Glory of battery (グレイスターリング)
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リトルリーグ編
第一話 彼女との出会い


※パワプロとMAJORのクロスオーバー小説です。これらが好まない方はご注意ください。出てくるキャラは基本的に全員同じ世代ですが、一部は違ってたりします。


「…ここかな」

 

 リトルチームの練習場とは思えないほどの広いグラウンド。高性能に作られた様々な練習器材。そして何より、ハイレベルに展開される練習風景。…まさに噂通りの強豪チームだ。

 

「今日からここで野球をするんだよね、俺は」

 

 おっと、自己紹介がまだだったか。俺の名前は『一ノ瀬大地』。物心ついた頃から野球が大好きな純粋野球少年だ。

 ポジションはキャッチャーを守り、ここへ来るまでも暁リトルというチームのエース『猪狩守』とバッテリーを組んでいた。が、仕事の都合で引っ越しとなり、『横浜リトル』というチームでプレーすることになった。

 

「しっかしレベル高いな~。暁のときと同じぐらいかそれ以上だよ」

 

 横浜リトルは近年、リトルの全国大会に4連続で出場をし、優勝経験も積んである名門中の名門。昨年の大会でも準決勝でぶつかり、なんとか一点差で逃げ切ることができていた。あの猪狩を一番苦しめた、数少ない相手でもあったな。

 

「さてと、樫本監督はどこだ…?」

 

 少し離れた場所からフェンス越しに辺りを見渡すと、メガホンを片手にイスへ座り、実戦練習をしている選手にアドバイスや指示をしている大人が目に入った。

 

「あの人っぽいな。でもどこから声をかけるか……」

 

 

 ──スバーン!!

 

 

「っ、ん?」

 

 グラウンド横のマウンドで、キレの良いミット音が鳴り響いた。反射的に覗いてみると、可愛らしいお下げが揺れながらも、コンスタントにキャッチャーが指示したゾーンへ的確に投げ込んでいた。

 

「あの子って女子……だよな?」

 

 球威も女の子ながらそこそこあるし、時折魅せるカーブもいい落差を誇ってる。そこらの男子顔負けの投球だぜ、これは。

 

「よし、あの人に頼んでみよう」

 

 マウンド横のフェンスに近づき、軽くフェンスを揺らしながら喋った。

 

「ごめん、ちょっといいかな?」

「ん…どうしたの?」

「あのさ、実は俺今日からここに入部することになってるんだけど、今監督忙しそうな感じで声かけにくいから代わりに呼んできてくれる?」

「あら、あなた入部希望なの。ちょっと待ってて、監督を呼んでくるわね」

 

 そう言うと、捕球をしていたキャッチャーの元へ行って訳を話し、直ぐに監督へ駆け寄ってくれた。30秒後、監督はイスから立ち上がり、こちらへ歩いて来た。

 

「君が一ノ瀬大地君だね?」

「あっ、はい」

「話は既に聞いている。早速で申し訳ないが、君の実力を少し見させてもらいたい、いいか?」

 

 いきなり実力を見られるのかよ…。でもなんか面白そうだし、やってはみるか。

 

「…はい、全然構いませんよ」

「いい返事だ。では荷物を置いて準備が出来たら早速テストする。そうだな……川瀬、一ノ瀬に案内をしてやってくれ」

「分かりました」

「ん、では頼む」

 

 すっと後ろを振り向き、監督は指導へと戻っていった。サングラスの奥底にある目が少し怖かったよ。

 

「…えっ、と………」

「あー、俺の名前は一ノ瀬大地。確か川瀬さん…だよね?」

「うん。私は川瀬涼子よ。これからよろしくね」

「おうっ、こちらこそよろしく」

 

 涼子ちゃんはニコッと可愛く笑いながら手を優しく前へ出し、俺も合わせて彼女の右手を握った。

 

 

  これが彼女との最初の出会いであった──

 

 

 

 




 すいません、かなり短くなってしまいました。次回はもう少し長くしようと思います。



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第二話 明かされる実力

「全員集まれ!」

 

 練習を途中で切り上げ、グラウンドに散っていた選手達が、一斉に監督の周りへと集まった。

 

「練習の途中だったが、今日付けで入部となった選手を紹介する。では自己紹介を頼む」

「はい。暁リトルから来ました、一ノ瀬大地です。学年は5年生でポジションは捕手がメインです。野球の腕はまだまだですが、これからよろしくお願いします」

 

 一礼をしてメンバーの数を数えてみると、部員数はざっと24人ってところだった。でも暁リトルと一度戦ったことがあるから知ってる選手も少なくはないね。

 

「えー既に知っているかもしれんが、彼は夏のリトル大会で全国制覇を成し遂げた名門チーム、暁リトルで正捕手として猪狩守とバッテリーを組んでいた。家庭の都合上で退部せざるをえなかったが、今日からはウチでプレーすることになった。なにか彼が困ってたら、遠慮なく教えてやってくれ」

 

 やっぱり俺や猪狩のことは知ってたか。道理で皆、俺の名前を聞いて動揺しないわけだ。

 

「早速だが、彼にはバッティングとキャッチングの2つを測定してもらう。そこで、今から名前を呼ぶ選手は彼のテストを手伝ってくれ。まずは江角…真島…それと佐藤に川瀬だ」

 

 この4人は確か主力の選手だった気がするな。

 江角は横エースナンバーを背負う本格派右腕で、カーブの切れ味には定評がある。キャプテンで四番を打つ真島は走攻守全てをハイレベルに重ねもつ強打者だ。

 しかし一番要注意なのは──

 

 

(佐藤寿也、だな)

 

 

 昨年夏の大会で対戦したときは小四ながらも6番キャッチャーでスタメン出場し、猪狩相手に3打数2安打2打点の結果を残していた。あのストレートを綺麗に流し打ちした数少ないバッターでもある。

 ポジションも俺と同じだから、いわばライバル同士にあたるってことか。

 

「ではまず、彼のバッティングをチェックする。相手は江角・佐藤のバッテリーだ」

 

 んっと、いきなりエースと対決か。江角のカーブは勿論だけど、佐藤のリードも注目しておかないとな。

 レガースとプロテクターを装着すると、佐藤はキャッチャーボックスではなく俺の側へ駆け寄った。

 

「大地君、よろしくね」

「おうっ。本気で頼むぜ」

 

 軽く頷き、佐藤はキャッチャーボックスへと入って投球練習を始めた。相手ピッチャーの江角は、俺と一つ歳上ということもあり、球威・制球・変化球、投球練習を見る限りは遜色ない良いピッチャーだ。

 

「大地君、私のだけどヘルメットとバットを貸してあげるわね」

「ん、ありがと」

 

 川瀬さんからバッティング用具を一式借り、準備が整った……

 

  はずだったが──

 

 

(んーっ、なんだコレ?全然被れないぞ!?)

 

 ヘルメットを借りたのはいいものの、俺の頭のサイズと合わず、いくら押し込んでもスポッと填まらない。

 同い年の選手とはいえ、体は女子だから仕方ないと言えば仕方ない、が、さすがにノーヘルでバッターボックスに立つのは危険過ぎる行為だ。

 

(しょうがない…半かぶりだけどこれで行くか)

 

 イマイチ頭にフィットしなかったが、強引に押し込んでなんとか安全圏までヘルメットが入った。

 

(さてと、そろそろいくか!)

 

 ブォンッ!ブォンッ!と二度素振りをし、今度こそ準備は整った。

 横浜リトルの実力がとれほどのものか、見せてもらうぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 江角先輩の調子は全然悪くなく、むしろ好調に近いほどの良いコンディションだった。四年生の夏前から先輩のボールは捕っていたから分かるんだけど、ベストなテンションのときは決まってカーブのキレが冴えている。

 

 ブォンッ!ブォンッ!

 

(!……このスイングは…!?)

 

 バッターボックスの前で大地君が肩慣らしのように素振りをする。端から見ると、何気ないスイングにしか見えないかもしれない。

 

  ──でもなにかが違う。

 

 スイングスピードじゃない。バッティングフォームでもない。それなのに大地君からは、不思議な雰囲気が込み出ているかのような錯覚に陥られてしまう。

 一言で言えば、「彼ならどんな球でも打ってくる」というオーラが。

 

「佐藤」

「……あっ、はい!」

「今日のサインは全部お前に任せる」

「えっ…僕が、ですが?」

「やつのバッティングは本物だ。年下だからと言って、油断したり熱くなったりしたら結構ヤバイからな。だから冷静にお前を信じるってわけだ」

「…そうですか」

「ああ、とにかく頼むぜ。そんで横浜リトルの底力を見せつけてやろーぜ」

「はい、分かりました」

 

 先輩は僕を信頼してくれている…。全ては僕のリードにかかってるんだ、絶対負けられない!

 

「もう話は終わったのか?」

「うん…君から三振を取る算段は付けてきたよ」

「ふっ、取れればの話だけどな」

 

 不適な笑みを見せながら、彼は右バッターボックスへと立った。

 

 

「ではチャンスは一打席のみ!ヒット性の打球や四死球ならバッターの勝ち、それ以外はバッテリーの勝ちとする!ジャッチは寿也に全部やってもらう」

 

 僕たちは彼にヒットを打たせなければ勝ち…か。果たしてどこまで僕のリードが通用するんだろうか。

 

「では始めろ!!」

 

 さて、一打席きりしかチャンスはない。リードは初球の配球が肝心で、立ち上がりは慎重に攻めていくのがセオリー。

 

(まずは外角にストレートで)

 

 大地君の構えは基本充実なスタンダード打法。スタンスは恐らくスクウェアのはずだから、内外角のどちらにでも対応できる。

 でも江角先輩のストレートなら初球からは手がでないはず。

 先輩はコクっと頷き、投球動作に入った。斜め65度の角度で腕をブルンッ!と振り、外角ギリギリにボールが放り込まれた。

 

「ストライクだね」

「……そうだな」

 

 大地君は言って、再びバットを構え直す。球速は百数キロってところかな。充分速い方だと思うんだけど、大地君は見慣れているかのように見逃した。

 さすが、猪狩君の球を受けてきているだけのことはあるね。

 

(次は真ん中から低めへカーブ)

 

 先輩がカーブを持ち球として使っていることは大地君も知っているはず。それでも江角先輩のカーブを初見で捉えるのは、いくら大地君でも難しい。

 試合でなくても先輩は本気でボールに回転をかける。ミットとの距離が近づくにつれて、斜め左方向にボールは逃げていく。

 

(これなら打てない!)

 

 間違いない、今日の先輩はボールにキレがある。絶対に打てないと確信し、ミットをボールに合わせて捕球態勢を作る。

 

 

「そう、これを待ってた」

「えっ?」

 

 さっき見せたスイングスピードでカーブに対応し、キィィィンッ!!!とあとから金属バットの打音が聞こえた。

 ライナー性の打球は一塁線上を痛烈に襲うが、フェアゾーンより右に逸れてファールになる。

 

(カーブを完璧に捉えてる…なんてセンスだ……)

 

 何十試合も試合をして“あの時”以来かもしれない。こんなにも早くカーブに順応できたバッターは。

 そうだよね、吾朗君──

 

 

 

 

 

 

「いきなり江角のカーブを捉えるなんて中々のバッターだな」

 

 ベンチで勝負の行方を見守る横浜ナイン達。先程のバッティングを見て、次の勝負のスタンバイをしていた真島がポツリと呟いた。

 本調子の江角からこんなにも早くカーブに対応できたのは

 

「三船ドルフィンズ以来、だな」

 

 そう、今から一年前。神奈川地区の大本命として、誰もが横浜リトルの全国行きを予想していた。県大会レベルでは一回戦、二回戦、三回戦とも10点以上の差で勝ち進み、もはや優勝に死角はないと思われてた。

 ──準々決勝、大番狂わせが起こった。

 一回の表で9点もの大差をつけ、誰もが横浜リトルの勝利を確信しきっていた。そんな絶望的な中、一人の男が『負け』を『勝つ』に変えたのだ。

 

「吾朗君達…ですよね」

 

 野球というスポーツは、たとえどんなに負けていようが、そのチームの実力差が明白であったとしても、最後に審判がゲームセットのコールを発するまでは何が起こるか分からない。

 つまり、諦めることさえしなければ、勝利を掴むことは誰にでもできる。

 

「だけど江角のやつだって、あの試合で打たれてから大きく変わったんだ。そう易々と打ち崩されるはずはねぇよ」

 

 

 その三球目。内角低めの際どいコースにストレートが制球されるが、これはボール球となる。

 

(危なかったぁ~…思わず振りそうになったよ)

 

 でもまぁ、俺の勘が外れなければ次のボールはストライクの確率が高い。

 追い込まれて圧倒的に不利な状況。となると次は決め球が来るはずだ。

 

(今度こそカーブを叩いて打つ!)

 

 腹をくくり、バットを更に短くもって構える。あんまり長く持ってたらスイングが遅くなって詰まらされるからな。

 そして運命の四球目。スリークウォーター気味に投げ込まれたボールは──カーブ。

 

(来た!)

 

 二球目よりも深く低めに沈んできている!このままだと引っ掛けて凡打になる!!

 

(頼む!、当たってくれぇぇ!!)

 

 

 ギィィイィンッ!!

 

 

 

 鈍い音がを残して打球は高く上がった。風はほぼなく、障害はなにもない。そして打球が最高度の高さを過ぎた瞬間、ゆっくりとバットを置いて一塁へと走った。全員が打球の弾道に目を向けているが、俺はもう分かっている。

 

 一塁ベースを踏んだ瞬間、ボールはリトル規定のフェンスを超えて、ホームランになった──。

 

 

 

(まさか……打たれるなんて…)

「嘘…だろ?」

 

 ダイヤモンドを回ると、ピッチャーが打った後のボールを見続けているのが目に入った。自分のウイニングショットを打たれ、その悔しさは大きいものだろう。

 

「………」

「先輩……すいません。僕のリードが甘かったせいで…」

「いや、ちげぇよ」

「えっ…?」

「俺のカーブもお前のリードも完璧だった。それでもホームランを打たれたってことは、ただ単に一ノ瀬の方が強かったってだけの話だ。だからくよくよすんな、次は必ず三振すりゃいいんだからよ」

「…そうですね」

 

 ベンチへ戻って早々、真っ先に声をかけてきたのは監督だった。

 

「狙って打ったのか?」

 

 狙って打った、か。確かに投球前からカーブが来るって予測はしてたし、狙い打ちはした。

 

「はい。だけどあそこまで変化するとは思いませんでした」

 

 今打てたのはたまたまバットを短く持っていたからと、それによってスイングスピードが僅かに上がり、カーブの変化と一致していたから打てた。

 もし、最初のままで打っていたら立場は逆転していただろう。

 

「そうか…ナイスバッティングだ。じゃあ次はお前のキャッチングを見させてもらうぞ」

 

 成る程、今度はキャッチングか。正直言うと、バッティングよりキャッチングの方が俺は好きなんだよな。打者との頭脳を競い合う駆け引き、ボールがミットに挟まったときのあの感触。それが好きだから辞められないんだよな、キャッチャー。

 

「ピッチャーは川瀬、バッターは真島で、次は二打席勝負にする。但し、リードは一ノ瀬に任せて抑えるという条件のもとでやる」

 

 じゃあつまり、真島を川瀬さんと一緒に協力して抑えれば勝ちってわけか。

 

「おい、一ノ瀬」

 

 唐突に後ろから声をかけられ、振り向くとそこにいたのは真島キャプテンだった。

 

「悪いが今度は先程のようにそう易々と勝つことはできねーからな。覚悟しておけよ」

「…悪いですけど、俺だって負けるつもりはありませんよ」

「ははっ、いい面構えだ。退屈しなくてすみそうだな」

 

 真島キャプテンと別れ、カバンからキャッチャーミットと防具を取り出す。コレを実戦で使うのも猪狩のとき以来になるな。

 ん……まてよ。そういえばまだ重要なことを聞いてなかったよ!

 

「くっそ…川瀬さんから聞いておかないと……」

 

 急いでプロテクターを装備し、マウンドで待機していた川瀬さんの方へ走った。

 

「ごめん、遅くなって」

「ううん、大丈夫よ。今私も準備できたところだから」

「そっか…あ、そういえばまだ川瀬さんの球種を聞いてなかったよね?」

「確かに、私も忘れるところだったわ。じゃあ教えるわね、まずこれがストレートで……」

「うんうん」

「で、これがカーブで最後にこれも投げれるわね」

「えっ?でもこれって…」

「大丈夫よ。私を信じて!」

「…りょーかい。本当にそれが投げれるなら、リードのしがいがあるね」

「フフッ、頼りにしてるわ」

 

 サインと球種の確認をし、サークルとマウンドへ互いに戻った。真島キャプテン…悪いですけど三振で抑えさせて貰いますよ!

 

 

「ではスタート!」

 

 うっし!それじゃあ始めますかね。相手のデータは余り無いからまずは丁寧に様子を見るか。

 

(まずはストレートからだ。内角低めに攻めよう)

 

 投球練習を見ていた限り、川瀬さんの球速は九十キロ前後程。遅くはないが、四番相手には打ち頃のスピードボールだろう。

 それでも打ち取る方法はある。たとえ球威がなくても、制球でそれを補えば充分通用するはずだ。

 足元に置いてあったロジンバッグを掴み、地面へ置いて直ぐに投球スタンスを作った。

 

(っ!?これは……!)

 

 俺は彼女のピッチングフォームに驚愕した。左足を高く蹴り上げ、猫背になって上半身と限界まで引き上げてその勢いのまま、サイドスロー気味にリリースされた。

 ボールはリード通り、パァァンッ!!と綺麗な音を立てて内角低めのミットへ挟まった。

 

(マジかよ…この投球フォームって……)

 

 

 野球の本場、アメリカで生まれた超豪腕ピッチャー『ジョー・ギブソン』の投球フォームと全く一緒だ。

 ジョー・ギブソンは、数年前に日本のプロ野球球団、『シャイニングバスターズ』で3年間エースとして活躍していたのだが、ある試合でバッターにデッドボールを当ててしまい、不慮の事故でそのバッターを亡くしてしまっていた…。

 が、今はメジャーリーグの第一線で活躍をし、毎年のように最多勝やらのタイトルを獲得している。

 

(二球目はボール球のカーブを外角に)

 

 ギブソンのフォームも拝めたし、そろそろ集中しないとな。次はストライクゾーンからボール1、2個分外れるぐらいに投げれれば上出来だ。理想としてはつい手が出てしまい、ファールになったてしまった、がいいけどさすがにそう上手くはいけないかな…。

 指でサインを送り、川瀬さんがリズムよくワインドアップする。

 コースと低さは許容範囲に来たが、涼し気な顔で見逃した。さすがに一筋縄では引っ掛からない、か。

 

「そんな小細工じゃ俺は打ち取れないぜ」

 

 ヘルメットを上げて、真島キャプテンはそう言い放った。ちまちまやってても俺には通用しない、てか?

 

「それはどうですかね?まだ終わってませんけど」

「…まぁいいさ。次のストライクで終わらせてやるからな」

 

 ふっ、と笑いながらバットを立て、タイミングを伺うかのように川瀬さんを見つめる。

 ──しかし言うだけのことはある。後ろから見ても隙の見当たらない構えに、どこからか感じ取れる独特の威圧感。まさしく四番に相応しいバッターだ。

 

(お望み通り、ストライクゾーンにいこう。川瀬さんの得意球でね)

 

 一瞬笑って頷き、更に躍動感をつけてプレートを蹴る。本当にそれが投げれるのなら、川瀬さんは無敵になれるかもしれない。

 コースは大甘のど真ん中。予想通り、真島キャプテンはこの甘いコースに食い付いて来た。カーブでもない、スライダーでもない。ストレートのように真っ直ぐミットに向かうが、ストレートでもない。

 

(失投か、貰ったぜ!)

 

 

 言わんとばかりにバットを一閃する。タイミングも高さもドンピシャに思われた──。

 

 

 ゴキッ!と詰まる音。打球は上空へ飛ばす、地面をバウンドした。歩くまでもなく、そのゴロを川瀬さんは余裕でキャッチ。

 

「っ!?、なにっ?」

 

 真島キャプテンはおどけたような声を出すが、一番ビビったのはサインを出した俺だった。

 

(…恐ろしい子だな。ホントに投げれてるよ……)

 

 ストレートより球速はなく、コースはど真ん中。それでも打てないのには訳があった。

 

 

 ムービングファストボール──。

 それはストレートこその速さはないものの、手元で僅ながらナックルのように不規則に落ちながら進む、日本で言う『癖球』の一つにあたる。ナックルといっても、全然球が落ちるわけではない。しかし、三振は取れなくてもバッターの芯をずらす程の変化量はあるから、ゴロを打たせて取るには効果は絶大だ。

 それにしても、俺と同じ小学五年生がこんなボールを投げれるとは思わなかったな。もしかすると猪狩を超えるんじゃないかな?……なんてね。

 

「どう?見てた?!」

 

 俺がマウンドへ駆け上がると、えっへんと誇らしげに感想を迫ってきた。

 

「うん、予想以上の球だったよ。こりゃ自信満々に言う訳だよ」

「ありがとう。でも大地君のリードやキャッチングも凄かったわね。初めてなのに一球も逸らさなかったのにはビックリしちゃった」

「たった二球捕れただけだよ。まだ一打席残ってるんだ、油断せずに頑張ろう」

「うんっ!」

 

 幸先のよいスタートが切れたぜ。後は残り一打席をどうするかだよなぁ…。

 川瀬さんの持ってる球種は全部見せちゃってるし、これは俺のリードにかかってるわけだ。

 

(二打席目はムービングを多用しながら惑わすか)

 

 面を被り、二打席目の勝負が始まった。真島キャプテンの構えは以前と変わってはいない。

 

(初球からムービングで。インコース気味で釣らせよう」

 

 このテのバッターは打撃能力はあっても、打てそうなボールが来たら躊躇なく振ってくる。そこを狙ってムービングを内角に投げれば、またゴロで詰まってくれる可能性は高いはずだ。

 ギブソンフォームから初球──。打者の腹部近くにボールは迫り、そこから僅にボールが動く。しかも運が良いことにバッターは打つ構えをして来た。よしっ、これで俺が捕って終わりだ!

 

「甘いな」

 

  限界まで懐に引き付け、逆らわずに思い切りボールを引っ張った。

 今度は真芯で捉え、打球はレフトへ高く上がる。

 

(!!?、やばいっ!)

 

 半分終わったかと思われたが、風で僅かに逸れてファール。

 

(ふぅ~…危なかった~)

「チッ、風に救われたな」

 

 この人、もうムービングのタイミングが掴めているのか?それともプルヒッターだから打たれたのか?もしくはその両方か…?

 

「川瀬がムービングを持っていることなんて既に知ってたぜ」

 

 困惑する俺を見て、真島キャプテンは静かに呟く。

 

「一打席目はムービングを忘れていたからミスっただけで、本来の俺なら今ぐらい打てて当たり前なんだよ」

「…いいんですか?そんなこと教えなければ、俺はムービングに頼っていたかもしれなかったのに」

「バーカ、いくら頑張ってリードしても俺を打ち取るなんて無理な話だ。癖やボールの回転は全部把握してるんだからな」

 

 …やはりそうか。初球の見逃し方の時から気になってたけど、相手の癖をインプットしてたからか。

 

「だったら俺が分かっていても打てないリードをすればいいだけのことですよ」

「ふん、俺を三振に取れたらの話だがな」

 

 こうなりゃぜってー三振で抑えてやる!

 ドカッと座り、サインを出す。二球目は外にカーブが外れてボール。

 これで1-1。打者と投手、どちらも不利なカウントではない。

 

(外角にムービングを使おう。ストライクとかは気にしなくていい)

 

 ミットをバンバンと叩き、ぐっと構えた。今日2球ムービングを投げてきたが、まだ一度も捕球はしていない。ボール球でもキャッチャーの捕り方によってやり易さは違ってくる。

 この一球……絶対に逸らせられない!

 サインを受け取り、ゆったりと投球動作をする。体の動き・リリース・足の方向、全体を見て捕る。

 

 ──放たれた。三球投げた中でも一番のムービングだ。全神経を集中させろ…動けよ俺の左腕っ!!

 

 

 

 

 スバンッ!!!

 

 

 

 

 手元で変化する軌道を見逃さず、なんとかミット真ん中で捕球することができた。

 

「ふぅ…今のはギリ入ってますよね………」

「……お前…………」

「えっ?」

「いや、何でもない」

 

 なんだ?なにも変わらないムービングだったのに凄い動揺してるな。

 今そんなにヤバイことでもあったのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三球目は外角にムービングを指示され、私は力一杯に腕を振って答えた。この時、私は一つ不安なことがあった。

 大地君は私のムービングを取ってくれるかということ。

 そもそもムービングはフォーシーム(ストレート)と違って、打者の打点で微量に変化していくボール。逆にとれば、捕手のキャッチするタイミングもズレることにも解釈できる。

 ムービングを捕球するには何十球、何百球も目で凝らして慣れないと、前へ落とすことも困難。あの寿也君でさえも一発で捕ることはできなかった。

 それなのに、彼は捕ってくれた。私のボール、私の事だけを考えて捕ってみせた。

 

(大地君…)

 

 なんだろう、この安心感。どんなに暴投しても彼なら命を懸けてでも逸らさない、そんな気がしてくる。

 

「川瀬さん、ナイスボーッ!!」

 

 そうだ、私だって頑張らないと。自分の勝利よりもバッテリーの勝利を遂行してくれる彼の為にも。

 

 四球目は高めに内角高めにストレート。ミットはストライクゾーンギリギリに構えてる。

 

(ありがとう…私も全力を尽くすわっ!)

 

 強く左足を蹴り、今日最大に体を縮こまらせた。右足でバランスを保ち、背負い投げのように体を回してボールを放した。

 力が強すぎて思わず前へ倒れてしまう。そんなことはどうでもいい。ただ、私のボールがバットを通過してミットに収められれば――。

 

 

 

 ッバァァアンッ!!!!!

 

 

 

 音が聞こえた……後はこれがストライクなら私達の…

 

 

「ストライクだ」

「……えっ!?」

「かっ、監督っ!!今のは少し高いっすよ!誰が見ても今のは」

「俺がストライクと言ってるんだ。今のはどんな審判でも必ずストライクを宣告する」

 

 監督……じゃあ私達は…

 

「川瀬、一ノ瀬、よく頑張ったな。これで一ノ瀬の入団を正式に許可する」

 

 

 …やっ……やった…………

 

 

 

「やったーーっ!!!!やったね、大地君!!」

「お、おおう…ありがとな……てかこれで正式入団なのね……」

 

 嬉しさの余り、大地君の手を取って喜んだ。自分が真島君を抑えられたことじゃなくて、“彼と一緒”に真島君を抑えたことが嬉しかった。

 

「今日からよろしくね、大地君」

「うん。こちらこそよろしくね、川瀬さん……いや、涼子の方がいいか」

 

 

 この日が、私と彼の忘れられないバッテリー結成日になったのでした──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カラスが鳴く夕暮れ。俺のテストが終わり、グラウンド整備をして各自解散となった。

 それぞれが自分の帰路へ行く。俺も荷物を整理して帰ろうとしていた。

 

「大地君」

 

 声の主は寿也だった。

 

「今日は凄かったね。攻守どちらとも、僕より充分上手かったよ」

「…そいつはどうも」

「だけど…」

「ん?」

「僕は…キャッチャーの座は渡さないからね。涼子ちゃんとバッテリーを組んだとしても、正捕手は絶対に取らせないよ」

「そうか……じゃあ尚更俺も頑張らないとな。そっちがその気なら、俺だって負けないぜ!」

「そうこなくっちゃ。共に協力しあって戦っていこう」

「……ああ」

 

 寿也は後ろを振り向き、そのままグラウンド出口に出ていった。初めは猪狩と別れて不安だったけど、このチームメイトとなら俺はきっと強くなれる。

 

 

 見てろよ猪狩。次会うときはもっと成長してるからな!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい……では来週の日曜日に……はい、分かりました。よろしくお願いします、では失礼します」

 

 帰ってきて早々、俺はあるところに電話を掛けていた。

 そう、あるチームと練習試合をするための電話だ。その動機は一ノ瀬のテスト直後に遡る。

 あのムービングを初球で捕った直後のストレート。

 普段は百キロいくかいかないかの球速だった川瀬の球が、

 

  109km/h

 

 なんと百十キロに迫る記録をマークしたのだ。なぜいきなり彼女の球速が突発的に上がったのかは分からない。しかし一番の思われる原因は、一ノ瀬の存在ではないか──と俺は行き着いた。

 昨年秋、横浜リトルに黒星を味あわせたチームのエース『本田 吾郎』の百十六キロに近い速球を投げれた。こいつはもしかすると今年は……。

 

「ふふっ、ますます楽しみになってきたな」

 

 練習試合の相手は全国屈指の強豪リトル。だが負けることは考えてはいない。

 あのバッテリーなら、どんな強打者からも勝ってくれるような気持ちが沸いてくるからだ。

 

「見せてもらうぞ……一ノ瀬大地」

 

 

 今シーズン最初の練習試合まで、あと一週間──

 

 




 読んでいただきありがとうございます。
 今回話で出てきた、ギブソンの所属していた球団が東京ジャイアンズからシャイニングバスターズに変更されていましたが、話の都合上でオールレボリューション(レリーグだけの6球団)のみの設定にしたためです。
 なので、原作で所属していたチームと大きく異なっていくことがありますが、ご了承ください。



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第三話 避けられない方が悪い?

 四月八日──

 俺が横浜リトルに入って二日が過ぎたこの日、ようやく今日から新たな学校での登校が始まった。

 学校へ入ると様々な友達とすれ違うが、大抵の人は他の友達同士とくっついているからどうしても話かけにくい。

 

(うーん…まぁしょうがないよね)

 

 知ってたことだが、軽く虚しくなりながら自分の下駄箱を探す。

 俺も早く新しい友達を作らないといけないよな。

 

 

「あれ、もしかして大地君?」

 

 ……ん…?今どこかで聞いたことがあるような声が……気のせいだよな。うん、気のせい。

 

「ちょっと、無視しないでよ!!」

 

 あれ、気のせいじゃないのか?てことはこの声は…

 

 

 

「大地君おはよう」

「とっ、寿也?!それに涼子も?!!」

「もー、さっきから呼んでたのに全然反応してくれなかったからてっきり私、人違いかと思っちゃった」

「ごめんごめん。二人がまさか一緒の学校だとは思わなくて」

 

 それにしてもなんという偶然なのか。横浜の小学校なんて沢山あるのに、奇跡的に転校した先が同じだったとはね。

 

「大地君はどこのクラスだった?」

「んー…確かB組って言われてた気が…」

「あ、B組なら私も寿也君も一緒だったわね」

「そうなんだ。じゃあ卒業までよろしく、大地君」

「うん。じゃあ俺、職員室に呼ばれてるからもう行くね」

「分かったわ。また後でねー」

 

 一旦二人と別れ、職員室へと足を向けた。よくある、転校生を紹介します、て言う為だと考えられる。別にそんなことしてなくても俺はいいんだけどなぁ。

 途中行き通る人達に場所を聞き、緊張しながら職員室のドアを開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 校長先生の長ったるい話を聞き、各クラスごとの授業に戻った。俺の予想は見事に的中し、クラスの皆が席に着いたのを見計らって自己紹介をさせられた。

 

「一ノ瀬の席は窓側の一番後ろだ」

 

 よっし、席は当たりを引けたぜ。一番後ろの端なら寝放題だからな。

 

「大地君、ここだよ」

 

 寿也が手招きして俺を誘導させる。俺の席の右隣は涼子か。んで、すぐ前が寿也。全く…偶然と言うのは恐ろしいものだね。なんか四六時中、この二人と一緒にいそうな気がするよ。

 

 

 

 

 

 

「やっと終わった~」

 

 新学期の初日ということもあり、授業は半日で終了となった。委員会決めや班決めなどであっという間に時間は過ぎ、気付くと12時になっていた。

 

「ねぇ、大地君の家ってどこなの?」

 

 机に倒れこんでいた上から、寿也がポンポンと叩きながら聞いてくる。

 

「んあー…俺の家は二区のところにあるけど」

「え、それじゃあ私と一緒の地区に住んでるんだね」

 

 へぇ~、涼子の家も俺と同じ地区なのか。もしかするとこれからは二人で登校するかもしれないってわけですかね。

 

「なんか凄い偶然だね」

 

 寿也……気付くの遅いって。と、心の中で突っ込む俺であった。

 

「じゃあそろそろ帰ろっか。二時から練習あるし」

「そうだね」

 

 ランドセルを背負い、教室から出る。

 校門では「今日帰ったら何して遊ぶー?」と言った声がちらほらと聞こえた。

 入り口付近で遊びの誘いが何件も来たが、俺達は野球の練習があるから遊べないと、誘いを断りながら校門を出た。

 歩き始めて数分。唐突に寿也からこんな質問が飛んできた。

 

「あのさ、大地君ってどうして野球を始めたの?」

「やっ…野球を始めた、理由?」

「それ私も知りたいなぁ~。教えてよー」

 

 一番答えにくい質問をしてきたな。しかも二人は興味津々に俺を見てくるし。

 これは答えなきゃいけなさそうな雰囲気を醸し出してるな。まぁ差し支えないから教えるか。

 

「二人とも、猪狩守は知ってるよね」

「ええ」

「うん、もちろん」

「…俺ね、こんなまだ子供なのに天才バッテリーとかで雑誌に騒がれてるけど、初めは野球なんてこれっぽっちも興味なかったんだよね」

「ええっ、嘘っ!?」

 

 まぁ驚くのも無理はないよな。こんなに野球が上手いとか騒がれてて、実は野球に興味がなかったなんてね。そんなこと、想像する方が難しいかもしれない。

 

「じゃあどうして野球をするようになったの?」

「きっかけは単純だよ。俺がまだ四歳ぐらいの頃に猪狩が突然家へやって来たんだ……」

 

 

 

 

『ねぇキミ。よかったら僕と一緒に野球やらないか?』

 

『やきゅう?それはなんなの?』

 

 

 

 

「グローブを突然渡されてね、いきなりストレートを放り込まれたんだよ」

「だ、大丈夫だったの?だってやったことなかったのにいきなり…」

「ううん、それが一発で捕れちゃってね。自分でもびっくりしたんだよ。でも嬉しかったんだよね、ボールがキャッチできた時」

 

 そしてその時からだったか。猪狩との投球練習が日課みたいになったのは。

 

 

 

『ボクは猪狩守。君は?』

 

『一ノ瀬大地だよっ!野球楽しいねー!」

 

『はははっ、そうだろ?』

 

 

 

「とまぁそんな感じで今に至るってわけなんだ。」

「……ふふっ」

 

 ぬっ?今寿也に笑われた!?俺と猪狩の大切な過去なのに?!

 

「あっ、ごめん。つい思いだしちゃってね」

 

 思い出し笑いかよっ!でも気になるな~。

 一体何を思い出したんだ、寿也にそう聞こうとしたその時――

 

 

「あ、僕の家こっち側だから」

 

 十字路にぶつかった所で寿也が左に指を指した。どうやらここで別れるようだな。

 

「じゃあまた後でね」

「じゃあねー」

 

 笑いながら手を振り、寿也は走って家へと帰っていった。くそ~いいタイミングで別れちゃったなぁ。何を思い出したか聞きたかったのに。

 

「聞きたかったでしょ?寿也君のこと」

 

 なっ!?なんで分かったんだ?しかもめっちゃ意味深そうな笑みで俺の顔を覗いてるし。

 

「それはね、寿也君も大地君と同じだからじゃないかなぁ」

「俺と寿也が同じ…?」

 

 何を言ってるんだ?俺と寿也が同じって。全然同じ所なんて無いじゃん。

 疑問に思っていた俺を見て、涼子が続けて喋る。

 

「私達横浜リトルが去年の秋の大会で敗退したのは知ってるよね?」

「ああ。知ってるよ」

 

 全国大会の組み合わせ表。

 今年も神奈川県代表は横浜リトルだと思っていた。

 ──しかしどこを見ても横浜リトルの名前が見当たらなかった。あの神奈川随一の名門チームがまさかの不出場。

 俺は気になって直ぐにインターネットで調べた。するとこんな記事を発見した。

 

『横浜リトル敗北!執念の激走で掴んだ勝利、その名は三船リトル!!』

 

 俺は衝撃を受けた。本当にあのチームが県大会で負けたのか……と。

 結局神奈川の代表は、横浜リトルの次点であった『帝王リトル』と『おてんばピンギース』が共に決勝まで勝ち残り、2点差で帝王リトルが三年ぶりの優勝で代表入り。

 

 

「9-10のサヨナラ負け。初回に9点を取ってもそのチームは最後まで諦めなかった」

 

 9点差。

 立ち上がりでこれほどまでのビックイニングをマークするものの、四点……七点………そして最終回、ついに同点へ追い付く――。

 

「本田吾郎君――。彼が三船リトルでエースと四番を努め、私達を打ち破った中心人物でもあるの……」

「ほんだ…ごろう……」

 

 なんだこの感じ。笑顔の奥で悔しさと申し訳なさを押し殺しているかのような喋り方は…。

 いきなりどうしたんだ……涼子。

 

「その吾郎君のお父さんは、元頑張パワフルズの選手だったんだけど、数年前にギブソンから受けた頭へのデッドボールで死んじゃって……」

「!…じゃあ吾郎のお父さんってあの本田茂治選手なのか?」

 

 涼子は小さく「うん」と首を縦に振った。

 俺もギブソンがデッドボールでバッターを死なせた記事は読んだ記憶がうっすらあったけど、その選手がまさか吾郎の父親だったとは知らなかった。

 

「私…何も知らなかったのよ……寿也君と吾郎君が幼馴染みで………死んだバッターが吾郎君のお父さんだったなんて……ぐすっ……」

「りょ、涼子!?」

 

 ちょっと!?いきなりなんで泣くんだよ?今の話の要素に泣くところなんてあったか?!

 

「っ…ごめんなさい。私、家あっちだから……じゃあっ…!」

「あっ、おいっ!!」

 

 彼女の手を取ろうとするも振り払われてしまい、止めることが出来なかった。

 その気になれば追いかけることもできたけど、悲しそうに走る涼子の後ろ姿を見ると、何故か体が硬直した。

 

(ちっ……寿也も涼子も意味わかんねーよ…)

 

 寿也は笑うし、涼子は突然泣くし。あいつら何がやりたいんだよ。まるでバカにされてる気分だぜ。

 道端に落ちていた小石を蹴り、俺は苛つきながら家へと帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日の練習は妙に実践を想定した練習内容が多かった。ランナー有り無しの様々な条件での守備練習や、バント・盗塁・エンドラン等の戦術確認、それら以外も試合で使うことは重点的にやり込んだ。

 ──ただ一つ、俺の集中力が欠けてたこと以外は問題なく練習が行われたが。

 それと何となく、涼子との距離感がきごちなく感じた。

 

 

 練習後、監督は全員を呼んでミーティングを開いた。

 

「練習ご苦労だ。突然だが、来週の日曜日に練習試合をすることになった」

 

 練習試合か。

 俺にとってはこのチームで初めての試合だから気合いとか入るのに、今はそんなことどうでもよくなってる感じだ。

 涼子のことが頭から離れられない。ずーっと苛つきと疑問の二つが入り交じり、周りに何度声をかけられたことか。

 

「監督、相手はどこなんすか?」

「よく聞いてくれたな。相手は隣の地区の強豪、『帝王リトル』だ」

 

 おぉーっ、と小さくざわめきが聞こえた。あー確か帝王リトルは神奈川の代表になったチームじゃないっけ。 日曜日にそこと練習試合するのか…。

 

「そこで時期が早いが日曜のオーダーメンバーを先に発表する。よく聞いておけよ」

 

 

「一番ショート、伊達」

「はい」

「二番セカンド、村井」

「うす」

「三番キャッチャー、一ノ瀬」

「…………」

「一ノ瀬……いるなら返事をしろ!!」

「!…はい…っ!」

「ったく……四番サード、真島」

「ういっす」

「五番ファースト、佐藤」

「……はい」

「六番センター、関」

「はい」

「七番レフト、松原」

「はいっ」

「八番ライト、菊池」

「はいっす」

「九番ピッチャー、川瀬」

「は、はい……」

「よし、以上がレギュラーメンバーだ。今回は佐藤をファーストにして一ノ瀬にマスクを被らせるが、これは一ノ瀬が実戦でどこまで通用するかを見るために入れた。前回のテストを見て、川瀬が一ノ瀬と一番相性がよさそうだったから先発に起用することに決めた。皆文句はないな?」

 

 チラッと涼子を見てみると、自分の先発にどこか不満を抱いているかのような表情を浮かばせていた。

 まさか俺とのバッテリーを拒んでいるのか……?俺が涼子を泣かせたから……?

 そんな記憶ないんだけどなぁ。

 

(一応話を聞いとくか)

 

 

 監督のミーティングが終了した後を見計らい、思いきって涼子に声をかけてみることにした。

 このままだと試合に悪影響が及ぶかもしれない。何とかして訳を聞き出さないと。

 

「涼子」

「…あっ…大地君……」

 

 俺が声をかけただけで、涼子は焦りながら自分の荷物をスポーツバックにしまいこんだ。

 やっぱりな――。俺、間違いなく彼女から避けられてる。

 

「じゃあ私帰るね…」

 

 このままでいいのか?俺の頭の中で色々な考えがグルグルと過ってくる。

 いやダメだ。男として、バッテリーとして、ちゃんと話を聞く義務があるんだからな。

 いざ話しかけようとすると、少しだけ心臓の鼓動が早くなる。きっと緊張してるのだろう。俺らしくないなー。

 ふぅ~…。一呼吸あけて涼子の側へと寄り、腹をくくって尋ねてみた。

 

「ちょっと待ってよ」

 

 背を向けて帰ろうとした瞬間、涼子は歩こうとするのをピタッと止めた。しかし顔を俺の方へ依然として向けてくれない。

 

「…あのさぁ、俺がなにか気にさわるような事してたら謝るからさ……だから…っ!」

「大丈夫!」

「えっ……」

「私は大丈夫だから……じゃあね」

 

 嘘だろ。どこをどう見れば大丈夫に見えるんだよ。まるで死んだ人でも見てるようなその顔は。

 仮に涼子が大丈夫でも、俺はちっとも大丈夫じゃないんだよ!!

 

 

「待ってくれ!!!!」

「!!?」

「俺の事が大嫌いになったなら、嫌いって言ってもいい!!だからそうやって悲しそうな顔すんなよ!俺は…」

 

 

 バチっ!

 

 

(ぃっ………!?)

 

 左頬に走る痛み。わずかコンマ0.5秒の出来事であるが、一瞬で事態は把握できた。

 

「大地君!?」

「おい涼子!お前なにやってんだよ!!!」

 

 寿也と真島キャプテンが慌てて入ってきた。寿也は俺の心配を、キャプテンは厳しく涼子を止めた。

 

「大地君、口から血が…」

 

 口元から液体がポタッポタッ、と垂れ落ちる。顔を叩かれた瞬間に口を切ってしまったらしい。

 ああ――。本当にやられたんだな、俺は。

 

「あ…………っ!!」

「ちょっ!おい待て!!!!」

 

 俺に意識がいっていた隙を突いて、涼子は全速力でグラウンドから出ていった。

 キャプテンの声に構わず、人目を気にせずに走って…

 

「ったく。アイツと何があったんだよ?」

「…………」

 

 分からない。本当に悪いことをした記憶なんてない。それなのに涼子は、あんなにも涙目にして俺をビンタしたんだ。

 傷の痛みよりもさらに痛いことをしたかもしれない。

 

「だったらあそこまで酷い顔しないよ…」

 

 はぁー…。情けないな。血の次は涙が出てきやがったよ。泣きたくないのに無情にも止まらない。寿也やキャプテンが見てるのに…。

 

「大地君……」

「一ノ瀬…お前……」

「…寿也、キャプテン……俺って失格ですよね…」

 

 

 

  『俺ってキャッチャー失格ですよね』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ…っ!……ぅ……んっ……!」

 

 やってしまった──。

 

「はぁ…はぁ…ぅぐ…っー…!」

 

 悪くない、彼は悪くなんかない──。

 

「うっ……ぐすっ……ダメ……こんなところで泣いたら……」

 

 溢れ出す涙をゴシゴシ拭いても、上から尚も垂れてくる。道行く人にこんなクシャクシャな顔を見せたくはない。

 

「ダメだ……やっぱり止まらないよぉ……」

 

 私は宛もなく走り続けた。ただ大地君から離れるために。こんな事をした私を許してくれるわけがない。

 戻るのがとても怖かった。まるで振り向けばすぐ後ろに彼がいそうな気がしたから。

 

「はぁっ…はぁっ……ここは…?」

 

 気づくと、私は大きな河川敷の目に前に立っていた。真っ赤な夕焼けをバックにして、川と草がオレンジ色にカラーチェンジしたかのような景色が広がっている。

 

(綺麗、だなぁ…)

 

 その夕日はとても大きく、まるで100カラットのルビーを観賞しているかのような輝きを照らしていた。

 大抵の女の子なら美しい物や可愛い物を目の当たりすると思わずうっとりしてしまうのだが、今の私はちっともそんな気分にならない。

 鞄を下ろし、オレンジ色に変化させた芝生の上にそっと座ってみた。

 

「なにやってたんだろう…私」

 

 冷静になって考えてみれば、自分から泣いて心配を掛けさせ、挙げ句のはてにはその彼に暴力を振るってチームにも迷惑を与えた。

 こんな最悪女が来週先発を任されるなんてあり得ないことだよね…。

 

(……大地君………)

 

 君と吾郎君の父親の話をしていた時、何故かあのときの記憶が蘇ったのよ。 

 そう、忘れもしないあの時の思い出が──。

 

 

 

 

 

 

 

 あれは今から一年半前──。

 私や寿也君がまだ入部したての頃。夏の合宿で一人のピッチャーと出会った。出会ったきっかけは木から降りれなくなった子猫を助けたときの事。

 

「あの高さかぁ~…よーしっ!」

 

 ポケットからボールを取りだし、子猫が乗っていた枝にめがけてストレート──。

 『なんて事をするのよっ!』て怒ろうと思った。

 だけどそのボールは子猫に当たらず、的確に枝をへし折って、滑り込みで子猫をキャッチ。

 

「子猫を助けてくれてありがとう。名前は何て言うの?」

「俺?俺の名前は本田吾郎だよ。君は?」

「川瀬涼子。小学四年生よ」

「涼子ちゃんかー。可愛い名前だね」

「ふふっ。ありがとう、吾郎君♪」

 

 これが彼と私の出会いでした──。その後も一緒に卓球をやったり、南部リトルとの練習試合中にファールボールから私を助けてくれたりと、様々な場所で吾郎君と出会った。

 そして合宿最終日の朝、一緒に遊ぼうねと約束をして再開を誓った。

 

 

 

 

 それから数ヵ月が過ぎて秋になったある日のこと。吾郎君からバッティングセンターに行かない?と誘われた。

 もちろん断る理由は無かったけど、吾郎君の事をその当時はあまり知らなかったから、「いいよ」とは返事を返したけれど、寿也君にもついてきてもらった。

 初めはバッティングセンターで吾郎君と寿也君、皆で楽しく時間を過ごすことができた。

 ──けれどその帰りに寄ったファストフード店。私のあり得ないこと一言のせいで楽しかった雰囲気が一変してしまった。

 

 

 

 話が変わってしまうけど、私が野球を始めたキッカケは、ギブソンの試合を偶然テレビで見たことが始まりだった。人間ってあんなにも速くボールがなげれるんだなぁ。そんな気持ちと、自分もあんなふうに野球がやりたい!

 その一心でアメリカのリトルリーグのチームに入ることを決意。

 ギブソンのようなピッチャーになるため。私はフォームまでもを真似し、練習の日々を送った。

 その矢先で起きたデッドボール事件――。私の憧れでもあり、目標にしていた人物がデッドボールでバッターを死なせてしまった。

 この話はアメリカのスポーツニュースでも話題となり、まだ五歳だった私に大きなショックを与えた。

 

 

「だってあんなの、避けられない方が悪いじゃん──」

 

 

 これが正直な私の感想であった。死なせたのも悪いけど、結局は避けられたかもしれなかった。それなのにギブソンだけが悪いって……

 死んだ被害者になれば、例え自分に責任があっても帳消しにできるの?そんなのおかしいよ。

 ファストフード店でも、丁度ギブソンの話題になり、私はふざけたわけでもなく本音でそう吾郎君達の前で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちくしょ~この辺だと思うんだけどなぁ~」

 

 もうすぐ六時を回ろうとしている夕方、いやもう夕方じゃなくて夜に近いか。

 自分のエナメルバックとMサイズ標示の帽子を片手に、薄暗くなり始めた道をひたすら走り回った。ちなみにこの帽子は涼子の私物であり、走って逃げたときに出入り口で監督が拾ってくれたのだ。

 くっそぉーっ、やっぱこんな遠いところまで来るんじゃなかったぜ。まだ家に帰ってないって言うから探してるのに……。どこにいるんだよ……涼子…。

 

(はぁ………なんてこった。こんなところまで来ちゃったよ)

 

 涼子の家からいつの間に知らない河川敷まで来ちまった。ヤバイな、このままだと日が完全に沈む。

 

(もうここにいることを願うしかない…)

 

 終わりの見えない河川敷の道をひたすら走り、大きく名前を叫んで探す。

 

「涼子ーっ!!どこだーーっ!!」

 

 人気の無い河川敷に俺の声だけが響き渡る。やっぱダメか……ここにはいないのかよ。

 

(あーもぅっ!!結局カッコつけてもこのザマかよ!何が必ず見つけてきますだよ!俺のバカ野郎っ!!!)

 

 

 寿也から涼子の家の住所を教えてもらって一度訪問したのだが、『まだ涼子なら帰ってませんよ』と一言。俺のせいで彼女が帰れなくなったんじゃないかと責任を感じ、つい勢いで涼子のお母さんに見つけてきますと約束を結んでしまった。しかし結果はこの通りだ…。

 …仕方ない……一旦涼子の家へ戻って、帰ってきていることを願うか…。

 半分諦めモードでとぼとぼと歩きだしたその時だ――

 

 

 

(ん……あれは………)

 

 薄暗い中、体育座りをしながら顔を伏せている人がうっすらと見える。

 

(まさか……!)

 

 もう時間的にそう願うしかない。いや、絶対そうでなければ困るんだよ!

 その人の前まで全力で走り、3m前で急ブレーキをかけた。。

 そんな心配、どうやら必要なかったみたいだ──。

 

(いた…)

 

 華奢な体型に髪型は可愛らしい三つ編みヘアー。座ってる横にはウチのスポーツバックが置いてある。

 

(よかったぁ~…)

 

 俺は安堵の溜め息をついた。もしかしたら迷子になってんじゃないか……とか、誘拐され…ってそんなわけないよな。

 でも本心はマジで心配だった。もう二度と会えなくなるんじゃないかって不安になりながら探しまくったから。

 今度こそ、今度こそはちゃんと話を聞いてあげるんだ。もう自分勝手なお節介で逃げられるのは勘弁だよ。

 バレないようにつま先を立てて歩き、探してたときから肌身離さず持っていた帽子をポンッ、と強く被らせた。

 

「えっ………」

「よ、大丈夫か?」

「…うん……」

「そうか~。ずっと探してた甲斐があったよ」

「ずっと探してたって…もしかして私が出てったときから一人で?」

「うん。まぁ正確にはね、寿也や真島キャプテンから涼子の話をした後に探した、の方が正解かな」

「私の、話?」

「吾郎の父親のこと、涼子がギブソンに憧れてたこと、それ以外にも全部教えてくれたんだ、二人は。」

「…………そうなんだ」

「なぁ、どうして言わなかったんだ?確かに嫌な過去だったかもしれないけど、言ってくれなきゃ俺だって分からないよ」

「……それはね、大地君が吾郎君に被って見えたからなんだ」

「俺と吾郎が被って見えた……?」

 

 一体どういうことなんだ?吾郎のことを全然知らない俺は、頭の上にクエスチョンマークが浮かんだ。

 それとこれにどんな関係があるんだ?

 

「二人で帰ったあの時、私は大地君に吾郎君のお父さんの話をしたのを覚えてる?」

「ん?ああ、まぁ…」

「不思議だなぁって思うんだけど……その時の大地君が吾郎君のように思えて……それで私……つい…」

「涼子…」

 

 ああそうか。ようやく意味が分かったよ。

 彼女はまだ吾郎のお父さんの事を、今でも心に深く感じてたんだな。

 あそこで俺を吾郎の分身とフィーリングしたのは分からないけど、そこまで自分のした事を重く受け止め、責任を感じるなんて……。

 

「ぐすっ…でもね、私がそう見えたのは大地君が私を大切に思ってくれたからだと思うの。出会ってからまだ三日ぐらいしかたってないのに、どこまでも真っ直ぐに前を見続けて…どんな苦しいときでも私の事を考えてくれて……そんなカッコいい姿が吾郎君とそっくりなのかなぁって、思ったのよ。」

「俺がカッコいい?」

「…うん。輝く夕日みたいに綺麗で強くて、頼りがあって…」

「ちょっ?そこまで褒めなくてもいいって!俺自身でもそこまで自分を評価してるつもりはないんだし…」

「ふふっ、照れなくてもいいのに」

「うっ、うるさいっ!」

 

 ったくー!人が心配してやってんのに馬鹿にしやがってよ~!さっきまでの涙はどうしたんだよっ!?

 

「………本当にありがとう。デッドボールのことはもう片隅に押し止めておくね。そういえば口……大丈夫?」

「あー大丈夫大丈夫。軽く切っただけだから」

「そう。ごめんなさい……大地君に当たってしまって」

「だから良いってば!俺達バッテリーなんだから、時には殴りあって強くなるってもんだろ?」

「ぷぷっ…何よ、それ?セリフが伯父さんみたい~♪」

「お前っ!?また笑いやがったな~!」

 

 俺は決めたぞ!今度勝手にいなくなっても、俺は探しに行かないからな!!もー頭に来たよ!!

 

「ほら帰るぞ!親だって心配してたんだからよ!」

「うんっ!」

 

 暗い夜の道は一人で歩くと怖い道、でも大切な人と手を繋いで歩けば、どんなに暗くたって明るくイメージさせてくれる。

 ムービングファスト独特の豆が、肌から直接触って分かる。これもギブソンという理想像を目指して造りだし、膨大な量の努力で投げれるようになったんだ。

 今日の出来事を通して改めて思った。

 

 ──俺と涼子は野球が大好きなんだなぁ、と。

 ──デッドボールはピッチャーもバッターもどちらも悪くなんか無いんだ、と。

 

 きっと吾郎のお父さんも後悔はしていないだろう。

 ギブソンとの真剣勝負の中でこのような悲劇が起きたのだから。

 一番大事なのはその苦しい過去をどれだけ最高の未来にするかが重要なんだ──

 

 ちなみに余談だが、寿也が笑った理由は俺と猪狩の出会いを、寿也と吾郎が同じようなシチュエーションで巡りあい、それを思い出したて笑ったと微笑みながら教えてくれた。

 寿也や真島キャプテンにも感謝しとかないといけないな。

 あの二人がいなかったらこうして仲直りできなかったんだから。

 

 



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第四話 vs帝王リトル

 どこまでも透き通った青空。まさにスポーツ日和の陽気な天気だな。

 今日は日曜日──。待ちに待った帝王リトルとの練習試合の日だ。相手は昨年の神奈川大会の覇者。つまり、今シーズン最大のライバルにもなる強敵だ。

 ここ一週間、ひたすら監督の指導のもと横浜リトル流のハードな練習を積み重ねてきた。しかもあの日以来、涼子とはバッテリーとしての仲も深まってきている気がするし、今日は少しでも成長した所を発揮して活躍したいぜ。

 

「どう?横浜リトルのユニフォームは」

「ああ…デザインした人のセンス、いいな」

 

 オレンジとホワイトを基調とし、帽子にはYL(Yokohama Little)としっかり標示されていた。

 暁の時と比べて基本色がブルーからオレンジに変わったため自分に合うか心配だったけど…どうやらオレンジも満更悪くないね。

 

「あっ、来たんじゃないかな?」

 

 グラウンド後ろの駐車場、中型ぐらいのバスが一台停まった。

 いよいよ帝王リトルのおでましか──。バスの扉がプシューと開くと、中から選手達が次々と降りてくる。

 …さすが前年度王者。全国で猪狩と対戦した時よりも強豪チームとしての貫禄に磨きがかかってるな。特に猪狩と白熱した投手戦を繰り広げた帝王リトルのエース『山口 賢』は帽子奥底の眼がギランッと光ってるし、その姿は並の幽霊より怖いって……。

 

「樫本さん、今日は一つ勉強させて頂きますよ」

「いえいえ。こちらこそ今日一日よろしくお願いします」

 

 両陣営の監督が笑顔で挨拶を交わす。樫本監督のサングラスしてからの笑顔って似合わないな…はははっ。

 

「野手は15分間シードノック、一ノ瀬は川瀬の肩作りを手伝え」

 

 おっと、俺はシードノックしないのか。まぁ知ってたけどな。

 今日は寿也がファースト固定。ってことはこの試合での失点は俺の責任にもなる。あ~…そう考えるとかなりプレッシャーがのし掛かるなぁ。

 

「大地君、早くアップしようよ」

「ん、ああ、ごめん」

 

 試合前からグダグダ考えてても仕方ない。とにかく今日の俺の仕事はこのピッチャーを無失点でリードさせること、更に打席でもチームに貢献すること。これらを守れるようにせねば。

 まずは新チーム初試合を幸先よく勝利でスタートしてやるぜ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思ったより調子は良さそうだね」

 

 三塁ベンチ帝王リトル側──。準備体操を終えたナイン達が横浜リトルのシードノック風景を見ている。

 

 

「そうだな。ノックを見る限りはウチと対して実力は変わらないし、蛇島も結構キツいんじゃないか?」

「クックック…僕がこの程度でキツいわけないじゃないか。むしろ叩き潰してあげたいくらいだよ。君も山口君から先発を取られて悔しくはないのかい?」

「ふん、俺はいいさ。内野手としても一流のプレイヤーを目指したいからな」

 

 若干悔しそうな顔を見せながら金髪の少年は答えた。山口からエースナンバーを取られ、それをストレートに言われては強がるのも無理はない。

 

「なんだかんだ言ってもウチには君や山口君、それに秘密兵器だってスタンバイしているからね。まず負けるはずはない」

「秘密兵器…か。まだ実践経験は無いだろうけど、登板機会があれば一泡吹かせてやることはできるかもな」

「友沢、蛇島。ウチの番になったから早く準備しろよ」

「「はい」」

 

 一つ上の先輩に促され、二人は急いでグラブを用意して自分のポジションに入ろうとする。

 

(ん……アイツは…?)

 

 友沢がショートに就こうとしたとき、一塁側横浜リトルの先発ピッチャーが投球練習をしているのが目に入った。

 が、彼が注目したのはピッチャーの方ではない。

 

「オッケーオッケー!ナイピッチ!」

(あの捕手…どこかであった気がするな……)

 

 目線の先に写ってる姿は女投手のボールをキャッチする捕手だ。確か前に俺達と対戦したことがあった気がするけど……誰だっけな?

 

「おい友沢、早く守備に就けよ」

「……はい」

 

 …まぁいいさ。今は誰かを忘れていても試合になれば分かることだ。

 現時点で確認できたのは捕手だってことだけ。でも一人、心当たりが有るには有るけど………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ではこれより、横浜リトル対帝王リトルの練習試合を行います。相互に礼!」

『お願いしまーす!!!!』

 

 キャプテン同士が礼をする。それを見て俺達も一礼をした。

 ジャンケンの結果は帝王リトルが先行となりこちらは後攻。まずは涼子と一緒に帝王打線を無失点で切り抜けなきゃな。 

 まぁでも、涼子の調子は悪くなさそうだったし、案外良いところまで行けそうな感じもする。ストレートのノビは許容範囲だったし、カーブや自慢のムービングもキレていた。俺もここ一週間でムービングの捕球練習を積んだから、初めの頃よりはミスの量が大幅に激減している。

 あとは緊張しすぎなければいいだけだ──。

 

 

 

 横浜リトルのオーダーは、

1番ショート 伊達

2番セカンド 村井

3番キャッチャー 一ノ瀬

4番サード 真島

5番ファースト 佐藤

6番センター 関

7番レフト 松原

8番ライト菊池

9番ピッチャー 川瀬

 

 監督が先週発表した通りのオーダーだ。

 

 

 

 帝王リトルのオーダーは、

1番センター宮國

2番ファースト後藤

3番ショート 蛇島

4番セカンド 友沢

5番キャッチャー 米倉

6番レフト 猛田

7番ピッチャー 山口

8番サード中畑

9番ライト栗林

 

 注目はなんと言っても4番とエースの二人。

 友沢はセカンドながらも本職はピッチャーの二刀流選手。驚異的なミートセンスに好守好走の3拍子を揃え、投げては百二十キロに迫る高速ストレートに切れ味抜群のスライダーを投げてくる化け物だ。今日は先発じゃないってことは、途中リリーフの可能性が大きいかもしれないな。うわぁ~マジで勘弁してほしいぜ。只でさえ先発が山口だってのによ。

 

 

「よし、全員集まれ」

「集合!」

 

 真島キャプテンの集合に全員がはいっ!と返事をして監督の周りに集まった。

 

「いよいよ今シーズン最初の練習試合が始まる。まずはこの試合、必ず勝って夏の大会に弾みをつけろ。いいか!」

『はいっ!!』

 

 そうだ。全国で猪狩が待ってるっつうのに、こんなところで負けるわけにはいかない。相手が帝王でも自分達の野球をすれば必ず勝てるはずだ。

 

「んじゃ、円陣組むぞ」

 

 キャプテンを真ん中に囲み、ナインがガシッと強く腕組みをする。

 やっぱ良いな、試合前の円陣ってのは。気合が入るってもんだ。

 

「去年の敗北から俺達は強くなった。今日は新生横浜リトルの力、帝王リトルに見せ付けてやろーぜ!!」

「おうッ!」

「はいっ!!」

「ああ!!」

「よっしゃ、この試合絶対勝つぞっ!!ファイッ!!」

『オオッーーーーッ!!!!!!!』

 

 円陣を終え、各選手ポジションへと就く。

 審判からボールを貰ってマウンドへ駆け寄った。

 

「涼子、あんまり緊張するなよ」

「ふふっ、私は大丈夫よ。大地君こそパスボールしないでよね」

 

 ふーん…どうやら緊張はしてないようだな。今年初試合だからドキドキしてんじゃないかと思ってたけど、メンタルは強くてなによりだ。

 

「おう。じゃあストレート・カーブ・ムービング、それぞれ2球ずつ練習で」

「分かったわ」

 

 キャッチャーサークルに戻り、ミットを構える。投げ込まれたボールはストレート。

 帝王ベンチからは涼子の投球フォームを見て、『あれってメジャーリーガーの…』とか『ギブソンのモノマネかよ』などいろんな声が聞こえる。

 彼女がモノマネだけに覚えたフォームか、本場アメリカで努力して覚えたフォームかは、打席に立てば分かることだぜ。

 

「ボールバック!セカンド送球行くぞ!」

 

 サードとライトがボールを戻し、セカンドが準備できたのを確認して涼子にボールを投げさせた。素早い捕球から丁寧なスローイング。ボールは低い弾道を走ってピッタリセカンドベースに届いた。

 バッティングやリードだけじゃ捕手っていうポジションは務まらない。こうやってランナーが出た時のためにスローイング力も付けておかなきゃ刺せないしね。

 

「まずは初回!0点で終わらせようぜ!!!」

『オオッ!!!』

 

 投球練習が終わり、一番バッターの宮國が左打席に入った。背丈が小さめでバットをあんなに短くして持ってるってことは、足は結構速そうだな。恐らくゴロで内野安打を狙ってくる可能性が高い。

 

(ここは外角に高めにストレートを使おう。あんまり変化球見せすぎても二打席目が大変だし、生半可な打ち取り方じゃ内野安打にされそうだからな)

 

 元気よく頷いてプレートを踏んだ。ガバッと左足を強く蹴りあげて猫背になる。その反動を使ってサイドスロー気味にボールがリリースされ、パンッと綺麗な音を立ててミットに収められた。

 

「ストライッ!」

「オッケーナイボッ!」

「うんっ!」

 

 笑いながらボールを取った。余裕があって何よりだぜ。

 一球目からはさすがに振っては来ないか。粘って球種を探ろうとしても、俺はクリーンナップまでは変化球は使わないつもりだってのにね。

 

(次は内角にストレートだ。多少甘くてもいい。とにかく目一杯投げてこい)

 

 帝王リトルなら間違いなく甘いコースに投げては長打されるケースが高い。

 ──が、涼子の場合なら左打ちに内角は充分な驚異になる。

 テンポよく振りかぶり、ボールはやや真ん中よりの内角に向かって進む。 

 宮國は待ってましたと言わんばかりに強振するが、ゴキッと鈍い音と共に、ボテボテのサードゴロが真島キャプテンへと転がる。

 

(っ!……なに!?)

 

 真島キャプテンが冷静にゴロを処理し、一塁へ送球。寿也が両手でしっかり捕ってアウト。

 よっしゃ、まずは一番を簡単に抑えたぜ。

 

 

 

 

「何故ヒット出来なかった?」

 

 悔しそうにベンチへ戻る宮國を見て、蛇島が吐き捨てるように声をかけた。

 

「……球が…変な角度で食い込んで来やがったんだ」

「角度?ぷっ、それが凡打に終わった言い訳かい」

「あ?何だと?!」

「お前らなにやってんだ!!!試合中だぞ!!」

 

 一瞬即発の二人を帝王リトルのキャプテン、米倉が止めに入った。宮國はチッ、と舌打ちをして荒々しくベンチに座った。

 

「宮國」

「なっ、なんだよ友沢」

「お前が体感したその錯覚。アレは『クロスファイヤー』と言われる投球術だ。」

「く、クロスファイャーぁ?」

「ああ。見てれば分かるさ」

 

 

 

 

 続く2番の後藤が同じく左打席へ立つ。

 重心を低く構え、バットを横に寝かす独特のフォーム。どんなバッターかは知らないが、宮國同様にミート力はあると見ていいだろう。

 

(コイツも徹底的に内角攻めだ。一球目は低めに入れて詰まらせる)

 

 サインにコクリと頷く。

 先程と同じく内角一杯にストレート。ボールは構えていたミットへドンピシャリ。

 判定はギリギリストライクだ。

 

(ナイスコントロールだな。次は高めに散らそう)

 

 間髪いれずにすぐさまミットを構えた。ピッチング勝負は自分達のリズムで展開を進めていくのが重要だ。特に初回で相手の出鼻をくじけば、攻撃の際にも流れは回ってくる。

 涼子がサインに頷き、サイドスローで投げ込む。

 少しボール球に浮くが、思わず手が出てしまってファーストフライ。

 

「オーライっ!」

 

 寿也が大きく手を広げ、余裕をもって捕球。塁審がアウト宣告をして早くもツーダンとなった。

 今のところは理想通りの組み立て方だ。変化球はここまで一度も使用してないし、球数もまだ四球しか消費してない。

 やっぱ涼子のクロスファイヤーが効いてるみたいだな──。

 

 

 

 

 

 五日前──

 

「クロスファイヤー?」

「そうだ。やってみないか?練習は付き合うぜ」

 

 使おうと決めたキッカケはこれまた単純なものだ。

 毎月出版されてる野球週刊誌『パワスポ』を読んでいたとき、たんぽぽカイザーズ期待のルーキー、神童裕二郎選手の特集が掲載されていた。

 最初は興味本位に読んでいたが、その記事の中で神童選手はこう言っていた。

 『自分がプロのマウンドへ立てれるのは、今の投球フォームを身に付けたお陰です』

 続けてインタビューをしていた記者が、その投球フォームとは何なんですか?と質問を振ってきた。それに対する神童選手の答えが『クロスファイャー投法ですね』と笑いながらの返答。

 ──これが“クロスファイヤー”を知るキッカケとなった。

 パワスポに載っていた投げ方をくまなく読んで読んで読みまくり、一晩かけてクロスファイヤーの8割をほぼ理解した。

 利き腕とは逆の打者に特に有効であること、サイドスローはより角度がつきやすいこと。もしかすると涼子にとって最大の武器にもなるんじゃないか?そんな簡単な思いつきでクロスファイヤーの練習を勧めてみたが、涼子自身も賛成してくれた。

 まだまだ荒削りな点も目立つが、それでも試合前までに間に合わせることができたのだ。

 

 

 

 

 

 さて、話は戻ってツーアウト・ランナー無しから。

 向かえるバッターは3番の蛇島。

 

「クククッ…よろしくお願いしますね…」

 

 なんだ?コイツから感じられるドス黒い雰囲気は…。紳士な顔を演じながらも裏の顔は悪意の塊…何故かそんなイメージしか伝わってこないな。

 

(まぁいいや。取りあえずここからはクリーンナップだ。そろそろ変化球も混ぜながら投げるぞ)

 

 最初は外角低めにカーブのサイン。さすがにクロスファイヤーを多用し過ぎてもヤマ張りそうだし、蛇島は守備も凄いが打撃力もかなりあった。ここは冷静に変化球で様子を見るのが一番だろう。

 ベース手前でククッとボールが逃げる。打者の足元に並ぶ完璧な高さだが、判定は僅かにボール。

 

「あれ?もうクロスファイヤーは使わないのかい?」

(…えっ……?)

 

 蛇島の奴……まさかもう見破ったのか?

 いつかは読まれると思っていたけど、こんなに早くクロスファイヤーが分かるとは…帝王リトルの3番を打つだけのことはあるじゃん。

 

「ま、そんな遅い球じゃ僕には通用しないけどね」

「…なら野球が球速だげが全てじゃないってことを教えてやる」

「ふん。返り討ちにしてあげるよ」

 

 おー怖い怖い。作ったような微笑から、顔がいきなり険しくなったぞ。

 でもな、その台詞を涼子に言ったら間違いなくキレてるぞ。そしてあのとき同と様に強烈なビンタ貰うって…

 さて、そろそろリードに集中しないと。

 

(蛇島のお望み通り、インハイにクロスファイヤーだ)

 

 指でサインを伝え、涼子がキャッチする。

 半ギレ中の今ならこの球種で抑えられるはずだ。コースはリード通りのやや高めインハイ。

 

(バカで残念だよ…貰った!)

 

 何の躊躇もなく蛇島が来たボールに合わせる。それがストレートだったら間違いなく長打かホームランにしてただろう。

 ──残念だが、俺が指示したのはストレートじゃない、ムービングファストだ。

 スイートスポットでボールが若干不規則に落ち、グギィンッと金属バットの打撃音が耳に響いた。

 打球は弱々しくピッチャー前へと転がる。何のイレギュラー もないまま涼子のグラブに吸い込まれ、慎重に寿也へ送球。

 

「アウト! チェンジ!!」

(うっしゃっ!)

 

 心の中で小さくガッツポーズ。立ち上がり、100点に限りなく近い投球内容で締めれたぞ。

 次はバッティングで涼子に余裕をさらに持たせないとな…。

 

「ナイピッチ!調子よさそうだな」

「ふふっ、ありがとう。大地君が好リードしてくれるから私も投げてて気持ちいいよ」

「それは何よりだぜ。このまま完全試合ペースで行くぞ!」

「りょーかい!」

 

 どうだ蛇島、それに帝王リトルのナイン達よ。これが新生横浜リトルのバッテリーだぜ。体が男に勝ってなくても、一人の投手としてマウンドで立派に躍動してるぜ。

 さぁて、今度は山口を打ち崩す番だ!

 

 

 

 

(くそっ……何故クリーンヒットしなかった……タイミングは合っていたはずだぞ…)

 

 この僕が女ごときにコケ扱いされるなんて…。

 非力で体力もない女が調子に乗りやがって……。

 

(見てろよ……次こそは打ち潰してやるからな…)

 

 輝きのない眼に写るのは川瀬・一ノ瀬のバッテリー。拳を強く握りしめ、少年は審判に促されるまでずっと睨み付けていたのであった。

 

 

 

 

 

 一回の表が終了して0-0。

 上位打線を三者凡退で切り抜けたのは大きいな。この勢いを崩さずに点を取っていきたい所だが、相手もエース級のピッチャーを二人も持っている。そう一筋縄に打たせてくれるわけじゃない。

 

「頼むぜ伊達ーっ!」

「塁に出ろよー!」

「おう!任せとけって!!」

 

 意気揚々にバッターボックスへ乗り込んでバットを構える。

 伊達は上から叩きつけるように打って内野安打を狙うバッティングを得意とし、その成功率も7割強をマークしていたらしい。

 確かに妙技とも言える高等技術な技だし、相手側からすると厄介極まりない存在になる。

 ――しかしこれが山口に通用するかは分からない。コイツにも“妙技”とも例えられる魔球を持っているからな……。

 

(横浜リトル……悪いがこれ以上好きにはさせん)

 

 山口が深く振りかぶる。

 しなやかな腕振りとは対照的に、重みある球威で伊達の膝上付近をドスンッ!と通過した。

 

「ストライッ!」

「なっ……!?」

 

 予想外の速さに伊達が絶句する。

 速いだけじゃない、コントロールも抜群だ。相手の膝元ギリギリに百十キロ後半のストレートが的確に飛んできたら驚くのも無理はないな。

 たった一球のストレートを見て確実に分かったことは、去年より球の質が向上したことだろう。…これは先に点を取った方が勝てるかもしれない。

 帽子を整えて二球目──。ほぼ同じ球威のボールがアウトコース甘いゾーンに流れ込む。

 

(今度こそ!)

 

 ベストな打点にまで引き付け、外にめがけて迫るボールを迷いなく叩きつける。

 が、バットはボールよりも約5cm高い場所を通過し、伊達は豪快に空振りした。

 ──これが山口の伝家の宝刀“フォークボール”だ。本来のフォークはストレートとのタイミングをずらすために速さよりも落差を重視して投げるが、山口のフォークボールは他と一味ちがう。

 百キロ台の速さで打者のスイートスポット1m前からカクンと逃げながら落ちる、超高速フォークである。変化量は僅かに劣るも、それでも充分過ぎるほどに三振を狙える球だ。

 

(落としやがったな…。だったら俺も更に角度をつけて叩くまでだ!)

 

 グリップの一番上を握り締めて再び打席へ立つ。

 あくまでも自分のスタイルを貫くつもりか。雰囲気からして次で仕留めにくるはずだ。だったらフォークにヤマを張るのが一番だと思うが果たして…?

 山口がサインに頷いてワインドアップをつくる。ダイナミックなフォームから頭で見えにくい場所てリリースされる。球種は読み通りフォーク。 

 懸命に追い付こうとするも、今度は“大きく変化する“フォークで三振に倒れた。

 

(さっきよりも変化量が増した…?認めたくはないがつまり…)

 

 山口は凡打専用と三振専用のフォークを巧みに使い分けができるピッチャーってわけだ。

 普通のフォークさえリトルではあまり使われない変化球なのに、こんなに多用されてしかも二球種用意がしてあるとかなりめんとくさいぜ。

 

「悪い、どうしても当たらなかった」

「ううん。そのお陰でフォークの正体はつかめられた。俺が代わりに打ってきてやるよ」

 

 ヘルメットを被ってネクストサークルへスタンバイ。

 続くバッターは六年生の村井さんだ。俺からの願いはできる限り粘ってもらい、少しでもフォークのタイミングを計りたかったが、二球目の高速フォークを引っ掻けてピッチャーゴロで終わった。

 

( いくらなんでも早すぎっすよ!!これだけじゃタイミングがとれないってのに~!)

 

 愚痴ってても始まらない。間近で堪能すればまた違う見解ができるかもしれないし、最初は頑張って食らいつこう。

 

「お願いします」

 

 ヘルメットを外して深々と頭を下げる。さて…一泡吹かせてやるか!

 

(とは言ったものの、フォークを完璧な位置で捉えるのはまだ厳しい。初球は完全にストレート読みでヒットさせる)

 

 カウントされてない今しか大胆なヤマは張れない。ならキツくならないうちにこういう事を試した方が得策だ。

 涼しい顔を見せながら投じた初球はインハイ高めのストレート。

 張った通りのストレートだが、肩よりほんの少し低い厳しいコースだ。

 カアァァンッ!!と芯に響く音が鳴るも、打球は三塁線を大きく切れるライナー。

 力みすぎて振るのが早かったか。せっかくジャストミートしたのにもったいないことしちゃったな。

 

(伊達や村井さんに対しての配球によれば、次の二球目は高速フォークを投げていた。クリーンナップに対してキャッチャーがどんなリードしてるか分からないけど、中途半端に向かい打つならこれも張って打つ!)

 

 腹をくくり、高速フォークをが来るのを祈って構える。

 バッテリー間は長い間合いをとり、ようやくサインに頷いて投げ始める。

 ──球筋をよく見るんだ。

 ボールはストレートよりも回転数が少ない。つまりこれはフォークだ!しかも球速が高いってことは高速フォークの可能性大のはず。

 真ん中から低めへ落ちるボールをフルスイング。ガコンッ!と弱々しく打球がセンター方向へ飛んだ。カスい当たりが幸いして、センターはショートバウンドでの捕球を余儀なくされた。

 

「ナイスバッティングー!!」

「真島さんも続いてくれー!」

 

 ふぅ…なーんとかポテンヒットにはさせたぜ。もっと強く打てると思ってんたんだけど、ネクストで見てたよりも落ちてきやがったから正直驚いたな。

 

(さて…監督のサインは…)

 

 特にバントや盗塁はなくて自由に打て、か。真島キャプテンはチームの中で1、2を争うバッティングの持ち主だ。2-3になるまではキャプテンを信じてみるとするか。

  ワインドアップからセットアップに切り替えた一球目──。アウトコース低め一杯のエグいコースにフォークが落ちるが、あまりの落差にキャッチャーの米倉が後逸する。

 

「ストライッ!」

 

 今のでもストライクなのか。フォークじゃなきゃ普通のアウトコースだったから入ってないことはないが…。

 監督の指示は変わらず二、三球目は高速フォークが低めに外れて1-2。

 ランナーがいるのにフォークをこんなに多く使用するってことは、相当キャプテンの打撃力を警戒しての配慮だろう。

 

(ん……あれは………)

 

 監督が腕の仕草でサインを送る。

 送られてきたサインは、盗塁──。山口の慎重さに漬け込んで惑わすのか。よーし、足はそれほど遅くないから後はキャッチャーの肩次第だ。

 目をチラチラさせて警戒している素振りをする山口。キャプテンに集中してランナーをあまり気にしてないなら、俺を刺せるはずがないぜ。

 素早いクイック。もう牽制がないのを確認した瞬間、大きく右足を踏み出す。

 山口が投げたのは、落差の大きいフォーク。クイックからの難しいフォーム、このタイミングで俺が走ったという衝撃が重なり合ったのか、コントロールが乱れてまたもやバックネットへ逸らした。

 

(このチャンスを待ってたんだよ!)

 

 二塁ベースを蹴り、米倉がまだ捕球している最中なのを判断して三塁ベースへ滑り込んだ。

 

「セーフ!!」

 

 俺はたまらず塁上でガッツポーズをした。ここまで計算しつくしてこんなサインを出すなんて…やっぱ監督は凄い人だよ。

 カウントは1-3。ここまで来ればワイルドピッチや後逸を恐れて容易に難しいフォークは投げないはず。

 その予想通り、5球目はインハイに切れ込むストレート。山口にしては全然甘いコースだ。

 キャプテンは瞬時にオープンスタンスへチェンジして、冷静にレフト方向へ引っ張った。

 ショート友沢が果敢に飛び付くが、ボール3個分の長さが足りずにヒット。その間に余裕で俺が生還し、ついにこの試合初めての得点が入った。

 

「やったわね!!まずは初回先制よ!」

「ああ、これは大きいぜ」

 

 ハイタッチで涼子が出迎え、監督が小声で「ナイスランだ」と褒めてくれた。はははっ、なんか照れるな~。

 

 

 

 

 

 

「審判、タイムをお願いします」

「タイム!!」

 

 見かけた米倉が主審にタイムをお願いし、山口の元へとかけよった。

 

「山口、その……すまない。俺のリードとキャッチングが下手くそなせいで……」

「いや、悪いのは俺だ。ランナーがいたのに無警戒のままフォークを投げたり、盗塁されただけでリズムを崩されたりした俺の責任だ」

「山口…」

「とにかく次のバッターも強打者だから警戒していこう」

「そうだな。リードも改めてみるぜ」

 

 話を終えて定位置に戻る二人。どうやら作戦の算段をつけたっぽいな。

 ここからどうリードを変えてくるかも注目だ。

 

(大地君や真島さんも頑張ってるんだ。僕だって続いてやる!)

 

 素振りをしながらやる気満々に打席へ入る。顔も引き締まってるし、きっちり打ってくれそうだぜ。

 ロジンバックを叩きつけ、寿也に対して初球が投げられた。

 真ん中よりやや高めのコースから、低めへと逃げるフォーク――。

 キャッチャーが捕球したのを見て、審判は右手を上げた。

 

「ストライク!」

 

 初球からフォークを使い始めたか。今までの打者に対してはストレートで初球を勝負してたが、やっぱ散らしてくるか……。

 ゲージを出て大きく深呼吸を吐き、再び戻った。

 フォークを見逃した時の寿也の顔、驚嘆に道溢れた顔してたからな。一度初心へ戻るために呼吸を整えたんだろう。

 早いテンポからの二球目は決め球のフォーク。外側に鋭く落ちるが、逆らわずに右へ流し打った。

 こちらも鋭く打球が飛んでいくものの、一塁線へ切れてファール。

 

(おっしい!あと少し右だったらフェアなのに)

 

 あぁ~っと一塁ベンチから多くの溜め息が溢れ出る。それほどいいバッティングを寿也は魅せてくれた。

 

(俺のウイニングショットを流し打ちしただと……ふっ、さすが横浜リトルだ。そうこなくっちゃ面白くない)

 

 長打を想像させる打撃を魅せてくれるも、ボール球の高速フォークを振らされて三球三振。

 健闘虚しく、この勝負の軍配は山口に上がった。

 

「ごめん…結局全然打てなくて…」

「何言ってんだよ。あんなまともにフォークを打てたのは寿也だけだろ?だから自信持てって」

「……そうだね。次は守備だから大地君と涼子ちゃんも頼むよ!」

「任せて!このまま無失点で終わらせるわね!」

 

 ドーンと胸を叩きながら涼子が答えた。

 おおっ、今涼子が頼もしく見えたぞ。もしかすると完全試合とか……って一瞬思っちゃったけどこの回最初のバッターがこの人とは……

 

「友沢~!一発打てば同点だぞー!」

「繋いでくれよー!」

 

 よりにもよってコイツですかい。俺、友沢とあんまりいい思い出がないんだよねー。

 だって去年対戦したときはどのコースをリードしても、全部打ち返してきやがったからなぁ……唯一のトラウマだぜ。

 

(でもあの時は猪狩で今は涼子なんだ。また猪狩とは違うって所を見せてやるぜ、友沢)

 

  マスクを被って俺の用意が完了したのをチェックして友沢が左打席に立つ。

 ケースの後ろへ移動すると、顔を俺の方へ向けてぼやいた。

 

 

「お前…暁リトルにいた一ノ瀬大地か?」

「…………えっ?」

「ふっ、やっぱりそうだったか。ここでお前と出会うとはな、まさかクビにされたのか?」

「……どうだかね」

 

 友沢の冗談を素っ気なく返した。

 今はお前を打ち取ることしか考えてないからな。悪いがギャグをかますのは試合後にしてもらうか。

 

(さて、と。コイツ相手に小細工は通用しない。初球からムービングで責めてくぞ)

 

 中途半端なカーブやストレートより、安定して凡打を狙えるムービングの方が効果的だし、友沢自身もムービングを間近で体験したことは無いはずだ。

 ミットをやや顔面近く(ブラッシュボール気味)に構える。涼子がサインに少し戸惑うが、俺は変えない。

 

(大丈夫だ、俺を信じろ!)

 

 視線で言葉を送り、涼子が頷く。

 ボールは構えたところ通りに制球されてきた。友沢は素早く仰け反らしてブラッシュボールを避けたが、これが俺の狙いだ。

 

(ボールだったがこれでいい。次の二球目と三球目も同じコースをストレートに)

(ええっ!?またそこへ……?)

 

 今度は誰が見ても分かるくらい涼子が困惑の表情をした。やっぱ躊躇するよな……こんな配球を指示したら。

 でも変えるつもりはないぜ。だって俺は友沢を三振で抑えたいっていう強い気持ちがあるからな。そのための戦略をオレ流に遂行させようとするだけのことだ。

 

「気にするな!顔面にぶつけるつもりで投げてこい!!」

 

 ぶつける──。

 その言葉に涼子がビクンと過剰反応を起こした。ああ、なるほどな。もしかしてギブソンのデッドボールがフラッシュバックしてるんじゃ?

 くそっ、あの時のトラウマをまだ引きずってるのか。

 

「すいません、タイムを」

「タイム!!」

 

 この情緒不安定のまま投げさせたら本当にお陀仏しかねないな。いや真面目な話。

 仕方ない、ここは女房の俺が一肌脱いでやるか。周りからの視線を感じながら、マウンドへ走った。

 

「…涼子」

「あのサインはなにか意味があるの?」

「意味?」

「だってそうでしょ?敬遠させるつもりならアウトコースに外せばいいのに何で……頭を狙って投げなきゃならないのよ…」

「敬遠ねぇ…。ふっ、俺は最初からそんなつもり無いよ」

「えっ、じゃあなんでなのよ!?」

「理由は簡単。俺はあの怪物バッターを正々堂々と三振で打ち取りたいからだ」

「打ち……とる?あんなリードで?はははっ、笑わせないでよ」

「笑いたきゃ勝手に笑え。だけどな、過去の事に逃げて腰抜けなリードするくらいなら、キャッチャー交代を監督に申し出るぞ。そんだけお前が腰抜けピッチャーだってこともな」

「……腰抜けですって?」

「ああそうだ。それが嫌ならミットを信じて投げてみろ。俺は何度も言うが、最終的に涼子が三振で勝ってくれることが何よりの願いだからな」

「……願い………」

「君達、そろそろいいかね?」

「すいません。今戻ります」

 

 ボールを涼子のピッチャーミットに直接挟ませ、定位置へ小走りに戻った。

 果たしてこの気持ちが何処まで伝わったかは知らないが、投げなかったら所詮その程度の決意だったってことさ。

 

(さぁ来い!責任は俺が取ってやるよ!!)

 

 十数秒の間合いをとり、ゆっくりと顔を上げた。さっきと違うところは、迷いだらけの目が勇気ある目へと変化したことだ。

 いい顔つきになったじゃん。やっぱ涼子、お前はスゲーよ。お前のために、全身全霊をかけて捕球してやる。

 そして数秒後──。力強く振った右腕から魂のこもったストレートが黒いヘルメットへと伸びていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 試合終了のコール、『ゲームセット』を審判が口にしたのは午後十五時ぴったりに針が揃った瞬間だった。

 練習試合とはいえ、互いに尽力しあったよいゲームが出来たんじゃないかと俺は感じた。

 スコアボードの数字を消そうとしたとき、俺はもう一度結果を見てみた。

 

 

 TL 0 0 0 0 1 2  3

 

 YL 1 0 0 2 0 0  3

 

 

 四回に俺が二塁打で出塁すると、真島キャプテンがセンター返しで続く。そして寿也が左中間を抜く適時二塁打を放って二点を追加。

 涼子は四回まで無安打・無四死球・4三振の好投をするも、慣れない先発や体力切れもあって、友沢のソロホームランや猛田のタイムリーヒットなどで追い付かれた。途中からバッテリーを交代してピンチを切り抜けるも、残念ながら引き分けという不本意な結末で幕を閉じた。

 

「…一ノ瀬」

 

 試合用具を片付けしていた後ろから、クールな声で名前を呼ばれた。察しながらも振り向くと、想像通りの人物がそこに立っていた。

 

「勝者が敗者に言う言葉はないって言われてるけど…この場合はいいぜ、用件は?」

「二回に俺の頭部へ当てたストレート。その事だけを褒めに来てやったんだ」

「そうかい。そりゃどうもな」

 

 頭部へ当たったときは大騒ぎになったが友沢曰く、『俺はアウトコースに来るとはっていたらまさかの連続ブラッシュだった。しかも外へバットが出てたから結果はデッドボールじゃない、スイングだ』と。

 三球目も同じコースへストレートが送り込まれるも、胸元ギリギリの高さに決まったストライクゾーン。

 勝負を決めにいった四球目──。アウトコース低めに制球された渾身のストレートを空振りし、三振させた。

 

「あの彼女、お前の事を信頼してたな。まさかマウンドで変なことでも吹き込んだのか?」

「ぶっ、そんなことするかよ。ただチキンになるなよって一言声かけただけだ。全部涼子の実力で奪った三振だよ」

「………でも本音はこだわってたんだろ?猪狩が唯一俺だけを三振できなかったからな。今度こそリベンジを果たすために、あそこまで大胆なリードをしたんだろ?」

「あー…半分合ってるかな?それともう一つはデッドボール恐怖症の治療目的も兼ねてしてみた」

「ははっ、試合後になると芸人以上にボケをかますんだな。ま、今回はそういうことにしておくよ」

 

 これはボケじゃなくて本意で喋ったんだけどな。まぁ意味を教えたらまた面倒な方へ捻れるからいいや。

 

「夏はこう簡単にいかないぜ。俺ら帝王にはまだ秘密兵器が残ってるからな、覚悟しとけよ」

「秘密兵器?」

「横浜リトルがコケなかったら登板できるかもな。じゃあそろそろ戻るな、監督が呼んでるし」

「ああ、またな」

 

 地面に置いてあったエナメルバックを肩にかけ、スタスタとその場を後にした。

 それにしても秘密兵器ってなんだよ。可笑しな響きなんだけど凄い気になるぜ。

 

(夏、か。俺達も負けてらんないな)

 

 猪狩の待つ全国大会へ。強豪犇めく神奈川地区だが、必ず横浜リトルが優勝をもぎ取ってみせる!

 優勝という決意をさらに頑固としてくれた、今日の俺が得たものはそれが一番だっただろう──。

 

 

 

 

 

 



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第五話 夏・開幕前

 帝王リトルとの練習試合から約二ヶ月──。

 暖かった春空が一転し、気付けば緑の葉が生い茂り始めた初夏へ季節が変わっていた。

 今日は六月十八日の土曜。夏の全国リトル予選を目前に控え、本来なら練習しなければならない時期だったのだが、何故か俺は私服姿の格好で電車の中をゆらゆら揺れていた。

 

「はぁ…俺も練習したかったなぁー」

 

 窓越しに映る景色を観ながらふと愚痴を溢す。どうしてこんな羽目になったかというと、それは二日前まで遡る…

 

 

 

 二日前──

 

「偵察……ですか?」

「ああ。是非お前たちにやってもらいたいんだ。あとこれも」

 

 渡されたのは一週間後に迫った神奈川予選のドロー表。ジーっと目を通してみると、ウチはAブロックの3番にエントリーされていた。

 

「でも、どうして僕たちなんですか?」

「理由は簡単だ。初戦は佐藤、その次は一ノ瀬にキャッチャーをさせるって監督から指示を受けた。そこで二戦のデータをお前らに託すことに俺が決めた」

 

 キャッチャーがデータ収集するのは全然珍しいことではない。だけど年下の選手にこんな責任重大な任務を与えていいのだろうか……?

 

「一回戦の相模リトルを佐藤に、二回戦のおてんばピンギースを一ノ瀬に任せたぜ」

「おてんばピンキーズって……確か昨年の…」

「帝王リトルと互角にやり合った強豪だ。勝って三船や帝王にリベンジするためにもしっかり頼むぞ」

 

 肩をポンっと叩かれ、不本意ながらも偵察行きを了承せざるをえなかった。

 ま、相手チームの研究もキャッチャーの役目だし重要なんだけど…俺は少しでも自分を磨きたかったぜ。

 

「いいじゃん。学校の勉強はできるんだから、相手を研究することもいい勉強になるよ」

「はいはい。行ってくるよ」

 

 

 

 とまぁ、こういう経緯に至ったわけだ。

 今の話を見ると偵察を嫌がってそうに聞こえるけど、別に偵察を嫌ってるわけじゃない。ただ……

 

(練習がしたかった……っていうか本当に俺一人かよっ!!)

 

 地図と往復分の電車賃だけを渡し、監督とキャプテンは『頼んだぞ』の一言。せめて付き添いに誰か来たっていいと思うんだが気のせいか?

 これでも小学五年生なんだから、誰かイカツイ人とかに絡まれたらヤバいとか考えないのか?もしかして男は大丈夫って安直な考えで俺を指名したんじゃ…。

 

(まぁ仕方ない。とっとと練習を見て帰るか)

 

 目的地の駅に着くまで、心の中でブツブツ愚痴りながら待っていたのであった。

 

 

 

 

 

 横浜リトルグラウンド──

 

「真島、本当によかったのか?」

 

 とある休憩時間。

 真島がスポーツドリンクを片手にベンチへ腰掛けてた時、横からフリーバッティングを終えてきた伊達が隣に座った。

 

「あ、何が?」

「何がじゃねーよ。佐藤と一ノ瀬にあんな役を任せて大丈夫か?」

「アイツらなら大丈夫だ。勉強も野球もバカな奴等じゃないからな」

「それならいいんだけどさ、どうして監督も偵察行くのを許したんだろうな。今までじゃそんなセコイ真似しなかったのに…」

「多分、去年の敗戦が原因だと思うぜ」

「敗戦……三船リトルか…」

「そうだ。これは俺の憶測に過ぎないんだが、ウチには決定的な弱点があったから負けたと思うんだ」

「決定的な弱点……?」

 

 顎に手を付けて伊達が悩む。

 ウチの弱点って……コールド勝ちできる打撃力は持ってるし、守備や走塁だって全国水準と比べても充分高いし、投手の層だって厚い。

 うーん…頭の中でグルグル考え込むが、答えが見当たらない。

 そんな様子を見ていた真島は「はぁー」と一つ溜め息をしながらこう続けた。

 

「データ力の無さだ」

「は?データ力が無いって…どういうことだよ?!」

「そうだな、簡単に言えば自分たちの実力のみで戦ってたんだ。それでも俺達一人一人は強かったし、全国大会でも好成績を収めていた。でもこれは全部マグレだったかもしれないって最近感じるんだ」

「!!お前……!」

「対策をしてこなかった、つまり相手を想定して練習をしてこなかった」

 

 チーム戦力があっても無名チームに負けたのはそこだ。自分たちの力を過信し過ぎたチームと、必死にその差を埋めようと愚直に努力を重ねたチーム。例えカッコ悪くてもチームの勝利のために勝てる要素を集めようとした『勝ちへの貪欲さ』。

 何気ないただの精神論に思われるが、野球は技体だけでなく“心”も問われるスポーツだ。どんな実力差があったとしても、その執着心が才能を凌駕する可能性を秘めている。

 アイツらは“心”で技術差を埋めたのだ──。

 

「だけど俺達だってあの悔しさから変わったんだ。実力だけでなく心も鍛えることの大切さを、三船から学んだ。そしてきっと……」

「勝って全国制覇をするんだよな」

「…そうだ」

 

 俺達が飽きに引退するまでに悲願の全国制覇を。

 このベストメンバーで監督を胴上げするためにも必ず……

 

「絶対勝つぞ」

「おうよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確かこの辺だったはず…」

 

 地図を片手に梅雨特有のじめじめした空気の中をひたすら歩いていた。

 周りは住宅やコンビニしかない場所だが、少しずつ目的地に近づいてきている。

 おてんばピンキーズ──。帝王リトル相手に0-2までもつれ込ませた実力。じっくり観察させてもらうぜ。

 

『もっと早く走りなさいっ!!』

 

 っおっと!?今何処からかデカイ声が聞こえたぞ。しかも女の子の声だったし!?

 

「……まさか、な」

 

 女の子が野球やってるなんてそんな馬鹿な話……って涼子がやってるんだから何を今さら考えてんだ。こんなことを涼子の前で口を滑らせたら失礼だよな。

 

「えーっと……お、ここか!」

 

 第二総合グラウンド──。

 そこは県内でも随一の広さを誇るグラウンドで、周りにはサッカースタジアムや陸上競技場などもある施設となっている。

 

「おっ、やってるやってる」

 

 その入り口から歩いて直ぐの場所、とある野球チームの声が聞こえる。おそらくは『おてんばピンキーズ』の奴等だろう。

 

 

「ほらほら、あと4本のこってるわよ!!」

「ひぃ~っ!、助けてくれでヤンスーっ!!!」

 

 さっきから外野の方で女の子の甲高い声と悲鳴が入り交じって聞こえるなぁって思ってたけど、まさかこういう訳だったとはな…。

 

「あの水色髪の女の子…いくらなんでもやりすぎだろ…」

 

 少し小さめのバットを片手に、牛乳瓶の蓋のようなメガネをかけた男を短距離ダッシュさせてるよ。…しかも何本も。

 

「ぜぇ、ぜぇ、く…ううっ……もう嫌でヤンス…」

「全く、全然だらしないんだから」

「みずき、さすがにやりすぎだぞ。いくら相手が矢部だからってそこまでは…」

「甘いわね聖。これくらいできなきゃ帝王や横浜リトルになんか勝てないわよ」

(30mダッシュを休みなしで20本、しかもそれを5セットはやり過ぎな気がするのだが)

 

 今度は紫色の髪をした少女が止めに入りにいったな。うっすらと聞こえたけれど、『みずき』と『聖』、あちらの死体化してるのが『矢部』君か。

 

「なんかなぁ、随分と個性的なチームだな…」

 

 正直強いのか弱いのか分からんな。ふざけてやってるわけではなさそうだけど、帝王と互角にやりあった感じはしない。まさか調べるチームを間違えたのか?

 

 

「あらあら、また矢部君をしごいてたんだ」

「あ、あおいちゃんじゃないでヤンスか……頼むから助けてくれでヤンスよ…」

「頑張ってね矢部君♪」

「ちょっ!…激励だけでヤンスか!?せめて復活のキs」

「いいからさっさと走りなさいっ!!!」

「ひぃぃぃっ!!?冗談でヤンスからそんなに怒らないでくれでヤンスー!」

「もう…ボクにそんな無駄口を言う暇があるなら少しは横浜リトルのファイトプランでも考えてくれれば良いのに…ね?、雅ちゃん」

「う、うん。そうだね……」

 

 

 

 あおいちゃんに雅ちゃんかぁ~。

 って、女の子多いな!しかも髪の毛の色がカラフルだし、皆結構可愛いじゃん。でもな…

 

「本当に強豪チームなんだよな?」

 

 雰囲気はピリピリと言うよりは穏やかな感じだし、友沢のような強いオーラを放つ奴だっていない。失礼な言い方になるかもしれないが、これは格下相手になるな。

 

「ふぅ、作戦終了だな。一応ポジションだけ確認して帰るか」

 

 とにかく早く帰って練習がしたいんだよ。そんな思いでスポーツバックからメモ帳とペンを取り出して最終確認をしようとしたその時だった――

 

 

「君、もしかして入部希望者?」

 

 後ろから不意に飛んできた声。一瞬背筋がピクッと硬直し、恐る恐る後ろを振り向いた。

 すると、そこに立っていたのは癖っ毛が特徴の野球部員であった。付けている背番号が『10』だったから、おそらくこのチームのキャプテンらしいな。

 

「驚かせて悪いな。さっきから君がジーっと見学してたのを後ろでずっと見てたから、入部したいのかと思ってな」

「えっ、あ、いや…俺は……」

 

 ヤバイ。コイツ何か勘違いしてやがる。真の目的はおてんばピンキーズの偵察だってのに、ずっと観察してたら入部希望者と思われてるな…。仕方ない、ここは正体がバレないように丁重に断ろう。

 

「いや、悪いな。今日は入部は遠慮しておくよ」

「待て、せめて見学くらいでも来てみろよ。俺達とて野球好きなら誰でも大歓迎だからよ」

 

 あ、これはマズイやつだ。いくら断っても入れさせようと頑張るタイプの人だな。

 そしてこの予想は当たり、俺の手を引きながらおてんばピンキーズが練習しているグラウンドに強制的に移動(この人の中では入部させる気満々)されてしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自慢じゃないけれど、パワスポの雑誌等で一躍有名にもなっていたから一発で正体が別っちゃうかもな、と覚悟を決めて皆のもとへ歩いたが、案外俺のことを知らない人が多くて助かった。

 

「この人はさっきから遠くで見学してた人なんだけど、結構野球に興味も持ってるし、一応ここで見学だけでもさせたいんだけど皆いいか?」

「まぁ練習の邪魔にならなきゃいいんじゃない?」

「私は全然構わないよ」

「ボクも。寧ろ入部してほしいくらいだよ」

「それは俺も同じだ。…あ、そういえば自己紹介がまだだったな。俺の名前は『薬師寺祐介』だ。五年生だけど一応キャプテンをしている。お前は?」

 

 頼むぞ…顔はパス出来たから名前もバレないでくれよ!

 

「……五年生の一ノ瀬大地。よろしくお願いします…」

「ん、ありがとう。じゃあ皆、練習を再開してくれ!」

 

 あれ?、思ったよりも知名度は低かったな。横浜リトルや帝王リトルは顔だけで分かったのになぁ。なんか少し残念。

 

(ま、バレなかったし結果オーライだ。こんな特等席で見させてくれるわけだから、最後まで見ておくか)

 

 結局、おてんばピンキーズが練習を終えた午後の4時まで、持ってきたおにぎりをかじりながら見学していたのであった。

 途中で俺を体験させようと薬師寺やみずきちゃん逹が何度も誘ってきたが、練習してて目的がバレたら困ると思ったので、最後まで見学という形になってしまった。正直かなり退屈ではあったがな…。

 

「皆お疲れ様。明日は練習OFFにするから、疲れをとって下さいね」

 

 もう一つ気になったことがあり、実は監督が若い女の人ってところだ。

 名前は『神下奈美恵』さんと言うらしい。歳は今年で21歳とかなり若く、既に既婚者であると教えてもらった。

 神下って名字は何処かで聞いたことがあったのだが、今は思い出すことはできなかった。

 

「貴方はどうしますか?次の練習は月曜日の午後四時半からですが…」

 

 神下さんは俺の身長に合わせて優しく話しかけてきた。間近で見ると凄い美人だな…なんだか少し緊張してきたよ。

 いつもより少しだけ速い鼓動を冷静に抑えながら、無難にこう返した。

 

「もう少し考えてから決めようと思います」

「そうですか。また気が変わったら部員一同、勿論私も大歓迎ですのでいつでも来てくださいね」

「…はい。今日はありがとうございました」

 

 頭を下げて挨拶を交わし、入り口まで見送ったのを見計らって神下さんは駐車場に停めてあった車へ乗って帰って行った。

 

(さてと……俺もそろそろ帰らないと電車が遅くなるぞ…)

 

 今晩中に今日のメモしたことをまとめて皆に教えないとな。自分でも怖いくらいに収拾できたから、皆もきっと驚くはず……

 

 

 

 

「ちょっといいか?」

 

 うおっ!?今度は横からかい!相変わらず心臓に悪いからいきなり声をかけるのは……ん?、この子……

 

「すまない、驚かせてしまったな」

「いや、別に大丈夫だよ。えっと確か…六道聖ちゃんだっけ…?」

 

 確か矢部君とみずきちゃんが揉めてたときにいた子だな。ワンレッドの綺麗な目に後ろを赤い布上のもので縛ったその姿は、まるで大和撫子を強調させるかのような姿だった。初めて見たときは着物とか似合うんじゃないか?と思わせるほどだ。

 ポジションは俺と同じ捕手で、計算されたリード術に巧打なバッティングが持ち味の選手であるが、足が遅いのが欠点でもある。

 

「ああ。帰るところ申し訳ないが、一つ聞きたいことがあってな」

「聞きたいこと?」

 

 彼女は持っていた荷物を足元に置き、一つ呼吸を間を開けてこう言った。

 

 

 

 

「“暁リトル”の一ノ瀬大地……であってるか?」

「──!!」

「…なるほど、どうやら図星だったようだな」

 

 こ、コイツ……俺の事をもしかして…。

 

「初めから知ってたのか?」

「暁リトルで4番キャッチャーを努め、猪狩守と共に黄金バッテリーを結成。無名の弱小リトルを全国No.1へと導いた立役者でもあり、中等野球界から一目置かれる存在になった。これでどうだ?」

「…充分過ぎる程の答えだね。まさかここまで知ってたなんて驚いたよ」

 

 だけどマズイことになったな。もしも聖ちゃんが俺の正体を監督やチームに喋ったりしたら面倒なことになりかねない。

 幸い、俺が横浜リトルに転向したことはまだ知ってなさそうではあるが、あれだけ頭良さそうな人だとバレるのも時間の問題だ。

 

「そんなに難しそうな顔をするな。皆には黙っておいてやろう」

「え?、本当に!?」

「ただし一つ私の頼み事を聞いてくれたらの話だ」

 

 頼みにもよるが、法に触れる頼みだけは勘弁願うぞ。小学五年で警察に連れていかれるのだけは勘弁だし。

 

「変な頼みじゃなければいいよ」

「そ、そうか。実は……その…えっとな………」

 

 喋ろうとはするも、モジモジとせわしない素振りを見せるだけで話そうとしない。

 そんなに喋りにくい頼みなのか?まさか俺達にはまだ早いこととかだったらダメだと思うが…。

 

「悪いことじゃなきゃなんでもするよ。ほら、言ってみて!」

 

 聖ちゃんの肩に手をポンと置いて優しく促す。彼女は顔を赤くして口を開いた。

 

 

「…私に…キャッチャーのコーチをしてほしいんだ……」

「ん?…コーチぃ?」

 

 予想外の頼みに俺は頓狂な声をあげて驚いた。あんなに落ち着かない様子だったから、もっとおかしな内容かと思ったぜ。

 

「でも何で俺に?わざわざ俺じゃなくても他の大人とかに尋ねたほうが分かりやすいと思うけど…」

「いや、どうしても大地じゃなきゃダメなんだ。だからなんとかお願いできないか…?」

 

 今さらっと俺の名前を呼んでたけど、下の名前で俺を呼んだのは涼子に続いて二人目だ。

 まぁそんなことはどうでといいが、本人は真剣にコーチを頼んでるな。俺がちゃんと教えられるか不安だけど、今は素直に受け入れて素性が発覚しない方が先決か。ん、その方がいい。

 

「いいよ。それで黙っててくれるなら」

「本当か!?やった……!」

 

 おおっ、凄い喜んでるな。嬉しそうで何よりだ。

 教えるのも立派な練習だし、聖ちゃんがあんなに泣きついて懇願してきては断れないよ。

 ──きっと好きなんだろうな、野球が。

 

「じゃあ日にちとかはどうしようか?俺は明日練習があるから無理なんだけど」

「そうだな……26日の日曜はどうだ?その日はAブロックのチームは試合を行われないんだ」

「26、な。分かった、約束だ。場所は分かりやすく試合会場に9時半でいいよね?」

「構わないぞ。じゃあそれで頼む」

 

 偶然その日は横浜リトルも珍しいOFF日であったから、出掛けるタイミングには都合が良かった。

 

「ではそういうことで黙っといてね」

「了解した。26日にまた会おう」

 

 荷物を再び持ち、軽くさようならをして彼女は歩いて帰った。「心配だから家まで送ろうか?」と言ったが、すぐ近くのコンビニに親が待ってるらしく、そこで軽食を買ってから帰るそうだ。

 

「……やばっ!?今何時だ?!!」

 

 夢中になってずっと話してたら電車の時間を忘れていた。次の出発が4時32分で、今の時間と比較してみると、

 

 

   4時21分

 

 

 

「えぇっーーーっ!!!!?あと十分位しかないじゃん!!!」

 

 結局慣れない2km程の道のりを全力で走るはめとなったが、滑り込みでなんとかセーフ。全然練習してないのに、なんだかどっと疲れた一日になってしまった。

 

(ふぅ~…いよいよ始まるんだよな……)

 

 帰りの電車でまたふと思った。来週の今頃には初戦の相模リトルとの勝負がとっくに終わっている日だ。

 その翌週には聖ちゃん達のおてんばピンキーズ、そのまま勝ち上がれば決勝トーナメントで帝王リトルや三船リトルと争う。

 どのチームも強敵揃いだ。しかし俺達だって負けるつもりはない。

 

  『優勝して全国の舞台で猪狩に勝つ』

 

 

    それが俺の最終目的だからな!

 

 

 

 

     開幕まであと7日──

 

 

 

 

 

 

 




更新が遅れてしまい、すいませんでした。
今後も不定期投稿になりがちですが、長い目で見守っていただけると幸いです。

次回は久しぶりの試合回です。


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第六話 夏・開幕 vs おてんばピンキーズ(前編)

「んー…やはりこんなものか」

 

 ビルが所々そびえる一角に、大好評で有名な野球週刊誌『THE 週刊パワスポ!』の編集ビルが立っている。。

 その中に、未来のスーパースターを見つけて発掘することを仕事にしている『スカウト部』たるものが存在しており、部長を務める『影山修造』はここ最近、ある問題に大きく悩まされている。

 

(今年は高校も大学も社会人もめぼしい選手が見つからないな……)

 

 壊滅的なスター選手不足──。

 昨年、『神童裕二郎』という怪物が甲子園を大きく世間を賑わせ、その影響力は社会現象になったほどだ。

 甲子園二連覇に完全試合を3度、更には奪三振・勝数・防御率で歴代トップ5に入る実績も伊達でなく、現プロ野球界で日本のエースと名高いあの『茂野英毅』を凌ぐかもしれないと、世間から強く期待されている。

 

(だが今年はそんな“怪物”という名に相応しい選手がいないのも現実、か)

 

 夏の甲子園や大学リーグなどを目前に未だこの私を奮い立たせる選手に巡り会えていない。

 確かに、能力面だけの評価で判断すれば、既にプロ基準へ到達しているバッターやピッチャーは少ないわけではない。

 ──しかしそれでは半流止まりのプロにしかなることはできない。一時のブームのように、すぐ書き消されてしまうだろう。

 そんな厳しい世界のトップに立つ選手達は、全員に共通して持っている“力”があるのだ。

 

 

 

 その力とは、圧倒的カリスマ性──。

 

 

 簡単に言えば、『プロとしてのオーラを放つ選手や、自分にしか持っていない風格があるプレイヤー』のことを意味すると、長年のスカウト生活で認識している。

 私が輩出する選手は、どうして大器するのか?理由は簡単だ。

 

 ──魅力ある選手を見つければいい、ただそれだけだ。

 

 

 

「さてと…どうしたものかな……」 

 

 とは言ったものの、ドラフトまであと半年を切っている。スカウト部の部長という肩書き以外にも、私はプロ野球球団『またたびキャットハンズ』の専門スカウトも仕事として任され、かなり多忙な日々を送っている。

 神童裕二郎をたんぽぽカイザーズに取られ、かなり痛手となってる現在、一刻も早くスカウトの目処を立たなければならない……

 

「失礼します、木佐貫です。先週頼まれた大磯国際大学のデータが取れましたので提出しに来ました」

「おお、いつもすまないな。机の上に置いといてくれ」

 

 木佐貫幹久。私の一番の助手であり、入社3年目の若手スカウトだ。

 

「影山さん、また悩んでるんですか?ここのところずっと険しそうですよ」

「……やはりそう見えてしまうかね。否定できないが」

「そうですか……あ、だったらコレ見に行きません?」

 

 そんな姿を見た木佐貫は、肩にかけていた愛用のショルダーバッグを開け、一枚の紙切れを私のデスクに置いた。

 

「実は今日の9時から横浜シャインスタジアムでリトルリーグの全国予選が始まるんですよ。最近の影山さんはかなり疲れてると思ったので、気分転換にと思って持ってきたんですが……」

「ふむ…リトルリーグか…」

 

 そういえば一年前に暁リトルというチームを特集に取り上げたことがあった。猪狩君と一ノ瀬君と言ったかな……暁リトルを初の全国制覇させたとして注目を受けたことがあるが、プロを意識しての評価はしなかったはずだ。

 実力は認めるが間近で彼等の試合を見たわけではなく、ましてや弱冠小学四年生のちびっこだ。まだその観点で見るには早すぎる。

 でもここでダラダラ考えていてもキリがないし、ここは気持ちを切り替えるつもりで行ってみるのも悪くはないか。

 

「分かった。用意が出来次第、出発しよう」

「はい!運転は任せてくださいよ!」

 

 今まで目を通していた資料や編集雑誌を机の中にしまい、長く使い続けたメモと鉛筆を鞄に入れてオフィスを後にした。

 せめてリトルでもいいから有望性ある選手がいてくれたら面白いのだがな……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏の神奈川予選も順調にトーナメントがスタートし、県内から様々なリトルチームが二枠の全国行きへの切符を賭けて白熱した試合を展開していた。

 スタンドでは各チームの保護者を始め、地域の住民や野球好きの大人に子供など、老若男女多くの観客で賑わっている。

 そんな熱い中、俺達の試合も第二戦目に始まり、試合の行方は大きく動いていた。

 

 

          

   

  YL  5 2 1 6 5 3 

 

  SL  0 0 0 0 0   

 

 

 

 オーダーは帝王リトル戦から少し変わり、キャッチャーが寿也でピッチャーに江角さんが入った。俺は涼子とベンチスタートかと思いきや、三番ファーストでスタメンに選ばれていた。

 四番には真島キャプテン、五番に寿也が入る打線重視の采配は見事に適中。三・四・五番で稼いだ打点は驚異の15打点を叩き出し、ホームランも合計で5本と存在感を強く示している。

 それでも最終回の攻撃は続く――

 

 

『三番ファースト、一ノ瀬君』

「頼むぜ一ノ瀬。もう一本ぶちかましてやれ」

「頑張って、大地君!」

 

 ワンアウト満塁。フォアボールとヒットでこれ以上にない最高のチャンスが巡ってきた。

 寿也とキャプテンから声援を受けた俺は、ネクストサークルから立ち上がって軽く屈伸をしてからボックスへと入っていった。監督のサインは特に無し、つまり自由に打てってことだ。

 

(悪いけど、ゲームセットのコールが鳴るまでは例え100点差でも手を抜くつもりは無いからな)

 

 どっしりと構えて迎え撃つ。もう相手ピッチャーは戦意喪失気味の状態だ。

 

 

 ――その初球、甘く入ったカーブがキィィン!と鳴り響きながらレフト方向にへ高々と飛ぶ。

 

 

 俺は打球を見た瞬間に確信し、右手をグッと空に掲げた。

 

 

 

 

 

 

 評判通り、いやそれ以上だろうか。

 スコアボード下にズラリと並ぶ0の文字とは対照的に、上は22点と重い数字がのしかかっている。

 後に聞いた話では、クリーンナップを担う3・4・5番だけで総合得点の約7割を叩き出したらしい。

 

 

『三番ファースト、一ノ瀬君』

「うわ~っ、一方的な試合展開ですね。しかも次は三番ですし」

 

 私から見ても勝ちは決まったも当然。流石は横浜リトルだ……そう思ったその時、

 

 ドカッ──。

 

 レフトスタンド上段から響いた鈍い到達音。バッターはダイヤモンドを悠々と回っていた。

 

(何だ……ここまであの彼が飛ばしたというのか…!?)

 

 ボールは完全にスタンドインしている。だがその現実を信じられず、私は木佐貫に確認をとった。

 

「幹久君、今のホームランはどこまで飛んだのかね?」

「えっと…今のは上から三段目まで届きましたよ。小学生なのに凄いパワーですよねぇ……」

 

 違う。パワーだけでは小学生にあそこまで飛ばす力はない。だとすればパワーとは反対の、バッティング技術で打ったに違いないはずだ。

 フォーム・スタンス・スイング・打点・選球眼など、多種多量な技術を用いなければ、あのホームラン成立しない。

 

 (間違いない。もしこれが真実だとすれば彼は…)

 

 

 怪物に化ける──。

 

 その予感がビンビンに感じてくる。

 

 そう、これだ。この血が煮え出る感覚、見るものを魅了させるそのパワー。私はこんなプレーヤーが現れるのを待ってたのだ。

 

「…幹久君、そろそろ帰ろうか」

「んえっ?もう帰るんですか?!」

「もう満足したよ。君のおかげでとんでもない才能と出会えたからね」

 

 ワクワクが止まらない。これから彼がどれだけ成長するのか非常に楽しみでしょうがないのだから。

 そして願わくば、私の思い描いた最高のプレーヤーになって活躍してほしい。

 

 

 その日を境に、元暁リトルの『一ノ瀬大地』を忘れることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 結果は26-0の大勝でウチが勝ち、これによって来週の日曜日に同じ場所で、宿敵『おてんばピンキーズ』との対戦することがほぼ確定した。

 

「今日はいい形でゲームを運べたな」

「とくに一ノ瀬の最後の打席、すげぇ当たりだったぜ!」

 

 試合が終わり、バスに荷物を積み込みながら、各々が今日の試合の感想を言い合っていた。

 やっぱりあのホームランは出来すぎだったとは自分でも思った。しかも樫本監督が『文句無しのベストパフォーマンスだ』って誉めてくれた。あの人滅多に誉めたりしないから何だか新鮮に感じちゃったなぁ。

 

「お疲れ様、大活躍だったね」

「おう。応援ありがとな」

 

 涼子は残念ながら登板無しだったが、次の試合は俺とバッテリーを組むことが決まっている。

 今日も様子を見てたけれど、凄く投げたいオーラを全快に解放してたな。

 

「来週は頑張ろうね。大地君のリード、信じてるから♪」

 

 ニコッと満面の笑みで微笑んできた。うわ…あ……今凄く可愛く見えたんだけど……。

 

「信じてくれるならそれは嬉しいよ。俺も頑張って涼子を勝ち投手にさせるよ!」

「──?!う、うん!ありがと…」

 

 涼子の頬がほんのり赤らめてるけど気のせいか…?熱じゃなければいいけどな。

 

「おーい、そろそろ帰るぞ」

 

 窓からキャプテンが声をかけられ、気付いてみると俺ら以外皆バスに乗っていた。

 急いで荷物を持ってバスに乗り、中で反省会をしながらグラウンドまでゆらゆら揺れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前9時10分──。今日は試合疲れがあるかもしれないという監督の計らいで練習が無しになったので、前から約束をしていた聖ちゃんのコーチをするべく、連日でシャインスタジアムに来ている。

 

(しっかし暑っついよなぁ…日陰だっていうのに…)

 

 明確な指定場所を決めてなかったため、一番見晴らしの良い北側入り口のベンチで待つことにした。

 このドームは東西南北に入り口があるのが特徴で、正規の入り口は北なので、こっちは人の出入りも多い。

 

(少し早かったか。まだ時間も20分前だし)

 

 遅刻よりはマシだからいいけどね。男が遅れたらシャレにならないし。

 

「大地、待ったか?」

 

 バックから携帯電話を取りだし、時間を再確認していた所に聖ちゃんも丁度到着した。

 

「ううん、全然待ってな……え………」

「どうしたのだ?何かおかしいか?」

「え、いや…なんで着物なのかなぁって思ったから…」

「変なのか?これが私の普段着だが…」

 

 ピンク色の着物を着た聖ちゃんは、まさに大和撫子と名乗るのに相応しい雰囲気だし、非常にその魅力はあるんだけれど……

 

(わざわざこの暑い時に着なくてもよかったのに…周りの視線が結構痛いよ)

 

 本人曰く、これが私服らしい。だから俺のラフな格好とは正反対過ぎて違和感満載な所をツッコンだら負けだ。もう真面目なんだしいいだろ~!そんな今日この頃です。

 

「それじゃあどこで練習する?つってもこの格好で野球は出来るの、聖ちゃん?」

「それなら心配ない。練習場なら既にある」

「えっ、もう見つかったの!?」

「まずはそこまで案内しよう。ついてきてくれ」

 

 そんなわけで聖ちゃんが用意してくれた場所まで歩くことになった。距離は3kmほどで着くらしいから、それほど時間はかからない。

 ──ただやっぱり気になるのは聖ちゃんの着物姿だ。

 

(視線が辛すぎてこっちが恥ずかしいよ…)

 

 すれ違う度に驚嘆する声が聞こえるもんだから、顔耳まで真っ赤になるぐらい超恥ずかしい。

 

「ひ、聖ちゃんってさ、どうして着物とか着るの?」

 

 恥ずかしいのを承知で尋ねてるみる。

 

「これか?別に深い意味はないんだがな、私の実家は寺をやってるからどうしてもこういう服になってしまうんだ」

「お寺?ははぁー…どうりでそんな雰囲気が漂うわけだ」

「ちなみに今日練習する場所もそこと関係するから楽しみにしていてくれ」

 

 待てよ。つまり聖ちゃんの言ってた練習場って……お寺?!

 いやいや、まさかねぇ。そんな変な話があるわけ――

 

 

 

 

 

 

「──」

「ささ、ここが私の家だ」

 

 前言撤回、そんな話はあった。しかも俺が絶句するほど立派なお寺である。

 

「にし…まん…なみた……?」

「西満涙寺(さいまんるい)と言うんだ」

「全部音読みか…」

 

 殆どの小学生は初見で読めないだろう。読めたとしても寿也ぐらいの学力がないと厳しいな。

 

「そこで待っててくれ。今用意をしてくる」

 

 お寺横と隣接している和風造りの家へ入り、10分ぐらいすると練習着になって戻ってきた。

 

「待たせたな」

「ううん、大丈夫」

「それじゃあ始めるか」

 

 聖ちゃん家の敷地はそれなりに広く、お寺手前にキャッチボールができるほどの場所が確保できるので、支障は全然ない。

 

「キャッチャーを教わりたいって言ってたけどどれからやろっか?キャッチングとかリードとか色々あるけど…」

「実はキャッチングで悩んでることがあって…スクリューの捕球の仕方なんだ」

「スクリュー?」

 

 簡単に言えば、左投手が投げるシンカーのことだ。そもそも右投げの方が選手人口は多い上、シンカー自体の難易度も高い。

 

「どうだ、出来そうか?」

「ん~…聖ちゃんが想定してるピッチャーの変化量とかにもよるけど、それなら良い練習法があるよ」

「本当か!?」

「うん。ちょっとそこに構えてて」

 

 構えてもらった所から斜め右後ろに俺がボールを持って立つ。

 

「ちゃんと捕ってね…うらっ!!」

「なっ!?……くっ…」

 

 ピッチャーから見て左へ流れる鋭い送球。反射的にグローブを出すが惜しくもミット真ん中で捕れず、後ろへ後逸した。

 

「どう?これは俺がカーブの捕球とかに使ってた練習法なんだけど、こうやって投げる人が角度を変えて投げれば、ストレートでも変化球に近い球が投げれるんだ。そこから更に…おりゃっ!」

 

 ボールの面に回転をかけ、弧を描くように急角度で落ちた。

 

「…ふっ!」

 

 今度はスバンッ!と綺麗に捕球することに成功した。

 

(なっ…!?こんなに早く捕るとは……)

 

 とんでもないセンスだな。もしかして聖ちゃん、俺よりも成長するんじゃないか?

 

「ふぅ…どうだ?」

「ナイスキャッチだったよ。でも捕る瞬間が手だけしか動いてないから体も使いながら全身で捕球するイメージを持ちながらやれば、さらに安定性が増すよ」

「体か?ならそこも詳しく教えてくれないか」

「…マジですか」

 

 

 

 そういうわけで、聖ちゃんの様々なリクエストに全力答え続け、気つけば太陽が西に傾いていた。

 ちなみに昼食は今日のお礼を込めて、聖ちゃんの家で豪華な懐石料理をご馳走になった。

 

「ふぅ~…今日はここまでにしようか」

「ん…そうだな」

 

 短時間の間だけしか教えられなかったけど、ほぼスクリュー捕りはマスターできてるはずだ。あとは自分の調子次第で変わってくるだろう。

 

「大地」

「なに?」

「どうして私にそこまで教えてくれたんだ?来週は敵同士戦うのに、お前はそれでいいのか?」

「全然いいさ。ライバルが強くなればなるほど、戦うときにその分楽しみが増えるからね」

「楽しむ……ふっ、そうか。だから私が憧れるのだな…」

「えっ、なんか言った?」

「っ!…なんでもない!!」

 

 誰かに憧れ…とか言ってたけど何だったんだ?尋ねたら全力で否定されたし。つーか顔赤すぎ。まるで昨日の涼子と同じだぞ?

 

「…まあいっか。じゃあそろそろ帰るね、じゃ!」

「あ、ああ………大地!」

「ん?どしたの?」

 

 

 

「来週はい良い試合にしよう。それと今日は私の為にありがとうだ」

 

 聖ちゃん……。

 

「…うん!お互いベストを尽くして頑張ろーぜ!!」

 

 俺が左手を出したのを見て、聖ちゃんも左手で握手に応じた。もう彼女の顔から固さはとっくに消え、今日一番の笑顔で俺を見送ってくれた。

 

(今日は楽しかったよ。俺からもありがとう、聖ちゃん)

 

 ちょっぴり言葉に出すのが恥ずかしかったから心の中でお礼をした。教えていたときの聖ちゃんの目はとても輝いていたから、教えるこっち側も楽しかったし、なにより聖ちゃんの野球に対する気持ちが強く心に伝わった。

 

「…駅まで走るか」

 

 体が急に動かしたくなり、鞄を肩に揺らしながら全速で走り出した。

 相手の気持ちを思いながら野球をするなんて考えたことがなかった。それも聖ちゃんと出会ったことで、少し分かるようになった気がした。

 負けたくない気持ちはどちらも一緒だ。ならどちらがその決意が強いかで勝敗が決まる。単純かもしれないが、改めて考えてみると皆そうなんだよな。

 

(だったら俺達のやることはただひとつだ!)

 

 おてんばピンキーズに俺達の勝利への思い、ぶつけてやるぜ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大会第二週目に入り、決勝トーナメント16席の奪い合いもいよいよ大詰めとなった。

 他のブロックも順調に進んでいるらしく、俺達がライバル視している帝王リトルや三船リトルも勝ち上がって来ている。

 

 

1番ショート 伊達

2番セカンド 村井

3番キャッチャー 一ノ瀬

4番サード 真島

5番ファースト 佐藤

6番センター 関

7番レフト 松原

8番ライト 菊地

9番ピーク 川瀬

 

 練習試合と変わらないオーダーだ。

 

 

1番センター 矢部

2番ショート 小山

3番キャッチャー 六道

4番サード 薬師寺

5番レフト 大田

6番セカンド 荒田

7番ライト 飯窪

8番ファースト 岡崎

9番ピッチャー 早川

 

 注目は1・2・3・4番とピッチャー陣だ。

 俺の取ったデータに基づくと、まず矢部君の俊足で出塁。その流れで小技の利く雅ちゃんが送り、巧打の聖ちゃんが強打者の薬師寺に繋げる、それがおてんばピンキーズの基本的戦術だ。

 ピッチャー陣はもっと厄介で、右のアンダースローと左のサイドスローをリレーで投げきる変則登板が鉄板らしい。

 いかに上位打線を抑えながら、変則ピッチャー二人を打ち崩していくかが勝負の鍵だろう。

 

「準備はいいな……集合っ!!」

「「「「オオォーーーーッ!!!!!」」」」

 

 キャプテンの合図により、全員がホームベース前へ集合する。

 偶然か、それとも運命か。俺の前に並んだのは聖ちゃんだ。

 離れ際、俺にボソッと言うように口を開いた。

 

「勝つのは私たちだ」

「どうかな。俺達だって負けてらんねーんだよ。望むとこだ。」

 

 神奈川県No.2の強豪だ。初戦のような一方的な展開にはならないだろう。

 ――だとすれば今日の試合、荒れるかもな。

 

 

 

『1回の表、横浜リトルの攻撃は、1番ショート伊達君』

「よっしゃ!まずは頼むぜ伊達ーっ!」

 

 親指を立てて声援に答え、意気揚々とバッターボックスへ入った。それに対し、早川・六道バッテリーは冷静に迎え撃つ。

 

「声援は気にするな。自分を信じてミットに投げてこい」

「うん!いい形でみずきにつなげようね!」

 

 両者の準備が整い、主審が『プレイボール!』のコールし、いよいよ試合が始まった。

 立ち上がりの初球、低めいっぱいにストレートが決まってストライク。横浜リトルベンチや観客席からは、あおいちゃんの投球フォームを見て、おおーっ!と歓声を漏らした。

 

(一ノ瀬の言う通りアンダースローか……確かに打ちにくそうだな…)

 

 一度体が低く落ち、腕が地面スレスレを通過して放たれるスタイル。小学生とは思えない綺麗なサブマリンだ。

 続く2球目は外角を僅かに逸れてボール。ちなみに球種はストレート。

 三球目、インハイから浮き上がるようなストレート──。珍しく通常のヒッティングでボールを叩き、打球は三遊間を痛烈に襲う。よしっ、これなら確実にレフト前だ!

 

 

「…よっ!……んあっ!」

 

 ショートがダイビングキャッチでパシッ!と捕球し、素早いスローイングでファーストへと送球した。

 

『アウトォ!』

「なっ……なにっ!?」

 

 ショートのファインプレーで、会場は再び大歓声と拍手で包み込まれた。

 あまりの守備力に横浜リトルのベンチサイドは仰天した。

 

「凄い守備力だね…」

「ああ、偵察以上の力を見せてるな。これは三遊間に打ったらダメっぽいな」

 

 ノックから上手いなぁとは思ってたけど、まさか試合でこれほどのプレーを初っぱなからやるとはね……

 

「ナイスキャッチー!助かったよ雅ちゃん!!」

「えへへ、ありがとう。あおいちゃんもナイスピッチだよ♪」

 

 

『2番セカンド村井君』

 

 ん、ネクストは俺か。あおいちゃんはストレート以外にもカーブも投げれるから、できればここでタイミングを掴んでおきたかったが、ゴキッ!と気持ちよくない打球音が遅れて聞こえてくる。

 

(……あ、またショートゴロか)

 

 危なげなく冷静に処理してツーアウト。

 

『3番キャッチャー、一ノ瀬』

 

 うおっしゃ!ここはなにがなんでも塁に出て、キャプテンや寿也に繋げてくぜ。

 独特の沈みこみからリリースされ、キレのいいストレートがアウトコースに入った。

 

(球速は80km/h位でさほど速くはない。だけど回転がしっかり掛かってるから真芯で捉えないと飛ばないな)

 

 ここまでカーブはない。なら今は焦らず球筋を見極めることに専念しよう。

 同じリズムで投じた2球目はまたもやストレート。今度は内角に散らしてきた。

 

(くっそ、追い込まれたか。それにしてもカーブが全然来ないな…)

 

 ベンチからは『ストレートに絞って打て!』と聞こえるが、まだ相手がカーブを投げないと決まったわけではない。

 集中力を高めて望んだ3球目は、高めに大きく外れてボール。その次も外角高めにずれ、これで2-2だ。

 

「あのピッチャー、カーブを中々投げてこないね」

「うん。大地君も惑わされてる感じがするしね」

 

 平行カウントから次のサインを聖ちゃんが出すが、あおいちゃんが頷かない。

 何度も首を横に振り、6回目でようやく受け取った。ダミーの首振りかどうかは知らないけど、次で決めに来そうだ。

 先程より緩い腕振りでリリースし、やや低めの真ん中に飛んでくる。

 

(球が遅い、これはカーブだ!)

 

 待ってましたと言わんばかりのフルスイングで打つ!が、ボールはバットに当たらなず、ブルンッと豪快に空振りしてしまう。

 

『ストライク!バッターアウトォ!!チェンジ!』

「ナイピーでヤンスー!」

「よしよし!いいピッチングだったな、早川」

「皆がいてくれたお陰だよ。さ、矢部君からどんどん出塁しよー!」

 

 ガッツポーズを決めてベンチへと戻っていったピンキーズナイン。

 なんで当たらなかったんだ……少し遅かったからカーブかと思ったのに……くそっ!

 

「大地君、守備だよ」

「……分かってるよ」

 

 恐らく変化しなかったからただのスローボール――。俺のカーブ待ちを読んだ聖ちゃんがわざと投げさせたボールか……あーもう!、まんまとやられたぜ。

 

(終わった事にクヨクヨしててもダメだ。切り替えて守備に徹しないと…)

 

 レガースとプロテクターを付けてマウンドへ急いで駆け寄った。既に涼子はスタンバイして待っててくれた。

 

「悪い、待たせた!」

「大丈夫よ。私は大地君が前の打席を引っ張ってなければ問題ないから」

「任せろって、オンオフの切り替えはきっちりできるからよ」

「ふふふっ、それを聞いて安心したわ。ここを0点に抑えていい形で真島さん達に繋げてあげようね」

「そうだな。うし、気合い入れて投げるぞ!!」

 

 グローブでハイタッチして締め、投球練習へと入る。うんうん、どの球も走ってるし緊張もあまりしてないようだ。

 5球ボールを受け、最後にセカンドへ送球してバッターがボックスに向かう。

 

『1回の裏、おてんばピンキーズの攻撃。1番センター矢部君』

「メガネー!塁に出ないと承知しないわよー!!」

「そんなプレッシャーかけないでくれでヤンスよ…」

 

 さて、1番に座る矢部君だが、みずきちゃんの鬼特訓のお陰か、とてつもなく足が速い。普通のゴロをを内野安打にさせる力は充分ある。なら三振かフライで押さえるのが理想だ。

 

(ミート力もあるから甘いコースは投げれない。まずは外角で様子を見るぞ)

 

 コクンと頷き、こちらも綺麗なギブソンフォームで投げ込まれた。カウントは勿論ストライクだ。

 

「いいぞ、ナイピッチー!!」

 

 嬉しそうな表情で「ありがとう!」と返り、直ぐに投球態勢へ戻す。

 今日の試合、恐らく乱打戦というよりは投手戦になるだろう。ともなれば涼子のリズムで投げ、早い段階で自分のペースにしたい。

 

(こっちはガンガン色んな球種を使うぞ。次は低めにカーブだけど、内外角は問わない。思いっきり投げてこい!)

 

 涼子だって変化球のレベルは高い。甘く見られたら困るぜ。

 ビュッ!と腕をしならせ、やや内角の甘いコースに行った。矢部君は慌てて振るが、タイミングが合わずに空振った。

 

『ストライクっ!』

 

 2-0、投手有利のカウントに持ってこれたな。次のボール、矢部君は必ずストライクが来れば焦るはずだ。

 

「内野前進!セカンドはベースカバーをお願い!」

 

 次はムービングファストで確実に打ち取りたい。だが念には念で、矢部君の足を考慮して前進守備をとらせた。

 監督も考えが伝わり、俺の方を見て軽く頷いた。

 ボールは外側のくさいコース、俺の構えた通りにきた。バット手前で僅かに落ち、バット先端に当たった。

 

「セカンド!」

「ああ任せろっ!」

 

 涼子の横をボテボテと転る。ヤバイ、このままだと矢部君の足の方が早い!

 

「ちっ、間に合えよ!!」

「うおおおでヤンスーーーぅ!!!!」

 

 ズザザーッ!とヘッドスライディングでファーストベースに潜り込んできた。

 タイミングはほぼ同着だが果たして……

 

 

『セーフ!セーーフ!!!』

「うおっしゃでヤンスー!」

 

 かなり際どかったが判定はセーフで内野安打──。

 村井のフィールディングは悪くなかった。打ち所がよかったのと、矢部君の足が想像以上の速さだった。運もあったとはいえ、辛口なジャッジだぜ。

 

(ふぅ、最悪なランナーを出しちまったな。ここからは盗塁も視野に入れてリードしないと…)

 

『2番セカンド小山さん』

 

 ここでピンキーズ側の采配はただ一つ、“ 送りバント”で堅実に繋いでくるだろう。

 雅ちゃんはバントの名手だし、矢部君の足を考慮すれば送ってきても何ら不思議ではない。

 

(バッターにパワーはない。バントが来たらさせて、盗塁だけには気を付けよう)

 

 俺のサインしたコースはアウトコースのボール球。涼子が頷き、セットアップでミット構えたところに届いた。

 

(走らなかったか…でもそれでいい。ランナーだけには警戒しつつ、このバッターを抑えればオッケーだ。)

 

 今度はバントを想定し、低めやや甘いコースのストレートだ。万が一エンドランされてもパワーヒッターではないから強襲はされない。ウチの守備力を信じてリードすれば守りきれるはずだ。

 涼子は長い間合いをとり、警戒する素振りを見せながら投じた。コンパクトにバットを横に構えてコンッと、打球はサード線付近へ転がった。

 

「私が!」

 

 前に出ていた涼子がキャッチし、二塁に目もくれずにファーストへ送球。

 

『アウト!』

 

 結構難しい場所にバントしてきたな。今は涼子が分かってて前に出たからアウトだったけど、もし分かってなかったらセーフかも…。やっぱりどのバッターも侮れないぜ。

 

『三番キャッチャー六道さん』

「聖頼むわよー!!」

「次の俺に回してくれよなー」

「……ああ」

 

 相手は巧打の聖ちゃんだ。雅ちゃんと同じく非力にしろ、バッティングマシンのボールをコンスタンスに打ち分ける卓越したセンスは要注意しなければならない。そのミートがどれだけ実戦で発揮されるか見所だな。

 

(このバッターは慎重に攻めてくぞ。最初はアウトコース低めにカーブからで)

 

 サインに頷き、滑らかな軌道を描きながらミットに収まった。

 

『ストライク!』

 

 ピクリとも動かず見送ったか。返球しながらチラッと覗くが、聖ちゃんの目はピッチャーにしか向いてなかった。

 すげぇ集中力──。それが巧打の秘訣らしいな。

 続く2、3球目はわざとボール球を投げさせ、相手の出方を見てみた。

 

(選球も冷静に見れてるな。少しでも打ち頃だと見極められて打たれそうな感じだ。それならあえて力押してで打たせれば…)

 

 カウントは1-2でまだ追い込んではない。

 1、2番とまだ唯一使用してないコース──。そう、高めだ。そこへムービングを使って誘えば、凡打率はかなり高くなる。

 両者冷静に見つめ合い、緊迫の中で涼子が投じた。

 狙い通りに聖ちゃんはバットを振ってきた、が、凡打とは思えない鋭い快音が球場を伝えた。

 打球は鋭いライナーでライトへぐんぐんと伸びていく。なんとか大きく後ろに下がって菊地が捕球するも、ランナーは既にタッチアップしている。

 

「急いで中継に!」

 

 手際のよいホームは踏ませないものの、ランナーを余裕でタッチアップに成功。これでツーアウト3塁、スコアリングポジションへとさらに追い詰めてくる。

 

「すいません、タイムを」 

 

 時期尚早と思われるが、次は4番で先制のピンチでもある。ここで一声掛けておかないと不安にさせるかもしれない。

 

「涼子、大丈夫か?」

「大丈夫よ。そんなに心配されるほど、私は弱くないわ」

 

 うん、どうやら動揺はしてなくてひとまず安心したぜ。まさかムービングを一発で捉え、ましては完璧なスイングで流してきたから俺はビックリものだったが…俺より心が強くて頼もしい限りだ。って、俺が弱気でどーすんだよ。

 

「あの当たりは気にするな。ツーアウトになったし結果オーライと考えよう」

「そうね。ピンチだけどツーアウトなんだし、頑張って抑えましょ!」

「もちろんそのつもりだ。次も好投を頼むぜ」

 

 やせ我慢でできる目付きではなかった。本当に冷静さを保ってられるようになったな。当初と比べても大部、俺に対する信頼が強くなってる気がするし、それはそれで素直に嬉しいぜ。

 

『4番サード薬師寺君』

 

 さーて、もしかすると今日一番の山かもな。

 チームで一番のパワーに確実性も重ね合わせた順応的なミート、こいつは巧打とは正反対の“豪打”できるバッターだ。

 

(まずはクロスファイヤーで内角を抉るぞ。球種はムービングで)

 

 セットからワインドアップへ切り替えたらボールは、若干威力を増してミットに迫る。薬果敢に初級から狙うも、完全に詰まらせてファールに。

 クロスファイヤーは右対右にも効果はあり、薬師寺は馴れない投法に戸惑っている。

 

(2球目もクロスファイヤーたが、今度はカーブで惑わすぞ)

 

 体付近をギリギリ通過すると見せかけ、ボールはバットから上手く逃げていく。

 切れ味抜群のカーブが内角低めをへ落ちて、またもや空振り。

 案外アベレージヒッターってわけではなさそうだな。スイングは結構荒れてるし、これは丁寧に的を外せば三振もいけるぜ。

 

(三球勝負だ。外角低めギリギリに渾身のストレートを投げてこい!)

 

 要求した通りにリリースされたボールは、今日一番のコントロールとスピード、まさにベストショットと言っても過言ではないぐらい文句なかった。

 

 カキィィィィン!!と強烈な音を立てて伸びていった。

 

 おい…待てよ……嘘だろ……っ!!

 

 打球はあと僅かcm単位足りず、ホームランにはならなかった。それでもライト線を襲った長打コースとなり、この試合初の得点が入った。

 

「ナイスバッチ!、さすが頼れる4番!!」

「やったわね、まずは先行よ!!」

 

 ピンキーズベンチの喜びと対照に、俺と涼子は驚くだけだ。

 ──なぜ追い込まれた状態でアウトコースの厳しいボールをあそこまで運べたのか?

 二塁ベース上でガッツポーズをしている薬師寺を見て、俺はギリッと歯軋りをして悔しさを痛感した。

 

(もう点数はやれない。次は死んでも断ち切ってやる!)

 

 5番の大田は4球目のムービングを引っ掛けてセカンドゴロ。二度ピンチを作るも、何とか1失点内で留めた。

 

「ゴメン、俺のリードミスだ」

 

 ベンチに戻り、涼子に謝った。

 

「大丈夫!まだたった1点だし、次はきっちり抑えればまだ勝機はあるわよ」

「…そうだな。まだ始まったばかりだ、次に集中!」

 

 逆転して勝つためには何とかしてあのバッテリーを攻略し、最低でも2点を取らなければならない。

 

 あと残された回数は5回──。

 

 次の打席までに必ず突破口を開い勝つぞ!

 

 

 



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第七話 vsおてんばピンキーズ(後編)

 一回が終了して0-1。ウチが1点を追いかける形で、オープニングの初回は終わった。

 打順は4番の真島キャプテンからのスタートもあり、期待はかなり高かったがレフトフライ。3番の寿也もショート前に鋭いゴロを放つもアウト。6番センター関にも雅ちゃんの横っ飛びで補殺され、結局2回もノーヒットでチェンジになった。

 一方の涼子は、さっきのタイムリーを汚名返上させるかのような好投を披露。6番と7番を三振に抑えると、8番はストレートだけで三振を取り、ピンキーズ打線を切って落とした。

 

 

 ──そして三回の表。ここで横浜リトルが大きく動きだした。

 

 

「ここからは持久戦で行くぞ」

 

 守備のメンバーが戻ってくるなり、監督が突然の作戦発表をしてきた。

 持久戦、則ちピッチャーの球数を出来るだけ多くさせ、疲れきったタイミングで仕留める。それが一番の得策だと、監督が俺達に助言してくれた。

 

『8番レフト松原君』

「松原ーっ!ガンガン積極的に打てよー!」

「この回で追い付こうぜー!!」

 

 この回で決めるのも全然嘘だ。

 投手リレーで守りきるのは明白だから、そう長く粘ることはできない。

 となると、攻めに出る一番のチャンスは3番の俺が必ず打席に立てる四回。

 

 つまり、次の回が勝負所だ──。

 

 

 ──ッギィン!

 

『ファールボール!』

 

 2ストライクになるまではヒッティングに行かず、ストライクゾーンに入った球もわざと空振りして、作戦に気付かれないよう注意を払う。

 聖ちゃんのような頭が切れる捕手なら、いつバレるか分かったもんじゃない。

 

(低めにさえ集めれば問題ない。カーブで打たせてやろう)

 

 コクリと頷いて投じた4球目──。

 膝元ギリギリの高さで構えていたミットへ、吸い込まれるかのように落ちていく。

 松原は冷静にタイミングを見て、バットに当てた。

 

(――バント!!?)

「なっ!?……ピッチャー!」

 

 ピッチャーとサードの間を突くゴロ。意表を突かれた内野陣は前に出るのが遅かったため、処理を投手に任せざるを得なかった。

 

『アウト!』

 

 んーっ、惜しいな。左打席だったらもしかするとセーフになったかもしれないな。

 続く八番の菊地は、2-3までチップし続けて粘りを魅せるも、インハイのストレートを振らされて空振り三振に終わった。

 

「あのインハイ高めは打ちにくいな…」

「下からホップするように飛んできますからね。球威がなくても幻惑されますよ、アレは」

 

 寿也やキャプテンが認めるほどの芸当だ。

 俺も初めはソフトボールみたいな感覚に陥った位のレベルだったし。

 

『9番ピッチャー、川瀬さん』

「川瀬!」

 

 バッターボックスに入ろうとした瞬間、監督はまたバントのサインを送った。

 涼子はヘルメットの鍔をつまみながら、「はい!」と大きな声で返事をした。

 

(バント一つでも凄いやる気だ。この負けず嫌いさが、涼子の良い部分を引き出している最大の原動力かもしれないな)

 

 涼子はバッティングもそこそこ得意な方のはず。それでもバント作戦で地道に体力を削らせるのを遂行するのは、それほどチームを勝たせたいという、強い意志を持ってるからなんだ。

 自分で言うのもアレだけど、俺だって負けるのは絶対嫌だし、プライドも自分なりに持ってるものはある。

 それでも気持ちやメンタル面では勝てないな。

 特に涼子には──

 

「ごめんなさい…5球しか粘れなかった……」

「ドンマイドンマイ!ナイスバントだったよ!!」

 

 

 

 一人物思いにふけてた間に涼子が戻って来て、いつの間にかチェンジになっていた。

 あおいちゃんの体力をどこまで減らせられたかは分からないが、多分次の回が終わったら交代する可能性が大だ。

 

「……涼子」

「ん?急にどうしたの??」

 

 

「次の回だ。次で必ず点を取って、敗戦投手の汚名を消してやるからな。だから見ててくれよ」

「──うん。私は信じてるからね、大地がホームランを打ってくれるのを」

「やれやれ、随分と難しい注文だなー。ま、やるっきゃないな!」

「私のお陰で元気になった?」

「そう……だな。ほらっ!、そろそろ守備に行こうぜ」

 

 試合も残りは丁度半分だ。

 繋げてくれる人達の為にも、決意を固めて俺は守備へと就いていった。

 

 

「…………」

「どうしたの聖?ボーッとしちゃって」

「……いや…何でもない」

 

 何だろう、このモヤモヤは──

 ただ女の人との会話を見ているだけなのに…。

 不思議と心が痛くなってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 打順は8番ファーストの岡崎から。

 このバッターと次のあおいちゃんはそれほどバッティングが上手いわけではない。ここを2つアウトにして、矢部君からの上位打線さえ乗り切れば、まだ勝つ可能性は充分ある。

 初球、真ん中高めの優しいコース。が、バットは空を切ってストライクになった。

 2球目は緩急をつけたカーブを無理矢理振ってくも、振らされて2-0。

 

「くそっ……!」

 

 お、バッターが苛ついてるな。よし、ならあのボールを使うか。

 

 俺が送ったサインはど真ん中のスローボール──。

 流石に涼子が困惑しているが、今の相手の状態なら行けるはずだ。俺を信じて投げてこい!!

 

 アイコンタクトで意志を通し、涼子も頷いて投げた。

 予想通り、裏をかかれた岡崎はただのスローボールを力任せにスイングして三振。まさかの配球に悔しがりながらベンチへと戻っていった。

 

 ラストバッターのあおいちゃんには遊び球なしの三球勝負で抑え、これでツーアウトだ。

 

 

『1番センター、矢部君』

 

 このタイミングでこのバッターか……。

 さっきよりもバットを短く持ってるってことは、コンパクトに振って安打を狙うわけだな。

 

「内野前進!外野も少し前に出てフォローお願い!!」

「おう、後ろは任せろよ!」

「涼子ちゃん!打たせていこう!!」

「打てなかった分、きっちり守るぜ!」

 

 聞こえるか、涼子。

 皆が俺達の為、チームの為に頑張ってくれてる。

 その期待に俺達も答えようぜ。

 

(外角は流し打ちされる可能性がある。バットを短く持ってる以上、インコースで詰まらせて守りきるぞ)

 

 ロージンを付け直し、涼子が振り被った。まずは打者の懐へ突き刺すストレートを見逃した。

 

『ストラーイク!』

「……っ!」

 

 審判が高々と手を挙げてコールした。どうやら矢部君はボールだと思ったらしい。

 クロスファイヤーは対角線上を通ってミットに入る球だ。その軌道は真っ直ぐよりもホームベースを掠めるような錯覚が見えやすく、多少ボールでもストライクと判定してしまうことが多い。

 その習性を利用して、同じコースにカーブを投じさせた。が、これは地面にワンバウンドしてボールとなる。

 

(大丈夫、ボールは走ってるぞ。一旦アウトコースの見せ球で振らせてこう)

 

 内側攻めと見せかけて外で振らせる!

 その念が通じたのか、見逃せばギリギリボールだったカーブをスイング。ガスッと弱々しい当たりが一塁側に転がる。

 

『ファール、ファール!』

「矢部君落ち着いて!今のはボール球だよー!」

「三振してもいい。冷静に球筋を見て振るんだ」

「…分かったでヤンス!」

 

 聖ちゃんと薬師寺のアドバイスで目付きが変わった──。

 矢部君の見つめる先はピッチャーのみ。迷いはない表情、だな。

 

(インコース低めのムービング。これでサードかショートに打たせて締めるぞ)

 

 一番難しい要求かもしれない。

 だけど涼子の力なら制球出来るはずだ、来い!!

 

 ワインドアップ、そしてリリース。

 無駄のない投球過程から放たれたボールは、どんどん構えていた所へ吸い込まれていった。

 ッガギィン!と甲高い音が鳴り響きながら、打球はサード頭上へ上がる。

 キャプテンが「オーライ」と手を挙げてパシッと皮の良い音と共にキャッチした。

 

『アウト!スリーアウト、チェンジ!!』

「っしゃあ!」

 

 堪らずベース上でガッツポーズをし、何とか矢部君を抑えることが出来た。

 さて、俺達の反撃はここからだぜ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

「早川さん、次の回どうしますか?」

 

 神下監督が私の肩に手を置いて尋ねてきた。

 うん、分かってるんだ。相手の作戦に嵌められていたことは。

 あのバント作戦やカットでの粘りはボクのスタミナを削る策で、あの積極的な素振りもフェイクなのだ。

 でも私は一つやっておきたいことがある── 

 

「……必ず0点で抑えます。なのでこの回だけは投げさせて下さい!」

 

 聖はボクにだけ、一ノ瀬大地という人の人物像を教えてくれた。元暁リトルの4番を任せれ、リトルリーグ屈指の好打者だということ。

 それを聞いてボクは決めたんだ。

 

 彼を必ず全打席三振してやる、と

 

 浅はかで、自分勝手な願いかもしれない。でも試したいんだ!自分のボールは全国No.1の男子に通用するかを。

 1打席目を三振に取れて、もう後には退けない。この密かな挑戦が達成出来そうなチャンスなんだから。

 

「…分かったわ。早川さんに次の回も任せます。しかし任せるからには無失点ですよ、分かりましたね?」

「はい!勿論です!!」

 

 やるしかない。ここを無失点に、そして一ノ瀬君を三振させるんだ!

 女子にだって野球がやれること、皆に思い知らせてやるんだから!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四回の表もあおいちゃんの続投で、迎えるは1番に戻って伊達さんからだ。

 その初球はカーブが外れてボールとなる。

 

(球威が弱くなってる。これなら……いける!)

 

 続く2球目。

 少し高めに浮いたストレート。

 伊達さんは逆らわずセンター返しをし、痛烈なライナーで矢部君の前に落ちた。

 

「おーしっ、ナイスヒットー!!」

「ようやく初ランナーが出たね!」

「ああ。頼むぜ村井!」

 

 同じ5年生の村井が打席に立つ。

 

(と言われても、サインはバントなんだよね…)

 

 少し不本意ながらも、初球のストレートを丁寧に合わせてファーストに転がせた。

 アウトにはなったが、これでスコアリングポジションにランナーは進められた。

 

 

 

『3番キャッチャー、一ノ瀬君』

 

 いい仕事をありがとう村井。後は俺に任せとけ!

 

「大地君狙い打ちだよー!!!」

「お前がダメでも次は俺だ。気楽に振ってけ!」

 

 キャプテン。残念だけど俺はここで打ちますよ!

 だって涼子と約束したんだからな。次の打席はホームランってな。

 

「…お願いします!」

 

 一礼してバッターボックスへと入る。

 乱れている地面を足で馴らし、ゆったりとバットを構えた。

 明らかにあおいちゃんの体力はなくなってきている。

 それでも帽子奥底の目は、輝きを失っていない。

 油断は出来ない。全神経をボールにだけ集中させ、ギュッ!ときつく絞るかのようにグリップを握った。

 

 

「あおい、ここが正念場だ!!気持ちを強く持て!!」

 

 聖ちゃんの声に大きく頷いて応えた。

 さぁ、ここが勝負だ!!

 

 

 

 パァァァンッ!!と心地よい捕球音が鳴り響く。

 ミットは低めギリギリに構えられ、カウントは無論ストライクだ。

 

(……球威が戻った……?)

 

 初回よりも手元でグンッと伸びてきた。

 聖ちゃんの激励のお陰か?それとも勝利への執着心が支えてるのか?はたまた、もっと違う事への……?

 

(くそっ、ここしかないんだ。ここで打って逆転するしかないんだよ!)

 

 気合いを入れ直し、再び打席に立つ。

 2球目はベース前で大きく曲がるカーブが、外に外れてボール。カウントは1-1だ。

 カーブの切れ味も戻ってきている。ここはスピードの遅いカーブに狙いを定め、ストレートは徹底的にカットだ!

 

 4球目──。

 

 俺が狙っていた球種、カーブだ。

 無理に引っ張ろうとはするな。冷静に……引き付けて……ここだ!!!

 

 

 ──ッキィィイインッ!!!!!

 

 

 低い弾道を描きながら、一塁線上へ飛んでいく。

 頼む……フェンスを越えてくれぇ──っ!!!

 

 

 

『ファ、ファール!!』

「うわぁ!惜しいよ!!!」

「マジかよ!今絶対入ってただろ!!!」

「でも打てる!打てるぞー!!」

 

 ベンチから大きな溜め息と声がうっすらと聞こえる。

 今は打てる打てないの問題じゃない。打つしか勝ち目はねーんだよ!!!

 

「た、タイムを!」

 

 堪らず聖ちゃんがタイムを取り、マウンドへ駆け寄る。

 

「……聖」

「あおい…多分、もうストレートとカーブだけでは抑えきれないと思う」

「………うん」

「分かってると思うが……あの球を解禁するのは今しかないと……」

「ふぅ~…聖、ここまで私のワガママに付き合ってくれてありがとう」

「……え?」

「私の一番のウイニングショット、これで最後にするよ」

「あおい…」

「ボクはリードを信じて投げる。だから聖はピッチャーを信じて構えてくれる?」

「…分かった。それで行こう」

「うん!」

 

 面を付け直しながら、聖ちゃんが戻ってきた。

 ん、あの顔はどうやら決意を固めたって顔だな。

 

「……覚悟は決めたのか」

「ああ、悪いが三振で終わらせてもらうぞ」

「そうか。それならこちらもホームランを打たせてもらうぜ」

 

 互いにピリピリとした空気の中、静寂に見つめ合う。

 そんな雰囲気を破ったのはあおいからだ。

 全身全霊をかけて振りかぶり、右腕を大きくしならせて放った。

 

 

 回転を見ろ

 

 速さを見ろ

 

 コースを見るんだ!

 

 

 やってくるボールに合わせる。俺は無意識の中でその打ち方をする。

 

  そして、一閃とフルスイングをした──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「残念…だったな」 

 

 電工掲示板には4-2の文字がくっきりと映り、それに目を通した薬師寺君が重い沈黙を打ち破るかのように、ボソッと呟いた。

 

「でも皆よく頑張ったと思う。あの横浜リトル相手に一時は勝ってたんだぜ?もっと前向きに──」

 

 

 「ボクのせいだよ!!」

 

 

 慰めの言葉に嫌気が差したボクは、つい声をあげてしまう。

 

「ボクがあそこで打たれなければ……そうすれば………ううっ……」

 

 

 私のウイニングショット──そう、シンカーボールを彼は一発で冊越えのホームランにしたのだ。一番の、最高のボールを……。

 このシンカーは、まだ肩が出来上がっていない小学生が投げるには負担が大きすぎると、ドクターストップが宣告されている球種だ。でもこれが投げれなければこの先、ボクは上へは必ず行けない。そんな思いがふと心を過り、解禁することを決めたが結果はこのザマだ。

 悔しさのあまりに目から湧き出てくる。

 ダメだ、泣くなボク。皆がいる前でこんな情けない姿を見せちゃダメだ。

 だが、無情にも水滴はポタポタと地面へ落ちていく。

 もう嫌だ──どうして今日の先発をやったんだろう。

 

「こんな情けないピッチングをするぐらいなら、みずきが投げた方が絶対──」

 

「それは違う!!!!」

 

「………え…」

 

 不意に怒鳴ったのは薬師寺君だ。

 

 

「今日の試合で負けたのはお前だけのせいじゃない!ここにいる皆のせいなんだ!!俺なんかたった一本ヒットが打てただけで、後は何にも結果が残せなかったんだぞ!!!矢部や六道、小山だって肝心な所で打てなかったし、橘だって中継ぎとしての役目が不十分だった。それなのにお前一人が悪いような言い方をするなよ!!!!」

「………」

「そうでヤンス!オイラがもっと塁に出てれば勝てたでヤンスし!」

「私も最終回で失点しちゃったし……全部あおいに責任があるわけではないわ」

「そうだよ。でも私は皆が一丸となって挑めたから悔いはないよ。寧ろ試合には負けちゃったけど、ある意味では最高の試合が出来たと私は思う!」

「……皆…」

「だから泣くなあおい。皆で今日のことを反省して、明日また頑張ろうな。それで次対戦するときに勝つのは私らだ!」

 

 チームメイト全員が手を取り合ってくれる。

 その優しさにボクはまた涙が流れ出てきた。

 こんなこと、前にもあった。

 昨年の秋、延長の末に破れた帝王リトルとの対戦の時だ。試合終盤まで0が並び合う大接戦の試合、それにボクが5回に登板した。

 ──その結果、7回に友沢君からサヨナラホームランを打たれて負けに。あの時も打たれた球種はシンカーで、シチュエーションもほぼ同じだった。

 あの敗戦で学んだはずなのに、また同じ過ちをしてしまったのだ。

 もう悔しすぎて言葉に出せないくらい、悔しい──!

 

 

「…ボクは悔しいよ!正直まだやれることはあった、そう感じたよ!!だから──このままじゃ引き下がれないよ。もう一度鍛え直して、秋には必ずリベンジする!」

「おおっ!ようやくあおいらしくなったわね!」

「ここからでヤンスね!オイラの最強伝説が始まるのは!!」

「うん……それはちょっと…」

「ない…な」

「皆酷いでヤンス!」

 

『アハハハハハ!!』

 

「ははっ……よしっ、帰って反省会をしたらバッティングセンターにでも行くか!」

「いいわね、勿論メガネの奢りで!」

「そ、それだけはやめてくれでヤンス~」

 

 やっぱりこの雰囲気だ。

 この和やかなムードがボクや皆を強くしてくれる。

 嫌なことがあっても辞められないよね、野球は。

 

 

「…………」

「…ねぇ、聖」

「ん……なんだ?」

「そういえば彼に思いを伝えなくていいの?」

「なーっ!?い、今はいい!試合が終わったばかりで大地だって迷惑だろっ!?」

「ふふっ、ボクは一ノ瀬君の名前なんて出してないけれど?」

「くっ……もうほっといてくれ!」

 

 顔が凄く真っ赤。やっぱり聖は一ノ瀬君のことが…。

 

 今日は勝負にも試合にも負けたよ。

 夏の大会、次の相手も強敵揃いだと思う。

 でもボク達に勝ったんだから負けないでよね!

 頼れる仲間たちと共に、ボクはさらに強くなる――そう誓ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「寿也君…?」

 

 試合後の柔軟と涼子のクールダウンも終えてバスに乗り込もうとした時のことだ。

 

「あ…!確か皆は…三船リトルの…」

 

 胸に大きくDの文字、色は青を基調として赤のラインが入ったユニフォーム。

 三船リトル、別名『三船ドルフィンズ』のメンバーた。

 

「小森君だよね?もしかして僕たちの試合を見てくれてたの?」

「うん。とても良い試合だったと思うよ。寿也君も大活躍だったけど、特に3番の…」

「俺?俺は一ノ瀬大地だよ」

「そう、一ノ瀬君のあのホームラン。とても僕には打てないや」

「おい小森!ウチの四番がそんな弱気でどーするんだよ!」

「そうだそうだ。そんな気持ちじゃ本田の所になんて行けないぞー」

「え、と……この人達は?」

「ごめん、紹介してなかったね。僕の名前は小森大介。こちらが沢村涼太君で、こっちは清水薫さんだよ」

「紹介ありがとう。皆よろしくね」

 

 この人達が去年の神奈川ベスト4、か。

 とてもそんな風には見えないけどな…。

 

 

「そういえば吾朗君の姿がさっきから見えないけど……今どこにいるの?」

 

 ああ、そうか。前に寿也や涼子が話してた『本田吾朗』、三船リトルの一員だったんだよな。

 エースを任せながらも4番を打つ天才。ウチも去年やられたんだっけ。

 でも寿也の様子を見る限り、吾朗の姿が全然見えない。何かあったのか……?

 

 

「そっか、まだ寿也君達は知らないんだよね」

 

 頭の上に?が過る。

 涼子が「何かあったの?」と聞くと、小森は複雑そうな表情になりながらゆっくりと喋った――

 

 

「本田君はもういないよ」

 

 

 一瞬の沈黙が漂う。

 ただ一人、俺だけはイマイチこの話が理解できないまま、ついこう聞いてしまった。

 

 

「いないって……じゃあどこにいるんだ?」

「──福岡」

「?、福岡?」

 

 真っ先に教えてくれたのは清水さんだ。

 沢村が話すのを制止しようとするが、その手を振りほどいて続けた。

 

「本田の父親は『津々家バルカンズ』のエース、『茂野英毅』選手なんだ。だけど去年のオフにFAを使って福岡を本拠地とする球団、『極亜久やんきーズ』に移籍したらしい。だから…本田の奴も一緒に……」

「清水さん……」

 

 清水さんの目からは一瞬であったが、一筋の涙が見えた。

 …思い出したくないことだったのか。詳しい事情はよく知らないが、大切な仲間がいなくなったんだもんな。

 

「ごめん。辛いこと聞いちゃったか」

「ううん…いいんだ。そのかわりに私たちも決めたことがあるんだから」

「決めたこと?」

 

 涙をグシグシと無理矢理拭き、大きな声でこう宣言した。

 

 

 

 

 

 

「横浜リトルや帝王リトルに勝って、全国大会への切符を手に入れる!そうすれば本田にだって会えるんだ!!」

 

 清水さんの顔は本気だ。この強豪犇めく神奈川を制し、全国への出場権を掴む気だ。仮に俺等や帝王に勝ったとしても、全国で勝ち上がるなんてかなり難しいことである。去年体験した俺が、一番肌で感じているんだから。

 

「そうだよね!頑張って勝ち上がって、僕も本田君に会いたいよ!」

「勝手にいなくなっちまったアイツに、説教の一つや二つ、してやんないとな~」

「絶対許してやらないんだから…本田の奴~っ!!」

 

 うわぁ……怖ぇー…しかも皆ガチで狙ってるのか。

 ふっ、そりゃ面白い!

 

「なら俺も目指すぜ。吾朗を倒して、猪狩も倒す。そして横浜リトルが日本一になる日を再び掴んでやるよ!」

「……そうね。私たちも負けてられないわ!」

「次の対戦相手は抽選で決めるらしいけど、もし三船リトルと当たったらリベンジさせてもらうよ!」

「望む所だね。ま、僕の超ビッグストレートの敵になれば良いけとね…」

「沢村。アンタはもうピッチャーやらないから安心しろ。そんなヘナヘナボールじゃもう勝てないから」

「はははーっ、そんな言い方はないと思うけど清水さん?!」

 

 ぷっ、ヘナヘナボールって……なんだか面白いチームだなぁ。

 ……でも待てよ。もうピッチャーじゃないって事は、他に誰か強力なエースがいるのか……?

 

 

「じゃあそろそろバスを待たせてるから…」

 

 バスの窓からキャプテンやチームメイト達が観客のように、これまでのやり取りを見ていた。

 やべっ、かなり待たせちまったな。

 

「じゃあね、寿也君、川瀬さん、大地君」

「おう。次会うときはグラウンドでなー」

「じゃあねー♪」

 

 その後、皆を待たせた罰としてジュースを奢らされる羽目になってしまったが、帰りの道中で声を開く者はいなかった。

 昨年付けられた黒星──。

 それだけに因縁深い相手でもあるんだ。

 事情がどうとかは知らないけど、俺のやるべき事は1つだけだ。

 

 

 ――勝って全員で日本一を掴む。

 

 

 それを達成するまでは絶対に負けないからな。

 

 

 

 



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第八話 vs帝王リトル ~旧王者と新王者~ 頂上対決

「大地~、チームの人から電話よー」

 

 おてんばピンキーズ戦の次の日の夜、お風呂に入ろうと服を脱いでいた時に一本の電話が自宅に届いた。

 

「なんだよ…今から風呂に入ろうと思ってたのに…」

 

 仕方なく上半身裸の状態で電話を代わり、少し不機嫌そうに尋ねた。

 

「はいもしもし?」

「一ノ瀬か?俺だ」

「!キャプテン…!?っとと!」

 

 予想外の相手に電話を落としそうになるが、なんとか床ギリギリでキャッチに成功。

 でもどうやって自宅の電話番号を知ったんだろう?キャプテンには教えてないはずだげど……。凉子辺りから聞いたんだろうか。

 

「夜遅くにすまねぇ。どうしても伝えたい用件があってな」

「まさか………決まったんですか?」

「ああ」

 

 実は、今日の昼にベスト8までを生き残ったチームによる抽選会が総合体育館で行われたのだ。

 このタイミングで用件ともなれば、何となく抽選の結果報告だということは容易に考えがついた。

 

「それで、どこのチームと対戦するんですか?」

「前年度の秋に神奈川を制した王者、今年も神奈川優勝の最有力候補として注目をされている、

 

 

  帝王リトルだ──」

 

  

 帝王、リトル。

 ウチと同じく全国レベルのプレイヤーが集う最強チームだ。

 まさか決勝トーナメントの初戦が帝王になるとはな……堪らず電話越しで息を呑んだ。

 

「でも監督は良いドロー表だって言ってたぞ。『早い段階でこのチームと当たれたのはお前らの為もあるし、これに勝てば優勝にもグンと近づくはず』ってな」

 

 お前らの為、か。

 確かに強豪との試合は勝っても負けても得るものはある。実際初めて出た練習試合でも沢山学んだ事はある。

 だが良い試合をするだけではダメなんだ。

 勝って上に進み、その過程の中で成長することが本当の良い試合なのだから。

 

「必ず勝ちましょう。勝って全国の道を拓きましょうよ!」

「ふっ…当然だ。んじゃ、そろそろ切るぜ。じゃあな」

「はい、おやすみなさい」

 

 電話を切った後も、俺はしばらく立ちすくんでいた。

 相手がまさか帝王リトルからとは……。

 前回対戦した時は引き分けで決着が付かなかったが、恐らく奴等は前よりも強くなっているはずだ。

 友沢を初めとし、山口・蛇島・猛田・米倉など、他の名門リトルに行っても普通に通用する面子が揃った、正にドリームチーム。

 今の横浜リトルでも勝てるかはどうかは未知数だ。

 

(ふぅっ、面白いじゃねぇか……そんな強いチームと戦えるんだからよ!)

 

 成長したのは、何もお前らだけじゃない。横浜リトルだってピンキーズや相模リトルを倒してここまで来たんだ。

 相手がどんなに強かろうが、自分達の野球に持ち込めば勝てるはずだ!

 見てろよ帝王リトル──俺達はお前らを倒して…

 

「ちょっとー!上半身裸でガッツポーズなんてしないで、早くお風呂に入ってちょうだい」

「うおっ!?わ、分かってるから早く閉めろ!」

 

 ったく…恥かいたぜ…。

 とにかく、こんなところで負けてられないんだよ。

 負けていったチームの分まで、待ってくれるライバルの為にも、帝王を蹴散らしてそこへ行くんだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前8時半。

 試合開始30分前にも関わらず、スタンドは県内リトルの試合とは思えないほどの大盛況振りで賑わっていた。

 それもそのはずで、今日の対戦相手は事実上の決勝戦と言っても過言ではない組合わせなのだから。

 

「まさかこんなに注目を集めるとは思いもしませんでしたよ」

 

 それは一昨日流された県内ニュースでの特集の事。

 夏のリトル大会も大詰めを向かえ、ベスト8までが出揃った。その中での生き残りをかけた最終トーナメントの先陣を切るのは“旧王者vs新王者”、まさに神奈川県No.1同士による頂上対決だ。どちらも中学、高校に通用するようなタレント達が揃いに揃っており、ハイレベルな試合になることは間違いなしでしょう、と。

 そのニュースを嗅ぎ付けた地方の人々が、誰だ誰だと次々に試合観戦へ訪れたわけである。

 

「君はどちらが勝利すると思うかね?」

「僕ですか?うーん………予想は難しいですよ。どちらも走攻守で高レベルなチームですし、どっちが勝ってもおかしくないですよ」

「ふむ…そうか……」

 

 私も木佐貫と同じ意見だ。

 ここ2試合のデータを見比べてみると、どの成績も僅かに帝王リトルが優っている。が、そんな物は当てにならない。

 どちらが強くてどちらが弱いか──。

 今日のゲームはそんな単純的視点から見てとれる。

 

(さて一ノ瀬君…君がどれ程この名門に通用するか、この目で見させてもらうぞ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シードノック、投球練習を終えてベンチから帰ってきた俺達はある物に驚いていた。

 

「おいおい……なんだこれは…?」

「一体どういうことだ……?」

 

 それはさっきキャプテン同士で交換したばかりだったオーダー表の事だ。

 

 

横浜リトル

 

1番ショート 伊達(六年生)

2番セカンド 村井(五年生)

3番ファースト 佐藤(五年生)

4番キャッチャー 一ノ瀬(五年生)

5番サード 真島(六年生)

6番センター 関(六年生)

7番レフト 松原(六年生)

8番ライト 菊地(五年生)

9番ピッチャー 川瀬(五年生)

 

 

 

帝王リトル

 

1番センター 宮國(六年生)

2番ファースト 後藤(六年生)

3番セカンド 蛇島(五年生)

4番ショート 友沢(五年生)

5番キャッチャー 米倉(五年生)

6番ピッチャー 眉村(五年生)

7番レフト 猛田(五年生)

8番サード 中畑(六年生)

9番ライト 山口(六年生)

 

 

 

 

「一ノ瀬が4番か…」

 

 ぽつりと呟いたのは伊達さんだ。

 長い間、4番にずっと座っていたキャプテンを見てきたんだから驚きも大きいはずだ。

 

「別に俺はコイツから4番を取られたからって嫉妬してるわけじゃねーからな。あくまでも、今回の大会で一番打撃成績が高いからそこに置いた監督の采配だからよ。ま、そこで打つからには必ず結果を残せよな?」

「………はい」

「大地君、どうしたの??」

 

 神妙な顔をしていた俺を見て、涼子が心配そうに声を掛けてきた。

 

「帝王リトルのオーダー……こんなピッチャー居たか?」

 

 全員が再びオーダー表に目をやった。

 これまでの試合、帝王リトルのエースナンバーを付けた山口と、ショートとピッチャーの二刀流をやっている友沢の2人でローテーションされていた。

 ──だが今日の先発は山口でも、友沢でもない。

 

「…眉村?」

「誰なんだコイツ?」

 

 全員が知らないのも無理はなく、そもそも眉村は今シーズン一度も登板したことがない無名のピッチャーなのだ。今年2月に行われた全国大会で俺は帝王リトルと戦ったが、その時もこんなピッチャーは登録されていなかった。

 となると、今年の夏から途中参戦という形で登録された、そう解釈されるのが正解に近い。

 

「一度も登板がないとはいえ、相手は帝王リトルのピッチャー。実力はかなりあると思うに越したことはない。いつも通り油断せずに行くぞ!」

「おうっ!!」

「分かった!」

「はい!」

 

 全員のヤル気は充分だ。

 後はあの練習試合からどちらが強くなったか。

 そして眉村という男がどれ程の実力者なのか。

 相手がどんなに強くても、俺達は絶対負けない!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうだ調子は?」

 

 一塁側帝王リトルのベンチ前では、急遽今日の先発を任させた『眉村健』が投球練習をしていた。その横から俺は緊張してるかどうかの確認をしてみる。

 一見すると鉄仮面のように無表情でクールな雰囲気を漂わせているが、本人曰く、自分にプレッシャーをかけてマウンドで開き直りやすくするためらしい。

 

「緊張はしてるか?」

「……まあな」

 

 眉村がどうしてウチのチームに入ったのかは、今年の春にまで遡る──。

 

 ある練習終わりの日。

 近所の公園をたまたま通りすがった所に、“アイツ”が居た。

 

 『──ドコンッ!!!!』

 

 自分の手の平よりも大きいドッジボールを壁当てしていたのだ。初めはただのお遊びに過ぎない、そう勝手に決め付けていた。

 ──だが、じっくりと見れば分かるのだ。

 コイツのドッジボール相手に凄い球を投げている恐ろしい力を。

 後の教えてくれた話では、眉村は二年生の頃から近くのドッジボールクラブに通っていたらしく、その時からエースとして大活躍してたらしい。

 あんな重いボールであそこまで良いボールを放るなら、もしそれが野球ボールだったらどうなるんだ――?

 ただの好奇心に過ぎなかったが、俺は思い切って声を掛けてみた。

 

『凄い球だ。俺でもそんなに力あるボールは投げれないな』

『……誰なんだお前は?』

『突然悪い、俺は友沢亮。帝王リトルっていうチームで野球をやってるんだ。お前は?』

『…眉村健』

『眉村か。ところで話が変わるんだけどさ…

 

 

 

  お前、野球やってみないか?』

 

 

 

 

 唐突にこんな質問したらどうせ断られる。内心、ダメ元で勧誘してみただけだったからな。だから俺はやらないとか言われても何ら変と感じない。

 

『別にいいが……』

 

 その予想を180度に覆すかのような解答が帰ってきた。

 返答がまさかのOKだったから。

 

『だが俺はドッジボールと平行して野球もやるつもりだ。なので最初は試合に出れないが、お前やチームがそれでも構わないと言うならば入ってもいい』

 

 ドッジボールとの兼部。これが理由で今まで試合に出ることを拒んでいた。が、それも今日で終わりを告げる事となった。

 これからはドッジを辞めて、野球に専念すると言い出したのだ。

 なぜここへ来てそう決断を下したかは分からないが、それを聞いた監督は、今日でデビューさせることを決意し、こうして今に至るってわけだ。

 

「やるからには勝つ。お前も援護頼むぞ」

「ああ。任せろ」

 

 一ノ瀬達が油断してるかどうかは分からん。

 だがこれだけは言える。

 

  眉村の強さを横浜リトルは思い知る──とな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『それではこれより、帝王リトル対横浜リトルの準々決勝を始めます。相互に礼!!』

『お願いしまーーーす!!!!!』

 

 午前9時を丁度過ぎた頃、いよいよ決戦の火蓋が切って落とされた。先行は帝王リトルからで、後攻はウチだ。

 

「さーてと、まずはきっちり抑えるぞ!」

「うん!!」

 

 念入りの屈伸をして、宮國が打席へ入る。

 データは以前の練習試合や最近2試合の成績などを基に、この約一週間で対策をとにかく練りまくった。

 

(矢部君程の足ではないが、機動力は帝王でもトップクラスだ。まずは低めにボールを集め、高めで三振を狙うぞ。打たれてもムービングファストなら打ち取れる)

 

 グローブ越しから冷静な視線でリードを見据え、サイドスロー気味のスリークォーターでボールを投じた。

 低めに制球されたストレートが決まってワンストライクとなるが、宮國は平然と見送る。

 

(かなり慎重に選んでるな。内角低めにもう一回ストレートだ。ボールになっても構わない)

 

 サインに頷き、大きく振りかぶってビュンッ!と素早く振る。ミットよりも僅かに上へ浮いたのを宮國は見逃さず、強く引っ張った。

 

「サード!」

「任せろっ!!」

 

 三遊間を鋭くゴロが襲うが、キャプテンの果敢なダイビングキャッチでさばき、ワンハウンドでファーストに送球した。

 

『アウト!』

「ナイスプレー!助かりました!!」

「お前らはそれでいい。二人でどんどん打たせ、俺達が捕るぞ」

 

 流石キャプテン。バッティング以外に守備力もかなりのレベルで重ね備えているからとても頼りになる存在だ。

 

『2番ファースト、後藤君』

 

 独特なフォームでバットを構える。背丈的にパワータイプってわけでは無いが、地味に今大会の出塁率は7割を超えている。

 

(選球眼は間違いなくある。このバッターには全球ムービングで見せ球無しの三球で仕留めよう)

 

 コクリと頷き、テンポ良く投球した。

 ムービングが内角にスバンッ!と決まり、ストライクとなる。

 その次は外角低めのコーナーを刺し、後藤が懸命に食らいつくが、これは一塁線上を僅かに逸れてファール。

 

(芯を外したら割りには打球が強かった。てことはタイミングを掴んできているってわけか…) 

 

 練習試合をしてから、帝王リトルはこの日の為にムービングファスト対策を徹底してきている。これは一球種だけで抑え込もうなんて危険な考えだ。

 

(ならストレートでまたタイミングをずらす。全力で腕を振ってこい!)

 

 三球目──

 内角へボール一個分外すように要求。回転の利いたストレートが打者の胸元ギリギリへ接近し、バットもそれと同時に回り始めた。

 これなら詰まる、そう思っていた。

 

 

 ──ッギィイィッンッ!!!

 

 

 

 ボールを捕ろうと必死に手を伸ばすが、先に当たったのは後藤のバットだった。

 低い弾道ながらも力強い打球がリトル規定のレフト側フェンスに向かって襲いかかる。

 松原さんが打球の落下地点へ全速力で距離を詰め、頭からズザサーッ!とグローブを出しながら捕球体勢を作る。

 

「………あ、アウト!アウト!!」

 

 超ファインプレーに球場全体が大きく揺れた。あわや長打コースになりかねた難しい打球を、プロ顔負けの捕り方でキャッチしたんだからな。素人とかは特に唸りそうなプレーだ。

 

「レフトナイスキャッチ!」

「これでツーダンだ、あと一人切り抜くぞ!」

「オッケー!任せろっ!!!」

『三番セカンド蛇島君』

 

 相変わらずの薄気味悪いオーラを放ちながら打席へと立った。

 とは言っても守備では帝王一の守備職人。打撃もクリーンナップの一角を任される実力者で、涼子のクロスファイヤーを瞬時に見極めた動体視力も警戒しなければならないと、厄介極まりないバッターの一人だ。

 

「女の球がこの僕に通用しないこと、とくとその体に染み込ませてあげるよ」

「…あっそ。打てないときの言い訳はするなよ」

 

 すると蛇島はギリリと唇を噛み、俺と涼子を一瞬だけ強く睨み付けた。

 案外挑発には乗るタイプなんだな…。

 その初球、低めに要求したカーブが高めに浮いてしまったが見送ってストライクとなった。

 蛇島の様子をチラッと見ると、挑発に乗った割に今は落ち着いている感じだった。

 2球目と3球目はストレートが外れてボールになる。

 でも速さは今日一番を誇っている。電工掲示板には『107km/h』と標示され、少しながら観客もざわめいた。

 

「クックック…女にしては素晴らしいボールだねぇ。しかしそんな軟弱ストレート、僕には通用しないよ?」

 

 軟弱──。

 涼子が魂を込めて放った全力ストレートをそこまで罵倒するのか……。

 自分が熱くなって冷静さを取り乱したらキャッチャーとして失格だ。そう心へ言い聞かせて、怒りを何とか押し殺した。

 その分、俺はプレーで借りを返させて貰うからな。

 

(コイツにだけは絶対打たせない!最後は低めのカーブで打たせて取るぞ)

 

 バンバン!とミットを叩いて強く構えた。

 カーブ独特の軌道を描きながらベース手前で曲がる。コースや低さも問題ない、これなら大丈夫だ!そう俺も凉子もチームメイト達も信じていた──。

 

 ドコンッ、と観客席へとボールが入った音。

 打球は、俺の予想を遥かに超えた弾道でグングン伸びていき、その勢いは衰えることなくライトスタンドへと飛んでいった。

 

「いよっしゃ──っ!!まずは先制したぜ!!!」

「落ち着け猛田。まだ一点取っただけだ。油断はできないぞ」

「そうだけどよ~…眉村も少しは喜んだらどうなんだよー?」

 

 やられた──。

 低めへ精密に制球されたカーブをスウィートスポット的確に捉えて力強く流しやがった。

 間違いない、蛇島はローボールヒッターだ。だから初球の高めを敢えて振らなかったんだ。

 

(もう少し早く気が付いていれば……)

 

 落ち着け、まだ初回に過ぎない。ここから立て直せば問題ないはず。次は友沢なんだから、切り替えて集中するぞ。

 

『4番ショート、友沢君』

「球走ってたぞ!その勢いで次こそは抑えよう!!」

「ええ、了解!」

 

 うん、動揺はしてないな。抑えるとは言っても、友沢のパワーや適応力は怪物クラスだ。簡単なリードではまたスタンドインされるのがオチだ。

 

(全球ともクサいコースを徹底して突く。まずは内角低めにムービングだ)

 

 ムービングファストの握りに変えてリリースし、ややシンカー寄りに落ちた。

 友沢は初球からフルスイングで痛烈な当たりをみせるが、一塁ベンチ横へダイレクトに直撃してファールボールになった。

 予想外に振ってきたため、一瞬だけ「ヤバイ」と直感で感じてしまう程だ。

 続く2球目はストレートをリード通りに外す。理想は『釣られてしまって凡打』なんだけど、友沢がそんなぬるいリードに引っ掛かるはずもなく、2連続で枠外へ。

 

(ボール以外はまるで無関心だ。勝負するならいつからはストライクを入れなければ勝てない…)

 

 野球は逃げるだけでは勝てないスポーツだ。

 ましては友沢を敬遠したとしても、次の米倉や猛田なども高次元の打者。余計にピンチを広げる可能性の方がある。

 ──そうなれば俺達に残された手段は一つしかない。

 

(単打なら構わない。長打だけを警戒して、皆の守備を信じて打たせる)

 

 勝負だ友沢。

 俺はチームの力を信じ、チームは俺の力を信じてくれた。そんな皆の期待を裏切ったら、全員に顔向けなんてできるかってんだ。

 

 俺のサインに強く頷き、凉子が体全体の筋力を使って投げ込んだ。

 俺が選んだ球種──ムービングファストボール。

 友沢は腕を折りたたみ、内角に逆らわず引っ張った。

 カキイィィンッ!と体が痺れるかのような打音が遅れて響き、ボールはファースト頭上を通過しようとしている。

 

(頼む!届けぇ──!!!!)

 

 寿也が瞬時にジャンピングキャッチで反応し、左腕を限界まで伸ばす。

 捕れ──。無意識の内に俺がそう言葉を漏らした。角度的にもし届かなかったら二塁打、いや友沢の足なら三塁打になりかねない。

 何としてでも捕ってくれ、寿也!!!!

 

 

 

 ────バスッ

 

 

 ファーストミット先端にかろうじで挟まり、寿也はそのまま体から派手に倒れ込んだ。

 塁審にグローブを見せ、捕球したとアピールする。

 

『アウトォ!!!』

 

  おおおーーーーーーーっ!!!!!!

 

「ったぁっ!!」

 

 審判の声がかき消される程の歓声が出て、俺はアウトを確信。塁上では珍しく寿也がガッツポーズで感情を大きく露にしていたり

 よく捕ってくれた!このアウトはかなりデカイぞ。もしヒットだったらこのまま流れが帝王リトルに持っていかれたかもしれない。それを自らのファインプレーで断ち切れたのはこっち側からすれば非常に有利な条件だ。

 

「ナイスプレー!助かったぜ佐藤!」

「いえいえ、キャプテンの最初のプレーが始まりですよ!」

「何はともあれ流れはこっちのもんだ。一点なんて軽くひっくり返して逆転するぞ!!」

「オオォーーーッ!!!」

 

 一番の伊達さんが入り、バットを構える。

 迎え撃つは今大会初先発を任された──眉村。

 投球練習を一部見た限りでは、山口や友沢より見劣りしてた印象があった。

 …だけど眉村は何かを隠している、そんな気がしてならなかった。変化球も練習では見せず、ストレートも100km/hは超えているもののそれほどの速さは感じられない。

 帝王リトルが出した先発だ。何かしらの“武器”があるはずだ。まずはそれが何かを、見極める必要があるな。

 腕を高々と挙げて左足をプレート後ろに外し、その足で強く蹴り上げた反動を使い、思い切り腕をしならせて、投げた。

 一切の変化をせず、ただ真っ直ぐに、狙撃手の放ったライフルのような弾丸でミットに深々と決まった。

 

『すっ…ストラーイク!!!』

「なっ!?……」

 

 コースはど真ん中のストレートだったが、伊達さんは動作もせずに見送った。

 ──いや、もしかすると反応できなかったのかもしれない。

 辺りのスタンドがこの速球にざわつき、大半は眉村に目を向けずに速度が測定された電工掲示板を指差していた。横浜リトルサイドも周りに釣られて速度を見てみると、そこには信じられない数字が標示されていた──

 

 

  『119km/h──』

 

 

 歓声、というよりは『驚愕』だった。

 まだ肩が完全に暖まりきれてない初回から猪狩と同等の、又はそれ以上の速さを誇るボールを投げ込んできたのだ。しかも猪狩のストレートと違い、やたらと打者の手元で伸びてきた感じも残っていた。

 これは苦戦を強いられる試合になるかもしれないぞ。

 2球目は内側に大きく外れ、体をくの字にして避ける程のボール球になる。なるほどな…あくまでもクールになって開き直るつもりか。

 その証拠に3球目は内角高めを寸分なく放ち、掠りもせずにバットは空を切った。

 前のピッチングがデットボール気味のストレートだったにも関わらず、リードはとても強気だ。

 

「伊達ーっ!難しいのは無理に打とうとするな!カットして甘いのを狙え!!」

 

 皆からの助言を受け、伊達さんはバットを短く持ち直す。

 捨てボールと決めにいくボール──。

 一打席目は球種にメリハリをつけて打たなければヒットなんて到底難しい。

 米倉からサインを貰い、眉村が大胆に振りかぶって投げた。

 ストレートだ──。そう大きく山を張り、迫り来るボールめがけてスイングした。

 リリース直後はストレートの軌道を辿っている。

 が、ベースに近づくにつれて、内角へキレ良く曲がった。

 

『ストラーイク!バッターアウトォ!!』

 

 ボールがバット下を通り、結果は空振り三振に倒れた。最後の投球はストレート狙いで振りに行こうとしたのを察しられ、これまで見せてなかった変化球で手玉に取られた。あおいちゃんのシンカーよりも速く右打者の内角真横に曲がる変化球───所謂“シュートボール”って奴か。

 

「悪い、全然歯が立たなかった」

「気にすんな。それよりピッチャーのボールはどうだった?」

「それがなぁ……真っ直ぐなのに真っ直ぐじゃなかったんだよ」

「……ふざけてるんですか?」

「違う違う!!そうじゃなくてさ、こう……ストレートって雰囲気が全く感じられないっつうか…」

「つまり…純粋なストレートじゃないと?」

「まぁそんなところだ」

 

 ベンチから見る限りは変化球を投げる素振りじゃなかった。実際に打席へ立たないと分からないことは多くあるし、ストレートに似た変化球は数多く存在している。凉子のムービングファストだってその最たる例だ。せめて回転軸が読めれば多少は分かってくるんだけどな……

 

「いいぞいいぞー!その調子でどんどん食らいついていこう!!」

 

 一人で思考していた間に2-2までカウントが進んでいた。5球目は低めへストレートが投げ込まれたが、これを丁寧にカットした。しかし残念ながら努力は実を結ばず、外角のシュートボールに手を出してしまい、空振り三振。

 見逃せばボール球だったな。際どい場所の変化球って人間の本能的につい手を出す癖があるから、こればっかりはしょうがないかもしれないな。

 

『3番ファースト、佐藤君』

 

 こちらのクリーンナップだって負けちゃいないぜ。

 3番の寿也はチーム一の打率を誇るアベレージヒッター。勿論、パワーも両立しているから長打だって狙える長距離ヒッターでもある。頼むぜ寿也、何とかして俺に繋いでくれ。

 

「お願いします」

 

 一礼してゆっくりと打席に入った。

 眉村は寿也に対してもストレートから入り、いきなり外角低めへと決めてきた。2球目も同じコースへ飛んでくるが、球種はシュートだ。今度は丁寧におっつけて打ち、カットする。

 

(このシュートもかなり厄介だね……伊達さんの言う通りストレートが特殊に感じるよ…)

 

 寿也は本来、ストレートよりも変化球に対しての対応が非常に上手い。が、その寿也でさえも当てるのが精一杯の状態だ。

 高めに一つ外し、4球目は低めを大きく抉るシュート──。寿也が懸命にバットへ当てに行く。

 ガキィンッと音を鳴らしながら、センターと内野の間へフラフラと飛んでいく。

 ん……こいつはもしかして……落ちるか…!?

 

 

 友沢がダイビングキャッチで捕球しようとする。空中で一度は収めるものの、着地の衝撃でフィールドに溢してしまう。

 本人は不本意な形での出塁となってしまったが、チームにとっては貴重なポテンヒットとなった。

 

「佐藤よくやったぞー!」

「続けよ4番!!」

 

 ベンチからの然り気無いプレッシャーを受けながら、俺が打席へと立つ。寿也が頑張って繋いでくれたんだ、俺もキャプテンへバトンを渡さないとな。

 セットアップからの速いクイックで投げる。ワインドアップでなくてもストレートは唸りを上げてコース一杯に入った。

 

『ストライク!!』

 

 ……これはもしかすると伊達さんの言った通りかもしれないな。間近で観察してみると、軌道や回転軸が全く異なっている。そうだな…例えるならピストルの弾丸回転のように螺旋状を描いて伸びてくるボール、とでも言うべきだろうか……。

 

(シュートを狙い撃ちは難しい。なら俺が狙うべき球はストレートしかない)

 

 ストレートだけに山を張って打つしかない。

 だがその予想を嘲笑うかのように眉村は連続してシュートを使ってくる。3球目を何とかカットするが、カウントは2-0で圧倒的に不利だ。

 長い間合いをとって投げる。ボールは特殊な螺旋回転──ストレートだ!!

 

 ッカギィイィンッッ!!と豪快にインコースを引っ張っり、打球はレフトポール際に向かってグングン上がっていく。これは際どいが、頼む!これで逆転にさせてくれぇ!!!

 

 

 

 

  『──ファール!!』

 

 

 サード塁審が腕を高々と広げたのを見て、ギャラリー達はああぁーっと大きく肩を落とした。

 ったく…それにしてもなんつうボールだ。真芯で捉えたのに両手がヤバイほど痺れるぞ。まるで重い鉛球を打つような感触だぜ。

 気分を落ち着かせ、再びピッチャーへと神経を向ける。急ピッチで作り込んできたとは思えないほど滑らかなフォームから5球目を投じた。ボールは膝元でカクンッと曲がる。

 

(…っ!?しまった…!!)

 

 予想以上に体へ曲がるシュートを完全に詰まらせてセカンド正面のゴロ。蛇島が確実に処理し、俺の一打席目が終了した。

 

「ごめん寿也。不甲斐ないバッティングで…」

「ううん、あのシュートをよく当てれたと思うよ。僕だって実質打ち取られてたんだし、だったら次の打席で必ず打とう」

「そうだな。よーしっ!二回こそは0点で抑えるぜ!」

「うん!」

 

『5番キャッチャー、米倉君』

 

 まだまだ帝王リトルの強力打線は続く。正捕手を努める米倉は打率こそ友沢や蛇島に及ばないものの、長打率は8割をマークする怪力だ。球質の軽い凉子のボールをどうやってバットに当てさせないかが攻略のカギになってくるだろう。

 立ち上がり、まずは変化球で様子を探ってみる。

 低めへ滑らかに曲がるカーブを米倉は初球からセンタへ返してきた。

 コキンッ!!と涼子の右を鋭く抜け、安打となった。

 

「ナイスバッティング!顔に似合わず冷静だぞー!!」

「……顔に似合わずは余計だ…」

 

 まさか初球を狙われるとはな……。体が色黒いから米倉は純血じゃなく、どこか外国人の血も混ざったハーフ系かもな。この手の選手の身体能力は純血な日本人よりも高いってテレビで観たことがある。バネのような筋力に腰の使い方や柔軟性など、生まれ持つ体は恵まれてるってよくある話らしい。

 

 

『6番ピッチャー、眉村君』

 

 ピッチャーながら6番を任されるなら、打撃にも自信があるってことか。バットの持ち方とかも何となく様になってるし、甘いリードはできないぞ。

 

(リードがやたらと大きい…。一度牽制をしてから投球に専念しよう)

 

 サインに頷き、一塁へ牽制球を送る。米倉は瞬時に頭から潜ってベースへ戻った。

 どうやら顔に似合わず冷静ってのは本物のようだ。ピッチャーに集中してタイミングを伺わなければできないもんな。

 

 ──もう分かっている。この次に盗塁が来るのは。

 

 キャッチャーが盗塁する姿を見るのはあまり無い。でも米倉の体ならそれも結構有り得るし、リードの取り方から見ても進む気満々と感じ取れた。

 

(ウエストで外そう。相手は盗塁の存在に気付かないって高を括ってるはずだ。俺がそこを狙って刺す)

 

 涼子も大きく頷いて賛成してくれた。どうやら考えていたことが同じだったのだろう。

 チラッと見てランナーを警戒する身振りをしながら、素早くクイックして投げた。

 

「ランナー走ったぞ!!」

 

 伊達さんの声が一番に俺の耳へ届いた。

 ありがとうございます、先輩。後はしっかりと俺の送球を捕って下さいよっ!

 

「っらあっっ!!!!」

 

 眉村がわざと空振りをして盗塁をアシストする。ボールは完全に外角へ外したのでほぼ無意味。

 キャッチして直ぐにボールを右手に持ち変え、スナップを利かせてビュンッ!と腕を振った。

 しゃがんでいた涼子の頭上を鋭く通過し、セカンドベースに伸びていく。

 米倉は足から滑り込み、ベースカバーに入っていた伊達さんのタッチとクロスプレーになった。

 ここからの視点では微妙な範囲だ。果して審判の判定は──、

 

 

 

 

『アウトォ!!!』

 

 おおーーーっ!

 

「!!……ちっ」

「よしっ!」

「ナイス送球ー!!」

 

 っし!何とか刺せたようだな。米倉は悔しそうな顔をしながら戻っていった。悪いな、生憎こっちも負けられないんでね。盗塁なんてそう簡単にさせねーよ。

 相手は眉村に戻り、その初球は内角高めのストレート。

 これを見送って1-1になり、3球目は外角低めのムービングファスト。振るのが早すぎて打球はサード真正面へ転がる。これで倒れてツーアウトになった。

 

『7番レフト、猛田君』

「お願いっしますっ!!」

 

 素振りをして風切り音を靡かせながら、ボックスへズッシリと立つ。

 コイツは単純な熱血漢っぽいな。眉村や友沢とは正反対の性格のようだ。

 熱血は時には最大の武器にもなる。

 ──しかし頭に血が昇るほど熱くなってしまうと、それは諸刃の剣と化すこともある。

 1、2球目から強引にフルスイングしていくも、空振りとファールになり、簡単に追い込まれてしまう。

 

(パワーは有りそうだが振り回しすぎだ。アウトコースに1球分外して振らせる)

 

 ボール球を振らせて三振──これでチェンジだと俺は高をくくっていた。

 猛田はバットを動かすが、ボール球に気付いてスイングを止めた。

 

「審判!」

『ノースイング』

 

 一塁塁審はノースイングの判定。

 グリップは結構動いてたけど先端側があまり動いてなかった。

 よくあのタイミングで止めたな。敵ながら今のは天晴れだ。

 今度は高めへ少し外すが、これは完全に見破られて 2ボール2ストライク。

 5球目はインハイにムービングが入った。

 猛田は左腕を体よりも内側にへ移動させがらカットさせる。

 

(追い込まれてからの粘りが強い…)

 

 最初の2球がまるで嘘のようだ。

 まず、バットをできる限り自分の体に密着させてスイングしていた。これでは遠心力のパワーを多く伝えさせることができないが、猛田の場合はヘッドを速く振らせて小回りの利いた柔軟なバッティングフォームを展開させることが可能だった。

 第二に選球眼──。

 これも一般と比べてみても類稀なセンスを持ち、その動体視力のお陰で5球目のカットも成立させている。

 これほどの潜在能力を隠しているのに最初から使おうとしない理由は分からない。猛田の独創的パワーヒッターの構えと筋肉の付きかた、アイツの熱血的性格から判断すると、繊細さよりも豪快で力強いバッティングを目指している、気がするね。

 敵だが、助言するとすれば猛田はパワーヒッターというよりもアベレージヒッターを目指せば、もしかしたら友沢を超える打者になれるかもしれないぞ。

 

「レフト!!」

「オーライオーライ!!」

 

 カットを挟んで7球目のカーブを丁寧にレフトへ引っ張ってライナー性の打球を演出するも、松原さんが危なげなく落下地点へ移動してキャッチした。

 

『アウトー!スリーアウトチェンジ!!』

 

 よしっ…安打は出しちまったけど0点で切り抜くことは達成したぜ。

 この回はキャプテンからの打順だっけな?

 早いところ眉村の変則ストレートとシュートの攻略法を見つけ出して逆転しないとキツくなってくるぞ── 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「早くしろっ、もう試合は始まってるぞ」

「待ってよ聖~!」

 

 待ってられるか。もう開始時間から一時間半以上遅刻してるんだぞ。今日は皆で大地達の試合を観戦しようってあれほど前から約束してたのに……矢部やみずきが寝坊したせいでとんでもない程の時間を食ってしまった。

 

「聖ちゃん落ち着いて…まだ試合は続行してるっぽいから、ね?」

「…大丈夫。私は冷静だ」

 

 雅に宥められて私は我に戻った。

 が、言葉と行動は大きく違い、メインスタンドへ上がる階段をつい早歩きでどんどん進んでしまう。

 

「聖があそこまでせっかちになるなんてね~」

「まぁ無理もないな。だって一年前から憧れの存在でもあったんだし、ましてや六道の初恋の相t「やややややめろっっ!!!!!」

 

 野生の防御反応を引き起こしたかのような反応をしながら、達の悪い笑みをする薬師寺の口を無理矢理押さえ込んだ。

 ううーっ……どうして一ノ瀬の話題が出てくると顔が真っ赤になるのだ!今までの私なら動揺なんて滅多なことでは起きなかったぞ!!

 

「むぐぐ……悪かったって。とにかく、お前が一ノ瀬大地の事を好きか嫌いかなんてことは置いといて、早くスタンド行かないと試合が終わるぞ」

 

 うっかり忘れていた。

 今はそんな小さいことを気にしている場合ではなかった。

 …大地達は勝っているのだろうか。私達を倒したからには神奈川県でNo.1になってもらいたいし、負けでもしたら私が悔しくなりそうだ。

 

(大丈夫だ。アイツなら勝ってるはずだろう)

 

 帝王も確かに強い。それでも私は横浜リトルが勝つと予想している。

 両者とも3・4・5番のクリーンナップがとにかく強打者が揃い、守備も引けを取らないぐらい互角だ。

 と言うことは、残る投手力とキャッチャーに差が出てくるだろう。横浜リトルは川瀬というあおいやみずきと同じ女子ピッチャーがどこまで好投を披露できるか。それを大地が最終回までリードできるかが、勝つか負けるかの重要な部分だろう。

 

「大変でヤンスよー!!!」

 

 そう、大変かもしれないが……えっ?

 

「どうした矢部。何かあったのか?」

「とにかくスタンドに来てくれでヤンス!試合が凄いことになってるでヤンスよ!!!」

 

 急げ急げと促されて私達は階段を掛け上がった。

 スタンドへ出て、真っ先に電光掲示板の得点表を見てみるとそこには──

 

 

 

  TL  1 0 0  2 2 0 0

 

  YL  0 0 0  0 2 0

 

 

 

「2対5で横浜リトルが負けてる……」

「しかもそれだけじゃないでヤンス!安打数をよーく見てみるでヤンス」

 

 得点が表示されてる横に、チーム全体の合計安打数が表されている。

 帝王リトルが10本に対し、横浜リトルは僅か3本しかヒットが生まれてなかった。一体横浜リトルに何があったのか?らしくない貧打にらしくない失点の数。大地は今までどんなプレーをしてたのだ……?

 

「これはマジでヤバイぞ。準々決勝からは6イニングから7イニングに延長されるからもう後が無い。」

「一発で勝つには満塁ホームランとかが出れば……」

「無理に決まってるんでしょ!!?相手は友沢や山口率いる帝王リトルなんだから!生半可な気持ちでホームランなんて無理よ!」

「──とにかく今は一ノ瀬君や皆を信じるしかないよ。ボクは奇跡を起こしてくれるって信じる!!」

「あおいの言う通りかも。私もそう祈ってみるね!」

「………私もだ」

 

 頼むぞ大地。私達の分まで勝ってくれ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最終回、最後の守備を無失点で守ったのはいいが、点差は依然として3点もの差がのしかかっている。

 4回に友沢のツーランを浴び、5回は猛田の適時打などで更に4点を失った。打線は過去最低と言っても過言でないほどの沈黙していて、クリーンナップ3人が一本ずつヒットを打つのがやっとだ。打点もキャプテンのツーランだが、それは眉村が失投してくれたお陰で打てたものだ。

 

「江角さん、ナイスピッチです」

 

 ピッチャーは6回から江角さんが登板し、2イニングながらノーヒットの好救援を見せてくれた。

 目線を向けると、涼子が申し訳なさそうに落ち込んでいるのが分かった。5つの自責点は自分の不甲斐ないピッチングのせいだと、言葉にしなくても読み取れる。

 レガースとプロテクターを外し、俺は涼子の頭に手をポンッと置いた。

 

「お前一人のせいじゃない。全ての責任を背負おうとするな」

「大、地くん……」

「まだ試合は終わってないだろ?エースがそんな弱々しくてどーすんだよ」

「…うん」

「必ず逆転するから。俺、約束する」

 

 可愛らしい三つ編みを優しく撫でて俺なりに涼子を励ます。

 「やめて」とか言ってもそんなの知らない。

 だってこうでもしないと泣きそうだから──。

 いつも明るいお前が悲しむ姿なんて俺は見たくもない。

 

「全員集まれ!」

 

 2人のやり取りを見かねたキャプテンが、メンバーを呼んで円陣を組ませた。

 

「お前等まさか諦めてなんかねぇよな!?」

「あったりまえだろ!!」

「まだ終わるには早いっすよ!」

「ふっ、よく言った!いいか、泣いても笑ってもこれが最後だ!ゲームセットのコールがされるまでに逆転するぞ!!いいな?!」

「はいっ!!」

「おう!」

「分かってる!」

「当たり前だ!」

「ふう~……絶対勝つぞーーーッ!!!!!!」

『オオォォーーーーーーッッ!!!!』

 

 キャプテンの言う通り、まだ試合を諦めるには早すぎるぜ。

 3点もじゃなくてたった3点差って思えばいいんだよ。それぐらいひっくり返せなきゃ、全国に行っても猪狩にたどり着く前に負けちまうってもんだ。

 弱い心を捨て、諦めない強いハートを持つ。

 俺のリードを受けてくれた涼子との約束の為にも、男が約束を破るわけにいかないんだよ!!!

 

『7番レフト、松原君』

「松原行けーっ!!」

「何としてでも塁に出ろよーー!!!」

 

 眉村は最終回も投げきって完投するつもりだ。

 いくらストレートが速くたって、ここまで投げてればスタミナは減ってきて球威やキレが衰えるはず。

 後は打つタイミングさえ正確に捉えればなんとかなる!

 重心を右足から左足に置き換え、ミットめがけて真っ直ぐにボールを投げ込んでくる。

 速度は109km/hと10km/h近く落ちているも、特殊回転やボールの重さはまだ健在だ。

 

 

「うわ~凄いストレート!!」

「見たことないピッチャーだけど凄いよ…」

 

 あおいや雅が驚くのも無理はない。

 観客席から観てもその迫力あるボールは伝わってくるのだから。それにしても最終回まで投げてるのにまだ110km/h前後をマークするとは……初回はもっと速かっただろうな…。

 

「おい…あれって“ジャイロボール”じゃないか?!」

「ん、ジャイロ?なんでヤンスかそれは?」

「俺も本で読んだことしかないが、簡単に言えばフォーシームに特殊回転を混ぜた球種の一つだ。通常の真っ直ぐはリリースする瞬間に人差し指と中指でバックスピンを掛け、縦に回転するのが一般的なんだ。でもジャイロボールはマグヌスの原理を一切使わず、ドリルや弾丸のように回りながら進むんだ」

「な…何を言ってるのか全然分かんないでヤンス…」

「でも眉村君のはリリースからミットに到着するまでの空気抵抗による減速が少ないからツーシームよりはフォーシームジャイロみたいだよね」

「よく知ってるな小山。確かに抵抗を大幅に減らしてはくれるんだけどな……なぜか眉村のは落ちないんだよな」

「落ちない?」

「ああ。本来ジャイロボールは螺旋回転していから通常のバックスピンは掛からないんだ。つまり普通の速球と比べると打者の前で弓なりに落ちるんだよ」

「でも眉村のは落ちずに真っ直ぐ向かってると?」

「…ということになるかな。詳しいことは知らんが、少なくとも小学生でジャイロを投げれる奴はそう簡単にいないな」

 

 

 2-2。松原は外角低めの真っ直ぐを強く弾き返した。

 打球は二遊間。眉村の足元をを鋭く襲い、センター前に抜けそうな良い当たりだったが…

 

(甘く見るなよ!!)

 

 驚異的な身体能力でボールに横っ飛びしてキャッチ。

 そのまま素早く立ち上がって送球する。

 松原もファーストがキャッチしたのとほぼ同着のタイミングでベースに触れた。

 

 

 

「…アウト!!」

 

 ん~…若干送球の方が速かったか?

 今のを塁に出れてれば大きかったんだがなぁ…。

 

「………ねぇ」

「ん、どうした寿也」

「眉村の投球フォーム…変じゃないかな?」

「変?寧ろお手本通りのオーバースローだと思うんだけど…」

「違うよ。右腕を後ろにセットする時、ほらよく見て!」

 

 打席には8番の菊地が入る。

 寿也が言うには投げる前の右腕に注目しろって言ってたな。

 プレートを踏み、左足を蹴り上げ、そして右腕を後ろに──

 

『ストラーイク!!』

 

 まずはストレートが内角に決まった。

 でも特に変わった投げ方をしているわけではないからよく分からない。

 不満そうな顔で寿也の方を向くと、

 

「次の2球目と比較して見ると分かるよ」

 

 次のって…ただフォームを見ただけじゃあ何も分からな……

 

「──!!」

「ようやく気が付いたね」

「寿也…まさか……」

「そう、これが眉村の弱点だ。彼は初級のストレートと二球目のシュートで右腕の高さが異なってるんだ。まずシュートは高めよりも低めに制球して凡打を誘うのに多く使っていた。そのため、シュートの際はセットした右腕が肩よりも低い位置を通って投げてる。逆にストレートはシュートと織り交ぜて高めの釣り球として配球したり、初級の厳しい場所に投げることが多かった。つまり…」

「……ハイを通すから肩よりも高くなるってわけか!」

「うん」

 

 なんて観察力なんだ。そんな微量の癖を掴むなんてな…敵だったら恐ろしいことこの上ないぜ。

 

「とにかく監督に知らせてタイムを取ろう」

「ああ!」

 

 俺達は監督に全てを話した。眉村の弱点や米倉のリード。初めは半信半疑だったが、菊地がライトフライに倒れたところでタイムを要求してくれた。

 そして寿也の作戦が全員に話された──

 

「時間が無いので手短に言います。眉村はストレートを投げるときに右腕を肩よりも高く、シュートは肩よりも低くして投げる癖があります」

「ええっ、本当か!?」

「はい。ですので彼がボールを放す前の右腕を注目すれば、あとは打点さえ合えば打てるはずです!」

「ふむ……もうツーアウトだしそれに賭けるしかないな」

「ですが監督!万が一失敗したら終わりですよ!?注目してて打てなかったらどうするんですか?!」

 

 監督は自分のサングラスを外してこう全員に告げた。

 

「失敗を恐れるから失敗するんだ。お前たちは去年の秋に何を学んだ?」

 

 メンバーの皆がはっ!と思い出したかのように顔を上げた。

 

「あのチームはどんな逆境もチャンスにしてウチに勝ったんだろ。本田茂治の息子、本田吾郎が失敗を恐れて野球をやっていたか!!!」

『……………』

「諦めないとは口でいくらでも言える!だがな、実行に移すのはプロにさえ困難な事だ!!チームが一つになり、お前達一人一人の勝利への気持ちが強く生まれたときに、逆転という奇跡が出るんだ!!!それを三船リトルから教えて貰ったんじゃないのか!!!!」

 

 

 

 ──そうだよな

 

 

 

「!!」

 

「俺は去年の横浜リトルの過去なんて知らないけどさ、自分のプレーに自信を持てなきゃ勝てないよな」

「……そうだね。僕達はあの敗戦からチームの重要性、そして勝利への貪欲な闘志を教えて貰ったんだ!」

「はぁ~…俺としたことが、つい忘れるとこだったぜ」

「こんな所でビビってちゃ、」

「勝てねーよな!!」

 

『あの~…そろそろ次のバッターを……』

 

「行ってこい江角。お前が川瀬の分まで想いをぶつけてみろ」

「…はい!!!」

 

 失敗を恐れるな──。

 聞こえは初歩的かもしれないが、ウチにとっては案外大切な決まり文句かもな。

 チャレンジしないで後悔するより、チャレンジして次に繋げた方がよっぽど良いに決まってる。

 

『9番ピッチャー、江角君』

 

「眉村、あと一人だ!!最後まで気を緩めずに行くぞ!!!」

「……ああ!」

 

 相手もウチの雰囲気を見て気合いを入れ直してきたな。

 面白くなってきたぜ…これこそがベースボールだ!!

 

(確か右腕の位置を気を付けろと言ってたな。よーし!)

 

 汗を袖で拭いてグローブを胸に置く。くっ…観てるだけでもドキドキする間合いだ。

 ──そして互いに睨み合い、眉村が動いた。

 目をはっきりと開け、威圧感を全面に押し出しながら投げた。

 

(右腕は上、ストレートだ!!)

 

 江角さんは迷いもなくそのボールをフルスイングした。

 ッキィィンッ!と久し振りに聞いた心地良い打球音。

 

 

 ──ボールはセンター前に落ちた。

 

 

「来たあああああーっ!!!」

「おおおおおおーーーっ!!?」

「打ったぞ!?」

「これがリトルリーグだと………」

 

 土壇場で江角さんが繋いでくれた。観客もその姿を観て大興奮の嵐だ。

 さぁ伊達さん、お願いしますよ!

 

『一番ショート、伊達君』

(心を一つに、か。なら俺も…!)

 

 積極ながらも慎重にボールを見極める。こういう場面での伊達さんは強いからな。

 1球外れ、2球目。今度は腕が低い…シュートボールだ!

 伊達さんの得意技は、そう叩きつけることだ。

 

 

  ──ガアァンッ!!!

 

 バットを地面に叩き割るくらいに振り、ボールはフェアゾーンを高くワンバウンドした。

 サードの中畑が急いで捕るが時すでに遅し。伊達さんは悠々セーフで内野安打となった。

 

「やった!これはもしかして…!」

「いや、まだだ。ヒットは続くがツーアウトに変わりはない。まだ余裕は持てないぞ」

 

 だけど涼子がはしゃぐのも分からなくはない。

 降板してからずっとベンチで手を握って祈ってたんだからな。そりゃ、嬉しいに決まってる。

 俺の言葉を聞き、顔は明るくなってきたけど握っている手はブルブルと震えていた。「安心しろ」と声を掛けるかわりに、そっと右手を被せて震えを止まらせた。

 

「ぁ……」

「最後まで見届けよう。皆はやってくれるって」

 

 数秒間顔を見合せた後、恥ずかしがりながら下を向いて俺の手を強く握り締めた。

 見た目は可愛らしい女の子の手だけれど、平はムービングファストによってできたマメがポツポツある。

 小さなエースがこんなになるまで投げてくれたのか。改めて涼子の頑張りを知り、俺は舌を巻いた。

 ──すると、スタンドからまた大歓声が聞こえた。

 まさか!と嫌なことを考えてしまったが、目に映ったのは塁上でガッツポーズしている村井の顔だった。

 

「ナイスバントヒットー!!」

「流石はバントの名手!」

 

 ヒッティングじゃなくてセーフティーで出塁したのかよ!ツーアウトでよくそんな危険な技に挑戦したな。「失敗を恐れるな」が余程効いたんだな。

 

『三番ファースト、佐藤君』

 

 ツーアウト、ランナー満塁───

 一発が出ればサヨナラのビックチャンスだ。こんな漫画みたいな展開、本当にあり得るんだなぁ。打てたらどれほど凄いんだろうか。

 いや、もう打ってくれると確信してる。寿也のなら必ずやってくれる!

 

「頼むぞ!!お前が決めてくれー!!!!」

 

 ネクストサークルから声援を送った。

 寿也は決意を固めた顔でこちらへ頷き、ゆったりとバッターボックスに入った。

 

「眉村大丈夫だ!こっちだって皆がいるんだ!リラックスしていけ!!」

「俺が信用できないのか?俺はお前を信じてるぞ!!」

「ふふっ…僕が全部守ってあげるよ」

「バックは任せとけよ。勝って全国に行くんだろ」

 

 帝王リトルも盛り上がってるな。これで両陣営に観客が興奮し、まるで地鳴りが響くほどの熱狂状態だ。

 暑い夏にこれほどまでの知的で、熱くさせてくれるプレーをすれば敵味方なんて関係なく楽しむってもんよ。

 

「来いっ!!」

 

 一面の青空に向けて叫び、バットを立てて勝負を迎え撃つ。これに触発された眉村もロージンを叩きつけてセットする。

 手に汗握るその初球、右足に溜めを大きく作ってボールを放った。ズドォンッ!と重々しい音と共にミットへ入る。

 

『ストライッ!!!』

 

 ……速い。ここへ来てまた球威が戻り始めている。

 やはり眉村は凄いよ。だけどな、寿也だって凄いバッターなんだぜ?

 2球目をボールをで見送り、3投目の豪速球をお構い無く引っ張った。

 弾道ミサイルの如く、打球がサード線を襲い掛かる。入ればレフトは捕れない。

 頼むから入れれええええええええええええ!!!!

 

   …………

 

 

 

 

『……ファールボール!』

 

 なっ!?マジかよーっ!!これがフェアだったら同点だったかもしれないのによ!!!

 

(って落ち着け!まだ分かんないだろ。追い込まれたけど弱気になるなよ…寿也……!)

(弱気になるな!大地君なら絶対こう言うはずだ)

 

 うし、動揺してないみたいだ。逆に開き直れてる感じがするぜ。

 ボックス外から出てバットを振り、また打席に入る。

 次第に2人の間に空気が張り詰められていく。周りのギャラリーもシーンとなり、この対決を静かに見届けようとしている。

 

 深呼吸をし、足が動いた。

 場合によっては最後になるかもしれない。皆の想いをバットに込め、寿也が空を切り裂いて振った──

 

 

 

 外角を右へ押し出した打球はライトを守る山口の頭上を過ぎ、ワンバウンドして柵を超えた。

 

「えっ?これって………」

「ホームランじゃないけど…」

 

 

 

 

「タイムリーだあああああああああ!!!!!!」

 

 おおおおおおおおおおおっっ!!!!!

 

「起死回生のタイムリーツーベースヒットだああ!!!」

「佐藤すげぇぇぇぇぇぇー!!!!」

「アイツやってくれたよ!!!!!!!」

 

 惜しくもホームランではないものの、一点差に迫るエンタイトルタイムリーツーベースヒットで追い詰めて来た!

 流石だぜ、寿也──。ここで打つなんてお前は何か神

懸った力を持ってるな。

 

「審判、タイムを」

 

 帝王側も慌ただしくなり始め、野手全員がマウンドに集まった。

 

「眉村。お前はこのまま続投するか、それとも交替するか?」

 

 相手の監督も寄り添って眉村に何か問いかける。

 多分交替するかを考えてるのだろう。

 

「俺は……このまま交替して勝っても、勝った気になれません!」

「監督、自分は友沢君に交替すべきだと思います。もう体力のない眉村を使うなんて無謀です」 

「確かに蛇島の言葉は正論だ。このまま山口や友沢を交替した方が勝率は上がる。でも俺は……」

 

 

 

 「眉村を続投させる」

 

「──!!正気ですか!?それではみすみす負けに行くような行為だ!」

「蛇島は人1倍に勝ちたい気持ちが強い。それは決して悪いことではないと思う。でもな、それだけでは全国やこれから先の試合に──勝てない。」

「監督……」

「監督が選手を信じないで選手が動けるかって話だ。と、これが俺の考えだけど眉村はどうする?」

「………投げます。絶対にアイツから三振してみせます!!」

「…分かった。皆も眉村をカバーしてやってくれ。俺よりも身近で一緒に戦う仲間の方が安心するからからな」

『はいっ!!!』

「おーっしゃぁ!!これで最後にするぜ!行くぞーっ!!」

『オオォーっ!!!!!!!!』

 

 猛田が吠え、守備に戻った。

 む、これは続投か。

 そう来なくっちゃな。もし交替されてたらほぼ詰みだったからこっちとしても大助かりなんだよ。

 

 

 

 

『4番キャッチャー、一ノ瀬君』

 

 

 この日一番のボルテージでワァッと盛り上がる。

 こんな感覚、全国大会の決勝戦以来かもしれないな。

 皆が勝負に注目して一喜一憂してくれるなんて。

 ──もうこれが最後だ。さぁ来いよ、眉村!!!

 

 

「っらあああっ!!!」

 

 雄叫びを上げながらボールに力を込めて投げた。

 グオオオンッと伸びる剛球をフルスイングで応えるが、振り遅れて空振った。

 

『ストライクッ!!!!!』

 

 くうっ……また速くなりやがった。よく見れば110km/hが118km/hまで戻ってやがる。

 球種が分かってても打つのは難しいぞ、これは。

 次は外角高めのシュートが外れてワンボール。たったこれだけでも重圧は重苦しく乗り移るって来る。

 

「頑張れ大地!!!私は信じてるぞーっ!!!」

 

 この声は……そうか、聖ちゃん達も観に来てくれたのか。

 

「お願い大地君!約束を守ってよ!!!」

 

 そうだった……涼子との約束もあったんだっけな。

 こうやって皆の声援が俺を支えてくれてるんだ。その期待を破っちゃいけないんだよ!

 

(いっ、けぇぇぇぇぇぇ!!!!!!)

 

 3球目──。

 内角からボール球になるシュートが飛んできた。

 見逃せばボールかもしれなかったが、押されて振った。

 たがバットが下を過ぎて、これも当たらなかった。

 

 

『ストラックツー!!!』

 

 くそっ、当たらなかった。これでもうストライクはできなくなったか。

 

 

(なるほどね……上等だ!!今度こそスタンドに送ってやるよ!!!)

(これが野球のマウンドか…。ドッジボールとは違う緊迫感、そして意地と意地のぶつかり合い……いいだろう。俺も全力で応える!!)

 

 

 

 ベンチからは各々が自チームの応援をするのが微かに聞こえる。

 スタンドからも聖ちゃんの声援や、観に来てくれた人達が大きな声で健闘を称えている。

 ──猪狩、どうやらお前以外にもライバルとして相応しいピッチャーがこの神奈川にも居たぞ。

 これだから辞められないんだよ、野球は──。

 

 

 そして運命の4球目──。

 渾身のストレートがど真ん中の甘いコースに迫ってくる。

 もはや打てる打てないなんて関係ない。

 ただそれが当てれるかってだけの話だからなああああああああ!!!!!!

 

 

 

 

   ────ブオンッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ────スバァンッ!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 一瞬の爆発音が鳴り響き、シーンと物静かになった。

 全員が目を向けた先は───ミットだった。

 

 

『す、ストライク!!!バッターアウトォ!!!!!ゲームセッッ!!!!!』

 

 

 

 



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第九話 次の目標

 

「只今の試合は五対四で帝王リトルの勝ち、相互に礼!!!」

『ありがとうございましたーーーー!!!!』

 

 約二時間の激闘の末、制したのは帝王リトルだ。

 ウチは最終回に一点差までに迫る反撃を見せるも、この日最速記録となる121km/hの速球に俺は歯が立たずにゲームセット。

 勝利が決まった瞬間、眉村が手を挙げて喜びを露にしていたのに対し、横浜リトルナインは勝者の余韻をただ呆然と見ることしかできなかった。

 

「よく頑張ってたぞー!」

「良い試合だった!」

「どっちも勝者だ!」

 

 礼をして後ろを振り向くと、これまで観ていてくれた観客が拍手をしてくれた。

 ──でもその拍手が今の俺にとっては余計悔しくなって……

 

「…皆、ゴメン」

 

 ベンチに戻るなりふとそう呟いてしまった。慌てて口を抑えるがもう遅かった。

 監督が俺の前に立ち、見下ろしながら喋った。

 

「反省は後回しだ。終わったことをいつまでもクヨクヨするな」

 

 それだけを残してベンチを出ていった。

 クヨクヨするなと言われても…俺にとっては初の敗戦試合なんだ。しかも俺が打ててれば少なくとも同点には──

 

「行こう大地君。皆もう出て行ってるよ」

「っ……ぁ、あぁ……」

 

 くそっ、まさか俺が悔しくなって泣くとはな……。

 せめてこのグシャグシャな顔が涼子や寿也にだけでも見られないよう、帽子を深く被って俺は球場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 七月第三週目の土曜──。

 この日は生憎の天気となってしまったが、幸い小雨だったということもあり、神奈川県リトルリーグの決勝戦が行われていた。

 決勝の組み合わせは『帝王リトルvs三船リトル』。どちらも激戦を勝ち抜いてきた強者同士だ。

 決勝戦のみ県内のテレビ局で生放送をするらしいので、俺と涼子と寿也とキャプテンは監督の家へお邪魔して中継を観ることにした。

 

「ねぇ、天気が雨の割には観に来てる人が多い気がしない?」

「うーん…確かにいつもより2割ほど多いね。やっぱり決勝だからかなぁ」

「いや、どうやらそうでもないらしいぜ」

 

 キャプテンが持ってきたバックから一冊の本を取りだし、皆が囲んでいた机の上に置いた。

 

「それの三十七ページを読んでみろ」

 

 出した本は先週発売したばかりの週刊パワスポだ。ちなみに表紙は茂野選手と神童選手のツーショット写真が大きく扱われていた。

 言われた通りにパラパラとページを開き、三十七で止めた。

 

「特選!~リトルを戦う球児達~?」

「うわぁ、先週はリトルリーグの特集だったんだ」

 

 パワスポは一週間のプロ野球やMLBの試合結果や様子、選手達のインタビューや対談以外にもこのような『特選』というコーナーを設け、もっと身近な野球事情をも取り上げている。先週は各県で開催されたリトルリーグ県予選の記事を上げていたらしい。

 

「なになに……『今年は例年よりもリトル熱が激しく、小さな闘志を持った子ども達が大いに躍動していた。特に注目は神奈川県のリトル大会。つい最近行われた準々決勝、横浜リトル対帝王リトルの試合は何年も前に現役を退いた私でさえも熱くさせてくれた。リトルでは類を見ない120km/hの豪速球に、猪狩・一ノ瀬世代とまで呼ばれる一ノ瀬大地君との最後の対決は、直接この眼で観た者にしか分からない感動がそこにあった。もしかすると彼等は近い将来のプロ野球選手を目指す輝く球児になるかもしれないだろう。これからの成長がますます楽しみである(キャットハンズ専門スカウト・景山修三)』だって」

「なるほど……これが観客を増やした原因ってわけね」

「しかもキャットハンズのスカウトと言えばプロ野球の有名球団だよ!特集で取り上げられるなんて凄いよ!!」

「そうでもないって。掲載されたのは名前だけだし、写真だって眉村がカッツポーズした時のだけだろ」

「それはそうだけど……」

 

 寿也が残念そうに顔を下げた。

 正直、パワスポの週刊紙に載せられることなんて昔から慣れていたことだ。今更また書かれたところで驚きもしない。

 

「おい、そろそろ試合が始まるぞ」

「あ、はい」

 

 雑誌を戻して再びテレビへ注目する。

 時間は九時五十八分。あと二分でプレイボールだ。

 

 

 

 

 

 

 

『空振りさんしーん!!6回の裏を終え、両チームの得点は未だ無得点!安打も互いに二本ずつのみと緊迫した状況が続いております!!!』

 

 試合は大衆の予想を大きく覆すかのような投手戦が繰り広げられていた。結構乱打戦になると思ってたが、逆にピッチャー達が好投で盛り上げている。

 

『さぁ7回の表、先頭バッターは数少ない安打を放っている友沢亮!果たして自分のバットで援護ができるか!?それに対して迎えるのは三船リトルのエース、久遠ヒカル!スライダーを武器に八奪三振と快刀乱麻のピッチングで封じ込めています!果たしてどちらに軍配が上がるのでしょうか!?』

 

 初級はインハイにストレートがドシッ!と決まった。

 久遠は友沢と同タイプのピッチャーでコントロールや球速などもほぼ同じだ。二人とも最後まで投げれるスタミナ、おまけに決め球さえも同じと、何かネタでも狙ってるのかってぐらいそっくりである。

 

「速いね…」

 

 テレビに映る快速球に涼子がぼやく。

 眉村よりは劣るかもしれないが、それでも112km/hとリトルの中では速い種類に分類されるボールだ。

 

「吾郎君を思い出すね」

 

 『吾郎』と単語が出た時、キャプテンと涼子の目が僅かにピクッと動いた。

 まだ一年近く経った今でも感情深い思い出なんだな。

  ──もしサヨナラ打が打ててたら皆にリベンジができたかもしれないのに。ついそんな考えが過ってしまい、急に申し訳なくなってしまう。

 キャプテンを始め、

  伊達さん、

  松原さん、

  菊地さん、

  江角さん、

  関さん、

  村井、

  寿也……そして涼子。

 

 皆がこの日の舞台の為にどれだけ練習を積み、どれだけ悔しい思いをしながら過ごしてきたのだろうか。

 こんな途中から入ってきた奴のせいでその念願を壊され……

 

 

  皆は今、どう思ってるのだろうか?

 

 

「あ!ホームランになった!!」

「ふむ……これは決定打になりそうだな」

「小森君達悔しそうだね…」

「仕方ないだろ?勝負なんて勝つか負けるかなんだからよ」

 

 あ……友沢が打ったのか…。

 流石だなぁ、アイツ。

 

「そういえば監督、今年も山梨で合宿を行うんですか?」

「ああ。今年は八月一日から八日までの約一週間の範囲でやろうと考えている。なんだ、去年よりやけに張り切ってるな」

「そりゃそうですよ!だってもう秋に向けて始まってるんスから!」

「あくまで個人的な目標なんですけど、僕は吾郎君と全国大会で戦って勝ちたいんです!その為に効率よく練習して、少しでもレベルアップできるようにならないといけないですし…」

「…なるほどな。各自が次に向けて切り替えてて良いことじゃないか」

「ねぇねぇ!大地君はもう目標とかって決めた?」

「……………」

「大地君?ねぇ大地君ってば!!」

「…ん、ぁ……悪い、何?」

「だから目標とか目指してるものってあるの?」

「目標……」

 

 俺の目標は……確か猪狩や吾郎を倒して……

 でも全国へ辿り着く前にやられたのにこんな大口叩いたら…。

 

「俺は………いや、まだこれから決めるよ」

 

 結局曖昧な答えしかできなかった。

 情けないとは自分でも思うんだけど、それを聞いた四人が変に思ったら嫌なんだよ…。

 

(ちっ…俺、どうしたんだろう……)

 

 

 

 試合は一対〇で帝王リトルが二連覇を達成して、神奈川の夏はこれで終幕となった。

 友沢が最後まで投げきり、マウンド上で優勝をチームと分かち合っていた。

 

「それじゃあ俺、そろそろ帰りますわ」

 

 優勝インタビューが終わって試合のハイライトに移ったのを確認し、キャプテンが立ち上がる。

 

「僕も帰ります。監督、ありがとうございました」

 

 二人も席を立ち、帰り支度を済ませて帰路に着こうとしていた。

 俺が最後にお礼を言って出ていこうとしたその時、

 

 

「一ノ瀬、少しいいか?」

 

 

 リビングの扉を開けようとしてたら監督が後ろから手を掛けて呼び止めた。

 先に帰っててと三人に告げ、案内された部屋に座らされた。

 壁には野球に関する雑誌や書物が本棚に揃えられ、扉から入って左側には立派な机と椅子、小綺麗に整えられた布団もあった。ここは監督の寝室、あるいは自室のようだ。

 

「悪いな、お前だけ残して」

「いえ…大丈夫ですから」

 

 リビングから持ってきた飲み物を目の前に並べ、自分もドカッと座った。

 

「さてと…それでお前だけを残したのはな、どうしても二人きりで話したいことがあるからなんだ」

「話したい、こと?」

 

 

「あの試合についての事だ」

「──!!」

 

 っ…やっぱりその事か。

 覚悟はしていたが、いざ突かれてみると苦しい記憶だ。あの日以来特に触れられていなかった分、さらに心を締め付ける苦しさは大きい。

 負けたことへの悔しさか?それともチームに迷惑をかけた罪悪感か?その苦しみは監督の話を聞くまでは分からない。

 

「率直に言うと、俺はあの試合を低く評価するつもりはない。結果論だけで判断すればたった一点差の接戦。一見危なっかしい試合に見られがちかもしれんが、逆に裏を返せばそこには野球の醍醐味、サヨナラ勝利が生まれるとも言える。実力も俺から見解すれば大きな差はない。精神面だけは帝王リトルよりも勝っていたほどだ。」

 

 難しい顔になりながらも、丁寧に話してくれた。

 

「それでもなぜウチが負けたか、分かるか?」

「……俺がチャンスを決めれなかったから」

「それも一つの回答かもしれんが違う」

「じゃあ何なんですか?」

「──お前自身の強さ、そして信頼だ」

「え?」

「一ノ瀬、お前はキャッチャーというポジションについて深く考えたことがあるか?」

 

 キャッチャーについて──?

 投手を打たせないようにリードして、投げ込まれたボールをキャッチングする。そして細かな指示と掛け声中心的に行い、バッティングでも打線の一角として勝利へ先導する、だよな?

 

「お前が思うキャッチャーと俺が思う理想のキャッチャー、予測だが多分考えはズレている」

 

 じゃあ違うのか?

 俺は今までもその考えで暁リトルを日本一にまで導いてきたんだぞ。実績だって残ってるのにそれはおかしいって言うのかよ!

 監督の手前、反発するのを抑えつつも歯軋りをしながら拳をギュッと握った。

 

「まず観察力が足りない。これは次に相手がどうしたいのか、どの戦略を仕掛けてくるのかを前々から予測する洞察力にも関わってくるが、お前にはそれが決定的に欠けている。根拠だってある。最終回で眉村の弱点を見つけたのも寿也のお陰だっただろ?本来なら一ノ瀬が暴く仕事だったんだ」

「…観察力………」

 

 足りない自覚はあるさ。

 監督の話したことその通りだと思う。俺は冷静にリードしている割りに周りが全て見切ることができないんだってな。

 

「二つ目は川瀬とお前の関係だ。そもそも選手一人一人はプラス思考で動くのが大切だという固定観念が存在するが、それは嘘だ。捕手はマイナス思考の危機管理をしっかりと持ち、投手である川瀬を常にプラス思考で抑えることだけを考えさせなければならない。だから抑えられれば投手のお陰、打たれれば捕手のせいという意識が必要なんだ。帝王戦ではその事まで考えてプレーしていたのか?」

「………してない…です……」

「お前一人が先導して引っ張るんじゃない。それでは真の信頼など一生経っても出来るわけないだろ。いいか、捕手は九つあるポジションで扇の要を担う最重要な位置に値する。心臓部は周りの器官の働きを助ける役割もある。だからお前は……

 

   ──チームを助ける救世主になれ」

 

 

「きゅう…せいしゅ……?」

「そうだ。誰よりも勝ちへの執着心を強く持ち、頭脳や肩力やインサイドワークをも身に付け、性格でも人を惹き付けるような名捕手を目指すんだ。それが今のお前の……いや、これから先で生きていくための最大の目標だ」

 

 救世主──

 俺がそんな大役に化けることができるのだろうか?

 これから先とは中学…高校…そしてプロへ……さらに進めばメジャーにも…。

 そうだ、なれないとか言ってる場合じゃないんだ。そんな生半可な覚悟でキャッチャーやるくらいならとっとと辞めろって事だよな、監督。

 バッティングも勝つためには重要な要素。

 でも俺がキャッチャーとしての道を歩む以上、チームの勝敗を受ける覚悟を背負って戦わなければならない。

 

「全国を制し、負けを知らないお前がとっとと切り替えろなんて言ったところで直ぐにはできんが、捕手がそれじゃあチームは落ち込むぞ。何も触れなかったが、川瀬や佐藤達はあれでもかなり心配してたんだぞ。真島も話してたが、次の戦いはもう始まっている。それでもな、もしお前がこの話を心から真に受けてくれたら、きっと昨日よりも進歩する。だから──頑張れ。次こそは導いてくれよ、全国によ」

 

 樫本…監督……。

 

「はいっ……おれっ……っく……必ず強くなります!そしてみんなをぉ……全国へ……ぅぅ…」

 

 その後の俺は暫く涙腺がダメになり、監督の言葉を噛み締めて家を出たのは午後二時を過ぎたところだった。

 外はもう雨が止んでおり、東の空に虹が微かに浮かんでいた。

 

(ったく…また泣いちまったぜ……)

 

 でも有意義な日が送れた。それは確信できる。

 『救世主』なんてちょっと大袈裟かもしれないけど、覚悟を持つなら大きい方が良いに決まってる。

 まだまだ俺には時間がある。目先の勝ちを拘りつつも、捕手としての自覚と自尊心を持ち続け、チームを正しい意味で支えられるように、俺は変わる!

 

「よしっ!!俺頑張るぞーっ!!!」

 

 こうして新たな目標を見つけ、俺はアスファルトの湿った道路を全力で走って帰った。

 

 



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第十話 約束の時まで…

 それは数ヵ月前の十一月に遡る出来事だ。

 いつも通り練習を終え、涼子と他愛もない話をしながら帰っていた時のこと。

 

「大地君は中学生になったらどうするの?」

「中学ねぇ……多分このまま行けば横浜シニアにエスカレーター式で進むんじゃないかな」

「そうなんだ!じゃあまた一緒にバッテリーが組めるかもね」

「そう……だな」

 

 何もなければ卒業と同時にリトルを辞めてシニアへ転向する予定だ。

 ──けれど時々思う。本当にそれで良いのかと。

 横浜シニアは決して弱いチームではない。それどころか県内でも上位に入る強豪名高い評判だってある。

 

(でもなんか刺激が足りないんだよなぁ。こう…言葉に出せないんだけどさ…)

 

 地元のシニアに上がり、ただ野球をやってるだけで俺はこの先大丈夫なのか?もしシニアでも変わることができなければ“また”悔しい思いを痛感させられるかもしれないんだぞ。

 

 五年生に経験した帝王リトル戦の敗北。

 

 それからという日は時間を惜しまず練習を重ねていったが、先月の秋に始まった最後の県予選でまたもや帝王リトルに負けた。

 言い訳は山ほど見つかるが一番はやっぱり、

 

「寿也君……元気にしてるかな…」

 

 公式戦まであと二週間と目前に控えたある日、寿也は横浜リトルを去った。

 次の日に監督を通して俺達にも寿也が辞めたことは伝わったが、もうユニフォームを返して家も引っ越していた。

 

「分かんないな。野球辞めてなきゃいいけど……」

 

 噂では家庭内のいざこざが理由で野球をやる余裕が無くなったと、チーム間や学校に広まっていたが、それが真実かは誰も知らない。

 くそっ、なんで消えたんだよ寿也──

 帝王を倒してようやく全国への道が見えてきたと思った矢先に……

 

「ごめんなさい、重い話しちゃって」

「いいよ。アイツだって許してくれるさ」

 

 もうすぐ冬が訪れ、雪が溶ければ出会いと別れの季節がまた始まる。

 やっぱり横浜シニアで野球を続けるのが最善の道か…それとも他の新天地でプレーするか…って、そんな自己中は流石に無理があるか……

 

 

 

 

 

 

 

「大地」

 

 

 

 

 不意に呼ばれた俺の名前。

 耳に入ってきた瞬間、奥隅に押しやられていた懐かしき風景が流れた気がした。

 歩くのを止めて背中を返すと、そこにはクールな顔立ちに多少癖っ毛のある茶髪の少年が、瞳に強い意志を持ってこちらを見つめてきている。

 

 

「!…猪狩っ……!?」

「ふっ、久しぶりだな。一ノ瀬大地」

「お前…どうしてここに!?」

 

 強い驚きで脳内の思考回路が狂ったぞ。

 だって暁は隣県(別と言っても距離はさほど遠くはないが)だろ?誰もお前が来るなんて考えもしてないぞ。

 

「君をずっと探してたんだ」

「探してたぁ?…いくらなんでもストーカーだぞ。お前が男に興味あるなんて…マジ引いたわ」

「そっ、そんなわけないだろ!!旧友の仲だからってそんな感情は抱いていない!」

「はははっ。相変わらず真面目なツッコミしか返さないな」

「大地もな。投手をリラックスさせろって言われてから、こうしてよくどうでもいいボケをかましてきただろ?頭は良いのにな……そこの彼女に変なことでも吹き込んでたんじゃないのか?」

「してないっつうの。涼子は別だって」

(へぇ~大地君って昔はボケてたんだ…)

 

 俺の意外な一面を知った涼子は、堪らず笑みを溢した。

 だってさ、あかつき時代にピンチを招いた時、「何でもいいから猪狩をリラックスさせてみろ」って監督が指示してきたからこんな感じで猪狩にツッコミをさせて緊張をほどいてやったんだぞ。その甲斐あって試合にも勝てたし。

 …これからはしないけどよ。マウンドでキャッチャーがそんなおちょくりしてたら「舐めてんのか?」って怒られそうだからな。本当に必要な時以外にはやらないって。

 

「で、かなり脱線してけど用件は何?」

「実は君にある提案をしに来たんだ」

 

 猪狩の表情が変わって真剣になる。

 

「──あかつき中への勧誘か?」

「流石は僕が認めた捕手、察しがいい」

 

 提案と出した時点で俺を連れ戻しに来たとは大体読めた。

 でも誤算だったのはお前一人だけで俺を探した点だ。

 あかつき中は野球だけでなくサッカーやバスケといった運動部がとにかく強くて全国的にも有名だ。

 それ故に施設や環境も充実しており、有望な人材を見つけては特待生として入学させるチーフスカウト達も存在している。

 先ずは手紙とか電話を使い、間接的に誘うのが常識だけど、コイツは真っ向から来やがった。

 

「今更どうして俺を呼び戻すんだ?お前だってあれほど相手として戦いたいって言ってたじゃん。そこまでしてお前は中学でも優勝したいのか?俺達の約束はそんな軽かったのかよ!!」

 

 猪狩を突き放すかのように言葉を飛ばした。

 依然として表情一つ変えない猪狩に対し、涼子はもう状況が分からずに戸惑っている。

 はっきり言えば、俺があきつき中行くことで優勝する確率だってグンと伸びるし、またお前とバッテリーだって組める。そう考えれば悪い条件なんて一つも無いんだ。

 ──それじゃあ涼子はどうするんだ?

 約二年間ずっと共に協力し合い、時には喧嘩や衝突することだってあった。

 でも分かるんだ!俺達は時間を重ねていくにつれてバッテリーとしても、普通の男女間としての仲も、しだいに深まっていくのを。

 

 「またバッテリーが組めるね」

 

 その言葉がどれほど嬉しかったのだろうか。

 横浜シニアで良いか悪いかは別として“また組みたい”なんて、こんなダメキャッチャーを好きでいてくれる思いがあったのかと知らせれるとあかつきに行くなんて俺には……

 

「君の試合は全て観させてもらったよ。どうやら川瀬さんのことを気にして拒んでいるように見えるが……違うか?」

「……………」

「やれやれ、情けないやつに成り下がったんだな。正直幻滅したよ、君にはね」

「情けないやつ……だと?」

「君は誰のために野球をやってるんだ」

「誰の為って……」

「自分の為じゃないのか?僕と戦う為に野球をやってるんだろ!?それなのになんて様だ!失礼な言い方をさせてもらうが、この女のご機嫌を取りたくて野球をやってるんじゃ今すぐ辞めろ!!!お前なんかが勝負の世界に出る資格は無い!!」

(えっ………何がどういうことなの…?)

 

 普段冷静でクールな猪狩が我を忘れるほど興奮する姿を見せたのは初めてだ。

 試合で打たれた時だって、ノーヒットノーランでちやほやされた時だって、コイツはいつも平常心だった。

 アイツがここまで怒ると、俺だって胸に来るぜ。

 

「──僕と組め、大地。中学三年間であかつきを優勝させた時の君の心を思い出させてやる!そして今度こそ……!甲子園の舞台でお前が這い上がるのを待っててやるよ!」

 

 甲子園……。

 ああ、そうか。お前は心から俺と勝負がしたかったんだな。本当なら中学でも対戦したかったはずだ。それを放棄してまで俺を誘うのはこの現状に耐えかね、もう一度俺に鍛え直すチャンスを与えるってことか。

 

「ったく……余計なお世話だってんだよ…」

 

 分かってらぁ。それが自分にとっての最善策だってな。

 なら少しだけ…ワガママ言ってもいいよな、涼子。

 

 

「俺は俺の意志であかつき中に入る。それだけは忘れるなよ。そしてお前がコイツをスカウトさせたことを、高校野球で後悔させてやる!!」 

 

 拳を力強く握り、互いにビリビリと火花を散らすかのように飛ばし合った。

 もう負けたぜ、お前にはよ。

 どこまでも野球に対して真剣な目で挑み、自分の限界へ挑戦し続ける意欲と魂。負け続きだった俺は、そこが足りなくなったのかもな。

 

「そうか……後は自分でやるんだな」

 

 エナメルバックのポケットに小さく電話番号が書かれたメモを入れ、猪狩は帰っていった。

 練習着姿ってことは態々遠いところを忙しい中来てくれたのか……そう思うと猪狩もお節介過ぎる面があるんだな。ま、今回は深く感謝するけどよ。ありがとよ猪狩。

 

「行っちゃうの?」

「うん。ほぼ確実、かな」

「そっか……」

 

 案の定、涼子が肩を落とす。

 一緒に組もうぜって時に横からあんな会話されてやっぱり無理ってなればそりゃ、俺だってえーってなるわな。

 

「私の事をそこまで気にしてくれたのは嬉しいよ。だけどそれが大地君の邪魔になってたんじゃ私も行った方がいいと思うわ」

「……お前は何とも思わないのかよ。本音言えば俺は寂しいぜ。二年も付き合ってきた女房との先約を断って居なくなるってのに、お前は呆気ない返事だな」

 

 今思えば少々無神経というか、相手の気持ちを考えてやれなかった。

 鞄をアスファルトの地面にドカッと降ろし、涼子は声を上げて──

 

 

「寂しいに決まってるわよ!!なによ?!約束破っといてその言い草は!!!あなたは心配されたくて猪狩君の所へ帰るの?違うでしょ!自分の為に…もう一度やり直す為に……っくっ……行くんだよね……あかつきへ……」

 

 俺ってリードもできなければデリカシーもないのか。

 ほんの軽はずみのつもりが涼子にとっては嫌な別れだったんだな。

 ヤバイ、しかも泣き出してるし。えっと……こういう時に男はどうすれば……あっ!そうだ!!!

 

「分かった!!じゃあ約束するよ!あかつき中を卒業したらまた戻って来る!そんでまた涼子と俺でバッテリー組んで目指そうぜ、甲子園をよ!」

「えぇ……甲子園?」

 

 あら、まさか満足してくれなかったか?我ながら良い条件だと思ったんだけど…やっぱりダメか?!

 

「それは無理よ。第一、女の子の高校野球は認められてないんだよ?」

 

 …は?そんなの初耳だぞ!女子が高校で野球するのを禁止とか何でだよ!それじゃあバッテリー組めねーじゃん!!

 

「大地君が死んでもその約束を守ってくれることと、私を試合に出れるようにしてくれるって追加で約束してくれたら良いよ」

「追加ですかい…」

 

 いつかはぶち当たる壁だし、それは良いか。

 

「じゃあそれで成立ってことで」

「ふふっ♪良かった~!」

 

 笑い顔は可愛いなぁ。それもあと四ヶ月で見れなくなるなんて、名残惜しさが否めない。

 猪狩、これは決して彼女のご機嫌取りじゃないぜ。

 俺はあかつき中へ行くと言っても高校では敵になるつもりだったし、涼子と組んでお前を倒すってのは初めからやりたい俺の希望ってやつよ。

 リトルでは無理だった一番の景色を見せてやりたいんだ。いいだろ?そのくらいはさ。

 

「ほら」

「えっ、なにこれ?」

「何って指切りだけど…もしかして知らないのか?」

「アメリカでは指切りなんて文化は無かったから初めてだわ」

「なら良い機会だ。小指出してみ?」

 

 恐る恐る小指を出してきた。あまりにも慎重すぎたのに焦れったくなり、乱暴気味に指を握った。

 

「ふえっ!!ななななによこれっ!?」

「痛いって!骨折る気か!!」

「あ、ごめんなさい……」

「んっと…そのままな…」

 

 

 

   ──ゆーびきりげんまん嘘ついたら針千本のーます、指切った!──

 

 

 

「はい、おーわり」

「ねぇ、本当に千本も飲めるの?」

「飲めねーよ!てか俺が約束破ると思うか?!」

「どうだろう?ついさっきだって…」

 

 あーもう!ここまで疑い深いとめんどくさいぞ!男に二言なんて…

 

 

「嘘よ、顔を見ればわかるわ」

 

 ゆっくりと三歩前に寄り付き、整った顔を俺の体に預けた。

 

 

 

 

「待ってるからね。……私は……」

「涼子……」

 

 キュンとさせる行動に欲望が半分出てしまい、その華奢な体をそっと優しく包み込んだ。

 冬に近づいている日の夕方は風がやや強く、互いの体温を伝わらせてくれた。

 その今しか味わえない温もりを大切に……また約束の時まで俺は歩きだす──。

 

 

 猪狩から貰ったメモに電話を掛けたのは三日後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「涼子ーっ!早く写真撮りましょ!」

「うん!今行くわ!」

 

 季節は変わって春──。

 今日で慣れ親しんだ小学校を卒業し、私は中学生へ階段を上がる。

 校門近くに咲いていた立派な桜の木の前でクラスメイトと写真をこれでもかってほど撮った。

 私のクラスは三十八人。だけれど写真には全員写っておらず、二人足りなかった。

 その二人とは、寿也君と大地君だ。

 寿也君は家の事情で居なくなったと噂が後を絶たなかったったが、大地君が消えたのは一週間前。つい最近の出来事である。

 元から頭の良い彼は筆記試験を難なく合格し、実技でも高いポテンシャルが認められて入学がほぼ内定したらしい。そして……

 

 

 既にあかつき中の野球部は活動が本格的にスタートし、大地君も一足先に合流する為、下宿先の寮へ移動した。

 何一つ話さないで消えちゃう所は彼らしいと言えばらしい。

 

(私も負けてられないわね。次に大地君が帰ってきたらあっと言わせてやるんだから!)

 

 空を見上げると、そこには一面に透き通った春空が広がっていた。

 彼とどんなに離れていても、同じ空の下で繋がっているんだ。

 

 

 また会う日まで──

 

   私も必ず強くなる。

 

 

 

 

              To be continued…

 



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高校第一学年編 
第十 . 五話 進路


『ゲームセットオォォォッ!!!あかつき大付属中、春夏続き二連覇達成!!なんと海堂学院付属中相手に完封勝利をやってのけました!!!』

 

 八月十九日───

 世間ではお盆休みが終わってUターンラッシュの真っ最中、プロ野球では折り返しとなる後半戦が真っ只中だ。

 その話題に負けじと、あるスタジアムで大記録を成し遂げたチームがいた……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱすげーよな。猪狩先輩は」

「だよなー。俺はあの人に憧れてあかつき中に頑張って入ったからなぁ」

 

 夕暮れの第二グラウンドでは、練習を終えた野球部員達がトンボやブラシをかけて整備を始めていた。

 無論、この二人も整備をやってたと言えばやっているのだが…

 

「でもさー、正捕手の一ノ瀬先輩だっていいよなー」

「確かにね。大地さんがいなかったらあかつきの四番って感じがしないもんな!」

「後は三番を張ってた葛西先輩!」

「大地さんとの三四番コンビが絶妙だったな。しかも俺なんて前にノック受けてたときに春見さん直々に守備を教わったんだぜ!?もうあの日は忘れられな──」

 

 

「三島と田中!喋ってる暇があったら早く整備を終わらせて!!」

「げげっ!?進じゃん!」

「やべ~っ、話し過ぎた!」

 

 なにやら話で盛り上がっていた時、一向にグラウンド整備を進めない二人を見て『進』と言う名の少年が注意を促した。

 帽子を逆さに被り、顔には練習で作ってしまったと思われる絆創膏を頬に付けているのが彼の特徴だ。

 

「全く。僕達の代になってこの姿じゃ兄さんや一ノ瀬先輩、葛西先輩に顔向けできないよ。もう少し二人はケジメをつけようね?」

「…悪かった。次は気を付けるよ」

「ごめんな」

 

 ばつが悪くなった二人が整備に戻ったのを確認し、進は部室へと戻った。

 三島と田中も野球は上手いんだげれど、最近三年生が引退してからは気の緩みが多くなってきている。

 僕がキャプテンとして頼りないからかなぁ……。

 ふとネガティブに考えてしまい、ロッカー前の長椅子に腰を掛けた。

 

(一ノ瀬先輩。どうして僕を指名したんですか?)

 

 周りからの信頼もあり、実力も折り紙付き。しかも兄は一つ年上のエース『猪狩守』だからそれだけでよく話のネタになっていた。

 でも優しすぎるが故、チームメイトはそんな進につい甘えることがある。

 その甘えは普段の練習や生活で知らず知らずの間に身に付いてしまい、最悪は試合でそれがボロとして出てしまう。

 チャンスの場面で打てない。決めたい時に決めきれない。そうなっては手遅れなのだ。

 進もそんな雰囲気を変えたいと思ってはいるが、中々皆は理解してくれない。

 どうすればいい──?行き着く先は悩みしか残らなかった。

 

 

「進先輩。ちょっといいですか?」

「ん、どうしたの?」

「一ノ瀬先輩が来てて…進に用があるとのことです」

「先輩が僕に用?」

 

 なんだろう?と思いながら指定された場所まで移動すると、制服姿の先輩が立っていた。

 

「先輩」

「おっ、悪いな。これから自主練するところだっただろ」

「いえ、全然構いませんよ。それで僕に何の用ですか?」

「ああ…ちょっとな……別れの挨拶がてらお前に、ね」

「別れって、もう引退したじゃないですか。また挨拶に来るなんて何か変ですよ?」

「違う違う。今日であかつき中を転校するからその意味でってこと」

「……本当にいなくなるんですか?」

「おう」

 

 兄さんから事前に聞かされていた。

 一ノ瀬先輩が夏の全国を期にあかつき中から消えることを──。

 それが今日だってことを知らなかった僕は想定外に驚く。そういえば寮だって妙に部屋が片付いていたし、ロッカールームの私物だって不思議なほど整理されていた。思い当たる節はあったけど、余りにもいきなり過ぎる。

 

「監督や春見、猪狩とはもう話を済ませてきた。それで俺が残す言葉はな……まぁその…頑張れよ」

「ふふっ。そこまで言って頑張れだけはないですよ」

「うるせー。いざ喋ろうとすると思いつかないもんなんだよ。とにかく、キャプテンとして引っ張れよ。どうして俺がお前を指名したか分かるよな?」

「………」

 

 分からない。

 非力で威厳もない僕がキャプテンなんて。

 どうして──問いかけようとした瞬間、笑いながら先輩は続けた。

 

「チームの柱に必要なものを進は持っているからだ。舐められたってめげずにチームを良くしようとする心掛け。それさえあれば何とかなるってもんだよ。いくらあかつきっつっても明日急に変われるわけないんだから。進は進の目指すチームを作れよ」

 

 僕が目指すチーム。

 自分は一ノ瀬先輩みたいになれなきゃダメだと思った。

 キャッチャーという大変なポジションでいつもメンバーに気が配れ、苦しい場面でも兄さんを励まして乗り越えてきたあの後ろ姿を──。

 でもそれは間違いだった。

 自分の作るものは自分だけの世界観や価値観しかないのだからいくら真似したところで、本物には勝てっこない。

 ならばやることは一つ、

 

「作ります。そして三連覇、四連覇と勝ち続けますよ!いつかあなたを超えてやるんだ……」

「そうそうその調子だ。それならもう俺が来る用は無いな」

「あ、先輩!最後に一つ聞いてもいいですか?」

「ああ?なんだ」

「高校はどうするんですか?あかつき以外と言えば海堂高校とか帝王実業、西強高校がありますけど勿論そういった場所でやるんですよね?」

「いや、断った。特待生枠での誘いはあったんだけど昨日まとめて全部拒否した」

「ええっ!?どうしてですか!!一ノ瀬先輩ならどんな強豪校に行ったって必ず通用しますよ!それなのに全て断るって………」

「自分の事じゃないんだから落ち込むなよ。それにノープランで出てくほど俺は無計画じゃないからな」

 

 何か策や計画があるにしろ、海堂や帝王等の特待生枠を断るなんて前代未聞の行動だ。

 神奈川県ではこの二校による優勝争いが毎年のように起き、その影響もあって例年多くの受験者が限られた権利を巡って挑戦するが、何百人が容赦なく落とされるのだ。

 それを無条件で特待生として招待されるということは大変凄く、ましてやあらゆる高校からその話が来るとなると、もうごく限られた選手にしか与えられない特権である。

 

「──まぁ見てろって。強豪に行かなくても甲子園へ出て優勝できるんだぜって世間や進にも証明してやるからよ」

「…そうですか。なら僕も負けませんからね!次会うときは容赦しない!!」

 

 冷静に返すつもりが熱くなりすぎてついタメ口になってしまった。

 大地はその言葉に安心して笑って手を差し出した。

 

「こっちの台詞なんだよ進」

 

 互いに強く握手をし、一ノ瀬先輩はグラウンドを出ていった。

 握った手は努力で潰れたマメが何個も作られていた。

 一ノ瀬大地という人は大きく変わった──

 後は選んだ高校でどのような日々を過ごすのか。

 これからは敵なのに、僕は心で「頑張ってください」と人の事が言えないけれど簡単に応援を送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十月に入り、深緑が生い茂っていた大木も色とりどりの紅葉になりかかっていたある日。

 

「聞いたか?」

「え、何が?」

「転校生だよ転校生。今日から来るって噂になってたぞ」

「へぇ~今日だったんだ。私全然知らなかったわ」

「おいおい……」

 

 少女の情報網の薄さに、問いかけた少年は呆れて頭をポリポリがじった。

 

「だいたい隼人君は誰から聞いたのよー?私はそんな話聞いてないわよ」

「川瀬…お前って野球は冷静なのに世間的な話は無関心なんだな…」

「もう悪かったわね!私はどうせ無知ですよー……」

 

 隼人のちょっと意地悪な言い方に、川瀬は机へ伏して膨れっ面をした。

 少年の名前は八木沼隼人──

 彼は川瀬凉子と同じ横浜シニアでセンターをやっていた選手の一人で、変化球にも対応できるミート力と一番打者として活躍したその俊足と好守は、地味ながら非常に器用で巧い。

 二人は学校も偶然同じだったので、こうして休み時間は一緒にいることがやや多かった。

 

 

「皆席に着けー」

「おい、そこ俺の席だって」

「もうっ…分かってるわよ」

 

 渋々と元の席に戻り(左隣)朝のホームルームが始まる。

 

「今日は喜べよ。なんとここのクラスに転校生が来ることになった!」

 

 おぉーっ!と教室に歓喜の声が上がる。

 転校生が入るとなれば嫌でも気になるのだが、凉子の場合はどうやら違った。

 

(もう誰でもいいわよ。今さら三年の秋に入ってくるなんて何を考えてるのかしら…)

 

 転校生のせいで隼人に茶化されたので、不機嫌そうに視線を反らした。

 

「よしっ。それじゃあ入ってきていいぞー」

 

 

 ガラガラッと教室の扉をゆっくりと開け、噂されてた少年が入ってきた。

 百七五センチは悠に越えてるであろう長身に、肩周りや筋肉はそれなりに鍛えられていたので体格はかなり良い。

 顔も結構整っており、左肩には使い古したエナメルバックを掛けている。

 

  どうして?──この人、どこかで見たことある気がする。

 

「君、背が大きいね。それじゃあ自己紹介してくれ」

 

 

 

 「──あかつき中から転校しました。一ノ瀬大地と言います。好きなことは野球です。短い間になりますが、これからよろしくお願いします」

 

「だっ!?大地君っ!!?」

「……あ。涼子」

 

 にっこりと笑顔を見せて手を振る大地に対し、凉子は取り乱しながら見つめている。

 そのやり取りに教室内は当然疑問になり、気になった担任が問いかけた。

 

「なんだ。お前達知り合いだったのか?」

「はい。一応小学校が同じだったんですよ」

「そうか、それなら話は早い。皆!卒業まで半年もないが仲良くやってくれ!」

 

 大雑把に挨拶が終わり、大地も自分の席に着く。

 場所は小学校時代と同じ窓側で、隣は涼子だ。

 

「…久しぶり」

「久しぶり、じゃないわよ。いきなり居なくなってはまた現れるんだから。携帯持ってるんならあらかじめ連絡の一つでも入れてよ。もう、心配したんだから……」

「ごめんごめん。まぁでもさ、涼子も元気そうでなりよりだ。シニアでもエースとして活躍してたって話だし」

「えっ?どこでその話を……」

 

 小学校を別れてからはたまに携帯で連絡を取り合っていたのだが、中学二年に進級したのを境に突然電話をしなくなったのだ。

 初めは涼子も気長に連絡を待ってたが、大地は一行に連絡の一つもぜず、こちらから掛けても応答しない。

 日が過ぎていくにつれて不安と心配はどんどん大きくなり、酷いときは五日連続で練習を休んだらしい。

 

「そして隣の人は八木沼……だよな?」

「おいおい、俺の事も知ってるのかよ」

「ちょっとある人から情報は仕入れてるからな。それよりさ、八木沼は高校決めた?」

「いや…まだ決めかねてるがそれがどうした?」

「ふーん…それなら良いな。二人にちょっと話があるんだ」

「「俺(私)達?」」

「うん。あまり時間は取らないから放課後一緒に来てくれないか?」

「私は全然構わないわよ」

「俺も予定は無いからいいが、何をするんだ?」

「来れば分かる。少なくともお前ら二人にとって悪い話じゃないからな」

 

 シニアも夏をもって引退しているので比較的放課後の時間は残っている。

 適当に授業を受け、ようやく放課後になった。

 

 

 

 

 

「よし。それじゃあ行くぞー」

「ええ」

「了解」

 

 学校を出て大通り沿いへ二十分、東の方角へ歩く。

 表の道へ出るとお洒落な雑貨屋や書店、大企業のビルが立ち並ぶなど横浜でも有数のストリートだ。

 しかも現役プロ球団『ジャイニングバスターズ』の本拠地でもあるので野球熱が意外に高い。

 

 そこを裏に出て直ぐの場所、五つの遊具が置いてある公園に入った。

 

 

「一ノ瀬。こんな場所に何の用だ?」

「待ってろって。あともう少しで来るからよ」

 

 ブランコに座って暫し待つ。

 すると数分も経たない内に女の子二人組がやって来た。

 

「お待たせ~!遅くなっちゃった」

「すまない大地。授業が長引いてしまってな」

「ううん全然。俺達だって今ここに着いたばかりだからな」

「えっ?あの……お二人ってもしかして…」

「元おてんばピンキーズの選手で『橘みずき』ちゃんに『六道聖』ちゃん。中学では『お元気ボンバーズ』って言うシニアでバッテリーを…」

「やっぱりー!みずきちゃんに聖ちゃんだ!久しぶり~」

「あらあら。涼子ったら見ない間に随分と可愛くなったわね」

「うむ。久しぶりだ!」

 

 あれれ?この三人は友達だったのか。

 もしかするとシニアとかの試合で友達になってたりしてたのかな。

 聖ちゃんは前々からだが、みずきちゃんとは中学三年に上がったと同時に聖ちゃんの仲介を得て紹介してもらった。涼子や八木沼の事、神奈川県のライバル事情は全てみずきちゃんを通して耳に入っている。

 どちらにせよ、仲良しの方がこちらとしても都合が良い。

 

「おい。この人達は誰なんだよ?聞いてないぞ」

「ちゃんと説明するから焦るなよ。まずはここで立ち話もなんだから場所を変えるか」

 

 “場所を変える”という名目で訪れたのは神奈川県で一番の人気を誇ると言われる『パワフル堂』(略してパワ堂)だ。

 和菓子は団子・饅頭・どら焼き・きんつばなどの計八十種類、洋菓子はケーキ・アイスクリーム・プリンなど計百種類を扱うとても規模の大きいお店である。品質や味も老若男女に百二十年もの長い年月の間で愛され続け、その知名度は計り知れない。

 

「ほらほら入って!私が予約したから特等席でくつろげるわよ」

 

 グイグイとみずきちゃんが背中を押し、見晴らしの良いのテーブル席へと座った。

 

「私はプリン三つで!」

「…きんつばを五つとお茶」

「俺は苺大福とシュークリームをお願いします」

「私はチョコムースケーキと飲み物でオレンジジュースを」

「俺は……抹茶アイスでいいです」

「はい。かしこまりました」

 

 皆が自分の食べたいものを注文し、ようやく一段落ついた。

 

「──で、話ってなんだよ」

「おう。よく聞いてくれたな」

「もうここへ来るまで何度とも聞いた気がするけれど…」

 

 涼子のツッコミは聞かなかったことにする。

 

「単刀直入に言うと、涼子と八木沼に…

 

 

 

 

 

 

   ──聖タチバナ学園へ入ってほしい」

 

 

 

 

 

「……………へ?」

「聖タチバナ…ああ!あの県内No.1の進学率を誇るお金持ちの人が通う私立校だろ?意味が分からないな。そんな所に行って東大でも目指せと?」

「んな訳ねーよ。そこで野球を頑張って、甲子園で優勝する為だよ」

「……本気なの?」

「俺は本気だ。だから海堂や帝王の特待生枠を蹴ってまで戻ってきた。そんな強豪校で優勝したって、そんなのつまんないだろ?俺は一から野球部を作り直してこの皆と戦いたいんだ!!一見無謀な挑戦に見えるかもしれない。それでも俺はこの道でやりたい!だってこっちの方が何か面白いだろ?」

 

 猪狩に一喝を入れられて以来、自分でも大きく成長したと思う。

 チームをまとめるのにどんな要素が必要か。キャッチャーはどのように振舞い、どのように有るべきなのか。猪狩や春見、進達と朱に交わったお陰で少しながら理解ができた。

 そしてなによりも勝ちたいんだ──。

 リトルで勝てなかった『帝王実業高校』とのリベンジ。

 あかつき大付属高校と肩を並べる名門『海堂学園高校』。

 そんな並みいる強い奴等を自分達の手で倒してこそ、本当に俺が強くなったと言えるんだ。

 

「気持ちは分かるけど、どうしてタチバナなの?強豪じゃない学校なんていくらでもあるじゃない。そこまでして大地君はその高校でやりたいの?」

「聖タチバナなら俺や二人をスポーツ推薦枠で簡単に入ることが可能なんだ。二年前まで野球部は存在してたらしいんだけど、今は人数不足で休部状態が続いて部員は誰もいない。お金持ちってことは環境や設備だって充実してる。だから一から始めるにはうってつけの条件だったんだ」

 

 みずきちゃんと聖ちゃんもタチバナに入ることは約束してくれた。(と言うか、この学園の理事長がみずきちゃんのお爺さんであり、色々権限とかあるらしい)

 元を辿ればこの二人が俺を誘ってくれなかったらこんな話をしていなかった。

 感謝してるぜ、二人には。

 

「──お前の熱い気持ちに負けたよ」

「八木沼…じゃあ!?」

「高校でも野球はするつもりだったからな。これからよろしく頼むぜ、一ノ瀬」

「ああ!ありがとよ!!」

 

 よっし!八木沼が入ってくれたのは大きいぞ。

 残るは涼子だけだがもう言うまでもなく、

 

「約束…ありがとう」

 

 その呟きだけでOKってことは分かった。

 まだ覚えてくれてたんだな…。凄く嬉しいぜ。

 

「皆ありがとう!今日は俺の奢りだ!!思う存分食べてくれ!」

「やったぁー!じゃあ私はプリンを更に五個追加するわ!」

「みずき食べ過ぎだぞ!大地のことも考えてやってくれ」

「いいっていいって。聖ちゃんも好きなだけ食べていいからな。きんつば…好きだろ?」

「…すまない。恩に着るぞ」

 

 あらら。こりゃ、樋口さんが一枚飛ぶかもな。

 でも俺のワガママに付き合ってくれるならそんなの遥かに安いもんだぜ。

 頼んだ商品が届くなり、みずきちゃんは大好物のプリンをどんどん平らげていく。聖ちゃんは最初遠慮しがちだったが、きんつばが届くと目が変わったように食べていく。そのギャップが面白くて、なんだか可愛いく見えた。

 で、結局十五時半まで長く居座り、俺が最後に栗饅頭を食べ終わって解散となった。

 

 

 

 

 

「…………」

「………………」

(……何か気まずい…)

 

 みずきちゃんは八木沼と家の方角が同じという理由で一緒に帰宅することにした。

 そこまでは良いんだけれどこの状況は…

 

「あのさぁ、そんなにくっつかれると周りの目線が…」

「あ…ごめんなさい…」

「む…すまない…」

 

 少し名残惜しそうだったが離れてくれた。

 仲良しなのは良いことだけど、こんなにベタベタしてると周りが誤解するからな。

 

「私は大地と一緒の高校に入れて良かった」

「え?」

「活躍は雑誌でチェックしていた。同世代での通算本塁打は二位、打点は一位を記録。打率も五割台をキープし、リードやスローイングも繊細且つ力強い。バッテリーを組んでいた猪狩守とは中学二年の夏から黄金バッテリーを結成し、完全試合を四度とノーヒットノーランを三度して全国大会を二連覇させた……こんなところだな」

「…よくそこまではチェックしたね」

「だって大地の情報だからな。気になって仕方なかった」

 

 そう言うと顔を赤らめて俺と目線を反らした。

 くっそ…今のは反則だろ……。可愛すぎるっつーの。

 

「っ!?大地君!!私との約束は覚えてる?!ほら、高校では一緒にバッテリーを組んでくれるって言うさ!」

「ん、あれか。だけどまだ果たしてないだろ?」

「どうして?」

 

 「──聖ちゃんや涼子、それにみずきちゃんがまだ試合に出れないだろ。それを完全に解決して、約束は果たされるんだ。自分で追加とか言っといて忘れたのかよ」

 

 試合に勝つには女子の力も必要になってくる。

 だけど高野連は女性の高校野球出場を百年経った今でも認めていない。

 このままでは試合へ出れたとしても必然的に三人が出ることは無い。

 

「何度も言うけどさ、俺はこのメンバーで勝ち上がりたいんだ。だから一人でも欠ける訳にはいかねーんだよ。」

「…本当に、ありがとう……」

「私もだ。これから迷惑何度も迷惑掛をけるかもしれないが、よろしく頼む」

「そんなことないって!それは俺の方なんだから。こちらこそ改めてよろしくね」

「ちょっと!私も忘れないでよ!」

「はいはい。分かってるって」

「む……!」

「ん…!」

 

 気のせいか?聖ちゃんと涼子がずっと張り合ってるような…。

 まだ高校野球は始まってないのになんだこのライバル視は?俺は空気扱いかよ。

 何はともあれ、入学前に五人集められたのは収穫だ。

 

 それにしても、誰が入学してくれるのか楽しみだぜ。

 経験者、そうでない人なんて関係ない。

 共に困難を乗り越え、自分に打ち勝てばどんな下手くそでも名門相手にやり合えるんだからな。

 挫折して……壁にぶち当たって……悔しい思いをして……

 辛いことはリトルや中学で嫌になるほど受けてきた。

 その経験した苦しさをバネに、今度は俺達が一泡ふかせてやるんだ。

 

 

   ───待ってろよ。猪狩、春見……

 

        

 

 



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第十一話 入学

 昨年はプロ野球に大激震が走った──

 神童裕次郎のメジャー渡米。

 日本球界を引っ張ってきた大エース、茂野英毅の引退。

 同時に二人もの逸材が球界を去り、世間ではシーズン前にもかかわらず未だにこのニュースが騒がれていた。

 

 

 

 

 

「影山さん。先月調べた高校の資料作成が終わりましたので、ここに置いときますよ」

「おお、すまない木佐貫君。チェックは私が行うからもう帰っていいぞ」

「はい。それでは先に失礼します」

 

 夜の編集ビルで私がこれほど待ち焦がれた日は長年スカウトやっていて初めての体験かもしれない。

 私の名前は影山修造──。

 週間パワスポのスカウト記事を主に任され、それと平行して関東地区専門でキャットハンズのスカウトも仕事としている。

 

 

「今年注目の選手は…っと」

 

 私の担当は高校生。

 木佐貫からホッチキス止めされた紙をパラパラと捲り、『あかつき大付属中学校』と表記されたページで指が止まった。

 

「猪狩君はあかつきに残るのか…」

 

 現時点の高校野球界で最もプロへ近いと言われる男、猪狩守。

 MAX百四十キロの快速球に鋭く曲がるスライダーと打者のタイミングを大きくずらすカーブ。低めも高めも正確にコースを突くその制球力と、何試合でも完封勝利をしてきた無心臓のスタミナは、投手として必要な全ての能力を持ち、同世代No.1プレーヤーとしてのカリスマ性を身にまとっている謂わば──天才、又の名は怪物だ。

 

 だが猪狩守がここまで順調に勝ち続けられたのには、それ相応の“パートナー”が支えてくれたのも事実。

 

「一ノ瀬大地君は聖タチバナ学園らしいな。あそこは野球部の活動が停止していると言ってたが…まぁ今後は彼中心のチームを作ってくれるだろう」

 

 個人的には猪狩君よりも期待している選手だ。

 他のスカウト陣の間で認識されている評価は『隠れた天才』だったり『No.2プレーヤー』など、どうしても猪狩守の影に隠れた評価しか無かった。

 

 

 一年から一軍で試合に出ていた猪狩に対し、一ノ瀬は明くる日も二軍の正捕手と一軍ベンチを行ったり来たりしていたらしい。

 そんな彼が評価され始めたのは中学二年の夏。

 当時、あかつき中には一つ上の先輩に『二宮瑞穂』というキャッチャーがマスクを被っていたのだが、ある練習試合で怪我をしてしまい、代わりに二番手だった一ノ瀬が神奈川予選で正捕手を努めていた。

 

 その試合は結論から言うと、衝撃的なゲームだった言える──。

 一ノ瀬は六打数五安打、三本塁打十打点と化け物染みた打撃成績をマーク。

 リード面でも非凡な才能を発揮し、猪狩自身初めてとなる完全試合を29-0でやってのけたのだ。

 そう、彼は進化した。

 リトルリーグを不本意な形で引退し、あかつきの環境で血の滲む努力をしてやっと手に入れた力。

 決してバッティングやリード、キャッチングだけに限定されたものでないと思う。

 チームと上手にコミュニケーションを取り合い、一ノ瀬が唯一苦手としていた『洞察力』『観察力』『研究力』の心理的戦略も得意とすることができた。

 その尋常なる吸収力とポテンシャル。一ノ瀬大地が秘めている“無限の可能性”を評価し、私だけが猪狩よりも好評を付けている。

 

「後は眉村君が海堂へ。久里山中の香取と唐沢は帝王実業へ進んだか。ん……おっと、私としたことが見落としていた」

 

 あかつき中にはもう一人、スター性を秘めた選手がいる。

 

 

 彼の名前は『葛西春見』

 メインポジションはセカンドだが、ピッチャーとキャッチャー以外のポジションを全て守れる卓越したフィールディングと一番も任せられる俊足。更には豪打と巧打を使い分けれるパワーとミート力に選球眼と、走攻守バランスのとれたユーティリティープレーヤーだ。

 

「葛西君は恋恋高校か。ここには同じ俊足の矢部や、女性選手の早川や小山も入っていたな」

 

 この三人も同じシニアで活躍した名のある選手。

 聖タチバナと同様に、恋恋では葛西君がキャプテンとして甲子園を目指すだろうな。

 

 

 

「さてさて、楽しみになってきたぞ…!」

 

 

 我がキャットハンズは万年最下位が続く低迷期。

 何としてでもこの黄金世代のドラフト会議を成功させ、大幅に戦力を拡大させないとならない。

 

 影山、ここがスカウトとして腕の見せ所だ──。

 

 

 今年は新たな決意を固め、私は誰もいない静かなオフィスを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神奈川県の全高校は四月七日が入学式と定められ、俺が入学する聖タチバナ学園もその中の一校だった。

 冬に一度下見に来ているが、何ともまぁお金持ち感が漂う学校、それが第一印象だ。

 私立でも類を見ない敷地面積と、都会のビルを模倣させるかのような建築デザインにはみずきちゃんを除く全員が度肝を抜いた。

 

 で、春と言えば肝心のクラス発表があるわけだが──

 

「やったー!全員同じB組だよ!」

 

 奇跡とは恐ろしいな。まるで誰かが仕込んだのかって疑うレベルだぜ。だって七クラスもあるのにその内の五人が一緒になれたからな。

 

(私に感謝してよね、大地君♪)

(……なるほど)

 

 みずきちゃんの仕業だったのか。すげぇな生徒会長……。

 

 

 あ、言い忘れてたけど聖タチバナ学園は“生徒会”が教職以上の絶対的な権力を持っている高校だ。

 中でも理事長の孫娘であるみずきちゃんは一年生ながら生徒会長を任され、彼女は学園の全権限を握っているらしい。

 

「ほらっ!早くB組の教室に行こうよー」

「おわっ!?分かったから腕を引っ張るなって!」

「むっ…川瀬だけずるいぞ!」

「やれやれ。相変わらずだな」

「焼きもち妬いてるのー?」

「そんなんじゃない!」

 

 八木沼にみずきちゃん!喋ってるなら俺を助けてくれよ!!

 助け船を求めるも、結局教室がある四階まで両腕を掴まれながら歩くことになってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 入学式では適当に話を聞き流し、クラスの自己紹介等で初日の授業は半日で終わった。

 殆どの人が午前授業だったから遊びに行こうぜ!とか計画を立ててるが、俺達はそういうわけにいかない。

 

「そう言えばみずきちゃんは?」

「みずきなら生徒会があるから来れないと言ってたぞ」

「そうか。仕方ないけどみずきちゃん抜きで話を進めるか。そんじゃまず俺達が野球部を活動していくにあたり、真っ先にやらなければならないことと言えば何だと思う?」

「うーん…部員集めかな?人がいないと試合もできないし」

「いや、先に申請を出して部室や設備の様子を見ておくのが賢明じゃないか?」

「そう。八木沼正解だ。今日は人も帰っていることだし、勧誘を行ってもほぼ効果は無い。それよりも部活動の再申請をして、グラウンドとかの確認を取りに行った方が効率的だ」

「言われてみればそうかも……」

 

 涼子が部員を集めて試合したい気持ちは分からなくないが、まだまだ高校生活は始まったばかりだから焦らなくてもいい。

 初日の今日すべきことは、活動再開の許可とグラウンド確保。最初にこいつらを片付けなければ人が揃ってても練習できないからな。

 

「許可を取るには先生よりも生徒会かな?」

「うむ。私もそう思うぞ」

「じゃあ生徒会室に行ってみるとするか」

「おう」

 

 段取りが決まり、二階の北館に位置する生徒会室へ向かった。

 このフロアには三年生の教室に加えてパン等の購買できる施設を設けている。因みに今日は弁当だったから訪れはしなかったけど、噂ではかなり旨いらしい。今度買って食べてみるか。

 

「ん、ここだな」

 

 広くて少し迷ったが、どうにか生徒会室と書かれた扉までたどり着けた。

 茶色くて大きな扉。ここは社長室の前かい。皆が開けるのを躊躇していたから俺が代表でノックをする。

 

「どうぞ」

 

 声主はみずきちゃんだ。入っていいのを確認して入室する。

 

「失礼します」

「失礼します」

「失礼します」

「失礼します」

「なーんだ、大地君達だったのね。そんな固くならなくても良いのに」

「そんなこと言われて……も……」

「うわぁ…あ……」

 

 あのさ、何度驚かせば気が済むんだよこの学校は。

 扉を開けて中央には、机を囲んで設置された高級そうなソファーが置かれ、周りには見たこともない豪華な骨董品が展示されている。本当は学校なのに、まるで博物館にでも訪れた気分だぜ。

 

「それで、ここに来るってことは私に何か用かな?」

「ああ。野球部活動の再申請とグラウンドの許可を取りに来たんだけど……」

「なるほどね。それじゃあこの申請書に皆の名前を書いて。そうすれば愛好会として活動を認めるから」

 

 手渡された用紙に出身中学や生年月日を書き、みずきちゃんに渡した。それを隣に立っていた屈強な筋肉を持つ男へ渡って判子が押された。

 

「うん、これでオッケー。それでグラウンドなんだけど、現状野球部が使えるのは第三グラウンドしかないのよ。旧部室が第一にあるから最初は不便に感じるかもしれないけど大丈夫よね?」

「別に構わないよ」

「そう。話が早くて助かるわ。使用許可は私が取っておくから、もう使っちゃっていいわよ」

「ん、ありがとう」

 

 よしよし、思ったよりもスムーズに事が進んで助かった。いずれは新部室を第三グラウンドに建ててもらえば問題無いし、取り敢えずは今日のノルマを達成できた。

 

「じゃあみずきちゃんも生徒会の仕事が終わったら来てね。皆待ってるから」

「!!…ごめん…今日は仕事が忙しいから無理…かも…」

「あー…そうか。なら仕方ないな。」

 

 みずきちゃんが来れないのは残念だけど、生徒会の事情となれば仕方ない。この四人でどうにかするか。

 お礼を言い、俺達は部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お願いお爺ちゃん!私、高校で皆と野球がしたいの!』

『ダメじゃみずき。お前は橘家を継ぐ者、野球など高校ではやらせん。今からは勉学に励み、約束された将来を突き進むのじゃ』

『どうして………私は勉強だけが全てなの……?』

 

 

 

 

「…き…ん………みずきさん!」

「ふえっ!?わわわっ!?いきなり大声出さないでよ!」

「ずっと呼んでましたけど……そろそろ練習の時間ですよ」

「あれ…もうこんな時間。じゃあ皆は先に大学へ行ってて。この仕事を片付けたら私も直ぐに向うわ」

「そうですか。それじゃあワイら先に行ってます」

 

 関西弁の男が「ほら行くで」と筋肉質の男と、薔薇を持った男二人を先導し、部屋を出てった。

 

「はぁ……どうしてこうなったんだろう…」

 

 時間は丁度十五時半を回った所。入学式で出てきた書類を片付ける為にペンを握るが、その手は一行に進まない。

 

(ダメだわ。全然集中できない。早く終わらせて大京達に追いつかなきゃならないのに…)

 

 最近ずっとこんな調子だ。

 ご飯を食べてる時も、塾で勉強している時も、部屋で寛いでいる時も、こうして溜め息を吐いてネガティブになってしまう。

 

 

 その発端は一ヶ月前の夜──。

 聖タチバナへ入学が決まった私は、理事長である『橘重成』、そう私のお爺ちゃんから直々に生徒会長の仕事を任されてしまい、まだ内定の時期なのに夕方になっては学園に来てデスクワークをしていた。

 

「みずきさん。もう五時を過ぎたので練習しませんか?」

 

 そう誘ってくれたのは中学時代からの仲であった『大京均』『宇津久志』『原啓大』の三人だ。それぞれ個性があってたまに衝突し合うこともあったが、何だかんだで信頼できる友人だったので、推薦枠でタチバナへ招待して生徒会の仕事を手伝って貰ってた。

 三人もお元気ボンバーズで野球やってた経験者で、体や個性を活かしたプレーで活躍していた。

 このまま入学すれば大地君と凉子、八木沼、聖と私達が加わって戦力は大幅に拡大すると考えてたが、現実はそう甘くなかった。

 

「みずき!こんな遅くまで何をやってたのじゃ!!」

 

 その日は野球の練習を遅くまでやり、二十時を過ぎて帰宅したが玄関の扉を開けて待ってたのは大剣幕のお爺ちゃんだった。

 

「ごめんなさい。皆と野球の練習をしてて……それで遅くなったの」

「なんじゃと!?お前はまだあんな球遊びをしてたのか!あれ程野球を止めろと言ったのに……!今度勉強を疎かにしていたら強制的にお前を退学処分にして別の進学校へ転入させるからな!覚えておけ!!」

 

 野球をするなと言われ始めたのは中三の秋から。

 シニアを引退して止めろと宣告する機会が生まれたのか、お爺ちゃんは私に高校からは完全に勉強だけをやらせ、そのまま良い大学へ進学させる事だけしか言わなくなってしまった。

 最初は時折反発してはいたのだが、どんどんお爺ちゃんの圧力に負けてしまい、現在はこうして不本意ながら塾に行くことを強制されたり、酷い時は愛用していたグローブやバットを捨てられそうになった日もある。

 それからはお爺ちゃんの目を盗んでは大京の知り合いが所属している隣の大学で野球の練習をし、何とか誤魔化し続けた。

 

(ごめんね皆……私が誘ったのにこの様で…)

 

 こんな事が知られたら皆は失望するだろう。

 大地君が「皆待ってるから」と呟いた時、とても胸が締め付けられて申し訳ない気持ちになった。

 目から滲む涙を何とか抑えて普通に振る舞うが、心では罪悪感でいっぱいだ。

 

「何とかしないと。絶対に……!!」

 

 お爺ちゃんを説得させない限り、私は二度とマウンドへ立つことはできない。

 そんなの私は嫌だ!裏切る事だってしたくない!!

 

 今は自分が出来ることを少しずつこなし、説得できるチャンスが来たら必ず成功させるんだ。

  皆で甲子園に行きたいから…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グラウンドの使用許可が下りたので早速第三グラウンドへ足を踏み入れた。

 みずきちゃんが部室から遠くて不便と言ってたが、これが予想以上の不便さだった。

 

「と、遠い……」

「いちいち五百メートルを往復するのも馬鹿らしいな…」

 

 普通なら一分もかからず設置できるネットやベースが四人で運んでも十分かかってしまい、めんどくさいと言ったらありゃしない。

 こうなれば第三グラウンドに新部室を建ててくれとお願いするか。

 

「ふぅ~…なんとか準備はできたな」

 

 来る前から設置されてた倉庫に必要最低限の野球用具を入れた。

 これで五百メートルを行き来しなくてよくなったが、着替えとかが不自由なのに変わりはない。

 

「皆どうする?予定よりも早く仕事が終わったけど、早速練習してみるか?」

 

 一応練習着には着替えているから体操して体を温めればいつでも動ける。

 何の練習をするかで頭を傾げていた時、聖ちゃんがこんな提案をしてきた。

 

「それなら涼子がピッチャーをやって私達と一打席勝負をするのはどうだ?これなら全員の実力もどれ程か知れるし悪くないと思うが」

「それ良いわね。私も賛成」

「俺も構わない」

「ん、決まりだな」

 

 順番はじゃんけんで決めた結果、八木沼・聖ちゃん・俺の順番となった。

 俺の番になったら聖ちゃんがキャッチャーをやり、それ以外は俺にリードしてほしいと涼子からリクエストがあったのでそれ通りにする。

 防具を付け、トップバッターの八木沼も素振りをして準備は整った。高校入って涼子の球を受けるのは初めてだし、サインの確認をしとくか。

 

「サインとかはリトルと同じで良いよな?」

「うん。これがストレートで…これがカーブだね。うん…ムービングファストはそれで……あとこれも…」

「え?そんなの投げれるようになったのか?」

「大地君がいない間に沢山練習したからね。もう完璧に投げれるわよ」

「そ、そいつは凄いな。うん、偉い偉い」

「ぅ……頭は撫でないでよ……」

 

 あら?純粋に誉めたつもりだったが逆効果かな。顔が茹でダコ状態になってるぞ。

 

「とにかく使ってみるか。練習にもなるし」

「ぅん……分かった」

 

 リトル時代はストレート・カーブ・ムービングファストの三つだけでリードを組み立ててきたが、男子と比べてボールに力が入らない分コントロールと変化球主体の技巧派で勝負してきた。

 しかしこれからの相手は二球種で抑えるのには流石に限界がある。カーブは変化球の定番だから被安打率が高いし、ムービングファストも変化量は少ないから力のあるバッターならスタンドまで運ばれてしまう。

 そこで新球種を開発した──ってわけだな。

 もしこれが完璧にマスター出来てたら、投球の幅が広がってより打たれにくくなるぜ。

 

「そんじゃ、始めるぞ」

「ああ」

 

 一番目は八木沼──

 構え方は基本充実なスタンダードか。

 横浜シニアでは一番を任されてたからミート力はあると見て良いだろう。しかも涼子と同じチームだったから手の内が知られている中、簡単な配球じゃ打ってくるな。

 

(低めのストレートで。ボールになっても良い)

 

 間近でマウンドに立つ凉子を見るのは三年ぶり。

 やっぱこうして見ると猪狩とは違う感覚だ。懐かしいぜ、あの頃の感触が流れてくる気持ちだ。

 変わってないギブソンフォームで振りかぶって右腕を斜めに振る。

 物真似じゃなく自分のスタイルに馴染んだその投げ方はまさに綺麗で芸術的だ。思わず一瞬見とれてしまったが、体を急いで反応させて捕球する。

 

「ストライクだ」

「…そうだな」

 

 審判の聖ちゃんがそっとコールした。

 八木沼も納得して構え直す。初球にしては厳しい場所に要求したからな。一発目からは振らないか。

 

「ナイボー!速くなったな!」

「ふふっ、ありがとう!」

 

 これはお世辞じゃなく本当に速い。体感的な球速は百二十キロ位で猪狩には劣るが、百二十を出す女子なんてそこらにいないし、下手すればその辺にいる普通校の男子より速いかもな。

 

(よしよし。次はムービングファストを内角に。若干甘く入ってもいい)

 

 ミットを構えたコースが真ん中に近かったので凉子の表情が強ばった。

 八木沼はミートする技術は高くても長打力に特化していない。もし打たれたとしても力で押し切れば内野ゴロかポップフライの可能性が高い。

 だから信じて投げろ凉子──。

 この先は力も多少なくては勝てないぞ。

 

 バンバン!とミットを叩いて意志を伝える。

 その思いが通じて凉子がコクリと頷く。

 ギブソンに憧れて覚えたんだろ?その自慢のムービングファストをよ。自分の得意とする変化球にビビってたらダメだぜ。

 俺はお前を買い被って無いが、実力は認めている。

 体がより大人に近づいた分、ボールの重みやキレが増したのは最初のストレートだけで分かった。

 成長して、強くなってるんだ。もっと自信を持って投げ込んでこい。

 

 先程と同じ美しいフォームでボールを投じる。

 コースは構えた場所に寸分の狂いもなく、手元で不規則に変化した。

 八木沼がスタンスを広げてバットを振るが、ゴキッと鈍い音を鳴らし、ボテボテのゴロがサード線ファウルゾーンに転がる。

 

「これで追い込んだぜ」

「…ああ」

 

 いつの間にか顔がマジになってるぞ。

 チャンスボールを打てなかった苛立ちに、2-0のバッター不利にまで追い込まれた焦りが混ざったと見た。

 三球目はセオリーに高めの釣り球を要求したが、冷静に見極めてボールに。

 

(カッカしてはなさそうだ。ま、凉子が有利に変わりはない。…となれば使い時はここかな)

 

 いよいよお目にかかるぜ新球種よ。

 このボールはアメリカじゃギブソンもムービングと同等に得意とし、上手く決まれば奪三振も容易に狙うこともできる変化球だ。

 高校生成り立てが、ましては女子がこんな難易度の高い変化球を投げれるか疑問だったか、アイツの目は真っ直ぐに俺を見ていた。

 凉子が俺を信じてくれるなら、俺も信じてやらなきゃな。

 

 外角いっぱいに構える。

 それがここに精度できれば八木沼は百パーセント三振に……いや、分かっていても空振るはずだ。

 リラックスしてまま投球動作に入る。

 スピードはストレートと大差無い百十五キロ前後。

 

 ───クンッ

 

 

 ホームベース近くで鋭く真下に落ち、バット下を通ってミットにスバンッ!と気持ち良く入った。

 

「バッターアウトだ」

「……負けたな」

 

 クールに引き下がるが顔には悔しさが出てるぜ、八木沼。

 

 

 

  ──Vスライダー。

 

 

 アメリカの英雄、ジョー・ギブソンがムービングファストの次に決め球としてよく使うボールで、日本語では『縦のスライダー』と言われる。

 Vスライダーは変化量こそフォークよりも落ちないが、意外にもジャイロと同じ原理なのでリリースから到達まで、失速なく球速が出る。

 日本人でも投手四冠を二度達成した現たんぽぽカイザーズ監督『神下怜斗』もこの類の変化球を持っていたらしく、満塁のピンチもVスライダーとHシンカーで打者を手玉に取ってたと聞いたことがある。

 女子高生がこんなボールを放れるなんて吃驚するぜ。

 

「Vスライダーか。ふ、面白いな」

 

 ヘルメットを被り、二番目の聖ちゃんが準備する。

 面白いかどうかは本人次第だけど、俺は面白い所か恐怖かもな。

 猪狩の真横へ滑るスライダーと違って急激に下方向落ちるからマスクとだぶって見にくいんだよね。

 今のは偶々手を出したら捕れてて助かったけど、これの捕球練習をしておかないと、このままじゃ後逸を連発しちまう。

 そんな事でVスライダーの理論は置いといて、聖ちゃんに集中するか。

 

 

「お願いしますだ」

「おう」

 

 お辞儀をしてバッターボックスに入った。

 彼女もパワーヒッターではないけど、八木沼よりボールを見極める集中力がある。

 みずきちゃん曰く、『超集中』モードに入るとキャッチングではどんな暴投も難なく捕り、打席で発揮させるとワンバウンドさえもヒットにしてしまうと教えてくれた。

 

(カーブを真ん中寄りの外角に。データが無い以上、まずは慎重に様子を見ていこう)

 

 体をくの字にさせて投じた。

 一度浮き上がってくると見せかけ、孤を描いてミットに収まった。

 

「今のはボールだな?」

「…そうだな」

 

 聖ちゃんが勝手にジャッジしたが嘘ではない。

 リリースが僅かに早かった分、今の投球は外側に体が開いていたからな。普通に主審をつけても同じ判定が帰ってくるはずだ。

 小柄な分、スイングに小回りが利くから内外角両方に打ち分けられるバットコントロールを持ち、その上流し打ちが得意となれば打ち取る方法はこれしかない。

 

(追い込むまでストレートで抑え込み、Vスライダーでとどめを刺す。このタイプは重い球種でゴリゴリ押さないと飲み込まれるからな。臆せず気持ちをぶつけて来い)

 

 二球目のリードで要求したコースはインハイのストレート。

 ゆったりと落ち着きながらも上半身の回転を利用してボールに勢いを乗せる。

 バットの芯にボールを捉えるが、やや振り遅れて一塁ファウルゾーンへ力無く失速する。

 

「む……速くなったな…」

 

 凉子にボールを返す際、聖ちゃんがそうぼやいた。

 スピードガンじゃなきゃ正確な測定は出せないが、百二十は普通に超えただろう。

 想定していた速さよりもワンテンポ来たのが早かったお陰で振り遅れてくれたな。

 意図的にカットしたわけじゃなさそうだから力に勝ってるぞ。

 そのスピードを維持してガンガン行こうぜ。

 

 三・四球目はボールゾーンに外れてカウントは1-3。

 次ボールにしたらフォアで負け──。

 そのプレッシャーに打ち勝って投げるしかもうないぞ。

 外れてても百二十キロ台はマークしている。多少甘く入ってもその気持ちを忘れずにボールを放てば聖ちゃんでも抑えれる。

 

「来い!凉子!!」

 

 大きく頷き、リズム良くフォームを作ってボールを投げた。

 全力投球になるとピッチャーってフォームが崩れてコントロールが乱れるケースが多いが、涼子が幼少期から培ってきたこのギブソンフォームはそう簡単に崩れはしなかった。

 Vスライダーに山を張ってた聖ちゃんは当てることはできても…

 

 ──ッギィンッ!

 

 

 一二塁間のフライ。

 力無く落ちてくる打球を涼子が高々と手を挙げてパシッとキャッチした。

 

「セカンドフライで良いよね?」

「っ……構わない」

 

 バットを拾ってボックスから出ていく。

 八木沼、聖ちゃんと続いて悔しさが混み上がってるな。たかが一打席、されど一打席の勝負。勝てば嬉しいし負けたら悔しくなるのは当然の事だ。

 ん……まてよ。悔しくなると言っても聖ちゃんや八木沼はどちらかと言えば冷静的な選手じゃなかったか?それがここまで熱くなるということは……

 

(皆クールや熱血なんかじゃない。単に野球を楽しみつつも、勝負にこだわる負けず嫌いな奴等かもな)

 

 純粋に野球を楽しむことが強くなる一番の近道ってよく世間では認識されてるが、俺は正しいと思う。

 帝王リトルに敗北したあの試合も、何だかんだで楽しめてはいた。それでも最終打席で眉村に三振を喫しって負けたのは、俺が野球を心から楽しみきれなかったと今、改めて反省してみて分かった。

 

「次は大地の番だぞ?」

「………ん」

 

 勝つことだけに縛られて野球をするよりも、勝ち負け拘りつつ野球を心から楽しむ。年齢が上がるにつれて忘れがちな、純粋な子供の感情かもしれない。

 

 ──でも俺やここにいる皆ならそれができるはずだ。

 

 

「待たせた。よし来いっ!!」

 

 

 野球なんて楽しむもんじゃないって意見も間違いではない。

 だけどウチの、聖タチバナ学園新生野球部は、

 

 

  ──負けず嫌いで心から野球を楽しめる部員を募集するつもりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ…漸く片付いたわ……」

 

 四時までに大京の知り合いが経由している大学のグラウンドに着く予定が、入学式で大量に出てきた書類に手こずってしまい、既に時計の針は十五時五十分を過ぎていた。

 遅れると大京にSNSを通じで予め送っておいたので知り合いの方に怒られることはない。

 

「そういえば皆どうしてるかなぁ……?」

 

 校内には居なかったからまだ帰ってないとなれば、第三グラウンドに残っているかもしれない。

 まさかこの初日から練習してるなんて事、ないわよね……

 

「遅れると伝えといたし、様子だけこっそり見れば問題ないかな」

 

 気になった私は第一・第二を跨いで第三グラウンドへ歩みを進めた。

 何してんだろう、私──。

 こんな所をまたお爺ちゃんに見られたら退学かもしれないのに…

 

「あ……練習してる…」

 

 バレて練習に誘われるのを恐れた私は、外野フェンス越しで隠れながら見ることにした。

 涼子がマウンド、大地君はバッターってことはこの二人が勝負してるわけね。

 勝算はやっぱり大地君の方に分がありそうだけど、私はあえて聖・涼子が勝つと予想する。

 聖のリードは本格派の猪狩や眉村とバッテリーを組むより、技巧派の私や涼子と組んだ方が相性が強い。

 決して女子同士だから良いってわけではなく、聖は精密にボールを集めながら打者と駆け引きする頭脳戦が大好きで、無理難題のコースを指示されてもそこへ難なく制球できるピッチャーでないと嫌う。

 大地君が大胆なリードをするなら、聖はチェスのように相手の一手二手を読むリードを好む。

 

「見所だけど時間がなぁ…あーもう!どうすればいいのよ!!」

 

 見たいけどここにいるのがバレたら終わりだ。

 残念だけどここは約束を優先に──

 

 

  ガシャンッ!

 

 

 

「えっ……?」

 

 振り向いた瞬間、すぐ後ろのフェンスに何かが当たった音が聞こえた。

 咄嗟の出来事に状況が読めなかったので辺りを見渡してみると、フェンス真下に硬球が落ちていた。

 

「嘘……これを大地が飛ばしたの!?」

 

 あっ!ボールを拾いに大地君が来る!

 ここで見つかったら言い訳しにくいわね。ボールを拾って渡したかったが、無視して第三グラウンドをそそくさと出てった。

 

 

「はぁっ、はあっ……ここまで来れば大丈夫よね…」

 

 校門までの全力疾走は疲れるわ…。

 それにしてもあそこからフェンスへノーバウンドさせるって、どんなパワーしてるのよ。

 伊達ににあかつき中の四番を張ってただけの事はあるわけね。

 

「いい姿が見れたし、私も頑張って練習しに行かないと!」

 

 エースの座はそう易々と渡さないわよ、涼子。

 私にだって開発中の“魔球”を持ってるんだから見てなさいよ──!

 

 

 

 

 



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第十二話 人を頼ること

更新がまた遅れてしまい、申し訳ありません。
その分、今回は長めの話になっています。
それではどうぞ!


 入学式から早くも一週間が経ち、新入生もようやく落ち着き始めた頃だ。

 勧誘のポスターを貼ったり休み時間を利用して教室を回るなど手は打ってるものの、集まってくれたのはたった三人のみ。しかもその内の二人は未経験者だった。

 

「ん~これが現実、か…」

 

 現在いる人数を確認すると俺、涼子、八木沼、聖ちゃん、何故か姿を余り見せないみずきちゃん。

 勧誘で入部してくれたのは帝王中出身の今宮、初心者組の岩本と笠原の三人の合計八人。

 それをポジション別で分けると、

 

 

 ピッチャー 川瀬・橘

 キャッチャー 一ノ瀬

 ファースト 六道

 センター 八木沼

 セカンド 今宮

 ライトorレフト 岩本・笠原

 

 

 現時点で俺が考えるポジションはこんな感じ。

 聖ちゃんがキャッチャーをする場合、俺はファーストかサードのどちらか空いているポジションをやる。

 初心者組も外野を引き受けてくれ、バックは全て埋まった。

  しかし──

 

 

 

「ショートがなぁ、いないんだよね…」

 

 

 

 サードは別として、ショートを任せられる人がこの八人にいないのだ。

 初めは今宮にコンパートさせようか悩んだのだが、聞いた話では中学時代からずっとセカンド一筋で通ってきたらしいから、それを急遽移動させるのは負担もあるので却下となった。

 機動力のある八木沼をショートにするのはどうかとそんな意見も出たけど、慣れない内野をやらせる不安定さが試しのノックで出てしまった為、これも不採用に。

 

「あともう一人、強い経験者が入って来てくれれば大きかったのになぁ…」

 

 仮入部期間も残すはあと一週間。

 この間で最低でもあと一人、理想は二人以上入部してもらえれば試合の負担も大幅カットされ、夏や秋でも戦えるチームになる。

 望みは薄いが、まだ誘ってない人を片っ端から見つけて誘うしか方法はないな……

 

 

 

  ガチャ

 

 

「一ノ瀬大丈夫か?何だか深刻そうな顔してるけど」

「……今宮か。そっちはどうだった?」

「まるっきり空振りだよ。やけくそで女子も誘ってみたらドン引きで断られた…」

「ドン引きって…お前何やらかしたんだよ」

「別に厭らしいことなんてこれっぽっちもしてないぞ!ただ『俺と野球でラブラブ青春しないか?』ってカッコ良く決めながら勧誘しただけなのに…」

「はぁ…お前バカか。そんなの引かれて当たり前だ。普通に誘ってダメだったらダメで良いんだよ」

「え?そうなのか??」

「普通はそうだって!」

 

 こりゃ帝王実業からも誘われないわけだよ。

 プレーはそれなりにイイ線行ってるのに性格が天然っつうかアホって言うか……。

 やっぱり勧誘係は涼子達にやらせよう。うん、これ以上誤解を招いてイメージダウンされたら顧問さえ誰も引き受けてくれないし。

 

 

「でもさ、一人ショートに心当たりがいるにはいるんだよ」

「えっ?いるのか?!」

「ああ。名前を言えばお前も必ず知ってる選手だ。しかもカッコ良くて野球もめちゃくちゃ上手い。でも何度誘っても俺じゃあ相手にもされなくてな…もうどうにもならないんだよ」

(それは誘う側に問題があったからじゃないのか…)

 

 この際どうでもいいか。

 とにかくそいつの元へ直接行って説得させるまでだ。

 

「今宮、その選手の所へ案内してくれ」

「りょーかい」

 

 

 俺と今宮の二人は部室を出て、校舎屋上へと向かう。

 こんな場所に野球経験者がいるのか?と疑問に思ってたが、扉を開けて奥の隅に金髪の男が手を組んで寝ていた。

 

(おいちょっと待て!アイツって…)

(“友沢亮”。帝王中で四番とピッチャーやってた野球の天才で──)

(そんなの小学生の頃から知ってるわ!俺が聞きたいのはどうして友沢が帝王実業じゃなく、ウチに在籍してるかだよ!)

 

 “帝王実業”と口に出した瞬間、今宮は難しい顔をしながら下を向いた。

 この表情…中学時代に何かあったのは間違いないな。

 再び問い詰めようとするが、先に喋ったのは今宮だ。

 

 

 

(──実は中二の秋に肩を壊したんだ。勝ちに一番拘ってた友沢はスライダーを多投するようになってな、徐々に肩へ違和感を覚えるようになった。そして一昨年の秋、練習中に倒れて…)

(右肩を…壊したって訳か……)

(そう言うことだな)

 

 友沢がこんなに苦しんでいたとは全然知らなかった。

 投手の生命線である肩を故障するのは確かに辛い。考えてみれば、友沢のスライダーは切れ味抜群に曲がってたがスライダー自体、肩や肘への負担は大きい。誰かに相談とかしてれば投手再起不能の大事故なんて回避できたかもしれない。

 ゆっくりと友沢の側へ寄り、真上から声を掛けた。

 

 

 

「友沢、だよな?」

「!…一ノ瀬…。どうしてお前がここに…」

「お前に用があるからに決まってんだろ。放課後なのにそんな所で寝やがって」

「…野球部への誘いなら断る」

(っ!?コイツっ…鋭いな…)

 

 どうやら今宮の話は本当のようだ。

 しっかしあの友沢が肩をやっちまうとは驚きだな。スライダーが負担の多い変化球だとしても、友沢なら腕の健康管理はできるはず。

 肩が壊れるまで投げ続けたとなると、何やら深い事情があるかもしれんな…。

 

「そんなに重症なのか?」

「ああ。もう投手として試合に出ることは一生できない程だからな」

「なるほど……で、これからお前はどうするんだ?」

「…さあな」

 

 突然ぶつけた質問に友沢は一瞬怯んだ。

 様子からして宛はない、てとこか。ふーん、だったら尚更断ってもらっちゃ困るぜ。目の前にいる野球の天才を野放しにしておくなんて、野球好きの俺からしたら酷い話だからな。

 

 

「──友沢。ピッチャーがダメならショートはどうだ?」

「ショート?」

「そ。お前の高い打撃力と鉄壁の守備、おまけに状況判断力もあって足も速ければ肩だって良いんだ。まさしくショートに相応しい選手だよ。是非俺達からすればクリーンナップを担ってもらいつつ、守備てもポジションの中枢として頑張ってほしいんだ。どうだ、やってもらえるか?」

「……俺は約二年も野球を離れた人間だ。ブランクだってあるし、皆の足を引っ張るかもしれない。それでも俺が入って良いのか?」

「当たり前だ。お前みたいに野球が大好きな奴をほっとけるかよ。皆で歓迎するぜ」

 

 

「───変わってないな一ノ瀬。いつまでも野球に対し真っ直ぐに向かうその姿勢は。ふ、分かった。俺も入部しよう」

「本当か!?」

「ああ。聖タチバナのショートは俺に任せておけ」

「ありがとな友沢。これからよろしく頼むぜ!」

「俺も頼むな!」

「なんだ今宮。お前いたのか」

「おい!俺はさっきからずっと居たわ!!ったく失礼だな…」

 

 よしっ!何はともあれ、友沢が入ってくたのは大きいぞ。

 守備として難易度の高いショートを守ってくれる上にクリーンナップの一角として打点力アップへ大いに貢献してくれるはずだ。その並外れた野球センスがチームメイトに刺激を加え、より良い方向へ引っ張ってくれる。

 何たって負けず嫌いが集まった向上心の塊のような選手達だ。そうなってくれると俺は信じてる。

 

「ほら行くぞ」

「えっ、どこに?」

「部員を探しにだよ。まだ人数足りないんだろ?俺も野球部員なんだからこれからは一人で背負うな。大変な時は人を頼れ」

「…おう。お前もな」

 

 友沢からそんな意外な台詞を吐くとは面を喰らったぜ。

 怪我の経緯とかは詳しく知らないけど、その出来事を境にアイツなりに教訓にしたんだな。

 辛いときこそ全員で乗りきらないとな。俺もその心得は忘れないようにしておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れさま」

 

 部室へ戻ると、これまで勧誘をしていた涼子達も戻って来ていた。

 タイミングが良かったので全員に友沢を紹介することにした。

 

「あの友沢君と一緒にプレーてきるなんて私は嬉しいよ!」

「一ノ瀬以外に中軸を打てる長距離ヒッターが生まれ、打撃にもより厚みが生まれたな」

「うむ。私も内野を兼任する時、これからは友沢を頼るとするか」

 

 皆の反応は各々だが、喜んでいるのは同じだ。

 なんとかこれで9人揃った──。

 となればやるべき事もあと二つになったな。

 

「ああっ!まだ誰がキャプテンか決めてないよ!!」

「む?そう言えばそうだな…すっかり忘れてた」

「──そんなの一ノ瀬で良いんじゃないか?てか一ノ瀬かとずっと思ってた」

「俺も賛成ー!」

「俺、野球とか詳しく知らないけど、あかつき中の一ノ瀬ならウザいほどテレビとかで聞いてたから俺も賛成で」

「ウザくて悪かったな!別に俺がやっても構わないけどよ…」

「じゃあ決まりだな。二年半の短い間だがよろしくな」

「私が言うのは変だけどよろしくね♪」

「頼むぜ要。お前が頼りだからな」

「大地。私達は同じポジションだが正捕手の座は渡さないならな!でも分からないところとかは協力し合い、切磋琢磨しよう、な……」

(六道さん顔真っ赤で可愛い……くそっ)

(一ノ瀬が羨ましい…くそっ)

 

 ん…今、岩本と笠原から殺気を感じたんだが気のせいか?うん、気のせいだな。

 キャプテンはやっても良いかな。小6のリトルとあかつき中でキャプテンは任された経験あるし、皆をまとめあげる役割も嫌いじゃないし。メンバーも殆どが知ってる人で初対面の奴等も心は真面目人間だからなんとかなりそうだしね。

 

 

「あかつき中の一ノ瀬大地。ポジションはキャッチャーで聖タチバナ野球部のキャプテンにこの度なった。約二年半の付き合いになるけどこのチームを甲子園へ、そして日本一のチームに俺はするつもりだ。改めてこれからよろしく頼むな」

 

『おーっ!!』

 

「ん、良い返事だ。残る女性選手の出場権利もその気合いがあれば必ずなんとかなる!その気持ちを切らすなよ。それと俺が不在の事態を配慮して副キャプテンも一応決めておこうと思うが…俺は八木沼が適任だと考えるが良いか?」

「ちょっと待て、どうして俺に副を任せるんだよ。俺よりも友沢とかの方が実力はあるし引っ張る力だって持ってるだろ?」

「確かにそう思っちまうのも無理ないな。でも友沢は二年ぶりの野球復帰でブランクだって残ってるはず。そこへ副キャプテンなんて重要な役目を与えちまったら皆より倍の負担がかかっちまう。それを配慮して考えた結果、八木沼に任せたいんだけど…やってくれるか?」

 

 八木沼を指名したのにだって理由はある。

 俺が理想とする副キャプテンは『正キャプテンと全く違う視点で物事を見れる者』だ。

 端から聞けば意見が対立したりして逆効果ではと考えがちだが、俺一人のチームじゃないんだからそんなやつが俺の横でサポートしてくれればなお良い方向へ導いてくれるだろう。

 八木沼はそれを持っている。クールなわりに自分の意見を堂々と言える度胸と判断センス──。ある意味強い選手に欠かせない精神的な強みだ。

 

 

「分かったよ。俺がやってやる」

 

 そう言うと思ってたぜ。

 役割も決まり、これで人数的な問題も一応解決したってわけか。それでも9人ギリギリだから他にも野球部に入ってこれそうな見込みがある奴を誘う必要性はあるな。試合ができるのは良いけどこのままだとピッチャーがサードをやる始末になるから大会には体力面で出れないし。

 他には愛好会から正式に部として更新しないとダメだし、まだ顧問を引き受けてくれる先生も見つかっていない。

 一つ山を越えてもまた登れと言わんばかりに試練を与えるから大変ったらありゃしないぜ。

 

 

「じゃあ区切りが少し付いたから各自グラウンドを使って練習してても構わないよ。但し友沢はちょっとタイムな。これから行く宛があるから」

 

 後を八木沼に任せ、俺と友沢は部室を出ててった。

 向かう場所は先生達が集う職員室……よりも権力を持つ生徒会室なのだが……

 

 

「おいおい…これはどういうことだよ?」

 

 生徒会室前の廊下には用意されたパイプ椅子に座っている体育部と文化部がまだかまだかと何かをまっていた。

 扉の前へ行こうとするが生徒会役員と思われる女子に制止された。

 

 

「只今サッカー部のご要望会議を開催中ですので並んでお待ちください」

「ご要望会議?なんだそれ??」

「部活の設備や人員等の問題を生徒会と一対一で交渉し、許可が降りればご要望を叶えてくれるという我が聖タチバナ学園の伝統的な行事です。行事と言っても不定期開催なので連日で交渉できる日もあれば、交渉させてもらえない月もありますけど、開催される日は学校放送を通して全校生徒へ流れるはずなんですけど……もしかして聞いてなかったんですか?」

「あ~…多分聞いてなかった」

 

 おそらく全員が部室にいた時に流れた可能性が高いな。学校全体に放送してるとはいえ、第三グラウンドは校舎から少し離れてるから聞き逃しても無理はない。

 

 

 

「くそ~!もう二度とこんな所に来るかよー!!」

 

 サッカー部の部長らしき人が出てきたな。変に気が荒ぶってる気がするけど大丈夫か?

 

 

「残念ながら不許可だったですね。最終決定権は生徒会長の橘みずきさんが持ってますから彼女の気分次第で結果は大きく左右されます」

「まるでワガママな総理大臣だな……」

「そうかもしれませんね。では以上で説明は終わりましたので一番後ろの椅子に付いてお待ちください」

 

 ご親切な説明が終わり、役員の女子は奥の受付へ戻っていった。

 たかだかお願いの一つにここまで大々的に催しするのもどうかと俺は思うが…

 

「仕方ない。癪に触るがここは根気よく待つか」

 

 扉の向かい側には長蛇の列が生まれている。

 指で数える限り、だいたい十一もの部活がこれからとなると…まぁ一時間近くはかかるな。

 座りながら戻ってくる部長やキャプテンの様子をチェックしてみると、許可か不許可の確率はほぼ半々となった。

 どうして分かるかって?そりゃ、嬉しそうに廊下を歩く人もいれば、吐き捨てながら帰る人と別れてるからな。何となく雰囲気で分かる。

 

「ありがとうございました!」

 

 俺等の前に並んでいた美術部が満面の笑みで出てった。

 どうやら成功したらしいな。スキップしながら廊下を歩いてるぞ。

 

 

「次は野球…愛好会の部長さん。どうぞこちらへ」

 

 さてと……んじゃ入るとするか。

 

 

 

  ──コンコン

 

「どうぞ」

 

 中からみずきちゃんの声が聞こえたのを確認して入室する。

 

「失礼します」

「!……大地君ね。そこに座って」

 

 若干顔が驚いていたが気にせず意見席へ座った。

 

「要望を聞く前に自己紹介をしておくわね。書記担当の宇津久志君、会計担当の原啓太君、そして副会長の大京均君よ」

「よろしゅうな」

「よろしくね」

「よろしくお願いします」

 

 前から気になってたけど随分個性的なメンバーだな。関西弁、バラ、筋肉マッチョと異質な組合せだ。

 

 

「今日の用件は何?」

 

 俺達の用件は“二つ”。でも先ずは優先度が高い要望から行くか。

 

 

 

「実は今日で野球愛好会の人数が9人揃った。そこで正式に一つの部として許可を下ろして欲しいのと、まだ引率してもらえる顧問の先生がいないからその確保をお願いしたいんだけど…」

「えっ?もう9人集まったの?」

「あ、うん。一応初心者も何人かいるけど見込みある奴等だからやってけるよ」

「そう、なのね…」

 

 あれ?折角人数が集まったってのにあまり嬉しそうじゃないな。

 野球部だけにひいきできないとは言え、少しぐらい反応してくれても良いのに。

 

「私は賛成ですがみずきさんはどうですか?」

 

 副会長の大京は好反応だが、みずきちゃんは未だに深く悩んでいる。

 いやいや待てよ。これ断られたらマジでシャレにならないからな。て言うか不許可の理由なんてみずきちゃんには無いはずだぞ?

 

 

「分かった。許可するよ」

「うん、ありがとね!」

「顧問は明後日頃に到着する予定だから楽しみに待っててね」

「事が早くて助かるよ。それじゃあ俺も練習に戻るけど、みずきちゃんも生徒会の仕事が終わったら新メンバーを紹介するから来てね」

「あ…ごめん。今日も遅くまでかかりそうだから多分来れないかも…」

「そっか。じゃあ来れる日で良いからまた後日にするよ」

「ごめんね。また練習に参加できなくて…」

「しょうがないって。じゃっ、失礼しました」

 

 そう言って部屋を出た。

 不安もあったが、許可が下りて一先ず安心したぜ。

 これでみずきちゃんも集まれば完璧だったが…ま、焦っても仕方ない。やむを得ない事情だし、ここは本人のペースにも合わせてあげよう。

 

「……………」

「どうした友沢?」

「いや……何でもない。そろそろ行こう、皆待ってるはずだ」

「ああ。そうだな」

 

 ジーっと生徒会室の扉を見詰めてたから気になったが、何ともなさそうだな。

 特に触れることもなく、俺達は皆の待つグラウンドへ戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今学期初めてのご要望会議が終わったのは午後6時過ぎ。そこから許可した部活の要望に対する作業の目処が付いたのは8時を回った頃だ。

 

「では野球部の顧問はみずきさんが紹介した方で…」

「うん。明日その人が学園に来てくれるからその時に嫌でも了承してもらうわ」

「分かりましたわ。……ってもうこんな時間かいな!?

「残念ながらいつもの練習はできませんね…」

「そうね。今日はここで解散していいわよ。疲れが残らないうちに急いで帰ってゆっくり休んでちょうだい」

「ではお言葉に甘えてお先に失礼しますね」

「ワイもここで帰りますわ。みずきさん、さいなら」

「明日頑張りましょう。それではさようなら」

「うん。バイバイ皆」

 

 玄関を出た所で各々の帰路を進み、私も校門前に停めてある迎えの車に乗って帰ろうとしたその時──

 

 

 

 

 

「橘」

「っえっ!?」

 

 ギリギリ校内とは言え、こんな遅くにいきなり名前を呼ばれれば誰でもビックリする。

 ちょっと怖くなりながらも声の主へ視線を移す。するとそこに立っていたのは…

 

 

 

 

「なんだ友沢か…驚かさないでよ」

「なんだ、じゃないだろ。ったく…」

「私に何か用?いくら私が可愛いからってデートの誘いならお断りだからね」

「んなわけ無いだろ!誰がお前みたいなじゃじゃ馬とデートに行くかよ」

「はぁ!?あんたにそんなこと言われる筋合い無いんだけど!そっちだって目付きの悪いチンピラじゃん!」

「地毛だって“昔”から何度言わせれば気が済むんだ!!」

「さあね。あんたが坊主にしたらやめるわ」

「チッ、とにかく来い!!お前に話がある!」

「ちょっと!無理矢理腕を取らないでよ!!」

 

 強引に私の腕を掴んだ友沢は選択の余地を与える隙も無いまま、近くのファミレスに無理矢理連れ込んだ。

 始めはもちろん抵抗したが、「大事な話がある」って言葉に乗せられたしまい、結局付いて来てしまった。

 

「よし…ここなら大丈夫だな」

「どこが大丈夫なのよ!私じゃなかったら絶対警察に連行されてたからね」

「悪かったって。その代わりに千円以内の奢りで手を打ってくれ」

「はいはい。じゃあ私はハンバーグセットとプリン一つとそれに…」

「お前っ…容赦ないな」

 

 店員を呼んでメニューを次々と頼む。

 ちなみに友沢はセット大にライス大盛りのビックサイズを頼んでいた。

 

 

 

「で、話って何よ」

「一ノ瀬から話は聞いた。お前最近練習や勧誘に出てないらしいな」

「…仕方ないわよ。私だって行きたいけど生徒会の仕事が忙しくて中々顔を出せないの」

「生徒会か……」

 

 水を一杯飲んで友沢は続けた。

 

 

 

「本当にそれが理由で来れないのか?」

「……どういう意味よ」

「本当は他にも訳があるんじゃないのか?俺はあまり人の事情とかに顔を突っ込みたくなかったが同じ部員になった以上、ほっとくわけにはいかないんだよ」

 

 真剣な眼差しでこちらを見詰める友沢。

 いつか感付かれてしまうとは思っていたが、まさかそれに気付いたのが友沢だったのは予想外だ。

 そうとなればもう逃げられないわね……

 

 

「──分かったわ。洗いざらい全て話すわよ。その代わり一ノ瀬君達には内緒にしておいてくれる?」

「…ああ。約束する」

 

 

 私は今自分が置かれている状況について全て話した。

 生徒会に入った真の理由──。

 お爺ちゃんが野球を認めてくれない事──。

 長い時間ずっと喋り続ける私に対し、友沢は嫌な顔一つもせず、ちゃんと顔を見て話を聞いてくれた。いつも苦なお爺ちゃんの話題も、そのお陰あってスラスラと話すことができた。

 

 

「──という訳なの」

「…それが理由か?」

「うん…」

 

 友沢の口調はやや怒り気味。

 当然だよね。こんな理由で部員に迷惑をかけたんだから。

 バレる前に自分で問題を片付けてしまえばいい──。

 そんな安直な考えの結果がこのザマだ。

 強豪校からの誘いを蹴ってまでタチバナに入学してくれた皆に、私はなんて無責任なのだろう。

 

 

「どうしてももっと早くに言わなかったんだ?今日入部したばっかの俺は別として、一ノ瀬や今宮、他にも相談できる仲間がいただろ?なのになぜ…」

「それは皆に迷惑をかけたくなかったから…私情を部全体に持ち込みたくなかったのよ。だから……」

 

 

 

 

「──それは違うっ!!」

 

(!?)

 

 

「迷惑をかけたくないって…そんなのただ言い訳して逃げてるだけだろ!例え周りに関係のない事だとしても、俺達はこれから三年間戦う仲間なんだ!辛い時、苦しい時はもう少し人を頼れ!あの時のお前を思い出せよ!!」

「あの時の……私…」

 

 

 

『肩壊したって本当なの?』

『お前に関係ないだろ。邪魔だ、帰ってくれ』

『関係ないはおかしいでしょ!これでも幼馴染みなんだから頼りなさいよ!!どんなにギザで憎たらしい奴でも助けるときは助けるわよ!』

『俺がお前を頼るだと……ふっ、笑わせるなよ』

『もう何よっ!!』

 

 

 

 そうだ。

 

 

 

『なら聖タチバナに来たら?私達歓迎するわよ』

『知るか。来ても絶対野球はしないからな』

『やれやれ。どうせ泣きながら頼むくせに。』

『入んないって言ったら入らねーよ。俺は嘘つかない人間だからな』

 

 

 

 “人を頼れ”って教えたの……私だ。それなのに焦りだけが募り、いつしか忘れてた。

 友沢が私にそんなセリフを吐くなんて、いつの間にか立場が逆転してたのね。

 その温かい思い、確かに受け取ったわよ。

 

「ありがとう友沢。私忘れてた…」

「ん。それじゃあ飯食ったら早く出るぞ」

「え、なんで?」

「決まってんだろ。お前の爺を説得させにだよ」

「はぁ!?そんなのできるわけないでしょ!ふざけないでよ馬鹿!」

「何とでも言え。行かなきゃ一生野球できないんだぞ。それでもいいのか?」

「それは…嫌よ」

「じゃあ決まりだ。早く食えよ」

「う……この鬼っ!」

 

 折角見直したって言うのに人を地獄へ叩き落とすんだからこいつは!

 はぁ…ここまで言われれば行くしかないわよね…。

 私が唯一苦手とするお爺ちゃんの元へ──。

 その一分後に頼んだメニューが届くも、食事はイマイチ喉を通らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一年A組の友沢亮です。夜遅くにすいません、どうしても話したい事がありまして…」

 

 食事を終えて真っ先に向かったのは私の家だ。

 自慢ではないが、お爺ちゃんは『橘財閥』の社長を皮切りに、何社もの会社を手広く持ち合わせ、おまけに聖タチバナの学園長まで任されている有力者。当然、お金で困ったことなど一度もない。

 

「わしに用じゃと?」

「はい。こいつ……みずきさんの事についてお話がしたいんです」

「ふん、言ってみろ」

 

 私の霊が乗り移ったかのように、友沢は言いたいことをとにかく話した。内心は思ったことを全部話せてスッキリできたほどだ。

 お爺ちゃんは目を瞑ってピクリとも動かないまま話を聞く。その姿が目に入ると、スッキリからまたモヤモヤに変わってしまう。

 早く平和的に終わってほしい……ただひたすらそう願った。

 

「つまり勉強よりお前の言う野球とやらが将来大人として生きるために必要な事だと説くのだな?」

「そんな大それたことじゃありません。ただ彼女は心から野球がしたいんです。それなら自分の孫に好きなことをさせ、見守ってあげるのが家族の役目ではないでしょうか?そうだよなみずき?」

「ふえっ!?あ、え……」

「どうなんだみずき。それはお前の本心か?」

「私は……」

 

 

 

 

「──皆と野球がやりたい!お爺ちゃんがダメって言われても絶対やるから!」

 

 

 ああ……とうとう言っちゃったな…

 出てけ!とか言われたら友沢を一生恨むからね。覚悟しなさいよ。

 

「クックック……お前がそんなに偉くなったとは驚いたわい。」

「違うわ!ただ私は野球がしたいだけっ…それだけなの…」

「面白い!確か友沢と言ったな?それならお前達と一つ賭けをやらんか?」

「「賭け???」」

 

 

「わしは野球が将来の価値に値するとはまだ納得しとらん。そこで練習試合を組み、その結果や内容を見た判断でもし、価値のある活動だと分かればみずきの野球部入部を許可してやろう。ただしあまりにも無様な試合をすれば二度とこの件に口出しをするな。どうじゃ、これなら分かりやすくていいだろ?」

「試合…ですか…」

「なんだ、この期に及んで今更怖じ気付いたのか?ならみずきは諦め──」

 

「いえ。その賭け、乗りますよ」

「友沢!?」

「クックック…面白い男じゃ。相手はお前達で決めていい。しかし弱小校を呼んでそこに勝っても認めんからな。あくまで価値を見出だせる試合ができる相手にするんだぞ。日にちはそうじゃな…五月第一週目の土曜日。場所は我が学園のグラウンド。どうだ?」

「分かりました。約束を果たしたら、この件から手を引いてくださいよ」

「約束は破らん。そちらもな」

 

 もう何が何だか分からないわ……

 一言も喋らないで見てたら突然試合をやるってどういうことよ!キャプテンでもないこいつが勝手に決めて…ったくもう!

 粗方お爺ちゃんと話を付けた友沢は、一礼して玄関を出てった。

 

 

「ちょっと待ちなさいよ!」

「あ?何だよ」

「勝手に色々決めないでよ!試合の許可だってまだしてないんだよ!?それを無視してどんどん突っ走るんだならあんたは…」

「うるせーな。この際許可なんてどうでも良いわ。とにかくお前は明日部活に顔出して皆に謝罪でもするんだな。俺にできることはここまでだ」

「はいはい!どうもありがとうございました!!」

 

 いちいち痛い所を突くから嫌なのよね。

 ま、ありがと。少しだけカッコよく見えたわよ──。

 

「じゃーな。弟達が待ってるから俺は帰る」

「ちょっ…ちょっと待って!」

 

 走ろうとする友沢の肩を反射的に掴んだものの、そこから両者の時間は動かない。

 こういう場合…どうすれば良いのよ!?

 

 

「あの……今日は色々とお世話になったわ。ありがと…ただそれだけよ!」

「痛ってーな!お礼言うのに頭叩くかよ!もう二度と助けないからな!!」

「いいよーだ!とっとと帰れ!」

 

 鞄をしょい直し、友沢は走って夜の道へと消えていった。

 助けなくていいなんて言っちゃったけど、正直改めて思えば心のどこか痛い気持ちになってる自分がいる。

 なんだろう?この初めて感じる痛さは──。

 その正体を知ったのはまだまだ先の未来になってからだった…

 

 

 

 

 








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第十三話 チーム結成

「すっかり遅くなっちまった…」

 

 次の日の放課後、この日も四時から練習をする予定でいたのだが、事務職員に部費の事で呼ばれてしまい、俺だけが大きく遅れてしまった。

 

「急がないと…皆揃ってるはずだからな…」

 

 しっかし相変わらず遠いんだよな、この道。

 ただでさえここのキャンパスは広いって言うのに、校舎から第三グラウンドが一番遠い。届いたボールとかネットを運ぶのも大変ったらありゃしないぜ。

 と、文句を垂らしながらも網の扉を開け、グラウンド内へ入る。

 

「ん?妙に部室が騒がしいな…」

 

 グラウンドには誰もいないけど、部室からは誰かの話し声が漏れて聞こえるぞ。

 女子特有の微量に高い声と明るく元気な笑い声。普段クールな聖ちゃんはそんな声量で会話をしないので、考えられるのは涼子だけだろう。

 よし、「ぷっ、そんなにはしゃいでお前もまだまだ子供だな。」と、少しからかってやるか。涼子って人に色々言われると突っ込むタイプだから意外に面白い所あるんだよね。

 そんな事を考えながらゆっくりとノブに手を掛けて部室のドアを開ける。

 

「あー!遅いよキャプテン!」

「何が遅いよ、だ。小学生みたいに騒い………ってええええっー!!?みずきちゃん!?」

「ちょっと!私がここにいるだけでそんなに驚く!?それに小学生ってどういう意味よ!!」

「いやぁ~…てっきり涼子かと思ったからつい…」

 

 今日も生徒会で来れないと一週間も前から連絡を受けていたのにそれを逆らって来るとは…。

 

(しかも涼子がこっちを睨んできてるし…)

 

 涼子なら──って部分に気を障ったちゃったのかな?だってリトル時代からこういう悪ふざけはよくやってて日常化してたが、十代後半の少女に対してとなればデリカシーの無い発言だったか。

 

「ごめん涼子」

「…別に。どうせ大地君は私の事なんてそれっぽっちにしか考えてないって分かったから」

「それは嘘だって。俺はお前の大切な女房だろ?」

「にょ、女房だとっ!!?」

 

 ぐおっ!無関係の聖ちゃんがいきなり食い付いてきた!?

 

「なななななに言ってるのよっ!!それを言うなら私が女房で大地君は亭主でしょ……」(本気なのかしら…)

「いやいや。別にそういう意味じゃなくて、お互いバッテリー関係なんだからキャッチャーの俺は女房って言うだろ?」

「…………………」

 

 あれ?友沢と今宮がさっきから笑ってるけど今俺、何か間違えた事言ったか??

 バッテリーなんだから俺が女房で涼子が亭主的な立場だろ?だから…

 

「一ノ瀬…お前鈍すぎ」

「はぁ?どういう意味だよ!?」

「知らん。お前は頭良いんだから自分でそれくらい答えを出せ」

「八木沼っ……!」

 

 更に涼子は怒り、聖ちゃんは安堵の表情しとるし。

 もう全国大会決勝戦で戦った海堂付属中のリードよりも難しい問題だよ…。

 

「まぁそろそろ茶番はこれくらいにして、大地君にも今までの経緯を話すわね」

「ん……頼みますわ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所は変わり、海堂高校野球部二軍グラウンド──。

 

 

「おい、聞いたかよ」

「ああ。まさかウチに電話交渉で試合を申し込む変な高校がいたんだろ?」

 

 ロッカールームで話をしているのは渡嘉敷と阿久津。

 彼等はまだ一年生なのだが、海堂のチーフスカウトに特別目を向けられた選手はこのように特待生として入学が認められ、セレクションや三軍行きを免除されるのだ。

 それは待遇も大きく影響され、一軍・二軍は立派な野球場で高品質な設備を使って日頃鍛えている。

 

「どこだっけな……何とかバナ高校だっけ?」

「ああ?聞いたかとねーな、そんな無名校。この阿久津様の“伝家の宝刀”で身の程を知らせてやるか」

「ばーか。お前は体力無いんだから先発はないだろ?そんな大口叩く暇があったらランニングでもしてこいよ」

「うるせぇよ!今行こうと考えたわ!!」

 

 そう言いながら阿久津は勢いよく部室を出ていった。

 

「また阿久津にちょっかい出してんのかよ」

「おー、薬師寺じゃん」

 

 彼の名前は薬師寺祐介。

 巻き毛と切れ目が特徴の右投げ左打ちの三塁手。

 無論、薬師寺も特待生枠で入学した凄腕の選手だ。

 

「さっきの話、もしかするとただの無名校じゃないらしいぜ」

「え、でも何とかバナ高校なんて過去一度も甲子園に出てない学校じゃん。そんな弱小校じゃウチに五十点差くらいつけてコールドだよ」

「それがそうとも限らないんだ。あくまで噂なんだが、中学時代にあの猪狩守と肩を並べる程の天才が主将をやってるって市原が教えてくれたんだ」

「へぇ~…猪狩守と同等ならそれは強いね。それでも総合的に判断すれば誰もがウチの勝利を予想するよ。どっちにしろ俺達の敵じゃないね」

 

 海堂高校は同じ県に属す『帝王実業高校』と春夏の甲子園出場権利を巡って毎年のように決勝で争っている。

 近年は海堂がやや勝ち越しているが、帝王は山口・猛田・蛇島・香取・唐澤など、猪狩や一ノ瀬のライバルとして相応しい面子が揃って入学し、今年はかなりの戦力補給をしたと言える。

 それに対する海堂も負けておらず、眉村を始めとする薬師寺・渡嘉敷・米倉・市原・阿久津、更に三軍で可能性を秘めた選手も多数在籍すると、選手層の厚さは国内No.1と名高い評価を受けている。

 この二強の次点に入るのは、パワフル高校・極久悪高校・久里山高校などが名を連ねる。どの高校も共通点は、

 

 

 

  今年の一年生が未知数のPotential(潜在能力)を秘めている点だ──。

 

 

 

「帝王に勝つためにも二軍とは言えコケる訳にはいかない。あくまで俺達はマニュアル通りに…」

「分かってるさ。それがチームに勝利をもたらす一番の正解だからな」

 

 どんな相手にも圧倒的な才能と選手層でねじ伏せ、敗北の二文字を精神的にも肉体的にも刻み込ませる。それが海堂の野球であり、プレイスタイルだ。

 たとえ全国区の選手がいようと、マニュアルによって作られた勝利の方程式はここ十年以上、誰にも壊されない最強の鉄則である──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 みずきちゃんの事情も耳に入り、これで仮な形となるが、本当の意味で部員が9人揃った。

 大京や原、宇津の三人も野球経験者らしく、入部はしてくれるらしいが生徒会を疎かにはできないらしく、今日は来ていない。みずきちゃんが言うには当番をローテーションで回し、練習試合までの間は二手に割れて業務をするらしい。

 そして要望通り顧問も来てくれたのだが──

 

 

「この度野球部の顧問になりました『橘聖名子』です。聖ちゃんを始め、妹のみずきがお世話になってます」

 

 楽しみにしとけって……顧問がみずきちゃんのお姉さんってどういうことだよ!!

 いやいや、この人が嫌いって事じゃないけどさ!どちらかと言えば美人で優しい模範的な先生(と言っても今年入ってきたばかりの新任)だから思わず見とれる所もあるけど……

 

「聖名子さん、野球のルールや采配は理解した上で顧問を引き受けたのか?私には貴方が野球初心者に見えてしまうが…」

 

 思った事そのままを聖ちゃんが代弁してくれた。

 みずきちゃん以外の皆もうんうんと頷きながら共感した。

 

「みずきや聖ちゃんがリトルに所属してた頃から野球はよく観戦してたので、ルールはほぼ分かってるつもりです。采配もみずきが薦めた雑誌を読んで勉強中なので試合までには最低限のラインをできるよう努力はしてみます」

 

 んー、ルールが分かるだけまだ良いか。

 できれば経験者が監督に就いてくれれば理想だったが、贅沢は言えないな。本人も意気込みはヤル気満々なんだからそれに答えなきゃならないしね。

 

「それと、五月第一週目に予定された練習試合の相手も決まりました」

「おおっ!マジっすか!!それでどこなんですか!?強いんですか!?弱いんですか!?それとも──ゴハッ!!?」

「今宮、少し黙ってろ」

 

 友沢の右フックが炸裂し、派手に転んだ。

 聖ちゃんと八木沼は呆れ顔、涼子と聖名子先生は苦笑い。

 角度が良かったのか、今宮は白目を向いて気絶している。

 友沢…もう少し加減をしてやれよ。

 

「えっと……対戦高校なんですが、皆さんご存知かもしれませんが、

 

 

 

 

  海堂学園高等学校の準二軍に決まりました」

 

 

 

(!?海堂、高校か………!)

「うえっ!?」

「うわ~…マジかよ…」

 

 

 みずきちゃんの入部許可を賭けて戦う相手がよりによって海堂とはな。

 準二軍って点が引っ掛かるが、随分強気なマッチメイクをしてくれたもんだ。見てみろ、笠原と岩本なんてあんぐり顔で石化したかのように動かないぞ。

 

「ふ…面白くなってきたぜ!ここで活躍すれば女子からモテモテ間違いなしだっ!!」

「お前いつのまに…!面倒だからずっと伸びてて良かったのに…」

「八木沼~!心の声がだだ漏れだ!せめて聞こえないようにぼやけ!!」

「でも普段おちゃらけてる今宮の言ってることは一理ある。このチームが発足して初の試合なんだ。ワクワクや面白さを感じて挑まなきゃ、もったいないかもしれないな。」

「私も試合が決まって心がウズウズしてきわ。フフッ、体が早く投げたいって言ってるかもしれないわね」

「やるからには絶対勝つ!聖タチバナ学園高校野球部の将来を占う大事な一戦だからな」

「そう聞くと俺達も…」

「何か燃えてきたって感じがする…!」

 

 全員良い顔になってきたな。

 チーム全体が一つの目標に向かってるから良い傾向だぜ。

 

 

「皆、海堂は確かに強い。でもそこで諦めたら二年半、この世代は甲子園の土を踏むことはできないんだ」

 

 だからこそ弱小なら弱小らしく食らい付くまでだ。

 ゲームセットのコールが鳴り響くまで諦めず、粘るんだ。

 

 

 

「勝とう!海堂に!!そして行こう、甲子園へ!!!」

 

『オォーッ!!!!!!』

 

 

 待ってろ猪狩!

 今は名も知れ渡らないただのチームかもしれない。

 でも二年後、神奈川県の王者になってお前の最強伝説を崩してやるからな、覚悟しとけよ!

 試合まであと三週間──。

 まずは基礎を徹底して強化し、その上で練習試合を組んで経験値を上げてってやるぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「周防監督。話があります」

 

 海堂高校から何十キロも離れたとある孤島。別名を夢島──。

 そこはただの島ではなく、海堂野球部三軍の練習所になっているのだ。

 多く茂る木々を何時間も歩いた先に選手食事や寝泊まりをする寮が置かれているが、古さは一目瞭然。おんぼろの木々に大した道具もなく、部屋も簡素な造りである。

 

「なんだ乾。俺はポジション適正テストの考案をしてたところなんだ。悪いが後で──」

「“茂野吾郎”についてお話があるんですが」

「む……用件はなんだ?」

「奴のポテンシャルと身体機能、練習に対する意欲は他の者と比べても群を抜いています。あの心臓破りの坂を初日で攻略し、大文字や丘人魚も難なく攻略しています」

「なっ…あの坂を初日でクリアしただと!?」

「はい。もう奴なら二軍へ…いや、もしかしたら一軍のベンチにも入れる器です。どうでしょうか?茂野を昇格させてみては?」

「ふむ………」

 

 だがあの坂を初日でクリアしたとは言え、それだけでは海堂のレギュラーにはなれない。

 いくら才能に恵まれてたとしても、奴は“ウチの”欲している野球選手と大きくかけ離れている性格。

 それを修正しない限り、上へは行けんな、茂野吾郎よ。

 

 

 

 

 



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第十四話 vs海堂学園高校

 五月第一週目の日曜日。

 この日は聖タチバナ野球部の初試合だ。

 今日までの約三週間、特に笠原・岩本を中心に基礎トレーニングをやってやってやりまくった。野球の『や』の字も分からない初心者でも、どうにかして試合に出れるまでのレベルに上げたつもりだから、後は二人の頑張り次第だな。

 今日はみずきちゃんのお爺さんも直接グラウンドに来て試合観戦をする。あの人曰く、『野球に価値があるかを証明しろ』って事だけど、俺は野球に価値観を付けるつもりはないけどな。楽しいか楽しくないかは人それぞれなんだし、少なくとも俺や皆、みずきちゃんは野球が大好きなんだ。今日は俺達が野球をしたいんだって意志を、お爺さんにも分からせてやるぜ。

 

「あ、もしかしてあのバス!?」

「……いよいよ来たか」

 

 グラウンドすぐそばの駐車場に一台の大型バスが停まり、次々とユニフォームを着た選手が降りてくる。

 海堂高校の二軍だ──。

 が、そのほとんどは一年生で構成されている。早い話、向こう側としてはただの調整試合にしか考えてないだろう。それにしても一年生だけとは随分舐められたもんだぜ。

 二十代の若い女性がバスから降り、聖名子先生の元へと歩いて挨拶を交わす。

 

「海堂高校野球部、二軍監督の“早乙女静香”です。練習試合、ありがとうございます」

「こちらこそ遠い所をわざわざお越しいただき、ありがとうございます。ベンチは三塁側が空いてますのでそこをお使いください」

 

 ふーん、あの人が海堂二軍の監督か。

 ああやって綺麗な女性二人が話してる絵を見ると、何だか別の意味で緊張しちまうな。

 黒髪ロングヘアーに緑と青を混ぜた感じのおさげは年頃の男子高校生ならだいたいが虜になる組合せじゃないか?

 さて、そろそろ試合モードに切り替えていくとしよう。今は目の前の試合に集中だ。

 

「ふん。気合いは充分そうだな」

「あ!お爺ちゃん!?」

 

 甲高い声を挙げてみずきちゃんが反応する。

 やっぱり怖そうな雰囲気を漂わせてるなぁ。近より難い存在だぜ。

 

「わしはただベンチに座っているのみ。大事な会議を蹴ってまで観に来てやったんじゃからな。情けない試合をしたら…」

「分かってますよ。でも約束は守ってもらいますからね?」

「わしは言った約束は破らん男じゃ。後はお前さん達の努力次第じゃな」

 

 勝負前だってのにこの二人(友沢とお爺さん)はもう決戦の火花を散らしてるぞ。対抗心持つのは良いけど、相手が違うからな。気を付けろよ。

 

「それじゃあ皆集まれー!」

 

 ピリピリとした雰囲気を変えるため、俺は全員を呼んでミーティングをすることにした。

 友沢以外にもみずきちゃんは顔が死んでるし、笠原と岩本だって緊張してるのがバレパレだ。これじゃあ体が固くなってベストパフォーマンスが発揮されないからかなりまずい。

 

「少し早いけど、今からオーダーを発表する。するんだけどさ……全体的に皆暗いぞ?特にそこの三人はムンクの叫びみたいな顔してるからスマイルな。友沢も大丈夫とは思うけど切り替えをしっかりしろよ。」

「みずき、大地の言う通りだぞ。お爺さんがいるのを理由に萎縮してしまったらそれこそいけない。いい加減腹を括って試合に集中しよう」

「う…分かったわよ……」

 

 やっぱ長年バッテリーを組んでいた事はあるな。

 そして今日のオーダーも、その二人が試合の命運を握る存在かもしれないぜ。

 

「では発表するぞ。一番センター八木沼」

「俺は一番か。了解」

 

 八木沼はミート力と機動力に長けてるから一番にするのは当然だな。

 

「二番キャッチャー六道」

「む。私がキャッチャーか……分かったぞ」

 

 俺をキャッチャーから外した理由はまた後で説明するとして、

 

「三番ショート友沢」

「ああ」

「四番サード俺、五番セカンド今宮」

「おう!必ず打ってやるぜ~」

 

 コイツ一人だけはテンションが異常に高いな。ま、悪いことじゃないけど…。

 

「六番ファースト大京」

「分かりました」

「七番ライト岩本」

「皆の足を引っ張らないように頑張るよ」

「八番レフト原」

「出塁したらかき回したる!」

「最後に九番ピッチャー橘」

「っ…うんっ!!」

「以上が今日のオーダーだから各自打順とか間違えるなよ。涼子と宇津はリリーフスタートだけどいつでも登板出来るよう、しっかり肩を温めておくように。それじゃあ質問がある奴は…八木沼」

「昨日、エースナンバーの川瀬に投げさせてもらうと言ってたのに、どうして橘を先発にしたんだ?それにお前がサードに行くって……なんか策でもあるのか?」

「色々と試合前に悩んだんだけどね……第一にお爺さんが来てるならみずきちゃんが先発で投げてる所を観せ、アピールするのがクリアへの近道じゃないかな?第二は夏を想定しての配慮──ウチの投手三人の中で一番先発に向いてるのがスタミナもあって球種が豊富な涼子だと考えた。でもこの暑く登板期間が多くなる夏を一人で先発させては負担も倍増する。そこで左利きのサイドスロー、すなわち変則派のみずきちゃんにも先発の経験を積ませれば成長にもなるし、別タイプの二本柱を完成させ、ワンポイントやセーブ場面を宇津で締めて勝ちをもぎ取る“タチバナ必勝リレー”を造り上げる、その目的も兼ねて、今日の試合を投げさせたいんだ」

 

 そしてバッテリー経験の多い聖ちゃんと組ませることによって、精密に考え込まれた配給と高次元の制球力が合わさってより投球に精度が増す。

 精神面でも付き合いの長さが功を奏するはずだ。

 聖ちゃんは頭が良いからその辺は理解してもらえるだろう。

 

『各校の代表者はホーム前に集まってください』

「てな事だから後は八木沼に任せる。聖ちゃんは投球練習に付き合ってあげて」

 

 皆を残し、ホーム前へ俺が向かう。

 海堂の代表者も遅れて来たが、ソイツが意外な人物であった──

 

「お前…一ノ瀬大地じゃないか?」

「ん?どうして俺の名前を…あれ?お前は確かリトルの時に戦った──」

「薬師寺祐介だ。久しぶりだな、一ノ瀬」

「おおっ!あの時、おてんばピンキーズでキャプテンをしてた奴か!?」

「覚えてくれてたとは光栄だ。お前の活躍も聞いてる。あの猪狩が認めた捕手がまさかここにいたとは驚いた」

「ま、色々俺にも都合ってもんがあるからな……」

「ではお喋りはここまでにして、先攻後攻は聖タチバナが決めろ」

「じゃんけんはしないのか?」

「すまないが誰の目から見ても力に歴然の差があるんだ。いくらお前がいたとしても海堂の勝ちは変わらない」 

「久しぶりなのに手厳しい一言だな。じゃあ先攻を貰おうか」

「それと監督命令なんだが、七点差がついたらそこで打ち切りにしてとの事だ。そうなっては練習にならないからせめて五回までは楽しませてくれよ」

「随分と言ってくれるな。必ず舐めてかかってきたこと、後悔させてやるよ」

 

 ふ、と鼻で笑い、薬師寺はベンチに帰っていった。

 常勝海堂かなんか知らないけど、こっちはいろんな物を背負ってんだ。

 負けたらみずきちゃんを失い、チームにも勢いがつかなくなる──。

 この初戦を絶対勝って、お前らをギャフンと言わせてやるよ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 両校とも試合前のノックが終わり、いよいよ試合が始まろうとする。

 海堂高校のスターティングオーダーは、

 

一番ライト 矢尾板

二番セカンド 渡嘉敷

三番サード 薬師寺

四番ファースト 大場

五番レフト 石松

六番キャッチャー 米倉

七番センター 原田

八番ショート 西城

九番ピッチャー 市原

 

 全員が全国で名の知れた選手だ。

 特に薬師寺と米倉はリトル時代にも戦った経歴もあり、市原は右の軟投派として紹介されるほどの実力を持つピッチャー。

 恐らく現時点で打てる見込みがあるのは友沢・俺・聖ちゃん・八木沼・今宮の五人だけで、正直他はレベルが違いすぎて完璧に捉えるのはかなり厳しいと思う。

 勝敗を握るのはバッテリーの二人。

 いかにして点を与えないか──そこが今日のターニングポイントになりそうだ。

 

 

 

『これより聖タチバナ学園高校対海堂学園高校の練習試合を始めます!相互に礼!!』

『お願いしまーす!!!!』

 

 挨拶をして、俺達はベンチに戻る。

 発足したばかりの野球部とは言えどもさすがはお金持ち高校の聖タチバナ。練習試合でも本番と同じ、ウグイス嬢が名前を読み上げていく。

 

『一回の表。聖タチバナ学園の攻撃は、一番センター八木沼君』

 

 バットを左手で持ち、八木沼がバッターボックスへと向かう。

 市原がロジンバッグを地面に落とし、セットアップで振りかぶる。

 投げられたボールは米倉の構えた所へピンポイントへ収まった。

 

『ストライッ!!』

 

 速いな。

 だいたい百三十中半ってところだが、球のキレがやたらに良い。

 その上何球種もの変化球を混ぜてくるとなれば、狙い球を絞るのは困難になるぞ。

 

(本格派でないと聞いたが球威はそれなりにあるな。まだどの変化球を持っているか分からないからまずは持ち球を探りだしてみるか……)

 

 二球目は真ん中から外へ逃げるスライダー。

 これはゾーンから僅かに外れてボールとなる。

 今のは良く選んだな。焦らずじっくりと見ている証拠だ。

 次に放たれたのはインローのシュート。

 スイングするも当たった場所はバットの根っ子。

 ボテボテの当たりはサード線を弱々しく転がるが、サード塁審が手を挙げてファールになった。

 

「あ~…今のフェアだったら内野安打になったかもしれないのに…」

 

 隣に座る涼子が残念そうに呟く。

 八木沼は右打者ながらもスタートダッシュが速いので、ゴロな限り内野正面でもヒットにさせる脚力があるから一番にした。

 そんな期待を持つも、五球目のカーブを引っ掻けてしまい、セカンドフライ。

 渡嘉敷が手を広げてキャッチし、ワンアウトになる。

 

「八木沼、どうだった?」

「ストレート・カーブ・スライダー・シュートとも一年生とは思えないほどの切れ味だったな。多分山を張らなきゃ打つのは難しいと思う」

「そうか。貴重なデータ回収ありがとな」

 

 まだ一巡目だとしても、巧打の八木沼がこうも簡単に打ち取られるとは、伊達に“常勝海堂”って呼ばれるだけの事はあるな。

 

『二番キャッチャー、六道さん』

「聖ーっ!何としてでも打つのよー!!」

 

 みずきちゃんの声援に軽く手を挙げて応え、ゆったりとして構えで立つ。

 米倉と市原が帽子越しでほくそ笑んでいるのが見える。女性選手だからって舐めたら困るぜ、バッテリーさんよ。

 対する初球は低めギリギリのスライダー。

 バットを短く持ち、くさいコースながらも食らい付いてカットする。

 

『ファール!』

 

 うん、よく当てに行ったな。

 冷静にボールを見ながらも打っていこうと言う強気な姿勢がこっちにも伝わってくるぜ。

 二球目は高めにストレートが外れてボールになり、三球目──

 

 

  ッギィインッ!!!

 

 

 アウトコースのカーブを逆らわず右に流し打ちし、ライナー性の打球がライト方向を襲う。

 金属音が後から聞こえた瞬間、ベンチ一帯に座っていたメンバーがピクッと反応し、飛んでいく方向へ目を向けた。

 あまりにも完璧な当たりだったから俺も「ヒットだ!」と心で決め付けていたが、運悪く落下地点はライト定位置。

 

『アウトォ!』

 

 矢尾板が両手でがっちりと掴んでライトライナーに終わった。

 腕を畳んで綺麗に運んだんだがなぁ。弾道が逆に良すぎて捕られちまったか。

 悔しそうな表情をしながら聖ちゃんが戻って来る。

 

「すまない皆。出塁できなかった…」

「いや、あれはヒット以上に価値があるバッティングだよ。初打席であそこまで飛ばせるなんて、聖ちゃんは凄いよ」

「すっ、凄い、か?大地がそう言うなら私は………」

 

 あれ?さっきまでの落ち込みから一転、今度は嬉しそうな顔をしてにやけてるぞ?俺の言葉を真撃に受けて止めてくれるのは良いけど、普段笑わない聖ちゃんが笑うと可愛くて照れるな…。

 

「…ほらほら!試合に集中する!!今度は友沢君が打席だし、大地君だってネクストでしょ!」

「ん、ああ。悪い悪い」

 

 聖ちゃんと涼子が顔を見合わせながら俺の方をチラチラ見てるけどなんだこりゃ?

 意味分からんけど、二人も試合に集中しろよ。

 

『三番ショート、友沢君』

「……お願いします」

 

 ──雰囲気が変わったな。

 強打者特有の、この人なら必ず打ってくれるって気持ちにさせるっつうか、少なくとも一年近く野球辞めた人間が出せるオーラじゃないぞこれは。

 練習でも見せたことの無いその秘めた力。

 市原・米倉も察知したのか、一球目はアウトコース低めに外れるスライダーから行った。

 

『ボーッ!』

 

 友沢相手にはいきなり厳しいコースを要求してきたな。

 高レベルなアベレージヒッター相手には一寸でも甘いコースに入ると容赦なく初球から叩いてくるからまずはボール球で出方を見てきたわけだ。

 二球目──

 左打席に立つ友沢にしてみれば外側に逃げてくシュート。

 海堂にしては甘い配球でも、友沢はそれを見逃さずフルスイングする。

 ガアッンッ!!と凄まじい轟音と共に、ボールは左中間を抜けた。

 石松がクッションボールを上手く処理するが、悠々セーフで二塁打となった。

 

「ナイバッチ友沢ー!!!」

「ナイスバッティングだよー!」

「ほう……少しはやるようじゃな」

 

 見てるか友沢。今みずきちゃんのお爺さんが見直してたぞ。

 せっかく繋げてくれたんだから、俺もそれに応えてみせる!

 

『四番サード、一ノ瀬君』

 

 うーしっ!ここは単打でも友沢を帰すことを優先し、先制点を奪って重圧をかけてやるぜ。

 ヤル気満々の状態で打席に立って市原を迎え撃つ。

 ──が、その意気込みは無情にも届かなかった。

 

 

 

    米倉がその場を立ち、右手を横にする。

 

 

 

(!!)

 

 

 

 ボールは左打席上、右打者のバットが届かない所を通過していく。

 正直こうなることも予想はできていた。しかし本当に勝負を避けられるとは驚きを隠せない。

 

「ふざけんな!初回でもう敬遠するなんて…お前らそれでも海堂高校かよ!!!」

「落ち着け今宮!これだって一つの戦術だろ」

 

 一塁ベンチから今宮の怒声が鋭く耳に入った。

 それでもバッテリー何食わぬ顔で敬遠を続ける。

 ここで敬遠球を打つ荒手もあるが、それで点を取ってもチームに勢いは乗らないだろう。あくまで打つ体勢と表情は一切変えないで構える。それが四番を背負う者の意志だ。

 

『ボールフォア!!』

 

 結局一度も振らずに一塁へ歩かされ、五番の今宮が気に食わない顔で打席に入った。

 

「舐めやがって…絶対打つからな!」

(ふん、何度でも言ってろ。友沢と一ノ瀬さえマークすれば百パーセントウチが勝つからな)

 

 今宮のフォームは完全なるオープンスタンス。

 友沢から聞いた話では、元々今宮は打撃が上手な選手ではなかったらしい。それが帝王でクリーンナップを張るまでに成長できたのは、このオープンスタンスが始まりだと言う。

 

 

  アイツは六道と反対な選手──

 

 

 

 選球眼が皆無に等しく、打つ瞬間も体を直ぐ開いてしまう欠点を持っていたらしい。パワーやミートがあってもバットに当たらない。当たっても外野へ飛ばない。基本充実なスタンダード打法なのにその難癖は一行に直らず、中二の夏まで二軍のベンチにさえ入れなかったほどだ。

 今宮自身、野球部を辞めようかと考えていた時、転機は訪れた──

 

 

「なぁ今宮。お前、オープンスタンスで打ってみたらどうだ?」

 

 

 そう提案したのは友沢。

 ほんの気休め程度の嘘で言ったつもりが、今宮は本気で受けてしまい、翌日から直ぐ様オープンでの打法に変えて練習に参加。

 それが奇跡的にマッチしたのか、その日から今宮の打撃成績は一転する。

 十打席で一本打てるかどうかの打率がなんと四割越えをマーク。四球も劇的に増えて出塁率も大幅に向上し、気付けば一軍で六番を打つまでに成長していた。

 その過去を教えてもらった後、雑誌でオープンスタンスの特集を取り上げていた記事を見つけ、読んでみた。するとそこにはまだ俺も知らなかった面白い話が書かれていた。

 

 ・オープンスタンスはボールを見極めやすい構えであり、体の開きも最小限に抑えられる。

 

 ぷっ、まんまその通りじゃんと思ったが、オープンに切り替えたお陰で著しく良い成長を遂げたし、こうして俺達とタチバナ野球部でプレーができるんだ。そう考えれば運命の恐ろしさってやつを改めて実感させた、特別なフォームだ。

 

 

  カキィイン!!

 

 

 その日もオープンスタンスは冴え渡り、四球目のカーブを強引に引っ張り、レフト左横を抜けるタイムリーツーベースヒット。

 二対0となり、この試合初の得点が入った。

 

「っしゃっ!!」

 

 喜びのあまり塁上でガッツボーズをする今宮。

 コースだってそれほど甘くなかった。それでも長打にできたのは紛れもなくアイツの実力だ。

 アホだけど素直に認めよう。アイツはチームで一番野球を心から好きでいて、良きムードメーカーかもしれないな。

 

「いまみーナイバッチ!」

「続けよ大京ー!」

 

 ベンチに戻ると、みずきちゃん達が投球練習を既に始めていた。

 横で様子を伺う限り、やはり球威は劣ってしまう分、コントロールはいつにも増して冴え渡っている。

 特にみずきちゃんの武器である“二種類のスクリューボール”がどこまで海堂打線に通用するかも注目だ。

 その一分後、大京は空振り三振に終わって帰ってくる。

 

「すいません。不甲斐ない結果で……」

「ドンマイドンマイ!まだ一打席目なんだし、今度は守備を頑張ろーぜ!」

 

 今宮が大京の背中を叩いてやる。

 あれがアイツなりの慰め方なんだろうな。

 

「行くぞみずき」

「ええ!」

 

 二点を取り、幸先の良いスタートが切れた。

 守備でもまずは初回を無失点に抑え、試合の主導権を握ればこっちのもんだ!

 

 

 

「ふーん。中々やるじゃん、バナ学園」

「市原がいきなり二失点とはな。しかしサービスはここまでだ…!」

 

 

 

 

 

『一回の裏、海堂学園高校の攻撃は、一番ライト矢尾板君』

 

 矢尾板が左打席に立つ。

 確か関東大会で見たことがある奴だ。

 八木沼と同じ一番打者タイプで、パワーは無いものの、盗塁成功率百パーセントを誇る俊足が売りの厄介な打者だったはず。

 

(このバッターはゴロでも禁物だ。セーフティも視野に入れながら投球するぞ)

 

 みずきちゃんが頷き、上半身と左腕を大きく後ろへ回し、真横のまま腕を振ってリリースする。

 ボールはアウトローに構えていたミットに狂いもなく投げ込まれた。

 

『ストライッ!』

「みずき、ナイスボールだぞ!」

「うん!」

 

 ニッコリと笑いながらボールを受け取る。

 横手からリリースされるこのフォーム──サイドスロー。

 でもみずきちゃんのサイドスローはそれにオリジナルを加えたフォームに改造されている。

 通常のサイドスローはセットアップなり、ワインドアップをして投球の前に溜めを作るのか基本動作なのだが、みずきちゃんのはそのどちらでもない。

 

 

 スバンッ!

 

『ストライクツー!』

 

 初期動作が無い。すなわち振りかぶらないのだ。

 セットのまま左足一本だげで体重を支え、体をおもいっきり捻りながら投げる。

 世界で見てもこんな投げ方をするピッチャーは誰一人としていないだろう。片足だけでバランスを維持し、急激な捻り作用を加えるのだがら、それを実現させるには強靭な足腰と体幹が必要となってくる。

 涼子がVスライダーをマスターした時のように、みずきちゃんも自分なりに投手として濃密な時間を過ごし、沢山の努力をしてようやく手に入れた──自分だけの武器だ。

 

 

『ストラックアウト!』

「ナイスピッチだみずきー!」

「ふふっ、とーぜんよ!!」

 

 矢尾板の懐を抉るかのように切れ込むスクリューがインローに決まって見逃し三振。

 このボールも『変化量が多いスクリュー』と『変化量が少ないスクリュー』の両方を巧みに使い分け、打者を翻弄している。

 出所の読めないサイドスローと二種類に操るスクリュー。

 とても十六歳の少女が投げれる芸当ではないぜ。

 

 

「どうだ?」

「お前の言う通り、良いピッチャーだな。特にあの出所の分からんサイドスローが非常に厄介だし、その習性を利用してクロスファイヤーも使いこなしてやがる。女じゃなかったら特待生枠でウチに入学できるほどだぜ、あれはよ」

「そうか……でも気持ち良く投げれるのも三回までだ。橘には投手として“重大な欠点”がある」

 

 

 続く二番の渡嘉敷もみずきちゃんのボールについていくのがやっと。

 八球の末、低めのストレートを打ち損じてショートゴロ。友沢が華麗なスローイングを魅せ、ファーストの大京が余裕でキャッチする。

 

『アウト!』

 

 うん、落ち着いてきてるな。

 お爺さんが観てるから多少ナーバスになってると思ったが固さも無く、腕もしっかりと振れている。

 

 

『三番サード、薬師寺君』

 

 俺の経験では薬師寺の苦手コースはインコース高めで得意コースは外角と低め全般だったはず。なら決め球をインハイにし、低め以外の場所に配球しながらカウントを稼ぐのがセオリー。それは間違いなく俺がキャッチャーをしていてもやってるリードだが、果たして聖ちゃんはどうするんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「六道。久しぶりだな」

 

 私の方を向いて喋るのはかつてのチームメイト。

 大地が貰ったオーダー表を目に通したときはまさかと疑ったが、ウグイス嬢のコールを聞いてそれが真実だと今更知った。

 

「一つ聞いても良いか?」

「…何だ?」

「早川や小山…矢部、そして一ノ瀬大地。どうして強豪校からの推薦を蹴ってまで新設野球部へ入ったんだ?俺にはお前らのやりたいことが全く理解できない」

 

 薬師寺は私がパワフル高校から推薦が来ていたことを知ってたのか…?

 確かに私は神奈川県の公立校ではNo.1の実力を誇る『パワプロ高等学校』の監督から何度も入部の催促を受けたことがあった。そこには中学最強スラッガーの異名を持つ東絛小次郎や同じシニアで活躍していた元相棒の『鈴本大輔』など、次世代を見据えた補強をしていた。その中に私の実力も認められ、正直嬉しかった。

 

 

『また聖とバッテリーが組めて僕は嬉しいよ』

 

 

 笑いながら祝福してくれたその男は今、一年生ながらもエース候補としてどんどん進化していくだろう。

 

 

『嬉しいが…私は他の高校で野球がしたいんだ。みずきや大地もそこで甲子園目指して動き出そうとしてるんだ。すまないが私は断る』

『そっか…。じゃあ次会う時は敵同士になるけど情けはかけないよ!聖も一ノ瀬も、僕が全力で倒す!!』

『ふふっ。それは私もだ!絶対パワフル高校を倒して日本一になる!!』

 

 

 それにひきかえ私は無名高校の捕手。

 今は知名度・実力、両方とも負けてると思う。

 

 

 

「──でもこれで良いんだ。なぜなら私が選んで決めた事だからな」

 

 

 たった三年間しかない高校野球。

 一から全てを創り、そこから這い上がって並みいるライバル達を倒す。

 それだって面白い事じゃないか?

 

 

「そうか…それを聞いて安心した」

 

 笑いながらバットを構え直す。

 元おてんばピンキーズの四番バッターで海堂高校所属の薬師寺祐介。

 私のリードがどこまで通用するか…勝負だ!

 

(まずはインコースのストレート。手の内を知られている以上、小細工は通用しないから定石通りに攻める)

 

 みずきがゆっくりと頷いて投球動作へ入る。

 回転の掛かったキレの良いストレートが丁度私の構えたいた所へ寸分の誤差もなく制球された。

 

『ストライッ!』

 

 薬師寺はピクリともせず見送る。

 推測上だが、海堂側の狙いはみずきのスタミナを削る事だろう。二番を打っていた八重歯男の粘りは意図的に実行した作戦で、それを指示したのも薬師寺のはず。

 なら相方の私ができることは、

 

(少ない球数で打者を抑えるしかない。見せ球も使いたいが、ここは三球勝負だ)

 

 二球目は同じコースに“第二のスクリュー”を要求。

 三番打者相手にこれは不用意かもしれないが、薬師寺はインコースに来た時の打率が二割飛んで三厘しかないのだ。

 それなら意表をついて外角を投げるより、データに基づいて組み立てた方が確率は高いし、大地もきっとそう選択する。

 間髪入れず直ぐ様左腕を振り、一切乱れの無いフォームで投じる。

 

「あまり調子に乗るなよ!!」

 

 

  

  ッキィィン!!!

 

 

(なっ!?)

 

 

 苦手ながらも瞬時にオープンスタンスへスイッチして無理矢理引っ張った。

 快音を残しながら打球はライトフェンスへ大きな当たりだ。あの角度は確実にフェンスを越える。頼む…ポールを切れてくれ!!!

 

 

 

 

 

『ファ、ファール!!!』

「なっ!?マジかよ…っ!!!」

 

 ふぅー…どうにか念が通じたか。

 薬師寺が悔しそうにベースへバットを叩きつけている。

 左足を外へ大きくステップし、自分から外角に変えて打ったのだ。打たれたショックより、らしくない強引なやり手でヒッティングされたという事実を知った時の驚きの方が強かった。

 

「みずき大丈夫だ!私を信じて投げろ!!」

「ええ!私も聖を信じて投げるわよ!」

 

 よし、動揺はしてなさそうでなによりだ。

 みずきは自分の置かれる状況が変わると、気持ちも良し悪し関係なく変化が激しい所謂ムラッ気である。

 こうして僅かな変化も見落とさないよう常に状態を確認しておかないと、周りを見失う事態にもあり得る。

 

(最後はインハイのストレートでとどめを……ん、違うのか?ならスクリューを……なっ!?)

 

 みずきにサインを送っても了承が来ない。

 何故だ?ついさっき私を信じて投げると言ってなかったか?他に投げれる変化球なんてもう── 

 

 

 

(まさかあの球を使うのか!?でも私がまだ捕球できるかどうか分からないぞ。それでも良いのか?)

 

 ええ良いわよ!と言わんばかりにみずきが大きく頷いた。

 私を信じると言ったのはキャッチングの事だったのか。

 ストレートでもスクリューでもない。普段のサイドスローよりも更に上半身の筋肉を捻り、人差し指と中指でボールに特殊回転を掛ける。

 

(血迷って外角に投げたな!今度こそスタンドインだ!!)

 

 ストレートとほとんど速さは変わらない。

 だが変化量は“第一のスクリュー”より二倍以上もの変化をして曲がる。

 

「くあっ!!?」

 

 相手バッターの死角へ消えてくその変化球は──クレッセントムーン。

 それはみずきの愛称で、私はこれをお化けスクリューと呼んでいる。

 なぜお化けなのか?それはこの変化量のせいで私でさえも捕球することが困難だからだ。

 面が邪魔でボールを見失い、仕方無くプロテクターで止めに入った。

 

 

 ドスッ

 

 

 鈍い音が私の腹部へ突き刺さるが、防具のお陰でそれほど痛みは無かった。

 前へ止めたボールを急いで捕り、薬師寺へそのままタッチをする。

 

 

『バッターアウッ!スリーアウトチェンジ!!』

 

 

 皆からおおっー!と歓声を受けながらベンチに戻るが、薬師寺は数十秒間時が止まったかのように棒立ちでバウンド地点を見つめる。

 少しして仲間の声掛けでやっと戻り、守備へと就いた。

 

「凄いよみずきちゃん!!ベンチから見ても変化してるのが見えたわ!」

「ふふっ!今のが私の秘密兵器、その名“もクレッセントムーン”よ!!」

「クレッセントムーン?何だそれ??」

「簡単に言えば通常のスクリューよりもスラーブ回転が多いスクリューよ。回転数が増えるからより斜めへ深く落ち、三振を狙いやすいボールでもあるの。ただ、変化が凄すぎて聖でさえしっかりキャッチングするのは難しくのよね。コレ自体は入学前にほぼ完成してたんだけど、まだ止めるのが精一杯だから多投は禁物なの」

 

 バッターの死角へ消えるとは、裏を返せばキャッチャーの死角へも消える。

 ましてや面をしているから普通のスクリューでさえも捕球は大変だ。今のように体を張って止めるのが現時点での得策だが、いずれは余裕でキャッチできるまでに特訓しなければならないな。

 

「でも立ち上がりの流れは完全にウチだ!この勢いを落とさないまま、どんどん突き放していこう!!」

『オォーッ!!!!!』

 

 薬師寺、見ていたか?これが聖タチバナの野球だ。

 まだ全ての選手が躍動しきってないが、私だって頑張ればお前を三振にすることだってできるんだ。

 きっとあおいや雅、矢部だってそうだ。

 強豪に入れたからって必ずしても勝てると思ったら間違いだぞ、薬師寺。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君はどうして推薦を断ったのかしら?」

 

 試合を終えてグラウンド整備も完了した直後、早乙女と言う監督が突然俺にそう質問してきた。

 

「今日の試合はタチバナさんがここまでやりあうとは考えもしなかったわ。その原因は選手がまだマニュアル通りに動けなかったこともある。けれど一番の魂胆は…一ノ瀬大地君、君です」

 

 

 試合は二点リードのまま迎えた四回。二順目に入った薬師寺がセンター方向へ特大アーチを放って一点差に詰め寄ると、続く大場・石松・米倉が立て続けにヒットを打って二対三と逆転に成功。ここでピッチャーを涼子と交代し、二死二塁のピンチを何とか切り抜けた。

 俺と友沢はそのまま敬遠をされ続けて中々勝負をさせてもらえなかったが、七回に八木沼がライト前ヒットを放つと、聖ちゃんも左中間を破るツーベースヒットで一死二・三塁のチャンスを作る。

 ここで海堂は先発だった市原を下げ、阿久津を登板させた。球速はそれほどでもないが、奴の得意球である“ナックルボール”に翻弄され、友沢が内野フライで倒れた。

 

「そして君に打席が回り、ここを打ち取れば私達の勝利はほぼ確定と思っていた。でも結果は──」

 

 

 走者一掃の適時打を放ち、四対三と再び一点差に戻したのだ。

 阿久津のナックルを初見で打つのはまずあり得ない。それは誰もが思ってた事なのに、目の前に立つ少年だけは予想を百八十度行く結果を出した。しかも打った球種がナックルというオマケ付きで。

 最終的に九回の裏に抑えで入った宇津がど真ん中に失投してしまい、サヨナラツーランで逆転負け。

 結果は四対五で海堂高校が勝った。

 

「試合の中で成長していくその適応力と非凡な野球センスを買って、大貫さんが君に電話や手紙で推薦の話を進めてくれたはずよ。入学していれば甲子園どころかプロへの道だって約束されたはずなのに……なぜこのチームにこだわっ」

「約束したんです」

 

 拳をギュッと握りしめ、決意の瞳をしながらこう続けた。

 

 

 

「先月までボールさえも無かった弱小部を俺達だけで創り、そして海堂のような強豪を倒して甲子園へ行こうって。確かに海堂や帝王に行ってれば俺の力はここより遥かに個人としては劇的に向上すると思います。だけどそれじゃあつまんなくないですか?」

「つまらない…ですって?」

「人に敷かれたレールをただ進み、ロボットのようにあれこれ言われただけの事しかできない野球なんて俺は嫌です。どんなに弱くても、こうして信じ合える仲間と共に同じ分だけの苦労や厳しさを味わい、多くの経験を通じて絆を深める。精神論で古くさいかもしれませんが、俺はここにいるメンバーがそれを実行してくれると感じたからここへ入学したんです」

 

 自分の道は自分で切り開け──

 いつしか猪狩が俺に向けて言ったセリフだ。

 人にあれこれ言われてやるくらいなら、自分のやりたいようにやったらどうだ?だから僕は君をあかつき中へ誘い、仮に高校が別でも引き留めはしない。

 今でもその言葉は鮮明に記憶として残っている。

 

「そう…兄さんみたいな考えの人もここにいるのね……」

「ん、何か言いました?」

「ううん、なんでもないわ」

 

 くるっと後ろを振り向き、低い声で言った。

 

「私はその考えを否定するわよ。それで人が死んだら君だって辛いでしょ」

 

 どういう意味ですか?と聞こうとするが、早乙女さんはそそくさと早歩きでバスへと向かってしまった。

 人が死ぬってどういう意味だ?もしかして早乙女さんの過去と何か関係しているのか?

 色々考えるも答えなど出るわけもなく、腑に落ちないまま俺は皆の元へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 試合終了後、私と友沢はお爺ちゃんから来るようにと言われ、なぜか理事長室まで呼び出された。

 用件は分かっている。今日の試合の感想と、私が野球部への入部を認めてくれるかどうかの答えだ。

 理事長室へ向かうまでの足取りはとても重かった。だって試合には負けてしまい、挙げ句の果てに私自身も目立った活躍をしていない。本来なら価値どころか逆鱗に触れる内容であるため、心の中では諦めモード全開だった。

 

「心の準備はできたか?」

「うん…」

「泣くのは部屋を出てからにしろ。またどうなるか分かんないからな。んじゃ、入るぞ」

 

 コンコンコンとノックをし、友沢が先陣を切って入室した。

 

「失礼します、友沢です」

「失礼します、橘です」

「よく来たな。まぁそこへ座れ」

 

 思ったより機嫌が悪くないことに怖がりながら、指示された客用のソファへ腰を掛けた。

 

「今日わしは生まれて初めて野球の試合を見せてもらった。率直な感想を言うとわしは──

 

 

 

  もう…ダメだ…………

 

 

 

 

 

 

 

    みずきの入部を許可する」

 

 

 

「お願いお爺ちゃん!!次こそは勝つからもう一度チャンスを……って今なんて言いました?」

「何って…お前のに入部を許可してやると言ったんじゃ」

「え………ええ……えっ、

 

 

 

 

 

    ええええぇーーーつ!!!!!??」

 

 

 驚き、いや驚愕のあまり、私は普段出さないような狂った声を上げてしまった

 

「どど、どうしてなの!?だって試合には負けちゃったし、私は四回三失点で全然ダメなピッチングだったんだよ?!それなのになんで……」

「言っただろ?わしは価値のあるスポーツかどうかを示せと。試合には負けてしまったが、それでもお前さん達の頑張りや根性は評価させてもらった。荒削りだが、まぁ合格点じゃろう」

 

 ええー…てっきり負けたらもう終わりだってずっと考えてたからこんなにも胸が痛かったのに~!

 

「本当に良いの?私が野球をしてても」

「ただし今度は勉強を疎かにしてたら容赦なく退部させるから覚悟しておくことじゃな。ガッハッハッハッハー!」

 

 もう何がなんだか分からないわ…。

 入部が認められたのは嬉しいけど、改めてお爺ちゃんの考えている事が理解できないと感じたわね。

 

「それと友沢!」

「…何でしょうか?」

 

 すぅーっと息を吸い、一呼吸置いてとんでもない一言を放った。

 

 

 

 

「みずきの事、よろしく頼んだぞ。もし甲子園で優勝したらお前の嫁にやっても良いぞ」

 

 

「………え?」

 

 

 えっ、今お爺ちゃん何で言ったの?え、嫁にやってもって私がアイツと結婚して、アイツは私の婿になるってことなの?いや待ってあり得ないわよ!!!

 

「それだけは嫌です!!こんな自己中男と一緒に暮らすくらいなら貧乏と結婚した方がマシです!!」

「お前っ!?いくらなんでもそれは言い過ぎだろ!第一お爺さん、自分は貧乏な上に橘…じゃやくてみずきさんと暮らすなんて無理です!」

 

 あらら。お爺ちゃんがいる手前、私の名前を呼び捨てしなかったわね。友沢が悔しそうに私の方を睨むけど、軽く屈辱を浴びて私はせいせいしたわよ

 

「ガッハッハ!半分本当で半分嘘の話じゃから気にせんで良いわい!さてわしからは以上だ。ご苦労、帰って宜しいぞ」

 

 帰って良いと言われて私が席を立つが、友沢は全然立とうとしない。

 堪らず私が右腕を引っ張ってやり、理事長室を後にした。

 

 

 

 

「アンタどうしたのよ?さっきから様子が変よ?」

「別に…ちょっと考え事をしてただけだ」

「…まさかさっきの結婚話を本気で考えてたんじゃないでしょーね!?」

「はぁ!?そんなことを俺が考えるわけないだろ!全然違う事だこのアホ!」

「あ、そうなの…」

 

 私は少し考えてたなんて口が裂けても言えないわね。  そんなストレートに言われると本気でないにしろ私も少しショックを受けた感じがするわ。

 

「俺は嬉しいよ。お前が野球部に来てくれてれば投手層にも厚みができるし、実力だって俺が認めるくらいのぴだ。だから自信を持ってマウンドに立て。それで苦しくなったら真っ先に俺が助けてやるよ」

「友沢……」

 

 だから私は友沢が嫌いなんだ。

 ギザで嫌みったらしい普段が、いざという時は一番に私のことを考えてくれるのだから。本当は嫌いになのに、優しい部分が私の心をつつくと好きに変わっていくような……アンタはホント罪深い人間だよ。

 

「しょうがないわね!今日は特別に私と手を握って部室に戻る権利を与えるわ!感謝しなさいよ!!」

「そんな権利いらないけど…ま、貧乏人だから貰える物は貰っとくよ」

 

 相変わらずの嫌みったらしい喋り方。

 ムカッとしながらも、私はそっと友沢の左手を握ってみた。

 

(思ったより綺麗な手をしてるわね…)

 

 練習好きの友沢は言うまでもなく、手の平に数ヵ所ものマメが膨れていた。

 その不思議な感触と大事な物を慎重に扱うかのような温もりと優しさを肌で感じながら、私達は頬を緩ませて夕方の廊下を歩いていった。

 

 

 

 



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第十五話 二人の思い

 練習試合から早いもんで一週間。

 これまで基礎トレーニングをしてきた俺達であったが、試合をした後にそれぞれが自分の課題や欠点を明白にしてたのでまずはそれらを潰してこうと決めた。

 

「久しぶりですね監督」

「ああ。お前達もたくましく成長したな」

 

 野球部発足からほとんど休日無く練習が続き、これでは疲れも溜まって練習効率が下がってしまうと考えて土日を両方とも休みにした。

 かといって主将の俺は休日を満喫する余裕は無い。選手のコンディションや能力を考えながらメニューを作成したり、まだ手付かずだった“女性選手の公式戦出場問題”も解決しなければならないなど、やることは山積みだ。

 そんでもって問題解決へ前進しようと悩んだ結果、俺はある人の元へ相談しに行った。

 

「卒業式以来か?あかつきでの活躍はしっかり耳に入ってるぞ」

 

 そう。俺や涼子が横浜リトルにいた際お世話になった樫本監督だ。

 何年経った今でも横浜リトルの監督として全国へ導き、近年ではシニアリーグのコーチも務めているなど幅広い年齢の指導にあたっている名将。

 前々から電話で相談はしていたが、一度会ってしっかりと話をした方が良いと言われ、涼子も誘って監督の家へ訪問することになった。

 

「監督はサングラスを変えたんですか?前に掛けてた物と違う気が…」

「よく分かったな川瀬。実は二か月程前にボールがサングラスへ直撃して真っ二つに折れてしまったんだ」

「えっ!?それって危険じゃないですか!怪我とか大丈夫だったんですか?」

「なあに心配いらん。当たったと言っても入部してまだ二週間の女の子が投げた球だ。俺は過去に百二十キロ近いストレートを食らったことだってあるんだからそれに比べれば屁でもない」

 

 百二十のストレートって普通にヤバくないか?

 力の無い小学生の球だとしてもリトルのボールは固い硬球だ。サングラスでちょっとは守れるとしても危険なことに変わりない。その女の子もかなりデンジャラスな送球をしたんだろうなぁ。

 

「そろそろ本題に入るが、まずはこれの地域って示された面を見てくれ」

 

 手渡されたのは一昨日発行された県内の新聞。

 ページは角に分かりやすく折り目が付けられていたのでそこを捲ると、ある記事に目が行った。

 

 

『新設九人ながらも女性選手出場実現へ』

『一ヶ月で強豪と互角に渡り、世論の支持も多数』

『葛西春見が立ち上げた恋恋高校野球部とは?』

 

 記事はその日のスクープを飾るかのように大きく取り上げられ、 まるで読んでいる人へ訴えているかのように書かれている内容だった。

 恋恋高校っていえば確か春見がキャプテンとして活動している新設野球部だったはず。

 あかつき中では三番を張り、プレイスタイルが友沢に似ている選手でバットコントロールと守備力なら友沢をも凌ぐ実力者だと俺は思う。打率・出塁率・四球数・安打数でチーム1だったし、何より一番驚愕させられたのは全国決勝で海堂付属中のエース・眉村から四打数三安打一打点と唯一猛打賞を達成し、ピンチの場面も得意の守備で何度も猪狩や俺をフォローしてくれた事だ。試合終了後のインタビューで眉村は「器用さならこれまで戦ってきた敵の中で間違いなく一番」と強く称賛していた。

 

「凄い…帝王実業と練習試合をして九対六と大健闘。早川選手はフルイニング投げて九失点ながらも五回までを準パーフェクトのピッチングで重量打線を封じ込めた。小山選手は五打数二安打二犠打をマークし、守備でもキャプテンの葛西選手とファインプレーを連発。両者とも男子選手と比毛をとらないパフォーマンスで自分達の力をいかんなく見せつけた、か。なんかここまで書かれてると遠い存在に感じちゃうわね」

「ああ…でもこの記事はそれがメインじゃないんですよね?」

 

 小見出しの部分、“女性選手出場実現へ”が妙に引っ掛かる。

 構成だって練習試合を先に掻き立てて後半部分は出場権利についてのインタビューや補足説明しか書かれていない。しかも写真だって全国で名の知れた春見を差し置いて女の子二人のツーショットが使われている。

 一体恋恋側は何を企んでいるんだ…?

 

 

「よく分かったな一ノ瀬。実はこれ全部、新聞社の意向で掲載された記事じゃない。恋恋高校側がメディア機関を回って直接交渉し、その上で承認を得て載せたんだ」

「恋恋が直接?一体どうしてこんなことを…」

「簡単に言えば高野連へ間接的にこの置かれた状況を訴え、世間が女性選手出場実現の味方につかせる為に行ったらしい。俺も詳しいことは分からんが、少なくとも県内ニュースなら話題になってるネタらしいぞ」

「じゃあ恋恋高校の狙いって…」

「お前達と同じ、女性選手の出場を認めさせることだろうな。よく考えてみれば恋恋と聖タチバナは共通点だって似てるし、何を考えてんだが知らんが海堂や帝王の推薦を破棄してまで新設野球部を創るような馬鹿キャプテンだからな。本当にあかつき中の三四番だった奴なのか耳を疑うぞ」

「ちょっと監督!馬鹿は余計ですって!!俺は強豪の力を頼らず自分で考えて自分の力で道を切り開きたいんです!!」

 

 それは春見だって同じ気持ちのはずだ。

 今まで自分達が強くなり、プロのスカウトからも目がつけられるようになったのは『あかつき大付属中学校』と『猪狩守』の存在が大きかった。それは三年間一緒にプレーしてた俺や春見だって薄々感じてた。いつだって話題が上がると真っ先に出るのは猪狩からだった。そう、このまま強い奴等と野球をして日本一や世界一になったとして、その行き着く先に真の栄光はあるのだろうか?

 

 

 ──逆にそういう天狗を倒したい。

 

 

 いつしか俺はそう考え始めるようになった。

 何もない弱小校が下剋上に次ぐ下剋上で強豪を倒し、高校野球の歴史を変える。何だか面白くないか?

 もちろんそれが一筋縄で成功するなんてこれっぽっちも考えてないぜ。そこへ辿り着くまでには様々な困難や壁を仲間と一緒に乗り越えなければならない。だけど八木沼、友沢、みずきちゃん、聖ちゃん、今宮、笠原、岩本、生徒会の三人、そして涼子となら実現できそう── そんな予感が前回の練習試合で感じた手応えでもあった。

 

 夢を持つことは男性だろうが女性だろうが関係ない。きっと甲子園って場所はいろんな人の思いが詰まった場所なんだ。

 

 春見がここにいたらきっとそう言ってくれるはずだ!

 

 

「──だから俺は諦めないですよ。どんなことがあっても必ず涼子達を出場させます!!」

「大地君…」

「おいおいそんな悲しい顔すんなよ。心配するな。全部俺や皆で必ず何とかする。だから行こうぜ、甲子園によ」

 

 お前のそのピッチングは海堂の二軍にだって通用したんだ。百二十キロ近い速球と三球種もの変化球が投げれる女子はそう易々といないんだからもっと自信を持てよ。

 今は猪狩じゃなくてお前がバッテリーなんだ。

 大切な……かげかえのないバッテリー。

 俺は目の前にいる一人の少女に野球をさせてやりたい、ただそれだけなんだ。

 

「ぐすっ、ありがとぅ、だいちくぅん…」

 

 あーあ。女子を泣かせるなんて俺もまだダメな男だな。

 恥ずかしいけど…今日ぐらいは好きにさせてやるか。

 

 

「お取り込み中悪いが…一応ここ人んちだから甘々な青春されても困るぞ」

 

 ……監督がいたことすっかり忘れてた。

 涼子は俺の左肩で泣いちゃってるし、そんな姿見せたら俺もつい頭を撫でてたし。

 ヤバイ。何か急に頭の上が熱くなってきたぞ…。

 

「泣き止め涼子。気持ちは分かるけど俺が…」

 

 恥ずかしくて心臓バクバクしてる、とは言えねーよ!てか樫本監督の目が変わってないか!?マジマジと観察するような視線…これ絶対誤解を招いてるパターンのやつじゃん!

 

「あ、ごめんなさい……嫌だったかしら…?」

 

 嫌じゃないけどさ、そんな涙目で上目遣いされたら逆に目線を合わせにくいって!

 あーもう!!自分でも顔が真っ赤になってるのが分かるぞ!

 ピッチャーのリード時はこんなにドキドキしないのにどうしてここではするんだろうか…?

 まさか俺って涼子のことが──

 

 

「いやいやそれはないって!!!俺は俺で俺なんだからさー!」

「え…?」

「い、一ノ瀬?お前さっきから大丈夫か?」

「あえっ!?ああ、はい!俺は正気ですって!!」

「…やれやれ。お前は頭は良いのにプライベートは鈍感だな」

「何か言いました?」

「いや、別に」

 

 別にって顔じゃないんだけどそれは…。

 はぁ…なーんか以前にもこんなやり取りをどこかでした気がするぞ。

 

「とにかく恋恋高校は既に問題解決へ動き出してきている。お前達もできる範囲でやってみたらどうだ?」

(俺達ができることって…)

 

 春見がメディアを通じて高野連にガイドブックの改正を認めさせる雰囲気を作ってるなら、タチバナもそれを利用しないわけにはいかねーな。

 よし、それなら──

 

 

「俺達も高野連にアピールするしかないな」

 

 現代の主流になりつつあるこの情報社会。

 どんな手を使ったか知らないけど、それならウチも何らかのマスコミを呼び、練習試合で涼子達の存在を分からせてやるのが近道だな。

 ネットで下調べをした時に“署名運動”を通じて高野連に署名書を提出したって過去を見つけたが、結局高野連は曖昧な解答しか返さずその当時は改正に至らなかった。

 だがそれは何十年も前の話。今は一人一人から署名を集めなくても国民の大半が改正に賛成さえしてくれれば世論にも自ずと結果は出て、高野連も黙っていられない状況に陥るだろう。

 

「かなり手荒な上にマスコミが食い付くかどうかも分からない。それでも恋恋はその手段を選んでまで高校野球に三年間を賭けたんだ。俺だってこんな手段は好きじゃないけ──」

 

 

「そんなの全然良いわよ!」

 

 

「…涼子?」

「私は野球に対して嘘はつけない。たとえ正統的な手段じゃないとしても、本音はどんな手を使ってでも高校野球のマウンドに立ちたいわ」

 

 彼女の決意は本物だ。

 迷いのない真っ直ぐな瞳。涼子はとうに覚悟を決めたってことか。

 やっぱスゲーよお前は。いや、“女子”って奴はさ。

 

「──分かった。明後日皆を集めてこの事を話そう。それで全員が了承してくれたら実行しよう」

「ええ!」

「ふむ…話はついたようだな」

「…はい。これも樫本監督の知恵があってこそでした。本当にありがとうございます」

「礼はいらん。俺はあくまでキッカケを作ったまでだ。後はお前達次第だぞ」

『はい!』

 

 リビングに二人の声がハモり、思わず顔を見合わせて俺達は吹いた。

 はははははっと広がる楽しそうな笑い声。次は出場が認められた時に笑いたいぜ。

 

「それじゃあそろそろ失礼します」

「樫本監督、今日は色々とありがとうございました!」

「ああ。頑張れよ……ちょっと待て!」

「え、どうしたんですか?」

「ついでだから最後に面白い事を教えてやろう」

「面白い事、ですか?」

「茂野吾朗と佐藤寿也。この二人は海堂高校にいるらしいぞ」

「ええっ!!?でも寿也君は野球を辞めたんじゃ…」

「詳しくは本人に直接聞いたらどうだ?確か七月の最終日に実技テストをやり、合格できれば八月の第一週目ここへ戻ってこれると言ってたぞ」

「ここへってことは学校には…」

「無論いない。二人は三軍専門の練習場、別名“夢島”って名前の孤島で今頃キツい指導を受けてるだろうな」

 

 マジかよ。

 どうりで二軍メンバーの中に二人がいなかったわけだ。

 余談だが、俺は吾郎と直接話をしたことがない。ただ噂は少なからず耳に入ってはあり、とんでもないストレートを投げてたと聞いた。

 八月の第一週目ってことは甲子園の時期と若干被るかもしれないな。寿也とも最後に会ったのは約五年前だし、今度時間があったら行ってみるとするか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 監督の家を出て時間を確認するとまだ午後の二時三十四分。

 予想外に時間が余ってしまったので、気分転換がてら町をブラブラすることにした。

 俺って行き先決めるセンス無いから涼子に任せようとしたけどアイツったら…

 

「そういうのは男子が普通リードするのよ?」

 

 と頑なに拒否されたので仕方なくある頭を名一杯巡らせて考える。

 ピッチャーのリードは得意でも、女性のリードはイマイチ下手くそなんだよなぁ。

 悩みに悩んだ結果、もうあそこしか思い浮かばなかった。

 

 

 

「ここって…」

「うん、悪い。もうここしかなかった」

 

 シャインスタジアムがあるメインストリートを抜けた裏通りに位置する人気老舗店のパワ堂だ。

 前に一度来たことがあってつまんないかもしれないけど、もうすぐおやつの時間なんだし良いよな?

 

「お気遣いありがとう。私はこうして大地君と一緒に出掛けるだけで充分嬉しいわよ。それにお腹だって減ってるから今日は沢山食べましょ!」

 

 お…喜んでもらえて安心した。

 けどウチのエースがいくら品質が良いからといっても食べ過ぎては糖分に偏って栄養バランスが崩れてしまう。そこで席に座るなり、俺はこんな提案をする。

 

「注文する品はジュース入れて一人三品までな」

「えー?!どうしてなのよ!」

「どうしてって…それはお前の体を踏まえての約束だ。俺が捕手である以上、ピッチャーの健康管理も頭に入れて決めなきゃならない。食べたい気持ちも分かるが、我慢してくれ」

「…そうね。これからは食事にも気を配ってみるわ」

「その代わり俺の奢りだから好きなの食べて良いぞ」

「本当に?!じゃあ私ジャンボパフェを──」

「パフェはやめろー!それじゃあ三品までの意味がないだろ!」

「えー…ケチ」

「ケチでも何でも良いですよーだ。俺は決めたからパフェ以外で選べよ」

 

 涼子の幼少期はずっとアメリカ育ちだったから食生活も欧米みたいにガッツリ行く感じなのかなぁ。

 食欲だって俺よりもあるし、これは俺が監視しないとカロリー摂取量を余裕で超えるぞ。

 とまぁこんな感じのデート…なのか遊びなのかは分からんが、まったりと菓子を堪能した。

 

「あ、それ一口頂戴」

「ダメだ。さっきも苺大福を一個あげたんだから諦めろ」

「むぅ…良いじゃない、一口だけなんだから」

「しょうがないな…本当にそれで最後だからな」

「うん。ありがと大地君♪」

 

 そう可愛らしくお礼を言われるとどうしても甘くなるからルールもへったくれもないんだよね。

 試合になればクールな顔で淡々とコースギリギリを突く球を放っても、女の子らしいとこはやっぱあるんだな。

 自分で縛っていると言うキュートなおさげや、それと絶妙にマッチする凛とした美しい顔立ち。男には無いその甘えた声、そして心を惹かせるそのスマイル。

 探せば探すほど、涼子の女の子としてのチャームポイントはいっばい発見できた。

 試合や練習では見せないその素顔や仕草を俺だけが見れる専売特許だと妄想してしまうと、心の底から不思議なまでの幸福感が湧いてくる。そんな気がしてならなかった。

 

 

 

 

 一時間ほど他愛もない会話をし、パワ堂を後にした。

 涼子がスパイクを見たいと言えばミゾットスポーツ店に寄り、俺が学校に使う実用品を買いたいと言えば涼子も付いて来てくれた。

 本人がどう捉えてるか分かんないけど、これってデートと呼ぶに相応しいプランだったのだろうか?

 

「大地君とこんなに遊べたのは初めてだったから今日は楽しかったよ」

 

 遊べた──

 その単語が脳内でキャッチするとなぜか胸が痛み始めた。

 所詮俺と出掛けるのはただの遊びにしか感じなかったのか。自分でも段々イラついてきてるのが分かる。

 

「あのさ……その…」

「?」

「今度は一日使って色んな場所を回らないか?その時までにはちゃんとスポットとか把握しとくからさ…!」

 

 慌てた俺を見た涼子は手を軽く口に当てて微笑し、そっと俺の前に近寄って優しく呟く──

 

 

 

「言ったでしょ?私は“大地”と一緒ならどこへ行っても楽しいし、嬉しいわ」

「え…今呼び捨てで言わなかったか?」

「あら、お気に召さなかったかしら?」

「いや別にそうじゃないけどさ…」

 

 夕焼けに染まった帰路をゆっくりと歩き、気付けばいつの間にか別れ道へたどり着いていた。

 

「じゃあ私こっちだから」

「ああ…またな」

 

 彼女はニッコリと笑いながら手を振って反対方向へ歩いていった。

 たった四時間遊んだだけで、何なんだこの気持ちは?

 心臓の鼓動は速いし、顔も頻繁に赤く染まる。

 これってまさか──

 

 

 

 

「恋……ってやつなのかな…」

 

 分っかんねぇよ。

 今までかけがえのない大切な相棒──そんな風に接してたつもりが今日は明らかに違う。

 野球を名目に涼子の体調を心配し、普段しない高鳴りや緊張だってする。

 その感情が所謂恋心って物だとしても、涼子は俺をどの対象として接してるのだろうか。

 バッテリーか?友達か?はたまた一人の部員か?

 部に関係のない私情を持ち込むのはよろしくない事だと重々に承知してはいるが、やはり気になってしまう。

 

  ──涼子は俺をどう見解してるのか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日は記念すべき日と言っても過言でなかった。

 彼がどう感じ取ったか分からない。けれど私にとって今日は大地君との初デートなのだ。

 投手として食事制限を疎かにしてた私を真剣に叱り、おねだりも渋々ながら許し、色んな場所にだって嫌な顔一つもせずに回ってくれた。

 

「思わず聖ちゃんみたいに呼び捨てで呼んじゃったけど、嫌じゃなかったかよね…?」

 

 私は一ノ瀬大地という人が好き…なのかもしれない。

 私生活はおっちょこちょいでもいざという時真っ先に頼れる存在で、私の事を第一に考えてくれる親切な心遣い。それが彼の天然な性格で、たぶん私はその優しさに惚れたんだと思う。

 それはきっと…聖ちゃんも同じはず。

 

「負けたくない。私だって大地君が好きなんだもん」

 

 うっかり自分の口から好きなんて言葉を発してしまった…。

 もしその場に大地君がいたら恥ずかしすぎて心臓が止まりそうだわ。

 それほど…私は好きなのかなぁ。

 

「切り替えなきゃ。私はエースナンバーなんだから!」

 

 仮に好きであったとしても私はエースで彼は正捕手。チームの心臓部分であり、歯車の中心部でもある。

 その二人がこんな関係を持ったらチームは良いのだろうか?

 好きだ。でも好きになれない。

 今日はその歯止めが最後にだけ効かなくなり、あの形で呼び捨てをしてしまったのだ。

 もしもバッテリーなんて重い関係じゃなかったら、私からでも告白したのに。

 嬉しいはずなのに…その葛藤が折り混ざって素直に笑うことができなかった。

 

 

 

 



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第十六話 祈り、そして夏へ…

 六月に入り、いよいよ夏の高校野球神奈川予選まで残こすとこあと二週間、抽選会までなら一週間と時期が迫ってきていた。

 

『三番キャッチャー、田代君』

「田代君!ここで大きいのを一本頼むでヤンスよー!」

 

 眼鏡の野球部員が声援を送り、打席に向かう田代も苦笑いしながらそれに応える。

 そんな余裕を見せる赤紫色のユニフォームに対し、相手ピッチャーは苦悶の顔で満ちていた。キャッチャーや内野が声を掛けてもその表情は一行に消えず、それは投げるボールにも伝染した──

 

 

 ッカァンッ!!

 

 

 

 鈍い木製バットの打音が響き、ボールは一切衰えることなくフェンスを越えてホームランとなった。

 おおーっ!、とフェンス越しで多くの記者達が感嘆の声をあげてざわつく。

 

「あの田代ってキャッチャーも良いね。一番の矢部や二番の小山といい、他にも主砲の葛西君や早川選手も非常に魅力的だな」

「帝仁相手にもう十点差をつけたか。この回で一点でも返さなきゃまたしてもコールドで恋恋高校の勝利だぜ。こりゃスカウトリストの見直しもあり得るな」

 

 

  恋恋 3 1 3  1 2

 

  帝仁 0 0 0  0

 

 

 

 取材に来てた報道陣、少数のスカウト陣達は驚きを隠せなかった。

 帝仁と言えば神奈川県で毎年ベスト8に入る強豪校で、特に四番バッターの相沢は高校通算四十一本塁打を放つプロからも一目置かれる程のスラッガー。間違いなく今年のドラフトでも上位に入る天才なのだが…

 

 

「おいどういうことだ!!ウチがまだ二安打しか打ってないぞ!」

「そんなこと言ったって…あの女結構やりますよ。ただでさえアンダースローなんて手こずるのに、切れ味の良いカーブやシンカーも投げるとなれば俺じゃ無理っスよ」

「ちっ!あの相沢でさえポテンヒットで出るのが精一杯とは…このままでは情けない姿が全国に渡って──ってあああっ!?」

 

 帝仁の監督が興奮している間に四番だった葛西も本塁打で追加点を奪い、これで11対0と恋恋が攻撃の手を緩めない。

 

「ナイバッチ!さっすがハルだ!」

「ハルは期待裏切んねーから安心できるぜ!」

「よくやったでヤンス!まぁハル君なら余裕でヤンスね」

「ハル君はやっぱり頼りになるよね。さすが恋恋のキャプテン!」

「皆さー…そのあだ名はやめてくれないかな…」

「良いじゃない。固いことは言わないの♪」

 

 “ハル”とは葛西春見の呼び名で、名前の春をそのまま『はる』と呼んだのがキッカケらしい。チームメイトはその愛称を使うのが好きらしいのだが、当の本人はやや遠慮気味のようである。

 

「よし!それじゃあ最後の守備もきっちり行こう!!」

『おー!!!!』

 

 勢い切らさず恋恋ナインがそのまま守備へと就く。

 帝人の攻撃はラストバッターの大沼から始まる。

 

(このバッターはインハイの変化球に滅法弱い。ここは内角に高速シンカーだ)

 

 不安も怖さも無い。

 今の早川は純粋に野球と言うスポーツを楽しんで投げているだろう。

 女性の壁をぶっ壊す──

 一人のベースボールプレーヤーとして、その姿に男も女も関係ない。その思いを多くの人々に伝える為、早川は意を決してマウンドへ上ったのだ。

 

 

『ストーライッ!』

 

 

 そんな熱い気持ちの籠ったボールはそう容易に打てるわけがない。

 大沼は三球三振、続く一番にはストレートのみで三振を奪い、二番の国府田が打席へ立つ。

 

「頼む国府田ーっ!!フォアでも良いからとにかく出塁しろー!!」

 

 この回で最低でも二点を返さなければ自動的に帝仁のコールドが決まってしまう。

 そもそもコールド制を設けたのは帝仁側。提案したチームがこの様では次の日の新聞で自分達の醜態が明らかになって評判もガタ落ちだ。

 焦りは最高潮に達し、雰囲気も悪くなる一方。

 

「あおいちゃん!最後まで油断せず行こう!!」

 

 光と影のコントラストは両陣営、ギャラリーから見て一目瞭然。

 これが恋恋高校の野球なのか?

 審判がゲームセットを発するまで一度も切らさない驚異の集中力と闘争心。

 エース早川とキャプテン葛西を軸に投打の均衡が保たれるそのバランス。

 ──そして高校野球界を真っ向から変えてやろうとする熱い姿勢。

 もう帝仁にはその気迫を跳ね返す力など残って無かった。

 

 その一分後。外角低めへのカーブが素晴らしいコントロールで決まり、三者連続三振で帝仁との練習試合が終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわっ!こりゃまたデカデカと掲載されてますねぇー」

 

 ある日の練習終わり。

 部室で皆(女の子三人は別室)制服に着替えてた時、今宮が突然大声を出した。

 

「んだよ今宮。またなんかやらかしたのか…?」

「ちげーよ!とにかくこの記事読んでみろよ」

 

 友沢に新聞紙を渡し、その回りに皆が集まってその記事を読む。

 今宮が驚く時って大抵がくだらない事やどうでもいい事だからなぁ。あんま期待せずに見るか。

 

「何々?『恋恋高校、またもや強豪を打ち破る。大会目前に高野連へ猛烈アピール』……」

「恋恋?またどっかと試合を申し込んだのか…?」

「それだげじゃねぇ。相手は昨年秋にベスト8まで残ったあの帝仁高校で、完封コールドの完全勝利で恋恋が勝ったらしい」

「あー!俺この高校知ってるぞ!?」

「本当か岩本?」

「ああ。ここって部活動へ特に力を入れてる高校として知名度が高くてさ、ここからオリンピック選手やプロ選手も多く輩出してる超エリートな学校なんだ。俺はスポーツ科学部って学科に入りたくてそこへ受験したんだけど倍率が凄くて結局落ちちゃって…それで滑り込みで受けたタチバナに合格して入ってたんだ」

「ん、ちょっと待て。スポーツ科学部って県内一倍率の高い学科じゃなかったか?お前そんなに頭良かったのか…」

「あんまり自慢はしたくなかったけど一応そうだね。ほら、能ある鷹は爪を隠すっていうか、皆に知れたくなかったんだよ」

 

 そんな頭良かったとは逆に野球部誘って申し訳ないな。

 岩本にそんな一面があったとは全然知らなかった。

 

「でも俺は野球部に入ったこと全然後悔してないよ。こうして馬鹿みたいに騒げる仲間ができたのは生まれて初めてだからさ…やってみると面白んだよ、野球って」

 

 隣で笠原もうんうんと頷く。

 その様子からして笠原と岩本はほぼ同じような生い立ちってことか。

 俺は英語とかが苦手だからそれほど勉強は好きじゃないけど、岩本や笠原はそれでも野球をする道を選んでくれたのかと思うと、俺なんかより何倍もメンタルが強いな。

 

「ありがとな、二人とも」

「おいおい止せよ。別に俺がしたくてやってる事なんだからさ」

「そうそう。それよりも高野連の返事はどうなってんだよ?」

「うん…高野連は県予選の抽選に合わせて今週中までには決定するって昨日の夜に聖名子先生からそう電話が掛かった」

「…今週中か。しかし手柄はほとんど恋恋が持ってったから俺達はダメでもとやかく言えないな」

 

 友沢の仰る通り、海堂二軍と試合をしてからの一ヶ月はほとんど練習に費やしてしまい、たった一日しかゲームは組んでないのだ。

 まぁ試合をしたには変わりないけど…相手がバス停前高校だった上に記者達が全然集まらなかったからほとんど無意味に近かった。

 ようするにアピールができなかったんですよ、はい。

 

「大したことやってないが、俺達だってやれる範囲でやったんだ。後は神頼みに任せよう」

 

 タチバナがバス停前と海堂二軍。

 恋恋は帝王二軍と帝仁、そしてパワフル高校の一年編成チームと戦ってどれも善戦している。

 ここまでやって高野連が却下してきたらまた別の手を考えるしかないけど、今や女性選手の出場権利は雑誌やテレビで騒がれまくってる一種の社会問題にまで発展している。この前だって高野連のお偉いさんがインタビューを受けてたのをニュースで見たし、これから高校野球が始まれば更に熱は高まってくる。

 チャンスは今が一番。

 どうか涼子や聖ちゃん、みずきちゃん達が高校野球の舞台に立てますよう──

 七夕まで一ヶ月も前の時期だが、俺は心の中でそう強く願った。

 

 

 

 

 

 

 

「そんじゃお疲れー」

「うん。皆また明日ー!」

 

 女の子三人も制服に着替え、キャプテンの俺が部室の戸締まりをしたところで各自解散となった。

 友沢は自主練がしたいらしく三十分だけ居残りをすると言い、それ以外のメンバーはスタスタと帰っていく。

 さて。今日は夏に向けての練習メニューを立てなきゃならないから自主練は無理そうだ。となればとっとと帰らねばな…。

 

「大地。もしよかったら私と帰らないか?」

 

 ふと背中から声を掛けられ、すっと後ろを振り向くとそこにいたのは聖ちゃんだった。

 学生鞄を両手でぶら下げて持ち、赤のネクタイとオレンジ色のブレザーを着た聖ちゃんはとても可愛く、一瞬胸がドキッとした。

 

「駅までだったら全然良いよ。それじゃ行こっか」

「ああ」

 

 涼子は用事で先に帰り、みずきちゃんはこれから生徒会の仕事を手伝いにいくのでまだ帰れない。

 俺も特に断る理由など無いので、駅までの約一キロを聖ちゃんと帰ることにした。

 

「その…なんだ。最近大地はよく涼子と帰るから仲良さそうに見えるのだが…二人はどんな仲なんだ?」

「俺と涼子の仲?」

 

 野球の事以上に返しにくい質問だな。

 何となく監督の家へ訪れた日から意識してるって気はあるけど、向こうはそんな様子を全く見せないから分かんないんだよね…。

 

「大事なバッテリーであり、良き相棒って所かな?でもどうして聖ちゃんがこんな事を聞くの?」

「っ──い、いや!!私だってキャッチャーなのだからチームメイトの友好関係もデータとしてインプットし、それを踏まえてプレーしなければと考えただけだ!!」

「お…おお、そうなんだ…」

 

 聖ちゃん、かなり荒ぶってるけど大丈夫か?

 顔も赤らめてるしちょっと不安になってきてたぞ。

 落ち着かせる為にも少し話題を変えてみよう。

 

「まだ聖ちゃん達には言ってなかったんだけどね、例の問題の返事が今週中に来るらしいんだ」

「む…そうなのか……」

「うん。俺達以上に恋恋だって頑張ってくれたんだ。きっと良い結果が返ってくるよ」

「でももし…私達のせいで大地や皆が出れなかったら……」

「ううん。もはやこれは女性だけに課せられる問題じゃない。野球をやってる者、全員が真剣に考えなければならない問題なんだ。だから聖ちゃん達はこれっぽっちも悪くないんだよ」

「大地…ふふっ、ありがとな」

 

 うおっ!?その笑顔は反則だろ!

 月の光と組み合わさって余計美しさが際立ってるよ。

 無意識の本能で顔がにやけてる自分がいて最悪だ…。

 

「あ、もう駅に着いちゃったね」

「なーっ!?いつの間に到着してしまったのか…無念だ」

「だいじょーぶ。また明日会えるじゃん。そこでまた話しよーぜ」

「あ、ああ…絶対お話するぞ!約束だからな!!」

「分かった分かった。約束するよ」

 

 頭に血が昇ってまた荒ぶっちゃったな。

 顔も益々赤が強くなってきてるし、明日風邪で休まなきゃ良いけど…。

 

「じゃあね聖ちゃん。また明日」

「ああ…お休みなさいだ」

 

 階段を昇ってホームに入ったのを確認し、俺も帰路へとつく。

 クールで冷静沈着な聖ちゃんも、野球以外になれば女の子の顔ってやつになるよな。

 初めてリトルで会った頃よりも背は若干伸び、幼さも消えかかっていてすっかり大人って感じがする。涼子とも時折衝突気味にぶつかり合ったりしてるけもど、何だかんだであの二人って仲良しだから、キャプテンとしては微笑ましい限りだぜ。

 

「家着いたら無事帰ったか連絡しとかないと…」

 

 あんな可愛い高校生が夜道を歩いてたらそれこそ危険だ。

 最寄り駅の目の前にお寺が…西満涙寺と言ったか?多分近くだから大丈夫だとは思うけど一応念には念をね…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山門を入って屋敷に帰った時はもう八時を過ぎていた。

 帰りはいつもこれぐらいになるのだが、私は夜を過ごすのが少し憂鬱だ──

 

「ただいま…お父さんは帰ってきてるか…?」

 

 真っ先に向かう場所は私の父、六道滝蔵(たきぞう)の部屋だ。

 鞄を座敷に置き、部屋の襖を開ける。

 約八畳もの広さで、一人で過ごすには少々広いかもしれない。机と仏に関する本、そして所々に飾られた古い絵や像などの置物しかない簡素な部屋だ。

 部屋を見渡してもお父さんの姿は無く、代わりに机の上に『聖へ』、と始まる書き置きが置いてある。

 

 『聖すまない。今日は檀家さんの家を回るからまた帰りが遅くなる。ご飯は居間に用意してあるからそれを食べてていいよ。父より──』

 

「………………」

 

 今日もお父さんは帰りが遅いのか…。

 仕方のない事だが…お父さんは最近帰りが遅くなる日が増えている。

 夜中の二時や三時頃に屋敷へ帰り、私が学校へ行く時間になって目を覚ます。そして家へ帰ればまたどこかの家へ行ってて帰りは遅い。ほぼ毎日この繰り返しだ。

 

「ご飯を食べるか…」

 

 お母さんは私が中学に上がったと同時に病気で亡くし、家族と呼べる人はお父さんだけ。兄弟やみずきのようなお爺さんも寺や屋敷には誰もいないので、お父さんが留守だと私は一人だ。

 

「いただきます」

 

 箸を手に取り、白米から口に入れる。

 表面は水で冷たくなってるが、中はまだ僅かに温かい。作ってからまだそれほど時間はたってなさそうだ。

 

(………………)

 

 何の会話もない静まり返った居間。

 聞こえるのは外から鳴いてる蛙の声、それと何年も前から古く存在している時計の針が動く音。

 私はこれから先も夜を一人で寂しく過ごさねばならないのだろうが……

 学校に行けば大地やみずき達が待っててくれる居場所がある。あの野球部のグラウンドと部室は私にとって唯一の生かしてくれる場所なのだ。

 ──だが家ではどうだ?

 お父さんもお母さんも…どうして私を残していなくなるんだ?

 私が嫌いだからか?それとも私の事など子供とは所詮思ってないからか?

 そんなに住職を優先にしたければ家になんて帰らなくていいのに…

 

「…駄目だ。泣くな私……」

 

 気付けば目からポタッと一滴の雫が落ちていた。

 お母さんと死ぬ間際に誓ったのだ。

 どんなに辛くても絶対泣かない強い子になる、と。

 そうすれば成仏したお母さんも天から優しく見守ってくれてるだろう。

 ただの気休めかもしれないが、家で孤独な私にとってはこれで充分だ。

 

「さて…片付けて風呂に入ろう」

 

 右手で目を擦り、私は食べ終わった食器を台所へ行って洗う。数はそれほどなかったので直ぐに片付き、そのまま浴場へ向かった。

 

 

 

 三十分ほど湯船に浸かって座敷に戻る。

 鞄から今日の出された課題をやろうと整理していると、携帯がブルルと震えた。

 

「みずきか?」

 

 時間帯関係なく私に送ってくる相手はみずきがほとんどだ。

 問題集を床に置いて携帯の電源を入れると、送信者はみずきでなく彼だった──

 

 

「大地っ!?」

 

 

 しまった、嬉しくてつい大声を上げてしまったぞ…

 らいんと言ったメールみたいなものを送る時はいつも私からだったから大地が嫌じゃないかと思ってたが、今日は向こう側から振ってきてくれたので話がしやすいな。

 

『練習お疲れさん!家には無事帰れた?』

 

 そうか、私を心配して送ったのか。

 優しいな…大地は。

 不馴れな手つきながらも一文字一文字丁寧に考えながら打ち、何度も読み直してから送った。

 

『私なら大丈夫だ。心配してくれてありがとう( ´∀`)』

 

 絵文字と言うものも使ってみたが…大地は変に思わないだろうか?

 十回くらい読み直したのにどうして送ってからこんなに後悔するのだ!?段々不安になりながらも返事を待ち、二分ぐらいしてまた携帯が揺れだした。

 

『それなら良かった~!もし聖ちゃんに何かあったら俺、みずきちゃんに殺されるからさ(笑)』

 

 ふふっ、みずきならあり得なくもないな。

 そんなことになっても私が霊になってでもみずきを止めてやるぞ。

 

『あり得るかもな。ところで大地。もし良かったら明日一緒に自主練をしないか?キャッチングやフィールディングについて相談したい事があるから』

 

 話が突然変わってしまうが明日の自主練を誘ってみることにした。

 忙しいのは承知しての上だ。だが大地が自主練する時の相手って大抵が涼子なのだ。帰りに二人仲良く投球練習をしている所を見るとやはり涼子が羨ましい…。

 断られても文句は言えないが頼む仏よ…!

 

 

 

『ああ良いよー!丁度やろうと思ってたからさΣd(゚д゚*)』

 

 

「いいのか!?やった…!」

 

 最高の返事が来て思わず襖に携帯を投げつけそうになるが直ぐ様制御して止めた。

 二人きりになるのに抵抗感は無さそうで良かった。

 大地はそういうの断らない人だから無理にならなきゃ良いが…。

 

『すまないな。あまり時間を取らせないからよろしく頼む』

『うん!任せてって!それじゃお休みーzzz』

『ああ。お休みなさいだ』

 

 十分しかやり取りができなかったがそれでも私は大満足だ。

 大地はお父さんの何倍も私を気にかけてくれるし、家へ帰るよりもグラウンドに居た方がずっとましだ。

 メールを終えると急に私の心が冷めてく気がしてならないが、明日も大地や皆と会えるって考えればそんな孤独感も徐々に消えてく。

 明日も頑張ろう──って、そんな気持ちにさせてくれるのだな。

 もし大地がいなかったら今頃私はどうなっていたんだろうか……

 いや、考えるのはよそう。そんな私情よりも女性選手の出場が認められるかを祈るんだ。

 あおいや雅、矢部がマスコミの記事のネタになってまであんなことをしてくれたんだ。きっと高野連も分かってくれるはずだ。

 

「きっと大丈夫だ。私は信じるぞ…」

 

 手をあてて祈りをしたその五日後。

 聖タチバナ宛に一本の電話が届いた──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『こんばんわ、パワフルスポーツの時間です。まずは明明後日から全国一斉に開幕する夏の高校野球選手権大会、その様子を頑張バワフルズ不動の一塁手として活躍した古葉良己さんの解説と共にお送りいたします。古葉さん、今日はよろしくお願いします』

『はい、こちらこそよろしくお願いします』

『古葉さんも学生時代は甲子園に二度も出場したという経歴をお持ちですが、夏の大会とはどういった思いで望みましたか?』

『そうですね…やっぱり三年生にとっては“最後”の公式戦ですからね、とにかく一勝でも多く勝ち上がって甲子園優勝を目指しましたよ』

『その思いが通じたのか、当時古葉さんが所属していたパワフル高校は圧倒的な強さで地区予選を勝ち上がり、なんと甲子園初優勝の快挙を達成したと聞きましたが…大変素晴らしい結果でしたね』

『いえいえ。現カイザーズとパワフルズの監督をしている神下と橋森の頑張りもあってあのような満足いく結果が出たんですよ。彼らがパワフル高校にいなかったら優勝なんて夢のまた夢ですよ』

『そうですか……そしてパワフル高校と言えば神奈川県で話題を集めたあの高校との対決もありましたね』

『大変話題になりましたね~。私も長年野球に携わりましだが、あれほど腰を抜かした日はないですよ』

『さて、古葉さんがビックリしたその話題とは一体何か?まずはこちらをどうぞ』

 

 画面が切り替わり、ある高校の試合風景が映し出された。

 恋恋高校対パワフル高校の練習試合。

 この日もどうやって集めたかは知らないが、スタンドには多くのマスコミが溜まっていた。流れる映像はこの試合を偶然撮影したとされる新聞記者から提供された物らしい。

 

『試合は七対八でパワフル高校が勝ちましたが、キャプテンの葛西選手は全打席でヒットを放ち、ホームラン二本と大活躍。そして女性選手として注目を受けてた小山選手も三安打猛打賞でバットでも存在感をアピール。更にサブマリン投手として人気急上昇中の早川あおい選手は八失点の大乱調で思うようなピッチングができないものの、九回までこの強力打線を投げきり、底力を見せつけました』

『彼らはまだ高校球児にも拘わらず、プロ並みの注目を受けてますね。確かに葛西君は私から見ても遜色無いハイレベルなユーティリティープレーヤーだと思いますし、早川さんや小山さんにいたっては……ははっ、可愛いですよね』

『男性からも非常に人気のある二人ですからね~。これも今年の春問題になりましたルールブック改正の影響が大きかったんでしょう。高校野球連盟もこれには追及の矢面に立たされました』

 

 またもや画面が替わり、今度はパシャパシャとフラッシュを浴びながらインタビューに答える人がズームで映る。

 画面下に字幕で“日本高校学校野球連盟会長”と書かれている。

 

 

 Q.今回の女性選手出場問題についてどうお考えでしたか?

『昔から重要視されてた問題でもあり、これは我々一同真剣に向き合って検討しなければならない問題だと考えていました』

 

 Q.検討を重ね、ついに考えが決定したと噂されてましたが、女性選手出場は認めるんでしょうか?

『正直、我々もギリギリまで悩みました。体力的にも技術的にも不利な女性が、男子と交えてこの長く険しい夏を戦うのはどうかと…

 

 

  ──ただ、彼女達の野球に対する熱い思いは野球好きの私も感慨深いものがありました。野球が好きなのに男子も女子も関係ないと…いつしか私らが教えられてたんだと…そう感じました。

 

 

 

 

 そこで厳正なる審議の結果、十月初頭から行われる秋季大会から女子の公式戦出場を全面的に認めることを決定いたしました』

 

 シャッター音が雑音に感じるほど大きくなり、マスコミからも驚きの声があちらこちらで飛び交った。

 

 

  ──百年の歴史が変わった瞬間だ。

 

 

『これから高校野球が更なる発展を遂げてくれると願い、ルールブック改正へ踏み切りました。いきなり夏から始めるのはどうかと、そんな意見も多く寄せられましたので残念ながら夏は出場不能のままですが、恋恋高校…それと同様の問題を掲げた私立校からは既に了承を得てます。何かしらの不祥事が万が一起きたらまた審議せざるをえないかもしれませんが、今は主役である高校球児達の夢を優先にしてこうと思います』

 

 

 

『……とこのような決断をしましたが、古葉さん。球児達の夢とは甲子園の事を指してるんでしょうか…?』

『それも一理あると私も思いましたが、一番は彼女らも野球が大好きなんでしょう。限られた三年間の中で大事なチームメイトと戦えるチャンスってのは指で数える程度しかありません。人生においてこの瞬間の喜びは後に大人になってからも大きな財産として残りますし、それが一種の夢なんじゃないんでしょうか』

『なるほど…短いからこそ喜びや嬉しさは大きいんですね。古葉さん、今日はありがとうございました』

『いえいえ。こちらこそ』

『もうすぐ熱い高校球児達の夢の舞台、全国高校野球選手権大会まであと三日。今年も全国各地で繰り広げられる戦いに期待しましょう!以上、パワフルスポーツをお伝えしました!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの衝撃的な報道から数日──

 季節も完全に夏へと移り変わり、四十七都道府県で夏の高校野球が始まった。

 俺達は試合に出たい気持ちも強かったが、高野連側の事情やチーム状況を考えてみれば大会出場はまだ時期早々であると感じ、大会期間中は体力作りや基礎練習を中心に、秋からでも戦えるよう体を作り直すことに決めた。

 八木沼はストレート打ちを苦手とするし、聖ちゃんはパワー不足と鈍足さがやはり否めない。今宮は打撃にムラが残るから確実性のあるバッティングへ磨きをかけ、友沢はブランク明けで筋力や体力が落ちてるからそれの強化を徹底してやる。岩下と笠原も野球に慣れはじめてきてはいるが、海堂や帝王と互角に戦うにはまだまだ努力が必要だ。生徒会の三人も持ち味を出してて悪くはないけど…直す点はしっかり見つめ直さないとな。

 ピッチャーの二人は共通してスタミナ不足が深刻だからひたすら走り込みやインターバルで体力強化をさせ、後半の制球を安定させる為にも下半身、主に足腰の強化も忘れないで鍛える。

 そして俺はと言うと……

 

 

「さんびゃくじゅうさん……さんびゃくじゅう…しぃ…」

 

 七月からこうして朝早くグラウンドに顔を出し、毎日五百回素振りをするようにしている。

 長打と単打の両方を自在に打ち分けられる高いバッティング力を付けるのと、みずきちゃんの新球『クレッセントムーン』の捕球練習、それにインサイドワークも煮詰めなきゃならない。

 やるべき課題は明確になっている。

 残すはそれをどれだけ早く消していくかだ──

 

 

「こんな朝早くから、精が出るな」

「………友沢か」

「右肩が少し開いてるぞ。それじゃあ打球に力が入らなくて凡打になる」

「ふぅ…マジか」

 

 そういや、フリーバッティングでも最近快音が少なくなってきたからどこかフォームが違ってるとは薄々感じてたが……さすが友沢だ。

 

「お前も朝練か?」

「ああ。五キロほど走ったら俺も素振りをするつもりだ」

「そうか…怪我するなよ」

「分かってる。お前もあまり無理はするなよ。キャプテンが離脱したらシャレにならんからな」

「おいおい、縁起でもないこと言うなよ…」

 

 ふ、と鼻で笑い、友沢はグラウンドを出て走りに行った。

 アイツはこのランニングを入部してからは毎日欠かさずやってるらしいから、野球に対する意気込みは相当なもんかもしれねーな。

 あの怪我さえしなければ順当に帝王実業の一年生レギュラーとして試合に出てかもしれないのに…まぁその甲斐あってこんな天才が入ってくれたんだからマジ感謝してるぜ。友沢が敵か味方かってかなり違うからな。敵だったら絶対やりたくない相手だっつーの。

 

「…明日から七百に増やすか」

 

 激戦区である神奈川を制するには俺が点を取れるだけの力と、どんな相手でも0点で抑える程のリードを身に付けなきゃならないんだ。

 いつか樫本監督が言ってたように、

 

 

 

  『お前はチームの救世主になれ』

 

 

 

 攻守で引っ張れる人間に俺がなって、チーム力をより向上させる。

 それが上手くいけば必ず海堂や帝王、それにあかつきにだって一矢報いれるはずだ。

 この夏は辛抱し、秋から本格始動して全国に聖タチバナ学園の名を轟かせてやるから覚悟しろよ!

 

 

 



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第十七話 もう一人の“怪物”と奇妙な合同合宿(前編)

 地区予選も順調にスケジュールが進み、七月第三週目には早くも決勝戦が始まろうとしていた。

 組み合わせは帝王実業vs海堂学園──

 パワフル高校は準決勝で帝王実業と当たり、勝利目前まで追い詰めるも、あと一歩及ばず惜敗。

 一方の海堂はここまで全試合コールドと王者の力をいかんなく発揮して決勝戦へと挑む。

 

 決勝戦の舞台はシャイニングスタースタジアム。

 大学野球、そしてプロ球団であるシャイニングバスターズも使用するメジャーなスタジアムだ。

 

『さあ大変なことになりました!八回の裏が終了し、三対0で未だ海堂がリード!先発眉村の被安打はたった3本と完璧な投球が続いています!』

 

 歓声は回を重ねるにつれて大きくなり、打席に立つバッターへの期待もヒートアップしてきている。

 九回表の攻撃は二番蛇島からスタート。今日は全打席三振と良いところがない。

 

「くそっ…お前だけは………絶対に潰す!」

 

 悔しそうにマウンドを睨む蛇島。

 見据える先は背番号11を付ける同じ一年生。

 いつしか蛇島から穏やかな表情は消えていた。レギュラーである自分がバットに当てることすらできず、ピッチャーに対する憎しみと怒りが浮き出ている。

 

 

「っらあっ!!」

 

 ズドォンッ!と外角低めに突き刺さる螺旋回転のストレート。否、“ジャイロボール”。

 ピクリとも反応できず蛇島が見送る。

 速い。そして重みがあって手元で急激に伸び、スナイパーライフルのようにキャッチャーミットへ1cmの狂いもなく投げれる常人離れしたコントロール。

 その華麗なマウンド捌きに観客は口を揃えて言う。

 

 

 『神奈川に怪物が現れた』、と。

 

 

「いつつ~…眉村の奴…底無しかよ……」

 

 正捕手の先輩がマスクを被り直してボールを返す。

 スピードガンには百四十五キロと高校一年とは考えられない数字を叩き出している。

 それを九回の表まで、しかもコンスタントにコースを決めるとなればプロでもそう易々とできる技ではない。

 二球目は内角胸元を抉るシュートボール。

 変化量の多さに蛇島は後ろへ仰け反るが、ボールはストライクゾーンをしっかり通ってミットに刺さる。

 

『す、ストライク!!』

 

 審判が声を震えながら手をあげる。

 いつしか帝王側の応援も薄れ、ただ目の前に映る怪物のピッチングを見るしかなかった。

 

「やれやれ…本当はこんなことがあってはならないんですげとね……」

「仕方ないでしょ静香。江頭やお父さん達が話し合って決定したんだし、眉村君もそれに賛成して投げてるんだから」

「でも!いくら本人の意志だからと言って…海堂のマニュアルに背くような起用法はやっぱり反対よ!九回まで完投させるなんて……それに江頭だって何を考えているか分からなわよ!」

「それは姉である私も同感だけど…」

「だーかーら、姉じゃなくて“兄”でしょ!」

「まぁまぁ…あ、眉村君三振に取ったわよ」

 

『蛇島三球さんしーん!これで奪った奪三振は十五個!最後は高めのストレートを振らされました!』

 

 蛇島がヘルメットを地面に叩き付けてベンチへ戻る。

 ボールを受け取る眉村は頬を伝う汗を拭き、再びバッターへと視線を向ける。

 この試合が高校生活初先発にも拘わらず、彼には緊張や重圧の二文字がまるで無い。

 あくまでクールに鉄仮面なピッチャーを貫き、冷静な試合運びで主導権を渡さない抜け目の無い性格。

 ジャイロボールを投げればバッターは掠りもせずに空振り、緩急の利いたシュートやカーブ、スライダーを投げれば打者は的を絞れず手玉に取れる。

 あの百年に一人の逸材とまで騒がれている猪狩守と何ら変わりはなく、怪物と嘆かれてもそう無理はない。

 生でその姿を見た者にしか分からないその威圧的なオーラも、観客をワクワクさせる材料の一つであった。

 

『三番、キャッチャー、唐沢君』

 

 唐沢も同じ一年生であり、早くもプロから注目されている長距離ヒッターだ。

 今日眉村から唯一二安打を放っており、ホームランも期待できる怪力も併せ持っている。

 

(こごまで好投してくれた香取のためにも…絶対打つ!)

 

 肩に力が入りすぎているのを眉村は見逃さず、時折微笑むかのように低めへ変化球を淡々と投げ込む。

 決め球のフォークボールを振らせ、空振り三振。

 今日打たれている相手に対しても、尻上がりに調子を上げてテクニックで対抗する。

 

『四番サード、真島』

『帝王はこれで最後になってしまうのか!?打席には二年生ながら天性のバッティングセンスで四番の座までかけ上がってきた真島!主砲の意地をここで見せれるか!?』

 

 横浜リトル・シニアで四番を張り、全国出場経験の実績を持つ帝王屈指のスラッガーだ。

 眉村のジャイロをただ一人長打にした男でもあり、期待は大きかった。

 バットをギュッと握り締め、鋭い目付きで眉村へと集中していく。

 並みの投手なら真島の重圧に押し潰されるのがオチたが、眉村は一切動じない。

 疲れを見せない美しいオーバースローから、強烈なジャイロが投げ込まれる。

 

『ストライクッ!』

 

 豪快な音をたててミットを唸らせる。

 二球目はアウトコースのスライダー。これを逆らわずに追っ付けてライナー性の打球を放つも、フェンスに直撃してファールボールになる。

 カウント2-0。ピッチャーにかなり有利なカウントだ。

 優勝に王手をかけた海堂・眉村。

 観客はその瞬間をまだかまだかと首を長くして見守る。

 

(コイツは…必ず猪狩の前へ立ちはだかる。そして日本のエースへと……!)

 

 

 眉村が鋭く腕を振った瞬間、彼の腕が力強く灼熱の青空へ上がるのだった──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ったく、あっついなー…」

「あたりまえだろ?もう八月なんだからよ。お前ももう少ししっかりしろよ」

「八木沼さんは真面目だからいいけど、俺はもっとデリケートな心の持ち主なんだ。もう少し甘めに──」

「それじゃ今宮以外の野手はフリーバッティングな。川瀬は引き続き走り込みをしてくれ。そんでこの馬鹿には特別メニューを…」

「だー!分かった分かった!!冗談だからまた腕立て五百回とかはやめろ!」

「しょうがないな…お前も打ってこい」

「よっしゃ!あんがとよー!」

 

 バットを持ってスキップしながらゲージへ向かう今宮を見て、俺は呆れたように頭をかじる。

 八月に入り、聖タチバナにも夏休みが訪れた。

 残念ながら最初の夏を経験することはできなかったが、その間は一ノ瀬が考案したメニューをひたすら取り組んだ。

 その成果が出てきたのか分からないが、確実にチームとして一体感が生まれてきている雰囲気は感じ取れる。

 このまま行けば秋季大会でも甲子園を目指せる……かもしれないと、俺も一ノ瀬も思っていた。

 

「八木沼」

「ん?どうした」

「さっきから一ノ瀬とみずきが見当たらんが…あの二人はどこ行ったんだ?」

「さあな。俺もあんまり詳しいこと聞いてないけど、何でも、『面白いこと考えたからちょっくら行ってくるわ』って言い残していなくなったんだよ」

「面白いことって…キャブテンが勝手に練習を抜け出すのはどうかと思うが…」

「でも一ノ瀬の考えたプランならハズレは無いだろ?ここは長い目で待ってみるのも良いんじゃないか?」

「…そうだな」

 

 一ノ瀬の言う“面白いこと”が果たして何を示すのか見当もつかないが、これまで一ノ瀬の後ろをついていって何一つ間違いだった事は無かった。

 キャブテンとして自身のレベルアップよりもチーム全体が強くなるのを第一に考え、皆の意見にも耳を傾ける模範的なリーダーだ。

 恐らく聖タチバナがプラスになる計画をしていると予想するが…やはり気になるな……。

 

 

 

 

 午前十一時──

 一ノ瀬と橘がグラウンドを抜け出してから三時間ほど経過した。

 

「ふぅ…ただいまぁ……」

「お疲れさん。ほらよ」

 

 ランニングから帰ってきた川瀬にタオルとパワリンをあげる。

 

「あ、ありがと。もうヘトヘトよ…」

「しかし休憩挟んでるとは言え、よく三時間ぶっ通しでランニングができるよな。大したもんだよ」

「んぐっ、んぐっ、ふはぁ!ランニング後のパワリンは格別だなぁ……え、何か言った?」

「いや…気にせず飲んでて」

「そう…?」

 

 今は疲れてるしそっとしておいてやろう。

 こうして二十キロのランニングも始めて一ヶ月が過ぎた。

 初めの三回までは直ぐにバテるから一ノ瀬もかなり心配してたが、そんな情けはもういらないな。

 チームエースである以上は体力不足での降板はこれから先、許されがたい事だ。

 この太陽が強く照らす厳しい夏を投げきるためにも、一ノ瀬は無理を承知でこごまで川瀬には厳しい試練を与えたんだろう。

 それを愚痴一つ言わずに黙々と走り続ける川瀬も凄いが……全く、恐ろしいまでの信頼感だな。

 

「どうやら…二人も帰ってきたみたいね」

 

 川瀬の言葉を聞いてグラウンド入り口を見ると、私服姿で歩く一ノ瀬と橘がいた。

 こうしてツーショットで歩くと、まるで美男美女のカップルに見えて仕方ないな……。別に悔しいとかはちっとも思ってないからな。勘違いするなよ。

 その後ろを見かけない男二人がついてく形でこちらへ歩いてくる。

 

「よ、皆」

「よ、じゃねーよ!お前だけサボってみずきちゃんとデートかよ!ったくいい身分だ──ゴハアッ!!?」

「んなわけあるか!!調子に乗るんじゃないわよ!」

 

 橘の鉄拳が炸裂し、今宮が派手に後方へ吹っ飛ぶ。

 なんかこの光景……前にも見た気がする…。

 

「それで、どこに行ってたんだ?」

「まぁまぁ焦るなよ。まずは紹介しとき奴がいるからな。じゃあお二人さん、自己紹介頼みますわ」

「やれやれ。今度は自己紹介しろとはね~。人使いが荒いキャプテンだこと」

「はははっ。そこは否定しない…かな。でも久しぶりだね、“涼子ちゃん”」

「ふぇ?どうして私の名前を……?」

「嫌だな。四年間が空いただけでもう忘れちゃったのか。僕だよ、佐藤寿也だよ」

「え……えええええっー!!!???ほほ、本当に寿也君なの!?じゃあ隣の人は…」

「小四ん時に君達横浜リトルを倒した四番でエースの天才、茂野吾朗だ。久しぶりだな、涼子ちゃん」

「やっぱり吾朗君ね!二人とも大きくなりすぎて全然分からなかったわよ~!」

「ああ、でもまさか涼子ちゃんが野球をしてたとは驚いたぜ。しかも一ノ瀬大地とバッテリーを組んでたとはこれまた意外だな」

 

 全然状況が読めないんだが…これは一体……?

 

「一ノ瀬。どういうことなんだ?」

「実はな、この二人は海堂高校で野球やってんだよ」

「かっ、海堂!?そんなすげぇ選手なのかよ!!」

「お前はまたいつの間に復活してんのな…」

「まぁスルーしてやれ。そんで夢島っつう三軍専用の施設でみっちりしごかれ、前週やっと最終試験を合格して二軍に上がったんだ。そして二人にもようやく夏休みがやってきて…と言っても一週間半ぐらいしたら直ぐ二軍グラウンドに行っちまうけどな。こうして会ってきたってわけだ」

「そこの優しそうな人は見たことあるな…リトルと言ってたがあのバッティングが上手だった一塁手か?」

「覚えててくれたんだ。ありがとう、六道さん」

「む。私の名前も知っているのか…」

 

 なるほど。

 どうやら一ノ瀬達の知り合いだったってことか。

 筋肉の付き方もしっかりしてるし、体も一回り大きい。これはそうとうキツい練習を乗り越えてきたんだろうな。

 

「何でコイツらを呼んだんだ?わざわざ敵同士を集めてまで練習する必要はあるのか?」

「甘いわね友沢。二人を呼んだのは他でもないの。実は聖タチバナとこの二人、そして葛西君たち率いる恋恋高校と……

 

 

 

 

 

 

 

      合同合宿をしまーす♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい矢部!そこを爆撃で打ち壊すんだ!!」

「合点でヤンス!今宮君は後ろの雑魚をお願いでヤンスよ!」

「ぐあああああああぁぁ!!弾が無くて援護できねー!!」

「なんでヤンスと!?ししっ、しまったでヤンス!!こっちも囲まれたでヤンス!!」

「おい!何とかしろよ眼鏡!!さもないとゲーム機叩き割るぞ!!!」

「まままま待つでヤンス!!諦めたらそこで試合終了って某漫画で学んだでヤンスから……ギィヤァ~!!オイラのスーパーガンダーロボY.A.B.E.が死んだでヤンス~ぅ!!」

「なに~っ!!てっ、うおおっ!?俺も呆気なく破壊された!!?」

 

 聖タチバナと恋恋、そして寿也と吾朗を乗せた大型バスが向かうのはみずきちゃんの家が経営している合宿所だ。

 バス代も宿泊代もみずきちゃんのコネで超格安価格で使用することができ、立派なグラウンドと練習設備のセット付きで大々的に合宿を行うことができる。さすがは日本トップクラスの財閥のお孫さんだぜ。

 今は目的地の場所までバスの中でワーワーしてるけど……早速暴れてるコンビが出てきたな。

 PSVITAでやってるゲームはガンダーロボ最新作、『ガンダーロボ 侍の章』。

 ガンダーロボと日本の武士がコラボした超感覚、ハイクオリティーなゲーム。

 何で知ってるかって?それは矢部君がしつこいまでに語ってたからな。そこへ今宮が入ってきてこうなった…ってわけだ。

 

「ガァ~…ガァ~……ん…」

「すぅ……すぅ…」

「…………………」

 

 一番後ろで仲良く熟睡してるのは友沢と茂野。

 前の席がガンダーロボで発狂してる二人組なのによく寝れるよな…。

 その隣で八木沼が音楽を聴きながら寝ている。

 

「皆は好きな男子とかっているのー?」

「あ。聖はまだ彼に思いを寄せてるのかな~?」

「やめろみずきー!!声が大きい!」

「はは…聖ちゃんの方が声大きくないかな…」

「むぅ…ならあおいやみずき、雅はどうなんだ?」

「あれ?涼子ちゃんは聞かないの?」

「涼子は…私とライバルだからな……」

「えー嘘っ!!?涼子も彼の事がすk」

「わーわー!!こんな本人の前で暴露しないでよ!!別に私は大地君の事なんか…」

「墓穴を掘ったわね。私達は一ノ瀬君の名前なんて一言も言ってないわよー」

「むぅ~…皆揃って酷いわよ…」

「ごめんね。ほら、泣かない」

「ありがとう…それで雅ちゃんはどうなの?」

「えっ!?」

「雅は誰にでもモテるけど…一番はやっぱり」

「あおいちゃんストップー!!!はい、この話は終わり!」

「え~…ボクは他の皆の好きな人が聞きたいなぁ~」

「もういいでしょ!寝てる人だっているんだから静かにしようよ…」

 

 一番前の席では女子が壮烈な修羅場を繰り広げていた。

 俺の名前が聞こえたのは気のせいだよな…?

 その四段後ろでは生徒会メンバーと岩下・笠原と恋恋の部員が雑談をしている。

 ここが一番平和である意味良いかもな…。

 

 

 真ん中の俺、寿也、春見、田代の四人は──

 

「まさかこんな形で大地と再開するとはね」

「同感だよ。随分楽しそうに騒いでるけど…それもそれで良いか」

「三人とも悪いな。忙しいのに無理させちゃって…」

「構わねぇよ。俺達だって退屈だったし、豪華な飯も付いて良い環境で練習ができるんだ。唯一嫌だったのは親から許可得るのに時間がかかったことだけだ」

「親?」

「そうなんだよね。僕が恋恋高校で部員を集めた時も田代君が一番手強かったんだよ」

「ん、何かあったのか?」

「ああ…まぁ、な」

「……悪い。マズイこと聞いちゃったかな?」

「いいんだ、気にするな。ただ親が俺に勉強しろってうるさいから野球ができなかった。それだけだ」

「そうか…」

 

 まだ田代にはわけがありそうだが、あんまり深追いするのも悪いから止めとくか。

 人の過去をむやみに探るのは悪いしな。

 

「それにしてもこんな豪華なメンバーで合宿ができるなんて嬉しいよ!僕と吾朗君は実践的な練習よりも基礎体力を付ける練習の方が多かったから、まともにグローブを使ったりするのは新鮮だね」

「へぇ~…やっぱ海堂は厳しいんだね。僕達も負けてられないな」

「春見君だって頑張ってるじゃないか。中学でも噂は聞いてたよ。もちろん、大地君もね」

「お、それは素直に嬉しいな。……おっと、聞くのを忘れてたけど海堂に戻るのは来週だから…二人もこの合宿には最後までいるのか?」

「もちろんだよ!帰ってもまだ四日も休みはあるし、せっかく大地君や涼子ちゃんとも再開できたんだ。もっと話とかも聞きたいしね」

 

 目を凄く輝かせながら美青年が笑う。

 リトルん時から寿也は学校でもモテモテだったけど、イケメンは大きくなってもイケメンだな。もしかすると猪狩と良い勝負なんじゃないか?

 

「学校は違っても、俺達の目的は一緒だ。敵味方関係なく、切磋琢磨して頑張ろーぜ」

「ああ!」

「よろしく!」

「頼むな」

 

 瞳にメラメラと熱い思いを募らせ、俺達四人は拳を突いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前ら起きろ!着いたぞ!!」

「ウップ……バスでゲームしてたら酔っちまった…」

「オイラもでヤンス……もうゲロが食道付近まで…」

「いい加減にしなさいっ!!着いたんだからさっさと起きるの!!このアホコンビ!!!」

「ぎぃやぁ~でヤンスぅ~!!!!」

「頭を叩くのだけはやめてくれあおいちゃ~ん!!」

 

 もうこの二人は練習前に体力を使い果たしたって感じだな。

 無理矢理あおいちゃんに引きずられて来てるし…。

 

「おー!めっちゃ良い旅館じゃん!!」

「入り口からして庶民には無縁そうな所だけど…本当に僕らが入ってもいいのかい?」

「だいじょーぶよ!全部私に任せて!」

 

 皆がみずきちゃんにありがとうとお礼を言い、旅館へと入る。

 

「ねぇ大地君。部屋割りとかはどうするんだい?」

「そうだな……こんな感じでどうだ?」

 

 紙に全員の名前を書き、それを分けて回す。

 101号室に俺、春見、寿也、茂野

 102号室に八木沼、友沢、田代

 103号室に女子組と聖名子先生

 104号室に今宮、矢部、岩下、笠原と山田一郎先生(恋恋の顧問)

 105号室に原、大京、宇津、その他の恋恋部員

 

 

「これで各自部屋を把握しといてくれ。荷物を置いて昼飯食べたら着替えて直ぐに隣のグラウンドに集合。グローブとバットも忘れるなよ。じゃあ一旦解散」

 

 今の時間は午前十一時四十七分。

 十二時過ぎたら各部屋に飯が届くらしいから、多分一時には練習を開始できるかな。

 先に俺は下準備もしなきゃならないし、もう早いとこ飯食っとくか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お嬢様。宿泊施設に着きましたよ」

「ありがとう平山さん。では行ってきます」

「お気をつけて下さいませ」

 

 タチバナ&恋恋+αが部屋に入った直後、旅館前に高級感漂う車が一台停まった。

 中からピンクのリボンを着けたセーラ服の高校生が降りた。

 見た目からしてかなりの美人で、華奢で色白く気弱そうな性格だ。

 

「えっと……あおい達はもう中に入ったのかしら…」

 

 少し躊躇いながらも旅館の自動ドアを開けようとしたその時──

 

 

「ふぅ~…やっと吐き気が治まったぜ………ん?君は…」

「え…あ、その……えっと…」

 

 後ろから声をかけたのはさっきまで矢部とゲームをして酔っていた今宮だ。

 気分を変える為に一人で三百メートル先の自販機まて歩き、ジュースを買って戻ってきた所へ偶然出くわしてしまったようだ。

 

「その制服…もしかして恋恋高校の人?」

「はい。あなたもそのユニフォームは…聖タチバナの方ですか?」

「まあね。俺の名前は今宮蓮太、よろしくな!」

「七瀬はるかです。こちらこそよろしくお願いします」

「はるかちゃんね。可愛い名前じゃん」

「そう…ですか?ふふっ、蓮太さんて名前もカッコいいですよ」

「おお…そうか?いや~!カッコいいだなんて照れるぜ~!!」

「はは……皆待ってますしそろそろ中へ入りますか」

「そうだな。もうご飯が届いてるはずだし、ここは暑いからな。入ろーぜ!」

「はい、今宮さん」

「蓮太で良いって。そんな固くなるなよ」

「それなら分かりました。蓮太さん」

「さん付けもいいんだけどなぁ…ま、いっか」

 

 長い雑談が終わり、二人は宿舎内へと入る。

 スリッパに履き替えて少し中を回ると、大広間にいた女の子五人組がこちらに気づき、近づいてきた。

 

「はるか~!!」

「あおい!あわわ…ちょっといやだ、苦しい…」

「だって出発前にいきなり貧血で来れなくなっちゃったから心配したんだよ!?はるかに何かあったら私もう生きていけないよ!」

「あおいったら…もう、大袈裟なんだから。貧血って言っても大したことなかったから平気。それに優しい人にも会ったのよ?」

「優しい人?それは誰なの?」

「──蓮太さん」

 

 ニッコリしながら今宮を見る七瀬。

 優しい人がつい二十分前に自分が叩いた人だっと知った早川はかなりショックを受けた。

 

「それ…本当に言ってるの?」

「ええ!」

 

 彼女はどうやら本気のようだ。

 女子に変態で性格もだらけてるダメ人間が、自分の唯一無二の親友と仲良しだと考えると、想像するだけで嫌になるだろう。

 

「……悪いこと言わないわ、はるか。今宮君は優しい人じゃないわよ」

「なっ…!?あおいちゃん!それはどういうことだよー!」

「野球の合宿に来てるっていうのにあの眼鏡と一緒になってゲームしてるだよ!?だらけてるったらありゃしないわよ!そ・れ・に!さっきみずきちゃんや聖ちゃんにも聞いたけど頭だってかなり悪いじゃない!」

「頭悪いって…一応赤点は取ってないから大丈夫だって!」

「赤点ギリギリもまずいと思うぞ」

「うっ…」

 

 的確に言われてしまい、返す言葉が見つからない。

 

「大丈夫ですよ。それなら今度私が見ましょうか?」

「ほんと!?それなら助かるよ!!」

「ちょっとはるかー!それは今宮君に甘いんじゃないの?」

「困ったときはお互い様って言うじゃない。いいでしょ、あおい」

「……また今度にね。ただし私も行くって条件で」

「へーへー。分かりましたよ」

 

 今宮と七瀬の間で約束(?)をし、変な珍事件は収束へと向かった。

 七瀬は仲直りと言う名目で、その後今宮も混ぜて一緒に昼食を摂ったらしいが、遠目で見てた他のメンバー(特に矢部)からかなりの罵声を受けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全員集まったな?」

「恋恋は皆いるよー」

「俺達もいるぜ」

 

 ちゃんと時間通りに集まってくれてなによりだ。

 103号室付近で何やら大騒ぎが起こってたから不安だったけど、まぁ一人も欠けずにこれたから良いか。

 

「よし。じゃあ練習を始めるぞー。それでメニューなんだけど、せっかくいろんな面子が集まったんだし初日の今日は試合を想定したことをしようと思う」

「え?こんな人数で紅白戦をやるのか?」

「控えが出て効率が悪いと思うけど…」

 

 友沢とあおいちゃんは試合をするのかと勘違いしてるな。

 いい線いってるけどちょっと違うぜ。

 

「試合じゃない。シートバッティング方式の実践練習だ」

「シートバッティング?」

「そう。ルールは基本的に普通のシートバッティングと同じだけど、ゲーム感覚でやろうってわけだ。まず九人がそれぞれのポジションに就き、打者が一人入る。そこで勝負をしてアウトになったらバッターはそのまま一塁を守り元々一塁手だった奴は二塁手と送り送りで守備を変える。もしヒットやフォアボールだったらもう一度打ち、それが三連続で続いたら…」

「続いたら?」

「──みずきちゃん家のシェフが作る豪華和定食をご用意いたしまーす」

「何っ!?豪華和定食だと!!?」

「うおー!食いてー!!」

 

 ふ、皆食い付きやがったな。

 まぁ豪華和定食ってのは事実だけど打者は安打三連続だから難易度はかなり高い。

 皆豪華な飯を食おうと必死になるが、これが十回チャンスがあったとしても一回達成できるかどうか…

 でもここがこの練習の盲点でもある、面白い練習だぜ。

 

「逆に投手は三回を九人全員抑えたらOKだ。ライトが打席に入り、ローテーションでまたライトが打席に…ってなるからそこんとこ頼むな。以上だけどいいな?」

「中々面白い練習じゃねぇか。となれば投手の俺は一番乗りで和定食いただきだぜ!」

「私達だって負けないわよ!」

「俺だって!」

「オイラだって!!」

 

 うんうん。競争心が出てきてこれぞ野球らしくなってきたな。

 合宿で同じ屋根の下で生活している内は仲間だげど、ここぞって時はライバル同士、勝負に燃えてもらわなきゃやる意味がない。

 

「人数が多いからここと隣のグラウンドに別れてやる。組み合わせは公平に俺が割り振ったから、アップを済ませたらそこで分かれてくれ」

『はいっ!!!』

「うーしっ!!そんじゃ皆グラウンドを三周ほどランニングだ!」

 

  オー!!!!!!!!

 

 

 こうして聖タチバナと恋恋、そして寿也と吾朗が加わって地獄の合宿がスタートした。

 ここで強い奴等と差を縮めるにも、必ず有意義に時間を過ごして頑張るぞ!

 

 

 



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第十八話 もう一人の“怪物”と奇妙な合同合宿(後編) ~線を越えた甘い時間~

 アップを済ませ、各自が自分のポジションへと就く。 

 控えが出てしまうと当然その分の練習ができなくなって勿体無いので二グループに分かれて練習をすることにする。

 制限時間は十三時半から十七時までの約三時間半。

 グループはこんな感じで分けた。

 

 

 

 Aグループ       Bグループ

 一ノ瀬大地(捕手)   佐藤寿也(捕手)

 田代智洋(捕手)    六道聖(捕手)

 大京均(一塁手)    安藤和人(一塁手)

 葛西春見(二塁手)   今宮蓮太(二塁手)

 原啓太(二塁手)    木村誠一(三塁手) 

 小山雅(遊撃手)    友沢亮(遊撃手)

 矢部昭雄(中堅手)   八木沼隼人(中堅手)

 岩下雄介(左翼手)   笠原信(右翼手)

 大久保慎一(右翼手)  後藤直樹(左翼手)

 茂野吾朗(投手)    早川あおい(投手)

 川瀬涼子(投手)    橘みずき(投手)

 宇津久志(投手)

 

 投手力と守備力だったらAチーム。

 強烈な一発と繋げる一打が打てる打撃力だったらBチーム。

 これで試合をしたら案外面白そうだが、あくまで今日はやることが決まってるからな。ここは我慢だぞ!

 おっと。言い忘れたが投手はこのチームで最初は回すけど、少し経ったらまたごちゃ混ぜにしてどちらのチームでも対決できるように配慮はするつもりだ。それとAチームはセカンドが二人いるから基本は肩も強い春見にやってもらい、アイツが打席に入ったら俺が代わりにやる。

 軟投派がいれば本格派や変則派だっている。これで投手リレーすればどんな強力打線も抑えられると言っても過言じゃない。

 それほど投手陣のレベルが高いんだ。何時間もコイツらとやり合えば間違いなくレベルアップも見込めるはずだ。

 ただ…欠点と言えるのは捕手が有り余るぐらいに存在してる点かな?そのせいで三塁手がいないんですけどそこはツッコミ無しな。

 

「トップバッターは田代と寿也。先発は茂野とあおいちゃんが頼む」

「ああ。任せろ!」

「分かったよ」

「おう」

「うん!」

 

 ごめんな田代。

 本当は順番的に俺が最初なんだけどどうしても茂野の球を受けたくて変えたんだ。

 寿也から聞いた情報では凄腕のピッチャーって評判だが…そのお手並みを拝見させてもらおうか。

 

 

 

 

 

 Aチームside──

 

「わりぃ、待たせた」

「大丈夫だ。それよりも今日は一ノ瀬を信じて投げるからな。リード頼むぜ」

「飯グレードアップに協力はしてやるが…サインとかはどうしてるんだ?」

「サイン?そんなのいらねーよ。俺は真っ直ぐしか投げないからな。打たれないようにお前がリードして、逸らさずきっちり捕ってくれればそれでいい」

「真っ直だけ?おいおい。大丈夫なのかよ……」

「──ただし集中してろよ。油断してたら意識飛ぶぞ」

「……なんか知らないけど了解した」

 

 真っ直だけは裏を返せば真っ直ぐに自信がある意思表示だ。

 面を被る以上は油断なんてしないが、速球なら猪狩の百四十キロ近いのボールを手が潰れるまで受けたんだ。俺のキャッチングをあんまり舐めない方がいいぜ。

 

「四球だけ投球練習するぞ!自分の肩をならす程度でいいから来い!」

 

 ロジンバックをポンポンと左手に付け、茂野が投球動作に入る。

 バアンッ!といい音をたててボールはミットに挟まった。

 球速はだいたい百三十後半。

 高校球児でこのスピードは平均以上だが、こんなんで春見とかを抑えられるんだろうか…?

 

「…お願いします」

 

 投球練習が終わり、田代がお辞儀して右打席に入る。

 確かパワフル高校との練習試合とかでも三番を任されてたな。ミートもあってパワーもそこそこあるはずだ。立ち上がりだしここは丁寧にコースを突くか。

 

(アウトローにストレート。一発目だから多少甘く入ってもいい。とにかく全力で投げろ!)

 

 茂野がニヤリと笑いながら頷き、ダイナミックに振りかぶる。

 百八十センチの長身から高い位置でボールをリリースし、空を切り裂く勢いで一直線にキャッチャーミットへと──

 

 

 

  ズバアァンッ!!!!!

 

 

 

   凄まじい爆音と共に突き刺さった。

 

 

 

「っ……ストライクだぜ…」

「………あ……ああ…」

 

 突如雷鳴の如く放った異質なストレートに田代や守備陣の表情が凍り付いた。

 まず第一声は、──速すぎる!

 明らかに投球練習の時とボールの速さも質も異なるし、回転軸が妙に違ってた。

 てかミットしてるのに痛てーよ!!

 

「なんや…今のは銃弾かいな…?」

「百四十……ううん、百五十近くは…」

「ありえねぇ……速すぎて全く見えなかったぞ…!?」

 

 化け物染みたストレートに驚き、よりも“絶望”していた。

 こんな速いストレートが自分に打てるわけない。打席に立つことすら怖いのに、その上ヒットにさせるなんて夢のまた夢。

 ほとんどの人間をたった一球でここまでビビらせたのだ。

 

(こいつは猪狩より速いかもしれないな……しかもこのストレート…回転軸がおかしい……)

 

 二球目もストレートだがコースはど真ん中。

 が、あまりの速さにはんのうできず豪快に空振った。

 

「マジかよ……こんなの打てねぇだろ…」

 

 田代が弱気に呟くが、打てないのも無理ない。

 正直、俺や友沢でも一打席見ただけでヒットさせるのは厳しいな。多分百五十近くは出てると思うが、ノビや回転をプラスαすれば体感速度はもっと出てるはずだ。

 高校生でこんなの放れるのは猪狩や眉村くらいと思ってたけど…ストレートだけだったら茂野の方が上なんじゃないか?

 三球目は内角にピシャリと決まり、田代は三球三振で終わった。

 

「参ったなぁ…この人が対戦相手だなんて、私絶対打てる気しないよ…」

「うん…僕でも当てるのが精一杯かも……」

「葛西君でもあの球は厳しいの?」

「守とはまた違う打ちにくさがあるからね。一打席そこらじゃ難しいよ」

 

 大久保と岩下も手が出ず、二人も呆気なく三球三振。

 おいおい…これ誰も打てないだろ。田代もシニアで名のある選手だったらしいのに、当てることすらできてない。それを始めて数ヵ月の人間が当てるなんて不可能に近い。

 キャッチャーとして完全なリードをしてる、とは言いにくいな……俺が配球しなくても勝てそうだからな。

 

「次はオイラでヤンスね!ここで打ってモテてやるでヤンスよ!!」

 

 四人目は矢部君か。

 鼻の下伸びまくってて憎たらしいなぁ。

 足の速さだったら超高校級だけど、打つのはどうなんだろう…?

 

「っうおらぁっ!!!!」

「ヤンスっ!?」

 

 豪速球を初球から果敢にスイングするも、大きく振り遅れてその場に倒れた。

 

「今のはなんでヤンスか!?手元でボールが消えたでヤンスよ!!」

「矢部君。多分このボールはジャイロなんだと思うよ」

「ジャイロって……眉村君も投げてたあのジャイロでヤンスか?」

「恐らくね。矢部君が言う消えたような錯覚はその螺旋回転が手元でのノビを助長してるからだよ。それに球威が加算されれば振り遅れも無理ないって」

「なるほど…そいつは面倒でヤンスね……」

 

 二球目はスッポ抜けて外角へ大きく外れてボール。

 コントロールは特別長けてるわけじゃないな。カットして粘ればフォアも誘えるかもしれないけど…

 

(内角にいこう。矢部君はかなりビビってる)

 

 後ろから見ても腰が引けてるのが分かる。

 ここでインコースに全力投球すれば次の外角は絶対手が出せない。

 単純なリードだが、矢部君はまんまとその作戦に嵌まり、ストライクのコースをくの字にして避けた。

 

「ストライクだぜ矢部君」

「わ、分かってるでヤンスよ!」

 

 一度ゲージを外れ、ブオンッ!と素振りをし直して打席に戻る。

 お、やっとバットを短く持ち直したか。

 だが気付くのが遅かったな。内角の百五十前後のジャイロの後に、キャッチボール程度のスローボールを外のボールゾーンに俺が要求する。

 やや不本意ながらも了承し、見分けのつかないフォームからチェンジアップ気味のボールが飛んでくる。

 

「ンスッ!?」

 

 捕球する前にバットが出てしまい、手も足も出ず矢部君が三振。

 これで四者連続三振か。このグループじゃ春見と俺しか当たんないな、こりゃ。

 二軍の海堂とやった時はピッチャーが百四十さえも出てなかったのに、つい最近まで三軍だった奴が百五十に迫るジャイロをサウスポーで投げれるって…一軍でも通用しそうなのにどうしてだろうと甚だ疑問に感じる。

 変化球が無いのはネックにしろ、ストッパーでも活躍は期待できそうなのに認められないのはあの女性監督達のせいなんだろうな。

 

(…茂野もデータに入れておくか)

 

 やれやれ。

 これでまた一人厄介な敵が増えちまったわけか。

 学校に帰ったらこのテの投手相手にも臆せず打っていけるメニューを考えねばな…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 Bチームside──

 

「あおいの最初は佐藤さんと友沢さんのヒットで被安打二、と」

 

 用意されたテントの下ではるかは選手達の記録を取っていた。

 四十分が経過し、一打席目を制したのは友沢君と佐藤君のみ。聖と今宮君、八木沼君の三人は当たりとしては悪くなかったものの、飛んでいった場所が悪く凡打に倒れている。

 私のスピードは百十キロ後半と茂野君のに比べてかなり球速に劣りが浮き出てしまうも、持ち前の制球力とウイニングショットである“高速シンカー”でカバーし、苦しい相手ながらもまずまずの結果を残したと思う。

 

「よく頑張りましたね、早川さん」

 

 ベンチに戻る時、顧問である山田先生はねぎらいの言葉をかけてくれた。

 

「いえ…ボクはまだまだですよ。立ち上がりから打たれちゃったし、友沢君からはツーベースヒットですから」

「いいえ、あなたはまだまだこれから伸びます。この合宿で悔しい気持ちをたくさん味わい、それをバネにして修正していけば自身の成長にも繋がります。エースである自覚は忘れず、もっともっと頑張ってください」

「……はい!」

「そうそう。あおいはよく頑張ったんだからそんなに落ち込まないの!私が無念を晴らしてくるからここで観てなさいよ!」

「ははは…ファイトみずき」

 

 続いてのピッチャーはみずき。

 無念を晴らしてくれるのなら友沢君と佐藤君から三振を奪ってほしいけど……みずきが勝ったら勝ったで複雑なんだよね。

 嫌な言い方かもしれないけど、ボクよりもみずきが打たれてほしい。

 それは心から嫌悪に願ってるわけじゃない。ただ…ボクだって負けず嫌いな一面は少しながらあるんだ。

 自分の顔を保ちたい──

 それは皆が聞けば最悪な考えだけれど、半分はそれが真実だ。

 

「まずは僕からだね。橘さん、よろしく」

「ええ!絶対アンタを打ち取ってあおいの敵を取ってやるんだから!覚悟しなさいよー!」

 

 ボクの敵、か。

 ふふっ。みずきって良い具合に乗り気で子供っぽい所が可愛いんだよねー。

 大きく手のひら返しするけど、自分の顔を保ちたいなんて……死んでも思えないよ。

 普段がやや自己中でも、友達思いが非常に強い子だから憎めないんだよ。

 だから頑張ってみずき!佐藤君を抑えて一人だけでも和定食ゲットしてよね!!

 

「行くわよ聖!しっかり捕りなさいよー!」

「……分かっている。みずきも頼むぞ」

 

 セオリーなら左利きのみずきが有利のはず。

 サイドスローながらも百二十を超える速度をマークし、得意の高速スクリューとクロスファイヤーに突き刺すコントロールがある。正しく“変則”と呼ぶに不足ないほど手強いピッチャー。

 寧ろ佐藤君が曲者相手にどんな策で勝負するか、ボクも皆も注目する。

 

(インコース低めに第一のスクリュー。ゾーンを掠めながら曲げる)

 

 サインを出して左腕を大きく振るう。

 一度浮き上がるかのようにホップし、ベース前で鋭く内側へ切れ込む。

 

「……ストライクだ」

「!……入ってたか……」

 

 ──佐藤君の表情が変わった。

 聖がストライクを判定した瞬間、反射的に後ろを振り向いて何か言おうとするが、直ぐにバットを握り直して平然を装う。

 外面は誤魔化しても内面は嘘つきれない顔をしてる。

 ボクも佐藤君も微妙に外れてたと脳で判断した。

 

(その頭脳にみずきのコントロールが勝っているの…?)

 

 二球目はインハイのストレート。

 ほんの僅か内に外れたがそれでもボール半個分の間隔。クロスファイヤーの効果も入り混ざって充分な威圧になる。

 …相変わらず強気だね、みずき。

 

(一度ストレートで外角に外す。パワーだけでなく当てる技量も佐藤にはある。フルカウントを使ってでも慎重に)

 

 アウトコースに一個外し、これで1-2。

 ふぅ…なんて手に汗握る対決なんだろう。チェスや将棋のように相手の出方を先読みしながら着実に追い詰めるその頭脳戦。力で押す野球に対して迫力は薄いけど、ボクはこの心臓の高鳴りが大きくなる緊迫した野球も好きだ。

 聖とみずきの目指す自分達の戦闘スタイルも、行き着く先は“精密かつ頭を使う高次元の駆け引き”だろうか。

 ──ギュッと膝元で拳に力が入る。

 ボクは女子だから男の人と比べてやはり非力だ。だから筋力に劣るボクが勝つには誰よりも一枚、二枚も上手な駆け引きをするしかない。

 それはみずき…もしかすると涼子だって同じ志しなのかもしれないんだ。

 

 

  負けたくない。

 

 

 他の皆が自分のプレーを貫くように、自分も自分の持ち味を生かして勝ちたい。いや、勝つんだ!

 

 

 

 ギィンッ!

 

「頑張ってるわねみずき……」

「白熱してきましたね、聖名子先生。私もお恥ずかしながら野球初心者なんですがこれはゴクリと唾を飲む展開ですよ」

「はい…私も目が離せませんよ」

「山田先生。今カウントっていくつですか?」

「これでファールが三本続きましたから……ツーストライク、ツーボールですね」

「…そうですか。ありがとうございます」

 

 ファールが三本も続いてたんだ。

 佐藤君も必死に粘ってチャンスが来るのを待っている。

 ……悔しいなぁ。ボクの時は二球目でレフト前に弾かれたのに…。

 まだまだ自分が未熟なんだなって、つくづく実感させられるよ。

 

(追い込んでいるんだ。ここでクレッセントムーンを使って断ち切る。抑えるぞみずき!)

 

 バンバンッ!とキャッチャーミットを強く叩いてアウトロー一杯に構えた。

 二人は次の一球で終わらせるつもりだ。

 みずきか、佐藤君か。勝っているのは果たしてどちらか──

 今まで投げた五球よりも体がより地面スレスレまで落ち、スナップをおもいっきり利かせて放った。

 佐藤君は迷いもなく、ただ自身の膝の高さに迫るスクリュー回転のボールをフルスイングした。

 

 

 

 バットはボールより上を過ぎて当たらない。

 

 

 

 次の配球はスクリューだ。

 そう言わんばかりに外角を強振するが、変化はボク達の予想を書き換えて曲がった。

 聖が必至に腕を伸ばし、弱々しい捕球音ながらもキャッチしている。

 

「バッターアウトだ」

「!!………消えた…?」

「ん?」

「ううん。何でもないよ」

 

 最後のスクリュー……あれは普通にポンポンと投げれる変化球じゃない。

 それまでの平均的なスクリューを伏線に変化量に違いを付け、打者がどこにバットを出せば当たるという予測の裏を掻いた。

 しかも今のコースは見逃していてもギリギリストライクになっていたかもしれない完璧な場所だ。

 打者なら追い込まれれば振ることすら困難な領域に、決め球の超スクリューがマシンばりの制球力でこうも決められてしまってはもう打てない。

 ──この勝負はみずきが凄かったと、その一言しか頭に思い浮かばなかった。

 

「ナイスピッチだみずき!最高のスクリューだったぞ!!」

 

 駆け引きと制球力、そして一撃必殺のスクリューボール。

 リトルで離れ離れになってからみずきも聖も確実に進化を遂げつつある。

 

(ボクも負けてられない……自分だけのウイニングショット『オリジナル変化球』を身に付けるんだ)

 

 アンダースローの利点を最大限に生かせられる一番被安打率の低い凄まじい変化球へと。

 このボクの高速シンカーを何十倍、何百倍にも強化させ、大会でアッと言わせてやろう。

 

 

 その手応えを少しでも掴む──

 それがこの合宿で掲げるボクの目標だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんじゃ全体での練習はここまでだ。七時になったら食堂で夕飯にするからそれまでは休んでるなり自主練するなりして自由に過ごしてて構わないよ」

 

 グラウンド整備を全員で協力し終え、一日目は終了となった。

 時間も忘れて野球に夢中だったのか、初日で大半が疲労に満ちた顔を浮かばせている。

 ……一人だけ余裕そうな顔をしている豪腕がいるけどやりやがるな、茂野のめ。

 投手・野手のノルマを達成できたのは茂野、友沢のたった二人だけ。

 友沢はみずきちゃんからホームランを放ったし、茂野は九人の打者に対して奪三振を六つも取っている。

 寿也、春見、俺、今宮、原が二安打。

 聖ちゃん、雅ちゃん、矢部君、大京がかろうじて一安打。

 残りのメンバーは残念ながら不発に終わったが、後半になってくると茂野のジャイロにも慣れていき、一通り終えた二戦目からは三振が劇的に減っていた。

 初めは打てなくてもいいんだ。今が打てなくても嫌になるまでその目で追い続ければいつかは当たる。

 そのいつかをどうやって早い段階に持ち込むか、その辺は才能や経験量で個人差が出てきてしまうが、才能無しと断言できる奴は一人てしていないんだ。

 これから短期間の内に多様な事をさせ、順能力を高めてやるのがまず優先かな。

 投手もボカスカ打たれるのは減ってきて安定性が増してきている傾向だ。夏前から行ってきた足腰のトレーニングがここへ来て芽が出始めたって感じられた。

 投手も野手も引き続き試合を想定した練習をやり、いつでも戦える状態に俺が作ってやらないとな。

 

「大地君……ちょっといいかな?」

「ん、どうした涼子?」

「あのね……もう夕方になっちゃったけど、もし暇だったら私のボールを受けてくれない?どうしても大地君に捕ってもらいたくて…大丈夫?」

 

 受ける、ってことはキャッチボールじゃなく投球練習か。

 うーん。今日は球数もそんなに多くなかったし、ちょっとなら捕ってやっても問題ないな。よし──

 

「六時までだったら良いよ。あんまり遅くまでやると疲労が溜まって逆効果になるから程々に頼む」

「やった……ありがとう!!」

 

 何かかなり嬉しそうにはしゃいでるなー。

 俺が捕るなんて普通の風景なのに今日は特に笑顔だ。

 涼子が喜んでくれるならそれは俺だって嬉しいけど…あれ?それだとただご機嫌を取ってやってるだけにしか聞こえないぞ。

 ただ純粋に涼子と投球練習するだけなのに…どうしてこんなに緊張してるんだ、俺?

 

「大地君……?」

「…いや。そんなわけない…よな」

「??」

「さ、早くブルペンに行こうぜ。一球でも多く捕ってやるよ」

「う、うん……」

 

 防具とミットを用意し、グラウンド端に設置されてるブルペンへと入った。

 軽くキャッチボール程度に約十球投げ、肩が温まってきた所で俺が座る。

 

「まずはストレートから。ど真ん中に七割の力で」

 

 どうしちまったんだろう俺。

 最近涼子と顔を合わせると何故か顔が赤くなって反らしちまう。離れた距離にいると勝手に目が涼子の方へと追うし……前にもあったな、こんなこと。

 

 

 ──スバァンッ!!

 

 

(……集中できないな…)

 

 練習中に他の事へ意識が行くなんて今まで一度もない。

 それが涼子と二人きりだけで練習すると、キャッチングはできてもリードや声かけが適当になってしまう。

 あの日、猪狩から「ご機嫌を取るためだけに野球はするな」と、俺に強く叱った時があった。

 あの時と今は……どこか違うんだ。

 気遣いってよりも、自分の気持ちが動いてるっつうか………ただ言えるのは野球以外で他人にこんな感情を持ったのは初めてだってこと。

 キャプテンだからとか、バッテリーだからって肩書きや仕事で動いてない。

 

 ──涼子の近くにいたい。たったそれだけの思い。

 

 

「……なぁ…涼子…」

 

 夕方のグラウンド。

 赤く輝く夕日が山に大半隠れてしまった中、俺は名前を呼んだ。

 彼女も可愛らしい笑みで返す。心臓のバクバクが加速していくのが自分でも分かる。挙動不審にならないよう、精一杯に平常心をたもちながら口を開いた。

 

「俺のことさ……嫌いか?」

 

 唐突な質問に涼子はキョトンとする。

 好きか?とはさすがに聞けない。そんなん聞いたら百パーセント引かれるからな。遠回しに問いかけてみれば、怪しまれることはないはずだ。

 

「俺のことって…大地君が好きか嫌いかなの?」

「ああ……まあな…」

 

 グローブを外し、涼子がキャッチャーサークル近くに寄ってくる。

 サズッ……サズッ……っと歩く音をたてながら、ゆっくりとホームベース前まで距離を縮めた。

 顔は下を向いてて目線が合わない。

 ──やっぱり聞いたタイミングが悪かったか?どう感じ取ったかそこまでは読めないけど、全然俺を見てくれない。

 たった三十秒の短い沈黙が、異様なまでに長く感じる。

 くそっ、ダメだ。この雰囲気が俺には耐えきれない。このヘタレって呼ばれても構わない。ゴメンと謝ってなかったことに──

 

 

 

「──私は、嫌い」

「──!」

「大地君のことなんて大嫌い。野球部で私が唯一顔も見たくなくような人よ……だって──!」

(………っ!?)

「大地君はズルいんだもん!!!私が失敗して挫けた時や泣きそうな時、真剣な眼差しで心から勇気付けてくれた!バッティングやバントで悩んだ時も、夜遅くまで私につきっきりで教えてくれたのも大地君!そう、私が進む道には必ず一ノ瀬大地の存在がいてくれた!大切な……私が野球を好きでいられる存在………それが大地君…ううん、大地よ!!」

 

 うっすらと瞳から垂れる一筋の涙。

 一滴一滴が地面に静かに落ち、その映像が脳で理解されると自然に俺の涙腺も崩れていく。

 

「それなのに大地は答えてくれない!ただ優しく接してくれるだけで…私の本当の気持ちを全然理解してくれないのよ!!ここまで私を苦しめて……好きか嫌いかも自分から言わない!ずっと前から毎日が不安たったのよ………大地は私をそういう対象で見てくれて、ないのか、って………っ……」

 

 本当の、気持ち?

 俺が涼子をどういった対象で捉えているか?

 全然分からん。じゃあこれまでの俺は嘘だって言うのかよ!ただ俺は涼子が──

 

(!!!、そうか!俺が…!)

 

 ──ああ、俺ってなんてバカなんだろう。

 こんなに単純で簡単な問題に気が付かないなんて。

 それが涼子を苦しめていたのも分かってやれないなんて、俺はバカ以下だった。

 男として…一番大事な部分が抜けてたよ。

 

「──今日の夜、二十一時に駐車場へ来てくれ」

「……ぇ………」

「そこで本当の気持ちを話す。ここじゃ場所もアレだし、まだ練習中だ。切り替えをしっかりしてから話そう。それで良いか?」

「……ぅん。返事…待ってる」

 

 野球との切り替えはしておかなければならない。それがどんなに大切な告白でも、あくまで投球練習をしている最中だ。

 それに、このままだと互いに号泣しちまってまともな会話ができそうにない。ここは切り上げて先に飯食って落ち着いてからの方が動揺も抜けてくるし悪くない。

 

「たった一球しか受けてないけど上がろう。俺もそろそろ顔がヤバイわ」

「ふふっ…泣き顔は思ったよりも可愛いわね…」

「うるせーよ。別に泣いてないし」

「はいはい。クールダウンして上がりましょ」

「…おう」

 

 練習と呼べるほどの量はしなかったが、良い事が聞けたと俺は思う。

 自分の気持ちにもう嘘はつかない。今度こそきっちり言うんだ。真実を……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食堂で仲良く夕食を食べ、人目を盗んでこっそりと宿舎を抜け出した。

 一応風呂にも入ってさっぱりしたままだから匂いとか臭くないよな……多分大丈夫だろう。

 合宿の初日にこんな告白まがいな行為が皆にバレたりでもしたら激怒されるに決まってる。今宮と矢部君にだけは知られたくない。だから数少ない自由時間の間で解決しようって腹だ。

 

「ごめん。待ったか?」

「ううん。私もさっき来たばっかりだからいいわよ」

「ここじゃアレだし…場所を変えよう」

「うん……」

 

 夏の夜。

 蝉の煩い鳴き声と所々ポツンと置かれている街灯の道を二人で歩く。

 三十センチ有るか無いかの距離に互いの体が接近している。いつも三つ編みにしていた髪は、この時だけ手を付けず縛らないままだ。ほんのり香るシャンプーの匂いが鼻に行き、より俺を緊張させた。

 

「あれ…こんな場所に公園があったんだ……」

「丁度いいし、ここにしようか」

「そうね」

 

 一キロと半分ほど歩いた場所に滑り台やシーソーが設置してあるシンプルな公園へと足を踏み入れた。

 夜風が透き通って涼しいな。有名な旅館と言っても隣には大きな山が連なる田舎の場所。ここも人が少なく、最近で遊ばれた形跡は無に等しかった。

 

「ここに座るか」

「!……ここに二人で?」

「そうだけど…なんかマズイか?」

「いえ、そういうわけじゃないけれど……このベンチじゃ体が…」

 

 何年も放置された小さなベンチが置いてあったので座ろうとするが、涼子は顔を赤くしながら渋る。

 多分座る場所が狭いから体が当たるかもしれないって事か……そんなん気にするなよって言いたいけど、それは俺も同感だ。これ作った設計士を殴りたいくらいに小さすぎるぞ。

 

「…やっぱり座ろっか」

「ん…だな」

 

 悩んだ挙げ句、座ることにした俺達二人。

 結局肩と腕が密着してしまい、温かい皮膚の感触が神経を通じて伝わったくる。こんなに敏感な感想する俺ってエロいかなぁ。今宮ほどお茶らけてないから大丈夫だと思うけど…。

 

「…私ね、本当は好きだよ」

 

 座った後の長い沈黙を先に破ったのは涼子。

 とても小さく弱々しい声だけれど、俺の両耳にはしっかりと入った。

 好きって……俺の事は嫌いだって宣言したばかりなのにどうして?そう言い返すのを堪え、そのまま話を聞く。

 

「心の底から、一人の男性として私は一ノ瀬大地が大好き。鈍感な部分もあっておっちょこちょいな面もあるけど、野球に対して誰よりも貪欲に取り組み、女性選手の問題にも必死になって考えてくれた。実践したのは葛西君達だけど…その意志は世間にも伝わり、将来の野球少女にも希望を与えられたんだよ」

「俺が希望を…?」

「昔ね、両親から女の子は野球で男子には絶対勝てないって会話を聞いたことがあるの。いつかは野球を辞めなくちゃならない、だから野球はやっちゃダメなんだって。──だけどそれは間違ってたんだ。男の子も女の子も野球が好きなのに高低は存在しない。お前が野球をして何が悪いんだって、初めて会った時から今日まで、大地君がその事を教えてくれた。男の子には絶対負けないって敵対視してた心が、共にキャッチボールをしてく中で和らいできたの。」

「そうだったのか……」

「うん…だからどんな優しさなんかよりも、大地君が側にいてくれるだけで…私は──」

 

 

 

  ──ガバッ

 

 

 

「ぇあっ……ぇ…!?」

「俺も涼子が…好きだ」

「だいちぃ…くん?」

「ひた向きに頑張る姿とか、光輝くその笑顔とか……涼子の全部が好きだったんだ。あかつき中に行く決心を付けた時よりも前から気になってたんだけど、完全に惹かれたのはそん時だと思う。ただ告白する度胸が無いだけで、もし今日みたいな日が無かったら告白してなかったかもしれない」

 

 ああ、そうだよ。

 俺は川瀬涼子が好きだったんだ。

 友沢や八木沼に鈍感野郎って煽られてからどうしても疑問に思い続けたが、二人はコレを間接的に気付かせようと、アイツらなりに気遣ってくれたんだ。

 

「バッテリー関係なく、俺と付き合ってほしい。こんな俺だけど…良いか?」

 

 抱きついていた一旦外し、お互いの顔と顔が十センチしかない場所で止まって最高の笑顔で──

 

 はい。私で良ければこれからもよろしくね、と、ゆっくり顔を接近させて口と口が触れた。

 

「ん………すっごく甘い香りがした」

「ちょっとー、何匂いを嗅いでるのよ。まぁ大地だから良いけど…」

「呼び捨てで呼んでくれるのか?」

「うん。二人だけの時は、ね」

「そんな顔するとまたやるぞ」

「ええー…思ったより息が続かなくて大変なんだよね…」

「それじゃまた明日にする?」

「もう…分かったわよ。急に積極的になると調子狂うんだから…」

「嫌い?」

「ううん。好き」

 

 スイーツのようにとても甘い二人だけの時間。

 それは心も体も癒す、二人にとって至福の瞬間なのかもしれない。

 俺自身もこのままでは歯止めが利かなくなってしまいかねないので、名残惜しくも腕を離して立ち上がる。

 

「ただし野球ん時はケジメをしっかりつけて取り組むことな。この関係も俺達だけの秘密。誰にも言うなよな」

「うん。分かったわ」

「よし。じゃあ帰るとするか。皆待ってるし」

「バレないように帰らないとね」

「…そうだな」

 

 行きの固さはとうに消え、涼子の右手を取って公園を後にした。

 …これからは涼子とこうして帰ってたり、遊んだりできるとつい考えてしまい、顔がニヤけてしまう。

 だが野球を疎かにするわけにはいかない。最終的な目標は聖タチバナを甲子園に出場させ、日本一を掴むことだからな。

 そして密かにもう一個新たな目標も生まれた──

 

 

  涼子を日本一のピッチャーにさせ、俺達バッテリーの名を世間の頭に刻み込ませてやる、ってな!

 

 

 

 

 

 

    



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第十九話 夏の終わり、次のステージへ…

 長いようで短かった合同合宿も無事終え、それぞれが自分達の学校へ戻っていつも通りの練習に明け暮れていた頃、甲子園では──

 日本一の選手層を誇り、眉村や千石、榎本を順当に県予選でも他を寄せ付けない強さで勝ち上がった神奈川県代表、海堂学園高校。

 多くのメディアで話題を集めた十六歳の若きエース、『猪狩守』率いる高校野球史上最強と名高い埼玉県代表、あかつき大付属高校。

 

 最強の二校が八月十八日、阪神甲子園球場で衝突するのだ。

 

 二校の強みは誰が見ても一目瞭然──投手力。

 海堂は眉村と榎本のダブルエースを皮切りに完全なマニュアル野球で勝ちをもぎ取り、あかつきは本格派の猪狩とプロ注目のエースナンバー、一ノ瀬塔哉による完封劇で甲子園をいかんなく湧かした。

 特に眉村と猪狩へ注目すると、二人はまだ甲子園で自責点をしたことがなく、奪三振数も四十二・四十七と文句なしの成績だ。

 

『決勝は一年生対決!?超新星ピッチャーが頂点を賭けて投げ合う!』

『怪物対怪物 深紅の旗はどちらの手に!?』

 

 どこの新聞社も、恰も二人が投げ合うのでは?と既に決めつけていて、世間側もこの対決を大きく待ち望んでいる声の方が多数存在している。

 スカウト間ではまだ高校一年生の二人を二年後のドラフト会議で一位指名する方針を立てているほど実力も認められ、その中にはあの影山修三もいた。

 

 

 

(七回裏が終わって0対0か…私が予想していた通りの展開だな)

 

 誰の入れ知恵か──なんと先発は猪狩と眉村なのだ。

 そして熱く日照り続くこの球場で、決勝戦も大詰めを迎えようとしている。

 

 

 ──完全なる投手戦。

 

 

 猪狩の被安打は千石のツーベースヒット以外には一本も打たれておらず、眉村は三安打ながらも奪三振数は十六個。猪狩の十一個と五つも差を広げている。

 

『完璧!正しくこの二人に相応しい言葉でしょう!八回の表を迎え、どちらも未だ自責点は0!これは怪物の襲来か!?止まりません!猪狩守、そして眉村健一!!』

 

 

 この日、若き怪物二人の投げ合いを見に甲子園球場に訪れたのはおよそ八万五千人強。

 文字通り、この数字は歴代の甲子園大会過去最大動員誇り、日本がこの怪物に接見するのも時間の問題だった。

 

『二番ショート、大島君』

『八回の表。この回の攻撃は二番の大島から。二年生ながらも榎本や千石と同じくレギュラーに抜擢された注目選手です!確実性の高いヒッティングに多才の小技を持ち合わせる曲者バッターですが、今のところ二打数無安打一三振と良いところがありません。ここで猪狩に一矢報いることができるのか!?』

 

 表が海堂で裏があかつきの攻撃で行われる今日の試合。

 マウンド上、猪狩がグローブ越しで冷ややかにサインへ頷くと、ガバアッ!と大きく足を上げてボールが放り込まれた。

 初球からバットを振るもボールに当たらす、とても百球を超えたピッチャーが投げるストレートとは思えないほどの球威で二宮のミットに収まる。

 

『ストーライッ!!』

『早い!八回を過ぎても一切の衰えを見せません!!なんと球速は自己タイ記録に並ぶ百四十九キロ!!これには大島も当てれません!』

 

 この“百四十九キロ”には、猪狩にしかできない驚くべき凄さがあった。

 本来、ピッチャーは初回から徐々に調子を上げていき、四十球を過ぎた辺りに差し掛かってから自身のMAXスピードを出せるのだ。その後は疲労によって段々と球威やキレが落ち、最終的に完封するのは非常に難しい事である。

 

 

 ──が、時々世界ではその常識を覆す者もいる。

 

 

 

 野球の最高峰『メジャーリーグ』で四十セーブを挙げる守護神や、アメリカの英雄──『ジョー・ギフソン』のように毎年二十勝するピッチャーには投球術以外の所でもトッププロの芸当を魅せるのだ。

 

 

 それは驚異的な尻上がり──

 

 

 簡単に言えば後半に縺れれば縺れてくほど球の球威や切れ味が増してく力で、超一流と呼ばれるピッチャーなら当たり前のように発揮する技でもある。

 が、疲れが出る後半から球威を上げるのはかなり困難な事なのだ。投手の生命線である下半身の踏ん張りを百球以上もキープ、ましてや九回まで投げきるのは近年の野球ではクレイジーと解釈されてしまうのだから。

 その点、眉村と猪狩はどうだろうか?

 腕の振り、腰の回し、脚の支え、リリースポイント、軸のブレ等々……

 どこを重視して評価しても粗さは全く見つからない。寧ろ欠点を述べるのが難しいぐらいだ。

 

『あーっと!?外角低めのスライダーを振らされ、またもや空振り三振です!!どこにこんな力が隠されているのか予測がつきません!!!』

 

 このタイミングを外すスライダー・カーブ・フォークも大きな武器としてピッチングを組み立てている。

ストレートとの緩急差が大きい分、効果は絶大に誇る。

 

『三番レフト、小磯君』

 

 小磯明。

 今年のドラフト会議で指名リストの候補として挙がっている選手だ。

 チャンスに強い典型的なクラッチヒッター。ランナーが得点圏に出ていると打率は五割をマークする恐ろしいまでの勝負師である。

 その彼に対する初球は──インコースのストレート。

 ズドォォンッ!!と豪快な捕球音が響き、主審が右手を上げた。

 

『ストーライッ!!』

 

(ふぅ。速すぎだっつうの……)

 

 バットを肩に掛け、深々と溜め息をつく。

 呼吸を整えて打席に戻ると、間髪入れずに猪狩は自分のリズムで投げ始める。

 クククッと鋭い弧を描き、ドンピシャリでアウトローギリギリにカーブが決まった。

 三球目と四球目は変化球で二度外し、五球目──

 

 

「はあっ!!」

 

 唸り声を上げながら神速の如く左腕が空を切り裂く。

 小磯はストレートだと山を張って打つが、ボールは嘲笑うかのように“ストン”と──

 

『ストラックアウトォ!!!』

 

 選んだ球種は百二十キロのフォークボール。

 結局小磯も歯が立たずに倒れ、速足でベンチへ戻った。

 これで2アウト。

 次のバッターは海堂史上最も最強と呼ばれるスラッガー、千石真人──

 

 

「あまり調子に乗るなよ。一年坊主」

 

 海堂側からすれば猪狩から点を取れるのは千石しかいない。もし彼がいなかったらこの試合の完全試合は免れなかったからだ。

 

「わりぃな千石。お前らのマニュアル野球はここまでだ」

「…なに?」

「今の猪狩はもう……誰にも止めれねぇからな」

 

 バシン!とミットを叩きながら二宮はほくそ笑む。

 女房である自分は誰よりも猪狩のボールをこの左手で捕ってきた。たった数ヵ月ながらも何百、何千とキャッチングをしたからこそ分かる。

 

 

 ──猪狩守から得点を取れる奴はいない、と。

 

 

 

 

 

(…大地。テレビで見ているか?僕は君とこの舞台で戦うその日まで無失点を必ず貫く。だから絶対這い上がれ。“真”の栄光はその時に決めよう)

 

 美しい青空を見上げ、ボールを強く握りしめる。

 旧友であり一番のライバルに向けたメッセージと共に、自己最速記録を塗り返す93マイル(百五十キロ)が放たれた──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏休みも終わり、各地の高校がまたいつもの学校生活へと戻った。

 現在八月二十六日。実は秋期大会へのエントリー期限まで一週間を切っていた忙しい時期なのだが、聖タチバナはある一大決心をしていた。

 

「本当に…良いんですか?」

「はい。皆と話し合った上で決めましたし、それに……あんな試合を見せられては猪狩や眉村に申し訳ないですから」

 

 聖名子先生が残念そうに肩を下ろす。

 話の流れから分かるかもしれないが、その決心とは──秋期大会の出場を辞退することだ。

 ……迷ったよ。少なくとも合宿中までは出場する方向でいた。決めてとなったのは甲子園大会決勝、猪狩と眉村の対決が俺の迷った心を決心させてくれた。

 

「聖タチバナ野球部が復活して約四ヶ月。ここまで皆よく頑張ったと思います。初心者だっている中で海堂二軍と健闘して…合宿でもそれぞれの力は著しいほど伸びてきます。」

 

 これはお世辞じゃなく本心だ。

 ぶっちゃけ、今海堂の二軍とやったら勝つ可能性だって充分ある。パワフル高校や帝王、更には海堂高校にだって余裕勝ちとまではいかないが、それでも良い試合に持ち込めるだろう。

 

「──目覚ましく成長している最中だからこそ、より力を高めたいんですよ。ここで試合に出て今の実力を試すのも悪くはありません。だけど……あくまで僕はこの仲間と一緒に甲子園の舞台で胴上げがしたい!!三年間の間で一度でも良い……この秋冬でじっくり体を作り、チーム力を極限まで高められた時、その時が聖タチバナの初陣なんですから。自分達が挑戦しても良いだろうと本当に納得」

「…つまり、一ノ瀬君はまだ納得してないってことですか?」

「はい。今は悔しいけど…そこさえ乗り切れば来年は海堂の連中に一泡吹かせられるかもしれない。そう信じて今回は辞退という形で決めました」

 

 するとさっきまで疑問に満ちていた聖名子先生の顔が緩んだ。

 あおいちゃんと同じおさげ髪を跳ねさせながら立ち上がった。

 

「分かりました。高野連には私が連絡しておきます。皆の覚悟、確かに受け取りますよ」

「…はい!ありがとうございます!!」 

 

 深々とお辞儀をし、聖名子先生は教室を出てった。

 黄昏時の教室には俺一人のみ。自分の席へ座り、机に肘をついた体制になって改めて物思いにふけてみた。

 敵だってのに熱くさせられたよ、猪狩。

 眉村相手と一歩も譲らない勝負をして、最後は何だかんだで勝っちまうんだからな。延長十一回に七井のサヨナラホームランが飛び出さなかったから、勝敗はまだ分からなかった。眉村は十回途中に交代してたから敗戦投手じゃないし、色んな意味でお前ら化け物だよ。

 

「……負けてらんねーな。俺達も」

 

 なに微々ってんだ俺。その化け物を倒すために聖タチバナに入ったんだろーがよ。

 まだ勝負は始まったばかりだ。来年夏までは心の中だけであかつきを応援してやる。その猶予が消えた瞬間、俺は今度こそ頂点まで登ってやるからな!!首を洗って待ってろよ!!!!

 

 

 

  Continued on the next stage……

 

 

 

 

 

 



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第十九.五話 寿也の決断

 野球との出会い──

 

 それは勉強しかすることのなかった僕にとって、人生そのものを変えた大きな転機だっただろう。

 もし、あのままの人生を生きていたら間違いなく“今の僕”は居ない。

 果たしてその道が正しいかどうかは僕にも分からない。

 

 でも──

 

 僕は吾郎君に出会え、大切な仲間やライバルと野球ができ、心から嬉しく思ってる。

 だからこそ、このメンバーで甲子園を、栄光を、この手に入れたかった……はずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ––––八月二十六日、海堂二軍専用グラウンド。

 

 

「江頭は何て……?」

「……絶望よ。総監督であるお父さんでさえ江頭の方針に介入するのはできないそうよ……」

「それは最悪ね……」

 

 それは僕達が厚木に来てまだ二日目の事だった。

 朝から僕と二軍監督を務める"早乙女静香"監督、兄である"早乙女泰造"トレーナーと田尾さんの四人でなぜか一軍が居る本校まで車を飛ばしていた。

 原因は昨日行われた特待生対夢島組との歓迎試合が発端だ。以前からマニュアルに背くプレイスタイルが問題視されていた吾郎君の処分を巡るいざこざが監督と二人の間で続き、痺れを切らした吾郎君が直接に監督の元へ行って退部を撤回しに抜け出したのだ。

 彼曰く、「絶対マニュアルなんかに屈しない」と強く宣言し続けてきたが、その度に僕はヒヤヒヤされっぱなしだ。江頭さんって言うチーフマネージャーが吾郎君の退部を揉み消したらしいけど、それも吾郎君のスター性を使ったビジネスの為の方針で、正直僕も納得なんてできるわけがない。

 マニュアル野球は今亡き監督達の兄の死を教訓にした、二度と同じ悲劇を生まないように作られた絶対の掟。

 僕だってその話をされた時には同情してしまう部分だってあったし、裏では僕達の事を一番考えてくれた物だったと、心が少し痛い。

 だからこそ、監督は吾郎君を退部させたかったのだろう。

 

「……こうなったらこの事実を全て茂野君に伝えるしかないわね」

 

 思い詰めた表情で車に乗り、静かに厚木へと戻る。

 でもこの事実を本人に伝えたら間違いなく吾郎くんは怒って自主退部してしまうはずだ。そうなっては監督だって責任を持って追われるのは目に見えている。

 後は吾郎君がこの話をどうするかだけど、果たして......。

 

 

 

「……これがあなたを残留させた理由よ」

 

 厚木へ戻ると監督は直ぐに吾郎君を屋上へ呼び、江頭さんが退部を取り消した訳を全部語った。

 まさか自分が商売に肩を貸すなんて考えもつかないだろう。吾郎君は黙って一連の事情を聞いてるが、そのまま黙ってる男ではない。

 チームの広告塔になるくらいじゃ辞めてやる覚悟は前々からあると言ってるんだ。監督だって選手を騙してまで商売に手を貸すなんてしたくないはずだ。

 

「彼はあなたの過去を利用して金儲けを企んでるのよ!彼は……江頭は商売の為に––––––」

 

 

 

 

「別にいいじゃねーか」

「え……?」

「俺は昔の過去に一切負い目なんかねーし、親父は今でも俺の誇りさ。俺の過去話だけでスターになれるならそもそも苦労しないだろ?意図はどうあれ、アイツは俺を評価してくれたんだ。悪くはねぇよ」

「っ、でもっ!マニュアル野球を免除される代わりに江頭の商売に手を貸すのよ!!!それでも悔しくないの!?」

「…………ちょっと待てよ。誰がアイツに手を貸すっつったよ」

「え……!?でもあなたさっき悪くないって…」

「はぁ、あのなぁ、俺は海堂にもスターになるにもハナっから興味ねぇよ。初めから海堂で甲子園に行く気なんざさらさねぇ」

 

 ……どういうことだ?吾郎君は何を言って––––

 

 

 

 

「二軍で力を付けて今の一軍を倒したらとっととここから出てくつもりだからな––––」

「!!?」

「一軍を倒して海堂辞める……?あなた一体何を!!?」

「来年六月にやる一軍と二軍の壮行試合に俺を登板させてくれ。そこで一軍に勝ったら俺は自主退学する。宛てはまだ決めてねぇけどとっちゃんボーヤのあやつり人形にはならねえ」

 

 何を言ってるのか理解できない。

 ここを辞めるだって?

 一軍を倒すだって?

 僕との……僕との約束はどうするんだよ……。一緒に海堂を脅かす存在になって見返そうって、君から約束して来たじゃないか!

 それをまた身勝手な理由で無しにする気なのか!!?

 気がつくと、僕の両拳が怒り任せに強く握られていた。頭の線がプツッと切れた瞬間、僕の自制心は崩れ去った。

 

 

 

  ふざけるなよ……

 

「え?」

「ふざけるなよ!!」

「.くっ!とっ、寿っ!?」

「佐藤君!?」

 

 いつ殴ってもおかしくない勢いで吾郎君の襟を掴み、怒りのあるがまま怒声を飛ばした。

 

「何が海堂を辞めるだよ!!僕は君が海堂で野球をしたいからって言うから来たんじゃないか!!!その前だって三船に行くって言っときながら急に海堂に変えたりして、それでも二人で海堂を乗っ取ろうって言うから信じれば今度は辞めるだって!?冗談も大概にしてよ!!!!」

「寿……お前…………!」

「僕は君と一緒に野球がしたいよ。一緒に甲子園へ出て日本一になりたかった。それだけなのにどうして……どうして裏切るんだよっ!!!!」

「佐藤君落ち着いて。何があったかは知らないけど茂野君が……」

「っ………….くっ!」

 

 監督に宥められ、僕は 掴んでいた手をゆっくり離した。

 吾郎君は申し訳なさそうに僕を見ている。依然として頭に苦手上ってるのは自覚がある。だけどこればかりはもう、限界だ。

 

「もう君の事なんか知ったことじゃない。海堂を出たいんじゃ勝手にしてよ」

「おい寿……ちょっと待てよ寿也!!」

 

 屋上の出入り口をバタン!と力任せに閉め、一切振り向きもせず僕は外へ出てっていった。

 宛なんかあるわけがない。吾郎君に裏切られて胸を締め付ける喪失感と絶望感をとにかく紛らしたい思いだけでひたすら走った。

「くそっ!どうしてっ、いつも僕の周りは…….っ、ううぅ………」

 ダメだ……眼から滲み出る物が止まらない。

 一度涙が出てしまうともう抑えることはできない。親にも裏切られ、親友にも裏切られ、僕は誰を信じれば良いのか分からないから。

(もう僕はどこにも帰りたくない…)

 また裏切られるくらいじゃ居ない方がずっとマシだ。

 やがて木々が多かった厚木から町の方へ出た所で走るのをやめ、感情をなくしたロボットのようにブラブラ歩道を歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね。貴方と佐藤君の間でそんな約束を……」

 

 俺と寿也のやり取りに気にした二人は選択の余地無く監督室へ俺を連れて事情聴取した。

 ここへ来る前に俺と寿で海堂を乗っ取ってやろうと考えたいたのも、ここへ来るまでの長い経緯も何もかも吐いた。

 オカマの兄は話の所々で「茂野君が悪い!」と指しまくるからウザいったらありゃしねぇ。確かに俺がワガママ過ぎたってのが一番だけどよ、俺にだってちゃんと考えがあって海堂を辞めるって決断したんだぜ?頭がキレる寿也なら察しが付くと高を括ってたが、想定外のリアクションにあん時は焦ったな。

 

「茂野君ねー、それはいくら何でもあなたが悪いわよ。あんなにキュートな顔した子でもて遊ぶなんて罪深いにもほどがあるわよ♡」

「もうっ……兄さんは黙ってて頂戴。話が全然進まないでしょ?」

「何よォ!折角二人を心配してたのに〜...」

 

 アンタの場合、心配されたら余計怖くて逆に嫌だっつうの。

 

「–––それで、あなたはこれからどうするの?」

「どうするって……そりゃもう一度寿也に会って話をするに決まってんだろ。まず嘘ついちまったことを謝って俺の胸の内もしっかり告白するよ」

 

 その前に寿の奴を探しに行くのが先決だな。無断でここを飛び出しちまったんだから世話が焼ける奴だ……ってあれ?それは俺も同じか。

 

「全く。今年の新入生は問題児ダラけなんだから…。分かったわ。十九時までに帰って来なさい。もしそれまでに連れてかれなかったら本当に強制退部させるわよ、いいわね?」

 

 へぇ……嫌味な奴だと思ってたけど、案外話が分かってやがるな。海堂の二軍とは言え監督だもんな。その辺は理解してくれて助かるぜ。

 

「あんがとよ。意外に良い人なんだな、アンタって」

「うるさいわね。喋ってる暇があったらとっとと行く!」

「へいへい。行きますよ」

 

 頭をポリポリかじりながら監督室を出て、玄関へ向かう。

 俺の上の下駄箱は寿也の場所となってるがやはり靴がない。本当にどこか消えちまったらしいな…。

 

「しゃーねーな。まだそんなに遠くへ行ってるはずないからとっとと見つけて謝るか」

 見当とつかねぇけど、取り敢えず町に出てみるか?ここから一番近い場所は……相模原が大きいけどさすがにこんな遠くにはなぁ。

(寿じゃありえるかもな.)

 

 狙いを相模原方面に定め、まだ日差しが強く照らさらる残暑の中を走り出した。

 寿、待ってろよ。お前をクビにはさせねぇからよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 佐藤寿也。現在大ピンチに見舞われています。

 勝手に寮を抜け出してしまったのはいいけど、あまりにも無計画過ぎた。神奈川出身とは言え、辺りの町並みが全然見たことのない場所になってきている。

 そう、つまり僕は–––––

 

「完全に迷っちゃったな……」

 ガラにもなく適当にうろちょろしたのがバカだった。しかも携帯は寮の鞄の中だし、時刻は多分夕方の十六時頃だ。早く帰って謝らないと夢島戻りだけじゃ済まされないな。

 

「でも僕が帰った所で吾郎君は……」

 

 どうせ海堂を辞めることには何も変わらない。

 薄々察しはしていた。あの瞬間、吾郎君なら思い切った事を言うのは。だけどさ……!僕達はずっと前から約束したじゃないか!僕が正捕手で吾郎君がエースになって一軍で僕達バッテリーの存在を見せつけてやろうって。その為に僕はお爺ちゃんとお婆ちゃんに無理をしまでて海堂へ入学したんだ!

 それなのに海堂広告塔になるくらいじゃここを出てくのか?

 僕と吾郎君との約束はそんなにも軽い物だったのか?

 冗談じゃない!!だったらどうして僕を誘ってまで海堂に入学したんだよ!!!

 君が何を考えてるか知ったことじゃない。それでも、残る奴の気持ちも考えてやったらどうなんだよ!!!

 

「.…ってあれ?また知らない場所に出ちゃったなぁ」

 どうやら町から数キロ外れた河川敷に出てしまったらしい。

 夕日が目の前に広がって清々しいけど、気持ちは滅入ったままだ。もうむやみに動くのはよした方が良いかもしれない。昼前から走ったり歩いたりしてお腹だって空いてきている。取り敢えず座り良さげな草の上に座り、景色を見てみる。

 

(ははっ、前にも似たような場所で練習してたっけ)

 ふと思い出す数年前の過去。

 あれは確か四年生のリトルリーグの頃。三船ドルフィンズに負けてからよく一人で夜近くまで素振りやランニングをしてた。時間帯が合う日は涼子ちゃんや真島さんと一緒に河川敷でキャッチボールや一打席勝負もした。涼子ちゃんって見た目によらず負けず嫌いだから勝つまでやって大変だったよ。その度夜遅くに帰れば親に叱ら…れ……。

 

(親……か)

 

 あ、 真島さんのお母さんはよく僕達を招待して大好物の唐揚げをご馳走してくれたなぁ。あの味は今でも忘れられないお袋の味……だった。

 涼子ちゃんのお父さんはよく応援に来てくれたなぁ。試合に勝つと選手並みに喜んでて面白かった。アメリカに単身赴任で戻る時も最後まで横浜リトルを応援してくれた。

 それぞれが暖かく見守ってくれる両親がいて、その支えがあってこうして今の自分がいるんだ。

 

  だけど僕は––––

 

 

 

 

 

  ドスンっ!!!!!

「ん……?」

 

 河川敷に響く重苦しい鈍い音。ピストルや大砲のような代物で壁にめがけて撃ったように聞こえた。

 音を頼りに近くの橋の下まで行くと、そこには同い年ぐらいのユニフォームを着た男性が壁に向かってボールを投げていた。

「……ふっ!」

 

 無駄の無い滑らかかつ美しいフォーム。その体勢からオーバースローで繰り出されるその速球は遠くから見ている僕でも興奮させる球だ。帽子から落ちる一筋の汗が夕日の光によって輝き、その男性の綺麗な顔立ちをより引き立てている。

 

(あの人、どこかで見たことが…………!、まさかあのAって文字……!!!)

 

 

「猪狩、守……!」

 

 間違いない。今年の甲子園で眉村と投げ合って優勝投手になったあの猪狩守だ。僕と同じ一年生ながら眉村と同じく次世代の怪物として雑誌やテレビに紹介され、何よりも大地君がずっの目標にしてきた選手。そんな人が何故こんな所で壁当てを……?

 

「…僕に何か用かい?」

「え、あっ、いや!ただ凄いボールを投げるなぁって思ってつい見てたら…」

「どこかの高校から来たスパイか?サインや試合の申し込みなら断るよ。生憎こちらは今不機嫌なんだよ」

「い、いや、別にサインが欲しいわけじゃないよ。偶然音につられて来てみたら猪狩君が投げてたのを見つけたんだ。"一ノ瀬大地"君から君の話は耳にしてたし」

 

 "一ノ瀬大地"の単語が出てきた瞬間、守君は眉をひそめて投げるのを止めた。相当彼の影響力は大きかったらしい。

 

「君、大地の知り合いか何かか?」

「あ、ああ。昔、小学生の時に同じリトルリーグでプレーしてたんだ。それについ最近会ったてきたばかりで…」

「––––その話、詳しく聞かせてくれないか?」

「え……?」

 

 

 

 

 

 

 

「おーい寿!どこ行ったんだー!!」

 

 やべぇよ、マジでやべぇ。約束の時間まであと約三時間だ。相模原の範囲なら結構見たつもりなんだが方向か姿どころか手掛かりさえ掴めてない状況だ。

 

「あと探してない場所は川沿いの河川敷か……」

 

 しゃーねぇ。確率は低いけどそこに賭けてみるか!これで居なかったらもうお手上げだぜ。

 

 

 

 

 

 

 

「ふ、まさかアイツが秋も辞退するとはね……昔から何を考えてるのか分からない奴だ」

「はは、それは昔から僕もたまに感じてたよ」

 

 横浜リトルに在籍した頃の話から数週間前にやった合宿までの話を猪狩君に話した。大地君の話題になると目の色を変えて静かに聞いてくるからどうでもいい話などもついベラベラ喋ってしまったよ。

 気になる人がいるとか、相変わらずな性格、打倒あかつきに燃えてる事も……。

 

「佐藤も海堂ではどうなんだ?君の実力ならもうじき一軍でレギュラーにでもなれるんじゃないか?」

「!……いやぁ、僕なんてまだまだだよ。今だって本当は練習してたんだけど…」

「? 何か問題でもあったのか?」

「………………………………」

「……話してみろ」

「!」

「僕はあんまお人好しじゃないけどアイツの話をしてくれたお礼だ。悩みの一つなら聞いてやるよ」

「……ありがとう。実は––––」

 

 今日起こったこと、昨日の夢島と特待生との歓迎試合、吾郎君との約束、猪狩君は黙って頷きながら愚痴に近い僕の話に付き合ってくれた。

 話せば楽になるって、まさにこの事なんだと改めて感じるよ。

 

「なるほど、約束か……」

 

 ちょっと待ってろ、そう言って立ち上がるとエナメルバックからキャッチャー用のミットを取り出し、投げて僕に渡した。

 

「これは…?」

「そこに立って今から僕の球を受けてみてほしい」

「え!?僕が君の球を!!?」

 

 ちょっと待って!話を聞いてくれるだけなのにどうしてキャッチングをするんだ?しかも猪狩君の目がかなり本気だ…。

 

「今日は神奈川でパワフル高校と練習試合をしに来たんだがね、僕が先発でいながら八対八の引き分けだったんだ。その八点の内、僕は5回六失点で敗戦投手さ」

 

 あの猪狩君が五回六失点?パワフル高校は夏大でもベスト四に位置する強豪校だから接戦さしょうがないとしても、不安定な乱打戦になるのはあかつきらしくない。

 体調や調子が悪かったのか、それとも––––

「キャッチャーさ」

「キャッチャー……」

 

やはりそうか…。

 

「僕には一つ上に二宮先輩って言う正捕手が居てね、その人が夏の期間中僕の球を捕ってくれた数少ないキャッチャーであったんだ。 だけど今日の試合は一年生のみで編成されたメンバーで試合をすることになっててね、あまり言いたくなかったけどそのキャッチャーが......」

「リードやキャッチングが不十分、ってことかな?」

「……君は結構物事をズバズバ言うタイプだね」

「うん……でもその気持ち、僕の相手とよく似てるからなんとなく分かるよ」

 

 吾郎君のジャイロボールが僕しか捕れないのと同じに、猪狩君も同年代のチームメイトで自分のボールを受けてくれるまともなキャッチャーが居ないんだ。あの百五十近いストレートとキレ味抜群の変化球は並大抵の人じゃ捕れないのも無理ない。

 

「……分かったよ。二、三球なら捕ってもいいよ」

 

 でも心のどこかで密かな好奇心のような気持ちが湧いている。

 高校史上最強左腕と既に名高い大エースの球を捕れるんだ。この機会を逃せば二度と巡り合えない......そんな気がしたから。

 

「よし……じゃあいくぞ。絶対逸らさないでくれよ」

 念を込めて釘を打ち、猪狩君が投球動作へと入る。

 集中しろ。目の前に立つのは吾郎君と同等の力量を持つピッチャー。全神経をこの腕と左手に集め、視力を極限まで研ぎ澄ますんだーー

 

「っらあっ!!!!!」

 

 右打者側からだとインコース低め、左打者ならアウトローの絶妙なコース。球種はおそらくストレートだが吾郎君のジャイロに比べればそこまでスピードは無い。ただ……

 

(!?、なんだこれは!!?)

 

 ベース手前付近にボールが近づくとボールが急激に伸び、いや、正確には"浮き上がってきた"のだ。プロ野球で有名な豪腕投手などが例えられる『火の玉ストレート』のように、異質なキレとノビとポップの三つを重ね合わせてミットに迫ってきた。

 

(見失うな!この高さなら、ここだ!!)

 

 突然のポップに一瞬戸惑うが、そんなのは捕れないキャッチャーこ言い訳。ストライクゾーンならどこへ飛んで来てもキャッチする、それが投手の相棒、捕手だ。

 

 

  ッバァアアンッッ!!!!!!

 

 

 

 何とか捕球に成功するも、ミットを突き破って貫通させる錯覚に突然襲われた。

 いっつ…………なんだこのボールは?吾郎君のジャイロとはまた違うストレートだ。

 直接的なスピードや重さは無いが、捕った後も身体の芯に爪痕を残し、ライズボールに近い不可思議なホップ具合。これまで何千何万受けてきて初めての経験だ。

 

(僕のウイニングショットをたった一発で見極めてキャッチするとは…………ふ、面白い奴だ)

 ニッ、と不敵な笑みを見せながら猪狩君が近づいてくる。

 まさか僕のキャッチングに不満があったのか?クールなイメージが強いから頰を上につらせて笑われると逆に不安だよ。

 やがて僕達が一メートル半の距離に近づいた瞬間、僕の頭を真っ白にさせる衝撃の一言を彼は放った。

 

「–––––––佐藤寿也。あかつきに来て僕とバッテリーを組まないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁっ、はあっ……みっつかんねぇーなー…」

 

 もうどこに出ちまったか分かんねぇとこまで来ちまったぜ。女監督は十九時までとか言ってたが、多分もう間に合わんな。仕方ないがこの河川敷にを見回って寿也が発見できなかったら一旦寮へ戻ろう。このままじゃ埒が明かないしよ。

 

「……ん、あれ寿か?」

 もう諦めかけたその時だ。

 河川敷の橋の下で親密な会話をしている二人組の男の姿を見つけた。キャッチャーミットを持ってる方が寿で、もう片方は見たことあるような顔だが……誰だっけ? 確か有名な選手かなんかだった気がするが……まぁいいや。寿さえ見つかれば俺としては安心だからな。

 

「おーい!!寿ー!」

「ん……ごっ、吾郎君?!どうしてここに……」」

「どうしてってお前……寮に連れて帰りに来た以外にあるかよ。 ……嘘だよ。さっきは悪かったって謝りたくてな……その、ゴメンな」

「……頭を上げてよ。僕の方こそ勝手な友情を君に押し付けてしまったんだから」

「いや……下手に勝手じゃねーよ。それを言えば俺の方が–––––––」

「違うんだ––––!」

「…………ちがう?」

「実はね.……一つ先の未来まで立ち止まらない姿を見て、そして猪狩君の熱い意志を貰って、僕は決めたよ」

 

 俺が「何を決めた?」と問いかける前に、寿は先に答えを言った。

 

「僕も海堂を辞めてあかつきへ行くよ!そこで君と大地君を倒して日本一になってみせる!!」

 

 決意を込め、寿が言う。

 …お前がどういう意図で海堂を辞めるかは知らねぇけど、少なからずお前の熱い思い、確かに伝わったよ。

 

「…………そうか」

「あれ?意外にリアクションが薄いね。君ならもっと驚くと思ってたんだけど……」

「男のケジメにとやかく言う筋合いはねーからな。寧ろお前があの猪狩守だったのに驚いたよ」

「……僕は今のキャッチャーに不満を抱いているだけで佐藤を引き抜こうとしたわけじゃない。君と二人の関係を聞かせてもらってからどうも他人な気がしなくてね……それに最終的な決断をしたのは彼だ。僕はあくまで提案しただけに過ぎないさ」

「分かってるっつうの。少し寂しいけど、引留めはしねぇよ。寿もそれで良いんだろ?」

「うん。心と身の回りの整理がついたら直ぐにでも寮を出るよ。君は来年の壮行試合まで居るんだろう? 大丈夫、四月には僕よりも凄腕のキャッチャーが入部してくるんだから」

「寿よりも凄腕のキャッチャー?」

「それは来年になってからのお楽しみ。さ!、そろそろ帰ろっか!」

「ちょっと待てよ!そのキャッチャーって––––」

「僕が厚木まで送ってあげるよ。早く帰らないと叱られるだろ?」

「うん。ありがとね」

「っておい!俺の話を聞けよ!!!!!」

 

 くそっ、すっかりパートナー気分でいやがるぜ。

 それにしてもあの寿がここまで自分の意向を通そうとするなんて......あの猪狩って奴、何を吹き込みやがったよ。

(……寂しい、か)

 

 なんかよー、今ならアイツの気持ちが分かるかもしれないな。

 それまで慣れ親しんだ相棒と別れるのって、案外胸に来る物があるってな。

 

「吾郎君ー!早く乗らないと置いてくよ!!」

「ん、分かってるって」

 でもよ、乾いた気持ちなんて直ぐに消し飛ぶさ。

 俺が海堂の一軍をぶっ倒し、寿や猪狩や一ノ瀬と言った奴等も倒して日本一になれば良いだけだからな。残るのは後悔じゃない。これから先に待ってる熱い勝負への狂熱だからな!

 

 

 

 

 

 

 

「本当に後悔ないのね?」

「ええ。短い間でしたが、お二人にはお世話になりました」

 

 九月中旬のある日。

 寿也は監督室に退学届を提出して海堂を去った。

 家庭の事情で今更編入する余裕なんて無かった寿だったが、猪狩は特待生枠として迎えることによって授業料を免除させたので経済的な問題はあっさり解決して編入した。当然、両親にはこの事を話したらしいが二人も寿の気持ちを尊重して編入を許可を得してくれたらしい。

そして俺はと言うと–––––––

 

「若造!そんな力で一軍やあかつきを倒そうなんて百年早いわよ!!」

 こうしてオカマのしごきを受けながら以前よりも練習に没頭して取り組むようになった。

 ってか横から気持ち悪い顔のオッサンがうるせえからイライラするが、指導は悪くねぇから文句言えないんだよな。

 この兄弟も死んだ兄の志を俺に重ねて見てるらしいが、悪い気はしなかったな。

 

(来年は俺達どうなってんだろうな? 寿に代わるキャッチャーもどんな奴か気になるしよ……)

 

 ま、迷惑かけんように鍛えるつもりだが、寿よりも下手な奴だったら承知しねぇからな。

 なぜならこれ以上俺は立ち止まれねぇんだ。初対面時は知らなかったが隣にいた奴があの猪狩なんだからよ。

 何倍も何十倍も努力しなきゃ勝てる相手じゃないのは充分承知。

 あ来年、再来年にどちらが泣いてどちらが笑うか。マウンドの上で白黒付けてやるぜ!!!

 

 



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高校第二学年編 
第二十話 新たな仲間


  十一月下旬。

 それは全国の中学三年生達が一斉に次の進路へとスタートし始める時期でもあり、人生の中で自分の将来を左右するターニングポイントでもあるだろう。

 ここ神奈川県では高校野球間でチーフスカウト達の熾烈な獲得競争が今年も恒例行事のように行われ、こぞって名のある選手が海堂・帝王のどちらか一方に流れていた。

 

「……このレポートは本物か?」

 

 そんな中、先に動きを見せたのは海堂高校だ。

 その日ピックアップしてきた選手達を上層部か最終確認をする日であったが、眼鏡をかけたやり手の男は提出されたレポートに疑いの念を持っていた。

 

「はい!私もこのレポートを見たときは何かの間違いだと思ってましたが、どうやら彼自身も入学を強く希望しているそうなんですよ!!」

「ほう……それは大手柄だな、名倉」

 

 レポートを見ながら男はご満悦な表情で喜ぶ。

 正直言って、この選手はある意味海堂高校へ来るなど全く無縁の人物だと半ば諦めていた。

 中学野球で優勝経験は勿論のこと、卓越したバッティング力とリードを持ち、スローイングやキャッチング力もハイレベル、おまけに強靭なメンタルや"兄"譲りの甘いマスクで高校入学前から注目を集めているまさに眉村と並ぶ金の卵だ。

 これで大貫が強く推薦していた佐藤寿也に代わる次世代の正捕手候補を手にする事ができた。彼なら確実に米倉や今の一軍捕手を超える存在になるだろう。

 ふふふ……これからが非常に楽しみだ。

 

(君には期待しているよ。 元あかつき大附属中学校出身、"猪狩 進"君––––)

 

 

 

 

         –––––– Second stage 〜逆襲編〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四月。

 早くも入学してから一年が過ぎた。秋にデビューするはずだったタチバナは遠回りしながら地道に力を付けていく方を結局選び、その間に神奈川情勢も大きく進展していた。

 一番大きかったのは春見率いる恋恋高校の快進撃。恋恋はこの秋季大会が公式戦初デビューにもかかわらず初戦から破竹の勢いで勝ち上がり、結果はなんとベスト8の好成績。秋は上位二校までがセンバツに選ばれるため初出場で甲子園行きの偉業は達成できなかったものの、創設してたった数ヶ月の期間でその場所を射程距離に捉えたのだから否応でも神奈川全体から注目が集まった。要するに、恋恋高校はある意味で今大会一の主役であった訳だ。

 そして選ばれた二校は海堂が優勝、残り一枠は東條のサヨナラスリーランで帝王に劇的な勝利を収めたパワフル高校が何十年ぶりかに甲子園の土を踏んだ。

 –––––––ま、それでも"アイツ"がいる限り優勝は無理だったけどな、

 

「あーあ。相変わらず話長かったな、あの爺」

「お前も話を聞くときくらいは静かにしてろ。俺まで怒られるだろ?」

「え〜、そんな固いこと言うなよ友沢。お前だってあの爺は嫌いだろ?」

「俺は別に……いや、そうだな」

「お前もかよ!」

「うるせーな。新学期早々俺の耳元で声を上げるな」

「へいへい。相変わらず手厳しい奴なこと。これだから女が近よんないんだよ」

「……お前、後で体育館裏に来い」

「嘘嘘嘘!!そんな俺を殺す目で見るなよ!!!」

 

 始業式を終え、その後は玄関前に張り出されていたクラス替えの用紙でそれぞれの教室へと移って担任の話などを聞きいた。

 それにしても、今宮&友沢の掛け合いにも随分見慣れたもんだな。練習試合では鉄壁の二遊間ばりの活躍をしてくれるタチバナきっての名コンビなのに、普段の生活だとこんな感じで名じゃなく"迷"コンビになっちまうんだよな。

 あ、ちなみに俺と同じC組のメンバーは友沢・今宮・涼子・原の四人だ。

 

「また一緒のクラスになれて良かったわね」

「ん……ああ、だな。ってあれ?今日髪型変えてきた?」

「今日から新学期が始まるから思い切ってポニーテールにしてみたの。どう?似合ってる……かな?」

 

 いつもの三つ編みではなく今日は後ろで結んだポニーテール。

 可愛らしさを残しつつも大人っぽさが増してこれはこれで……うん、良いな。

 

「超似合ってるよ。目を合わせると恥ずかしいぐらいにね」

「本当に!? 良かった〜。似合ってるか不安だったから安心したわ。ありがとう大地♪」

「お、おお……そいつはどーも…」

 

 くっそ。性別が異なるとは言え、同じ人間なのにどうしてこんなに可愛いんだよ…!しかも距離が近いから心臓バックバクなんすけど……。

 はぁ……こんな感じで付き合い始めたのはいいものの、恋愛初心者の俺は何をすればいいのか全然分からず、こうして涼子に振り回されてばっかの日々を過ごしていた。デートも何回かしたけど誘ってくるのはいつも涼子からで、全くと言って良いほど俺は奥手であった。

 どうしてなんだろうな。野球のリードや学校の勉強なら飲み込みは早い方なのに、プライベートな話になるとヘタレになっちまうのは……。最近密かに悩んでることなんだよな。

 

「あ、そやそや。一ノ瀬は新入生の事は聞いたかいな?」

「新入生? ああ、確か二人入ってくるんだよな?」

「そや。詳しいことはみずきさんしか分からんが、相当腕の立つ奴等が来るらしいで」

「腕の立つ奴等? 一体誰なんだろう……??」

「ふ、仕方ねぇ。この俺がビシビシ鍛えて強くしてやるか!」

「……逆にお前が教えられる立場にならなきゃ良いけどな」

「う、うるせぇ!天才のお前に言われると余計腹立つわ!」

「やれやれ……こんなんで俺達大丈夫なんだろうか……?」

「ちょっと心配ね……」

「ワイもや…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新学期初日もあり、授業は半日で終わった。

 放課後と同時に様々な部が玄関前や一年生の教室の前で勧誘し、時期部員の取り合いをしていた。俺達も絵が上手い今宮に任せてポスターを作成したり、できる範囲呼びかけたりしているが、入部してくれる気配は一向に無かった。まだ野球部が復活してから一年しかたってないし、何よりも公式戦での戦歴が一つもないのでまず経験者が入ってくれるの難しいと皆も感じてた。

 

「こんにちは!!」

 

 そんな中、みずきちゃんが言ってた新入部員がついに来てくれた。

 一人はガタイの良い坊主頭の高身長。見た目からして熱血漢溢れる熱いタイプで、もう一人は雰囲気が友沢に近いおとなしめでクールなイメージの選手だ。

 

「……来たか」

「よし。二年生は八木沼中心にアップを済ませておいて。それまで新入生は俺が見とくから」

「了解」

「ん。 じゃあ一年生二人!着替えは中学ん時ので良いからそこの部室で着替えちゃって。終わったら皆で挨拶するから」

「はい!!」

「……分かりました」

 

 使い古したエナメルバックに高一とは思えない引き締まった体。間違いない。この二人は野球経験者で、それもそこそこ名前の知れたチームの出身だろう。特にあのノッポは背が高いだけでなくそれに見合った筋肉量を付けてきてやがる。おそらく上から振り下ろす速球派投手か、あるいはパワーのある長距離ヒッターのどっちかだろう。もう一方の奴も背はやや低めだけど左手に多量のマメやタコがあった。上がるずっと前から相当なトレーニングを積んできたんだろう。ま、どちらにせよ既に期待感は持てる新入生だってことは分かったぜ。

 

「よーし。そんじゃ全員集合ー!!」

 

 一年生達も着替え終わったからまずはスタートのケジメをつける為、軽く挨拶からすることに。

 

「一年生の皆、と言っても二人しか居ないけど…貴重な仮入部の期間に野球部へ足を運んでくれてありがとう。俺の名前は一ノ瀬大地。一応この部の主将を努めてる者だ。見ての通り、ウチはどの学校と比べても圧倒的に選手層が薄い。たか今年は運が良いことに公式戦初デビューの年でもあるんだ。 ここで二人が他の二年生よりもベストなパフォーマンスができればレギュラーとしての起用も考えるつもりだ」

「え……それって俺達一年にも四番を奪える可能性があるってことっすか!?」

「察しがいいな。確か名前は……"大島 誠也"と"東出 俊"と言ったか。実戦で結果を残せたら一年生だろうと俺は平等にレギュラーを検討するつもりだ。例えば大島が友沢や俺よりもホームランを打つんじゃそれ相応の起用をするし、東出も例外じゃない。あくまで俺達の目標は神奈川No.1、そして甲子園優勝だ。その覚悟と競争心、そしてチーム力を高く持って夏に向けて鍛えてほしい。そうすれば自ずと結果はついてくるはずだ。皆、いいな?」

『はい!!!』

「よし。それじゃあ順番狂っちまったけど全員で改めて自己紹介をして、終わったら早速練習に入るぞ」

「まずは俺から言っとくか。俺は八木沼隼人。このチームの––––」

 

 八木沼から自己紹介をし、数分で二年全員の自己紹介は終わった。

 

「帝王実業中学出身の大島誠也っす!!ポジションはサードを守ってました!目標はチームで四番を打つこと。これからご指導のほど、よろしくお願いします!!」

 

 四番––––

 その言葉に友沢がむっと眉をひそめた。そういや大島は帝王出身って言ってたな。友沢と今宮は妙に知ってそうな顔だったし、どんなプレイスタイルかはアイツらに聞いてみるとするか。

 

「……東出俊です。ピッチャーと外野の二刀流で、前は横浜シニアでプレイしてました。八木沼先輩と川瀬先輩を超えるつもりなんで覚悟していて下さい。」

「!、なるほど……相変わらずお前は変わってないな」

「はは……私も負けてられないなぁ」

 

 すげえクールを装ってるけどお前らも分かりやすく顔に出てるぞ。涼子にいたっては右拳を思い切り握っちゃってるし……。

 でもまぁ、先輩後輩関係なくチーム内で切磋琢磨し合って自身を磨くってのも上手くなる為に必要な要素だから良い傾向だな。これから新メンバーを迎え、どんな体制で夏を戦い抜くかますます楽しみになってきたぜ。

 ––––エースを誰にするか。

 ––––どの守備位置に固定させるか。

 ––––誰が打線の中軸を打つか。

 そして––––––––誰か一番成長するか。

 考えることは山積みだがその分期待度や戦力は強豪にも負けないほど大きいと俺は思う。

 海堂、帝王、パワフル、恋恋。

 今年はお前らの思惑通りにはいかないからな。今に見てろよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……なぁ俊、ここって本当に弱小校だよな……?それにしては帝王以上にキツくねぇ、か…?」

「……そんな程度で弱気になるな。これぐらい……ふぅ、普通だ」

 

 大島誠也と東出俊。

 この二人は幼稚園からの腐れ縁にして、一番のライバルであり親友だった。

 同じ地区の小学校に入学すると、大島は大好きだった野球へ身を投じ、その影響を受けて東出も直ぐに野球を始めるようになったのだ。

 高身長と持ち味の怪力を持つスラッガータイプの大島。

 内外野の守備をそつなくこなし、投手としても才能か光る東出。

 入部したチームはその地区No.1と呼び名高い強豪リトルにもかかわらず、まだ一年生だった頃から生まれ持った才能の片鱗を見せ、三年生で既に正レギュラーの座を獲得。六年生の最後の大会では念願の全国大会出場も成し遂げるなど、中・高から早くも将来を期待される選手の一人へと著しく成長していった。

 お互い横浜シニアと帝王シニアへ進んだにも関わらず、選んだ高校は指導者も実績もない無名の聖タチバナ学園。だが、二人にはある決意のもとでこの地を選んだのだ。

 それは中学三年の秋。かつての先輩達がここ聖タチバナで野球部を復活させ、中にはあの猪狩守が認めた敏腕キャッチャー、一ノ瀬大地も在籍し、当時初めて知った二人には大きな衝撃を与えた。

 そして、恋恋高校の秋季大会での快進撃––––。

 無名校から這い上がろうとする強靭なハングリー精神。どこまで自分達の力が通用するのか強敵に対する熱い挑戦心。

 あっという間に心を動かされた大島と東出はかつての先輩達の元で自分達も這い上がってやろうと覚悟を決め、あらゆる推薦を蹴ってタチバナへ入学した。まるで一ノ瀬大地や葛西春見がした道を辿るように……。

 

「大丈夫か?」

「……八木沼先輩」

「初日からこのアップはまだキツイだろうな。俺らだって最初はお前らと同じだったんだ。そう気を落とすなよ」

「とーぜんッスよ!なんせ俺はこのチームを日本一に導く男なんすから!!今に見てて下さいよ!!」

「ふん……まだ大した事もしてないのに大口を叩くな。一ノ瀬先輩達がやってきた事と比べれば俺らなんて全然まだまだだ」

「あ?だったらこれから大した事をすりゃ良いだけの話だろ?いちいち後ろ向きな発言は止めろよ。これで足でも引っ張ったら承知しないからな!」

「んだと?!お前……いい加減に––––!」

「おい、そこまでにしろ!大口を叩くのも叩かないのも俺はどっちでもいいが、喧嘩してる暇があったら体を動かせ」

「っ……すいませんでした!」

「……すいません」

「全く……まぁ喧嘩するほど仲が良いとは言うが、お前らはその言葉どおりのコンビかもな。一ノ瀬が期待してる訳が少し分かった気がしたよ…………あ、そうだ。呼吸整えたらお前らの実力を計るちょっとしたテストをやるからな」

「「テスト?」」

 

 困惑そうに考える二人。すると後ろから一ノ瀬が来て続けた。

 

「ようはお前らの覚悟を見せてもらおうって訳さ」

「……覚悟?」

 

 東出が疑問を問いかけた。

 

「夏のレギュラーは実力は勿論の事、チームの為に全力を尽くせるか精神面でも俺はチェックするつもりなんだ。いくら野球が上手でも心がモロい奴じゃ直ぐリタイアしちまうし、逆に心がだけが強い奴も俺は使うつもりはない。その双方で両立してパフォーマンスできる選手かどうか、今の喧嘩を見てたら見込みのありそうな感じだから特別にチャンスをやろうと考えてる」

「俺達が……」

「おう。ただしやるからにはどんな難しい要求にも答えてもらう必要はあるし、ダメだと判断したら俺は容赦無くメンバーから外すからな。嫌なら今のうちに辞退しとけよ」

 

 半ば脅し気味の口調で一ノ瀬は胸の内を語った。

 聖タチバナ野球部は何一つ実績が無す、登録人数も他校と比べてかなり少ない。それでも選手一人一人の力は甲子園でもやっていけるだけな力と度胸を持つ、謂わゆる少数精鋭の体勢で今のタチバナがある。その中でレギュラーを勝ち取るには友沢や川瀬を始めとする精鋭よりも上へ行かなければならない。

 それまでの道は海堂や帝王でレギュラーを勝ち取るのとさほど大差はない。大島と東出が連中にどれだけ食らいついて張り合えるか、一ノ瀬はそれが見たいのだ。

 

「……やります。ここで結果を残してレギュラを勝ち取ってやりますよ!!」

「無論、俺も乗ります」

「ふ、そう言うと思ったぜ。大島は川瀬と……そうだな、三打席勝負してもらおうか。東出は投手としての能力をチェックする。友沢と聖ちゃんが相手になる。準備が出来次第始めるから気を引き締めてかかれよ」

「うっす!!」

「……分かりました」

「その意気だ。 じゃあ先に準備して待ってるからな。八木沼、審判の方を頼む」

「ん、了解」

 

 ––––二人の顔つきが変わった。

 結果を残せばレギュラー。残さなければベンチ。

 分かりやすく、いかにも一ノ瀬らしい采配だ。そうこなくっちゃ面白くないと、互いの目を見て強く感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「準備はできたか?」

「うっす!まずは俺から行きますよ!!」

「……そうか。 涼子!相手が一つ下でも手は抜くなよ!!全部三振に取るつもりで投げろよ」

「分かってるわ。そうじゃなきゃ大島君の為にならないわ」

「へっ、臨むとこっすよ!! それじゃあ……っしゃす!!!」

 

 涼子の様子を一瞬見て、威勢のよい返事で大島が右打席に入る。

 重心を低くスタンスを広げてどっしりと構え、バットは神主に近い形で高く立てた。

 

(パワーは間違いなくありそうだな……)

 

 友沢と今宮から聞いた話によると、大島は俺たちよりもパワーヒッター向きの体を持って生まれた"天性のアーチスト"と呼ばれてたらしい。

 重心をここまで低くするには柔らかな股関節、お尻と背中の筋肉、体の軸を保つ体幹力が必要不可欠だが、それらをすべて持っているバッターはそう簡単に居ない。しかもミートする瞬間の体の角度もキャッチャー向きに傾いているから遠くにボールを運べ、スイングスピードも一級品の物を持っている。

 もしかすると俺らから四番の座を奪うのはあり得る話かもしれないと、友沢が恐れているほどだ。

 

(まずは外角低めのストレートだ。最高の球で一年をビビらせてやろう)

 

 この一年、涼子も徹底的に下半身を鍛えまくった。試合後半になってくると投球の際の足元が安定せず、失投が多いと感じた。

 その為、冬は体力トレ以外にも体幹強化や柔軟性のアップにも力を入れた。本人曰く「少しずつだけど以前よりも投げやすくなった」と実感しているらしい。練習に対して効果を実感してくるのは、キャプテンの俺にとって、またはバッテリーである俺にとってどちらも嬉しい限りだぜ。

 場面は戻り、涼子がプレートを踏んで振りかぶる。

 新二年生にとってはすっかり見慣れたギブソンのフォームから外角低めいっぱいの良いコースにボールが収まった。

 

「ストライクだ」

「……一ノ瀬先輩。このフォームって…」

「まぁ、そういうことだ」

「マジっすか。まさか大リーガーの投球スタイルで投げるとは……こりゃ侮れませんね」

 

 大きく深呼吸をして集中し直す。

 目付きがより鋭くなったな。どうやらただの熱血バカって訳じゃないらしい。背後から『必ず打ってやるぞ』のオーラがビシビシ伝わってくるぜ。

 サインを出して涼子が頷く。

 俺が選んだ球種は低めのカーブ。ボール一個分ほど外れる場所にミットを構えた。

 

「……ボール」

 

 若干八木沼が迷ったが判定はボール。さすがこのチームの一番バッター。今のはよく見たな。

 三球目はインハイのストレートで一球外して1-2。

 よし。四球目はムービングファストでストライクを取りに行って最後はVスライダーで三振にさせる。ムービングならバットに当てられても初見でジャストさせるのは厳しい。しかもこの二球種は中学野球じゃお目にかけない変化球だ。そう簡単にバットへ当たらないはずだ。

 サインを受け取って右腕を振るう。

 ボールは不規則に揺れて僅かに落ちた。内角寄りのやや甘いコース。それを大島は躊躇なくフルスイングし、ギィン!と鈍い音を響かせた。

 打球は大きな外野フライ。これは打ち取っ…………ん……!?

 

「! おい……これは…?」

(え? まさか……!)

 

 全員が打球の行く方向を眺めている。

 誰もが芯を外して打ち取ったと思ったはず。それなのに打球は衰えを知らずにグングンとレフトのフェンスに伸びて………

 

 

「よっと!」

 

 

 レフト岩本がフェンス際でジャンプをし、なんとか捕球してくれた。

 結果はレフトフライでアウトとなったが……それにしても"なぜあそこまでボールを運べた"んだ? 確かに芯はずらしたはずなのに……。勝ったってのに涼子の顔は悔しさで満ちてるし、俺自身も素直に喜べない気持ちだ。

 

「芯は外してたわよね?」

「ちゃんと外してたはずだ。音だって快音とは程遠い響きだったしな」

「それをフェンスまで飛ばすなんて…… もしかするとパワーだけなら友沢君や大地よりもあるんじゃないかしら?」

「……かもな。帝王で四番を打ってただけのことはあるらしい。次打席からはVスライダーも織り交ぜながら組み立てるぞ」

「ええ。分かったわ」

 

 大島誠也の噂は昨年から耳にはしていた。

 怪我で前線を離れた友沢に代わって帝王シニアで四番を張るようになり、本塁打数・打点・長打率は全国でもトップ10に入る実力者だ。

 とにかくバッティングに関しては今の所文句無しの力だが、エラー率が高い欠点も同時に持っている。肩が良いらしいからサードに定着してたって話だが、レフト方向の打球は試合の中で必ず一本は飛んでくる。大島をサードスタメンで使うなら、真っ先に守備力を上げるのが先決になってくる。

 

「惜しかったな。悪くなかったぞ」

「完璧に捉えたと思ったんすけど変にずれちゃいましたよ。さっきのボールでツーシーム系かなんかですかね?」

「あながち間違いではないな。答えはムービングファストボールだ」

「えっ?あの人ムービングファストも投げれるんすか!? どうりでフェンスを越えなかった訳だ……」

 

 なるほど……ストレートだったらホームランにできたってことか。

 こいつはますます面白い選手だ。明日から、いや今日から真剣に四番を誰にするか考え直す必要性があるな。

 続く二打席目は粘りに粘った七球目のVスライダーで三振。三打席目はカーブを真芯で捉えて強い打球を放つもライナーが友沢ほ真正面に飛んでアウトとなった。

 

「くっそ〜! 結局一本も打てなかった! 川瀬先輩のピッチングがすげぇんだよなぁ。ボールは伸びてくるしコントロールや変化球のキレも抜群。これはエースナンバーに相応しい人っすよ」

「いや、お前も十分見せてもらった。まだ守備位置をどうするかまでは決めてないがレギュラーの方向性で起用を考えようと思う」

「ま、マジッすか!? でも俺、一本も打ててないんすけど……」

「大島。お前らはまだ一年生の最初だ。焦らなくても地道にしっかりと力を付けていけば今よりもっと伸びるはずだ。だから頑張れよ」

「はい!!ありがとうございます!!」

「よし。次は……東出! 勿論行けるよな?」

「……ええ。肩も作ったんで大丈夫です」

「分かった。聖ちゃん、それに友沢。手加減はしなくていい。人思いにホームランを打つつもりでやってくれ」

「いきなりホームランは厳しいが…手は抜かないで行こう」

「久々の実践練習だからな。ま、やってやるさ」

 

 さてと。ここで一区切りが付いて次は東出だな。アイツは投打両方のポジションをこなすことのできる稀な二刀流選手だが、今回はピッチャーとしての実力をチェックする。ウチはピッチャー三人と数だけで見ればさほど困ることはないが、夏は少なくても一ヶ月、甲子園に行けば二ヶ月も戦わなければならない。そうなればピッチャーに降りかかる疲労が倍以上の物になっちまう。その負担を考えれば、自然と東出にはピッチャーをやってもらう場面は少なくない。

 

「サインはどうする?」

「さっきまで誠也の打席を見てたんですけど、あの時出してたサインと同じでいいです」

「…同じなのか?」

「いえ。"完全に"同じってわけじゃないですよ。あと、コレも投げれるんで……」

「!……捕れるか分からんが最善は尽くそう。ビビらずしっかり抑えていくぞ」

「了解しました」

 

 大島といい、東出といい、今年はとんでもない奴等が揃ったもんだ。球種だけで判断したらエースは……いや、今はよそう。まだ決め付けるには早過ぎるからな。

 

「よろしく頼む」

 

 一礼して聖ちゃんが立つ。

 彼女も一年の間で大きく成長してくれた。持ち前の"超集中打法"は油断できない存在だぜ。

 

「––––プレイ!」

 

 さてさて。ここらはリードに集中だ。

 まずは変化球で出方を見てみるか。球種は……コレでいくぞ。

 グローブ越しから東出がコクリと頷き、投球動作に入る。動きに一切の無駄が無い基本に充実なオーバースロー。そこから放たれるボールを聖ちゃんは珍しく初球から振りに行った。が、途中でスイングを止めた。

 

「ボール」

 

 む。低めギリギリの良いコースだったんだが…仕方ないな。

 ちなみに俺が選んだ球種は–––––––カーブ。

 変化量は涼子より若干劣ってるが、着眼点はそこじゃない。

 

「……速いな」

「確かにね。涼子のストレートとほぼ同じ……120後半ぐらいは出てたよ」

 

 聖ちゃんが驚くほどのスピード。カーブにして130km/h近い速度を出せる選手ってプロじゃ日常茶飯事かもしれないが、高校野球じゃ稀に見る希少類だ。ん……まてよ。カープでここまで速いとなればストレートはどうなるんだ? まさか茂野より速いとかはないよな? もしそうだったら確実に化け物レベルだぞ。

 

(物は試しだ。インコースにストレート)

 

 ストレートのサインを出して内側に構える。

 要求した所より真ん中気味のボールになってしまったが、これも勢い良くミットに収まった。

 

「ストレートも速いな」

「うん……だってメーターは141Km/hって出てるもん」

「なるほどな……。お前もうかうかしてると東出からレギュラーの座を取られんじゃないか?」

「う……うるさい! アンタこそ三振でもしてきたら大島君から四番を降ろされるわよ!!」

「ふん。負けないさ。この勝負にも、大島にもな」

 

 聖ちゃんが四球目のボールを綺麗におっつけて打つも、今宮の好プレーで捕殺されてセカンドゴロ。

 打たされたのは涼子と同じ"ムービングファストボール,だった。

 

 

  あの時出してたサインと同じでいいです––––

 

 

 ストレート、カーブ、ムービングファスト、Vスライダー。

 コントロールと変化のキレこそ涼子より劣るものの、球威では遥かに上だ。

 目標にしてたのか。それとも東出もギブソンに憧れを抱いていたかは知らないが、殆どが同じ球種ってのもまた奇跡的な巡り合わせらしいな。

 そして東出のウイニングショット……打者のタイミングを完璧に外すのに理想とされる"チェンジアップ"を武器に、涼子・みずきちゃん・宇津率いる投手陣を脅かす存在になってくるだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はてさて、どうしたものだろうか……」

 

 夕方18時過ぎの部室で俺は一人頭を抱えて悩んでいた。

 一つは誰を4番にするか。

 そしてもう一つは投手の起用法をどうするかだ。

 チーム一のバッティングセンスを誇る友沢。それに対し圧倒的パワーで長打を狙う大島。それともキャプテンとして俺が四番に座るか。どちらにせよ早く決めなければならない。かと言って簡単に決断できる問題じゃないが……。

 

 

  1番センター  八木沼

  2番ファースト 六道

  3番

  4番

  5番

  6番セカンド  今宮

  7番レフト   岩本

  8番ライト   東出

  9番ピッチャー 川瀬

 

 これは涼子が先発時の仮オーダーだ。

 3番、4番、5番はまだ保留として、ピッチャーも涼子は先発でOKで、宇津はそこそこスタミナがあるからロングリリーフをメインに置く。

 で、残るは東出とみずきちゃんの二人。実はどちらかを先発か押さえにしようと考えてるんだけど……これもまた厄介なんだよな。

 変則サウスポーと本格派右腕。どちらも良い長所で短所を補ってる感じのピッチャーだ。

 涼子から宇津に繋げ、九回を誰に委ねるか。それとも第二の先発として試合を組み立てる役割に付くか。

 これも早いところ個々の役割を決めないとチームがまとまりにくくなっちまう。

 夏と秋を勝ち抜く為、どのオーダーがベストなのか。主将として責任重大な仕事だ。

 

「大地、私だ。入ってもいいか?」

「うん。入っていいよ」

「失礼するぞ」

 

 入ってきたのは聖ちゃんだ。

 練習着姿で少し息を切らしてるってことは、、どこか走りにでも行ってたところかな?

 

「お疲れ様。頑張るのは良いけどあんまり無理し過ぎもダメだからな」

「……私の事は大丈夫だ。それよりもまだ悩んでいるのか?」

「うん……これが中々難しくてね。まだ難航してるよ」

「そう、か……」

 

 聖ちゃんが残念そうに肩を下ろした。帽子を外し、俺の目の前に座った。

 

「––––大地」

「ん、どした?」

「私達は…果たして強くなったんだろうか?」

「強く?」

「ああ。秋の大会を辞退して、地道にチカラを付けたく方を選んで正解なのかと最近思ってたんだ。皆みたいな長打力が無ければ足だって遅い。しかも今日だって友沢は東出からツーベースだったのに私は三振で負けた」

「……………………」

「大地を責めてるつもりじゃないが、この選択が吉だったのか、私には分からないんだ」

「……そっか。 でもさ、聖ちゃんはよく頑張ってるよ。自分の弱点と真撃に向かい合い、可能な範囲内で1%でも改善しようと努力してるって。豪快なパワーが無くたってヒットは打てる。足が遅くたってキャッチングとリードでそれらを充分に補ってる。俺は知ってるよ、聖ちゃんの頑張りを」

 

 長打が打てるよう積極的に俺とバッティングについて相談しに来たり、クレッセントムーンの捕球率を少しでも上げようと遅くまで居残り練習をしたり、練習中に息切れをすれば走り込みをしてそれを解消しようと努力もしてた。

 クールな性格とは対照的に、見えない場所で燃えてる姿を俺は見たことがある。

 

「––––自信を持って大丈夫だよ。絶対去年よりも上手くなってるって俺が保証する! 聖ちゃんがダメなのは全部俺のせいでもあるんたからさ」

「大地…………そうだな。ダメなのは全部お前のせいってことにしよう。なんとも最低なキャプテンだ」

「え、ちょ!?」

「ふふ、冗談だ。 私だって大地の頑張りは知ってるんだ。だから……この夏は必ず甲子園へ行こう––––」

 

 甲子園。

 高校球児の夢であり、最高の舞台。

 今年はそこへ行く資格があるか挑戦できる年なんだ。

 去年のフラストレーションを全てぶつけてやろう。

 

「––––ああ。絶対にな!」

 

 



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第二十一話 目指すべき目標

 夏の大会まで残すところあと二ヶ月。

 満開だった桜の木もすっかり散り、新緑の葉が生い茂る五月の木々に変わっていた。

 

「よし、今日の練習はここまでだ。自主練してく人間は必ず二十時半前には上がるように気を付けろよ」

 

 この日のメニューは二人一組でペッパーをし、その後は野手と投手に別れてトスバッティングと投げ込み。それが終わったら実戦形式のフリーバッティングをし、最後は約一時間フィジカルトレで体を補強してその日の練習は終了した。

 

「お疲れ様だ」

「うん、聖ちゃんもお疲れ様。最近バッティングの調子はどう? あれから少しは改善できた?」

「ああ。大地のお陰で以前より増して打球が強くなったと思うぞ。ただ……どうしてもストレートが差し込まれてしまうんだ。自分ではタイミング良く振ったつもりなのたが…」

「うーん……もしかすると腰がしっかり回ってないのかもしれないな。じゃあ今日もティーバッティングでフォームを確認してみる?」

「え、でも良いのか? 大地も自分の練習をしなきゃいけないのに……しかも今日入れれば三日連続になってしまうが…」

「ううん、俺のことは全然気にしないでいいから。さ、早くやろう」

「…すまないな。ではお言葉に甘えて今日も世話になる」

 

 こうして聖ちゃんのバッティング練習を手伝うのも最近じゃ練習の一環と感じるようになったな。

 教えてもらえる側は突然だけど、教える側も人に指導することでこれまで発見できなかった部分とかが見えてくるし、今後の参考にすることだってできる。

 

「よし。ネットを立ててさっそくチェックしようか」

「よろしく頼むぞ」

 

 ベンチから立ち上がり、みずきちゃんが用意してくれた仕切りのあるネットを設置する。

 俺はあくまで聖ちゃんに協力する為に練習に付き合った。そう解釈したはずであったのに––––––––

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ大地、もし良かったら練習後に少し私の球を受けてくれないかな?」

「あー悪いな。先に約束があるからまた明日で良いか? 次は必ずやるからさ」

「……うん。分かった」

 

 「ゴメンな」と去り際に付け加え、彼はバットを持ってフリーに入って行った。

 ––––まただ。これでもう何度目だろう。最近、大地が私の練習に全く付き合ってくれない。今までだったら必ずと言って良いくらい誘いに乗ってくれたのに、ここ数週間は多くて週1、2回しか練習できてない。

 

(はぁ〜……最近どうしたんだろう…)

 

 ベンチに掛けてこっそりと大地の方へ視線を向ける。

 バッティングピッチャーの宇津君が適当にコースを散らして投げ、その球を苦にもせず快音を鳴らしながら外野フェンスまで飛ばしていた。

 相変わらず凄いなあ。友沢君や大島君もバッティング上手だけど、大地も四番を打つのに十分過ぎるほどのセンスを持っている。この三人はクリーンナップを確実視されてるメンバーだから当然と言えば当然かな………。

 

「川瀬先輩」

「…………………」

「…川瀬先輩」

「…………………………」

「川瀬先輩!!」

「ふへっ?!え、あ、呼んだかしら?」

 

 荒げた声に反応して隣を見ると、グローブを持った東出君が立っていた。

 無視してたと勘違いされたのか、表情がやや不機嫌になっている。

 

「呼んだって……もうさっきからずっとよんでましたよ? この距離で聞こえないのはヤバイですって」

「う……ゴメンね。ちょっと考え事をしてて……」

「考え事ですか。道理でさっきから表情が暗かった訳だ」

「はは……やっぱり分かっちゃった?」

「ええ、まあ……」

 

 大地の事を考えていたのがバレてなくてまずは一安心した。

 私達が彼氏彼女の関係になってる事はまだ誰にも言ってない。正直なところ、内緒にしたい大地の気持ちは分からなくもないけど、もっと堂々と恋人らしい仕草をしたって良いと私は思う。例えば練習が休みになった日とかに二人だけで遊びに行くとか、テスト前に一緒に勉強したりとか、恋人だけにしか出来ない事って沢山あると思うんだけど……極度に奥手な大地は自分からそう言った提案をしてくれない。いつも誘うのはわたしからで、あまりにも一方的な展開が多いから『果たしてこれで良いのかな?』と自分の行動に確証が持てなくなった日もあるくらい、この中途半端な恋人関係に思い悩んでいた。

 

「––––もしかして、一ノ瀬先輩の事が気になるんですか?」

「っ!? き、気にしてないわよ! 大地の事なんか……別に…」

「はぁ……。先輩、演技下手ですよ。さっきから顔を赤くしてずーっと一ノ瀬先輩の方を見てましたし」

 

 籠からボールを一個取り出し、バシッとグローブに投げて感触を確かめている。

 この人……人の事を観察するのに随分長けてるわね。まるでキャッチャーみたいである意味凄い。

 

「先輩。もしよかったらキャッチボールしてくれませんか? まだ肩があったまってないんで軽くお願いします」

「あ、うん……分かったわ」

 

 一塁線側にあるブルペンの横へ移動し、私と東出君はキャッチボールを始めた。

 丁度その頃、大地もフリーバッティングを終えて防具一式を付けていた。それを見た聖ちゃんが大地の方へ駆け寄り、何やら親密そうに話をしている。

 

(……………………)

 

 思わずキャッチボールを中断して二人のやり取りを見つめていた。

 聖ちゃんが羨ましい反面、胸の内がズキっと痛く感じる。これが俗に"嫉妬"と呼ばれる感情なのかな?

 我に戻ってボールを返そうとしても全然力が入らない。無理に視界から遠ざけようとしても頭の中で妄想してしまうから余計に辛い。

 ただ聖ちゃんと話ししてるだけなのに……何でこんなにも苦しいんだろう……。

 

「何か悩みでもあるんですか?」

「え…………どうして……?」

「今日の先輩、何か変ですよ? ボーッとしたり、深く溜息ついたり、キャッチボールだって球が死んでるし……厳しい言い方をすれば練習に集中してないです」

「……………………」

 

 図星を突かれ、私は言葉が出なかった。

 

「一ノ瀬先輩と何かあっとしたら、早めに解決すべきです。二人はバッテリーであり、チームの中心でもある。エースと要に問題があったら全体にも影響を及ぼす。だから………伝えたい事があるんなら素直に思いをぶつけた方が良いですよ。例えそれが"恋"の悩みであったとしても」

「……そう、だよね。うん……分かった。練習が終わったら聞いてみるよ。 バッテリーなんだからコミュニケーションをちゃんと取らないとダメだもん。相手が来ないなら自分から行ってみなきゃ!」

「…まぁ後は自分で頑張って下さい。私情に影響されて調子が変わるのは川瀬先輩の一番悪い癖なんで、しっかり治してください。じゃあ僕は肩あったまったんで六道先輩に受けてもらいにいきます。では––––」

「あ、私の方こそ相談に乗ってくれてありがとう。東出君も練習頑張ってね。私も負けないから!」

 

 後ろ姿から東出君は手を振って聖ちゃん達の方へ歩いて行った。

 私は何でこんな簡単な事に気が付かなかったんだろう。一人でグルグル思い悩む暇があったら自分から解決策を切り拓けば良いんだ。

 どちらかがキッカケを作らなきゃ人と付き合う事なんてできるはずがないんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 全体で守備の連携を確認し合い、二チームに別れて15キロのランニング競争をして今日の練習は終わった。

 殆どの人が帰路に着こうとしている中で、大地と聖ちゃんはまた二人きりで居残り練習をしていた。

 好きな人が他の女の子と居る様子を見るのはやっぱり苦しいけれど、胸をギュッと抑えて耐えた。うっすら涙が出そうにもならぐらい聖ちゃんを恨んでしまったけど、そんな時は東出君が言ってた言葉を思い出しながら校門で一人、大地が出て来るのを待っていた。

 

「––––涼子?」

 

 不意に聞こえる好きな人の声。

 心臓が飛び跳ねそうなくらいビックリしたけど、平然を装ってわたしも口を開く。

 

「……ごめんなさい。どうしても二人きりで帰りたかったからずっと待ってたんだけど……嫌だったかしら…?」

「嫌な訳ないだろ。好きな人と一緒に帰れるなんてこれ以上なく嬉しいよ。さ、早く帰ろう」

「!、うんっ!!」

 

 突然右手を握られてまたも心臓がドクッ!とおかしく高鳴った。

 驚いたのと同時に、今まで抱いていた嫉妬が嬉しさに変わった。久しぶりに大地が手を握ってくれた。何気ない事かもしれないけれど、私にとってはキスされた時よりもなぜか心がドキドキしていた。

 

「待たせちゃって悪かったな。まさか二十時まで待ってたとは思いもよらなかったからビックリしたよ」

「ううん。私は全然大丈夫よ。それよりもちょっと話したい事があるんだけど……場所を移してもいいかしら?」

「……ああ。だったら近くにファミレスがあるから俺の奢りで行くか」

「そうね。じゃあお言葉に甘えて……」

 

 歩いて十分程の場所にあるファミレスへ、私達は向かう。

 互いに目を合わさなかったけど、大地は優しく手を繋いだまま私の歩調に合わせて歩いてくれた。彼の何気ない気遣いに、私は心がくすぐったかった。

 お店に入ると直ぐにテーブル席へ案内され、ジュースとデザートを頼んでようやく一息つく事ができた。

 

「で、話ってなんだ?」

 

 オレンジジュースを飲みながら本題に切り出してきた。

 ちゃんと確かめなきゃ………大地の本心を…。

 

「あのさ、大地は私の事が好き……だよね…?」

「…………ん? 今なんて??」

「だーかーら! 大地は私の事が本気で好きなの?! 最近聖ちゃんと妙に仲が良いから不安だったのよ……」

「あ〜、そう言うことか。それなら大丈夫だって。俺も涼子の事が本当に好きだよ」

「……そっか。それなら安心したけれど、最近少し冷たく無いかしら? 練習には付き合ってくれないし、ここ数ヶ月はデートにさえ行ってないのよ」

「それは仕方ないだろ? 俺だって二人きりになりたいけど中々時間が取れないし、そもそもそういうのを覚悟した上で付き合い始めたんだ。しかも練習中に関係のない感情を持ち込むのもチームとして良くない。 涼子が何を考えてるかまでは分からないけど、練習は練習で集中すべきだ」

「集中するべきって……それでも好きな人の事を忘れて練習に身を投じろなんて無理よ! 別に野球を散漫に行うつもりじゃないけど、せめて休みの日ぐらいは二人きりになっても良いでしょ? 私達は恋人なんだから」

「それは分かってるよ。だけど……俺も忙しいんだ。練習メニューを考えたり大会に向けてのオーダーも決め、部費や練習設備の交渉、聖名子先生が顧問としてやってくれてる仕事の手伝いだってあるんだ。しかも大会はもうすぐ始まる。普通に考えてみて、今は遊んでる暇なんてないだろ?」

 

 ……大地の言ってる事は確かに正論だ。

 でも……でもっ、本当にそれで良いの? 本当に好きな人なら、その為に多少無理をしてでも合わせてくれるものだと思ってた私にとって、その言葉は間接的に私を突き離しているような感覚に陥ってしまい、思わず下を向いてしまった。

 

「……じゃあ大地は私の事なんてどうでもいいと思ってるの?」

「は? だからそういう意味じゃないって言ってるだろ! 俺もお前の事が––––」

「だったらもう少し甘えたって良いでしょ!! 忙しいのは分からなくもないけど、いくら何でも冷た過ぎるわよ!」

「冷たい…だと? ふざけんな!! 俺がいつお前に冷たい態度をとったんだよ!! ちょっと遊びに行けないだけでそんなに荒げるなんてお前どうかしてるぞ!?」

「……っ…あーそう! だったらもういいわよ!! そんなに私を面倒に見るんなら大地なんなもう知らない!!」

 

 勢いよく椅子から立ち上がり、私は千円札を机に強く叩き付けた。

 

「私が……どれだけ苦しかったなんて大地には………分からないもの………うぅ……だったらこんな人とバッテリーを組むなんて私……」

「おい涼子……待てよ! おい!!」

 

 彼が怒声を上げながら静止させようとするが、そんな言葉が頭で理解できる余裕はもう無かった。

 出口の近くに居た店員さんに「すいませんでした」と一言謝り、怖い者から逃げるかのようにお店を後にした。

 

(もう……もう大地なんて知らない!! 勝手に聖ちゃんと仲良くしてればいいわよ!! やっぱり私達は仲の良いバッテリーってだけの関係に…………っう、うぅ…… )

 

 虚勢を張っても、自分の心は誤魔化せなかった。

 ポロポロと大粒の涙が溢れだし、薄暗くなったアスファルトに丸い染みができた。

 精一杯もの思いで涙を止めようとしても、彼を想う気持ちには勝てず、余計に切なくなった。

 はは………どうしてこうなっちゃんだろう。

 私はただ、大地の側に居たかっただけなのに………。

 思い通りにいかずイライラしてた私は、一方的に自分の主張を大地へ押し付けてしまっていただけだった。

 彼はチームの事で頭が一杯だったのに……最悪な彼女だよね、私。

 もういっその事、大地の迷惑になるくらいじゃバッテリーとしても……彼女としても別れた方が–––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「友沢」

「ん、何だよ」

「最近さ、妙にあの二人仲悪くないか?」

「あの二人?」

「一ノ瀬と涼子ちゃんだよ。五月に入ってから会話どころか顔も合わせないしよ。 涼子ちゃんに至っては誰が見ても一ノ瀬を避けてる感じがするぞ」

「………喧嘩でもしたんじゃないのか? いつものようにまた直ぐに仲直りしてるさ」

「でもよ……今回のはどこか違がう気がするんだよ。極端に一ノ瀬は投球練習に参加しなくなったし、いつもなら一番に声を出して盛り上げてくれるのに今は……」

 

 

 

「ごめん聖ちゃん。良かったらちょっと受けてくれる?」

「……別に構わないが、大地には受けてもらわなくていいのか?」

「うん………それに大地はバッティング練習してるから邪魔したら悪いし…」

「…分かった。用意するから待っててくれ」

 

 変な感じだ。

 いつもなら私より大地を誘って受けてもらう方が多いのに。ここ数日は私がブルペンを独占している状態だ。

 大地も元気というか、覇気というか……とにかく練習に生気が感じられない。バッティングだって当たりが散漫だ。

 

(まさかだと思うが……2人の間で何かあったのか…?)

 

 十分考えられる。

 あれほど仲の良かったバッテリーが急に距離を置いたんだ。ただの喧嘩程度ならこんなにギクシャクしなくてもいいはず。

 

(思い切って聞いてみるか…)

 

 マスクを外し、マウンドに立つ涼子へ話をぶつけることに。

 

「涼子」

「え……どうしたの聖?」

「大地の事でちょっと聞きたいことがあるんだが……」

「………………」

「最近の二人は投球練習どころかまともに会話さえもしてる所を見ていない。 いつもだったら真剣に練習をしながらも楽しく野球をしていた……だけど今の涼子は作り笑いをしてるだけで練習にも集中できていないぞ」

 

 口にしてないだけで、この雰囲気は前々からみずきや友沢達も感じていた。 それでも心の強い二人だからこそ様子を見ていただけでだったが、何日もバッテリーの仲に亀裂が入ったままだと見ている私達も気分が良いわけない。

 

「…今から言うこと、誰にも言わない?」

「ん、ああ。他の人には無言でいよう。約束する」

 

 誰にも言わないと約束をし、涼子が静かに口を開く。

 

「実はね……皆んなには内緒にしてたんだけど……私と大地ってずっと前から付き合ってたの」

「!!」

 

 ……ああ、やはり付き合ってたのか…。

 前々からまさかと感づいていたが、本当だとは思っていなかった。いや、正確には思いたくなかった。

 私も少なからず大地には一種の好意を抱いていたから、いざ直接本人から耳で聞くとなると、やはり心苦しい。

 

「去年の合宿があった日の夜だった。 彼から私に告白し、私はそれを受けいれた。 本音を言えば私はリトルの時から大地が気になってて、まさか大地と両想いだったなんて夢にも思ってなかったわ」

 

 そんな昔から大地のことを……涼子も私と同じ、か。

 

「晴れて彼氏彼女の関係になったから初めは私も……その……」

「? どうした?」

「だから………私も大地にもっと甘えられてもいいのかと思ったのよ!」

「!?」

「あ、ごめんなさい……つい大声に…」

「いや。私は大丈夫だ、続けてくれ」

 

 顔を真っ赤にしながら言う涼子。

 なんでだろうか。恥ずかしながらも精一杯に喋る涼子の姿が女の私でも可愛らしくみえてほっこりした。恋のライバルだったはずなのに、今は自分のことよりも涼子のことが気になって仕方ないぞ。

 

「でも、関係はそれほど深まらなかった。たまに道具を買いに行く以外でデートの誘いはしてこないし、私から誘っても忙しいから無理だと殆ど断られたの。 いくらキャプテンで野球が忙しいからってもっと2人で遊びに出掛けたり、色んなことをしたって……私は良いと思うんだけど…」

「−–−–−そうか。 女性の目線から言えば、これは大地が明らかに悪い。 こういうのは男から女性をリードしないといけないはずなのに……野球だとあれだけ正確無比のリードをしてくれるのに、どうしてプライベートだとこうもダメと言うか、ヘタレというか……」

「ひ、聖ちゃん……?」

「む。すまない涼子。 話を戻すが、仲がこじれてしまった最大の原因はなんだ?」

「……それはね、数日前に私と大地がこの事で喧嘩したのよ。 忙しいのは分かるけど少しくらい甘えたっていいんじゃない?って。 でも大地は冷たくしたつもりはないって頑なに言うからそれでいざこざになって……私の方からお店を出てってそれきりに…」

 

 涼子の目がみるみる涙で滲み出てきている。それほど思い出したくない、悲しい出来事だったのだろう。 私が涼子だったら彼女の気持ちも分からなくはない。 私達の為とはいえ、恋人なのに恋人じゃないんだから。 だったらどうして私達は付き合ってるんだと。 迷いと不安で心がいっぱいだろうに…。

 

「それでも……それでも大地ともう一度話をした方が絶対良い。涼子の言い分も女性の目からすれば正論だが、相手は性別の違う男性。男にだって男特有の考えが当然存在するのだから仲違いをして当たり前だ。ましてや彼氏が大地ともなれば…そうなる可能性はかなり高い。涼子は初めからその事も考えて彼女になるのを了承したのか?」

「……ううん。全然考えてなかった…」

「たったらこの件は涼子にも非はある。女性という立場に甘んじて大地に一方的に押し付けたりしてはいないか? 忙しい彼を、受け入れずに否定したりしてなかったか? 厳しい言い方をすれば、これが当てはまるなら涼子は彼女として−–−–−失格だ」

「っ………!」

 

 聖の言葉が胸に強く突き刺さり、涼子は言葉を返せなかった。

 

「本当に心から大地が好きなのなら、彼の気持ちも尊重しながら自分の思いをぶつけるんだ。 それでまた喧嘩したっていい。 その度に仲直りをして、関係は深まってくんだ。 変に焦って理想を押し付けるのは良くないぞ」

「……確かに私、大地ともっと側に居る事しか考えてなかった。 大事なのは互いの心を尊重し合って笑顔でいること。ただ単に近くに居続ける事が幸せなんて、間違ってる……!」

 

 ギュッと両手を握り締めて、顔を上げて強く−–−–−言葉を並べた。

 

「私、もう一回大地と話してみる! 今度は彼の考えを否定せず、受け入れるわ! こんなことくらいで諦めるなら、それこそ彼女失格よ!」

「うむ、その意気だ。私も二人の関係がまた良くなるよう、応援してるぞ」

「聖ちゃん………うぅ…本当に……ありがとぉ…」

 

 ポロポロと涙をこぼしながら私の手を取って泣いた。

 好きな人を思う気持ちはこうも特別な思いが秘められているのだろうと、私も改めて実感した。 それと同時に、何故大地が涼子を好きになったのかも何となく今では分かる気がした。

 

(きっと……大地は涼子を守りたかったんだろう。 リトルからたった1人でマウンドを任された涼子の…心の支えに……)

 

 涼子の頭に、ポンと手を置いて撫でた。

 背丈に差があって上手くできなかったが、私なりに涼子を慰めたかった。 本音を言えば応援したい反面、多少の嫉妬はまだ付きまとっている。 だが……

 

「そろそろ練習を再開しよう。泣いてばかりじゃ進歩しないぞ」

「うっ、うん! 私、頑張るよ! 聖ちゃんに言われたこと、絶対に忘れるないわ!」

 

 目を腕で擦り、元気な笑顔と共に答えた、

 そうだ、その顔だ。

 その笑顔こそが本当の涼子なんだ。やっと元の元気な姿に戻って、私も嬉しいぞ。

 そして−–−–−−–−後は大地がどうするかだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……今日は全然集中できなかった………」

 

 部室で一人制服に着替えていた時、ふと独り言が溢れた。

 今日だけじゃない。 昨日も、一昨日も、さらにその前も、涼子と気まずくなった日から野球どころか普段の学校生活でも元気が無くなったと分かっていた。

 

「………俺、これからどうすればいいんた…」

 

 俺が……やはり間違ってたのか?

 ただ野球のことしか考えず、涼子の気持ちを理解してあげなかった俺が悪いのか?

 ますます涼子の考えが分からなくなる。 アイツのなりたかった関係と俺のなりたかった関係……それは互いに違う物かもしれない。

 

「一ノ瀬、まだいるか?」

 

 突然響くノックの音。

 そういや八木沼が学校に用があるとか言ってまだ帰ってなかったな。確か提出しないといけない書類があるとかないとか。

 

「ああ。入っていいぞ」

「ん、悪いな。それにしてもこんな時間まで練習してたのか。もうすぐ二十一時になるぞ?」

「まぁ……今日は練習したくてな」

「先輩。お疲れ様です」

「あれ? 東出もいたのか?」

「ええ。 ちょっと大事な用がありまして……」

 

 東出が椅子に座って体制を整えると、今俺が一番聞きたくなかった質問をしてきた。

 

「−–−–−川瀬先輩と何かあったんですか?」

「!? ……いや、別に涼子とは何にも…」

「先輩、思い切り顔に出てますけど。 それに皆んな分かってるんですよ、お二人が付き合っていたこと」

「………………は?」

 

 何で知ってるんだ……?

 俺は誰にも言ってないぞ!?

 

「……涼子から聞いたのか…」

「いえ、川瀬先輩からは何も聞いていません。 尋ねなくたって分かりますから……雰囲気で」

「雰囲気って……マジかよ…」

 

 みるみる自分の顔が赤くなってるのが感じ取れる。

 まさか部員皆んなが知ってたなんて思いもしなかったからな。

 

「多分なんですけど……今、川瀬先輩と喧嘩しますよね? それも長期的に」

「……だから何だよ。お前らには関係ないだろ? これは俺達二人の問題だ」

「はぁ……一ノ瀬先輩。 あなたは何も分かってない。 これは二人だけの問題じゃないんですよ?」

「……?」

「ここ数日の一ノ瀬先輩は全くもってやる気が無い。 声は出ないし指示だって曖昧、さらにはプレーにまでボロが出てる。 そんな情けないキャプテンの姿を見せられる僕達部員や後輩の気持ち……分かってるんですか?」

「……………………」

「何か言い返したらどうなんだよ!!! 」

「!!?」

 

 バン! と力任せに机を叩き、怒りの顔を見せる東出。

 普段無口でクールな東出が……この日だけは初めてる見る姿だった。

 

「男ならグダグタしないで謝りに行けよ!! 何でもいいから頭を下げて、たとえ相手が何度断ろうとも諦めたりすんな! そんなすぐに妥協するほどアンタは彼女のことを軽く思ってないだろ!? そんなんだったら……俺は……俺は…っ…」

「東出………」

「−–−–−とにかく、川瀬先輩の事は一ノ瀬先輩じゃないとダメなんですよ。 俺がどう頑張ってもあの人の支えにはなれない。 たがら……せめてあの人を悲しませないで下さい。 俺だけじゃなくて八木沼先輩や他の皆んなだって……辛いですから」

 

 東出−–−–−まさかお前……。

 

「じゃあ俺、そろそろ帰らないと怒られるんで失礼します。 急に口を荒げてしまってすいませんでした」

「おい、ちょっと待て!」

 

 俺の制止を聞かずに東出は部室から飛び出して行った。

 振り向き様の東出の顔が、少しだけ寂しそうに見えた。

 

「……俺、完全に空気だったな」

「ん……お前居たんだな」

「なっ!? お前……!」

「ふ、嘘だって。 それより東出の奴……もしかして−–−–−」

「ああ。俺も同じ横浜シニアだったから知ってるんだが、実は俊も川瀬へ密かに想いを寄せていた。俺に相談してくるくらいな」

 

 やっぱりそうだったのか…。

 道理で涼子とピッチングスタイルが似てる訳だ。

 

「それでも川瀬はお前を選んだ。 長年側に居てくれたお前となら必ず上手くやっていけると、一番信頼してたからな。 だからくだらない事で喧嘩なんかするな。 見ている奴等も悲しくなる」

「俺、そんなに迷惑かけてたんだな。そんな事も知らずグダグダ下向いて…………」

 

 今だって涼子は悲しんでるかもしれない。彼氏の俺が動かないで誰がアイツを救えるんだ。

 −–−–−だったらやるべき事は一つだろ。

 

「ん? 電話が……」

 

 慌てて鞄からスマホを取りだす。

 コールの相手は−–−–−涼子だった。

 

「−–−–−もしもし」

『あ、大地? こんな遅くにゴメンね。 あのね、時間があったら良いんだけど今からあの河川敷に来れるかな? 話したい事があるんだけど……』

 

 ……一足遅かったか。ても考えが同じで助かる。

 

「おう分かった。今から河川敷に向かうよ。丁度俺も話したかったからな」

『ありがとう。じゃあまた後でね」

 

 そう言って涼子は電話を切った。

 河川敷なら走れば案外すぐ近い。先に行って待たせないようにしないとな。

 

「……悪い。急な用ができたから後頼むわ、じゃあな」

「おい、用って一体……はぁ、勝手に戸締り押し付けやがって。ま、今回は許してやるけどよ」

 

 まるで居候人みたいな言い草でお礼を言い、急いで河川敷まで走ってった。

 どうすれば涼子を悲しませずに済むか。 大切なのは両者にとってそれが幸せであるかどうかだ。付き合う事よりももっと大切な事、俺達には残ってだろ? どんなに喧嘩して嫌いになっても、その目指すべきモノは変わらないはずだ−–−–−。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ………」

 

 額に光る汗を拭き、目線をある方向に向ける。

 灯の少ない傾斜の草に座る少女−–−–−思わず息を呑んだ。

 

「大地」

「……よ、待たせたな」

「大丈夫? 随分苦しそうだけど……」

 

 ひょいと顔を近づけて様子を伺う涼子。

 久しぶりだな、こんなに接近したのって。外では平然を頑張って装ってるが、内心は心臓バクバクだ。

 

「だ、大丈夫……それよりも…」

「そうだったわね。じゃあそこに座って話しましょ」

 

 鞄を置いて俺も草の上に座ると、涼子も移動して隣に座ってきた。

 横を向くと涼子と目が合って恥ずかしくなるが、彼女は笑いながら更にくっ付いてきた。

 

「……嫌?」

「ううん。全然」

「そう。良かったわ」

 

 改めて見ると涼子って可愛いな……。

 元々の綺麗で可愛らしい顔と長髪を生かしたポニーテールは大半の男なら誰でも見惚れてしまうだろう。

 

「………………」

「……………………」

「「あのね(さ)……」」

「あ、ごめんなさい……」

「い、いや、そっちからどうぞ」

 

 変な所で息があって心の中で笑う。

 

「私ね、間違ってた。 大地の気持ちも考えずにただ自分の事しか優先してなかった。もっと大事な事があるのに……私は忘れた」

「涼子……」

「だからねっ、私達……その…………」

「−–−–−別れる、のか?」

「…………うん」

「ふぅ……良かったよ、考えが一緒でさ」

「え……どういうこと?」

「俺も別れた方が良いんじゃないかって思ってんだ。 今は他にやるべき事が残ってるし、それに気付いた以上もう後には引けないさ」

「……私達の、やるべきこと」

「リトルの時に成し遂げられなかった日本一を、今度こそ俺と涼子が日本一のバッテリーだって証明する事。あの日お前に誓ったことだ」

 

 涼子の事は、好きだ。

 多分だがこの先もその気持ちは揺るがないだろう。 それでも……今はもっとやらなきゃならない目標があるんだ。 まだこんな所でゴールするには早過ぎる。

 

「でも! 私はずっと好きだから! 正直、聖と遅くまで特訓してた日は妬んだり怒ったりもしたけど、結局は大地を嫌いになれなかった。 だって、それっぽっちで別れを切り出すくらいなら大地とこうしてバッテリーを組んでないもの!」

「……俺もだよ、涼子。 忙しいことを理由に冷たくしたりして悪かった。ただどうすれば甲子園に行けるかしか考えてなかった野球バカを許してほしい」

「ううん、もうその事は良いわよ。その代わり…………んっ!」

「んむっ……ん……」

 

 俺の背中に腕を入れて強引に唇を付けてきた。

 ほんのり香るいい匂いが俺の気持ちを掻き立てて、同調してこっちも草むらに押し倒して口づけをした。

 

「ん……んむっ…………ふぅー……どうだった?」

「はぁ……どうだったじゃないわよ。こんな夜遅くに女の子を押し倒すなんて大地も変態ね」

「お前から誘ってきたんだろーが。でもまぁ……気持ち良かったな」

「うん…………」

 

 カァァとみるみる半熟トマトのように顔を赤らめる涼子。

 体制からしてどうしても良からぬ妄想をしてしまうが、すぐ様自分を言い聞かせて静止し、涼子を起こす。

 

「この続きは目標を達成してからだ。三年の夏までには必ず涼子を日本一の投手にするよ。俺、約束するから」

「……ふふっ、大地って約束事が大好きなんだなから。 今度も嘘じゃないって私……信じてるから」

 

 もう一度軽くキスし、俺達は立ち上がった。

 

「そろそろ帰るか。暗いから家まで送ってくよ」

「お気遣いありがとう。 それじゃあお言葉に甘えてお願いします♪」

 

 手を繋いで人気のない道路を歩く。

 もう立ち止まらない。 栄光と言う名の夢を掴むまで、俺は涼子と一緒にどこまでも走り続けてやる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だいぶストレートの球威も増してきたな。その調子だぞ」

「ふふっ、ありがとう。次は縦スラでいくわよ!」

「おう! どんどん来い!」

 

 

 

「……六道先輩、どうにかなりましたね」

「…だな。 私達が出るまでも無かったかもしれない」

「それはどうかな。 少なくともお前らが居なかったからこんなに早く解決はできなかったと思うぞ」

「「八木沼(先輩)……」」

「でも……お前らはそれで良かったのか? まだ未練があるんじゃ…」

「私は大地が笑っていられればそれでいい。涼子となら必ず上手くやってけるだろう」

「俺も六道先輩と同じです」

「そう、か………」

 

 本当はまだ諦めきれてないのに……無理しやがって。

 

「−–−–−仕方ない。練習が終わったら俺の奢りでどこか寄るか」

「む、それは良いな。だったらパワ堂できんつばでもやけ食いしたいぞ!」

「俺も沢山食べたい気分なんで三人で行きますか。一万円分は食べないと気がすまないですから」

「お前らなぁ……あんまり俺の財布を虐めるなよ」

 

 と忠告してもどうせ食べまくるけどな。

 とにかくアイツらが元に戻って、いや、これまでに以上に信頼を深めてくれて安心した。

 あと一ヶ月半で夏の大会も始まることだし、二人の力に俺達が加われば甲子園も夢じゃない。

 

(助けてやった分、今度は試合で助けてくれよな。お前ら二人は聖タチバナ野球部にとってかけがえのないバッテリーなんだからよ−–−–−)

 

 



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第二十二話 無限の可能性(前編)

「いよいよね……」

 

 六月三日−–−–−。

 海堂高校では毎年この日に一軍と二軍で壮行試合を行っており、今年も例年通り始まろうとしていた。

 本来の目的は一軍と二軍がどれほど実力を付けてきたのかをチェックする為の試合であるのだが、今年はある男にしか注目が集まってないのだ。

 

「茂野君は…もし一軍を倒したら本当に海堂を辞めるのかしら……」

 

 チーフマネージャーである江頭哲文は茂野吾郎の持つ驚異的な野球センスに惚れ込んで自らのビジネス向上の為に裏で期待する一方、二軍監督の早乙女静香はずっと前からこの試合に対して特別な思いを抱いていた。

 それは死んでいった兄さんの野球が本当に正しかったのかだ。

 茂野はその兄のまさに生き写しでもあり、今宵の試合でマニュアルの型を破るスタイルが正しいかどうか、証明されるだろう。

 

 

一軍スターティングオーダー

 

 一番 セカンド 小柳

 二番 ショート 大島

 三番 レフト 菊池

 四番 ファースト 千石

 五番 ライト 竹田

 六番 サード 木下

 七番 センター 坂本

 八番 ファースト 田口

 九番 ピッチャー 桜庭

 

 

後攻、二軍のスターディングオーダーは、

 

 一番 センター 草野

 二番 セカンド 渡嘉敷

 三番 キャッチャー 猪狩

 四番 サード 薬師寺

 五番 ファースト 大場

 六番 レフト 石松

 七番 ショート 泉

 八番 ライト 矢尾板

 九番 ピッチャー 茂野

 

 両軍共に選手層の厚い中で一番ベストなオーダーだ。

 ただ一人、一年生で早くも二軍レギュラーに名を連ねている猪狩進の存在が勝敗を大きく左右するだろう。 一軍はエースナンバーである榎本直樹を温存し、三番手の桜庭が先発に入っている。春の大会では防御率1点台と非常に安定した投球をしている厄介な変則ピッチャーだ。

 

 

『それではこれより、一軍対二軍の壮行試合を始めます! 相互に礼!』

『お願いしまーす!!!!!!!』

 

 

 午前9時半、それぞれの想いが募る中、運命の壮行試合が始まった。茂野が五、六球ほど投球練習をして、肩の状態を念入りにチェックする。

 

(体が一回り大きくなったな。それに肩や腰周りも一段とたくましくなった感じだ………ふふ、これは期待できるぞ)

 

 身体的な面で成長を遂げた茂野の体つきを見て、江頭は一種の期待を込めてスピードガンを持った。彼の目には"商品"としての茂野吾郎しか眼中にない。

 今日のマスクを被る猪狩進がグラウンド中央へ走り、茂野に声を掛けに行った。

 

「……コンディションは良さそうですね」

「ああ、なんせこの日の為に何ヶ月も前から準備してきたからな。気合いだって嫌でも入るもんよ」

「そう……ですね。僕も精一杯のリードで先輩を支えるので思いっきりミットに目がけて投げてください」

「任せろって。進の指示する場所に必ず投げてやるからよ」

 

 眼を熱く光らせながら進のミットを叩く茂野。進は苦笑いしながら「はい」と返事をし、自分の定位置に戻った。

 実は今日の先発マスクに進を提案したのは茂野自身だった。それは兄である猪狩守の姿を見て決めたらしい。野球に対し、どんなライバルやりも先頭に立ってやろうとする強い意志、熱意。きっと弟である進にもそのDNAは受け継がれ、マニュアル野球に刺激を与えてくれるだろうと、二ヶ月間バッテリーとして隣に居た茂野はそう感じていた。

 

『プレイボール!』

 

 主審のコールと共に小柳がバットをギュッと握って構えた。

 進のサインにしっかりと頷き、ワインドアップから茂野か第一球目を投じようとする。

 

(…………!?)

 

 リリースの瞬間、小柳の顔付きが変わった。

 何故ならボールは座っている進の遥か上へ行き、そのままバックネットに当たったからだ。

 

「悪りぃ悪りぃ! つい変に力んじまった! 」

 

 一軍ベンチからは茂野をからかう声が出ているが、二人の男だけは神妙な表情を浮かべている。

 

「……見たか?」

「ああ。今のがストライクだったら笑っていられるボールじゃないな」

「あの小僧……前に学校に来て俺と勝負した時よりも数段進化してやがる。一打席そこらじゃ当てることすら厳しいかもな」

「おいおい、随分弱気な発言だな。 それでも海堂の四番を打ってるスラッガーのセリフか?」

「ふん、球がいくら速くてもアイツの球種はストレートのみ。来たコースにきっちりと当てれば柵越えなんて容易い」

「そうか……」(千石がここまで熱くなってるのも珍しい。もしかすると去年の夏に勝負した猪狩以来かもしれないな)

 

 バックネット裏で観戦していた江頭の顔も、驚愕の色に染まっていた。どんなに出ていてもギリギリ百五十キロに到達するくらいだと、初めは予想していた。

 だがスピードガンの数値は、それを大幅に上回る数字が表示された。

 

「ば、バカな……"百五十六キロ"だと!?」

 

 もう一度目を凝らして見てみるが、数値は百五十六キロ。

 江頭はマグレではないかと半信半疑になりながら二球目のボールを測定した。

 

「百五十五キロ……こいつはマグレで故障でもない。この半年でかここまで球速を伸ばしたと言うのか……?」

 

 外角高めに大きく外れてボール、続く三球目も百五十キロ台をマークするもまた外角に外れ、これでノースリー。

 

「何やっとんや茂野!」

「ビビってんじゃねーよ! 打たせて取れ!!」

 

 味方ベンチから児玉と三宅が荒げた声を上げるが、当の本人はいたって冷静そのものだった。

 

(分かってるって。 ただ半年以上も前からこの試合を望んでたんだ。そりゃ、肩の力ぐらい入るもんよ。だけどな、そんな程度の重圧で潰れるほど、俺はオカマ達の元でヤワな練習はしてきてねーぜ)

 

 進のミットはど真ん中。その一点だけに神経を集中させ、得意のジャイロボールを放った。今度はストライクゾーンに入り、審判が大きく右手を上げた。

 

『ストライーク!』

(よしっ、これで多少緊張をほぐせたはず。 ここからの茂野先輩なら勢いに乗ったままもう止まらない!)

 

 バンバン!とミットを叩き、進がど真ん中に構える。

 両腕を振りかぶり、オーバースローから強烈なジャイロが空を裂いて伸びてくる。

 

「−–−–くおっ!?」

 

 それほどインコースを突いてないにもかかわらず、小柳は少し後ろに仰け反った。

 

『ストライクツー!』

(おいおい速いな……尋常じゃないぞ、このスピードは)

 

 ヘルメットを付け直し、再び茂野に目を向ける。

 五球目も内角よりのやや甘いコースに飛んで来たが、手元でグンと伸びてくるジャイロボールにタイミングが合わず、結局小柳は空振り三振に倒れた。

 

「さぁどうした? 自慢のマニュアル野球でかかって来いよ」

 

 今日の茂野はこれまでで一番の状態かもしれない。 ここにいる誰もがそう悟っていた。何十試合と行ってきた練習試合の中で、茂野が初回から自己最速を叩き出すなどこれまで無かったからだ。普段の茂野なら序盤から中盤にかけて調子を上げ、終盤から尻上がりに強くなるタイプの投手だが、今日はスタートから本気で来ている。スタミナ配分なんて御構い無しに、正面からマニュアル野球に反抗しているかのように。

 

「素晴らしい! 合格だよ茂野君!」

「−–−–?」

「江頭?」

「君のピッチングは十分見させてもらったよ。 二軍ベンチ、ピッチャー交代だ」

「えっ、交代?」

「っ! なんだと!? おいちょっと待て!!」

 

 あまりにも突然の交代に、茂野は怒りながら江頭の元へ駆け寄った。

 当然だ。最初の一番を抑えただけで先発投手を交代させるなど、茂野でなくても疑問に思うだろう。

 

「ん、何か?」

「何か、じゃねーんだよ!! たった一人三振に取っただけでピッチャー交代なんておかしいだろ! 俺は今日の試合、全部一人で投げ切って完投するつもりでやってんだぞ!? それに水差すような事すると許さねぇぞ!!」

「はぁ? 一人て完投するのだって? そんな事をしてしまったらそれこそ一軍に乱打を浴びて自信喪失してしまうだろう。そんな単調でストレートだけの投球、我が海堂高校のマニュアル野球には手も足も出ないんだよ」

「何だと……っ!!」

「−–−–待ってください江頭さん。 それはいくら何でも横暴過ぎます」

「…………」

「進……?」

 

 江頭の采配に進も納得がいかず、半ば抗議に近い口調で間に入った。

 

「茂野先輩のピッチングがストレートだけなのも、一軍のレベルが高いのも十分承知です。それでも……茂野先輩なら必ず抑えられます」

「……その根拠は何だ?」

「例え一軍クラスでも、百五十キロを超えるジャイロボールは一打席そこじゃまずアジャストするのは不可能に近く、これまでの傾向で茂野先輩は後半に強いデータもあります。 それに……」

「それに?」

「茂野先輩ならどんな逆境に立たされても必ず抑えてくれる、そんな気にさせてくれるんです。 相手バッターとしてならかなり厄介な存在ですが、女房としてはこんなにも頼もしいピッチャーは居ませんよ。だから……茂野先輩に最後まで投げさせてください」

 

 女房である自分が頭を下げ、江頭に続投を志願した。

 そんな進の姿に茂野は心を動かされ、自分もお願いしますと顔を下げようとするが−–−–−

 

「やれやれ……二軍キャッチャーの分際で随分偉そうな事を。全くもって話にならん。 静香君! さっさとピッチャー交代せんか!」

「っ…………!」

「こ、コイツ……!」

 

 二人の交渉も容赦なく一刀両断し、江頭は早乙女静香に交代を催促した。

 進もこのやり方にまだ納得がいかず、何とかして江頭を納得させたかったが、自身の力の無さに歯ぎしりするしかなかった。

 

「……茂野君、猪狩君。マウントに戻りなさい」

「えっ?」

「?」

「お言葉ですが、残念ながら私達は貴方の言いなりになるつもりは一切ありません! 勿論、貴方の商売の片棒を担ぐきもね」

(この女……真っ向から江頭に刃向かうきか。 ふ、そうこなくっちゃな)

「はぁ? 聞こえなかったんですか? 私は変えろと言ったんですよ? 二軍監督の貴方が私に楯突く事がどう言う意味か、ご承知のはず。 さもないと私の権限を持ってお嬢様を−–−–−」

「うるさいわね! このインテリとっちゃんぼーや! 解任したきゃ勝手にすれば!?」

「…………」

 

 熱くヒートアップしている静香を、選手達はただボーッと見てるしかなかった。一息吐いて冷静になったところで、言葉を続けた。

 

「ただし……この試合が終わってからよ。 今この試合の指揮官を握ってるのは私なんだから。 勝手な判断で選手を替えることは許さないわよ」

 

 江頭に力強く言い放ち、バッテリーに定位置へ戻るよう声を掛ける。茂野に江頭の計画が知れ渡っている以上、自らが責任を取って辞めたところでそう変わりはないと、この時の彼女はそう考えていた。

 

「おい、待てよ。誰が解任するって言ったんだ」

「………茂野君?」

「アンタは何も悪い事してねーよ。これはあくまで俺自身の問題だ。つまり俺が残りの奴等を抑えれば良いって事だろ? そうすれば監督が辞める必要だってねーんだろ?」

「ふっふっ……ま、そういう事になりますが、君の力ではあり得ませんね」

「ふん。寝言は終わってから言えってんだ」

「その口がどこまで保つか…………審判。試合を再開しなさい」

 

 殺伐とした雰囲気の中、江頭の声で試合はそのまま続行になった。進が茂野にボールを渡し、二番バッターの青柳を迎える。

 

「……江頭の読みは間違ってないわ。確かに茂野君のストレートは一軍クラスでもそう簡単に打てる球じゃない。けれど−–−–−」

「茂野君のように単純な野球じゃマニュアルには勝てない、ってこと?」

「……ええ。 例え個人の勝負に負けたとしても、試合には必ず勝ちにいく。それがマニュアル野球の怖さよ」

「果たしてそうかしらね」

 

 えっ、と静香が振り向く。

 

「マニュアル野球が最も恐れている存在って、茂野君や武兄さんみたいな野球じゃないかしらね。力と力を競い合って頂点を極め、目の前の相手に一球一球全力を尽くして倒す。 世間の呼び名で言えば"怪物"と呼ばれる選手、それだけが理詰められた野球に対抗できる最強のプレイヤーなのよ」

「"怪物"………」

 

 そうだ。 それでウチは去年破れたんじゃないか。

 あかつき大付属高校の猪狩守のように−–−–−。

 

「ふふっ、ほら見なさい」

 

 1-1から青柳がセーフティ気味なバントを試みるが、手元でグンと伸びてくるジャイロに力負けしてしまい、ボールは小フライに。

 

「先輩! 任せて!!」

 

 茂野がダイビングキャッチで捕ろうとするが、先にいち早く反応した進が声を上げて飛び込む。 ボールは辛うじでミットの先に引っかかり、審判に捕球アピールをした。

 

『あ、アウト!』

「っし! ナイスキャッチだ進!」

「いえいえ、茂野先輩の投球があったからこそのプレーですよ」

「へっ、あんがとよ」

 

 進の方が反応が早かったものの、今の打球は本来ならピッチャーが捕るべきの範囲であったが、少しでも茂野の体力を温存させようと無理をして捕球しに行ったのだ。 普段の進なら確率的に投手へ任せるように指示を出していたはずだが、茂野の全力投球を見て自身の心にも火が付いたしまったらしい。

 

(菊池さんは右利きに対しては四割近い数字を出してるけど、逆に左利きはかなり苦にしている。 去年もあかつき戦ではその弱点が原因でスタメンから外されていた。 うん、これなら僕がミスリードさえしなきゃ絶対行ける!)

 

 様子見程度にアウトコース低めにミットを構える。

 バァァン!! と重みあるジャイロが投げ込まれ、コースもリード通りの場所にしっかり来ている。

 

「ナイスボール!」

 

 小さな激励に茂野も手を上げて返し、早いテンポで構える。

 進が要求するコースはインロー。 これもストライクゾーン一杯を通過し、早くも追い込んだ。圧倒的にバッテリー有利なカウントだが、相手は海堂の一軍。 次からはストライクひさえ入ればどんなコースにでも食らいつくるだろう。

 

(次は……ここに)

(!……なるほどな。了解したぜ)

 

 サインが決まり、投球動作に入る茂野。一瞬サインに戸惑いを感じるも、ボールは指示通りのコースへ投げられる。

 

(ど真ん中! 貰っ……っ!?)

 

 菊地の判断は間違っていない。ボールは一番打ちごろなど真ん中に飛んできていた。

 だがスピードだけは違った。 これまでの百五十キロ連発から大幅に遅い、百二十キロ程度の緩いジャイロボールでタイミングを遅らせたのだ。 甘い球が来て打ち急ぎに行った事によりその効果は倍増し、結果として菊池は空振り三振に倒れてチェンジになった。

 

「っしゃあ!! まずは三者三振! 今度は進の番だ、頼むぜ?」

「はい! 」

 

 兄譲りの甘いマスクと優しい微笑みが特徴の進と、熱血漢ながらも爽やかさを残す茂野。 グータッチをしながらベンチに戻って来る姿は"イケメンバッテリー"と呼べる程の絵になる。

 

「よしっ、頼むぞ草野ー!」

「何が何でも塁に出ろよ!」

 

 ベンチからの声援を胸に、草野か一礼して打席に入る。茂野達と同じく夢島組から這い上がってきた選手だが、二軍トップクラスにまで成長し、頼もしい一番バッターに遂げた。

 その初球−–−–−。出所の見えにくい横手からボールが繰り出し、草野の内角を抉るように通過した。

 

『ストライク!』

 

 この球は無論、ストライク。

 球速はそれほど出てないが、制球力は一級品の物を持っている。その上、桜庭は左利きのサイドスローであり、同じ左利きの草野との相性も抜群だ。

 

(これが一軍きっての"左キラー"、桜庭さんか……)

 

 左キラーの異名は伊達ではない。去年行われた高校選抜でも、対左打者との対戦成績が防御率0.94と非常に得意としている。 そしてその背景にはある変化球の存在もあった。

 桜庭の動作に合わせて草野もタイミングを計る。リリースされた瞬間にバットを振りに行く素ぶりを見せたが、ボールはインコースのボールゾーンから大きく弧を描いて曲がり、途中で腕を止めた。

 

『ストライクツー!』

「なんて切れ味の良いカーブなんだ……」

「ああ。しかも左に左をぶつけてる癖にしっかり内角に投げ込んでやがる」

「草野も相当打ちにくそうだ。 左の俺や猪狩でなくても攻略は難しそうだな」

 

 薬師寺がそう苦言する程、今日の桜庭は球がキレていた。彼曰く、カーブがあのコース一杯に入った時の自分は完封さえも狙える冴えているらしい。二軍ベンチは早々に難しい顔を並べるが、草野は至って冷静そのものだ。

 三球目に選んだボールは外角低めのストレート。

 体制を崩されながらも逆らわず左におっつけ、鋭いゴロが三遊間を破ってレフト前に転がった。

 

「ナイス草野!」

「あの状態からよく左に流したな! このまま続けよ渡嘉敷!」

 

 二番の渡嘉敷はサイン通り初球からきっちりと送りバントを決め、草野を二塁へ進めた。 これでワンアウト・ランナー二塁。 単打でも草野の俊足ならホームを狙うことも可能な状況だ。

 ネクストサークルから進が立ち上がり、バッターボックスに向かう。

 

「よろしくお願いします」

 

 礼儀正しくお辞儀をしてバットを構える。 広角に打ち分けられる器用なバッティング技術を持っているが、千石のような派手なパワーヒッタータイプではないので、外野は前進守備のシフトへ切り替えた。おそらくは茂野の投球を見て、序盤から大量得点を奪うのは厳しいと判断し、虎の子一点も譲らない考えでこの作戦を選んだのだろう。

 左腕を大きく振り、パァンッ!と気持ちの良い音が響く。

 

『ボール!』

 

 まずは外に一球際どく外れてボール。進の顔色は一切変わらず、冷静にまた構え直す。

 続く球は低めのカーブ。膝元一杯に決まり、バットも手が出なかった。草野からヒットを打たれたショックはそれほど感じてないようだ。

 

(桜庭さんのカーブはキレも良いし落差も大きい。 ここは狙うとすれば威力のないストレートだ!)

 

 狙い球を絞ってピッチャーを見つめる。

 三球目は百四十キロのストレートが高めに外れた。進はそれをしっかりと見極めた。

 カウントは2-1。セットアップからムチのように腕をしならせてボールを投げた。

 

(この速さはストレート! 貰っ……っあ!)

 

 ストレートと脳で判断してバットを振るが、ベース前で内角側にボールが揺れて詰まらされてしまう。打球は強いライナーを描くも方向は千石の真正面。 しっかり掴み、これでツーアウトになった。

 

(あの一年……桜庭のカットボールを初見でここまで飛ばすとは想定外だったな。確か パワーはあんま無いとか言ってたが、長打も狙う事ができる良いバッターじゃねえか)

 

 進が悔しそうにベンチへ戻り、ヘルメットとバットをベンチのケースに入れて防具をつけ始めた。

 

「惜しかったな進」

「茂野先輩………すいません、せっかくのチャンスで凡退してしまって…」

「何言ってんだよ。 一年のお前が一軍相手にい良い打球放ってたじゃねーか。 寧ろ俺は凄いと思うぜ?」

「そう、ですか……」

「ああ。 そんな終わった事より次は守備だ。悔しいんなら他のプレーで奴等を見返してやりゃ、それでもカッコは付くってもんよ。引きずらずに元気出して行こうぜ」

「……ええ。 次こそは必ず打ちますよ!」

 

 すると突然ベンチから「おぉー!?」と期待の声が漏れ、全員がライト上空へ顔を上げていた。

 茂野と進もつられて目で追うと、打球はライト方向へグングン伸びていった。が、フェンス手前でボールは失速してしまい、竹田がフェンス際で手を伸ばして捕球し、惜しくもライトフライに倒れた。

 

(ちっ、伸びが足りなかったか……)

「あーっ! おっしぃ!!」

「でも薬師寺の奴、あのカーブをよくあそこまで運んだよな。 これなら次の打席に期待が持てそうだ!」

「せやな! 二回も茂野がきちっと締めればまた流れはウチに来るはずや!」

「頼むぞ茂野。一軍は四番からだけど臆せずビシッと抑えろよ」

 

 一回の表裏が終了し、得点は0対0。 流れとしては草野のヒットで出塁している二軍側にやや向いていた。茂野の調子は絶好調だが、桜庭も崩れているわけではない。 このままリズムを崩さずに行けばスコアボードに0か並ぶのもあり得る話だ。

 

 

 

「いいか、分かってると思うがこの試合は後半勝負だ。ペース配分を考えないあの手のピッチャーは必ずバテる。前半は極力振らずに追い込まれてもカットで粘り、球数を多く投げさせて体力を消耗させろ」

 

 一軍監督を務める伊沢は極力茂野にボールを沢山投げさせ、球威が落ちて来た所で叩くマニュアルを進めようとしていた。常に百五十キロ台をマークする茂野の全力投球を逆手に、計算しつくされた綿密なデータ野球。 まるで野生対理性の戦いを見るかのようである。

 

 

「なぁ眉村。 一軍は茂野に多くボールを投げさせて体力を減らしに来るんじゃないか?」

「…………ああ」

「ん、なんだ、お前は興味ないのかよ。 初回の三者連続三振と言い、アイツ結構やるじゃねえか」

「俺達は何度も成長している奴の球を見てきた。別に驚く事でもない。 それに九回までストレートだけで一軍を抑えられるんだったら、俺だって初めから変化球なんて投げやしない。 もって六、七回辺りが限界だろう」

「そうだけどよ……ま、調整目的とは言え、お前が二軍側の一員で助かったぜ。 奴の体力が切れてもお前が出れば何とかなるしよ」

「俺が出る前にコールドゲームにならんきゃ良いがな」

 

 ブルペンのベンチで爪の手入れをする眉村。初回から中継ぎ投手かプルペンに入るのはあまりないが、茂野の体力がいつ切れるか分からない以上、早い内に投げれる体にしておくのが良いと思い、今から米倉に受けてもらおうとしていた。

 眉村の実力ならもう一軍レギュラーに割り込んでいけるのだが、一軍と戦わせてどれほど進歩したかそのチェックも兼ねており、こうしてわざと二軍チームに入っているのだ。

 

「よう、元気そうだな後輩」

 

 金属バットを肩にかけ、仁王立ちで吾郎を睨んでいるのは海堂の四番、千石真人。

 挑発的な口調に茂野が黙っているわけでもなく−–−–−

 

「ええ。あんたのそのリーゼント頭を刈るのを待ちわびてましたよ、先輩」

「ふ、随分威勢が良いな。 また俺に打たれて絶望にひれ伏すのだけはやめてくれよ?」

 

 早くも一触即発な雰囲気で始まる二人の勝負。前に茂野が本校舎へ訪れて戦った時は、千石の完勝で終わった。

 高校通算七十八本塁打−–−–−。

 あかつき大付属の二宮・一ノ瀬、同じチームメイトの榎本と同様に、既にスカウト達から大きな注目を浴びてる選手の一人だ。

 

(この人に甘い球は禁物。 まずはインコース低めから丁寧に)

 

 サインを見て、茂野のプレートを踏む。

 構えていた場所よりも若干甘いコースに来たが、千石はピクリともバットを動かさずに見送った。

 

(!!、ほう………)

 

 「速いな」、と千石が小さく呟く。

 ゲージから外れて一度素振りをし、再び打席に入り直す。 この仕草も一軍側からすれば演技であり、あくまでも打ちごろの球が来れば必ず打ってやると、作戦がバレない為の嘘をついていた。

 二球目は外角の良いコースに決まり、ツーナッシングで早くも追い込んだ。

 進が指でサインを出して中腰に構える。

 体を捻り、思い切り反動をつけて三球目をリリースした。

 三球勝負だ。

 千石はバットを短く持ってカットをしに行くが、タイミングがワンテンポずれ、風切り音と捕球音だけが響いた。

 

(な、にっ……!?)

『ストライク! アウッ!』

(よしっ、抑えた!)

 

 心の中でガッツポーズをする進。

 一方、三振を取ったのに拘らず、茂野は嬉しそうな態度を一切見せず、不満そうに千石へ言葉をぶつけた。

 

「へっ、海堂の四番でもあろう方、随分腰抜けなスイングをするんすね。 まさかカットでもして俺のスタミナを消耗させようって腹なんすか?」

「………………さあな」

「−–−–本能で来いよ。 そんなしょぼい野球ばっかしてると、テメェらに完全試合をぶつけるぞ! 俺がくだらないマニュアル野球でへばると思ったら大間違いだ!!」

 

 グローブを一軍ベンチは突き立て、茂野が本気の眼で宣告した。

 この試合を一種のケジメにしている茂野にとって、こういった逃げ腰の野球は誰よりも嫌いなのだ。そしてマニュアル野球をも……。

 

(やはり……言ってた通りだ………)

 

 進が主審からボールを交換してもらい、茂野に投げて渡す。

 彼だけは試合前に勘付いていたのかもしれない。

 この人がどれだけこの試合を待ちわびていたのか−–−–−。

 そして、一軍に勝ったら海堂を辞めてしまうのではないか、と……。

 

 



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第二十三話 無限の可能性(後編)

 変化球のキレと制球力を武器に打者を惑わす桜庭。

 球種のバリエーションが皆無に等しいものの、最速百五十六キロのジャイロで相手をねじ伏せる茂野。

 互いが自分の持ち味をいかんなく発揮し、六回が終わるまで両者の失点は未だ0点のまま、試合は後半に差し掛かろうもしていた。

 特に茂野は六回を無安打・無四死球、奪三振数十三と完璧なピッチングが続いており、宣言通り完全試合のペースで試合を運んできていた。

 この調子なら一塁ベースを一度も踏ませずに一人で投げきる事ができると、二軍ベンチの面々は誰もがそう思い始めていた。

 

(全体的にボールが高めに浮き始めてきていた……。スピードも初回に比べてかなり落ちてたし、流石の茂野先輩も百球を目前に疲れてきてるって事か……)

 

 スポーツドリンクをゴクゴクと飲み、ベンチに深く座っている様子を見て、進は茂野の残りの体力を心配していた。

 決して人前で弱音を吐くような男ではないと知ってはいたが、球の状態や顔色を見ればやはり疲労は隠しきれていない。まだ三イニングを残し、チームに得点が入ってないこの状況。 精神的にも肉体的にも疲れていないはずがない。なんとかして早い段階で得点を入れてやりたいと進、いや、ここにいる二軍メンバー全員が同じ心中で考えているのだが−–−–−

 

「くそっ……どうしてもチャンスを作る事ができないな」

「あのピッチャー、単打を打たれてもその後の要所要所をきっちりゲッツーや三振で抑えるからな。簡単には点をやらないって訳か」

 

 七番から始まる七回の表の攻撃。

 先頭の泉が粘りに粘って八球目のカーブを右方向に持ってくも力が足りずライトフライ。矢尾板は高めの釣り球を振らされ、三振に終わった。そして二巡目最後の打席に茂野が向かうも、初球のカーブを引っ掛けてショートゴロ。休む間もなくチェンジとなった。

 

「……ここが正念場ね、茂野君」

「ええ……一番から始まるこの回。 一軍もそろそろ攻撃に転じてくるかもしれないわ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 重い足取りのままマウンドに上がり、三球だけ投球練習をした。さっきの回よりも球のスピードは落ちてきてるし、ジャイロ特有のノビも弱まっていた。

 寺門先輩から今日のスコアブックを見せてもらったが、向こうが74球投げているのに対し、茂野先輩はあと二球で百球を越えようとしている。 これがどういう意味を示してるか、キャッチャーである僕自身が一番よく知っている。

 

(このペースじゃ完投するのはまず不可能だ。それどころかこの回を投げ切ることさえ難しい……)

 

 本人の前ではどうしても言いにくい話だ。本当だったら眉村先輩に交代してもらうのが確率的に一番良いのだが、茂野先輩がそれを許すとは考えられない。誰よりもこの試合を待ちわび、完投すると言った手前、降板を進言しても断られるのが目に見えているから。

 

(兄さんのように変化球も織り交ぜられてたらまだ何とかなっていたかもしれないけど、ここにきて真っ直ぐしかないのが痛手に……)

 

 ううん、弱気な考えはよそう。

 たとえ真っ直ぐしかなくったって、六回まではパーフェクトに抑えてこれたんだ。今はどうリードすれば一軍を抑えられるかだけに集中だ。

 インコース低めにサインを出して構える。球威が落ちてるとは言え、まだスピードは百四十キロ台をマークしているはず。コントロールさえ間違えなければ抑え込む事は可能だ。

 ゆっくりと振りかぶり右足を上げる。

 だがボールは僕が構えている所より遥かに高いコースに投げ込まれた。そんな甘い球を海堂の一軍が見逃すわけがなく、カキィィンッ!! と綺麗な金属音を奏でながらセンター返しをしてきた。

 

「っ!、センター!!」

 

 明らかに失投だ。

 力の無い一番打者だったから被害が少なくて助かったが、これを千石さん相手にやってしまってたらスタンドインは確実だった。

 やはり一軍はこの回に攻撃の照準を合わせにきたか……。

 追い込まれるまでは甘く入ってもボールを見送り、ツーストライクからはバットを短めに持って極力カット。スタミナを削るために上位打線がバントで茂野先輩を揺さぶってきたりもしていた。僕も極力省エネピッチングを心がけてリードをしてきたけど、流石は日本一のマニュアル野球。 あかつきとはまた違う"いやらしさ"が感じられる。

 二番の大島さんは既に送りバントの構えだ。手堅くランナーを進めるつもりらしい。

 

(ここは無理にゲッツーを取りにいかなくてもいいです 素直にバントさせましょう)

 

 セットアップからの一球目−–−–−–−–外側へ微妙に外れてボール。際どかったけどバットはしっかり戻している。

 二球目はベース手前でワンバウンドとワイルドピッチ気味の不安定さ。その次も打者の腹部を掠めそうなくらいの危ない球だ。

 

「先輩落ち着いて!球は走ってますよ!!」

「……ん…ああ…………」

 

 反応はしているんだ。 ここが踏ん張り所ですよ、先輩! 下手に暴投でもしてランナーを進めてしまうと、四番の千石さんに打席が回ってしまう。 できればダブルプレーが理想だけど、最低限それだけは避けておきたい。

 まずはワンストライク。 ど真ん中で良いんでカウントを取りに行きましょう!

 

「っ、うらぁっ!!!」

(うっ……ボール球…!!)

 

 キャッチング時にストライクゾーンへミットをずらして惑わすが、主審はちゃんと見ていた。 右手を横にして、フォアボールの判定をとった。

 うーん……いくら体力切れと言ってもいきなり崩れた感じだ。 ど真ん中にさえ入らないとなると、やっぱり心配だ。

 

「先輩−–−–−」

「……ああ、わりぃな。 手が滑っちまっただけだ」

「そうですか……でも無理は禁物ですよ? もう百球以上は投げてるんですから」

「………………」

「……先輩?」

「ん、おお、分かったって。 ほら、そろそろ戻れよ」

 

 最後は強引に背中を押され、キャッチャーサークルに戻った。

 でも……何だろう。 初回の時の威勢の良さが完全に抜けていた。多分疲労などが原因だと思うけど、雰囲気がどこか違ってたというか………あまり上手く言えないけど、茂野先輩独特のオーラが感じられなかった。

 要するに、いつもの"覇気"ないのだ。

 

(それでもここは集中しないと。 ランナーは一・二番なんで一度二塁に牽制を)

 

 指を立てて牽制を送る。そのはずだったが−–−–−

 

(えっ、茂野先輩!?)

 

 僕か声を出して止めるよりも先に、茂野先輩は投球動作に入ってしまっていた。

 ランナーもそれを見て、スタートダッシュを切った。

 

「!、サード!!」

 

 三塁に送球するが、ランナーの足が先にベースへ届き、セーフ。その間に大島さんも盗塁を決められ、ダブルスチールとなった。

 牽制の指示を出していたから膝を地面についた分、スローイングの動作が遅れてしまっていたのが原因、か。

 

「すいません、タイムを」

 

 薬師寺先輩がタイムを取り、3人がマウンドに集まった。

 

「おい、どういう事なんだ? ランナーがいるってのに牽制の一つもやらないなんて……無警戒過ぎにも程があるぞ。 ちゃんとサインは出してたのか?」

「はい……確かに二塁へ牽制を送るサインを出しましたよ」

「何っ……? おい茂野、お前ちゃんとサイン見てたのか?」

「っ……悪りぃ。 見落としてた」

「見落としてたってお前………ちゃんと集中−–−–−」

「薬師寺先輩、待ってください。 今のはランナーがいたのに膝をついて捕球した僕の甘さが招いた結果です。茂野先輩は何も悪くありませんよ」

「!…………」

「いや……けどな……」

「大丈夫。 まだ点を取られたわけじゃありませんから。 後続を断ち切れば何の問題もありません。 ここは茂野先輩の力を信じましょう」

「…………本当はもうダメだと思ってるくせにな……」

「? 何か言いましたか?」

「ちっ、何でもねぇよ。 抑えりゃいいんだろ、抑えりゃ」

 

 一通り話をまとめ、それぞれが元の定位置に戻った。

 三番を打つ菊池さんはアベレージヒッターながら長打も狙える中距離打者。 安易に簡単なコースは突けないけど、千石さんほど脅威ではない。流れを引き戻す為にも、この打者を取りこぼす訳にはいかない。

 

(まずは低めからで)

 

 両手で低く低くとジェスチャーし、先輩が頷く。

 荒れ球の不安があったが、ボールは指示した場所にしっかりと収まった。

 

『ストライーク!!』

 

 よしよし。カウントが不利になる前にストライクを取れたのは大きい。 海堂のバッターは甘いコースにボールが来る以外、どんなに遅いボールでもコーナーに決まれば積極的に振りにはいかない。 一打席ごとに情報を改正し、体中にインプットさせてから打ちに行くのがバッティングのマニュアルだ。それを逆手にとっていけば、高確率で追い込ます事だって難しい事じゃない。

 

(二球目は外に外しましょう。 でも分かるように外すより、枠の境目から微妙に出ていく感じで)

 

 サードランナーを一度見て、左腕を振るう。

 悪くない振りだ。フォアを出した時より躍動感が出ていた。 コースもほぼ完璧に制球されているし、これならスイングしに来ないだろうと決めつけていたが、

 

 何故か ッギインッ!と鈍い音が聞こえた。

 

 ボールは弱々しくセカンドの後ろへ飛んでいく。

 ……あの角度、あの強さ。 まさか−–−–−

 

「渡嘉敷どけ! 俺が捕る!」

 

 体勢が悪いと矢尾板さんが判断し、自ら走って捕りに行く。

 地面に落とさないよう、懸命に手を伸ばすが、運良く二人の間にボールが落ち、こちらとしてはアンラッキーなポテンヒットとなった。幸いにも浅い当たりだったからランナーはホームを狙わずに済んだけど、これでノーアウト・フルベースの大ピンチだ。

 前進守備にしておけば余裕で捕れたかもしれないのに……。後悔がだけが強く残り、次のバッターは−–−–−

 

「良くやったよお前。 その力押しのスタイルでここまで成り上がったんだからな……

 

 

  だが、残念ながらお前のサクセスストーリーもここまでだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 体が重く、指に力が入らない。

 何てこった………あんだけ大口を叩いといてもう疲れてきたとはな……。相変わらず俺の嫌いな野球をしてくる奴等だぜ。今じゃ軽く褒めてやるよ。

 だが……俺は諦めるわけにはいかねぇんだ。ここでギブアップしたらそれこそ江頭の思う壺だ。 決められた事しかできないマニュアル野球に呑まれるなど、俺のプライドが許せねぇ。

 野球ってのは、目の前の倒したいライバルがいて、隣には同じ時間を過ごした仲間がいて、最後には勝利っつうかけがえのない資産があるから面白いスポーツなんだ。だから、海堂みたいな誰かが指示したプレーしか選択できず、確率でしか決めれないそのやり方が、俺はずっと許せなかった。 それを証明した上で俺はここを出て行くつもりだったのに……ここでこのザマじゃ俺は海堂を去る資格はねぇってことになっちまう。

 

「さぁ、来いよ。 俺がしっかりトドメを刺してやるからよ」

 

 ノーアウト満塁でバッターは最強のスラッガー、千石。

 所謂"絶体絶命"ってやつだな…………。

 今の俺が千石と真っ向から勝負をして勝つ確率は限りなく低いかもしれないが、それでもここを抑えなきゃ俺に明日はない。それ以前に敬遠ができない時点で勝負以外道はないけどな……。

 進がアウトコースにミットを定め、俺も頷く。

 さっきは本当に悪かった。思い通りのピッチングができず、自分の事しか考えてない結果、サイン無視と言うあってはならない失態を犯したんだ。許してくれとは言わねぇよ。その代わりこのリーゼント頭を抑えたら…………チャラにしてくれ、よ−–−–−!!

 

 

 

 

  ッキイィィィィンッ!!!!!!

 

 

 

「なっ!?」

「−–−–!!」

 

 瞬間−–−–−俺はライト上空へ顔を向けた。

 風向は不運な事に追い風、しかもボールはグングンと場外ホームランを止める為のフェンス目掛けて飛んでいる。

 一瞬でどうなったのか、理解はできていた。 フェンス越えはもう……免れないだろうと。

 進も、守備陣も、ベンチも、ただ呆然と打球の行く末を追いかけている。

 ライトポール際。切らなければこれが痛恨のグランドスラム。心の中で「入るな!!」と強く渇望するが、無情にも打球は衰えないままフェンスへ到達した。

 

 

 

『ふぁ、ファール!』

 

「ちっ……」

 

「あぶなぁ……あと何センチ言うとこやで」

「でも入らなくて良かったよ…」

 

 セットポジションになってから球速が落ちた分、芯をずらしていたのか……ふぅ、危なかったぜ………。

 しかしこれで投げれるコースがもうないぜ。進の奴、一体どうするつもり−–−–−

 

「−–−–−−–−–−っ?」

 

 胸が……苦しい……っ……。まだ点を取られたわけじゃないのに、千石を見ていると……

 

 う、打たれる−–−–−−–−–−。

 

 これが甲子園で名を連ねる強打者の威圧感か?

 それともこの状況に俺が動揺しているのか?

 はたまたその両方なのか?

 よくわかんねぇけど…………奴を見ていると体が震え…て……。

 

 

  −–−–−打たれるのが、怖い。

 

 

(くっ、くっそおおおっ!!!!)

 

 全力で腕を振るが、ボールはそれを裏切るかの如くストライクゾーンから逃げていく。 脳ではカウントを取りにいかないとダメなのは分かっている。分かっているんだが…っ…………頭の片隅で奴を怖がっているせいか、思ってる場所へ投げる事ができない。

 

 

「逃げてる」

「えっ?」

「いつもあんなに強気な男が、千石の出す研ぎ澄まされたスラッガーの気に、初めてマウンドで怯えてるのよ」

「あの茂野君が……?」

「ええ。それにこのままだと彼、確実に潰れるわよ静香。もうここで眉村君と交代させた方が良いんじゃないかしら」

「………………茂野君……」

 

 

『ボールスリー!』

 

 駄目だ! 全然ストライクが入らねぇ!!

 腕が振れない。球が思ってるとこに投げれない。

 やはり……まだ早かったのか、俺は。こんな程度終わっちまうなんて、所詮俺の実力はこんなもんだったのかよ。

 はは……これ以上頑張っても後は打たれるのが目に目に見えてる。だったらいっその事、もう交代した方が良いんじゃ…………

 

 

「すいません。 タイムをお願いします」

 

 もう諦めかけたその時−–−–−

 一人の選手がタイムを取って俺の元へ歩いてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明らかに様子が変なのが、十メートル以上離れたこの場所でも感じ取れた。

 ただ単に満塁だからとか、そんな小さな事で動揺しているわけじゃない。 先輩は……千石さんに打たれるのが何よりも怖いのだ。

 この試合に対する異常なまでの意気込み、やる気、そしてハイペースなまでの体力配分。常に全力がモットーの不器用なスタイルが仇となり、誰よりも勝ちたいと思っている強い意志から、千石さんのオーラに押されて誰よりも負けるのを恐れる、簡単に言ってしまえば"臆病"に変わっていたのだ。

 マウンド上で怯えてる投手など、強打者からすれば最高の獲物であり、カモだ。 このままじゃ試合を炎上させるよりも最悪な結果になりかねない。 茂野先輩のプライドが潰れる前になんとかしなきゃ……。

 

「すいません。タイムをお願いします」

 

 堪らずタイムを取り、マウンドへ歩み寄る。

 茂野先輩が疲労と動揺が合わさった顔で僕を見た。そして意外にも、先に口を開いてきた。

 

「……進。俺はもう駄目だ」

「………………」

「見てただろ? 厳しいとこを突いたって簡単にスタンドまで運ばれちまう。体力だってもう残ってないし、今の俺じゃ気持ちの面でももうお手上げだよ。悔しいが、江頭の言った通りだよ」

「………………」

「お前から監督に交代を言ってくれないか? 不本意だが、眉村に継投させた方が勝つ確率は高いし」

 

 

  …………嫌ですよ……

 

 

 

「えっ……?」

「自分が売った勝負を逃げるなんて、そんなの僕は嫌ですよ!! 仮に眉村先輩に代わって勝ったとして、その後先輩の手元に何が残るって言うんですか!!」

「進…………?」

「僕は……入学前から知ってましたよ。茂野先輩が一軍を倒したら海堂を去るって。 全て兄さんと佐藤先輩から予め聞いてました」

「! そう、なのか……」

「初めはどうして自分から辞めるのか、意味が分かりませんでしたよ。あかつきと並んで一、二を争う超強豪校。ここなら甲子園はおろか、プロ入りだって最短距離で実現できる。そんな良い場所を自らざるなど……嫌な言い方をすれば馬鹿ですよ」

 

 兄さんだって言ってた。

 茂野の考えてる事は一ノ瀬先輩や葛西先輩と同じで馬鹿だって。強豪校からの推薦を蹴ってまで、一から部を、チームを作って日本一になろうなど、限りなく不可能に近い事なのに。

 

「……でもそれは、僕が勝手に決めつけた事かもしれない。先輩と数ヶ月共に過ごして、やっと理解し始めたんです。皆さんが目指したいモノが。その先に待ってるのは優勝より遥かに価値のあるものなんだって。それを……それを分からせてくれたのは先輩じゃないんですか!?」

「!!」

 

 兄さんや眉村先輩、佐藤先輩、全国各地で日本一を狙う強者達を倒したいからだ。海堂みたいな完成されたチームで勝てたとして、残るのは優勝という肩書きだけ。 あかつきからの誘いを断ったあの二人と同じ、

 

  三人はそう言った強い高校を敵に回し、倒したかった。

  心から燃え上がる試合が、感動をくれる試合がしたかった。

  そして何よりも−–−–−真の栄光を自分達の力で掴みたかったんだ。

 

「…………ワインドアップで投げてください。 そっちの方が先輩、投げやすいでしょう? 僕はこの試合、茂野先輩に完投勝利をプレゼントするまで、絶対諦めませんから」

 

 ボールをグローブに入れてあげ、僕は定位置に戻った。

 ビビるなんて茂野先輩らしくないんだよ!! とか、精神的にキツイ言葉をかける事も考えてたけど、臆して自分を見失っている今は、もう一度何の為にこの試合をしてるのか、改めて認識させる方が目が醒めるだろうと思い、あんな言葉を僕はかけた。

 

 

 

 

 そうだ……進の言う通りだ。

 この試合を自分への最終試験にしてた癖して自ら逃げるなんてな。俺とした事が……そんなんじゃ海堂を辞めた後もまたビビって逃げてたはずだ。 俺の取り柄っつったら相手をねじ伏せて勝つだけだろうがよ。下手な小細工や弱気な戦法じゃ勝てる試合も勝てねーよな。

 

(へっ……あんがとよ、進。 お前のお陰で思い出したぜ!)

 

 もう迷いはねぇ!

 どんなに疲れてようがそんなもん、気合で吹き飛ばしてやるよ!

 まずはアイツを……倒す!!

 

「っ……うぉぉぉぉおおっ!!!!!」

「!?、くっ!」

 

 ッギィン!

 金属バット特有の高い音が耳に入る。ボールは真芯でインパクトされていた。 だが今度はボールの力に押され、 バックネットへ回転がかかったまま飛んでいった。

 

『ファール!』

(こ、コイツ…っ………)

(ふぅ〜……へっ、どんなもんよ!)

 

 ジャイロに力が、キレが、重みが、スピードが戻った。体は相変わらず重いが、心はさっきより吹っ切れて軽い。これならいける……俺は…まだ投げれる!

 

(ちっ……さっきまでボロボロだったくせに足掻きやがって……お前はもうここで終わりなんだよ!!!)

 

 ふ、流石は海堂の四番だぜ。

 復活直後の俺のジャイロボールを一発でカットしやがった。

 でもな、カットばっかするって事は、逆に言えばカットしかできないともとれるんだぜ? マニュアル野球を真っ向から否定する気はないが、俺は俺のスタイルで頂点に行く!

 ここで躓く訳には……いかねぇんだよ!!!

 

「っうぉらっ!!」

 

 インコース低め、胸元、アウトロー、高め。

 どこを突いてもアイツは喰らい付いてカットしてやがる。って事は投げる場所がもう無−–−–−−–−–。

 

(いえ! まだココがありますよ!)

(……ああ。やっぱ俺にはそこしかねぇよな!)

 

 サインに頷き、大きく振りかぶって九球目を投じようとする。

 今コイツを倒すのに必要なのは圧倒的スピードでもパワーでもない。

 野球本来が持つ楽しさを、面白さを感じ、その想いの分をボールに込めて放つだけだ!!!

 

 

 ど真ん中のコースをバットが空を切り、千石が派手に一回転した。

 

 

 帽子が落ちた時、俺は空に両腕を掲げたガッツポーズを決めた。

 

 

 その日、自己最速記録となる、百五十七キロに−–−–−。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もしもし、兄さん? 今時間あるかな?」

 

 壮行試合終了後、僕は寮の公衆電話を借りてある人物の元に電話をかけていた。

 僕が尊敬してやまない、追い付きたい人だ。

 

「……何の用だ? くだらない話ならすぐ切るぞ?」

「今日ね、一軍と二軍で壮行試合をしたんだ。 二軍の先発は茂野先輩でね」

「…………結果は?」

「三対0で二軍が勝ったよ。最後は茂野先輩の勝ち越しツーランと完投勝利のおまけ付きでね」

「ふ、そうか……まさか彼が一軍に一人で投げきるとはね……少し予想外だったよ」

 

 誰もが失点を覚悟したあの場面。千石さんを百五十七キロの超豪速球で三振に取ると、それまでのピッチングを汚名返上する勢いで投げ、結果、三者連続三振で大ピンチを切り抜く事ができた。

 試合が動き出したのはその直後の八回表。ノーアウトランナー無しで僕に打順が回り、低めのストレートを弾丸ライナーでバックスクリーンに運び、この試合初めての得点が入った。 完全に立ち直った茂野先輩はその後も驚異的な投球を続け、八回の裏も三者連続三振を成し遂げるなど、勢いが止まらなかった。

 最終回に一軍きってのエース、ジャイロボーラー榎本さんを導入するも八番に代打で出た眉村先輩がセンター前ヒットで塁に出ると、続く茂野先輩が渾身のジャイロを電光掲示板を破壊するまでの力でホームランを放ち、試合をほぼ決定づけた。最後の守りもセカンドフライ、ファーストゴロ、三振でそれぞれ抑え、見事一安打の完封勝利で二軍が勝ち、今年の壮行試合は終了となった。

 

「それで……茂野は本当に海堂を辞めたのか?」

「うん。さっき二軍監督に退部届を出しに行ったらしいから、早くてもう明日には寮から出て行くと思うよ」

「そう、か。 まぁ彼らしい選択だな。 人に流されず自分の道を信じて進む所は大地そっくりの性格らしいな」

「ふふ、そうだね…………あ、兄さんの方はどう? もうすぐ夏の予選も始まるし、調子とか良い感じかな?」

「調子もなにも、この時期になってあかつき大付属のエースが不調など、許される事じゃないだろ? 今年も万全の体制で日本一を取りに行くさ」

「それを今度は僕が止めるよ。 兄さんの連覇をね」

「……ハハハッ!面白い! それが嘘が誠かは、甲子園のグラウンドで会おう。 進があかつきを断って海堂を選んだ選択を、見せてもらおうか!」

「ええ。絶対僕は負けませんからね!」

 

 ああ、とクールに笑いながら、兄さんは電話を切った。

 僕があかつきの推薦を蹴って海堂を選んだ理由。それは兄さんを敵に回したかったからだ。いつも僕の一つ先を行く兄さんの後ろ姿が無性に悔しくて、追い越したかった。 兄さんを倒して僕が本当の猪狩だって事を証明したかったのだ。でもそれは、今考えてみればやりたかった事は茂野先輩達と何ら変わりなかったんだ。 選んだ高校、選んだ道は違っても、倒したいライバルがいて、頂点に立ちたいって面では全く一緒の考えだったんだ。強豪校に行かず、無名の高校で新チームを作って一から日本一を目指す一ノ瀬先輩達の姿に、いつしか僕の気持ちは動かされ、僕も大好きな野球で自分の価値を知りたいと、そう考えさせてくれたんだ。

 だから……僕は身内が誰もいないこの学校を選び、自分のレベルアップと密かな野望の為、この選択をしたんだ。

 

「待ってて下さいよ兄さん……一ノ瀬先輩。僕が必ず海堂をNo.1に導いてやるんだから!」

 

 今年はどこ勝ち上がり、どのチームが深紅の優勝旗を手にするのか。

 球児達が夢見る舞台、夏の全国高校野球まで、あと約一ヶ月−–−–−。

 

 



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第二十四話 夏の始まり

「これで全員揃ったな?」

「うん!」

「おう!」

「ええ!」

「ああ」

「よし。じゃあ入るぞー」

 

 六月三週目の金曜。

 俺達はここ、抽選会場でもある神奈川総合体育館に訪れていた。既に入り口付近では受け付けを済ませた高校が抽選の予想をしていたり、緊張した顔付きでこれから受け付けを済ませる学校など、それぞれが色んな想いを持ってこの場所へ集まっていた。

 

「ここが抽選会場……当たり前だけど随分人が多いわね」

「おいおい…何か皆強そうに見えるけど、俺たち大丈夫か……?」

 

 俺の隣で涼子と今宮が緊張気味に言葉を漏らした。

 そりゃ無理ないわな。だって俺たちはこれが最初の大会なわけなんだし、他校の緊迫した表情とか見てると俺でさえ心臓がバクバクしちまうからな。まぁ八木沼と友沢と東出は表情を一切変えずクールなままだから頼もしいけど、他のは聖名子先生も入れて、今にも生唾を呑んじゃいそうなくらい不安になってやがるぜ。

 

「なぁ一ノ瀬。今年はどの高校が有力そうなんだ? 一応データとかはもう集めてるんだろ? 」

 

 八木沼が興味深々に俺へ聞く。

 

「まあな。 去年の秋季大会の結果などを参考に一応俺なりに分析はしてみた。そん中で頭一つ飛び抜けてんのが海堂高校と帝王実業だな」

「やはりその二校は別格ってわけか」

「ああ、ヤバすぎる程にな。 どちらもエース格のピッチャーをトップに置き、上位打線の機動力、クリーンナップの打撃力、センターラインを中心にしたバランス力、それら全てを高次元に持ってるチームと言えるんだ。 毎年この二校と初戦で戦うチームは神奈川全体で"不運の年"と嘆かれてるくらいだ」

「帝王か…………」

「ん? どうした友沢?」

「いや、何でもない」

 

 ……気のせいか? 今友沢の声が低い気がしたが、帝王と何か因縁でもあるのか? 確か中学の時は帝王中で野球をしてたって話だけど……

 

「大地、あそこを見てみろ。噂をすれば、だぞ」

 

 聖ちゃんが指差す方向へ目を向ける

 他とは違う、プロを意識した独特の雰囲気。後ろで何人もの記者たちが写真を撮り、周りの奴等を小さく縮こませるまでの威圧感。今年も神奈川県の王者として、その風格と実力を積んできたってわけか。

 

「海堂……高校」

 

 海堂史上最強にして最恐である四番の千石真人。

 ジャイロボールを主軸に多彩な変化球で変幻自在のピッチングをする榎本直樹。

 そして一年時から雑誌やテレビで騒がれまくった新エース候補、眉村健。今では猪狩の一番のライバルと注目されてるらしいが、それに見合った実力も当然つけてきている。

 あの怪物達を倒さない限り、タチバナが甲子園に行く事はまずはない。最後の最後で立ちはだかる、神奈川一の難敵と言っても過言でないくらいだ。

 

「!、おい一ノ瀬。アイツって……」

「……らしいな。まさかもう一軍に上がれてたとはな」

 

 −–−–−–−–猪狩進。

 頭脳的なリードと広角打法が持ち味の名捕手だ。

 あかつきの誘いを断って海堂に入った事は知ってたが、まさかこんな早くに一眼昇格できたとはな……正直驚いたぜ。

 進と目が合う。 向こうも俺に気が付き、軽く一礼して直ぐに人混みの中へ消えていった。

 昔の先輩だからとか、そんな甘い考えは全て捨ててきたってようだな。顔つきも中学の時とは比になんないまでにたくましくなってやがる。

 

「私達、あんな強いとこに勝てるかな……」

 

 ブルブルと震えながら、涼子が呟く。

 涼子だけじゃない。他の皆も張り詰めた表情で海堂ナインの後ろ姿を見つめている。

 世間一般からみりゃ、俺たち新参者が優勝するなど誰も予想しないだろう。それどころから、まだ名前さえも正確に伝わってない弱小校。それが今の聖タチバナだ。

 だけどな−–−–−

 

「俺たちだって負けてないぜ、涼子」

「えっ……?」

「個々だけの力じゃ十歩も二十歩も先に進んだ海堂には敵わない。でも、例え一人一人が強くたって百パーセント勝てるって保証はないだろ? 大事なのは一人だけで点を取るホームランじゃなく、繋ぎに繋いだ全員野球で点を取ること、つまり"チーム力"なんだ」

「チーム、力……」

「一からチームを作ってから、全てが上手くいったわけじゃなかった。 ここへたどり着くまでに色んな壁にぶつかり、時には逃げたいとも思った。 それでもこの舞台にまで来れたのは、紛れもなく隣にいる仲間が居てくれたからさ。 悔しさの分なけ涙を流し、嬉しかった分だけ笑いあってくれるそんな仲間。 底辺から始まった俺たちだからこその最強の武器だと、俺は思うぜ」

 

 さっきまで縮こまってた皆が、俺の言葉で明るさを取り戻した。

 そうか……全員考えてる事は一緒ってわけか。才能や能力で足りない物をどう補うか、タチバナ流のハングリー精神を培ってきたんだな。 ふ、それなら話は早い。

 

「あれ? もしかして大地?」

 

 人が多くて聞き取りにくかったが、何処かで聞いた事のある声がする。

 キョロキョロと辺りを探して見つけようとするが、俺よりも先にみずきちゃん達が「あ、」と大きく声をあげた。

 

「あおい! 雅!!」

 

 みずきちゃんが手を振って名前を呼ぶと、ピンク色のユニフォームを着た野球部員が笑いながら走ってきた。するとこちらの女の子三人も嬉しそうに笑い返した。

 

「久しぶりー! 活躍は聞いてたわよ。 あおい達、秋は随分勝ち進んだらしいじゃない!」

「うん! でもベスト四決めで海堂に負けちゃったけどね……」

「いや、それでもあのメンバーでコールドゲームにならなかっただけ、私は凄いと思うぞ。 相手は甲子園で百戦錬磨を戦い抜いたチームだからな」

「はは、そう言ってくれると嬉しいな」

「でも私達だってこの数ヶ月、単に試合出てないだけで終わったつもりじゃないわよ!」

「……涼子の言う通りだ。 地道ながらも私達は一歩ずつ、確かに進歩してきた。 前に合同合宿をしてた頃と考えてたら大間違いだぞ」

「むー……それでも勝つのは恋恋なんだから! ね、雅?」

「え、あ、うんっ!!」

 

 ……男子完全に空気と化してるな。

 女子の間ではもうコングが鳴らされた状況になってるぞ。

 で、こちらは−–−–−

 

「蓮太さん、お久しぶりです」

「お、はるかちゃん久しぶり。 この前はありがとね。お陰で勉強がはかどれたよ」

「いえいえ。私はただ解答のヒントを言ってただけですし、大した事はしてませんよ」

「でも全然教えるの上手かったよ? はるかちゃんって学校の先生になれるんじゃないかと思ったくらいだよ」

「ふふっ。 ありがとうございます♪」

「…あ、そうだ! 勉強も良いけど今度は遊びに−–−–−」

「待て待て待てでヤンスーぅ!!!! リア充はこのオイラが許さんでヤンスよ!!」

「うおっ!? んだよ矢部! お前には関係ないだろ!?」

「関係ありありでヤンス! 今宮君はオイラと共に最強のガンダーロボオタクになるでヤンス! それにはるかちゃんはオイラのよm−–−–」

「ふっ!!」

「ぐぎゃああああああああ!!! 目がっ……目があぁぁ……」

「はるかに変な事吹き込んだらボクが許さないよ!!!」

 

 うわぁ……あおいちゃんの鉄拳がモロに矢部君の顔面を捉えたぞ……。 しかも矢部君のセリフかム○カになってるし……大丈夫か?

 

「ははは……大事な抽選前に騒がしくてゴメンね」

「いや。お陰で肩の荷が降りたって感じだぜ」

「……久しぶりだね。大地」

「……おう。 春見もな」

「友沢君に今宮君、八木沼君。少数ながらも精鋭揃いだね。投手も女性を中心に層が厚い。 名門校が多いここ神奈川でも好成績を狙う事は充分に可能だよ」

「そりゃどうも。お前らだって負けちゃいないぜ?」

「はは、どうかな。 ベスト八とはいえ海堂には9対2で完敗だからね。今回も厳しい戦いになりそうだよ」

「……だな」

 

 春見の右手をチラッと見ると、色んな箇所に大きなタコやマメができていた。キャプテンである自分が下手なプレーでチームに迷惑はかけないぞと、そう主張するかのように痛々しく絆創膏が貼られている。

 

「葛西。そろそろ会場に入るぞ」

「うん田代。 じゃあ僕たち、もう行くね。 もし恋恋とタチバナが当たったらお互いに良い試合をしよう」

「おう。こっちだって負けねーからな」

 

 春見から手を出し、俺も握手に応じる。

 唸っている矢部くんを田代が引き、その後ろをあおいちゃんと雅ちゃんが遅れて付いてった。

 −–−–−恋恋高校。 侮れないチームだ。

 

「先輩! そろそろ中に入りましょうよ!」

「ん……おお、そうだな」

 

 入り口で受付を済まし、二階に位置する体育館の扉をくぐる。

 舞台中央にトーナメント表が書かれたボードが貼られており、上からスポットライトが照らされている。舞台横には番号が書かれた紙が用意され、連盟の関係者と思われる人たちが抽選にあたっての最終チェックをしていた。

 一番後ろから空いてる席があるか探し、真ん中から少し左の場所に全員分の席があったのでそこへ座った。

 

「何か……緊張するわね…」

「…うむ。 私たちは二年生だが初めての抽選会だからな」

「大島、東出。 会場の雰囲気とかよく覚えとけよ。 来年の秋からは二人が主役だからな」

「う……うっす……」

「ぷっ。 なんだお前、緊張してんのか?」

「べべっ、別に緊張なんかして、ねぇよ……」

「やれやれ……そんなんじゃ来年はくじ引けないな。 キャプテンがそんなんじゃ後輩もついて来たいと思わないぞ」

「う、うるせぇ! ただの武者震いだっつーの!」

 

 とても武者震いには聞こえない声になってるぞ。練習の時とかは今宮と並んで元気ハツラツに盛り上げてたが、大舞台になると極度のアガリ症になるのか。一切動じないウチのクレバー三人衆(八木沼、友沢、東出)を見習ってほしいぜ。

 とは言え、俺も多少は緊張してるけどな。 抽選のクジを引くのは各校の野球部主将が基本だから、タチバナで代表として出るのは俺だ。普段の生活とかだと運気はある方だと自分では思うが、ここでは別。俺の引いた番号でチームの命運が決まってくるとなると、否応にもプレッシャーってもんがのしかかってくる。

 

「今年も役者揃いの年になったな」

 

 友沢がふと呟く。

 目線の先は三段前に座っている黒いユニフォームのチーム。

 

「帝王か……」

 

 海堂高校ができる十年前まではここ神奈川県で毎年のように連覇をし、その後も常にベスト4以上には必ず入る古豪だ。

 

「ねぇ友沢。 アンタ中学は帝王中にいたんでしょ? どういった選手がいるのか教えなさいよ」

「はぁ………仕方ないな」

 

 みずきちゃんに帝王についての質問をされ、友沢が渋々答えた。

 

「このチームはエースと呼ぶピッチャーが二人いて、一人目は帝王シニア上がりの山口賢。百四十キロ台の快速球に加え、打者の視覚から突然消える、巷では『おばけフォーク』と呼ばれるフォークボールを武器にする選手だ」

「おばけフォークかぁ………私と大地も結構苦しめられたわね」

「ああ……そういややったな。 懐かしい記憶であり、苦い記憶でもあったよ」

 

 昔、俺と涼子は帝王リトルと試合した事があるからな。 その時も山口のフォークには結構苦しめられたぜ。 確か初打席は弱々しいポテンヒットだったっけな? たまたま先読みしてたのが運良くバットに当たったから良いけど、今じゃ落差が違い過ぎてそれだけじゃ厳しいわ。

 

「で、二人目が香取圭吾。橘と同じ横手のサイドスロー型だ」

「私と……同じ…」

「だが奴も山口同様、非常に強力なウイニングショットを持っている。 追い込んでからのツーストライクに決まって投げる、百四十キロ台の高速スライダーが尋常じゃないまでに曲がってくる。 右打者から高速で逃げてくあのスライダーがアウトローに決まれば、分かっていても打つのは難しい」

「高速スライダーか。 そいつはかなり厄介な球だ……」

「私も野球の事あまり詳しくないけど、皆さんの話を聞く限り、手強い相手なのは分かりますね」

「手強すぎますよ先生!! 俺も帝王出身だったんで知ってるんですけど、野手だってほぼ完成されてますよ!? まず−–−–−」

「今宮。 悪いけどそろそろ始まりそうだからまた今度にしてくれ。 しかも声がでかいから聞こえるって」

「えぇー……俺も俺なりに研究したのによぉ……」

 

 今宮の解説はまた今度聞くとして、照明が薄暗くなり始めた。

 司会が抽選会の開始を宣言すると、舞台で吹奏楽部が夏の高校野球の定番ソング、『栄光は君に輝く』を演奏する。

 ある者は夢を、

 ある者は不安を、

 ある者は希望を、

 それぞれがこの歌に自身の思いを写して聞いていた。

 

「……始まるね。私たちの夏が」

 

 演奏の音で聞き取りにくかったが、そう涼子が呟く。

 

 

   "日本一のバッテリーになる"

 

 

 それは初めて出会ったあの日から揺らぐ事のできない俺たちの最終目標だろう。

 すれ違いから大喧嘩に発展した時ら結果としては別れに至ってしまったが、あの決断は俺も涼子も正しいと思っている。

 何の為にあかつき中へ行き、何の為に涼子とバッテリーを再結成したのか、その意味を履き違えていたからだ。

 好きだから……だからこそ、お前の夢を先に叶えてやりたいんだ。川瀬涼子のピッチングがあの猪狩や眉村達をも凌駕し、真の日本一のピッチャーだって証明させたかったんだ。

 

 ギュッ−–−–−

 

「してやるから。 俺が必ず−–−–−」

「……うん…」

 

 皆に見えないよう、座席の下で手を繋いて演奏を聴く。

 必ず行ってやろう−–−–−甲子園へ。

 そして手にするんだ。 栄冠と言う名の宝を−–−–−。

 

 

 

 

 吹奏楽部の演奏、連盟からの長いお話が終わり、いよいよ抽選が始まろうとしていた。

 

『それではこれより、全国高校野球選手権大会・神奈川県予選のくじ引きを始めたいと思います。まずは昨年度秋季大会でベスト8以上に入ったチームのシード決定を行いたいと思います。 海堂学園高校、パワフル高校、帝王実業高校………………恋恋高校の計八校の代表者は前へお集まりください』

「まずはシード校から抽選か」

「トーナメントは二つのブロックに分かれてて、一ブロックにつきシード校は四つ入るんだよね?」

「まあな。ただ完全なくじ引きだから最悪の場合、海堂と帝王が同じブロックってのもあり得るぞ。 そうなっちまったらかなり厳しい戦いになっちまうけどな」

「うわぁ……それだけは勘弁してほしいぜ…」

 

 まぁあくまで確率だけどな。

 仮にそうであってもそうでなくても、どちらか片方とは絶対やるから逃れはできない。

 どうせ戦うんだったら同じブロックでまとめ倒すってのも面白いと思うけどね。

 

『海堂学園高校、一番』

 

 三年生キャプテンの千石真斗がマイクで選んだ番号を言う。

 全百十二校の内の一番は海堂高校か。これで五十六番までは少なくとも準決で海堂と当たる事が確定した。

 残る帝王やパワフルがどちらに行くか。各校が注目する中、秋に準優勝したパワフル高校が紙を選んだ。

 紙を開けて数字を確認し、三年生の石原がマイクの前に立つ。

 

『パワフル高校、五十七番』

「お、パワフル高校は海堂と逆のブロックか」

「大会防御率0点台・無四死球のエース『鈴本大輔』と、準決勝で山口からサヨナラ弾を放った『東條小次郎』は特に要注意だ。どっちもスカウトから一目置かれている存在の選手らしい」

「鈴本ねー。 シニアでは私と聖の元チームメイトだったから心強いけど、今はその彼が敵になるのよね〜……。聖も幼馴染として複雑でしょ?」

「………別に。 もし当たったとしても全力で勝ちに行く。私は試合に無駄な私情は持ち込まないのでな」

「ふーん……結構手厳しいのね」

 

 鈴本って聖ちゃん達と同じシニアで野球やってたのか。

 なら仲が良いはずなのに、みずきちゃんが鈴本の名前を口にしてから、聖ちゃんは妙に不機嫌そうなんだがそれは一体何だろうか?

 友沢と同様、過去に何かあったのか−–−–−。

 

『帝王実業高校、百十二番』

 

 紙を高々に上げながら帝王の主将であり、俺と涼子の元先輩である真島さんが力強く言う。

 おおーっ、と会場全体が盛り上がりを見せ、学校によっては大きな溜め息をつく姿があった。

 

「Bブロックにあの二校が来ましたね……」

「せやな。 ワイの予想がまんまと的中したっちゅうわけや」

「あれ? 原君って組み合わせの予想の話してたっけ……?」

「まぁ細かいことはきにすな宇津。 主将の大地からしてみればこのドローは良いんか? それとも悪いんか?」

「そうだな……まだ他のシード校が入ってないから何とも言えないけど、Bブロックに行けばあの三校全てを倒さなきゃ甲子園に出場できなくなったから、他の学校は目に血を走らせてでもAブロックを狙いに行くだろうな」

 

『恋恋高校、八十三番』

 

 おっと、そうこうしてるうちに恋恋高校もくじ引き終わってたか。

 てか恋恋の奴等もBブロックに振り分けられてやがるし……。

 こいつは俺が選ぶくじか尚更責任重大になるわな。Aを引ければ海堂と他もう一校と戦って済むが、Bに行くとそれにプラス一、最悪五十八番から八十二番の間を引くとどんなに勝ち進んでも絶対に四校と当たる場合だってある。 ここにいる学校の約九割以上はそこだけには当たりたくないだろう。 実際の話、俺だって嫌さ。

 

『では以上でシード校の抽選を終了したいと思います。 それでは続きまして、一般参加となっている百四校の抽選を行います。なお、一般参加の抽選順はあいうえお順となっておりますのでご了承ください。まずは二番−–−–−−–−–』

 

 ここで一般参加校の抽選に入り、ア行の一番から立ち上がって登壇する。

 ……緊張してきたな。確か聖タチバナはサ行の"せ"で始まるから、番号としては四十番目辺りって所か。早すぎでもなく遅すぎでもないからいいっちゃいいか。

 

「一ノ瀬」

「ん? なんだ友沢」

「……頑張れよ」

「え、あぁ、頑張るけど……?」

 

 何だこの意味有りげなセリフは?!

 まるで俺が変なくじ引きそうだから注意しろって遠回しに言ってるようなもんだぞ!

 まぁなんだかんだでどこ引いても俺は構わないけどな。色んな奴を倒してから甲子園に行けばその分だけ喜びは大きくなるし、自分達の自信にも繋がってくる。寧ろ困難な方が面白味が増えるってもんよ。

 そうこうしてる内に抽選も進み、いよいよ聖タチバナの番に回ってきた。

 

「じゃあ行ってきますか」

「頼むぞ大地」

「初戦はキツくない場所を引けよー」

 

 「了解」と短く返し、次で待っている列へ並んだ。

 俺の前に居た二人が引き終わり、次は俺の番。

 

『続いて、聖タチバナ学園高校。前へどうぞ』

 

 深呼吸でこころを落ち着かせ、登壇する。

 巨大なトーナメント表の前には先程用意されてた机が置かれていて、その上には七つの紙が置いてある。

 

「では、こちらから選んでください」

 

 優柔不断に決める事もなく一番最初に目に入った紙を取り、包みを開けた。

 番号を確認し、マイクへしっかりとした声で言う。

 

『聖タチバナ学園、八十一番』

 

 俺が番号を公表すると、舞台から見てすぐ前の左側に座る恋恋高校がビックリした顔でこちらを凝視していた。

 

「−–−–−負けないよ。大地」

 

 反対側から降段し、その戻り側に春見が小声で言う。

 ……ああ、そうか。 俺が引いた番号はそこだったのか。どうりでお前らが動揺するわけだ。

 

「−–−–−二回戦で会おう」

 

 初戦に勝てば第六シードの恋恋高校。倒して準々決勝まで進めばパワフル高校。準決、決勝は帝王と海堂が必ず来るだろう。

 恐れていた場所を、ただの気まぐれで引くとはな……。 ったく、運が良いのか悪いのか。

 

「お、帰ってきた」

「お疲れ様。 初戦は万年初戦敗退の駅前高校だから良いけど、二回戦目からあおいちゃん達の恋恋を引くなんてね……」

「いやぁ……これはですね………偶々運が悪かっただけで…」

「ううん。そうじゃないの。 寧ろ私も皆も嬉しいわよ」

「……え?」

「そうね! あおい達に成長した私らの姿を見せつける良いチャンスじゃない!」

「うむ。私も同感だ。組み合わせが悪いだけですぐ落ち込むなら甲子園には行けないからな」

「がんばろーぜキャプテン」

「俺たちの名を、全国に広めてやろう」

「……頼むぞ」

 

 はは……なんて奴等だ。こんだけ厳しいドローなのに一切ビビっちゃいない。それどころか「いつでも戦えるぞ」と言わんばかりに闘志をむき出しにしてやがる。

 そうだよな。戦う前から厳しいなんて思ったらダメだよな。圧倒的に戦力差があったって野球は何が起こるか分からない。俺たちは新参の弱小らしく、目の前の一試合を全力でやるしかないだろ。

 

「必ず勝とう。 そして甲子園への切符を手に入れるぞ」

 

 そして球児達の夏が、今始まる−–−–−–

 

 



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第二十五話 vs恋恋高校 前編

 七月一週目、第三市営球場。

 夏の県予選も二日前から始まり、各校が炎天下の青空の下、頂点を目指して熱戦を繰り広げていた。参加した百十二校のうち、百十一校の三年生はこれが最後の夏になってしまう。一年や二年のように次があるわけではなく、負ければそこで終わりだ。だからこそ得られる感動は大きく、勝った時の喜びも格別なのだ。

 

『打ったー!! 四番の一ノ瀬がレフトスタンドに突き刺すホームラン! これで聖タチバナの得点は二十点目! おそらくコールド試合は避けられないでしょう!』

 

 九時半から始まった第一試合『聖タチバナ対駅前高校』の試合。

 初回からタチバナの打線を火を噴き、一番の八木沼や二番の六道が塁に出ると、三番に座る友沢がタイムリーツーベースで二点を先取。四番の一ノ瀬はバックスクリーン直撃のツーランホームラン、続く大島もアーチを放つなど、完璧なまでに打線が噛み合い、一回だけで七点を取る猛攻を魅せた。 先発の川瀬は四回の裏までを無安打八奪三振と文句無しに先発投手としての仕事を果たし、五回の表も終わってみれば21対0とコールドゲームに必要な点数差を大幅に超える結果となった。

 

『ストライク!! バッターアウトォ!』

『ゲームセット! 聖タチバナ高校が五回コールド勝ちで二回戦進出を決めました!』

 

 

 

 

「……強いね」

 

 一塁側の観客席で観戦していたあおいちゃんが小さく呟く。

 田代や矢部君たちの提案で次の対戦相手になるであろう聖タチバナの試合を視察しに来たわけだけど……ここまで一方的な試合展開になるとは予想外だった。 決して弱いチームではないと思ってはいたが、ここまで凄いと逆に皆のモチベーションに影響が出るんじゃないか−–−–−–−。

 

「でも、あれほど強ければ相手にとって不足はないよ。 矢部君には俊足があって、田代君にはバッティング、あおいだって秋から著しく伸びたし、何より困ったら春見が何とかしてくれるから♪」

「なっ………さり気なくプレッシャーをかけてくるね、雅ちゃん」

 

 可愛い顔して言う事は案外鬼だね……。

 ま、でもキャプテンである僕がやるべき時に結果を残さなきゃ勝てるわけがないし、確かに一理ある。

 

「雅ちゃんだってあれから強くなった。 いや、ここにいる全員があの敗戦を機に確かに成長したんだ。 タチバナや他が強くったって怖じける心配はないさ。一人一人が個々の持ち味を存分に出し切って戦えば自ずと結果は見えてくるはずだよ」

「!……そうだね」

「ヤンス!」

「うん!」

「ああ」

 

 二年生達の背中を見て、後ろに座っていた後輩達も続いて「はい!」と大きく返事を返してくれた。

  秋に良い所まで勝ち上がった影響か、今年は七人もの部員を確保できた。しかも中学時代の時に既に経験している部員もいるから、実力を見ても悪くないセンスだと僕は思っている。

 

(……大地。 二回戦はそう易々と勝たせないからね。 甲子園に行くのは僕達恋恋だ−–−–−)

 

 君が聖タチバナに入った理由−–−–−次の試合で聞かせてもらうよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一回戦から三日が過ぎ、大会は順調に二回戦目を消化していった。

 それは俺達も例外ではなく、今日は午後十三時から第二試合目として入っている。

 

「ナイボッ! あと三球な」

 

 シードノックを終えてベンチで休む皆の近くで、俺は涼子のアップを手伝っていた。

 ストレート、カーブ、縦スラ、ムービング。 どの球種も良い具合に仕上がっており、コントロールの乱れも殆ど無かった。 後は俺がスタミナ配分とリードにさえ注意すれば恋恋相手でも充分に戦えると思う。

 

「……よし。 じゃあここまでにしよう。 今日はいつも以上にキレも良いしコントロールも良い。 だけどペース配分だけは気をつけろよ。いくら調子が良くてもこの暑さでバテたらシャレにならないからな」

「分かってるわ。 水分もこまめにとって完封するつもりで今日は投げるわよ」

「ふ、それだけやる気があれば不可能じゃないな。 今日も頼むぜ、相棒」

「ええ! 私も大地も信じて投げるわよ」

 

 俺を信じて……か。 その言葉、女房役の俺にとってどれだけ救われる言葉だろうか。 試合前だってのに泣かせでくれるぜ。

 ベンチに戻ると休憩していたはずのメンバー(主に初回から打席が回る上位打線)が前で素振りをしていた。 一塁側に目を向けてみると、今日先発のあおいちゃんが投球練習をしていた。 なるほど……少しでも早く変則投球術に慣れておく為にタイミングなどを計っているのか。 だったら俺も……と言いたいが、恋恋も丁度今シードノックを終えたから時間が取れないな。

 

「仕方ないな………じゃあ皆、集まってくれ」

「キャプテン。 何が仕方ないんすか?」

「ん、俺の独り言だから気にするな。 そんな事よりも今日のオーダーを発表するぞ」

「お、待ってましたー!」

「今宮。別にお前は待ってなくていいぞ。 前の試合で四タコを喫した奴を出すつもりはないからな」

「ちょっ!? 寧ろその逆だろうが! まぁクリーンナップ様達のお陰で打点が無かったけどよ……」

「あおい達の前で下手なプレーしたら承知しないからね」

「みずきの言う通りだ。 エラーや三振をしたら次は無いと思った方が良いぞ」

「さっきから皆酷くない?! そんなに俺へプレッシャーかけて楽しいの!?」

 

 ふ、この絡みもすっかり見慣れた風景になったな。

 チームきっての守備の名手、なによりもグラウンドの真ん中で一番声出して頑張ってる熱血バカをそう簡単に落とすわけないぜ。

 

「さてと、お喋りはここまでにしてオーダーを発表するぞ。よく聞いとけよ−–−–−」

 

 

 

 一番 センター   八木沼

 二番 レフト    原

 三番 キャッチャー 一ノ瀬

 四番 ショート   友沢

 五番 サード    大島

 六番 セカンド   今宮

 七番 ファースト  六道

 八番 ライト    笠原

 九番 ピッチャー  川瀬

 

 

 ちなみに恋恋高校のオーダーは、

 

 一番 センター   矢部

 二番 ショート   小山

 三番 サード    葛西

 四番 キャッチャー 田代

 五番 レフト    木村

 六番 セカンド   本村

 七番 ライト    後藤

 八番 ファースト  安藤

 九番 ピッチャー  早川

 

 

 

「今日は前回のオーダーを軸に少しいじってみた。 ライトに東出を置いてたが、今日はベンチスタートからいく。 その代わりにレフトを守ってた笠原をライトに、空いたレフトへ原が入ってもらう。 原は小技もできて足も速い。 下位打線を強化する意味も込めて聖ちゃんを七番にして二番へ原を置く……とまぁこんな感じだ」

 

 一通り発表して説明すると、東出が少し不満そうに質問をぶつけてきた。

 

「……キャプテン。 どうして俺はベンチスタートなんですか? ライトは俺で固定すると言ってたのに…」

「まぁそんな僻むなって。 お前には野手よりももっと重要な準備をしてもらわなきゃ困るからな」

「準備………… ! そう言うことですか……納得です」

 

 大島とは逆で冷静な分、もう察したか。

 実は今日の試合、後半から東出に投げてもらおうと考えている。 理由は簡単だ。この暑い日が続く夏の下で涼子一人にマウンドを任せっきりにするのは負担がかかり過ぎるからな。 少しでもエースの体力を温存しようって腹だ。東出自身も投手としての経験を積ませる点でメリットだし、言ってみれば一石二鳥ってやつだな。

 

「以上だ。 もうそろそろで試合開始だから各自用意をしておけよ」

 

 解散してから約2分後。 審判団がホームベース前へ集まり、両校共集合するように催促がかかった。

 −–−–−いよいよだな、春見。 どちらが甲子園へ行くのに相応しいチームか、証明してやろうぜ。

 

 

 

 

『これより第二試合、聖タチバナ学園対恋恋高校の試合を始めます! 相互に礼!!』

『お願いしまーす!!!!』

 

 大きな声で挨拶を交わし、各校共自分のベンチへと戻った。

 ちなみに今日の試合はウチが先行で恋恋か後攻だ。

 向こうの先発はサブマリン投手のあおいちゃん。 秋季大会の試合を見直したところ、球のスピード自体は高校野球の中でもかなり遅い方にだが、その弱点を補うくらいにコントロールが良い。 フォアでの出塁が少ないと考えると、ヒットゾーンへ運んで打つしか道はないな。

 

『一番センター、八木沼君』

「頑張れぎぬまっちー!!」

「しっかり塁に出なさいよー!!」

 

 今宮とみずきちゃんの声援を受け、八木沼がバッターボックスに立つ。 バットを一度あおいちゃんへ立て、スタンダードな構えで迎え撃つ。

 あおいちゃんも田代が出すサインに頷き、モーションに入る。 ワインドアップの動作から上半身を深く沈み込ませると、右手を地面スレスレの低さを通して放った。

 

『ットーライッ!!』

 

 回転の効いたストレートは無論ストライク。 観客席からはおおーっという驚きの声が漏れていた。 女性投手がアンダースローで投げているんだ。初めて生で見る人は驚くのも無理はないだろう。

 続く二球目はカーブがアウトコースに外れてボール。 球の変化量も秋に比べて格段に上がってるな。 ベンチ越しからでも曲がり具合が十分に確認できるくらいキレていた。

 

(スピードはないがコントロールと変化球の曲がり具合が厄介だな。ここは粘って球筋を確認しておくか……)

 

 低めのカーブを続けるがこれは今日初めてのボールにな。、四球目は強気にインコース一杯を突いてきたが冷静にカットし、これで1-2。

 

(……よし。この辺で"アレ"を使うそ)

 

 バッテリーが次に選んだボールは−–−–−ストレート。

 球速自体は速くなく、全然打てる範囲のボールだ。 八木沼は来たボールに対してコンパクトにスイングして当てに行くか、バットはボールの下を通過した。

 

『ットーライクッ! バッターアウト!』

「よしっ!」

「あおいちゃんナイスピー!」

「その調子ッスよ!」

 

 仲間から喜びの声を聞き、あおいちゃんも「うん!」と笑顔を見せながら返した。

 対照的に八木沼はヘルメットを外し、悔しそうな表情をしてベンチに戻ってきた。

 

「……悪い。 一番の仕事を全然果たせなかった」

「いや、まだ初回た。 そごまで気にするなって。 それよりも彼女の球はどうだった?」

「スピードは見た通りの感じだ。ただコントロールが少々面倒だな。全部コースギリギリにきっちり決めてくる上に変化球も良い。 特に最後投げた高めのストレートが打ちにくかったな。アンダーの習性を完璧に使いこなしている」

 

 アンダースローは地面スレスレからボールをリリースする特徴を持っている。 つまり何が言いたいかと言うと、『高めのコースへボールを投じれば自然的に浮き上がってくる』ってことだ。

 ソフトボールにある球種の一つに『ライズボール』と呼ばれるその名の通り"浮き上がってくるボール"が存在するが、それも下手投げで投球している。 あおいちゃんも下手投げの習性を生かして、ただのストレートを三振が取れるまでの"魔球"にしたってわけだな。

 ギィインッ!と鈍い音が聞こえ、ボールはボテボテとショート前に転がる。雅ちゃんが冷静に捕球し、原もショートゴロで倒れた。

 

『三番 キャッチャー、一ノ瀬君』

 

 ふぅ〜……と深く深呼吸をしてから構える。

 八木沼が言うには追い込んだ後の高めのポップするストレートが厄介だと言ってたな。 ならそのボールが来る前に……叩く!!

 

 キィィィィンッ!!!

 

 初球のカーブにタイミングをズラされながらも、打球は左中間を痛烈に破るヒットとなった。 外野中継の様子を見ながら俺は一塁を蹴り、二塁で止まった。

 ……あっぶねぇ。 たまたま芯に当たったから良かったが、アウトコースを無理矢理引っ張るのは正直キツかったぜ。

 まぁ結果として二塁打になったから充分だな。 さて、ここで返してくれよ。 ウチの頼れる四番バッターさんよ。

 

『四番 ショート、友沢君』

「……お願いします」

 

 バッテリーが選んだ初球は外角に一個分外れるストレート。 まるで分かってるかのように友沢は平然と見送った。

 二球目は早くもインハイの ホップするストレートが投じられるか、これも友沢は見送った。

 

『トーライクッ!』

 

 1-1。

 マウンドから緊迫した空気が流れているのがよく分かる。 友沢クラスの打者と戦うとなれば、少しでも甘い球を投げれば長打以上が確実なのだ。 恋恋バッテリー側からすれば苦しい展開かもしれないが、逆にここを抑えれば良い流れで初回の攻撃に繋げられる。 相手を調子づかせない為にも、ここは何が何でも友沢で先制点を上げたい。

 

『ボーッ! ボールツー!』

 

 外角へ僅かに外れ、これでツーワンだ。

 ボール球にしても全てギリギリのコースで外してるから地味に凄いんだよな。

 四球目は内角へ逃げてくカーブ。 厳しいコースにもかかわらず、友沢は逆らわず豪快に引っ張る。

 

 カキィィィィィンッ!!!

 

 打球は高々と上がって伸びていく。

 ライトの後藤が徐々にフェンス際まで下がってくが……まさか……!

 

 

 

『ファ、ファール!!』

 

 

 

「だーっ! 惜しすぎるぜ!!」

「入ったとワイも思ったんやけど微妙に切れてもうたか……」

(流石友沢先輩だ。 あのコースをあそこまで飛ばすんだからな……)

 

 タチバナベンチからは溜め息混じりの惜しむ声が飛び交っていた。

 気持ちは分かるぜ。 今のは俺でも決まったと思ったくらいだからな。 ポールよりちょっと左に切れたらしいが、当たりは完全にホームランボールだった。

 

(何て奴だ……早川のボールは悪くなかったってのにここまで飛ばすとは…………)

 

 このバッティングを見て驚いたのか、田代はタイムを取ってマウンドへ向かった。

 

 

 

 

 

「そろそろ限界だな」

「え? ボクはまだ十球程度しか投げてないよ? いくらなんでも交代はまだ……」

「違う。 "高速シンカー"を使わないと友沢を抑えられないんじゃないかって事だ」

 

 早川の武器は高めに制球されたストレートでもなければカーブでもない。 本来の得意球は右打者の内側に深く沈み込んでくる"シンカー"と呼ばれる変化球だ。

 中盤にアンダースローのタイミングが取れてきた所へシンカーを入れ込めば手玉に取れると考えてたが……どうにもクリーンナップの面子が想像以上にやりやがるからプランを変更して−–−–−今使う。

 

「……そうだね。 使わないで点を取られるくらいなら使う!」

「そう言うと思ったぜ。だが"あのシンカー"は完成しきってるわけじゃねぇ。 基本的に投げるからには一発で抑えるからな。 二度目は無いと思えよ」

「うん。 田代君もしっかり捕ってね。 できるだけミットへ投げる努力はするから」

 

 努力……か。 できるだけじゃ困るんだがな。 まだ完全に捕球できるキャッチングじゃねぇってのによ。

 「分かった」と一言だけ言っておき、キャッチャーサークルに戻った。

 

 

「そういえばシンカーをまだ投げてこないな……使わないのか?」

「…………さあな。そんな事よりピッチャーに集中したらどうなんだ?」

 

 「分かってるさ」と友沢がクールに返し、バットを強く握った。

 合宿ん時に友沢へシンカーを投げたが結果は散々だった。 だが勘違いするなよ友沢。 俺も早川もあの時から何も変わってないって訳じゃねぇんだからよ。 完成したアイツの魔球−–−–−見せてやる。

 

(外角へ逃げてくシンカー。 お前なら投げれる。 自信を持って来い!)

 

 セットからの五球目。

 いつも以上に体を深く沈み込ませると、腕を内捻りしながらリリースした。

 友沢の狙いはスイングからしておそらくシンカー。 ボールはベース手前でカクンッと斜めに急降下し、それに合わせてバットを出してきた。

 

 

 −–−–−スバァァンッ!!

 

 

『ストライク! バッターアウトォ!!』

「っし!」

 

 よっしゃ! 何とか友沢を抑えたぜ! いくら打撃センスが良くたってあのシンカーは初見じゃ打てるはずがない。 それほどのレベルにまで早川は磨いたんだからな。

 

「ナイスボールだ早川」

「うん! 田代君もナイスリード!」

「完全に主導権は恋恋側でヤンスね!」

「ああ! このまま勢いを切らさずに攻めもしっかりしてこう!!」

『オーッ!!!』

 

 

 

 

 

 右打者なら内に落ち、左打者なら外へ消えるように落ちるあの変化球−–−–−多分シンカーだろう。

 セカンドペースの視点からだとそのボールのキレがどれほど恐ろしいかは十分に感じる事ができた。 アンダーから一度フワッと浮き上がりを見せると思いきや、打者をほくそ笑むかのように落ちて視界から姿を消す…………まさしく魔球に相応しい。

 

「珍しいわね、アンタが三振なんて」

「………完全に見失った」

「え?」

「っ……何でもない。 お前の高速スクリューと同じくらい良い変化球だっただけの話だ。 気にするな」

「ぷ、何よそれ。 褒めてるのか褒めてないのか全然分からないわよ」

「うるさい。 それよりもお前は試合に集中してろ。 いつ出番が来るか分からないぞ。 褒めてやって無様なピッチングだったら承知しないからな」

「三振してきた奴にそんなセリフ言われる筋合いは無い!! とっとと守備に就きなさい!!!」

 

 ……俺が防具付けてる後ろで別の戦いが始まってるんだが大丈夫か?

 まぁ雰囲気を感じ取った分には仲良さそうだし問題ないな。 友沢も次へとしっかり切り替えられてるしね。

 一打席目は不本意だが結果オーライ。 それが終われば次にやるべき俺の仕事は−–−–−

 

「暑いからな。 いつも以上にペースへ気を配って行くぞ」

「うん! 必ず勝とうね!」

「……ああ!」

 

 投手をリードで導き、チームの中心となって指示を出すのが俺の大事な仕事だ。

 夏場のゲームは試合が進むにつれて気温も高くなり、精神的にもキツくなってくる。 そんな時こそキャッチャーの俺が一番に声を出して場を盛り上げなければならない。 それができないキャッチャーなど、チームの中心人物には絶対なれないと、昔に樫本監督が口癖のように言ってたからな。

 投球練習を終え、矢部君が打席に入ろうとする。

 

『一番センター、矢部君』

 

 丸底眼鏡が特徴の矢部君。

 バッティングが飛び抜けて凄い選手ではないが、とにかく足が速い為、ゴロで打ち取っても内野安打になる確率は高い。 しかも昨年度の

試合を参考に俺が調べたデータでは、矢部くんが塁に出ると恋恋高校の得点率は一気に八割近くにまで上がるという驚異的な数値を残している。 一点にたどり着くまでには二番や三番を打つ二人も重要となってくるが、まずは矢部君をきっちり抑えるのが第一優先だ。

 

(まずはインコースのストレートからだ)

 

 バスンッとロジンバッグを地面に落とし、大きくワインドアップする。 大尊敬するメジャーリーガーのフォームから、こちらも回転の効いた良いボールが投じられた。

 

『ットーライッ!』

 

 ミットをインハイギリギリに突き出し、これはストライクになった。

 よしよし。 コントロールも良いしクロスファイヤーもちゃんと使いこなせてるぜ。 今のか百二十八キロか。 確か練習中に一度だけ百三十キロを出してた時があったが、初球からそれを超えそうな勢いできている。

 

(もう一球、同じボールを今度はアウトローに)

 

 腕をビュンッ!と力強く振る。 これはボール一個分外れたが、涼子はちゃんと俺のリード通り投げているので問題ない。

 三球目はストライクゾーンからボールゾーンへ縦スラを使う。 矢部君は迷いなくスイングするが、これは空振りになった。

 

『ストライクツー!』

 

 よし。 コントロールが難しい縦スラも今日は投げれてるな。

 こいつは横への変化が少ない代わりにほぼ垂直で滑るように落ちてくる。 投げてた当初はワンバンしたり高めに浮きすぎてたりして不安定だったが、今になれば投球練習を積みに積んで空振りが取れるまでの球種に強化できた。 俺も涼子の居残り練に付き合ってた甲斐があったぜ。

 

(遊び球は無しだ。 今度はアウトコース低めに決まる縦スラ。 ボール球になっても構わないから精一杯振ってこい)

 

 サイン通り、外角へ縦スラが落ちていく。

 矢部君はまんまと逆を突かれたと言わんばかりに体勢を崩すが、ゴキンッと執念で当てた。

 

「!、サード!」

 

 弱々しいゴロがサード線側を転がる。

 定位置を守っていた大島が慌てて前で処理をして送球。 だが相手は足のスペシャリストである矢部君だ。 ファーストが取った頃には既にベースを踏んでいた。

 

『セーフ、セーフ!!』

 

 速っ!? 特に打ってからのスタートダッシュとその後の加速が尋常じゃないくらいに速かった。 大島の肩だって俺や友沢の次に強いはずなのだが………まさかここまで飛ばすとは思わなかった。

 一番厄介なランナーが出てしまったが、やられた事をクヨクヨしても仕方ない。 盗塁の可能性も大いにあると頭に入れながらリードをしていかないとな。

 

『二番ショート、小山さん』

 

 雅ちゃんはバントなどの小技が上手く、ミート力もそこそこある完全な二番打者タイプだ。

 恋恋の必勝パターンの中に多く含まれているのが、この二人の存在だ。 矢部君が塁に出て、すかさず盗塁を決めて進塁すると、状況に応じて器用に変えながら雅ちゃんが繋ぐ。 そして春見や田代と言った強打者が確実に打って点をもぎ取る。 まさに全員野球で一点を取る代表的な戦略の一つだ。

 

(……バントの構えか。 だったら−–−–−)

 

 間を少し取り、涼子か一塁へ牽制を入れる。 矢部君は余裕そうに足から戻った。

 次はリードがより大きくなったタイミングで再び牽制を入れるが、今度は頭から滑り込んだ。

 反応が良いな。 一度目の牽制を意図的に遅くし、二度目を素早いモーションで行ったんだけど全く影響を感じさせないで戻っている。

 さて、バッターに戻ると雅ちゃんは依然としてバントの構えだ。 ランナーは二度目の牽制以上にリードが大きい。

 

「バッターに集中! ファーストとサードはバンドに警戒しろ! 」

 

 俺の声に感化され、内野陣が「おう!」と大きな声で返してきた。

 実の事を言うと、これから俺がやろうとしているプレーはほぼ運が鍵を握っている。 失敗するリスクは勿論高いが、逆に成功すれば恋恋側は度肝を抜くだろう。 それくらいインパクトのある戦術を、俺は選ぶぜ。

 

(頼むぜ………決まれよ……!)

 

 クイックを使って投げた初球。

 ファーストとサードはバントの構えを変えないのを確認すると、前へチャージしてきた。

 ファーストベースが一瞬ガラ空きになるから、当然矢部君は大きくリードを取る。

 

 

 −–−–−それを待っていた。

 

 

 インコースに構えていたミットを外のボールゾーンに移動させた。

 大きな逆球だが、サインを通じて涼子には既に教えているから問題ない。

 バシンッ!と捕球した瞬間、何の迷いもなく俺はガラ空きとなっているファーストベースへ送球した。

 

「ンスっ!?」

 

 普通ならあり得ないプレーだ。 バント警戒のシフトを敷いてきていて誰もいないはずなのに……そう、そこには"誰もいないはずだった"のに−–−–−

 

 パンッ!

 

「え!?」

「何だって!?」

 

 セカンドを守っていたはずの今宮が走りながらキャッチ。 体を時計回りに回転させながら、戻りきれてない矢部君をタッチした。

 

『あ……あ、アウト! アウト!!』

「うおっし!」

「……うむ!」

「やったー!」

 

 嬉しさのあまり、俺もその場でガッツポーズをとった。

 まさかこんな綺麗に決まるとは思いもしてなかったからな。 涼子の逆球や聖ちゃんと大島のチャージ、そして友沢と今宮のベースカバーが噛みあわさって成り立った『ピックオフプレー』だ。

 そもそもピックオフとは、「狙い打つ」という意味で使われているが、この場合の狙い打つ標的は、実はランナーである矢部君だ。

 バント警戒の指示を出していた時、俺はピックオフでアウトを狙うサインをこっそり出していた。ファーストとサードはバントを防ぐ名目で前進する。すると無意識の中でランナーの意識はファーストへと向き、誰もいないのを確認してリードを大きく取る。 が、それが一番の狙いだ。

 ボール球をわざと投げさせ、気付かれないようにセカンドが一塁へ入る。 そこへ俺が牽制を入れて意表を突き、最後にランナーを仕留める……これを初めからこれを狙っていたわけだ。

 

「ぐぬぬ……してやられたでヤンス……!」

 

 悔しさを滲み出しながら、矢部くんがベンチへ戻る。

 だまし討ちみたいな戦術で申し訳ないが、こっちだって負けられないからな。

 カーブと縦スラで追い込んだ後、四球目のムービングをセカンドゴロに引っ掛けさせて打ち取り、ツーアウトとなった。

 

「ツーダンツーダン! あと一個確実に取ってくぞ!」

 

 必勝パターンを押さえ込んだのはデカイが、まだ安心できない。 次のバッターは−–−–−

 

 

『三番サード、葛西君』

 

 

 恋恋高校キャプテン、葛西春見。

 かつて俺や猪狩と共にあかつき中を全国制覇へ導いた立役者の一人だ。 簡単に言ってしまえば、友沢のバッティングと矢部君の足、雅ちゃんの守備力をそれぞれ足して割る2した感じのプレイヤーだ。

 プレー一つ一つに派手さは無いが、選球眼の良さが相まって出塁率は高いし、甘い球が来たらフルスイングしてスタンドに運ぶパワーも十分にある。 恋恋に入ってなかったら今頃どの高校でも一番か三番辺りを任されてただろう。

 

「よろしくね、大地」

「ああ。 負けねぇぞ」

 

 俺の言葉に火が付いたのか、普段穏やかな雰囲気の春見が変わった。

 「絶対打ってやるぞ」と言わんばかりにバットを強く握り締め、ピッチャーへ全神経を集中させている。

 昔からそうだったよな、春見。 勝負事になると人が変わったみたいに負けず嫌いになる性格。 まるでウチのエースみたいだぜ。

 

 −–−–−バァアンッ!!

 

『ットライク!』

 

 生憎だが、こちらの負けず嫌いだって凄いんだぜ?

 一チームのエースって言う大役を任せられるくらい肝が座ってて、皆から厚い信頼を得ているんだからな。 そう簡単には打てないぞ。

 

(良いボールだ……数値以上の勢いがこのボールに込められている)

 

 深く深呼吸をし、バットを構え直す。

 冷静に、あくまで来た球をヒットさせるイメージを持とうしてるってところか。 なるほど。 そう簡単にはあの集中力を崩せそうもないな。

 

(一度カーブで様子を見るぞ)

 

 ボールはベース付近でワンバウンドし、体を入れて捕った。

 春見はピクリともバットを動かさず、平然と見送ってボールに。

 流石に分かりやすかったか。 もう少しギリギリを要求するべきだった。

 続く三、四球目はムービングファストを振りに行ったが両方ともファウルになり、追い込んだ。

 

(ここで使うぞ。縦スラを低め一杯に使って仕留める)

 

 うん、と頷き、腕をしなやかに振るう。

 下半身が一切ブレない強い足腰から投げ込まれたボールは、良いスピンがかかったまま俺のミットへと吸い込まれていく。

 ストライクゾーン、ギリギリの難しい球。 それでも追い込まれたからには振らなければならない。 ザスッ! と強く踏み込み、ボールは金属バットの芯を捉えて涼子の右をライナーで強く抜けた。

 

「っ、うおらあっ!」

 

 厳しい打球だが、今宮がダイビングキャッチを試み、ミットの先っぽで何とか捕球した。

 駆け寄る二塁塁審が捕っているのを確認し、右腕を高々と上へ上げた。

 

『アウト!! 』

 

「おおっ!! 今のセカンドよく捕ったな!」

「恋恋高校だけどこのプレーは凄いぜ!」

「ナイスキャッチ二塁手!! 良いもん見せてもらった!」

 

 敵味方、単純に野球好きな大人関係なく、このファインプレーに観客席から大きな拍手と歓声が送られた。

 けど、ここにいる誰よりも騒いでるのは当の本人だけどな。

 

「どーだ、見たかよ友沢! 俺がちゃんとコースを見て予測したから捕れたんだぜ! 」

「ああ……ナイスキャッチだ。 だからそんなにくっつくな。 暑苦しいだろ」

「へへっ、良いじゃんか! 珍しくお前が褒めてくれてんだからよ! 今日は何か起こりそうだぜ!」

 

 じゃれ合いながらベンチへ戻る二遊間コンビ。

 めんどくさそうなセリフを吐いてる友沢だが、顔では嬉しそうに笑っている。 ふ、良いコンビで何よりだぜ。

 

「ナイスいまみー!」

「ありがとう今宮君! 助かったわ!」

「おうおう! 涼子ちゃんもナイピーだったぜ! この調子で続けよ大島ー!」

「ウオッス! 任せてくださいよ!!」

 

 何だかんだで一番影響力のある選手って今宮かもしれないな。

 たった一つのプレーで流れを無理矢理呼び込もうとしてるんだからよ。 やっぱこういうムードメーカー的な存在って重要だなぁと次々思う。

 

 

 さて、好プレー連発の一回裏が終わり、二回の表。バッターは五番の大島から始まる。

 この回は俺へ回ってくる事はないだろうと考え、防具を付けたままヘルメットだけを外してベンチへ座る。 大島のバッティングは帝王実業から声がかかるくらいに強力だが、あおいちゃんのあの高速シンカーも手強い。 まず一打席目は球筋とタイミングをしっかり見計らい、次の打席へ生かすのが−–−–− ッキィィィンッ!!!

 

「え………?」

 

 突然鳴り響いた金属音に、俺は顔を上げる。

 打球は衰えないままバックスクリーンに一直線へ飛んでいく。 センターの矢部君は既に諦め、ただボールの行方を追っているだけだ。

 ドコンッ! とボールがホームランになったのを見て、大島は青空へ拳を突き立てながら回った。

 

「ま、マジか………あまりにも不意打ち過ぎるだろ……」

 

 いや、先制点が入って全然嬉しいけどさ!、突然過ぎて驚きの方が大きいぞ。 だって初球の低めのストレート、決して甘いコースじゃない球を一発でスタンドインさせるとか……どんな化け物なんだよ。

 

「まさか初球から打つとはな。 驚いたぞ」

「いや、ストレートが来れば俺は打ちますよ! 直球打ちは俺の得意分野ッスからね!」

 

 そういや忘れてた。確か大島って大のストレート得意だって言ってたな。 練習の時もふざけて百五十キロのマシンで打って長打をボカスカ打ってたし、東出がストレートなら滅法強いんすけど、変化球になるとただの扇風機になるって教えてくれたっけ。

 でもまぁよく打ったぜ! 先制点を先に取れたのはかなり大きいぞ。

 

「ドンマイドンマイ! 球自体は全然走ってたよ!」

「大丈夫! どんどん打たせてこうー! 私達が必ず抑えるよ!」

「先輩! 前向きに頑張って下さい!」

「……うん! ありがとう! まだまだ諦めないよ!」

 

 恋恋も声を出してチームを盛り上げようとしているな。

 良いチームだ。 これだと一点取っただけじゃまだ足りなさそうだ。

 六番の今宮が意気揚々と打席に入るがライトフライ、聖ちゃんがレフト前ヒットを打つがその後の笠原がサード正面のゲッツーに倒れ、この回は一点止まりで終わった。

 

「二回裏ー! この回も0点に抑えるぞ!!」

 

 まだ試合は始まったばかりで油断はできない。

 ここもピシャッと抑えてどんどん点を取ってくぞ!

 

 



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第二十六話 vs恋恋高校 後編

『ストラックアウト! チェンジ!』

「よしっ!」

 

 マウンド上で笑顔を見せながらガッツポーズをする涼子。 一・二回に続き、三回も下位打線を三者凡退に抑え、パーフェクトは未だ継続中だ。

 投球内容は完璧だが……ふぅ、だいぶ暑くなってきたな。 キャッチャーをしている俺は防具のせいで余計暑く感じるが、一人マウンドで投げ込む涼子だってこの炎天下はいつもの倍以上体力を消耗しているはずだ。 順当に行けば完封を狙えるかもしれないが、いつ疲れが見え始めるかは分からない。 ここんとこは女房である俺が常にチェックしておかなければならない仕事の一つだ。

 

「はい涼子、ドリンクよ」

「ん………ありがとうみずきちゃん」

「何とかして追加点を挙げたい所だが早川もあのホームラン以降、すっかり立ち直ってきてるからな」

「特にあの高速シンカーだな。 アンダーからあそこまで切れ味の良いボールをコーナーに投げられると狙っててもそう簡単にはジャストできないぜ」

 

 やはり全員があの高速シンカーに手こずっている。 大島のはたまたまストレートを狙いに行ったのが飛んでったから良かったが、その後は田代のリード通り要所でシンカーを使い、ピンチを切り抜けている。 友沢でさえ初見で打つことができなかったそのボールを打たない限り、また追加点を挙げることは一生できない。

 

『四回の表、聖タチバナ学園の攻撃。 三番、キャッチャー、一ノ瀬君』

 

 だったら、キャプテンである俺がその不穏な空気を払拭しなきゃならない。三番で主軸を打っている以上、例えどんなボールが来ようとも、対応していかなければならないんだ。 それができなきゃこの先、勝ち上がるなんて夢のまた夢だ。

 あおいちゃんの疲れはまだ見えない。 涼子と同様、相当走り込んできたのだろう。 投手として生命線である下半身の軸の強さがよく分かる。 その鍛えられた力がこういった高速シンカーを生み出しているのかもしれないな。

 アウトローのストレートを思いっきり振るが、ブオンッ! と空を切った。

 

(慣れない速さだから二巡目に来ても合わせにくいな……シンカーを意識すればまたタイミングが狂っちまう)

 

 普段速い速度でバッティング練習している身からすれば、何十キロも遅い。 となれば全ての球種にタイミング良く合わせるのは至難の業………だったら一球種に狙いを定めて打つのが得策のはずだ。

 

(勢いづいてる今のあおいちゃんを崩すなら……俺が狙う球は"アレ"しかない!)

 

 バットをいつもより短めに持ち直す。

 ホームランや長打はいらない。 次のバッターは友沢だから、アイツの前にランナーを作っておきたい。

 二球目はインコース低めのカーブ。 際どいコースに決まり、主審がストライクのコールをする。

 む、今のは入ってたか。 結構ギリギリの場所へコントロールしてきてるな。

 今のはよく見て引きつけていれば打てたかもしれないが、おれの狙いはこのボールじゃない。 右打者の内側に鋭く切れ込む−–−–−あの高速シンカーだ。 自身が一番すがっている変化球を打つことで精神的にショックを与えられ、多かれ少なかれ次の投球にその影響を及ぼすはずた。

 体力的にもそう長くは投げれないのも考慮すると……三球勝負の高速シンカーで締めくくると予測できる。 断言できるとは限らないが、俺がキャッチャーだったら少しでも負担を減らそうと絶対にシンカーを投げさせて三振を狙う。

 サインを出し終え、コクッと頷く。

 一度深く沈み込むため、リリースが見えにくくてタイミングが取りづらい。 それでも、来るボールは予測できている。 あとは自分のスイングを信じて来たボールを…………打つだけだ!!!

 

 

 −–−–−ジャンプする春見の上を、打球は痛烈なライナーで頭上を超えていく。

 

 

 転々と転がるボールをレフトが捕球し、その間に俺はセカンドベースまで進んだ。

 

「よく打ったね」

「ん、おお、どうも」

 

 敵である雅ちゃんが褒めるくらい、今のバッティングは良かった。

 ボールも俺の読み通り高速シンカーで来たし、腕をちゃんと畳んでスイングしたから今の打球を放つことができた。

 ベンチからの喜びの声に、俺は軽く腕を上げて答える。

 ノーアウト・ランナー二塁。 今度は頼むぜ、友沢。

 

『四番ショート、友沢君』

 

 さっきのホームランのインパクトで大島の打席でランナーを貯めたくないと考えるはずだから、友沢の打席は間違いなく勝負してくるはず。 それに、アイツはベンチからずっとシンカーのタイミングを計っていた。 俺以上のセンスを持ってる男が、打てないはずはない。

 

「ビビるな早川! 苦しいがここを乗り越えたら次で俺たちが点をとってやる!!」

「頑張ってあおいちゃん! ここが正念場だよ!」

 

 恋恋も今日イチの声で守備のボルテージを上げてきている。

 三遊間と二遊間の守備範囲はバケモノだ。 打つんだったら引っ張るか外野を抜くかしないと無理だぞ。

 

(皆がボクを頼ってくれてるんだ……! まだまだこんな所で追加点はあげられない!!)

 

 ナインからの温かい声援を受け、セットアップから友沢へ初球を投げ込んだ。

 

(いっ、っ………失投!?)

 

 やや高めに浮いたストレート。

 友沢は迷わずバットを振るが、音は聞こえなかった。

 

『トーライッ!!』

(いたた……ふぅ、危なかった………)

 

 珍しいな、友沢があんな甘いコースを空振るなんて。

 二球目から早くも高速シンカーが飛び出すが内側に少しズレてボール。 続く三球目も高めにストレートが大きく外れ、カウントはこれで1-2だ。

 珍しく慎重な配球だ。 これまではストライクを先行してきていたが、今度はポールゾーンも活用して組み立てている。 高速シンカーを追い込んでないカウントて使うってことは、バッテリーは相当友沢を警戒しているな。 最悪、カウントが悪くなったら歩かせることも考えられるぞ。

 三球目はアウトコースのカーブ、四球目はインハイボール球のストレート、そして低めの高速シンカーをカットし、フルカウントまでもつれこませた。

 ただ甘い球が来るまでカットして粘り、ホームランが狙えるその時まで辛抱強く待っている。

 

「絶対打ちなさいよ!! また三振したら承知しないんだからね!!」

「みっ、みずき……! 打席に入っているときに何もプレッシャーをかけなくても……」

「ううん、アイツなら打ってくれる。 私は絶対信じてる−–−–−!」

 

 粘りに粘った七球目−–−–−。

 真ん中やや低めのカーブ見逃さず、友沢が真芯でボールを捉える。

 ッキイィィイィンッ!!と気持ちの良い音を奏でながら、打球はライトスタンド上段でボーンと席に当たって跳ねた。

 

「よっしゃあ!! 待望の追加点がきたー!!!」

「いいぞ友沢ーっ!!!」

「ほら見なさい!! 私が予言すれば絶対打つのよ!」

「よく言う……打つ直前までハラハラしながら見ていたのに……」

 

 セカンドランナーの俺がホームベースを踏み、友沢も後から遅れて踏んだ。

 

「ナイスバッチ。 完璧に捉えたな」

「ふ、これくらい四番なら当然さ。 それに同じ失敗を繰り返さないのが俺のポリシーだからな。 甘く見ては困る」

「……マジっすか」

 

 してやったぞと言わんばかりのそのドヤ顔……味方ながらも少し憎たらしく思っちまうが、結果を残してんだからここは許しておこう。

 五番の大島は変化球に手も足も出ず、空振り三振に倒れる。 直球には滅法強いが、緩い変化球だとあの長身が崩されるからフォームがバラバラになる。 試合が終わったらそこんとこも修正させておかないとな。

 

『六番セカンド、今宮君』

「おっしゃあ! 打つぜ!」

 

 一球カーブを見逃した後に外角のストレートをライト前に流し、今宮にも今日初ヒットが生まれた。 よしよし、この回になってたからようやく打線が繋がってきたぜ。 アイツも嬉しさのあまり塁上で叫んでやがる。

 

『七番ファースト、六道さん』

 

 −–−–−ッギィンツ!

 

「っ!、セカンド中継だ! ホームまでは行かせねぇぞ!!」

 

 右中間を突き抜ける二塁打。

 あわやホームにまで到達しそうな勢いで三塁ベースを踏むが、コーチャーの岩井が慌てて止め、ランナー二・三塁でストップした。

 これも上手いこと追っ付けたたな。 ミートセンス抜群の聖ちゃんならではのバッティングだ。

 

(今のボール……まさか……!)

 

 堪らずタイムを取り、内野手全員がマウンドへ集まった。

 体力的には余裕であっても精神的にはだいぶ堪えてきてるはず。 ノックアウトを狙うならこの回が最適なのかもしれないぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご、ごめん皆………球は悪くないの、に………」

 

 初回にとったタイムより、明らかに早川の様子がおかしい。

 葛西や小山もその雰囲気を察し、ポンと肩を置く。

 あの時だ。 一ノ瀬が高速シンカーを捉えてから、急激にコントロールが定まらなくなっていた。

 俺と早川で試行錯誤を何度も繰り返し、絶対に打たれないと大きな自信と誇りを持って強化させたシンカー…………いや、"マリンボール"を−–−–−

 

 一ノ瀬達はいとも簡単に狙いを定めて打ってきた。

 

 おかしい。 おかしいはずだ。

 いくらバッティング力のある一ノ瀬でも、早川のマリンボールを一発で打ち返すなど無理なはず……だった。

 疲労にしてはまだ早い。 体調が悪いわけでもない。 だったら考えられる理由は一つしかなかった−–−–−。

 

「……中指を見せろ」

「!……大丈夫だから……早く戻って」

「いいから見せろ!!」

「ボクは大丈夫だって言ってるでしょ!! 早く戻っ……っ!?」

「……やっぱりな」

「あおいちゃん……まだ中指が…」

 

 地団駄を踏む早川の腕を強引に引っ張り、利き腕側の中指を確認する。

 俺がある箇所を軽く触ると、早川は苦痛の顔を見せた。

 

「シンカーの強化練習からずっと悩んでたが、お前また血豆が潰れたんだろ? それに医者からは暫く投球は控えろと言われてたのに無理して投げやがって…………」

 

 去年の冬場から、早川はシンカーによってできた中指の血豆に悩まされていた。

 普通の血豆だったら少し休めば投球に支障は出ないはずだが、早川の場合は普通の患者よりも重症だった。

 リリース時に強く内捻りをしながら放つ際、指全体、特に中指へ強い摩擦が襲いかかる。 その指への負担が練習の中で積み重なり、爪と隣接している箇所に一個、そのすぐ真下にも大きい血豆ができ、ボロボロに近い状態で投げ続けていた。

 その事実を知ってから、俺や葛西は何度も早川にシンカーを投げるのはやめろと言ってきたが、彼女は、

 

 

『ボク一人の都合で打たれて負けたら元も子もないでしょ? ボクなら大丈夫! 試合までには必ず直して万全の状態でマウンドに立つから! 二人はチームが勝つことだけを考えて!』

 

 その結果がこれだ。

 血が滲み出て、いつ流血してきてもおかしくない色に変色している。

 もっと俺が早く気づいてやれば…………痛みに耐えながら投げずに済んだのに………。 バッテリーだってに……俺がシンカーを進めてやらなきゃこんな事には……。

 

「もうシンカーを投げるのは−–−–−」

「−–−–−投げる」

「!?」

「あおいちゃん!?」

「確かに投げるも辛いくらい痛みが出てきてるし、また失点だってするかもしれない。 だけど、こんな怪我でエースがマウンドを降りたらどうするの?! まだ試合を半分も残して手塚君に『もう投げれないので後はお願いします』なんて無責任なこと……ボクはしたくない!!」

「っ!……だから無理だった言ってんだろ!! その指じゃシンカーどころか他のボールにも悪影響が出る! お前の気持ちも分かるが……もう交代した方が身の為だ!」

「たった一人の都合で交代して降りるのが身の為だって言うの!? 田代君はボクの女房じゃないの!? ピッチャーであるボクの気持ちなんかどうでもいいとしか考えてないの!?」

「なっ……俺はそんなこと言ってないだろ!! お前いい加減に−–−–−」

「待って田代、あおいちゃん」

「っ…………」

「葛西君……」

 

 言い合う俺と早川の間に割り込む形で、葛西が止めた。

 正直……止めてくれて良かった。 あんな興奮してた状況なら間違いなく早川に手を出していたかもしれなかったから。

 

「二人の言い分は分かる。 どっちも正論だ。 でもね、僕達は恋恋高校と言う名のチームで戦ってるんだ。 二人だけの主張でチームの命運を委ねるマネを僕は許さない」

「………………悪い」

「ごめん、なさい……」

「あおいちゃん。 自分の指と真剣に向き合って考えてほしい。 まだ投げるかい? それとも手塚と交代するかい? 嘘は言わず、この選択がチームにとって正しいと思う方を選んで」

「チームにとって……正しい方……」

 

 頼む。 もう降りると言ってくれ。 これ以上苦痛を浮かべながら投げるお前の姿を、俺は見たくない。

 

「……投げる。 まだまだこんな場所で終わるわけにはいかない!」

「はっ、早川……!」

「……そっか。 分かった。 皆! このピンチを何としてでも切り抜けよう! あおいちゃんが苦しい時は皆が助かるんだ!」

「そうだね! ここまでまだ三点差。 次は一番からだから十分チャンスはある!」

「先輩の熱い思い、確かに感じました! バッティングがダメならせめて守備で援護します!」

「俺も頑張るぜ、早川!」

「皆…………うぅっ……ありが、と、ぅ……」

「泣くのはこの試合が勝ってからだよ。 田代!」

「…………あ……」

「頼むよ。 あおいちゃんを助けてやれるのはお前だけなんだから。 キャッチャーが苦しい時はピッチャーだって苦しいんだ。 そんなときこそお前が助けてやらなくてどうするんだ」

「!!」

「マリンボールは二人のウイニングショットだろ? 支えているものはあおいちゃんだけじゃない、お前も支えられてるんだ。 それだけは忘れないでね」

 

 優しく微笑みながら胸を叩き、葛西も定位置へと戻った。

 そうだ……俺だけが苦しいんじゃない。 俺と同じくらいに、いやそれ以上に痛みと戦いながら苦しんでるエースが目の前にいるだろうが! それを理由に降板させて目を逸らすなんて……俺の方がどうかしてたぜ!

 

「……間違ってたのは俺かもしれねぇな」

「え…………?」

「痛かったら俺と練習してた頃を思い出せ。 そうすりゃ少しはマシになる」

 

 ボールを早川のグローブに入れてやり、俺はマウンドから降りた。

 数秒してから早川が「うん!!」と言い返し、俺は気付かれないように一瞬だけ笑った。

 ったく、お前は苦しいんだが楽しいんだがまるで分かんねぇよ。

 ただ……一つ言えることは、俺もお前と一緒にいるとどんな困難でも乗り越えられそうって気にさせてくれる。 そんなな力をお前は与えてくれる。

 −–−–−野球を辞めさせられて絶望していた俺を救った時みたいにな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長かったタイムが終わり、ワンナウト二・三塁から試合は再開した。

 途中田代とあおいちゃんがエキサイティングしていた場面が見られたが、なんとか仲直りまではいったみたいだな。 今の話し合いでどう腹を括ったのか、見せてもらうとするか。

 

『八番ライト、笠原君』

 

 下位打線だが、笠原も打撃には安定性がある。 ここは最低でも犠牲フライを打って追加点を奪いたいところ。

 パァンッ!! と乾いた捕球音が心地よく聞こえた。

 

『トラーイクッ!!』

 

 インハイのストレート。

 さっきまではあのコースにコントロールできてなかったが、ここへきてまた落ち着きを取り戻したらしい。 敵ながら天晴れなコースと球威だ。

 速いテンポで二球目を投げた。 ど真ん中の絶好球。 笠原は「チャンス!」と思いながら真ん中を振るが、ボールは途中で内側に沈み込みんでバットから逃げていく。

 

『ストライクツー!』

(うっわ〜……シンカーだったのか。 速いからストレートと見分けがつかなかった…)

 

 なんだ……? 今、俺に対して投げた時よりもキレが鋭くなかったか? 遠距離で見ていた俺でさえ今のはストレートだと思ったし、落ちるタイミングもチェックゾーンをかなり過ぎてから落ちていた。

 

「ナイスボール!」

「うん!」

 

 俺に打たれてからの動揺さも消え、むしろ今日一番なくらいに明るい前向きなオーラを放ってやがるな。

 さっきマウンドに集合した時、アイツらは何を話してたんだ? 何かあおいちゃんの闘志を奮い立たせる言葉をかけたに違いないが……。

 

「笠原ーっ! 積極的に振っていけ! 気持ちで負けたらボールは飛ばないぞ!」

「おう! 任せろ!」

 

 笠原だって初心者からここまで成長したってプライドを抱いてるんだ。 それに、同じスタートでベンチを温めている岩井の分まで簡単には終わらないぞ!

 

(問題ない。 このバッダーは前の打席じゃほとんどタイミングが合ってなかった。 ここは低めのシンカーで三振た!)

 

 強くリードに頷き、足を上げた。

 ここも三球勝負で来る、そんな気配を漂わせながら低めへ強烈なシンカーが投げ込まれた。

 

(何でも良い…っ……当たれえええええ!!!)

 

 ガキィンッ!

 

(あっ、当てた!?)

 

 打球は高々と上がる外野フライ。

 矢部くんが数歩前へ出て捕球体勢に入ろうとしていた。

 距離的には微妙だが、聖ちゃんが三塁ベースまで戻ってタッチアップの用意している。

 矢部くんの肩と聖ちゃんの足を考えればややこちらに分が悪いが……果たして−–−–−

 

 

 パシッ−–−–−

 

 

『アウトォ!!』

「矢部君! バックホームだ!!」

 

 春見がホームベースを指差しながら指示を送り、それを受けて矢部君はホームに鋭いボールを返球してきた。

 笠原が頑張って打ってくれた犠牲フライ。 その努力を無駄にしたくはないと、普段感情を表に出さない聖ちゃんがこの時は必死の表情で走っていた。

 ネクストで待機していた涼子が「回り込んで!!」と助言し、キャッチャーのタッチを避けながらホームインしようと試みる−–−–−。

 

(届けっ、届けえええええ!)

(遅い!! これなら刺せる!!!)

 

 

  ズザザァァァァーッ!!!!!!

 

 

「ぅ……くっ…!」

「!、審判!」

 

 田代のミットにはボールはしっかりと収められ、滑り込んだ刹那、タッチをしていた。

 俺の角度からは聖ちゃんの手の方が早く見えたが……審判はどうジャッチする……!?

 

 

 

 

『あ……アウトアウト!!!』

「っ!! ううっ!!」

「っしやあああ!!!!」

 

 田代がグローブを叩いて叫んだ瞬間、恋恋側の応援席から「わああああああ!!!」と歓喜の声が生まれた。

 結果はアウト……だったか。 残念だけど聖ちゃんはよく走ったし、笠原も頑張ってくれた。 最後に命運を分けたのは恋恋全員の思いが俺たちタチバナの思いに勝り、それがこのバックホームに強く込められていたから審判はこのジャッチをしたんだろう。

 例え負けていても諦めず立ち向かうその意志の強さは、もしかすると他のどのチームよりも大きいかもしれないな。

 

「ドンマイ聖! ナイスランよ!」

「ダブルプレーにはなっちまったがこの回貴重な追加点は入ったんだ! そんな落ち込むなって!」

「……ああ。 分かってるぞ」

 

 全員が聖ちゃんの走りを讃え、守備へと散っていった。

 次は走りでも気持ちでも両方に勝ってやろうぜ−–−–−。

 

 

 

「まだ中盤で3点差だよ! 矢部君! 諦めずしぶとく塁に出よう!!」

「合点でヤンス! 雅ちゃんに死んでも繋げるでヤンスよ!」

 

 面を持ってサークルに行くと、既に矢部君がやる気満々にスタンバイしている。

 あのバックホームで矢部君のモチベーションは上昇してきている。 ここがある意味でも大きな山場かもしれない。

 

(勝ってるとはいえ風は恋恋方向に吹き始めている。 一番から始まるこの回は慎重に攻めてこう)

 

 最初に俺が選んだのは外角低め、ボール球になるカーブだ。

 ほんの僅か高めに浮いてストライクゾーンを掠めそうだが打つには難し過ぎるコースだ。 まさかいきなりは−–−–−

 

「ヤンスっ!! 」 カキィンッ!!!

 

 何っ!? 初球から打ってきやがった!

 今宮と聖ちゃんの間を綺麗に抜くライト前ヒット。 くっ……初めからカーブに狙いを定めていやがったのか。 丁寧に行ったのか逆に裏目に出ちまった……。

 

『二番ショート、小山さん』

 

 さて、前の打席ではピックオフでお得意のパターンを封じ込めたが、今度はそれも通じないだろう。 一度あんなプレーをしてしまうとランナーはアウトになるのを恐れてリードや盗塁が消極的になる傾向があるから引っ掛かりにくくなる。

 

(ん……思ってたよりも矢部君のリードが広いな。 あの程度のトリックプレーじゃビビらないってことか)

 

 だったら一球、ウエストで外すぞ。 今度のはあくまで盗塁阻止の為の目的でいい。

 サインに首を縦に振り、セットする。 肩越しに一塁側をチラッ、チラッと何度か見てから投げた。

 投球動作に入った瞬間−–−–−矢部君はスタートした。

 

「ランナー走った!!」

「させるかよっ!!」

 

 パシッ、と捕球し、ボールを素早く右手に握り変えて友沢に送球をする。 それを見て矢部君も右足を向けてスライディングをして足を伸ばす。 ベースに足が到達したときと全く同じタイミングで友沢もタッチをした。 審判は砂埃が少し消えてから腕を横にし−–−–−

 

 

『セーフ!!』

 

 

 うおっとぉ、ウエストしたってのに刺せなかっただと……。

 捕ってからの動作はほぼ完璧だったが、友沢が貰った場所がベースから少し離れていた。 焦ったせいて指がちゃんと握れてなかったか…。

 

(……了解)

 

 一打席目と同様、バットを横に寝かせた。

 ベンチからはバントのサインか。 まぁ妥当っちゃ妥当だな。 次は三、四番だし。 点差がそれほど離されてない中盤のこのイニングじゃまずは一点を返すのが最優先だからな。

 

(雅ちゃんのバントはかなり上手い。 去年の成功率を調べてみても七回バントを試して一度も失敗をしていない。 それにランナーの足を考えればここは三塁を刺すより確実にワンアウトだ)

 

 ファーストとサードを少し浅めに守らせ、低めにボールを投げさせる。

 ヘッドを下げず膝で高さを調節し、コキンッ と一塁方向へ上手に転がした。

 

「ファースト!」

 

 逆方向に転がされたので間に合わない。 俺はランナーを一度見てから一塁アウトを指示し、聖ちゃんがそのまま自分でベースを踏んだ。

 ランナーは進んだが点差はまだある。 それに、今日の涼子は立ち上がりから調子が良い。 ここは彼女と俺のリードが恋恋のポイントゲッターを抑えられると信じよう−–−–−。

 

『三番サード、葛西君』

 

 今日二度目の対決だな、春見。

 ワンアウト、ランナーが三塁。 ここは内野全員を前進させてホームインを許さない覚悟でいく。

 スクイズをも視野に入れて最初は完全に外して様子を見るが、走りに行かない。

 どうやら自分のバットで返すつもりだな。 バットの握り方を見ると打つ気満々なのが伝わってくるぞ。

 二球目はインコース低めにムービングが決まってストライク。 三球目は高めに外れてボールになるが、次は外角寄りのカーブを見逃してカウントは2-2にな

(打ってくれ葛西………そうしたら俺が絶対打ってやる……!)

 

(分かってるよ田代。 ここで打てなきゃ雅ちゃん達に申し訳ないからね……絶対打つ!)

 

 

 俺が春見に対して最後に選んだ球種は−–−–−縦スライダー。

 春見がバットを振った直後に耳へ響く嫌な金属音。 前進していた八木沼が半身になりながら急いで下がる。

 頼む……間に合え………間に合え…………!!

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ〜! ナイスバッティングだなアイツ! 涼子ちゃんのボールに食らいついてきやがったぜ」

 

 名前なんつったっけな……確か葛西か? フェンス直撃のタイムリーツーベースヒット、お見事だったぜ。 塁上でグッ、とガッツポーズしてる姿を見てると、ますますやる気を焚きたててくれるぜこりゃ。

 俺はここんとこ数日、ある目標を達成するべく新天地のチームを探していた。 一回戦の途中からずっと観戦してきたが、大体は俺の思う野球とはかけ離れていて手応えなしだった。

 だけどこの二校は………他の学校と何か違う"モノ"を持っている。

そんな気がしてならなかった。

 かつて俺が小学四年の時に在籍していた三船リトルのように−–−–−

 俺が思う本来の野球のあるべき姿を、コイツらはやってくれる。

 

『四番キャッチャー、田代君』

 

 一点を取り返すもランナーはまだ得点圏の位置にいる。 ここで長打力のある田代がバッターか。 恋恋からすれば死んでも追加点を上げたいし、タチバナからしてみれば何が何でも抑えたい。

 どちらの心が強いか−–−–−ここは静かに見守ってやろうじゃねえか。

 

 

 

 

「やっぱ油断できないな」

「ええ……コースは良い所を通したつもりだったけど完璧に狙い打たれたわね」

「……どうだ? まだ投げれそうか?」

「勿論。 こんなに早くリタイアするわけにはいかないわよ。 体力的にもまだ余力はあるから安心して」

「ん、分かった。 だが恋恋はお前のボールにタイミングを合わせ始めてきている。 点差もそれほどないし、あと2点取られるか崩れ始めてきたら即座に交代する。 いいな?」

「分かったわ。 ここを絶対に抑えて良い流れのまま攻撃に持っていきましょ!」

「ああ!」

 

 互いのグローブをバシン!とぶつけて気合を入れ、バッターへ意識を向ける。

 「何が何でも打ってやる」と言わんばかりの顔付きで田代が構えた。 闘志は満ちているようだな。 ここも油断はできないぞ。

 

 

 

 

 

 

 

「タチバナが逃げ切りるか、それとも恋恋が追いつくか。 まだ地区大会の二回戦というのに随分と白熱してるじゃないか」

「去年合宿で会った頃よりも一段二段と進化を遂げているよ。 これは僕たちも負けられないね……そうだろ、"吾郎君"」

「………だからどうした? 向こうが一つ先に進むなら俺は十先に進んでやるよ。 それにしても随分と余裕あるんだな。 流石は天下の名門校、あかつき様だ」

 

 その2人がどこの高校かは声を聞いただけで分かる。 片方は俺のライバルと書いて親友の最強キャッチャー、もう片方は今や社会現象になりつつある高校史上最強エース。 お前らの記事や試合だけは嫌でもチェック済みだからな。

 

「久しぶりじゃねえか猪狩、それに寿。 まさかここで会うとはな。 自分達の県の相手よりも他県を偵察とは随分と余裕かましてんじゃねーか」

「ははっ、まさか。 埼玉は他のメンバーや偵察班が見てくれているから心配ないよ。 それに今日は偶々近くを通ったから少し寄り道しただけさ」

 

 全然変わらないその口調−–−–−まるで海堂に戻ってきた感覚だぜ。 で、そちらの最強エース様は相変わらずスカした態度を維持してやがるな。 目だけは試合の方に熱くいってるが。

 

「あ、そういえば海堂の一軍を倒したんだってね。 進君から話は聞いてるよ。 吾郎君ならやりかねないとは薄々感じてはいたけど……まさか本当に倒すなんてね。元チームメイトとして驚愕の一言に尽きるよ」

「まあな。 けど俺としてはお前んとこの弟を頼っちまったって部分があるから完全にやり切れたって納得してないんだよ。 だから次は−–−–−自分自身の力のみで海堂やお前らをぶっ倒したいんだ」

 

 目線は試合の方に向いてるが、気持ちは寿に向けながらそう強く宣言した。 強豪校の力を借りなくたって自分の力で道なんていくらでも切り拓ける。 それを海堂含めた全国の連中に知らしめてやりたいんだ。 これが俺なりに見つけた栄光ってやつだからよ。

 

「ふ、そうか。 だが今は思いを語ってる場合じゃないぞ。 アレを見てみろ」

 

 猪狩が指を差した方向は戦っている最中のグラウンド。俺と寿也は何かあったのか? と気になりながら再び試合へ目を向けた。

 

 

 すると、真っ先に映ったのは歯をギリリと噛み締めながらかベンチに戻る田代の姿だった。

 

 

 

「!…………三振、か……?」

 

 

 

 見ているこっちまでもが悔しくなる顔を浮かべていた。これまで逆風だった流れを一・二・三番コンビが必死に繋ぎ、一点を返した。 流れは恋恋寄りに傾きかけ、四番がここでランナーを返せば完全にゲームの流れを呼び戻せたその打席を−–−–−返せなかった。

 チームの主軸にとってこれほどの屈辱と悔しさはない。 ベンチに戻ればチームメイトが「ドンマイドンマイ」と労いの声をかけるかもしれない. だがそれも今の田代からしてみれば聞きたくもない言葉だろう。

 

「これは大きいね……」

「ああ……恋恋側からすれば痛すぎるほどにな」

 

 次の五番は明らかに田代よりバッティングが劣っている打者。 しかも主軸を抑えたことによってチームの士気も間違いなく低下している。 そんな状況、状態で涼子ちゃんから打ち返すとはとても考えにくい。

 

「……タチバナが勝つ」

 

 そう猪狩か小声で呟く。

 

「どうしてそう言い切れるんだよ。 まだ試合は四回の裏だぞ? 確かに今の流れは恋恋不利だがこれから−–−–−」

「そのこれからで流れを覆す力がないからタチバナが勝つと言ってるんだ。 冷静に考えてみろ。 戦力的にもタチバナはシニア上がりの連中が多く、その中には友沢や大地のようにハイレベルな選手までもが名を連ねている。 それに対して恋恋は上位打線とピッチャー以外は全員高校から野球を始めた初心者達。 総合的な守備力や打撃力を分析しても結果はもう見えている」

「………………」

 

 猪狩の言い分は正しい。 野球を知らない奴がこの試合を観ても同じ答えが返ってくるはずだ。 結局野球は実力だけで決まると皆考えちまう………けどよ−–−–−!

 

「俺はまだ恋恋にも勝機はあると思うぜ。 ほら、葛西に目を向けてみろよ」

 

 交代になっても1人先陣を切ってグラウンドへ駆け、声を出して諦めるな!と盛り上げている。

 そうだ。 こいつらはまだ試合を捨ててないんだ。 たとえ一点さだろうが百点差だろうが関係ない。 勝利への執着心が萎えない限り、野球はゲームセットが宣告されるまで何が起こるか分からない。

 

「葛西や一ノ瀬のように1チームのキャプテンとしてチームの全てを引っ張るその姿勢、俺は嫌いじゃないぜ。 確かに猪狩の言う通り、恋恋はまともに先発を任せられるのが早川だけしかいないくらい層が薄い。 なら、一つお前らに質問するけどよ、

 

 

 

 

 

 

 −–−–−あのチームに俺が入れば勝てるんだろ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽が西に傾きかけている時間帯。

 今日行われる予定だった全ての試合が終わり、観客ももう試合はないんだと知ると、潮を引くように去っていった。

 

「大地。ちょっといいかな?」

 

 グラウンド整備を終えて道具をベンチから撤去しようとした時、春見が不意に声をかけてきた。 八木沼に「先に行っててくれ」と伝えると、察したようにベンチを出てった。

 

「で、何の用だ?」

「いや……大したことじゃないんだけどね………まずは二回戦突破おめでとう。 まさかウチが6点差もつけられて負けるとは考えもしなかったよ」

「ははっ、ま、今日は出来過ぎだったよ。 あおいちゃんが指の怪我さえしてなかったらまだ試合は分からなかったしね」

「この日の為にあの新型シンカーを練習してきたのが逆に裏目として出ちゃったからね。 様子を確認したけどどうやら試合前から指のマメが酷かったらしい」

 

 そうか……友沢に失投を投げたのはこれが原因だったのか。 いや、それ以前に俺の打席でもシンカーのキレが若干鈍っていた。 つまりあおいちゃんは初めからハンディを抱えたまま試合に望んだってわけか。 敵ながら大した根性とだぜ。

 

「次の相手は順当に進めばパワフル高校だってね。 あそこは恋恋よりも一癖ある強者が揃ってるからね。 決して楽な試合にはならないと思うけど……僕たちの分まで甲子園を目指してくれよ」

「……おう。 必ずな」

 

 互いに顔を見合わせながら笑い、握手を交わした。

 試合に勝ったチームは今度、負けたチームの思いもしょって試合に臨むんだ。 次の試合はまた一段と負けれなくなってくる。

 

「じゃあ僕はこれで帰るね。 次の試合、頑張ってね」

「おう。 応援ありがとよ。 じゃあ」

 

 手をバイバイと横に振り、春見仲間が待つ一塁ベンチに戻った。 そうか……次は鈴本と東條率いるパワフル高校か。 これにも勝てばまた更に強い相手と当たり、また勝てばそのまた強い相手と戦うことになるんだ。 これまで以上に気を引き締めて戦わないと決勝まで辿り着かない。

 猪狩が待っているあの舞台に行くにも、まずは目の前の試合に集中だ!

 

 

     

  T  010 210 111  8

 

  R  000 101 000  2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……本気かな? 吾郎君」

「どうだろうか。 彼が退学してどの学校に編入するかは自分の自由だ。 ただ、唯一誤算だったのはその学校が恋恋高校であったことだ。あのチーム状況に茂野が加入すれば来年の夏はタチバナに一泡吹かすチームになって戻ってくるかもしれないな」

「吾郎君は恋恋か……彼らしいと言えば彼らしいよ−–−–−」

 

 

 

『決めたぜ。俺、恋恋高校に編入する! 俺がしたかった野球を見せてくれた恋恋と協力して、次はタチバナを負かしてやるんだ。 猪狩の言う選手層なんて俺一人で十分、大事なのは勝利への執着心だってのを改めて思い知らせてやるからな! 覚悟しておけよ!』

 

 

 

 

 

「覚悟しておけ……か。 生憎こちらも手を抜くつもりはないからな。 万が一甲子園でドローが当たったら、完膚なきまでに叩き潰すさ」

 

 君が精神面で勝とうとするなら、僕はそれさえも上回った力で君を倒すよ。

 まだ大地と戦うまでは負けられないからね。

 

 



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第二十七話 俊の苦悩

お久しぶりです
更新ペースは相変わらず亀ですが、気長に待っていただけると幸いです





『さぁ、試合もいよいよ最終回! この回もマウンド上がるのはパワフル高校きっての天才左腕、鈴本大輔! 今日は既に百十二球を投げていますが依然として疲れは見えません! また、今大会も未だ防御率0.00と並いる打者達を手玉に取っています!』

 

 マウンド上に立つ1人の男に観客達は釘付けだった。 最速百四十キロ台をマークする快速球に正確無比のコントロール。変化球のキレや精度も高次元に重ね備え、そして何よりも球場全体が心踊らされたのは−–−–−

 

『ストライク! バッターアウトォ!!』

『さんしーん! これで奪った三振は十四個! それでもクールに清々しい表情で集中力を高める鈴本! 観客席からもそのマウンドさばきに声援が送られています!』

 

 猪狩守や佐藤寿也と匹敵するほどのルックスとその存在感だ。 彼を投げさせれば必ず0点で抑えるそのオーラ、時折見せる笑顔も女性を中心にとても人気らしい。

 

『あーっと、インロー一杯にストレートか決まった! カウントはノーボールツーストライク。 投手有利なカウントですがここで意地を見せるか!?』

 

 相手バッターは悔しそうにベースへバットを叩きつける。

 たった一人のピッチャー相手に何もできずに自分達の夏が終わるのか? 負けることよりこの圧倒的敗北感にどうすることもできないそれぞれの無力さに悔しくなっている。

 せめて一太刀−–−–−この男に一泡吹かせてやりたい。 ベンチのメンバーもバッターも同じ心中だった。

 

「−–−–−ふっ!!」

 

 リズムよく振られる左腕。 ボールは打者の手前で深く沈み込み、バットに当たるのを拒否するかの如く曲がる。

 

『ストライク!! バッターアウトォ!! ゲームセッツ!!!』

『試合終了ー! 七対〇と強豪・川上実業相手にパワフル高校が危なげなく四回戦に進出!』

 

 鈴本が小さく左手でガッツポーズをし、試合は終わった。 三塁側スタンドは大いに賑わい、対照的に一塁側は敗戦の悔しさを噛み締めている。ある者は涙を流し、またある者はその場に倒れこんで仲間に抱えられいた。

 

「やりましたな先輩」

「うん。 ありがとう香本」

「完封とはやるじゃねぇか! 流石はウチのエースだぜ!! なぁ東條!」

「……ああ。 ナイスピッチング。 アイシングを忘れるなよ」

 

 男−–−–−東條小次郎は自分のエナメルバックを持ち、先に一人ベンチから出て行った。 素っ気ない返事ではあるが、彼なりに肩のことも気にかけているので鈴本は「うん」と笑いながら返した。

 

「さて、俺たちも帰るとするか。 あと川井」

「はい? なんでしょうか?」

「急で悪いがこの後学校に着いたら香本と奥野を連れて次の相手の偵察に行ってきてくれ。 欲しいデータは香本に伝えておくから」

「あ、はい。 分かりました。 任せてください!」

 

 マネージャーに偵察を頼み、他のメンバー達も荷物を持ってバスへ向かう。

 試合が終わった直後でも浮かれることなく次の相手へ目を向ける、これもパワフル高校の一種の強みなのかもしれない。

 

(次の相手……確か聖タチバナ……)

 

 今大会特に注目されているチームの一つだ。 あの猪狩守の女房であった一ノ瀬が主将のチームで、実力こそ未知数な部分が多いものの、二回戦では同じあかつき中出身の葛西率いる恋恋高校を倒している。 これまでと同じ気持ちのままでは自分たちが負ける可能性も少なからずある………だが、

 

(ようやく逢えるね……聖。 君がパワフル高校ではなく聖タチバナを選んだ理由−–−–−次の試合で聞かせてもらうよ)

 

 男は胸の底に密かな想いを秘め、グラウンドを一度振り返ってから球場を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とまぁこれが次の相手、パワフル高校だ」

 

 四回戦を二日後に控えた土曜。 この日は練習を早めに切り上げ、みずきちゃん家で録画しておいたパワフル高校対川上実業の試合を皆で観ることにした。 広々としたリピングに最新型の超大型テレビ、フカフカの高級ソファに腰を掛けおやつを頬張りながらの鑑賞だったが、それでも試合中は全員の目が真剣そのものだった。

 

「強いな……」

「ああ。 投打のバランスが非常に噛み合っている。四番の東條はこの試合二本のホームランを放ち、エースの鈴本は今大会全て無失点勝利を上げている。 やはりこの二人は別格というわけか」

 

 友沢が認めるほとの実力者、か。 だが凄いのはこの二人だけではない。

 

「三番を打つ尾崎君も厄介ね。 広角に打ち分ける高いバッテイング力と勝負強さが厄介だわ」

「そうよね。 東條に隠れがちな存在だけど他校なら普通に四番を任せられるほどの実力者だと思うもの。 それとキャッチャーの一年生……えっと……誰だっけ?」

「香本だよ、みずきちゃん。 あいつは体型からして鈍足なのは分かるけど、チームで五番を任されてるからそれなりに実力もあるし、鈴本をここまで引き立ててるのもアイツが居てこその物だぜ、ありゃ」

 

 そう今宮が答える。

 うーん……なんかこうして整理すると余計不安になるな。 恋恋高校と違って一番から九番、そして投手陣も全てが経験者、しかも試合で確認する限りレベルも高い。 その分リードのしがいはあるが逆に捉えれば負ける可能性も増える、というわけだ。

 

「あとはショートを張ってる生木の俊足と守備もいいっすね。 尾崎からショートのポジションを奪うまでに認められてるらしいですから。 くぅ〜! 俺にもあのフィールディングを分けて欲しいくらいですよ!」

「確かに。 大島は肩が良いのに捕球がまだ荒いからなぁ。 サードに打球が飛ぶといつもハラハラするよ」

「う……ストレートに言いましたね宇津先輩……」

「中学ん時からこいつの守備は酷かったからなぁ。 よくピッチャーから試合中に文句を投げつけられてたっけな。 ははっ!」

「今宮先輩!! 」

「極め付けはチームメイトから『開通王・今宮』のレッテルを……』

「友沢先輩ぃぃぃぃぃ!!! それは言っちゃいけんやつっす!!!!!!」

 

 わっはっはと笑いが上がるリビング。 おそらくトンネルが多いせいで開通しまくってたからそう名付けられたんだろう。 これ考えた奴中々のセンスだぜ、こりゃ。

 

「……………………」

「ん? どないした東出。 ちっとも笑っとらんや」

「……っ、いや、何でもないですよ。 ただ、もう一人気になった選手がいて……」

 

 東出だけは表情を崩さず、神妙な顔つきで考え込んでいた。ついさっきまで和やかだった空気が一変し、全員の視線が東出に集まる。

 

「奥野 樹……か?」

 

 その名を口にしたのは聖ちゃんだった。 その声を聞くと、東出は小さく頷きながらこう続けた。

 

「奥野 樹。 右投げ左打ち。 ポジションはライトで打順は主に一番。 俺や誠也と同じく学年は一年生なので今大会が初の公式戦ですが、ここ三試合の通算打率は十五打席立って驚異の八割越え。 アイツは初見の球でも自慢の適応力の高さで瞬時に学習し、一度見たボールは簡単に攻略してしまう恐ろしいセンスを持った男です」

「あら、やけに詳しいわね。 私も気にはしてたけど……名前は初めて聞くわ」

「ああ、俺もだ。 シニアでも奥野なんて名は聞いたことがない。 これだけの能力を持ってて無名だってのも珍しい話だが」

 

 みずきちゃんも友沢も奥野 樹については分からず、か。 要注意人物であることに変わりないが、データが乏しい現状、別で対策を立てるのは厳しい。 選手それぞれがどれだけ力を発揮できるかが、明後日の試合の注目点になりそうだ。

 

「奥野については俺もまた調べておこう。 とにかく、次の相手はこれまで以上に強い。 でもな、俺たちだって負けちゃいないぞ。臆せずに挑めば自ずと結果もついてくる。 入学ん頃から比べても見違えるまでに強くなった。 明後日はその全てをパワフル高校にぶつけてやろう。いいな?」

「うん!」

「とーぜん!」

「ああ」

「ウォッス!」

 

 バス停前、恋恋、二日前に戦った音羽高校との連戦で着実に自信と実力は付いてきている。 あとは鈴本・香本の新パッテリーのリード傾向、あの重量打線の対策、東出が気にしていた奥野についても家に帰ったら再確認しておくか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俊くん、ちょっといいかな?」

 

 ビデオ会が終わったのは夕方の5時前。 明日も午前中のみだが練習が入っているので、橘先輩の家(豪邸)を出ると各自で解散となった。

 俺も帰ろうと門をくぐると、後ろから声をかけられた。

 

「涼子先輩。 どうしたんですか?」

「えっと……良かったから途中まで一緒に帰らない? トイレ借りてたらもう俊くんしかいなかったから……」

 

 ……これはつまり先輩と二人きりで帰る、そうなのか?

 俺としては全然嫌でない。 寧ろ嬉しいんだが、一つ気がかりがある。

 

「……大地先輩は帰らないんですか?」

「あ、大地ならもう一試合観るから先に帰ってくれって。 まだ帰らないんだ」

「そう、ですか……なら良いですよ。 行きましょう」

「ありがとう♪」

 

 ニコッとお礼をしながら笑うと、先輩は俺の隣に沿って歩き出した。

 ……変わってないなぁ。 初めてシニアで会った頃から、この笑顔はずっと色褪せていない。 マウンドに立つと誰よりも闘志をむき出しにして投げているが、こうして見ると普通の年頃の女の子だ。 ストライプ柄の黒い長めのスカートに白プリントのTシャツ、髪をポニーテールにして腰へダンガリーシャツを巻いた部分がよりファッション的な部分を意識しているんだと伝わる。

 

「………………」

「………………」

 

 会話が……ない……。

 何か話さなきゃと考えてはいるが、ネタがまるで見つからない。 折角先輩と二人きりになれたってのにまともに会話もできないとは情けない男だよ……俺。

 

「……さっきは大丈夫?」

「うえっ!? えっ、あっ、何がですかぁ?」

 

 ヤバイ、突然話しかけてきたからビックリして思わず変な声が……。 先輩もこっち見ながらクスクス笑ってるし……完全にやっちまった。

 

「ビデオを観てた時に奥野くんのことを気にしてたでしょ? 気持ちは分かるけど……」

 

 ……ああ、そうか。 先輩だけはあの試合を観に来てたんだっけな。 それで……。

 

「ははっ、もうあの試合のことは気にしてませんよ。 それとこれとは別ですから。 ただ……こうも早く再開するとは思いもしませんでしたが」

 

 先輩に心配されないよう、大丈夫だと笑いながら虚勢を張った。

 

「そう……私はずっと気になってたの。 俊くん、まだ敗戦を引きずってるんじゃないかって。 試合観てた時もずっと暗かったから……心配で…」

「あ………」

 

 申し訳ないと思っている。 失礼なのは十分承知。

 しかし今の先輩は心臓が跳ね上がるくらいに魅力的だった。 不安げな表情やじっとこちらを見つめてくる仕草が可愛いのは当然なのだが、一番はそれを俺にだけ向けて心配してくれたこと。 一瞬だが、また怯んでしまった。

 

(……でも、この人には…………)

 

 それは知っていた事実だ。 先輩が一番に心を開いている人物は俺でないことくらい。 けど……それでも俺は…………あなたをずっと尊敬していて、それでいて……。

 

「……あ、もうこんな所に」

 

 先輩の声で我に帰ると、住宅街からいつのまにか大通りまで歩いていた。 先輩の家は歩いてあと十分の場所だが、俺は逆方向へもう二十分歩いた先の駅に行き、電車に乗って帰る。 つまり、先輩とは必然的にここで別れなければならない。

 

「今日は一緒に帰ってくれてありがとう。 明日も頑張ろうね♪」

「……はい。 先輩の後は俺が抑えます。 明後日は絶対勝ちましょう!」

「うん! 俊くんが控えてるな心強いよ! ありがとう!」

(っえっ!!?)

 

 右手が暖かな感触に包まれた。 ちょ、え、ま、手ぇ、握られてるんですが……不意打ちにもほどがある。

 はぁ…今日は何度ビックリすれば気が済むんだ……。

 

「っ、じゃあ俺は行きますね! 失礼しますっ!!」

 

 頭を下げ、俺は逃げるように先輩から走って去っていった。振り返ることなく、最寄りの駅までただひたすらに足を動かした。

 恥ずかしかった。 話はいつも先輩から振ってもらい、チームのエースを担う重圧もある中で俺の心配もしてくれた……ヘタレな自分以上に、涼子先輩へ負担しかかけない自分の無力さが恥ずかしく、そして苛立つ。

 俺は横浜シニアから……ちっとも変わってない。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 気づくと俺は駅のホームにいた。 次の電車のアナウンスが流れ、人も一斉にホームへ集まってくる。多分学生や社会人にとっては帰宅ラッシュに入る時間帯だからだろう。 現在何時なのかを確認しようと腕時計を覗いた瞬間−–−–−横から聞き覚えのある声で、

 

「東出か?」

「え……あ、六道先輩」

 

 紫の髪を赤い組紐で縛った和風感を漂わせているため一発で分かった。 そういえば、六道先輩も電車を使ってるんだっけ。 練習帰りでもたまに同じ電車に乗ることはあるが、こうして野球外で鉢合わせるのは初めてだ。

 

「随分息が乱れているが……走ってきたのか?」

「あー……はい。 色々ありまして……」

 

 涼子先輩に手を握られて恥ずかしくなったから走ったとは死んでも言えない。

 

「そうか。 理由は聞かないが間に合ってよかったな」

 

 機転の利いた一言で俺はホッとした。

 すると丁度電車が停まり、待っていた人が一斉に乗り始める。 後ろからやや押される形で俺と六道先輩も乗り込んだ。

 

「……東出」

「はい。何ですか?」

「その……もし良かったら……私の家に来ないか?」

「ああ、家ですね。 良いですよ。行きましょう…………え、今何て?」

「だから私の家に来ないかと言ってるんだ。 お前に少しばかり聞きたいことがあるからな」

 

 ……予想外の誘いだ。 俺と六道先輩の降りる駅は偶然一緒。 先輩の家に寄ること自体は可能と言えば可能だが……。

 

(流石にマズイんじゃないのか……いくら知ってる人とはいえ…)

 

 この時間から女子の家へ訪れるのは大丈夫なのかと割と大きめな疑問を自分へぶつける。 本人は聞きたいことがあるから家に来てくれとの話だが、それならどこかファミレスなどでも良い気がする。 それを自分の家でするとは……少しばかり変な汗が出てきた。

 

(落ち着け俺、 相手は六道先輩だぞ? この人に限ってそんな話はないはずだ。 きっとまともな話であるはず……多分)

「安心しろ。 卑猥な目的でお前を呼ぶつもりはないからな」

「ぶっ!? 先輩っ、声が大きいです!」

 

 今何人かこっちを睨んできた気がするけど……。 絶対誤解を招いたな、今。

 

「で、どうする? 明日も練習があるから無理はしなくていいぞ」

 

 この人はそういうつもりじゃないらしいし、案外まともな話かもしれないから少しくらいなら……いいか。

 

「ええ。 いいですよ」

 

 悩んだ結果、俺は先輩の家に行くことに決めた。 何度も言うが決して卑しい目的で近づくわけじゃないからな、そこは勘違いしないでくれよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一言で言えば、『The お寺』だった。

 入り口には立派な山門があり、くぐるとそこには「西満涙寺」と呼ばれるお寺が悠然と建っている。 和風なイメージがとても強かったので家もこんな風に神社やお寺なのでは? と勝手に決めつけていたが、その考えは見事に的中した。

 

「さぁ、ここが私の家だ。 遠慮せず入ってくれ」

 

 本堂の隣、立派な木造造りの大きな平屋が先輩の家だ。 引き戸式の扉を開け、「お邪魔します」と言って家へ上がる。

 

「リビングはこっちだ」

 

 大きめの玄関に靴を置き、リビングまで案内してもらう。 お寺の家であるが、リビングはそのままリビングと呼ぶらしい。

 

「そこへ座って待っててくれ。 今お茶菓子を用意する」

「あ、いや、どうもお構いなく」

 

 敷かれてあった座布団に座り、荷物を横に置く。

 ここも和の要素が詰まった情緒ある部屋だ。 畳の匂いとか、壁に掛けられている習字の文字、襖や障子張りの扉がなんとも新鮮な気分にさせてくれる。

 

「待たせたな」

 

 配膳台にお茶とあれは……多分きんつばか? それが大量に並んだ皿を机へ順に置いていく。

 

「遠慮せず頂いてくれ。 このきんつばは全てパワ堂から取り寄せた最高級品だ」

 

 と、自分で説明しながらムシャムシャ食べ始める六道先輩。 これって俺の分じゃなかったのかとちょっと疑問に思ったが、特に触れることなく爪楊枝で俺も頂く。

 

(初めて食べたが意外に旨いな………っておい、肝心の話を忘れてた)

 

 危うくきんつば食べてそのまま帰る勢いだった。 熱いお茶を一口飲んで、本題へ入る。

 

「それで、俺に聞きたいこととはなんですか?」

「む、そうだったな。 実はさっきの……奥野 樹についてなのだが」

 

 ……話がよりにもよって奥野についてとは。 やはり今日の俺、色々とついてなさそうだ。

 六道先輩は自分の爪楊枝を皿に置くと、真剣な眼差しで話を進める。

 

「昼にみずきの家で試合を観ていた時、東出はこの男を知っている口ぶりで話していた。 それも無名で活躍して間もない選手にもかかわらずだ。 もし辛かったら何も喋らなくていいが、言えるのであれば教えてほしい。 昔……この男と何らかの因縁でもあったのか? 今日の東出はどこかいつもと違うように感じたからな……」

 

 大通りで別れ際に見せた涼子先輩と同じ表情で問いが投げられた。 今思えば奥野について口走らなければ良かったと後悔している。 俺のせいでエースと捕手を心配させてしまったのが心痛い。

 ……潮時かもしれない。 これ以上隠して不安感を与えるよりは、全部吐いてしまった方がまだマシかもしれない。

 

「……ええ。 実は俺、シニアの時にコイツと対峙したことがあるんです」

 

 

 

 

 あれは今から去年の夏に遡る。

 今年の神奈川県No.1シニアを決める大会の決勝戦で俺は奴と初対決をした。 この試合に勝てば全国大会出場権を獲得でき、それが最後の大会であった俺にとって、気合の入りもこの日はいつも以上に高かったのを覚えている。

 

『一回の表。パワフルシニアの攻撃は、一番、ライト、奥野樹くん』

 

 前エースであった涼子先輩の後を継ぎ、エースの座を手に入れた俺はこの決勝戦で先発出場を果たした。 ここまで数戦を投げ抜いた俺であるが、失点はたったの一とほぼ完璧なピッチングを続けていたのだ。

 

 −–−–−しかし、この男だけには通用しなかった。

 

 独特のリズムを刻む振り子打法。 初めは珍しい打法だと思う程度で、さほど脅威を感じることはなかったが、様子を見に行った初球のカーブを奥野はいともたやすくホームランにしてみせた。出会い頭の偶然起きたホームランだと、まだこの時はそう思っていた。

 

 

「−–−–−結果、四打数四安打二本塁打。 俺はアイツの失点をキッカケに五回七失点と総崩れして完敗でした」

 

 

 何一つ通用しなかった。 敗戦はこれまで何度も経験してきたが、これほど一方的に打ちこまれて負けたのはなかった。 かつてないショックと、自分の憧れであった野球が何一つ通用しなかった無力さにその日は無性に悔しくて、涙も流した。

 

「……先輩の本職はキャッチャーですから分かりますよね。 俺のピッチングがあの人と似ているのは……」

 

 何かを察したように、六道先輩は「ああ」と目を瞑って頷いた。

 やはりピッチャーを常に観察しているキャッチャーには特に……いや、薄々他の先輩方も気がついているだろう。

 

 

「俺は……涼子先輩にずっと憧れてたんです」

 

 

 俺がまだ小学四年生だった頃。 誠也と共に他チームの試合を何気なく観戦していた時、涼子先輩のピッチングを初めて生で観た。

 

 

 

 あの日本一とも呼ばれた横浜リトルの先発が女の子なんて……絶対負けるな。

 

 

 

 女の子なんていくら練習しても所詮男には勝てない。 体格でも力でも劣っているのに、野球なんてできるわけがない。 当時、まだ小さいガキだった俺はこんな醜い思考しか持っていなかった。 本心でけなしたつもりではない。 野球は男のスポーツだと、生まれてからそう信じ込んでいたからだ。

 

 −–−–−実際に涼子先輩のピッチングを観た後で、そんな考えはあっという間に崩れ去った。

 

 野球に男も女も関係ない。 たとえ自分が女であって、色んな人に非難されたとしても、挫けずにただ自分の夢に向かって突き進む。 どんな逆境でも、相手が帝王リトルであったとしても闘志を萎えさず挑み続けるその強い意志と姿勢が、俺の脳内から離れなかった。

 俺もあの人のような強いピッチャーになりたい。いつしか川瀬涼子と言う存在は俺の憧れそのものになっていた。翌日から監督に頼んでピッチャーの二刀流を半ば強引にお願いし、卒業後は誠也と別れてまで横浜シニアへ行き、何度も先輩から球種を教わった。

 少しでも自分の理想に近付きたくて……ただそれだけでのはずだったのに……。

 

「涼子のことが……気になっているのか?」

「………そう、かもしれません」

 

 でも、それは無理だ。

 あの人が真にそんな感情を見せるのは俺に対してではなく、一ノ瀬先輩に対してだから。 俺と知り合うずっと前からバッテリーを組み、時には意見が合わず衝突し合ったりもするが、その分だけ互いを信頼し、特別な仲にしているんだと、まだ先輩たちと数ヶ月だけの付き合いだが、そう感じ取れた。

 

「俺は……今度こそ証明したいんです。 涼子先輩のピッチングは間違ってないんだと」

 

 あの日、涼子先輩は直接球場に訪れ、横浜シニアとパワフルシニアの決勝戦を応援に来ていた。 あの時は負けてしまったが、約一年の月日が流れ、俺も少なからず強くなった。 自分があの人をずっと尊敬し、好きだからこそ奥野にリベンジを果たしたいんだ。

 他人からすればどうでも良い私情であるが、六道先輩は茶化すことなく静かに話を聞いている。 一通り話終え、少しの沈黙の後、先輩は口を開いた。

 

「私は東出の話を聞く限り、このままではタチバナが負けると思う。 東出と涼子のピッチングは瓜二つ。 その片側が容易に攻略されたとなれば、涼子が投げても奥野抑えるのは至難の業だろう。それに相手の先発は鈴本だ。 アイツとまともに勝負できるのも友沢と大地くらいしかいない。大量得点が期待できないこの状況で東條率いる破壊力のある打線を完璧に封じ込められるかどうか……」

 

 顎に手を当てて先輩は考え込む。この考えは俺自身も正論だと思う。 若干違いはあったとしても、球種はチェンジアップを除いて残りは全く一緒。 ましてや対応力もバッティグセンスにも長けている超アベレージヒッター、このまま涼子先輩を先発にしたとして、打たれるリスクの方が高いかもしれない。 だったら……

 

 

「先輩。 お願いがあるんですが−–−–−」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 試合前日にもかかわらず、朝8時から選手達がグラウンドで最終確認を行っていた。 私と木佐貫は練習の邪魔にならぬよう、フェンス越しから選手を順にチェックしてはメモを取る。

 

「神奈川県No.1公立校の名は本物みたいですね。 投手も野手も一級品が揃ってますよ」

 

 と、選手に眼を輝かせながら自分の感想を言う木佐貫。 それは私も同意見で、この猪狩・眉村世代のパワフル高校は近年稀にみるまでのベストメンバーなのだ。

 目の前で投球練習を行なっている本格派左腕の鈴本。 彼はストレートも平均以上に速く、スライダーとシュートを中心に変化球のキレも制球もある。 また、今大会自責点は未だ0。 唯一失点を許したのも秋季大会決勝で当たった海堂戦の三失点のみと、非常に安定感あるピッチャーである。

 

(良い投手だ。 また猪狩や眉村とは違うタイプの選手だが素質は十分ある………ん……?)

 

 ふと、ある選手に目が移った。

 古い木製バットを使って快音を響かせる青年。 独特のリズムでタイミングを計り、来たコースに逆らわず痛烈なライナーで外野前へ運んでいる。

 ……見覚えのあるフォームだ。あれはメジャーの−–−–−

 

「お、アイツに目を向けるとは……流石影山さんですね」

「おや、あなたはパワフル高校の……」

「根津 清。 一応ここの監督をやってる者です」

 

 男は根津 清と名乗り、帽子を取って礼を交わした。額に付けた赤いバンダナが特徴の熱血漢漂う男で、パワフル高校の監督でもある。

 

「しかし……今年は有望な選手が揃いましたな」

「やっぱりそう思いますか? 俺もここの監督に赴任して6年が経ちますが、この代ほど強かったチームは無い。 不動のエース・鈴本、最強の四番・東條、チームの精神的支柱・尾崎……そいつらから刺激を貰って他のメンバーも切磋琢磨してますからね。 強いですよ、今のパワフル高校は」

「なるほど……」

 

 二年生ながら主将を務める尾崎のリーダー性も私は密かに評価していた。 三年生が僅か四人しかいない中、誰よりも熱くチームの中心に立って声を上げる姿、そんな彼らしい得点圏での勝負強さ、東條に次ぐ長打率も面白い。 数々のドラマを生み出す高校野球で、まさに彼のような熱く心を踊らせる選手は語るに必要不可欠な存在だ。

 強いて言うなら聖タチバナの一ノ瀬と似たオーラを感じさせる……そんな男でもある。

 

「根津監督。 先程からあそこでフリーをしている選手……」

「あー、奥野ですか? アイツも中々面白い奴ですよ」

「面白い……とは?」

「そのままの意味ですよ。 奥野のフォーム……どこかで見覚えがありませんか?」

 

 あるにはある。

  投手側に向けた足をすり足に近い形て移動させ、体を投手側にスライドさせて踏み込むあの打法−–−–−長年からの経験を探ってこの打法と一致する名は……"アレ"しかない。

 

「メジャー、シアトルシーガルズで尚も活躍中。 日本でも渡米前にバスターズ最強のヒットメーカとして数多くの栄冠を手にした男……そう、『鈴木コジロー』の振り子打法なんです」

 

 同じ日本人メジャーリーガー、野呂・松尾・神童と共に渡米開拓を進め、新時代を切り拓いた一人−–−–−それが鈴木コジローだ。

 昨年、自己最高記録となるシーズン打率.386を初め、盗塁王、最多安打、首位打者、プラチナゴールドグラブ、MVP……そして三十三歳にして早くも日本・米の双方で殿堂入りも検討されており、アメリカではコジローを「現役最強の外野手」とまで讃えている。

 

「奥野は元々、中学二年の春まで野球を一度もやってなかったんですよ」

「!……やっていない? 」

 

 どういうことだ?

 あれほども綺麗なフォームでコンスタントに広角へ打ち分けるバッティングは相当の熟練者でなければ成せる芸当ではない。 それを初心者がたった二年でマスターしたのか……?

 

「奥野は最初、パワフルシニアに在籍していた友人からの誘いで野球を始めました。 元々野球以外のスポーツも万能にこなしてしまう天性の感覚を買っての些細な誘いでしたがね……いざ打席に立たせたらまぁ凄いこと。 初打席でホームラン、しかも相手は帝王実業のエース、山口賢ですよ?」

「山口−–−–−!」

 

 我々スカウト業界の中でも耳にする選手だ。 彼のフォークボールは超高校級……いや、プロにさえ通用する落差とキレを持っていると評判で、我がキャットハンズでも手薄な先発陣補強の目的で度々名が上がっている。

 その投手から初打席でいきなりホームランを打つとは……相当な野球センスを秘めているとしか考えられない。

 

(私もスカウトマンとしてまだまだ未熟者だな……)

 

 こんなにも面白い選手、そうはいない。 彼なら猪狩・眉村世代が去った後の次期ドラ1後継者として申し分ない素質だ。

 −–−–−無名だった鈴木コジローをスカウトに成功した私だから言える、彼は次世代のスター選手に上り詰める選手かもしれない、と。

 

「根津監督。次の試合、健闘を祈っています。 それでは私らはこの辺で」

「おお、もうお帰りに?」

「ええ。 少し見直しが必要なので。 それでは」

 

 青いニット帽を取ってお辞儀をし、私と木佐貫はパワフル高校を後にした。 言うまでもないが、スカウトリストには鈴本、東條らに続いて新たに "奥野" の名前が追加された。

 今年のパワフル高校はかなり強い。 正直、試合前の私の予想では6-4でパワフル高校が勝つと思う。 聖タチバナが鈴本、東條をしっかりマークし、あの天才をどう封じ込めるかで試合の勝敗は決まるだろう。

 

(さて……一ノ瀬君。 君はこのチームにどう対抗するか、見せてもらおう)

 

 ダークホースが勝つか、古豪が勝つか。 どちらにせよ、上へ上がれるのは一チームのみ。 明日の試合、非常に楽しみだ−–−–−。

 

 



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第二十八話 vsパワフル高校(前編)

「よし、忘れ物はないよな?」

「ああ。 これで全部のはずだ」

 

 午前8時。

 パワフル高校と三回戦目を迎える前に少し早めに集まってアップをし、最終確認を終えたところであった。今は学園側から借りたバスにグローブやらバットやらクーラーボックス等、次々と荷物を運び入れていた。 八木沼が最後にスコアブックと筆記用具の一式を美奈子先生に渡し、バスへ乗り込む。

 

「先生。 すいませんが今日もお願いします」

「大丈夫ですよ。 それよりも今日の試合、頑張ってくださいね」

「ありがとうございます。 飲み物はクーラーボックスに入ってるんで熱中症にならないよう気をつけてください」

 

 実は美奈子先生には、一回戦のバス停前戦からスコアラーの仕事を代わりにやってもらっていた。 本来ならスコアラーは各学校のマネージャーがしたり、強豪校になるとスコアラー専門の人を雇ったりしているが、ウチは不運な事にマネージャーがいない。 初めはキャプテンである俺が付けたり、ベンチスタートの人間が付けたりを行ったり来たりしていたが、いかんせん試合と並行して付けるのがこれまた難しい。 そこで先生に相談したところ、「だったら私がやりますよ」と快く引き受けてくれ、こうして任してもらっているわけだ。

 

「あ、一ノ瀬君、ちょっと」

「はい?」

 

 お礼を言って乗り込もうとすると、ヒョイヒョイと手招きしながら美奈子先生が俺を呼び止める。 何か忘れ物でもしたっけ……?

 

「この記事……一ノ瀬君はもう見た?」

 

 先生からタブレットを貰って見てみると、画面中央に大きく写る1人の選手がいた。

 

「……はい。 もちろん」

 

 ……流石だな。 俺も昨日の夕方にその内容はパワフルニュースを通じて知っていた。その結果自体はそれほど驚きはしなかったが、唯一の誤算はこの選手が俺の想像を遥かに上回る "怪物" になっていたことだ。

 

 

 『怪物、またもや偉業達成。 流星高校相手に十八奪三振・完全試合』

 

 

 流星高校−–−−–−埼玉きっての名門校で、あかつき大付属と毎年優勝争いを繰り広げているチームだ。 そこを相手にある男は十八奪三振のおまけ付きで完全試合の偉業を成し遂げたのだから、昨日からスポーツ誌やニュースはこの話題で持ち切りだった。

 

(猪狩………お前はいつも俺の先を行くよな……)

 

 そしてその隣に映る捕手……かつての仲間で今は敵同士だが、この選手無しでは猪狩の完全試合も達成できなかっただろう。 海堂へ行き、そこでお前はどう変わってあかつきへ行ったんだ?

 −–−–−なぁ寿也。

 

「一ノ瀬、先生。 そろそろ行きますよ」

「ん、分かった。 じゃあ先生、これを」

「ええ。 一ノ瀬君、今日の試合……頑張ってくださいね」

 

 っ、とぉ……その顔で優しく微笑みながら応援されると恥ずかしいな……。

 でもまぁ、こんなところでまだ負ける訳にはいかない。 ライバル達は着実に上のステージに進んでるんだ。 俺達だってきっとアイツらに辿り着ける、そう信じて今日の試合も必ず勝ってみせる。

 

(………今日はまた大変な一日になりそうだ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よーし。 じゃあ集合だ」

 

 試合前のシードノックを終えたところで全員を呼び、今日のスタメンを発表する。 ……それにしても今日もまた格段に暑い日だな。 投手のペース配分や熱中症等に気を遣ってやらないとな。 これも主将兼捕手の役目だぜ。

 −–−–−しかし今日の俺の役目は全然違うけどな。

 

 

「今からスタメン発表するぞ。 今日の試合は色々と対策を練った結果、普段と違うオーダーになってるから聞き逃すことのないようにしろよ」

「普段と違うオーダー?」

「おう。 対パワフル高校対策とも言うべきか……では発表するぞ。一番センター、八木沼」

「ああ」

 

 そしてここから少しいじっていくぜ。

 

「二番キャッチャー、六道」

「!……私がスタメンマスクか?」

「おいおいまた説明はするよ。 三番ファースト俺、四番ショート友沢」

「俺はいつも通りだな、了解」

「五番セカンド、今宮」

「お、俺が五番に上がってんじゃん。 よしっ!」

 

 喜ぶ今宮に対し、大島は難しい顔を浮かべている。 ここは最近の試合の結果や今日の投手が変化球を主体に攻めてくる事を配慮して今宮を五番にした。

 

「六番サード、大島」

「……っす」

「七番ライト東出」

「はい」

 

 ……もしかすると今日の試合の重要人物になるかもしれない選手の一人だ。 今日の作戦やこのオーダーの原型を共に考えた張本人だからな。 この作戦もまた後で説明していこう。

 

「八番レフト原」

「おっと……ワイは今日八番かいな。 分かったで」

「最後に九番ピッチャー、橘」

「うん、分かっ……あ、あれ? 今橘って言った……?」

 

 返事を言いかけたところで涼子が困惑した顔で俺の方を見る。 自分が先発かと思ってたらまさかの控えスタートだから仕方ないな。

 

「そうだぞ。 お前は今日、ベンチスタートだ」

「えぇ?! どうしてなの? 私そんなに酷いピッチングしてた?」

「いや、ピッチングの方は問題ないんだが……お前、最近連投してるだろ? そろそろ疲れも出てくる頃だし、相手だって相手チームのエースなら研究だってしてくるはずだ。 そういう意味でも今日は後ろからで頼む、いいな?」

「うん……悔しいけど分かったわ」

「大丈夫、私を信じなさい涼子! 私が出るからにはパワフル高校相手でも完璧に封じ込めてやるんだから。 大船に乗ったつもりで待ってなさいよ」

「ふ、泥舟と化して沈まなきゃいいけどな」

「おいそこのダサいサングラス付けてるアホ金髪。 アンタなんか全打席三振で無様に散るのよ。バーカ」

「弱い奴ほどよく吠える……まさにお前のことだな」

「っ〜! もう我慢の限界よ! これ以上調子に乗ったらケツバットお見舞いするわよ!!」

「おい! お前ら喧嘩はよせ!! 試合前だぞ!」

 

 八木沼の一早い判断でみずきちゃんの暴走は何とか止まった。 つーかおい。 みずきちゃんが持ってるバットって俺のマイバットじゃないか? 試合前に俺のバット乱闘事件だけは勘弁だぜ……。

 

「先輩」

「ん、どうした東出」

 

 友沢とみずきちゃんが楽しく(?)小競り合いしている後ろで、こっそりと東出が顔を見せた。

 

「昨日は突然すいませんでした。 もっと早く言いたかったんですけど……」

「ああ、そんな気にするなって。 寧ろ試合前に助言してくれてこちらとしては大助かりだよ。 ありがとな」

「いえ、俺は……それよりも今日の試合……」

「分かってる。万が一の事態になったら頼むぞ」

「はい。 任せてください」

 

 東出の"策"が上手くいくのか未知数だが、試してみる価値は十分ある。 未知数故にできれば使わずに勝ちたい所だが、ヤバくなったら最後はそれで心中するしかなさそうだ。

 ……まぁそれはそれで面白いから俺は好きだぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 相手のパワフル高校のオーダーは、

 

  一番 ライト 奥野

  二番 セカンド 円谷

  三番 ファースト尾崎

  四番 サード東條

  五番 キャッチャー 香本

  六番 ショート 生木

  七番 センター 松倉

  八番 ピッチャー 鈴本

  九番 レフト 森久保

  

 こちらは二回戦目と変わらずそのままだ。東條や尾崎の破壊力、守備に定評のある円谷と並木、そして一番を打つ天才一年生の奥野に左腕エースの鈴本と、走攻守共に隙のない編成だ。 一年の松倉も確か中学時代はそこそこ名のある投手だったらしいと東出から聞いたが、今日はセンターだ。 となれば打者としてもそれなりに自信があるはずだから油断はできない。

 

 

 

 午前一時、主審の『プレイボーイ』の合図と共に試合が始まった。 先行は俺たち聖タチバナで、後攻がパワフル高校だ。

 

『一番センター、八木沼くん』

 

 さて、鈴本の最初の立ち上がり。 映像越しでは散々観てきたが、生で目の当たりにするのはこれが初めてだ。

 サインに頷き振りかぶる。 無駄のない綺麗なスリークォーター投法、そのままボールは寸分の狂いなく外角低めに構えていたミットに吸い込まれていく。

 

『ストライッ!!』

 

 会場が若干どよめく。 球速は百四十二キロ。 中々の速さだ。だがそれ以外に驚いたのはコントロールの良さとボールのノビだ。

 

「随分と良いフォーシーム回転がかかってるな」

 

 ん、友沢も一発で見抜いたか。 流石はウチの四番打者。

 

「ああ。ファームに無駄がなければフォーシームの回転にも一切無駄がない。その上初球からコーナーギリギリに突かれたら打者も数値以上に速く感じるだろう」

「これは相手キャッチャーの……香本と言ったか。 捕ってて楽しいんじゃないか?」

「……だな」

 

 二球目は低めのストレートをカットし、早くも追い込まれた。

 鈴本は眉村や猪狩のように奪三振を積極的に狙いにいくタイプ、というよりも "打たせて取る" 傾向が強いピッチャーだ。 それだとここからボール球で一、二球様子をみるのが傾向の一つだが、まだ初回の最初だ。 球種やタイミングなどを計らせない為にも三球勝負、ってのも考えられる。

 

(っ!、しまった……!)

 

 意表を突く三球連続のストレートを引っ掛け、大きなバウンドでショートへ跳ねる。

 

「走れ!! 間に合うぞ!!」

 

 一塁コーチの笠原が声をあげ、八木沼が全力で走る。

 打球の速さや跳ね方的には面白い。 あとはショートの守備次第だが……

 

「っと!!」

「なっ−–−–−!?」

 

 地面に着く前に自らジャンプし、空中で捕球したままスローイング−–−–−所謂ジャンピングスローで送球してきたのだ。 それもかなり上手に。

 八木沼も快速の勢いのまま頭から滑り込み、ベースに到達する。 タイミングは微妙だがどうだ−–−–−?

 

 

『セーフ!、セーフ!!』

 

 

「よしっ!」

「ナイスラン八木沼ー!」

「いいぞ木沼っちー!! 続け聖ちゃん!」

 

 ネクストサークルから立ち上がり、バッターボックスへ向かう聖ちゃん。 実はこの試合の勝敗を左右するキーマンの1人だと、俺は試合前から考えていた。 なぜなら−–−–−

 

 

 

 

 

「−–−–−相性?」

「ああ。 鈴本と聖ちゃん、そしてみずきちゃんと聖ちゃんの相性を考慮して決めたんだ」

「えっと……それはつまり?」

 

 さっきの試合前ミーティング。

 聖ちゃんと東出、みずきちゃん以外は意味が分からず?マークを浮かべていた。 なら分かりやすく説明していこう。

 

「薄々みずきちゃんは気づいてたかもしれないけど、俺と聖ちゃんのリードの取り方はそもそも概念が違うんだ。俺の場合、リードをする際、どのコースに投げれば抑えられるか、前もってデータをインプットしてそのコースに投げさせる、言わば "データと経験重視" のリードを取っていたんだ」

「……確かに試合前とか相手チームをビデオや観戦とかで確認してギリギリまで対策を練ってたもんな」

「まあな。 けど聖ちゃんの場合、相手のデータによるリード傾向もあるが、どちらかと言えば "バッテリーのデータ" ってのを重視してる気がするんだ」

「バッテリーの……データ………?」

 

 どうやら本人は自覚がないらしいな。 こればかりは本人も無意識に近い形でやってるから無理はない。

 

「噛み砕くと、聖は私のその日の調子よってリードを変えてるのよ。 それプラス私たち特有の間合いと言うか呼吸と言うか……それらが合わさったのが聖のリードだと思うわ」

「そうか……つまり一ノ瀬は自身のデータに基つぐリード結果で投手に安心と信頼を与える捕手、聖ちゃんは自分の投手を対象にいかにして持ち味を生かしきれるかを考える捕手、ってことか!」

「そう、今宮の言う通りだ。 そしてみずきちゃんはデータリードより聖ちゃんのようなリードを好む投手だとこれまでの投球練習やバッテリー練習でよく分かった。 それに聖ちゃんとは長年ずっとバッテリーを組んできた仲でもある。 なら自然にそちらを好むのも無理はないんだ」

「そう、なのか………だが言われてみればそうかもしれないな」

「ええ。 でもここまで詳しく説明されちゃうとなんだか恥ずかしいわね」

「……うむ」

 

 俺と涼子のバッテリーとはまた違うプロセスを踏んでこのバッテリーは作られた、けどそれは周りが思っている以上に大切で、ある意味一番大事なことなのかもしれないな。 やり方や経緯がどうあれ、それでも2つのバッテリーはこうしてかけがえのない関係へ成長しているんだ。 どれが正しいかなんて、おそらく正解は存在しないと思う。

 

 

 そして聖ちゃんを二番に抜擢したのは−–−–−

 

 

 

 

 

 

 

 

『カキィィィンッ!!!』

(なっ……!?)

 

 

 元バッテリーを組んだキャッチャーだからこそ、彼を一番よく知っているからだ。

 

 

「よっしゃぁ!!! ナイスホームラン!!」

「よくやったわ聖ーっ! それでこそ私の相棒よ!」

 

 小さく微笑みながら二塁三塁を蹴り、ホームイン。 捉えたのは五球目のスライダーだ。 外側へ鋭く逃げ込む球だったが、聖ちゃんは自分のフォームを崩すことなく綺麗な流し打ちでホームランにしてみせた。 自身の弱点でもあった非力さを少しでも克服しようと、ずっと努力し続けた成果が実を結んだ瞬間だ。

 

「先輩、見事な流し打ちでした」

「うむ、ありがとう東出」

 

 ベンチで祝福を受けている中、三番の俺が打席に入る。 せっかく聖ちゃんがホームランで良い流れを作ったんだ。 ここは是が非でも水を差すわけにはいかないぜ。

 

 

「……まさかあそこまで飛ばされるとは思わなかったよ」

「ごめんなさいだ先輩。 僕が油断してたのもありましたなぁ」

「ううん。コースやボールも完璧だった。 今のは聖がよく打ったと褒めよう。 それよりも次の一ノ瀬君をどう抑えるかだね」

「ふぅむ……まだ温存しておきたかったけど "アレ" を解禁させますか」

「……そうだね。 多用は禁物だけど彼も要注意人物の一人だ。 これ以上調子づかせない為にも全力で抑えようか」

 

 

 お、キャッチャーが戻ってきたか。 ここからどう立て直すか、まだまだ気が抜けない点差だ。

 初球はインコースのストレート。 タイミングと速さを測るため、ここは見送る。

 

(ストライクか。やはり回転が良く効いてる分ナチュラルにノビてきてるな)

 

 鈴本の球種は他にスライダーとシュートがある。 今日はまだシュートを使ってきてないが、ここらで使ってくる可能性は高い。 基本シュートはゴロを打たせる時かカウントを取る為に使い、決め球のスライダーで抑えるのが鈴本の代名詞。

 二球目はストレートが外れてボール。 そして三球目−–−–−狙いをシュートに定め、右打者から外へ曲がる変化球を打ち返す。

 グギィィンッ! と鈍い音が鳴りながらも打球は鋭くライナーで三塁線を襲った。

 

『ファール!』

 

 くっそ……今のはもったいなかった。 芯は外してたがタイミングが合ってたお陰で打球は強く弾き返せた。 もう少し遅く振ってたらセンター返しにできたはずだ。

 

「見えてるぞ! 頑張れ一ノ瀬!!」

 

 ウチの応援歌が流れる中でと今宮の声援が一際大きく聞こえた。 僅かだが元気を貰ったぜ、ありがとよ。

 一呼吸置き、構え直す。 カウントは1-2。 投手がかなり有利なカウントだ。考えられるのはつり球か決め球のスライダーの二択。 これまで俺に対してスライダーを使ってないとすると、ここで勝負をかけてくるのもあり得る。 それを頭に叩き込んであとは来るべきボールをフルスイングするだけ。

 プレートを踏んで鈴本が動作に入る。 次は強打者の友沢も控えている。 最低限四番に繋ぎ長打を狙う、それが今の俺の仕事だ。

 球は遅い、変化球だ。

 ならスライダーのはず、そのはすなんだ……だがボールはスライダーとは全く違う軌道で落ちていく。

 

(なっ、にっ……!?)

 

 ボールは俺がバットを振り終わってから香本のミットに届いた。タイミングも高さも全然違う場所を振らされ、簡単に空振りさせられた。

 

『ストーライッ! ハッターアウトォ!』

 

 タイミングが全然合ってなかったせいで思わずよろけてしまうが、何とか止まって転ばずにすんだ。

 全くもって読めなかった。 ストレートでもスライダーでもシュートでもない。これまでの試合で一度も使われてなかった変化球、それが投じられたことしか分からなかった。

 

 

(鈴本……まさか今のボールは………)

 

 

 続く四番の友沢は俺と同じ球を振らされ空振り三振、今宮はスライダーを打ち上げてレフトフライ、これで初回の攻撃は終わった。

 

「大地」

「ん、どうしたの?」

「さっき大地と友沢に投げたボール……あれはおそらく "ナックル" だ」

「!、ナックル?!」

 

 言われてみれば確かにガーブでもシンカーでもフォーク系でもなく、ナックルのように無回転で不規則に落ちていた。 だが今大会で鈴本はナックルなんて一度も使ってないし、甲子園でもそれらしき球は投げてなかった。

 まさか対聖タチバナ戦に用意しておいて新球種だったのか……ますます謎が深まるばかりだ。

 

「ナックルって……メジャーリーグでもたまにしか見れない魔球の代名詞のやつだよな?」

「まさかそんな変化球を県大会で見れるなんて……考えもしなかった」

「とにかく考えるのは後にしよう。 これから守備だ、聖ちゃんのホームランを無駄にしないよう0点で抑えるぞ」

 

 おう! と声を合わせて皆が返事を返す。

 後続は倒れても聖ちゃんのお陰で先制点は取れたんだ。 今は目の前にある守備を確実にこなすことだけを考えよう。

 

『一回裏、パワフル高校の攻撃。 一番ライト、奥野くん』

「お願いします」

 

 独特のリズムと脚の使い方でタイミングを取る−–−–−左の振り子打法。

 マウンドから対角線上にサイドスローで投げ込まれる−–−–−クロスファイヤー。

 どちらもあまりお目にかかれない変則的なフォームだが、お互いに左利き、ましてやサイドスローとなれば投手有利ではないかと俺は思う。 が、奥野も振り子を完璧に使いこなしコンスタントにヒットゾーンへ運ぶ技量を重ね備えているアベレージヒッターだ。 ボールを当てる力だけならもしかすれば友沢よりも上かもしれない。

 

(アウトローのストレート)

 

 サインを確認してみずきちゃんがモーションに入った。 左足を軸に体をひねり、その反動を活かして腕を横に鋭く振るう。 ボールはミットへ正確に投げ込まれ、審判の腕が上がった。

 

「ナイスボール!」

 

 よし、みずきちゃんの調子は悪くなさそうだ。 振り子打法は足を振り子のように動かし、投手側へ移動する際に発生する勢いをボールに伝わらせる打ち方だ。 パワーがなくても強打できる反面、タイミングがとりにくくなるから並みのバッターでは逆に難しくなってしまう。 実際、振り子で活躍した選手はメジャーリーガーの鈴木コジロー選手しかいないからな。

 二球目はスクリューが低めに外れてボール、次の内角へのストレートは上手くカットし、カウント1-2。

 

(出し惜しみはしない。 クレッセントムーンだ)

 

 −–−–−来そうだな。

 みずきちゃんのウイニングショット、超高速スクリューが。

 俺でさえ後ろに逸らさないのが精一杯なのに、聖ちゃんはそれを完璧に捕球できるまでに仕上げてきている。 バシッバシッ!とミットを叩き、力強く構えた。

 ボールはリリース後に強烈なスピンがかかりながら左打者の内側へと急激に迫ってくる。

 

(っ−–−–−!!)

 

 難しい体制になりながらも柔軟に対応し、バットの芯でボールを捉えた。

 一二塁間を襲う強いゴロ。 普通のセカンドならギリギリ追いつかないコースだが、ウチのセカンドは違った。

 

「んらっ! っとぉ!」

 

 滑り込みながら華麗に捕球すると、素早い動作ですぐさま送球。

 

『アウト!!』

 

 際どかったが判定はアウトに。 やはりタチバナの二遊間コンビは安心感が違うぜ。 ファーストという隣の立ち位置で見ていても、抜ける気がしないな。

 

「ナイスプレー今宮」

「おう! これが俺の持ち味だからな!」

 

 へへーん、と友沢にドヤ顔をする今宮。 そんな部分も良い意味でお前の持ち味なのかもしれない。

 

 

 

「どうだった樹君?」

「……香本と川井さんのデータ以上の変化球だったよ。 変化量が多い上に球速もストレートと数キロしか代わってない。やっぱりお元気ボンバーズで鈴本先輩とエースを張ってただけあるね」

「ふうむぅ……となればまずあのスクリューに慣れることから始めるべきだねぇ」

「……だな。 樹がそれほど言うなら俺や尾崎でも打つのは難しいだろう」

「僕も同感だね。 元同じチームのよしみだから気持ちはわかるよ。みずきさんは警戒して挑んだ方がいい」

 

 

 

 続く2番の円谷は六球目のクレッセントで三振、尾崎はセンターフライで倒れてスリーアウトチェンジ。 まずは上々の立ち上がりをみせたみずきちゃん。 このままの勢いで打線も爆発してほしかったが、鈴本も聖ちゃんのホームラン以降、完全に立ち直り、五番の今宮をナックルで三振、続く大島は苦手な変化球を巧みに混ぜられ三球三振、東出はナックルを何とか当てるもピッチャーゴロに終わり、直ぐにチェンジとなった。

 

「聖ちゃんのホームランが大きいわね」

「ああ。 こりゃ投手戦になりそうだな」

 

 俺と涼子の予想は見事に的中した。 それ以降、お互いにヒットは出してもホームは踏ませず、拮抗した流れは炎天下の中、六回の裏まで続いていった。

 

 

 

『六回の裏、パワフル高校の攻撃は一番ライト、奥野君』

「そろそろですなぁ」

「お、ようやく勝負に出るか香本?」

「ええ、尾崎先輩。 皆さん方大方のタイミング等は掴めてきたと感じたので。 この奥野くんから始まる六回で反撃といきましょう」

 

 

 試合時間も一時間半ほどたち、気温もピークに達していた。 ここまでみずきちゃんは強力なパワフル高校打線相手に五回無失点の好投で乗り切っている。 疲れもそろそろ出始める頃だが、これまでのトレーニングの成果が出ているのか、俺としてはまだそれほど疲れてないように見える。 きっと体力だけじゃない。 目の前に座る女房が励ましながら引っ張ってきたのも大きな要因だろう。 全く……本当に良いバッテリーだぜ、あの二人。

 

「六回裏! ここも0点で抑えていくぞ!」

 

 オー! と大きく声を上げ、気合いを入れる。

 この回は一番の奥野からか。 一打席目はセカンドゴロ、二打席目はサードライナーと徐々に当たりが強くなってきている。 おそらくタイミングがそろそろ合わされ始めていると思う。 一応交代も視野に入っているが、今のところピッチングはまだ崩れていない。 このイニングの結果次第でまた采配が変わりそうだ。

 

(そろそろ攻めに転じてくるはず。 ここからは特に慎重にせめていくぞ)

 

 美しいひねりからサイドハンドで左腕を振る。 ボールは微妙にインコースへ外れてボール。 二球目は普通のスクリューがワンバウンドしてボール、その次はストレートが内角低めに決まってストライクとなる。

 

(よし……そろそろだな)

 

 ボール先行だが、そのくらい慎重にいって良い。 このテのバッターにはちょっとでも甘い球にいけば簡単にヒットかホームランにされてしまう。 クサいコースを突きながら打者の読みの裏をかいていくしかない。

 

(まだ早いがカウントを取るため。 クレッセントを外角低めへ)

 

 完全なるボールゾーンから外角ギリギリに迫りくるスクリュー。 並みの打者なら間違いなく打てず、見逃したとしてもストライクゾーンに入っている。 これ以上にない最高のボールだ。

 

 −–−カキィィィンッ!!!

 

「−–−–−えっ!?」

「なっ……!?」

 

 気持ちいいくらいの快音が球場に響いた。 あまりの速さに友沢と大島は一歩も動けず、打球は痛烈にレフト前へとライナーで飛んでいった。

 

(アレを打つのか……文句なしのコースだったぞ………)

 

 急激な変化に体勢は若干崩れながらもバットはお手本のような追っつけた軌道、振り子の勢いもしっかりと打球に乗せて打ち返した。あれはバッテリーは悪くない、単に相手が凄かったたけだ。

 

「橘、球は走っている。 切り替えて次のバッターを抑えるぞ」

「……ええ。 分かってるわよ」

 

 友沢の掛け声に普通に返すみずきちゃん。 精神的にはまだ余裕がありそうで何よりだ。

 

『二番セカンド、円谷君』

 

 一年生ながらも正二塁手に座る円谷。 このバッターはパワーはそれほどないが、バントなどの小技が上手く足もそこそこ速い典型的な二番打者タイプだ。 ここは盗塁も視野に入れつつ、できればゲッツーを狙っていきたいところ。

 

「−–−–−ふっ!」

 

 初球はウエストから入り、ランナーを警戒する。 二球目は外角へ曲がるスクリュー。 その球種を待っていた、と言わんばかりに奥野はスタートを決めた。

 

「走ったぞ!!」

 

 俺の声に内野陣が瞬時に反応する。 聖ちゃんも来ると感づいていたのだろう。 素早く立ち上がって捕球すると、お手本のようなスローイングでカバーに入った友沢へ送球する。

 

「セーフ!セーフ!!」

 

 僅差で奥野の足が先にベースへ届き、セーフに。 しっかし、なんつー速さだ。 矢部君や八木沼と同等……いや、スピードでは2人の方が速いが、奥野は高い走塁技術でそれを補っているのか。 これは……どこからどこまでコジロー選手にそっくりだぜ。

 円谷はその後インハイのストレートを手堅くバントし、これでワンアウト三塁。

 

『三番ファースト、尾崎君』

「うーし、まずは一点取るとするか!」

 

 ここでチャンスに滅法強い尾崎か……。 確かコイツは得点圏にランナーがいるとやたら強くなるクラッチヒッターで、去年の秋季大会での得点圏打率は驚異の七割越えをマークしていた。 一塁が空いてるから敬遠という策もあるが、次のバッターはさらに厄介な東條だ。 とても逃げれるような場面じゃない。

 

「みずき、ランナーは気にしなくていい。 ここを抑えれば相手の勢いを消すこともできる。 自信を持って投げ込めば大丈夫だ」

「そうね……聖もリード頼むわよ」

 

 最後にバシッと互いのミットをぶつけて気合を入れ直し、それぞれ持ち場へ戻る。

 ここで尾崎と東條を抑えれば戦況はかなり良くなる。 頼むぞバッテリー……!

 

 



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第二十九話 vsパワフル高校(後編) 2つのナックル

 大きく深呼吸をして、尾崎がバッターボックスに入る。

 このまま疲労さえなければ完封も狙えるペースだ。 あとはこのピンチの場面を私がどこまでしのぎ切れるか、それだけが心配だ。

 

(まずは外角低めへスクリュー)

 

 初球からクサいコースを徹底的に突き、的を絞らせないようにする。 ボールは私のミット通りの場所に投げ込まれる。

 

『トーライクッ!』

 

 制球も変化球の質も、まだ落ちてはいない。 相棒である私がこんなことを思うのはおかしいが、正直、みずきがここまで投げれるとは思っていなかった。 涼子は先発経験豊富だからまだしも、みずきはどちらかと言えば先発というよりセットアッパーの方が適正だとずっと思っていたからだ。

 中学時代−–−–−シニアチームであるお元気ボンバーズでプレーしてた際も、先発を任されたのは鈴本と別の男子だった。 監督は直接私とみずきに言うことはなかったが、言葉にしなくても本心は間接的に伝わっていた

 

 

 女の子じゃ先発マウンドは厳しいだろう−–−–−と。

 

 

『ットーライクツー!』

 

 

 前のチームが決して嫌だったわけではない。 寧ろ女性である私とみずきの事を配慮してくれていたし、無理をさせないようにと厳しいトレーニングはさせなかったら悪いわけではなかった。

 けど、このチームは違う。 私たちを女性として見るのではなく、" 一人の選手" として 扱ってくれる。 同じ分の練習を重ね、同じ分だけ汗を流した。 本当に少しずつではあるが、過ごした日々の分だけ野球に対する力と自信を私とみずきに与えてくれた。

 最初は鈴本との対決と、『女が野球なんてできない』と陳腐な考えを持った輩を見返すことしか考えてなかった。 大地のように、チームを考えることなど一度もしてなかったと思う。

 

「頑張れタチバナー!」

「聖〜! みずき〜!私たちがついてるわよ〜!!」

「苦しい場面だけど負けんなよ!!」

 

 学校から来てずっと応援してくれた生徒や先生たち、忙しい中時間を割いて私たちをの為に熱い応援を送ってくれるOBやOG、影で私たちをずっと支えてくれた聖名子先生、そしていつも側にいてくれた大切なチームメイト−–−–−その人達のためにも、勝って甲子園へ連れてこうと、今はそんな想いで一杯だ。 それもこれも、全て大地の姿を見てきたせいだと思うと、少しだけ心がくすぐったかった。

 

「来い! みずき!!」

 

 鈴本……申し訳ないが私はお前を倒して上へ行く。 この聖タチバナを甲子園で優勝させるまでは、絶対負けるわけにはいかない−–−–−!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん……状況が大きく変わってきましたね…」

 

 木佐貫が私の横でそう呟く。 五回まで "公立校No.1" とまで評されていたあのパワフル高校を相手に無名の新設チームが、しかも女性投手がここまで完封ペースで封じ込めているのだ。 まさかこのような展開になるとは思いもしていなかった……が、今またその状況が移り変わろうとしているのだ。

 

「ツーアウトランナー満塁……まだピンチな上にに二点差をつけられて逆転となるとタチバナ側からすればキツイっすね……」

「……うむ」

 

 尾崎君を抑えて順調に思われた矢先、東條君にこの日初失点となるタイムリーツーベースを浴びると、香本、生木、松倉と連続ヒットを浴び三失点、更に鈴本君と森久保君にはファボールで塁に出し、塁が埋まった。

 

(崩れた原因はやはり……)

 

 急に増えた息切れと汗を拭く仕草で一目瞭然、疲労だろう。

 ここまで無失点に抑え、一見順調に見えていたが、橘選手と鈴本君には見えにくい大きな差が浮き彫りになっているのだ。

 

(おそらく……球数で疲労に差が出ているのだろう。 被安打数を見ても鈴本君が4本に対し、橘選手は9本。 しかも全打席の4割近くはフルカウントまで使って抑えている……そんな印象だ)

 

 鈴本君が極力体力を温存しつつも全力で投げているのに対し、抑えるので精一杯な橘選手は疲労を覚悟してでも全力で投げて抑えてきていた。 ましてや30度中盤の炎天下で既に百球以上投げているとなると、疲れが見え始めるのも無理はない。

 

(さて一ノ瀬君……君ならこの場面をどうする?)

 

 

 

 

 主審にタイムをとった聖ちゃんが内野陣をマウンドへ集めさせ、相談する。 まさかいきなり崩れるとは思いもしなかったのだろう。 実際、俺もこのままなら勝てるとタカをくくってたからな。

 

「はぁっ、はぁっ…ゴメン、皆んな…………」

「気にするなって。みずきちゃん一人のせいじゃない。 もっと追加点を取れなかった俺たちにも責任はあるよ」

 

 今宮が肩を軽く叩きながらそう言う。 表情から滲み出ている悔しさがこっちにもビンビンに伝わってくる。

 

「しかし4対2、ビバイントの状況で次のバッターが奥野なのはかなりヤバイっすね……」

「ああ。 しかもアイツは橘のクレッセントムーンを前の打席で完璧に捉えていた。 疲労が見えているこのコンディションで奥野を抑えるのはかなり難しいだろうな」

「……………………」

「なぁ一ノ瀬。 どうするんだ? キャプテンはお前なんだから最終的にお前が決めるしかないぞ?」

「分かってる……みずきちゃん、本当の事を言ってほしい。 俺としてはまだ投げれると言うならバッテリーの意見を尊重するつもりだ。 ただ忘れないでほしい。 一度負けてしまったらその時点で終わりだという事も」

「……………」

 

 決してみずきちゃんを信用していないわけじゃない。 ただこれは大会だ。負ければその時点で敗退となりそれ以上上へは行けない。 俺たちが目指すのはあくまで勝利だ。 選手の気持ちを尊重しつつも、やはり一番はチームが目の前の試合に勝つことなんだ。 だから……俺はこうして聞いている。

 

 

「……私、降板するわ」

「!」

「みずき……本当にいいのか?」

「うん……これ以上私が投げたら失点を重ねるのがオチだわ。 私も一ノ瀬君と同じ、この聖タチバナが勝つことが一番なの」

「そっか……分かった。 でもよくここまで投げきったよ。 ありがとう、みずきちゃん」

「へへ……大したピッチングじゃないけどゴメンね……皆……」

 

 聖ちゃんの肩をポンっと叩くと、「ありがとう聖」と感謝をしてマウンドを降りた。 パワフル高校相手に六回途中四失点。 決して良い結果とは言えないが、それでも慣れない先発登板をみずきちゃんはやり遂げてくれた。 その姿は観ていた観客や応援に来た生徒達にも伝わったのだろう、ベンチは戻るみずきちゃんに労いの言葉が送られた。

 

 

「……一ノ瀬、次は誰が投げるんだ? 川瀬なら急いでアップしないと時間がないぞ?」

「いや、それなら心配はいらない。 二番手は涼子じゃないからな」

「えっ? だったら誰が投げるんだよ? 宇津には少し荷が重い場面だし……それだともうピッチャーいないだろ?」

「今宮……忘れてないか? ウチにはまだ投手適正のある選手がいるのをよ」

 

 聖ちゃんだけはそれが誰なのかを直ぐに察し、静かに笑った。

 そりゃそうだ。 昨夜俺の家へ来てこの "策" を教えてくれたのはまぎれもないその二人なんだからな。

 俺はベンチで見守る聖名子先生へ、こう伝えた。

 

 

 

 

「−–−–−先生。 ピッチャーみずきちゃんに代わってライトの東出と変えてください」

 

 

 

 

 

 

『ピッチャー、橘さんに変わりまして、東出君。 ライトへ変わりまして、笠原君』

 

「おっ、向こう側ついにピッチャーを変えやがったな」

「……川井。 あのライトにいた奴の情報はあるか?」

「えーっと……野手としての情報ならあるけど、投手としては中学時代に横浜シニアで先発をして以来、まだ一度も投げてないからなんとも言えないのよ」

「僕も川井先輩と同じなんだなぁ。 とりあえずは奥野君に頑張ってもらうしかないですねぇ」

 

(東出俊……確か中学の時に一度戦ったことがある……。 その時は僕が完全に勝ったはずだ。 それを知っててあえての登板か、それとも何か作戦でもあるのか……どちらにせよここで点を取ればほぼウチの勝利は決まる。 必ず打って鈴本先輩を楽にさせよう)

 

 

 

「ふぅ……ねぇ涼子、大丈夫なの?」

「分からない……けど今は大地達を信じるしかない。 東出君を登板させたのはきっと何か理由があるはずよ」

「理由……か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 登板される予感はあった。できることなら自分を使わずに勝てたらそれが一番なのだが。 しかし状況が状況なだけにそうは言えなくなっていた。 二点ビハインドのツーアウト満塁。 相手は俺にとって因縁の相手−–−–−奥野 樹。 初登板の最初のバッターがよりにもよってコイツとは……運が良いのか悪いのかもう分からないな。

 

「東出。分かってはいるがお前は昔とは違う。 何も意識することはない」

「…六道先輩がそんなこと言えるんですかね? プレイボールから今までずっと鈴本選手しか見てないじゃないですか」

「なーっ!? わっ、私は別に鈴本など気にしてるつもりは……そんなことよりもお前の方はどうなのだ? "あのボール" は投げれそうか?」

「!……はい、多分いけます。あとは俺がしっかり投げて六道先輩が取れれば大丈夫です」

「私も最善を尽くす。 とにかくここを絶対抑えて逆転へ繋げよう」

「はい−–−–−!」

 

 虚勢に過ぎない。 実際、俺がそのボールを投げれる保証など全くないからだ。 だが裏を返せば、決まりさえすれば例え奥野であっても打つのは難しいはず……つまり次の打席で勝敗がほぼ決まると言っても過言じゃない。

 

『一番ライト、奥野君』

(さて……あれからどれだけ変わったのか、お手並み拝見だ)

 

 プレートを踏み、セットアップからの初球。 六道先輩のサイン通り、低めへのストレートが決まった。

 

「ナイスボール!」

 

 球場がおぉ〜っという声に包まれる。 電光掲示板のスピードガンには百四十一キロと表示されていた。予想外の速さに観客が驚いたのだろう。 確かに一年生にしては百四十一キロはかなり速い方だ。

 

(………なるほど。 スピードは以前よりもかなり増している。 だけどそれだけじゃないね)

 

 二球目は同じくストレートだがこれは外側に外れてボール。 続く三球目はカーブを内角寄りの低めへ入れるが、若干甘く入ったそのボールを奥野は見逃さず、フルスイングする。

 

「−–−–−!」

 

 一塁線、一ノ瀬先輩の横を鋭いライナーで飛んでいく。 ダメだ……これだけはフェアにならないでくれ! 頼む……頼む!!

 

 

『ファール!!』

 

 

 ふぅ……危なかった……。 ほんの少し引っ張り過ぎたのが幸いだった。 やはり生半可な変化球じゃコイツはいとも簡単に対応してくるな……。

 カウントは2-1。 選球眼の良い奥野なら釣り球は確実に振ってこない。 そんな相手にボール球で散らしても逆にこっちが劣勢になるだけ。 かといって勝負を急いで甘く入れば長打にされる………くそっ、どうすればいいんだ…………。

 

 

 

「−–−–−東出君!! 頑張れ!!! あなたの力はそんなものじゃないでしょ!!」

 

 

 

 ……涼子先輩?

 

 

 

「大丈夫だ! 私のミットだけに集中しろ!! お前なら抑えられる!!」

 

 

 

 六道先輩………ああ、そうだ。 何弱気になってんだ俺。 まだ勝負がついたわけじゃないってのに。 それで前回も負けたのに、また俺は同じ過ちを繰り返そうとするのか?

 −–−–−違う。 俺は変わった。 目の前に立つ男を倒してこのチームを勝たせる為に、俺は "本当の俺のピッチング" をしようと、試合前に誓ったはずだ! 憧れだった、初めて好きになった人のフォームで奥野にリベンジを果たしたいなど……涼子先輩やチームは誰も望んじゃいないんだ!

 でも、一ノ瀬先輩はこんなワガママな俺を信じて使ってくれた。だったら次は俺がそれに応える番なんだ−–−–−!!

 

(……吹っ切れたか。 よし−–−–−)

(来たか……!)

 

 そのサインに俺は力強く首を振った。 あの敗戦以降−–−–−俺が密かに作り上げてきた新しい武器。 成功さえすればどんなに優れたバッターでも "当てることさえできない" 、それほどまでの威力を誇る球だ。 それが−–−–−いよいよ解禁される。

 

 

(……なっ!?)

「え、はあっ!?」

(−–−–−しめたチャンスだ!!)

 

 

 ランナー満塁のこの状況で俺のフォームはワインドアップ。 当然ランナーはその間に走るし、敵味方関係なく誰もが「何やってんだ!?」と驚きの声を上げた。 馬鹿と思うなら勝手に思っててほしい。 けどな−–−–−これを見てから判断してくれ!!

 

 

(遅い……貰った!!!)

 

 

 緩く遅いボール。 しかもコースはど真ん中の絶好球だ。奥野振り子の勢いをさらに貯め、タイミングを計ってそこへバットを振った。

 本人からすればバットに当たったはずだど、絶対届いたはずだど思って振った–−–−–−–そのはずなのに、

 ボールはバットの下を全く掠りもせずに通過していく。

 

 

「な−–−–−っ!?」

 

 バシッ。

 ボールはしっかりとノーバウンドで六道先輩のキャッチャーミットへ吸い込まれた。 体の全神経をボールへ集中させて、死に物狂いでフレーミングしたのだ。

 

『っ、ットーライッ! バッターアウト! チェンジ!!』

「っしゃぁー!!!!!」

 

 グラブをバン!! と叩き、吠えた。 それくらいに嬉しいんだ、今の俺は。

 

「よく投げたぞ! 東出!!」

「いえ! 六道先輩がいたからですよ!」

「ふ、私のお陰ではない。 全部お前の実力だ、東出」

「六道、先輩…………」

 

 喜びを分かち合いながらベンチへと戻る。 チラッとバッターボックスへ視線へ向けると、変なものでも見たかのような顔付きで奥野がいつまでも俺を睨んでいた。 悔しいというよりも、きっと「今のは何だ?」と驚愕の方が強いのだろう。

 

「おいおい、今の変化球ってまさか……」

「ああ、そのまさかだろうな」

 

 スピードこそ全然ないものの打者の手元で不規則に曲がりながら落ちる、正真正銘の魔球だ。

 

 

 

(……間違いない。 僕に最後で投じたあのボール……鈴本先輩も投げていたナックルだ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 8回の表。

 得点は4-2でパワフル高校がリード。 あれから東出は140キロのストレートとナックルのコンビネーションで一度も一塁ベースを踏ませないパーフェクトピッチングを続けていた。 その頑張りに俺たちも応えなければと鈴本へ立ち向かうが−–−–−

 

『ットーライクッ! バッターアウトォ!!』

「っ〜!」

 

 こちらも東出と同じ投球術を駆使し、中々点を与えくれない。 八木沼がバットをギュッ、と握りしめながら戻ってくる。

 

『2番キャッチャー、六道さん』

 

 二度、三度スイングをし、バッターボックスへと歩む。

 なんだろう……どこか今までの聖ちゃんとは雰囲気が違う気がした。 表情が思い詰めていたというか、鈴本をより意識していたような……そんな風に感じ取れた。

 

(聖…………)

(鈴本…………)

 

 両者がこれまでにないくらい視線を対峙させる。 みずきちゃんから前に聞いたことがある。 2人は中学時代、同じシニアのチームでバッテリーを組み、どんな時もずっと一緒に戦ってきた相棒だったと。 そんな2人が今、敵同士として再会を果たし、平常心でいられるはずがない。

 

 

(勝つのは僕(私)だ−–−–−!)

 

 

 −–−–−パァァッンッ!!!

 インコースギリギリを抉る強烈なストレート。 8回2/3を投げ、球数も110球投げているにもかかわらず、球速は143キロをマークしていた。

 

「……スピードが更に上がった」

「おい……まだこんなに力を残してたのかよ……」

 

 今宮がははっ……と苦笑いを浮かべながら嘆く。 いや違う。 鈴本とてそろそろ体力の限界が近づいてきている。 通常のストレートや変化球と違い、ナックルは一球一球握力を使うボールだ。 それでもアイツがマウンドに立って投げ続けられるのは−–−–−

 

( "絶対に負けない" という強い意志が今の鈴本を支えているんだろうな)

 

「−–−–−っっ!!」

 

 2球目、3球目とスライダーを続けて投げる。 聖ちゃんも食らい付き、それを全てカットした。

 

(はぁっ、はぁっ、はぁっ………やっぱり君を抑えるには−–−–−)

(必ず来る……鈴本なら全力で私を抑えに来る!!)

 

 4球目−–−–−。

 鈴本が選んだのは彼女にただ勝ちたいという想いで作り上げた魔球−–−–−ナックル。

 聖ちゃんはこの1球だけ、普段短く持っていたバットをグリップの先まで長く持ってスイングした。

 マウンドに立つ男は白球の行方を一度も確認することなく、バットを空へ掲げる少女の姿だけをじっと見つめ、笑った。

 ボールはレフトの芝生席へと綺麗な放物線を描きながら真夏の空の下で飛んでいった。

 

「やった……やったぁぁぁぁ!!!!!」

 

 みずきちゃんが手を高く上げて喜ぶのに続けて、俺たちも歓喜の声を上げた。

 三塁ベースを回ったところで聖ちゃんは嬉しく笑いながら小さくガッツポーズをした。 いつも冷静沈着でクールな聖ちゃんも、このホームランだけは嬉しさがわれんばかりに溢れていた。

 

「やったな六道」

「ナイスバッティング! 流石聖ちゃんだ!」

「六道さん、ナイスホームラン!」

 

 チームメイトと先生から温かい歓迎を受けながらベンチへ戻ってくる聖ちゃん。 今日だけで彼女に何回救われたことか……もう感謝してもしきれないくらいだぜ。

 

「大地! 頼むぞ!! 打ってくれ!!」

 

 ……ああ。 任せろ。 何が何でも打って戻ってくるからな!

 

 

 

 

 

「……決まったな」

 

 マウンドに集まる内野陣と監督。 その数分後にパワフル高校のエースナンバーはマウンドを降り、降板した。 これがどういう意味になるか、私は直ぐに予想できた。

 

「木佐貫君、そろそろ帰るぞ」

「えっ? 今帰っちゃうんですか? まだ一点差でこれからって時ですよ?」

「誰が見ても結果はもう分かる。 松倉君では勢いに乗ったこの2人を抑えられないからね」

 

 ……正直、聖タチバナがここまで強くなっているとは思いもしていなかった。 主将の一ノ瀬君は中学時代に比べてバッティングが格段に上達している。 肩の故障を機に野球から離れていた友沢君は元々高かった野球センスを買われショートで4番の大活躍。 一番に座る八木沼君もシニアから密かにチェックしてきた選手だが持ち前の足と守備は健在、今宮君の鉄壁とも言える守備も魅力的で、今日先発した橘選手は四失点を喫するものの東條君や尾崎君率いるこの打線をよくここまで抑えたと思う。

 そして何より、今日一ノ瀬君の代わりにマスクを被る少女−–−–−六道選手。 打っては2ホーマー、守っては2人の投手を自慢のリードで導く大活躍っぷりだ。 彼女がもし今日いなかったら、きっと聖タチバナは一点も取れずに負けたかもしれない。

 途中登板した一年生の東出君のあの力強い速球とナックルも、面白い選手だった。 大島君と共に次のタチバナを引っ張っていく存在として頼もしく感じた。

 

(その上、川瀬選手は今日一度も投げていない……エースを温存してここまで勝負できるとは……本当に見逃せないチームだ)

 

 カキィィィンッ!! と金属音が気持ち良く響く。 気付けば一ノ瀬君が右手を上げながらゆっくりとベースを回っていた。 これで4-4の同点だ。

 

「う、打ちましたね……」

「ああ。 木佐貫君、これを先に事務所に戻って編集長へ渡しといてくれ。 私はちょっと寄るところがあるんで後から合流する」

「え、あぁ、はい。 でもどちらへ?」

「−–−–−キャットハンズの上層部へ報告しに行く。 これから、聖タチバナを追いかけてもらえるよう頼んでくる」

 

 きっとあのチームなら近いうち、最強として名高い海堂高校とあかつき大附属の前に立ちはだかると、そう予感してならない。

 長年のスカウト人生で培った勘がそう感じさせるのだ。

 だったら追うしかない−–−–−。

 この選手、このチームなら一時代を築き上げてくれると予感したのなら、あとはがむしゃらに追いかけるしかない。 1人のしがないスカウトマンとして……ただの野球好きなおっさんとして……。

 

 

 

 

 

『ットーライッ! バッターアウト!! ゲームセット!!』

 

 奥野をチェンジアップで三振に取り、試合は終わった。

 あの後、俺の同点ホームランを皮切りに友沢が勝ち越しホームラン、今宮・大島・東出と連続で安打を放ち、一挙に4点を返して逆転勝ちだ。 東出は途中で東條に長打を浴びるもそれ以外は完璧に抑え、勝利投手となった。

 

 

  聖  2 0 0 0 0 0 0 4 0  6 ◯

  パ  0 0 0 0 0 4 0 0 0  4

 

 

 これにより俺たちは準々決勝、帝王実業と3日後に当たることとなった。 次の相手はまた更に強敵だが、今の俺たちなら勝機は十分ある。 あとはどこまで気持ちを切らさずに戦え抜けるか、それだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聖」

「……鈴本か。 それと……」

「少し話がしたくてね、東出君もいいかな?」

「あ、ああ、はい。 俺は構いませんけど……」

「一ノ瀬君、悪いけど少しの間2人をお借りしてもいいかな?」

「……分かった。 俺たちは先にバスで待ってるから早めに戻ってきてくれ」

「了解した」

 

 大地から許可を貰い、球場前の木陰へと場所を移す。 鈴本の隣には今日一番ライトで出ていた奥野樹もいた。

 

「−–−–−強くなったね、聖」

「……ああ。 鈴本もだ」

「ううん。僕なんか全然だよ。 一番抑えたかった選手に2本もホームランを打たれちゃったからね。 この上なく悔しいよ」

「最後なんか試合を忘れて一対一の勝負になっていたからな。 こんなに気持ちが高ぶったのは初めてかもしれない」

 

 試合中に私情を持ち込まない私が今日だけは持ち込み、それに任せてプレーした。 2ホーマーできたのもきっとそれが原因なのだろう。

 

「……東出君」

「ん、何だ?」

「 "今日は" 負けたよ。 そして最高の一日だった。 君のような強い選手と戦えて、良い経験をさせてもらったよ」

「よせよ、俺はたいして強くはない。 俺からすればお前の方が何倍も天才で、誰もが憧れる羨ましい存在だ」

「いや、それは違う。僕からすれば君の方がずっと凄い選手だよ。 初めて対戦した時からこの日まで、君はそのナックルを完成させるためにずっと努力してきた。 僕はまだ半分才能だけでやってたに過ぎず、君はその才能を上回るだけの鍛錬を積んで試合に臨んだ。 簡単そうに思えても、実際はそれが一番難しいことで、最も大事な要素だった。 それに気づいたんだ気づけなかったか、そこで勝敗が別れたんだと僕は思うよ」

「……………そうか」

「だから、次戦う時……最短で秋季大会かな。 その時には君以上に努力して今日のリベンジを果たす。 そのストレートとナックルを打ち砕いて、今度こそパワフル高校が勝つ!」

「ふ、うるせぇよ。 返り討ちにしてやるから覚悟しとけよ」

「そうこなくっちゃ」

 

 試合が終わったばかりだというのにこの2人は早くも再戦へと意識が傾いていた。 もしかすると2人はこれから良きライバルとして何度も戦うかもしれないな。

 

「……そろそろ戻ろうか。 聖、東出君。 次の帝王戦も頑張ってね。僕たちに勝ったからには優勝を目指してくれよ」

「ん、当然だ」

「ええ。 負けませんよ」

「次は僕たちが勝ちますからね。一ノ瀬さんによろしくお伝えください」

 

 最後に奥野がそう言い残して2人は去っていった。 後ろ姿を見てみると、鈴本の左拳が石のように硬く握られていた。 ずっと待ち望んでいた私との再戦で敗れらそしてチームがここで敗退となってしまった事実が悔しくてたまらない。 それは隣を歩く奥野も同じだった。

 

 

 

「先輩、六道さんに言わなくていいんですか?」

「……うん。 もう良いんだ。 彼女が僕とのバッテリーを断った時点で、伝えても意味はないからね」

 

 一ノ瀬君と東出君、か……。 聖がここまで熱くなるのも何となく分かった気がするよ。

 

 

 

 

 

 

「……勝ったのだな、私たち」

「はい。 試合前はどうなるか不安でしたけど、全部六道先輩のお陰でした」

「違う、勝因は全て東出だ。 お前が前日に自分を起用してくれと大地に頼まなかったらあのまま奥野に追加点を許して負けていた。 その決断力と勇気が勝ちに繋がったんだ」

「……六道、先輩…」

 

 ツー……と東出の目から涙が滲み出ていた。

 ずっと不安だったのだ。 自分のせいで負けたらどうしようと、自分の選択が果たして合っていたのかと、今日の試合で勝つまで苦悩の連続を繰り返し、ようやく掴んだものだ。 その涙はきっと……嬉し涙だ。

 

「よく……頑張った」

 

 軽く背伸びをして東出の頭を撫でた。 どうしてか……目の前の男をほっとけなかったから。 試合前、いや、最初に話をした時からずっと、私と東出はどこか似ているような気がしてならないからだ。

 

(分かっていた……あの2人はただのバッテリーの関係じゃないってことを。 私と東出は勘付いていた。 でも−–−–−)

 

 それでも憧れ、想いを寄せていた。 経緯は違えども、その気持ちはどちらも一緒だ。 叶わないだろうと薄々感じていても、諦めきれない自分がそこにいた。

 

「……私たちも戻ろう。 皆が待ってる」

 

 「はい」と小さく返事を返し、皆が待つバスへと戻る。

 東出も同じ気持ちなのだろう。 昨夜、私の家で自身の気持ちを打ち明けた時、どこか私の考えていたことも察したような様子だった。

 ふふ……どこまでも似た者同士なのだな、私たちは。

 

「六道先輩……」

「ん、何だ?」

「−–−–−今日は本当にありがとうございました」

 

 滅多に笑わない彼が見せる、最高の笑顔だった。

 

「私も−–−–−今日は本当にありがとう」

「!、あ、はい……」

 

 ニコッと柄になく笑ってみせる。 何故か顔をそらされてしまったのが少し嫌だったが、今日は東出の活躍に免じて許そう。 なぜなら私と東出が今日のヒーローなのだから。

 

 

 

 



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第三十話 vs帝王実業(前編)

 大会も今日でもう10日目となった。

 3日前にパワフル高校を下して以降、メディアは徐々に聖タチバナへ注目するようになっていた。 昨年秋の準優勝校を倒し堂々のベスト8入り、次の相手は海堂学園の因縁のライバルとも騒がれている『帝王実業』だ。

 横浜リトル時代の元チームメイトで今は帝王で主将を任されている真島さんを中心に、強肩強打の唐沢、140キロに迫る高速スライダーを投げる香取、超高校級フォークと快速球が持ち味の山口、走攻守でハイレベルな実力を持つ蛇島、チーム1のヒットメーカーでムードメーカーでもある猛田……と、今年は例年以上にタレントが揃っている。

 伝統ある怪物揃いの強豪チームに経歴のない無名の新設校が勝つなど、おそらく誰も予想していないはず。 だがそれに勝たなければ甲子園は夢のまた夢だ。

 

「……久しぶりだな、一ノ瀬」

「ええ。真島先輩も お久しぶりです」

「まさかお前たちがここまで勝ち上がってくるとはな。 正直、驚いたぜ」

 

 ふ、とクールに笑ってみせると自身のメンバー表の紙を俺に渡し、交換する。 ジャンケンの結果は帝王が先行で俺たちが後攻となった。

 

「昔の馴染みのだからといって手加減はしない。 悪いが勝つのは帝王だ」

「こっちだって勝ちを譲る気は一切ありません。 格下の恐ろしさってやつをみせてやりますよ」

「……ほう、良い面構えだ。 良いだろう、受けて立つ」

 

 そう言い残し、真島さんは自分のベンチへと戻った。

 楽しめそう、か。 生憎、楽しめる保証はするが、勝たせてやる保証は微塵も持ってないぜ。 開き直って相手にぶつかれる格下の粘り強さってやつを、帝王含めて観客にも教えてやる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さぁ準々決勝第1試合、帝王実業対聖タチバナの試合が間もなく始まります! 神奈川きっての古豪が新星の勢いを止めるか、はたまた聖タチバナが今日の試合でも下克上をみせるか!? 試合前から非常に注目をが集まっている試合です!! それでは、試合に先立ち両軍のスターティングメンバーを発表しましょう!』

 

 

『まずは先行、帝王実業高校、

 1番ライト小野寺。 帝王の切り込み隊長を務める3年生。 前の試合では1試合3盗塁を決めるなど、持ち前の俊足をいかんなく発揮しました。

 2番ファースト坂本。 左打ちのバスター打法が特徴の選手です。 守備にも定評があり、帝王実業を影で支える縁の下の力持ちでもあります。

 3番セカンド蛇島。 攻守共に隙のないユーティリティプレイヤー。今日はどんな活躍を見せてくれるか注目です。

 4番サード真島。 高校通算64本塁打を放っている帝王史上最強のスラッガーです。 既にプロからも一躍目を置かれている主砲が今日も豪快な一発を放つか、目が離せません。

 5番キャッチャー唐澤。 真島の次期四番後継者とも呼ばれている好打者です。 守備でもチームの要として引っ張ります。

 6番レフト猛田。 チーム随一のヒットメーカーが6番に座る強力打線です。

 7番ショート秋山。 下位打線ですが豪快なフルスイングで長打を連発するパワーヒッター。 今宵もその武器を活かせるか。

 8番センター加賀。 小野寺と同じく俊足が売りの選手です。 守備でも自慢の強肩で何度もチームの危機を救ってきました。

 9番ピッチャー香取。 山口と並ぶダブルエースの1人。 サイドスローから繰り出される140キロ近くの高速スライダーが非常に強力です。

 続いて後攻、聖タチバナ学園のオーダーです。

 一番センター八木沼。 チーム1の快速を誇る彼が今日の試合も勝利へと導けるか。

 2番ファースト六道。 バットコントロールは光るものがあります。先日の試合ではキャッチャーとしてチームを牽引しました。

 3番キャッチャー一ノ瀬。 主軸であり主将でもあるチームの精神的支柱です。 川瀬選手とのバッテリーにも注目です。

 四番ショート友沢。 一ノ瀬選手と共に本塁打を量産する左の強打者です。中学時代は帝王シニアに在籍していた彼が攻略の糸口となるか。

 5番セカンド今宮。 ガッツ溢れる守備でどんなピンチも救ってきた守備職人です。 友沢選手と同じく名門、帝王シニアに在籍していました。

 6番サード大島。 こちらも帝王シニア出身の1年生です。 チーム1の怪力を誇り、一回戦では130m超えの特大ホームランを放っています。

 7番ライト東出。 投打の二刀流としてあらゆる場面で躍動する選手です。 パワフル高校戦では勝利投手となる活躍を見せました。

 8番レフト岩本。 今大会初のスタメン起用です。 チームの期待に応えられるか。

 9番ピッチャー川瀬。 背番号1を付けるタチバナのエースです。メジャーリーガー、ジョー=ギブソンのフォームから繰り出されるキレのあるボールで帝王相手にどんなピッチングを見せてくれるでしょうか。

 まもなく試合開始です!』

 

 

 

(クックック……同じ大舞台でまた彼と再会するとはね。 こんなオンボロチームが僕ら帝王に勝つなど100年早いこと、その身で教えてやろう……)

「蛇島、そろそろ整列だ」

「ええ。 分かりましたよキャプテン」(さあて……どこまで持つかな? "友沢" 君?)

 

 

 

 

 

 

『これより、9日目第一試合、聖タチバナ学園対帝王実業高校の試合を開始します! 相互に礼!!』

『お願いします!!!!』

 

 礼を交わし、試合は始まった。

 試合開始のサイレンと共に帝王スタンドの応援が一斉に大きくなる。

 

「頼むぞ帝王ーっ!!!」

「新参者に格の違いを見せつけてやれ!!!」

「かっ飛ばせー! 帝王!! 帝王!! 帝王!!!」

 

 中には野次に近いものまで混ざってるが、気にしても仕方ないしスルーしておこう。 勝てば観客だって俺たちの実力を認めてくれるはずだからな。 呑まれちまった聖タチバナ応援団を盛り上げる為にも、まずはこの初回をきっちり抑えるてやるぜ。

 

『一回の表。帝王実業の攻撃。 一番ライト、小野寺君』

 

 お、今日のウグイス嬢は恋恋高校の七瀬さんか。 知り合いも見に来ていることだし、情けない姿は晒せないな。

 

(まずはストレートからきっちり決めていくぞ)

 

 約一週間ぶりに見る彼女の独特のフォーム。 登板間隔が空いていてもその速球は健在で、インコース低めにしっかりと決めてきた。

 

『ストライク!!』

「一球目から唸るような速球! 素晴らしいボールが決まりました!」

 

 よし。 帝王相手に落ち着いて投げれている。 流石はウチのアースだ。

 カーブをカットした後の3球目、小野寺は低めのムービングファストを引っ掛け、ショートゴロに終わった。

 

「ナイピーナイピー! その調子」

 

 続く2番の坂本は6球目の縦スライダーで空振りを取り、三振。 ここまで恐ろしいくらいに順調だ。

 

「……良いピッチャーですねぇ。 ここまで勝ち上がってきただけの事はある」

 

 ぼやきながら打席に入る蛇島。

 ここからはクリーンナップとの対決。 そういや蛇島との対戦横浜リトル以来だったか。 相変わらずどこか嫌なオーラを放つ選手だ。 温厚そうな態度で振舞っているが、俺はコイツをどうしても好きになれない。

 

(蛇島はどちらかと言えば引っ張り傾向が強いバッターだ。 ここはまず外角のムービングで様子見だ)

 

 サインに涼子がしっかり頷き、左脚を高々と上げて投げる。 コースは通りの良いボール。 それを蛇島は引っ張り気味ながらも芯で捉えた。

 

「−–−–−っ!」

「っ、くっ!!」

 

 ショート友沢の右、三遊間への強いライナー。誰もが「ヒットだ」と確信する。

 しかし打球はレフト前に落ちず、代わりにバシッ! とキャッチする音が聞こえた。

 

『アウト!!!』

「ダイビングキャッチ!! 友沢が守備で魅せましたファインプレー!!」

 

 ま、マジか……今のはキャッチャーの俺も完全に抜けたと思ったぞ……。 なんつー奴だ、友沢。

 

「ナイスキャッチ友沢!!」

「助かったよ、ありがとう友沢君!」

「……ああ。 川瀬もナイスピッチだ」

 

 しかしリトルの時はあれだけ手こずってたムービングを今は初球でアジャストしてきた。 友沢のお陰で結果オーライだったが、やはりこれまでの相手とは訳が違うな。早いとこ点を取って涼子を楽にしてやらないと……。

 

 

 

「く〜っ! さっすが友沢だな! 一年以上ブランクがあったとは思えないプレーだぜ!」

「んふっ、彼、中々やるじゃないの。 私好みのボーイだわ♪」

「香取………まぁいい。 とにかく油断せずにいくぞ。 パワフル高校を倒した実力、侮れんからな」

「あら? 私はどんな時も油断なんてこと、一度もした覚えはないわよ」

「……蛇島? おい、守備だぞ」

「っ……分かってますよ」(くそっ! また僕の邪魔するのか友沢……!! 一度壊れた分際で……調子に乗るなよ……っ!)

 

 

 

 

『1回の表。聖タチバナ学園の攻撃は、一番センター、八木沼君』

 

 友沢のファインプレーでチームの勢いは乗ってきている。 ここは初回で先制点を取って更に主導権を握りたいところだ。

 今日の先発香取はみずきちゃんと同じサイドスロー投げのピッチャーで、実力は帝王実業投手陣の中でも山口と肩を並べるほど。 特に厄介なのは香取のウイニングショットである "高速スライダー" 。 山口の超高校級フォークと同様、一打席そこらじゃ打てる代物じゃない。

 

(−–−–−だが活路はある)

 

 2日前に行われた三船高校対帝王実業の試合。

 その試合で香取は8回に登板、あの高速スライダーを巧みに操り相手打者を無双するかの如く三振を連発していた。 俺は友沢と一緒にその試合を観戦し、一つ帝王バッテリーの "穴" を見つけたのだ。

 

 キィィィィンッ!!!

 

 金属バット特有の快音。 打球は鋭い当たりでレフトの猛田の前へ転がっていく。

 

『三遊間抜けたー!! 初球のストレートを綺麗に捉えました!!』

 

 高速スライダーが打てないのなら、"来る前に打てばいい" 。

 今大会の唐澤のリード傾向を調べてみたらところ、唐澤は基本、打者を追い込むまで決め球である高速スライダーを殆ど使っていなかった。 しかも初球は高確率で真っ直ぐのサインを出すことが多く、仮に変化球から入ったとしてもカウントを稼ぐ程度のカーブや変化量の少ないスライダーしか使わない。おそらくだが、唐澤はまだ香取や山口のウイニングショットを確実に捕球できる技量をまだ持っていないようなキャッチングでもある。

 この数日、観戦やら試合の録画やらを目を皿のようにして研究したからな。 キャリアで劣っている分、こういった少しのデータが勝敗を大きく左右する。

 

「取れるうちに点はとっておきたいな」

「おう! まだ油断してる初回がチャンスだぜ! 続けよ聖ちゃん!!」

 

 おっ、と……今宮の奴、今日はいつにも増して随分気合が入ってるな。 元同じチームメイトとの対戦で意識でもしているのか?

 聖ちゃんは聖名子先生のサイン通りバントをきっちりと決め、これでワンアウトランナー2塁。 先制点を取るには絶好のチャンスだ。

 ちなみにどのサインを出すかは俺が先生に教えている。

 

『3番キャッチャー、一ノ瀬君』

「お願いします」

 

 さーて、まずは景気良く点を取ってやるか。

 大きく深呼吸をし、打席に入る。八木沼の足を考えれば単打でもホームに帰ってくる可能性はある。 ここは安易に大きいのを狙うより、確実に点を取って流れをこちらへ手繰り寄せる方が良い。

 

「−–−–−っらっ!」

 

 余分な力はいらない。 ただ低めのストレートを丁寧にセンター返しすればいい。 俺はそれだけを頭の中に入れながら、初球のホールをスイングした。

 

「なっ−–−–−センター! バックホームだ!!」

 

 唐澤が声を大きくしてセンターに返球を指示する。 センターを守る3年生の加賀は強肩の持ち主と評判。 だがそれでも八木沼なら間に合うと確信している。

 俺が監督に頼んで出したサインは−–−–−エンドランだからだ。

 

『ホームイン!! 聖タチバナ学園、なんと帝王実業から初回先制点を挙げました!!』

 

 悠々とホームベースを踏み、ベンチに戻る八木沼。 その先でチームメイトからハイタッチで迎えられ、嬉しくはにかみながらそれに応えた。 っし、幸先の良いスタートが切れたぜ。

 

『4番ショート、友沢君』

 

 さあて、頼むぞ友沢。 先制はしてもまだ追加点は欲しい。

 

「……!」

 

 友沢のバットが空を切る。

 香取のウイニングショット、高速スライダーだ。 ストレートを狙い撃ちされているのが読まれたのだろう。 向こうも本気でねじ伏せにきている。

 でもな、この球が打たなければ帝王に勝つことはできないんだ。 いずれは通らなければならない鬼門。 それを超えてみせてくれ……ウチの最強の4番打者!

 

(コイツ……ボール球にはピクリとも反応しないな……。 やはりここは高速スライダーを使う他ない)

 

 2球ボールが続いた後の4球目。

 リズム良くサイドハンドから投げ込まれる強烈なスピンの掛かった変化球。 先程友沢が掠りもしなかった140キロの高速スライダーだ。

 −–−–−この時、俺を含め球場にいる人間は大事なことを忘れていた。

 友沢の力は俺たちの想像を超えるものであったこと。

 そしてコイツもかつて−–−–−スライダーを決め球として使っていたことを。出どころは違えども、タイミングや変化の特徴は数年経った今でもその身体と脳に刻まれている。

 

 ッキィィンッ!!

 

「何っ!?」

 

 気付けば敵味方関係なく、この第2市民球場に訪れた観客全てが友沢の打球の行方を追っていた。

 打った瞬間のボールの角度と音で俺はホームランを確信して走り出した。

 ナイバッチ−–−–−友沢。

 

『入ったーっ!!! 4番友沢のツーランホームラン!! 主砲の一振りで強豪・帝王実業をさらに突き放しました!!』

 

 一塁観客席、ベンチが友沢のホームランに歓喜する。 凄い……としか言葉が出なかった。 あれだけ警戒してきた香取のスライダーをたった2球でホームランにするなんてもはや化け物だろ……。 同じ味方ながら恐ろしい選手だぜ。

 

 

「よく打ったじゃないか」

「ん……ああ、サンキュ」

(ククッ、せいぜい笑えるうちに笑っておくがいいさ。 お前はまた僕が−–−–−)

 

 

 止まらない猛攻で攻めるタチバナであったが、続く5番の今宮はサードゴロ、大島は変化球を織り交ぜられ三振となり、こうして初回は終わった。

 

「よし、2回は4番からだがこのまま0点で抑えてくぞ」

「うん! 皆が頑張って取った3点、無駄にしないわ!」

 

 −–−–−この時、俺たちはまだ知らなかった。これから起きてしまう "悲劇" を、それがチームを揺るがすとんでもない出来事であることを。

 

 

 

 

 

 

『二回の表。 帝王実業の攻撃、4番サード真島君』

「香取を初回から攻略するとは……中々良いチームだ」

「どーも。 けどまだ追加点は諦めてませんよ?」

「……なら俺も本気でお前たちを打ち砕くまでだ」

 

 −–−–−オーラが変わる。

 真島さんの視線はマウンドに立つ涼子を一点に睨み、静かにバットを構えた。 これまでの対戦相手とはわけが違う、それは後ろからでも伝わる凄まじい威圧感ですぐ分かった。

 

(ここで敬遠しても次は唐澤と猛田……得点差を考えてもここは勝負で問題ない……!)

 

 バンバン!とグローブを叩いて構える。

 今のお前なら大丈夫だ! 来い涼子!

 

「……ふっ!」

 

 豪快なフォームから繰り出されるストレート。

 良いスピンのかかったボールは俺の指示通り、インコース低めへと真っ直ぐに向かってくる。 僅かにストライクゾーンを掠めるコース。 初球からこんな厳しいコースへ手を出すバッターなど、全国区でもそうはいないだろう。

 −–−–−耳が痛くなるような金属音。

 あまりに一瞬の出来事で俺たちタチバナを含め、観客もすぐには理解できなかった。 やがて真島さんがダイヤモンドを回ろうとする姿が目に入ってから、俺はようやく事態を判断できた。

 

『入ったぁぁぁぁ!! 4番真島のソロホームラン!! 帝王最強の4番が貫禄を見せつけました!!』

 

 嘘……だろ?

 球速は132キロと速い球ではないにしろ、コースはかなり厳しめに突いていた。それをあのバッターはピンポン球でも打つかのようにライト方向へ弾丸ライナーで吹っ飛ばしてきやがった……。

 悪いのは涼子の失投でもない。 俺のリードが決して間違っていたわけではない。 真島さんが俺の想像していた以上の恐ろしいバッターになっていたことだ。

 

「……ごめん」

「気にするな。 あれはバッターが凄すぎただけだ。 大丈夫、お前のボールはちゃんと走ってる。 気持ち切り替えてここから1つずつ抑えていこう」

「−–−–−そうね。分かったわ」

 

 とは言ったが次のバッターも頭を抱えさせてくれる奴だぜ。

 

『5番キャッチャー、唐澤君』

 

 さっきのホームランで活気付いたのか、再び帝王側の声援が大きくなり始めた。

 帝王内のホームラン数なら真島さんに次ぐ2番目の数。 多分パワーだけなら俺や友沢以上、もしかしたら東條と肩を並べるくらいのものを持っている、そんな選手だ。

 

(高めだけは厳禁だ。 低め主体に変化球中心でゴロを打たせるぞ)

 

 まず俺が選んだのは外角低めのカーブ。 これはボール半個分外に外れ、ボールに。

 2球目、3球目は縦スラを変わらず低めへ落としていく。 これに対し唐澤はフルスイングでバットを出すが、かろうじでバットに当てるのが精一杯で2球ともファールになった。

 

 

 

 

(そういや川瀬の奴、知らん間にスライダーも覚えたのか。 制球もスピードもリトルの時からかなりレベルアップしている。 とても女子の投げるボールではない……が−–−–−)

 

『痛烈な当たりーっ! 打球は左中間を破るツーベースヒット!! 唐澤、チャンスを作ります!!』

 

 帝王はその上を行く。

 こんな外道なセリフは言いたくないが、いくら良いボールを投げても所詮は女子のボール。 ボールの軽さをコントロールや変化球で誤魔化したところで、この強力打線は抑えられん。

 後輩と久々の再会であまり辛い試合にしたくはないが……悪く思うなよ。

 

 

 

 

『6番ライト、猛田君』

「おねがっしゃす!」

 

 気合十分のまま、猛田がバッターボックスへ入る。 体を大きく後ろへそらす外人のような独特のフォーム。 だが見かけによらず、猛田は生粋のリーディングヒッターだ。 単打なからも確実にヒットゾーンへ運ぶ堅実なバッティングが持ち味だ。

 

(まだノーアウトランナー2塁で猛田か……前2人はどれもストレートを狙い打ちされていた。 ここはムービングから入るぞ)

 

 たとえ芯で捉えてもさっきの蛇島と同様に長打コースに運ばれる恐れは少ない。

 セットから落ち着いた様子で涼子が投げる。 少しコースは甘かったが、猛田は見送った。

 

(今のはタイミングを計る為にわざと見逃したか。 バットは長めに持っているとすると猛田もストレートを狙っている可能性がある)

 

 ここはスライダー、外角低めだ。

 こくん、とサインに頷き、2球目を投じた。

 フォームを崩さず、お手本のような流し打ちをする猛田。 打球は運悪く一二塁間を突き破るライト前ヒットなった。

 

「おっしゃー!」

 

 猛田が嬉しそうにガッツポーズをする。

 っ〜、今の打ち方はアウトコースに照準を置いた打ち方だ。 カウントを取りに行こうと焦らず、ボール球で様子を見ておくべきだった……くそっ。

 

『綺麗にライト前へ運んでいきました! 猛田、しっかりとチャンスメイクします!』

『7番ショート、秋山君』

「内野前進! 捕ったらバックホームだ!!」

 

 大声で内野にそう指示を出す。

 ここで流れを断ち切らないと逆転される、嫌な想像が頭をよぎったからだ。 涼子……ここが正念場だぞ。

 7番を打つ秋山はフルスイングを多用する典型的な長距離ヒッター。その分、三振が多いのも特徴だが、同じタイプの大島とは違い、変化球に強く真っ直ぐに弱い相性となっている。 定石ならストレートを決め球に、変化球を織り交ぜながらカウントを取るのが無難な戦法だ。それでも、甘く入ればいい容易く打ち返してくる、ましてや秋山だと最悪、ホームランになりかねない可能性もある。 犠牲フライを覚悟してでも、慎重に勝負していくぞ。

 

(外角低め、ボール一個分外れるコース。 ランナーは気にするな。 渾身の真っ直ぐで来い!)

 

 素早いクイックから、初球。ボールは俺のサイン通り、寸分の狂いなく構えていたコースへ収まった。

 それでいい。 ここをフォアボールにしても次の加賀は秋山より脅威ではない。 とにかくコーナーギリギリを心がけてリスクを減らす。

 続くボールはインコースへのムービング。 秋山はスイングしようとするが、とっさにバットを止めた。

 

『ットーライクッ!』

 

 多分、微妙に変化するムービングを見て、ボールゾーンへ逃げる変化球だと感じて止めたのだろう。 だがムービングはカーブやスライダーほど変化はしない。 これには秋山も一度後ろを振り返って俺の捕った位置を確認しているほとだ。この制球力も涼子の強みでもあり、俺のリードの幅を広げてくれる頼もしい武器だ。

 

(一度カーブで外すぞ。 ランナーも考えてワンバウンドでワイルドピッチになるのだけは無しだ)

 

 涼子のコントロールなら問題ないけどな。

 ロジンバッグを付け、テンポ良くモーションに入った。

 秋山はカーブに対し、フルスイングで対抗。 グギィンッ! と鈍い打球音が後から聞こえながら、ボールは強い当たりで涼子の左を抜けていった。

 

(やばい、っ!!)

 

 ボールゾーンを通過するキレの良いカーブ。それでも秋山は半ば強引にスイングし、弾き返したのだ。甘く見ていた……このレベルになればストライクでなくても狙った球がやって来れば打つくらいの技量と力を兼ね備えているにきまってる。

 

「く、らあっ!!!」

「っ、今宮!!」

 

 観ている者の心を踊らせるようなダイビングキャッチ。 あの4-6の連携プレーは個人の守備力や経験だけでは成り立たない、"信頼" という2文字が図式に加わって初めて成立する職人技だ。 二塁手の好守に刺激されるように、元豪腕投手だった遊撃手の送球が凄みを増していた。

 

『アウト!! アウトォ!!』

『またもやファインプレー!!! 今度は二塁手の今宮がやってみせました!! 二遊間コンビがダブルプレーで川瀬選手を助けます!!』

 

 どっ、と湧き上がる大歓声。 あまりの好プレーに敵味方関係なく、球場全体がそのプレーを称えるように拍手を送った。 友沢は特に反応することなく帽子に掛けているサングラスを整えるだけだが、今宮は嬉しそうに拍手が送られる方へガッツポーズを返していた。

 また助けられちまったな……ウチの "鉄壁二遊間コンビ " に。

 

 

「おっし!! やったな、友沢!!」

「ああ。 よく捕った今宮。 10年に1回のまぐれじゃないか。 良かったな」

「おい〜っ! 素直に相棒の超絶プレーを褒めろってんだ!!」

「ははは……何はともあれ、2人ともありがとう。 また助けられちゃったわね」

「気にするな。 川瀬は川瀬で先発の役割を果たそうと頑張ってるのは後ろで見ている俺らでも分かる。 今は一ノ瀬のリードに全力で応えてやってくれ」

「そうだぜ涼子ちゃん。 どんなに打たれようとバックが何とかしてやるって。 つーか、たくさん打球が飛んでくればこの大勢の観衆を前にまた注目を浴びれるかもしれないしな!」

「……ふふっ、ありがとう。 それじゃあ背中は任せたわ!」

 

 8番の加賀は初球のムービングを引っ掛け、セカンドへの弱々しいゴロ。 これも今宮が危なげなく処理し、これでチェンジとなった。

 

「ナイスプレー、二遊間コンビ。このままバッティングの方も頼むぜ」

「ああ(おう!)」

 

 息ピッタリな返事に、皆が笑った。

 2人のお陰で試合の流れもチームの士気も高まり、攻撃も景気良く行きたいところであったが、7、8、9番と香取の高速スライダーのコンビネーションで三振で倒れてしまう。

 その後は涼子も立ち直り、毎回ランナーを出しながらも無失点で抑え、試合はやがて投手戦へともつれ込んだ。

 

 

 

 

『試合は依然として3-1のまま五回の裏へ突入! この回、3番の一ノ瀬から始まる好打順。 ここで追加点を取っておきたいところです』

 

 防具を外し、そのままバットをもって打席へと向かう。

 帝王側の采配なら、この回か次を目処に香取を交代するはずだ。 山口に変えられてしまうとこれまで計ってきたボールへのタイミングなどがまたゼロからスタートになってより後半での得点が難しくなる。クリーンナップから始まるこの回で差を広げていきたい。

 

 

「おいおい……まだ残り4回半あるとはいえ、帝王が負けてるぞ?」

「マジかよ。 あ、実はあれなんじゃね? 選手の調子が悪かったとか、怪我でもしてるんじゃないのか?」

「いや、それにしてもすげぇよ。 タチバナ、か。 こりゃかなりの曲者だぜ」

 

 

 観客も段々とざわつき始めていた。

 長年、ここ神奈川県は帝王と海堂の二強政権が続いていた。 その一角がまさかの試合中盤まで今年初参戦の無名校に負けているのだ。 去年から恋恋の快進撃もあり、その時代は徐々に崩れを見せていたが、それを今年で俺たちが−–−–−

 

 

(−–−–−打ち壊す!!!)

 

 

 

 今日イチの快音が響いた。

 甘く入ったカーブを完璧に捉え、打球は風に乗りながらグングン伸びていく。 頼む……入ってくれ、入ってくれっ!!!!

 

 

 

 −–−–−パシッ

 

 

 

『あ、アウト!!!』

『あーっ! フェンス際、センターの加賀何とか捕りました! 一ノ瀬、素晴らしい当たりを魅せましたが惜しくもセンターフライ。 得点にはなりませんでした』

 

 あぁーっ、とタチバナ応援席から溜め息が溢れた。

 あとちょっとだったんだがなぁ……もう一振り足りなかったか。

 

「悪い、届かなかった」

「ドンマイドンマイ。 良い当たりだったからしょうがないよ」

 

 宇津のフォローが身に染みるぜ。

 落ち込んでいても仕方ない。 次のバッターは唯一高速スライダーを攻略している友沢だ。 防具をつけながらアイツの様子を見て対応策を探さないと……。

 

「……!」

「なに……っ!?」

 

 友沢が打席に入った瞬間、唐澤が立ち上がって右腕を横に向けた。

 その行為でバッテリーが何をしたいのか、一発で察した。

 

「敬遠か……まぁ当然と言えば当然だな」

「っ〜、きたねぇぞ! 勝負しろよ!!」

「無理言うな。 それにウチだって4番を敬遠してるんだぞ? これであいこだ」

「……まぁそうだけどよ…」

 

 今宮の気持ちだって分かる。 だが向こう側の考えは一緒だ。 自分のチームが負けてる以上、今は危険な勝負を優先する余裕なんてない。 嫌な言い方をすれば、次の今宮を勝負した方が打ち取れる確率が高いと、判断した結果だろう。

 

『ボーッ! ボールフォア!』

「悪く思うなよ。 こっちもお前の実力を認めた上での作戦だ」

「……大丈夫さ。 俺でなくても点は取ってくれる」

『5番セカンド、今宮君』

 

 ブォン!、ブォン!、と2回素振りをしてから打席に入る。

 友沢を敬遠され、自分と勝負した方が安牌だと思われてプライドも傷ついたはずだ。 「絶対打つ!」って気持ちが背中越しからも伝わってくる。

 

(だがまずは−–−–−)

 

 聖名子先生か2人にサインを出す。

 まずは初球をわざと見逃し、2球目で盗塁するというサインだ。 友沢の足なら唐澤の肩であっても成功は十分にある。 しかも、香取は元々牽制はそれほどうまいわけではない。 ストレートも鈴本と同等かそれ以下の速さだ。 投手のフィールディングと走者の足を考えると、盗塁でもいけるはず。

 

『ボーッ!』

 

 ストレートが内角に外れ、ワンボール。

 香取がボールを受け取り、セットアップに入ったのを確認して友沢がリードを広げる。

 香取がサインに頷きモーションに入った瞬間、友沢はスタートを決めた。

 

「走ったぞ!!」

 

 一塁の坂本がそう叫んだ。

 今宮はストライクのボールをわざと空振りして盗塁を助ける。 低めへのストレートを捕球し、こちらも早い動作で腕を振った。 ボールは真っ直ぐなライナー性の良い送球だ。 友沢はチラッと送球を見て、右足からスライディングしようとする。

 

 

「クックック……自ら自滅しに来るとは……馬鹿め」

 

 

 蛇島のタッチと友沢のスライディング。

 お互いがほぼ同着のタイミングで重なり、数秒の沈黙の末、二塁塁審が両腕を横にした。

 

『セーフセーフ!!』

『際どいタイミングでしたが判定はセーフ!! 友沢、走塁でチャンスを作……ん……?』

「え……」

「ん? どうしたんだ……?」

 

 

 すぐ体を立て直す蛇島に対し、友沢が右足首を抑えながら中々立ち上がらない。 その姿を蛇島が涼しそうな表情で見つめている。

 

 

「まさか……」

「とっ、友沢ーっ!!!」

 

 

 今宮がバットを放り捨て、急いで友沢の元へ駆け寄る。

 想像などしたくない……したくなかったのに……最悪の事態が、俺の目の前で起きていた−–−–−。

 

 



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第三十一話 vs帝王実業(後編) 手負いの遊撃手

「っ、くっ……つ、ぅ……」

 

 タッチの刹那、突如として襲った右足首の激痛。

 体を少しでも動かそうとすれば、その痛みは神経を通じて俺の脳にすぐ伝達された。

 

「君っ、大丈夫かね?!」

「亮っ! おい、大丈夫か!?」

 

 塁審と今宮が心配そうに俺を見つめる。

 そうか……俺はそんなにも心配されるような状態なのか……。

 

「大丈夫かい? 友沢君」

「っ……まぁ、な…………いっ! っぅ……」

 

 紛れもなく、原因はこの男だ。 タッチの際、蛇島は俺をアウトにすることより、俺の右足首を故障させる方を選んだ。 軽いタッチでいいものを、まるで憎くき相手を潰すかのように、アイツは躊躇いなく俺の足首を硬球の入ったグローブで叩きつけた。

 

「てめぇ蛇島!! わざと友沢に怪我させただろ!!?」

「ククッ、何を言っているんだい今宮君? 僕はただアウトにしたくてタッチしただけさ。 たまたま当たりどころが悪かったとしか言えないよ」

「っ……この−–−–−っ!」

「やめろ今宮!!!」

 

 今にも殴りかかりそうな今宮を八木沼が制止させた。

 サンキュー八木沼……ここで乱闘騒ぎだけはやりたくなかったからな……。

 

「友沢……足は大丈夫か?」

「っ……ああ……大丈夫、だ。 少し痛むくらいでプレーに支障はない」

 

 −–−–−嘘だ。

 本当はただ捻ったくらいの怪我ではないはずだ。 叩かれた衝撃とそれが原因で起きた足首のねじれで捻挫以上にはなっている。

 でも……それをら奴等に知らせたら、間違いなく一ノ瀬は俺をベンチに引っ込めるはず。 そうなったら……一体誰が香取や山口を攻略する? 4番を任せられた以上、俺が途中でリタイアするば、それは半分負けを意味する。 自分の怪我が原因でチームが負けるなど、決してあってはならないことなんだ。

 

「……心配かけた。 もう大丈夫だ。 試合を再開しよう」

「嘘……よ……」

「……みずき?」

「嘘よっ!! アンタ、本当は足が痛いはずでしょ!!? なのにどうして無理をしてまで立ち上がるのよ!! こんなに痛そうで辛そうなのに……どうしてっ……!」

 

 橘が俺を見つめながら声を荒げた。

 彼女の言い分は正しい。 まだ俺たちは2年生だ。 ここで無理をして試合に出て、怪我が悪化して今後の試合に、最悪人生に影響を及ぼすくらいなら、ここで下がる方が賢い。 けどな−–−–−

 

「橘、悪いが下がるわけにはいかない。 ここで俺だけがリタイアしたらそれこそ皆に合わせる顔がない。 それに……タチバナのショートは俺しかいないから……さ」

「友沢……」

「分かってる。 あまりにもプレーに支障がで始めたらすぐベンチに下がる。 でも今は本当に大丈夫だ、だから……俺を信じてくれ!」

 

 ……柄にもなく熱くなっちまった。 このチームの勝ちたいって想いが俺にも伝染したのかもしれないな……。 全く、俺はどれだけこんな恵まれチームに出会えたんだろうか。

 

「−–−–−分かった」

「おい一ノ瀬!!」

「但しこれ以上悪化するなら俺は躊躇わない。 チームの勝利も大事だか、それと同じくらいお前も大事なんだ。 それだけは忘れないでくれ」

「……ああ。 ありがとう」

 

 ……もし、シニアの時も一ノ瀬みたいなキャプテンだったら、俺は腐らずにすんだかもな……。

 ゆっくりと立ち上がり、足の具合を確認する。 少しでも足首を動かせばズキッ、と痺れるような痛みが襲ってきた。

 ヤバイな……ただの捻挫で済めば良いが……また肩を壊した時の二の舞になるのだけは避けたい……。

 

 

 

 

 

 あの顔を見た感じ、明らかに亮が無理をして振舞っているのが分かる。 アイツ自身は誤魔化せると思っていても、シニアから一緒だった俺には隠せていない。

 亮はあの時、肩を壊す直前もあんな顔をしていた。 「俺なら大丈夫だ」と、「心配するな」と、どんなに苦しくても、どんなに痛くても、アイツはいつも涼しく笑って誤魔化していた。

 −–−–−その結果、肩を壊し、二度とあのスライダーが投げれなくなったのだ。

 だからこそ、俺はここで無理をしてほしくなかた。 亮は俺みたいに才能ない人間とは違う。 これから先、さらに大きな舞台で輝ける力を持っているんだ。 またここで怪我をして、野球を捨てていいような奴じゃないんだ!! そう確信しているからこそ、俺はここで戻ってほしかった。 本当はそう言いたかったはず……なのに……

 

 

「無理は……するなよ。 一応ベンチ裏で具合だけでも見てもらえよ」

 

 

 とてもやめろなど……言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……みずき」

「………………」

「大丈夫よ、友沢君なら。 人一倍ケガに敏感な選手なのよ。 ちゃんと自分の体と相談しながらプレーできるわ」

「うん……そう、よね」

 

 涼子が私に気を遣って優しい言葉を送ってくれる。それが今の私にとっては多少ながら気休めにはなる。

 普段私に突っかかったり、嫌味を言ったりするアイツが、初めてあんな苦しそうな表情を見せた。

 なんで……あんな嫌な奴の心配をしてるんだろう、私。 ほんとっ、嫌いなのに……嫌い……っ、なのに……っ。

 

「ぐす……」

「みずき? 泣いているのか?」

「……泣いてなんか、ない」

 

 野球に反対していたおじいちゃんを説得させたのも、私をもう一度グラウンドに立たせてくれたのも、全部アイツのお陰だった。 もし、アイツがいなかったら、私は一生、野球から遠のいていたかもしれない。 たとえどんなに嫌味を言われ、弄られたとしても、友沢は私にとって大切な人なんだ。

 

(……友沢…………)

 

 今はただ、医務室で手当てを受けてる彼の容体が良いことを祈るしか、私にはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうだ容体は?」

「……問題ない。 軽く捻っただけでそれほど重症じゃなかった」

「そうか。 一応続行するが、少しでも傷んできたらすぐ言ってくれ。 絶対無理はするなよ?」

「分かってるって」

 

 10分ほど医務室で見てもらい、友沢がグラウンドへ戻ってきた。

 どうやら足首が痛んでるらしいが、俺らが腫れ具合をチェックした時はまだそんなに腫れていなかった。 だが捻挫の腫れは時間が経つにつれて現れるものだ。 今が良くても、後から青紫色に腫れ上がることだってある。

 

「……原。 大京にキャッチボールをしてもらってくれ。 いつでも試合に出れるように」

「あ、ああ、分かったわい」

 

 正直、友沢と同じレベルでにショートを任せられる奴は今のウチにはいない。精々、チーム1の守備力を持つ今宮をショートにし、セカンドへ原を置く他なかい。 それ以上に深刻なのが、唯一帝王バッテリーに対抗できる友沢がベンチに下がるとなると、チームの得点力が大幅に下がってしまうことだ。

 無理をして怪我を悪化させ、アイツを苦しませたくはない。 でも、できることなら少しでも試合に出てほしいと、半分半分で湧き出る考えに、俺は頭を悩ませた。

 

『それでは、ワンアウト、ワンボールワンストライクから、プレイ!』

 

 そうなりながらも、試合は続行される。

 ここは特にサインはない。 ヒッティングで友沢を返してくれ、今宮!

 

『ットーライクッツー!!』

「くっ……!」

 

 バッテイング好調の今宮でもあの高速スライダーは打てないのか……? いや、違う! いくら香取でも初回に投げたスライダーに比べ、疲労でスピードもキレも落ちてきている。 大丈夫だ、今宮なら打ってくれる……俺たちは信じてるぞ……!

 

(−–−–−打つ!! 亮があんなに頑張って塁に立ってんだ! ここで打てねぇなら俺は男じゃねぇ!!!)

(ウチの二塁手が申し訳ないことをしたわ。 でもこれは真剣勝負、どんな状況であれ、私は手を抜かないわよ!!)

 

 余計な力を使わず、ただ目の前に迫るそのボールを当てる事だけに集中する。

 バットの先っぽで辛うじで当てた打球は弱々しくもセカンドとライトの間へゆっくり飛んでいく。

 

「−–−–−っ!!」

 

 友沢だけは打球の行方を見ただけで三塁へスタートを切った。 アイツほどの野球センスがなければこんな思い切ったプレーはできない。 蛇島が必死に打球を追うが、運良くボールは地面に落ちた。

 

「ちっ!、ライトバックホーム!!」

「なっ……友沢っ!?」

 

 蛇島がホーム方向を指しながらライトの小野寺へ指示を出す。

 ついさっきまで足を痛めていた選手のプレーとは考えられないほどの全力疾走でホームを狙う友沢。 アイツ……無茶しやがって……!

 

『……セーフ! セーフ!!』

『セーフです!! 二塁ランナーホームイン!! 友沢、好判断で追加点を奪いました! これで4-1! さらにリードを広げます!』

 

 タイミングはかなり際どかったが主審の判断はセーフに。

 ここでの追加点はかなりデカイ。 好走塁と友沢を褒めたいところだが……。

 

「友沢……お前足は……?」

「っ……心配するな。 足なら全然痛くない。 それよりも打った今宮を褒めてやってくれ」

「もう、無理しないでって言ったでしょ? 一応怪我してるんだから」

「怪我はしてない。 痛みも無い…っ…しな」

「……そう。 なら良いけど…」

 

 みずきちゃんが不安げな表情で友沢を心配する。 早いとこ試合を終わらせて少しでも友沢を楽にさせてやりたいぜ……。

 大島はレフト方向に大きなフライを打つが、フェンスギリギリで猛田が捕球してアウト、そのままチェンジとなる。

 

「涼子。 この回の様子次第では交代するぞ。 向こうも徐々にタイミングを合わせてきているからな」

「……うん、分かってる。 もしキツくなったらみずきちゃん達にマウンドを託すわ」

「よし、なら最後まで気を抜かず行くぞ」

「ええ!」

 

 幸いこの回は8番からの下位打線スタートだ。 ベンチ前ではみずきちゃんが緊急登板に備えて肩を作っている。 理想だと涼子には7回まで投げ切ってもらいたいところだが、7回はまた上位打線を迎える。 恐らくはこのイニングがラストになると、涼子も既に察しているだろう。

 

『6回の裏、帝王実業の攻撃は、8番センター・加賀君』

 

 加賀に対しての初球、俺はアウトローへのストレートを要求する。

 涼子もサイン通り、俺のミットに目掛けてボールは投じられた。 ギリギリ入っている、これなら−–−–−

 

 −–−–−キイイインッ!!

 

「っ!」

「なっ!?」

 

 お手本のようなセンター返しで綺麗に打ち返してくる加賀。 流石の二遊間コンビもこれには届かず八木沼の前へボールが落ちていく。

 マジか……外角いっぱいの良いコースを初球で捉えるとは……下位打線だからって油断してると足元救われるな。切り替えていくぞ。

 

「ん……?」

 

 なんだ? 帝王側のベンチが少し騒がしいな。 何やら監督と主審が話をしているが……。

 

『9番・香取君に代わりまして、ピンチヒッター、猫神君』

『帝王実業、ここで代打の登場です! エースの香取に代わり、1年生の猫神 優が打席に立ちます! 』

 

 っ!、このタイミングで代打か! マズイな……ベンチ前で山口がキャッチボールをしてるってことは次の回に必ずアイツが登板してくる。 そうなればウチが得点を奪える確率は格段に下がる。 猫神を相手にするよりも次の回からの攻撃の方が問題だ……!

 

(なんとしてでもこの回は無失点で切り抜ける。 追いつかれでもすれば半分……いや、ほぼ詰みだ)

 

 ここからは1つでもヒットが出れば躊躇いなくみずきちゃんと交代する。 かなりキツイ状況での緊急登板になるかもしれないが、疲れが見え始めた状態で帝王の上位打線を相手する方がリスクは遥かに

に大きい。

 

「涼子! 頑張れ!!! ここが正念場だぞ!!」

「!−–−–−うんっ!」

 

 よし、まだ目と気力は死んでいない。

 猫神はパワーこそないがバント等の小技やミート力はそこそこある。 ヒッティングとバント、両方のケースを想定しつつ、まずは内野を定位置からやや少し前へ出るように指示を出す。

 

(……まずはスライダー、ボール気味になるよう低めに)

 

 「大丈夫だ、お前ならまだやれる」と言わんばかりにミットを力強く叩いて定める。 涼子も静かに頷き、セットアップへ移る。

 そのタイミングで、加賀がスタートを切った。

 

「スチール!!」

(っ!、させねーよ!!)

 

 低めの難しいスライダーを捕球し、できる限り素早いモーションでスローイングへ転じる。 盗塁阻止なら猪狩に言われて散々やらされてきた。 自分で言うのもあれだが、肩ならそれなりに自信がある。 ここで流れを渡さない為にも、俺が絶対止める!!

 

(やばいっ、アウトか?!)

 

 ボールは涼子の横を低い弾道で、風を切りながら通過していく。 これなら刺さる……誰もがそう確信する送球だ。しかし−–−–−

 

「っ!」

 

 足の影響かは分からない。 だが普段落球など滅多にしないウチのショートがイージーなボールを落球したのだ。

 

『あーっと! 一ノ瀬選手、見事な送球でしたが友沢選手、捕ることができず! 帝王、チャンスを作ります!』

「……すまない」

「ううん、しょうがないわ。 切り替えましょ」

「ああ……悪い」

 

 やはり無理をしているのかと、否が応でも疑う自分がいた。 友沢ができると言っている以上はその言葉を信じてやりたいが、足への負担を隠してまで試合に出させるわけにはいかない。 今はまだアイツを信頼するしかない……か……。

 猫神はランナーがリードをとった直後、バンドの構えに入った。 あの帝王が手堅く攻めるということは、それほど向こうも焦り始めているな。

 内角にムービングがスバンッ!と刺さる。 が、これはボールとなった。

 

(……選球眼も良いな。 結構際どいコースを突いたつもりなんだがな)

 

 2球目はインハイのストレートを要求する。 先程とは違い、高さも幅もギリギリ入っている、最高のコースだ。

 

(甘いっすよ!!)

 

 猫神はバントの構えから一転、ヒッティングへと途中で変更、キャインッ!!と金属バットが綺麗にボールを捉えた。

 

(なっ……!?)

 

 ここでバスターだと……いや、違う! 二塁ランナーも猫神の動きを見て既に走り出している。 これは……バスターエンドランか!?

 

「レフト!! バックホームだ!!!」

 

 外野は完全に無警戒だった。 せめて定位置から少しでも前にいろと指示を出していれば良かった……くそっ!

 打球は鋭いライナーで三遊間を破り、ワンバウンドで岩本が捕球する。 すぐさまホームへと返球をするが、ボールが俺の元へ来た時には、もう加賀はベースを踏んでいた。

 

『ホームイン!! 帝王実業、一点返しこれで4-2! ここから反撃開始の狼煙を上げ始めます!』

 

 ……今のは完璧に俺のミスだ。バンドの構えをしてるだけで勝手にバントをすると決めつけ、腕が伸ばせずバントしにくいとされるインハイを選んだが、それは相手がバスターを仕掛けてくることを想定していなかったリード。 しかも相手の引っ張り具合を見ると、あの難しいコースをあんなに綺麗に引っ張られたのだから、完全にインコースへとヤマを張っていた。 もう少し俺が頭を使えていれば十分に防げたかもしれない。

 

「くそっ……!」

 

 右手に持っていたマスクをギュゥッ!と握りしめた。 何やってんだ俺、もっとしっかりしろ! まだ勝ち越されたわけじゃない。 ここから反撃の糸口を断ち切ればいいだけだ。

 

「……涼子」

「ふぅ……えぇ、分かってる。 みずきちゃんに後は託すわ」

「みずきちゃん、準備はいい?」

「……任せない。私が死んでも抑える!」

 

 いつものみずきちゃんとは違う表情だ。 普段よりもピリピリと、これ以上にない真剣な顔付きでマウンドに上がった。 そしてこの少女も−–−–−

 

「任せてくれ。 大地達の頑張りは無駄にしない」

「……ああ。 聖ちゃんも頼む」

 

 やっぱり、みずきちゃんの1番の相棒は聖ちゃんだ。悔しいが、クレッセントムーンを上手に捕球できるのも、みずきちゃんの良さを存分に引き出せるのは聖ちゃんしかいない。 俺と涼子のように、あの2人もれっきとしたタチバナの最強バッテリーだ。

 

「聖名子先生、交代をお願いします」

 

 「分かりました」と答え、先生は主審に交代を告げに行く。その間に俺は防具を外し、空いた一塁へそのまま入った。

 

『聖タチバナ学園、選手の交代をお知らせします。 ピッチャー、川瀬さんに変わりまして、橘みずきさん−–−–−』

 

  ノーアウトランナー一塁で打順は一番から。 いきなり苦しい場面からのスタートになるが、パワ高戦の二人なら絶対このピンチを切り抜けてくれると俺は信じている。

 

(アイツはチームのために自分の足に無理をしてまで戦ってる。 その思い……決して無駄にしちゃいけないのよ!!)

 

 独創的なフォームから、対角線上に小野寺の胸元をえぐるようなストレートがバァァンッ!!と決まる。

 

「ナイスボールだ!」

 

 みずきちゃんが小さく頷きながらボールを受け取る。

 聖ちゃん以外のチームメイトは少し驚いていた。 普段なら「あったりまえよ!」と返すくらい明るく振る舞ってまっていた。それを今日は喜びもせず、たた目の前の打者に対して視線をギラつかせながら集中力を高めている。

 −–−–−まるで、打席に立つ友沢のように。

 

『ボーッ!』

 

 低めのスクリューは外れてボール。三球目はやや甘いコースのストレートを当てられるが、打球はライド側のファウルフェンスに当たり、これでカウントは1ボール2ストライク。

 

(……大丈夫だ。来い、みずき!)

 

 カウントは圧倒的にバッテリー有利のカウント。 ここで2人は勝負を仕掛けると決めたのだろう、 聖ちゃんがいつも以上にミットを強めに構えた。

 −–−–−そして繰り出される強烈なスピンの掛かった魔球。

  2人が長い時間を経て作り上げた渾身の一球、クレッセントムーン。 小野寺はただ当てるのだけで精一杯らしく、掠れた音を鳴らせながらセカンドの前へ転がっていく。

 

「ちっ、くそっ!」

「友沢っ!」

 

 舌打ちをしながら走る小野寺。 今宮は冷静に打球を処理し、セカンドベースに入ろうとする友沢へそのままグラブトスで渡す。

 

(!、ぐうっ……っ!!)

 

 相変わらずの強肩を魅せつけながら送球。 スバンッ!!と手が痺れるくらいの球をなんとか捕球してみせた。

 

『アウト!!』

「ナイスゲッツー二遊間ー!」

 

 ベンチからの声に今宮が嬉しそうに右腕を振る。 友沢は帽子を整え小さく頷いた。

 このまま勢いに乗りたいタチバナであったが、2番の坂本に対しては9球粘られた末、フォアボールを選んで出塁された。

 

『ツーアウトランナー一塁ですがここでクリーンナップ、3番の蛇島に回ります!』

「くっくっく……頑張るねぇ、君たちのショート君は」

「……やはりわざとなのか?」

「さぁ? そんなことよりも目の前の勝負に集中しないと負けるよ?」

「…………」

 

 ニヤリといやらしい笑みを浮かべながら打席に入る蛇島。 さっき聖ちゃんと何か話してたっぽいが変な事を吹き込まれてなきゃいいが……。

 

「みずき! 余計な事は考えるな!! 集中しろ!」

「聖…………えぇ、分かってるわよ!」

 

 ……どうやらいらない心配だな。 ツーアウトだが相変わらず油断はできない。 これ以上点をやられて差を縮められたら後半さらにキツくなる。 石に齧りついてでもこのバッターで切りたいところだぜ。

 

(蛇島は内も外も広角に打ち分けられる器用なバッター。 一度抑えてるとは言え、当たりはほぼヒット性だった。 なら……)

 

 バッテリーが投じた初球はいきなりクレッセントムーンからだった。これには蛇島も少し意外だったらしく、振りかけたバットを寸前で止めて見送った。

 

『ットーライクッ!』

 

 外角低め、ギリギリに決まる最高のコースだ。 初っ端から決め球を使うということは蛇島をそれほど警戒してのことだろう。 聖ちゃんもここが試合のターニングポイントだと察している、か。

 2球目はインハイ、胸元を突く121キロのストレートが外れボールに。

 

(際どいコースでピクリとも動じない。やはりボール球では意味がないか)

 

 ジリリ……と坂本がリードをゆっくりととる。 小野寺ほどでないがこのランナーも足はある。 聖ちゃんもそこは頭に入っているはずだ。 だからこそここは慎重に、間違えないよう長考している。 その緊張感はここに立つ俺達にも伝染してくるのが分かる。

 

(……よし)

 

 サインが決まり、聖ちゃんがミットを構えた。

 しなやかに腰をひねり、勢いのまま左腕を振るうサイドハンド。 選んだ球種はインハイ高めのストレート。 それに対し蛇島は−–−–−

 

 

(そんな遅いストレート……クロスファイヤーの意味がないな!)

 

 

 コキンッ!

「なっ!?」

 

 ツーアウトからセーフティバントだと!? まさか帝王の3番を打つ男が……!? しかもプッシュ気味のバントのため、みずきちゃん右を抜け、上手い具合に友沢の前へ転がした。

 

「っ!、ショート!!」

 

 動揺しながらも聖ちゃんは友沢へ指示を出し、友沢も急いで走りながら捕球し、スローイングは入る。

 ここまでは完璧な守備 " だった " 。

 だが友沢が投げたボールは何故か俺のグローブに収まらず、

 

 

 −–−–−友沢とは思えないほど乱れたバウンド送球で俺の右へ大きく逸れていった。

 

 

 ライトがカバーに入るも、ボールは運悪くフェンスで不規則に跳ね上がり、東出の処理がどうしても遅れる。 俺はそんな光景をただ見ることしかできなかった。

 はっ、と我に返ってホームへ視線を移す頃には、坂本がちょうどホームを踏んでいた時だった。

 

『ホームイン! 4-3! 友沢、痛恨のミスで失点を許してしまいます!!』

 

 ……そうか。 蛇島の狙いは自分が生き残るセーフティじゃない。 足首を負傷している友沢のエラーを誘うことが目的だったのだ。 アイツは……初めからこれを狙って……っ!

 

「友沢っ!! 友沢ー!」

 

 グラウンド中に悲痛に響く今宮の声。 声の先では友沢が足首を抑えて苦しそうな顔をしていた。

 

「っ……くうっ……!!」

「この馬鹿……やっぱりまだ痛みが……!」

「大丈夫、だ……俺はまだやられ、くっ…………!」

「いい加減にしろ!!! そんな足で続行できるわけないだろ!! 今のミスだって単なる送球ミスじゃない!! 間違いなく怪我のせいで−–−–−」

 

 

「−–−–−それ以上言うな!!!!」

 

 

 痛みを必死にこらえながら、友沢が強くそう叫んだ。 ゆっくりと、できる限り足首への負担を減らしながら立ち上がる。 その姿は、いつもの天才の姿ではなく、まるで翼をもがれた一羽の鳥のようだった。

 

「それ以上は言わないでくれ………橘……悪かった。 許してくれとは言わない。 っ……でも、次の打席だ。 次の打席でこの借りは必ず返す。 だから……俺を信じてくれ、ないか……?」

「………………」

 

 みずきちゃんは俯いたまま、何も声を発しない。 ただ、1つ分かるのは己の左拳を悔しそうに、骨が折れるくらいの力で握りしめている姿だけだ。

 俺にも少なからず悔しさ、無力さ、そして蛇島に対する怒りがある。 考えたくはないがアイツのラフプレーはおそらく故意だ。 それはきっと俺だけじゃない……同じ舞台で共闘している皆、ベンチで声を上げて応援している聖名子先生や涼子達、全員が同じ感情を抱いている。

 けど……俺は違う。 たとえどんな事情であれ、同情してまで1人の選手に無理をさせることは俺にできない。 その判断をするのは紛れもなく主将の俺だ。 だから友沢……もう−–−–−

 

「友沢。 悪いがここま−–−–−」

「分かったわよ! だけどね、これ以上エラーしたら承知しないわよ! いつも私に偉そうにしてる分、試合くらいでは謙虚にいてもらいたいしね!」

「!……たち、ばな………」

「みずきちゃん……残念だけど友沢はもう……」

「一ノ瀬君。 友沢はまだやれるわ。 まさか交代なんて言うんじゃないでしょうね?」

「……俺はチームの命運を預かっている。 どんな事情があれ、どんな選手であっても怪我を負っている選手を出し続けるわけにはいかない。だから……」

「ふーん。 いつからウチのキャプテンは臆病者になったのかしら?」

「お、臆病、だと……?」

「だってそうでしょ? 今の失点は確かにアイツのエラーで起きた結果。 それは確かな事実よ。 けど、その発端は一塁ランナーを出した私にだってある。 それを怪我が理由にアイツ1人に押し付けるなんて私は絶対許さないわよ!!」

 

 みずきちゃんの言い分にも一理はある。 だが−–−–−

 

「それでも、俺はこれ以上友沢が1人で苦しむ姿を見たくないんだ! この試合はもう勝敗だけじゃない、ここで無理をすればどこまで悪化するか分からないんだぞ!!」

「……それでも、私はアイツを信じてあげたい」

「しん、じる……?」

「うん……アイツさ、いつもは私に嫌味ったらしく突っかかったり文句言ったりとただただ嫌な奴だけど、1番頼り甲斐のある奴だから。 どんなに苦しい状況でも、アイツ……ううん、友沢は何一つ文句言わず立ち上がってきた。 今だってそう、本音はね、私も限界だってことは気付いてる。 だけど、ここで限界だからって交代させたらずっと悔いだけが残るような気がするの!! 」

 

 いつしか、みずきちゃんの目には涙が溜まり、今にもそれは溢れ出しそうなほど潤っていた。

 みずきちゃんと友沢はリトルで初めて対戦してからずっとライバルだったらしい。 それは聖ちゃんから前に聞いたことがある。 普段は事あることに言い争ったり、半ば喧嘩に近いようなギクシャクしたことにだって多々あった。

 けど、この2人は何だかんだで互いの事を認め合っていたのかもしれない。 たとえどんなになろうとも、本心では信じ合い、そして実力を認め合った最高の2人なのだ。 だからこそ、みずきちゃんは友沢を信じ、最後までこのグラウンドに立たせてやりたかったんだ。

 きっと……みずきちゃんは友沢のことが−–−–−

 

「聖タチバナ学園、そろそろ大丈夫ですかね?」

「あっ……いや、その………」

 

 なら……俺の答えはただ一つだな。

 

「−–−–−すみません。すぐに戻ります。 なんでもありません」

「えっ……」

「一ノ瀬……お前……?」

「お前たち2人に負けたよ。 そんなにも強い信頼関係にあったなんて思いもしなかった。 正直危険な賭けかもしれないけど、俺も2人を信じてみるさ」

「一ノ瀬君……ぐすっ、んっ、ありがとうっ!」

「友沢、いけるか?」

「………橘にこんなこと言われたらもう後には引き返せない。 この足首が千切れるまで、俺は何度でも立ち上がってやるさ」

「……結論は出たな。 私も賛成だ」

「俺も最初は無理しないほうがいいと思ったんですけど、先輩方の熱い闘志に負けましたよ!」

「……今宮」

「……亮。やるからには死ぬ気で勝ちに行くぞ。 次の打席、絶対借りを返せよな」

「ふっ、ああ! 分かってる!!」

 

 後ろを振り向くと、外野陣も大きく頷いてくれた。 俺たちが何を話していたのか分かっていたのだろう。

 −–−–−やっぱり、このチームは最高だ!

 

「っしゃあ! ここを抑えて突き放してやろうぜ!!」

『おー!!!』

『さぁ、少々トラブルがありましたが試合再開です! しかしランナー2塁でバッターは4番の真島になります! 先ほどの打席ではスタンドに運ばれていますが、橘・六道バッテリーはどう抑えるのでしょうか!?』

 

 内野陣が定位置に戻り、真島さんが打席に入る。 帝王の打者の中で誰よりも攻略が困難な選手だ。 だが裏を返せばここを凌げば流れはまたウチにくる。

 

(小細工はしない。 ありったけの力をボールに込めて来い!、みずき!!)

 

 ランナーなど眼中にない。 意識は全て目の前にそびえ立つ最強の打者。

 

「っ、あああああっ!!!」

 

 まさに " 全身全霊 " 。 己の全てを真っ向からぶつかるかの如く、叫びと共に投じられたボールはバッターのバットの上を掠った。

 

『ファール!!』

 

 2球目、アウトローのボール球。

 3球目、インハイのスクリューをカット。

 4球目、インローのストレートをまたカット。

 5球目、真ん中低めのストレートをファウルネットへカット。

 

『なんだ……まるであの時の……三船とやったときの本田のように……!』

 

 −–−–−ボールの威力が上がっていく。

 

 6球目、バッテリーはここでようやく決め球のクレッセントムーンを選んだ。 真島さんもあのスクリューには十分警戒していたはず。

 が、それを上回る異常なまでの変化量とみずきちゃんの強い意志の方が、紙一重で上回っていた。

 

『ットーライッ! バッターアウトっ!』

「っしゃあっ!!」

 

 ドワアアアアアア!!!と歓声が飛ぶタチバナ応援席。 ハジリちゃんも堪らずガッツホーズをし、涼子が「ナイスボール!!」とみずきちゃんを褒めた。

 

「…………やられたぜ」

 

 文句なく、真島さんはベンチへ戻っていく。悔しさはあるも、その表情はどこか納得したような、そんな気持ちが込み上がっていた。

 

「ナイピッチみずきちゃん!!」

「よくやったわみずき!! さすが私の妹ね!!」

「ちょっ、ちょっとお姉ちゃん、抱きつかないでよ……!」

 

 その微笑ましい光景に俺たちは思わず吹いた。 それくらい、今の三振には価値があったのだから。

 

「……まだ安心はできないぞ」

 

 1人、八木沼がマウンドに立つ鉄仮面の男を見つめていた。

 ズバンッ!!と耳が痛くなるような音を鳴らしながら、淡々と決められた数の投球練習をこなしていた。

 

「あんなの……俺には打てないよ……」

 

 ふと、ネクスト入っていた岩本がそう弱気に呟いた。 確かに、あの山口のフォークは岩本のレベルで捉えろなどほぼ不可能に近い芸当だ。 そんなのはここにいる皆か承知している。

 

「岩本、大丈夫だ」

「え……でもあんなボール……」

「打つ前に諦めてたら打てなくて当然だ。 ならせめて食らいついていこうぜ。 俺たちは帝王からすれば遥か格下のチームだ。 格下は格下らしく、最後まで足掻いてアイツらを苦しめてやろう。 諦めなければ次に繋がるかもしれないだろ?」

「一ノ瀬……うん、分かった。 打てるか分かんないけど今の俺の全力で戦ってみるよ!!」

「よし、その意気だ!」

 

 だが、向こうも百戦錬磨をくぐり抜けた猛者だ。

 7番の東出はフォークとカーブのコンビネーションで三振、続く岩本は三球勝負で倒され、みずきちゃんもかろうしでストレートを当てるもキャッチャーフライで倒れ、わずか10球でチェンジとなった。

 それでも、ウチは腐らなかった。 みずきちゃんは真島さんとの対戦そのままのテンションで唐沢、猛田、秋山を打ち取り、三者凡退で切り抜けた。

 そして7回の裏の攻撃、打順は先頭の八木沼からの好打順であったが、あのフォークを中々攻略することができず、早くもツーアウトで俺に回ってきた。

 

『3番キャッチャー、一ノ瀬君』

「頼む一ノ瀬ーっ!!」

「もうお前と友沢しかいない! 繋げてくれー!」

 

 俺と友沢だけ……か。 いや、友沢の足が悪い以上、あのフォークを長打にできるのは俺しかいない。 俺が打って山口の出鼻を挫くしかない!!

 

「……お願いします」

 

 ふぅ、と深呼吸をしてから打席に入る。

 一度、山口とはリトルの練習試合で対戦経験がある。 確か大きく落ちる三振用のフォークと、小さく落ちるカウントを取ると用のフォークの2種類があり、高校に入ってからはカーブも習得して投球の幅を広げている。 あの大きく落ちるフォークを当てるのは俺でも難しい。 なら狙うとすれば早いカウントでくる小さく落ちるフォークに狙いを絞るしかない。

 

(−–−–−来い!!)

 

 独特のマサカリ投法から、山口が投げ込む。

 ボールは遅い、フォークだ。 俺は瞬時に判断し、落下具合を予測してバットを出す。

 

(つっ、なっ!?)

 

 無情にも、ボールはバットの更に下を通過した。

 マジか……確かリトルの時はもっと変化量は小さかった。やはりあの時からまた数段に力を付けてきているか……。

 

(たとえレベルが上がろうと、まともに決め球の方のフォークで勝負されたら一打席では無理だ。 追い込まれる前にこのフォークを……)

 

 バットを更に短く構え、全神経を研ぎ澄ます。

 無理にホームランなど狙わなくていい。 ただ来るボールに対し、バットを合わせるだけだ!!

 

 −–−–−ッキイイインッ!!!

 痛烈なライナーが山口の右を抜け、センター前に落ちる。 当たった瞬間に分かるヒット性の当たりだった。 俺は全速力で一塁まで走った。

 

『難しいコースでしたが見事なセンター返し!! 一ノ瀬、主砲へと繋ぎ止めました!!』

「ナイスバッティング!」

「ああ……サンキュー」

 

 一塁コーチの笠原とグータッチをして喜びを分かち合う。

 さぁ……俺は何とか繋いだ。 後は頼むぜ、友沢!!!

 

『4番、ショート、友沢君』

「頼むぞ亮ーっ!!!」

「あの鉄仮面に一泡吹かせてやれー!!」

 

 仲間と学園から来てくれた生徒や先生、応援団の声援を胸に、友沢が左打席に入る。

 

(っ……頼む……この打席だけでいい。 もってくれ……!!)

 

 あいつの怪我の箇所は右足首。 つまり打つ瞬間に右足に体重が乗るため、負担が大きくなる。 理想は1回のスイングで仕留めることだが……。

 

(友沢……すまない。 できることなら万全の君と心ゆくまで戦いたかった。 しかし俺たちも負けられない身だ。 悪いが全力で倒させてもらうぞ!!)

 

 山口に油断という二文字はない。 得意のフォークを打たれながらも一切表情を崩さず、友沢に向けて144キロのストレートを投じた。

 

『ットーライッ!』

 

 まるでギアを1つ上げたかのように、スピードが俺の時よりも一段と速くなった。

 決して今まで手を抜いていたわけじゃない。 友沢という存在が自分の力を最大限まで引き出しているんだ。

 

(くそっ……痛みで視界がボヤけてきた、かっ………)

 

 2球目と3球目はカーブとフォークがそれぞれ外れてボール。

 しかし疑問に感じたのは、友沢の見逃し方だ。 いつもなら見逃すと際も右足でタイミングを計ることを怠らないのだが、今はその右足がほとんど動いてなく、ノーステップに近い。 更に1球1球カウントが増える度に表情が険しくなっている。

 やはり……アイツの足はもう…………。

 

 ガキインッ!!

 

「!!」

『ファッ、ファール!!』

『三塁線、良い当たりですが惜しくもファール! これは命拾いしました帝王バッテリー!』

 

 

 当てた……!?

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ…………」

 

 俺は……勝たせなきゃならない。

 

(まだこんな力を残しているのか……友沢っ!!)

(ぐっ!!)

 

 ギィンッ!

 

『ファールボール!!』

(バカな……たった一発であのフォークをアジャストしただと……!?)

「いける……いけるぞ亮!!」

「1発ぶちかまして下さいよ先輩!!!」

「友沢君!! 頑張れーっ!!」

「打てるぞ友沢ーっ!!!」

「かっとばせーとっもざわ!! とっもざわ!! とっもざわ!!!」

 

 ああ……聞こえる。 皆の熱い声援が。

 

(このポンコツが……お前はもう終わりなんだ!!! なのになぜ諦めない!!!!)

 

 諦められるわけ……ないだろ。

 まだこんな俺でも期待してくれら人がいる。 聖タチバナの勝利を願っている人がいる。 そして何よりも……

 

 

 −–−–−俺を信頼してくれる仲間がいるんだ。

 

 

 キィィィンッ!!!

 

「あぁーっ! おっしぃ!!」

「よく見て!! タイミングは合ってますよ!!」

「普段学校ではクールなんだからそんな顔するな!! いつもみたいにカッコよく決めろー!」

 

 蛇島……お前は信頼してもらえる仲間が今までいたか?

 俺は " あの時 " ……少なからずお前を信頼していた。 そして今も……お前なら変わってくれると信じている。

 

(流石だな友沢……っ。 なら俺も最大の敬意をもってこのボールで決める!!)

 

 

 お前がラフプレーで俺を潰そうとするなら……

 

 

「打って!!! 友沢!!!!」

 

 

 −–−–−俺は真っ向からお前にぶつかってやる!!!!!

 

 

 カキィィィィィンッ!!!

 

 

「!!?」

(なっ………!?)

 

 ナイスバッティング……友沢!!

 

『うっ、打ったあああああ!!! 友沢選手!、意地のツーランホームラァァァァァン!!!』

『ワァァァァァァァァァァァ!!!!』

「ま、マジ、かよ…………ははっ……」

 

 決め球のフォークボールを……アイツは……バックスクリーンに文句無しで叩き込みやがった!!!

 

「うおっしやぁぁぁぁ!!!!!!」

「嘘っ……うぅ……アイツはっ、アイツはぁ……!!」

「みずき……ああ、やってくれたな」

 

 バットを静かに地面に置き、一塁へ走っていく。

 帝王レギュラー陣はただ呆然とバックスクリーンを見つめ、ただ1人蛇島だけはグラブを叩きつけて友沢を睨んでいた。

 まずは俺がホームベースを踏み、やってくる友沢を迎えようとする。 まさか本当に有言実行しちまうなんて……味方ながら嬉しさよりも驚きの方が大きいぜ!

 サードベースを踏み、あと少しでホームに到達する。

 そしてホームベースを踏んだのを確認し、ハイタッチをしようとした瞬間−–−–−

 

 

 ドサリ、と糸の切れた操り人形のようにヒーローはその場で倒れた。

 

 

「え…………」

「おいっ……友沢?」

 

 

 −–−–−俺たちの嬉しさが一瞬で絶望に塗り替えられた瞬間でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ」

 

 さっきの試合……ただただため息しか出なかった。

 まさかあんな事に……あんな事になるなんて誰が予想できたのだろうか。

 

「色々あったけど、僕はどちらから見ても良い試合だった思うよ。 まぁ……聖タチバナからすると最後は残念だったけど……」

「……うん」

 

 複雑そうに試合後の感想を語る球太君。

 その気持ち……僕にも分かる。

 亮がツーランを打った直後、足に痛みを覚え、そのまま医務室、病院へ直行。 タチバナはそれ以降完全に勢いをなくし、3点差も直ぐにひっくり返され、終わってみれば7対10で二桁得点を取られ、敗退。

 もし亮が最後まで試合に出れていれば……そんなイフの妄想しか浮かばなかった。

 

「そういえば久遠君は帝王シニアで野球をやってたんだっけ? 」

「うん……まぁ、ね」

「凄いなぁ。 あんなハイレベルな選手が集うチームでプレーしてたなんて……流石だよ」

「いいや、球太君だって凄いじゃないか。 今は肩の怪我で抑えに回ってるけど、完治さえすればすぐにエースになれるよ」

「ぼ、僕がエース!? そんなわけないよ!! 久遠君の方が遥かに凄いし強いし……僕なんかまだ……」

 

 宇佐美球太。

 1年時から共に栄光学院大学付属高校でプレーし、チーム内では1番仲の良いチームメイトだ。 少し気が弱いところはあるけど、最速142キロのストレートと賢に勝るとも劣らないフォークは天下一品だ。 今は怪我の影響で外野を任されてるけど、きっと秋からは間違いなくエース争いに食い込んでくるはずだ。

 

「……僕たちも負けてられないね」

「ああ……そうだね」

 

 でも、1つ心残りがある。それは蛇島の事だ。

 アイツはきっとまだ……友沢のことを憎んでいるのかもしれない。

 " あの時 " の事を……まだ根深く……。

 

 

 

 



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第三十二話 友沢の過去

「……では以上で会議を終了します」

 

 夏真っ盛りの7月中旬の昼間。

 プロ野球球団の1つ『猫耳キャットハンズ』の会議室は今日も慌ただしい。

 

「ん〜……中々思うように進みませんねぇ」

「うむ……」

 

 隣に座っていた木佐貫が腕を伸ばして背伸びをする。 今月だけで異例の3度目のスカウト会議となったが、話は一向に進展をみせない。

 原因はそう、ウチの現状があまりにも酷すぎるからだ。いや、正確には " 守備力が大いに不足している " 、そこなのだ。

 

 チーム本塁打数2位、打点3位、打率2位、ここ1番の得点圏打率は1位と圧倒的な打力を誇るウチがなぜ4年連続のBクラスに甘んじてしまうのか、その原因は投手陣とセンターラインにあった。

 

 防御率、奪三振数、勝利数、勝率、セーブ数、ホールド。 どの投手項目を見ても全てが4位以下というお世辞にも優秀とは程遠い成績だ。 更に、ゴールデングラブ賞もここ数年1人も出ておらず、要のセンターラインはスタメンが数日ごとに入れ替わるのが現状となってしまっている。

 

 その為、まずキャットハンズが真っ先にしなけらばならないのは、即戦力の投手の獲得とセンターラインを強化することなのだ。

 

「……あ、そう言えば影山さんは聞きましたか? 帝王と聖タチバナの試合」

「うむ、勿論だ。 私も直接球場で観ていたからね」

「いや〜、まさかあの帝王実業があんなに苦戦するとは思いもしませんでしたよ。 帝王側の油断もあったかもしれないですけど、タチバナも力はつけていますね。 特にあの正捕手……一ノ瀬君ですね! 」

「!……一ノ瀬大地、か」

 

 私が個人的に、密かに1番期待している選手だ。

 久しぶりに彼を間近で見たが、中学時代よりも体つきが一回り大きくなり、まだまだ荒削りな点もあるがリードやスローイングも良くなっていた。

 そして何より私が評価したのが、彼の持つ底知れぬカリスマ性だ。

 その選手がグラウンドに立つだけでチームの士気が高まり、仲間のコンディションや実力にも影響を及ぼす、目に見えない力。 捕手にとってある意味1番重要な能力でもあるのだ。

 

「……木佐貫君。 君はいい選手に目をつけているね」

「え、マジっすか!?」

「あぁ。 彼の計り知れないポテンシャルとカリスマ性は驚くものがある。 近い将来、プロ志望さえ出せばとんでもない選手に化ける可能性がある」

「カリスマ性……確かにあの選手はバッティングや守備よりもその……なんかこう、見てるだけで観客の心を踊らせる、そんな選手なんですよね! 実力や実績だけなら猪狩君や眉村君たちなんですけど、あんなにも興奮させてくれる選手は一ノ瀬君だけですよ」

 

 心踊る……か。

 ふ、それさえ分かれば木佐貫はもう立派なスカウトマンだ。 我々がこの世界で勝ちにく為には、全力でそんな選手を発掘し、チームに招き入れることだからだ。

 

「……木佐貫君。 聖タチバナ学園の調査、君に任せても構わないかね?」

「えぇ!? でもタチバナは影山さんが……」

「君の話を少し聞いて考えが変わった。 私は今年の候補選手の情報をもう一度精査してくる。 君は独自で彼らを追ってほしい」

「あ……は、はい!! 俺で良ければ是非!」

 

 うむ、この調子なら任せても安心だろう。

 さて、私は目の前に迫る大仕事を片付けなければな……。 果たして今年はどんな選手を引き寄せられるか、ここご腕の見せ所だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、友沢の様子は?」

「やっぱり足関節の捻挫だったよ。 幸い、選手生命を脅かす程ではなかったけど、それでも最低2〜3週間は安静が必要らしい。そこからリハビリの期間も入れると……だいたい完全復帰は1カ月以上はかかるそうだ」

 

 帝王実業戦から一夜明け、俺たちは学園近くの病院で入院している友沢の見舞いに来ていた。 さっき聖名子先生と2人で担当してくれた医師から容体を聞き、今はそれを八木沼に伝えていたところだった。

 医師曰く、捻挫の状態で無理を重ね、具合を悪化させたのは許し難いことだと俺と先生を叱り、もしフルイニングで友沢を出していたら取り返しのつかない事態にもなっていたとも言っていた。

 まぁ確かに今回ばかりは限界を超えて無理をさせすぎたと反省はしているし、試合後も俺たち選手だけでなく先生も責任を強く感じていたから今後はここまで酷くなるまで試合に出場させることはない……とは思う。

 

「とりあえず復帰の目処が付けれただけ安心したよ。 それで友沢は?」

「ん、ああ、それがな……」

 

 ガラガラガラと、病室の扉を開けてみると−–−–−

 

「だーくっそ!! 全然ハートの6が引けないんだけど!」

「ぷっ、今宮君下手くそすぎ〜」

「うるせぇわい! みずきちゃんだってまだ手札3枚あるだろ! 俺は2枚で勝ってるから別にいいしー!」

「ババ抜き……むぅ、これは実に高次元な心理戦だ……」

「あれ? 聖ちゃんババ抜きやったことないの?」

「そもそもトランプ自体が7並べしかやったことなくて……涼子は?」

「私はアメリカにいた頃に色んな遊びをやってたよ。 ポーカー・ブラックジャック・神経衰弱・バカラ……とかかな?」

「ば、ばから?」

「初耳だな。俺は知らないぜ」

「別にアンタに話してるわけじゃないでしょーが。 ほら、次は涼子よ」

「うん。 えっと……」

 

 

「笠原さん! ここはどうやって解くんすか?!」

「あー……ここは確か……」

「お前……嘘だろ? この問題基礎中の基礎だぞ? こんなのも分からないって馬鹿を通り越してもはや異常じゃ……」

「う、うるせぇよ! じゃあお前はどうなんだ! 解けるのか!?」

「そんなところもうとっくに解き終わった。 というか期末試験の課題なんてとっくに終わってなきゃおかしいだろ。 橘先輩が担任に事情を話してなきゃお前今頃留年だぞ」

「やめてください……その話は思い出したくない……」

「ああ……ここにも被害者がおったんやな……」

「みずきさんに何か頼む時って必ず数倍の対価を支払わないとやってくれませんからねぇ……」

「確か大島君の場合はパワ堂で数万円ほど奢らされたんだよね」

「橘……せめて後輩にくらい慈悲をかけてやれよ……」

 

 

「………………」

「と、友沢………」

「……もう突っ込む気も失せた。 気にするな」

「なんか…すまん……」

 

 と、ご覧の通り、トランプやら課題勉強やらで随分賑やかな病室となっていた。

 実はこの病院の院長と橘財閥の社長が旧知の仲であり、そのコネを利用して友沢だけ設備の整った病室を貸し切ってもらったのだ。 本人も初めは恐れ多く断っていたのだが、「うるさい! 怪我人は黙ってなさい!!」とみずきちゃんが一刀両断。 やむなく友沢はこの大病院に1週間だけ入院することになった。

 

「ほら皆、いくら貸し切りだからってあまり騒ぐんじゃないぞ。 友沢の怪我に響いたら困るだろ?」

「えー、これから良いところだったのに……」

「ダメよみずき、いくらお爺様公認だからってあまり調子にのったらいけません」

「あ、お姉ちゃん……ん〜しょうがないなぁ」

 

 流石のみずきちゃんも聖名子先生には頭が上がらず、渋々とトランプを片付けた。

 

「しっかし良かったよ、大事に至らなくて」

「ええ……そうね」

 

 今宮とみずきちゃんが安心そうに友沢の右足に目を向ける。

 まだ少しでも足を動かすと痛みが走るため、包帯でグルグルに固定されている。 その姿を見て改めて思う……この男は本当に凄い選手なんだと。

 

 コンコン−–−–−

 

 突然響くノック音。

 一瞬ビクッと驚いたが、俺が「どうぞ」と返し、扉が開く。

 

「……突然の来訪ですみません。 友沢亮選手のお部屋はこちらで合ってますか?」

 

 入ってきたのはまだ幼さを少し残しながらも整った銀髪の美男子だった。

 ん、まて……確かコイツって……?

 

「お前……久遠か!?」

「え……あ、ああっ!もしかして今宮君!?」

「おぉそうだよ! 久しぶりだなー! 元気にしてたか!」

 

 バンバンと嬉しそうに背中を叩く今宮。 他の皆はポカーンとそのやり取りを眺めているのに対し、友沢だけがやれやれと知った様子だった。

 

「久遠……久遠…………あっ、久遠ヒカル……栄光学院大付属の2年生エース、久遠ヒカルか!」

「おっ、流石は猪狩君の元女房だね。 まさか僕のことを知ってたなんて光栄だよ」

 

 そりゃ、知らないなんて方がおかしいぜ。

 猪狩や眉村ほど注目はされてないが、去年の群馬の秋季大会で投手デビューを果たし、そこから怒涛のピッチングで選抜の出場権を獲得。 甲子園ではベスト4まで残り、2試合に先発登板し、15イニング投げて奪った三振はなんと驚異の26個と、衝撃的な初登場だった。

 元々中学は帝王シニアだったから友沢・今宮と面識があるのは何ら不思議じゃないが、一体なぜここに来たのか?、そこが1番の疑問だ。

 

「久しぶりだな、久遠」

「……ああ、久しぶり、亮。 まさかこんな姿で再開するとは思わなかったよ」

「………久遠?」

 

 どこかトゲのある、突き放した言い方に今宮が困惑する。友沢は何かを察したように眼を薄めて視線を逸らした。

 病室になんとも言えない不穏な空気が漂う。 あまり詳しいことは分からないが、久遠は友沢・今宮同じ帝王シニアに在籍していたはず。 今はそれぞれ別のチームで戦っているが、それでも昔のよしみで仲は少なくとも悪くないはず。 なのにここまで険悪なオーラを久遠が出しているのはいささかおかしい。

 

「……悪い皆。少しの間席を外してくれないか?」

「友沢……でも−–−–−」

「分かった。 皆、一旦出よう」

 

 ここで俺らがいて邪魔なだけだ。 俺は皆を出て行かせるよう促す。

 聖名子先生も含め、全員が空気を読み、小さく頷いて退出していく。ただ、今宮だけどこか不安げな表情で2人の様子を見つめながら出て行った。

 

 

 

「……何か言いたいことがあるんだろ?」

「ああ。 1つだけ聞きたい−–−–−」

 

 ガシッ−–−–−!

 

「!!」

「どうして……どうしてあんな無茶をしたんだ!! 君はまた同じ過ちを繰り返すつもりなのか!!」

「久遠……」

 

 怒りや悲しみ、様々な思いを全てぶつけるかのように友沢の胸ぐらを掴んだ。 久遠と目を合わせた瞬間、どうしてここに訪れ、どんな話をしたかったのか、友沢には言われなくても分かっていた。

 −–−–−数年前。かつて無茶に無茶を重ねた自分が犯した "不幸な過ち "を。あの記憶が帝王戦を偶然見ていた久遠には、きっと重なって見えてしまったのだろう、と……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今宮君。 1つ聞いてもいいかな?」

「?、何ですか、先生」

「友沢君と久遠君のこと。 昔何かあったんじゃないかなぁ……って思って。 あ、でも言いにくいことだったら大丈夫よ。 それぞれ辛い過去の1つや2つはあるから……」

「あー、そう言えばまだ誰にも話してなかったですね。 ……あの2人の様子を見ちゃったら気にもなる……よな。 いいですよ。 でも、友沢には一応内緒にしておいてください。 結構重い話ですから」

「いいのか? 重い話ならなおさらしない方が……」

「モヤモヤしたままにしとくのも後味悪いし、それに隼人だって少しは気になるだろ?」

「ああ……気にならないと言えば嘘になるはなるが……」

「それなら尚更だ。 そうだなぁ、どこから話すか……」

 

 

 

 

 

 それは、今からリトル時代にまで遡る。

 まだ一ノ瀬が猪狩と共にあかつきリトルで活躍していた頃、帝王リトルでは久遠と蛇島が友沢よりも先に入部し、日々練習や試合をこなしていた。 入部当初から大活躍だった猪狩達に対し、久遠達は野球は大好きであっても、お世辞にも実力やセンスは高い方ではなかった。

 当初、久遠は投手、蛇島は現在任されている二塁手ではなく、遊撃手を希望し、それぞれ4年生時からひたすら努力に努力を重ねていったそうだ。

 そんな中、約半年ほどたったある日のこと。

 

「今日から新しくウチに入る選手を紹介するぞ」

「友沢亮。 希望するポジションは投手です。これからよろしくお願いします」

 

 少し遅れる形で友沢が帝王シニアに入部してきたのだ。

 だが、まだこの時は誰も知らなかった。この少年が想像を絶するほどのセンスを持ち合わせていたとは……。

 

 

 カキーン! カキーン!!

 

「うおっ、なんだあの新入り? いきなり良い当たりを連発するな」

「あんだけ打てれば投手よりも野手として起用した方がいいんじゃないのか?」

 

 小4で既に120キロ台のストレートをコンスタントに強く打ち分け、いざマウンドに立たせてみれば、

 

「−–−–−っ!」

「バッターアウト!!」

「ふぅ……ありがとうございました、前山先輩」

「っ〜! アイツヤバイな……あんなスライダー俺じゃ無理だ」

「しかもストレートだって110キロ台を連発なんだろ? 本当に小4かよ……」

 

 先輩相手でも快刀乱麻のピッチングを披露するくらい、圧倒していたらしい。

 走攻守、そして投の4つで初日から化け物じみたセンスを披露し、同じチームの仲間や首脳陣達が直ぐに友沢へ注目するようになっていったのも時間の問題だった。

 

 

「すげぇな友沢先輩……」

「私もリトルで始めて対戦した時は憎たらしいくらいに強くて萎えたわね。 だってどんなコースに投げてもアイツは簡単に打ち返してくるから八方塞がりよ」

「横浜リトルとの練習試合、大会でも凄かったし、やっぱり天才だよ、友沢君は」

 

 かつて友沢と対戦経験のあるみずきちゃんと涼子、そしてその選手を目標としてきた大島。 反応は三者三様でも、友沢に対する評価や凄さは変わらなかった。

 

「久遠が今切り札として投げているあのスライダーも、実は元は亮から教えてもらった球種でもあるんだ」

「え、そうなのか?」

「ああ。 これは久遠自身から教えてもらった話だけどさ、アイツがピッチャーとして練習を開始したてだった頃、変化球について悩んでいた時期があったんだ。 そんな時に友沢がな−–−–−」

 

 

 

「君に教えてもらったこのスライダー。 今でも覚えているよ」

 

 かつての自分がどの変化球を投げればいいか分からず、ただひたすら模索する日々を過ごしていた時だ。

 「久遠はカーブやフォークよりも横に曲がる変化球の方が相性がいい」と、夕暮れのグラウンドで1人投げ込みをしていた自分にそうアドバイスをくれた。 友沢の教えはとにかく分かりやすく、それでいて合理的だった。 その甲斐あってみるみるとスライダーの精度は上がり、後に自分の代名詞になるまでに成長を遂げた。

 

「でもその後だったな、お前がいなくなったのは」

「うん……あの時はかなりショックだったよ」

 

 小5に上がる直前、自分は両親の仕事の都合で転校せざるを得なかったのだ。 友沢と自分は偶然にも同じ学校に通っており、そこでの生活もかなり充実していた。 それでいて、当時の自分は急な別れを受け入れるのにかなりの時間を費やしたのだ。

 

「それでも久遠、お前は三船のリトルでしっかりやってたじゃないか。 結果的には紙一重で帝王が勝ったが、実力はほぼ変わらない」

「ううん、あの試合は僕だけのものじゃない。 小森君や沢村君、清水さん達がいたからこそ、決勝まで勝ちあがれたんだ。 それに僕なんかよりももっと凄い投手だっていたし……」

「ん、ああ……茂野、いや、昔の呼び方じゃ本田だったか」

 

 僕が三船リトルに入る前、とてつもなく野球の上手だった選手がいた話をよく教えてもらった。 ちょっとワガママで自己中心的ではあるが、野球の実力は凄く、何よりいざという時頼りになり、チームの為にボロボロになりながらもどんな逆境にも打ち勝った、そんな選手の話を。

 僕は……彼のように頼りにされる存在だったのだろうか? その答えは結局見つけられなかったが、1つ確かに言えるのはあの試合に敗れた後、僕たちの心に一切の悔いはなかったということだった。

 

「で、小学校卒業後にUターンする形でまたこっちの方に戻り、帝王シニアに入部するのにも皆驚いてたな」

「ははっ、特に猛田なんかはヒカル〜会いたかったぜ〜!って泣きながら抱きついた来るんだもん。 あの時は嬉しかったけど同時にはずかしかったなぁ」

「…………そうだな」

 

 けど、帝王シニアに入部して待っていたものは楽しさではなく地獄であった−–−–−

 

 

 

 

「おい柏田!! そんなイージーボールをエラーするんじゃねぇ!! 今度逸らしたらお前は次の試合から外すぞ!!」

「は、はい!! すみません!!」

「チッ、次セカン!!」

「お願いします!」

「声が小せぇ!!」

「すみません!!、お願いします!!!」

 

 帝王シニアは神奈川県のシニアの中でも名門中の名門で、特に友沢達の世代はライバルであった横浜シニアでさえも連勝を誇っていた程に強かった。 だが1つ、問題があるとすれば−–−–−

 

「指導者……ですか」

「おう。 当時の帝王シニアの監督がかなり厳しい奴で有名でな、でもその人が監督になってから帝王は全国でも勝ち進めるくらいに強くなったし、ちゃんと結果も残してたから、どんな理不尽を突きつけられても逆らいにくかったんだ」

「俺と涼子も何度か帝王とは練習試合をしたが、対戦相手には御構い無しに罵声を飛ばすからかなり酷かったのは覚えている。 気の毒にも感じたしな」

 

 普段しっかり者の八木沼でさえもそう感じるくらい、当時の帝王シニアの監督は厳しかったらしい。 涼子もうんうんと同感してるし。

 

「で、問題になったのが2年の秋の大会の1ヶ月前だった。 帝王シニアでは月の初めにレギュラー陣の入れ替え発表をしていたんだが、その時に−–−–−」

 

 

 

 

「……と以上が今月のレギュラーだ。 何も質問はないな?」

「か、監督! どうして僕はセカンドなんですか! 今までは僕がショートを任されていたのに……!」

「ふん、決まってるだろ? 肩が強くお前よりフィールディングに長ける友沢をショートに置いた方が勝率が上がるからだ。それ以外に理由があるか?」

「し、しかし友沢君はピッチャーもやっています! それと並行してショートも行うとなると負担が大きくなってその……」

「チッ、うるせぇなぁ。 お前らは俺の言った通りにやりゃいいんだよ! これ以上口答えするなら蛇島、お前はレギュラーから外すぞ! 」

「っ……すっ、すみませんでし、た……!」

「友沢、異存はないな?」

「……はい。 分かりました」

「よし、それでいい。 お前は天才なんだ。 俺が最も期待しているんだからな。 間違ってでも変なヘマだけはやめろよ、いいな?」

「了解しました」

(くっ、そ……! 何でアイツのせいで僕が……っ!!)

 

 蛇島はリトルの時も、シニアの時も希望していたショートのポジションを友沢に取られ続け、セカンドにまわされていたんだ。

 今思えば、蛇島の友沢に対する異常なまでのあの執着心はリトル時代からあったかもしれない。

 

「僕が……僕が帝王のショートなんだ!! あんな奴に負けてたまるか!!!」

 

 居残り練習も1人遅くまでやっていたのも見たことがある。

 でも友沢や久遠とは違う、異様な感情を剥き出しにしてやっていたのは偶然通りすがった時にこっそり見ていたから覚えていた。

 そして大会2週間前の時期だった−–−–−

 

「友沢君。 ちょっといいかな?」

 

 全体練習を終え、グラウンドにはたまたま友沢と蛇島の2人きりだった時だ。

 

「ん?、どうしたんだ蛇島」

「実は折り入って君に頼みたいことがあるんだ」

「頼みたいこと?、俺に?」

「うん。 君にしかできないことなんだ。 どう……かな?」

「うーん……まぁ内容によるけど変な事じゃなかったらいいぜ」

「本当か! 助かるよ! それで頼みたいことってのがね……」

 

 

 

「っらあっ!!」

「くうっ……!」

 

 蛇島が友沢に頼んだこと、それはスライダー打ちの特訓だった。 最近の試合で自分がスライダー系の変化球を苦手としていたと知り、どうしても克服したかった。 そこでスライダーをウイニングショットとしていた友沢に投げてもらい、それでバッティング練習をすれば克服できるんじゃないかと考え、頼んだのだ。

 

「さすがはエース兼正遊撃手だね……僕なんかよりもずっと凄いな」

「ふぅ……何言ってんだ。 蛇島だってセカンドのレギュラーだろ? お前だって充分凄いって」

「っ……そいつはどうも。 さあ、日が暮れないうちにもっと頼むよ」

「ああ、悪い、なっ!!」

 

 試合までの約2週間。 友沢は蛇島に対し、キツイ練習の後でもひたすらスライダーを投げ続けた。 初めは力をセーブしていた友沢も日に日に順応してくる蛇島に刺激されたのか、段々と力が入り、やがていつのまにか全力投球でスライダーを投じるようになったんだ。

 帝王シニアの練習量は半端じゃない。 例えば学校がある日であっても容赦なく夜遅くまで練習を続け、休日なら1日練習は当たり前だった。 そんな過酷な練習後でも友沢は毎日、蛇島に付き合ってやっていた。

 

「日に日に球数は増えていくばかりだった。 初めは40球程度だったのが50、60、70、……最終的に150球近く投げていたらしい」

「ひゃっ、150!?」

「スライダーだけを150球近くって……」

「アイツ馬鹿でしょ!! そんなに投げたら肩だって−–−–−」

「−–−–−壊れた」

「!!」

 

 涼子、宇津、みずきちゃんの3人にはよく分かる。

 同じ球種の変化球を、ましてや友沢のようにあんなに鋭く曲がるスライダーをそんなに投げ続けてしまえばどうなるかなんて。 いくら強靭な肉体を持っていても、持つわけがない。

 

「秋季大会の準々決勝後、荷物をまとめてバスに乗り込もうとした時の事だった……」

 

 

 

「普段利き腕の方の肩に絶対エナメルをかけない君がその日だけは偶然かけてしまった。 そして……」

 

 

 

『友沢? どうしたんだ?』

『ちょっとまて……これマズくないか!? おい! 急いで救急車を呼べ!!!』

『ぐうぅ……ああっ……!!』

『亮……亮!!!!』

『離れろ久遠! 友沢、肩が痛むのか!? 大丈夫か!!!」

 

 

 

 けれど病院で待っていったのは投手にとって最も残酷な宣告だった−–−–−。

 

 

「残念ですが……もう投手としてマウンドに上がることは不可能でしょう。 これ以上そのスライダーを投げ続けば今度は日常生活に支障きたす可能性も出てきます……」

 

 

 医師曰く、肩の爆弾が突然爆発したようなものだと、そんな例えを言っていたらしい。

 勿論、すぐにこの事実を14歳の少年が受け入れられるはずはなかった。 治してもらえるように何度も頭を下げ、涙ながらにマウンドへ立ちたい思いを医師にぶつけた。 そんなことをしても無駄だと知っていっても、諦めきれなかったのだ。

 結局チームは投打の主軸が欠けたことが響き、準決勝で横浜シニアに敗れて秋季大会は終わった。 その後、戻ってきた友沢に待っていたのは更に酷なものだった−–−–−。

 

 

「そうか……お前はもうピッチャーができないんだな。 ならお前に用はない。 俺は二刀流のお前に価値を見出していたんだ。 しかも肩の故障なら送球さえもままならない。 そんな選手はウチにはいらん。 とっとと荷物をまとめるんだな」

「!、か、監督!! 俺はまだやれます!! 今は投げれなくても時間をかければ野手として……」

「くどい!!! 故障者を待つ時間などない!! 何度も言わせるな! とっとと荷物をまとめて辞めろと言っているんだ!!! 」

(……そうか。 所詮俺はコイツにとってただの使い捨ての駒に過ぎないのか。 なら俺がいたところでもう野球なんて……)

 

 ただ一言、「はい」とだけ小さく返事し、友沢は荷物をまとめて出て行った。

 

「監督!!! どうして亮を辞めさせたんですが!! 彼はまだ野手としてやれたはずです!! なのにどうして!!」

「なんだ、まだ使えない怪我人の心配をしているのか? 二足のわらじを履いた選手にさえ勝てないピッチャーの分際でよく俺に物が言えるな。 ならお前も辞めるか?」

「くっ……!、でも亮は……!!」

「やめたまえ久遠君。 監督の言う通りだ。 たとえどんなに優れた選手でも怪我さえすればただの使えないガラクタなんだよ。 それに、友沢がいなくなったお陰でエース候補が1人消えたんだ。 ラッキーじゃないか」

「……黙れ。 僕はこんな形でエースになれてもちっとも嬉しくなんかない。 それに!、君が遅くまで亮にスライダーを投げさせたのが原因じゃないのか!!! それなのに……君は亮に謝罪の1つもしないなんておかしいだろ!!」

「何を言ってるんだい? そもそもあの練習は友沢君と同意の上で行なっていたんだ。 同じ条件下で練習をして僕は怪我しなかったんだらこれは友沢君の自己責任だよ」

「!!!、蛇島お前−–−–−っ!!!!」

「いい加減にしろ!!! 辞めた奴のことなど放っておけ!!! 」

「っ…………!!」

 

 

 

 

「今宮から後で聞いた。 お前、何度も監督に頭を下げて退部を取り下げようとしたらしいな」

「……だって、あんなのおかしいだろ。 君は何も悪くない。 悪いのは無理にスライダーを投げさせるよう指示した蛇島なんだ。 なのに……なのにっ……!!」

 

 骨が折れそうな勢いで握られる久遠の拳。

 チラッと彼の顔を覗くとその表情は悔しさをそのまま表していた。 久遠にとって、友沢はただのチームメイトではなかったから。 同じエースを争う仲であっても彼はライバルに自分の決め球を教え、「頑張ろうぜ」とも言ってくれた。 その一言が悩める久遠にとってどれだけ支えになったのか、どれだけ彼の心に響いたのか、久遠は今でも覚えていた。

 

 

 

 

 

「チームメイトが友沢の強制退部に反論しない中、ヒカルはたった1人監督に直訴しに何度も行ってたよ。 俺はさ……情けなかったよ。 アイツは何度も大切な仲間の為に理不尽なクソ監督にプライドを捨てて頭を下げ続けたのに、俺は辞めさせられるのが怖くて行動に移せなかった……ほんと、情けない男だよ…………」

 

 今宮が聖タチバナを選んだのも友沢に対するせめてもの罪滅ぼしの為に、彼と同じ野球部の無い学校を選んだからだ。

 当然、こんなんで仲間を見捨てた罪滅ぼしになるなんて今宮は考えていなかった。 けれど、彼の不器用な性格では彼と同じ気持ちに立つことしか思い浮かばなかったのだ。

 

「一ノ瀬、お前が最初に俺を野球部に誘った時のこと、覚えてるか?」

「ああ、忘れもしないさ。 野球経験者にもかかわらず頑なに野球をやりたがらなかったからさ、土下座までして頼んだんだよ」

「ど、土下座?!」

「かわいそうだなー、2年で1番頭の悪い人間に土下座なんて」

「今宮サイテーだな」

「笠原岩本ーっ!! せめて聞こえないように言えよ!! 地味に気にしてんだから!!」

「「悪い悪い」」

 

 はは……絶対反省してないなこの2人。

 

「ま、まぁ話を戻すと、あまりにもしつこく頼んでくるから冗談のつもりで『肩を壊した俺の知り合いも入れてくれたら考えてやるよ』と条件を突きつけたんだ。そしたら一ノ瀬の奴−–−–−」

 

 

「事情はよく分からないが、そいつに野球へのやる気さえあれば大歓迎だよ。 肩が壊れててもバッティングが上手ければ文句ないしな。 てか連れてきてくれよ、きっと涼子やみずきちゃん達も歓迎してくれるはずだからさ」

 

 

「おー……」

「流石は大地だな」

「まさにキャプテンの鑑って感じだね」

「やめろお前ら……恥ずかしい……」

「俺はその言葉を聞いて確信したよ。 このチームならもしかしたら亮をもう一度復帰させられるんじゃないかって。 そしてお前は約束通り、友沢を説得させた」

 

 うーん……まぁ説得と言うよりはアイツの意思が最後に決めたんだがな。 投手がダメでも遊撃手ならまだ全然やれると思っただけだし、やっぱり帝王シニアの監督のやり方は明らかに酷すぎる。

 

「だからさ……お前には本当に感謝しているよ。一ノ瀬」

「今宮……」

 

 ニコッ、といつもの明るい笑顔に戻る今宮。 それにつられ、気難しそうだった皆の顔が明るくなった。

 俺だって感謝してるさ今宮。 普段は頭も悪くてちょっとバカな部分があるけど、ムードメーカーのお前がいなきゃ聖タチバナ野球部に活気が湧いてこなくなるんだからさ。 そういう仲間思いの所も、皆お前の良さだって知っている。

 

「……さ、そろそろ戻るか。 ヒカル達もそろそろ落ち着いた頃だろうしな」

「え、分かるのか?」

「分かるさ。 皆よりはあの2人のこと、詳しいからな」

 

 と、自信満々に答えながら友沢の病室へと戻る。 すると、病室から知らない声が聞こえてきた。

 

「おにいちゃん、あしのぐあいはどう?」

「大丈夫だ。 心配かけたな、朋恵」

「えへへ、ともえとしょうたね、おにいちゃんがはやくげんきになるようにずーっと良い子にしてたんだよー」

「そうか、そいつは安心したよ。 いいか翔太、俺がいない間は男はお前しかいないんだ。 母さんと朋美をしっかり守ってやるんだぞ」

「うん! でもぼくはおにいちゃんもまもりたいれ はやくけががなおってまたやきゅうをやってるおにいちゃんがみたいから!!」

「翔太……ありがとう」

「本当に大事に至らなくてよかったわ。 優香も亮君のこと心配してて昨日は眠れなかったんだから」

「彩音さん、心配おかけしました。 母さんのほうは……」

「優香なら朝様子を見に行ったけどだいぶ元気だったわ。 あとは亮君が甲子園にさえ出てくれれば完全に治るって言ったぞー」

「彩音さん、変なこと言わないでくださいよ」

 

 

「友沢、入るぞー」

「ん、ああっ!、翔太君に朋恵ちゃん!!」

「あー、みずきおねえちゃんだー!」

「久しぶりねー! 元気にしてた?」

「うん!! 元気にしてたよー!」

 

 中に入ると、見知らぬ兄弟2人がみずきちゃんの下へ駆け寄り、可愛く抱きついてきた。 髪の毛が友沢と同じ金髪ってことはこの2人は……。

 

「まさか……この子達って友沢先輩のご兄弟さん?」

「あー……まぁ一応な」

「うわぁ!2人とも凄く可愛い! お名前はー?」

「ぼくはしょうた!」

「わたしはともえー!」

「あ〜もうダメ……可愛くてどうにかなりそう……」

 

 涼子ってあんなに子供好きだったのか……? 長年の付き合いだが初耳だぞ。しかもぬいぐるみみたいにぎゅーって抱きついててなんか可愛いな……。

 

「ヒカル、亮、もう大丈夫なのか……?」

「ゴメン、気を遣わせて。 翔太くん達が来てくれたおかげでもう大丈夫だよ」

「そっか。 あ、えっと、そちらの方は……?」

「俺の母さんの小学校からの親友で彩音さんだ。 訳あって翔太と朋恵の面倒を見ていただいてくれてるんだ」

「え? 友沢先輩のお母さんって……」

「おらっ−–−–−」

「いってええええええ!!! 何すんだお前!!!」

「デリカシーのない奴だな。 普通そういう話はむやみに聞くもんじゃないだろ?」

「っ〜、それはそうだけどよ……すいません、友沢先輩」

 

 気にするな、といつものようにクールに振る舞う友沢。

 後でみずきちゃんから聞いた話によると、友沢の家は母親と亮・翔太君・朋恵ちゃんの4人家族で、父親は6年前に交通事故で亡くし、それからは母子家庭となっていた。 元々友沢の母親は病気持ちであり、入院と退院を繰り返しており、決して裕福な経済状況ではなかった。

 たまに、誰よりも練習を終えると走って帰宅している時があったが、それは入院中の母親に代わって友沢が兄弟の面倒を見ていたからであった。 中学時代に面識のあったみずきちゃんは時間のある時は大好物のプリンを持って2人の様子を見に行っていたが、友沢は「余計な世話だ」と一蹴したらしい。

 きっと、みずきちゃんに迷惑をかけたくなかったのと、自分の家の問題なのだから自分がなんとかしなきゃいけないという、強い責任感から断ったんだろう。いかにもアイツらしい考えだ。

 

「……そろそろ僕は帰るよ。 兄弟水入らずの所を邪魔しちゃ悪いしね」

「えー、ヒカルおにいちゃんかえっちゃうの?」

「もっとともえたちとあそんでほしかったのに……」

「ゴメンね、でも君達にはこんなにも頼もしいお兄さんがいるんだ。 今日はいっぱいお兄さんに甘えてもらおうね」

「……うん! そうする!!」

「ありがとう! ヒカルおにいちゃん!!」

 

 ゴシゴシと2人の頭を荒くを撫で、荷物を持ち上げる。

 久遠と友沢が何を語ったのかは分からない。 しかしその眼には迷いという文字は無く、表情も訪れた時よりも生き生きとしていた。

 

「−–−–−亮。 それと聖タチバナの皆。 秋季大会、そして来年の夏では必ず這い上がってこい。 僕たち栄光学院も必ず甲子園へ行く。 君たちなら帝王にリベンジできる、そう僕は信じてるよ」

「久遠……お前………」

「一ノ瀬君、君とは最高の舞台で心ゆくまで戦いたい。 だから僕は一足先に上で待ってるよ」

 

 最高の舞台−–−–−それは猪狩や眉村たちが戦っていたあの球場だ。

 久遠は俺たちと純粋に戦いたかっただけなんだ。 友沢が蛇島に怪我を負わされ、無理をしていたことを怒ったのも、俺たちにその可能性があったからこその感情だ。

 俺たちも−–−–−いつまでも負けを引きずってる場合じゃないな。

 

「今宮。 お前俺の過去を喋っただろ?」

「ぶふっ!、は、はぁ!? いやいやいやいや、べべべ別に喋ってねぇよ!、そんなデリカシーのない男だと思って…………はい、すいませんでした……」

「けど、どうして分かったんだ? 俺たちは喋ってないぞ」

「さっき大島が母さんの話を聞こうとしたときに普通なら普通に聞こうとするはずなのになんだか気まずそうな感じだったからな。 あとさっきと今とでは明らかにお前らの様子が変だ。 どこか気を遣っているような……違和感がありまくりだ」

 

 なんつー洞察力だよ。 質問した八木沼もかなり引いてるぞ。 皆も勝手に人の過去を聞いちまったから申し訳なさそうに友沢を見ているが、当の本人は少しお怒り気味のようだった。

 

「友沢、アンタこれからどうする気?」

「どうするって何をだ?」

「蛇島よ! へ・び・し・ま!! アンタこのままやられっぱなしでいいわけ!? そんなのアンタが許しても私が許さないんだから!!」

「み、みずき……少し落ち着いた方が……」

「聖!! アンタだって大切な人が危険な目にあったらどうするのよ!! このまま黙って指を咥えてろって言うの!?」

「なっ……それはその……何もしないとは言ってないが……」

「……ん? てか待て、今みずきちゃん大切な人って言ってなかったか?」

「ええ言ったわよ、それが何?」

「ってことはみずきちゃんにとって友沢は大切な人……すなわち好きってことかなのかー!!!」

「!!?」

「はああああああああああああ!?!?」

 

 ……なるほど、やっちまったなみずきちゃん。

 

「……顔が赤くなってる。図星ですねこれは」

「図星やな」

「図星」

 

「くぅおらぁぁぁぁ!!! そこの下僕トリオ!! 帰ったら生徒会の仕事をみっちりさせてやるんだから覚悟しなさいよ!!」

「えぇぇ!? ワイらもう生徒会は辞めた身やで!!」

「問答無用ーっ!!!!」

「「「ヒィィィィィィィッ!!!?」」」

 

 " 鬼軍曹 " 、まさしく今のみずきちゃんにはこんな言葉がお似合いなくらい原たちを圧倒している。 これは帰りもずっと不機嫌だろうなぁ……。

 

「ったく……蛇島の事なら別にやり返そうと考えちゃいない。 アイツが俺を憎んでいるのは知ってるし、今更あいつの足をへし折ろうとは思わない。 けど−–−–−

 

 

 −–−–−次に戦う時は正々堂々、野球でリベンジしてみせるさ。 必ずな」

 

 

 夕日の光を顔に浴びながら、そう力強く答えてみせた。

 あくまで私情を持ち込まずに試合でリベンを果たす、か。 その言葉に全員が納得したように笑った。

 

「ひとまず俺は足をきっちりと治すことに専念する。 だからお前達は何も心配する−–−–−」

「悪いけど、心配させてもらうわ」

「……橘?」

「アンタねぇ、まだ小学校に入りたての可愛い兄弟を彩音さん1人に押し付ける気?」

「はぁ? それは俺が」

「俺が面倒を見るなんて言わないでしょうね!? そんな足でよく言えたもんよ! このダメ兄貴が!」

「っ……橘お前っ!」

「だから、アンタの怪我が治るではしばらく私がこの子たちの面倒を見るわ! 拒否権は一切なし!! いいわね?」

「!…………」

 

 みずきちゃん……ふっ、そうこなくっちゃな。

 

「……私もみずきに賛成だ。 しかし1つ訂正するなら私じゃなく、私達、だな」

「ふふっ、そうね」

「だな」

「おう!」

「ええ」

「そうっすね!」

「皆…………」

「友沢、忘れるな。 お前はもう1人じゃない。 こんなにも頼もしい仲間が沢山いるんだ。1人で大変だった時は頼ったっていいんだぜ」

「頼る……か。 いつのまにか忘れてたかもしれないな、俺は」

 

 つい1人で抱え込んじまう癖は俺にだってある。 友沢の気持ちもわからないわけじゃない。 でもな、なにもかも1人でやり遂げるほど人間は強くない。 そんな時に頼りなるのが仲間なんだ。

 

「とはいえ朝まで家にいるわけにはいかないし、一応アンタが退院するまでは私が家の者を手配しておくわ」

「……もう頭が上がらないな」

 

 さすがは橘財閥のお嬢様だ。 やることが庶民とは全然違うぜ。

 

「翔太君、朋恵ちゃん。 暫くの間私たちが家に行くから大丈夫よ。 安心してね」

「わーい! みずきおねえちゃんたちならうれしいー!」

「わたしね、さっきぎゅーってだきしめてくれたおねえちゃんとおふろにはいってねるときにはいろんなおはなしがしたい! 」

「ふふっ♪、もちろん喜んで!」

 

 皆すっかり友沢兄弟と打ち解けて安心だ。これなら友沢や彩音さんの留守中でも大丈夫そうだな。

 

「ありがとう皆さん。 亮君のお母さんには私から言っておくから安心してね」

「ありがとうございます。 私も彼の顧問としての責任があります。 是非協力させて下さい」

「ふふっ、お姉ちゃんが作るご飯は絶品だから2人も喜ぶと思うわ!」

「もぅみずき、あまり姉をからかうんじゃありません!」

 

  はっはっはっ!、と笑いが溢れる病室。

 まずは友沢の怪我を治し、そして今度は秋季大会に向けて再始動だ!! 帝王にリベンジし、次は俺たちが甲子園大会の出場権を奪ってやるぜ!!

 

 

 



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第三十三話 束の間の夏休み

 甲子園の出場権をかけた夏季大会も佳境を迎え、決勝は去年と同じく海堂学園vs帝王実業のカードとなった。

 ここまで聖タチバナ戦を除けば順調に勝ち進んだ帝王に対し、海堂は決勝こそ進んだものの度重なるアクシデントで怪我人を続出させたままでの勝負となった。

 特に辛かったのが主砲の千石が準々決勝でデッドボールを手首にもらい骨折、更には2年の絶対的エース・眉村も大会前から腰の張りを訴えてここまで先発登板なし。 エースナンバーの榎本直樹と三番手の桜庭、そして最も注目を浴びたあの猪狩守の弟である猪狩進の活躍が特に光っていた。

 

『打ったーっ!!! 4番・真島のスリーランホームラン!!! ついに均衡を破りました帝王実業!!』

 

 先に点を奪ったのは帝王実業だった。 0対0で迎えた7回の表で2番坂本、3番蛇島と立て続けにヒットを放ち、チャンスで4番に座る男が期待に応えてみせた。その後帝王は先発の山口、犬河、最後は香取と完封リレーを披露し、見事、神奈川を制した。

 海堂は榎本がで8回3失点被安打5のピッチングをするも、絶対的4番を欠いた差が出てしまい、結果的にヒット数は猪狩進の長打を含む2安打、8番ライトで出場した草野のヒットなど、計4本と完全に押さえ込まれてしまった。

 

 こうして一ノ瀬達、神奈川県勢の夏の大会は幕を閉じた。 勝ち残った帝王実業のみ、次のステージである甲子園へ進み、敗れ去った学校の思いも背負いながら、灼熱の太陽が照らす高校球児の聖地に足を踏み入れるのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「海だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」

「イヤッホォォォォゥ!!」

 

 海水浴シーズン真っ只中の8月初頭のある日。

 普段なら練習の虫である聖タチバナであったが、ここ最近まともな休みが取れてなく、ピリピリした緊張感がずっと続いていた為、こうしてリフレッシュをしに泳ぎに来た、というわけだ。

 恋恋高校の連中も誘ったのだが、どうしても事情があって来れないとの事で、今回は聖タチバナ野球部+翔太君と朋恵ちゃんのメンバーで橘財閥が管理しているプライベートビーチにお邪魔させてもらっている。

 

「今宮、大島!! 入水する前には準備体操をしておけ! 体がつっても知らないぞ!」

「ぎぬまっち〜ちょっと真面目すぎるぜ〜」

「そうっすよ〜この日頃鍛えた肉体ならちょっとやそっとじゃ−–−–−」

「聞こえなかったか? た・い・そ・う・を・し・ろ」

「「……サーセン」」

 

 開始早々いきなり八木沼のお灸炸裂か。

 全く、ウチきってのアホコンビはどこに行っても変わらないな。

 

「ん……そういや女子達はどうしたんだ?」

「あー、みずきさん達なら着替え中らしいですよ」

「何っ!!? 着替え中だとぉぉぉ!!?」

「い、今宮さん!!?」

「大京くん、君は良い情報を皆の前に開示してくれた。 この一世一代の大チャンス、逃すわけにはいかないよなぁ! 大島君よー!」

「そうっすね! じゃあ行きましょ−–−–−」

「あ? どこに行くんだって?」

「「え?」」

 

 ぎゃああああああああああ!!!!!!

 

「……友沢ナイス」

「女子達にバレたら殺されるぞ……」

「はぁ……」

 

 ていうかあんなにプロレス技をかけてるが足は大丈夫なのか? 隣では八木沼と東出が呆れながらその様子を見ていた。

 

「久しぶりやな、ここに来るのも」

「原達は来たことがあるのか?」

「僕たちは去年の夏前に一度掃除の為に来てたのさ。 美味しい料理に釣られて見事に雑用を押し付けられたけどね」

「……なるほどな」

「生徒会のお仕事って名目で連れてこられましたけど、よくよく考えたら生徒会は辞めてましたし目的が曖昧でしたのでこんなことだろうとは思ってましたが」

 

 苦笑いを浮かばせながら大京と宇津が語る。

 

「わーいうみだー!」

「よっしゃ、お兄さんと一緒に泳ぐぞー!」

「うん!!」

「……岩本と翔太君、かなり仲良しだな」

「岩本は将来小学校の体育担当の教師になりたいらしくてさ、中学の頃から勉強してたんだ。 今でも練習後に家帰って独学で教職員の勉強してるくらいだしね」

 

 今宮や大島とは対照的に岩本と笠原はかなり頭が良く、試験はいつも3位以内に入っているという恐ろしい秀才っぷりだ。 元々県内No.1偏差値の帝仁高校を受験しただけあって、俺もテスト前にはよく分からない問題は2人に聞いたりしている。

 

(それにしても遅いなぁ女子達。 もう20分くらいは待ってるぞ……?)

 

 

 

 

 

「だ、だめだみずき……こんな過激なもの着れるわけがない!」

「えー、聖なら絶対似合うと思うんだけどなぁ」

「じゃあこんなのはどうかしら?」

「ん……なー!? 無理だ無理無理無理!! それ以前にこれでは胸がギリギリ見えてしまうじゃないか!」

「うわぁ、涼子ったら大胆ねー」

「ふふっ♪」

 

 別荘内の更衣室では女子3人組が楽しそうに(?)着替えをしていた。 川瀬は自宅から持ってきた白色のフレアトップ型の水着で、橘は自身のイメージカラーと同じく水色のビキニ型と、すんなり決まったのだが、問題は元々水着を持っていなかった六道だ。

 

「ひじりおねえちゃん、これはどうー?」

「あー、これはいいわね! 朋恵ちゃんナイス!」

「むぅ……しかし露出が多い気が……」

「私たちに比べたら全然抑えてる方よ。それに聖ちゃんってスタイルが良いからどんな水着でも似合うと思うわ」

「そ、そうか……? なら……」

 

 選んだのはタンキニと呼ばれる水着の中ではかなり露出度の抑えられたものだ。色は紺と白の横しまで、とてもよく似合っていた。

 

 

 

 

 

 

 数分後−–−–−。

 

「おー、やっと来たか」

「お待たせー!」

「!……」

「うわぁ……」

 

 男性陣の開いた口が塞がらなかった。

 まずみずきちゃんだ。 3人の中で特に水着が過激すぎる。 胸が大きいのも相まって魅力を更に引き出していた。

 

「どう友沢? 似合うかしら?」

「……似合ってると、思う」

 

 見ろよ、あの友沢でさえも顔を赤くして視線を逸らしている。 その他今宮や大島もいやらしい目でみずきちゃんを見ているが巻き込まれたくないのでスルーだ。

 

「六道が水着を着てるのも珍しいな」

「わっ、私は反対だったのだが……どう、だ?」

「和服姿も良いですかだ水着もよく似合ってますよ、先輩」

「そ、そうか……ありがとう、俊」

「!、い、いえ、どういたしまして……」

「おいおい〜顔を赤くしてどうしたんだ東出君〜? まさか六道先輩の水着を見て照れてるのか〜?」

「はぁ? お、俺は照れてなんか……」

「無理もないだろ大島。 こんなに可愛ければ東出でも照れるさ」

「なー!?」

「ちょっ、八木沼先輩まで変なこと言わないでくださいよ!! 」

「ははっ、そんなに興奮するな」

「う〜……」

(か、可愛いのか……ホッ)

 

 聖ちゃんと東出が茹でタコみたいに赤くなったりそれを珍しく大島と一緒に八木沼もからかったりと、ワイワイしていた。

 俺もよく似合ってると思うぜ、聖ちゃん。

 

「大地」

 

 声の方へ振り向くと、目の前には普段とは違う姿の相棒が立っていた。 少しだけ照れながら、声を振り絞って−–−–−

 

「どう? 似合ってる……かな?」

 

 と、一言。

 一瞬、自分の心臓がドクンと大きくなった気がした。 いつもの制服姿やユニフォーム姿も充分魅力的だ。 けれど、水着姿の彼女はそれを遥かに上回る可愛いさだった。

 

「……ああ。よく似合ってるよ、涼子」

「そう、ありがとう♪」

(……!!)

 

 くっ……今の笑顔は反則だろ! しかも不意打ちは卑怯すぎる!

 

「……今一ノ瀬も照れたな」

「まぁからの場合は相手が悪すぎるな。 だって意中の相手だもんな」

 

 岩本笠原ーっ! 余計なことは言わんでいいわ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで約数時間、緊張感から解放された俺たちは束の間の休みを思い切り海で楽しんだ。

 今宮がガンターロボの必殺技を唱えながら翔太君に水をかけたらあまりの強さに泣いてしまい、友沢とみずきちゃんに10倍返しにされたり、中学時代バレーボール部に所属していた岩本・笠原の提案でピーチバレーをして2人が無双したり、最後にはビーチフラッグによるガチトーナメント戦で優勝者には最高級の夕飯をご馳走できるという景品付きに友沢が食いつくも、決勝でチーム1の俊足を誇る八木沼に敗れてかなりのショックを受けたりの、なんだかんだ大いに楽しんだ。

 

「うまいな……! こんな料理食べたことないぞ?!」

「あったりまえよ! ウチの専属シェフが腕によりをかけて作ったんだから! 不味くないはずがないわ!」

「くそっ……あと少しだったのに……」

「友沢君、まだ落ち込んでいたんだ……」

 

 ご飯に関しては友沢の奴、変に執着心があるからなぁ。 この前なんて練習メニューについてファミレスで相談してたらこれでもかっ、てくらいに注文しまくってたからな。しかも的確にコスパが良いものばっか食ってたのがまた意外で面白かったぜ。

 

「このおさかなおいしい〜!」

「うんうん!」

 

 残念ながら友沢は敗れたものの、翔太君と朋恵ちゃんにはグレードアップした夕飯をご馳走させてもらっただけ、まだ救いだったかもしれないな。

 

「みずき、きんつばはないのか?」

「はいはい、聖ならそう言うと思ってパワ堂から買い占めておいたわよ」

「本当か!? 恩に着るぞ!」

「聖ちゃん、私も1つ貰ってもいいかな?」

「…………いいぞ」

 

 今聖ちゃんめっちゃ悩んでたな。 てか涼子もかなり食ってるはずなのにまだきんつばも入るのかよ。 ウチの女性陣の甘党っぷりは恐ろしいぜ。

 

「いや〜、今日は久しぶりに野球から解放されたな!」

「そうだなー。 俺と笠原は勉強と野球でここ数年どこも出かけてなかったからこういうお出かけって新鮮で楽しかったよ」

「俺達も中学では練習や試合ばっかで海なんて小学生以来だからめっちゃ楽しかったっす!」

「……そうだな」

 

 おのおのがこの解放された時間を有意義に楽しめたらしく、企画した俺やみずきちゃんも嬉しい限りだ。 来年も皆で来れればいいが、もし引退していなかったらそうはいかないんだよな……。

 

「……さて。 皆、食べ終わったら浜辺に集合よ!!」

「ん、まだ何かやるのか?」

「ふふっ、当然よ!! 夏と言ったら最後はアレでしょ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわー……綺麗……」

 

 バチバチと独特な音を立てて輝く赤や緑の火花。

 そう、みずきちゃんが最後にやろうと言ったこと、それは夏の風物詩の花火だ。

 

「なぁ亮」

「なんだ?」

「ちょっとさ、この線香花火で1つ勝負しないか? お前が勝ったら次のオフの日に焼肉食い放題に連れてってやるぜ。 勿論俺の " おごり " でな」

「何っ……おごり、だと?」

「ああ、奢りだ」

「……俺が負けたらどうなるんだ?」

「そうだなー、今あっちで花火してるみずきちゃんの後ろから抱きつくってのはどうだ?」

「!?、だっ、抱きつく!? 馬鹿かお前!、そんなことしたら殴られるに決まってるだろ!」

「いやぁ? そうとは限らないんじゃないか? だって2人とも仲良さそうだし、全然脈アリだと思うぜ」

「……今宮。 お前俺にこれをさせたくてこの勝負をふっかけたな?」

「ほらほら、そんな細かいこと気にするな。 どうする、やるのか? やらないのか?」

 

 ニマニマと悪い笑みを浮かべながら悪魔の提案をする今宮。

 確かに焼肉食い放題は友沢にとって魅力的だ。 だが負けた時の代償が大きすぎる。 2人きりならまだしも、今は他のメンバーもいる。 そんな状況下でこんな行為をしだしたらどうなるかなんて目に見えている。

 

(万が一負けたとしても橘なら俺は……って何考えてんだ俺! どう見たって変態だろ!! でも……)

「さぁどうするんだー? 別に嫌なら断ってもいいんだぜ?」

「……分かった。 その勝負、受けてやる」

「ほぉ……随分と強気に言ったな。 面白い、もう取り消しは無しだからな。 ほらよ、これ」

 

 線香花火を渡し、用意したロウソクに火を付けて準備をする。

 

「よし。 それじゃあ始めるぜ。 よーい……スタート!!」

 

 ほぼ同時のタイミングで火を付け、熱戦の火蓋が切って落とされた。 お互いに向きや態勢、風の向きを読み、そして全ての神経と意識を花火を持つ手に集中させる。

 

(焼肉はもらうぞ……今宮!!)

(悪いな亮。 この勝負俺が貰う!)

 

 違う意味でも、この2人は変な闘志を燃やしていた。

 

「なんだあの2人……やけに真剣に線香花火をしてるな」

 

 目が充血しそうな勢いで見開いてるし、勝負でもしてるのか?

 

「……っ、くぅー…………」

「…………!?」

 

 開始から数分。 わずかな指の動きで花火が揺れ、友沢の火が地面に落ちた。

 

「いよっしゃあああああ!! 俺の勝ちだなー!」

「………………くそっ……!」

「それじゃあ友沢君? 約束をきっちり守ってもらいましょうかねー」

「……ああはいはい。やればいいんだろやれば」

 

 あーあ、短い人生だったな。 振り向きざまにエルボーくらわされるか、それともリハビリ明けの足をやられるか、とにかく覚悟を決めて行くしかない、か……。

 

「涼子、その花火取ってくれない?」

「いいよー、はいどうぞ」

「ん、ありがとね」

「聖ちゃん線香花火とっても上手だね。 羨ましいなぁ」

「小さい頃はよくお父さんとやっていたからな。 コツさえ掴めば簡単だぞ」

「浴衣姿で花火してる聖が容易に想像できるわね」

「確かにそうね! 聖ちゃんはこの中で1番大和撫子だもん」

「……言い過ぎだ」

「もー、聖ったら照れちゃって」

 

 幸いにも今橘は花火に夢中で全然こちらに気付いていない。 どうせボコボコに殴られるならより確実に済ませてやられるしかない。

 

(地面が砂で助かったな……)

 

 足底が砂で沈むため、足音が聞こえにくいのが助かる。1歩、また1歩と慎重に橘へと近づく。 届く距離まであと5歩程といったところか。 ゆっくりと……ゆっくりと……ゆっくりと……。

 

(ふぅ……悪く思わないでくれ橘っ!)

 

 橘とはほぼ射程距離を捉えている。 せめて傷つかないよう、そっと腕を伸ばして包もうとしたその時だった−–−–−

 

 

「きゃあああああああああ!!!!」

「!?、ぶはっ!!」

 

 なっ、何だっ……突然驚いて俺の方に突っ込んで来たぞ……しかも橘の頭が俺の頭と当たって芯に響く……ってぇー……。

 

「いったた……」

「なんなんだいった−–−–−」

「え−–−–−」

 

 言葉が、出てこなかった。

 橘の体当たりを不意にもらったからでない。 橘と俺が今、超が10個付くほど体と体が密着しているからである。 右を向けば水色の髪が俺の頬を擦り、腹に意識を向けると何やら柔らかい膨らみが当たっているのが分かり、彼女の左手は俺の右腕を偶然にも掴み、もはや色々と急展開すぎて思考が完全に停止してしまった。

 

「あ……だ、大丈夫、か……」

「っ……うん……アンタは……?」

 

 何とか言葉を紡ごうと口を開くが、心臓が吐きそうなくらいに痛く、自分でも分かるくらいに顔が赤くなる。

 どうなってんだ俺……今までこんなに興奮したことはないのに……。

 

「俺は大丈夫だ。 その、なんだ……色々とごめん……」

「う、ううん。 私が悪いから……気にしないで……」

 

 気まずそうに、そしてどこか名残惜しそうに橘が離れる。

 

(うわー……みずきちゃんいいなー。 私も大地にあんなのやられたら……)

(わ、私だったら恥ずかしくて死にそうだ……でも少しだけ羨ましいぞ!)

 

 女子2人はそんな光景をなぜか羨ましそうに観察していた。

 男達は花火に夢中で気づかなかったのが本当に良かったよ……。 とりあえずさっきからクスクス笑ってるあのセカンドは後でかならず地面に埋めてやろう。

 

「ところで……なんでそんなに驚いたんだ?」

「だっていきなりゴギブリみたいなのが現れて……」

「ゴギブリ? ちょっと待て、それはゴギブリじゃなくてフナムシじゃ……」

「どっちも同じよ!! 早くどっかに捨ててえええ!!!」

「ったく……」

 

 六道と川瀬は余裕だってのに情けないな。 でも……

 

(アイツもあんな感じで驚くことってあるんだな……)

 

 普段見られない橘が見れて、内心どこか嬉しかった自分がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 花火を終えた俺たちは枕投げやトランプ、元々置いてあったパワプロ最新作の対戦やらで盛り上がり、結局皆が完全に寝たのは1時過ぎだった。 花火の後で友沢が今宮を追いかけ回したり、みずきちゃんの様子がどこか変だったのが少し気になるが、中々に面白かった。 特に2イニング制のパワプロトーナメントはかなり盛り上がった。 普段ゲームをあまりやらない聖ちゃんや笠原や岩下も楽しんでたし、1番面白かったのは意外にも八木沼がめっちゃくちゃパワプロが上手くてみな絶句していたことだ。 一回戦で当たった涼子なんて1イニングで8点も取られてて拗ねてたからな。 歴代の作品を殆どプレーしていただけのことはあるぜ。 もしかしたらパワプロの全国大会的なのに出たら優勝できるんじゃないのか?

 

「……夜風が気持ちいいな」

 

 俺はと言うと、夜にはしゃぎすぎたせいで寝れず、砂浜に設置されていたベンチに腰をかけて夜の海を1人でボーッと眺めていた。

 時々吹く風が心地よく、これまでの疲労を癒してくれるようだった。

 

「なーにしてるの?」

 

 聞き慣れた声が聞こえて後ろを振り向くと、そこには涼子が立っていた。

 

「ちょっと眠れなくてな……ここで風に当たってた」

「そうなんだ。 あ、隣座ってもいいかな?」

「え? ああ、構わないが……」

 

 ありがとう、とニコッと微笑みながら涼子が隣に座る。

 

「?……どうしたの?」

「あ、いや……」

 

 どうしたのって……今の涼子の格好がだいぶラフ過ぎて目のやり場に困るんだが……。

 ミゾット製の黒ジャージを着ている俺に対し、涼子の姿は白色のフリルの付いたパジャマ。 前かがみになると前の襟から女性特有の膨らみが見えそうだし、シャンプーの甘い香りが俺の中の変なスイッチを入れそうで色々とヤバイ。

 

「涼子も女の子なんだなぁってね」

「ふふっ、どういう意味よ」

 

 そのまんまの意味だけどなぁ。

 つまりお前が可愛くてしょうがないんだよ! とは恥ずかしくて言えないから遠回しに伝えたつもりだ。

 

「それにしてもさっきのパワプロは面白かったな」

「うーん、面白かったけど八木沼君が強すぎて途中から萎えしかなかったよ……お父さんとよくやってたからそれなりに勝ち進めるんじゃないかと思ってたのになぁ」

 

 はぁ……と悔しそうに涼子がため息をつく。

 俺もあかつき小にいた頃は猪狩兄弟の家でたまにやらせてもらったけどアレ一度負けるとヒートアップしすぎて勝つまでやりたくなっちゃうんだよ。 だから涼子の気持ちも何となく分かるぜ。

 

「……ねぇ大地」

「なんだ?」

「もうすぐ始まるね、甲子園」

「甲子園……か」

 

 スポーツニュースや雑誌を見ても、どこもかしこも明後日にいよいよ開幕戦する夏の甲子園大会の話題でもちきりだ。

 1番の優勝最有力候補は何と言っても猪狩を筆頭とするあかつき大付属だ。既にドラフト上位指名が確実視されている一ノ瀬、二宮は当然、2年生ながら4番に座る七井アレフト、俊足巧打の八嶋、守備の名手六本木などなど……猪狩以外にも実力と話題性を重ね備えたタレントは数多く在籍している。

 そして強肩強打の最強キャッチャーも−–−–−。

 

「今年は帝王が俺たちの分まで頑張ってくれるさ。 真島さんだって前に友沢の見舞いに来た時に謝りながらお前らの無念も背負ってあかつきを倒すって意気込んでいただろ? きっとあの人なら大丈夫さ」

「真島さん……いつのまにか私たちよりも遠い存在になっちゃったね。 試合だって私は真島さんを一度も抑えられなかったし、失点だって少ないわけじゃない。 やっぱり私ってダメなんだなぁって痛感したよ」

 

 珍しく涼子が心の底にあった弱音を吐いた。

 帝王相手に6回途中2失点。 相手が相手なだけにこの結果なら充分なはずだ。 でも、彼女は決して満足しなかった。 1番に抑えなければならない4番には全打席にで安打を打たれ、みずきちゃんにも苦しい場面でマウンドを譲ってしまった。 自分がエースナンバーを背負っている以上、その責任は他の投手とは比べものにならないくらいに重大だ。 誰よりもそういった部分に敏感な性格だからこそ、つい弱音が出てしまったんだろう。

 バッテリーを組んでる俺にも涼子の辛さや重圧は知っている。 けどな−–−–−

 

「涼子は全然ダメなんかじゃないよ」

「え−–−–−?」

「あの相手に2失点しか取られてないんだぜ? 全然凄いじゃないか。 まぁ後半に差し掛かった所で失速したのは否めないけど、それでもお前は今の自分の中で出せる全ての力を出し切って立派に投げた、俺はそう思うぞ?」

「大地……」

 

 あの試合が終わってから、他のメンバーもだが、涼子はより練習に没頭するようになった。 怪我で練習に出れない友沢から自分の弱点や修正すべき点を洗い出して早速改善に努めていたし、それを他の仲間の分も独自でノートにまとめて俺に見せに来たりもしていた。 あの時は本当に驚いたよ。 普通自分のチームメイトの細かいデータはキャッチャー兼キャプテンの俺がやらなきゃならない仕事なのに、俺がやる前に涼子が先にやってたんだから。

 そんな奴がダメな投手だなんて、他の奴が認めても俺が絶対に許さない。

 

「お前はチームで1番負けず嫌いで、勝利に対して貪欲な選手だ。 俺はそんなお前が大好きだし、これからもそうであってほしい。 だからさ……もっと自信を持て。涼子はウチで1番のエースなんだからさ」

「……うぅ……う、ん……」

 

 ポツリとこぼれ落ちる一滴の涙。

 やっぱり、お前はずっとプレッシャーと戦い続けてたんだな。 猪狩だってそうだ。 甲子園での奪三振記録や連勝記録も何も知らない奴からすれば凄い、の一言で片付いてしまうが、その裏には凡人には理解し難いくらいのプレッシャーや責任がのしかかっている。

 それらに潰されそうになって逃げたくなるかもしれない。 でもそんな時に支えになるがチームメイト、そして1番の相棒であるキャッチャーなんだ。

 

「ありがとう……大地」

「ああ。辛いときは俺に弱音を吐け。 人間ってのは心に溜まってるものを吐き出せば気持ちが楽になることだってあるんだぜ?」

「そっか。じゃあ……神奈川に帰ったら一緒にご飯を食べに行きたい♪」

「はぁ? おいおい、俺の言ってたことちゃんと聞いてたのか?」

「えー、大地とはご飯をゆっくり食べながら色々と話したいことがあるのにー……」

 

 むー、と頰を膨らませながら拗ねる涼子。

 全く……こうなると頑固だからなぁ。

 

「……はいはい。 ただし変なことだったらすぐ帰るからな」

「ふふっ、それは大丈夫だよ。だって話したいことって秋の大会に向けてのトレーニングについてだから」

「おー、それはいいな。 なら聖ちゃんと友沢も誘うか。 もう1人のキャッチャーと天才もいた方が絶対−–−–−」

「それはダメ!!!!」

「うおっ!?、どうして?」

「ふぇ? だってそれは……その………」

 

 モジモジと言葉を濁らすせいで最後の方が聞き取れない。 もっとはっきり言ってくれないと分からないぞ。

 

「大地と……2人きりの方が良い…から……」

「っ!?」

 

 そんな近い距離で照れながら頼むとか反則すぎる……っ!

 堪らず俺は視線を海に向け、必死に自分の鼓動を抑える。 落ち着け……間違っても変なことは考えるなよ。 例えば微妙に見える涼子の胸元とかスレンダーで綺麗な脚とかその髪先をいじる仕草とか……

 

「ってああああああ!!! ダメだっていってんだろぉ!」

「だっ、大地!? 大丈夫?」

「はっ! あぁ……ごめん……」

「急に叫ばないでよもう、ビックリするんだから」

「……すいません」

 

 自分が変態過ぎて最悪だよ……はぁ。

 

「で、さっきの話なんだけど……」

「あーもう分かった! 2人で行こう! だからこの話は終わりだ! 戻るぞ!」

「えぇ!? なんか嫌々了承してない!?」

(これ以上涼子の隣にいると理性が崩壊しそうで危険すぎるんだよ!)

「え、なんて?」

「なーんーでーもーなーい!!」

 

 時々すっごく可愛くなるの、本当にやめてほしいぜ……。

 本人からすれば無意識なのかもしれないけど、それを受ける俺からすると心臓に悪いだけだからさ。

 まぁそれくらい俺が彼女を好きだと思ってるからこその感情だから悪くはない、と思うことにする。

 

 

 

 

 

 

(もしかして私のパジャマ姿に照れてたりするのかなぁ……)

 

 そうだと買った甲斐があって嬉しい。 大地なら喜んでくれると思ってこの日の為に奮発して買ったんだから! それにいつもより甘えた感じの声で大地の側にいればイチコロだってお母さんが言ってたから試してみたけど……どうやら多少ではあるが効果はあった様子だ。

 

(……ありがとう、大地。 さっき慰めてくれたことは心から感謝してるよ)

 

 甲子園が始まり、それが終わると直ぐに秋の大会が始まる。

 敗れたチームはもう秋に向けて始動している。 私もタチバナのエースとして絶対負けられない!! 今度こそ甲子園大会の出場権を得るんだ!!!

 

 

 



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第三十四話 最強の編入生

「吾郎、本当に大丈夫? 母さん学校まで送ってくよ?」

「大丈夫だっての。 これからはバスと歩きで帰らなきゃならねーしな。 じゃ、行ってきやーす」

「吾郎兄ちゃん気を付けてねー!」

「おーう。 サンキュ」

 

 白のポロシャツと紺色のズボン、そして学校指定の鞄に野球用具が一式入ったエナメルバッグを肩に掛け、家の扉を開けた。

 今日から恋恋高校の一員か……。 思えばこの一ヶ月半、色んなことがあったぜ。 母さんに怒鳴られて学費を稼ぐ為にバイトしたり、編入試験に向けて嫌だったが中学以来に勉強もし、その合間を縫って自主トレに励んだりと、ある意味濃密な日々を過ごしたぜ。

 無事編入試験も合格して夏休み明けから晴れて登校できるが、1つ疑問に思ってることがある。

 

(アイツら……ちゃんと練習してんのかよ)

 

 そう、肝心の恋恋野球部の姿を最近見ないことだ。

 編入する前に野球部の連中に挨拶をしようと何度もグラウンドを訪れるも、一度も野球部はグラウンドに現れなかった。

 まさか敗戦のショックで練習をする気が失せたとかは無いとは思うが、どちらにせよアイツらがいなきゃ俺は恋恋を選んだ意味がねぇ。 とりあえず着いたら野球部の連中に声をかけてみるとするか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私にとって、朝の通学の時間は1日の中で1番憂鬱な時間でもあった。眠い目を擦りながら通学するのが苦痛だから? はたまたソフトの荷物を持ちながらの通学が大変だから? そんな単純な理由じゃない。

 

「おーす! っはよー薫ちゃん!」

 

 憂鬱な原因、それは朝の通学時間に決まってこの男がいるからだ。

 名前は藤井康太。 赤毛が特徴の私と同じ恋恋高校に通う2年生。 偶然にも同じ通学路を使っていたこともあり、こうして藤井から一方的に私の後をついてきているのだが、私はこの男が好きじゃない。

 

「ちょっとー、夏休み明けで久しぶりに会えたってのに冷たいじゃーん?」

「……うるさい。 そして近づくな」

 

 鞄に入れていたバットを藤井に突き立て、私はバスに乗り込む。

 

「えー……あ、待ってよー!」

 

 ちょっとやそっとの脅しじゃ諦めないことは知っていたが。

 

「ねーねー、17歳にもなってソフトボール一筋ってのもなんだか寂しくない? こんなにもカッコよくてギャグの冴えてる男が目の前にいるんだからさー、もっと青春しようよー。 あ、それとも他に好きな人がいるとか? 、……ってまさかそんな人は−–−–−」

「いるよ」

「ははー、そうだよね。 薫ちゃんにだって好きな人はいる……ってええっ!?」

 

 他に乗っていたお客さんも注目するほどの声量で驚く藤井。 そんなに驚くことでもないと思うけど彼にとっては一大事のようだった。

 

「ちなみに言っとくけど、私はアンタみたいな暇を持て余すほど退屈な男は好きじゃないから。 少なくともそいつはアンタなんかよりもずっとカッコやすくて野球に命かけるくらいに頑張ってる奴なんだ。 今は海堂で甲子園を目指してるから会えないけど……でも−–−–−」

 

 目を見開いた。

 そんなはずがない。 彼はつい数秒前自分が言っていた通り、海堂の野球部で甲子園を目指しているはずだからだ。

 じゃあなんで……なんで…………

 

 

「ん……あっ、もしかして清水か?」

 

 

 なんで本田が私と同じバスに乗ってるんだ!!?

 

 

「よー、朝から随分とアツアツじゃねーか。 久しぶりだな」

「ほ、ほほ、本田か!? どうしてここに?」

「どうしてって……決まってんだろ? 海堂を辞めて恋恋高校に編入したからさ。 そんで今日からここで打倒海堂を目指すつもりだ」

「え……ええっ!?」

 

 海堂を……辞めた?

 なんで。 なんであんなに行きたかった海堂を辞めちゃったんだ? それは同じ学校に本田が編入するのはむしろ嬉しい事ではあるけど、理由がイマイチ分からない。 海堂の強さなら間違いなく安定して甲子園や全国制覇も狙えるはずなのに。それに今ウチの野球部って……。

 

(え、薫ちゃん。 コイツがまさか……?!)

「ところでお前ら、付き合ってんのか?」

「は、はぁっ!? んなわけないでしょーが!! 誰がこんなつまらない男と付き合うか!」

「ぐはっ!?」

「おいおい……この赤毛、精神的に大ダメージ食らったぞ」

「赤毛じゃねぇ……藤井だよぉ……」

 

 全く。冗談もほどほどにしてほしい。

 

「ところで本田、さっきうちの野球部で海堂を倒すとかって言ったよな?」

「ん、ああ。 そうだが何か?」

「今さ、野球部がどういう状況かってのは知ってる?」

「状況? そういや何回か顔出しにグラウンドに行ったけど誰もいなかったな。 それと何か関係してんのか?」

 

 あちゃー。 これは何も知らないやつだ。

 

「それが……今野球部の人数が9人未満で試合に出れる状況じゃないらしいよ」

「………………へ?」

 

 次の瞬間、私と藤井の鼓膜を破壊するかのように絶望の声を上げる本田がいたのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……まいったなぁ」

 

 夏休みも終わり、いよいよ新学期が始まった今日。 それぞれが新たな学期の始まりと共に心機一転頑張ろうと張り切る時期であるのだが、新学期早々から僕の心はかなり落ち込んでいた。

 

「おはよ、春見くん」

 

 両手で鞄を持ちながら金髪の美少女、雅ちゃんが僕の前の席へ座る。 今はまだホームルーム前ということもあり、教室は仲の良い友達同士で固まって話をしたりしている。 相変わらず元女子校の影響力は強く、教室を見渡しても大半が女子生徒だ。 その中でも雅ちゃんみたいに気軽に話ができる女の子がいるのは非常にありがたかった。

 

「どう? やっぱりまだ新しい人は……」

「うん。 女子は野球よりもソフトボールに行っちゃうし、数少ない男子は既に他の部活に入ってる人が大半だね。 一応声をかけてはいるけど一筋縄じゃいかないかな」

 

 今、恋恋高校野球部は非常に重大な問題を抱えていた。

 それは部員が公式戦の試合出場条件である9人に満たしていないのだ。 実は僕と矢部君、あおいちゃん、雅ちゃん、田代君、1年生で唯一入部してくれた手塚君以外の部員が夏の大会を機に退部してしまった。 でもこの退部は元々知っていたものでもあった。 彼らは野球部に入部した際、こんな条件を提示してきた。

 『どんな結果であれ、僕たちは来年の夏までしか部活はできない。それでもいいなら大丈夫だ』と。

 恋恋高校が男女共学になった理由の1つに、聖タチバナにも負けない県内きっての進学校にするという、理事長の考えがあった。 彼らも最初、より良い大学に進学する為に恋恋高校を選んだらしい。 つまり、もともと部活をする気は無かったんだ。 それでも、僕たちの熱い説得もあり、断腸の思いではあったもののこの条件で入部してくれた。

 正直、罪悪感はあった。 でも彼らは夏の大会後、こんなことを口にしてくれた。

 

「葛西。 俺、野球部に入って良かったよ」

「野球部は辞めちまうけどお前らのことはこれからも応援するぜ。 今まで本当にありがとな!」

 

 誰1人、野球部に入部したことを後悔していなかったのだ。僕はその言葉を聞けただけで充分嬉しかった。 今まで本当にありがとう。 そしてワガママに付き合ってくれて感謝している。涙ながらに頭を下げたのを覚えている。

 その後新しい部員を獲得すべく、日々校内の生徒を勧誘しているものの−–−–−

 

 

 やはり現実は甘くなった。

 

 

「でもっ、今日は夏休み明けだしほとんどの子が学校にいるからチャンスだよ! 午前中で授業も終わるし皆で野球部に入ってくれる人を探そう!」

「……そうだね。ありがとう、雅ちゃん」

 

 いつまでも落ち込んでじゃダメだ。 辞めてった彼らの分まで、もう一度野球部を復活させないと。 よしっ、頑張るか!!

 

「たったたた大変でヤンスよ〜!!!」

 

 特徴ある丸底メガネとヤンス口調。 野球部創設時から外野手として活躍している俊足巧打のリードオフマン、矢部君だ。

 突然教室の扉を勢いよく開けて、僕と雅ちゃんの前へ華麗な滑り込みを決めてみせた。 凄いな、まるで試合ばりの走りだよ。

 

「はぁっ、はあっ、た、大変、で、ヤンス……」

「どうしたんだ矢部君? まるで討ち死に直前のザクガンダーロボのパイロットみたいだよ」

「ザクとは違うんだよ……ザクと、ってオイラはあんな噛ませ犬じゃないでヤンス!! まぁ葛西君がガンダーロボに詳しくなってるのは嬉しいでヤンスが……」

 

 そりゃ、休み時間や練習終わり、オフの日とかに矢部君が家に招待してガンダーロボのゲームやアニメ鑑賞をこれでもかっ!てほど勧めてきたからね。 嫌でも頭が記憶してるよ。

 

「それで、大変なことって……?」

「あぁ、そうでヤンス! へ、編入生が……あの茂野吾郎君がここに編入してきたでヤンス!!!」

「え…………?」

「嘘……?」

 

 茂野って……あの茂野君!?

 どうして……だって彼は海堂にいるはずじゃ?

 

「矢部君、それは本当かい?」

「本当でヤンスよ! さっきソフト部の薫ちゃんと藤井君と3人で歩いてたでヤンスから! 嘘と思うなら直接本人達に聞いてみるといいでヤンス!」

 

 たまに矢部君って変な嘘つくからなぁ……。 ここまでムキになって言うのもどこか引っかかるけど……確かにここは直接行って確かめた方が良いかもしれない。

 

「雅ちゃん、行ってみよう」

「うん、分かったよ」

 

 ソフト部の朝練はもう終わりのはず。 1番近い1組の清水さんに聞いてみよう。

 

 

 

 

 

「本当よ。 あのマヌケな顔と無駄に高い身長は間違いなく本田だよ」

「本当にぃ? また薫の見間違いなんじゃないの?」

「見間違いなわけないでしょーが。 私の方が本田との付き合いが長いんだよ」

「付き合い? へぇ〜薫と茂野君ってそんな関係なんだー」

「んなわけないでしょ!! ただの幼馴染よ……ただの……」

(どう考えても気になってるじゃないの……分かりやすい)

 

 ……来てみたのはいいものの、どう反応すればいいのか…?

 

「でもま、野球部からすれば良かった話じゃない。 海堂で野球部在籍していた肩書きにあの茂野英樹選手の息子となれば申し分ない戦力よ。 野球部がなかったらソフト部に来てもらいたいわ」

 

 ウィダーで軽食を取りながら高木さんが羨ましそうに言う。

 高木さんは恋恋高校ソフトボール部の主力選手であり、ポジションはキャッチャーで4番も任されているほど。 清水さんとの強力バッテリーも有名で、今年の総体の全国大会出場も決めている。

 

「噂では3組に1つ席が空いてるらしいから本田はそこのクラスになる可能性が高いよ。 時間がある時に一度顔を出してみるといいんじゃない?」

「そう……だね。 ありがとう清水さん、高木さん」

 

 3組となるとあおいちゃん・七瀬さん・田代君のいるクラスになるのか。 だったら先に2人が接触してるかもしれない。

 時計見ると、あと2分ほどでホームルーム開始のチャイムが鳴る。 一度教室に戻って後で確認してみようか。

 

 

 

 

 

 

「おいっ、離れろって言ってんだろ! 暑苦しいんだよ!!」

「え〜、いいでしょダーリン♡ 私も野球部に入部してあげるから〜」

「早川と小山は経験者だからできるんだよ! お前はやったことないんだろ?! だったらダメだ! 怪我するぞ!!」

「もう、ダーリンの意地悪。 ならしょうがない、マネージャーで妥協してあ・げ・る」

「もう勘弁してくれえええええ!」

 

 夏休み明け初日ということもあり、この日の授業は昼で終わった。

 早速、雅ちゃん・矢部くん・手塚君と共に3組を訪れてみたけど、いきなり修羅場になっていてただただ困惑するばかりだった。

 

「いい加減にしなさいってば! 茂野君困ってるでしょ!」

「うるさいわねー、外野は黙ってなさいよ。 私とダーリンのロマンチックなひと時を奪わないでちょうだい」

「もーう!! 離れろってのよ!!!」

「バカっお前ら、ここで喧嘩はやめろって!!」

「あおい! 喧嘩はダメだってば!」

 

 田代君の七瀬さんが慌てて仲裁に入り、30秒後に喧嘩は無事鎮火した。 どうやらあおいちゃん達と同じクラスの中村美保さんが茂野君を気に入ったらしく、話をしようとするもベタベタとくっついてキリがなかったので強硬手段に出てしまったらしい。 隣で矢部君が「リア充爆発しやがれ」を小声で連呼しているのもかなり怖いんだけど……。

 

「やっと静まりましたね……」

「あおい、美保さん。 喧嘩はダメですよ」

「全くだ。 早川、お前の拳は相手を殴るためあるのか? 違うだろ。 せめて殴るなら矢部の眼鏡だけにしておけ」

「そうだね……ごめんね美保ちゃん」

「ううん。 私も取り乱しちゃったから……ごめんなさい」

「あれ? さりげなくオイラ酷いこと言われてないでヤンスか?」

「「「「「「気のせいだ(よ)」」」」」」

「そうでヤンスか。 なら安心でヤンスね」

 

 矢部君がアホで助かったよ。 普通気付くと思うんだけどね。

 

「おい、茶番はその辺でいいか? お前らから聞きたいことがあるんだけどよ」

「分かってる、僕たちも茂野君に話さなきゃと思ってたからね」

 

 恋恋野球部の人数が9人に達していないこと、このままでは試合に出場できないこと、その影響で練習時間を削って部員を探していたこと、現在置かれている状況を全て説明した。 中村さんだけイマイチ理解できずにいたけど他のメンバーは勿論、肝心の茂野君も頷きながら聞いてくれた。

 

「マジかよ……じゃあ秋はどうすんだよ! このままだと来年夏まで公式戦はお預けじゃねーか! それじゃあ俺は−–−–−」

「茂野君、落ち着いて。 仮に秋までに人数を揃えて試合に出れたとしても、茂野君は編入生だから来年の夏の大会しか参加はできないよ」

「そんなの分かってるって! 問題はそこじゃねぇ、お前らに少しでも試合に出て強くなってほしいからだよ!」

「強く……?」

「ああ。 俺はなんとしてでも海堂をぶっ倒してやりたい。 その為にこの恋恋高校へ編入してきたんだ。 だったらその仲間には強くなってほしいと思うに決まってんだろ? 練習の手伝いや部員集め、できる範囲でなら何でも協力する!」

「茂野君……」

 

 海堂で全国制覇を目指すとてっきり思っていた。 まさか海堂を逆に倒したいだなんて……そんな考え誰がするだろうか。 おそらく全国を見渡しても茂野君しかいない。 それに海堂に勝つなら恋恋よりもあかつきや帝王、パワフル高校、大地達がいる聖タチバナの方が可能性は高い。 わざわざなぜウチを選んだんだろうか……?

 

「夏の県予選−–−–−俺はタチバナと恋恋の試合を観戦したよ。 どっちも燃えるようなすげぇ試合してたし、素直に感動した。 そして俺が編入したいと思ったのは恋恋だった。あの厳しい状況でも諦めず、強者に立ち向かおうとする姿勢、俺はそういうのが大好きなんだ。 それで思った、コイツらとなら必ず海堂をぶっ倒せる。 いや、それだけじゃねぇ、その先の甲子園だって制覇できる、そんな力を秘めているチームだってな。 だから−–−–−俺はこのチームを選んだ」

 

 きっぱりと、茂野君はそう言い切った。

 甲子園だって制覇できる……そう思ってくれてたのは少なからず嬉しい。 こちら側としても茂野君が野球部に入ってくれるのは百人力を通り越して千人力だし、あおいちゃんと手塚君の負担もかなり減る。 断る理由がまるで見つからない。

 

「……皆はどう思う?」

「オイラは大賛成でヤンス! こんな天才が入部するなんて願ったり叶ったりの展開でヤンスよ!!」

「俺も賛成だ。 海堂にいただけでもすげぇのにましてや一軍も倒して茂野選手の子供となると期待が持てる。 絶対入部させるべきだ」

「自分も田代先輩と同意見っス!」

「私も良いと思う」

「………………」

「あおいちゃん?」

「へ? あっ、うん、ボクも良いとは思う。今のところは……」

 

 若干あおいちゃんの反応が引っかかるけど、とりあえず皆が概ね賛成だし、後は山田先生が入部を認めてくれれば大丈夫そうだ。

 

「なら決定だね。 茂野君、これから短い間だけどよろしく!」

「よろしくお願いします。 中村さんも私と一緒に頑張りましょうね」

「えっ、頑張るってなにを?」

 

 ズコーッと盛大にこける野球部一同。 息ピッタリすぎて心の中で爆笑しちゃったよ。

 

「お前さっきマネージャーやるとか言ってたろ? まさか嘘だったのか?」

「えー!? 本当にいいの!? てっきり冗談のつもりかと思ってたんだけど……まぁダーリンも入部するし、なら私も人肌脱いじゃうわ!」

 

 ……大丈夫か不安だけど中村さんには七瀬さんがついてくれそうだし、問題ないだろう。逆にあれだけ元気な女子がマネージャーをやってくれれば七瀬さんの負担も減るだろうしありがたい。

 

「茂野君、まずは入部届を書いて先生に出しに行くから俺について来てくれ。 他の皆は先にお昼を済ませちゃってていいよ」

「了解っス!」

「あおい、今日はおにぎりを握ってきたんだけど食べる?」

「本当に? 食べる食べるー!」

「ならオイラも−–−–−」

「眼鏡の分は無いッ!!」

「グブオアッ!?」

「おい……大丈夫か?」

「気にするな、いつものことだ。 早く出しに行ってこい」

「お、おお……」(矢部の奴はいつもあんな目にあってんのか……?)

 

 矢部君……ドンマイ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 海堂を倒すため−–−–−か。

 とても普通の凡人には考えつかない思考だ。 苦労して海堂に入学して、今年の一軍チームにも勝った選手がわざわざ自主退学してこんな実績の無い新設チームで古巣を倒す。確かにその目標はとてもハードルが高く、達成した時の喜びや感動は彼にとって計り知れないものかもしれない。

 けど−–−–−それはボク達にも同じと言えるのだろうか?

 

「佐藤寿也はあかつき大付属、茂野は恋恋高校に編入、か。 去年の夏に合宿した時からはまるで想像できなかったよな」

「どちらも海堂に残ってたら歴代最強クラスのバッテリーが組めてたのに……やっぱり人って時間が経つとどう変わるか分からないよね」

「佐藤寿也は私でも聞いたことあるわ。 確か今年の甲子園にも出て、猪狩守とのイケメンバッテリーで一世を風靡したとかなんとか……」

「今年は帝王が優勝したでヤンスが、それでも猪狩君は化け物じみた成績を残してたでヤンスね」

「2回戦と決勝を除く3試合に登板して2完封と1つのノーヒットノーラン。 防御率はもちろん0.00で奪三振数は驚異の58個。 さらにノーヒットノーランはあの甲子園常連校のアンドロメダ学園相手に達成。四死球はたったの1つとコントロールもスタミナも申し分ない。 対する佐藤寿也選手は序盤こそ代打での出場が多かったものの3回戦で初めてスタメンマスクを被ると二打席連続ホームランの活躍を見せ、決勝でもあの山口選手から同点スリーランを放つなどバッティングでチームに貢献……と言った感じでしょうか?」

「うわぁ、流石っスね七瀬先輩!」

「チームきってのデータマン、いや、データウーマンだったか。 対戦相手以外の情報も細かく集めてるからキャッチャーの俺としても有難い限りだぜ」

「私はこれくらいしか皆さんのお役に立てないですから……直接戦ってらっしゃる皆さんに比べたら全然ですよ」

「そんなことないよ! はるかちゃんだって立派に戦ってるよ!」

「そうそう、小山の言う通りだ。データ収集だってある意味バトルしてるようなもんだ。 特にキャッチャーにとって最後にモノを言うのはデータ量と分析だからな。 七瀬のような存在はチームにとって欠かせないぜ。 なぁ早川?」

「………………」

「早……川?」

「……ん、あっ、ゴメン。 えっと……」

「どうしたんスか? さっきからずっと様子が変スけど……」

「あおい、どこか具合でも悪いの?」

「ううん。 全然大丈夫だよ。 ちょっと考え事してただけだから」

 

 あはは、と笑って誤魔化す。

 けど、どこか心の中にある納得のいかない部分が引っかかる。 茂野君が入部してエースの座を奪われるから? それとも途中参戦した選手を認めたくないから? 色々と思いつく限り頭でグルグルと出してみるも、違和感の理由はそんな安っぽいものじゃなかった。

 もしかしたら葛西君だけは気づいているのかもしれないけど、ここにいる皆はまだ誰も気づいていない。

 このままの状態で試合に挑んだても、海堂を倒すどころかそこへ辿り着くことすらできないんじゃないか、と。

 今の茂野君には、" 何か " が欠けてしまっている気がしてならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「Oh、皆さんお揃いですね」

 

 教室に戻るとちょうど昼食を食べ終えて適当に雑談していたところだった。 グッドタイミングて良かったよ。

 

「あ、山田先生。 こんにちはー」

「はは、こんにちは。 それでは急でありますが今後の予定を皆さんにお伝えしましょう」

 

 さっきまで和気藹々と楽しんでいた雰囲気から一転、ピリッとした緊張感が走る。 こういう切り替えができる点は本当に良いチームだ。

 

「まず、茂野君の入部届は私が受理しました。 後で生徒会の方に提出しておきます。それと……1番の問題である部員の件ですが、実は茂野君に1人心当たりがいるという話を聞きました」

「ええっ!? 茂野先輩、それは本当っスか!?」

「ん、ああ。 朝1人男子生徒とあってよ、たまたま一緒だったソフト部の知り合いに聞いてみたらどうやらそいつ帰宅部らしいし悪い奴じゃなさそうだから誘ってみたらいいんじゃねーかと思ってさ」

 

 朝に会っていた男子生徒−–−–−そう、赤毛がトレードマークの藤井君だ。

 

「朝一緒にいた男子生徒って……藤井君?」

「なんだ、小山知ってんのか?」

「知ってるも何も、私と春見君と同じクラスだからね。 いつも明るくてクラスのムードメーカー的な存在だよ」

「ムードメーカー、か。 野球センスは置いとくとして明るい奴なら悪くないな」

「ふっふっふ。 ならオイラの美しい口説きテクでその藤井っ男を野球部に引きずり込んでやるで−–−–−」

「そのことですが、勧誘の方はノゴロー君と葛西君に任せることにしました。 絡みのある2人なら警戒される心配はないですからね」

「そ、そうでヤンスか……」

 

 矢部君に任せたら間違いなくガンターロボ系の話題に逸れる恐れがあるからちょっと……ということで納得してほしいです。

 

「ノゴロー君と春見君以外は練習をしていて結構です。念の為、秋の大会は出場する方向で行きますのでね」

 

 人数は揃っていないものの、残りは茂野君を除いてあと3人。 上手くいけば数日で集まるかもしれない上に大会まであと一か月とちょっと。 部員集めも大事だけど練習の方もしておかないとまずい。 僕とノゴロー……じゃなくて茂野君も藤井君に入部の意思を聞いてきたらすぐに交流するつもりだ。

 あらかた今後の予定を伝え終わったその時、ピンポンと放送のチャイムが校舎に響いた。

 

『……山田先生、山田先生。 理事長室までお越しください』

「今の……倉橋理事長の声だよね?」

「まさか、山田先生が何かやらかしたとか?」

「はは、特に心当たりはないんですがね……、私は先に席を外しますが後は各自で伝えた通りにお願いします」

『はい!』

 

 山田先生が悪い話で理事長から呼ばれるとは考えにくいし、とりあえずは心配ないだろう。

 藤井君はもう帰ってるはずだから茂野君と一緒に自宅へと向かうつもりだ。 この学校では数少ない帰宅部の生徒で、しかも男子。 このチャンスは何としてでも逃すわけにはいかない。 長期戦になることを覚悟をし、教室を出て行った。

 

(なんで……なんでよりにもよってアイツを誘うのよ……)

 

 

 

 

 

 

 

「よー、待ってたぜ」

 

 と、家に行く手間が省けた。

 まさかの犯人が玄関前で待っていてくれたのだ。

 

「藤井君……どうして?」

「いやぁ、ちょっとお前らに用があってな……っ!?」

「ん……うえっ!? なんで中村まで来てんだよ!! 七瀬と一緒じゃなかったのか?」

「邪魔はしないから安心して。 ただ見に来ただけだから」

 

 なんだ……中村さんの表情がいつになく冷淡な気が……? 藤井君もどこか気まずそうに視線を逸らしているのも妙だし、まさかこの2人、昔に何かあったのか……?

 

「……まぁいい。とにかくそこの薫ちゃんの幼馴染のお前、俺と勝負しろ!」

「は? 俺?」

「そう、お前だ。 互いに10球ずつ投げてそれをヒットさせた回数を競うんだ。 それでもし俺が勝ったらエースで4番として俺が入部してやる」

 

 ………………ん? 今何と……?

 

「ちょっ、ちょっと待て。 エースで4番て正気か?」

「あぁ。 俺は至って正気さ。 野球の醍醐味はエースで4番だろ? それ以外じゃなきゃ俺は入部しねぇ。 お前が勝っても同じだ」

 

 つまり、藤井君が勝つ以外、野球部への入部はしないってこと!? しかもエースで4番とは……茂野君が海堂から編入してきた話、聞いてなかったのか?

 

(ど、どうすんだよ! これじゃあ入部なんてできねぇじゃねぇか!)

(……仕方ない。 茂野君、君がちょ〜う手を抜いて負けるんだ。 それしか手はない)

(でもよ、アイツエースで4番じゃなきゃやらないって言い張ってるぞ? あんな初心者に本気でやらせるつもりか?)

(それは終わった後に皆で説得しよう。 今は彼の勝負に乗っかってあげた方が良い)

(くそっ……なんで俺がこんなこと……)

 

 藤井の考えはこうだ。

 茂野は薫ちゃんの大切な幼馴染

 →その茂野が野球部に入部

 →だったら自分が野球で茂野に勝てば薫ちゃんは俺を認め直す

 →エースで4番になれば間違いなく惚れる

 こんな安直な計画であった。

 

「チッ、分かったよ。 やりゃいいんだろ」

「うぉっしゃ! 男に二言はねぇからな! 俺はこれでも子供会の野球チームでピッチャーやってたんだからな! 藤井様のスーパー魔球を見せてやるぜ! ハッハッハッハー!」

 

 大丈夫かなぁ……これ。 負けたショックで入部なんてするか! とか言わなきゃいいけど……不安だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼します」

 

 茶色の高級そうな扉をコンコンとノックし、部屋の主から「どうぞ」と了承の声を確認してから理事長室へと入室する。

 山田先生と倉橋理事長の他にも、セーラー服をまとった端正な顔立ちの女子生徒と、30後半から40前半の見知らぬ男性もいた。

 

「すみませんね、わざわざお呼びして」

「いいえとんでもない。 理事長のお呼びなら断れませんよ。 何か大事な話でも……?」

「ええ、話は話なのですが……とりあえず腰をかけて楽になってください。 桂木さんと彩乃も座っていただいて結構ですよ」

「すみません倉橋さん、ではお言葉に甘えて失礼します」

「あ、ありがとうございます。お婆様」

 

 若干硬く、緊張した様子の中で4人が黒のソファーへと座り込む。

 

「まずは紹介させてもらいますね。 この方は桂木和義さん。 プロ野球、シャイニングバスターズのスカウトを任されている方です」

「プロ野球の……スカウト?」

「はい。 紹介を倉橋さんからさせてもらった通り、わたしはシャイニングバスターズで主に関東地区のスカウトを任されています、桂木です。 今日は倉橋さんにお願いをしまして野球部の顧問の方とお話がしたくて急遽、恋恋高校にお邪魔しました」

 

 ?と内心疑問に思う山田先生。

 プロのスカウトなら他に帝王実業や海堂学園、それに甲子園優勝チームと善戦をした聖タチバナ学園など、もっと有力で知名度の高い学校に訪れたほうが良いのでは? と普通なら考えるはず。 ウチの野球部に一体何の用があって来たのか理由が掴めなかった。

 

「私は恋恋高校野球部の顧問を任されています、山田一郎です」

「山田……さん。 申し訳ないです、外見が外国の方だったのでつい驚いてしまいました」

「いいえ、気にしてないですよ。 それで話というのは……?」

「ああ、そうでしたね。 はい……実は私、去年の秋の大会以降、恋恋高校の野球部さんに非常に興味を持ちまして、今年の夏の大会も仕事としてではなく、個人的なプライベートとして観戦しにも行きました。 主将であり、あのあかつき中で3番セカンドを任されていた葛西君を始め、アンダースローから魅力的なシンカーを投じる早川さん。力あるバッティングと技術力の高いキャッチングを持つ田代君、葛西君との卓越した守備に確実性の高いミート力がある小山さん、バッティングにムラがあるも足のスピードと守備範囲は素晴らしいモノを持っている矢部君……その彼らが葛西君を中心に1から野球部を創設し、女性選手出場問題をも乗り越え、公式戦で躍動する姿を見て、私は1人の野球好きのオッサンとして感動しました」

「そう、ですか……、それは私としても嬉しい限りです」

 

 隣に座る倉橋彩乃もうんうん、と納得した表情で話を聞いている。

 倉橋彩乃は倉橋理事長のお孫さんでもあり、容姿端麗・才色兼備、そして生徒会長としても敏腕ぶりを発揮し、いわば学校イチの人気者でもある。 葛西春見とは小学校時代に互いの両親を通じて知り合い、密かに想いを寄せている人物でもある。 その甲斐もあって野球部への部費や備品にかけてもらえる金額はソフト部よりも多く、倉橋彩乃自身も試合の日は観戦に行くほどらしい。

 

「そして今日、あの茂野英樹の息子である茂野吾郎君がここに編入してきたと聞いた時、私はビックリしましたよ。 彼の父とは現役時代からの同僚で、よく話は聞いてました。 小学生の時はあの神奈川の強豪・横浜リトルを倒し、中学では最後の軟式大会で地区優勝を決め、海堂に入学後は並み居る強者を退け、ついに最強と名高い一軍をも倒してしまうと……もう話を聞くだけで興奮しますよ!」

「そ、そうですか……」

「あ、すみません! 自分としたことがつい取り乱してしまいました」

 

 だが、桂木という男の茂野に向ける目は本物であった。

 あの茂野英樹の息子という部分もあるが、エピソードを聞くだけで彼にとって茂野吾郎は野球選手として魅力の塊といっても良かった。しかも彼はとんでもないボールを投げ込むと風の噂で聞いたこともあり、期待値もかなり高い。 もしシャイニングバスターズに入団が決まれば『茂野2世』の肩書で鳴り物入りのプロデビューだって夢じゃない。 そこで桂木は早い段階でもっと茂野について知りたかったのだ。

 

「単刀直入に申しまして……山田先生から見て茂野君はどうですか?」

 

 うーん……と口篭る山田先生。

 さすがにまだ彼が編入して今日が初日で、初めて顔合わせをしたのも入部届を職員室で貰った時だ。 それをプロのスカウトから見てどう?と聞かれては安易な答えは出しにくかった。

 

「……私は恥ずかしい話、あまり野球は詳しくありません。 それをご承知で答えるなら、彼は確かに只者ではないと目を合わせた瞬間に分かりました。 抽象的になってしまうんですが、他の選手とは違うオーラと言いますか、雰囲気のようなものを身にまとってましたね。 きっとこういう子が後にチームの中心選手として活躍できるんだと、私自身素直にそう感じました。ただ……

 

 

 彼の精神面はまだまだだと思います。 私は入部届けをノゴ……茂野君から受け取った際、こんな質問をしました。

 

 

 −–−–−君はこの野球部で最終的に何を成し遂げたい?

 

 

 すると彼は迷いなく、こう答えたんです。

 

 

 −–−–−決まってんだろ。 海堂をぶっ倒す為ことだ。

 

 

 海堂を倒せば自然に甲子園への道も拓け、チームとしても嬉しい限りだと。確かに彼の言っていることには一理あるのですが……でも……」

「それでは" 何か "寂しくないか? ということですかな?」

「さび……しい?」

「はい。 倉橋理事長の仰った通り、彼の心は寂しいんです。 表面上では仲間と練習で基礎能力を高め、練習試合を通じて経験を増やそうとするでしょう。 しかし核心に迫る部分はまだ、彼は1人で野球をしようとしている。 海堂を倒したいという気持ちが前に出すぎているんですよ」

 

 用意されていたお茶をすすり、こう続けた。

 

「私は顧問として、彼らに少しでもチームが良い方向に傾くよう助力しなければなりません。 ただ、あくまで主人公は部員達であって私ではない。私は彼らにキッカケを与えるに過ぎない立場ですから。 これから茂野君を始め、キャプテンの葛西君がどうチームをまとめ、同じポジション同士の早川さんが茂野君とどう切磋琢磨していくのか、それを残りの皆がどう感じ、どのように行動するのか、私は時々助けながら見守ろうと思います」

 

 桂木は真剣な表情でこの話を聞いた。

 この人は野球に対する専門知識は他校の監督に比べたら薄いかもしれない。 それでも、この方ならきっと恋恋高校野球部を素晴らしいチームにしてくれるかもしれない。 そんな予感があってたまらなかった。

 

「私たちスカウト陣とは異なる視点で選手を見ていると知れて、私自身も勉強になりました。 山田先生、それと倉橋理事長とお孫さんも、今日は本当にありがとうございました」

「いえいえ。しかしもう帰られてしまうんですか?」

「はい。 これから10月末のドラフト会議に向けてリストアップしている選手の確認をしなければなりませんので。 それに……山田先生から素晴らしい事も聞けましたし、満足です」

「そうですか……またよろしければいつでもいらしてくださいね」

「ありがとうございます。 私はこれからも1人の野球ファンとして恋恋高校を応援しています。 秋の大会は出場が危うい伺ってますが、彼らならきっと大丈夫でしょう。 では失礼します」

 

 深々とお辞儀をし、桂木は静かに退室した。

 

「大丈夫でしょうか……葛西様達は……」

「彼らなら心配ないでしょう。 桂木さんもああ仰ってましたしね。山田先生」

「はい?」

「どうか……彼らのことをよろしくお願いします。 あなたならきっと甲子園へ我々を導いてくれるでしょう」

 

 理事長の目はどこまでも純粋であった。

 今は倉橋コーポレーションと呼ばれる大企業の社長である自分の夫も、かつては高校球児として甲子園の大舞台で躍動し、自分も手に汗を握りながら応援していた。 野球は、それくらい熱い魅力的なスポーツなのだ。 だからこそ、どんな無理難題やお金がかかろうとも、理事長は彼らの目に見えない闘志とその夢への可能性に賭けたかったのだった。

 

(どうか……私の目が黒いうちにもう一度あの舞台へ……)

 

 理事長室の窓からグラウンドで練習をしている球児に向け、そんな思い浮かばせていたのであった。

 

 

 



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第三十五話 カッコ悪くなんかない

超絶お久しぶりです
リアルが忙しすぎたため執筆が遅れてしまいました、大変申し訳ありませんでした……
実はある程度書き溜めをしてから投稿しようかとも考えていたのですが、あまり話がまとまらなかったのでとりあえず今回は完成した1話のみ投稿させていただきました。
次話も半分は終わっている状況なので執筆が終わり次第、投稿させていただきますのでもうしばらくお待ち下さい



「で、どうだったんだ野球部は?」

 

 この日は珍しく親父の仕事が無かったため、久しぶりに家族5人揃っての夕食だ。親父がいただきますをすると、早々に野球部の話題を振ってきた。

 

「最悪だよ。あんまり練習してないと思えば部員は9人いねぇし、やっとの思いで1人見つけたと思えば勝負に負けたせいで泣きながら入部を断られるし、全然上手くいかねぇよ」

「何、恋恋高校は9人揃ってないのか?」

「夏の大会後に何人か辞めちまったらしい。 入部する前からの約束だとよ」

「そうか……となるとまずは部員集めからか」

 

 はぁー……と大きなため息をつきながら何気なくテレビを付けてみると、偶然にも野球に関するニュースがやっていた。 映像にはマウンド上で三振を奪って喜ぶ投手の姿が映っていた。

 

「おお、神童の奴また完封したのか。 しかもこれで早くも11勝目……入団してきた当初はまだ可愛いルーキーだったのがまさかこんなビッグになるとは思いもしなかったな」

「親父、神童裕次郎と知り合いなのか?」

「ああ。 アイツが3年目の時に最高勝率のタイトルを取った時だな。その年の表彰式で初めて知り合ってそれ以来よくピッチングとかを電話で相談したりしてたな。 今でもオフになれば必ず1回は会うぞ」

 

 へぇー、伊達に沢村賞も獲得したことのある左腕だと現役日本人最強メジャーリーガーとも知り合いなのか。 改めて親父の凄さを実感したぜ。

 

「いいなー、今度神童選手のサイン持ってきてよ〜」

「はは。 ま、時間があったら頼んでみるさ。 それともあれか?、真吾はお父さんよりも神童の方が好きなのか?」

「う〜ん……お父さん、だよ。 多分」

「た、多分かよぉ……」

「はは……あなた大丈夫?」

 

 あーらら、母さんのフォローが身に染みるな、父さん。

 とにかく藤井は駄目だったことだし、明日は他の帰宅部の奴を誘ってみるか。 確か葛西が言うにはあと2人いるって話だしな。 切り替えて頑張るとするか!

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ? 野球部?」

「そうだ。今俺たちは2人の力が必要なんだ! 頼む、この通りだ!」

 

 次の日の昼休み。

 昼飯を食い終わり、早速葛西の言っていた例の2人に野球部へ入部してくれと全力で頭を下げに行っていた。本当なら葛西と2人で行く予定だったのだが、矢部がどうしても「オイラに任せろでヤンス」とうるさいもんだから仕方なく矢部を連れてきた。

 この太り気味の弁当食ってる奴が内山で、反対に痩せ気味の眼鏡をかけている奴が宮崎って名前らしい。 見た感じいかにもスポーツをしなさそうなお手本のような帰宅部だが、そんなのはある程度想定していた。

 

「悪いけど、俺たち野球部に入部するつもりはないんだ」

「そうそう。 そんな柄じゃないんでね」

 

 やっぱりか断ってきたか……だがそんな程度で引きさがれるほど俺のメンタルは弱くないぜ。

 

「俺はな、来年の夏の大会でどうしても海堂をぶっ倒したいんだ。 その為にはまず人数を9人揃えなきゃなねぇ。 どうしても練習が嫌なら幽霊部員でも構わない。 試合にさえ出てくれれば大丈夫だ。 な?、これなら楽だし問題ないだろ?」

(え、えぇ〜っ!? そんなの葛西君達が許してくれるでヤンスか!?)

(仕方ねぇだろ! とりあえず後で俺がなんとかするから今は黙ってろ)

 

 すると、このデコボココンビはキョトンとした表情から一転し、

 

「海堂を……倒すだって?」

「ブハッハッハッハ!! 無理に決まってるだろそんの! 噂では良い選手が揃ってるとか何とかって話らしいけど、そんな戦力差で海堂になんか絶対勝てないね。 ていうか、僕たちに恥をかかせる気かい?」

「あ? やってみなきゃ分からねぇだろ? 素人が知ったような口聞くなよ」

「はー……君は馬鹿だね。 神奈川県の高校野球のレベルなんて僕みたいな素人でも分かるよ。 君が海堂だの甲子園だの目指すのは勝手だけど、そんなどうでもいい夢物語の為に僕たちを巻き込むのはやめてくれないか? うっとおしいんでね」

 

 こっ……こいつら……っ!!! 下手に出れば良い気になりやがって……!!

 

「お前らに何がわかるってんだよ!! あぁ!? あんまり調子乗ってんじゃねぇぞ!!」

「なっ、なんだ!? やる気か!?」

「ちょ、うわぁっ!? やめろって宮崎!」

「茂野君もやめるてヤンス!!」

 

 ダメだ!もう我慢ならねぇ!! 何にも知らねぇ奴が知ったような口聞きやがって……俺はこういう奴が1番ムカつくんだよ!!

 

 

 

 

 

「ん……?」

 

 4組の教室が妙に騒がしいな……何かあったのかな?

 

「キャーっ!!」

「誰か止めてー! 喧嘩よ喧嘩!!」

「ダメよ! 男同士なんて無理!! 先生を呼んでー!」

 

 男同士!? まさかだと思うけど……。

 

「あれは……茂野君!!?」

 

 隣の人は確か4組の宮崎君だ! ちょっと、ええ!? なんで喧嘩なんてしてるのよ!! あーもう! とにかく止めないと!!

 

「2人とも、やめなさい!!」

「うるせー! こんだけ馬鹿にされて気が済むかっての!」

「いってぇな! なんだよこのっ!」

「いてててててっ! オイラの眼鏡を曲げるなでヤンスううう!!」

 

 なんで矢部君も知らない間に参戦してるのよ!! この馬鹿男子達!! 仕方ない……こうなったら……

 

 

「いい加減にしなさーい!!!! アンタたちぶっ飛ばされたいの!!?」

「「「は、はいいいいいいいっ!!? すみませんでしたーっ!」」」

 

 超高速のジャンピング土下座をかます3人。

 いくら男であってもあおいの怒りの前では歯が立たないようだった。 教室と廊下からこっそり見物していた女子生徒達からあおいに向けて謎の拍手を送るが、当の本人からするとただただ恥ずかしいだけだ。

 

「全くもう……何があったかは分からないけど暴力はダメでしょ? 高校生なんだからそれくらい分かるよね?」

「あおいちゃんだってよくオイラに拳を振りかざしてる気がするのでヤンスが−–−–−」

「何か言った、矢部君?」

「何でもないです、すみませんてした……」

((こ、こえぇ……しかもヤンスがねぇ(ない)……)

 

 この時、早川あおいだけは絶対に怒らせないようにしようと、心の中で2人は誓ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「茂野君、ちょっといいかな?」

 

 放課後。練習に向かおうとグラウンドに行く途中、早川に呼び止められた。 大方さっきの喧嘩の件だろう。あれならさっき謝ったってのに……。

 

「宮崎と内山になら謝ったぞ。 もうアイツらを無理には誘わな−–−–−」

「違うの。 ちょっと違う話なんだけど……時間ある?」

「話ぃ? まぁいいけどよ……」

 

 んだよったく。 今日はようやく練習させてもらえるってのによ。 できれば手短にしてほしいぜ。

 

「さっきね、宮崎君達から話を聞いたよ。 茂野君が海堂を倒す為に俺たちを入部させたいんだって。 それは間違いないよね?」

「ああそうだ。 それがなんだってんだ? 昨日も同じようなこと言ったし、喧嘩以外は何もマズイことをしてねぇぞ」

 

 すると、早川はこれまでにないほど悲しそうな表情でこう言い放った。

 

「ねぇ茂野君……、あなたにとって恋恋高校野球部はどんな存在なの?」

「……は?」

 

 恋恋野球部がどんな存在か……だと? 何を言いだすかと思えばそんなことかよ。 俺はてっきり部員の状況とかもっと近い問題の話かと思ってたんだがな。 ま、答えてやるか。

 

「そうだな……もちろん大切な仲間だとは思ってる。 こんな途中から編入してきた俺を歓迎してくれたんだしな。 お前らの為にも必ず海堂をぶっ倒して甲子園に連れて行ってやるよ」

「そう……、でも海堂を倒したいのは茂野君だけなんじゃないの? 他の皆には聞いたの?」

「え……いや、聞いてはねぇけどよ、普通野球やってる奴なら誰しもが強いチームを倒したいって思うもんだろ? 何か間違ってるのか?」

 

 さっきから何言ってんだ早川の奴? 質問の意図が全くもって分からねぇ。

 

「…………そう。 でもね茂野君、これだけは覚えておいてほしい。 他の皆が君の入部を歓迎しても、ボクは "今の君" を心からは歓迎してないから」

「え……?」

 

 下を向いたまま、早川はどこか悲しげな声で確かにそう告げた。

 それでも、早川がなぜ俺に辛辣な言葉を向けたのか、いくら考えても全く分かりはしない。 お前は……一体何が言いたいんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……あれって……?」

 

 夕方五時半頃。 今日はソフトの練習が珍しく休みであり、私は行きつけのバッティングセンターに顔を出していた。 ここのバッセンは私にとって沢山の思い出が詰まった場所でもあり、リトルで野球をしていた時は遅くまで本田達と練習したり、ソフトに転向した後もここでの練習を忘れる日は一度も無いくらい通い続けている。休みの日であっても秋の大会は来月末からと近い。 バッティングの感覚を忘れないよう打ち込みをしようと入店すると、ある男に目が行った。

 

「ちっくしよぉ……全然当たんねぇよ…っ…!」

 

 あの特徴的な赤毛は間違いない、藤井だ。

 顔や腕は汗で湿っており、息もかなり切れている。 授業が終わってからここでひたすら練習していたのは私の目から見ても明白だ。

 でも、どうして藤井がこんなところで打ち込みなんかしてるんだ? 1つ言えることがあるとするならば……

 

「そんな大振りじゃ当たらないよ。 もっもボールをよく見つつ脇を締めて」

「んあ? 誰だ……って薫ちゃぐはあっ!!」

 

 あーらら……急によそ見なんかしてるから後続のボールが背中をモロに直撃しちゃってるよ。 ご愁傷様。

 藤井の背中の痛みがある程度引いた後、バックネット裏に設置されているベンチに座り、早速事情を聞いてみた。 ちなみに藤井の横に新発売のパワリンSD(スーパーデラックス)が置いてあるのは私のせめてもの謝罪の意であり、決して深い意味ではない。

 

「本田に勝ちたい、ねぇ」

「……ああ。 このままアイツのやりたい放題やられっぱなしで終わるなんて男のプライドが廃るからな。 なんとかして一球でも打てるように特訓してたんだけど……はは、ご覧のザマだよ。 こんなのカッコ悪いだろ?、薫ちゃん」

 

 どんよりと沈んだ表情で重く口を開く藤井。 確かにあのスイングとフォームはお世辞にもど素人レベルのお粗末な格好だ。あんなんで本田に勝とうと意気込んでも一生勝てるはずはない。

 −–−–−でも、

 

「−–−–−カッコ悪くなんかねぇよ」

「え?」

「全然カッコ悪くなんかない。 そうやって誰かに勝つために必死に練習してる奴がカッコ悪いなんて、少なくとも私はそうは思わない。 寧ろカッコいいよ、今の藤井は」

「か、薫ちゃん……」

 

 そう、私が見たかったのはこういう姿なんだ。

 たとえどんなに下手くそでも構わない。 1つのことに対して全力で打ち込める気持ちと熱があれば、それだけで十分にカッコいいのだから。

 

「なあ、その特訓、私でよかったら手伝おうか?」

「え−–−–−?」

 

 

 

 

 

 二学期がスタートして早10日ほど。

 相変わらず部員の数は変わらず、勧誘と練習をただひたすらこなす毎日を過ごしている。元々お嬢様学校だったこともあり、グラウンドの設備はかなり良好で、去年の秋季大会で結果を残してから機材もかなり導入できている。あとは部員さえ入れば完璧なんだが……その部員が致命的なほど入らない。

 

「っつ〜、まだ慣れないな、お前の球は」

 

 ふー、と自分の利手に息を吹きかける田代。ここ最近は俺の球に慣れる為に、こうして2人で投げ込みをひたすら繰り返していた。慣れるなら早い段階が良いと提案したのは田代からで、一応春見からの許可も得ている。

 ちなみに田代と俺以外のメンバーはまだ来ていない。部長会やら委員会やらで運悪く遅れているらしい。

 

「でもやるじゃねぇか。海堂の連中でさえも捕るのに苦労したってのに、お前はたった数日でかなり捕球できるまでに仕上がってるぜ」

 

 下手すればキャッチングセンスだけは一ノ瀬や寿也よりもあるんじゃねぇか……? あとは俺がコントロールさえ狂いなくできれば問題なく−–−–−

 

 

 

「おい、茂野」

 

 背後から唐突に名を呼ばれる。タオルで汗を拭きながら振り向くと、そこには真剣な眼差しで睨む赤毛の男と、何故か清水が立っていた。

 

「藤井か……ったく、何の用−–−–−っ!?」

 

 ヒュンッ!と、鋭い送球が藤井の右腕から放たれる。少し前とは打って変わってボールはしっかりと俺の胸へとストライクで送られていた。

 

「頼む、俺ともう一度勝負してくれ」

「勝負だと? はっ、やめとけよ。もう結果は既に見えてい−–−–−」

 

 

  「分かってる!!!!!」

 

 

「「!?」」

 

「話は全部薫ちゃんから聞いた!お前がどれだけ凄い奴なのかも、そして俺なんかが挑んだところで負けが濃厚なのも全部知ってる!けどな!、男にはどうしても挑みたい勝負があるんだよ!!」

「藤井……」

 

 俺と初対面で会った時のおちゃらけた感じが全くない。この眼は真剣勝負を挑もうとする男の眼をしている。チラッと藤井の両手を見たところ、所々に包帯や傷の跡があった。 

 そうか……どうやら藤井は藤井なりに覚悟を決めてここに来たってことか。

 

「茂野、もしお前が勝ったら俺は無条件で野球部に入部してやる。それならお前らにとっても損な話じゃないだろ?」

「…………逆にお前が勝ったらどうする?」

「ふん、何もねぇよ。俺は俺自身のプライドの為に戦いたいんだ。勝てればそれでいい」

 

 プライド、か。

 清水の気を引きたいが為に野球を始めようとしていた藤井の口からこんな言葉が出るとは思いもしなかったぜ。

 

「本田、頼む。私からもこの通りだ。藤井の気持ちに応えてやってくれよ」

 

 条件的にも勝負さえすれば藤井は入部。

 ならこちらとしても美味しい話だ。当然−–−–−

「いいぜ。その勝負受けてやるよ」

「へっへっ、それでこそ男だ。遠慮せずに本気で来いよ」

 

 ルールはお互いに10球ずつに相手に投げ、そのヒット数で勝敗を決める至ってシンプルなものだ。幸いにもここにいる俺と田代、葛西、清水、藤井以外のメンバーはまだグラウンドには来ていない。やるならまさに今のうちにってことだ。

 

「しょうがねぇな……キャッチャーは俺がやる」

「おう、頼むわ」

「よっしゃぁ! まずは俺から投げさせてもらうぜ」

 

 大きく振りかぶり、足を大きく踏み込む。まだ若干のぎこちなさはあるが、ボールのスピードもコントロールも前に対戦した時よりも遥かに良くなっている。だが−–−–−

 

(悪く思うなよ)

 

 青い空に響き渡る金属の快音。鋭いライナー性の当たりはレフト方向へしっかりと運ばれた。誰が見ても分かる、ヒット性の当たりだ。

 

「何っ……!マジかよ……」

 

 二球、三球、四球と、藤井は今持っているすべての力をボールを込めて投げている。が、実力差は歴然。それでも俺が手を抜かないのは藤井のあの表情があるからこそ。俺だってその辺はわきまえているつもりだ。

 

「10球中9球がヒット性……しかもそのうち7本がホームランって……」

 

 最後に力んだせいで内野フライに終わったの以外は全て打ち崩した。さて、次は俺が投げる番だが……

 

「田代。8割以上で投げるからしっかり捕れよ」

「……ああ。でもこれでショックを受けて入部しないとか言わなきゃいいけどな」

「構わないさ。それで入部を取り消すなら所詮はその程度の覚悟だったってことだならな」

「おい、何話してんだよ!とっとと投げろ!」

 

 後悔すんなよ……藤井!!

 

 

 −–−–−ズドゥンッ!!!!

 

 

「…………へ?」

(え、嘘ッ……!?)

 

 呆気に取られる藤井と清水。

 まぁ無理もないな。前回の勝負では110km/hのスピードで投げなのに対し、今回は多分150km/h近くは出ている。特に藤井からすれば前の勝負でどれだけ手を抜かれていたか、驚愕の事実だろう。

 

「次−–−–−行くぞ」

 

 当然、藤井に打てるわけがない。というよりも当てることさえ困難だ。

 次々とボールを放るも聞こえてくるのは風切音だけ。しかし前回の勝負とは決定的に異なる点もある。それは−–−–−

 

「藤井!もっと脇を閉めてボールをよく見ろ!球は速いけど"今の"藤井なら当てれるぞ!」

「ああ!分かってるって!」

 

 −–−–−笑っている。

 もちろん勝負を捨てたつもりじゃないだろう。だがその表情は絶望といった負の感情ではない。寧ろ藤井は楽しみながら戦っている。

 そういや海堂にいた頃なんてそんな余裕はなかったな……。毎日毎日どうやって一軍を倒すかとか、あのオカマコーチのしごきの元で体を作るのに精一杯だったんだからな。こんな姿、多分、リトルの時以来かもしれねぇ。

 

「……あと一球か」

「くそっ……せめて一球だ!一球だけでも……っ!」

 

 清水の教えもあるが、藤井のスイング自体は悪くない。唯一運がなかったと言えるのは、相手が俺であったことだけだ。

 ふぅ、と一度一息つき、ゆっくりと振りかぶる。意地悪かもしれねぇが、最後だけは全力で投げてやるか。

 

「っ、うおらぁっ!」

 

 今ここにスピードガンがあって測定していだとすれば、恐らく155km/h前後は出ているはずだ。

 

(当てる! 俺の為に特訓にも付き合ってくれた薫ちゃんのためにも……絶対に−–−–−)

 

「打つ−–−–−!」

 

 最後のボールだけは田代のミットに届かなかった。

 澄み切った青い秋空へ白球は気持ちよく飛んでいく。コースはど真ん中と確かに甘かった。けど俺は一切手を抜いたわけではない。紛れもなく、藤井が実力で勝ち取ったヒットだ。

 

「嘘っ……本田の球を当てるなんて……!」

「や、やった……やったぜヒャッホーイ!!」

 

 ったく、憎らしいくらいに喜ぶじゃねーか。

 よりにもよって最後の本気を出したボールだけ打たれるのはかなり悔しいが……今回は藤井の努力を褒めてやるとするか。

 

「なぁ……藤井」

「ん、なんだ薫ちゃん?」

「野球−–−–−やってみろよ」

 

 藤井にとっては清水のこの一言が全てを決しただろう。鼻を軽く擦ると笑いながら一言−–−–−

 

「ああ−–−–−!」

 

 新たな部員はおちゃらけてはいるが中々に根性のある奴だった。

 

 

 



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第三十六話 キッカケ

 九月第二週目。

 藤井君の入部もあり、最低人数まで残り2人となった。話は茂野君と田代君から聞き、僕を初め他の部員達も大歓迎で2人を迎えた。

 

「だからよー、そこのボスはこうやって倒すんだよ」

「むむっ!そうだったでヤンスか!しかし藤井君がガンダーロボ好きとは良い趣味してるでヤンスね〜」

「ったりめーよ!ガンダーロボは小さい頃からずっとアニメで追いかけてきたんだからな!ゲームだっておてのものよ!」

「こらーっ!女子ばっかに料理を作らせるなー!運ぶくらいしなさい!」

「ん〜……ったくうるせぇなぁ……ムニャムニャ……」

「はは……これは僕が運ぶから大丈夫だよ」

 

 既に異変にお気付きの方もいるだろう。

 なぜなら恋恋高校野球部のメンバー全員が僕の家に遊びに来ているからだ。事の発端は割と単純で、藤井君が「俺と茂野の歓迎会でもしようぜ!」と突如練習終わりに提案、すると矢部君がすぐさま賛成し、場所は僕の家でと更に提案した途端雅ちゃんも賛成、後のメンバーは流れで賛成、と、もはや勢いだけで歓迎会が成立してしまった。

 

「でも本当に大丈夫? 急な話なのにキッチンまで使って……」

「大丈夫だよ。母さんから許可はもらってるし、家の皆は夜まで帰らないから。こちらこそご飯をご馳走してもらって嬉しいよ」

「う、うん! 頑張って作るから楽しみに待っててね」

 

 いつも以上に雅ちゃんが嬉しそうなのを見てると、なんだかこっちまで嬉しく感じるよ。

 料理は雅ちゃん・手塚君・はるかちゃんが担当し、買い出しはあおいちゃん・美保ちゃん、田代君が担当し、茂野君は完全に家に着くりソファーで爆睡し、残った矢部君と藤井君はPS4のガンダーロボを楽しんでいた。

 意外にも手塚君が料理もできるのは驚いたけど、それ以上にあおいちゃんが自分も作ると言った時は背筋が凍ったなぁ。前に手作りクッキーを食べたことがあったけど、アレはかなりヤバかったから、ね……。僕はまだ一口だから被害は少なかったけど、矢部君はほぼ全部食べたからその後にトイレに5時間篭ってたのを見たときは身の危険を感じたよ。

 結局はるかちゃんの説得もあって買い出し担当で納得してくれた時は猪狩からホームランを打った時よりも嬉しかったのかもしれない。

 

「さ、先輩方!できましたよ!」

「おおーっ!中々美味しそうじゃねーか!」

 

 テーブルにはポテトフライ、お刺身、春巻き、サラダ、コーンスープなどなど、バラエティに富んだ数の料理が並ばれる。

 

「さてと。じゃあキャプテン、挨拶をたのむぜ」

「うん。それじゃ、茂野君、藤井君。入部ありがとう。恋恋高校野球部一同、心から歓迎します」

「ああ、これからよろしくな」

「おう!こちらこそだぜ」

「では、かんぱーい!」

 

 キィンとグラスを合わせ、各々がジュースを体に入れる。

 

「どう? 濃すぎないかな?」

「ううん、全然美味しいよ。ありがとう雅ちゃん」

「ほっ、良かった……」

「特にこの春巻きは絶品だね。なんなら定期的に作ってもらいたいくらいだよ」

「え、ええっ〜!? そんなに喜んでもらえるなんて……」

「雅さん、良かったですね」

「うん。昨晩はるかちゃんにご教授してもらった甲斐があったよ。ありがとう♪」

 

 なんだろう、はるかちゃんと雅ちゃんがコソコソと内緒話をしてるな。ちょっと気になるけど、女子の会話を盗み聞きするのも味が悪いので、気にしないことにしよう。

 

「ん、中々うめぇじゃねぇか。この唐揚げは誰が作ったんだ?」

「あ、それは僕と中村先輩で作り−–−–−」

「違うでしょー!! それは私1人で作ったの!!」

「えぇ……」(殆どは僕が料理したんだけど……)

 

 こちらでは何故かがっくしと肩を落とす手塚くんと、自信満々に胸を張っている中村さん、そして2人を気にもせずに唐揚げを頬張る茂野くんと、状況が読めない雰囲気が漂っていた。

 

「はぁ〜……本当はボクも作りたかったのになぁ。最近はハンバーグとかも作れるようになったんだよ」

「はっ、はははっ、ハンバーグ……かぁ!! それはまた次の機会があったらご馳走になりたいなぁ!うんうん!!」(死んでも食いたくない死んでも食いたくない)

「そそっ、そうでヤンスねぇ〜!でも今日は材料がもう無いでヤンスから実に残念でヤンスよ!!」(死にたくない死にたくない死にたくない)

「……ねぇ、なんかボクの料理を露骨に避けてない?」

「「それはない!!(でヤンス)」」

「そう……?」

 

 うん……2人の内心が分かるのはなぜでしょうか。そしてあおいちゃんが『料理』という単語を出すだけで背筋が凍る現象も解決しないと……。今度はるかちゃんの協力をあおいで料理特訓でも開催しよう、うん、絶対させよう。

 

「しっかしよぉ、俺と茂野が入部したとは言ってもまだ2人足りないんだよな」

「そうだね。マネージャーの2人を除くと僕、あおいちゃん、雅ちゃん、矢部くん、田代くん、手塚くん、そして茂野くんの7人だから、最低でもあと2人、あわよくば3人以上いないと10月の秋季大会には間に合わないかな」

 

 全員の箸がピタッと止まり、小さなため息が溢れた。そうだ、2人が入部してくれたとはいえ、まだ人数は足りてない。こうして歓迎会を開くのが悪いわけではないけど、完全に喜ぶのにはまだ早いと、現実を知らされたのだった。

 

「思いつく限りだとやっぱあの2人しかいない、よな」

「内山さんと宮崎さん、ですね」

 

 恋恋高校の全男子生徒の中で残った帰宅部の2人だ。他の男子生徒は一年生を含め、どこかしらの部活には所属しているため、この時期に勧誘するならば、この2人しか選択肢として残ってない。ただ−–−–−

 

「第一印象は最悪でヤンスね……」

「うん……」

「……な、なんだよ!? 確かに俺も悪いけどよ、あれは相手にだって非があるだろ!!」

 

 多分だけど、内山くんと宮崎くんからすれば、野球部の印象はあまり良くないだろう。あおいちゃんの話では茂野くんと派手に喧嘩したらしいからなぁ……このままでは誰が誘っても断られるのが目に見えている。

 

「うん、そこでなんだけど……」

 

 数日前、"ある人物"の提案を受けた結果、僕は1つの答えに辿り着いた。

 

 

「−–−–−茂野君。ここはもう一度、君1人で2人を説得しに行ってほしい」

 

 

 

「……は?」

 

 

 ポカンと口を半開きにしながら頭を傾げる茂野くん。そう、内山くんたちと茂野くんとの仲が悪いのなら、仲直りをしつつ、良好な関係のまま勧誘しようという腹だ。仮に他の人が2人の勧誘に成功しても、入部後も茂野くんとギクシャクしたままなのは変わらない。それはそれで別問題が生じてしまうと結論づけて、僕は茂野君に全てを託した。

 

「ちょっと待てよ! 百歩譲って俺が行くのは構わねぇけど、1人でってのはおかしいだろ!」

 

 

「−–−–−おかしくはない。それと、後々面倒にならないうちに言っておくけど、茂野君はしばらく、野球の練習を行うことを一切禁止する」

 

 

「……は、はは……お前、何言ってんだよ…?」

 

 突然の練習禁止宣言に茂野君が困惑する。

 できるなら、歓迎会中にはあまり言いたくなかった。けど、和やかな雰囲気を壊して険悪なムードになったとしても、この処置を取らなければならないのにはある "理由" が存在していたからだ。

 

「茂野君」

 

 不穏な静寂を先に解いたのはあおいちゃんだ。持っていた箸をゆっくり置くと、茂野君の目を見てこう口を開いた。

 

「実はね、ボクが全てお願いしたんだ。茂野君を1人で勧誘に行かせること、ボクと葛西君が納得するまで一切の練習を禁止させることも」

「なっ……早川が…?」

 

 そう、これは僕でも山田先生が決めたんじゃない。

 あおいちゃんの、いや、"1人の恋恋高校野球部員" の意思が決めたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 歓迎会は不穏な空気のまま、お開きとなった。

 片付けはとっくに終えて皆は家に帰ったけど、ボクだけはまだ葛西君の家に留まっていた。

 

「……ゴメンね」

「ん、何が?」

 

 葛西君が親切に出してくれたコーヒーを飲みながら、ボクは謝罪の言葉を口にした。

 

「ボクの身勝手な頼みを聞いてくれて。それに……山田先生や茂野君の家族にも迷惑をかけちゃったから……」

 

 ボクの頼み、それは−–−–−

 

 

 

 

「茂野君を変えたい?」

 

 それは今から数日前、藤井君入部をして間もないある練習後にまで遡る。他の皆には内密に、葛西君と山田先生と部室に呼んだのが全ての始まりだった。

 

「早川さん。詳しくお話ししてもらえますか?」

 

 ボクの頼み−–−–−それは、『茂野吾郎という人間に変化をもたらしたい』というもの。

 

「はい……茂野君がウチに編入してきた初日、彼がこんな宣言をしていたのを覚えてますか?」

「宣言? えっと……確か海堂高校を倒すって話、だよね?」

 

 その場に居合わせた葛西君が代わりに答える。

 

「うん。ボクは彼の高い志を高く評価してます。それに、今のウチの野球部事情を鑑みても彼が編入し、野球部に来てくれたのには感謝しかありません。ただ……」

 

 ふぅ、と軽く深呼吸をし、続けてこんなセリフを吐いた。

 

「このままでは、恋恋高校野球部は間違いなく勝てません」

 

 初めて彼と会った時から感じた違和感、それはこれだったんだ。

 茂野吾郎は凄い選手だ。ボクなんかよりも遥かに良いボールを投げ、打って、走って、守れて、野球に対する熱も高い。何よりよ人一倍に強大な目標も掲げて努力を怠っていない。それは同じポジションを任されるボクだからこそ、理解している。

 

 けれど−–−–−彼はまだ、自分しか見てない。

 海堂を倒すというその目標は、果たしてボク達も望んでいるのだろうか? 彼の掲げた信念は、ボク達の信念をも納得させるに値していたのだろうか? 少なくとも、ボクはまだ望んでもないし納得もできていない。実力はボクよりもある、それは間違いなく認めるよ。ただ、それだけの安っぽい理由でエースナンバーは譲れない。野球の実力も大事だけど、それ以上に、もっと恋恋高校野球部の存在を知ってほしい。ボク達が今までどんな思いをして部員を集めて、高野連に女子生徒の公式戦出場を認めさせたのか、そして……夏の、聖タチバナ戦で感じたあの悔しさを……。

 ボクは胸に内に秘めた茂野君に対する感情を、全て2人に話した。

 

「そっか、あおいちゃんはそこまで真剣に考えてくれてたんだね」

「ええ、私も野球部の顧問として鼻が高いですよ」

「そんな……ボクはただ、正直な気持ちを言っただけです。そこで、お願いがあるんですけど−–−–−」

 

 

 

 

 

「内山君と宮崎君の勧誘、そして勧誘が完遂するまでの期間、一切の練習を禁止する、かぁ。きっと茂野君からすればかなり堪えるだろうね」

 

 ボクはあの2人の勧誘を通じて、茂野君になんらかのキッカケを与えられるんじゃないかと考え、こんな無茶振り過ぎるお願いをキャプテンと先生、そして家に帰ってこっそり練習させないように、茂野君の家族にも協力をお願いした。

 野球から一度身を置き、1人1人の抱えている気持ちを自分から知ってもらいたい。1人で努力して戦うよりも、周りをもっと信頼して、頼ってほしい。そうすれば海堂にも、聖タチバナにもきっと勝てるはずだから。

 

「……ふぅ、大丈夫。茂野君にならきっと分かってくれるよ」

 

 残ったコーヒーをグイッと飲み干し、ボクは席を立ち上がった。時刻はもうじき18時を回る。そろそろ葛西君のご両親も帰ってくる時間帯だ。邪魔にならないうちにおいとましないと。

 

「葛西君、今日は本当にありがとう。歓迎会も楽しかったよ」

「うん。今度ははるかちゃんや雅ちゃん達と一緒にあおいちゃんの料理も食べてみたいな」

「ははっ、ボクのはいいよ。だって皆……ボクの料理は不味いから食べたくないでしょ?」

「うえっ!? そっ、そんなことないよ! 前のクッキーは確かに個性的な味だったけど決して不味いだなんて……」

 

 はぁ、どうして男子って女子よりも嘘をつくのが下手なんだろう。特に葛西君は正直者だから、嘘か本当かが実に分かりやすいよ。

 

「そうだね……今度は2人にお願いして特訓してもらうよ。いつの日か皆をあっと言わせてやるんだから!」

「それは楽しみだな。2人に任せれば命の危険はなさそうだから」

「ちょっと、そこまで言わなくてもいいでしょ!?」

「はははっ、冗談だよ」

 

 むー、こうなったら意地でも美味しい料理を作って全員のほっぺを嫌になるまで落とさせてやる!

 砕けた話もそこそこにして、靴を履いて帰ろうとした時だ。

 

(あっ、そうだ♪)

 

 真実かもしれないけど、あれだけボクの料理をディすったんだから、少し困らせてやろっと。

 

「そういえばさ、葛西君は気付いてるかな?」

「ん、何が?」

「雅ね、今日の歓迎会で葛西君を喜ばせる為に、前日はるかの家で料理特訓を遅くまでしてたんだよ」

「僕の……ために? それなら明日改めてお礼を言わないと……」

 

 もーう! そこじゃないでしょ!! "葛西君"って限定してる時点で気付いてよ鈍感!!

 

「そうじゃなくって! これはあくまでいち女子生徒の考察なんだけど……多分雅って、葛西君の事が好きなんだと思うよ」

「へぇー、そうなんだ。雅ちゃんが僕のことを…………ハイ?、今なんて?」

「だーかーらー、脈アリっこと! じゃあまた明日!」

 

 あまりの焦ったさに痺れを切らし、ボクはドアを強めに閉めて出てった。

 中々想いを伝えられない女子と野球一筋の鈍感男子、か。まるで涼子と一ノ瀬君みたいな2人だ。一応2人はそれぞれの想いを伝え合ったらしいけど、雅と葛西君は果たしてどうなることやら……。

 

(にしても好きな人かぁ……)

 

 まぁ、この年頃になれば好きな人の1人や2人いでおかしくはない。寧ろ健全な高校生なんだという証とも捉えられる。

 ボクにも気になる人は1人いるんだけど、それが一部員としての感情か、それとも異性として意識しているのかまでは自分でもまだ分からない。

 

 

『痛かったら俺と練習してた頃を思い出せ。 そうすりゃ少しはマシになる』

 

 

 聖タチバナ戦で彼が−–−–−田代君が放ったあの言葉は、ボクの疲れ切った心に活気を与えてくれた。結果的に試合には負けたけど、あの励ましがあったからこそ、悔いの残らないピッチングができたんだ。

 きっとその頃からかな。彼の存在が本当の意味で頼もしくて、カッコよく見えるのは。

 

「…もっともっと頑張らないと」

 

 少しでも田代君の負担を減らせられるように。敗戦で味わった悔し涙を、次は勝利による喜びの涙に変えられるように。ボクはもっともっと強くなるんだ!!

 

 

 

 

 

⭐︎

 

「親父、かあさん……どうしてもダメか?」

「「ダメだ(よ)」」

(見事なまでのシンクロ率だな……ていうかそこまでするか!? 早川の奴!!)

 

 俺が甘かった。まさか早川がここまで綿密に仕組んでいたとはな。

 歓迎会を終えて家に帰り、俺は夕食までの暇な時間を使って投げ込みでもしようと庭に設置してあるブルペンに向かおうとした瞬間だ。

 

「吾郎。あなた部員から練習を禁止されてるんでしょ?」

「ちげぇよ! アイツらが俺の許可なしに勝手に決めたんだ!俺は何も禁止されるようなことはしてねぇのによ!」

「はぁ……嘘をつくな。話は全部早川さんから聞いた。お前を禁止にさせた理由もな」

「理由……理由ってなんなんだよ!」

「それは教えられん。早川さんに口止めされてるからな」

 

 アイツ…っ…そこまでして俺からエースを取られたくないのかよ! 藤井が入部したのも俺の協力があってこそのくせに、都合が悪ければこの仕打ち……冗談じゃねぇぞ!!

 

「んなもん知ったことか! 親父達が止めてでも、俺は練習をやめねぇからな!」

「吾郎! 待ちなさい!!」

 

 かあさんがいくら俺を止めようとも、俺はこの命令だけは聞く気はねぇ。この間にも海堂の連中は俺との差をどんどん広げようとしてる。こんなくだらない悪ふざけに付き合ってられるかよ。

 

 

 

「いい加減にしろ!!!」

 

 

 

「っ……!?」

「あなた……?」

 

 っ、なんだよ親父……っ、なにもそんなに怒鳴ることはねぇだろ。親父は野球部となんら関係してねぇんだからよ。

 

「お前……早川さんの気持ちを少しでも考えてやったのか!? 」

「早川の気持ちだと……? 大方、俺からレギュラーを取られるのを恐れてこんな仕打ちをしたんだろ? 自分達が優雅に練習をしている間に、途中から参入してきた俺に勧誘を全て押し付けてよ」

「!……すまん、真吾と千春を連れて席を外してくれ。このバカに少し説教する」

「え、でもそこまではしなくていいって−–−–−」

「早く行け!!」

 

 半ば強引に母さん達を二階に行かせ、リビングには俺と親父の2人きりとなった。 へっ、説教かなんかしらねぇけど俺は何も悪い事はしてねぇ。周りが何を言おうとも考えを一切改めるつもりはねぇからな。

 しばしの沈黙が続き、ふぅ、と息を溢しながら親父が口を開いた。

 

「……泣いていた」

「んあ? 泣いてた? 誰がだよ」

「早川さんからこの頼みを電話で受けた時、彼女は泣いてたんだよ」

「!?、早川、が?」

 

 たかがこんな事を頼むだけだろ? なんで電話越しで泣くんだよ。頭での理解が追いつけないでいるが、気にせず親父は続けた。

 

「本当はお前だけ練習禁止にはさせたくなかった。けど、このままおお前を放っておいたら部の為にも、なによりも本人の為にならない。お前の掲げる打倒海堂だって絶対無理だと言われたよ」

「…………」

「いいか、お前がどんな大層な夢を持とうとそれは自由だ。しかし、自分以外に守るものの無い孤独な存在に、真の栄冠は掴めない−–−–−!」

「!!」

「これ以上は早川さん自身から口止めされているから俺からは何も言えん。けどな、吾郎……思い出せ」

 

 思い出せ……何を?

 

「打者として奇跡的な復活を遂げた本田茂治を−–−–−そして、肩を壊してまで横浜リトルに投げ勝ったお前は……決して1人じゃなかったはずだ」

 

 ……分かんねぇ。全然わかんねぇよ。

 あの頃の俺やおとさんがなんだってんだよ。俺は海堂を倒すために恋恋高校へ編入したってのに……。早川や親父は俺に何を伝えたいんだ……?

 

 

 



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第三十七話 変化

また期間が空いてしまい、本当に申し訳ありません……
話の構想はある程度出来上がっていますが、執筆スピードが追いつかずかなり空いてしまいました。

少しずつでも話を進めていきますので気長にお待ち頂けたら幸いです


「………………」

 

 昼休み。

 俺は1人、恋恋高校の屋上でぼーっとしていた。歓迎会から1週間が過ぎていたが、俺は未だに親父や早川のメッセージが理解できずにいた。

 いや、それだけならまだ良かったんだが、内山や宮崎の勧誘も進展が全くなく、このまだと試合以前に野球自体が何もできない状態だ。

 あーあ、このまま俺の高校野球は終わっちまうのかな。あれだけ内山達は野球を嫌ってたんだ。どうせ俺1人がいくら誘いに行ったって無理だわ。だったらいっそのこと、もうここで野球をするのは−–−–−

 

「おーい、何やってんだよ本田」

 

 聞き覚えのありすぎる声と共に、2人の女子生徒が俺の両隣へとそれぞれ座る。女子生徒とは名ばかりの、男勝りなソフトボール選手だけどな。

 

「そういえば茂野とは初めてだっけ。私は高木幸子。薫と同じソフト部の2年だよ」

「ああ……茂野吾郎だ。よろしくな」

「どうしたんだよ本田? いつもより元気ないな」

 

 元気かない、か。無理もねぇだろうな。今の現状を知れば誰だって気が滅入るだろうよ。

 ま、ここで会ったのも何かの縁だ。ソフト部の連中に1つ相談でもしてみるかな。

 

「……なぁ清水、高木。ちょっといいか?」

「ん? なんだよいきなり改まって」

「実はさ−–−–−」

 

 何かヒントでも掴めればいいかな。そんな軽い気持ちでこれまでのことを2人に話してみた。

 

「なるほどね。大体の事情は分かったよ」

「でもよ、わかんねぇんだ。俺は別に仲間を蔑ろにしてたつもりはねぇ。海堂を倒す目的だって野球部からすれば結局は甲子園を目指す過程でやらなきゃならねぇ。お互いの利害は一致してしてる、にもかかわらず早川だけはどうも俺への当たりが強いんだ」

「うーん、私達はソフト部だから野球の観点からのアドバイスはできないけど……あくまでいち部活としての観点から言うんなら、本田は海堂を倒すことを意識し過ぎなんじゃないのか?」

 

 購買部のコーヒー牛乳をグイグイと飲みながら、清水はそう言う。

 意識のし過ぎ……か。言われてみれば恋恋高校に編入してから、俺の頭にはいつも海堂の連中がこびりついていたな。夏の大会で聖タチバナとの試合を観戦してた時、俺はもっとアイツら自身の熱いプレーや意志に目を向けていた。自分の目標を達成するために、この学校のメンツならそれが可能だと教えてくれたから、俺はここを選んだんだ。

 それがいつしか、俺は自分の事だけをずっと考えるようになっちまったのか……。

 

「あ、あとさ、部員集めのコツなんだけど、一辺倒に野球部へ勧誘するよりも、まずは誘う相手と同じ目線に自分がなってみると良いと思うよ」

「誘う相手と同じ目線……」

 

 なんだ……なんなんだこの感触は?

 まるでずっと昔に忘れていた何かが蘇ってくるような……。

 

(昔……っ!?)

 

 そうだ、リトルの頃の俺だ。

 初めは選手や監督のやる気、まとめるならチーム全体の覇気自体が無かった。時には衝突もしあったし、虐めを働いていた奴も、途中でチームを抜けようとした奴だっていた。それでも俺は、最後に仲間を見捨てるような真似はしなかった。沢村を更生させ、清水に野球の楽しさを教え、小森のような最高の相棒と出会え、他の連中にだって俺の気持ちは伝わってくれた。

 それは俺が単に凄かったからじゃねぇ。どんな逆境に立たされたって俺はアイツらを信じ、側で支えてやったからだ。だからこそ信頼が生まれ、その力こそが横浜リトルをも凌駕した。

 

(そうか……親父や早川が言いたかったことって……)

 

 答えは半分出た。なら聞いてみる価値は……あるな。

 教室から持ってきておにぎりを一口で頬張り、俺は立ち上がった。

 

「あれ、もう行くの?」

「ああ。ちょっくらやらなきゃならねぇ用が出来ちまったんでな。とりあえずあんがとよ、高木、清水」

「お、おう。イマイチ理解が追いつかないけど頑張れよ、本田」

 

 2人に礼を言い、俺は屋上から急いで外の部室へと走る。アイツは昼の時間にはいつも飯を食いながらグローブの手入れをしている。まだ残ってればいいけどよ……。

 

 ガチャ−–−–−。

 

「ん……おお、茂野じゃねぇか」

「はぁ、はぁ、悪いな田代……って手塚も一緒なのか?」

「はい。偶然近くを通りかかったら田代先輩と会って。折角なんで僕もご一緒しようと思ってついて来たんですよ」

 

 そうかい。まぁ人が多い方が今の俺としてはありがたい。2人とは対になる向きで俺も椅子へ座る。

 

「……んで、お前がここに来たってことは何か俺に用でもあるんだろ?」

 

 へっ、流石は正捕手様だな。俺の思考はお見通しってか。

 

「まぁ、な。ちょっくら聞きてぇことがあるんだけどよ……」

「待て。ちなみに忠告しとくが、お前が練習禁止にされてる理由を聞き出そうとしても無駄だぞ。葛西と早川、山田先生の3人しか知ってないん」

「ちげぇって。俺が知りたいのはそんな話じゃねぇ」

「?、じゃあ一体何を……?」

 

 両親にまで手回しされてる以上、野球部の連中に聞いても無駄なのは頭の悪い俺でも分かるっての。

 部室の冷蔵庫から飲み物をありがたく頂戴し、呼吸を整えてからこんな質問をしてみた。

 

「田代はよ、どうしてこの野球部に入部しようと決めたんだ?」

「はぁ? 決めたって……別に、アイツらに誘われたから入部してやったんだよ。野球も前はシニアでやってたからそのまま成り行きでな」

「ばーか。嘘言ってんじゃねぇよ。田代お前、初めは高校で野球をする気なんか無かったんだろ?」

「なっ!?、お前知ってたのかよ!」

 

 そもそもシニアまで野球一筋で頑張ってきた男が野球部のない恋恋高校を選んだ理由、それは高校では野球をする気がない、いーや、野球が"できなかった"からだ。

 これは入部して間もない頃に矢部から聞いた話だが、田代の父親はちょっとした会社の経営者であり、昔から息子に文武両道をモットーに厳しく育てられたそうだ。野球を田代に始めさせたのも、あくまで人間形成を目的としていただけで、俺や葛西、猪狩や一ノ瀬達のように甲子園やプロを目指していたわけではなかった。

 けどその父親の思惑とは裏腹に、田代はみるみる野球の面白さに浸かっていった。中学ではシニアで4番をも任されるほどの実力をつけ、高校でもアイツは野球を続けるつもりでいた。

 

 

『えっ!? 恋恋高校だって!?』

『そうだ。お前にはもう野球をやらせる理由がないからな。これからは勉学に勤しみ、将来私の会社を継ぐための準備をしておくんだ』

『でっ、でも俺っ、将来プロを目指したいんだ!! その為に海堂か帝王から推薦を貰って−–−–−』

『何度も言わせるな。そんな確率の低い夢を追うより、100%の現実を見るんだ。いいな?』

(そんな……俺はもっと野球がやりたい!! 甲子園に行って、プロ野球に入って、一流の野球選手になりたいんだよ!! なのにどうして…っ……!)

 

 

 当時15歳の中学生が夢を追うことを諦めるのは、相当辛かったはずだ。仮に俺が親父から野球を辞めろなんて言われた日には、死んじまうかもしれねぇしな。

 結局親父の言いなりになるしかなかった田代は野球を捨て、男がスポーツをするのには程遠い恋恋高校を選び、ガリ勉になるはずだったが−–−–−。

 

「お前は親父にあれだけ反対されても、最後は野球をする道を取った」

「……そうだ。俺は野球をえらんだ。けどそれがお前となんの関係があるんだ?」

「関係はねぇよ。ただ、俺はあくまでもお前の真意が知りてぇだけなんだ。お前自身が変われた理由を、どうやって親父を説得させたのかさ。まぁ無理にとは言わねぇ。喋りたくなかったら喋らんでもいいぜ」

 

 田代は手入れしていたキャッチャーミットを机に置き、目線を俺へと据えた。

 

「俺は変わったんじゃねぇ。変えてくれたんだよ、野球部の皆が」

 

 反応は示さないが、俺は田代の話を真剣に聞き続けた。

 

「確かに俺自身、初めは野球部に抵抗しかなかった。入学してたった1週間で葛西を中心に同好会からスタート。俺が野球経験者だと知ったら一目散に俺の元へ来たさ。それからは毎日毎日しつこいくらいに誘われたよ。耳にタコができるくらいにな」

 

 あはは、と手塚が隣で苦笑いを浮かべる。

 田代は少しだけ不機嫌そうに頭を掻くが、話を戻した。

 

「あれは4月の3週目くらいだったけな。痺れを切らしたのかしらねぇが、葛西と早川が俺の家に直接乗り込んできたんだよ」

「のっ、乗り込んできたぁ?」

 

 おいおい、まるでヤグザみたいな手口じゃねぇか。ていうか前々から気になってたんだけどよ、あの2人って大人しそうに見えて意外とやることが大胆過ぎるんだよ。野球バカの俺でさえそこまでやるかわかんねぇぞ。

 

「きっと親父が原因で野球ができないのを知ってなんだろう。家に来たタイミングも親父が帰宅してからだしな」

「……そうかい。んで、2人が乗り込んできたのは良いけどよ、どうやって親父を説得するさせたんだ?」

「それは……ぷっ、くくっ、はははははっ!」

 

 これまで大人しく語っていた様子から一変、俺が説得させた訳を聞き出したら突如として田代は大声で笑った。不意打ち過ぎるその態度に、俺と手塚はただ呆然としていた。

 

「あー、いや悪い悪い。つい思い出し笑いをしちまった」

「なんだよ。そんなに笑えるような過去話だったのか?」

「まあな。だってな、早川ときたら−–−–−」

 

 

 

 

『何度も言っているだろう。ウチの息子を野球部になど入れさせんとな』

『そこをなんとか!! 田代君の野球センスは本物なんです!! このまま彼の才能を埋もらせるなんて勿体ないんですって!! それに、田代君自身も野球はまだ続けたいはず。なら親として子のやりたいことを応援してやるのが義務なんじゃないんですか!?』

『君に息子の何が分かる!!? 知り合ってまだたったの2、3週間の分際で! 私は15年以上も息子の側にいた! だからこそ息子のことは誰よりも理解している!!』

『!、それなら野球を−–−–−』

『野球は人生経験の一環でやらせてたに過ぎん! おい、これ以上居座るのなら学校か保護者に連絡を入れるぞ。そちらの家庭では子に礼儀も教えられんのかと』

『っ……!』

 

 葛西は、何度も何度も親父に頭を下げ続けた。どれだけ自分が悪く言われようとも、俺を再び野球へと呼び戻す為だけに。新参者の弱者チームが勝つには、俺のような経験者がどれほど必要なのかも、葛西は丁寧に説明もしてくれた。

 

(やめろよ葛西……もういいって…!)

 

 口には出せなかったが、俺としてはもう親父を説得させるのはやめてほしかった。俺のせいで関係のない連中にまで迷惑をかけるのも、また自分が野球をできるという淡い期待を寄せてしまうのが、どうしても嫌だったからだ。どうせこの頑固親父に何度お灸を据えようとも、考えを改めてくれるわけないんだから。

 

 

『っ〜! あーもう!! いい加減にしなさいよこの頑固オヤジ!!!』

(!?)

『なっ……!?』

『えっ、ちょっ、あおいちゃん!?』

 

 親父が痺れを切らして学校に電話を掛けようとしたその時だ。これまで静観に達していたら早川が突如として怒りだしたのはな。

 

『さっきから黙って聞いてれば、息子のやりたい部活よりも自分の会社を継がせることばっかり!! それのどこが理解してるって言うのよ!!』

『っ、何だその態度は!! もう少し大人を敬えないの−–−–−』

『敬えるわけないでしょーが!!』

『ヒイッ!?』

 

 あの親父でさえも臆するほどの迫力で迫る早川。今だから笑い話で済ませているが、この場に居合わせた時は俺と葛西も説教されてる気分に陥った。

 

『ボク達と田代君の交友は決して長くはない! なんなら関係だってまだ友人と呼ぶには相応しくないかもしれない! でもっ!、ボク達は田代君の気持ちを誰よりも知ってる!! 彼が本当は高校生活で何をやりたいのかも、野球への愛着が残っていることも、全部……っ…!』

『早川……』

 

 気づけば、彼女の目は次第に涙ぐんでいた。なんで……どうしてそこまでして俺を助けようとするのか。お前らは所詮ただの他人。たった1人の人間に対してここまでする必要があるのか?

 分からねぇ……分からねぇけど、1つ確かなのは、ここまでお節介な奴と出会ったのは野球人生の中で生まれて初めてだったことだけだ。

 

『……先程の無礼は謝ります。本当にすみませんでした。でももう一度考え直してもらえませんか? 少なくともボクだったら高校1年生の男子に夢を捨てさせるなんて酷な行為、させられません。同じ学校の同級生として、同じ野球選手として、ボクは田代君の無念は痛いほど察してます』

『僕からもお願いします。もし田代君が入部したとして、不甲斐ない結果で引退する形になったら、僕が部長として全て責任を取ります。必ずこの3年間を無駄にはさせません!!どうか……お願いします!』

 

 2人の真撃な申し出に、俺は合わせる顔がなかった。本音はこれ以上になく嬉しかった。お前らとなら3年間同じチームで野球をしても良いとまで思えた。ここまで親父に言ってやったのに、ただ感謝と尊敬しかなかった。

 

(それに引き替え、俺は何やってんだ……)

 

 関係のない連中に他人の気持ちを代弁させて、自分は黙って見守るだけ。情けねぇ、自分の夢を否定されて直ぐに諦めるなんてよ。段々と自分の弱さに嫌気と怒りが湧き、俺は−–−–−

 

「頼む親父っ!! 俺はまだ野球を辞めたくねぇ!! 自分の力がどこまで通用するのか試したいんだ!! もちろん勉強だって疎かにしない! 3年間で親父が納得できなかったなら会社だって俺が継ぐよ!だから お願いだ……俺から野球を取らないでくれ!!!」

 

 柄にもなく、野球への情熱を語っていた。

 全く……ホント馬鹿な奴等だよ。自分を犠牲にしてまで他人を救おうとするんだから。俺がいなくたって野球自体はできるのに、2人はチーム事情よりも俺の心情を優先してくれた。だからこそ、俺はこの馬鹿なキャプテンとエースについていくと決めたんだ。

 

 

 

「んで、最終的には親父も嫌々納得してくれたが、条件を出された。1つは常に定期試験で10位以内には入ること。もう1つが3年間の内に必ず甲子園に出ろ、とな」

「それは今も守ってるのか?」

「もちろん。初めは七瀬や早川の力を借りて勉強面は乗り越えてきたけど、ずっと世話になりっぱなしは男として恥ずかしいからな。2年生 からは独学でテストを受けてるさ」

 

 己を犠牲にしようとしてまで一選手を救う、か。親父がおとさんとリトル時代の俺を例に挙げていたのは、きっとこれを伝えたかったからだ。

 投手生命を絶たれ、引退の危機に迫られたおとさん。それでもガキだった俺に野球の素晴らしさを伝え、好きになってほしかった。その一心だけがおとさんを支え、復活への足がかりになった。ううん、俺だけじゃねぇ。母さん、そして天国にいるおかさんへも、結果として不幸な結末を迎えてしまったが、最後までおとさんは自分の世間体や欲求よりも守りたい存在の為に野球人生を捧げた。だからこそ、たった数ヶ月の野手転向であっても、おとさんのバッティングは他の誰よりも輝き、観る者を沸かせたんだ。

 三船リトルが最強名高い横浜リトルに勝てたのも、俺一人のピッチングだけが勝因じゃない。小森は怪我を負いながらもバットを握り、沢村がグラウンドを必死に走り、清水は慣れないキャッチャーを自分から志願し、他の連中も諦めずに最後までボールへ食らいついていた。

 

 それぞれが……自分の為でなく、大切なチームメイトの為に躍動していたんだ。

 

「……どうやら間違ってたのは早川や親父達じゃなく、俺みたいだったな」

「?、茂野……?」

「田代、手塚。待ってろよ、あの2人を必ず入部させてやるからよ」

 

 きょとんとする2人を残し、俺は先に部室を出る。

 

「ったく……9月だってのにまだまだ暑いな」

 

 エアコンが効いていた部室と打って変わり、9月の昼間は嫌になるくらいにまだ暑かった。

 でもそんな夏ももうすぐ終わり、次は秋、そして冬が過ぎればあっという間に最後の年になる。

 もう迷わねぇ。早川や親父が伝えたかったこと、それを胸に刻んで俺は夏まで突っ走ってやるさ。

 

 



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第三十八話 凸凹コンビ

 

「確か……ここだったな」

 

 その日の放課後、俺は学校から少し離れた小さなアパートへと伺った。

 そう、ここは内山が住んでいるアパートだった。聞くところによると、内山の家は下に3人の兄弟がいる大家族なのだが、両親が共働きで遅くまで帰れないため、こうして年長者の内山が毎日家に帰って面倒をみているらしい。

 これは俺の推測にすぎないが、多分内山が部活に所属してないのはこうした家庭の事情も相まってのことなのだろう。

 

「……よし」

 

 覚悟を決め、部屋のインターホンを押す。が、部屋から出てきたのは内山ではなく、俺の腹くらいの高さに満たない2人の子供だった。

 

「お前は誰だ?」

「は?、え、いやっ、内山の友達で茂野吾郎だけど……」

 

 この2人が内山の弟と妹なのか。

 目元とか内山と瓜二つで、異常なまでに似ているな。

 

「僕たちはお前みたいな奴、知らないぞ」

「いやだから、内山っつってもお前たちじゃなくて大きい方の兄だっつーの」

「……なら合言葉を言え」

「は?」

 

 合言葉……だと?

 内山の家は鍵の代わりに合言葉制を取り入れてんのかよ……。

 

「クリーム−–−–−」

「ん?、シチュー……」

 

 −–−–−バタン!!

 

「っておい!! ちょっと待てや!!!」

 

 クリームって言ったらシチューじゃねぇか!いやこの際そんなのはどうでも良いけどよ!!

 

「頼む開けてくれー!! 俺はうち……いや、大きい方の内山に用があるんだよ!!!」

 

 しかし無情にも内側から鍵をかけられてしまい、開くことを許さなかった。やべぇなこれ……完全に警戒されちまった。

 ドンドンと扉を叩きながら中のちびっ子たちの説得を試みていたその時だった。

 

 

「あれ、茂野?」

「だから俺は怪しい奴じゃな、ん、おおっ!?」

 

 そこにいたのはたくさんの商品が入ったスーパーの袋を持った内山だった。

 

 

 

 

 

「話は聞いてるぜ。お前の家、両親が共働きだからすぐ帰って2人の面倒見てるんだろ?」

 

 場所を近くの公園に変え、ベンチ越しに内山と話す。

 ちなみにちびっ子2人は俺たちの目の前にある砂場で楽しく遊んでいる。

 

「……ほら、言えないだろ? 兄弟の面倒見てるから部活ができないってさ。なんかカッコ悪くてな……」

「いや、カッコ悪くねぇよ」

 

 えっ、と目を丸くする内山。

 俺は気にせずこう続けた。

 

「2人のため、家族のために自分の時間を削るなんて、簡単に見えてそうできることじゃねぇよ。もし仮に俺が内山の立場にでもなったら間違いなく耐えれねぇからな」

「茂野……」

 

 知らなかったとはいえ、複雑な事情を持った内山を無理に誘ったのは俺が悪かった。俺は自分の事しか見えず、周りの人間の思いまで汲み取ってやれなかったんだ。

 そんな奴に野球部に来いと誘う資格なんて、ない……よな。

 

「内山、無理に誘って本当に悪かったな。それと……この前は騒いじまってすなかったよ」

 

 本当は「入部してくれないか?」とここで言いたかったが、やっぱり事情を知っちまったからには無理強いはできねぇよ。葛西達にも事情を話せばきっと分かってもらえるはずだ。

 諦めて帰路に行こうとした時、内山が後ろから声を荒げた。

 

「ちょっと待てよ茂野!わざわざ謝るためだけに来たのか!?」

「あー……いや、本当は入部してくれたら俺としてもありがたいんだけどよ、お前にも事情があるだろ? だから気にすんなよ。もう無理に誘う真似はしないか−–−–−」

 

 

 

「俺だって……俺だって部活やりてぇよ!!!」

 

 

 

 夕空が広がる公園に響く内山の声。

 その声にちびっ子2人も驚いた様子で内山を見つめていた。

 

「確かに俺がいないと2人の面倒を見る人がいないから今まで帰宅部だったけど、俺も部活の一つだってやりたいさ! それに……前はあんな事言ったけど俺自身、野球自体は決して嫌いなわけじゃないんだよ。

 

 

 だからさ−–−–−

 

 

「もし、迷惑じゃなかったら家事の合間とかに野球を教えてくれないか? 俺で良ければ野球……やるよ」

 

 

 ……えっ?

 

 

「ほっ、本当か!? そんなのおやすいご用だぜ!! 時間ある時に俺がいつでも付き合ってやるからやろうぜ!!」

「!、ああ、よろしくな茂野!」

 

 この日から、俺は昼休みや夜などを利用して内山に野球の基礎をできる限り分かりやすく教えていった。ボールの握り方や捕球、バットの振り方、最低限のルールなど……

 最初は頭を抱えていた内山もなんとか俺に食らいついてくれ、少しずつではあるものの日々進歩していた。

 

 −–−–−カキィンッ!!

 

「お、今の感じいいな! 結構センスあるじゃねぇか!」

「へへっ。こう見えても中学でバスケやってたから運動自体は得意なんだよ」

 

 少し太り気味の体型ではあるものの、フィールディングやボールをバットに当てるミートセンス、なによりバントなどの細かな技を丁寧にこなせていた。

 運動経験があるとはいえ、とても野球初心者とは思えないほどの器用さだぜ、これはよ。

 

(……なんだか懐かしいな)

 

 三船リトルにいた頃も最初はこんな感じで野球始めたっけな。

 最終的な目標は試合に勝つことだが、こうして野球というスポーツを純粋に仲間と楽しみ、心から喜びを分かち合う。この瞬間も試合に勝つ事と同等、もしかしたらそれ以上の嬉しさがそこにある。

 

 本当に大切なものは−–−–−仲間とこの面白さと楽しさを分かち合うことなのだと、おとさんだって背中で俺に示してくれた。

 

(あとは宮崎だが……)

 

 そして残る1人、宮崎を説得すれば半ば強引な謹慎も解けるのだが、これが内山以上の難敵だった。

 

 

 

 

 

 

 

「この裏切り者」

 

 とある休み時間、廊下で俺は楽しそうに野球の話をする茂野と内山を見て、たまらずこう突き放した。

 アイツだけは俺の理解者だと思ってたが……結局お前も"そっち側"の人間だったんだな。

 

 俺はスポーツが大っ嫌いだった。

 元々運動神経は低く、そのせいで運動ができる連中に昔からずっと小馬鹿にされ続けたからだ。せっかく好きなスポーツでも、こうした連中達のせいで俺は嫌悪感を拭えないでいた。

 

 そして内山も結局は茂野を、そっちを選んだ−–−–−

 

 そうかよ。どうせお前も内心は俺の事を笑って見てたんだな。はっ、もう馬鹿らしくなったぜ。

 

「みっ、宮崎!、ちょっと待てよ!!」

 

 とある昼休み、廊下を歩いていた俺の後ろから内山が声をかけた。どうせ大方野球部のお誘いだろうが、俺は入る気など微塵も無い。

 

「アイツは……茂野は俺たちが思ってたよりも良い奴だった!! そうじゃなきゃ俺や藤井だって野球を始めなかったさ!!」

「っ……!」

 

 し、知るかよそんな事……。

 どうせ入部させたいから最初だけ良い人ぶって、後でボロクソ文句垂れるに決まってる。俺は何で言われようと入部だけは絶対しないからな……っ!

 

 内山の説得を振り切り、俺は教室へと戻る。

 その後の授業は聞いてるフリだけしていると、気付けばもう放課後になっていた。

 さて、今日はどうするか……。とりあえず新しい格ゲーの台が近くのゲーセンに入荷してるらしいからそこから−–−–−

 

 

「−–−–−よー宮崎!」

 

 

「!?、しっ、茂野!?」

 

 背後から不意をつく形でニョキっと顔を出してきたのは茂野だった。

 何だコイツっ……どうして俺の所にいやがるんだ?

 

「お前っ、練習はどうしたんだよ!? 野球部の誘いなら絶対やらないからな!!」

「そんなに怒んなよ。別に無理に勧誘しに来たわけじゃねぇよ」

「はぁ?」

 

 だったら何しにここへ来たんだよ……。

 

「お前、この後どこか寄るのか?」

「……近くのゲーセンに行くつもりだけど」

「っし!、なら俺も付き合うぜ。前の詫びもかねてコンビニでアイスくらい奢ってやるしな」

「……は?」

 

 −–−–−意味が分からない。

 コイツは俺に野球をさせたくて来たはずだ。なのに勧誘はおろか練習をほっといて俺に付き合うだって……?

 

(意味が……分からねぇよ)

 

 それから、茂野は俺が嫌がる顔をしても無視してついて来た。

 ゲーセンに寄って新しい格ゲーの新台をやろうとするとアイツも隣で対戦するし……

 

「おい宮崎!、ジャンプってどうやるんだよ!?」

「っ〜!、そこの黄色のボタンを押せ!」

「おっこうか! サンキュー!」

 

 その後コンビニに寄れば問答無用でアイスを渡してきて……

 

「前は暴れたりして悪かったな。これでも食って互いに水に流そうぜ」

「…………」

 

 アイスを食べ、俺が立ち飲みをすると茂野も隣で野球漫画を読んでいた。そう、俺がどこへ行こうともコイツは笑いながら後ろをついてくるのだ。

 

「……あーもう!! いい加減にしろ!!!」

 

 堪忍袋の緒が切れた、とはこのことを言うのだろうか。

 流石にしつこかったため、俺は後ろを幽霊のようについてくる茂野を強く突き放した。

 

「どこまでついてこようか俺は野球をやらないぞ! 分かったらとっとと消えろ!!」

 

 けど、帰ってきた答えは俺が予想にもしないものだった。

 

「いやぁ……分かってるさ。俺もいきなり誘うなのは悪いと思ったからさ、まずは"ダチ"から始めらんねぇかなぁって思ってな……」

 

 茂野は頭を掻きながら、どこか申し訳なさそうな表情で言った。

 ダチ……だと?

 コイツは今俺の事をダチとして扱ってくれてたのか……?

 

「ダチから始めればお前だって野球がしやすくなるんじゃないかと思ってな……あ、でもお前がそこまで俺と野球が嫌いってならもうついてったりはしないから安心してくれ」

 

 悪かったな−–−–−。

 そう言うと茂野はくるりと振り返って俺の前から消えようとした。

 

 −–−–−初めてだ。

 今まで俺の事をここまで気にかけてくれた奴に会えたのは。

 スポーツ自体、俺は嫌いな訳じゃない。1番おもりになってたのは周りの理不尽な人間達だった。運動神経も良くなく、下手くそな俺を常に嘲笑ってきたムカつく奴等か……嫌いにさせていた。

 

 

 でもコイツは……そんな俺でも良い、のだろうか?

 

 

「っ……俺はど素人の下手くそだそ!? それでも野球をしたって良いのかよ!!?」

 

 きっとお前だって下手くそな姿を見せればきっと−–−–−

 

「はっ、何言ってんだよ。どんだけ下手くそだろうと真剣にやってる奴を笑わねぇよ。寧ろ俺なら応援するぜ」

 

 ニッ、と茂野は確かに笑いながらそう吐いた。

 本当に……本当に笑わない、よな?

 

 

「なっ、なら約束しろ!! 俺がどんだけ下手くそでも笑わないって! それで良いってなら……入部してやるよ」

 

 はぁー……高校で部活なんてやるつもりなかったけどな。ましてや野球なんて練習自体キツそうだし。

 でも何でだろうか。まだ一緒にいて全然浅いはずなのに、コイツとならもしかしたら出来るんじゃないかって、そう感じてしまう。

 

「!……そうか、ありがとな」

 

 絶対に……笑うなよ。

 

 

 

 

 

 

 

⭐︎

 

「はい……はい、分かりました。では」

 

 吾郎の奴、あれから少しは変わったのだろうか。

 血は繋がっていないとはいえ、親としてアイツを育ててきた俺としては練習をするなと言うのは苦になる部分が少しはあった。

 

 電話の相手は早川あおいさんからだった。

 もう家で好きなだけ練習させて良いですよと、そして人数の問題も何とかなりそうと、細かな近況も分かりやすく伝えてくれた。

 

「あなた。電話、誰からだったの?」

「早川さんからだ。もう練習させていいってな」

「−–−–−そう」

 

 約2週間。

 アイツは2人の新入部員に寄り添い、自分の時間を捨ててまで真剣に練習を見ていた。それは自分が練習をしたいが故の振る舞いでなく、本心からそうしていたと、早川さん達恋恋野球部は判断した。

 実際、テスト形式でノックをやらせたそうが、2人とも初心者の割にはスジが良く、野球への意欲も十分あるそうだ。

 

「吾郎、もしかしたら良い仲間と出会えたかもしれないわね」

「そう……だな」

 

 桃子の言う通り、仲間にはかなり恵まれている。

 しかしまだこれはスタートラインに立ったにすぎない。これから新チームを来年の夏までに急ピッチで作っていかなきゃならないからだ。特に高校野球の一年はあっという間に過ぎていく。それまでに吾郎は海堂と戦うところまで辿り着けるのか、まだまた未知数だ。

 

「……桃子。今日はアイツの好きな焼肉にでもしてやるか」

 

 −–−–−頑張れよ吾郎。

 お前なら……いや、お前達なら海堂や他の高校にだって勝てるさ。

 あと残り一年弱で更に進化してみせろ!

 



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第三十九話 秋季大会へ、それぞれの想い

 

 蒸し暑かった夏も過ぎ、涼しさが少しずつ顔を出してきた9月末のとある晴日和。

 今日は10月の2週目から行われる秋季県大会の抽選会だった。

 と言っても夏の大会ほどの人数は来ておらず、大体どの学校も顧問の先生に主将と副主将の計3人で訪れている。

 それは俺たち聖タチバナも同様で、今日は俺と八木沼、そして聖名子先生の3人でしか来ていなかった。

 

「よいしょっと」

 

 事前に指定されたホールの座席に腰をかける。

 まだ開始まで15分ほど時間がある。まぁ丁度いい時間っちゃ時間だな。

 

「やはり夏から秋の間ってのはあっという間だな」

「……ああ」

 

 仮に夏の予選の一回戦で敗退したとしても、そこから秋季大会までの期間は僅か三ヶ月ほど。やはり秋の大会は夏とは違って意味での難しさがそこにはある。

 しかも夏の大会後には3年生が引退し、今度は2年生を中心とした新チームでの体制となる。そこで世代交代が上手くいけば前年よりも良い成績が残せる一方で、逆に失敗してしまうと暗黒時代に突入……と、こんな事態にだって起こりうる。

 

 けれどウチはまだ新設一年半程の野球部だから世代交代もないわけだから今年は安心だが、来年はそうはいかない。

 来年の秋からは最上級生は大島と東出の2人のみ。アイツらの為にも俺らの代で成績を残し、新入部員の数を増すしか道はない。

 

「あ、そういえばお二人は今年のドラフト指名選手、知ってますか?」

「……ええ、もちろん耳に入ってますよ」

 

 そういやもう10月に入るし、聖名子先生の言うドラフト会議ももうすぐだったな。

 自分達の代がここ近年どころか長い高校野球史の中でもトップクラスに群雄割拠の世代だから忘れてたが、一つ上の先輩達の代もこれがかなりエグい。

 

「1番の目玉は帝王実業で4番を張ってた真島さんだろうな。高校通算70本塁打、打率7割越え、守備に関しても高水準にサードをこなしてますし、スカウト陣の評価もかなり高いらしい」

 

 真島さんの凄さは俺と涼子が試合中に身をもって知らされたからな。

 ウチのエースのボールを簡単にスタンドインさせられた衝撃は今でも忘れられないぜ。

 ちなみに週間パワスポのドラフト特集によれば、パワフルズ・やんきーズ・バルカンズの3球団が既に一位指名を公言しているほどの注目を集めている。

 

「他には海堂からエースの榎本直樹、4番の千石正人も指名確実らしいな。榎本は投手王国のバスターズ、千石は次世代のスラッガー候補としてカイザーズが取るらしい」

「あとは名門あかつき大附属から正捕手の二宮瑞穂君と猪狩君とのダブルエースで有名な一ノ瀬塔哉君も上位候補に上がってましたね。あかつきの黄金時代を築き上げた張本人達とも言われてますし」

 

 おいおい、挙げてみれば高校生だけでも身近にヤバい選手がゴロゴロいるのか……。

 しかもそこから大卒と社会人組も加われば争奪戦は更に激化するのが目に見えているな。

 

「しかし聖名子先生も詳しくなりましたね」

「最初の頃はルールを覚えるだけでも精一杯でしたけど今じゃそこらの野球通よりオタクですよ」

「ふふっ。一応これでも野球部の顧問ですから」

 

 っと、照明が暗くなったか。

 さーて。いよいよ運命の抽選会が始まるな。

 ちなみに聖タチバナは夏に帝王に敗れたわけだが、ベスト8まで残っていた恩恵もあり、今回は1回戦が免除のシード枠に入っている。

 よって初っ端から海堂や帝王と当たるような事はないが油断はできない。夏の大会後から他校の偵察もチラホラあったし、前回ほど安易にゲームメイクさせてはもらえないだろうからな。

 

「えー続きまして、秋季大会組合せ抽選へと移ります。呼ばれた学校は代表者一名、前へご登壇くださいまずは海堂学園−–−–−」

 

 連盟のお偉いさんの話が終わり、本命のくじ引きへと移った。

 まずは夏同様に第一シードの海堂学園から。

 

(−–−–−!?)

「おい一ノ瀬、アイツって……」

「……マジかよ」

 

 海堂学園が代表として登壇したのは俺と猪狩、葛西のかつての後輩だった進だ。

 まさかアイツ、一年生でもう海堂の主将クラスにまで上り詰めたのか……?

 

「海堂学園、79番」

 

 俺と八木沼が驚いている間に、進は淡々とくじを引いた。

 確かに進の実力なら1年生でレギュラーを取ってもおかしくはないが、センバツ行きがかかったくじ引きを神奈川随一の強豪校が1年生に引かせるとは……それは予想ができなかったぜ。

 

「帝王実業、80番」

 

 帝王は海堂とは反対側をのトーナメントを取った。

 この時点で2校での潰し合いがなくなり、俺がどこを引いたとしても準決勝までにどちらかと当たることが確定した。

 実は秋季大会は夏の大会とは少し異なり、優勝できなくても甲子園には行ける。正確には優勝校と準優勝校の計2校、つまりこの2校が準決勝か準々決勝で潰し合いを行うと、反対側のトーナメントは準優勝までが格段と狙いやすくなるって寸法だ。

 

(……ま、どのみちこの2校に勝てなきゃ甲子園に行ったってすぐ負けるのがオチだけどな)

 

 そして次の次の次に、聖タチバナの番が回ってくる。

 学校名を呼ばれ、俺が代表として前へと出る。

 

(ふぅ……)

 

 覚悟を決め、抽選箱の中に腕を入れた。

 最初で最後の秋季大会。俺が引いた番号は−–−–−

 

 

 

 

 

 

 

 同日。

 聖タチバナ学園・野球部グラウンド−–−–−。

 今日の練習は休みであるにもかかわらず、そこには3人の男が早朝から猛特訓を繰り広げていた。

 

 −–−–−ブンッ!

 

「っ!、くそっ!!」

「もっとボールを手元まで引きつけろ! それでは一回戦校レベルの変化球すら打てないぞ!」

「くっ……っす!」

 

 滝のような汗を流しながらバットを振り続けていたのは1年生の大島だ。バックネット裏からは先輩の友沢が徹底的に大島へバッティングの指導を行っている。

 

「他校の奴等はお前が変化球に弱い事は既に知ってるはずだ! ならお前すべきことはただ一つ! その弱点を練習で補え!!」

「はぁっ、はあっ……っす!!!」

 

 この日、大島がピッチングマシーンに対して振ったバットの回数は既に500回以上。朝の6時から始まり、時刻はもうすぐ15時を回ろうとしていた。

 使用しているピッチングマシンは『球超グレイト・変化球タイプver.2』。これは夏季の大会で好成績を残した学園側のご厚意で特注で用意してもらった高レベルのマシンで、スライダー・カーブ・フォーク・チェンジアップの3種類をかなりの落差で投じてくる。そして驚くべきはこのマシン、ストレートは一切投げないため、大島からすればまさに地獄とも呼べる恐ろしい代物であった。

 

(前の大会、俺が変化球に対応さえできてれば先輩達の負担ももっと楽になってたはずだ! それに……東出の野郎だけにカッコいい姿はさせたくねぇ!!)

 

 パワフル高校戦で大活躍をした東出とは対照的に、大島は直近の試合は三振の数が多く目立ち、クリーンナップとしての仕事を果たしているとは言い難い成績が続いていた。

 そして秋からは変化球による徹底的なリードが襲いかかるのは明々白々。そこでチーム1の打撃センスを誇る友沢の力を借り、休日返上で変化球打ちの特訓を続けていたのだ。

 

(っふっ……っふっ……!)

 

 一方の東出はハンドグリップをしながら走り込み、そして9×9の的を使った投げ込みと、ピッチング周りの練習に精を出していた。これは最近の練習が野手中心であったことも考慮しての取り組みだ。

 

(まだ俺のナックルはすっぽ抜けることがある……その為にはもっと強い握力とコントロールが必要不可欠だっ……)

 

 東出はエースでも無ければ先発投手でもない。

 それでも、キャプテンである一ノ瀬は自分を投手としても戦力として見てくれている。そんな期待に応える為にも……そして、

 

(大島は馬鹿だが野球に関しては単細胞じゃない……必ず変化球にも対応してくるはずだ!)

 

 すぐ身近にいる最大のライバルに負けたくない−–−–−。

 東出を動かしていたのも大島と同様の対抗心であった。

 

 

「……よし。そろそろ休憩にするか」

 

 友沢の一言でようやく休憩にありつける大島。

 ぜぇぜぇと息を切らしながら、ベンチに置いてあった飲み物を手に取る。

 

「んっ、んっ、ふぱぁ……そういや友沢先輩、足の具合はどうっすか?」

「ああ、もう完治している。医者からのお墨付きももらってるからプレーに支障が出ることもないはずだ」

 

 帝王実業戦で蛇島桐人から受けた悪質なラフプレーによる怪我も癒え、友沢も数日前から本格的な練習を開始していた。

 ブランク明けであるものの、やはり友沢のズバ抜けた野球センスは衰えておらず、逆に気迫が感じ取れるほど練習に励んでいる。

 

「俺の事は気にしなくていい、大島は自分のことだけ考えろ。ただでさえお前は馬鹿なんだからな」

「ちょっ!?」

「ふっ……さて、あと数分したら再開するぞ」

 

 大島との特訓は18時で切り上げるが、その後は軽い夕飯を挟んで自分のトレーニングも22時までは行う予定。

 復帰明けからとんでもないハードスケジュールを組んでいるが、彼からすればそれでも足りないくらいだ。

 

(俺や一ノ瀬だけでは帝王には絶対勝てない。 後輩のコイツらも万全のコンディションで戦えるようにしなければ、タチバナに未来はない−–−–−!)

 

 無論、蛇島に借りは返すつもりだが、それ以上にこのチームを甲子園へ導くことが彼にとっては1番の恩返しであると、そう考えていた。

 肩を壊して潰れていた俺をもう一度野球の世界に戻してくれたアイツらの為にも今度は俺がチームを導く。

 クールな男の表情の奥底に潜む眼は確かに燃えていたのだった。

 

 

 

 

 

⭐︎

 

「よんひゃくきゅうじゅうはち……よんひゃくきゅうじゅうきゅ……ごひゃくっ!!」

「よし、3分休憩したら次はティーバッティングだ」

「ろっ、六道さん……ちょっと厳しくない……?」

「そうだ、ぜ……」

 

 同日の西満涙寺−–−–−。

 ここでも休日返上で練習に励む3人の選手がいた。

 

「岩本、笠原。大島や東出1年が活躍して、お前達はまだこれと言った活躍をしてないんだ、悔しくないのか?」

「くうっ……それは……」

 

 確かに元々持っている才能も、ここ最近の活躍も、全部後輩たちの方が上回っている。確かにそれはチームの一員としてありがたいのだが、その反面、先輩としてのプライドもあり、悔しさもやはりある。

 

「−–−–−私は悔しいぞ」

「えっ……」

「ここで私が出塁していたら、ここで私がリードを間違えていなかったから、良いプレーがある反面、反省すべきプレーも振り返れば沢山ある。その度に……私はこう思うんだ。優勝以外、悔しさや後悔の念は絶対残ってしまうんだと。そして優勝するためには一部の選手だけでなく、チーム全員が一丸となって戦う、それこそか目指すべき野球の理想像だとな」

 

 初の大会で結果はベスト8。

 これは確かに世間では誇ってもいい結果かもしれない。しかしタチバナが目指しているのは頂点である優勝のみだ。それ以外はどれだけ頑張りが認められても当の本人達に残るのは悔しさの念のみ。

 

「そう……だね」

「さすが六道さんだよ。確かに俺と笠原って途中交代や代打が目立ったりしてるけど、そんな俺達にもできることは少なからずあるはずだもんな」

「おう! 逆にこう考えれば良いかもな、少ないチャンスをモノにすればよりカッコよく見えるってな!」

「……ふふっ」

 

 カッコよく、か。

 あながち間違ってはいないかもしれないと、彼女も少しなから共感した。

 

「カッコよくなりたいならまずは今日のノルマを達成することからだな。練習再開するそ!」

「「ぐぅ〜……」」

 

 苦悶の表情を浮かべながらも、岩本・笠原のコンビも必死に六道のハードメニューをこなすのであった。

 

(……そうだ。アイツも……鈴本だって今度は私達へ対策を立てて挑んでくるはずだ。今まで以上に気を引き締めないと)

 

 次こそは甲子園へ−–−–−彼女の想いもまた一段と熱く強いものである。

 

 

 

 

 

 

⭐︎

 

「なんですかね、必ず来いって」

「さぁなぁ? みずきさんってホンマに気分屋だから分からんわ」

「また変な雑用を押し付けてこなきゃいいですけど……」

 

 同日の聖タチバナ学園・生徒会室−–−–−。

 今日は土曜日ということもあって生徒会役員の面々は誰もおらず、橘は大京・宇津・原の3人をここへ呼び出したのだ。が、呼び出された3人は橘の思惑が分からず、どこか身構えた様子だった。

 

「さてと……」

「ほな入りますか」

 

 意を決して扉を開ける大京。すると待っていたのは3人が予想もしてなかった光景だった。

 

「おっ、来た来た〜♪」

「え、みずきさん、これは……?」

 

 目の前の長机に並ぶ美味しそうな料理の数々。そして気が利くように飲み物も多数用意されており、まるでこれからパーティーでも始まるかのような振る舞いの数々が並んでいた。

 

「いや〜、最近3人には頼み事を沢山してもらってたし、そのお礼も兼ねてご馳走をね〜」

「「「………………」」」

「……なによ、疑ってるの?」

 

 そりゃ……ね……と、顔にそのセリフを出しながら橘を見つめる3人。

 こうした振る舞いはこれまでもたまにあったのだが、こうしてアメを与え、次の日になると決まって雑務を押し付けるのも橘のテンプレなのだ。3人がまだ警戒するのも無理はなかった。

 

「……まぁさ、お礼ってのもあるけど、1番は少しでも3人の苦労を私自身が労ってあげたいのよ。それに、ここにあるご馳走も全部私の手作りだし、食べてもらわないと困る…のよ……」

(……あれ? いつも小悪魔を通り越して大悪魔なみずきさんが天使に見えるんですが?)

(うん……夢でも見てるのかな?)

(とっ、とにかくみずきさんがせっかく用意してくれたんや。有り難くいただこうや)

 

 3人は恐る恐る席に座り、橘の料理に手を付ける。

 

「おっ、結構うまいな!」

「美味しいですよみずきさん」

「そう、良かったわ♪」

 

 3人が自分の料理に手を付け、橘もホッと胸を撫で下ろす。

 すると宇津が何か勘付いたのか、こんなことを橘へ尋ねた。

 

「みずきさん。まさか僕たちの為に料理の練習をしてくれたんですか……?」

「へっ?、あ、いやっ、これは別に愛情とかそういうものじゃなくて!だから……っ〜!」

 

 どこか恥ずかしそうに下を向く橘。

 そう、橘の手は刃物ので切ったような切り傷、そして絆創膏が目立ち、しかも彼女自身、料理は全くと言っていいほどできなかったはずなのだ。

 

(冷静に考えてみれば最近のみずきさん、六道さんと部室で料理の話とかよくしてましたね)

 

 お寺の都合上、1人でいることが多い六道は殆どの日を自分が代わりに料理しているため、かなりの腕と噂で聞いたことがあった。

 そして今気付いたがここにある料理……肉が全く使われていない和風系が大半を占めている。

 つまり−–−–−

 

(みずきさんはみずきさんなりに、僕たちのために心から苦労を労おうとしてくれたんだな)

 

 苦手な料理を親友の手を借りながらも揃えてくれた。

 今までのアメとはどこか違った温かさがあると、3人は感じとったのだ。

 

「あのね……こうして公式戦に出てるのも、私がここの野球部として活動できてるのも、裏で3人が頑張ってくれてるんだって私が1番分かってるの。本当に感謝してるし、少しでもっ、心から気持ちを伝えたかったのよ」

「みずきさん……何もそこまであらたまらなくてもええのに……」

 

 こうした3人の存在があったから自分は野球部に入れ、公式戦にも出て、最高の仲間と熱い試合を繰り広げられている。

 普段3人に雑用を押し付けがちではあるものの、その一つ一つを橘は決して忘れてはいなかった。

 

「あと私からできることと言ったらこのチームを甲子園に連れてってやるくらいだと思うの。でもそれには私だけじゃなくて3人の力もまた必要なの……だから−–−–−

 

 

3人にはまだまだ一部員として頑張ってほしいの! 勝手なお願いかもしれないけど……私、野球が大好きだから、さ」

 

 

「何言ってんや、みずきさん」

「えっ?」

「僕たちだって好きじゃなきゃ野球なんてやってませんよ」

「そうですね。私も宇津君や原君と同意見です」

 

 3人だって橘と野球に対する気持ちは同じだ。

 そして、そんな橘だからこそ、3人は多少の理不尽にもついてきてくれた。なら目指すのも同じ−–−–−

 

「秋の大会、今度こそ甲子園に行きましょう!」

「ワイらならやれますぜ!」

「僕達ならきっとやれますよ!」

「皆……うんっ、ありがと!」

 

 秋季大会まであと2週間。

 また1つ、4人の団結が深まった瞬間であった。

 

 

 

 

⭐︎

 

 同時刻・とある豪邸−–−–−。

 

「−–−–−で、ここはこの数式を使いまして、」

「うーん……結構難しいな……」

 

 ここは恋恋高校野球部のマネージャー・七瀬はるかの実家である。

 一応実家なのだが、その規模はもはや一般家庭の家を大きく凌駕したものだった。

 噴水とプール、辺り一面芝の広すぎる庭に方向音痴が入ると高確率で迷ってしまう何十個もの部屋、そして勉強の休憩の合間に出される高級菓子の数々……これには勉強を教わりに来た今宮もただ驚くしかできない。

 キッカケは1年時にタチバナ・恋恋+αで行った合宿での出会いで、今宮はこうしてたまに、七瀬の家を訪れては勉強を教えてもらっていた。

 

「ほんといつもごめんね、俺が一方的に勉強を教わってばっかでさ」

「いいんですよ。私も今宮さんと勉強するの楽しいですから」

「そ、そっか……」

 

 ほんのり顔を赤らめてしまい、たまらず視線を彼女から目の前の教科書へと移す。時折見せる彼女の純粋な笑顔は、思春期の男子高校生にとっては恐るべき破壊力である。

 

「あ、あー、ところさ、恋恋高校は最近どんな感じかな?前に聞いた聞いた話だと茂野が編入してきたらしいけど」

「最近、ですか? そうですね……何と言いますか、新しいチームになってから少しずつ結束力を高めているというか、雰囲気も結構良い感じですよ。私の他にも新しいマネージャーの方が入部してくださり、とても助かってますよ」

「そうなんだ。確かはるかちゃんって生まれつき体が弱いんだっけ?」

「はい。あおいからは『こんなことは矢部君に任せて無理はしないこと!』とよく注意されてますけどね」

 

 ふふっ、と笑いながら七瀬は返す。

 七瀬は生まれつき病弱な面を持っており、昔から激しい運動は医者からも止められていた。本当は自分も運動部に入って活動したいのだが、その意から反するように体は無意識に拒んでしまうのた。

 

「でもあおいは……あおいなりに私の事を心配してくれてるんです。運動ができずにくすぶっていた私を野球部のマネージャーに誘ってくれたり、オフの日にも私とキャッチボールをしてくれたりと、本当に優しい子なんです」

「そう、なんだ−–−–−」

 

 普段、矢部君にグーパンチするイメージしか湧いてこないが、何だかんだで人一倍、友達を大切にする良い子なのかもしれない。

 ……まだ怖い一面は拭いきれないが。

 

「それに、もしかしたら今のチームが1番楽しいかもしれないんです! 新しく入部してくださった方々も面白くて、野球に対しても真剣に取り組んでくれて、そんな何気ない練習風景を裏で見てるだけで、何だか活力を分けてもらえるようで……」

 

 −–−–−マネージャーとして、このチームを支えたい。

 そんなチームが大好きだからこそ、七瀬は自分のできることを果たし、夢を叶えてるお手伝いがしたいのだ

 

「……分かるよ、その気持ち。俺も普段イジられたりすることもあるけど、なんだかんださ、アイツらが好きなんだよな。俺、バカだから言葉で表現するのは難しいけど、好きだから……だからこそこのメンバーで甲子園に行きたいって、嫌でも思っちまうんだよな」

「ふふっ。私達って似た者同士かもしれませんね」

「そうだな」

 

 選手とマネージャー。

 役割は全く違うと言えども、目指すべき目標や志は同じ大切な仲間である。それはこの2人も例外に漏れていなかった。

 

「よしっ、この宿題を終わらせたら素振りでもするか! はるかちゃん、あともう少し頼むよ!」

「−–−–−ええ、もちろんです♪」

 

 これは余談になるが秋の大会が終わった後、今宮は勉強を教えてもらったお礼として、奢りで一緒に遊園地へ行ったそうだ。当の本人達は大いに楽しんだのだが、その事を七瀬が上機嫌で早川に話してしまい、今宮の元へ嵐の数の鬼電が来たのはもう暫く後の話であった。

 

 

 

 

 

⭐︎

 

「走ってくるから先に晩御飯食べてていいよ」

「それはいいけど、あんまり根詰めすぎないようにね」

「分かってるわ」

 

 時刻は19時を回ろうとしているが、少女はランニングシューズに履き替えて家を飛び出る。

 

「はっ、はっ、はっ、はっ……」

 

 休日に決まって行う3〜5kmの走り込み。それはリトルリーグ時代からほぼ毎日行ってきた川瀬の日課であった。シニアまでは7回の短いイニングで切り抜けられるが、高校からはそうはいかない。

 自分よりも体と体力が一回りも二回りも大きい男子に対して最低でも9回の長丁場を投げ込むのだから。例え後ろにリリーフが控えていたとしても、それがエースナンバーを付ける自分の絶対的な使命であると、川瀬は誰よりもそう考えていた。

 その為にも強靭なスタミナと足腰を作るのは必須条件だ。

 

(もっと強くならないと……真島さんのような真のスラッガーには絶対勝てない!!)

 

 相棒の大地が困惑するほどの負けず嫌いさを放ちながら、黙々と走る。気が付けば川瀬がいつも通る近くの河川敷に来ていた。

 

(………ん?)

 

 前方にある河川敷の街灯の下で、少女が体育座りで蹲っていた。

 たまらず足を止め、川瀬はその少女の元へゆっくりと向かう。

 

「もしかして愛美……ちゃん?」

「えっ、その声って……川瀬先輩っ!?」

 

 特徴的なショートボブの髪型にかつて自分と八木沼が通っていた中学の制服、そして座り込む少女の横に置かれた年季のあるエナメルバッグ。

 それだけでこの少女が誰なのか、川瀬からしたらお釣りが貰えるだけの情報量だ。

 

 −–−–−八木沼愛美。

 聖タチバナ学園野球部・副キャプテン、八木沼隼人の妹で、学年は一ノ瀬達の2つ下で、三船南に通う中学3年生だ。

 ポジションは外野を任され、とにかく走力がウリの選手である。

 シニアで野球をしていた兄とは異なり、こちらは中学の軟式野球部に所属していた野球少女で、川瀬がまだ横浜シニアに所属していた頃に八木沼を通じて知り合い、関係もかなり良好であった。

 

「うわ〜、久しぶりね! 元気にしてた!?」

「あ、はい……何とかって感じですかね……」

 

 どこか覇気のない後輩の様子に、川瀬は一瞬首をかしげる。

 

「もしかして、何か悩み事でも?」

「ふえっ? そそっ、そんなんじゃないですよ!! ちょっと休んでただけですって!」

「−–−–−嘘。愛美ちゃんって昔から嘘つくと目がすっごく泳ぐもん。バレバレだよ」

「うぐっ……」

 

 そっと微笑みながら、彼女の隣に川瀬も座る。

 そんな仕草を見て観念したのか、八木沼愛美はゆっくりと語り出した。

 

「私……野球を辞めようか考えてるんです」

「…………」

「元々、野球を始めたのだってお兄ちゃんに憧れたのがスタートでした。自分もあんな風になりたくって……でも私は川瀬先輩みたいな強さも、六道さんみたいな技術も、橘さんみたいな変化球も投げれないんです。ただ足だけが速いだけでバッティングはからっきし、守備だって外野を任されているのに肩はそれほど強くない、それに……最後の夏の県大会だってレギュラーで私だけ一度もヒットを打てなかった……!」

 

 次第に少女の肩が震え始める。

 

「前はあんなに楽しかったのにっ、辛いんです!! 大好きな野球なのに……自分なんか高校野球に行ってもどうせ通用しないんじゃないかって…っ…ううっ……」

 

 ポロポロと溢れる涙。

 それは野球が好きでも自分には他の女性選手のような才能がないと、自分が1番痛感していたからこその悔し涙だった。

 ヒットは全く打てない、肩も弱い、投手に転向できるほどの力も無い、唯一あるのは足の速さだけ。しかし足の速さなら兄である隼人にも備わっており、その上で彼は守備やバッティングも上手い。

 

 憧れの存在だった兄が、いつしか己と比較して苦しめる存在になっていたのかもしれない−–−–−

 

「そっか……でも愛美ちゃんは野球そのものは嫌いじゃないんでしょ?」 

「ぐすっ、それは……」

「確かに才能の有無は重要かもしれない。だけど−–−–−それが野球を諦める判断材料にはならないよ」

「!……」

「それにね、私だって愛美ちゃんと同じなんだよ」

「おな、じ……?」

 

 川瀬は愛美の頭に手を置くと、優しく撫でた。

 

「私って根っからの負けず嫌い女だから、勝った喜びよりも負けた悔しさの方が全然多いの。その分だけ泣いて、練習して、また負けて……今もその繰り返しなのよ」

「…………」

「私はね、愛美ちゃんが思ってるよりも強い選手じゃない。こうして走ったりして焦る自分の気持ちを抑えるくらい、余裕がないもん」

 

 エースとしてマウンド託される者の重圧。

 それは本人にしか知りえない重圧があり、押し潰されそうにもなる。

 そんな彼女がマウンドに上がり続ける理由は−–−–−

 

「−–−–−それでも私は野球と、このチームが好きだから頑張れる。失敗や負けを恐れて辞めるなんてもったいないから」

「!」

 

 キッカケは兄への憧れであっても、愛美の野球への愛は嘘でなかった。その証拠に愛美は引退後も道具の手入れは怠らず、他の誰よりも練習へ顔を出している。

 

 

 −–−–−自分は……本当はまだ野球をやりたいんじゃないのか?

 

 

「……そうだ愛美ちゃん。再来週から私達、秋の県予選が始まるんだ。その試合、是非観に来てよ」

「試合に……ですか?」

「ええ。さっき大地から連絡があって、トーナメントの日程と組み合わせが決まったの。初戦が友ノ浦と三船の勝者、その後順当に勝ち進めば準々決勝で帝王、準決勝で海堂とだからセンバツへ行くにはこの2校を負かさないとダメだけどね」

「…………」

 

 自分の試合を見せることで彼女にある種のキッカケが与えられればそれでいい。

 それは小学生時代の愛美が楽しいそうにグローブとバットを使って野球する姿を知っている川瀬だからこそ、その気持ちを思い出してほしかったのだ。

 

「−–−–−分かりました。学校で授業があるので平日は来れないですが、土日祝で試合と重なっている日には必ず行きます」

「ありがとう。 観ててね、私たち勝って絶対に甲子園に行くから!」

 

 月明かりと街灯のみが照らされる夜の河川敷で交わされた少女たちの約束。

 川瀬は立ち直った愛美と共に、その場を後にした。

 その時に垣間見えた愛美の表情は、かつての野球を楽しんでいる頃の明るさを僅かに取り戻していたのだった。



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第四十話 vs三船高校 覚醒の兆し

 

 十月第二週目。

 ついに秋季県大会の幕が切って落とされた。

 もう一度大会周りの情報についておさらいすると、秋は夏と異なり、優勝と準優勝した高校が県の代表として春のセンバツへ出場できる。つまり甲子園を目指すのであれば最悪、優勝は狙わなくても行けるのだ。

 

 だが俺が引いたクジはどれだけ勝ち進んだとしてもベスト8で帝王、ベスト4に海堂と当たるから事実上は優勝しないと道はないものだった。

 

 しかも杞憂している点はそれだけじゃなかった。

 

「よし、全員集合だ。いよいよ今日が初戦のわけだが、前にも言った通り、今大会は夏とは訳が違う。相手も練習時の偵察や試合の研究、それら分析の末に対策を立てて挑んでくるはずだ。これまで通りに挑めば間違いなく痛い目を見るだろうな」

 

 パワフル高校の撃破と帝王実業との試合で良くも悪くも世間からの注目を集めてしまっている。つまり、厳しいコース攻めやシフト、最悪の場合、敬遠策を打ってくることも予想できるのだ。

 

「ああ。だが向こうがいくら対策を立てようとも、俺たちがそれを実力で上回れば良いだけの話だ」

「そうね。癪だけど私もコイツと同意見だわ」

「周りが研究をしていても、私らも立ち止まってたままじゃない。各々が力を出し切れば、必ず勝てるぞ」

 

 友沢、みずきちゃん、聖ちゃんがそれぞれが頼もしい言葉を返してくれた。

 いらない心配だったかもしれないな、こりゃ。

 

「ん、じゃあこのままオーダーも発表するぞ−–−–−」

 

 

 聖タチバナ学園 スターティングオーダー

 

1番 センター 八木沼

2番 ファースト 六道

3番 キャッチャー 一ノ瀬

4番 ショート 友沢

5番 サード 大島

6番 セカンド 今宮

7番 レフト 東出

8番 ライト 原

9番 ピッチャー 川瀬

 

 

 三船高校 スターティングオーダー

 

1番 ショート 駒坂

2番 ライト 石嶺

3番 ファースト 大林

4番 キャッチャー 小森

5番 ピッチャー 山根

6番 サード 太田

7番 センター 山﨑

8番 セカンド 木村

9番 レフト 峰

 

 

 相手の三船高校も夏の大会では帝王実業に敗れたものの、結果はベスト16。それに、帝王戦以外は全部の試合で5得点差以上離しての勝利をおさめている為、油断は決してできない。

 

「…………」

「ん、どうしたんだ八木沼?」

「いや……何でもない」

 

 妙だな。

 普段冷静な八木沼がこの日は何故か観客席の方を特に気にしている。

 誰か知り合いでも観に来ているのか?

 

「大地」

「おう、どうした?」

 

 あと数分で試合が始まろうとするタイミングで、涼子が俺の肩をポンと叩きながらやって来た。

 

「−–−–−私、頑張るから。絶対に甲子園へ行こう」

「?、ああ……」

 

 どこか意味深に感じられるエースの意気込み。

 気合いが入っているのは確かに伝わったが、どこかいつもの涼子と様子が違って見えた……。

 

 

 

 

⭐︎

 

『プレイボール!!』

 

 午前9時。

 ウチの先行で試合がスタートした。

 

「お願いします」

 

 トップバッターの八木沼がゆっくりと打席へ入る。

 相手のバッテリーは山根・小森のコンビ。が、山根に関しては夏の大会には一度も登板しておらず、データらしいデータが全くない。まだどのレベルのピッチャーなのか不明である以上、まずは球種を探るところから始めるのが先決になる。

 

「しまっていこう!!」

 

 小柄ながらも大きな掛け声でチームを盛り上げる司令塔、小森大介。

 三船高校の新キャプテンを任され、キャッチャーながら4番に座る選手だ。ちなみに夏の大会では本塁打・打点・打率共にチームトップの成績で、帝王実業戦では先発の山口からヒットも放っている。リード面は強打者に対しては安易な勝負はせず、より確率の高い方を的確に選ぶ頭脳的な一面も併せ持つ。

 彼の他にもファースト守る大林も打力が高く、また、ショートの駒坂は名門『パワフルシニア』でも1番ショートを任されていた有名な一年生だ。

 走攻守でどれを取っても侮れない、非常にバランスの良いチームだぜ。

 

 セットアップからスリークォーターのフォームで山根が投じる。

 ボールはインコースギリギリにストライクゾーンへしっかりと収まった。

 

『ットーライクッ!』

 

 球速は124キロとやや遅いが、初球からコントロール良く厳しいコースを突いてきた。

 続く2球目は外角低めへ僅かに外れてボールとなり、続く3球目−–−–−

 

 カキィィィィンッ!!

 

(よしっ!)

 

 内角よりやや低めのストレートを引っ張り、打球はサード線ギリギリを強襲する。打った瞬間に八木沼は抜けたと確信するが−–−–−

 

 バシッ!! 

 

「アウト!!」

 

 サードの太田に逆シングルで上手く捕られ、アウト。

 今のよく捕ったな……サードの反応が良いのか、それと位置取りが良かったのか、とにかくこれはしょうがない。

 

『2番ファースト、六道さん』

 

 静かに一礼し、打席に入る。

 初球はインコース低めにストレートが決まり、ストライク。続く2球目3球目もインコースにストレートへ投じるが両方ボールに。

 

(インコースが多いな……)

 

 続く4球目もインハイへのストレート。

 ヤマを張っていたかの如く聖ちゃんはそのストレートを引っ張る。

 

「!、ふっ!!」

 

 打球は三遊間を襲う強いゴロ。

 が、今度はショートの駒坂が横っ飛びで捕球すると、体を一塁方向へ捻りながら送球した。

 

「あっ、アウトー!!」

 

 これも捕るのかよっ!?

 なんつー守備範囲の広さだ……しかもあれだけ無理な体制ながら一塁への送球はストライクだった。

 このファインプレーには観客席からも拍手が送られ、三船サイドも大いに盛り上がった。

 

「ドンマイ聖、しょうがないわ」

「……うむ」

 

 難しそうな顔をしながら聖ちゃんが戻り、次は俺の打席となる。

 ツーアウトランナー無し。

 今の所ストレートしか投げてない以上、まずは変化球がどんなものか見極めた方が良さそうだな。

 ふぅ、と一息ついてから打席に入る。

 

 しかし三船バッテリーが選択したのは勝負ではなく−–−–−

 

 

  小森が右手を横に出しながら立つ。そう、敬遠だ。

 

 

「ツーアウトランナー無しで敬遠だと!?」

「一ノ瀬の打力を警戒するのも分からなくはないが……初回からやるとはな、驚きだ」

 

 山根も特に気にすることなく、大きく右に外して投げる。

 それだけ俺の実力を警戒してるってわけだからそこは嫌じゃないけど、この場面なら別に勝負しても問題ないと思うが……バッテリーはそれでも避けたかったのか。

 

『ボールフォア!!』

 

 何もしなくても塁に出れるんだ、とりあえず良しとしよう。

 次の友沢ならホームランも期待できるはず−–−–−

 

「なっ……!?」

「はぁ!?」

 

 

 みずきちゃんと聖ちゃんの驚嘆する声が聞こえる。

 それもそのはずだ。このバッテリー……次の友沢も勝負を避けやがったんだからな。

 

『ボール!!』

「もうっ! 一回の表のツーアウトよ!? ここも勝負しないってどういうことよ!!」

「落ち着けみずき。 それに2連続敬遠のおかげでツーアウトながら1・2塁だ。逆にチャンスじゃないか」

「む〜、それはそうだけど……」

 

 友沢も歩かされ、これでツーアウト1・2塁。

 こんな形でチャンスが生まれとはな。予想できるかっての。

 

『5番サード、大島君』

 

「…………」

 

 ん? 珍しいな。

 普段なら「いよっしゃ!!」とか声を荒げながら打席に入るんだか、今日は嫌なくらいに冷静だ。

 大島は夏の大会後から友沢につきっきりで変化球打ちの練習をひたすら行っていた。当初は俺も大島に付く予定だったが、友沢から「俺に任せてくれ」と強く押されたため、アイツに任せてみた。

 友沢の打撃センスはチームでも随一な上、その頃は蛇島から受けた怪我がまだ癒えておらず暇な日々を過ごしてたからな。リハビリと並行して打撃指導してくれたのはありがたい話だぜ。

 

「よしっ、山根くん!! 行くよ!!」

 

 小森がどっしりと構えながらミットをバンッ!と叩いて構えた。

 俺と友沢は避けて大島で勝負か。おそらく大島が変化球を苦手としているのを知っている上での敬遠策って事か。

 

(小森……こりゃ予想以上の激戦になるかもしれないな)

 

 試合に戻り、大島への初球。

 セットアップからの一発目は大きく弧を描いて外角低めのミットに収まった。

 

『ットーライクッ!!』

 

 カーブか。

 良いコントロールだな。

 右打ちからすればサウスポーのカーブはシンカーと同様の軌道に見える。シンカー自体が高校野球ではあまり見る変化球じゃなく、しかもあれだけ厳しいコースを突かれればいくら球速が遅くても手が出しにくい。

 

 2球目も同様のコースへのカーブ。

 大島はそれを強振するも、ボールはバットの下を通過する。

 

「くっ……!」

「大丈夫だ大島ー! もっとボールを引きつけて打つんだ!!」

 

 ネクストサークルの今宮からアドバイスを投げられるも結局3球目もカーブを空振り、三振に倒れてチェンジになった。

 

「くそっ……すいませんでした」

「気にするな、まだ初回だ。ゆっくりとタイミングを合わせていけば良い」

「……っす」

 

 友沢に諭されながら守備に付く大島。

 そうだ。まだ初回だ。それに友沢が無策なまま大島を試合に出すとは考えにくい。今は2人を信じて俺は出来ることをやるだけだ。

 

「よし、久々の試合だけど緊張はしてないな?」

「ええ。多分だけどこの試合、投手戦になるかもしれないからね。初回から飛ばしていくわ」

「ん……それだけの気合いがあるなら大丈夫だな」

 

 互いのミットを軽く叩きそれぞれの場所へと戻る。

 涼子も帝王戦後、イチから体を鍛え直し、最近では球速もついに130キロを超えるようになった。と言っても筋肉を無理に付けるとかそういったトレーニングではなく、体幹と柔軟を重点的に伸ばしつつ、彼女の体格に合わせて重要な部位の筋肉を付けるといった内容だ。

 

 実は球速を伸ばす方向でのトレーニングは俺の提案ではなく、涼子からの頼みだった。

 俺としては多彩な変化球と精密なコントロールをウリにする技巧派が合うんじゃないかと考えていたが、真島さんから強烈なホームランを打たれ、今後ああいったバッターを抑えていくには技術面だけ出なく力でねじ伏せていかなければならないと、涼子が1番痛感したらしい。

 

 女性選手で130キロ、ハタから見れば速すぎる速度だ。しかし男子を交えての野球となれば話は大きく変わってしまう。

 それでも彼女が弱気にならずに強打者は立ち向かっていけるのは生まれつき持った負けず嫌いとたゆまぬ努力があるからこそだ。

 

(さて……)

 

 まずはこの大事な初戦。

 油断せず、そして勢いをつけて必ず勝ってやるさ。

 

 

 

 

 

⭐︎

 

「ナイスピッチ山根君〜」

「ああ、大林」

 

 グローブ越しでハイタッチをしながら山根君と大林君がベンチに戻ってくる。緊張した初回だったけど何とか作戦通り無失点で切り抜けることができた。

 聖タチバナは新設校ながらもほぼ全員が全国区レベルの実力とポテンシャルを秘めている。特に帝王シニアで投手と遊撃手の二刀流を備えていた友沢亮君、チームのキャプテンと守備でも要を務める一ノ瀬大地君は特に警戒しなければならない選手だ。

 

「ここまでは計画通りだな、小森」

「うん。でも問題は守備よりも……」

 

 そう、打撃だ。

 聖タチバナはとにかく投手の層もかなり厚い。

 エースナンバーは技巧派右腕、その他にも左のサイドスロー、140キロのストレートとナックルを操る二刀流、影に隠れがちだが地味に140キロ前後のボールにスライダーとフォークを投げる本格右腕と、4人もタイプの違う投手が控えている。

 夏の大会の試合を見る限り、対抗できそうなのが僕と駒坂君、大林君、山根君の4人だけだ。

 

「バッティングなら小森達を信じるさ。俺は自分の仕事を徹底的に遂行するから安心して打席に入れ」

「山根君……」

 

 ううん、弱気になるな僕。

 少しずつだけど三船だって力を付けてきているんだ。選手層で負けているとしても、甲子園を目指す気概は絶対に負けていない。

 キャプテンとしてこのチームを勝利に導く、それが僕の役目であるんだから試合が終わるまでは本田君のように闘志を持って立ち向かうんだ!

 

 

 

 

⭐︎

 

『1番ショート、駒坂君』

 

 駒坂瞬。

 パワフルシニアでは俊足巧打の1番打者として活躍。大島と東出が言うにはパワフル高校の奥野樹をも凌ぐ天才らしく、一言で表すなら「パワーが落ちた友沢」と言わしめるほどらしい。

 夏の大会時からレギュラーとして出場し、ベスト16までの成績は最終打率が6割5分、盗塁数7、エラー数も守備機会が多い遊撃手ながら0と、大車輪の活躍だ。

 

 俺としてもこの試合で最も警戒しなければならないのがこの駒坂だ。

 パワーこそはないもののヒッティングのセンスは友沢に迫るほど。しかも選球眼も良く変化球への対応もかなり良い。球種の多い涼子でもかなり不安要素が多い相手だ。

 

(まずは外角低めにストレート。思い切り振ってこい)

 

 しなやかなギブソンのフォームから繰り出される129キロのストレート。ボールは俺の構えているミットからほぼズレずに吸い込まれた。

 

『ットーライクッ!!』

 

 よし、よく回る良いボールだ。少々張り詰めた表情をしていたが、緊張はなさそうで安心したぜ。

 2球目もムービングファストが低めに決まり、早くもカウント2ストライクだ。

 

(3球勝負で決めるぞ−–−–−)

 

 俺の出したサインはインコース低めは落ちる縦スラ。

 投じられたボールは少々真ん中に寄ってしまったが、高さは文句なしだ。いくら駒坂といえどもカットするのが精一杯のはず−–−–−

 

 キィィィィンッ!!

 

(なっ!?)

 

 あのコースをアジャストだと!?

 打球は矢のような軌道でセンターを守る八木沼の方向へ飛ぶ。

 

(っ!、届けっ!!)

 

 普通の捕球では届かない。

 瞬時の判断で八木沼は懸命にグローブをはめた左腕を伸ばしながらダイビングキャッチの体勢を取った。

 

『あ……アウトアウトォ!!』

 

 とっ、取りやがった……。

 おいおい。三船の連中といい八木沼といい、さっきからファインプレーのオンパレードだぜ。

 

「ナイキャッチ八木沼ー!」

 

 立ち上がって帽子を被り直し、右手を軽く振ってクールに応える。たまに忘れちまうが八木沼の足の速さは聖タチバナ陸上部の連中が部員として欲しがるほどの速さだ。更に八木沼は打球が飛んでからの判断と反応も良い。

 

(……でもこの打球も取れるとは思わなかったけどよ)

 

 この好プレーに感化されたのか、続く石嶺を変化球のコンビネーションで三振、大林は僅か3球で平凡なライトフライに打ち取り、一回の守備は終わった。

 

「良い立ち上がりだな。ナイピッチだぜ」

「うん。でもまだ一回だから油断はできないわ。それに……」

「ん……涼子?」

「ううん、なんでもないわ」

 

 何か言いかけたが、涼子はそれを飲み込んでそそくさとベンチへ戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 試合は8回の裏に入ろうとするところ。

 私は川瀬先輩と約束した通り、三船戦の試合観戦に来ていた。今日は日曜日ということもあってか、両校の関係者の他にも一般の観戦客や他校のチーム、そしてメモを片手に観戦する大人も僅かではあるが確認できる。

 多分、メモを取っているのはどこかのプロチームのスカウトなのかな。パワフル高校を下し、帝王実業にも途中まで善戦した影響は私の予想を超える影響力だった。

 

 やっぱり凄いなぁ、川瀬さんやお兄ちゃん達……。

 

 得点は両軍とも未だ0対0。

 けれど安打数はタチバナ8なのに対し、三船はたったの2だ。

 

 が、三船高校も私の予想を上回る粘り強さを見せている。

 確かに被安打数こそ多いものの、要所要所を敬遠やシフトで切り抜けている。もしかしたら守備に関しては神奈川県全体で見てもトップのチームなのでは……と思わず考えてしまうほどの良いチームだ。

 

 これが……高校野球の舞台なんだ−–−–−

 

「ごめん愛美ちゃん! 遅れたッス!!」

 

 試合へ見入っていた間に入る聞き覚えのある声。

 すると横には桃色の髪が特徴の女の子が息を切らしながら膝に手をついたていた。

 

「あ、ほむらちゃん。遅かったね」

「本当にすまんッス……お父さんがギックリ腰をやったせいで店の手伝いが長引いて……し、試合はどうッスか?」

「うーんと……丁度スリーアウトになったから次は9回の表だよ。得点は0対0」

 

 この子は『川星ほむら』ちゃん。

 私と同じ三船南軟式野球部に所属する一部員の女の子だ。

 部員と言っても選手ではなくマネージャー。でも実家はバッティングセンターを経営しており、家族揃って大の野球好きだ。

 

「緊迫する投手戦ッスね。てっきり聖タチバナのゴールド勝ちに終わると思ってたんスが」

 

 ふぅ、と一息つきながら私の隣に座る。

 私とほむらちゃんは小学校からの幼馴染だ。お互いに野球が好きな女の子同士、すぐに打ち解け、気が付けば同じチームの選手とマネージャーになっていた。

 語尾に「ッス」を付けたり少々抜けている部分はあるけど、とても優しく、何より女性選手である私に対して偏見の目を持たずに応援してくれる。

 私にとって心から気の許せる大切な友人。それがほむらちゃんだ。

 

「で、愛美ちゃんお気に入りの川瀬さんはどんな感じ……おおっ、調子良いじゃないッスか! この調子なら完封勝利も行けるッスね!」

「うん。そう、だね」

 

 そしてイニングは9回の表へと入る。

 打順は1番のお兄ちゃんからだ−–−–−。

 

 

 

 

 

 

「ナイスバッチ八木沼ー!」

 

 9回表。

 先頭バッターの八木沼が外角のカーブを綺麗にライト前へ流し、ノーアウトから出塁。

 好投を続ける涼子の為にも、いい加減この回で先に先制しておきたいが、俺と友沢はスイングさえさせてもらえていない徹底マークを喰らい、変化球がからっきしの大島との勝負に行っている。

 本当は聖ちゃんにバントをさせてチャンスを広げるのが定石だけど、おそらくこの回も敬遠策をするだろうからバントは意味をなさない。となると聖ちゃんがヒットで出塁すれば俺と友沢のどちらかで勝負せざるを得ない状況を作れる。ここは打たせるのが正解だ。

 

「六道。行けるか」

「ん……ああ、分かってるぞ」

「すまないな。お前も……」

「気にするな。これも"アイツ"のためだ」

 

 友沢から何か一言を貰って打席へ入る。

 今日の聖ちゃんは当たりこそ良いもののヒットに恵まれていない。

 

(次は……あっちだな)

 

 初球は真ん中からインコース低めへ落ちていくカーブ。

 山根も9回まで1人で投げているが、落差を見る限り衰えを感じさせない。エースナンバーを付けるだけの事はある、スタミナもきっちり鍛えてやがるぜ。

 2球目はインコース低めへのストレート。これもストライクゾーンに収まるが、聖ちゃんは見送り、早くも追い込んだ。

 

 実は聖ちゃんがボールをヒットにした際のコースを割合で分けてみると、約7割が外角ゾーンのボールで、内角は僅か1割程度しか打っていない。本人曰く、集中力やミート力云々ではなく、単純なパワー不足らしいが、それでも打率は友沢、俺に次ぎ3位だ。普通にすげぇよ。

 

 高めボールゾーンのストレートで一度様子見を入れ、1-2。

 そして4球目−–−–−来たのはインハイのストレートだ。

 

(ふっ−–−–−!)

 

 打球はインコースであったが聖ちゃんはこれをライト方向へ流した。

 快音と共に打球はファーストの右横を襲う。

 

 バシッ!!

 

 恐るべき打球反応、それとも186cmという長身が助けたのか。

 ファーストを守る大林が懸命にグラブを伸ばして捕った。

 

「っ!、戻れっ!!」

 

 しかも運悪く八木沼は長めにリードを取っていたためファーストからかなり離れた位置にいた。

 一塁コーチャーの岩本が声を荒げるも大林のタッチが僅差で早く、最悪のダブルプレーだ。

 

「…………」

「…………」

「気にすんよ2人共!! あれは運が悪かっただけだぜ!」

 

 2人が落ち込みながらベンチへと戻る。

 後から今宮がフォローするも、試合の流れは芳しくない。

 

『3番キャッチャー、一ノ瀬君』

 

 俺が打席に入る前に小森は既に立っている。

 俺、そして友沢はこれで今日5度目の敬遠だ。

 

『ボール! フォア!!』

 

 くっそー。

 出塁率10割なのは文句ないが問題はこの後だ。

 大島は今日全ての打席が得点圏でまわっているが、結果は3三振とピッチャーゴロ。特訓の成果に期待して5番に戻したのだが……まだ時期早々だったのか……。

 

(代打……)

 

 この言葉が頭に浮かぶ。

 今はとにかく単打でも良い、一点が欲しい場面だ。大島には本当に悪いが調子の悪い選手を使い続けるより、ここは代打を送った方が可能性はまだあるかもしれない。

 

(−–−–−よし)

 

 ここは大京を代打に送ろう。

 腹を括り、俺は二塁塁審に声をかけようとする−–−–−

 

『タイム!!』

 

 しかしタイムの声を発したのは二塁ではなく一塁の塁審だ。

 ?、一体誰がタイムを−–−–−

 

 

 

 

 

 これほど悔しい思いをしたことはなかった。

 それは俺なら勝負をしても問題ないという三船の策略に対してではなく、俺の不甲斐なさにだ。

 変化球に対応できずにいる俺をそれでも我慢強く起用し続けてくれた一ノ瀬先輩、俺の為に貴重な時間を割いてまで特訓に付き合ってくれた友沢先輩。他のチームメイトも口にはあまり出さないが、俺へまだ期待を寄せているのは同じ時を過ごしているからこそ、嫌でも感じ取れる。

 

 なのにこのザマだ。

 ストレートには滅法強くても変化球は高校どころか中学レベルのままだ。もっと引きつけろ、よく見ろ、雑に振るな……昔からキリがない数の助言を貰っても一向に改善できない。頑張ってはいるのに、決して努力を怠ってはいないのに。

 

 

 −–−–−代打を志願しよう。

 

 

『タイム!』

 

 ……ははっ、俺が頼む前に頼んであるじゃないか。流石一ノ瀬先輩だ。

 さてと。これで俺の役目は仲間の応援のみだ。結果は出せなかったがせめてチームを鼓舞するくらいはしないと−–−–−

 

「大島」

「分かってるっすよ一ノ瀬先輩。後は先輩方に−–−–−って友沢先輩?」

 

 なんで友沢先輩が来てるんだ?

 選手交代の采配は一ノ瀬先輩が出すはずなのに……。

 

「時間がないから手短に言うぞ。いいか、お前はバカなんだから一度に複数の考えを張り巡らせるな。お前がすべき事はただ一つだ」

「ただ……一つ……」

 

 

 

 

 −–−–−3日前。

 

「苦手じゃない?」

「ああ。お前は変化球が苦手と思ってるが、それはお前のバッティングに対する考え方が悪いだけだ」

 

 打ち込みの合間の休憩時間。

 ふと、友沢先輩にこんな事を言われた。

 

「お前最近、どんな事を考えて打席に入ってる?」

「考えって……まぁ、来たボールをしっかり引きつけながらも芯を捉え、かつフルスイングで長打を狙う……って感じっすかね」

「確かにどれも決して間違いではない。いや、寧ろ正解だ。単打よりも長打の方がチャンスも得点も得られやすく、引きつけわ芯を捉える意識もバッティングの基本だな」

 

 だが−–−–−と続けて友沢先輩が続けてこう言った。

 

 

「お前は東出と違って複数の考えを張り巡らせながら打席に立つのができない選手だ。普段言われてる言葉で表すなら……単細胞、バカだ」

「ばっ……う……」

 

 唐突なディスりがグザッと胸に刺さる。

 いや頭は悪いし要領もあんま良くないけどさ! そんな真っ正面から悪口言われると普通にショックっすよ!

 

「でも……その弱味は裏を返せば長所でもある」

「ええー……馬鹿なのが長所なんすか……?」

「最後まで聞け。お前はマルチタスクはできないが、反対に1つの物事に対して発揮される能力は他の誰よりも高い。多様な変化球はダメでも直球打ちは超高校級だ。ストレートに的を絞って打てば150キロオーバーのストレートでさえ長打にできる才能を持っている。つまり……その長所を変化球にも傾ければいいんだ」

「変化球にも……」

 

 うーん。

 それならもうやってるつもりなんだけどなぁ。俺と友沢先輩との間で考え方に違いがあるのか?

 変化球に対して色々考えながらやって−–−–−

 

 

「あ、ああっ!?」

「やっと気がついたか」

「つまり、変化球に対しても1つに絞って考えろって事っすね! 俺がバ……あー、マルチタスクが苦手なんで!」

「そうだ。お前のオツムでも理解できたのはいいが、残念ながら試合までもう時間がない。あんまり技術的な事を深く教えた所でお前にはかえって逆効果だ。となると俺からのアドバイスはただ一つだ−–−–−」

 

 友沢先輩からのアドバイス……それは、

 

 

 

 

 

⭐︎

 

 

「ただいま」

 

 試合を終え、学校で各自解散となったのは昼の1時半頃。

 それから近所のミゾットスポーツに寄って足りなくなっていたグローブオイルを買い足し、家に着く間に時計は2時を回ろうとしていた。

 

「おかえりお兄ちゃん」

「おかえりッス八木沼さん」

「ん? 川星さん、来てたのか。久しぶりだな」

 

 テーブルに食べ終えた後の食器が残っているのを見ると、リビングで2人仲良く昼食を食べていたのだろう。

 試合が終わったのが昼頃だったのもあり、まだ昼食は食べてなかったな。確か昨日の晩の余りが冷蔵庫に……

 

「あれ……おい愛美。昨日母さんが作った生姜焼きの残りは?」

「あー……ごめんね。あまりにもお腹空いてたからほむらちゃんと全部食べちゃった」

「−–−–−来月のお小遣い俺に半分寄越せよな」

「ええっ!?それはないよー!!!」

「黙れ。食べ物の恨みは恐ろしいってことをちゃんとに妹に教えてやるんだ。逆に感謝しろ」

「ううっ、ごめんってば〜」

「はぁ……」

 

 全く、怒ったら余計に腹が減ったな。

 仕方ない、適当にスパゲッティでも茹でて食べるか。

 

「相変わらず仲の良い兄妹ッスね〜、関心関心」

「はいはい。いらない褒め言葉ありがとな、川星さん」

 

 パッパとスパゲティを茹で、上にミートソースをかけて完成だ。

 ソースはレトルトだが、お腹がかなり空いているからそれだけで十分すぎるほどの調味料となっている。

 

「美味しそうッスね。ほむらにも一口−–−–−」

「−–−–−ウチを出禁にするけど大丈夫か?」

「あ……冗談ッス」

 

 そんなこんなで雑談を交えつつ、簡単な食事も終えてようやく一息付く。少し休んだら道具の手入れをして、学校の課題も早めに片付けないとな。と、その前に……

 

「愛美。今日試合観に来てただろ」

「えっ、あ、う、うん……」

「俺が高校に上がってから試合観戦になんて一度も来たことなかったのにどういう風の吹き回しなんだ? しかもまだ県大会の初戦なのに」

「っ〜、お兄ちゃんには関係ないの! なんとなく私が見に行来たかっただけだから!」

「お、おう……」

 

 そんな食い気味に怒らなくてもいい気はするが……まぁいいか。

 

「でも予想外だったッスよ。てっきり聖タチバナがもっと大差で勝つと思ってたんスから」

「うん。決して弱い相手ではないと思うけど、得点も9回まで取れなかったし。もしかして調子が悪かったりした?」

 

 ……そうか。2人"も" まだ知らなかったっけな。

 

「もう試合も終わったしいいか。実は今日の試合はな−–−–−」

 

 

 

 

 

 聖タチバナ野球部・部室。

 

「意図的に打たなかった?」

 

 友沢からの衝撃的な言葉に俺は自分の耳を疑った。

 試合は9回まで互いに無失点のままもつれたが、大島が起死回生のタイムリーツーベースで先制すると、その後は面白いように点を取り、終わってみれば6対0、涼子も完封勝利のおまけ付きで完勝した。

 結果だけに目を向ければこんなに驚くことはなかった。そう、友沢からのこの説明がなければ−–−–−。

 

「ああ。大島が変化球を捉えるまで、俺がお前と大島以外の野手陣に頼んで0点になるよう調整してもらったんだ」

「は、え、嘘……だよな?」

「本当だ」

「……マジかよ」

 

 皆の悔しさや張り詰めた表情を見る限り、とてもそんな風には見えなかったぞ?

 

「……まさかだが、大島を極限まで追い込めば打つんじゃないかって考えたからやったのか?」

「当たりだ」

「当たりかい!!」

 

 いくらチームメイトの成長を促す目的とはいえ、負けてたら本気で怒っていたぞ。

 

「うーん……結果的に勝てはしたから不問にするけどさ、俺を含めても良かったんじゃないのか?」

「ほら、よく言うだろ? 欺くにはまず味方からって。1人くらいそういう奴がいないとバレるんじゃないかって心配でな」

「それで俺が選ばれたのかよ……」

 

 はぁ〜……もう何が何だか分からんよ。

 

「んで、タイムの最中に大島へ何を吹き込んだんだ?」

「ああ、そのことか。別に大した事は言ってないさ。ただ一言−–−–−

 

 

 

 −–−–−適当なスイングで良いからバットにボールを当てろ。

 

 

 

「それだけだ」

「……え?」

 

 たったそれだけで……大島はカーブを捉えてタイムリーツーベースを打った、のか?

 

「あれだけの反射神経とパワーがある選手がなぜ高校野球平均レベルの変化球に全く対応できないか。俺はずっと疑問だった。豪速球に反応できる眼と恵まれたフィジカルを持ちながら、変化球だけはダメ。ここ1、2ヶ月アイツを見て、辿り着いた答えが打ちやすいようにさせてやること、だったのさ」

 

 元々ポテンシャルはあるんだからバットに当てさえすればヒットゾーンに運べる。無駄にアレコレ考えるくらいなら全部捨てて一個に絞ってスイングしろ。

 なんつーか、長い時間考えた末の結論がコレとは、大島らしいと言うかなんというかさ。

 

 だが変化球を捉えた際の大島のフォームは適当とは言い難いほど綺麗にまとまっていた。

 一切力みを感じさせず、それでいてボールは真芯をしっかり通り、体の軸も全くブレぶすに一直線に回る、まさに理想に近いフォームだったのだ。

 

 もし……これを大島が高い次元でマスターできれば、アイツに死角はないんじゃないか……?

 

 一瞬だけ、背中をゾクリとする感覚が俺を襲った。

 

「ははっ……化けるかもしれないな、アイツ」

 

 なんだろうなこの期待感。もはや先輩という枠を超えて、同じ野球人として、アイツがどこまで伸びるのか、気になってしかたないぜ。

 

(順当に行けば先に帝王か……)

 

 香取・山口有する帝王実業。

 リベンジの鍵は−–−–−覚醒の兆しを見せ始めた一年生なのかもしれない。

 

 



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第四十一話 橘聖名子

 

「はぁ〜……どうっすかなー」

 

 放課後の誰もいない部室で、俺は1人頭を抱えていた。

 大会は順調に勝ち進み、無事にベスト8まで辿り着いた。そして明日は帝王実業との試合を控え、オーダーを考えているのだが−–−–−

 

「……悩ましい」

 

 俺をここまで悩ましているのは、大島の打順と先発投手だ。

 大島は三船戦以降も執拗な変化球攻めを受けるが、勝ち進むのと比例するように打ち、3日前の試合ではタイムリー2つを含む3安打猛打賞を記録している。

 つい最近まで110キロのカーブの前に扇風機と化していた男とは思えない活躍ぶりなのだ。

 

(うーん、確かにここ最近の大島の成長は凄いけど、次の相手は山口と香取だ。これまでの中堅レベルの投手とは次元が違う)

 

 140キロに迫る高速スライダーと、プロ顔負けの落差とキレを誇るフォーク。大島がこの怪物2人をいきなり攻略できるのか、はっきり言って分からん。

 それに前回は唐沢の捕球問題もあったおかげでヤマを張って当てれたが、もうそれも通用しないだろう。相手も万全の状態で挑んでくるはずだ。

 

(……賭けてみるか)

 

 白紙のオーダー用紙にスラスラと記入していく。

 書き終えた後でその用紙を見返すと、たまらず俺は笑ってしまった。

 

「ははっ。アイツら、どんな反応するかな」

 

 打順はこれで良し。

 あとは先発投手だが、ポイントは涼子を使うか使わないかだ。

 4試合全てに先発登板し、完封2つを含んで全勝。失点数もまだ3つのみと安定感だってある。

 成績面は良いとして、問題は投げすぎている点だ。

 

 1試合目が121球、2試合目は83球、3試合目は宇津と半分ずつで投げたため64球、そして4試合目は完封勝利を挙げて119球。

 合計すると4試合で400球弱、平均90球前後投げている計算になる。

 男子選手でもこの球数は投げすぎな部類、しかも涼子は女子だ。

 

(−–−–−休ませた方がいいな)

 

 酷使による故障だけは絶対に避けなければならない。

 調子は良いが、涼子の登板はやはり回避が無難か。

 

「となると投げさせるなら−–−–−」

 

 ガチャ。

 部室の扉が開く音が聞こえ、視線をその先に向ける。

 入ってきたのは数冊の本を片手に持った聖名子先生だ。

 

「お疲れ様です一ノ瀬さん。まだいらしてたんですね」

「はい。オーダーがなかなか決まらないものですから」

「そうですか……試合、明日ですからね」

 

 夜の7時過ぎなのに先生が来るなんて珍しいな。もう俺以外とっくに帰ってるんだけど何か用でもあるのか……?

 すると聖名子先生は持っていた本を机に置くと、鞄からノートと筆記用具を取り出し、これから勉強をするかのような態勢をとった。

 気になった俺は数冊あるうちの一冊に目を向けた。

 

「……食トレ?」

 

 本のタイトルは『0から学ぶ食トレ講座』と書かれていた。

 

「ええ、最近勉強し始めたんですが結構面白いんですよ。日頃の鍛錬も重要ですが、それと同じくらいに食事の管理も大切なんです。身体を強く・大きくしたり、トーナメントを勝ち抜くためのスタミナも付けたりと、様々な役目を果たしてくれるんです」

「へぇ〜、そうなんですね」

 

 そういや週間パワスポでもプロ野球選手の栄養管理に関する特集とかたまにやってたな。トレーニング内容と照らし合わせながら科学的な数値やデータに基づいて食事を作り、効率よく自分の目指す身体作りを行えるそうだ。

 ちなみに俺はここまでの食事管理はしていないが、それでも最低限の栄養バランスは考えて摂っている。お菓子とジュースは高校に入ってからは完全に封印し、昼も自分で弁当を作って食べている。

 

「食トレかぁ。俺と八木沼はまだしも、女性陣は甘党が多いですからね」

「そうなんですよ!! 特にみずきったら『お昼はプリンさえあればいい』って言うんです!! だから最近は私が無理に弁当を持たせて食べさせてるんですよ!」

「は、はは……」

 

 プンスカと怒る聖名子先生、可愛いな。

 確かにみずきちゃんのプリン好きは明日の試合のオーダーよりも頭を悩ませるかもしれないな。練習後にもよく聖ちゃんや涼子とパワ堂で甘いもの巡りしてる話だし。

 しかし、妹の栄養面も考えてくれるとはいいお姉さんだぜ。俺は一人っ子だからこういう兄弟がいるのは普通に羨ましいぞ。

 

「……先生」

「なんですか?」

「もしかして……ここ最近遅くまで残って食トレの勉強をしてたんですか?」

「あー……そう、ですね。本当は図書館でやりたかったんですが、業務を終えてからだとこの時間になってしまいますからね。一応校長から許可を貰って11時まではここを使わせてもらってます」

「そんな遅くまで……大変じゃないですか?」

「ええ、確かにハードです。でも私も顧問として少しでも皆さんのお役に何か立ちたくて始めたんで、そこまで苦に感じてはいませんよ」

 

 とは言うも、先生は野球部の顧問の他に2年生の数学も担当している。相当な覚悟と根気が無ければとてもこなせるスケジュールじゃない。

 

「それに……私よりもみずきの方がよっぽど頑張ってますよ」

 

 先生は鉛筆を置くと、鞄から一枚の写真を取り出して俺に渡した。

 

「これは……みずきちゃん?」

 

 写真には熊のぬいぐるみを持つ小さなみずきちゃんと、両肩に手を置いて優しく微笑んでいる先生が写っていた。

 

「私が12で、みずきがまだ5歳の頃ですね」

 

 どちらも幼くてとても可愛いなぁ。

 もうこの頃から良家のお嬢様だったんだな、2人共。着てる服や雰囲気が庶民とはかけ離れてる気がするぜ。

 

「でもね一ノ瀬君、みずきって昔から今みたいな性格じゃないの。どちらかと言えば引っ込み思案で口数も少ない、おとなしい子だったの」

「え、ええー!?」

 

 引っ込み思案って……みずきちゃんが?

 俺はてっきり昔から大勢の男子を尻に敷く小悪魔的なキャラだと思ってたんだが、マジか……。

 

「ウチは両親も祖父母も会社の経営が忙しくて殆ど構ってもらえなくってね……私は割り切って幼少期を過ごせたけど、みずきはそうもいかなかった」

 

 

 橘財閥は日本で有数の大グループだ。

 財閥のトップに君臨するのは2人の祖父で、両親も複数の会社を手に持つ役員だった。

 その仕事っぷりは2人を産んだ後も変わることはなかった。幼少期から2人はずっと家政婦に育てられ、両親から愛を受けることも無かったのだ。

 

 

『ぐすっ……おねえちゃん……』

『あら、どうしたのみずき』

『お人形さんの腕が取れちゃったの……うぅ、どうしよう……』

『大丈夫、あとでお姉ちゃんが直してあげるから。もう泣かないの』

『うん……ありがとう、おねえちゃん大好き♪』

 

 

 幼少期の橘みずきにとって、姉の聖名子は唯一心を開けた人物だった。両親から愛情をあまり貰えなかった反動か、みずきはその分を聖名子に甘えながら生きてきた。

 

 やがて、みずきは姉以外を求めようとしなくなった。

 幼稚園に入っても誰とも話さず、友達も作らなかった。向こうから話を振られたとしても、姉以外の愛を知らない少女は、どう接すればいいかさえ分からなかったのだ。

 

 

 −–−–−そう、あの転機が訪れるまでは。

 

 

 それはみずきが小学校に上がって間もない頃に遡る。

 

「ぷろやきゅう?」

「そ、ボールとグローブとバットを使ってするスポーツのことよ。しかもプロ野球選手の試合だからすっごく面白いわよ」

 

 父親が仕事の取引先から偶然にもプロ野球チーム、『頑張パワフルズ』と『猪狩カイザーズ』の観戦チケットを貰い、珍しく子供達と野球を観に行こうと提案したのだ。

 

「どう、観に行く?」

「おねえちゃんといっしょならいくー!」

 

 でもこの時は野球を観に行くより、姉と一緒に出掛けられる方がみずきにとっては遥かに嬉しかった。

 

 

「ほらみずき、そろそろ試合が始まるよ」

 

 試合は両軍の先発が譲らぬ投手戦となった。

 スコアボードには0の文字がひたすら並び、イニングが進む度に応援するファンは緊張感を増しながら応援を続ける。

 

(……………)

 

 その熱気は次第に少女の心を動かしていった。

 野球というスポーツの面白さ、熱さ、そして観る者さえも魅了する楽しさを−–−–−

 試合前はずっと聖名子とお喋りをしていたみずきだったが、気が付けば試合の他へ釘付けになっていたのだ。

 

 結果は2-0でパワフルズがサヨナラ勝ちと、劇的な幕切れで終わった。試合後になってもパワフルズ側の観客席は大いに盛り上がり、中には嬉しさのあまりに泣いてしまう者も現れる程の歓喜に満ち溢れていた。

 

「……おねえちゃん」

「ん、どうしたの?」

「わたし、きめた」

 

 

 

「わたし、やきゅうやる!!」

 

 

 

 そう、これが橘みずきが野球を始めた全てのキッカケだった。

 

 

 

 

「それ以来、みずきは変わりました。お父さんに頼んでグローブとボールを買ってもらい、私とキャッチボールをする所から始めて、四年生でリトルリーグに入って本格的に野球をするようになった。私の後ろしかついてこなかったみずきが、自分の意思でやりたい事を見つけて、それに向けて頑張るようになってくれたんです」

「………………」

 

 どんなに興味を持ったことでさえ、新しい事を始めるのは相当な勇気と覚悟が必要だ。

 野球はチームプレーでもある。先生以外の人とはコミュニケーションを取るのが苦手だったみずきちゃんにとって、きっとその船出は多難だったと思う。

 

 みずきちゃんが入ったリトルは『おてんばピンキーズ』。

 あのチームにはあおいちゃん、聖ちゃん、雅ちゃんと、他にも女性選手が沢山いた。それぞれが全く異なる性格をしているが、みずきちゃん同様、野球が大好きなのはなんら変わらなかった。

 

 こうした仲間達と最初に野球ができたのが、きっと今のみずきちゃんを形成した大きな要因なんだろうな。

 

 

「−–−–−私ね、みずきが羨ましくてたまらなかった」

 

 楽しそうに妹を語っていた矢先、先生は下へ俯くと両拳をギュッと握りしめながら続けて語る。

 

「あの子は自分でやりたい事を見つけて、お爺様の反対を押し切ってまで高校でも野球を始めた。誰から敷かれたレールの上を歩かず、自分の信じた道を進んで……」

 

 

 

『お爺様。私……高校では運動部に入りたいんです! なのでどうか−–−–−』

『ダメじゃ。お前は次期タチバナの跡取り。高校の部活にうつつを抜かす暇があったら勉学に励むのじゃ』

『っ……はい…』 

 

 私はずっと、お爺様の仰った通りの道を歩んできた。

 ピアノの習い事をしろと言えば習い、英語力をもっと身に付けろと言われれば英会話の勉強をし、学校さえお爺様の指定された私立に通い続けた。

 私は貴重な学生生活の大半を、お爺様の為に費やしてきたのだ。

 

『ただいまー。あ、お姉ちゃん! 今日ね、私が先発で投げて勝ったんだよ!! 』

『そう、なんだ……おめでとう、みずき』

『ありがとう! 私、野球始めて本当に良かったよ!』

(!…………)

 

 胸がチクリと痛くなる。

 何故……?

 妹が毎日楽しく野球をやっている。それは昔の妹を知る姉として喜ばしいはずなのに……

 

  今は−–−–−心から祝福できない自分がそこにいた。

 

 みずきは中学に進学してからも『お元気ボンバーズ』というシニアのチームで野球を続けた。

 反対に私は、お爺様の言われた名門の大学に入り、橘財閥のトップに立つために必要な知識をひたすら身につける日々を過ごしていた。

 

 もう嫌だった。

 私もみずきのように自分で進みたい道を選びたかった。

 毎日が機械的に生きている私は、その頃何のためにか生きているのかさえ分からなくなっていたのだ。

 

 

「そんな私だったんだけど、ある日転機が訪れてね」

「転機?」

「そう。私が今こうして教師の職に就くキッカケとも言える転機が−–−–−」

 

 

 

⭐︎

 

 私が20歳、みずきが14歳の時。

 その日も大学での講義を終えた私は、寄り道もせずに真っ直ぐ帰路についていた。

 これも全てお爺様からの命令だ。家に帰ったらお父様が経営する会社のオンラインミーティングに参加、終わったら大学の講義で出されたレポートの作成、夕食後はTOEICの試験に向けての勉強と、やらなければならない事がてんこ盛りだからだ。

 

「はぁ……」

 

 通い慣れた道をトボトボと歩く。

 本当なら私も誰かと遊びに出かけたり、勉強だって自分のやりたい分野を学びたい。大学生という時期はある意味、全ての学生の中で1番様々なことに挑戦できる貴重な時なのだから。

 

 そんな私の意思とは反対に、家へ着いてミーティングをし、大学の講義レポートを片付けていく。自室の机の前に座る私は一度ため息を溢し、大きく背伸びをした。

 

「ん〜……」

 

 さて。

 レポートも丁度片付け、時刻は気づけば夕方の17時半。

 夕食まではまだ時間もあるしどうしようかと悩んでいた時−–−–−

 

『ピコン!』

 

 携帯から響いたメールの着信音。

 確認すると、送信者はお父様からだった。

 

 

 『聖名子へ

 突然ですまないが私の会社主催のレセプションに参加してくれ。

 時間は今日の19時からで、18時半に迎えの車が来る。

 失礼のないように頼むぞ』

 

「はぁ……」

 

 こうした突然の予にもすっかり慣れたが、よりにもよってパーティーか……。

 正直、全く行きたくなかった。

 2週間前にも別件で参加したが、別の会社のお偉い方々からお酒を半分強制で勧められ、酔い潰れた記憶が新しいからだ。

 

 しかし私に拒否する選択肢はなく、正装に着替えて会場へ向かったのだった。

 

 そこで私の人生を変えてくれた1人の男性と出会うことを、まだ私は知らなかった−–−–−。

 

 

 

 

「すみません、少し遅れました」

 

 会場に着いたのは19時8分。

 帰宅の時間帯もあり、道が少し混んでいたせいで少し遅れての到着となった。

 

「いや、俺が急に来いと言ったんだ。すまんな聖名子」

 

 車に同乗していた間に執事から軽くパーティーの概要聞いていたが、今日のパーティーはお父様が最近立ち上げた新規の会社と野球の大手メーカー・『ミゾットスポーツ』とのレセプションパーティーらしい。

 ここ最近の野球人気の向上と、みずきが野球に熱中になっていることで野球用品を主に扱うスポーツメーカー・『Lightning』を設立し、今回はミゾットとのコラボ製品の開発記念としてこうした催しが開かれたのだ。

 

 ちなみに余談であるが、この当時はまだLightningは無名の新参メーカーであったが、今では高価であるものの高い品質と独自の開発技術が多くの支持を受け、多くのプロ野球選手とアドバイザリープロスタッフ契約を締結している大企業へと躍進している。

 

「ああ、君が社長の娘さんの−–−–−」

「橘聖名子です。この度は−–−–−」

 

 慣れた様子で社交辞令を交わし、パーティーは淡々と進んでいく。

 正直、私が参加しなくてもいいのだが、お爺様曰く、「将来、会社を背負って立つ人間なら早めに人との付き合いに慣れておけ」と念を押され、大学生になった一年ほど前から参加し始めた。

 

 早く終わらないかなと、心の中でため息を溢しつつ、私は会場の隅で1人ジュースが入ったグラスを片手にぼーっとしていると、1人の男性が私に声をかけてきた。

 

 

「こんにちは。えっと……橘聖名子さん、でしたっけ?」

「あ、あなたは確か……」

「初めまして。"神童 裕二郎"と言います」

 

 神童 裕二郎。

 野球をあまり知らない私でさえ聞いたことある名前だ。

 確か私と4つしか変わらない24歳の若さながら、シャイニングバスターズのピッチャーとして大活躍している選手で、球界の大エース・茂野英毅との二枚看板で有名だったはず。

 そっか。今回の新製品にあたって、イメージCMを神童さんにオファーしたから必然的に呼ばれたってことかな。

 

「同年代の方が橘さんしかいなかったのでお話できてとても嬉しいです。どうしても緊張してしまって食事が喉を通らなくて……」

「ふふっ、分かります。私も初めてレセプションに呼ばれた時は緊張し過ぎて声が裏返ってしまいましたから」

「そうなんですか。橘さんの振る舞いがとても慣れたご様子でしたからてっきり最初から余裕があったと思いましたよ」

「そんなことないですよー」

 

 話は思いのほか弾み、気づけば残りの時間はずっと神童さんとの話に費やしてしまっていた。

 お互いの学生生活の話や、妹のみずきが野球をやっていること、プロ野球選手のちょっとした裏話など、少なくとも私自身は神童さんとの雑談はとても楽しい時間だった。

 

「あの、橘さん。もし良かったらまたお話しませんか? 今度は2人きりで……」

「えっ……」

 

 パーティーもお開きとなり、その別れ際に神童さんから携帯の電話番号が書かれたメモを私に渡してきたのだ。

 私は咄嗟の出来事に戸惑うものの、彼の人柄なら大丈夫だろうと安心したのか、「はい」とだけ返事をし、そのメモを受け取って会場を後にしたのだった。

 

 

 

 それから、私と神童さんはたまに時間を合わせては喫茶店などでお話をするようになった。

 普段からお爺様に行動を制限されていた分、神童さんとのたわいもない会話が心から楽しく、久しぶりに自分がしたい事をできた気がして嬉しかった。

 

 そんなある日の事。

 私はふと、神童さんにこんな事を尋ねた。

 

「あの、神童さんはどうして私に声をかけたんですか?」

 

 それは素朴な疑問だった。

 神童さんのような有名な野球選手なら私のような大学生でなく、もっと綺麗で有名な女性と会った方がよっぽど楽しいのではないかと思ったからだ。

 野球選手といっても神童さんのように優しい人柄の方もいれば、遊びが酷い選手もいるとたまに聞く。もちろん、プロ野球という過酷な舞台に立つ者ならそのストレスから遊びにかまけてしまうのも多少は仕方ないが、神童さんは私とたまにあってはこうして1時間ほど会話をして解散を繰り返しているだけだ。

 私はそれでも楽しいと感じているが、神童さんはもしかして私の為に無理に合わせているのではないかと、どうしてもそう考えてしまう自分がいたのだった。

 

「それは……少し恥ずかしくて言いにくいんですが−–−–

 

 

 −–−–−初めてお会いした時、橘さんが凄い方だと感じたからですよ」

 

 

 え……私が……凄、い?

 

 

「僕は今こそプロ野球選手になれましたけど、その代わりに家族という大切な物を全て捨てたんです。僕の両親も橘さんの会社ほどではありませんけどとある会社を経営していまして、僕が小さい頃から両親は僕を次期跡取りとして育ててきました」

「神童さんが……?」

「ええ。でも僕は真っ向からその考えを押し切って野球の道を進みました。そのせいで高校時代に父親と大喧嘩をして、その末に……家族と縁を切ったんだです」

「え、縁を……」

 

 唐突な告白に私は頭が真っ白になった。

 神童さんは一呼吸置いて、話を続ける。

 

「僕は家族の会社よりも自分のやりたいことをとにかくやりたかった。残された弟と妹には申し訳なかったけど、野球が大好きだったから。両親とは何度も話し合いをしましたが、結局納得してもらえず、最終的にバスターズから契約を貰ったタイミングで僕は家から追い出されてしまいました」

「………………」

「それから今に至るまで、僕は家族と一度も会っていません。結果的に会社は弟達が代わりに引き継ぐ役目を負い、僕だけが好きな事に逃げてしまったんです。本当の僕は自分勝手で我儘で最低な奴なんですよ」

 

 自分勝手で我儘……。

 確かにそうした捉え方もできる。

 でも……でも、私からしたらそれは決して悪いことなんかじゃ−–−–−

 

 

「いいえ、私は神童さんの選んだ道こそ正解だと思います」

「橘、さん……」

「私だって本当は自分のやりたい事をしたい。もっと学生時代にしか出来なかったことを沢山したかった。でも私は神童さんのように大切な家族を敵に回してまで自分の意思を貫く度胸もないですし、妹に重い役目を負わせたくないと考えてしまいました」

 

 けど人生はたった一度きりの自分だけのものなのだ。

 だから今なら、言える−–−–−

 

 

「神童さん、私はちっとも凄くありません。私は小さい頃から自分の本心を言えずにずっと気持ちを押し殺して生きてきた空っぽな人間ですから。私からしたら神童さんの方がよっぽど凄い方なんです」

 

 すると神童さんは少し気まずそうに口を閉じてしまった。

 当然だ。こんなネガティブな事をキッパリと言ってしまっては、そんな雰囲気になるのも無理はない。

 それでも私は構わず話を続けた。

 

「私だってみずきのように自分の好きな運動がしたかった。もっと自由に友人と遊びに出掛けたり、好きな勉強をして、たくさん思い出を作って、とにかく自分の好奇心のままに色んな事に挑戦したかった。でも私は……」

 

 そうだ。家族に遠慮し続けた結果、一度も自分らしさを曝け出せなかったのだ。

 

「私−–−–−神童さんの話を聞いて決めました。家族に自分の気持ちをちゃんと話そうと思います。これまではみずきが野球に集中できるように私がお爺様の言う通りにしてきましたけど、このまま後悔をし続けてはダメですから」

 

 実は私にも夢がある。

 貴重な学生生活をお爺様と会社の跡継ぎのために費やした私が唯一また青春を謳歌し、その経験を活かせられるかもしれない職業、それは−–−–−

 

 

 

 

 

「それで教師を目指したんですか」

「ええ。同じ学舎で学生たちと青春を分かち合い、自分の夢があるのならその夢へと突き進む、そんな先生になりたいなってずっと思ってまして……あ、勿論、お爺様には今でも反対されていますけどね」

 

 ははは、と苦笑いを浮かべる先生。

 しっかし先生があの神童選手と面識があったとは衝撃の事実だぜ……割と週刊誌にネタ提供できるレベルの話じゃないかこれ? まぁする気は一切ないけど……。

 

「その後、神童さんとはまだお会いしているんですか?」

「それが……その日を最後に神童さんとは一度もお会いしていないんですよ」

「えっ……?」

 

 これだけ仲良さげな雰囲気だと結構良い関係になってるんじゃないかと勝手に想像してたけど、やはりメジャーリーガーと財閥の長女兼教師だと時間も中々取れないのか。

 

「実は……お恥ずかしいんですが……その日の帰り間際に神童さんからこっ、告白されまして……」

「へぇ〜告白ですかって、告白ぅぅ!?」

 

 なんだそのラブコメみたいな急展開は!?

 ていうか神童さん、意外に積極的なんだなおい!

 

「そっ、それで返事はどう返したんですか?」

「それがですね−–−–−」

 

 

 

 

 

「−–−–−すみません。今はまだお付き合いできません」

 

 私からの返事はNoだった。

 ただ、これにはちゃんとした理由があり、

 

「私の夢が納得できる形で実現できるまで、待っていてほしいんです。私も正直、神童さんのことを異性として気にしてはいます。ただ、今のままお付き合いしても私は神童さんの隣に立てる人間として相応しくありません」

 

 私も−–−–−神童さんが好きだ。

 でもその言葉を本人に伝える資格を、今の私は持っていない。

 自分の事さえまともに出来ていなかった人間が相手を想ったとしても、その人を幸せになんか決してできない。

 神童さんがどんな反応を見せたとしても、私は私なりに筋を通した上でその先に進みたかったのだ。

 

「ははっ。ますます橘さんのことを好きになりました。なら僕も橘さんに負けないために、誰もが認める一流の野球選手になります。そして……もしお互いに夢を叶えたその時に−–−–−」

「−–−–−はいっ、是非!」

 

 

 その後は家族、特にお爺様と正面からぶつかって説得を続けた。なんなら今でさえ教職員になったことを反対され続けているけど、私は何一つ後悔はしていない。

 初めてお爺様に自分の意思を伝えた日の夜、私はみずきにこんな事を話した。

 

 

「みずき。あなたも自分の夢を決して諦めないで。今までお爺様の顔色を伺い、あなたに気を遣ってきたけど、人生はまず自分の為にあるの。勿論、大切な人を想っての行動も素晴らしいけれど、最終的に自分が後悔しない道をみずきにも進んで欲しいの」

 

 

 みずきは目に涙を浮ばせながら「うん」と頷いてくれた。

 自分が足枷となっているせいで姉が苦しんでいたと初めて知ったからだろうか。確かに私は自分を縛ってこれまで生き、良い思い出はの方があまり無かったくらいだ。

 それでも……これだけは絶対に言えるセリフがある。

 

 

「−–−–−みずき。私にあなたはかけがえのない大切な妹なの。あなたがただ毎日を幸せに楽しく生きていてくれるだけで、私はとっても嬉しいから」

 

 あなたが幸せそうに野球をやっていたからここまでお姉ちゃんは頑張れたんだぞ、と。

 

 

 

 

 

「………………」

 

 先生が学園長とちょっとしたいざこざがあるとはうっすら聞いていたが、これはちょっとで終わる話ではなかった。

 俺たちは何気なく好きな野球を続けていたが、果たして大切な家族のために野球を犠牲にし、ここまで自分を抑え込めただろうか?

 仮にできたとしても、俺ならいつか耐えきれず、どこかで不満を爆発させていただろう。

 

「あっ、ごめなさい! こんな個人的な話を夜遅くにグダグダとしちゃって……」

「……いえ。とても貴重なお話を聞かせてもらいました。ありがとうございます」

「そんな……あ、でも−–−–−」

「はは、わかってます。皆には内緒にしておきますよ」

 

 裏を返せば、そこまで大切な人を想えた人だからこそ、こうして自分の夢を叶えられたのだろう。

 もしかしたら先生が夢を叶えられたのは必然だったかもしれないな。だって今の先生がいるのってみずきちゃんの存在があったからこその話だからさ。

 最後に神童さんという後押しもあり、今こうして俺たちの前なら立っていてくれてるんだ。

 

「先生。時間があったらでいいんで、僕にも食トレの極意をご教示してもらってもいいですか?」

「ええ、もちろんです♪ でも一ノ瀬君の場合は自分の為ってよりも川瀬さんのためなのかな?」

「んなっ!?、べっ、別にアイツの為にって訳じゃ……!」

「もう、照れちゃって。 じゃあこうして時間を取って一緒に勉強しましょうか。私も教えることによって学べる点もありますから」

「うぅ……とにかく、お願いします……」

 

 と、そんなこんなで昔話に花を咲かせたところでお開きにし、俺と先生は部室を閉め、帰ることに。

 

「あー、やっと出てきた!遅い遅い遅ーい!」

 

 校門の陰から飛び出してくるやいなや、見覚え等のある少女が飛び出してきた。

 噂をすれば、とよく言うが、こんな早くにご登場とはな。

 

「みずき? どうしてここに?」

「あんまりにも帰りが遅いから迎えに来たの! なによー、2人とも意中の人がいるってのに放課後の部室で2人きりになっちゃってさ」

「誤解を招く言い方はやめてくれませんかねぇ……」

「はいはい。2人にそんな甲斐性がないのは分かってるからだいじょーぶ。それよりもお姉ちゃんにお客さんだよ」

「お客さん?」

「はるばる遠い国からの来訪者なんだから丁重に迎えてあげてね。はい、"神童さん" 」

 

 

「お久しぶりです、橘さん」

 

 

 はにかんだ表情でそう一言発しながら現れる1人の男性。

 一年目ながらスペース・レッドエンジェルスのエースにして、18勝と防御率2.04で初年度から2つのタイトルを獲得、サイヤング賞の最有力候補の1人と挙げられている最強投手−–−–−

 

 

「神童さんっ!? どっ、どどどどうしてここに!? なんで日本に帰ってきて!?」

 

 嘘、だろ……現日本人最強投手を初めて生で見たぞ……。

 てかちょっと待て。神童さんってメジャーリーガーだよな?確かに今って10月だからシーズンオフとはいえ、遥々アメリカから先生に会いに来たってのか?

 

「数日前にシーズンを終えたので球団から特別に許可を頂いて一時帰国しました。その……どうしても貴方に会いたくて……」

「っ……!?」

 

 お、結構良い雰囲気じゃないか。

 こりゃ高校生の俺たちは邪魔者だな。よし、ここは退散するとするか。

 

「先生、みずきちゃんと先に帰ってます。今日はありがとうございました」

「あ、え、うん……今日つけて帰って、ね……」

 

 みずきちゃんも察した様子でそそくさと帰ろうとする。

 なんせ数年ぶりに両思いの異性同士が再会したんだならな。邪魔する方が野暮な話だぜ。

 

「あ、ちょっと待ってくれ」

「えっ?」

 

 神童さんに呼び止められて振り向くと、ニコッと爽やかな笑みを見せながら近づいてきた。

 

「話は橘さんからたまに聞いていてね、君が一ノ瀬大地君だね?」

「まさか球界の大エースに名前を覚えてもらってたなんて……光栄です」

 

 挨拶代わりの握手を交わすと、今度はマジマジと俺を見つめながらまた一言こう告げた。

 

「うん、やっぱり橘さんがあれだけ絶賛してたのも分かる気がする。近い将来、もしかしたら僕をも超える存在になるかもしれないな……」

「え……それってどういう……?」

「あーごめん、こっちの話だから気にしないでいいよ。 僕のことより、君ももうすぐ大切な試合があるんだろ? 頑張ってね、応援しているよ」

「いや、さっきのは−–−–−」

「一ノ瀬君いくよ! せっかく2人がラブラブムード全開になってきたんだから邪魔しないの!」

「あーはいはい! 分かりましたよ!」

 

 くっそ〜、神童さんは俺に何を伝えたかったんだ?

 結局あのセリフの真意を聞けず、俺はみずきちゃんに引っ張られながら強引に帰路へ着かれたのだった。

 

 

 

 

 

「いいんですか? "期待してる" ってちゃんと伝えなくて」

「大丈夫ですよ。彼とはまた必ず会う気がしますから。それももっと大きな舞台で−–−–−」

 

 プロ野球、もしくは海を跨いで大リーグの舞台か−–−–−

 神童 裕二郎の真意は果たして……。

 

「橘さん、遅くなってすみませんでした。今日は橘さんに大切なお話があって帰ってきたんです」

「お話し……ですか?」

 

 ドクン、と心臓の鼓動が一段早まる。

 陽が落ちた人気の殆どない夜の校門前。学校前の街灯のみが2人を照らしているこの場所から大切な話、と強調されれば、だいたい察しはつくからだ。

 

 ふぅ……と深呼吸をし、神童は真剣な眼差しでこう呟いた。

 

 

 

「聖名子さん。来シーズン、僕のチームがワールドシリーズを制覇したら、僕と結婚していただけませんか?」

 

 

 

 男から告げられたのはありったけの勇気を振り絞ったまっすぐなプロポーズだった。

 今シーズン、神童は一年目ながらキャラハイとも言えるレベルのハイレコードを叩き出しながら、ポストシーズン出場を叶えていない。

 いくら自分が大活躍し、タイトルを獲得したところで、結局チームを世界一に導かなくては彼の目指す、真の今での一流の野球選手にはまだなれていないのだ。

 そう、彼は彼なりにあの日立てた約束のケジメをつけに、無理をしてまで日本に帰ってきたのだ。

 

 聖名子は彼からの真っ直ぐで誠実なプロポーズを受けて、目に涙を浮かべていたが、必死にそれを押さえ込み、彼にこう返答した。

 

 

 

「私も−–−–−来年、あの子達を甲子園に出場……ううん、絶対に日本一にさせます。だからお互いの目標を達成できた時にしん…いえ、裕二郎さんと……」

 

 −–−–−結婚しましょう。

 

 お互いの気持ちは恐ろしいほどに一致していた。

 神童は聖名子の返答を受けると、優しく彼女を抱きしめた。

 

「ありがとう……ありがとう………」

 

 その抱擁は10月中旬の夜であっても温かく、2人を幸福にさせた愛の証だった。

 その後、彼は来年度に23勝2敗・防御率1.82と更に異次元の成績を残し、満場一致でサイ・ヤング賞を受賞。チームも快進撃を続け、ワールドシリーズを見事制したのだった。

 

 が、聖名子が掲げた『日本一』という目標が達成できたかどうかは、これから明らかになってくるだろう。

 

 

 

 

「ねぇ、今頃お姉ちゃん達どうしてると思う?」

「そりゃ、あの年頃の2人が数年の時を経て再開したんだ。良い感じになってるんだろうさ」

 

 でもま、いきなり神童さんを連れてくるとは恐れ入ったぜ。

 先生にサプライズがしたくて聖タチバナ学園まで来て、妹のみずきちゃんが学校から出てくるまで学校から少し離れたところでずっと待ち、出てきたところで事情を話して協力してもらったんだからさ。

 これ、神童さんだから良かったけど、普通に成人男性が女子高生が出てくるのを待ってるって犯罪に片足入れてるかもしれんからあんまりやらん方が良いけど、みずきちゃんも先生から神童さんの話は聞いていたらしいから大きなトラブルも起こらずサプライズ大成功、ってな訳らしい。

 

「お姉ちゃん……あんなに嬉しそうに笑っててさ、私、本当に嬉しかった。ずっと私のために我慢し続けたお姉ちゃんが、ようやく自分の為に笑ってくれて……本当に……本当に…っ……」

「みずきちゃん……」

 

 この姉妹は今日何度俺を泣かせようとするんだよ。

 ここまで温かい姉妹愛を見せられちゃ、俺ももらい泣きしちまうって。

 

「今の俺たちにできる恩返しは大会に勝ち進み、まずは甲子園出場を目指す所じゃないか? そうすれば先生もきっと喜ぶだろうしさ」

「ぐすっ……うん……そう、だよね。泣くのは試合に負けた時だけでいいもん。明日の帝王戦……絶対勝とうね!!」

「当然だ。それに明日の先発なんだけど、涼子じゃなくてみずきちゃんに決定したから頼んだぞ」

「うん、私が先発ね。まっかせなさ……え…先発ゥ!?」

 

 今日のみずきちゃんは喜怒哀楽が凄いなぁと、心の中で俺はそう思いながら歩みを続ける。

 でもなみずきちゃん、君を先発にしたのはまだ序の口だぜ。

 明日はチームの皆がたまげるほどのオーダーを考えたんだからな。

 



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第四十二話 vs帝王実業(前編) 見失いかけてた自分

 

 10月第3週目。

 この日から秋季大会も地方球場から、シャイニング・バスターズが使用している横浜シャインスタジアムへ戦いの舞台を移している。

 プロ野球でも使用されている大型の球場なだけあって緊張感もより大きくなり、人の入りも多くなってくる。

 

「あ、今日は遅刻しなかったね」

「ちょっ! いつも遅刻する人みたいに呼ばないでほしいッスー!」

「ごめんごめん、冗談だよー」

 ふぅ、と一息吐いて川星ほむらは観客席に座る。

 今日は待ちに待った聖タチバナ対帝王実業の準々決勝だ。ここで勝ったチームが次に試合を控えている海堂とベスト4で当たり、更に勝ち進めばその時点で甲子園出場が確定する。

 悲願の甲子園へ向け、なんとしてでも今日の試合は絶対に落とせない、それは緊張した面持ちで試合を待つ、八木沼愛美も嫌なほど分かっていた。

 

「タチバナが勝ってほしいッスけど相手は前の夏で一度敗れてる相手ッスからね……一筋縄で勝たせてはもらえないッス」

「うん……」

 

 兄である八木沼隼人も昨日の夜はあまり言葉を発さずにすぐ寝てしまったし、少なからず不安と緊張感はあるのだろう。

 なんせ当事者でない一観客の自分が既に心臓バクバクなのだから、本人なら尚更の事だ。

 

「あ〜……勝てるかなぁ、お兄ちゃん達ぃ」

「私達がそんな弱気でどうするッスか! 逆に一度負けてるんだから開き直って戦える分、メンタル有利ッス!! 」

「それって励ましてるって捉えて良いのかな……?」

「そんな事どうでもいいッスよ! 要は試合前から諦めムードを見せるなって話ッス。しかも相手の応援団はやかましいことで有名なんスから、私たちも今日はタチバナの応援に紛れて声を出すッスよ〜!」

「!……そうだね」

 

 大丈夫。

 川瀬先輩達ならきっとやってくれる。

 論理的根拠はないけれど、先輩達が純粋に野球を楽しみながら試合をしている姿を見てると、どんな逆境に立たされたとしてもそれを乗り越えて逆転に変えるんじゃないかと、そんな気にさせてくれる。

 

 

『私たち、勝って必ず甲子園に行くから!』

 

 

「先輩……」

 

 少女の気持ちは揺れていた。

 野球自体は好きなのに、兄や川瀬のように思う活躍が全くできず、自分はずっと苛立っていた。何度も野球を辞めようか悩み、その度に野球の楽しさを思い出して踏みとどまり、ずっとこの繰り返しだった。

 

(先輩が私を試合に誘った理由って……)

 

 もしかしたら私が忘れかけていた野球の……スポーツそのものをする上で最も大切な気持ちを思い出させるために−–−–−

 

 

 

 

⭐︎

 

「大地」

「はい六道さん」

「本当にこのオーダーでいくのか? 冗談ではないんだな?」

「冗談じゃないです。マジのマジで行くぞ」

 

 あの……試合前なのにこのやり取り何度目なんすか?

 帝王戦を控え、俺は先程スターティングオーダーを発表したのだが、普段は俺の決めたオーダーに文句を垂れる人はいないのだが、今日だけは何度も確認のコメントを送られて参っていた。

 

 

聖タチバナ オーダー

 

1番 ショート   友沢

2番 キャッチャー 六道

3番 サード    大島

4番 ファースト  一ノ瀬

5番 セカンド   今宮

6番 センター   八木沼

7番 レフト    原

8番 ライト    笠原

9番 ピッチャー  橘

 

 

帝王実業オーダー

 

1番 ファースト 坂本

2番 ライト 猫神

3番 セカンド 蛇島

4番 キャッチャー 唐沢

5番 レフト 猛田

6番 ショート 海野

7番 センター 後藤

8番 サード 早瀬

9番 ピッチャー 山口

 

 

 うん、明らかにいつもと打順がズレているのはすぐ分かるな。

 まず友沢が4番から1番に変わり、大島は3番に上げ、八木沼が6番に回っている。そしてピッチャーも涼子の代わりにみずきちゃんを起用し、マスクも聖ちゃんに託している。

 

 一言で言い表すなら、俺なりの『対帝王実業攻略オーダー』だ。

 そもそもあの香取と山口を攻略できるバッターはそういない。ウチのチームでまともに打てる選手を挙げるとすると、友沢くらいだな。あとは読みが当たればかろうじで俺、聖ちゃん、八木沼、今宮がギリ打てるかもしれないレベルで、運要素も絡んでくるから安定しない。

 そうなれば1番打率を残せる男にできる限り打席を張らせ、ソロホームランでもなんでもいいからとにかく点をもぎ取るしかないのだ。

 

 それともう一つ鍵を握る選手がいるとすれば、大島だ。

 大島も例の変化球打ちを掴めてきており、急成長を遂げている最中だ。無駄な力を一切使わず、脱力ながらも綺麗なスイングであの高速スライダーとフォークを攻略できれば、友沢が打ち、聖ちゃんが繋ぎ、大島がランナーを返せる、俺が掲げる理想の攻撃を実現してくれるかもしれないんだ。

 だが相手は超高校級の変化球を決め球に持つエース2人。

 大島の成長力が著しくても、2人の力がそれを上回れば打てる見込みはないだろう。

 

(……だが俺は信じてるさ)

 

 どのみち、ここから先を勝ち進むには下級生の力も必要になってくる。東出がナックルを習得してパワフル高校を下したように、大島にも試合を通じて大きく進化してもらいたいんだ。

 選手が1番大きく変われる時とは、練習ではなく、実践の試合であると、俺はそうずっと考えてきたからな。

 

「もう一度説明するぜ。今日の試合、俺はかなりの接戦になると予想している。夏と比較して俺たちの戦力は変わっちゃいないが、向こうは真島さんや他の三年生が抜けた事で戦力はどちらかと言えばダウンしている。戦い易さなら今回の方が間違いなく上だ。1つだけ除くなら−–−–−」

「ピッチャー、でしょ?」

 

 おっと、みずきちゃんに先に言われちゃったか。

 

「そう、相手のピッチャーは夏と同じく山口・香取の2人で攻めてくる。これまでの秋季大会での様子を見ると、唐沢は山口のフォークを殆ど後逸していないから前みたく、追い込まれてからヤマを張る戦法は使えない。守りが楽になった分、打つ方がさらに厳しくなった印象だ」

 

 そうなると考えられる試合展開は、失点の少ない投手戦だろう。

 ウチの投手陣も涼子、みずきちゃん、東出、宇津と、他校に行っても十分にエースとして張れる投手陣が揃っている。涼子はできるだけ今日の試合では登板させないとして、先発のみずきちゃんがどこまでイニング引っ張り、少ない失点で抑えるかが重用だ。

 みずきちゃんも大会後から課題のスタミナを克服するために下半身の強化、主に体幹を鍛え続けてきた。後半にバテてコントロールと球威が落ちないよう、終盤にも強い体を目指して、とにかく自分をイジメぬいたのだ。

 

「みずきちゃんを始めのする投手陣がどれだけ抑え、上位打線の面々、特に友沢と大島でどれだけ点を取れるか、この2つが勝敗を大きく左右している。3人は当然だけど、他の面々も夏で苦渋を飲まされた借りを今日でキッチリ返してやろうぜ」

「おうよ!」

「うむ!」

「そうだな」

「……うん」

 

 最終的には皆が納得し、良いコンディションで試合へ挑めそうだな。

 心なしかみずきちゃんだけ表情が優れていないのが気になるが、そこは今日の女房がなんとかしてくれるはずだ。

 

(さてと……行くか!!)

 

 午前9時半。

 審判団に呼ばれて互いに挨拶を交わし、準々決勝・1試合目の戦いが遂に始まった。

 

 

 蛇島−–−–−今度はぜってぇ勝ってリベンジしてやるからな!!

 

 

 

 

 

 帝王実業高等学校。

 開校から65年の歴史を持ち、海堂と同様、様々な部活で好成績をおさめているスポーツの名門校だ。特に近年は野球部が力を付けると、ここ10年の大会成績は甲子園出場が7回、そして7回のうち、ベスト8以上までの成績が5回、更には2年前の春、一ノ瀬達が入学する直前のセンバツ大会では初の準優勝果たし、まさに今が黄金期真っ只中のチームであった。

 

「今日の相手は知っての通り、聖タチバナ学園だ。相手は若干2年目の新設チームだが、面子は粒揃いの曲者だ。いいか、今回は前回のように油断せず、初回から全力でねじ伏せろ。帝王の名に恥じない、圧倒的な力で格の違いを見せつけろ、いいな!」

『はい!!!』

 

 帝王実業の監督は守木という、元帝王実業野球部のOB。

 この男の代に帝王は初めて甲子園へ出場し、神奈川屈指の強豪校への足がかりを作った男だ。

 

(クックック……また来たか、友沢)

 

 その隣に座って不気味な笑みを浮かべる男は、秋から副キャプテンに就任した蛇島だ。

 チームでもNo.1の守備力、それでいてパンチのある打撃に走塁面も良い、まさに三拍子揃ったスーパーオールラウンダーである。

 後輩への面倒見も良く、帝王内ではキャプテンを務める唐沢と同等かそれ以上に信頼されている、が−–−–−

 

(やっぱりもう少し強く叩き潰すべきか……ふん、まあいい。また目障りになるようなりアイツを消せばウチが負けることは無くなるからね)

 

 彼の本性を一言で表すなら、『狡猾』が1番適切だろう。

 己の目的の為なら例えチームメイトであっても容赦なく潰そうとする外道な男なのだ。

 

「蛇島、今日も頼むぞ」

「任せてくれ。山口君もピッチングの方、しっかりとね」

「無論だ。前回は本気で投げていないだけだからな。今日はハナから全力で飛ばすさ」

「……期待しているよ」

 

 男の瞳に映るのは遊撃に座る金髪の男。

 彼にとっては昔からの憎き相手で、最も潰したい選手だ。

 彼がここまで友沢に執着する理由、それは−–−–−

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?今日は川瀬先輩投げないんスか?」

 

 マウンドには水色の髪をした女性選手、橘みずきさんがマウンドに上がっていた。

 私もてっきり川瀬先輩が先発に入り、継投で他の投手陣が投げれるとおもってたんだけど……。

 

「うーん……多分だけど、連投回避のためじゃないかな? ここまでほとんどの試合で先発してるし、仮に帝王実業に勝てたとしても、そこから海堂やパワフルとの試合も控えてるから温存って線もあるかも」

「なるほどッス。ただ相手はあの帝王ッスから温存できる所まで行ければいいんスけど……」

 

 

 

 投球練習を投げ終え、後は主審のコールを待つのみ。

 前回の試合からまだ数ヶ月程度しか経っていないが、この数ヶ月は私にとってはかなりの長い期間に感じた。

 

 

『ぐっ……ぅ、くぅ……』

 

 

 目を閉じれば、"あの時"の光景が未だに蘇ってくる。

 アイツが苦しそうに足を押さえて倒れ込む、悪夢のような映像が。

 

(はぁ……ふぅ……)

 

 珍しいな……緊張してるのかな、私。

 ボールを握る左手は気がつくと強く握られ、心臓の鼓動がいつもより一段階早い。

 それもそうだ。やっと……やっとあの日のリベンジを果たせるんだから。アイツに怪我をさせた憎き蛇島のチームを……私が絶対に−–−–−!

 

 

『プレイボール!』

(よし……いくぞみずき!)

 

 ロジンを入念に付け、第1球目を投げ込む。

 バシッ!と乾いた音が響く。ボールは聖の構えていた外角低めにストレートがきっちりと届く。

 

『ットーライクッ!!』

 

 ふぅ……大丈夫……球は走ってる。

 2球目のサインは内角低めに落ちていくスクリュー。左腕を大きく振り、ボールに回転をかける。

 

(っ、コースが甘い!?)

(!、甘いぜ!)

 

 カキィィィィンッ!!

 

 が、コースは構えたところより真ん中寄りに入り、坂本は思いっきり三遊間方向へ引っ張った。

 

(しまった!!)

 

 打球は凄まじい速さのライナーで友沢と大島君の横を抜けるが、運良くレフトを守る原くんが一歩も動かずに捕球し、アウトになった。

 

「くそっ。もう少し打ち上げてればホームランだったのに……」

(………………)

 

 あ、危なかった……。

 角度が少しでも上向だったらスタンドインされてた……。

 大丈夫、大丈夫……とりあえずワンナウト取れたんだからこの調子で一つずつ取っていけばいい。

 

『2番ライト、猫神君』

「よっしゃ。いっちょ行きますか」

 

 意気揚々とバットを肩に掛けながらボックスへ向かう猫神。

 確か一ノ瀬くんの情報だと本職はキャッチャーだけど、守備範囲の広さと高い走塁技術を買われ、今大会から外野のポジションに就いているらしい。

 

(今大会だけで盗塁数は8個。しかも次は蛇島と唐沢、猛田が控えている。みずき。ここは出し惜しみ無し、全力で抑えるぞ)

 

 サインに頷き、振りかぶる。

 ボールは左打者のから外へ大きく逃げるように変化する−–−–−クレッセントムーンだ。

 

『ボーッ!』

(っ、ボールか……)

 

 入ったと思ったんだけど……ダメか。審判は僅かに外れたと判定。

 2球目はストレートが高めに外れ、3球目はスクリューがワンバウンドし、カウントは最悪の3ボール・ノーストライクだ。

 

(っ〜、入んない……っ!)

(落ち着けみずき。相手は長距離打者じゃない。多少甘くコースに入ってもいいから1番得意なボールを私に投げて来い)

 

 聖のサインは真ん中低めへ逃げるクレッセントムーン。

 私が最も得意とするコースで、一番の決め球だ。

 

(今度こそ……)

 

 相棒のサインを信じ、渾身のウイニングショットを投じる。

 ボールはほぼ聖の構えていたミットに投げ込まれるも、審判は手を挙げなかった。

 

『ボーッ、フォア!』

「いよっしゃ!」

「ナイセン猫〜!」

 

 どうなってるのよ今日の審判! 今のはどう見てもストライクでしょうが!!

 くっそ〜……足の速い猫神をランナーに出して次の打者が−–−–−

 

『3番セカンド、蛇島君』

 

 気持ち悪いほどの不適な笑みを浮かべながら、蛇島がバッターボックスに入る。

 審判には「お願いします」と礼儀正しくしているが、私達へは嘲笑うかのような眼を向けていた。

 

 無性に腹が立ってきた−–−–−。

 お前のせいでアイツは……肩を壊し、危うく足も壊れかけたのに……っ!

 

(絶対に……抑えてやる!!)

(所詮は女も集めたおままごとの野球だ。そんな意識の低いお前らがこの僕に勝てると思うなよ!)

 

 ランナーは気にしない。

 今の私はアイツを抑えることしか頭にないからだ。

 

「っらぁっ!!」

 

 初球は蛇島の胸元を抉るようなインコースのストレート。主審もようやく手を挙げ、判定はストライクになった。

 

(!、このボールは……)

「?……聖、早く返してよ!!」

「あ、ああ……すまない」

 

 どうしたんだろ聖、ボーっとしちゃって。

 気にせずに2球目は外角のストライクゾーンに迫るクレッセントムーンを投じる。蛇島は上手くおっつけて当てるも、打球は一ノ瀬君の左を転がり、ファール。

 

「クックック……変化量は良いけどそれだけだね。この程度のボールなら次で終わりだ」

(!?、やはりこのボール……いつものみずきのボールじゃ–−–−)

 

 これで決める−–−–−。

 3球勝負。最後はクロスファイヤーを生かしたインローへ落ちるクレッセントで三振に切って落とす!

 

「ッ、ランナー走ったぞ!!」

 

 私が振りかぶったのと同時に猫神もスタートを切った。

 大丈夫。コースも完璧、回転もしっかり掛けれてる。これならいくら蛇島でも絶対に打てないはずよ!!

 

(所詮は女のボールだな!)

 

 

  −–−–−カァァァンッ!

 

「っ!?」

 

 なぜかボールはミットに収まらず、金属音と共に颯爽と私の足を抜けていく。

 

「おらあっ!!」

 

 今宮君のダイビングも虚しく、打球は八木沼君の前へ落ちる。しかもこれはランナーもスタートを切っているランエンドヒット。案の定、猫神は自慢の快速を靡かせ、三塁を狙う。

 

「八木沼っ、サード!!」

 

 聖が指示を出すも時すでに遅し。猫神は悠々セーフで三塁に到達し、僅か10球程でワンナウト1・3塁になった。

 

(どうしてっ……なんでよっ!!)

 

 今のスイングは完全に見てから当てていた。

 あのコースのクレッセントは練習で友沢に打たれた以外、誰にも捉えられていない最強のボールなのに……。

 

『4番キャッチャー、唐澤君』

「すみません、タイムを」

 

 聖がマスクを外してマウンドに駆け寄る。

 なによもう。まだ初回で点も取られてないんだから心配しすぎよ。

 

「みずき、緊張してるのか?」

「……少しはしてるけど大丈夫よ、気にしないで」

「嘘をつくな。いつものみずきのボールじゃなかった。棒球でキレが全くない、ダメな時のみずきだ」

「っ!! 大丈夫だって言ってるでしょ!? 余計なお世話よ! ほら行った行った!!」

「まっ、待てみずきっ……」

 

 強引に聖を追いやり、試合を再開させた。

 全く……昔から少しでも気になればすぐタイムを取るんだから聖は。そこまで神経質になってたら帝王は絶対に倒せないわよ。

 

 

 −–−–−いつものみずきのボールじゃなかった。

 

「……うるさい」

 

 聖のバカ……私はいつも通りに投げてるんだから余計なことは言わない、で……。

 

 

 

「……変えた方がいいかもしれないわ」

「えっ?」

 

 みずき、明らかに力が入りすぎてる。いつもならもっと繊細にクールに、それでいて熱い所もあるのに、今のみずきはただカッとなって投げてるだけにしか見えない。

 

 私も同じピッチャーだから分かる。

 

 抑えたい、勝ちたい、切り抜けたい。

 

 こうした想いが悪い方へ強くなりすぎると、つい腕に変な力を入れて投げてしまう。自分では本気で投げてるつもりでも、それは練習で培った本来のピッチングからは程遠く、バッターからすればなんの脅威も感じない。

 

「でもまだ初回ですよ? 蛇島がたまたまクレッセントをうまく合わせだけですって!」

「東出君、宇津君とキャッチボールしてきて。 あとで大地には私が伝えるから」

「……川瀬先輩」

 

 聖も大地も気付いているはずなんだけど、聖は様子を見に行ってたからまだしも、大地は表情一つ変えないで見守っているだけだ。

 

(大地……早く手を打たないと取り返しのつかない事態になるかもしれないわよ……)

 

 

 

「おやおや、たかだかお得意のスクリューを弾き返しただけでもう相談タイムですか」

「…………」

「リベンジを果たすとか思ってるつもりでしょうが、君達では僕ら帝王は絶対に倒せませんよ。君達は所詮、お遊び程度でしか野球をやっていないんですから」

 

 ……お遊び程度、か。

 

「試合に集中しろ、蛇島。くだらない挑発は俺たちが勝った後にいくらでも聞いてやるならな」

「ふん。その言葉、そっくりお返しするよ」

 

『4番キャッチャー、唐沢君』

 

 分かっているさ。

 今日のみずきちゃんは明らかに気持ちが先行しすぎてボールのキレが悪いことくらい。

 けどな、そう易々と変えても事態が良くなるとは限らんし、何より宇津と東出は長いイニングを実践でほぼ経験していない。そうなると涼子を出すのが最善かもしれないが−–−–−

 

 

 

 

 −–−–−カキィィィィィンッ!!!!

 

 

 

 

「……ふふっ。お前達はもう、終わりだ」

 

 唐沢の打球は高々とセンター方向へ上がり、失速することなくスタンドへ入っていった。

 

「スリーラン……ホームラン……」

 

 蛇島が見下すように笑い、走り去って行く。

 みずきちゃんは打たれた方向を茫然と眺めているだけだった。

 

「ナイバッチ唐沢ーっ!!!」

「うっふん。やるわね、唐沢のやつ。これは私の出番どころか山口君も短いイニングで済みそうね」

 

 盛り上がる帝王ベンチに対し、タチバナサイドは最悪のムードだ。

 今宮は悔しさを顔に滲ませ、大島はプルプルと震えながら拳を握りしめている。

 他のメンツも悔しさと、帝王の強さにただ驚愕していた。

 

「……………」

「…………」

 

 金髪の男と、今日の女房を覗いて−–−–−。

 

 

 

 

『ボーッ、フォア!!』

 

 ホームランの後に単打と二者連続のフォアボール。

 これでワンナウト・ランナー満塁だ。

 

「あわあわ……これはもしかしなくてもマズいッスよ……」

 

 どうしよう……まだ一回の表なのに完全に帝王のペースだよ……。

 次は8番の下位打線とはいえ、帝王実業の打線に下位なんて文字は存在しない。

 とにかく最小失点で早めに切り上げないと、最悪の場合、コールドゲームだってあり得る。

 

「試合前の予想だと五分五分だったんだけどなぁ」

「やっぱり帝王実業か。流石のタチバナも本物の強豪校には勝てないよ」

「今まで勝てたのもマグレかくじ運が良かっただけかもな」

 

 私とほむらちゃんの前でそんな声が聞こえてきた。

 ……悔しい。

 自分の試合じゃないのに、お兄ちゃん達のチームがここまで言われると言い返したくなるくらいの思いになる。

 

(お兄ちゃん……川瀬先輩っ……!)

 

 聖タチバナはたまらずまたタイムを取り、今度は内野陣全員がマウンドへ集まる。

 

「あちゃ〜、流石に交代ッスかねー……」

 

 タチバナの投手陣は後ろにあと3人も控えている。

 まだ初回ではあるものの頭数は揃っているため、リリーフを出しても問題ないだろう。

 

 −–−–−しかし、試合の流れとしては最悪だ。

 このピンチを火消しするのも難しいし、これ以上点を奪われるということは、あの山口賢から最低でも4点以上は取らないと負けを意味してしまうからだ。

 

 やっぱり帝王実業には勝てないのかな……。

 

 一瞬、心に流れてきた諦めの一言。

 私の心が折れかけたその時だった−–−–−

 

 

「えっ……?」

「えっ、ちょっ!?」

 

 私達だけじゃない。

 他の観客や両校の応援席からも驚きの声がちらほらと聞こえてきた。

 だってこんなの見せつけられたら……驚くに決まってるもん。

 

 

 六道さんが橘さんの頬を思いっきりつねってるんだから−–−–−。

 

 

 

 まさか初回で2度もタイムを取る羽目になるとは考えてもいなかった。

 だが、みずきの体たらくっぷりに私もそろそろ限界だった。

 何が大丈夫だ。その結果がスリーランから満塁のピンチなのか? いつものみずきなら点は取られても内容はここまで酷くはない。

 

 バッテリーとして、今度は思ってることを全部言わせてもらうぞ。

 

「どうすんだよ一ノ瀬。この調子じゃ追加点濃厚だぞ」

「俺は変えたほうがいいと思うっす。今日のみずきさん……明らかに調子悪そうですし……」

「………………」

 

 みずきは無言で俯いたまま。

 誰の目を見ても分かる、完全に集中力の糸が切れている状態だ。気分屋のみずきが集中力という生命線を欠けてしまってはもう抑えることはできないだろう。

 大島が継投を提案するのも無理はなかった。

 

「……聖ちゃんはどう思う?」

 

 大地はあくまでも私に決めてほしそうだった。

 今日のみずきの相棒は私で、この中でみずきのことを1番知っているのも私だからだ。

 セオリーならここで交代か、これ以上点を取られたら交代の、どちらにせよ交代するのが通説だが、私は−–−–−

 

 

「みずき、私は失望したぞ」

「…………」

「あれだけ大口を叩いてこの有様か? 普段ならもっと我儘で自分本位なみずきが、格上相手だと借りてきた猫なようだな。 情けない」

「っ……」

「ちょっと聖ちゃん、いくらなんでも言い過ぎじゃ−–−–−」

「今宮、ちょっと待て」

 

 −–−–−ありがとう、大地。

 

「みずき……っ!!、なんとか言ったらどうなんだ! 目を覚ませ!!」

「はぐっ!?、いたたたた! つつつへらないでほー!!!」

「はぁ!?」

「ぷっ……くくっ」

「……マジかよ」

 

 私の奇行に、他の内野陣は三者三様の反応を見せた。

 後々になって振り返ると、この時の私は気が付いていたら先に手が出ていたと思ってる。

 でも−–−–−試合中にみずきの頬をつねったのは、実はこれが2度目だった。

 

 

 1度目は私たちがまだリトルリーグで野球をしていた頃。

 忘れもしない、私とみずきが初めてバッテリーを組んだ試合だ。

 

『うるさいなー! 聖のサイン通り投げたら打たれたんだからもうい・や・だ!』

 

 私が要求したコースを弾き返されて連打を浴び、初回から4失点を喫してしまったのだ。

 確かに全て私の出したサインだったから文句を言われても言い返せないが、私にも言い分はあった。

 

『……みずきも途中で二連続四球に暴投で失点もあった。一概に私だけのせいでは−–−–−』

『うるさいっ! 私は悪くないもん!! ぜーんぶ的外れなサインを出す聖が悪いの!!』

 

 ブチッ−–−–−と頭の中で何かが切れた。

 そして気づけば私はミットを地面に置き、両手でみずきの頬を−–−–−

 

『痛い痛い痛いー!!』

『ちょっと2人とも!! なにやってるの!!』

 

 その後、監督に罰として交代されると試合後はこってりと絞られ、最悪なデビュー戦として今でも私の脳に最悪な思い出として刻まれていた。

 

『みずき−–−–−』

『バカ聖。 もうあなたとは絶対に組まないから』

 

 あの試合以降、しばらくの間、みずきは私とのバッテリーを拒み続けた。先に手を出したのは私だったからあれから何度も謝ってはいたものの、みずきの強情っぷりにはとてもかなわなかった。

 

『つねったりして本当にすまないと思ってる。 でもみずき、困ったときこそ私を信じてほしい。 みずきは私が一方的にリードを決めてると思い込んでいるがそれは違う。私は私でみずきの投げるボールを信頼して決めてるんだ。私ももっと相手を研究していれば抑えられていたかもしれないし、みずきももっと熱くならず、いつもの自分のピッチングがあできていれば結果はまた変わっていたかもしれないぞ』

『………………』

『約束する。私ももっとキャッチャーとして強くなる。だからみずきも自分を見失わない強さをもってほしい。どんな辛い状況でも、私が構えたミットを信じて投げ込んでくれ』

『聖……』

 

 

 

「みずき。前にもあったな、こんなことが」

「あ……」

「帝王に勝ちたいのはみずきだけじゃない。私も、友沢も、大地も、今宮も、大島も、涼子も、東出も、他の皆だって同じなんだ。だから……もっと味方を信じて、リラックスして投げ込んでこい」

「でも唐沢にホームラン打たれちゃって……満塁のピンチなんだよ? 変えたほうが−–−–−」

「それはいつものみずきじゃなかったからだ。大丈夫。今度打たれたら全部私に責任をなすりつけてくれていい。だから−–−–−私がみずきを信じてるように、みずきも私を信じてくれ」

「!!」

 

『あのー、そろそろいいですか? それに今、キャッチャーの子が頬をつねってたように見えたんですが……』

 

「あっ、あー大丈夫ですよ!! これはただのスキンシップで決して暴力なんかじゃないですからー!」

『?、そうですか……とにかくもう戻って下さい』

 

 気づけば帝王ベンチは少し苛立ちながらマウンドを睨んでいた。

 そろそろ戻らないと文句も飛び出してくる。とりあえず言うことは言った。あとはみずきを信じて戻ろう。

 

「大地、続投でもいいか?」

「構わんよ。みずきちゃん、いけるな?」

「……うん」

 

 結論を出し、それぞれのポジションに戻っていく。

 

「聖っ」

「?、どうした?」

 

 みずきに呼び止められ、くるりと振り向く。

 するとみずきは優しく笑いながら、こう言った。

 

 

 

 「−–−–−ありがとう。やっぱり最高のパートナーだよ、聖は」

 

 

 「!!……私もだ。この試合、絶対に勝とう」

 

 

 全く……私の相棒は世話のかかる奴だ。

 

 

 

 

『ットーライッ! バッターアウトォ! チェンジ!』

 

 豹変、とはまさにこのことだろう。

 あれからみずきちゃんは快刀乱麻のピッチングを披露。8番の早瀬は全球クレッセントで三振、続く山口は内角のストレートを完全に詰まらせ、キャッチャーフライ。そして1番の坂本は緩急を生かした投球術でタイミングをずらし、なんと三球三振だ。

 

「ナイピッチみずきちゃん!」

「全く。エンジンのかかりが遅すぎるんだよ。初めからこれをやれ」

「うぐ〜、ムカつくけど何も言い返せない……!」

 

 完璧な事実だからいくら友沢のセリフでも言い返せないでいた。

 とりあえず満塁のピンチは切り抜けられたが、3対0と離されてしまっている。しかも先発はお化けフォークの異名を持つ、山口賢だ。

 

「友沢、頼むぞ。なんとか塁に出て後続に繋げるんだ」

「一ノ瀬、なんとかじゃダメだろ。絶対、だ」

「ふ、そうだな。頼むぜ主砲!」

 

『一回の表、聖タチバナの攻撃。1番ショート、友沢君」

 

 軽く一礼し、左打席に友沢が入る。

 大きく右足を振り上げるマサカリ投法から、142キロのストレートが低めに決まった。

 

「ナイボー!」

 

 ワンストライクからの2球目はさっそく代名詞であるフォークが飛び出してきた。ボールはストン、と手元で急激に落ち、友沢のバットの下を通過していく。

 

「っとぉ!」

 

 唐沢はうまくワンバウンド処理して捕球する。

 やっぱりフォークの捕球は自分のモノにしてやがるな。友沢クラスでも山口のフォークを一打席で打つのは難しいか……。

 

 3球目は見せ球のフォークを使い、これはボールに。

 依然追い込まれたまま迎えた4球目−–−–−。

 

「っ!!」

 

 追い込まれてから使う" 三振を取る "フォークだ。

 友沢もなんとかバットに当て、打球はショートとレフトの間をフライで飛んでいく。

 

「まて、これは面白い当たりだ!」

「ワンチャンテキサスになる、走れ友沢!」

 

 予感は的中。

 打ち取ったあたりではあるも、打球はショートのグラブのを通過し、地面に落ちた。

 

「よしっ! ランナー出た!!」

「ナイスです友沢先輩!!」

 

 友沢は全く嬉しくなさそうに塁上でバッティンググローブを外していた。まぁ今のはアイツの当たりとは言えないからな。悔しがるのも無理ない。

 続く聖ちゃんには送りバントのサインを出し、手堅く三塁方向へ転がし、ワンナウト・ランナー2塁になった。

 

『3番サード、大島君』

 

 さあて、次は期待のバッターのご登壇だぜ。

 俺の掲げる勝ち筋は友沢の出塁から聖ちゃんが繋ぎ、大島が打って点を取る。そして俺や今宮、八木沼が打てる限り打つという構図だ。

 その1番の鍵を握る男−–−–−それが覚醒の兆しを見せている大島だってわけだ。

 

 

(山口、コイツは前の試合で一度も変化球を当てれていなかった。とりあえずフォークを投げ込んでいれば打たれる心配はまずない)

(……了解した)

 

 セットアップから山口が投じたのはフォークだ。

 初球はピクリとも動かないで見送った。

 

『ットーライクッ!』

 

 いつものオープンスタンスの構えでなく、力の全く入っていない棒立ちの構え。知らない人間からすればやる気のないように見えるが、これが大島なりの最も集中した構えなのだ。

 

(なんだコイツ……打つ気が全く感じられんな。山口、3球勝負でとっとと終わらせるぞ)

 

 山口がサインに頷き、振りかぶる。

 外角低めに落ちる決め球のフォーク。山口が全力投球でねじ伏せにしている証拠だ。

 

(来たボールを確実に当てるだけ−–−–−)

 

 キィイィンッ!!

 

「何っ!?」

「っ!?」

 

 逆らわず、お手本のように流し打った打球はライトのポール際へと伸びていく。まさか……入るのか!?

 

「頼むっ、行ってくれ!」

 

 が、打球はわずかにライトのポールから右にそれ、塁審はファールの判定をした。

 

「今の打ち方は……」

「ああ。アイツ、友沢でさえ見てからだとテキサスヒットがやっとだってのに、今の打ち方はちゃんと見た後で完璧に捉えていた」

 

 つまりこれで証明された。

 大島は変化球は不得意でなく、思考や狙いを変えることによって自在にあらゆるボールに対応できるバッティング力をを持っている。

 そう、友沢と同じ−–−–−紛れもない打撃の天才だ。

 

 が、続く3球目はフォークをまた当てるもレフトフライに終わり、俺もフルカウントまで粘るが、最後はショートゴロに倒れてチェンジとなった。

 

 

「……友沢。これは有るな」

「だろ? 次の打席が……本当の意味で勝負になりそうだ」

 

 大島は打ち取られたにもかかわらず、冷静だ。

 何も語らず、グラブを着けてサードへの守備へと就いていった。

 いつもの騒がしい雰囲気とは打って変わって、その静けさは不気味にさえ感じてしまうほどだ。

 

「みずき、この回もきっちり抑えるぞ」

「うん! みずきもリードお願いね!」

 

 こちらもすっかり立ち直り、2番の猫神はスクリューを引っ掛け、ファーストゴロ。

 そして次は早くも2度目となる因縁の相手−–−–−蛇島だ。

 

(マグレが続いてるからっていい気になるなよ。今度こそ息の根を止めてやる)

 

 蛇島への初球−–−–−外角低めへのストレート。

 初球から果敢に振りに行くも、振り遅れて弱々しく一塁側ファールゾーンを転がっていく

 

『ファール!』

「ちっ……!」

 

 やはり最初とは明らかに球のキレも球威も違う。表情も迷いが完全に吹っ切れ、自信を持って投げ込めている。

 2球目はスクリューが低めに外れてボール、3球目はインハイのストレートを振り抜くが、今度は三塁ファールゾーンへのゴロだ。

 

(なぜだ……さっきより球の質が違う。芯の近くを捉えているのに打球が飛ばない……!)

 

 4球目−–−–−。

 一打席目と同じインローへのクレッセントムーン。が、今度は一打席目と変わり、投じられたボールは聖ちゃんのミットに寸分の狂いもなく吸い込まれた。

 

『ットーライッ! バッターアウト!!』

「いよしっ!」

「ナイスピッチみずきーっ!!」

 

 すげぇな……あの蛇島が全く手を出せていなかったぜ。

 聖ちゃんの説教一つでここまで人って変われるのかよ、参ったぜこりゃ。

 ツーアウトから次のバッターは前にホームランを打たれている唐沢だが、3ボール・2ストライクからの7球目だ。

 

「任せろっ!!」

 

 鋭いゴロが一・二塁感を襲うが今宮の守備取りが上手く、滑り込んでこれを捕球、素早いスローイングで唐沢を見事に刺した。

 

『アウトォ!!』

 

 リズムの良いピッチングが他の守備陣にも良い影響を与えている。

 2回表はバッテリーの活躍でクリーンナップを3人で打ち取り、チェンジに。

 

 このままの流れで点を取りたいが、次の回は山口のフォークに歯が立たず、なんと三者連続三振で終わった。

 それでもバッテリーは腐らず、3回も三振を挟んで3人で終わらせてみせた。

 

「いい調子だな、2人とも」

「うむ。みずきのボールが良いからだ」

「やめてよ聖〜、アンタのリードがあっての私なんだからっ」

「それは……素直に嬉しいな」

 

 この2人のためにも、そろそろ一点でもいいから返してやりたいな。

 この回は少なくとも友沢に2打席目が回ってくる。

 チャンスを仕掛けるなら……ここだ!

 

 



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第四十三話 vs帝王実業(中編)一触即発

 

 試合は0対3で帝王リードのまま、3回の裏へと突入する。

 この回は8番の笠原からスタートする。その笠原はピッチャーフライ、続くみずきちゃんは全く手が出す三球三振に終わり、ものの数分でツーアウトだ。

 

「……大地、ごめんなさい」

「え? なんでだ?」

「勝手な判断で東出君と宇津君の肩を作らせちゃって。まだみずきちゃんは諦めてなかったのに……私…」

「気にすんな。お前が心配しちまうはしょうがないぜ。でもよ、俺は唐沢にホームランを打たれて満塁のピンチを迎えたあの場面でも、みずきちゃんを変えるつもりは全然無かったぜ」

「えっ、そうなの?」

「俺は少しでも勝算のあるオーダーしか絶対に組まないし、試合前からみずきちゃんの実力はある程度は帝王にも通用するって分かってたからな」

 

 あの友沢でさえ未だホームランにできていない最強の決め球に右打者からは恐怖でしかないインコースのストレート、それらを多彩なコースに投げ分けられる制球力。

 みずきちゃんにしか持ちえないこの武器は前の帝王戦でも十分に通用してたし、今日があの時と違う状況だとすれば、みずきちゃんが緊張し過ぎているか、気負いすぎているかの2択しかない。

 

「俺が声をかけてみずきちゃんを呼び戻しても良かったけど、1番効果があるのは "自分と似た者"に檄を入れてもらう方だからさ」

「似た者、かぁ……つまり私と大地も似た者同士、なのかな?」

「野球に関しては知らんけど俺はお前みたいに大食でも甘党でもないからな」

「むー、それはどういう意味よ」

「はいはい悪かったよ。ほら、そろそろ試合に集中しようぜ」

 

 これ以上絡んでると今宮みたいに怒られかねないからな。

 

 

『1番ショート、友沢君』

 

 本日2度目の打席に入る。

 ツーアウトで後がないが、繋ぎさえすれば聖ちゃんと大島が控えているから期待は持てるぜ。

 友沢への初球は真ん中低めのカーブ。

 山口があまり普段使わない珍しい変化球だが、それでも良い切れ味のカーブだ。

 

 それを友沢は見逃さず、バットを一閃。

 打球は左中間を真っ二つに破るツーベースとなった。

 

「いよし、また出たな!」

「聖ーっ! 絶対打ちなさいよ〜!!」

 

 目を閉じて、集中力を高める。

 守備ではなんとか挽回できている。あとはバッティングでも貢献しなくては勝てない。好投を始めた相棒の為に、リベンジを果たしてたいというチームの想いのため、何が何でも大島へと繋いでみせる!

 

 カーブを弾かれたのが影響してか、初球からいきなりのフォークだが、これは唐沢の前でワンバウンドしてボールの判定に。

 

(凄い落差だ……こんなのをパワーで長打にするのは私には無理だ)

 

 たとえ長打が打てなくても、大島へ繋げられればそれで良い。

 目を瞑って深く息を吐く。神経を極限まで研ぎ澄ませて集中しろ。相棒のウイニングショットを初めて捕球した時のような、限界を超えた "超集中" を見せる時だ。

 

 ッキインッ!

 

 2球目はストレートをカットしてファール。3球目はカーブが外れてボール、そして4球目は決め球のフォークを投じるも、これを聖ちゃんは冷静にカットして粘る。

 

「………………打つ」

 

 誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。

 山口から5球目に選んだのは低めのボールゾーンに消えていくフォーク。

 見逃せばボールになるコースだが、聖ちゃんは体制を崩しながらバットを振った。

 

 キィィィンッ!!

 

「なっ!?」

 

 右膝をついたあの体制から、ボールは綺麗なライナーを描いてライト前へ落ちていく。

 唐沢が驚いた声を出すのも無理ない。卓越したバットコントロールと柔軟な体、そして天性の選球眼を持ち合わななければ、山口のフォークをあそこまで綺麗に流し打つなんてできないからな。

 

「もうっ、どこまでカッコいい姿を見せれば気が済むのよ……」

 

 俺の隣に座るみずきちゃんは、頼れる相棒の勇姿に見惚れていた。

 大丈夫だぜみずきちゃん。俺も今日の聖ちゃんには惚れそうなくらい興奮してるからな。……勿論変な意味ではなく。

 

『3番サード、大島君』

 

 大島が好きなアフリカンシンフォニーのチャンテをバックに、打席へと赴く。

 ようやく作れたチャンスの場面に、ようやく聖タチバナの応援席も盛り上がりを見せ始めた。

 

(変化球が苦手な情報は嘘なのか? いや、仮に嘘だとしても、山口のフォークは海堂やあかつきレベルでなければまず打てはしない! 山口、ここで流れを断ち切るぞ!!)

 

 今度はストレートを織り交ぜながらの投球で大島を少しでも翻弄しようとする。

 

(見て当てるだけ−–−–−)

 

 

 カウントは気付けば2ボール2ストライクまで進む。一打席目と変わらずの超脱力打法。最初と異なるとすれば−–−–−

 

「っ……!」

 

 顔色を全く変えない大島とは反対に、山口の表情が曇り始めている。

 少しでもボール球を投げれば見送られ、自身の得意球を投げてもファールではあるものの強い当りで返されてしまう。

 

(意味がわからん! なぜ山口のフォークをあんな棒立ちで打てる!? タイミングさえ合わされたら間違いなくヒットだぞ!?)

 

 焦り−–−–−否、これは恐怖かもしれない。

 得体のしれない男に、これまで自信を持って投げていた誇りある決め球を打たれるという不安。

 そして嫌な予感なほど的中するもので、大島はフォークを丁寧にスイングすると、左中間のフェンスをダイレクトにぶつける長打となった。

 

「うおおおおおお!!! アイツ、ついにフォーク攻略しやがったぜ!!」

「センターが処理にもたつている! 大島っ! 三塁狙えるぞ!!」

 

 大島は長身が故に一歩の歩幅が長いから足もまあまあ速い。

 ベンチの八木沼から飛び出たアドバイスを耳にし、大島は2塁に到達しても失速せずに走り抜ける。センターの後藤がようやく返球するも、大島の足が先にベースへ届いた。

 

『セーフ!』

 

 よっしゃ!!

 これで2-3、しかも俺が単打以上を打てば同点に追いつく!

 

「頼むぜキャプテン!!」

「みずきさんのためにも打ってくださいー!」

 

 今宮と大京の声援を糧に、ネクストサークルからバッターボックスに入る。

 山口はフォークを完璧に捉えられ、鉄仮面とも称されるポーカーフェイスからついに歯軋りをする悔しそうな顔を作っていた。

 

『ットーライクッ!!』

 

 それでもストレートの球速は143キロをマークする。

 友沢、聖ちゃん、大島の3人はこんな怪物からヒットを打ったのかよ。

 

(……俺も負けてらんねぇな!)

 

 バットをいつもより短めに持ち直す。

 今の俺の技術ではフォークをホームランにはできない。当てるだけで精一杯なら、その当たりを最低限のヒットゾーンに運べれば今はいいんだ。

 カッコつけはいらない。どんな形でもいいから今はヒットだ。このお化けフォークを絶対に−–−–−

 

 

(−–−–−捉える!!)

 

 

 凄まじい金属音と共に打球は蛇島の左を強く襲う。

 蛇島が執念のダイビングキャッチを試みるが、ボールはグラブを掠めて通過、これもヒットとなり、早くも同点に追いついた。

 

 

「やったな一ノ瀬!!」

 

 一塁コーチャーの岩本とハイタッチを交わし、喜びを分かち合う。

 蛇島は凄まじい形相で俺を睨みつけているが、俺は無視してタチバナ側のベンチへ右手を挙げた。

 

(そう易々と勝てると思うなよ。 ウチをあまり甘く見てると足元すくわれるぜ)

 

 続く今宮も良い当たりはするも、ライトフライに倒れてチェンジとなった。

 しかし上位打線の四連打で一挙に同点まで追いついた。

 

「みずき、この3点は絶対無駄にしないぞ」

「大丈夫、もうこれ以上点を与える気はないんだから!」

 

 4回も橘・六道バッテリーの勢いは止まらない。

 今度はたった12球で2三振とショートフライに打ち取り、5回も3人でピシャリと終わらせた。

 山口も打たれて逆に冷静さを取り戻したのかその後は復調、5回裏の友沢、聖ちゃんを三振で抑え、試合は徐々に投手戦へシフトチェンジしていった。

 

 

 

 

 

「どうだ山口、まだ行けそうか?」

「……念の為、香取に準備させてください」

「珍しいな。あのお前が降板も視野に入れているのか?」

「認めているんです。聖タチバナは正真正銘、僕たちの相手に相応しい良いチームなんです。彼らを認めているからこそ、自分の限界をしっかりと見定めたいんです」

「−–−–−そうか。おい香取!」

「なんですか監督?」

「肩を作っておけ。様子次第では登板させる」

「そうですか。うふっ、分かりました」

 

 試合は6回表の中盤にさしかかり、帝王ベンチが慌ただしくなっていく。山口は現時点で5回を投げて3失点と、彼からしたらなんとも言えない成績に見えるも、奪三振数は7と彼らしさは健在であった。

 試合自体もようやく折り返しを過ぎた辺りで3対3の同点。山口をそのまま続投させてもなんら不思議でなかった。

 

(友沢は分かっていたがあの大島という一年……)

 

 脳裏から離れない長身の一年、大島誠也。

 あれだけ全身の力を抜き、ヒッティングの瞬間の踏み込みも浅いのにフォークを眼で見て捉えていた。これまでで己のフォークを完全に攻略できた選手は両手で数えるくらいの選手しかおらず、自分より下の学年にあそこまで運ばれたのは海堂にいる猪狩進しかいなかった。

 

(大島……見ない間に随分成長したじゃないか)

 

 帝王シニアに在籍していた頃を知る者として、こうして新たな好敵手として強くなって対峙でき、山口の胸は昂っていた。

 この回の裏のイニングが−–−–−おそらく今日最後の対決になるだろう。

 自分が今度こそあの好打者を完璧に抑えて、必ず流れを手繰り寄せてみせる。

 

「猫神、蛇島! とにかく一点だ! 何としてでも塁に出て繋げるんだ!」

「!、っす!!」

「……ああ、分かってるよ」

 

 その裏でこの男−–−–−蛇島は苛立っていた。

 

「橘、体は大丈夫か?」

「大丈夫に決まってるでしょ! 私よりも自分の心配をしなさいよ、今度は三振に倒れてるじゃん」

「……黙れ。お前も調子乗ってると打たれるぞ。ただでさえ豆腐メンタルなんだから謙虚にやれ」

「相変わらず嫌味な奴ねー! 少しは褒めてもいいじゃん!!」

 

 橘と友沢の言い合いながら守備につく。

 一見喧嘩をしているようにも見えるが、寧ろタチバナ側からすればこれが正常運転なまであるから安心感さえあった。

 

 しかし蛇島は、そのやりとりに対して同感など抱かず、はらわたが煮えくりかえるほどの怒りが込み上げてきた。

 

(あんな "才能だけ" の奴等に……僕は絶対に負けられないんだよ!!)

 

 握っていた金属バットのグリップを壊すかのような勢いで強く握りしめる。

 ……そうだ。また負けそうになれば潰せばいい。僕には野球しか無い……そんな僕を見下して邪魔するような奴は−–−–−

 

 

「友沢……ふふふふ、みていろ−–−–−」

 

 

 

 

 

 この回の先頭バッターは猫神からの好打順から始まる。これまでなら試合中盤辺りで疲れを見せ始めていた橘であったが、今日は顔色を変えずにマウンドを守り抜いていた。

 

「セカンド!」

 

 試合中盤になっても球威とコントロールは衰えることなく、低めの厳しいコースへスクリューを徹底的に投げ込む。猫神もなんとかフルカウントまで粘るが、そこが彼の限界点であった。

 今宮が丁寧に捕球、難なくスローイングしてアウトに。これで一回の途中から橘はパーフェクトピッチングを継続し、良いリズムを継続していた。

 

(今までならもうバテ始める頃合いなのに……やっぱ "アレ"を取り入れたのがデカかったな)

 

 一ノ瀬自身も橘の体力に感心していた。

 アレとは、夏前から密かに取り組んでいた『フォーム改善』と『先発にも対応できる身体作り』のことだ。

 

 橘のフォームはワインドアップから後ろに大きな捻りを加え、横手で投げ込むサイドスロー。橘がこのフォームを選んでいる理由が『この投げ方が1番力が入りやすいから』という理由だ。

 が、通常のサイドスローに比べ、橘のサイドは片足一本で全体重に大きな捻りという負荷をかけて投げ込む。ボールに力を加えられやすい反面、身体への負担が大きくなっていたのだ。

 

「負担を減らしたサイドスロー?」

「そ。みずきちゃんの強みはそのままに、これからは自分の体力にも配慮した投げ方に変えていくべきだと思うんだ」

 

 色々精査した結果、特に気になったのが『投げる際に肩が後ろに引け、リリースが身体より後ろに来てしまっていた点』だ。

 

 投球時の腕にはゼロポジションと呼ばれる、最も身体への負担が少ない

ポジションが存在している。できる限りリリースの瞬間は体より前でリリースした方が膝と腕への負担も少なく、慣れてくれば伝えられる力もより大きなものになれる。

 

「少しずつ改善していけばまだいいさ。まずはリリースポイントと肩が開く癖を治す。そして後は−–−–−」

 

 川瀬にも課している、下半身の強化だ。

 これは試合後半にも安定したボールを投げる目的もあるが、単純にボールの球威を上げる目的もある。

 近年では走り込みよりも科学的に分析し、必要な箇所の筋トレを行なった方が効率が遥かに良い。

 

 しかし川瀬と橘は女性であり、男性よりも筋肉が付きにくい体質だ。当然これだけを行えば体力不足を補えるかと言われればYesと返しにくかったが、

 

「私もやる! 涼子がやってるってのもあるけど、今の私の身体はまだ改善の余地があるって私が1番分かってるからね」

「何度も言うけど、絶対に無理をしない範囲でいい。急に負荷をかけてトレーニングすればそれこそ逆効果だからな。すぐに成果は出ないかもしれないけど、決して無駄にはならないと思うぜ」

「涼子にばっか良い思いさせたくないもん! なんなら私がエースの座を奪うつもりでやってやるわよ!」

 

 夏こそ成果を感じにくかったものの、季節が1つ変わって秋になり、少しずつ自分の努力が実を結んでいく感覚が橘の身体中に流れ込んでいた。プラス、六道聖という最高の女房の存在がより彼女の自信を大きくし、こうして帝王実業と互角以上に戦えていた。

 

『3番セカンド、蛇島君』

(来たわね蛇島。 アンタだけには絶対打たれないんだから!)

 

 「よしっ」、と呟いて投球操作に入る。

 ボールはアウトローのストライクゾーンをギリギリ通過する最高のボールだ。

 

(塁に出れさえすれば後は−–−–−)

 

 バッテリーが選択した2球目はインコースは落ちるスクリュー。蛇島はそれを無理矢理叩きつけると、ボールはサード方向へ大きくバウンドしていく。

 

「っ、大島っ!!」

 

 蛇島らしくない強引な叩きつけ。

 しかし打球はいやらしいまでに高く跳ね上がってしまい、大島が上手くジャンピングスローをするも、僅差で蛇島の右足が先にベースに着き、一塁塁審は両手を横に振った。

 

「…………」

「気にするなみずき。内容自体は悪くない」

「ん、ありがと。この後を抑えれば問題ないから気にしてないわ。ここからもう一踏ん張り頑張ろ!」

「!……うむ」

 

 1番嫌なバッターを出してしまったが、橘に動揺は全く無かった。焦っても仕方ないし、今は自分にできることを全力でやるしかないと割り切れていたからだ。

 六道もみずきの瞳を見て安堵し、定位置へと戻った。

 

『4番キャッチャー、唐沢君』

 

「……一ノ瀬君。君たちはまた調子に乗りすぎたね」

「…………」

 

 −–−–−嫌な予感がする。

 蛇島はインコースよりアウトコースの球を好んで打つ打者だ。そんな彼があんなインコースの厳しいボールを叩きつけたのが不思議で仕方なかった。

 

(まさか−–−–−)

 

 一ノ瀬が勘付いたその瞬間、蛇島は走り出した。

 意表を突く初球からのスチール。バッテリーもスチールには気づいており、途中でウエストに切り替えて対応する。

 

「甘いっ−–−–−!」

 

 スタートの切り方も八木沼や矢部に比べれば全然だ。

 綺麗な捕球から流れるようなスローイングで二塁へ送球する六道。ベースには友沢が捕球体制を整えてスタンバイしている。

 

 

(今度こそ引導を渡してやる−–−–−友沢ぁ!!)

 

 蛇島の目的はスチールを成功させることじゃない。

 彼の眼中には前の大会で痛めつけた友沢の足しかなかったのだ。

 

「−–−–−−–−」

 

 蛇島はスパイクの歯を意図的に向けながら滑り込む。狙いは前と同じ、友沢の足首だ。

 

(ふっ−–−–−っ!?)

 

 おかしい。

 確かに左足首目掛けてスライディングしたはずだ。なのに、なぜ……なぜ−–−–−

 

 

 

 −–−–−当たった感覚が何もないんだ?

 

 

『セーフ!!』

「!?、なっ……!」

 

 盗塁成功させたにもかかわらず、蛇島は驚愕の表情を見せていた。

 友沢は左足だけを上げて蛇島のスライディングをギリギリのタイミングで回避し、右足一本のみでタッチを試みたのだ。

 

「……間に合わなかったか」

 

 先に避ける事を考えた結果、タッチが遅れてセーフになってしまい、どこか悔しそうな仕草をする友沢。何事もなかったかのように橘へボールを返球しようとするが、マウンドから今にも飛びかかりそうな勢いで橘が迫ってきた。

 

「ふざけんな!!! アンタまた友沢の足を狙ったわね!! 正々堂々と勝負できないの!? 弱虫!!」

「なっ、えっ、ちょっ、みずき!?」

「こ、こらやめなさい!! どうしたのかね!?」

 

 持っていたグラブをマウンドに投げ捨て、タチバナナインでさえ見たこともない本気で怒った橘が蛇島へ詰め寄ってきたのだ。慌てて内野陣と主審、両校の監督が止めに入ろうとするが、橘はお構いなしに続けた。

 

「審判も審判よ!! 今のスライディング、どう見たってコイツが避けてなかったら確実に足へ直撃してたじゃない!! 」

「やめたまえ橘さん。僕だってセーフになりたくて真剣にプレーしているんだ。それに今のは友沢君の足が前に出過ぎていたのも原因なんじゃないのか?」

 

 蛇島の言い訳にプツン−–−–−と何かが切れた音がした。

 

「−–−–−コイツっ!!!」

「まずい!!」

「まてみずき!!」

「みずきちゃんそれはダメだ!!」

「先輩っ!!」

 

 もう我慢の限界だ。

 どこまで汚い手を使ってアイツに苦しい思いをさせるのか。なんでアイツばっか標的にするのか。

 人は理性の2文字が消えると、どんな事をしでかすか分からない生き物だ。そして今の橘は限りなくその状態に近い、危険な存在になっていた。

 一ノ瀬達内野陣が止めに入ろうとするが、距離がある為どう考えても間に合わない。

 

 

 蛇島は心の中でニヤリと笑い、橘から殴られる覚悟で目を瞑る。

 

 

「やめろ橘っ!!!!!」

 

 が、橘が蛇島の元へ辿り着くことはなかった。

 友沢が2人の間に割って入り、体を張って橘を止めたのだ。

 

「なんでっ、なんで邪魔するのよ!! 昔から酷い目に遭わされてきたんでしょ!? どうしてアンタは止めに……とめ、に…っ……!」

「…………」

 

 橘は分からなかった。

 なぜ当の本人が蛇島に対して嫌悪感の態度を1つも示さないのか。普通の思考ならやり返すとまで行かなくても、少なからず敵意の姿勢は見せるはずなのに。

 

「橘。周りを見ろ」

「え……あ…………」

 

 ザワザワと騒ぎ出す観客。

 両校の監督も心配そうにマウンドまで駆け寄り、内野陣だけでなく外野を守る3人も気づけば自分の近くに集まっていた。

 

「あまり騒ぎを大きくしたくないから言っとく。俺が今考えてるのはこのチームをどうすれば勝たせてやれるかだけだ。決して復讐のためなんかじゃない」

「でもそうしたらアンタは……!」

「蛇島。俺も足を前に出しすぎていた。避けるのが遅かったらお前を悪者扱いさせるところだった。すまん」

「!!」

 

 コイツは馬鹿なのか?

 お前だって僕が一方的に狙ったと勘付いているはずなのに……なぜ逆にお前が謝っているのか、全く理解ができない。

 

「……橘監督。ウチの選手が危険なプレーをしてしまい、申し訳ありません」

「いえ。こちらこそ妹……いえ、選手が詰めかかったりしてすみませんでした。ほらみずき、謝りなさい」

「蛇島もだ。2度とこんなプレーをするな、いいな」

「っ……ごめん」

「……すみませんでした」

 

 両者が不本意ながらも謝罪したことでなんとか事態は下火に向かっていったが、審判はこの一連の流れを危惧したのか−–−–−

 

「申し訳ないですが念の為、両校に警告試合を出します。蛇島君、本気でプレーした上での結果なのは分かるが、危険な行為はやめなさい。橘さんも次詰めたりしたら即退場にさせるよ、いいね?」

「はい……」

「分かりました……」

 

 その後審判団からマイクで警告試合の説明をし、試合は盗塁成功後から再開となった。

 

 

「橘」

「…………」

「−–−–−ありがとな、心配してくれて。でもあそこで殴りでもしたらそれこそ蛇島の思う壺だ。もしお前が悔しいくらいに怒ってるなら結果とプレーで見返してやればいいさ」

「……うっさいバカ」

 

 涙が溢れそうになる眼を必死に抑えながら、橘はバッターボックスへ視線を逸らす。

 どこまでお人よしなのよアンタは……。

 もう橘には友沢の考えなど理解できなかった。

 

「…………なぜ嘘をついた」

 

 定位置に戻る友沢へ蛇島が怒りを滲ませながら質問する。

 

「勘違いするな。俺はお前を庇っているつもりで言ったわけじゃない。ここでお前にやり返したって何も残らない。そんなくだらない考えを張り巡らせるならどうすれば自分のチームを勝利に導けるかを思考する方がよっぽど大切じゃないか? それに本来のお前ならそんな奴じゃないって−–−–−俺は今でも信じているからな」

「−–−–−−–−–−」

 

 本来の自分……だと?

 

「お前まさか……!」

 

 蛇島が思い出したのは自分が野球を始めて間もない頃の記憶。

 

 

 そう、自分が純粋な気持ちで心から野球を楽しんでいた頃の、忘れ去りたい過去だった−–−–−。

 

 



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第四十四話 vs帝王実業(後編)勝利と同じくらい大切なモノ

 

 −–−–−約9年前。

 一ノ瀬の世代がまた8歳の小学2年生だった頃、神奈川県に新しい野球少年が生まれようとしていた。

 

「へっ、蛇島桐人です! よろしくお願いしひゃす!」

「はっはっ。そんなに緊張するな蛇島。 野球はな、楽しくのびのびやらない損だぞ」

「はっ、はい……」

 

 蛇島が野球を始めたキッカケは父親の存在が大きかった。

 父親は元高校球児で、昔は甲子園にも出場した経験を持つエリートだった。そんな野球好きの父親は蛇島が2年生に上がったタイミングで近くの軟式野球チームに入れさせ、蛇島の意思関係なく野球を始めさせてしまったのだった。

 

「よろしくな蛇島! あんま緊張しなくて良いんだぜ」

「そーそー。俺たちのチームって結構弱いけど皆楽しくやってるんだからさ」

「楽しく……ですか」

 

 蛇島が初めて所属していたチームは大会に出ても万年一回戦敗退の弱小チーム。しかし周りの仲間は腐らず、皆がのびのびと野球に打ち込み、誰の目から見ても楽しく協力し合いながら日々取り組んでいた。

 当の蛇島は現在より口数も少なく、かなり弱気な性格をしていたが、このチームで過ごした日々が彼を良き方向に進ませてくれた。

 

「蛇島ー。前の練習試合、大活躍だったな! お陰で久々に勝てたぜ!」

「いえいえ、僕なんて全然です。先輩のヒットがあってこそのサヨナラでしたから」

「でもさ、最近試合で勝てるようになってきたのもお前が入ってからなんだよな。野球も今までよりずっと楽しいし、やっぱ勝てるようになるとこんなにも面白くなるんだな、野球ってさ」

「−–−–−そうですね」

 

 蛇島が所属してからというもの、少しずつチームは強くなっていった。

 まだ10歳にも満たない小さな少年であったが、チームの明るい雰囲気が彼にはとてもよく合い、父親が聞かなくても自ら努力を重ね、上達していったのは勿論だが、どんどん野球が好きになっていったのだ。

 

「お父さん。僕、野球を始めて良かったよ!」

「そうか。お父さんもお前が野球を好きになってくれて嬉しいぞ。それにお前は俺よりも才能がある。もしかしたらもっと強いチームで活躍して、あわよくばプロにだって−–−–−」

「ぷろ?」

「ああいや、こっちの話だ」

 

 何もかもが順調に見えた1人の野球少年。

 そう、彼が10歳を迎えるまでは−–−–−。

 

 

 

「そっか……気持ちは変わんないんだな」

「うん。ほんとごめん……けど−–−–−」

「気にすんなよ! お前はどの実力ならここにいる方がもったいないさ。それに天下の帝王リトルに行くんだろ? すげぇじゃんか!」

 

 蛇島が10歳を迎えた頃。

 彼は父親からの提案で、県内でも随一の強豪『帝王リトル』に行くことを決めたのだ。

 自分の実力がどこまで通用するのか。そして父親が憧れ目指し、夢破れた『プロ野球』という舞台。そこへ行ってみたいという彼の想いが帝王リトル移籍の決断をさせてくれた。

 

「蛇島−–−–−頑張れよ。もっともっと上手くなって、いつかまた一緒にキャッチボールでもしようぜ」

「もちろん! 僕、頑張るよ!!」

 

 

 しかし、帝王リトルはこれまで在籍していたチームと雰囲気も考え方も大きくかけ離れていたのだった。

 

 意気揚々と入団するも、同期には山口や久遠、猛田、米倉、そして遅れて友沢という真の天才が在籍し、上の先輩たちも自分より遥かに優れている選手ばかりだった。

 それでも最初は必死に努力し、少しでも彼らに追いつこうと足掻いた。たが足掻けば足掻くほど、蛇島は感じ取ってしまうのだ。

 

 

 −–−–−自分は皆より野球の才能がない、と。

 

 

 それに周りは全員野球を楽しむというより、勝つだけを目的に練習していた。スポーツなのだから最終的な目標が試合に勝利することなので寧ろ大正解なのだが、これまでの和気藹々としたムードから一変して、殺伐とした重苦しい雰囲気は更に彼を苦しめてしまったのだ。

 

「しっかし今年は豊作だな。山口に久遠、猛田、米倉。特に友沢。アイツは間違いなくリトルのレベルじゃないぜ」

「ほんとな。それに引き換え蛇島の奴、見たかよ」

「ああ。せっかく監督がチャンスを与えて試合に出させてくれたって何守備は3エラー、全打席で三振ってほんと笑えるよな」

「軟式では活躍してたって話だけど、所詮は弱小チームの中での話たがらな。アレはダメだな」

「っ!!」

 

 練習後、偶然にも聞いてしまった先輩達の会話。

 なんで……どうしてそこまで酷い事を言えるんだ。結果は悪くたって楽しくやれたらそれで良いじゃないか……。

 

 こんな辛いのは−–−–−野球なんかじゃない。

 

 やがて活力を失っていった蛇島はチームでも浮き始め、誰も近寄らなくなってしまった。

 

「悔しかったら結果で見返せ。リトルやシニアは甘えた気持ちで野球できない環境なんだぞ。お前が強くなって周りから認められたその時、楽しいと思えるようになるんじゃないのか」

 

 これは父親へ相談した時に返ってきた答えだ。

 誰よりも強くなって認められなければ生き残れない。まだ小学4年生の少年には厳しい考え方にも思えたが、蛇島は−–−–−

 

(−–−–−そうか。強くなって認められなければ意味がないんだ。所詮野球を楽しみながらやること自体が甘えだったんだな)

 

 この日を境に−–−–−彼の心境は大きく変わってしまったのだった。

 

 

 

「…………」

 

 アイツは……僕に野球を楽しめと言っているのか。

 ふざけるな。楽しんでやれるなら僕はここまで苦しまずに済んだんだ。僕には君のような天性の才能は無く、努力と邪魔な人間を排除してここまで成り上がったんだ。誰も楽しんで野球をやってなんか−–−–−

 

 

 もっと皆が野球を楽しくやれたらいいのにな−–−–−。

 

 

「黙れ……」

 

 

 俺よりもショートは蛇島の方が絶対合っているはずです! だから俺は−–−–−。

 

 

「黙れっ!!」

「……蛇島?」

「……チッ。悪い、何でもない」

 

 今更野球を楽しむなんて……もう僕には−–−–−。

 

 

 

 

 危うく暴力沙汰になりかけたが、試合はそのまま再開する。

 六回表・ワンナウト・ランナー2塁。一打勝ち越しの場面でネクストバッターは4番の唐沢だ。

 みずきちゃんがまた動揺していなきゃいいが、ここを抑えればまた流れはウチに来る。

 

「みずきちゃん。今日の試合勝ったらパワ堂のプリン好きなだけ奢るよ」

「……約束、守ってね。あと気遣ってくれてありがと。安心して、その役目は友沢のバカに押し付けるからいいわよ」

 

 向こうのベンチ前では香取が猫神とキャッチボールをし始めていた。

 おそらく次の山口の打席で代打を送り、終盤は香取へシフトチェンジしてくると予想される。

 

(頼むぜバッテリー。ここで一点取られた厳しいぜ)

 

 頬の汗を拭い、気を取り直して唐沢へ投じる。

 聖ちゃんのミットはインローに構えられている。が、セットアップからの唐沢への最初のボールは俺たちの予想だにしない場所へと飛んでいった。

 

(何っ!?)

 

 懸命にジャンプをしながら手を伸ばすも、ボールは聖ちゃんの頭上を大きく逸れる大暴投。蛇島は余裕そうにサードまで到達する。

 

「なんかよく分かんないけどランナー進んだぜ!」

「唐沢ーっ! デカいの狙わなくてもいい! とにかく一点取れー!!」

 

 最悪だな……。

 これで単打一本でも出れば向こうの勝ち越しになっちまう。くそっ……せっかく勢いづいてたってのにあのプレーがキッカケでまたリズムを崩されちまったか……!

 

『ボーッ! ボールスリー!』

 

 はぁ、はぁ、と呼吸の乱れが一塁からでも見て取れる。

 カウント的にもう敬遠した方が得策かもしれないが、次のバッターはチャンスにめっぽう強い猛田と、どのみちまた強打者と当たるハメになる。勝負を避けたところでまた勝負をしなければならないのだ。

 

(……ここまでか)

 

 みずきちゃんは十分よくやってくれた。

 あとは東出と宇津の2人に託し、一度気持ちをリセットして−–−–−–−

 

 

 

「頑張れー!!! みずきさーんっ!!!!」

 

 

 

 帝王実業の応援歌越しでも聞こえた女子の大きな声援。

 声の主はバックネット裏の冗談から聴こえ、俺たちナインは声のする方へと視線を向けた。

 

「勝って甲子園に行くんでしょー!! 諦めちゃダメですー!!」

「ま、愛美ちゃん声が大きいッスよ!!」

「こういうのは気にしちゃ負けなの! ほら、ほむらちゃんも応援するよ!!

「あーもうヤケクソッス!! 頑張れタチバナー!!ファイトッスよー!!」

 

 初めて見る顔だがあの制服は俺と涼子と八木沼がかつて在籍していた三船南中のセーラ服だ。

 俺は見覚えのない顔だから涼子か八木沼の知り合いなのか……?

 

「……ふふっ」

 

 ん? 今微かにみずきちゃんが笑った気が……?

 

「そうやみずきさん! 後ろにはワイらがついてるで!」

「まだ僕の出番には早すぎますよ! いつもの負けん気はどこ行ったんですか!」

「みずきさんなら絶対抑えられます! 弱気になったらダメですよー!」

 

 元生徒会コンビの3人もかつての上司、今では同じチームメイトへ熱い声援を送っていた。

 そうだぜみずきちゃん、仮に打たれたっていい。ただ中途半端なまま打たれるくらいなら全力でやった結果の負けの方がまだ諦めがつくだろ? いや勝つ気ではいるけどさ、そのくらいの気持ちでやった方が気もだいぶ楽になるぜ。

 

「全くもう……なんでこんなにやかましい連中しかいないのよ」

 

 でも気分は悪くない。

 打たれるのが怖くて体と心が萎縮し、また自分を見失いかけたけど、仲間が私を助けてくれた。

 

(…………)

 

 聖ちゃんは何も語らず座っていた。

 今更言葉をかける必要もないだろう。今度は他の仲間がみずきちゃんを支えてくれている。それは俺たちも同じだがな−–−–−!

 

 

「絶対抑えるぞ!! 声出してけー!!!」

『オーッ!!!!』

 

 キャプテンとして俺が一度空気を締め直す。

 交代はしない。その理由はみずきちゃんの顔付きを見れば一目瞭然だからだ。

 

(この場面で笑う……か。どこまでも面白いチームだ)

 

 唐沢もバットを握り直して迎え撃つ。

 疲れは出始め、緊張だってしてるはず。なのに本人の表情はこの緊迫した場面を楽しんでいるさえ感じてしまうくらいに口元を緩ませていたのだ。

 

(プリン……アイツに絶対奢らせてやるんだから!)

 

 息を吹き返し、力の限り己の左腕を振るうサイドハンドの少女。

 球速は試合中盤でこの日最速となる127キロをマークし、会場が少しどよめく。

 

(!、コイツは……!)

(ふ、ふふ……これだ、このボールだみずき!!)

 

 「ナイスボール!」と聖ちゃんがとても嬉しそうに返球する。

 今のボール、これまでとは回転量もノビも段違いに見えたぞ……? 尻上がりに調子を上げるタイプなピッチャーじゃないし……どうなってるんだ?

 

「っらあっ!!」

「ぐっ!!」

 

 2球目はインハイのストレート。

 唐沢はストレートに対して強いバッターのはずなのに、120キロ後半のストレートに振り遅れていた。

 

(あー……野球ってやっぱり楽しいわ)

 

 3球目はスクリューをカット、4球目も違うコースのスクリューをなんとかカットするも次第に追い込まれていったのは唐沢の方だ。

 

「ふぅ……ふふっ……♪」

「ぐっ……!」

 

 それでも、唐沢にも譲れないプライドがあった。

 帝王実業を束ねる主将として、蛇島が作った千載一遇のチャンスをモノにしなければならない。

 目の前に立つサイドスローの女性投手の実力を認めた上で、絶対に−–−–−

 

「打つ!!!」

「抑える!!」

 

 運命の5球目。

 ボールは唐沢の手元で急激に入れ込みながら落ちていく。想定以上の変化量に体が開いてしまうが、バットの根本でなんとか当てた。

 

「レフトっ!!」

 

 打球はレフト線の大島と原の間をフラフラと飛んでいく。

 

「大島どけぇ!! ワイが捕る!!」

 

 原が声を荒げて前へ突っ込む。

 打球が飛んでからの初動は速かったが落下地点にたどり着けるか微妙なところだ……。

 

(落ちるなっ、絶対落ちるなぁ!!!)

 

 懸命に自身の左腕を伸ばしてダイビングする原。

 どんなに笑われ、どんなにカッコ悪くたっていい。ただ1つ−–−–−この打球だけは捕球させてくれと、その一心だけが彼を突き動かした。

 

 

『あ……アウトアウトォ!!』

 

 ボールは地面スレスレで原のミットに収まると、場内は大歓声に包まれた。

 あのライン側を取りやがった……。

 は、はは……すげぇ。マジですげぇよ。あの位置ならポテンになったって不思議じゃねぇのに……。

 

「!、原っ! バックホームだ!!」

「えっ!?」

 

 友沢の声に俺たちが現実へと引き戻される。

 なんの浅い位置で捕球したにもかかわらず、蛇島がタッチアップしていたのだ。

 

「アレなら間に合う! 原! ホームにな、げ……」

 

 蛇島がホームベースを踏んでも、原は左手首を押さえながら倒れ込んだままだ。

 まさかアイツ……あのダイビングキャッチの瞬間に左手首を−–−–−!?

 

「つっ……いったた……」

「大丈夫か原!!」

「原先輩っ!」

「っ〜、すまん皆……手首捻って投げれんかった……」

 

 痛々しく手首を抑えながら立ち上がる原。

 多分骨は折れていないが痛めている箇所が少し赤くなっており、捻挫している可能性が高い。

 

「原、岩本と交代するけどいいか?」

「しゃーないん。 点は取られたけど1つアウトが取れただけ良かったわ」

「ったくよ、あんま無茶すんなよ。ナイスプレーだったけど折れてたら大騒ぎだったぜ?」

「今宮に説教されるとはおもんかったわ。みずきさんのピッチング見てたら……体がつい動いてもうてな」

「原、くん……」

「なんや、そんな辛気臭い顔すんなやみずきさん! その代わり後は必ず抑えてや! ワイは裏方で応援に徹するやから」

「言われなくてもやってやるわよ。ほら、怪我人は早くベンチに戻った戻った!」

「たくも〜、手厳しいんやからみずきさん……」

 

 大丈夫。

 原君の体を張ったプレー、私は絶対無駄にしないから。勝ち越しはされたけどまだ1点差だ。諦めなければ勝機は残ってるよ。

 

「皆、原の為にも絶対逆転するぞ、いいな!?」

「おう!」

「っす!!」

「うむ!」

「ああ!」

「ええ!!」

 

 その後、後続の猛田と海野はバッテリーが完全にシャットアウトし、波乱の6回表がようやく終わった。

 そろそろこちらも点を取りたい頃合いだが、帝王側もこの回からは香取がマウンドへ上がり、逃げ切り体制に入ろうとしていた。

 

 ま、ここまできたら高速スライダーをどう攻略するかのかはもう関係ねぇ。

 どんなボールを投げてこようが残された道は最低2点以上取って逆転するしかないんだからよ。

 

「……大京、代打でいくぞ。準備しておいてくれ」

「!、は、はいっ!」

 

 さて、ここからは総力戦だ。

 持てる全ての力を出して勝利をもぎ取ってやるさ!

 

 

 

 

 タチバナのベンチは勝ち越しを許して落ち込んでいるどころか、より団結を強めていた。

 

 −–−–−聞きたい。なぜ君たちはそこまで仲間と純粋に野球に打ち込めるんだ?

 

 僕だって昔はそうだった。勝敗も大事だったけど、目の前のプレー一つ一つに全力を出して、仲間と一喜一憂していた時間が正直1番楽しかった。

 

 でもそれだけじゃ結果は残せない。

 試合にも勝てない。

 誰も認めてくれない。

 

 リトル、シニアと経験し、僕はどんな手を使ってでも自分さえ生き残ればそれで良い、それが野球への回答だと結論づけた。

 実際、特にシニアからは友沢を退部させてからは僕がショートになれ、キャプテンだって務められたんだ。

 その考え方を改めたくない……改めてしまえば今ま僕が積み上げてきた

物全てを否定することになるから。

 

 

 −–−–−楽しそう、だ。

 

 

 本当は分かっている。

 友沢は誰よりも僕の実力を認めてくれ、本気で僕をショートに推薦してくれたこと。

 チーム内で浮き、1番下手くそだった僕を彼だけが対等に接してくれたこと。

 彼らが才能だけで野球をやってるわけじゃないこと。

 

 

 そして−–−–−僕が心のどこかで友沢へずっと罪悪感を抱いていたことも。

 

 

「っ〜!!、皆っ!! あと3回で終わりだ!! 何がなんでもこの一点を守り抜くぞ!!」

「蛇島……?」

「へ〜、珍しいじゃねぇか。アイツが自分から声出すなんてよ」

「ふふっ。男の子らしい顔になったじゃないの」

「先に言われちまったが確かにその通りだ。 香取っ!、出し惜しみ無し全力投球だ! 他の奴らも死に物狂いで守れ! 行くぞ!!!」

 

『オーッ!!!!!』

 

 柄にもなくなんでこんなに熱くなってんだ……。

 自分が結果を残せさえすれば良いはずなのに−–−–−

 

 

 

 −–−–−今は純粋に、このチームを負けにさせたくなかった。

 

 

 

 

 

 

 気づけば試合は8回裏まで進んでいた。

 が、みずきちゃんと同じサイドスローながら140キロ越えのストレートと、それに迫る速さの高速スライダーを巧みに操る香取の前に上手く抑え込まれていた。

 

「よし。大京、代打いくぞ。みずきちゃん−–−–−」

「はぁ、はぁ……ええっ、分かってるわ」

 

 前の回に2つのフォアボールを出しながらも何とかピンチを切り抜けたが、体力は限界だった。

 それでも俺からしたらみずきちゃんはよく頑張ってくれた。あの帝王相手に8回を投げて4失点、奪三振は11個。なによりここまで長いイニングを引っ張ってくれた事が大きすぎる。

 

「大京、もう後がなくなって来てるが気にすんな。今のお前の全力を香取にぶつければいい」

「一ノ瀬くんねー、あとアウト4つで負けなんだから気にしないとダメでしょ? いい!?、私の代打なんだから死んでも塁に出なさい! もし倒れでもしたら命はないと思いなさいよ!」

「……ぷっ。ふふっ、はははっ! 分かりましたよ、みずきさん!」

「−–−–−うん、大丈夫だよ。 大京君なら必ずやれるから」

 

 結局みずきちゃんはみずきちゃんだな。

 確かにやるからには打ってもらわんと困るわな。いつも通りのみずき節の激励に緊張で顔が強張っていた大京もだいぶリラックスでき、ウグイス嬢のコールを受けて打席に入る。

 

(どんな形でもいいから塁に出るんだ! そうすれば次は友沢さん達に回る!)

 

 大京は影に隠れがちだが、ボールを遠くまで運ぶパワーはチーム内でもトップクラスだ。あとは当てれさえすればヒットにすることも可能だと俺は信じている。

 

 既に笠原が三振に倒れており、ワンナウトからのスタートだ。

 みずきちゃんとはまた一味違う独特なサイドスローで香取が投げ込む。

 初球はアウトコース低めいっぱいにストレートが決まった。

 

「ナイボッ!!」

「んふ、当然よ!」

「油断するなよ! 打たせて取っても俺たちがついてるからな!」

 

 向こうの雰囲気もガラリと変わっている。

 なんつーか、もっと明るくなったというか、とにかくチームの一体感みたいなのがより強固になって、元々強かったのが更に強く感じるようになったのだ。

 

「っぱ厄介だな……あの高速スライダーは……!」

 

 まず並の高校球児じゃまず当てれん。

 単純に変化球にしては球速も速いし、それでいて打者の目の前から消える錯覚に陥るほど曲がる。

 伊達に1年時から山口とダブルエースを張っていただけのことはあるぜ。

 

 しかしこのクラスのピッチャーから、俺たちだってさっき点を取れたんだ。フォークが今度はスライダーに変わったと考えればまだ−–−–−

 

「きばれや大京!! ワイやみずきさんの努力を無駄にする気かい!!」

「原っ、いつの間に……」

 

 医務室で足の具合を見てもらってたはずじゃ……まぁ今はそんなことはどうでもいいな。

 

(僕だって今まで適当に野球をやってたわけじゃない……こういう試合で勝つために努力してきたんだ!)

 

 カウント1-2まで進んだ4球目。

 唐沢・香取バッテリーが選んだのは決め球の高速スライダーだ。

 分かっていても打てないと評される程の魔球だが、大京は持ち前のパワーで外角のボールを強引にレフト方向へ引っ張った。

 

 打球はサード早瀬の頭上を破る長打コースになった。

 

「よしよしよしっ!! やればできるやんけ大京!」

「まさか本当に打っちゃうとはね……さっすが私が選んだ僕−–−–−もとい部下ね!」

 

 なんか今みずきちゃんがオモロいこと言った気がするけど……ま、いいか。

 今のは鍛え抜かれた大京の怪力かあっての打ち方だな。あんな強引なプルヒットは大島くらいしかできんな。

 

『1番ショート、友沢』

 

 ここで最も期待を寄せてしまう男の登場だ。

 が、帝王バッテリーは一塁が空いているのを考慮して友沢を敬遠し、勝負しなかった。

 

「まぁ当然の選択だよな……」

「大丈夫よ、次のバッターも聖ちゃんなんだから」

「涼子の言う通りよ! 聖ーっ! 絶対打ちなさーい!!」

「…………」

 

 今の聖ちゃんにはみずきちゃんの声援は聞こえてないだろう。

 あの目を見開き、独特なオーラを漂わせているあの状態は−–−–−聖ちゃんの『超集中モード』なんだからな。

 

(あんな華奢な体で山口君のフォークを打ってるのよね。 んふ、面白わ!!)

 

 香取のボールも球数を重ねるにつれてキレが増していくようだ。

 ストレート、カーブ、カット。「そんなものは全て見切っているぞ」と言わんばかりにスライダー以外の全てをライナー性の当たりでカットしていく。

 

「あくまで狙いはスライダー、ってわけね」

「…………来い」

 

 香取も聖ちゃんの狙いが高速スライダーなのはお見通しだ。

 それでも彼は唐沢のサインに首を横に振り、あえて高速スライダーを選択した。

 

 己が圧倒的な信頼を寄せる切り札を打ち崩すと間接的に言われ、ピッチャーとしてのプライドが黙ってなかったからだ。

 鋭く振るう右腕から投じられた渾身の高速スライダーは−–−–−

 

 

 −–−–−聖ちゃんのバットを通過して、唐沢のミットにズドンと収まった。

 

 

『ットーライク! バッターアウト!!』

「いよしっ!」

 

 うおおおおお!と溢れんばかりの喜びを爆発させる帝王の応援席。

 聖ちゃんは無言のまま悔しそうにベンチへと退いていく。

 

「……っ!!」

 

 その拳は手の甲の血管が浮き出る勢いで力強く握りしめられ、見ているこっちも悔しくなるくらいの表情を浮かばせていた。

 聖ちゃんが打席でここまで感情を露わにするのは珍しかった。それほど今の場面で打ちたかっただろうし、悔しかったのだろう。

 

「聖ちゃん、下を向くのはまだ早いんじゃないか? まだウチには頼れるバッターがいるだろ?」

 

 ヘルメットを被り、ネクストサークルへと入る。

 ネクスト越しから俺はその頼れるバッターへと目を向けた。

 

『3番サード、大島君』

 

 頼むぜ大島。

 ホームランなら逆転、ヒットでも同点の大チャンス。ここで決めなければウチはほぼ負けだ。

 バットをマウンドに立つ香取へと向け、大島が構える。

 球場のボルテージも最高潮に達し、大きな盛り上がりを見せていた。一高校野球の試合でここまで観客も熱くさせられるとはな。これが野球の持つ恐ろしいまでの魅力ってやつなのかもな。

 

 バッテリーも大島とは勝負することを選択し、香取が初球を投じる。

 

 パァンッ−–−–−!と乾いた音と共に、143キロのストレートが低めに決まる。香取は不敵な笑みを浮かべながら、唐沢からの返球を受け取った。

 

(打てるものなら打ってみなさい坊や。 勝つのは私達帝王よ!)

 

 2球目はストライクからボールゾーンへと逃げる高速スライダー。ここは大島が冷静に選んでボールとなった。

 おそらく、今の大島に狙い球や配球読みはないだろう。友沢からの助言を忠実に従い、ただ来たボールに反応して打つだけだからな。

 

 3球目−–−–−。

 タイミングをずらすボール球のカットボールだが、大島がそれを振り抜いた。

 

『ファール!』

 

 ボールはバックネットへと飛んだ。

 たった3球でもうタイミングを合わせてきたのか。ったく、なんつー成長力だよ。

 

(ふぅ…………)

(山口が警戒するのも今なら分かる……この子は−–−–−)

 

 

 −–−–−紛れもない、ホンモノの天才だ。

 

 

 4球目。

 香取が全力で投じたボールは自身最速を更新した142キロの高速スライダー。手元でククンッと急激に曲がるそれはまさに魔球と呼ぶに相応しいボールだ。

 大島はそんなボールに対しても体を一切崩さず、基本に忠実なフォームでスイングし、ボールを捉えた。

 

『?』

 

 帝王ナイン全員がバッと後ろを振り向く。

 俺たちや観客もその視線は打球に注がれていた。ボールは美しいフォームに相応しい綺麗な弾道でグングンとセンター方向へ伸びていく。

 

 

「は、はいっ、た……」

「やりやがった……やりやがったぜええええええ!!!!」

 

 今宮の叫びを皮切りに一気に爆発して喜ぶ聖タチバナベンチ。大島はスタンドに入ったのをしっかりと見届けてから右腕を天へと振り上げた。

 

 両チーム合わせて2本目となるホームランは、俺たちにとって今日の試合を決定づける最高の一打となった。

 

 

 

 

 

「はぁ……やられちゃったわね…」

 

 センターバックスクリーンを静かに見つめながら呟く香取。

 

 コース、球速、変化、キレ。

 どれをとってもあのスライダーは自身にとって今日一番と断言しても良い程のボールだった。

 それをあそこまで遠くに、しかも完璧に見切った上で打たれたとならば、精神的に来るモノがどうしてもあった。

 

「香取」

「…………」

 

 そっと声をかけてきたのは蛇島と唐沢だった。

 

「諦めるな。向こうがホームランを打って逆転するなら、今度はウチがまた逆転弾を打てば良いだけの話だ」

「蛇島……君」

「僕は試合が終わるまで絶対に諦めない。今度は自分…いや、"皆の力"でタチバナに勝って見せるんだからね」

「!……ふ、ふふ…… そうね。私としたことが、危うく諦めそうになっちゃったわ」

「それに、打たれたのはお前だけの責任じゃない。キャッチャーとしてお前の力を引き出しきれてない俺の責任もある。でも安心しろ。蛇島と俺で必ず次のイニングでまた逆転してやるならな」

「……そう。ならもう少しだけ汗を流しますかね!」

 

 仲間の言葉に再び息を吹き返した香取はその後の一ノ瀬・今宮の2人を二者連続で三振に抑え、試合はタチバナが2点リードしたまま最終回へと突入する。

 

 蛇島の眼は−–−–−まだ死んでいなかった。

 

 

「宇津、用意はいいか?」

「うん。この回で確実に終わらせるさ!」

 

 コンッ、と互いの拳を軽く突いて宇津を最終回のマウンドへと送る。

 影に隠れがちだが、宇津も投手としての能力はかなり高い。

 ストレートはチーム最速の146キロを出し、コントロールもそこそこ良い。変化球は横と縦に落ちる2種類のスライダーを駆使し、三振と打たせて取る両方のピッチングが出来る器用さもある。

 欠点を挙げるとすればスタミナが少ない事くらいだな。どれだけ投げても大体5〜60球あたりからバテ始めるから中継ぎとしての起用が最適だ。

 

「お願いね、宇津君」

「!……はい、任せてください!」

 

 みずきちゃんもグッと親指を立てて背中を押す。

 聖ちゃんとサインの確認、投球練習を終えて帝王打線を迎える。

 

『1番ファースト、坂本君』

 

 セットアップから振られた右腕は初球から真ん中低めへ145キロをマークした。帝王のダブルエースに劣らない球威の良さに観客席からは驚きの声が出ていた。

 調子は悪くなさそうだな。みずきちゃんの好投、原と大京の活躍もあってか表情がいつにも増して真剣だ。俺がマスクを被る事も考えたが、ここまで来れば聖ちゃんに任せてしまって良いだろう。

 

 2球目も力の入った真っ直ぐ。

 坂本はフルスイングするが打球はサード側観客席へ弱々しく上がるファールフライに。

 怖いくらい簡単に追い込むバッテリー。聖ちゃんは外角のストライクゾーンギリギリに構えた。

 

(3球勝負か−–−–−)

 

 147キロ。

 あの山口や香取の自己最速を、なんなら猪狩に迫る勢いのストレートは山口のバットの上を通過し、華麗に切って落としてみせた。

 

「っし!!」

 

 普段はおとなしい宇津も抑え気味にガッツポーズをして喜びを表わにした。

 三振は最高の結果だが、まだ残り2つのアウトが残っている。本気で喜ぶにはあと2人……あと2人を抑えてからだからな−–−–−。

 

 

 

 

 

 

 ドクン、ドクンと、自分の心臓の鼓動が段々と大きくなっていく。

 

 おかしいな。

 僕たち帝王がこんな新参チーム相手に負けそうだってのに……諦めや怒りといった負の感情ではなく、なぜ楽しさを感じているのだろうか。

 

「猫神ーっ!死んでも繋げー! 唐沢や俺に繋げば全然可能性はある!!」

「気持ちで負けるな!! あの練習量を耐え抜いてきたお前だ!! 必ず勝てる!!」

 

 ベンチから山口と猛田が大声を上げて猫神を鼓舞する。

 いいや、この2人だけじゃない。このベンチに座る全員が、まだ試合を諦めずに声を張って応援し続けている。

 

 懐かしいな……この感覚。

 初めて野球を始めた頃の仲間と純粋な気持ちで楽しんでいたあの頃とほぼ一緒だ。

 

「……そうか」

 

 僕と友沢の差はここだったんだな。

 肩を壊し、一時は再起さえ困難だと思われた彼がまた野球を始めたのは、こうした仲間にまた出会えたからだったからだ。

 だからアイツはこんなに強く、僕より一歩も2歩も先に−–−–−

 

 

 カキィィィンッ!!

 

 

 耳に飛び込んできた快音ではっと我に帰ると、猫神が一塁に立っていた。

 ベンチと応援席の熱気が更に高まる。ホームランが出ればまた試合は振り出しに戻せる展開だ。

 

『3番セカンド、蛇島君』

 

「皆−–−–−絶対打ってみせる!」

「……ああ。俺とお前で試合を決めるぞ!」

「頼みますよキャプテン!! 」

「蛇島君なら大丈夫よ、私を勝ち投手にしてちょうだいね!」

 

 柄にもなくへんな予告をしてしまったが……まぁ悪い気持ちじゃないな。

 

 友沢−–−–−今は間違いなく君の方が僕よりも上だ。だけど……

 

「ここで打って今度こそ君を……君たちを超えて見せる!!」

 

 

 

 

 

 ……やっと戻ったか、蛇島。

 俺は知ってたさ。本来のお前は一ノ瀬と同等の野球馬鹿で、チームのことを誰よりも考えられる奴だってな。

 

 でも面白くなってきた所悪いが、ウチも負けられないんでな。ここで−–−–−終わらせる!!

 

「宇津!! 後ろには俺たちが付いている! お前はいつも通りのピッチングをすればいい!!」

「そうだぜ!! 俺と友沢の二遊間なら取れない打球なんぞねぇ!」

「俺も忘れないで下さいよ!! 仮に打たれてもまた俺がホームラン打ちますから!! 先輩は何も考えずただ全力で投げて下さい!!」

「お前にもタチバナという最高の仲間がいるんだ。 聖ちゃんのリードを信じてあとは練習通りに行けば大丈夫だぜ!」

「皆……ああっ!」

 

「ワンナウトランナー一塁! 気を緩めずゲッツー狙いで締めるぞー!」

 

『オーッ!!!!』

 

 

 内野陣の掛け声で一呼吸整えられたな。

 さて蛇島……今度こそ本当の意味での勝負だ。

 

 

 

 

 帝王実業の先制から始まった緊迫のシーソーゲームは前評判を打ち破り、聖タチバナが6-5で見事リベンジを果たした。

 最終回に蛇島のタイムリースリーベースで一点差まで迫るも、宇津の気迫が僅かに上回り、後続二者を三振に抑えた。

 

 勝利が決まった瞬間、タチバナベンチは先発の橘みずきを筆頭に大はしゃぎ、対称的に帝王ベンチでは涙を流す選手もいたが、観客席からは両校の健闘を讃える拍手に包まれ、3時間半の激闘はこうして幕を閉じた。

 

「友、沢……」

「−–−–−良い試合だった。次の試合もお前たちの分まで含めて必ず勝つ」

「そう、か……。またキミたちと戦える日を楽しみに待ってる。あと……この前は−–−–−」

「謝らなくていい。今日のお前を見ていたらあれは事故だって確信したさ。次は来年の夏に会おう」

「っ……ああっ……必ずっ、今度は僕たちが勝つからな……っ!!」

 

 1人の男が涙を必死に堪えながらベンチへと戻る。

 負けはしたが、内容は紙一重。そしてこの悔しさと今日の試合で蘇った彼の闘志は来年の夏、タチバナを脅かす存在になっているだろう。

 

「果たせたな、リベンジ」

「ああ。しかし一難去ってまた一難だ。次の相手は……」

 

 帝王実業と対をなすもう一つの神奈川強豪校・海堂学園。

 しかもキャンプテンは猪狩の弟、進だ。

 

「それでも負けらんねぇよ。あと少しで甲子園に手が届く位置まで来たんだからよ」

 

 3日後。

 今度は甲子園行きをかけた秋季大会準決勝が始まる−–−–−。

 

 



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第四十五話 少女の決意と鍵を握る2人のキャッチャー

 

 帝王実業との劇的なシーソーゲームを6対5で制した聖タチバナ。

 なんとか試合を制し、今日は学校に到着後ミーティングを軽く行い直ぐに解散となった。

 

「ただいま」

 

 ふぅ、と一息吐いてから家へと入る。

 とりあえずチームが勝てて一安心……と言いたいが、自身は今日ノーヒットと残念な結果だった。

 

(次は海堂が相手だが……今度は必ず打ってみせるさ)

 

 しかし高校野球の大会に落ち込んでいる暇はない。

 反省すべき点は反省し、すぐさま次に生かさなければならないのだから。3日後は次こそリードオフマンとしての役割を果たすと、己を奮い立たせるのであった。

 

「おかえり隼人。試合、勝ったそうじゃない。良かったわね」

「え? 誰かに聞いたの?」

「ええ。さっき愛美が嬉しそうに語ってたからね」

「ふーん……」

 

 やはり来てたか−–−–−。

 少し前までは野球に対してやや情熱が薄れ気味ような印象だったが、今大会になって急にタチバナの試合を観に来るようになっていた。

 どういう風の吹き回しかは知らないが、今はただ大会に集中するだけだ。

 

「−–−–−お、やーっと帰ってきたねお兄ちゃん!」

 

 ドタバタと忙しなく2階から降りてくる妹。

 

「ほらほら、風呂入るんだからそこどいてくれ」

「あ、ちょっと待って。あとでお風呂上がりでいいからさ、時間ちょうだい」

「え? なんでだ?」

「うん……ちょっと相談したいことがあってね……」

 

 なんだなんだ……?

 お前から相談なんてほぼされたことなんかないのに……。

 なんだが嫌な予感はするが、お風呂に入って夕食を摂った後、愛美の部屋へと向かう。

 

「入るぞ」

 

 うん、と返事を確認してから部屋へ入る。

 俺はリビングでそのまま話を聞いても良かったのだが、本人からの意向で2人きりで話すことになった。

 

「お前から相談とは珍しいな。で、話ってなんだ?」

「うん。単刀直入に言うとね、実は私−–−–−

 

 

 

 −–−–−来年、聖タチバナを受験しようって考えてるんだ」

 

 

 

 拳をギュッと握りしめながら、目の前に座る妹確かにそう口にした。

 

「……タチバナ、を?」

 

 正直、少しだけ驚いている。

 ここ最近、あれだけ好きだった野球にも関わらず、夏の大会が終わって引退してからは全くやらなくなったからだ。

 

 理由はなんであれ、もう野球が嫌いになってしまったのか、それとも他に野球がやりたくてもできない理由が生まれてしまったのか、それは本人から聞きにくい内容だったからあえてそっとしておいたが、このタイミングで俺と同じ高校を受験するという事はつまり−–−–−

 

 

「やっぱりね、一度好きになったものってそう簡単に捨てられないんだよね。お兄ちゃん達の試合を見て改めてそう感じちゃったから」

「…………」

「あ……もしかして私が来るのは嫌……?」

「……ははっ。別に嫌じゃないさ。お前が選んだ道なら俺はもちろん、父さんや母さんも納得してくれる」

「そ、そっか……!」

 

 にしても意外だな。

 いっつも隣で「お兄ちゃんには絶対負けないから!」ってずーっと呪文を唱えるかの如く言いまくってたお前が、俺と同じチームを選ぶとはね。

 ないとは思うが、誰かに吹き込まれでもしたのか?

 

「あのねっ、最近試合を見に行くようになったのは川瀬先輩のお陰なんだ。 先輩が悩んでた私に話しかけてくれてね、今では……あの時先輩が話した言葉の意味が分かるんだ」

 

 なるほど、犯人は川瀬だったか。

 こういう所もアイツらしいと言えばらしいが。

 

「本当に自分の限界を迎えたと感じるまで、私はやり続ける。バッティングは苦手、守備もそれほど上手くはない。でもこの走塁だけは唯一自分の武器として信頼してきたから。私には私の戦い方で、この先どこまで通用するかやってみたいの!」

「……ウチは厳しいぞ。通常の練習でさえ量が多いのに終わった後にほぼ全員が自主的に居残って練習するくらいだからな。それでもウチに来て野球を続けるのか?」

「覚悟はできてる。もう2度と振り返らない。少しでもお兄ちゃん達の役に立てるよう、全力を尽くすつもりだから」

 

 ……その眼、どうやら覚悟は本物のようだな。

 

「−–−–−分かった。ならこれからお前がやるべきことは2つだ。まずできる限り勉強をして最低限の学力を備えること。そして秋の大会が終わったら空いた時間にタチバナのグラウンドに来い」

「!?、それってつまり−–−–−」

 

 

 と言っても妹だからといって贔屓するつもりは微塵もない。

 最低限の話は一ノ瀬に通してやるが、後は己の力で道を切り開くしかないぞ。

 

 だが……アイツのあそこまで嬉しそうな表情、久しぶりに見た気がするな。

 

 

 

 

 

「俺は構わないぞ」

「いいのか? 急な頼みだとは思うが……」

 

 次の日の昼休み。

 昼飯を食べ終えた後に八木沼から呼ばれて大方の事情を聞いた。

 

「ウチは野球に対して真剣に打ち込んで好きな奴なら初心者だろうが経験者だろうが大歓迎だ。ましてや経験者の、お前の妹なら断れないさ」

 

 色々と初知りの情報が多かったから驚きの方が多いが、普通にウチへの入団を考えてくれているのは嬉しい。

 ぶっちゃけた話、このまま来年の入部数が少ないと大島・東出の世代から苦労する羽目になるだろうし、そんな時に経験者の選手が来てくれるかもしれないなんて話されたら、嫌でも期待しちまうぜ。

 

「土日とかなら妹さんとの予定も合わせやすいだろうしな。その辺も含めて大会が一区切りついたらおいおい調整して皆にも話そう」

「……悪いな。迷惑かける」

「ははっ、なら購買前に置いてある自販機のジュースで構わないぞ」

「お前……もう菓子や甘い飲料水は辞めたんじゃないのか?」

「冗談だって。いつかパワリンでも奢ってくれたらそれでいい」

 

 にしても八木沼に2つ年の離れた妹がいるとはな〜。

 うちの野球部、意外に兄弟持ちが多いな。

 

「はいはい。んで、話は変わるが次の試合−–−–−海堂戦のプランはどうするつもりなんだ?」

「ん……海堂戦、ねぇ」

 

 日付的にはもう明後日の今頃は試合中だもんな。

 実は全く考えていないわけじゃないが実は−–−–−

 

 

 

 

 

 

 −–−–−海堂学園・野球部専用トレーニングルーム。

 

 全国各地から優秀な選手までが集まる名門校であり、実力はあのあかつき大附属と肩を並べる程とまで言われている。

 特にここ近年は強く、今年の夏こそ甲子園出場を帝王に奪われるも、その前の春の選抜、前年の夏・春の大会では甲子園に出場、特に前年の春は日本一にも輝いている。

 猪狩守の加入後は優勝からやや遠ざかってはいるが、それでも今年のメンツは歴代でも最強クラスと名高い。

 

「よう、まだ残ってたのか」

「はぁ、はぁ……薬師寺っ、先輩……」

 

 ここのトレーニングルームは野球部の為だけに作られた専用の施設だ。野球の技術のみならず、あらゆるプレーに対応できる体づくりを目指す為、ベンチプレスやラットマシンなど、あらゆる機材が高品質で揃えられている。

 時刻は既に20時半を回っていたが、1人で黙々とペンチプレスを行う1人の選手。彼こそがあの怪物・猪狩守の弟にして、現海堂学園の主将・猪狩進だ。

 

「相変わらず精がでるな。が、くれぐれも無理はするなよ。次の試合は明後日だからな」

「んっ、ふぅ……分かってますよ。今日はこの辺りで辞めるつもりですし、明日は前日なので軽く流して終わりますから」

「それは良かった。あんまり無茶したトレーニングすると早乙女さんの兄貴に何されるか分かったもんじゃないからな」

「はは……それは勘弁ですね」

 

 ゆっくりと立ち上がり、側に置いてあったタオルで汗を拭う進。

 

「さっき眉村から直接聞いた。明後日の先発はアイツが投げるってな。珍しいな、アイツ自ら監督に直談判するなんてよ」

「…………そうなんですか」

「ん、お前知らなかったのか? てっきり聞かされてたかと思ってたが……」

 

 海堂の先発陣は現在眉村・市原・阿久津の三人をローテーションして回している。つまり分業化が確立されており、既に誰がどの試合で投げるのか、先に決定している事が多いのだ。

 その中でエースの眉村は態々昨日、タチバナの試合が終わった後に伊沢監督へ直談判し、明後日の先発登板を直訴した。

 

 普段首脳陣に意見などしない男が、何故タチバナ戦の先発だけは自ら頼みに行ったのか−–−–−他のメンバーからすれば少々謎だった。

 

「確かに認めてはいるさ。接戦とはいえ帝王を倒し、今ノリに乗ってるチームだ。それでもアイツらがウチに勝つなんて到底−–−–−」

 

「そこですよ、薬師寺先輩」

 

 間に割って入る形で進が言い放つ。

 

「帝王だって試合前は今みたいに油断して挑み、結果、負けたんです。もう聖タチバナを無名の新設校だなんて思い込むのは辞めましょう。正真正銘、僕たちも最初から全力で挑まなければ足元を掬われる可能性は十分にあり得ます」

「…………そう、だな。悪かった……」

 

 もしかしたらタチバナの恐ろしさは進自身が一番分かっているのかもしれない。

 彼自身の能力はもちろん、可視化されていない内に秘めたポテンシャル、キャプテンとしての統率力の高さ、信頼度。同じ捕手を守る者として感じ取れる才能も、中学から後ろでずっと見てきた彼だからこそ、ここまで警戒しているのだ。

 

「今度の相手……いつも通りのマニュアル野球"だけ"で勝つのは難しいでしょうね」

「なぜそう思った?」

「彼らもデータをある程度集め、相手に合わせて対策を立てて挑んでいると思いますが、最終的にはその……口で説明するのが難しいんですけど、気迫と言いますか、精神的な強さで試合の流れを無理矢理引き寄せ、最後に逆転勝利する力があるように見えるんです」

「ふ、珍しいな。データマンのお前がそんな抽象的なセリフを吐くとは」

「だからこそ厄介なんですよ。こうしたところって計算したくてもできませんからね……」

 

 汗が引き、スポーツドリンクが入ったペットボトルも手に持って部屋を出ようとする。

 

「でも−–−–−僕は海堂が勝つと確信してます。僕がキャプテンになったからには兄さん……いや、甲子園を制するまでは負けさせないですから」

 

 その熱い目に一瞬ゾクリした薬師寺。

 今大会チームで唯一の6割台、OPSも1.2を超えるバッティング力に自身のリードで奪われた失点は僅か1点。当然失策は無く、チームの誰からも絶大な信頼をされているまさに『海堂の心臓』とも呼ばれる男が、果たしてタチバナを相手にどのような試合を展開していくのか、大きな命運を握ることは間違いないだろう。

 

(一ノ瀬先輩……絶対に負けませんからね)

 

 

 

 

 

 

(負けたくはねぇ、が……)

 

 はっきし言って現状の海堂を相手に明確な対策なんかできねぇ。

 前の試合は友沢や今宮の旧友が多くいたし、対戦した経験だって割とあったからある程度の対策は練れた。

 

 だが今回は違う。今の海堂は去年の春頃に練習試合をした頃とは実力もメンバーも全く違うし、何より一番気になるのが進の存在だ。

 

 アイツが正捕手についてから投手陣が全く失点してない。その上自分でチャンスメイクや打点も稼げるから更にチーム得点力が増してやがる。その後に打つ薬師寺の打点が今大会の数試合だけで14もついているのは進が大きな要因になっているしな。

 

 くそっ……今までで一番悩ましい試合になりそうだぜ……。

 

 

「相当悩んでるようだな」

 

 グラウンドの隅のベンチで悩んでいた俺の隣にひょいと座るのは聖ちゃんだ。

 今日は試合が近いから全体での練習は5時過ぎには終わり、殆どのメンバーが帰路につこうとしていた。

 

「まあね。次勝てばほぼ甲子園は確定な上に相手は公式戦では初めて戦うあの海堂だ。正直……緊張もするさ」

「確かに……私も今なら分かる。帝王戦の直後にスタメンマスクを呼ばれた時は口から心臓が出そうなくらい胸が張り裂けそうだったからな」

「へぇー、聖ちゃんも緊張するんだな」

 

 昨日はみずきちゃんと試合中に夫婦漫才をかますほどだから俺はてっきり開き直ってたとばかり思ってたが。

 

「私だって緊張する。もしここでリードを間違えて打たれてしまったら。チャンスの場面で凡退してしまったら。あれだけ好きだった野球が嫌いになりかけてしまうくらいにマイナス方向へ自分の気持ちが傾きそうになる」

 

 でも−–−–−

 

「それも含めて野球の面白さだからな。他のの仲間が苦しい時は私が助け、逆に私が苦しい時は今度は仲間に頼ってと、昨日勝てたのもみずきと辛い場面でも支え合えたのが大きかった」

「支え合う……」

 

 スポーツの世界ではチームプレーは当たり前のように説かれるが、案外簡単に成り立つものでもない。

 その前提として仲間からの信頼、共に汗を流した時、最後まで諦めずに戦い抜く精神力の強さ。これらが成立しなければ仲間を助ける余裕も生まれず、周りにもやがて伝染していく。

 

「俺も……その考えは野球を始めた頃から変わらない。どのみち次の試合は帝王戦のような明確な対策は無いし、各自が持てる実力を出し切って最後は気持ちで押し切るしかない」

「……だな」

 

 あんま深く考えるすぎるのもよくないな。

 従来のマニュアル野球に加えて捕手は超理論派の進だ。アイツなら短時間でも俺たちの対策を立ててくるはずだ。

 

「−–−–−まだ対策を諦めるには早いかもな」

 

 勉強では進に劣るかもしれないが、野球の経験なら俺の方がある。

 こんな所で頭抱えて悩む暇があったらギリギリまで足掻いた方がよっぽどマシだ。

 

「ありがとう聖ちゃん。明後日の試合−–−–−絶対勝とう」

「うむ。そして絶対に行こう、甲子園へ」

 

 試合まで、のこりあと2日−–−–−。

 勝てばついに甲子園だ。

 

 



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第四十六話 vs海堂学園(前編)

 

 いよいよ海堂学園との試合を前日と控えた夜。

 それぞれが明日の試合に対してどう考え、どう挑むのか。既にそれぞれの思惑が交錯していると言っても過言ではない。

 

「いよいよ明日か……」

 

 その1人、聖タチバナのエース・川瀬涼子もそうだった。

 時刻はもうすぐ23時を回るところ。いつもなら20時過ぎには意識はなくなっているのだが、今日は緊張のせいか中々寝付けなかった。

 

「そろそろ寝ないといけないのに……ってうわぁ?!」

 

 こんな夜遅くに突如として鳴り響く携帯の着信音。

 ビックリしながら恐る恐るスマホの画面をつけると、着信の相手は『八木沼 愛美』と書かれていた。

 

「愛美ちゃん?」

 

 こんな時間に彼女からの電話は初めてだった。

 何かあったのか、と少しだけ心配になりながらも涼子は電話に出た。

 

「もしもし?」

「あ、もしもし先輩。すみません、大事な試合前のしかもこんな夜遅くに……」

「ううん、いいよいいよ。私も緊張して今も全然寝れてなかったから。で、何かあったの?」

「いえ、私は特にこれといってなんですが……明日先輩達が試合なんで一言応援がしたくてつい……」

「あ、そっか。明日愛美ちゃんは平日だから通常通り授業があるもんね」

「はい。それで、先輩に元気付けられた身でこんな事を言うのも厚かましいですが……」

 

 一呼吸置き、こう続けた。

 

「ここまできたらあとはなるようになれですよ! 先輩谷繁なら海堂にだって必ず勝てます。いつも通りの負けず嫌いさを忘れずに最後まで投げ切って下さいね!」

 

 言葉を少し詰まりながらも、自分なりの熱い激励を涼子へと送る。

 さっきまで強張り気味だった顔が少し緩み、気持ちがスッと軽くなった気がする。

 

 負けず嫌いさ−–−–−。

 うん、そうだ。

 

「ありがと愛美ちゃん。明日勝って、来年甲子園の土を必ず踏んでみせるわ」

「その意気です! 私も来年……先輩達と一緒に頑張りますから!」

「ん? 一緒に……?」

「あ、いや、なんでもないですっ! じゃあ明日、頑張ってください!! では失礼します!!」

 

 最後少しだけ引っかかるフレーズがあった気がするが、向こうから通話を切られ、結局分からずじまいとなってしまった。

 

「……なるようになれ、だもんね」

 

 勝って甲子園に行き、優勝したい。

 あの日に大地と誓った約束の一歩がようやく叶いそうな位置にまで来ている。

 いろんな思惑がさっきまで自分の脳内を駆け巡っていたが、彼女からの激励で目が覚めた。

 

 私にできることはピッチングでチームに貢献すること。

 そして勝つか負けるかなんてやってみないと分からない。明日はこれまで自分が積み重ねてきたモノが良い方向で出しきれれば自然と勝利は近づいてくるのだから。

 

(−–−–−うん。とりあえず寝よう)

 

 心も落ち着き、眠りへとつく。

 次に目が覚める時は−–−–−運命の朝だ。

 

 

 

 

 

 

 神奈川県の秋季大会もいよいよ佳境を迎え、今日は準決勝が午前と午後に2試合行われる。

 1試合目のパワフル高校対久里山高校の試合はついさっき終わり、結果は9対1でパワフル高校が大差をつけて決勝へと先に進んだ。

 

「しかしすごい試合でしたね。投打ともに夏とはまた一段と強くなってましたよ」

 

 今日は夕方まで時間が取れ、木佐貫君と大会のチェックがてら観戦に来ていた。

 前評判は帝王有利との見方が多かった一昨日の準々決勝。それを結果で逆転させた聖タチバナの成長度は私自身も大いに驚いた。

 

「影山さんの今日の予想は?」

「うむ……正直予想は難しいな。強いて言うなら海堂がやや有利な気がするが、タチバナも全員野球で勢いは凄まじい。それでいて友沢君と一ノ瀬君の他に大島君が新たにクリーンナップの一角を担っているのが大きい。後は今日の両先発がとこまで粘れるかになってくるだろう」

「海堂は三交代制のローテを組んでますからね。予想では今日、"彼"が投げるらしいですよ」

「−–−–−眉村君か」

 

 観客席のあちこちに他球団のスカウトやら他校の生徒がちらほら座っているのは彼も理由の一つだろう。

 我がキャットハンズも猪狩君と並んで早くも来年のドラフト最有力の1人に挙げられており、その実力は折り紙つきだ。

 

「彼が投げるのも当然気になるがあとはマスクを被る2人−–−–−」

 

 かつては先輩後輩としてあかつきを引っ張り、今はこうして主将として対峙する2人の正捕手。

 彼らが互いの相棒をどこまで導けるか、もしかしたら今日の試合のポイントは捕手にあるのかもしれない−–−–−。

 

 

 

 

 秋風が心地よく吹く晴れ日和の下、13時ピッタリに試合が始まった。

 先行は俺たち聖タチバナで、後攻が海堂だ。

 

 

 先行 聖タチバナ学園 スターティングオーダー

 

 1番センター 八木沼

 2番ファースト 六道

 3番キャッチャー 一ノ瀬

 4番ショート 友沢

 5番サード 大島

 6番セカンド 今宮

 7番ライト 東出

 8番レフト 原

 9番ピッチャー 川瀬

 

 

 後攻 海堂学園 スターティングオーダー

 

 1番センター 草野

 2番セカンド 渡嘉敷

 3番キャッチャー 猪狩

 4番サード 薬師寺

 5番ファースト 大場

 6番レフト 石松

 7番ライト 矢尾板

 8番ショート 泉

 9番ピッチャー 眉村

 

 

 相手の先発は予想通りの眉村だ。

 よりにもよって1番相手にしたくないピッチャーだが、向こうからすれば本当は対帝王戦にぶつけるつもりなのが本音だったのだろう。

 試合開始直前にこんな弱気なセリフは吐くもんじゃないが、眉村相手に大量得点はおそらく目込めない。取れても3点……もしかしたら1点や0点だってあり得る相手だ。

 

 となると勝つには点もそうだが、あの相手に対してどこまで失点を抑えられるかが勝敗を左右する。

 

「絶対に勝とう−–−–−大地」

「ん。無論だ」

 

 こちらも満を持して涼子を先発に登板させた。

 彼女もこの日の為にずっと準備をしてきたんだ。

 

 あの日胸に誓った約束を忘れずに−–−–−今日までな。

 

 

『プレイボール!』

 

 審判の合図とともに準決勝第二試合が始まった。

 オーダーは通常通りに戻り、1番の八木沼から始まる。

 

「−–−–−ふっ!」

 

 表情を一切崩さず、豪快なワインドアップから強烈な一球が八木沼の胸元を抉る勢いで投げ込まれた。

 

「うわっ……」

「すげぇな……これがあの眉村か……」

 

 みずきちゃんと今宮がたまらず声を漏らしたが、他のメンツもこの一球を見てで表情が変わった。

 球速は初球から148キロを計測。しかもあのノビと回転軸……やはり映像で見るより遥かに迫力が段違いだ。

 

 そう、これが噂に聞く眉村のジャイロボールだ。

 

 結局八木沼は4球目にインローのジャイロを振らされ、空振り三振で倒れた。

 

 

「……別格だ。山口や香取も良いピッチャーだが、眉村はさらに一段も二段も上だ。まるで当たる気がしなかった」

 

 あの八木沼がここまで弱気になる程のピッチングを披露。

 続く聖ちゃんはジャイロをなんとか当てるもバットの先で、弱々しいファーストフライに倒れる。

 

『3番キャッチャー、一ノ瀬君』

 

 さて。

 2人の打席を見る限り、いきなりデカいの一発ってのは難しい。

 まずはジャイロと変化球のタイミングを測るところからスタートだ。

 

「……一ノ瀬先輩」

「ん、なんだ?」

「どんな結果になっても恨まないで下さいね」

「−–−–−そうかい」

 

 望むところだ。

 お前が海堂に入学してどれだけ変わったのか、見せてもらうぜ。

 注目の初球は−–−–−

 

 

「っおっ!?」

 

 ボールはストライクゾーンを遥かに外れ、なんと俺の顔付近を通過した。

 たまらず俺は体勢を崩し、大きく後ろへのけぞった。

 

「−–−–−その程度のボールでのけぞるなんて、先輩もずいぶん弱腰になりましたね」

「−–−–−」

 

 ……そうかい。

 これがお前なりの宣戦布告ってなら、俺も本気でやってやるさ。

 

 

(インハイの真っ直ぐ。今度は−–−–−)

 

 2球目も同じインハイの真っ直ぐ。

 が、今度はストライクゾーンギリギリを通過し、審判の手が上がった。

 

(すげぇな……猪狩のストレートとマジで良い勝負だ)

 

 バットをさらに短く握り直し、構える。

 ここまで眉村はジャイロしか投げていないが、想像以上のノビにタイミングがまだ掴めそうにないな……。

 この真っ直ぐにシュートを決め球とする多様な変化球を放られては打者からすればたまったもんじゃない。

 

(ここはできる限り粘って球筋を見極める−–−–−)

 

 進のサインに頷き、眉村が再び振りかぶる。

 ダイナミックなオーバースローから繰り出された3球目はインローの真っ直ぐ。

 粘るつもりであったが、流石に3球続けてインコースの真っ直ぐ甘くて見過ぎだ−–−–−!

 

 ッギンッ!

 

 フルスイングするも、バットの根元にあったボールは鈍い音を奏でて進の真上へ上がった。

 ほぼ定位置の詰まらされた当たりは当然捕球され、アウトに倒れた。

 

「くそっ……」

 

 今のは完全に俺の実力不足だ。

 同じコースに3球続けて真っ直ぐが来るならいくら1打席目と言えども打ち返さなきゃいけなかった。

 しかも向こうは変化球を一度も使用せずにノーヒットピッチング。球種を引き出すという最低限の仕事すら成せなかったのは痛すぎるぜ……。

 

「…………」

 

 ダグアウトへ戻る際、進が一瞬だけこちらへ目を向けた。

 「どうだ、打てるものなら打ってみろと」言わんばかりの眼差しは、かつて苦楽を共に過ごした俺でさえ見たことがない姿だった。

 

 −–−–−俺だけじゃない。進も海堂へ入学して、また一段と逞しくなったんだ。

 

「ふぅ……よし、行こう大地!」

「ああ!」

 

 防具を付け終えるまで待ってくれていた涼子と共に、グラウンドへ向かう。

 それぞれの持ち場へとつき、投球練習へと移る。

 よしよし。真っ直ぐも変化球も悪くない。寧ろ練習の時よりキレが良いくらいだ。

 

「一回裏ーっ!! きっちり0点で抑えるぞ!!」

『オーッ!!!!!』

 

 煩いくらいの、しかし心地いい返事が胸に響く。

 今日も気合いが入っていて何よりだ。俺もとりあえずはリードに専念してまた挽回してやるさ。

 

「お願いします」

 

 1番の草野が左打席に立つ。

 さて。進が進なりの戦い方をするなら、俺は俺なりの戦術で行かせてもらうぜ。

 

(まずはインコース低めへ真っ直ぐ。ギリギリを狙っていこう)

 

 涼子の1番の武器とも言える安定した制球力は今日も健在だ。

 初球からインローの臭い所ギリギリを見事に突いた。

 

『ットーライッ!!』

 

 −–−–−良いボールだ。

 球速こそ130キロと眉村と比べれば大きく劣るが、これだけの厳しいコースに回転の効いた球はそう簡単に打てるもんじゃない。

 

 だが楽観はできない。

 草野はチームでもきってのアベレージヒッターで、打率は進に次ぐ.521だ。

 個人的には一番出塁させたくないバッターだな。例えるなら恋恋高校の矢部君、パワフル高校の奥野のような選手だ。

 

(大丈夫。やれる限りの手は尽くすつもりだ)

 

 2球目は低めにカーブが外れると、3球目に投じられたインコースのムービングファストを草野は強振した。

 

「っと!」

 

 強いゴロを一二塁間が襲うが、今宮の正面。

 難なく捌いてワンナウトだ。

 

「いいぞ、セカン!」

「おうおう、もっと褒めてくれ〜」

 

 少し予想外だったな。

 いくらストライクとはいえ、草野ならあの厳しいコースはカットしてもう少し粘ってくると思ってたんだが。

 まぁこっちからすればどんな形でもアウトが取れればいい。次の打者達も曲者揃いだから息つく暇がない。

 

『2番セカンド、渡嘉敷君」

 

 コイツはパワーこそないが足が早く、バントが非常に上手い選手だ。一応セーフティの可能性も視野に入れ、内野陣にやや前進するようサインを出す。

 

「−–−–−ふっ!」

 

 力のこもったストレート僅かに外角へ外れてボールに。それでも球速は132キロと自己最速タイ出ている。

 カウントは2エンド2まで進んで5球目−–−–−。

 

「ショート!!」

 

 これも良いあたりだが友沢が逆シングルで滑り込みながら捕球すると、鬼のような送球が一塁へと飛ぶ。

 

『−–−–−アウトォ!!』

 

 おぉーっと驚きの声が観客席の一部から出る。

 今のを取っただけでも文句なしなのにその後に魅せたこの強肩だ。敵味方関係なくこれはビックリもするわ。

 

 さて、味方の好守に助けられているが、次の打者は進だ。

 

「…………」

 

 不気味なほど静かなまま、今大会驚異の打率6割超えの進が打席へと入る。

 前日まで進への対策を練ってはみたものの、結局これといった有効な対策は思いつかなかった。ていうかコイツのヒットしているコースの分布図をまとめていたが、全てのコースが打率3割を超えているから苦手な箇所がそもそも見つからなかった。

 でも裏を返せば苦手なコースを突くより、自分達が得意とし、大きな武器としている択で開き直って挑める。

 

(大丈夫だ。お前なら絶対抑えられる)

 

 バンッ、とミットを叩いてどっしりと構える。

 少しでも涼子が投げやすいようにしてやるのが相棒である俺の仕事だ。臆せずいつも通り投げ込んで来い。

 

 サインが決まり、振りかぶる。

 進はピクリとも動かずに見送った。

 

『ットーライッ!!』

 

 手が出なくて振らなかったわけじゃなさそうだ。

 今のは見逃し方的にタイミングを測っていたように見えた。

 次は外角の縦スラを逆らわずに左へカット、一球外ボール球を見逃したあと、低めのムービングを良い当たりでライト線へ引っ張るも切れてファールに。

 

 カウント的にはまだ大丈夫だが、内容がそれほど良くない。

 2球のファールもタイミング自体はバッチリ合っていた。あとはもう少し芯で捉えられれば次こそ長打コースにされる。

 

(……悩んでもしゃーない。ここは涼子のボールを信じるか)

 

 5球目に選んだのは外角低めへ逃げるスライダー。

 進は大きく踏み込むと綺麗にレフト方向へと流し打つ。

 

「レフト!!!」

 

 通常のシフトなら後ろへと抜けるライナー制の当たりだが、事前に外野をやや交代させていたおかげで原がフェンス少し前でギリギリ間に合い、キャッチした。

 

「よしっ!」

「ナイピー涼子!!」

 

 互いに頷き合いながらハイタッチを交わしてベンチへと戻る。

 完璧な当たりだったがシフトが見事に噛み合ってアウトをもぎ取れたぜ。

 安心できる内容じゃないがどんな形でも0点で抑えられたのは非常にデカい。このままの流れで先制点も取っていきたい。

 

 

 

 

 自分でも綺麗に流し打ちできたつもりだった。

 中堅校クラスまでなら間違いなく二塁打コースのあの当たりをレフトライナーに抑えたのは一ノ瀬先輩の的確なシフト指示があっての結果だ。

 

(……流石ですね先輩)

 

 それに一ノ瀬先輩だけじゃない。

 二遊間コンビの守備力にウチと肩を並べる磐石の投手陣。打線も一ノ瀬先輩を抑えはしたものの、次は友沢さん、大島選手と前日の試合で帝王相手に快音を響かせた選手達が並ぶ。

 

 なにより、一番想定外だったのはあのエースナンバーをつけるピッチャー、川瀬選手だ。

 

 確かに眉村先輩に比べれば球速こそ遅いが、それでも130キロ前後は安定して維持し、変化球も特に低めのムービングファストは打たせて取るには最高のボールだ。

 

 例えるなら、市原先輩の球速を遅くしたかわりにコントロールが皿に良くなった、完成度の高い技巧派と言ったところだろう。

 

「猪狩……あのピッチャー−–−–−」

「ええ。思ってたよりも手強いですね」

 

 あの草野先輩でさえも一打席で実力をある程度認める選手。

 一ノ瀬先輩が最も信頼しているだけの実力はある、か。

 

「……やはり攻略するには−–−–−」

 

 勝利への糸口となるのはピッチャーだけでなく、キャッチャーも含めた−–−–−

 

 

 

 円陣を組み終わり、2回の表の攻撃に入る。

 

「一ノ瀬さん。頼まれた通り、書いておきまたよ」

「ありがとうございます。引き続きよろしくお願いします」

 

 ダグアウトに戻ると、俺は聖名子先生から一冊のノートを受け取った。

 書かれているのはウチの攻撃時と俺の配球が書かれたものだ。と言っても一般的なスコアブックとは異なり、配球を振り返るのに特化した専用のノートだ。

 

(……さすが聖名子先生だ)

 

 惚れるほど字が上手く、俺の指示通り丁寧に書かれていた。

 顧問として入ってきた頃はルールを覚えるところからスタートしたってのに、ここまで成長したのは素直に感動モノだ。

 

『ットーライッ! バッターアウト!!』

 

 トップバッターは友沢からだったが、この天才をもってしても一打席では手も足も出ていないのが眉村と言う男の強さを語っている。

 これはあくまでも俺の勘に過ぎないが、あの眉村を打ち崩すには、単純に来た球を迎え打つ形だけでは難しい。

 

 それプラス、相手がどのコースにどの球種を投げ込むのかを読む力も必要なのだ。

 

 まぁ当たり前だが、全ての配球を読み取るのは不可能な話だ。が、それはバッテリーにも同じ事が言える。

 どこかに必ず崩すための穴がある。問題はその穴がどこなのか。

 

 そして……その穴を上手く隠しながらリードを行えるのなら−–−–−

 

「くっ……!」

 

 今宮・東出の後続も倒れ、この回は僅か5分で交代となった。

 

「涼子!、先制点だけは絶対取らせんじゃないわよ!」

「うん。大丈夫よ、最初から一点も取らせる気なんかないから!」

「さっすかぁ♪ なら頼むわよ!」

 

 みずきちゃんとのやり取りを見ている限り、多少緊張はあっても落ち着いている様子だな。

 

「久しぶりだな、一ノ瀬」

「……ああ。お前らも相変わらずで何よりだよ」

「ふ。さて……あれから一年半。お前らがどれだけ強くなったか見せてもらうぜ」

 

 2回の裏は向こうも主砲の薬師寺から始まる打順。

 唐沢や真島さんのような長距離打者タイプというより、巧打の割合も多い中距離打者タイプに近い。

 

(それでも油断はできないぞ。ランナーがいない4番なら長打を狙っている可能性も高い。甘いコースだけは厳禁で厳しく行くぞ)

 

 外野が少しだけ後ろ気味に下げ、内野は定位置のシフト指示を出す。

 長打を警戒しながら、涼子が振りかぶる。

 

 ところが、薬師寺の構えは俺の予想を大きく裏切った。

 

 −–−–−コキンッ。

 

 横に構えたバットは弱々しい音と共にサード線付近へと転がる。

 

「なっ−–−–−!?」

「っ!、さっ、サード!!!」

 

 薬師寺が選択したのはノーアウトランナー無しからの初球セーフティバント。

 焦りながらもすぐさま大島へと指示を出すが、肝心の大島も全く予想していなかったせいで2歩も3歩もスタートが遅い。

 

 くそっ−–−–−これは間に合わないか……っ!

 

 誰もが諦めかけた中でただ1人、このボールは素早いフィールディングで捕球した選手がいた。

 

「っあっ!!!」

 

 完璧な反応とスタート、そのまま右手でボールを掴んでノーステップで一塁へ送球。ボールはワンバウンドながらも正確に聖ちゃんのファーストミットへと収まった。

 

「……アウトォ!!」

「なっ−–−–−!?」

 

 転がした張本人、そしてチームメイトの俺たちでさえ驚きすぎて変な声が出た。

 正確無比なバント処理を魅せてくれたのは、涼子だった。

 

「あっぶねぇ……ありがとうございます川瀬先輩っ!」

「素晴らしい集中力だ。私でさえ反応が遅れたと言うのに……」

 

 一・三塁を守る2人から感謝の言葉を貰い、ニコッと嬉しそうに微笑む。

 −–−–−なんつー集中力だアイツ。あの一瞬の構えだけで瞬時にチャージしたってのか……。

 はは……これには味方の俺でも薬師寺に同情せざるを得ないぜ。

 

『5番ファースト、大場君』

 

 ファインプレーの勢いのまま、大場もきっちり抑えるぞ。

 先程の薬師寺よりパワーに特化した選手で、本塁打数は海堂でトップの成績を残している隠れたスラッガーだ。

 ここはボール球も使ってじっくり勝負し、とにかくホームランだけは避けたい相手だ。

 

 ふぅ、と一呼吸挟んでから投げ込む。

 真ん中低め、ボールゾーンへと落ちていく縦のスライダー。大場はバットを動かしそうになるも、寸前で手が止まった。

 

『ボール!』

 

 結果的に見られたがこれで良い。

 並のバッターなら今のボールは手が出てもおかしくないくらいに良いスライダーだからな。

 2球目、3球目共にストレートがストライクとボールになる。

 

『よし。外角低めのムービングファスト』

 

 大場は引っ張り傾向が高いプルヒッターだ。

 最後はムービングで引っかけさせてサードかショートゴロで終わらせる狙いだったが−–−–−

 

(っ、甘いっ!?)

 

 俺の構えていたコースよりボール3個分高く浮いていた。

 それを海堂の5番が見逃すわけもなく、大場がフルスイングで弾き返した。

 打球は痛烈に三遊間を抜け、レフト腹の前でワンバウンドして落ちた。

 

「ごめんなさい。手元が少しだけ狂ったわ」

「いや、大丈夫だ。長打にされなかっただけ御の字だからな。とりあえず盗塁やバンドの小技も警戒していこう。理想は打たせて取ってゲッツー狙いだ」

「そうね。リード、お願いね」

 

 しかしすげぇな海堂の面々。

 確かにやや高めに浮いてしまっていたがコース自体は外角ギリギリで入っていたぞ。

 

『6番レフト、石松君』

 

 ん?

 今、石松が打席に入る前に進が何か耳打ちしてたな。

 ただのバッティングアドバイスだけならいいが、先制点が欲しい2回の裏でそれはないだろう。

 

(……となれば)

 

 −–−–−何か仕掛けてくるつもりか、進。

 

 

 

 

「何を石松に伝えたんだ?」

 

 ベンチに戻ると、眉村さんが珍しく口を開いて僕にこう尋ねてきた。

 

「試しているんですよ。あのバッテリーがどこまで優秀なのか」

「…そうか」

 

 今の言葉だけで眉村さんは納得してベンチへと座った。

 

 僕が石松さんに伝えたのは一ノ瀬先輩のリードについてだ。 

 今日のリードの取り方を見る限り、やはりあかつき中時代から根本は変わっていないように見てとれた。

 

 できる限りそのケースで最適な結果を導き出す為に逆算してコースと球種を決め、かつ、相手のデータも照会した上で最終的に決断して指示を出している。

 勿論これは簡単なリードじゃない。

 莫大な情報量が必要な上に賢くないとできず、更にバッテリーを組むピッチャーが一定以上計算できる投手でないとそもそもリード通りボールが来ない本末転倒になるからだ。

 そして、今日の先輩が出しているシフト指示も、やはり相手の傾向と狙いに合わせて変えている。

 

 先輩。

 これまでの試合はそれを知っている者が味方に居たから事なきをえていましたが、今は違います。

 

 これらを踏まえた上で石松さんに対して僕がリードをするなら−–−–−

 

 

(追い込まれてから、低めへのスライダーがカーブに的を絞って打ってください)

 

 変化球がやや苦手傾向にある石松さんに対しては大きく曲がる変化球でゲッツーを狙ってくるはずだ。

 追い込まれるまで勘付かれないようにやり過ごし、最後に狙い球を絞って長打を狙う、そう伝えた。

 

『ットーライッツー!』

 

 カウントは2-2の並行カウントまで進む。

 ここまでストレートは見せ球のみでムービングファストでカウントを取ている。

 

 ここまでは予想通りの配球だ。

 さて……先輩。野球は単にセオリー通り遂行していれば勝てる競技ではないですよ。この2年間で果たして成長しているか−–−–−見せてもらいます。

 

 セットアップからの5球目。

 先輩は低めにミットを構えている。これで変化球なら僕の−–−–−

 

 ゴキンッ!!

 

「−–−–−!?」

「っし、ファーストっ!!」

 

 先輩が選んだのは−–−–−131キロのストレートだった。

 変化球狙いだったところに飛んでくる渾身のストレートは当然振り遅れ、打球は平凡なファーストゴロに。

 

『アウトっ!』

「っしゃあ!」

 

 結果は最悪のダブルプレーに終わった。

 普通に石松さんに打たせていたらヒットにできた可能性もあった……。

 

 完全に僕が余計な事を吹き込んでしまったせいだ−–−–−。

 

「おい猪狩っ! 話と違うじゃねぇか! アイツら真っ直ぐ投げてきやがったぞ」

「……すみません」

「ったく! 正直お前の指図なんか受けたくなかったってのに……お前のせいで−–−–−」

「黙れ石松。それでもお前の打席で招いた結果なんだから人のせいにするんじゃねぇ」

「薬師寺っ……くそっ…!」

 

 薬師寺さんが間に割って入り、渋々石松さんも守備へと着いていく。

 

「猪狩、あまり気にするな。結果は最悪だったがこれも野球だ。お前にはお前なりの考えがあったんだろ?」

「−–−–−ありがとうございます、薬師寺さん」

 

 切り替えていけよ、とグローブ越しで僕の頭を軽く叩いてサードへ就く。

 先輩のあの喜び方から察するに、向こうも悩んだ末の選択だったのだろう。

 

(そうか。もしかしたら油断していたのは帝王だけじゃなくて僕も−–−–−)

「猪狩」

「うっ……眉村さん?」

「お前は海堂のキャプテンだ。チームのトップに立つ以上、少なくとも俺はどんな指示であってもお前の言う通り動こう。だが−–−–−

 

 

 

 迷いや後悔だけはするな。絶対的な自信を持ってプレーしろ。相手は正真正銘の−–−–−強敵だ」

 

 

 

 

「ふぅ……」

「ここまでは順調だな」

「うん。ゲッツーのお陰で球数も節約できたしね」

「はぁ〜……にしてもさっきのストレートはくっそ悩んだぜ……」

「ほんとよ! てっきり変化球で行くつもりだったのに、思わず頭を横に振ろうかと思ったわ」

「いやぁ、こればっかりは同じキャッチャー同士の勘ってやつだ」

「キャッチャー同士?」

 

 進がもしかしたら俺の配球を逆手に取ってリードを教えてたんじゃないか、ってな。

 帝王戦で魅せた友沢のバッティングのように、俺と進も付き合いは長い方だから俺のリードの傾向も把握していてもおかしくはない。

 だから敢えて、石松の得意な低めのストレートを投げて確認してみたんだ。結果的に石松が完全に振り遅れてたから俺の予感は的中した、ってわけだ。

 

「涼子。今日の試合はあまり援護点は期待できない。今までで一番辛い試合になるかもしれないが、頼んだぞ」

「……大丈夫。私達ならきっと勝てる」

 

 まだ試合は3回の表だな、俺達が勝つにはあの最強エース、眉村を打ち崩すさなければならない。

 

 大量の援護点には期待できないが−–−–−1点か2点なら、可能性はゼロじゃない。

 



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