその視点だった。

 しかし、現場を知らない学者からすれば忌々しい事に変わりはない。

 本来であれば本部の黒い思惑など気にせずにするのが一番ではあったが、どこかで洗礼を浴びるのであれば、この程度の事で良かったのかもしれない。

 弥生が出したお茶を飲みながら、榊はソーマの提出した論文を眺めていた。

 今はまだアラガミとの争いに勝っているとは思わない。しかし、次代の芽が育っている事もまた事実。そう判断したからなのか、榊の視線はどこか穏やかな物だった。

 

 

 



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第133話 人によっては

 どちらかと言えば、普段は人の数が少ない場所に居る事が多いからなのか、偶にはと足を運んだ外部居住区は喧噪と言う言葉が随分と似あう様に感じていた。

 既に幾つものサテライトを建設した為に、以前の様などこか雑多な感じは無く、アナグラから外部の門までは一本の大きな通りとなっていた。

 

 実際に出動する際にはヘリで動く事が多い為に、この道路をゆっくりと見る事は余り無い。これが第二、第三部隊であれば周囲の警戒の為に使用するのかもしれない。自分が極東支部に来てから随分と時間が経った様にも感じる程に、相応の時間が流れている事が確認出来ていた。

 

 

「あれ、珍しいね。今日は旦那と一緒じゃないのか?」

 

「少しだけ時間があったんで、偶にはと思って」

 

「そうかい。旦那も最近はここに顔を出さないからね。偶には寄ってくれって頼むよ」

 

「そう言っておきますね」

 

 顔見知りの男性からの声にアリサもまた気軽に返事をしていた。

 実際にここまで出来たのは、偏にクレイドルとしての活動の結果。人口減少を少しでも食い止める事が出来ればと走り続けた結果だった。

 

 自分が来た当初は色々な問題を孕んでいた。

 アラガミからの脅威に怯えながら生活を続けるのはかなりのストレスが溜まる。そうなれば人は簡単に精神を病んでいた。

 自分もまた当時の事を考えれば、その一人だったのかもしれない。しかし、今となってはそれもまた良い思い出なのかと考えていた。

 

 元々アリサはここに来る予定は全く無かった。偶然ミッションの時間が大幅にずれたのと同時に、エイジもまたこの後少しだけアナグラに戻ってくると聞いていた為に、何かを作ろうかと考えた末の行動。ラウンジに行けば良いのではないかと思う事もあったが、折角だから自分の手で何かを作ろうかと足を運んでいた。

 

 

「毎度有り。相変わらずの目利きだね」

 

「いえ。エイジに随分と鍛えられましたから」

 

「旦那は毎回良い出物だけ持って行くからね。折角だから、これもおまけしておくよ」

 

 元々それ程買うつもりが無かった為に、アリサの持っている袋は既にこれ以上は入らない程になっていた。

 元々購入した物以上のおまけの様にも感じるが、店主もまたここでの生活が長いからなのか、アリサの存在と言うものをよく理解していた。

 

 仮に立ち話をしながらでも、良い物を購入すれば人の目はその店に集中する。実際に広報誌でもエイジだけでなく、アリサもまた、手料理の載せた事があった。

 以前のアリサを知っている者からすれば随分とチャレンジした企画だとと考えるが、一般の目はそんな事情は何も知らない。自分達が知る中ではアリサは色々な意味での良い嫁と言う認識だった。

 だからこそ、立ち寄れば買物をしながらも話し込む。只でさえクレイドルの活動は極東支部に軸は置くが、活動そのものは完全に外の区域。厳しい戦いを強いられながらも、人類救済の大きな問題に挑む。それもまた広報による情報開示だった。

 フェンリルと言う組織の中でもとりわけクレイドルの組織はある意味では名が知られ、そのメンバーが誰なのかもよく知られている。それがどれ程なのかは、本人達は案外とよく知らない事が殆どだった。

 

 

「ありがとうございます。でも、良いんですか?」

 

「良いって事よ。それにアリサちゃんが居れば宣伝の代わりにもなるからさ」

 

「……詳しくは知りませんが、それで良いなら私も構いませんが」

 

「良い女は気にしない」

 

 アリサも訝しく思いはしたが、実際に損をした訳では無い。勿論、こんな場所で何かをする事も出来ないのであれば、店主の好意は素直に受け止めた方が良いに決まっている。一先ずはそう考えたからなのか、それ以上の追及はしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれって………」

 

 不意に目に飛び込んで来たのは一軒の店舗。以前とは違い、クレドルの制服姿が多かったからなのか、今日のアリサは珍しく私服だった。

 普段であれば制服姿で出歩くが、今日は敢えて私服で行動していた。

 実際にクレイドルの制服はかなり目立つ。フェンリルの制服とは違い、純白に身を包むそれはクレイドルだけが着る物。

 極東支部の中でもクレイドルの制服を着ている人間はそこそこ居るが、それはあくまでの他の支部からの出向者だけ。研修に来ている為に、案外と外に出る概念は早々無かった。

 以前に歩いた際には人がかなり集まった記憶があったからこそ、目立たない様な格好をしていたに過ぎなかった。

 その結果、ゆっくりと周囲を見るだけの時間が生まれる。だからこそ、アリサの目に映るそれに、珍しく目を奪われていた。

 

 

(あれって………でも)

 

 店先にあったディスプレイにあったのは自分達が普段から来ている制服に限りなく似た物。少なくとも遠目から見るそれは、明らかにクレイドルの制服だった。

 少なくともアリサの記憶の中では一般販売をしたなんて話は聞いた記憶が無い。だからこそ、そこに飾られたそれがどんな意味を持つのかが疑問だった。

 

 

「何か気になる物がございましたか?」

 

「いえ。ちょっとだけ立ち寄っただけなので。因みに、あの服は?」

 

「あれは一点物です。本来であれば色々と問題の多い要素はありますが、店の技術力の一環です。これまでにも結構なお客様が関心を持たれてますので」

 

 アリサだと気が付かなかったからなのか、店員は何気なく話をしていた。

 実際によく見れば、クレイドルの制服とはデザインが若干異なる。元々ゴッドイーターが着る服はただの生地で出来ている訳では無い。

 通常の生地以外にもオラクル由来の物質が使われている為に、従来の服に比べれば強度は比べるまでも無かった。

 それと同時に、仮に同じ物があった場合それを利用した悪事を働かれる方が何かと大きな問題になる可能性があった。

 外部居住区は極東支部には限りなく近い。当然ながらここにもゴッドイーターの肉親が済んでいる為に、基本的には珍しい物ではない。

 しかし、これが部隊となれば話は変わる。

 周囲に見るのはその殆どが防衛班に所属する者ばかりで、第1部隊やクレイドルを見る機会はそう多くない。辛うじてコウタが来る程度だが、それでも見る機会は多くは無かった。

 以前にもそんな話を聞いた記憶はあったが、実際にアリサには縁遠い話。ラウンジで少しだけ聞いた程度だった。

 勿論、この場で確認しても問題はない。しかし、今のアリサは完全にオフではない為に、それ程時間にゆとりがある訳では無かった。

 そうなれば店員を話を何となく聞く程度に留める。相槌こそ打つが、実際にはどうした物かと考えていた。

 

 

「そうだったんですか?これってクレイドルの制服そっくりですが……」

 

「よく言われます。ですが、実際には違いますよ。特にフェンリルの制服に関しては結構厳しい規制がかかっていますから」

 

「そうでしたか」

 

 取り止めの無い事を言いながらもアリサは店内を少しだけ見渡していた。デザインに優れた服が幾つも置かれている。中にはこれまでに見た記憶があった物もチラホラ見かけていた。

 

 

「ああ、あの辺りは一時期結構流行った物ですね。やはりゴッドイーターの方々は基本的に私服が多いですから、我々も参考にさせてもらっています」

 

「はあ」

 

 アリサの視線の先にあったのは今ではすっかり大人しくなったソーマが以前の来ていた物。今ではクレイドルの制服姿に慣れたからなのか、ある意味では懐かしさを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それって、中央の通りの店の事だよね。私も見た事があるよ。結構色々なジャンルの商品を扱ってるって話だけど」

 

「そんなに有名なんですか?」

 

「縫製に関してはそうだね。ヒバリも結構気にしていたから」

 

 アナグラに戻ると、ロビーには休憩の為に来ていたリッカの姿があった。

 ここ最近はアリサもアナグラに居る事が少ないからなのか、随分と久しぶりに思える。以前ならここで色々と話をしていたが、クレイドルの活動が増えるにつれ、今では話をする機会は随分と珍しい物となっていた。

 そんな中で話題に出たのは、先程までアリサが見ていた制服の話。やはり有名なのか、リッカだけでなくヒバリもまたその店の事を知っていた。

 

 

「でも、大丈夫なんですか?ほら色々と弥生さん辺りが………」

 

 アリサが心配するのはその点だった。店員も行った様に幾らレプリカとは言え、制服をそのまま販売する事は原則禁止となっている。単純なファッションとして見るのであれば、良い意味での宣伝にはあるかもしれない。しかし、その逆のケースもあり得る為に、少しだけ心配になっていた。

 

 

「弥生さんも知ってるよ。店とは一応交渉したみたいだけどね。基本的には客寄せの一点物扱いだよ。それと、制服以外の物に関しては支部としては特段問題無いらしいよ」

 

「そうなんですか?」

 

「ほら、ゴッドイーターに支給する服は基本的にはアラガミ由来の素材を使うんだけど、基本は既存の服だからね。アリサの以前着てたのだってそうでしょ」

 

「確かにそうですね。元々はロシアのブランドですから」

 

 リッカの言葉にアリサもまた記憶を呼び起こしていた。

 まだ極東支部に配属された頃は、フェンリルの制服でない限りは自前の服を着ていた。

 しかし、何時の頃からか、通常の服と同じデザインの物が発注可能となっていた。一番の要因はミッションは基本的には天候に問わず発注される為に、通常の服では寿命が短い事だった。

 常に好天に恵まれる訳ではない。雨天時もある為に、服は常に多大なストレスにされされていた。

 それだけではない。アラガミからの攻撃を受ける状況では布は事実上防御力はおろか、耐久性も無に等しい。幾ら高給を貰えるゴッドイーターとしても相応の出費は何かと問題になる事が多かった。

 それならば制服を着れば良いのではとの意見はあったものの、センスの問題から制服を着るのは圧倒的少数だった。だからこそ、アラガミ由来の服に変えた事によって防御だけでなく、耐久性能も大幅に向上している。

 その結果として、今ではゴッドイーターの殆どは当たり前の様にノルン経由で発注していた。

 当然、既存のブランドもまたそれに参入する。素材では完全に手も足もでないが、デザインの面に関しての報酬がある為に、今では相応の収益を出している背景があった。

 

 

「で、実際に広報や現場を見る機会が増えたから、ブランドの服に関してはフェンリルとしても特段何かを言う事はしないみたいだよ」

 

 ロビーに設置されたソファは既にアリサとリッカに占拠されていた。

 久しぶりの時間にお互いの会話が止まる事は無い。元々休憩スペースだった為に誰が利用しようと構わないが、今の状況で横から入るにはそれなりに気を使う事になる。だからなのか、思わず突っ込んだ話に突入していた。

 

 

「でも、制服は基本的にはそれ程種類は多く無いはずです。どうしてあのデザイン何でしょうか」

 

 アリサが疑問に思ったのは無理も無かった。実際にクレイドルの制服の型はそう多くない。支給品が故に一度配布された物を改造するのは大変だが、事前にデザインの変更は可能となっている。

 当然ながら世間が周知しているのはアリサが来ている制服のはずだった。

 しかし、あのディスプレイにあったのはアリサが着るノースリーブ型ではなく、通常のジャケット型。これまでに広報に出た事があったのはアリサだけだった為に、どうしてそれなのかが疑問だった。

 

 

「ねえ……アリサ。まさかとは思うだけど、ひょっとして分かってない?」

 

「そうですね。疑問はありますけど…………」

 

 アリサの疑問に答えたのはリッカだった。理由そのものがアリサには理解出来ない。しかし、リッカにはその意味はハッキリと理解していた。

 それと同時にアリサを見る目が何となくジトッと湿り気を帯びている。これだけの視線を向けているにも拘わらず、アリサはまだ気が付かなかった。

 

 

「これよ、これ」

 

「ちょっ……何するんですか!」

 

「いやいや。これを機に少し身をもって知ってもらおうかと思って…ね」

 

 リッカの動きはアリサが感知するよりも早かった。

 通常のアラガミの戦闘であれば気が付くアリサも、ここでのリッカの動きに反応していない。今の状態を正しくみれば、リッカの両手はアリサの豊かな双丘を揉みし出していた。

 何時もの制服では無く、体のラインが分かりやすい服を来ているが故に、それを邪魔する様な障害物は何一つない。

 形の良いそれが常にリッカの手によって常に姿を変えている。突然の光景にロビー付近にいた全員の視線は吸い込まれる様に2人を見ていた。

 

 

「ちょっと……あ、止めて………あん」

 

「こんなに激しく主張してるのにどうして気が付かないかな。む、前よりも弾力が………」

 

「そんなの…知りません………」

 

 アリサの声に少しづつ艶が出始める。誰もがその光景から視線を外す事は出来なかった。

 まさかの行動に誰もが動けない。普段はキリリとしているアリサを知っているからなのか、頬が朱に染まる表情に誰もが惚けていた。

 

 

 

 

 

「痛ったい」

 

「それ位にして下さい。皆見てますよ」

 

 ペチリと音をたてたのはリッカの頭だった。振り向けばそこには少しだけ起こった表情の浮かべているヒバリの姿。最初はただじゃれていただけだったが、どうにもこうにも止まらなくなっていた。

 気が付けばアリサの息は少しだけ荒くなっている。そこで漸くやり過ぎた事を自覚していた。

 

 

「いや~思ったより触り心地よかったんだよね」

 

「そんなのはどうでも良いですから。それにこんな所でしないで下さい。これから出る人も居るんですよ」

 

 リッカに言いながらもヒバリは周囲を見渡してた。突然の出来事に誰もが視線を彷徨わせている。気が付けば周囲の人影もまたまばらになりつつあった。

 

 

「それに、そろそろエイジさんも戻ってきますから。怒られても知りませんよ」

 

「あ、もうそんな時間なんだ。じゃあ、私もそろそろ戻らなきゃ」

 

 エイジの名前にリッカもまた撤退していた。

 これ以上は危険だと本能が反応した結果なのかもしれない。その名前を聞いたからなのか、周囲もまた蜘蛛の子を散らすかの様に去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それは仕方ないと思いますよ」

 

「私はそんなつもりは無いんですけど」

 

 マルグリットの言葉にアリサは意外だと言いたげな表情を浮かべていた。

 予定されたミッションは元々時間がそれ程かからない物。そうなれば自由になる時間もまた相応だった。

 ラウンジでマルグリットを見かけたからなのか、アリサは改めて今日の出来事を話していた。

 身内に近いメンバーの中ではマルグリットは標準的な意見を出してくれるはず。そんな思いからの結果となっていた。

 リッカの行為はともかく、会話の中身の意味が分からない。出されたジンジャーエールを飲みながらも、アリサは迷う事無くその疑問をぶつけていた。

 

 

「でも、スタイルによって服装の見え方は変わります。それに基本がアリサさんだとしたら大半の人は怖気づくんじゃないですか?」

 

 マルグリットもまた視線がアリサの双丘へと向いていた。

 着物であればそれ程気にならないが、洋服となれば話は変わる。平面ではなく立体裁断だからこそ体のラインはハッキリと出ていた。

 当然ながらアリサと比べるつもりはなくても、誰もがそれを一度イメージすれば嫌が応にも意識する。アリサ自身はそんな事を考えていなくても、周囲に対する影響はあまりにも大きすぎていた。

 

 

「大きくても良い事なんてないですよ」

 

「……それはあまり言わない方が」

 

 

 それ以上は危険だと察知したからなのか、マルグリットはそれ以上は何も言わなかった。

 マルグリットとてそれほど大きい訳では無い。しかし、整ったボディラインはある意味では羨望の的だった。

 

 ゴッドイーターの女性陣は意外と薄着になる傾向が多い。

 機能性なのかファッション性なのか。言い出せばキリがない程。しかし、その殆どはアリサと一緒になれば服装を蹴る事が多かった。

 殆どがクレイドルでの活動になるアリサは気が付かない。何時も同じ様な格好だと言う認識しかないままだった。

 

 事実を言えば確実に何かが起こるのは間違いない。実際にアリサの制服姿に関しては、クレイドルの中枢に居る人間は既に見慣れたからなのか、誰もがそれ程気にした事は無い。がしかし、それ以外となれば話は別だった。

 完全に隠そうとすれば制服のサイズは数段上にするしかない。仮にそうなれば、今度は全体的に大きくなるために着回しはおろか、活動そのものにも影響が出やすくなる。

 ゴッドイーターの仕事の中でも、とりわけクレイドルは何時でも戦闘に入る可能性が高い。そうなれば、その都度着替える程の時間は許されていなかった。

 

 当時、どんな状況で頼んだのかをマルグリットは知らない。だからなのか、この話を長く続けるのは危険だと判断していた。

 アリサの顔を見る限り、未だに理解しているのかすら危うい表情を浮かべている。恐らくは自分のスタイルよりも服のデザインの事を考えているからだった。

 だとすれば打開策はただ一つ。旦那に丸投げするのが一番だった。

 誰よりも一番理解している人間であれば話も納得するはず。だからなのか、マルグリットはアリサにそう伝えるよりなかった。

 

 

「やっぱりそこはエイジさんに確認した方が良いと思いますよ」

 

「そうですね。一度確認してみます」

 

「やっぱり身内の方の意見の方が重要ですから」

 

 その言葉にアリサもまた納得していた。

 周囲の事よりも自分の事を見てくれる人間が一番なのは今更。だからなのか、アリサは徐にエイジの下へと動き出していた。

 

 

 

 

 

「おい、見たかあれ」

 

「ああ。俺、明日から何を楽しみにすれば良いんだ」

 

「もう、以前には戻らないのかな………」

 

 暫くはアリサの制服姿を見る機会は格段に減少していた。決して隠すつもりではなく、何時もとは違う服で様子を見る様に進言された結果だった。これによって暫くの間、アナグラの士気は何となく低下した日が続いていた。

 

 

 

 



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第134話 指導教官 (前篇)

 ゴッドイーターが使用する神機は生体兵器である。

 当然ながら使用者と神機が適合しない場合、神機は使用者を汚染するかの様に捕喰し始める。その結果として使用者はゴッドイーターや人間から人類の宿敵でもあるアラガミへと変貌する。

 万が一の事を考えれば、万全記するしかない。その為、取扱いの際には細心の注意を払う必要があった。

 その結果、神機を整備する際にはマニピュレーターの使用を義務付けていた。

 当然ながらそれを使いこなせて初めて一人前の整備が出来る。その為に、熟達した人間程扱う数は圧倒的に多くなっていた。

 そうなれば、熟達した人間とマニピュレーターの数は合わない。その為に、慣れない人間は早々使う事は無かった。

 そんな中、一台のマニピュレーターがぎこちなく動く。本来であれば整備班の人間が真っ先に注意するはずだが、誰もがそれの事を理解している為に気にはするが注意はしない。

 その整備をしている人間の右腕にはゴッドイーターの証でもある腕輪が装着されていた。

 

 

「ギル。榊博士が呼んでるけど、時間は大丈夫?」

 

「もうそんな時間ですか」

 

「厳密にはまだだけど、ギルの技量だとそろそろかな」

 

「まだまだ……って所ですね」

 

 リッカの声にギルは少しだけ集中を欠いたのか、額の汗を無意識に拭っていた。

 実際に整備班の場所は空調が効いている為に、それなりに環境は良い。しかし、扱う物が物なだけに、誰もが神経を多大に消耗していた。

 大きく一つだけ息を吐くと同時に、台座の上にある神機をそれぞれの設置場所へと移動させる。ブラッドが農業で聖域に行かない際にはギルの居る場所はここかラウンジ。訓練場に限られていた。

 

 

「でも、最初に比べれば格段に腕は良くなってると思うよ。ましてや、実戦をしながらだったら尚更だよ」

 

「そう言ってもらえるのは嬉しいですが……実際にまだまだなのも事実なんで」

 

「謙遜と取るか……うん。まだ上昇する余地は有りそうだね」

 

「俺を試したんですか?」

 

「いや。純粋にそう思ったんだよ。中々実戦を経験している人間が整備をする機会は無いからね」

 

 リッカの言葉にギルは内心、照れがあった。

 ここに来るきっかけになったのは神機のバランスを取る事から始まったチューニングをしてから。少なくとも実戦主義の極東支部であれば当然の事だった。

 些細なバランスが乱れれば、戦闘における結果も変わる。

 命をチップにしている以上、適当に済ませる訳には行かなかった。

 

 だからこそ、整備だけをしてきた人間には分からない経験がギルを助ける。その結果、ここでの存在も認められていた。

 それを理解すれば、マニピュレーターの数が少ないそれの使用に関して口を挟まない。

 ギルはリッカが何らかの形で贔屓しているのかもと考えていたが、実際にそう考えている人間は誰も居なかった。

 それは偏にナオヤと言う存在がある事も一因だった。

 

 神機のバランスは本当の意味でそれが適切なのかは本人ですら分からないケースがある。

 理論値として最適であっても、使用する人間がそれを最適だと判断するのかは別問題。当然だがその日のコンディションによっても体内の感覚は大きく変わる。これまでに数多くの神機を整備しても尚、完全に本人と合致する物を造るのは困難を極めていた。

 しかし、体術や武術の観点から見ればその人間の動くは大よそでも予測出来る。その観察眼があるからこそ、他の支部よりも神機のチューニングは群を抜く結果となっていた。

 

 当然、その事実を上層部もまた知っている。その結果、他の支部では無く、極東支部に関してはそんな生の声を取り入れる事に異論は無かった。

 本来であればここまですれば問題は無い。だが、一般人としての能力と神機使いとしての身体能力が別物である以上は、その誤差を小さくするのは困難になる。

 当然力の代わりに技量で補うのと、強引でも力で補うのであは色々と違いも生まれる。

 

 まだひよっこに近い者は重要視しないが、中堅からベテランになればその差が違和感の元になるのは必然だった。

 実際に使用する人間の感覚に近い物が最適解。それを実行できるのは一人だけ。

 これを口にした所で何かが変わる訳では無い。ギル本人もまたそれを口にされれば照れる可能性がある為に、知られない様にノルンに記載されていた。

 誰もが自分の情報を知ろうとはしない。その結果、周囲だけがその事実を理解するに留まっていた。

 

 

「俺が口にするのは自分に置き換えてるだけなんで」

 

「チャージスピアだけでも違うもんだって。他の形状ならナオヤでもある程度の事はフォロー出来るんだし。何事も経験だよ」

 

「それなら、俺の出来る範囲でやらせてもらいます」

 

「そう言いてくれると助かるよ。ナオヤも何だかんだで忙しいからさ」

 

 笑いながらギルの背中を叩くリッカに、周りもまた同じ事を考えていたからなのか、視線こそ少しは動くが敢えてそれ以上は何も言わなかった。

 誰かが一人でも認めれば本人のモチベーションは変わる。本来であれば全員が口にすれば良いかもしれない。しかし、余りにも多すぎるのは違う意味で問題があった。

 ギル自身は自分の実力を正確に理解している。ここで下手に持ち上げるよりも、数少ない人間からの言葉の方が真実味がある。

 ならば全員が言うようりもリッカが一人で言った方が良いだろうと判断していた。

 

 

「その件の事はまた後程って事にします。呼ばれてるのは俺だけです?」

 

「詳しい事は聞いてないね。でも、ギルだけって事は無いと思うよ。今は大きな事は無かったから、多分だけど面倒事じゃないかな」

 

「実感籠ってますね」

 

「伊達に無茶振りされてないよ」

 

 ラウンジとはまた違った空気にギルもそれ以上は何も言わなかった。

 実際に初めてここに来た際にブラッドが使う神機に関しては色々と細かい部分まで見られている。グラスゴーの様に人が足りない支部ではなく、人員が豊富に投入されている支部の中ではここは異質だった。

 誰もがアラガミに恐れるだけでなく、抗う手段を構築している。大きな目標を掲げている訳ではないが、それでもその情熱が正しい物だと言う事だけは理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅くなりました」

 

「いや。気にしなくても良いよ。整備班の事だから何かと大変だろうしね」

 

 扉の先にはブラッド全員がそこに居た。

 詳しい事はまだ話していないからなのか、誰もが少しだけ疑問を持ちながらも表情を崩さない。秘書の弥生を見ても、笑みが浮かんでいる為に、厳しいミッションではない事だけは読み取れていた。

 

 

「じゃあ、全員が集まったから改めて招集した件を話すよ。弥生君。資料を」

 

「まずは、一度全部に目を通して頂戴」

 

 榊の言葉に弥生が全員に書類を配布していた。

 元々大きな問題でなければ各自の通信端末に依頼として配信されるはず。態々資料と称して渡す以上はそれなりの内容である事に間違いは無かった。

 渡された内容を全員が一斉に読み取る。視線が常に動くと同時に、時折その視線がそこで止まる。時間にして数分程度。支部長室は僅かに静寂が支配していた。

 

 

 

 

 

「あの、これは本当に我々がやるんですか?」

 

「勿論。今渡してのは正規の命令書なんだから、当然だよ」

 

 榊の言葉に、思わず言葉にした北斗もまた少しだけ困っていた。

 実際に極東支部は他には無い研修を終えてからでなければ実戦に着く事は無い。

 以前にもその件に関しては色々と問題もあったが、結果的にはこれまでに蓄積された数字が全てを物語っていた。 

 一番分かりやすいのは他の支部から一時的に転入した際の実戦データの違い。最近になってからは他の支部でも事前の教育を施す事によって従来よりも生存率は高くなっていた。

 

 元々他の支部では大型種の目撃情報はそれほど多くない。精々が中型種がメインとなる位だった。

 しかし、極東支部に関しては中型種は当然の様に姿を現し、時には大型種もまた当たり前の様に出没する。その結果、幾ら多きな口を叩く人間程直ぐに殉職する結果になっていた。

 当初は色々と問題があったのはそのゴッドイーターとこの地域のアラガミのミスマッチ。他の支部の常識をここにそのまま持ち込んだ事が原因だった。

 殉職率が高いのは今に始まった事ではない。しかし、地道に積み上げた結果、今の状態になっている事に異論は無かった。

 その事実をブラッドも来た当初に経験している。だからこそ、まだ教わる側だと考えていたにも拘らず、結果的には教える側になるのは、色々と思う部分が多分にあった。

 

 実際に書かれている内容には、神機の特性にあった戦術やアラガミの生体に関する事など、通常のゴッドイーターではやらないはずの内容。

 実際に横目で見れば何となくでも理解していたのはシエルとジュリウス、リヴィの3人だけ。

 北斗もまた部隊長として動きはするが、だからと言って一から十まで指示を出す事はしない。

 どちらかと言えば流動的になる様に指示を出す為に、殆どは本人の資質に頼る事が大半だった。実際に精鋭になれば細やかな指示でも結果は出る。しかし、何も考えていないかと思える程の能力であれば、下手をすれば足を引っ張る可能性もまった。

 だからこそ、万が一の際にはその人間が指揮を執る事によって全滅を避ける。

 適当だと言われればそれまでだが、実際にはその手段が一番効率的だった。

 

 

「じゃあ、クレイドルはこの件にはタッチしないと考えるのが妥当と言う事ですね」

 

「クレイドルも当初は考えたんだけど、丁度、適合試験が終わったばかりだから、こっちにまで手が回らないんだ。だから今回の件に関しては君達にお願いしたいと考えている。

 勿論、基本的にはミッションが優先だから、その時は気にしなくても大丈夫だよ。それに農業の方も今はひと段落ついた事は確認してるよ」

 

 その言葉が全てだった。聖域の農業に関しては、ここ最近は少しだけ様子を見る為に暇になっていた。

 厳密に言えば、暇になったのではなく、新たな物を作る為の準備をジュリウスがしている為に、他のメンバーがと言うのが正解。そうなれば反論すべき事は何一つ無かった。

 

 

 

                                      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、ギル。お前、教官するらしいな」

 

「ハルさん。どうしてそれを?」

 

「いや。今回の件は元々俺達にも事前に話はあったんだが、生憎とタイミングが悪くてな」

 

「タイミングって事は、ハルさんもゴッドイーターの方に行くんですか?」

 

「そ。今回は適合者が予想以上に多かったんだと。で、リンドウさん達も駆り出されるとなれば、当然ミッションも影響が出るんだ」

 

 実際に新兵の訓練は簡単に終わる訳では無い。一定の技量を持てない人間は当然ながら追加で訓練をする必要がある。

 本来であればリンドウやソーマがそれに該当するが、実際にはハルオミもまたそのフォローをしていた。

 理論上はそこに今回の事を混ぜれば良いだけの話。問題なのはその対象者だった。

 

 

「それに、ここい来るのは士官候補生の連中だろ?ほら、俺の場合は色々とあるからさ」

 

「それはハルさん個人の件じゃないですか。少なくとも、それは関係無いと思いたいですよ」

 

 今回の要望は本部経由での話。命令書に書かれた内容もまた、目を通せば明確に記載されていた。

 元々フェンリルはただの製薬会社から起こった組織の為に、現場に関する内容は割と既存の軍の情報を参考にしていた。

 只でさえアラガミの生体が分かりにくいだけでなく、その能力や個体差など地域によって分布される種にも偏りがある。

 オラクル細胞に関する内容を精査しながら現場の対応は不可能に近い。

 只でさえ適合する人間はそれ程多くは無い。これまでの様な誰にもでも使える兵器とは違う為に人的資源を無駄にしない為に設立されていた。当然ながらそこの卒業生が今後は各支部で指揮を執る可能性が高くなる。

 本来であれば現場を良く知る人間がその立場に着くのが好ましいが、その条件を満たす人間は本当に限られていた。

 

 そうなれば何かと知識がある人間の方が何かと問題が少なくなる可能性がある。

 実際にオペレターを導入している支部の生存率は導入していない、若しくは不完全なままの支部に比べれば雲泥の差だった。

 

 

「俺の事は兎も角、榊博士から命令書が出たならやるしかないだろ。ギル教官」

 

「からかわないで下さい…………」

 

 ハルオミの言葉にギルは帽子を目深にかぶり直していた。

 ギルだけでなくブラッドには知らせていないが、今回のこれに関しては実際には別の思惑があった。

 今の極東支部に関して言えば、クレイドルを中心に人材が集まっている。しかし、これがこのまま永遠に続く訳では無い。

 フェンリルの規定では本来は現場は十年で退役する事になっている。確かにリンドウやソーマに関しては既に相応の年数にはなってるが、実際にはそんな話は支部長に来た時点で榊が握りつぶしていた。

 辞令としては重要な事に違いは無い。しかし、漸く軌道に乗りつつある計画が、そんな事で頓挫させる訳には行かなかった。

 サテライト計画の知名度を考えれば、現場に出る回数を制限しながらも今の状態を維持するしかない。そうなれば次に求められるのは次代に計画が繋げる事が可能なのかを確認する必要があった。

 

 ブラッドとて本当の事を言えば農業に従事している時点で対象とするのは厳しい。

 しかし、聖域はあくまでの現時点で未知数の部分が多く、今の段階は試験的でしかない。そうなれば他の支部でも行える様に教育プログラムを早急に完成させる必要があった。

 士官候補生は神機に適合する人間ばかりではない。

 仮になれなかったとしても現場での支援をする為には相応の教育が必要だった。

 その為に、オペレーターの内容も導入されている。実験的ではあるが、内容を考えれば、ある意味では今回の結果が未来の試金石となっていた。

 だからこそ、ベテラン勢もまたブラッドには分からない様に協力している。ハルオミがギルのフォローをしたのは、それなりに意味があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、シエルちゃん。これ本当に必要なのかな」

 

「当然です。我々が何も知らないと言う訳には行きませんから」

 

「でも、こんなの一度に覚えきれないと思うんだ」

 

「確かに付け焼刃すぎるのは些か問題があるかもしれませんね」

 

 ギルがハルオミとラウンジで話をしている間、シエルもまた今回の件に関しては色々と思う所があった。

 実際にアラガミ相手に戦術と言うのはそれ程重要ではない。

 基本は抑える必要があるが、実際にはその時々の行為が全てだった。

 幾ら気を引こうとしても結果的には抑えきれないままに合流される事はそれなりにある。ましてや聴覚が鋭敏なアラガミであれば、それは顕著だった。

 1人だけで交戦するのは限界がある。当然ながらそれを如何に利用するのかがポイントだった。

 ナナもまたこれまでに十分な程にそれを実感している。だからこそ、少しだけ弱音と言う言葉になって出ていた。

 

 

「でしょ。だから、適材適所って事でどうかな」

 

「残念ですが、そう言う訳には行きません。今回の件は少なくとも極東支部にとってもかなり重要だと思われます。相手が士官候補生であれば、最終的には本部にまで結果が行くでしょうし、その結果如何によっては色々な問題が発生するかと思われます。それでもナナさんは嫌だと言いますか?」

 

「そう言われたら何も言えないんだけど………。今日のシエルちゃんは少しだけ意地悪だよ」

 

「それは違います。最低限の戦術は必要不可欠なだけです。全部は無理でしょうから、出来る範囲だけやりませんか」

 

 ロビーのソファーでのやりとりを誰もが聞いてはいたが、生憎と手助けする人間は居なかった。

 実際に中堅からベテランはその言葉の意味を正しく理解している。しかし、理解した物を教えるとなれば話は別。如何に分かりやすく教える事が出来るのかは各自の資質による所が多い。

 ましてや、士官候補生がここに一時的に来る事は既に通知されている。誰もが火中の栗を拾う真似をしたくないからなのか、二人のやり取りを遠目で見るより無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだね。やり方は人それぞれだと思うよ。僕らのやり方が正解って訳でもないから」

 

「人に教えた経験が無いんで、不安なんです」

 

「誰だって最初はそうだよ。リンドウさんだってそんな感じだったからさ」

 

「でも、リンドウさんは、エイジさんの教育係をしてたって聞きましたけど」

 

「最初はね。でも、色々あったから、そこまで何かを学んだとは思わないんだよ」

 

「そうだったんですか?」

 

 今回の命令書を見て最初の一歩をどうしようかと悩んだのでは北斗も同じだった。

 これまでに自分がやってきた事をそのまま伝えた所で、正確に理解されるとは思っていなかった。

 フライアに配属された当初でさえも、細かい内容まで教わった記憶は無い。その結果、まだフライアが本部預かりだった頃はそのやり方を周到している。

 北斗もまた今の様になったのは、ここに配属されてからだった。

 一つ一つの技術を積み上げる事によって今の自分が居る。その結果が感応種だけでなく神融種にも適用されていた。

 アラガミの数もまた他の支部に比べればダントツで多い。それを肌で感じているからこそ一番慣れていると思われた人物に訊ねていた。

 既にエイジは北斗が極東支部に来た時点で教官をしている。本部にまでその名が轟く以上は、ある程度の知恵は一番のベテランだと考えていた。だからこそリンドウのやり方も学んだと考えていた。しかし、返って来た言葉はまさかの回答。

 だとすれば、自分は一体何を参考すれば良いのか悩むしか無かった。

 

 

「僕だって本当の事を言えば、常に手さぐりでやってるみたいな物だよ。実際に今の極東のやり方にしても、自分達がやってきた事をそのまま当たり前の様にやってるだけだからね」

 

「そう……なんですか」

 

「残念ながら本当だよ」

 

「それに、今らか無理に知識を蓄えても肝心の知恵にならないなら意味は無いからね」

 

「知恵……ですか」

 

「そう。経験を活用し、知識をそこに加える。その結果が知恵だとすれば分かるんじゃないかな。ノウハウも似た様な物なんだし」

 

 まさかの言葉に北斗はただ驚くだけだった。初めてここに来た際には色々と細かい部分までやっているとは思ったが、実際にはマニュアルの様な物は無かった。

 そうなれば今の状態が構築できたのは偏にそれを信じてやってきたからに他ならない。

 他の支部がどうなのかを知っているのであれば、話は更に分かったのかもしれない。

 北斗自身が最初の配属先がフライアだったからなのか、これが基準なのかすらも分からないままに過ごしていた。

 だとすれば、自分のやるべき事は自分の分かりうる物だけしかない。

 先程まで曇りがちだった心は僅かに晴れ間が見えた様な気がしていた。

 

 

 



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第135話 指導教官 (中篇)

 アナグラのロビーは何時もとは違った喧噪が響いていた。

 本部からの通達による士官候補生の来訪は事前に通達されている。幾らゴッドイーターが優遇されているとは言え、世間体を考えれば、多少の礼儀が必要なのは当然だった。

 以前に比べれば、極東支部の人間も少しは大人しい人間が増えている。だからなのか、ロビーに集まる男女が誰なのかを聞く人間は居なかった。

 

 

「では、今日から2週間と聞いていますが、基本的にはミッションが優先となります。その為に、カリキュラムに関しては多少の変更が起こる可能性がある事をご理解下さい」

 

 弥生の声が周囲にも響くかの様に伝わってた。

 士官候補生の大半はゴッドイーターの身内が居るか、それに近しい者がいるケースが殆ど。その為に実際にアラガミが出た際における緊急出動が発生した場合は、カリキュラムが中断する事を理解している。

 事実、弥生の言葉に異論を唱える人間は皆無だった。

 アラガミとの戦いは演習では無い。そこに有るのはただ己の命を掛けた生存競争の成れの果て。

 当然ながら最悪の場合は己の死をもたらす事になる。それが事前に理解されている証拠でもあった。

 

 

「それと、今回の教官に関しては事前に通達したかと思いますが、ブラッド隊が担当します。なお、一部はそれ以外の者が担当する場合もあります」

 

 その言葉に、ここに来た全員の表情が引き締まっていた。

 極東支部はフェンリルの全支部の中でもトップクラスの部隊を抱えている。

 一つは人類救済を目的としているクレイドル。それは既に他の支部にも大きな影響を与えていた。

 実際に貢献度はかなり高く、他の支部でもなれるのは一握りのゴッドイーターだけ。その課せられている研修もまた厳しい事を彼等も知っていた。

 

 士官候補生は全員が、すべからく幹部になる訳では無い。

 今回、極東支部に来た人間の半数が神機適合者。極東とは違い、他の支部では年齢による制限を設けていた。

 それは偏にアラガミの脅威度が極東程では無いからに過ぎなかった。それに該当しないのは本部から転属になったブラッドだけ。

 未だブラッド以外にP66偏食因子に適合する人間は居ないが、それでもやはり従来とは異なる運用をされている為に、注目度はかなりの物となっていた。当時は未発見の偏食因子を投与された事が一番ではあったが、今ではそんな事情は完全に消え去っていた。

 その要因は螺旋の樹。終末捕喰が発生した際、ユノの歌と共に終末捕喰を一度は退けた事だった。世界中に放送されたそれは未だ語り継がれている。その結果、知名度は予想以上に高くなっていた。

 そのブラッドが教官として自分達の下に来る。現場を知らない人間であっても、そこには一定の羨望があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遂に来ちゃったよ。本当に大丈夫なのかな…………」

 

「既に来るのは既定路線なんだ。今さらジタバタした所でどうしようも無いと思うが」

 

「リヴィちゃんはそうだろうけど、私は何をすれば良いんだろう…………」

 

 ロビーの死角からナナが遠目に弥生とその周辺を眺めていた。

 実際に男女合わせて10人ほどが集まっている。元々研修は少人数単位で行うのが一般的だった。

 しかし、極東支部に関しては現時点でも外部からのゴッドイーターを指導と教導の名目で集めている。勿論、そのまま戦力として確保するのではなく、本当の意味で鍛える事がされているからだった。

 ナナ達は気が付いていないが、極東支部の指導はある意味では苛烈な部分がある。

 自分の経験則に基づく動きを基本とし、延々と同じ様な事を繰り返す事が何度かあった。

 

 以前には誰かが抗議した事もあったが、それが肉体的にも精神的には染みつく人間は咄嗟の場面でも同じように動く事が出来る。その結果として生存率は格段の向上していた。

 

 実績を示されれば文句はそのまま立ち消えするしかない。誰もが自分の命と引き換えにミッションをこなす訳では無いからだ。

 異論が無ければそのまま継続される。その為に、実戦を良く知るツバキやサクヤに面と向かって抗弁する強者は既に何処にも居なかった。

 絶対的な実績を前面に出されれば文句は言えない。しかし、今回の件に関しては色々と突っ込める要素もあった。

 幾ら極東支部とは言え、これがクレイドルであれば実績が前に出る。しかし、ブラッドとなれば話は別。

 確かに終末捕喰の回避は多大な実績である事に変わりはないが、問題なのはその過程。

 戦闘経験が豊富でもなければ卓越した技術がある訳でもない。にも拘わらず士官候補生の教官をするのは厳しい物があった。

 

 

「そうだな。これは私も含めての事になるが、自分にしか出来ない事を話すのはどうだ?それならば時間の制限は無いだろう。直接聞いた訳では無いが、少なくとも私が支部長と同じ立場であれば同じ事をするだろう」

 

「でも、それってそれなりに経験がないとダメって事じゃ………」

 

「それは考えすぎだ。自分に求められている物が何なのかを理解しない事には前には進まない。幾ら士官候補生と言えど、自分の役割を本当の意味で理解はしていない。ならば進める時に一気に進んだ方が結果的には楽だそうな」

 

「それはリヴィちゃんの経験が豊富だからだよ」

 

 リヴィの言葉にナナは簡単に頷く訳には行かなかった。

 実際に内容の大半はツバキやサクヤが執り行う。幾ら教官と言えど、受講の途中でも感応種や他のアラガミが出れば否が応でも出動せざるを得ない。

 その結果として、ブラッドには短時間での講習となっていた。

 勿論、全てが完全に出来るとは考えていない。ブラッドのメンバーの中でナナだけが自分に自信を見いだせていなかった。戦闘時の能力と言う意味では無い。ただ人に話すにはネタとなる様な経験が少しだけ不足していたに過ぎなかった。

 

 

「確かにそうだな……だが、極東支部にはたしか『案ずるより産むがやすし』と言う言葉があったはずだ。なに、女は度胸とも言う。そこまで気張る必要は無いさ」

 

「それは……」

 

「済まないが、私も少し用事がある。ナナも早めに準備だけはしておくと良い」

 

 このままここで隠れていたとしても、時間だけは確実に過ぎていく。無駄になる位ならばとリヴィもまた自分のやるべき事がある為に、ナナをその場に離れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここが極東支部か……随分と想像とは違ったかな」

 

「そうかな?本部みたいに、見た目だけじゃなくて実戦的だと思うけど」

 

 ナナとリヴィが物陰からこっそりと除く頃、士官候補生たちもまた弥生からの簡単な話を聞いていた。

 元々士官候補生が他の支部で研修と積む事はこれまでに一度も無かった。

 そもそも士官候補生の発端となったのは、偏に情報の共有化によるゴッドイーターの生存確率の向上を主としてるから。それともう一つが詳細の擦り寄せだった。

 以前であればアラガミが出没する地域は大よそでもテリトリーがあるからなのか、他のアラガミが戦闘区域に乱入するケースは稀だった。しかし、最近になってからアラガミの活性化に伴いテリトリーに関係無く表れる場面が幾つもあった。

 極東支部の様に乱入に慣れていればそれ程大きな問題にはならないが、これまでに経験した事が無いゴッドイーターは確実に動揺していた。

 

 乱入した時点で討伐が完了していれば、多少はおぼつかなくとも結果は出てくる。しかし、これがまだ戦闘中であればその限りでは無かった。

 動揺から来る精神の乱れは、そのまま集中出来ない状況を作り出す。当然ながらミッションが未達になるだけでなく、そのまま命が散る事もあった。

 オペレター制度を導入はしているが、実戦に耐えるレベルの人材は早々簡単には育たない。

 確実な対処が求められる以上は、適当な情報で戦場に送り込めるはずが無い。その結果、士官候補生の中でも適合率が高い人間は多少の現場を経験させてから戦術を学ばせていた。

 幸か不幸か、アラガミの動物園と揶揄される極東支部が一番適切であるからと白羽の矢が立ったに過ぎなかった。

 

 

「そうだな。確かに本部とは違うだろうけど、それは他の支部でも同じだ。寧ろ、ここはゴッドイーターの福利厚生も割と良くなってる。そう考えれば無駄な部分に経費をかける必要性は見当たらないんだろうな」

 

「優等生は流石に言う事が違うね」

 

「優等生じゃなくても誰だってこの程度の事は分かる。それだけだ」

 

「んだと!随分と偉そうだな」

 

「もう。そろそろ止めなよ。こんな所にまで着て喧嘩は恥ずかしいよ」

 

 学生の小競り合いは本来であれば真っ先に富める必要があった。事実、その場面を見ていたウララはかなり慌てている。

 フランやテルオミもまた、その後の動向が気になるからなのか、視線こそ画面にむいているが、耳は完全に学生の方に向いている。

 この場で唯一、今後がどうなるのかを正しく予測したヒバリは苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

 

「貴様等。ここは学生がガヤガヤと騒ぐ場所では無い。既に研修は始まっているんだ。愚図愚図する様な人間は真っ先に命を落とすぞ」

 

 ツバキの声に先程までの喧噪は一気に失われていた。

 既にツバキの手には今回の学生の内容が記されたデータが渡っている。突然ではあったものの、鋭い声に学生だけでなくその場にいた誰もが急激にキビキビと動き出していた。

 

 

 

 

 

「諸君。今回の研修にあたっては既に聞いている通りだ。我々としては実戦を経験させたいと考えているが、生憎と本部からは禁止されている。この場に於いては誰もが等しく同じ立場になる。無駄口を叩く暇があるならば、直ぐにもこの環境に慣れる様に努力するんだ。良いな」

 

 ツバキの言葉に誰もが無意識の内に敬礼する。右腕の赤い腕輪に封印された跡。紛れも無く実戦を経験した証だった。

 説明をされるまでもなく、学生はその事実を理解している。それと同時に、この人物が誰なのかを正確に理解していた。

 極東支部だけでなく、フェンリルの中でも実戦を経験し、生き延びた証。少なくとも世界の中でそんな人間は数える程しかいない。ましてやそれが女性となれば、その人間は限られてくる。紛れも無く、候補生に注意したツバキもその中の一人だった。

 厳しい生存競争に勝利した者だけが纏う雰囲気に誰もが沈黙する。事実、極東支部の中で、まともに抗弁出来る人間は殆ど居なかった。

 ツバキの言葉に誰もが予定を思い出したかの様に行動する。先程までのダレた雰囲気は霧散していた。

 

 

「それと事前に配布した資料にもある様に、今回の諸君らの教官はブラッドが担当するが、不足している部分に関しては我々の方でフォローさせてもらう。

 疑問点があれば直ぐにでも出せる様に準備する事。ただし、質問の際には最低限の基準はクリアしてくれ。我々もそれ程暇では無いのでな」

 

 追い打ちをかけるかの様に出た言葉は候補生だけではなく、教える側にも聞こえる様に響いていた。

 事実、ツバキは物陰に隠れているナナの姿を確認した上で言葉にしている。その後、直ぐに動きを見せたからなのか、ナナの気配もまた遠ざかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「既にこの場面に於いての効果的な攻撃方法は教本にも記されていますので、基本的にはそれで問題は無いかと思います。ですが、それはあくまでも単一の種が前提になります。そうなれば他のアラガミが来た際にはかなり厳しい戦いが要求される事になりますので、あくまでも神機の属性に関してはベストではなくベターの方が良いでしょう」

 

「それは極東支部に限っての話では?」

 

「極東支部ではこれが普通、他とは違うは確かに前提が異なるのは当然です。基本は確かに重要です。ですが、最近のアラガミの分布や襲撃を見るに、一概にそうだとは言えないでしょう。装備に関しては色々と思う部分があるかとは思います。ですが、討伐に関しては時には長期の戦略を要求されるケースもあります。仮に自分の神機の構成が厳しくても、他のメンバーが主となれば問題はありません。単独で戦うのは余程のケースです。本当の意味での異常事態を基本にすれば、手痛いしっぺ返しが待っています。その際には自分の命を賭ける事になります」

 

 シエルの声は部屋に響く程だった。

 ブラッドが教官をする際に、真っ先に上がったのは戦闘経験の多寡。幾ら特殊部隊とは言え、ブラッドは一つの支部ではなくフェンリル全体からみれば、まだ中堅と呼べるかどうかだった。

 実際にベテランクラスまで行けば、その経験の多さからアドバイスにも重みが出てくる。しかし、これが中堅となれば対外的な貫禄は不足していた。

 極東に研修が決まった際に、候補生たちは実際にデータでブラッドと言う部隊を理解したつもりになるが、やはり自分の目で見た際には、どこか力が足りない様にも見えていた。

 決して下に見ている訳では無い。本部では常にそんな話が頻繁に出ている為に、そちらの感覚に引きずられている。

 候補生からの質問もまたその感覚から出たに過ぎなかった。

 

 

「常に周囲には気を使うのが前提なんですね」

 

「そうですね。確かに各支部には広域レーダーがあるので、ある程度のアラガミ動きは察知出来ると思います。ですが、信用しすぎるのは危険です」

 

 そう言いながらシエルはメタルフレームのメガネの端を少しだけ持ち上げていた。

 普段のシエルはメガネなどは絶対にしない。そもそもゴッドイーターが自分の躰に補助出来る物を付けるのは稀だった。

 それだけではない。何時もの様に両サイドで纏めた髪型ではなく、後頭部に一つにして纏めている。普段のシエルを知っている人間であれば驚く程だった。

 今のシエルは誰もがまだ16歳であるとは思えない程大人びていた。

 

 

「アラガミは常にこちらの想定通りに動くとは限りません。皆さんは知っているかとは思いますが、クレイドルになるには最低限の資格に曹長レベルが求められています。それは突発的なアラガミに対する対処や、現地でのゴッドイーターの指揮など多様に求められるのが要因です。現時点ではクレイドルの件は関係ありませんが、近い将来その立場に立つ可能性が高いのであれば、視野狭窄になるのではなく、視野を広げながら並行して物事を進める力も要求されます。その時に如何にして対処出来るのか、それとも出来ないのか。その為には実戦をよく知りる必要があります」

 

 シエルの言葉に質問した青年もまた、頷いていた。

 士官候補生は現場に配属される時点で最初から曹長として登録される。戦場で戦う際には不要だが、それでも何かがあった場合には階級が優先されていた。

 指揮官は部隊の人命を預かる立場。ここに来るまでにしつこい位に聞かされたからなのか、誰もがその言葉を噛みしめるかの様に聞いていた。

 

 

「では、そろそろ時間ですので、本日はこれで終わりとさせて頂きます」

 

 シエルの言葉に誰もがが立ち上がって礼をする。只でさえ冷静沈着が売りのシエルがメガネと髪型が違う事によって、現場ではなく、完全に指導教官のそれに近い。

 シエルが室外に出た事を確認した後、誰もが思わず息を吐きながら椅子に座り込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だか極東支部のイメージって思ってたのと違うよな」

 

「ホントだよ。俺、ここに来るまでのイメージが完全に壊れたよ」

 

 士官候補生は基本的には食事等は食堂を利用する事になっていた。元々ラウンジは憩いの場である為に、その殆どがゴッドイーターで占めている。勿論、職員もまた利用する事はあるが、実際の利用頻度はそれ程多くは無かった。

 しかし、今回の研修に関してはピーク時以外の利用は問題無い。だからなのか、休憩とばかりに自慢のラウンジへと足を運んでいた。

 

 

「だよね。私も同じ事思ってたんだもん。だってアランソン教官はまだ16歳なんだよ。あの年齢であれだけの知識と経験って本部では考えられないかも」

 

 極東支部のイメージは一般的にはそれ程良い物ではない。

 常に最前線と言う名の死地に立ち、最悪は自分の命が簡単に消し飛ぶ。その根底にあるのは技術だけでなく運も必要だった。

 他の地域とは違い、アラガミの強度もまた別格。

 本部に限った話では無いが、早々ヴァジュラの様な大型種を目にする機会は無かった。

 だからこそ、自分の本能の赴くままに生きる人間の方が多く、広報誌はそんな暗い部分を隠していると考えていた。

 

 しかし、現実は違っていた。

 アラガミとの戦いは常に一定の戦術を基に練り上げられ、それが後任へとフィードバックされて行く。その結果、碌に交戦記録が無い新人であっても相応に戦う事を可能としていた。

 勿論、力だけでは生き残れない。根底にあるのは冷静かつ理知的な物。少なくとも自分達は知っている様で何も知らされていない事実を突きつけられていた。

 

 候補生はゴッドイーターとは違い、基本は制服で過ごしている。その為に、極東支部に居る人間は誰もが彼らが学生である事を理解していた。

 これが新人であればフェンリルの制服を着ているが、候補生は学生服。だからなのか、誰もが遠目に見る事はあっても直接的に話しかける人間は居なかった。

 彼らはあくまでもお客さんであって、同僚や部下では無い。下手に何かを口にして問題を起こされても困るからなのか、近寄る事は無かった。

 

 

「でも、アラガミの出没と言うか、出動率は尋常じゃないって。常時あれだけの戦いを経験するなら、誰だって知識を蓄えないと死ぬって」

 

「俺、神機の適性があるんだけど、こんなんで現場やれるのかな」

 

「それを言うなら私もよ。オペレーターは部隊の命を支えるのよ。そう考えると気が重いわよ」

 

 それぞれが愚痴とも付かない言葉を口にしながら、頼んだ飲み物をそれぞれが口にする。口の中で爽やかさが広がるも、心中は爽やかになる要素は何処にも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シエルちゃんはどうしてメガネなんてしてるの?」

 

「教えるのであればこの方が良いと聞きましたので」

 

 候補生たちがラウンジで凹んでいる頃、何時もとは違う雰囲気が気になったからなのか、ナナだけでなくリヴィもまたロビーで話していた。

 実際にシエルの顔にメタルフレームの眼鏡は似合っていた。

 普段を知る人間は誰もが一度はそれを確認する為に振り向く。

 元々シエルは基本的に見た目にはそれ程拘りを持つ事は無い。だからなのか、物珍しさが先に出ていた。

 振り向くのはそれが原因ではあるが、本当の意味を誰もが理解していない。その様子を見ていたヒバリは何となく誰が言ったのかを予想していたが、その件に関しては敢えて口を挟む事は無かった。

 普段とは違う格好は意外にその為人を見るのに一番適している。単純に面白いからと言う部分も否定はしないが、それでも普段とは違う雰囲気を横目で眺めていた。

 

 

「やっぱり見た目って重要なのかな」

 

「どうでしょうか?少なくとも私の講義の際には皆さんは真剣に聞いていたと思いますが」

 

「そっか……シエルちゃんでそうなら、私もやった方が………」

 

 これまでに人の前に立って話をする経験をナナは持っていなかった。

 実際にシエルだけでなくブラッドの殆どが同じではあるが、他の人間を見ても誰もが落ち着いている様にしか見えない。

 何時ものナナであれば、シエルのその状況にツッコミの一つの入れるのかもしれない。

 しかし、これまでに無い状況だからなのか、完全に方向性は迷子になっていた。

 

 

「落ち着け。少なくともナナが出来る事を話せば良いだけの事だ。それに見た目が変わっても案外と人は気が付かない物だ。ましてや相手は候補生。普段の通りに過ごせばいいだけの話だ」

 

「リヴィちゃんがそう言うなら…………」

 

 一人が慌てすぎれば周囲は自然と冷静になる。元々今回の趣旨を明確に榊は話していないからなのか、それを判断するだけの材料は何処にも無かった。

 ナナが焦っていたのは偏に何をどうやって伝えれば良いのかを見失っているから。

 ブラッドとひとくくりにしても、誰もがある意味では個性的だった。

 リヴィの言葉にナナもまた少しだけ何時もの調子を取り戻す。

 今回の日程はそれなりに長いからなのか、各々の時間はそれなりに取られていた。

 今回も偶然シエルの時間が取れたが由の結果。次回が誰になるのかは大よそ聞いているが、あくまでもアラガミが出ない事が前提の話。

 時間は確かにあるかもしれないが、それが本当の意味で落ち着けるのは話す内容が決まっている人間だけ。ナナは未だその事実に気が付いていなかった。

 

 

 



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第136話 指導教官 (後編)

 カリキュラムは事前に通知されている為に、候補生たちはそれ程混乱する事は無かった。

 ブラッドの講義は一日の内に出来て一度。しかし、間にミッションが入るとその限りでは無かった。

 簡単に終わる物もあれば、時間がかかる物もある。元々それを予測していたからなのか、その隙間はサクヤとツバキが埋めていた。

 

 

「今回はここまで。午後からは少しだけ外部居住区を見ましょうか」

 

 幾ら学生の本分が学ぶ事だとは言え、それを教える人間もまたそれが本分だとは限らなかった。

 実際にサクヤだけでなくツバキもまた新人の面倒を見る事がある為に、それ程時間を使う事は出来ない。実際に今回のこれもまた神機適合者の教導を前提としていた。

 一般人とゴッドイーターでは神機を前提に考えれば学ぶべき事は大きく違う。しかし、それ以外となれば同じ部分は幾らでもあった。

 だからこそ、サクヤはその時間を有効活用する。

 

 外部居住区を移動するのはゴッドイーターが自分の護るべき対象が何であるのかを教える為だった。

 尤も、神機適合者の殆どは外部居住区に住んでいる。

 サテライトは人類救済を前提しているが、外部居住区ではまだ若すぎる才能を確保する目的もあった。

 当然の様に受けた恩恵の意味をここで改めて教える事によって、その想いを利用する。聞こえは悪いが、それがこれまでにやってきた中で一番効率が良かった。

 実際に候補生を輩出する学内を十全に理解している住人は意外と少ない。

 アラガミ防壁の全容を知る為には、それなりに内部の事を知る必要があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ギル。次は貴方の番だから、準備はしてある?」

 

「勿論です。此方は何時でも大丈夫ですから」

 

「そう。じゃあ、お願いね」

 

 ミッションが完了し、帰投したブラッドを待っていたのはサクヤだった。実際に今回のスケジュール調整をしてる事を知っているからこそ会話の言葉は短い。

 元々ギルもまた、不特定多数の誰かに話をする事を得意とはしていない。だからこそ、自分の出来る事が何かを考えていた。

 改めて自分が出来る事を確認していく。事前にお願いした事もあったからなのか、準備は万全だった。

 

 

 

 

 

「ギルバート・マクレインだ。……話はそれほど上手くは出来ないが、宜しく頼む」

 

 部屋の扉が開いた瞬間、ギルは少しだけたじろいでいた。

 自分に突き刺さる視線を感じた事はこれまでに幾度となくある。勿論、今回もまた、そう考えていた。

 しかし、向けられた視線の含まれた感情はこれまでとは少しだけ異なっていた。

 今回のギルが話す内容は神機に関する事。これまでも支部の案内で整備班の場所こそは知っているが、中にまで入る事は無かった。

 ここに来てるのは未来の士官。当然ながら神機の事を知りたいと考えるのは当然だった。

 

 

「あの、一般のゴッドイーターが使用している神機と、ブラッドの皆さんが使用している神機に違いはあるんですか?」

 

「神機そのものにはそれ程差は無い。だが、ブラッドアーツを使用する為に多少の耐久性能は高めてある」

 

「神機そのものにはそれ以外に特殊な機能は無いって事ですか?」

 

「少なくとも極東支部の整備班が出した回答はそうなる。自分でも改良は施しているが、その件に関してはそれ程の差は無いな。ブラッドアーツに関しても、現在はオラクル細胞が由来する物だと認識している。本当の事を言えば、俺達も正確に理解している訳じゃない」

 

 候補生の言葉に、ギルは言葉を選びながらも答えていた。

 実際にこの件に関しては事前に榊だけでなく、リッカやナオヤからも話を聞いている。

 ブラッドの立ち位置が特殊なのは、摂取する偏食因子が違うだけであって、それ意外には見える程の違いが無い事だった。

 

 ブラッドアーツに関してはP66偏食因子を更に調べる必要性がある為に、神機とは異なる。しかし、ブラッドアーツがもたらす性能は既存の神機では対応が難しい為に、念の為に耐久性を高めていると言う点だった。

 実際にP66偏食因子に関しては極東支部だけで情報を秘匿している訳では無い。

 元々がラケルの遺産の為に、殆どは本部でも同じ情報を共有していた。

 しかし、学生や一般からすればその事を知る事は無い。ギルが神機に関する講義をする事を事前に知っているからこその質問だった。

 

 

「それと一つだけ言っておく事がある。偏食因子の件に関しては、情報は基本的に公表されている。一般的にはそれ程重要な事では無いので知られている事は少ない。だが、フェンリルに正式に配属されればノルンでその情報を確認する事は可能だ。実際にまだ研究途中であるのも事実なんだ」

 

 ギルの言葉に候補生たちは頷くよりなかった。

 実際にノルンでの情報となれば、フェンリルに正式に入る以外に入手できる事は少ない。

 仮に他の企業が偏食因子に関する改良や、新しい発表をするのであれば結果は違うかもしれない。だが、現時点ではその研究を満足にしているのは他には無かった。

 

 技術の独占は本来であれば良い事は何一つ無い。

 まだ旧時代であればそんな声があったかもしれないが、今は人類の天敵とも言えるアラガミが闊歩する時代。研究一つとっても決して良好な環境下で出来る訳では無かった。

 そうなればその技術は新鋭的に革新する事は無い。ある意味では仕方がない部分でもあった。

 

 

「とは言え、今の段階で難しい話をしても理解は追い付かないかもしれない。ゴッドイーターだからと言って、オラクル細胞の全てを知っている訳では無いんだ。あくまでもゴッドイーターはアラガミを討伐する存在ではなく、人類を守護する側に立つ。勘違いをしない様に」

 

 以前に誰かが話した言葉ではあったが、候補生がそれを知る術は無い。

 実際に自分もまたブラッドに入り、ハルオミや北斗と会わなければそんな感情を持つ事も無かったかもしれない。

 だが、それはあくまでもifの世界。今の自分があるのは少なからずここに来てからだった。

 気が付けば時間はそれなりに経過していた。元々、一人当たりの割り当てられた時間は大よそは決まっている。多少の前後は問題無い為に、ギルは改めて今回の趣旨の一つでもある技術班へ向かう事にしていた。

 

 

「これから技術班に向かう。向こうでは作業をしていると思うんで、邪魔はしない様に」

 

 その言葉に候補生たちは改めて興味を持ったのか、誰もがギルの後ろから歩いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの……例の件ですが」

 

「あれ?今日だったっけ」

 

「ええ。そのつもりでしたが…………」

 

 何時もの様に整備班の扉を開けると、そこにあったのは大きな金タライ。水が張られている中には濃い緑の球体が幾つも浮かんでいた。

 太くて黒い縞模様のそれが何なのかはギルも知っている。しかし、それがここにあったのは完全に想定外だった。

 何故なら、既に幾つかは均等に切られ、整備班の人間が齧りついている。これまでに幾度となく足を運んだ経験があるギルも、この光景には言葉がまともに出なかった。

 

 

「何だ。ギルも話を聞きつけて来たんじゃないのかよ」

 

「班長……今日は候補生の関係で現場を見せるって言いませんでした?」

 

「おい。例のあれって今日だったか?明日じゃなかったのか」

 

 先程のリッカの言葉と班長の言葉がリンクしている。基本的に神機の整備は関係者のみでする事が多く、実際に見学する事はこれまでに一度も無かった。

 他の支部から教導で来ている人間も、神機の事まで明確に理解していないからなのか、関心は薄い。今回の様な事が整備班にとっては完全にイレギュラーだった。

 実際にここの人間は誰もが荒くれ者の様に見えるが、神機に関してはひとかどの者ばかり。普段はギルもお世話になっている為に、強く言う事は出来なかった。

 休憩中の可能性はあったが、まさかこんな状態になっていたのは想定外だった。

 

 

「今日ですが…………」

 

「そうか。まあ、良い。どうせ今は休憩中なんだ。折角差し入れで貰ったんだ。お前も食うか?」

 

「あ………」

 

 班長の言葉にギルは少しだけ考えていた。今はギルだけが居るが、自分の後ろには候補生たちが居る。仮にも自分が今は教官としてやっている以上、下手な事は出来ないと考えていた。

 実際にギルの前にシエルだけでなく、ジュリウスやリヴィも講義を行っている。そのどれもが座学であり、実践的な物は殆ど無かった。

 ギルにとっても、講義が前提だとは思っていたが、実際に神機の件に関しては自分の目で見た方が理解が早いと考えた上で今回のカリキュラムを組んでいた。

 しかし、目の前に広がる光景はそんな想いを簡単に吹き飛ばしている。その結果として判断に迷っていた。

 

 

「ギル。お前の言いたい事は分かるが、折角なんだから後ろの奴らにも渡せば良いだろ。数はまだ有るんだ」

 

「俺は構いませんが………」

 

「あの、マクレイン教官。自分達も出来れば少しだけこの場に居たいんですが」

 

 悩むギルの背後から聞こえたのは一人の少女の声。徐に振り返ると、そこには誰もが特に問題は無い様な表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

「何時もこんな感じなんですか?」

 

「何時もじゃないな。人間誰だって張りつめたままで仕事なんて出来ないんでな。余裕がある時はこの位の事はするさ」

 

「何だかイメージと違ってます」

 

「他所はどうかは知らんが、ここでは厳しい時は本当に厳しいんだ。ゴッドイーターの連中が命を賭けて戦場に出るなら、俺達の戦場はここになる。しっかりと区切りさえ出来れば問題は無い」

 

 西瓜を片手に誰もが整備班の人間と話しをしていた。実際に現場の声を直接聞く事は余り無い。

 神機に関しても自分で調整をするケースが殆ど無いからこそ、今回の様に話を直接する事は候補生視点から見れば僥倖だった。

 事実、ギルがここに来る前に座学でそんな話をしなければ、興味を持つ事は無かったのかもしれない。

 整備班は裏方の為に、表舞台に出る事は基本的には無い。しかし、その整備班が自分の矜持を持って整備するからこそ、現場は命のやりとりを遠慮なく出来る。

 当初の目論見とは違ったものの、内容に関しては概ね予定通りだった。

 

 

 

 

 

「どうかしたのか?」

 

「いえ。中々予定とは違ったなと思っただけで」

 

「偶には良いと思うぞ。俺だって教導では全力は尽くすが、それ以外ではそれなりに対応するからな」

 

 西瓜を片手にギルに話かけたのはナオヤだった。

 実際に教導で教官をしている為に、その言葉には重さがある。確かに普段の仕事や教導では厳しいが、それ以外であればそれ程気になる様な事は無かった。

 張りつめた物が容易く切れれば、そのまま修復されるには相当な時間と労力が要求される。

 ましてや、常に自分の命を天秤にかける行為は多大なストレスの発生原因でしかない。

 だからこそ、その分どこかで緩める事が出来ればそのまま実行する。整備班に限った事では無く、極東支部全体がそんな空気を持っていた。

 

 

「確かにそうですね。俺も改めて人に話すのは難しいと感じましたから」

 

「だろ?ギルはまだ見本があるから良いけど、俺達はそんな物は何一つ無かったんだ。何もかもが手探りも厳しいぞ」

 

「身をもって体感してますから」

 

 打ち解けた空気を壊す事無く、ギルもまた今の状況を眺めるより無かった。

 実際にどこまで何を伝えるのかの線引きは難しい。

 仮に自分の言葉によって将来が歪められれば、それは自分の責任でもある。その為に出来る事が何なのかを何となくでも理解しているからこそ、今回の件を提案していた。

 何時もとは違った穏やか空気が流れる。そんな中、不意にギルの腰にあった通信機が音を立てていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「現時点ではまだここに来る可能性はそれ程大きくは有りません。ですが、今回の襲撃の中で一部感応種も居ます。ブラッド隊にはその感応種の討伐をお願いします」

 

「感応種の種類は?」

 

「生憎と、詳細までは不明です。こちらで確認しているのはあくまでの偏食場パルスから求めた情報なので、時間を頂ければ判別は可能です」

 

 何時ものロビーでは無く、会議室が全体の指揮所へと変貌していた。

 既に設置された大型ディスプレイには幾つもの赤色が点滅している。

 既に見慣れた光景が故に誰もが驚く事は何一つ無かった。

 

 

「では、情報の確認次第詳細を詰める。それまでに今回の概要を説明する」

 

 既に調査を開始しているからなのか、ヒバリは手元にある画面と端末の操作に集中していた。

 感応種が出ている時点で、大よその作戦は決まっている。説明をするのは偏に今回の件を候補生にも見せる為だった。

 何も知らない候補生は緊張感が漂うこの場所に視線を動かす以外に何も出来ない。

 本来であれば今回の様な内容は完全にカリキュラムから外されているはずだった。

 

 実戦を見せるのはある意味ではリスクが付きまとう。下手に先入観を持たない方が大胆な指揮を可能とする為に、他の支部でもその部分に関しては賛否両論だった。

 しかし、極東支部からすれば今回の様なケースは完全に教科書と変わらない。それだけ実力が揃ったタレントを確保しているから。

 

 確かに戦いに於いて絶対は無い。しかし、今回の様な大規模に近い作戦では、その殆どは中堅以上が中心となっていた。

 勿論、そのフォローにはベテランが配属されている。万が一の為の措置だった。

 ツバキが今回の作戦を淡々と説明する。既に招集がかかった部隊長はその内容を確認していた。

 

 

 

 

「今回のアラガミですが、確認出来たのはハンニバル種。そのうち一体が感応種であるスパルタカス。それともう一体はハンニバル浸食種です」

 

「スパルタカスに関してはブラッド隊。ハンニバルに関しては第一部隊が対応する。それ以外に関しては防衛班が対応する様に。なお、今回の作戦に関してはブラッド、第一部隊は対象アラガミを優先し、後は防壁に近づけるな」

 

 ツバキの言葉に部隊長は返事をする。既に作戦が開始されたからなのか、先程とは違った空気が会議室に漂っていた。

 

 

「さて。候補生諸君。今回の件に関しては元々カリキュラムには含まれていない項目だ。我々としては今回の様な現場は知っておく必要があると考えている。

 だが、本部ではその方針を取っていない以上、ここから先の事に関しては諸君ら個人個人が判断してほしい。

 対象となるアラガミは先程述べた通り。ハンニバル種そのものは本部で遭遇する機会は殆ど無いかもしれない。だが、アラガミに絶対はない。今回の件は自分の未来に関する事だ。1分だけ時間を与える。それまでに判断しろ」

 

 ツバキの言葉に候補生の誰もが驚きを見せていた。

 これまでの感覚からすれば、全員が強制的にこの場面を見る事になると思っていたからだった。

 しかし、ツバキからの言葉は各自の判断。自分の未来がどうなのかを考えた末の言葉である。

 時間の制限があるにせよ、その言葉の意味を全員が正しく理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ブラッド。スパルタカスと交戦を開始。第一部隊も同じくハンニバル浸食種と交戦を開始しました」

 

「防衛班の状況は?」

 

「既に大森大隊長より各班への指揮が開始されています。現時点で支部への襲撃をするであろうアラガミの大半は中型種の為、分散しての交戦となる模様です」

 

「そうか」

 

 特別な危機感は既にこの場には何も無かった。

 これまで幾度となく大規模な襲撃を極東支部は経験している。だからなのか、今回の襲撃の規模はそれ程厳しい物ではなかった。

 これまでと違うのは、スパルタカスの存在だけ。感応種の対応に問題が無ければそれ程厳しい戦いでは無い事を誰もが理解していた。

 だからなのか、緊張感こそあるものの、そこに悲壮感は存在しなかった。

 

 

 

 

 

 

「これが、大型種………」

 

「すげぇ…………」

 

 会議室に設置されている画面は色々な情報を一度に確認出来る様に幾つかに分割されていた。

 実際の数値はヒバリが管理している為に、ゴッドイーターのバイタル情報は映されていない。

 その中で一番変わりやすいのが各地の戦闘画面だった。

 支部から近い事もあってなのか、スパルタカスだけでなくハンニバルの戦いまでもが画面上に映し出されている。ここで映る映像は映画の様に作られた物では無く、現在進行形で戦っている画面。

 

 只でさえ大型種との交戦を目にする機会が無い候補生からは、驚愕の言葉だけが出ていた。

 第一部隊に関してはどの支部でもアラガミの討伐専門部隊として支部の顔の意味合いを持っている。その為に本当の意味での精鋭が揃っていた。

 しかし、極東支部に於いてはその限りでは無い。実際に今戦っているのは正規のメンバーであるが、実際の運用に関しては殆どが教導を終えたばかりの新人が配属されていた。

 他の支部であればあり得ない措置。候補生もまた第一部隊の性質を理解している為に、初めてその話を聞いた際には驚きに溢れていた。

 しかし、今回の様に大規模な戦闘になった際には正規のメンバーが出動する。そのメンバーもまた異質だった。

 

 部隊長はまさかの第一世代。しかも銃形態の神機使い。それ以外のメンバーに関しても、色々と特徴があり過ぎていた。

 副隊長に関しては、未だ扱いが難しいヴァリアント・サイズ。他のメンバーはチャージスピアにブーストハンマー。そのどれもが一癖も二癖もある代物。

 当然ながら一般的な剣を使用していなかった。

 

 標準的な神機を使用しないのであれば、何らかの戦術を持て戦う事になる。それが何なのかを見ようとした瞬間だった。

 大気が震える程の咆哮。

 その発生元はハンニバル浸食種だった。

 ハンニバルの咆哮は初めて聞く人間は必ずと言っていい程に戦意を喪失する。画面越しとは言え、ハンニバル浸食種の咆哮は候補生の本能に影響を与えていた。

 今は画面越しだが、これが実戦であれば確実に自分達は捕喰される。そう思う程に心臓は激しく鼓動していた。

 それと同時に第一部隊の様子を確認する。先程の咆哮など最初から無かったかの様に平然とした動きを見せていた。

 

 

 

 

 

「ハンニバル浸食種のオラクル反応が消失。直ちにその場から反転し、掃討をお願いします」

 

《了解。このまま防衛班に合流します》

 

 ヒバリの指示に答えるかの様に女性の声が響く。部隊長が他のメンバーに指示と飛ばしている関係上、副隊長が答えた結果だった。

 既に画面に映るのはハンニバルがゆっくりと霧散していく光景。未だ候補生たちは呆然としたままだった。

 まるでタイミングを見計らったかの様に先程までの第一部隊の戦いではなく、今度はブラッドが画面に映る。

 先程とは違い、既に交戦してからかなりの時間が経過している為に、アラガミの状況は酷い有様となっていた。

 既に脚部や上半身の一部は結合崩壊を起こしている為に、黄金色ではなく、肉の赤黒い色が目立っている。

 気が付けば頭部も既に崩壊寸前なのか、このまま戦えば時間の問題程度にしか見えない。

 

 元々ブラッドは偏食因子の関係上、感応種との交戦はするが、それ以外では既存のゴッドイーターと大差無かった。

 候補生たちもそれを理解した上で状況を見るも、その動きは素人目でも直ぐに分かっていた。

 お互いが指示を出す事無く有機的に動く。

 何も知らない人間であれば確実に驚く内容。

 干渉する事無く流れる様に襲い掛かる攻撃は見る者に絶対的な安心感をもたらしている。

 これが本当の意味での特殊部隊の実力。画面上に見える誰もが先程まで教鞭を振るっていた人間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「討伐対象のアラガミの確認は出来ません。周囲の警戒をしながら撤収をお願いします」

 

 時間にしてどれ程が経過したのかを確認した際に、気が付けば既に三時間程が経過していた。

 既に空の色は青から赤へと変わり始めている。

 これまでに幾度となく出動した人間からすればそれなりに疲労感は漂っていたが、今回の襲撃はそれ程では無かった。

 これまでに厳しい戦いを強いられた際には大型種はおろか、そこに何体もの感応種や神融種までもが合わさっている。それからすれば今回の襲撃はそれ程では無かった。

 当然ながら負傷者はあっても死者は居ない。だからなのか、会議室の空気もまたそれ程厳しい雰囲気は皆無だった。

 しかし、これ程の大規模襲撃を始めてみた候補生はそんな風には思わない。気が付けば誰もが青褪めた表情を浮かべていた。

 

 

「恐らくは本部や他の支部ではこれ程の襲撃は絶対とは言わないが、数える程も無いだろう。だが、対アラガミに絶対は無い。諸君らもその事を踏まえた上で残り少ない時間を過ごしてくれ。今日の襲撃に関しては本来はカリキュラムから逸脱している。レポートの提出はしないが、各自の中でそれぞれ消化する様に」

 

 ツバキの言葉に誰もが言葉を発する事無く解散する。

 元から予定されていなかった内容ではあったが、やはり何も知らない状態では厳しかったのかもしれない。だからと言って隠した所で現実を知る頃には殉職と言うのも後味が悪かった。

 

 本部が戦闘に関しての映像の閲覧を厳しく規制するのは、何も知らないままに心が折れる事を懸念した結果。ツバキとてそれを理解しているかこそ見る前に念を押していた。

 今の極東支部に於いて殉職は珍しい話ではない。

 確実にアラガミの脅威が増している事を考えれば、今の生存率は寧ろ高い。しかし、あくまでも極東基準であって他の支部の基準では無い。そう考えれば候補生の今の心情が何なのかが見えていた。

 何らかのフォローが必要かもしれない。そんな事を考えながら撤収の準備を仕切っていた。

 

 

 

 

 

「では、今回を持って研修は終了する。色々と各自思う事はあるとは思うが、それは諸君らが現場に出て初めて実感する部分もあるだろう。アラガミとの戦いは綺麗事では無い。誰もが己の命を賭けた戦いをする。本部でも今回の経験をぜひとも生かしてほしい」

 

 ツバキの言葉を誰もが嚙みしめるかのように聞き入れていた。

 ここに来る前はゴッドイーターの意義など考えた事が無かったのかもしれない。しかし、今回のあれは各々に再度考えさせる物を宿らせていた。それが何なのかは当人にしか分からない。だが、自分達が望むであろう未来への第一歩であることに間違いは無かった。

 

 

 



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第137話 戦いの後で







 極東支部への襲撃は結果的に大きな問題になる事が無かったからなのか、緊張した空気は既にアナグラには無かった。

 だからと言って負傷者が一人も出ない訳では無い。実情はともかく、死者が0だった事が大きな要因だった。

 元々今回の襲撃の大半がハンニバル種から逃走した結果だと位置付けている。その為に、襲撃したアラガミは為す術もなく霧散していた。

 死者こそ出ていないが、負傷者はパラパラと出ている。

 だからなのか、大規模とまではいかなくとも、ささやかな先勝パーティーが開かれていた。

 

 

「あの………私達も参加して良かったんでしょうか?」

 

「…ああ。それなら問題無いよ。今回の襲撃はそれ程じゃなかったからね。それにハンニバル種もそれなりだったからさ」

 

「ハンニバル種がそれなり……ですか?」

 

「……それなりだけど?」

 

 一人の候補生の少女が偶々近くにいたコウタに話しかけていた。

 元々今回の出動をした中で第一部隊の隊長でもあるコウタの姿は割と目立つ。

 通常の戦いの中で唯一のクレイドル隊員の為に、その純白の制服は随分と目立っていた。

 短い期間ではあるが、コウタの性格は何となく理解している。人付き合いが良さそうなのと、部隊長の権限を持つからこそ聞いただけだった。

 少なくとも自分の知る中でハンニバルの様な大型種の出現は未経験。

 実際に情報を事前に確認した際にもハンニバル種に関してだけは相応の準備が必要とされた個体。にも拘わらず、それなりの回答が来た為に少女は反応の困っていた。

 

 

「ちょっとコウタ。それだけだと、その子が困るだけだよ。候補生なんだからちゃんと説明しないと」

 

「え~折角これだけの料理が出てるんだし、少し位はこっちに集中したいんだよ」

 

「それよりも、こっちの方が大事だよ」

 

 コウタの言葉に憤慨したかの様に一人の女性がコウタに話かけていた。

 肩まで伸びた髪は艶やかで、先程まであの現場で戦った人物と同じだとは思えない。それ程までにその存在を周囲に放っていた。

 少女は記憶を少しづつ辿る。その女性が第一部隊の副隊長マルグリットであると思いだすのにそれ程時間はかからなかった。

 

 

「………あの、貴女は確か」

 

「ゴメンね。私はマルグリット。第一部隊の副隊長をしてるわ。そう言えば、あの戦いは映像で見てたんだよね」

 

「は、はい。ツバキ教官から色々と言われました。それで自分の意思で見させて頂いたんだです」

 

 本来であれば隊長のコウタ色々と話をするのが筋だが、ツバキだけでなくサクヤもまたマルグリットが一緒に任務に出る際には殆どをマルグリットへと伝えていた。

 コウタとて決して出来ない訳では無い。ただ、何をするにしてもマルグリットの方が結果的に便利だからと言った事が一番の要員だった。

 

 特に今回の様な厳しい戦いが予想される場合、戦いよりもその後の事後処理の方が煩雑になりやすい。

 詳細のレポートが部隊長から上がって初めて色々な対策を練るのが殆どだった。

 当然ながらそれが遅くなればなるほどツバキとサクヤの負担ばかりが加速度的に増えていく。その前の処理としてコウタではなく、2人はマルグリットを重宝していた。

 

 

「そうなんだ。それとさっきのそれなりは、少しだけ語弊があるの。実際にハンニバルが極東に初めて出た際には色々と苦労したからね」

 

「そうなんですか?」

 

「今では完全に対策が立てられるから、本当の意味でもそこそこなんて言葉が出るんだけど、あのアラガミは結構厄介な物が多いんだよ」

 

 マルグリットの言葉に少女は更に驚いていた。極東支部が他から何と言われているのかを考えれば、対策を完全に取るのは当然の事。今回の戦いでも候補生は殆どがそう感じていた。

 しかし、マルグリットの言葉によってその認識は崩れ落ちる。そこから分かるのは、極東では誰一人アラガミに対して油断していない事実だった。

 

 

「今回の研修ではあまり突っ込んだ事はしなかったと思うけど、ここではゴッドイーターになってからは一定の訓練が義務付けされてるの。実際にそれだけやっても殉職者が出る以上は油断は出来ないんだけどね」

 

「訓練……ですか」

 

「そう。どこの支部でもやってると思うんだけど、アラガミの特性から始まって、神機に関する事やそれ以外の事についてかな」

 

「それは当然の事なんじゃ……」

 

「実際にそうなってきたのはここ最近になってから。少なくとも私達がゴッドイーターになった頃はそんな事はしてなかったよ」

 

「そうなんですか……」

 

 マルグリットの言葉はある意味衝撃的だった。候補生は神機の適性が無ければ後方支援に回るが、あれば当然の様にそのまま戦場に立つ事になる。

 実際に候補生に慣れるのは限られた人間だけであるのは、なった人間であれば誰もが知る事実。しかし、その訓練が最近になってからだというのは初耳だった。

 

 

「そうそう。俺らだってエイジがやってるからって事でやり始めた様な物だからさ」

 

「それって如月中尉の事ですよね」

 

「え、そんなに有名なの?」

 

「はい。少なくとも本部では極東の鬼とまで呼ばれる程に厳しい訓練をします。私も直接見た訳じゃないですが、先輩からそう聞いてます」

 

 候補生の言葉にコウタは少しだけ顔が引き攣っていた。実際にエイジのやり方は通常とは違い、明らかにそれをする人間のギリギリまでやる。その為に、教導が終わると同時に殆どが行けにへたり込んでしまう程。そして、コウタもまたその経験をした一人だった。

 

 

「ほら、エイジさんのは厳しいから」

 

「確かに否定出来ないのは間違い無いけど」

 

 マルグリットのフォローの様にコウタもまた当時の事を思い出していた。

 実際にはリンドウがエイジの技術を見た事によってツバキがそれを実行している。

 当時の状況でツバキに文句を言える人間が居るはずも無く、生存率もまたかなり高くなっている事もあってか誰もが何も言えなくなっていた。

 

 ゴッドイーターとて命が惜しい事に変わりない。だとすれば厳しい訓練をして生き残る方を選んだに過ぎなかった。

 アラガミだけが進化すればそのうち人類は全て滅亡する。そうならない為には技術の底上げは急務だった。

 その方法がエイジを通じて本部でも採用されている。本当の意味で知っているのは極東の中でも極僅かの人間だけだった。

 

 

「オラクル細胞の恩恵は確かに大きいけど、それはあくまでも肉体の強化だけ。反射速度や肉体のコントロールは別物だから」

 

「それ、聞きました。だから訓練をする事によって反応速度を高めるんですよね」

 

 ここで漸くこれまで学んだ事がつながったからなのか、候補生は納得した様子を浮かべていた。

 誰もが何も分からないままにやっても結果が伴う可能性は低い。しかし、それを一度でも理解すれば結果は自ずとついて来ていた。

 その集大成が今に至る。

 これまではブラッドが講師として話をしていたが、ある意味では第一部隊もまた支部の精鋭である。

 そう考えれば隊長と副隊長の二人と話をする事が出来たのは僥倖だった。

 

 

「そうそう。だからある程度の躰の動かし方が出来てないと、色々と厳しいんだよ。ほら、俺って射撃だけだからさ。アラガミの動きを予測しながら周囲の状況を見ないと厳しんだよ」

 

 何気ないコウタの言葉に候補生も少しだけ驚いた表情を見せていた

 。実際にゴッドイーターのカリキュラムの中でも格闘に関する技術が盛り込まれている事は今回の研修でも理解している。だが、それに何の意味があるのかを正しく理解したものの、それがどう繋がるのかまでは及ばなかった。

 だからこそ、コウタの言葉の意味を本当の意味で理解する。何となくでも理解したからなのか、先程とは違った観点でコウタを見ていた。

 

 

「だからなんですね。映像を見た時にポジショニングが凄いって思ったんで」

 

「って言うか、それが悪いと直撃を受ける事になるから。誰だって痛い思いはしたくないだろうし」

 

 何気ない言葉ではあったが、冷静に考えればコウタの考えは当然だった。

 実際に第一世代型神機の中でも銃形態は防御する術が何一つ無い。

 第二世代以降であれば変形させると同時に盾の展開をすれば最悪でも致命傷だけは避ける事が可能となる。

 アラガミの殆どは至近距離での攻撃。だが、それ以外の攻撃方法があるのも事実だった。種によっては遠距離攻撃を仕掛ける事も少なくない。只でさえ防御の手段が無いのであれば回避の技術を磨くより無い。そう考えれば体術の教導は理にかなっているのは当然だった。

 

 

 

「それに、マルグリットだって舞踊を習ってるだろ。それもその一環なんだよ」

 

「コウタ。私の事は別に良いじゃない………」

 

「あの、お二人って随分と仲が良さそうなんですが、ひょっとして」

 

「まあ、そんな所。あんまり大きな声で言う事も無いんだけどさ」

 

 二人の親密さに候補生もまた少しだけ表情を崩して話をする。

 先程とは違ったからなのかコウタは何となく照れた様にも見えていた。

 実際に隊長と副隊長の立場であれば顔を突き合わせる機会は段違いに増える。それは極東支部に限った話では無かった。

 

 実際に本部や他の支部でも似た様な事は幾らでもある。舞踊が何なのかは分からないが、それもまた趣味ではなく、訓練の一つなんだと理解していた。

 二人にこれ以上当てられるのは勘弁願いたいからなのか、候補生はゆっくりと距離を置いている。

 今日はあくまでも現場に出た人間が主役。候補生に関してはどちらかと言えばおまけに近い物があった。

 何時かは自分もそんな道を歩むのかもしれない。そう考えながら手に持ったグラスを傾けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「香月教官は、何時もああなんですか?」

 

「何時もじゃないけど、大体はそうかな~」

 

「でも、怖くないんですか?」

 

「怖いのは怖いけど、ブラッドや極東支部の皆を信用しているからね」

 

 既に慰労会は過ぎさり、周囲は宴会に近い状態になりつつあった。

 今回の襲撃はこれまでの中でもそれなりの規模ではあったが、その一番の要員でもあったアラガミは実際には背後から来る大型種から逃げている事実があった。

 当然ながら逃げる要因でもあったアラガミを駆逐すれば、後は烏合の衆と同じ。中型種や小型種の殆どは防衛班によって駆逐されていた。

 勿論、ブラッドもまたスパルタカスを討伐した後は反転攻勢をかけている。

 幾ら逃げ惑うとは言え、アラガミに対しての油断は何処にも無い。だからなのか、反撃の可能性を視野に入れつつも、討伐の速度はこれまでに無い程の早さで実施していた。

 

 仮に冷静になった瞬間、牙をむく可能性が否定出来ない。そうなれば死傷者が出る可能性が高かった。

 そうならない為にブラッドが講じた策はナナの血の力『誘引』を利用した戦術だった。

 恐慌ゆえに反応は悪いが、最前線を走るアラガミよりも背後に近い物はナナに反応する。そうなれば巨大な流れは一瞬にしてバラバラになっていた。

 勢いが一度でも萎めば後はそれ程苦になる事は無い。

 引き寄せられたアラガミを各個撃破する事によって一気に終息へと向かっていた。

 既にブラッドの戦術や血の力を知る人間はその動きを利用する。ブラッドだけのミッションでは無い為に、事前に各部隊へと通知された結果だった。

 

 

「でもその血の力って解明されていないんですよね?」

 

「ええっと……まあ、そうだね。榊博…支部長もそんな事言ってたかな」

 

 研修とは違うからなのか、それともこの雰囲気がそうさせるからなのか、ナナはタジタジになっていた。

 実際にブラッドが教官として檀上で話をする事になってから、ナナは何を話せばいいのかをずっと考えていた。

 戦術面やバレットに関しては、それ程理解している訳では無い。事実、バレットや戦術に関してはシエルがこれでもかという程にやっていた。

 ロミオやリヴィは日常生活の中でどうやって鍛えるのかだったり、常に体幹を考えて動くなど割と他の支部では教える事が少ない物を説明していた。

 

 それに対してナナが話した事はそんな専門的な物ではない。

 普段から培った疑問をどうやって解決するのかなど他とは着眼点が明らかに違う事を説明していた。

 元々ブラッドが説明した事の殆どは教導の際にも話が出る物が殆ど。シエルの様に詳細にまで深くなる事はマレだが、それでも普段のブラッドを知る事を重視した為にナナの話は意外と好評だった。

 それもあったからなのか、気が付けばナナの周囲には数人の候補生が居る。本音を言えば他のメンバーの所にも行って欲しいとさえ考えていたが、流石にそれを口にする事は無かった。

 

 

「私達も実際にオラクル細胞に適合しているのは半分程なんです。本来であれば全員が望ましいみたいですが、こればっかりはどうしようもないんですよね」

 

「あ~確かにそうかも」

 

 候補生の言葉に、ナナもまた不意にフランやヒバリの事を思い出していた。

 実際にフェンリルに所属する人間は適性こそあるが、その殆どは適合する神機が無い事が最大の要員だった。

 以前に何気なくヒバリやフランから聞いた際にも、似た様な事を言っていた記憶があった。幾ら自分達にその気があっても肝心の神機が無ければ無意味でしかない。人的資源が会議られている現状、遊ばせる位なら戦術の一つも学んだ方が良いとの行動の結果が今に至っている。

 候補生の何気ない言葉ではあったが、ナナはそんな事を思い出していた。

 

 

「でも、神機もだけどゴッドイーターになるだけが全てじゃない。実際にオペレーターや整備班の人達が居るから私達も全力で戦えると思うよ」

 

「そうですよね。やっぱり香月教官もそう思いますよね!」

 

「う、うん。他の支部は知らないけど、少なくともここではそんな事を卑屈にとらえている人は居ないよ。それにゴッドイーターじゃない人だってかなりの実力を持った人も多いから」

 

 候補生の迫力にナナは珍しくたじろいでいた。

 普段であればこうまでグイグイと来る人間は少ない。寧ろナナがその役目だった。これまでに経験した事が無かったからなのか、ちょっとづつ距離を取っている。助けを求めようにもナナの周囲にブラッドのメンバーは誰も居なかった。

 

 

 

 

 

「やっぱりナナの周りは人が多いよな」

 

「そうだな。何だかんだと一番話がしやすいのは事実だ」

 

「でも、今回の件は結構勉強になったよ」

 

 ナナに人が集まっている事をロミオとリヴィは遠目で見ていた。

 実際にブラッドの中で一番話がしやすいのはナナなのは間違い無かった。

 ジュリウスやシエルはどちらかと言えば話すのは問題ないが、会話が続くとは思えない性格をしている。ギルもまた同じ様な部分が多分になった。

 事実、ギルは候補生から話かけられない様なオーラが漂っている。

 折角話をしたのであれば、もっと積極的に行けばとさえロミオは考えていた。

 本来であればロミオもまたナナと同じような部分はあったが、螺旋の樹から救出されてからは見た目から遠慮される部分もあった。

 

 以前のロミオを知る人間んであれば気にしないが、今のロミオには鍛えられただけの風格があった。

 それほど鋭い訳では無いが、漆黒の羽織が何となくその雰囲気を醸し出している。

 リヴィはそんなロミオを見かけたから、近くに来ただけの話だった。

 

 

「珍しいな。まさかロミオの口からそんな言葉が出るとは」

 

「俺だって常に進化する為に勉強はしてるよ。それに下手な事すれば屋敷に行くとボコボコにされるからな」

 

「確かに否定出来ないな」

 

 ロミオの言葉にリヴィもまた少しだけ思い出したかの様に呟いていた。実際に屋敷での教育は外部居住区に住む子供に比べればかなり高度な物を教わっている。その中の一つが剣術や体術に関する武技全般だった。

 ここではナオヤが教導教官としてやっているが、屋敷では年頃の子供がその役目を果たしている。

 実際にロミオもまた何度か対峙した事があったが、ゴッドイーターとしての能力を使用したゴリ押しであれば勝率は高いが、それ以外となればかなり低かった。

 純粋な技術が本当の意味で必要かと追われれば疑問が起こるが、エイジや北斗を見ている限り、真っ向から否定する事は出来なかった。

 

 ナオヤに至っては、一般人としての枠で考えた瞬間、自分が地面を舐める事になる。既に慣れた人間は最初の段階で警戒するが、未だ何も知らない人間は最初の段階でその洗礼を浴びていた。

 躰のキレが増せば攻撃力だけでなく回避能力まで向上する。ここで学ぶ技術は、アラガミの討伐だけでなく自分の命を失わない為の技術でもあった。

 その真意が候補生にも伝わったのかは疑問だが、それでも何かしら学ぶものがあればと考えていた。

 ブラッドとしては短いが、ゴッドイーターとしての経歴を考えれば、少しだけ振り返る事が出来ていた。

 気が付けば随分と遠くまで来たのかもしれない。そんな取り止めの無い事を考えていた。

 

 

「ん?どうかしたか?」

 

「いや。ロミオも随分と大人の思考をしたかと思ったが、案外と違ったみたいで安心したと思ってな」

 

「それって褒めて無いよな」

 

「褒める要素があったのか?」

 

「いや……ほら、そこは普通に……こう、何か言う事があるよな」

 

「何だ?悪い物でも食べたのか?」

 

「んな訳ないって!」

 

 リヴィの物言いにロミオは分かりやすい程の肩を落としていた。

 ブラッドがまだジュリウスとロミオだけの頃の話はリヴィも何となく話を聞いていたが、実際にロミオを見たのは完全に復帰してからしか知らない。少なくともリヴィの知るロミオは冷静沈着にミッションをこなしているイメージの方が強かった。

 

 実際にリヴィもまた何度とロミオのフォローを受けている。それがある意味では頼もしかった。

 本当の事を言えば、これを機に本当の事を言っても良かったのかもしれない。だが、それを言えばロミオは調子にのるかもしれない。そんな思惑があるからこそリヴィもまたその内にでも言えばと考えていた。

 周囲を見れば既に一部では宴会が始まっている。やっぱり最後はこうなったかと思いながらも本当の事を言えば内心は嬉しさがあった。

 

 極東支部に配属されてからは、まだそれ程の時間は経過していないかもしれない。だが、この光景を考えた時、不意に以前の職場でもあった情報管理局の事を思い出していた。

 任務での付き合いはあったが、こんなバカ騒ぎをした記憶は一度も無い。

  数人と食事をした事はあったが、それはあくまでもブリーフィングやミーティングを兼ねた物。

 来た当初は理解出来なかったが、今なら分かる。皆が全力で生きる為に前を向いている。そんな感情がリヴィを支配していた。気が付けば無意識の内に会場内を眺めていた。

 

 

 



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第138話 改善

 ゴッドイーターは人類の為の矛となり盾となる。

 その為に常に戦場に出るその姿は紛れも無く戦場の華。

 誰もがその活躍に目を向け、また、その結果に未来を見る。

 そんな事もあってなのか、ゴッドイーターは完全に表舞台に出るに足りる人物像を持っていた。

 だが、そんなゴッドイーターと言えど、生体兵器でもある神機無しで活躍する事は出来ない。戦いが終わる度に常に神機には目を凝らし、不具合が無い様に整備をする。お互いの信頼関係が成り立っているかこそ戦場で命を預ける事が可能だった。

 

 

「漸く終わった……か。皆ご苦労さん。これで一先ずは落ち着いた。交代のやつらが来たら存分に羽を伸ばしてくれ」

 

「漸くかよ……俺、家に何時から帰ってないんだよ」

 

「俺だって同じだ。多分、家の冷蔵庫の中身は終わってるさ」

 

 班長の声は整備班の全員に聞こえるかの様に響いていた。

 大規模な出動があった場合、その殆どは作戦の下に実行する。

 幾ら生体兵器と言えど、連続して使い続ければ色々な部分が摩耗し、やがては故障へと繋がる。そうならない為にも、戦闘中であっても整備班の仕事が無くなる事は無かった。

 

 寧ろ戦いが終わってからが本当の意味での本番になる。

 誰もがこんな状態を幾度となく経験はしているが、だからと言って好き好む訳でもなかった。

 なぜなら既にこの場所に事実上缶詰の状態になって1週間が経過していた。

 戦いが終わったゴッドイーターは基本的にはそれで終わる。勿論、戦場で自分の命を張った戦いをする為に、その事に関しては何の感情も無い。問題なのは、一度にやるべき数が多すぎる事だった。

 

 元々極東支部に限った話だけでなく、フェンリル全体でも分かる事だが、現場と裏方の人間の配置には一定の方向性があった。

 元々整備をするのは常に決められたローテーションで回す。当然ながらそのローテーションに即した形で整備班の人間が補充されていた。

 今のフェンリルに暇を持て余すだけの余剰人員は何処にも無い。ましてやここ極東支部に関しては最たる物。

 時間にゆとりがある時であればナオヤも教導に出るが、大規模な作戦が開始されればその限りでは無かった。

 一人が受け持つ数はそれなりになる。だが、作業がベテランになれば成程その数は膨大になっていた。

 特に作戦群ともなれば人員は事実上の最大数が出動する。その結果、作戦が終わっても整備が終わる道理は何処にも無かった。

 人間は二十四時間動く事は出来ない。当然ながら何処かで休息を取る必要があった。

 その瞬間、整備は完全にストップする。そうならない為にも人員は常にギリギリまで作業に追い込まれる形になるのが殆どだった。

 

 

「だよな。一応は物資は支給されるけど、せめてゆっくりと過ごすだけの時間は少しは欲しかったな」

 

「人手が足りないのは何処も同じだって。俺らよりも寧ろ班長達の方が大変だろうがな」

 

「言えてるな。さて、俺も家に帰ってからは寝る前に部屋の整理だな」

 

「あ~帰りたいけど、返りたくねえ!」

 

「嫁さんでも貰ったらどうだ?」

 

「そんな暇なんて何処にもねえよ!」

 

 半ば切れ気味になっていたのは、これまでのテンションが影響しているから。実際に自宅に帰っても単身者は自分でやるしかなかった。

 嫁が居れば何かが違うのかもしれない。だが、整備班はゴッドイーター程魅力があるとは言い難い部分が多分にあった。

 一番の理想は職場内で見つける事。だが、極東支部に於いては整備に携わる女性はリッカを含めて片手にも満たなかった。

 

 

「とにかく、今は仕事が終わった事だけを考えるしなないって。折角だし、久しぶりにあの店にでも寄るか?」

 

「そうだな……腹も減ったし、それが一番だな」

 

 仕事から解放されたからなのか、誰もが表情を明るくしていた。

 交代で現場を回すと同時に、碌に休息すら取れない環境。常時ではなく偶に起こるからこその感情だった。

 整備班の大半はアナグラの居住区ではなく、外部に住んでいる。その為に、ほどんどがアナグラから出る事になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だ?まだやってたのか。いい加減休んだらどうなんだ?」

 

「俺は交代が来るまでの勤務なんで」

 

「そうか……済まんな」

 

 人数が少なくなった作業部屋には数える程の人数だけが残っていた。その中の一人にナオヤが含まれている。

 本来であれば班長がその役目だったが、班長もまた不眠不休で動いていた。

 ナオヤもまた、その事実を知っている。その為に自らが進んで班長と交代していた。

 

 

「俺は基本的には帰っても特に問題は無いですから」

 

「そうだったな。だが、躰が資本なのはゴッドイーターだけじゃないんだ。適当に休めよ」

 

「分かってますよ。俺よりも班長の方が大変そうでしたから」

 

「……確かに。今回のは特に厳しかったからな」

 

「でも、そのおかげで暫くはアラガミも大人しくなりますよ」

 

「違いない。悪いが、後の事は頼んだ」

 

「ええ」

 

 そう言いながらナオヤは神機の状態を確認していた。既に整備が終わった物から順次、出撃可能である情報を更新していく。実際にオペレーターもまたその情報を基にメンバーを選んでいた。

 厳しい戦いになればなる程に神機の見極めは重要になる。その為に、必ず一定上の熟達した技術者の待機が義務付けられていた。

 ナオヤもまた該当する一人。気が付けば周囲の人影はまばらになっていた。

 

 

 

 

 

「あれ?ナオヤはまだ終わらないの?」

 

「ああ。班長と変わったんだよ。俺よりも班長の方が厳しそうだったからな」

 

「そっか………それよりも、今日なんだけど、向こうに行っても大丈夫かな?」

 

「俺に許可なんて取らなくてもリッカはもう顔パスだろ。毎回気にする必要は無いんだけどな」

 

 ナオヤの背後から聞こえたのはリッカの声。本来であれば整備班の女性陣は率先して自宅に戻る事が可能だった。

 本当の事を言えば性差で仕事を変えるのは問題が多い。だが、ここでは班長の裁量によってそうなっていた。

 男とは違い、女が油にまみれたまま働くのは申し訳ない。そんな旧時代の感覚を持っていた結果だった。

 だが、緊急時だからとリッカだけは同じ様に動いていた。ここでのリッカは古参の部類に入る。ナオヤとは違った意味での技術者の為に、結果的には常駐せざるを得なかった。

 

 リンクサポートシステムに代表されるシステムはリッカがメインとなって運用している。幾ら整備をしても機械である以上、絶対は無い。万が一の際には命そのものを預かる事があるからと言った言葉が大前提だった。

 結果的に時間が続く限り整備班に詰めている。厳しい戦いが終わった時点でリッカもまた自宅に戻る事が可能だった。

 

 

「いや、誰だって遠慮するって。アリサだってそうだって聞いていたからさ」

 

「そうか。俺としては気にしなくても良いと思うんだけどな」

 

「もう……女としては色々あるの。その辺りは察してよ」

 

「帰ってから色々とするのが嫌なだけじゃないのか?」

 

「…………そ、そんな事は無いよ」

 

「……どうだか」

 

 図星を刺された事によってそれ以上の言葉がリッカから出る事は無かった。

 実際にアナグラの中に自室を持っている為に、移動時間を考えればそれが一番だった。

 だが、これまでの状況を考えると疲れ切った身体に鞭を打ってまで何かをしたいとは思わない。本当の事を言えば、アナグラの共用部分にも風呂があればそれに浸かりたいとさえ考えていた。

 それならラウンジで食事をすれば一息つける。そうなればまた違った未来がそこにあるはずだった。

 

 

「……まあ、何だ。俺から連絡しておくよ」

 

「ありがと。愛してる」

 

「はいはい。そりゃどうも」

 

「もう。私の言葉は安くないんだけど」

 

 軽口の様な言い方にリッカは少しだけ思う部分があったが、何だかんだとナオヤが了承してくれた事は有難かった。

 屋敷までなら最悪は弥生に言えば移動手段は用意出来る。そう考えれば少しだけ気持ちは軽くなっていた。

 本当なら着替えの一つも持って行くのが筋だが、向こうにも幾つか着替えは置いてある。その為、リッカは自分の身一つだけで移動が可能だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ~。やっぱりシャワーだけってのはダメだね。何だか、疲れの癒され方が違うみたい」

 

 独り言にしては随分と大きな声が浴室に響いていた。

 実際に今はリッカだけが使用している。既に手慣れてはいたものの、ここに単独で来る機会は実際には片手程だった。

 お湯につかる事によって疲労が抜けていくような感覚が全身に広がる。実際に作業明けに鏡で自分の顔を見た際には驚く程に疲労が溜まった顔をしていた。

 幾ら周囲は男が多い職場と言えど、リッカ自身が納得できるはずが無い。躰そのものは清潔にしているが、疲労の面に関してはその限りでは無かった。

 実際にこうやってお湯に浸かる事によって漸く全身の筋肉がリラックスしているのか緩んでいる自覚がある。

 本当の事を言えばこのままずっと居たいが、生憎とそう言う訳にはいかなかった。

 一人の為に周囲の気配は分からないが、ここに近づく音が聞こえる。元々男女の区分けはされていない為に、本来であれば警戒するが、ここの住人がそんな事に気が付かないはずが無い。そんな取り止めの無い事を考えていた直後、浴室の扉が開く音があった。

 

 

「あれ?リッカさんも来てたんですか?」

 

「アリサ。お疲れ様」

 

 事前に誰かが居る事をアリサもまた知ってはいたが、まさかリッカだとは思っていなかった。

 元々ここに縁が無い人間がそう簡単に来る事は早々無い。アリサ自身は既にここに来てかなりの時間が経過しているだけでなく、実際に身内である為に気軽に来ていた。

 だが、リッカに関してはその限りではない。事前に連絡が無い限り来る事は余り無かった。

 

 

 

 

 

「ちょっとだけナオヤに頼んだんだよ。アナグラだとシャワーしか無いから、どうしても疲れが抜けないんだよね」

 

「確かに否定はしませんけど………」

 

 何となくアリサの目が追及したい様な感情に溢れていた。

 勿論リッカもその事に関しては否定はしない。だが、これまでの事を考えるとどうしてもリッカは劣勢になりやすかった。

 一番の要因はナオヤの存在。勿論、それなりに付き合いもあり隠すつもりも毛頭無い。それはアリサだけでなくヒバリもまた同じだった。

 だが、この場所にヒバリは居ない。ミッションが終わってからはタツミと合流している為にここに来る必要性が無いからだった。

 

 

「そんな目で見なくとも言いたい事は分かるから。流石に今回のミッションに関しては…ね」

 

「まあ、確かにそうですね。今回のは何時もとは少しだけ毛色が違ってましたから」

 

「ゴッドイーターの皆も損耗率が激しいのは知ってるよ。実際に神機の内容を見れば、今回の作戦は負担も大きかったみたいだしさ」

 

「部隊編成の隙を突かれた形でしたからね。ある意味では仕方ないですよ」

 

 露骨ではあったが、リッカはアリサの追及をかわす為に話題を強引に転換していた。

 今回の作戦に関してはかなり厳しい部分が多分にあった。支部を挙げての総力戦とまでは行かなかったが、それでもゴッドイーターの損耗率が高い物になっていた。

 

 一番の理由がベテランや中堅が偶然にも少なかった事。特にクレイドルとブラッドの両部隊が長期のミッションに出向いていたのがその証拠だった。

 当然ながら支部の中で一番と二番を争う火力が無いとなれば、後は既存の部隊でやり繰りをする事になる。

 実際に今回の作戦の総指揮はタツミが執っていた。

 

 防衛班とは言え、攻撃そのものを全くしない訳では無い。ただ突出した攻撃能力を持っていないだけで、他の支部から見れば十分に第一部隊として通用するレベル。そんな防衛班を苦しめたのは横から乱入する変異種の存在だった。

 通常種や堕天種とは違い、変異種は見た目その物は通常種と何も変わらない。決定的に違うのは攻撃方法と、その思考。

 ゴッドイーターからすればかなりいやらしい戦い方をしていた。

 当然ながら通常種よりも変異種の方が圧倒的に攻撃力が高く、隙も中々見る事は出来ない。だからと言って討伐だけに集中する訳にはいかなかった。

 

 体験した事が無い攻撃とその威力。見た目とのギャップが更に混迷を生む原因となっている。これがベテランや中堅であれば何らかの警戒をするのかもしれない。だが、新人に毛が生えた程度のゴッドイーターはそんな事実を何一つ知らなかった。

 視界から入る情報と事前に知った情報に大きな齟齬出る。そうなれば誰もが一瞬でも止まる部分があった。

 何処までが本当で、どこまでが違うのか。その為には一定の距離を保ちながら接近する必要があった。

 接近しながらの情報収集は危険が伴う。そんな行動から命を護るにはどうしても神機を盾にする必要があった。

 これがベテランになればそこまで追い込まれる事は早々無い。

 本来であれば教導の中でも変異種の事は多少なりとも学ぶ必要があるが、実際には個体差が大きい為に教えるのは困難だった。

 

 

「でも、命あっての物種だからね。私達はその命を護る手段を少しでも有利にする為にやってる様な物だから」

 

「確かに神機があっての話ですから」

 

 アリサもまたこれまでの状況であれば、裏方がどうなるのかを理解していた。

 初めて感応種が出た際に、神機が動作不全に陥った事によって自分の命が脅かされた事はまだ記憶に残っている。幾ら超人的な能力を持つとは言え、それは神機を所有している事が前提だった。

 無手でやれる事は何一つ無い。それを考えるからこそ、リッカ達整備班には頭が上がらない思いがあった。

 一言だけ告げると同時にリッカはお湯を顔に付ける。何時もとは違うやり遂げた表情にアリサもまたこれ以上騒ぐのはと考えていた。

 

 

 

 

 

 

「いや~お風呂上りにはこれが一番だね。生き返るよ!」

 

「リッカさん、幾ら何でも寛ぎ過ぎですよ。少しは自重するとかしたらどうですか?」

 

「え?これでも十分に自重してるつもりだけど」

 

「本当ですか?」

 

 胡乱なアリサの視線を無視するかの様に、リッカは容易されていた炭酸水を流し込む様に飲んでいた。

 ラウンジで出る様な強炭酸ではなく、喉を潤す為の微炭酸。本当の事を言えばアルコールの方が良いのかもしれないが、流石に自室では無い為にそれはしなかった。

 喉ごしに弾ける感覚が火照った身体に染み渡る。まるでどこかの親父の様な仕草にアリサもまた先程とは違った感情が芽生えていた。

 

 

「シャワーだけだと、こうはいかないよ。やっぱり疲れた時はこんな感じの方が良いんだよね」

 

「まあ、否定はしませんけど。でも、少しは慎みを持っても良いんじゃないですか?」

 

「その辺は、ほら………久しぶりって事で」

 

「その内、愛想をつかされますよ」

 

 アリサの苦言にリッカは少しだけ劣勢である事を自覚していた。

 本当の事を言えばアリサがここに来る事は考えていなかった。確かにここは自室ではない。だが、ある意味ではアリサも同じ。決定的に違うのは夫婦かそうで無いかの違いだけ。

 アリサの言わんとする事は理解している為に、リッカはそれ以上は何も言う事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って事があってさ。でも、疲れが取れたのは有難かったよ」

 

「確かに、アナグラにはそんな施設はありませんからね。他の支部だとある所もあるらしいですけど」

 

 休暇が終わり、何時もの喧噪が戻り始めた頃、リッカはロビーのソファーでヒバリと休暇についての話をしていた。

 実際にお湯に浸かる効能がどれ程あるのかはヒバリとて知っている。これまでに温泉に入った経験を踏まえれば疲労を短期間で抜くのがどれ程効率が良いのかも理解していた。

 だが、肝心の施設を作るには支部長にもある程度の説明が必要になる。ましてや極東支部はフェンリルの中でもかなり古い施設に属する為に、何かにつけて難しい部分が多分にあった。

 一番の問題は設置するだけのスペースの確保。水資源に関しては完全に濾過し、循環させる事によって可能となっている。

 ただ、増える人員の事を考えると二の足を踏む事が多かった。

 実際にヒバリの立場であれば、 ある程度の内部の状況を調べる事は難しくない。本当の事を言えばやれない事は無かった。

 やらないのは立場が違うから。榊の性格を考えればその考えは尚更だった。

 

 

「あると便利だけど………」

 

「あら、面白そうな話をしてるのね」

 

「や、弥生さん」

 

 背後からの声に振り向くと、そこには弥生の姿があった。手には書類を持っており、時間的には休憩のがてら来ている事に間違いは無かった。

 

 

「そう言えばリッカちゃん。洗濯したあれは何時もの場所に置いてあるから」

 

「有難うございます。また確認しておきますから」

 

「参考までに言わせてもらうと、もう少し色気があっても良いと思うんだけど」

 

「その件はまた追々と……」

 

 まさかの弥生の言葉にリッカの言葉は徐々に小さくなっていた。

 ここに居るのは他にヒバリしかしない。下には聞こえない程度の声ではあるが、それでも隣に居たヒバリには丸聞こえだった。

 気が付けばヒバリの表情は何となくニマニマしている。弥生がここから去れば確実に何かしら飛び出すのは決定的だった。

 

 

「そんな事より、ここにも浴室施設の設置って出来ないんですか?」

 

「そうねぇ。出来ない事は無いわね。最近は区画整理も終わってるのと同時に、防衛網も完備してるから外部居住区に移る人も多くなってるし、理論上は可能よ」

 

「理論上って事は、何か問題でも……」

 

 まさかの言葉にリッカだけでなくヒバリも驚きながらに会話に参加していた。

 アナグラでは基本的にシャワーだけの為に、お湯に浸かろうとすれば外部居住区まで足を運ぶ必要があった。

 基本的には誰でも利用できる為にゴッドイーターでも問題は無い。だが、周囲には一般人の方が圧倒的に多い為に、利用は躊躇われていた。

 忌避感は無いが武骨な腕輪はかなり目立つ。ましてや裸の状態であれば更に目立っていた。

 名前と顔が売れているとなれば人は更に寄って来る。

 悪感情は無くとも落ち着く事が出来ない事に間違いは無かった。となれば問題が解決すればそんな事は無くなる。弥生の言い方であれば、それさえクリア出来れば設置は可能だと言ってるのと同じだった。

 二人の視線が自然と強くなる。それを理解したからなのか、弥生もまた苦笑しながらもその理由を語っていた。

 

 

「一番は広さの問題ね。それと、支部に来る人の利用率かな。設置となればシャワー室を改装する事になるから、使わない人が多くなると色々と面倒なのよ。

 それさえクリア出来れば支部長としても福利厚生の一つとして予算が使えるはずよ」

 

 実際に極東支部の大半はここの住人である。以前であればそれ程問題にはならなかったが、今は完全に違う。色々な支部から人が来る為に、利用率と言われれば安易に答えが出なかった。

 個人的には良くても、支部としては判断が難しい。そうなれば設置の為には多少のハードルがあった。

 予想以上にハードルが高い。これが他の人間であればまだ考えは違うのかもしれない。だが、それが弥生であった為に、その言葉には重みがあった。

 ゆっくりと勢いが低下していく。その表情は見るまでも無かった。

 

 

「とは言ってもやれない事も無いの。少しだけ時間を頂戴。何とかなると思うから」

 

「でも、大丈夫なんですか?利用率を考えると少し分が悪い様にも思えますが………」

 

「それも含めてよ。ちゃんとした物があれば大丈夫だから」

 

 リッカの言いたい事を弥生は受け止める。利用率がどうなのかはリッカには分からなかった。

 実際に弥生が口にする以上、お茶を濁す様な事はしないはず。

 これまでの事を考えればそう考えるのは当然だった。

 今直ぐには難しくても出来るのであればそれを待つしかなかった。

 

 

 

 それから1ヶ月後、一部のシャワー室が改装され、新たに浴室が作られる計画が発足していた。

 

 

 



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第139話 コウタの役割

 雷鳴の様な轟音は、一つの質量体を持って聖母へと襲い掛かっていた。

 これまでに幾度となく撃ち込んだ銃弾によって不思議な衣の所々は崩壊している。

 既に体表にも血液の様な夥しい赤が噴き上げ、既に残された命はそれ程ではない。

 過去に一度も交戦経験が無い人間であったとしても、既に命の灯が消える寸前である事は容易に想像出来ていた。だからこそ、一撃必殺とも取れる銃弾は聖母の額めがけて飛翔する。

 動く事も困難だからなのか、聖母の様なアラガミは回避する事も出来ないままに、額に大きな穿孔を生んでいた。

 着弾した瞬間、聖母の目は僅かに見開く。その後はまるで何も無かったかの様に飛翔していた体躯を地面へと沈めていた。

 

 

《対象アラガミのオラクル反応は消失しています。既に帰投の準備は初めていますので、暫くお待ちください》

 

「了解。こっちも帰投準備に入るよ」

 

《周囲にアラガミの反応はありません。ですが、警戒だけはお願いします》

 

 既に手慣れた会話に部隊のメンバーもまた通信機を耳にしながらも周辺状況を探っていた。

 元々今回のミッションは感応種の中でもかなり厄介な部類に入っている。『ニュクス・アルヴァ』はある意味では極東に限らず、ゴッドイーターの鬼門とも言えるアラガミだった。

 初めて対峙した瞬間、全ての攻撃が通用しないとまで言われていた。

 だが、様子を伺いながら交戦する際、一つの事実が浮かび上がる。

 剣における直接攻撃は何の変化も見せないが、銃による攻撃に関してはその限りではなかった。

 一度攻撃の手段が知れれば後は何時もと何ら変わらない。当然の様にニュクス・アルヴァには銃弾の雨嵐が吹き荒れていた。

 

 

 

 

 

「今日は本当に助かった。まさかこんな場所に出るとは思わなかったからさ」

 

「いえ。今回のこれは仕方ないです。流石にニュクス・アルヴァだとは思いませんでしたけど」

 

「でも、結果オーライって事で」

 

 コウタの何気にない言葉に北斗は少しだけ畏まっていた。

 元々今回の作戦に関してはコウタが取り纏めをしたミッションが発端だった。

 事実、今ののメンバーは何時もの第一部隊ではない。新人を投入したそこそこのミッションのはずだった。

 これまでのコウタの事を考えれば北斗やシエルが介入する必要が無いミッション。

 事実アナグラもまた同じ感覚だった。

 

 だが、そんな感覚を嘲笑うかの様に現場に一つのアラガミが乱入する。それが今回の『ニュクス・アルヴァ』だった。

 これまでの交戦経験は事実上の片手にも満たない数しか発見さいていない。その為に解析するだけの個体が確保されていなかった。感応種の中でも更に希少な個体。その時点でブラッドが出動する事案となっていた。

 

 リンクサポートシステムを使うにしても、これまでに出没した数はかなり少ない。

 これがそれ以外のアラガミであれば考える必要が無かったが、このニュクス・アルヴァに関して完全に想定外だった。

 最大の要因は銃撃のみダメージを与える事が可能だった点。これまでのゴッドイーターであれば自分の得手にだけ注視し、それ以外は何の感想も並べる事が無かったから。

 だからこそ、このアラガミの存在はある意味では厄介だった。

 

 既に得手不得手を口にする事を許さない。第一世代型神機であれば仕方ないが、それ以外のゴッドイーターは押並べて銃撃の必要性を実感していた。

 襤褸切れの様になった体躯から、黒い咢はコアを引き抜く。これまでのアラガミとは違い、感応種独特の宝石の様な光沢が、その存在を示すかの様だった。

 

 

 

 

 

「あの、お蔭で助かりました」

 

「有難うございました」

 

「いえ。気にしないで下さい。それよりも大丈夫でしたか?」

 

「は、はい。でも、俺、初めて感応種を見たんで………」

 

「わ、私もです……」

 

 中堅やベテランであっても初めて感応種と対峙した瞬間の異様さは直ぐに感じ取っていた。

 実際に神機が機能不全になる事は知識として知っていても、体感する事は殆ど無かった。

 ましてや今回の様に特殊個体ともなればその脅威度は格段に高くなる。リンクサポートシステムを使わない以上はスタングレネードによる撤退以外に手段は何もなかった。

 

 

「まあ、良い経験になっただろ?それに今後は銃撃の重要さも感じたなら、もっと教導も必要だろうしさ」

 

「そうですね。今回の件はかなり役に立ちました」

 

「でも、銃撃って、ツバキ教官なんですよね?」

 

「どうだろう。サクヤさんかもしれないし、それは何とも言えないかな」

 

 コウタの何気ない一言に新人もまた少しだけ緊張がほぐれはしたが、完全にそうかと言われれば微妙だった。

 実際に銃撃の教導は一定上の技量を要求される為に、近接の教導とは違った内容になっていた。

 元々ツバキにしてもサクヤにしても、射撃に関しては一級のセンスを持ち、ツバキに至っては極東支部がまだ今の体制になる前から一線を張っている。

 サクヤにしてもまた同じだった。

 

 だが、この二人に決定的に違うのは指導方法。ツバキの厳しさとサクヤの厳しさには質が異なっていた。

 緊張感はお互いにあるが、ツバキに関しては空気が凍結するとさえ思う程。誰に当たるのかは当日のその場に行かない限り分からない状態だった。

 だが、それ以上に技術面の向上は限りなく上昇する。新人でさえもそれを知っている為に、銃撃の教導の際には色々な意味で緊張感に包まれていた。

 

 

「その前に感応種への慣れも必要だろうな」

 

「北斗の言う通りですね。冷静さを失うと普段の実力の一割も発揮出来ません」

 

「まあ、その辺りはおいおいだよ。まだ新人なんだしさ。感応種の対策は今後の教導にも活かされるはずだから」

 

 感応種が出た時点で本来であれば撤退を余儀なくされる。それは極東のゴッドイーターであれば常識だった。

 辛うじて戦う事が出来るのは、クレイドルの一部とブラッドだけ。だが、実際に滞りなく動く事が出来るかと言われれば疑問もあった。

 人間誰もが想定外の状況に陥れば直ぐに動く事は難しい。今回の件に関しても、コウタの指示が出た事によって漸く動く事が可能だった。

 

 

「でも、今回の感応種はある意味では特別な存在ですから、良い経験になったと思いますよ」

 

「そうだな。今後はリンクサポートシステムを使用すれば影響を受ける事は無いだろうから」

 

 シエルと北斗の言葉に新人もまた改めて教えられた事を思い出していた。

 実際にブラッド以外のゴッドイーターはリンクサポートシステムを利用する事によって感応種の影響を完全に防いでいる。そうなれば感応種であっても、ただのアラガミと同じだった。

 新人の段階ではその辺りの説明だけ終わる為に、何も知らない可能性の方が高い。だが、中堅になればそれと実戦も併せて付いていた。

 まだ知らない世界が故に過剰な反応を示す。シエルだけでなく北斗もまた自分体がブラッドに入った頃を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

《素材の回収は全部終わったから、そっちに行くね》

 

「了解。周囲にアラガミの気配は?」

 

《今の所は無いと思う。アナグラからの情報はどうなってるの?》

 

「今の所は問題無いみたいだって」

 

 何気なく新人とブラッドの二人を眺めていたコウタの耳朶にはマルグリットからの通信が入っていた。

 本来であればコウタと新人も動くのがこれまでだったが、初めて感応種を見た新人と、ブラッドの二人をそのままにする訳には行かなかった。

 

 実際に北斗にしてもシエルにしても、それ程フレンドリーな性格をしている訳では無い。北斗に至ってはブラッドに配属された頃はそれなりに人間関係を構築するべく話かけていたが、極東支部に配属されてからはそれ程話しかける事は無かった。

 一番の要因はエイジとナオヤの存在。自分よりも明らかに格上の技量を持っている人間が身近に居れば、自然とそちらに力が入るのはある意味では当然だった。

 

 ブラッドが他に比べて有利のは感応種に関してだけ。それ以外は他と同じだった。

 その為に神機の性能やブラッドアーツに頼らない技量を磨いていた。そうなれば必然的に他のゴッドイーターとの関連性は低くなる。その結果として新人が北斗の姿を見る機会が激減していた。

 そうなれば、ある意味では北斗の存在はレアな部類に入っていた。ブラッドの中で考えれば、北斗以外の人間は割と顔が知れていた。

 実際に今回の様なイレギュラーな部分が無ければ、北斗は感応種の際に出動する事が殆どだった。

 実際に北斗の『喚起』の能力色々な意味で凡庸性に優れている。リンクサポートシステムを利用するよりも北斗の能力を使う方が結果的には便利だった。

 一番の要因は想定外の感応種が現れてた場合。リンクサポートシステムは基本的には事前に分かったアラガミの能力を反映した形で運用をしている。だが、最前線で利用する機会は早々無かった。利用率の高さで言えば一番は防衛班。ある意味当然の事だった。

 

 実際に防衛班が利用するのはそんな意味があった。

 事前にアラガミの種類が分かっていればその対処は難しくは無い。どんなアラガミであっても弱点となる属性を変化する事は不可能でしかない。それがこれまで、世間一般が考える常識だった。

 だが、感応種が存在した事により、その常識は脆くも崩れ去る。

 その結果としてこれまで以上に教導カリキュラムが厳しくなっていた。

 何も分からない状況での指導であれば音を上げる者や不満を漏らす者も出てくる。だが、最初の段階で明確な数値にして居る為に厳しい内容であっても文句は出なかった。

 一時期は憧れによる人数の増加があったものの、ここ最近になってからそのブームはひと段落していた。

 勿論、損耗率を考えれば適合者を遊ばせる余裕はない。クレイドル計画が順調に進んでいる事もあってか、防衛の為の配備に余念がなかった。誰でも自分の命は惜しい。死なない為には努力するよりなかった。

 

 

 

 

 

「そうだ。折角だし、偶には奢るから皆でメシでも食わない?」

 

「でも………」

 

「大丈夫だって。北斗達だって、この後の予定って急ぐ様な物は無かったよな?」

 

「特段、急ぎの用件は無いですね」

 

「だろ。中々こんな事が無いとブラッドとも交流する機会は無いからさ」

 

 帰投のヘリの中でコウタは突如として思いついたかの様に話をしていた。

 実際に今回の件に関しては新人からすれば完全に荷が重すぎた。

 北斗達が来なければ完全に命を張った撤退戦が要求される事になる。これがエリナやエミールが居る第一部隊であればそれ程大きな問題にはならないが、新人の場合はその限りではない。

 

 実際に未知のアラガミと対峙した場合、高確率で取り乱すのは間違い無かった。

 只でさえ実戦経験が不足している所への新種や感応種は完全に混乱する元でしかない。幾ら熟達した人間であってもそんな状態から生き残るには相応の実力が必要だった。そう考えれば帰ってからのラウンジでの食事程度で不安を払拭できるなら安い物。ベテランの中では誰よりもコウタが一番それを知っているからこその提案だった。

勿論、マルグリットもまた、コウタの考えを理解している為に何も言わない。懸念するとすれば北斗とシエルの都合だけだった。

 

 

「出がけにエイジから聞いたんだけど、ラウンジで限定メニューがあるらしんだ。折角だからそれにしようぜ」

 

 コウタの言葉にマルグリットも少しだけ思い出していた。何時もと違った手順と材料から何となくそのメニューを理解していた。恐らく屋敷で料理に関する事を習って無ければ想像すら出来なかったはず。時期的に考えれば理論上は可能ではあったが、まさかそれを本当に取りに行くとは思えなかった。

 只でさえクレイドルの中でもエイジの戦闘力は極東一と言っても過言ではない。そんな最高戦力がそんな事をするとは思えなかった。

 だが、冷静に考えればその選択肢はあり得る。極東支部と言う括りで考えれば無いだけであって、それ以外となれば可能性はかなり高い。コウタはそんな内情なんて考える事は無いが、マルグリットは何となく理解していた。

 だからこそ限定メニューが何なのかは想像がつく。確かに限定と謳うのは当然だった。

 

 

「確かに限定ですね。恐らくはラウンジでさえも全員には賄いきれないと思いますよ」

 

「ひょっとして、マルグリットさんは何なのか知ってるんですか?」

 

「何となくですけどね」

 

 コウタだけでなく、マルグリットがそう言うのであれば何となく限定メニューが何なのかが北斗には想像出来ていた。

 この時期特有のそれであれば今の状況から予測が立つ。何となく懐かしい記憶が蘇ったからなのか、北斗は珍しくうっすらと笑みを浮かべていた。

 

 

「コウタさん。遠慮はしなくても良いんですよね?」

 

「お、おう。でも北斗がそんな顔をするなんて珍しいな」

 

「そうですか?自分としては懐かしい方が先に出ますから」

 

 普段はどちらかと言えば感情が表に出る事は少ない。事実、シエルでさえも北斗の表情が変わるのを見たのは数える程だった。

 今の北斗は何時もと違った表情を浮かべている。だからなのか、この場に居た他のメンバーの表情を見る事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思たより人が多いな」

 

「誰だって期間限定の言葉には弱いと思うよ」

 

 マルグリットの言葉通りラウンジにはそれなりの人が来ていた。

 カウンターの隣にある小さい黒板にも本日のメニューは期間限定である事が書かれている。コウタは事前にエイジから聞いていたからなのか驚く事は無かった。

 

 

 

 

 

「感応種が出たんだってね」

 

「ああ。でも北斗が来てくれたから助かったよ」

 

「ニュクス・アルヴァ……だったよね。あの情報が届いてからはツバキ教官とサクヤさんが色々と相談してたよ」

 

「……マジか。聞かなかった事にする」

 

 感応種が出た際には極東支部に所属する一定上の階級の人間の端末には情報が流れる様になっていた。

 幾らリンクサポートシステムの恩恵があったとしても直ぐに対処出来る人間はそう多くない。防衛班に限っても、まともに対処出来るのは旧の第2、第3部隊の面々だけだった。

 当時の段階でハンニバルに代表される接触禁忌種の危険度はこの場ではコウタが一番知っている。当時の最新の精鋭でさえも対処が不可能だったアラガミ。あの時は偶然だったが、今では必然となっていた。

 そんな特殊な状況を理解しているからこそ今回の話は一定以上の回答が求められる。だからこそ、その対応は至極当然とも言えた。

 

 

「近々案内が来ると思うよ。多分部隊長クラスからだろうね」

 

「俺、これしか無いんだけど」

 

「コウタの場合は戦術面じゃないかな。元々からそのポジションなんだから、今から特殊な事はやらないと思うよ」

 

「よりによって戦術か……」

 

 エイジの言葉にコウタは渋い表情を浮かべていた。

 実際に第一部隊としても指示は出すが、その殆どが新人から中堅に対してだった。

 これがベテランになればそれぞれの考えを持つ為に、指示を出さなくても連携は取れる。今まではそれでも問題は無かったが、やはり、今後の課題が残る以上はその可能性は否定出来なかった。

 それを理解するからなのか、自然と渋面になる。隊長と言えど常に学ぶべき物は多々あった。

 

 

「結果は早く求められるかもしれないけど、今はまだゆとりもあると思うよ。はい、注文の品。数量限定だから残りはそれ程じゃないけど」

 

「おっ、これか!何だか秋って感じだな」

 

 コウタの前に置かれたのは季節限定と言うだけあって、この時期特有の品ばかりだった。

 用意されたのはご飯の中に鎮座する黄色い物体。少しだけ黒胡麻がかけられていたのは彩の為だった。

 メインとなる物は塩焼きの秋刀魚。どうやって仕入れたのかは分からないが、これもまた数量限定で用意されていた。

 本来であればこれに味噌汁が付くが、コウタの性格を考えれば他に何かしらボリュームのある物があった方が満足度が高い。そう考えた末の豚汁だった。

 順番に出されたからなのか、コウタだけでなく、マルグリットや新人の前、北斗とシエルの前にも次々と置かれている。コウタとマルグリット以外は早々見る事は無かったからのか、どこか驚いた表情をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり旨かった。エイジ、サンキューな」

 

「気にしなくても良いよ。本当に数が無かったから、材料が無くなれば終わりだから」

 

「因みに在庫は?」

 

「これで最後かな」

 

「ひょっとして拙かった?」

 

「数量限定だから仕方ないよ。黒板も消したから。〆も出しておくから」

 

 用意されたお茶を飲みながらコウタは他のメンバーを見ていた。

 新人は普段ラウンジに来る事はそう多くない。基本的に誰が来ても問題は無いが、来るのが殆どが中堅以上の為にどこか緊張した面持ちだった。

 だが、今回に限ってはコウタ主体となっている為にその限りでは無い。

 用意された料理に箸を付ければ緊張はほぐれていく。まだ箸が止まる気配は無いが、それも想定内だった。

 

 

「エイジさん。久しぶりにこれ食べました」

 

「そう言ってくれると嬉しいよ」

 

 このメンバーの中で意外だったのが北斗だった。

 普段もここで食事をする事が殆どだが、実際にそれ程食に対して欲求があるとは思えなかった。

 決して口に合わない訳では無い。単純に指向の問題だった。

 出された物の大半は山の物。恐らくは故郷の何かを感じ取っていたかの様だった。

 だからなのか、栗ご飯は何時もとは違いお代わりをしている。隣に居たシエルもまた珍しい表情をしていた。

 

 

「でも、北斗がそんなに食べるなんて珍しいですね。普段はそれ程じゃないはずですが」

 

「まだ小さかった頃は良く取って食べたんだ。それと銀杏も」

 

「銀杏……ですか?」

 

「ああ。結構臭いがきついけど、中身は美味いんだ。そう言えば、移動中に葉の黄色い樹を見ただろ。それがそうなんだ」

 

 北斗の言葉にシエルも少しだけ思い出してた。既に季節の変わり目になっているからなのか、アラガミの影響を受けていない木々色は変わり出していた。

 極東では紅葉を見ると言った風物詩が旧時代にあった事は記憶している。

 既にアラガミが闊歩する様になってからはそんな事は不可能となってた。だからなのか、旧時代に比べて影響を受けない場所は緑が濃くなっているのは必然だった。

 当時と今で決定的に違うのは空気が澄んでいる事。旧時代であれば常にどこなの地域で空気が汚染されるのは当然だった。

 だが、オラクル細胞の発見と共にその状況は大きく崩れる。産業にまみれ、自然が破壊されるのを防いだのがアラガミであるのはある意味では皮肉だった。

 

 

「ここからでも割と安全な場所にあったから時間があれば採取しに行く位の時間はあると思う。それに、今回のこれもそこで採ってきたから」

 

 エイジの示した場所は意外と近い場所にあった。

 確かにそこならばそれ程時間はかからないはず。ゴッドイーターであれば尚更簡単だった。

 アラガミの心配をする事も無くゴッドイーター特有の身体能力であれば時間もかからない。そうであれば時間があればそれも一つの手だと北斗は考えていた。

 

 

「今度時間があれば行ってみます」

 

「材料があれば、また作るよ」

 

「お願いします」

 

 何気ない会話ではあったが、今はそれで十分だった。

 カウンターを見ればムツミが限界ギリギリの動きをしている。本来であればエイジがここに居る事はない。

 だが、エイジもまたコウタと同じく新人の状態を確かめる為に近づいていた。

 視線を動かせば感応種との遭遇に対する感情が薄まっている様にも見える。コウタとマルグリットも居るのであれば、この場は大腰部だと判断し、カウンターへと戻っていた。

 気が付けば抹茶のアイスが置かれている。厳しいミッションを労うかの様にそのアイスの冷たさと甘みが身体に染み渡る様だった。

 時間が経過したからなのか、ラウンジもまた徐々に喧噪が多くなる。早めに来た為に、コウタ達もこの場を離れていた。

 

 

 



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第140話 秋の味覚と食欲

 普段であれば来るはずが無い場所に、黒い腕輪した男女が視線を動かしながら周囲の様子を伺っていた。

 既に帰投の時間のはずが、ヘリはまだ来ていない。コンバットログを見れば既に討伐からはそれなりの時間が経過していた。

 本来であればあり得ない行為。だが、その行為そのものが許可されている為に、咎める様な通信が来る事は無かった。

 

 

「まだ見つからない?」

 

「そろそろだろうな。上空から見た感じだと、この辺りのはずだが」

 

「結構遠い……よね」

 

 何となく詰問している様な口調ではあったが、その言葉に返事は無かった。事実、周辺を見ているのはこの二人だけではない。メンバーとして一緒に行動している人間がまだ他にもいたからだった。

 先頭を歩くのは極東の中でも珍しい黒の制服を着た男。その後ろに歩くのは動物の耳を模した様な特徴的な髪型の少女だった。

 少し遅れて赤いケープを付けた少女と黒い羽織の様な物を羽織る金髪の男。このメンバーが山の中を散策するかの様に歩いていた。

 

 

「何だか何時もとは違うみたいだけど」

 

「そりゃ、食べ物の恨みは怖いからね」

 

「だったら、エイジさんに頼めばよかったんじゃないのか?」

 

「……お願いなんて出来ないよ。私はアリサさんじゃないんだから………」

 

 その言葉に男はそれ以上何も言う事は出来なかった。本当の事を言えば既に後悔している。

 

 

 ────後悔先に立たず

 

 

 既に過去となった当時に戻る事は不可能だった。何故あの時の自分を律しなかったのだろうか。制服の男、ブラッドの隊長でもある北斗はそんな何とも言えない感情に支配されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えー!もう終わっちゃったの!」

 

「残念ながらさっきね。また機会があれば作るからさ」

 

「そんな~」

 

 秋の限定メニューが目の前で終了したからなのか、ナナは珍しく膝から崩れ落ちるかの様に項垂れていた。

 その言葉のとおり、数量限定は伊達では無い。元々栗や銀杏はそれ程数がある訳では無く、また栽培している訳では無い。屋敷の近くに生っていた物を採ってきたに過ぎなかった。

 当然ながら数が少ない物を全員に配布する事は出来ない。その為に数量限定の名目でラウンジに出していた。

 ナナが出動する際にはまだ仕込みの段階だった為に口にする事は出来ない。だからと言って予約制にすれば混乱を生じるのも分かっていた。

 実際に極東支部の中でラウンジの食事は食堂のそれよりも味は格段に良い。ムツミの腕もだが、実際にはエイジが作るそれは完全に店で食べるそれよりも上だったからだ。

 

 そんな人物が手間暇をかけるのであれば不味いはずが無い。誰もがそう考えるからこそ、限定メニューが出た際には予約する事はしなかった。

 仮に強引にした所で近接の教導を務める人間に勝てる道理が何処にも無い。力でさえも叶わない相手であれば、その条件は粛々と受けるしかなかった。

 基本的に夕食の時間が決まっている訳では無い。ただ、仕込みと出来上がりの時間を予測して誰もが足を運ぶだけの事。まだここに来た当初は、ナナだけでなくブラッドの誰もが良く分かっていなかった。

 だが、既にブラッドもここに来てからそれなりに時間が経っている。だからなのか、仕込みが終わる時間は何となく把握していた。

 

 事実、ミッションに赴いたナナの気迫は尋常では無かった。何時もであれば少しだけ厳しい戦いが余儀なくされるボルグ・カムランは、ナナの渾身の一撃によってその象徴とも取れる盾の部分が物の見事に崩壊していた。

 まるで鬼神が乗り移ったかの様なその戦いを、オペレータとして入ったフランはあまりの早さに珍しく驚いていた。何も知らない人間は驚愕の表情を浮かべたフランが珍しい程度だったが、後でコンバットログを見たヒバリやテルオミ、ウララもまた驚いていた。

 当初はその理由が何なのか分からなかったが、帰投した際に出た神機のロガーにはこれまでに無い程に完璧なインパクトが続いた事が判明していた。

 

 

「ナナさん。さっきのミッションの件ですが………って、どうかしたんですか?」

 

 ラウンジに居るだろうと当たりを付けたテルオミは、先程のミッションの内容を確認しようとラウンジの扉を開けた瞬間だった。飛び込んで来たのは絶望したかの様に暗くなっているナナの表情。そして周囲にはどうしたものかと思案していた北斗とシエルの姿があった。

 

 

「テルオミさんこそ、どうかしたんですか?」

 

「先程の戦いの件で少しだけナナさんに聞きたい事があったんですが……何かあったんですか?」

 

「……色々とあった様です」

 

 少々カオスな現場だったからなのか、テルオミもまた近くに居たシエルに確認するかの様に話しかけていた。

 実際に何が起こったのかを詳しく知らなければ、どこに地雷が埋まっているのかが分からない。周囲を見渡した瞬間、何となくその原因を理解していた。

 

 

 

 

 

 

「折角楽しみにしてたのに!」

 

 一旦落ち込んだのであれば後は立ち直るしかない。ナナもまたそれを理解しいていたからなのか、立ち直りは随分と早かった。

 実際に数量限定は早い者勝ちの証。それに間に合わなかったのであれば仕方ない。理不尽だという事も出来るが、材料が無ければ幾ら凄腕の料理人でも作る事は不可能だった。

 誰よりもそれを理解するからこそ、ナナもまた気分を入れ替える。そんな様子を見たからなのか、エイジもフォローとばかりにスイートポテトをナナに差し出していた。

 

 さつま芋とバターの濃厚な味わいが口の中に広がっていく。以前にムツミが作った大学イモの様に、何らかの調理をしたそれとは違い、お菓子のそれは純粋に秋の味覚を楽しむ事が出来ていた。

 食事前なのと、それがエイジのフォローである事をナナは痛い程に知っている。本当の事を言えば多少無理を言えなくも無いが、その考えは最初から無かった。

 

 元々ラウンジでの働きはエイジの好意によってもたらされている。本来であればクレイドルを優先する事も不可能ではないが、実際にそんな事はしない。精々が普段のメニューに無い物を、アリサやコウタに作る程度で、それ以外に関しては驚く程に平等だった。

 だからこそ、北斗は少しだけ後悔していた。あの時、自分がお代わりをしなければナナの口にも入ったかもしれない。そんな感情が渦巻いていた。

 現実的な事を言えば、北斗がそれをしなかったからと言ってナナの口に入る可能性が高くなるとは思えない。ムツミには申し訳ないが、ラウンジでの限定メニューがどれ程価値があるのかは誰もが理解していた。

 

 特にラウンジでの食事は事前に言えば、用意もしてくれる。事実、通常営業の時だけでなく、バータイムの時でも同じだった。

 薄暗い空間の中で彩る炎の演目は、良く知った人間でさえも幻想的な演出となる。薄暗い中でのブランデーを使ったベイクドアラスカや、クレープシュゼットなど蒼の炎は誰の心にも大きな影響を与える。

 事実、異性での利用の際にエイジが担当していると分かった時点でかなりの注文を受けている事を北斗は知っている。だからこそ、ナナの気持ちが痛い程に分かっていた。

 これが第三者の目からすれば、そこまで考える必要は無いと言われるかもしれない。だが、今の北斗にそんな考えはなかった。

 

 

「ナナ、それだったらミッションが終わってから少しだけ時間を取って採りに行くか?」

 

「……でも、北斗に迷惑がかかるんじゃ………」

 

 ナナの言いたい事は北斗も理解していた。只でさえブラッドの稼働率は高く、その中でも北斗の出動率はダントツだった。

 『喚起』の能力はブラッド以外のメンバーにも大きな影響をもたらす。特に感応種が出没した際にはその能力は如何なく発揮されていた。

 感応種の影響が無ければ、普通のアラガミと何ら大差無い。事実、リンクサポートシステムを使う事を考えれば実に効率が良かった。ノーコストで最大の運用を可能とする。ある意味では完全に極東向けの能力だった。ブラッドであれば北斗の能力を誰もが理解している。ナナとて例外ではない為に、北斗の言葉に若干の遠慮をしていた。

 

 

「その辺りは何とかする。それにサクヤさんの情報だと、近々ツバキ教官はネモスディアナに出張するらしい」

 

「それ、本当なの?」

 

「サクヤさんの情報だから間違いは無いはずだ」

 

 何気ないはずの情報ではあったが、その内容はある意味脅威だった。決してツバキが怖い訳では無いが、今回のそれは完全なる私用。ましてやブラッドがやって良いはずが無かった。ツバキに比べれば、サクヤはまだ交渉の余地がある。ツバキとは違い、まだ現役に近いからだった。確信は無いが、きちんと話せば分かってくれる。そんな訳の分からない信用があった。

 

 

 

 

 

「そうね………」

 

 ナナの言葉にサクヤは少しだけ思案していた。まさかミッションが終わってから私用で探索する。それがどれ程無意味で危険な事なのかを誰よりも自分自身が理解しているから。

 確かにツバキに比べればサクヤの方が話は出来るかもしれない。だが、それはあくまでも希望的観測であって、事実ではない。何も考えず口にしたまでは良かったが、サクヤの返事は色よくない。まさかの回答なのか、ナナは無意識の内に身構えていた。

 

 

「一つだけ聞きたいんだけど、それは今回限りの事?」

 

「も、勿論です!」

 

「そっか………」

 

 出た質問に答えたものの、未だ返事が出てこない。ナナは僅かに冷たい汗が滲んだかの様になっていた。

 今さら冗談とは言えず、サクヤも思案したまま。下手に撤回出来ない状況になっていた。

 どれ程の時間が経過したのかも危うい。それ程までにその回答が何なのかを待っていた。

 

 

「あの、サクヤさん。今回の件ですが、もし何らかの罰則があるなら、俺が責任を取りますので」

 

「ほ、北斗がそんな事する必要は無いよ!」

 

 突然の言葉にサクヤだけでなくナナもまた驚いていた。

 態々罰則を受けてまでやろうとはナナも考えていない。勿論、それはサクヤも同じだった。だが、そんな事すら最初から無用だと言わんばかりに北斗は頭を下げる。突然の出来事に少しだけ驚きが先に出ていた。

 

 

「いや。今回の件は俺も同じだ。それに隊員の責任を取るのは隊長の務めだ」

 

「………しょうがないわね。今回だけよ」

 

「ありがとうございます」

 

 北斗にまで頭を下げられた以上、サクヤもまたそれ以上は何も言わなかった。

 今回の件に関しては、本当の事を言えば大きな問題にはなりにくい部分があった。何せ目的の場所は森林ではあるが、どちらかと言えば屋敷の敷地から近い。他の隊員であれば拒否する事も考えたが、ブラッドであればある程度は事情を分かっている為に口外する可能性は低いと考えていた。

 ツバキであれば一喝したかもしれない。だが、サクヤからすればここ最近のブラッドの稼働状況を考えれば多少の我儘も問題無いと考えていた。

 気分転換も時には必要となる。サクヤもまた以前にリンドウの件でツバキから強引に休暇を取らされた事を思い出していた。

 

 

「でも、それ程時間の猶予は無いわよ。それでも良い?」

 

「はい。勿論です」

 

「今回のミッションの後よ」

 

 そう言うと、サクヤはヒバリの下へと足を運ぶ。北斗の記憶が正しければ、次のミッションはそれ程厳しい内容ではなかったはず。下手に怪我をするとなれば目的その物が叶えられない可能性がある為に、より一層気持ちを引き締めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナナ!ちょっと張り切り過ぎだろ!」

 

 ロミオの叫びは全く届いていないのか、ナナの動きが緩む事は無かった。

 殴殺ともとれるかの様に直撃した箇所は完全に弾き飛んでいた。アラガミは人間ではない。寧ろ、それ位の措置は当然でもある。だが、そんなアラガミを見てロミオはアラガミに同情したくなる程だった。

 ナナの持つ神機『コラップサー』の後方では常に炎の揺らぎで周囲が揺らめいている。本来であればあり得ない程の熱を帯びていた。

 常に一撃必殺を予感させる攻撃にナナ以外のメンバーの表情は引き攣っている。普段であれば冷静沈着なはずのリヴィであっても同じだった。ナナの後ろからは目に見えない何かが揺らいでいる様にも感じる。

 自身の誘引を使わなくともオラクル細胞の何かが激しく吹き荒れているかの様だった。ブーストハンマー特有の衝撃が止めの一撃を促す。そこにあったのはアラガミの原型をとどめていない何かがあるだけだった。

 

 

「そうかな。折角なんだから早めに動かないと日が沈んじゃうよ」

 

「……そうだな。ナナの言う通りだ」

 

「でしょ。流石は北斗。話が早いよ」

 

 ナナと北斗のやりとりにロミオはそれ以上何かを言うのを止めていた。女心なのか、本能なのかは分からないが今のナナに下手な言葉をかけるのは悪手の様な気がする。そんな自身の生存本能から来るそれに素直に従っていた。

 

 

「ヒバリさん。これから例の件で少しだけ動きますので」

 

《サクヤさんから聞いています。そちらに向かうヘリに関しては連絡して下さいね》

 

「何だか済みません」

 

《これ位なら大丈夫ですよ》

 

 通信越しではあったが、ヒバリの声にも何となく苦笑した様な物が浮かんでいる事だけは間違い無かった。サクヤからの指示を受けていなければ確実に何らかの小言が飛んだかもしれない。だが、今回のこれはある意味では北斗もまた久しぶりだった。良い意味での気分転換。そんな考えがそこにあった。

 

 

「ナナ。準備は出来てるのか?」

 

「バッチリだよ。態々ポーチの中にも用意したんだから」

 

「ナナ。幾ら何でもそれは無いぞ」

 

「今回だけだから大丈夫!」

 

 リヴィの言葉も既に聞いていない程にナナのテンションは高くなっていた。だからなのか、北斗はナナが望むべき物が何なのかを理解しているが故にそれ以上の事を口にする事は出来なかった。ナナが望んでいるのは秋の味覚。その中で一つだけ困る可能性がある物があった。

 だからと言ってここでそれを口にするのは無粋なのか、それとも贖罪なのか。そんな取り止めの無い事を考えながらもそれ以上の事を口にする事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの……少しだけ換気をしてもよろしいでしょうか?」

 

 パイロットからの声に誰もがそれ以上口にする事は無かった。既に秋の味覚を回収し、そのまま帰投する運びとなった際に普段であれば何も言わないはずのヘリのパイロットが申し訳無さそうに口にした事がキッカケだった。

 勿論、その原因が何なのかは誰よりもブラッドが一番理解している。その原因になった物は既に袋に入れて厳重に処置されていた。

 誰もが苦言の一つも言いたい。だが、それは事前にそれを理解していればが前提だった。

 このメンバーの中で一番理解しているのは北斗だけ。本当の事を言えば事前に言えばこの惨状は回避されていたはずだった。

 だが、今回に限っては敢えてそれを口にはしていない。仮に何かがあったとしても全員を巻き込めば最悪の事態だけは回避できると判断した結果だった。

 

 

「済みません。その件に関しては重々承知していますので好きにして下さい」

 

「申し訳ありません」

 

 パイロットの表情を見るまでも無く北斗はその心情を正確に理解していた。今回の収穫は栗と銀杏(ぎんなん)。栗に関してはそれ程気にしていないが、銀杏に関してはその限りでは無かった。

 実際に収穫の部分では明らかに銀杏の方が数は多い。今回の収穫もまた、その意味合いが強かった。だからこそ銀杏の処置は厳重に行われる。その代償を全員が追う結果となっていた。

 

 

 

 

 

「は~少しは臭いが落ちたかな」

 

 本来であれば真っ先にアナグラに戻るはずの予定が、気が付けば変更されていた。当初は何も考える事は無かったが、時間の経過と共に目的の場所が違っていた。時間的にはそれ程かかるはずが無い場所からの移動。ヘリが向かったのはアナグラではなく屋敷の近くだった。既に連絡を受けていたからなのか、その後は実にスムーズに事が運ばれていた。実際に服に染みついた臭いは直ぐに洗濯を余儀なくされている。自分達でさえこの臭いに気が付く程であれば、他者からすれば尚更の事。そんな事情を理解されていたからなのか、誰もが到着と同時に温泉へと直行する事になっていた。

 

 

「今の時点では臭わないな。まさかあれ程だとは思わなかったが」

 

「でも、洗濯までしてくれるのは何だか申し訳無いと言うか………」

 

「だが、アナグラだと被害は更に拡大していただろう。ある意味ではここで正解だな」

 

 リヴィのにべも無い言葉にナナもまた反論するだけの材料は無かった。

 確かにアナグラであれば、確実に何らかの注目を浴びるのは当然だった。

 事実、ミッションの際にはアラガミの体液を頭から被る事も少なくない。その為に、ミッションの後に直ぐに洗浄するのは偏に有害物質の除去も兼ねていた。

 だが、銀杏の様に植物に関してはその限りではない。嗅ぎなれたそれとは明らかに異質のそれは誰もが顔を顰めるのは当然だった。ましてやその原因が事実上の私用であれば尚更。そんな事を予測したサクヤの指示がそこにあった。

 

 

「それに、採ってきた物は直ぐには使えないんだ。仕方ないだろう」

 

「それはそうだけどさ……」

 

 ナナの大きな誤算はそこにもあった。通常であれば直ぐに調理に使えると思ったのは栗だけで、銀杏に関しては天日干しにする必要があった事。しかも実は除去する必要がある為に、それを取るのも一苦労だった。本来であれば採ってきた人間がやるべき作業。だが、幸運にも屋敷でも同じ事をしていた為に、その作業は免除されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いっただきまーす」

 

 ナナの声と同時に座敷では用意された食事にブラッドのメンバー全員が舌鼓を打っていた。本来であれば四人だけのはず。だが、ここ数日の動きを見ると一度はまともに休息を取らせる必要があった。事実、ミッションから外れたメンバーもまた、他のメンバーと出動している。ブラッド特有のブラッドアーツの高火力もまた十分な程に戦力の一つして数えられていた。

 幾ら教導で学んだとは言え、純然たる火力は神機と各自の技能による物。それに加算されるブラッドアーツは堅牢なアラガミの装甲を打ちぬける数少ない物だった。当然ながらミッションの達成率だけでなく生存率もまた高くなる。本来であれば万が一の際にはと温存する部分もあったが、多発するアラガミの数を鑑みると、それもまた難しい物があった。

 幾ら強靭な肉体を誇っても、精神までもが同じではない。その結果として、今回の事をサクヤは利用していた。

 単純ではあるが、ゆっくりとした時間を食事と共に取り、リラックスできる環境があれば回復の度合いは高くなる。その結果として戦力の保持が出来るのであれば安い物。そんな考えがそこにあった。

 

 

「うんうん。やっぱり、秋の味覚は最高だよ!」

 

「確かにそうだな。自分達で採ってきた物なら尚更だな」

 

「流石に銀杏だけは次回から遠慮したい」

 

 それぞれが初めての体験だったからなのか、思い思いの感想がそこにあった。短時間とは言え、それぞれが出来る限り回収した結果。それが更に味わいの向上につながっていた。ラウンジとは違い。ここではそれ程遠慮する必要性は何処にも無い。また、ブラッドのメンバー全員が集まったのも久しぶりだった。

 まだ極東に来た頃はこうなるとは誰も予想していない。気が付けば随分と遠くまで来た様な感覚を誰もが抱いていた。

 

 

「でも、そろそろ鍋の料理も旨くなるよな。そう言えば、またすき焼きを食べたいな」

 

「……スキヤキ?ロミオ先輩。それって何かな」

 

 ロミオの何気に言葉に、ナナがいち早く反応していた。事実、ナナの記憶の中ですき焼きの単語は知っているが、食べた記憶は何処にも無い。にも拘わらずロミオの口から出たそれはナナだけでなく、他のメンバーの耳にも届いていた。

 

 

「あれ?知らないのか」

 

「その辺り、詳しく知りたいんだけど……」

 

 何となくナナの表情が鬼気迫る様にも見える。だが、肝心のロミオはまだ気付いていなかった。事実、すき焼きを食べたのはリンドウがそれを望んだ結果であり、また、当時はロミオもここで鍛えられていた時期。当然ながらその事実をブラッドの誰もが知ってはいたが、詳細までは知らないままだった。

 当然ながらその事実に気が付いたとは言え後の祭りでしかない。既にロミオは先程までの秋の味覚を味わっていた感情は完全に抜け落ちていた。

 

 

「あれは……ほら、リンドウさんがさ」

 

「一人だけそんなの食べるなんてズルいと思いまーす」

 

 気が付けばそのやりとりを全員が見ていた。勿論、誰もが料理そのものに関心を持った訳では無い。ただそのやりとりを眺めていただけの事。だが、当事者でもあるロミオはその事実に気が付く事は無かった。

 そんなやり取りの結果、後日ラウンジでロミオがエイジに頼む姿を誰もが確認していた。

 

 

 



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第141話 辞令

 

 フェンリル極東支部の支部長室には今では珍しいメンバーが召集されていた。過去には幾度となく集合し、ここから様々ミッションが発行されている。招集されたメンバーの誰もがその事実を理解していた。

 そして、そこから導き出されるのは厳格な結果のみ。だからなのか、誰もが普段では見られない緊張感を持っていた。

 

 

「忙しい所、済まない。諸君らを呼んだのは頼み事があったんだ」

 

「あの……最近はそれ程厳しい状態では無かったと思いますが」

 

「確かにアリサ君の言う通りだ。極東支部に関しては君達やブラッド、防衛班の力で何とか現状を維持する事が出来ている。いや、それ所か良くなっている自覚はあるよ」

 

 支部長室に呼ばれたメンバーはクレイドルの中でも事実上の実行部隊に所属するメンバーだった。

 幹部だけに着用が許されている純白の制服は尉官級の証。曹長クラスでの着用は殆ど無かった。だからなのか、その集団が支部長室に移動した事を見ていた人間は誰もが思案する。この極東支部で難易度の高い問題が浮上したのかと誰もが考える程だった。

 

 

「それで、俺達を呼んだ事と今後起こるであろう何かと関係があるんだな」

 

「……そうだね。現時点での話ではなく、少しだけ先の未来に関する事になるだろうね」

 

 ソーマの言葉に榊もまた誤魔化す事無く事実だけを述べていた。お互いが研究職が故に言葉を飾る様な事はしない。寧ろ、単純に結果だけを話す事の方が多かった。

 極東以外の場所で何かが起こる。最終的には世界中で極東と同じ活動が出来る状況を着々と構築している現状があるからなのか、誰もが榊の懸念事項を知る事は無かった。

 

 

「今、極東に限った話ではなく、世界中でオラクル細胞による偏食場パルスを測定してアラガミの出現ポイント何かを観測している事は知ってるよね。これに関しては日々の観測データをまとめ上げた物が情報として蓄積されている。その結果から戦闘時における予測をしてるんだ」

 

 当たり前の言葉に誰もが少しだけ疑い出していた。

 榊の思考はまともではあるが、事、自分の研究や関心事に関してはその限りではない。実際にその苦労をこの場に居るメンバー全員が知っていた。

 勿論、榊の研究の全てが迷惑を被る事は早々無い。精々が初恋ジュースに関連する様な影響がそれ程では無い物が殆ど。だからなのか、今回の招集と榊の言葉の意図が全く見えなかった。

 

 

「その点に関しては現場はかなり助かっています。ですが、今回の招集と何らかの接点があるとは思えないんですが………」

 

「現時点ではそうだね。ただ、今後のと言う事を前提に考えるとこのまま安穏とする訳には行かないんだよ。ちょっとこれを見てくれるかな」

 

 エイジの言葉に榊もまた論より証拠とばかりに一つのデータを見せていた。これが何なのかを理解しているのはこのメンバーではソーマだけ。それ以外に関しては誰もが理解の外だった。

 

 

「これはとある時期に発生した際の電磁波と大気のデータなんだ。実際に当時のデータはこれが主だったんだよ」

 

「おい、オッサン。まさかと思うが、これは………」

 

「そう。これは人類が初めてオラクル細胞からアラガミが発生した当時のデータ。今でこそ偏食場に関する研究が進んでいるから、このデータにはそれ程の価値は無いけどね」

 

「……そう言う事か」

 

「なあ、ソーマ。どういう意味だよ。俺達にも分かる様に説明してくれよ」

 

 榊の言葉にソーマだけが真っ先に反応していた。未だオラクル細胞に関する研究の殆どは出探りに近い。これまでにも色々な部分での研究はされているが、そのどれもが本来のオラクル細胞を完全に解析した結果ではなく、表面上のデータを解析した物を有効活用していた。

 当然ながら今はマーナガルム計画の様に人体実験を軽々しくする様な風潮はない。人類が加速度的に減少した当時とは明らかに状況が違っているからだった。

 安全に過ごす事が出来て初めて自分達の関わる物に対しての研究が始まる。幾らオラクル細胞によるアラガミが闊歩しようが、大体的に見ればまだ入口から少しだけ足を踏み入れたに等しかった。

 

 

「コウタ。いや、他の奴らにも説明する。今はオラクル細胞からアラガミが出現するのが当たり前だから気が付かないが、当時はそんな物すら無いままの状態でやっていたんだ。

 ここ最近になってから漸くその技術を作り出し、ブラッドのお蔭で感応種や、そこから出る偏食場パルスの研究が進んでいる。その恩恵に現場は与っているに過ぎない」

 

 ソーマの言葉に何となく察しがついたのはエイジとアリサだけだった。そこから導き出される答えは極東以外で何かが起こる可能性がある。それだけだった。

 

 

「コウタ、ソーマは極東支部以外でアラガミが初めて出た頃と同じ様な事が起こる可能性が高いって言ってるんですよ」

 

「マジで?でも、今はアラガミが既にいるんだぞ。だったら何が起こるって言うんだよ」

 

 アリサの言葉にコウタは驚いたままだった。仮にアラガミが新たに出没するとなれば、可能性は一つだけ。それも極東であれば当然の事だった。

 これまでに無い新種が大量に発生するかもしれない未来。それをアリサは暗に口にしていた。

 

 

「少なくとも、これまでに無い程の新種が出るかもしれない。ここでも通常種の中でも変異種の数が最近は少しづつだけど混ざってきている。今は教導でもそれに関しての注意事項が増えてるんだよ」

 

「そう言われればエイジの言う通りかも」

 

 コウタもまた少しだけ、ここ最近のミッションの内容を確認していた。変異種の最大の特徴は通常種とほぼ変わらない点。それと同時に知能が高くなっている事だった。仮に僅かでも攻撃を受ければ、殆どのアラガミはこちらに向かって来る。だが、その習性を利用した作戦が常に行使されていた。

 それに対して変異種の場合、攻撃の威力を感じ取る事によってその度合いを確かめるかの様に動く事が殆どだった。当然ながらイレギュラーな動きが多くなり、その結果として従来の作戦が通用しなくなる。

 中堅やベテランであれば対処は簡単だが、新兵であれば確実に混乱する内容。それを立て直す事がどれ程困難なのかはコウタ自身もまた知っていた。

 

 

「で、それは分かったんだが、今回の招集とはどんな関係があるんだ?」

 

「今回の招集に関してはその事実を踏まえた上で、フェンリル極東支部からの正式な辞令として受けてもらおうかと思ってね」

 

 リンドウの問いかけに答えるかの様に榊は今回の招集の趣旨を口にしていた。普段であれば正式な辞令などと言った言葉を口にする事は早々無い。そもそも辞令が出た時点でゴッドイーターが反論する事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本家屋特有の雰囲気だからか、用意された料理はラウンジで食べるそれとは明らかに違っていた。

 アナグラでは常に地下にある工場や時折サテライトから運ばれる食材を使う事が殆ど。以前の食材に比べれば格段に品質そのものが向上していた。

 その結果、料理に自然と深みが出てくる。料理人が変わらなくとも明らかに違うのは当然だった。だが、ここではそんな料理すら比べものにならない。それ程までに用意された食材は上等だった。

 少人数とは言い難いからなのか、事前に用意されていない為に、内容そのものは簡素になっている。だが、それはあくまでも普段に比べればが前提の話。ラウンジの食事と比べれば遥かに上の物だった。

 

 

「やっぱりこの時期は鍋に限るよな」

 

「ちょっとリンドウ。少し羽目を外し過ぎよ」

 

「いや。ここで食べたのは久しぶりだからさ」

 

 サクヤの小言もまた久しぶりだと感じたからなのか、リンドウは用意された鍋の具材と口にしながらも出された日本酒で喉を潤していた。

 日本酒特有の強い酒精ではあるが、喉が焼ける様に感じたのはほんの一瞬。喉を通ったそれに続くのは果実の様な匂いだった。

 ラウンジでもアルコールは出る。だが、日本酒はそれ程用意されていなかった。

 最近の極東支部は旧時代の日本に住む人間ばかりではない。他の地域からの技術交流と言う名の研修で人種は雑多になっていた。

 そうなれば特定の個人だけに用意される物は無い。その為にリンドウとしても久しぶりに日本酒を味わっていた。

 

 

「サクヤもここ最近は忙しかっただろ。偶にはこんな日があっても言いだろう」

 

「……確かにそうね。私も少しだけ貰うわ」

 

 リンドウの言葉にサクヤもまたここ最近の状況を思い出していた。

 常に厳しい戦いばかりが教導の状況ではない。一定の間隔で入る新人のカリキュラムの方針や、個人の状況など見るべき物は多岐に渡る。ツバキもまた同じ状況ではあるが、こちらは違い意味で多忙を極めていた。

 

 基本的に教導に関しては階級そのものはそれ程意味を成さない。特に現場を知っているサクヤからすれば当然だった。当時の階級から考えれば当然の事。だが、ツバキに関しては佐官級の為に、何かと外部での交渉も多かった。

 幾ら階級と実力を考慮したとしても、それは極東の内部の話。他の支部からすれば内容ではなく階級で考えるのが当然だった。

 そうなれば何かが起こった際にはツバキではなくサクヤに面倒事が集中する。その結果としてオーバーワーク気味になっていた。

 

 

「おい。無理はするなよ」

 

「その辺りは大丈夫。ちゃんと限界は知ってるから」

 

 心配げな言葉を無視するかの様にサクヤもまた久しぶりアルコールを口にしていた。

 息子のレンに関してはここでの修行がされている為に、事実上の親離れをしている。

 本来であればまだ甘やかしても問題無い年ごろではあるが、ここでは完全にそんな感覚は無かった。

 

 元からここの子供は孤児に近く、厳しい鍛錬が要求されている。生き地獄を一度でも経験しているのであれば、ここの環境はある意味天国だった。

 アラガミから怯える事無く、安心して眠りに就ける。食事の心配もせず安心して生きる事が出来る。元から外部居住区に住んでいたのであれば気が付かないが、フェンリルの恩恵を受ける事が出来なかった側からすれば天国だった。

 一宿一飯の恩義では無く、これからの未来に向けた先行投資。屋敷ではそんな意味合いが強かった。衣食住を完全に提供されたのであらば、ある程度の義務が発生する。その結果が尋常ではない結果を叩き出していた。

 当然ながらレンもまた同じ。両親がゴッドイーターである為に既に偏食因子を体内に有している。特にリンドウの偏食因子の件があった為に、ある意味では未知数だった。

 周囲が鍛錬をしている為にレンもまた同じ様に行動している。技術面に関しては完全に同世代に比べて頭一つ飛びぬけていた。

 

 

 

 

 

 事の発端はクレイドルの上位陣が榊の元に召集された事に始まっていた。

 元々今に始まった事ではないが、クレイドルの枠組みは既に極東以外にも波及していた。アラガミから人類を守護すべき者。それと同時にその人類の反映をもたらす者。その理念の下に活動していた。

 始まりこそ感情的だが、そんな崇高な考えは無い。ただ、目の前で必死になって生きようとしている人を助ける。その程度の事っだった。

 

 一度明確に出来たうねりはその勢いが衰える事無く、そのまま進みだす。気が付けば001号、002号サテライト拠点が出来た瞬間、それは確定していた。

 少なくない資材と最低限必要な食糧。餓えた人間をいつまでも支える事は困難だが、自らの手で飢えをしのぐ手段を伝えれば後は雪ダルマの如くだった。

 建設候補地が見つかれば後は加速度的に進んで行く。途中でアラガミの妨害が入る事も多々あったが、クライドルが誇る実力者と組織力によって何とかそれを退ける事も可能だった。

 

 懐疑的な視線から変わったのは002号サテライトの建設が終わり、移住が開始してからだった。旧時代とは違い、今はフェンリルが世界を股にかけて君臨している。ただの一企業が世界最大級の複合企業に変化してからはより利己的な物になりだしていた。

 限られた資源の中で生きるべき人間を判別する。ある意味では神と同じ事だった。価値ある人間には更なる安住を、無ければその価値すら見出さない。それ程までに追い込まれていた。

 そんな中で一筋の光明の様にクレイドル計画が立ち上がり、その計画もまたゆっくりとではあるが前に進んでいた。元々極東支部のゴッドイーターはフェンリルの中でも上位に入る者が多い。そんな人間がチームとなっているからなのか、計画は確実性を持っていた。

 

 正しく進んだ歯車を見逃す程フェンリルと言う組織は甘くない。これまでに培ってきたデータの確認から始まり、計画の再編と同時に各支部へと通達する。その結果としてサテイラト計画は一気に拡大していた。

 その結果が榊のクレイドル幹部の召喚。誰もが榊の話を聞いた為に、一度話し合う必要があると考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺もかなりの年数が経ってるんだがな」

 

「無駄だ。あの話しぶりからすれば既に決まっている様な物だ。諦めろ」

 

 鍋の中では投入された野菜が既に熱を通したからなのか、ぐつぐつと音をたてる鍋の中はかなりの熱量を持っていた。既に一部の野菜はしんなりとしていた。元々予定外だった事であるが、鍋料理であればそれ程気を使う必要がなく、また調理の手間も省かれていた。

 余程の事が無ければここの料理人を使う事はしない。限られた人数だからこそ鍋料理が選択されていた。

 豪華さこそないが、用意された材料はここの基準の物。結果的にラウンジで食べるよりも上質な物だった。

 

 

 

 

 

「でも、良かったんですか?今回の件を考えれば階級だって変わりますよ」

 

「本当の事を言えば、階級は確かに中尉なんだけど、実際には既に大尉と同じレベルなんだよ。だからあの話じゃないのかな。榊博士が言う意味も何となく予想出来るけど」

 

「……確かにそうですね。弥生さんじゃない時点で決定みたいな物ですよ」

 

 ボヤくリンドウを無視するかの様にアリサは榊が話した事を思い出していた。エイジの言葉通り、今回の件に関しては極東支部だけでなく、フェンリル全体を通じての事。弥生ではなく榊が伝えた時点で決定された事項だった。

 その中で一番の目玉と取れる階級の変更。打診じみた言葉ではあったが、実際に決定事項である為に誰もが驚いていた。

 

 雨宮リンドウ。如月エイジの両名は一旦、大尉にした後、然るべき手順を踏んで少佐へと昇進。アリサとソーマに関しても同じ様に昇進となっていた。これまでの少尉から中尉へ。その後に大尉へと変更。コウタに関しても少尉から同じく中尉。その後に大尉への昇進だった。

 

 これまでに二階級昇進は任務中におけるKIAしかなく、生きているゴッドイーターではありえなかった。一旦間を置くのは対外的な意味合いが強く、外部からの邪魔を排除する為。

 ただでさえ極東支部は何かにつけて注目を浴びている。そんな中で大量の二階級特進は異常だった。

 しかし、冷静になって考えれば、この人事に関しては妥当だとも言えていた。リンドウに限った話ではなくエイジもまた教導教官として資格こそ持っていないが、その実績は多大な物となっている。本来であれば正規の教官が教導をする事によって昇格するのがこれまでだったが、極東に於いては一定上の技量を持てば誰もが上行けるのは周知の事実だった。

 何も知らない外部の人間は簡単に曹長以上になれると考えて極東へと来る。だが、ここに来て分かるのは普段の教導の方が何倍も簡単な事実だった。

 

 実戦こそが本来の能力を図る指針となる。他の支部で上等兵であっても、極東では新兵と同じだった。苛烈な教導によって誰もが一度は気絶する程に追い込まれ、時には吐く者も居る。その結果として出された結果に、本部もまた認定するしかなかった。

 

 そんな教導を終えた人間が他の支部で活躍するとなれば認めるしかない。だが、教官になる為には一定の階級が必要だった。

 このままでは非公認である事実は宜しくない。本来であれば大尉と同等の内容をこなす人間が中尉のままである事も問題視される可能性を持っていた。サクヤの様に指名された物ではない。その結果が昇格となっていた。

 アリサとソーマ、コウタに関しても同じだった。クレイドルとしての経験をさらに活かすには少尉では問題になる可能性がある。これもまた本部からの意向だった。ゴッドイーターは正規の軍隊ではないにしろ、フェンリルからの命令は絶対となる。榊が話したのもそんな思惑がある事を教える為だった。

 

 

「一応は命令ですからね。リンドウさんにはもう少しだけ頑張ってほしいんですよ」

 

「人遣いが荒すぎるんじゃないのか」

 

「そう?かなり期待されてるんだと思うわよ」

 

 普段であれば飲みなれない物だからか、サクヤの顔は珍しく朱に染まってた。元々ゴッドイーターは代謝が高く、余程の事が無ければ酔いは長くは続かない。その為に、決して酒に弱い訳では無い。

 十分な熱量を持った鍋が故に日本酒は冷たい物を飲んでいた結果だった。普段の凛々しい雰囲気はそこに無い。思いだすのはまだ第一部隊がリンドウの元に発足された頃だった。

 

 

 

 

 

「サクヤ。大丈夫か?」

 

「私なら…大丈…夫…よ」

 

 既に酔いが回っているからなのか、目蓋が少し重くなっている。これがアナグラであればこんな状態にはならない。だが、ここでは周囲の目を気にする事は無かった。

 まだリンドウの生存が発覚した頃、サクヤもまた一時ではあるが、ここでの生活をしていた。旧時代を強く思わせる空間。殺伐とした空気が流れる事もなく平和だと思えるそれはサクヤの深層心理にも残っていた。

 教官としてゴッドイーターを戦場へと送り出す。そこには見えない重圧がサクヤをゆっくりと疲弊させていた。

 一度緩んだ空気が戻る事は難しい。日本酒の影響もあるからなのか、リンドウもまた窘める事をせず、サクヤを介抱する事にしていた。

 

 

「悪いな。サクヤを少しだけ横にさせてくる。部屋は良かったんだよな?」

 

「大丈夫ですよ。準備はしてありますから」

 

「何時もすまんな」

 

「いえ。気にしないで下さい。兄様からも言われてますから」

 

 何気ない会話ではあったが、それだけで十分だった。食事をしてそのまま帰るケースの方が少ないのは、これまでの結果による物。アルコールが入った時点で確定だった。

 

 

「リンドウさん。サクヤさんをそのまま襲っちゃダメですよ」

 

「アリサに言われる日が来るとはな……お前らも自重しろよ」

 

「私達は何時もと同じですから」

 

「相変わらずだな。何時まで新婚気分やってるんだか」

 

「大きなお世話ですよ」

 

 普段であれば出ない軽口。アリサもまた懐かしさを感じているのかもしれなかった。クレイドルとして動き出してからは常に動乱の日々が続いている。赤い雨から始まり、感応種の出現と終末捕喰。ブラッドが加勢している今となっても同じだった。

 

 極東の中だけでなくフェンリル全体としても注目されている以上、下手な事は出来ない。だからこそ、こうやって緊張をほぐす事も必要だった。サクヤがそうなったのは必然なのかもしれない。誰もがそう考えていた。

 

 

 



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第142話 聖域での日常

 最近は計画が予想以上に上手くいっているからなのか、随分と人の数が多くなっていた。主にサテライトに住む子供達。数こそ多くは無いが、普段であれば体験する機会が少ない為に、普段は静かな聖域は騒がしくなっていた。

 その中に、本来であれば計画の肝となるべき人間の声は聞こえない。ここではアラガミの脅威に怯える事が無いからなのか、どこか隔絶した雰囲気があった。

 旧時代。まだオラクル細胞が発見される前の文明時代。そこにはアラガミの様な人類の天敵とも言える存在は無かった。

 その為に余程の事が無ければ戦禍に怯える必要すら無い。ある意味では懐かしいとさえ思える空間だった。

 

 一組の老夫婦は収穫をしている子供達の姿に目を細める。自分達の残された時間はそう多くはない。だが、目の前で収穫をしている子供達は、まだこれらの人生が続く。今の状態がどれ程続くのかを考えたからなのか、不意にこの場に居ないブラッドのメンバーの事を思い出していた。

 

 

「また、随分と大きく育ったものじゃな」

 

「こんなに大きい野菜を見たのは初めて!」

 

「これって直ぐに食べる事出来るのかな」

 

 初めての収穫だからか、誰もが興奮気味に話しをしていた。実際に種を蒔いたのは子供達とブラッドのメンバー。ここ最近に関しては、時折専門と思われる人間も足を運ぶ機会があるからなのか、多少なりとも手を入れていた。

 農作業は何も畑や水田だけではない。果樹もまたその一つだった。ここ以外の場所ではオラクル細胞の影響を受けている品種が多い為に、まともに成長するのかすら分からなかった。

 畑の経験はあっても果樹に関してはそれ程経験していない。その為に極東支部から技術者が派遣されていた。

 

 

「直ぐでも良いけど、少しだけ天日干しした方が美味しくなるのよ」

 

「……そっか。じゃあ、また今度だな」

 

「そう。次に来た時には美味しく食べる事が出来る様に準備しておくから」

 

「本当?」

 

「ええ。本当よ」

 

 老婆の言葉に子供も素直に納得していた。これが食料が何も無いのであれば、今直ぐにでもと言った感情が先に出るかもしれない。だが、食料事情が改善された今、味を追求するだけのゆとりがあった。

 まだ数年前であれば考えられない事態。クレイドルの推進するサテライト計画の本領を実感していた。

 

 当初、ブラッドからの農業支援の話が来た際には驚愕以外に何も無かった。当時は聖域だとは聞いていなかったが、初めてその大地に足を下ろした瞬間、懐かしい気持ちが蘇っていた。周囲には防壁が無い。幾ら広大なスペースであっても防壁の存在で閉塞感があるのは当然だった。

 事実、サテイラト計画での対象から自分達は敢えて外している。老い先短い自分達よりも前途ある人間の方が余程良い。だからこそ、アラガミから隠れる様にひっそりと住んでいた。

 当然ながら普段の生活もまた苦しい。どこに所在地があるか分からない者の為に配給そのものが殆ど無いから。そんな暮らしをして数年が経った頃だった。一人の黒い腕輪の青年との邂逅。当時はまさかこんな状況になるとは考えていなかった。

 だからなのか、ここ最近忙しくなった彼等を見ていない。子供との作業も良いが、やはりブラッドのメンバーとの作業もまた格別だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、久しぶりの団欒に!」

 

 初めて野菜を収穫したカレーパーティーを彷彿させるかの様にロミオの言葉が部屋中に響いていた。以前とは違い、既に季節は秋から冬に差し掛かっている。今回の鍋料理もまたその中の一因だった。

 ロミオの音頭と共に事前に熱が加わった具材は何時でも食べる事が出来る。事前に用意された物を使ったからなのか、事実上の初めての料理にも拘わらず、誰もが満足できる味わいだった。

 

 事前に用意された割り下は熱を加えられた事によって甘辛い匂いが室内に充満していく。老夫婦だけは懐かしさを覚えたが、ブラッドを中心に、他のメンバーは興味津々だった。

 これまでに食べた事が無い料理がある事は既に知られている。極東支部の内部ではそれ程ではないが、サテライトに関しては完全に料理の点に於いてはまだまだだった。

 極東支部に関しては最初から完成されたアーコロジーだった為に自家製造は不可能ではない。配給に頼る頃は育成速度が早く、また色々意味での品種改良が可能な物を優先していた。その結果、初期の頃の様な最低限度のカロリーを摂取できる物から遺伝子を組換えた野菜へとシフトする。その結果、極東に限らず、他の支部でもジャイアントトウモロコシに代表される科学的に肥大化された物資が支給されていた。

 

 当然ながら調理方法をまともに知らない人間にとってはその違いは変わらない。その為に、完全にゴッドイーターから好評だとは言えなかった。

 だが、ある時期からその不満は一気に解消される。女神の森に代表されるサテライト計画の推進だった。最初のサテイラトを食料プラントとして利用した事により、これまでの様に数が足りなくなる事は激減していた。それと同時にその恩恵は極東支部だけでなく、女神の森も受ける。一度動き出した歯車は止まる事無く、そのまま予定通りに回転し始めていた。

 

 屋敷での試験運用された食料を極東支部のプラントで稼動させる。その結果、極東支部を中心にサテライトにも満足できるだけの品が行き渡る事になっていた。新しい食料が出れば調理方法にも工夫が生まれる。だが、その速度はそれ程早くは無かった。

 一つのメニューを作る際には幾つかの食材が必要となる。その結果として、ゆっくりと食糧事情は好転する事になっていた。そんな中で今回用意された鍋はそんな食糧事情を無視するかの様に用意されている。だからなのか、誰もがはやる心を押さえつけ、用意された鍋をジッと見ていた。

 ロミオの言葉に誰もが真っ先に鍋へと箸をやる。そこにはマナーと言う言葉が最初から存在しなかった。

 

 

 

 

 

「これは………中々味わい深いな。ロミオはこんな物を隠していたのか」

 

「だから、リンドウさんだって……」

 

「いやいや。リヴィちゃんの言う通りだよ。甘辛いのに、この溶き玉子を絡めたらまろやかになるんだよ」

 

「ナナ。肉ばかりじゃなくて野菜も食べると良い。この味が染みた野菜はここで取れた物だ。十分に味わうと良い」

 

 事の発端はロミオの一言。元々ラウンジで鍋料理が出る事は無かった。元々極東では気にしないが、他の支部から来た者からすれば一つの鍋にそれぞれの端やフォークをつつく習慣は無かった。提供する側からすればそれ程面倒ではない。だが、食べる側からすれば余程親密でなければ出来なかった。

 食材が豊富になっているからと言って、全員にもれなく提供出来る程の数は無い。その結果として、やったとしても個人の部屋で食べる程度だった。

 ロミオは偶然屋敷で口にしたに過ぎない。だが、あの時の空気が心地よかった。

 

 これまでクレイドルのリンドウやエイジは話すには良かったが、余程の事が無いかぎり近づく事は無いと考えていた。サテライト計画だけでなく、歴戦の猛者。誰もが事実上の一騎当千と呼べる程だった。当時もそうだが、今になればその実力は痛い程に分かる。教導の際にも未だ北斗だけでなく、ギルもまたエイジには致命的な一撃を当てる事が出来ないままだった。そんな自分達だからこそ無意識のうちに圧倒的なオーラの様な物を感じる。それ程までに隔絶していた。

 

 コウタとは趣味が合う事から付き合いはあったが、リンドウやエイジ、ソーマに関してはその限りではなかった。

 だが、ふとした際に同じ鍋を食べた事によって、ロミオの心理的な何かがほぐれていく。それを感じたが故の結果だった。だが、周囲はそんな心情を微塵も考えていない。これまでに食べた事がなかった料理を自分も食べたい。そんな欲望のままに突っ走った結果だった。

 

 

「ジュリウス。気持ちは分かりますが、肉は時間が経つと固くなります。なので、早めに食べるか、入れるのを少し待った方が良いですよ」

 

「シエルの言う通りだ。だが、野菜も悪くは無いな。これならアルコールが欲しくなるな」

 

「って言うか、お前ら少しは自重しろよ!他が食べられないだろ!」

 

 最初に投入された具材をあらかた食い尽くす前に次の具材を入れる。それが鍋料理の鉄則だった。だが、誰もが食べる事に注力している為に、次の概念が無い。その結果、ロミオがせっせと野菜や肉を入れていた。

 

 

「ロミオ。生卵でこれなら茹で卵を入れれば格段に良くなると思わないか?」

 

「思わねぇよ!それ、おでんだから!」

 

「じゃあ、次はおでんパーティーだね!楽しみだな」

 

「ナナ。それはまだ早いって。さっき入れたばっかりだぞ」

 

「大丈夫。元々生で食べる事が出来るんだから」

 

「意味ないじゃん!ジュリウス、それまだ早いから!」

 

「む。まだ早いか」

 

 ロミオの言葉など無視するかの様にナナは少し前に居れた豆腐を掬っていた。味が染みるなどと言った悠長な雰囲気は無い。それ程までに勢いが凄かった。 

 リヴィにツッコミを入れた瞬間、ナナの意見が炸裂する。少なくとも普段ラウンジ食べる際にはここまで賑やかになる事は無かった。この場にエイジが居れば間違い無くお疲れ様。と言う言葉が出る程にカオスな状況が続いていた。

 室内の空気がざわつくのは何時もの事だが、今日に限っては何かが違っていた。まだブラッドが全員揃う少し前。ジュリウスが家族だと言っていた頃に戻ったかの様だった。

 

 

 

 

 

「何だかブラッドって変わった人が多いよね」

 

「うん。広報誌では何回か見たけど………確かにそうだね」

 

「彼等はあれが本当の姿なんじゃよ」

 

「そうそう。神機使いと言っても、何も特別な事は無いのよ。彼等も私達を同じなんだから」

 

 今回のゲストとして呼ばれたのは以前に収穫を手伝った子供達だった。これまでに広報誌と言う媒体でゴッドイーターを見た事は幾らでもある。だが、ブラッドに関しては初見だった。だからこそ今回の招待の際には緊張したが、鍋を囲む様子を見たからなのか、その感情は完全に無くなっていた。老夫婦からすれば何時もと変わらない姿。だが、子供達かあすれば意外の塊だった。

 

 今回のすき焼きに関してはロミオの意見ではなく、具材や調味料を用意したエイジの意見をそのまま採用していた。

 幾ら大きな鍋であっても野菜に熱が通るまでには時間がかかる。ましてや食欲旺盛なゴッドイーターであれば尚更だった。肉をメインにしても良かったが、場所を考えれば野菜もまた主役だった。幾ら一つだけ良くても、全体が悪ければ味の調和は起こらない。その結果、それなりで終わる可能性が高かった。自分がその場に居れば調整も可能かもしれない。だが、ロミオが動くのであれば不要だと判断した結果だった。

 その結果、参加人数を伝えた所鍋が二つ用意されている。普段からラウンジの仕事をしているからの助言だった。ロミオも当初は半信半疑だったが、今なら分かる。もし、一つしか無ければ確実に戦争になっていたからだった。

 僅かでも想像したからなのか、ロミオの躰は僅かに震える。だが、それに気が付いた人間は誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ~。お腹いっぱいだよ」

 

「当たり前だろ。どれだけ食ったんだよ」

 

 満足に包まれたナナは無意識の内にお腹をさすっていた。実際に用意されたのはブラッドの分だけでも一人頭三人分相当。その全てが完全に胃に収まったとなれば、ナナの行為は当然だった。実際に用意されたのはすき焼きの食材だけではない。集まるメンバーの事を考えたからなのか、エイジはそれ以外の物も用意していた。

 このご時世。ある意味、贅沢と思える食事は娯楽に近い物があった。本当の事を言えば極東支部の中だけでも色々とやれない事はない。だが、周囲と比べれば本当の意味で是と捉える事が出来るのかは微妙だった。

 

 サテイラト計画を推進するクレイドルは、ある意味では世界の真の姿を直視している。サテライト拠点は未だ人類に対し、完全に網羅されている訳でない。当然ながら常に命の危機に怯えながら暮らす人々の表情を知るからこそ、大きく羽目を外す真似はしなかった。

 支部のラウンジの中にも最低限の娯楽施設は存在する。それに関しては特に思う事は無かった。人類の守護者と言えど同じ人間である事に変わりない。

 力無き人間が怯えるのとは違い、ゴッドイーターは常にその最前線での戦いを強いられる。殉職率が高く、アラガミによっては本能を揺さぶられる事もある。そう考えれば最低限度の息抜きが出来る施設は当然だと考えていた。

 

 食事に関してはある意味ではその限りではない。幾ら同じ食材を使っているとしても、調理によってその姿が変わる為に、本質的な物は見えなかった。幾ら支給され、購入できる食材が同じであっても作り方一つでその先に出来る物は大きく変わる。料理を知る人間であれば常識的だとしても、それはある程度のゆとりがあればこそ。ギリギリの生活をする人間にとっては贅沢品の様にも映ってた。

 事実、サテライト拠点に入植する人間や職人への炊き出しもまた、そんな意味を持たせていた。事前に用意された物が一般でも手に入りやすい凡庸品から作り出される物を口にする。その時初めて自分達はアラガミからの脅威に怯えない可能性を理解していた。

 今回の食事に関しても同じ事。すき焼きの材料そのものも特段特殊な食材は何一つ無い。それ所か聖域で作られたそれだけで構成されていた。ブラッドや老夫婦は兎も角、サテライトから来た子供であれば、これまでに見た物を口にする。その結果として、これが特別では無い事を無意識の内に知らせていた。

 

 

「そうか……では、ナナの分のこれは私が頂くとしよう」

 

「ちょっと待った!ほら、甘いものは別腹って言うよ!」

 

「………ナナさん」

 

 リヴィの言葉に反応したのは本能から来る何かなのかもしれなかった。傍目で見れば別で用意されたのは小さなケーキとタルト。それ程特別な素材ではなく、本当に手軽に手に入る物で作られていた。

 アナグラであっても早々見る機会が少ないお菓子。ここで逃せば次の機会が何時になるのかは全く不明だった。

 

 ラウンジでも幾つかのお菓子類は提供されているが、そのどれもがエイジやムツミの時間が空いている際に造られる物が殆ど。事前に依頼すれば可能だが、だからと言っておいそれと頼む事は無かった。

 一番の理由は純粋に時間の都合。ラウンジの大きさと中に入れる数を考えれば時間は事実上あって無いに等しい。簡単なクレープ程度であれば問題は無いが、それ以外になれば準備に時間が必要だった。

 お菓子に限らずデザート類も普段から提供はされるが数は少ない。事前に出るタイミングが分からない事もあってか、全員が漏れなく口に入る事は無かった。

 そんな中、ラウンジでも口に入らない物が目の前にある。普段であれば理知的な側面を持つシエルやリヴィもまた、少しだけ雰囲気が変わっていた。

 ナナが食べ無いのであればその分が自分達に回ってくる。ナナもまたそれを理解した為に最低限の確保に走っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかこの歳になって改めて食べる事が出来るとは思わなかったな」

 

「そうですね。それだけ良くなってきているんじゃないですかね」

 

 子供達だけでなく、ブラッドのメンバーもまたアナグラへと戻ったからなのか、ログハウスの中は何時もと同じ静寂が広がっていた。厳密に言えば、若干の寂しさもまたそこにある。一番の要因は旧時代に口に出来た物を改めて口にした事だった。

 アラガミが闊歩してからの時代を知るからなのか、子供達に比べて、年齢が高い者程当時の状況と無意識の内に比べていた。物が有り余る時代であれば直ぐに捨てる様な食材であっても、命の危険にさらされた状況では文句を言う事すら出来ない。

 事実、まだアラガミがそれ程脅威だと思われていなかった頃はそんな考えを持つ人間が圧倒的だった。近代兵器であればアラガミの様な物は如何とでも出来る。それが根拠だった。

 

 しかし、現実は予想に反するかの様に厳しい物だった。これまでの歴史の中でも圧倒的な戦力を持っているはずのそれが全く通用しない。フェンリルが開発した神機が世間に出るまでは、一方的に蹂躙されていた。その結果、人類の数は一気に減少し、既に地球上での最大の勢力では無くなっていた。命に危険を感じながらに安心して食料を生産できるはずが無く、その結果として最低限のカロリーだけが摂取できるまでに落ち込んでいた。

 当然ながら不満はあれど打開策が何処にも無い。誰もが不満を持ちながらも生き延びる為には仕方ないと考えていた。

 事態は短期間の間に大きく変化している。極東支部の肝煎りとも呼ばれたエイジス計画、そして終末捕喰の回避。その結果としてサテライト拠点が希望の光となっていた。

 だが、拠点に入れる人間の数は決まっている。だからこそ老夫婦は入植を辞退する事によって次代を優先していた。そんな中、一人の青年と会う事によってこれまでの生活環境が一変する。まさか今の時代に安心して農業に従事するとは考えていなかった。

 当初はサテライト以上の待遇に辞退した。だが、支部長でもある榊からも農業経験、若しくはそれに従事した者はこれからの未来に必ず役立つからと言われた事によって、自分達の存在意義を改めて考えていた。

 データから引っ張れば出来ない事は無いかもしれない。だが、それだけで農作業は簡単に出来るはずも無かった。当然ながらそこに至るまでの経験も要求される。態々データ化するまでも無いが、やはり、やった方が良い物も幾つかあった。だからこそ自分達の出来る限りの事を後世に伝える。そんな使命感を持っていた。

 

 

「そうじゃな。こうやって安心してお茶を飲める。これもまた贅沢じゃな」

 

 出されたお茶をすすりながらも、ログハウスから見える大地には色々な農作物や果樹が植えられていた。オラクル細胞に絡む物ではない植物。それがどんな価値を持つのかを正しく理解していた。

 聖域が今後どうなるのかは分からないが、少なくとも人類はまだ諦めた訳では無い。寧ろ、これからが本番だと言わんばかりだった。

 その為には最前線で戦うゴッドイーターの血が必ず流れる。アラガミと戦うのは無理でも、大地を相手にする農業もまた一種の戦いだった。確定してない未来に向かって抗い続ける。

 ある意味ではゴッドイーターよりも厳しい物だった。だが、そこに悲壮感はない。今日の食事の光景を見たからこそ老夫婦もまた明日に向けての可能性を考えると、穏やか気持ちが広がっていた。

 

 

 



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第143話 二人だけのクリスマス

 春から夏にかけて緑葉が眩しいここも、この時期は周囲と変わらない程にどこか寒々としていた。既に季節は冬に入ると同時に、外の人通りも少なくなる。これが例年のここの光景だった。

 そんな雰囲気をまるで最初から無かったかの様に色とりどりの電飾が周囲を照らす。旧時代のクリスマスを彷彿とさせる光景は、サテライトでもなければ極東支部でもない。

 女神の森(ネモス・ディアナ)。そう呼ばれたここでの光景だった。

 

 

 

「アナグラや外部居住区でも凄いと思いましたけど、ここの方が更に凄いかもしれないですね」

 

「やっぱりそう思った?俺も最初は驚いたんだんよな」

 

 以前とは違い、この女神の森でも右腕に赤い腕輪を付けた人間を見る機会は多くなってた。当時はまさかそうなるとは誰も思ってもいない。だが、極東支部から派遣されたゴッドイーター達による住人との交流によって、漸く当時の様な感情は無くなりつつあった。

 この拠点が出来た当時、まだクレイドルが正式に発足する前はフェンリルの証でもある腕輪の存在は住人からは蛇蝎の様に敵対されていた。だが、アリサやソーマ達の活躍によって九死に一生を得る。その後の派遣されたタツミ達防衛班は、そのクレイドルの活動を引き継ぎ、今に至っていた。既にあれから数年。当時の関係性は組織としてだけでなく、個人としても大きく変化していた。

 

 まだタツミが思いを寄せながらも、漠然とした未来を考えていた当時。恐らくは今の光景を先に見ればこの関係性すら無かったのかもしれない。それ程までに変わっていた。

 自分の隣を歩くのは長きに渡って思いを寄せた最愛の人。今では姓も竹田から大森に変わった事によって漸く自身の大願が成就していた。

 勿論、それが叶ったからと言って全てが上手く行く訳では無い。結果的にはタツミは自分に課せられた任務によって、以前とそれ程変わらない状態になっていた。

勿論、変な虫が付く可能性は皆無ではない。だが、これまでに幾度となくアプローチしてきたからこそ分かる。自分の最愛の人が簡単になびくはずが無かった。その結果、任務の隙間を縫うかの様に二人は自由時間を合わせる事に成功していた。

 

 二人が周囲に目が動くのはある意味では仕方ない部分があった。季節柄の光景はタツミだけでなく、ヒバリも同じだった。普段はアナグラでのチーフオペレーターとしての勤務の為に、外部に出る機会は早々無い。一方のタツミに関しては、所属こそ極東支部だが任務の内容は防衛班全体に及ぶ。その為に現場に出ながらも部隊の取り纏めをする立場の為に腰を据えた事は一度も無かった。

 お互いが時間を合せる事は難しい。だが、今回に関しては完全にお互いの任務が寄り添う結果になっていた。

 その結果、二人は久しぶりの逢瀬を女神の森で過ごす事になった。既にクリスマスシーズンの為に、街頭には大きなリースや電飾が飾られ、中央の公園には大きなツリーが設置されている。

 これが極東支部であれば区画が完全に区切られている為に情緒があまり感じられない。だが、ここは当初から自然に委ねる部分があった為に、公園に設置されたそれもまた、大きく存在感を示していた。

 ツリーの頂点から始まったデコレーションはアナグラでも早々目にかからない。ラウンジにも設置されているが、あれは室内用の為に、これ程大きくは無かった。

 これまで映像としての記憶はあるが、自分の目で見た記憶は一度も無い。互いのスケジュールがあったからこそ、ここに来る事が可能になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「了解しました。ですが、私よりもフランさんの方が適任じゃないですか?」

 

「最初はそんな意見もあったのよ。でも、運用となれば現地のゴッドイーターとオペレーターの相性もあるし、何よりもあそこはここよりも設備の面で少しだけ旧型のシステムを使ってるの。だからフランやウララよりもヒバリの方が何かと都合が良いのよ」

 

「そうでしたか……」

 

 休憩中の一コマ。実際にチーフと名目上の役職はついているが、実際にはこれまでに蓄積された経験と、実績からくる呼称だった。勿論、地位としては曹長クラスと同等。現場ではない為に呼び名が違う程度だった。そんなヒバリの元に来たのはサクヤからの話。本来であれば命令書を出せばそれで事足りるが、内容が内容なだけでに勝手に決めるのは少々抵抗があった。

 だが、本人が了承すれば話はそのままとんとん拍子に進んで行く。その事前の段階でサクヤから感触を確かめる為に話を持って行った結果だった。ヒバリとて伊達にここでの内容を把握してる訳では無い。何となく打診めいた話ではあったが、こちらに出された内容を見れば拒否できる部分は全く無かった。

 

 

────女神の森のシステム構築と、新規オペレーターの育成

 

 

 実際にアラガミを検知する様な高度なレーダーをサテライト拠点だけでなく、女神の森も所有していなかった。当然ながら今では広域レーダーに始まり、あらゆるデータが瞬時に蓄積され、そのデータを基に交戦する。ある意味ではこれが基準となる戦術の要だった。

 だが、このシステムに関しては決定的な瑕疵が存在している。最新が故に扱える人間が限定されている点だった。導入当初に比べれば今はまだ多少でもマシだと判断出来る。その前提が従来の業務に長きに携わった人間である事が前提だった。

 幾ら機械的に情報を表示した所で、そこから先の展開を考えるのはオペレーターの資質が全てだった。ハードではなくソフト。その結果、最新のシステムを十全に扱える支部は極東を除けば片手で足りる程度だった。そんな中での女神の森からの依頼。フェンリルとは関係は無いとは言え、極秘裏に極東支部から横流しされたそれを導入する為には熟達した人選が要求された結果だった。

 

 

「ヒバリの気持ちは分からないでもないんだけど、実際には知っての通り、十全に扱える人材は少ないのよ。ここだってヒバリ以外に扱える人がどれだけ居るかは知ってるでしょ?」

 

「まあ……確かにそう言われれば、そうですけど……」

 

 サクヤの言葉はある意味では事実だった。極東支部に限ってはヒバリ以外で及第点を出せるのはフランだけ。ウララやテルオミに関しては、まだ少しだけ時間が必要だった。ここでさえそんな状況であれば、初めて導入する女神の森は尚更。その結果として女神の森の代表でもある葦原総統からはヒバリの派遣を要求されていた。

 

 

「勿論、今回の件に関しては私だけじゃなくて、ツバキさんや榊支部長とも話し合った結果なの。それに、チーフオペレーターをそのまま護衛も無しで放置する事はしないわよ」

 

 サクヤの何気ない言葉にヒバリもまた何となくその後に続く言葉を察していた。サクヤからその言葉が出た以上、護衛が誰なのかは考えるまでも無い。そんなヒバリの心情を察したからなのか、サクヤもまた当然の様に口にしていた。

 

 

「取敢えず、防衛班の大隊長が護衛になるわ。期間と実施するタイミングはこちらで調整するから、近日中に命令書が出るわよ」

 

「分かりました。私に出来る事があれば全力でやらせて頂きます」

 

「そう。お願いね」

 

 既定路線とも言える言葉ではあったが、お互いに理解している為に、その件に関しては言葉少な目で終わっていた。程なくしてヒバリの元に一通の命令書が下る。そこに記された護衛者はヒバリの予想した通り、自分の最愛の人でもある大森タツミの名が記されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、この件に関してはその様に指示しておこう」

 

「その様にお願いします。今はまだシステム的には十全とは言えませんが、下手に全てを活用しようとすると、今度は扱う人間がパンクしますから」

 

「……やはり、以前からの提案をこちらでも一度考えておこう。議会の絡みもある為に今日、明日と言う訳には行かないが」

 

「こちらも何時でも対応ができる様に現場の意識を統一しておきますので」

 

 システムの構築は既に完了していたが、肝心の運用に関しては完全にヒバリからの返答待ちとなっていた。

 実際にアナグラの運用方法に慣れたゴッドイーター程、旧のシステムには着いていけない。一番の要因はアラガミの現状やバイタルデータだった。神機にその機能を付ければ困る事は無いが、基本的にオペレーターからの情報提供があるのであれば、その機能は必要とはいない。当然ながら神機に対しての機能付与には限度があった。仮に判断が僅かでも狂えば、それが生死を分ける可能性もある。それを理解するからこその結果だった。

 

 従来からのシステムに慣れているベテランであれば困惑する事も無い。だが、最近配属された人間はその限りでは無かった。

 アラガミの動向で状態を判断出来る訳では無い。当たり前の恩恵を受ける事が出来ないのであれば、自分の命が危うい為に、本当の意味でもパフォーマンスを発揮するのは困難だった。

 勿論、それがどう影響するのかを女神の森の議会の人間も知らない訳では無い。その為に、簡易的であっても運用が出来る様にヒバリにオファーをかけていた。

 

 

「まさか、ここに来て改めてフェンリルに頼る事になるとはな………」

 

「この件に関してだけではありませんが、我々にとってはここも大事な施設の一つですから。そう気にしなくても良いかと思いますが」

 

 自嘲気味に出た葦原総統の言葉。元々こことフェンリルとの関係性に関しては今に至るまでに色々とあった。当時の状況を完全に無かった事にする事は出来ない。今の関係を保つ事が出来たのは、偏にクレイドルと防衛班の根気強い対話の結果だった。ヒバリもまた当時の事を覚えている。だからなのか、その言葉に対して強く回答する事は無かった。

 

 

「我々にもこれまで培ってきた矜持がある。中々素直に頷ける道理が無いのだよ。あの方からであれば話は違ったのかもしれんがな」

 

「詳細までは分かりません。ですが、今の極東支部は私の目から見てもそれ程悪いとは思いません」

 

「済まない。つい、愚痴めいた言葉になった様だ。我々とて今の極東支部に関しては何か言う事は無い。事実、このシステムに関しても、未だ完全に配備されていない事位は理解しているのでな」

 

 総統の言葉に、ヒバリは内心驚いていた。実際に連絡を密に取っている訳では無い。だが、そんな状況下であっても他の支部の事を理解している点に驚いていた。

 人数が少ない支部であれば導入するだけのメリットは少なく、また、アラガミそのものがそれ程脅威ではない地域であれば危機感は少ないまま。そう考えれば、極東支部の周囲が異常としか言えなかった。

 当然ながらその中にはこの女神の森も入っている。少なくともこれまでの討伐スコアを見れば、脅威度がそれ程なのかは考えるまでも無かった。本当の事を言えばヒバリもまたこの拠点に対しての忌避感は持っていない。タツミからも話を聞いているだけに、どちらかと言えば親近感の方が強かった。

 

 

「システムはあくまでも手段です。それ以外であれば活かす為の運用方法が一番だと思います」

 

「そうだな……君の言う通りだ。少なくとも悪感情を持たない様にはしよう」

 

 総統の言葉にその場の空気は少しだけ軽くなっていた。最悪の状態から平常に戻すまでには多大な時間と感情を制御している。葛藤をいかに押し込む事によって自分達の受ける恩恵がどれ程なのかを腐心してきた。言い方こそ厳しいがそれも偏にここの住人の命を預かるが故。それを理解すれば悪感情を持つ事は何処にも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結構大変そうだったみたいだね」

 

「まあ、来る前に色々と話は聞いていましたから」

 

 システムに関する説明と運用の際、タツミは護衛の任務から外れて防衛班の他の場所を色々と回っていた。極東支部から派遣されている人間の数はそう多くない。この女神の森はサテライトと同じ様にアラガミが近寄り難い場所に建設されているからだった。

 防衛班もまた近くで動けばアラガミを余計に刺激する事を予測している為に、距離はそれ程近くは無い。ましてや今回の内容は明らかにヒバリがメインであってタツミではない。そんな部分もそこにあった。

 この女神の森の任務で一番難しいのは議会との距離感。元々反フェンリルに近い思想を持っている為にタツミもまた赴任当初は苦労した記憶があった。自分でそれなら、ヒバリは尚更。そう思ったが故の言葉だった。

 

 

「今は慣れてもらうしか方法がありませんし、恐らくはここからも数人がアナグラに派遣されると思います」

 

「って事はまた忙しくなるな」

 

「仕方ないですよ」

 

 二人は既に女神の森の居住区画へと足を運んでいた。一度方針を決める際には議会での承認が必要となる。その時点でヒバリに出来る事は何も無かった。日程的にはあと数日はここに滞在する事になる。だからこそ、この機会を逃す事無く二人は短い休息時間を過ごしていた。

 

 

 

 

 

「あれ?タツミさん、何時こっちに来てたの?」

 

「今日だよ。ちょっと用事があってね」

 

 二人に声をかけたのはこの街の住人。普段からタツミとは何かと縁がある人物だった。クリスマスの関係なのか、両手にはかなりの荷物を持っている。とてもじゃないが一人で何かをする様な量では無かった。

 

 

「そっか……ってあれ?タツミさん。奥さんが居るのに、違う女性と歩くなんて……もう浮気?」

 

 声をかけた住人の視線はタツミではなく、ヒバリに向いていた。ヒバリの名前や姿はこれまでに幾度となく広報誌を飾っている為に、ここの住人も多少なりとも知っている。だが、今の姿は完全に何時もとは違っていた。普段であればフェンリルの制服を身に纏い、髪型も緩くではあるが、両端を縛っている。だが、今のヒバリはそんな雰囲気すら無かった。

 縛られた髪型ではなく、今は完全に下ろしたからなのか、髪の先の部分は緩くウェーブがかかっていた。メイクに関しても年齢に応じる程度のナチュラルメイク。服装に関しても総統との話の際には便宜上制服を着ていたが、タツミと合流する前には完全に着替えている。

 普段のヒバリを知る者であれば直ぐに気が付くが、ここはアナグラではなく女神の森。あまりの変貌にタツミの隣に居るのがヒバリだと誰もが分からなかった。

 

 

「馬っ鹿、違うよ。俺がヒバリ一筋だって知ってるだろ」

 

「それは…そうだけどさ………」

 

 普段とは違ったやり取りだからなのか、ヒバリはタツミのやりとりを声を出さずに笑顔で眺めていた。自分と一緒の時とミッションでは違う事は知っている。だが、それとは違うタツミの姿をヒバリは見たいと考えていた。少しだけ様子を伺っている事を察知したのか、タツミの視線は此方に向いている。本当の事を言えばいいのか、かき回せば良いのか。ここが間違い無くアナグラならそれでも良い。だが、ここは違う。だからなのか、ヒバリはタツミに助け船を出していた。

 

 

「あの……何時も主人がお世話になっています。妻のヒバリです」

 

 穏やかなな表情と物腰の柔らかさに、住人だけでなくタツミも驚いていた。実際にここまで丁寧なお辞儀をする機会は早々無い。これに関しては偶々弥生からそんな作法を習ったに過ぎなかった。今では完全に失われた、在りし日の大和撫子。まさにそんなイメージがピッタリだった。

 

 

「あ、あ、あの……俺、いや、僕はタツミさんとは…………」

 

「はいはい、そこまで。人の嫁に何を言うつもりだったんだよ。これは俺のだから」

 

 衆人の眼など気にしないと言わんばかりにタツミはヒバリの腰を抱き寄せていた。ここではタツミの姿を知る者は多く、今回のやりとりも何となく視線が向いていた。当然、このやりとりを見れば誰が誰を連れているのかは周知される。ある意味では態々公表する手間が省けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴメン。まさかあんな事になるなんてさ」

 

「構いませんよ。普段とは違ったタツミさんを見れましたから」

 

 騒いだお詫びにと、先程の住人からこの時期の絶景ポイントを聞きだしていた。ここに来た当初から気になっていたが、周囲は完全にクリスマス一色に染まっていた。

 実際にこれ程の規模は今年が初めての試み。メインは中央の広場にあるツリーだった。改めて見ればカップルと思われる人が一定の方向へと歩いている。恐らくはそれが目当てである事に間違いは無かった。手を繋ぎながら周囲と同じ様に二人が歩く。周囲もまた同じだったのか、二人に視線を映す事は無かった。

 

 

「そう言えば、食事どうしようか?」

 

「流石に今日はどの店も混んでるんじゃないですか?」

 

「まあ、そうだよな……」

 

「私は気にしませんから」

 

 ヒバリの言葉通り、クリスマス一色のここではちょっとした飲食店の殆どが事実上の満席になっていた。今回が大規模なイベントであるが故にどの店舗もここ一番の稼ぎ時。当然ながら殆どの店舗が予約で一杯だった。

 タツミの立場を前面に出せば、席の一つ程度であれば恐らくは簡単に取る事が出来るかもしれない。だが、これまでの実績を見ればそのやり方は完全に握手だった。当然ながらヒバリもまたその事を理解している。本当の事を言えば、タツミからすればヒバリさえ一緒であれば、店なんてどうでも良かった。

 忙しい中での僅かな時間の確保がどれ程困難なのかは互いに理解している。仮に屋台の食事であっても二人からすれば立派なディナーだった。

 

 

 

 

 

「ごめんな。本当なら事前に予約でもすればよかったんだけどさ」

 

「気にしないで下さい。それに、食事が全てじゃありませんから」

 

 タツミの困った様な表情をヒバリは否定していた。本当の事を言えば、多少なりとも雰囲気を望むのはある意味では理想だった。だが、ヒバリに関してはそんな感情は微塵も無かった。

 一番の要因はアリサとエイジを見ているから。自分の様に常にアナグラに居る訳では無く、あの二人に関しては常に戦場での戦いだけでなく、それ以外の部分でもお互いの事を想いあっている事をこれまでにも見ている。

 時には色々と愚痴の一つも出た事はあったが、ヒバリもまた似た様な立場になったからこそ分かる部分が多分にあった。自分はあの二人に比べればまだ恵まれているかもしれない。そんな考えがあるからこそ、ヒバリもまた平常心を保つ事が可能だった。

 お互いが想いあいながら共通の時間を過ごす。これもまた贅沢な時間だった。元から今日の予定は無かったのと同じ。にも拘わらず、こうして二人でクリスマスツリーを眺める事が出来るのは僥倖だった。

 

 

「そう言ってもらえると助かるよ」

 

「多少の雰囲気は必要かもしれませんが、私もタツミの仕事が理解してますから」

 

 多少の照れが入りながらもヒバリはタツミの手を握る。この時期特有の寒さではあったが、タツミの手は思いの外温かった。それと同時にゴツゴツとした手は紛れも無くこれまで人々の命を救うべく動いた証。データー上では理解しているが、実際の現場がどんな物なのかをヒバリは知らない。

 幾らタツミとて人の死に目に出会う機会は少なくない。そう考えれば、ゴッドイーターがどれ程過酷なのかは何となく理解していた。

 自分の適合する神機が未だ無い事は重々承知している。だが、いざ自分がゴッドイーターとして動く日が本当に来るのだろうか。そんな取り止めの無い事を考えていた。そんなヒバリの心情を察したかの様にタツミの指がヒバリの指に絡みこむ。まるで逃がす事は無いと言えるかの様な力強さにヒバリの思考は元に戻っていた。

 

 

「あのさ……上手くは言えないけど、ヒバリは気にせずに笑っていて欲しいんだ。その方が俺の励みにもなるから……」

 

 まさか自分の考えがタツミに知られたとは思わなかった。実際にオペレーターと言えど、戦場での感情を完全に殺す事は出来ない。事実だけを伝えるにしても、その結果現地ではどう捉えるのか迄は判断出来ない。自分達の出来る事は情報を提供するだけだった。

 総統との会話の中ではそんな考えを持ったのは、紛れも無い事実。確かに現場を預かるゴッドイーターの方が上かもしれない。しかし、冷静になる事もまた命を生き永らえる為の手段。縁の下の力持ち。それがオペレーターの共通した認識だった。

 そんな言葉にすらならない矜持をタツミは掬いあげる。だからこそヒバリもまた今以上のパフォーマンスを上げる事が出来ていた。

 

 

「はい」

 

 一言ではあったが、タツミの真意をヒバリも理解していた。実際にオペレーターの位置はアナグラの中心部とも言えるロビーになる。事実上の顔とも呼べる場所での表情はその支部の全てでもあった。

 厳しい戦場から帰還出来れば癒しとしての笑み。それがどんな意味を持つのかをタツミは理解していた。討伐専門となれば、アラガミとの戦いは厳しい物になる。だが、防衛班もある意味では同じだった。撤退が許されない状況下での戦いは劣勢になろうともその場から動けない。ましてやタツミはその防衛班のトップ。

 勿論、タツミだけではない。他のゴッドイーターもまた同じだった。精神的に寄り添える存在。ヒバリもまたその役割を十分に理解していた。

 そんな中、不意にどこからともなくお腹の音が聞こえる。まだ碌に食べていないからなのか、その存在感を示したのはタツミだった。先程までの雰囲気は既に霧散している。頬を掻きながらもまずは腹ごしらえが先決だと考えていた。

 

 

「ほら。折角だから屋台で温かい物でも食べようか」

 

「そうですね。私もお腹が空きましたから」

 

 巨大なツリーの周辺には物珍しい屋台が幾つも並んでいた。このツリーの主役が誰なのかを見定めたかの様に屋台のどれもが洒落ている。雰囲気を重視しながらもゆったりとした食事を取れる様なスペースが設置されていた。寒空ではあるが、そのクリスマスツリーは幻想的な灯りを出す事によって十分過ぎる程に存在感を示す。

 二人の視界に捉えながらも楽し気な時間を過ごしていた。何時もとは異なるシチュエーション。クリスマスのムードにこれまでの寂しさは一気に失せていた。

 

 

「偶にはこんな日があるのも悪く無い…か」

 

「そうですね。何となくですが、今ならアリサさんの気持ちが分かる気がします」

 

 ヒバリの脳裏にあるのはエイジが遠征に出ている間のアリサの姿。当時は何かと思う部分は確かにあったが、今なら当時の感情が分かる。自分の気持ちと現実の乖離。幾らお互いの気持ちが向き合っていても会えない時間は確実にその心を蝕んで行く。ヒバリもまた当時のアリサと似た様な部分は確かにあった。遠征とまでは行かなくとも、寂しさがあるのは間違いない。普段であればそんな感情を表に出す事さえ無かったが、今日に限ってはそんな感情が不意に出ていた。

 

 

「もう少しだけ時間の都合をつける様にするよ」

 

「いえ。これは私の我儘ですから」

 

 ヒバリが感じている気持ちをタツミに伝えれば、恐らくは何らかの措置を取るのは間違い無かった。だが、第一部隊と同様に防衛班もまた極東支部の要。ましてやタツミの立場を考えればヒバリの気持ちは我儘だと捉えるのは無理も無かった。勿論、お互いの時間を少しでも都合付ける事を惜しんだ事は一度も無い。だからこそヒバリもタツミの立場を考えていた。

 

 

「ヒバリ………」

 

 その瞬間、周囲の事など意識から完全に無くなっていた。本当の事を言えば感情の趣くままに言葉にしても大丈夫だった。だが、自分の知名度を考えればすべき事では無い。しかし、一度高まった感情は理性を完全に喪失させていた。お互いの感情が昂った空間。そこまで高まったそれを完全に封殺される事は無かった。

 ヒバリの目には明らかに寂しさが浮かんでいる。だからなのか、タツミもまた無意識の内にヒバリを抱き寄せ、唇に温もりを与える。お互いの影が一つになっていても、周囲もまた同じだからなのか、それに気が付く事は無かった。

 

 

 



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第144話 新年の準備

 

 毎年恒例となった新年の準備はアナグラではお馴染みの光景となっていた。

 クリスマスが終わった翌日には正月に向けての準備が始まっている。あまりの変わり身の早さに新年をアナグラで過ごした事が無い人間は驚きを覚えていた。当然ながらその余波はラウンジの食事にも表れている。クリスマスまでは洋食の色が強かったが、正月に近い今は和食に近い。

 極東出身の人間にとってはそれ程違いは無いが、外部の人間は馴染みが無い為に戸惑いを隠せないでいた。

 

 

「すみませんが……」

 

「メニューの変更ですか。それ程選べませんが、それで良ければできますよ」

 

「何だかすみません」

 

 よくある光景が故に、ムツミもまた当たり前の様にこれまでの手を止め新たに調理をし出す。食堂の様に中が見えない場合は気がつかなかいが、ラウンジではキッチンがオープンになっている。その為に、新規で作ってもらうのは少しだけ罪悪感があった。ムツミは気にする事も無ければ、淀む事無く手を動かす。そんな光景がお馴染みになりつつあった。

 

 

 

 

 

「あれ、今日も一人で?」

 

「はい。最低限の事は終わってますのでまだ楽なんですけどね」

 

 休憩中であってもムツミの手は止まらない。普段であれば休憩時間だが、生憎と正月の準備はのんびとする時間を奪っていた。

 正月に関してはラウンジの営業はほぼやっていない。正月メニューと称したお節料理や雑煮が殆ど。これまでは屋敷からの差し入れだったが、人数が増えた事によって難しくなっていた。

 普段は口にしないメニューは、支部内でも期待する声は多い。善意ではあったが、やはり一定の年数を得た以上はこれが当たり前となっていた。それが人数が多いから出さないとなれば、それ程の影響が出るのかは予想出来る。

 少なくとも、これまでの事を知っている人間が落胆する。そうならない様にとの思惑があった。古参の人間であればその事情を良く知っている。恐らくムツミの言う最低限はエイジが手がけた物の可能性が高かった。

 

 

「あの、セルフで済みません」

 

「良いって。俺も少しだけ休憩で来てるだけなんだし、他に誰も居ないからさ」

 

 これ以上謝るムツミを見るのは、返って申し訳ない。その結果、ある程度自分でやっただけだった。これがハルオミでなければ更に恐縮するかもしれない。ムツミもまた、それを知っているからこそハルオミの行動に何もしなかった。日持ちのしない物が少ない為に、手間がかかる物を先にこなす。既に黒豆や昆布巻きの下拵えは完了していた。

 そんなムツミの行動を見るかの様にハルオミはコーヒーを飲みながら暫しその光景を目にしていた。

 

 

 

 

 

「なあコウタ。マルグリットはお節料理って作れないのか?」

 

「ハルさん。どうしたんですか突然」

 

「いや、ラウンジで一人奮闘してるみたいだからさ」

 

 ハルオミの言葉にコウタもまた少しだけその状況を思い出していた。実際にどれ程の量を作るのかは分からないが、少なくとも一人で作業をするには限界を感じる程だった。ここ数年で、アナグラの人数が大幅に増えた事は誰もが知っている。当初はラウンジもそれ程忙しい雰囲気は無かった。

 だが、時間の経過と共に慣れが出れば利用する場所にも変化が生じる。その結果、ラウンジに来る人の数は増えていた。そうなれば必然的に作業量も増える。傍から見ても忙しいと誰もが感じていた。

 

 

「確かにそうですけど……あれ?食堂にも頼んでたはずですよ。俺、エイジからそう聞いてますけど」

 

 ハルオミの言葉にコウタもまたクリスマスが過ぎた翌日にそんな話を聞いていた。実際に事前の準備が大変なのはエイジが誰よりも知っている。本来であれば手伝う必要すらある。だが、屋敷でも隊長格が呼ばれる為にそちらの準備に奔走していた。

 ラウンジでの作業は偏に善意による物。本来の業務の傍らでそれをやっていること自体非常識に近かった。だが、結果的にはそれをこなしている。その結果、誰もがそんなラウンジに居る事が当然だという認識を持っていた。

 

 実際にラウンジに出す食事に関しては、食堂に比べるとメニューは豊富な部類に入る。食堂はあくまでに基本となる食事の提供の場。ラウンジはどちらかと言えば嗜好品に近い役割を果たしていた。勿論、かかる費用も大幅に違う。その結果、新人や上等兵は食堂を利用し、中堅以上は食堂やラウンジを利用する事が多かった。

 ミッションの内容が苛烈になればその文だけ報酬額も大きくなる。ある意味では機会が数無い食事の質を自然を上げる事によって、自分達の感覚を保っている部分があった。

 そんな意味合いすら違うのは正月のみ。新年に関しては食堂の職員もまた休暇を取っていた。

 そうなれば、その間は自分達で用意する必要が出てくる。仮に外部居住区に行くにしても営業する店舗はそれ程多くは無かった。そんな中でのお節料理。極東ならではのそれが、任務に出る人間のテンションを高めていた。榊もまたその内容を理解するからこそ、お節料理に関する費用は徴収しない。外部に出す部分もあるが、大半は支部内で作られていた。

 

 

 

 

 

 

「何だい?何か食べたい物でもあった?」

 

「いえ。ラウンジの方も大変そうだったんで、様子見に来たんですが……」

 

「生憎とこっちも手一杯でね。ムツミにも任せてるけど、中々……ね」

 

 人数が増えた事による唯一の弊害がここにあった。食堂からヘルプで人を回してもらおうかと思ったものの、肝心の人手はここでも不足していた。既に幾つもの大きな鍋には煮物と思われる物が湯気を上げている。コウタも多少なりとも料理の事は理解しているが、ここではそんな理解の範疇を超えていた。

 常にフル稼働するそれ。正月の分を一気に作る事になる為に、休憩する事無く作業が進む。そんな光景を見たからこそコウタもまたそれ以上は何も言えなかった。

 

 

 

 

 

「アリサ。そっちはどう?」

 

「そうですね。そろそろ大丈夫だと思います」

 

 そう言いながらアリサは簀巻きにんされた伊達巻の端を少しだけ口にしていた。まだここに来た当初から知っている人間であれば確実に驚く光景。当時の様に怪しい手つきはそこになく、既に手慣れたかの様に巻いて行くその光景はある意味驚愕だった。

 端の部分を口にすれば玉子の甘味を持ちながらもどこかお菓子の様な味わいを感じる。巻く方にも緩みは感じないからなのか、完成品もまた丁寧に作られていた。屋敷での分は既に完了していた。今アリサとエイジが作っているのはラウンジに出す分。事前に何を作るのかをムツミと打ち合わせて居た為に、その進行に澱みは無かった。

 実際にラウンジのキッチンはそれ程大きい物ではない。精々が二人が動く分だけのスペースしかない。そうなれば大量に何かを作るには別の場所が必要となってくる。その結果、二人は時間の空いている際には屋敷の厨房で作っていた。既に数える必要が無いと言わんばかりに伊達巻が並べれている。食堂にも渡す為には相応の数が必要となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クリスマスが終われば、もうお正月か。何だか一年が早いよね」

 

「確かに言われればそうですね。もう残す所それ程日にちもありませんから」

 

 ラウンジや食堂の忙しさはゴッドイーターの本来の任務とは何の関係も無かった。感応種の出没に伴い、ブラッドがそのまま出動している。事前に連絡があったからなのか、ナナやシエル達が到着する頃には、他のメンバーの退避は完了していた。既にコアを抜かれている為に、横たわる白い獣の姿は地面へと沈むかの様に消えていく。既にお馴染みの光景となっているが、口調とは裏腹に警戒が緩む事は一切無かった。オペレーターの指示が耳朶の通信機から飛び込む。既に周辺の状況も確認した為に、今は帰投の準備を開始していた。

 

 

「そうなると、またあそこで変わった物が食べれられるという事か?」

 

「正式な打診は無いけど、例年呼ばれているらしい。多分、アナグラに戻ればそんな話が出るんじゃないかな」

 

「そうか………」

 

「どうかした?」

 

「いや、今年もまたあれが漏れなく来るのかと思ってな」

 

「あれですか……」

 

「あれだね……」

 

 リヴィの言葉にナナとシエルもまた何かを思い出すかの様に当時の光景が過っていた。まだブラッドが極東に配属されて間もない頃、、初めての新年を迎えた際にはフェンリルの広報部もまたそこに来ていた。用意された着物の艶やかな姿。それと同時にその光景もまた映されていた。毎年恒例となった新年会。以降ナナだけでなくシエルもまた少しだけ警戒していた。

 下手な行動をすれば間違い無く全世界の支部に公表される事になる。未だブラッドに限らず他の人間も極東支部所属になるゴッドイーターが他の支部に出る事は早々無かった。

 激戦区での戦いを基準と考えた場合、仮に新兵や上等兵であっても、他の支部に行けば相応の実力を有する事が多かった。

 アラガミの狡猾さや強度が他の支部とは確実に異なる。時折他の支部からの教導で来た際に聞く話を耳にすれば、誰もがその内容を理解していた。勿論、ゴッドイーターを完全に囲うつもりは毛頭ない。だが、他の支部に慣れてからここに戻った当初はそのギャップについてこれず殉職するケースもあった。

 以前の実力と今の実力。これまでに他の支部でこなしてきたミッション。そのどれもがずれたままだったから。ギャップを理解する頃には殉職となれば人的資源として考えるよりみ悲惨な結果だけが待っていた。

 その結果、対策として一番手っ取り早いのは再教導か最初から出ない。ブラッドに関しては未だ感応種が極東の固有種となっている為に、他よりも顕著だった。

 そんな極東支部特有の事情を抱えている為に、他の支部への異動は既に無いに等しかった。そう考えれば他の支部からの情報が入る可能性は低い。今の三人にはそう考えるしか無かった。

 

 

 

 

 

「お疲れ様です。帰投直後にすみませんが、支部長がお呼びです。この後支部長室にお願いします」

 

 帰投の際に出た話である可能性は極めて高かった。実際にこの時期であれば何らかのアナウンスがあるのは間違い無い。既に予想している為に、それ程混乱する事は無かった。

 

 

「了解しました。この後、直ぐに向かいます」

 

 シエルの返答と共に誰もが直ぐに手続きを終えると同時に移動していた。極東支部は他の支部とは違い、それ程規律に関して厳しい制限がある訳では無い。だが、榊からとなれば話は別だった。支部長からの指示を無視する程横柄では無い。だからなのか、誰もが手続きを終えると同時にそのまま支部長室へと直行していた。

 

 

 

 

 

 

「帰投後に済まないね。もう大よそながらに理解していると思うが、新年会を昨年同様に開催する予定なんだ。君達に関しては参加で間違いないかい?」

 

「はい。ブラッド全員が参加させて頂きます」

 

 ミッションに参加していなかったメンバーもまた招集されていた。本当の事を言えば隊長に指示を出してそのまま回答を待てばそれ程問題になる事は無かった。だがブラッドに関しては万が一の可能性もある。事実、以前にも打診はしたものの、緊急出動をしている。不参加にはならなくとも、やはり今後の事を考えればある程度の引締めは必要だった。

 一番手っ取り早いのは、この時期特有の新年会。これまでにも参加している為に、それ程混乱する事は無かった。

 

 

「それと、一つだけ頼みたい事があるんだ。君達も知っての通り、ここでは新年に対する考えが最近になってかなり広い範囲で取り戻せる様になったんだ」

 

 先程までの空気が完全に変わっていた。榊の唐突な言葉にブラッドの誰もが改めて思いだす。ラウンジの状況が極東支部の誰もが知っている。そこから先に続く言葉が何なのかは考える必要は無かった。

 

 

「ラウンジに限った話ではないんだが、既に正月に向けての準備が始まってるんだよ。で、君達にも特別ミッションを依頼したいんだ」

 

 榊は自分の言いたい事を言うと同時に、一つの依頼書をブラッドに差し出す。本当の事を言えば命令書にすれば問題無いが、今回に限ってはその限りではなかった。記された内容は一つだけ。外部居住区の住人との親睦だった。詳細に関しては何も書かれていない。ブラッド全員がそれを目にした事を確認したからなのか、榊は再度言葉を続けていた。

 

 

「今回の依頼に関しては報酬は定めていない。勿論、強制するつもりはないんだ。内容は外部居住区のとある場所での新年の準備。既に準備は終えてるから、後はそこに行くだけだよ」

 

「ブラッド全員でしょうか?」

 

「さっきも言った様に、この依頼に関しては報酬は何も無い。君達の判断一つだけだよ。仮に受けなくとも既に他のメンバーにも依頼はかけてあるから心配する必要は無いんだ」

 

「いえ。この任務受諾します」

 

「そうかい。そう言ってくれると助かるよ」

 

 榊の言葉にブラッドの誰もが何となく以来の内容を理解する。ここまで前振りが出た以上、正月に関する何らかの内容である事は間違い無かった。それが認識出来ればブラッドの中で拒否する材料は何処にも無い。そうなれば返答は一つだけ。応諾した事によって全員がすべからくその内容に赴く事が決定していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ。まさかとは思うけど全員がここに来たの?」

 

「はい。榊博士からの依頼ですから」

 

 外部居住区で待ち構えていたのは第一部隊のメンバーだった。既に事前に告知していたからなのか、周囲には住人が集まっている。既に蒸し器が用意されている時点で、納得したのは北斗だけだった。

 

 

「そっか。今回のこれは外部居住区に餅を渡す事。で、これを使って餅つきをするんだけど大丈夫か?」

 

「何とか出来るとは思いますが……」

 

 コウタの言葉に北斗は珍しく言い淀んでいた。実際に餅をつくのは最後の行程。実際の準備は既に終わっていた。用意された蒸し器をマルグリットとエリナが運んでいる。討伐任務ではなく、住人との触れ合いだからなのか、その空気はどこか穏やかだった。

 

 

 

 

 

「では、華麗な杵捌きを見せようではないか!」

 

「それ、ハンマーじゃないんだけど」

 

 自分の神機と同じ系統だと判断したからなのか、エミールのテンションは高いままだった。周囲の住人もまたエミールの性格を理解しているからなのか、行為に対して何も変化は無い。コウタの手さばきと同時にエミールの持つ杵は臼へと吸い込まれていた。

 テンポよく響く音と、臼の中で仕上がる餅。誰もがこの瞬間だけは旧時代を思い起こすかの様だった。つく事によって変化する。既に住人の意識はそこに向かっていた。

 

 

 

 

 

「じゃあ、行っくよー!」

 

「ナナ。焦らずにやるんだ」

 

「そこは大丈夫!」

 

 エミールに触発されたからなのか、ナナもまた杵を全力で振りかざす。ジュリウスの声が本当に届いているのかはかなり怪しい。だが、既に任務ではなく、ナナの行動の一つ一つが純粋な住人との触れ合いに変化していた。用意された物が次々と運ばれる。事前に告知されているからなのか、誰もがその光景をただ眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は助かったよ。去年よりも数が多くてさ。一時はどうなるかと思ったんだよな」

 

 つきたての餅を口にしならがらコウタは改めて周囲の様子を見ていた。これまでのとは違い、少しだけゆとりが見える様な気がする。元々コウタに関しては近隣住民からも慕われている為に、その部分に関しては特に口にする事は無かった。

 まだここが旧泰然としていればこんな光景を目にする事は出来ない。それ程までにのんびりとした光景だった。元々はここの住人の為の物。その為に、参加者への振る舞いは限定的だった。

 だが、そんな光景をだれもが笑顔で広げている。まだ旧の頃を知っているコウタからすれば、この光景は満ち足りた物に見ていた。

 

 

「そんなに酷かったんですか?」

 

「そうだな……ほら、俺はここの産まれだからさ、当時の状況は知ってるつもりなんだ。そう考えると感慨深いんだよ」

 

 そう言いながらコウタの視界に映る光景を北斗もまた眺めていた。実際に見える住人の表情には笑顔が見える。終末捕喰を阻止した事を踏まえても、随分と穏やかだった。

 

 

「毎年思うんですが、ここは良い所ですね。居住区の人の活力を肌で感じます」

 

「だろ!あんな光景を見るとさ、俺もまだ頑張らないとって思うんだよ」

 

 気が付けば、マルグリットやエリナが配膳をする。それ程までのこの状況に馴染んでいた。実際にこの状況になるまでに時間がかかったのかを北斗は知らない。コウタの表情を見てもその苦労を感じる事は無かった。

 

 

「ですね。俺もそう思います」

 

「そう言えば、ブラッドも新年会には呼ばれてるんだよな」

 

「はい。榊博士から聞きました」

 

 餅をつく光景を目にしながらコウタは思い出したかの様に口にしていた。実際にコウタに関してはそれ程屋敷に赴く事は少ない。マルグリットがよく行く為に何となく知っている程度だった。当時はコウタに関しては休暇で家に戻っている。だが、今回に関しては近隣住人からの勧めもあって屋敷に行く予定だった。そう考えれば北斗の方がまだ知っている。だからなのか、コウタもまた改めて聞く事が多かった。

 

 

「俺はそれ程新年会には出ていないんだよ。何となくは知ってるだんけどさ」

 

「だったらマルグリットさんに聞いた方が早いんじゃ………」

 

 コウタとマルグリットの仲がどうなのかはアナグラでは誰もが知っている。お互いが実力あり、部隊を率いるだけの実力を持っている。コウタの様に正式に隊長にマルグリットはなっていないが、上層部からは隊長としての実力を有している事は確認されている。ある意味では認知度はかなり高かった。北斗としても良く知った人間から聞く方が分かりやすい。単純にそう考えただけだった。

 

 

「新年の準備で忙しいんだよ。それに家に帰ればノゾミが、さ」

 

「そうですか……」

 

 コウタの言葉に北斗は何となく実状を見た気がしていた。詳しい事は分からないが、かなり家族と馴染んでいる。その点に関しては問題無いが、コウタとしても心中複雑だった。北斗も下手に介入する事はしない。それを理解しているからこそ、それ以上触れる事は無かった。

 

 

「俺が知ってる内容だと、結構厳かにやってますね。それと毎年広報部が来てますね」

 

「マジで?」

 

「はい」

 

 北斗の言葉にコウタもまた少しだけ思う事があった。実際に広報部が来ている時点で何となく察する部分があった。これまでの経験からすれば何となく嫌な予感だけがする。だが、そこで行かない選択肢を選ぶ訳にも行かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「流石にここまでとは……」

 

「俺も初めて見た時はそう思いました。コウタさんは知らなかったんですか?」

 

「何となく…かな。最近は来てないから」

 

 新年の宴が序盤の厳かさは既に無く、今は完全に和気藹々とした空気が流れていた。屋敷に来た事はそこそこあるが、まさかこうまで違っているとは予想しなかった。コウタの呟きに答えるかの様に北斗もまた持ったグラスを片手に周囲を眺める。元々隊長格の人間だけが招待される事が多い為にそれ程雑多な雰囲気はないが、着物姿でのそれはある意味では壮観だった。

 彩の鮮やかな光景には既に着慣れたマルグリットの姿が見える。周囲もまた鮮やかな着物が故に、何時もとは違った光景が広がっていた。

 

 

「コウタがここに来るんなんて珍しいですね」

 

「今回は色々と重なってさ。偶にはここに顔を出すのも必要だろ」

 

 コウタの姿を見たからなのか、アリサは物珍しい顔をしていた。既に自分の用事も終えている為にアリサもまた着物を着ている。周囲と違うのは振袖ではなく留袖。長さが多少違う程度だった。

 

 

「何時もは自宅でしたからね。偶には良いんじゃないですか」

 

「今年は母さんとノゾミにも言われたんだよ。家族の事も大事だけど、そろそろ自分の事もやれって」

 

 コウタの言葉にアリサも何が含まれているのかを何となく理解していた。これまでであればコウタは確実に自分の家族を優先していた。だが、マルグリットと付き合う様になってからはその状況は変化している。実際にコウタが出動している際にもマルグリットだけがコウタの家に行く事が多々あった。実際に女同士、何を話しているのかは分からないでもない。以前にも何となくそんな話を聞いていたからだった。

 コウタがここに来たのも、恐らくはその一環。家族の目から見ても今のうちに捕まえる事が出来たのなら、そのまま一気に前に進めと言っている様だった。アリサの目から見ても、時期的にはそろそろ一緒になっても良いのではとさえ思っている。だが、それはあくまでも当人同士の話。時折リッカやヒバリともそんな話は出るも、それ以上何かをするつもりは無かった。

 

 

「そうでしょうね。コウタもそろそろシスコンの異名を返上する必要がありますから」

 

「誰がシスコンだよ。俺は違う」

 

「はいはい。そう言うならそうだと思いますよ」

 

 アリサの目にはコウタの向こう側に居るマルグリットの姿が映っていた。となれば、ここで時間を潰すよりもエイジの傍に居た方が良いかもしれない。そう考えたからなのか、その後の動きは早かった。

 

 

「マルグリット。後は頼みましたよ」

 

「はい」

 

 コウタが振り向いた先にはマルグリットが食事の為の用意をしていた。立食形式の為に、各自で取り皿にお節料理を取っていく。明らかに自分の分では無く、コウタの分だった。

 

 

 

 

 

「コウタはどうだったの?」

 

「どうでしょう。少しは変わるのかもしれませんね」

 

 エイジの言葉にアリサも少しだけ何かを思い出したかの様に口にしていた。元々エイジはもてなす側の為に、会場でゆっくりとするだけの時間は早々無い。アリサに関しても、今年はそうだった。周囲を見れば広報部のスタッフと思われる人間が色々と撮影をしている。恒例になりつつある新年の宴は穏やかに過ぎていた。

 

 

 



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第145話 成長 (前篇)

 

 張りつめた空気が漂うのは偏にこれから始まる教導の影響だった。

 お互いの距離が一定に保たれたまま、両者は動く事は無い。これが何らかのスポーツであれば審判が動くように促すかもしれない。だが、これは遊びではなく、事実上の実戦。動けないと動かないでは表現が僅かに違うが、意味は雲泥の差だった。

 対峙したからなのか、視線は互いにぶつかる。これが同等の実力であればもっと違った結果になるかもしれない。だが、対峙した相手は残念ながら同じだけの実力では無かった。

 片方が醸し出す熱量をもう片方は軽やかに受け流す。この時点で実力の差は明らかだった。互いの手に持つのは何の変哲もない棒。それも木を削り出しただけの簡素な物だった。

 

 

「どうした?睨めっこでもするつもりか?」

 

 挑発とも取れる言葉を受け流したのか、それとも返事に困ったのかは本人にしか分からない。だが、その言葉と同時に僅かに雰囲気が変わっていた。

 獰猛な肉食獣が自分を蹂躙するかの様に濃密な気配を作り出す。そこにあるのは純粋な気力だけだった。

 当時は全く分からないままに終わった戦い。だが、今は何となくそれが理解出来ていた。

 これまでに幾度となく戦場に立ち、その度に生き残ってきている。それに対して、目の前の人間はアラガミと対峙など出来ないはずだった。だが、そこに感じるのはアラガミ以上にこちらに何かをしようとする気迫。お互いの間にある空気は何かのキッカケで爆発するかと思える程だった。

 

 

「さあ、来い!」

 

「行きます!」

 

 まるで操られたかの様にその言葉を聞いた瞬間、自らの身体能力を活かすかの様にその体躯は一気に距離を詰めていた。棒の長さを考慮しても攻撃を知覚するよりも早く相手の懐へと飛び込む。少なくとも間合が広い分だけ接近されれば対処は難しいはずだった。

 

 室内に響く甲高い音。少なくとも木製の武器ではありえないと思える音だった。一方的に攻撃をするつもりの攻撃は難なく裁かれたばかりか、手痛い反撃までもがおまけについて来た。

 加速する体躯を一気に止める事は難しい。幾ら強靭な肉体と言えど同じだった。強引に止めれば肉体の一部が損傷するかもしれない。これが競技であれば良いが、実戦であれば最悪だった。

 加速した事によって狭まる視界に飛び込んで来たのは棒の先端。自らの加速だけでなく、相手の繰り出した攻撃もまた神速と呼べる程だった。

 

 お互いの距離など無に等しい。それ程まで自分の想定を覆していた。回避が無理なら攻撃を繰り出し、相手の態勢を崩す。残された方法はその程度だった。止まらないのであれば止めずに活かす。その結果が甲高い音となっていた。だが、そこまで。渾身の一撃は完全に読まれていたからなのか、持っている棒で弾かれていた。その瞬間、完全に重心が崩れ死に体となっている。それを見逃す程甘くは無かった。

 

 

「まだ甘いぞ!」

 

 届かないはずの間合いからの一突き。事実上の一撃とも取れる突きはそのまま自分の意識をすり抜けて腹部へと突き刺さっていた。

 

 

 

 

 

「以前に比べれば大分上達したな」

 

「そ、そうですか………」

 

「ああ。この件に関しては嘘は言わない。勿論、同じレベルの人間と比べれば、が前提だがな」

 

「まだまだって事ですよね」

 

「当然だ。それに俺に負けてる時点で問題有りだろうが」

 

「でも、ナオヤさんの相手が出来る人ってエイジさん位ですよね」

 

「何だ?エリナは打倒エイジか?」

 

 何気ない言葉ではあったが、エリナはとんでもないと言わんばかりに手を左右に振っていた。事実、教導教官の中でナオヤは唯一と言っていい程に一般人である。本来であればゴッドイーターが負ける道理はどこにも無い。だが、卓越した技術を戦闘勘は完全に群を抜いていた。

 力づくで倒す事は不可能ではない。実際につばぜり合いの状態になれば体勢を崩されるのはナオヤの方。だが、逆の言い方をすればそれだけだった。

 体勢が崩されたとしても、そこからのリカバリーは淀む事無く続いていく。力任せに動けばその分だけ隙も生まれていた。

 その結果、手痛い反撃を喰らうまでが一連の流れ。エリナもまたそれを知っているからこそ、力任せに強引に攻める事はしなかった。

 

 

「だが、以前に比べれば穂先の動きは安定してきてるな。だが、ここで慢心すればそれまでだ」

 

「はい。それで、ですね………」

 

 何時もと同じ指導の後の感想にエリナは僅かに笑みが零れた。だが、それはほんの一瞬。何かを確認したかったのか、僅かに言い淀んでいた。

 

 

「俺で分かる事なら言うが?」

 

「あの………私、まだ上を目指すのは早いでしょうか?」

 

「上……か。別に問題無いと思うぞ」

 

 エリナの質問にナオヤもまた端的に答えるしか無かった。事実、ナオヤの立場で考えれば新人がまともに戦場に立てるのかを判断する立場ではないから。これまでの経験から、この程度であれば死ぬことは無いだろうと判断する程度だった。

 当然ながらエリナが言う上が何なのかは正しく理解している。今のエリナの立場で曹長が可能なのか確認されたと判断していた。

 

 

「え、でもナオヤさんに簡単に負けたんですよ」

 

「エリナ。まずはその認識を改めるんだ。確かに技術面に関してはそうかもしれん。だが、そんな事よりももっと大事な事もある。少しだけ構えろ」

 

 突然の言葉にエリナは改めて自分の棒を構えていた。基本とも取れる中段の位置に棒の先を付ける。それを確認したからなのか、ナオヤもまた改めてエリナと対峙していた。

 

 

(何これ!さっきまでと全然違う)

 

 ナオヤと対峙したエリナはただ驚くだけだった。先程までとは違い、今のナオヤからはアラガミと同じ位の圧力を感じ取っていいた。決定的違うのはアラガミの様に本能を剥きだした感情ではなく、こちらをねじ伏せるかの様な圧力。自分が先に動ける未来がまるで見えなかった。

 どこに攻撃をしても致命的な反撃だけが予測される。少なくとも新兵が対峙出来るレベルでは無かった。無意識の内に躰が震える。以前に事実上の単独で戦ったヴァジュラと同じ物を感じ取っていた。

 

 

「ちゃんと防げよ」

 

 一言だけ出た言葉がエリナの耳に届いた瞬間、ナオヤの持つ棒の先は完全に見失っていた。槍は本来突くよりも払いや叩きつけるのが攻撃の手法となっている。実際に突く行為は攻撃力の面だけを見れば脅威だが、点の攻撃である為に防御が出来れば何とか反撃に出るのが可能だった。

 当然ながらこれまで研鑽を積んで来たエリナもまた同じ事を考える。だからなのか、無意識の内に防御を構えを取っていた。手に感じる振動は全部で二つ。そのどれもがこれまでに感じた事が無い衝撃だった。

 

 受けた瞬間に手にも衝撃が伝わる。ゴッドイーターで無ければ防御を突破して致命傷を負ったかもしれない。それ程までに力の籠った突きだった。

 だが、攻撃はそこで終わらない。エリナの頬を掠るかの様に攻撃の一つが走っていた。三連突き。そのどれもが厳しい攻撃。それ程までに卓越した業だった。

 

 

 

 

 

「さっきの攻撃が一つでも見えたならそれなりに力がついて来た証拠だ。だからそんな事を気にする位なら座学に力を入れるべきだな」

 

 何事も無かったかの様にそのまま教導は終了していた。気が付けばエリナの全身からは珠の様な汗が流れている。それに引き換え、ナオヤの表情は涼し気だった。

 

 

「ありがとうございました」

 

「ああ。お疲れさん。それと一つだけ今のエリナが目指す物を見せてやる」

 

 突然の言葉にエリナは疑問だけが浮かんでいた。先程見た一瞬の攻防。その先に何があるのかを何となく理解した矢先だった。これから何が起こるのかが分からない以上、ナオヤの行動を黙って見るしかない。そのナオヤもまた端末を叩く事によってやるべき事が何なのかを示していた。端末の操作が終わった瞬間、これまでに散々見た物が姿を現す。そこにあったのはヴァジュラを模した木偶だった。

 

 

 

 

 

「さて、久しぶりにやってみるか」

 

 ナオヤの言葉を聞いた瞬間、エリナはこれからナオヤが何をするのかを理解していた。少なくともアラガミのこれはゴッドイーターが教導の際に結合崩壊させる場所を教える為の物。少なくとも木偶であっても相応の強度はあった。当然ながらナオヤの様にオラクル細胞の恩恵を受けない人間では結合崩壊させる事は出来ない。ナオヤもまたそれを知っているはずだった。

 ヴァジュラの木偶の隣にはチャージスピアのモックが用意されていた。神機使い様のそれではなく、あくまでも一般人用に調整されたそれ。重々しく見える神機のモックを小枝を振るうかの様に動かす音が物語っていた。演舞を思わせる様に綺麗な弧を穂先が描く。エリナもまた、少しだけ見とれていた。

 

 

「一回しかやらないぞ」

 

 一言だけ出た言葉。エリナもまた凝視するかの様にその動きを見せていた。軽やかに動きながらも、神機のモックは深々と木偶に突き刺さる。本来であればあり得ない事実。恐らくここに新兵が居れば確実に驚く光景だった。

 訓練用の為に、動かなくとも耐久性能は高い。だが、ナオヤが繰り出した突きはそのどれもが確実に穂先を体躯に沈めていた。僅かに漏れる呼気。そこにあるのは戦いではなく作業と化した物だった。

 破壊力を高めるかの様に常に突く際には常に激しく回転している。棒であれば分からないが、神機のモックだからこそ理解していた。

 

 螺旋状に動く事によって破壊力は何倍にも増えている。それが破壊力向上の正体だった。時間こそかかっているが、それはあくまでもゴッドイーターが基準の話。少なくとも一般の強化されていない人間がやるべき事では無かった。

 非現実的な光景にエリナは僅かに震えていた。恐怖ではなく、歓喜。非力な人間であっても可能であれば、ゴッドイーターであればどれ程の効果を発揮するのか。少なくともこんな動きを見せるゴッドイーターをエリナは見た事が無かった。自分の目指す先が僅かに切り開かれる。唐突に理解していた。

 

 

 

 

 

「とまあ、こんな感じだ。だが、これが最終到達点じゃないからな。上を目指すならまだ高い」

 

「ありがとうございました」

 

 作業が終わったと言わんばかりに、用意された木偶は全ての部分が完全に結合崩壊していた。この状況だけを見れば誰かが何かの訓練をしたと思うかもしれない。だが、ナオヤがやったとなれば話は別だった。非力な肉体であっても技術さえあれば相応の威力を発揮する事が出来る。少なくとも小型種程度であれば事実上の一撃で屠る事も不可能ではない。だが、それと同時に、その頂にいたるまでがどれ程困難なのかも理解していた。

 

 エリナ自身、出来る範囲での技術の習得に関しては貪欲な程だった。事実、教導以外にもブラッドのギルからも教えを受けるべく、色々と話をした事もあった。その中で分かった事実は高火力のイメージがあったブラッドアーツでさえも、(わざ)の一つでしかなく、オラクルを奔流させる為に威力が高いに過ぎなかった。

 結果的には本人の能力に相乗効果を発揮する為に、討伐そのものが短時間で終わっていた。これでエリナもブラッドアーツが使えれば多少は分かったかもしれない。だが、現時点ではそれが叶う事は無かった。

 出来るのは自らの肉体で行使する業。神機の性能に関してはどうしようも無いが、少なくとも工夫をする事によって技能を高める事は不可能では無かった。

 

 

「本当なら神機のアップデートもした方が良いんだが、まあ、それに関してはお前の技量に合わせないと色々と不備があるんだ」

 

「それは知ってます。神機に頼り過ぎるのは良くないですから」

 

「そうだな。だが、曹長クラスを目指すなら、当然ミッションも苛烈になる。そうなれば必然的に一部隊の隊長になる可能性もあるんだ。現状を良しと思わないなら何とかなるだろ」

 

 ナオヤの隊長の言葉にエリナは急に現実感に囚われていた。これまでに隊長とは言わなくとも副隊長クラスのミッションに出た事は何度かあった。事実、隊長がしっかりとした人物であれば副隊長が表に出る機会は早々無い。エリナもまた副隊長をしていた際の隊長はマルグリットだった。

 冷静に考えればエリナが知る隊長クラスはクレイドルの人間が殆ど。その中でもエイジやリンドウに関しては完全に自分の範囲を超えていた。

 当然ながらそこまで高い物でなくとも身近であればコウタや北斗。マルグリットなど、それでも相応の実力を持っていた。だからこそナオヤの言葉でエリナは考える。普段は適当な事をしているコウタであっても部隊を壊滅させない様に細心の注意を常に払っていた。

 

 ゴッドイーターは余程の事が無ければ生存して初めて経験を積む事が出来る。常に死と隣り合わせであるからこそ、当たり前の事だった。初めて第一部隊に配属された頃にコウタが言った言葉。ある意味ではそれが第一部隊のモットーだった。それが仮に自分がその立場になった際には言えるのだろうか。エリナは珍しく考え込んでいた。

 

 

「エリナ。ここで考えた所で何も変わらないんだ。さっさと汗の始末をしておけ。出来るなら風呂に入って躰の筋肉をほぐした方が良いぞ」

 

「分かりました」

 

 これで本当に教導が終了していた。一度だけ見せたそれはエリナの脳裏に焼き付いている。これまでにも何度と映像を見たり、指導を受けたが、今日のそれは強烈だった。だからこそあの映像の戦いの意味が理解出来る。お互いに力ではなく純然たる技量だけで戦った結果は高度な業の応酬。既にここのゴッドイーターでさえもあの高みには到達していない事だけは間違い無かった。ナオヤに言われたからなのか、肉体の疲労だけでなく精神の疲労も感じている。肉体を癒すだけならどうとでもなるが、精神の疲労までは簡単に抜けなかった。最低限の道具だけを持って新設させた風呂場へと行く。これまでに無い疲労感は意外にもエリナの心を満たしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん。やっぱり疲れがたまってたのかな」

 

 誰も居なかったからなのか、エリナの声は僅かに響いていた。アナグラに設置されたこの浴室は当初こそ、利用者の数は少なかったが、最近になってから確実に多くなっていた。

 躰の汚れや老廃物を落とすだけならシャワーだけでも問題無い。だが、お湯に浸かる事によって筋肉の疲労や精神的にも落ち着く事が分かってからは利用者は増えていた。だが、ここではシャワー室の様に遮る物は何も無い。裸の付き合いとまでは行かなくとも、恥ずかしさが先に出る事によって利用しないケースもあった。だが、本当の理由はそれだけではなかった。

 

 

「あれ?エリナもここでしたか?」

 

 誰も居なかったはずの浴室に響いたのはアリサの声だった。元々アリサもここでのシャワーに限らず、屋敷では温泉を当たり前の様に使っている。その為にそれ程の忌避感や気恥ずかしさはも居合わせていなかった。

 タオルで前を隠しはするが、恥ずかしさは何処にも無い。だが、同じ空間に居る者からすればアリサの横に並び立とうと考える者は居なかった。

 ゴッドイーター特有の鍛えられた肉体は筋肉質とまではいかなくとも、ウエスト回りを十分に細くしている。理想とも言えるくびれはある意味羨望の的だった。そのくびれとは正反対に上半身にある豊かな双丘は確実に存在感をもたらしている。下半身に関しても女性らしい、なだらかなラインは同性であっても視線を奪っていた。そんな人物が同じ場所であれば劣等感だけが先に出る。クレイドルの活動を考えれば遭遇する機会は少ないが、やはり安心出来ない物があった。

 

 

「アリサさんはもう終わったんですか?」

 

「ミッションは終わりましたが、この後は少しだけサテライトの件で調整があるんです。時間が空いたので少しだけ気分転換ってとこですね」

 

 自分の躰を比べる事を最初から考えていないからなのか、それとも慣れたからなのか、エリナは特段感情を露わにする事は無かった。既に全身を洗い終えている為に、今は湯船に浸かっている。アリサもまた言葉通りだからなのか、埃や汚れを落として同じく湯船へと足を運んでいた。

 

 

 

 

 

「まあ、ナオヤならやりそうですね」

 

 エリナとアリサにはそれなりに接点はあるが、だからと言って完全に親しい訳では無かった。コウタが居れば当然ながら旧第一部隊としてか、クレイドルとして。居なければ完全にミッションの内容を話す程度だった。勿論、アリサのキャリアを考えれば、元はロシア支部でも事実上、ここでの主力で過ごしている。討伐のスコアを見ても、完全に上位に入っていた。

 本来であれば先程の事を口にする事は無かったのかもしれない。だが、エイジとナオヤ、アリサの関係性を考えれば全ての事を口にしても大丈夫だろうと判断した結果だった。

 

 

「って事はアリサさんも知ってたんですか?」

 

「厳密には見た訳ではありませんよ。ただ、とある筋から話を聞いただけですけど」

 

 アリサの情報源はエイジとリッカだった。実際にその話を聞いたのはごく最近になってから、それも個人的な慰労を兼ねて何時もの様に屋敷で少しだけ羽目を外した際の事だった。 

 当時はアリサとリッカの他に、ヒバリも居た。ある意味では何時ものメンバーだった。何時ものメンバーが故にアルコールが入れば口は軽くなる。ましてや今のアリサの立ち位置を考えればエイジだけでなく、ナオヤもまた近い場所にあった。酩酊した状態だからなのか、ここの住人だからなのかは分からない。だが、リッカの口は随分と軽くなっていた。

 そんな中での鍛錬での一コマ。それが一定上の技量を極めればアラガミと言えど決して無謀な戦いにならない可能性だった。オラクル細胞の研究は常に進んではいるが、本当の事を言えば、何らかのブレイクスルーが要求される場面に差し掛かっていた。

 

 研究の第一人者でもある榊もまた、新しい論文を発表する気配は既に無くなっている。支部長の職に就きながらも研究を進める事は困難だった。

 現時点での研究職の中で上位に位置する人間が新しい発表をしないのであれば、新たな進化を遂げる事は難しくなる。アラガミとは違い、人類には寿命と言う名のタイムリミットが存在する。既に榊は自分の研究をこなしながらも後進の指導へとシフトしていた。

 極東支部で限定すれば、その最右翼はソーマ・シックザール。紫藤博士に関しては常に実戦に基づく研究の為に、分野が異なっていた。そんな中で榊は未完成の論文を作成する。

 

 リンクサポートシステムにヒントを得て、常に状況が目まぐるしく変化する戦場でのサポート。ゴッドイーターの補佐とも言える、ディバイダー理論。まだ完全に発表された訳でないが、現状に比べればさらに効率を高める事になるのは容易に想像できる内容だった。

 だが、その前提が適合者でありながら神機が未だマッチングしない人物である事。神機を使用しないそれがどれ程の効果を発揮するのかは未だ研究途中だった。

 幾ら理論値が優れても、実戦での結果が伴わなければ無意味でしかない。

 幸か不幸か、そのヒントになったのがナオヤの技量だった。実際に初めてそれをやった際には榊だけでなく、ヒバリもまた同行している。そんな驚愕の結果をアリサもまた聞いた際には、にわかに信じられなかった。

 

 

「そうだったんですか……でも、今回の件で、私も実感しました。これ以上は無理だと思った瞬間に、そこで成長が終わるんだ。って」

 

「そうですね……確かに現状で満足したらそれで終わりですね」

 

 本来であれば、寛ぐはずの空間。だが、お互いが任務に関してはある意味真面目だった。これがラウンジであれば話題の転換は可能かもしれない。そんな空気を一気に変えたのは、外部からの影響だった。

 

 

「あら?珍しい組み合わせね」

 

 二人が気が付いたのは何気ない一言。そこに珍しい人物の姿があった。極東支部の組織として考えれば確実に珍しい部類に入る人物。浴室と言う特殊な空間であっても外れる事のない眼帯はある意味特徴的だった。

 

 

 



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第146話 成長 (後篇)

 以前の組織であれば、部隊が違えど何らかの形で目にする機会は幾度となくあった。だが、ここ近年に関してはその限りでは無かった。

 クレイドルの主導するサテライト計画。それがある意味では極東支部の方針を大幅に変更する事になっていた。元々人類の守護者と言う位置付けである以上、ゴッドイーターの配備は当然の事。これが従来のアナグラでだけであれば、それ程珍しさを感じる事は無かった。

 

 人類救済と命の安寧の為にゆりかごの意味を持つクレイドルはこれまでに無い程にその動きを活性化していた。一番の要因は拠点を設ける為の守護者としての位置付け。元々クレイドルの主要な人間は旧第一部隊だった。

 元々スコアの上位の人間が動く以上、アラガミの出没に対しては誰もが危機感を持ち合わせていない。それ程までに隔絶していた。

 

 第一部隊はどの支部でも事実上の顔としての役割を持つ。だが、クレイドルに関してはそに限りでは無かった。出来る事なら表舞台ではなく裏で支える存在になりたい。ひっそりと活動したのはそんな意味合いもまった。

 だが、今の時代からすればある意味では希望とも言える存在。事実上の無償の行為とも取れるそれは、人々の心の支えとなっていた。

 当たり前の事だが、サテライト計画が計画通りに進めば、次に待っているのはその維持。そこに白羽の矢が立ったのはタツミを頂点とした防衛班だった。当然ながら人類の拠点が拡大すれば、それだけ負担は大きくなる。その結果として、タツミ以外の隊長がアナグラに顔を出す事は稀だった。

 

 

「焦った所で何も変わらないのは間違いないわね。でも、上を目指すその気持ちが純粋なら大丈夫よ」

 

「そうなんでしょうか………」

 

 エリナは普段は話す機会が少ないジーナに自分の気持ちを吐き出していた。これがアリサで無かったのは、偏にアリサもまた今の境地に至るまでにどれ程の苦難を乗り越えたのかを何となくでも知っていたからだった。

 そもそもゴッドイーターの価値は対アラガミであって、それ以外には何の価値も無いと言っても過言ではない。それ程までに分かりやすい物だった。

 そう考えるとアリサはどちらかと言えばエイジやナオヤの様な教導教官の部分に近い。仮に自分の意見を口にした所で宥められる可能性が高かった。だが、ジーナに関しては状況が異なる。当初からの宣言通り、アリサは既に身支度を整える為にこの場から離れていた。

 

 

「参考に聞くけど、アリサとしてはどう考えてるの?」

 

「私の考えですか?」

 

「ええ。本当の事を言えば、教導をする側からの観点で聞かせてもらえると有難いわね」

 

 エリナとの会話だったからなのか、アリサはそれ程深く考える事は無かった。クレイドルの中でが各々の特性を考慮して作業の分配が為されている。教導の部分に関してだけ言えば、完全にアリサの管轄から外れていた。だからと言って、何知らないと放置するのは簡単な話。しかし、アリサの中で、その言葉は無に等しかった。

 

 

 

 

 

「私は教導教官をした経験が無いので、私の主観になると思いますが………」

 

 一言だけ自分の事だと前置きしてから、アリサは改めてこれまでの事を思い出しながらそれを口にしていた。実際にクレイドルでの活動に於いて、階級そのものはそれ程必要では無い。曹長以上としているのは、偏にその場に於いての判断が常に要求されるから。これが新兵や上等兵であっても実際には問題にはならない。だが、建前としてはそう言う訳には行かなかった。

 

 サテライト拠点での資材の不足が起これば何らかの措置が必要とされる。当然ながらその際に必要なのはフェンリルでの序列。誰もが階級そのものに価値を見出していない訳では無く、結果的に資材やそれ以外を提供する事によって自分の置かれた立場が危うくなる可能性だった。

 アリサだけでなく、旧第一部隊のメンバーは誰もが尉官の為に、依頼をしても断られる可能性は無かった。元から第一部隊である時点で他の部隊以上に実力があるのは言うまでもなく、また、これまでの活動を考えれば口を挟める人間はいなかった。

 勿論、その都度階級や立場を使う様な事はしていない。必要になるにはそれだけの理由があり、協力してくれた際には同じだけの都合もしてきた。お互いの関係性を損なう事無くこれまでやってきた事をそのまま今も続けているだけに過ぎなかった。

 

 ジーナから話を振られたまでは良いが、その部分に対しての言葉ではない。事実、アリサもまたエリナが何を考えて上を目指すのかを知っている訳では無い。自分に出来るのはクレイドルの組織とその内容。説明をしながらもエリナの疑問に答える事が出来ているとは思えなかった。

 

 

「……私個人としては階級は外部に対する物であって、ここでは何の役にも立っていないんです。それに、極東支部の管轄であれば誰だって実力が全てだと考えてますから」

 

「アリサの意見は私も賛成ね。実際にここでは外部からの階級なんて何の役にも立たないんですもの」

 

 ベテラン二人の言葉にエリナもまた自分の考えと向き合うしかなかった。漠然と目指す事は悪い訳では無い。ただ、それが何なのかを明確に理解する必要があった。役職に就くだけでなく、部隊を預かるプレッシャーがどんな物なのかは多少なりとも自覚している。少なくともエリナの中では自分の理想とするそれを見つける事が先決だった。

 

 

「だからと言って常に考えすぎるのは疲れますから、時には息抜きも必要ですよ」

 

「あら?貴女がそんな事を言うなんて……少しは落ち着いたのかしら?やっぱり既婚者は違うのね」

 

「そ、そんな事は……まあ、多少はありますけど」

 

 まさかジーナから言われると思わなかったからなのか、アリサは珍しく狼狽えていた。実際に揶揄われる事は多々あるが、その殆どはリッカやヒバリ。まさかジーナに言われると思わなかったからのか、アリサはお風呂ではない熱を顔に感じていた。

 

 

「でも、楽しく過ごす事が出来るのも気分転換にはなるわね。エリナもアリサ達を見習って少しは気分が晴れる様な事をするのも悪くないわよ」

 

「私も……ですか?」

 

「そう。肉体だけじゃなくて精神にも休息は必要なの。それが出来て初めて一流と呼ばれる所に行けるわ。そうなれば勝手に数字はついて来る。第一部隊ならマルグリットもいるし、ブラッドやオペレーターならフランやウララが居るわ」

 

 ジーナの言葉にエリナは改めて考えていた。アリサ達がラウンジだけでなく、屋敷でも何かと集まっている事は何となく知っている。本当の事を言えばエリナもまた多少なりとも関心はあったが、あの中に行きたいとは思わなかった。

 三人で集まれば生々しい話になる事も少なくない。以前に何となく聞こえた話がそれだったのは、まだ記憶に新しかった。

 

 

「詳しい事は知らないけど、ナオヤは既に申し分ないって判断をしたなら、後はそれ以外の事だけよ」

 

「ジーナさん。どうしてそれを?」

 

 エリナが驚くのは無理も無かった。実際い教導の内容に関しては各自の情報になる為に、本人以外には知る術はないはずだった。ましてやジーナは普段はここではなく、サテイラト拠点の一つを任されている立場。エリナの情報を知るはずが無かった。

 だかこそ、その感情を隠す事は無い。ジーナもまた、その表情から察したからなのか、種明かしを決めていた。

 

 

「一般の部隊長権限だと分からないわ。ただ、拠点防衛や佐官級の人間であれば現在の状況を知る事が出来るのよ。とは言っても、今の現状だとエリナだけなんだけど」

 

 ジーナの言葉の意味は分かったが、今度は新しい疑問が出てくる。事実、上等兵の枠組みであれば自分と同じ立場の人間はごまんと居る。ましてや中には自分よりも戦果を挙げている人間も多いはずだった。そんな中で自分だけが注目される。その意味を正しく理解出来るだけの材料は無かった。

 

 

「念の為に言っておくけど、他の皆もある程度の実力つ数字は出てる。ただ、その殆どが教導を除いた物。今の中でそれをクリアしているのはエリナだけって事」

 

「教導って………まさかとは思いますが……」

 

 ジーナの言葉にエリナは先程までナオヤから教導を受けていた事を思い出していた。

 あの時聞いたのは座学の面での話。実技そのものに関しては咎められる事は無かった。

 その瞬間、ジーナの言葉を理解する。この極東支部に於いては実力が全て。そんな中で上位の階級を目指す人間は本来であれば実力を示す所から始まるはずだった。だが、実際にそれをクリアしているのはエリナだけ。後は座学の面でのクリアだった。

 

 座学と言われてもそれ程難しい話では無い。単純に戦略やアラガミの特性面だった。

 弱点となる部位やその特徴。万が一の対処の方法は実戦に長く勤めれば誰もが知る程度の内容。そしてスコアに関しても時間がかかっても小型種や中型種だけを討伐してもポイントが積み上がるからだった。

 だが、エリナに関してはその限りではない。これまでにも幾度となく階級に見合わないミッションに出向く事があった。勿論、第一部隊だけの物では無い。そう考えればエリナが他のゴッドイーターに比べて頭一つ抜きん出ているのは当然だった。

 エリナ自身は常にその環境下での戦いの為に気が付かない。それが当たり前の世界で戦ってくたからだった。

 

 

「エリナの考えている事で正解よ。尤も、以前ならそんな座学の事なんて後回しだったんだけどね」

 

 誰かの事を暗に言っているからなのか、ジーナは僅かに笑みを浮かべていた。脳裏にあるのは分不相応なアラガミを常に狙いながら思った結果にならない一人の隊長。仮に今の制度であれば確実にその部分で撥ねられるのは確実だった。だが、これまでの実績によって今では立派に隊長をしている。そんなジーナをエリナは不思議に思っていた。

 

 

「済みません。私はそろそろ出ますので」

 

「そうね。私も少しだけ予定があるから、ここで失礼するわね」

 

 二人共予定があったからなのか、この場には改めてエリナだけになっていた。誰も居ないが故に、改めてこれまでの事を反芻する。心身ともに鍛えてこそ、初めて胸を張っていけると考え居てた。先程までとは違い、エリナの眼に力が宿る。自分にできる事が何なのかを改めて感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、珍しく焚き付けたらしいね」

 

「何だ。もう聞いたのか?」

 

「まあね」

 

 ラウンジではなく食堂には珍しい顔が揃っていた。元々ラウンジに関しては、エイジも非番となっている。そうなれば食堂に顔を出す必要性は何処にも無かった。

 

 

「実際に技量だけを見ればもうかなりの位置になってるんだが、後は実績がな……」

 

「成程。そう言う事」

 

 教導教官の片割れとも言うべきナオヤとエイジが食堂を選んだのはその事についてだった。部屋で話をしても良かったが、それ程機密と言う程ではない。一個人の数字に関する事なだけで、一定上の役職者であれば確認する事が可能だからだ。周囲に居るのはまだ新兵ばかり。これがエリナと同等レベルの人間が居ない事を確認したが故の事だった。だからと言って立場上、個人名は出さない。まだ秘匿する必要があったからだった。

 

 

「実際に、お前が部隊長だった頃と今は完全に違うからな。一概に実績だけってのも難しいんだよ」

 

「確かに………」

 

 ナオヤの言葉にエイジもまた改めてこれまでの事を思い出していた。まだクレイドルが発足する前の状況であれば、エリナの階級もさることながら、部隊の一つもと言った事が話題に出る可能性があった。だが、今の様に確立されたシステムでは余程の事が無い限り、その話が出る事は早々無い。ナオヤだけでなくエイジも理解しているからなのか、細かい事を話す事無くそのまま終始していた。

 

 

 

 

 

「純粋培養が悪いとは思わないが、このままってのもの問題があるぞ」

 

「確かに。でも、今のやり方を弄った所でメリットは何も無いしね。それか、もう一段教導を引き上げるかじゃないかな」

 

「まあ、そうなるよな」

 

「後は本人に確認する事を前提で良いんじゃない?」

 

 教導教官の立場で考えれば誰もが殉職する事を望む者は居ない。ましてやエリナの様に年齢がまだ低めであれば尚更だった。だからと言って目に見える特別扱いをする訳にもいかない。その前提として、まずは本人に確認する必要があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エリナが、ですか?」

 

「ナオヤの話だと、そうなるね。アリサはどう思う?」

 

 何気ない日常の中で、エイジは不意に自分達以外の側の判断を知りたいと考えていた。

 実際に部隊長に限った事ではないが、階級が上がれば自然と判断すべき事は増えていく。ましてや部隊ともなれば部下の命を預かる事にも繋がる。自分達の意見だけでなく、第三者としての視点からも確認する必要があった。

 

 

「そうですね……特に思い当たる事は無いですが、可能性としてであれば時間的な物ですか」

 

 アリサの言葉にエイジもまた言わんとする部分を理解していた。この極東に於いてはそれ程重視されない点。一つは当人の年齢だった。他の支部と比べれば、極東支部の平均年齢はかなり低い。まだエリナがゴッドイーターになった当時は明らかに低すぎると思わる部分が確かにあった。

 だが、戦闘技術に年齢は関係無い。常人とは違い、ゴッドイーターの肉体はそんな些細な事を凌駕していた。しかし、見た目とそれが必ずしも一致するはずが無い。最初から極東支部の所属であれば問題無いが、他からの転属や一時的な着任となれば話は別だった。

 ここに来る人間の大半がそれなりの階級を持っている。そんな中でも自分よりも明らかに年下の人間が同じ階級となれば、そこから発生するトラブルが何なのかは考えるまでも無かった。

 

 世間から見ればどうでも良い『嫉妬』。だが、それを重視する人間からすれば堪えられない物があった。幾ら戦場での戦闘方法や討伐スコアが劣っていも、それしかない人間は折れる事をしない。下手をすれば不協和音の元にすらなる可能性があった。クレイドルの様に隔絶した何かがあれば話は別。だが、今のままでは何らかのトラブルに発展する可能性が否定出来なかった。

 

 

「中々難しいね。特に見えない物ってさ」

 

「仕方ありません。ですが、エリナの向上心をそのまま腐らせるのは勿体ないですよ」

 

「となると、ツバキ教官に相談だね」

 

 

 

 

 

 二人の中でもある程度の道が見えているからなのか、その後の事に関しての根回しは早かった。元々年齢と階級を一致させる規定はフェンリルにはない。結果的に極東の人間の方が討伐スコアが高い為に昇格が早いだけだった。

 当然ながらリスクもある。相応のアラガミと対峙するのであれば、その分だけ自らを危険に晒す事になる。幾らエイジと言えど、横槍を勝手に入れる訳には行かなかった。

 実際には違っていても、表面上はクレイドルと部隊運営は別物。ミッションに関してはその限りではないが、少なくともクライドルとブラッドは他の部隊に比べれば、高難易度ミッションに赴く事は多かった。要求されたミッションで実績を積めば、文句を口に出来る人間はほぼ居なくなる。後は打診するだけだった。

 

 

「成程。お前はそう考えているんだな」

 

「はい。まだ本人には言っていませんが」

 

「そうだな。今後の事もある。一度コウタにも打診しよう。だが、技術的な部分はどうなんだ?」

 

 エイジの提案にツバキもまた納得する部分が多分にあった。ツバキの目から見ればエリナはまだ及第点には遠い。だが、今の技術をたたき台として考えれば悪い話しではなかった。常にアラガミとの生存競争は熾烈を極める。アラガミの根絶は無理でも、その可能性を僅かにでも低下させ、人類の最悪の未来を回避する事を考えれば悪い話では無かった。

 

 

「ナオヤの話だと今は本人が気が付かないレベルで引き上げているとの事です。そろそろ本人も気が付くんじゃないかとは言ってましたが」

 

「そうか。階級に関しては直ぐには難しいが、それでもこれまでに無い期間で可能性が上がっているのは事実だ。後はお前達で上手くやるんだ。私達は下から上がってきた情報だけで最終的には判断するだけだからな」

 

「信用されてますね」

 

「お前やナオヤがこれまで築き上げた実績だ。誇っても良いぞ」

 

 ツバキの言葉にエイジもまた真剣な表情を浮かべていた。各自の見極めをどうやってするのかは本人ではなく教官がすべき事。資格こそ無いが、エイジに関しては既にそれを承認するだけの実績があった。そんな人間からの問い合わせである以上、ツバキだけでなく支部長の榊もまた疑問を持つ事はしない。それ程までに今の極東はゆっくりと世代が交代し始めていた。

 エリナに限った話ではなく、それが適正になっていれば、誰もが同じ結果になる。それ程までに今のシステムはゆっくりと変貌していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、エリナ。お前、今よりも上に行きたいと思ってるか?」

 

「どうしたんですか急に?」

 

「どうしたもこうしたも無い。実はツバキ教官から少しだけ打診があった。仮にエリナ自身が今よりも上を目指す気持ちがあるなら、支部としてもある程度のバックアップはするってさ」

 

「ツバキ教官がですか?」

 

「嘘では言わない」

 

「今回の件は第一部隊の中でも判断すべき事なの。私もコウタから聞いたけど、今よりも上を目指すなら、第一部隊だけでなくクレイドルも視野に入れたらどうかって事」

 

「私が、クレイドルに……」

 

 コウタではなくマルグリットの言葉に反応したからなのか、コウタの表情は何とも言えない状態になっていた。勿論、忌避感は無い事は知っているが、それでもどちらに信用度を向けているのは分かる。マルグリットも内心では苦笑しているが、今はそんな事よりもエリナの気持ちを優先させていた。

 

 

「勿論、直ぐって訳じゃないの。本当の事を言えば、今の階級のままだとエリナにとってはマイナスになるかもしれないって事」

 

「私は階級には拘ってませんけど」

 

「それでもよ。何だかんだとここは恵まれてる。エリナも知ってると思うけど、他から来た人でも見た目と内容が合わない人っているでしょ?その部分よ」

 

 マルグリットの言葉にエリナもまた漸く言葉の真意に気が付いていた。実際に今のエリナの階級とスコアは見合っていない。勿論、指揮などの実力は未知数ではあるが、真っ当な隊長の下では、それなりにポジションに関しては理解している。だが、傍から見れば、真っ当に理解する者は僅かだった。だかだこそ実力を示す必要がある。

 クレイドルに関してはエリナもそれ程熱望する事は少ないが、完全実力主義を貫く以上はそれなりに求められる物は多かった。そうなれば向けられる目は自然と厳しくなる。だが、エリナにとってはその在り方は好ましい物だった。

 

 

「分かりました。これまで以上に頑張ります」

 

「おう。頑張れよ」

 

 決意に満ちた表情は、依然とは明らかに異なっていた。実際に出来る事は限られている。それでも、ある程度の道筋が見えた事によってエリナ自身もまた更なる高みへと意識が向いていた。既に教導に関しても、徐々に求められている水準が高くなっている事を聞かされている。後は自分の示す行動だけが全てだった。

 

 

 



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第147話 人知れぬ事情

 

 普段であればミッションの為に確認をするだけの情報。だからなのか、それ程気にする事は無かった。しかし、ふとした瞬間、何時もとは違う情報。これがまだオペレーターになったばかりの新人であれば何かと動揺するのかもしれない。だが、今の時間の担当は新人ではなくフラン。傍から見ても何の変化も無い様に処理した為に、周囲は何が起こっているのかを知る事は無かった。

 

 

「榊支部長。ヘリポートへの着陸要請が出ています」

 

《着陸要請?今日は特別な用事は無かったと思うけど》

 

「はい。私もそう聞いています。ですが、このコードは本部からです。まだ時間に余裕はありますが、いかがしましょうか?」

 

 着陸要請を断る必要は無かった。何らかの緊急事態になった事による物ではないのは間違い無い。これが通常の要請であれば気にする事は無いかもしれない。だが、生憎と極東支部に関しては色々と発覚すれば困る様な事案が幾つもあった。表面上では問題無いが、支部限定の秘匿事項は掃いて吐いて捨てる程にある。フランが榊に通信を繋げたのも、そんな事由による物だった。

 

 

《念の為に処理はこちらでしよう。フラン君はそのまま許可を出してくれたまえ》

 

「了解しました」

 

 通信が切れると同時にフランもまた端末に情報を入力する。色々な処理は榊がする為に、フランのやる事は何時もと同じだった。淀みなく端末を叩く。画面に映る情報は既に他の事を示していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「突然伺い申し訳ない。少々こちらの事情があったので」

 

「いえ。我々も流石に本部のコードでしたから多少は驚きましたが」

 

 支部長室には何時もの様な乱雑な雰囲気は無かった。秘書の弥生もまた、榊とゲストにお茶を出している。

 本来であれば緑茶の一つも出すが、相手の事を優先した為に器の中身は紅茶だった。琥珀色の液体からは芳醇な香りが漂う。ゲストの男もまた、カップを口にした瞬間、濃厚な香りに笑みが浮かんでいた。

 

 

「いや、本来であれば当家の物を使うのだが、偶然本部の輸送機の空きがあってね。それに便乗させて貰っただけでして」

 

 本部からの便は飛行機やヘリによる物。だが、極東支部に於いては飛行機が来る事は早々無かった。幾ら飛行するアラガミが早々無いとは言え、ここでは他の地域の常識が通用しない。その結果、近隣の支部から立ち寄る体で来る事が殆どだった。これが他の支部からの教導であれば事前に連絡が来ている。今回の様なイレギュラーなケースは稀だった。

 榊としても支部長の立場がある為に、必ず確認をしている。その結果として今に至っていた。

 

 

「それで、今回の用件は?」

 

「ああ、済まない、つい紅茶の香気で忘れる所だった。実は今回の件に関してなんだが、第一部隊の現状を知りたい」

 

「第一部隊の現状……その程度であれば本部でも把握出来るかと思いますが」

 

「いや。端末上の事ではなく、この目で実際に見たままを知りたいと思っての事。ここに迷惑をかけるつもりは無いので」

 

 要領を得ないからなのか、榊もまた疑問に思いながらもそれ以上の追及をする事は無かった。実際に研究者気質が故に人の機微を把握する事は中々難しい。これが紫藤博士であれば良いが、生憎とここには榊しかいない。情報が足りない中での選択は中々に難しかった。

 

 

「そうですか……では。部隊長を呼びましょう。その方が早いでしょうから」

 

「そうして頂けると助かる。こちらとしても生の情報が多い方が有難いので」

 

 榊もまた下手に説明をする位なら、良く知った人物に丸投げした方が早いと判断していた。丁度、今の時間であれば第一部隊は隊長以下、副隊長のマルグリットを除いてミッションに出ている。コウタに説明させるよりも適役だと判断していた。

 

 

 

 

 

 

「第一部隊副隊長のマルグリット・クラヴェリです」

 

「マルグリット君。忙しい所済まない。実は君を呼んだのは僕じゃなくて、こちらの方なんだ」

 

「突然申し訳ない。私の名はヨルグ・フォン・シュトラスブルグ。第一部隊のエミールの親類だ」

 

「エミールのですか……」

 

 突然の紹介にマルグリットもまた少しだけ驚いた表情をしていた。確かに榊に呼ばれたのは事実だが、まさかエミールの親類が来ているとは知らなかった。名乗られた事によって改めて男の顔を見る。だが、どれだけ見てもエミールの持つ雰囲気とはまるで違っていた。だが、よく見れば何となく分からないでもない。自分の意思を明確に貫く雰囲気は紛れも無くそれに近い物を感じていた。仮にそうであっても一個人の感想を口にするだけであれば機密事項には触れる事は無い。そう考えた既に先程までとは思考を切り替えていた。

 それと同時に榊の顔を見れば、どこか安心した様にも見える。恐らくコウタでは色々と難しい可能性があると考えていたのだと判断していた。

 

 

「部隊の事について聞かせて欲しいとの事でしたが……」

 

「実は君の部下に当たるエミールの件で、少しだけ確認したい事があってね」

 

「私が知りる範囲の事で良ければですが」

 

「それで結構」

 

 温和な表情から出る言葉の割に、聞いて来た内容はどこか剣呑としていた。確認する程の問題があるとは思えず、部隊の実務も取り仕切る側からしても、エミールに関しては普段の言動以外に気になる様な事は何も無い。ましてや相手が身内となれば尚更だった。

 

 

 

 

 

「そうか……ここでは彼も立派に騎士道を貫ていると」

 

「そうですね。戦歴だけを見ても既に上等兵ではありますが、実際に他の支部であれば、階級的にはそれ以上の可能性はあるかと」

 

「ほう……ならば曹長クラスだと?」

 

「……他の支部の基準は詳しくは知りませんが、教導担当官の話ではそう聞いています」

 

 ぼかした言い方ではあったが、嘘では無かった。実際に教導担当がエイジだった際、偶然ラウンジでコウタと一緒に話を聞いただけだった。実際に階級が上がるにあ教導教官の文言と実績が必要となっている。勿論、コウタの様に隊長であっても内容に関しては分からない部分が多分にあった。エイジとしても立場的に明確に口にはしない。ただ、コウタと話をしている中で参考程度に聞いただけだった。

 極東支部の基準から考えれば厳しいのは既に周知の事実。そんな極東支部で上等兵以上となれば自然とその判断は曹長になっていた。

 

 

「一つだけ宜しいでしょうか?」

 

「何だね?」

 

「今回の要件に関しては、どんな意図があるのでしょうか?」

 

 マルグリットもまた第一部隊の副隊長としての立場がある為に、今回の件に関してはそれ程多くの時間を費やす事を良しとはしなかった。実際にまだやるべき事は多々ある。今回の件に関しては、任務に関連する何かがあるのであればと判断して時間を割いたが、無意味であれば無為に時間を過ごす事になる。当然ながら何も見えないままの会話をするつもりは無かった。ゲストである事は理解している。ならば、単刀直入に確認した方が何かと都合が良かった。

 

 

「警戒させた様だね。その点に関してはお詫びしよう。今回の件は機密では無いからね。君の立場であれば多少は知っておいても悪くはないだろう」

 

 ヨルグは改めてマルグリットに、今回の趣旨を口にしていた。本来でああれば完全にプライバシーに関する部分。だが、貴族を言う人種はその点に関してはそれ程難しく考える様な事は無かった。よくある日常の中での一コマ。だからなのか、ヨルグもまた隠すつもりは最初から無かった。

 

 

「今回、ここに来たのは甥のエミールの件で間違いはない。だが、少々微妙な事があってね。因みに、マルグリット君だったね。君には近しい人物は居るかね?」

 

「近しい人物ですか?」

 

 ヨルグが何を言いたいのかを、この時点でマルグリットは大よそながらに判断していた。第一部隊に限った話ではなく、極東支部に於いて、一般とは違った身分を持つ人物が二人だけ居た。一人がエミール。もう一人がエリナだった。その関係者からの近しい人の意味。マルグリットの表情を見たからなのか、ヨルグは満足気な表情を浮かべていた。

 

 

「今はそんな時代ではないんだが、地域によっては未だに身分の差がある。ここ極東ではそんな事は無いが、本部に近い欧州では未だにその色があってね」

 

「やっぱりそうですか」

 

「君が聡明で助かった。今回の件に関しては……まあ、その部分なんだ」

 

「因みに本人には?」

 

「その点に関しては構わない。そもそも今回の件に関しては今に始まった事では無いんでね」

 

 理解したと判断したのであれば、あとの説明はそれ程難しい物では無かった。実際にエリナとは違い、エミールは男。当然ながら家督に関しても何らかの影響が出るのは当然だった。実際にフェンリルが管理している様な現状。その大半が上層部に繋がっていた。本人から聞いた事は無いが、エミールの家もまたその可能性を秘めている。調査に来たと言うのであれば、今後の点に関してであるのは当然だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「成程ね。そんな事があったんだ」

 

「実際に物語だけの世界だと思ってたんだけどね。でも冷静に考えれば名前の中にミドルネームが入ってる時点でそうだったのかも」

 

「少なくとも俺には無縁の世界だよな」

 

 部隊の事である為に、今回の情報はコウタにも共有されていた。実際には今直ぐと言った話ではない。ただ、一つの可能性である事と同時に、何時殉職するかもしれない職業である為に、一定量の情報を必要としていた。データ上で分からない事でも現地で見れば別の視点で物が見える。ヨルグはそう判断した上での行動だった。

 意図は分かるが、その件に関してコウタだけでなく、マルグリットもまたどうしようも無かった。エミールの個人的な事情であるだけでなく、家そのものにも大きく影響を及ばす。ゴッドイーターとしても責務も考えれば、何らかの手段を取るにも難しかった。ヨルグの話では、今直ぐの事ではない。だからと言って、安穏と出来る程簡単な話でも無かった。

 

 

「よし。明日にでも直接本人に聞こう」

 

 悩んだ所でどうしようもない。だとすれば直接確認した方が何かと都合が良かった。本当の事を言えばデリケートな内容。だが、本人がどこまで知っているのかを確かめた方が何かと話が早いと判断した結果だった。

 

 

 

 

 

「僕の叔父がですか?」

 

「ああ。ヨルグさんだって」

 

「……そうですか。叔父上が来ていたと」

 

 コウタの話にエミールもまた一定の理解をしていた。実際にゴッドイーターとして活動はするが、実際に貴族階級ともなればフェンリルの上層部にも顔が利く。当然ながら本来の責務でもある十年のくくりすら覆す事が可能だった。当然ながらエミールもまた、そんな貴族の一因。コウタから出た名前を聞いた今でもエミールの態度が変わる事は無かった。

 

 

「詳しい事は何も聞いていないんだけど、色々とここでの生活を聞きたいって事らしい」

 

「叔父上らしいですね。ですが、その件に関しては僕も理解はしています。ただ、今はまだその時期ではないとだけ」

 

「エミールがちゃんと理解してるなら、私は特に問題は無いんだけど」

 

「そうだな。その件に限った話じゃないけど、ここの支部だって異動はあるんだ。俺としても何も言えない」

 

何時もとは違った雰囲気のエミールに、コウタもまた何時も以上に真剣な表情をしていた。実際にマルグリットと話し合った様に、本当の意味でエミールの事を知っている訳では無い。普段の何とも言い難い雰囲気ならばともかく、今のエミールは明らかに違っていた。

 だからこそ、コウタもまたそれ以上踏み込む真似はしない。只でさえ自分には縁の無い世界。その世界の住人の事を詮索するのは何かと問題があると判断した結果だった。エミールが淹れた紅茶を口にする。何時もと違わない香りに、コウタもまた何時もと変わらない対応を心がけようと決めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「中々難しい世界ですね。私には考えられませんが」

 

「確かにここに居れば、そんな特権階級的な物は関係ないからね。でも、他の支部だと色々とあるらしいよ」

 

「極東支部はある意味では完全に実力本位の世界ですからね。下手に権力を振りかざした所で、恥をかくのは明白ですから」

 

 コウタに限った事ではなく、ヒバリからの情報によってどこからともなく今回の件の情報は完全に把握されていた。勿論、守秘義務があるのは当然の事。だが、それはミッションに関する権限であって、それ以外に関しては全く無い。実際に本部経由での来訪程、極東支部からすれば怪しい物は無いからと、自然と監視する部分が多分にあった。

 そんな中での、ゲストがエミールの身内。貴族階級の人間である事を考えれば、その要件は自ずと限られていた。

 

 

「でも、このまま放置しても良い様な内容ではないんだけどね」

 

「でも、今の第一部隊の隊長はコウタなんですから、そっちも頑張ってもらう方が良いですよ。何だかんだで人望はありますから」

 

 ある意味ではアリサの言葉が真意だった。実際にコウタの立ち位置はクレイドルと第一部隊の兼任となっている。だが、ここ最近に関してだけ言えばクレイドルの活動への参加は少なくなっていた。一番の要因は下の人材の育成。第一世代神機の中でも、とりわけ銃型は色々な意味で注目を浴びていた。だが、そこにやっかむ様な輩を見る機会は早々無い。実際に同じミッションに挑んで、初めてその真価を確認するからだった。

 クレイドルの様にゴッドイーターの羨望を集めるのではなく、同じ目線で戦い続ける有様。ある意味では一番の適任だった。

 

 

 

 

 

「そうでしたか……叔父上がご迷惑をおかけした。少なくとも僕自身は自らの騎士道にかけて、一度拝命した任務を途中で放逐する様な事は一切しないつもりです。少なくともゴッドイーターとしても責務を果たしてから考える様にします」

 

「そ、そうか……なら、そうしてくれ。此方としてもエミールの穴を埋めるのは結構大変なんだよ」

 

 コウタの真摯な対応に、エミールは何時もと同じ様な対応で返していた。本来であれば色々な意味で問題発言なのかもしれない。だが、コウタにとってはエミールのどこか尊大な態度は今更だった。真意を確認出来た事によって、コウタの中でも安堵の感情が広がる。普段は何かと問題を起こす事が多いが、今はそんな事を考えるだけの勢いは失われていた。

 実際に極東以外の支部での第一部隊の立ち位置は今更何かを言う様な事は無い。支部の顔でもあり、討伐任務の花形。死傷率は確かに高いが、それ以上に名誉の方が勝っていた。支部の最前線に立つ存在。ある意味では完全に精神的な支柱としての役割がそこにあった。

 

 

「僕の騎士道はまだ道半ば。このまま終わる事は僕自身が許せない!」

 

「お、おう。そうか……とにかく、今直ぐにどうこうする事は無いんだよな」

 

 エミールの言葉にコウタは僅かにたじろぐ。エミールに普段の言動からすれば、この程度の会話は何時もと変わらないはずのもの。だが、今回に関しては完全に自分のプライベートな部分だけでなく、自身の騎士道にも通じるものがあった為に、普段以上にテンションが高かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エミールの立場ならそうかもしれません」

 

「そっか……でも、色々と大変なんだな」

 

「私が言うのも変ですが、あっちではそれなりに柵も多いですから」

 

 隊長としての立場からなのか、それとも、普段の事は割と見ても深く踏み込んだ所までは見なかったからなのか、コウタは似た様な立場のエリナにも同じ様な事を訪ねていた。実際にコウタ自身はそれ程知っている訳では無いが、エリナの兄でもあったエリックもまた貴族としての立ち位置を示していた事を記憶している。今のエリナからはそんな雰囲気は見えないが。万が一のこともあってか、改めて話をしていた。

 

 

「因みにエリナはどうなんだ?」

 

「私は、基本的には本筋からは外れてますから、エミール程何かを言われる事は無いですね。それに、今更そんな事を言われてもこっちも困るので」

 

 余りにもあっけらかんとした言葉だったからなのか、コウタはそれ以上深く追求する事を止めていた。実際にエリナがゴッドイーターになる動機にはエリックの事が多分に含まれている。幾ら自分の部下と言えど、下手に言葉にするにはデリケート過ぎていた。コウタとエリックの接点は殆ど無い。精々がまだ新人だった当時、エイジからソーマと一緒に赴いた際の顛末を聞いただけ。あの時と今は明らかに違うとは言え、メンタルの部分で問題を起こす訳には行かなかった。

 

 

「エリナがそう言うなら、俺も安心出来るからさ」

 

「どうしたんですか急に?ちょっと変なんですけど」

 

「あのなぁ……」

 

 暗さを感じないからこそ、エリナもまた軽口を叩いていた。実際にまだ配属されたばかりの頃であれば、確実にコウタへの株は下がったかもしれない。だが、今のエリナにとってはコウタの気持ちは何となくでも理解出来ていた。

 実際に戦場に新兵を連れて行く事はこれまでにも幾度となくあった。だが、そのどれもが実戦を経験させる為の簡単な物ばかり。難易度が高くなれば必然的に固定されたメンバーでの出動が殆どだった。

 特にエリナに関しては既に一定上の技量は保証されている。事実上の副隊長クラスであれば、隊長次第ではそのまま投入される事もあった。当然ながら戦力に関する見積もりは厳しくなる。そんなコウタの思惑をエリナは感じ取っていた。

 

 

「ねえ、エリナ。参考に聞きたいんだけど、エミールの相手の人って知ってるの?」

 

「そう言えば、写真を撮った事があります。確か………これです」

 

 マルグリットの言葉にエリナは自身の携帯端末を操作し、コウタとマルグリットに写真を見せる。そこに映ってたのは、誰もが納得する程の美貌の女性。少なくともここにハルオミが居れば、間違い無く興味をそそられる容姿だった。

 

 

「………何だか、さ」

 

「コウタの言いたい事は理解したよ」

 

「この方は見た目はかなり良いんですが、その……性格がちょっとアレなんです」

 

 見た目とのギャップが大きい事を知っているからなのか、エリナはどことなくフォローらしい言葉を並べていた。実際に会った回数はそれ程多くは無い。特に最近に関しては送られたメールや添付された写真が大半だった。

 見た目が良いだけに、性格はどちらかと言えばエミールに近い。少々自画自賛が強すぎるのはある意味エミールにはお似合いだった。

 

 

 

 

 

「どうやら僕の婚約者の事を話題にしている様だね。彼女は僕には勿体無いとさえ思う程。僕の神機『ポラーシュターン』にも劣らない程の輝きを持っているんだ」

 

 まさかの人物の声に三人は一斉に振り向く。その先には何時もと変わらないエミールの姿がそこにあった。

 

 

「詳しい事は分からないけど、エミールがそう言うならそうなんだろう。で、用事は終わったのか?」

 

「僕の事に時間を割いて貰った事は申し訳ないとは思う。しかし、まだ僕の騎士道の先が見えない以上、このまま精進あるのみ!」

 

 先程までは周囲には聞こえない程度の会話だったが、エミールの事実上の暴露に近い言葉に、周囲の視線が一気に集まる。まさかの言葉に誰もが驚きを見せたからなのか、珍しくラウンジの時間が僅かながらに停止していた。

 

 

 



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第148話 時間の流れ

 これまでにも幾度となく見た光景。本来であれば、今日もまたこれまでと同じ日になるはずだった。キッカケは本当に些細な事。だが、そのキッカケが自分の運命を大きく変えていた。

 オラクル細胞の適合試験。フェンリルの広報では簡単なパッチテストだと公表されたそれは、現実は大きく違っていた。断頭台の様な雰囲気のそれに腕を差し出す。その瞬間、体内にはこれまでに感じた事が無い程の嫌悪感が広がっていた。

 自分の躰のはずが、その感覚が完全に失われている。全身をくまなく駆け巡るそれは、完全に自分の躰を変貌させていた。どれだけの時間悶え苦しんだのだろうか。気が付けばそこには赤い腕輪が存在感を示すかの様に嵌まっていた。

 

 

 

 

 

《お疲れ様でした。この後、一時間後に簡単な機動試験を行います》

 

 こちらの様子を完全に伺ったからなのか、機械音はその人物に理解を求めていた。何も知らなかった一般人が、気が付けば神機を手に戦場を駆け巡るゴッドイーターとして働く事が決定付けられている。その人物の胸中に宿る感情が何なのかは当人以外知る由も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の人は適合率が高そうだね」

 

「そうですね。詳しいデータはまだ検査してませんが、少なくともあの様子だと高いかもしれませんね」

 

「じゃあ、そろそろこっちも適合神機の準備にかかるよ」

 

「予定では一時間後になってますから」

 

「了解。何時もの手順だよね」

 

 初めて試験を受けた人間とは違い、ロビーでは何時もの会話が広げられていた。適合試験に立ち会ったのはツバキとヒバリ。その様子を伺いながら、バイタルの信号を常に確認していた。

 まだ数年前であれば適合率が低くても強引に試験を受けさせる事が多々あった。

 まだオラクル細胞を投与する前にシミュレーションをしなかった時代は、常にアラガミ化の可能性を考慮し、近くにゴッドイーターを待機させていた。それは極東支部の管轄するアラガミが強いだけでなく、また、ゴッドイーターの殉職率が高い事が要因だった。

 当然ながら試験の結果と生存率は必ずしも一致しない。それがこれまでの結果だった。

 

 だが、時間の経過と共にオラクル細胞と、当人の親和性がシミュレーションによって確立される。その結果、今では殆ど試験中のアラガミ化は無い物となっていた。

 当然、適合試験が終われば、次は基本性能を確認する為の機動試験。ここまでがゴッドイーターになったばかりの人間の初日だった。ヒバリの言葉を受けて、リッカもまた自分の仕事場へと戻る。未だP63偏食因子に適合する人物に遭遇する事は無いが、ブラッドの扱う第三世代型神機のノウハウは完全に既存の神機にもフィードバックされていた。

 

 

「はい、それでお願いします。ですが、今回の人は適合率が高かったので、その辺の調整はお願いします」

 

「了解。バッチリやっておくから」

 

 リッカの言葉に、ヒバリもまた次の仕事へと取り掛かっていた。最近になってオペレーターにも増員がかかっている。だが、実際にヒバリの様なベテランクラスになるのは相応の経験が必要だった。

 事実、フライアからの転属となったフランは戦闘に関する内容はそれ程問題にはならない。だが、極東特有の細々としたそれに対する対応はまだ練度が低いままだった。

 時間に余裕があればヒバリもまた指導する。しかし、戦闘が連続して都通様な場面が最近多かった事から、その当たりのレクチャーは改めて時間を作る必要が有った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうですね。これを機に改めて細かい作業の部分をレクチャーしてもらった方が良いかもしれませんね」

 

「あの、私も良いんですか?」

 

「はい。その件に関しては今の時点でそれ程難しい事では無いので大丈夫ですよ」

 

 以前にも作業をした経験があったフランに対し、ウララは今回が初めてだった。実際に戦闘時のオペレートは職務としては当然だが、問題はそれだけではなかった。通常の戦闘や帰投の準備に関しては基本的なやり方は最初の段階で聞かされている。ウララに限った話ではなく、当時はテルオミもまた一緒に聞いていた。

 幾らテルオミがここでの内容を知っているとは言え、基本的には野戦整備士時代の話。オペレーターの様な完全な事務方となれば、これまでと同じやり方は出来なかった。

 当然ながら、転身した時点で一からの再教育。多少の知識がある程度の扱いだった。そんな中での今回のレクチャー。それを理解しているからこそ、テルオミよりもウララの方が反応していた。

 

 

「ヒバリさん。今回のレクチャーは何を?」

 

「今回の内容は緊急時の連絡と、非戦闘員に関する事項です。極東支部そのものはそれ程問題になる事はないんですが、この近隣にあるサテライトと、女神の森に関しては此方からのフォローが必要になります。なので、その部分を重点的にやるつもりです。本当の事を言えば、適合試験もやりたいんですが、今日は時間が無いので、実地確認だけです」

 

 ヒバリの言葉に、フランとテルオミは今日が適合試験の日であった事を思い出していた。フランはブラッドのメンバーの試験の際にある程度の事をしている。テルオミに関しては、元が整備班だった為に、大よそながらに理解していた。

 そもそもこの極東地域は他の地域と比べれば、確実に要求される内容は高い物が多い。特にアラガミが当たり前の様に乱入する為に、ゴッドイーターだけでなく、オペレーターにも求められる物は多かった。

 

 通常は周辺を探索する為のレーダーと、アラガミのバイタルを図る為のオラクル濃度。精々がその程度の代物。しかし、ここではそんな程度の内容は初歩の初歩に過ぎなかった。

 一つの戦場でのコンバットログを確認しながら的確な指示を出すと同時に、周辺地域の情報を同時並行で確認する。その際にアラガミの反応をキャッチすれば、その予測を常に現地に発信するのは当然だった。内容だけを見れば簡単に捌ける情報量ではない。寧ろ、個人の技量を軽く凌駕する程だった。

 実際にヒバリのオペレートをこれまでにもウララやテルオミは何度も目にしている。フランもまた、その現状を冷静にに見ながらも内心では驚いていた。そんな技量を持つヒバリでさえも、アラガミの到着予想は完全に測り切れない。

 クレイドルやブラッドのメンバーであれば何とか凌げる内容でも、他の部隊にとっては致命的だった。そうなれば選択すべきは戦場に居る仲間の命。アラガミとの戦いを強引にでも打ち切るだけの判断も要求されていた。そんなヒバリからのレクチャー。その内容がどんな物なのかは考えるまでも無かった。

 

 

「いきなり実戦で何かとする訳じゃありませんから安心して下さいね」

 

 足した事は無いと思わせるヒバリの言葉。だが、誰もがその言葉を真に受ける事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆さん。お疲れ様でしたと言いたい所ですが、これから実践してもらいますので」

 

 座学と言うにはあまりにも濃厚な内容を無理矢理叩き込んだと思った瞬間、次の予定が発表されていた。実践と言う以上は、どこかの戦場になる可能性は高い。現時点で幾つの戦場が立っているのかは誰もが知っている。そう考えればその実践は紛れもない実戦であるのは当然だった。何時ものヒバリとは違った様子に、全員の気持ちが一気に引き締まる。何も知らない人間であれば厳しいとさえ考えるかもしれない。だが、ここでの実状を知る側からすれば、ヒバリの対応は至極当然の物だった。ゴッドイーターとは違い、オペレーターの増員は簡単ではない。少なくとも一定以上の戦術を理解している必要があった。これがまだ旧体系であればそれ程必要性が高くないはずのそれ。だが、今ではそれなりに知識が無ければミッションの遂行は難しい物となっていた。

 事実、テルオミに関してはそれなりに戦術に関する理解度は高い。だがウララに至っては完全に及第点には程遠かった。勿論ウララとて何もしていない訳では無い。極東支部に採用される程度の内容は理解していた。

 そんな中での集中講義。短く休憩こそ入れるが、ほぼ実戦に即した内容なだけに、ヒバリの言葉に無意識の内に身構えていた。

 

 

「参考に言っておきますが、今回やってもらうミッションは新兵が主になるので、それ程厳しい内容になる可能性は少ないですから安心して下さい。フランさんはブラッドでもやってますから、まずはテルオミさんからお願いします」

 

「了解しました」

 

 ヒバリの実践はシミュレーションではなく、完全なる実戦。新兵のミッションが故にそれ程厳しい内容になる事はないはずだった。実際に新兵のミッションに関しては、殆どがベテランか第一部隊のメンバーが新兵の部隊に入る。少なくともこれまでのミッションの中で最初の段階で殉職する可能性は皆無だった。

 だからと言って、絶対という訳では無い。乱入される可能性が低いからこそ、オペレーターの最初の内容としても問題無い代物だった。残された二人の意見を聞く事は無い。ゴッドイーター同様にオペレーターもまた厳しい内容であるのは当然だった。

 ピアノの鍵盤を叩くかの様にキーボードをリズミカルに操作する。既に予定されていた内容は最近になって漸く教導を終えたばかりの新人だった。画面上には簡単なプロフィールが浮かび上がる。訓練ではなく実戦である事を完全に理解させられていた。

 

 

 

 

 

「やっぱり以前の様には出来ませんね。情報量が思った以上に多いです」

 

「あの時は、まだ旧システムを利用しましたからね。ですが、今後はこのシステムに慣れてもらう必要があります。少なくとも複数のアラガミが出没するミッションでは必須ですから」

 

 ミッションを終えたテルオミは思わず深い息を吐きながらそんな事を呟いていた。実際に簡単なミッションではあるが、問題なのは自分の見るべき情報量が格段に増えていた点だった。これまでの様に何となくでも出来た物とは違い、新システムは細かい部分までが情報化されている。戦場に於けるバイタルデータに始まり、アラガミのオラクル反応やゴッドイーターの心拍数など、色々な部分が数値化されていた。その結果、数字では分かりにくい心理的な面や精神的な疲労面に関するフォローまでもが可能となっている。その結果としてゴッドイーターにはきめ細かいフォローが可能となっていた。

 

 

「となると、暫くの間は苦労しそうですね」

 

「後は回数をこなして慣れてもらうしかないですよ」

 

「……精進します」

 

 疲れ切ったテルオミを表情を見ながらヒバリは笑みを浮かべていた。決して嘲笑する様な物ではない。ここから新しい一歩が始まる事を知る笑みだった。実際にヒバリとて最初からこのシステムでオペレートしていた訳では無い。本部での研修を基にこれまでの経験を数値した物をこのシステムに落とし込んだ結果だった。

 ベテラン特有の勘だけでなく、その内容をさらに細部にまで亘ると同時にこれまで以上に正確にする。誰もが同じレベルで運用出来る前提で構築されていた。勿論、基本のシステムはどの支部も同じ。だが、支部特有のアラガミの分布をデータ化した事によって、各支部のそれは同時の進化をしていた。

 極東が故に出没するアラガミの種類は世界の中でも群を抜いている。その結果、データ処理には担当した人間のレベルが如実に反映されていた。

 本当の事を言えば、誰もが自分のミッションの際には相応の実力を持った人間について貰いたい。その結果として生存率が高まるから。勿論、最初は誰だって新人である。その不公平感を早く無くすのも隠された命題だった。

 

 

 

 

 

 

「次はウララさんですね」

 

「は、はい。が、がんばります」

 

 テルオミの次は自分である事は予測していたが、いざ自分の番と呼ばれた事によってウララの緊張感は極限にまで高まる。これまでにも幾度となくやってきたはずの事。にも拘らず、今のウララはまるで初めてこの仕事についたかの様だった。何時もと同じルーティンのはずの内容。しかし、自身の心情はある意味素直だった。僅かに手が震える。傍から見ていた為に、全く分からない物ではない。だが、他人の行為を見るのと、自分がするのは勝手が違う。ソツなくこなしたテルオミの後だった為に、ウララの平常心は何処かへ飛び去っていた。

 

 

 

 

 

 

「アラガミとの接敵まで後一分です。お、落ち着いて準備して下さい」

 

「α1。バイタルがこのままだと危険です。速やかに回復して下さい」

 

 声にこそ出ないが、外から見る今の光景は中々表現し辛い事になっていた。確かに最低限のオペレートは出来ている。だが、それはあくまでも新兵もまたアラガミと対峙する事に手一杯だからだった。

 ウララの目に映る画面に記されているのは情報過多ともとれる程の量。しかも、そのどれもが僅かな時間に浮かんでは消えていく為に、瞬時に判断する事すら危うい物だった。

 

 今の戦場であれば幾つかの情報が飛んだ所でたかが知れている。事実、一体の小型種に対して四人の新兵が集中攻撃を仕掛けている。集中砲火を喰らっているアラガミからすれば、反撃の糸口はほぼ無に等しかった。勿論、そのまま一方的に攻撃出来る物ではない。小型種と言えど、万が一の可能性があった。銃撃を続けていれば、いずれはオラクルが枯渇する。そうなれば必然的に接近戦になるのは当然だった。

 元から新兵に対しては過度な期待をしていない。実際にこの戦いに於いても、この形になるまでには、何度か厳しい攻撃を受けていた。ゴッドイーターの強化された肉体であれば回復する手段は幾つもある。その中でも回復錠を使った瞬間、些細な傷程度であれば直ぐに回復していた。だが、あおれはあくまでも表面的な事。長きに亘れば確実に精神もまた肉体動揺に摩耗するのは明白だった。

 そうなれば幾ら肉体が修復されても、精神的な疲労によって動きは鈍る。その結果として被弾率も高くなっていた。

 

 

「アラガミの活動限界が見ています。皆さん、ここで落ち着いて行動して下さい」

 

 半ば無心の領域だった。本当の事を言えば、小型種のアラクル反応を検知する事は意外と難しい。これが近くに大型種が居れば確実に判別出来ないレベルだった。今回のこれは小型種が一体だけのミッション。その為にウララもまた表示されている内容をそのまま伝えていた。中型種以降とは違い、小型種であれば、オラクルの限界が見えれば後は討伐へと一気に向かう。今回もまた同じ内容だった。

 ウララの言葉に反応するかの様に新兵達は自分の体力の限界値を無視して瞬時に攻撃へと転換する。ウララが言葉で示した様に小型種の定番とも呼べるオウガテイルはそのまま地面へと沈んでいた。

 

 

 

 

 

「お疲れ様でした。今回のミッションでは色々と考えるべき点があったとは思います。ですが、それに関しては今直ぐに解決できる物ばかりではないので、今後は少しづつでも勉強が必要ですね」

 

 ヒバリの言葉に二人もまた思う所が多々あった。実際に今回のミッションに関してはそれぞれが課題となるべき物が露見していた。テルオミに関しては、これまでの野戦整備士の経験が影響しているからなのか、指示が何処となく現場寄りになっていた。

 現場寄りが悪い訳では無い。ただ、目の前のアラガミに集中しすぎると、複数の討伐任務が入った際には、何かと厳しい部分が発生するからだった。今回の様な一体だけのミッションであれば、それ程気になる事は無い。だが、突然乱入されたり、聴覚が鋭いアラガミが戦場に居た際には何かと注意が必要だった。オペレーターは現場の指揮官ではない。寧ろ、指揮官の為の補佐としての役割が殆どだった。実際に現地でゴッドイーターが全ての状況を把握する事は不可能。だからこそ、オペレーターには全体を見渡す俯瞰の視点が要求されていた。

 純粋に戦いだけを見れば及第点かもしれない。だが、オペレーターの立場であれば、確実に及第点には程遠い有様だった。

 

 

「テルオミさんはどちらかと言えば、前のめりになりやすいですね。それに、もう少しだけ視野を広くしないと、今後のミッションでは味方を窮地に追いやる可能性もありますから」

 

「視野を広く……ですか?」

 

「そんなに難しい事じゃないですよ。簡単に解決するなら、画面の表示をもう少しだけ広げれば解決しますから」

 

「そんな事で大丈夫なんですか?」

 

「最終的にはそれに頼らなくても出来ますよ。ただ、今は対処方法を学ぶ方を優先しましたので」

 

 ヒバリの言葉にテルオミは改めて自分の修正すべき箇所を確認していた。実際に自分では分から難い部分が露見している。そう考えればヒバリの助言はまさに当然だった。

 

 

「だからと言って、画面を見ないなら片手落ちですから、視線は常に意識して下さいね。それと、ウララさん……」

 

「は、はい」

 

 何気ないヒバリの言葉ではあったが、ウララにとってはある意味では死刑宣告に近い様な心情になっていた。フランは言うまでも無いが、同じ時間を過ごしたはずのテルオミに至っては、ウララの目から見ても堂々とした物だった。実際に自分と照らし合わせれば、考えるまでもない。言われるまでもなく、劣っているのは明白だった。

 

 

「あまり結果を求めなくても大丈夫ですよ。それに、テルオミさんは既に野戦整備士として、戦場でのゴッドイーターの動きを理解してますから。ウララさんは自分のペースでやれば大丈夫ですよ」

 

「ですが……」

 

「誰だって最初から万全に出来る人間は居ませんから」

 

 ヒバリの言葉にウララは何となく理解はした。だが、理解と納得が別の話。勿論、これまでの経験がある程度要求される事は、オペレーターになった当初に言われていた。だからこそウララもまた、戦術に関するデータに幾度となく目を通す。

 人間同士が行う戦場ではなく、対アラガミとの戦い。捕喰欲求に駆り出された動きを完全に知る事は不可能だった。過去の事例を見れば、そのどれもが行動に一貫性が無い。戦術とは言う物の、実際に勉強になる事例は数える程だった。

 

 

「そうですね……アラガミの動きが分からないのは当然ですから、もっと分かりやすい事例を見ると勉強になるかもしれませんね」

 

「分かりやすい……事例……」

 

「さしずめ、クレイドルのログを見る事から始めると分かりやすいかもしれませんよ」

 

 ヒバリの言葉にウララは改めて、自分の権限で確認出来るアーカイブに目を通す。本来であればコンバットログを見ても、それが意味するのが何なのかは中々想像出来ない。だが、オペレーターに関してはその限りでは無かった。

 戦いの流れを読む事によって、その意味を見出し、助言をする。その為には最低限、それが読める知識が必要だった。

 ウララもまた最初の頃にそれを学んでいる。だからなのか、ウララは迷う素振りを見せる事は何一つ無かった。

 情報が溢れるかの様にウララの視界に飛び込んでくる。先程のブリーフィングを終えてから、ウララは手が空いた時間には多くの戦闘を見る事にしていた。今自分に足りないのは圧倒的な経験値。テルオミの様に戦場を知っている訳でも無ければ、ヒバリやフランの様に厳しい戦いを直接指示した事も無い。自分にで居る事は残されたそれを無駄なく吸収する事だけだった。気が付けば既に時間はそれなりに経過している。既に周囲に人影は無くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、いきなり皆と同じレベルって無茶じゃない?」

 

「確かにそうですけど、本人が危機感を持っている以上は私に出来る事はそれ程多くないですから」

 

 先程のウララの様子を見たからなのか、ラウンジで休憩しているヒバリにリッカは話かけていた。実際に時間は既に終業時間を過ぎている。幾ら過酷な仕事とは言え、平時であれば最低限の時間は護られていた。幸運にも今日は緊急ミッションはまだ入っていない。それを知っているからこそヒバリもウララを半ば放置していた。

 幾ら外部から言われても、最終的には自分の気持ちが無ければ身にならない。ヒバリもまたかつて同じ道を辿った経験を持っていた。当時は影で涙した事は数えきれないほどにある。そう考えれば、今の内容はある意味では恵まれていた。

 ヒバリやフランと言った、一定以上の技量を持つ人間が導き手となる。そうなれば後進の人間はその作られた道をゆっくりと歩くだけだった。何も考えなければ漫然と歩くだけ。だが、ゴッドイーターの命が掛かっているからこそ、ある意味では死と隣り合わせに等しかった。それを知った以上、ヒバリが出来る事は納得いくまでやらせる事。その先に見える何かを掴んで欲しいと願うだけだった。

 

 

「確かにそうだよね……実際に私の所だって同じだよ。ノウハウなんて最初から無かったんだからさ」

 

「お互いに経験を重ねたって事ですよ」

 

「何だかババ臭いよ」

 

 笑いながらも二人はこれまでの事を思い出していた。まだ自分たちが新人の頃。今の様な教育体制にはなっていなかった。常に手さぐりでやるべき事を作り出す。それを考えれば、ある意味では最近の新人は恵まれていた。

 ノウハウは簡単に身に着ける事は出来ない。自分が自分自身を追い込んだ先にある物。ヒバリからすれば果て無き道程の最初の一歩を踏み出したに過ぎないと考えていた。

 縁の下の力持ち。それがオペレーターとしての役割だった。

 

 

「私達の仕事は目立つ様な事はありません。それに、私達が目立つ事になる時は追い詰められている可能性が高いですから」

 

「確かにそうだね」

 

 ヒバリの言葉にリッカもまた、何かを思い出すかの様に記憶を取り出していた。厳しい状況下での戦いはゴッドイーターだけではない。

 まだ感応種が出た当初は、まともな対策を出来るはずもなく、常に一定の人間だけが稼動し続けていた。そんな中での整備が出来る事は限られている。本当の事を言えば、二度と経験したくないとさえ考えていた。

 まるで何かを払拭するかの様にグラスの中に残った液体を一気に飲み干す。二人は改めて時間の経過を感じ取っていた。

 

 

 

 



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第149話 たまにはこんな日も

 

 憩いの場でもあるラウンジは様々なゴッドイーターによって、その密度は常に変化し続ける。

 厳しい戦いの後であればベテランを中心に酒を酌み交わし、中堅になればこれまでの反省をしながらも、今後の事について話し合う。新人を中心とした新兵は毎回生き残れた事に安堵するのがこれまでの常だった。

 当然ながらその動きにはある程度の規則性がある訳では無い。ミッションの狭間に起こったほんの一時の事だった。

 

 そんな中、これまでの経験から大きく外れた雰囲気が一つ。極東支部に於いてはゴッドイーターの男女の比率は他の支部に比べれば、多い部類に入る。全員と言う訳では無いが、それでも何も知らない人間からすれば、ある意味では異様な光景の様にも見えていた。

 ラウンジの男女の比率が何時もよりも大きく異なる。この場にハルオミが居れば、確実に越えの一つもかける事は容易に想像が出来る程だった。

 

 

「最近のラウンジって、なんか何時もとは違う気がするんだよな。なあ、何でか知ってる?」

 

「あのさ、幾らここに居る時間が長いからって、全部の事を知ってる訳じゃないんだからさ」

 

 何時もの光景とは違うからなのか、コウタは思わずカウンターの向こうでフライパンと格闘しているエイジに話かけていた。実際にキッチンを中心とした造りになっているからなのか、ここからは背後の席以外の大半が視界に入る。実際に落ち着いた雰囲気を見せる窓側と、くつろぐスペースを擁する端が割と人気があった。

 

 普段の料理人がムツミであれば、それ程気にする事は無いが、これがエイジとなれば話は別だった。クレイドルの最前線を常に走ると同時に、厳しい指導を行う教導教官。誰もがおいそれと正面に座るのは抵抗があった。

 敢えて知る人間の殆どは、極東ではベテラン勢ばかり。そんな人間からすれば仮にエイジの前であっても気にする事は早々無かった。そんな一人が同期でもあるコウタ。何時もと変わらない光景のその空間には緊張感は皆無だった。

 だからこそ、コウタもまた、素朴な疑問としてエイジに確認する。幾らアラガミの気配を察知する能力に長けていても、人の感情までを正確に把握する事は不可能だった。

 

 

「確かにそうだけどさ、何て言うか……何時もの感じとは違うんだよね」

 

「気にしすぎだって」

 

「そうか?」

 

 幾ら見知った人間であっても、ラウンジの会話に関してはおいそれと話す事は無かった。

 何となくの噂程度であれば口にするが、個人的な内容に関してはエイジもまた積極的に話を聞こうとは思わない。勿論、相手も本当の意味で聞かれたくない事であれば、こんな場所で口にする事は無かった。それを知った上でコウタもまた、エイジに確認したに過ぎなかった。

 

 事実、ラウンジでの話の内容をエイジに聞いた所で、簡単に口にする事が無い事をコウタは理解している。仮に口にしても、それはこの場所ではなくミッションの終わりや個人的な話をした時だけだった。だからこそ、エイジの返事にコウタもまたそれ以上は何も聞かなかった。本当に問題があれば何かしら口にする。それが無い時点でそれ程問題にならないと判断していた。

 これまでと確実に違う事。ラウンジの男女の差が何時もとは明らかに違っている。普段であれば男女比は同じか男の方が多い。勿論、ミッションな時間的な面はあるかもしれない。だが、それを考慮しても、今のラウンジの比率はおかしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へ~そんなのが流行ってるんだ」

 

「今の極東では結構流行ってるみたいですよ。特にノルンのアーカイブって割と内容が偏ってましたから」

 

 ラウンジでの仕事が終わったからなのか、エイジは自室でアリサに今日の事を話していた。エイジにとってはアナグラで何か特別な物が無ければそれ程知りたいと言った欲求は無かった。ラウンジでの仕事はあくまでも善意による物。当然ながら、そこで情報収集する様な事はしなかった。

 ラウンジの当初の目的はあくまでも激務であるゴッドイーターの為の憩いの空間。精神を癒す為の空間に緊張感をもたらす事は悪手でしかない。勿論、榊もまた当初の設置の際にはそんな事を口にしていた。

 当然ながらエイジもまたその理念を十分に理解している。アリサに確認したのは、本当に会話のキッカケ程度に過ぎなかった。

 

 

「そっか……確かに言われてみればそうかもね」

 

 アリサの何気ない言葉にエイジもまた改めて記憶をたどっていた。

 実際にノルンの情報は旧時代の内容が多く、かと言って、完全にその情報を網羅している訳では無かった。情報とは実体が無いだけに、それを残す事は難しい。ノルンの情報に関しても、実際にはどんな基準でアーカイブに保管されているのかを完全に知っている者は限られていた。

 当然ながら、そんな情報を一介のゴッドイーターが関知出来るはずがない。その為に、これまでの情報の蓄積から優先順位が決められていた。その筆頭に来るのが情報ではなく娯楽。幾ら失われているとは言え、文化が完全に廃れている訳では無い。その結果として世間の認識がそのまま構築されていた。

 

 

「私も参考に見ましたが、これまでとは違った層が関心を持っているみたいですね。意外と面白かったですよ」

 

「それが、これ……ね」

 

 エイジの手に有るのは最近になって発掘された色々なデータ。その中でもこれまでとは明らかに違うそれは、これまでに無いラインナップだった。エイジ自身に限った事では無い内容。所謂、純愛物の物語だった。

 

 

「勿論、娯楽に属する物なので、のめり込む程かと言われれば何とも言えませんが」

 

 これまでのアクションや感動ものとは違うジャンル。これまでにあまり無かったからなのか、以外な程に極東女子の琴線に触れていた。

 実際に極東支部のゴッドイーターは、他の支部に比べれば格段に年齢が低い。他の支部であれば何となく訓練する事はあっても、実際にアラガミと戦闘するケースは稀だった。

 色々と多感な時期である事は理解している。だが、それと人類の生存を同等に比べるには無理があり過ぎていた。

 常にアラガミとの戦いの中で過度なストレスを構築する側からすれば、娯楽などストレス解消の一環でしかない。それが偶然にも自分に当てはまっただけでの話だった。

 

 

 

 

 

「因みにアリサはこの手の話はどうなの?」

 

「私はやっぱり………ちょっとじれったい様にも感じますね」

 

 アリサの言葉にエイジもまたこれまでのアリサの事を思い出していた。実際に旧時代とは違い、今は人種に関してはそれ程忌避感や特別な感情を持つケースは少なかった。

 極東に限ってだけ言えば、純粋な意味で同じ国籍の人間同士がくっついている事はそれ程多くない。精々がエイジの身内程度だった。エイジ自身がアリサとは明らかに国籍が異なる。そう考えればある意味ではアリサの言葉は、ある意味お国柄と呼べる物なのかもしれなかった。

 

 

「でも、この場面は私も好きですね」

 

 何かを思い出したのか、アリサは自分のタブレットを操作していた。最近になってノルンから発掘されたアーカイブの大半は映像に関する事。文字になっている事の方が圧倒的に少なかった。

 この映像に関してはアリサ自身が発掘したのではなく、周りから純粋に勧められた結果だった。手慣れた操作でその場面を映している。ある意味では物語のクライマックスの様な場面だった。

 何気なく出された映像。だが、エイジは初見だったからなのか、何となくアリサの隣からその映像を眺める。内容はともかく、その映像に関しては、どこか懐かしいとさえ感じる様な感情が蘇っていた。

 

 

「ほら、これって私達が初めてした時みたいじゃないですか………」

 

「確かに言われてみればそうかも…ね」

 

 二人の目に留まった映像はキスシーン。アリサが言う様に物語の中でのそれは、ある意味では当時の状況に酷似していた。勿論、エイジとて狙った訳では無い。当時はまだ娯楽に対する認識は今以上に薄い物だった。殉職率は高く、些細な油断が死に繋がる。

 ミッションが終われば生き残れた事に感謝しながら生活していた時期だった。

 場所こそ違うが、シチュエーションはかなり近い。当時の事を思い出したからなのか、二人は何となく感情が高くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあ……何だかこんなシーンって憧れますよね」

 

「そ、そうかな……」

 

 エイジとアリサが当時の事を思い出している頃、エリナとマルグリットもまた他のメンバーと同じ様な感想を口にしていた。

 実際にゴッドイーターの様な命のやり取りをする者からすれば、こんな純愛を望むのはある意味では難しい物があった。常に戦場を駆け巡る為に、ゆっくりとした感情を育てる事は難しい。

 それだけではない。外部居住区でもそうだが、結果的には人類のコミュニティは予想以上に狭い物があった。遠距離なんて生易しい物は無く、仮にそうであれば、その状況を安穏としてる訳には行かなかった。

 

 フェンリルに保護されていれば、最悪でも食料だけは配給によって確保される。この外部居住区でもそんな部分は多分にあった。

 保護されてそれならば、完全に外の世界で生きる者は毎日が生存競争にさらされる。とてもじゃないが、そんな心情になれるはずがなかった。

 だからこそ、非日常の空間に憧れを持つ。それがゴッドイーターの心情と偶然にもマッチしていた。

 

 

「あの……マルグリット先輩とコウタ隊長は普段はどうなんですか?」

 

「どう……って?」

 

 エリナの質問の意図はマルグリットにも何となく想像が付いていた。時代は変われど恋バナは女子にとっては大好物。ましてや自分の部隊の隊長と副隊長となれば、エリナから見れば格好の対象だった。

 

 

「ほら…アリサさんやエイジさんは割とよく話は聞くんですが、お二人に関しては中々話題には出ないな~なんて」

 

 エリナの言葉にマルグリットは僅かに後ずさっていた。実際にエリナだけではない。周囲に気配を広げれば、誰もが何となくこちらに意識を持っていた。自分とコウタの関係性は特に隠す様な真似をしたつもりは一度も無い。だからと言って喧伝するつもりも無かった。

 既にこれまでの経緯を知っている側からすればそれ程珍しい話しではない。だが、最近になってゴッドイーターになったり、情報を知らない人間からすればある意味では興味深い対象となっていた。気が付けば周囲の見る目に感情が籠る。戦場で培われた感覚が自然と発揮されていた。

 

 

「ふ、普通じゃないかな……そう言えばエリナはどうなの?ほら、エミールだってあんな事があったんだし」

 

 最近になってエミールの事が発覚した為に、周囲の当人を見る目は多少なりとも違っていた。事実、極東支部ではいかなる生まれであっても身分の差は一切ない。純粋な生存競争に打ち勝つ能力が要求される為に、身分差など誰も考える事は無かった。

 しかし、身内と本人のカミングアウトに近い内容によって事態は変化する。世間のエミールの見る目とは逆に、将来を誓った相手が居たのは想定外だった。そもそもエミール自身、その環境が当然だと思っていた為に、気にする様な事は何も無い。貴族とは血脈を維持する事が最善であり、その過程の中ではいかなる手段を用いても問題無いとさえ考える節があった。

 

 勿論エミール自身にそんな考えは無い。これが本部であれば多少なりともそんな思考があったのかもしれない。だが、極東特有の実力が全てを物語る環境下の中で、エミール自身が自分の喧伝する事は無かった。そんな側面があった為に、前回の出来事に周囲は改めてその認識を改めていた。

 エミールがそれならば、エリナもまた同じ様な環境で育っている。だからこそマルグリットは自分への質問を回避する為に、エリナに質問と言う形で話題を逸らそうと考えていた。

 

 

「私は、家の事に関しては殆ど関係が無いですね。何だかんだであの世界では女の存在はそれ程重要な問題にはなりませんし」

 

「そ、そうなんだ……」

 

「私の事はどうでも良いんです。ほら、コウタ隊長って妹さんの事は口にするんですけど、それ以外に関しては中々口を割らないので」

 

 エリナから見たコウタの扱いにマルグリットの心中は複雑だった。自分の大事な相手は部隊長。当然ながら自分以外の命も背おう事になる。自分の神機が只でさえ厳しい運用を求めらられる割に、結果が伴わない銃型神機。それを運用しながらも最前線で未だに戦うそれは、そる意味では脅威だった。

 事実、配属された当初の誰もが旧型の第一世代型神機使いの事を良く思わない。だが、命を預かる戦場での結果を一度でも知れば、驕る様な感情を持つ者は居なかった。

 自分の神機特性を完全に理解すると同時に、その特性を活かした戦術を即座に組み立てる。その結果として多大な問題を持つ神機であっても、未だに第一線を張る事が可能だった。

 そう考えるからこそ、コウタ自身の存在は周囲からすれば奇異な存在に見えていた。銃型神機を使用しながらも第一部隊長として最前線に立っている。周囲の評判はともかく、少なくともエリナが知る中では侮蔑的な言葉は無かった。

 その最大の要因がコウタとマルグリットが与える影響だった。ヴァリアントサイズはその見た目以上に攻撃の射程距離は長く、また咬刃展開した瞬間は周囲に対して気を配る必要があった。

 味方を巻き込む攻撃をする者とは誰もが積極的にミッションに同行したいとは思わない。これがバレットによる誤射であれば許せても、神機の刃による攻撃はそう言う訳には行かなかった。

 その扱いが難しい事から未だにヴァリアントサイズを主要とする人間は少ない。事実、この極東の中でも数える程だった。そんな難しい神機であっても、コウタが一緒の際にはその限りではなかった。

 咬刃展開した瞬間にコウタの指揮によって周囲は直ぐに行動を開始する。その結果として、ヴァリアントサイズから放たれたラウンドファングの様な攻撃はアラガミにとってもフェイントの様になっていた。

 そうなれば必然的に同士討ちが無くなると同時に討伐の効率が上がる。それが相乗効果をもたらす結果となってコウタの株はゆっくりと上昇していた。

 

 これが本来であれば実力者特有の動きが見られるはず。だが、実際にコウタに対してはそんな事は無かった。一番の要因はマルグリットの存在。見た目だけでなく、その女性らしさや気遣い。戦場での立ち位置を考えれば、コウタに対してのアプローチは自爆と同じだった。

 男と女が居る以上、その関係性は避けて通る事は出来ない。これが自分と似た様なレベルであればさらに情熱をもたらすのかもしれない。だが、マルグリットに対しては完全に自分達の方が劣ると理解しているからなのか、コウタに対するアプローチは皆無と同じだった。

 エリナからすればさっさとエイジとアリサの様にくっつけば良いとさえ考えている。だが、実際にそれを口にした所で何かが進むと思わなかった。事実、コウタの家にはマルグリットも足をかなり運んでいる事を知っている。

 半ば家族ぐるみの付き合いであれば、あとは放置するよりなかった。だからと言って、全く二人の関係に関心が無い訳では無い。ノルンの映像に感化されたからなのか、エリナは少しだけ勢いをつける事を考えていた。

 

 

「そ、そうかな?私の目からはそうは見えなかったけど」

 

「だって、コウタ隊長は何かあれば殆どがノゾミちゃんの事ばっかりなんですよ。確かに一緒に居れば話題にはしにくいのは分かりますけど、やっぱり多少くらいは知りたいじゃないですか!」

 

「そんな事知って、どうするの?」

 

「私も何となくそんな空気に浸りたいんです!」

 

「でも、それはほら、プライベートな事だから……ね」

 

「そんなんじゃコウタ隊長取られます……それは無いか……」

 

 エリナの欲望が出た様な言葉にマルグリットは苦笑するしかなかった。周囲の気配がこちらに向いている事は痛い位に理解していいる。だからと言って、自分はアリサの様に公言したいとは思っていなかった。

 コウタ自身が何となく衆目を集め、女性陣からの視線を多少なりとも浴びている事は自分が一番理解している。だからと言って露骨に何かしらやって示す事は自分の性格からはあり得ないとさえ考えていた。

 だからと言って自分の大事な人が貶められるのは面白くない。それはそれで心中が複雑だった。これが普段であれば確実に口を閉ざしたかもしれない。だが、今の空気であれば多少は大丈夫なのかもしれない。そんな取り止めの無い事を考えていた。恐らくはマルグリットもまた、この空気に酔っていたのかもしれない。

 アリサ達ではないが、多少の恋バナ程度なら許容範囲だと無意識の内に判断していた。

 

 

 

 

 

「……え、コウタ隊長ってヘタレじゃなかったんだ………」

 

「二人の時はそれ程でも無いよ」

 

「そう言えば、最初のキッカケって何だったんですか?」

 

 気が付けば既に時間はそれなりに経過していた。普段であればラウンジには食事目当てで来るはずの時間帯にも拘わらず、周囲の雰囲気は同じままだった。これが何時もと同じであればマルグリットも気が付いていたのかもしれない。だが、エリナが予想以上に聞き上手だったからなのか、気が付けばそれなりに暴露話に近い物になりつつあった。

 

 

「何って言うのは余り無いんだよね。でも、何となく気が付いたらって感じかな……」

 

「それじゃあ、もう、後は秒読みなんですか?」

 

「それは……どうかな」

 

「え~それ位は良いじゃないですか」

 

「それ以上はエリナでも秘密」

 

 そう言いながら既にテーブルの前に置かれたグラスは三杯目だった。既に何度かグラスが交換されたと同時に簡単に食べる事が出来る物が置かれている。この場にエイジが居ればマルグリットも正気だったのかもしれない。だが、生憎と今の時間はエイジでも無ければムツミでもない。弥生がカウンターの向こう側に立っていた。

 実際にこの時間になっても男連中が来ないのは偏に弥生がラウンジの前に一枚の紙を貼った事が要因だった。

 

 

 

───本日貸し切り。男子入るべからず

 

 

 これの時点でラウンジの向こう側へ行きたいと思う人間は限られていた。実際にその張り紙を見たハルオミは真っ先にミッションが終わった後はラウンジではなく、ギルを誘って外部居住区へと繰り出している。それ以外にラウンジに入るのは女性陣だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って事があったんだ」

 

「それでか……今日に限ってラウンジが貸し切りなんて張り紙がしてあったから、疑問だったんだよ」

 

「弥生さんがやってくれたんだって」

 

 自分の仕事に漸く区切りがついたからなのか、コウタは大きく息を吐くと同時に背を伸ばしていた。以前の様に報告書を後回しにする様な事は無くなっていた。一番の要因はマルグリットの存在。本当の事を言えば、コウタが全ての書類を作成するのがこれまでだったが、最近になってからは一部の仕事をマルグリットがする様になっていた。

 隊長を一度でも経験すれば、誰もが待っている試練。報告書の多さは最大の障害だった。その情報がゴッドイーターにとっての生命線である事は既に周知の事実。コウタ自身も最初の頃こそは碌にノルンの情報を見る事は無かったが、第一部隊の隊長に就任してからは確実に重視する様になっていた。

 

 旧第一部隊の人間は誰もが自身の行動を理知的にする。エイジだけでなく、アリサやソーマもまた各々の明確な行動原理を持っていた。その結果、隊長でもあったエイジが指示する前に、各自が戦局を判断する。個人でありながら有機体の様に動くそれは一つの生物だった。

 互いの行動を把握しながらもアラガミの動きを先読みし、討伐を最短で行う。コウタ自身もまたその一因だった。そんな部隊がクレイドルになった際に、コウタは人知れず努力をしていた。神機のハンデだけでなく、前任者の事を考えれば嫌が応にも比べられる。その結果としてコウタは新種の際には真っ先に弱点を探す様になっていた。

 事前準備に時間をかければそれ以外の時間は必然的に無くなっていく。それがコウタを苦しめていた。

 そんな時間が厳しい中で一筋の光明が出る。マルグリットの暫定的な隊長就任。その結果としてコウタの仕事を自然と手伝う様になっていた。お互いが一緒に過ごす事が増えた為に自然と会話も増えていく。その結果として親密度合いは以前よりも高くなっていた。

 

 

「でも、ある意味では良い傾向なのかもね」

 

「良い傾向?」

 

「そう。そんな事に気を回すだけのゆとりが出来てるって事だよ」

 

「……そっか。そうだよね」

 

 コウタの何気ない一言に、マルグリットもまた改めてここに来た当時の事を思い出していた。まだ赤い雨の脅威にされされながら戦い続けた日々は今となっては、遠い日の記憶をなりつつある。本当の事を言えば、そこまで時間は経っていない。ただ、ブラッドがここに来てから、色々な事がめぐるましく過ぎ去っていた。

 それはアナグラだけに留まらない。自分もまた、何時命の灯が消えるのかを怯えながら見えない未来に妄執を抱く日々。それを考えれば今はある意味では幸せなのかもしれなかった。

 

 マルグリット自身に身内は殆ど居ない。今の自分にとってはコウタを通じた家族が身内だった。だからと言ってコウタの口から未来を約束する様な言葉はまだ聞いていない。ただ、何となくその態度が言っている様に感じるだけだった。

 勿論、世間を見れば急ぐ必要は無いのかもしれない。だが、マルグリットの見える範囲の中で考えれば、周囲は以外に身を固めた人間の方が多かった。

 あの時はそんな事すら考える余裕が無かった。だからこそ、今の自分の事を当時の自分がどう思ったのかを少しだけ振り返りたくなっていた。それは偶然見た映像なのか、それともコウタの何気ない言葉になのか。不意にコウタの傍から離れたくない感情が思考よりも先に出ていた。

 

 

「ま、マルグリット……」

 

「少しだけこのままにさせて」

 

「……ああ。分かったよ」

 

 コウタもまたマルグリットの行動に少しだけ驚きはしたが、そこに焦る様な感情は失われていた。先程まで隊長としての書類と格闘した躰にはマルグリットの柔らかなぬくもりと匂いを感じる。コウタもまた何となくでも、このままの状況を良しとは考えていなかった。親友でもあるエイジに限った話ではない。事実、未だにマルグリットの人気はかなりの物だった。

 女性らしさが常に出るからなのか、一度は誰もが視線を投げる。コウタからすれば面白いと感じる事は一度も無かった。以前にほんの些細な会話でエイジとそんな事を話した記憶が蘇る。先延ばしするつもりは無いが、今はまだ完全に準備するだけの時間が足りなかった。自分に躰を預けているそれは紛れも無く安心しきった空気を醸し出す。コウタもまた、そんな感情を感じ取ったからなのか、少しだけこの時間を大切にしようと考えていた。

 

 

 



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第150話 未来への経験 (前篇)

 戦場は常に残酷な結果をもたらす。闘争本能の先にある純粋な生存競争。

 その勝者が生きる者だとすれば、敗者にまっているのは明確な死。当然ながらその未来を漫然と待ち受けようとする者は、この世界には居なかった。

 明日を夢見てその為の努力をする。それがこの世界のルールだった。

 

 

《α1。バイタルが危険です。速やかに撤収をして下さい!》

 

「やれる物ならやってる!。こっちには手持ちの回復手段がもう無いんだ!救援はどうなってる!」

 

 普段であれば窮地に陥るはずがないはずのミッション。だが、今回に限っては完全に想定外だった。

 今回のメンバーはリーダーとして中堅の人間が中心となったメンバーだった。当然ながらその内容で発注されるミッションの内容には一定の制限が課せられる。何故ならそのリーダー以外のメンバーは、まだ限りなく素人に近い新兵だった。

 極東支部の様にアラガミが完全に乱入する様な事はこれまでに数える程しかない。当然ながら支部の人間の大半がそんな認識だった。

 想定外の事実に通信機越しのオペレーターでさえもが混乱している。本来であればオペレーターが率先して冷静に対処するはずが、完全に機能不全を起こしていた。

 突如として乱入したのは二体のヴァジュラ。極東以外の支部では、万が一遭遇した際には最低でも三チームが出動を余儀なくされていた。これが小さな支部であれば正に総力戦。今の目に映る光景は既に絶望と言う名のフィルターに通されていた。

 

 

 

 

 

《ここから6キロ先に大型種の反応が二体。既に交戦したチームからは緊急信号が出ています》

 

「了解しました。今後の予定に関して問題が無いなら、私達がこのまま向かいます」

 

 緊迫した現場の空気をまるで感じさせないかの様に応対する声に戸惑いは無い。それ所か、何時もと変わらない様な返事に、オペレーターは僅かに返事に詰まっていた。

 ヴァジュラの二体の出没。これまでの経験からすれば確実に、その場に残されたチームは全滅が予想されていた。

 だが、この内部では悲壮感は何処にも無い。これが何も知らない人間であれば憤るかもしれない。しかし、このオペレーターは搭乗者が誰なのかを明確に理解していた。

 少なくとも自分が知る中では最高のメンバー。この人選であってのはある意味では僥倖と酔寝る物。だからなのか、オペレーターは何時もと変わらない空気を滲ませながら、ただ現地のデータを口にしていた。

 

 

「随分とストレスを溜めこんでるみたいだな」

 

「ソーマは慣れてるかもしれませんけど、私にとっては苦痛ですから」

 

「二人共、そこまでだよ。そろそろ現地なんだ、極東じゃないからって油断は禁物だよ」

 

 二人の言葉を窘めるかの様に一人の青年の声で、二人もまた改めて自分の神機を確認する。少なくともこんな高高度からの滑空と同時に攻撃をする事は今に始まった話ではない。数える事すら必要が無い程の経験だからか、誰もが緊張する事は無かった。

 だからと言って平気と呼べる状況ではない。事実、女性は高高度からの攻撃に関しては忌避感を持っている訳では無い。悲痛な状況を良しとしない感情が発露した結果だった。

 

 

「私は大丈夫ですから」

 

「ああ。俺も問題無い」

 

 その声が合図になったかの様に突如としてヘリの扉は解放される。空気圧の影響なのか、一瞬だけ空気の流れが激しくなっていた。

 既に緊急信号をキャッチしてからそれなりの時間が経過している。これが正規のミッションであれば確実に支部長の指示を仰ぐ必要があったが、このメンバーに関してはそんな必要は何処にも無かった。

 密閉された空間を打ち破るかの様に空気の本流が三人を襲う。一人の女性の銀髪は乱気流の影響を受けたからなのか、髪は乱れていた。だが、そんな事を気にする事もせずに遠い現地に視線を投げる。既に心の準備が終わったからなのか、先程までの空気は完全に失われていた。

 

 

「じゃあ、このまま行きますので」

 

《了解しました。既に当事者でもあるチームには連絡済みです。問題無いとは思いますが、万が一の事もあります。ご武運を》

 

 オペレーターの声を半ば遮るかの様に純白の制服は強風に煽られたままだった。はためくコートの裾を気にする事無く褐色肌のゴッドイーターは一気に解放された扉から躍り出る。それを気にする事無く、銀髪の女性もまた同じ様に行動をしていた。

 

 

「有難う。万が一の為にサポートは頼んだから」

 

 最後に残された青年の言葉に返事をする事無く、そのまま降下する。まるで事前に決まっていたかの様に扉は閉じていた。

 先程までの大気のうねりは最初から無かったかの様に落ち着いている。本来であれば何らかの指示を出すはずのオペレーターもまた沈黙をしていた。

 この先に起こる未来が何なのかを考える事すら無駄な事でしかない。当然なら先程戦場に降り立った人物が誰なのかを理解しているからこその結果だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前達、救援がこっちに向ってる。少しは気合を見せて見ろよ!」

 

「本当ですか?」

 

「当たり前だ。こんな状況で冗談を言う程俺は耄碌した覚えは無いぞ」

 

 耳朶に響く情報は紛れも無く朗報。しかも投入されたメンバーが誰なのかを聞かされたからなのか、先程までは絶望の色しかなかった空気が一気に変化していた。先程までは恐怖の根源の様なヴァジュラの咆哮は、威嚇ではなく、断末魔の事前の様にも思える。元々この支部の特性を考えればあり得ない事実だった。

 これがこの支部でも中堅であれば具体的な対象者を聞いて来るかもしれない。だが、今のこのメンバーにはそんな可能性を考えるだけの余裕すら無かった。

 リーダーの言葉と表情が全てを物語る。口にこそしないが、その態度だけで自分達への救援が絶対である事を悟らせていた。

 

 

「あと三十秒だ」

 

 リーダーの言葉に他のメンバーも誰もが周囲を警戒する。仮に三十秒だとすれば確実にヴァジュラと交戦するはずの距離。にも拘わらず、周囲に人影を感じる事は無かった。

 

 

「リーダー。一体どこから?」

 

「ああ。あそこからだ」

 

 メンバーの一人の言葉に、部隊のリーダーがニヤリと笑みを浮かべる。神機を持たない左手は完全に握りこんでいたが、親指だけは上空を指すかの様に上へと向けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ送られてくるバイタル信号から命に別状はない。ここは極東じゃないけど、何時もと同じだよ」

 

 高高度からの落下にも拘わらず会話をするだけの余裕が三人にはあった。実際に、高高度からの重力の恩恵を活かした落下攻撃はアラガミに対して絶大な威力を発揮する。これが小型種に対してであれば難しいかもしれないが、今回の標的は大型種でもあるヴァジュラ。当然ながら的を外す様な事はあり得なかった。

 

 三人が持つ刃はそれぞれがヴァジュラの背骨の中心に狙いを定めている。ここから先は指示を出すまでも無く、何時もと同じ行動をするだけだった。

 時間にして約十秒。その時間に上空からの攻撃に気が付くだけの察知能力がヴァジュラには備わっていなかった。事実、これまでのコンバットログからフィードバックされた情報からも、高高度からの成功率はほぼ十割。ましてや当然の様にやってきた人間からすれば呼吸をするのと同じ事だった。

 落下しならがも会話が可能なのは偏に数えきれない程に行ってきた結果。落下時の大気は全身をはためかすかの様に全身に当たっていた。

 

 

「当然だ。アラガミである以上は油断はしない」

 

「そうですよ。極東じゃないからって特に考える必要はありませんから」

 

 ソーマとアリサの言葉にエイジは少しだけ笑みを浮かべていた。時間にして十秒。この時間を短いと考えるか長いと考えるかは人それぞれ。当然ながら極東で経験した三人が紛れも無く後者ともとれていた。

 周囲を確認するかの様に二体のヴァジュラは未だ上空への警戒をしていない。救助信号が出ている以上、最短での討伐が要求されていた。

 

 

「まずは分断だね」

 

 エイジの言葉に二人もまた頷いていた。実際に二体同時に相手をする事は不可能ではない。これが通常の討伐であれば選択肢の一つではあるが、今回の様な救援が絡む為に万全を期す必要があった。

 下手に刺激した事によってどこで標的が変わるのかは分からない。相手がこちらを捕捉するのであれば問題ないが、過分にダメージを与えた際の行動が不確定だった。

 負傷したゴッドイーターが捕捉されれば、確実にヴァジュラのエネルギー源となる未来しかない。そうなれば作戦としては完全に失敗となる。可能性としては僅かかもしれない。だが。これまで極東で培ってきた経験はそんな可能性までも考慮していた。討伐を優先する為に分断する。これまで同様の当たり前の作戦でしかなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「す、すげぇ……これが極東の実力なのか」

 

 無意識ともとれる呟きは、他のメンバーにの耳にも届いていた。だが、その言葉の本当の意味までを理解した訳では無い。今は物陰からのぞき込んでいる様にその戦闘を見る事だけに集中していた。

 実際に極東での教導がどれ程の効果を発揮しているのかは殆どのゴッドイーターが知る所だった。

 実際に教導を受けた人間のスコアは常に上位に留まり、瞬時の判断力も悪くは無かった。当初は純粋に強いアラガミとの戦いの成果だと思われていたが、実際に同じ戦場に立った瞬間、その感覚は明らかに違っていた。

 常に最短を考えた行動から始まり、そこには一片の容赦するない。人によっては完全にゴッドイーターとしての常識の理から外れたかの様にも見えていた。

 

 だが、そんな人物でさえ、教導教官にはまともに打ち合った事すら無かった。常に二手先、三手先を読まれ、仮に読まれなかったとしても、目的の行為に至るまでの目測は全く外れない。その結果、傍からみればまるで自ら攻撃を受けるかの様にも見える程だった。

 今回のリーダーに関しても、そんな極東でのエピソードに関しては何度も耳にしている。勿論、感情や実感がこもった言葉を疑う程猜疑心が強い訳でも無かった。

 何故ならフェンリルの全支部のスコアを見ても明らかに一人だけスコアのケタが違う。誤魔化した可能性もあったが、討伐の際には確実にデータが蓄積されている為に、虚偽の成果を作る事は出来なかった。

 

 ゴッドイーターであれば当然の事実。それを知るからこそ、討伐のスコアの数値が異常だった。そんな教導教官の戦いをこの目で見る事が出来る。不謹慎ではあるが、ある意味では最良の教科書の様にも思えていた。だからこそ、無意識に言葉が漏れる。他のメンバーがはそんな呟きすら耳に届く事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「事前の作戦通りで行きます!」

 

「ああ。了解だ」

 

「了解」

 

 何気ない一言だったが、このメンバーを知る人間であれば、誰もが疑問を持っていた。クレイドルと言う組織は基本的に隊長と言う概念が無い。尉官級の人間が臨機応変に対応する為に、命令系統は自由になっていた。

 クレイドルの誰もが自分の責任範囲の中で行動する。その結果として組織でありながら個人の裁量で動く。しかし、一つの組織として考えれば事実上の部隊長は決まっていた。

 名実共に極東の絶対的エース。教導教官としての名前ですらフェンリルの中で轟いている。そんな人間に対して誰もが疑問を持つ様な事は無かった。勿論、当人にその気持ちは最初から無い。今の状況も結果的にそうなったにすぎないとさえ考えていた。そんな人物を横にしてアリサが指示を出す。そこには一つの隠された意味が含まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私が……ですか?」

 

「ああ。この裁定は僕個人だけの話じゃないんだ」

 

 何時もとは違った空気に、呼び出されたアリサは僅かに気圧されていた。実際に幾度となく難しいミッションの話をここでしてきたが、今回に限ってはそんな甘い可能性は微塵も無かった。榊だけでなく、そこにはツバキの姿もある。そんな困惑したアリサの事を慮るかの様に榊は言葉を重ねていた。

 

 

「ですが、私じゃなくてエイジの方が良いんじゃないですか?」

 

「当初はその可能性もあったんだ。ただ、今後の事を考えると少々困った事になってね」

 アリサの尤もな言葉に察会もまた苦笑いを浮かべていた。遠征の際に見ず知らずの部隊を預かる行為は、当人には多大なプレッシャーを与えていた。元々ゴッドイーターの中でも古参、若しくは中堅レベルになれば大半は何度か修羅場を経験する。死地の中を己の技量だけで生き残る技量は、少なくとも周囲に対しても相応の影響を与える。その結果、周囲に対しては必然的に正式的な支柱になる事が多かった。

 

 だが、アラガミからすればそんな事情は何の意味も無い。本能に従い捕食する存在は、される側の事情を一切考慮しない。当然ながら未熟なゴッドイーターを保護するのはそんな人物が殆どだった。

 当然ながら一人で複数のアラガミと対峙して生き残れる確率は砂漠の中で砂金を探す以上に低くなる。その結果、待っているのは殉職の暗い未来だった。

 

 相応の実力者を失う事になれば支部としても些細な痛手として処理するには被害が大きすぎていた。

 精神的なだけでなく、実力者を失う事に対するリスクはどう考えても負の結果しかもたらさない。誰もが簡単に予測できる未来だった。

 そんな中で、激戦区でもある極東の生存率と討伐スコア。誤魔化しが利かない数字を見て何も思わない指導者は居なかった。本当の事を言えば、単独でも相応の結果を出せる人間を見ず彼の懐に招き入れた方が支部としては安泰である。だが、そんな事は夢物語でしかなかった。これが正規の指導者であれば良かったが、生憎と極東の指導者は正規の教官ではない。現時点でも少しでも実力の底上げを狙う為に、極東へは出向と言う措置で出すより無かった。

 

 

 

 

 

「そう言う背景があったんですか……」

 

「僕の方も色々とやってはみたんだがね」

 

 これまでの経緯から榊もまたアリサの対応には対策を立てていた。実際に今回の件に関してはアリサの事も然る事ながらエイジの立場も明確にする事に問題は無い。本当の事を言えば、現役の段階でフェンリルの正規の教導教官の資格は破格だった。

 極東だけの狭い世界だけでなく、フェンリル全支部に対しても大手を振って動く事が出来る。

 それだけではない。クレイドルとしての活動に対しても、これまで以上に注目を浴びるのは当然だった。

 幾ら軌道に乗り出した計画とはいえ、明確に安泰という訳では無い。資金に関しても、少ないよりは多い方が動ける範囲が格段に変わる。そう考えれば悪い物ではなかった。唯一悪くなるのは物理的な距離が離れる可能性がある。それだけだった。

 当然ながら、二人の距離が離れたのは今に始まった事ではない。まだクレイドルが発足した始めた頃、エイジとアリサは物理的な距離がかなり離れていた。その結果、極東でのゴッドイーターの運用は格段に悪化していた。感応種の問題もあったが、実際には万が一の際の最強の盾と矛が無い為に、殉職する率が高くなった事だった。事実上の死地と呼べる環境下で確実に生き残れるだけでなく、仲間の命を救う。それは無自覚に支部に所属するゴッドイーターに安心感をもたらしていた。

 生命の保証があれば生き残れる確率は格段に上昇する。それを一旦無にするのがどれ程難しい事なのかは、考えるまでも無かった。そんな事情を隠す事無く伝える。ある意味ではその方が言葉に重みが存在していた。

 

 

「勿論、今回の件に関してはエイジ君だけではない。リンドウ君も対象になる。彼に関しては既にゴッドイーターとしての責務を全うしてるからね。ただ、彼の戦力を現時点で失うには些か問題が多すぎてね」

 

「それは……分からないでもないですけど」

 

 アリサもまた榊の言わんとする事を理解していた。ゴッドイーターとしての前線での活動は十年を基本としている。幾ら人員が不足しているとは言え、それを簡単に破れば現場の信頼は一気に失うのは当然だった。

 何も知らない人間であっても、ゴッドイーターの任務がどれ程過酷なのかは知っている。当初は殉職率が高いが故に問題になる事は無かったが、ここに来て配属されてから十年と言う時間を過ごすであろう人間に関しては一定の数が出始めていた。

 当然ながら規定の中で満足に全うした人間は数える程しかいない。その殆どが膨大な経験を活かすべく教導教官として次代の育成の(いしずえ)となっていた。

 

 

「それと、これから話す事は君達の活動にも影響があるんだよ。既に気が付いているとは思うけど、最近は候補地の選定が遅れている事を知っているかい?」

 

「その件ですが……」

 

 榊の唐突な言葉は、アリサにとっても知りたいと思う部分だった。実際にサテライト拠点の数は本当の意味で多いとは言えない。未だ厳しい環境下で生活をしている人達がまだいる。そう考えれば、まだまだ数は多いとは思えなかった。

 当然ながら候補地の選定に関しては既にアリサ達ではなく防衛班の一部が選定に努めている。ここ最近に至ってはその数がかなり激減していた。

 

 

「アリサ君の言いたい事は分かってる。ただ、現時点ではこれ以上の拡大は難しいんだよ」

 

「予算ですか?」

 

「それならまだ良かったんだけどね」

 

 歯切れの悪い言葉にアリサは訝しんでいた。少なくともアリサの知る榊は言葉を濁して誤魔化す様な事は殆どしない。余程言い難い事であっても最終的には口にしていた。にも拘わらず明確に言葉にしない。今回の件とどう関係があるのだろうか。アリサは榊が言葉を発する事を待つより無かった。

 

 

 

 

 

「それは……盲点でした」

 

「残念ながら、これ以上となれば信用の度合いが低下するんだ。そうなると本末転倒なんだよ」

 

 まさかの言葉にアリサもまた納得するしかなかった。榊が口にしたのは候補地の無さではなく、防衛するための人材の数。建設するだけでなく、それを維持してこそ初めて意味がある。そんな大前提が履行されないのであれば既にサテライトに居住している人間からも不信感が出る可能性があった。

 一度でも地に堕ちた信頼は早々上昇する事は無い。そう考えれば施設防衛をおろそかにする訳にはいかなかった。

 

 

「榊博士。それと俺達と同関係があるんだ?もう少し簡単に言ってくれると助かるんだが」

 

「リンドウ君の言いたい事は理解出来る。今回の要請は極単純な事なんだよ」

 

 リンドウの言葉を待っていたかの様に榊は改めて口を開いていた。今回の計画の肝は、クレイドルの中でも身軽に動く事が出来る人間がピックアップされている。能力も然る事ながら、突出した実力を持つのであれば、早々に問題が発生する事は無かった。その実力を前提とした計画。ある意味ではこれまでのクレイドルの活動をより強固にする為の布石だった。

 

 

「今後は極東だけで人材を揃えるのは無理がある。当然の事ながらその人材を確保する為の有効手段だよ。特に君達二人に関しては既に相応の実力と実績があるからね。今回の件に関しては事実上の追認みたいな物だね」

 

「それは分かりました。ですが、アリサに関しては関係無い様にも思えますけど……」

 

「アリサ君にもまた違った役割を持ってもらうつもりだ」

 

 榊の構想は三人の予想を大きく覆していた。教導教官としての実績を追認するのは理解出来る。だが、アリサに求められた内容は完全に想像の域を超えていた。

 

 

「私には重い様にも感じますが」

 

「今回のそれは本当の事を言えば当初から計画があったんだよ。実際にサテライトの計画が上がった際に一番動いたのはアリサ君だ。勿論、他のメンバーも同じ事が言える。だけど、その先頭を常に歩き続けるのは大変なんだよ。今後の事を考えれば現場でかなり重い判断を下す必要性が出るかもしれない。その為に経験と実地をしてほしいんだ」

 

 当然の様に言う榊に対して三人だけでなく、古参の人間は異議を唱える事はしない。突拍子も無い事をする事もあるが、この場に於いて冗談を言う事は無かった。本当の事を言えば強権を発動しても立場的には問題はない。にも拘わらず、当人に許可を取る辺りが榊らしかった。

 荒唐無稽な意見ではなく、実利に傾いている。そんな事を良く理解するからこそ反論するだけの余地は無かった。当然ながらアリサも理解している。事実上の決定だからか、異論と唱える事は無かった。

 

 

「で、今回の件に関しては短期間ではあるが、各支部を回ってほしんだ。極東の防衛もあるから一先ずは君達だけの運用になる。今回は本部に向かう途中でいくつかの支部を回ってもらう事になるよ」

 

 そう言いながら一枚の書類を三人の前に出す。正規の辞令。榊の言葉が事実である証拠だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「救助信号が出てます。まずはアラガミを移動させることを優先して下さい!」

 

 何時もと変わらない判断をしたのは、極東でもよくある光景だったから。勿論、油断する事は一切無い。驕る事無く最優先でやる事が決まっている為に、その動きに澱みは無かった。

 高高度からの一撃はヴァジュラに多大なダメージを与える。背骨の部分にこそ直撃はしなかったが、それでも奇襲じみた攻撃はヴァジュラの動きを鈍らせるには十分だった。悲鳴じみた声が漏れると同時に、既にその場に三人の姿は無くなっている。深々と刺さった刃をそのまますれば、手痛い反撃を受ける可能性は極めて高い。討伐ではなく救援任務。その為には自分もまたダメージを受ける訳には行かなかった。

 

 

「ソーマ、そっちは頼んだ!」

 

 エイジの言葉にソーマもまた返事をする前に行動に移る。事前にしたブリーフィングの為に、そこからの動きに澱みは無かった。当然の様にヴァジュラの動きを誘導する。物陰から見た部隊の人間は驚くより無かった。

 

 

 



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第151話 未来への経験 (中篇)

 既に聞き飽きたと思える程のヴァジュラの咆哮は、三人にとってはそれ程大きな影響を与える事は無かった。幾度となく討伐した事によって肌感覚で大よその強さが推測できる。

 本来であればオペレーターからの指示によって初めて分かる状況も、膨大な経験によって見当が付いていた。大気を震わす咆哮も対峙した者にはそよ風に過ぎない。精々が神機の柄を握り直す程度でしかなった。

 

 

「まさか到着早々にこれとはな……帰ったらリンドウに後処理を任せるか」

 

 呟く事によってヴァジュラとの間を図る。既に手慣れたと言っても慢心は無い。

 純白の巨大な刃が紅く染まる未来はソーマの中では確定事項だった。完全に脱力した事によって威圧する程の雰囲気は完全に鳴りを潜めている。だが、自身の奥底に湧き上がる闘志は、ゆっくりと全身を駆け巡っていた。オラクルの本流を体内に感じる。傍から見るそれに闘争心を感じないのは、偏に自身の感情をコントロールしている証拠だった。

 呟きを聞き終えたかの様に対峙したヴァジュラはその巨躯を活かさんと咆哮と同時に疾駆する。一歩一歩が大きいからなのか、その距離は一気に詰まっていた。

 

 

「ふっ!」

 

 僅かに漏れる息は瞬時に消え去る。息を吐いた事によって力が籠った一撃は完全にヴァジュラの右足の爪を破壊していた。高高度からの攻撃によって既に背中からは赤が流れ、純白の体毛は真紅へと染まりつつある。そんな中での一撃はヴァジュラを怯ませるのは十分だった。

 アラガミに神経があるのかは未だに研究の途中でしかない。だが、明らかに生物を模したからなのか、予想以上の動きは完全に致命的だった。ソーマとて、そんな隙をわざわざ見逃す程愚かではない。振り下ろした刃は再度その刃を赤く染め上げる為に三度攻撃の為にヴァジュラを狙っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「誘導は成功かな」

 

 ソーマが引き連れたかの様にヴァジュラはソーマを執拗に狙っていた。本能を全開に狙っているからなのか、周囲の状況を判断する事無く予定していた地点へと誘導をしている。そんな動きを横目に、エイジもまたヴァジュラの動きを気配だけで察知していた。

 視線を切った状態は完全に油断している様にも見える。だが、エイジもまた全身を使って周囲の気配を察知していた。

 

 大気の澱みとアラガミの呼吸音。それだけの材料があれば十分だった。幾ら強靭な肉体を持つヴァジュラと言えど、己の体躯から繰り出す攻撃は完全に限られている。

 飛び道具とも言える雷球を出す為には相応の時間が必要だった。当然ながら、それだけの隙を作れば必然的に自らの命を天秤にかける事になる。誰に教えられた訳でも無く、ヴァジュラもまた本能でそれを理解していた。

 目の前に居るのは捕喰対象ではなく、己の天敵。それ程までに濃密なオラクルの気配を本能で察知していた。

 

 

「悪いけど、本当なら一気に始末したいんだけど、それだとアリサが困るからね」

 

 戦場に居ながらも余りの気軽い言葉。だからと言ってそれが油断や隙であるとは考えにくかった。

 目の前のそれは自分達の餌ではなく自らの命を脅かす天敵。ヴァジュラは無意識の内にそう判断していた。これまでに数多の餌を捕喰してきた。だが、目の前のそれは明らかにこれまでの経験の中でも異質な存在だった。

 何も感じなければ隙だらけの様にも見える佇まい。これが気配すら察知する能力が無いアラガミであれば、何の策も持たずに突進する程だった。

 

 だが、対峙したヴァジュラはそんな低能ではない。幾度となくゴッドイーターを捕喰した事によって相応の知恵を身に着けていた。まるで景色に同化したかの様にその気配はうつろい易く、殺気が籠るはずの刃はそんな存在すら感じさせない。それ程までに希薄な雰囲気だった。

 だからこそ無意識の内に警戒を高める。ここが極東であれば、エイジと対峙したヴァジュラは紛れも無く変異種としての指定を受ける程だった。だが、ここは極東支部ではない。幾らゴッドイーターを捕喰しようとも、元々の生存競争が高くないこの地域では、到底極東レベルでの変異種としての認定は受ける事が出来なかった。

 

 極東地域での変異種は明らかに高度な知能と捕喰本能を融合させている。その為に中堅やベテランであっても厳しい結果になる可能性があった。

 エイジもまたヴァジュラの存在を肌で感じている。決して油断する事が無いだけでなく、対峙したアラガミをこのままのざばらせるつもりが無い事を認識していた。

 漆黒の刃を持つ神機に煌めきはどこにも無い。敢えて言うならば、アラガミの赤すらも染まる事が無い存在だった。

 

 エイジが口にした『アリサが困る』。その言葉の真意をヴァジュラが知る必要は無い。人類の天敵とも言えるアラガミからすれば、人間の存在が等しく自分達の餌でしかない。そんな存在の中でゴッドイーターと呼ばれる人種だけは別だった。

 人類がアラガミと対峙する様になってから、人間の持つ兵器はそのどれもがアラガミからすれば無力な物でしかない。多少の衝撃を受ける事はあっても命を脅かすまでには至らなかった。

 そんなアラガミであっても、ゴッドイーターが持つ同族の雰囲気を持った武器には警戒を持っていた。この地域では自分以外の強者を見た事は一度も無い。それは本当の意味での事実を知らないだけなのか、それとも増長しているだけなのかは判断する事は出来なかった。

 それ程までに、目の前に佇むそれは死の匂いを纏っている。ヴァジュラもまた、無意識の内に距離を取っていた。

 

 

 

 

 

 巨躯のヴァジュラと人間との対比は考えるまでも無い程に圧倒的な差があった。事実、小型種であっても人間以上の体躯を持つ為に、戦う際には相応の技量が要求される。筋肉と言う概念が無かったとしても、それ程までに体躯の差はそのまま力の対比となっていた。

 当然ながらヴァジュラは本能でそれを理解している。これまでの捕喰した数がそうさせているからなのか、これまでに見たアラガミの中でも頭一つ飛び抜けた能力を持っていた。だが、そんな能力ですら命の危機を察知させる。それ程までに対峙した漆黒の刃を持った人間は危険過ぎていた。

 これまでに数多のゴッドイーターを捕喰したやり方が通用しない。初回早々に放った咆哮でさえも、涼風の様に受け流す。これが通常のアラガミであれば気にする事は無かったかもしれない。だが、多少なりとも身に着けた知能はそれを逃さなかった。

 巨躯を活かした攻撃でさえも、簡単に躱されるかもしれない。本能とも呼べる危機察知能力は確実に警戒をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫ですか!」

 

「ああ。救援部隊……なんだよな?」

 

「はい。私達は極東支部所属独立支援部隊クレイドルの者です。オープンチャンネルの救援信号をキャッチしましたので」

 

 アリサの笑顔と共に出た言葉に、リーダーと呼ばれた男は先程までの厳しい表情が僅かに和らいでいた。クレイドルの実力がどれ程なのかは、この支部に限った話ではなく、大半の支部の人間が知っている。

 事実、極東発のサテライト計画はこのクレイドルが発端となっていたからだった。勿論、支部としてはそれだけではない。それはエイジとリンドウが事実上、色々な支部を回った事による教導の内容だった。

 

 

 ────極東の鬼

 

 

 誰が最初にそう言ったのかは知らないが、少なくとも曹長以上のクラスで、本部に顔を出した事がある人間の大半は、むしろそっちの方で理解していた。正規の教導教官ではないが、その技術と、積みあげてきた実績が完全にそれを肯定している。アリサに声を掛けられた男もまた、その一人だった。物陰から視界に入ったそれは、自分もまた苦い経験をした結果。だからこそ、その戦い方を見たいと考えいた。

 本当の事を言えば、メンバーを置いてでも見てみたい。それ程までに無駄な隙は無かった。この支部でヴァジュラが確認されれば、事実上の全精力で対峙を余儀なくする相手。そんなレベルのアラガミと単独で戦おうとする概念さえもが無かった。

 本来であれば仲間であれば確実に心配するはずの存在。にも拘わらず、アリサの表情にそんな感情が浮かぶ事は無かった。

 そこあるのは圧倒的な存在感。そんなアリサの表情を見たからなのか、まだ新兵近い人間もまた安堵の表情を浮かべていた。

 

 

「こちら、アリサ。要救助者の確保が完了しました」

 

《了解。こちらでも確認した。出来るなら手持ちの回復錠を渡して欲しい。その分は後日至急する》

 

 耳朶に届いた声もまた、どこか安堵を伺わせていた。現地では分からないが、支部のデータでは交戦中のヴァジュラがどんな存在なのかを理解している。『変異種』と呼ばれたその存在は、まさに最悪だった。そんなアラガミである為に、想像したくは無かったが、仮に救助の為に出動すればどれ程の被害を被るのかも想像出来ない。それ程までに厳しい内容だった。

 そんな思惑を破壊したのはクレイドルがこの支部に居たから。指揮官の思惑を直ぐに察知したからなのか、派遣された中で年長者でもあるリンドウに直ぐに視線を動かした結果だった。

 

 

「了解です。周囲の状況はどうなってますか?」

 

《現時点ではアラガミは交戦中の二体だけだ。周辺にアラガミの反応は察知されていない》

 

「では、このまま救援から討伐に移行します」

 

《了解した。武運を祈る》

 

 端的な通信ではあったが、この時点で、戦場の指揮はアリサの元へと移行されていた。そうなれば後は自分達の流儀で戦う事が出来る。内容を確保したからなのか、アリサは改めて保護したリーダーに話かけていた。

 

 

「ここからは私達が指揮を執らせてもらいますね」

 

「らしいな。済まないが、今の俺達だと足手まといになるだけだ」

 

 何気無い言葉ではあったが、リーダーの言葉は事実だった。実際に厳しい戦況になった場合、実力差が離れた相手だとどうしても連携が上手くいくはずが無かった。

 熟達した人間を動きを完全に理解する為には相応の時間を擁する。ましてや、今回の様に新兵を戦場に出している場合は当然だった。

 足を引っ張れば、色々な問題が発生する。そうならない為の措置である事を十分に理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、この支部で変異種が出るとは……」

 

「こればっかりはどうしようも無いんじゃないですかね」

 

 支部長室にあるディスプレイには、現在交戦中のデータが流れていた。画像では無い為に、詳細までは分からない。だが、アラガミの発するそれは明らかにこれまでの物は違っていた。これが何も知らないままであれば、新種だと判断したかもしれない。少なくとも支部長はそう判断していた。

 実際に、これがヴァジュラの変異種であると見切ったのは、偏にこの支部に来たクレイドルの一人、リンドウがこの場に居た為にそう判断した結果だった。交戦した瞬間に届いた情報からはヴァジュラ以外の何物でもなく、またアリサだけでなく、エイジとソーマもまた交戦しているからだった。

 

 

「ここでは初めての出没になるが、極東ではどんな感じなんだ?」

 

「極東でも、そう多くは無い。って所ですかね。ただ、ヴァジュラじゃなくてディアウス・ピター当たりだと何かと面倒なんですけどね」

 

「あれも……なのか」

 

「まあ、何とか討伐はしてますよ」

 

 リンドウは、敢えてそれ以上の事を言わなかった。本当の事を言えば、極東基準では変異種としての認定をしないレベル。だが、この支部に関しては完全に頭が一つ以上飛びぬけた存在だった。

 下手に話を大きくしても意味がない。そこから起こる未来を完全に予想した結果だった。

 

 リンドウの口から出た言葉は支部長の認識を大きく変えていた。ディアウス・ピターの名前はノルンでは見るが、実際に交戦した記録は全く無い。その為か、それがどれ程脅威なのかは漠然としたままだった。

 

 接触禁忌種は伊達では無い。そんなアラガミの変異種ともなれば、最悪は支部の全滅すら視野に入る可能性があった。

 だが、リンドウの泰然とした態度に、支部長もまた、それ以上恐れる事は無かった。

 実際にクレイドルのメンバーを信頼していると言う訳では無く、これまでの討伐スコアの中で、幾つかの不可解な数値がそれを物語っていたからだった。全支部に討伐のスコアは公表されている。支部長クラスになれば、その詳細まで確認する事も可能だった。

 不意討ちの様に来たのであれば確認するだけの時間は無かったかもしれない。だが、事前に連絡があった為に、支部長もまたその内容を確認していた。

 細かいアラガミを数多く討伐した積みあげではなく、本当の意味での大物を討伐した数値。そんな人物の回答の為に、疑う余地は全く無かった。だからなのか、支部長もまた、改めて自身が座ってた椅子に改めて深く座り直していた。

 

 

「実際に、このクラスの討伐となれば、推奨される階級は曹長では難しいかね?」

 

「変異種に関しては何とも言えない…と言うのが本当の所ですかね。実際に変異種かどうかの見極めは戦場では難しいんで」

 

「成程。ここだとオラクル反応を確認出来るから、そうだと判断出来る訳か……」

 

 コンバットログの文字が滝の様に流れていく。実際に内容を完全に把握している訳では無いが、少なくとも二体のヴァジュラとの交戦に於いてはダメージを受けた内容は確認されなかった。そこから分かるのはただ一つの事実。ヴァジュラ変種相手に被弾せず、一方的に攻撃するのは二人だと言う事だけだった。

 

 

「ただ、一度でも出たのであれば、今後もその可能性が高いのは間違い無いかと。後は個人の技量を高めるしかないですかね」

 

「言うは簡単だがね……」

 

 リンドウの言葉を直ぐに想像したからなのか、支部長の表情は暗いままだった。

 全滅する事やその責任をではなく、純粋に戦場に送り込むゴッドイーターに対して、最初から死ねと言わんばかりのミッションは心苦しい物があった。まだ淡々と任務だけを言い渡すのであれば問題無いかもしれない。しかし、それはただの空論だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ソーマ。要救助者は既に回収が完了しています。このまま討伐任務に以降します》

 

「了解だ。これより討伐任務へと変更する」

 

 耳朶に届いたアリサの言葉は、作戦当初の目的が完了した証だった。実際に今の時点でソーマはヴァジュラに対しては自分に意識を向ける程度の攻撃しかしてない。本当の事を言えば、最初から討伐任務に入っても良かったが自身の肉体を回復させる為に捕喰行動に出られない様にする面もあった。

 捕喰欲求と自己を保とうとする本能。これは人間やアラガミと言った区分ではなく、間違い無く生命としての本能だった。そうなれば自分への意識を向ける事が困難になるだけでなく、その後の戦いのハードルが一気に高くなる可能性もあった。 

 そうなれば誘導策は格段に難易度が上がる。だからこそ、ソーマはヴァジュラとの距離を取りながら様子を伺う様な戦い方をしていた。

 当然ながらヴァジュラはそんな事情を知るはずが無い。時間稼ぎの戦いである事を認識しなかったからなのか、無意識の内に侮っていた。

 

 

「さて、これからは今までの様にはならんぞ」

 

 ソーマは誰に言うでも無く、呟く程度の言葉を口にしていた。

 先程までとは明らかに違う雰囲気。既にソーマの双眸に見えるのは鮮血を彷彿とする赤いオラクルを体表に濡らしながら霧散するヴァジュラの未来予想だった。巨大な純白の刃からはソーマの気迫に呼応するかの様に鈍く煌めく。口元は僅かに口角が上がっていた。

 

 これまで自らの餌としか見ていなかったヴァジュラはソーマが醸し出す雰囲気を感じながらもこれまでと同じ様に行動に出ていた。咆哮で怯ませた所を一気に詰める。戦いではなく捕喰するだけの食事とだけしか考えていなかった。

 幾ら雰囲気が変わろうが、餌が餌である以外に何も無い。だからなのか、ヴァジュラもまた本能の趣くままに突進を開始してた。

 

 疾駆するヴァジュラを確認しながらもソーマもまた、純白の刃を軽々と扱うかの様に構えを見せる。普段は荒々しい動きを見せるも、この戦いに於いてはその限りでは無かった。

 変異種である事実は既に確認している。となれば、自身の中にある何かを変化させていた。

 

 巨躯を活かした突進によって、お互いが接近するまでにはそれ程の時間はかからなかった。

 一秒ごとに距離が目に分かる程に縮まる。ここから考える事が出来るのは、互いが事実上の一撃必殺である事だけ。その先に待つ未来が何なのかは感がるまでも無かった。

 生存競争の先にあるそれ。どちらが捕食者であるのかは言うまでも無かった。

 勢いそのままにヴァジュラは右足を横に薙ぐ。本来であればこの一撃によって勝敗は喫するはずだった。

 

 

「これまでの輩と同じだと思うな!」

 

 圧力を持った右足からの横薙ぎを、ソーマは防ぐ事無くバックステップをする事によって、紙一重の間合いで回避していた。幾ら四つ足の生物であっても、前足が宙に浮けば、その分だけ踏ん張りは無くなる。ましてや攻撃の為に、意識の殆どがそこに集中すれば、必然的に視野狭窄に陥っていた。

 その結果、回避した後のソーマの動きを予測出来ない。渾身の一撃は、完全に諸刃の刃だった。

 

 回避に成功したソーマまもた、ヴァジュラと同じく渾身の一撃を叩き込む事だけに集中していた。当然ながら体躯の差の分だけソーマの分が悪い。これが真正面から衝突すればそうなるが、今は完全に違っていた。

 事実上の死に体となった体躯はソーマの目からすれば只の置物と同じレベル。回避した事による風圧すら物ともせず、全身を発条の様に動かしていた。

 

 これまでの様に、自分の膂力と腕力だけに頼った攻撃ではなく、全身の強靭な発条にして力を淀みなく使う。普段の攻撃よりも半歩だけ踏み込んだ先にあったのは、バスター型神機ではありえない速度だった。

 狙いは胴体ではなく、軸足となった左前脚。そこを斬りつける事によって起こりうる未来は完全に予定調和となっていた。軸足の部分を斬られた事によってヴァジュラは大きく態勢を崩す。その時点で戦いの大半は決まったに等しかった。

 

 勢いよく横たわるヴァジュラを見逃す程にソーマは優しくない。ましてやこれが変異種であれば驕る事すら考えられなかった。

 横たわった事によって、苦も無く顔面に攻撃が可能となる。真っ先に行ったのは、視界を潰す事だった。幾ら変異種とは言え、視覚情報に頼る部分が多いのは今に始まった事では無い。嗅覚でも判別は出来るが、それでも資格情報に比べれば、格段に下だった。

 前足を斬りつけた勢いそのままに純白の刃は獣の双眸へと向かう。死に体の状態からの回避は不可能だった。

 襲い掛かる刃をヴァジュラは回避出来ない。その結果、視界は一気に失っていた。視界を失った獣の末路は考えるまでもない。その数分後には物言わぬ骸となった巨躯はそのまま霧散する運命を迎えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「頼む!俺をあそこに連れてってくれないか」

 

「貴方は救助者です。そのまま連れて行く事は出来ません。それとも、他のメンバーをこの場で見殺しにするつもりですか?」

 

 懇願するかの様に男が口にした言葉に、アリサは冷徹とも取れる回答を口にしていた。事実、リーダーの男の気持ちは分からないでもない。実際にエイジの戦闘を目にするだけでも、それなりに学べる事が多分にある事をアリサもまた理解していた。

 自分の技術が向上すれば、それだけ生存率が格段に高くなる。その結果としてチームだけでなく、支部全体にもたらす結果は考えるまでも無かった。

 本当の事を言えば、アリサとてリーダーの言い分は理解する。だが、この場には指揮官としての判断が要求されていた。要救助を隔離したからと言って、その場に絶対は無い。現時点ではアラガミの気配は検知されていないが、今の状況を安穏と見る訳には行かなかった。

 毅然と動けるのはリーダーの男だけ。それ以外のメンバーは新兵に過ぎなかった。今回の襲撃は思った以上の心にダメージをもたらしている。そんな人間に対して、万が一の際には自らで乗り切れるはずが無かった。

 

 

「だが、君達は偶然ここに来たに過ぎない。だとしたら今後のここを護るのは俺達なんだ」

 

 男の懇願とも取れる言葉に、アリサもまた少しだけ考える素振りを見せていた。ここが極東支部であれば考える必要は無かった。だが、ここは極東支部ではない。男もまた深く考えての言葉である事に間違いは無かった。

 

 

「……ですが、その言葉に頷く訳には行きません」

 

「階級がそうさせるのか?」

 

 男はアリサに詰め寄りながらもクレイドルの事を思い出してた。実際に純白の制服を着ているのは尉官級の証。少なくとも男の階級もまた同じだった。数が少ないだけでなく、色々と教導をする立場でもある為に、自然とリーダークラスは尉官級になっている事が多かった。階級だけを見れば問題は無いはず。少なくとも男はそう考えていた。

 

 

「いえ。階級がではありません。私は確かに中尉であるのは事実です。ですが、この場に於いては()()()()()()()()()として判断をしていますから」

 

 そんなアリサの言葉を裏付けるかの様に襟に付いた徽章は司令官の証だった。鈍く光る黄金のそれは、紛れも無くフェンリルが認めた証。少なくともこの場に於いては支部長と同等の権限を有していた。

 幾ら規律が緩いとは言え、司令官に逆らう事は簡単ではない。これが口だけの事務方であればまだしも、この場に居るのはれっきとした猛者だった。階級が全てを物語る。今の男にアリサに抗弁するだけの気概は既に失われていた。

 

 

 



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第152話 未来への経験 (後篇)

 

 帰投中のヘリの中は色々な意味で重苦しい空気が蔓延していた。クレイドルの面々は各々がやるべき事をしている。既に視線は手元にあったタブレットに向かっていた。

 何も知らない人間であれば、幾ら救助されたとは言え何かしら会話をするとでも思ったかもしれない。だが、部隊長であれば三人が何をしているのかが直ぐに理解していた。

 

 情報の共有化とフィードバック。これはクレイドルがこの支部に来る事が分かった時点で部隊長クラスの人間に出された指示だった。

 ここ数ヶ月。特に討伐を専門にしている部隊の人間からすれば、突然のアラガミの強化は目に見える程に分かりやすかった。これが新人であれば何も分からない。だが、中堅以上の人間であれば明らかにこれまとは違ったアラガミの反応に違和感を持っていた。

 

 極東エリアとは違い、欧州の支部の殆どで大型種の討伐任務が出る事はこれまでは殆ど無かった。

 当然ながら中型種がメインとなる為に、必然的にゴッドイーターの能力は小粒な物になりやすくなる。本当の事を言えば、その時点でイレギュラーが発生した瞬間、全滅の可能性が高かった。

 勿論、フェンリルとて漫然と過ごしている訳では無い。本部の政治的な動きはともかく、少なくとも支部の過半数は教導を強化する事に舵を切っていた。

 その一番の目的地は極東支部。大型種が当然の様に出没するこの地域は、自然とアラガミの生存競争も激化していた。

 今回救助されたリーダーもまた、日程の調整が済めば極東支部での教導を予定していた。そんな中での邂逅。先の戦いもまた、一度は確認したいと考えた末の言葉だった。

 

 

「先程はすみませんでした。本当の事を言えば、戦闘を見せた方が早かったんですけど」

 

「ああ。こっちも無理を言った自覚はある。そう構えないでくれ」

 

「そう言ってもらえると助かります」

 

 一通りの手続きが完了したからなのか、アリサが不意に先程のチームのリーダーに話しかけていた。

 本当の事を言えば、アリサとて実戦を見せた方が早い事は完全に理解している。だが、支部長代理の立場から考えれば、到底容認出来る様な内容では無かった。

 助けられた当人は知らないが、今のアリサは戦闘に関しての全権限を一時的に持たされている。下手をすれば、アリサの言葉一つで極東支部の立場がどうとでもなる可能性があった。

 

 

「今回のメンバーは新人の方が殆どだと聞いていましたが、実際にはどれ位なんですか?」

 

「どれ位……ね」

 

 アリサの何気ない言葉にリーダーの男もまた少しだけ考えこんでいた。実際に今回のミッションで漸く片手を超える程度。他の支部から見れば明らかに新兵はおろか、まだ訓練性とも取れるキャリアだった。勿論、査問じみた内容の会話ではない。本当の意味で純粋に知りたいだけの話だった。

 だからこそ、アリサもまた何となく聞いたに過ぎない。それ程までに単純な話だった。

 

 

「この話を聞いたからって、何かする訳じゃないですよ」

 

「そうか。本当の事を言えば、まだなりたてと言った方が正解だな」

 

 誤魔化した所で支部長に聞けばそれで分かる内容。事実、男が所属する支部長は他の支部長に比べて野心はおろか、実際に現場の事を本当の意味で理解していない可能性があった。

 フェンリルの規定では偏食因子を受け入れてから四十八時間を経過した時点で実戦に出る事となっている。しかし、この内容はあくまでも最低限の基準。現場の事をよく理解している人間であれば、この内容がどれ程無茶なのかを理解していた。

 

 一番の要因は戦闘経験の有無。幾らオラクル細胞の恩恵を受けたとしても、その精神までもが変貌する事は無い。超人的な肉体能力を持ったとしても、肝心の精神が脆弱なままの為に、実際にはその数割が初戦で命を散らす事が多々あった。

 そんな中で、極東支部が公表した内容は他の支部の人間を驚かせていた。完全に自分の物にするまで戦闘能力を高める。その中で合格した者だけが実戦に投入されていた。

 本当の事を言えば、そのやり方が一番合理的だった。ある程度の実力を持つ事が出来れば、小型種はおろか、一部の中型種が出たとしても新兵だけで対処する事が出来る。それ程までに戦闘技術が洗練されていた。

 その結果、極東支部に於いては。新兵ではあるが、技術だけを見れば他の支部の曹長に匹敵する程だった。

 

 戦闘技術が上がればその分だけ、討伐の数字が積み上げられる。その結果として生存率も向上していた。それを理解するからこそ、アリサの問いかけの事実を見抜く。気が付けば新人は完全に疲れ切っている為に眠りについているが、アリサ以外のエイジとソーマもまた既に作業を終わらせていたからなのか、その視線は男へと向いていた。

 

 

「お宅らも知ってるとは思うが、ここ最近のアラガミはこれまでとは少々違ってる。少なくとも自分がまだ中堅の頃では絶対ありえない位だ」

 

 男の独白ともとれる言葉に、アリサだけでなく、エイジとソーマもまた真剣に話しを聞いていた。そもそもクレイドルの活動を鑑みれば、今回の内容は明らかに趣旨が違う。勿論、ゴッドイーターとしても責務があるのは事実だが、それでも明らかに違うと言い切れる程に今回の出張は異例だった。

 

 

「それに関しては私達も理解しています。実際に、この支部に限った話ではありませんが、欧州の支部周辺には今回の様なアラガミが出没した記録は本当の意味で無いに等しかったですから」

 

「……そうか。だから今回の内容だったのか。漸く腑に落ちたよ」

 

 まるで再確認するかの様な言葉に三人は内心では苦笑するしか無かった。実際に極東支部からの派兵は本部が警戒している事もあってか、かなり限定的な部分が多分にあった。

 武の力だけでなく、経済にまでそれなりの力を持つ様になれば、少なくともこの世界の一翼を担う事は可能となっている。

 幾ら本部に政治力があろうとも、肝心の戦闘能力が無ければ無力な一般人を、ひいては自分達の命を護る事すら困難になって来る。幾ら表面上を整えて誤魔化したとしても、実際にはそれなりに厳しい事をやっていた。

 

 当然ながら、何も知らない一般人であれば誤魔化す事は不可能ではない。だが、内情を知るゴッドイーターからすれば、完全に茶番でしかなかった。その結果として、極東の最強の戦力を一時的とは言え外部に吐き出す。多少の政治工作によって極東支部の影響力を僅かでも貶める。それが本部の透けて見える狙いだった。

 結果としてその作成は功を奏していた。確かにエイジとリンドウを派兵された事によって極東支部の戦力は一段も二段も下に下がる。その結果として自分達の影響力を高めるはずだった。

 

 

「恐らくは今後の踏まえて本部も判断したのかもしれませんね」

 

「……どうだろう。少なくとも俺の目から見て本部がそんな殊勝な事をするとは思えんが」

 

「本音と建前があるのは当然です。実際に極東支部が周囲からどう思われているかは知ってますから」

 

「流石はその若さで支部長代理を名乗るだけあるな。戦闘だけでなく政治にまで意識が無いているとは」

 

 アリサの何でもない言葉に、男は内心驚いていた。どう見繕っても、アリサはまだ二十代になったばかりの様に見える。これが従来のフェンリルであればあり得ない人事だった。

 少なくとも本部周辺の支部ではありえない結果。極東ならでわなのか、それとも支部長の英断なのか。その真意を知る事は無かった。

 

 

「私はまだまだ名ばかりなので。少なくとも私一人では到底できませんから」

 

 そう言いながらアリサは無意識の内に左手のリングに視線が動いていた。少なくとも今の極東には頼もしい仲間だけでなく、永遠を誓った伴侶が居る。少なくともアリサにとっては自分は単なる代役でしかないとさえ考えていた。

 代理とは言え、対外的には管轄外の内容であっても採択を迫られる。極東支部がどんな場所なのかを知れば知る程に恐れ多かった。

 アリサとて、最初から二つ返事をした訳では無い。少なくとも当時のあの状況を考えればある意味では仕方ない事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「忙しい所すまないね。そう言えば君達がこうやってそろうのは随分と久しぶりの様な気がするよ」

 

「オッサン。そんな耄碌した様な言いぐさはどうでも良い。俺達を呼んだ真意は何だ?」

 

「ソーマ。少しはユーモアを持った方が良い。少なくとも常に張りつめたままの状態からは碌な結果は得られないだろうからね」

 

 榊の言葉に、ソーマはそれ以上何も言う事は出来なかった。事実、研究とは前に進めば進む程に険しい出来事が次々と湧いて出る。本当の事を言えば、そのどれもを完全にクリアするのが一番。だが、そんな悠長な事をするだけの時間など早々無かった。

 研究職でありながらもゴッドイーターとして戦場に立つ。本当の意味でそれを実行出来る人間は皆無だった。一人だけ心当たりがあるが、その人物を考えれば自分の感情など子供の癇癪と何ら変わらない。それを知るからこそ、ソーマもまた榊の言葉に反論は出来なかった。

 

 

「さて、今回君達を呼んだのは他でもない。実は極東以外のアラガミが最近になって少しづつ能力が上方修正され始めてきたんだ」

 

「上方……修正ですか?」

 

「そう。ここではそんな傾向は無いんだが、特に本部に近い欧州付近では、これまでに見かける事が殆ど無かったアガラミが出没する様になってね」

 

 アリサの呟きをそのまま意見としてとったからなのか、榊は改めて状況を説明していた。

 実際に極東支部に於いては、榊が言う様にアラガミの強さにはそれ程変化を感じる事は無かった。人類の天敵とも呼べるアラガミの中でも、弱肉強食の法則は存在する。当然ながら小型種であれば大型種の餌でしかないケースが多々あった。

 食物連鎖の頂点とも呼べるアラガミであっても、精鋭で選りすぐったゴッドイーターにとっては天敵たる事はあり得ない。その結果として、本当の意味での頂点は存在しなかった。実際にゴッドイーターが討伐すれば、確実にコアを抜き取る為にアラガミの体躯はそのままオラクルの塵となって霧散していく。その結果、他のアラガミが捕喰出来る事は無かった。

 

 そんな中での例外は、アラガミ同士による対決。コアを抜き取る程の高度な知識を持つアラガミは早々居ない。その結果として、死肉となったそれを捕喰する事が殆どだった。

 過酷な環境下で進化しても、さらなる天敵とも呼べる極東支部のゴッドイーターはまさにアラガミの天敵だった。捕喰する事によって更なる力を身に着け、その結果として自分達の目の前に対峙する。だからこそ、極東支部に関してはそれ程アラガミの脅威度が変動する事はなかった。

 とは言え、極東基準のアラガミは他の支部からすれば、そのどれもが最悪な相手でしかない。ある意味では食物連鎖の頂点に立つのは皮肉にも捕喰対象でもある人類だった。

 当然ながらその結果、アラガミが捕喰する事による進化はかなり限定的だった。だが、それはあくまでも極東の中での話。他の地域ではそんな特殊な事情は存在しなかった。

 

 

「この件に関しては、既に幾つかの実証データが揃い始めている。当初は測定ミスかとも思ったんだけどね」

 

 榊はそう言いながらも目の前の端末を操作する。元々用意してあったからなのか、そこには誰もが見れば一目で分かる様に情報が整えられていた。

 

 

「君達には今さらだが、改めて説明すると、この画面の右半分は半年前の数値を示す。それに対して、左半分が、ここ一ヶ月の数値なんだよ。で、これが変異種のそれだね」

 

 榊の言葉を裏付けるかの様に表示された数値は明らかに異質だった。

 実際に右の数値とオラクル細胞が発する波形は完全に整っている様にも見える。だが、左側のそれは明らかに波形が歪んでいた。

 数値としては分からなくとも、波形を見れば明らかに違和感だけが残る。しかし、最後に榊が見せたのは極東支部でも見られる変異種のそれだった。単体で見れば分かりにくいが、並べて見れば一目瞭然。その言葉の奥にある物が何なのかは考えるまでもなかった。

 

 

「……他の支部でも極東と似た様な進化をしてるって事か。明らかにこの波形は進化直前のそれに酷似してる。そうだろ?」

 

「流石はソーマ。よく研究してる事が分かるね。ソーマが言う様に、これはアラガミが更に進化を遂げる直前に酷似してるんだよ。事実、今はまだ問題が表面化していないが、こちらの予測が正しければ近い将来、何らかの形でこの世界が変貌するかもしれないね」

 

「榊博士。それを防ぐ手立ては……」

 

「アリサ君の言いたい事は分からないでもない。だが、この件に関しては僕自身が如何こう出来る問題では無いんだ。確かに終末捕喰を乗り切った君達やブラッドであれば回避出来る未来はあるかもしれない。けど、その舞台がここである証明は出来ないんだよ」

 

 榊の無慈悲な言葉に、アリサもまたそれ以上の言葉が浮かばなかった。確かに極東支部に於いては二度の世界の危機を救っている。だが、それは偏に熟達した人間が居る事が前提の話だった。

 物語ではない現実。そこに仮定は存在しなかった。

 

 

「で、俺達を召集したのは、そう言う事か?」

 

「流石に察してくれたかい。そうなれば話は早い。今回の要件は、正にこの件に関する事になるよ」

 

 その言葉に全て察したからなのか、榊はそれ以上の言葉を口にする必要は無かった。

 この場にまだ来ていないエイジの事を考えれば、今後どんな事を予定しているのかは考えるまでもない。当然ながらそのメンバーの普段の行動を考えれば、必然でしかなかった。

 だが、その案には大きな問題を孕む事になる。前回とは違い、今後予想される内容は、明らかに個人のキャパを超える可能性を秘めていた。

 

 勿論、榊とてその可能性を考えないはずがない。だが、三人には敢えて説明しなかったが、最悪の未来は恐らくはそう遠い未来ではない事に間違いは無かった。幾らゴッドイーターと言えど、機械ではない。戦いが長きに亘れば疲労だけが蓄積する。その結果がどうなるのは考えるまでも無かった。

 今出来る最善策を取るには、一旦、クレイドルとしての活動を停止する必要がある。ある意味では苦渋の決断だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の件、間に合って助かった。本当の事を言えば、あの男を失うのは我が支部にとっては痛手でね。本当はこんな事を言うのは支部長失格かもしれん」

 

「状況と今後を考えればある意味では仕方ありません。それに、優秀な人材を失う事がどれ程痛手を被るのかは僕らも良く理解してますから」

 

「……君にそう言ってもらえると助かる。今後は我が支部は君達の活動に対して出来る限りの配慮をさせてもらうよ」

 

 何も知らない人間が聞けば憤ったかもしれない。それ程までに支部長の言葉は衝撃的だった。しかし、見方を変えればそれは事実でもあった。極東の最大戦力がこうやって他の支部に出向くとが可能なのは、偏にブラッドの存在があったからだった。

 

 一時期の様な差別的な雰囲気はアナグラには存在しない。戦力を考えればクレイドルを外してはあり得ない選択だった。近年では他の支部との情報交流は盛んになっていた。一番の要因でもあった神機兵の試験運用が破綻した事による弊害は他の支部にも大きな衝撃を与えたままだった。

 既に神機兵計画そのものが最初から無かったかの様に本部は扱っている。当初の鳴物入りだったそれが完全に肩透かしに終わった事によって更なる危機感を募らせていた。

 本当の事を言えば、本部もまた様々な衝撃が内部を駆け巡っている。その結果として、これまでの規定を破るかの様に再度ゴッドイーターを強化する方向に舵を切っていた。

 

 

「とは言っても、君達の内容は事実上の形骸化してる様な物なんだがな」

 

「ですが、規則ですから」

 

 支部長の言葉の内容が全てだった。本部が舵を切ったのは、偏にエイジやリンドウが本部周辺で活動した際の教導の結果だった。これまでは退役した人間が教導教官とする事が一般的だったが、極東に限っては完全にその限りではなかった。

 高い殉職率と、生存している人材の強力な実力。これが本部周辺の支部であれば、真っ先に警戒したかもしれない。だが、生憎と極東と言う地域はそんな政治的な野心を抱く程に余裕は無かった。勿論、今の支部長でもある榊の性格も加味しているが、実際には実利を取る事を優先していた。

 

 対外的には教官の為の審査がある。だが、エイジとリンドウに関しては完全に結果を伴っている為に、無意味な物でしかなかった。その対案として出たのがアリサの司令官代理。クレイドルでの指揮経験はあっても、それ以外の部隊指揮はこれまで未経験に等しかった。榊の意図した物が何なのかは派兵される前に聞かされている。今回は、そんな思惑に沿った内容だった。

 

 

「では、当初の予定通りここでは教導を頼む。それと……」

 

「私なら、対外的にはアミエーラで構いませんので」

 

「そう言ってもらえると助かる。階級だけで判断するには、ここでは難しい問題なんでな」

 

 今回の内容に伴い、一部名称の変更が為されていた。一番の変更点はアリサの名前。極東の考え方であれば結婚後は相手かこちらのどちらかに苗字が統一される事になる。アリサとしてはエイジの名をそのまま受けていた。しかし、対外的には色々と問題が生じる。その苦肉の策としての結果だった。

 

 

「こちらも助かる。実際に如月大尉の名は何かと有名なんでな」

 

「私の立場であれば、誉め言葉ですから」

 

 支部長の言葉にアリサは笑みを浮かべていた。事実、エイジの名は本部の若手を中心に完全に浸透している。一人のゴッドイーターとしては微妙な感情だが、妻として考えれば誇らしさが先に出ていた。

 

 

「では、済まないが、こちらとしても協力出来る事は積極的にさせてもらう事にする」

 

「よろしくお願いします」

 

 それ以上の言葉は不要だった。事前に用意された内容は既に確認済みとなっている。後は実践するだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかとは思ったけど、あれ程だとは思わなかった……」

 

「最初は脅しだと思ったんだけどな……まさかあれが通常だなんて」

 

 クレイドルが来てから数日が経過していた。

 元々今回の内容は極東支部の中の問題ではなく、対外的な部分でここに来る事になっていた。本当の事を言えば今回の内容は不要でしかない。しかし、総合的な見地からすれば、デメリットはどこにも無かった。

 一番の要因は対アラガミの最前線で戦う為の技量が手に入る事。極東で通用する実力を得ることが出来れば、必然的に他の支部ではエース級になれる程だった。

 事前にエイジの教導がどれ程なのかは知られている。しかし、聞くだけと実践するとでは天地の差があった。

 常に体力だけでなく、精神までもが追い詰められ、戦闘をしながらも思考を止める事は許されない。僅かでも躊躇すれば待っているのは絶望の未来だけだった。だからこそ誰もが教導を終えてから何かをする事は許されない。それ程までに追い詰められていた。

 

 

「これだけなら最悪だけどさ……」

 

「だな。アミエーラ少尉の事だろ?非番の日には食事でも誘うのはどうだ?」

 

「成程。普段の教導の成果の確認を名目にするんだな」

 

「それ位しか癒しがないんだ。その程度ならやるに決まってる。あとは日程の確認だな」

 

「任せておけ。その位の事なら簡単に調べれる事が出来るんだ」

 

 肉体の限界を超えてまで乗り越える事が出来たのは、偏にアリサの存在だった。若くして支部長代理にまで上り詰めた実績だけ見れば、完全に高嶺の花。磨き抜ければ美貌と羨むスタイル。何も知らなければ確実に自分の見た目を理解しているはずだった。

 しかし、当のアリサはどちらかと言えばそれを嵩にする事は一切無かった。サテライト計画によって培われた経験は伊達ではない。只でさえ支部長代理として戦場に赴けば、確実に折衝は必然だった。

 エイジの教導による限界ギリギリの教導の後のアリサは清涼剤に等しかった。だからこそ、誰もが一時の夢を見る。左手の薬指に鈍く光るその存在を察知すれば、予測出来る事は単純だった。これが何時もであれば真っ先に気が付くはずの事。にも拘わらずそれに気が付かない程の教導だった。これならばアラガミと対峙した方が何倍もマシ。それ程の内容だった。

 

 

 

 

 

「マジか………」

 

「それ以上は何も言うな。立ち直れないだろ」

 

 教導を終えたばかりの人間は誰もがうつろな目をしたままに、狭い廊下をゆっくりと歩いていた。ここは通常の支部とは違い、教導を主とした目的の支部だった。

 ここは他の支部とは違い、護るには厳しく攻めるのも苦労する様な地形が殆ど。その結果、自然と教導を行う事がメインとなっていた。

 当然ながらぼんやりと出来る程に余裕がある訳では無い。極東程ではないが、ここは欧州の中でもわりとアラガミの出没する数が多くなっていた。そんな事もあってか、この支部には本部を除く多種多様な支部から人が来ていた。

 

 

「だってよ……アミエーラ中尉がまさか……」

 

「それ以上は言うな。言うと悲しくなるだろうが」

 

 通常は一兵卒の人間が多い支部の中で、アリサの存在は異質だった。元々支部長を務める人間の殆どがゴッドイーターではなく、一般の人間が多い。当然ながら現場の事を何も知らないケースばかりだった。

 そんな中で司令官候補として一時的に赴任したアリサの存は、殆どの人間を驚愕の感情で占めていた。現場を知る人間が上に立つ。その意味がどれ程なのかを自然と感じ取っていた。

 勿論それだけではない。アリサの見た目もまた十分に目を惹いていた。

 只でさえエイジの厳しい教導を受けて心身共に限界を迎えた人間に対して、些細な気遣いともとれるアリサの行動は完全に虜にする程。これが同じ階級であれば、確実に声をかける程だった。しかし、制服の襟に付いた司令官の証。それがあるからこそ、誰もが声をかける事が出来なかった。

 声をかける事は無理でも、自分の心にまで嘘つく必要は何処にも無い。恐らくリンドウやソーマが見れば確実にマッチポンプだと思う程だった。

 

 そんな甘い考えは僅か数日の話。きっかけは本当に些細な出来事だった。幾ら教導で来ているとは言え、多少の休暇は必要とされる。偶然にも一人のゴッドイーターが市街地でアリサを見かけた所から始まっていた。

 当初は声をかける事が出来るかもしれないと考えながら、視界の中に常に捉えている。あとはタイミングを見計らうだけ。まさにその瞬間を狙ったはずだった。

 

 

「だってよ……世の中理不尽すぎるだろ」

 

「それ異常は言うな!言うだけ空しくなる………」

 

 偶然見かけたのはエイジとアリサが腕を組んで歩く姿だった。実際に男達は真実を確認する為に後ろから追いかけている。本当の事を言えば、この時点で止めておけば傷は浅かったのかもしれない。幾ら腕を組んでいた所で、当人の仲がどれ程なのかは分からない。しかし、醸し出す雰囲気が既に深い物であるのは必然だった。

 本能では認めていたのかもしれない。だが、感情はそれを否定していた。だからこそ確認する。それが更に傷を拡げる要因となっていた。

 追いかける度に次々と浮かび上がる事実。既に二人の仲は親密さを通り越していた。ここに極東の人間が一人でも居れば、確実にまだ序盤でしかないと口にするかもしれない。それ程までに仲睦まじい姿だった。

 

 

 

 

 

 暫くの間、アリサに好意を持った人間は悶々としていた。これが通常であれば口説き文句の一つも口にするかもしれない。しかし、エイジの教導はそんな軽口を叩く余裕すら奪っていた。

 心身をギリギリまで追い込む事によって限界の上限を拡大する。その結果として生き残れる可能性を高めていた。そんな技量を尊敬するからこそ休日の行動を口に出来ない。そんなジレンマを撒き散らしていた。

 だからこそ、目の前の光景に口を挟む事が出来ない。認めたくない現実。まさにその状況が繰り広げられていた。

 

 

「でもよ、お似合いと言えばそうなんだよな……」

 

「確かにそうだな」

 

 同じ方向を歩く二人の距離感はほぼゼロ距離。恋人や夫婦と言うよりももっと深い部分で繋がっている様にも見えていた。

 少し調べれば直ぐに分かる事実。そんな文面ではなく、その空気が関係性を表していた。

 

 

 

 

 

「大丈夫ですか?」

 

「は、はい。俺の事なら大丈夫です!」

 

 そこに拡がる光景は何時もと同じだった。事実、二人の関係性を知ったからと言って自分との距離が縮まる可能性は皆無。本当の事を言えば、士官候補生が一兵卒に声をかけるだけのゆとりが無いのも事実だった。

 覚える事は、初期のクレイドルよりも多い。そんな苦労をアリサは表情に出す事なく振舞っていた。

 声をかけた人間がどんな感情を抱くのかはアリサとて理解している。それもまた司令官としての人心掌握の訓練だった。

 激化するアラガミとの戦い。その先にあるのは紛れも無く厳しい生存競争の成れの果てだった。

 

 

 

 



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第153話 模索

 一部の人間を除いて大半の人間は、ブラッドが特殊部隊が故に過大な戦力を有していると考えている。従来のゴッドイーターとは違い、稀有な偏食因子を体内に有する事から繰り出されるブラッドアーツの事を誰もが信頼していた。

 当然ながら、これまでに感応種の討伐にブラッドが幾度となく戦場に舞い降りる姿を認識している。その結果、ブラッドに関してはある意味では特殊である事を心理的に理解していた。

 唯一無二ともとれるそれを戦場で駆使する事によって多大な戦果をもたらしていく。クレイドルの様に純然たる体術や戦闘力とは違った視線が一方的に晒されていた。

 だからこそ、その裏で積み重ねていく努力に日が当たらない。ブラッドアーツの様な華々しい攻撃が故に、その裏にある努力にスポットライトが当たる事は無かった。

 

 

「ぐはっ!」

 

「その程度で終わるのか?」

 

「……いえ。これからです!」

 

 静かな空間に響くのは一人の荒々しい呼吸音。何も知らない人間であれば、あり得ない光景だった。事実、この空間には観客となるべき人間は誰一人存在しない。だからなのか、一方的に攻撃を受けた所で、本人には何の遠慮も無かった。

 

 

「そうか。なら、かかってこい」

 

 激昂する事も、感情が昂る事も無い戦い。そこにあるのは教導と言う名の模擬戦だった。最初に刃を交えてからは一時間も経過していない。常に一方的に攻撃を浴びせられると同時に、最後は確実に反撃を許す事無く終わっていた。

 既に弾き飛ばされた回数を数える事はしていない。元から自分以上の技術を持つ人間との教導である為に、勝つための意気込みは持つが本当に勝てるとは思えなかった。

 ゴッドイーター特有の肉体強度を活かすだけのゆとりはこれまでに一度も無い。お互いの事を知る人間からすれば、最初から結果を見るまでの無い戦い。あくまでの自分の技量向上のためだからか、弾き飛ばされた側の眼は未だ死ぬ事は無かった。

 

 

「行きます!」

 

 これから攻撃をする事を宣言するのは下策中の下策。だが、対峙した人間には不意討ちが通用するはずが無かった。昂る感情を冷徹にコントロールすると同時に、精神的な勢いすらも自らの振るうべく刃へと乗せる。全ての動作に無駄をなくすかの如き斬撃は、これまでに一度も目にした事は無かった。真剣ではなく模擬戦用のモック。にも拘わらず、その刃は大気をも斬り裂くかの様だった。

 相手の頭上から風呂下ろされる刃。これがアラガミであれば、確実に脳天から一気に股下まで刃が疾る勢い。だが、相手はアラガミではなく一個の人間。まともに直撃すれば、最悪は命すら散る可能性を秘めていた。

 裂帛の刃が瞬時に迫る。だが、その手応えはまるで最初から無かったかの様だった。

 

 

「勢いは良かったな」

 

 振り下ろされた刃は、ただ残像だけを斬っていた。厳しい戦いをすれば、必然的に目の前の状況に集中する。そうなれば、視野が狭くなるのは必然だった。

 完全に間合を見切った事によって、攻撃の範囲を把握する。そうなれば、回避するのは容易だった。

 来るであろう斬撃の有効範囲を確実に見切る。幾らゴッドイーターの膂力をもってしても、見切られた攻撃は完全に無効化されていた。

 米粒程度の距離で斬撃を回避する。常人であれば恐怖に慄くが、生憎とそんな感情は持ち合わせていなかった。

 ミリ単位で見切る能力を持つ側からすれば、この後に起こる未来は必然でしかない。既に、勝敗は決したも同然だった。

 

 当然ながら渾身の一撃故に、完全に体重が乗った斬撃。回避された時点で待っているのは手痛い反撃だった。視野狭窄に陥った時点で、その攻撃がどうなるのは感がるまでも無い。素人ならともかく、対峙した相手にはそんな生温い感情は持ち合わせていなかった。

 距離感を狂わせた回避術。そこから先の未来を語るのは、余りにも酷だった。

 ゴッドイーターの強靭な肉体をもってしても、確実に躰の芯まで届く一撃。まるで旧時代の映画のワンシーンの様に死に体となった体躯は、くのじに折れ曲がり衝撃をそのまま壁に激突していた。

 全身を強打した事によって肺にあった酸素が一気に押し出される。この時点でこの模擬戦は強制的に終了となっていた。

 

 

 

 

 

「……ありがとうございました。自分の我儘につきあってもらい感謝しています」

 

「礼には及ばん。北斗やロミオもやってる。この程度で気にする必要はない」

 

「そう言ってもらえると助かります」

 

 普段とは違い、明らかに鍛錬用に着替えた服は完全に汗を吸っているからなのか、重くなっていた。普段の当人を知っている人間であれば、確実に泥臭い様にも見える。何時もであれば金色に輝く髪もまた、汗によってしなびれていた。

 

 

「まずはその汗を始末すると良い。場所は分かるな?」

 

 口調こそ厳しいが、そこには労いの心があった。ここは何時ものアナグラではない。屋敷の道場だからこそ出た言葉だった。

 

 

「はい。今日は、ありがとうございました」

 

 金色の髪もまた、深々と頭を下げた事によってそのまま下へと垂れている。既に本人の意識の中では矜持は微塵も無かった。この後は言われた様に汗を始末する以外にやる事は無い。まるで最初から分かっていたかの様に、向かった先には始末した後の着替えが用意されていた。

 

 

 

 

 

「改めて感じたが、勿体ないな……」

 

 誰も居ないからか、呟いた言葉は意外にも響いていた。事実、ブラッドのメンバーの中でロミオだけでなく、北斗もまたここで厳しい鍛錬を積んでいた事は知っていた。実際にまだブラッドが発足した頃、部隊のメンバーは自分とロミオしか居なかった。階級の事だけを見れば、自分が大尉である以上、指揮官として動くのは勿論の事、戦闘に関しても、自分だけがブラッドアーツに目覚めていた事から、実戦の際には先頭を切っていた。

 ある意味では部隊を支える為の柱としての自負。少なくともこれまで自分の周りに慕ってくれる様な人間が居なかった事が、その思いに拍車をかけていた。

 しかし、極東支部に来てからはその自負は良い意味で打ち砕かれていた。

 

 フェンリルの中で極東支部がどんな位置付にあるのかは何となく理解していた。アラガミの力が強ければ、当然ゴッドイーターの能力もまた高い物が要求される。その結果として、今の様な数字が出ていると考えていた。

 実際に自分達が極東支部に来てからは驚きの連続だった。本部の特殊部隊としての位置付けが故に、他の支部にも何度か顔を出している為に、大よそでも戦力は図る事が出来る。しかし、極東支部に於いては自分の能力の範疇から最初から逸脱していた。

 

 厳しい教導と同時に、他の支部とは違い、一定の戦闘技術を与えてからの実戦。当然ながら碌な訓練をしないままに戦場に送り込むよりは、格段に生存率が高かった。実戦から組み上げられた理論。教官もまた厳しいが故に、誰もがそれに疑問を持たなかった。

 当初はやりすぎではとの疑問もあったが、その疑問は戦場に出た瞬間氷解する。アラガミの強度が他の支部に比べてダントツに違っていた事だった。ここまでしても殉職者が出る。正に世界の最前線の名にふさわしかった。

 最大の要因はクレイドル。その中でも如月エイジの名は絶大だった。

 本部でも『極東の鬼』とさえ言われる程に厳しい教導。だが、その効果は誰の目にも明らかだった。そんなエイジをして絶対に敵わない壁と称した人物。今回の教導もまた、自身が強引に頼み込んだ末の結果だった。

 

 

「エイジさんの話だと、無理らしい。既に登録は抹消されてるって話だ」

 

「北斗。どうしてここに?」

 

 ジュリウスの回顧録を強引に現実に引き戻したのは北斗の声だった。ここは道場ではなく、浴場。しかも内湯ではなく、ゲスト用の外湯だった。

 

 

「ジュリウスがここに来るってナオヤさんから聞いたんだ」

 

「成程……で、ついでにここでやったのか?」

 

 ジュリウスの言葉に、北斗は沈黙を持って返していた。事実、先程までジュリウスはここの当主でもある無明と模擬戦をしている。あれから時間はそれ程経っていない事を考えれば、北斗がこの場に居るのは、違う意味で珍しいと考えていた。

 通常、部隊長にまでなれば、戦場以外の作業が一気に増える。当然ながら現場上がりの人間が真っ先にぶち当たる高い壁でもあった。

 部隊長に求められる内容は多岐に亘る。その結果、通常以上に余分な作業が増えていた。しかし、北斗に関してはその限りでは無かった。北斗の横に立って献身的とも言える程にシエルがそれを支えている。その結果として、北斗は隊長になる前と同じ様な時間配分が可能となっていた。

 そう考えれば、この場に居るのは明らかに不自然でしかない。だからなのか、ジュリウスの言葉に弁明するかの様に北斗は実状を口にしていた。

 

 

「既にアナグラでナオヤさんとはやってる。ここに来たのはジュリウスがここに来るって聞いたからだな。それに、明日の朝一番は予定してる」

 

「明日の朝……一番?」

 

「あれ?今日はここなんだろ?」

 

「特には予定してないんだが」

 

 ジュリウスの何気ない言葉に北斗は少しだけ焦りを見せていた。

 実際に今の時間は既に太陽が完全に沈む手前の時間。これから移動する事を考えれば、余程の用事が無ければここで逗留するのが一般的だった。だからこそ、見当がついていないジュリウスの言葉に冷や汗を流す。お湯に浸かっているはずの躰は僅かに寒さを覚えていた。

 このままでは、今回の件に関する根回しが完全に水泡となる。そう判断したからなのか、北斗は隠す事無く事実を口にしていた。

 

 

「いや……実は、既に皆がここに来てるんだ」

 

「珍しいな。何かあったのか?」

 

「深い意味は無い。ただ、ジュリウスがここに来るなんて事は早々に無いから、折角だからと全員に声をかけたんだ」

 

 北斗の言葉にジュリウスは改めてこれまでの記憶を探っていた。実際にここを利用する人間は意外にも限られている。クレイドル以外の人間では本当に数える程だった。

 そんな中でブラッドもまた特定の人間だけが利用している。今回のジュリウスに関しては、完全に片手で足りる程の利用しか無かった。

 

 

「ここ最近、ジュリウスの様子が少しだけおかしかったんでな。折角だから、鍛錬も込みで偶には部隊全員と言うのも悪くは無いかと思ったんだ」

 

「……そうか。随分と気を使って貰ったみたいだな」

 

「偶には気分転換も必要だろ?」

 

 北斗の言葉にジュリウスの胸中には温かい物を感じていた。これまでも紆余曲折あったが、それでもなお、自分の事を家族同然に受け入れている。そう感じた結果だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いっただきまーす!」

 

 ナナの言葉と同時に、アナグラではなく屋敷での食事はある意味では新鮮だった。実際に部隊のメンバーは指揮車を利用する際には必ずと言っていい程に当番制で食事を作る。目の前に用意された食事もまた、担当者で作った成果だった。

 普段とは違い、ここでは食事は基本的には自分達で用意する。招待された際には用意されているが、それ以外には当人が用意するのが規則だった。

 肉体の疲労を考えて、用意したのは豚肉を使った生姜焼き。甘辛いタレと、アクセントで味わう生姜の辛みは以外にも食欲を誘っていた。

 

 

「ナナ。いきなりがっつくなよ。お代わりはあるんだからさ」

 

「それは知ってるよ。でも、疲れた体にはビタミンが必要だってエイジさんも言ってたから」

 

「お代わりは用意してあります。ナナさんだけではありませんが、皆さんの分もありますので」

 

 シエルのさりげない言葉に、誰もが返事をする事は無かった。無視した訳では無い。純粋に出された料理に集中した結果だった。

 ナナに限った事ではないが、最初の段階から必要だろうと既にお代わりは用意されていた。肉の脂の甘さとタレが絡む。時折感じる辛みは食欲を更に増進していた。

 

 

「ムツミちゃんのも良いんだけど、ここはやっぱりね……」

 

 ナナの言葉に誰もがそれ以上の事を口にする事は無かった。事実、ここでは余程の事が無ければ、食事は基本的には自分達で用意する。それがここの規則だった。本当の事を言えば、ジュリウスに限ってはその限りではない。だが、ブラッド全員が集まった為に、食事の用意は各々でする事になっていた。

 当然ながら用意された食材はここの物。調理の力量が乏しくても、その分だけ食材がカバーしていた。今回用意されたのは生姜焼き。しかも、完全に下処理が完了した物だった。

 

 

「って言うか、焼いただけだろ?」

 

「ロミオ先輩。その考えは砂糖よりも甘いかもよ。これはこれで色々と技術が必要なんだから」

 

 何気ないロミオのツッコミではあったが、ナナは当然だと言わんばかりに反論していた。事実、下処理が完了していたのは、偏にナオヤの指示による物。当主の無明に関しては一切関知していなかった。屋敷ではゲストとして招かれる場合と、生活の場としての環境は以外と異なる。今回に関しては完全に後者の部類だった。

 だからと言って、そのまま放置するのも忍びない。そう考えた末の結果だった。

 確かにナナがやった行為はフライパンで焼いただけ。しかし、焼き方によっては食感や味は大きく変わっていた。

 

 肉を焼く行為は単純な様で奥深い。これまでのナナであれば確実に様子を見ながら何度もひっくり返していたはずだった。しかし、ナオヤからのアドバイスによって時間ギリギリまでひっくり返さず、様子を伺う。その結果として香ばしい食感を生んでいた。

 僅かに焦がした事によって、タレが作る香ばしい香りと、その結果生まれる歯ごたえ。ただ焼くだけのはずの料理が、これまで以上の味わいを生んだのは、偏にそのアドバイスに従った結果だった。

 改めて他のメンバーを見ても、誰一人文句を言う様な事は無い。それ程までに完璧に作られた証だった。

 

 

「いや、これは少なくともかなりの技術が要求されている。少なくとも俺もこれ程までの味を感じたのは早々無いな」

 

「でしょ!でも、ロミオ先輩の言葉はちょっと信用出来ないと言うか……」

 

「ちょっと待てよ!まるで俺が味音痴みたいじゃねえか!」

 

「あれ?そんな雰囲気になってたかと思うけど」

 

 ナナ言葉に反論したのは、ロミオもまた鍛えられていた証拠だった。ラウンジで食べているだけでは分からない違い。偶然にも感じたのは些細な違和感だった。

 口ではああ言ったが、実際にはなかりのレベルになっている。遠征の際には当番制で食事の準備をしていた為に、技量が向上している事は想定内だった。

 それでもなお、今回のこれはそれを上回る。本当の事を言えば素直に賞賛するだけのレベルだった。

 

 

「お前達、それ位にしておけ。ここで騒げばどうなるのは分かってるだろ?」

 

「……そうだね。下手に騒いだら、後が大変だもんね」

 

 仲裁に入ったギルの言葉に誰もがそれ以上騒ぐ事は無かった。厳密に言えば、多少は騒いでも問題は無い。しかし、ここには無明だけでなくツバキも滞在している。ツバキが結婚している事は一部の人間だけが知る事実。幾らブラッドと言えど、無明とツバキに逆らうだけの気概は無かった。

 そんな心情を察したからなのか、僅かに静かになる。これもまたブラッドの側面であるのは間違い無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、今後の事に関してなんだけど、ジュリウス君の真意はどうなんだい?」

 

「はい。今後の事に関しては部隊の中で改めて相談しました」

 

「って事は、今回の内容に関しては応諾したと考えても良いんだね?」

 

「はい。一度は自分の置かれた現実があります。そう考えれば、今の時点で断るだけの要素はありませんので」

 

「君達ならそうなるとは思ってた。ブラッドの諸君には、色々と迷惑をかける事になるとは思ってたんだけどね」

 

「少なくとも今の現状を鑑みれば、これは必然なので」

 

 榊の問にジュリウスは淀む事無く回答を口にしていた。事実、聖域の農業に関しては既にブラッドの手を離れつつあった。当初こそ色々と厳しい側面を持ってたが、極東の住人は他の支部とは違い、フェンリルに対してではなく、極東支部そのものに対しての感情しかなかった。

 実際に他の支部ではフェンリルに対する忌避感は根強く残っている。その根底にあるのは、これまでのフェンリルが住人に対する接し方だった。

 

 極東支部は基本的には支部としてのくくりを持っていない。お互いが出来る事を精一杯やった結果が今に至る為に、それなりに融和している部分が多分にあった。

 一番の恩恵は、サテイラト拠点での対処のしかた。アラガミ防壁にこそフェンリルのエンブレムが多少は刻まれているが、それ以外に関しての関与は皆無に等しかった。経済的には事実上の独立を果たしているとさえ言える程にフェンリルの庇護は少ない。それがゴッドイーターだけでなく、外部居住区に住む人間もまた同じく感じていた。

 そうなれば、自然とフェンリルへの依存度は下がっていく。その結果として、ブラッドが聖域での農業に関する支援を求めた際には、多数の応募がそこにあった。だからこそ榊もまたブラッドの、厳密に言えばジュリウスの心情を汲んでいた。大尉でありながらも、その実情は少尉に近い。それが一部の人間の知る所だった。

 

 

「既に先遣隊としてクレイドルのメンバーには出て貰っている。今の所は多少の問題が発生しても彼等なら乗り越えてくれるとは思うんだが、念には念を入れてと思ってね」

 

「そうですね。場所が場所なので、多少なりとも保険は必要かと」

 

「そう言ってくれると助かるよ」

 

「自分に出来る事をやるだけですから」

 

 特定の言葉が無かったのは、お互いが内容を理解していたからだった。今回の極秘任務とも言える内容の肝は、ジュリウスのクレイドル遠征チームへの合流。戦端を開く為のキッカケを作る為だった。

 現時点では感応種は極東支部以外では、未だ観測されていない。本当の事を言えば、ジュリウスが本部周辺に姿を見せる事が多分にリスクを孕んでいるのと同じだった。

 神機兵の暴走と、責任の所在に関しては、事実上の人身御供としてグレムスロワインダストリーが対象となっている。あれ程資金を投入した結果、欠陥品を世界にばら撒いた後遺症は今も尚続いていた。

 

 そんな中で、救国の士とも呼べるジュリウスの存在もまた、ある意味では爆弾に近い物があった。ラケルの側近として一時はフェンリルに対して反旗を翻している。極東ではブラッドの活躍も影響しているからなのか、それ程重要視されている事は無かったが、上層部の覚えは良い物では無かった。

 限りある椅子の数を奪い合う為に、色々と準備が必要となってくる。少なくとも、現時点で何かをするだけの余裕は無かった。そんな上層部の思惑を察知しているからこそ、榊もまた新たな一手を打つ。

 少なくとも自身の与える印象がどんな物なのかは完全に理解していた。

 

 元々スターゲイザーと称される程に世間に対する反応は薄い。しかし、その卓越した頭脳によってこれまで極東支部に訪れた危機を幾度となく回避していた。本当の事を言えば、幾つかの重要な事案を上手く活かす事が出来れば、極東支部そのものがフェンリルの中でも頭一つはおろか、完全に抜きんでる事も可能だった。

 本当の事を言えば、野心を持った人間であれば十中八九それを実行している。だが、榊はそれをしなかった事によって、完全に周囲を騙しきっていた。だからこそ、本当の意味での危機を察知する事が出来る。

 権謀術数の世界ではなく、あくまでも人類の観察者。その名にふさわしい行動をしていた。

 

 

「そう言ってもらえると助かるよ。現地に関しては既に準備は粗方出来てるから、後は君自身が行動するだけだ」

 

「ありがとう御座います。では、少しだけ時間を頂けませんか?」

 

「良いだろう。このままってのは何かと蟠りを残す。以前の二の舞だけは避けてくれ給え」

 

 ジュリウスの懸念を察知したかの嬢にジュリウスの真意を榊は汲んでいた。二の舞は以前に黒蛛病に罹患しながらもその事実を隠し、独りで悪役を演じた事に起因していた。

 当時と今は決定的に違う。永遠の別れではないが、少なくとも今後は簡単に合流する事はクレイドル以上に難しい事を理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジュリウスがどんな考えで行動しているのかは分からない。だが、もう無理に動く必要は無いと思う」

 

「……北斗。今回の件に関しては、俺自身はそう難しくは考えていない。仮に離れていたとしても、永遠に離れる訳では無いんだ」

 

 ジュリウスの言葉に北斗だけでなく、他のメンバーもまた視線がジュリウスへと向いていた。今回ここに集まったのは、榊から聞いた訳では無い。本当の意味で偶然に近かった。

 事実、ジュリウスと榊の話はつい先程の事。少なくともブラッドのメンバーが知るのはもっと先の話のはずだった。無意識の内に螺旋の樹の出来事が蘇る。気が付けば、他のメンバーの目には色々な感情が浮かんでいる様だった。

 

 

「だが……」

 

 何時もとは違うジュリウスの雰囲気は何時か何処かで感じたそれに近い物があった。だからこそ、北斗はジュリウスが屋敷で何をしているのかが気になってた。

 当時、ラケルに騙されたままに操られていた頃とは完全に違う。少なくとも今のジュリウスには陰の雰囲気は感じ取れなかった。だが、何となく胸騒ぎがしないでもない。北斗にとっても慣れたこの場所だからこそ、不意に出た言葉だった。

 

 

「本当の事を言うとな、俺はお前達には未だに負い目を持っている。確かに騙されたと言う点に於いては俺も被害者かもしれない。しかし、一度は人類に対して反旗を翻しているのも事実だ。

 幾らフェンリルがカバーストーリーを作って取り繕ったとしても、俺自身が納得出来る物ではないんだよ」

 

 

 ジュリウスの言葉に北斗もまた、それ以上は何も言えなかった。農業に専念してからは、負の感情は完全に無くなったかの様にも感じていた。しかし、今回のクレイドルの特務に近いそれに同行するとなれば、北斗だけでなく、他のメンバーもまた動揺する。少なくともこの時点でジュリウスの気持ちを翻す事は出来なくとも、何らかの措置は取れると感じていた矢先だった。

 

 

「今回の件に関しては、完全に俺の我儘でしかない。だが、このまま安穏としたままで生きる事に、俺は……俺自身が納得出来ないんだ」

 

「だったら、他のメンバーには何て説得するつもりなんだ?」

 

「それは……」

 

 北斗の問に、ジュリウスは明確な答えを持ち合わせていなかった。あの最終決戦の際に、ジュリウスは一度ブラッド全員と完全に分かれている。確かに今となっては笑い話で済むかもしれない。

 だが、あの時のあの感情は紛れも無い事実。少なくとも何らかの形で全員に伝えるのは、ある意味では当然だった。

 

 

 

「まあ、良いさ。少なくとも本当の事を言ってくれたんだ。どうする?他に疑問はあるか?」

 

 北斗はそう口にすると同時に近くにあった扉を勢いよく開ける。そこにはブラッドのメンバー全員が勢ぞろいしていた。

 

 

 

 

 

「ジュリウス。お前……いや、これ以上は愚問だな。俺からは何も言う事は無い。アリサさん達の足を引っ張るなよ」

 

「ああ。だからこそ、ここで鍛え直してるんだ」

 

「まあ、元々は本部預かりだったんだし、少なくともこれまでよりは対応は多少はマシだろ?」

 

「そうだな……ロミオには鍛えられたからな」

 

「ジュリウス……私からご武運をとだけ」

 

「大丈夫だ。それよりも北斗の事を支えてやってくれ」

 

「ジュリウス……本当に行くの?」

 

「今度は大丈夫だ。あくまでも極東支部としての作戦の補助みたいな物だと聞いているからな」

 

 既に説明する必要はどこにも無かった。実際に屋敷は防音されていても、全部がそうではない。今回用意された部屋はどちらかと言えば前者だった。一度決めた事に対して翻るとは誰もが思っていない。今はただ、ジュリスの心意気を汲む事だけを優先していた。

 

 

「リヴィは何か言う事は無いのか?」

 

「私からか……」

 

 ロミオの何気無い言葉に、リヴィは珍しく言い淀んでいた。実際にブラッドとして行動した期間を考えれば、ジュリウスに対しての感情は他のメンバーよりも希薄になっている。この状況で自身が何らかの言葉を口にするのは野暮だとさえ考えていた。全く感情に無い訳では無い。ただ、どう言えばいいのか。それだけを模索していた。

 

 

「少なくとも、俺自身が皆に迷惑をかけている事は自覚している。だが、今回のこれに関しては完全に自分の私情を優先している。今回のこれは、これまでの…ある意味、恩返しだと思ってる」

 

「……そうか。ならば、私からは敢えて何かを言う必要性は無い様だな」

 

「ああ。さっきも言ったが、これから直ぐに何かが起こる訳では無い。それに備える為に今やっているだけだ」

 

 ジュリウスの心情がそのまま出たからなのか、誰もがそれ以上の事を口にする事は出来なかった。ジュリウスの性格を考えれば、ここで翻す可能性はゼロに等しい。今に始まった事ではない事を誰もが理解していたからなのか、それ以上口にする事は無かった。

 

 

 

 

 

「これからの皆に乾杯!」

 

 食事を終えたからなのか、既に用意された物は簡単に摘まめる物ばかりだった。ジュリウスの考えが翻らない以上、このままの空気で別れるのは最悪だと判断したからなのか、そんな空気を一蹴するかの様に突如として宴会の様なが始まっていた。

 ブラッドの構成年齢は低い。事実、成人としてふるまえる事が出来るのは一握りだけだった。本当の事を言えば、このまま一つのチームとして活動していきたい。しかし、このままではダメだと言う事もまた理解していた。そんな中でジュリウスの言葉。誰もが悲しみの感情を持ちながらも、その意識は完全に前を向いていた。

 本来であれば屋敷で騒ぐのは色々と問題が出る。だが、事前にそんな事を察知していたからなのか、ブラッドが集まった部屋は離れだった。ここならば母屋にまで声は届かない。それがささやかな気遣いである事を認識しながらも、ブラッドのメンバーは珍しく夜更けまで騒いでいた。

 一時とは言え、改めて袂を分かつ意味。誰もが心の奥底にある感情を一時的にでも忘れるかの様だった。

 

 

 



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第154話 葛藤

 

 アップテンポな感じの中にどこか懐かしさを漂わせる曲がラウンジの中を彩っていた。旧時代のジャズと呼ばれた音楽を聞く人間は早々多くない。だが、今日のラウンジには珍しくその曲を聞き入れる人間が居た。

 既にミッションを終えたからなのか、緊張し、張りつめた空気は存在しない。普段であれば寛ぐ為のスペースであっても、そんな空気をも経とう人間が居れば自然とそんな雰囲気が漂っていた。

 だからこそ、今日の様な空気は珍しい。だからなのか、何時もと違ったラウンジの空気は完全に落ち着いた空間を作っていた。

 

 

 

「あら、貴方がこんな時間に珍しいわね。何か重大な事があったかしら?」

 

「何も無い。偶にはこんな空気に浸りたいと思っただけだ」

 

 女の言葉に声を掛けられた男は気にする事無くグラスをゆっくりと回していた。球体の氷は簡単に溶ける事は無い。男もまた、それを知っているからこその行動だった。琥珀色の液体をそのままゆっくりと飲み干す。

 宴会の様に流し込むそれではないからなのか、琥珀色の液体特有のピート香は鼻腔に余韻を残していた。

 

 

「私にも同じ物もらえるかしら?」

 

 女の言葉にカウンターの女性は僅かに笑みを浮かべて返事をしていた。

 事実、ここの空間を支配しているからこそ、普段であれば誰もが耳にする事が無い曲が室内に響く。昼間とは違うゆったりとした雰囲気のピアノの音は、周囲の空気を穏やかな物へと変えていく。この空気を当然とばかりに、女もまた出された液体のグラスを口にしていた。

 

 

「そう言えば、明日の支部長の要件は何かしら?」

 

「こんな場所で無粋ですね。ジーナさんは既にご存じじゃないですか?」

 

「あくまでも噂でしかないわ。それに、貴女が目の前に居るなら聞いた方が効率的だと思ったんだけど」

 

 ジーナの言葉に、バーテンダーの着る白いシャツとベストの姿の弥生は僅かに周囲に目をやっていた。秘書の立場であれば支部内の情報の全てと言っていい程に把握している。ただでさえそんな立場である以上に、フェンリル本部でも情報網を構築していた。

 これがだたの一兵卒であれば、簡単に躱している。だが、普段はここに来る事が少ない防衛班の隊長が揃っているのは、偏に明日招集がかけられているからだった。

 

 

「カレルも気になるでしょ?」

 

「気になった所で何かが変わるわけじゃない。それに、最終的に判断するのは俺だ。今さら気にした所で同じだ」

 

 ジーナと弥生の会話にカレルが入る事は無かった。ジーナだけではない。カレルもまた独自の情報網で大よその事を理解していた。防衛班が呼び出される可能性は限られている。以前に召集されたアラガミの暴走であればこれ程ゆっくりと出来るはずが無かった。

 グラスの中の氷を溶かす様にグラスをゆっくりと回す。琥珀の液体で融けた氷は僅かに音を立てていた。

 

 

 

 

 

「……成程な。だから俺達に声がかかったって事か」

 

「実際には色々な思惑が絡んでるんだけどね」

 

「いや。それでも参考になった。一晩でも時間の猶予があるだけマシだな」

 

 弥生の言葉にカレルは自分の知る情報と新しい情報を加味していた。弥生は立場上、守秘義務はある。だが、今回口にした事は機密でも何でもなかった。恐らくは明日の午後以降であれば誰もが耳にする事実。だが、実際には色々な思惑を孕んだ結果だった。

 

 

「私達としても、本当の事を言えば護りたいとは思ってる。でも、今回の事に関しては一概にそうだとは言い難いのよ」

 

「いや。俺のやっている事を考えれば、ある意味では合理的だ。本当の意味で考えるなら、ある意味では転機なのかもしれない」

 

 弥生の申し訳ない言葉にカレルはそれ以上の事は何も言えなかった。事実、カレルの一番の投資先でもある病院の経営はある意味では行き詰っていた。

 一番の要因は病院に納入されるはずの医薬品。これまでに何度か厳しい状況が続く事はあった。カレルが経営する病院の大半は特権階級の人間ではなく、普通に住んで居いる住民が殆ど。当然ながら報酬となる支払いもまた、利益を出すまでには至らなかった。

 当然ながら同じ業界に生きる人間からすれば、カレルの経営する病院は目の上のたん瘤に近い。暴利を求めるのではなく、純粋に医療としての報酬だけを求めていた。当然ながら一部の特権階級の人間以外の大半がカレルの病院に足を運ぶ。その結果が今に至っていた。だからこそ、権力を持つ人間はその志を破壊しようと考える。アラガミと言う人類の天敵を前にしても人間のもつ強欲な考えが無くなる事は無かった。その結果として、一時期はかなり厳しい状況にまで追い込まれていた。外科的な治療が望めないのであれば、頼るのは薬による緩慢な治療。費用と命を天秤にかければ自ずとどちらに傾くのかは考えるまでも無かった。

 

 

「勿論、今回の件に関しては完全に裏は取ってるわ。だからこそ、その点に関しては安心してくれても良いわ」

 

「あんたがそこまで言うんだ。俺が出来る事はただ信用するだけさ」

 

「あら、随分と信用されてるのね」

 

「俺はあいつらみたいに能天気じゃないんでな」

 

 弥生の何気ない言葉に、カレルはそれ以上の言葉を口にしなかった。一時期薬品が手に入らなかった際、手助けしたのは弥生だった。入手困難とまで呼ばれた薬剤を当然の様に用意した際、カレルは一瞬だけ横流しを考えていた。しかし、弥生の立場を考えればそんな面倒な事をする必要はない。何よりも、薬剤に書かれた伝票は紛れも無い正規品だった。

 幾らアラガミとの戦いをしながらも自らの才覚を振るうとは言え、ある意味では限界がある。本当の事を言えば、カレルも経営する病院の事を考えながらアラガミと戦うのは難しい物があった。手に入らない物資。増える患者。幾ら金を積まれても、肝心の治すだけの手だてが無ければ名医もまた無力だった。だからこそ、カレルもまた自らの出来る事を率先する。その先にあったのは、ある意味では絶望に等しい結果だった。

 その事実を知ったのは限りなく偶然に等しい結果。しかも、最悪とも取れる状況だった。アラガミが跋扈する様になってからは球体全の様な政治力は何の力にもならなくっていた。その代わりに台頭したのは、フェンリルの中でのパワーバランス。極東支部に限らず、その権力はある意味ではかなりの物だった。小さな支部の長程度であれば、殆どの事は握りつぶす事が出来る。事実、カレル個人にはなんの感情も持たなかった。敢えて言えば、少しだけ目障りな程度の存在。その気になる物を完全に潰す為のそれだった。当然ながら、何の権力も持たない一般人や、一介のゴッドイーターではフェンリルの中枢に立ち向かうだけの権力は持ち合わせていない。その結果がカレルの病院を厳しい物へと追いやっていた。

 

 単なる個人の感情であっても、影響力は絶大。そうなれば待っているのは複縦の未来だけだった。そんな厳しい状況を打破したのは、極東支部の秘書でもある弥生の存在。何をどうするのかではなく、何をどうしたのか。純然たる結果だけを完全に叩きつけられていた。

 現場はその事実を知らなくても、カレル自身が理解している。その結果として今があった。当然ながら弥生もまた、そんな裏事情を口にする事は無い。お互いが不可侵を貫いたが故の結果だった。

 

 

「詳しい事に関しては、明日、榊支部長から話があるわ。貴方はその事実を、どう受け止めるかだけよ」

 

「言われるまでもない。俺も世間と言う物を理解してるからな」

 

 特定の単語が無くても、何を指しているのかは容易に想像が出来ていた。何を指しているのかは直ぐに分かる。だからこそ、カレルもまた、それ以上の事を口にするつもりは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「知ってるかもしれないが、実は今回、フェンリルの学会がここで開催される事になった。これまでは本部で開催されていたんだが、これからは各支部の特色と雰囲気を掴む為に持ち回りになったんだ。それで、今回の警備に関してはこの支部の精鋭を抽出する事になった」

 

 榊の言葉に、招集された誰もが当然の様な顔を見せていた。今回支部長室に呼ばれたのはクレイドルとブラッド、第一部隊と防衛班の隊長クラスだけ。下手に全員を召集しよう物ならば、支部長室が溢れるのは既定路線だった。

 実際に前線に出る人間まで招集した所で緊張感が維持できる保証はどこにも無い。これがクライドルやブラッドまでなら可能だが、防衛班にまで広がれば、それは不可能に近い物だった。

 本部の人間を守護する意味。それは偏にその支部の戦闘能力と、戦術に関する実力の確認の意味合いもあった。実際にゴッドイーターに求められるのは人類の盾でもあり、剣でもあるその能力を如何なく発揮する事。そこには一片の感情も存在しない。それ程までに合理的だった。

 しかし、こそれはあくまでも建前での話。本部の人間が集まれば、自然とその警備体勢は決められていた。

 

 

「本当の事を言えば、君達の負担が大きくなる事を良しとはしていない。だが、我々にもそれないの事情がある。君達にには済まないと思っている。今回の報酬に関してはその意味合いが強いと判断してくれれば助かる」

 

 

「って事は、今回の報酬はかなり期待出来るって事なんだよな」

 

「そうだね。少なくとも今回の内容が完遂する事を前提に考えれば、相応の報酬だと思うよ」

 

「今回の報酬額は随分と張り切ってるみたいだが、その点は大丈夫なのか?」

 

 シュンの興奮した言葉を無視するかの様にカレルの言葉に感情は籠っていなかった。事実、ゴッドイーターの報酬がどれ程高額なのかは考えるまでも無い。少なくともカレルの知る中で、これ程までに高額な報酬のミッションにお目に叶った事は無かった。だからこそ警戒する。シュンの様に能天気に考える事が出来る程カレルは純粋では無かった。

 

 

「今回の件に関しては、完全の本部主体の事だからね。少なくとも我々の懐が痛む様な可能性は無いと考えている」

 

「そう言う事か……」

 

「でも、君に関してはその限りでは無いと思うよ」

 

 何気ない榊の言葉。その言葉の真意が勘なのかは、この場で確認する術は無かった。事実、榊は既にカレルの返事がどうであろうとも影響が無い様な表情をしている。防衛がの部隊長がそろうこの場では、それ以上の追及をする事は難しかった。

 

 

「何だよ!俺達には何も無いのにカレルにだけはあるのかよ!」

 

「シュン。少しは落ち着いたら?元から貴方に関係が無い事をこの場で言っても仕方ないんじゃない?」

 

「でもよ………」

 

 榊の言葉にいち早く反応したのはカレルではなくシュンだった。今回の内容は防衛班として考えた場合、あまりにも異質すぎていた。元々ゴッドイーターの殆どは自分達のミッションに対する事だけで精一杯となる事が多い。例外は多少はあるが、カレルもまたその例外の一人だった。

 病院経営は当初の内容を大きく逸脱していた。自分の報酬を基に投資する事によって自分へのリターンを当初は目論んでいた。他の支部とは違い、極東支部は治安が良い。そうなれば相応の治療をすれば報酬もまた相応の物が期待できるのは予想していた。しかし、そんな未来への感情は意図も容易く瓦解する。それ程でまでに医療に対する物は低い内容だった。

 実際に外部居住区であっても、医療に関しては厳しい物があった。医療にかかる費用ではない。純粋に住民を全て受けとめるだけのキャパが無かった。それに加え外科的な医療が極めて厳しい。全く出来ない訳では無い。ただ、人手が圧倒的に足りなかった。

 アラガミと言う人類の天敵から怯える様に生きる生活は、少し先の未来よりも目先の事を優先する。その感情が先に出ていた。だからこそ医療に関する面は厳しい物となる。カレルもまたそんなリスクを勘案した後の判断だった。

 

 

「シュン。だったら、俺のやっている事に投資するか?」

 

「は?そんな事出来る訳ねえだろ!」

 

「だったら、この話はこれで終わりだ。少なくともこの話の大半は誰にも関係が無いと思うが」

 

 カレルの言葉にシュンはそれ以上何も言えなかった。榊の言葉で割り増しで報酬が貰えると思った程度の判断。だからこそ、カレルは何の感情も載せる事無く事実だけを口にしていた。

 カレルが何をしているのかは、防衛班の部隊長は誰もが知っている。だからこそ、カレルとシュンのやりとりに他のメンバーが口を挟む事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学会の本当の意味を知る人間はそう多くは無い。対外的にはアラガミに対する人類の立ち位置と、これまでの様に防衛する手段を公表する場だった。勿論、これが只の建前であるはずが無い。集まった人種を見れば、勘の良い人間であれば誰もが簡単に想像出来る事だった。

 

 

「今回の内容は中々有意義な物だったと思うが」

 

「しかし、理論はあくまでも理論だ。結果を伴わない理論を重視する人間はいないだろう」

 

「そうだな……倫理。いや、端的に言えば結果がどうもたらすかだろろう」

 

 実質的に学会の開催日程は、そう長くはない。これまでの実用から言えば、精々が一週間にも見たない日程だった。そんな短期間の開催では、その殆どが有用性の高い物を要求される。ましてや今回は本部ではなく極東支部。その中での発表する人間の重圧は相当な物だった。

 『観測者(スターゲイザー)』と呼ばれた榊を筆頭に、実戦主義で知られる紫藤。そんな巨頭を押しのけて発表したのはソーマだった。

 既に幾つかの論文は認められている。しかし、本当の意味での名は未だ無名に近い物だった。

 

 

「だが、今は亡きヨハネスの息子だ。相応の結果を早急に出すだろう」

 

「指導者が指導者ならば、そうだろうな。勿論、我々も負けるつもりは毛頭無い」

 

 学会のやや波瀾含みの内容は発表者にとっても厳しい物だった。実際に使い回された内容であれば、確実にその論文の不備を突くような質問が飛び交う。実戦と言う名の現実と、どれだけ向き合えるかによっては、その論文の意味合いは大きく変わっていた。

 そんな中で、目立つ程ではなが、一定の関係者にとっては大きな事実。何時もとは違った内容だったからなのか、その論文そのものに注目する様な人間は一握りだけだった。

 

 

 

 

 

「相変わらず厳しい質疑は疲れる」

 

「当然だ。既に駆け出しだと思っている人間はこの場には居ない。お前は既にフェンリルの中でも確実に認められているんだ。これからはゴッドイーターとしての能力ではなく、博士としての能力を注目するだろう」

 

「俺がか?だとすれば……面倒だな」

 

「ある意味、これは必然だ。慣れるしかないだろうな」

 

 学会の後は、お決まりの懇親会だった。元々学会の内容が厳しいのは今に始まった事ではない。人類の天敵とも呼べるアラガミとの生存競争に遅れる事は許されない。仮に遅れたとなれば、待っているのは人類の全滅。幾ら終末捕喰を回避しようとも、アラガミの脅威が緩くなる事はなかった。むしろ、あれを二度も回避した為にアラガミの攻勢は強くなったとさえ感じていた。

 これまでであれば、極東でしかお目にかからないとされたアラガミが他の地域でも出没し始めている。流石に感応種の様な特異なケースは無いが、それでも変異種の様なアラガミは度々出没していた。

 幸か不幸か、極東支部の様に大型種ではまだ感知されていない。精々が中型種までだった。大局的に見れば大した事は無いのかもしれない。だが、現場からすれば悪夢でしかなかった。変異種の大半は知能が高く、現地のゴッドイーターの裏をかく様な行動をする。その結果、緩やかに殉職率が高くなっていた。

 急激に高まればフェンリルも警戒する。しかし、緩やかである為に、その事実に気が付くのには時間が必要だった。当然ながら殉職だけでなく、治療が必要な数も増えていく。その結果として、民間に出回る薬品が品薄になっていた。

 

 

「だいじょうぶ。ソーマのことはわたしにまかせて!」

 

「そうだな。ソーマ、シオの事は頼んだ」

 

「……分かった。だが、良いのか?」

 

「それはシオが決める事だ。その結果が今だ」

 

 懇親会の殆どはパートナーと同伴だった。紫藤の傍にはツバキが居る。既に社交界でも知られているからなのか、既に紫藤だけでなく、ツバキに粉をかける人間はいなかった。その代りに増えたのはソーマに対して。

 若き才能を煌めきだす存在を周囲が放置する事は無い。だからこそ、ソーマの周りには必然的に華や蝶が集まっていた。勿論、その意味をソーマもまた理解している。本当の事を言えば、有象無象が集まった所で、なびく事は無い。だが、万が一の事を考えて紫藤はシオを表に出していた。

 元、特異点と言う名のアラガミである事を知る人間はいない。寧ろ、屋敷で鍛えられた立ち振る舞いをするからこそ、違う意味で注目を浴びていた。

 紫藤博士の義理の娘。極東支部の心臓部に近い存在。だからこそ、紫藤もまたシオとソーマを一緒にさせていた。お互いの視線を一つにまとめる。その結果として管理が容易だった。

 

 

「そうか。だったら俺の出来る事をするだけだ」

 

「そうしてくれ。その方が助かる」

 

 お互いが何をどうすれば良いのかを理解していた。だからこそ、この場ではそれ以上の会話をする必要が無い。そんな二人に割ったのは一人の男の声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、俺にはどんなメリットがあるんだ?」

 

「我々の出来る最大限の事をしたいと思う。だが、今回の件に関しては、ある意味では本部でも注目されている。我々としてはその結果を示したいと考えている」

 

「だが、これは考え方によっては体のいい人体実験じゃないのか?」

 

「そう言われると我々は否定できない。だが、旧時代より医学の進歩には犠牲が付き物だ。厳密に言えば、それにしか縋れない。そんな環境がある」

 

「……一度、相談させてくれ。俺は医療そのものに関して詳しい訳じゃない。少なくとも俺の一存で判断出来る内容じゃない」

 

 カレルの言葉は至極当然の事だった。今回の話は榊経由ではあったが、実質は個人的な内容だった。学会で紫藤とソーマに話しかけたのは新進気鋭の医学博士。今回の内容もまた、ある意味ではオラクル細胞を有効活用した内容だった。

 実際にオラクル細胞の有効活用は実験するまでもない事。ゴッドイーターの治療内容を見ればある意味では予測出来る内容だった。しかし、それはあくまでもゴッドイーターの数値。一般の人間に対しての内容では無かった。

古来より、新薬の結果には相応のサンプルが必要不可欠。本当の事を言えば、いきなりの人体実験は禁忌に等しい行為だった。

 

 しかし、それはまくまでの余裕がある人間の話。少なくとも本部以外の支部であれば、ゴリ押しをすれば実現が可能だった。だが、本部からのゴリ押しの結果を周囲が本当の意味で納得する事は無い。少なくとも立場を活かした作られた数値であると判断していた。

 そんな中、唯一とも取れるのが極東支部。榊や紫藤のビックネームが不確かな内容に介入しないはずがない。その結果としてある意味ではお墨付きがあるのと同じだった。

 

 

 

 

 

「で、今回の件だがお前としてはどうなんだ?」

 

「随分と突拍子の無い話しだと思ったが、まさかそんな裏があるとはな」

 

 カレルの言葉に医師として従事していた男は、ある意味では予想していた。新薬の開発は医学の進歩。当然ながらそんな光の蔭が必ず存在する。この男も、ある意味では光の道を歩いて行くはずだった。順風満帆。まさにそんな最中の事件だった。

 当初、新薬の開発をになってた男は些細な事で梯子を外されていた。万全を期したはずの新薬に想定外の副作用。まだ、この時代がオラクル細動と対峙し始めた頃のマーナガルム計画に酷似した内容だった。一度でも表に出た論文は更なる改良を繰り返す。表には出なくても、自然とその内容は洗練されていた。

 だが、フェンリルの上層部はそれを良しとはしなかった。過去の遺物でもあり、人類の光でもあるそれを改良した物。それが表に出れば、必ず禁忌もまた表に出る可能性があった。だからこそ、極秘裏に裏工作をする。その結果、男はカレルと出会うまでは完全に燻っていた。

 

 

「俺の過去の事は知ってるよな。俺は確かに資金面でも事はお前に対して気にしていた。だが、それとこれは別だ。今の俺はあくまでも雇われた身。経営しているのはお前である以上は判断はお前が下すんだ」

 

 普段とは違う表情。少なくともカレルの前に立つ男は、何時もの弱気な雰囲気を持ったそれではなく、完全に医師としての目をしていた。

 内に秘める感情。少なくともカレルの知る中で、こんな雰囲気を醸し出した事はこれまでに一度も無かった。

 言葉は少ないが、その態度が雄弁に物語る。カレルはそんな男を見て一つの決断を下していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、最近はあまり言わなくなったのね」

 

「何をだ?」

 

「何時もなら必ずと言っていい程、愚痴……ではないけど、それなりに言葉が出てたと思うけど」

 

 ジーナの遠回しな言葉の意味をカレルは正確に理解していた。言葉にしていたのは病院に関する事。その大半が医薬品に関する事だった。旧時代に比べ、医薬品の効果と数は確実に比例していなかった。

 幾らフェンリルが元は製薬会社だったとしても、製造のキャパシティは存在する。特に薬効が高い商品程、富裕層に優先的に配布されていた。数が揃わない所に、偏った配布となれば、後はどうなるのかは考えるまでも無い。その結果が最下層の住民に皺寄せとなって表れていた。

 本来であればカレルの病院もその限りではない。幾らゴッドイーターの身内とは言え、それは当人ではない。あくまでも心の平穏の為に外部居住区に住む事が出来る権利があるだけだった。経済的には安定していても、必ずしも必要な物が手に入るとは限らない。だからこそ、カレルもまた自身の持つコネクションを最大限に利用していた。

 しかし、大元を管理されていしまえば、生殺与奪は握られたも同然。だからこそ、今回の取引は最大限の譲歩を獲得していた。

 

 オラクル細動を使った新薬の実験。健康体ではなく、事実上、余命宣告を出す程の患者に対しての処方だった。勿論、当人と家族の許可を取った上での治験。その対価としてこれまで入手が困難だった医薬品の安定供給だった。

 

 

「色々あったんだ。少なくとも今回の件に関しては俺自身、改めて知る部分が多分にあった。結果的には満足している」

 

「……そう。なら良かったけど」

 

「どうしたんだ?普段ならそこまで気にする事は無かったと思うが?」

 

 カレルの疑問は尤もだった。事実、カレルの事業に関してジーナは全く関与していない。これまでの感覚であればスクなん区とも自分の事以外に関心を持つ事は皆無だった。にも拘わらず、そんな言葉を口にする。カレルもまた、些細な疑問として言葉にしていた。

 

 

「深い意味は無いわ。ただ、私の目に届くそれが以前よりも良くなってた様に感じたから」

 

 カレルの言葉にジーナもまた、正確に答えるつもりは無かった。事実、防衛班は極東支部の中でも一番住人と接する機会が多い。その中で以前に比べれば格段に雰囲気が良くなっている事は明白だった。医薬品が下々に回る事が分かってから、些細な怪我や病気でも気に病む事は無くなっている。その結果が自然と表情に出ていた。勿論、全員が助かる訳では無い。時には厳しい内容であっても、これまでの様に突き放される事は無くなっていた。その結果が今に至る。何も知らない人間であっても、おの雰囲気は以前とは格段に異なっていた。

 

 

「そうか………だが、俺に出来る事なんて些細な物だ。後は現場がやるだけだ」

 

 ジーナの言葉を否定するかの様にカレルは出されたグラスの液体の一気に飲み干していた。アルコール度数が高いからなのか、喉が焼ける気がする。だが、カレルはそんな事を無視するかの様に何時もと同じ雰囲気を纏っていた。

 

 

 

 



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第155話 憩いの一時

 

 既に失われた文化のそれぞれは、今になって漸くゆっくりと復活し始めていた。

 キッカケは本当に些細な出来事。少なくとも、現時点ではそれがここに姿を現すはずが無い物。しかし、この場に居た誰もがそんな事を考える事なく、目の前に繰り広げられた光景に視線を奪われていた。刹那の中で起きる事象。

 自分達の手の中で起こる光と音は、厳しい現実を僅かに忘れさせる役割を果たしていた。

 

 

「やっぱり、実際にやるのと、映像は違うよね」

 

「そうですね。ささやかな雰囲気を出すこれは、ある意味思う所が色々とあります」

 

 ナナの何気ない言葉に返事をしたのはシエルだった。手に持つそれはささやかな光と音。効率だけを考えた現代に於いてはある意味贅沢な物だった。

 自らの手で掴む、一時の憩い。アラガミとの戦いで荒んで行く心を癒すかの様な時間は、誰の目にも穏やかに流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね。確かに難しい物では無いとは思うけど……」

 

「でしょ!スタングレネードタイプも悪くは無いんだけど、これもやっぱり良いとは思うんだよね!」

 

 ここはラウンジでもなければロビーでもない。普段であれば、ここに顔を出すゴッドイーターは限られていた。

 整備班の中にある一室。そんな場所に居たのは極東支部の精鋭部隊とも呼べるブラッドの一人だった。本来であれば、ここで話をする内容は間違い無く神機に関する事。しかし、今のこの状況でそんな事が話題に出る事はなかった。

 

 

「でもな……」

 

「やっぱり難しいのかな……」

 

「それは無いんだが、単純に今は時間が無いんだ。それに、ここ最近が色々と立て込んでたからな」

 

 青年の言葉に、話をもちかけていたナナは何も言う事が無くなっていた。事実、ここ最近の整備班がどれだけ激務なのかはナナも理解していた。

 当たり前の事だが、アラガミはこちらの都合など最初から考慮する必要性が無い。精々がミッションの中での序でに近い物が多く、その結果として神機の摩耗率は加速していた。

 幾ら超人的な力を発揮出来たとしても、神機がある事が大前提。そのしわ寄せがそのまま裏方でもある整備班へと直撃していた。

 

 

「もう少しだけすれば峠は越えるから、その後なら何とかなるから」

 

「リッカ。大丈夫なのか?」

 

「確かに厳しいのは事実だけど、一番の難所は既に超えつつあるからね。少なくとも私もナナのやりたい事には積極的に賛成したいかな」

 

 ナオヤの言葉にナナは少しだけ後ろ向きになっていた。実際に整備班は数こそいるが、一部の神機の整備に関しては事実上偏っていた。以前から整備をしていたリッカは勿論の事だが、ナオヤもまた同じレベルで数をこなしていた。

 教導教官をするだけでなく、本業でもある整備をもこなす。当然ながら時間は有限。その結果、かなりの皺寄せが来ていた。

 そんな状況を覆すかの様に出たリッカの言葉。整備に関しては全く分からないナナからすれば、リッカの言葉を信用するよりなかった。

 

 

「……まあ、リッカがそう言うなら俺としては何も言わん。だが、本当に良いのか?」

 

「平気だって。実際にクレイドルやブラッドの整備が終わってるから、後はそれ程じゃないから」

 

「そう言うなら、俺としては何も言う事は無いな。ナナ、一区切りつけば、手伝えるぞ」

 

「本当に良いの?」

 

「ああ。やる事が終わればな」

 

「やったぁあ!」

 

 何時もと違った空気が整備班に響く。普段であれば、作業室に声が響く事は余り無い。だからなのか、今日に限ってはやたらと響いていた。

 

 

 

 

 

「でも軽々しく言ったが、大丈夫か?」

 

「勿論。もうメドもたってるしね。それに、今回のナナの要望って以前に開発したスタングレネードとは違う種類の花火だよね。個人的にも関心はあるんだよね」

 

「成程な……」

 

「面倒だった?」

 

 何時もなら自分の感覚と感情だけで動くリッカも、今回の件に限っては少しだけ弱気だった。事実、神機の整備に関しては本当の事だが、花火の開発に関してリッカは完全に門外漢に近かった。

 少なくともスタングレネードの様にオラクルの技術を流用するそれとは違い、旧時代の花火は完全に失われつつある技術の一つ。勿論、ノルンにもそんな情報はあるかもしれない。しかし、ノルンの情報は基本的には過去のアーカイブを完全に流用出来る物ばかりではなかった。

 

 むしろ、今回の件に関しては完全に屋敷での開発が要求される。リッカが簡単に応諾したのはこの辺りの事情が関与していたからだった。

 当然ながらそれを形に出来るのは数える程の人間だけ。その中の一人がナオヤである事だけだった。リッカとしても、自分で何とか出来るとは最初から考えていない。ナオヤの協力を得る事が出来ると予測したからこその返事だった。

 

 

「いや。時期的には悪くはないだろう。それに、ここ最近の厳しい戦いも漸く落ち着いている。この辺りで気を抜くのは悪く無いと思うぞ」

 

「ありがとね」

 

「気にするな」

 

 何気ない会話だったが、リッカからすれば安心できる言葉だった。ナオヤの返事に嫌悪感は無い。言葉は少ないが、ナオヤの感情は何となく理解出来ていた。

 快諾を得た以上は前に進むだけ。後は完成まで待つだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「花火か。まあ、落ち着いてきたのは間違い無い。それに多少の気分転換も必要だろう……なんだ、その顔は?」

 

「いえ。特には」

 

「私とて気分転換が必要な事位は理解してるさ。それとも私が鬼かなんだと思ってるのか?」

 

「まさか。ちょっとだけ以外だと思っただけなので」

 

「……まあ、良い。だが、無理はするな」

 

 ツバキの快諾にナオヤは少しだけ驚いていた。実際に、連戦が続いた事が影響しているからなのか、現場のゴッドイーターだけでなく、裏方の整備班もまたギリギリまで動いたままだった。基本的に整備班で何をしようが、やる事をしっかりとやれば問題にはならない。しかし、現場を軽視する様な可能性だけは避けたい気持ちが勝っていた。

 

 本当の事を言えば、ツバキではなく、サクヤに聞けば良いだけの事。だが、ナオヤからすればサクヤよりもツバキの方が色々と楽だと判断した結果だった。極東支部としてはツバキが仕事をする際には雨宮姓を使っているが、対外的には紫藤を名乗っている。これはあくまでも外交に関する部分と、紫藤博士の妻としての名を利用する為の物だった。

 

 この事実を知る人間はかなり限られている。この事実を知るのは、関係者以外では片手で足りる程だった。新人からすれば鬼教官と呼ばれてもおかしくはない。だが、身内からすれば、完全に自分達の義理の姉だった。だからこそ、ナオヤとしてはサクヤよりもツバキに許可を取る。秘書としての裏方を捌く弥生もそうだが、ツバキの存在感を考えれば、ある意味では当然だった。

 

 

「……で、作るのはブラッドの分だけか?」

 

「折角なので、外部居住区の分と屋敷の分も作ろうかと」

 

「……そうか。時間に余裕があるなら、多少の物資を使っても構わん」

 

「分かりました。少なくとも相応の数が必要だと思いますから、後は何とかしますよ」

 

「色々とすまんな。多少でも安らぐ時間があるのは必要だからな」

 

 ツバキの言葉にナオヤは苦笑するしかなかった。厳しい対応から、サクヤに比べれば鬼と呼ばれるのは今に始まった事ではない。しかし、厳しいからこそ誰よりも色々と考えていた。

 ゴッドイーターは消耗品ではない。一人の人間にしか過ぎなかった。だからこそ、自ら泥を被ってでも支部を護る。ナオヤもまた、その事実を痛い程理解していた。

 一般人でありながら教導教官をこなす。力の勝負では勝てないそれをこれまでに培ってきた技術でこなしていた。本当の事を言えばありえない事実。だが、ナオヤの技量を正確に把握しているからこそ、ツバキもまた何も言わなかった。

 だからこそ、その部分に関しては黙認している。勿論、それだけでなない。屋敷での日常を知るからこそ、ツバキはナオヤに対して一定の信頼をしていた。

 ツバキとて、子供を持つ身。ナオヤの言葉の裏を正確に理解していた。

 

 

「俺達は裏方ですから」

 

「……お前の事だから大丈夫だと思うが、少しは未来の事も考えろ」

 

「その辺りは色々と考えていますから」

 

 ツバキの言葉に、ナオヤは当たり前の様に返事をしていた。事実、整備班でナオヤとリッカの関係を揶揄う人間は早々居ない。仮に口にすれば待っているのは制裁に近い行為。極東支部の中では、一般人にも拘わらずゴッドイーターの相手をするナオヤを知らない人間はいなかった。

 

 

「そうか。無明も色々と気にしてる様だ。エイジがああなったなんだ。少しは安心させてくれ……何だ、その表情は?」

 

「意外だと思ったんで」

 

「そうか?少なくとも屋敷の人間としては当然だと思うが。だが、リンドウの様にだけはしてくれるな。色々と面倒なんでな」

 

 まさかの言葉にナオヤは何も言う事が出来なかった。既にエイジ達の事に関しては何も口にする事は無い。時間が無くともお互いに絆が構築されている。少なくとも万が一よりも低い可能性が無い限り破綻する可能性は皆無だと判断していた。

 当然ながらナオヤもまたアリサに関して何も思う所は無い。既に屋敷の中でも存在感を示しているからなのか、それ以上の事を口にする事は無かった。

 だからこそ、ツバキの言葉にナオヤは驚きを示す。既にリッカもまた屋敷の中では色々と存在感を出し始めていた。子供達もリッカになついている。ナオヤもまた理解しているからこそ、それ以上の事は何もしなかった。

 

 

「それとこれは別なんで」

 

「そうだな。話は逸れたが、相応の数があれば特段何も言う事は無い。だが、幾ら時間にゆとりが出来たとは言え、大丈夫なのか?」

 

「ぞれに関してはある程度目途は経ってるんで」

 

「そうか……楽しみにしてるぞ」

 

「期待に応える事が出来る様にするだけなので」

 

 そこにあったのは、完全に部下と上司ではなく身内のそれだった。事実、屋敷の序列だけで言えば、ツバキの方が新参者に近い。結婚した事によって身内になったに過ぎない。だが、屋敷の中ではそんな事は一切考慮しない。ツバキの身分は完全に当主の奥方そのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「意外と簡単なんだね」

 

「スタングレネードのあれよりは単純だからな」

 

「でも、この数はどうかと思うよ」

 

 既に日常になった整備班には、何時もとは違った空気が漂っていた。何時もの様に神機と格闘するのではなく、目の前にあるのは手作りの花火。その目的が何なのかを知っているからなのか、どこか呆れた様な雰囲気を出しながらもリッカは驚いていた。

 本当の事を言えば、ナナがリッカと開発した打ちあげ式スタングレネードは既存の物を流用した物。

 少なくとも目の前で淡々と作業をして出来上がるそれとは明らかに違っていた。リッカもまた誰が使うのかをヒバリやアリサを通じて知っている。しかし、元からの作業もある為に製造に関してはナオヤが一人でこなしてた。

 

 

「案外と手持ち花火は数が必要なんだよ。打ちあげなら時間がかけられるけど、これは無理だしな」

 

「なるほどね……」

 

 リッカに視線を動かさないのは、偏に作業に集中しているから。こうなれば持ち前の能力を発揮するかの様に手の動きは滑らかだった。数をこなす事によって確実に動きが洗練されていく。そんな出来上がったそれをリッカは一つ手に取っていた。手にしたそれは、明らかに自分では難しい作業。手が器用だからこそ可能な品だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわ!こんなに沢山あるの!」

 

「全部をって訳にはいかないんだがな。今回のこれは幾つかに分けて使うんだ」

 

「ここに火を点けるんだよね?」

 

「ここでやるなよ。それと、付近には水を用意しないと面倒な事になるからな」

 

 キラキラと目を輝かせながらナナはナオヤが用意した花火を目の珍しそうに手にしていた。事実、手持ち花火がどんな物なのかを自分の目で見た事は一度も無い。今回のこれもノルンの映像が基になっていた。

 打ちあげ式の様な派手さは無いが、どこかこじんまりとした雰囲気を持つそれは、ある意味では情緒に溢れている。作る事に参加こそしていないが、その苦労がどれ程なのかはナナもまた、何となく理解していた。

 

 

「そうなの?」

 

「火薬の熱が中にまで残ると、後で燃えるかもしれないからな。アナグラの中でやるとは思わんが、外でやるなら回りを確認しろよ」

 

「安全確認だよね!それは当然だよ」

 

 これまでにも映像でしか見た事が無かった物を直接目にした事は幾度となくある。だが、それはあくまでも生活の中で必要な物か、最初からここにあった物。少なくとも自分が関与する事によって目にした物は初めてだった。自分ながらに無茶振りをした自覚はある。しかし、そんな事をおくびにも出さずに用意してくれた事が嬉しかった。だからこそ、今後の予定を素早く思いだす。少なくともここ数日の中では予定されたミッション以外には大きな戦場があった記憶はなかった。そうなれば、後は実行に移すだけ。必要な分を確保したからなのか、ナナは二人にお礼をしながらも、整備班の扉を開いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この場所が既に馴染んだからなのか、ここで作業をする人間は何も言う事は無かった。本当の事を言えば、正規のルートではありえない待遇。幾ら慣れたとは言え、現状を当然だと思う人間は皆無だった。それなりに用意されたそれが何なのかを理解している人間は限られている。既に失われた旧時代の文化が、改めてここで花開くとは誰もが思っていなかった。

 既に諦めたはずの光景。それ程までにアラガミが世界に出現してからの心労は、色々な限界を超えていた。

 しかし、そんな事すら無意味だと言わんばかりの光景が目の前に広がっている。誰もが口にはしないが、救われたと思う心情を改めて口にする様な人間はいなかった。

 

 

 

 

 

「良い。絶対に人に向けちゃダメなんだからね」

 

「分かってるって。それに、そんな事で火傷なんでしてもメリットは無いんだからさ」

 

「ほんとかな~」

 

「それ位は分かるって!」

 

「……じゃあ、火を点けるから!」

 

 ロミオの言葉を無視するかの様にナナの声は周囲に響いていた。既に失われた技術。未だ知る人間は居るが、その数はそれ程多い物では無かった。

 だからこそ、これから起こる事に期待をする。既に、誰も顔にも期待する何かが浮かんでいた。

 

 

「直ぐに離れて!」

 

 火薬独特の匂いと同時に、目の前に広がるそれを正しく理解した人間は皆無だった。旧時代の花火は既に技術的にも失われつつあるそれ。少なくともこんな時代に改めて表現されるとは思っていなかった。時間にして僅かなもの。だが、旧時代を知る人間からすれば、確実に懐かしい物だった。

 

 

 

 

 

「スタングレネードのそれとはまた違った趣だな」

 

「でしょ!ノルンで見た時にはこれだ!って思ったんだから」

 

「そうですね。これはこれで趣があると思います」

 

 ブラッドの面々は用意されたそれをそのまま聖域で使っていた。本当の事を言えば、外部居住区で使用するのが本当なのかもしれない。しかし、今回に限っては敢えて聖域での使用となっていた。

 数が少なければ色々と問題を抱えたのかもしれない。しかし、今回のそれはツバキからの提案だった。

 

 ここ数日の厳しいミッションが終わった事も加味し、慰労の意味を兼ねる。本当の事を言えば全部を終えてからが一番だった。だが、世界はそう甘くはない。根絶が不可能とも言える現状ではゴッドイーターがアラガミを討伐する対処療法が関の山。幾ら強靭な肉体を持つとは言え、精神までもが向上する事は無かった。

 

 積み重なる戦闘と、自らの命を危険に晒す。事実、ゴッドイーターの中でも新兵の数パーセントが最初の実戦で命を失い、仮に生き残れても精神を病む。ゴッドイーターの生き方は、まさに自らの命を燃やす蝋燭と同じだった。

 だからこそ、生き残れる可能性を掬いあげるかの様に厳しく鍛えると同時に、休暇を活かす事でメリハリを作っていた。そんな日常生活から僅かでも安穏と出来る時間は、色々な意味で貴重だった。

 

 打ちあげ式のそれとは違い、手持ち独特の光の奔流は今までに感じた事の無い懐かしさがあった。恐らくその光景を知っている人間は懐かしさに涙するかもしれない。だが、ブラッドの誰もがそんな事実を知らない。精々がノルンの映像で見た程度。今回のこれもまた、新しいスタングレネードのネタをナナが探した偶然の賜物。偶々技術的に再現が可能な人間が居ただけだった。

 

 

 

 

 

「随分と懐かしいのぉ」

 

「そうですね。まさか、生きてまた見れるとは思いませんでした」

 

「もう少しだけ長生きしようと思える」

 

「そうですね」

 

 ブラッドの光景を老夫婦は少しだけ距離をとって眺めていた。涙するとまではいかないが、既に失われた過去の再現。それがどんな意味を持つのかを何となく理解していた。

 アラガミが居ない空間。聖域と呼ばれた場所はまさに奇跡の場所。ブラッドが命がけで勝ち取った空間。農業と言う名の新たな試み。そのどれもが胸をうつかの様だった。

 

 

「折角だ。冷やしたスイカでも出すか」

 

「こんな時には良いですね。きっと皆も喜びますよ」

 

 手持ち花火が何時まで続くかは分からない。その後に何も無いのも勿体無いと感じたからなのか、この後の行動を予測していた。

 聖域では、既に幾つもの大玉が生っている。当初は色々と苦労したが、既に前例がある為に、栽培その物はそれ程苦労する事は無かった。

 まだ自分達が若かりし頃に見たそれ。その光景を思い出したからなのか、二人の表情には笑顔が浮かんでいた。

 

 今までにも何度か食べた事はあったが、やはり貴重な物に違いない。冷やしたそれをどんな顔で食べるのを考えたからなのか、老夫婦には笑顔が生まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おー、きれいだな」

 

「シオ、そんなに振り回すな。火傷するだろうが」

 

 浴衣姿の少女は初めて持ったそれに感動したのか、以前の様に好奇心満載で花火を手に持っていた。

 火薬が燃える事によって生まれた火花と匂い。戦闘時の爆発物ではなく、純粋に観賞する為のそれに、シオは意識を持っていかれていた。シュッと燃える音はかなり軽い。にも拘わず、手にしたそれの勢いは暫く続いていた。

 自分の動かす後には光の帯が続いている。まるで文字を書くかの様に動かしたからなのか、僅かに光の残像が残っていた。

 

 

「だいじょうぶ。使いかたはナオヤから聞いた。人に向けちゃダメだって事はしってる」

 

「だったら、大人しく見てろ」

 

 ソーマの言葉に、シオは改めてしゃがんでその光を目にしていた。屋敷特有の風景に花火の光が彩を与える。浴衣姿のそれが、ある意味では旧時代に懐かしき光景を作っていた。

 

 

「はーい。でも、ソーマはやらないのか?これ、楽しいぞ」

 

「俺の事は良い。シオが代わりにやってくれ」

 

 シオの気遣いを感じながらソーマは改めて周囲の光景を見ていた。

 屋敷である為に、部外者は早々居ない。寧ろ、この中で参加している人間を考えれば邪推する者は居ないと思えていた。

 極東を代表するクレイドルとブラッド。そのメンバーの誰もが戦闘に熟知し、万が一の際には命だけを確実に助ける。その結果として今に至るのは当然だった。

 精鋭部隊と言えど人間である。戦闘巧者であっても、精神がゆっくりと摩耗するのは必然。そんな中でも今回の催しは一時の癒しだった。

 厳しい世界とは無縁と思える世界。屋敷の庭は、旧時代のそれと然程変わりはなかった。そんな中での一コマ。シオとソーマのやりとりを茶化す者は誰も居なかった。

 

 

「おー。きれいだな。ソーマ、これ楽しいな」

 

「ああ」

 

 言葉少な目な返事ではあったが、シオにとっては何時もと同じだった。お互いの気持ちが通じ合うからこそ、言葉は必要ではなくなっていく。そんな光景をだれもが優しく見守っていいた。

 

 

 

 

 

「あら、珍しいわね。何時もなら絡む所じゃないの?」

 

「俺も、何時もそんな事はしないさ。それに偶にはこんな日もあってもいいんじゃないか?」

 

「……そうね。偶にはこんな日があっても良いわね」

 

 縁側ではリンドウとサクヤが二人の事を見ていた。失われた世界。旧時代の光景を再現したそれをリンドウは正確に分かりあえた訳では無い。ただ本能で感じただけだった。

 

 

「サクヤ。偶にはどうだ?」

 

「そうね。偶には良いかも」

 

 そう言いながらリンドウはサクヤに硝子のお猪口を差し出す。透明な液体はここで作られた日本酒だった。サクヤもまたリンドウの気持ちを察したからなのか、そのまま口へと運ぶ。普段は口にしないそれは、この場に於いては別格の味わいを見せていた。

 雰囲気がそうさせるからなのか、それとも何かを思う所があったからなのか。それを知るのは当人だけだった。今では完全に失われた過去。それを取り戻すかの様に二人の視界に入ったそれは、確実に旧時代を思い起こす物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、火を点けるからな」

 

 コウタの言葉に、ノゾミの好奇心は限界に達しようとしていた。今回用意されたそれをそのまま外部居住区で行うには、あまりにもリスクが高すぎていた。

 実際に用意されたそれを三分割した為に、数こそあるが住人で割るには数が少なすぎていた。その結果、アナグラの敷地の中で行われたそれは事実上の関係者のみだった。

 只でさえ数が少ないそれを全住民に配布する事は不可能でしかない。その結果、限られた関係者だけに留まっていた。コウタの何気ない言葉に、ノゾミもまた興奮を抑えきれない。少なくとも失われた文化を自分の手で再現する事を理解している証拠でもあった。

 

 

「うわぁ……きれい」

 

「思ったよりすげぇ」

 

 元々多く無かったそれを、無理矢理分けた事によって手持ち花火の数はそれ程多くは無かった。本当の事を言えば全員に回れば一番良い。しかし、それが出来ない現実があるからこそ、コウタもまた子供を中心に配っていた。

 火を点けて一秒もすれば、激しい火花と火薬の音が周囲に響く。燃えている瞬間の独特の雰囲気はある意味幻想的でもあった。大人であっても、完全に記憶にあるかと言えばそうではない。ましてやこんな時代だからこそ、記憶と現実が曖昧になる程に遠い記憶だった。時間にして僅か数十秒のそれ。そんな刹那な光景に誰もが楽しみを覚えていた。

 

 

「でも、欲を言えばもう少し数があっても良かったんだけどな」

 

「流石に無理があると思うよ。ナオヤさんだって大変そうだったから」

 

「…だな。俺に同じ事をやれって言われても無理だし」

 

「時間もだけど、材料が足りないって言ってたから」

 

 当時の事を思い出したからなのか、コウタとマルグリットは当時の事を思い出していた。

 実際に業務の傍らでそんな物を作る時間は早々無い。恐らくは何かの時間を削った事だけは間違い無かった。一人で出来る事は知れている。だからこそ、今回のこれに関しても外部居住区の分まで回ってくるとは思っていなかった。手渡された当時を思い出す。コウタもまたそんな取り止めの無い事を思い出しながらも、妹のノゾミが持つ花火に魅了されていた。

 終わった物からバケツへと放り込む。幾らアラガミから護る防壁があっても、内部からの失火による火災は最悪の結果しか生まない。それを言い聞かせられたからこそ、事前に用意していた。

 

 

 

 

 

「折角だから、どう?」

 

「良いのか?」

 

「もちろん。みんなで食べるつもりで作ったんだから」

 

「じゃあ、いただくよ」

 

 花火の傍らでマルグリットは容易した重箱を広げていた。元々集まる数を想定していたからなのか、お弁当に近い量の軽食を用意していた。そんな重箱の中から一つのおにぎりをコウタに渡す。コウタもまた当然の様に、そのまま口にしていた。

 

 

「でもさ、俺達はここだけじゃなくて、他の場所でもこんな光景を見る為にやってるんだろうな」

 

「どうしたの?急に」

 

「ん。何となく……さ」

 

 用意された花火と少しだけ距離を置いた場所には座る為のベンチがそこにあった。

 周囲にも人が居るが、その誰もが花火に意識を向けている。そんな事があるからこそ、コウタの独白ともとれる呟きを聞いたのは隣で座ってたマルグリットだけが聞いていた。クレイドルの最終目標が何なのかを痛い程に理解している。第一部隊の隊長でもありながら、クレイドルの一員として動くコウタをマルグリットは労うかの様に寄り添っていた。

 

 花火の音と共に、お互いの心が近づく。気が付けば既に暑さが和らぐ時期になりつつある事を漸く実感していた。

 

 

 



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第156話 切り裂く弾丸 (前篇)

 何時ものメンバーであれば、それ程気になるはずが無い空間。仮にこれから挑むアラガミが厳しい未来を予想するとしても、それ程気にする事は無いはずだった。

 極東支部の中でもある意味では特殊部隊としての位置付けが強い存在。だからこそ、今回の様なイレギュラーなミッションは違い意味での緊張感を強いられていた。

 これまでの活動で考えればよくある光景。しかし、今回のメンバーの面子を考えれば、ある意味では仕方ない部分が多分にあった。

 

 

《現在の所、バイタルは正常値です。ですが、周囲の状況を鑑みると安穏とは出来ません》

 

「周辺から現場への予測時間は?」

 

《現時点では回収の時間を考慮すればギリギリ可能です。ですが、アラガミの行動が現時点で予測出来ない以上、警戒は必要です》

 

「了解。此方の準備は既に完了。後は周囲の状況と現地の状況を加味してカウントして下さい」

 

《了解しました。…現時点ではカウントの必要はありません。作戦開始は降下と開始となります》

 

 

 オペレーターの言葉だけを考えれば、それ程大事にある可能性は無いはずだった。カウントが不要となれば、生命の危機は少ないと判断出来るからだった。

 事実、これまでに他の部隊の救出ミッションは数多に上る。その経験則からの判断は、ある意味では間違いでは無かった。

 

 

「了解。こちらの行動と同時に作戦開始と判断しても?」

 

《その様に。では、作戦開始と同時に離脱に関するカウントを開始します。なお、救助に伴う周辺状況は当方で確認します。再度確認ですが、討伐ではなく救助を優先して下さい。それと、今回のミッションに関しては、離脱の場所が決められています。最悪はこちらからの指示が出ますので、それに従って下さい》

 

「了解」

 

 ヘリの激しいローター音とは別に聞こえる無機質にも感じる言葉。しかし、相手もまた状況を正確に把握しているからこそ、その状況が如何に厳しい物なのかを理解していた。

 本来であれば離脱のカウントをするケースは早々無い。仮にあるとすれば、それは明らかに厳しい局面での事。敢えて口にはしないが、それがどれ程高難易度なのかは言うまでも無かった。

 危険度が加速度的になれば救助に向かった部隊も二次遭難する可能性が高い。それほどまでに厳しい内容だった。

 仮に、今回のメンバーが精鋭部隊であれば気にしなかったかもしれない。しかし、今回のこれに関しては何時もとは様相が確実に異なっていた。

 

 幾ら精鋭が揃う極東支部と言えど、誰もが最初から精鋭であるはずが無い。今回のミッションに関しては、本当の意味で偶然に過ぎなかった。

 第一部隊だけでなく、クレイドルも全員が出動し、今もなお戦闘を繰り広げている。討伐が早まれば緊急の事案に対処出来るが、今回は生憎の連続したミッションだった。

 ブラッドに関しても、同じく感応種との戦いで向かう事が出来ない。そんな中でのミッションはまさに間隙を縫った結果だった。

 

 

 

 

 

(まさか、こんな場面に遭遇するなんて……)

 

 部隊長と思われた一人の少女。熟練しているとは言えないが、少なくとも新兵よりは動けるからと、今回のミッションでは暫定的に指名されていた。

 当然ながら指示を出したのは、これまでの状況と結果を鑑みた結果。ツバキだけでなく、サクヤもまた同じ考えの末の事。だからこそ、ベテランだけでなく、新人も選択の範囲の中に居た。

 だが、今回のミッションに関しては、完全に想定の埒外。本当の事を言えば、精鋭意外の部隊では二次被害と言う名の全滅の可能性すらあった。だからこそ、多少なりとも厳しい局面の経験があれば容易に想像出来る未来。部隊長に任命された人間は悲惨な未来の想像を口にする事は無かった。

 

 

「あ、あの……本当に大丈夫なんでしょうか?」

 

「うん。今回のミッションはあくまでも救出であって討伐じゃないから。少なくとも今回のメンバーはこれまでにも生き残れている。だからこそ、指名されたんだ。自信を持って行こう」

 

「……そ、そうですね」

 

「あ、ああ」

 

 緊急ミッションの前だからか、多少なりとも鼓舞する必要があった。今回のミッションは少なからずこのメンバーの中で経験した事の無いそれ。ましてや同僚の命が天秤に乗っていた。

 僅かな可能性でも底上げする必要がある。だからこそ、臨時の隊長に命じられた少女もまた、自らを鼓舞していた。

 

 幾ら人材不足であっても、こんな厳しいミッションに新人から少しだけ抜け出した人間が出動するとは思えない。しかし、肝心の主戦力が不在であれば止む無しとも取れる程だった。

 元々極東支部の精鋭と言えば、一番に上がるのはクレイドル。次点としてブラッドや第一部隊だった。事実、その部隊長ともなれば、極限状態の中からでも生還で斬り程の技量を持つ。

 特にクレイドルの尉官級ともなれば、その実力を疑う事は皆無だった。

 

 

────一騎当千

 

 

 まさに圧巻ともとれる結果を常に叩き出していた。死地の中で常に活路を見出す。

 卓越した技術を持つ刃は、確実に対峙するアラガミの存在を屠り去っていた。

 霧散していく数多の骸。そんな姿を見た事が無い神機使いは皆無だった。

 だからこそ、厳しい局面での精神的支柱となる存在。厳しい状況下から人類を救うべく振るう刃は人類の希望とも思えていた。

 実際にその状況を目の当たりにした事があれば、確実にその状況を思い浮かべる。小さな積み重ねがクレイドルに対しての信頼を築いていた。

 

 そんな心の拠り所が無い部隊長はある意味では完全に実力を示す以外には何も無かった。

 それを無視するかの様に出た緊急出動。本音を言えば出したくない内容。

 しかし、出動できる人間がいるのであれば、見殺しに出来る程にツバキとサクヤの心が擦れていなかった。

 万が一の事も想定したミッション。出来る事は最初から限られていた。これが他の支部であれば真っ先に動くべき事案。だが、ここはそんな場所では無かった。

 

 アラガミの動物園とまで揶揄される程に厳しい支部。人類の天敵ともとれるアラガミの最前線での戦闘は、限りなく死に近い物。だからこそ、それなりに実力のある人間は極東支部への転属を希望し、そしてそのギャップを埋める事が出来なかった瞬間に人生の終焉を迎える。それ程までに苛烈な環境下での結果だった。

 

 

《今回のミッションはそれ程警戒する内容ではありません。今さらですが、普段の実力を十分に発揮してくれれば、何の問題もありませんから》

 

「……了解。周辺状況のデータは既に全員の意思の統一がされている。再度確認だが、こちらの動きを優先で大丈夫?」

 

《救出ミッションの為に、現時点での問題点はオールクリア。バイタルの情報は既に各々の端末に送信済みです。では、ご武運を》

 

 そんな思惑は全員に通じているのかは確認するまでも無かった。部隊長の少女に力無く聞くメンバー。少なくとも部隊長としての記憶の中では、新兵でない事だけが記憶に残る。だが、今回の緊急ミッションが初めてだったからなのか、言葉だけでなく、表情もまた力無い物だった。

 

 

 

 

 

「不本意だけど、今の状況だと当然の選択だよ。それとも教官に抗弁する?」

 

「それは………」

 

「今回のミッションは討伐じゃない。そこは理解してるよね?」

 

「……そうですね」

 

 隊長の言葉に、メンバーの一人は何も言えなかった。今回の緊急ミッションに出動した事は完全に想定外。本来であれば隊長格に指名されるのは、ある程度のキャリアが必要だった。しかし、緊急時の場合はその限りではない。その結果として今があった。

 緊急の際に発令したミッションを拒む理由が一切無い。何故なら、誰もが今の様な状況下に陥る可能性があったからだった。

 だからこそ、その言葉に反論するだけの力は無い。当然ながら極東支部の中でツバキとサクヤに抗弁をしようとする人間は皆無だった。

 

 

「頼りないのは自覚してる。でも、今は私達しか居ない。だとすればやる事は一つだけだから。それと気持ちをしっかりと切り替えないと、生きて戻れないよ」

 

「分かりました」

 

 隊長に指名された少女もまた暫定的な部下に言いながらも、その言葉を自らにも言い含めるかの様に口にしていた。どれ程厳しいのかは言うまでも無い。救出ミッションの過酷さを知らない者は皆無だからだった。

 

 極東支部に於いて、サクヤは元第一部隊の副隊長を務めている。教官になっているのは、あくまでも産休による弊害だった。

 ツバキに関しては言うまでも無い。クレイドルを始め、極東支部の屋台骨を支えていると言っても過言では無かった。

 教導教官のナオヤやエイジを当たり前の様に使う。新人のゴッドイーターからすれば、この二人の実力はまさに別格だった。そんな二人が頭に上がらない。それ以上の事実を考える必要は最初から存在しなかった。誰もが知る事実。だからこそ、ツバキに対して面と向かって抗弁する者は居なかった。

 

 隊長に指名された少女もまた、新兵訓練の際にはツバキとサクヤだけでなく、教導教官としてナオヤからも厳しい指導を受けていた。それも、常人ではなくゴッドイーターとしての教導。他のメンバーの事は分からないが、少なくとも少女にとっては逆らう気持ちすら生まれない程だった。

 だからこそ、その言葉に何も言えない。要求された事をクリアするには、この未熟な部隊で結果を残す事だけだった。

 

 

《現時点では周囲にアラガミの反応はありません。対象となるゴッドイーターのバイタル反応は現時点では問題無し。今回のミッションは対象者の救助となりますので、そちらを優先して下さい》

 

 無機質なアナウンスに少女は改めて現実に戻っていた。今回のミッションはオープンチャンネルではあったが、内容は討伐ではなく救助。当然ながら極東支部もまた派兵した内容を確認した上でのミッションだった。

 

 

「り、了解。周辺にはアラガミの姿は発見出来ません」

 

《了解。此方でもアラガミの反応は探知されていません。油断は……大丈夫でしょうが、無理は禁物です。ではご武運を》

 

 その瞬間、ヘリの内部には完全な機械音が発生する。自身のカウントダウンに対して出来る事は何一つ無い。敢えてするならば、それは覚悟を決める事だけだった。

 心臓の鼓動を感じる事に比例するかの様に自然と自分の感情が高まる。この瞬間、誰もが自分の完全な部下だった。もちろん、部下の命を蔑ろにする訳では無い。最大限に出来る事をするだけだった。高まる鼓動を強引に抑える。一つのルーティーンがそこにあった。

 気分を入れ替えるかの様に、静かに深呼吸をする。不安定だった思考がゆっくりと一つの思考に纏められていた。

 

 

 

「総員、命を大事にしろ!」

 

「了解!」

 

 たった一言だけの檄を飛ばす。これが熟達した隊長であれば普段の力を発揮させる言葉を口にしたかもしれない。しかし、この場にベテランと呼ばれる人間は居ない。だからこそ短い言葉によって気を引き締めていた。

 手元にある情報を鑑みれば、厳しい場面である事に変わりはない。だが、優先すべきは討伐ではなく救助。本来であれば厳しい事に変わりないが、それでもアラガミと対峙する事を考えれば幾分かはマシだった。高度とは言えない距離から目視で現場を確認する。レーダーが示すかの様に、周囲にアラガミの気配は感じられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫なんでしょうか?」

 

「少なくとも周囲の状況から判断すれば、危険度は低いはずです」

 

「確かにそうなんですけど………」

 

 事実上の新人で組まれた臨時の部隊に、オペレーターチームの誰もが安穏とはしていなかった。今回のミッションに関しては人員の事を理解した上で発注をかけている。本来であれば完全なイレギュラーな内容は、確実にクレイドルの精鋭が出動する案件だった。

 飛び抜けた実力を有するからこそ、その実績に信頼を置く。

 困難な救出ミッションとなれば当然だった。だが、今回に限ってはその恩恵は無い。その意味が何を示すのかは言葉にするまでも無かった。

 

 本当の事を言えば、不安要素はまだある。だが、それに関してはあくまでも憶測に過ぎなかった。だからと言って、その事を口にすれば士気は確実に低下する。単純な予測ではあるが、ある意味では事実だった。

 ディスプレイに映る光点は、その部隊の現在地を示す。当然ならが、場所を示す物であって状況を知らせる物ではない。これまでの経験からはじき出した独自の理論だけがそこにあった。

 

 

 

 

 

「現時点で動ける人間は我々だけとの事。でも、このミッションをクリア出来れば昇格のチャンスは確実にあります!」

 

「……そうですよね!今がチャンスなら、それを活かすのは当然ですから!」

 

 何気ない言葉ではあったが、ある意味では残酷な一言だった。

 実際にアラガミの脅威が去った事実は一度も無い。そんな状況下での訓練は新人には無理でしかなかった。

 討伐ではなく救助。どちらが困難のなのかは言うまでも無い。少なくとも目先のアラガミの討伐だけに神経を集中させる事に比べれば、救助の方が格段に厄介だった。

 

 要救助者を回収した瞬間が一番無防備であると同時に、戦力的にも厳しい場面が必ず出てくる。幾らそれなりに経験を積んだチームと言えど、今回の件に関しては確実に厄介事の種だった。

 これまでの慣習を破るとなれば、担当した人間は只では済まない。だが、今回のこれはそんな事すら考える事が困難な状況だった。

それを知るからこそ、目先の目標へと思考をずらす。現時点で出来るのは、精々がこの程度だった。

 欲望を刺激する事で、最悪の未来を濁す。その結果、起こるであろう未来の変更は一切無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「了解しました。現地に向かう事に問題はありません、ですが、手配は大丈夫ですか?」

 

《それに関しては問題ありません。しかし、当初想定した状況よりも悪くなっています。早急な対処をお願いします》

 

(どうして先に言わない!現場で動くのはこっちなのに!)

 

 この心情をそのまま口に出来れば、それだけ気が楽になったのだろうか。それ程までに耳朶に届いた内容は最悪の一言だった。

 普段であれば有りえない回答。少なくとも今の心理状況を加味すれば、どんな回答が来るのは考えるまでも無かった。

 

 オペレーターが伝えた事実が覆る可能性は皆無に等しい。事実、戦場に赴くチームに状況を伝えるのは当然の事。下手に感情を加味すればどうなるのかは言うまでも無かった。

 だからこそ、その事実を受け止めた隊長は冷静に判断する。そもそも救出ミッションがどれ程厳しいのかは、誰もが口にする必要のない物だった。

 

 

「周辺状況の確認と、アラガミの行動範囲の確認。それと救助の際に必要な事は?」

 

《オラクル反応は既に通常に戻っています。要救助者に関しても、既に気配を遮断すると同時に現在は救出を待っている状況です。周辺に関する情報は以上です》

 

 無機質な音声は隊長に指名された少女の耳朶に響いていた。事実、現地に向かうまでにはそれなりに時間が経過している。改めて状況を確認する必要は無かった。

 元々救助のミッションの際に重要視されるのは、要救助者の保護のみ。そこから対象となるアラガミを討伐出来る部隊はほんの一握りだけだった。

 本当の事を言えば、討伐した方が良いに越した事は無い。だが、それを実行出来る部隊は生憎と蚊帳の外だった。だとすれば、命の保護を優先するのが当然の事。それを理解するからこそ、隊長は冷静な判断が要求されていた。

 

 今回の救出ミッションは、ある意味では最悪に限りなく近い内容だった。そもそも、極東支部ではレベルとミッションの難易度はある程度考慮されている。それはゴッドイーターの手厚い保護を目的とした事ではなく、単純に人的資源を優先した結果だった。

 クレイドルやブラッドと言った突出した実力を持ったチームが、本来であれば早々一つの支部に固まる事は無い。精々が周辺の支部の中で一チーム程度のレベルだった。

 だが、厳しい環境はそんな甘い考えを容易く凌駕する。その結果として、極東支部では必然的に精鋭と呼ばれる部隊が幾つも混在していた。

 

 元第一部隊とも言えるクレイドル。そして、特異な能力を持つブラッド。そんな二つの部隊からは少しばかり遠ざかるが、第一部隊もまた極東支部の精鋭だった。そんなチームが悉く出動出来ない。

 本来であればあり得ない環境下のミッションは、部隊長からしても嫌な物に近かった。誰もが口にはしないが無意識に比べる現実。ある意味では下が育つには厳しい環境だった。

 

 

「了解した。これから周囲の索敵を開始する。アラガミの情報は逐一知らせる様に」

 

《了解。周囲の状況に関しては定期的に公表します》

 

 どこか無機質な雰囲気を持つが、この対応はある意味では正解だった。下手な回答は部隊の全滅を示す。幾ら極東支部とは言え、常に常識の埒外の英雄が出現する可能性を考慮する事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(まさか、ここまでだなんて!)

 

 救助のミッションがどれ程厳しい内容なのかは、隊長に選出された際に、嫌と言う程に聞かされていた。

 救助者の為に出動したチチームまでもが要救助者になる事は可能性の一つとして聞かされていた。勿論、救助のミッションに選ばれた時点で相応の実力を有する事は、ある意味では当然の事。だが、緊急時に関してはその限りではなかった。

 隊長は誰でも出来る程に簡単な事ではない。一番の理由は緊急時の指揮官としての能力を優先した結果。

 幾ら強靭な肉体を持つゴッドイーターとしても、僅かでも隙を見せれば待っているのは捕喰される未来。

 だとすれば、幾らこちらが優勢になっても、万が一の可能性を完全に捨てきる事は困難だった。だからこそ、厳しい状況下での戦いがもたらすそれは、明らかに逸脱していた。

 

 

「あの……私達は大丈夫なんでしょうか?」

 

「勿論よ。私達も依頼を受けている以上は、凌ぐ手段は幾らでもあるから」

 

 今回の救出ミッションは、ある意味では僥倖だった。新兵の教導が終えて数度のミッションをこなした程度。中堅か、相応の経験を積んだ部隊であれば明らかに虚構とも取れる言葉だった。

 中堅クラスにまでなれば、感応種を除くそれなりのミッションを経験している。今回のメンバーは事実上の新兵に毛が生えた程度の経験を持った人間で構成されていた。

 当然ながら事実を知る術はない。仮に知った所で今の自分達の状況が覆る可能性は皆無でしかなかった。

 だとすれば、出来る事は一つだけ。実際の内容を悟られない様にするだけ。

 だからこその仮初の言葉。だが、救助を受ける側からすれば、その言葉が全てだった。

 

 

「現時点で救助チームは幾つか行動を開始している。此方としても、速やかに動く必要があるから」

 

「……わかりました。こちらもその前提で動きます」

 

 無機質な音声が切れると同時に、現状を嫌が応にも示していた。要救助者の殆どは、それ程大きなダメージを受けた覚えはない。精々がかすり傷、その程度だった。

 

 

「オペレーター!アラガミの周辺状況は!」

 

《現時点では視認出来る意外のアラガミは感知されていません。討伐を考えるのではなく、生き延びる事を優先してください》

 

 

 どこか感情を感じない回答に部隊長の少女は、内心では舌打ちして暴言を吐きたいと思える程だった。

 実際に現地に突入するまでの事前情報では、アラガミの反応は一切関知されていない。仮にどこかに潜んでいたとしても、直ぐに場所をキャッチ出来るはずだった。

 元来オペレーターの役割はミッションを敢行している部隊に対するバックアップ。そんな事を理解するからこそ、何かにつけて問題があった。事実だけを述べれば良いだけではない。

 

 オペレーターの本来の役割は、現場で命を天秤にかける者への救済。ギリギリの瀬戸際の中での情報がどれ程重要なのかを分かっているはずだった。

 仮にヒバリやフランであれば表面上の言葉を口にする事はあり得ない。だが、今回のオペレーターはそんな人物とは明らかにかけ離れていた。

 言葉の一つ一つが軽すぎる。事実、死地を経験した部隊長であれば、確実に怒声が飛ぶ内容。だが、今回に限ってはその限りではなかった。

 自分の命が天秤にかかっている以上は、乗り越える意外の選択肢はない。だからこそ自らも鼓舞するかの様に声を荒らげていた。

 

 

「ここが正念場よ。分かってると思うけど、無理は禁物だから!」

 

「了解!」

 

 ここを如何に乗り切るのか。それが現状では最優先される内容。

 実際に同行しているメンバーを見れば、明らかに実力とアラガミがミスマッチとなっている。少なくとも、このメンバーで受ける事が可能な内容では無かった。 

 

 要救助者がゴッドイーターであればまだしも、戦闘力やアラガミに対しての知識を殆ど有していない一般人。

 強靭な肉体を持たない時点で、如何にアラガミから遠ざけるのかが至上命題だった。

 だからこそ、多少なりとも無理をする必要がある。だが、隊長でもある少女が発した内容は、その対極に位置する言葉。だからこそ、新兵に近いメンバーもまた己の事を優先する様にしていた。

 

 スナイパーライフルの機能を活かした望遠レンズ越しに見えるそれ。僅かに動かす事で見えたアラガミの数は三体だった。厄介な事に、その三体全部が音の探知が鋭い個体。少なくとも救助のミッションに於ける内容としては最悪の相手だった。

 

 

「スタングレネードの数は確認した?これからのミッションは時間との戦いだから。殲滅する必要も無ければ、討伐する必要も無いから」

 

「ですが……」

 

「今回のミッションは討伐じゃない。自分達の命を最優先。無理に動いて命を散らす事は最悪の結果だから」

 

「……了解。ミッションを開始します」

                           

 その言葉と同時にミッションは開始されていた。周辺の状況は兎も角、少なくとも周囲を徘徊するアラガミはコンゴウとサリエル。まだ目視されていないが、一番厄介なヤクシャの存在も確認されていた。

 

 コンゴウに関しては一定以上の経験を要求されている。だが、ヤクシャに関しては完全の想定外だった。

 僅かな戦闘音すら察知する聴覚は厄介意外の何物でもない。まだ一体だけなので問題にはなっていない。だが、三体を超えれば苦戦は決定的だった。優れた聴覚だけでなく、そこからの戦闘機動。少なくとも時間を長引かせた時点で増援が来るのは既定路線でしか無かった。

 だからこそ慎重になる。本来であれば、確実に何らかの要請が来るのは当然だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「周囲の状況を!」

 

《現時点でのアラガミの総数に変わりはありません。ですが、このまま膠着常置が続けば最悪の結果を招く可能性が高くなります》

 

 無機質な声に隊長でもある少女は舌打ちしたい気持ちになっていた。救出ミッションに関しては厳しい環境下であっても、ギリギリこなす事が完了している。本来であれば、ここで全てのミッションが終わるはずだった。

 戦闘音をさせない程度で動くミッションは、想像以上にゴッドイーターの精神を摩耗させていた。自らの命を戦場の天秤に乗せ、その結果は自らの手で作り出す。その結果として今、自分が置かれた現状をゆっくりとクリアになっていた。

 

 

「そんな事言われなくても分かってる!」

 

 声が荒ぶるのはある意味では必然だった。既に幾度となくリンクエイドする事によって、残された命の灯は消える直前にまでとなっている。事実、派兵のメンバーの大半は戦線離脱を余儀なくされていた。

 他人事の様な言葉に、苛立ちが募る。それ程までに厳しい状況に陥っていた。未来がどうなるのかを考えるまでも無い。それ程までに厳しい状況は、既に絶望に色を染め始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「周辺の状況確認は完了。これから帰投します」

 

《了解。帰投用のヘリの手配を……シエルさん。緊急ミッションが入ってます。帰投ではなく、このまま出動は可能ですか?》

 

 これまでの内容とは明らかにトーンが違っていた。本来であればミッションが完了した時点でオペレーターもまた緊張感が僅かでも緩む。だが、今回に限ってはその限りではなかった。

 連戦のミッションを彷彿させる雰囲気。少なくとも今回の雰囲気はそれに近い物があった。仮に普通の部隊であれば多少なりとも動揺するかもしれない。だが、ブラッドとして幾度となく厳しいミッションをこないた側からすれば、今回のこれは必然に近かった。

 

 

「活動そのものに問題はありません。可能であればこのまま継続します」

 

《ありがとうございます。では、ミッション概要はデータで送信します》

 

 迷う事無くシエルはそのままミッション継続を口にしていた。少なくとも現時点で自分達の立ち位置を正確に把握している。だからこそ逡巡する事なく決めていた。端末に送られた作戦概要。そこから導き出された内容は考えるまでもなかった。

 

 

 



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第157話 切り裂く弾丸 (中篇)

 既に状況を確認したのはシエルだけでは無かった。元々、今回のミッションは最初から想定されていない。本当の事を言えば、シエルもまた同じ判断を下していたはずだった。だからこその最悪の状況。

 最大の要因はオペレーターが未熟だった点と、部隊長がまだ経験不足だった事。厳密に言えば、許可を出したサクヤとツバキの見通しが甘かったとも考えていた。だが、実際に送られたデータを見れば、明らかに後方要因でもあるオペレーターに難があった。

 様々な要素が絡む救出ミッションの難易度を考えれば、これはあり得ない。これがクレイドルやブラッドであれば強引に切り抜ける事が可能なレベルだった。

 そんな高難易度ミッションを、辛うじてクリア出来るメンバーで組んだのは、偏に人材の不足による弊害だった。

 

 

《現地到着まで300秒。周囲の状況は厳しい物になりつつあります。アラガミの反応は変わっていませんが、コンバットログから解析した結果、変異種である可能性が高いです。ですが、今回は討伐は二次的な物となり、救助が優先されています。大丈夫だとは思いますが、ご武運を》

 

 ヘリの中で響いた状況は、ある意味では最悪とも呼べる物。少なくとも今回のミッションに関しては最悪の環境である事に間違いは無かった。

 幾ら頑強な戦力を有しているとしても、救出が建前として優先であっても内容は殲滅。そうなれば、シエル個人だけでは完全に火力不足だった。

 卓越した狙撃能力を行使した所で、有効なのは初弾のみ。それ以降に関しては明らかに厳しい結果だけだった。殲滅の際に必要なのは火力と手段。少なくとも一人のゴッドイーターの力量だけでひっくり返る環境下では無いのは当然だった。だからと言って何もしない訳では無い。最小限度の労力で最大限の結果を求められていた。

 

 

(どうした物でしょうか……)

 

 シエルが逡巡するのは当然だった。現時点で戦力としてカウント出来る人間はいない。今出来るのは、ヘリからの狙撃だった。

 一発必中はおろか、一殺が要求される。こんなシチュエーションがこれまでに無い訳では無い。少なくとも今回のミッション意外では幾度かあった。

 だが、それはあくまでもブラッドとしてのミッション。今回の様にそれ以外のミッションでは一度も無かった。

 純粋に一発の弾丸で必殺を要求されるのは、ある意味では最悪だった。狙いすます先にあるのは味方の命。それを行使する為に要求するのは一つだけだった。

 完全に狙いすます先はアラガミのコア。それ以外に絶命を要求するのは不可能だった。

 確立としては不可能では無い。ただ、困難である事だけだった。これまでに感じた事が無い心臓の鼓動。無意識に唇を舐めたのは、緊張を誤魔化す行為でしか無かった。

 一発必殺。文字通り、一撃で絶命が要求される場面。ここでのしくじりがどれ程の影響をもたらすのかは考えるまでも無かった。僅かに呼吸する事によって肺から無駄な物を抹消する。幾度となく行った訓練の結果をただ示すだけだった。

 

 

(……今更ですね。私に課せられた事は一つだけ。後の事は任せた方が良いですね)

 

 言葉を口にする必要は既に無くなっていた。ヘリからの狙撃を成功させる事を最優先とするからなのか、それ以外の事を機械的に排除する。今のシエルは完全に神機と一心同体になっていた。幾度となく厳しい戦いを共に生き抜いたそれは、完全に昇華している。一体となったそこに感情の様な無駄な物は置き去りにしていた。

 

 

 

 

 

 何時もの訓練と変わらない光景はシエルの精神を完全に訓練と同じ様にしていた。

 狙撃には向かない状況下でも、安定して残す結果がもたらす未来が何なのかは言うまでも無い。

 だからこそ、誰もが厳しい環境での訓練に費やしていた。

 細く長く息を吐く事によって意図的に心臓の鼓動を遅くさせ、照準のブレを無くす。その先をもたらす未来が勘なのかは言うまでも無かった。普段からする日常の出来事の様に引鉄を引く。その先に起こる未来は完全に確定していた。

 

 

(狙い撃つ!)

 

 僅かに揺らぐ感情をコントロールし、シエルは機械的に引鉄に添えた人差し指を僅かに動かす。そこから先に待ち構えていたのは予測された未来だった。

 轟音と共に発射された弾丸は無慈悲にアラガミの脳天へと吸い込まれる。その結果を確認するまでに次弾を発射していた。

 

 

 ────二撃必殺

 

 

 誰かに襲わった技術ではなく、自らの経験に基づいた結論。本当の事を言えば、アラガミのコアそのものを撃ち抜くのが理想だった。だが、現実はそんな理想を容易く覆す。少なくとも変異種に関しては、これまでのアラガミの常識で判断する事は出来なかった。

 強靭な肉体を貫く銃弾や、ブラッドバレットが現時点では存在しない。となれば、必殺を要求する狙撃の技術は戦場では信頼されない物だった。

 当然ながら一撃必殺を信条とするスナイパー型神機を扱う神機使いの全否定は不可避。勿論、戦場に於ける現実を覆すには相応の結果が必要だった。

 そんな中でのシエルの狙撃術は、ある意味では当然の帰結でもあると同時に、革新的な物だった。

 幾らオラクル細胞の塊とは言え、ある程度脳に似た器官でアラガミも行動する。一秒が生死を分ける戦場では、そのタイムラグは正に生死の天秤にかかる事実でしかなかった。

 

 

 ───死神の一撃

 

 アラガミからすれば正にその言葉通り。だが、味方からすれば神の慈悲だった。

 死地から脱出できるその結末。だからこそ、それを当然の様に繰り出せるシエルは、ある意味ではその筋の第一人者だった。

 

 本当の事を言えば、自身の持つブラッドバレットを使う事が最善である。だが、今回のミッションに関しては利用するつもりは毛頭無かった。

 救出の事だけを鑑みれば、使用しないのは味方に対する冒とく。命の灯を消す要因にさえなりえる物。

 だが、今の極東支部を取り巻く環境から考えれば、ミクロ的な考えよりもマクロ的な考えを重視するのが効率的。だが、その前提はブラッドと言うイレギュラーが前提だった。

 

 現時点で未だP66偏食因子に適合する人間が発見されていない。となれば、それを使える人間がシエル一人では、戦術を考えるには難しすぎた。

 突出した能力を頼れば、今後はその技量が確実に衰退する。シエルもまた、その事実と可能性を理解していた。

 だとすれば、出来る事だけをする。その結果が今に至る狙撃術だった。

 スコープの先に見えるそれに慈悲をかける必要は無い。だからこそ、シエルの行動に澱みは無かった。

 僅かに動く人差し指。そこに籠る感情は皆無だった。人差し指が動いた僅かな距離。その先を示す未来は僅か一秒にも満たない時間だった。

 

 轟音と共に一発の弾丸がアラガミの脳髄を破壊する。着弾を確認した瞬間、頭部からは液体の様な物が弾け飛んでいた。

 その瞬間、アラガミの行動は停止する。時間にして一秒にも満たないそれ。次弾のそれは確実にアラガミのコアへと向かっていた。

 着弾した瞬間に周囲を巻き込むかの様に爆発が連鎖する。コアが完全に破壊された事によって、アラガミは霧散する未来へと進路を変更していた。

 

 

《ヤクシャの討伐が確認出来ました。周囲のアラガミの反応は現地から撤退しつつ有ります。現時点でにミッションは討伐ではなく救助。周辺の状況確認後、速やかに行動を開始して下さい》

 

「周辺にアラガミの反応は感知できません。救助対象の場所を教えて下さい」

 

《了解。周辺状況のデータを送信します。大丈夫だとは思いますが、油断はしないで下さい》

 

「了解」

 

 どこか当然の様な言葉に、シエルの心は落ち着き始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「了解。直ぐに行動に移る」

 

 何時もとは違った言葉が耳朶に響く。少なくとも全滅の可能性が低くなった事だけは確実だった。

 安堵した感情が生まれたのはほんの一瞬。次に浮かんだのは、そのミッションの内容だった。

 実際に救助に関するミッションがどれ程困難なのかは言うまでも無かった。

 対象となった救助者の命が最優先されているが、その裏には殲滅の二文字が浮かんでいた。言葉の裏の真意が読めない時点で色々と問題を抱えている。少なくとも自分達の事では無い事だけが分かる程度だった。

 既に討伐対象の一つでもあったヤクシャは絶命している。本当の事を言えば、コアを抜き取るのが最善だった。

 事実、アラガミの骸からコアを抜かなかったからと言って、復活する様な事は無い。ただ、純粋に資源として考えれば勿体無いと考えるだけだった。これが討伐が主であれば放置する事は無い。今回のミッションの趣旨とは違ったが故の結果だった。

 既に骸となったアラガミから完全に意識を映す。今のシエルにとって、狙うアラガミの行動を察知する方が優先されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《討伐が確認されました。現時点でのバイタル反応に変化はありません》

 

「そうか。少なくとも周囲の反応が無ければ、暫くはバイタルサインだけに注視しろ」

 

《了解。既に周囲のアラクル反応及び、アラガミの接近の可能性はありません》

 

 アナグラのロビーもまた、違った意味での緊張感が走っていた。実際に今回の緊急出動は、ある意味では完全に想定外だった。

 元々救助の為に付けたオペレーターは本部の肝煎りの人物。実際の実力を確認してからミッションに付けるはずの極東支部の中で、今回のオペレーターに関してはその限りではなかった。

 現状を判断する能力は確かにあったのかもしれない。だが、本当の意味で実力があったのかと言われれば、完全に疑問符だけが浮かんでいた。

 瞬間的な判断力は優れているかもしれない。だが、そこに現場で動く神機使いの心情は完全に含まれていなかった。

 機械的に数値だけを確認する事によって、最短での結果を導く。確かに推薦した側からすれば、ある意味では理想的な人物だった。

 だが、ここは極東支部。他の支部でのイレギュラーは、ここでは完全に日常だった。目先のアラガミの事をするだけならば、オペレーターの存在は不要でしかない。それを体験しているからこそ、表面上で繕う者への評価はしれていた。 

 

 

 

 

 

「で、何か申し開きがあるのか?」

 

「…………」

 

「無言では何も分からない。少なくとも現時点ではこちらの方針は一つだけだ。抗弁する機会が今後あるとは思わない事だな」

 

 

 ロビーではなく、会議室にはツバキの冷たい言葉だけが響いていた。実際に何が発端になったのかは言うまでもない。少なくとも知らせれるべき情報を口にしなかった時点で、どんな処分になるのかは考えるまでも無かった。

 実際に他の支部では無難にクリアしてきたはず。本音を言えば、この支部が異常だと口にしたい程だった。

 オペレーターに対する指導はそれ程多くは無い。事実、戦場に他のアラガミが乱入する事は完全に想定外の出来事。そんな感覚でオペレートした為に、他の事に関しては完全に放置していた。

 その結果が今に至る。明らかに瑕疵に対しての処分が何なのかが先にある為に、言葉の意味を完全に理解出来ないままだった。

 

 

「今回の件に関してだが、完全に査定の範疇に収まっている。少なくとも現場を蔑ろにした結果は公表せざるを得ない。それに関しての申し開きは有るか?」

 

「ですが……」

 

 ツバキの言葉にオペレーターは完全に言葉を失っていた。今回のミッションの内容を考えれば、完全に落ち度がどちらにあるのかは言うまでも無い。少なくとも今回の内容は明らかに最悪の一言だった。

 連戦が当たり前の極東と、他のではありえないシチュエーション。今回の様なイレギュラーが当然だと考えない人間からすれば、最悪の結果だった。決して現場を軽視した訳では無い。ただ運が悪かった。その言葉に尽きるとさえ考えていた。

 

 

「赴任先から聞かされていなかったと言いたいのか?ここは他の支部の様にぬるま湯に浸かれる職場ではない。アラガミと人類の戦いの最前線だ。お前が何も求めてここに来ているのかを知りたいとは思わない。だが、人命を軽視する様な人間をここに立たせる訳には行かないのでな」

 

 無慈悲な言葉に女はそれ以上何も言えなかった。事実、今は完全にオペレートから外れている。半ば強引とは言え、交代をさせたのは、偏に現場で命をかけているゴッドイーターに対しての冒涜だと判断した結果だった。これがゴッドイーターが何かしらやっているのであれば、鉄拳の一つも飛んだかもしれない。今回のこれはあくまでもお客さんとしての待遇をしているに過ぎなかった。

 

 

「念の為に言っておくが、貴様の親に頼る事だけは止めた方が良い。自身の軽挙妄動を猛省するのが建設的だ」

 

「………」

 

 冷たく放たれた言葉の裏が何なのかは女は知らない。だが、仮に抗弁すればどうなるのかは考えるまでもなかった。

 精々が潰されて終わる程度。少なくともフェンリルでの地位をここでは振りかざす人間は皆無だった。仮に行動に移せば、幾らフェンリルの上層部の覚えが良くても数週間で断絶する。極東支部に赴任する前に、嫌と言う程に聞かされた内容だった。だからこそ、オペレーターの女もまたその事実を理解していた。

 ここで権力を振りかざした瞬間、訪れる未来が確定する。僅かでも事実を知る者が居れば、ある意味死刑宣告と同じだった。その事実が表に出る事は無い。精々が憶測程度の現実でしかなかった。

 だが、フェンリルの関係者であれば、それだけで十分だった。その結果もたらす物が何のかは口にするまでもない。それ程までに厳しい未来だけが残されていた。

 

 

「言いたくはないが、既にアラガミが強化されているのはここだけではない。少なくとも本部や欧州周辺でも確認されている。それでもなお、現場を軽視するつもりか?」

 

「……いえ。そんな事はありません。私の認識が間違ってました」

 

 事実だけを述べられた事に、女はそれ以上の事を言うつもりは無かった。ここに赴任するまでに、極東支部がどれ程の内容なのかを聞かされている。少なくともフェンリルでの権力など無意味だった。

 それを叩きこまれたからこそ、抗弁出来ない。そもそもツバキの言葉はミッションの肝でもある。自分がどれ程甘い認識を持っているのかを漸く認識していた。

 それを察したからこそ、ツバキもまた秘匿すべき事実を口にする。少なくともここ最近になってからは、他の支部でもアラガミが強化されている事実が浮かび上がってた。

 一方的に強化されているとなれば人類はそれに追いつく必要が有る。もし出来なければ待っているのは漫然とした滅亡だった。本部だから安泰ではない。そんな事実を口にしたからこそ、女はそれ以上言う事を止めていた。

 

 

「そうか。今後は気を付ける事だ。少なくともここ以外の支部でも起り得る可能性は高い。慢心は命取りだと思え」

 

「……了解しました」

 

 ツバキの言葉はある意味では真理だった。少なくとも極東支部に所属する誰もが現場を軽視する事は無かった。

 刻一刻と変わる戦況。支部内で情報を伝えるオペレーターの役割を、本当の意味で理解していない者は自然と淘汰されいた。現場から信用されていない後方支援の人間は、確実に何らかの形で処分される。

 限りある人的資源。その中でも極東に所属する人間の価値を認めていない上層部は誰も居なかった。

 だからこそのツバキの言葉。先程までオペレートしていた女は項垂れるより無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《対象となったアラガミのオラクル反応が消滅しました。大丈夫だとは思いますが、念の為に警戒は解かない様にお願いします》

 

「了解。周囲にアラガミの反応は感知できません。周辺状況はどうなってますか?」

 

 シエルの言葉にオペレーターの言葉は端的に伝いていた。下手に言葉にすれば、それだけでリスクが上昇する。少なくとも今回の内容がどれ程厳しい物なのかは言うまでも無かった、。だからこそ、シエルの問いかけにもシンプルに伝える。それを理解しているからこそ、シエルもまた短い言葉で理解していた。

 

 

《現時点では大丈夫です。他のアラガミに関しては警戒だけをお願いします》

 

「了解。見つけ次第処分で構いませんか?」

 

《それに関しては問題ありません。ご武運を》

 

 通信が切れた事によってシエルは改めて周囲の確認をしていた。自身の血の力を使えば確実にその事実を察知出来る。驕る事なく高めた自身の力を信頼した結果だった。

 双眸に宿る光は、決してアラガミの存在を許す事は無い。これまでに培ってきたコンバットプルーフが示していた。感応種から始まり神融種までもを屠り去る。その事実があるからこそ、今に至っていた。

 

 

 

 

 

(私に出来る事は一つだけですから)

 

 まるで日常会話だとも思える程に出た思考は、ある意味では当然の帰結。狙撃をする者は己の精神を律するのは当然だったからだった。だからこそ次なる目標の為に淀む事無く手順を繰り返す。白銀の色をした宝石に映るそれは。完全に獲物を狩るそれだった。

 スコープ越しに見えるアラガミは、シエルからすれば完全に訓練時の的と同じだった。淡々と行うべき行動を実行する。そこにシエルの心情は加味されていない。精々が己が行った行為に関する結果だけだった。照準の先にある未来が何なのかは言うまでもない。

 死を司る美姫の一撃は、確実にアラガミを屠り去っていた。引鉄を引いた瞬間に起り得る未来。その結末に疑問を抱く者は皆無だった。

 引鉄を引く行為の結末によって手強い命を屠り去る。失われた灯はすぐさま情報として反映されていた。

 

 

《対象アラガミのオラクル反応は消滅しました。残すは後一体ですが、今回のミッションに関してはこれで終了となります》

 

「了解。作戦完了を確認。これから帰投します」

 

 オペレーターの言葉を正しく理解すれば、この時点でのミッションの完了はあり得なかった。一番の要因でもあるアラガミの討伐は完了していない。本来であればミッションの途中での帰投は有りないはずだった。だが、現時点で完了の言葉が出ている。シエルもまた、その意味を理解していたからこそ、疑問に思う事は何も無かった。

 

 

《お疲れ様でした。既に情報は現地の部隊にも伝えてあります。事前のミッションの書類だけはお願いします》

 

 荒々しいヘリのローター音は更に音階を上げていた。眼下に広がる戦場だったそれに、命のやり取りの雰囲気が霧散している。幾ら厳しいミッションとは言え、一体が討伐完了し、残り二体のうちの一体もまた、瀕死の状態だった。これならば新人に近い人間でもノーリスクで討伐が出来る。救助を組み合わせたとしても問題になる要素は皆無だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《対象アラガミのオラクル反応が消失。残り二体のうちの一体も反応が鈍くなっています。過信は禁物ですが、慎重になり過ぎないようにお願いします》

 

 耳朶に届いた情報を基に、隊長として動いていた少女は僅かに安堵していた。幾ら相応の実力があったとしても、乱戦に陥った戦場がどれ程過酷なのかは言うまでもない。場合によっては最悪の結末を迎える可能性もあった。

 しかし、今回の件に関してはその可能性は最初から考慮されていなかった。死を司る美姫に抗弁する者は居ない。それ程までに隔絶した結果だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《当該アラガミの一つ、ヤクシャは討伐が完了しました。無理にとは言いませんが、可能であればコアの回収をお願いします》

 

「了解。状況に応じて対処します」

 

 先程までの無機質なアナウンスとは一線を引いたからなのか、状況判断は随分と楽になっていた。今回のミッションの大元とも呼べる救出ミッション。何も知らない人間からすれば大事にすらならないこれは、明らかに常軌を逸していた。

 ベテランでも厳しい救出ミッション。それを新人に毛が生えた程度に任せるのは狂気の沙汰とは思えなかった。

 元々神機に適合出来る人間は、機会の部品ではなく、人的資源。簡単に消耗しても良い物ではなかった。

 だからこその内容。この好機を無駄にする要素はどこにも無かった。

 

 

「総員、ミッションの更新。防衛から殲滅。対象は発見次第討伐!」

 

 部隊長の言葉に誰もが頷くより無かった。通常であれば救助のミッションの中での依頼内容の変更は早々無い。今回の関しては完全に真逆とも言える内容だった。救助のミッションがどれ程困難なのかは言うまでもない。それを覆す内容の事実に、部隊のメンバーは何も言葉に出来なかった。

 だからこそいち早く部隊長の少女は行動を開始する。逡巡するだけの時間すら惜しいと思える程に戦況は変化していた。

 只でさえ音に敏感なアラガミの一体が今生から去っている。そうなれば自身の命の灯が更に萌香去るのは必然だった。既に失われた希望が再び燃え盛る。その先に見据える未来が何なのかは言うまでも無かった。ミッションと自分の命が同等であるはずがない。だからこその結末に異議が出る可能性は皆無だった。

 

 

 

 

 

(こうまで違うなんて!)

 

 未来を見透かしたかの様なオペレートに、部隊の誰もが同じ事を感じていた。実際にオペレーターの役割が何なのかを正確に理解するには、相応のミッションに出撃しない事には分からない。幾らゴッドイーターと言えども、見えない周囲の状況までもを理解しながらの戦闘は事実上不可能とも呼べる程だった。

 常に変化しつつ付ける戦場をコントロールするとなれば、自身の能力をも勘案する必要が出てくる。本能に赴くままに動くアラガミをコントロールするのは意外と難易度が高かった。幾らこちらに意識を寄せ続けていても、些細な事でその制御が困難になる。獣のの如き本能を操作するには、やはり同じレベルでアラガミに意識を叩きつけるより無かった。

 厳しい戦場では自然と視野が狭くなる。そうならない様に部隊長は常に視野を広く持ち続ける訓練を課していた。報酬だけではなく、部隊の人員の命すらも与る。その結果としての報酬は有る意味必然だった。

 

 超人的な能力をもって困難とするからこそ第三者としての役割に期待する。その結果が今のオペレーターによる指示だった。戦闘に集中する事によって、他の意識をも戦闘に向かわせる。遠方での情報を完全に頼った結果だった。

 当然ながら極東支部に於いても常に万全の体勢で出来る訳では無い。今回のミッションに関しては、完全にローテーションの谷間に嵌っていた。

 不慣れにも拘わらず自信だけが過ぎる後方支援。その事実を知らないままに新人よりも少しだけマシな部隊を投入していた。勿論、その実力を考慮した上でツバキやサクヤは投入する。お互いに認識のギャップが生んだ事によるアクシデントだった。

 

 だからこそ、速やかに該当者を排除し、ベテランを付ける。既にミッションに終わりを見せたからなのか、救出チームのオペレートはフランが担当していた。

 一歩先の未来までもを見透かすかの様に出る指示は、部隊の誰もが安心しきっていた。余計な面での心配がなくなれば、出来る事はただ一つ。己のミッションの完遂だった。既に小うるさいアラガミの一体でもあるヤクシャが討伐されている。残り二体のうちの一体もまた瀕死の状況だった。

 ある程度の訓練を積んでいれば、余程の事が無い限り達成も可能な物へと変貌する。だからこそ、救出ではなく殲滅を狙っていた。

 そんなチームに呼応するかの様に部隊にも再度闘志が蘇る。そこから導き出された結果は必然だった。

 

 

「まずは数を減らす!油断はしない様に!」

 

「了解」

 

 オラクルを撒き散らす体躯は既に死に片足どころか腰までつかっていた。既に撃ち抜かれたからなのか、瀕死だからなのか、未だ残る弾痕が回復する余地は残されていなかった。

 既に動きを感じるまでも無い死に体。だからこそ、先程までの様に油断する事は無かった。何時もと変わらない戦いがもたらす安定感。銃口を向けられたアラガミが待つそれは、完全に確定された未来だった。

 飛ばした指示と同時に、銃口からは濃縮された様なオラクルの塊がアラガミの体躯へと撃ちつける。既に残りの弾数を無視するかの様に、周囲にはけたたましい発砲音が鳴り響いていた。

 

 

 



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第158話 切り裂く弾丸 (後篇)

 今回の救出ミッションがどれ程厳しいのかは、その場にいた誰もが正しく理解していた。今回の内容に関しては、ある意味では実力の読み違いだけでなく、一部人為的な物もあった。勿論、人為的な内容は前向きに捉えた結果。

 しかし、結果としてはクリア出来たのも事実。

 だが、そこにあったのはある意味では今後の憂いを浮き彫りにした結果でもあった。

 

 

「今回のミッションに関しては、我々も見通しが甘かったとしか言えん。このミッションに関しては、本当の意味で偶然に偶然を重ねた結果だ」

 

「確かに、結果としてはそうですね。ですが、今後も今回の様な可能性は否定出来ません」

 

「クレイドル、それにブラッド。少なくともこの支部に於いては精神的な支柱ではあるが、だからと言って頼り過ぎる訳にも行かない」

 

「後は……」

 

 ツバキの言葉にサクヤもそれ以上の事は何も言えなかった。事実、今回の様な可能性は今後も確実に起り得る。幾らゴッドイーターと言えども、ある意味ではどこかで代替わりが要求されるのは当然だった。

 アラガミが進化を止める可能性が皆無なのは、既に研究の成果として出ている。少なくともこの極東支部に於いてはそれが顕著だった。

 少し前までは大型種が頻繁に出没する様なケースは少なく、共食いとも取れる捕喰した進化の先にある事が多かった。だが、近年に関してはその限りではない。大型種に限らず、その存在を更に進化させた感応種や神融種。見た目に変化が無い変異種など、厳しい戦いが要求されつつあった。

 

 クレイドルやブラッドに関しては安定した結果をもたらすも、他の部隊に関しては厳しい戦いが要求されていた。戦場に於ける精神的なストレスは肉体を容易く蝕む。その結果として、視野が狭くなり厳しい戦いが要求されていた。

 それを回避するのがオペレーターの役目。ヒバリやフランの様に出来る人間の数もまた少なかった。人材は人財。激戦を生き残り、今に至るからこそ二人も近未来に危機感を持つ。少なくとも今回の内容を教材とするにはひどすぎた。外部からの圧力もまた今に始まった事では無い。それもまた極東支部特有の問題点だった。

 

 

「まあ、今直ぐにどうにか出来る事は余り無い。我々としては今回の事を肝に銘じてやるより無いだろう」

 

「それしかありませんね」

 

 ツバキの意図する事をサクヤもまた理解していた。世界の最前線に生きる支部だけではなく、純粋に力無き者が真っ当に生き残るには余りにも厳しい世界。当然ながら自分達もまた、それを経験してきたからこその思考だった。

 

 

「少なくともあのレベルにまでとは言わん。だが、相応の実力は急務だ」

 

「一度、教導の内容を見直す必要がありますね」

 

「近接戦は良いが、流石に射撃まではな……中々もどかしい物だ」

 

 ツバキの言葉にサクヤもまた理解を示していた。

 近接に関しては、これ以上の内容を超える事は早々無い。だが、射撃に関してはその限りではなかった。

 実際にエイジにしても、アリサにしても使用するのはアサルト型。近距離から中距離とレンジはそれなりだが、戦闘時に於いては一定量の圧力をかけるには最適だった。

 厳しい戦いになればなる程に、僅かな隙が生死の天秤を一方に傾ける。だからこそ、エイジやアリサはいかなる体勢からでも的確に撃つ訓練をしていた。

 勿論、その事実を知るからこそツバキとサクヤもまた、それを参考にする。だが、シエルの様にスナイパー型の数はそれ程多くは無かった。狙撃を主体とするそれは、乱戦になれば圧倒的に厳しい戦いになるのは間違い無かった。精密射撃の神髄は一撃必殺。

 仮にシエルが示した二撃必殺だとしても、困難である事に変わりはなかった。

 ツバキはこれまでの経験で理解するが、サクヤは同じスナイパー型。シエルの銃撃がどれほど難関なのかは自然と理解していた。だからこそ、その先にある技術の難易度を理解する。サクヤもまた、教官としての力量を示す必要があった。

 幾ら極東と言えど、全員を完全な専門職に昇華させる事は不可能に近い。それを理解するからこそ、近づける努力をしていた。

 

 対策を打ち立てることが出来なければ、アラガミに捕喰される未来だけが残る。そうならない為にはかなり厳しい教導が求められていた。これが京藤一辺倒であれば出来ない事は無い。

 だが、現実は無情だった。実力があれば直ぐに上に階級が上がる。その結果、既存のレベルと現状のレベルがミスマッチしている。今回のミッションもまた、そんなイレギュラーが積み重なった結果だった。

 

「教導の見直しのプランを幾つか検討してみます」

 

「そうだな。少なくとも、これからの新人に関しては、一定の技量を求める様にするしか無さそうだな」

 

「……そうですね」

 

 ツバキの何気ない言葉に、サクヤはそれ以上の事は何も口にしなかった。

ツバキの言う一定以上の技量はある意味ではかなり高い。進化するアラガミと、討伐の力を更新する人類。

 先の見えない道程は、ある意味では地獄のそれに近かった。抗う事によって自らの存在意義を示す。その未来が見えるからこそ、二人はそれ以上の事を口にする事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「救出完了。目視での異常は感じられません」

 

《了解しました。こちらでも確認出来るバイタルに異常はありません。ですが、万が一の事もありますので、帰投後は直ちにメディカルチェックを行って下さい》

 

「了解。帰投後、直ちに実行します」

 

《周辺への警戒は怠らない様にお願いします。此方でも確認はしていますが、油断は禁物ですので》

 

 目的のミッションを完了した瞬間が一番危険な時間帯。

 少なくとも、今回の様なミッションはある意味ではイレギュラーだった。救出の為に出たはずの部隊が窮地に陥る。少なくとも戦術の面から考えれば、完全にあり得ない結果。本来であれば二次被害すらも覚悟する内容だった。

 だが、そんな最悪の未来を切り開くかの様な銃弾は完全にその未来を否定する。少なくとも部隊長として指名された少女が知る中では、それを可能とする人間を知らなかった。

 

 部隊の中でも、上位のチームが下位のチームと合同でミッションに出るケースは少ない。下手をすれば、見た事はあっても会話をした事が無いケースも多々あった。今回のミッションもまた、シエルの存在を知る可能性は部隊長以外にはあり得なかった。

 神は既に人類の天敵となってから、幾星霜とも思える時間が経過している。だが、今回の神は荒ぶるそれではなく、完全に人類の救いの光だった。

 だからこそ、それが誰なのかを知りたいとさえ考えていた。部隊長が故に、ミッションの全容を知る事が出来る。今の少女にとってはメディカルチェックよりも重要な内容だった。

 

 

《戦闘の疲労は確認していますが、警戒を怠らない様にお願いします》

 

「……了解です。周囲の景観に異常は感じられません。帰投するまでは引き続き警戒を継続します。それと、質問を良いでしょうか?」

 

《どの様な内容ですか?》

 

「今回、私達を助けてくれた部隊はどこですか?」

 

 何気ない一言。当然ながら、今回のこれが誰なのかを分かった所で、精々がお礼を言う程度だった。

 他の支部とは違い、極東に関してはオープンチャンネルの救援は、一番現場から近い部隊が駆けつける事になっている。今回のケースに関しては、完全に通常の内容だった。だからこそ簡単に聞いた一言。にも拘わらず、オペレーターの返答は直ぐには無かった。

 

 

「……あの、機密であればこれ以上は聞きませんが」

 

 

 何気ない言葉のはずが返答が一向に来ない。その瞬間、まさかの思考が過る。本当に感謝の意味で聞いた内容が機密だったのだろうか。僅かに緊張感が高まった瞬間だった。

 

 

《それには及ばない。今回の救助に関してはブラッド隊所属のシエル・アランソン少尉だ》

 

 突然のツバキの声に、少女は驚いたままだった。まさか今回のミッションに関して上位の人間がかかわっている事は理解していたが、本当の意味で少女は理解していなかった。

 部隊長になるには経験が足らず、かと言って緊急時に動ける人間の数はそう多くない。少女は知らなかったが、今回のミッションはある意味では試験的な位置付けもあった。

 絶対的な窮地に陥った場合、どこまで冷静に行動できるのか。下手に経験を持たず、技量が上の人間がどんな行動をするのか。何も知らなければ非人道的だと口にする者もいたかもしれない。しかし、今のままが永遠に続く可能性が無い以上、人類側も何らかの形で進化する必要があった。

 身体能力が向上しない以上、やるべき事は少ない。テストケースでも最善を尽くすのは当然だった。犠牲が出ないまでも、ある意味では厳しい局面は幾度となくあった。そんな窮地をひっくり返すからこそ、ある意味では目標になりえる内容。そんな心情を見透かしたかの様に耳朶に届いた声はツバキのそれだった。

 

「有難うございました」

 

《今回の出動は特に機密にする必要も無いからな。今回の出動は良い経験になったはずだ。以後、教導は更に続ける様に》

 

 自分の技量が上であると思った事はこれまでに一度も無い。この極東に関しては技量を驕る人間は皆無。教導教官でさえ、己の鍛錬を続けている。口にこそしないが、その雰囲気が如実に語っていた。

 自分達が敵わない存在がそんな雰囲気を出せば、自ずと感じるだけだった。だからこそ、誰もが教導教官に尊敬の念を送る。

 だが、それは戦場は無い場所の事。今回の様に戦場で目にする事は無かった。僅かな時間で焼き付く記憶。本当の意味でこの目で見た訳では無い。死地の空気を一掃した攻撃がもたらした結末を肌で感じるからこそ、これを覚えないと思う事はあり得なかった。垣間見た頂上。だからこそツバキの言葉に少女は無意識の内に上を目指していた。

 

 

「はい。今回の事を忘れない様にします」

 

《そうか。だが、それは今後の事だ。今回に関してはまずはメディカルチェックと休息だ。休む事も仕事のうちだ》

 

「了解しました」

 

 どれ程の時間が経過したのだろうか。帰投のヘリの中では今回のミッションの内容をゆっくりと反芻していた。自分が仮に同じ事をしようとすれば、本当に可能なのだろうか?そんなとりとめのない感情が何時までの過っていた。気が付けば今回のミッションに参加したメンバーは既に夢の国に旅だっている。それ程までに厳しい戦場だった。

 そんな過酷な環境でさえも諸共しない部隊。ブラッドの存在を話には聞くが、実際に会った事は一度も無かった。不意に自分の感情が高まる。話を出来る機会があれば、その高みに近づきたいと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少しだけ薄暗い環境は既にバータイムになっている事を意味していた。何時もとのラウンジとは違い、周囲の年齢層は一気に高くなる。何時もであればこの時間帯に居る事はあり得なかった。

 

 

「今日は大変だったみたいだね。これは僕等からの奢りだから」

 

「いえ。今回のそれは、あくまでもミッションの追加ですから」

 

 薄暗いカウンターの先にいたのは、何時ものコックコートとは違った服装。バータイム独特の服装だった。

 バータイムは常に決まった時間にされる訳では無い。あくまでも担当する人間の都合による物だった。ここ最近に関しては開催された事は多くない。それを知るからこそ、特定の人間は事前に情報を察知してこの時間帯を狙っていた。

 

 

「気にする必要はありませんから。本当の事を言えば、私達の方が近かったですし」

 

「ですが……」

 

「それ以上の事は堂々巡りだよ。折角だから、これは僕等からの報酬だよ」

 

 薄暗い環境であっても、近くに居ればその存在は確認できていた。

 カウンターの向こう側に居た人物は誰なのかは言うまでも無い。既に用意されたそれが何なのかを知るのは一人だけだった。

 淀みなく動くその先にあったのは、幻想。ブランデーで香りづけしたからなのか、青白い炎はフライパンから皿の上へと移動していた。皿の上にあるそれが僅かに青白い炎に包まれる。

そのまま燃え続けるのではなく、本当に一瞬だけ包まれたに過ぎなかった。

 

 

「偶にはこんな事がっても良いと思いますよ。それに、このメニューはバータイムの一押しですから」

 

「そう言われればそうですね。ここまで幻想的な雰囲気は初めてです」

 

 アリサの言葉にシエルはそれ以上の事は何も言えなかった。事実、青白い炎が醸し出す光景は幻想的だった。まるで生き物の様に動く蒼炎は自らの意思を持っているかの様に動く。無機質なそれがまるで本物だと認識する程に生命力に溢れていた。実際にカウンターの前に居る意外の人間全てが視線を集める。それ程までに鮮やかな非日常は、今回のそれを印象付けていた。

 実際にそれが提供される機会が多くない事は自身も認識している。それが振舞われた事実こそが雄弁に語っていると同義だった。

 香り付けの為のブランデーは存在だけを残して失われていた。長期間熟成した樽が生み出したピート香は、目の前で行われたパフォーマンスを活かすスパイスでしかない。用意されたナイフとフォークによって運ばれた薫りは、完全に特別な物である事を理解させられていた。

 

 

 バーカウンターの中でも期間限定メニューのクレープシュゼット。ブランデーで香り付けされたそれは、確実に現実からの乖離だった。実際にバータイムで振舞われた回数はそれ程多くない。事実、弥生がカウンターに入っている際に頼まれる事は皆無だった。

 蒼炎を自在に操るそれを活かす技量を持つ人間は限られている。それが出来る人間を知っているとしても、ある意味では困難だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本当の事を言えば、自分の任務を遂行したに過ぎない。ある意味では当然の結果に過ぎなかった。

 にも拘わらず、こんな状況下での結末は混迷をもたらす。だからこそ、シエルもまたその意図が何なのかを理解出来ないままでいた。

 

 

「今回のミッションに関しては、ある意味では今後の教訓に活かせるかもしれないのよ」

 

「私はそんな事まで考えた訳ではありませんので……」

 

「シエルの言いたい事は分かるわ。でも、今後の事を考えればある意味では当然の結果なの」

 

 

 サクヤの言葉にそれ以上の事は何も言えなかった。事実、今回のミッションの肝とも言えるのはシエルがもたらした狙撃術。少なくとも今回のミッションの結末に対し、一定以上の技量を持った人間は、かなりの刺激を受けていた。

 実戦の最中で、二撃とは言わずも、狙撃だけでアラガミを屠る事がどれ程困難なのかは言うまでも無かった。

 コアを精密射撃で破壊する技量は、常人ではありえない。勿論、ゴッドゴッドイーターと言えどもその限りではなかった。動かない的とは違い、自ら捕喰行動をしない限りは常に動き続ける。幾ら巨躯なアラガミと言えど、精密射撃の技量は並では無かった。

 シエル自身は気が付いていないが、教導の名目からすれば今回の内容がどれ程異常なのかは言うまでも無い。教導教官としてサクヤも指導するが、同じ事が出来るかと言えばノーと言うより無かった。

 アラガミのコアはある意味では生命の根幹。それと同時に極東支部にもたらす恩恵がどれ程なのかは言うまでも無かった。

 

 

「それに、貴女は敢えて通常のバレットを使用したでしょ。これがブラッドバレットであれば、多少は違ったのかもしれないのよ」

 

「……そうでしたか」

 

 サクヤの確信めいた言葉に、シエルはそれ以上何も言えなかった。

 事実、ブラッドバレットに関しては未だ未知数なだけでなく、誰もが気軽に扱える代物ではない。実際に使っているシエルであっても、その限りでは無かった。

 破壊力を秘めた物ばかりがある訳では無い。下手をすれば通常弾の方が余程楽だと思える部分も多々あった。突出した破壊力か、安定した凡庸力か。明確な答えが無いのであれば、使い慣れた物こそが最上だった。

 だからこそ、サクヤの言葉の真意をシエルも悟る。今回のミッションに関しては、敢えてブラッドバレットを使わなかったは、その部分に関する事もあった。

 エディットによって構築された破壊力は、実戦で試すまでも無かった。

 事実、数値化されたダメージ量から逆算すればアラガミに対しての攻撃力がどれ程なのかは考えるまでも無い。事実、破壊力に長けた攻撃は、ある意味では技術を成長させる要素が何処にも無かった。

 掠っただけでも多大なダメージを与えれば、自然と狙いが甘くなる。大よそで狙った場合、確実に命を葬り去るのであれば問題ないが、万が一ミスを犯した瞬間、部隊が窮地に陥る。

 これがブラッドであれば窮地を切り抜ける事は出来るかもしれない。だが、実戦では確実にブラッドだけに対して攻撃が出来る事は無かった。

 そんな未来を予知したからこそ、シエルもまた己の技量を磨く事を優先していた。

 一発の弾丸によって戦局がひっくり返る事実は早々無い。緊迫した中で従来の実力を発揮出来る難しさを知れば、無駄になる事は無かった。

 

 

「今回のミッションに関しては、私達も見通しが甘かったの。本当の事を言えば、かなり厳しい局面になる事も予測してたわ。でも、貴女が居たからこそ打開出来た。その部分に関しては本当に感謝してるの」

 

「いえ。今回のこれは私の職域での事ですから、それ程気にならさなくても」

 

「でも、立場を考えればそうはいかないのよ」

 

 サクヤの忌憚の無い言葉にシエルもまた抗弁するたけの言葉を持ち合わせていなかった。極限下での戦いに於いて、極度のストレスがかかれば、幾らゴッドイーターと言えど万全のパフォーマンスを発揮する事は困難だった。

 ましてやと討伐ではなく救出。その難易度の高さは、明らかに新兵に毛が生えた程度の部隊長では荷が重すぎた。

 イレギュラーなミッションと言えど、正規の内容である事に変わりはない。そんな中で冷静な判断と最上の結果をもたらしたのは、確実に賞賛に値する。信賞必罰を考えれば今回の結果はそれに準じた物だった。

 流石にシエルとて、サクヤの言葉の意味は理解出来る。どこか気恥ずかしさを感じながらも、受け止めるよりなかった。

 

 

「分かりました。今回の件に関しては、私自身も色々な意味で糧となる事がありましたので」

 

「そう。ありがとうね」

 

 サクヤの言葉はそれで途切れた。だが、その瞬間を待ち構えていた人物がそこにあった。

 

 

「シエルさん。今回のミッションありがとうございました」

 

「アリサさん。私は自分の出来る事をしたまでですから」

 

「それは分かってますから。私が言いたい事はサクヤさんが言いましたから、それ以上は何も言いませんよ。それと、折角なのでラウンジで少し話でもしませんか?」

 

 

 何気ないアリサの言葉に、シエルもまた今の時間を思い出していた。気が付けば通常の食事の時間からはかなり遅れている。この時間から何かを作って食べるには微妙な時間帯だった。

 だからこそ、アリサの言葉にシエルも珍しく頷いていた。ラウンジであれば多少なりとも口にする事が出来るはず。少なくともアリサが刺そう時点で、カウンターの中が誰なのかは考えるまでも無かった。

 

 

 

 

 

 

「今日はバータイムの日だったんですね」

 

「そんなに気にする必要はありませんよ。シエルさんはまだ食事はされてませんでしたよね?」

 

「ええ……そうですが……」

 

 アリサの言葉にシエルもまた空腹感を思い出していた。少なくとも自分がまだここに来る前の環境であれば、我慢の選択肢しか無かったはず。事実、身体もまたそう判断していたはずだった。

 だが、極東支部に来てからはそんな我慢の感情は薄くなってた。ゴッドイーターが万全の環境で最適なパフォーマンスを発揮する為に整えられた環境は、シエルにもまた少なからず影響を与えていた。

 

 

「今日は珍しいね」

 

「色々とありましたから」

 

 些細な会話。これが何気ないそれで終わる事は無かった。

 バータイムでの殆どが弥生のはず。だが、今に至っては何時もとは違っていた。

 

 

「あの、例の物でも大丈夫ですか?」

 

「まだ材料があるから大丈夫だよ」

 

 アリサの言葉に普段の言葉が告げられる。弥生意外でラウンジのバータイムを出来る人間は一人しかいない。誰よりも理解しているからこそ、アリサもまた主語を省いたオーダーをしていた。

 確認する事無く何時もと同じ様にフライパンに熱を通しながらも細心の注意を払う。無駄の無い行動から呼び起こされるのは、僅かな幻想。青白い焔の光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蒼炎の演舞はその場に居た誰もの目を奪っていた。薄闇の空間に出でたそれは、確実な存在感を示す。普段であればアルコールの余韻に浸る人間であっても確実に目を奪われていた。

 遠目で見たそれでさえもそんな感情を生む行為。ましてや目の前で行われれば、その最たる物だった。

 未成年であるが故に初めて提供されたそれは明らかに自分の感情を揺り動かす。だからこそ、その光景を見た人間の感情が高まるのは必然だった。

 事実、シエルもまた話には聞いていたが、実際に目にした事は一度も無い。だからこそ刹那の映像は記憶の底にこびりつくかの様だった。

 

 滝の様に蒼炎はフライパンから目の前の皿へと移動する。これが通常の炎であれば、皿の上は大参事になっている。だが、舞い降りた蒼炎は僅かな残滓と共に香だけを周囲に振り撒くと同時にその姿を消し去っていた。

 

 

 

 

 

「これは……」

 

「これは僕等からの報酬みたいな物。コンバットログを見たけど、あの狙撃にブラッドバレットを使用しなかったのは偏に今後の為でもあったんだよね?」

 

 蒼炎によって香りづけた事によって完成したクレープシュゼットはシエルの口腔内で芳醇な香を漂わせる。シエル自身クレープは何度か口にした事はある。

 それだけではない。ここで提供された食事のどれもに驚きを見せていたが、今回のこれは明らかに違っていた。見た目と味の両方が際立つ。アルコールを使ったフランベとは明らかに性質が違っていた。

 魅せる為の料理。食に拘りを見せないシエルであっても、これに関しては意識を奪われるかと覆う程だった。そんな中でもエイジの言葉。この意味を正しく理解したからこそ、シエルもまた真摯に自分の考えを口にしていた。

 

 

「確かに結果だけを見ればそうかもしれません。ですが、今回のあれは、自らの技術の確認に過ぎません。幾ら強大な力を持っていても制御出来ないのであれば無意味だと思ったからです」

 

「シエルの考えはある意味ではそうだろうね。でも、全員が素直にそうだとは考えないんだよ。特に、ここ極東支部に関しては誰もが我が強いから。少なくとも一定以上の技量を持つ人間からすれば対抗心は芽生えるだろうね」

 

「私はそんなつもりじゃ……」

 

「シエルさん。それはある意味では物事の側面の一つです。特に今回の様に救出が絡んだミッションの結果は平等に公表されていますから。少なくとも当事者からすれば、当然ですよ」

 

 エイジの言葉をフォローするかの様に、アリサもまた自分が考えていた事を口にしていた。仮にブラッドの誰もが当然の様にブラッドバレットやブラッドアーツを使用すれば、ある意味では違った目で見ていた可能性もあった。

 だが、現実としてブラッドがそれらの業を使う事は少ない。少なくともブラッドのメンバーが戦場で使うのは限られた環境下でのみ。率先して使う事は無かった。

 一番の要因は教導で弱点を必ずつかれる点。これがエイジだけならまだしも、ナオヤであっても完璧に対処していた。業を使用する際にオラクルを神機へと集約する瞬間、ほんの僅かではあるが溜めが必要だった。

 大雑把な戦いであれば問題はそれほど深刻にはならない。だが、教導の様にコンマ数秒の世界を生きる側からすれば致命的だった。溜めの瞬間を狙われる事はもはや当然。対処不可能な隙を作る意味が見いだせないから。

 だからこそ、教導の中では自らの技量のみで戦い続ける。それを身に染みているからこそ、通常の戦いで使う頻度は少なかった。

 

 

「それに、今回の件は私達だけじゃないですよ」

 

「えっ?」

 

 意味深なアリサの言葉と視線に、シエルは思わず誘導されていた。先程までの蒼炎の演舞を見たそれではない。純粋に驚いた感情がそのまま出ていた。視線の先にあるのはシエルが救出ミッションで助けた隊長。一人の少女がそこに居た。

 

 

 

 

 

「あの……今回のミッション、ありがとうございました」

 

「いえ、ここでは当然の事ですから」

 

「そんなんじゃなくて、今回の事で私もしっかりと認識しました。確かに作戦が重要なのは当然ですが、その根底にあるのは確立された技術だと思います。あの……私にも射撃術を教えてくれませんか」

 

 これが普段であれば、エイジやアリサが何らかの言葉を口する。だが、今回に関しては明らかに口を挟む事はしなかった。

 隔絶しすぎた技量は諦めるかもしれない。だが、今回の様な狙撃術はある意味では自分でも習得可能な技量だった。

 エイジとアリサもこうなる事を予見したからこそある意味シエルをここに留めると同時に、その技量を教え広めてほしいと考えていた。

 精密射撃のコツは事実上無いに等しい。無意識と呼べる状況下でも機械的に動ける程に、自らの体躯に刻み込んだ結果でしかない。極限なまでに研ぎ澄まされた集中力の結果に過ぎなかった。

 実際にそんな教導をここでした事はまだ一度も無い。それを理解した結果だった。だからこそ少女はシエルの言葉を待ってる。二人の視線の先にはシエルの困惑し、助けを求める表情だけがあった。

 

 

 



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