デビルサマナー 安倍セイメイ 対 異世界の聖遺物 (鯖威張る)
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序章
第一話 『流星』


 己の体に巣食っていた宇宙からの侵略者の呪縛は帝都の守護者の手によって断ち切られた。

 しかし、既に自分の肉体は死に絶えており、残った魂の残滓も今まさに消え尽きようとしていた。

 

「僕は、最後の最後に希望を見つけた……」

 

 他人よりも優れていたい、他人よりも幸せになりたい、満ち足りたい。そんな欲に取り憑かれ、強者は際限なく弱者を搾取し、弱者はそのための贄となるだけの残酷な世界。

 そんな醜い欲望に満ち溢れたこの世を蟲毒の世と評し、憂い、変革の力を求め、挙句自身の計画を利用され、その結果世界に対する脅威となってしまった青年。

 

 しかし、帝都の守護者と供倶璃の媛によってその野望は打ち砕かれ、そして人々の絆の強大な力と人々の可能性を教えられた。

 

 ――ありがとう、さようなら……ライドウ君。

 

 そして青年の魂は光の粒となって霧散し、その世界を去った。

 

 

「星命……」

 

 

 残されたのは青年の無二の友人である学帽の青年の呟きと、登り始めた朝日に照らされ星のように美しく輝く光の残滓のみだった。

 

 

 ○

 

 

 ――そこは薄暗い世界だった。

 ――そこには透明な回廊があった。

 

 底も見えない奈落から、すりガラスのような四角い半透明な床がただただ無造作に天上へと向かって重なり、連なり、回廊を形成している。

 内部に明かりになりそうなものは無いが、半透明の床自体がほのかに光を放ち、淡く辺りを照らしている。

 その回廊の中に一人の金髪の青年の姿があった。黒いスーツに身を包み、革靴でかつかつと半透明な床を叩きながら回廊を登っている。

 異国特有の白い肌に、海のように深く蒼い目を持つ青年はただ淡々と、この半透明の回廊を昇っていた。

 突如、青年の前にぼんぼりの灯りのような淡い光の球体が現れた。

 

「へぇ、この回廊に人の魂が来るなんて、珍しいな」

 

 まるで降ってくる雪に触れるように、青年は手の平を光の下へ差し出す。

 

「誰かと思えばマレビトの彼か。なるほど、これもきっかけ…なのだろうね」

 

 青年が呟くと、光は彼の手の平から離れ、回廊を上へ上へと昇っていった。

 

「未来に行くんだね、何かに呼ばれたのかな?」

 

 光を見送りながら青年が言う。

 

「面白そうだ、彼の事件では宰相に言い包められて動けなかったし、見に行くのも悪くないか……」

 

 自身の短めに整えられた金髪の上に乗るモダンな黒のハンチングのつばを指で摘み、考えるように呟いた。

 

「それに、彼への土産話にもなりそうだ」

 

 青年が嬉しそうに、その整った顔の口元に笑みを溜めながら言う。

 

「閣下、そのような事を申されますとルキフグスの奴めがまた文句を言い出しかねませぬぞ」

 

 不意に、青年の足元から威厳のある低く太い男の声が響いた。聞こえたほうに青年が視線を下げる。いつの間にか透明な回廊の床に紅い、ただ赤いマンホール程度の穴が開いていた。威厳ある声はそこから響いている。

 

「蝿の王か……どうだった? キンシの彼らは」

「やはり、ヤタガラスと比べると見劣りしますな。此度の結界でほとんど壊滅したようです」

 

 蝿の王と呼ばれた声は青年からの質問に淡々と答える。

 

「そうか……では行くよ」

「行くのですか?悪魔召喚師どもはもうほとんど残っておりませんが」

 

 青年の言葉にいささか異があるのか、声は疑問の言葉を赤い穴から青年へと投げかけた。

 

「今、一人昇った所さ」

「昇った、ですと? 人が、このアカラナ回廊を?」

 

 青年の言葉を聞いた威厳ある声が驚いたように少しだけ、高くなった。

 

「ああ、確かに見たよ。人と言ってもその魂だけれどね」

「にわかには信じがたいですな、人間自体入ってくるのは稀だというのに魂などと……それも未来へ昇るとは」

 

 どうやら青年の言葉は威厳ある声の主にも予想外の出来事であったようだ。驚きのあまり、先程よりもやや口調が早くなっている。

 

「事実だよ。宰相殿には何とか言い含んでおいてくれ」

 

 そう言うと青年の姿は忽然と無くなった。

 

「やれやれ……」

 

 肩を竦める様な声が聞こえ、赤い穴は萎むように閉じた。後に残ったのはただただ続く無限の回廊と薄暗い空間のみだった。

 

 

 ○

 

 

 秋の夕焼けの住宅街を一人、栗色の髪をツインテールに結った少女が歩いている。

白を基調としたワンピース型の制服を身に纏い、近所の私立の小学校指定の鞄を背負うその姿は誰が見ても下校中の小学生の姿であった。

 少女の名前は高町なのは。私立聖祥大附属小学校に通う小学一年生である。

彼女は途中までは友人二人と共に帰っていたが、友人二人には習い事の予定が入っており、先ほど分かれたばかりであった。

友人二人と別れ、ゆったりと帰宅していた彼女は、自分の家の前で立ち止まった。

 なぜ立ち止まったのかというと――

 

(ひ、人が倒れてる!?)

 

 自宅の前に同年代くらいの、学生服を着た少年がうつ伏せで倒れていたのである。

その周りには少年のものであると思われる眼鏡や荷物がいくつか散乱していた。倒れている少年はぴくりとも動かず、亡くなっているようにも、眠っているようにも見える。

 

(ど、どうすればいいのっ!?)

 

 あたふたとその特徴的な二房の髪を揺らしながら少女は混乱する。

 年端も行かない子供が初めて目の前で人が倒れて意識を失っている姿を見たのである。

 とても正常な思考ができるはずもなく、パニックに陥るのも至極当然のことだ。

 

 誰かに助けを求めようと辺りを見回すが、不幸にも今居る通りには自分ひとりだけであった。

 そこに天啓。いや、悪魔の囁きであろうか。今日は自分の母親が休日のため自宅にいることを思い出し、自宅の玄関に向かって叫びながら駆け出した――

 

「お、お母さーん! た、大変なのーっ!」

 

 ――自身の混乱と、この状況の収拾を自分の母親に丸投げするために。

 

 

 ○

 

 

 夕日の差し込む部屋の中で一人の少年が目を覚ます。白い天井が目に付き、体を起こし辺りを見回す。

 そこは八畳ほどの白い壁紙の部屋のベッドの上であった。室内には特に目立つものが無く、部屋の中央にテーブルと少し離れた端の位置に自身の座するベッドがある。

 

「ここは……天国かな?」

 

 呟いた後、「いや、ありえないか」とやや茶色がかった黒髪の少年――安倍 星命は自嘲する。

 天国に行けるような事は何一つしていない、むしろその逆である。

 憎しみや欲望に塗れた蟲毒の世を正すために強大な力を求めた末に、その欲を利用され自分自身が世界に対する災厄となってしまった事実。

 

「後悔ばかりしてもしょうがないか……」

 

 嘆息しながら星命は目元まで伸びた髪を垂らして俯く。ふと、自分の手が目に入った。星命の瞳に写ったのは幼少の少年の掌であった。

 

「ん!?」

 

 目の前の事象が理解できず、慌てながらもいつもの癖で傍の棚に置いてあった眼鏡に手を伸ばす。慌てていたために眼鏡を落としそうになったが、何とか持ちこたえ、眼鏡をかけて再度自分の手の平を見る。

 

「体がちぢんでる……? いやそもそもなぜ生きている?」

 

 たった一人、自身を友人と呼んでくれた存在であり、帝都の守護者でもあったデビルサマナー――十四代目葛葉 ライドウによって、星命は体に寄生していた宇宙生物『クラリオン』の支配から解き放たれ、そのまま消滅したはずである。しかもその時の齢は十代の後半であったはずだ。

 三途の川も天界の門も冥府の道も判決の橋も星命は渡った覚えは無い。

 死したはずの自身が何故ここにこうして生きているのか星命は自身が納得できる解を持ち得なかった。

 

「一体、何がどうなってるんだ……?」

 

 理解できぬ事象の数々に混乱し、星命は頭を抱える。

 

 コンコンコン。

 

 と、不意に部屋の扉から数回、ノックの音が響く。星命が返事をするよりも早く、部屋の扉が開かれた。

 

「あら、起きた?」

 

 声と共に入室してきたのは栗色の絹のように滑らかな髪が腰まで伸びた妙齢の女性であった。……少なくとも、星命にはそう見えた。

 

「私の娘が玄関先で倒れてるあなたを見つけたのよ。

 外傷も無いし、呼吸も脈拍も正常のようだったからうちで介抱したのよ」

 

 優しく笑みを浮かべて星命の座るベッドに近づきながら女性が言う。

 

「そうだったんですか、ありがとうございます。えっと……」

 

 礼を言ったところで言いよどむ、星命はまだ女性から名前を聞いていないことを思い出した。それを察したのか女性は

 

「桃子よ、高町桃子」

 

 と、自身の名を名乗り、

 

「ありがとうございました、高町さん。僕の名前は星命、安倍 星命と言います」

 

 自己紹介をした桃子に星命も返す。

 

「星命君ね、どういたしまして。でもお礼なら娘に言ってあげて頂戴ね。あ、そうだわ」

 

桃子は思い出したように手を打って、棚の脇に置いてあった物たちを持ち上げ、星命に差し出す。

 

「これ、あなたのよね?」

 

大き目の四角い肩掛け鞄と丁度星命の腕に巻けそうな白い皮のベルト、そのベルトには、3本の弾帯が縫い付けられている。しかし、3本の弾帯に収まっているのは銃弾ではなく鉄製の試験管のような物体であった。

 

 ――封魔管、通称(くだ)と呼ばれ、悪魔を召喚、使役するために必要不可欠な道具である。

 

 

「え、はい確かに僕のものです」

 

 そういって星命は荷物を受け取る。傍から見ると平常なように見える星命だったが、内心は動揺していた。

 そこにあるのは紛れも無く自分の仕事道具である。管の中のマグネタイトも自分の仲魔のものと一致する。そして今ここにいる魂も体も体の方は小さくはなっているが自分のもの。

 

 ――魂と体が同時に何者かに転移させられた?いやそれでも今生きてる理由が……

 

 体は心臓を刀で貫かれ絶命したはず、なのに自分はここでに生きている……しかも、若返って。

 

 数々の疑問が星命の脳裏を舞う中、桃子が星命に尋ねる。

 

 「お腹空いてない? 今からお夕飯なんだけど、一緒にどうかしら?」

 

 「いえ、そこまでお世話になるわけには……」

 

 そこまで言いかけたところで星命の腹の虫がクゥーと一声鳴いた。

 

 「すみません、いただきます…」

 

 示し合わせたかのように鳴った腹の音に桃子がクスクスと笑う。顔が熱くなるのを感じながら星命は桃子の申し出を受けることにした。

 

「ふふ、じゃあ下に降りましょうか」

 

 そう言って桃子は部屋を出て階下へ降りていく。その後を星命も追った。

 

 

 ○

 

 

 桃子と星命が高町家の食堂へ行くとそこには男女二人ずつ、四人の影があった。四人は入って左側に見える長方形のテーブルを囲むように座っている。

 

「おはよう、気分はどうだい?」

「父さん、さすがにおはようって時間じゃないよ」

 

 気安く話しかけたのは一番年長の男性であった。快活そうな笑顔を浮かべ、席を立って星命の方へ近づいてくる。

 その男性を父と呼び、肩を竦ませながら正論を言ったのは、男性よりも少し若く見える青年であった。

 

「俺は士郎、高町士郎だ。このうちの大黒柱をやってる」

「俺は長男の恭也だ。そしてあっちが――」

 

 快活な男性――高町士郎と、凛とした風貌の青年――高町恭也がそれぞれ自己紹介をする。

 その後、恭也が自身の両隣の席にいる、眼鏡をかけた女性とツインテールの少女を視線を向ける。

 

「私は美由紀、高町美由紀だよ」

「あ、助けてくださった娘さんですか?」

 

 笑顔で自己紹介をした眼鏡の女性――高町美由紀に星命が問う。

 

「いやいや、それはこっちの末っ子の――」

「高町……なのは」

 

 美由紀が星命の言葉を否定し、視線を自分の隣に居る少女に移す。

 その先には星命と同じくらいの背のツインテールの少女――高町なのはが居た。なのはは少し恐縮したように自己紹介をする。同年代の少年が倒れている光景は少なからずなのはの精神に打撃を与えていた。

 

「そうか、君が助けてくれたんだね。ありがとう」

「う、ううん……私、お母さんを呼んだだけだから」

 

微笑みながら星命が改めてなのはにお礼を言うとなのはが照れと安堵の入り混じった笑顔を浮かべる。少年が元気そうである事と、お礼を言われたためだ。

 

「ああ、まだ名乗っていませんでしたね。僕は星命、安倍星命と言います」

 

 桃子以外にはまだ名前を言っていなかったことを思い出し、星命は友好的な笑顔で、高町家の面々に向かって自身の名を告げる。

 

「それじゃ、自己紹介も済んだところでお夕飯にしましょう」

 

桃子が言ってそれぞれが賛同し、士郎は長方形のテーブルの椅子に付く。星命もテーブルの端に用意された椅子に腰をかけた。他の椅子と素材や柄が異なる事から恐らくは来客用なのであろう。桃子が用意していた料理を並べ終わり、士郎の右隣の自身の席へと座った。

 

「それじゃ、いただきます」

『いただきます!』

「いただきます」

 

 士郎の音頭にあわせて、桃子と子供達が食事の挨拶を言う。星命も遅れてそれに続いた。

 目の前に置かれた箸を取り、目の前の皿に盛り付けられた肉厚のハンバーグを一口サイズに切って口に運ぶ。

 

 これは……美味だっ!

 

 料理を口に入れた途端、星命が思わず感嘆の言葉を心中で叫ぶ。噛まずとも口の中で広がる肉厚の旨み、その旨みを決して殺さずにむしろ引き立てるような香ばしい甘みを持つソース。並の料理人では決して出せない味が、そこにはあった。

 星命の目がカッ!と見開かれ、それと同時にとてつもない俊敏さで次々と自分の皿の料理を平らげていく。繰り出される手は素早く大胆に、しかし踊るように流麗に次々と料理を掴み、星命の口へと運ぶ。

 

「よほど……お腹が空いていたのかしら?」

「いやぁ、桃子の料理が美味いからだろう」

『……』

 

 頬に手を当てながら言う桃子の言葉に士郎が笑顔でノロケを返す。子供達は呆然としたまま、ただただ星命の食べっぷりを眺めている。

 

 無心に食べ続ける星命の目にあるものが目に入った。テーブルの上に置かれた三角の卓上カレンダーだ。そこに書かれた西暦を見たところで――

 

「む……ヴっ!」

 

 星命が怪しい声を上げた。顔がどんどん青ざめていく。どうやら料理を喉に詰まらせたようである。

 

「大変っ!星命くん、お水っ!」

 

 星命の左隣に座っているなのはが慌てて水の入ったコップを差し出し、星命はそれを受け取り一気に口へと流し込む。

 

「ぶはぁ……ありがとう。助かったよ」

「ちゃんと噛んで食べないとダメだよ?」

「面目ない……」

 

 新鮮な空気で呼吸をしながら星命はなのはに言うと、星命をなのはは子供を諭すように叱った。

 謝りながら、星命は視線を卓上カレンダーへと流す。

 

 ――そこには星命の没した年の西暦から80年近く未来の西暦がかかれていた。

 

「士郎さん、そこの日付表は今年の物ですか?」

 

 卓上カレンダーを指で指しながら星命は右隣に座っている士郎に問う。

 

「ん? ああ今年のものだよ。どうかしたかい?」

「い、いえ何でもありません」

 

 星命の問いに士郎は肯定し、聞き返す。しかし、星命はそれを手を振って誤魔化した。

 

 

――士郎さんが嘘をついている様には見えない。

   未来……言われてみれば確かに、見慣れない機械の類がちらほらと……

 

 星命が周りを見渡すと、大正の世では見られなかった文明の利器が部屋のいたるところに置いてあった。

 

「星命君は、どこに住んでいるの? 親御さんは?」

 

 桃子が星命に質問する。

 

 さすがに大正二十年の帝都からきました! なんて、言えないな……

 

 星命は思考を巡らせ、苦し紛れの言い訳を考える。

 

「実は、何も思い出せないんです。名前はわかるんですけどそれ以外のことは何も」

「本当かい?」

「はい」

 

 星命の言い訳に、士郎が心配そうな表情をしながら尋ね、星命は首を縦に振った。

 

「記憶喪失か……」

「それは困ったわね……」

 

 士郎は眉間に皺を寄せて腕を組み、桃子は頬に手を当てる。

 路上に倒れていた事も相まって、この場に居る全員に星命の言い訳は通じたようだ。

 

 

「明日になったら警察へ行って捜索願が出てないか確かめてみるよ」

「そうね、それが良いわね」

「すみません……」

 

 士郎が提案して桃子が賛同する。騙したことに対して若干の負い目を感じ、星命は謝罪を言った。

 

「気にするな、記憶が無い以上仕方が無いことなんだからな」

 

 星命の気も知らず、士郎は慰めの言葉を言いつつその爽やかな笑顔を星命へと向ける。

 

「取りあえず、今日はうちに泊まりなさい。君が寝てた部屋は好きに使っていいからね」

「はい、ありがとうございます」

 

 士郎の言葉に星命は礼を言う。その後、高町家の人々との談話を楽しみながら時間は過ぎていった。




 皆さん初めまして、もしくはお久しぶりです。『鯖威張る』と申します。
 投稿テストも兼ねての第一話投稿でしたが、やはり新天地に投稿となると少し緊張しますね。


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第二話 『誘拐』

 星空の下の霊園に、白いコートを着た一人の青年が歩いている。

 

「ここもはずれか……」

 

 昼間の間に太陽光で充電されたカンテラの明かりが足元に今自分がまさに感じている不安感を表すような漆黒の影を作る。

 

「早く見つけ出さないと、不味い事になる……」

 

 焦燥の表情を浮かべて、空を見上げる。焦りのせいか、空にちりばめられた輝きは自分を嘲笑っているようにも感じる。

 

――とにかく動かなければ。

 

 青年は地面を蹴り、走り出す。一括りに縛った長い黒髪と蝙蝠のマークの入ったコートを揺らしながら青年はその場を去った。

 

 ○

 

 高町家で星命が目を覚ましてから一週間後、星命は市内のとある施設に足を運んでいた。

 

 施設の名前は風芽丘図書館。海鳴市内でも有数の大きさの図書館であり、保有している書籍は児童書から専門書まで多岐に渡り、雑誌や新聞なども数十年単位で保管されている。

 

  その図書館のとある一角で、学生服姿の星命が自分の身の丈ほどの高さまで積まれた膨大な歴史書と新聞をいくつもテーブルに並べ、それら一冊一冊を手に取っては、にらめっこをしている。

 すわ何事かと星命の方を見る人間もちらほら見られるが、数分もすれば興味を失ったようで去って行くのが大半であった。

 

 なぜ星命が図書館にいるのか、その理由は一週間前、星命が目覚めた翌日にまで遡る。

 

 ○

 

 時刻は昼過ぎ、小奇麗なフロアにまばらに人が歩いている。ある者はフロア内の受付の一つに並び、またある者は青い制服を着た職員に調書を取られている。

 

 海鳴警察署。海鳴市民の安全の守護の一端を担う、この市内の警察機構である。

 

 その警察署のフロアの一角にある待合スペースに一人の男が座っている。

 高町家の大黒柱、高町士郎であった。

 士郎は一角にあるソファーの一つに静かに座っている、時折、左腕に巻いた時計をちらりと覗く様子からどうやら誰かを待っているようだ。

 

「わりぃ、遅くなっちまったな」

 

 士郎の視界にベージュのトレンチコートに茶色のハンチング帽を被った初老の男が飛び込んできた。

 

「三十分の遅刻ですよ、風間刑事」

 

 口に笑みを含めながら片眉をつり上げて言う士郎に風間と呼ばれた男は、硬いこというなよ、と笑いながら軽口を言った。

 

 風間 (あきら)。父、祖父ともに刑事であったという刑事一家の三代目であり、祖父は現役時代に東京、いわゆる帝都で敏腕刑事として活躍していたという。

 昭自身も多少乱雑で反骨的な性格ではあるものの己の正義を貫こうとするその姿勢や、人情に厚い性格からわりと署内に限らず市民にも人気が高い。昔、士郎が要人警護の仕事をしていた時に知り合い、互いに所帯持ちとかわかってから意気投合し、それ以来の付き合いである。

 

「こっちも翠屋に戻らなきゃいけないですから」

 

「へっ、仕事場が愛の巣ともなればそりゃそうだろうよ」

 

 鼻を鳴らしながら、風間は士郎の対面のソファーに座る。

 

「まぁ、とっつき合いはこの辺りにして、本題に入るか」

 

 言いながら、風間がコートの胸ポケットから一冊の革のメモ帳を取り出し、ぺらぺらとめくる。

 

「結果から言うと、該当なしだとさ」

 

 ところどころメモ帳から飛び出している付箋の中から一枚を選び出し、そのページを開いて風間が言う。

 

「つまり捜索願は出ていないんですか」

 

「ああ、悪いな。士郎ちゃんよ」

 

「いえ、こちらからお願いしたことですから」

 

 実を結ばなかった結果に対して、風間がわずかに眉間に皺を寄せて詫びる。士郎が返事を述べた後、再びメモ帳に書かれた情報の続きを話し出す。

 

「一応、こっちでもちょっと調べてみたんだがな?」

「『アベ セイメイ』とかいう戸籍なんざ、平安時代にしかねぇのよ」

 

「平安?」

 

 突然出て来た時代を表す単語に士郎が聞き返す。

 

「おう、あれだよ。平安時代に陰陽師やってたっていう」

 

「ああ、安倍晴明ですか。どうりで聞いたことあるような名前なわけだ」

 

 聞き返した士郎にメモを見ながら風間が言う。会得がいったように士郎は手を打った。

 

「それでだ、もし完全に身元がわからねぇならこっち側で――」

 

「風間警部、星命くんの身柄をうちで預かれませんか?」

 

「あぁ?いや、別にかまわねぇよ。こっちとしても生活保護の書類を省けて助かるけどよ。なんかあったのかい?」

 

 士郎の発言に、風間は一瞬目を丸くしたが、すぐに元の仏頂面に戻って理由を問う。

 

「実は星命くんの食べっぷりを桃子が痛く気に入ってしまいましてね」

 

「くくっ、全く奥さんも酔狂だねぇ」

 

 士郎が話した理由があまりにも平和的だったので風間は忍び笑いを漏らした。あんなにおいしそうに食べてくれるならうちの子に欲しいくらい、とは桃子の談である。

 

「まぁ、生活保護で一人暮らしになるよりはマシかもな……」

 

 微かに哀愁の漂う笑みを浮かべて、風間が呟いた。

 

「あいわかった! 俺が何とかしようじゃねぇか」

 

 張り切るように風間が膝を叩いて立ち上がる。パン、と乾いた音が鳴った。

 

「ありがとうございます、風間刑事」

 

 座りながらではあるが、士郎が風間に頭を下げる。

 

「言ったろ? 硬い事は言いっこなしだぜ、士郎ちゃんよぉ」

 

 年季の入った笑い皺を更に深くしつつ、右手をぶらぶら左右に振りながら風間は去って行った。その後姿を見送った後、士郎も立ち上がり翠屋へと戻った。

 

 ○

 

「捜索願は出ていなかったよ」

 

 夜の高町家の食卓に士郎の声が響く。

 

「そうですか……」

 

 士郎の言葉に星命は俯く。自身に記憶があることを悟らせぬための演技でもあったが、見つかるはずも無いものを探させた徒労を士郎に負わせたためでもあった。

 この時代の人間ではない者の捜索願など出るはずが無いことは星命にもわかっていたことだ。

 

「士郎さん、星命くんを預かる件。どうなったかしら?」

「ああ、風間刑事から承諾をもらえたよ」

 

 頼んでいた事柄について桃子が士郎に尋ねる。笑みを浮かべながら士郎は首を縦に振った。

 

「事後承諾の形になって悪いんだけど星命くん、記憶が戻るか親御さんが見つかるまでウチに居るかい?」

 

「いいんですか?」

 

「構わないわよ、部屋も余ってるし、服もまだ恭也のものが取ってあるから」

 

「すみません、ご厄介になります」

 

 士郎の問いに、星命が聞き返し、桃子は笑顔で快く承諾する。行く宛てもない星命は桃子達の提案に甘える事にした。

 

「家の中にずっといるのも窮屈だろうし、外で色々見て回った方が記憶も戻りやすいんじゃない?」

 

「……そうだな、そうしよう。明日から自由に出かけても良いよ。でも車とかには気をつけてくれよ」

 

 長女の美由紀の言葉に士郎は顎に手を当て少し考えた後、美由紀の考えに賛同し外出の許可を出す。

 

「わかりました」

 

 ○

 

 こうして、外出の許可を得た星命は昨夜のうちに街の探索に出していた式神で図書館の位置を把握し、情報収集のため足を運んだのだ。

 その日より一週間、星命は毎日図書館へと通い、歴史書や新聞などを掻き集めて情報を集めていた。

 

 この一週間の図書館での調査は、星命にこの世界に関する新たな疑問を沸かせていた。

 

(ここは僕のいた世界ではない?)

 

 歴史書などを読むと大まかな史実は合っているが細かい箇所が自分の記憶の中の史実と異なるのだ。星命は大正二十年から来たがこの世界では大正は十五年までしか存在しない。

 しかも記憶と違う点はそれだけではなかった。

 

(ヤタガラスも存在していない……)

 

 ヤタガラスは悪魔絡みの事件の解決を専門に行う超國家機関である。小規模な事件であれば隠蔽も可能であるが、大規模なものになるととても隠し通せなくなる。このような場合は意図的に別の情報を流し、報道や記録を改竄させるのだが、そう思われるようなものも見つからなかった。

 

(僕が起こした帝都襲撃事件も無いな)

 

 星命達一部の陰陽師が起こした【コドクノマレビト事件】の方も調べてみたが、その時期に帝都で大規模な事件は起きていない。【コドクノマレビト事件】は帝都全体を巻き込んだ大事件であったため隠蔽など不可能であると星命は踏んだのだ。

 しかし、歴史書にはその時期には何も書かれてはいなかったのである。それは、事件そのものが起きなかった事を意味していた。 これらの事象から星命はここが自分のいた世界ではないと踏んでいた。

 

 死亡したはずなのに別の世界で肉体が若返って今ここで生きている、謎は深まるばかりである。

 

(体内のマグネタイトも増大しているし……これはたぶんアメノオハバリのせいだろうと思うけど……)

 

 不思議な事に悪魔召喚に必要な霊的エネルギーであるマグネタイトの総量も増えていた。しかし、これに対しては星命も心当たりがあった。

 

 十四代目葛葉ライドウがクラリオンを倒した際、クラリオンの体内にあった黒く汚された膨大なマグネタイトを供倶璃の媛である串蛇が悪魔変身した神剣『アメノオハバリ』が浄化して帝都に降らせたのだ。

 これにより、帝都への被害は最小限で済んだ。その時、蟲毒の丸薬を服用し、吸魔状態のアストラル体でそのマグネタイトを吸収してしまったことで星命のマグネタイトの総量が増えてしまったのでないか、と星命は踏んでいる。

 

(もうこんな時間か……)

 

 星命が顔を上げ、近くにある壁掛け時計を見ると、時計の針は5時半を示していた。

 傍に置いていた学帽を被り、星命は帰り支度のため机の上の資料を片付け始めた。 図書館での調査を切り上げ、星命は高町家への帰路に着いた。今夜の夕飯に対する期待に想いをを馳せて。

 

 ○

 

 図書館を出た星命は、ある交差点を渡るために夕日を浴びながら歩行者信号が青になるのを待っていた。

 交差点と言っても市街地からは離れている上に、あまり大きな道路ではないため人通りは全くと言っていいほどなく、閑静なものであった。

 向かい側の信号機の下にも星命と同じく信号が変わるのを待っているのであろう二人の少女が談笑している。

 一方は絹のような金髪を腰まで伸ばした少女で、その面立ちと髪の色から外国人であるようだ。話の節々で浮かべる笑顔からは活発そうな雰囲気が窺える。

 

 もう片方の少女は清流のような黒髪をやはり腰の辺りまで伸ばしており、その髪色から頭につけた白いカチューシャが映えてとても良く似合っている。日本人らしいその顔つきと、おっとりとした雰囲気は幼いながらも大和撫子を髣髴とさせるほどのお淑やかさであった。

 二人ともバイオリンケースのようなものを持っていることからおそらく習い事の帰りなのだろう。と、星命は当たりをつけた。

 ヤタガラスの情報員であり、秘密結社コドクノマレビトの首領の座にいた星命は人を観察するのが癖になってしまっていた。この時も何の気なしに二人の少女を観察していのだが観察しているうちにあることに気がついた。

 

(白いカチューシャの子、マグネタイトが少し異質だな。限りなく人間に近いけど、少し吸血鬼系の悪魔に似た気配がする)

 

 マグネタイトの読み取り、それはヤタガラスの情報部の人間には必須の技能である。身体から発せられる微弱なマグネタイトを読み取ることで、その体の特殊な性質などを把握する技術である。しかし、把握できるのはあくまでその身体の特殊な性質や体質のほんの一部だけであり、普通の人間からはほとんど何の情報も得られない。精々身体が好調か、不調かぐらいなものだ。

 

(悪魔に匹敵するほど異質でもないし、まぁ様子見かな)

 

 星命がそこまで結論したところで星命の目の前の歩行者信号が青色に変わる。星命が横断歩道に足を踏み出したその時であった。

 

 白のミニバンが赤信号にも関わらず、少女達のいる車線の横断歩道の上に止まった。

 運転席以外の三つのスモークを貼ったドアが同時に開け放たれ、中から四人の男達が姿を現す。男達は全員覆面を被り、その顔を見る事は叶わない。

 男達はまっすぐ少女たちの下へと向かい、その手を掴んだ。

 

「何すんのよっ!」

 

 金髪の少女が声を上げる。男の腕から逃れようと自身の腕を精一杯引っ張るが、子供と大人の対格差によって逃れる事は叶わない。

 

「放しなさ――むぐっ!」

 

 少女がもう一度声を上げようとしたが、その言葉は途中でくぐもった息へと変わった。別の男によって口に白い布を当てられたためだ。

 最初はもがいていた少女だったが、しばらくしてその体から魂が抜けたようにだらりと男の腕にもたれかかった。

 怯えるだけだった白いカチューシャの少女も、程なくして同じように布を口に当てられて気絶した。

 気を失った少女たちをミニバンへと放り込みんだ後、男たちも乗り込み、ミニバンは走り去っていった。

 

「誘拐……か」 

 

 星命が走り去る車を眺めつつ、一人ごちる。

 

 さてと、とひとり言を続けながら肩に背負った四角い鞄を漁る。

 

「見ちゃったからには放って置く訳にもいかないかな、見捨てたりなんかしたらいくら桃子さんの手料理でも不味くなっちゃうしね」

 

 こうは言ったが、元々星命の持つ正義は弱者を救うための正義である。

 故に、この場でか弱い少女達を見捨てるなどという行為は最初から選択肢にはない。

 無論、この場で彼女たちを助ける事もできたが、星命の力はあまり人目について良いものでもない。人通りの少ない通りではあったが念には念を入れて慎重すぎるということはない。

 そのため、誘拐であるからには人目に付かないところに監禁することを見越して、ミニバンを追跡した上で監禁場所で誘拐犯たちを叩く事にしたのである。

 

 星命がバッグから晴明紋と呼ばれる五芒星の描かれた一枚の霊符を取り出す。

 辺りに人の気配がないことを念入りに確認し、その霊符を空へと投げる。

 

「追え、式神」

 

 星命が言うと、霊符が黒い一眼の梟へと姿を変え、車の去って行った方向へ飛んでいく。それを追って星命も走り出した――

 

 ○

 

 夕暮れ時の高町家のリビングで高町家の大黒柱、高町士郎は悩んでいた。

 

「やっぱおかしいよなぁ……」

 

 ソファーに座り、膝に肘を突いた手に顎を乗せて士郎は呟く。

 その悩みの種とは高町家で預かっている安倍星命という少年の事であった。

 

「捜索願も出ていない、そもそもそんな人物が存在しない」

 

 それはあまりにも不自然であった。

 自分の愛娘と同じ年頃の子供が居なくなって、捜索願を出さない親がいるとは思えない。 しかし、実際警察には捜索願は出ていなかった。そして、風間の話では安倍星命という人物は存在しないことがわかった。

 

「やはり偽名か? 挙動も怪しいし、身のこなしも言葉遣いも異常すぎる……」

 

 風間の情報から士郎は偽名なのではないか、と予想した。しかし、星命の記憶喪失である、という言葉も嘘とは思えなかった。

 

 星命は高町家に置いてある文明利器を見るたびに近くに居た高町家の人々に聞いていたのだ。目を輝かせて尋ねるその様子は好奇心を丸出しにした子供にしか見えなかった。士郎自身も昨夜に洗濯機について質問を受けたのである。

 しかし、それ以上に不自然な点があった。星命の姿勢と動作である。子供独特の不安定感が全く無く、その動作は一挙手一投足に至るまで流麗で、まるで名門の家の跡取りのような立ち振る舞いだったのである。そして、その口から紡がれる言葉も子供のものとは思えないくらい理知的なものに溢れていた。

 

「ううむ……」

 

 士郎が考え込んでいると不意に、リビングにおいている据え置きの電話が鳴った。

 

「はい、高町ですが」

[士郎さん!? ちょうど良かった!]

 

士郎が受話器を手に取ると女性の声が聞こえてきた。

 

「忍ちゃんかい? 恭也に用なら――」

[いいえ、出てきたのが士郎さんで良かったです。恭也が聞いたらすぐにでも飛び出しそうだもの]

 

 替わろうか、と言いかけた士郎の言葉を忍と呼ばれた女性の声は遮って否定した。

 

「どうかしたのかな?」

[実は、すずかと連絡がつかないんです。アリサちゃんの家にも連絡したんですけど、同じく連絡が取れないって]

 

 士郎の問いに忍はできるだけ冷静に話す。しかし、その言葉の端々からは確かな焦りが感じられた。

 

[持たせている携帯電話のGPS機能で確認したんですけど、どうやら家とは反対の方向へ向かってるみたいで……]

「誘拐か……」

 

 忍の話を総合した上で考えられる仮説を士郎が提示する。日が暮れかけている今の時間帯に子供が家路とは反対の方向に向かうとはとても思えない。

 

「恭也には俺から連絡しよう。出来れば足を用意してもらえるかな?」

[わかりました、すぐお迎えにあがります]

 

 そう言って忍は電話を切った。士郎は受話器を置き、携帯電話を取り出すと電話帳に載っている自分の息子の名前を選び出し、通話ボタンを押した。

 

 ○

 

 茜色の空に夜の帳が下りた頃、星命は山奥にぽつんと一棟だけ放置された三階建ての雑居ビルを近くの林から観察していた。

 

 放置されてから幾月、幾年経ったかわからないくらいに荒れ果てたそのビルは夜闇と相まって、不気味な気配を漂わせていた。

 

(妙だな、先程の子よりも遥かに濃い吸血鬼のMAGを感じる)

(これは、もしかして……)

 

 ビルの雰囲気とは別に、星命はその第六感からただならぬ気配を感じていた。

 

(念のため、手を打っておいた方がいいか)

 

 星命は鞄から五枚、霊符を取り出し、空へと投げる。投げられた札はそれぞれ黒い梟にその身を変えて、それぞれバラバラの方向に飛んで行った。

それらの梟とは別に、一羽の梟がビルの方から星命の方へ飛んできた。

 

(中に居るのは五人、一階に三人、二階に二人か……)

 

 ビルへの偵察に一羽、式神を放っていたのだ。式神からの情報を、吟味するように星命は思考する。

 

(さすがに子供の状態の僕一人で一度に五人を相手するのはかなり骨が折れる。その上人質が居る以上、一階から正々堂々は不味いな。それに不穏分子もある)

 

 顎に手を当て星命は思考する。正面突破を敢行した挙句、人質を盾にされては目も当てられない。

 それに先程ビルから感じた違和感、星命の予想が正しければそれは少女達を救助する上で最も厄介な存在になりえるものだ。

 

(見つからないに侵入して人質の確保を最優先……かな)

 

 

 星命は着ている学生服の上から腕と腰にベルトを巻く。そして腰のベルトから垂れた別のベルトを左の太腿へと巻いた。

 

 

 左腕と左太腿のベルトの弾帯に差し込まれた鈍色の封魔管が静かに月光を受け、銀色に輝いていた――




描写を色々増やしております。
ちなみに風間刑事の名前は刑事貴族を参考にしました。


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第三話 『悪魔が来たりて管を抜く』

 幾月、幾年放置されたかわからない、雑居ビルの二階から光が漏れていた。

 その光はもちろん人工的な光ではあるが、ビル自身の内装の明かりではなく、大型の照明であった。大型とはいっても細い鉄棒の上部に二つのライトがついた簡易的なものだ。

 その二階のフロアに縛られて座っている二人の少女の近くに、それは置かれていた。

 

「この縄ほどきなさいよっ!」

 

 空気さえも風化したような、埃っぽいコンクリートのフロアに威勢の良い少女の声が響く。

 

「うるせぇぞ黙ってろ! オジサンたちは今大事な商談中なんだからよぉ」

 

 縄で両腕を縛られた金髪の少女を怒鳴りつけ、男は携帯電話を耳に当てて再び話し始めた。

 

「それでだ安次郎さん、依頼金の方なんだがな――」

 

 男はどうやら依頼を受けて、誘拐を行ったらしい。電話の相手と依頼の金の話をつけているようだ。

 

「この子達、ヤっちゃってもいいんですかね?」

 

 下卑た笑いを浮かべた別の男が少女達を指差しながら携帯電話で話をしている男に尋ねる。

 

「白いカチューシャの方には手を出すなよ。金髪の方は……まぁオマケみたいなもんだから良いぞ」

 

 そう聞いた途端、下卑た男の笑いがより下品になり、少女達に近づいていく男の歩調が速くなる。金髪の少女はといえば先程の気勢はもうどこにもなく、ただただ今から自分の身に降りかかろうとしている不幸に顔を青くし、縛られたその身を震わせている。

 

「じゃあお嬢ちゃん、おじさんとイイコトしようかぁ……」

 

 鼻息を荒くさせた男が恐怖に震える金髪の少女に向かって手を伸ばす。

 

 その時であった、割れた窓より黒いツバメの切り絵が二枚、まるで本当に生きているかのようにそれぞれ二人の男達の元へ飛翔してきたのである。

 

「ん? 何だこれ?」

 

 不審に思った携帯電話の男が自身の方に飛んできた切り絵を掴もうと電話を持つ手とは逆の手を伸ばした、その瞬間。

 

「うおっ」

 

 ツバメの体がほどけるようにニ本の黒い縄へと変わり、まるで意思が宿っているかのように片方は男の両腕を胴体へと縛りつけ、もう一方は首へと巻きつく。

 

 頚動脈と上気道を同時に圧迫された男はその苦しみから逃れようと首に手を伸ばそうとする。

 しかし、両腕は硬く胴へと束縛されてそれは叶わない。

 男は少女達の方へ行った男に助けを求めようとしたが、そこには既に今の自身と同じ格好で気絶している男の姿があった。

 

 程なくして、自身も頬を地面につけ、意識を手放した。男が倒れたのと同時に男達を首を絞めていた縄は塵となった。

 

「いやぁ、一回こういうのやってみたかったんだよねぇ。少女の危機に現れる謎の少年、まるで絵草紙か御伽噺の世界みたいじゃないか」

 

少女達の横で声がした。少女達が声のした方へ目を向けると何もなかった空間から突如、霞が晴れるように眼鏡をかけた少年が姿を現した。

 

「まぁ冗談は置いといて……こんばんは。初めまして、になるのかな?」

 

「あ、あんた誰よっ!?」

 

 少年、安倍星命の問い掛けに少女達は目を白黒させる。何も無い空間に急に人が現れたのだ、彼女たちの驚きも至極当然といえるだろう。

 

「あっ! アリサちゃん、この子誘拐されたときに反対側の信号にいた子だよ!」

「そういえば誰か居たような居なかったような……」

 

 思い出したようにカチューシャの少女が声を上げた。

 金髪の少女――アリサ・バニングスはその言葉で記憶を辿るが友人である隣のカチューシャの少女――月村すずかとの会話の内容以外は酷く曖昧なものしか思い出せなかった。

 

「よく覚えていたね、ちょっとごめんよ」

 

 星命が腰のサイドポーチから霊符を一枚出してくしゃりと握る。すると霊符が彫刻の施された両刃の直刀へと姿を変えた。

 鍔には憤怒の顔面、その刀身には七つの星を表す点が彫られた『七星剣』を模したその直刀で星命は少女達の腕を縛っていた縄を断つ。その後、七星剣は元の霊符へと戻った。

 

「あんた一体どこから……っていうか今の剣は――」

「ちょっと待った」

 

 礼を言うことよりも好奇心が勝り、金髪の少女が星命に向かって疑問を投げかけようとする。しかし、それは星命自身の言葉によって阻まれた。

 

「何よ?」

「誰か来たみたいだ」

 

 目の前の少年に対する疑念に続き、会話を遮られた不満を上乗せした声と表情でアリサが尋ねる。星命はその場から向かって左の壁の延長線上にあるこの部屋の出入り口であるドアを見つめて答える。

 

 アリサとすずかも星命の視線を追い、ドアへと目を向けた次の瞬間、ドアが勢いよく開け放たれた。同時に、二人の男が飛び出して、それぞれに手に持った二刀の小太刀を構え、部屋の中を見回す。

 

 二人の男を見て、星命は内心で舌打ちをした。二人とも星命のよく知る人物だったのである。乗り込んできたその男達は高町家の大黒柱である士郎と同じく高町家の長男である恭也だったのである。

 

「これは一体……」

 

 士郎が縛られて倒れている二人の男を見て、構えを解きながら唖然とした表情で言う。

 

「星命くん、どうしてここに……?」

「士郎さんこそ、なぜここに? そこに転がってる人たちの仲間ですか?」

 

 士郎が星命の存在に気づき、声をかけると星命は若干の敵意を込めて、少女達の前に転がっている男を指差した。

 

「馬鹿言え、俺達はその子達を助けに来たんだ」

 

 犯人扱いされたのが気に食わなかったのだろう、恭也が不機嫌に言い返す。

 

 

 ――犯人ではない? ではなぜここにきたのだろうか?

 

 

 疑問が星命の脳裏を掠める。

 二人が警察の関係者であることを聞いた覚えはない。

 どちらにせよ、自分がここにいるということが知れてしまったからには恐らく自分の持つ能力のことを話さざるを得なくなるだろう。既に、二人の少女という証人がいるため言い逃れは出来ない。

 

「忍、もう大丈夫だ」

 

 恭也が扉の方へ話しかけると扉から、若い女性が現れた。

 どことなく少女の一人、すずかと似ている。月村すずかの姉、月村忍である。

 

「二人とも大丈夫!?」

 

 忍は部屋に入ると一直線にすずかとアリサの下へと駆け寄った。二人の安否の無事を確認するとその両手で二人を抱きしめた。

 

 目に涙を浮かべて再会を喜ぶ彼女達の様子を見て、星命は微笑むと、士郎と恭也の下へと歩を進めた。

 

「どういうことなんだ星命君、どうして君がここにいる?」

「彼女達の誘拐の現場にたまたま居合わせただけです。彼女達の救出のためにこの建物に潜入しました」

 

 士郎の言葉に星命はただ淡々と簡素に理由を述べた。てっきり、少女達の誘拐に巻き込まれていたものだと士郎は思っていたために一瞬目を丸くした。

 

「俺も、昔はヒーローとかに憧れはしたから気持ちはわかるけど、危ない事は――」

 

 その時だった、話をする星命達を囲むように黒い六芒星を円で囲んだ魔法陣が、コンクリートが剥き出しになった床に浮かぶ。

 

「後ろへ跳んでください!」

 

 星命の声と自身の直感が鳴らした警鐘で士郎と恭也はその場から後ろ、魔法陣の円に入らない範囲まで床を蹴り、一気に跳ぶ。

 

 跳んだ直後魔法陣の内側に沿った形で黒い霧のようなもやが円から吹き上がる。

 

「うっ!」

 

 魔法陣の外へ逃げ切れ無かった恭也の腕が黒いもやに捕らわれ、恭也が呻き声を上げる。

 

「大丈夫か、恭也!」

 

 慌てて士郎が恭也に近寄り、左手を抑えて蹲った恭也の右手を剥がして見ると、そこには血の気が失せ、真っ青になって痙攣する恭也の左腕があった。顔も苦痛に歪み、脂汗をかいている。

 

「呪殺を受けましたね、ちょっとすみません」

 

 星命が鞄から何もかかれていない長方形の細長の紙と白い毛で設えられた小筆、小さな瓶詰めの墨を取り出す。

 筆を小瓶の墨に浸け、紙にさらさらと漢字の羅列を書き綴る。

 紙一面にびっしりと書き終えた後に「よし」、と小さく呟いて、星命は恭也の前にしゃがみ、その紙を恭也の左手首に巻くようにして貼り付けた。

 

「急急如律令」

 

 星命が言うと紙に書かれた文字が一瞬光を発する。

 それと同時に腕を覆っていた黒いもやは紙の文字へと吸い込まれ、恭也の左手に血の気が戻り始める。

 

「何なんだ、今のは……」

 

 魔法陣の消えた床と、恭也の左手を見比べて士郎が呟く。士郎の知らない事象が幾つも重なり、思考に混乱を生じさせているようだ。

 

 ――ビルに満ちた瘴気に遠距離からの見境無しの呪殺魔法か、これは決まりだな

 

 ――ならば、次の呪殺が来る前に手を打たないと。

 

 自身の予感が的中したことを悟った星命は素早く筆記道具を片付け、立ち上がる。

 

「士郎さん、恭也さんと一緒に彼女達の元へ」

「説明は必ず後でします。早くしてください、お願いします!」

「……わかった」

 

 切羽詰った表情で星命が士郎に向かって言う。若干の疑念を士郎は覚えたが、その剣幕に押され恭也に肩を貸して歩き出す。

 

「恭也っ! 大丈夫なの?」

「ああ、大丈夫だ……」

 

 忍が駆け寄り、士郎とは反対側の肩を支えながら言う。心配する声に恭也は無理にその青い顔で笑顔を作る。

 

「では、皆さんそのままそこに固まっててください」

 

 そういうと星命は人差し指と中指のみを立てる刀印と呼ばれる印を右手で作り、左の腰の横へ据えて、鞘を表す左手の刀印で握る。

 

「青龍」

 

 東方を守護する聖獣の名を呼びながら、まるで刀を抜くように手を腰から放ち、士郎たちと自分の間にある空間をその指で切り裂いた

 

「白虎」

 

 今度は西方の聖獣の名を言いつつ、空間を縦に切った。

 

「朱雀 玄武 勾陳 帝台 文王 三台 玉女」

 

 同じように横に、縦にと士郎達と自身の間にある空間を切るように十字にその刀に見立てたその指を繰り返し振るう。

 

「邪なる気から、此の者達を護れ」

 

『九字護身の法』

 

 星命が指を立てたまま念ずる。一瞬、星命の指先がわずかに青白く光ったかと思うと、その光が士郎達を一瞬包み、消えた。

 

「今のは……?」

「話は後です。奴が来ます」

 

 士郎の疑問の声を星命が遮り、士郎達に背を向ける。

 

「奴?」

「はい、今恭也さんに呪殺の魔法をかけた悪魔です」

「悪魔? 魔法? 君は何を言って――」

 

 言っているんだ? と士郎が言い切る前に突如星命達から向かって右にある窓から何者かが飛び込んできた。風化し、所々割れているガラスを突き破ってその者は窓の側に膝と片手を突いて着地する。

 

「フン、定時連絡がないと思えばやはりこういうことか」

 

 入ってきた者が鼻を鳴らして立ち上がる。窓から差し込む月明かりに照らされたのは一人の小太りの男だった。

 

「月村安次郎っ!」

 

 忍がその小太りの男の名を叫ぶ。

 

「お知り合いですか?」

「ああ、忍の親戚だ」

 

 星命が振り向いて尋ねると忍の替わりに恭也が答えた。しかし、その表情からはあまり友好的でない感情が伝わってくる。

 

「ここは二階だぞ、どうやって入ってきたんだ?」

 

 士郎が尋ねるが、安次郎はちらりと一瞬だけ士郎を見た後、興味を失くしたようにその視線を星命へと向けた。

 

「なるほど、デビルサマナーがいたのか。ならばこのようなボンクラ共では相手にはならんな」

 

 星命の左の腕と太腿にある管を見てそういうと、安次郎は傍に倒れている男の頭を足で小突く。

 男はうめき声を上げたものの覚醒には至らなかったようだ、その眼を開ける気配は無い。

 

「デビルサマナー? どこかで……」

 

 安次郎の言葉が忍の記憶の一部分を掠めた。記憶を探るが、どこで誰に聞いたのか思い出せない。

 

「デビルサマナーであれば、その後ろにいる小悪魔共を処理してもらえんかね?その小娘共のおかげで”こちら”に来てから一度も生き血を飲んでいないんだが」

 

 口角を吊り上げて、安次郎は忍たちを顎で指し示す。

 

「黙りなさい!一族には輸血用のパックが配られているわ!掟を無視して、無関係の人の血を吸おうとするなんて言語道断よ!」

 

「それに、一族に無関係の人達の前で秘密を喋るなんてどういうつもり!?」

 

 憤怒と困惑とが綯い交ぜになった表情で、忍が叫びを上げる。

 

「と、まぁこんな風に大変に口の悪い小悪魔なんだがどうかね?なんなら正式に依頼するが?」

 

 忍の言葉に少しの意も返さず、薄ら笑いを浮かべたまま安次郎は星命に問う。

 そこで星命はなぜ警察ではなく、士郎と恭也が来たのかを理解した。

 

 ――わけありってことか。

 

 彼女達は自分と同じく、一般人には言えない事情を持っていると星命は察した。恐らく、先程少女から感じた微弱な吸血鬼の気配も関係あるのだろう。そして一瞬の思考の後、口を開いた。

 

「お断りするよ、話を聞く限り、どうやら法を破っているのは君のようだ。それに彼女達は異能は持っていても悪魔ではない、今ここに居る悪魔は君だけだ――吸血鬼、『クドラク』」

 

 無表情に右手で眼鏡を抑え、星命が言い放つ。正直なところ、彼女達程度の吸血鬼の気配は大正の帝都ではさほど珍しい事ではないのだ。実際、ヤタガラスには似たような異能を持つデビルサマナーやその関係者も多くいた。

 故にこれといって彼女達を敵に回す道理は無い。

 むしろ、報酬をエサに自分をそそのかそうとした目の前の存在こそが、この誘拐事件の悪の根源だと星命は判断した。

 

「クックック……ではしょうがないな。当初の予定通り貴様ら全員ここで殺してやる。男は切り刻み、女達はその体が干からびるまで血を吸わせてもらうとしよう」

 

 生娘の血は格別だからな、と安次郎が獰猛に笑みを浮かべて長い舌で唇を舐めた。

 

「管を六本以上持っているということは、それなりに出来るんだろうが『奴』が仲魔に居ないデビルサマナーなど恐れるに足りんわ!」

 

 急に安次郎の体からバキリ、ゴキリと耳障りな音が響いた、音が鳴るたびに安次郎の骨格と体形が変わり、その小太りな体がまるで嘘であったかのように病的なまでにやせ細っていく。それと同時にその肌の色はまるで死体のように血の気が無くなっていき、オールバックで整えられていた黒髪も銀の巻き毛へと変化する。

 耳障りな音が消えた時には既に安次郎の姿は無かった。

 安次郎が立っていた場所には、一体の異形がただ立っているのみである。

 

『クドラク』

 スロベニアに伝わる悪と闇の象徴である吸血鬼である。

 

「行くぞ! 小僧ッ!」

 

 クドラクの宣言と共に世界から色が消え、クドラクの作り出した異界に飲み込まれる。

 

『異界』

 それは悪魔たちの跋扈する現世と対をなす裏の世界。悪魔達はその異界を自身の力で限局的に引き起こすことができる。これを異界化という。

 

 

「召喚――」

 

 クドラクを睨みつつ、星命はその太腿に巻いた弾帯から管を一本引き抜きそのままの勢いで振りぬく。

 

「――十二天将 『トウダ』!」

 

 振り抜いた管から生じた淡い緑の光が弧を描き、叫ぶと同時に右手の指に挟まれた管の光が強くなった。

 輝いた管から一本の光が蛇行しつつ星命の前へと躍り出て、異形のモノへと変化する。光が終息すると、そこには体長数十メートルほどの大蛇が居た。その体躯は電信柱よりも僅かに太く、その鱗のところどころに炎を纏っている。

 

「アオォーーン! 手短ニ頼ムゾ さまなー!」

 

 現れた異形――トウダは星命の喚ぶ声に威勢良く応え、その背中に生えた羽で空中を滑るように星命の周りを飛ぶ。

 

『トウダ』

 陰陽師の使役する十二天将の一柱であり、方角の南東、干支の巳を現す炎の大蛇である。

 

 

「トウダ、『神寄せ』を行う。時間を稼げ、決して倒すな」

 

「イイダロウ! 悪魔ノ 血ガ騒グゾ アオォーン!」

 

 星命の指令に従い、トウダがクドラクへと襲い掛かる。

 

「オレサマ オマエ マルカジリ!」

 

 大きく開けた口から炎の吐息を漏らしつつ、風を切ってトウダがクドラクへと突進する。

 

「ぬるいわッ!」

 

 クドラクがトウダの突進を体を捻って回避する。開かれたトウダの口はガチリと空を噛み、クドラクは捻った体で遠心力を加え、トウダの体にそのまま渾身の回し蹴りを放つ。

 踵に伝わる振動に確かな手応えを感じ、クドラクがニヤリと口を歪めてトウダの顔を見る。

 

「ヌルイノハ オマエノ方ダナ 毛ホドモ痛クナイゾ」

 

 しかし、トウダの鱗によって衝撃は阻まれ、あまり効果は無かったようだ。涼しげに熱い吐息を吐き出しトウダはチロリと二股の舌を口から覗かせた。

 その後も両者の戦闘は続くが、どちらも有効な一打は入れられない。

 

 その様子を見ながら星命は自身の式神に意識を傾け、近くに居るはずであろうある者に語りかける。

 

――わかった、君に協力しよう。

 

 どこからともなく声が聞こえる、星命だけにその声は届いていた。

 

「よし!」

 

 数十秒の間の後、星命が右手で刀印を結び、左手の手の平を前に突き出す。

 

「五行 五訣 八卦 六大課。 風に乗り、水に流れる彼の者の気と式神の縁を辿り、ここへ喚べ。『陰陽 神寄せ』!」

 

 星命が叫ぶと同時に足元に光の線が現れる。線は進んだり曲がったりを繰り返し、地面に五芒星を形成する。

 

 眼を焼くような光を五芒星が放ち、やがてその光の中から人影が一つ歩み出て来た。

 光が潰えた時、そこには蝙蝠のマークが背中に入った白いコートをきた長髪の青年が立っていた。

 

「久しぶりだな、クドラク」

 

「貴様は……クルースニク! 馬鹿な、そこの小僧の管にお前は居なかったはずだ!」

 

 出て来た青年にクドラクは眼を見開いて驚きの声を上げた。

 

 ――その隙をトウダは見逃さなかった。

 

 クドラクの体に巻きついてその動きを封じにかかる。抵抗もむなしく、クドラクは四肢の自由を奪われた。

 

「確かに、普通のサマナーであれば管の中に居ない、ましてや契約もしていない悪魔を喚ぶなんて不可能さ」

 

 トウダに締め付けられているクドラクに向かって解答したのはクルースニクと呼ばれた青年ではなく星命であった。

 

「だが、僕はデビルサマナーであると同時に陰陽師でもある。大局に応じて必要なものを揃えられてこそ一流なんだよ」

 

 眼鏡に手を当てて、星命は言う。星命が言い終えると、突如クルースニクがその一本に束ねられた髪をはためかせ、クドラクに向かって一直線に風を切って駆ける。

 

クドラクの側によるとそのままの勢いで左手で右手に持った白い鞘から銀の剣を抜き、その白刃でクドラクの首を切り払った。

 

「今回も、私の勝ちだな……クドラク」

 

「馬鹿な……クソッ! やっと異界を抜けたと思ったのに……」

 

 勝利の宣言をするクルースニクに胴と切り離されたクドラクの首は悔恨の念を呟く。

 

「だが、このままでは終わらんぞ……」

 

 ゴトリ、と床へ落ちたクドラクの生首が星命の後ろに居る士郎達を捕らえた。

 

「小娘ども、貴様等も道連れだッ!」

 

 士郎達を見つめるその双眼が赤く光ったかと思うと、士郎達の頭上の天井に、先程よりも大きくどす黒い怨嗟の魔法陣が現れる。

 

「これは!」

 

 士郎が天井を見上げながらうわずった声を上げた。先ほど同じ術を受けた恭也の様子から、危険である事はわかっていたが負傷した恭也と二人の少女、そして忍を抱えてこの場を移動するのはとても無理があった。

 

「まだ呪殺を使えるほどの力が残っていたのか!?」

 

 クルースニクも切羽詰った声を出す。しかし、対照的に星命は飄々としていた。

 

「大丈夫、もう既に手は打ってある」

 

 星命が呟いたその瞬間、士郎の目の前の空間が青白く光った。

 光が横に四本、縦に五本の格子を描く。格子の光が網のように広がり、士郎達の周囲を包む。

 六芒星の魔法陣から黒いもやが真下に向かって降り注ぐ。しかし、もやは青白い光の網によって阻まれて士郎たちに届く事はない。

 やがて、じわじわと黒い光はその勢いを失い、方陣と共に消えさった。

 同じくして、士郎達の周りにあった網も溶けるように消えた。

 

「そんな馬鹿な……私の呪殺を無効化するとは……」

 

 自身の背水の呪殺を封じられ、クドラクが驚きに眼を見開く。

 

「九字護身の法、悪魔達の外法の魔法を相殺する術さ。言っただろう? 僕ら陰陽師の戦い方は大局的だと」

 

 子供とは思えぬ冷ややかな笑みを浮かべて、星命はクドラクに言い放つ。

 

「貴様、いったい――ギッ!」

 

 言い終わる前にクドラクの頭が粉々に吹き飛びそのまま黒い粒子となって霧散した。

 

 クドラクの頭が落ちていた場所には小さなクレーターと銀剣を床に叩き付けたクルースニクが立っていた。

 トウダに縛られたまま、主を失ったクドラクの体も黒い霧となって散っていった。

 

 戦いを終え、トウダとクルースニクが星命の下へ戻ってくる。

 

「ご苦労さまトウダ、管へ」

「マタナ さまなー! アォーーン!」

 

 トウダの体が光に包まれ、星命の持つ管の中へ吸い込まれていった。

 

「ありがとう、君のおかげでクドラクを倒すことができた。これでしばらくはクドラクも復活しないだろう。お礼、と言ってはなんだが君の力になりたい」

 

 クルースニクが友好的な笑みを浮かべながら、星命に向かって言う。

 

「いや、こっちとしても助かったよ。ちょうど管にも空きがあるし、契約をお願いしたいんだけど構わないね?」

 

 クルースニクと会話をしつつ、星命はトウダが入ったのとは別の管を取り出す。

 

「了解しました、サマナー。私の名はクルースニク、今後ともよろしく」

 

 そういうとクルースニクの体が緑光を放ち、星命の持つ管へと吸い込まれていった。それを確認すると星命は踵を返して士郎達の下へ歩き出した。

 

 何が起こったかを理解できず、呆然としている彼等の顔を眺める。

 

――こちらの秘密も見られてしまったが、どうやら彼等も特殊な事情を持つ者のようだ。

 

――いっそ話すのも手か……

 

 思考をしながら星命はゆっくりと士郎達の下へと歩いて行った。




 タグに書いてある拡大解釈というのは星命の使う陰陽術が大半です。
 原作漫画でも奇門遁甲や臨月天光の術の効力などが少し文献と違っていたり、強くなっていたりしたので一応このように表記しました。

 この小説においても今回のように星命に様々な術を使わせる予定ですがやりすぎが起こらないよう気をつけたいところです……


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第四話 『人柱』

「それじゃ、洗いざらい話してもらおうか」

 

 士郎が言い放った声が静寂に包まれた室内に響く。

 

「わかりました、今から言う事は全て真実です。信るか信じないかはそちらにお任せします」

 

 士郎の言葉に星命が返す。

 そこは月村邸の応接間。星命は今、その中央に位置する場所にあるソファーに座っている。

 目の前にある長方形の小さなテーブルを挟み反対側にも三脚ほど星命の座るものと同じ一人掛けのソファーが並んでおり、そこには星命から見て左からそれぞれ士郎、忍、恭也が座している。

 

 ――なんだか学校に編入する時の面接試験に似てるなぁ……

 

 前の世でヤタガラスの任務で弓月の君高等師範学校に編入した時に同じような形式で面接試験があったのを星命は思い出していた。

 もっともその時は校長、教頭、生徒指導教諭の三人であったが、生徒指導教諭の髪型が鬼の二本角ように尖っていて笑いを堪えるのが大変だったことを覚えている。

 

 それはともかく。

 

 ――さて何から話そうか……

 

 少し思考して、星命が口を開く。 

 

「まず、記憶喪失と言うのは嘘です。そして僕はこの世界の人間ではありません、大正二十年の帝都からきました」 

 

「大正二十年? からかってるのかしら、ここ日本で大正は十五年までしかないわ」 

 

 星命の発言に対し、忍が棘のある言い方で返す。 

 

「事実です。残念ながら証明できるものはありませんが……」 

 

「いや、それなら一部納得がいく。俺達にテレビや洗濯機、電子レンジのことを詳しく聞いてきたのは覚えていなかったのではなく知らなかったからか」 

 

「はい、その通りです。図書館での調査の結果、おおまかな歴史は同じですが、年号や起きた事件、事象などが所々違っていました。その事から僕は別の世界へ飛ばされたと判断しました」

 

 証明するものが無いと言った星命に士郎が納得したように言う。渡りに船と星命も肯定し、自分の仮説を披露する。 

 

「別の世界か、いつもの俺ならとても信じないだろうなぁ……」

 

 両手を組んだ士郎がしみじみと呟く、普段であればそんSF染みた話など信じる事はないだろう。

 しかし、自分達がつい先ほど経験した超常現象は夢でもなければ幻でもない。

 既に常識など通じないのだ。

 

「では、君が使っていたあの不思議な術はなんだい?」 

 

 士郎が尋ねる。

 

「あれは陰陽術です。陰陽師 安倍 晴明はご存知で?」 

 

「ああ、平安の陰陽師だったかな? 君と同じ名前のようだが、もしかして……?」 

 

 風間から聞いた話を思い出しながら士郎は答える。

 

「いえ、僕はその本家の末裔の嫡男です。星命という名前も先祖である安倍晴明にあやかってつけられました」

 

「皆さんにお見せしたのは『九字護身の法』と『神寄せ』ですね」

 

「これは違うのか?」

 

 恭也が自身の左手首に巻いてある符を突きだして尋ねる。

 

「その札に限っては厳密には陰陽道ではなく仏教の方面のものですね。仏教の孔雀明王の陀羅尼を簡単に書き写したものです。あまり強くはないですが、厄払いの効果があります」

 

「まぁ、陰陽道自体が異なる様々な宗教思想の集合体なので全く違うとも言い切れないのですが……」

 

 古来より、孔雀は毒蛇や害虫を食べる有益な鳥とされており、それが神格化したのが孔雀明王であるといわれている。

 その為、孔雀明王には人々から災厄や痛みを取り除く力があるとされており、その真言や陀羅尼にも同様の効果があるとされている。

 その為、呪いを受けた恭也の腕から魔を祓うために星命は即興で孔雀明王の陀羅尼を書きつづったのだ。

 

「九字護身の法はその名の通り、九字を切ることで身を守る結界を張るものです」

 

 修行僧とかがよくやってるあれか、と恭也が相槌を打った。

 

「また、神寄せは風水の力を用いて近くに居る悪魔を式神を霊媒にすることで自分のいる場所へ呼び寄せる術です」

 

「アクマ? アクマってあの悪魔?」

 

 忍が星命に尋ねる。

 

「はい、悪魔とはいわゆる魔人や女神などの伝承に描かれている人ではない力を持つ異形の者達のことです」

 

「そして、それら悪魔達と契約を交わし、召喚・使役する術のことを悪魔召喚術と言います」

 

「見せたほうが早いですね」

 

 星命が立ち上がり、太腿のベルトから管を引き抜き、左の何も無い空間を向く。

 

「召喚、クルースニク」

 

 言い終わると同時に管が緑色に輝き、光が人の姿を形作る。光りが収まると、そこには先ほどのビルでも見た蝙蝠のマークの入った白いコートを羽織り、黒髪を背中まで伸ばした青年が立っていた。その長い髪は根元の辺りで一本に束ねられている。

 敢えてトウダではなくクルースニクを喚んだのは火災を心配しての事だというのは言うまでもないだろう。

 

「そして、その悪魔召喚と使役を生業とする者たちをデビルサマナーと呼びます」

 

「では、そこの……クルースニクさん? も、悪魔なのか」

 

 士郎が尋ねる。

 

「はい、クルースニクはスロベニアの伝承に伝わる光と善のヴァンパイアハンターです」

 

 ヴァンパイアハンター、と聞いた一同が全員一様にビクリとその肩を震わせた。

 その様子を見て、星命はくつくつと笑う。

 

「大丈夫ですよ、クルースニクが相手をする吸血鬼はクドラク、すなわちビルの中で戦った銀髪の吸血鬼だけです。クドラクを倒せるのはクルースニクだけですから」

 

 クドラクは白い羊膜を飲んだクルースニク以外に倒されると、後に更に強力となって復活するのだ。

 そのため、星命はビルの突入前に放った式神にクルースニクの捜索をさせ、トウダが時間を稼いでいる間に神寄せで喚び出したのである。

 

「ひとつ、お伝えしなければならないことがあります」

 

 ぽつりと星命が呟く。その神妙な面持ちから、周囲の空気も引き締まる。

 

「忍さんのご親戚である月村安次郎さんはおそらく、もうこの世にいません」

 

「なんだと?」

 

 星命の発言に恭也が怪訝な声を出す。敢えてその声に応えず星命は話を続ける。

 

「クドラクは狡猾な悪魔です。おそらく、クルースニクからの追跡を逃れるため、吸血鬼の気配を持つあなた方の一族の人間と成り代わり、気配を隠していたのでしょう」

 

『木を隠すなら森の中』を地で行く作戦であるがその効果は絶大であった。

 実際、クルースニクも散在する吸血鬼の気配でクドラクの捜索が難航していた。もし、星命に神寄せで呼ばれなければ見つけることは難しかったであろう。

 

「ですが、自身がその姿を取るのに本物を生かしているはずがありません」

 

「……だから、安次郎はもうこの世にいないと?」

 

「はい」

 

 下級の悪魔か、知能の低い悪魔であればいざ知らず、上級の悪魔、それも狡猾なクドラクともなれば自身が成り代わった人間をそのまま放置しておく事は考えにくい。

 確実に自分と変身元の人間が鉢合わせにならない方法、それは変身元の人間の抹殺である。ほぼ間違いなくクドラクは安次郎を抹殺していると、星命は睨んでいた。

 

 

「複雑ね、今まで色々と嫌がらせをされてきて怨んだこともあるけれど、本当に死なれるとなんだか気分が悪いわ……」

 

 手の甲を瞼に被せ、天井を仰いで忍は溜息を一つ吐いた。

 その直後何かを思い出したようにあっ!と声を上げた。

 

「思い出した! デビルサマナー……お婆様から聞いたことがあったのよ、遥か昔に悪魔を操り日本を霊的に守護する役割を持つ者達と組織があったと。でも七十余年前の世界大戦中に忽然と姿を消したと聞いたけど……」

 

 心のもやが晴れた事で興奮した忍がテーブルに身を乗り出して一息に捲くし立てる。

 

 ――デビルサマナーがいた? でも歴史資料には何の痕跡もなかったはずだが……

 

 忍の言葉に星命の脳裏にまたもや疑問が浮かぶ。

 

「私がご説明しましょう」

 

 星命の様子を見ていたクルースニクがその疑問を汲み取り、長らく閉じていたその口を開く。

 

「七十余年前の世界大戦で、この世界の大多数のデビルサマナーが命を落としました。それによって世に蔓延る悪魔達に対して、対処が回らなくなり始めたのです」

 

「戦争開始から十年後のことです。生き残ったデビルサマナー達はこれ以上悪魔を現世に跋扈させないために、異界から現世の行くための道を封印したのです」

 

 そこまで話したところで星命が「待った」と声をかける。

 

「世界各地の異界との接点に結界を張って閉じるためには強大な力が必要だ。その力はどこから持ってきたんだい? まさかとは思うけど……」

 

 星命が真剣な顔で尋ねる。この世の異界全てを封じるにはそれ相応のエネルギーがいるのだ。

 星命もその力を手に入れる方法のいくつかは知っていたが口に出したくはなかった。こういった手合いの呪術はその求める力の大きさに比例して求める側が差し出すものも大きくなるからだ。

 

 それを汲み取ったクルースニクは肯定の意を示すように頷き。星命の質問に答える。

 

「お察しの通りです、生き残ったデビルサマナーのほとんどが『人柱』となって結界を作りました」

 

「やはりそうか……」

 

 帰ってきたクルースニクの答えに星命が顔をしかめた。できることなら一番聞きたくはなかった方法である。

 

「人柱って?」

 

 一人と一柱の意図が読めず、忍が尋ねる。 

 

「簡単に言えば生贄です。地面に掘った穴に複数の人を生き埋めにしてそこに結界を張り、埋められた者達の魂と肉体の力によって結界をより強固にする呪法です」

 

「な……っ!?」

 

 星命の説明に忍が驚愕の声を漏らした。他の面々も、星命とクルースニク以外の全員が驚きに目を見開いている。

 

「戦争であれば、死人はいくらでも出ますから魂と肉体の確保も容易です。そこにデビルサマナーほどの霊力を秘めた存在が入ればかなり強力な結界になります……」

 

 全員が固まっている中、星命が頭を垂れて呟いた。場を静寂が支配する。

 

「話を続けます」と、クルースニクが沈黙を破った、全員の視線がクルースニクへと戻る。

 

「結界が張られ、数十年間は悪魔が人間の前に現れることも悪魔の力が現世に影響を与えることもありませんでした。ですが、十年前からこの海鳴市周辺の結界が綻び、異界から現世へ悪魔が行き来できるようになったのです」

 

「最初は結界の綻びが小さい上に開くのも一年に一回程度で、いたずらをする下級悪魔が出入りする程度だったのですが、ここ十年の間に綻びの回数も大きさも増え続けて先日、ついに比較的上位の悪魔であるクドラクが異界から飛び出していきました」

 

「この周辺だけ? 理由はわからないのかい?」

 

「残念ながら、皆目見当も付きません」

 

 星命の質問に、クルースニクは首を横に振りながら答える。星命は別の質問をクルースニクにぶつけることにした。

 

「随分と詳しい所まで知っているけど、どうしてなのかな?」

 

「それは人柱になったサマナーの中に私が契約したサマナーが居たからです」

 

「そのサマナーはここ海鳴市の出身で、デビルサマナーを束ねるある組織に所属していました」

 

「そのサマナーの名とその組織の名前は?」

 

 星命の問いに答えるクルースニクに星命が更に質問をぶつける。

 

 

「サマナーの名前は十四代目 葛葉ライドウ。所属していた組織の名前は超國家機関 『キンシ』」 

 

「なんだって!?」

 

 星命の顔が驚愕に歪む。帰ってきた名前は元の世界のかつての友のものであった。

 

「『ヤタガラス』じゃなくて『キンシ』なのが唯一の救いか……」

 

 超國家機関の名が黒き烏ではなく金の鷲であったこと、それはこの世界が星命のいた世界ではない証拠。

 

 その為、死んだのは自身の親友ではなく赤の他人であること、それが星命には救いであった。

 年代として考えれば生きているはずはないが、生き埋めになって死んだなどと聞きたくはない。

 

 ――なるほど、記録が見つからないわけだ。

 

 星命は皮肉げに笑った。存在する組織が違えば隠蔽する事実も改竄する事件も違う。ともなれば歴史書程度でその存在を見つけるのはほぼ不可能であったという事である。

 

「ああ、置いてけぼりにしてすみません。取り合えず僕の説明は以上です、他に何かありますか?」

 

 取り合えず脱線に脱線を重ねた話を元に戻すことにし、星命は目の前の三人に声をかける。

 まるで現実味の無い話を聞いた忍達は言葉も出ない様子だったが沈黙を破って士郎が声を出した。

 

「つまり、これから先もその悪魔達がこの海鳴市に出てくるのか?」

 

「そのようですね」

 

 星命が答える。

 

「お願いがあるんです士郎さん、もしよろしければこのまま僕を高町家に置いて頂けないでしょうか?」

 

「このままでは、海鳴は害意を持つ悪魔たちの蔓延る魔の都市となってしまいます。僕も悪魔召喚師としてこの町に巣食う悪魔たちを放っておくわけにはいきません」

 

 星命が嘆願する。星命自身、悪魔達に罪もない弱者である海鳴市民が蹂躙されるところなど見たくはないのである。

 

「だから、事情が知れてるうちに居るのが都合が良い、か……良いのかい? 陰陽師で悪魔召喚師とはいえ、君はまだ子供だろう?」

 

 星命の提案に困ったように士郎は返す。困ったとはいっても星命を預かる事にではなく、星命がまだ幼すぎる子供であるということにである。

 

「ああ、そのですね……今はこんな姿をしてますが、一応前の世界では十代後半で高等師範学校の書生をしてたんです」

 

 部屋の時が止まった。一瞬の静寂が永遠に感じられる。

 

「……一応聞くけど、本当?」

 

「ええ、まぁ……」

 

 忍が聞くとを星命は苦笑しながら肯定する。

 忍自身は半信半疑といった様子であったが、一週間の間に星命の行動を見ていた士郎と恭也の心中では疑いよりも納得の心持が勝った。

 安倍晴明の末裔という名のある一族の嫡男、それも十代の後半の青年ともなれば、人一倍礼儀作法も文武も優れている事だろう。星命の異常な身のこなしと理知に満ちた言動の謎が今、氷解した。

 

「ということは、俺たちと同年代ってことになるのか」

 

「そういうことですね」

 

 恭也の漏らした言葉に星命が返した。

 

 こほんと忍がわざとらしく咳をして、不敵な笑みを浮かべながら口を開く。

 

「こちらからもお願い……というか依頼があるのだけれど、あなた来週からすずか達と同じ小学校に通ってすずか達を護衛してもらえないかしら? 戸籍と学費はうちが用意するわ」

 

「何を勝手な事を」

 

「こんな事件があった後だもの。すずか達に、護衛をつけたいのよ。どうせ雇うなら私的にも、公的にも護衛ができる人が良いじゃない? それに彼も事情を知ってる」

 

 恭也が口を挟むが忍はそれを理詰めで突っぱねた。

 

「それは……そうだが」

 

 歯切れ悪く恭也が呟く。正論なだけに返答に困り、ちらりと星命の方を見た。

 

「わかりました。そのお話、お受けしましょう。こちらとしてもこの世界の常識を学び直す必要がありますから」

 

 忍の提案に星命は少し考えた後にそう答えた。

 

「決まりだな、それじゃ星命くん今後ともよろしく」

 

「ありがとうございます士郎さん」

 

 士郎が締めくくり、星命は士郎に感謝を言った後、小さく礼をした。

 

 コンコンコン。

 

 と、不意に部屋の戸を叩く音が聞こえた。

 

「失礼します」

 

 外から女性の声が聞こえ、戸が開くと扉の置くから一人のエプロンドレスを着たメイドが姿を現した。

 

「どうしたの?ノエル」

 

「はい、そちらのお子様をすずかお嬢様がお呼びです」

 

 ノエルと呼ばれたメイドは恭しくお辞儀をしながら忍からの問いに答える。

 

「僕を?」

 

 自分の顔を指差し星命が尋ねる。

 

「すずかに夜の一族のことを説明するよう言ってあるの」

 

「そういえば僕も悪魔のことを話さないといけないな」

 

 そう言って星命は席を立った。立ち上がったところでふとあることに気が付く。

 

「あなたが説明したほうが早いんじゃないですか?」

 

 星命が忍に聞く。

 

「あの子も夜の一族の一員よ。いざという時には自分で片をつけれるようになってもらわないと」

 

「なるほど、僕はついでの稽古台といったところですか」

 

 本来であれば裏の事情を持つもの同士である上に、星命は既に大体の事情を知っている。

 そのため、別にすずかから話を聞く必要はない。しかし、そのままでは一族の一員としてのすずかの成長がない。

 よって自分を説明の第一号の練習台にしようという魂胆なのだろうと星命は予測した。

 

「そう思ってもらって構わないわ……お願いね」

 

 ――あれ?

 

 星命の脳裏に一瞬違和感が掠めた。一瞬だけ、忍の顔がとても切なそうに見えたのだ。

 

「まぁ、良いでしょう。それじゃ家政婦さん、案内をお願いします」

 

「承知しました」

 

 星命の言葉をノエルは優雅な礼で返した。

 その後ノエルの後に続き、星命は応接室をあとにした。

 

 

「……いいのか?」

 

「なにが?」

 

 恭也の問いに忍が答える。

 

「なにがって……あいつたぶん知らずに行ったぞ」

 

「そうね」

 

「わかってるなら、なぜ言わないで行かせたんだ?」

 

 責めるような、困ったような声で恭也は続ける。

 

 

「アリサちゃんも一緒にいることを」

 

 

 恭也のその一言を聞いて、忍はその口元に薄く笑みを浮かべた。

 

 ○

 

 ――聞いてない。

 

 星命は心の中で呟く。

 ノエルに通された部屋はお洒落な子供部屋であった。

 小さな天幕つきのベッドに白木を見事にしつらえたドレッサー、その隣には小さな本棚が幾つも並べられており、その上にはいくつもの猫のぬいぐるみが置かれている。

 

 その部屋の中央、他と同じ白で合わせられた小さなラウンドテーブルを二人の少女が囲んでいる。

 

 言わずもがな、誘拐された二人、月村すずかと、アリサ・バニングスの両人である。

 二人とも、どういう風に言葉を交わして良いかわからず、仕方無しに沈黙を貫いているようだった。

 

 ――良く考えれば彼女もあの場に居たのだから月村家の秘密の一端には触れてるのか。

 

 一度真っ白になった頭を奮い起こし、思考を建て直す。

 

『お願いね』

 

 静かになった星命の脳裏に忍の声が響いた。

 

 ――なるほど、そういうことか。

 

 ――稽古というのは単なる建前。本当の目的は友人である異国人の少女に秘密の共有をさせることだ。

 

 星命は理解する。あの時、忍がした切なげな表情は少女達二人の仲を案じてのものだったのだ。

 

 ――そして、僕に緩衝の役割をしろと。

 

 二人の少女の間に亀裂が入らぬよう、星命を緩衝材代わりに投入することで様々な意味での彼女達の心のショックを緩和させようということなのだろう。

 

「あんた、いつまでそこで突っ立ってんの?」

 

 考え込む星命に訝しげな金髪の少女の声と視線が刺さった。

 

「ああ、すまない失礼するよ」

 

 声に応えて、星命は部屋の奥へと進む。

 ふと、テーブルの下で震えている、あるものが星命の眼に入った。

 

 震えていたのは、足だった。

 

  カチューシャの少女、月村すずかの膝下まで伸びた紺のスカートから覗く足が、小刻みに震えているのだ。そして、その足の震えを抑えるように両手を膝の上に乗せているようだが、震えが治まる気配はない。むしろ、その震えが肩まで伝染しそうな勢いであった。 

 

 ――緊張をほどくのが先かな。

 

 見ているこちらが緊張しそうなぐらいに竦みあがった少女の表情を見ながら星命は口を開く。

 

「自己紹介がまだだったね、僕の名前は星命、安倍星命だ」

 

「……月村すずかです」

 

「アリサ・バニングスよ」

 

 それぞれの名前を言い終わった後、アリサが大きく息を吸い込んだ。

 

「あんたあの時、一体どこから出てきたのよ! っていうか、あの剣は何!? なんで蛇の怪物を出せるの? あとあのミイラ男は一体何者なの!?」

 

 一息に、物凄い剣幕と勢いで星命に捲くし立てる。長らく守っていた気まずい沈黙は幼く、活発な性格を持つ彼女には相当に堪えたようだ。

 

 つまり、八つ当たりである。

 

「ええっとだね、まず君達の前にいきなり現れたのは隠形術、という術を使ったからなんだ」

 

「おんぎょうじゅつ?」

 

「そう、姿や気配を隠す術だよ。こんな風にね」

 

 言い終わると同時に霞の中に消えるが如く、星命の姿が消失した。

 

『消えた!』

 

 二人の少女が同時に驚きの声を上げる。

 少しして、以前の時と同じように霞が晴れるようにして星命が姿を現した。

 

「これが隠形術、僕ら陰陽師が使う陰陽術のひとつだ」

 

 それでもって、と星命が言いつつ、サイドポーチから一枚の霊符を出す。

 星命がその符を握ると符から柄と刃が伸び、一本の直刀へと変じた。

 

「剣の方もその符術のひとつさ、他にも式神を使役したりもできる」

 

「すごい、本当に小説とかに出てくる陰陽師みたい」

 

 すずかが言葉を漏らす。その顔には既に先ほどのような緊張はなく、見たこともない星命の術に目を輝かせている。

 

「じゃあ、あの大きなヘビみたいなのもその…おんみょうじゅつ? なの?」

 

「それは悪魔召喚術だよ、悪魔というのは――」

 

 アリサが頬に指を当てて尋ね、星命は士郎達にしたのと同様の説明を始める。

 

「――それでさっきのミイラ男はスラブ伝承の吸血鬼ってわけさ」

 

「悪魔って本当にいるのね……」

 

「……」

 

 腕を組んでいうアリサがいうが、すずかは何も言わずに俯いた。

 

「二人には、伝えなくちゃいけないことがあるの……」

 

 搾り出すような声が、耳に届く。

 

すずかの声であった。

 

「わたしたちは夜の一族っていう吸血鬼の一族なんだ」

 

「人間の血を飲まないとあまり長生きできない替わりに普通の人よりも力が強かったり、足が速かったりするの」

 

「さっきのクドラクっていう悪魔と同じ、吸血鬼なんだ……」

 

 眼に涙を貯めてすずかはこぼすように呟いた。

 

「誤解をさせたことを、先に謝っておくよ」

 

「え?」

 

 静かに頭を下げた星命にすずかは疑問符を返す。

 

「たしかに君達は吸血鬼の一族だ。だが、決して悪魔に分類されるものではない」

 

「僕ら、悪魔召喚師の関係者でもそういった異能を持つ人は多いんだよ。実際僕の知り合いにも『半分吸血鬼化した人間』っていうのがいるからね」

 

 帝都の筑土町の地下に悪魔実験施設を構える狂気科学者の顔を脳裏に浮かべて、星命は言う。

 

「でも悪魔は悪魔、最初に言ったとおり伝承の存在でしかない」

 

「じゃあわたしたちは悪魔じゃないの?」

 

「うん、君達は異能はあるけど人間だ。僕が保証するよ」

 

 微笑んで、星命は一度、頷いた。そのまま、隣の椅子に座るアリサの方を向く。

 

「さて、キミはどうする?」

 

「ど、どうするって何よ……?」

 

 戸惑っているのかその口調には先ほどのような覇気がない。

 

「友達が自分の秘密を告白したんだよ? なら告白された友人としてはその秘密を一緒に背負うべきなんじゃないのかな?」

 

 温和な笑みで諭すように星命が言う。

 

「そ、そんなことあんたに言われなくてもわかってるわよ!」

 

 星命の言っていることの意図を察したのか、アリサはすずかの座る椅子に向かって歩み寄り、すずかの両手を自分の両手で包むように握る。

 

「吸血一族だろうと何だろうとすずかはすずかよ、私はずっとすずかの友達よ!」

 

「うん…! ありがとう、アリサちゃん」

 

 感極まってか、泣き出してしまった二人を遠めに、星命は眺めていた。

 

 ――君の悲しみも共に背負おう。それが、自分と星命との繋がりだ

 

 かつての友に言われた言葉が頭の中で何度も反芻される。

 

 ――背負うと言われたとき、何よりも嬉しかったんだよライドウ君。

 

 あの時、自身の長年の血と涙の計画を利用されたことと、蟲毒の世への嘆き。

 二つの悲しみを共に背負うと言ってくれた彼の言葉は何よりも救いとなった。

 

 だからだろう、文句も言わずに以前なら歯牙にもかけなかったこんなお節介を焼いているのは。

 ただ、星命としてもすずかには救われて欲しかったのだ。悲痛に話す彼女の顔に今際のきわの自分を星命は重ねて見ていた。

 

 ――この世界にもあるんだね、蟲毒に屈しない人の可能性が。

 

 星命の言葉を聞いて、脇目も振らずアリサはすずかの手を取った。

 迷う事もなく即座に友人の手を取ったのだ。子供ゆえの純粋さがなせる業であったかも知れないが星命にとってそれは些細なものであったのだ。

 アリサが示した行動は、星命に自身の最期に差し伸べられた手を思い出させた。

 

 抱き合いながら涙する少女達を尻目に、星命はおもむろに部屋を出るために踵を返す。

 

 ――もう一度、友達で居たいと言ったら彼は怒るかな?

 

 戸を潜りながら星命は考える。敵として戦った以上、面と向かって仲直りするのは少々気恥ずかしい。

 そんなことを考えている自分がおかしくて星命はつい自嘲する。

 

 

 そんな機会などもうないというのに。

 

 

 ――いや、彼の事だ。たぶん何も言わなくても傍にいてくれるのかもしれないな。なんていったって彼は……

 

 

 ――お人好しだからね。

 

 確約はないが妙に確信めいたものが星命の心の中にはあった。

 

 これからは彼のお人好しを少し、真似してみるのもいいかもしれない。

 そう思いながら、星命はそっと、ドアを閉めた。

 

 

 ○

 

「勘よ」

 

「は?」

 

 応接間に恭也の間の抜けた声が上がった。

 

「私達と同じ年代なのに妙に場慣れしてるような気がするの、達観しすぎてるような……だから、すずかとアリサちゃんの事も上手く納めてくれそうな気がしたのよ」

 

 年頃が同じにも関わらず、悪魔を倒す事に戸惑いはなく、多くの人間が人柱になったというのに自分達ほど動揺しなかった星命に忍は疑念を抱いていた。

 

「それはそうだが……デビルサマナーで、安倍家の嫡男ほどの人間なら普通なんじゃないか?」

 

 妙に達観している、というのには恭也も同意見だった。

 だが、それは星命の身の上を考えれば納得のいくことでもある。

 

「それを言われたら何も言えないわね、でも何か引き込まれるような感じがしたのよ」

 

 少し唇を尖らせながら、忍は言う。

 悪魔召喚師で名家の嫡男ともなれば、夜の一族である自分と同等かそれ以上にしがらみも多いだろう。

 だが、それとは別に言い知れぬ不気味さを忍は星命に感じていた。

 

「それだけで星命に任せたのか?」

 

「そうね、彼の人格試験というのもあったけれど」

 

「……もしかしたら彼、物凄い過去を抱えてるのかもしれないわね」

 

 あの小さな体にどれほどの過去が詰め込まれているのか。

 忍の中では、これから肝試しをする子供のような好奇心と不安の火が灯っていた。

 



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第五話 『新進気鋭のモダン陰陽生』

 日曜日の昼過ぎ、九月も下旬の終わりに差し掛かかり、海鳴の青い秋の空には白いうろこ雲が点在している。

 その空の下、海沿いの道路に面した神社の境内に一人の子供の姿があった。

 その子供とは安倍星命であった。しかし、その姿は黒の学生服ではなく黄緑のポロシャツと黒のストレートジーンズというカジュアルな格好をして、鳥居を潜り拝殿へと伸びる石畳の上を歩いている。

 

 拝殿の賽銭箱の前まで進み出た星命がポロシャツの胸のポケットから五円玉の硬貨を取り出し、左手で拝殿の鈴から下がった綱を握ろうとした、その時であった。

 

「懐かしい気配がしたかと思えば…なるほど、デビルサマナーか」

 

 後ろからわずかに風が吹いたかと思うと、その風に乗って男の声が星命の耳に届いた。

 しかし、星命は大して驚く素振りも見せず、ゆっくりと振り向く。

 そこには金の太陽の模様が散りばめられた狩衣を着て、垂纓冠を被る男が一人、立っていた。

 その顔には満遍なくおしろいが塗られ、頬紅を薄く円形に塗っている。

 まるで平安の公家の貴族がそのまま現代に現れたかのような風貌であった。

 

「お初にお目にかかります、コトシロヌシ」

 

 星命が男に語りかける。

 

『コトシロヌシ』

 オオクニヌシとカムヤタテヒメの子とされる国津神である。神託、託宣を司る神であると共に、七福神の恵比寿として見られることもあるため、海上安全・漁業の神ともされている。

 

「堅苦しい言葉遣いはいらぬ。して、何用じゃ?」

 

「僕は、つい最近この街に来たデビルサマナーだ」

 

「はて? キンシは壊滅したと聞いたが」

 

 コトシロヌシが両袖に手を入れて首を傾げる。

 

「僕はキンシとは関係が無い。だが、人柱の結界の件を聞いて自主的にこの街を護ろうと考えている」

 

「それで今、この街の守護を担っている神社仏閣の悪魔たちに挨拶回りをしているところさ」

 

「なるほど、その小さき身で殊勝な事だ」

 

星命が自身の目的を語ると、コトシロヌシは感心したようにカラカラと笑った。

 

「一つ、よろしいか?」

 

 コトシロヌシはその糸のように細い眼をさらに細くして、星命に尋ねる。

 

「なんだい?」

 

 周囲の空気の微妙な変化に気づいた星命が身構える。

 

「同じくこの地を護るものとして、その力、興味がある」

 

「そちの力量、試させてもらおう」

 

 放たれる殺気と共に世界が色を失くす。青い空は夕焼けのような朱に染まり、青々と茂る周りの雑木林が灰色に変わる。

 

 コトシロヌシが周囲の異界化を行ったのだ。

 

 コトシロヌシが石畳を蹴り、星命に向かって一直線に空を駆ける。

 中空を駆けながら両手をそれぞれ反対の腕の袖に入れ、勢い良く引き抜き、取り出したものを星命に向かって叩き付ける。

 

 星命はそれを左へ転がって避け、更に前へと跳び、前転で一度受け身を取って振り返る。片膝を突き、しゃがんだままの体勢でコトシロヌシを見上げる。

 コトシロヌシも振り返り、再度星命と面を合わせる。その両手にはそれぞれ三日月と太陽の模様の入った一対の団扇が握られている。

 

 星命は着地したままの姿勢、片膝をついたその状態でジーンズの裾をたくし上げ、靴下に仕込んで置いた管を抜く。

 

「召喚!」

 

 掛け声と共にマグネタイトの淡い緑の光が管から飛び出し、光が人の形を取る。

 現れたのは白き吸血鬼始末人、クルースニクであった。

 

 管から飛び出したクルースニクがその勢いのまま、右手に握った鞘から柄を引き抜き、刃渡り八十センチほどの銀の刃をコトシロヌシの頭に向かって振り下ろす。

 

 コトシロヌシは右手の月の団扇でそれを受ける、剣と剣がぶつかる様な高い音が辺りに響き、それぞれの得物から火花が散る。

 

「キエェイッ!」

 

 コトシロヌシがもう片方の手に握られた太陽の団扇を、クルースニクの首筋目掛けて薙ぐ。

 クルースニクは自身の首と団扇の間に右手の白い鞘を割り込ませ、これを受け止める。先ほどと違い、竹を金槌で叩いたような小気味の良い音が鳴る。

 

 力比べをするかのように鍔迫り合いをしていた両者だったが、突如クルースニクが後ろへと跳んだ。

 

 跳んだクルースニクを回り込む様に、黒いツバメの切り絵が二枚、空中で弧を描きながらコトシロヌシへ向かって空を駆る。

 

「ジャッ!」

 

 右手の団扇で一枚を叩き落とし、もう一方へと目を向けたその時。

 ツバメが黒い茨でこしらえたような網へと姿を変え、コトシロヌシを呑み込まんとその口を広げていた。

 

「マハ・ザン!」

 

 コトシロヌシが左手の団扇で目の前の空気を煽ると突風が吹き荒れ、網を弾き飛ばした。

 突風にもまれた網はバラバラに千切れ飛び、霧散する。

 

「どうしますかセイメイ。このままだとあまり楽には勝てそうにありませんが」

 

 バックステップで星命の下へと戻ったクルースニクが聞く。

 

「同感だね、それに恐らくまだ隠し玉がある」

 

 余裕の表情を崩さないコトシロヌシの態度から、星命はコトシロヌシに何か奥の手があると睨んでいた。

 

「何か良い案は?」

 

「あるけど……まだ試した事ないからちょっと不安だなぁ」

 

「大丈夫なのですか?」

 

「隠し玉の内容によるけど、たぶん大丈夫だと思うよ。次は僕も前へ出る」

 

「了解しました」

 

 頷いたクルースニクが再度、コトシロヌシへ向かい地を駆ける。

 それに合わせて、コトシロヌシもクルースニク向かって走り出した。

 

 星命もクルースニクを追いながら、鞄の中へ腕を突っ込んだ。

 少しして、鞄から引き抜かれたその手にはクルースニクを召喚したものとはまた別の管が握られていた――

 

「セヤッ!」

 

 クルースニクは走る勢いのままコトシロヌシの首目掛けて銀剣を横に振りぬく。

 コトシロヌシが体を反らすとさっきまで首があった位置を刃が通り抜けた。

 

「マハ・ザン」

 

 コトシロヌシの周りを旋風が疾る。クルースニクは咄嗟に後ろへと下がった。

 

 そこへ星命が駆けてくる、右足に大きく力を溜めて地面を蹴るとその体は羽のような身軽さで宙を舞った、そのまま左足で前にいたクルースニクの右肩を蹴り、さらに大きく跳躍する。

 

 星命が上空から両手に持った霊符を乱れ投げる。

 投げられた符が直刀へと変化し、コトシロヌシの頭上に降り注いだ。

 

 コトシロヌシは慌てる素振りも見せず、両手の団扇で打ち払った。

 しかし、間髪入れずにクルースニクがコトシロヌシの鳩尾目掛けて突きを放つ。

 

「ヌゥッ!?」

 

 意表を突かれたコトシロヌシの顔がわずかに歪む、コトシロヌシは団扇の面で突きを防ぐが、突きの勢いを殺しきれず、堪らず後ろへと跳ねた。

 

 しかし、跳ねた先へ更に空中から飛来した星命が両手で縦に構えた七星剣を重力を乗せて真っ直ぐに振り下ろす。

 

「グッ……!」

 

 星命の剣を両手で交差させた二つの団扇で防ぎ、これを押し返した。

 星命は一瞬空中でバランスを崩すが、体勢を立て直し、片膝と左手を突いて何とか着地した。

 

「流石に、二対一では堪える……」

 

 額に汗を浮かべて、コトシロヌシが団扇を袖に仕舞う。

 

「一対一に、させてもらうぞよ」

 

 胸の前に掲げた両手の左右の手の平を外側に向け、手の甲を打ち合わせた。

 

『天の逆手』

 

 コトシロヌシが呟くと地鳴りと共に、突然クルースニクの周りに天にそびえる様な高さの草で出来た壁が現れる。

 まるで、突然現れた草むらが、物凄い速さで成長しているかのようだった。

 

「これは!?」

 

 驚きの声を上げ、その場から逃れようとするが後の祭りだった、次々とそびえ立つ草の壁がクルースニクを取り囲み、まるで塔のようになって内部へ閉じ込めた。

 

「これは……青柴垣(アオフシガキ)か」

 

 星命が呟く。良く見ると、それは草ではなく灌木で編まれた垣根だった。

 

 青柴垣。

 青葉の柴の木を使って編みこまれた垣根であり、国譲りの際にコトシロヌシが隠れたとされる垣根の事だ。

 

『天の逆手』とは、コトシロヌシが国譲りの際に行った呪法である。 

 コトシロヌシは国譲りのときに天の逆手で自身の乗る船を青柴垣に変貌させ、その中へ隠れたとされている。

 

 

 しかし、まさか星命もそれで仲魔を隠されるとは思ってはいなかった。

 先ほどから召し寄せを行っているがクルースニクが戻ってくる気配は無い。

 クルースニクが塀を破壊しようと奮闘しているのか、内部から刃物で草を刈る音が聞こえるが、クルースニクが戻るより先にコトシロヌシが動いた。

 

「これで一対一ぞ」

 

 再度、袖から団扇を取り出し、星命の元へと向かってくる。

 

「いかにデビルサマナーと言えど、まだわらしよな。さぁ、如何する!?」

 

 一直線に駆け寄ってきたコトシロヌシは星命の目の前で止まり、頭部目掛けて団扇を振り下ろした、その時だった。

 

 

 ――星命の口が釣り上がった。

 

 

 

「召喚」

 

 

 

 団扇が頭に直撃するより先に、星命の右手に握られた管が輝く。

 緑光の奔流に流されるように宙に浮いたコトシロヌシの体が、駆けて来た石畳を戻って行き、ちょうど先ほどまで立っていた位置に叩きつけられた。

 

 奔流は既に光ではなく、巨大な炎蛇へと姿を変え、コトシロヌシの脇腹を食んでいる。

 その姿は十二天将の一柱、トウダであった。

 トウダは脇腹を咥えたまま、コトシロヌシの体へと巻きつこうと体をうねらせる。

 

「に、二体同時召喚!?」

 

 驚いた声はコトシロヌシのものだ。何とかトウダから逃げようともがくが、既にトウダにトグロを巻かれて身動きが出来ない。

 

 二体同時召喚、大正のデビルサマナーでは出来る者はごく一部の離れ業である。

 大半の場合は、技量があっても二体目を召喚するマグネタイトが足りないため出来ない、という者が多い。

 星命もその一人であったが、マグネタイトの増加に伴い可能となったのだ。

 

 相手が二体同時召喚できることを知らないことを利用して、自分も前線へ出て戦い、限界まで引き付けてからトウダを放つ算段であったが、見事、コトシロヌシはその計略に乗ってくれた。

 

「ふぬっ! くそ! 何のこれしき!」

 

「……まだやるかい?」

 

「……参った」

 

 未だにもがいているコトシロヌシに呆れ半分で星命は直刀を鼻面へ突きつけ、トウダは頭から丸呑みにしようと大きく口を開けている。

 さすがに、これ以上は無益、と悟ったのかコトシロヌシはガクリとうな垂れて降参した。

 それと同時に青柴垣も消え去り、クルースニクが駆け寄ってくる。

 

「無事でしたか、セイメイ」

「腕ヲ上ゲタナ さまなー」

 

 二柱の悪魔が星命に言葉をかける。星命もそれに頷き、その目をコトシロヌシへ向けた。

 

「見事な腕前じゃ、その身にして大人顔負けのマグネタイトの量よな」

 

 トウダが離れ、自由になったコトシロヌシが言う。

 

「これから先、当てにさせてもらうぞデビルサマナー殿」

 

「ああ、今後ともヨロシク」

 

「では麻呂は本殿へと戻る、また会おうぞ」

 

 そう言って、コトシロヌシは煙のように消えて行った。コトシロヌシがいなくなると同時に異界化が解け、青々とした空と雑木林が帰ってきた。

 

「おっと、クルースニクにトウダ、管へ戻ってくれ」

 

「了解です、セイメイ」

 

「マタナ!」

 

 二柱は一言告げて、星命の持つ二本の管へと吸い込まれた。

 それを見送った後、星命は鞄から海鳴市内の地図を取り出す。

 

「これで中丘神社も終わりで……やっと全部終わりか、結局一週間かかっちゃったなぁ」

 

 溜息を漏らしながら、星命は帰路へとつく。

 先週から今日に至るまで、星命は街の守護をする悪魔たちの下へ顔を見せに行っていたのだ。

 今この街にいるデビルサマナーはおそらく自分一人である。海鳴市内は広く、たった一人の子供が護るには無理があるため、他の守護を担う悪魔たちと連携を取る事にしたのだ。

 

「ああ、帰ったら宿題もやらないといけないな」

 

 明日は学校である。聖洋大付属小学校への編入からも一週間以上が経ち、持ち前の気さくな性格のおかげで割かしクラスの子供たちには好かれている。

 しかし、幼少期にあまり同年代の子供と遊ぶ機会があまりなかった星命は、新鮮味を感じると同時に内心どう接していいのか戸惑っているのが現状だった。

 

「まぁ、なるようになる…かな?」

 

 戦闘で汗ばんだ体に涼しい秋の風を感じつつ、星命は高町家に向けて歩を進めた。

 

 

 ○

 

 

 翌日の昼、小学校の校舎の屋上に小さな四つの影があった。 

 一人は星命の居候先の娘、高町なのはであり、そして、その友人にして先の事件で星命が助けた二人の少女、アリサ・バニングスに月村すずか、そして星命本人を含めた四人だった。

 時刻は昼休みに入ったところであり、四人は屋上の一角にビニールシートを広げ、昼食を取っているところだった。

 

「……アンタよくそんなに食べられるわね」

 

 星命の横に置いてある重箱サイズの三段弁当を見ながら、アリサが言った。

 

「僕の胃袋は宇宙だ」

 

「いや、別に褒めてないから」

 

 得意気に眼鏡を押し上げた星命にアリサが突っ込む。

 

「そっか……」

 

「ああもう! 笑ったりしょげたり忙しいわね!」

 

 あからさまにしょげた星命に、アリサが怒鳴る。

 一週間の短い間ではあるが、アリサが本気では怒っていないとわかっている上、このようなやり取りは既に日常となってしまっているために、なのはとすずかは何も言わず、笑いながら見るに留めている。

 

 そんな中、ふと声が星命の耳に届いた。

 

――ねぇ、十三階段の噂って知ってる?

――知ってるよ、この学校の階段は十二段しかないのに一段増えてるってヤツでしょ。

――じゃあ、鏡に写る女の噂は?

――あれでしょ、鏡に写った女のことを覚えてると不幸になる…ってそれだいぶ古い噂じゃん。それよりも――

 

 近くで上級生と思われる女子生徒が二名、話をしていた。どうやらこの学校にまつわる怪談話に花を咲かせていたようだ。

 

「十三階段? 鏡の中の女?」

 

 アリサが呟いた、星命と同じく聞き耳を立てていたようだ。

 

「そっか、アリサちゃんこういう話苦手だもんね、鏡の中の女っていうのはこの学校の怪談なんだって」

 

 アリサの言葉にすずかが口を開いた。

 

「何でも、図工室に落ちてる手鏡に女のひとの顔が写るらしいんだけど」

 

「その鏡に写る女の人のことを覚えてると不幸になるんだって」

 

「十三階段は言うまでもないよね、階段が一段増えてるってアレだよ」と、すずかは説明を締めくくり、箸に持った卵焼きを口の中へと放り込んだ。

 

 その時だった、星命の体を高所から地上を覗き込んだような怖気が襲った。 

 

 ――これは、悪魔の気配? だけど随分と弱いな……

 

 校内から悪魔の気配を感じたのだ。しかし、随分と弱弱しくすぐにでも見失いそうな気配だ。

 

「ふーん、ずいぶんありがちな怪談ね」

 

 余裕ぶった声でアリサが言うが、その顔はわずかに引きつっていた。

 

「図工室といえば、さっきの図工の時間に教卓の上に誰か紫色の鏡忘れていかなかった?」

 

「鏡?」

 

 星命が、聞き返す。

 

「うん、これくらいのやつ」

 

 なのはが十センチほど手と手の間隔を開け、大きさを表す。手鏡にしては大きい方だ。

 

「……なのは」

 

 ぽつりとアリサが呟いた、引きつっていた顔がさらに青くなったように見える。

 

「アタシ、今日は日直だから黒板消すときに教卓の上は見たけど――」

 

 

 

 ――鏡なんてなかったわよ。

 

 

 

「えええっ!? そんな、嘘だよ! わたし教室出るときに確かに見たもん!」

 

「ま…まさかとは思うけどもしかして……」

 

「鏡の女の鏡……?」

 

 静寂が流れた。まるで嵐の前の静けさのような、静寂が。

 なのはとアリサの顔から一気に血の気が引いていく。

 すずかは両手で耳を塞ぎ、星命はウィンナーを口に含んだ。

 

『い、いやぁぁ――――!!』

 

 耳をつんざくような悲鳴のステレオが、星命とすずかの鼓膜を貫く。

 

「ど、どどどういうことよ!?」

 

「知らないよ! こっちが聞きたいくらいだよ……」

 

「そうだわ! み、見に行けばいいのよ! 見に行って鏡が本当に怪談の物かを確かめればいいんだわ!」

 

「ええ!? で、でも怖いよ」

 

「二人で行けば大丈夫よ! ほら、いくわよ!」

 

 アリサがなのはの手を強引に引っ張り、それに引き摺られるようになのはもあとに続いて階下へ繋がるドアへ飛び込んでいった。

 

「それで、どう思う? 星命くん」

 

 耳を塞いでいた両手を下ろし、二人を見送ったすずかが星命に尋ねる。

 

「……君は最初から、僕に怪談を聞かせるつもりだったんだね」

 

 未だに耳鳴りのする耳を気にしつつ、星命は言う。

 

「うん、この学校にも噂はいっぱいあるけど、鏡の女の噂は見たって人が多かったから、もしかしたら悪魔かなって思って」

 

 なるほど、と星命は心の中で得心した。

 初めから知っていたなら概要を話せるくらいには詳しかったわけだ、と。

 

「すずかちゃんは教卓の上は見ていないのかい?」

 

「わたしは席が後ろで、後ろの出口から出るから見てないけど……それがどうかした?」

 

「君となのはちゃんは『見えないものが見える』からね、君からも証言が得られれば確実だったんだけど……」

 

 通常、異能や霊力の無い人間には悪魔を認知する事はできない。

 実体化すれば見ることも出来るが悪魔が現世で実体化するにはマグネタイトが必要だ。

 

 契約をしている悪魔は、サマナーからのマグネタイトの供給で実体化も可能だが、契約をしていない悪魔はマグネタイトの節約のため、霊体である場合が多い。

 霊体の悪魔であっても現世と切り離された特別な空間、すなわち異界や結界などの特殊な境界内では霊力が無くてもその姿を確認することが出来る。

 余談だが、ネコマタやクルースニクなど、元々自分の肉体を持っている悪魔は普通の人間でも目で見ることが出来る。ちなみに悪魔変身もこれに分類される。

 

 図工室には星命もいたが、悪魔の気配は感じなかった。

 先ほどの気配の事も考えると、怪談の悪魔はかなり力を失っているのかもしれない。

 

「なのはちゃんも?」

 

「ああ、キミが異能があるから見えるようになのはちゃんも異能がある可能性が高い」

 

「この間、夜にネコマタがうちに来たんだ」

 

「ねこまた?」

 

「ええと、長生きした猫が妖怪化したもの、と思ってもらえればいい」

 

「そのネコマタはどうやら僕の噂を聞いて依頼にやってきたようなんだけど……」

 

 星命が月村邸での説明を終えた翌週の夜のことだ。

『センリ様が毒にやられてしまった。治療できる悪魔がいないので助けて欲しい』

 と、猫に化けた一匹のネコマタが星命の部屋の窓へ訪れた。

 そのネコマタに星命は解毒符を書いて渡してあげたのだ。

 が、問題はその後だった。

 

「ちなみにセンリっていうのはネコマタの最高位の化身だ」

 

 補足を交えつつ、星命は説明を続ける。

 

「普通は猫の状態のネコマタがしゃべった言葉は普通の人間には聞こえない、『化かす』場合でもない限りね」

 

「ネコがしゃべるんだ……」

 

「……とりあえず聞いてくれないか。依頼を聞いた後になのはちゃんが入ってきたんだけど開口一番にこう言ったんだよ」

 

 目を輝かせたすずかに苦笑いしつつ、星命は続ける。

 

「『さっきの女の人の声がしたけど誰かいたの?』って、誤魔化すのに苦労したよ。たまたまラヂヲがあったから良かったけど」

 

「あの子の霊力は普通の人間と同じくらいだ、なのにネコマタとの会話が聞こえていた」

 

「だから、僕はなのはちゃんに何らかの異能があるんじゃないかと思ったのさ」

 

 どんな異能かはわからないんだけどね、と星命は締めくくった。

 

「なのはちゃんには悪魔のこと言わないの?」

 

「言えないよ、彼女は強い無力感に苛まれているようだから……」

 

 いつもは眩しいくらいに健やかな笑顔を見せるなのはが時折、陰鬱な表情を見せる事に星命は気づいていた。

 そしてその表情に星命は見覚えがあった。

 その顔は、黄幡に教育され世界の醜さを知っても何も出来ない無力な自分を恨んだ幼い日の自身に似ているように星命には思えた。

 

「……なんとなくわかるよ。なのはちゃん、たまに思い悩んだり、自分を下に見たりしてる」

 

 すずかも気づいているようだ。

 

 たまに、なのはは自分を必要以上に卑下するような発言をすることがあったのだ。

 ただでさえ、心優しい少女のなのはが何故自分をそんなに追い詰めるのか、尋ねてみたい気持ちはあるが引っ込み思案なところがあるすずかにはそれはとても難しい事だった。

 

「そんな彼女に悪魔のことを教えて、悪魔召喚師になると飛びつかれでもしたら困るんだ」

 

 無力に過度の不安を覚えた人間は力を欲する。

 星命とて例外ではなく、その無力感から力を求めた。

 

 ――世界を真に平等にする変革の力を。

 

 その結果、護るべきはずであった幾千、幾万もの者達を犠牲にし、その上で世界を滅ぼす邪悪にその身を乗っ取られ、力尽きた。

 

「この世界は君たちが思っている以上に非情な世界だ。それこそ中途半端な霊力の人間が手を出せば、痛い目を見る程度にはね」

 

 星命の見る限りではなのはには悪魔召喚師の才能は無い。また、悪魔召喚師の能力は霊的なものであるため遺伝によって左右される場合が多いが士郎や桃子からも人並みの能力しか感じられなかった。そのため潜在的な霊的能力も皆無だろう。

 

 半端な実力を身につけて命を落とした者や落ちぶれていった者を星命は何人も知っている。

 

 星命としても自分を助けてくれた少女に彼らや自分と同じような人生は歩んで欲しくはなかった。

 

「だから、教えないんだね」

 

「うん、彼女が自分で道を見つけるまでは教えないつもりだよ」

 

 きっと悪魔召喚師以外にあの子に相応しい道があるはずだ、それが見つかるまでは黙っていよう。そして、その道を見つけたときはささやかだが応援をしてあげよう。星命はそう心に決めている。

 

「ふふ、何だか星命くん、まるで同い年じゃないみたい」

 

 妙に大人びたことを言う星命を、すずかが笑う。

 まだ年齢のことはすずかたちには話していないはずだが、姉の忍に似て勘が良いのかもしれない。と、星命は思った。

 

 突如、勢いよく屋上の扉が開かれた。

 思わず、視線を扉に向ける。

 

 開かれた扉からアリサが現れ、よろよろと星命達のいる方へ歩いてくる。

 

「はぁ、はぁ、無かったわよ。鏡なんて……」

 

 両膝に手をついて息を切らしながらアリサが言った。

 

「ちょ…ちょっと、アリサちゃんはやいよぉ……」

 

 遅れてなのはも戻ってきた、そのままシートの上にへたり込む。

 

「もしかしたら、美術の先生の持ち物だったのかもしれないね。忘れていったのを取りに戻ったとか」

 

「……そういう可能性もあったわね、頭まっしろだったから思いつかなかったわ」

 

 星命の言葉にアリサが納得がいったように呟いた。

 

 どちらにせよ、気配がしたからには十三階段と鏡の中の女のどちらかには悪魔が絡んでいるだろう。一度調べてみたほうが良さそうだ。

 

 そう思いながら、星命は残り一口の白米を口に含んだ。

 

 ○

 

 深夜。

 二つの影と一つの明かりが下校時刻をとっくに過ぎ、誰も居なくなった聖祥小の廊下の中にあった。

 昼間の白の聖祥小指定の制服とは打って変わり黒い学生服に実を包んだ星命と学校への侵入の際に召喚されたクルースニクだった。

 星命の手の上には霊符で作られた蛍のような光を放つ式神が浮いている。

 

「たしかに、僅かですが悪魔の気配がしますね」

 

「うん」

 

 クルースニクがいうと星命が頷く。

 

 ――そういえば前に、ライドウ君を騙して一緒に幽霊校舎に入った事があったっけ……

 

 ライドウを帝都から引き離すための時間稼ぎとして連れて行った怪談だらけの廃校の事を思い出した。

 怪談といっても全てその廃校に潜ませておいた悪魔『ガシャドクロ』が引き起こした事象だったのだが。

 思い出に浸っている間に星命は上階に上がる階段の前まで着ていた。

 

 階段の前で、星命が立ち止まる。

 

「どうしました?」

 

「一応、確かめておこうと思ってね」

 

 不思議に思ったクルースニクが星命に尋ねると、星命が真剣な面持ちで階段を見ながら呟いた。

 

「いち」

 

 言いながら星命が階段の最初の段に足をかける。

 

「に、さん、し、ご」

 

 さらに、段数を数えながら階段を上っていき、

 

「きゅう、じゅう、じゅういち、じゅうに」

 

 十二と言葉に出したと同時に上り終わった。

 

「こっちじゃない……?」

 

 星命の小さな呟きは暗い校舎の闇に消えて行った。

 

 

 上階に上がった後、廊下を歩いていると図工室の引き戸のガラス窓から紫色の光が漏れているのが見えた。

 

 怪しく思った星命はその教室の引き戸に手をかける。

 しかし、戸は施錠されていて開けることができない。

 

「仕方ない、教務室に忍び込んで鍵を――」

 

「開いてるわよ」

 

 星命が言いかけた言葉を遮るように、図工室の中から声が聞こえた。

 

 不思議に思いつつも、星命がもう一度引き戸に手をかける。

 今度は特に力を入れること無く、すんなりと戸は横へとスライドした。そのまま戸を潜り中へと入る。

 

 並んでいる机に足を引っ掛けないよう、気をつけながら、奥へと進んで行く。

 奥まで進むと教卓の上から紫色の光が飛び出していた。

 

 しかし、教卓自体が光っているわけではなく、教卓の上に置かれている手鏡からその光は漏れ出していた。

 

 星命はクルースニクと教卓のほうへ歩いていき、星命がその鏡を覗く。 しかし、その鏡に移ったのは星命の顔ではなく長い黒髪の女の顔だった。

 

「君は『鏡に写る女』の怪談が悪魔化した存在だね?」

 

 

「そうよ、私の名前はムラサキカガミ。二十歳までに私の名前を忘れないと不幸になるわよ」

 

 星命の問いに、鏡の中の女が答える。

 

「二十歳までに名前を忘れないと……か」

 

 すずかの話では『鏡に写る女のことを覚えてると不幸になる』だったはずだが、どうやら時間が経って噂が風化したらしい。

 

 「しかし、驚いたわね。昼間の子もワタシに気がついたようだけど、まさかデビルサマナーが来るなんて。それもこんな子供の」

 

 その釣り上がった目で見定めるようにムラサキカガミは星命を見る。

 

「そういえば、なぜ二度目に彼女たちが来たときにはいなかったんだい?」

 

「大したことじゃないわ、ドタバタうるさかったから隠れただけよ」

 

 星命の問いに、ムラサキカガミは唇を尖らせる。

 

「ところで、わざわざ夜の学校に忍び込んでまで会いに来てくれるってことは何か用事があるんでしょ?」

 

「ああ、ちょっと待ってくれ」

 

 そう言って星命は刀印を結んで目を閉じる。

 

『射腹蔵鈞の術』

 

 精神を集中させ、念じながら呟いたあと、開眼する。

 

「ふむ、思ったとおりだ。君は魔法への耐性が凄まじいね」

 

「わかるの?」

 

「ああ、今使った射腹蔵鈞の術は相手の霊的要素を見抜く術なんだ。といってもあまり強すぎる悪魔は見れないんだけどね」

 

 射腹蔵鈞の術は霊的要素を視覚的にとらえる術だ。

 一応、なのはに対しても試してみたが、通常の人間となんら変わらなかった。

 そのため、星命は霊的な能力以外になのはが何らかの異能を持っていると判断したのだ。

 

「これから先、悪魔との戦闘が増えそうなんだ」

 

「単刀直入に言うよ、仲魔になって欲しい」

 

 現在の星命の管は主に使う六本に予備の二本を加えた計八本だ。

 メインの六本には既に悪魔たちがいるが、ちょうど予備の管に仲魔が欲しいと思っていたのだ。そして、今いる仲魔はほとんどが前線で戦うタイプの者達であるため二体同時召喚時に後方支援をする悪魔の必要性を感じていた。

 

「ウフフ、本当に単刀直入ね。そういうの、嫌いじゃないわ」

 

 ムラサキカガミが微笑む。

 

「そうね……少し、マグネタイトをもらえるかしら? 噂の風化で力が落ちているのよ」

 

「構わないよ」

 

 星命から緑の光の粒子が飛び出し、ムラサキカガミの鏡面へと吸い込まれていった。

 

「辛くて酸っぱい、甘くて苦い。矛盾の味ね……ゴチソウサマ」

 

 言いながら、ムラサキカガミは上唇を舐めた。湿った唇が艶やかに光る。

 

「ずいぶんと板挟みや矛盾に苦しんだようね……?」

 

「……マグネタイトだけでそこまでわかるんだね」

 

 妖艶に笑いながら言うムラサキカガミの言葉に、星命は苦々しい表情で答えた。

 

「フフ、ワタシはそこらの鏡とはわけが違う。写すのは姿だけじゃなく、その心さえも写す」

 

 ムラサキカガミは妖しく笑い、その体を宙に浮かせた。

 

「やはり、極限まで想い悩んだ人間のマグネタイトは極上ね。いいわ、仲魔になりましょう」

 

「ワタシの名前はムラサキカガミ、コンゴトモヨロシク……」

 

 言い終えると、ムラサキカガミは光となって星命の持った管の中へと吸い込まれていった。

 

「よし、封魔完了だ。帰るとしようか」

 

「承知しました」

 

 クルースニクに言葉をかけ、星命はその場を後にした。

 

 

 ○

 

 

「しかし、この体になって百年ほどになりますが、怪談が元になった悪魔は初めて見ましたよ」

 

 校外へと向かう途中、先ほど上った階段を半分まで下りたところでクルースニクが星命に声をかけた。

 

「別段、不思議な事でもないけどね。もともと、人の言葉は力を帯びてるんだよ。日本における神道では言霊っていうんだけど」

 

「人の見たい・聞きたい・感じてみたいと思った事柄が、噂という言霊になって時が経つうちに悪魔化するんだ。でも、怪談や都市伝説は風化したり、忘れ去られたりするのも早いから誕生した悪魔も消えてしまうのが早いんだ。今回ムラサキカガミを見つけられたのは幸運だったね」

 

 そのまま星命は階段の最後の一段を踏んだ。その時だった。

 

「え?」

 

 星命の後ろにいたクルースニクは思わず声を上げた、星命の頭上に白い木の枝が見えたのだ。

 

 目を凝らして見るとそれは木の枝ではなかった。

 

 

 

 ――骨だ。

 

 

 

 骨の腕が天井から星命の首へと向かって伸びているのだ。

 

「セイメイ!」

 

 思わずクルースニクは星命の名を呼ぶ。

 星命は弾かれたように霊符を取り出し、直刀へ変化させ頭上の骨の手を切り払った。

 

「グォォ!?」

 

 わずかに悲鳴が聞こえた。だが、それは星命のものでもクルースニクのでもない。

 

「セイメイ! 横です!」

 

 頭上を見ていた星命にクルースニクの警告が耳に届いた。

 反射的に横の壁に並行になるように剣を横に構える。

 

 壁から白刃が伸び、星命の七星剣と直角にぶつかる。星命は刀身に手を添えて耐えようとするが勢いに受けきれないと判断し、廊下のほうへと転がり刃を避ける。

 

「まさかとは思ったけど、やはり下りて十三階段か!」

 

 屈んだままの体勢で星命が言う。

 

「十三階段は処刑場や絞首台の隠喩、自身に関連する事を怪談にして力を得ようとするとは…考えたものだね」

 

「ヤマの眷属、地獄の刑の執行人。『トゥルダク』!」

 

「そぉぉだぁぁぁっ うぉれはトゥルダクだぁぁぁっ 違うかぁぁぁっ!」

 

 星命がその名を呼ぶと同時に床から跳び出すように一体の異形が現れる。

 高さ二メートルほどの骸骨の両手に柳葉刀を持たせたような姿の異形であった。

 

 

『トゥルダク』

 死の神ヤマに仕えるインドの鬼神であり、裁かれた魂への刑の執行者である。

 地獄の統治者にして死者の審判者であるとも言われる。

 

「せやァァ!」

 

 階段にいたクルースニクが飛び出し、体重と重力をかけた白刃をトゥルダクの頭上に振り下ろす。

 しかし、トゥルダクはそれを防ごうともせず、そのまま頭蓋の側頭部で受けた。

 ガキリと鈍い音が響く。

 

「馬鹿な!?」

 

クルースニクが驚きの声を上げる。銀剣は頭蓋骨に当たりこそしたものの、刃が全く食い込んでいなかった。

 

「うぉれは 給食の ミルメークが 大好きなんだぁぁぁ」

 

 頭で刃を受けたことを意にも返さずに、まるで蚊を払うように柳葉刀を握った腕でクルースニクの脇腹を殴打した。

 

「グゥッ…!」

 

 息の漏れるような声と共に、クルースニクはトゥルダクの後ろへと突き飛ばされた。

 

「クルースニク、召し寄せを!」

 

「了解!」

 

 星命の声と同時にクルースニクの姿が消える。

 瞬き一つする間に、クルースニクは星命の目の前へと瞬間移動した。

 

「クルースニク、まだやれるかい?」

 

「この位でへこたれはしませんよ」

 

「よし、どうやら物理攻撃だけでは倒すのは難しいようだね。すまないが、もう一度白兵戦をしてくれ」

 

 クルースニクが大してダメージを受けていない事を確認し、再度星命はクルースニクに指令を出す。

 

「何か、秘策が?」

 

 物理攻撃の効かない相手にもう一度白兵戦を指示する星命に疑問を抱きクルースニクは聞き返した。

 

「彼女の力を使えば倒すことができるはずだ、動きを止めておいて欲しい」

 

「なるほど、わかりました」

 

 星命の言葉に納得したようにクルースニクは一度頷き、再び銀剣を構えてトゥルダクへと突進する。

 

「来い、ムラサキカガミ!」

 

「早速出番ね」

 

 星命がムラサキカガミを封じた管を取り出し、ムラサキカガミを喚ぶ。

 

「ムラサキカガミ、まずは補助を頼む」

 

「いいわよ、ラク・カジャ」

 

 ムラサキカガミの言葉と共に、トゥルダク以外が緑色の光に包まれた。その後、光は星命達の体に溶け込むようにして消えた。

 

「雄ォォ!」

 

 クルースニクが両手で握った銀剣でトゥルダクの右肩を目掛けて袈裟切りを放つ。

 しかし、トゥルダクをこれを右手の柳葉刀を横にして受け、御返しとばかりにクルースニクの右肩に刃を叩き付けた。

 

 クルースニクの肩とトゥルダクの白刃が衝突する。普通であれば、体は肩から裂かれるはずだが、刃はクルースニクの白のコートだけを切り裂き、下に着ているベストよりから先へは進まなかった。

 

「物理攻撃への耐性が、自分のものだけだと思わないことだ。ベロボベストは伊達じゃない……!」

 

 トゥルダクの膂力に膝を折らぬように歯を食いしばりながらクルースニクが吐き捨てるように言う。

 白き神の加護のついた衣類と、ムラサキカガミの防御補助魔法のおかげで怪我こそ無いものの、それでもトゥルダクの蛮力には堪えるものがある。

 

「クルースニク、避けろ!」

 

「了解……!」

 

 後ろからかかった星命の掛け声と共に、クルースニクは左足でトゥルダクを蹴り飛ばし、その勢いを利用して後ろへと後転する。

 突然の反撃にトゥルダクはよろめき、たたらを踏んだ。

 

「さぁ、サマナー。ワタシの力を使って頂戴」

 

 ムラサキカガミの体から紫の色の光が飛び出し、星命の持つ七星剣へと流れ込む。

 

 星命が床を蹴って跳び、上段に七星剣を構える。

 直刀に紫色の光が集まり、刀身の先に斧のような幅広の刃を形成する。まるで剣が一本の戦斧になったような姿だった。

 

  ――外法忠義壊!

 

 星命が紫光の斧をトゥルダクの額目掛けて真っ直ぐに叩き降ろす。

 斧はそのまま一直線に頭蓋骨を割り、背骨を裂いた後、骨盤の下から飛び出す。それと同時に星命も着地する。

 

「うぉ うぉ うぉれは 小学校の社会でやる 『ぼくたち わたしたちの町』ってのが どわぁいキライだぁぁぁぁ」

 

 叫びながら縦に真っ二つに分かれたトゥルダクは黒い霧となって霧散した。

 

「騒がしい悪魔だったなぁ……」

 

 呟きながら星命は剣を霊符へと戻す。

 踵を返して自身の二柱の仲魔へと目を向ける。

 

「ご苦労だったねムラサキカガミ、管へ戻ってくれ」

 

「楽しかったわ、また喚んで頂戴」

 

 ムラサキカガミが光となって管へと吸い込まれる。

 

「クルースニクは家まで僕の護衛を頼む」

 

「承知しました」

 

 クルースニクは星命の隣へと並び、共に歩き出した。

 二つの影は、校内の闇の中へと消えていった。



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一章 デビルサマナー安倍セイメイ 対 キセイの宝種
第一話 『不吉なるモノ達』


 鉛色の空から白い牡丹の花びらのような雪が降り、命が途絶えたように葉も実りもない木々の立ち並ぶ山林の中に二人の人影があった。

 二人とも女性だが、一人は妙齢の女性でもう一人は少女だった。二人とも黒のローブを身に纏い、山林の中を進んで行く。

 

「フェイト、お見送りはここまでで大丈夫ですよ」

 

 肩まで延びた薄茶色の髪に紺色の目をした女性が少女に向かって言う。

 女性の頭から空へと向かって飛び出た髪と同色の猫のような対の耳とローブの裾からはみ出した尻尾が、その者が人ではないことを示していた。

 

「リニス……」

 

 フェイトと呼ばれた絹のような金髪を左右に一房ずつにまとめた少女は妙齢の女性の名を呼び返す。

 その紅玉のような瞳には確かな悲哀の感情が浮かんでいる。

 

「そんなに、悲しい顔をしないでください。きっとまた会えますよ」

 

「本当に……?」

 

リニスと呼ばれた女性が困ったように言うと、フェイトはその陰鬱な表情のまま問い返す。

 

「ええ、もちろん!」

 

 

 ――嘘だ。

 

 

 答えると同時にリニスの心を頭上の空と同じ鉛のように重く、毒を含んだ罪悪感が襲う。

 

「ぜったいだよ、また会っていっぱいお話しするんだ! ……今度は母さんも一緒に」

 

「ええ、きっとまた会いましょう」

 

 悲壮の顔で必死に言うフェイトにリニスは今できる精一杯の笑顔で微笑みかける。

 

 

 ――それは叶わないことを私は知っているじゃないか。

 

 

 死期が近い事をリニスは知っていた。リニスは主人からの魔力で生きる使い魔だ。

 リニスはある目的の為に主人に造られ、そしてその目的を果たしたら主からの魔力の供給が無くなり、死ぬことになっている。

 

『造られた目的』は既に果たした、この身に残った魔力も残り少ない。普通であれば一週間はもつほどの魔力量だが、この先で使う転移魔法で一気に消し飛ぶ予定だった。

 最初は残りの余生をこの雪の山林で過ごすのも良いかとも思ったが、もしフェイトが戻ってきてしまうと別れづらくなってしまう。そんな理由でリニスは転移を決めたのだ。

 

「じゃあ、いってきます」

 

 リニスはフェイトに背を向けて、森の奥へと歩き出す。

 

 

 それは黄泉路への旅のはずであった。

 

 

 かなり歩いたところで、後ろを振り返り、フェイトがついて来ていないことを確認する。

 そこにあったのは自分が残した白銀の足跡と、延々と続く鉛色の空。

 

 ――ああ、最後はちゃんと笑えていただろうか。

 

 そんな考えが、リニスの心をよぎる。すでに鉛色の空は、目に貯まった涙で既に滲んでいる。泣き顔で別れをしなくて済んだか、今はそれが気になる。

 

 ――あの子達の為にもっと他にできることがあったのではないだろうか。

 

 そういう思いもまだある。フェイトとその使い魔のアルフに魔法の知識を授け、魔法を使用するための端末であるデバイスも授けた。彼女たちに強さを教えてあげた。

 

 だが、それだけのことしかしてあげられなかった。結局、フェイトとその母であり、自身の主人でもあったプレシアとの関係の溝は、埋めることが出来なかった。

 

 もっともっと、愛しいあの子達にしてあげられることはあったかもしれない。

 ……いや、してあげたいことがたくさんあった。

 

 しかし、自分に残された時間がそれを許さない。

 その摩擦に何度その耳と尻尾の毛が抜けるほど悩んだ事か。

 

 「この絶望を罰に、私はこの世界を去りましょう」

 

 独りごちると同時に、リニスの足元には薄緑の円形の魔法陣が、そして周りには円環のような魔法陣が展開される。

 身に圧し掛かる無力と後悔の絶望。それは幼い教え子たちと自分の主人を置いて逝く自分への罰。

 

 

 さようなら、愛しい教え子たち。

 

 さようなら、偏屈で全然素直じゃない私のご主人様。

 

 心の中で呟くと同時に、リニスの姿は光と共に消えた。

 

 あとに残ったのは鉛色の空と、銀と灰色の山林と、彼女の頬を伝った雫で僅かにみぞれになった雪だった。

 

 その時の彼女はまだ知らない。

 その別れが、新たな出会いとなる事を。

 

 ◇

 

 深夜、海鳴市。

 星命がこの世界に来てからニ年の月日が経ち、もう数日で星命達は小学三年生に進級する。

 時間の経過と共に海鳴市に悪魔が現れる回数は徐々に増えてはいたものの、近隣の悪魔との連携で問題なく処理は出来ていた。

 

 異界でも星命の噂は広まっており、人の世に興味の無い悪魔は異界から出ては来なくなってきていた。

 季節は四月に入っていたがその割りに冷たい風の吹く、そんなある夜の事である。

 

「うぉれは 月曜日だぁぁぁ うぉまえは木曜日かぁぁっ!?」

 

「どれかと言われても…全部かな? 陰陽道には五行の木火土金水、それに月と日を表す『陰陽』全部揃ってるからね」

 

「うぉまえはぁ よぉくばりだぁぁ! バチがぁぁ 当たるぞぉぉっ!」

 

 冷たい風が吹き、半分の月の柔らかな蒼い光が照らす市街地のわずかに外れにある中小企業の商業地帯、その中。

 とある二階建ての雑居ビルの屋上に二つの影があった。辺りには同じようにさほど高くないビル群が並ぶように存在している。

 

 一つは大量の人間の頭蓋骨の集合体のような異形が屋上のコンクリート床から空に浮かぶ月の如く、ぷかぷかと浮いている。

 

 その影と対峙しているのは黒い学生服に三日月の紋章のついた学帽を被る少年。その顔には眼鏡をかけており、右目には帽子から食み出した自身の黒い前髪が垂れている。

 

 ――その姿は、やや成長してはいるものの、『悪魔召喚師』安倍星命であった。

 

「このビルヂングで起こっている落下事件の犯人は君だね、レギオン」

 

 感情を殺した表情を崩すことなく、星命は淡々と対面の異形の名を呼ぶ。

 先月の頭から、星命の今立っているこのビルでは奇怪な事件が起こっていた。

 窓の近くにいると何者かに突き飛ばされて下に落とされるのだという。

 この雑居ビルが支社として使われている二階建てというのが幸いして死人は出てはいないが、重傷を負った人間がいたのもまた揺ぎ無い事実である。

 しかし、突き飛ばされた者達は皆犯人の顔を見てはおらず、犠牲者は既に五人にも上り、ライバル会社の陰謀ではないかと囁く者まで出始めてほとほと困っていたらしい。

 

 らしい、というのはこれは星命がアリサから聞いた話だからだ。アリサの両親は実業家である。

 実はその陰謀説の矛先がアリサの両親と提携している子会社に向いており、事件を耳にしたアリサが悪魔による犯行の可能性を考え、星命に相談したのだ。

 

 そして、アリサの予想通りこの雑居ビルには悪魔が潜んでいた。

 

 

『レギオン』

 その名は「連隊」を意味し、同じ様な苦痛を味わう霊達が集合して生まれた悪霊である。

 

 

「人間に害を為す悪魔を見逃すわけにはいかない。覚悟してもらうよ」

 

 

「召喚!」

 

 

 太腿の弾帯より、管を二本抜き自身と契約した仲魔を喚び出す。

 マグタイトの緑光と共に星命の左右に二柱の異形が姿を現す。

 

 一方は、翼を持つ巨大な炎蛇。もう一方は、紫色に輝く手鏡。

 トウダとムラサキカガミであった。

 

「ケモノノ 血ガ騒グゾ アオォーーン!」

 

「会いたかったわ、ワタシの可愛いサマナー」

 

 戦いを前にしたトウダは興奮したように遠吠えを一つし、ムラサキカガミは星命の耳元で甘い言葉を囁く。

 

「トウダは近接戦闘を、ムラサキカガミは僕の護衛を」

 

「悪クナイ 判断ダ」

 

「惚れ惚れするわね」

 

星命の言葉と同時にトウダはその翼で空を駆ける。

 

「オレサマ オマエ マルカジリ!」

 

トウダが噛み付こうとその口を開き突進する。しかし、レギオンはその体をクルクルと回転させながら避け、トウダの牙は空気を噛んだ。

 

「コザカシイヤツ… カミ殺シテヤル!」

 

トウダは体を転進させ、再度その大顎でレギオンを噛み砕かんと襲い掛かるが、その攻撃は悉く避けられる。

 

突如、レギオンが高度を上げた。頭上に浮かぶ半分の月と、レギオンの体が被る。

 

「ステキすぎて 死ぬぜぇぇぇぇぇ!」

 

 拳ほどの大きさの氷塊がいくつもレギオンの前に現れ、意思が宿ったかのように星命のほうへと襲い掛かった。

 

「ムラサキカガミ!」

 

「お安い御用ね」

 

 星命がムラサキカガミの名を呼ぶと、ムラサキカガミが上空から降り注ぐ氷塊と星命との間に割って入った。

 

 ムラサキカガミに氷塊がぶつかると思われたが、ぶつかる寸でのところで、ガラスのような透明な壁が現れ、氷塊を弾いた。

 弾かれた氷塊はまるで巻き戻しの如く逆方向へと飛んでいき、ごつごつと鈍いを音を立てながらレギオンの多数の頭蓋へとぶつかっていく。

 

「イ イ 痛いじゃないかぁぁぁ!」

 

 レギオンは悶えるように叫び声を上げたが、その体には傷一つ付いていない。

 

「無傷か」

 

「得意な魔法を放つんだから、当然でしょ。吸収されるよりはマシよ」

 

 星命の声にムラサキカガミが答える。

 

「ならば……トウダ! 君の力を僕に!」

 

「イイダロウ……イクゾ! さまなー!」

 

トウダから赤い光が飛び出し、星命が霊符から変えた七星剣へと宿る。

 

「紅蓮剣!」

 

トウダからの光が染込むと同時に七星剣から紅蓮の炎が噴出する。

 

「トウダ!」

 

トウダを呼び、星命は地面を蹴って真上へと跳ぶ。

その下をトウダが潜り、星命はトウダの首元へ着地する。

 

トウダに乗せられぐんぐんとその高度を上げ、上空のレギオンのいる位置へと猛然と近付いていく。

 

「うぉまえの 攻撃は 当ァたらないィィ!」

 

 向かってくる星命を避けようと、レギオンは更に真上へと高度を上げた。

 既に距離を二メートル弱まで詰め、その上さらに猛加速で距離を詰めるトウダに乗ったままでは確実に捕らえられない角度である。

 

 星命は腰のベルトのサイドポーチから三枚の霊符を取り出し、目上へと投擲する。

 それと同時に、自分も空へとトウダの首を蹴った。

 

 星命の体が重力に逆らい夜の闇を駆ける。

 しかし、それでもレギオンの浮かぶ高度までは到達できない。

 星命の体がトウダを蹴った推進力を無くし、重力に縛られ始めたその時。

 

「出でよ、式神!」

 

 星命の下で風に舞っていた霊符が黒き一眼の梟へと変わり、星命の足元へと羽ばたく。

 足元にきた梟を踏み台にし、星命はさらに高く跳躍する。

 もう一羽が星命の進行方向へと先回りし、さらに星命はこれを踏んだ。星命の体重を支えようと式神の梟は星命の乗る一瞬だけ忙しく羽ばたきをする。

 

「予想外ィィ! ぬぁんびとたりとも うぉれには 追いつかせねぇぇ!」

 

 レギオンが星命から逃れようと更に高度を上げようとするが、それは失敗に終わった。

 

 星命の放った最後の梟が、レギオンの頭上でその姿を茨の網に変え、大きく口を開いていたからである。

 

「うぉぉっ!? イテぇぇぇっ!!」

 

 重力に惹かれ、落ちてきた網がレギオンを呑み込み、いくつもの棘がレギオンの頭蓋に歯を立てる。

 

 ここで現れた隙を星命は見逃さなかった。

 

 ――怨 霊 調 伏 !

 

 星命とレギオンの影が重なると同時に、星命はその炎熱の七星剣を振りぬいた。

 剣はレギオンの頭蓋骨の体を焦がしながら引き裂き、横一文字に両断する。

 直後、頭蓋を焦がす熱は炎へと変わり、レギオンの体と噛み付いたままの網を焼き尽くす。

 

「し…死にが ハチィィィィィィ!」

 

 ニ分割されたレギオンは、その身を包む火炎と共に消え去った。

 

 それを見届けながら落下する星命をトウダが出迎え、星命はトウダの上へと降り立った。

 

 そのまま星命はトウダの背に乗ったまま、ゆっくりと雑居ビルの玄関口へと下りた。その後をムラサキカガミも追う。雑居ビルの玄関に面した歩道まで下りたところで星命はトウダの上から飛び降りる。

 

「よし、ご苦労様。トウダ、ムラサキカガミ、管へ」

 

「ウム」

 

「また会いましょ」

 

 星命の指示に従い、二柱の悪魔は自身の管へと戻る。

 

「召喚、クルースニク」

 

 星命は先の二柱のものとは別の管を腕の弾帯から引き抜き、クルースニクを喚ぶ。

 

「お呼びですか」

 

「すっかり遅くなってしまったからね、護衛を頼むよ」

 

「了解しました」

 

 星命の言葉にクルースニクは頭を垂れて了承する。

 既に時刻は子供一人が出歩いて良い時間帯をとっくに過ぎている。そこでクルースニクを使って補導を避けようという魂胆なのだ。

 隠形術で姿を隠して帰るのも一つの手だが、長時間の気の使用は身体にかける疲労も大きくなるため緊急時以外では避けたい所である。

 

 星命がクルースニクを連れてビルの立ち並んでいた市街地を抜けると、だんだんとビルと民家の比率が入れ替わり、ついには完全に住宅街へと入って行く。

 

 ふと、進行方向のはずれにある児童公園のほうへと眼を奪われた。

 公園の垣根の樹木の隙間から薄緑の光が明滅しているのが見えたのだ。

 

 夏であれば花火でもやってるのか、と見逃したかもしれない。

 だが今は春先だ、花火をやるのはおかしい。というわけではないが多少の違和感はある。

 その上、なぜか魔の気配を感じるのだ。気が付いたら星命は児童公園のほうへ進路を変えていた。

 クルースニクも星命の行動に同調する。

 

 星命が公園に着いた時、そこには巨大な薄緑の円環と円形の魔法陣が地面に浮いていた。

 星命は見たこともない魔法陣にしばらく見とれていたが、やがてその魔法陣の模様が一層強い光を放ち、星命とクルースニクは咄嗟に腕で目を覆った。

 

 光が消え、星命が恐る恐る目の前から腕を下ろす。

 そこには既に魔法陣は無く、何も無いかのように見えた……が、

 閃光のせいで闇の深くなった星命の目が方陣のあった場所にあるものを見つけた。

 

 「猫?」

 

 方陣のあった場所に一匹の山猫が倒れていた。北欧育ちのようなふかふかと柔らかく厚い薄茶色の体毛に覆われた山猫だ。

 ゆっくりと星命は山猫の方へと歩み寄り、前足を握る。

 

「まだ暖かい、死骸というわけじゃなさそうだ」

 

 握った前足からしみこむようなじんわりと暖かい体温と脈が感じられる。

 それとは別に、悪魔たちのものとはまた別の魔の気配も感じる。

 

「えと、何だったかな?」

 

「どうしました?」

 

「いや、前に似たような猫を月村邸で見た気がするんだよ。なんて名前だったかなぁ」

 

 急に星命が顎に手を当て思案顔をする。クルースニクが聞くとどうやら猫の種類の事を考えているらしい。以前月村邸に行った時に似たような猫を見たのである。

 

しばらく記憶を探っていた星命だったが、思い出せないので諦める事にした。

 

「さて、山猫くん。さっきの方陣は君が出したのかな?」

 

 星命の問いに、山猫は薄く目を開き力無く一声鳴いた。

 

「残念だけど、僕はジャイヴトークはできないんだよ」

 

「普通の猫でない事はもうわかっているんだ。話してもらえないかな?」

 

 傍に屈んだまま優しく、語りかけるような口調で星命は続ける。

 

「……転移の瞬間を見られたからには仕方がないですね」

 

 猫が口を開くと若い女性の声が聞こえた。

 ネコマタなどの妖の類とは違い、肉声である。

 

「君の名前は? ちなみに僕は星命、安倍星命だ」

 

 ちなみにこっちはクルースニク、と星命が後ろのクルースニクを指差すと、クルースニクは恭しく礼を一つした。

 

「私の名前はリニス、つい最近まで使い魔をしていました」

 

 リニスは自己紹介をしつつ、のそりとその場に体を起こし、座る。

 

「使い魔…ね」

 

 使い魔、西洋の魔術師や魔女などが使う小間使いのはずだが、星命の式神と同じように自我を持たない場合が多かったはずだ。少なくとも、悪魔以外で自我を持つ使い魔など星命は知らない。

 

「あの、使い魔がわかるという事はこの世界には魔法文化があるのでしょうか?」

 

「『この世界』?」

 

 目の色が変わった星命の切り返しに、リニスはしまった、という顔をする。それと同時にリニスは思い出した。一部の管理外世界では小説や映画の類に架空の魔法を取り扱っている場合があることを。

 

「い、いや……今のは忘れてください」

 

「お断りだね、詳しく話してもらうよ」

 

『この世界』という言葉に星命は反応せざるを得なかった。

 もしも、こことは違う世界があるのならば、自分がここにいる理由の手がかりが隠されているかもしれないからだ。

 ならば聞かない道理は無い。

 

「……はぁ、まぁいいか。どうせ消える身ですし……」

 

 観念したのか、それとも自棄になったのか。リニスは溜息を一つ付いて語り始めた。

 

「この世界には色んな世界が存在しているんです。その世界全体を次元世界と言って、私の居た第一管理世界にある『時空管理局』によって管理されています。魔法文化があって管理局に管理されている世界を管理世界。魔法文化が無く、管理局に観測されている世界は管理外世界と呼ばれています」

 

「魔法文化……?」

 

「その、私たちの世界の人間が使う魔法は全ての次元世界に存在する魔力素といわれる物質を魔力によって特定の技法で運用するものです」

 

「自然摂理や物理作用をプログラム化し、それを任意で書き換えや書き加え、または消去したりすることで、作用に変えるんです」

 

「自然摂理や物理作用をぷろぐらむ化…ね」

 

 物理演算や科学術式による超科学的な魔法、というところだろう。と星命は当たりをつける。

 この世で過ごした二年の月日が無ければ恐らくここまで理解する事は出来なかっただろう。

 学校への編入を依頼してくれた忍や今の時代の文化に積極的に接触させてくれた高町家の人々に星命は心の中で感謝した。

 

「もしかして、自分だけで炎を出せたり、雷を撃てたりするのかな?」

 

「資質にもよりますが、可能な人もいますね」

 

 リニスの答えに随分と高度な話だと星命は思った。今のこの世界では自分の使う陰陽術や他の魔術・呪術の類も一種の魔法とは言えるのだろうし、一応術式などには規則性もある程度は存在する。

 しかし、その身だけで炎を操り、雷で大地を穿つなどできるわけがない。

 そこまでいくともはや悪魔ではないか。

 

「では、その技法とやらを知っていれば誰でもその魔法が使えるのかい?」

 

「いいえ、そういうわけでもありません。私達の世界の魔導師は体内にあるリンカーコアと呼ばれる器官で魔力素を魔力へと変換して使用します。つまりリンカーコアがないと魔法は使えないんです」

 

「リンカーコア……か、僕にもあったりするのかな?」

 

 興味半分で聞いてみた星命だったが、返ってきた答えは予想外のものだった。

 

「あ…あります。おかしいですね、管理外世界に魔力素質を持つ人間は滅多にいないはずなんですけど……」

 

 驚きの声を上げたリニスに星命はさらに質問する。

 

「次元世界の中には、ほぼ同じ地理や歴史を持つ世界というのは存在するのだろうか?」

 

「文化レベルが同じような世界はあった気がしますが、貴方の言ういわゆる並行世界のようなものは無かった気がします……」

 

 リニスの知識は主人であったプレシアから受け継いだものであり、実際に外の次元世界に出るのはこれが初めてのことであるため、断言が出来ず、曖昧に言うに留めた。

 

「そうか」

 

 これで、少なくとも自分が次元世界の一つから飛んできたという可能性は棄却された。

 どうやって飛ばされたかがわかったところで元の世界に帰る場所など無いのだからあまり気にしなくて良いといえばそれまでなのだが。

 

「長々と聞いて悪かったね」

 

「いいえ、気にしないでください」

 

 謝罪をしながら星命は立ち上がる。

 

「これだけ聞いてしまったからには何かお礼をしなければいけないなぁ」

 

 もったいぶったような声を上げる星命に不思議そうな顔をしながらリニスは首を傾げる。

 

「そうだな、例えば『君がそんな絶望にくれている目をしている理由を手伝う』なんていうのはどうだろう?」

 

「っ!?」

 

 星命の言葉に、リニスがその目を見開く。

 

「図星、といった顔だね」

 

 できれば当たって欲しくは無かった、と星命は表情を曇らせる。

 

 ――ライドウくんの目にも、僕はこんな風に映っていたのだろうか。

 

 思い出すのはかつての自分、世界を滅ぼす邪悪に身を乗っ取られたことを死の間際まで身を引き裂かれる後悔に苛まれていたあの時の自分。

 そんな自分と同じ目を、リニスはしているように見えた。

 

「良かったら、聞かせてもらえないか」

 

 静かに、星命が言った。

 

「はい……」

 

 長くなる、というリニスの言葉に、星命は公園中央にある休憩小屋で話を聞くことにした。割った木を金具で固定しただけのベンチにクルースニクと座り、同じような木のテーブルの上にリニスが座する。

 

「私の主はプレシア・テスタロッサという魔導師です」

 

 沈痛な面持ちのまま、リニスは言葉を紡ぐ。

 

 ――元はプレシア・テスタロッサの娘、アリシアの飼い猫であったこと。

 

 ――プレシアが開発した魔導炉の事故で、アリシアと共に一度この世を去った事。

 

 ――それを嘆いたプレシアが人造生命体の研究に着手し、フェイト・テスタロッサというアリシアのクローンを作ったこと。

 

 ――しかし、それは同じ容姿と記憶を持った別人という結果で現れ、プレシアはそれを失敗と感じ、フェイトに対して憎しみに似た感情を抱くようになったこと。

 

 ――その後に使い魔としての自分が生まれ、プレシアと『フェイトの魔導師としての育成と使用するデバイスの作成』を条件に契約した事。

 

 ――そして、フェイト達と過ごした日々のことと、契約によってもうすぐ力尽きる事を。

 

 それを言うたびにリニスの表情に影が入り、それを聞くたびに星命の顔がさらに曇る。

 

「結局私には祈る事しかできなかった……」

 

「あの子達を連れ出すことも、真実を告げることも」

 

「プレシアを説得させる事も……」

 

「どうしようもなく無力で、弱い自分が嫌になります……」

 

 力なく呟き、俯いたリニスの目の前に子供の手のひらが差し出された。

 

「え?」

 

 手が伸びてきた方向をリニスが見る、その紺色の瞳には微笑んでいる星命が映った。

 

「もし、僕にも魔力があるのなら君の死を伸ばすことぐらいはできるだろう?」

 

「え…はい、というか感じる分ではこの形態で過ごす分には問題なさそうです」

 

「なら、まだ諦めないで欲しい」

 

 星命は考えていた。『どうすればこの自分と同じ眼をした元使い魔を助けることが出来るだろうか』と。

 そこで思い出した、かつて自分がこのような状態にあったときにさし伸ばされた傷だらけの手の事を。

 

「ひとりひとりは弱者でも、力を合わせることはできる」

 

 かつて友に言われた言葉を、自分にも言い聞かせるように。力強く、意思を込めてその言葉を紡ぐ。

 

「僕も手を貸すよ、力になれるかはまだわからないけれど」

 

「星命さん……」

 

 もはや、その手を取らぬ理由などリニスには無かった。むしろ、希望にさえ見えた。

 かつて望んでやまなかったわずかばかりの時間が今、目の前にある。

 それだけで充分だった。

 

「お願いします、星命さん。私に時間をください」

 

 右の前足を星命の左手に乗せる。かつて掴めなかった希望を掴むために。

 その眼には既に絶望の色は無く、炯々と希望のように熱い灯火が灯っている。

 

「ああ、今後ともよろしく……と言ったはいいんだけど、どうすれば良いのかな?」

 

「あ、あと僕に敬称はいらないよ」と星命は付け加えた。

 

「魔力の循環はこちらでやるので、契約内容だけ決めてください」

 

「わかった、契約内容は……」

 

「『君の願いが叶うまで』というのはどうかな?」

 

「自分から言っておいてなんですけど、良いんですか? そんな抽象的で」

 

「良いんだよ、君らの世界の魔法を使う事は僕には無いだろうからね」

 

 星命には魔法は使えずとも悪魔召喚と陰陽術がある。その上、魔力があったところでデバイスが無い。ようは宝の持ち腐れなのだ、いくら魔力を取られても星命には痛くも痒くもない。

 

「わかりました。では、いきます」

 

 宣言と同時にリニスの足元を囲むように薄緑の光を放つ魔法陣が現れる。

 

 星命の体から赤黒い光が漏れ出し、リニスの体へと吸い込まれていく。

 渇ききった土が水で潤うように、魔力に飢えていたリニスの体を満たしていく。

 

 しかし、吸収したのは魔力だけではなかった。

 

 

 

 ――なぜ、人は愛と暴力を同時に行えるのだろう。

 

 

 

 ぽつりと目の前にいる少年の声が頭に響いた。

 

 使い魔との精神リンク。それはリニスたち使い魔との契約において切っても切れない関係である。

 主人が心を固く閉ざしていれば感情や記憶が流れる事は無い上に、心を開いていても通常であれば使い魔に流れてくるのは強い感情程度である。

 

 しかし、何の因果か赤黒い蟲毒色の魔力は記憶を連れて、リニスの中へと流れ込んだのだ。まるで蟲毒の魔力が星命の記憶を吸い取り、リニスに与えるかのように。

 

 精神リンクの繋がりが深くなったのは一瞬だけであった。

 しかし、その一瞬だけでも充分すぎるほどのものがリニスには見えて、そして聞こえた。

 

 

 

 ――僕の名前は安倍星命、超國家機関、ヤタガラスの情報部から派遣されてきた。

 

 ――『せいめい』って名前は偉大なご先祖様にあやかってつけられたんだ。さすがに恐れ多いから字は変えたらしいんだけどね。……ただ、そこには陰陽師のみんなの願いが込められているんだよ。

 

 ――『星に命を』……なんてね。

 

 ――どう? ライドウ君。僕なんかでも少しは役に立てたかな?

 

 ――それじゃあ 弱い人間の心はわからないよ! ライドウ君!

 

 ――ねぇ、君は感じた事はないかい? この世はとても残酷だと。

 

 ――僕も現世の不平等を正す、君とは見てるものが違うんだよ!

 

 ――君のその顔、とても敵をしとめた顔じゃないね、素敵だよライドウ君。

 

 ――悔いがあるとすれば、クラリオンに利用され、僕自身が世界を滅ぼす災厄となった事実……

 

 ――それが最期まで弱者だった僕の末路だよ。この絶望を罰に僕はこの世界を去ろう。

 

 ――戦いの中で見た清浄の光、昔、僕が否定した繋がりこそがその力の根源……

 

 

 魔力と共に、流れ込んできたのは戦いと陰謀の記憶。

 

 世界に絶望し、謀反を起こし、その身を邪悪に利用され、そして――

 

 

 ――最後の最後に僕は希望を見つけた。ありがとう、さようならライドウ君……

 

 

 友人によって救われた男の一生。そして、新たな世界へと現れた魂と体。

 

 安倍星命の人生の記憶だった。

 

「星命……あなたは……」

 

 様子の変わったリニスに星命は首を傾げる。

 

「伝え損ねていました、使い魔は術者と精神を接続して感情や記憶を共有できるんです……」

 

「なるほど、見たわけだね。僕の過去を」

 

「はい、でも一瞬とは言えこんなに深く繋がるなんて思わなくて……」

 

「構わないよ。軽蔑をしてくれても別に構わない、それだけの覚悟を決めて僕はその夢を追いかけたんだ」

 

 数々の罪を重ね、人を殺め、力を求めた。

 どんな惨い死に方をしても赦されないくらいには。

 

 だが、リニスの心の中にあったのは軽蔑でも侮蔑でもなかった。

 

 ――その心の中にあったのは哀れみだった。

 

 たしかに、彼が犯した罪は赦されるのものではない。それはわかる。

 でも、彼もまた被害者なのだ。と、リニスは感じた。

 

 星命の記憶の中、教育係である倉橋黄幡の教育方針に同じ教育者として疑問を覚えた。まるで、何かに誘導するかのような、子供の道を陥れるかのような歪んだ教育の方法だった。

 この黄幡の教育が無ければ、星命は純粋に少し内気だが普通の気さくな少年となっていただろう。こんな闇の深い人生を送ることはなかったはずだ。教育者の質は子供の行く末を大きく左右する事をリニスは知っている。

 

 少なくとも、今の星命から悪意は感じない上に、何よりも自身の恩人である。

 リニスはこのことは心の片隅に仕舞っておく事にした。

 

「君さえ良ければ契約は切ったりはしないよ」

 

「すみません……」

 

「だから気にしないでいいから……」

 

 言いながら星命はリニスの頭を撫でた。

 

「さてと」と、星命は木彫りの椅子から立ち上がる。

 

「いつまでもここで喋っているわけにもいかない。そろそろ帰るとしようか」

 

「セイメイ」

 

「ん?」

 

 今の今まで沈黙を貫いていたクルースニクが口を開いた。

 

「帰ってからでも構いませんので、お話があります」

 

「何の話?」

 

 直立不動のクルースニクの言葉に星命が小首をかしげる。

 

「キンシのライドウの……その後の動向について」

 

「……わかった、帰ったら必ず、ね」

 

 再び、星命の目つきが鋭くなる。

 言いながら星命は小屋の屋根を潜り外へ出た。

 その後の動向、ということは人柱になって終わったわけではないのだろうか。

 

 その時、星命の思考に横槍を入れるように別の思考が飛び込んできた。

 

「あ」

 

 星命が突如声を上げた。それと同時にいつもの穏やかな目つきに戻る。

 

「どうしたんですか?」

 

 声を上げた星命の足元に近付いてきたリニスが不思議そうに尋ねる。

 

「いや、一つ思い出し事をしてね」

 

「何をですか?」

 

「いや、なんでもないよ……」

 

 思い出したという星命にさらにリニスが質問をすると星命が歯切れが悪そうに誤魔化した。

 

『ヤタガラスの関係者で猫を連れているヤツには気をつけろ。そいつの周りにいると何かしらデカイ厄介ごとに首を突っ込む事になる』

 

 星命が思い出した内容、それは昔ヤタガラスの情報部で聞いたジンクスだった。

 その時は特に気にしなかったが、今ではそのジンクスが真実だったのではないかと思える。

 

 友人の葛葉ライドウは業斗童子という葛葉のお目付け役の黒猫と一緒に行動していた。

 そのせいか否かライドウは様々な怪事件や陰謀に悉く巻き込まれていた。

 

 蟲毒の秘術によってマグネタイトを体内に貯める事ができる供倶璃の一族の媛であった串蛇は白い猫を連れていた。

 この猫はネコマタだったが彼女もまた自分が起こしたコドクノマレビト事件に巻き込まれている。

 

 そして今、自分は薄茶色の猫を使い魔として傍に置く事にしてしまった。

 

 ――いや、きっと迷信染みたことだろうし、何も問題は無いだろう…うん。

 

 自分の足元の薄茶色の猫を見ながら星命は思考から逃げた。

 だが、眺めているうちにまたも別の事柄を思い出した。

 

「あ」

 

「今度は何ですか?」

 

 今度は少々訝しげにリニスが星命に尋ねる。

 

「いや、この世界に君に似た姿の種類の猫がいるんだよ」

 

「私に似た……?」

 

 思い出した内容、それは先ほど諦めた猫の種類についてのことだった。

 

「うん、『ノルウェージャンフォレストキャット』と言うんだけど」

 

「へぇ、どんな猫なんですか?」

 

「君のように暖かそうな毛皮を蓄えているんだ。それで……」

 

「それで?」

 

「北欧神話に登場する雷神、トールでも持ち上げられないほど重いって逸話がある」

 

 言い切ったところで、星命の頬に三乗の軌跡が走った。

 

「痛っ!」

 

 反射的に頬に手を伸ばす。そこにはヒリヒリと熱と痛みを覚えた肌があった。

 

「雷神トールがどのようなものかは知りませんが、女性に重いは失礼ですよ星命」

 

「え、はい、ごめんなさい……」

 

 ひらりとリニスは華麗に地面に着地し、叱り付けるような口調で言った。呆気に取られた顔のまま星命は謝罪を述べる。

 

「よろしい」

 

 満足げにリニスが眼を細めながら言った。

 

 三乗の傷で熱を帯びた頬を摩りつつ星命はふと、空を見上げる。

 少しすると、一筋の光が夜の帳を引き裂くように横切った。

 

「あ、流れ星」

 

 そう言ったのは同じく空を見上げたリニスだったが星命は傷ついた頬を更につねった。

 

「いふぁい」

 

「何をしてるんですかセイメイ」

 

 自分の召喚者がどうかしてしまったのではないかと怪訝な顔でクルースニクが声をかける。

 

「いは、はんへもはいほ」

 

 頬に奔る熱がさらに強まり、沁みるような痛みが頬を刺激する。

『流星の夢は不吉の予兆』とは誰の言葉だったろうか、そんなことを考えながら、星命は頬から手を離した。

 

「多いな」

 

 そう言ったのは星命だ。初めは一筋だった光は幾重にも増え、落ちて行く。

 

 その数、二十一。

 

 ――今日の朝の報道では流星群の話はなかったはずだけど……

 

 妙な予感が、星命の脳裏を掠める。

 

「まぁ、いいか。痛いってことは夢じゃないんだろうし……今度こそ、帰ろうか」

 

 頬をさすりつつ、星命は公園の出口へと足を向け、その使い魔と仲魔もその足取りに同調するように足を進める。

 

 この時は誰も気づくことが無かった。

 その流れ星こそが、このわずか後に、安倍星命(厄年)に厄介な事件をもたらす災厄の元凶だという事を。

 

 ◇

 

 星命達のいる公園から市街地へ数キロ離れた場所に位置する小さな交差点に数台のパトロールカーが止まっている。

 いつもは人通りの少ない交差点だが、今はパトカーのサイレンと、赤色警光灯に引き寄せられた付近の住民や通りすがりの人々でごった返している。

 

 ――ひき逃げ?

 

 ――大型トラックに轢かれたんだってよ。

 

 ――なにそれヒサンー

 

 口々に飛び交う伝言ゲームとごった返す人々の群れを押しのけながら進む一つの影があった。

 

「はい、ごめんなさいよ。通してくださぁーい」

 

 サウナの熱気のように纏わり付く群集に苛立ちを覚えつつも、茶色のハンチング帽にトレンチコートの刑事、風間は人々を掻き分け進んで行く。

 十メートルを進むのにたっぷり5分かけたころ、風間はようやく『立ち入り禁止』と書かれた黄色いゴールテープを潜った。

 

「ヤザタぁ、状況報告」

 

「風間さん、俺はヤザタじゃなくて矢佐田です。ヤ・サ・ダ!」

 

「んなこたぁ良いんだよ。ほら、報告」

 

 風間の声で傍に駆け寄ってきたのは紺のトレンチコートを着た二十代半ばほどの中肉中背の男性だった。狐目であり、ほりの深い、一見強面の顔をしているがどこか親しみやすい雰囲気を放っている。

 

「ガイシャは近所に住む二十代の男性、死因は…その、検死にまわさないとわからないです」

 

「わからない? どういうことだ、ひき逃げじゃないのか」

 

「見てもらった方が早いですよ」

 

 そう言いながら矢佐田は風間を交差点の中央に広げられたビニールシートへと促す。

 

 ビニールシートは不自然に盛り上がっていた。

 風間はその傍へと片膝をつき、一度、手を合わせて拝むような動作をした後、シートをめくった。

 

「……おいおい、こりゃどういうことだ。こんな道端で新幹線が通ってるなんて話は聞いた事が無いぞ」

 

 風間が、シートの中身から眼を外し、矢佐田へと向ける。冗談交じりに言った言葉だが、その顔は冗談で言っている風ではなかった。

 

 シートの中身は悲惨であった。胴体は胸骨部分が砕け、べたりと力なく、まるで空気を抜いたように血塗れてぼろぼろになった服だけが、そこに残っている。

 左腕は肘から、右足は膝から先が千切れている。それらと逆の手足は辛うじてくっついてはいるものの、あらぬ方向へと完全に曲がっていた。

 

 そして何より、首から上が無かった。

 

「大型トラックとの衝突でも、こんな道でここまでのことにゃならんだろ。家屋の解体用クレーンとハンマーでも持ってこねぇと」

 

 場所は人通りの少なく、それになりに曲がり角のある狭い道だ。片側一車線はあるものの、とても大型車で人をここまでバラバラにできるようなスピードは出せない。

 

「そうなんですよ、しかもブレーキ痕も、目撃者も無いんですよね」

 

 風間の意見に矢佐田も同調する。

 

「ブレーキ痕があったらこうはならんわな。だが……目撃者がいない?」

 

 人通りは少ないが全くないというわけでもない。

 それに車体に血がべっとりと付いているはずだ、何があっても目に付くはずである。

 

「ええ。車を見た人間は一人も……男の方は最後に見たのは友人の男性達だったそうです」

 

「で、その友人とやらは何て言ってんだ?」

 

「何人かで一緒に食事に行った帰りに急に態度が変わって殴りかかってきたらしいんです」

 

「で、一人が運悪く殴られて気絶してしまい、他の友人達が救急車を呼んでいる間に忽然といなくなったそうです」

 

 矢佐田が紺のメモ帳をめくりながら、風間の質問に答える。

 

「遺体を最初に見つけたのは近所に住む、主婦ですね。車で買い物から帰る途中、道路の中心で潰れているガイシャを見つけたそうです」

 

「トラウマものだな」

 

 言いながら、風間はコートの胸ポケットからタバコを取り出そうとしたが、ポケットは空であった。そこまでやったところで禁煙中であったことを思い出し、寂しい口に自身の手を当てることで我慢する事にした。

 

「その主婦か、殴られた友人が轢いた可能性は?」

 

「無いですね、主婦の方は車載カメラの映像も確認しました。友人の男の方は殴り合いの時に目撃者がいて、ずっと一緒だったそうです」

 

「そうか。しかし、本当にどうやってやったんだかな」

 

「さぁ、見当も付きませんね。悪魔とか、妖怪でも出たんですかね」

 

「……お前、冗談のセンス無いなぁ」

 

「すんません……」

 

 呆れたように言う風間に矢佐田は恥ずかしそうに苦笑いした。

 

「まぁ、どちらにせよひき逃げ以外には考えられんか」

 

「ですねぇ」

 

 疑問は残るが、他には考えられない。

 少なくとも鑑識から情報が回ってくるまでは何を考えても推測の域を出ない。

 

 その後、風間と矢佐田は遅れてきた鑑識班に遺体を預け、その場を後にした。

 結局、この事件は道路上という立地と目撃者などがないことを理由にひき逃げとして処理された。



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第二話 『邂逅』

 リニスと契約を交わした後、星命達は高町家へと帰ってきた。玄関の門を潜り、戸を閉めたところでクルースニクを管へと戻す。

 

「これが悪魔召喚術ですか」

 

 星命の記憶の一部を覗き見たリニスが、管へと戻って行くクルースニクを見ながら感心したように呟いた。

 その後、星命と共に玄関の門を潜る。 

 

「ちょっと待っててもらえるかな」

 

「わかりました」

 

 管を鞄の中へと仕舞いながら星命はリニスに待つように伝える。

 玄関先にリニスを置いて、星命は一足先に家の中へと上がった。そのまま真っ直ぐにリビングを目指し、

 

「ただいま帰りました」

 

「星命くんおかえりー」

 

「おかえり、星命」

 

 リビングへ上がり、帰宅したことを伝えるとリビングに入ってすぐ左にあるソファに寝そべっている美由紀とその前のテーブルの前で読書をしている恭也が返事をした。

 

 既に美由紀と桃子は星命の事情を知っている。この世界の人間でない事と、この時代の人間でない事、そして悪魔召喚師であることも。

 高町家で星命の事情を知らないのは次女のなのは一人だ。そのため悪魔の討伐に向かうのはなのはが寝た後である場合が多い。

 

「士郎さんと桃子さんはいるかな? 相談したい事があるんだけど」

 

「二階にいるんじゃないかなぁ。――あ、降りてきた」

 

 うつぶせに寝そべり雑誌を読んでいる美由紀に家主の居場所を聞く。美由紀が答えたところで階段を降りてくる音と会話する声が二人分聞こえてきた。

 

「お、星命くん。おかえり」

 

「あら星命くん、おかえりなさい」

 

「ただ今帰りました」

 

 階段から降りてきてリビングへと入ってきた二人は星命を見つけると同時に声をかけ、星命の右隣へと並ぶ。星命も二人の方を向いた。

 

「ちょうど良かったです、お二人に相談したい事があるのですが」

 

「あら何かしら?」

 

「実はですね……おいで、リニス」

 

 星命が玄関に向かって声をかけると薄茶色の山猫、リニスが恐る恐る星命達のいるリビングに入ってきた。それを見るやいなや桃子が、

 

「かわいいっ!」

 

 そう言って眼を輝かせながらリニスに向かって突進し、そのままの勢いでリニスを抱き上げた。

 頭上へリニスを掲げ、クルクルとその場で楽しげに回ると、リニスを胸へと抱いた。

 

「かわいいわぁこの子」

 

「おぉ、綺麗な毛並みだねー。飼い猫?」

 

 と、リニスを抱きしめたまま撫で回す桃子のもとへ雑誌をソファーへと投げ出した美由紀が駆け寄り、羨ましそうに眺めている。そんな二人と一匹を尻目にテーブルの横に士郎と恭也、星命が集まってしゃがみ、密談の形式を取る。

 

「大丈夫なのか? あの猫、あんな風に撫で回して……君が連れてくるって事はただの猫ではないんだろう?」

 

 そう言ったのは士郎だ。口の横に平手を当てて、声をひそめて星命に尋ねる。

 

「一応、悪魔ではありませんので大丈夫です。弱っていたところを助けて使い魔になってもらったんです。一応人語もわかりますし、話せます」

 

「陰陽術と悪魔の次は使い魔か、お前はとことん規格外だな……」

 

 士郎の質問に星命が答え、恭也が嘆息しつつガクリと頭を垂れた。

 

「それで本題なんですが、リニスをここに置いてやっても構いませんか?」

 

「まぁ連れて来たんだから薄々そうなんだろうとは思っていたけど――」

 

 星命の相談に士郎は返事をしながら横目でリニスの方見る。リニスは美由紀にしつこく撫で回されて目を回しているところだった。

 

「――まぁ良いだろう、人語もわかるんなら躾の必要もないし」

 

「ありがとうございます」

 

 士郎から許可をもらい、星命は士郎に礼を言った。

 その後、背中に猛烈なブーイングを受けつつも、リニスを執拗に撫で回している二人からリニスを回収して星命は自室に戻った。

 

 ◇

 

「召喚」

 

 自室へ入り、扉を閉めると、先ほど鞄にしまったクルースニクの封じられた管を抜く。

 管が淡く緑光を放ち、星命の前にクルースニクが現れた。

 

「早速だけど、キンシのライドウのその後、というのはどういうことかな?」

 

 言いながら星命がクルースニクの脇を通り、入って右端にある自身のベッドへと腰をかける。

 その足元へリニスが歩み寄り、座った。

 

「異なる世界と魔法を知った今のセイメイになら話しても問題ないでしょう」

 

そう前置きし、ベッドに座った星命と向かい合い、クルースニクは語り始める。

 

「私が以前、この世界の十四代目葛葉ライドウの仲魔で、葛葉ライドウが人柱となったと言った話は覚えていますか?」

 

「ああ、覚えているよ。月村邸での話だね」

 

 話し始めたクルースニクに星命は真剣な表情で答える。

 

「あの話には続きがあるんです」

 

「続き?」

 

 クルースニクの言葉に星命は問いを返す。

 

「仲魔達にも慕われていたライドウは管と一緒に埋められましたが、気が付くと別の世界にいたんですよ」

 

「別の世界? もしかして……」

 

 クルースニクの言葉に星命はある予測を立てた。つい先ほど聞いた話と関連しているような気がしたのだ。

 その考えを汲んで、クルースニクは肯定するように一度首を縦に振った。

 

「ええ、そうです。次元災害に巻き込まれて彼女、リニスが住んでいたと言う、第1管理世界『ミッドチルダ』に葛葉ライドウは飛ばされたんですよ」

 

「『次元災害』とは一体なんだい?」

 

「次元災害というのは次元世界においてたまに起こる災害の事です」

 

 星命の投げかけた問いへの答えは足元から返ってきた。星命の視線が足元の山猫へと向けられる。

 

「人や物が他の次元世界に転移してしまったり、次元世界と次元世界をつなぐ空間、次元空間が通れなくなってしまったりするんです。酷いものだといくつもの次元世界を崩壊させる場合もあります」

 

 リニスが短く、それでいて丁寧に星命の問いに対する説明を返す。

 

「つまり、事故で彼女の住んでいた世界……といっても、七十年近く前のミッドチルダへと飛ばされたんだね……なんだかどこかで聞いた話な気がするなぁ」

 

 納得した星命は再び正面へと顔を戻しつつ、腕を組んで自嘲の笑みを浮かべる。意味もわからず異世界へ飛ばされる。まるで自分と同じような話ではないか。

 

「ええ、そこでライドウは時空管理局と接触し、管理局に協力する代わりにこの地球のある次元世界を探して欲しいと交渉しました」

 

「幸い管理局も発足したてで人手不足な上に、ライドウの実力と悪魔召喚術により、交渉に手間はかかりませんでした」

 

 クルースニクの話を聞きながら、星命は顎に手を当てる。

 

「少し、無用心じゃないかな? それに話が上手くいきすぎだ。ライドウに実力があるのはわかるけど、普通は警戒されるだろう?」

 

「実はライドウが転移する少し前から悪魔達がミッドチルダに現れていたようなんです」

 

「悪魔が出るのは普通じゃないか? 向こうにも宗教文化、神話や御伽噺ぐらいあるだろう?」

 

 悪魔達は信仰や宗教、逸話などに大きく影響される。信仰により、新たに悪魔が生まれる事もあれば、新しく生まれた信仰により、古き神が貶められる事もある。

 

「たしかに宗教文化は存在します。一番大きいのは聖王教会と呼ばれる、古代の王を主神とした宗教団体でしょうか。聖王は神格化された人間がベースですが、主な向こうの信仰の対象は実在する魔法生物……リンカーコアを持つ生き物達が主なんです」

 

「つまり、最初から悪魔が公の存在である世界……か」

 

 こちらの世界では悪魔は通常の人間には見えない。故に悪魔達は普段は一般の人間には知覚されることなく存在しており、実在していると知っている者は少ない。しかし、元々実在する魔法生物が信仰の対象であればそれも変わってくるのだろう。この地球においても実在の動物が神聖視されるというのは良くある話だ。

 

「しかし、ミッドチルダに現れる悪魔はこの世界の悪魔に似た者が多くいました」

 

「この世界の悪魔達が向こう側へ現れる……」

 

 星命が頭を捻る。

 地球においても、『全く関連のない国の間で、性質の似通った神、悪魔が存在する』というのはわりと多くある話だ。しかし、それをミッドチルダへ結び付けても良いものだろうか。

 

「……疑問は残りますが、話を進めましょう」

 

 クルースニクの言葉に星命は頷いて応える。

 

「悪魔に関する知識と、戦闘技術を見込まれ、時空管理局へ入局したライドウは数十年もの間、管理局で戦い続けました。しかし、結局地球が見つかる前にライドウは病に伏せてこの世を去りました」

 

「その数年後、ここ第97管理外世界である地球が見つかり、ライドウの遺言でミッドチルダの守護に付いた者達を除き、こちらへと帰ってきました」

 

 これが、私の知る全てです。と、クルースニクは話を締めくくった。

 

「その戻ってきた悪魔が君なんだね」

 

「そういうことです」

 

 尋ねた星命の言葉を、クルースニクは首を縦に振って肯定する。

 

「そういえば、なぜ今まで黙っていたんだい?」

 

「ここは管理外世界ですので、向こうの世界の魔法の事をあまり公に話すわけにはいかないのです」

 

「そういうことか」

 

 星命の質問にクルースニクは理由を話し、星命は納得した。未知の力は人の心を惑わせる。進んだ技術を持つ向こう側の世界の事は伏せておくのが普通なのだろう、と。

 

「しかし、まさか彼女の世界と僕等の世界に接点があるとはねぇ」

 

「別段、珍しい事ではありませんよ。ミッドチルダには色んな世界の人間がいますから」

 

 星命が感慨深く言いながらベッドへ背中を埋めると、足元のリニスが微笑みながら返した。

 

「まぁ遠いところからきたんだ。リニスもゆっくりしていくと良いよ」

 

 

 ――何の気なしに出した気遣いの言葉だった。しかし……

 

 

「……そういうわけにも、行かないんです」

 

 返ってきたのは重苦しい声。公園で聞いたような絶望を纏う声だった。

 

「フェイトの母、プレシアは病を患っているんです」

 

 その言葉を聞いて星命が背後に両手を突いて起き上がる。

 

「レベル4の肺結腫、既に他の臓器にも影響して、もう長くは生きていられないはずなんです」

 

 搾り出すように言われたリニスの言葉はその場に再び重い雰囲気をもたらした。

 

「肺結腫……ね」

 

 転がすように、星命はリニスの言った病名を口にした。

 

「フェイトを造る際に使った薬品によるものだと思います」

 

「診断違いという可能性は?」

 

「左肺の上葉に腫瘍の影があったので間違いないかと……私も直接確認しました」

 

「そうか……」

 

 リニスが言うのならば、間違いないだろう。

 まさか、彼女の願いに時間制限がついているなどとは星命も思わなかった。

 何か言葉をかけたほうが良いのではないかとは思うが、いつもは達者な口が動こうとしない。

 

「星命……病気を治せる悪魔というのはいないのでしょうか?」

 

 何を言おうか悩んでいる星命に、リニスが尋ねる。悪魔であれば病も治せるのではないか。それは誰もが行き着く考えだろう。

 

「いる事にはいるけど……今の時代では少し、難しいかもしれない」

 

「どういうことですか?」

 

 星命の言葉にリニスが問い返す。

 

「昔の人間の病気、というのは不摂生による疫病に加えて病魔、すなわち悪魔の仕業によるものが多かったんだ」

 

 不精や病魔による『穢れ』によって引き起こされる病。それらが相手であればまだ治癒の神々でも治す事ができた。しかし……

 

「だけど、人間の生活水準が上がり、人が患う病気も変わってから治癒の神々では治せない病気が現れ始めた」

 

 星命達の世界のヤタガラスの中でも飛び切り優秀な悪魔召喚師の一族『葛葉』。

 その中でも特に優秀である葛葉四天王の内の一柱。葛葉ゲイリン。

 

 十七代目葛葉ゲイリンは結核を患っていた。しかし、日本の神々では治癒をすることが出来ず、その上、任務中の無理が祟って亡くなったと星命は聞いている。

 

「今では人間の手で治療が可能な病の中にも、悪魔達では治療できないものが多く存在する」

 

「強大な力を持つ天津神や諸外国の主神級、それらに近い悪魔ならもしやとは思うけど、残念ながら僕にはそれらの悪魔を喚べるほどの力はないんだよ」

 

「……すまないね」

 

「いえ、良いんです。もとより時間が無いのは承知の上ですから、今はあの子達とプレシアの為にできることを考えるべき時です」

 

 リニスの言葉に、つい、星命は眉を顰めた。

 そう言ったリニスの目標に向かって希望を見据えている眼が、力になれなかった星命には眩しく感じたのだ。

 

「さし当たってはしばらくは転移のための魔力を蓄えようと思います」

 

「わかったよ、僕の魔力で良ければ使ってくれ」

 

 そう言ったところで不意にノックの音が聞こえた。ドアに全員の視線が集まる。

 

「風呂が空いたぞ、さっさと入って寝ろよ」

 

 扉の奥から恭也の声が聞こえた。

 

「わかった、今入るよ。クルースニク、管へ」

 

「はい」

 

 恭也の声に星命は答え、クルースニクに管へ戻るよう促す。クルースニクが管へと戻った様子を見届けた星命は部屋を出て、入浴の準備を済ませ脱衣所へと向かう。

 その後は何事も無く、星命は入浴の後に就寝した。

 

 ◇

 

 夢を見ていた。

 

 どことも知れぬ湖のほとりに、翠色を帯びた髪を首元まで垂らした少年が立っていた。

 どこかの民族衣装だろうか、特異な模様の入ったシャツとズボンにマントをつけていて、探るように辺りを見回している。

 少年の幼く、整った顔立ちに焦燥の色が浮かんでいる。畔の周りを囲むように存在する雑木林の木々が風でざわめく音が、周囲の緊張感を更に高めていた。

 

 その雑木林に沿う様に並ぶ街灯から湖上へと放たれる光が、不意に遮られ、影を作る。

 

 影に気づいた少年がその影の方向へ自身の手の平を向け、何かを呟いた。

 それと同時に少年の手の前に、手の平に並行になるように緑光の円形の魔法陣が展開された、次の瞬間。

 

 巨大な黒い影の異形が、宙に浮かびながら少年の方へ猛然と突進する。周囲の湖畔にかかる桟橋やスワンボートを巻き込みながら、しかしその勢いを失うことなく、少年へと一直線に向かっていき、少年の魔法陣へと衝突する。

 

 そのまま潰されるかと思った少年だったが、まるで魔法陣が盾のように、黒い影の怪物を塞き止めていた。

 魔法陣から腕へ体へ、衝撃が伝わって行く。

 踏み止める少年の足が、わずかに後方へと下がりながら土の地面に轍を残す。

 

 魔法陣が輝きが強くなると、急に怪物が唸り声を上げ、苦しみ始める。

 怪物の体が溶けるように体を変えると、その体内に青い菱形の宝石がわずかに覗いた。

 

 しかし、怪物の体は逆再生のように元へと戻り、その液体とも固体ともつかぬ体を力むように揺すらせる。その体から生やした腕が地面を捉え、更に膂力を緑の円陣へと加える。

 

 魔法陣を挟んで向かい合っていた少年の顔が徐々に険しくなる。

 

 次の瞬間、円陣が弾け、少年と怪物は反対の方向へと投げ出された。

 二転、三転、少年の体が蹴鞠のように地面で弾み、ついにはうつ伏せになって止まった。

 

 怪物の方は水の中へと大きく水飛沫を上げて沈んでいった。わずかに水面に波紋とあぶくが立っていたがしばらくして、もう一度飛沫を上げて水面から飛び出してきた。

 怪物は少年からは興味を無くした様に少年のいる方向とは逆の方向へと浮遊していった。

 怪物の姿が見えなくなると、不意に、少年の体が光り輝いた。

 光の後に残ったのは、イタチのような動物と、紅玉に似た宝珠だった。

 

 ◇

 

 うっすらと、意識が覚醒する。

 不思議と、眠気が後を引く気配が無い。

 

「こんばんは」

 

 目の前から声が星命の耳へと届く。それと同時に星命は目を開けた。

 

 視界に入ったのは満点の星空と月が浮かぶ砂漠だった。

 夜闇によって、黒色に塗りつぶされそうな砂の大地がわずかに月の恩恵を受けてその色を保っている。

 

 その砂ばかりの大地に驚くほど不似合いな漆塗りの茶色の小さなラウンドテーブルを中心に向かい会うように一対の同じ材質で出来た華奢な椅子がある。

 

 星命はそのうちの一つに腰をかけていた。

 

「初めまして、かの」

 

 わずかにしゃがれているが柔らかな声だった。その声は対面の椅子から聞こえてきた。

 対面の椅子には健康的に焼けた褐色の肌の小柄な老紳士が座っている。

 彫りが深い中東系の顔立ちに、茂みのような白い髭を口周りに、同じく白く、濃い眉毛が目を覆い、その表情を伺う事はできない。

 白のシャツとタキシードに金糸で編まれたベレー帽を被るというなんとも不似合いな格好のはずなのに、なぜだかそれがとても似合って見えた。

 

「ここは……?」

 

 澄んだ意識の中で浮かんだ最初の疑問を星命は口にする。

 

「お前さんの夢の中じゃよ、ちょっとワシの好きな風景に変えさせてもらっておるがな」

 

 白い髭を蓄えて見えなくなっている口から星命の問いに対する答えが返された。

 

「夢の、中……? あなたは誰なんだ?」

 

「ふむ、言うは易いがそれではワシが面白くはない。答えとは導き出してこそ意味がある」

 

 老紳士は腕を組んでふんぞり返った。小柄なその体のせいで覇気などは感じられないが、どこか威厳がある。不思議な男だと、星命は思った。

 

「かといって、呼び名が無いのも困りものじゃな。はて……」

 

 言いながら老紳士は頬の上を人差し指で書きながら思案にふけるように在らぬ方向を向く。

 

「そうじゃな『ジェフ』と、今は名乗っておこう」

 

 そう言って老紳士『ジェフ』は、ニカっと頭上の月のような柔らかな笑顔を星命へと向ける。

 髭の茂みが切ったスイカのように裂け、褐色の肌とは対照的な白い歯が見えた。

 

「ここへ、お前さんをこうして呼んだのは他でもない」

 

 テーブルに肘を着き、顎の下で両手の指を絡ませ、ジェフはゆっくりとした口調で星命へと語りかける。

 

「頼みごとがあるんじゃよ、デビルサマナー殿」

 

 デビルサマナー、と呼ばれた星命と表情と体が強張る。その呼び名を知っているという事は少なくともこの世界の裏を知っているモノであるということだからだ。

 

「そう身構えんでもよい。別にお前さんを取って食おうという訳じゃない」

 

 絡ませていた指を解き、ジェフは手首を左右に振った。

 

「ワシの探し物に協力して欲しいんじゃよ」

 

 茂みのように豊かに蓄えた髭を撫でながらジェフは話を続ける。

 

「探し物?」

 

「左様。と言っても見つけてワシのところへ持ってくる必要は無い。できる限り、悪魔達の手に触れぬようにすれば良い」

 

 どういうことだろうか、探し物であるにも関わらず『持ってこなくても良い』というのは。

 湧いて出た疑問についつい星命は顎に手を当てて考え込んでしまう。

 

「……ああ、魔力を持つ人間もちょっと危ないかもしれぬの」

 

 思案顔の星命に、思い出したようにジェフは付け加えた。

 

 ――魔力を持つ人間がいることを知っている?

 

 星命の脳裏に新たな疑問がよぎる。思い切って星命は聞くことにした。

 

「魔力を持つ人間を知っているんだね、では向こう側の世界の事も?」

 

「異なる世界、『次元世界』の事じゃな。ある程度の神や悪魔であれば知ってはいるじゃろう」

 

「では、知っているあなたも人間ではないんだね」

 

「……ほう、そうきたか」

 

 星命の言葉に、ジェフは嬉しそうに含み笑いを浮かべる。

 

「まぁ、ワシの場合は知っている理由はもっと特殊だが……それは良いじゃろう」

 

 追々わかることだ。と笑みを溜めた表情を崩さずに言った。

 

「話が反れてしもうたな」

 

 言いながら、ジェフは反れた話の内容を振り払うように頭を横へ振った。

 

「探している物の名は『キセイのホウジュ』、『ジュエルシード』と呼ぶ輩もおるな」

 

「キセイのホウジュ……ジュエルシード」

 

 その物の名を反芻するように星命は口の中で転がす。

 

「まぁ今日はこのくらいで良かろう。おそらくまだ夢での邂逅に慣れておらんじゃろうから、きっと起きたら忘れておるだろうしの」

 

「ちょっと待ってくれ、僕はまだ引き受けるなんて言っていない!」

 

 机を叩いて立ち上がり、慌てて言う星命にジェフはイタズラっぽい笑みを浮かべた。

 

「ふぉっふぉっふぉっ……。どちらにせよ、お前さんは集めざるを得なくなる。人の世を護る者であるのならばな」

 

ジェフの言葉を聞きながら、ゆっくりと視界の闇が深くなる。

 

「――それでは、お前さんがそのモノとの邂逅を果たしたその夜にまた会おう」

 

 星命の意識は完全に闇へと沈んだ。

 

 ◇

 

 気だるげに星命は体を起こす。そこは自身が昨夜就寝した自室のベッドの上だった。

 洗面などの学校へ行くための準備を整えて、食事のために階下へと向かう。

 

 食事を食べ終わり、食器を片付けているとリニスが近付いてきた。

 

「やぁ、おはよう。リニス」

 

「おはようございます、星命……ずいぶんと冴えない顔ですね。寝付けなかったのですか?」

 

 流し台に食器を置きながら星命は答える。

 

「変な夢を見たんだよ」

 

「ああ、昨夜の念話での救難信号ですね」

 

「念話?」

 

 リニスに向き直った星命が、聞きなれぬ単語に小首を傾げた。

 

「ええ、魔導師が使う遠距離会話魔法。すなわち、魔力によって言葉を伝える魔法です」

 

《こんな風に、指定した相手へ届けることが出来るんですよ》

 

 リニスの声が、頭の中に響く。

 

「直接話さなくても会話ができるのか……リニス、部屋以外では念話で会話してもらえるかな」

 

《構いませんが、どうしてですか?》

 

「この一家の次女、なのはちゃんだけが僕の裏家業のことを知らないんだよ……少々血生臭い話だし、ちょっと事情があってね」

 

《なるほど、わかりました》

 

 星命の意図を汲んだリニスが答える。悪魔のことを知らないのであれば猫が喋ればさぞ驚く事だろう。

 

「おはよー星命くん……どうしたのその子!?」

 

 噂をすれば影、なのはが部屋へと入ってきた。

 入ってくると同時にリニスを指差し、星命と交互に見ながら目を白黒させて驚く。

 そんななのはの様子がおかしくて星命はまるで悪戯が成功したようにくつくつと笑った。

 

「名前はリニスって言うんだ。昨日の学校帰りから付いてきてたみたいでね。どうしても離れなくてくれなかったんだ。保健所というのも可哀想だから士郎さんに頼んで飼って貰うことになったんだよ」

 

「へぇー」

 

 星命がリニスのいる理由を嘘で誤魔化す。なのはは星命の言葉を微塵も疑わなかったようで納得したような声を上げた。

 

「でも、珍しいね」

 

「珍しい?」

 

 なのはの言葉を星命はオウム返しに尋ね返す。

 

「うん、だって星命くん食べ物のこと以外でわがままなんてめったに言わないもん」

 

「何か気になる言い方だけど……まぁいいか。そういうことで飼う事になったんだ。仲良くしてあげてくれ」

 

「うん! よろしくね、リニス」

 

なのはがリニスの頭を撫でながら言うと、リニスは目を細めて一声鳴いて応えた。

 

「ところで、準備はもう良いのかな?」

 

「あ! いけない。ごめん星命くんちょっと待ってて!」

 

 星命がなのはに準備の按配を聞くと、慌てた入ってきた戸を勢い良く開け放ち、もう一度くぐって戻って行く。

 

《いい子ですね》

 

 徐々に徐々に閉まるドアを見つめながら、リニスがなのはに対して抱いた率直な感想を述べる。

 

「まあね」

 

 星命もまた、その言葉に同意した。

 

《話は戻りますが、救難信号の件はどうしましょう? 昨日の念話はすぐに切れてしまったのでどこにあの魔導師がいるかはわからないのですが……》

 

「少し、様子を見よう。居場所がわからないんじゃ救助もできない。一応、僕も式神を飛ばして捜索はしてみる」

 

《わかりました》

 

「ああ、そうだ。帰ってきたら僕にも念話を教えてもらえると助かる。『物言わぬ猫と独り言で会話する奇人』なんて噂は立てたくないからね」

 

《たしかにそうですね、わかりました》

 

 その後、星命は戻ってきたなのはと合流し、学校へと向かった。

 時間が少し過ぎて、星命たちの姿は聖祥小学校のとある教室の中にあった。

 3年A組、星命達がこの春進級したクラスだ。

 黒板の前では教師と思われる女性が立っており、その事から授業中であることが見て取れる。

 女性教諭は町にある施設や商店などの役目や仕事についての話をしている。

 

「このように、この海鳴市の中だけでも色々な場所で様々な仕事があるわけですが、皆さんは将来どんなお仕事に就きたいですか?」

 

「今から考えてみるのも良いかもしれませんね」

 

 女性教諭がそう締めくくった所で終業のチャイムがなり、日直の合図で全員が終業の挨拶をして各々は昼休みへと移って行った。

 

 ところ変わって聖祥小学校の屋上。その片隅のベンチになのは、星命、アリサ、すずかの順で座って弁当を食べていた。

 

「将来かぁ……」

 

 なのはは物憂げにそう呟いて、タコを模したウィンナーを口に放り込み咀嚼する。

 

「アリサちゃんとすずかちゃんはもう将来の夢って決まってるの?」

 

「うちはお父さんもお母さんも会社経営だし、いろいろ学んでちゃんと跡を継がなきゃなぁとは思ってるけど……けど本当に漠然とよ?」

 

「わたしも家が工学系の会社だし、機械が好きだから、工学系で専門職がいいなと思ってるけど。実際どうなるかはわからないもんね」

 

 なのはの質問にアリサとすずかがそれぞれ将来進むであろう道を答える。

 

「星命くんは?」

 

「僕かい? んー、将来の事はあまり考えた事がないんだけど。そうだなぁ、調べ物が得意だから、探偵とか記者になるのも悪くないかもしれないね」

 

 なのはが星命に質問し、星命は情報部での経験を活かせるような職業を答える。

 その脳裏にはヤタガラスのライドウの周りに居た男の探偵と女性記者の顔が浮かんでいた。

 

「そっか、皆ちゃんと考えてるんだね。」

 

「でも、なのはは喫茶『翠屋』の二代目じゃないの?」

 

 言ったなのはに今度はアリサが質問をぶつける。

 

「うん、確かにそれも考えてはいるんだけど……やりたいことは何かあるような気がするんだけど、まだそれが何なのかはっきりしないんだ。私、特技も取柄も特に無いし。」

 

「このバカちん!」

 

 自分を卑下したなのはの顔に向かってアリサは自分の弁当に入っていたレモンを一切れ投げつけた。

 しかしそれはなのはの顔に届く事は無く、途中空中で星命に掴み取られる。

 

「気持ちはわからないでもないけど、食べ物を粗末にするのは良くないね」

 

 そう言って星命は無表情のまま手に握った生のレモンの切れ端を口に放り込み咀嚼した。

 

「あたしはあんたがわからないわ……」 

 

 投げつけたレモンをそのまま食べて顔色一つ変えない星命の様子にアリサは呆れ果てた顔をしている。

 

「ってそうじゃないわ! なのは! あんた思っても自分でそういうこと言うもんじゃないわよ!」

 

「そうだよ。なのはちゃんにしか出来ないこときっとあるよ」

 

 思い出したかのように言うアリサの言葉にすずかも同調する。

 

「だいたいあんた、理数系の成績はこの私よりいいじゃない!それで取柄が無いってどの口!」

 

 そう言うとアリサはなのはの上に馬乗りになり、両手の指を使ってなのはの口を引っ張り回す。

 

「だってわたし、文系はからっきしだし、運動も苦手だし……」

 

 口を引っ張られたまま、なのはが言う。

 

「喧嘩はダメだよ! ねえ、ねえってば! 星命くん、なんとかして!」

 

 二人の様子におろおろするばかりのすずかが星命に助けを求める。

 

「ああ、そうだね。取り合えず食べ終わってからで良いかい?」

 

「ええ!? ダメだよ! 今止めてよ!」

 

 重箱弁当の三段目を食べている途中の星命が答え、すずかがそれに抗議する。

 四人の昼休みはこうして、賑やかに去っていた。

 

 ◇

 

「じゃあ今日は塾があるから、またあとでね。星命くん!」

 

「うん、いってらっしゃい」

 

「いってきまーす!」

 

 放課後、夕方にはまだ早く、蒼天と白雲が支配する空の下に星命達の姿があった。

 校門の前で、星命が塾へと向かうなのは達を見送り、今朝のうちに魔導師の捜索に出していた式神の一部を彼女達の監視と護衛につける。

 

 しばらく、少女たちの背中を見送りながら自分も帰路に付こうかと考えていると、急に思い出したようにすずかが振り向いて星命のもとへ駆け寄ってきた。

 

「どうかしたのかい?」

 

「うん、そういえば星命くん携帯持ってないから、直接言わなきゃと思って……」

 

軽い運動で上気した肌ですずかは笑いながら星命に言う。

 

「アリサちゃんとも話したんだけど……ほら、なのはちゃんいろいろ悩んでるでしょ?」

 

「そうだね、『何かを成さねばならない』、そういう気持ちがある。でも何をすればいいのかわからないし、小さな自分の力ではまだ何も成す事ができない」

 

「そんな自分に、悩んでいるように僕には見えるよ」

 

「うん、わたしもそう思う」

 

 星命の考えをすずかも肯定するように首を縦に振る。

 

「それでね、アリサちゃんと相談したの。なのはちゃんが夢中になれそうなものをわたし達も何かさがしてあげようって」

 

「星命くんも、なのはちゃんが夢中になれるものを見つけたら、応援してあげてね」

 

「もちろんだよ」

 

 言って星命は笑う。軽い挨拶の後、すずかは少し先で待っている二人の少女の下へと戻っていった。

 

 ――なのはちゃんは良い友人を持ったね。

 

 すずかを見送りながら、そんなことを思った。悩みを共有できる、背負ってくれる友人。それは掛け替えのないものだと星命は思っている。

 

 そんな事を考えながら、星命は少女達の行く方向とは逆の方向へと去って行った。

 

 ◇

 

 

「何かあったんですか?」

 

 アリサが、近くにいたバインダーを片手にペンを走らせている男に話しかけた。

 目の前の惨状を見て、話しかけたのだ。

 

 アリサ達がいるのは公園の敷地内の湖のほとりだった。塾に行く近道があるとアリサが誘って近くまで寄ったのである。

 普段はデートスポットとして有名な湖だったが、今はロマンチックの欠片も無いものへと変貌していた。

 

 湖にかかる桟橋には大なり小なり無数の穴が開き、遊覧用のスワンボートは白鳥の首や背に備え付けられた屋根がへし折られている。周囲の雑木林の木には鋭利なもので抉ったような跡があった。それらの木屑や残骸と思われるものが湖に浮いており、まるで竜巻の通り過ぎた後のような有様となっていた。

 

「ん? ああ、スワンボートや桟橋が壊されたって通報があったんだよ。イタズラにしては酷いよなぁ……いや、だから俺たち刑事が呼ばれたんだけどさ」

 

 アリサに話しかけられた若い刑事、矢佐田は右手のペンでこめかみを掻きながら返す。

 

「お兄さん警察なんですか?」

 

「ああ、俺は刑事だよ…っと、あんま話してると風間さんにどやされるな」

 

「君たち、最近物騒だからあんまり寄り道とかするんじゃないぞ」

 

 矢佐田はなのは達に注意を促す。

 

『はーい!』

 

 三人の少女は元気良く、返事を返す。

 普通の人間ならばここで自分が同じような災害に巻き込まれると考えるものは少ないだろう。

 その他の大多数と同じく、自分の身に何かが起こる事はきっとないだろうとなのはは思った。

 その時だった。

 

《…か…たす……て…》

 

 微かになのはの頭に声が響いた。

 

「ねぇ、今何か聞こえなかった?」

 

 なのはが友人二人に尋ねる。

 

「ううん、何も聞こえなかったよ」

 

「どうしたのよ、なのは」

 

 小さく首を横に振って答えた友人達になのはは一瞬、気のせいだったのかと思おうとした。しかし……

 

《助けてください……》

 

 今度ははっきりと聞こえた。それは助けを求める声だった。

 

「やっぱり聞こえる! 二人とも、ちょっとごめん!」

 

 次の瞬間、弾かれるようにしてなのはは雑木林へと駆けていく。

 刹那にその様子をぽかんと眺めていた二人だったが、すぐになのはを追って走りはじめた。

 

 その後姿を、矢佐田の冷やかな目が見つめているとも知らず……

 

 ◇

 

「今の声は?」

 

 矢佐田が自分の中に語りかけるように独り言をこぼす。その狐目には何の感情も浮かんでいない。

 ただ冷たく、客観的に物事を見通そうとする目である。

 

「そうか、ならいい」

 

 返す者の居ない言葉に、まるで返事が返ってきたように矢佐田が呟いた後、矢佐田はなのは達とは別の方向へ去って行った。

 

 

 ◇

 

 

「フェレット?」

 

 ぽつりとなのはが声をこぼした。

 雑木林から聞こえた声を追った先にいたもの、それは赤い宝石を首から提げた翠の毛並みを持つ一匹のフェレットであった。

 なのはが手で触れると、わずかに目を開け反応する。まだ息があるようだ。

 

 傷だらけの小動物をなのははできるだけ丁寧に掲げ揚げ、胸元へと抱いた。

 

「なのはー! 急にどうしたのよぉ」

 

「あれ? その子どうしたの?」

 

 追いついてきたアリサとすずかもなのはが抱いている傷だらけのフェレットに気づく。

 

「よくわからないんだけど、怪我してるみたいで……」

 

 なのはがきたときには既に怪我をしていたのだ。どうにかしてあげたいが、なのはにはそういった技術はない。

 

 ――あ、わたしまた……

 

 少女の心に影がさした。一人きりだったあの日々を、何もできない自身の両手が脳裏をよぎる。

 

「うーん、塾まではもう少し時間があるし、取り合えず動物病院へその子を診てもらいに行きましょ」

 

「うん!」

 

 アリサの提案になのはが頷く。

 こういう時、判断の早いアリサがとても頼もしく思える。そう思うと同時に、自分中の影はなりを潜めた。

 

「あれ……?」

 

 ふと、なのはが首を左に向け、中空の一点を見つめたまま動きを止めた。視線を感じたのだ。

 

「どうしたのよ? ほら、早く行くわよ」

 

「あ、ごめんごめん。いこっか」

 

 アリサの言葉になのはは一点から目を逸らし、アリサたちの元へと駆ける。

 その直後だったなのはの見つめていた空間に一眼の梟が霞が晴れるように現れたのは。

 

 ◇

 

「そんな馬鹿な……!?」

 

 高町家の自室にいた星命は驚きを隠せなかった。

 隠形術をかけた式神でなのは達を監視・護衛していた。途中、なのはが何かを見つけたらしく、雑木林で見つけた『それ』をもっと近くで見ようとしたその時だった。

 

 ――イタチのような動物を抱くなのはと眼が合った。

 

 自慢ではないが自分達陰陽師の隠形術は熟練の悪魔召喚師でも見破るのが難しい。

 それにも関わらず、なのはは的確に式神のいる位置を見抜いていた。式神自体の存在までには気付いていないだろうがそれでも幼い少女が気配すら殺す自身の隠形術を見破ったという事実に星命は動揺していた。

 

「もしかして、これも彼女の異能の一部なのか……?」

 

 ぽつりと星命が呟いた。

 星命がこの予想が正しいとわかるのはもう少し後のことだ。

 そしてその時に星命は理解する事となる。この時の彼女の行動はその類稀なる魔力資質と、天性の空間把握能力によるものである事を。

 

 ◇

 

「――というわけでそのフェレットさんをしばらくうちで預かることはできないかなぁ…って」

 

 夕食中、なのはがフェレットを見つけた事情や引き取り手が居ない事を話し、引き取れないかと士郎に相談している。

 

「うーん、フェレットか……」

 

 神妙そうな士郎の表情を固唾を呑んで見ているなのは。

 

「……ところで何だ、フェレットって?」

 

「うん、それ僕も思ってたんだよ。フェレットって何だい?」

 

 士郎と星命が同様の質問を口にする。

 その言葉になのははずっこけ、他の家族は苦笑いを浮かべている。

 

「イタチの仲間だよ、星命、父さん」

 

「だいぶ前からペットとして人気の動物なんだよ」

 

 士郎と星命の疑問に恭也と美由紀が答える。その言葉に星命は、

 

 ――昼間に見つけたイタチのことか。

 

 と、一人納得した。

 

「フェレットってことは小さいのよね?」

 

 桃子が自分の夕食のトレイをテーブルに並べながらなのはに尋ねる。

 

「えぇっと……これくらい」

 

 桃子の質問になのはは両手の間隔を自分の小さな肩幅より少し大きいくらいまで広げ、その大きさを表す。

 

「しばらく預かるだけなら、なのはがちゃんとお世話できるならいいかもしれないわね。恭也、美由希、星命くん。どうかしら?」

 

 なのはの解答に桃子は他の子供達へ判断を仰ぐ。

 

「俺は特に依存はないけど」

 

「私も」

 

「僕も大丈夫ですよ、リニスも賢いですから襲うなといえば襲わないでしょうし」

 

 桃子からの問いに始めに恭也が答え、それに同調するように美由紀、星命も答える。

 星命の意図に答えるように床にいたリニスも鳴いた。

 

「だ、そうだよ」

 

「良かったわね」

 

「うん、ありがとう!」

 

 子供達からの承諾を得た士郎は微笑みながら許可を出し、桃子もそれに同調する。

 それを聞いたなのははぱっと顔がほころびお礼を言った。

 

 ◇

 

 夕食後、星命が自室にのベッドに座っていると不意に声が聞こえた。 

 

《聞こえますか?僕の声が聞こえますか?》

 

《僕の声が聞こえる人、お願いです! 僕に力を貸してください!》

 

《お願いです! 僕のところへ早く! もう時間が……》

 

 頭の中に声が響く感覚。それは今朝、リニスが行った念話と同じものだった。

 声を聞きながら、星命はおもむろに立ち上がる。

 

「見捨てるわけにも行かないな……救助に行くよ。リニス、君も来てくれないか? 魔導師がいるなら向こうの世界に詳しい君が一緒に居たほうが色々助かると思う」

 

「わかりました」

 

 助太刀をしに行く事を決め、リニスに同行を求める。

 リニスが承諾すると、星命は急ぎ黒い学生服姿に着替えた後、階下へと降りていった。

 

「緊急の用ができました、少し出てきます」

 

「わかった、いってらっしゃい。気をつけてな」

 

 廊下ですれ違った士郎に外出の旨を伝え、玄関へと向かう。

 

 自分の靴を履こうとしたところで、星命の動きが止まった。その顔は驚愕に染まっている。

 

「どうしました?」

 

 リニスが聞くと星命は目を見開いたまま答えた。

 

「……なのはちゃんの靴がない」

 

 玄関にあるはずのなのはの靴が無いのだ。

 

 ――こんな時間に、一体どこへ……?

 

 星命は急いで靴を履き、玄関から飛び出していった。

 

 ――その胸に一抹の不安を抱えながら。



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第三話 『星に命を』

 網目のように広がる住宅街の路地を星命は走っていた。

 その脇を同じスピードでリニスも駆ける。

 

「念話が聞こえたのなら、なのはちゃんも魔力資質を持っているんだね」

 

「すみません、私が朝の時に気づくべきでした」

 

「いや、自分を責めないでくれ。これは君の責任ではないよ」

 

 息も切らさずに走りながら、会話を続ける二人の前に緑色の物体が立ちふさがった。

 

「これは一体……?」

 

 星命が疑問の声を上げた。

 なのはの下へと急ぐ足が、そこで止まる。

 

 自身の目の前に半球形に広がる巨大な翠色の障壁のようなものが有った。

 その大きさと丸みの弧度からしてこの近辺を半径数キロ単位で囲い込んでいる事は間違いないだろう。

 

「封時結界ですね。取り合えず中へ入りましょう」

 

 疑問の声を上げる星命の質問に短く答えてリニスはそのまま障壁の中へと入っていった。

 星命もその後を追う。

 

「この膨大な魔力……もしかして、ロストロギア?」

 

 障壁内へと進入すると同時にリニスが疑問の声を上げる。

 

「ロストロギア?」

 

「ええ、過去に滅んだ超高度文明から出てきた魔法や技術、それに伴う利器のことです」 

 

「危険なものも多くて、普通は時空管理局が管理や保管しているんですが……」

 

 星命の問いに、リニスは簡単に説明をする。

 

「なぜかここにあるんだね? 声の魔導師と何か関係がありそうだな」

 

「そうですね。取り合えず封印魔法で封印しないと、何が起こるかわかりません」

 

 星命の言葉に頷いて、リニスも同調する。できるだけ冷静さを失わないようにしているようだが、その声は若干の焦りを含んでいた。

 

「魔法での封印か、僕が時間稼ぎをするからその魔導師と折り合いをつけてくれ。……最悪の場合なのはちゃんに任せよう。リニスはその支援を頼むよ」

 

「わかりました――」

 

 今できる選択肢を星命は並べ、リニスに指示を出す。

 星命の魔力はほとんどリニスへと流れているため、魔法の行使ができない。リニスも助けられて数日しか経っていない今は自身の命を維持するので精一杯なのだ。

 恐らく、昨夜見た夢の怪物、あるいは悪魔と戦闘になるだろうと考えた星命は自らを足止めをし、その間にリニス達に封印の準備をしてもらうという作戦だ。

 

 作戦を決めて、再度二人はなのはの下へと急ぎ向かい始めた。

 

 ◇

 

 夜の帳の下りた住宅街の路地を疾く疾くと駆ける小さな影が一つ。

 その影は高町家の次女、高町なのはであり、明るい橙のパーカーを纏ったその腕には昼間に助けて動物病院へ連れて行ったフェレットが抱かれている。先ほど、訳あって動物病院から連れ出したのだ。

 

 彼女の走る理由は単純にして明快であったが、同時に至極の難題であった。

 

 

「な、なな……!」

 

 

 彼女は今――

 

 

「何あれ―――っ!?」

 

 

 ――追われているのである。

 

 

 彼女の背中を黒い怪物は腹を空かせた野獣のように血走った紅い目で睨んでいた。

 黒い怪物はその軟体の体から六本の腕を出し、まるで蜘蛛のようになのはの後ろを執拗に付け狙う。

 

「落ち着いてください! 僕の言う通りにして!」

 

「そんなこと言われても……」

 

 なのはの胸元から少年の声がした。しかし、なのははさほど驚かずに返した。

 先ほど、合流した時にも喋っていたからだ。

 

「あなたの力を少しだけ貸して欲しいんです! あなたの持つ、魔法の力を!」

 

 なのはの抱いたフェレットからその声は出ていた。

 

「マホウ?―――きゃっ!?」

 

 走りながら首を傾げたなのはを背後から土煙を含んだ突風と地震が襲った。

 

 後ろを振り返るとほんの車一台分の距離に黒い怪物が地面に開いた穴に体を埋めている。

 ずずっと怪物から伸びる腕が大地を捉える。

 大きく六本の腕をしならせながら曲げ、勢い良く、押し伸ばした。

 刹那、怪物の体が宙を飛ぶ。しかし、その大きな体を重力の網が捕らえ、徐々に徐々に、地面へと引き合う。

 

 なのはの目には点となった怪物が段々と大きくなるように見えた。

 一瞬の出来事のはずなのに、コマ送りのように、ゆっくりと怪物が巨大化している。

 否、降って来ている。

 

「避けて!」

 

 フェレットの言葉に、なのはの体が金縛りから解き放たれたように動き、横へと駆けた。

 直後、轟音と共にもう一つ、先程まで居た位置にクレーターが出来上がる。

 

「いったい、どうすれば……」

 

 先ほどよりも深いクレーターに足を取られたか、怪物は地面に埋まったまま抜け出そうともがいている。

 

「お願い、僕の言うとおりにして!」

 

「どうすればいいの?」

 

「これを」

 

 尋ねたなのはにフェレットは自身の首にかかった紅い宝珠を口に咥えて差し出す。

 なのはの手の上に宝珠を降ろすと、フェレットは腕から飛び降りた。

 

「心を澄ませて、僕の言うことをそのまま繰り返して」

 

「わかった――あっ!」

 

 頷いたなのはの視界の端に、紅い眼が写る。

 

「まずい! 早くここを離れて!」

 

 なのはの視線の行方、黒い怪物が再度自分達に攻勢を仕掛けようとしている事に気づき、フェレットはなのはに逃げるよう伝える。

 

 怪物が再び、夜空へと跳躍しようとした、その時だった。

 

「――え?」

 

 天より降り注いだ何かが怪物の胴を貫き、六本の足を断ち、地面へと突き刺さる。

 支えを失くした怪物は鈍い音を立てて体をアスファルトの地面へと埋めた。

 

 何が起きたのかわからず、なのはとフェレットは目を丸くしている。

 

「……剣?」

 

 なのはがぽつりと呟く。

 目の前には怪物自身とそれを囲むように地面に刺さった七本の直刀。

 憤怒の表情を浮かべる鍔が放つ、おどろおどろしさとは裏腹にどこか神聖な気配も見えるその剣を、呆けたようになのはは見つめていた。

 

 そんな一人と一匹の前に一つの影が舞い降りた。その影に、なのはは覚えがあった。

 いつもと違い、黒い学生服に学帽、マントを羽織っているがその姿は紛れもなく――

 

「やぁ、こんな夜更けに奇遇だね」

 

 ―――彼女の家の居候。安倍 星命だった。

 

「奇遇も何も無いでしょう、血相変えて追って来たんですから」

 

 不意に女性の声が聞こえ、なのは達は声のする方―――近くの塀の上を見る。そこには薄茶色の猫、リニスの姿があった。

 

「リニスまで喋った!?」

 

 なのはが驚きの声を上げる。

 

「リニス、彼女達を任せたよ」

 

 そういって星命はなのは達に背を向け怪物の方へと歩いていく。

 

「危ないよ星命くん!」

 

「大丈夫ですよ」

 

 なのはの心配する声に、落ち着いた温和な声でリニスが答える。

 

「何たって彼は、デビルサマナーなんですから」

 

「でびるさまなー?」

 

 リニスの言葉をなのはは理解できずに聞き返した。

 

「ええ、そうです。ささ、こっちもぼうっとしてないで、彼が時間稼ぎをしている間に封印の準備をしちゃいましょう。ね? フェレットの魔導師さん?」

 

「は、はい!」

 

 リニスがそういうと、フェレットは返事をして説明を始めた――

 

 

 

「動けない間に叩かせてもらうよ!」

 

 直刀によって地面に縫い付けられた体を引き抜こうともがく化け物に向かって星命は高らかに宣言する。

 

「召喚、トウダ! クルースニク!」

 

 星命が腕から管を引き抜いて叫ぶと管が光り、星命の前に炎熱の大蛇と白い吸血鬼始末人が現れる。

 

「召喚魔法!? でも魔力なんて感じなかったのに……」

 

「あれは悪魔召喚術というもので魔力無しでの召喚が可能らしいです」

 

「悪魔召喚術?」

 

「あとで星命が説明してくれるでしょう。それよりもあなたは魔導師であの化け物はロストロギアでしょう? 早く封印をしてください」

 

 驚くフェレットに封印を促すリニス。

 

「それが前回のあの化け物との戦いで魔力をほとんど使ってしまって、今は封印できるほどの魔力はないんです」

 

「なるほど、だから周りに助けを求めたんですね」

 

「はい……」

 

 リニスに咎められたように感じ、フェレットが俯く。

 

「私も今はあまり魔力を使えませんし、仕方がありません。なのはちゃん、あなたに封印を依頼するしかないですね」

 

「わ、わたし!? よ、よく状況がわからないんだけどどうすればいいの?」

 

「まずはデバイスと契約しなきゃ、さっき言ったようにその宝石を手にして、心を澄ませて! 僕の言った事を繰り返して!」

 

「よくわかんないけど、わかったの!」

 

 矛盾する言葉を並べ、なのはは了承する。

 

「いくよ! 我、使命を受けし者なり」

 

「我、使命を受けし者なり」

 

 フェレットが言葉を紡ぎ、なのはがそれに続く。

 

「契約のもと、その力を解き放て。」

 

「えと、契約のもと、その力を解き放て。」

 

「風は空に、星は天に、そして不屈の心はこの胸に!」

 

「風は空に、星は天に、そして不屈の心はこの胸に!」

 

『この手に魔法を!』

 

『レイジングハート、セーット・アーップ!』

 

『Standby ready setup!』

 

 契約の言葉を終え、女性の電子音声が聞こえたかと思うとなのはのものであろう桜色の魔力の柱が天へとそびえ立つ。

 

『なんて魔力……』

 

 その魔力を見て、感じてフェレットとリニスが同時に感想を漏らした。

 

「……あ、落ち着いてイメージして、君の魔法を制御する魔法の杖の姿を。そして君の体を守る、強い衣服の姿を!」

 

 なのはに向かってフェレットが言う。

 

「そんな急に言われても……あっ」

 

 あまりに急な要求になのはは戸惑った。どうすれば良いかわからず、視線を彷徨わせていると、ふと、学生服を着る星命が眼に入った。

 

「えと、ええっと、それじゃあ取り合えずこれで!」

 

『Receiving……Complete』

 

『I create the barrier jacket from your image』

 

『Is it ok with you?』

 

「え? はい! お願いします!」

 

 電子音声の女性、レイジングハートの声になのはが了承したその瞬間、なのはの体が眩い桜色の光を放った。

 

 そこから少し離れた所で怪物と戦闘をしつつその様子を星命は見ていた。

 一瞬の輝きの後に、彼女は先ほどまでの私服とは違う衣服を着ていた。胸に大きな紅いリボンをつけ、所々に青い線の入った白を基調としたドレスのような服を着用している。どことなく、聖祥小の制服に雰囲気が似ている。

 

 変身したなのはの方をチラリと一瞥して、星命は突進してきた怪物を横に跳躍して避ける。

 怪物は勢い余って星命の後ろにあった電柱へと激突した。

 怪物の膂力に耐え切れず、中ほどから折れた電柱が、支えを失い電線を引きちぎりながら倒れる。

 

「トウダ!」

 

「オオッ! ファイアブレス ダッ!」

 

 トウダの口から広範囲に紅蓮の炎が吐かれ、怪物を皮膚を焦がす。しかし、焦げた傷は一瞬で体表が再生して、元に戻っていく。

 

「埒が明かないな……」

 

 怪物の再生能力に星命が歯噛みをする。そこへ怪物の手の平が、星命を掴もうと押し寄せてきた。

 

「クルースニク!」

 

「了解!――ハマオン!」

 

 七星剣で逆袈裟を放った星命が先駆けてきた二本の腕を手首から断ち切り、クルースニクに援護を求める。

 クルースニクが星命と後続の腕との間に飛び込むように割って入り、残り四本の腕を袈裟切りで払い、刀印を結んだ手を横へ振るう。すると、怪物の下を十字架を円で囲んだような魔法陣が現れ、眩い黄金の光が噴出した。

 

「オォオオォ――ッ!!」

 

 怪物が絶叫を上げ、まるで清水の流れで汚れが落とされるように、光の濁流でその体表がこそぎ落とされていく。

 

「やったか……?」

 

 星命が呟く、怪物の中、削ぎ落とされるの肉の中に、青い菱形の宝石が見えた。

 その宝石が怪しく纏わり付くような青い光を放つ。

 それと同時にまたも怪物の体が驚くべき速さで再生を始めた。

 

「やはりダメか……」

 

 溜息と共に息を整え、再び剣を構えた――その時。

 

「星命! 準備ができました!」

 

「待ってました!」

 

 リニスの言葉を受け取ると同時に、星命は素早く三枚の霊符を化け物に投げつける。

 

「急急如律令!」

 

 星命が唱えると、霊符は茨のような棘のある縄に変わり怪物を縛りつけ、さらに縄を四方八方へ伸ばし近くの電柱や垣根と、怪物とを結ぶ。

 電柱の杭に繋がれた怪物は抜け出そうともがいているが抜け出せそうな気配はなく、逆に縄についた棘が体へと食い込んでいく。

 

「よし、動きは止めた。後は頼むよ」

 

 星命がそう言って後ろを振り向く、既に封印の説明を聞いたなのはが手に持った金の半円に赤い宝石のはまった杖、レイジングハートを怪物に向けていた。

 

「わかった! リリカル・マジカル!」

 

「封印すべきは忌まわしき器、ジュエルシード!」

 

 なのはの声の後をフェレットの声が続く。

 

「ジュエルシード封印!」

 

『Sealing mode. set up』

 

 今度は杖がなのはの声に続いて喋り、杖の形状が変わる。

 

『Stand by ready』

 

「ジュエルシード、シリアル21……封・印!」

 

『Sealing!』

 

 なのはの持っている杖から光の柱が飛び出し、怪物の体を包み込む。怪物は、光に呑み込まれ、塵と消え、その場には小さなひし形の青い宝石だけが落ちていた。

 

「これがジュエルシードです。レイジングハートで触れてください」

 

 ひし形の宝石を指して、フェレットが言う。

 なのはが杖、レイジングハートで触れるとジュエルシードと呼ばれた宝石はレイジングハートの先端部の珠の中に吸い込まれていった。

 その後なのはの体が光り、なのはは私服姿へと戻る。

 

 

「あ、あれ? 終わったの?」

 

「はい、あなた方のおかげで」

 

 なのはの呆然とした声にフェレットが答える。その様子を見ながら星命はトウダとクルースニクを管へと戻した。

 

「じゃあ、急いで帰ろう。この国の警察は優秀だからね」

 

 星命がそういうと、遠くから警察車両のサイレンの音が聞こえてきた。

 

「もしかしてわたしたち、この場にいると大変あれなのでは……」

 

「もしかしなくても事情聴取は免れないね」

 

 引き攣った顔のなのはに苦笑しながら星命が現実を突きつける。

 

「と、取り合えず。ごめんなさーい!」

 

 そう叫んだなのははフェレットを抱えて走り出し、その後を追うようにして星命とリニスもその場を去った。

 

 ◇

 

「なんじゃこりゃ……」

 

 刑事としては月並みな台詞をパトカーから出てきた風間は呆けた顔で呟いた。

「何者かに壁を破壊された」と通報があった動物病院へ向かうはずだった。

 

 ――そう、『はずだった』。

 

 しかし目の前の道……動物病院へと向かう路地にあったのは、幾つもアスファルトに口を開けているクレーターと、折れた電信柱、焦げた塀。

 

 平和な日本の閑静な住宅街の路地がまるで鉄と鉛を使って戦争でもしたのかと思うような凄惨な光景となっていた。

 

「何なんでしょうね……これ」

 

 運転席から出てきた矢佐田も唖然とした表情を顔に貼り付けたまま呟いた。

 

「クソッ! 何がどうなってんだっ!? ここ最近こんな事件ばか……り?」

 

 ガリガリと帽子越しに頭を掻きながら、行き場所の無い苛立ちを道路に向かって吐き捨てていた風間の言葉が途中で止まった。

 

「風間さん……?」

 

 様子の変わった風間の表情を窺うように矢佐田が声をかける。風間は指で顎を撫でながら何かを考えている風だった。

 

「なぁ、矢佐田――こんな大穴が開くようなもんを人間が食らったらどうなる……?」

 

 ニ、三歩前へと歩みだし、クレータの前にしゃがんだ風間が憚るような声で言った。

 

「はい? そりゃあ――あ……」

 

 風間の言わんとしてることを理解した矢佐田の表情が硬直した。

 

 もし人間がこんな衝撃を受ければまさにバラバラになるだろう。

 つまり、昨夜の轢き逃げとして処理された事件。その事件と何か関連があるのではないかと、風間は暗にそう言っているのだ。

 

「こりゃ少し、調べてみねぇといけねぇかもな……」

 

「そう……ですね」

 

 風間の唸るような声に、矢佐田も渋い顔で同調した。

 

 

 ◇

 

 

 そろそろ深夜と言っても差し支えない時間に星命達は高町家へと帰ってきていた。

 

「どうしよう……黙って出てきたからきっとお父さん達怒ってるよ」

 

「大丈夫だよ、事情を説明すればわかってくれるさ」

 

 叱られる事に怯えるなのはに微笑みながら慰めるように星命が言う。

 

「しかし、管理外世界の人に魔法のことを教えて大丈夫なのでしょうか?」

 

「彼らなら大丈夫さ、僕が保障するよ。それに事情を知っている人が近くにいたほうが行動しやすいじゃないか」

 

「確かにそうですけど……」

 

 魔法の事を伝える事に抵抗のあるユーノに星命が言う。しかし、ユーノは納得し切れていない様子だ。

 

 高町家の玄関の戸に手をかけようとすると横から声が聞こえた。

 

「おかえり、こんな時間にどこへお出かけだ?」

 

 咎めるような声が聞こえ、星命達は声のした方を見る。

 そこには眉間に若干の皺を寄せいている恭也の姿があった。

 だがその目線は星命ではなくなのはのみへと向いている。

 その姿を見てなのはは反射的にフェレットを自分の後ろへ隠す。

 

「あら、どうしたのこの子?」

 

 今度は後ろから声が聞こえた。

 

「お、お姉ちゃん?」

 

 なのはが声を返した方向には長女の美由紀が立っていた。

 

「この子なんだか元気ないわね、なのははこの子の事が心配で様子を見に行ったのね」

 

「まぁ、それらの事情を諸々含めた上で話をするよ」

 

「なのはだけの事情じゃないのか……わかった中へ入るぞ」

 

 美由紀の言葉に星命が言葉を返し、それを聞いた恭也は二人と二匹へ中へ入るように促した。

 

 高町家、リビング。

 いつもの食卓に座すのはいつもの同じ六名。しかし、そのテーブルの上にはフェレットがおり、星命の膝の上にはリニスが座している。

 

 なのはと星命は部屋にいた時に声が聞こえた事、聞こえた声を頼りになのはが動物病院へ行くとテーブルの上のフェレットと謎の怪物に襲われたことを話す。その後星命とリニスの助けによってなのはとフェレットがその怪物を倒したことを話した。

 

「その化け物は悪魔とは違うのか?」

 

「おそらく別物だね、魔力は有ってもマグネタイトがまるで感じられなかった。」

 

 恭也の問いに星命が返答する。

 

「では、あの怪物について、そこのフェレットさんに話してもらいましょうか」

 

「本当に喋るんだなリニスは……」

 

 喋るリニスを見て、士郎が驚きと関心が混ざった声で言った。

 

「お父さん達はリニスが喋るのを知ってたの?」

 

「ああ、人の言葉を話せる事は知っていたよ。でも話している所を見たのは今が初めてだ」

 

 なのはが士郎達に聞き、士郎が返答する。士郎の言葉になのはと星命以外の高町家の面々はうんうんと頷いた。

 

「では話を進めよう。フェレット君、君の名前は?」

 

「は、はい、僕の名前はユーノ、ユーノ・スクライアです。ユーノが名前でスクライアは部族名です」

 

 星命はフェレットに名前を聞き、その質問にフェレット、ユーノ・スクライアは一瞬迷った素振りを見せたが自己紹介をした。

 

「それで、あの怪物は一体何なんだい?」

 

「あれは、ジュエルシードというロストロギアです。僕はあれらを追ってこの第97管理外世界へやってきました」

 

 ユーノから返ってきた言葉に星命は頭を捻る。

 

 ――ジュエルシード? どこかで聞いたような……

 

 記憶を探るが思い出せない。

 つい最近、聞いたような気がするのだが、その記憶に靄がかかっているように見えてこない。

 

「ろすとろぎあ? かんりがいせかい?」

 

 何を言っているのか理解できないのであろう美由紀がユーノに向かって尋ねる。

 

「実はこの世界は一つではなくて、いくつもの世界に分かれた次元世界なんですよ」

 

 その問いに答えたのは星命、そして、

 

「そして、それらを管理する時空管理局という組織があって、魔法文化があって管理されている世界は管理世界。魔法文化がなく、管理局に観測をされている世界は管理外世界と言います。ちなみに私達の今いる世界は第97管理外世界『地球』と呼ばれています」

 

 共にリニスが次元世界について簡単に説明をする。

 

「マホウ? 星命達の仲魔が使っているようなやつか?」

 

「いや、それは違うよ。悪魔達の魔法は超自然現象みたいなものさ。でも彼の言う魔法は言うなれば超科学的なものかな。様々な物理演算や膨大な量の数式で成り立っている」

 

 疑問を持った恭也が尋ね、星命がそれに答えた。

 

「それじゃ星命くんもその次元世界のうちの一つから飛ばされてきたの?」

 

「いいえ、どうやら次元世界と並行世界は別のもののようで、僕が前にいた世界とは関係が有りません」

 

 桃子の問いに星命が否定の答えを返し、その後にしかし、と付け加えた。

 

「このリニスは過去に第1管理世界『ミッドチルダ』という次元世界に住んでいた経歴があるんですよ。それにこの世界の僕の同業者が一人、そのミッドチルダに飛ばされたという話も聞いています」

 

「なるほど、だから星命くんとリニスは訳知り顔なんだな。それで、ロストロギア、ジュエルシードというのは何なんだい?」

 

星命の言葉に士郎は二人がユーノの言った言葉や事情に詳しい事に納得し、ユーノに対して質問を投げかける。

 

「ロストロギアというのは次元世界のあちこちにある過去に滅んだ超高度文明の遺跡などから出てきた僕らの世界の魔法の技術を遥かに超えた魔法や技術、道具などの事を指します。見つけたロストロギアは、時空管理局が管理・保存しているんです」

 

 ユーノは士郎の質問に答え、話を続ける。

 

「僕達スクライアの一族は遺跡の発掘を生業としていて様々なロストロギアを発掘してきました。ジュエルシードはある遺跡で僕が指揮を取っている時に見つけたロストロギアなんです。しかし、それを運ぶ途中で原因不明の事故が起きまして……」

 

「それでここ海鳴にそのジュエルシードとかいうものを落としてしまったわけだ」

 

「はい……一応時空管理局には応援を要請したのですけれど、いつ来るのかはわからない状況で……」

 

 恭也の言葉にユーノは申し訳なさそうに俯く。

 

「全部で21個あるジュエルシードは本来は手にした者の願いを叶える魔法の石なんですが、力の発現が不安定で、今日のように単体で暴走して、使用者を求めて周囲へ危害を加える場合があるんです」

 

「それにたまたま見つけた人や動物が間違って使用して、それを取り込んで暴走する場合もあります。と言っても、さすがに実際に試したわけではないのでほとんど遺跡から出土した書物からの知識なんですが……」

 

「そんな危ないものをあなた一人で集めているの?」

 

「はい……」

 

 説明の終わったユーノに向かい桃子が尋ねるとユーノは力なく頭を垂れた。

 

「ところで、その、こちらからも質問をさせていただきたいのですが」

 

「なにかな?」

 

 ユーノが言って星命が聞き返す。

 

「そのあなたが使ったあの召喚魔法や拘束魔法は何なのですか? 魔力を全然感じませんでしたけど……」

 

「あれは悪魔召喚術と陰陽術の符術さ」

 

 ユーノの言葉に星命が答え、悪魔や悪魔召喚術と陰陽術についての説明を行った。

 

「悪魔って本当にいたんだ……」

 

「悪魔召喚術……そんなものがあったなんて」

 

 説明を聞き終わり、情報の処理が追いついていないなのはと初めて聞いた情報に興味深げに呟くユーノ。

 

「あれ? 向こうにも悪魔が現れてるって話を聞いてるんだけど」

 

「そう……なんですか?」

 

「リニス、そういえば君も悪魔の事は知らなかったね」

 

「ええ、もしかしたら魔法生物達と一緒くたに扱われているんじゃないでしょうか?」

 

「ふむ……」

 

 ありえない話ではない。魔法生物を星命はまだ見たことは無いが、外見などはこの世界で言う悪魔に近いものだとリニスから聞いている。ならば混乱を避けるために同一視されていても不思議ではないが、今は確証がない。

 

 

「あの、悪魔がいるなら、なぜこの世界は『管理外世界』なんでしょう? 悪魔が使う魔法があるのに……」

 

「おそらく悪魔がいることを知っている人間がごく一部だからだよ。それに今は結界が張られて悪魔も簡単にはこちらに来れない」

 

 疑問を浮かべたユーノに星命が答える。この世界において、悪魔やそれに対抗する術などは全て架空のものとして扱われている。管理外世界として扱われているのは恐らくそのせいだろう。

 

「お父さん! わたしユーノ君を手伝いたい!」

 

 顔を伏せて星命らの話を聞いていたなのはが急に面を上げて正面に座る士郎に叫んだ。

 

「なのははまだ小さいんだからそんな危ない事に首を突っ込ませるわけには行かない」

 

 ユーノの話を聞き、手伝ってあげたいというなのはに少々怒気を孕んだ声で恭也が言う。

 

「本気かい? 今日みたいな目に遭うかもしれないよ」

 

「うん、わたしにできるなら……できることなら、わたしは手伝いたい!」

 

 星命の脅かしに怯むことなく、なのははその瞳で星命の目を見つめる。

 

 ――真っ直ぐな瞳だ。まるでライドウ君みたいだな。

 

 その瞳に宿る熱を見た星命の脳裏には、昔、自分を止めようとしてくれた友人の目が浮かんだ。

 そして星命は知っている。このような目をする人間は、何を言った所で止まらない事を。

 

 ――ならば、僕のすべき事は……

 

 少しの思考の後、星命は口を開いた。

 

「なら、僕は賛成かな。ジュエルシードを放っておくとどんなことになるかわからない。特に悪魔に拾われたら悪用される可能性もある」

 

「しかしだな星命……」

 

 なのはの意思に賛同する星命に恭也が異を唱える。

 

「ジュエルシードを封印できるのは魔力を持つ者だけなんだよ。今ここで魔力を持っているのは、僕となのはちゃん、ユーノくんやリニスの四人だけど……」

 

「リニスは今魔法を使える状態ではないし、それはユーノ君も同じだ。それに僕もリニスに魔力を送るので手一杯だ、とても封印なんてできない。僕がリニスへの魔力供給をやめればリニスは消えてなくなってしまう」

 

「そう考えるとなのはちゃんしかいないんだ、デバイスもあるから適任だと僕は思うけどね」

 

「理由はそれだけか?」

 

 理屈のみの説明をする星命に恭也が怒りの混じった瞳を星命に向けて言う。

 恭也の気持ちも最もだろう、星命は愛しい妹をわざわざ危険な場所へ行かせると言うのだから。

 

「そうだね、あとは単純に後悔して欲しくないからかな。普通の後悔なら戒めにもなるけど、そうでない後悔は人生そのものを縛るんだよ」

 

 目を細めて俯き、握り締めた自分の拳を見ながら星命は言う。

 

「……お前にもあるのか、普通じゃない後悔が」

 

 星命の尋常じゃない雰囲気を感じて冷静になった恭也が問う。

 

「まあね、追々話すかもしれないよ」

 

 かつて平等な世界のために強大な力を求めた星命が今ここで燻っているのは後悔と不安に縛られているせいでもある。

 力を手にしたとき、また何者かに利用されるのではないかという不安に。

 

「恭也さん……いや――恭也くん。僕らがするべきなのは崖から飛び立つ雛の前に柵を作ることではないはずだ。僕らが真にすべきなのは、彼女が飛び立って、例え落ちたとしても怪我をしないように崖の途中に網を張っておくことなんだよ」

 

 利用された事については後悔したが野望のために突き進んだことに悔いはなかった。

 自分で決めた事を実行する。それは自分らしく生きるために大切な事だと星命は知っている。だからこそ彼女が失敗しても傷つかないようにサポートをしようと恭也に訴える。

 

「それが大人(僕ら)の役割じゃないかな?」

 

「……はぁ、確かにな。お前に教えられるとは、俺も師範代としてまだまだだな」

 

 怒りを帯びていた目は穏やかさを取り戻し、微笑みながら、しかしほんの少し悔しそうに溜息をついて恭也が言う。

 恭也はこの高町家の道場で小太刀二刀流の流派『御神流』の師範代をしている。

 ごく偶に、星命の剣道の相手もしてくれるので星命としてはありがたい限りだ。

 

「案外、子供から教わる事は多いものだよ」

 

 恭也の言葉に星命は微笑んで返した。

 

「ああ、もう一つあったよ。彼の目がとても寂しそうだったからかな。まるで孤独の海に一人ぼっちでいるみたいだ。」

 

 『ユーノ・スクライア』、彼もまた『コドクノマレビト』なのだ。独りでジュエルシードを追いかけて、独りで戦い、そして今独りで倒れようとしている。

 また、星命自身も二年前には『一人で異世界に来る』という彼と同じ境遇だったのだ。

 ついつい彼に自分を重ねてしまうのも仕方の無い事だろう。

 

「独りで突っ走ってると必ずどこかで無理が出るものだよ。このままでは彼も長くは持たないし、彼が居なくなってしまうとジュエルシードでここ海鳴が危ない」

 

「だから彼女に回収を手伝わせるのが一番の手だと僕は思うんだよ。もちろん、僕も手伝うよ」

 

 自身の経験と最良と思う一手を星命は進言する。

 

「しかし、お前もこっちに渡ってきた悪魔との対話や討伐があるだろう?」

 

「だから時空管理局が応援に来てくれるまでの間までだよ」

 

 恭也の言葉に星命は条件付で手伝う旨を全員に伝える。

 

「そんな、そこまでしてもらうわけには!」

 

「残念ながら手遅れさ」

 

 遠慮を貫こうとするユーノに悪戯っぽい笑みを浮かべて星命が言う。

 

「もう出会っちゃって、話も聞いて、巻き込まれちゃったもん! ほっとけないよ!」

 

「それにここ海鳴市は僕らの住む街だよ。住んでる街に危険が迫ってるというのに見て見ぬ振りっていうのはあまりにも白状な話じゃないか」

 

 なのはと星命がそれぞれの思いをユーノに伝える。

 

「星命くんが付いているならなのはも大丈夫だろう」

 

「そうね」

 

 士郎と桃子も愛娘と星命の考えに賛同し、

 

「まったく……いいか? 絶対無茶するんじゃないぞ」

 

「そうそう、できるだけ危ない事は避けてね」

 

「大丈夫ですよ、ちゃんと私が見てますから」

 

 恭也と美由紀は星命たちを心配する声をかけ、リニスがお目付け役を買って出る。

 

「皆さん、本当にありがとうございます!」

 

 ユーノが目に涙を浮かべながら高町家の面々にお礼を言う。

 

「ああ、そういえば自己紹介がまだだったね」

 

 思い出したように星命が言うとあ!となのはが声を上げた。

 

「わたしはなのは、高町なのはっていうの。みんなはなのはって呼んでるよ!」

 

「私はリニス、故合って今は星命と使い魔の契約をしています。どうぞよろしく」

 

「僕は星命、安倍星命だ。悪魔召喚師をしている。あと、僕らに敬称は必要ないよ。ね? なのはちゃん」

 

「うん! だからちゃんと名前で呼んでね」

 

「ありがとう、なのは、リニス、星命。これからよろしく頼むよ」

 

 ユーノが三人にお礼を言ったあと高町家の面々が自己紹介と簡単な挨拶をし、夜は更けていった。

 

 ◇

 

「また逢ったの、人の子よ」

 

 星命が目を開けると、そこはまたしても夜の砂漠だった。

 この間と同じように、やはり星命は華奢な椅子に腰をかけている。

 

 その光景を見て、星命は昨夜の夢のことを全て思い出した。

 

「さて、言ったとおりだったじゃろう。『キセイのホウジュ』、集めてもらうぞ」

 

「上手く乗せられた、というより最初からこうなる事を知っていたような口ぶりだね」

 

 得意気に笑う金のベレー帽の老紳士、ジェフの言葉に、星命は怪訝そうに言った。

 

「まぁの、ワシからすれば造作もない……が、ここから先はあまり読めんのじゃよ」

 

「どういうことだい?」

 

 星命が尋ねるが、ジェフは笑いながら「さぁの?」と気の無い返事をした。

 本当にわからないのか、それとも何かを隠してるのか、尋ねたところで恐らく話はしないだろう。と、星命はこの話題については諦めた。

 

「さて、頼んでばかりというのも忍びない。お前さんの質問にいくつか答えよう」

 

 ジェフの言葉に星命はしばし考える素振りを見せた後、口を開いた。

 

「あなたはなぜジュエルシードを僕に集めさせるんだい?」

 

「……それは収集の理由かの? それともお前さんが選ばれた理由かの?」

 

「どちらもだよ」

 

 星命の問いを聞いたジェフは少し考えて、星命に聞き返した。星命はそれに頷いて答える。

 

「そうじゃな……前者は『この地に在っては困るから』じゃの」

 

「どういうことだい? 僕らに集めさせたところでジュエルシードが消えてなくなるわけではないだろう?」

 

 ジェフの答えに、今度は星命が聞き返した。

 

「しかし、少なくとも悪魔の手や、愚者の手からは引き離されるじゃろう?」

 

 顎の髭を指で弄りながらジェフは答える。

 

 ――確かに願いを捻じ曲げて叶えるジュエルシードが悪魔の手に渡ったら何が起こるかわからないが……本当にそれだけだろうか? 彼が考えてるものは何か別のもののような気がする。

 

「後者についてはお前さんだけがジュエルシードを誰の手にも渡さぬすべを持っておるからじゃよ」

 

「誰にも渡さない……?」

 

「いや……誰にも、というと少々語弊があるかの」

 

 ジェフの言葉に疑念がよぎる。星命だけにできる方法で果たしてそんな方法があるのだろうか。

 

「さて、そろそろ時間じゃの」

 

 テーブルの上においてある砂時計の残りわずかな上部の砂を見て、ジェフは言った。

 

「今日お前さんが見つけたのは21番。駆け出しとしては悪くないのぉ」

 

「では、しばしのお別れじゃ。次はいつ逢えるかわからぬが、愉しみにしておるぞ――」

 

 ジェフの言葉と共に星命の意識は闇の中へと沈んでいった。




かたや戦闘でかたや変身って書くのが結構難しい。


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第四話 『狛犬』

 水の上に浮かぶ葉のような、あるいは空を飛ぶ雲のような、ふわふわとした感覚が体を満たしていた。

 それはそれは酷く心地の良い感覚だった。

 周りは暗く、何も見えないはずなのに何故だか景色を感じることができた。

 青い空に包まれ、白い雲に囲まれてながらふわふわと浮かぶ自分がいるそんな景色だった。

 

 ピピピ。ピピピ。 

 

 遠くから音が近付いてくる。

 そして、閉じた瞼の裏にまばゆい光を感じた。

 

「ん……」

 

 自身をまどろみから引き離そうとする騒音に、ほんのわずかな苛立ちを覚えながらもなのはは騒音の発生源である自身の携帯電話に手を伸ばした。

 

「ふぁぁ」

 

 電話のアラームを切り、欠伸をひとつした後に凝り固まった自分の体を大きく伸ばした。

 

「おはようございます。なのはさん」

 

『Good morning』

 

「ふぇ!?」

 

 突如として聞こえた声に呆けた意識が一気に覚醒する。

 声のした方にはふわふわとした薄茶色の毛を蓄えた猫とカーテンの隙間から射し込む光で鮮やかに輝く宝珠があった。

 

「あ、そっか。リニスにレイジングハート、おはよー」

 

「はい、おはようございます」

 

 覚醒した脳が、昨日の出来事を瞬時に思い出した。

 ジュエルシードに襲われた事。

 星命やリニスと共に魔法を使ってそれを封印したこと。

 ユーノの手伝いで、そのジュエルシードを回収するようになった事。

 

 思い出したと同時に、いつもと同じ朝がいつになく新鮮に感じた。

 

 幾年か前、父である士郎がボディガードの仕事の最中に瀕死の重傷を負った。

 家族全員が大わらわで、父の看病や開店したばかりの翠屋の経営を安定させるために必死だった。

 

 ――そんな中、自分だけが何もできなかった。

 

 家族とふれあえない寂しさに震えるばかりで、店の手伝いも、父の看病さえもできなかった。

 

 

 だけど、今回は――違う。

 

 自分にも何かが手伝えるかもしれない。ユーノを手助けできるかもしれない。

 いや違う、助けるのだ。何もできないのはもう嫌だから。

 だからこそ、昨夜にあの場で意思表示をしたのだから。

 

 これから始まるであろう新しい日々に不安も怯えもある。

 昨夜のような目にもいくつも遭遇するだろう。

 魔法を始めたての自分と魔法が使えない状態のユーノだけであれば恐れもあっただろう。

 しかし、星命が、リニスが協力してくれると約束してくれた。

 仲間がいる。それは不安を払拭してくれるどころか、自身に勇気さえ滾らせてくれるものであることに少女は自身でも驚きと嬉しさを実感していた。

 

 

「ほらほら、早くしないと遅れてしまいますよ」

 

「あっ、うん!」

 

 耳をピンと立てたリニスが急かすと、なのはは慌ててベッドから降りて洗面台へと向かった。

 できる事を精一杯やろうという決心を、その小さな体躯に背負って。

 

 ○

 

「そんなのダメだよ星命!」

 

 準備を終えたなのはが朝食を取りにダイニングへ行くと、ドアの手前で声がした。

 何かあったのかと不思議な面持ちで、なのははドアを開けた。

 そこにはテーブルについてコーヒーを啜る星命、そしてそれに対面するようにテーブルの上に仁王立ちするユーノの姿があった。

 

「おはよー」

 

「あ、なのは。おはよう」

 

「お早う、なのはちゃん」

 

 なのはが声をかけると、二人ともなのはに気づき、挨拶を返した。

 

「昨日は良く眠れた?」

 

「うん、ぐっすり!」

 

 星命の問いに、元気いっぱいになのはは答えた。

 

「それは良かった」と星命は笑う。

 

 それからユーノに顔を向け直した。

 

「必要なことなんだ」

 

「でも、ダメだよ! 一般人にジュエルシードのことを教えるなんて!」

 

 どうやら星命が、他の誰かにジュエルシードの事を教えても良いか。という許可を取りたいらしいがそれをユーノが渋っているらしかった。

 

「いやいや、何も考えなしに言ってるわけじゃないんだよ」

 

 空になったカップを脇に置いた手を横に振りながら、星命は弁明する。

 

「こちらの世界の悪魔や、魔法の存在を知っている人達には教えておきたいんだ」

 

「一般人よりもリスクは少なくて済むし、何より今は一人でも頭数が欲しい」

 

「ユーノ君だって、回収は早い方が良いだろう?」

 

「それは……そうだけど」

 

 俯いたユーノに星命はさらに諭すように言った。

 

「大丈夫さ、その人達はそう簡単に裏切るような人達じゃない」

 

「むしろ、味方につければ心強いはずさ」

 

「そうじゃなくて、その人たちには身を守る方法はあるの?

 たとえば、星命みたいに悪魔を使役できるとか」

 

「確かに」となのはも思った。自衛の手段無しで捜索のメンバーに加えるのは危険だ。

 考えたくはないが、下手をすればケガでは済まないかもしれないのだから。

 

「いいや、彼女達自身にはそういった能力はない」

 

「なら、なおさら――」

 

「たしかに彼女達にはないけれど、なにもそれだけが身を守る術じゃないんだ」

 

 含みのある言い方だ。どうやら星命にもそれについては何らかの考えがあるらしかった。

 

「……何か、考えがあるんだね。わかった、助けてもらった恩もあるし君の好きにしてよ」

 

「ありがとう。ユーノ君」

 

 そう言って星命は卓上の少年に手を差し伸べた。

 ユーノはその手の指を二つの前足で挟むように握った。

 

「ところでその人達ってどういう人たちなの?」

 

 ユーノの問いに、星命は特に何も言わずなのはの方へと顔を向ける。

 それにつられてユーノもなのはの方を向いた。

 

「へっ?」

 

 当のなのはは困惑したように声を漏らした。

 

 ○

 

「えええーっ!」

 

 鮮やかな空の下で、なのはの叫び声が上がった。

 

「アリサちゃんもすずかちゃんも悪魔のこと知ってたの!?」

 

「しーっ! なのはちゃん声が大きいよ」

 

「ご、ごめん……」

 

 すずかにたしなめられてなのははバツが悪そうに周りを見渡すが、周りの生徒たちは特に意に返さなかったようでそれぞれの箸と口を進めている。

 時刻は昼過ぎ、聖祥小学校の時間割は昼業間へとさしかかり、学校内では様々な学年の生徒たちが思い思いの場所で昼食へと興じている。

 

 星命、なのは、アリサ、すずかの四名も屋上の一画をかわいらしい花柄のシートで陣取り、昼食の最中である。

 

「ごめんね、なのはちゃん」

 

「ナイショにしてるのも心苦しかったんだけど、簡単に言うわけにもいかなくて」

 

「しょ、しょうがないよ。『悪魔が本当にいる!』とか

 いきなり言われても信じきれないかもしれないから……」

 

 申し訳なさそうに言うすずかの謝罪をなのはは苦笑しながらも心良く受け入れた。

 友人二人が、何の理由もなくわざと黙っていたわけではない事はなのは自身もよくわかっている。

 

「でも、どうしてアリサちゃんとすずかちゃんは悪魔のことを知っているの?」

 

「それはだね」

 

 なのはの疑問の声に星命が人差し指を立てた。

 立てた人差し指で眼鏡のブリッジ部分を押し上げつつ言葉を続ける。

 

「二人が悪魔がらみの事件で誘拐されたところを僕が華麗に助けたからさ!」

 

「話盛ってない? 忍さんから聞いたけど

 クルースニクさんを呼べなかったらかなり危ない状況だったんでしょ?」

 

 目立ちたがりの気がある星命の言葉は、横から飛んできたアリサの言葉によって相殺された。出鼻を挫かれ、星命はガクリとうなだれた。

 しかし、負けじと言葉を続ける。

 

「いやでも結果的にべそをかいていた二人を救ったわけで」

 

「別に泣いてないわよ、それ以上盛るとおかず奪うわよ」

 

「わー! 肉団子だけは、肉団子だけはやめて!」

 

 星命の弁当へとアリサが箸を伸ばすと、慌てて星命は自分の後ろへ弁当を隠した。

 

「誘拐って二人とも大丈夫だったの!?」

 

「大丈夫よ、実際いまピンピンしてるじゃない」

 

「危ないところだったけど、星命くんが来てくれたから助かったんだ」

 

 目を白黒させるなのはに呆れたように言うアリサの言葉をすずかが補足した。

 

「それで? なのはの方こそ何で悪魔のことを知っているわけ?」

 

 言いつつ、アリサは視線を向けた。

 対面のなのはではなく、右斜め前の星命の方へ向かって。

 咎めるような、いぶかしむ様なそんな視線だ。

 安穏な雰囲気――話題が誘拐であっただけに安穏と言っていいかは甚だ疑問だが――から一転した場の空気になのはとすずかの目は心配そうに星命とアリサの間を行ったり来たりしている。

 

「アリサちゃん……」

 

「別にケンカしようってわけじゃないわ。納得のいく話を聞かせて欲しいだけ」

 

 心配そうに言うすずかに、アリサは落ち着いた声で答えた。

 それはアリサの本心だった。

 この二年間、散々苦労して隠し通してきたことがある朝まるで常識のようにバレていた事。

 今までの苦労を水の泡にするに足る理由を、アリサは星命から聞き出したいのだ。

 

「昨日、君たちは動物病院にフェレットを預けたよね」

 

「え? そうね、確かに預けたけど」

 

 アリサの答えに対し、星命は続ける。

 

「それじゃあ、昨夜にその動物病院とその周囲が破壊された事は?」

 

「朝ニュースで見たわ。……まさか、悪魔が!?」

 

 閃いた様に言うアリサの言葉に対して、ゆっくりと星命は左右に頭を振った。

 

「じゃあいったい何の関係があるのよ?」

 

 当てがはずれ、口を尖らせるアリサに星命は口に手を添えて声をひそめて言った。

 

「……実はあれ、なのはちゃんがやったんだ」

 

 星命の言葉に、アリサとすずかはきょとんとした顔で顔を見合わせた。

 

「冗談でしょ?」

 

 引きつった笑みを浮かべながらアリサがなのはへと顔を向ける。

 

「それは……その――――」

 

 向けられたアリサの顔になのははもじもじと人差し指同士を合わせながら戸惑った表情を浮かべる。

 それは昨夜の惨状はそのほとんどがジュエルシードのせいではあるが、最後の封印の際に大きなクレーターを道路に開けてしまった自分への負い目からの行動であったのだが。

 

『……えええ――――ッ!!』

 

 アリサとすずかの誤解を加速させるには、充分過ぎる仕草であった。

 

「ち、違う! 違うのっ!」

 

 明らかに二人が誤解していることに気づいたなのはは昨夜の出来事を語り始めた――

 

 

 

「あー、驚いた。まさか本当になのはがやったかと思ったわよ」

 

「そ、そんなわけないよ!」

 

「僕の肉団子が……」

 

「……今のは星命くんが悪いよ」

 

 誤解を解くのにはそれほど時間を要さなかったが、なぜだかなのははげっそりと疲れた顔をしている。

 

「それにしても異世界に魔法だなんてSFなのかオカルトなのか良くわからないわね」

 

 もともと、悪魔の存在を知っているためか二人には魔法や異世界などの非現実的な事についての耐性ができてしまっているようだ。すんなりと昨夜星命となのはに起こった事実を受け入れている。思い描いていた通りに事が進み、星命は内心でほくそ笑んだ。

 

「それで? そのジュエルシードってのはやっぱり危険なの?」

 

「うん、できれば早急に回収したい」

 

「ふぅん、変わった宝石を見つけたらアンタに言えば良いわけね」

 

「いや、僕よりも直接なのはちゃんに言った方が良いと思う」

 

「僕は魔力はあるけど訳あって魔法を使えないんだ」

 

「そうなの? まぁいいわ……それにしてもなのはが魔法少女ねぇ……」

 

 言いながら、アリサは舐めるように座ったままのなのはを上から下まで観察した。

 

「な、何?」

 

「いや、なってみないとわからない苦労とかもあるのかなって思っただけよ」

 

 気恥ずかしそうに身を固くするなのはに、アリサは笑って答えた。

 わずかに憂いを含んだ、そんな笑みだ。

 

「アリサちゃん……」

 

 アリサの言葉に隠された意図がわからず、なのはは不思議そうな顔で固まっているがすずかにはその意味が理解できた。

 この四人の中で、アリサだけが唯一特別な血統や能力を持っていないのだ。

 アリサはそれに対して羨望を覚えこそしなかったが、代わりに能力を持つ友人たちが悩んだり苦しんだりしても、それを共有できないことが何よりも辛かった。

 以前に自身の血筋の事に苦しむすずかの事に気づいてあげることができなかったように。

 

 そのことで悩んでいる事をすずかも気づいてはいたが、どうする事もできなかった。

 

「大丈夫よ」

 

 はっとして、すずかは伏せていた顔を上げた。

 活気に満ちた笑顔を浮かべたアリサの顔がすずかの顔を覗き込んでいた。

 先ほどの憂いはどこ吹く風、といった風体である。

 

「今度は大丈夫よ。まだ先に悩みのタネになりそうなものを教えてもらっただけマシだわ」

 

「それに、事の原因が悪魔じゃないならわたしにも見えるだろうし……」

 

「なのは! 困った事があったら真っ先にわたしたちに相談するのよ! いいわね?」

 

「え? う、うん!」

 

 アリサは少し考える素振りを見せた後、ビシッと人差し指をなのはへと向けた。

 なのはも気迫に押され、こくりと頷いた。

 

「おっと」

 

 星命が声を零した。自然に三人の視線が星命へと集まる。

 

「お茶を入れた水筒を教室に忘れたみたいだ。取ってくるよ」

 

「何でアンタの弁当箱は既に空なのよ」

 

 見れば、女子三人の弁当箱の中身は半分と進んでいないのに対して、星命の重箱のような弁当箱は既に米粒ひとつ無い状態である。

 

「食いしん坊さんに肉団子を取られたからね」

 

「いや、ミートボール一個じゃそんなに変わらないでしょ!?」

 

「というか、アンタに食いしん坊って言われたくはないわよ」

 

「……まぁ、そんなわけで行ってくるよ」

 

 アリサのじとりとした視線から逃げるように、星命はその場を後にした。

 

「そういえば――」

 

 星命が扉の向こうへ消えると、アリサはなのはの方へ顔を戻して思い出したように言った。

 

「あのフェレット――ユーノって言うんだっけ、良くオッケー出したわね」

 

「何が?」

 

「ホラ、やっぱそういう話って他の世界に

 情報を漏らしちゃいけないとかあるんじゃないの?」

 

「ええっと、星命くんが話したらわりとすんなり許可をもらえたよ」

 

「……ねぇ、なのは」

 

「もしかして、あたしたちにこの事を話そうって言い出したのは星命なの?」

 

「え、うん。そうだよ」

 

「ハァ……やっぱりそうなのね」

 

 なのはの返事に、アリサは露骨に溜息を零した。

 

「どうしたの? アリサちゃん」

 

「どうしたもこうしたも、星命のことよ」

 

「きっとわたしたちがなのはちゃんの様子に

 敏感なことを知ってるから先に教えてくれたんだよね」

 

「そうなの?」

 

「きっとそうよ。たぶんわたしたちの事はもともと捜索の人員に入れてないんじゃない?」

 

「普段抜けてるクセに変なところに抜け目がないんだから」

 

 言いながら、アリサは先ほどまで星命が座っていたスペースへと目を向けた。

 そこには、ご飯粒一つ残さず空になっている弁当箱が鎮座しているのみだった。

 

 ○

 

 屋上からのドアを抜け、星命は小気味良く階段を降りて行く。

 階を二つ下った後、次の階段を下りずに目の前を横切る廊下を右へ曲がる。

 教室の連なる廊下、自分のクラスの前を抜け、星命はその奥にある男子トイレへと足を運んだ。

 トイレは無人であった。個室も空いているため人の気配はない。

 別に催したわけではない。ただ、人目に付かない場所が必要だったのだ。

 

 星命自身でも驚くほど上手くいった。

 今の状況を鑑みて、ジュエルシードの封印ができるのはなのはだけだ。

 故に、なのはの体調には心身ともに万全を期する必要があると、星命は考えていた。

 そこで厄介なのがなのはと仲の良い二人の存在だ。

 

 なのはに少しでも変化があれば、二人はなのはか星命を問い詰めるだろう。

 なのは自身も話したいが他言できない状況にジレンマを感じてしまうことは必至だ。

 相手がジュエルシードだけであれば、それでも良かっただろう。

 自分やリニスもサポートできるだから。

 

 だが、昨夜のジェフの件でそうも言ってられなくなった。

 ジェフが何者かはわからないが、どうやら悪魔絡みの事件に発展しそうな気配である。

 できるならば管理局とやらが来るまでは泥沼の戦いは遠慮したいが悪魔は待ってはくれない。

 その上、悪魔の中には強い力に対して惹かれるように集まってくる者達がいる。

 ただでさえ、人柱の結界は徐々に弱まっているのだからいつ悪魔がジュエルシードの魔力に惹かれてくるかもわからない状況なのだ。

 

 

 そうなれば、自分たちのサポートも追いつかなくなる可能性がある。

 なのはが一人でも戦えるようにするために、なのはを支えるための人がひとりでも必要だと星命は計画を練り、実行に移したのである。

 

「さて、次だ」

 

 星命が白い制服の袖から数枚の式符を取り出す。

 それを、開け放たれた窓から外へと投げた。

 ポンっと白い煙を上げて、式符が黒いフクロウへと姿を変えた。

 フクロウとなった式符たちは、散り散りに飛んでいき、やがて見えなくなった。

 

 ○

 

 少しばかり時が経ち、その日の放課後と相成った。

 帰り道で星命となのははアリサとすずかをそれぞれ送り届けた後、自宅へ向かって歩いていた。

 

《ユーノくん、もうすぐ家に帰るよ、少し休憩したらジュエルシードを探しに行こう》

 

《わかった、気をつけてね》

 

 住宅街への近道である商店街を歩きながら、なのはが念話で自宅にいるユーノとのやり取りをする。

 

「じゃあ僕は先に周辺を探ってみ――」

 

 星命がなのはに斥候を申し出ようとしたが言い終わる前に奇妙な違和感を感じて言葉を切った。

 頭の中で鈴虫が鳴いているような、そんな違和感である。

 

《ユーノくん、これって……》

 

《新しいジュエルシードが発動している。すぐ近くだ!》

 

 同じ違和感を感じたのであろう。

 なのはがユーノに念話で問いかけ、ユーノの焦燥した声が返ってきた。

 

《どうしよう?》

 

《一緒に向かいましょう、私も行きます。構いませんね? 星命》

 

《わかったよ、合流しよう》

 

 支持を仰ぐなのはにリニスが答え、星命も同意する。

 

「いこう、星命くん!」

 

 言ってなのはが走り出した。星命もすぐに頷き、後を追った。

 

 半刻後、星命となのはの姿は商店街から少し離れた所にある道路の歩道にあった。

 傍には先ほど合流したリニスやユーノの姿もある。

 

「この上だ」

 

 ユーノが言うと他の三人が頷く。

 四人の目の前には緩やかな傾斜に作られた石段があった。

 十数メートルほど続く石段の先には赤く塗られた鳥居が見えている。

 そこは海と市内の中央商店街の間にある小さな丘を利用して作られた神社の入り口だった。

 周囲には丘を覆うように広葉樹が群生しており、外側からは拝殿の屋根しか見えないようになっている。

 

「行こう」

 

 ユーノが走り出し、星命、リニス、なのはがそれに続いた。

 

 広葉樹が立ち並び通路のようになっている石段を一気に上る。

 石段を登り切ると、林に囲まれ閉塞感のあった石段とは一変し、広く開けた平坦な土地が現れた。

 石段から延長するように平らな地面に石畳の参道が茶色の地面に一筋伸び、鳥居を潜って拝殿へと続いている。

 鳥居を潜ってすぐのところで四人は立ち止まった。

 

 拝殿への参道の途中に一体の異形が立ちはだかっていたからだ。

 その異形は巨大な灰色の犬の容姿であった。

 怒りに濁った赤い眼に口からははみ出した牙が幾本も覗いている。その身の丈は大型犬の二倍から三倍は優に超えそうな巨躯をしていた。

 

「まるで狛犬だね……」

 

 星命が呟いた。

 犬の体の至るところ、眉や足、尻尾などに夏の入道雲のようなもこもことした獣毛が生えていた。

 その姿はさながら神社の守護者である狛犬を髣髴とさせる。

 

「……ユーノ君、昨夜の怪物とは随分違うけど、あれは?」

 

「たぶん原住生物を取り込んだんだと思う。昨日のやつよりも手強くなってるはずだ」

 

「原住生物……」

 

 星命が反芻するように口の中で言葉を転がしながら狛犬の周囲へと視線を移す。

 狛犬の奥、拝殿の前に水色のトレーニングウェアを身にまとった若い女性が倒れているのが見えた。

 女性の手には犬用の赤いリードが握られており、少し離れたところに千切れた首輪が落ちている。

 

 狛犬は牙を剥き、唸りながら星命たちを威嚇している。

 だが、星命にはその行動が主人を護らんと忠義に燃える忠犬の姿に見えた。

 

「主人を護りたいという願いを、ジュエルシードが叶えたのか……?」

 

「悪いけどその力、返してもらうよ」

 

 言って星命が制服の白い袖の内から管を一本取り出し、なのはも服の中から首に下げたレイジングハートを取り出した。

 

「なのは、セットアップを!」

 

「うん!」

 

ユーノが叫び、なのはは手に持ったレイジングハートを高く掲げる。

 

『Stand by ready, Set up』

 

 赤い宝珠型のデバイス、レイジングハートが応えた。

 なのはの体が一瞬の光に包まれた後、昨夜と同じ白いバリアジャケットと玉杖を持った魔導師の姿へと変わる。

 

 狛犬がなのは達に向かって跳躍する。

 

「来るよ!」

 

 ユーノの言葉と共に、星命とリニス、なのはとユーノがそれぞれ左右の方向へと散って避ける。

 狛犬はそのまま、星命達の居た位置に着地した。

 そして、そのままの勢いをを利用して足を曲げると、なのは達へ向かってもう一度跳んだ。

 

『Protection』

 

 なのはの周囲に薄い桜色の半円の防御障壁が展開され、狛犬はそれに真っ向からぶつかった。

 

 障壁によって弾き飛ばされ、体勢を崩した狛犬が空中で宙返りをして着地した。

 標的を変えたのか、その眼はなのはからは外され反対側の星命の方へと向いていた。

 

 前足で地面を引っ掻き、喉を唸らせながら星命に向かって真っ直ぐに駆ける。

 

「星命、来ます」

 

 リニスの声に星命はただ一度頷いて応え、右手の第二指と第三指の間に挟んだ管を、巨犬へと向ける。

 

「陰陽師の式神の真の力、見せてあげるよ」

 

「現れ出でよ――」

 

 星命の呼び声に呼応するように、指に挟んだ管の先が螺子の如く螺旋に回転し、マグネタイトの緑光を放ちながらその中の円筒が顔を覗かせた。

 眩い緑光に眼が眩み、思わず狛犬も足を止めた。

 

「――シキオウジ!」

 

「我を呼ぶ声に応じ、ここに見参す」

 

 星命の声に威厳ある声が応えた。星命の目の前に現れたのは身の丈3メートルにも及ぶ白い巨躯を持つ人型の異形。兜のような頭に武者甲冑のような体躯。

 純白で彩られたその巨大な体からは荒ぶる力と神聖な気配の双方が見て取れ、とても逞しく見える。

 

 

 

 

 

 ……というのは前から見た話である、

 

 横から見ると――

 

「か、紙……?」

 

「ペ、ペーパークラフト……?」

 

「薄い……」

 

 神社の石畳を挟んで反対側にいるなのはとユーノ、そして星命の後ろのリニスが半ば放心しながら目の前の白い異形に対して三者三様の感想を述べる。

 

 ――その異形は驚きの薄さであった。

 

『シキオウジ』

 陰陽師の流派「いざなぎ流」に伝わる強力な式神。その体は式符そのものだともされている。

 その力は病魔を祓う治癒の精霊ともされているが、同時に荒ぶる鬼神としての顔も併せ持つ。

 

 呆けているなのは達の事などお構い無しに狛犬は急に現れたシキオウジに狙いを移し、大きく重心を傾けた後、突進を敢行する。

 

「受け止めろ、シキオウジ!」

 

「応ッ!」

 

 猪突猛進を仕掛ける狛犬とシキオウジがぶつかり合う瞬間、なのはとユーノとリニスは既にシキオウジがまさに紙切れのように吹き飛ばされる瞬間を予見していた。

 

 

 ――しかし、その想像は叶わなかった。

 

「我、破邪顕正の力を以って、主に仇なすものを打ち倒さん!」

 

 怒声上げてその紙の体に不釣合いな質量と腕力でシキオウジは狛犬を受け止めたのである。

 

 

「我が憤怒の一撃、受けてみよ!」

 

 吼えると同時にシキオウジの体が雷を帯び、その電撃をそのまま受け止めた巨犬へとぶつける。

 電撃をまともに受けた狛犬は空気を裂くような悲鳴を上げながらその体を捩り、シキオウジの体から跳び離れた後、軽く頭から体にかけて身震いを一つする。

 

 狛犬が唸り声を上げた。

 それと同時に『しゅぅぅ』という風船を膨らませるような音が聞こえた。

 見れば狛犬の尾が大きく膨らみ、毛並みがイバラの如き刺々しさを纏っている。

 そこだけ見ればさながらハリセンボンのようであった。

 そして、その尾の先端を星命の方へと向けた。

 

 次に狛犬は周囲の空気を大きく吸い込んだ。

 味わうように体内へと溜め込んだ後に一気に吐き出す。

 吐き出された息は、白い煙となり辺り一体を包み込む。星命達の視界が白一色で埋め尽くされ、狛犬の姿はすぐに見えなくなった。

 

「これは煙幕か……?」

 

 一瞬、毒霧かと星命は思ったが少々吸い込んだにも拘らず体には異変がない。

 どうやら本当にただの煙幕であるようだった。

 

「何か仕掛けてくる気だ」

 

 星命が身構えると風船の割れるような乾いた音が周囲に響いた。

 

「ヌンッ!」

 

 シキオウジが力む声を上げた。すると白く濁る中空に突如として幾筋もの稲光が輝き、雷鳴と共に稲妻がいくつも地面へと奔る。

 

 黒い物体が、星命の頬を掠めた。

 

 稲光が収まると、地面には松ぼっくりほどの大きさの黒い円錐の棘が無数に落ち、黒い煙と焦げた匂いを発していた。

 先ほど狛犬の尻尾にびっしりとついていたものと同じものであるようだった。

 目の前のシキオウジの腕や胴と足にも、同じものが刺さっていた。いくつかは貫通したのか、シキオウジに小さく風穴が開いている。

 

 膨らませた尾を破裂させた勢い利用して飛ばしてきたのだと星命は予想した。

 

「シキオウジ、無事かい」

 

「この程度、この身に業火を纏うに比べれば事無し」

 

 案ずる星命にシキオウジは体をペラペラと揺すって針を落としながら答えた。

 シキオウジが盾になっていなければ今頃は星命が逆ハリネズミ状態だったことだろう。

 

 

 

「星命くん! 大丈夫!?」

 

 破裂音と雷鳴を聞き、心配したなのはが叫ぶと煙霧の向こうから「大丈夫だよ」と声が聞こえた。

 その声に安堵したのも束の間、白い視界で黒い影が動くのが見えた。

 

『Incoming!』

 

「えっ!?」

 

 レイジングハートの声に当惑しつつも、体は自然に動いていた。

 杖の先端をわずかに持ち上げ、影の方へと向ける。

 

『Wide area protection』

 

 レイジングハートの先端に円盤状の障壁魔法が展開される。

 煙霧の中から現れた黒い影が、その障壁に激突した。

 

「うわぁ!?」

 

 傍にいたユーノが驚き叫び声を上げる。

 障壁魔法の反対側に貼り付くように爪を立て、牙をむき出し唸る狛犬の姿があった。

 

「たぁ!」

 

 なのはが握る力と共に、魔力を込める。すると障壁に弾かれたように、狛犬の体が吹き飛んだ。

 

「すごい、昨日の今日でここまで魔法を使いこなすなんて……」

 

 驚嘆の言葉が、ユーノの口から零れた。

 

「学校にいってる間、ずっと練習してたんだ」

 

 照れながら、なのはが言った。

 実は登校中からずっと、レイジングハートのシミュレーションの機能を使い、魔法のトレーニングを行っていたのだ。

 魔導師の必須能力である並列的な思考演算能力、マルチタスクを鍛錬するのにもちょうど良く、練習をする思考の一方でアリサ達とも会話していた。

 

 一陣の風が吹いた。暖気を運ぶ春の風がなのはの汗ばんだ頬を撫でる。

 吹き抜ける風に煙霧がかき消されると、そこにはなのはを睨む狛犬の姿があった。

 大きく膨らんでいた尾は、やる気を失くしたかのようにちんまりと縮んでいる。

 

「昨日のに比べて知能も上がっている。これは確かに厄介だね」

 

 内心の冷や汗をわずかに引きつった笑みで隠しながら星命が言った。昨夜の怪物は星命達に対して、突進などの原始的な攻撃しか仕掛けてこなかった。しかし、この巨大な狛犬は敵の目をくらまし、その上で遠距離からの攻撃も仕掛けてくるという搦め手を使ってきたのである。

 

「星命くん! 封印するから、足止めをお願いしてもいい!?」

 

「わかった、任せて!」

 

 投げかけられた声に答えた後、星命は袖から非常用に仕込んで置いた霊符を数枚取り出し、構える。

 

 狛犬も、なのは達が攻撃に転じようとしているのがわかるのだろう。そうはさせまいと身を屈め、再度なのはに跳びかかろうとした。

 しかし、地を蹴ろうとした足は地面から離れず、それどころか体も微細に揺れるのみで前進もままならない。

 

「あれ?」

 

 動きを止めた狛犬を見て、なのはが不思議そうに呟いた。

 まだ星命が霊符を投げていないにも関わらず、まるで縛られたように狛犬が固まっているからだ。

 

「どうやら、僕が手を出すまでもなかったようだ」

 

 そう言って星命は霊符を持った腕を下げた。

 

「なのは! あれ見て!」

 

 ユーノが二の足で立ち、前足で狛犬の方を指差した。

 

「……ツル?」

 

 ユーノの言葉になのはが目を凝らすと、地面から伸びた緑色の線が狛犬の足に巻きついていた。

 それは植物の蔓だった。石畳の地面から伸びた細い蔓が、狛犬の四本の足に巻きついているのである。

 

 しばらく蔓を見つめていると蔓に変化が起きた。

 

 まるで植物が育つのを早送りで見ているかのように、蔓はその体を成長させ急速に狛犬の体躯を登って行くのである。

 ついにはその体を登りきり、すっかりと巨犬を覆ってしまった。

 

「私の境界の内でこれほどの蛮行、身の程を知るがよい」

 

 透き通るように細い男の声が周囲に響いた。それと同時に固まった狛犬のすぐ傍に別の植物の芽が現れた。

 蔓とは違い、その植物は葉が増え、真っ直ぐに茎が伸びていく。

 星命達の肩ぐらいまで伸び、大人の腕よりも太い茎にまで成長していく。

 ピタリと茎の成長が止まり、茎の先端に蕾が現れた。

 大人が中に入れるくらいに大きな蕾だ。

 蕾が裂け、裂けた蕾の内側から黄金の光が漏れ出す。蕾が花開くと睡蓮のような花の上に黄金の体を持つ、若い男が胡坐をかいていた。黄金の体に、植物の茎のような髪を持つ美丈夫であった。

 

「なのはちゃん、封印を!」

 

「う、うん!」

 

 星命の声に、睡蓮の男に見とれていたなのはは我を取り戻した。

 そして、両手で握ったレイジングハートの先端を狛犬のほうへと向ける。

 

「レイジングハート!」

 

『Sealing mode. Set up』

 

 主の声に答え、レイジングハートは自身の先端を収束魔法の扱いやすい二枝の尖った流線型のフォルムへと変化させ、三翼の桜色の大きな翼を広げた。

 

「リリカル! マジカル! ジュエルシード、シリアル15」

 

 レイジングハートの黄金の穂先を三乗の円環の魔法陣が囲い、なのはの魔力を先端へと結集させる。

 

 

「封印!」

 

『Sealing』

 

 なのはとレイジングハートの声と同時に収束された砲撃魔法が解放された。

 放出した魔力は一筋の軌跡を描きながら巨犬へ向かって一直線に向かっていき、

 

 そして、激突した。

 

 桜色の光が狛犬を包み込む。

 みるみるうちに狛犬の体が小さくなり、やがて子犬ほどの大きさになった。

 まるで成長の記録を逆再生で鑑賞しているかのようだった。

 光が晴れると、そこには猫のリニスよりも小さな子犬が一匹気を失っていた。

 

「助かったよ、ククノチ」

 

 星命が子犬の傍で鎮座する黄金の男のそばへと近付き、男へ礼を述べた。星命を追ってリニスとシキオウジ、なのはとユーノが星命の傍へと近付く。

 

『ククノチ』

 古事記においてイザナギ・イザナミが自然の神々を生んだ際に生まれた木の神である。

 大地に木を生やすための根本的な生命力が神格化したものであるとされ、そのため山の神オオヤマツミや野の神カヤノヒメよりも先に生まれたとされる。

 

 

「久しいなデビルサマナー……これが件の?」

 

「そう、ジュエルシードを取り込んで暴走した動物だ」

 

「ふむ……」

 

 星命の言葉にククノチは興味深げに顎に手をやり、子犬を見やる。

 

「ヒトに飼われた獣がここまでの力を得る。聞いていたよりも厄介な物のようだ」

 

 興味深そうに子犬を見ながら放ったククノチの言葉に星命は頷いて応えた。

 

「あのー星命くん、この人……? だれなの?」

 

 隣にいるなのはがレイジングハートを胸元に抱きながら、おずおずと聞いた。

 

「ククノチ、という木の神だよ。この神社の祭神……神社に住んでいる神様って言ったらわかりやすいかな?」

 

 星命の言葉になのはは黙ったままこくりと頷いた。

 

「今言ったとおりククノチは木の神だ。この街の植物とは深く繋がっている」

 

「ユーノ君の話では、ジュエルシードは植物にも取り付くようだから先手を打っておこうと思ったんだ。ククノチの力なら、ジュエルシードの暴走をある程度抑えられると思ってね」

 

「なるほど」

 

 星命の説明にリニスが相槌を打つと、他の二人も納得したように頷いた。

 

「他にも、神社仏閣の神仏や、群れを率いてる悪魔なんかには粗方話を通してある」

 

「それって大丈夫なの?」

 

 ユーノが尋ねた。

 

「今この街に住んでいる悪魔の大半が

 他の悪魔に住処を奪われたり、追われて逃げてるうちにこちらへ迷い込んだ者達だ。

 もちろんククノチ達みたいに大昔からこの地を護っている者達もいるけどね」

 

「その中でも、比較的信用できる輩にのみ話を通してある」

 

「かと言って、安心もできない。

 彼らはあくまでも僕たちの手が回らなかった時の保険でしかない」

 

 

「決して油断してはいけないよ。街を護るのは僕たちの役目なんだから」

 

『うん!』

 

 星命の言葉になのはとユーノは強く頷いた。

 

「ん?」

 

 不意に、足に違和感を感じた星命が自身の右足を見下ろした。

 そこには、星命の靴の靴紐を噛み、倒れた女性の方へと引っ張る子犬の姿があった。

 

「星命くん」

 

「うん」

 

 足元の子犬を抱え上げたなのはが不安そうな表情で星命の方を向いた。

 星命はそれに頷いて答え、傍のシキオウジを管へと戻す。

 そして四人は、倒れている女性のいる拝殿へ向かって走り出した。

 

 ○

 

「ご協力、ありがとうございました。ではこれで……」

 

 夕暮れ時、住宅街に並木のように並ぶ民家の一軒から二人の男が出て来た。

 二人ともに着ている服は似通っているが背丈や年齢には差があるようであった。

 海鳴警察署の刑事、風間と矢佐田である。

 

「似たような証言ばかりですけど……なんだか信憑性に欠けますねぇ」

 

 矢佐田が言った。二人は先日の轢き逃げ事件と動物病院及び道路等の器物損壊事件の関連性について独自に調査しているのである。

 

 歩道に立ち尽くした風間が胸のポケットからタバコを取り出し、火を点けた。

 

「お前は吸わないのか?」

 

「いや……禁煙中なので。っていうか風間さんも奥さんにどやされますよ」

 

 矢佐田の言葉に、風間は沈黙しながら視線を逸らした。

 いつも堂々としている風間が誤魔化す素振りを見せるからには多少の罪悪感はあるようだ。

 

「……だが、これだけ同じ証言があれば無視するわけにもいかねぇな」

 

 咥え煙草から紫煙を上げつつ、風間が話を戻す。

 

「ですけど……」

 

 気まずそうに一呼吸入れて、矢佐田は言葉を続ける。

 

「本当にいるんですか? イタチを抱いた少女と猫を連れた少年なんて……」

 

「さぁな。ああ、でもウチの祖父さんが現役の頃には居たらしいぞ」

 

「イタチを連れた少女ですか」

 

「いや、猫を連れた少年の方だな」

 

「はぁ~、いやでもさすがに時代が違いますよ。

 御祖父さんが現役だったのって大正時代ぐらいの話でしょう?

 今時そんなファンシーな少年少女が居て堪るかってはな――」

 

 ボサボサの頭を掻いていた矢佐田の口と手が、突然止まった。

 

「どうした?」

 

 疑問に思った風間が矢佐田の顔を覗き込む。

 矢佐田は口をパクパクと開閉しながら反対側の歩道を見つめている。

 いつもの細い目はどこへ行ったのか、その目は大きく見開かれている。

 

「いました……」

 

 やっと言葉になった呟きと共に、矢佐田が視線の先を指差した。

 その方向に風間は目を凝らす。通り過ぎる車で途切れ途切れしか見えないが、たしかにイタチのような生き物を肩に乗せた少女と、隣に猫を引き連れた少年がそこにいた。

 

「どうしますか……って風間さん!?」

 

 矢佐田が次の句を言う前に、風間は動いていた。

 携帯灰皿に咥えていたタバコを捻じ込みながら走り、近くの横断歩道から車線を越えて反対側の歩道へと渡る。

 

「すまんがそこの坊主とお嬢ちゃん。ちょっと待ってくれるかい」

 

 肩で息をしながら、道を行く少年と少女の背後から声をかけた。

 

「はい?」

 

「俺はこういうもんだが――」

 

 胸ポケットから取り出した警察手帳を少年少女たちに突きつけたところで、手が止まった。

 その少年と少女に見覚えがあったからだ。

 

「――って、なんだ高町んとこのチビッコじゃねぇか……」

 

 そこには友人である高町士郎の末娘であるなのはと同じく高町家で身柄を預かっている星命の姿があった。

 家族の誕生日ケーキを毎回翠屋で注文する風間には顔なじみの存在である。

 

「こんにちは、風間さん」

 

「こんにちはー」

 

 星命が会釈をすると、なのはも続いて笑顔で挨拶をした。

 

「風間さん、知り合いですか?」

 

 追いついてきた矢佐田が、風間に聞く。

 

「ああ、ツレんとこの子供だよ。ほら、商店街の翠屋って喫茶店の」

 

「ああー! 知ってますよ!

 シュークリームが人気ですぐ売り切れるって婦警の間で噂になってますね」

 

「なるほど、あそこの子ですか」

 

 矢佐田は会得が行ったように、一度頷いた。

 

「あの、僕たちになにかご用で?」

 

 訝しげに、星命が二人の刑事に尋ねる。

 矢佐田が思い出したように口を開いた。

 

「あー、そうだそうだ。昨日の夜、君たち槙原動物病院の近くに居ただろ?」

 

「それでね、あの辺りで起きた器物損壊事件……って言ってもわからないかな」

 

「ようは道路や電信柱を壊した犯人を捜しているんだけど君たち何か知らないかな?」

 

 ビクリ、と体を震わせたのはなのはだった。

 

「え、えぇっと……」

 

 まさか「ジュエルシードが犯人です!」などと言うわけにもいかず、なのはは言葉を濁す。

 動揺を悟られぬよう精一杯表情を取り繕いながら、すぐに念話を隣の星命に飛ばした。

 

《せ、星命くん! どどどどーしよう!?》

 

 星命に向かって、動揺を一気に吐き出す。

 しかし反応が返ってこない。 

 

《……星命くん?》

 

 何度念話で呼びかけても星命から応答が無い。

 なのはが視線を風間たちから外し隣へと向ける。

 星命は俯き、肩を小刻みに揺らして震えていた。

 ユーノとリニスも星命の異常に気づいたのか、星命のほうを向いている。

 

 どうしたのだろう、なのはが疑問に思ったそんな矢先――

 

 

「ぼ、僕たちじゃないです!」

 

 

 ――うわずった大きな声で、星命が叫んだ。

 

「へ?」

 

 間の抜けた声が、なのはの口から漏れる。

 しかし、その声は顔を上げた星命の濁流のような言葉の波に流されていった。

 

「た、たしかに昨日僕たちはあの動物病院の近くにいました……」

 

「で、でもそれはこの子が心配だったからなんです!」

 

「たしかに僕はイタズラとかつまみ食いもよくしますけど――」

 

「――それでも僕は、やってない! 犯人じゃないんです!」

 

 焦燥感が滲み出た表情で、星命は言い放った。

 迫力は満点だが、子供の姿でなければ説得力は皆無である。

 

 ――静寂。

 遠く神社のある丘の方角からカラスの鳴き声が聞こえるほどの静けさが辺りを包んだ。

 なのはは呆然と星命を見ていた。

 二人の刑事も面食らった様子で固まっている。

 

「あ、ああ。いや、別に君たちを疑っているとかでは――」

 

「ほ、本当ですか!? 信じてくれるんですね!」

 

 我を取り戻した矢佐田が弁解をしようとする声をぶった切り、星命が声を張り上げた。

 

 先ほどの陰鬱な表情はどこ吹く風。

 水平線へ沈む夕日よりもさらに眩しく気持ちの良い笑顔である。

 

「ちょっ、わかった。わかったから落ち着いて」

 

 星命の笑顔の押し売りを矢佐田は両の手の平を振って避ける。

 

「別に君たちを疑っているわけではないんだ。

 そもそも子供にあんなことできるわけないし。

 ただ、昨夜あの場に居たっていうなら少しお話を聞かせてもらえないかな?」

 

 矢佐田の言葉に、「おお!」と言う声と共に星命の目の輝きがさらに増した。

 さながら目の中の真珠をダイヤモンドと交換したかのようだ。

 

「これって聞き込みってヤツですよね!? テレビドラマとかでよくやってる!」

 

「いやぁ、一回体験してみたかったんですよ!」

 

「なんでも聞いてください! なんでも答えちゃいますよ!」

 

 嬉々とした表情を浮かべた星命に気圧され、矢佐田がたじろいだ。

 気まずげにちらりと風間を見たが、風間は目を逸らして明後日の方向を向いた。

 どうやら代わってはもらえないようだ。

 矢佐田が小さく肩を落とすと、なのはは「にゃはは」と小さく苦笑した。

 

「あー……それじゃ昨日、なぜあんな夜中に槙原動物病院に行っていたのかな?」

 

「実は昨日ですねなのはちゃんが帰り道でユーノくんを拾ったんです!」

 

 矢佐田の質問に星命は人差し指でなのはの肩に乗っているユーノを指差した。

 

「それで、具合が悪そうなので槙原動物病院へ預けて家に帰ったんです」

 

「けど、夜中に心配になってついついなのはちゃんと様子を見に行っちゃったんですよ」

 

『心配になって』の部分でわずかに矢佐田の表情が曇った。

 

「どうかしましたか?」

 

「……いや、いくら心配になったからって夜中に子供だけで外出しちゃダメだよ」

 

 星命が聞くと、すぐに矢佐田は笑顔を取り戻し諭すように続けた。

 

「ごめんなさい。

 帰ったら恭也さんに――あ、恭也さんっていうのは僕たちのお兄さんの事なんですけど、

 こっぴどく叱られちゃったので勘弁してください!」

 

 星命は大袈裟に頭を下げ、合わせた手の平を頭の前へと出した。

 

「そうか、でも家の人に心配をかけちゃうのはダメだよ」

 

 矢佐田の言葉に星命は「ごめんなさい」と苦笑いを浮かべながら返した。

 

「じゃあ動物病院までで、何か変わったことはなかったかい?」

 

「変わった事だらけでしたよ。地面にいっぱい穴が開いてたり、電柱が倒れてたりとか」

 

「怖かったんですけど、やっぱりフェレット――あ、ユーノくんって言うんですけど」

 

 星命の二度目のユーノの紹介に「星命くんそれはもう言ったよ」となのはが苦笑した。

 

「ユーノくんが心配で動物病院の前まで行ったんですけど

 病院の庭先から急にユーノくんが飛び出してきたんです」

 

「そしたらパトカーのサイレンが聞こえて、

 このままじゃ僕たちが犯人だと思われちゃうって思って一目散に逃げたんです」

 

「ふむ……じゃあ変わった人影とかは見てないんだね」

 

「はい!」

 

「……わかったよ、ご協力感謝します」

 

「いえいえ、犯人見つかると良いですね!」

 

「思い出した事があればまた教えてくれ」と矢佐田が星命に名刺を渡し、二人の刑事はその場を去って行った。

 

「それじゃ、帰ろうか」

 

 刑事たちの姿が見えなくなってから星命が落ち着いた声でなのはに言った。

 

「え? う、うん」

 

 なのはは少々戸惑いながらも返事をした。

 少しばかり歩いたところでなのはが口を開いた。

 

「星命くんすごいね」

 

「何が?」

 

「だって刑事さん相手にあんなにしゃべれるんだもん。

 しかも、なるべくホントのことは言わなかったし」

 

「わたしなら無理だなー」と、なのはは続ける。

 その脳裏には星命に対して「変なところで抜け目がないんだから」と言った友人の言葉と顔が浮かんでいた。

 

「……別に大したことじゃないよ。昔取った杵柄ってやつかな」

 

「きねづか?」

 

 聞き返しながらなのははこてんと首を傾げる。

 言葉の意味がわからなかったのもあるが、一瞬――ほんの一瞬だけ星命が寂しさと懐かしさを混ぜ込んだような複雑な表情になった。そんな気がした。

 

「いや、なんでもない。さてと、今日の晩御飯は何かなぁ」

 

「ハンバーグだって、朝お母さんが言ってた」

 

「おお! いいねいいね!」と、なのはの言葉に星命は心底嬉しそうに言った。

 

 隣には、いつも通りの温和で、食べるのが何よりも好きな男の子がいた。

 それを見ながらなのはは先ほどの表情はきっと気のせいだったのだろうと勝手に納得する。

 他愛のない話をしながら、なのは達は歩を進める。

 やがて、ぽつぽつと街灯がつき始めた夕暮れの街へとその姿は消えていった。




長らく音沙汰がなく本当に申し訳ございません。
しばらく自身の都合で書けないでいたんですが、戻ってきてみると自分の書いた星命が星命でない気がしてしまってどうにも書けなくなってしまいました。
いっそ、自身で納得のいく物をと吹っ切って書いてみましたがあーでもないこーでもないとやっているうちにこんな時期に……
これからは一ヶ月に一回投稿できれば良いかなと考えています。


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