彼と彼女たちの、いちゃいちゃ短編集。 (ペレオン)
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「感謝と……」「尊敬と♪」「愛を!」「「「あなたに」」」

http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6465475 こちらで掲載した物を、ハーメルン用に加筆・改稿した作品です。

内容としては、八幡が雪乃といろはと結衣からバレンタインチョコを貰いつつ、いちゃいちゃしてるだけです。

感想とか貰えると、とても嬉しいです!
どんなものでも、お待ちしております。


Side 雪ノ下雪乃

 

『比企谷君、あなたに渡したいものがあるの。 明日、12時に部室へ来てもらえるかしら?』

 

 

 2月13日。志望校への受験が全て終わった土曜日の夜。

俺は自室のベッドの上で高性能暇潰し機能付き携帯電話を横向きにして両手に持ちながら、ゲームをしていた。

……少し前までは、ただの目覚まし時計だったこいつも、この2年弱ですっかり本来の用途で使われるようになったな。

今もこんな感じで、リア充御用達の某トークアプリから通知が入って無慈悲にフルコンを逃した所である。

なんでこう、いけそうな時に限って全画面に割り込んでくるタイプで邪魔してくるんですかねぇ……

 

 

 はっ! 雪ノ下め、まさか俺がアイドルたちと戯れているのを知っててわざと……?

流石にねえな。うん。ないよね?

 

 

 ひとしきり脳内で愚痴と疑念と恐怖が、光り輝くアイドルたちのようにダンスした後。

俺はゲームを終了させて、携帯電話の通知欄を何の気なしに眺める。

結局、高校生活のあいだ、こいつには世話になりっぱなしだったな。

 

 

 いつだって、いまだって。感謝してもしきれない。

 

 

 そんな彼女が、俺に渡したいもの。なんだろうな。

ま、聞いてみりゃいいか。今から、話すんだしな。

俺は『雪ノ下雪乃』と書いてあるだけの、ただの無機質な文字列のはずなのに、先ほどまで画面に映っていたどのアイドルたちよりも更に光り輝いて見えるそれをそっと触り、メッセージ画面を立ち上げた。

 

 

『出し抜けだな。合否発表もでてねーのに何で日曜に学校いかなきゃなんだよ。寒いし』

 

 

『合否発表が出されてても平日でも、あなたは同じ事を言うのでしょう?』

 

 

『流石だな。なんなら春一番が吹くぐらい暖かくても出歩かないまである』

 

 

『はぁ……。 で、どうなのかしら? やはり私に会うだけでは学校には来てはもらえないのかしら?』

 

 

『いや、お前がわざわざ渡してくれるもんがあるってんなら、行くよ。いかなきゃ今後の大学生活が灰色になりそうだしな』

 

 

『よくわかってるじゃない。 では、明日の12時に部室で。待っているわ。』

 

 

『ったく……へいへい、りょーかいっと。 おやすみ。また明日な。』

 

 

『ええ。 おやすみなさい。』

 

 

 

 明けて2月14日。雪ノ下に呼び出された神様のいない日曜日ならぬ、誰も学校にいない日曜日。

多少夜更かしをしてしまったが、ここに来るまでに目も覚めた。

予定の時間よりは少し早いが、雪ノ下ならおそらくもう来ているだろう。

ノックしてから入ろう。何気なくそう思って手を扉に向けかけたが、直前で思いとどまった。

……なんとなくだが、こうした方がいいような気がする。

自分の直感に従い、そのまま手をかけて扉を流し開けた。

 

 

 俺が最初に憧れた、雪ノ下雪乃がそこにいた。

 

 

 木漏れ日の様な陽射しの中で本を読む彼女の姿は、まさに芸術品のようだった。

見惚れてしまったその姿に、挨拶と言えるのかどうかもわからないような、いつもの声を上げることすら忘れてしばし。

雪ノ下が、読んでいた本から顔を上げ、こちらを向いた。

物語に浸っていた真剣な表情から、俺を罵倒する時のいきいきとした表情へと変わっていく。

おいおいなんでそんなに楽しそうなんだよ。

なにこれ、俺どうなっちゃうの?

 

 

「比企谷君、どうしたのかしら? まさか私に見とれていたの?」

 

 

 なかなかいい笑顔で言ってくれるじゃねーか。

一時期は見せなくなったけど、最近またその悪い表情見せるようになってきたな。

そんなんでもサマになってるから性質悪りいんだよなぁ。

雄弁は銀なり、沈黙は金なり。

とか言うけど、こいつには口に出して伝えてやることにする。

 

 

「お、おう。 まあ、そんな、とこだ」

 

 

 伝えるってレベルじゃねーぞ! やべぇ。

噛まなくなった事は高校生活で鍛えられた結果かもしれんが、そんだけじゃねーか……

内心で自分の進歩の無さに打ちひしがれていると、雪ノ下が少し真面目な表情に変わって、俺に向かって問いかける。

 

 

「あなた…… 申し訳ないとは思わないのかしら?」

 

 

 俺と雪ノ下と、もう一人。奉仕部員として、そして何より。

雪ノ下にとってもかけがえの無い親友である彼女。

そいつの定位置にある席を見てから、こちらを睨んでくる。

まあ、そう怒るなって。ちゃんと説明すっから。

 

 

「思わねーよ。最初にお前を見た時の事を思い出しただけだからな」

 

 

「最初? 平塚先生に連れてこられた時かしら?」

 

 

「あぁ、そんときだ。俺は、お前に見とれてた」

 

 

「あの時のあなたの目つきは凄かったわ」

 

 

「ちょっと? 人が思い出を語ろうとしてるのに茶々いれんのやめてくんない?」

 

 

「どうせ私を手篭にしたかったとか、そう言う話でしょう?」

 

 

「ちげーから。ったく……あれだ。 たぶん、お前に憧れてたって話だよ」

 

 

「憧れ……?」

 

 

 雪ノ下がこちらを見る。その瞳には、困惑の色が浮かんでいた。

 

どう言ったものか、と逡巡しながら口を開く。

 

 

「そうだ。 そうだ、ええとな」

 

 

 大事な事だから2回言ったわけじゃないよ!

相槌うった後に喋りたい台詞思いついただけだよ!

 

 

「憧れは理解から最も遠い感情だよ。」

 

 

「いい言葉ね。何の作品の台詞かしら?」

 

 

「とある漫画のな。たぶん、この台詞どおりの意味でしか、俺はお前の事を理解していなかったんだと思う」

 

 

「そう、そう言う事……」

 

 

 雪ノ下は、寂しそうにその表情を曇らせる。

そんな表情しないでくれ。お前には、もっといい表情がある。

 

 

「過去形だよ。今はもう少し、お前の事を理解してる、しようと努力してるつもりだ」

 

 

「言うようになったじゃない。感心したわ」

 

 

「感謝してるんだからな。お前がいたから、俺は自分の気持ちに本気で向き合えたんだ」

 

 

「なら、素直に『ありがとう』と、一言いいなさい。回りくどいのよ、あなたは」

 

 

「つってもなぁ……」

 

 

 気恥ずかしい心持ちを誤魔化そうと、頬をかく。

すると。

 

 

「なら、私が手本を見せるわ。よく、見ておきなさい」

 

 

 雪ノ下が顔をほんのりと赤らめ、恥ずかしそうな表情をしながらも、しっかりとこちらを向いていて。

いつのまにやら両手で大事に抱えるようにしてピンク色の包みを持っている。

それをこちらに差し出し、瞳をあわせて。

 

 

「今までありがとう比企谷君。出来ることなら、これからもよろしく」

 

 

 差し出された包みと、言葉と、雪ノ下の浮かべた表情。

そのどれもが、雪解けと春の到来を間近に思わせるような、素敵な贈り物だった。

 

 

 

 

 

Side 一色いろは

 

 

 

 

『せんぱい、明日って暇ですかー? 受験も終わってるし暇ですよねー?』

 

 

 雪ノ下とのメッセージやりとりを終えて、少し後。

なんだよ、今度は……

あぁ、一色か。ロック画面のままメッセージほっときゃ既読つかねーから無視むs

 

 

『まだ起きてますよねー?』

 

『起きてなくても通知音で気付きますよねー?』

 

『既読つけなかったら無視出来ると思ったら甘いですよー?』

 

『返事が無かったら……』

 

 

こいつはヤバい。何がヤバいってマジでヤバい。

仕方ないので可及的速やかに、画面を縦横無尽になぞる。

 

 

『わかった、わかった! そんなに連投してくるんじゃねえ』

 

 

『はー、やっと返事してくれましたね。これだからせんぱいは……』

 

 

『うるせぇよ。こちとらもう寝ようと思ってたのによ。 で、明日は暇じゃない。アレがアレしてアレだから』

 

 

『せんぱいがそういう時ってだいたい暇じゃないですか…… 明日、お昼の1時に学校の生徒会室へ来て下さいね! でわでわ~』

 

 

『おいちょっと? 俺の意思は? ねぇ?』

 

 

 

 返事を少し待ってみたものの、反応なし。

 

 

……お前が既読スルーするんかい!

 

 

 ま、こいつとのやりとりでは適当な所でお互いに切り上げるのがいつもの事だから、どっちもどっちなんだけど。

既読スルーとか気にしないぐらい気の置けない関係じゃないと、どっちにしたってな。

だからまあこれでいい。どうせ雪ノ下にも会いに行かなきゃだしな。

時間も上手いことずれてるし、問題ないだろ。

 

 

 

 

 日付は2月14日、時刻は13時より少し前。恋する人もいるかもしれない日曜日。

雪ノ下との何気ない世間話を終えて、俺はのんびりと生徒会室へ向かっていた。

あいつと中身の無い話なんて以前じゃ考えられなかったが、今では割とよくある。

 

 

 人なんて変わってくもんだからな。同じ場所に同じ人が同じように集ってても、全く同じままなんて事はありえない。

 

 

 ま、世間話の中身なんてどうでもいいだろ。大抵は俺と…… あぁ、生徒会室ついたな。

自分から誘ってきたんだし、一色ももう居るだろ。

控えめにノックすると、どうぞーと返ってきたため生徒会室に入る。

 

 

 入ってみると、ぐでーっと机に突っ伏しながらだらけきった一色いろはが、そこにはいた。

 

 

「せんぱいおっそーい」

 

 

 体を起こすことすらせず、顔を腕に乗せたまま目線だけをこちらに向けてくる。

 

こいつ……

 

 

「まだお前の指定してきた時間より前じゃねーか…… しかも呼び出しといてそれかよ。 どんだけ疲れてんだよ」

 

 

 ため息をつきながらも、自然と一色の横に置かれている椅子を引いて腰を下ろしていた。

生徒会の仕事を手伝わされていた時の習性が、いまだに残っているらしい。

帰巣本能のような自分の動きに、思わず再度ため息をつくと、一色がその身を起こしてきた。

 

 

 そのまま、ずいっと顔を近づけてきたかと思うと、すんすんと匂いをかいできた。

目の前でぴくぴくと動く鼻が小動物っぽくてとっても可愛い。じゃなかったいきなり近づいてきてこわい。

 

 

「おい、いきなりなんだよ」

 

 

「先輩からチョコと女の匂いがしますっ!」

 

 

 いきなりズバっと言い当てられた。

何なのこの子、いきなりどうしちゃったの?

今度は手で口を覆い、目を閉じながら泣いているような体勢になる。

 

 

「わたしという女がいながら……他の女と会っていたのね……えっぐ、ぐすん」

 

 

 ……はぁ。

 

ったく、今更そんな手に引っかかるかっつの。

こっちは本当の泣き顔だって見た事あるし、んなもんで騙されるか。

いまだにあざとく泣き真似をしている可愛い後輩を睥睨する。

 

 

「そらそうだろ。さっきまで雪ノ下とチョコ食いながら喋ってたしな。あと、嘘泣きなんて通用しねーぞ。そう言うのは通じる奴にやっとけ。お前の涙が勿体無いだろ」

 

 

 俺の放った無慈悲な一撃に対して一色が「は?」なんて底冷えする音を発したと思ったら、次の瞬間には徐々に顔を火照らせてあわあわ言いながら何か言い出した。

 

ほんとこいつは仕草とか表情とか、いちいち可愛いやつだ。

 

どうでもいいけど『強い言葉を使うな、弱く見えるぞ』ってのも結構な名言だと思うんだよね。こう言うのは脳内で留めておくに限る。

さっき微妙に留めきれてなかった気がするのは内緒だ。うん。

 

 

「ななな何言ってるんですか涙がもったいないなんてそれ俺なら絶対泣かせないから俺についてこいって意味ですかごめんなさい今の本当に女ったらしな先輩にはどうやってもついていけません無理です!」

 

 

 おー、顔真っ赤にして手をぶんぶん振りながら頭下げられたぞー。

一呼吸置いた後、長台詞をまくし立ててしんどかったのか、紅潮した顔を上げてはぁはぁと息をつきながら、上目遣いに潤んだ瞳の合わせ技でこちらを見てくる。

 

 

 ……おっと、グッときそうになった。あぶねえ。

こいつといると、ふとした瞬間にもっていかれそうになる。

 

 

「お前のそれも飽きないよな…… ま、もういいけど」

 

 

「えー、でもせんぱい一瞬ドキっとしませんでした~? 見上げた時にちょっと目が泳いだように見えたんですけど~?」

 

 

 うりうり~、とか言いながらさっきの切ない表情なんかどこ吹く風と言いたくなるほどすがすがしい、それでいて底意地の悪いニヤニヤした面持ちを浮かべ、ひじでつついてくる。

それも束の間、とてとてと俺から離れてロッカーへ向かう。

返答するタイミングを失ったことで、黙ってその様子を見つめる。

一色はロッカーから鞄を取り出し、更に鞄のファスナーを開いて、ラッピングされた包みのようなものを取り出す。

 

 

 それを見て、一色が「ふっ」と息を吐いて小さく笑った。

 

 

 鞄をしまい、ロッカーから離れ、ふわふわと亜麻色の髪の毛を揺らしながら、俺に向かって歩いてくる。

つかの間を置いて目の前で立ち止まり、後ろ手に隠したそれを元気に「はいっ」と差し出してくる。

 

 

「せんぱいには、いっぱいお世話になりました。ですから、せめてものお返しと言うことで、これを差し上げます」

 

 

 差し出されたのは、黄色い小さな包み。

この包みには、どんな思いがこめられているのだろうか。

そっと包みを受け取ってから、どうしてだろう。そんな事が気になった。

ともあれ礼を言わなくちゃな、と口を開きかけた。

 

 

「せんぱいの事は、本当に尊敬してるんですよ」

 

 

 開きかけたところで、聞いた事の無いような声で遮られた。

和やかで余裕のある、一色の声。

 

 

「せんぱいがどんな形であれ、わたしの背中を押してくれて、助けてくれたから。ここでこうしていられるんです」

 

 

 包みを渡した後、そっと俺から離れてふわりと髪をなびかせ、後ろを向く。

一色は俺に顔と手の仕草を見せずに話しているため、どんな表情をしているかはわからない。

 

 

「せんぱいは、本当に色々なものをくれました。わたしはあんまり何もあげられませんでしたけど、」

 

 

「そんなことはない」

 

 

 人の話に割り込むのは性に合わないが、ここはどうしても伝えたかった。

一色も、こちらを向いて目をぱちくりさせた。

言葉を続ける。

 

 

「そんなことは無いぞ。俺のほうこそお前に厄介事を押し付けちまった。だから気にするな。自作自演、マッチポンプみたいなもんだな。むしろそれしかないまである」

 

 

 反応はどうかと、一色を見てみた。

しばらく、ぽかーんと口をあけていたが、やがて言質を取ったとばかりに口元を歪ませる。

 

 

「そういうことなら、ホワイトデーは100倍返しでお願いしますね☆」

 

 

 ウィンクしながら敬礼ポーズ。だから、それは俺にやっても効果ないっつの。

可愛いやつめ。

 

 

「はいはい……」

 

 

「んじゃ、わたしはそろそろ帰りますね~。せんぱいも、早く出た出た!」

 

 

 俺は「え」とか「ちょ」とか発しながら文字通り一色に引きずられ生徒会室を出る。

なんなのん、尊敬してるとか言う割りに扱い雑すぎじゃない?

 

 

「これ以上待たせると悪いですからねー、早いとこ開放してあげますよ」

 

 

 生徒会室に鍵をかけ、こちらを向いてまたしても意地の悪そうな笑みをさらけ出していた。

 

 

「お心遣い感謝するわ。んじゃあな」

 

 

 俺は下足室へ向かって歩き出した。一色は職員室に鍵を返しに行くのでここでお別れだろう。

ようやく俺も家に帰れる。

 

 

「ぐえっ」

 

 

「気が変わりました。ちょっとだけおしゃべりしたい気分なので、鍵返しにいくのだけ付き合ってください」

 

 

 ……そう思っていた時期が俺にもありました。

いきなりマフラー掴むんじゃありません。

 

 

「ではでは~、鍵を返す旅にれっつごー♪」

 

 

「んな大袈裟なもんじゃねぇだろ……」

 

 

 ま、少しならいいか。ついていってやろう。

どうせすぐだしな。たまには、な。

 

 

 きっと、偶然だろう。

俺と同じマフラーの巻き方をした、あざとかわいい後輩に引っ張られるように。

もう二度と来ないであろう生徒会室から、俺は巣立っていった。

 

 

 

 

Side 由比ヶ浜結衣

 

 

 

 

『今、いいか? 起きてるなら電話がしたい。無理にとは言わん』

 

 

 雪ノ下と一色からのメッセージ爆撃をやり過ごしてすぐ。

俺はとある人へメッセージを送っていた。

日付が変わる前なので、そこまで深夜という訳でもない。

だが結構夜も更けてきているような時間だ。

長々とコール音を鳴らし続けるのもどうかと思い、短い着信音で済むように一文だけ送った。

 

 

 個人的に電話の呼び出し音というのが好きじゃない、と言うのも大きいが。

 

自分からかけて待つのもなんだが、何よりかかってくるのが嫌いだ。

さっきみたいなゲームのプレイ中だったり、遊びに行きたくない気分の時に限ってかかってくるどうでもいいやつからの遊びの誘いだったり、寝坊して起こされる時のバイト先からのモーニングコールだったり。

あ、最後のは嫌いじゃすまないね! てへっ!

 

 

 益体も無い事を考え出して、しばし。

 

 

 その手に持っていた携帯電話が振動を始めた。

どうやら起きていたらしい。

画面をなぞり、そっとスピーカーの部分を耳に当てた。

 

 

『おぉ、夜遅くにすまねえな』

 

 

『いいよ、起きてたし。急に電話したいって、どしたの?』

 

 

 なんでもないような感じの問いかけだ。

別に電話じゃなくても伝えられる用件だったが、どうしても自分の口で言っておきたかった。

 

 

『えっとな。明日、ちょっと雪ノ下と一色に呼び出されたから学校行ってくるわ』

 

 

『うん、そうなんだ。わかった』

 

 

『おう』

 

 

 無音。静寂。

 

 

『えっと……それだけ?』

 

 

『ま、まあ要件としちゃそんだけだな』

 

 

 再開。

我ながらこれはないと思ったので、もう少し説明することにする。

 

 

『あー、なんか雪ノ下が俺に渡したいものがあるんだと。んで、一色も俺に用事があるらしい。それぞれ昼の12時と1時に部室と生徒会室に呼び出されたよ。日曜だっつーのに、何のつもりなんだかな』

 

 

『……へぇー、二人とも学校にしたんだ』

 

 

 電話の向こうの声の主は、感心したような得心がいったような返事をした。

 

 

『え、なに、お前なんか知ってんの』

 

 

『いやー、特に? そう言う事なら頑張っていってね。ゆきのんもいろはちゃんも遅れたら怖いよ~』

 

 

 全く怖さが伝わってこない声だが、そこはそれ。

 

 

『いいのか? その……俺が行っても』

 

 

『ほえ? なんで? どうせ予定とか無いんでしょ?』

 

 

 ええい、こういうことはこいつの方がちゃんとわかるだろうに。

わざとか?

 

 

『いや、その、なんだ。部室に生徒会室にわざわざ日曜に呼び出されたんだ、たぶん二人っきりだぞ。いいのかよ?』

 

 

 大事な事なので2回目です。

っつか、俺としては一番この手の話をしたいのは……

 

 

『いいよ。いいに決まってるじゃん。だってさ』

 

 

 一呼吸置いて。

 

 

『ヒッキーが最後にあたしを見てくれたら、それでいいから。ちょっとぐらい、いいよ』

 

 

 由比ヶ浜結衣の最後の一押しに、俺はすぐに返答した。

 

 

 

 

「さてと、さっさと帰るか」

 

 

 一色と職員室に生徒会室の鍵を返したあと。

 

 

あざとかわいろはすは「では、わたしは先に帰りまーす! せんぱいはどうぞごゆっくり~。にしし」とかほざいて、さっさと行ってしまった。

 

 

小町みたいな笑い方しやがって…… ま、笑い方を似せた程度じゃ小町の天使っぷりにはかなわんがな!

 

 

 妹の可愛さを再確認しつつ、今度こそ下駄箱へ歩みを向ける。

校舎内の暖房に慣れた身にはつらい寒さが、徐々に体を凍てつかせてきた。

よく自転車で来たな俺。往路の自分を心中で讃えながらクラスの靴入れに差し掛かる。

復路の寒さを考え鬱屈とした気分になりながら、自分の靴箱の前へ移動する。

 

すると、そこには。

 

 

「あ、ヒッキーやっときた。やっはろー!」

 

 

 寒さのことなどあっという間に忘れてしまえるような、予想外の人がそこにはいた。

 

 

「由比ヶ浜? なんで、ここに?」

 

 

「なんで? うーん、だって、待ってるだけじゃつまんないし」

 

 

 あいもかわらず要領を得ない答えが返ってくる。

いやまあ言いたい事はわかるけどよ。

 

 

「わざわざ学校来なくてもいいだろ。確かに学校行くつったのは俺だけど。会いたいなら言ってくれりゃ、そっちまで行ったのに」

 

 

 俺の言葉を聞いて「たはは」と笑いながらお団子をくしくし撫でる。

続けざまに。

 

 

「やー、だっていてもたってもいられなくなってさ。一番早く会うにはどうしたらいいかなーって思ったら、勝手にきちゃった。えへへ」

 

 

 彼女が見せた表情は、今まで見てきたどんなものよりも、輝いて見えた。

 

 

 

 

「それじゃー、ヒッキーのおうちへれっつごー!」

 

 

 由比ヶ浜を後ろに乗せて、ゆっくりとペダルをこぎ始める。

スピードが乗ってきてバランスが安定し、そう気を配る必要がなくなっても、脳から足へ無心で回せと指令を与え続ける。

 

 

「ヒッキー、そんなに急がなくても大丈夫だよ?」

 

 

 お心遣い痛み入ります。でも意識を集中してないとですね。

 

 

「ヒッキー?」

 

 

むにゅっ。

 

 

「ヒッキー?」

 

 

ふわっ。

 

 

「ねーヒッキーってばー」

 

 

だきっ。

 

 

 いや最後の、だきっ。は無理あるだろ。

 

これあれな、荷台に跨ってる由比ヶ浜にあれでそれなあれを当てられたり、喋りかけられたときの甘い息だったり、俺に回されてる腕に力をこめられた時の様子な。

冷静に考えてみろ、すっげー可愛くてきょぬーでやわらかくて色んなとこからいい香りしてくる女の子に全身で抱きつかれてんだぞ。

お前らは平気でいられるか? 誰に向かって聞いてんだこれ。

どうでもいいわ。俺はもう、結構限界です。

 

 

「や、その、大丈夫だから。大丈夫だからおとなしくしてて」

 

 

 必死に足を動かして前を見つつ懇願する。

いつのまにやら無意識にゆっくりとした速度に落としていたが、それでもなお車輪は回り続ける。

 

赤信号で止まる時はゆるめのブレーキを心がけ、つんのめらないようにする。

カーブを抜ける際は最小限の傾きで、なるべく慣性を発生させず、慎重に通過する。

やむを得ず段差を乗り越えるタイミングでは、手前で上手くスピードを調節し、衝撃を小さくする。

 

 

 そこまでやってはいるのだが。

 

 

 信号で止まるときは「赤信号だね、ヒッキー」と言いながらぎゅーっと抱きついてきて。

 

 

 カーブでも「二人乗りで曲がるときって結構こわいよね」なんていってしがみついてきて。

 

 

 段差でも「わっ! 小さい段差でも結構がたんってなるね」って言いながら結局抱きつかれて。

 

 

「とうちゃーく! きょ、今日って、おうち誰かいるの……かな?」

 

 

「あぁ、いや。今日はいない。俺一人だ」

 

 

 そんな事を繰り返した帰り道。

 

どうやって学校から家まで帰ったか覚えてないぐらいには、俺は疲れていた。

疲れていたから由比ヶ浜の問いかけに、なんて答えたかもあやしい。

あやしすぎて光ってるレベル。洞窟とかタワーの中ではよくやられるよね。

5割の確率を何とか乗り越えマイスイートホームへ帰宅。

由比ヶ浜も「そ、そっか。うん、よし」なんて言いながら連れ立って入ってくる。

 

 

 今日は日曜日なのだが両親は仕事で不在、小町も遊びに行っててお留守だ。

 

学校に向かって出る前、リビングのテーブルの上に「小町は友達のところへ遊びに行ってくるのです! 明日が月曜日だからお泊りは無理だけどなるべく遅くまで帰らないようにするから! 頑張ってね☆」なんて書き込みが残されていた。

……うん、帰ってきたらシメる。

ともかく今は小町よりも、来客をもてなすのが先だろう。

 

 

「んで、どうする? 帰る?」

 

 

 リビングに通してソファに座らせ、紅茶を入れるためのティーカップを水屋から取り出した後にお茶の葉を用意する。

そんなもてなしの準備をしつつ、とりあえずやっとくかー、と思ってお決まりの台詞を投げつける。

いつもの事なので特に何の気も無く、続けて電子ポットに湯沸かし器からお湯を注ぎこむ。

ま、うち来た時にこれ言うとだいたい「だから! なんでそんな自然に帰宅を提案するし!」なんてぷりぷり怒る(かわいい)のだが、今日は反応が無い。

 

 

 はて、どうしたんだろうか。ポットにお湯を注ぎ終わった事を確認して加熱ボタンを押し、作動開始を確認してからソファに座らせている由比ヶ浜を見る。

こちらが立ったまま目線を向けたため、自然に上目遣いを向けられる。

 

 

「べつに、帰ってもいいよ? 今日はうちも、誰も、いないし」

 

 

 ほんのり赤らめた頬と、うっすらと潤んだ、それでいて強い決意を秘めたような瞳。

狼狽して「お、おう、そうなのか」とか何とか、打てば響く鐘のような返事をしてしまうと、さらに追い討ちをかけてくる。

 

 

「昼間だけじゃなくて、泊まりがけで旅行いっちゃってるから、さ。」

 

 

 そんなこと。

 

 

「でも、一人じゃ寂しいから、うちに来てくれるか、ヒッキーのおうちに泊めてくれるかすると、その……」

 

 

 最初はこっちを見据えながら途切れ途切れでもはっきりと言ってきたのに、最後は顔を真っ赤にして俯き、消え入りそうな声になりながら。

そんな姿勢を見せられては。

 

 

「……わかった。んじゃ、後で行く。行くから、準備するわ。部屋、戻っていいか?」

 

 

 こっちも、それ相応の応対をしないとな。

覚悟を決め、冗談とは言え心無い提案をした事への反省と、そこから話が予期せぬ方向へ転がった事への僥倖を噛み締め、部屋へ行こうとする。

 

 

「あ、じゃあこれ! 頑張って作ったよ!」

 

 

 しっかりと、それでいて手作りで結んだとわかるリボンに彩られた青い包みを差し出される。

今度は満面の笑みと、愛おしい気持ちを一緒に包み込まれるように両手の上に置かれた、それを受け取って。

 

 

「さんきゅ。んじゃ、ちょっと待ってろ」

 

 

 お返しに、彼女の― 結衣の髪を返事と一緒にそっと撫でて。

今度こそ振り向いて自室への階段を上り始めた後ろから「ヒッキーに頭撫でてもらった……えへへ」なんて嬉しそうな声を聞いて。

 

 

 ずっと一緒に寄り添いたいと、求め続ける事を、改めて誓った。

 

 

 

 

おまけ

 

 

 

 

 由比ヶ浜家へ向かう途中。

 

 

「ヒッキー? 何か忘れ物?」

 

 

「いや、ちゃんと一通り泊まるのに必要なものは持ってきたぞ」

 

 

「ならなんでドラッグストア寄るの? べつにいいけど」

 

 

「あー、まああれだ。家に無かった、と言うか今まで買うのを我慢してたと言うか、まあそれを買いに来ただけだ。」

 

 

「??? よくわかんないヒッキー……」

 

 

「あ、お前はついてくんな。寒いかもしれんが、外で待っててくれ。すぐ戻る!」

 

 

「え? え、ちょっとヒッキー? ヒッキーってばぁ! いっちゃった……」

 

 

 この後、由比ヶ浜家で楽しく二人でやっはろー(意味深)しました。

 

 

 

     (おわり?)



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アップルパイ・プリンセス

今回は八結です! あまあまにしてみました。
http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6509156
Pixivにも投稿しています。

こちらに投稿する際は、多少の加筆・訂正を入れています。

それでは、どうぞ。


 春眠暁を覚えず。寒さの和らぐ日が増え徐々に暖かくなってくると、うつらうららかとした陽気に誘われ、ことわざ通り起きるのがつらい日が増えてくる。

とは言っても、ついこの前までは寒さで布団から出たくなくて暁を覚えなかったし、暖かさが暑さに移ろいゆくと、暁どころか不倫揉み消し騒動も真っ青なぐらい真っ赤な炎上真っ盛りの寝床から寝苦しさのために起き上がれなくなる。

夏の暑さを忘れれば、研ぎ澄まされる刃物の放つ銀光のような寒さに震え、寝床と言う名の桃源郷でヘブン状態だ。とどのつまり。

 

 いつでも眠いって事だな。

 

 だがしかし、英気を養うだなんてありがたい言葉もある。

睡眠は必要なのだ。

一年中眠い事の何が問題だと言うのだ、俺は悪くない。

朝なんかに起きないといけない社会が悪い。もう昼になりそうだけど。

 

 千葉では珍しい、弥生にして未だ細雪の輝く窓の向こうを眺めて、低く分厚く垂れ込めた曇天の空に向かって脳内で愚痴を投げかける。

 

 さて、無駄に無駄の無い無駄な思考を重ねたお陰で、ようやく頭が冴えてきた。

こいつに向き合う時がきたか。

今日はいったい、何をしてくれたんだろうかね、あいつは。

 

 すっかりと頻度の減った空白の時間を埋める相棒、高速通信機能付き板チョコ型目覚まし時計を手に取り、発信者であろう女の子には全く似つかわしくない、規則正しい感覚で訴えかけるイルミネーションにリアクションを取った。

カタカナが連続すると意識が高くなってる気がしてなんだかなぁ……

 

 

 

 

 

 十時。朝かどうか微妙な時間だけど、今日はお休み。

ちょっとゆっくり寝るぐらいが心地よい。

 

 ベッドの上でゆっくりと半身を起こし、んーっと体を伸ばす。

 

 まだちょっと眠いけど、起きようかな。

カーテンを開けると、一気に陽光があたしに向かって差し込んで、おもわずきゅっと目を細める。

細めた目から窓から外を見ると、このままごろごろと過ごすにはもったいないぐらいの澄んだ青空が広がっている。

 

 よし、今日も元気にいこう!

 

 まずはリビングに降りて、大事な大事な彼と彼女と一緒に買いに行った、毎朝の登校前に使っているものより少し大きいティーカップを取り出す。

その時に教えて貰った紅茶の葉を戸棚から取り出し、網の上にあけてからポットに入れて、お湯を注ぐ。

軽くお湯に馴染ませてから、カップに向けてやけどしないように両手で持ち手と蓋を押さえながらポットをゆっくりと傾ける。

がんばるぞーって気持ちをこめて、ちょっと濃くした紅茶にミルクを注ぐ。

 

 お砂糖は…… そうだ! いい事思いついた!

入れようとしていたシュガースティックを袋に戻し、そのままティーカップを持ってソファへ座る。

ふー、ふー、っと冷ましながらゆっくりと一口。

 

 なんかこうやってのんびり飲んでると、お姫さまみたい!

 

 そう思ったけど、なんか目の前で言ったら、じとーっとした顔でため息つきながら「お前は姫は姫でもおてんば姫だな」とかって言われそうだなぁ……

よし、今日はさっき思いついたやつで見直してもらうんだもんね!

お姫様、までは無理かもしれないけど…… いいとこ見せる。

 

 最近は前よりお料理やお菓子も作れるようになってきて、何度か食べてもらったりしてるんだ。

食べてもらって感想を聞くと、上手に出来た時は「お、今日のは前のより旨いぞ」なんて褒めてもらえるようになってきた。

感想そのものより、ヒッキーのリアクションが見たくて毎回聞いてるようなものだ。

 

だってさ! さっきの感想言う時にびみょーに顔赤くして目をちょっとだけそらして、ほっぺた照れくさそうに指で撫でながら言うんだよ!

そんなの見せられたらついつい毎回聞いちゃうよね!

 

 でも、微妙な出来だった時も毎回食べてもらってる。

前にマカロンを初めて作った時は加減がわかんなくてミスっちゃったんだけど、ヒッキーは食べてくれた。

 

 その時はあたしの目をちゃんと見て、きりっとした表情で「失敗したやつでも、お前が俺の事を思って作ってくれたんだろ? 俺のために作ってくれたんだろ? なら食うだろ」って。

 

 でもさ、普通そんなに悪いところってあんまし言いたくないじゃん?

そう思って聞いたら「悪いと思ったところでも、遠慮なく言う。その方が絶対いいだろ。特にお前はちゃんと反省して真剣に聞いてくれるしな。だから、俺もお前には真剣に向き合う」とか言ってくれるんだよ!

 

 あたしのこと、そこまで見てくれてるんだな…… 嬉しいな……

って思うとじーんってなって、きゅんときた。

 

 ヒッキーとのやりとりを思い出して、ふへへーと思って時計を見ると、いい時間になっていた。

今日はちょっと難しいのに挑戦するし、今から取りかかろう!

そしたらお昼にはできるかな?

できたら、ヒッキー呼んでお昼に一緒に食べよ!

うん、がんばる!

 

 

 

 

「ヒッキ〜! アップルパイ上手く焼けない〜!」

 

 おてんば姫の元気な泣き声(なんだかおかしい気もするが)を聞いて、眠気の飛びきっていない朦朧とした意識が一瞬で覚醒した。

休みの日にいきなり電話かけてきて開口一番何言ってんだ、つか昼飯時なのに何でパイなんだよ……

あいつの泣き顔(正直かわいい)を思い浮かべたが、そもそもの大きな問題がある。

 

「お前なんでクッキーも焼けないのにアップルパイなんて作ってるの!?」

 

 この前貰った奴も味はまともだったけど、まだちょっといびつだったしダマになったのがそのまま固まってた所あったしな……

ま、スピーカーの向こうから「ぐすん、だって…… いいとこみせたくて……」とか健気に言ってるのが聞こえてきたから、もうそろそろ助け舟を出すかね。

 

 「あー、お前それ家で作ってんの?」

 

 『うん…… ゆきのんに教えてもらって練習して上手くいったから、一人で作ってみたんだけど、うまくいかなくて……』

 

 なるほどな。

由比ヶ浜の事だ、ちゃんと自分で作って、出来たら見せてくれるような心づもりだったのだろう。

普段からなんでもない事では甘え上手で、主に俺とかあいつはついつい由比ヶ浜には甘くなってしまうが、大事な所では人に頼らずちゃんとやる子なのである。

 

 それがわかっているから、本当に困っている時は手を差し伸べたくなる。

 

 「材料は? まだあんのか?」

 

 『うん、あるよ』

 

買い出しの手間は省けそうだな。

出来るだけ早く、行ってやりたいしな。

 

 「ん、わかった。 今からそっち行くわ。 家まで行って大丈夫か?」

 

 『え、来てくれるの? うーん、でも……』

 

 来ること自体は問題ないように感じるが、少し言葉尻が萎んでいる。

こう言う時に……

 

 「俺じゃ力不足かもしれんが、レシピとかは調べて行くから。 なんとか、やるだけやるわ」

 

 頑張る、と素直に言い出せない自分がもどかしい。

 

 『え!? いやそんなことぜんぜんないよ!』

 

 「そ、そうか…… んじゃ、行くわ。また後でな」

 

 それでも、何とかお姫様の許しを得た。

んじゃま、行きますか。

 

 『うん。 えっと、ありがとね』

 

 「気にすんな」

 

 画面をなぞり終話ボタンを押す。

そのままアップルパイのレシピをいくつか調べ、ブラウザのお気に入りに保存。

それが終わったら準備もそこそこに。

わずかばかりの勇気を持って、お姫様の城へと旅立った。

 

 

 

 

 

 ピンポーンと、玄関のチャイムが鳴った。

このタイミングで来るとしたら間違いなくヒッキーだろう。

でも、あんまり気分が晴れない。

ちゃんと焼きあがって上手に出来たのを食べて欲しかったのに。

考え込んでしまったせいか、再度チャイムの音が響いた。

いけない、とりあえず出ないとね。

 

 「ヒッキーごめんね、お待たせ!」

 

 ドアを開けると、朝とは違って曇り空で、少しだけど雪も降っていた。

 

 「おー、悪いな遅くなって」

 

 ぶっきらぼうな台詞だけど、ちょっと息が上がって、はあはあ言ってる。

上着も脱いで腰に巻いてるし顔も赤くなってる。

これはあれかな。

 

 「うわー、外すっごくさむいね…… ねえヒッキー、雪まで降ってるのになんで上着脱いでるの?」

 

 なんとなーく答えを予想しながら聞いてみる。

やっぱりというかなんというか「や、これは、ほらアレだよアレ」とかわけわかんない返事してくるけど、これってやっぱりあれだよね。

うわ、あたしまでヒッキーっぽくなっちゃった……

 

 「ふふっ、急いで来てくれたんでしょ? ありがと」

 

 寒いし上がってーと、彼を促して家に戻る。

その後ろから「え、あ、うん、はい」と納得できなそうな捻くれ王子様が、あたしについて来るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 寒さから逃れたい一心で由比ヶ浜家へ急ぐ。

断じてそれ以外の理由なんてない。

 

 一刻も早くあいつに会いたいとか、ちょっとでも安心させてやりたいとかは無い。

断じて無い、無いんだからねっ!

 

 走り疲れて上がった息を整えるために、一人脳内ツンデレを繰り広げている間しばし。

由比ヶ浜が出てきて家に招き入れられ「はいヒッキー、荷物こっちちょーだい」とか「上着こっちかけとくね」とか「はい、お茶。 来たばっかりだし一休みしよ」とかやってるうちにリビングへと通され、鎮座しているソファへ座らされる。

俺の分の紅茶をいつものカップに注いでくれた後、自身の分も用意して俺の隣に座り(すっごい近い。近すぎてヤバい。何がヤバいってマジでヤバい)はふー、と一息つく。

ついたところで、改めて由比ヶ浜をちろりと見やる。

どったの? と小首をかしげながら、くりくりっとしたつぶらな瞳でこちらを覗き込んで、たずねてきた(もうほんとにやばい)ので色々と耐え切れずに目を逸らす。

 

「お前、今日は髪、おだんごじゃないんだな」

 

 途切れ途切れだけど噛まずに言えたよ! やったねはちちゃん!

 

 そう、今日の由比ヶ浜は一味違う。料理の方は変わってなかったようだが。

料理をするためのものなのだろうか、いつもとは違って髪をポニーテールにしているのだ。

服装も部着とは思えない薄手のシャレオツなシャツだけだ。

字面が見にくいなこれ。

 

 「あ、動きやすくするためにねー。 ……どう、かな?」

 

 照れくさそうに目線を斜め下の方に向けつつ、俺と会う時は結構な頻度で使ってくれている、髪を纏めた青いシュシュをくしくしと撫でる。

いやもう正直たまりません。

 

 「お、おう、似合ってるぞ。髪型変えるのも、いいかもな。 ……あと、使ってくれてありがとな」

 

 何とかそれだけ伝えると、さっきから微妙に触れ合ってて暖かいのか暑いのかわからんぐらいのふともものほうから「そっか、似合ってる……ふへへ」とかぽしょぽしょ聞こえてきて、いい加減恥ずかしくなってきた。

 

 「ん、そろそろ作るぞアップルパイ」

 

 「そだね。うん、よしやろう!」

 

 アップルパイの作り方をお気に入りに保存したブラウザを立ち上げ、リビングからキッチンまでの短い距離を二人並んで移動した。

 

 

 

 

 

 

 

 「1回分……だと? お前どんだけ本格的なの作るつもりだったんだよ」

 

 ヒッキーがキッチンに広げた材料を見て口をあんぐりあけてる。

 

 「多いかな? ちゃんとしたの作ろうと思って」

 

 「それにしたって気合入りすぎだろ、本当に何でこんなにいきなり難しいの作ろうと思ったんだよ」

 

 「……から」

 

 「え? なんだって?」

 

 「ヒッキーが読んでた本のキャラみたいな事いわないでほしいし! ヒッキーに会いたくて頑張ろうと思ったから! しっかり用意したの!」

 

 言い切った後に、はっとなってヒッキーの方を見る。

……真っ赤だね。たぶん、あたしも。恥ずかしすぎて焦げちゃいそう。

何を言おうかと迷っていると、そっと頭を撫でられる。

 

 「あわあわ言ってねーで、落ち着け。その気持ちがありゃ大丈夫だ。次は上手くいく。見といてやるから、頑張ろうぜ」

 

 ぽんぽん、っと最後に撫ででくれたあと、ヒッキーは真剣な顔つきで携帯を眺めてる。

レシピなのかな、あたしのために調べてくれたんだよね。

よし、今度こそ! おいしいアップルパイ作るもん!

 

 

 

 

 

 

 それからはあっという間だった。

 

 

 「包丁はこう持つんだぞ、手を丸めて、指切らないようにな」

 

 

 「おし、次は林檎を煮るぞ。 ……おい、どんだけレモン汁入れるつもりだ」

 

 

 「よっし、何とか焼くだけだな」

 

 

 「ふー、なんとか出来たよー」

 

 

 「おい、オーブンのタイマーは?」

 

 

 「あ」

 

 

 とかなんとか、色々あったけど。

どうにか後は焼き上げるだけ、その段階までたどりつけた。

 

 ……包丁の持ち方教えてくれる時、ヒッキーが後ろから手を押さえてくれた時に意外とがっしりしてて、やっぱり男の子なんだなぁって思ったり、食器の準備やレシピの確認をする時の真剣な目がたまにすっごく透き通って見えたり。

 

 あたし的にポイント高い(小町ちゃん風)調理タイムが終わり、今は二人でおとなしくタイマーが鳴るのを待ってる。

何をするでもなくソファの上で寄り添いあって待ってると、ヒッキーがこっち向いた。

 

 「前にも言ったと思うけど、別にお前の料理の腕なんて俺は気にしないぞ? 焦って頑張らなくてもいい。 そりゃ、頑張ってくれるのは嬉しいけど、こんなに難しいのにいきなり挑戦するのはまちがってるだろ。 いつもは簡単な奴で練習しててちょっとづつ上手くなってたのに、今日は何でだ?」

 

 うーん、上手く伝えられるかなぁ。でも、なんとなくなら言える。

 

 「最近は初めよりは失敗しなくなってたし、ちょっとづつ出来るようになってきたかなーって思ったから、ちょっとね。あと、ヒッキーにも色んなのを食べてもらいたかったし。これから先もずっと食べて欲しかったから。そう思うと、うん」

 

 「そ、そうか」

 

 ヒッキー、またなんか赤くなってキョドってる。

そういうところなおせば、もっとモテると思うのに。

……やっぱ、なおさなくていいや。

って、あ。

 

 「や、違くて! ずっとって言うのはその…… あ、違わない! 違わないけど!」

 

 わー! いつの間にかプロポーズみたいなこと言っちゃってたよー!

ソファの上でお互い隣同士真っ赤になって俯いている。

ヒッキーがこちらをチラ見して、目が合ったあたしが恥ずかしくなって視線を逸らす。

何度か繰り返して、いい加減何か喋ろうと思ったとき。

Pi Pi ピッとオーブンのタイマーができあがったよー、って呼んでいた。

 

 「お、出来たな。オーブンから出してくるから、皿とか用意してくれ」

 

 ヒッキーがソファから立ち上がり、一瞬だけ眩しそうにしてから、オーブンへ向かった。

あたしもわかったーと返事をしつつ立ち上がり、同じように目を細めた。

 

 ヒッキーに電話した頃、雲が出てちらほら雪まで降っていた。

二人でアップルパイを作っている間に雪がやみ、雲の間から朝に見たような青空が、高くどこまでも続いていた。

その青空が呼び込んだ日差しが、部屋に入り込んでいたのだ。

だからヒッキーも同じような表情を取ったのだろう。

 

 お皿とフォークを用意してキッチンへ向かうと、充実した表情で出来上がったアップルパイを見ていた。

最初はただのパイシートとりんごだったものが、パイに形を変えて美味しそうにふくらんでいる。

アップルパイと一緒にふくらんだあたしの気持ちも、あげちゃおうかな。

 

 ヒッキーになら。ヒッキーとなら。

 

 なんだって出来る気がするから。

 

 だから、あげよう。

 

 「おぉ、ちゃんと焼けたね!」

 

 「これなら大丈夫だろ。腹も減ったし、食おうぜ」

 

 「うん! あたしが心をこめて作ったからね!」

 

 「……やっぱなんか不安になってきたな」

 

 「一緒に作ったじゃん! 何でそういうこと言うし!」

 

 「冗談だよ。 いただきます」

 

 「うん、どうぞ! めしあがれ!」

 

 

 

         (おわり)



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大切な思い出

今回はプレシャスメモリーズと言うカードゲームから着想しました。
プレメモ知らなくても大丈夫です! よければ、ぜひ。


~ 一色いろは編 ~

 

 

 放課後の生徒会室。

夕暮れにはまだ早い、授業とホームルームが終わったばっかりの時間に、わたしは生徒会室へ来ていました。

新年度になったばかりで忙しいんですよねー、生徒会。

資料整理や書類の処理がいっぱいあるんですよ。

部活の予算申請や、それに伴う活動報告書などのチェックが山盛りで。

ですので今日は助っ人を呼んであります!

 

「なぁ一色。俺、部活に行かなきゃなんだけど……」

 

 いわゆるジト目って奴でこっちを睨んでくるせんぱい。

 

「だってー、仕方ないじゃないですかー、他のメンバーも先生の手伝いやら資料室の整理とかで駆り出されてるんですから」

 

「それは聞いた。でもそう言う事なら雪ノ下と由比ヶ浜にも」

 

「あ、せんぱいマッ缶ありますよ。飲みます?」

 

「おい、人の話を…… はぁ、まあいいわ。とりあえずもらうわ」

 

「流石にお二人もお呼びするのは申し訳ないですからねー。はい、どうぞ」

 

「俺にもその申し訳なさを分けてくれよ…… あー、やっぱこれだよこれ」

 

「わー、せんぱいたよれるー、なんかもうしわけなくなっちゃうなー」

 

「なんだよその棒読み…… でもお前、仕事速くなったな」

 

「ふぇ?」

 

「そのくっそあざとい返事しながらでも、ちゃんと手が動いてる。前からずっと見てるから思うけど本当に手際良くなったな。えらいぞ」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 いきなり直球で褒められて、思わず手が止まりそうになるわたし。

でも、止めない。

 

「普段からもうちょい頑張ってくれると、もっと良いんだがな」

 

「何言ってるんですか? もしかしてわたしの事口説いてます? ごめんなさい、ちょっと褒められただけでもグラっときちゃいそうなんでこれ以上は無理です!」

 

 だって、これだけ仕事が出来るようになったのって、せんぱいがずっと見続けてくれてるからなんですよ?

あなたがいるから、わたしは頑張れるんです。

 

「へーへー、んじゃあんまりグラグラさせねえように帰っていい?」

 

「だめですよー、まだこんなに残ってるんですから」

 

「今のお前のペースなら結構早めに終わりそうだけどな…… よいしょっと」

 

「そう言いながらも自分の方に書類持ってくせんぱい、いろは的にポイント高いですよ?」

 

「はいはい、んなとこまで真似せんでいいから」

 

 受け流されようとため息をつかれようと、わたしは構わない。

一緒にいるだけでも、今は充分ですから。

それでも、これだけは言わなくちゃ。

 

「せんぱい」

 

「なんだよ」

 

「いつもありがとうございます」

 

「別に。小町と仲の良い後輩が困ってたら助けるだろ」

 

「シスコン……」

 

「ほっとけ」

 

 小町ちゃんと出会う前から、いつだって助けてくれてたのに。

ほんとに、ほんとにこの人は。

 

「そう言う事なら、今後もお願いしますね♪」

 

 ウインクして舌を出しつつ、捻デレさんを見る。

 

「もう別に手伝わなくても良さそうなんですがそれは……」

 

「えー、まあまあ、そう言わずに!」

 

 そんな事をせんぱいと喋りながら過ごしているうちに、いつの間にか仕事は片付きつつあった。

これが終わったら、せんぱいと一緒に、あの暖かい陽だまりの中へ行こう。

太陽みたいに皆を照らす素敵な先輩、月のように静かでそれでいて皆を包み込むように輝く実は優しい先輩、それに。

 

「はぁ、やっと終わったか。んじゃ、俺部活行くから」

 

「こっちも終わりましたー! 今日は雪ノ下先輩どんなお茶入れてくれますかねー?」

 

「……やっぱりこっち来るのな」

 

「……ダメですか?」

 

「その袖を余らせた両手を口の下に持ってくるあざといポーズと、上目遣いでこっち見ながら目を潤ませる仕草やめたら、来てもいいぞ」

 

「やったー!」

 

「……まあもういいや」

 

 皆に光を届けてくれる、大好きなせんぱいがいるから。

わたしは、もっともっと、頑張れる。

そう思って踏み出す一歩は、羽が生えたように軽やかなステップを刻んでいた。

 

 

 

~ 戸塚彩加編 ~

 

 

「っ…… はぁ…… っはぁ……」

 

 銀髪の少年 ―ともすれば少女にも見えてしまうが― とにかく少年、その名を戸塚彩加と言う麗人は息を切らし、対峙する相手を見据えていた。

 絶対に負けられない戦いが、そこにはある。

 などと言ってしまうと陳腐な場面に見えてしまうし、実際に今の状態を言葉で表すと陳腐ではある。

少年と同い年の相手が対峙しているのはテニスコート。この対戦は県の公立高校同士で開催される公式戦であり、その予選のさなかだ。両者共に、高校3年生である。

二人が参加するこの大会はトーナメントであり、次の試合へ進むための越えなくてはならない壁である。

この通り、活字として書き起こして他者の目線から俯瞰してしまうと実に味気の無いものである。

たかが高校生活での部活、全国的に注目されているわけでもない、私立の強豪校などは最初から参加していないような大会だ。

それでも、彩加にとっては、今までの人生を振り返るとで二番目に勝ちたい戦いであった。

一番だった戦いと言うのは、二年に上がってすぐのあの試合とも呼べない、昼休みの諍いを思い出して彩加はニヤりと笑う。

 

(あの時も一緒にいてくれたよね)

 

 この試合に勝ちたい、頑張りたい理由。

自覚の無い内に努力を継続する源となっていた、彼のいる観客席に目を向ける。

いつもなら声を張り上げるようなタイプでも、休みの日にわざわざ外出するタイプではない彼が、自分のために活力を送り続けている。

 

「とつかー! がんばれー!」

 

 頑張れ、何て言われると頑張りたくなくなるだろ? だから俺はそんな事は言わない。

なんて捻くれた言葉を発していた彼からの、真っ直ぐな応援。

そうだ、これがあるから僕はやれるんだ。

 

「……よし」

 

 彩加は右手に持ったラケットを、今一度握りなおす。

最初は押されていたスコアも、彼が到着して声援を送り始めてからみるみるうちに差を詰め、デュース合戦に持ち込んだ。

相手も疲労困憊のようで、優位に進めていた頃の試合運びが出来ないでいる。

近距離でのボレーが自身を掠めようと、サービスエースを決められるような剛球を放たれようと、決して諦めず、一歩も引かずに食らいついた。

 

 そう、何度でも、何度でも。

 

 彼が声援を送ってくれるだけで、無限に力が湧き上がる。

その力が今、結実しようとしていた。

 

「とつかー! あと1点だー! 負けるなー!」

 

 自らの奥底から、力が溢れてくるのを感じる。

 

 (うん、いける!)

 

 確信を持って、彩加は左手に持ったボールを空高く投げ上げる。

空中に浮かび上がって、落ちてくるその一瞬に。

勝ちたい気持ちを最大限に込めて。

 

(届いて…… 僕の、気持ち!)

 

 細いながらも鍛えあげられた右腕を振り抜いた。

 

 

 試合後。

彼は、彼と帰り道を共にしていた。

 

「八幡、今日はありがとね。 試合見に来てくれるなんて、ぼく嬉しいよ」

 

「そりゃあ、戸塚から誘われたからな。戸塚から誘われたら行くだろ。むしろ他に予定があってもキャンセルしていくまである」

 

「えぇ!? わざわざ予定変えてきてくれたの!?」

 

「え、あ、いや、物の例えだよ。俺が休みの日に予定あるわけ無いしな」

 

「あっはは…… そうなんだ。もし良かったら、また見に来てくれる?」

 

「おう。俺なんかでよければ、いつでも見に行くぞ」

 

「うん! じゃあ次もお願い!」

 

「わかった。あ、そんじゃ俺こっちだから。じゃあな」

 

「ありがとね、ばいばい! また学校で!」

 

 そういって、八幡と彩加はお互いの家の近くの分かれ道で、それぞれに歩みだした。

次の試合も見に来てくれたら、きっと今日のように頑張れる。

彩加はそう信じて、明日からも練習に励もうと、決意を新たにしたのだった。

 

 

 

 

~ 奉仕部と妹編 ~

 

 

 数学のテストが9点だったことのある俺も、アホの子の由比ヶ浜も、もともと成績面では何の問題も無い雪ノ下も、無事に3年に進級できたとある日。

新年度になったばかりということで部長会議なるものがあるらしく、雪ノ下がそれに出席せねばならないという事で本日は不在。

部長様がいないので、俺が仕方なく職員室で部室の鍵を借りてから部室へ向かい、鍵を開けて扉を開く。

たったそれだけのことなのに、やけに疲れた。

慣れないことをするとダメだな。

 

 主のいない、がらんとした部室を見て一抹の寂しさを覚える。

一緒に入った由比ヶ浜も「ゆきのんいないと寂しいね……」とか言ってる。

会議つってもそんなに時間かからなさそうって話だったのに、あなたほんとゆきのん大好きね……

 

 しかしここで雪ノ下がいないことで、今日は紅茶が飲めないことに思い至る。しまった、ここ最近部室ではずっとおいしい紅茶にありつけてたから、飲み物持って来てないんだよな。しゃーねぇ、買ってくるか。

 

 自席に鞄を置いて単身自販機へ向かう。

自販機へ辿り着いて、まずは自分の分のマッ缶、ついで由比ヶ浜が「え、飲み物? うーん、そだね…… あ、あれがいい! カフェオレ!」と何かを思い出したような表情をしてから凄い勢いで言ってきたので、『男のカフェオレ』を買う。

ガゴンっと音を立ててやってきたカフェオレを手にしてから、会議が終わってから来るであろう雪ノ下の分に『野菜生活100いちごヨーグルトミックス』も購入してやり、再び部室へと歩き始める。

 

 部室へ戻ると、由比ヶ浜が本とノートを広げ、一生懸命にその本を読み、何事か書き留めている。

なんでもない日常を視界に入れつつマッ缶を机に置き、由比ヶ浜の前にカフェオレを差し出し、雪ノ下の定位置である所に野菜生活をそっと置く。

席へ戻ってからマッ缶を開けて命の源を啜り、ほっと一息。あぁ、今日もいつもと変わらない平和な日常が―

 

 「って、由比ヶ浜が勉強してる!? 何が起きたんだ、おい、大丈夫か由比ヶ浜!?」

 

 「うわ!? ヒッキーいきなりうっさいし! あ、買ってきてくれたんだ。はいこれ」

 

 「え、いや、別についでだし、こんぐらいで金なんていらんけど」

 

 「だめだよ、そういうところきっちりしなきゃ。はい」

 

 「お、おう。 んじゃあもらっとくわ」

 

 財布から出されたカフェオレ代を一旦は受け取らないでおこうと思ったものの、由比ヶ浜に手をしっかり握られた上で優しく掌を開かされた挙句、そっと手の中に100円玉を置かれてしまったため、仕方なく受け取る。

 

 「えへへ、はじめて買ってきてくれたカフェオレとおんなじやつだぁ……」

 

 よくわからんことつぶやいているが、それよりも。

 

 「それより由比ヶ浜、その本とノートなに? どうしたんだよ」

 

 「あ、これ? 平塚先生に夏休みの宿題の課題書籍にしようかどうか迷ってるから読んでみてくれって言われてさー。やったらちょっと点数くれるって言ってたし!」

 

 「贔屓が露骨すぎんだろ…… なんでもいいけど。でもなんでお前なんだろうな」

 

 「ゆきのんとヒッキーにもやって欲しいって言ってたけど、まずはあたしなんだってさ」

 

 「そうか。んじゃ、頑張ってくれ」

 

 自発的に読書に目覚めたわけじゃないということに内心で悲しさを覚えつつ、俺も読書でもしようかと鞄を漁る。

が、その動きは袖をちょんちょんとつままれたことで中断された。

 

 「ヒッキー、この本についてアドバイス欲しいんだけど……」

 

 困った表情を浮かべながらいつの間にか椅子ごとこちらににじりよってきて、ずいっと顔を近づけながら上目遣いで問いかけてくるアホの子。

近い近い目がきれい顔がほんのり赤いなんかどんどん近づいてる!

 

 「本についてアドバイスの意味がわからん、何が言いたい。やり直し」

 

 動揺している内心を悟られぬよう、目線を外しわざと冷たくあしらう。

 

 「やー、この本で一番大事だと思ったところと、それについて自分の感想を書いてみるようにって言われたんだけどさー。どれがいいのかわかんなくって」

 

 あさっての方向を向いた視界の端で、俺の表情の移り変わりを見てから、少し満足げで意地悪そうな、それでいて困ったような、なんとも器用な微笑みを浮かべた由比ヶ浜が、たははーっと言ってお団子をくしくししている。

 

「お前が思ったことなんだから、俺に聞いても意味無いだろ…… まあ、ちゃんと読んだ上で迷ってる所はえらいと思うぞ」

 

「え、えらい…… 不意打ちはずるいなぁ、ふぅへへ……」

 

「おい、聞いてんのか?」

 

「はっ! あぁ、うん、迷ってるからヒッキーに聞いてみたいなーっと思ったの。ヒッキーもこの本読んでたでしょ?」

 

「最近読んだとこだな。んでもなぁ、俺が読んで共感した所と、お前が読んでいいなぁって感じたところって違うと思うんだけど」

 

「いいの! 参考にしたいだけだから、ヒッキーはどの辺がよかったの?」

 

 臓器を食べたいなんて言うタイトルの突飛さも、タイトルとは裏腹な淡い色使いの表紙も、最後の方まで名前が明かされない主人公の境遇も、一生懸命生きてるヒロインも良かったけど。

 

「そうだな…… 基本的に、人は自分以外に興味が無いって所だな。他には、現実より小説の中の方が楽しいって所とか」

 

「えぇ!? 他にもいっぱいあったじゃん! 明日死ぬかもしれないんだから、毎日がんばろうとか! 仲良し君と出会ったのは全て必然で、出会う選択を積み重ねてきたから、とかさ!」

 

「中々かいつまんだな、だいたい合ってるからいいけどよ。別にいいとこ書かなきゃいけないわけでもないだろ、自分の思った感想なんだし。他にもそうだな、コーヒーに砂糖やミルクを入れる事を悪魔のやることって言ってた所は納得できなかったな。あんな苦いもんそのまま飲むことの方が悪魔のやることだろ」

 

「あー、そこはヒッキーなら文句言ってるんだろうなーって思いながら読んでたよ……」

 

「え、あ、そう……」

 

 こいつが自然と本読みながら俺の事を考えてたと暴露した事に対して気恥ずかしくなってしまい、そっけない返事になる。

ツッコミ入れてもこっちが火傷しそうなので、あえてスルー。

 

「とにかく、筋が通ってりゃ感想なんてどんなんでも良いんだよ」

 

「そんなんだから先生によく呼び出されてるんじゃないの……?」

 

 正論だな。でも正論ってのは言うもんであって聞くもんじゃない。

なのでスルー。

 

「ま、俺ならアレにするわ。誰かと心を通わせることを生きるって言うんだよ、とかなんとかあったろ。そこにして、感想としては主人公に人生の一端を気付かせてくれる印象深い台詞だったし、ヒロインの置かれている状況から出てきた言葉だと思うと涙が出そうになった、とかみたいな感じで構成していくんだよ」

 

「はえー、ヒッキーそれ今考えたの?」

 

「そりゃ、今お前の課題聞いたところだしな」

 

「やっぱりヒッキー凄いね! なかなかそんなのすぐ考え付かないよ」

 

「そんなもんかね…… ま、参考になりゃいいけど」

 

「なったなった! めっちゃなったし! 帰ってからまとめるから!」

 

 なにその唐突な関西弁…… 確か凄くとかそんな意味だっけ?

別にどうでもいいけどな。って、うおっ!?

 

「ありがと! へへっ」

 

 いきなりずいっと近寄ってきて、こちらをのぞき見上げてガハマスマイル。

のぞき見上げてってなんだよ。

あれだ、ちょっとこっちの顔より下に由比ヶ浜の顔が近寄ってきて、そっから俺を見上げつつ満面の笑みを浮かべた感じだな。

スマイル0円なんて、どこぞのファストフード店でやってるが、こいつのはそれに当てはまらないな。

 

「お、おう。好きにしてくれ」

 

 1000%スマイルが眩しすぎて、恥ずかしさを誤魔化すために鞄から本を取り出し、読み始める。

もちろん、中身は入ってこなかった。満足そうにこっちを見ながら「えへへー」とか言ってる誰かさんのせいでな!

しばし、心の中で恨めしげに思っていると、部室の扉が静かに開かれた。

 

 

 

「ごめんなさい、会議が終わってようやくこれたわ。あら、二人とも何をしているのかしら」

 

 我らが部長、雪ノ下雪乃の登場である。それを見て由比ヶ浜が駆け出していく。

 

「ゆきのーん! おかえりー!」

 

「由比ヶ浜さん、せめて席に…… まあいいわ」

 

 部室に入ってきた体勢そのままで抱きつかれて成すがままにされていた雪ノ下であったが、由比ヶ浜に向き直る。

 

「ただいま、由比ヶ浜さん」

 

 言葉をかけながら、雪ノ下が優しく由比ヶ浜の頭を撫でる。

ゆきのん今日はなんだかやけに機嫌いいですね…… 由比ヶ浜も気持ち良さそうに頭を雪ノ下の控えめな胸にすりすりしてるし。

もうゆるゆりどころかがちゆりもいけそうですね。よきかなよきかな。

 

「ついでに、ただいま。不純谷くん」

 

「おい、なんで俺だけ扱いがいつも通りなんだよ」

 

「何でと言われても、自分の胸に手をあてて聞いてみたらどうかしら? 今のあなたの心境に疚しい所が一つも無いというのなら、あなたの事も撫でてあげるわ」

 

 疚しい所が無いと答える→雪ノ下になでなでされる

ダメだ、そんなもんこの場でされたら恥ずかしさで悶絶するわ。もう既に先制攻撃されてるってのに。

いつも通りの罵倒は嫌だが、ここは仕方ないな……

 

「正直に言うと、目の前で二人が仲良しオーラ全開でそんな事してたら気にはなるだろ。仲間はずれ的な意味でな」

 

 我ながら上手い事言ったな。これでちょっと寂しい可愛そうな奴ってだけで問題ないはず。

 

「そう、寂しかったのね」

 

「ちょっとだけな。別にお前らの間を邪魔しようとは思わんから、どうぞ続けてくれ」

 

「ええ、続けさせてもらうわ。 ……由比ヶ浜さん?」

 

「うん! ヒッキー」

 

 いまだ部室の扉の前で抱き合っている二人が、アイコンタクトと簡単な言葉を交わしただけで頷きあい、雪ノ下が目線で、由比ヶ浜が手招きでこっちこいと合図してくる。

湧き上がる嫌な予感に蓋をして、二人のもとへ近づくと。

 

「この跳ねた髪以外は案外さらさらなのね」

 

「ちゃんとしてる時は意外とくせっ毛じゃないんだよね」

 

 唐突に髪を撫でられ始めた。

自分より少しだけ背の低い女子に、上目遣いを向けられながら撫でられているこの構図。

現状を受け入れきれずフリーズしている俺に、雪ノ下が優しげな表情で満足そうにはにかんだ。

 

「仲間はずれだと思わせたのは申し訳なかったわね、これでお詫びとさせて頂戴」

 

「いや、別にいらんから。いきなり何すんだよ」

 

 身を捩って逃れようとするが、そうはさせじと二人が両腕を掴んでくる。

え、なにこれまだ続くのん?

 

 「あなたには、今までたくさんの力を貰ってきたし、たまには素直に感謝しようかと思ったのだけれど、いけないかしら?」

「昨日、私もその机においてあるのと同じ本を平塚先生に貸して頂いてね。思うところがあったのよ」

 

 どうやら由比ヶ浜に課題が与えられてから、時間差で雪ノ下にも件の話が言っていたらしい。

 

「当たり前のことだけれど、人っていつ死ぬかわからない生き物だもの。生きている価値を日常に埋没させて見失わないようにするために、まずは近しい人たちへちゃんと向き合おうと、思ったまでよ」

 

「……そうかよ。わかった、好きにしてくれ」

 

「えぇ、好きにさせてもらうわ」

 

 体力という面では、件の本に出てくるヒロイン以上に不安しかない雪ノ下さんは、生きる価値を感謝に見出しちゃったのかな?

俺そんなに感謝される事やったかな? ん?

 

「むー、ゆきのんだけずるいし! あたしも!」

 

 恥ずかしさからの現実逃避に耽っていると、由比ヶ浜が自身の左腕を俺の左腕に絡ませて抱きついてきた。

俺の肩のあたりに頭をすりすりしつつ、右手で俺の頭を手櫛で梳いてくる。

ちなみに雪ノ下は好きにさせてもらうわ、と言い放ってから由比ヶ浜と同じような姿勢でそっと俺の右手を繋ぎ、アホ毛をちょんちょんつついてくる。

 

「あなたのこれ、本当に不思議よね……」

 

 揺れている俺の髪の毛を興味深そうに目線で追っている。

ゆらゆらとゆらめくたびに、澄んだ瞳もきょろきょろときょろついている。

なんだこいつ可愛いなおい。

 

「あの、もうそろそろ開放して頂けると嬉しいんですが」

 

「嫌よ。興味深い観察対象だもの」

 

 それならせめて腕ぐらいは放してくれてもよくないですかね……

雪ノ下の体にきっちり抱きこまれているせいで、俺に腕に当たってるそれがいつもは慎ましやかで控えめだと思っていたのに実は意外とあるしなんだかんだで女の子なんだなって伝わってきて、いやーもういっぱいいっぱいっす。

 

「ならせめて髪の毛だけにしてくれ。そもそもなんでこんなに」

 

「積極的なのか? と問いたいのかしら?」

 

 にこーっと口角を上げつつ、思考を先読みされる。

その意地悪い表情を出しながら腕に抱きつく力が強まってるの、もう完全に確信犯ですよね?

隣でなんかずっとおでこすりすりしてきてるわんこも「むー…… あててる…… あたしも!」とか言っておいおいこっちはもっと柔らかくておっきくてふわふわで何かもう色々と凶暴な感触がそりゃこれがいつも隣に居たらちゃんとあるのに少ししかないようにも思いますよねしょうがないねって痛い痛い痛い!

 

「……ちゃんと神経も通っているのね」

 

「当たり前だろ、いきなり引っ張んなっつの」

 

 わんこのすりすり(意味深)でちょっと意識が天国へいきかけたが、雪ノ下がびっくりするぐらい冷たい目で睨みつつアホ毛をぐいぐいしてきたお陰で現世へ戻ってきてしまった。いたい。つらい。

 

「それにしても、小町さんにもあるわよね? これ」

 

「小町ちゃんのもヒッキーのとおんなじぐらい跳ねてるよね」

 

「そうだな、別段意識した事はねーけど」

 

「兄妹揃ってどういう仕組みなのかしら…… あら」

 

 雪ノ下が扉の方へ振り返る。由比ヶ浜も気付いたようで、同じ方向へ向き直る。

って、この足音は…… 噂をすれば、って奴だな。

 

「やっはろー! みなさん! およ? およよ?」

 

 我が愛しの妹、小町がアホの子から感染したアホっぽい挨拶と共に入ってくる。

入ってくるなり、不躾な目線で俺たちを、って、あ。

 

「やっ…… いらっしゃい、小町さん。少しお兄さんで遊んでるわ」

 

 二人に抱きつかれたままじゃん! どうすんのこれ!

 

「やっはろー小町ちゃん! ヒッキー借りてるよ!」

 

 さらりと言い放つ。

 

「雪乃さん、こんなのでよければどうぞどうぞ! 結衣さんも、別にそのまま差し上げますので! いやー、良かったねお兄ちゃん!」

 

「おい、どうぞどうぞじゃねぇ。あと差し上げるな」

 

「いいじゃん別に。小町の根回しに感謝して欲しいぐらいだよ」

 

「なん……だと……? おい、こいつらがおかしいの小町の仕業か」

 

「べっつにー? 小町は、ちょーっと二人の相談に乗ってあげただけだよ!」

 

 何を吹き込んでくれやがったんだこの愚妹は……

詮索すると今よりもっと大変な事になりそうなので、あえて聞かんけど。

 

「はぁ、まあいいわ。んで、お前これからどうすんの」

 

「そうそう! 帰りに買い物しようと思うから手伝ってもらえないかなー、っと思ってさ」

 

「今日は別に依頼も来てないし、いいか?」

 

 未だに離れようとしないわんことにゃんこに向かって問いかける。

 

「そうね、今日は特に何も無いし小町さんにはお世話になったし構わないわ。さようなら、また明日」

 

「だねー、小町ちゃんにヒッキー返すよ。気をつけて帰ってねー、ばいばーい!」

 

「お二人ともどもどもですー、またいつでも無期限貸し出ししますので! んじゃ、行こっかお兄ちゃん」

 

「俺はどこにも行かん。無期限自宅警備だ」

 

「うわー、ほんとゴミだなー」

 

「せめて人間扱いしてもらえませんかねぇ……」

 

 締まらないやり取りをしながら、小町と帰路につく。

しかし、誰とどこで過ごしていても、最後は家族である小町と一緒だ。

いつまで一緒にいられるかはわからないが、可能ならば末永く共にありたいものである。

兄らしいことなんて大してしてやれていないどころか、なんならたまに小町の方が姉なんじゃないかと思うぐらいしっかりした奴だ。

それでも。

 

「んっ…… どしたの、お兄ちゃん」

 

「いつも、ありがとな」

 

 二人で居るときぐらいは、俺が兄として力になりたい。

せめてどんな形でもいいから支えてやりたい。

そう思って手を伸ばした先には。

 

「そのあったかい手で撫でてくれるの、小町的にポイント高いよお兄ちゃん♪」

 

いつも俺を、俺たちを見てくれている妹が、尊い思い出と一緒に、笑顔を見せていた。

 

 

     (おわり)

 



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勇気は夢をかなえる魔法

いつも読んでくださりありがとうございます。
今回は八雪です。
添い寝って感じで書いてみました!
感想とかもらえると嬉しいです、よければぜひ。


『んん…… え?』

 

『あら、起きたのね。もっとしっかり永眠しないとダメよ?』

 

『よし、わかった落ち着けけ』

 

『あなたが落ち着くべきではないかしら』

 

『あぁ、そうだな。うん、よし』

 

『目覚めてしまったわね……』

 

『おう、お前の顔見たらばっちり目覚めたわ』

 

『それは、いつかの意趣返しかしら?』

 

『さぁな。んで何でお前、俺の隣で寝てんの?』

 

『……ダメかしら?』

 

『質問に質問で』

 

『そうしたいと思ったからよ』

 

『……直球で来られるのも、なかなかだな』

 

『なら、こういうのはどう?』

 

 そして私は、赤く染まった頬を見せるようにそっぽを向いている比企谷君の横顔に手を伸ばし―

 

 

 

 

 

「夢……?」

 

 いつもより心地よい朝の目覚め。

冬の寒さを忘れたような穏やかな日差しが、私の顔に射し込んでいる。

しかし、それを考慮に入れても、体がなんだか熱い。

これは…… と思うと先ほどまでの記憶がよみがえってくる。

 

「夢……? 比企谷君と……?」

 

 思わずもう一度、口に出してしまった。

寝ている間に見る夢と言うのは不思議なもので、大抵は起きてしまうと、どんな夢を見ていたかも思い出せない。

儚い、と言う字を思いついた人は素直に凄いと思う。

 

 でも、今朝の場合は別だ。なにしろ、私は夢の内容を覚えている。

なぜかしら? それに。

 

(まあ、比企谷君と添い寝だなんて、そんな機会も理由もあるわけが無いのだけれど)

 

 今度は口に出さず内心で思うに留めて、夢の中の彼を思い出しながら、私は学校へ行く支度を始めた。

 

 

 

 

 

『悪い、今日は依頼が来るまで寝てていいか? 数学のテスト勉強で夜遅くなってな……』

 

『はぁ、しょうがないわね』

 

『すまん、ありがとな』

 

『寝るなら、こっちの日が当たる所で寝なさい。そのほうが暖かいでしょう』

 

『おう、そうさせてもらうわ』

 

『……ええ、そうなさい』

 

 部活を始めてから、今日は先に彼が現れた。

友達の少ない私や比企谷君とは違い、由比ヶ浜さんは少し遅れてくることもある。

それにしても今日は来るのが早かった彼だが、おそらくは早く仮眠を取りたかったのだろう。

いつもなら、なんだかんだ言いながら由比ヶ浜さんと一緒に来るのだから。

 

(いい寝顔、ね)

 

 よほど頑張ってテスト勉強をしたのだろうか、現れた時からいつも以上に目のどよーんとしていた彼は、私の言う事にも特に言い返したりせず、自分の椅子を窓際へ持ち運び、窓へ肩を預けるようにして眠り始めた。

ちょうど私から見て左斜め後ろの位置で、目を閉じているからだろうか、普段より幼く見える顔を微かに上下させている。

 

 きっと、いつもなら比企谷君は定位置で机に突っ伏していたはず。

 

でも、今日は窓際の、言うなれば私の近くで寝させた。

……朝に見た夢を再現したかったからと言うわけではない。断じて。

読みかけの本を閉じ、陽だまりの彼を見る。

 

(そう、これは彼が体調を崩さないように、仕方なくよ)

 

 わずかばかりの葛藤はすぐに終わり、私は自分の足を覆っていた膝掛けを手に取り、彼を起こさないようにそっと肩に、それをのせる。

その時、少しばかり比企谷君の表情が、ふっと緩んだ。

 

「ごめんなさい、起こしてしまったかしら?」

 

 小声でそう問いかけるも、彼は何も反応せずゆっくりと寝息を立てるのみ。

眠りを妨げなかったことに、ほっと一安心した私は、もう一つ気になることを見つけた。

 

(これも、仕方なくよ。そう、進んでやるわけではないのだから)

 

 僅かに肩が揺れたせいで少しだけずれた膝掛けをみて。

そのまま落ちてしまわぬよう、肩に乗せなおして。

 

 私は、彼の横に椅子を移動させた。

 

 こうすれば、彼が動いてしまってもすぐに対応できるもの。

必要に迫られてのことなのだから、いいわよね?

 

(あなたを見ていると、私まで眠くなってきたわ)

 

 眠気を自覚すると、急速に眠くなってきた。

くあっ、っと少しばかりあくびが出てしまう。

……今日はちょっとだけ、いつもと違う日。

そういうことにしてしまおうかしら。

 

 彼が陽射しの中で眠るのも、私がそれを見て眠気に誘われているのも。

 

 それらを体現する私と彼の位置は、いつもとは大きく異なる。

由比ヶ浜さんが入ってきたら驚くかもしれない。

けれど。

 

(ごめんなさい由比ヶ浜さん、隣で眠るだけだから…… だから、許して頂戴)

 

 思いながら私の意識も、うららかな陽気に誘われて沈んでいった。

 

 その後しばらくして、彼女達の大切な親友が元気に部室に入ってくるも、珍しく二人が隣り合って寝ている光景を見て、自分も真似したくなって二人の近くで眠り始めるのだが、それはまた別の話。

 

 

 

 

   (おわり)



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嫉妬する天使と、無欲な天使。

素直である事が、勝利への近道。


 総武高校では、新学期になった直後に球技大会が行われる。

新一年生にとっては新しいクラスメイト全員が殆ど初対面だろうし、二年や三年にとってもせっかく馴染んだクラスメイトと離れて、また一からの顔合わせとなる面々も多い。

そういった新しい環境に溶け込みやすいようにと開催されるイベントが、この大会である。

球技大会本番や、その前に行われる練習を通じて、みんなで仲良くなって欲しいと言う学校側の目論見のもと、行われるわけだ。

 

 ちなみにこの球技大会、生徒側にも概ね好評である。

体を動かす系の催しだと運動音痴な奴はどうしても楽しむ事が出来ず、仲良くなって欲しいはずの大会で戦犯扱いされ、結果的にスタートダッシュで躓いてぼっち街道まっしぐら。と言うことも起こりえるのだが、そこは進学校といったところだろうか?

運動がそれほど得意でない生徒にも配慮されており、運動部の経験者をチーム分けの時にバラけさせ、なおかつ種目もボールが直撃した所で怪我の心配が少ないソフトテニスであったり、バドミントンでラリーを続けあったりとか、そういう平和的な物を選んでいる。

 

 話聞いてて思ったけどバドミントンって球技なの? シャトルってボールになるのん?

とかテニスコートそんなに人数捌けねぇだろ……なんて思ったりもしたが、そこはまあ上手いことやったようである。

 

 そんな感じで、今年もやってきました球技大会。

入学したての一年次は事故の影響で出れなかったし、二年に上がった時は気乗りしなくてサボっていたので何をやってたかは知らんが、今年は色々あったので出席することになった。

いやまあ出るのが当たり前なんだろうけど。

本当なら今年も出る気やる気元気いわきは無かったのだが、クラス替えと言う苦難を無事に乗り越え再びクラスメイトとなった天使から「八幡っ! 一緒に頑張ろうねっ!」と最っ高にハイになっちゃう台詞を、きらきらした目とにっこりと眩しい笑顔とほっそりと白くて柔らかいすべすべの指と掌で俺の手を優しく温かく包み込まれながら言われてしまったので後に引けなくなった次第である。

 

 ちなみに今年はゴムボールを使用した野球をやるらしい。

野球やソフトボールの経験者、後は体育の授業などで何をやっても動きのいい奴とかは最初から同チームにならないようにあらかじめ分けられ、その後にチームが組まれた。

メンバーはくじ引きで分けられ、俺が知っているメンツでは戸塚と由比ヶ浜が同じになった。

ちなみにガチで勝敗や得失点差を競うわけではなく、クラスの親睦を深めるのが目的なので男女混合編成である。

 

 ……結果が発表された時に由比ヶ浜が小さくガッツポーズしてて、それを席の近い戸塚が「良かったね、結衣ちゃん!」ってこっちを見ながら言ってたのが少し気になったとか、そんなことはない。

いつの間にか戸塚が由比ヶ浜の事を結衣ちゃんなんて呼んでるのとか全然気にならない。

ホントだよ? はちまん、うそつかない。

 

 ナインに続き、試合開始時のポジションもくじで決めるようだ。

さて、どんな感じになるかね。

……お?

戸塚がピッチャーで、俺がキャッチャーになった。

後の奴は別にいいや。と思っていても知ってる名前を見るとついつい脳がそれを認識してしまう。

……由比ヶ浜がファーストか。

それだけ確認した俺に、戸塚がこちらを向いてきた。

 

「八幡が女房役だね! 一生懸命投げるから、僕のボールがんばって受けてくれる……かな?」

 

「にょ、女房!? 任せろ戸塚、試合中だけじゃなくて、戸塚の事なら一生受け止めてやるよ」

 

「も、もう! 八幡ってば! なにいってるの! 野球とかソフトボールだとキャッチャーの事はそう言うでしょ!」

 

「お、おう。 そうだったな」

 

 戸塚が両手をあごの下に持ってきて、ぷりぷり怒っている。

全然怖くない。むしろかわいい。もう何やってもとつかわいい。

あまりにもかわいすぎて返事がちょっとしどろもどろになってしまった。

 

「ヒッキー! あたしファーストだから! 牽制球とかどんどん投げてきていいからね!」

 

「いやいや。これ花試合だろうが……牽制とかそんなガチなのいらんだろ」

 

「ほえ? お花?」

 

 んー? とか言って眉根を寄せ、人差し指を口の下に持ってきつつ首をかしげている。

……こいつ、こう言う表情とか仕草を演技じゃなくて素でやるもんなぁ。

意識せずにかわ……アホっぽい事やりやがるからたまらない。

ほんと、養殖100%表情全部作り物のどっかのあざといだけのあいつも見習ったほうがいい。

最近たまに天然物にもなるようだが。

 

「勝ち負けにこだわらずに、純粋に楽しめるような試合の事を花試合って言ったりするんだよ。プロ野球のオールスターゲームとかが代表格だな」

 

「あー、確かに色んなチームの人気選手がみんなで集まってるのって普段は見れないもんねー。みんな笑ってたりとかでベンチの中も明るいし」

 

「ま、そういうことだ。だから俺は極力働かないし牽制球も投げない。壁に徹する」

 

「えっ、はちまん…… ただボールを受けるだけの壁役になっちゃうの……?」

 

「と思ったが俺は戸塚の女房だからな。超本気だす。ボールは絶対逸らさないし牽制も投げるしサインも108通り用意しとく。だから戸塚、放課後は俺と二人で練習しよう。5時間ぐらい」

 

「ヒッキーほんとさいちゃんにデレデレしすぎ! あたしにだって……それぐらいデレてくれても……」

 

 あっはは……と戸塚が苦笑いしている横で、由比ヶ浜が悔しそうに顔をむくれさせてちょっと斜め下に向けながら、尻すぼみに小さくなる声量で文句を言っている。

難聴系じゃないし、隣に居る俺にはばっちり聞こえてんだけど。

そんな事いわれても、面と向かってデレれるわけないだろ!

まったくこの子は……

 

 俺の内心の悩みを知るわけの無い由比ヶ浜は、他のチームメイトになった連中に話しかけられ、戸塚もそちらに混じっていった。

ま、当日は俺も頑張りますかね。

 

 

 

 球技大会当日。

晴天に恵まれ、広いグラウンドの4隅を利用する形で賑やかに野球の試合が進められていた。

俺たちのチームも、今から第一試合が行われるところである。

対戦相手は国際教養科のJ組か。知ってる奴はいないな。うん。

……ついつい無意識で知り合い探しちゃうとか、変化ってのは怖いもんだな。

 

 友達になろうとして断られたままの知り合いが対戦相手に居ない事を確認して、キャッチャーズボックスに陣取る。

それを確認した審判を務める教師のプレーボール宣告を聞き、戸塚が右足を少し前に踏み出し、ゆっくりと胸の前に両手を構える。

いわゆるノーワインドアップのポジションだ。

その後、左足を上げ投球動作に移り、グローブからボールを握った手を出し、左手を折りたたみながら綺麗なスリークォータースローで右手を鮮やかに振りぬく。

俺がミットを構えたところ、バッターから一番遠いアウトコース低めの位置を目がけてボールは一直線。

打者がその球へ反応し、バットをスイングする。

 

「よし!」

 

 しゃりっ、っと金属バットにゴムボールが掠った音がした。

バットにこそ当てられたが、本当にかすっただけだったのだろう、ボールは殆ど前に飛ばず、俺のちょうど目の前で弱々しく転がったのみ。

素早くマスクを投げ捨て、力なく転がった球を素手で掴み、そのままファーストの由比ヶ浜へ矢のように送球する。

 

「ワンアウトー! いい感じだよー、さいちゃん!」

 

 一塁できっちり俺の送球を受けた由比ヶ浜が、嬉しそうにボールを戸塚へ戻しながら声をかける。

 

「ありがとう結衣ちゃん! この調子で頑張るよ!」

 

 戸塚がボールを受け取りつつ、こちらをちろっと見てから返事をする。

今の視線は何だろう? あれかな、俺がイケメンすぎて惚れちゃったのかな?

キャッチャーマスク付けてるしそもそも目が腐りきってるからどう考えても違いますねごめんなさい。

……捕手ってのは縁の下の力持ちだからな、別に寂しくなんかない。

 

 その後も捕手として、戸塚が受け。間違えた戸塚を受けていたが、レクリエーションである事を重視している試合なので、イニングを消化した後に守備位置が変更されバッテリー解消。とつかぁ……

無失点のナイスピッチングを見せた戸塚は笑顔で後続のクラスメイトにマウンドを譲り、俺もショートのポジションへと移動。

ちなみに戸塚がセカンド、由比ヶ浜がファーストに回っている。

 

 その後、とあるイニング。

リリーフした男子クラスメイトが1アウトを取った後にヒットを打たれ、ランナーを出してしまった。

 

「篤史くーん、打たせていこー!」

 

 由比ヶ浜がマウンド上の能見を励ましている。

野球での声出しって本当に大事だからな。うん。それはわかってるんだが。

……なんだろうな、この良くない気分は。

っと、能見が投球動作に入ってる。ボールを見とかないと。

イケメンと言うよりはハンサム、な能見がすらっと長い両腕を綺麗に振りかぶり、右足を上げてから力強く踏み出し、ボールを握った左手をリリースする直前まで体で隠して、その後小さくテイクバックしてから人差し指と中指で挟み込んだボールを投げるために思いっきり腕を振る。

フォークボールの構えから放たれたそれは、打者の手前で一気に沈み込む。

しかし、打者に空を切らせるには至らず、相手も食らいついてくる。

何とかバットに当ててきたボールは投手の足元を抜け、ギリギリ俺の守備範囲かどうかって所へ打球が飛んできた。

しゃーねぇ、あんまり張り切るのは嫌いだが、ちょっと頑張りますか!

 

 普通に取っていたのではダブルプレーの取れない位置だ、いちかばちか戸塚を信じてやるしかない。

そう思った俺は打球に対して思いっきりダイビングしてグローブを出しセンター前へ抜けそうな打球を止める。

そのままベースカバーへ向かっている戸塚へ、弾くようにボールをそのまま掬い上げた。

アライバのごとく!

 

「ほれ!」

 

「わっ、凄いね!」

 

 戸塚が俺から弾きあげられたボールを捕球しながら二塁を踏み、そのまま体を回転しながら一塁へボールを投げる。

ゲッツー狙いの素早い送球だったため、一塁の手前でハーフバウンドしてしまうが、捕球の難しいそれを由比ヶ浜はこぼす事無くしっかりとファーストミットにおさめ、それを確認した塁審もアウトのジャッジを下した。

 

「八幡! 今の凄かったよ!」

 

「うん! ヒッキー、すっごくかっこよかったよ!」

 

 二人から凄く褒められながらベンチへ下がっていく。

……悪い気はしないな。

と、ここで戸塚が由比ヶ浜のほうを向く。

 

「ごめんね結衣ちゃん、取りづらいボール投げちゃって。ナイスキャッチだったよ!」

 

「ありがとさいちゃん、大丈夫だよ! ギリギリのプレーだったしね」

 

「うん!」

 

 にこにこしている二人を見ていると、どうしてかソウルジェムが濁りそうだったので、何とはなしに隣で試合しているチームを見る。

 

 ……雪ノ下が居るチームか。

 

 雪ノ下はキャッチャーをやっているようで、守備についているナインに色々と指示を飛ばしている。

それとなく近づいて見回してみると、相手チームの三塁ランナーは葉山のようだ。

野球しててもサマになってるとか、ほんとイケメン爆発しろ。

心中で密かに葉山を呪っていると、バッターが高くショート後方へフライを放った。

遊撃手が打球を追うのを止め、レフトが猛然と前進しながら捕球したのを見て、葉山が猛然と走り始めた。

タッチアップまでやんのかよ、ガチすぎだろ。

レフトからのボールが中継を介さずキャッチャー雪ノ下へダイレクトで向かい、ランナー葉山と同じぐらいのタイミングでホームへ。

レーザービームのような送球を受け取り、そのまま両者が交錯する。

判定は―

 

「間一髪、間に合わなかったか」

 

「あなたに遅れは取らないわ」

 

 アウトが宣告されていた。 へっ、ざまあ!

とゲスな事を思いながら見ていると、葉山と雪ノ下がこちらを見る。

俺がプレーを見ているのに気付いたようだ。

葉山と雪ノ下が何故か一瞬顔を見合わせ、立ち上がってジャージについた砂埃をはらう。

 

「ははっ、君には負けるよ」

 

「あら、流石クロスプレーの最中でも相手を怪我させないように回りこめる技量は大したものだわ」

 

 プレーの合間の会話だから、そんなに長話ではない。

 

「褒めてもないもないよ、雪乃ちゃん」

 

 すぐに終わるようなやり取りだった。

 

「事実を言ったまでよ」

 

 だが。

 

「……隼人くん」

 

 雪ノ下が目を閉じ、穏やかに言葉を返す。

……聞いてたら手首がひりひりしてきたわ。

って、え?

 

「うお、マジか」

 

 自分でも気付いていなかったが、さっきのプレーで手首を擦りむいたようだ。

まあマラソン大会で思いっきり転倒した時と比べるとそんなに大した事ないから、試合終わってから保健室にでも行こうかね。

 

「はちまーん、そろそろ打順回ってくるよー、って八幡大丈夫!?」

 

 ジャージの袖をまくって傷の具合を確認していると、隣の試合を見ていて居なくなった俺を戸塚が呼びに来てくれていた。

そしてどうやら、戸塚も俺が怪我しているのに気付いたようだが、あまり心配はかけたくない。

 

「別にこんぐらいならいいよ、傷も大した事ないし」

 

「ダメだよ! 八幡が怪我したままじゃみんな心配するんだから! 絆創膏だけでも貼りに行かなきゃ!」

 

「いや、でも試合中だからな……」

 

 遠慮しようとしたが、戸塚に手を握られて校舎へ連行されていく。

やだ、何このマジLOVE1000%ラブコメ展開。思わずきゅんきゅんしちゃう。

試合はどうやら順番待ちの他のチームから代役を入れてもらえるようだ。

なんとかなりそうだな。

せっかくだし、俺はこの戸塚ルートを選ぶぜ!

 

 

 

 

 手を握られたまま、手を握られたまま到着したのは保健室だった。

大事なことだから2回言っちまったぜ。

戸塚が俺に背を向けて、薬棚の方をごそごそしている。

棚の上側にはお目当ての物が無かったのか、今度は左手と膝を床について下側を探している。

ちなみに俺は戸塚の真後ろにある椅子に座って、探し物が終わるのを待っている。

 

 ……そんな四つんばいみたいな姿勢だと、そのですね。

気になるわけですよ。棚の左右を見るたびにふりふりと揺れるアレが。

あの小さくてきゅっと締まったライン、ほんとに同じ男なの? なんなの、誘惑してるの?

ふと、棚のそばの鏡を見てみると、腐った目を怪しく光らせ、口の端からちょっと涎が垂れている不審者を映し出していた。

……どう考えても通報物の表情です本当にありがとうございました。

慌てて口の周りを拭うと、ちょうど戸塚が顔を上げた。

 

「あっ、良かったぁ。絆創膏あったよ八幡! 怪我したところ、見せて?」

 

 絆創膏を見つけたことで本当に嬉しそうに、その後に真剣な面持ちに変わってこちらを向いてくる戸塚を見て罪悪感が有頂天。

しかし俺、マラソン大会の後も雪ノ下と由比ヶ浜に手当てしてもらったし今も戸塚に絆創膏貼ってもらってるし、スポーツイベントで毎回怪我してんじゃねぇか……

やだ、私の怪我回避スキル、低すぎ?

 

「おっけー、貼れたよ。でもごめんね? 結衣ちゃんや雪ノ下さんじゃなくて」

 

 よしっ、と一息つきながら少しだけ意地悪そうにニヤっとした表情でこっちを見てくる戸塚。

一色あたりに同じような顔されたら、はっ倒したくなりそうだな。

でも戸塚がやると、とつかわいい。

 

「え? なんであいつらが出てくんの」

 

「マラソン大会の時、結衣ちゃんと雪ノ下さんに心配そうに付き添われながら保健室に入っていってたの、思い出してさ」

 

「なんだ、見てたのか。恥ずかしいな」

 

「たぶん僕しか居なかったと思うけどね、中途半端な時間だったし」

 

 だから大丈夫だよ、そう付け加えて天使の微笑みを見せる。

あぁ、これ見れただけでも野球頑張った甲斐があったわ。

努力ってのは思いがけないところで報われるもんだな。

これからも専業主夫を目指すために、たゆまぬ努力を続けていこう。

 

「でも、あんまり無茶しちゃだめだよ? 今日だって、結衣ちゃんも雪ノ下さんも心配そうにしてたんだから」

 

「え、そうなのか?」

 

「そうだよ。保健室へ向かってる時に二人とも凄く不安そうな目で八幡のこと見てたんだから」

 

 と、ここで何かを思い出したような面持ちになってから、戸塚の言葉が一瞬途切れる。

 

「だから、二人にちゃんと謝ること! いい?」

 

 めっ! とでも言いたげな感じで右手の人差し指を立て、ちょっと体を前にのり出すようにしながら付け加えられる。

えっなにそれほんととつかわいい。もうそのままもっと前のめりになってくれてもいいのよ?

 

「えー、でもなぁ。プレー中の怪我だしわざとやったわけじゃないんだが……」

 

「ちゃんと向き合ってあげないと、八幡と口きいてあげないからね」

 

「わかった。めっちゃ土下座してくる。なんなら靴も舐めるまである」

 

 戸塚と喋れない人生なんて生きている意味ないしな!

あぁ、天使の寵愛を一身に受けたいだけの人生だった。

 

「えぇっ!? 別にそこまでしなくてもいいよ!?」

 

 慌てた様子になって左手を胸の前できゅっと掴み、右手をふりふりさせる。

もうほんとキミの仕草の一つ一つに夢中だよ! 何やってもかわいさマックスハート。

惚れた弱みって奴かな? そうだな。たぶんそう。と言うか絶対そう。それしかないまである。

 

「冗談だよ。とにかく、怪我も大した事ないし戻ろうぜ」

 

「うん! そうだね!」

 

 天使の施しで3人からの心配を受け、体力とちょっとの血液の2つを失った俺は、グラウンドに戻る事にした。

ちょっとバランス悪くないですかね……

 

 

 

 グランドよ、私は帰ってきた!

アスファルトで覆われた校舎から、砂に覆われた校庭へと舞い戻る。

試合は俺と戸塚が居ない間も代役が入ってくれたお陰で順調に進んでいたようで、なおかつこちらのチームがリードしているようだ。

今から最終イニングの守備に入るようで、めいめいが守備位置へ散っていく。

そんな中、由比ヶ浜が捕手の装備するプロテクターやレガースを順々に装着していた。

一緒に戻ってきた戸塚が自然に彼女の背中側へ回り、手の届きにくい範囲のアダプターをロックしていく。

無事にマスクまで着け終わり「ありがとーさいちゃん」と礼をし、それを受けて「いいよ、ゲームセットまでファイトだよっ!」とニコニコしながら返す。

……なんだろうな、釈然としない。

 

 おっと、ポジションだよポジション。

用意されているグローブで残っているのは外野用とファーストミットと、ピッチャー用のもの。

ま、どこでもいいか。

 

 俺が選んだグローブを見て、戸塚と由比ヶ浜が顔を見合わせ、また二人でニヤっとする。

またか、今日は何なんだ一体。

考えてもしょうがねぇ、せっかくだから俺はこのポジションを選ぶぜ!

 

 最終回のマウンドに上がる。

こっから運動部の連中の打順が続くから、結構しんどそうなんだよなぁ……

怪我上がりの俺に登板させるとか何なの? 俺を戦犯にしたいの?

とか内心で愚痴ってしまったが、どうやらまともに投球できるメンツでイニングを食って、最後に俺が余ったらしい。

だから由比ヶ浜を含め、女子連中は殆どマウンドには立っていない。

……別に、どうでもいいけどな。

 

 相手打者もバッターボックスで準備が出来たようだ。

それを確認し、今度は捕手の由比ヶ浜と視線を交わす。

こちらもいけるらしい。なら、やるか。

 

 彼女の構えたミットの位置を確認した後、投球動作に入る。

腕をすっと高く上げてから頭の後ろへ移動させつつ振りかぶって―

左足を上げてから踏み出す時に上体を前傾しつつ、右腕を横一文字に振り抜いた。

親指と人差し指で挟み込むような握りから飛んでいったそれは、ゆっくりとした球速で大きく弧を描き、真ん中で待っていたミットの位置どんぴしゃに収まった。

審判が右手を上げてストライクコール。

まどろっこしいのを省くと、サイドスローのフォームからスローカーブ投げただけなんだが。

速球狙いだったのだろう、意表を突かれて固まる相手バッター。

恵まれた投球フォームからのクソみたいな変化球。天邪鬼な俺にぴったりだ。

本格派のエースみたいな思いっきり大袈裟なワインドアップの構えで投げた意味があったな。

 

 2球目。

今度は胸の前に両手を構え、なるべく小さく素早い動きで内角、打者の近くへ投げ込む。

遅い変化球の次に、素早いノーワインドアップから速球を投げられ、これも手が出ずに見逃しでストライクを取る。

追い込んだ。

 

 さてと、次はどうするか。

一時期ようつべで漁った動画に影響されて、必死に壁当てで練習した伝家の宝刀があるのだが……

問題はこいつが取れるかどうかなんだよなぁ。

由比ヶ浜を見る。なんか声に出さずに口を動かしてんな、ええと……

 

(ど・ん・と・こ・い? 超常現象かよ)

 

 ぱくぱくと動かした後に、にかっと笑う。

あぁ、ここでそれは反則だろ。信じるしかなくなっちまうだろうが。

 

 一塁に背を向け、グローブを顔の手前少し下側で静止させる。

ボールを掴む人差し指と中指を折り曲げ、殆ど爪だけを引っ掛けた握りにして、充分に落ち着かせてから、投げる!

 

 ゆっくりと相手打者の絶好球ゾーンへボールが吸い込まれていく。

それを見た相手が狙い済ましたようにスイングするが。

 

「わわっ! あ…… やったぁ、ちゃんと取れたよ!」

 

 殆ど回転のかかっていないボールは、空気抵抗をモロに受け、フラフラとバットから逃げるように不規則に沈み込んで、スイングを掻い潜りキャッチャーミットに納まった。

 

 ナックルボール。

魔球、と呼ばれる響きに憧れたものなら誰でも一度は試そうと思ったんじゃないだろうか。

プロの投手ですらその難しさに実戦で投げる者が少なく、プロの捕手ですら変化の不規則さが祟って確実に捕球を出来る者が少ない、真の魔球。

投げる度に軌道が変わり、バットの芯で捉える事はおろか、まともに当てる事さえも難しい。

そんな変化球を実戦で試し、また打ち取れる機会があった事に内心で感動していた。

 

(何よりも……)

 

 一番びっくりしたのは、あいつがちゃんとこれを捕球できた事だけどな。

正直、たぶん普段であれば投げようとは思わなかっただろう。

野球部の奴がキャッチャーだったとしても、投げなかったかもしれない。

何故かはわからないが信じてみたくなった。

どうしてか、投げてもいいと思った。

 

 理性ではなく、直感を。俺が信じたものを。信じようと思って。

 

 きっと、魔球を投じたのだろう。

 

 ここからは早かった。

俺がナックルを投げられる事を察した相手が勝負を焦り、トルネード投法からで投げ込んだチェンジアップを引っ掛けて戸塚の守るファーストゴロに仕留め2アウト。

 

 次の打者にも、脳内あと一人コールに合わせて手をダフらせる寸前まで下げたアンダースローから、レスキュー! するための情熱のシンカーを投げ込み1ストライク。

もう一度サイドスローからぺろーんとスローカーブを投げて2ストライク。

あといっきゅう! あといっきゅう! とかつてマリーンズが出場し、4試合で29点差をつけて圧勝した日本シリーズでは一度も聞く事無く終わったコールを思い浮かべて、投げる。

 

 全力で投げたストレートは、目の慣れてきた相手に空を切らせるには至らずバットに当てられる。

しかし、変化球を続けられた相手に自分のスイングをさせずに打ち取るには、充分だった。

殆ど真上に高々と舞い上がった打球は、そのまま捕手の元へ戻ってくる。

日差しや風もそれほど邪魔をせずに、最後は由比ヶ浜がガッチリと掴んだ。

 

「ゲームセット!」

 

 審判の宣告を聞いた瞬間、ボールを掴んだ勢いそのままに、由比ヶ浜がこちらへ駆けてくる。

そしてそのまま俺の所へ飛び込んできた。

うおめっちゃうれしそうなんだこいつかわいすぎかいぬならめっちゃしっぽふってそうなおうだきつかれるとやわらかいかんしょくがあばばばば

 

「やったねヒッキー! ナイスピッチングだったよー!」

 

「だぁぁぁ暑い暑い熱い! わかったからくっつくんじゃねぇ!」

 

 思いっきり抱きついてくる由比ヶ浜を何とか引き剥がそうとする。

クラスメイトたちも何か知らんが俺ら以外で勝利のハイタッチを交わして、こっちを生暖かい目で見ながら下がっていく。

……やだ、もうおうちかえりたい。

 

 

 

 

 はぁ、やっと終わった。

つっても普段の一日授業の時よりは早く終わったな。

部室でも行って、のんびりしますか。

通い続けて1年近くが経過した、あの場所へ向かう。

 

「うーっす」

 

 引き戸を開けて、いつもの空き教室へ入ると、予想外の来客が居た。

 

「お疲れ。雪乃ちゃん、今日はよく頑張ってたね」

 

「ありがとう。たまにはこう言うのもいいわね」

 

 なんだ? 葉山と雪ノ下がとても親しげに喋っている。

葉山は椅子を反対側に向け、背もたれを腕を組むように乗せながらいかにも自然な雑談ですよーと言わんばかりの表情だ。

 

「お、比企谷もお疲れ。結構、運動できるんだな」

 

「あ、おう」

 

 あまりにも自然でナチュラルに話しかけられて思わずキョドっちまったぜ。

っていうか、色々と聞きたいことあるけどなんなの?

 

「結衣も、キャッチャーなんて怖いだろうによく守りきったね」

 

「うん、ありがと隼人くん」

 

 由比ヶ浜がどこか緊張しているような、恥ずかしそうな笑顔でお礼を返す。

頷いた葉山がぽんぽんっと由比ヶ浜の頭を軽く撫でつつ、ねぎらいの言葉をかける。

 

「おい」

 

 自分でも驚くぐらいの低い声が出ていた。

そして、何を言おうと思ったのかわからない事に気付く。

ついつい声が出てしまった。

……反射的というか、衝動的な自分に内心で驚く。

 

「ん? なんだい比企谷?」

 

 出し抜けに不躾な問い掛けをした俺を見ても動じる事無く、ごく自然に返事をしてくる。

 

「お前がわざわざ来てるぐらいだから、何か依頼でもあるんだろ?」

 

「あぁ、そういうことか。 それならもう終わったよ」

 

 どうやら依頼に来ていたらしいが、既に終わっていたようだ。

なにそれ蚊帳の外過ぎて泣ける。

そしていつのまにか蚊帳の外と思ってしまって自然に働く事を植え付けられている自分の本能にも泣ける。

やだよう、働きたくないでござる!

 

「そうか。部活とか、行かなくていいのか?」

 

「あぁ、大会の後始末とかもあるからね。しばらくは大丈夫さ」

 

 と言った葉山は、またも由比ヶ浜と雪ノ下の方へと意識と会話を戻した。

時折、また先ほどのような光景が繰り返される。

どうしても、それを平常心で見ていることが出来ず、会話に参加する術もなかった俺は―

 

「……ちょっと、飲み物買ってくるわ」

 

 彼らから、背を向ける事を選んだ。

 

 

 

『八幡のいない部室にて』

 

 

 

「ちょっと、やりすぎたかな?」

 

「いえ、そんな事はないと思うわ。とても自然よ。むしろ自然すぎて困惑したわ」

 

「でもいい感じじゃない? ヒッキーなんか機嫌悪そうだったし」

 

「あぁ、結構わかりやすいよな」

 

「あれでポーカーフェイスを気取っているつもりなのだから、始末が悪いわね」

 

「ねー。さいちゃんや小町ちゃんにはすーぐデレデレするくせに!」

 

「まあ、君達二人があまり隠さなくなったからね。人前でもさ。戸惑ってるのってのはあるんじゃないかな」

 

「……あなたにも迷惑をかけるわね、葉山くん」

 

「ごめんね? こんな話に巻き込んじゃって」

 

「構わないさ。去年は雪ノ下さんにも結衣にも迷惑をかけたからね。これぐらい、問題ないよ。さて、後は戸塚といろはに任せてるんだっけ?」

 

「うん! いろはちゃんが何かノリノリだったのが気になるけど……」

 

「やはり止めておいた方が良かったかしら……」

 

「はは…… まあ、後は任せるよ。それじゃ、俺はこれで」

 

「えぇ、ありがとう。あなたも頑張って頂戴」

 

「ありがとね、隼人くん!」

 

「あぁ、お疲れ雪ノ下さん、結衣」

 

 

 

 

『再び八幡視点』

 

 

「ふう……」

 

 一仕事終えた後のマッ缶は格別だな。

この旨さを味わうために生きていると言っても過言ではない。

大きな山を越えた後にこそ、練乳のスイートな甘さがデリシャスな美味しさを届けてデリバリーしてくれるのである。

別に一仕事なんてしなくてもいいんだけどな。

なぜなら、彼もまた特別なマックスオリジナルだからです。

だからやっぱり働かねぇ。

 

「はぁ……」

 

 労働について思いを馳せていると、自然と溜め息がこぼれる。

やだなぁ、さっきも廊下で平塚先生とすれ違ったら「本当は行事なんて何もないほうがいいんだよ。我々教師にとっては通常授業+αで業務が増える一方だからな。それに何より私の場合は若手だからっていっぱい仕事回されるしな! 若手だからな! 若手だからなー!」って言ってたし。

え、やだなにこれ社畜自慢どころか若さ自慢じゃん。しかもたいていこれ自慢してくるって事は既に若くないってそれ一番……殺気!?

 

「戻るか……」

 

 どこからともなく膨れ上がった、命を脅かす気配から逃げるように自販機の前から離れる。

おっかしーな、ここ職員室から結構遠いんだけどなー……

 

 自分の思考を振り払うために、平塚先生には申し訳ないが少し現実逃避の材料になってもらった。

しかし、結局のところ溜め息が出た理由における労働や若さ(笑)が占める割合なんて大した事はない。

お、なんかこれ街頭インタビューとかの結果を元に捏造した説得力の無いサンプルデータに無理やり説得力を持たせて勢いで押し切るときの文言みたいだな。

割合がどうのこうのって所をゴリ押ししてくるデータは母数が少なすぎてびっくりするのもあるから要注意な。これ豆。

 

 「うわ、今日は一段と目が腐ってますね……」

 

 見たくないものから目を逸らす思考に嫌気が差しながら、のろのろと部室へ向かってゆっくり歩く。

だいたい、あいつらは俺にとってなんでもない。

彼女でもなければ、ましてや友達ですらないのだ。

ちょっと自分と接点のある子が、他の男と喋っていただけで、どうしてこんなに腹が立つんだ。

……理由なんてとっくにわかってんのにな。

 

「せんぱーい? 流石に真横で歩いてるのに無視はどうなんですかねー?」

 

 大人気ないを通り越して幼稚まである感情に気付き、苛立ちどころか感心すら覚える。

認めたくない、知りたくなかった自分の気持ち。

反吐が出そうなわがままな俺が、酷く醜い。

自己嫌悪が限界まで到達したせいか、視界に邪魔が入る。

それはまるで目の前で手を振られているような―

 

「うおっ、なんだ一色か」

 

 思わず、首を仰け反らせてその場に立ち止まる。

どうやらこいつが目の前で手をふりふりとさせていたようだ。

一色はと言えば、しばらく気付いてやれなかった事にご立腹のようだ。

 

「呼びかけても返事してくれなかった上に、なんだって……ほんと人間の風上にも置けないぐらい失礼ですよね、せんぱいって」

 

「ちょっと? 雪ノ下の悪いところが感染ってんぞ? ちゃんと俺を人間扱いしてくれる?」

 

「してるじゃないですかー、今日は首も掴みませんでしたし、恥ずかしがり屋なせんぱいのために遠くから呼びかけるのもやめてあげたのに」

 

「どっちも当たり前のことなんだよなぁ……」

 

「だってせんぱい、首のところつかんだらいつも『ぐえっ』みたいなキモい声出すからすっごいキモいですし、遠くから呼びかけても反応してくれませんし」

 

「結局自分のためなんじゃねーか、あと大事なことじゃないのに2回も言うな。心が折れる。それにお前、いつも俺の事名前で呼ばねえのに、わかるわけないだろ」

 

 その半眼になって「は?」って言われるの、つら……

やめろ、その視線は俺にきく。

と思ってたら何か一色の顔色が赤くなってわなわなふるえてきた。

ほんと、器用に表情変わるよね君……

 

「ええ何なんですか名前で呼ばないってそれ遠まわしな名前呼んでくださいアピールですかごめんなさいたまに小町ちゃんと喋ってる時とかにはちまんほんとあれだよねーとか言っちゃってますけどそのたびにすっごい恥ずかしくなるんでお手本としてせんぱいのほうからいろはって呼んでもらわないと無理です!」

 

 両腕を思いっきり俺の方に突き出し、目の前でぶんぶん振ってくる。

なんなの、言葉でも手の動きでも振られるとかほんとつら……

 

「はいはい…… んで、お前はこんなとこで何してんの、生徒会でも行く途中か?」

 

「ふぇ? あぁいえ、今日は特に仕事も無いので雪ノ下先輩のお茶をご馳走になろうかなーっと思いまして」

 

 ばたばた振っていた手の動きを止め、ぎゅっとつむっていた目を開けて、少しうろたえるようにしながらも、あざとい返事から言葉を続けていく一色。

 

「今日はってか今日もだろうが……ま、あいつらもお前が来ると嬉しそうだからいいんだが」

 

「……ほんとにそうですかね」

 

「そうだろ。じゃなきゃ部員でもないのに殆ど毎日来てるお前をあんなに歓迎しねーよ」

 

「で、ですよね! わたし愛され系後輩ですからね!」

 

「なんなのその頭悪そうな称号」

 

「ぶー! 頭悪そうってひどくないですかー!?」

 

「お前の口癖みたいなすぐ振ってくる長台詞よりはマシだよ……いくぞ、いろは」

 

「え? え? せんぱい? 今わたしのこと」

 

 戸惑いと嬉しさを併せ持つ、妙な表情を浮かべながら、歩き出した俺についてくる。

……ちょっと大きく呼びすぎたかな。

でもま、名前を呼んでもらうためには不可抗力だからね、しょうがないね。

 

 

 

「ういーっす」

 

 部室に戻り、扉を開ける。

どうやら葉山は部活にでも行ってしまったのか、もうその姿は見えなかった。

ほっと内心で胸をなでおろす。

 

「おかえり、ヒッキー!」

 

「おかえりなさい」

 

 満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに俺に向き直る由比ヶ浜。

由比ヶ浜に腕を掴まれたまま、少しだけ表情を緩める雪ノ下。

もうごく自然に抱きつかれるのを受け入れてますねぇ……いいぞもっとやれ。

二人からの声に頷き返して、自席へ戻ろうとしたその時。

 

「せんぱーい! もう一回『いろは♪』って呼んで下さいよー!」

 

 後ろからついてきていた一色が、盛大に核ミサイル級の爆弾を投げ込みつつ入ってくる。

ミサイルだとあれかな、投げ込むって表現は不適切かな? かな?

とりあえずはスルーして席に座る。

 

「……ヒッキー」

 

「比企谷くん」

 

 うん、これスルー無理そうですね。

なんか手前の奴から炎のオーラとか見えるし、奥に鎮座してる奴からは冷気みたいなのとか色々感じる。

空間とかピシってなってる。

やべぇ。

 

「ええとだな、これはつまりそのアレだ、アレだよ」

 

 とりあえず煙に巻こうとするが、当然効果は無く二人の目線に射抜かれ「んぐっ」とかって詰まる。

女の子に睨まれて一撃で沈められる俺マジ雑魚。

そして目線を逸らした俺を一瞥し埒が明かないと判断した二人の目は、もう一人の当事者へと向けられる。

 

「一色さん」

 

「いろはちゃん」

 

「ひっ!?」

 

 今度は一色に4つの瞳が向けられる。

それをまともに食らい、素早く俺の後ろへ回り込んで盾にしようとしゃがみこむ。

ほんと速攻で先輩シールドに頼っちゃうとかなんなのこの子……

 

「いやですねこれにはその山よりも高く海よりも深いわけがありましてですね」

 

「比企谷君みたいに回りくどい言い逃れをしようと思って、私に勝てると思っているのかしら?」

 

「はっ、はひっ! すみませんでしたっ!」

 

 おー、なんかビビってんなこいつ。

 

俺を境に交わされる視線の攻防に対して我関せずを決め込む。

と、今度は由比ヶ浜がするっと回りこみ一色に攻勢をかける。

 

「そういう抜け駆けみたいなの、よくないと思うな…」

 

「ふぇ!? 結衣先輩?」

 

 一色のあごをそっと掴んで、自分の方へと向き直らせる由比ヶ浜。

逃げようとして立ち上がる一色をそのまま壁に追い込んでいく。

 

「あたしだって、まだ一回しか名前で呼んでもらってないのに……」

 

「んひい! ちょっ、ちょっと! ふうん!」

 

 あごを掴んだまま、そっと壁に押し付け、耳元で囁く。

身を捩って抵抗している一色はもう涙目だ。

なんかいけない扉が開きそうですね……

 

「うわーん! お二人ともすみませんでしたー!」

 

 何とか由比ヶ浜のゆりゆり攻めから逃れた一色は、そのまま部室から逃走した。

ほんと何しに来たの……

 

「……おい。あんまりいじめてやるなよ」

 

「……はぁ。少しやりすぎてしまったかしら」

 

「そ、そだね。でも」

 

 こちらを見下ろし、椅子に座ったままの俺をジト目で見下ろしてくる。

 

「ヒッキーやっぱりいろはちゃんに甘すぎだし……」

 

「そもそも誰のせいだと思っているのかしら」

 

 不満げな目つきで睨まれる。

 

「知るかよ。だいたいお前らも様子がおかしいぞ?」

 

「あら、鈍感谷君でも気付いていたのね」

 

「前にも言ったろ、ぼっちは人の気配に敏感なんだよ」

 

「ならあたしたちの気持ちにも気付いて欲しいし!」

 

「いや……それはそのだな……」

 

「私達は、別に構わないのだけれど?」

 

「そうだよ!」

 

 曖昧で何を指しているのかわからない。

そう言い逃れる事は簡単だろうけど、でも。

 

「そんなの……そんなのダメだろ」

 

 思わず椅子から立ち上がり、二人を見つめる。

 

「ダメじゃないよ。ごめんね? 今日は試すような事ばっかりしちゃって」

 

「私も謝るわ、ごめんなさい。でも、あなたにどうしても気付いて欲しかったものだから」

 

「なんのことだかわからねえな」

 

「そう……私達自身が気付けたから、いいのだけれどね」

 

「そだね。いろはちゃん、さすが伏兵だよ……」

 

「お前ら、もしかして」

 

「でもあんなにひっついていいなんて言ってないし!」

 

「そのあたりはこちらの落ち度ね。今度はもう少しちゃんとしましょう」

 

「次があるのかよ……」

 

「あなたの両腕が何のためにあるのか、理解するまではやるわよ?」

 

「そうだよ、ちゃんとあたしたちを抱きしめてもらわないと」

 

 じりじりと詰めてくる二人。

たまらず俺は、近づいた視線から逃れようと教室の外を向いた。

その時、意識を向けたからだろうか、近づいてくる足音に気が付き、そして。

 

「はちまーん、怪我の具合大丈夫?」

 

 扉をノックする音がした後に、戸塚が入ってきた。

その時、俺は理解した。

こんなにも簡単な事だったのかと。

 

「とっ、とつかぁ……」

 

 部室に入ってきた戸塚を、俺は両腕でがっしり抱きしめた。

え、なにこれ細い。柔らかい。いいにおい……

 

「あぁ、俺の両腕は、戸塚を抱きしめるためにあったのか……」

 

 17年生きてきて、やっと気付いた世界の真理。

そうか、これが―答えか。

 

「えっ、えっ、八幡、どうしちゃったの?」

 

「何も言わなくていい、何も言うな戸塚」

 

「つらいことがあったの? 僕でよかったら話、聞くよ?」

 

「いいよ、こうしていてくれるだけで」

 

「八幡……うん、八幡がそうしたいなら、いいよ」

 

「何故かしら、釈然としないわ……」

 

「むー! さいちゃんにデレデレどころじゃないし!」

 

 戸塚さえ、いればいい。

……なんてな。

ま、両隣でむくれてる二人の事だって、いてくれないとダメだって、俺の心が叫びたがってるけど。

でもそれは、もう少し後で。

今はそう、この腕の中の感触を忘れないようにしよう。

そんな俺の青春は、何もまちがっていない。

 

 

     (おわり)




お読み頂きありがとうございました!
感想とか評価点とか貰えると嬉しいです!
それでは!


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その苗字を夢見て

ここまできてくれてありがとうございます。
短編ですが、どうぞ。


 とある学校帰りの金曜日。

3年生になって本格的に受験勉強に打ち込み、週末は部活帰りに3人でファミレスに寄って毎週勉強するのがお決まりになっていた。

この勉強会をやりだした頃はあたしがヒッキーとゆきのんに教えてもらうばっかりだったけど、ちゃんと頑張って勉強しだしてからは成績もぐんぐん伸びていった。

ヒッキーは国語を中心に文系科目が得意だけど、あたしは二人に教えられているうちに科目を問わず成績が良くなってきていて、今は数学や化学などはたまにヒッキーに教えてあげることもある。

 

で、今週も学校帰りのちょうどいい場所にあるサイゼに来たんだけど…

 

 

「あー、満席だなこりゃ」

 

 

「だねー…」

 

 

 今日は、ゆきのんが実家の方に顔を出すと言う事で来れなくなってしまったためヒッキーと二人で来ている。

そのぶん、部活中は特に誰も依頼者が来なかったので下校時間ギリギリまで3人でその分の勉強会をしていた。

それでいつもより入る時間が遅くなっちゃったんだけど、裏目に出ちゃった。

待ち合いの席を見たら、他にも待っているお客さんが見えた。

 

「いらっしゃいませ! 申し訳ございません、ただいま満席でございまして…。人数とお席のご希望をこちらの紙に書いてお待ち下さいませ」

 

 混雑していて忙しそうでも店員さんは明るい声で案内してくれる。

答えるヒッキーは「あっはい」とぼそっと言って、それからあたしに向き直って「頼むわ」と目配せしてシートに腰掛けた。

いかにも人の多さに疲れてやる気無いですよーみたいなオーラを出しつつも、鞄を自分の脇に置いてそれとなくあたしが座るスペースを確保してくれている。

もう! そういうとこ、ずるいなぁ…

 

 せっかく任されたので、ウェイティングシートに記入しようとボードを見る。

喫煙席・禁煙席のどちらがいいかを丸で囲む欄、来店人数を書く欄にそれぞれ記入を済ませ、その後に来店者名を書く欄があったので比企谷と記入する。

 

「ん……?」

 

 あれ、これなんかあたし比企谷って自然に書いちゃったけどこれそもそも普通自分の名前書くとこだよねええでもヒッキーと一緒に来てるし別に間違ってはないよねそのうちあたしも比企谷になわわわわ! 今の無し!

 

 

 自分で何気なく自然に記入した『比企谷』の字があたしに突然のダメージを与えてくる。

はうー… 恥ずかしい…

 

「ちょっとね、まだ…」

 

 はっ! つい口から出ちゃった!

これたまにヒッキーも本読みながらやってる時あって、ちょっとキモいのに何か真似しちゃったみたいになってる…

そういえば、仕草とか喋り方って身近な人と似てくるって言うよね。

身近… えへ… だめだめ! また声に出そうになっちゃった!

 

 ついつい頬や口元が緩む自分と格闘した後に何とか書き終える。

なんだか顔が熱いよ…

 

「お待たせー、書いてきたよ」

 

 何とか自分を押さえ込んでからヒッキーに声を掛けつつ混雑時の待機用席に戻る。

こっちに気付いたヒッキーがさらっと鞄を自分の膝の上に戻して場所を開けてくれた。

ぽかぽかとした気分になり隣に座ると、ヒッキーが怪訝そうな表情を浮かべている。

 

「お前、やけに時間かかってたな…書いてる最中も首振ったりしてたし… あれか? 漢字が読めなかったのか? よし、ええとな、あの字は」

 

「違うから! 流石に読めるからぁ!」

 

「なんだ違うのか? って顔赤いぞ? どうした?」

 

「ふぇ!? そ、そんなこと、ないよ!?」

 

「知恵熱でも出たのか? …よっと」

 

「……っ!?」

 

 

 風邪でも心配してくれたのだろうか、ヒッキーがいきなりおでこに手を当ててきた。

その時のあたしの前髪を払う手つきが凄く優しくて、気付いてしまったあたしはまた体温が上がる。

 

「え、なんかちょっと熱いんだけど…どうする、帰る?」

 

「やー!やー!だいじょぶだから!ちょっとお店の混雑に当てられちゃっただけー!」

 

「お、おう…ならいいけど…急にどうしたんだ…」

 

「なんでもない!なんでもないよ!えへ、えへへへへ…」

 

 あたしの心の中でだけの嵐がようやく過ぎ去ろうとしたとき、お店の奥からお客さんがぞろぞろと出てきた。

もうすぐ呼ばれるかな? と思い列が通り過ぎた後、店の奥に目を向ける。

予想が当たり、レジの精算を終わらせたであろう店員さんがそのままこちらに出てきて、さっきあたしが書いたシートを確認する。

 

「お待たせいたしました、2名でお越しの比企谷様~」

 

やっと呼ばれたーと、ほっとした気持ちで反射的に返事をする。

 

「はーい! ヒッキー、いこっ!」

 

「え、あぁ…そうだな」

 

 反射的にヒッキーの手を引いて立ち上がる。

ん? なんか目を逸らして下向いてる。

 

「どしたのヒッキー?」

 

「や、なんで比企谷で呼ばれたのにお前が先に返事しちゃったの… そもそもなんであれに比企谷って書いてんの…」

 

 どんどんと尻すぼみになっていく声と、下がっていく目線。

釣られるようにあたしも下を向く。

そこ、気にしちゃうんだ… 気にしちゃうんだ!

 

「えっ、えっと… なんか、ほら…」

 

「いや、もういい…ほら行くぞ」

 

 ぶっきらぼうな口調で「まだ比企谷は早いだろ…まだ」と言いながら、あたしの手を引っ張る。

漏れ出た言葉とは裏腹な優しいそっとした指の絡め方に、あたしはそっと掌を包み返した。




お読み頂きありがとうございました!
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