偽訳・銀魂 白夜叉の妹と真選組 (由比レギナ)
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序幕 偽・紅桜篇①

 

 

 夢から覚めたとき、うっすらと目の前に見える顔は、妖しく微笑んでいた。

 

「桜……もう少しだ。もう少しで、お前を救ってやれるからな」

 

 左目が包帯で巻かれたその顔は、女のように美しく、だけど死神のように冷たい。

 

 ――気取ったこと言ってるんじゃないわよ。

 

 そう言い返してやりたいが、わたしの口は動かない。口だけではない。手も、足も、まるで始めから存在しないかのように何にも感覚がなくて。

 

 だから、わたしの頬にそっと触れてくる手を、払いのけることすら叶わない。

 

「もうすぐ、紅桜が完成する。そうしたら、もうお前は無理やり戦わされることもないんだ。代わりに全部あの刀が――化け物が、敵を排除してくれるんだ。だから桜、もうお前が化け物と罵られることはない。お前は助かるんだ、桜」

 

 助けられる必要はないのだ。

 

 この男に、助けてもらう筋合いはないのだ。

 

 なにせ、わたしはこの人の一番大切なものを壊したのだから。

 

 わたしが、この人たちの一番大切なものを壊したのだから。

 

 だから、わたしはこの気取った奴に、哀しげな笑みを向けてもらう筋合いはないのだ。 

 

 こんなに優しく撫でてもらう権利はないのだ。

 

 なのに。

 

 それなのに。

 

「桜……」

 

 さも愛おしいかのように名を呼ばれて、わたしは目を背けたかった。

 

 だけど、それすらも叶わなくって――

 

 

 

 

 そしてわたしは夢をみる。

 

 荒れた荒野で戦う侍。敵は宇宙からの侵略者である天人(あまんと)

 

 地球を、日本を、江戸を、地球人のものであると死守するために、血を流して戦う男たち。

 

 その男たちと共に、わたしもこの星を守ろうと刀を振るう。

 

 大切なものがあったから。大切な人たちがいたから。

 

 それらを守りたいがために、わたしは数えきれないくらいの敵を討つ。

 

 敵は異形の集。赤や緑や動物のようなものたちを、斬る。切る。伐る。

 

 しかしそれらの形がだんだんと変わっていく。

 

 どんどん、人間になっていく。見覚えのある顔に変わっていく。

 

 それでも、わたしは斬るのをやめない。

 

 サングラスをかけたいつも笑っている男を斬った。

 

 優しげな風貌をした独特のカリスマ性がある男を斬った。

 

 いつも人を見下している色気のある男を斬った。

 

 それでも、わたしは斬るのをやめない。やめることができない。

 

 そしてとうとう、わたしはやる気がなさそうで、だらしのない男に刀を向ける。

 

 その時、その男は持っていた刀を捨てた。

 

 そして、言うのだ。

 

『お前に斬られるなら本望さ』

 

 そして、笑うのだ。

 

『それで、お前が救われるのなら、いくらでも俺の命、くれてやらぁ』

 

 そして、

 

『だけど、約束してくれ。先生を……俺の大事な友が幸せに暮らせる場所を、守ってくれ――』

 

 



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序幕 偽・紅桜篇②

 

 

 

 

 次に意識が戻ったときは、目の前に他の顔があった。

 

「お……おまえは……」

 

 うねっている白髪は血で汚れていた。寝ぼけているような半眼が見開かれていた。

 

「銀時……彼女は、もしや……」

 

 隣にもうひとつあったその顔も見覚えがある。紳士的に整ったその顔に、ざんばらな髪が似合わない。

 

 銀時と呼ばれた男は、眉をしかめる。

 

 ――そんなに困らないで。悲しまないで。

 

 泣きそうな彼に手を伸ばしたいが、やっぱり身体が思うように動かない。上がりかけた腕がすぐに床に落ちてしまう。

 

「あ……」

 

 それに気づく。少しだけど動ける。かすれているけど、声が出る。目だけを思いっきり動かして見れば、途切れたコードがたくさんあった。あれにわたしは繋がれていたのだろうか。

 

 遠くから怒声が聴こえる。ジリジリと何かが崩れていく音がする。煙たくて、焦げているような臭いがする。

 

 すべてが心地良いものではないけれど、それでも。

 

「あ……あぁ……」

 

 わたしは懸命に手を伸ばした。

 

 わたしはなんてズルイのだろう。

 

 わたしはなんて愚かなのだろう。

 

 それでも、わたしは目の前にいる傷だらけの白夜叉にすがってしまうのだ。

 

「たす、けて……」

 

 彼は唇をかみしめる。血がにじみ出ようとも、彼は顔から力を抜かない。そして、わたしから目を逸らさない。

 

 わたしはズルイ。本当にズルイ。

 

 だってわたしは知っているのだから。

 

 ずっと前から、彼がわたしを守ってくれるって、知っているんだから。

 

 それなのに、わたしは彼に手を伸ばす。

 

「助けて……お兄ちゃん……」

「くそっ」

 

 彼は舌打ちして、わたしを抱きしめる。血なまぐさい。だけど、彼の胸はすごく温かい。

 

 わたしはズルイ。本当にズルイ。

 

 それでも、彼の腕の中は心地よくって――

 

 

 

 次に気がついた時には潮の匂いがした。

 

 目を開けてみると、目の前にスルメが揺れている。

 

 スルメは右に揺れて。左に揺れて。

 

 目で追っていると、おなかがぐりゅぐりゅと悲鳴を上げだす。

 

 ぱくっと口でそれを奪ってみた。噛みしめれば噛みしめるほどに、旨みが口の中で広がっていく。

 

 夢中で噛んでいると、頭上からくつくつと笑う声が聴こえる。

 

 見上げると、晴天の空の下で、黒い制服を着た少年がにたにたと笑っていた。

 

 空は晴天。日はちょうど頭上にある。地面がぬかるんでいるから、雨上がりだろうか。

 

 そんな土の地面の上に置かれた段ボールの中に、わたしは膝を抱えて入っているようである。

 

 ――ここは、どこだ?

 

 わが身の状況を確かめようとして、口は動かしながらもあちこち見渡そうとして、気がついた。

 

 わたし、何も着ていない。

 

「うひょぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 絶望の雄たけびが、能天気な空に木霊する。

 



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捨て猫篇
捨て猫にはむやみに餌を与えてはいけない①


 

 

 

 

 わたしは裸である。うら若き乙女の裸である。

 

「いやぁ、なかなか食い意地はってる捨て猫でサァ」

 

 しかし、目の前のそういうのが好きそうな年頃の少年はそんなことに気づいていないかのように、にたにたとわたしを見降ろしていた。

 

 少年本体の色素は薄かった。髪も角度によっては輝いているように見え、目もやや赤みがかっているようである。肌も透き通るように綺麗だ。それなのに、金縁の真黒い服と、腰に下げている刀が、彼の美しき儚さを台無しにしていた。

 

 そんなちょっと残念な少年は、屈んで、わたしの顎を持ち上げる。

 

「なんでェ、そのツラは。捨て猫呼ばわりされて、威嚇でもしているつもりかィ?」

 

 じろじろ見られて、機嫌でも損ねたのだろうか。けど、その割に彼の顔は好奇心でいっぱいという感じで、目が爛々としている。

 

 しかし、その目に映る自分の姿は、とても貧相だった。

 

 頬が少しこけ、元から大きめの目も少し彫が深くなっているように見える。やたら無駄に長い薄紅色の髪にも艶がない。ぼさぼさだ。歳もこの少年とそんな大差はなさそうである。若干わたしのほうが、年上か。

 

 昔はもっと綺麗だった。手入れもほどほどにしていたし、周りからも見た目で賛辞を受けていた。

 

 けど、その昔と、根本的な顔が変わらなすぎてはいないだろうか……。

 

 それはそうと、この少年、顔が近い。

 

 とても近い。相手の目に映る自分が見えるくらい、相手の吐息が顔にかかるくらい、近い。

 

 そんな近い距離で、彼は囁く。

 

「てか、いつまでもぐもぐしてるんでェ。もう味ねぇだろう」

 

 いや、そんなことはない。てか、そういう問題ではない。てか、こんな距離で言われることでもない。

 

 しかし、わたしはそれどころじゃないのだ。

 

 年下の少年にときめいている場合ではないのだ。

 

 お腹がぐぅと悲鳴をあげる。

 

 久しぶりの食べ物なのだ。いつからかと言われたらなかなか思い出せないし、そもそも今までどうしてたのかもいまひとつはっきりしないが、おそらく久しぶりに何かが食べれたのだ。後生大事に食べないと、罰を食らうってもんである。

 

 だから、わたしは口を閉じて、味のしなくなったものをいつまでも噛み続けていた。

 

 彼はそんなわたしを、同じ距離のままじっと真顔で見つめてくる。わたしの咀嚼につれて、彼の手も揺れていた。

 

 もぐもぐ。

 

 もぐもぐ。 

 

 そろそろ飲み込もうか。でもなんか勿体ないな。

 

 もぐもぐ。

 

 もぐもぐ。

 

 彼は顔を離した。懐に手を入れ、取り出したのはスルメ。

 

「もう一本食うかい?」

 

 ごくん。

 

 飲み込むのと同時に、頷く。

 

 自分でも顔がほころぶのがわかった。そして、目の前に掲げられたするめをまた食らわんと顔の伸ばす。

 

 が、そのするめは高く遠のいていってしまった。

 

 わたしはキッとその少年を睨む。それに反して、少年はにんまりと意地悪く笑っていた。

 

「食いたいか? 食いたいだろう? だったらオレに何か言うべきことがあるんでないかィ?」

 

 ――こいつ、性格わるっ!

 

 そう確信し、じっと彼を睨みつける。しかし、彼は笑みを崩さず、

 

「ほらほら、どうした。物乞いするにはそれなりの態度ってもんがあるんじゃないかィ、桃色子猫ちゃ~ん」

 

 この伸ばす感じの語尾がまた憎たらしい。下町育ちの性格悪さが滲み出ている。

 

 せっかくの美少年なのに、いろいろ勿体なさすぎるぞ。

 



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捨て猫にはむやみに餌を与えてはいけない②

 わたしはスルメを奪い取ろうと手を伸ばした。すると、少年は立ち上がってしまい、するめが遠ざかる。そして、その少年はにたりと笑う。

 

 ――こんちくしょぉぉぉおおおお!

 

 わたしも立ち上がろうと足に力を入れた。しかし、中腰になった段階で力尽きてしまい、またこつんと座り込んでしまう。地面が堅く、お尻が痛い。

 

 ――くそぉ……なんでわたしがこんな目に合わなきゃいけないのよ。

 

 お尻をさすりながら、ふと気づく。

 

 ここはどこかの道場の前のようだ。大きな門構えに立派な表札が掲げられているようだが、横からだとなんて書いてあるか見えない。さびれた道場なのか、繁華街から遠いのかはわからないが、この少年以外に人通りはない。

 

 これは不幸中の幸いである。人通りの多い通りにこんなあられもない姿で捨て置かれた際には、間違えなく切腹もんである。

 

 わたしの裸を前にして、全く興味を抱かないこの少年若干腹立つものの、これも幸いのうちの一つだろうか。

 

 ご飯も食べたいが、いい加減この状況を打破しなくてはならない。そろそろ上着を貸すよう頼んでみるか。

 

「ほれ、どした。餌はいらないので? ん?」

 

 しかしこの少年はわたしの心中など無視するかのように、ただただ人をおちょくるのに全力のようである。

 

 ――にゃろぉぉぉぉおおおおおお!

 

 一息気合いを入れて、わたしはまた天高く掲げられたするめに挑もうとした。

 

 そんな時。少年の背後に突如、笠をかぶった背の高い男が現れる。

 

 笠からちらりと見える白髪と、その下に覗く冷たすぎる眼光。古ぼけた黒い装束はまさに御徒士おかち組。錫杖のシャンとした音か晴天に響く。

 

 その姿に、背筋が凍る。息が詰まる。

 

 夢を思い出す。

 

 夢であってほしかったことを思い出す。

 

 自分が仲間を裏切ったこと。自分が兄を斬ったこと。

 

 そんな悪夢が脳裏に浮かび、わたしは唇を噛みしめる。鉄の味が、妙に悔しい。

 

 御徒士は少年の首に錫杖をまわす。

 

「オレァ誰だかわかってんのかい? 天照院奈落(てんしょういんならく)に恨まれる筋合いなんざ、ないんだがね」

 

 少年は目を細めて、低い声を出した。

 

 殺気――冷徹で残虐な気配に、空気がびりっと震える感覚。

 

 御徒士が言う。

 

真選組(しんせんぐみ)一番隊隊長沖田総悟(おきたそうご)、……悪いが、貴様を利用させてもらう」

 

 沖田と呼ばれた少年が抜刀しようとわずかに身を屈めた瞬間。御徒士も少しだけ動いた。

 

 何をしたのか、わたしには見えない。だけど、膝から崩れるのは沖田少年である。

 

 そんな少年を抱え、御徒士は言う。

 

「こいつの命が惜しければ、我等の元に戻ってこい。さもなくば、またお前は白夜叉を斬ることになる」

 



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捨て猫にはむやみに餌を与えてはいけない③

 その言葉に固唾を飲んだ。

 

 またお前が白夜叉を斬る――その言葉の意味を、考えたくもなかった。

 

「だったら……」

 

 わたしは小さく口を開く。

 

「だったら、ここでわたしを殺してくれないかな?」

「そんな勿体ない真似をするわけなかろう」

「なに、わたしは道具かなんかなわけ?」

 

 

 御徒士(おかち)は懐から笛を取り出す。木でできている、なんてことない小さな笛。

 

 それが、わたしはこの世で一番怖い。

 

 御徒士がその笛をくわえた。

 

 わたしは耳を塞ぐ。そんなんじゃだめなことは百も承知だが、それでも――

 

 頭の奥のほうで、甲高い音が鳴り響く。

 

 ――聞くな聴くな訊くな効くなっ!

 

 視界がまわる。右と左と、天と地が逆になる。頭の中から金槌で殴られ続けるような衝撃。鼓膜は甲高い音を受け切れずひび割れそうだ。胃が沸騰しそうなほど熱い。

 

 気持ち悪い。苦しい。痛い。死にそう。

 

 だけど、わたしはそうした感覚を認識できていた。

 

 目の前に、少年を抱えた御徒士がいることがわかる。そして、少年を助けなければいけないことがわかる。

 

 わかるのだ。考えることができるのだ。

 

 御徒士は目を見開きながらも、笛を吹き続けている。

 

 そのことが、とても嬉しくて。

 

 目から、熱い涙が零れた。

 

 そして、わたしは口角を上げる。

 

「もう一度訊くわ――わたしは、道具?」

「ちっ、高杉め」

 

 笛の音が止む。舌打ちを聞いた時だ。戻ってくる聴覚で、遠くから男の声が聴こえる。

 

「しかし、さすがに今回は俺ら役たたずすぎて……あとで近藤さん怒られやしないか?」

「まぁ、松平のとっつぁんには馬鹿にされるこたぁ間違えないが、いいんじゃないか! たまにはこーゆーのも!」

 

 御徒士は足を一歩引く。

 

「月が昇りきるまえに、天守閣へ来い。さもなくば――」

 

 末尾を聞くよりも早く、わたしが顔を前に向けたときには、御徒士と少年の姿がなくて。

 

「おい、あれを見ろよ、トシ……いや、見るな! 見ちゃだめだ!」

「あぁ? なんだよ……て、なんだあれ。痴女か?」

 

 ――どうしよう。

 

 はっきりとしてきた頭で考える。体力さえ回復すれば、戦える。あの笛を吹かれたら動けないけれど、それでもあの時みたいなことにはならない。

 

『高杉め』

 

 そう毒づいていたことを思い出す。

 

「高杉が、わたしを助けてくれた……?」

 

 その時、目の前に一閃の光が見えた。目の前に、刃先がある。

 

「おい、そこの痴女。公然わいせつ罪で逮捕する」

「痴女?」

 

 その失礼な物言いに、わたしは刀のもとを見る。

 

 先ほど聴こえた声の持ち主が、わたしに刃を突きつけているようだ。黒髪短髪の目つきが鋭い男である。着ている黒服に、見覚えがあった

。沖田少年の服と同じである。

 

 その隣にいる同じ格好の、男はもっと大柄だった。その体格に似合わない勢いで、慌てふためいている。

 

「おおおおおいトシ! い、いきなり女の子に刀向けるなんて、乱暴にもほどがあるじゃないか!」

「何言ってんだ近藤さん。段ボールに入って下着もつけずにいる怪しい女をしょっぴかずに、何が江戸を守る真選組だ。しかも、真選組屯所の前でだ。名誉棄損、業務妨害いろいろあんぜ」

 

 そう言うトシと呼ばれた男は、刀を向けながらも、わたしの方は横目でちらちら見るだけで。耳が真っ赤になっている。

 

 しかし、下着もつけずに……?

 

 わたしは自分の姿を確認し、

 

「ひぇっ」

 

 段ボールの中で膝を思いっきり抱える。

 

 裸だった。そういえば裸だった。空腹とかするめとかとにかくいろいろですっかりそれどころではなかったが、わたしはまっぱだった。

 

 けれど、それよりも今大事なことがある。わたしは顔を上げた。

 

「あなたたち、沖田総悟って知ってる?」

「あぁ? うちの一番隊隊長がどうしたって?」

 

 二人の目が、まっすぐわたしを見る。

 

「彼が、誘拐された」

 

 




編集してばかりで申し訳ございません。

しばらくオリジナル展開が続きます。どれくらいの方がしおりをはさんでくれているのかわかりませんが、少しでも楽しんでいただけるよう精進しますので、なにとぞよろしくお願いいたします。


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信頼はこぶしで掴みとれ①

 

「つまり、お前は知らないうちに屯所の前に裸で段ボールに入れられていたところを、総悟に拾われたが、お前を狙う奈落にダシとして総悟が誘拐されてしまった――と、そう言いたいのか?」

 

 屯所内の、とある一室。畳の匂いなど、どれだけぶりだろう。

 

 わたしは簡素な着物を着せられ、その部屋の真ん中で正座をしていた。そんなわたしを、真選組副長、土方十四郎(ひじかたとうしろう)は胡坐をかいて、訝しげな眼差しで見ていた。口には燻ぶる煙草をくわえている。

 

「なかなか……怪しい話ですよねぇ?」

「よくわかってんじゃねぇか」

 

 わたしが首を傾げてへらぁっと笑ってみても、吐き捨てるようにそう返されてしまって。

 

 カチ、コチ、と古い時計の音が気まずそうに動いている。

 

 そんな時間はないのだ。

 

 早く、彼を助けにいかなくては。

 

 そのためには、とりあえずご飯を食べなくては。まともに歩ける気さえしない。正直、正座しているのもつらい。土方に睨まれて曲がった背中を伸ばしてみるものの、すぐに肩が前に出てしまい、姿勢を維持することができない。

 

 それに、土方の隣には、彼がすぐに持てるよう、刀がまっすぐに置かれている。今刀を抜かれたら、あっさり斬られてしまうことは明白である。

 

「トシ、そんないじめるように言わんでも……」

 

 土方の隣に座る大柄の男、近藤勲(こんどういさお)。彼こそが、この真選組という組織の局長なのだという。

 

 その局長に、土方は吐き捨てるように言った。

 

「しかし近藤さん、山崎の調べでは、確かに沖田の行方がわからねぇってことだ。だとしたら、この女が一番怪しいのは明白だろうが」

「けど、この女の子が被害者だという可能性だって……」

「近藤さんもこの手紙見たろう?」

 

 わたしをちらちらと見ては顔を赤らめてる近藤に、土方は一枚の紙をぴらぴらと見せる。

 

「もう一回読んでやる――鬼兵隊の船で拾いました。どうか育ててやってください。追伸、基本なんでも食べますが、特に甘いものが好きで一日三回あんこ丼を食べさせると喜びおいなに書いてんだこの娘は猫とは違うんだぞてかヅラなに書きこんでやがんだヅラじゃない桂だ――て完全に桂の手のものじゃねぇか! 攘夷志士だぞ、こいつ。こんな部屋で話してないで、早く拷問でもなんでもして沖田の居場所を聞きださないと――」

「桂って、桂小太郎(かつらこたろう)……?」

 

 わたしが口を挟むと、近藤が言う。

 

「あぁ、反幕府勢力、攘夷党(じょういとう)の党首だ。少し前までは過激派として色々やってくれてたが、最近その活動も穏便になってきてな。それでも、テロリストには変わらないから、俺ら真選組の敵には違いない」

「おい、なにいきなり話してんだ?」

「このお嬢さん、本当に何にも知らないみてーじゃねーか。そんな浮世離れした子に、総悟がやられるわけがねぇ」

 

 腕を組みそう言う近藤に、土方は掴みかからんとする勢いで迫る。

 

「それもこれも、全部奴らの罠かもしてねぇだろうが!」

「責任は全部俺が取る!」

 

 近藤は一言、きっぱりとそう言い放った。

 

 わたしはその二人の様子を、見てることしかできない。

 

 彼らの喧嘩を止める言葉も、わたしの身分を証明する言葉も、何も持っていなくって。

 

 本当に、情けないくらい、わたしは何も持っていなくって。

 

 わたしは、両手をそろえて前に置き、頭を下げる。

 

「ごめんなさい」

 

 時計の針がカチコチ響く。すると、ため息が聴こえた。

 

「鬼兵隊には、なんでいたんだ?」

「さらわれたんだと思います。コードに繋がれてずっと眠ってたみたいだから……治療を受けていたんだと思う」

「治療?」

「わたしは、攘夷戦争で奈落の道具として、多くの攘夷浪士を斬ってきました」



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信頼はこぶしで掴みとれ②

「奈落の一員だったのか?」

 

 土方の驚きの声に、わたしは少し顔をあげた。

 

「わかってんのか? 天照院奈落っつーと、幕府の裏組織の天導衆(てんどうしゅう)のうちの暗殺部隊だぞ?」

「天導衆って、けっきょく幕府の政権握ったんだ?」

 

 土方が眉間にしわを寄せる。

 

「お前、そんなことも知らないのか?」

「攘夷戦争直後から、記憶にないから……」

「鬼兵隊にさらわれてたからか?」

「いつ、どんな風にそうなったか、さっぱり記憶にないんだけどね……」

 

 情けない。

 

 そう思う。怪しまれても仕方ない。もしも逆の立場なら、すぐに斬り捨てているかもしれない。

 

 しかし、言うしかないのだ。 

 

「我ながらよくできた話だと思うけど……洗脳ってやつみたい。特定の笛の音を聞いてしまうと、もう自分の意志ではなにもできなくなって……でも、さっき沖田少年がさらわれたときに、その笛を聞いたけど、大丈夫だった。それを、高杉が治してくれてたんだと思う」

「高杉って、あの高杉晋助(たかすぎしんすけ)か?」

「えぇ。あの……幼馴染です。高杉も、桂も……」

「幼馴染ぃ?」

 

 土方は煙草をぽろっと口から落とす。

 

「じゃああれか。もしかして白夜叉(しろやしゃ)坂本辰馬(さかもとたつま)と……」

「知り合いです。てか、仲間でした。その……戦争の時、奈落のせいで彼らを斬ったのもわたしだけど……」

「あ……」

 

 土方は落ちた煙草を拾い、頭をぼりぼりと掻く。

 

 嗚咽が聴こえた。見ると隣の近藤が目を真っ赤にして、鼻をすすっている。

 

「可哀想に……可哀想になぁ、お嬢さん! 今まで苦労してきたんだなぁ!」

「えと……どうも……」

 

 いざ同情されても、こめかみを掻くことくらいしか出来ないが。

 

 土方が再び、ため息を吐く。

 

「……総悟の行方、わかるか?」

 

 わたしはばっと頭を上げる。

 

「奈落は、わたしに天守閣に来いと言ったわ」

「ちっ、ずいぶんと大層な場所に招待されたもんだな」

 

 土方はくわえていた煙草を、胸から出した携帯灰皿らしきものにしまう。

 

「しかしちょうどいい――近藤さん、今晩、例の事件の報告で登城を命じられたよな」

 

 いまだにずっとすすり泣いていた近藤は、思いっきり鼻をすすった。

 

「あぁ。松平のとっつぁんにも相談して、総悟を助け出す――トシ、一緒に来てくれるよな?」

「あぁ、とうぜ――」

「わたしも連れて行ってくださいっ!」

 

 声を張った。二人とも何回か目をぱちくりした後、土方が喋り出す。

 

「それは出来ない」

「どうして?」

「今の嘘みたいな話を信じるとして、お前はまだ証拠の揃っていない重要参考人だ。上に報告するにもまだ早い。監視をつけて、今日は屯所で軟禁させてもらう」

「けど、彼がさらわれたのは、わたしのせいよ!」

「だとしてもだ! 戦えない奴を連れていけない」

 

 わたしは土方を睨む。

 

「誰が、戦えないですって?」

 

 腰を少し上げる。そして、一歩踏み出そうとした。一足で土方の元に着くだろう。彼の刀を奪い、それを首に突きつける――つもりだった。

 

 しかし、その一歩の力が入らない。

 

 ぐぅぅぅっと、間抜けな音がする。

 

「…………」

 

「なんだ、どうしたんだ?」

 

 冷たい土方の声。完全に、わたしを見下している声。

 

 わたしは、我ながらか細い声で言う。

 

「……何か、食べ物をください……」

「あぁ?」

 

 そして、大きく息を吸った。

 

「おなかが空いて動けない! だから何か食べさせて! それからわたしと決闘しなさい!」

「はぁっ?」

 

 二人して素っ頓狂な声をあげる。

 

 わたしは自分の胸をばんっと叩いた。

 

「土方! わたしがあなたより強いこと、証明してみせるわ。けど、今おなかが空きすぎて動けないの! だから何か食べさせなさいっ!」

「こいっつ……」

 

 土方のこめかみがぴくぴく動く。どうやら、短気な奴らしい。

 

 そんな土方が、また懐から何かを取り出す。それをばしっと投げてきた。

 

 畳の上に転がるのは、マヨネーズだ。

 

「……は?」

 

 マヨネーズ。楕円の先端をすぼめたようなフォルム。先端のキャップは赤い。そんな、どの家庭にも一本常備しているような、マヨネーズ。

 

「マヨネーズ……だけ?」

「とっとと吸え。高カロリー、高たんぱく、高脂質。これほどバランスのいい非常食はほかにないだろう! しかも美味い!」

 

 苛めか。

 

 わたしはそう判断する。

 



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信頼はこぶしで掴みとれ③

 マヨネーズの量は半分くらい。使いかけである。

 

 わたしはそのマヨネーズを取り、赤いふたを開ける。口の部分は予想通りのプリティ星マーク。

 

 それをばくっとくわえた。持つ手に力を入れると、ぶちゅうっとマヨネーズが飛び出してくる。

 

 口中に広がるまろやかな甘み。鼻に抜ける爽やかな酸味。喉を通るねっとり感がそのまま身体全体に広がっていく。次第に酸味は甘みに負け、甘みはねっとり感に負け。これ以上ないくらい贅沢に油を堪能する。

 

 ずずずっと口をすぼめて吸って、吸って、吸って。

 

 ぶふあぁっと、わたしはそれを完飲する。

 

「ご馳走様でしたぁっ!」

 

 わたしは空になったマヨネーズの容器を、土方に投げつける。それを彼は、片手で受け取った。隣の近藤はあんぐりと口を開いて間抜けな面をしている。

 

 身体がだるい。重い。すべての関節にねっとりと油がまとわりついている気さえする。胃の中には油しかなく、消化酵素は間違いなく死滅したことだろう。

 

 それらを全て受け止めて、立ち上がった。

 

「さぁ、土方。表へ出なさい!」

 

 わたしは、土方に指を突きつけた。

 

 

 

 若干松やら植えられているシンプルな庭には、刀を持って立ち回るには充分な広さがあった。

 軒下に集まるギャラリー多数。みんな真選組の黒い制服を着た男たちが、好奇心やら心配やらの目でわたしを見つめていた。

 

「おいおい、副長が女の子とやりあうなんてマジかよ」

「あんなひょろっちぃ子、刀なんて振れるのか?」

「しかも、すごくひもじそうな子じゃないか」

「まさか鬼の副長にこんな趣味があるとはなぁ、弱い者いじめはしない人かと思ってたんだけど」

「なぁ。ちょっと幻滅だよなぁ」

「う、る、さ、い、ぞ、おまえらぁー!」

 

 野次を土方が一喝して。

 

 土方は木刀を構え直す。

 

「本当に、いいんだな?」

「もちろん」

 

 正直言えば、男用の木刀がちょっと重い。ずっと寝ていたから、筋肉の衰えがあるみたいだ。

 

 あんまり長い間打ち合えないな、と覚悟を決めつつ、わたしも構える。

 

 立ち会いは近藤だ。

 

「では、刀を相手の身体に当てた段階で、勝利とする。トシ、わかってるな?」

「あぁ、もちろん手加減するさ」

 

 ――舐められたものねぇ。

 

 人の話を聞いていなかったのだろうか。わたしは奈落に必要とされている殺人兵器だったことを――

 

「よーいっ、はじめっ!」

 

 近藤が手を振りおろしたと同時に。

 

 わたしは駆けた。一瞬で土方の胸元に近づき、下から木刀を振り上げる。

 

「おっと」

 

 土方が後ろに跳躍しながら、口角をあげたのが見えた。

 

 わたしはもう一歩踏み込みながら、木刀を下す。が、それは相手の刃で流された。

 

「へぇ、お前さんけっこうやるじゃねぇか」

「喋ってると、舌噛むわよ」

 

 わたしはまた一歩。木刀の柄をみぞおちに打ち込もうと踏み込む。

 

 土方は高く跳躍した。わたしの頭上を飛び越え、振り向きざまに一閃してくる。

 

 木刀同士が、ばしんっと打ち合った。反動を利用して回転しながら蹴りを出すも、かわされる。

 

 土方の切っ先が目の前にあった。顔を逸らすと、びゅんっとした音が鼓膜を揺るがす。

 

 わたしは木刀を手放した。

 

「なっ」

 

 土方が目を見開くも、わたしは気にせず刀を手放した手を握り、そのこぶしをみぞおちに打ち込む。

 

 土方は若干身を引いたのか、手ごたえはない。しかし、わたしは地面をはねる木刀を踵で蹴りあげ、頭上でそれを受け取り、そのまま打ちおろ――そうとした。

 

 が、わたしはそのまま、うずくまる。

 

「き……ぎもちわるい……」

 

 胃の中からこみあげてくるものに耐え切れず、わたしは吐いた。



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信頼はこぶしで掴みとれ④

  

 

 ずずずとお白湯を啜る。お茶碗にそそがれた乳白色の緩いおかゆからは、お出汁のいい匂いがしていた。木のスプーンで、それを一口。身体に沁みわたる優しい栄養。

 

 これよ、これ。わたしはこういうのを求めていたのよ。長い眠りについていた奴が、いきなり固いスルメだマヨネーズだわ、食べちゃいけないよね。普通。

 

 色々なもので汚れた身体も、洗わせてもらった。肌も髪も艶がもどった気がする。身も心もほかほかだ。

 

 そして、今この部屋にはわたし一人。はしたないとわかっていながらも、足を伸ばす。外から差し込む光も橙色で風情がある。

 

 まぁ、ふすまの向こうには監視がおり、その会話がまる聴こえなのだけど。

 

「どうやら、決闘の直前に副長がマヨネーズ一本まるまる飲ませたらしいぜ」

「まじで? 副長そこまでして勝ちたかったの?」

「てか、そういうプレイがしたかったんじゃね? けっこうコアそうじゃん、副長」

「あーわかるわかる。妙なこだわり強いもんなぁ」

「て、め、え、ら……そんなに腹ぁ切りたいなら今すぐ介錯してやろうか、え?」

「ふ、ふくちょぉー!」

「ったく」

 

 舌打ちとともに、ふすまが開いた。

 

 副長こと、土方が黒い服のようなものを持って入ってくる。わたしはとりあえず、足を戻した。

 

 土方は斜めを向いて、

 

「あの……すまなかったな」

 

 そう謝ってくる。

 

 わたしはお白湯をすすった。何について謝っているのだろうと考えてると、土方は続ける。

 

「近藤さんにも謝ってこい言われてな……なんだ、その……仮にも病み上がり……でいいのか? そんな女にいきなりマヨネーズ飲んだ後運動させるのは……その、年上としても止めなきゃいけなかったかと。まぁ、言い出したのはお前さんだが……」

 

 そうか。人前で口からきらきらしたものを出してしまったことで、わたしが心を痛ませているのではないかと心配しているのか。

 

「わたしさ、いくつに見える?」

 

 訊いてから、おかゆをまた一口。すぐに喉を通って行くけれど、それなりによく噛んでいると、土方はいきなりなんだと言いたそうな顔で答える。

 

「十七、八くらいだろ?」

「残念。二十三。たぶん」

「多分?」

「何年寝てたか、いまひとつわかんないからね。けど、攘夷戦争終わったの、五年くらい前なんでしょ? さっき食事持ってきてくれたおばさんに聞いたんだけどさ。戦争のときが十八だったから、だから今は二十三歳くらい。けど、年取ってなく見えるから、まぁ高杉がなんかしてくれちゃったみたいね」

 

 わたしはお茶碗を置いて、土方を見る。

 

「だからね、ちゃんと成人してるのよ。もういい大人がさ、勝手にマヨネーズ飲んで動いてってだけなんだから、あなたが気にすることじゃないわよ。自業自得」

「お……おう」

「そういうわけでね、自分で責任取りたいから、あの少年も助けに行きたいのだけど?」

 

 呆気にとられたような土方は、仕切りなおすかのように咳払いをした。

 

 そして、持っていたものを投げてくる。わたしはそれを広げてみた。彼らと着ているものと同じ、真選組の制服である。

 

「それ着て、近藤さんと一緒に城に行って来い。俺らは城の外で待機しておくから、何かあれば、すぐに逃げて来い。自分の身くらい、守れるだろう?」

 

 問われて、わたしは首を縦に振る。制服はちゃんと少し小さめで、わたしが着てもぶかぶかにはならないだろう。しかし、ボタンの重ねが男性用だ。

 

「真選組に、女はいないの?」

「当たり前だろうが。だから、胸にはさらしでも巻いて、男の振り……総悟のふりしてもらう。役職もない奴を連れていくわけにはいかないしな。出来るか?」

 

 あの少年の姿を思い返す。白い肌。大きな目。細い髪。たしかに彼も女の子のようだった。身長もわたしより彼の方が若干高いものの、彼も線が細かったから、なんとか誤魔化せるだろう。

 

 あと、一番ちがうところは――

 

「土方さん、なんか切るものない?」

「あぁ? これしかねぇが……」

 

 土方が腰にさげた刀をくいっと動かす。わたしは立ち上がり、何も言わず、その刀を抜かせてもらった。

 

「おいっ!」

 

 土方が制止しようとするが、それよりも早く。

 

 わたしは自分の長い髪を持ち上げ、逆手で持ったその刀でなるべく根元のあたりで髪を切る。

 

 さくっとした切れ味が、気持ちがよかった。薄桃色の毛束を、放り投げる。

 

 夕陽の橙に反射して、きらきらと黄金に輝いて見えた。

 

「改めて、わたしは桜と言います。よろしくね、副長」

 

 わたしは土方に向かって、笑みを向けた。

 




ようやく沖田救出に向かいます。将軍も登場予定。
ひと段落つくまではオリジナル話が続きますが、そのあとは原作に沿った話も入れていく予定です。

話のテンポが遅いでしょうか?
色々悩みながら書いていますが、お楽しみいただけたら幸いです。


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猿山の大将は高いところが好き①

 

 

 

 

 将軍といって思い浮かべるのは、ちょんまげとでっぷりしたお腹だった。

 

 ちょんまげは昔からの伝統だろうし、江戸一番権力を持っているのが将軍というものだから、きっと私腹の肥え具合は身体も比例しているんだと思う。

 

 きっと、内面が滲み出るようなブオトコだろうと。

 

 天人(あまんと)と仲良く江戸を乗っ取ろうとしている男だと、そう思っていた。

 

 徳川茂茂(とくがわしげしげ)

 

 ちょんまげは想像通りだった。

 

 しかし、身体はスレンダーだった。顔立ちものっぺりしながらも真面目さが滲み出ていて、そして声も落ち着くいい声だ。

 

「お初にお目にかかる、沖田総悟(・・・・)殿」

 

 そんな愛想のいい笑顔を向けないでくれたまえ、将軍よ。

 

 わたしは天守閣に乗り込む気は満々だったが、貴方様にお会いするつもりは微塵もなかったのですよ。大胆かつひっそりと潜り込んで、こそっと用事だけ済ませて退散するつもりだったのですよ。

 

 まぁ、真選組の上官、警視庁長官松平片栗虎(まつだいらかたくりこ)というおっちゃんに会うとは聞いていたわさ。

 

 けどね、まさか将軍様にお会いするとは思わなかったのよ。

 

 ――といった目で左隣の近藤を見る。近藤も目が泳いでいた。気持ち悪いバカっぽい笑みを浮かべている。

 

 次に、右隣を見た。松平のおっちゃんは短い白髪に、将軍の前だというのにサングラスをかけたままの、よく言えばダンディなお偉いさんらしい。ここに通される前に松平にも挨拶と、経緯を話したのだが、その時聞いた声は、とても渋く、深みのある、二度と忘れないような独特な声音だった。そんなおっちゃんは、近藤とはうって違い、のんびりと胡坐を掻いて、わたしの肩を叩いた。

 

「いやぁ、悪いね将ちゃん。こいつ将軍の前だから緊張してやらぁ」

「固くならないでくれたまえ。良ければ、君も将ちゃんと呼んでくれても構わない」

 

 将ちゃん呼べるかぁぁぁぁぁぁあああああああああ!

 

 胸中叫びながらも、わたしは額の脂汗を拭う。ゆっくりと一呼吸し、頭を下げた。

 

「初めてお目にかかるぜぃ、将軍様よぉ。おれぁ、真選組一番隊隊長、沖田総悟でさぁ」

(桜ちゃぁぁぁぁぁぁあああああん!)

 

 もの凄い小声で、近藤が叫んでくる。

 

(どうして将軍様にそんな喋り方しちゃうの? ねぇ、将軍様だよ将軍さま!)

 

 わたしは疑問符を返す。

 

(沖田少年、こんな喋り方してなかった?)

(普段はね! 普段は確かにそんな生意気な感じだけどね! 常に見下した敬語でいらっとするときおれもあるけどね! けど、さすがに今は将軍様の前だから! てか、そういったクオリティ求めてないからっ!)

(ちぇっ)

(なに? 今、舌打ちした? 残念なの? 何気に楽しんでたの?)

 

 前を見ると、将軍は少し残念そうな顔をしていた。今の会話が聴こえたわけではなさそうだが、なぜだろうか。

 

 そんな将軍が、気を持てなおしたように言う。

 

「しかし……気を悪くしたら悪いのだが、女みたいな凄腕剣士が真選組にいるとは聞いていたが、こんなにも美しいとは思わなかった。まるで女形俳優さながらだな」

「ありがてぇお言葉です」

 

 わたしは将軍にむかって、ぺこりと頭を下げた。まぁ、当然といえば当然。なにせ、女が男装しているのだから。



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猿山の大将は高いところが好き②

 刀で髪をばっさり切ったものの、それでも男に比べたら幾分か長かった。だからハサミできちんと切ろうと思ったのだが、土方や近藤、その他あらゆる隊士たちに止められたので、無理やり一つに結っている。前髪もちょっと逆立てたりしてみた。正直、我ながらこの場で一番カッコいいと思っている。

 

 真選組隊長の付き添いとして相応しいであろう人物に変装して、堂々潜入。はぐれたふりして、沖田少年を捜索、奪還、逃走という手筈。困ったことがあればすぐさま内部にいる近藤や松平、外が近ければ待機している土方等に報告という参段もばっちりだ。

 

 そう――警視総監の松平も、わたしが女だということは知っているのだ。

 

 それなのに、

 

「将ちゃぁん、真選組に女なんているわけねぇだろぉー? なぁー?」

 

 わたしの胸を叩きつつ、一瞬むにゅっと揉んでくるのは、どうしてだろうか。

 

 さらしもきちんと巻いているし、正直たゆむほどのものはないのだけど……それでも、なんか痛いし、なんか屈辱。微妙に鼻の下が伸びている気がするのがむかつく。隣の近藤も生唾飲み込んで、微妙に羨ましそうな顔をしているのが、気持ち悪い。

 

 わたしはひきつる表情を無理やりコントロールして、愛想笑いを浮かべた。

 

「そうですぜ旦那ぁ。男の胸揉んで喜ぶおっさんが、いるわけないですぜぇ」

 

 そして、松平の手をやんわり避け、ついでに爪を立てて抓ってやる。

 

 それに眉ひとつ動かさない警視総監は、

 

「そういや将ちゃん、この沖田くんが、ちょっと蹴鞠(けまり)してて鞠を城のてっぺんに引っかからせてしまったらしくってよぉ。ちょいと取りに行かせてもかまわねぇかい?」

 

 と、話を促してくれるのはさすがということか。けど、蹴鞠で天守の頂上に鞠って、無理ないか?

 

 しかし、将軍は感心したような顔で顎に手を置く。

 

「ほぉ……お主、蹴鞠を(たしな)むのか?」

「へ……へい。暇さえあれば近所のガキと遊んでるんでさぁ、ちょいと調子に乗っちまいまして」

 

 へらーっと笑いながら、内心覚悟を決める。

 

 乗りかかった船だ。嘘も方便全力である。

 

「しかも、その鞠がとある少年の大事なものでやして。話聞いたら、亡くなった父ちゃんが誕生日に買ってくれた最初で最後のプレゼントみたいで……どうやらその父親、仕事で失敗し、そのプレゼントをあげた翌日に首を吊ったらしく。その母親も子を養うために夜の店で働いてるみたいでして……そんな子の大事な鞠を、おれは……おれは……」

 

 わたしは一縷の乱れもなく綺麗に編まれている畳に、こぶしを思いっきり打ちつけた。うつむき、歯を噛みしめて、肩を震わせる。

 

 ――嘘くさい……とっさについた方便とは言え、芸がなにもないぞ、わたし!

 

 そんな不安を隠しつつ、ちらりと将軍の顔を見ると、細い瞳からつーっと涙が落ちていた。

 

「そ……そんな可哀想な子供が城下にはいるのか……わかった。鞠は兵をあげて全力で捜索させよう!」

 

 将軍はきらきらとした闘志を宿した目でそう語り、立ち上がる。

 

「いやいやいやいや、そうじゃないから!」

 

 わたしも慌てて立ち上がり、将軍に駆け寄った。将軍は小首を傾げる。

 

「どうした、何が違うのだ?」

 

 いや、正直あなたは間違っていないよ。むしろいいことをしようとしているよ。権力を乱用している気もしないでもないけど、ちょーいい人だよ、将軍。

 

 



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猿山の大将は高いところが好き③

 しかし、わたしたちはあなたを騙そうとしているのだよ。

 

「おれが見つけるから、きちんとした償いになるんでさぁ。おれが悪いことしたのに、他人の手……しかも、大勢の兵を借りるなんて、問題外だぜぃ」

 

 まぁ、意外と本筋に違いはないのかもしれないが。

 

 将軍は再び、感心したような目を向ける。

 

「主は……見事な侍だな」

 

 わたしは苦笑した。

 

「まさか。ただの、宇宙一馬鹿な侍ですよ」

「そんな馬鹿な侍に、友が手を貸すには問題あるまい」

「ん?」

 

 嫌な予感がして、わたしが首を傾げると、

 

「余も一緒にその鞠を探そう! どんな鞠だ? 何色だ? 高いところは余に任せておけ。これでも幼少の頃はお猿の将ちゃんと呼ばれたこともあるのだぞ」

 

 ――将ちゃぁぁああん、そのいい人っぷりもいい加減にしてー!

 

 心の中で泣き叫びながらも、その後、将軍を説得するのに十分以上はかかった。

 

 

 

 見上げなくても満月が見える。よく月にはうさぎが住んでいるというが、わたしはうさぎではなく、神様がいるのだと思う。もしかしたら、神様がうさぎなのかもしれないし、ただうさぎのコスプレをしているだけかもしれない。

 

 実際は天人(あまんと)の協力を得た調査で、月に生物は何も存在してないらしいが、そんなことわたしには関係がなかった。

 

 月には神様がいて、いいことが誰にも気づいてもらえなかったとしても、必ずその見返りはあるのだと。

 

 月には神様がいて、暗闇に隠れてどんな悪さをしても、必ずそれを罰するのだと。

 

 月には神様がいて、いつでも頑張って生きている人を見守ってくれているのだと。

 

 そう、教えてくれた人がいた。

 

 その人は温かいのだけど、太陽のような絶対的存在感はなく。どちらかといえば、月のようにどこか冷たいのだけど、優しい光を与えてくれる人だった。

 

 だから、月を見ると思い出すのだ。

 

 もう、この世にはその神様がいないことを。

 

「満月を後光にするなんて、カッコつけているつもり?」

 

 わたしは足を踏みしめつつ、瓦屋根をゆっくり上がっていく。

 

 天守の頂上に立つ避雷針に紐で結ばれているのは、気絶している沖田総悟。

 

 その前には、御徒士(おかち)が悠然と立っていた。鋭い眼光をしているが、決してわたしを警戒しているわけではない。そんな余裕が腹立つ。

 

「来たか。もう少し早くに来ると思っていたのだが」

「ちょいとしつこいナンパにあってね。撒くのに時間がかかったのよ」

 

 軽口叩いて、振り返る。

 

 天守の頂上はわかってはいるが、とても高い。夜の城下は暗闇にかすんでほとんど見えない。ちらほらとある提灯(ちょうちん)の灯りが、都会に迷い込んだ蛍のように儚かった。

 

 わたしは前を向く。

 

「しかしまぁ、こんな派手なところで、むしろあんたが捕まったりしないわけ?」

「将軍の護衛を主な仕事とする我らがいたところで、怪しむ者はいない。それに、人は見下ろしたものを凝視することはあっても、見上げたものを凝視するということはしないものだ」

「そういうもんかしらね」

 

 きっと誰かに対する皮肉なのだろうが、わたしにそうゆっくり構っている暇はなく、

 

「じゃあ、気づかれないうちにさっさと用を済ませようかしら」

 

 腰の刀を、引き抜いた。



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猿山の大将は高いところが好き④

 手に刀を持ったまま、両手で耳を塞ぎ、一呼吸。

 

 ――よし。

 

 わたしは狙いをつけて、駆ける。御徒士(おかち)――奈落の顔に向けて、刀を突き出すも、逸らすだけでかわされた。

 

 振り下ろされる錫杖。右足を重心に半回転し、手首を返して、首元を狙って刀を振り下ろす。掬いあげられた錫杖と重なり、その衝撃に身を任せ、飛び退く。

 

 奈落の口が開いた。しかし、わたしはそれを聞きとることなく、もう一度詰め寄る。飛び上がりざまに刀を撫で上げ、それをかわされたところですぐさま、また手首を返して振り下ろす。着地と同時に足をすべらせ、坂の勢いを使って、もう一突き。そこに、錫杖の突きがすれ違い、わたしのみぞおちを狙ってくる。すれすれでわたしは後ろに跳躍し――すぐ様後ろを向いて、屋根を駆けあがる。

 

 そして、沖田と避雷針を結ぶ紐を、一閃した。しかし、沖田は目は閉じたまま。

 

 小さく舌打ちし、振り返る。奈落は感心したような顔をしたものの、悠然とまた、佇んでいた。

 

「やっぱり、読まれていたかしらね」

 

 わたしは苦笑する。

 

 この癖っ毛白髪の奈落を、倒しにきたわけではないのだ。

 

 わたしの身代わりになった少年を、助けにきたのだ。

 

 ――わたしが足止めしている間に、自力で逃げてほしかったんだけどなぁ。

 

 どうやら、そんなに楽をさせてはくれないらしい。

 

 となると、こいつの隙をついて、少年を抱えて逃げなければいけないわけだ。正直、力に自信はない。

 

 奈落の口が動く。しかし、わたしには聴こえない。

 

 わたしはしゃがんで、少年の襟首を掴む。視線は奈落から動かさない。奈落は笛を取り出した。

 

 ――大丈夫。

 

 わたしは腰に力を入れて、少年をひきずり、屋根を下るよう走る。

 

「多少の怪我は我慢してよね!」

 

 眠る少年に声をかけつつ、わたしは奈落に対して、刀を振る。すると、奈落の姿が消えた。

 

 ――背後か?

 

 そう振り返っても、誰もいない。

 

「え?」

 

 その時、頭が揺れた。強い衝撃に視界がぼやけ、同時にわたしは膝をつく。耳にすっと空気が通った。

 

「耳栓なんて古典的な……聴覚なしで挑もうなんて、ずいぶん舐められたものだな」

 

 聴こえてくる、奈落の声。

 

 見上げれば、視界に入るのは黄金に輝く錫杖の頭。

 

 ――間に合わない!

 

 衝撃を覚悟に、歯を噛みしめると、

 

「舐めてんのはどっちのほうでィ?」

 

 その錫杖が、刀の切っ先で跳ね返される。わたしは誰かに抱えられて、奈落から距離を取る。

 

 わたしを抱えているのは、あの少年だった。

 

「ったく、ずっと気絶したふりしててやらぁ、ザマァねーな」

「いつから目、覚めてたの?」

「わりかし、ずっと」

 

 彼はいつの間にか、わたしの刀を持ち、わたしを抱えたまま、それを構える。その瞳は、夜の星にも負けずに爛々としていた。

 

 



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猿山の大将は高いところが好き⑤

「……なんで、そんなに楽しそうなの?」

 

 わたしは訊く。彼が笑っていたから。そして、その目が狂喜に満ちていたから。

 

「こんなに強い奴と命のやり取りができるんだ……楽しいに違いねェだろ?」

「同意を求められても……」

「なに言ってんだ。テメェも今、楽しそうにしてたじゃねェか」

「え?」

 

 言われて、一瞬頭が白くなる。その間に、沖田は奈落に話しかけていた。

 

「名前、なんて言うんだ?」

「……(おぼろ)

「へぇ、朧さんよ。こいつァ、オレが拾ったんでサァ。元飼い主だか知らねェが、遊びたいならオレを通してからにしてくれや」

 

 沖田はわたしを放し、小さく、

 

「逃げろ」

 

 と、呟いて。

 

「命賭けた、遊びによォ!」

 

 叫ぶと同時に、朧に詰め寄る。下からなぎ払う一閃と錫杖が当たり、甲高い音が響く。目にも止まらぬ攻防。斬撃の嵐に、わたしは固唾を呑んだ。

 

 ――負ける。

 

 わたしはそう判断する。あの少年、確かに強い。素早い太刀筋に迷いはなく、的確に相手の急所を突こうと、容赦ない攻撃を繰り返す。しかし、その間にわたしは何回も朧と目が合う。そんな余裕が、敵にはある。

 

 ――逃げなきゃ。

 

 わたしは深く、息を吸う。そして、叫んだ。

 

「将ちゃぁぁん、鞠見つかったよぉぉぉぉぉぉおおおおお!」

 

 屋根を駆け下りる。二人の斬撃の間に身を挟んで、振り下ろされる錫杖を左腕で受け止めた。鈍い痛みに顔をしかめつつ、右手では沖田の持つ刀の柄を殴る。その刀身がわたしの鼻先をかすめた。沖田の手を引き、屋根の端へと走る。

 

 そして、跳んだ。

 

「おいっ、てめェ!」

 

 城下の灯りが、やけに遠くに見える。空気がいっそ清々しく、その分、大きな月が憎々しい。

 

 落下。

 

 そのままでいたら、落ちて死ぬ。地面までは遠すぎる。

 

「大人しく死ぬかっての!」

 

 沖田の手ごと動かして、刀を壁に突き刺す。キキキと甲高い音をあげて石壁を滑るが、わずかな隙間に一瞬差し込み、すぐ下の窓へと飛び込む。障子を破って転がり込むと、

 

「きゃぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!」

 

 女の子の悲鳴が夜空へ響いた。暗い部屋の布団の中で、上体だけ起こした少女が、くまのぬいぐるみを抱えてわなわな震えている。

 

 とりあえずそんなのは無視して、沖田の手を放し、窓から外を見上げる。

 

 大きな月がまっすぐ睨んでくるだけで、追ってはない。殺気も特別感じない。

 

 わたしは大きく、息を吐いた。

 

「なんとか、助かったかな?」

「そうでもないみたいですぜ」

 

 言われて振り返ると、沖田が呆れた様子で親指で突き差している。その奥にいる少女は、大きな口を開けて叫ぼうとしていた。

 

「え……衛兵っ! 衛兵っ! 助けて、お兄ちゃんっ!」

「あぁぁぁあああ、ごめんっ、ちょっと、ちょっと待って、怪しくないから! ぜんぜん、ちっとも怪しい者じゃないから!」

「こんな高層の窓にいきなり飛び込んでおいて、説得力あるわけねェだろ」

 

 冷たく攻める沖田はさておいて、わたしは少女を宥めようと、

 

「ごめんね、ちょいと悪い人に追われててね? すぐに出て行くから叫ばない――」

 

 駆け寄るが、途中で膝をついてしまう。足首が痛い。けど、それだけじゃない。

 

「あ、あれ……?」

 

 膝が震えて動かなかった。次第に手も震えだして。

 

「あれ、ちょっと、まだ終わってないんだけど……」

 

 思わず自分で笑ってしまう。まだ終わってないのだ。この少年を、真選組に引き渡すまでが、わたしの責任なのだ。

 

 まだ、敵陣の中だ。逃げなければ。それなのに。それなのに。

 

 涙が出てきた。乾いた笑い声をあげるしかない。

 

「おい、おまえ……」

 

 沖田が手を伸ばしてきたその時だ。

 

「そよ、どうした?」

 

 扉の方から耳馴染みのよい男の声が聴こえてきた。



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猿山の大将は高いところが好き⑥

 ――どうする?

 

 わたしは無理やり考える。少女を立てに取り、立ちこもる――寝巻にも関わらず、上質な着物を着ており、何より天守の一部屋を寝室として与えられている少女。かなりの身分に違いない。人質としては十分価値がある。

 

 ――奈落と同じことしてどうすんのよ!

 

 次。また窓から沖田を連れて飛び降りる。今度こそ、ちゃんと着地できる保証はない。大怪我でもして、衛兵に見つかればそれはそれでまた問題になる。第一、わたしは今、沖田総悟としてここに来たのだ。本物の沖田総悟と一緒に発見されたら、それこそまた面倒になる。

 

 ――第一、死ぬ可能性のほうが高いっての。

 

 ならば、どうする。どうする。

 

 慌てれば慌てるほど、震えは大きくなるばかり。

 

 ――どうする!

 

 目をつむり、唇を噛みしめる。

 

 そんなわたしの手を優しく包んできた手は、柔らかくて、温かかった。

 

「お、お兄ちゃん! ごめんなさい、大丈夫。なんでもないよ!」

 

 布団で震えていた少女が、いつの間にかわたしの手を握ってくれていた。

 

 一瞬間が空いて、外にいる男が言う。

 

「そうか……ところで、部屋に鞠が転がりこんでこなかったか?」

「鞠?」

「うむ。桜色の鞠なんだが」

「さくら……」

 

 少女はわたしの頭を、色々な角度から見る。

 

 桜色の鞠――まさか……。

 

「……うん。さっきその鞠、拾ったよ。けど、傷だらけだから、直そうかと思ってて」

「そうか。ならば、その鞠、朝方にでも裏門まで届けてやってくれないか? 余の友達が取りにくるはずなんだ」

「お兄ちゃん、友達いたの?」

 

 少女はからかうように言う。

 

 外の男も、苦笑したようだ。

 

「失敬だな。余のことを将ちゃんと呼んでくれるくらいの仲だぞ」

「そっか。それはもう友達だね」

「うむ。しかし、まだその者の名前を訊いていなくてな。ついでに訊いておいてはくれないか?」

「いいよ。わかった。ちなみに、どんな人?」

「そよより少し年上の女性でな、物おじしない、仲間想いの優しい娘だ」

「ふーん。私とも仲良くしてくれるかな?」

「おそらく、快諾してくれるだろう」

「そっか、楽しみだな」

 

 そう言うと、少女はわたしの手を一段と強く握り、にこりと微笑みかけてくる。

 

「じゃあ、お兄ちゃん。朝一番にちゃんと届けておくから。任せておいて! ちゃんとこっそり行ってくるから」

「あぁ、頼んだぞ」

 

 そして、静かな足音が遠ざかっていく。

 

 すると、少女は一息吐いたあと、わたしと沖田を交互に見て、再び笑った。

 

「私はそよと申します。兄から頼まれたので、お二人の手当てをさせていただきますね」

「えーと……」

 

 わたしが状況に呆気にとられていると、沖田が片膝をついて、頭を垂れる。

 

「ご面倒おかけして、大変申し訳ございません。真選組一番隊隊長、沖田総悟。このご恩は必ず、お返しさせていただきます、そよ姫様」

「沖田様、気にしないでくださいまし。いつも真選組には江戸の安全を守ってもらっているのですから。ようやく恩が返せるのは、こちらの方です」

 

 少女――そよ姫は、わたしの手をゆっくり離した。気づけば、もう震えは止まっている。

 

「初対面なのに手を握ってしまい、すいませんでした」

「い、いえ……」

「兄が将ちゃんなら、私のことはそよちゃんと、お呼びくださいね」

 

 将軍の次に、その妹である。もう、この城に足を向けて眠れないな、と思いながら、

 

「じゃあ、わたしのことは桜ちゃんで」

 

 半ば自棄になりながら、わたしは笑顔を作った。

 




この章ももう少しで終わりです。

そよ姫好きです。可愛いです。こんな妹欲しいです。

題名に『妹』入れながら、妹要素が未だほとんど皆無ですが、次の章でようやく出てくる予定です。


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お酒は飼い主の許可をもらってから①

 

 

 

 

 雀がちゅんちゅんと鳴いていた。今日も快晴。地面のぬかるみもすっかり無くなっており、夏ならではのじめじめ感はあるが、それでも清々しい朝である。

 

「桜ちゃん! 今度は普通に遊びにきてねー」

「ははっ……じゃあ、将ちゃんに今度蹴鞠(けまり)でもしましょうって言っておいて」

 

 そよ姫とそんな感じで別れて。

 

 無事、真選組屯所前である。

 

 わたしは沖田の肩を借りて、歩いていた。

 

「ったく、左腕打撲に足首捻挫……ザマァねェなぁ」

「ほんと、面目ない……」

 

 沖田の呆れた声に、わたしは項垂れる。

 

 浚われたヒロインを助けようとして、このザマだ。まぁ、ヒロインが男でヒーローが女だという違いはあるけれど、助けた人の肩を借りなきゃ歩けないというのは、情けない話である。

 

 挙句に、奈落から逃げた後のあとザマ。後になって怖くて動けなくなったとか、年下の女の子に励ましてもらったとか、いくら凹んでも足りない――と思っていると、沖田がぼそぼそ言う。

 

「……ちげェよ、女に怪我さしたなんざ、オレが情けねェんだ」

「ん?」

「ちっ、なんでもねェ」

 

 舌打ちして、沖田は屯所の門を開ける。

 

 歩きながら、沖田の顔を見ると、唇を尖らせていた。幸い、沖田に大きな怪我はなく、こうして無事に帰ってこれたのだ。何がそんなに不満なのか……。

 

 ――あ、そうか。

 

「ごめんね」

「なにがサ?」

「誘拐されて……怖かったよね?」

「はぁ?」

 

 沖田が大口を開ける。そして、大きなため息を吐いた。

 

「おめェ……いや、もういい。勝手にしろ」

 

 玄関でわたしを放って、沖田は一人すたすたと広間へと入っていく。とすんとお尻を打ったわたしは、患部をさすりながらその背中を見ていた。

 

「もう……なんなのよ」

 

 わたしも唇を尖らせて、立ち上がった。そよ姫の手当てのおかげか、ゆっくりならば一人でも歩けるのだ。

 

 広間の扉の前で、一呼吸。

 

 そういや、わたしはどんな顔で扉を開ければいいのだろうか。

 

 一応、もう一度顔を見せるのが筋として、沖田と共に帰ってきてはみた。まぁ、今着ているこの制服も返さなくてはならないってのもある。

 

 けど、これからどうしようか。

 

 土方は処遇が決まるまで軟禁すると言っていた。大人しく軟禁されるか? 特に目的とかもなにもないし、帰る場所もないから、衣食住が確保されるなら、それも悪くないかもしれない。しかし、処遇が決まればどうする? 死刑や切腹と言われたら、大人しく従うか?

 

 ――それはないよなぁ……。

 

 わたしは目を閉じて、首を振る。

 

 目を閉じて、頭にある一人の男の顔が浮かんだ。かつてのわたしの兄だった人。優しくて、厳しくて、馬鹿だった人の顔。

 

 どうせ死ぬかもしてないのなら、彼に会ってからにしよう。高杉のところから、わたしを助けてくれたのだ。そう遠くにはいないだろうと思う。

 

 しかし、わたしをここに捨てたのだ。拒絶されるかもしれない。それでも――

 

 ――けど、とりあえず、真選組に筋は通さないとね。

 

 覚悟を決めて、扉を上げる。

 

 ばんっと弾けるクラッカーの音。目の前にはひらひらと色とりどりな紙吹雪が舞っていた。

 

 多くの隊士たちが笑っている。その奥の弾幕には、大きくこう書いてあった。

 

『桜ちゃん、ようこそ真選組へ』

 



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お酒は飼い主の許可をもらってから②

「おーしっ、主役来たから始めっぞー! みんな、グラス持てー!」

 

 一番奥にいる近藤が杯を掲げる。しかし、近藤も他の隊士も、すでに顔が赤く、出来上がっているようである。近藤の隣で胡坐をかいている土方が言う。

 

「てめぇら、あと二時間で仕事だかんなぁ。二日酔いで働いたら切腹! 忘れんじゃねぇぞ!」

「ほら、桜ちゃんも持って持って」

 

 へらっとした隊士の一人が、わたしにグラスを寄越してきた。みんな黄金色のビールを飲んでいるようだが、わたしのはどう見てもオレンジジュース。

 

 しかし、わたしが色々と反論するよりも早くに、近藤が立ち上がり、発声する。

 

「えー……、色々とあったけど、桜ちゃん、総悟の奪還、真選組を代表して感謝する! ありがとう! そして、君のことは将軍の命において、しばらく真選組が預かることになった。そういうことで、これから宜しく、かんぱーいっ!」

 

 それと同時に、隊士たちが飲みかけのグラスを掲げた。そして、わたしに次々に乾杯を促してくる。

 

 ――いやいやちょっとちょっと……。

 

 困惑しながらも、群れてくる隊士を掻きわけて、奥へ行く。辿りついてみれば、部屋の隅では沖田が一人ちびちびとビールを飲んでいた。居づらそうな顔をしているが、そんな彼に構うまえに、はっきりさせることがある。

 

「あー近藤さん? ちょっとどういうことか説明してくれません?」

「おー桜ちゃん、乾杯!」

 

 笑顔で肩を組んでくる近藤ととりあえずグラスを合わせて、

 

「はいはい乾杯。で、わたしが真選組預かりってどういうこと?」

 

 近藤は笑いながら、さも軽い話のように言う。

 

「おう、桜ちゃんが将軍の前から離れてからな、将軍と松平のとっつぁんと相談した結果、表向きは行く先のない記憶喪失の少女を真選組が保護したっということになった」

 

 わたしは眉をしかめる。

 

「記憶喪失ってねぇ……」

「攘夷戦争以降から記憶がないんだから、あながち間違いでもないんじゃないか?」

「それはそうだけど……」

 

 嘆息する。ちびりと持っていたグラスに口を付けた。やっぱりオレンジジュースである。しかも、果汁割合薄い感じの安いやつ。

 

「真選組で保護ってのも言い方で、ようは軟禁ってことかしら?」

「お? 出かけたいところがあるなら、そんな遠くないならもちろん自由に行ってくれて構わないぞ。ただ、必ず誰かに一緒に行ってもらうが」

「常に監視を付けられるのって、軟禁となにか差があるの?」

 

 近藤が机にグラスを置く。そして、わたしと対面し、いきなり頭を下げた。

 

「食べ物着るものには不自由させない! もう君に危ない目にも合わせない! この二つは必ず約束する! 絶対に悪いようにはしないから、しばらくここに身をおいてくれっ!」

 

 わたしは再び嘆息した。障子の向こうの空を見る。

 

 将軍……いや、将ちゃん。わたしが操られていたとはいえ、戦争で攘夷浪士を殺めた随一の英雄と知っての、この処遇かい。

 

「ほんと、どうやったら将ちゃんなんて呼べんのよ」

 

 おそらく、その処遇はわたしの身の安全を一番に考慮してのことなのだろう。

 

 わたしの生存を内密にしつつ、攘夷浪士からも、奈落からも、真選組にわたしを守らせるために。

 

 ――まぁ、攘夷戦争の重要参考人の監禁も兼ねているに違いはないけど。

 

 それでも、あの優しい将軍の命と、こんなわたしに真っ向から頭を下げてくる隊長を無碍(むげ)にしたら、それこそ兄弟に顔向けできず。



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お酒は飼い主の許可をもらってから③

 わたしは近藤が置いたグラスを持ち上げ、近藤に渡す。彼はちょこっと顔を上げた。その間抜けな顔が、国の一組織の隊長だということが、いまひとつ信じられないのだが。わたしはにこりと笑ってやる。

 

「よろしく、近藤さん」

 

 そして、一方的に彼の持つグラスと、わたしのグラスを合わせた。

 

「てか、なんでこんな朝っぱらから宴会なわけ? 真選組って、お巡りさんなんじゃないの?」

 

 ざっくり話を変えたわたしに、近藤は表情を明るくした。

 

「当番の奴以外は、基本仕事は九時からだからな。それ以外の時間は仕事に支障がでなければ、何しても構わんさ……なにより、今回の宴会はトシが言いだしたんだぜ」

「土方さんが?」

 

 土方を見ると、彼はビールから口を離し、睨んできた。

 

「んだよ、俺が企画しちゃ、悪いのか?」

「だって、鬼の副長って呼ばれてるんじゃないの?」

「そりゃ、規律にゃうるさい自覚はあるがな……今回は特別だ」

 

 そう言うと、にやりと笑って、

 

「何せ、今回は、無事に総悟ちゃんを救出できたってお祝いもあるからなぁ、そ・う・ご・ちゃん」

 

 土方はビール瓶片手に立ち上がり、隅の沖田の方へ向かった。

 

「どうだったよ、悪者にさらわれて、女の子に助けてもらった気分は? 胸キュンしたりしたか? あ?」

「……いい年した男が胸キュンなんて言葉使って、痛いだけっスよ」

 

 座り込んで沖田の肩を組み、土方は沖田のグラスにビールを注ぐ。

 

「るせーよ。で、どうなんだよ。総悟ちゃん」

 

 ――あー、そういうことか。

 

 わたしは自分の頬を何回か掻いた。沖田がずっと拗ねてた理由がわかったのだ。そして、オレンジジュースを一気に飲み干した。

 

 足を引きずらないように、わたしは彼らの元に向かう。わたしもしゃがんだ。

 

「ちょっとー、てか、なんでわたしだけジュースなわけ? しかも薄いやつ」

 

 土方の持つビール瓶に、わたしの空のグラスをコツコツ当てる。土方は当たり前とばかりに言い放った。

 

「そりゃあ、お前さんまだ未成年だろうが」

「わたし二十三くらいって話したよねぇ? てか、未成年飲んじゃだめなら、総悟くんこそ飲んじゃだめでしょうが」

「オイ、誰が総悟くんだって?」

 

 口を尖らす少年に、わたしは首を傾げた。

 

「自分よりも年下の子に対する呼び方として、総悟くんが適切かと思ったんだけど? あ、ジュース持ってきてあげようか。ドロピカーナじゃなくて、ちぃちゃんしかないみたいだけど」

「おまえだってオレと年は同じくらいにしか見えねーじゃねぇか」

 

 わたしはそんな沖田の頭を撫でる。細い髪がさらさらで、頭が小さいのも相まって撫で心地がいい。

 

「見た目若くても、中身は充分おねーさんなのよ。だからね、総悟くんが無理に背伸びする必要ないんだから。大人しく守られてなさいな」

「なっ」

 

 酒ではまったく顔が変わらない少年の顔が、一気に真っ赤になる。隣の土方が、腹を抱えながらも必死で笑いを堪えていた。今のどこに笑う箇所があるのか、さっぱりわからない。

 

 沖田はわたしを睨んでくる。

 

「テメェ、オレのペットの分際で偉そうに言ってくれんじゃねェか」

「ペット?」

「近藤さん!」

 

 沖田はわたしの疑問符を無視して、立ち上がり、近藤を呼ぶ。他の隊士と談笑していた近藤は笑顔で振り向いた。

 

 その隊長に対して、沖田はわたしの襟首を引き上げて、宣言する。

 

「こいつァ、オレが面倒みさして貰いますぜ! オレが拾ったんでさァ、近藤さんとはいえ、文句言わせねェ」

 

 そして、沖田はわたしに顔を近づけた。その目が爛々とわたしを映す。

 

「そういうわけで、桜。テメェはオレが直々に調教してやらァ。オレなしに生きていけねェくらい徹底的にやるから、覚悟しとけ」

 

 沖田が怒っているということはわかったものの、わたしにはその理由がさっぱりわからなかった。

 




ようやく第一章完結しました!

もちろん、この話続きます。これからは原作の話を使いつつ、ストーリーを進めていきたいと思います。

とりあえず、次はあの夏祭りの話。ようやく『お兄ちゃん』登場です。桂や高杉も勢ぞろいのあの話を、盛り上げて仕上げていければと……。あくまで理想ですが。

こつこつ頑張っていきたいので、今後もお付き合いいただけたら幸いです。

この作品が誰かの有意義な暇つぶしになりますように。


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偽・夏祭り篇
女の買い物に付き合う男にメリットはない①


 

 一言で表すならば、今日も江戸は平和である。

 

 わたしはお布団の上で、思いっきり伸びをする。

 

 空高く輝く太陽は、とてもギラギラしていて。外は蜃気楼のごとくぼやけて見える。(せみ)がミンミンと残りの生を謳歌していた。

 

 夏である。命少ない蝉が主役の夏である。そんな外界に出しゃばってしまったら、蝉様に失礼である。

 

 だから、わたしは大人しく、もうひと眠りしようと目を閉じる。

 

 風鈴のチリンとした音が涼やかで、入ってくる風は生暖かいながらも、毛布代わりには心地いい。

 

 横になり、背中を丸める。枕を抱きかかえた。

 

 今度はどんな夢を見ようか。

 

「マヨネーズくんとバドミントンする夢はさっき見たし、ゴリラと蹴鞠(けまり)する夢も見たし……」

 

 むにゃむにゃと独り言を呟くのもまた楽しい。

 

 うすら、うすらと遠のく意識の中で、風鈴の音が軽やかに響く。

 

 チリーン。

 

 チリーン。チリーン。

 

 チリチリチリーン。チリチリチリチリヂリヂリヂリヂリ……

 

「どぉーん」

 

 そんな気の抜けた声と共に、脳天にごつんと固いものが当たる。眉間に力を入れながら、のそりと身を起こし、その正体を確認する。

 

 筒。

 

 暗黒世界への入り口かと思う暗闇が、わたしの頭のところにあって。

 

 その入り口を手にする少年は言う。

 

痴女猫(ちじょねこ)がいつまで寝てんだ。ただちに起きて俺様に土下座しないと、ホントにアンタの頭をどぉーんすっぞ」

「えーと……土下座はしないけど、起きてあげるから、そのロケットランチャーは下げてもらえないかな?」

 

 わたしが今、寝食の世話になっている真選組において、一番驚いたことが、天人(あまんと)に侵略されたとはいえ、戦争もない平和な江戸の警備隊組織に、ロケットランチャーが常時配備されてたことである――それを使っているのは、この一番隊隊長だけだけど。

 

「てか総悟くん、その痴女猫って呼び方やめてくれないかな?」

 

 身を起こし、伸びをしながらそう訊くと、沖田総悟(おきたそうご)はロケットランチャーを横に置いて、わたしをジト目で睨んでくる。(はり)にかけてた風鈴は、なぜか彼が手で鳴らす。

 

「アンタがそんなガキみてェな呼び方変えたら、考えてやらァ」

「いいじゃん、総悟くん。見た目のイケメンさと可愛さが極まる呼び方だと思うわよ?」

「ふーん」

 

 興味ないかのようにそう返事をすると、沖田は四つん這いになって近寄ってくる。沖田の色素の薄い瞳に、わたしのきょとんとした顔は映る距離で、彼はわたしの顎に手をかけた。

 

「俺を褒める時はなァ、サドとかドSって言いやがれ」

 

 そして、わたしの髪を撫で、首元に手をかけ。

 

 ガチャ。

 

 何かが閉まる音がする。

 

「さー行くぞ、痴女猫。いい加減、服着替えやがれ」

 

 鎖の付いた首輪をつけられ、スタスタ歩いていく沖田にひっぱられるわたし。

 

「ちょ、ちょっと! やだぁ、外出たくない! 暑いー!」

「うるせェ、アンタ何日おんなじ服着てるんでィ!」

「だって、これしかないんだから仕方ないでしょう!」

 

 三日前に沖田救出時に借りた真選組の制服を、ずっと着ていたのだが、どうやらそれが不満の原因のようである。何の自慢にもならないが、今のわたしは一銭も持っていない。第一、基本男しかいない屯所から、出れないのだから仕方ないと思うのはわたしだけなのだろうか。

 

「だからと言って、ずっとそれ着て寝ているだけなんて腐りすぎだバカヤロー」

「ううう……わたしの幸せ馬鹿にすんなぁ……」

 

 そんな感じで、わたしは強制的に江戸の町へ出ることになった。

 



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女の買い物に付き合う男にメリットはない②

 

 

「ねぇ……居づらくないの?」

「別に。ただ下着が並んでるだけでさァ。お、どうだい。この黒い紐のやつなんか。機能性まるでない感じが痴女猫にぴったりでさァ」

「お願いだから、大人しくしてて下さい……」

 

 わたしは頭を抱えて嘆息した。

 

 ランジェリーショップには、当たり前だが、女性用下着がたくさん売られている。薄いピンクや濃いピンク。淡いブルーやミントグリーンに紺色、黒。真っ赤や金、銀、パープルまで。一歩踏み入れた時には、子供の頃二十四色の色鉛筆を初めてみた時と、同じような感動を覚えた。最近できたばかりの、流行りの店らしい。

 

 正直、このような店に入るのは初めてで。彼がとりあえず連れてきてくれた店が、ここだった。

 

 ――つまり、わたしが今まで下着を着けていなかったことがバレテいたってことか?

 

 そんな疑問が頭の片隅にあがるが、答えを聞いたら発狂しそうなのでやめておいて。

 

 わたしは沖田が差しだしてくる、布面積が欠片もないものを棚に戻して、訊く。

 

「よく、男の子がこんなお店知ってたね?」

 

 沖田は今は真選組の制服ではなく、年頃の子が着るような普通の胴衣(どうぎ)を着ている。もちろん刀を腰に下げているものの、袖の中に手を入れて腕組む様は、どこにでもいるカッコいい少年である。

 

 だからもちろん、こんな場所にいるだけで、女性客からの視線を集める。さらに、この容貌で、女にえっちぃ下着を勧めてくるのだ。

 

 ちなみに、わたしは変わらず、真選組の制服だ。髪はけっきょく肩の上でまっすぐ切りそろえた。さらしももうきつく巻いていないので、コスプレしている女に見えているはずである。女に見えていなければ、さすがに店を追い出されているだろうし。襟をしっかり上から止めているから見えないが、鎖は外してもらえたものの、首輪は外してくれなかった。邪魔でしょうがない。

 

「なんでィ。さっさと好きなのいくつでも選びやがれ」

 

 わたしの視線に気づいてか、沖田が催促してくる。

 

 へいへい、と答えて、わたしはまた商品を物色し始めた。ピンクはもう若すぎるかな、紺色とか、大人っぽくていいかも……と手に取りながら、ふと思ったので訊く。

 

「ところでさ、わたしお金持ってないんだけど、どうしたらいいかな?」

「んなもん、アンタが気にすることじゃねェよ」

「いや、でもお金ないと買い物来ても買えないじゃん」」

 

 すると、沖田は袖の中からでっぷりした財布を出す。そして、にやりと笑った。

 

「金はたっぷりある。あとで身体で返してくれればいいから」



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女の買い物に付き合う男にメリットはない③

「はぁ?」

 

 一気に顔が熱くなるが、わたしは気づかないふりして、そっぽを向いた。

 

「ガキが背伸びしたこと言っても、ぜんぜんサマになってないわよ」

「へぇー」

 

 沖田はわたしの後ろに回り、耳をつんつん突っついてくる。

 

「じゃあ、どうして耳まで真っ赤になってるんでさァ?」

「うるさいっ!」

 

 わたしは沖田を振り払い、適当に商品をいくつか手に取った。

 

「店員さーん、これ下さーい」

 

 店員に商品を手渡して、わたしは沖田を一瞥する。

 

「じゃあ、先外出てるから」

 

 スタスタと客を掻きわけ店外へ。まだお日様は高く、呑気にぽかぽか町を見下ろしていた。

 

 行き交う人々はわたしを稀有なもののように見てくるものの、どうせ女がこんな格好しているからだろう、と気にしないでおく。

 

 そう、気にしてたらやってられないのだ。

 

 他人の言うことなんて。他人の視線なんて。

 

 他人はこっちの事情なんて、なに一つとして知らないんだから。知ったこっちゃないんだから。

 

「どうしよっかな」

 

 愚痴るように、呟く。

 

 形はどうであれ、少年が自分に服を買ってくれるのだ。もしかしたら真選組の組織として経費を貰ってきたのかもしてない。沖田個人のお金かもしれない。

 

 しかし、どちらにしろ、お礼はしなくてはいけないわけで。

 

 借りた恩を、そのままにするわけにはいかないのだ。

 

 恩を仇で返せば、潰されるのなんて、あっという間なのだから。

 

「それなら、それでいいのかもしれないけどね」

 

 そんな時である。

 

 騒音が聴こえた。

 

「チョメチョメー! チョメチョメー!」

 

 少年の歌声である。歌というより、叫んでいると表現したほうが近いかもしれない。ジャカジャカしたバックミュージックと共に、歌詞のような戯言のような、意味のない、だけど愛情に満ちているようなシャウトが聴こえてくる。

 

 ――不良が遊んでいるだけかな?

 

 そうだとしても、この音量はちょっとやりすぎである。場所は、ここの裏の川沿いの通りからか。

 

「そうだ」

 

 わたしは閃いて、一人手を叩く。

 

 ――悪ガキの暴動を止めちゃおう。

 

 始めはただの騒音被害だけかもしれないが、度がすぎれば市民に被害が及ぶような刑事事件になるかもしれない。

 

 真選組とは、いわゆる治安保持の部隊のようだし、こういうのも仕事の一環であるはずのである。

 

「言われた通り、身体で返してあげようじゃない」

 

 沖田の言った身体の意味は違うだろうけど、だからこそ、やりがいがあるというものだ。

 

 善は急げとばかりに、わたしは走る。

 

「おい――」

 

 後ろから声がかかる、振り返れば、沖田がカラフルな袋を抱えて店を出てきたようだ。

 

「ちょいとガキ懲らしめてくるわ!」

 

 わたしは笑顔で、手を振った。



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お兄ちゃんと呼ばれて萌えない男はいない①

 

 

 川沿いにある小さな町工場。その前には人だかりが出来ていた。

 

 その人だかりの一番奥で、揉めてる男女が一組。

 

「おいコラ新八(しんぱち)っ! いつまでチョメチョメ言ってるアルか! そろそろサブちゃん歌わせるアル!」

「あー! 待ってよ神楽(かぐら)ちゃん、これからがサビのいいところなのに!」

「サビも(ほこり)もないアル。全部おまえの歌なんて雑音アルネ。やっぱりサブちゃんの渋さがないと場が締まらないアルヨ!」

 

 どこかの星の文明にチャイニーズという文化があった気がするが、そんな感じの喋り方をし、その文明の女性が着ていたとされる赤いチャイナ服に身を包む十四、五歳の少女。彼女が地味でどこにでもいそうな胴衣を着ているメガネくんに跳び蹴りを食らわせている。その少年も、見た目の地味さにそぐわず、意外と運動神経がいいのか、絶妙に急所は避けているようである。それでも、大げさにすっころんでは、マイクを少女に奪われていた。

 

 流れる演歌。ちょっと音程がずれている歌声。

 

 人ごみの中には、プラカードを持っている人もいた。

 

 騒音迷惑! 移転しろ!

 

 住宅街も近くにあるのか、根本的は抗議はこの工場へ集まったものらしい。確かに、今も機械が擦れる甲高い音や、打ちつけられる音が響いている。

 

 しかし、この演歌と工場音のどちらが騒音かと問われれば、誰もが演歌と答えるのではないだろうか。

 

 ――とりあえず、あのスピーカーでも壊すかな。

 

 そう一歩踏み出そうとした時である。

 

 やたら化粧の濃いおばちゃんが、見覚えのある男の襟首を掴んでいるのが、目に入った。

 

「おいおい銀時(ぎんとき)、これは一体どういうことだい?」

「なんだよクソババァ、いかに普段自分が迷惑かけてるのかっつーことは、自分が体験してみなきゃわかんねーだろ?」

「だからって、これじゃあお前さんたちのほうがうるさいだろー! 早くやめさせろー!」

 

 その男は、一言でいえば、とてもやる気のなさそうな男である。波模様の入った白い着物は片腕だけ出しており、インナーの上下の黒服はどこかジャージっぽい。足もとも長靴を思わせるような黒いブーツである。そして、水色がかった銀髪は、ぼさぼさ――というより、天然パーマなのか。目も垂れ目で、喋り方にも今一つ覇気がない。

 

 そんなどうしようもない男を、わたしはよく知っていた。

 

 ついこないだも、わたしを助けてくれた男。

 

 昔から、わたしを必ず助けてくれた男。

 

 本当は、誰よりも強くて、優しく、頼りがいのある男。

 

 坂田銀時(さかたぎんとき)

 

 とても、とても大好きな――

 

「お兄ちゃん!」

 

 わたしは彼に駆け寄り、後ろから抱きついた。

 

 その温かさに安心を覚えるとともに、手が震える。

 

 怖々顔をあげると、振り向く彼の顔は、びっくりしたかのように目が見開いていた。

 

 そして、わたしの顔を確認すると、すっと、目が細くなった。



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お兄ちゃんと呼ばれて萌えない男はいない②

「あー! こないだの銀ちゃんが拾って捨てた女アル!」

 

 興味がこっちに向いたのか、チャイニーズ少女が駆け寄ってくる。

 

 それに気づいてか、

 

「離れろよ」

 

 銀時が小さく、冷たく呟く。わたしは唇を噛みしめて、彼の腰から手を離した。

 

 ――やっぱり、許しちゃくれないか。

 

 下を向いていると、眼鏡少年もこちらへやってくる。ちなみに、演歌は流れっぱなしである。

 

「あぁ、こないだの。具合はいかがですか? 銀さんが真選組に預ける言った時は驚きましたけど、真選組の人だったんですね」

「真選組……ね」

 

 どう返答しようかと、銀時に尋ねようとしても、彼は視線を合わせてもくれない。

 

 ――来なきゃ、よかったな。

 

 そう考えて、否定する。

 

 ここへ来たのは、彼がいるからではない。ここで居合わせてしまったのは、いわゆる事故だ。わたしにも、銀時にも防ぎようがないことである。

 

 だから、わたしはこう訂正するのだ。

 

 ――わたしが生きてなきゃ、よかったな。

 

 わたしは目頭が熱くなるのを堪えて、笑顔を作る。

 

「えー、あの時は助けていただいてありがとうございました。お礼を言いたかっただけなので、これで失礼しますね」

 

 すらすら言えたことに安堵して、わたしは身を翻そうとした――が、それを肩を押さえて遮られる。

 

 化粧の濃いおばさんだった。

 

「アンタ今、銀時のこと、お兄ちゃんと呼んだね。兄妹なのかい?」

 

 訊かれて、わたしも口を開くことができない。きっと彼は、そのことを否定したいだろうから。

 

 そのおばさんは、口早に言う。

 

「アタシゃ、銀時が住んでる所の大家をしているお登勢(おとせ)という者でね。アンタの兄が家賃を滞納しているもんだから、代わりに払えるなら払ってもらいたいんだけど」

「あー……」

 

 わたしは顔をしかめて、銀時を見る。銀時はそっぽを向いて、こめかみを掻いていた。

 

 チャイニーズ娘と眼鏡少年が身を乗り出してくる。

 

「なになに銀ちゃん、妹なんていたアルか? 色素が薄いこと以外、銀ちゃんに似てないアルね」

「たしかに、髪の色が桜色……ですか? 珍しい色同士ってこと以外、全然違いますね。目もぱっちりしてるし、服もきっちりしてるし」

「銀ちゃんの妹なら、もっとぐーたらしてそうアルよなー。髪もぼさぼさで、死んだ魚のような目をしてて」

「そうだね。しかも、銀さんの妹なら敬語とか絶対喋れなさそうだよね」

「おーまーえーらー、遠まわしに俺をディスって楽しい? 楽しいよな、絶対!」

 

 銀時が楽しそうな二人に、怒りながらもどこか楽しそうに歯向かって。

 

 ――そっか。

 

 わたしはふと、顔の力を抜く。

 

 どうやら、銀時は自分の居場所を見つけたんだな、と悟って。

 

 新しい居場所を見つけたんだと、わかって。

 

 わたしは過去の消したい存在なんだと、理解して。

 

 そんなわたしに追い打ちをかけるように、銀時が言う。

 

「こいつはなぁ……その、こないだちょいと夜の店でそーゆープレイしたお姉ちゃんでな。ちょっとお姉ちゃん、もう俺にはお金ないから。当分お店に行けそうにないから。だから、俺は諦めて、他の客見つけてくんない?」

 

 ――またまた、ろくでもない言い訳考えつくもんね。

 

 そう呆れた言葉を返したいのを我慢して、代わりの言葉を考える。

 

 その時、何者かに肩を抱かれた。

 

「奇遇ですねェ、万事屋(よろずや)の旦那ァ。しかしいきなりですが、俺のペット泣かすなんざ、旦那といえど、理由によっちゃタダじゃおきやせんぜ?」



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お兄ちゃんと呼ばれて萌えない男はいない③

 腕で引き寄せてくる男の正体は、顔を見なくてもわかった。沖田が追いかけてきて、怒っているのだ。

 

 しかし、わからないことがある。

 

 沖田は、わたしが泣いていると言う。

 

 沖田は、わたしを泣かせて銀時を怒っているらしい。

 

 ――どうして?

 

 思わず、鼻で笑ってしまう。

 

 なんで、何も知らない少年が、怒るのだろうか。しかも、どうやら銀時とは顔見知りらしいじゃないか。

 

 わたしなんかより、以前からの知り合いじゃないか。

 

 だったら、怒られる方は、わたしじゃないのだろうか。信用されるのは、銀時の嘘の方でないのだろうか。

 

 ふと、ずっとじゃれあっていた少年少女が目に入る。彼らはあたふたとしていた。少年が真っ白なハンカチを取り出して。少女がそれを奪い取り、わたしに差しだしてくる。

 

「ごめんな。銀ちゃんはこの通り甲斐性の欠片もない(くず)アルよ。だから、こんな男のことはとっとと忘れて、幸せになるアル。けど、そっちのクソサドもどうかと思うアル。お姉ちゃん男見る目ないアルな」

「おー、チャイナなかなか言ってくれるじゃねーかィ」

「私は事実を言っているだけアルよ」

 

 そんなことを言いながら、この少女はハンカチでわたしの顔をごしごし(ぬぐ)った。少し痛い。

 

 ――あぁ、なんか言わなくちゃ。

 

 チャイナ少女も、眼鏡少年も、心配そうな顔でわたしを見ている。お登勢とかいう、派手なおばさんも、同じような顔。

 

 沖田は後ろにいるから顔が見えないが、ずっとわたしの肩を抱いたままだ。

 

 そして、銀時は、ちらりとも、わたしの顔を見ようとはしない。

 

「最低な男ね……」

 

 わたしは、ぽつりと呟いた。

 

 だって、完全に自分が悪者になろうとするのだから。

 

 これでは、まるでわたしは、悪い男に引っかかった、可哀想な女ではないか。

 

 わたしが、あなたの言うことを聞かなかったばかりに、あなたの大事なモノが全て壊れてしまったというのに。

 

 わたしが、あなたのそばを離れたばかりに、あなたの大事なモノを全て壊したというのに。

 

 あなたがわたしを許せなくても当然なのに、それでもあなたは自分が悪者になろうとする。

 

 だから、わたしは自分が泣いていることを自覚して、笑うのだ。

 

「本当に、あなたは最低な男ね――」

 

 その時、工場から轟音が響く。

 

 空砲と共に出てくるのは、人の二倍はあると思われる丸っこいロボット。沖田が持っているようなバズーカを肩に掲げて現れる。その背後からは、ゴーグルを着け、作業着を着たずんぐりむっくりなおじさんだった。

 

「おいテメェら! 人の作業中にいつまで騒いでおるんだ!」

「それはこっちの台詞だジジイ! 毎日毎日でんやでんやゴタゴタうるせぇーんだよ! ちったぁ、迷惑味わえたかコノヤロー!」

「なんだキサマは! 演歌に痴話げんかにやりたい放題なのはどちらだ!」

 

 そのおじさんと銀時が絡み出し、それにおばさんたちも入り出して。

 

 すると、沖田が腕を引いてくる。

 

「行くぞ」

 

 小さく、低く、そう言って。

 

「……そうだね」

 

 そんな楽しそうに、馬鹿馬鹿しく騒ぐ銀時の姿を目に納めて、わたしは歩を翻した。

 

 

 

 その日はまっすぐに屯所に帰り、夕食を食べずに床についた。

 

 そして、翌朝――というか、また起きたのはお昼過ぎだったのだが。

 

 目が覚めると枕元には、綺麗な浴衣と、首輪と、読みやすい字で書いてある手紙が置いてあった。

 

 手紙にはこう書いてある。

 

『男を見返すために、女ができる一番の方法は、綺麗になることだ』

 

 今日もお天気はよくて、決して手が届かないと諦めるしかないほどの高い空が見える。そして、清々しいまでにカラっと暑い。

 

 とりあえず、わたしは背伸びをした。

 

 さて、とりあえずカピカピの顔を洗ってみようかな。




前の章とまとめて同じタイトルにするつもりだったのですが、長くなりそうだったので分けました。

自分で書いておいてあれですが、沖田がいい男すぎて怖いです。
そう思うのが私だけだったら、きっと私も男を見る目がないのでしょう。

これから立て続けにカッコいい男たちを書くつもりなのですが、うまく書けるかびくびくしながら、頑張りたいと思います。


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屋台で焼きそばかタコ焼きか悩むのを楽しめ①

 

 

 浴衣は夏に着るものである。それなのに、春の象徴たる桜模様というのは、なかなか珍しい。

 

 よくある紺色ベースに、濃淡それぞれの桜が入り混じる浴衣に、橙色の帯を締めて。同色の鼻緒の下駄を履いて。肩で揃えられた薄紅色の髪を提灯(ちょうちん)に照らされながら、人ごみを小股でカタコトと歩く姿は、まわりからどのように見えているのだろう。

 

 赤い細身の首輪を巻いていることには、気づかないでほしいと心底願っているのだが。

 

 夜の夏祭り。行き交う人は老若男女みんな楽しそうに笑っていた。屋台にも活気があり、等間隔に並んでいる見張りの黒い制服を着た男たちも、心ここにあらずとそわそわしている。この可哀想な男たちは、祭りに参加する将軍の護衛をして、真選組全員駆り出されているのだ。

 

 真選組全員が徴収された中で、常に監視されなければならないわたしはどうなるのか。

 

 答えは簡単だった。

 

『一緒に来るに決まってらァ』

 

 言われてみれば、納得である。祭り会場中、真選組の隊士たちが目を見張らせているのだ。監禁ではなく、軟禁されているわたしにはぴったりのお出かけである。

 

 しかし、一緒に突っ立っていては芸がない。むしろ不自然。遊び歩きたいが、お金がない。

 

 そのことを訊いたら、返事はこうだった。

 

『じゃあ、焼きそば買ってきてくれや。残った分は好きなもん買っていいから。あ、もちろんマヨネーズはたっぷりかけてきてくれよ』

 

 マヨネーズに焼きそばをかけたほうがいいのではないか、と訊いたら、それは情緒がないと言われた。

 

「なかなかいいアイディアだと思ったんだけどね」

 

 そんなわけで、マヨネーズたっぷりの焼きそばと、綿あめと、虫かごを持ったわたしの足取りは、軽かった。余ったお金でやった型抜きは、見事成功し、商品の黄金のカブトムシを手に入れた。おそらく、ただ塗料を塗ってあるだけだろうが、それでも提灯のオレンジ色に照らされて、黄金にきらきらと輝く姿は勇ましい。虫かごの中で、悠然と佇んでいる。

 

 わたしは(やぐら)近くのステージに辿りつく。このステージでは、もうすぐ江戸一番のカラクリ技師が将軍への見世物を披露するらしい。もちろん、櫓の上には将軍と、その妹の姫君がいらっしゃるとのこと。

 

 ――挨拶くらい、したいけどなぁ。

 

 櫓の真下からは、その上にいる人など、もちろん見えることもなく。

 

 わたしは綿あめをぱくりと口にして、

 

「ひひはははーん! ふうんん、はってひたほー」

「食べながら呼ぶんじゃねぇ」

 

 ほわんと溶ける甘みを満喫しながら、わたしは土方に焼きそばを渡した。

 

「ちっ、やっぱりマヨが少ねぇな」

 

 ――だから言ったのになぁ。

 

 と内心思うものの、わしゃわしゃと勢いよく食べだす姿を見て、まぁいいかと黙っておく。

 

 隣にいた近藤は、羨ましげに言ってくる。

 

「いいなぁ! ねぇ、桜ちゃん。俺にはないの?」

「え? 土方さんにしか、頼まれてなかったよ?」

「んもー、桜ちゃんのいけずー」

 

 ゴリラみたいな男にいけずと言われても気持ち悪いだけなのだが。

 

 それを言うのも我慢して、わたしは手を差し出して、にこっと笑った。それで察したのか、近藤も眉をしかませながらも笑って、懐に手を入れる。

 

「桜ちゃんはなかなかの商売上手だなぁ。じゃあ、俺はタコ焼きをお願いしようかな」

 

 そう言って、財布をまるまる渡してくる。それなりに重みがあった。

 

「ちょっと多くない?」

 

 わたしが財布を手で弄ばせると、近藤は大口を開けて笑う。

 

「祭りなんて久々なんだろ? こんな可愛い桜ちゃんの姿も見れたしな。遊んでおいで。でも、全部使わなくていいんだからね」

「全力で全部使ってくるわ」

 

 つられて、わたしも笑う。わたしは周りを見渡した。このあたりは将軍の傍だからだろう、真選組の幹部らしき人たちが多めに配置されているようだが、ある人物がいないことに気づく。

 



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屋台で焼きそばかタコ焼きか悩むのを楽しめ②

「ねぇ、総悟くんは?」

「お、本当に躾けられだしたか?」

 

 焼きそばを食べ終えた土方の軽口に、わたしは顔をしかめた。

 

「違うわよ。けど、浴衣姿くらい見せてあげようかなっと思って」

 

 そういうわたしに、土方は「ふーん」と相槌をして、言う。

 

「あいつならうんこだとよ」

「トシ、女の子に対してうんこなんて言葉使っちゃダメだろう!」

 

 近藤は土方の肩に手を置いた。そんな近藤に土方は口を尖らせる。

 

「うんこをうんこと言わないで、なんて言えばいいんだよ」

「そりゃ、女の子が使うような言葉で……お花を摘みに行く……とか?」

 

 そのチョイスに、わたしは思わず噴き出した。

 

「普通にお手洗いでいいじゃない」

 

 それに、近藤はなるほどと手を打つ。わたしが笑っていると、土方は懐からたばこを取り出して、火を付けた。

 

「しかしまぁ、ついこないだまで夜は辻斬りがいるって騒いでたってのに、もう祭りで楽しもうなんて、現金なもんだな」

「しゅひひり?」

 

 わたしはまた綿あめを食べながら、首を傾げる。 そんなわたしを土方はジト目で見ながら、

 

「そういや、話してなかったか……お前がうちへやって来るきっかけはな、夜な夜な侍を斬るという辻斬り事件だったんだ。まぁ、その正体が鬼兵隊の一人だったんだが」

 

 そう話し、焼きそばの容器をゴミ箱へ投げ入れる。わたしも、口の中の綿あめを消化させた。

 

「鬼兵隊って、高杉の組織よね?」

「あぁ。過激派攘夷浪士の集まりだな。高杉がとある刀鍛冶と協力して、紅桜(べにざくら)という兵器を作った。その紅桜っつーのがまた厄介なもんで、戦闘データを蓄積し、性能を高め、刀一振りで戦艦をも撃ち落とすというバカげた代物で、そのデータ集めのための辻斬りだったそうなんだが――良くできているとは思わないか?」

 

 そう問われて、わたしは目を細める。

 

 隣の近藤が、

 

「おいおい、何も今こんな話をせんでも……」

「じっくり取り囲んだら、話すような奴でもないだろう」

 

 制止しようとするが、土方は再びわたしを見下ろした。片手を刀に触りながら、言う。

 

「よく出来た話だろう? 高杉は、紅桜なんて名前の兵器を作りながら、桜という名前の女を捕えてたんだ。何か関連があると考えるのが、普通だと思わないか?」

 

 一触即発。

 

 まさにそんな雰囲気を感じ取って、わたしは少し口角を上げた。

 

 離れたところから、祭囃子の太鼓の音が聴こえる。

 

「桜の花が好きな人なんて、世の中たくさんいると思うけど? 血で紅く染まった桜だなんて、風情があるといえば、あるんじゃないかしら」

「高杉と幼馴染だと言ってたな。出身はどこなんだ?」

「ないしょ」

 

 土方が刀をカチャと鳴らす。

 

「てめぇ、そんなこと言える立場にないこと、わかってんのか?」

「わかってるわよ。わたしが何か言ったら、関係ない故郷の人に迷惑がかかることくらいは」

 

 わたしは、ずいぶん小さくなった綿あめをかじる。飲み物もなしに、綿あめ一個食べきるには、なかなかに(つら)い。

 

「まぁ……そうね。昔なじみとして、わたしの目の前であいつがなんかやらかそうとした際には、きっちり止めてやるわよ」

 

 そして、最後の一口をぱくり。割り箸をゴミ箱に投げては、後ろを向く。

 

「浮いた場所らしいこと言うとね、あいつ、昔からわたしのこと好きだったんだって」

「おい、待てよ――」

 

 呼び止められるが、わたしは手で近藤のお財布を弄びながら、足早に人ごみの中に紛れた。

 

 虫かごの中のカブトムシが、もぞもぞと動き出す。

 



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屋台で焼きそばかタコ焼きか悩むのを楽しめ③

 

 

 

 たこ焼き屋を探していると、縁日の中で、一際賑わっている店があった。射的屋らしい。サングラスをかけたおじさんが、店の中でしゃがみこみ、恐怖で震えているようだ。

 

「ハイ、グラサンゲットー! とっとと寄越すアル」

「オイオイ、早く時計寄越せやコラァ」

 

 銃をばんばん撃たれて、コルクとは言え痛いだろう。悪い客に遭遇してしまった不幸を同情する。

 

 その元凶のカップルは、見覚えのある二人だった。

 

 一人は、赤いチャイナ服に身を包んだお団子髪の少女。もう一人は、黒い制服の性格の悪い美少年。

 

「ふーん」

 

 その二人の楽しげに悪役顔で笑う姿を見て、わたしは悟る。

 

 ――あの二人、付き合ってるんだ。

 

 その時、わたしは後ろから声を掛けられた。

 

「あの、先日の人ですよね?」

 

 振り返れば、眼鏡の胴衣姿の少年がいた。あのとき、チャイナ少女と一緒にいた、少年である。

 

「えーと、君は……」

 

 名前を思い出そうとするが、出てこない。困るわたしを気にすることなく、少年は微笑んだ。

 

志村新八(しむらしんぱち)と言います。先日は銀さんが失礼なことをしてしまい、すみませんでした」

 

 ぺこりと頭を下げてきて、わたしは小さく笑う。

 

「全然。君が悪いことしたわけじゃないんだから。気にしないで」

「でも……あの……大丈夫ですか?」

 

 訊かれて、苦笑する。

 

 こんな年下の少年に心配されてしまうほど、わたしは泣いていたのかと。可哀想に見えたのかと、情けなくて苦笑する。

 

 ――問題ないと即答できないとこがまた、情けないわよね。

 

 わたしは話を逸らすように、屋台の二人を指差した。

 

「あの二人って、付き合っていたのかな? どちらかといえば、君があの女の子と仲良いんだと思ってたんだけど」

 

 すると、新八は笑った。

 

「まさか! 僕と神楽(かぐら)ちゃんは、職場の同僚ですよ」

「同僚?」

 

 わたしが首を傾げると、新八は頷いた。

 

「はい。僕ら、銀さんと一緒に万事屋(よろずや)やってるんです。銀さんが一応社長で、万事屋銀ちゃんって名前でやってるんですけど……なかなかお給料もくれなくて」

「銀時が、万事屋ね……」

 

 こないだ家賃も払えてないと言っていたし、ろくな経営ではないのだろうけど。

 

 でも、嬉しそうに話すこの少年を見て、銀時が好かれているのが一目でわかる。

 

 安堵するようで、残念なようで、寂しくて。

 

 この複雑な胸の内を表現する言葉がわからないが、

 

「……そっか」

 

 わたしは一言、そう返す。

 

 そんなわたしに、新八はわかってるのか、わかってないのか、優しい顔で続けた。

 

「沖田さんと神楽ちゃんも、別にそう言った関係じゃないですよ。ライバルというか、悪友というか……とにかく、あなたが心配するような関係じゃないのは、間違いありません」

 

 そう言われて、わたしは思わず噴き出した。

 

「心配って、別に、そういう意味で訊いたんじゃないんだけど」

「え? でも、あなたは沖田さんと恋仲じゃないんですか?」

「えぇ?」

 

 わたしは頬を掻く。沖田と自分との関係を、簡単に説明する言葉を探して、戸惑っていると、

 

「ペットと飼い主。素直にそう言やァいいだろうが」

 

 その飼い主が、猟銃のような長い銃を構えて、ばーんとこちらを撃つような仕草をしていた。



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屋台で焼きそばかタコ焼きか悩むのを楽しめ④

「あ、総悟くん。射的はもう満足したんだ?」

「だからその呼び方やめろっつってんだろ。てか、俺はてめぇを待ってたんでィ」

 

 そう言うと、沖田はわたしを上から下までジロリと見た後、納得したかのように頷く。

 

「じゃあ、俺が祭りの楽しみ方を伝授してやらァ。まずは射的だな。銃で撃ち落としたものを、全てゲットできるというぼろ儲けの遊びでィ。狙い目は店主だな。装飾品でも、内臓でも、なるべく高そうなものを狙うのがポイント」

「ちょっとー、俺、内臓まで取られちゃうの? 殺されちゃうの? 射的屋って命がけの商売だったの?」

 

 店主が怯えて叫ぶが、沖田は振り向いて、一言。

 

「武器を持ったら皆、生きるか死ぬかと狩人でィ」

「やめてー! その常にデットオアアライブな精神やめてー!」

 

 そう叫びながら、ひたすら銃を撃ち続ける神楽という少女から、逃げまどう店主。気づけば、このあたりから人気が失せていた。気づけば、そろそろメインステージのイベントが始める時間である。そちらに人がうつったか、あるいは、この状況に関わりたくないと逃げたか。

 

 間違えなく後者だと判断して、わたしもそれに便乗しようと決める。

 

「あの、えーと……わたし、近藤さんにたこ焼き買っていかなきゃいけないから……これで」

「待てよ、桜。祭り一緒に――」

 

 沖田から声がかかるが、わたしは聴こえないふりをして、足早に立ち去った。

 

「振られたアルな」

「……るせィ」

 

 そんな声が聴こえたが、すぐに店主の悲鳴と銃声にかき消されていた。

 

 

 たこ焼きは三箱買うことにした。近藤と、土方と、他の隊士にも配ろうかと思ったのだ。まぁ、余ったら自分がもらってもいいし。

 

 虫かごと、三箱のたこ焼き。それと思わず買ってしまった真っ赤でかわいい林檎飴。遠くの(やぐら)を見上げて、そよ姫にあげたいな、と考えてしまう。将軍とか姫という立場では、きっとなかなか食べれないと思うから。一緒に食べれたら楽しいかと思って、二つ購入した。そうしたら荷物がいっぱいで、落とさないように下ばかり見て歩く結果となった。

 

 ――やっぱり、お金が余分にあると無駄遣いしちゃって困るな。

 

 二つ買ったところで、きっと将軍にもそよ姫にも会えないだろう。あの可愛らしい姫様に癒してもらおうと思う自分が浅ましい。

 

 ――ていうか、なんでこんなに胸が苦しいんだか。

 

 ステージに戻る人並み多い道の途中。ドォン、ドォンという音につられて空を見上げると、大輪の光の花が咲いていた。

 

 白く、赤く、青く。彩どりの花が心揺るがす轟音をあげて、次々と咲き誇り、そして散っていく。

 

 花火。

 

 歓声があがる。足を止めて、わたしもしばらくその光の芸術を眺めていた。

 

 綺麗で。派手で。艶やかで。儚くて。

 

「あっという間に咲き誇り、一瞬で消えていく。風情があると思わないか? 桜」

 

 耳元でそう囁かれて、わたしは即座に振り返った。

 

 その姿を見て、わたしの思考が思わず止まる。

 

 蝶が描かれた紫の着物を緩く身にまとった男の雰囲気は、昔よりも色気があった。片目には包帯が巻かれているが、もう片方の目はなだらかに細められている。

 

「お前と一緒だ、桜。誰よりも華々しいが、誰よりも可憐で(もろ)い。しかし、誰よりも散り際まで美しい」

 

 その男は、わたしに手を差し出した。

 

「帰って来い。そして、一緒に派手に散ろうじゃないか」



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屋台で焼きそばかタコ焼きか悩むのを楽しめ⑤

 その時、やけに低い場所で一際大きな花火が点火した。

 

 後ろを向いていても目がくらむほどの明滅。そして、爆音。

 

 何が起きたかと振り返りたいが、目の前の狂喜に満ちた笑みから目を離すことが出来ない。

 

 高杉晋助(たかすぎしんすけ)

 

 今や、過激派攘夷浪士の筆頭たる存在であり、鬼兵隊の首領。

 

 そして、昔は――。

 

 だから、わたしは知っているのだ。

 

 この芝居のような言動が、全て本心なことを、わたしは知っている。

 

 この手を取らなければ、殺される。

 

 そんな殺気を感じつつ、わたしは覚悟を決めて口を開く。

 

「……わたしを、奈落の洗脳から治してくれたのは、高杉でいいのかな?」

 

 すると、高杉は両手を広げて、笑った。

 

「当たり前じゃないか! 婚約者を救うのが俺でなくて、一体誰だと言うんだ」

「婚約者って……そんな昔の話を、まだ言っているの?」

 

 わたしは周囲を見渡す。人がステージから大慌てで逃げていた。真選組はわたしたちには一視もくれずに、ステージへ向かっている。

 

 爆音が立て続けに鳴る。

 

 わたしを胸中を察するかのように、高杉は言った。

 

「今ステージでは、素敵なショーをしているからな。誰も俺らのことなんか気にする暇はないさ」

「なに? そのショーはあなたが演出しているわけ?」

「なに、俺はただお膳立てしてやっただけさ。きっと、将軍様も喜んでくれるはずだぜ」

「……祭りの日くらい、仕事さぼりなさいよね」

 

 わたしは顔をしかめる。

 

 この騒動、どうやら高杉が画策した、将軍を狙ってのものらしい。

 

 攘夷活動をしっかりしちゃってくれているようだが、それは非常に困るのだ。

 

 ――もう、脱出できたかな?

 

 わたしは振り返り、(やぐら)を確認しようとする。

 

 が、一歩詰められて、高杉に顔を押さえられた。

 

「なぁ、婚約者が久々に再会できたんだ。目を逸らすなよ」

「わたし……まだ目覚めてから、一週間くらいだけど?」

 

 両手でしっかり押さえられ、息のかかる距離に高杉の顔がある。相変わらず美形だが、それがむしろ怖い。

 

 怖いけど、怯えるわけにはいかないのだ。

 

 怖いけど、怖気づくわけにはいかないのだ。

 

「ちゃんとこうやって会話できるのは、五年ぶりだ」

 

 怖いけど、逃げるわけにはいかないのだ。

 

 きっと、彼が壊れたように笑うのは、わたしのせいなのだから。

 

 あのとき、わたしが彼らの前から消えて。

 

 裏切って、彼らを斬ったのがいけないのだから。

 

 だから、わたしは高杉から、目を逸らさずに言う。

 

「じゃあ、五年ぶりに言うけれど――わたしはもう、あなたの婚約者じゃないわ。家も何も、もうわたしにはないこと、知っているでしょう? そんな約束は、とっくの昔に破棄されているわ」

「んなこと、関係ねぇよ。俺がお前を愛してるんだ。ただ、それだけさ」

「……そんなんだから、女に逃げられるのよ」

「もう、逃がしはしねぇよ」

 

 高杉が、腰に手をかけた瞬間、目の前に白銀がきらめいて。

 

 わたしが後ずさると、目の前でその切っ先が止まった。誰かが手を伸ばし、それを握っている。

 

 その手からは、赤黒い血が滴っていた。

 



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屋台で焼きそばかタコ焼きか悩むのを楽しめ⑥

「おいおい、こんな祭りの夜にする痴話喧嘩にしちゃあ、物騒すぎるんじゃねーの?」

 

 提灯に照らされる髪は素直に橙に染まっていた。しかし、その髪は天の邪鬼でうねうね曲がっている。

 

 白い着物に黒いブーツを履いた背中に、わたしは思わず声をあげる。

 

「お兄ちゃん!」

「……俺は、そんなブラコンの妹をもったつもりはねーんだがな」

 

 刀を止められた高杉が、さらに笑みを強める。

 

「銀時ぃ……」

 

 同時に、甲高い悲鳴が響いた。高杉の刀に気づいてだろう。悲鳴はどんどん連鎖し、人がさらに混乱を増して逃げていく。

 

 ――まずったな……。

 

 このままいけば、真選組がここに来るにも時間の問題だろう。この状況、見られてどう説明する?

 

 わたしは舌打ちした。

 

「行けよ」

 

 銀時は、背中越しに短くそう言う。

 

「テメェが俺の妹でいてぇなら、久々に俺にも、お兄ちゃんらしいことさせてくれや」

 

 高杉が刀に力を入れる。が、銀時もそれに負けずと、こぶしを固く握って動かさない。

 

 血が吹き出る。

 

「銀時ぃ、てめぇはまた俺の恋路を邪魔するつもりか?」

「邪魔もなにも、昔っからテメェはストーカーしてるだけじゃねーか」

 

 銀時は空いている片手で、自分の木刀を抜き、わたしに投げ渡す。

 

「任せたぜ、桜」

「……うん」

 

 わたしは素早く、邪魔なたこ焼きを銀時の肩越しに高杉へと投げつけた。空いた手でその木刀を受け取り、すぐさま身を翻す。

 

「おいおい高杉よぉ、好きな女にたこ焼き投げつけられる気分はどーよ?」

 

 爆音に紛れて、銀時があざけて笑う声が聴こえた。

 

 

 

 その木刀は、ずっしり重い。

 

 持ち手の部分には『洞爺湖(とうやこ)』と彫られている。

 

「どっかのお土産?」

 

 鼻で笑って、わたしは戦場へと辿りつく。

 

 数日前に見た大きなロボットが、それぞれランチャーなど武器を持って暴れているようである。火薬はさほど込められていないのか、火力は音や見た目ほど強くはないらしい。

 

 しかし、鍛えられた真選組といえど、自身の二倍以上ある金属の巨体を刀一本で相手するのに、なかなか苦戦しているようである。

 

 その中で、一際活躍している二人がいた。

 

「祭りをぶち壊すなんざァ、天誅くれてやらァ!」

「祭り大使が天罰下すアルよー!」

 

 射的屋で暴れていた二人である。気が狂ったように二人はロボットを、斬っては投げ、斬っては殴り。

 

「うわー、ほっといても終わりそうねー」

 

 出番はなかったかな、と苦笑した時である。

 

 ステージ上の一番大きなロボットが、バズーカをやや上に構えていた。隣にいる老人は、ロボットと一緒にみた男。このロボットの作成者なのだろう。そのからくり師が指を差す先は、櫓の上。

 

 わたしは叫ぶ。

 

「総悟くんっ! わたしを上に!」 

「あぁ? だからてめぇ呼び方……」

 

 わたしのやりたいことに気づいたのか、チャイナ少女が先に沖田の頭を踏み、跳躍した。わたしもすぐさま走り、沖田の頭を踏んで、跳ぶ。

 

 爆音。

 

 空中で、チャイナ少女がニコリと笑った。

 

「銀ちゃん、お前が生きてて良かったって、泣いてたアルよ」

 

 そう言って、彼女はわたしの足を持ち、思いっきり上へと投げ飛ばした。

 

 樹をも超えた高さで、わたしは体勢を整える。大きな黒い弾丸が目の前へ来た時、わたしは木刀を一閃した。

 

 爆発。

 

 衝撃と爆風に身を任せて、櫓の中で転がり込む。

 

「きゃぁぁぁぁあああああああ!」

 

 ついこの間も聞いた悲鳴に安堵しつつ、わたしはすぐさま起き上がり、櫓の縁から見下ろすと、ステージの上へと駆け上がる一人の白い侍。

 

「お兄ちゃんっ!」

 

 わたしは木刀を思いっきり投げる。くるくると回りながら飛んでいく木刀を、その侍は一瞥することもなく受け取り、巨大なロボットを横に薙ぎ払った。

 

「ふぅ」

 

 わたしが一息吐くと同時に、

 

「さささ……桜ちゃん!」

 

 かわいい声に呼ばれて、わたしは振り返った。目をぱちくりさせているそよ姫と、精悍な顔を少し困らせている将軍に、わたしはしばらく考えたあと、持っていたものを差しだした。

 

「お土産に、溶けた林檎飴と、ひっくり返っているゴールデンカブトムシ持ってきたんだけど、いる?」




タグ、ひとつ増やしました。
『高杉はストーカー』
もとから犯罪者だから、いいですよね?


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朝から甘味を食べると身体がだるくなる①

 

 

 

 

「はぁぁぁぁぁああああああ」

 

 わたしは深い、深いため息を吐いた。

 

 将軍たちに簡単に挨拶してから、逃亡。幕府の人にも、真選組の人にも見られないように夜道を駆けずり回り、朝。

 

 開店したばかりの団子屋の椅子に座り、今に至る。

 

 疲れた……。

 

 その一言に尽きる。

 

 あの祭りでの出来事を説明しろと言われたら、なんて言えばいいのだ。

 

 過激派攘夷浪士首領が元婚約者で、よりを戻そうと迫られているところを、兄に助けられ、その兄も実は昔、異名を持っていた攘夷浪士で、わたしは昔は攘夷活動やら攘夷浪士討伐とかあちこちで暗躍してたけど、今や将軍とその妹君の友達です――

 

「誰が信じるっていうのよ……」

「そのちゃっかり将軍と友達になっちゃうのが、とても俺は貴様らしいと思うがな」

 

 ――あら、口に出てたかな。

 

 顔をしかめながら、その言葉に、わたしは横を向く。

 

 ちゅんちゅんと小さく跳ねる(すずめ)に餌をあげる、肩までの黒髪が綺麗な男がいた。普通の着物をいるが、背筋の伸びた姿勢と、淡々としながらも自信のある話し方は紛れもなく普通ではなくて。

 

 昔から変わらない独特の雰囲気に、わたしはお決まりの声をかけた。

 

「あ、ヅラだ」

「ヅラじゃない、桂だ――すまぬが、団子二皿頼む」

 

 堂々と名乗るその姿に、わたしは苦笑する。

 

「うん、知ってるよ――久しぶりだね、小太郎さん」

 

 桂小太郎(かつらこたろう)。彼は昔から、なぜか常に余裕のある男である。

 

「いきなりだけど、小太郎さん。こんなとこで油売っていると、捕まっちゃうよ? 一応、反幕府(うた)っている攘夷浪士のお偉いさんなんでしょ?」

「一応ではなく、事実だがな」

「今日、お巡りさん多いと思うよ? 危ないよ?」

「祭りであんな惨事のあった翌日に、真選組が捕えていた女が逃亡したとあったら、そりゃ多いだろうな」

「う……」

 

 事実を言われて、言葉を詰まらせる。

 

 桂の頼んだお団子とお茶が届いた。一皿勧めてきたので、わたしは有り難く頂戴する。

 

 茶色のとろりとした密がかかったみたらし団子を、ぱくり。もちもちとした弾力を味わうたびに広がる甘みが優しい。飲み込んだあとに、渋いお茶を飲むと、胸がすっとする。ふとお茶の表面をみると、茶柱が立っていた。

 

 空を見る。今日も晴天。雲ひとつない。きっと一日中いい天気だろう。まだ気温もさほど高くないが、もう少ししたら、また真夏日和だろう。

 

 ふと、わたしは思い浮かんだことを口にした。

 

「そういやさ、小太郎さん、髪切ったんだね」

 

 桂はお団子を呑みこんでから返答する。

 

「好きで切ったわけではないんだがな」

「また伸ばすの?」

「そのつもりだ」

 

 わたしがお茶をもう一口すすると、桂は言ってきた。

 

「貴様も髪短くしたんだな。女が思い切ったもんだ」

「人命かかってたからね……そういえば、誰も髪の話してくれなかったな」

「そうなのか?」

「高杉も何も言わなかったし、お兄ちゃんにも言われたなかったし、総悟くんも言わなかったな。他の隊士たちには勿体ないって騒がれたけど」

「長い髪にこだわりあったのか?」

「いや、別に」

「まぁ、髪型なんてそんなものだ。貴様自身に変わりがなければ、見た目など特に気にするに足りん要素だ――なぁ、銀時」

 

 気づいてはいた。というか、目の前に立たれて気づかないわけがなかった。

 

「おー、邪魔するぜ。おねーちゃん、俺にも団子ひとつ!」

 

 そう言って、坂田銀時がわたしの隣に座った。



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朝から甘味を食べると身体がだるくなる②

 わたしは、団子をまた一口食べる。

 

 ――な、何しに来たの?

 

 もしゃもしゃしながら、微笑を浮かべて表情を動かせない。

 

 桂と、銀時。

 

 この二人が、何を目的に、こんな朝からわたしを取り囲むのか。

 

 まさか、昔話に花を咲かせたいわけでもあるまい。

 

 わたしは恐る恐る口を開こうとするよりも早く、銀時が口を開いた。

 

「あー、その、なんだ」

 

 照れくさそうに、こみかみを掻く。

 

「こないだは、悪かった」

 

 謝罪されて、わたしは瞬きを何回かした。銀時は固まるわたしを見て、言葉を続ける。

 

「あれだ、三日前、源内(げんない)のおっちゃんの工場の前で。もうあんなに動き回れるとは思ってなかったから、その……神楽たちにも何にも説明してなかったしな。誤魔化すにも、さすがにアレはなかったかな、と」

「あぁ……」

 

 工場の前で、再会した時のことを謝罪しているらしい。わたしが生半可な返事をすると、銀時は訊いてくる。

 

「身体の方は、大丈夫なのか?」

 

 わたしは頷いた。

 

「うん。筋力が衰えた感じがあって、今ひとつ調子は出ないけど……日常生活を送る程度なら、平気」

 

 正直、沖田救出の時の打撲がまだ完治はしていないのだが、余計な心配をかけるだけなので、黙っておく。嘘はついていない。

 

「そうか」

 

 銀時は運ばれてきたお茶をすすった。

 

 桂が相手をしていた雀が飛び立った。青い空までは届かないけれど、懸命に道を飛び越えていく。

 

「神楽――俺が一緒にいるガキ共に、お前のこと説明した。ただ、幼いころ兄妹のように育った奴で、訳あって生き別れていたってだけなんだが……そしたら、二人に怒られたよ。どうして真選組に預けたのか、そして、どうしてあんな態度取ったのかってな」

 

 困ったように言うそぶりに、わたしは苦笑した。

 

「その神楽ちゃんって子に、言われたよ。わたしのために泣いてくれたんだってね」

「あぁ?」

 

 銀時は目を見開いたのち、さらに顔をしかめて舌打ちした。

 

「たく……余計なこと言いやがって……」

「ありがとね」

「……なんで礼を言われるんだか」

「いい仲間に逢えて、よかったね」

 

 笑って、言う。すると銀時はまた驚いた顔をしたが、優しく笑って、

 

「……あぁ」

 

 短くそう答えた。ちらりと隣の桂を見る。彼もお茶をすすりながら、微笑んでいた。

 

 わたしは食べかけのお団子を皿に置いて、両手をあげて、身体を伸ばした。

 

「あーあ。なんだか気が抜けちゃったなぁ」

 

 のんびりした朝である。呑気にお団子とお茶を飲んでは、両手に男をはべらせてお喋りだ。

 

 さっきまでが嘘みたいだ。気を張って、逃げ回って。行く場所がないと、帰る場所がないと途方に暮れて。

 

 それでも、いいじゃないかと思う。

 

「あ、そうだ。高杉どうしたの?」

「たこ焼きで汚れたのが気に食わなかったらしく、あれからすぐに帰ったさ」

「そっか。ナルシストも相変わらず大変だね」

「ほんとだな」

 

 お団子食べて、お茶を飲む。

 

 ――美味しい。

 

 思うのだ。

 

 こうして、お茶する相手がいるだけで、なんて光栄なことなのだろうか。

 

 こんなわたしと。

 

 裏切って、仲間を斬り捨てたわたしと。

 

 お茶をしてくれる人がいるなんて、こんなわたしからしてみれば、充分恵まれているのではないかと。

 

 澄んだ空を見ていると、ふと涙が出そうになる。が、零れ落ちないように我慢する。

 

 そんなわたしに、銀時はさらに手を差し伸べてくれる。

 

「お前さえよければなんだが……俺のとこに来ないか?」

 

 銀時は、まっすぐわたしを見て、そう言った。



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朝から甘味を食べると身体がだるくなる③

 続いて、桂も言う。

 

「俺もそれを言いに来ていてだな。桜、昔のことが気に病むのなら、俺の所に来てもいい。知っての通り攘夷浪士なんて荒くれ者の集まりだが、幕府などに監視されるよりも、居心地はいいと思うぞ」

 

 両者の有り難い申し出に、わたしは思わず噴き出してしまった。

 

 笑いを誤魔化すため、お茶をすする。

 

「オイ、ヅラ。お前の所って、完璧こいつにまた攘夷浪士になれってことじゃねーのか?」

「ヅラじゃない桂だ」

 

 そう言って、桂は最後の団子を食べた。

 

「にょーいのーひにはれは、ほうほうとはほってはるほほほ……」

「食ってから喋れや」

 

 桂はごくんと飲みこんでから、再び話しだす。

 

「攘夷浪士なら、堂々と刀が持てる。奈落だろうが、高杉だろうが、こいつを守るための武器も人員も、揃えられるからな。それに、強要するわけではないが、桜さえその気になってくれれば、戦力としても有り難いし、女が入ることによって、隊士の士気も高まるだろう。双方にとって悪い話ではないと思うが」

「けど、そんな組織に入ったら、より一層幕府から狙われちまうんじゃないか? なにより、女一人がそんな男だらけの集団っつーのは……」

 

 桂は団子の串で銀時を指した。

 

「銀時よ。貴様はいつまで桜を子供扱いしているのだ。シスコンや過保護も大概にせんと、愛想尽かされるのがオチだぞ」

「ばっ……そーゆーつもりで言ってんじゃねーよ。一般常識言ってるだけだろーが」

 

 銀時は自分の腿に肘をついて、頬杖をつく。そして、横目でわたしを見た。

 

「ま、そーゆーわけだ。桜、お兄ちゃんたちはお前を心配してんの。昔みたいにとはいかんが……ま、あんま自分追い詰めんな」

 

 桂も皿に串を置いて、隣にお金を数枚並べて、言う。

 

「そうだな、貴様は自意識過剰すぎる。髪のことと同様、妹の一度や二度の失敗をフォローできないのは、俺らの落ち度でもあるんだ。思いあがるな。誰も貴様のことなど責めておらん」

 

 ――あぁ……。

 

 わたしは両手で顔を覆って、うつむく。

 

「なによ、二人揃って……わざわざ説教しにきてんじゃないわよ……」

 

 そのままの体勢で、声を震わせないように、言う。

 

 ずるい。

 

 本当にずるい。

 

 この人たちは。

 

「てか、ヅラ。いつまでそのビミョーな髪型続けてんの? いっそのことツルっぱげにして本当にヅラ着けたらどうだ?」

「ヅラじゃないカツラだ。てか俺のことより、貴様、桜の髪について何も言ってないらしいじゃないか。女ごころが傷ついたようだぞ」

 

 この馬鹿兄貴たちは、こんなわたしにとって――

 

「え? そなの? そんな乙女のシンパシー的な感情持ってたの、こいつ?」

 

 とても最低で。

 

「あー確かに昔は長かったか……けど、いいんじゃねーの? 動きやすそうで」

 

 とても最高な――

 

「けど、お前にはもう、飼い主いるんだっけ?」

「え?」

 

 わたしが顔を上げると、

 

「ちぃぃぃぃぃじょぉぉぉぉぉねえぇぇぇえこぉぉぉおおおおお!」

 

 地響きのような怒声をあげて、走って来る男がいた。

 

 スパッと刀を抜いては、わたしの首についている輪を持ち上げて、その刀を突き付けてくる。

 

「この痴女猫が! いつ誰が俺様の許可なくほっつき歩いていいと言ったんだっ!」

 

 いつもサラサラしている髪が、べとついているようだった。頬も泥で汚れていて、目の下にはうっすらクマが出来ている。

 

「しかもテメェ、俺の顔を思いっきり踏むなんざ、いい度胸してるじゃねーか。どんな調教されたい? 針か? 蝋か? 鞭か?」

「そそそ……総悟くん……くるしぃ……」

「だからその呼び方やめろ何度言えばわかるんでィ」

 

 沖田は刀を納めると、手早くわたしの首輪に鎖をつける。

 

「じゃ、旦那。お騒がせしやした」

「おう」

 

 銀時が片手をあげる。

 

 わたしはただ引きずられるだけだった。

 

「ね、総悟くん、いきなりさ、こんな鎖引きずって、どこ行くの?」

「決まってんだろ。帰るんでィ! とりあえず、帰ったら、もう迷子にならねーよー鈴を着けてやらァ。感謝しやがれ」

 

 どうやら、わたしに拒否権はないらしい。

 

 けど、

 

「ま、いっか」

 

 わたしは大人しく、自分の足で歩くことにする。

 

 あのいつも澄ましているような少年が、あまりにも泥だらけで、汗だくだったから。

 

 任務をさぼって祭りを楽しんでいるような少年が、そんな必死に一晩中わたしのことを探したのかと考えたら、なんだかとても可愛くて。

 

 まぁ、わたしの捜索も任務には違いないのだろうが、それでも、まぁいいかな、と思う。

 

 きっと、なるようになるだろう。

 

「またな」

 

 振り返ると、銀時がへらへらと手を振っていた。桂はもういない。沖田が来る直前に隠れたのだろう。

 

 だから、わたしも手を振り返す。

 

「うん、またね」

 

 銀時は眠そうな目で微笑んだあと、大きなあくびをしていた。




夏祭り篇おしまいです!

いかがだったでしょうか? これで、タイトル通りの話を気兼ねなく書いていけるかな、と作者的には一安心しています。

桜や銀時たちの昔話も、そのうちきちんと整理してわかりやすいエピソードを書いていく予定です。けっこうもうわかるかと思いますが。

とりあえず、次はいよいよ動乱篇にいこうと思ってます。
今までよりも断然長くなるとは思いますが、お付き合いいただければ幸いです。
トッシーに嫉妬する沖田が書きたい!!!

この偽物の銀魂が、少しでも有意義な皆様お暇つぶしになりますように。


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偽・真選組動乱篇
バイトのきっかけは大抵似たようなものである①


 

「総悟くんっ! お願い、どーしてもお願いっ!」

「いい加減とっとと諦めろってーんだ」

 

 無常に立ち去ろうとする沖田の足に、わたしはすがりつく。

 

 諦めてなるものか。

 

 ここで諦めたら、わたしはもう生きていけなくなってしまう。

 

 そのまま引きずられると、首輪に付けられた鈴がチリンと鳴る。

 

 わたしはあの浴衣を日常的に着るようになった。しかし、あの騒動で裾がほつれてしまい、自分で仕立て直して、膝くらいの長さになっている。黒いタンクトップとショートパンツを沖田に買ってもらい、その上からあの紺色で桜模様の浴衣を緩く羽織っていた。我ながら、なかなか似合っていると思う。

 

 そんな可愛いわたしを、沖田はそのまま数歩引きずりながら歩いた。

 

 負けじと、叫ぶ。

 

「ね、お願い。どうしてもわたし、これがないと、君の傍にいられないのよ!」

 

 すると、沖田が止まった。じろりと、わたしを見下して、口角を上げる。

 

「へぇー、じゃあ言ってみろよ。どうしてコレがないと、俺の傍にいられねェんで?」

 

 わたしは顔を引き締める。説得しなければ。何が何でも、手に入れなければいらないのだ。

 

 大丈夫。わたしがこれを手に入れることは、彼にも大きな利点があるのだ。

 

 きっと、きっと分かってくれる――そう信じて、わたしは言う。

 

「だって、武器がなかったら、いざって時に総悟くんのこと守れないじゃ――」

 

 最後まで言う前に、わたしが掴んでいた足を大きく動かされた。振り払われて、わたしは二、三回転する。

 

「てて……もう乱暴ばっかして……」

 

 受け身は取れたので、そんな痛くはないのだが、身を起して畳の上に座ると、沖田がしゃがみこんできて、わたしの首輪をくいっと掴んだ。

 

 再び、鈴がチリンと鳴る。

 

「テメェ、誰が誰を守るって?」

 

 沖田のこめかみがピクピク動いている。なんでそんなに怒っているのかはわからないが、わたしは気丈に答えることにした。

 

「もちろん、わたしが総悟くんを守らなくちゃ。総悟くん、わたしの監視するのが任務なんでしょ? つまりは、いつもわたしに付いていなくちゃいけないんだから、それだけ危ない目に遭わせちゃう機会も多いと思うのよ。最近、訓練も再開したとはいえ、さすがに素手というのは厳しいかなって」

 

 ぴきっと、一際沖田の表情が引きつった。

 

「ほぉー、そりゃあ、アレかィ。俺ァ、お前に守られなきゃならないほど弱いっていうことかィ?」

「総悟くんが強いか弱いか置いといても、年下のコを守るのが大人の役目でしょ?」

「そーかい、勝手にしやがれ」

 

 そう言い放つと、沖田はわたしをぽいっと手放して、スタスタと歩いて行ってしまう。

 

 どうしよう。

 

 どうしたらいいのだ。

 

 わたしは涙が零れることを気にも留めずに、四つん這いで手を伸ばして、叫んだ。

 

「その古い刀をわたしにちょうだぁぁぁぁぁぁああああああい!」

 

 

 

 場所は変わらず、屯所内の一室。今日は朝からこの部屋で武器が販売されていた。どうやら、京都に出張していた人が、特殊なルートでいい武器を格安で仕入れてきたらしく、それを隊士たちに販売しているらしい。沖田も、新しい刀が欲しいとこの部屋に来ては、最新のウォークマン機能付きの刀を買っていた。

 

 新しい刀を買ったのならば、古い刀は用済みだろう。中古として売ろうとしていたから、それならば、わたしに譲ってくれと交渉していたのだ。

 

 それが、あんな結末に終わってしまい――わたしは部屋の片隅でずっと泣いていた。

 

 めそめそと。しくしくと。

 

 非番の隊士たちが、わたしを取り囲んでは、励まそうと声をかけてくる。

 

「ほら、桜ちゃん。そろそろ泣きやんで」

「沖田隊長だって、悪気があったわけじゃないんだから」

「そうそう、女の子に刀なんて物騒なもん、持たせられないってだけだから。別に、桜ちゃんのことが嫌いで言ったわけじゃないから、な?」

 

 わたしはちょっとだけ顔を上げる。

 

「でも、みんな刀持ってるじゃん。わたしだってちゃんと扱い方もお手入れの仕方だって、知ってるもん」

 

 隊士の中で、特によく見る顔がいた。

 

 確か名前は、山崎退(やまざきさがる)だったか。黒髪の冴えない感じの細身の男が言ってくる。



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バイトのきっかけは大抵似たようなものである②

「桜ちゃん、廃刀令って知ってる? 基本的にね、俺らみたいな軍人以外は、刀持っちゃいけないんだよ」

「……そなの?」

 

 鼻をすする。

 

 山崎はへらーっと笑っていた。

 

「そうそう。ずっと俺らみたいな奴らに囲まれていると、ついつい忘れちゃうかもしれないけど……攘夷戦争後、そんな法令が発せられててね。だから、沖田隊長も、桜ちゃんには刀を持たせられないんだよ」

「ふーん……」

 

 廃刀令。それは初耳だった。確かに、江戸の平和を望むなら、悪くない法案なのかもしれない。よくよく思い返せば、桂は攘夷浪士だから例外だとして、銀時は木刀を持っていた。彼のことだから、他にもいろいろと思惑がありそうだが、市民として条例を守ることにも繋がっているのだろう。

 

 ならば、わたしも刀を腰に下げてたら、より一層街で浮いてしまうことになる。

 

 それに第一、治安を守る真選組内で、条例違反を見逃すわけにはいかないだろう。

 

 わたしは刀を持てない。持たせられない。

 

 けど、理解はできても、納得するわけにはいかない。

 

「じゃあさ、わたしはどうやって、総悟くんを守ればいいわけ?」

「へ?」

 

 わたしの質問に、山崎は目を丸くした。他の隊士たちも同じような顔をしている。

 

「刀の扱いだったら、けっこう自信はあるのだけど、素手の格闘戦って、体格的な問題もあって、あまり得意じゃないのよね。今から鍛えたら、それそこ何年って時間かかっちゃうだろうし……あ、わたしも木刀使えってこと? でも、木刀だと切れ味がない分、腕力で補わなきゃいけないから、こないだ使ってみたけど、やっぱりキツイものがあるのよね。あのあと、ジンジン手が痺れちゃったし、一振りが限界だったかな」

「あー……あの、桜ちゃん」

「なに?」

 

 山崎がおろおろして訊いてくる。

 

「桜ちゃんが沖田隊長を守るって……本気で言ってる?」

 

 わたしは躊躇いもなく、頷いた。

 

 すると、隊士たちが一斉に笑いだす。山崎なんて、泣いているくらいだ。

 

「え、ちょっと……何がそんなにおかしいのよ?」

 

 顔をしかめると、山崎が涙をぬぐって言ってくる。

 

「さ、桜ちゃん……沖田隊長、一番隊隊長って知ってる?」

「そのくらいは知ってるわよ? 自分で散々名乗ってるしね」

「うん。一番隊隊長って、ようは、特攻隊隊長なんだ。敵陣を斬り込んでいく役目なの。その隊長には、どんな人がなると思う?」

 

 そんなの、決まっているじゃないか。

 

「一番強い人でしょ?」

 

 山崎は大きく頷いた。

 

「そう、沖田隊長は、この真選組で一番の剣の達人と呼ばれているからね。桜ちゃんが守らなくても、隊長はそう簡単に倒れたりはしないよ」

「けど、まだ十代でしょ? 剣の腕がたつだけで、強いとは限らないじゃない? やっぱり、大人のフォローが必要よ」

「……桜ちゃんも、同じくらいじゃなかったっけ?」

 

 わたしはむくれて、首を振った。

 

「わたしはこう見えても二十三です。見た目で判断しないでください」

「はは……ごめんよ」

 

 まぁ、ずっと眠っていたし、身体は確かに十代のままなのだが、それでも成人しているのだ。一緒にされるのは心外である。

 

「それなのに、どうして総悟くんはあんなに怒るんだろう……」

 

 わたしはぼそっと呟く。子供は大人に守られて当然なのだ。別に、恥ずかしいことではないのだ。

 

 それをあんなに拒絶するというのは、背伸びしているということ。そんなコ、余計に危ないし、ほっとけないじゃないか。

 

「まったく、人の気も知らないで……」

 

 頬を膨らませてそう言うと、隊士たちはくつくつと笑っていた。わたしはそれを目だけで見上げる。

 

 すると、山崎はまた涙をぬぐいながら言った。

 

「いや、隊長も報われないなぁーって思ってさ」

 

 その時、玄関の方から大声が聴こえてきた。

 

「たいへんだー! 副長が……攘夷浪士にやられたらしいぞー!」

 

 その声に、わたしを囲んでいた隊士たちが玄関へと走り出す。わたしも、顔を手で拭って、そのあとを追うことにした。



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バイトのきっかけは大抵似たようなものである③

 玄関には隊士たちがたくさん集まっていた。井戸端会議というのはこんな感じなのかな、と一瞬思ったが、そんなことよりも噂の内容が興味ありすぎた。

 

「マジかよ、副長が負けたってマジ?」

「負けた以前に、やりあう前から土下座したって話だぜ」

「副長が土下座ぁ? 鬼の副長だぞ? 死ぬとわかってたって、刀一本で挑んでいくような副長だぜ」

「なぁ。むしろ、おれらがそんな真似した際には切腹しろー局中法度破りやがってーて言ってくるくらいだぞ」

 

 非番だろうが業務中だろうが関係なく、隊士たちはみんな同じようなことを言っていた。

 

 いやはや。

 

 それを遠くの陰から除くように見て、聞いていたのだが、付き合いの短いわたしでもびっくりである。

 

 あの土方十四郎(ひじかたとうしろう)が。

 

 あの鬼の副長が。

 

 敵に対して、「見逃してください」と土下座したとのこと。

 

 しかも、どうやら敵と言っても、雑魚にも等しい名も知られていない浪士だったとのこと。

 

 ――別に、あの人そんな弱くはないでしょうに。

 

 体調が絶頂に悪かったときだったが、一度手合わせした、あの土方である。最後まで試合はできなかったけれど、剣士として十分に強者には違いないだろう。

 

 なんでまた――と、話を聴きながら考えていた時である。

 

「そんなに興味があるのなら、桜さんも話に加わってみたらいかがですか?」

 

 後ろから、優雅に声を掛けられた。

 

 真選組の制服を着ているが、見たことのない顔だった。細い眼鏡をかけた、背の高い短髪の男である。良く言えば、育ちがいいのか。ただのインテリか。他の隊士たちのような荒くれた雰囲気ではなく、知的さや優雅さを感じさせる男だった。まぁ、ちゃんと腰には刀を下げているので、やることはやっているのだろうが。

 

 礼には礼を。そういう態度の相手ならば、わたしもそういう態度を取らなければ、である。

 

「ごめんなさい。以前、どこかでお会いしましたか?」

 

 わたしが首を傾げると、その男は謝罪した。

 

「申し訳ございません。あなたの噂はかねがね聞いていたのですが、お会いするのは初めてです。いきなり声をかけてしまい、驚くのも当然ですよね」

 

 男はにこりと笑う。

 

「僕は伊東鴨太郎(いとうかもたろう)と申します。まだ真選組に所属して一年程度の若輩者ではございますが、最近まで京都に出張してまして、つい先ほど帰ってきたところなんです」

 

 京都――その単語に、わたしは思い当たる節があった。

 

「あ、武器を仕入れてきた人?」

 

 伊東は、笑顔のまま頷いた。

 

「はい。政府や行商人など色々掛け合いまして、頑張って取引してきました。みんな喜んでいたらいいけれど」

「みんな凄い勢いで買ってましたよ。わたしも本当は欲しかったんだけど、なにぶんお金がなくて」

「おや、珍しいですね。女性なのに、武器が好きなんですか?」

 

 目を見開く伊東に、わたしは困った笑顔を返した。

 

「好きってわけでもないんですけど……必要な時に、ないと困っちゃいますよね」

「必要な時……ありますか? そんな美しいのだから、守ってくれる男の一人や二人、いるでしょうに」

 

 その時だ。玄関の扉がガラッと開く。

 

 全身汗だくの副長が、雪崩れ込むように入ってきた。

 



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バイトのきっかけは大抵似たようなものである④

 死地を彷徨ってきたような顔で、

 

「し……死ぬかと思ったでござる……」

 

 そう言って。

 

 騒がしかった場が、一瞬で静かになる。

 

 ただ、土方の荒い息づかいが聴こえるだけだ。

 

 その中で、わたしは生唾を飲み込んだ。

 

「――土方さん」

 

 覚悟して、わたしは茫然とする隊士の間を縫って、土方の元へ歩み寄る。

 

 そして、四つん這いになっている彼の肩に、ぽんと手を置いた。

 

「お、お疲れ様! な、なんか今日すごく暑いもんね! 疲れちゃったよね! ほら、奥で休もう。冷茶でも淹れてあげるよ」

 

 努めて明るい声を出して、土方を立たせようと腕を引っ張った。すると、土方が両手でわたしの手を握ってきた。

 

「め、女神ござる!」

 

 その目はキラキラしていた。いつもどちらかといえば細められている鋭い眼光が、今はもうこの世の一縷(いちる)の希望を見つけたかのように眩しい。

 

 わたしも言葉が出ず、瞬きを何回かしていると、土方はその手にさらに力を籠めてきた。

 

「いや、天使でござるか! それとも魔法少女キャット=インバースでござるか!」

「きゃっといんばーす?」

 

 かろうじて繰り返すと、土方がぶんぶんと首を振り、懐から一枚絵を出す。

 

「そうござる! これから巷で大人気になるであろう、美少女天才魔道猫娘アニメでござる!」

 

 その絵には、小柄で猫耳と尻尾がついたロングヘアの活発そうな女の子が描かれていた。格好はマントを除けば、わたしの服装に似ているとも言えなくともない。

 

「いやぁ、似てるでござる! そっくりでござる! あれでござるか? 大飯食らいでござるか? 盗賊殺し(ロバートキラー)でござるか? ドラゴンも跨いで通るでござるか?」

「ど、どらごんってなに……?」

 

 茫然としていると、誰かに肩を叩かれた。伊東がにこりと微笑んでいる。

 

「やぁ、土方さん。無事に帰ってこれたようで、何よりだよ」

 

 ――ん?

 

 微妙なその言い方に、わたしは疑問符を投げかけた。

 

「えと、伊東さん、土方さんと会ってたの?」

「あぁ。ここへ帰って来る前に、ちょっと街中を見てまわっていてね。その時、土方さんが野党に襲われていたようだったから、手を貸したんだけど」

「へぇ」

 

 つまり、攘夷浪士から土方を助けたのは、この人だということらしい。

 

「お強いんですね」

「土方さんほどでもないよ」

 

 どことなく嫌な雰囲気を感じるが、伊東は笑みを崩さず、こう提案してきた。

 

「そうだ、桜さん。お金がないなら、真選組でアルバイトしたらどうですか?」

「バイト?」

「どうやら土方さんが体調悪いようだし、桜さんがフォローしてあげるのはどうでしょう。沖田君、土方さんの傍に置いておくなら、君も安心だろう。体調が悪いとはいえ、副長だ。いざとなればきっと、桜さんを守ってくれるだろう」

 

 伊東が振り向いた先には、壁に背中を預けた沖田が、つまらなそうな顔でこちらを見ていた。

 

 わたしの方をじーっと睨んで、

 

「別に、こいつがそうしてェなら、勝手にすりゃいいでさァ」

 

 そう言うと、すぐに背中を向けてどこかへ行ってしまう。

 

 ――あ、まだ怒ってる……。

 

「それじゃあ、決まりですね。桜さん、土方さんをどうかお願いします。あ、局長には僕から話を通しておきますから」

 

 伊東が半ば強引に、話を進めていく。

 

 ――まぁ、いいか。

 

 お金が欲しいのは、事実である。稼ぐすべをくれるのは、有り難い話だ。

 

 わたしは土方の手を振り払って、髪を掻き上げた。機嫌の悪い沖田が行った方を見ながら、考える。

 

 ――お金が入ったら、総悟くんに甘いものでも買ってあげよう。




アニメの銀魂のすごくいいシーンを見てから、書きました。

すごーく、気が抜けてしまいました。

土方さんの言ってるアニメは、私が好きなアニメからとってみました。
分かる人いますかね??
彼女は私が人生で一番尊敬する人物です!!


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バイトのきっかけは大抵似たようなものである⑤

 

 

 その晩、伊東鴨太郎の帰りを祝う会が催された。

 

 今度はきっちり夜に行われた宴会である。

 

 それなのに、わたしのグラスに注がれるのは、ちぃちゃんばかり。

 

「ねぇ、なんで? 近藤さん、わたしもビール飲みたいよ!」

「ダメだ! 未成年に酒なんぞ百年早いっ!」

「わたし未成年じゃないから! てか、百年経ったら成人老人飛び越えて骨になるから! 無機物になっちゃうから!」

 

 近藤の着物を引っ張ってがしがし揺さぶるも、ビールを流し込むその腕はぶれず。大口を開けて笑っているだけだった。

 

 なので、わたしはターゲットを変える。

 

「じゃあ、土方さん! 土方さんならそんな固いこと言わないよね? むしろ、大人の魅力と色気でわたしにお酒の美味しさを教えてくれちゃうよね?」

「あぁ?」

「うん、ごめんなさい」

 

 そのドスの効いた返事と、鋭すぎる眼光に、わたしは即座に失敗を認めた。

 

 土方は、あのあと部屋に戻ると、すぐにいつもの土方になっていた。特になにしたわけでもなく、ふと立ち止まったかと思えば、すぐさま頭を抱えて、言葉にならない言葉を叫んだくらいである。そして、「出ていけ」と言われたので、何も見なかったことにして、今に至るのだが。

 

 わたしはまだ口を付けていないちぃちゃんを土方に差しだした。

 

「具合、大丈夫?」

 

 土方は舌打ちをする。

 

「っるせーな。何も問題ねーよ」

 

 そう言って、ジョッキに並々注がれたビールを一気に飲み干した。

 

「ふむ」

 

 小さく嘆息して、わたしは諦めてちぃちゃんを飲む。

 

 すると、近藤の隣に座る伊東が、声をかけてきた。

 

「いやぁ、桜さんは本当にお優しいですね」

「……褒めても何もでないわよ?」

 

 わたしは口を尖らせて、半眼で伊東を見る。伊東は酒のせいか少し顔を赤らめながらも、爽やかに笑った。

 

「どうも話によれば、出会い頭に沖田君を助けに行き、祭りの際の事件でも、真選組に混じっては将軍をお守りしたとのことじゃないですか。さらに、今は土方さんの心配までするなんて……土方さんの言葉を借りるわけじゃないですが、本当に女神のような人ですよね」

「あぁん? 誰が女神だなんて言ったんだ?」

 

 土方はビールから日本酒に切り替えたようだが、くいっとおちょこを飲み干してから、伊東を睨む。

 

 しかし、伊東は表情を全く変えることはなかった。

 

「何とぼけてるんだ、土方さん。貴方がさっき屯所に帰って来た時に、桜さんの手を握ってそう言ってたんじゃないか」

「なんだと?」

 

 土方がわたしの方に顔を向けるので、わたしはこくんと頷く。

 

「あー」

 

 土方は大きく嘆息して、手酌で日本酒を注いでは、一気に飲み干した。

 

「ちょいと夜風に当たってくる」

 

 そして、ボソッと呟いては席を立った。

 

 どことなく、彼の背中が小さく見えて。

 

 わたしも後を追おうとすると、近藤から声がかかる。

 

「桜ちゃん、先生から聞いたが、しばらくトシのことを頼んだぞ」

「先生?」

 

 わたしが首を傾げると、近藤は伊東の肩を組む。

 

「伊東鴨太郎先生だ! 先生はな、真選組のブレーンをやってくれている、有難いお方なんだ」

「いやだな、大袈裟ですよ。近藤さん」

 

 照れたように伊東は頭を掻くが、わたしは目を細めた。

 

「……真選組の頭脳は、土方さんって話じゃなかった?」

「トシは戦術的なことはもちろん頼りになるが、やはり政府を相手取ったことなどになると、些か難しいもんがあってな。まぁ、俺らはみんな荒くれ者だから、当たり前と言っちゃそーなんだが。しかし、先生はそういった俺らの難しいことを難なくこなしてくれる! 今回も難しい交渉をきっちり纏めてきてくれたしな。本当に感謝してる!」

「だから近藤さん、言い過ぎですよ」

「いやいや、まだ言い足りないくらいだ。ほら、先生ももっと飲め!」

「僕、お酒はそんな強くないんですから、ほどほどに……」

「主役が謙遜などするな! 一緒に楽しい酒を付き合ってくれや」

 

 近藤が強引に伊東のおちょこに酒を注ぐ。

 

 そんなよくありそうな上司と部下の宴会でのやり取りを一瞥し、わたしは土方の後を追うことにした。

 

 ――あ、総悟くんに声かけてからのほうがいいかな。

 

 振り返って、彼を探すと、大人しく席に座って、一人日本酒を飲んでいた。わたしの視線に気付いてか、横目でこちらを見ては、すぐに逸らす。

 

 ――感じわるっ!

 

 その態度に辟易し、わたしはこのまま宴会会場を飛び出した。

 

 首の鈴が、チリンと鳴る。



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バイトのきっかけは大抵似たようなものである⑥

 

「土方さんっ!」

 

 てっきり軒先で煙草を吸っているのかと思って探したのだが、なかなか見つからず。

 

 二十分くらいしてようやく発見した場所は、屋根の上だった。

 

「よっと」

 

 わたしは屋根の端にぶら下がっていたのだが、反動をつけてよじ登る。

 

 土方は煙草も吸わずに、体育座りをしていた。そして、手のひらより少し背が高いくらいの人形を握りしめている。

 

「んーと……」

 

 ――怯むな、わたし!

 

 喝を入れて、土方の隣に座る。そして、空を見上げてみた。

 

 満天の星空――を、遠くのビル群から上がる煙が雲のようにうっすら覆っている。若干残念な感じがするが、そんな感じもこの江戸らしくて、いいかと思う。宇宙船が発着陸しているようだ。

 

 ――こんな夜遅くに、珍しいわね。

 

 しかし、そんなことより珍しいのが、土方である。珍しいというより、意外と言うべきなのかもしれない。

 

 それを、素直に口にしてみることにする。

 

「土方さん、案外ロマンチストなのね」

拙者(せっしゃ)が、ロマンチスト……?」

 

 恐る恐るといった様子でこちらを向いてくる土方に、わたしは笑顔を向けた。

 

「屋根の上で夜空を見上げるような趣向がある人とは、思ってなかったから」

「そうで……ござるか?」

 

 頷いて、わたしは身体を伸ばす。

 

「土方さんはもっと冷徹で、情緒とか全然気にしなさそうで……あ、そうでもないか。お祭りのとき、ちょっとマヨネーズ自重してたね」

 

 土方は俯いて、じっと人形を見つめている。

 

 その人形は、昼間に見た一枚絵と同じ少女のものだった。前に人差し指を出している様は、いかにも勝気である。

 

 そんな少女を、じっと見つめて。心で何かを語りかけているのか、相談しているのか。とにかくじっと見つめて。

 

「わたしはどっちでもいいんだけどね」

 

 そんな土方に前置きして、一方的に言ってみることにする。

 

「普段一生懸命働いている土方さんにね、そういった趣味があるのも、いいと思う。人間ストレス発散ってのも必要だし、まぁ……土方さん男だもの。女にはわからない趣味趣向があったって、おかしくないだろうし」

 

 そして一呼吸して、言った。

 

「あるいはね、あなたが、実は土方さんじゃないっていう可能性があったって、世の中あると思うよ? わたしも似たような経験あるし」

 

 すると、土方が再びこちらを向いた。目を見開いて、

 

「ホントでござるか! 桜氏も憑依したことあるでござるか!」

 

 ――やぁ、後者かぁ。

 

 自分で言っておきながらあれだが、前者だといいなと思っていたのが事実である。

 

 いや、だってさ。前者なら、あーあ土方さんも可愛いとこあるのねー、で、終わる話じゃないか。ネタとして面白いかな、とか、弱み握ってお小遣い貰うのも無きにしも非ず? みたいな。

 

 けどさ、どうやら後者確定らしく。なんか土方さん、変なのに取り憑かれちゃったらしく。聞いちゃったからには、知らなーい、あとは頑張ってねー、で終わらすわけにはいかず。土方には焼きそば時の恩もあるし、なんか不器用ながらも色々気を使ってもらってた感はあったし、恩返しするには何も異論はないんだけど。

 

 いやー、除霊か。わたしも身体乗っ取られたというか、洗脳にあったことはあるけど、そんな類いか。

 

 ほっとけないけど、参ったな――そんな胸中を笑顔で隠して、

 

「まぁ、わたしは乗っ取られた側だけどね」

 

 そう返答する。

 

 土方(仮)の目は輝いていた。

 

「いやぁ、やっぱり桜氏は他の人とは一味違うと思っていたでござる! 拙者、桜氏だったら全身を預けてもよいでござる!」

「や……それはわたしが困るけどね」

 

 その人形ごと、彼はわたしの両手をまた握ってきた。

 

「実は拙者は――」

 

 

 

 そして彼が語り続けて六時間。宴会もとっくにお開きになっていて、もう少ししたら朝日が昇って来る頃まで、わたしは彼の話を聞く羽目になった。

 

 どのみち、数日土方と行動を共にしなければならなかったのだ。これも仕事である。お金を稼ぐのは甘くないのだ!

 

 そう自分に気合をいれて六時間を乗り切ったのだが、部屋に戻ろう屋根から降りた時、わたしは誰かが立ち去るような足音を聴いた。

 

「……総悟くん?」

 

 なんとなくそんな気がして後を追ったが、わたしは誰の姿も見つけることが出来なかった。



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仕事は苦労と失敗と誤解されて当然のもの①

 

 

 

 土方の仕事始めは、朝礼から始まるらしい。付き添いということで、わたしは今日初めて同席させてもらっていた。

 

 土方と、各部隊長が一部屋に集まり、昨日の仕事の報告と、今日の予定を次々話していく。

 

 もちろん、そこに沖田もいて。

 

 やっぱり、わたしのことは一視もくれないのだが。

 

 ――あんにゃろぉぉおおお!

 

 と、襟首掴んでやりたいのを我慢しつつ、わたしは土方の隣で大人しくしていた。

 

 なにか気分を害しちゃったのなら、わたしが悪いだろう。おねだりしすぎた感は確かにある。

 

 けど、一晩経っても怒ってるなんて、まるで子供じゃないか。まぁ、子供なんだけど。だから、守ってあげなきゃいけないのに。だから武器が欲しいと言っているのに。

 

「分からず屋……」

 

 ぼそっと呟いて、沖田をじーっと見ていても、やっぱり沖田はわたしのことを見やしない。

 

 そして、わたしの仕事が始まった。

 

 粛々とした部屋の雰囲気に割って入るかのように、携帯の着信メロディが鳴りだす。

 

 それは、立ち塞ぐ敵に乾いた風が激しく吹き荒れちゃっているようなリズムで。

 

 呪文のひとつでも唱えたらあたしのペースになっちゃうようなサウンドで。

 

「つらいひびもえがおでぴりおどよぉぉぉぉぉぉおおおおお」

 

 わたしは大声で叫んだ。適当に叫んだ。それと同時に、土方のポケットから無断で携帯を取り出し、その電話に出る。

 

「はい、もしもし土方でございまぁす。はーい、あ、はい、限定版の増版が決まった? はい、じゃあ一つ……いや、三つ予約お願いします。はい、夕方には取りに行きますので。はい、よろしくお願いしまーす」

 

 携帯を切ると、土方と沖田以外の白い目がわたしに向けられていた。それに、わたしは乾いた笑みを返す。

 

「はは……土方さんに欲しかったアニメのDVDをお願いしてまして……えへへ」

 

 どうも土方は、正気の時と、オタクに魂乗っ取られている時があるらしく、朝礼の様子から、今は正気らしい。切羽詰まったり、感情が高ぶると、オタク魂が出てきやすいと、昨晩話したオタク土方が言っていた。

 

 でも、このわたしの行動に、何も言わない。何も反応しない。しいて言うならば、ちょっと目が輝いていなくもない。

 

 ――土方の魂が、どんどん弱くなっている?

 

 横目でそんなことを確認しつつ、わたしは笑顔のまま、また大人しく席に着いた。

 

 ちなみに、昨晩そのオタク土方に、『拙者のことはトシ君と呼んでほしい』と言われたので、わたしは『トッシー』と呼ぶことに決めた。

 

 

 

 朝礼が終わると、今度は拷問の様子を観察に行くらしい。

 

 屯所の奥の部分の小屋に、攘夷浪士が捕えられているとのこと。

 

 どうやら、土方は拷問のプロのようだ。

 

「ほんっと、土方さんの拷問はすごいんすよ! むごくて、残虐で、いっそのこと殺してくださいと言いたくなるようなあのむごさ! もうホントはいろいろいい言葉があるんでしょうけど、ホントむごいとしか言えないほどむごいんす!」

 

 そう嬉々として話す隊士に、土方は淡々と話を切りかえした。

 

「で、状況はどうなってるんだ?」



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仕事は苦労と失敗と誤解されて当然のもの②

「へい、鞭打ちと水攻めを繰り返しているのですが、なかなか口を割らずに、苦戦していたとこです」

「爪は剥いだのか?」

 

 あっさりとそう口にする土方に、隊士は首を横に振る。それに、土方は嘆息した。

 

「あんだよ、全然まだやってねぇじゃねぇか……まぁいい。あとは俺がやる」

 

 煙草に火をつけ、土方が一人、その小屋に入っていった。

 

 戸を閉める前に、振り返る。

 

「桜、てめぇは何があっても覗くんじゃねぇぞ」

 

 バタン――と扉が閉められた。

 

「おぉぉぉぉぉおおおおおお!」

 

 隊士が野太い歓声をあげる。

 

「桜ちゃん、見やしたかい、あのクールさ! 今から冷血残酷なことをするのに、ちゃんと女の子に対する優しさを忘れないフェミニズム! いやぁ、男の中の男とは、まさに土方さんのことっす! 桜ちゃんと沖田さんより土方さんにした方がいいと思うッす!」

「なんで覗いちゃいけないのが、女の子に対する優しさなのよ? ちなみに言っておくと、フェミニストとかフェミニズムというのは男女平等という意味であって、女性を特別ちやほやするという意味はないんだからね? なんか全然聞いてくれてないようだけど」

 

 土方万歳な勢いの隊士に一応注意しつつ、わたしは小屋を覗こうと、扉に手をかける。

 

 すると、隊士から制止の声がかかった。

 

「ちょっと今の話聞いてなかったんですかいっ? 土方さんが開けるな言ったじゃないですかい!」

 

 ――いや、あなたに聞いてなかったのかは言われたくないんだけどなぁ。

 

 そんなことを思いつつ、わたしは眉をしかめて反論した。

 

「覗いちゃダメと言われたら、覗いてやるのがセオリーでしょう?」

「いや、ダメっすよ! 女の子には刺激が強すぎるっす!」

 

 そう否定されて、その隊士はわたしの目を手で覆ってくる。

 

 めんどくさいなぁと思いつつ、さっきちょっと気になることを言われたことに気がついた。

 

「そういえばさ、わたしが総悟くんより土方さんにしたほうがいいって、どういうこと?」

 

 すると、隊士が答える。

 

「そのまんまの意味っすよ。女にもドSな沖田さんよりも、女に優しい土方さんを選んだ方が、きっと桜ちゃんは幸せになれると思うっす」

 

 わたしは首を傾げた。

 

「ん? 意味がわからないよ?」

「違うんすか! 土方さんはまだ自覚とかしてなさそうっすけど、沖田さんが桜ちゃんのこと好きだって……気づいてないんすか?」

「気づくも何も、そんな訳ないでしょ」

 

 わたしが即答すると、その隊士が愕然とした表情をする。

 

「な、なんてことっすか……」

 

 そう言って、もう何も言ってこなくなったので、わたしはそっと扉を開けた。

 

 小屋の中には井戸があり、その上には罪人を吊り下げるためであろう滑車と紐がついている――が、そこには誰も吊るされておらず。罪人は地面の上にひかれた布団の中でくねくねしていた。

 

 その隣では同様にひかれた布団にトッシー(・・・・)が寝転んで、罪人を攻めている。

 

「ねーえっ、ちょっと、教えなさいよぉ。す・き・な・ひと、いるんでしょ?」

 

 わたしは即座に扉を閉めた。

 

 確かに、わたしには刺激が強すぎたようだ。

 

 

 

 その後、街を見回っていると、寂れた通りで攘夷浪士に襲われた。事前に聞いていた話だと、このあたりに、攘夷浪士の隠れ家があるという。その話が本当のことなのだと、この襲撃で確認できたので、あとはこいつらを絞めて、口を割らせればいいのだが。

 

 案の定、トッシーが頑張ってくれてしまった。

 

「どどど……どうしよう、桜氏。拙者、逃げるにしても膝が震えて動けないでござる……」

「うん、そうみたいだね。じゃあ、その刀貸してくれるかな?」

「天才魔道猫娘なら、魔法でやっつけてほしいでござる!」

「いや、わたしキャットなんちゃらじゃないからね。さっきあなたもわたしのこと、ちゃんと桜って呼んでたからね」

 

 そんなくだらない問答している間にも、刀を構えた攘夷浪士がどんどんと間合いを詰めてきていた。

 

 人数は五人。武器が使えれば、トッシーを守りながらでも、なんでもない人数である。

 

 わたしはトッシーが腰にさしている刀を無理やり抜こうとした。しかし、彼はその刀を抜かせまいと、わたしの手を押さえてしまう。

 



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仕事は苦労と失敗と誤解されて当然のもの③

「ダメでござる! 桜氏がこの刀に触れてはダメでござる!」

「なんでよ」

「拙者は桜氏を見てたいんでござって、桜氏になりたいわけではないでござる!」

 

 ――あぁ、そういえば……。

 

 トッシーの行動に合点がいったときには、浪士の刃が間近に迫っていた。わたしはトッシーに足をかけて転ばせる。

 

「あべしっ」

 

 トッシーがおかしな呻き声を発するが、無視して振り下ろされる刃を蹴り上げた。回転して宙を舞う刀を一瞥しつつ、わたしは横から突いてくる刀を重心を逸らしてかわす。そのまま相手の手を引っ張って、浪士は前のめりに倒れてきた。その首元にわたしは踵を下ろす。その浪士はトッシーの上に倒れて、

 

「だべしっ」

 

 再び呻き声が聴こえる。

 

 そして他の隊士がまた刀を振りかぶったところで、わたしは落ちてくる刀を受け取ろうとした――が、わたしは急に誰かに引き寄せられた。顔を向けると、落ちてくる刀の持ち主だ。わたしを殴ろうとこぶしを握って。

 

 殴られるよりも前に、反撃しようとした時である。

 

 そいつが、膝から崩れ落ちた。

 

 開けた視界に現れるのは、見知った顔である。

 

「その程度で俺を守ろうなんざ、よく言えるものでさァ」

 

 仏頂面の沖田総悟はそれだけ言うと、すぐさまわたしの横をすり抜ける。振り返れば、浪士の一人が鮮血を散らしていた。

 

 ぐさっと、地面に刀が突き刺さる。

 

「……だから、刀が欲しいって言ったんじゃない」

 

 わたしはそれを引き抜いて、少し離れていたところでうろたえていた浪士に一足で詰め寄った。左から首を狙って一閃。刀身の中心で捕える目前で、止める。

 

「逃げるなら今のうちよ? わたし今機嫌が悪いから、すぐに逃げないと容赦できないけど」

 

 足をもたつかせながらも逃げる浪士に嘆息しつつ、沖田を確認すると、すでに残る浪士は無残な姿で倒れていた。

 

「殺したの?」

「真選組でもねェあんたには関係ないことでさァ」

「なによ、その言い方!」

 

 わたしは刀を捨てて、沖田に詰め寄る。

 

「もうちょっとモノの言い方ってものがあるんじゃないの?」

 

 すると、沖田は冷たい目で答えた。

 

「俺が攘夷浪士殺して、何がいけないんでさァ?」

「何がいけないって、根本的に人を殺しちゃ――」

「俺の、真選組の仕事はこういうことでさァ。別に、あんたに理解しろとは言わねェよ。あんたはただ、真選組で預かっている捕虜みてェなもんだ。そんなあんたに、俺のやること口出しされる筋合いはねェし、ましてや心配や指図される筋合いはもっとねェ」

 

 そして、沖田がわたしに刀を向けてくる。

 

「……俺は命令によっちゃ、あんたを殺すこともあるんだ。あんたは素直に俺らの言うこと聞いてるしかねェんだよ」

 

 その言葉に、わたしは固唾を呑むことしかできなかった。

 

 言われたことが、事実だからだ。

 

 わたしは真選組の仲間でもなければ、彼の家族でもなんでもないのだから。

 

 でも、何かが違うのではないかと、思えてしまって。

 

 今までの、わずか数週間のことだが、そんな他人であるとも思えなくて。

 

 わたしが口を開きかけた時、

 

「だ……だずけで……」

 

 倒れた浪士の下でつぶれている、無様なトッシーの呻き声に、沖田が嘆息した。

 

「まぁ、とりあえず話だけは聞いてやろうか。土方さん」

 

 そういう沖田が、一瞬にやりと笑うのを、わたしは見逃さなかった。



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仕事は苦労と失敗と誤解されて当然のもの④

 

 

 

 喫茶店に行ったら、必ず食べたいものがある。

 

 パフェだ。百歩譲ってもサンデー。

 

 逆三角錐のガラスの容器に詰められたケロッグやスポンジ。その間を埋めるように溶けたアイスや生クリームが染みわたり、上にはカラフルなフルーツが彩られる。

 

 芸術だ。これを芸術と呼ばずして、何を芸術と呼べばいいのか。

 

 人生初めてこれを食べたときには、幸せすぎて死ぬのではないかと思った。こんな美しく美味しいものを目の前にして、自分の存在に悩み、生きていてごめんなさいと涙したものだ。

 

 そんな苺パフェを目の前にして、わたしは目に涙を浮かべてお預けをくらっていた。

 

 どうにもこうにも、食べていい雰囲気ではないのだ。

 

「それじゃあ、なんですかィ土方さん。あんたはその妖刀村麻紗(むらまさ)に乗っ取られちまってるわけですかィ」

 

 対面に座る沖田が、あざ笑うかのように訊き返してくる。

 

 それに、わたしの隣にいる土方は頷いた。

 

「あぁ、なんとも情けねぇ話だが……この刀を手にしてから、急に意識が途絶えちまって、気づけばさっきみたく醜態(しゅうたい)を晒しちまっている」

 

 そう話しながら、土方はテーブルの上に置かれた剣を握った。

 

「何度も手放そうとしているが、どうしてもそれが出来ねぇ。ゴミ箱に捨てても、折ろうとしても、呪われたように手から離すことが出来ないんだ……」

「呪いねェ……」

 

 そう呟く沖田に、妙な雰囲気を感じていた。

 

 ピリピリしているというか。冷たいような。

 

 ――仮にも、先輩の相談じゃないの?

 

 その雰囲気の中、どうしたらわたし一人意気揚々とパフェを楽しむことが出来るのだ。ちなみに、この男二人は、何を気取ってか、珈琲を頼んでいる。あんな苦いもののどこがいいのだろう。

 

「あんたもそのことを知ってたのかィ?」

 

 沖田に訊かれて、わたしはこくんと頷いた。

 

「宴会のとき、トッシーからね。その妖刀の前の持ち主の怨念のせいで土方さんがこんなになっているらしいんだけど、その前の持ち主が重度の魔法少女オタクの引きこもりだったみたい。まぁ、その持ち主の死因は、修学旅行先がとあるアニメの聖地だって理由で修学旅行にだけは行きたいと言い出したことで、お母さんが怒ってうっかり投げたこの刀が男の急所に刺さったショック死なんだって」

「へぇ、ずいぶんと土方さんと仲良くなったようだなァ」

 

 ――だから、なんでそう棘のある言い方しかしないのよ。

 

 そう言い返すのを、ぐっと堪えて、わたしは答えた。

 

「なんかわたしが魔法猫娘だかにそっくりらしくって。懐かれちゃったみたいね」

「さすが痴女猫、男なら誰でもいいんだな」

「はぁ? それってどういうことよっ!」

 

 わたしが机を叩いて立ちあげると、隣の土方がビクッと肩を震わせる。

 

 ――もしや……?

 

 わたしが確認するよりも早く、沖田は机越しに土方の襟首を掴んでいた。

 

「おい、土方。とっとと先週号のジャンプとちぃちゃんの林檎味を買ってきやがれ――五分以内に屯所まで持ってこないと……わかってんだろうな」

「あぃぃぃぃいい! わかりやしたぁぁぁぁあああ!」

 

 沖田の凄みに、トッシーは即座に席を立ち、喫茶店を駆けだしていく。きちんと、刀も持って行って。

 

「ちょっと、トッシ……」

 

 わたしも後を追おうと立ち上がるも、沖田がバンと机を叩く。

 

「どこ行くつもりだ痴女猫。あんな土方にテメェの監視が務まるわけねェだろ」

 

 それに、わたしも机に手をついて、言いかえす。

 

「でも、わたしは土方さんのフォローの仕事を――」

「さっきも言っただろうが。テメェはしょせん捕虜だ。中止に決まってんだろ」

「でも……」

 

 わたしが言葉を詰まらせると、沖田は嘆息して言った。

 

「パフェ食ったら帰るぞ」

 

 沖田を睨んでも、彼はわたしと目を合わせようとはしなかった。

 

 嘆息して座り、わたしはスプーンを持つ。

 

 パフェは既に、溶けてかたちが崩れていた。



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仕事は苦労と失敗と誤解されて当然のもの⑤

 

 

 

 その後、屯所に戻ると、わたしは自室で待機しているよう命じられた。

 

 しかも、ご丁寧に監視付きである。

 

「ねぇ、ちょっと山崎ぃ! やってらんないと思わなぁい?」

 

 舌っ足らずにそう言って、わたしは山崎の肩に手を回す。

 

 飲まなきゃやってられないのだ。わたしが一体なにをしたというのだ。

 

 土方もといトッシーのことが心配でもあるが、

 

「総悟くん、なんであんなに感じ悪いわけよぉー。そんなに、そーんなにわたしが刀持っちゃいけないわけぇ? 今のご時世、男女平等じゃないの? 女が武器持って戦っちゃ悪いの? えぇ?」

「ねぇ、桜ちゃん。なんでそんな酔っ払い風なの? 飲んでるの、ちぃちゃんだよね? いつもの薄いオレンジ味の」

 

 わたしは、そんなくだらない質問に不敵に笑う。

 

「今日はカクテル風に、ちぃちゃん水割りよ。いつもの何倍も薄いわよ」

「それ自慢げに言っちゃうの? 余計にみじめ感じちゃわない?」

「くっ……山崎のくせになかなか言うわね……」

 

 山崎はげんなりと嘆息した。

 

「僕、もうそんなキャラとして認識されちゃったんだ……桜ちゃんの前でそんなにダメな所まだ見せてないと思ってたんだけどなぁ」

 

 わたしは即答する。

 

「うん。別に山崎の何がダメなのかとか正直さっぱりだけど、なんか山崎ってだけでそう言っていい気がするわ。だって山崎だもの」

「ダメ! そーゆーこと言ったら、全国の山崎さんに怒られちゃうから! 評価0とか付けられちゃうから!」

「別に全国の山崎さんに言ってるんじゃなくて、目の前にいるわたしのくだらない話に付き合ってくれる山崎に言ってるだけよ。ありがとね」

 

 淡々とそう言うと、山崎は顔を背けて、

 

「急にそういうこと言うの、ズルイよなぁ……」

 

 と、照れているようだった。わたしは空いているグラスにちぃちゃんと入れて、山崎に差しだす。

 

「で、山崎は総悟くんに頼まれて、わたしの見張りしているのよね?」

「うん。勝手に桜ちゃんが出かけないように見張っとけって。今日本当は非番だったんだよー。沖田隊長も人使い荒いよなぁ」

 

 山崎はそう愚痴を言いつつ、ちぃちゃんを飲む。

 

「あ、久々に飲んだけど、けっこう美味しいね」

「たまに飲むならいいんだけどね。これが毎日だと、なぜかちょびっと悲しくなるのよ。果汁が薄くって」

 

 すると、山崎は笑った。

 

「じゃあ、今度果汁百パーセント買ってきてあげるよ」

「お酒でもいいのよ?」

「それはダメ」

 

 ちぇーっと舌打つふりをして、わたしもちぃちゃんを飲む。

 

「あのさー、聞きたいことがあるんだけど」

「なに?」

 

 首を傾げてくる山崎の正面にまわり、わたしは正座した。

 

「単刀直入に訊くけど、総悟くん。なんであんなに機嫌が悪いんだと思う?」

「本気で訊いてる?」

「けっこう本気でマジで訊いてる」

「ふむ」

 

 山崎は、何かを覚悟したかのように頷いて、

 

「……桜ちゃん、昨日から副長とずっと一緒にいるじゃん」

「まぁ……言われてみればそうね」

「ほら、沖田隊長、副長のこと目の敵にしてるからさ」

「ん? 総悟くんと土方さん、仲悪いの?」

 

 わたしが首を傾げると、山崎は茫然とした顔をした。

 

「き……気づいてなかったの……?」

「うーん……言われてみれば、二人が一緒にいるところはあまり見なかったような気もするけど……特に違和感あったのは今日くらいかな? なんか土方さんを見る総悟くんの目が怖かったくらいで」

「……そっか。うん、そっか。俺、沖田隊長が本気で可哀想になってきたよ」

 

 その時、廊下をばたばた誰かが走って来たかと思えば、大声が聴こえた。

 

「副長が……副長が謹慎処分になったぞぉぉぉぉぉおお!」

「はぁあ?」

 

 それにわたしは立ち上がり、部屋を駆けだそうとしたが――山崎に手を掴まれた。

 

「ダメだよ。桜ちゃんは部屋にいないと」

「いや、だって土方さんが謹慎って、どういうことよ? ちょっと昨日から色々あったかもしれないけど、まだたったの二日よ?」

 

 わたしはその手を振り払おうとしたが、山崎の力は案外強く、振りほどけない。

 

「色々思うことはあるかもしれないけど、今の俺の仕事は、桜ちゃんをこの部屋から出さないようにすることだから。手荒なことはしたくないから、大人しくしていてくれないかな?」

 

 優しい口調だが、その視線は固く。いくらわたしが睨んでも、山崎はまったく譲るそぶりはなく。

 

 わたしは畳の上に置いていたちぃちゃんを取り、一気に飲みほした。



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仕事は苦労と失敗と誤解されて当然のもの⑥

 

 

 そうは言っても問屋が卸さない――という言葉をどこで聞いたかは定かではないが。

 

 夜も深まった頃合いに、わたしはそろりとふすまを開ける。

 

 見下ろせば、胡坐を掻きながらうたた寝している山崎の鼻ちょうちんが膨れていた。

 

 静かに。だけど迅速に。

 

 わたしはその横を通り抜け、屯所の奥の部屋へと向かう。

 

 向かう先は、渦中の人の部屋。どうやら、明日には屯所を追い出されてしまうらしい。会うなら今しかない。

 

「土方さーん、あるいはトッシー……」

 

 小声で呼びかけて、ふすまを開ける。

 

 すると、月明かりが差し込む薄暗い部屋の隅で、

 

「さ……桜氏ぃ……」

 

 膝を抱えてめそめそと泣いているトッシーがいた。

 

 ――さすがに、謹慎はショックだったのかしら。

 

 そう思案しつつ、わたしは周囲を確認して、部屋に入る。

 

「トッシー、どうしたの? なにしちゃったの?」

 

 極力優しい声を出しつつ、トッシーの前にしゃがむ。真っ赤に腫れた目からぼたぼたと涙をこぼし、鼻水をすする彼の顔は、子供にしか見えなかった。

 

 そんなトッシーが、絶え絶えに話す。

 

「桜氏……じ、実は……困ったことになって、しまったぜござる……」

 

 ――うん。謹慎だね。屯所から追い出されちゃうみたいだね。

 

 知っているが、こういうときは直接本人の口から聞くのがセオリーだろう。わたしは微笑を浮かべながら頷く。

 

 トッシーは言った。

 

「スレイニャーズの限定版DVD、受け取りにいけなかったでござる……」

「へ?」

 

 その発言にわたしの思考が停止したにも関わらず、トッシーはわたしの肩を掴み、熱く語る。

 

「ほら、朝に桜氏が電話出てくれたあれでござるよ! 観賞用と保存用と舐めまわす用に桜氏が三つ頼んでおいてくれたあれでござる! 夕方に取りに行くはずが、沖田氏のパシリで走りまわって屯所とスーパーやコンビニを往復し、そのあとも会議で延々と付き合わされたら店が閉まっていたでござる! どうしてくれるでござるか! 拙者、どうやって寂しい夜を過ごせばいいでござるか!」

「えぇ……と、明日朝一でお店に行けばいいんじゃないかな?」

「明日は定休日でござる! あぁ……あと二日もキャットちゃんに会えないなんて……どうやって拙者は生きていったらいいでござるか!」

 

 ――知らないわよっ!

 

 と、叫んでやりたいのを我慢して、わたしはなるべく穏やかに尋ねる。

 

「えーと……謹慎のこととかは、大丈夫なの?」

「謹慎?」

 

 トッシーはきょとんと目を丸くしたあと、嬉々としてわたしの肩を揺らしだした。

 

「そうだ、桜氏! 聞いてほしいでござるよ! 拙者明日から働かないでいいでござる! しかも、この土方という男、貯金がたんまりあるようで、欲しい限定版フィギュアがたんまり買えそうでござる! これならキャットちゃんだけでなく、アメリニャちゃんやニャーガちゃんも買えるでござるよ!」

「ちょっとトッシー、揺らしすぎ――あっ」

 

 トッシーでオタクとなっているとはいえ、元は鬼の副長、土方十四郎。力はかなりあり、強く揺さぶられて、わたしは前のめりに体制を崩してしまった。トッシーに抱きつくような形で転んでしまう。

 

「桜氏……だだだ、大胆でござるな……」

 

 月明かりでもわかるほどに顔を真っ赤に染めたトッシーに、一喝しようとした時だ。

 

「ほぉ……痴女猫もここまで発情してるとは、俺もさすがに予想してなかったさァ」

 

 刺さるように冷たいその声音に、わたしは振り返る。

 

 沖田の目は淡く光り、刀を一瞬で抜いた。

 

「総悟くん、ちが――」

 

 わたしが何か言うよりも早く、振り下ろされた一閃。わたしの髪がさわっとなびくと同時に、首が急に楽になった。チリンと鳴る鈴の音に見下ろせば、畳の上には、切られた赤い首輪が落ちている。

 

「今まで邪魔して悪かったな。これからは大好きな土方とせいぜい仲良くすることだ」

「ちょっと、なに勘違いしてるの?」

 

 沖田は立ち去り際に、持っていた刀を投げてくる。反射的にそれを受け取ると、その刀は通常の物よりも刀身が短く、軽く作られているようだ。ちょうど、力も伸長もない女でも扱いやすいような。

 

「餞別代りにくれてやる――後は好きにするといいさ」

「総悟くん!」

 

 わたしは呼ぶが、彼は振り向くことはなかった。後を追おうとすると、足もとでチリンと鈴が鳴る。その音で、追ってはいけないことを悟って。

 

「……馬鹿」

 

 わたしは、その首輪を拾った。







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あれもしたいこれもしたい女の子に見えても①

 

 次の日から、わたしの監視は日替わりになった。いつも非番だと思っていた山崎にも、仕事がある時があるらしい。

 

「ZZZZZZZ]

 

 橙色の鮮やかなアフロヘアの隊士は、とにかく異質だった。

 

「あの……あなたの名前は……?」

「ZZZZZZZ」

 

 喋りかけると、寝るのだ。無論、向こうから話かけてくることはない。

 

「ふむ……」

 

 ――よし、今日は監視がいなかったことにしよう!

 

 そうと決まれば、話は早い。部屋を出ようとふすまを開けると、視界の横から鋼の刀身が伸びてくる。

 

 わたしはそれを後ろに跳躍してかわした。寝ていたはずのアフロは、刀を元の構えに戻しながら、低く身構えている。

 

 ――出て行きたきゃ、俺を倒してからにしろってか。

 

「……お兄さん、一番好きなタイプだわ」

 

 にやりと笑って、わたしも腰に下げた刀を抜く。

 

 昨晩、沖田からもらった刀だ。試し切りにはちょうどいいだろう。

 

 わたしは刃先をアフロに向けて、一瞬。一足で跳んで、アフロの喉元目掛けて、刀を薙ぐ。

 

 ――軽い。

 

 思うがままに、抵抗なく動く刀は気持ちがいい。風を斬るようにすべる刃は、アフロの刀に弾かれるも、わたしは笑みを隠せなかった。即座に刀の向きを変えて、振り下ろす。アフロが後ろに退いたため、刃先は畳をすっと斬れ筋を入れた。

 

 わたしはそのまま大きく踏み込み、刀を持ちかえてアフロを突く。アフロは大きく目を開いて――わたしの刀は、橙のアフロの中を突き抜けた。

 

 もちろん、抵抗も歯ごたえもなく、くるくるした髪の毛が少しだけ、畳の上に落ちるのみ。

 

「けど、やる気がないのに刀抜いたって、わたしはビビらないよ?」

 

 その時、誰かが部屋に入ってきたので、その方向を見ると、

 

「部屋の中で暴れちゃいけませんっ!」

 

 ゴリラのような大男――局長、近藤に二人して頭にげんこつを落とされた。

 

 

 

 その次の日は、まさかの局長自らの監視だった。

 

「隊士たちばかりにさせるのもズルイのでな。今日は一日楽しく遊ぼう!」

 

 そんな近藤が持ってきたのは、あやとりやおはじき、お手玉だった。

 

 畳の上に広げられた、カラフルなそれらを見つめてから、再び近藤を見ると、彼は満面の笑顔でこちらを見ている。

 

 きっと、わたしが本気で喜ぶと思っているのだろう。

 

 わたしが無表情のまま、おもちゃと近藤の顔を交互に見ていると、近藤は意気揚々と赤いあやとりを手にした。

 

「ん? 遊び方がわからないかな? どーれ、お兄さんが教えてあげよう!」

 

 得意げに両手に掛けたあやとりを、わたしは刀で一閃する。

 

 はらっと落ちるあやとり。近藤の笑顔が固まるが、すぐに気を直したのか、嘆息した。

 

「あーあ。ダメだぞー、赤い糸を切るなんて、縁起が悪いじゃないかー」

「縁起が悪いもなにも、ただの毛糸でしょ、それ」

「そうだけど……ほら、恋の赤い糸とかって、女の子好きじゃないの?」

 

 ――いったい、わたしを何歳の女の子だと思っているんだ……。

 

 だいたい、もう『女の子』という年でもないのだが。それはきっと何度説明しても、わかってはくれないのだろう。

 

 わたしも嘆息すると、近藤は別の話題を口にした。

 

「その刀、使いやすいか?」

「え?」

 

 わたしは手に持つ刀を見る。

 

 どこにも名が彫られていないから、特に業物というわけではないだろう。それでも、小ぶりの刀は、筋力が落ちているわたしにも扱いやすい。それに、刀身に細かい傷は多いものの、刃こぼれしている箇所は見受けられず、よく手入れが行き届いている。

 

「うん。すごく使いやすい」

 

 端的に答えると、近藤は満足したかのように笑った。

 

「そっか。それな、総悟が小さい時に使っていたやつなんだ」

「ん? お下がり?」

 

 わたしが目を見開くと、近藤はさらに笑う。

 

「そうそう! 江戸に出てくる少し前くらいに、姉にねだって買ってもらったらしくてな。子供用だなんて本人は文句言ってたんだが、それでもけっこう長い間、後生大事に使ってたんだぜ。まぁ、さすがに真選組として給料もらえるようになって、きちんとしたのを買い直したんだが。それでも、夜によく、それの手入れをしている姿はよく覚えているよ」

「……そんな思い入れのあるものを、どうして?」

 

 わたしが刀を持つ手に力を入れると、近藤は優しく笑う。

 

「それだけ、桜ちゃんのことが大事なんじゃないかな?」




ふと思ったのですが、この小説、このハーメルンの中でそうとう長い話になりそうです。
だって、まだ動乱篇ですよ?
このあと、ゴールデンカブトムシの回収して、お姉ちゃんの話して、モンハンやって吉原かなぁ……なんて考えていたのですが。
もちろん、そのあともバラガキやら金時やらトッシーも成仏させなきゃいけないし……。

アニメ銀魂はとりあえず終わってしまいましたが、その寂しさを埋めるためにも、こつこつ書き続けていきたいと思いますので、どうぞこれからも、よろしくお願いします。


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あれもしたいこれもしたい女の子に見えても②

 言われて、わたしは再び刀を見る。まじまじ見る。

 

 どうして、沖田はこの刀をくれたのだろうか。

 

 餞別に、と言っていたが、別れの挨拶に武器を送る意味は何だろうか。

 

 しかも、おそらくこれは、彼の思い出の品というものではないだろうか。

 

 それを、わたしにくれる意味――

 

「――近藤さん、なんか、わたしに危険迫ってたりする?」

「ん? そりゃあ、桜ちゃん、天導衆に狙われてたり、攘夷浪士から恨みかってたりする可能性はあるんじゃなかったっけ?」

「それは、そうだけど……なんかこう……」

 

 ――真選組内部から狙われるような。

 

 と、言いかけて、やめる。そんなことを、その組の隊長に言ったって、本当のことを言うわけがないのだから。

 

 果たして、この呆けているような局長に、どこまでの管理能力があるのかは、定かではないが。

 

 そんなことを考えていると、近藤は急に鼻を摘まみ出した。

 

「てか! 桜ちゃん! お風呂にちゃんと入っている?」

「え……三日前には入ったけど」

「三日っ! え、なんで! 毎日お風呂に入ろうよ!」

「だって、おかげさまでわたし軟禁されっぱなしだし。部屋から出してもらえないし」

「いや、厠と浴場には、言えば行かせるよう指示してあるけど!」

「そりゃ、お手洗いには行かないと死んじゃうけど、どうせ引きこもってるならお風呂は面倒だなぁって」

「ダメだから、桜ちゃん、それ、女の子として終わっちゃってるから! 一気に幻滅されちゃってもおかしくない事案だから、それ!」

 

 けっして、清潔感にあふれているとは言えない男に言われても、正直なんとも思わないのだが。

 

 わたしは嘆息して、髪を耳にかけた。たしかに、しっとりしているかもしれない。

 

「いやさ、総悟くんと毎日いる時は、何時に風呂行けとか、何時に寝ろとか言われてたから、その通りにしてたけど……てか、しないとバズーカ撃たれちゃう勢いだったしさ」

「うん。なんだかんだ、桜ちゃんしっかりと総悟に飼われてたのね……」

 

 呆れるような、同情されるような目で見つめられて、わたしが半眼を返すと、近藤は両手を叩いて立ちあがった。

 

「よし! じゃあ、明日はとっておきのお客さんを連れてきてあげよう! 楽しみにしておいてね」

 

 そう言い残すと、近藤は軽い足取りで部屋から出ていく。もう、鼻歌なんか歌って、頭に花でも咲きそうな雰囲気で。

 

「ねぇ、あの……監視しに来たんじゃないの?」

 

 けっきょく、その日は夜勤明けの山崎がドロピカーナを買ってきてくれて、夜まで全力でおはじきやらお手玉して過ごすことになった。

 

 

 

 そして、翌日。

 

 隊士に案内されるがまま、浴場に行ってみると、お風呂一面に花弁が浮かんでいた。

 

 香りも少し甘い匂いが漂い、タオル一枚巻いただけの女の人が笑顔で迎えてくれる。

 

「こんなサービス、めったにしませんからね」

 

 少し恥ずかしそうにそういう女の人に手招きされるがまま、椅子に座ると、優しくわたしの身体にお湯をかけてくれた。そして、そのまま泡だらけの柔らかいスポンジでわたしの身体を洗ってくれる。

 

 もう、わたしは何も言えなかった。

 

 なにがなんだかさっぱりすぎて、言われるがまま動く以外に、どうしたらいいのかがわからない。

 

 この屯所には浴場が一つしかなく、隊士たちがまとめて入るために銭湯のような広い造りになっている。いつもは夜、隊士たちが入るより前に、沖田が案内してくれて、使わせてもらっていた。

 

 しかし、今日は隊士の前以前に、お日様が真上にいるような昼間である。もちろん、こんな華々しい雰囲気や香りはないし、こんなお姉さんも見たことがない。

 

 茶色の長い髪をルーズにお団子にしているこの人は、細身な美人さんだった。肌も健康的に白く、目鼻立ちがしっかりしながらも穏やかな顔つきを嫌う男はいないだろう。

 

 そんな美人さんが、優しく、わたしの身体を洗っては、

 

「じゃあ、今度は髪を洗いますから、目を閉じててくださいね」

 

 と、これまた落ち着いた声音で、シャワーを頭からかけてくれていた。



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あれもしたいこれもしたい女の子に見えても③

 そして、しばらく頭をしゃかしゃか洗ってもらっていると、

 

「綺麗な髪ね」

 

 そう話しかけられて。

 

「ありがとう……ございます」

 

 礼儀的に、そう返答する。すると、その女性はくすくすと笑った。

 

「もしかして、近藤さんから何も聞いていない?」

 

 わたしが頷くと、女性はまた笑って、自己紹介してくれた。

 

「仕方のない人ねぇ……私は、志村妙(しむらたえ)と申します。新ちゃん――志村新八の姉です」

「新八って、銀時のところの眼鏡くん?」

「そうね。眼鏡かけている男の子ね。新ちゃんからあなたのことは聞いていたのだけど、あなた、銀さんの妹さんなんですってね。驚いちゃったわ。まさか、あの銀さんにこんな可愛らしい妹さんがいたなんて」

「まぁ、妹といっても、義理ですけどね」

 

 銀時がそんな説明をしていたと話していたことを思い出して、なるべく自然にそう返答しておく。

 

 祭りで会った眼鏡くんのお姉さんか……と、目を少し開けて顔を確認すると、確かに目の辺りが似ているような気もする。

 

「はーい、流しますよー」

 

 頭からお湯をかけられ、わたしは再び目を閉じた。十分にお湯をかけたのち、丁寧にトリートメントまで付けてくれるようだ。

 

「近藤さんとも兼ねてより知り合いだったのだけど、今日はあなたに『女の子としてのお風呂の楽しみや色々を教えてやってほしい』て頼まれちゃって。入浴剤とかも全部揃えてくれるって話だったから、引き受けたのよ。お風呂上がりには、バーゲンダッシュも準備してもらっているわ」

「バーゲンダッシュっ!」

 

 驚いて、わたしは思わず振り返る。

 

「バーゲンダッシュって、あの高級アイスの? 誕生日の時にしか食べられないあの高級アイス?」

「……多分、そのバーゲンダッシュよ」

 

 くすくす笑う妙に、なんか恥ずかしくなって、わたしは首を元に戻した。妙はタオルでささっとわたしの頭を包んでは、軽く背中を叩いてくる。

 

「さぁ、洗い終えましたよ。お風呂に入りましょう」

 

 促されて、わたしは花いっぱいの浴槽に入ることになった。赤やピンクの散りばめられた様子はとても女の子らしいな、と思う。そこに足をゆっくり入れる。いつもよりも、お湯が柔らかい気がする。胸のあたりまで浸かると、思わず身体の力が抜けるようだった。甘い匂いと染みわたる温かさが、いつもより気持ちがいい。

 

「私もご一緒していいかしら?」

 

 妙に問われて、わたしは笑みを返した。

 

「どうぞー」

 

 すると、妙も嬉しそうに笑い、浴槽に入って来る。

 

「ふぅ、気持ちいいわねぇ」

「そうですねー」

 

 ぬくぬくと、すっぽりお湯に浸かる。たまには、こういう女らしいことをするのも、いいかもしれないと思う。なかなか近藤も、意外と粋な計らいをするものだ。

 

 だが、わたしは、さっき妙が言ったことを思い出した。

 

「そういえば妙さん……聞いていいですか?」

「なぁに?」

 

 優しく聞き返してくれる妙に、わたしは首を傾げながら訊く。

 

「お風呂の楽しみや色々の、色々ってなんです?」

 

 すると、妙は少し意地の悪そうな顔で、

 

恋話(コイバナ)でもしようかなって」

 

 そう、笑った。



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あれもしたいこれもしたい女の子に見えても④

「こい……ばな……?」

 

 わたしが訊き返すと、妙は伸ばした腕にぱしゃっとお湯をかけた。

 

「近藤さんが、桜さんが悩んでる様子だから、話を聞いてやってほしいって。内容までは聞いていないのだけど、女同士の方がいいだろうってことだから、恋の悩みなのかなって思ったのだけど……違うのかしら?」

「あぁ……ゴリラ的に気を使ってくれたのね……」

 

 俯いて、髪を掻き上げる。いつもよりも、髪のするっと指の間を通って行く。

 

 上目で妙の様子を見ると、穏やかにわたしの様子を窺っているようだ。

 

 ――話して、みるか……。

 

 決して、恋の相談などではないが、悩んでいるのは事実だ。実際にこの妙という女性は十代後半だろう。わたしよりも年下なのだが、普通よりも大人びた雰囲気がある。もしかしたら、何か解決の糸口が掴めるかもしれない。

 

「恋とかじゃなくて、友達とケンカしちゃってるって話なんだけど、いい?」

「もちろん」

 

 淡い期待を込めて、わたしは口を開く。

 

「その友達っていうのが、わたしの面倒を看てくれている年下の男の子なんだけど……」

「あら、ずいぶんしっかりしたコなのね」

「しっかりしてるっていうか、背伸びしてる感じかな?」

 

 苦笑しながら、話を続ける。

 

「恥ずかしい話なんだけど、わたし今お金がなくて。でも、どうしても欲しいものがあったの。服とかはいくらでも買ってくれてたんだけど、それだけはどうしても買ってくれないし、不要になったものすら、くれなくって」

「何が欲しかったの?」

「武器」

 

 少し、妙が眉をしかめる。

 

「それは、危ないからじゃなくて?」

 

 わたしは首を振った。

 

「自分で言うのもあれだけど、わたしこれでもけっこう強い方でね。そのことは、彼も知っているんだけど……」

「どうして、そんなに武器が欲しかったの?」

「彼のこと、守ってあげたくて。わたしのせいで危ない目に遭うこともあるから」

「そう……ケンカの原因はそれだけ?」

 

 わたしは膝を抱えて、再び首を振る。

 

「そのあと、ちょっとしたきっかけがあって、彼が苦手な人と、一緒に行動する機会が増えたの。他の人の話だと、それもどうやら原因のひとつらしいんだけど、どうしてわたしがその人と一緒にいたら機嫌悪くなるのか、わからなくて」

「……その、彼が苦手な人も、男の人?」

「まぁ、一応」

 

 ――極度のオタクだけど。

 

 話がややこしくなるから、それは言わないけれど。

 

 とりあえず、話終えたかなと、妙の顔を見る。妙はわかったとばかりに、手を叩いた。

 

「桜さん、それは、嫉妬してるんじゃないかしら」

「嫉妬?」

 

 訊き返すと、妙は大きく頷く。

 

「そう。男の子って、好きな人が他の男と仲良くしていると、それを口にすることは絶対にしないけど、すごく機嫌悪くなるものなのよ。素っ気なくしたり、冷たく当たってきたりするの。逆効果なのにね」

「ふむ……」

「それと、女の子のほうが守ってあげたいとか言うと、男のプライドが許さないものみたいだわ。たとえそれが年齢どうこう関わらず、どんな小さな男の子だって、女の人は守ってあげたいと思うものなのよ」

「でも、実際にわたしの方が強いと思うよ?」

「そんなの、関係ないのよ。気持ちの問題よ!」

「そうなんだ……」

 

 今の意見を踏まえて考えれば、近頃の沖田の機嫌の悪さは、プライドを損なわれ、嫉妬しているからということになる。

 

 わたしは顎を手に置いた。

 

「なるほど、なかなか的を得た意見だわ――けど」

 

 真面目な顔で、わたしは言い返す。

 

「だとしたら、彼はわたしのことが好きだということ?」

 

 すると、妙はくすくすと笑いだした。目から零れそうになる涙を拭っている。

 

「……なんか、そんなに変なこと訊いたかな?」

 

 不安になって訊くと、妙は首を振る。

 

「いえ――でも、好きかどうかは、本人に直接訊いてみたほうが、いいかもね」

「そっか」

 

 わたしはバシャっと顔にお湯をかけた。ちょっとスッキリした気がする。

 

「ありがとう! 今度会ったら、訊いてみることにする! あーちょっと安心したら、早くアイスが食べたくなってきたなぁ」

「そうね、上がりましょうか」

 

 妙はなぜか、堪えたような笑みを浮かべていたが、特にわたしは気にしなかった。

 



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あれもしたいこれもしたい女の子に見えても⑤

 

 そして、さらに翌日――意外な人物が監視となった。

 

「桜さん、ご機嫌はいかがですか?」

「いいか悪いかと訊かれたら、良くない方だと思いますが、とりあえず元気です」

 

 礼儀正しく、敬うように接するのが、むず痒い。

 

 そんな気持ちにさせる伊東鴨太郎は、にこやかに手を広げた。

 

「女性は甘いものが好きだろうという先入観で申し訳ないのですが、今日はケーキをお持ちしました。好きなだけ食べてください」

 

 と、目の前には十数種類のカラフルなケーキたち。生クリームに苺が乗った三角の王道から、固そうな生地の上にたくさんの果物が乗っているものに、黄色のとぐろを巻いているものまで。

 

 わたしは感嘆の声をあげる。同時に、手がわなわな震えていた。

 

 そんなわたしを見てか、伊東は困ったように眉をしかめた。

 

「すみません……甘いものは嫌いでしたか?」

 

 いや――甘いものは好きだ。むしろ、大好きだ。だけど、今までこんなに綺麗なケーキは見たことがなかったので、緊張しているのだ。

 

「いや……ケーキなんて、すごく久しぶりなもので」

 

 曖昧にそう答えるが、実際には一度だけしか食べたことがない。

 

「ありがとうございます。いただきますね」

 

 わたしは目の前にあった滑らかな白い三角に紫のソースがかかっているケーキの皿を取り、フォークで小さく切り、口に入れる。爽やかな酸味とまろやかな甘みに、果物の香り。すべてが調和して、上品な味だ。

 

 そんな美味しさに、わたしは苦笑する。

 

 昔食べたケーキは、とにかく不格好で、単純な味だったのだ。パサパサのスポンジにとにかく甘い生クリームを塗りたくって、適当にすっぱい苺を埋め込んだものは、とにかく甘かった。甘くて、酸っぱくて、嬉しくて。

 

 その思い出の味と比べるには、品がありすぎて、比べる価値すらないだろう。

 

「お口に合いませんでしたか?」

 

 心配げに問われて、わたしは首を振る。

 

「こんなケーキ初めてだったので、びっくりしちゃいました」

 

 肩をすくめて言うと、伊東は安堵したかのように笑った。

 

「そうですか――僕も一つもらっていいですか?」

「どうぞ」

 

 全部伊東が持ってきたものなのだが、なぜかわたしが勧めるかたちで伊東もケーキを食べ始める。

 

 畳の上で行われるお茶会の話題として、伊東はこんなことを言い出した。

 

「ところで桜さん、明日から、隊のほとんどが出張することはご存知ですか?」

「ひははい」

 

 ケーキを頬張りながら、首を振ると、伊東は苦笑しながら話を続ける。

 

武州(ぶしゅう)という所が、近藤さんたちの故郷なのですが、そこに新しい隊士の入隊審査しに行くんです。列車に乗っていくので、ちょっとした旅行みたいなものなのですが」

 

 わたしは口の中のものを呑みこんで、

 

「みんな行っちゃうの?」

 

 尋ねると、伊東は頷く。

 

「はい――近藤さんはもちろん、沖田くん含む隊長クラスも行きますし、僭越ながら、僕も同行させていただくことになりまして」

「土方さんは?」

 

 わたしの直球の質問に、伊東は一瞬言葉を詰まらせた。

 

「……土方さんは、残念ながら謹慎中なので」

「よかったね」

「え?」

 

 伊東のあげた疑問符に、わたしはにやりと笑って繰り返す。

 

「良かったね。嫌いな土方さんを出し抜くチャンスが出来て」

「……どういうことですか?」

「嫌いなんでしょう? 土方さんのこと。宴会のときも、二人が話すことなんてなかったし。先生なんて呼ばれて頼りにされている伊東さんにとって、土方さんはけっこう邪魔な存在だったりしてね」

 

 軽くいいのけると、伊東はケーキの皿を置き、参ったと両手を上げた。

 

「桜さん、なかなか侮れませんね。その言いぶりですと、隊士たちの噂を聴いたというわけでもないですね」

「昔からね、あなたみたいな貴族っぽい人たちの考えることはけっこうわかるのよ――捻くれた悪ガキみたいな子のことは、全然わからないんだけどね」

 

 自分自身に皮肉を言いつつ、わたしは片目を瞑ってみせた。

 

「で、わたしにもその武州とやらに行けと言いたいのかしら」

 

 伊東は手を下して、頷いた。

 

「はい。桜さんを監視できるほどの人材もいなくなってしまいますし、ずっと部屋に閉じこもっているのも、気が滅入るでしょう? 観光も兼ねてぜひ同行を――」

「その必要はねェでさァ」



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あれもしたいこれもしたい女の子に見えても⑥

 気がつけば、入り口に寄りかかるようにして、沖田がわたしを見下していた。

 

 ――こいつ、無駄に気配消しやがって……。

 

 気づけばなのだ。気がつかなかったのだ。気付けなかったのだ。

 

 それが、異様に腹が立つ。

 

 そんなわたしのふくれっ面を無視して、沖田は淡々と言った。

 

「こいつの監視は、すでに近藤さんの許可も得て、信頼できる奴に依頼してありやす。わざわざ邪魔な奴を連れていく必要なんかありやせんぜ」

「邪魔……」

 

 わたしのこめかみがピクピク動くが、沖田はにやりとも笑わない。

 

 代わりではないが、伊東が口角を上げた。

 

「ほう……ずいぶん用意周到じゃないですか、沖田君。そんなに桜さんを連れていきたくない理由でもあるんですか?」

「んなもん、特にあるわけがねェですが、こいつの監視は俺が引き受けた仕事なんでね。ただ、やることやってるだけですよ」

 

 そう言って、最後に沖田はわたしを一瞥した。

 

「そういうわけでさァ。これ以上俺の手ェを(わずら)わせねェでくれよ」

 

 なぜだろうか。

 

 言葉は冷たいものの、その目は何かを(うれ)うように、揺らいでいた。

 

 

 

 そして、さらにさらに翌日。

 

「ちーっす。依頼を受けた万事屋(よろずや)でぇーす。預かりもん受け取りに参りましたー」

 

 わたしが、静かになった屯所内の食堂で、少し遅めの朝ごはんを食べていると、気の抜けている白髪の男が現れた。

 

 やる気のない銀髪の天然パーマを、見間違えるわけがない。

 

 頭をぼりぼりしながら、わたしの姿を見つけると、その男は片手を上げる。

 

「よぉー、迎えにきたぜ」

「お兄ちゃんっ!」

 

 わたしは飲みかけの味噌汁を慌てて置き、坂田銀時に駆け寄った。

 

「どうした? なんでどうしてお兄ちゃんが白昼堂々こんな所に来ているの?」

「なぜって、だから言ったでしょーが。依頼を受けたの。ここの沖田君から、旅行の間ペットを預かってくれってお金もらったの。しかも前払いで。いやぁ、さすが真選組。役人は金払いが違うねーってわけで、じゃあ行きますよー」

 

 と、銀時に手を引かれる。

 

「ちょっとちょっと! 行くってどこに?」

 

 慌てるわたしに、まったく動じず銀時は着物の合わせから紙を取り出す。

 

「局長と一番隊隊長のサイン付き契約書があるの。二人が帰ってくるまで、君は万事屋で預かることになってまーす。じゃあ行くよ? もう行くよ? 桜ちゃんお泊りだかんね。靴下持った? パンツ持った? あ、二食は用意してあげるけど、おやつはうち、酢昆布しかないからね。他のが欲しいなら、自分のおこずかいでちゃんと買ってねー」

「あーもう! 準備もなにも出来ているわけないでしょー! てか、酢昆布ってなに? 渋すぎるでしょ、そのおやつ!」

「あーそれうちの神楽ちゃんに言うと怒られちゃうよー。むしろ怒り通り過ぎて泣いちゃうかもしれないから、禁句でお願いしまーす」

 

 そして、そのまま銀時と手をつないで、誰にも文句言われる時間もなく、屯所から堂々外に出ることになった。

 

 ちなみに持ち物は、昨日伊東からもらったアルバイト代と、沖田にもらった刀一本。それと、切れた赤い首輪だけである。



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ほんとの男は惚れてる女に弱いもの①

 

 

 

「おー、いらっしゃいアル」

 

 糖分。

 

 応接間というのか、居間というのか――『万屋銀ちゃん』の職場件自室の一番奥の部屋に通されて、まず目に入ったのは、そう書かれた掛け軸だった。

 

 ――糖分が社風って、どんな仕事なのよ……。

 

 胸中でそう突っ込みつつ、わたしはチャイナ服の少女、神楽に促されて、ソファに座った。

 

「飲み物は、いちご牛乳でいいアルか? お茶受けは酢昆布ネ」

 

 と、五百ミリリットルのピンクの紙パックと、赤く懐かしい風貌の小さな箱を目の前に置かれた。

 

「銀ちゃん、ストローどこアルか?」

「神楽ちゃん、お客様にパックごと出すってどういうことよ? あれよ? 従業員にどういう教育してるんだって俺が恥ずかしい思いしちゃうんだから、きちんとしてくれるー?」

「銀ちゃん、妹に怒られるアルか? それはいいことネ。存分に再教育してもらうがヨロシ」

 

 神楽は銀時を軽くあしらうと、そそくさのテレビの前に座った。

 

「さて、そろそろ新八の番組が始まるアル」

 

 るんるんと横に揺れる赤い背中を見て、銀時はわたしと机を挟んで対面するソファに腰を下しては、嘆息する。

 

「あー、すまねぇな。ろくな歓迎もできねぇで」

「いや、別に問題ないよ」

 

 わたしは紙パックの口を開き、そこからいちご牛乳を直飲みする。僅かな酸味と、安い甘さ。この不健康そうな感じが堪らない。

 

「あー美味しい」

「相変わらず豪快なこって」

 

 銀時は頬杖をついて、くつくつと笑った。

 

 ――さて、改めてなんでこんな思いがけない招待受けたのか、訊こうかな。

 

 と、酢昆布の箱を開けた時だ。

 

「始まったアルヨ!」

 

 神楽が声を張り上げたので、わたしと銀時もテレビに顔を向けた。

 

 番組は『朝まで討論会』という一風真面目なタイトルで、司会者一人と、大勢の素人らしき人たちが壇上に並んで映っていた。今日の議題は、社会問題となっているニートの予備軍であるオタクについてだという。

 

「神楽ちゃん、この番組と新八くんに何の関係があるの?」

「新八はアイドルオタクアル。昨日は、今日こそ僕のお通ちゃん愛を全国に知らしめるんだと息巻いてたアル」

「へぇ……あの真面目そうな少年がねぇ……」

 

 オタクってけっこうどこにでもいるんだなぁ、なんて考えていると、テレビではその新八が日の丸印の鉢巻きに、はっぴを着て、堂々と主張していた。胸には五十三と書かれたバッジを付けている。

 

『そもそも、オタクはオタクでも一括りにしてもらうのは困るんですよ! 僕らが愛しているアイドルはこの世に実在する人物だからいいのですが、アニメオタクって二次元に恋してどうするんですか! 実在しない想像上のものに人生かけるような人たちがこうして堂々としているから、僕たちも同じようだと世間から勘違いされてしまうんです!』

 

 ――うわぁ……なかなか痛い意見言ってる……。全国に愛を知らしめる前に、恥を知らしめてる……。

 

 鼻で笑いつつ、わたしは再びいちご牛乳を口にした――が、次に画面に映った人物を見て、ぶふーっと噴き出してしまう。

 

「うわぁっ、ちょっと桜ちゃん汚いよ! あの痛い新八見て思わず噴き出したくなる気持ちもわかるけど、ちょっと我慢してあげて! 帰ってきて恥ずかしくて後悔するあいつのために、ちょっとは寛大な心で我慢してあげて!」

 

 と、飛び退く銀時。わたしは口を拭い、息を整えながらテレビを指差した。

 

「あれ……あれ見て……土方さんが……トッシーが……」

「土方ぁ?」

 

 その時、テレビには赤いバンダナを髪に巻いて、腕のないデニムジャケットを着ている土方及びトッシーの姿があった。



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ほんとの男は惚れてる女に弱いもの②

「いや、五十三番ちょっと待ってくれるかな。今、二次元オタと君たちアイドルオタクは違うって言ったけど、何も違わないよね。敵わぬ恋をしているという点で、何も変わらないよね。それなのに、まるで拙者たちだけが非生産的な下等生物が如くのたまって、君たちがその巻き添えをくらっているという言い方はおかしいよね。訂正してくれるかな」

 

 ――トッシーが人生謳歌しまくってるぅぅぅぅうううう!

 

 頭の中で絶叫と賛美が響き渡る。

 

 土方さんついにここまできちゃったよ。まわりのオタク軍団と遜色一つないって範囲に収まらないで突き抜けてるよ。ナンバーワンだよ。淡々とした仏頂面ながらも、とても輝いているよトッシー。いやぁ、たったの四日でよくもここまで成長しちゃったよ。あの鬼の副長の変化の姿に感嘆すら覚えるよトッシー!

 

 と、わたしが頭を抱えている前で、神楽は画面の向こうの新八に声援を送っている。銀時はその姿を呆れて見ていた。

 

 ――おや、まだ気が付いていない……?

 

 言うべきか、言わないべきか。

 

 土方のメンツを保つためなら、言わない方が吉だろう。そもそも銀時たちと真選組がどんな仲なのかは知らないが、知り合いなのは間違えない。ならば、クールな土方のキャラを壊すようなことはするべきではないに決まっている。決まっているのだけど――

 

 ――言いたい!

 

 その欲望が収まってくれない。一人でこの秘密を抱えるのは重すぎる。むしろ、みんなで笑い飛ばしたら面白そうだな、と一瞬でも頭をよぎらせてしまうわたしは、きっと性格が悪いのだろう。

 

 そう悩ましく、顔をしかめていると、銀時が首を傾げる。

 

「なに、桜どうしたの? 新八のがあまりに痛すぎて観てられない?」

「いや……ううん、それもそうなんだけど……なんか……えっと……」

 

 ――もっと痛い人がいるのぉぉぉぉぉぉおおおおおお!

 

 そんなわたしの苦悩をまったく知らないテレビの奥の人たちは、勇ましく演説を続けていた。

 

「違うに決まっているじゃないですか! 七番さん、あなたたちの好きなキャラクターは二次元です。想像上の、架空の存在なんですよ!」

「じゃあ、君は君の好きなアイドルと、結婚できるのかな?」

 

 トッシーの鋭い質問に、新八は顔を赤く染めた。

 

「ななな……なにを言っているんですか! そりゃあ、お通ちゃんと結婚なんてきっと無理ですけど……」

 

 トッシーはうんうんと頷く。

 

「だよねー。いくら応援したって、どれだけCD買ったって、絶対に結婚できないよねー。だったら、拙者たちと全然変わらないじゃないか」

「でも! 僅かながらそうなる可能性だって――」

「いや、ないよね。絶対ないよね。決して結ばれないんだから、二次元でも三次元でも変わらないよね」

「でも――」

「だから――」

 

 二人の論争は次第に周囲を巻き込み、立ち上がる者も出始めたら――乱闘になるのはあっという間である。

 

 乱闘の中で、一際目立つのがやはりトッシーである。中身があれになっても、身体はやはり真選組副長。動きにキレがあり、無駄がない。

 

「もしかしてさ、桜、気づいてた?」

 

 テレビを指差す銀時の笑みは乾いており、その指がわなわなと震えていた。

 

 わたしが何回も頷くと、神楽が言う。

 

「これ、もしかして、土方アルか?」

 

 ちょうどその時、画面は新八の右ストレートにカウンターを食らわす土方のアップが映していた。



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ほんとの男は惚れてる女に弱いもの③

 

 

 

「あー桜氏! 拙者の雄姿観てくれてたでござるか?」

「うん、そうねー観てた観てたー」

「嬉しいでござるなぁ。この服装も今日のために新調したでござるよ! 魔術士コジー風のバンダナとジャケット、どうでござるか? 似合うでござるか?」

「うん、そうねー似合う似合うー。とっても愛ジャストおーマイラブな感じするー」

 

 言って、わたしは深いため息を吐いた。

 

 隣を歩く銀時が耳打ちしてくる。

 

「ねーちょっと桜ちゃん、これ、ほんとに土方なの? こんな痛いオタクナンバーワンな昭和のジャニーッスな感じなのが鬼の副長なの?」

「昭和がどこだかジャニーッスってどこの挨拶か知らないけど、彼が真選組の鬼の副長ですよ」

 

 あれから新八が土方を連れて帰ってきて、仕方なしに説明をしたのだが――どうも信じられないと、一緒に刀鍛冶に行くことになった。どうやら、銀時の知り合いに江戸一番の刀鍛冶がいるらしい。

 

 もう日差しも橙に染まり始め、街ゆく人々も家に帰ろうと若干落ち着きがない。

 

「あー、桜氏! 見るでござるー。あの月刊少女岡崎さんのポスター、みよちゃん可愛いでござるなぁ! あ、でも、もも……もちろん桜氏のほうが可愛いでござるよ!」

「うん、そうねー可愛い可愛い。世界超越するくらいわたしって可愛いよねー」

「さ、桜氏……さすがに拙者、そこまで言ってないでござるよ……」

 

 数日ぶりにわたしに会えたのが嬉しいのか、トッシーがやたら絡んでくるが、わたしは適当にあしらっていると、その鍛冶屋に着いたようだ。どうってことない、小屋のようだが、中からは金属がぶつかり合う音が響く。

 

「ここだここー。おい、鉄子ー。銀ちゃんのおいでだぞー」

 

 ――どこの馬鹿亭主よ。

 

 そう突っ込みたくなる気軽さで、銀時がのれんをくぐる。一緒に来ている神楽と新八も後に続き、わたしも――と思ったが、足を止めた。

 

「どうしたでござるか?」

「ん、先に中入ってて」

 

 振り返るトッシーの背中を無理やり押し込んで、わたしは一人、路地に戻る。

 

 辺りを見渡すが、特に怪しいものはなく。

 

 ――おかしいな。誰かに見張られている気がしたのだけど。

 

 どうせ真選組の誰かだろうと思っていたのだが、その影もない。あの組織の中でわたしが気配に気づけないほどの手錬(てだ)れは、沖田入れてほんの数人。しかも、そのほとんどは、今晩発の列車で武州に行くというので、今はその準備や仕事の引き継ぎなどで、朝から大忙しのはずである。

 

 他に、わたしを見張ってそうな存在は――

 

「どこかの攘夷浪士か、あるいは、あれから姿を見てない奈落とか……?」

 

 呟いて、自分で苦笑した。

 

「あちこちから注目浴びすぎでしょ、わたし」

「それほど、お前はいい女だってことさ――」

 

 その甘くも冷たい声音に、わたしの背筋が震える。同時に、背後から口を押さえられた。

 

「けど、相変わらず不用心だな。そんなに俺に襲ってもらいたかったか、桜?」

 

 その紫の艶やかな袖口をひっぱり手をずらさせると、わたしは憎々しげに口を開いた。

 

「急に背後から現れるとか、犯罪臭しすぎて臭いわよ、高杉」




原作沿いとタグつけてますが、書いててどんどん原作から離れていきます……。

ストーカー、再来です。


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ほんとの男は惚れてる女に弱いもの④

 わたしが肘を打ちつけると、高杉の手が緩む。その隙に腕の下をくぐり、向き合った。そして、腰の刀に手をかけると、

 

「おっと。こんな道端でそれは抜かないほうがいいんじゃないのか?」

 

 高杉は悠然と見下すような笑みで、そう言った。変わらず派手な着物を着崩している様は、どこで見ても目立つ。

 

「騒ぎになって困るのは、どっかの犯罪人だけだと思うけど?」

「ならば試してみるか? 警察が来て、困ることになるのはどちらか」

「どういうこと?」

 

 まるで、困るのはわたしの方だと言わんばかりの口ぶりに、わたしは眉をしかめる。

 

 そんなわたしの顔を見てか、高杉はくつくつと笑った。

 

「ほぉ、まだ自分の置かれた状況を知らないか――まぁ、いい」

 

 すると、わたしに手を差し出す。

 

「一緒に帰ろう、桜。そうすれば、無駄な血が流れることを、やめてやってもいい」

「……今度は、何をやらかすつもりなの?」

 

 身構えて、わたしは低い声で問う。しかし、高杉は腕を組んで笑みを深めるだけだった。

 

「訊かれて話してやるほど、俺がいい人に見えるか?」

「まったく見えないわね」

 

 話しても、無駄である。

 

 そう結論して、やることは一つ。

 

 わたしが、刀を抜こうとすると、

 

「一般市民が俺の前で廃刀令破ってんじゃねぇよ」

 

 わたしの手を押さえつけて、代わりにその刀を抜く男の手。見上げて、わたしは驚きの声を上げる。

 

「トッシー!」

「たく……そんな腑抜けた呼び方すんな」

 

 土方(・・)は、わたしの肩を引き寄せながら、刀を高杉へと向ける。

 

「敢えて誰だが訊かねぇでやるが、これ以上こいつに絡むと、婦女暴行罪でしょっぴくぞ」

 

 高杉は、おどけるように両手を挙げた。

 

「婦女暴行って、いつ俺が、桜が嫌がることをしたんだ?」

「るせー。刀抜くほど喜ぶ女なんて、どこにいるんだよ」

 

 土方の吐き捨てるような台詞に、高杉は微笑を浮かべた。

 

「まぁ、辛そうな副長に免じて、大人しくここは引いてやるよ。すぐに、桜を渡しておけばよかったと、後悔することになると思うがな」

 

 そう言い残すと、高杉は背を向けて、路地裏へと消えていく。

 

 わたしがふと安堵の息を吐くと同時に、土方は刀を落とした。足もとに転がる短めの刀を見て、わたしは土方の顔を確認する。

 

 額が汗でびっしょりだった。わたしの肩に置かれている手も、震えている。

 

「土方……さん?」

「あぁ? 悪いな。落としちまった」

 

 ゆっくりとした動作で刀を拾い、わたしに渡してくる。それを受け取ると、土方は懐から煙草を取り出し、口にくわえた。のれんをくぐりながら、ライターに火をつける。

 

 わたしが後を追って店に入ると、土方は口から煙を吐き出していた。銀時たちは目を見開いている。

 

 新八が震える声で、彼の名を呼んだ。

 

「土方さん……?」

「最後に一服しようと戻ってみたら、面倒なとこに出くわしちまったぜ。しかも、一緒にいるのがお前らときたもんだ――まさか、てめぇらに頼みなんざする日が来るとは思わなかったけどよ……」

 

 土方が、頭を下げた。

 

「頼む! 俺の最初で最後の願いだ! 俺のかわりに、近藤さんを……真選組を、護ってくれっ!」

 

 その姿は、冷酷さも、プライドもなく。

 

 ただただ、真剣に、一人の男が、何かに縋るかのような悲壮感に満ちていた。



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ほんとの男は惚れてる女に弱いもの⑤

 

 

 

 鍛冶屋を出るころには、もう日も暮れていた。夜の歌舞伎町はやたらギラギラとしていて、如何わしいお店も多い。

 

「お、お兄ちゃん……お兄ちゃんもこういうお店行くの?」

「んー、そりゃぁ……妹には言えないことも世の中にはあるさ」

「あるんだ! あるんだ! 下品! けだもの!」

 

 わたしが罵ると、銀時は嘆息して言う。

 

「あのねぇ、こーゆーお店がないと、世の中欲求不満な男で犯罪だらけになっちゃうからねー。てか、桜ちゃんもいい年なんだから。そんなに純情アピールするような年でもないでしょうに……ほら、神楽ちゃんを見てみ? あんなに堂々と闊歩してるよ」

 

 わたしはぶるぶると震えながら、銀時の腕にしがみついていた。かという、神楽と新八はわたしよりも年下なのに、この往来を堂々と歩いている。

 

「神楽ちゃんたちは……あれだよ! まだ若すぎて、どういったお店なのかわかってないんだよ!」

「どういった店って、ここいらのはまだ軽いほうよ? キャバクラやホストとか、ようは仲良くお酒飲むだけのところだからね? 桜ちゃんの想像しているようなホテルとかお店はもう一本向こうの――」

「いーうーな! 言っちゃやだぁー! 聞くだけでもー穢されるー!」

「ずっと男所帯で育ってきたのに、どうしてこんなところだけ過敏かねぇ……」

 

 すると、神楽が振り向いてきた。

 

「桜ちゃん、そんな怖いお店じゃないアルよ。嫌なことされそうになったら、全員ぶっとばせばいいだけアル」

「こらこら神楽ちゃん、人前で物騒なこと言っちゃダメでしょー」

 

 銀時が呆れたように言うが、わたしは何か希望が見えたような気がした。

 

「そっか。斬ればいいんだね。怪しいお酒やお薬飲まされる前に、やっちゃえばいいんだね! 神楽ちゃんいいこと言うね!」

「そうアル! 私はいいことしか言わないアルよ!」

 

 いえーいと神楽とハイタッチしていると、後ろからついてきていたトッシー(・・・・)がぼそりと言う。

 

「女の子たちがはしゃいでいる姿、萌えでござるな。そうは思わないか、坂田氏。てか、まさか坂田氏にこんな可愛い妹がいただなんて、羨ましすぎるでござるよ。あれか、あれでござるか、坂田氏。やっぱり、お兄ちゃんのえっち! パチン! みたいなハプニングは日常茶飯事なのでござるか!」

「こーいーつー! いきなりよくわかんねーこと頼んで来たかと思えば、急に元に戻りやがって……真選組を守ってくれってなんなんだよ。桜、なんか知ってるか?」

 

 神楽とこぶしとこぶしでじゃれあっている最中に訊かれて、わたしは振り返りながら、軽く回し蹴りを決める。

 

「今晩から近藤さんが伊東っていう、土方さんと仲が悪い人たちと出張に行くみたいよ」

「それ……その伊東ってのがなんか悪だくみしてんじゃねーのか……?」

 

 神楽はわたしの蹴りを簡単に受け止めて、空いた手でわたしの脇腹を狙ってくる。わたしは後ろに跳躍して、銀時のそばで着地した。

 

「おまけに、鬼兵隊も絡んでるかもね」

 

 その時、パトカーのサイレンが聴こえた。見ればやはり、真選組の車である。それが、わたしたちの横につけると、隊士たちが一斉に飛び出してきた。

 

「土方さん! ようやく見つけました! 局長が大変なんです、屯所に戻ってください!」

 

 と、四人がかりでおろおろする土方をパトカーに押し込もうとする。

 

「ちょ、ちょっと! 拙者は真選組をクビになったんじゃ――」

「何言ってるんですか! 局長が暗殺されそうになってるんですから……」

 

 すると、その隊士たちはそろりと刀を抜いて、

 

「副長も一緒に、死んでください」

 

 一斉に、刀を振り下ろした。



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ほんとの男は惚れてる女に弱いもの⑥

 それに、ただただ茫然とするトッシー。

 

 わたしが、手を伸ばすよりも早く――

 

「なにしてんだテメーはよっ!」

 

 銀時がトッシーの襟首を引っ張る。そのあと下りた斬撃を、わたしは刀で受け止めた。

 

「仲間討ちって、局中法度で禁じられてたよね?」

 

 横に一閃。刀を二本弾いて、残りの隊士は後ろに退く。わたしはすぐさま翻して、銀時たちの後を追った。

 

 路地裏に入る。先頭を走るのは神楽。続いて銀時と引きずられるトッシーに、しんがりは新八となっているようだ。

 

「さささ坂田氏っ! くびっ首が痛いでござるよっ!」

「るせー! 助けてやってんのに文句言ってんじゃねーよっ!」

 

 路地の向こうが、一瞬で明るくなった。車のヘッドライトに照らされて、思わず一瞬目を閉じてしまう。路地の間ぎりぎりを、その車――パトカーがこちら目がけて走って来る。

 

「神楽ぁ!」

「わかってるアル!」

 

 そのパトカーを、神楽は両手でがしっと受け止めた。バンパーにはしわが寄り、前輪がギリギリとカラ回りを続ける。

 

「神楽氏、すごいでござるよ! できればドクタースランプな如くきゅぃぃぃぃいいいんと言いながら――」

「んな冗談言っている暇はねーんだよ!」

「銀さん、後ろから!」

 

 確かに冗談を言っている暇はなく、後ろからもさっきのパトカーが同じように迫ってきて。

 

「桜! できるか!」

「たぶんね」

 

 跳躍して、迫るバンパーに乗る。運転手にニコリと笑みを向けて。容赦なく、フロントガラス越しに運転手の眉間に刀を突き刺した――実際は少し刺さる程度で止めたのだが――ハンドルが無駄にまわり、コンクリートの塀に車体が火花をあげて擦りあげられ、横転。その直前にわたしは飛び退き、前へと走る。

 

「桜っ!」

 

 わたしを呼ぶ銀時は、前からのパトカーの運転席に乗り込んでいた。路地の端では気絶した隊士が転がっている。銀時がエンジンを掛けると同時に、わたしはしわが寄ったバンパーを踏み、車体の上に乗った。バックでドリフトしながら路地を抜け、大通りを無理やり走る。その勢いに、悲鳴があがるのが聴こえたが、わたしは気にすることなく、

 

「桜さん!」

 

 開けられた後ろのドアから伸びる新八の手を取り、車の中に身を滑り込ませた。

 

「ふー危なかったアルなー」

 

 と、全く危機感なく言いのける神楽は、助手席に座っていた。そんな神楽の頭を、銀時が軽く叩く。

 

「たく、力入れすぎやがって。今にも車が壊れそうじゃねーか」

「仕方ないアル。乙女のかよわさで壊れる車がやわすぎるアル」

「ハイハイ。仕方ないこと愚痴る銀さんがわるーございました」

 

 ガタガタと走る車は、それでも明らかに法定速度以上で走っており、何台もの車をびゅんびゅん抜かしていく。

 

「お兄ちゃん、車の運転なんかできたんだねぇ」

「そりゃあ、長年生きてれば特技の一つや二つは増えていくものさ……て、どうしてうちの女どもはこうも呑気なの? 今ってけっこう危機迫っているシーンじゃないの?」

「いやだってさ、新八くんの隣の誰かさん見たら、なんか返って白けるじゃない」

 

 わたしの隣の新八のさらに隣。助手席の後ろに座るトッシーは、頭を抱えてぶるぶると震えていた。

 

「悪くない悪くない。拙者は何も悪くない……」

 

 それだけを永遠とぶつぶつ繰り返している。

 

「こいつぁ、ほんとどーしよーもねーなー」

 

 銀時はため息を吐くと、無線機を取り、ごく自然と話しだした。

 

「こちら三番隊、三番隊。状況報告どうぞ」

 

 ――なぜ三番隊?

 

 運転席を見れば、明らかにわかりやすく、『三』と書かれた板がかかっていた。

 

 ――どうも真選組って、抜けてるわよね。

 

 だからこうして偽物の無線にも、騙されて答えるのだ。

 

『土方は無事に見つかったか?』

 

 自然に応えてくる男の声に、聞き覚えはなかった。銀時の持つ無線機を神楽が奪い、喋り出す。

 

「えー土方は見つかりましたが、ちょー可愛くて強い味方がいたため、敵わなかったアル。どうぞ」

『アル?』

 

 銀時がまた神楽の頭をぽかっと叩くが、スピーカーの向こうの人は気にせず一人語る。

 

『まぁいい。早く土方を殺して、保護人を捕えろ。近藤と土方、両者始末しなければ、真選組は伊東派とふたつに割れてしまうからな――伊東派が真選組を掌握するには、両者とも攘夷志士にやられたことにせねばならん。まぁ、近藤はもう成功したも同然だ。すでに列車は発車し、乗り込んだ隊士は全員こちらの手の物。あとは時間の問題だ』

「保護人?」

 

 神楽から無線機を取りかえし、銀時が訊く。

 

『貴様は任務を忘れたのか? 真選組で預かっていた桜とかいう女のことだ。傷つけることなく鬼兵隊に引き渡せとのことだったが、さっき命令がかわってな――腕の一本くらい、なくてもいいそうだ。手荒な手段でかまわん。女の一人や二人、早急に捕えろ』



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ほんとの男は惚れてる女に弱いもの⑦

「了解」

 

 銀時は低い声でそう応え、無線を置いた。

 

「さ、く、ら、ちゃーん?」

 

 ゆっくりと振り返って来る銀時に、わたしは顔を背ける。

 

「お兄ちゃん……前見ないと危ないよ?」

「ねぇ、鬼兵隊ってなに? さっきもそんなこと言ってたよね? なにやったの、なにやっちゃったの桜ちゃん?」

「いやー期待に添えず申し訳ないけど、特に何もしてないんだよね。さっき鍛冶屋の前でちょっと高杉に会ったくらいだよね」

「ほー。桜ちゃんはストーカーに遭っても、お兄ちゃんに何も相談しないわけだ? 何も報告しないわけだ? あれ系? 何も過去を反省してない系?」

「いい年して系とか使わないで!」

 

 わたしは流れる景色を見ながら、髪を掻きあげた。

 

「今回は、ほんとに言いタイミング損ねただけだったんだけど……ごめん。すぐに言うべきだったね」

 

 高速道路に乗ったようだ。アクセルを全力で踏んでいるのか、ガタガタと揺れる車で、車間を縫うように抜けていく。

 

「あのー」

 

 入りずらそうに、隣の新八が片手をあげて訊いてくる。

 

「桜さんと、その高杉って人、どういう関係なんですか? 高杉って、紅桜の時の鬼兵隊の隊長ですよね?」

「あー……」

 

 わたしが言葉を詰まらせていると、前を向いた銀時が端的に答えた。

 

「簡単にいやぁ、こいつの元婚約者で現ストーカーだ。あれだよ、男女のもつれってやつ」

「それって、高杉ってヤローが桜ちゃんの尻を手段を問わず追いかけてるってやつアルか? 昼ドラみたいなやつアルか?」

 

 目を輝かせて振り返る神楽に、わたしは苦笑した。

 

「そう……ね。言われてみたら、そんな感じだね。わたしが悲劇のヒロインで、高杉ってやつが悪者かな?」

「悲劇じゃなくて、喜劇だろ――大人しく、誘拐されてやるつもりなのか?」

 

 サイドミラー越しに、銀時が鼻で笑っている顔が見える。

 

「全然!」

 

 わたしは身を乗り出して、前の無線機を取り上げる。わかりやすく『屯所』と書かれたボタンを押して、

 

「あー聴こえますかー? 真選組ヒロインの桜でーす」

 

 そう喋ると、ざわざわとした男たちの声と、失笑苦笑の声が入り混じる音が聴こえる。この時間なら、残っている隊士たちは夕飯時だろう。

 

「みんな食事中だろうけど、ちょっと手を止めて聞きなさい――あなたたちの大事な局長が、今、暗殺されようとしています。伊東が列車内でと企てた模様。わたしは土方さんと一緒に列車を追っているから、みんなもすぐに準備して列車を追いなさい!」

『おいおい桜ちゃん、いきなりそんな冗談言われても……』

「冗談なんかじゃないっ! あー、もうどう言ったら信じてくれるかなぁ……」

 

 見栄張って言ってみたはいいものの、説得力のある言葉が思い浮かばず、わたしは奥歯を噛みしめた。

 

 ――土方さんが言ってくれればな……。

 

 そう土方の方を見ても、トッシーはただただ、ぶるぶると震えているだけで。

 

 すると、運転している銀時が、勢いよく無線機を奪った。

 

「副長命令だ! テメーらの大事なもん守りたきゃ、考える前にさっさと動きやがれ!」

『お前誰だ……?』

 

 銀時は大きく息を吸った。

 

「土方十四郎だバカヤロー!」

 

 そして、銀時はバシンと無線機を置き場へと叩きつける。

 

 わたしは、思わず鼻で笑ってしまった。

 

「ありがとね」

「お前に感謝される筋合いはないさ」

「……そうだね」

 

 そして、覗き込むように、彼に言う。

 

「ねぇ、本当にうじうじしているだけでいいの? 厄介なもの、人に――わたしたちなんかに押し付けて、本当にそれでいいの? それで、ちゃんとあなたは死ねるの?」

「桜さん……死ぬってそんな言い方……」

 

 新八が訂正を促すように言ってくるが、わたしはそれに、何も答えない。

 

 隅で、頭を抱えて、

 

「知らないもん、僕は知らないもん。関係ないもん……」

 

 そう、震えている男に言っているのだ。

 

「どっちがいいか、選べばいいわ。そうやってまた怯えていながら、消えるのか。大事なもの守るために、死ぬのか」

「僕は知らない僕は知らない関係ないんだ僕は――」

「ごちゃごちゃうるせーな!」

 

 車がガタンと大きく揺れた。銀時がハンドルから手を離したのだ。ガードレールにぶつかる直前に、助手席の神楽が慌ててハンドルを元に戻す。しかし、車は不用意に揺れ続ける。その中で、銀時は身を乗り出して、土方の襟首を掴み上げていた。

 

「さっきからうだうだしつけーんだよ。いつまで人様に醜態さらして引きこもっているつもりだぁ? あぁ?」

「僕は……僕は……」

「テメーに言ってんじゃねーんだ! 聞いてんのか、土方ぁ! 頼まれたからにゃ、墓場までは連れてってやる! だがな、真選組が潰れようがなんだろうが、こちとらの方が知ったこっちゃないんだ! テメーの大事なもんはテメーが剣を振りまわして心中でもなんでも勝手にしやがれっ!」

 

 啖呵を切り、銀時が土方をどんっと座席に投げる。

 

 その時、土方が舌打ちした。

 

「てめぇこそ、勝手にごたごた抜けしてんじゃねぇぇぇえええええ!」

 

 土方が立ち上がり、銀時の顔を思いっきりステレオ部分に押し付けた。



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ほんとの男は惚れてる女に弱いもの⑧

 

 

 

 

 列車が土手沿いの線路を走っている。夜もどっぷり深まり、真っ暗な空には三日月がぶら下がっている。

 

 夏が終わろうとしている夜の風は、心地よかった。ほのかに香る草の匂いに包まれて、寝転んだらさぞ気持ちよかろう。

 

 だけど、寝転ぶわけにはいかないのだ。

 

 寝転ぶときは、死する時か。

 

 さぁ、戦えと、神楽が傘の銃砲を撃ち鳴らした。

 

「御用改めである!」

「テメーら、神妙にお縄につけ!」

 

 威勢よく、銀時も高らかに木刀を掲げる。

 

 身につけているのは、皆、真選組の黒い制服。車の中にあった予備の制服はサイズが大きいものの、折ったり止めたりして、わたしも何とか着こなせた。気合付けに、髪も一つに結う。

 

「沖田総悟ちゃんの再来ね」

 

 一人苦笑し、わたしも車の窓から身を乗り出した。ちなみに、運転は新八に代わっており、彼は懸命に両手で運転をしている。この中で一番必死な顔をしているのは彼であろう。

 

 そして、走る車の上に片膝をついているのは、真選組副長、土方十四郎。

 

「あわわわ、無理、無理でござる! 落ちるでござる!」

「るせー! テメーはちっと格好つけることもできないのか!」

 

 しかし、彼はすぐ丸く頭を抱えてしまい、尻を銀時にバスーカで叩かれている。

 

 彼をそこに置いた理由は、アピールである。

 

 敵に対しては、威圧するため。

 

 味方に対しては、鼓舞(こぶ)するため。

 

 銀時が車の中に戻り、舌打ちした。

 

「なんだ、攘夷志士か?」

 

 前方にはバギーのような車やバイクがたくさん走っていた。皆、バスーカやマシンガンを装着してそうで、いくつかの銃口がこちらを向いている。まだ少し距離があるからか、銃弾はこちらへ届いていない。しかし、かなり新八もアクセルを踏んでいるので、それも時間の問題だろう。

 

 対して、後方には、まだかなり距離があるものの、何台ものパトカーが見えた。赤い提灯が灯篭(とうろう)のようだ。

 

 皆、守りたいもののために戦おうとしているのだ。その怒声とサイレンは、ただただ我らの局長を守りたいと全力で叫んでいる。

 

「お、いたいた」

 

 わたしは、並走する列車を確認した。列車内でもなにかトラブルがあったのか。前の方を走る列車と、今並走している列車のふたつに離れていた。

 

「敵があの前の方の列車に向かっているアル。きっと近藤もあそこにいるはずネ」

 

 神楽がその列車を指差すが、わたしの探していた相手は隣の列車。

 

 大勢の敵に対面している、沖田総悟。敵の中には、あの伊東の姿も確認できた。伊東は窓を開け、こちらを見ては驚いたような顔をしている。

 

 それに対して、沖田は、鼻で笑っているようだった。しかし、わたしと目が合うやいなや、すぐに顔をしかめてしまう。

 

 ――あんにゃろー……。

 

 わたしは沖田に思いっきり舌を出してから、新八に言う。

 

「前に向かう前に、隣の列車に車を寄せて!」

「隣? 近藤さん助けに行くんじゃないんですか?」

「それは副長と万事屋(よろずさん)に任せるわ」

 

 わたしはドアを開け、身構える。

 

「わたしは、馬鹿な飼い主もどきに訊きたいことがあるの」

 

 すると、神楽が言う。

 

「あのサド野郎の心配なんて、優しいアルな」

「そりゃ、年上のお姉さんだからね」

 

 片目をつぶって答えている間に、車はガタガタと過剰に揺れながら、土手の斜面を上がっていく。その間に列車が少し前を走る形となると、少し前方で伊東が列車からバイクに乗り移っていた。バイクを運転する男は何かの楽器を背負っているようである。

 

「あいつは……」

「知り合いなの?」

 

 銀時の呟きに尋ねると、彼は首を振った。

 

「なぁに、おめーが気にすることじゃねーさ」

 

 そう言って、わたしの背中をバンと叩く。

 

「行って来い!」

「任せとけ!」

 

 わたしは、列車に跳び移った。



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ほんとの男は惚れてる女に弱いもの⑨

 車両の間には、見張りの隊士が一人いて。

 

「はぁい」

 

 わたしが笑顔で手を上げると、その見張りが目を見開いた。そして刀を抜かれる前に、わたしは刀を鞘ごと抜いて、鳩尾(みぞおち)にそれを突き付けた。唾を吐き、膝から崩れる隊士を後目(しりめ)に、車両の扉を開ける。

 

 凄惨。

 

 狭さも相まって、車内はすでにそんな言葉が当てはまる光景だった。

 

 非常灯の赤暗いランプの中で、シートに飛び散っているどす黒い模様は、紛れもなく血痕だろう。その上に散らばるように倒れている隊士たちは、一目見るだけで重症だ。全員、腹や胸を斬られており、すでに息絶えている者もいるであろう。

 

 そして、目の前で、また一人の隊士が仰向けに倒れる。

 

 現れた少年は、片膝を付き、刀を横に掲げていた。べったりと血が付いている顔で、彼は上唇を舐める。

 

「――死んじまいなァ」

 

 耳に入ってきたのは、絶望を楽しんでいるような、修羅の声。

 

 ――まずい。

 

 そんな彼の姿を見て、背筋がゾクゾクした。

 

 香る血生臭さに、凄惨な光景。目の前には獣のような瞳をした修羅がいる。

 

 わたしは刀を持つ手に力を入れた。

 

 ――まずい。

 

 思わず顔が綻びそうになり、わたしはぎゅっと両目を瞑る。

 

 ――まずい!

 

 その瞬間――ザッと耳横を何かが通る音に、目を開ける。

 

 目の前には、沖田の顔があった。

 

「これ以上、手を煩わせるなと言ったじゃねェかィ」

 

 彼が見据えるのは、わたしの後ろ。沖田に肩を引かれ、振り返ると、彼の刀がある隊士の喉元に突き刺さっていた。沖田はわたしを背中に促してから、その刀を抜く。鮮血を、沖田は正面から浴びていた。

 

「けっ、どうしてこう、見られたくねェ時に限って来るかね……」

「……見られたくなかったんだ?」

 

 口の中の何かを吐き出しながら言う沖田に、尋ねる。すると、彼は再び、刀を構えた。

 

「仲間を粛清している姿なんか、見られて喜ぶ奴ァ、どこにいんのサ」

 

 わたしが入ってきた場所から、また何人もの隊士が現れる。後続の車両から前に来ているということだが、後ろにあと四つは車両があったはずだ。幸い、切れたこの車両が一番前だから、挟まれることはないだろうが、あと数十人いると見ても、間違えはないだろう。

 

「これ、ほんとにみんな真選組なの?」

「いや……知らねェ顔も多いからな、おそらく攘夷浪士の奴らも混じってんだろうさ」

「ふーん」

 

 どうやら、真選組の制服を着ていても、伊東もとい、高杉率いる鬼兵隊だったりするようで。

 

 そして、真選組で、沖田の知った顔もあるようで。

 

 わたしはゆっくりと息を吐く。

 

「じゃあ、代わるよ。仲間を斬るのは、ツライでしょう?」

 

 沖田の前に出ようとすると、後ろ手で制止されてしまう。

 

「馬鹿言ってんじゃねェ――いいから、テメェは何にもすんな」

 

 ジリジリと詰めよる敵に、沖田は刀を向ける。

 

「ほんと……なんで来たんでサァ」

 

 小さくそう言って、沖田は敵に斬りかかった。上段から一閃したかと思えば、すぐに隣の敵を下から斬り上げる。流れるようにもう一歩踏み込んでは、また別の敵を薙いだ。



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ほんとの男は惚れてる女に弱いもの⑩

 それでも、やっぱり隊士――敵は次々と現れて。

 

「くそ……」

 

 沖田は舌を打って、すり足で一歩踏み出る。

 

 ――すり足?

 

 違和感を覚えて下を見れば、後ろ脚に裂傷を見つけて、

 

「総悟く――」

(ほう)けてんじゃねェ!」

 

 わたしは横のシートに吹き飛ばされた。手すりが腰に当たって痛いと感じる間に、沖田はわたしがいた位置の隊士を斬っていた。

 

 ――後ろから?

 

 見れば、列車の進行方向からも隊士が四人、入ってきている。車両のない前方から敵が来たということは、おそらく列車の上に登り、回ってきたのだろうが。

 

「そこまでしますか……」

 

 わたしは思わず、鼻で笑ってしまう。

 

 そこまで、沖田を殺したいのかと。

 

 あるいは、そこまで、わたしを捕えたいのかと。

 

「死にてェのか、アンタは」

 

 沖田が狭い通路の間で、わたしを背に左右の敵を捌こうと刀を一閃する。左の敵の腕を薙ぎ、右の敵には避けられて。右の敵がすぐさま重心を変え、沖田の脇腹に刀を振るが、沖田はそれを手首を返して受け止めた。キンと耳に響く音がしたと思えば、左の敵が刀を振り下ろそうとしていて。

 

「――それでも、悪くはないと思うんだけどね」

 

 わたしは、沖田の腕の下から、その敵の腹に刀で貫いた。

 

「ここまで守ってもらっといて、死んだら総悟くんに失礼でしょ」

 

 刀を引き抜く。吹きあがる鮮血に反して、倒れる敵。わたしはその鮮血を浴びに向かうかのように沖田を押しのけて、通路に出る。自然と、沖田と背を向け合う形となった。

 

 わたしより少し高い彼の肩が、大きく上下しているのを感じる。呼吸も荒い。

 

「アンタ、人殺していいのかい?」

「そりゃ、殺さないで済むものを、無駄に殺す趣味はないけどさ」

 

 赤い光の中で見る、血に汚れた刀は黒い。わたしはその刀を両手で構えた。

 

「でも、大事な人が殺されようとしているのに、敵も助けようなんて思うほど、お人好しでもなくってね。わたしも大概馬鹿だから、大事なモノ守るためなら、他のモノは簡単に斬り捨てるよ。いいヒト気取って大事なモノ守れるほど、世の中綺麗じゃないもの」

「……泣いてたくせに」

「え?」

 

 振り返る暇はなかった。

 

 迫る刀を刀で払い、即座に突く。抜いてそいつを踏みつけて、さらに奥の敵を斬った。血を顔に浴びて、わたしは顔をしかめつつ、一歩後ろに下がって体制を整える。

 

 顔を腕で拭うと、沖田が言う。

 

「その刀、使い心地はどうだい?」

「とても良好」

「そりゃ、良かった……なぁ、桜?」

「ん?」

「すまねェな」

 

 その時、爆音と共に、列車が大きく揺れた。

 

 一回。二回。

 

 その衝撃が遠くから少し、近づいてきていて。

 

「爆発だ!」

 

 誰の叫びだがわからないが、それを聴くと同時に、わたしは沖田に抱きかかえられた。

 

 そして、彼は窓ガラスを突き破り、車外へと身を投げる。土手の斜面を転がる時も、わたしの頭は彼にしっかりと押さえられて。

 

 彼の身体が、燃えるように熱い。

 

 そう感じた時には、さっきまでいた車両が、爆発した。爆風に押されて、跳ねるように飛ばされる。耳がつんざく感じは、爆音にやられたか。

 

 川べりに止まると、沖田の手が緩んだ。

 

「総悟くん!」

 

 わたしは慌ててその腕から離れ、横向きに倒れる彼に呼びかける。しかし、彼は動かない。それに、目の前が白くなるような錯覚を覚えて、

 

「総悟っ!」

 

 彼の肩をがしがし揺さぶると、沖田が仰向けに転がった。その顔は、なぜか少し綻んでいて。

 

 沖田が、にやりと笑った。

 

「ようやく、まともに呼びやがったか。痴女猫」

「今そんなこと言っている場合じゃないでしょ!」

「俺が死んだと思ったかい?」

 

 ゆっくりと起きながら言う沖田を、わたしは軽く叩く。

 

「死んでだら、恨んでいたところだわ」

 

 わたしは上着のポケットから、首輪を取り出した。月明かりで、金色の鈴が輝く。

 

「ここに向かう最中に急いで直したんだからね!」

 

 わたしがそれを差し出すと、沖田はますますにやりと笑う。

 

「へぇ、自ら首輪を付けてほしいとは、なかなか殊勝なことじゃねェかい」

 

 受け取ろうとする彼の手を、わたしは反対の手で掴んで訊く。

 

「ねぇ、わたしのこと、好き?」

 



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ほんとの男は惚れてる女に弱いもの⑪

 すると、沖田の目がすっと細まる。

 

「聞きてェのか?」

 

 わたしは頷いた。

 

「この数日、色々考えたの。なぜ、君があんなにわたしに怒って。なぜ、君がこんなにわたしを大切にするのか。もしも、君がわたしのことを好いているのなら、辻褄が合うのよ」

「アンタ、今まで恋人とかいたことねェだろ?」

 

 沖田が鼻で笑い、わたしも口角を上げる。

 

許婚(いいなずけ)はいたわよ。好きでもなんでもなかったけど」

「まったく――冷たいこと言ってくれるねぇ。俺はこんなにも愛しているというのに」

 

 気配は、全くなかった。

 

 横には、夜でもわかる派手な着物を黒髪の男。くわえた煙管(キセル)にぼんやりと赤い光が灯っている。口から細い煙を吐き出して、高杉晋助は悠然とわたしを見下していた。

 

 わたしは首輪を沖田に渡して、立ち上がる。

 

「あんな子供の頃の話を覚えてあげてるだけ、感謝してほしいわね」

「こいつァ……」

 

 身を起そうとする沖田に手を差し出すと、彼が素直に手を掴んだ。引き上げながら、わたしは高杉を顎で差す。

 

「ただのわたしのストーカーよ」

 

 その時、掠れたスピーカー音が聴こえた。その後に、少し怯えたような、必死な声が風に乗って辺りに広がる。

 

『あーあー大和の諸君。我らが局長、近藤勇は無事に救出した。勝機は我らが手にあり。局長の顔に泥を塗り、受けた恩を仇で返す不貞の輩――敢えて言おう。カスであると!』

 

 その声は、とにかく必死で。子供が大人に歯向かうように、拙くて。

 

『今こそ奴らを、月に代わってお仕置きするのだ!』

 

 でも、間抜けだけど、絶対の覚悟があった。

 

『……俺が誰だと? 土方十四郎なりーっ!』

 

 ガシャッと、スピーカーの途切れる音。

 

 それに、わたしは笑いを堪えることが出来なかった。

 

「トッシー、カッコいいじゃん」

「こんなのが副長だなんて、俺ァ情けなくて殺したくなるね」

「じゃあ、殺しておいで」

 

 わたしは沖田の背中を押す。

 

 近藤が乗っていたであろう先頭車両は、坂の上の林に入って行った。緩やかに曲がっているような林の先に、鉄橋が見える。

 

「どうせ、あっちにも爆弾仕掛けてるんでしょう?」

 

 高杉に向かって問うと、彼はせせら笑う。

 

「俺は、もとから秘密裏に仕掛けてあった爆薬に、ちょいとサービスしてやっただけだぜ? なぁ、坊主」

「けっ、誰もンなサービス、頼んじゃいねェけどな」

 

 沖田がそう答えるということは、元から沖田が列車に爆薬をしかけていたということか。

 

 一見、伊東についていたようにも見えたが、わたしを同行させないようにしたり、伊東も乗っていた列車に爆薬しかけたり。色々一人で戦っていたということか。

 

 ――まぁ、後で訊けばいいか。

 

 今すぐ、訊きたいことではある。

 

 そもそも、先の質問にも答えてもらっていない。

 

 訊きたいこと、話したいこと、たくさんあるのだ。

 

「総悟……」

 

 わたしが沖田を見ると、彼は不満げな顔をしていた。

 

「いいんかィ? ストーカー捕まえるのも、お巡りの仕事ですぜ?」

「こんな奴、被害届出すまでもないわよ」

 

 わたしは、砂利の上に転がっていた刀を拾う。こびりついた血を振り落とし、切っ先を高杉に向けた。

 

「こいつの相手はわたしがするわ。さっきの答え、ちゃんと後で聞かせてね」

「あぁ……アンタがとろけるくれェ、存分に聞かせてやる」

 

 沖田の足取りが、思ったよりも早い。そのことに安堵しつつ、わたしは深呼吸した。



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ほんとの男は惚れてる女に弱いもの⑫

 周りでは、真選組同士が戦っていた。まぁ、服装が同じだからそう見えてしまうものの、真選組と攘夷浪士なのだろうが。しかし、一見真選組の隊士たちが戦いあって、そこらに血を出しては死んでいる。

 

 火も上がり、煤と、火薬と、血の匂いはせせらぎも洗い流せない。

 

 戦いは地上だけでなく、空からはヘリコプターが銃弾を雨のように降らせている。

 

 そんな中、沖田が無事に近藤たちの元へ辿りつけるかどうかは、信じるしかない。

 

 ――大丈夫。

 

 そう言い聞かせて、わたしは前を見据えた。

 

「さて……いい加減しつこいと、本気で嫌いになるわよ」

 

 わたしは空いている手を腰に置く。

 

「ほぉ。つまり、まだ俺のことは嫌いでないってことか」

 

 言われて、ため息を吐いた。

 

「そりゃあ……ずっと一緒にいた、幼馴染ですからねぇ」

「じゃあ、幼馴染からでもいいから、一緒に来ねぇか?」

「別に、攘夷活動したいとは思わないので」

「なら、お前が帰ってきてくれたら、もう攘夷活動しないと約束してもいいんだぜ?」

 

 平然と、簡単に言ってのける高杉を、わたしは吐き捨てるように笑った。

 

「だったら、自分で作ったお米持ってきてから、プロポーズしなさい」

「百姓か……そんな人生送れたなら、俺も幸せになれたかな?」

 

 高杉は、笑いながら、煙管をふかす。

 

「まだ、遅くないと思うけど?」

「もう遅いに決まってるだろ。俺の手はもう、幸せを掴むには汚れすぎてるさ」

「それ、わたしに対して言う?」

「だから言うのさ――一緒に不幸になろうぜって」

 

 そして、高杉は煙管の灰を捨てると、それをしまった。代わりに持つものは、もちろん刀だ。

 

 問題は、ここからだ。

 

 このまま、会話だけで高杉が引き下がってくれるか――否。

 

 ならば、大人しく高杉に付いて行くのか――そんなつもりは、さらさらない。

 

 戦って、退けられるか――自信がない。

 

 ――八方ふさがりってやつ……?

 

 そんな絶望感を悟られないように、わたしはとりあえず口角を上げておく。

 

 高杉と遭遇して三回目。今までは銀時だったり、土方だったり助け舟があったものの、今回も二度あることは三度起こるか。

 

「言っておくが、いくら時間を稼ごうとも、誰も助けちゃくれねぇよ? 銀時や真選組の奴らは軒並み手が離せないだろうし、桂もここには来てねぇみたいだからな」

 

 ――なんか読まれてるしっ!

 

 ずっと腕を上げていたせいか、はたまた心境によるものか、刀の切っ先が揺れる。

 

「さっきの小僧に、助けてもらえば良かったんじゃねぇか? 二人がかりなら、逃げることくれぇ出来たかもしれねぇぜ?」

「年下の男の子に助けてもらおうなんて、恥ずかしい真似できるわけないでしょ?」

「怪我した足手まといを逃がしただけと、違うのかい? それが分かっているから、小僧も大人しく退いたんだろうよ――お前も大概、お人好しだな。あいつを盾にすりゃ良かったんだ」

「やっぱり、訂正するわ」

 

 覚悟を決めて、刀を両手で持ち直す。

 

「あなたのことは、嫌いよ。高杉」

 

 わたしは身を低くして駆けた。高杉の足を払おうと刀を振るうが、それと同時に上段から振り下ろされる。

 

「ずいぶん動きが遅くなったじゃねぇか」

 

 即座に頭の上に構えなおして、その刀を受けた。ギンっと衝撃が全身に走り、わたしは片膝を着いてしまう。

 

「力も弱くなったな。それとも、そのまま押し倒してほしいのか?」

 

 ――長年誰かさんが眠り姫にしてくれてたからでしょうに!

 

 軽口を言いかえしてやりたいものの、そんな余裕はなく。わたしは歯を噛みしめながら、刀の向きを変える。高杉の刀を滑らせて、そのまま彼の顔を目がけて横に薙いだ。一歩下がることで避ける高杉。間を入れずに、わたしも踏み込み、刀を振るうも――

 

「弱い」

 

 下から打ち上げられた一閃に、わたしの刀が弾かれた。上空を回転する刀身が月明かりで輝く。

 

 が、わたしは即座に、手のひらを突き上げた。顎を押し上げると、一瞬高杉がよろめく。そして、わたしは跳び上がった。空中で刀を掴みながら回転しつつ後方に着地し、振り返りざまに腰を目がけて刀を振る。

 

「戯れは、こんなもん満足か?」

 

 その刀は、斬る寸前に動かなくなった。高杉が後ろでに掴んでいる。微動だにしない。

 

 わたしが刀から手を離そうと判断した時には、高杉の刀の柄で、みぞおちを突かれていて。

 

「腕の一本構いやしねぇと命令したが、やっぱり無理だったな」

 

 膝が崩れ、砂利の上に唾を吐く。

 

「お前を傷つけるだなんて、出来ねぇよ、桜……」

 

 悲しげなその声を最後に、視界が黒くなった。

 




動乱篇も、どうにか四月中には終わりそうです。
長くなるなぁと覚悟していたものの、見事に一カ月かかりました。
お付き合い、ありがとうございます。

この場を借りて、真選組、伊東ファンの皆様、ぜんぜん出番を作れず申し訳ありません。
この裏では鉄橋で落ちる伊東を近藤が助けたり、さらに落ちそうになるのを、駆け付けた沖田が支えたりしているつもりです。そして土方が鉄橋の上から跳び下りてヘリコプターの敵を一閃――とカッコいいシーン、高杉出したため、書けなくなってしまいました。

原作沿いのタグ、外したほうがいいのかな?と悩みながら、続きも書いていこうと思います。


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この気持ちが恋でないならきっと世界に恋はない①

 

 ◆◇◆◇◆◇◆

 

 どんなに栄えたお家でも、潰れるのはあっという間だ。

 

 死ねば、それで終わりなのだ。

 

 家族みんなが死ねば、それで終わり。

 

 どうして、こうなったのか――子供だったわたしは、知るよしもなかったが、栄えれば栄えるほど、恨みを買うのは簡単である。

 

 一家暗殺。

 

 そんなものは、よくある話だ。

 

 商家が武芸に長けているわけもなく、十数人の侍に夜、襲われたら、悲鳴をあげることしかできない。

 

 初めに死んだのは母だった。見せしめのように、首が飛んでいた。血が吹き上がる様が、思いの外鮮やかで、こうも派手に死ぬことが出来るのかと、幼い頃のわたしは薄情な感銘を受けていた。

 

 次に、召使いたちがあっという間に息絶えた。

 

 そして、逃げていた父が情けない姿で殺された。失禁し、色々なものを垂れ流した姿は、今まで偉そうにしていた父親の記憶の中で、一番情けない姿だった。

 

 押し入れに隠れていた弟が殺された。最期まで泣いていて、ぱたりと声が聴こえなくなった。

 

 そして、全てを強制的に見せられたわたしの番。どうして悲鳴をあげないのかと、何回も殴られ、蹴られた後の結末。

 

 目に入る光景全てが赤かった。

 

 血は乾けば黒くなるが、量が多すぎたのか、錯覚だったのかはわからないが、すべてが赤く見えた。

 

 侍が、刀を構え、にたりと嗤う。

 

 ――あ、死ぬんだ。

 

 残虐な光景の中で、わたしは安堵を覚えた。

 

 ようやく、わたしの番が来たのだ。

 

 ある侍の悪趣味で一番最後になったが、ようやく、この光景を見ないで済むのだ。

 

 一番最初に殺された母を妬んでいたくらいだ。

 

 とっくに、生き延びることを諦め、死ぬことに喜びすら感じたのに。

 

 わたしを斬ろうとした侍が、血を噴き出して倒れた。

 

 代わりに現れたのは、白く小さな少年だった。

 

 ぼさぼさの銀髪が所々赤く染まっていた。質素な服を着た少年が不釣り合いな刀を構えていた。

 

 その刀にも、もちろん血がついていて。

 

 少年が言う。

 

「大丈夫か?」

 

 わたしは言う。

 

「どうして、死なせてくれなかったの?」

 

 少年がぼりぼりと頭を掻く。

 

 そして、その少年は困った顔のまま、わたしの頭をぽんぽんと撫でた。

 

「助けられる奴を助けて何が悪い」

 

 撫でてくる手が思いの外温かくて、心地好かった。

 

「じゃあ、どうしてみんなを助けてくれなかったの!」

 

 目から、何かが溢れてくる。

 

「どうして、もっと早くに来てくれなかったの! どうして、わたしだけ助けたの! どうして……」

 

 わたしは彼の手を両手で掴んだ。

 

「どうして、わたしを独りにするの……」

 

 彼は、一瞬顔をしかめ、少しだけ笑った。

 

「じゃあ、お前が一緒にいたい人が出来るまで、俺が一緒にいてやるよ。大したことは出来ないけれど……それが、この償いでいいか?」

 

 不器用な笑顔がへらーっとしていて、正直頼りなかったが。

 

 わたしは、この顔を絶対に忘れない。

 

 不条理に自分を戒めた、彼の愚かな償いを忘れない。

 

 不器用な優しさを、忘れない。

 

 わたしを助けてくれた白夜叉に抱いた想いを、わたしは絶対に忘れない。

 

 ◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 



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この気持ちが恋でないならきっと世界に恋はない②

 

 

 ガタガタという揺れには、二つのパターンがある。寝心地いい揺れと、寝心地の悪い揺れ。

 

 今は間違えなく後者であった。

 

 ましてや、目覚めて目の前にあるのが、気障な笑みだったら尚更だ。

 

 わたしは自然と声を張り上げていた。

 

「仮にも好きな人を気絶していたっていうのに、どうしてそんな顔できるわけ? もっと心配そうな顔出来ないの?」

「そりゃ、俺は無傷で気絶させたからな」

「いや、お腹痛かったから。いつかは子供を産むであろう女の子のお腹を思いっきり傷つけているから。痣できてるって、絶対」

「俺の子供を産んでくれるつもりになったのか?」

「それは絶対嫌ね。死んでもごめんよ」

「まぁ、その話は置いておいても、こんだけ喋れれば心配いらないだろう」

「……それはそうかも」

 

 狭い場所の椅子の上で、わたしは高杉の膝を枕に倒れていたようである。

 

「ったく……ここはどこなのよ?」

「天国に近いところさ」

 

 ――また気障なことを……。

 

 胸中毒づきながら、身を起こす。くらくらする頭を押さえながら、外を見ると、

 

「た……高っ!」

 

 夏の終わりの冷たい風が、もう次の季節の始まりを告げる。ほどけてしまった髪を押さえながら、わたしは山々を見降ろした。

 

 どうやら、ヘリコプターに乗せられているらしい。地上よりも、空の方が近そうだ。手を伸ばしたら月が取れるのではないかと思えてしまう。落ちたら、きっと一命はないだろう。しかし、こんな高い場所にいるのは初めてで、少し興奮してしまっていた。プロペラの回転する音が、そういえば耳障りで残念である。

 

「なかなか派手な誘拐をするものね!」

 

 山の合間には、鉄橋があった。ただ、その鉄橋が途中で崩れており、引っかかるようにして列車がぶら下がっている。

 

 その後方、鉄橋の手前では、数人が戦っているようだ。暗さと、小ささではっきりと確認することは難しいが、動きからして一人対多数のようである。そして、その一人が白っぽい。

 

 ――お兄ちゃん、だよね……。

 

 とすれば、その一人が列車に向かおうとしているということは、列車には彼が助けたい人達がいるということで。近藤や土方、きっと神楽や新八もいるのだろう。

 

 ――総悟くんも、いるのかな?

 

「面白いものを見せてやろうか?」

 

 高杉の一言に、振り返る。彼はとても狡猾な笑みを浮かべていた。

 

 指を出しては、くいっと下に向ける。

 

 ヘリコプターを操縦している男が、こくりと頷いた。

 

 ヘリコプターが旋回する。

 

「あっ」

 

 その勢いに負け、振り落とされそうになったところを、後ろから高杉が抱きとめてくる。

 

「落とさねぇよ、桜」

「落としてくれても、構わないんだけど」

 

 わたしは高杉を振り払うと、ダダダダダと連撃音がヘリコプターを揺るがした。

 

 装填されていたマシンガンが、列車に向けられている。

 

「ちょっと――」

 

 わたしは操縦者を止めようと動くも、すぐに高杉に引き寄せられてしまった。高杉の膝の上に尻をつき、顎を持たれる。

 

「よーく見とけ。お前が守ろうとした奴らの最期だ。あとで下に降りてみようか。真っ赤に染まった奴らの死体を見た時のお前の顔……想像するだけでそそられるな」

 

 わたしの刀が、床に置かれていた。武器があったところで、わたしが逃げることはできないと高杉が踏んで、拾っておいたのだろう。きっと、それを道具にまたわたしを責める手立てでもあったのかもしれない。

 

 ――舐めた真似を。

 

 だけど、見下されていることを、今、わたしは感謝した。

 

 足で、その刀を蹴り上げる。即座に鞘から抜いて、その刀を自分の首へ向けた。

 

「お前っ!」

 

 高杉が驚く顔が滑稽だった。見開いた片目を見て、わたしは口角を上げる。

 

「わたしが落ちたら、マシンガン撃てないわよね?」

 

 わたしを殺したくない高杉の、穴をついて。

 

 うろたえる彼の、隙をついて。

 

 わたしは、大きく後方に跳躍した。プロペラの向こうの三日月が、やけに鋭く見える。

 

「桜――」

 

 高杉が身を乗り出して、手を伸ばした。必死で、下手したら泣きそうな顔にも見えて。

 

 ――誰が、取るものか。

 

 わたしは嘲笑うように舌を出して、そのまま落ちる。



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この気持ちが恋でないならきっと世界に恋はない③

 ――さて、どうしようかな。

 

 今になって考える。無事に逃げられた。真下は列車だ。あの高杉がわたしに当ててまでマシンガンは撃たないだろう。実際、銃撃も止んだ。

 

 あとは、着地だけ。

 

 生きて、着地すればいいのだが。

 

 流れる光景は一瞬。

 

 浮遊感を抱く間もなく、頭から落ちていく。

 

 ――そういえば、こないだも落ちたな。

 

 天守閣で、沖田を抱えて落ちた時。あのときは壁があったから勢いも抑えられたが、この空の中、刀が刺さるものなんかあるわけがなくて。

 

 月が、どんどん小さくなる。

 

 ――死ぬのか。

 

 覚悟して、目を瞑る。

 

 死を覚悟したのは、何度目だろうか。

 

 家が潰れた時。先生が捕まってしまった時。戦争が始まってからは、何回あったか数えきれない。

 

 だけど、わたしは生き延びてきた。

 

 それは、いつも助けてくれるから。

 

「さくらぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああ」

 

 それはただの雄たけびか。わたしの名を呼んでいるのか。

 

 どちらにしろ、それは関係がなくて。

 

 列車に当たる瞬間、わたしは誰かに受け止められた。

 

「ふんがぁぁあああああああ」

 

 だんっと何かが大きく凹んだ音がした。

 

 受け止められた腕や、胸は温かくて。そして、少し血生臭い。

 

 目を開けると、血走った目でふんばる男の顔があった。鼻の穴を大きく膨らませているその顔は、とてもカッコいいものではない。

 

 ぼさぼさ白髪頭は変わらなくて、図体だけが大きくなった彼は、昔よりも必死な顔をしていた。

 

「桜! テメーなにしてんだバカヤロー」

「お兄ちゃん、唾飛んでる……」

「るせーっ! 唾くれー、舐めまわしてから飲み干しやがれっ!」

「それヤダなぁ」

 

 わたしは銀時に苦笑を返して、彼の腕からひょいと跳び下りた。が、少しよろけて、その場に尻もちをついてしまう。列車がべこりと凹んでいた。きっと、わたしを受けた衝撃で凹んだのだろう。

 

 わたしはぺたりと座り込んだまま、へらっと笑う。

 

「ありゃー、さすがに死ぬとこだったわ」

「ったく……簡単にアイキャンフライはやめてくれ……」

 

 嘆息して、銀時もその場にどすんと胡坐を掻いた。

 

「はは、ごめんねぇ。ストーカーから逃げるのに命がけだったよー」

「……それ言われたら、何にも言えねーじゃねーか」

「じゃあ、言わないで?」

 

 わたしが片目を閉じると、銀時は再び大きなため息をつく。

 

「はぁー……俺も面倒な妹持っちまったもんだ……」

 

 そう愚痴を言う銀時は、身体に無数に傷を負っていた。細い何かに斬り裂かれたような傷からは血が滲み出ており、頭も切ったのだろうか、顔にも血が滴っている。

 

 そんな銀時に、斬りかかろうとする一人の男がいた。

 

「お兄ちゃんっ!」

 

 わたしは銀時を押しのけて、上段からのその刀を受ける。

 

 サングラスにヘッドフォン、短髪を逆立てている男は、片手に刀、もう一方には何故か三味線を持っていた。バイクの後ろに伊東を乗せていた男だ。

 

「あなた……鬼兵隊の人……?」

「起きている時に会うのは初めてでござるな、桜殿。拙者は河上万斉(かわかみばんさい)と申す」

「律儀にどーもっ!」

 

 わたしは刀を払い、後ろに下がる――が、何かに足を取られ、再び転んでしまった。足には細い糸のようなものが絡まっている。刀で即座に斬ろうとするが、右手も同じように糸が絡まり、動かない。

 

「手足の一本は、問題なかったでござるな」

 

 その時、視界が暗くなった。

 

 目の前で、血が飛び散る。

 

「……たく、本当に世話がかかる妹だよ、オメーは」

 

 そして、後ろから肩をばっさり斬られた銀時は、わたしの頭をぽんぽんと撫でた。



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この気持ちが恋でないならきっと世界に恋はない④

「おにい……」

 

 声にならなかった。

 

 そんな間に、銀時は木刀で糸を斬ってくれる。

 

 ――あぁ……。

 

 わたしは、出そうになる涙をぐっと堪える。

 

 ――わたしは、なんて無力なんだろう。

 

 いつも、守ってもらってばかりで。

 

 いつも、助けてもらってばかりで。

 

 わたしは、この人に何かを返せたことがあるだろうか。

 

 わたしは、この人の助けになれたことがあるだろうか。

 

 少なくても、今泣くことは、この人に面倒だと思われるに違いなくて。

 

 ――なら、今のわたしがすべきことはなんだ!

 

「……どいて」

 

 わたしは立ち上がり、銀時の傷のない肩を叩く。

 

「あとは、わたしがやるから」

 

 ――そもそも、わたしがここに来て、何をした?

 

 沖田を助けようと思ったら、むしろ助けられて。

 

 高杉には、捕まって。

 

 逃げても、結局銀時に助けてもらって。

 

 ――ただ、足を引っ張っただけじゃないか。

 

 それが、ただただ、悔しくて。

 

 ――ここで、何もできないでどうする!

 

 わたしは刀を片手で構える。

 

 ここへ来て、構えたのは何度目だろう。

 

 何度構えて、何度役に立ったのか。

 

 ――ここで何もできないなら、それこそ総悟の言うとおりだ。

 

 武器なんて、持つべきではないのだ。

 

 わたしは息を吸って、吐いた。

 

 重いだなんて言っていられない。体力がないなんて言っていられない。

 

 言い訳すれば、弱くていい理由にはならない。

 

 わたしは駆ける。万斉の前で刀を振り下ろしたと見せかけ、前宙で跳び越える。糸のようなものは、三味線の弦のようだ。その中から四方に伸びているのが、月灯りの反射で見えた。わたしは空中でそれを刀で絡め取り、着地と同時に振り返りしゃがむ。振り向く相手の死角で、わたしは脛を斬った。一瞬、よろめく隙に、わたしは万斉の股の下から向こうへ刀を滑らせた。

 

「よしっ!」

 

 その刀を、銀時が受け取る。

 

「なっ」

 

 銀時が刀を引くと、万斉は弦に絡め取られた。腕も身体も、三味線ごと束ねられ、苦悶の表情を浮かべる。

 

 銀時は木刀を放り投げてくる。そして、わたしがそれを受け取った時には、両手で刀を持って、

 

「おりゃぁあああああああ」

 

 思いっきり、振りかぶった。弧を描くように持ち上げられて、列車の下へと振り落とされる万斉。

 

 わたしは、その後を追って、列車から飛び降りた。万斉のみぞおちに全体重を乗せて、木刀を突き刺す。

 

 万斉は、声なく透明な何かを吐き出しては、力をなくしていた。

 

 息を吐く間もなく、わたしは空を見上げる。三日月の下には、旋回するヘリコプター。そこから身を乗り出している、派手な着物の男が、心なしか笑っているようにも見える。

 

 わたしは、木刀を向けた。

 

「今度会う時は、もうこんな無様な姿は見せないから! あなたの首は、わたしが取ってみせるわ!」

 

 その男は、ますます笑みを強めて。

 

 ヘリコプターが、山の向こうへと遠ざかっていく。

 

 その姿を睨んでいると、

 

「桜!」

 

 呼ばれて、振り返ると、沖田が列車の破れた窓から、跳び下りて来ていた。

 

 血だらけの彼は、明らかに安堵の表情を見せていて。

 

 ――お、これは抱きついてくるかな。

 

 と、身を固くした時である。

 

「テメェ、この俺様にどんだけ迷惑かけりや、気が済むんでェ」

 

 パシン。

 

 急に無表情でそう言っては、わたしの頬にビンタをしてきた。



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この気持ちが恋でないならきっと世界に恋はない⑤

 右から、左へ。

 

 動いたわたしの頬に触れると、熱を帯びていた。

 

「ん……けっこう痛いよ?」

「殴ったんだから、当たり前でィ」

 

 咄嗟のことで思考が追いつかないものの、ぽけっと訊く。

 

「なんで、殴られたの?」

「そんなのテメェで考えろ」

「わからないから、訊いているのだけど?」

 

 即答すると、沖田は項垂れるように嘆息した。

 

「敵の位置を確認しようと、窓から見上げてみりゃ、アンタが落ちてきてるんでさァ……どうやったら、あんなことになるんでィ」

 

 ――あぁ、そのことか。

 

 わたしがヘリコプターから飛び降りたことを怒っているでらしい彼に、かいつまんで説明する。

 

「高杉に捕まっちゃったところ、みんながマシンガンに襲われているようだったので、飛び下りてみました。どうやらあいつ、わたしに怪我させたくなかったようなので、撃つのやめるかなぁっと……」

「へぇ……」

 

 顔を上げた沖田の目が、冷たく光っているように見えた。

 

「で? あの高さから生きて着地できる見込み、ちゃんとあったのかィ」

「総悟くんは、わたしの身を案じてくれていたのかな?」

「いいから答えろ」

 

 短く言われて、わたしは一瞬顔をしかめるが、

 

「それは……」

 

 顔の横で、軽く両手を握った。

 

「猫は着地が得意だにゃん」

 

 そして、くいっと首を傾げる。

 

「――で?」

 

 しかし、沖田の反応はますます険しくなるだけだった。

 

「いや……えーと……総悟くん、よくわたしのこと猫扱いするからさ……それで……あーもうごめんなさいっ! 何にも考えてませんでしたよ! でも大丈夫だったでしょ、無事にこうして、怪我ひとつしてないんだから!」

 

 いたたまれなくなって、叫ぶわたしに、沖田も怒声を返す。

 

「そりゃあ、全部旦那のおかげだろうが! 旦那が近くにいなかったら、誰も助けてくれる人がいなかったらどーするつもりだったんだ? 死ぬつもりだったのか? あぁ?」

「それは……」

 

 口ごもる。

 

 死ぬのも、ありかもしれない。

 

 そう一瞬でも考えたのは、事実だから。

 

「ちったぁ……人の気持ちも考えてくれ……」

 

 小さく呟いたその言葉に、わたしは思わず笑みを浮かべた。

 

 心配されることは。

 

 助けられることは。

 

 やっぱり、嬉しいものだ。

 

「ありがとう――わたしも、総悟くんが無事で、よかったよ」

 

 そう言うと、沖田がどこか恥ずかしそうに舌打ちして。

 

 その時、土方の声が響く。

 

「総員に告ぐっ! 敵の大将は討ち取った! もはや敵は統率を失った烏合の衆――一気に畳み掛けろっ!」

 

 奥を見れば、列車の前で刀を掲げたのち、敵陣に突っ切っていく土方と近藤の姿。

 

 大将とは、万斉のことだろう。倒れた万斉を隊士たちが取り囲んで、縄できつく縛っているようだ。

 

 ――本当の大将は、ちゃっかり逃げてるけどね。

 

 高杉の乗っていたヘリコプターは、いつの間にか見えなくなっていた。しかし、それを今言うことが野暮だということは、さすがにわかる。士気を高めて、戦場を勝利で治めるのだ。

 

 盛り上がる戦場を見て、沖田も歩を翻した。

 

「頼みがある」

 

 腰の刀に手をかけながら、彼が言う。

 

「もしも、本当に俺らが無事なことを喜んでくれてるのなら……アイツに礼を言ってやってほしい。俺らは……言えねェからな」

「あいつ?」

 

 わたしの疑問符には答えずに、そう言うだけ言って、彼は敵陣へ駆けていく。刀を抜くと同時に、倒れる敵の数は増えていった。

 

 ――怪我、大丈夫そうね。

 

 彼の動きに安心しつつ、わたしはもう一人、わたしのために怪我をした男を探す。

 

 銀時は列車の上で胡坐を掻いて、へらへらとこちらに手を振っていた。

 

 わたしは、肩を押さえる動作をして、首を傾げる。

 

 彼は大丈夫だとばかりに腕を回そうとして――やっぱり痛かったらしい。肩の怪我を押さえて、大きく顔をしかめていた。怪我はひどいようだが、命に別状はないらしい。

 

 わたしは苦笑を返して、列車の中を見る。

 

 すると、神楽と新八が、深刻な顔をして、誰かに話しかけているようだ。

 



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この気持ちが恋でないならきっと世界に恋はない⑥

 何か気になり、列車の中を窓から覗く。

 

 そこには、血だらけで、片腕のない男の後ろ姿が見えた。

 

 驚いて、入口へとまわり、中に入る。

 

 列車の中はぼろぼろだった。血もあちこちに飛び散っている。

 

「桜ちゃん、無事だったアルね」

 

 無表情な神楽にそう声を掛けられた。本当ならにこりと微笑むべきなのだろうが、そういう気にもなれず、

 

「うん。神楽ちゃんと新八くんも、大丈夫そうね」

 

 淡々と確認するように、返答するのみ。

 

 なにせ、彼女らの足もとにいる者の姿が、悲惨だったから。

 

 足も、片方がおかしな方向に曲がっていた。

 

 体中穴が開いているその男は、まだ生きているのが奇跡のようだった。

 

 無数の穴。

 

 わたしは唇を噛んだ。

 

 ――わたしの、せいだ。

 

 ヘリコプターから撃ちこまれたマシンガン。誰かが盾にならなければ、この中にいたらしい神楽たちや沖田が無事で済むわけはないだろう。

 

 伊東が、盾となったのだ。

 

 目の奥が熱くなった。喉の奥が痛くて、声が出ない。

 

 そんなわたしに、

 

「さくら……さん、笑ってください」

 

 その男は乾いた声で、そう言った。

 

「馬鹿な僕を……嘲笑って下さい……鬼兵隊を利用しようとしたら、こんな結末です。大事な仲間だと……最期まで気づけずに……僕を繋いでた糸を……僕は、自分で断ち切ってしまった……そんな僕は、笑われて死ぬのがお似合い――」

「伊東さん!」

 

 彼の言葉を遮り、わたしは伊東の前に膝を着く。

 

 眼鏡をかけていない伊東は、変わらず紳士的だった。

 

「そんな所に座って……汚れてしまいますよ……」

 

 その優しさにわたしは顔をしかめて、大声で言う。

 

「ケーキ、美味しかったよ!」

 

 伊東の目が、一瞬丸くなった。間を入れず、捲し立てるように続ける。

 

「正直、ちゃんとしたプロが作ったケーキ食べるの初めてで、見た目の綺麗さでびっくりしすぎちゃったから、しっかりとした反応できなかったんだけど、本当に美味しかったの! 甘すぎずっていうの? なんか味が上品すぎて。てか、綺麗すぎるから食べるのも崩れちゃって勿体ないくらいで」

「それは……意外ですね……良家の生まれなのに……」

 

 ――こいつ、調べたのか……。

 

 わたしは苦笑した。けど、そりゃそうだよな、と納得する。

 

 それに、死にゆく人に、責める趣味はない。

 

「なら、ちゃんとしたお店に、連れて行ってあげたかったですね……美味しい紅茶の香りと、綺麗な調度品に囲まれたら、いっそ感動する……」

 

 伊東は笑った。

 

「桜さんは……意地悪い人ですね……また後悔が増えてしまった……」

「桜ちゃん、もういいか?」

 

 声をかけられ見上げると、近藤が見降ろしていた。

 

「終わったの?」

 

 尋ねると、近藤は大きく頷く。

 

「あぁ。攘夷浪士は一掃し、河上も連行した。あとは……こいつだけだ」

「そっか……」

 

 わたしは立ち上がり、道を開ける。

 

「おい、伊東を捕獲しろ!」

「近藤さん、待ってください! 伊東さんは……もう……」

 

 新八が伊東に寄ろうとするが、彼の肩を近藤がずしっと押さえる。

 

 近藤は涙を流し、首を横に振った。

 

 隊士二人が伊東を左右から支え、ゆっくりと、列車の外へと歩いて行く。その足跡がわりに、真っ赤な血が太い線を作っていく。

 

 その背中を見て、沖田の言葉を思い出す。

 

『もしも、本当に俺らが無事なことを喜んでくれてるのなら……アイツに礼を言ってやってほしい。俺らは……言えねェからな』

 

 ――喜んでいるに、決まっているじゃない!

 

「伊東さん!」

 

 わたしが叫ぶと、伊東を連れている隊士たちが足を止めてくれた。

 

「みんなを、守ってくれてありがとう!」

 

 真選組の人たちは言えない。彼は、真選組を裏切った犯罪者なのだから。

 

 だから、沖田はわたしに託したのだ。

 

 裏切りものには、感謝は伝えられない。

 

 けれど、命を張ってくれた仲間に、礼を伝えられないのは悲しいことだ。

 

 お互いに、哀しいことだ。

 

 でも、わたしは真選組ではないから。彼らの仲間ではないから。

 

 だから、伝えられることもある。

 

「わたしの大切な人たちを、守ってくれてありがとう!」

 

 ゆっくりと、伊東は振り返った。

 

「どう……いたしまして……」

 

 伊東は、やっぱり紳士的に微笑んで。

 

 わたしも、涙が零れないように我慢しながら、笑みを返した。

 



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この気持ちが恋でないならきっと世界に恋はない⑦

 

 

「あったあった」

 

 車上荒らしさながら、ボロボロになったパトカーの中から、わたしは私服を探しだした。バンパーもひしゃげて開いているし、タイヤもパンクしているこの車は、もう走ることはないだろう。わたしと万事屋と副長をここまで運んで、立派に真選組を守った、立役者だ。

 

 人は、いつか死ぬ。

 

 もしも、死に方を選べるとしたら、どのように死にたいのだろうか。

 

 ふと、そんなことを考えた。

 

 この車のように、仲間の役に立って死にたいのか。

 

 それとも、辺りに倒れている攘夷浪士のように、夢を志して死にたいのか。

 

 それとも、伊東のように――。

 

 わたしは、頭を振って、車から這い出る。

 

 わたしは、伊東の最期を見届けなかった。見届けられなかったと言ったほうが正しいかもしれない。

 

 伊東はあのあと、土方と決闘という形で、処刑されたようだ。

 

「ありがとうなんて言っておきながらさー、わたしも薄情な女よねー。最期見てあげずに、そそくさ自分の荷物回収しにくるなんてさー」

 

 山の向こうに月が沈み、反対側からは朝日が昇り始めていた。川面が黄金にキラキラ輝いている。

 

 ちらほらと、役人たちが集まり始めていた。白い制服の人たちや、着物を着たいかにもな人たちが状況検分というやつだろうか。死体の確認や列車事故の確認を始めている。

 

 今のうちに回収しなければ、わたしの浴衣も何かの証拠品扱いになってしまうかもしれない。

 

 ――わたしも狙われていたんだしね。

 

 どこまで近藤たちが報告するのか。お国の調査が及ぶのか。それは流れに任せるほかないけれど。

 

「誰もアンタが薄情だなんて思っちゃいねェさ」

 

 背後から声をかけられ、首に何かを巻かれる。首に触れる手が、温かかった。わたしは振り向かず、代わりに軽口を返す。

 

「隊長さんがこんな所で油売ってていいのかな? 事件の後の調査や報告ってのも、大事なお仕事なんじゃないの?」

「泣いてる女ほっといて仕事するほど、野暮な男じゃねェさ」

「……いっちょまえに、カッコつけちゃって」

 

 わたしは浴衣を抱きしめた。そこに、ぽたぽたと涙が落ちていく。

 

「あの場で泣いている奴がいたら、それこそ場に合わねェから、あえて居合わせねェようにしたんだろ? 俺たちのために気をつかってくれたことにゃ、感謝するが、一人で出歩くの禁止なことを忘れてもらっちゃ困るんだよ」

「あのねー、こんな時にまでお説教?」

 

 振り向くと、首に付いた鈴がチリンと可愛らしく鳴る。

 

 沖田が優しい顔で微笑んでいた。まるで愛猫を撫でるかのような手つきで、わたしの頭を撫でてくる。

 

 ゆっくりと、静かに。

 

 わたしを撫でる手は案外大きくて、ごつごつとしている、しっかりとした男の手。

 

 わたしを見守るその顔も、わたしよりも高い位置にある。この近距離で顔を合わせようとするならば、それなりに顔を上げなくてはならない。

 

「……あんまり見ないで」

 

 わたしは、そっと沖田の手を払って、俯いた。涙が止まり、代わりに顔が熱い。

 

 沖田はくつくつと笑って、

 

「俺のやったモンをそんなに大事にするなんざ、殊勝なもんじゃねェか。褒美にパフェでも食わせてやるよ」

 

 そう言うと、見覚えのあるバイクにまたがり、後ろのシートを乗れとばかりにトントンと叩く。

 

 確か、万斉が乗っていたバイクだ。

 

「……あの、沖田さん?」

「なんだ?」

「それ、ものすごーく大事な証拠品とかじゃないのでしょうか?」

「しょーがねェじゃねーか。これしかちゃんと動きそうにないんだから」

「そういうもの?」

 

 顔をしかめると、沖田が舌打ちした。

 

「いいんだよ、アンタは何も気にしないで。見廻り組やらにアンタを遭わすと面倒なことになるんだ。さっさと帰るぞ」

 

 わたしは嘆息する。

 

 見廻り組がなんなのかは知らないが、確かに余計な役人たちと話して面倒になるのは目に見えている。

 

 わたしは大人しく、彼の後ろに乗った。沖田はエンジンを噴かすと、手なれた様子で発進させる。 



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この気持ちが恋でないならきっと世界に恋はない⑧

「おい、そこのバイク止まりなさい!」

 

 白い制服を着た眼鏡のおじさんから制止の声がかかるも、それを聞くわけもなく。

 

「しっかり掴まっとけよ」

 

 と、沖田は少し楽しそうに言って、縫うように走らせた。

 

 ――掴まる……ねぇ。

 

 片手は浴衣を持っている。開いた手で彼のジャケットの裾を掴んでいると、その手をぐいっと前へ引っ張られた。

 

「おっと」

 

 強制的にお腹の前を掴むことになり、わたしは首の鈴を鳴らしながら、前傾姿勢で、顔を沖田の背中に預ける体制になった。

 

 ――あ、あったかい。

 

 もう夏も終わりである。木々が赤く染まるのはもう少し先だろうが、それでも朝は少し肌寒く、風が冷たい。

 

 けれど、沖田の体温は温かくて。

 

 ――子供なのかなぁ。

 

 と、少し笑う。口にすると怒られそうだから、言わないけれど。

 

 現場を抜けるのはあっという間だった。

 

 山と川に挟まれた公道で、すれ違う車もいない。まぁ、行く先は通行止めになっているだろうから、当たり前なのかもしれないけど。

 

 それでも、走る車やバイクが自分たちのみというのは、気持ちがいいものだ。

 

 キラキラ輝く水面が美しく、山の空気も清々しい。

 

「そういえばさ」

 

 そんな中で、こういうことを訊くのは適しているのか、野暮なのか。どちらに転ぶのかわからないけれど。

 

「返答訊いてないんだけど?」

「それって、俺がアンタのこと好きかどうかってやつか?」

「そう、それ」

 

 答えを、求めてみる。

 

 正直、今更それを知って、どうだという気もするけれど。

 

 ――なんか、もう怒っていないみたいだしね。

 

 沖田は言う。

 

「近々、姉ちゃんが江戸に来るんだ」

「ん? お姉ちゃんいたの?」

 

 いきなりの話題に驚きつつ、訊き返すと、

 

「あぁ、唯一の俺の家族でサァ……出来たら、アンタにも会ってもらいてェ」

 

 そんなことを言われて、わたしは背中から顔を上げる。

 

「……うん、いいよ」

 

 すると、沖田が急にバイクを止めて、振り返ってくる。

 

「本当か? アンタ、ちゃんと意味わかって返事してるのか?」

 

 わたしは笑った。

 

「いつもお世話になっている人のご家族なら、きちんとご挨拶しないとね」

「……わかってねェだろ、絶対」

 

 わたしは微笑んだまま、首を傾げる。

 

 沖田は項垂れるように、ため息を吐いて、

 

「まぁ……今日はアレだ。色々なことがあったしな、勘弁してやる」

 

 そう言って前を向いて、バイクを走らせた。

 

 わたしは、彼には聴こえないほど、小さな声で呟く。

 

「……わかってるよ、ちゃんと。でも、ごめんね」

 

 

 

 

 それから、一週間後。

 

 あの事件も色々と片付き、ようやく真選組も日常を取り戻していた。

 

 しかし、あれから変わったことがある。

 

 わたしに、朝の日課が出来た。

 

「コラぁ! 腰がぶれてる! あと素振り百回追加ァ!」

 

 沖田が道場の床を竹刀で叩く音が響く。

 

 その音に顔をしかめつつも、

 

「はいっ!」

 

 わたしは威勢よく返事をして、足を前後に動かしながら、素振りを続けた。

 

 あの事件で自分の弱体化を痛感したわたしは、沖田に手合わせしてほしいと頼んだ。

 

 そうしたら、その前に出された条件が、毎朝の稽古に付き合えというもの。

 

 ランニング三十分。腕立て百回。腹筋百回。素振り百回。さらに、沖田にダメだしされれば、追加分。

 

 そして、剣道の試合形式で一試合して――という約束なのだが、まだ一試合も出来ていない。

 

「はぁ、もうダメ……」

 

 わたしは素振りを終えると、道場に寝転んだ。

 

 全身の筋肉痛と疲労で、とうぶん動けそうもない。

 

 すると、道場の扉が開いた。顔を向けると、土方が睨んでいる。

 

「おい、総悟! いつまで油売ってるん――」

 

 朝日差し込む凛とした空気の道場に、響き渡る携帯音。

 

 それは、立ち向かう先に乾いた風が激しく吹き荒れるようなリズム。

 

 呪文の一つも唱えたならあたしのペースになるようなメロディ。

 

 土方はその携帯を当たり前のように取り出しては、

 

「あ、もしもし。えー! スレイニャーズの限定ラジオドラマCDの発売が延期っ! それはショックでござるな……」

 

 と、喋りながらとぼとぼとどこかへ歩きだす。

 

 そんなトッシーと上手く共存している土方を生暖かい目で見守っていると、沖田はにやりと笑って覗きこんできた。

 

「今日もこれでギブアップかィ? じゃあ、俺は仕事行ってくるから、大人しく待ってろよ、痴女猫」

「あーもーハイハイ。お仕事がんばってね、総悟くん」

 

 寝転んだまま、わたしはひらひらと手を振って、沖田を送り出す。

 

 変わったような、変わってないような。

 

 そんな朝、道場に一人になって、わたしは身体を伸ばした。

 

「よーし、今日もお昼まで寝よーっと」




動乱篇、これにて終了です!
いかがでしたでしょうか? 
なんか中盤無駄な部分も多かったかなーとか思いながら、気づいたら50話もあっという間に超えて、こんな話数になってました。
お楽しみいただけたでしょうか?

もちろん、偽訳銀魂、まだ終わらせません。
次は前に宣言した通り、カブトムシの話をしようと思います。
作中でも夏は終わってますけどね。
時期に合わないことを敢えてする楽しさって、現実にもありますよね。
冬に海に行きたくなったり、しませんか?
けど、巨大カブトムシと闘うのがメインではなく、主人公の昔語りをメインに書いていこうかと思ってます。

これからも、どうぞ偽訳銀魂をよろしくお願いいたします。
皆様の有意義な暇つぶしになりますように。


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偽・カブトムシ篇
ブームの時期を逃すからこそ楽しいことがある①


 

 

 

 カブトムシ。

 

 わたしの記憶では、それは夏に繁殖する生き物である。

 

 鈴虫もずいぶん前に鳴くのをやめ、森の木々がほんのり黄色がかってきた頃に、探す生物ではなかったはずである。

 

 そう――今は、秋なのだ。

 

「それなのに、どうして我々はこんな大所帯で虫取りをしてるんでしょうか?」

 

 問題提起をする。

 

 見上げて、わかってはいたことだが愕然とする。

 

 なんて、この男は、不格好なんだろうかと。

 

 これでも、第一印象はカッコいいなと思った男の子なのだ。

 

 すぐに残念だと認識を改めたりしたが、それでも、真選組一番隊隊長という立派な肩書きも持っているし、それに負けない剣の腕も持っている。頭のキレもよく、心の内ではすごく仲間想いの優しさも持ち合わせた、かなり高スペックな少年なのだ。

 

 そんな少年が、カブトムシの着ぐるみを身にまとい、大樹にしがみ付いているのだ。

 

「みーん。みーん。そりゃあ、散々言っているじゃねェかみーん。将軍様の命令で国宝、瑠璃丸(るりまる)を捜索しているんだみーん」

 

 ご丁寧に、鳴き声付きである。

 

 そんな彼の着ぐるみでまるまるとしたおしりを見上げながら、わたしは会話を続けた。

 

「その瑠璃丸ってカブトムシ……本当にそんな真選組総出で探すほどの価値があるものなの? カブトムシでしょ?」

 

 すると、彼は急に顔をこちらに向けて、くわっとした凄まじい形相で睨んできた。

 

「カブトムシを馬鹿にするんじゃねぇ! 角と角を合わせて行われる熱い戦いに血を掻きたてられない男はいねぇだろーが! しかも瑠璃丸は陽の光を浴びると黄金色に輝くと言われる絶滅危惧種! そんなロマンの塊である瑠璃丸を手に入れたら、サド丸二十八号として俺のサド戦士たちのリーダーとして君臨するのサ!」

「ねぇ、返す気ないよね? 将軍に返す以前に、横取りする気まんまんだよね?」

 

 サド丸って名称だったり、そもそもわたし男じゃないし、とか、色々突っ込む気すら起きずに、わたしは嘆息した。

 

 そして、その木のふもとに腰を下ろす。

 

 上を見上げれば、木々の隙間から見える空の青さが綺麗だった。暑くもなく、寒くもない。まさにピクニック日和な一日を、森で過ごすのは、決して悪いことではない。

 

「お弁当でも作ってくればよかったなぁ……」

 

 そう呟きながら、欠伸をする。

 

 そもそも、どうしてこんなカブトムシ捜索をすることになったのか。

 

 そもそも、どうして将軍がカブトムシ捜索の命令を発したのか。

 

 それは、わたしが原因だった。

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

「桜ちゃん……ちょっと訊きたいことがあるんだけど」

 

 昨日の夕飯時、食堂で沖田とごはんを食べていると、近藤が神妙な面持ちで尋ねてきた。

 

「夏祭りの時にさ、何か将軍様に渡したもの、なかった?」

「しょーふん?」

 

 豚の生姜焼きを頬張りながら、首を傾げると、わたしは対面する沖田に膝を蹴られた。

 

「もぐもぐしながら喋るんじゃねェって、何度言えばわかるんでィ」

「ほへんはさい……」

 

 もう一回蹴られつつ、わたしは口の中の物を飲みこんで、お茶を一口。

 

 そして、もう一度近藤と顔を合わせる。

 

「夏祭りって、あのカラクリ大暴走の時のあの時だよね?」

「あぁ、あの時、桜ちゃん一瞬だけど、将軍様と会っているよね?」

「えぇ、(やぐら)の上で少しだけ会ったけど……」



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ブームの時期を逃すからこそ楽しいことがある②

 思い起こせば、カラクリから撃たれた砲弾を斬った後で、将軍とその妹君と会っている。

 

 その時、いきなり転がり込んだわたしを心配する二人を誤魔化すため、あげたものは……。

 

「確か、林檎飴とカブトムシをあげたけど? なに、もしかして、そよちゃんお腹壊しちゃったとか?」

 

 姫様に屋台の飴など、刺激が強かっただろうか。散々持ち歩いたものだし、正直埃とか硝煙とか被っていたかもしれない。

 

 わたしがあげたもので、姫君が体調を崩したとなれば、下手したら切腹ものである。その前に暗殺を疑われて拷問もあるかもしれない。

 

 いや、まだそれならいい方だ。

 

 わたしの手からお箸が落ちる。

 

「どどどど……どうしよ、近藤さん……わたし、そよちゃん殺すつもりなんてぜんぜん……」

「死んでないから! そよ姫むしろ最近友達がまた増えたって喜んでるって話だから、むしろ問題なの将軍様の方だから!」

「しょう……ぐん?」

 

 近藤の言葉に、わたしはまた愕然と口を開く。

 

「も……もしかして……将ちゃんカブトムシで怪我しちゃったとか? その傷が化膿して細菌が全身にまわり今危篤状態に……」

「どうして桜ちゃん、すぐに殺しちゃう方向で考えるかなぁ?」

 

 嘆息する近藤に、わたしは即答した。

 

「だって、世の中デットオアアライブじゃない」

 

 ねぇ、と沖田に同意を求めると、彼は付け合わせのもやしをむしゃむしゃと頬張りながら、こくりと頷く。

 

「おー、よく覚えたじゃねェか、桜。褒美に、今晩の訓練はアンタの好きな死遭い(試合)にしてやらァ」

「やったー! もう足がもげるほど走ったり、腕がちぎれるほど腕立てしたり、窒息するほど息をひそめたりしなくていいのね!」

 

 両手を挙げて喜ぶわたしに、沖田がくつくつと笑う。

 

「ほぉ、ずいぶんと余裕じゃねぇか。もしかしたら、死遭いで足の腕も心臓も全部失うかもしれねェんだぜ?」

 

 それに、わたしも口角を上げて答えた。

 

「あら、その台詞、そのままお返しするわよ? 舐めてかかってると、今日こそ死に恥さらしてやるわ」

「へへへへへ」

「ふふふふふ」

 

 黒い笑みをお互い浮かべて、わたしと沖田はまた晩餐を再会する。

 

 近藤はそんなわたしたちを見降ろしながら、

 

「えーと……訓練に勤しむのは感心なものだが、あの、死なない程度にね? 仲良くね? 詳細は敢えて訊かないことにするけどさ……」

 

 助言のようなことを口にして、仕切りなおさんとばかりに咳払いをした。

 

「将軍、桜ちゃんがあげたらしいカブトムシを嬉々として飼い始めたんだけど、すぐに死んじゃったらしいんだよね」

「あらら、そっちがデットオアアライブ……」

 

 わたしはお茶碗を持ちながら、適当に返す。お箸で生姜焼きを掴み、ご飯の上に置く。そして肉ごとご飯を掴み、口に運んだ。

 

 ――美味い!

 

 咀嚼しながら、考える。

 

 屋台で売っている着色されたカブトムシ。子供の夢を壊すようだが、寿命が短いのは明白であった。

 

「そうしたら将軍、ひどく落ち込んだようで」

 

 そのような運命を、将軍は立場ゆえの常識のなさで、きっと知らなかったのだろう。

 

「もしも、カブトムシの様子を友が観に来たら、友になんて示しをつければいいのかと嘆いたらしいんだよね。もう、職務が一切手に付かなくなるほどに」

 

 やっぱり、友達想いな将軍である。

 

 



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ブームの時期を逃すからこそ楽しいことがある③

 ――しかし、将軍よ。そのくらいで友達は怒りも泣きもしにはせんよ。

 

 そう伝えてやりたいが、あいにく(わたし)はめったに将軍に会える立場ではない。

 

「そして、誰かが同じようなカブトムシを再び飼えばいいのではと、助言をしたらしいんだけど」

 

 わたしはお味噌汁をすすった。今日はなめこの味噌汁である。このにゅるっとした触感がたまらない。汁までどろっと濃厚な感じになるのが、また贅沢の極みである。

 

「金色の輝くそうそう死なないカブトムシなんて、なかなかいるわけはなくて。将軍権力に物を言わせて、宇宙天然記念物に指定されている瑠璃丸って種類のカブトムシを取り寄せたらしいんだよね」

 

 ――わーい、職権乱用!

 

「そうしたら、今度はその瑠璃丸を、将軍みずから逃がしてしまったらしく、また塞ぎこんでしまったらしい。やっぱり、職務が手に付かなくなるほどに」

「…………」

 

 わたしはお椀を机に置いて、近藤を見上げた。

 

 近藤は、わかるだろうと言わんばかりに、大きく頷いて言う。

 

「その責任を、真選組が取れと言われた」

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 ――目撃情報を辿ってこの森まで着いたものの……見つかるわけないじゃない。

 

 わたしは嘆息する。

 

 無理だろう。

 

 真選組総出で探したところで、無理だろう。

 

 この森でさえ、普通に歌舞伎町くらいの広さはあるのだ。

 

 ましてや、

 

「ねぇねぇ、総悟くん。近藤さんのやり方で、カブトムシ掴まると思う?」

「あぁ? あの全身に蜂蜜塗るアレでかィ? 近藤さんに対してこういうのもアレだが、阿呆だろう、ありゃ」

 

 近藤は、自ら下着一枚となり、なぜか蜂蜜を自身に塗りたくり、黄金の局長となって、この森の中を片足で立っていた。木になりきっているつもりらしい。

 

「じゃあさ、土方さんのやり方はどうかなぁ?」

「あぁん? あんなマヨネーズで掴まるのなんて、変態マヨラー以外いるわけねェじゃねェーか」

 

 土方は、木にたっぷりのマヨネーズを黙々と塗りたくっている。(ハエ)がマヨネーズの入ったバケツにたくさん群がっているのは、遠くからでも確認できた。

 

 そして、沖田に、

 

 ――訊くのは野暮だから、やめておこう。

 

「……早く見つかるといいね。瑠璃丸」

「あぁ」

 

 こう話すと、ちょっと嬉しそうな声が返って来る。

 

 ――まぁ、夢を追うのも青春の一つよね。きっと。

 

 そういう歳なのだろう、きっと。自分がカブトムシのふりをすれば、きっと仲間だと思ってカブトムシが寄って来るだろうと思う青春なのだろう、きっと。

 

 ならば、それを暖かく見守るのが、大人の努めではなかろうか。

 

 わたしはそう納得して、大人しく自分の作業を開始することにする。

 

 斬られた赤い首輪を、縫いなおすのだ。

 

 スッパリと綺麗に切れた首輪は、丈夫な革で出来ていた。簡易的に直してはいたものの、やはりその辺で売っているものでは、またほつれてきてしまっていた。

 

 その赤い首輪を揺らすと、チリンチリンと可愛い音がする。

 

「ホントに直すつもりなのかィ?」

 

 降って来るその声に、わたしは太めの針に糸を通しながら返答する。

 

「もちろん。あ、ちゃんとした裁縫道具買ってくれて、ありがとね」

「いや、そりゃいいんだけど……やっぱり、買いなおした方が早いし、楽なんじゃねェか?」

「勿体ないじゃん」

「そりゃ、まぁ……」

 

 渋る沖田に、わたしはビシッと赤い糸が通った針を向ける。

 

「わたしこれでも、お裁縫得意なんだから!」

 

 



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ブームの時期を逃すからこそ楽しいことがある④

 そして力を入れて、赤い革に針を一刺し。予想通り、かなり固い。

 

 ――これは時間かかりそうね。

 

 唇を一舐めして、一針、一針、丁寧に手を動かす。

 

 すると、ズルズルと、巨大なカブトムシ――もとい、沖田が木から降りてきた。

 

「へぇ、本当に縫ってやらァ」

 

 覗きこんでは、感心の声をあげる少年に、わたしは不服を返した。

 

「なによー、わたしが裁縫できるの、そんなに意外はわけ?」

「いやァ、生活態度を見る限り、ズボラはイメージがどうしても拭えなくてサ」

 

 ――確かに、規則正しい生活を送るのは、苦手ですがね。

 

 わたしは手を進めながら、口を尖らせた。

 

「小さい頃に、それなりのことは教わってるのよ。裁縫だけでなくて、料理や琴に舞いに歌に、一通りの教育は受けていたわ」

「琴や舞いって……それじゃあ、お嬢様みたいじゃねェか」

 

 わたしは周りを見渡した。誰もいないことを確認して、視線をまた手元に戻す。

 

「お嬢様……だったのよ。許婚がいたって、言ったでしょ」

「許婚って、高す――」

 

 言いかけた彼の口元に、針を近づける。赤い糸が、彼の口から滴る血のように見えた。

 

「あいつの名前は、出さないで。好きでもなんでもない男にあんなに迫られて、思い出すだけでも気が重くなるのよ」

「そーゆー問題かィ」

「それ以外に何の問題でも?」

 

 肩をすくめて、わたしはまた首輪に針を一刺し。沖田は立てた膝に肘を付き、わたしの手元をじっと見ていた。

 

 ちく、ちく、と。

 

 遠くからぎゃーぎゃー騒ぐ声が聴こえること以外には、心地よい風に髪をなびかせながら、ゆっくりと時間を感じる。

 

「伸びたな、髪」

 

 春色の流れる髪の後を目で追いながら、沖田がそんなことを言ってくる。

 

「寝癖が付きやすい長さになっちゃってね。切ろうか、悩んでるとこ」

「……そのまま伸ばせばいいじゃねェか」

「ん? 長い方が好き?」

「いんや、そーゆーわけじゃ――」

 

 向こうから一際大声が、沖田の声を掻き消した。男の声の中に、女の子の声も怒声も聴こえる。

 

「何かトラブルかな?」

「どうせ、ロクなことじゃねェーさ」

「いいの? そんなんで」

 

 首を傾げると、沖田が嘆息した。

 

「どうもアイツらが来ているみてェでな……またいい所持って行かれちゃたまんねーよ」

 

 愚痴るようにそう言うと、わたしが口を開く前に、

 

「桜、旦那のこと、どー思ってるんだ?」

 

 そう、訊いてくる。

 

 わたしは、手を止めた。

 

「旦那って、お兄ちゃんのことよね?」

「あぁ、お兄ちゃん呼んでも、ホントの兄貴じゃねェんだろ?」

「うん……」

 

 そういえば、遠くからの罵声は銀時の声に似ていなくもない。

 

 馬鹿で、適当で、カッコいい義理の兄のやる気のない顔を思い浮かべて、わたしは苦笑した。

 

 横目で沖田の顔を見れば、照れているような、真剣のような、少し瞳が揺らいでいる。

 

 ――いい、頃合いかもしれないわね。

 

 チクリと痛む胸に目を背けて、わたしは口を開く。

 

「銀時のこと、好きよ。初恋なんだ」

 

 地面に置いていた水筒を一口飲み、それを沖田に手渡す。目を見開きながら受け取る彼に、わたしは微笑みかけた。

 

「昔話、聞く?」

 



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暇だからこそ昔話が盛り上がる①

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

 江戸とは遠くて、小さい田舎町にも、その町を取り仕切る商家があって。

 

 わたしは、そのお家の長女として生まれた。

 

 三つ年下の弟がいて、彼はいつかお家を継ぐのだと、勉学と武芸の両方に勤しむ一方、わたしはよい花嫁に、と手芸やお花に琴など、花嫁修業ばかりの毎日。

 

 わたしは弟が羨ましかった。

 

 外のことを知り、そして外を走りまわる様を、わたしはいつも屋敷の中で、見ているだけだった。

 

 そんな、どこにでもいるお嬢様。

 

 許婚も、同じ町の武家の長男と――という、政略結婚。

 

「桜――彼が将来の旦那になる、高杉晋助君だ。挨拶なさい」

「はい……」

 

 八つにも満たない子供にそんなことを言われても、何の関心も持てなかった。

 

 しかし、父の言うことは絶対なのだ。

 

 わたしは両手を畳の上に置き、頭を下げる。

 

「お初にお目にかかります、しんすけ様。さくら、と申します。まだ未熟ではありますが、たかすぎ家のお役に立てますよう、こんいんまで精進しますので、今後ともよろしゅうお願い申します」

 

 事前に母から教わった通りに言って、顔を上げると、

 

「うわぁ……ほんとにあの子だ……」

 

 ただ、その許婚の少年が、ぽかんと口を開けて、わたしのことを見つめていた。

 

 そのわたしよりも五つくらい年上の少年が、その父親に頭を殴られた。

 

「コラ晋助、間抜けな顔をしおって……大変申し訳ない、この子はずっと桜さんを可愛い可愛い言っておってなぁ。こうして縁談がまとまり、一番喜んでいるのが、コイツなんだよ。これでもっと武芸だけでなく、勉学にも励んでくれればいいのだが……」

「いやはや、こちらも高杉様と懇意にすることが出来て、嬉しく思ってますよ。娘もこんなに好いてくれるところに嫁げるなんて、幸せなこともない――なぁ、桜?」

 

 父に促されて、わたしは笑顔で「ハイ」と答えておいた。

 

 ――気持ちわる。

 

 そんな内心は、必死に隠して。

 

 わたしはまだ子供だったのだ。対して、相手はわたしからすれば大きなお兄さんである。

 

 そんなお兄さんが、自分を見ては顔を赤くしてじーっとこちらを見てくるのだ。

 

 気色悪いの一言である。

 

 今で言うなら、ただのロリコン野郎でしょ?

 

 その後、将来の夫婦二人でと庭で遊んできなさいと言われ。

 

 庭に出ても、その少年は変わらずわたしを見ているだけだった。

 

 ――もうちょっと、リードして欲しいものよね。

 

 年上に対して期待するものの、無駄と悟るのは早い。

 

 わたしは、落ちていた長めの枝を少年に渡す。目を丸くしながら彼が受け取ると、わたしも同じような枝を両手で持った。

 

「けんどー、得意なんですよね? 教えてください」

「へ? あの……え?」

 

 驚く少年を、わたしは真っすぐに見上げる。

 

「女にはひつよーないからって、おとーさま武芸は何も教えてくれないの。でも、生きていくためには強さもひつよーでしょ? それこそ、おさいほーやおりょーりはいるだろうけど、お花や舞いなんてほうが何のためになるのか、わからないじゃないですか」

「で……でも、女の子がそんな危ないことを……」

「やっぱり、あなた、つまらない人ですわね!」

 

 そう言いきると、少年は明らかにショックを受けたような顔をしていた。

 



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暇だからこそ昔話が盛り上がる②

 しかし、わたしは日頃の鬱憤(うっぷん)を晴らすかのように、続ける。

 

「あまんとだかなんだか知りませんが、どんどん世の中ぶっそーになっているのに、どうして女が強さを求めてはいけないの? 女はどうして家にこもっていなきゃいけないの? 琴をひけば世界は平和になるの? お花をいければ誰も泣かないの?」

「ぼ……僕は、桜ちゃんの琴を弾く姿見ると……すごく幸せな気分になるよ……?」

 

 泣きそうな顔で言ってくる少年に、わたしは一言で返す。

 

「なんで?」

「なんでって……綺麗だからさ。嫌なことを全部忘れられるくらい君の姿が――」

 

 その瞬間、少年が大きく、わかりやすく、枝を上から振りかぶった。わたしは驚きながらも、両手で枝を持ち上げて、下される枝に枝を合わせる。

 

 かつん、と軽い音が鳴った。

 

「じゃあ、いつか桜ちゃんが泣いちゃうくらい綺麗だと思えるものを見せてあげる! そして、自分に強さなんていらないと思えるくらい、僕が――俺が強くなって、どんな悪い奴からも桜ちゃんを守ってみせるよ! そうしたら……そうしたら、俺とけっ、けっ……」

 

 彼の声も、手も震えていた。しかし、唾を飛ばしながら、言いきる。

 

「結婚してくれる?」

 

 そして、父親の怒声が上がる。少年は怒られるものの、不服そうな顔をするだけだった。

 

 その後、彼はより一層、勉強をさぼり始めて、通っていた塾も退学になってしまったらしい――が、それはわたしの知ったこっちゃない。

 

 

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

「おいおい、知ったことだろーが。アンタのその捻くれた考えのせいで、一級犯罪者が生まれたんじゃねェーか?」

「え? なにそれ。わたし悪いの?」

 

 沖田の半眼に、わたしは嫌な汗を掻きながらも、視線を背けた。

 

 ――そうかなぁ? でも、誰も攘夷浪士になれだとか言ってないけどなぁ……。

 

 確かに、その後から、彼の着物が派手になったりだとか、言葉遣いが気取った感じになったり、道場破りを始めた噂がたったり、奇行がますます目立ち始めたらしいが。

 

「うん……やっぱり、わたしは関係ないよね。うん」

 

 そういうことにして、一針進めつつ、また話し始めた。

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

 そんなありきたりのお家が、よく潰されるのもありふれたことで。

 

 商売で恨みを買い、難癖付けられて家を焼かれ、一家虐殺。

 

 よくある話が、まさか自分の身に降りかかるとは中々思えなかったけれど、本当に起きるからこそ、よくある話なのだ。

 

 そんな中、助けてくれたのが、銀時だった。

 

 同じ町の手習い所にいた少年が、先生と共に、わたしを助けてくれた。

 

 助かったのは、わたしだけ。

 

 銀時はその時すでに親を亡くしていて、その先生の世話になっていたのだけど、その先生が、わたしのことも同じように世話してくれることになった。

 

 そうして、わたしと銀時が兄妹になって、少し経った頃――

 

「先生、どうしてわたしにはけんどー教えてくれないんですか?」

 

 なよっとした線の細い男の人だった。長身で、髪も長くて、肌も白い。風になびかれれば、そのまま折れてしまうような風貌だった。だけど、子供十数人に一気に襲われても、瞬きする間に、全員を無傷で叩き伏せてしまう――そんな強くて、優しい人だった。

 

 そんな先生に、わたしは誠心誠意、頭を下げた。

 

 しかし、その先生は首を振るだけ。

 

「どうしてですか? わたしが女だからですか? せんせーも、女は武器なんて持つなと言うんですか?」

「女性には武器なんて持ってほしくないとは、思うけどね……」



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暇だからこそ昔話が盛り上がる③

 その問いにも、先生は首を振った。

 

「私が君に剣を持たせない理由は、性別ではないよ。君が復讐を考えているからだ。復讐からは、悲しみしか生まないよ? 君の人生はこれからだ。そんな人生を、君には歩んでほしくない」

「そんな、ありきたりな言葉、求めてないです」

 

 この先生の瞳は、どうしても思い出すことができない。

 

 いつも、笑っているか、髪で隠れているのだ。

 

 わたしは、まっすぐに先生の顔を見ていたものの、先生がどのような顔をしていたのか、思い出せない。

 

「これから、わたしがどんな風になるのかなんて、わたしにはわかりません。でも――殺したい相手がいるなら、殺したい」

「それが――」

「守りたい相手がいるなら、守りたいし、やりたいことがあるなら、やりたいの――でも、そのためには、力がいる。お金はもう、ない。権力もない。なら、わたしが今、一番持てる可能性があるのは、力だと思う」

 

 わたしは、先生の帯を掴んだ。

 

「どうじょーがある。そして、こんなに強いせんせーがいる。一緒に競う仲間がいる。この機会を逃すほど、愚かなことはしたくない!」

「……それが、子供の言うことですか……」

 

 先生はそう呟いて、小さく笑った。

 

「そこまで言うのなら、チャンスをあげます。三か月以内に、私に一太刀でも浴びせてみなさい。いつ、どんな手を使っても構いません。それが出来たのなら、きちんと、あなたに稽古をつけましょう」

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

「なぁ、オイ。旦那は出てこねェのかィ」

「えへへ。これから」

 

 わたしは肩をすくめて笑う。すると、また沖田の半眼が返ってきた。

 

「さっさとその話をしてほしーんだが? こちとらだって、暇じゃねェーんだ」

「だったら、木に掴まりながらでもいいよ? ミンミン鳴きたいのなら」

 

 すると、沖田がいそいそと動きだした。どうやら、カブトムシの着ぐるみを脱ごうとしているらしい。

 

 ――おや、ようやく恥ずかしい自覚が出たかしら?

 

 背中のファスナーを下そうと、手を後ろに回して――バタバタしている。

 

 上からまわして、バタバタ。

 

 下からまわして、バタバタ。

 

 いったん休んで、バタバタ。

 

 わたしはジーとそのファスナーを下した。

 

「……余計なことすんじゃねェーよ」

 

 赤面しながら口を尖らせる沖田に、わたしはこう言いかえした。

 

「総悟くんが山崎に用意させたその着ぐるみ、山崎に泣きつかれて、わたしが作ったものだから。余計だったかしら?」

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

 次の日から、わたしは先生のあとを付いてまわった。

 

 武器はやっぱり枝だ。

 

 寝起きを攻めてみた。

 

 食事中に襲ってみた。

 

 トイレから出た瞬間を狙ってみた。

 

 もちろん、寝ている時にも殴ってみた。

 

 しかし、すべての攻撃を、

 

「ぜんぜんですね」

 

 と笑顔でかわされてしまった。

 

 そんなことをしていると、一か月なんてあっという間に過ぎてしまった。

 

 ――どうしよう……。

 

 先生が道場で、他の生徒の稽古をつけている姿を、わたしは隅に座ってじっと見ていた。

 

 武器の持ち方も、真似てみた。

 

 すり足も、真似てみた。

 

「小太郎は、いつも回りが見えてないですね。見えるものが全てではないことを、理解しなさい」

 

 そういう、先生が生徒の指導することだって、全て覚える覚悟で耳を澄ませている。

 

 それなのに、なぜ一回も当てられないのだろうか。

 

 その時、わたしの頭にコツンと何かが当たる。

 

 見上げると、銀髪の少年が、つまらなそうに枝でわたしの頭を叩いていた。



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暇だからこそ昔話が盛り上がる④

「さくらは、いつも回りが見えてないですねー。見えるものが全てではないことを、理解しなさーい」

「あーもーぎんときー、せんせーの真似してー」

 

 わたしはぷすーと頬を膨らませた。

 

「おまえ、まだ諦めねェーの?」

 

 頭を枝でぺしぺし叩かれながら、銀時に言われる。

 

 特に、自分から銀時にこの試練のことを話してはいなかった。

 

 一緒に暮らしてはいるものの、友達と呼ぶほど心は開けず、たいてい同じ敷地内にはいるものの、どこか距離のある関係のこの少年に、報告も、相談もするという考えがなかった。

 

 むしろ、わたしにはこの少年が妬ましくも思えた。

 

 先生から剣の手ほどきを、一番受けているのがこの少年である。

 

 そして、この道場で一番強いのも、銀時である。

 

 一度、道場破りに来た高杉晋助に負けたことがあったが、あれはドジを踏んだというか、まぐれに近かった。

 

 わたしを助けてくれたゆえの憧れと、わたしの欲しいものを持っているゆえ嫉妬。

 

 その両者でわたしの心を大きく揺るがす少年を、当時のわたしが受け止めるための感情は、苦手と認識してしまうことだった。

 

「知ってっか? 俺も、アイツには一太刀も入れられたことないんだぜ?」

 

 そんな少年に、そう言われて。

 

 茫然とするわたしに、彼は言う。

 

「表出よーぜ」

 

 外を親指で差したと思えば、一人でとことこ歩いていく。わたしは先生を見た。高杉が先生に挑みに行き、足をひっかけられ転んでいた。

 

 高杉でも、あの少年でも出来ないことを、あと二カ月で自分ができるのか。

 

 自問自答し、わたしは唇を噛みしめながら、道場を後にした。

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

「読めた」

「ほぅ」

「アンタは旦那と決闘するだろ」

「ほぅ! なんでそう思う?」

「基本的に、アンタは喧嘩早い!」

「……総悟くんは、わたしのことをなんだと思っているのかな……?」

「考えてもダメな時はとりあえず力ずくで黙らせればなんとかなると思っている短絡思考痴女猫」

 

 無事にカブトムシの着ぐるみから脱皮した沖田は、一息にそう言いのける。ずんぐりむっくりした着ぐるみは秋には暑かったのだろう。白いシャツから肌が透けていた。

 

 直視してはいけないかと、わたしは顔を背ける。

 

「……わたし、そんな暴力的なことしてないつもりだったけど」

「アレだな。無自覚はもう取り返しがつかないとこまで来てるってこった。諦めろ」

「えー」

 

 非難の声をあげると、沖田はわたしの唇を手でつまんで、強制的に向かい合わせになる。

 

「で? 当たりなのかィ?」

 

 わたしは半眼で彼のことを見ながらも、こくりと頷いた。

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

「じゃあ、ゲームな。俺はこの円から出ない。お前が一分以内に、俺に一太刀入れたら、お前の勝ち。おーけぃ?」

「おーけしないっ!」

 

 わたしは怒鳴った。

 

「そんなのふこーへーだ! わたしが勝つに決まってる!」

「そーでもないと思うけど……? でも、いいの? 俺に勝てたら、アイツに勝てる裏技教えてやるけど?」

「ほんとー?」

 

 そういうわたしの目は、きっと輝いていたのだろう。銀時がくつくつと笑った。

 

「あぁ……じゃあ、やろっか」

「でも、おーけしてないっ!」

「裏技、知りたくねェーの?」

「知りたい!」

「じゃあ――」

「あなたも普通に動いて! それで当てるから!」

 

 わたしは枝を構えた。ぶんぶんと素振りをして、

 

「さぁーこいっ!」

 

 じっと、銀時を見据える。

 

 銀時はくるくるの短髪をわしゃわしゃと掻き毟った。

 

「しゃーねーなー」

 

 ため息を吐いて、彼も枝を構える。

 

「じゃあ――来い!」



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暇だからこそ昔話が盛り上がる⑤

 わたしは走りながら、枝を大きく振りかぶる。

 

 が、

 

「いーち、にー、さーん……」

 

 カウントを口ぐさみながら、ひょいを身を逸らして避けられた。

 

「やぁ! やぁ!」

 

 同じように、二回、三回と枝を振るも、ひょい、ひょいっとかわされて。

 

「なんで当たらないのー!」

「嘆いてるとあっという間だぞー、にじゅうにー、にじゅうさーん……」

「もー!」

 

 ヤケクソ気味に、わたしは枝を腰に構えて突進し、そのまま枝を突き刺そうとした。

 

 その時、ふと視界に入った銀時の目が、ぎらりと光ったように見えた。

 

 ――殺される!

 

 家族が殺され、自分も殺されかけた時と同じような気迫を感じ、わたしは反射的に足を止める。と、勢いを相殺できず、前のめりにずべーっと転んでしまう。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 声をかけられ、顔をあげようとした時、気がついた。

 

 少年の足もとには、枝で書いたような線が引かれていた。その線は、少年のまわりで円を作っている。その円の中では、少年は半歩しか動けないだろう、そんな広さで。

 

 ――ぎんとき、動いてないっ!

 

 カァっと頭が熱くなる。

 

「あと何秒!」

 

 怒鳴るように訊くと、少年は一瞬たじろいだ。

 

「お前、鼻すりむけて痛そう……」

「何秒っ!」

 

 怒気を強めると、少年はまた髪を掻きむしって、

 

「あー、二十秒くらい?」

「わかった! 数えて!」

「でも……」

「数えなさいっ!」

 

 渋々、二十からどんどん数を減らしている少年を確認して、わたしは立ち上がる。

 

 あと、一撃が限度だろう。

 

 わたしは深呼吸した。枝を振っても、半歩でも動かれれば、避けられてしまう。しかし、突進して突こうとしたら、あの気迫――つまりは、その攻撃手段だと、彼は本気を出すのだ。つまりは、本気を出さないと避けられないということ。

 

 円の中から動く気がないのは、今更どうしようもない。

 

 しかし、そこまで手加減されて負けるのは嫌だ!

 

 狙うは相手の胸。小細工出来るほど、頭も、技術も足りない。

 

 わたしは身を低く構え――走った。

 

「八、七……」

 

 ギリギリまで武器は自分の近くで構えたまま、相手にぶつかる勢いで走る。

 

「六、五、四……」

「やぁぁぁぁあああああ!」

 

 あと一歩、というとこで、腕を突きだした。

 

「三、二……」

 

 ふと、手が軽くなる。なぜか、わたしの腕が上がっていた。

 

「一……」

 

 枝が、わたしの持っていた枝が、空をくるくると飛んでいる。

 

 銀時は枝を持って上げていた腕を下した。

 

「俺の勝ちだな」

 

 どうやら、わたしの枝が、少年の手によって弾かれたらしい。

 

 呆気なく、負けてしまったのだ。カランと、枝が転がり落ちる。

 

 わたしは膝を付いた。

 

「負け……ちゃった……」

 

 どうしよう。頭の中がその言葉でいっぱいになる。

 

 先生に敵わない銀時にすら、敵わないのだ。あと経った二カ月で、わたしが先生に勝てる可能性なんて、どのくらいあるのだろうか。果たして、あるのだろうか。

 

 途方に暮れていると、銀時がわたしに手を差し出す。

 

「じゃあ、俺のお願い、聞いてほしいんだけど?」

 

 太陽を背中に浴びて、少年の天然パーマがキラキラ輝いてみえた。

 

「あと二カ月、俺の言うとおりに訓練してくれ。んで、一緒にアイツをぎゃふんと言わせてやろーぜ」

 

 涙を目に浮かべているわたしに対して、銀時は意地悪くにやりと笑っていた。

 



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暇だからこそ昔話が盛り上がる⑥

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

「なぁ、桜」

「ん?」

「これのどこが、恋話(コイバナ)?」

「あ、気づいちゃった?」

 

 わたしはペロリと、舌を出す。

 

「わたしさ、こういった恋の話なんてしたことがなくってさ。何をどう話していいのか、わかんなくって」

「可愛くねェー」

「えー」

 

 糸を針にくるくるっと巻きつけ、針を引き抜く。そして、根元を口で挟んで、八重歯で糸を切った。

 

「さて、チョーカーも無事に直ったし、ちょいとわたしも出かけてこようかな」

 

 膝を叩いて立ち上がると、沖田が座ったまま、ぽけっとわたしのことを見上げていた。

 

「ん、どうした?」

「い……いや、なんでもねェよ」

 

 顔を背ける沖田の耳が赤い。

 

「……はめて?」

 

 わたしは再びしゃがみ、沖田に首輪を渡す。

 

「あぁ……自らはめてもらおうなんて、殊勝なことじゃねェーか」

 

 そういつも通りカッコつけながらも、視線はわたしを捕えていない。

 

「それ、こないだも聞いたね」

「そだっけか?」

 

 ――可愛いなぁ。

 

 口に出したら怒られるだろうから、言わないけれど。

 

 代わりに小さく笑って、わたしは後ろを向き、少し伸びた髪を掻きあげた。

 

 カチッと小さな音がする、今日は彼の手が首に触れることはなかった。

 

「ありがと――じゃあ、行ってくるね」

 

 飛び上るように立つと、チリンと軽やかな音がする。

 

「オイ。どこ行くんだよ!」

 

 慌てて立ち上がる沖田に、わたしは大きく手を広げた。

 

「総悟くん、ここは森よ!」

「それがなんだっつーんだ?」

「そして、蜂蜜がたくさんあるのよ!」

「そりゃ、近藤さんが身体に塗りたくれるくれェ、たくさんあるわな」

 

 わたしはスラリと、刀を抜く。

 

 そして、単語を三つ唱える。

 

「森で、蜂蜜、そして熊」

「……」

 

 沖田の顔が青くなった。

 

「アンタ……まさか……」

「ちょいと修行の一環として、狩ってくる」

 

 構えた刀身が、木々の木漏れ日でキラリと濡れたように光った。

 

「やめろ! 待て、さすがにヤバい! 著作権的にあの夢の国の黄色いクマさんを狩るのはヤバい!」

「だいじょーぶ! 今まで何体も狩ってきたから! 美味しいよ? 蜂蜜食べさせるとお肉が柔らかくなるの、知ってる?」

「だーかーら、待て! いいから待て! ヒロインが夢の国の住人殺害するとか、アンチすぎるから! 世の男の夢を壊すなっ!」

 

 珍しく本気で慌てている沖田に、ニコリと微笑んで。

 

 ――こんなやりとりも、いつか誰かに話す時が、来るのかな?

 

 そんなことを考える。

 

 初めて話した昔話。

 

 今まで、誰にも話したことがなかった昔話。話す必要がなかった思い出。

 

「ねぇ、また夜にでも、話の続き聞いてくれるかな?」

「あぁ? 聞くよ! むしろ今、聞くよ! だから、やめろ! 世界一有名なあのクマを狩るのはやめろ!」

 

 ふふ、と笑って、刀を掲げた。

 

「森、蜂蜜、くまーっ!」

 

 高々と宣言するわたしの声が木霊する。自分で聞いても、とても楽しそうな声だ。



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夜のバーベキューは危ないからやめましょう①

 

 

 

 夜になると、一気に寒くなって来る。

 

 ――さすがに、浴衣一枚じゃツライなぁ……。

 

 と、チラリと沖田を見ると、

 

「着るか?」

 

 差しだされるカブトムシの着ぐるみ。

 

「……いや、うん、大丈夫。心配ありがとう」

 

 わたしは乾いた笑顔を返した。

 

 そして、言われる前に言っておく。

 

「んでもって、それ(・・)も、遠慮しておくから」

「ンだよォ……けっこう重いんだぜェ、これ」

「うん、総悟くんカッコいい!」

「嬉しくねェーなァ」

 

 そんなことを話しながら、暗い森の中を歩いていると、木の上の方が小さく明かりが灯っている。

 

 わたしは目を細めた。

 

「あれは……土方さんと山崎かな?」

「夜目効くなァ。俺にはさっぱりでサァ」

「うん、隠密行動とか、得意よ。これでも」

「でも、行動が派手ですぐにバレそうだな」

「それはどうだろうね」

 

 沖田がカブトムシの着ぐるみを渡してくる。

 

「ちょいと行ってくらァ」

「おー、行ってらっしゃい」

 

 片手でそれを受け取ると、ずしっとけっこうな重さがある。もう一方の手で持っている大量の肉と合わせると、とても歩ける重量ではない。

 

 沖田は持っていたもう一つのそれ(・・)を嬉々として被り、足取り軽くその木へと走って行った。なんとも器用に木を登り、少しすると、

 

「うわぁぁぁぁぁああああああああ」

 

 野太い絶叫が、森中に響く。

 

 そして、体制を崩した土方が落ちた。

 

「あーもうっ!」

 

 わたしは着ぐるみと肉を置いて、その場へと駆け寄る。

 

 土方はひっくり返ったカブトムシのように、手足をバタバタしていた。

 

「で……出た……熊……熊の幽霊が……俺の名を呼んで……」

 

 あまりに間抜けな鬼の副長に、わたしはくつくつと笑いながら、手を差しだした。

 

「土方さーん。アレ、総悟くんだよ?」

「は? 総悟?」

 

 目を丸くしながらも手を掴んでくる土方を引き上げると、後ろでガサっと誰かが飛び下りた。

 

 振り返るまでもない。

 

「土方さァん、うらめしやァー。とっとと三途の川渡ってこいコノヤロー」

「そそそ総悟いい加減にしろやこのヤロー!」

 

 土方も落ち着きを取り戻したのか、熊の皮を纏った沖田に、罵声を浴びせた。

 

「土方さん、唾飛んでるんだけどー」

 

 眉をしかめながら顔を拭うと、土方が一歩後ずさる。

 

「あ、すまねぇ……てか、お前ら今まで何してたんだ?」

「熊狩り」

「なに熊なんか狩って遊んで……て、熊狩り?」

 

 唖然とする土方に、わたしは「うん」と頷いて、

 

「熊狩り。ほら、修行でよく狩るでしょ、熊。わたし頑張って一人で狩ったんだから。熊肉パーティしようよ。皮は売って、わたしのおこずかいにしていいかなぁ? やっぱり、真選組に徴収されちゃう?」

「いや、てめぇが狩ったんなら好きにしていいが……熊、倒してきたの? 刀で?」

「うん。刀で。早く手入れしなきゃいけなんだけど、お腹空いちゃったから、先にご飯食べたいな。お肉あっちにあるよ。手、疲れちゃったから運んでくれたら嬉しいな。もうバーベキュー始まってる? 火起こしてあるかな?」

「てめぇらホント、何してんの?」

 

 土方は顔を上げて沖田に問いだす。沖田は頭に被った熊の顔の部分を少し上げた。

 

「いやぁ、ホント黄色いクマがこの森にいなくって良かったでサァ。著作権侵害だけじゃなく、キャラクターイメージの侵害かなんかでウォルトさんに訴えられるところだったぜ……」

「だからホントに何やってんのォォォオオ!」

「そーゆー土方さんは、何してたんでサァ?」

 

 沖田が首を傾げると、土方が木々の先の灯りを指差した。

 

「あいつらを追い返そうと思ってな」



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夜のバーベキューは危ないからやめましょう②

 木々の隙間から覗き見て、

 

「何してるんだろうね」

 

 簡単な感想を漏らした。

 

 銀髪天パー坂田銀時率いる万事屋銀ちゃんの面々が、焚火のまわりでなにやら騒いでいるようだ。

 

 神楽が銀時を殴った。負けじと銀時も殴りかえそうとするものの、新八が止めようとして、代わりに殴られる。罵られる。そして、新八もキレる。

 

「あーあー、喧嘩しちゃって……」

「いいんだ。もっと揉めろ。そして帰れ。とっとと諦めて帰れ」

 

 隣で喧嘩の応援をしている土方に、わたしは首を傾げる。

 

「諦めるって、万事屋も瑠璃丸狙ってるの?」

 

 土方は頷いた。

 

「瑠璃丸のことは知らないようだがな……どうしてだかは知らんが、ここらでカブトムシを探し回っているようだ。万が一にも、瑠璃丸を捕まえられてみろ。転売されるなら、まだいい方。もしも傷でも付けられようモンなら、真選組の存続にも関わる……」

 

 ――たかだかカブトムシ一匹で壮大な話ねぇ……。

 

 口に出したら、怒られそうだけど。

 

 その時、喧嘩している万事屋に、熊の毛皮を脱いだ沖田が、トコトコと近づいて行った。

 

 ――仲裁にでも入るのかしら?

 

 一瞬でもそう考えたわたしが愚かである。

 

 沖田は彼らの足もとに何かを転がした。

 

 肉片である。

 

「よォ、万事屋。これァ、餞別でサァ。食いなよ」

「クソサド……なんアルか、これは」

 

 警戒しながらも、神楽の口からは涎が垂れているようである。

 

 そんな神楽を、沖田は明らかに見下していた。

 

「見りゃあ、分かるだろ。肉だよ、肉。デケーだろ。ちょいと食い切れねェーくれェの肉が手に入ってな。日頃世話になっているテメェらにも、遅いお歳暮というわけサ。遠慮せず、食ってくれよ」

 

 そう言って、沖田はその肉を踏む。

 

「ほら、どーした? 鍋をひっくり返しちまって、腹減ってんだろ? 早く拾えよ。俺からの有り難いお恵みを拾わねェーのかィ? せっかくのバーベキュー楽しまないのかィ? あぁ?」

 

 ぐりぐりと、ぐりぐりと。沖田は蔑みながら、肉を踏む。

 

 そんな楽しそうな沖田の姿を見ながら、わたしは問う。

 

「ねー土方さん。どうして万事屋はお腹空かせてるの?」

「それは俺らがちょいと奴らに刺客を仕向けてだな。そいつが奴らをかき乱してくれたのさ」

「刺客?」

「蚊」

「か?」

「蚊。ちなみに準備は今も木の上で震えている山崎だ」

「蚊ねぇ……」

「あんな短時間でこんなに集めるなんざ、蚊取り名人だな、あいつは」

「……なかなかないスキルよね」

「あぁ、もう二度と使うことがないかもしれないスキルだな」

 

 ――馬鹿馬鹿しい。

 

 淡々と話しながらも、わたしはゆっくりと山崎がいる木へと向かう。

 

 見上げると、山崎が声を震わせながらも、

 

「さささ桜ちゃん! ダメだ、来ちゃダメだ! お化けがでるから! 熊のお化けが出て土方さん呪い殺されちゃったから!」

「死んでねーよ」

 

 万事屋の様子を引き続き観察しながらも、ちゃんと否定する土方は置いておいて。

 

「山崎はやっぱり、山崎よねぇ」

 

 苦笑しながら、わたしは刀を抜く。

 

 血汚れが付いている。刃こぼれはしていないものの、出来れば早めに手入れしたい。

 

 ――もう一頑張りよろしく!

 

 息を整える。どんなに太く、丈夫なものであっても、必ず筋と支点というものがある。その二つがどこにあるのかさえ見極めれば、あとは正確に刃を滑らすだけだ。

 

 わたしは息を吐くと同時に、一閃した。

 

 傾いて行く大樹は、メキメキと音を響かせて、狙い通りの方向へと倒れる。

 

 悲鳴と、罵声と。

 

 土煙のあとに、わたしはこう声をかけた。

 

「どいつもこいつも、食べ物を粗末にするんじゃありません」

 

 わたしのお腹が可愛い悲鳴をあげる。



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夜のバーベキューは危ないからやめましょう③

 

 

 

「桜どーゆーつもりだコノヤロー。おかげでタンコブ出来ちまったじゃねェーかィ」

「いやー、倒れる木の直撃受けて、タンコブで済んでいるのは、流石だと思うよ」

 

 ちなみに、万事屋と土方はしっかりと避け、山崎は脳天から落ちて、今は気絶中である。

 

 結局、万事屋は今晩の夕飯は酢昆布となったらしい。焚火ですこし炙って食べるのだという。

 

 熊肉を分けようかと思ったのだが、

 

『熊? なに、桜ちゃん熊なんかまた狩っちゃったの? いい歳してまだそんな中二病なことしてんの? 馬鹿なの? ねぇ、いつまでロマンとか幻想追い求めているわけ?』

 

 と、カブトムシなんて子供っぽいものを狩っている三十路も近いような男に言われてしまったため、一切の食糧を分け与えることはしなかった。

 

 そんな経緯もあり、今は沖田と二人で遅い晩餐(ばんさん)である。

 

 わたしは串に刺してある肉に噛みついた。

 

「けっこう歯ごたえがあるわね」

「おい、よく火通せよ」

「ふぁいしょーふ」

 

 噛めば噛むほど味の出る懐かしい味に満足しつつ、咀嚼(そしゃく)する。

 

「みんなもう寝たのかな?」

「みてェーだな。土方さんも疲れただかなんだで、さっきテントに入っちまったし」

「いい歳した大人が、カブトムシ相手にはしゃぎ過ぎなのよ」

「ちげーねェー。土方なんざ、もうじき()けでも始まるんじゃねェーかィ? いやァ、楽しみでサァ! 早く呆けねェーかな、土方の野郎!」

「……まぁ、その時はほどほどにね?」

 

 姑にいびられ続けた嫁の復讐のような光景を思い浮かべながら、わたしはまた一口、肉をかぶりつく。

 

「ふぉいひーへ」

「あぁ、なかなか美味(うま)いな」

 

 まわりはテントに囲まれて、どのテントからも寝息といびきが聴こえてくる。

 

 夜風は寒いが、バーベキューの火がほどよく身体に暖をくれる。

 

 快適とは言えないが、そんなに悪い夜ではない。

 

「……なぁ」

「ん?」

「さっきの話の続きを聞かせろよ」

「あー……誰も聴いてないかな?」

 

 焼きかけの野菜をひっくり返す。バーベキューのカボチャは美味しいが、なかなか火が通らないのが難である。

 

「聞かれちゃアレな話なのか?」

「いやー……まぁ、いっか」

 

 一応、真選組の敵である高杉や桂の出てくる話なのだ。彼らとの繋がりが知れれば、立場が危うくなるかもしれない。自分の立場は――まぁ、今更ではあるから、どうでもいいとして。

 

「でもね、総悟くん……」

「なんだ?」

 

 もぐもぐとキャベツを食べながら、無表情でこちらを見てくるあどけない姿に、くすりと笑って、

 

「これでもわたし、総悟くんのことは特別信用してるんだからね」

 

 ――裏切らないでね。

 

 一方的な願いを押し付けて、わたしは懐かしさに、空を見上げた。

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

 銀時との勝負に負けた翌日から、地獄の特訓が始まった。

 

「次、腕立て百回っ!」

 

 腕立て、腹筋、山道の走り込み。午前中は基礎体力をつけることに専念した。

 

 くたくたの身体に、無理やり昼食を掻き入れて、午後はひたすら素振りをした。

 

 そんな、ごくごく普通の特訓だが、おかしな点が一つあった。

 

「ねぇ、ぎんとき。どうしてずっと枝を持ってなきゃいけないの?」

 

 訓練中も、素振りも、食事する時も、しまいには寝る時も、わたしは銀時から枝を持ち続けるように指示された。

 

「お前が意識しないようにするためさ」

 

 わたしの素振りを横で見ながら、鼻をほじっている銀時がさも当然とばかりに答える。



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夜のバーベキューは危ないからやめましょう④

「獲物を持っちまうと、どうしても殺気というか……気迫というか、気配みたいなのが出ちまうだろ? アイツクラスになると、そんな気配でどこからどう攻めてくるのか、わかっちまうのさ。だから、獲物を持っていても、自然に振る舞えるようになれ。もうそれが手の一部だと、お前自身が思うくらいにな」

 

 そういうことで、四六時中、わたしは枝を持って生活することになった。

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

「なぁ、桜……」

「ん、ふぁひ?」

「やってること、今とそんなに変わんなくないかィ?」

 

 噛みつこうとした輪切りのトウモロコシが、ぽろっと地面に落ちた。

 

「まぁ、基礎体力の訓練嫌だなぁってのは変わらないけど……別に、今ずっと刀握っているわけじゃないし」

「でも、アンタずっと腰に刀差しているよな?」

 

 次に玉ねぎに噛みつくと、回りの一枚がくるっと取れる。

 

「ふぁいひにしてるんふぁからひひでほっ!」

「何言ってるかわかんねェーよ」

 

 半眼で睨んでくる沖田から顔を背けて、もぐもぐと玉ねぎを食べていく。

 

 ごくりと飲み込んで、わたしは小さく呟いた。

 

「……大事にしてるんだから、いいでしょ」

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

 筋力をつける。

 

 気配を消す。

 

 あと、勝つために必要なことは――

 

「作戦には、協力者が必要だな」

「しょーしょくは?」

 

 焼きたてのお芋をほふほふと食べながら、わたしは首を傾げた。

 

 銀時は焚火の枯れ葉を枝で突くと、枝に刺さったお芋を掲げて言った。

 

「そーゆーわけで、協力者の晋助君と小太郎君です! みんな拍手するよーに」

「みんなって、わたししかいないけどね」

 

 お芋を飲みこんだ後には、水分が欲しくなる。お茶を啜りながら呟くと、銀時の横に並ぶ少年が冷静に言った。

 

「楽しい焼き芋パーティーだと聞いていたんだが……」

 

 艶やかな黒髪の少年である。どことなく気品と、真の強さを感じさせる美少年は、不服を言いながら、しゃがんで枝で枯れ葉を突っつく。

 

「楽しいじゃねぇーか。幼女と一緒に焼き芋を食べながら、先生をぎゃふんと言わせよう作戦会議だぜ?」

「ふむ……幼女か」

 

 銀時の言葉に、その少年の視線はまっすぐわたしに向けられる。

 

 黒い瞳がじーっと、じーっとわたしを見つめて、

 

「幼女か……」

 

 何かを納得したように呟く年上の姿は、背筋の凍るような身震いを生じさせた。

 

 しかし、まだこの少年と見つめあっている方がマシである。

 

 さらに隣のざんばら頭の少年の方が、タチが悪かった。

 

 顔を赤らめながら、チラリと、チラリと仁王立ちでこちらを(うかが)っているのだ。

 

 先生に一太刀浴びせるためには、手段を選ばない所存であった。

 

 しかし、こいつの手は、借りたくなかったのが本音である。

 

「……ぎんときの友達って……この二人しかいないの?」

 

 わたしが尋ねると、焼き芋を二つに割った銀時は首を傾けた。

 

「あー……こいつらだって、友達というほどのものでもないような……なんつーか……」

「そうだな。素直に友と呼ぶのは、まだ何か足りんかもしれんな」

 

 お芋を選んでいるのだろうか、枝で突っつきまくりながら、小太郎はどこか自信ありげにそう言う。

 

 それに、銀時は眉をしかめた。

 

「え、なに? 何かがあれば、俺たち友達になっちゃうわけ?」

「うむ。すでに俺はお前のことをもっと知りたいなと思っているぞ」

「やだー、俺、そっちの趣味はないんですけどー」

 

 まぁ、どうやら銀時の知り合いはこの二人しかいないようである。

 

 ――わたしも、友達いないしね。

 

 唯一の知り合いといえば、ここでずっと照れている気持ち悪い少年のみだ。



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夜のバーベキューは危ないからやめましょう⑤

 わたしは覚悟を決めて、声かけることに決めた。

 

「ねー、たかすぎさん」

「ふぁっ! ど、どうした?」

 

 ――声裏返んなし……。

 

 話す気を失くしつつも、わたしは続ける。

 

「わたしがここに来てからさ、何も話しかけても来ませんでしたよね?」

「あ、あぁ……」

「今更、なんですか? 本当に、お芋食べたかっただけ?」

 

 わたしは新しいお芋をがしっと素手で掴んでは、高杉にそれを投げつける。

 

「それとも、笑いに来ましたか? わたしがこんな枝一本で先生に挑んでいるの、道場中のうわさになってますよね?」

「おい、手!」

 

 銀時が慌てて駆け寄り、火消し用の水をわたしの手に掛けてきた。服まで濡れて、わたしは顔をしかめる。

 

「なんで水掛けられたの……?」

「馬鹿っ! 火傷すんだろ!」

 

 そして、強制的にしゃがまされ、バケツに残った水の中に、手を入れられる。

 

 言われてみれば、手がヒリヒリと痛いかもしれない。

 

 ひんやりとした水が気持ちいいなと呆けていると、高杉が近寄って来る。

 

「桜ちゃ――いや、桜」

 

 呼び捨てにされて、わたしは少年を見上げた。

 

「お前が望むなら、俺はどんなことだって、してやる。ただし、一つだけ約束してほしい」

「約束?」

 

 彼の表情は真剣だった。

 

 真剣に、真面目に言うのだ。

 

「いつか、俺のために琴を弾いてほしい」

 

 ――そんなこと?

 

 わたしは眉根を寄せた。

 

「琴くらい、用意してくれれば全然いいけど……」

「じゃあ、決まりだな!」

 

 すると、銀時は高杉の肩を組んで、意地悪く笑った。

 

「なんでもするって、言ったよな、高杉君」

 

 その後、銀時から説明された作戦に、高杉は苦々しい表情を浮かべた。

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

「アンタ、そんなに琴上手いのかィ?」

 

 マシュマロがじんわりと溶ける姿を睨みつけながら、沖田がそう訊いてくる。

 

 わたしも自分のマシュマロをくるくると回転させながら答えた。

 

「正直、そんなに上手くはなかったと思うけどね。なにせ、ほんとに子供の頃の話だし。お裁縫の方が得意よ。この後もずっと自分の着るものはもちろん、門下生や先生のも、お駄賃もらいながら直したりしてたからさ」

「まぁ、人間意外な特技の一つや二つはあるもんだよな……」

 

 そう呟きながらも、沖田のマシュマロも焦げてきたのだろう。くるくると串を回しだす。

 

 わたしのマシュマロは全体が固く、茶色帯びてきたので、火から外した。香ばしくなったマシュマロにふーふーと息を吹きかけながら、

 

「そういう総悟くんは、これといった特技ないの?」

「そうさなァ……。車やバイクの運転はもちろん、トラクターやヘリ、船の運転免許は持ってるぜ。あと、宇宙毒物劇物取扱免許もある」

「資格マニア?」

「いんや。ただ土方の野郎を殺したいだけさ」

「うん、聞かなかったことにするわ」

 

 苦笑しながら、マシュマロをぱくっと食べた。一瞬感じた固さの中からじんわりと溶けだす甘みに、頬が零れそうになる。

 

「あ、うま」

 

 食べてその美味しさに驚いている沖田に、

 

「でしょ?」

 

 と、わたしは笑いかけた。

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

 そして、決戦の日。

 

「せんせー、質問があるんですけどー」

 

 寺子屋での授業中に、いつも寝てばかりいる銀時が手をあげる。

 

「おや、珍しいですね。いいでしょう、何ですか?」

 

 少し嬉しそうな顔をする先生に、銀時はある雑誌を取り出した。

 

「この男の人はー、女の人にナニしてるんですかぁー?」



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夜のバーベキューは危ないからやめましょう⑥

 簡単に言えば、いかがわしい雑誌である。

 

 男の人が女の人に覆い被っているような絵が全面に描かれている雑誌を広げて、銀時は席を立ち、教室の前に出る。

 

「ほらー、先生もよく見てくれよー。なぁー、これってナニしてるのー?」

「ちょっと銀時、授業中になんてものを……」

「なんてものってなんだよー。悪いことなの? こいつら悪いことしてんの?」

 

 先生にその雑誌を見せようと、雑誌を高く掲げる銀時。

 

 そんなやりとりをしていれば、子供の集団が騒ぎにならないわけもなく。

 

「おい、なにが書かれてるんだよー」

「僕にも見せてー」

「なんだよ、あ! おれこんなの父ちゃんが持ってるの見たことあるー」

 

 先生と銀時のまわりに、わらわらと生徒が集まって騒ぎたてる。

 

 わたしも、ごく自然にその輪の中に加わった。

 

「見せてー、わたしにも見せてー」

 

 と、桃色髪の少女が手を伸ばした時である。

 

 この集団の中での、唯一の女の子。こんなものを一番見せてはいけない子に注意が向いたのだろう。

 

 先生はその子の顔を見て――目を見開いた。

 

 その瞬間に、わたしは銀時の脇の下から、枝を突きだした。

 

 音もなく、枝の先が先生の帯に当たる。

 

「や……やったぁぁぁぁああああああ!」

 

 わたしは枝を放り投げて、歓喜の声をあげた。

 

「やったな、桜!」

 

 銀時がわたしの黒髪(・・)をわしゃわしゃと掻き毟る。

 

「ぎんときー、手染まっちゃうよ!」

「あ、ほんとだ」

 

 黒く汚れた手を見て、顔をしかめる銀時を、わたしは指差してけらけらと笑う。

 

 そんなわたしたちの姿を、先生は丸い目で見下ろして、

 

「ななな……何してるんですか、銀時、桜、そして……晋助?」

 

 そして、視線を向けた先には、赤面している高杉が、桃色のカツラを投げ捨てていた。

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

「それで、そのあと先生に呼び出されて説教食らうんだけど……」

「……桜」

 

 しゃがんで薪を片付けながら、続きを話そうとするわたしの前に手を出して、沖田がわたしを制止させる。しかし、彼はわたしを見ずに、森の奥を見据えていた。

 

「ん、何かいるね」

 

 小さな声でそう言って、わたしは腰の刀に手をかけた。

 

 殺気。

 

 紛れもないそれは、人の放つものよりも、もっと直接的に思えた。

 

 わたしたちを食べようとするような気迫は、まさに弱肉強食。

 

「アンタはここにいろ」

 

 沖田が刀を抜き、走りだそうと一歩前に出る。が、わたしは彼を手を掴んだ。

 

「一人で行くの? それはないんじゃない?」

 

 勢いをつけて立ち上がると、チリンと首の鈴が鳴る。

 

「ペットはどこまでもご一緒しますよ、ご主人様」

「けっ、可愛いこと言ってくれるぜィ」

 

 沖田はニヤリと笑い、唇を舐める。

 

「じゃあ、一緒に熱い夜といこうじゃねェかィ!」

 

 月明かりが照らす道なき道を、二人で駆ける。

 

 あの頃は、こんな日が来るなんて、想像もしていなかった。

 

 ただ、強くなることに必死だった。

 

 ただ、毎日を生きるのに必死だった。

 

 なぜ、わたしが生きているのか――そんなことを考えないようにすることに、必死だった。

 

 そんなわたしが、こんな日を過ごすことが出来るだなんて。

 

 ――夢みたいだな。夢じゃないといいな。

 

 わたしは走りながら、くすりと笑った。

 



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決戦は何曜日だろう①

 

 

 

 夢だといいな、と思った。

 

 夜が明けるまで、死闘を繰り広げた。

 

 木々の生い茂る狭い森の中。夜目を駆使しなければ一寸先も見えない中、相手は縦横無尽と攻めてきた。

 

 二対一。数の利がなければ、圧倒的にこちらが不利であった。

 

 しかし、これが現実なのだ。

 

 そう、現実なのだ。

 

「わたしはさー、絶対に熊だと思ったのよね。熊。なんか黄金の熊みたいなさ、森の主! みたいな……黄金熊(ゴールデンベア)またの名を――」

「それ以上言ったら、さすがの俺も怒るぜ?」

 

 夜も明け、東から太陽が昇って、かなりの時間が経った。もう少しで頂点に達するであろう。

 

 今日も、ピクニック日和のいい天気である。

 

 森も少し開け、草が生い茂る場所で寝転んだら、さも心地よいだろう。

 

 お弁当を食べて、寝転びたい。

 

 お腹空いた。なにより、徹夜明けは眠い。

 

 そんな思考の回らない中、わたしは眉をしかめながら、口を噤み、ふと思う。

 

 ――いつも怒っているじゃないか……。

 

 しかし、怒ると言いながらも、沖田の表情はすこぶるにこやかだった。

 

「よく俺のとこへ来たなァ。そっかぁ、やっぱりサド戦士に、お前もなりたかったんだなァ」

 

 と、沖田は乗っている獣を撫でる。

 

 獣――そう言ったほうが、まだ納得ができるかもしれない。

 

 黒々とした甲殻類のような風貌。その大きさはトラクター程度のサイズはある先分かれしている一角をビシッと伸ばし、六本の足は爪なのか棘なのか知らないが、しっかりと地面を踏みつけてノシノシと、沖田を乗せて歩いている。

 

 この生物を、簡単に呼ぶなら、こうだろう。

 

 巨大カブトムシ。

 

「さぁ、行くぞ! サド丸二十七号! 全国のカブトムシの覇者となれっ!」

 

 ――あんたがガキ大将の覇者だよ……。

 

 沖田は確か十七歳だったはずである。

 

 大人ではないとはいえ、もう子供でもないはずなのだが。

 

 ――いつも背伸びしている反動なのかねぇ……。

 

 足をバタバタとさせながら、「行けーっ」とばかりに指を前へ差している姿に、わたしは小首を傾げ、この巨大カブトムシに踏まれない程度に距離を開けながら歩く。

 

「けど現実な話、この森の主、瑠璃丸とは違うのはもちろんだけど、宇宙外来危惧種だよね? 保護になるのか駆除になるのかは、調べてからになるだろうけど、捕えられて良かったのかな?」

 

 こんな巨大カブトムシが何を食べるのかは定かではないが、地球の生命形態を崩してしまうのは一目了然である。

 

 そういった環境保護も、立派なお役人の仕事だと思うのだが、

 

「てやんでィ! テメェ、サド丸二十七号を妬いちまって、抹殺をしようとしてるんじゃあるめェーな!」

 

 真選組一番隊隊長殿は、浮かれ過ぎてこんな感じである。

 

 わたしは嘆息しながら、髪を掻きあげた。薄紅色の髪に艶がなく、心なしかべたべたする。

 

 さすがに、昼夜問わずカブトムシ兼クマ狩りは疲れた。

 

 ――とりあえず、土方さんにでも報告かな。近藤さんに見せて、総悟くんと二人でさらに盛り上がられたら、面倒だし。

 

 そんな目測を立てた時である。

 

 巨大カブトムシが、急に足を止めた。

 

「ん、どうしたの?」

 

 覗きこむようにカブトムシの前方を見ると、一人の少女がこちらにビシッと指していた。

 

「リベンジアルよっ!」

 

 お団子髪の赤いチャイナ服少女に対して、疲れ切ったわたしはこう呟いていた。

 

「みんなさ、指差すの好きよね……」



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決戦は何曜日だろう②

 疲れ果てているわたしを余所に、神楽と沖田、二人の間では最終決戦のような緊迫感が漂う。

 

「来やがったな、チャイナ……来ると思ってたぜ、テメェはよォ……」

「これまでの屈辱、今ここで晴らすアル!」

 

 ニヒルに笑う沖田に対して、神楽は勢いよく、輝く何かを構えた。

 

「行けっ! さだはる十八号っ!」

 

 そして、ぺしっと地面に叩きつける。

 

 ――メンコや花札じゃあるまいし……。

 

 それは、黄金だった。

 

 こぶしくらいの大きさで、陽を受けてキラキラと眩しいほどに輝くそれは、まるで金の塊のようで。

 

 神楽は、それをさだはる十八号と呼ぶ。

 

「ふふふ……どうアルか? この輝きに言葉も出ないアルか?」

 

 不敵に笑っていた。

 

 言葉も出ない。あー、言葉も出ない。

 

 疲れているのだ。

 

 昨日からずっと森の中。沖田の無駄なカブトムシ狩りに付き合い、訓練として熊を狩り、大樹をかち割り、巨大カブトムシ狩りを夜間もぶっ通しでこなしてきたのだ。さらに言うならば、その間にも緻密な縫物をし、熊を解体し、自分でバーベキューの準備もしているのだ。

 

 そのあとで、カブトムシ合戦に付き合えというらしい。

 

 正直言おう。神楽の呼ぶ、さだはる十八号は、瑠璃丸である。真選組総出で、税金の無駄遣いをして探していたカブトムシがそれである。

 

 その、瑠璃丸対謎の巨大生物。

 

 字面は、それこそ男のロマンがそそられる代物かもしれない。

 

 なんか、角からビームとか、超時空転移とか、無重力核爆弾とか、そんな架空言語が飛び交う熱い物語が繰り広げられるかもしれない。

 

 だけど。

 

 だけど。

 

「なんだい、そのちぃせェーのは。そんなの、このサド丸二十七号が踏んづけて終わっちまうぜィ?」

 

 そんな熱い物語なんて、わたしにはいらないのだ。

 

 なにせ、わたしは眠いのだから。

 

 なにせ、わたしは疲れているのだから。

 

 下の方で、なんやら男たちが騒ぐ声がする。

 

 まぁ、騒ぐだろうよ。国宝級の瑠璃丸が、謎の生物にぺひゃんこにされそうになっているんだから。

 

 しかも、謎の生物を指揮するのは、真選組の一番隊隊長だし。瑠璃丸をこんな目に合わせているの、万事屋の看板娘だし。

 

 瑠璃丸になにかあれば、将軍にぺひゃんこにされるのは、一体どちらの組織だろうか。

 

 それを避けるために犬と猿が共闘しているようだが、そんなのはわたしにはどうでもいいのだ。

 

「桜! 頼む、瑠璃丸を――!」

 

 崖をよじ登って来る兄に、助けを求められたって、どうでもいいのだ。

 

 だって、わたしは眠いだから。

 

 だって、わたしは疲れているのだから。

 

「……いい加減にしなさいよね」

 

 だから、わたしは刀を抜く。同時に跳び上がって、巨大カブトムシの角の上に、着地した。

 

 刀の切っ先を、悠然と腕を構えている沖田の顎に、ちょんちょんと当てる。

 

「ねぇ、ぼく? わたしもう眠いからさ、さっさとぼくも寝てくれないかな?」

「アンタ、一瞬で――」

 

 沖田が目を見開くのと同時に、わたしは剣を薙ぐ。当然、沖田は避けようとするが、カブトムシの表面はぬめりがあるのか、バランスを崩して、カブトムシから落ちて行った。どうも頭から落ちたようで、カブトムシの足もとでぐったりと倒れている。

 

 わたしは即座にバク宙で神楽を止めようとして――空中で逆さに見た。

 

 何の拍子だかは知らないが、銀髪のだらしのない侍が、黄金のカブトムシを踏んでいた。

 



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決戦は何曜日だろう③

 ――あ、どーでもいい。

 

 着地すると、その侍と目が合う。

 

「あの……どうしよ、桜ちゃん」

「知らないわよ」

 

 とりあえず、うるさそうなその兄を、刀の腹で殴っておく。やはり、打ちどころが悪かったようで、伸びたようにその場に倒れた。

 

 振り返ると、神楽が怯えた眼差しでこちらを見ている。

 

 ――どうでもいいな。

 

 そう判断して、わたしはその場に倒れ込んだ。

 

 そよぐ風が心地よく、草の香りが懐かしい。

 

 ふと、巨大カブトムシと目が合ったような気がするので、睨みを飛ばしてから。

 

 わたしは、自然と目を閉じていた。

 

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

 

 先生の私室に呼び出されたわたしたちに、反省の色はなかった。

 

 それはそうである。ちょっと授業妨害したくらいの罪が、この快感に勝るわけがない。

 

「あぁ……銀時と桜が近頃よく一緒にいたのは、わかっていたのですが……まさか晋助まで一緒だったとは、思ってもいませんでしたよ」

 

 ずっと顔が綻んでいるわたしと銀時とは違い、高杉はずっと唇を噛みしめていた。

 

 そんな高杉の肩を抱き、銀時がにたりと笑う。

 

「そーでもねぇーだろ。好きな女のためなら、いくらでも恥を掻くのが男ってもんさ」

「銀時……初恋もまだな人が、どの口を叩いてるんですか」

 

 ため息混じりにそう言われても、銀時は不敵に笑っていて。

 

 ――初恋か。

 

 わたしは隣で、そんな銀時の顔を見る。

 

 この人は、どうしてわたしのためにここまでしてくれたのだろうか。

 

 先生に目に物を見せてやるため、もあるかもしれない。

 

 けど、かれこれ一カ月以上、わたしに付きっきりになるほどのことだったろうか。

 

 そんなことを考えていると、

 

「桜」

「は、はい!」

 

 先生に名を呼ばれて、わたしは慌てて前を向いた。先生は真面目な顔で訊いてくる。

 

「そこまでして、剣の道を歩みたいですか?」

 

 真剣な顔で、わかりきったことを訊いてきて。

 

「……はい」

 

 わたしは表情を引き締めて、静かに頷く。

 

 すると、先生は大きくため息をつき、「やれやれ」と頭を掻いた。

 

「仕方ないですね……では、今まで通り、朝の基礎訓練は続けなさい。午後の稽古も一緒にやるのはもちろんですが、皆に追いつくために、その後も補習を行いますが、銀時も、異論はないですね?」

「はいっ!」

 

 わたしは嬉々として返事をするが、銀時は不服気に唇を尖らせた。

 

「どーして俺も一緒なんだよ?」

「兄として、責任を取るのは当然のことでしょう?」

「は? 俺、こいつと血の繋がりも何にもねぇーけど……」

 

 顔をしかめながら、銀時はこちらを向いてくる。

 

 きっと、同意を求めているのだろう。

 

 けれど、

 

 ――寂しい。

 

 胸のどこかにそう突っかかり、すぐに返事が出来ないでいると、

 

「ここのところのあなたたちは、仲睦まじい兄妹のようでしたが? いいと思いますよ。実際二人とも、私の子供みたいなものなんですから。世間の兄妹だって、血の繋がりなんて、あってないようなものです。血が繋がっているから兄妹なのではなく、一緒に育ってきたから兄妹になるのではないですか?」

「はぁ……そーゆーもんかね……」

「そういうものです」

 

 銀時はぼりぼりと頭を掻いて、

 

「ま、いっか」

 

 興味なさげに、小さくそう認めた。

 

 ――きょうだい?

 

 わたしはその実感のないまま、呼んでみる。

 

「おにい……ちゃん?」

 

 すると、銀時の顔が渋くなった。

 

「なんか変な感じだな」

「じきに慣れますよ」

 

 くすくすと先生はそう笑うと、今度は高杉の方を向いた。

 

「ところで、晋助のそのカツラは、どこで仕入れたんですか? こんな田舎町じゃ売っていないし、そもそも、あなたたちにそんなお金は、ないですよね?」

 

 それに、銀時が即答する。

 

「桂のヤツが、今までの小遣いでネット通販したんだ。ちなみに、その雑誌もそれで買ったんだぜ」

 

 



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決戦は何曜日だろう④

 その後、先生から解放されて、結局終始寡黙なままの高杉と別れてから、わたしは銀時を呼び止めた。

 

「なんだよ、晩飯までまだ時間あるだろ? 一世一代の大仕事を終えて疲れてんだから、休ませてくれよ」

 

 半眼でそう言う銀時に、わたしは叫ぶようにして訊く。

 

「どうして、わたしを助けてくれたの?」

「そりゃあ、アイツにぎゃふんと言わせたかったからって、前にも言ったろ?」

「それだけ?」

 

 わたしがじっと、銀時のやる気のない目を見つめると、彼は一瞬視線を逸らしたのち、にやりと笑った。

 

「じゃあ、初恋ってことで」

 

 そして、ふわぁーっと欠伸をしたのち、

 

「じゃあ、妹よ。兄は今から寝るから。晩飯できたら起こしてくれ」

 

 そう言い残して、自分の部屋へと帰っていく。

 

 残されたわたしは、一人で首を傾げた。

 

「きょーだいで恋って、するものなのかしら?」

 

 誰も、その疑問には答えてくれなかったけれど。

 

 けれど、今でも覚えている。

 

 銀時に『初恋』と言われて、わたしの胸が高鳴ったことを。

 

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

 

 キラキラしている。

 

 目を開けた瞬間に、満天の星空に視界を支配されて、わたしはそれしか認識できなかった。

 

 ――あぁ、夜になったのか。

 

 ぼんやり眺めてから、身を起こすと、崖の下から声が掛けられる。

 

「いつまで寝やがってんだ、痴女猫め!」

 

 のそのそと動いて見降ろすと、見上げている沖田がお玉を持っていた。焚火の上に鍋をかざして、お玉で掻きまわしているのである。

 

 鍋の中身は、匂いでわかった。

 

「カレーだ!」

「いきなり言うのがそれかよ」

「だって、カレーなのよ? すきっ腹にカレーを我慢しろなんて、そんなドSなことするような子に、わたし育ててないもの」

「誰もアンタなんかに育てられてねェんだが……てか、俺はドS星に生まれたドS帝国の帝王だってこと、知らねェーのかィ?」

 

 ニヤリと笑うと、沖田はご飯の盛られた器にカレーをよそう。そして、スプーンですくうと、食べようと大口開けてこちらを見上げていた。

 

 わたしは淡々と言う。

 

「でも、総悟くん、わたしが本気で嫌がることは、しないもの」

「……ったく」

 

 やれやれと肩をすくめて、沖田はもう一つカレーを準備しだす。

 

「さっさと降りてきやがれ。本気で食べちまうぞ!」

「はーい」

 

 わたしはひょいっと立ち上がり、崖を降りる前に辺りを見渡した。

 

 倒れてたはずの、白い侍がいない。

 

 ――帰ったのかな?

 

 まぁ、昼間から夜になったのだ。あの程度の気絶なら、すぐに目が覚めていて当然であろう。実際、沖田も今は元気そうである。目的の瑠璃丸も潰れてしまったのだから、もう森に滞在する必要もない。巨大カブトムシの姿もなかった。どこに行ったのかは、あまり考えないでおきたい。

 

 いないのは、万事屋だけでなく、沖田の他の真選組の姿もなかった。

 

 どうやら、沖田一人、わたしが目覚めるのを待っていてくれたようである。

 



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決戦は何曜日だろう⑤

 ――起こせばいいのに。

 

 くすりと笑って、わたしは崖を滑り下りた。よっと沖田の後ろに着地すると、彼は「はいよ」とカレーを差し出してくる。

 

「ありがとう」

 

 礼を言って、わたしは沖田の隣に座った。

 

「いただきます」

 

 スプーンに大盛りすくって、頬張る。鼻から抜ける香ばしい香りに、ピリリとしたスパイスが舌で踊る。

 

「ふぉいひぃ。ふぁりふぁほへ」

「もういい。俺は何も言わねェーから、ゆっくり食え」

「ふぁい」

 

 もぐもぐと、かつかつと。二人並んで、無言で食べる。

 

 カレーは意外と家庭的な味がして、美味しかった。肉は熊肉だからその癖はあるものの、他はごくありきたりな具材で作ってあるようである。ルーも多分、市販の固形ルーであろう。

 

 ――やっぱり、全然ドSじゃないじゃない。

 

 これが土方が食べるとなれば、色々スパイシーすぎるスパイスが入っているのかもしれないが。

 

 風が木々を揺らす音。焚火がぱちぱち弾ける音。スプーンが皿をこする音。

 

 それだけだが、決して居心地は悪くない。

 

 あっという間に食べ終わり、わたしはぷはぁーと息を吐いた。

 

「美味しかったぁ! ありがとね、総悟くん!」

「……別にどーってことねェでサァ。可愛い寝顔、見せてもらったしな」

 

 目を細めて、そう言ってくる沖田に、わたしは同じような笑みを返す。

 

「んー? 眠り姫にちゅーでもしちゃったかな?」

「さぁ? どーだかね?」

 

 そう、とぼけてくる沖田に、わたしは苦笑して、

 

「なんか……昔話する気、失せちゃったな」

 

 ぽつりと呟くと、沖田は鍋を片付け始める。

 

「別に、アンタが話したくなったらでいいでサァ。女に話したくねェーこと無理やり聞き出すほど、野暮な男になるつもりはねェーし。それに……」

「それに?」

 

 首を傾げると、彼は顔を近づけてきた。耳の横で囁いてくる。

 

「これ以上二人っきりでいると、ちゅーだけで押さえられそうもねェ」

「え?」

 

 耳にふっと息を吹きかけられ、わたしの肩が上がる。

 

 その様子を見てか、離れた沖田がへへっと笑った。

 

「そーゆーわけだ。さっさと()ーるぞ」

「……はいはい」

 

 わたしは二つ返事して、なんとなく空を見上げた。

 

 月は見えないが、やっぱり夜空はキラキラしている。

 

 

 

 後日談。

 

 登城を命じられた近藤に、わたしはある荷物と手紙を持たせた。

 

 荷物は、手作り黄金熊のぬいぐるみ。

 

 手紙にはこう書いた。

 

『将ちゃんへ。カブトムシの代わりにどうぞ。蜂蜜大好き黄金熊、名前は……著作権上、自分で考えてね。友達の桜より』

 

 帰って来た近藤に、涙ながら感謝されたのだった。

 

 ちなみに、巨大カブトムシと白くて巨大な狛犬(こまいぬ)との戦いによる被害が、たまにニュースで取り上げられているが、わたしには一切関係のないことである。

 

 

 




 カブトムシ狩り、これにて終了です。

 偽物の銀魂が誰かの有意義な暇つぶしになりますように。


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偽・ミツバ篇
女ならば一度は可愛い弟が欲しいと思うもの①


 

 

 

 それは、唐突なことだった。

 

 ――近藤さんが美人を連れ込んでいる!

 

 白昼堂々、色白でショートカットが似合う細身の女性を横にはびらせ、近藤は意気揚々と屯所内を歩いていた。後ろ姿でその顔面を拝めないのが、残念なような、にやついた顔を見ないで済んで、よかったような。

 

 ――いや、待てよ?

 

 わたしはちょっと再考する。

 

 隣の女性だって、後ろ姿が美人なだけであって、顔が人ですらない可能性がある。だって、連れているのが、あの近藤なのだ。人面魚ならぬ、ゴリラ顔人間という天人(あまんと)がいたって、この広い宇宙なにも問題はないだろう。

 

 その二人だが一人と一匹だかが、客間へと入っていく。

 

「ふむ」

 

 その後の行動で、悩むことは何もなかった。

 

 わたしは足音をひそませながら、その部屋へと近づく。静かに膝をついて、ふすまを少しだけ開けた。

 

 そして、驚愕する。

 

 ――ちゃんと人間だ!

 

 近藤が連れていた女性は、ちゃんと人間の顔をしていた。しかも、美女だった。慎ましく、大人しいといった印象の顔つきだが、まつげが長いのか、地味な印象は受けなかった。肌や髪の色素の薄さから薄幸な感じがするが、それがまた彼女の美しさを引き立てているようだ。

 

 そんな美女を前にして、近藤は嬉しそうに笑っていた。

 

「いやはやミツバ殿、相変わらず美しい! いや、さらに綺麗になったと言ったほうが良かったかな?」

「あらあら、近藤さんは口が上手になったみたいですね」

 

 ミツバというらしい、その美女は、口に手で隠して笑う。

 

 その気品のある素振りに、わたしは小首を傾げた。

 

 なぜか、違和感を覚えるのだ。

 

 ――美人に気品があって、当然のはずなのに……。

 

 そんな時、後ろから声かけてくるのは、やっぱり彼だった。

 

「コソコソと何してるんでィ?」

「あ、総悟くん」

 

 振り返って、ハッとする。

 

 違和感の正体は、彼が原因なのだ。

 

「美少年が残念ドSなことに慣れちゃうと、テンプレ通りの美女を受け入れられない時ってない?」

「何を言ってんのかサッパリわからねェが、頼みがある」

 

 そう言う沖田の顔が、いつになく真剣だった。

 

「覗くのは構わねェ。どうせやめろ言っても、聞かないことぐれェ、わかってる」

 

 言われた通りなのだが、どうにも釈然としないことに眉をしかめるが、

 

「その代わり、今だけは笑わないでくれ」

 

 そう真面目に言われると、とりあえずコクリと頷くしかなかった。

 

 沖田がふすまを開けようとするので、少し退く。

 

 すると、

 

「姉上ぇ!」

 

 甘ったれた声音だった。

 

 発声源を一瞬疑ったが、その声は紛れもなく、沖田であり、

 

「姉上、お久しぶりです! 遠路はるばる長旅、お疲れ様でした!」

 

 いつになくハキハキと、いつになく礼儀正しく。

 

「総ちゃん、久しぶりね」

「はい、ずっとこの日を、楽しみにしてました!」

 

 美女の前で膝をついて、深々と頭を下げる。その頭を、美女は穏やかな表情で撫でていた。

 

 普段なら、すぐにその手を振り払っていそうである。

 

 しかし、いつまでも、いつまでも、そのまま撫でられ続けているのだ。

 

 そして、そんな様子を嬉しそうに眺めて、近藤は言う。

 

「総悟、今日は休みにしてやるから、ミツバ殿に江戸を案内してやってくれ」

「いいんですかィ?」

 

 顔を上げた沖田の表情が、キラキラしていた。

 

「あぁ。姉孝行、存分にして来い!」

「ありがとうございます! 姉上、行きましょう!」

 

 すぐさま立ち上がると、沖田は美女の手を引いて、客間を飛び出していく。

 

「姉上、行きたいところはありますか? 姉上の行きたいところどこだって案内しますよ!」

 

 嬉しそうなその顔は、わたしのことなんか一視もくれず。

 

 わたしはそろりとふすまを開けると、腕を組んでいる近藤に一言、こう聞いた。

 

「あれ、なに?」

 



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女ならば一度は可愛い弟が欲しいと思うもの②

 

 

 この江戸、歌舞伎町という町には、あまり喫茶店がないということが最近知ったことである。

 

 お団子屋や、あんみつ屋ならちょこちょこあるものの、パフェやサンデーが置いてあるような場所は、ここしかないようである。攘夷戦争以降、文化の移り変わりが激しいらしいが、こういったお店が出来たことは、天人(あまんと)襲来の嬉しい誤算である。

 

 そんなお店の中で、

 

「ねーねー山崎。どうしてアフロなの?」

 

 わたしはソファ席に身をひそめながら、小声で隣の山崎に訊いた。

 

 山崎はいつもの黒い制服姿で、頭に巨大アフロのカツラを被っていた。夏もとうに終わり、木々が黄色や赤く染めている時期なのだが、見た感じは暑苦しい。

 

 なぜ暑いのか。それは、わたしも今頭が蒸れて暑いのだ。認めたくないものの、尾行するなら必需品と山崎に言われて、わたしも同じアフロを被っているからだ。

 

「尾行は身バレしないことが一番大事だからね。この姿見たら、アフロに目がいって顔まで覚えられないものなんだよ」

 

 ――尾行がバレないように地味な格好するのが一番だと思うけどね。

 

 得意げに説明する山崎の顔を立ててやるために、それは口に出さないでおく。

 

 ともあれ、わたしたちは尾行をしていた。

 

 ターゲットは、美男美女のカップル――のようにも見える、姉弟。

 

 真選組一番隊隊長、沖田総悟の姉である、沖田ミツバが婚約を期に上京したというのだ。

 

 両親を早くに亡くした姉弟は、手と手を取り合い仲睦まじく、助けあって生きてきたのだという。母親代わりでもあったミツバに対する沖田総悟の姉愛は、近藤らと上京してから顔を合わせていなかったことも併せて、尋常ではないようである。

 

 と、胸中、解説してみるものの、

 

「あれが、総悟くんねぇ……」

 

 呟いて、仕切りの上からちょこっと目を覗かせる。

 

 少年の目じりは、気の抜けたように垂れ下がっていて。口の締まりもなく、へらへらと笑っていた。

 

 とろけたように、嬉しそうで。

 

 まるで、甘いパフェのように幸せそうで。

 

「お待たせしました! チョコバナナパルフェでございます」

「あ、どーも」

「どーもじゃないよ! なに一人パフェなんか頼んでるの!」

 

 半分に切られたバナナがにょきっと乗っているパフェを持ってきたウエイトレスに会釈したわたしを、山崎が怒鳴って来る。

 

 わたしは首を傾げた。

 

「え? だって喫茶店に入ったら、何か注文しないとでしょ?」

「そーだけどね! けど、目立たないコーヒーとか、もっと地味なメニューあるよね?」

 

 何か無駄に説得してこようとしているが、わたしはきっぱりと断言した。

 

「やだ。パフェ食べたい!」

「桜ちゃーんっ!」

 

 その時だ。横から殺気がした。

 

 振り向けば、バズーカを構えてくる一番隊隊長。

 

「アフロは永遠にパフェ地獄にでも落ちてろ」

 

 冷徹にそう言いのけて、容赦なく弾丸が飛んできた。

 

「嘘でしょ?」

 

 隣で慌てふためく山崎は置いておいて、わたしは呟きやいた。考える前に、わたしの手は刀に掛けられていた。

 

 抜刀し、そのまま弾丸を真っ二つに斬る。

 

 ――嘘でしょ?

 

 誰かに訊きたかった。だけど、答えてくれるのは、背後の爆音だけだった。

 

 店内に硝煙が充満し、その向こうで女の声が聴こえる。

 

「総ちゃん、いきなりどうしたの?」

「すいません、姉上。ちょっとアフロの害虫がいたもので」

「あらあら。都会でも虫はいるのねぇ」

「むしろ、江戸の方が変な虫が多いですよ。姉上も気を付けてくださいね」

「そうね。ありがとう、総ちゃん」

 



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女ならば一度は可愛い弟が欲しいと思うもの③

 優雅にそう話す二人を、わたしは仁王立ちで見ながら、自問自答する。

 

 ――なんで、こんなに苛々(いらいら)するの?

 

 さっきから、なぜかこの二人を見ていると苛々するのだ。

 

 沖田がへらへらしているから?

 

 ――久々に姉に会えて嬉しいなら、微笑ましいじゃないか。

 

 ミツバという姉が綺麗だから?

 

 ――別に美しさで女に嫉妬したことなんて、今までないけど。

 

 考えたって、答えがでない。

 

 だけど、なぜか苛々するのだ。もやもやするのだ。

 

「訳わかんない……」

 

 髪を掻き上げ、嘆息すると、ミツバがこっちを指していた。

 

「総ちゃん、あの人は知り合いの人?」

「え、アイツは……」

 

 どうやら、あの人とはわたしのことらしい。沖田はわたしの顔を見て、言葉に詰まる。

 

 ――さすがに、大好きなお姉ちゃんの前で『ペット』とは言えないか。

 

 助け舟を出そうと口を開きかけた時、沖田が言う。

 

「……彼女は、僕がお付き合いさせていただいている人です」

 

 口を開けたまま、わたしは三回まばたきした。

 

「まぁ!」

 

 ミツバが感嘆の声をあげ、口を押さえている。

 

「こっち来いよ」

 

 無表情のまま、沖田が手招きしてくる。

 

 それと同時に、わたしの足をひっぱってくる誰かがいた。

 

 アフロがさらにボンバーしている、山崎である。

 

「桜ちゃん、いつからちゃんと付き合ってたの!」

「知らないわよっ!」

 

 小声で否定して、その頭を蹴り飛ばす。ちょっと力を入れすぎて、隣の客席へと吹っ飛んで、泡を吹いている気がするけど、それどころではない。

 

「桜!」

「はいっ!」

 

 沖田に呼ばれて、反射的に返事をしてしまう。

 

 ――お付き合いって、ペットと飼い主って関係でも使う言葉だったっけ?

 

 そんなことを考えながら、仕切りを迂回して、沖田たちの席へと向かい――座る沖田の、隣に立った。

 

「えと……」

 

 近くで見るミツバは、確かに綺麗だった。でも、色白というよりも顔が青白く、大人しいというよりも、儚くて。

 

 ――具合悪いんですか?

 

 と、訊きたいのを堪えて、わたしは頭を下げた。

 

「挨拶が遅れて、申し訳ありませんでした。桜、と申します。総悟くんには、いつもお世話になっております」

「あら、ご丁寧に……」

 

 ミツバは慌てて立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。

 

「総悟の姉の、ミツバでございます。こちらこそ、いつも弟が――」

 

 と、そこで、ミツバが大きく咳き込んだ。一度や二度では治まらず、ごほごほと咳を繰り返し、

 

「姉上、挨拶なんていいから、早く座って!」

 

 沖田に促され、ゆっくりと座り、何度かゆっくり呼吸すると、ようやく咳が治まったようである。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 わたしが尋ねると、ミツバは弱弱しく微笑んだ。

 

「えぇ、ご心配おかけしました。いつものことなので」

「姉上は、昔から肺の病を患ってるんだ。最近は調子がいいって言ってたけど……やっぱり、江戸の空気はツライですか?」

 

 わたしに説明してから、ミツバの心配をする沖田。

 

「そんなことないわ。それに、これからはずっと江戸で暮らすんですもの。ツライとか言ってもいられないわ」

「しかし姉上……」

 

 眉をしかめる沖田に、ミツバは気丈に笑う。

 

「総ちゃん、これからここで結婚する幸せな女に、ツライとか苦しいとか、マイナスのこと言ったらダメでしょう? 素敵な旦那様と暮らして、可愛い弟ともすぐ会えるようになるんだから。私は嬉しくて仕方ないのよ」

 

 そして、ミツバは立ちっぱなしのわたしを笑顔のまま見上げた。

 

「しかも、こんなに可愛らしい女の子が総ちゃんの彼女だなんて、困ったわ。嬉しいことだらけで、顔のしまりがなくなっちゃう」

 



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女ならば一度は可愛い弟が欲しいと思うもの④

 年がいにもなく、そんな可愛らしいことを言う人に、わたしは愛想笑いを返した。

 

「……桜も座れよ。てか、なんでアフロ?」

「んー、アフロが世界を救ってくれたらいいなって思ってね」

 

 座って、アフロを脱ぐ。清涼感に一息吐いて、わたしは頭をふるふる振った。

 

「ホント、猫みてェーだな」

 

 隣の沖田が、小さな声で馬鹿にしてくるので、

 

「伊達にペット扱いされてないからね」

 

 一層小声で返しながら、首の鈴を指先で鳴らす。

 

「アンタ、姉上の前では言うんじゃねェーぞ」

「貸しだからね」

「わーってるよ」

 

 片目を瞑るわたしに、沖田はむすっと応えて。しかし、その顔はすぐさま、にこりと微笑んだ。

 

「改めて、僕から紹介させてください。屯所で預かっている、桜です。公私共に、僕のサポートをしてもらってます」

「あら、真選組のお仕事のお手伝いをしているの?」

 

 ミツバに問われて、わたしは頷いた。

 

「これでも、剣には自信がありますので」

 

 そう言って、少し腰を上げて刀を見せる。

 

「まぁ……」

 

 ミツバは驚いた顔をした後、首を傾げた。

 

「けど、総ちゃん。たとえ彼女とはいえ、いつも女の子と一緒にいたら、お仕事でいじめられたりしてない?」

 

 わたしが座りなおすと同時に、沖田が即答する。

 

「大丈夫です。仲には気に食わない奴もいますが、僕、負けません! 桜のことも大好きですが、仕事だって誰にも文句言われないくらい、頑張ってるので!」

「まぁ、じゃあ、男友達もいるの?」

「と、友達?」

「えぇ。悩みを相談したり、一緒に遊んだりする友達はできた?」

「それは……」

「まさか、本当にいつも二人っきりでいるわけではないでしょう?」

 

 ミツバは笑顔でわたしに同意を求めてきているが、その目が笑っていない。

 

 なんだろうか。なんとなく、彼女の気持ちがわかるような気がする。

 

 自分の可愛い弟が、いつのまにか女を作っていたのだ。しかも、屯所で預かっているなんて言ったもんだから、ようは寝食共にしていることは明白である。

 

 久々に弟に会ったら、同棲している女を紹介されました。

 

 姉として、母として、決していい気分はしないのではなかろうか。

 

 ――墓穴を掘ったのではないか、沖田くん。

 

 そんな眼差しで横を見ると、沖田は覚悟を決めたように一人頷いていた。

 

「……いますよ。ちゃんと、男友達。なんなら、今から呼びましょうか?」

 

 

 

 それから、数十分後。

 

 ろくな仕事のない男は、パフェにつられて、すぐにやってきた。

 

「姉上、紹介します。坂田銀時さんです。僕の友達で、桜のお兄さんです」

「えーと、話がよく見えないんだけど、これはお見合い? それとも結納?」

 

 ――わたしだって話がわからぁぁぁぁぁあああん!

 

 そう叫びたいのをぐっと堪えて、わたしはギリギリ笑顔を作った。

 

「ちがうよ、お兄ちゃん。二家族間の親睦会みたいなものだよ」

「え、なに桜ちゃん。それを世間では結納っていうんじゃないかな? 言ってくれれば、ちゃんと道具を準備しておいたのに。スルメとか昆布とか」

 

 ニヤニヤと笑って肘で突いてくる銀時の足を、わたしはテーブルの下で思いっきり踏みつける。

 

 向かいのミツバは、こそこそと沖田に話していた。

 

「総ちゃん、どうしよう? 結納金とか、いくらくらい包むのが相場なのかしら?」

「姉上、大丈夫です。本当に今日はそんなんじゃないですから」

「でも……」  



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女ならば一度は可愛い弟が欲しいと思うもの⑤

 ――お願いだから、そんな問答やめて……。

 

 そんな悲痛な願いをよそに、

 

「えー、そーゆーわけでね、お姉さん。オタクの総一郎くんがウチの桜に、そーゆーコトしちゃった責任、どー取ってくれるんですかー?」

「総悟です」

「いやね、ウチはお金が欲しいわけではないのですよ。あくまで、総一郎君の誠意がみたいんですよ」

「総悟です」

 

 銀時と沖田が、そんなやりとりをし始める。

 

「ちょっと総悟くん、今名前なんかどーでもいいでしょ!」

 

 わたしが横にいる沖田にそう叫ぶと、沖田はいつもの無表情で淡々と言った。

 

「なに言ってるんでィ。俺の大事な名前間違えられたんじゃぁ、招待客全員に、アンタの兄さん馬鹿にされちまうじゃねェーかィ」

「やめて! めんどくさいからって、君もこのよくわかんないノリに乗らないで! てか、この席並びおかしいから! お見合いだろうが合コンだろうが、なんでこっち側だけこんな窮屈なのォ!」

 

 なぜだか、窓際から沖田、わたし、銀時と三人横並びだった。対面するのは、ミツバ一人。

 

 両手に花といえば聞こえがいいのかもしれないが、両手に馬鹿はいささかツライ。

 

「まぁ、細けェーこと気にすんな」

「そうそう、総悟郎君がやらかしちゃったことに比べれば、小せェーモンよ、このくれェ」

「総悟です」

 

 訂正、相当ツライ。

 

 その時だ。

 

「お待たせしました。チョコレートパフェ三つでございまぁす」

 

 と、ウエイトレスが、沖田以外の前にパフェを置いて行く。

 

「食べないの?」

 

 隣の沖田に訊くと、

 

「あぁ、いいんだ」

 

 と、コーヒーを一口飲む。

 

 ――あんだけお姉ちゃんに甘えておいて、今更大人ぶってもねぇ……。

 

 そう思いながらも、パフェを食べようとスプーンを手にした時だ。

 

「そうだ! 出会えた記念に、素敵なパフェの食べ方を教えますわ!」

 

 嬉しそうにミツバはそう言って、テーブルに備え付けてある、赤い細長い容器を手に取った。

 

 そして、それをパフェの上で真っ逆さまにすると、白と黒の素敵な模様に、赤い液体が滴り落ちていく。

 

 鼻の奥でツンとする刺激に、顔をしかめた。

 

 そのパフェは、銀時の前に差し出される。

 

「さぁ、坂田さんどうぞ。桜さんのも今から作りますね」

 

 銀時の顔は引きつっていた。わたしは即座に、自分のパフェを手に取る。

 

「いや、わたしは大丈夫で――」

 

 言葉の途中で、ミツバが一瞬苦しそうな顔をして、咳き込み始める。

 

 ゴホゴホと、胸の奥から込み上げてくるような咳。

 

 すると、沖田がわたしに耳打ちしてくる。

 

「この痴女猫! 姉上は肺を患ってるんでサァ! ストレスは大敵なんでィ!」

「んなこと言われても、アレ食べろって?」

 

 沖田の澄ました顔の奥で一瞬、ニヤリと笑ったのを、わたしは見逃さない。

 

 ――こいつ、これがわかってて食べ物頼まなかったなっ!

 



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女ならば一度は可愛い弟が欲しいと思うもの⑥

 しかし、それに気づいても後の祭りである。

 

 咳が治まると、ミツバは何事もなかったかのように、またニコリと笑った。

 

「まぁ、確かに見た目はよくないかもしれないから……私が先に食べてみせますね」

 

 そう言って、ミツバは自分のパフェに一際たくさんのタバスコをかけていく。そして、さも当然とばかりに、それを一口、また一口と美味しそうに食べていた。

 

 わたしは、ごくりと生唾を呑み込む。

 

 ――やべぇ……どうやって、どうやってかわせばいい?

 

 窮地である。「さぁ」と笑顔で次勧められたら、なんて言ってかわせばいいか、全力で頭を回転させる。

 

 ミツバは水も飲まずに、そのパフェを半分くらい食べると、無言でわたしのパフェを手前に寄せた。

 

 容赦なく、わたしのパフェが赤い液体に侵略されていく。

 

「さぁ、どうぞ。坂田さんも、早く食べないと溶けてしまいますよ?」

「あ、でも俺、パフェは甘い方が好き――」

「ぐはぁぁぁあ!」

 

 ミツバが吐血した。

 

 口から真っ赤なモノを吐いて、またゴホゴホとさっきよりも苦しそうな咳をする。

 

「ぜひに食べさせていただきまぁすっ!」

 

 銀時は自棄とばかりにパフェを掻き込んだ時だ。

 

 カバディかばでぃカバディかばでぃ。

 

 淡々としたメロディが店内に響く。

 

 銀時の顔が真っ赤に染まり、そのメロディが一旦止んだかと思えば。

 

 カバディかばでぃカバディかばでぃ。

 

 また同じようにカバディが響く。

 

 銀時が口から赤いものを発射させたと同時に、

 

「あ、これ山崎の携帯じゃん」

 

 わたしは華麗にソファの後ろへと跳びあがり、憐れな銀時を飛び越えて通路へ着地する。足取り軽く倒れる山崎の元へ向かい、ポケットに入っていた携帯を取り出した。

 

 ディスプレイには、『ふくちょー』と書かれている。

 

 ――これ、土方さんに見られたら怒られるんじゃないかな?

 

 そんなことを思いながら、迷うことなく通信ボタンを押した。

 

『てっめぇ山崎、どこほっつき歩いてやがるっ! 十五時に南埠頭だ言ってあっただろバカヤロー!』

「へぇ……じゃあ、山崎は赤いパルフェ吐血事件に巻き込まれて気絶しちゃったから、代わりにわたし行くね」

 

 怒る土方に、明るい声音で返答しつつ、わたしは軽い、あくまで軽い脳震盪(のうしんとう)を起こすようにと、山崎の顎を軽く、あくまでかるーく蹴り上げた。

 

「ふべっ」

 

 そんな呻き声なんて、わたしの耳には入らない。

 

 わたしはその携帯を袖にしまいながら、神妙な面持ちで沖田たちの元へと戻る。

 

 涙や鼻水でいっぱいの銀時と、不思議そうな顔で首を傾げているミツバと、変わらぬ無表情の沖田。

 

 彼らに、わたしは申し訳なさそうに伝えた。

 

「せっかくの機会に、大変恐縮ですがぁ、副長から大事な用事を言い渡されてしまったので、今日はこれで失礼させていただきまぁーす!」

「オイ、なんでそんなに嬉しそうなんだ?」

 

 半眼の沖田にそう問われて、わたしは肩をすくめた。

 

「そんなことないよぉー、すごく残念! じゃあミツバさん、またの機会に」

 

 これ以上沖田に睨まれないために、足早に立ち去ろうとするわたしを、

 

「……桜さん!」

 

 ミツバが呼びとめる。振り向くと、彼女は立ち上がっていた。

 

「その……副長さんは……お元気ですか……?」

 

 俯くその顔は、恥ずかしそうに、赤く染まっていて。

 

 ――お?

 

 内心ニヤリと笑いながらも、わたしはごく普通に笑った。

 

「今日もマヨネーズ啜りながら、お仕事に励んでますよ」

 

 すると、ミツバは嬉しそうに、くすりと笑い返してきた。

 

「じゃあ、そのマヨラーさんに、これ差し入れてくれませんか?」



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結婚を人生の墓場だと決めた人は誰か①

 

 

 

「と、いうわけで、はいこれ。激辛マヨネーズ煎餅(せんべい)だって。通販の期間限定らしいよ?」

「なにがいきなり『というわけで』だ! 山崎はどーした! 山崎は!」

「だから、赤いパルフェ吐血事件に巻き込まれたんだって! パルフェがね、真っ赤に染まってね、それを食べたらぷぎゃーって」

「いいから! そんなくだんねー事件の話はしなくていいから!」

 

 そう怒りながらも、土方はその激辛マヨネーズ煎餅をバリっと食べた。

 

「くっそ、(かれ)ぇーな」

 

 日が、海に沈みかけていた。

 

 茜色の海は宝石を散りばめたようにキラキラと輝き、その美しさをこれでもかと訴えていた。そんな贅沢に輝いて、いったい何を伝えたいのか、その意図はわたしにはわからない。

 

 しかし、その茜に染まりながらも、わたしの視界をたまに遮る黒々としたアフロは揺るがない。

 

「てか、なんでアフロ?」

 

 ――総悟くんと同じこと言ってやんの。

 

 同じ発言だと伝えて、土方は怒るだろうか。

 

 きっと、その答えはノーだ。それで怒るには、沖田一方。

 

 ――そういや、総悟くんは土方さんのこと嫌ってても、土方さんはそうでもないよね。

 

 今まで気づいてはいても、気にしてなかったことに、わたしはくすりと笑いながら、

 

「アフロだからこそできることも、きっとあると思うのよ」

 

 やっぱり、わたしは適当に答える。

 

 土方は呆れたようにため息を吐いて、また「辛い」と文句を言いながら、煎餅をかじった。

 

「そのお煎餅、ミツバさんからなんだけどさ」

「あぁ」

「土方さんも、ミツバさんと顔見知りなんだよね?」

「……あぁ」

「ちゃんと、挨拶とかした?」

 

 わたしの質問に、土方は舌打ちした。

 

「……てめぇには関係ねぇーだろうが」

「関係ないけど、親友のトッシーが恋で悩んでるのなら、相談に乗りたいのが心情ってものでしょう?」

 

 さも当然とばかりに答えると、土方は口から煎餅を噴き出した。

 

「い……いつの間に親友になった?」

「え? こないだ一緒にチャイナムーン観ながら、言ってたじゃない?」

 

 土方はなんだかんだ、トッシーとうまく共存しているようだった。とある曜日と時間になるとオタクのトッシーが出てきて、それ以外は土方がいつも通り表へ出てきているようである。トッシーがたまに通販で人形などグッズを買ってしまい、貯金がうまくできないと頭を抱えてたりするが、

 

「まぁ、あれだ……あいつに付き合ってやるのも、ほどほどにしてくれ。これ以上でしゃばってこられたら、堪らん」

 

 この程度らしい。

 

 優しいのだ、この男は。

 

 自分の身体を他人と共存することになっても、『堪らん』で済ませてしまうほど、優しい男なのだ。

 

 お土産の激辛煎餅も、辛いと文句を言いながら食べるほど、優しい男なのだ。

 

 それなのに、数年ぶりにあった旧友への、挨拶を拒む。

 

 その理由は、好きか、嫌いか。

 

 ――まぁ、この二択も、確実に絞れるけどね。

 

 わたしは不機嫌そうに煎餅をむさほる土方が愛らしく、頬がほころんだ。

 

 彼の顔が赤いのは、夕日のせいだろうか。

 

 わたしは歌う。

 

「ごめんねー素直じゃなくって。夢のなーかなーら言えっる」

「おい、やめろ」

「思考回路は、ショート寸前。今すぐー会いたいぜー」

「やーめーろー! なんだその下手くそな歌は!」

 

 怒ってくる土方に、わたしは少し舌を出した。

 



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結婚を人生の墓場だと決めた人は誰か②

「いやー、トッシーが好きな歌の一つなんだけどさー、今の土方さんにぴったりだなぁって思って」

「やめろ、そーゆー著作権的に危ないのは」

「ほんと、土方さんって総悟くんと同じようなこと言うのね」

「あぁ?」

 

 今度は口に出して言う。それに土方は、

 

「てめぇが言いたくなるようなこと、言うからだろーが」

 

 と、やっぱりそれを嫌がることなく、認めた。

 

「なんで土方さん、総悟くんに嫌われてるの?」

「知らねーよ。俺が聞きたいわ。昔っからだ、あいつが俺を一方的に嫌ってるのは」

 

 土方は煎餅を完食すると、上着のポケットを漁っていた。

 

「土方さん的には、やっぱり仲良くしたいの?」

「そりゃあ……な。武州から一緒に出てきた真選組以前からの仲間だしな」

 

 タバコを口にくわえて、火を付けた。ライターがマヨネーズの形をしているのが可愛らしい。

 

「けど、昔っからだ。今さらそんなの、気にしてねーよ」

 

 ――まぁ、ミツバさんも土方さんのこと好きそうだしね。

 

 しかし、少なくとも、沖田が土方のことを嫌う理由は、わかったような気がした。

 

 大事な姉が、よその男を好いていることは、気に食わないだろう。

 

 ましてや、土方のこと態度だ。ミツバの好意を知った上での拒絶とか、充分にありうる。

 

 ――不器用だなぁ。

 

「ごめんねー素直じゃなくってー」

「だから歌うなっちゅーの!」

 

 その時、ボーと船の寄港の合図が鳴る。

 

 土方はタバコを消して、双眼鏡に持ち替えた。

 

 けっこう大きな船だ。雰囲気的には、貿易船。シンプルな形をした船である。

 

「お、ビンゴだな」

 

 土方が言った。

 

「あの船を探してたの?」

「あぁ。蔵馬当馬(くらばとうま)という商人が、攘夷浪士に違法な武器を横流ししているという話が入ってな。その調査をしてたんだ」

「刀とかってこと?」

「もっとタチの悪いもんさ。拳銃やら、マシンガンやら――そういうもんは、政府で輸入や流通を取り締まってるんだがな。近頃、攘夷浪士の奴らの武装が進んでたから、山崎に調査させてたのが、ようやく実ったってもんだ」

 

 わたしは小さく笑った。

 

「その山崎が、その徹底的証拠の瞬間にいないと?」

「あぁ、そのパフェ吐血事件とやらでな。で、その吐血事件の犯人は誰なんだ? 目星はついてんのか?」

 

 土方がわたしの方を見て、にやりと笑う。

 

 わたしも、同じような笑みを浮かべた。

 

「大丈夫よ。被害者が訴えなければ、犯罪にはならないんだから」

「よく言うぜ」

 

 夕陽が、海に隠れようとしている。

 

 

 

 その後、屯所へ帰る前に、蔵場当馬の屋敷へ寄ることになった。

 

 あくまで、寄るだけ。今後、本格的な調査のための足掛かりである。

 

 なんでも、来週に再び大きな交易があるとの噂があり、その時には現行犯で捕らえようという魂胆らしい。

 

 土方の運転するパトカーに乗って、その屋敷の前へ。

 

 けっこう大きなお屋敷だった。一目でわかる、お金持ちの家。召し使いも何人も抱えているであろう。

 

 ――この家も、いつかは潰れるのかな。

 

 そう考えて、わたしは思わず苦笑した。

 

「なんだ? 何か変なもんでも見つけたか?」

 

 隣の土方が、つまらなそうに訊いてくる。

 

 わたしは首を振った。

 

「いや、土方さん、けっこう丁寧な運転するんだなー思って」

「ルールを守るお巡りが荒い運転してどーすんだ」

「お仕事お疲れ様です」

 

 屋敷の正門前を通ろうとした時、車道を邪魔するように立ち話をしているカップルが、ライトに照らし出された。

 



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結婚を人生の墓場だと決めた人は誰か③

「屋敷に入ろうとしてるのか? ちと職質(しょくしつ)すっか」

 

 正直、職務質問するほど怪しくは見えない。女は大きな紙袋を持っているし、男は着ぐるみのように大きな帽子を被っているが、どうせデート帰りの浮かれたカップルであろう。

 

 それどころか、逆光で見にくいものの、非常に見覚えのある気すらする。

 

 ――けど、大丈夫な気がするでいられないのが、お巡りさんか。

 

 もしも助かる人がいるのなら。

 

 もしも防げる事件があるのなら。

 

 それを迷わず実行するのが、土方十四郎である。

 

「お前ら、何やってんだ?」

 

 車から降りた土方が、ヘッドライトに映し出された。

 

 振り向く女が、唖然と口を開いた。

 

「十四郎……さん?」

 

 彼の名を呼び、駆け寄ろうとしたのか、重心が前のめりになった時、その女は急に胸を押さえて咳き込み出す。落ちた荷物が道に広がった。

 

「ミツバさん!」

 

 わたしはその様を見て、慌てて車から飛び出す。

 

 ミツバが膝をつき、道路に倒れるまであっという間だった。道に転がるのは、数々の玩具(おもちゃ)。玩具と共に倒れるミツバを抱えて、わたしは茫然とする二人の男たちに叫ぶ。

 

「ぼさっとしてないで、早く運ぶの手伝いなさい!」

 

 

 

 煎茶に茶柱が横たわっていた。

 

 なかなか風味の良いお茶である。お茶請けのお饅頭も甘過ぎず、夜に食べても胃にもたれることもないだろう。

 

 ――そういや、夕飯食べてないな。

 

「お兄ちゃんたちは夕飯、何食べたの?」

「チョッピーのナポリタンハンバーグセット」

 

 なかなかボリュームのある夕飯だったようである。

 

 しかし、銀時はお饅頭を何個もばくばく平らげていた。

 

 わたしは机に頬杖をつき、そんな銀時を半眼で見た。

 

「太るよ?」

「甘いものは別腹っていうじゃーん? お兄ちゃんのお腹じゃなくて、きっとうろちょろ鬱陶しい副長のお腹につくんじゃないかなー」

「あ?」

 

 部屋の中をうろうろ歩いてた土方が、片眉を上げた。

 

 銀時はニヤニヤと見上げる。

 

「あー、ゴメンゴメン! もうすでにマヨで脂肪たっぷりだったかなー?」

「てめぇ、俺の腹のどこにそんな脂肪があるっつーんだ?」

「そりゃあ、男も女も見えないとこに隠してるに決まってんじゃーん。ましてや、恋人の『こ』の字も隠してる土方君だしねー」

 

 土方が舌打ちし、銀時を睨む。

 

「何で今、恋人なんて単語が出てきやがんだ?」

「そりゃーねー、あんなお家の事情で別れることになってしまった昔の恋人同士の偶然の再会みたいなシチュエーション見せられたらねー。ねぇー、桜ちゃん?」

 

 土方の苛立ちが絶頂のタイミングで話を振られて、

 

「まぁね。ミツバさんがあまりの衝撃で卒倒しちゃうくらいだからね。二人に事情がないわけはないよね」

 

 と、煎茶をすすりながら、肯定した。

 

 すると、土方がわたしの髪をわしゃわしゃ掻きむしる。

 

「あー、大丈夫。大丈夫だ、俺。初めからこの女にゃ何も期待してねぇーぞ、俺。苛立つだけ無駄だぞ、俺!」

 

 おそらく、本当は殴りたいんだろうな、と思う。なんかそんな気がする。だけど、わたしが女だから殴れないとか、そんなくだらないことで葛藤している気がする。

 

 まあ、そんなことわたしには関係ないのだが。

 

「土方さん、どうせならもっと愛情溢れる感じで撫でてもらいたいのだけど」

「あー可愛いなー! ペットは飼い主に似るって感じで、どこぞの飼い主にそっくりになってきやがってコノヤロー」

 

 その時、ふすまが開いた。

 



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結婚を人生の墓場だと決めた人は誰か④

「ようやく妻の容体が落ち着きました」

 

 顔の濃いおじさんだった。特に強い目力が、今は安堵の色を浮かべているのが、不釣り合いのように思えた。

 

 そのおじさんが、深々と頭を下げる。

 

「こんな夜分遅くまで、皆さま、ミツバのためにありがとうございます」

 

 幸の薄いミツバの婚約者は、この顔の濃い男のようだ。

 

 この男はミツバのことを妻と呼んだが、婚約しただけで、まだ籍は入れていないらしい。

 

「んで? その奥さんは?」

 

 銀時は饅頭を食べながら、その男に訊く。

 

「今はよく眠っております。ただ、明日からは用心のために入院しようということになりまして」

「へぇー、じゃあ結婚式は延期になんのか? 今日ミツバさんに誘われたんだけど」

 

 そう訊きながらも興味なさげな銀時に、その男は苦笑した。

 

「残念ながら、そうなってしまいますね。きっと一番残念なのはミツバなのでしょうが」

「そうでもねェーかもなー、弟君!」

 

 銀時は縁側の方を向く。ゆっくりと、出てくるのは誰でもない、ミツバの弟だ。

 

「別に、俺ァ、姉上が幸せなら、なんでもいいんだけどな。テメェさえいなければ」

 

 沖田の細めた視線の先は、わたしの頭に手を置いていた土方の顔。

 

「どうしてテメェがここにいるんだ? 何しに来た?」

「……別に、たまたまさ」

 

 その時の土方の表情は、見上げてもわたしからは見えなかったが。

 

 土方はわたしのそばから離れて、縁側へ向かう。

 

「邪魔したな」

 

 そう小さく言い残して、土方は部屋から出ていく。

 

 その少し寂し気な背中を一瞥して、沖田が次に睨んできたのは、わたしだった。

 

「で、この痴女猫はこんな遅くまで、あんなヤローと何してたんだ? 言えねーことか? あ?」

 

 ――おーおー、やっぱりこう来ましたか。

 

 予想通り機嫌の悪い沖田に、わたしは苦笑を返した。

 

「具合の悪くなった山崎の代わりに、お仕事手伝っていただけだよ。ちゃんと言って行ったでしょ?」

「誰が許可した、誰が」

「別に、止められもしなかったと思うけど? 大好きなお姉ちゃんの前で、そんなドスの効いた声、出せないもんねぇ?」

「テメェ……」

 

 沖田がごもったところで、わたしはニヤリと笑った。そして、ふすまの位置で正座している男へと向き直る。

 

「騒がしくて、申し訳ございません」

 

 手を揃えて頭を下げると、男は首を振った。

 

「いやいや、総悟君と仲が良いようで、羨ましいくらいですよ。私も、これから仲良くできたらいいのですが」

「だって、総悟くん?」

「……お(いとま)すんぞ」

 

 拗ねたような顔をして去ろうとする沖田を、男は引き留めた。

 

「帰ってしまうのかい? 今晩くらい泊まっていっても――」

「明日早くから、仕事があるので」

 

 言葉を遮って会釈をし、沖田は部屋を後にする。

 

「やれやれ」

 

 苦笑しながら、わたしも立ち上がった。後を追わないと、ますます機嫌が悪くなるだろう。そこまで虐めるつもりはない。

 

「桜さんも帰ってしまうのですか? 夜道は危ないでしょう。ぜひに泊まっていって下さい」

「屋敷を出たところで、総悟くん、待っていてくれてると思うので。そうでなくても、ここに兄がいますし」

 

 その兄は、いつの間にか横になって鼻をほじっていた。

 

「へ、もう帰んの?」

「帰るの!」

「へいへい」

 

 まるで覇気のない返事をして、よっこらせと掛け声と共に立ち上がる銀時を軽く蹴る。

 

「ご兄妹……なのですか?」

 

 男にそう問われて、わたしはニコリと微笑んだ。

 

「では、また機会があればお会いしましょう。蔵馬当馬(・・・・)さん」

 

 差し障りのないように、わたしは銀時の袖を引いて、その場を立ち去った。

 

 縁側を歩いていると、ミツバの寝ている姿がふすまの隙間から見えた。

 

 一瞬、その場で立ち止まると、銀時が小さな声で訊いてくる。

 

「お前、あの男と知り合いだったの?」

「……いいや」

 

 貿易商人、蔵馬当馬。

 

 わたしは、あの男に一度も名乗っていない。



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結婚を人生の墓場だと決めた人は誰か⑤

 

 

「総悟くん、もう仕事に行ったの?」

 

 朝、六時。曇り空でお日様は挨拶したように見えない空だが、わたしは元気に起きていた。きちんと桃色の髪もとかして、身だしなみもばっちりだ。

 

 訓練をする時間なのだ。

 

 本当ならば、沖田と訓練するのが日課のはずなのだが、かれこれ一週間、その日課が寂しいものとなっていた。

 

「ねぇ、土方さん。総悟くんに何の仕事させてるの? てか、顔すらろくに合わせてないのだけど」

「極秘情報だ。言えねーって、何度聞けばわかるんだ?」

 

 土方は庭の大岩に腰かけながら、タバコをぷかぷか吸っている。どうやら、朝の一服というものらしい。

 

 そんな土方に、わたしは頬を膨らませながら抗議した。

 

「なによ今更極秘情報なんて! わたしと土方さんの仲じゃないっ!」

「俺とお前がいつどんな仲になったよ……また親友とか言うつもりか?」

「港で密輸のことはあっさり――」

「オイ!」

 

 慌てた土方が、手でわたしの口を塞いでくる。

 

「蔵馬の件は他言すんな言っただろうが! 他の奴らにバレたら、総悟の立場がなくなんだろ?」

 

 小声でそう言ってくる土方に、わたしは唇を尖らせた。

 

 沖田の姉であるミツバの婚約者、蔵馬当馬が攘夷浪士に武器の密輸している。

 

 いわば、蔵馬は真選組の敵ということだ。

 

 その敵と縁者になる沖田の立場を危うんで、土方はこの件を極秘裏に始末したいらしい。

 

 だから、わたしも口止めをされているのだが、

 

「じゃあさ、わたしにも秘密にしておけば良かったじゃない?」

 

 そう尋ねると、土方はタバコに口を付けて答える。

 

「てめぇを野放しにしておくと、それこそ話大きく広げてくれそうじゃねぇーか」

 

 わたしは弱弱しく首を傾げた。

 

 実際、ミツバの婚約者が敵だとわかって。

 

 本当ならば、その婚約を破棄させたいと考えてしまうのだ。

 

 悪いやつと結婚だなんて、不幸になるに決まっている。

 

 敵と結婚するなんて、沖田が悲しむに決まっている。

 

 理由をあげるならば、色々出てくるが、でも、それを土方は否定するのだ。

 

「……俺だって、あいつにゃ幸せになって欲しかったんだよ」

 

 独り言のように呟く彼は、わたしのことを見ていなかった。

 

 想う女性は、一人なのだ。

 

 病弱で、故郷に一人置いてきた相手が、結婚するという。

 

 自分が幸せにしてあげることができなくても、幸せになってほしいと願うことを止めることはできないのだろう。

 

 それが、ひと時のまやかしだとしても。

 

 わたしは、そんな彼の独り言を聞かないことにして、わざとらしく首を傾げて見せた。

 

「そんなこと……しないと、思うけど?」

「嘘っぽくに言ってくれるなぁ、おい」

 

 苦笑して、土方はタバコの吸い殻をケースにしまう。

 

「で? てめぇは俺に何の用なんだ? 総悟の代わりに訓練付き合えってのか?」

「いや、そんなことしたら、総悟くんの機嫌がまた悪くなっちゃいそうだから違うのだけど」

「……お前、なんだかんだ総悟のこと好きだよな?」

「土方さんほどじゃないよ」

 

 ミツバのことを願って。

 

 沖田のことを想って。

 

 ――忙しい男だねぇ。

 

 そんな男に、わたしができることは対して多くはないけれど。

 

 わたしは、素直じゃない男に歌ではなく、曇天に負けない満面の笑みを送る。

 

「一緒にお散歩に行こう!」

 



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結婚を人生の墓場だと決めた人は誰か⑥

 

 

 

「ミツバさーん、また来たよー」

 

 面会時間にはまだ早い。けれどわたしはガラガラと気にせず、病室のドアを開けた。

 

「ふふ、今日も早いわね」

 

 ミツバが個室で入院していること、そしてこの時間には起きていることは、この一週間毎日通って、充分に把握している。

 

 しかし、今日はいつもと違う点があった。ベッドの中で上体を起こしているミツバが、不思議そうな顔をして、尋ねてくる。

 

「桜さん……この人は?」

「ん? アフロ君」

 

 わたしの隣には、アフロの男がぼさっと立っていた。肩のないGジャンを着、黒いサングラスをかけて、アフロの下には赤いバンダナを巻いている。

 

 そんな不審者が、手には薄紅色の胡蝶蘭(こちょうらん)の花束を持っていた。花びらが蝶の羽のような形をしている花がたくさんついている花束は、とても豪勢である。

 

「……ん」

 

 彼は不愛想に、ミツバにその花束を差し出した。ミツバはそんな彼の顔をじーと見つめている。

 

 サングラスの向こうが、見えたのだろうか。

 

 ミツバはニコリと微笑むと、

 

「ありがとう。すごく嬉しいわ」

 

 シンプルに、最大級の礼を言う。その目は、涙ぐんでいるようだ。

 

「結婚……おめでとう……」

 

 ごもりながらも、彼はそう返し、

 

「じゃあ、用は済んだから」

 

 足早に、病室から去っていく。

 

 その背中をくすくすと笑いながら見送って、わたしはミツバに補足した。

 

「いやね、本当なら、今日結婚式だったじゃない? とりあえず気分だけでも、と思いまして。最近は白いドレスを着て、そんな花束を持つ結婚式も流行っているみたいだよ」

「そう……素敵ね。桜さんは、そんな結婚式がいいの?」

 

 問われて、わたしは苦笑した。

 

「自分の結婚式なんて、考えたこともないや」

「あら、総ちゃんはもう考えてるみたいよ。昨日、打掛(うちかけ)はどうやって選べばいいかなんて、訊いてきたし」

「マジで?」

「まじで」

「参ったな……」

 

 首を押さえるわたしを見て、ミツバはくすくすと笑った。

 

「ごめんなさいね。総ちゃんが無理言っているみたいで。本当は付き合っていないんでしょう?」

 

 そう訊いてくる彼女の心境は、どうなんだろうか。

 

 沖田がわたしに迷惑をかけていることを謝っているのだろうか。

 

 それとも、ミツバに気をつかって嘘をついていると、思っているのだろうか。

 

「……わたし、けっこう総悟くんのこと、気に入ってますよ」

「あら、ちゃんとあの子も脈ありなのね」

「そう言われると、恥ずかしいんですけど……」

 

 ミツバの表情はとても穏やかで。

 

 窓の外は、紅葉が艶やかに飾っていた。

 

「桜さんの持っている刀、もしかして、わたしが総ちゃんにあげたものかしら?」

「あー、そういえば、そうみたいですね。総悟くんがくれたんですけど……やっぱり、ミツバさんからしたら、あまり気分がいいものじゃ、ないですかね?」

 

 わたしは、腰の刀に手を添える。

 

 伊東鴨太郎との内乱の際に、沖田がくれた刀だ。

 

 近藤から、沖田が姉からもらったずっと大事にしていた刀と聞いてはいたものの、沖田本人から、特にその話は聞いていない。

 

「いいえ。その刀で、あなたが私の大切なモノを守ってくれたらいいな、と思って。私には、出来ないことだから……」

 

 



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結婚を人生の墓場だと決めた人は誰か⑦

 その願いは、姉弟同じものなのだろうか。

 

 ふと、そんなことを考えながら、わたしは踵を返した。

 

「大丈夫ですよ、わたしこう見えても、強いんですから」

 

 もしかしたら、この言葉はミツバにとっては嫌味なのかもしれない。

 

 だけど、たとえ姉弟の想いが違ったとしても。

 

 わたしが強ければ、両方守れるだろうから。

 

 愛おしげに桃色の胡蝶蘭の花束を見つめる彼女の向こうで、紅葉が一枚落ちた気がした。

 

 

 

 

 その日の夕方。

 

 わたしがふと、道場で汗を流そうと思ったのは、ただの気まぐれだった。

 

 道場の扉の向こうで、久々に見る沖田の姿は、とても疲れていた。

 

「土方さん、お願いします。少しだけでいいんです。蔵馬を見逃してください。姉上に、人並みの幸せを味合わせてやりてェんです」

 

 そう言って、頭を下げる沖田に、土方は背を向けた。

 

 それでも、沖田は言う。

 

「自分のことを置いといて、俺の世話ばっかして、婚期も遅れちまった。それだけじゃない、姉上は土方さんを――」

 

「……取引は明日の晩だ。刀手入れしとけ」

 

 沖田の声を遮り、冷たい声音でそう言う土方と、目が合う。もちろん、土方はカツラを外し、私服の道場着を着ているのだが、なぜか罰の悪そうな顔をしていた。

 

 その奥にいる沖田の歯ぎしりが聴こえる。

 

「気に食わねェ……」

 

 沖田が、竹刀を上段に構える。

 

「土方ァァァアアア!」

 

 一足で詰め寄ってきた沖田の竹刀を、土方は自分の竹刀で軽く受け止めた。沖田は構わず乱撃を繰り返すものの、太刀筋がすべて甘い。たとえこちらに武器がなくとも、かわすのは容易であろう。

 

 ただ、道場内に彼の足踏みが無駄に響く。

 

「テメェだけは! テメェだけはァ!」

 

 わたしは知っていた。ミツバの余命は、あと僅かなのだという。

 

 きっと、そのことを想っての、沖田の願いなのだろう。

 

 最期に、素敵な結婚を。最期に、人並みの女の幸せを。

 

 必死の沖田に、わたしのことは見えていない。

 

 沖田の剣の腕は、真選組随一だという。

 

 ならば、土方より沖田の方が強いということ。

 

 だけど、土方だって、一流の剣士には違いないのだ。

 

 迷う剣を、打ちのめすのは容易い。

 

 土方が竹刀を突く。体制を崩した沖田に、一撃、また一撃と確実に当てていき。

 

 沖田が膝を崩すのは、早かった。

 

「知らねぇーよ……知ったこっちゃねぇーんだよ。お前のことなんざ」

 

 倒れる沖田を背に、そう言い残して、土方は去っていく。

 

「気に……食わねェ……」

 

 そう呟いて、目を閉じていく沖田を、わたしは見下ろした。

 

「あーあー血だらけになっちゃって。土方さんもムキになっちゃって、大人げないわねぇー!」

 

 敢えて聴こえたらいいなと思って、わたしは声高々言い放つ。

 

 打ちどころが悪かったのか、それとも良かったのか。沖田は頭上でこんな大声叫ばれても、目を閉じたまま気を失っていた。

 

 ――ま、ここまでやんないと、総悟くん止まりそうにないもんね。

 

「てか、総悟くんをわたしが運べってか? 責任持って、自分で部屋まで運んでって欲しいんだけど。華奢なわたしが腰痛に悩んだら、どうしてくれるんだか」

 

 独り言を呟きながら、しゃがみ込む。

 

 こめかみが切れてしまっているらしい。目に血が入らないように、軽く拭う。

 

「可愛いねぇ」

 

 もしも起きていたのなら、絶対に嫌がるようなことを呟いて、わたしは笑った。

 

「人並みの幸せが、その人の幸せとは限らないんじゃないかな?」

 

 だからこそ、一生懸命な彼のことを、こう想うのだ。

 

「ほんと、可愛いねぇ」

 

 

 

 



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バズーカを人に撃たずにどこに撃つ①

 

 

 

 

 夜。秋も終わりが近づく頃になれば、陽が落ちるとけっこう寒い。

 

 だけど、今日のわたしに抜かりはなかった。埠頭の倉庫内。物陰に潜む土方に出会い頭、声をひそめながら、それをアピールする。

 

「ほら、土方さん! 見てよこの完全防備っ! 暖かいよ!」

「もー突っ込みどころがありすぎるが、今日の俺は優しいぞ! どこだ、どこから突っ込んで欲しい? 存在か? お前というバカがどうしてこの世に誕生してしまったのかから突っ込めばいいのか?」

 

 本当に、完全装備なのだ。

 

 いつもの着物の上に、コートのように真選組の黒いジャケットを羽織った。中には拳銃や爆薬、手錠、まきびしなど、もしかしたら使えるかもと思った武器を、出来るだけ詰め込んできた。

 

 足元も黒い特注ブーツを履いていた。つま先と踵には鉛を入れてあるのだ。すねにも鉄板を入れてもらっている。

 

 腰にはもちろん、いつもの刀を差して。背中には、マシンガンを背負った。

 

 そして、頭には防寒兼、正体を隠すための、アフロである。

 

「えー、どこに不満があるのよ? 一日でこれだけ準備するの、けっこう頑張ったんだからね」

「そんな無駄な頑張りしなくていいんだよ! てか、その装備品どーやって手に入れたんだ?」

「屯所の倉庫管理している人に、『副長から頼まれたから貸して!』て言ったら、あっさり貸してくれたよ?」

「あいつら……帰ったら、腹切りだな。また局中法度を増やさねばならんのか……」

 

 そう頭を抱える土方に、わたしは満面の笑みを返した。

 

「うん! だから、ちゃんと一緒に生きて帰ろうね!」

「……ったく、てめぇはよ」

 

 土方は今、絶賛潜入中だった。埠頭の倉庫の陰に身をひそめながら、機会を待っている。今しがた、大きな貿易船が港に到着した。大きな木箱を一つ一つ、船から下している最中である。時期に、蔵馬当馬が荷物の確認に現れるだろう。荷物が開いた時に、現行犯で一斉逮捕する算段である。

 

 土方が荷卸しをチラチラと確認しながら、小声で言ってくる。

 

「どーしてここに来た? 期待してるんなら悪いが、守ってやる余裕なんてねぇーぞ? 遊びじゃねぇーんだ。帰んなら今のうちだぞ?」

「大丈夫よ、そんな期待してないからさ」

 

 土方の隣に、ひょこっとしゃがむ。

 

「わたし、この装備の準備して、夕方から土方さんたちを尾行してたんだよね。でも、全然気づかなかったでしょ? 土方さんが山崎に、このことは極秘だって言いながら、一人でここ向かっているのだって、ちゃんと見てたんだよ?」

「適当なこと言ってんじゃねぇーよ。お前なんかに尾行されて、俺が気づかないわけねぇーだろ」

「今日はお昼ご飯に商店街の定食屋さんで、マヨネーズ丼らしきものに七味を多めにかけて食べてたよね。んで、食後から今までに吸ったタバコの本数は、十二本。生活習慣病で死ぬのか、肺炎で死ぬのか、今からそんなに楽しみにしてんの? 趣味悪すぎるでしょ」

 

 土方は目を丸くしてから、

 

「……俺が死ぬのは、誰かの刀で貫かれた時さ」

 

 タバコの煙を吐くように、ゆっくりと言って。

 

「くだんねぇーこと話してたら、逃がす暇もなくなっちまったじゃねぇーか」

 

 土方が苦笑した。

 

 積み重ねられた木箱のそばに二人、いい身なりをした男たちが現れる。

 

 顔の濃い二人組だった。一人は、ミツバの婚約者、蔵馬当馬。もう一人もぎょろっとした目をした、蔵馬よりも細身で長身の、ちょんまげの男だ。

 

 その二人が、開けられた木箱から取り出したのは、黒光りする細長い銃だった。マシンガンよりも鋭い形をした銃は、確かライフルと呼んだか。

 

 明らかなのは、その武器が一介の商人が持つには、明らかに危険な代物だということだ。



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バズーカを人に撃たずにどこに撃つ②

 土方が刀を抜きながら言う。

 

「いいか? 俺が言質を取った後、バズーカぶっ放すから。その騒ぎに乗じて逃げろ。敵に見つかったら、容赦なく、斬れ。わかったな?」

「わからん!」

 

 わたしは即答し、土方の傍から離れる。コンテナとコンテナの間を飛び、その上へと上がった。

 

 そして、刀を抜き放つ。

 

「現場は捕らえたわよっ! 悪党共っ!」

 

 古ぼけた電球の灯りを、短い刀の切っ先は力強く反射する。

 

「将ちゃんの平和を脅かそうとする武器を密輸するなんて言語道断! この天才美少女(さむらい)、アフロレディによって、神妙にお縄につきなさい!」

 

 わたしの声明によって、わらわらと人が集まり出す。面構えが雑魚だと物語っていた。

 

「なんだい、テメェーは! どこから入りやがった?」

「影のある所に光あり! 悪のある所に正義ありっ!」

「テメェ、真選組の者だな! 噂には聞いているぞ、最近真選組は凄腕の女剣客を引き入れたと――」

「ごちゃごちゃうるさい、チンピラその(いち)! 雑魚は大人しく初手であべし叫んで倒れていればいいのよ!」

 

 それに、チンピラ壱は悔し気に顔をしかめる。

 

「なんだその言い草は! おれらだってただ妻子養うために懸命に仕事してるだけだってのに!」

「悪人に人権はないっ!」

 

 わたしは、トッシーとよく観ていたアニメの主人公の名セリフを叫んだ時である。

 

「……変な奴を連れてきちまって、悪かったな」

 

 土方が、蔵馬に刀を突き付け、なぜかそう謝っていた。

 

 蔵馬が苦笑する。

 

「なかなかいい囮役だったんじゃないですかね。おかげで、あなたのことは全然気づけませんでしたよ」

「どうせ囮やんなら、もっと色気ある方法でもして欲しかったんだがな。阿呆(あほう)すぎて、俺も思わず帰ろうかと思っちまったぜ」

「帰った方が良かったんじゃないですか? たった二人で、これだけの人数を相手しようとするほうが、阿呆というものだと思いますが」

 

 蔵馬がそう言うと、陰から武器を持った浪士たちが、どんどんと出てくる。高台から見下ろしただけで、ざっと三十人は超えているだろう。この狭い倉庫の一角でそれだけなのだ。倉庫の他の区画や、周りを見張っている数も入れれば、百を超えている可能性だってある。

 

「へぇー、三流の悪党だと思っていたら、けっこう仲間いるのね」

 

 わたしの感想に、蔵馬は顔を上げた。

 

「あなたという存在のおかげで、強力な助っ人を得ることが出来まして。感謝してますよ、桜さん――いや、アフロレディ……でしたっけ?」

 

 小ばかにするような笑みを無視して、わたしは目を細めた。

 

 蔵馬の隣にいる男、どこかで見たことがあるような気がするのだ。

 

 まともに話した覚えはないのだけど。その飄々(ひょうひょう)とした顔つきは、確か誰かの隣にいた。

 

 わたしが答えを出す前に、蔵馬が語る。

 

「まったく、ミツバは便利な存在でしたよ。沖田総悟という餌だけでなく、沖田と懇意にしているあなたまで餌に出来たのですから。おかげで、鬼兵隊と手を結ぶことも出来ました」

「鬼兵隊っ!」

 

 驚くわたしに、蔵馬の隣の男が、わたしに会釈をした。

 

「ご無沙汰しております、桜様。高杉の命令によって、迎えにきてあげました武市変平太(たけちへんぺいた)です」

 

 うっすらとした記憶の中。

 

 高杉に捕らえられていた時に、高杉の後ろにいたことがあったかもしれない。

 

 そして、

 

「あんたの名前は初耳だけど……高杉いない時、一人でわたしを見にきて、なんかハァハァ言ってなかった?」

「気のせいですよ。私はこれでもフェミニストなもので。もう少し若い頃の方が美味しかったろうにと思っていただけです」



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バズーカを人に撃たずにどこに撃つ③

 ――男女平等説(フェミニスト)で、そんな趣向を肯定する理論はどこにもなかったと思うけど。

 

 思案した後、わたしは両手を打った。

 

「あ、幼女好き(ロリコン)!」

「ロリコンではありません。フェミニストです!」

 

 強く否定してくる武市という男に嫌悪感を抱きつつも、わたしは背中に手を回した。

 

 陰に隠れて、ライフルを構える男たちがいた。わたしに狙いを定めるか、土方を狙うか迷っている様子である。

 

「どちらでもいいけど、ご足労が無駄に終わって、残念だったわね」

 

 マシンガンを前に持ってきて、左手でトリガーを押さえた。

 

 ライフルは、土方に定められたようだ。蔵馬を助ける方が先と、判断したらしい。

 

 ――蔵馬に当たったら、どうするつもりなんだか。

 

 それならそれで、こちらとしては好都合であるが、狙い通りに当たる可能性だって、無きにしも非ず。

 

「大人しく、戻るつもりはないと?」

「そんな場所、わたしが帰る場所じゃないし。だいたい、わたし高杉のこと昔から嫌いなのだけど」

「嫌よ嫌よも好きのうちではないのですか?」

 

 飄々と、変態の口から出る言葉に反吐が出る思いだが、わたしはぐっと堪えて、代わりに、

 

「馬鹿ね。嫌って言ってるんだから、嫌に決まってるじゃない」

 

 トリガーを引いた。

 

 ダダダダと撃ち出される弾丸を、目にも止まらぬ速さで降らせる。雑魚は数人、うずくまった。もちろん、ライフルを構えた男にも、ちょうど腕に当たったようで、ライフルを落として腕を押さえている。武市はひょいひょいと避けていた。

 

 土方はその拍子に蔵馬に体当たりをされ、逃げられていた。

 

 銃弾はあっという間に終わってしまい、わたしはマシンガンを捨てた。そして、コンテナの上から飛び降りる。

 

「あーあ、逃がしてやんの」

「誰のせいだ、誰の!」

 

 土方と背を合わせて、刀を構える。

 

「けど、マシンガンぶっ放すの、ちょっと楽しかったよ?」

「あー、そりゃあ良かったな。これからもっと面白いぜ?」

 

 蔵馬と武市の姿がくらむのは早く、代わりに刀を持つ浪士がわらわらと前に出てくる。

 

「殺す気でかかれよ」

 

 土方は、とにかくわたしの身を案じているようで。

 

 わたしは彼の背中に一瞬だけもたれこみ、

 

「誰に言ってんだか」

 

 反動をつけて、前に跳んだ。浪士との距離を一気に縮め、すぐさま刀を振りぬく。サクッと身にのめりこみ、ぬるっとした感触を手に感じながら、抜く。

 

 視界に入る赤い鮮血を避けて、わたしはすぐに狼狽する他の浪士を斬る。

 

「へっ、案外、親友ってのも頼りになんな」

 

 土方のそんな声に、返事をする代わりに、わたしはまた一人、斬った。

 

 斬られた男が後ろめりに倒れ、開けた先に見えるのは銃口。

 

 わたしが反射的に身をひねると、耳元をビュンと高速で何かが通り過ぎる。視線で追えば、わたしの代わりに、見知らぬ浪士が肩を撃たれていた。

 

 ――拳銃、ね……。

 

 自分も持っていることを思い出し、上着のポケットから取り出してみる。

 

 左手で構えて、躊躇わず引き金を引いた。

 

 さっき撃ってきた男の眉間に当たり、その男は目を丸くしたまま、力なく倒れた。

 

「簡単に当たるじゃない」

 

 そう呟いた時、

 

「桜ぁぁあああ!」

 

 大声で呼ばれ、誰かに手を引かれる。

 

 轟音が、鼓膜を揺るがした。

 

 その瞬間、わたしの背中を爆風が強く押した。

 

 

 

 



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バズーカを人に撃たずにどこに撃つ④

 わたしの手を引いているのは、土方だ。

 

「振り向くな、走れーっ!」

 

 言われなくても、走っている。

 

 背中に感じるのは熱気は、足を止めればあっという間にわたしを溶かしてしまうだろう。

 

 倉庫から飛び出た瞬間、もう一回弾ける音がする。

 

 そして、ようやく振り返ると、想像通りに倉庫が炎上していた。

 

 汗だくで、膝に手を置く土方が、荒い息を整えている。

 

「一応訊くけど、これやったの、土方さん?」

「あー……だったら、こんな慌ててねぇーよ……」

 

 想像通りの返答に、わたしは嘆息した。

 

 この爆発は、わたしたちを仕留めるために敵が行った行為なのだ。

 

 わたしたち以外に、逃げれた敵は何人だろうか。

 

 何人が、同士討ちのような形で、殺されたのだろうか。

 

 ――全く、胸糞悪いとは、まさにこのことよね。

 

 そんなわたしを、土方は睨み上げていた。

 

「てめぇ、元気だな……」

「ん? おかげさまで、怪我一つしてないけど」

 

 首を傾げるわたしに、土方は嘆息した。

 

「ちげぇーよ。息一つ乱れてねぇーじゃねぇーか。カツラすら取れてねぇし」

「まぁ……鍛えてますからねぇ。誰かさんと違って、タバコ吸わないし」

「ちっ、俺も禁煙すっかな」

 

 舌打ちする土方に、わたしはアフロのカツラを整えながら、口角を上げた。

 

「出来ないことは言わない方がいいわよ……ねぇ、そう思わない?」

 

 何を気取っているのか知らないが、コンテナの上に立つ二人に、わたしは同意を求めた。

 

「見下ろされる気分はいかがですか、アフロレディ?」

 

 目が無駄にキラキラしているお腹回りが厚い蔵馬と、目が無駄に黒く、ひょろっと長い武市の周りには、様々な武器を持つ浪士がまたずらずら勢ぞろいしている。

 

 波が強く防波堤を打つ。絶え間ないその音は、わたしの苛立ちを余計に引き立ててくれた。

 

「イケメンならいざ知らず、アンタたちみたいなオッサンに見られて嬉しい女子なんているわけないじゃない」

「なら、高杉さんなら問題ないのでは?」

 

 わたしの軽口に丁寧に答えてくる武市を、わたしは鼻で笑い飛ばした。

 

「あれがイケメン? ただのストーカーでしょ。土方さんの方が、よっぽどイケメンだわ」

「そうですかね。見た目レベルなら、どっこいどっこいだと思いますが。二人とも目つき悪いですし」

「確かにそうだけど……てか、わたしの周り、目つき悪い男が大半だけど」

 

 わたしは堂々と、自慢する。

 

「土方さんはねー、他の男と結婚してしまう好きな女に、胡蝶蘭を贈っちゃうような男なのよ!」

「オイ、なんで今そんな話してんだ――」

「ほぉ……ちなみに色は?」

 

 顔を赤らめながら唾を飛ばしてくる土方と、武市が感心の声は同時だった。

 

「よく聞いてくれたわね……ピンクよ!」

「なるほど、ピンクですか……それは見た目の割に、イケメンだと認めざる得ないですね」

「なに、関係あんのか! 花の色が今何の関係あんの!」

 

 わたしと武市を交互に見てくる土方に、武市は変わらぬ表情で答える。

 

「胡蝶蘭には『あなたに幸せが飛んで来ますように』という花言葉があります。そして、ピンクの胡蝶蘭だと、もう一つ、『あなたを愛しています』という意味が加わります」

「なっ!」

 

 土方が赤面しながら、固まる。

 

「けど、そのくらいなら高杉さんだって、するんじゃないですか? そういうロマンチックなこと、あの人好きそうですけど」

「気障な奴がそんなことしたって、いかにも狙ってやりました感あって、むしろ気持ち悪いのよ。この花言葉なんて全然知りませんっていう男がするから、カッコいいんじゃない」

「なかなか面倒な趣味してますね、あなた」

「褒めてくれて、ありがとーございます」



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バズーカを人に撃たずにどこに撃つ⑤

 おどけるようにお辞儀をすると、土方が頭を掻きむしっていた。

 

「なんだっ! 俺は馬鹿にされてんのか?」

「いや、全力で褒められてんのよ?」

「てか、お前ら花言葉なんて知ってんのか? なんでてめぇみてぇーなオッサンが知ってんだよ!」

 

 指差す土方に、武市は嘆息する。

 

「オッサンと呼ばれるほど年老いたつもりはありませんが……花言葉なんて女落とそうとしたことがあれば、たしなむのは紳士として当然でしょう? あれですか、あなたはいい歳になるまでまともに女の一人口説こうと思ったことすらなかったんですか? やれやれ、そんな童貞のくせに婚前の淑女を落とそうなんて失礼甚だしいにもほどが――」

「るせーよ、ちょんまげ……待ってろ、今すぐその首ごとそのちょんまげ斬り取ってやらぁ……」

 

 血走った眼をして、構える刀は狂気で震えている。

 

 ――そっか、土方さんドーテーなんだ!

 

 と、わたしが両手を打とうとすると、大きな咳払いが、それを中断させた。

 

「鬼の副長は、わざわざそんな不毛な会話をしにここまでやって来たのかね」

 

 武市の隣に立つ、蔵馬である。呆れを通り越して、怒っているのか。

 

 思わず、わたしは鼻で笑う。

 

「なに? ないがしろにされて、拗ねちゃったの? 所詮、三流ね」

 

 すると、蔵馬の何かがぷちっと切れたようだ。

 

「てめぇーら、やっちまえっ!」

 

 向けられる銃口。飛び降りてくる剣士。

 

 彼らを見て、わたしは高鳴る鼓動を押さえることは出来なかった。

 

「掛け声まで、三流ね!」

 

 刀を片手に、駆ける。振り下ろされる刀を、薙ぎ払い、飛んでくる銃弾を返し刃で斬る。倒れかけている浪士を足場に、跳躍した。

 

「桜っ! 無理すんな!」

 

 一人突っ走るわたしに、土方が静止の声を掛ける。

 

 そんな土方も、降り注ぐ銃弾を避けながら、何人もの浪士と対峙していた。

 

 ――人の心配なんか、する暇ないくせに。

 

 小さく微笑みながら、コンテナよりも高く飛び上がり、わたしは高らかに教えてやるのだ。

 

「うちの副長は、カッコいいんだから!」

 

 だって、わたしは知っているんだから。

 

 この男は、仕事の為だけに、一人で乗り込んできたわけではないのだ。

 

 この男は、好きな女の為だけに、一人で乗り込んできたわけではないのだ。

 

 わたしはここに乗り込む前に、土方と山崎が話していた。

 

 その時、土方が言っていたのだ。

 

『親族に敵との内通者がいると知れれば、立場がなくなんだろうが』

 

 誰の立場がなくなってしまうのか――それは、考えるまでもないことで。

 

 たとえ、その本人が望んでいないのだとしても。

 

 それでも、この男は仲間を守ることを第一に考えて、敵しかいない所に一人、迷うことなく足を踏み入れたのだ。

 

「三流は三流らしく、無様に散りなさいっ!」

 

 わたしは蔵馬の首を狙って、こいつの婚約者がかつて弟に送った刀を、振り下ろす。

 

 星も見えない空の下で、雨がポツリと濡らした刃は、武市の刀に遮られる。

 

「高杉さんの話通り、大した剣の腕ではないようですね」

 

 余裕綽々と言ってくるが、合わせる刃から伝わる力に、わたしは苦笑した。

 

「さすがに、あなたに言われる筋合いはないわ」

 

 刀を滑らせ、手首を返す。足を踏み出して体ごと武市を押すと、蔵馬も巻き込んで二人は態勢を崩した。そこに迷うことなく、武市の腹に刀を突き刺す。



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バズーカを人に撃たずにどこに撃つ⑥

 武市が吐血する。その苦痛な顔を見て、わたしの口角は自然と上がっていた。

 

 その時だ。下から聴こえていた数々の嗚咽の中に、聞き馴染んだ声がして。

 

 ――土方さん?

 

 振り返ると、眼下の土方が足を押さえて、片膝をついていた。足からは、撃たれたのだろう。ある一か所から血が出ているようである。その周囲が、血で赤黒く染まっていた。その隙を狙うように、浪士が土方の回りに集まろうとしている。

 

「土方さんっ!」

 

 わたしは即座に刀を引き抜き、踵を返した。コンテナの上から躊躇うことなく飛び降りて、刀を振り回す。浪士たちが一歩下がるのを確認して、わたしも屈んだ。

 

「大丈夫?」

「るせー。こんくれぇ、大したことねぇーよ」

 

 頭から血を流していた。全身傷だらけで、脂汗を掻きながら、強がる土方の腕を肩に回す。

 

「桜、どういう……」

 

 わたしの行動に目を見開く土方に、顔をしかめる。

 

「え? 土方さんを逃がそうとしているのだけど? その足じゃ、まともに走れもしないでしょ」

「馬鹿言ってんじゃねぇ! 何人敵がいると思ってんだ?」

 

 土方の言う通りだ。今も背後には刀を振り上げる浪士と、銃を構える敵がいる。わたしは懐の中から、奇妙なこけしのような人形を取り出した。頭に刺さる栓を歯で引き抜いて、放り投げる。

 

 爆音。

 

 その熱風を背に受けながら、横から迫っていた浪士を一人、一閃する。

 

 そして、低い声で言った。

 

「馬鹿言ってるのはどっちよ? 土方さん一人じゃ逃げられないでしょう?」

「ちげーよっ! てめぇが一人で逃げろっつってんだ――」

「あんた置いて逃げるわけがないでしょう!」

 

 怒鳴る土方よりも、さらに大きな声で怒鳴る。爆風が、引いていくような気がした。

 

 わたしが手に持つ刀を土方の目の前に振り下ろす。雨が、大粒で降ってきた。血塗られた刀を、洗い流していく。

 

「この刀はねぇ! 元はミツバさんが総悟くんにあげたものなの! ミツバさん、もう長くないんでしょう? そんなミツバさんは、決してあんたと一緒にあの世に行くことなんか、望んでやいないと思うけど!」

「今、あいつに何の関係があんだよ!」

「わたしはあの人が叶えられないことをしに来たの! あの人がしたくても、どんなに願っても、出来ないことを――この刀で、馬鹿なあんたを守るために、ここに来たの!」

「随分と性格が悪いですねぇ……」

 

 その声は、頭上から投げかけられた。

 

「死にかけの女が出来ぬことをやってのけて、優越感にでも浸るつもりでしたか?」

 

 大きなコンテナの上から、蔵馬が悠然とわたしたちを見下ろす。倒れる浪士たちを踏みのけて、わたしたちを取り囲むように、また何十人もの浪士たちがじわじわと距離を詰めていた。

 

 目に入る雨粒に顔をしかめながら、わたしは言い返した。

 

「あんたに言われる筋合いはないわよ。あんたを守ってくれたあのちょんまげはどうしたのよ?」

「道具は、使えなくなったら捨てる――それだけの話でしょう?」

 

 蔵馬は迷うことなくそう言いのけて、それこそ優越感に浸ったような笑みを浮かべた。

 

「それにしても、残念ですねぇ……ミツバも古い友人を亡くすことになるとは」

 

 土方を見下ろす目は、まるで人を見るような目ではなく。

 

「あなた方とは、仲良くやっていくつもりだったのですよ。真選組の後ろ盾を得られれば、自由に商いも出来るというもの。そのために縁者に近づき、縁談も設けたというのに……まさか、あのような病持ちとは」



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バズーカを人に撃たずにどこに撃つ⑦

 それに、土方は何も返すことなく、ただ、息を整えていた。

 

「姉を握れば、総悟君は(ぎょ)しやすいと踏んでおりましたが。医者の話によれば、あれももう長くないとのこと。非常に残念な話だ」

「ハナから俺ら抱き込むために、あいつ利用する気だったのかよ……」

「愛していましたよ! 商人(あきんど)は、()を生むものを愛でるものです――ただ、道具としてですが」

 

 きっぱりと。はっきりと。

 

 蔵馬はそう、彼女のことを言いきって。

 

「あのような欠陥品に、人並みの幸せを与えてやったのです。感謝して欲しいくらいですよ」

 

 その顔には、(あざけ)りも、傲慢さもなく、当然とばかりに、そう言いのけた。

 

 ――道具には、情の欠片もないということ……?

 

 ふと、そんなことを考えるが、言葉には出なかった。

 

 何かを言い返そう、言い負かそうと考えるけど、なぜか、口が開かない。

 

 土方は、そんなわたしを撥ね退けた。そして、懐からタバコを取り出して、火を付ける。雨にもタバコの火は消えることなく、彼は煙を吐き出して、小さく笑った。

 

「外道とは言わねぇよ。俺も、ひでぇことを腐るほどしてきた。挙句に、死にかけてる時にその旦那を叩き斬ろうとしてんだ……ひでぇ話だ」

「同じ穴の(むじな)ということですか。鬼の副長とはよく言ったものです。あなたとは気が合いそうだ」

「そんな大そうなもんじゃねぇーよ」

 

 土方はそう言うと、ゆっくりと刀を横に構えた。多くの人を斬り、ボロボロになった刀が、濡れて鈍い光を放つ。

 

「俺はただ……惚れた女にゃ、幸せになってほしいだけだ」

 

 その横顔は、とても鋭利だった。

 

「こんな刀振り回している俺には無理な話だが、普通に働いている奴と所帯持って、ガキ産んで、普通に生きていってほしいだけだ」

 

 前を見る視線は、空からの黒い雨に怯むことなく、ただただ、前を見据えていた。

 

「ただ……それだけだ」

 

 それに、蔵馬は見下げるように笑って、

 

「なるほど……やはり、お侍様の考えることは、私たち下郎にはわかりませぬな」

 

 手を挙げた。

 

「撃てぇ!」

 

 その瞬間、全然違う方向から爆撃が撃ち込まれる。蔵馬たちは、それに身を屈めた。

 

 煙が退けて、飛び出してくる集団に、わたしは小さく微笑んだ。

 

「遅いわよ……」

「いけぇぇぇええええ!」

 

 大将を筆頭に、黒い集団が刀を振り上げて、突撃してくる。

 

「真選組だぁぁぁああ!」

 

 どこからともなく上がる怯えた声。近藤が何人もの浪士を切り捨てている最中、わたしたちの傍に駆け寄ってくるアフロがいた。

 

「桜ちゃん! どーしてこんな所にいるの!」

 

 心配を顔に描きながら、頼りなさそうに駆け寄ってくる山崎に、わたしは愛想笑いを浮かべた。

 

「んー、アフロが愛の救世主になればいいかと思ってね」

「んなことどーでもいいから、さっさとこいつ連れてってくれ」

 

 呆れたようにそう言う土方に、山崎はびっくりして、

 

「わわっ! 土方さんひどい怪我! それに対して……桜ちゃんは元気そうだねぇ」

「うん! 土方さんが身を挺して守ってくれたよ」

「やめてくれ……余計に情けなくなる……」

 

 わたしの小さな嘘に、土方が頭を抱えた時だ。

 

「死ねぇぇぇえええ!」

 

 そんな怒声が聴こえた時、わたしは思いっきり、土方に突き飛ばされた。

 

 

 

 

 



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バズーカを人に撃たずにどこに撃つ⑧

「桜ちゃんっ!」

 

 尻餅をつくわたしに覆いかぶさるように、山崎がわたしを抱え込んでくる。

 

 キン――と鼓膜が震え、熱と、爆音と、煙に巻かれる。

 

「トシィィィィイイイイッ!」

 

 土方の名を呼ぶ近藤の声が聞こえた。目の前の山崎は何回か咳をして、わたしに弱弱しく微笑んでくる。

 

「だ、大丈夫?」

「う……うん……」

 

 一瞬、反応が遅れた。

 

 その一瞬に、おそらくバズーカだろうが、撃ち込まれ、土方と、山崎に助けられた。

 

 真選組のみんながやって来て。土方や山崎と少しだけ談笑して。

 

 その結果――

 

「――山崎、桜のことは頼む……俺は……蔵馬を追う」

 

 硝煙が開けて見えた土方の背中は、さらにボロボロだった。足からの流血は勢いを止めず、刀を支えに使うことによって、かろうじて立っている、その後ろ姿に。

 

 ――今、かけれる言葉なんか、あるわけないじゃない。

 

 勢いをつけて走り出す土方の背を見つめながら、わたしは山崎に訊いた。

 

「ねぇ、なんか遠くを撃てそうな武器、ある?」

「え……? あれ、とか……?」

 

 山崎が指差したのは、少し離れたコンテナの上からこちらを見下ろす浪士だった。鋭く、長い銃に付いている小さなレンズを覗き込んで、照準を合わせているらしい。ライフルというものだ。

 

「よし、山崎。刀借りるわよ」

 

 言うのと同時に、わたしは山崎の腰から刀を抜き去り、頭の上の高さで、コンテナにそれを突き刺した。そして、それを足場にコンテナの上に登る。

 

「さ……桜ちゃん、何してんの!」

「いいからさっさと上がって来なさい! 副長からわたしのこと頼まれたでしょう!」

 

 狼狽える山崎を叱責すると、「えー」と非難の声を上げながら、山崎も同じような感じで上に登って来ようとしていた。

 

 わたしは彼を置いて、走る。浪士は数人いるものの、ライフルを持つ一人だけの腹を斬り、ライフルを奪い取ると同時に蹴り落とす。

 

 すると、いくつもの銃口と剣先がわたしに向けられた。わたしは着ていたジャケットを脱ぎ、走ってくる山崎に投げ渡す。

 

「山崎、あとは任せた! 武器たくさんそれに入ってるから、わたしのこと守ってね」

「え、え……ちょっ! おもっ、これ重過ぎんだけど、桜ちゃんっ!」

 

 あたふたとする山崎にも、浪士が数人向かうが、わたしは気にせず、近場の一番高いコンテナに上がった。

 

 ――いた。

 

 コンテナの間の道を三個挟んだ向こう、港沿いの広めの道路を、走り去ろうとする車が一台。その車の上には、土方らしき黒い恰好をした男がしがみ付いており、その車と並走する一台のスクーターに乗った白い男と、何やら揉めている姿が見える。

 

 その白い男の姿を見て、わたしは苦笑した。

 

 ――わたしの出番、なかったかな。

 

 しかし、車の勢いは止まらない。ふと、その車の先で、真選組の制服を着た少年が、一人佇んでいる姿が目に入る。彼は刀を構えているようだ。車を一閃するつもりなのだろう。

 

 それに気づいてか、土方も車の側面に移り、車を失速させようとしていた。それでも、車の勢いは止まらず。

 

 わたしは、ライフルを片手で構え、すぐさまトリガーを引いた。それを三回。狙い通りに後輪に当たったのだろう、車は少し後ろ側に傾き、横滑りに回転しだす。

 

 そこを、少年がすれ違いざまに一閃した。

 

 今日何回の聞いた爆発音と共に、赤い焔が立ち昇る。

 

 雨を降らす曇天の夜空を、その焔は赤く鮮やかに彩っていた。

 

「まったく……姉が危篤だって時に、弟までこんなとこ来て、どうするのよ」

 

 遠くで、土方と沖田が何か見つめあっている姿を見ていると、

 

「さ、桜ちゃん……、そろそろ、そろそろ……」

 

 すぐそばで聴こえた情けない声に振り返ると、山崎が必死にマキビシを投げながら、泣いていた。その必死さとマキビシの量に、確かに敵は近寄って来ないものの、少し離れた場所で、呆れたように立ちすくんでいる。

 

「ねぇ、山崎……一応、真選組の古株なんだよねぇ? 総悟くんよりも、一応、年上なんだよね?」

「一応じゃなくて、年上だけど! 今年でもう三十二だけど!」

「うそぉ!」

 

 全ての者に平等に落ちる雨の下、わたしは今日一番大きな声を上げた。

 

 



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鎮魂歌は誰のために歌うのか①

 

 

 

 

 雨が上がった後の朝焼けは、いつも以上に神々しく見えた。

 

 それは、物理的なものなのか、それとも、気の持ちようなのか、わたしにはわからない。

 

 それでも、彼女が今、静かに息を引き取ろうとしていて。

 

 それが、こんな綺麗な朝の旅立ちならば、きっと良い旅路になるだろう。

 

「おー、お前も病室付いてなくていいの?」

 

 病院の屋上に出ると、出入り口のすぐ傍で、銀時が煎餅を食べながら、くつろいでいた。

 

「お前も?」

 

 わたしが首を傾げると、銀時は陰の向こうを指差す。そっと覗き込むと、土方らしき背中が、もしゃもしゃと一人、何かを食べているようだ。治療は受けたようで、あちこちに包帯が巻かれている。

 

 ずっと一人でぶつぶつと言っているようだが、それに聞き耳を立てるつもりもなかった。

 

「姿がないと思ってたら、こんなとこいて……最期くらい一緒にいればいいのに」

「それじゃあ、弟くんの立つ瀬がないだろう」

「ま、それもそうか」

 

 そう納得して、わたしは銀時の隣に座る。

 

「なに? ホントにこんなトコいていいの?」

「それこそ、姉上の立つ瀬がなくなるでしょう?」

「ま、それもそうだな」

 

 そう言うと、銀時はわたしに煎餅を差し出してくる。

 

 真っ赤に染まった煎餅だった。それを見て、わたしは首を横に振る。

 

「……わたし、激辛って嫌いなのよ」

「んだよ、情緒ねェーなぁ」

 

 少し腫れた唇を尖らせてくる銀時に、わたしは小さく息を吐いた。

 

「ここだけの話……気に食わないのよ、あの人」

「何を今更。毎日見舞いに来てたんだろ?」

「……そしたら、総悟くん喜ぶかと思ったからね」

 

 すると、銀時はニヤリと笑う。

 

「なに? 桜ちゃん、そんな(こび)売っちゃうくらい、あのボクに惚れちゃったの?」

 

 それに、わたしは嘆息して、髪を掻き上げようとした。が、異様に頭がモフモフしていることに気づき、カツラを取りながら答える。

 

「違うわよ。可哀想じゃない、ただ一人の家族がもうすぐ死んじゃうなんてさ。そんな彼が、わたしのこと彼女呼ばわりするんだもの。そんな女が死期の近いお姉ちゃんと仲良くしてくれたら、少しは気が晴れるのかな、思ってね」

「なに、その旦那のために姑の介護してあげてる嫁的発言」

「しょせん、男はみんなマザコンよ――今回は、シスコンだけど」

 

 重いカツラを取った後の清涼感は一段だった。頭を振ると、汗ばんだ薄紅色の髪が、額や首にくっついてくる。

 

 銀時は、煎餅をむしゃむしゃ食べながら言ってくる。

 

「結べば?」

「ゴムない」

「お兄ちゃん、輪ゴムなら持ってるよ?」

「それちょーだい」

「ダメ、さすがに女子力低すぎ」

「じゃあ、言わないでよー」

 

 そんな不毛なやり取りをして。わたしは首の下に手を通し、髪をパタパタと動かす。何だかんだ、髪は鎖骨くらいまで伸びているようだ。

 

「ねぇ、髪、長いのと短いの、どっちがいいと思う?」

「んー、どっちでもいいんじゃね?」

「その返答、一番困るんだけど」

「知らねェーよ。んなもん、好きな男に訊けよ」

 

 適当に答えているのが明白だった。

 

 だから、わたしは言ってみる。

 

「好きな男だから、訊いているのだけど」

 

 すると、銀時は咀嚼(そしゃく)を止めて、何回かまばたきをした。

 

「……どうして、今更そんなこと言うの?」

 

 ――今更って、ひどい言われようね。

 

 冷たい声音でそう問われ、わたしは苦笑した。

 

「あの人が、気に食わなかったから」

 

 

 



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鎮魂歌は誰のために歌うのか②

「それとこれと、どこが関係あんの?」

 

 そう訊いてくる銀時は、わたしの方を見ず。食べかけの赤い煎餅をじっと見つめていた。

 

 そんな彼の横顔は、昔と変わっていない。

 

「あの人、そんなに土方さんが好きだったのなら、田舎で大人しく待ってないで、後を追ってくれば良かったじゃない。そもそも、無理矢理一緒に付いてきたって、良かったのよ」

「ンなもん、実際なにがあったのか、お前知ってんのか? もしかしたら、あの野郎がコテンパンにあの女のこと、フッてたのかもしんないぜ? 他の女作ってたとかさ」

「そんな度胸ないでしょ、土方さんに。さっきドーテー言われて、赤面してたわよ」

 

 銀時は、小さく吹き出した。

 

「なに、アイツ童貞なの? それはそれで……さすがに若い頃のあの女の方が、童貞はちょっとなぁとか、思ってたかもしれねェーし」

「それもないわね。あの女は、病弱で薄幸な自分に酔うタイプよ。そーゆー顔してたもの」

 

 わたしが断言すると、銀時は一瞬、目を細めて、

 

「……で、それを反面教師にしようとか、そう思ったワケ?」

 

 そう言うと、わたしの頬を手で触れて、ぐっと顔を引き寄せられる。視界の端に、食べかけの煎餅が落ちていく様を見た。

 

「なら、こういうコト、したいワケ?」

 

 わたしの顔を両手で押さえる銀時に顔に、悪戯な色はなかった。わたしを見つめる瞳はどことなく赤く、徐々にその距離を近づけてくる。

 

 きっと、彼は、わたしが撥ね退けると思っているのだろう。

 

 そして、顔を赤くしながら、ビンタでもしてきては、セクハラだとか罵るだろうと踏んでいるのだ。

 

 ――ナメてくれちゃって!

 

 わたしは両手を伸ばした。銀時のくしゃくしゃな頭を抱えて、自分から彼の唇を噛んでやる。

 

 自然と閉じていた瞼を少し開けば、彼は少し驚いたように目を見開いていた。

 

 少しだけ彼の唇を舐めて、顔を離す。

 

 数拍置いてから、銀時は呆然と言ってくる。

 

「……何してんの?」

「や、そっちから迫っといて、何してんのはないんじゃない?」

 

 顔をしかめながら答えると、銀時は頭をぽりぽりと掻いた。

 

「あぁ……まぁ、そうか……」

 

 困っている銀時が、妙に腹立たしくて、わたしは追い打ちをかけることにする。

 

「これでも、わたし初めてだったんだからね?」

「まぁ、そうだろうなぁ……」

「そうだろうって、わたしそんなにモテなさそうですか? これでも結構美人な分類に入ると思うのだけど?」

「そーゆー意味じゃねェーよ。これでも、昔はずっと一緒にいたお兄ちゃんだからね! 妹の友好関係くらい、把握しとくっての」

 

 ――全然、そんな気を使われてる感じはしなかったけど?

 

 そう返そうとして、やめる。

 

 そういう話をしたいわけではないのだ。

 

 だから、わたしは黙った。

 

 計算がずれた銀時は、嘆息する。

 

 そして、訊いてきた。

 

「――で、どうだったよ?」

「どうだったって?」

 

 首を傾げると、銀時は真面目な顔で訊いてくる。

 

「そのファーストキス。ドキドキしたか?」

 

 彼の口から出る、可愛い単語に、わたしは再び顔をしかめた。

 

 ドキドキしたのか。

 

 覚悟は決めた。なにせ初めてだったし。緊張はした。

 

 だけど、それをドキドキしたかと訊かれると……。

 

 ふと考え込むわたしに、銀時はふっと鼻で笑った。



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鎮魂歌は誰のために歌うのか③

「どうせ、刀持った時と同じだったとか言うんだろ? だったら、ノーカンだ。犬に噛まれたと思って、忘れるこったな」

「ハァ? 何その言い草は!」

 

 わたしは憤って、銀時の襟元を掴んだ。

 

「確かに、今のはなんかこー斬るぞって意気込みだったけど、でも、本当にずっと銀時のことが――」

 

 わたしが最後まで言う前に、銀時はポンポンとわたしの頭を撫でる。

 

「そんな昔にこだわんなって。それこそ、お前が嫌いだっつーあの女と、同じじゃねェーか」

「え……?」

 

 疑問符を浮かべるわたしに対する、銀時の表情は優しかった。

 

「昔にこだわって、ズルズルと婚期逃すまで独り身でいた挙句、ついに重い腰を上げたと思ったら、ろくでもねェー男に引っかかっちまったんだろ? 幸いにも、お前は昔とか状況や環境が変わったんだ。新しい人生歩むっつーんなら、同時に新しい恋ってのを始めるのが粋ってもんじゃねェーのか?」

「新しい人生って……」

「ちょうどおあつらえ向きに、いいのがいるじゃねェーか。ちょっとドSすぎるかなって気もするが、見た目もいいし、何より手堅い収入がある公務員様だ。お兄ちゃんは反対しないよ?」

 

 それは、兄が妹を励ますような、そんな家族愛に満ちていて。

 

 けれど、その目が意地悪に細まる。

 

「それとも、あれか? そんな男が今、恐らく人生で一番ツライだろーって時に、お前はキスしてドキドキもしないような男と、それ以上なことしたいってのか? それなら、いいぜ。そーゆートコ、連れてってやるよ」

 

 わたしの髪をゆっくりと撫で、少しだけ耳に触れてくる。その妙なくすぐったさに肩をすくめると、銀時はまっすぐにわたしを見つめて、

 

「どうする?」

 

 そう、訊いてくる。

 

 ふと、脳裏に浮かぶのは、姉を亡くして悲しんでいるだろう彼の姿だった。

 

 わたしを姉に彼女だと紹介した時の、彼の心境はどうだったのだろうか。

 

 あれから、まともに顔を合わせてはいないけれど。

 

 姉のお見舞いに行った時、少なからずもわたしの話題も出ただろう。毎日わたしもお見舞いに行っていたと聞いて、彼はどう思ったのだろうか。

 

 少しは、喜んでくれたのだろうか。

 

 そして、今、泣いているのだろうか。

 

 何も答えないでいると、銀時は再びわたしの頭を撫でて、立ち上がる。

 

「もう完全に陽も昇っちまったな。この歳になって徹夜なんてすんじゃなかったぜ」

 

 そう言って、大きく伸びをしながら、あくびをした。

 

「じゃ、俺は帰って寝るから。じゃー、またなー」

 

 けだるげに手を振って、彼は階段を降りて行った。

 

 ――また、ね……。

 

 その背中を見送って、わたしは大きく息を吐く。

 

「なにやってんだか……」

 

 そう呟いて、わたしは立ち上がった。すぐ前のフェンスから身を乗り出せば、眼下には色を染めた紅葉が、風に誘われるままハラハラとその身を散らしている。その光景は、とても艶やかで、美しかった。

 

 きっと、彼がわたしに望む生き様は、こういう感じなのだろう。

 

 その状況と感情に身を任して、色恋艶めく女として、生きてほしいのではないか。

 

 きっと、土方や沖田が彼女に望んだのも、同じなのだろう。

 

 無駄に枯れ葉になるまで、枝に留まる必要もない。

 

「けど、こっちにだって意地とか色々なもんがあるんだってーの」

「なら身投げなんて止めれ」

 

 声を共に、わたしは襟元を掴まれ、ひょいとコンクリートの地面に離された。見事に尻餅を付いて、ジンジンと痛む尻に顔をしかめる。

 

「誰もんなことしないってば、ドーテーさん」

「あん? もう一度そう呼んでみろ? 今度はフェンスの向こうに放り投げっぞ」

 

 そう凄みを効かせてくる土方の目は真っ赤に腫れていて。わたしは笑みを返した。

 

「出来るもんならやってみなさい。あの世から土方さんはドーテーとからかわれて泣いてたんだぞって、バラシてやるから」

 

 すると、

 

「それこそ、出来るもんならやってみろよ」

 

 土方も鼻で笑って、この場から立ち去ろうとする。

 

 松葉杖を付くその背中に、

 

「だいじょーぶー?」

 

 わたしは呑気に、そう尋ねる。

 

 それに、土方は振り向かずに、

 

「このくれぇーの傷、どってことねぇーよ」

 

 松葉杖を持ち上げて、大丈夫だとアピールして。

 

 健気な背中を見送って、わたしは空を仰ぎ見た。

 

 雲ひとつない薄い青空が、眩しい。

 

 そして、ぎこちない足音が聴こえなくなってから、

 

「さて、わたしもそろそろ行きますかね」

 

 わたしも一人で立ち上がり、首の鈴を鳴らしながら、階段を降りる。

 



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鎮魂歌は誰のために歌うのか④

 

 

 

 病棟の起床時間には、まだ少し早いのだろうか。薄暗い廊下に置かれたベンチに横たわれば、眠気に負けても、不自然ではない。

 

「オイ、こんなとこで何寝てんだ。痴女猫」

「わたし、徹夜明けなんだけど? 眠くて当然じゃない?」

 

 目を開けて、しっかりした声音でそう答えると、わたしを覗き込む沖田は頭を掻いていた。

 

「ったく、この兄妹は……」

 

 そう愚痴る彼の顔は、今までに見たことがないくらい、ぐちゃぐちゃだった。綺麗な二重が完全に奥二重になってしまってるし、鼻もやたらテカっている。声もいつもより枯れているようだ。

 

 そんな顔を困ったようにしかめていて。わたしは寝ころんだまま手を伸ばし、彼の頭をポンポンと叩く。

 

 すると、沖田はますます顔をしかめて、その手を取った。

 

「なんでィ、この手は?」

「深い意味はないけどさ」

 

 沖田の顔を見ながら微笑むと、彼は深く嘆息した。そして、わたしの手を器用に引っ張って、あっという間にわたしは彼に背負われていた。

 

「よいしょ、と」

「いやそんなジジ臭い掛け声してないで! いきなり何おんぶしてるのよ?」

 

 慌てるわたしに「暴れんじゃねーよ」と言いながら、沖田はわたしの重さを意ともせず、スタスタと歩いて、

 

「眠ィんだろ? 寝てろよ。連れ帰ってやる……そっちの方がこっちも都合がいいし」

 

 霊安室から、立ち去っていく。

 

 振り向いて見えたのは、ドアが開けっぱなしの部屋の中。白い布を掛けられて眠る女性の傍で、目いっぱい花を咲かせている薄紅の胡蝶蘭が飾ってあった。幸せと愛の象徴であるあの花束も、時期に花びらを床に落とすのだろう。

 

 それでも、きっとあの女性は、幸せそうに微笑んでいるのだろうか。

 

「……ま、いっか」

 

 わたしはそう納得して、彼の背中に顔を預ける。この暖かい背中は思ったよりも広くて、わたしを軽々と運んでくれるのだ。

 

 ――ま、泣き顔見られたくないのかね。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて。おやすみ」

「あぁ、おやすみ――ありがとな」

「……ん」

 

 小さく笑って、わたしは本当に、目を閉じた。

 

 

 

 

 廊下を誰かが走っていく足音がうるさい。

 

 障子の隙間から差し込む陽は高く、久々に昼間まで寝たんだなという満足感があった。

 

 この一カ月くらい、毎日朝は早起きして、訓練をしていたのだ。たまには、こういう休息があっても、悪くはないのだろう。

 

「どうせなら、とことんと……」

 

 二度寝をしようと、また布団に潜ると、

 

「いつまで寝りゃ気がすむんだィ、いい加減起きやがれ」

 

 鼻をつまれ、わたしはその手を振り払った。

 

「いいじゃん、まだ数時間しか寝てないでしょ……」

「お天道様一回沈んで、また昇りなおしてらァ!」

 

 布団をはぎとられ、追いかけるように身を起こす。

 

 まばたきを何回かすれば、沖田がわたしの真隣で横になっていた。その姿に、わたしは驚愕する。

 

「おそよう、痴女猫」

 

 そう微笑む沖田は、着物を着てなくて。下半身は布団に隠れて見えないものの、鍛えているだけはある胸板と、うっすら割れている腹筋が視界に入るやいなや、わたしは顔を逸らした。

 

「ななな……何をしてんのよ、あんたは!」

同衾(どうきん)

「あっさり答えないでっ! なんであんたがわたしの布団で裸で寝てんのか聞いてるの!」

 

 それに、沖田はさも当然とばかりに飄々と答える。

 

「そりゃあ、人の背中で本当に爆睡するアンタを送り届けて、すぐに病院に戻って葬儀やなんかの手続きを一通り済ませて、屯所に戻ってきたら、俺が色々堪えてるっつのに、誰かさんがぐーすか寝てらァ。飼い主を励ますのがペットの役目なんだから、癒してもらおうと、その布団に潜る込むのは当たり前のことじゃねェーかィ」

「百歩譲ってそれを許したとしても、総悟くんが服を脱いでいる理由にはならないでしょうが!」

 

 わたしはバクバクとうるさい心臓を懸命に抑えようと、胸に手を当てようとする。

 

 ――ん? 胸がうるさい……?

 

 ふと、頭に疑問符が浮かぶものの、それはすぐに霧散した。そこにあるべき布がなかったのだ。

 

 沖田はニヤリと笑う。

 

「そりゃあ、裸で寝ている女と一緒に寝るんだ。こちとらもそれなりの恰好しないと、申し訳ねェーだろうが」

「いやぁぁぁぁあああああああああああああああああ!」

 

 叫びながら、わたしは枕を思いっきり沖田へと投げつけた。 




遅くなりましたが、ミツバ篇はこれで終わりです。
とりあえず、沖田をメインキャラに置いているからには、絶対書かなきゃいけない話が書けて、私的には一安心してますが、いかがでしたでしょうか?

この後は、ちょっと繋ぎでくだらない話を挟みながら、吉原篇で大きく話を動かそうかな、と思ってます。沖田が桜と顔を会わせなかったりとした伏線も回収していくつもりです。
また、原作とずれてくる部分が多くなってきますが、原作通りが好きな方がいらっしゃいましたら、この場でお詫びさせていただきます。

実写映画化も決まり、銀魂が盛り上がるのか下がるのかよくわかりませんが……マイペースに書き進めたいと思っておりますので、今後もお付き合いいただけたら幸いです。

とりあえず、銀魂カテゴリで話数のトップが見えてきましたが(笑)

気にせず書きたいこと書いていこうかと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

この偽物の銀魂が、少しでも誰かの有意義な暇つぶしになりますように。

由比 レギナ


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キャバクラ篇
男のためであっても女は売るな①


 

 

 

 葬儀も終えて、一週間。わたしの日常は帰って来た。

 

 わたしは、後光を浴びたシャトルを打ち落とす。

 

「しゃぁおらぁっ!」

「甘いっ!」

 

 地面に届く瞬間に、遮ってくるのは山崎のラケット。高く打ち上げられたシャトルは、前傾であったわたしの頭上を弧を描くように飛び越えて行って。

 

 コトっと、地面の上に落ちてしまった。

 

 わたしはこの不満に口を尖らせる。

 

「えぇー、なんでー? 何点差よ、今」

「二十点差だね。まぁ、まだバドミントン始めて三日でしょ? やっぱり桜ちゃん、筋がいいよ。もう俺から三点も取れるようになったんだから」

 

 励ますようなことを言いながらも、鼻が高くなっている山崎の顔が憎らしい。

 

 わたしはラケットを山崎に突き付ける。

 

「まだまだ! 次行くわよ、山崎っ!」

「えぇー、そろそろお昼ご飯でも食べようよ……あ、沖田隊長! お疲れさまっす!」

 

 山崎が頭を下げる先には、耳にイヤホンを付けた沖田が、ズボンに手を入れながら歩いていた。わたしと目が合うやいなや、そのイヤホンを外して、

 

「おい、桜。区切りいいなら、たまには昼飯でも一緒に……」

 

 何食わぬ顔で誘ってくるので、わたしはプイっと顔を背けた。

 

「ったく……あんなことでいつまで怒ってるんでィ。アンタの裸くれェ、出会いがしらに散々拝んでるっつーの」

「そういう問題じゃありません!」

「じゃあアレか? 汗臭せェー締め付けてそうな服着たまんま布団に転がせば良かったのかよ?」

「良かったんですよ、それで」

 

 そう言い捨てて、わたしは山崎の手を引いた。

 

「行こ、山崎。わたしお腹空いた」

 

 すると、山崎がわたしの耳元で慌てて言ってくる。

 

「ちょちょ、桜ちゃん、やばいってそれは!」

「え? 何がやばいのよ?」

「沖田隊長が先にお昼誘ってきてんだから、それをないがしろにして俺なんかとは……」

「山崎無駄に三十路越えしてんだから、黙らせといてよ」

「無理だって! 黙らせる前に俺の生首がリアルに飛んで黙らされちゃうよ!」

 

 今日はとってもいい天気である。しかし、紅葉を散らし切った風は、もう冷たい。

 

「……弱いなぁ」

「やめて! しみじみと遠い目をして言うのはやめて! わかってるから! 俺が弱いのはわかってるから、せめてもっと冗談っぽく言って!」

 

 その時、正門から聴こえてくるのは、珍しい声だった。

 

「ちわーっす。ちょいとお邪魔しますよー」

 

 誰の許可もなく入って来た四人の姿に、わたしは目を見開いた。

 

 白髪のもじゃもじゃ頭の侍が、わたしの姿を見るやいなや、

 

「おーい、桜ちゃーん。お兄ちゃんが遊びに来ましたよー」

 

 へらへらと笑みを浮かべて来る。

 

 その笑顔に、わたしは思いっきり顔をしかめた。

 

 ――怪しい。めちゃくちゃ怪しい!

 

 銀時とは、葬儀の時に顔を会わせていた。病院での一件があったものの、その時は普通に挨拶して、普通に一緒にお(とき)を食べたので、彼の中ではなかったことになったのであろう。

 

 それはそれで、腹立つものの。

 

 しかし今、銀時は何かを企んでいる顔だった。絶対にわたしに何か面倒なことを押し付けてきそうな顔だった。

 

 ――どうする……どうする、わたし!

 



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男のためであっても女は売るな②

 考える。屯所内に入ろうとするには、ふてくされた顔をしている沖田が立ちはだかっており、門から外で出ようには、怪しい笑みを浮かべている銀時が歩いてくる。

 

 そして、気が付いた。銀時の後ろを歩くのは、赤いチャイナ服の神楽と、どこにでもいそうな眼鏡少年の新八である。そこにいるもう一人が、にこやかな顔でわたしに手を振っていた。

 

「久しぶりね、桜さん。あの時は楽しかったわね」

 

 まだ少し暑かった頃、本当に屯所の自室で軟禁されていた時に、一緒にお風呂に入った女性だった。

 

 名前は確か、志村妙。眼鏡少年、新八の姉だったはずである。

 

 長い髪をポニーテールにして、水に濡れてなくてもしたたかそうな気品があった。

 

 とりあえず、わたしは彼女に対して会釈をする。

 

「ご無沙汰しております、妙さん……こちらこそ、あの時はありがとうございました」

「ふふ。また一緒にアイス食べましょうね」

「え、なに? お前ら知り合いなの?」

 

 銀時がわたしたちを交互に指差して来る。わたしと妙は顔を見合わせて、笑った。

 

 わざわざどんなことがあったか、話す必要もないだろう。

 

 ――その方が、面白いしね。

 

 なので、わたしは話題を変えることにする。

 

「で、お兄ちゃんは何しに来たの?」

「おー、よくぞ訊いてくれました! 実は、お兄ちゃんは桜ちゃんに大事なお願い事があってだな――」

 

 予想通りなことを話し出す銀時の横から、神楽が銀時の袖を引っ張っていた。

 

「なーなー、だから、可愛い子なら、わざわざこんなトコ来なくてもいつも傍にいるアルよ!」

「桜ちゃん、今晩暇? お兄ちゃんのお仕事をちーっとばかし手伝ってもらいたいのだけど」

 

 神楽を無視しながら、銀時はへらーと愛想笑いを浮かべてくる。

 

「……どんな仕事よ?」

 

 白昼堂々、子供たちも引き連れて頼みに来たのだ。物騒な依頼ではないだろう。だけど、ろくな依頼でないことは銀時の顔を見れば明白である。

 

 聞くだけ損かもしれない。けど、聞かずに追い返すのは気が引ける。

 

「銀さん、私から説明させてもらっても構わないかしら?」

 

 すると、妙が一歩前に出てきた。銀時は「あぁ、どうぞ」と快諾する。

 

 そのやり取りに小首を傾げると、妙はわたしに頭を下げてきた。

 

「お願いします。私の店を、助けてください!」

 

 

 

 

 要約すれば、妙の働くキャバクラで一日店員として働いてほしいということだった。

 

 そこで働く従業員たちが、妙以外全員食中毒に遭ってしまい、出勤できなくなってしまったのだ。

 

 しかし、今日は江戸随一の大事なお客の予約が入っている。そのため、臨時休業にすることも出来ない。

 

 そのため、妙の知り合いであり、そのキャバクラの客として利用していた銀時率いる万事屋に、臨時従業員を手配してほしいと依頼があったという。

 

 そこで、見目麗しいわたしに白羽の矢が立ったのだ。

 

「けど、お兄ちゃん。仮にも妹にキャバ嬢やれっていうのは、兄としてどうなの? 倫理とかモラル的なものとして」

「なーに言ってんの。キャバ嬢だって立派なお仕事よ? お客さんに気持ちよくお金を落とさせるなんて、誰も損のしない素敵な営業じゃないか! さらに、給料もいい! 桜ちゃん、たくさんのお金を短時間で稼げるんだよ! タイムいずマネーだよ!」

 

 つまりは、この斡旋がうまくいけば、万事屋にもかなりのお金が入るという。

 



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男のためであっても女は売るな③

 ――キャバ嬢ねぇ……。

 

 ばっちり化粧をして、綺麗なドレスを着て、男に褒められる。

 

 女に生まれた以上、一度は夜の蝶に憧れたことがないわけではない。

 

 その分、男に厭らしい目で見られたり、嫌なところを触られたりするリスクだってあるわけだが。

 

 ――果たして、わたしがそんなに弱い女だったかしら?

 

 たいていの男ならば、捻りつぶして余るくらい叩きのめそうと思えば、出来る自信がある。

 

 それに、店の存続が今日の成功にかかっているらしく、妙が必死に頭を下げてきている。

 

 果たして、断る理由があるのだろうか。

 

「いいよ、そのお仕事引き受けて――」

 

 わたしが快諾しようとした時である。

 

「ダメだ! そんな依頼、ぜってェー許さねェー!」

 

 軒下から出てきた沖田が、わたしに睨みを効かせながら寄ってくる。

 

「ちょっとー、わたしが頼まれてるのに、どうして総悟くんの許可がいるわけ?」

「当たり前だろーが! 誰がテメェの監視係だと思ってるんでィ!」

 

 ――あぁ……そんなのもあったわねぇ……。

 

 わたしは懐かしむような目で、沖田を見つめて。

 

「ねぇ、山崎。その係ってチェンジ出来ないのかしら?」

 

 横を向くと、山崎はただ沖田を見てはオロオロとしている。

 

 ぐいっと首輪を指をかけるような形で、わたしは沖田に摘まみ上げられた。

 

「こちとらホストじゃねェーんだコノヤロー。ペットは飼い主選べねェ言うだろ」

「苦しい……さすがに苦しいから……」

 

 沖田の肩を何回か叩くと、彼は不満げに鼻で息を吐いては、わたしをポイっと投げる。

 

「ったく……尻餅って地味に痛いんだけど……」

 

 心配そうに屈んでくる山崎を制止して、わたしは尻をさすりながら立ち上がる。

 

「さ……桜ちゃん、お取り込み中ならまたお返事は後ででも……」

 

 険悪な雰囲気を察してだろう。巻き込まれないと立ち去ろうとする銀時に、

 

「大丈夫。ちょっと待って」

 

 短くそう言って、わたしは手に持つシャトルとラケットを確認する。

 

「ようは、総悟くんよりも偉い人に許可が貰えればいいのよね?」

 

 睨んでくる沖田に口角を上げて、わたしはシャトルとラケットを構えた。下から撃つように狙いを定めて、

 

「しゃぁおらぁぁああ!」

 

 ぶっぱなす。

 

 うねるような回転音と共に、弾丸のごとく飛んでいったシャトルは、床下に突入し、

 

「あべしっ」

 

 間抜けな声をあげる怪物かなにかに当たった。

 

 這い出てくる怪物の正体に、驚く者は誰もいなかった。

 

「ちょっと桜ちゃーん! ダメでしょこんなところに撃ったら! 誰かに当たったら危ないでしょー!」

「大丈夫だよ。そんな所、近藤さんくらいしかいないから」

 

 前々から噂には聴いていたのだが。

 

 この真選組の局長、近藤勲は、キャバ嬢に恋をしすぎてストーカーをしているらしい。

 

 妙が来てから、ずっと気配があったので、もしやと思ってみたのだが。

 

 ――実際に目の当たりにすると、気持ち悪いわね。

 

 わたしはその考えを顔に出さず、近藤に歩み寄る。傍でしゃがんで、わたしはにこりと微笑んだ。

 

「ねぇ、近藤さん。妙さんがわたしの手を借りたい言ってきてくれてるの。助けてあげたいんだけど……だめ?」

 

 すると、近藤は目を丸々と見開く。

 

「お妙さんのため?」

「そう、わたしが一日キャバ嬢お手伝いしたら、妙さんが喜ぶの」

「お妙さんが喜ぶ……」

 

 噛み締めるようにそう言うと、近藤は目を輝かせて、サムズアップ。

 

「お妙さんのためなら!」

 

 わたしはその言葉を聞いて、振り返る。何も言えず、悔しげに唇を噛み締める沖田に、ニヤリと笑みを返してやった。

 

 

 

 



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女の敵は女①

 

 

 

 ワンピースというものを着たのは初めてである。

 

 その真っ赤な薔薇のようなスカートのワンピースを着てみた感想は、思ったよりも動きやすいということだった。ただ、足元のハイヒールというものは少々バランスが取りにくいが。

 

 肌にも白粉(おしろい)。まつ毛を広げて、唇には紅。若干、顔に違和感を覚えるが、それもまた、いい緊張感である。

 

 髪もゆるく巻いて、片側に寄せていた。もう少し髪が長かったのなら、きっともっと映えたであろう。

 

 店のホールに出ると、そこには銀時と新八の二人が待っていた。

 

「ほぉ、馬子(まご)にも衣裳とは、このことだな」

 

 そして、兄の感想はそういうことらしい。

 

「ちょっと銀さん! なんでちゃんと褒めてあげないんですか!」

「褒めてんじゃねェーか。だったら新八がもっと気の利いたこと言ってやらァいいだろーが」

「そ、そんな……」

 

 新八はちらりとわたしの方を見ると、すぐに顔を真っ赤にして顔を背けた。

 

「そんな、女性の肌をそんなマジマジ見るなんて、僕には出来ませんよ!」

 

 ――なんて初々しい反応……。

 

 人の裸をマジマジ見ながらニヤリと笑う少年の顔を思い出しながら、わたしは新八の肩をトントンと指で叩く。

 

「もっと見てもいいよ……?」

 

 すると、新八の耳は真っ赤に染め上がり、両手で顔を押さえてうずくまった。

 

「純情乙女かよ、テメェーは」

 

 銀時が呆れた様子でそう投げかけるが、同じ感想を抱いて、わたしは苦笑する。

 

 とりあえず、それなりな美しさに仕上がっているらしい。

 

「……化粧、自分でしたのか?」

「うん。妙さんに教わりながらやってみたんだけど、どうかな?」

 

 横目でじろじろ見ながら訊いてくる銀時に、小首を傾げる。

 

「立派なもんじゃねェーか」 

 

 その思いがけない賛辞に笑みを返し、わたしはついでに小さな声で訊いてみた。

 

「キス以上のことしたくなりましたか?」

「バカヤロー」

 

 軽く背中を叩かれ、わたしが笑った時である。

 

「銀ちゃん銀ちゃん! 私はどうアルか?」

 

 スタッフ口から飛び出してきた顔に、思わずわたしは吹いてしまった。

 

 いつもよりも少し豪華なチャイナ服はいいのだが、おろした髪はくるくるを通り越してチリチリ。まつ毛はバサバサ、目の回りはパンダ。頬にピンクのまるまるとしたスタンプを付けた口裂け女顔に、銀時は半眼を返すだけだった。

 

「……どうしてお前、やってやんなかったの?」

「ごめん、自分のことで手一杯だったよ」

 

 銀時とそうコソコソ話す間を縫うように、神楽は間を飛び回る。

 

「なぁー、銀ちゃんどうアルかー? 綺麗すぎて言葉も出ないアルかー?」

「ほら、はしたないわよ」

 

 その時、神楽の肩を押さえつけるようにして、制止させる女性が現れた。

 

 緩やかな亜麻色の髪を腰まで伸ばした女性である。背は女性にしては高い方で、深く入ったスリットからは締まった脚がなめやかに伸びていた。品のある整った顔立ちの中に、好戦的な瞳が光る、そんな魅惑的な女性である。女であるわたしも、一瞬目を止めてしまう美しさがあった。

 

 そんな彼女が片目を閉じて、

 

「賛辞は自分から求めてはだめ。男は寄ってくる魚には餌を与えないものなんだから。女の一番の化粧は笑顔よ。笑ってなさい。あなたはそれで充分可愛いのだから」

 

 言い聞かせるように神楽にそう言うと、彼女は満面の笑顔で頷いた。

 

 ――それでも、化粧が下手なのは致命的だと思うけどね。

 

 しかし、本人がとても満足そうなので、わたしは何も言わないでおくが。しかし、彼女が言うと、こんな化粧をした神楽でも、可愛いと思えてしまうのが不思議である。

 

 ――これが、本物の夜の蝶ってやつなのかしら。

 

 そんなことを考えていると、その女性が近寄って来て、わたしの首に触れてくる。

 

「イイモノ付けてるじゃない。ずいぶん飼い主に従順なのね」

 



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女の敵は女②

 首には、いつもの赤い首輪を付けていた。彼女の指先が鈴に触れて、チリンと可愛い音がする。

 

 色も合うし、ワンピースの胸元がかなり開いていたから、露出を押さえる意味でも付けたままでいいかと思ったのだが。

 

「……なかなか、そそるじゃない」

 

 唇を舐めながらそういう彼女の顔が、彼と重なる。

 

「……離れてもらえます?」

「あら、御免なさい」

 

 顔をしかめるわたしに、彼女は余裕の笑みを返した。

 

「お姉ちゃんも今日の助っ人なのか?」

 

 一歩後ろに下がった彼女に対して、銀時が疑問を投げかける。

 

 彼女は髪を指で弄びながら、名乗った。

 

「えぇ。今日はランと名乗らせてもらうから。よろしくね、旦那様」

「旦那ってか……普段はメイドかなにかか?」

「それは秘密」

 

 唇の前で指を立てる彼女の手は、さっきも思ったがけっこう大きいようだ。肩幅も少し広いのか、ストールを巻いて隠しているようである。

 

 それでも、爪は赤で彩られており、動きの一つ一つが優雅。努力を欠かさないこういった女が、きっと本物の夜の蝶なのだろう。

 

 ――侍が、一丁一夕で蝶になれるわけがない……か。

 

 ちょっとだけ落胆しながら苦笑していると、

 

「皆さま、準備が整いましたか?」

 

 現れたのは、この店のオーナーらしき男。いかにも胡散臭い恰好の男の隣には、紫の着物をしっぽり着こなす妙がいた。

 

 ――あら、いつも通りなんだ……。

 

 そんな疑問を口に出す間もなく、オーナーがパンパンと手を叩く。

 

「もうすぐお客様が到着されます! 皆さま、不慣れな方も多いとは思いますが、今日一日、なにとぞ! なにとぞ宜しくお願いいたします!」

 

 オーナーも緊張しているのだろう。声かけが堅かった。

 

 スタッフの半分は素人で、しかも四人のみ。それでも迎えなければならない客が果たして誰だかは知らないが、江戸随一の大物とのこと。失敗したとならば、店が潰れるのも簡単らしい。

 

 ――それで、妙さんが職を失うのは、可哀想だしね。

 

 わたしのそんな同情をよそに、妙はいつも通りの朗らかな笑顔だった。

 

「さぁ、みんな! お迎えの準備をするわよ! 入口に集合して!」

 

 わかりやすい指示の元、移動する。入口付近で並べと言われ、わたしと神楽、反対側に妙とランが並んだ。

 

「なぁーなぁー、私でもちゃんと出来るアルか?」

 

 いざとなって不安になってきたのか、神楽がわたしを見上げてくる。

 

 ――可愛いなぁ。

 

 極力優しい笑顔を作って、わたしは頷いた。

 

「大丈夫だよ。基本的に笑って話を聞いていればいいだけらしいし」

「簡単アルな!」

「わたしたちなら楽勝でしょ」

 

 わたしがこぶしを作ると、神楽のこぶしがカツンと当たる。

 

 さて、と入口が開くのを確認しようと視線を動かしたとき、向かいのランと視線が合った。

 

 何か言いたげな顔でこちらを見ては、挑発的に口角を上げていて。

 

 ――何、あの人……?

 

 訝しく眉をしかめた瞬間、扉の向こうから現れた人影に、わたしは驚愕の声を上げる。

 

「と……トッシー!」

「だからトッシー呼ぶなっつーの!」

 

 登場早々そう怒鳴ってくる土方は、いつもの黒い真選組の制服を着ていた。そして、隣には局長が残念そうな顔でこちらを見ていた。

 

「もしかして……桜ちゃんにとって、俺って影薄い……?」

「や、別にそういうわけじゃないけど、なんか近藤さんってよく唾が飛んでくるようなイメージでね?」

「ひどい! ひどいよ、桜ちゃん!」

 

 何故か近藤が泣いているが、そんなことは今はどうでもいい。わたしは土方に尋ねる。

 

「江戸随一の客って……まさか真選組ってオチはないよねぇ?」



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女の敵は女③

 すると、土方は鼻で笑った。

 

「んなわけねぇーだろーが。所詮俺らはイモ侍……しかも、近藤さんなんか週に二回は通ってらぁ」

「お妙さんに会うためなら、たとえ屋根裏やら井戸の中!」

 

 こぶしを握り熱く宣言する近藤に、わたしは呆れて言い返す。

 

「妙にリアルで、嫌」

「どうせなら、もっと頻繁に通ってくれればいいのにねぇ。出来れば、頻度少なく金多く落としてくれるのが一番。ゴリラに会わなくて済むし」

 

 頬に手を当ててため息交じりで言う妙を見ると、この恋はきっと成就しないのだろうが。

 

「お妙さーん、そんな寂しいこと言わんでくださいよぉー」

 

 なんて、鼻の下を伸ばしている近藤にしてみれば、照れ隠しにでも見えているのだろうか。

 

「……て、こんなくだんねぇー話している場合じゃねぇーんだよ。桜、やると決めたからには、きちんともてなしてくれよ? この任務には真選組総出で取り掛かってるんだから」

「ん……うん」

 

 土方の思いがけない真剣な眼差しに、虚ろな返事を返すと、

 

「それでは、準備整いましたので。お入りください、上様(うえさま)

 

 近藤と土方は(うやうや)しく頭を下げて、扉を開ける。

 

 上様。

 

 決して、領収書で名称不明な人に対する呼び名ではないことは、知っている。

 

 ならば、真選組の上役がそう呼ぶ相手は誰か。

 

 想像するのは容易く、現実を受け入れるには難しく。

 

 だけど、その見事なちょんまげを見れば、わたしは声高々に彼をこう呼ぶしかなかった。

 

「しょぉぉぉおおちゃぁぁぁあああん!?」

「久方ぶりだな、桜ちゃん――と、直接こう呼ぶのは初めてだったか。嫌ではないか?」

 

 薄い顔付きながらも優しい微笑。落ち着いた耳に心地の良い声音。ずっしりと上質な着物をきっちりと着こなす彼の名は、徳川茂茂。

 

 誰もが知っている、江戸随一の偉い人、将軍様である。

 

 ――そりゃあ、粗相の一つでもあれば、こんな店簡単に潰れるわ。

 

 そんな納得をしつつも、わたしは将軍に質問されていたことを思い出して、首をぶんぶん振る。

 

「とんでもない……いや、とんでもございません、上様。むしろ、わたくしなどの名を呼んでいただくなど、恐れ多い次第でございます!」

 

 そう言って頭を下げると、頭上から悲しげな声がする。

 

「そんな構えないでくれないか……余は、思いがけず友に会えて嬉しいのだ。それとも、友と思っているのは、余だけなのか……?」

 

 そんなことを言われ、わたしは慌てて顔を上げた。

 

「いやいや、そういうわけじゃないし、わたしも久しぶりに会えて嬉しいんだけど、でもわたし今キャバ嬢だし……」

 

 手を振りながら助け船を求めて見渡せば、将軍の後ろからひょこっと顔をのぞかせるのは、白髪交じりのおっちゃんだった。

 

 サングラスをかけた軍服を着たおっちゃんは、これまた親し気に手を振ってくる。

 

「おー、ほんとに桜ちゃんがいたんだねー。大丈夫だよー、ちゃんと報告は近藤から受けてるからー。ここは俺らの身内しかいないし、店の回りも真選組が警備に当たっている。気を楽にしてくれて構わないよー?」

 

 やたらダンディな声音の偉い人は松平片栗虎。真選組のさらに上の人である。

 



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女の敵は女④

 真選組と出会った当初、沖田を助けるために江戸城へ乗り込んだ際に手を貸してくれた恩人ではあるのだが。

 

 ――セクハラ受けた覚えしかないのよねぇ。

 

 あんまり会いたい人ではなかったものの、そんな偉い人にここまで言ってもらえ、かつ、張本人の将軍にこんな悲しい顔をされたら、わたしとて腹をくくるしかない。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて……将ちゃん、久しぶり。元気してた?」

 

 緊張で少し顔が強張るものの、わたしは見上げて微笑んだ。

 

 

 

「さぁ。今宵は再会やら将ちゃんの初・夜遊びもろもろを記念して――乾杯っ!」

 

 松平の掛け声のもと、わたしたちはグラスを合わせた。

 

 が、わたしは内心それどころではなかった。

 

 ――お酒だぁぁぁぁあああああ!

 

 お洒落なシャンパングラスに注がれているのは、名前の通りのシャンパン。ほのかな琥珀色に細かい気泡が次々と弾けている。

 

 ちぃちゃんではないのだ。

 

 薄い果実ジュースではなく、大人の嗜むアルコールというものなのだ。

 

 意を決して、それに口を付けようとした時だ。

 

「あら、桜さんお酒飲めないのではなくって?」

 

 向かいに座るランが、心配そうに顔をしかめて、そう言ってくる。

 

「え?」

「ウェイターさん、彼女にジュースを。今は仕事中とはいえ、あくまであなたは臨時なのだから、無理をしてはいけないわ」

 

 本当に心配をしているかのように彼女はそう言ってくるものの、初対面である。

 

 ――あんた、わたしの何を知っているんですか!

 

 と、問い詰めてやりたいものの、彼女はこうも言ってくれているのだ。

 

 仕事中なのだと。

 

「ランさん、何を誤解しているのかは存じませんが、わたしお酒が飲めないわけではありませんよ? 飲んだことがないだけでして」

 

 笑顔を作り、自然とグラスに口を付けようとする。

 

 が、その手は隣に座る男に遮られてしまった。

 

「彼女の言う通りだ、桜ちゃん。酒なんて無理して飲むものではない」

 

 そして、わたしのグラスを奪い、一気に飲み干してしまう将軍様。

 

「流石は上様。男らしいですわね」

「おー上様、カッコいいアルなー」

 

 間髪入れずに誉める妙と神楽。

 

 うん、男らしいよ将ちゃん。これが上司から無理矢理勧められて困っている女の子に対してとかだったら、とってもカッコいいよ。

 

 だけど、念願叶ってお酒が飲めるだろう機会を奪うだなんて、なんたる拷問だよ!

 

 そこに、運ばれてくるのはオレンジ色の液体だった。

 

「お待たせしました。なぜか冷蔵庫にたくさん入ってたちぃちゃんでございます。てか、なんであんなにちぃちゃんがあったの? キャバクラにちぃちゃんがあるなんて、俺初めて聞いたんだけど。てか、神楽も酒なんて飲むんじゃねーぞー。てめぇもコレにしとけ」

 

 黒服を着た銀時が不思議そうな顔でそう言いながら差し出して来る。

 

「銀ちゃん馬鹿にすんのも大概にするアル! 私もう立派なレディアルよ! お酒だって……」

 

 と言いながら、ちょこっとグラスに口をつける神楽。彼女は一瞬顔をしかめて、

 

「ふっ、私ほどのレディになれば、お酒なんてものに頼らなくても男の十人でも百人でもイチコロアル!」

 

 銀時からちぃちゃんを奪い取り、それを一気に飲み干した。

 

「よっ、お嬢ちゃん、言い飲みっぷりだねぇ!」

「いくらでも持ってこぉーい!」

 

 松平のはやし立てに、神楽は豪語した。

 

 ――わたしも一口でいいから飲んでみたかったなぁ……。

 

 しょんぼり視線を落とせば、そこに置かれているのは、やっぱり見覚えがあるちぃちゃんで。

 

 小さくため息を吐いて、それを飲もうとした時。目に入ったランは、やっぱりニヤリと口角が上がっていた。

 

 

 

 

 



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女の敵は女⑤

 ――何なのよ、あの女は!

 

 ちぃちゃんを持つ手がわなわな震える。すると、隣の将軍が、

 

「どうしたのだ? もしかして、緊張しているのか?」

 

 そんなことを、言ってきて。

 

「へ?」

「恥ずかしながら、余も緊張していてな。城下のことを知るのも仕事だと松平候に促され、こうしてやって来てはみたものの……こうして女性と対面して話す機会は今までなかなかなくってだな。今日は桜ちゃんがいてくれて、本当によかったと思っている」

 

 少し照れた様子で話す将軍は、なにやらいいことを言っているようだが。

 

 要約すれば、こういうことだろう。

 

「……それは、わたしが女らしくないということで、いいのかな?」

「いや! そういうことではない! そういうことではないのだ! 現に今日の桜ちゃんの姿を見て余は……」

 

 慌てて否定をするものの、言い淀んではシャンパンを一気に飲み干す将軍。

 

「ほらほら、桜さん。おかわり注いで差し上げて」

 

 妙に促されて、わたしはテーブルの中央に置かれたボトルを手に取る。

 

「……別にいいもん。どうせわたしなんて、侍上がりの男くさいのが似合っている奴だもの」

 

 呟きながら、空いた将軍のグラスにシャンパンを注ぐ。ちょうどボトルがカラになったので、近くに立っていたウエイター姿の銀時に目で合図をし、それを渡すと、

 

「なーなー、もしかしてさ……もしかして、そのしょうちゃんってさ……?」

 

 小声で、目を泳がせながら訊いてくる銀時に、わたしは簡潔に答える。

 

「将ちゃんは将軍様の略だけど、それがどうかした?」

「どうかしてるじゃねェかァァァアアア!」

 

 手をわなわなさせる銀時のお盆を支えつつ、わたしは真顔で言う。

 

「大丈夫よ。そんな驚きと恐れはとっくに通り過ぎて、開き直って友達マイフレンドよ!」

「待って! 若いからこそ開き直れるその境地に達するの、お兄ちゃん時間かかるから待って!」

「……なんか、無理みたいだよ」

 

 お盆を銀時に押し付けると、他のみんなはなにやらゲームを始めるようだった。

 

 その名はまさに、

 

「将軍ゲェェェムっ!」

 

 松平の手には、人数分の割りばしが握られていた。

 

「なんアルか? 将軍ゲームって」

「ルールは簡単。割りばしを引いて、将と書かれている人がそのターンの将軍。ほかの割りばしには番号が書かれていて、将軍は好きな番号の人に、命令をすることができるって遊びさ」

 

 首を傾げる神楽に、松平は簡単に説明する。

 

「命令ってなんでもいいアルか?」

「あぁ、もちろん。しいていえば、この場が盛り上がるような命令ってのが縛りだな――じゃあ、せーので一斉に引いて、掛け声で同時に将軍かどうか確認するからな……せーのっ!」

 

 みんなが一斉に割りばしを引く。わたしも一足遅れて、残りのうちの一本を引き、

 

「じゃあじゃあ……将軍だーれだ!」

 

 手を開く。割りばしの下の方には、三と書かれていた。

 

 その時、

 

「私だァァァァァア!」

 

 そう叫ぶのは、仕切っていた松平のおっちゃん。

 

「くっくっく……残りものには福があるとは、まさにこのことだな」

 

 どこの悪者だよという笑い声をあげる松平を冷たい目で眺めていると、その隣のランが笑顔でチラリとこっちを見て、口を動かしてくる。

 

 ――わ、らえ……?

 

 プロ根性というものなのだろうか。この出来レースを笑顔で楽しめと指示してくる彼女に、口パクで「はーい」と応え、とりあえず口角だけは少し上げてみる。

 

 そして、松平将軍は命令した。

 

「では、将軍命令だ――三番、服を脱げぃ!」

 



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女の敵は女⑥

「……はぁ?」

 

 わたしはもう一度、自分の持つ割りばしの番号を見る。

 

 三だ。三である。一、二、三だ。三番目だ。真選組でいうならば、三番手はちょうど沖田総悟だ。

 

 ――三番隊隊長は……誰だったかなぁ?

 

 ともかく、自分の選んだ数字は三である。

 

 そして、あのエロじじいは、三番に何をしろと言ったのか。

 

「おやー? もしかして、三番は桜ちゃんなのかなぁー? その可愛いワンピース脱いじゃうのかなぁー?」

 

 そんなことを、鼻の下を伸ばしながら言っているらしい。

 

「……はぁ?」

 

 わたしは今一度、全力で顔をしかめて聞き返す。

 

 すると、ランがさらに笑みを深めていた。

 

「ほらほら桜さん。これはゲームなんですから。ノリよくいかないと」

「いやー、ランちゃんイイコト言うねぇー。じゃあ、そういうわけで桜ちゃん、すぱーっといってみようか! すぱーっと」

 

 なにがスパーッとだ、この外道。テメェの首をスパーッと斬ってやろうかクソジジイ。

 

 そんなことを言おうと口を開きかけた時である。

 

 わたしの手に、将軍が触れてくる。

 

「いや、三番は余である」

 

 そしてテーブルの下、目にも止まらぬ素早さで、わたしと将軍の割りばしを入れ替えた。

 

「将ちゃ――」

「服を脱げばいいのだったな、松平候よ」

 

 わたしの声を遮って、真顔で確認をする将軍に、

 

「お、おう……」

 

 松平はたじろぐように頷いて。

 

「よし、承知した」

 

 あっという間に、将軍はブリーフ一枚の裸の王様となった。

 

「将軍ゲームとは、一回で終わるものなのか? 松平候!」

 

 威勢よく訊く将軍に、松平も覚悟を決めたようで、

 

「いやぁ、どんどんエスカレートさせるのが将軍ゲームの醍醐味だ! 第二回戦、いくぜっ!」

 

 同じように割りばしの束を掲げてきた。

 

 ――続けるの? 将軍のこの恰好に突っ込む人はいないの? ブリーフよ、ブリーフ。将軍なのにふんどしじゃないの?

 

 何が起こっているのか頭が追い付かないまま、わたしも流れにあわせて割りばしを引く。

 

 今度は一番。一番隊の一番。隊長は沖田総悟。

 

 ――総悟くんもブリーフ派だったら、なんか嫌だなぁ。

 

 将軍の白いブリーフ姿を見て、ふとそんなことを考える。

 

 少年らしいといえば少年らしいのかもしれないが、なんかもっとカッコよくあってほしいと思ってしまったり。

 

 ――なに考えてんだ、わたしは!

 

 でも、大事な姉を亡くして。その後にわたしの布団に半裸で潜り込んだ彼の姿を思い浮かべて。

 

 ――寂しいの……かな。

 

 この一週間怒ってないがしろにしている自分が、もしかしてすごく酷なことをしているのではないかと、ふと思って。

 

 ――帰ったら、ちょっと優しくしてあげようかな。

 

「じゃあ私、一番の人とキスをするわ」

 

 ランの宣言に、わたしはハッと顔を上げる。

 

 彼女は赤い唇を舐めながら、将軍と書かれた割りばしを掲げていた。

 

「おいおいランちゃーん、将軍なのに自分がやるのかーい?」

 

 松平の質問に、ランはニコリと微笑んで、

 

「私、酔うとキス魔なの」

 

 細められた目は、わたしを射抜く。

 

「あら、桜さんが一番なのね」

 

 言うと同時に、ランはわたしに寄ってくる。わたしを跨ぐようにして膝の上に座ると、

 

「気持ちよく、してあげるからね」

 

 香水の甘い匂いが、鼻をくすぐる。

 

 顔がどんどん近づいてきて。彼女の息遣いなのか、自分の呼吸なのか、わからなくなって。

 

 耳元をくすぐるように、囁かれる。

 

「……そそる顔してくれるんじゃねェかィ」

 

 その時だ。

 

 スタッフルームの扉がバンッと開かれたと思った瞬間、緑の鶏冠(とさか)頭の男が、マシンガンを乱射した。

 

「マウンテン殺鬼(ザキ)の登場だぜェェェエエイ! 全員、ひれ伏せィ!」

 

 銃弾が、縦横無尽に吹き荒れる。



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地味な人生に拍手を送ろう①

 

 

 

 

 その男には、緑の鶏冠(とさか)が付いていた。

 

 なんで二回言ったかって? それは、それしか見えないからだ。

 

 さっき一瞬見た様子だと、眼のふちに隈取(くまどり)がしてあるようだ。上半身が裸で、黒いズボンを履いているその姿はまさに世紀末。

 

 そんな世紀末の崖っぷちを全力で満喫しているような男が、ここぞとばかりに張り切っていた。

 

「命が惜しくば、金目のもの出せぃ!」

 

 なぜその姿をきちんと確認できないかといえば、舞い踊る銃弾からわたしを守るように、ランがわたしに覆いかぶさっているからだ。

 

 男がマシンガンを構えて入って来た瞬間に、ランはわたしを抱え込んだ。

 

「ったく、アイツなにしやがってんだ……」

 

 息が目にかかるその距離で毒づくその顔は、見覚えがあって。

 

「オイ、桜。大丈夫か?」

 

 その修羅場をいくつも潜り抜けてきたような()のような声に、聞き覚えがあって。

 

「あなた……もしかして……」

 

 そう言いかけた時、銃声がピタリと止んだ。

 

「ヤベ、銃弾切れやがった……」

 

 そんな声に、みんながそろりと上体を起こそうとすると、

 

「なんてなァァァァアアアアア!」

 

 また再び、ダダダと銃弾が吹き荒れた。辺りのソファやカーペットはボロボロ。シャンデリアは異様なバランスで大きく揺れていた。

 

 それに、ランと名乗った彼は舌打ちする。

 

「性格悪りィなー、ストレスか?」

「ドSの君に言われたくはないと思うよ?」

 

 思わず返したわたしに、彼はニヤリと口角を上げた。

 

「お、ようやく飼い主に気付いたかィ」

「何してんの、一体……」

 

 半眼を向けるわたしに、女装している沖田総悟は後ろを親指で指す。

 

「それはまず、あのバカに言ってやってくれや」

「……知り合いなの?」

「山崎」 

 

 彼の言った人名を、繰り返す。

 

「山崎?」

「そ、山崎。マウンテン殺鬼(ザキ)のザキは、山崎のザキ」

「山崎って、あの地味な山崎」

「そ、アンタの浮気相手の山崎」

「誰が浮気なんて!」

 

 わたしが声を荒げると、同時に銃声が再び止んで。

 

「オイ、今叫んだ女! こっちに来い!」

 

 山崎らしい世紀末山崎に、呼ばれる。

 

 沖田の腕の隙間から覗き見れば、世紀末山崎とばっちり目が合って。

 

「お前だ、お前! これ以上撃たれたくなければ、こっちに来やがれ! そろそろ本気で誰かに当てちまうかもしれねェーぜ?」

 

 ――あれが、山崎ねぇ……。

 

 普段の地味を絵に描いたような山崎の顔を思い浮かべる。よく見れば、似てるかもしれない。てか、同じような隈取して、同じような髪型をすれば、誰だろうが見分けがつかないかもしれない。

 

「……とりあえず、どいて?」

 

 わたしは彼を押しのけて、ソファから立ち上がる。

 

「オイ、大人しく人質にでもなるつもりかよ?」

 

 伸ばして来る手を、わたしは振り払った。

 

「うん」

「そんなにアイツがいいのか?」

 

 真剣な顔でそう言ってくる沖田に、わたしは顔をしかめた。

 

「……今、仕事中だって言ったの、誰だったっけ?」

 

 わたしはそう言い残して、世紀末山崎の元へ歩く。

 

 将軍はテーブルの下に隠れていた。他の面々も、ソファの上で丸くなっていたり、とりあえず無事そうである。

 

 銀時と新八の姿は見当たらず。だが、こんな三流にやられるわけはないと、無条件で無事を認識する。

 

 三流なのだ。やることも、見た目も。

 

 とりあえず、わたしは仕事であろうことをする。

 

 ――将軍に傷の一つでも付けちゃ、いけないわよね。

 

 今一番やらなければならないことは、将軍も無事を確保することである。

 

 そのためなら、人質だろうがなんだろうが、お安い御用だ。

 

 それなのに、

 

「待ちたまえ! 人質ならば、余がなろう!」

 

 いつの間にかテーブルから出てきた将軍は、裸のまま仁王立ちでそう言い切った。



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地味な人生に拍手を送ろう②

 ――なにしてんだこの将軍はァァァァアア?

 

 パンツ一枚でカッコいいことを抜かしている将軍のドヤ顔をぶっ飛ばしたいのを我慢して、わたしは言う。

 

「……変態ちょんまげ野郎がカッコつけたって、気持ち悪いだけだけど?」

 

 あ、将軍泣いた。

 

 けど、そんな些細な問題はどうでもいいのだ。

 

 将軍の御身が大事。メンタルが多少傷つきようが、命あっての物種だ。

 

 だけど、将軍は挫けなかった。

 

「たとえ余が変態であろうとも、人質としての価値なら負けてはおらぬぞ!」

 

 世紀末山崎が言う。

 

「や、人質は可愛い女の子に限るっしょ」

 

 あ、将軍また泣いた。

 

 ともあれ、今のやり取りで分かったことがある。

 

 この世紀末、将軍がいるからこそ、こんな暴挙に出たわけではないらしい。

 

 普通に考えるならば、ただの強盗。先程金目のものを出せとも言っている。ちょうどターゲットに選んだ店、日時に将軍がいたというだけかもしれない。ただ、普通の三流風情な強盗が、真選組の目を掻い潜って、ここまで侵入できるものだろうか。

 

 しかし、世紀末とはいえ山崎ならば。今日ここに将軍がいるという事実を知らないわけはない。今日は真選組の存続がかかった、大きな仕事なのだから。山崎だって、警備などの仕事が与えられているに違いないだろう。

 

 ならば、どうして山崎が世紀末となってここにいるのか。

 

 本当にストレスでおかしくなってしまって、こんな暴挙に出ている可能性も無きにしも非ず。現に、沖田はそう思っている節があった。

 

 だけど、この数時間前まで一緒にバドミントンをしていたわたしからすれば、そこまで病んでいたとは考えにくい。

 

 他の理由を挙げるとすれば。

 

 ――演出か!

 

 ハプニングとは、時として人生を盛り上げる大きな一因となる。

 

 将軍の初めての夜遊び。夜遊びならば、ちょっとした刺激があってもおかしくはない。むしろ、静穏無事に終わってしまっては、面白くないだろう。

 

 きっと沖田は、細かな演出の内容までは知らされてなかったのかもしれない。

 

 ――なんか、おかしな方向持っていきそうだしね。

 

 ならば、この演出の目的は、人質にされたキャバ嬢を将軍がカッコよく助けて、将軍に英雄(ヒーロー)気分を味合わせることだろう。

 

 だから、世紀末もあんな言い方をしてでも、人質役を将軍にやらせるわけにはいけなかったのだ。

 

 ――じゃあ、人質役のわたしがすることは……。

 

 それを思案しながら、わたしは世紀末の元で辿り着く。

 

「おー、近くで見ると、より可愛いじゃねェか!」

 

 世紀末はなんだかそれらしいことを言って、わたしの後ろから手を回し、首にシャキッとナイフの当てた。

 

「この女の命が惜しくば、ありったけの金を集めて来いよォ!」

「……甘いわね」

 

 威勢よく叫ぶ世紀末山崎に、わたしは小さくダメ出しした。

 

「脇が緩いわ。それに、左手でわたしを羽交い絞めするくらいいしないと、背負い投げが容易に出来てしまうけど?」

「お……おう……」

 

 言われた通りにする世紀末。ある程度は良くなったが、ナイフの角度が気に食わなかった。首に刃が向いてなかったら、臨場感がないじゃないか。

 

「あと、もうちょっと手首を捻りなさい」

「え……けど、そしたらホントに首に傷が……」

「やるからには本気で!」

「ハイィィィィイ!」

 

 裏返った返事をして、世紀末がよくやくまともにわたしを拘束した。

 

 さて、と一息吐いて、前を見ると。

 

 ――あれ?

 

 首を傾げたくなるところを、我慢する。

 

 沖田が、すごく心配そうな顔をしていた。

 

 



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地味な人生に拍手を送ろう③

 真剣で。少し焦っているような、そんな眼差しで。

 

 ――迫真の……演技?

 

 そうとしか思えないような表情に、笑いたくなるのを我慢する。

 

 たとえ、山崎が本当にご乱心だとしても。

 

 ――わたしが山崎なんかに負けるわけはないじゃないか。

 

 そう考えれば、不服でもあるが。

 

 しかし、今それを訴えるのは、場の空気を壊してしまう。

 

 将軍様に、臨場感あふれる危機感を味わってもらわなければ。

 

「た……助けて……」

 

 震える声音で言う。敢えて目を瞑っているのは、泣いているのか笑っているのか、誤魔化すため。

 

「くそっ」

 

 駆けだそうとする沖田を、押さえたのは、将軍だった。

 

女子(おなご)の汝が出ていくのは危ないだろう、ここは余に任せてはもらえないか」

 

 そう言って一歩前に出るのは、裸の将軍。

 

「マウンテン殺鬼(ザキ)と言っていたか……貴公が欲しいのは、金、ということで間違えないか?」

 

 そう話ながら、悠然と歩いてくる将軍に、世紀末は狼狽えながら「お……おう」と答える。

 

 まっすぐこちらを見据えてくる白ブリーフの男に、恐怖感を抱くのはわからないでもない。

 

 けど、手が震えると本当にわたしの首が切られてしまいそうで、余計な恐怖でわたしは顔をしかめた。

 

「金なんかでよければ、余がいくらでも出そう! だから、その娘を離したまえ!」

「いくらだァ? そう大口叩くくらいなら、金百両くらいは出してくれるんだろうなァ?」

「百億」

「……はぁ?」

 

 百億と言い切る将軍に、思わず聞き返したのはわたしだった。

 

「ちょっと将ちゃん、こんな身分もろくにない女に、さすがに百億はないんじゃないの?」

 

 財政などまるで詳しくないが、おそらく国家予算規模の金額である。それに、将軍は真顔で首を振った。

 

「何を言う。汝は余の友なのだぞ? 友のためならば、金などいくら積もうとも、まるで惜しくない。喜んで払おうではないか!」

 

 ――大丈夫かなぁ、この国……。

 

 なんとなく、天人(あまんと)に侵略されたのもわかるような気がして、わたしは苦笑するしかなかった。

 

 世紀末は叫ぶ。

 

「な……なら! 持ってきやがれ百億両ッ!」

「かしこまった。じゃあ……」

 

 その時には、将軍はもう目の前にいて。

 

 将軍の腕が眼前まで伸びてくる。ナイフを持つ世紀末の手を捻った。

 

「いでででででで!」

「独房の中で百億両稼げるようになるくらい、きっちり反省してもらおうではないか」

 

 そう言いながら、空いている手でわたしを引き寄せる。

 

「桜ちゃん、怪我はないか?」

「大丈夫大丈夫」

 

 見上げる将軍の顔はとても端正で。

 

「将ちゃん、格闘出来るんだね?」

「護身術を教わっていた程度だ」

 

 護身術を嗜む程度で、ここまで鮮やかなお手並みだと、アッパレであるが。

 

 わたしは顔を上げたまま、にこりと微笑む。

 

「ありがとう」

「う、うむ」

 

 将軍の顔が少し赤らみ、照れ臭そうに笑みを浮かべた。わたしはその顔を見続ける。

 

 ――下向けば、パンツ一枚だからね。

 

 しかしまあ、これで将軍もカッコよく人質救出できて、いい体験となっただろう。果たして、ネタバレするのかしないのか、周りの様子を伺おうとした時だ。

 

「オレ様を馬鹿にすんじゃねェェェェェエエエエ!」

 

 ナイフ構えて、突っ込んでくる世紀末。血走ったその目と、勢いを、さすがに将軍が無傷で対処するのは難しいだろう。

 

 ――さすがに、そろそろいいわよね。

 

 わたしは迫るナイフを蹴り飛ばそうと、脚を振り上げた時だ。

 

「あ」

 

 軸足が、くきっと曲がる。

 

 ――あ、ヒール履いてたんだっけ。



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地味な人生に拍手を送ろう④

 そのままバランスを崩すと、目の前にはナイフの刃が煌く。

 

「なにやってんだテメェは!?」

 

 誰かの手が、ナイフの刃ごと握っていた。その手はじっくりと、赤い血が滲み出す。

 

「総悟っ!?」

 

 ナイフを掴み、わたしの肩を抱いて支える彼の名を呼んだ。

 

「アンタ、こーゆー時だけちゃんと呼んでくれんのな」

 

 彼は顔をしかめながらも、ニヤリと笑って。

 

 その時、

 

「アイヤーッ!」

 

 チャイナ服からすらりとした脚を伸ばして、神楽が将軍ごと世紀末を蹴り飛ばしていた。

 

 世紀末と共に、将軍が頭を軸に回転しながら飛んでいく。

 

「……将……ちゃん?」

 

 二人して、壁に激突し、めり込んだ。

 

「桜ちゃん、大丈夫アルか?」

 

 ふぅ、と息を吐く神楽の顔は、爽やかだった。

 

「う……うん。お陰様で。けど、将ちゃんめり込んでいるけど、いいの?」

「大丈夫ネ! 女子(おなご)助けろ言ったの、将ちゃんアル!」

 

 にかっと笑うその顔に、後悔の色はない。将軍も、頭が壁に刺さってはいるものの、足がぴくぴく動いているので、命に別状はないだろう。

 

 ――ま、いっか。

 

「サドも大丈夫アルか?」

 

 ついでのように訊く神楽に、沖田は頷く。

 

「あぁ。別に大したことねェーよ」

「いや、大したことあるでしょ」

 

 沖田の言葉に、わたしは即座に否定した。手からはドクドクと血が滴り続けており、腕まで赤く染まっている。

 

 わたしは自分のワンピースの裾を噛んだ。

 

「オイ、いきなり何ハレンチなことしてるんでィ」

 

 気にせず、わたしはピンと張った裾を破る。細長いその切れ端を、わたしは沖田の手に巻いていった。

 

「包帯だったら、奥にあるだろうに」

「持ってくる時間が惜しい」」

「なら、わざわざテメェの服破かんでも俺のを――」

「男の太ももなんか見たくないわよ」

 

 それに、沖田は鼻で笑った。

 

「見てみろよ、ちゃんとムダ毛も処理したすべすべの肌を」

「その完璧なまでのこだわりがむしろ気持ち悪いわ」

「美しいだろ?」

「……否定は、しない」

 

 女としての悔しさに唇を噛みながら、わたしは布を巻き終える。

 

 その時、ガシャンと大きな音がフロアに響く。

 

「お前ら! 早くどくアル!」

 

 音は頭上から聴こえた。見上げれば、不自然なバランスだったシャンデリアが、さらに方向を変えていて。

 

 落ちてくる。

 

 わたしがまた、沖田に抱え込まれて。わたしの上に被さるように、体勢を変えられて。

 

 そして。

 

 爆音が、鼓膜を大きく揺るがした。

 

 ――爆音……?

 

「桜ちゃん! 沖田さん! 無事ですかっ?」

 

 硝煙に咳き込むと、沖田がゆっくりと上体を起こす。

 

「てて……今日は厄日か?」

 

 シャンデリアは粉砕され、辺りにガラスの破片が散っていた。落下の直撃は避けたものの、散らばる破片で沖田には小さな切り傷が複数出来ていた。

 

「いい女が台無しね」

「あぁ? 助けてやった俺様に対して、よくそんな軽口叩けるなァ」

「……ちょいと、愛が重いなと思いましてね」

 

 聴こえたのかどうなのか、わからないくらい小さな声でそう言って。

 

 シャンデリアが爆砕した原因を探す。

 

 バズーカを構えた山崎がいた。

 

 世紀末ではない、普通に真選組の制服を着た、山崎がいた。わたしの知っている山崎がいた。とにかく地味な山崎がいた。

 

「聞きましたよ、沖田隊長! 俺が将軍様や隊長を襲撃なんてするわけないでしょう!」

 

 そう叫ぶ山崎は、目にいっぱい涙を溜めていて。

 

 壁に埋もれる将軍と世紀末は、やっぱりピクピクしているだけだった。



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迷った時は喧嘩を売れ①

 

 

 

「……確かに、昔の俺に似てるような気がしないでもないような、そうでもないような」

「誰がどう見ても、まんまテメェーだろうが」

 

 壁に刺さっていた男たちを引っこ抜き、床に転がした世紀末を山崎と沖田は見下ろしていた。

 

「そういや沖田さん、覚えてませんか? 俺がマウンテン引退した時、襲名だぁって騒いで浪士組脱退した奴」

「覚えてねェーなァ。そんな三流っぽい奴は」

「ま、沖田さんはそーですよねぇ」

 

 嘆息する山崎に対して、沖田は舌打ちする。

 

「オイ、山崎。その言い方は俺にケンカ売ってると取っていいんだな? 太っ腹な俺様が景気よく買ってやらァ、どーする?」

 

 沖田は機嫌が悪いようだった。

 

 なんやかんや女装は嫌だったのか、一段落した直後にすぐさま制服姿に着替えていた。もちろん、カツラも取っている。

 

 そんないつものドSの一番隊隊長が、いつもよりもねちっこく部下に絡んでいた。

 

 ともあれ。

 

 いきなり強盗の如く乱入してきた世紀末は、本当に強盗だったらしい。

 

 その正体が、昔の山崎の知り合いだったなんて、些細な問題である。

 

 ――実際に、あの様子だと友達でもないみたいだしね。

 

 わたしはそんな二人の様子を見ながら、扇子を仰いでいた。

 

 わたしの膝を枕にして寝ている人物は、まだ目を開かない。

 

「桜ちゃん、上様の様子は?」

 

 外で一通りの指示を出し終えたらしい近藤が、駆け寄ってくる。

 

 わたしは首を振った。

 

「だーめ。動かない」

「そ……そんな! まさか……」

 

 青ざめた顔をする近藤を見ながら、わたしも思案する。

 

「脈拍も正常で、呼吸も問題なさそうなんだけどねぇ。外傷も特にないし。顔色も……なんか表情が固い気もするけど、命に別状がある様子でもないと思うよ」

「桜ちゃん、医学に心得でもあるの……?」

「別にー。昔ちょこーっとそーいった本を読んでた時期もあったけど……まぁ、人の生き死にはたくさん見てきたからね。なんとなく、生きる人と死ぬ人の見分けくらい、つくようにならない?」

「まぁ、確かに……」

 

 近藤の同意も得て、もう一度、わたしの膝で眠る将軍の顔を見る。やっぱりなんか微妙な寝顔な気もするが、特別具合が悪そうではない。

 

 ちなみに、将軍はちゃんと服を着せている。

 

 将軍を引っこ抜いたのは、どこからともなく現れた銀時だった。気を失っている将軍にぶつくさと言いながらも適当に服を着せ、わたしに預けて行ったのである。

 

「あのさ、お兄ちゃん、どこ行ったの?」

「万事屋なら、金はどこに請求すりゃいいんだーって叫びながら、帰っていったよ」

「……何しに来てたのよ、あいつらは……」

 

 呆れるわたしに、近藤が苦笑を返した。

 

「でも、山崎を呼びに来たの、万事屋だったよ。新八君が俺らに事情を説明している間に、桜ちゃんのお兄ちゃんが山崎の襟首掴んでったのさ。全く、油断も隙もない奴らだね」

「ほんと、どーしようもなく憎めない兄貴で申し訳ない」

「憎めないって、桜ちゃんが言っちゃう?」

「あら、わたし結構ブラコンよ?」

 

 そう言う自分が笑いを堪えられなくって。

 

 近藤と顔を見合わせながら笑いあっていると、どこからと視線を感じる。

 

 その方を見れば、やっぱり不機嫌そうな沖田と目が合った。

 

「ほら、桜ちゃんがお兄ちゃん大好きなんて言うから、総悟が拗ねちゃってるじゃないか」

「なんか、さっきからあんな感じよ、総悟くん」



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迷った時は喧嘩を売れ②

 そう言うと、近藤はあっさりと言う。

 

「嫉妬してんだよ」

「誰に?」

「みんなに」

 

 そのアバウトで幅広い返答に、わたしは顔をしかめる。

 

 すると、近藤がわたしの頭をポンポンと叩いた。

 

「大好きな女の子が、姉貴を亡くして一番心細い時に、山崎と仲良くしたり、将軍様に膝枕したりしてるんだから……ね」

 

 わたしは自信ありげな笑みを浮かべる近藤に、無表情で言う。

 

「じゃあ、将ちゃんもバズーカでズドーンかな?」

「や、さすがにそれは……ないと……いいよね……?」

「あーあ、真選組の春は短かったねー」

「やめて! 俺まだ死にたくないっ! 腹切りは嫌だー」

 

 両手で頭を抱えてぶるぶると震える。

 

 そんな大袈裟なリアクションに、

 

「責任者って大変だねー」

 

 淡々と答えて視線を下げれば、気を失っている将軍の口角が少しだけ上がっていて。

 

 ――ま、いいか。

 

 わたしが扇子で将軍に風を送りながら、何気なく訊く。

 

「てか、なんで総悟くん、あんなに綺麗なのよ。こっちこそ嫉妬したっての」

 

 それに、近藤はあっさりと答えた。

 

「そりゃあ、毎晩吉原に花魁として潜り込んでるんだから、キャバ嬢だって大差ない――」

「近藤さァァァァァアアアアアアんっ!?」

 

 ドスの効いた、うねり声。

 

「隠密じゃなかったのか? え?」

 

 あっという間に突進してきた沖田が、怒りをあらわにしながら、局長を見据えていた。

 

「そ……そういや、桜ちゃんには内緒でって約束だったな……すまない」

 

 と、狼狽えながらもわたしを見下ろして来る近藤。

 

 その不自然さとヒントを元に考える。

 

 沖田に女装趣味は、基本としてなかったはずだ。どちらかといえば、なんやかんやで男らしさなどにこだわっていた節もある。

 

 吉原という場所がどんな所かは知らないが、花魁がなんたるかは知っている。ようは遊女だ。男を楽しませることを生業とする人たちのことだ。キャバ嬢と違う点は、境界や雰囲気が違う……といったところか。

 

 そんな真似を、わざわざ沖田がしてまで潜入していたということ。

 

 そして、それがわたしに内緒だったということ。

 

 ――わたしに関係する何かを調べていたということ……?

 

 わたしは沖田を見上げる。

 

 沖田が固唾を呑んでいた。よほど、わたしにはバレたくないのだと思われる。

 

「……鬼兵隊でも、その吉原ってところに潜んでいるのかな?」

 

 沖田と近藤が目を見開いた。

 

 どうやら、正解のようである。

 

「まぁ、江戸のどこかに潜伏してるだろうって、そりゃ調査してるわよね」

 

 近藤さん暗殺事件の際や、武器の密輸事件の際、高杉やその部下と鉢合わせしている。つまりは、その根城がどこかにあるということだ。

 

 攘夷浪士の討伐が真選組の仕事の一環である以上、それを調査するのも当然のこと。

 

 そして、

 

「一番隊隊長が直々に動くなんて、結構信憑性があるってことよね?」

 

 わたしが微笑むと、沖田が歯を軋ませる。

 

「……先に言っておくが、俺ァぜってェーに許さねェーぞ?」

「そう言われて、わたしが言うこと聞いたことがあったかな?」

「大体、アンタが来てなんになるってんだ? ストーカー捕まえんのは、お巡りに任せておきゃいいだろ」

「ちょいとストーカーに訊きたいこともあったもんでね。なかなかいいタイミングで居所見つけてくれるなんて、さすが真選組ね」

「んなもん、俺が捕まえて来てやっから、牢屋にぶち込んでから訊きゃァ、いいだろーが。それともアレか? 俺が信用ならねェーってでもいうのか?」

 

 そう言われて、わたしは笑顔で、一言。

 

「だからね、愛が重いって言ってんのよ」



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迷った時は喧嘩を売れ③

 すると、沖田の表情が固まって。

 

 その顔が、少し可哀想で、わたしは口を開きかけた。

 

 けど、やめる。

 

 同情が、彼を救うわけはないから。

 

 代わりに、わたしは本当のことを言うのだ。

 

「だって、総悟くんは気づいてないでしょう?」

 

 ――気づいてほしくないくせに。

 

「わたしのことなんか、何も知らないくせに」

 

 ――自分だって、ろくに分かってないくせに。

 

「なのに、わたしのことが好きなの? わたし、そんなに好みな見た目してた?」

 

 ――わたしだって……。

 

 自覚は、とっくにしていた。だけど、わたしはその気持ちに蓋をする。

 

 わたしは、さらに口角を上げた。

 

「だったら、一回試しに抱いてみる?」

 

 気が付いたら、わたしは右を向いていた。左頬が熱い。

 

 まばたきしてから、わたしはまた、沖田に叩かれたことを自覚する。

 

「アンタ、そんな自分を安く売るようなこと、二度と言うんじゃねェ」

 

 ――父親ですか、君は。

 

 沖田は肩を震わせながら、怒っている。その顔は、泣きそうにも見える。

 

 その顔は、小さい頃に高い木に登り、落ちて大怪我をした時にわたしを叱った父の顔に似ている。

 

 ――重いなぁ……。

 

 そんな真剣な彼の顔を見ながら、胸中愚痴する。

 

 親が子を想うような愛情を、抱かれる覚えはない。

 

 ましてや、一人の男が、生涯で一番の女に想うような感情を向けられる筋合いはない。

 

 ――だって、わたしは……。

 

 その後に続く言葉を、まだ口にする勇気はなく。

 

 わたしはゆっくりと目を閉じてから、嘲るような視線を沖田に向けた。

 

「それ、人の布団に裸で潜り込んだ人の言う台詞?」

「しつけェーな。ちゃんと下は履いてただろーが。いつまでゴチャゴチャ根に持ってやがるんでィ」

「だって、まだ許してないもの。許してほしければ、今すぐ土下座でもしてみれば? んで、『桜様、お詫びに吉原に案内させてくだせぃ』とでも、言ってごらんなさいよ」

 

 すると、沖田は舌打ちし、

 

「俺を舐めんのも、大概にしろよ……」

 

 低く唸り、睨んでくる。

 

 わたしは小さく笑って、将軍の肩を叩いた。

 

「将ちゃん、そろそろ起きて。んで、証人になってよ」

 

 それに、将軍はむくりと起き上がり、欠伸一つせず、

 

「証人になれとは、どういうことだ?」

 

 キリっとした顔で、そう訊いてくる。

 

「将軍様っ! お具合はもう宜しいのですかっ?」

 

 狼狽しながらも心配してくる近藤に、将軍は「問題ない」と一言。

 

 ――狸寝入りも甚だしいわね。

 

 苦笑しつつも、わたしは答えた。

 

「沖田総悟と、わたくし桜、この場で勝負し、勝った方が攘夷浪士、高杉晋助の討伐に参ります」

「えっ、ちょ、ちょっと桜ちゃん? なに言っちゃってるの?」

 

 さらに狼狽える近藤に答えつつ、わたしは立ち上がる。

 

「過激派体表の討伐だなんて、強い人が行くのが当然でしょう? 総悟くんよりもわたしの方が強ければ、わたしが行っても何も問題ないじゃない? 近藤さんも、総悟くんが真選組で一番強いから、総悟くんに命じたんでしょう?」

「まぁ、それと花魁に紛れて討伐を謀るのがいいだろうというのもあって、女装が似合いそうな総悟に頼んだけれども……」

「近藤さんや土方さんじゃ、一目で怪しい奴だとバレちゃうもんね」

 

 いかついオカマの花魁姿を想像しながら、わたしはヒールを脱いだ。また足首を捻るなんてヘマしたら、決闘も台無しだろう。

 

 裸足で歩こうとするわたしを、沖田が制する。

 

「オイ、素足じゃ危ない――」

 

 伸ばされる手を、わたしは振り払った。

 

「安心してよ。ガラスの破片で足が痛いから負けちゃったのーなんて、言い訳する気はないから」

 

 絨毯の上は、落ちたシャンデリアの破片が飛び散ったまま。大きな破片を避けることは容易いが、小さなものまで目視するのはなかなか厳しい。

 

 わたしはテーブルから距離を開けるため、数歩動く。

 

 一歩踏み出すたびに、足の裏に痛みが走った。

 

 だけど、そんな痛みも、気にする必要はないのだ。

 

 どうせ、すぐに治る(・・・・)

 

 ――気づいてないでしょう?

 

 わたしは心の中で、沖田に呼びかける。

 

 ――さっき捻った足首だって、もう痛くもなんともないんだよ。



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迷った時は喧嘩を売れ④

「先に相手の胴体に触れた方が勝ちってことでいいかしら?」

「本気なのかよ?」

 

 わたしが笑顔で頷くと、沖田はまた舌を打った。

 

「怪我したって、知らねェからな!」

 

 ――怪我させるつもりもないくせに。

 

 苦笑したい気持ちを押さえて、わたしは構える。

 

 しぶしぶ、沖田も構えたところで、

 

「……行くよ」

 

 わたしは駆ける。ジャリジャリと破片のこすれる音を響いた。手の届く範囲まで寄って、まっすぐに掌底を押し出す。

 

 沖田は黙って、その手を掴んだ。そして、捻り挙げるように持ち上げてくる。

 

「痛ひ……て、降参するとでも思った?」

 

 わたしは床を蹴り上げて、バク宙しながら蹴りを繰り出す。沖田は手を放し、一歩後退することで躱した。

 

 着地した瞬間に、身を低くして突進。沖田の左脚を左手で掴み、そこを軸に滑るように回転。彼の背中に触れようとした時、

 

「くそっ!」

 

 皮肉げに顔をしかめながら、沖田が上段に、蹴りを繰り出して来る。

 

 わたしは、その脚に飛び乗った。

 

 目を見開く沖田と視線が合い、わたしは小さく微笑む。

 

「ごめんね」

 

 そして、沖田の胴体に飛び乗ると同時に、彼は後ろに倒れていって。

 

 わたしは彼の頭の下に手を置いた。絨毯が敷いてあるから強打しないとはいえ、ガラス片が頭に突き刺さるのは、とても危険だ。

 

 無事に倒れて、わたしは沖田の胴体から足を下す。

 

 ふと思う。

 

 目の前にあるのは、整った顔。大きな瞳は少し潤み、華憐な唇はほのかな桜色。恥ずかしいのか、頬が紅に彩られている。

 

 ――この体勢……まるで絵本の王子様が、眠れるお姫様に口づけをする場面かっての!

 

 それに、なんだかこっちまで恥ずかしくなってきて、

 

「ご……ごめん!」

 

 わたしは沖田の上から退いて、立ち上がった。

 

「……なんでアンタが照れてるんでィ」

 

 沖田もゆっくりと上体を起こすと、頭をぼりぼりと掻いている。

 

「負けて恥ずかしいのは、こっちだっつの……」

 

 ともあれ、沖田が負けを認めた以上、この勝負はこれにておしまいである。

 

「手、抜きすぎじゃない?」

「ちったァ考えてみろってーんだ。ペットを傷付けるようなヤツにゃ、ペットを飼う資格はねェーんでサ」

「このペット、ちょっとやそっとじゃ、傷付かないよ?」

「頑丈なこって、何よりで」

 

 その軽いやり取りにわたしは「ふふふ」と笑い、向き直る。

 

 見届けてくれた将軍に、戦果を確認するのだ。

 

「そういうことで――将軍様、わたくしめに攘夷浪士と討伐、命じて下さいますでしょうか?」

 

 わたしの微笑に、将軍こと将ちゃんの顔は固い。

 心配なんだろうなぁ。やっぱり優しいんだなぁ。

 

 だけど、短い付き合いながら、わたしは知っている。

 

 この男は、いい男なのだ。

 

「……約束を果たさぬなど、将軍失格だな」

「まぁ、正直な所。将ちゃんの合意を取る前に始めた気もするんだけどね」

「ならば、この決闘はなかったことにしても良いか?」

 

 その提案に、わたしは首を横にふる。

 

「後の詳しい話は、松平さんや近藤さんを介して」

 

 そう告げると、将軍は大きく嘆息して「わかった」と頷いた。

 

 

 

 




ご無沙汰しております。
数年ぶりに書いてみました。

だってふと自分で読み返したら、想像以上に面白かったんだものw
やっぱり、自分の作品の一番のファンは自分ですね。

正直このページはほとんど書いてあったので、締めだけ書き足したのですが……
この続きをすっかり忘れてしまったので、また考えてチマチマ更新できたらなぁ、なんて思っています。

ただ、他サイト似たようなペンネームでオリジナル小説をメインで更新しているので、その合間の息抜き程度になりますが。

次またいつ更新できるかわかりませんが、わたし以外の誰かの暇つぶしとして、この小説が楽しんでもらえますように


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