碧く揺らめく外典にて (つぎはぎ)
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序章:その英雄は

はじめまして、つぎはぎと申します。
この度、初めての作品を投稿をさせてもらうこととなりました新参者ですが、是非ともよろしくお願いします。

前々からFateの一番好きなお方をヒロインとした作品を書いてみたいという欲求があり、形にしてみました。人によっては忌避されるかもしれませんのでご注意を。

では、どうぞ!

あ、誤字脱字があれば遠慮なく


何処と無く、懐かさしさがこみ上げてきた。

 

そこは世界に繋がっていて

 

歩けばいつかは着く道の果てで

 

常に満たされているところだった。

 

僕は其処を尊んでいる。

 

其処には父の父がいて、一部で、全てだった。

 

会ったことはない

 

だけど、会いに行けば其処にいてくれる。

 

そういう方で、場所だった。

 

偉大で、尊大で、寛大な方。

 

時に荒々しく、静かで、奪い、恵んでくれる。

 

そんな方の子供の子供だった。

 

そんな方がいる場所で死ねる。

 

とても幸せなことなんだと思う。

 

父の父がいてくれる。看取ってくれる。一人じゃない。それが、幸せなことなんだと思えた。

 

と言っても、僕の腕の中には最愛の人がいるから一人で死ぬ訳ではない。

 

愛した人と死ねるから、それは寂しいわけではない。

 

 

 

 

 

ーーーーーでも、ごめんね。

 

やってしまったことに後悔はない。

 

もう一度、同じことがある機会が訪れたとしても、僕はきっと同じことをしてしまうだろう。

 

それが僕なんだ。

 

人知れず、歴史に残るわけもなく、ただ、君の夫になっただけが人々に伝わっただけの者。

 

僕の矜持、それがこの結末へと導いてしまった。

 

だからごめん。

 

僕は君に相応しくない男なのかもしれない。

 

それなのに君は、僕と結ばれてくれた。

 

慈悲深い、というわけではない。君は自分の言葉を覆さないだけなんだろうね。

 

 

 

ごめんね

 

本当にごめんね

 

 

ありがとう

 

本当にありがとう

 

 

それを言いたかった。

 

でも言えない。

 

口が動かないし、そもそも水の中だから何を言ってもきっと伝わらないだろう。

 

 

 

伝えたかったなぁ…

 

 

君にーーーーーって

 

 

 

 

 

○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

どこまでも碧く澄んだ光景が途切れた。映った景色は無味で特に語るべきことはない天井だった。

少しして働き始めた脳が、先ほどの光景が夢であったことへと理解した。カウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニアはベッドから体を起こし、ワシワシと自身の髪を掻いた。

 

「…昨日の今日でこれか」

 

カウレスが見たのは自身が契約を交わしたサーヴァントの過去だ。サーヴァントの過去を見られるのは契約により因果線が繋がった証拠であり、マスターの特権とも言える。神話の時代を生きた英雄の過去、その一部を垣間見るというのは魔術師でなくとも見たいと思う人は数知れないだろう。

 

「具体的じゃなかったけど…、なんとなくあいつの願いが分かったような気がする」

 

見えたのはどこまでも澄んだ碧。碧の正体は水だった。いや、水は水でも海水だ。夢の中だったが海水独特の潮の匂いが鮮明に鼻に残っている。

海中でゆっくりと沈み、海面から降り注ぐ陽光が体を包み込む感覚。その感覚の中で青年は眠りそうになっていた。

 

後悔はない。

 

しかし、懺悔したいことがある。

 

そして、伝えたいことがある。

 

それが己のサーヴァントの願いなんだろう。

 

 

「まぁ、決めつけるのは早計だな」

 

カウレスは眼鏡をかけて立ち上がる。まず、サーヴァントと腹を割って話そうか。昨日、というよりも数時間前に召喚したことをふと思い出した。

 

深夜の2時、ルーマニアの都市トゥリファスを睥睨するユグドミレニア城では“聖杯大戦”のため、サーヴァントの一斉召喚を行った。四人のマスターはそれぞれ用意した触媒で目当てのサーヴァントを引き当てようとしていた。

 

一人は触媒をケースに入れたままで不明。

 

一人は先端が青黒い色に変化した古びた矢。

 

一人は中に染みが残ったガラス瓶。

 

最後ーーーカウレスが用意したのは人体図が描かれた古びた紙。右下には殴り書きで『理想の人間』と書かれている。

 

全員が魔法陣の上の祭壇へと置いて詠唱を始める。

 

“素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。手向ける色は“黒”。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ

 

ーーー告げる。

 

汝の身は我が下に、我が運命は汝の剣に。

聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うなら応えよ。

 

誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者”

 

 

ここで他の三人と違い、カウレスのみが二節、詠唱を加えた。それは狂化のための追加詠唱。カウレスはクラス“バーサーカー”を召喚することを決められており、そのため一人だけ詠唱を加えなければならなかった。それに不満は無い。それも当然だ。自分は未熟で姉の予備に過ぎない。マスターの証である令呪が自分に現れたのは偶然にすぎない。とにかく、マスターとなったからにはユグドミレニアのため、死ぬ覚悟をしなければならない。

マスターの中で魔術師として格が最も低いのはカウレスだ。サーヴァントは召喚されたマスターによりステータスが変動する。未熟のカウレスが召喚したサーヴァントはステータスが低くなる可能性があるため、彼のクラスは必然的にバーサーカーとなったのだ。

 

 

“されど汝はその眼に混沌を曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者”

 

 

“ーーー汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!”

 

 

そうして、“彼ら”は降り立った。

 

この世に英雄として崇められ、死後、座へと昇華された奇跡。魔術を超えた最高級の神秘達がーーー英霊として招かれた。

 

ーーーそれはいい。そこまではよかったとカウレスは頭を抱えた。

 

問題は己のサーヴァントだ。当初召喚しようとしていた英雄の名は“フランケンシュタイン”。神秘が薄れた時代に生まれた近代の英雄。それを喚ぶつもりで触媒を姉の知己のフリーランスの魔術師から買い取った…はずだった。

 

しかし、呼びだされた英雄は予想を裏切っていた。

 

召喚された英雄は四人。

 

燦然と輝く鎧を着込み、大剣を手にした銀灰色の髪の青年。

弓と矢を手にし、草色のマントを身に纏った青年。

 

派手に着飾った笑顔満面な中性的な少年。

 

そしてーーー簡素な衣服を着た穏やかそうな青年。

 

 

ここで結末を語ろう。

 

 

 

カウレスはフランケンシュタインではなく、違う英霊と契約を交わしてしまったらしい。

 

 

 

「…あー、バーサーカー? いるか?」

 

『うん、ここにいるよ。カウレス君』

 

カウレスの呼びかけに外見同様に穏やかな声が頭に響いてきて、思わずカウレスは苦笑してしまう。

 

“バーサーカーと会話できるとは…”

 

これでは昨日のみんなの表情は当たり前か…。

一斉召喚したことでサーヴァント達は協力するマスター達の目に当然入り、自分のサーヴァントの様子にそれぞれが反応を示した。

 

一族の長はため息を隠せられず、

 

姉はどの様な表情をしていいか困惑を浮かべ、

 

嘲笑を隠さない中年がいて、

 

反応は特になく自分のサーヴァントに釘付けの女性がおり、

 

少年は興味も示さずその場から去った。

 

後の二人はどうでもいいとして、前の三人の反応はそれもそうだと納得した。

 

契約したサーヴァントが取った行動はまず自己紹介。

 

 

“こんにちはマスター、この度バーサーカーとして召喚させてもらいました。魔力の流れからマスターは君だと思うけど間違いはないかな?”

 

 

次に握手。

 

 

“そうか、よろしくね。なんの因果か二度目の生をありがとう! 聖杯を手に入れるために奮闘するから共に頑張ろうカウレス君”

 

 

そして、自分の身を案じた。

 

 

“ところで体は大丈夫かい? 召喚で魔力を大量に消費したと思うけど疲れとか痛みは?”

 

 

これがサーヴァントではなくて普通の人ならお節介な奴なんだなと思うだけ。しかし、彼はサーヴァント。何よりバーサーカーなのだ。

バーサーカーとは狂い、暴れ、時知れずに自滅する理性なき獣。小なり大なりまともな会話などできる筈がないのだ。だが、彼は会話ができる。理性があり、まともな思考、判断能力を有している。バーサーカーとは真反対だ。

 

そんなバーサーカーは自分の前に現れた。霊体化を解き、光の粒子が形を取る。

現れたのは碧色の青年。簡易な碧色の服に穏やかな表情が静かな波を思い浮かべれる、そんな人だった。

 

「カウレス君、おはよう。もうすぐお昼だ。よく眠れたみたいだね」

 

「あぁ、そこそこは眠れたみたいだよ」

 

それでもバーサーカー。こんなのがバーサーカー? 色々言いたいことはあるし、疑問に思うことはたくさんあるがそれでも自分の呼びかけに応え、剣となると誓ってくれた英雄だ。不満を口にしてはいけない。

 

「それでバーサーカー、もう一度確認しておきたいことがある」

 

「それは僕のクラスと真名かな?」

 

「あぁ」

 

一応、もう一度確認しておこう。数時間前は予定とは違い、焦っていたこともあったせいか認識の齟齬があるかもしれない。そのために互いにもう一度名前を確認しておくべきだ。心の中でそう言い聞かせ、まず自身の名を語る。

 

「俺の名前はカウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。ユグドレミニア一族で“黒”のマスターとして聖杯に選ばれてしまった魔術師だ。そして、お前のマスターだ」

 

確認のため“黒”のバーサーカーに手に刻まれた令呪を見せる。三画で構成されたそれを見たバーサーカーは反芻するように頷くと、片膝をついて頭を下げた。

 

「君はカウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。この度バーサーカーとして座から地上に馳せ参じ、マスターである君の願いと僕の願いのため、この身を剣とも盾とも成しましょう。そして、僕の真名はーーー」

 

 

 

『ヒッポメネスと、申します』

 

 

 

その真名を二回聞き、間違いではないとカウレスは天を仰いだ。

ヒッポメネスはその様子に“まあ、当然か”と乾いた笑いを漏らした。




というわけで、原典の夫殿をサーヴァントに。
ネットから頑張って調べてある程度能力も決めていますが、矛盾が発生する恐れあり。


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小休憩か戦前か

それでは二話目。
前々から書き溜めてたやつをちょくちょく投稿。
FGOのリーダー? お気に入り? アタランテ一択で。
ブリュンヒルデさん来たから、後は是非ともモーさんと蝉様に来ていただきたい。あと、天草さん。


“ヒッポメネス”

 

ギリシャ神話にて出てくる英雄、というには英雄らしいことは語られていない。

彼の名が語られるのは英雄“アタランテ”の物語だ。

 

“純潔の狩人 アタランテ”

 

月の女神 アルテミスの聖獣である雌熊に育てられ、アルゴー船の大冒険では唯一の女性として参加し、カリュドンの猪を討伐したなど輝かしい伝説を持つ。

 

ヒッポメネスはそのアタランテの夫となった。

 

夫となった経緯は見方によって小狡いと言われるだろう。

アタランテは父であるイアソス王に婚姻をするよう迫られたが彼女は一つの条件を提示した。それは『自分と徒競走をして勝った者の夫となろう。しかし、負けた者には死んでもらう』という条件だった。

 

数多くの男が彼女を手に入れようかとしたがーーー結果は死だった。彼女はそれほどまでに速く、早く、疾かった。生まれた直後に捨てられ、獣同然に育った彼女に足で追いつけられる者はいない。

 

だが、それを破る者はいた。それがヒッポメネスだ。彼は如何様に彼女に勝ったか。単純な走力で勝った? 否、違う。ヒッポメネスは女神に助力を仰ぎ、三つの果実を貰ったのだ。

 

それは黄金の林檎だった。

 

ヒッポメネスは走り出した直後、途中途中に林檎を後ろに投げ、黄金の林檎に釣られたアタランテを追い抜き、誰も達成できなかったことを遂に成功させた。

 

それがヒッポメネスの偉業だ。

 

女神に力を借り、アタランテに策略で勝った男、それがヒッポメネス。卑怯と言う者もいれば、小賢しいと言う者もいる。

 

怪物を倒したのでもなく、国を守護した訳でもなく、残虐極まる行為で人々に恐れられたわけでもない。

 

それがヒッポメネスという英雄であり、ヒッポメネスという神話の人物であった。

 

 

 

「…こんなところだよな」

 

カウレスはインターネットの電源を切り、背もたれに体を預けた。本を読み、世界と繋がる電子の海から情報を引き出しても己のサーヴァントの特徴はこれに行き渡る。

 

“ヒッポメネスはアタランテの夫となった”

 

それが彼が英雄である事実。言い換えればアタランテという狩人の英雄がいなければ彼は英雄として座に招かれなかったかもしれないということ。知名度はかなり低いと言っても間違いない。その証拠にステータスなんてどうだ。

 

クラス:バーサーカー

真名:ヒッポメネス

ステータス:筋力D 耐力C 敏捷B 魔力C 幸運B 宝具C

 

敏捷と幸運は高い、これは黄金の林檎から由来するのだろう。女神に目をつけられ、林檎を貰えた。この事実だけを考えれば高いことが考えられる。だから、ヒッポメネスの宝具は必然的にーーー

 

「あれ? 待てよ、それって…」

 

重大な事実に気づき、思わず立ち上がろうとするが直前に部屋のドアからコンコンと叩く音がした。

 

「あ、あぁ、誰だ?」

 

「やっほー! 失礼するよカウレスくん!!」

 

返事の直後、ドアを開けて入ってきたのは派手な装飾を身に纏う中性的な少年、ライダーだ。ライダーは笑顔満面でカウレスの部屋に入ると、キョロキョロと部屋を見渡し始めた。

 

「ねえねえ! ヒッポメネスいる? 今から町に遊びに行こうと思うから彼も誘おうかと思ってね!」

 

「お前…また」

 

ライダーの真名はアストルフォ、イングランド王の息子にしてシャルルマーニュ十二勇士の一人である。明朗快活な少年だが理性が蒸発していると例えられるほどにポジティブでうっかりな性格なのだ。事実、今、目の前で隠すべき真名を口にしている。

 

「あ! ごめんね! …うん、バーサーカー、バーサーカー。 よし! それでバーサーカーを誘いたんだけどダメ?」

 

「…あー、いいよ。でも話したいこともあるから夕方には帰ってくるようにしてくれ」

 

「分かったよ、ありがとう! それでバーサーカーは?」

 

「バーサーカーなら城の見張り台にいると思うぞ? あいつ暇さえあればそこに行くし」

 

「そうか、じゃあ誘っていってきま〜す!」

 

ライダーはバタバタと部屋から去っていった。部屋は自分一人となり、小さくため息を吐く。バーサーカーこそ弱点らしき弱点は無いが真名が明かされることだけは勘弁願いたい。それをまさか味方から明かされるかもしれないかと思うとヒヤヒヤしてくるというものだ。

 

これから起こる“聖杯大戦”の行く末に不安を感じずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

“聖杯大戦”

 

これを引き起こしたのは紛れも無い“黒”の陣営、ユグドミレニアの一族だ。

ユグドミレニアの一族とは魔術回路が貧弱、あるいは衰弱が始まり魔術回路が貧弱になりつつある一族を寄せ集め、成り立っている一族だ。初代が選んだ魔術系統を極めるのではない。浅く広く、幅広く、魔術を吸収して魔術師の悲願“根源の渦”へと至ろうとしている。

 

数が多いだけ。それだけが取り柄だった一族が聖杯戦争を引き起こした。それはなぜできたのか?

 

理由はユグドミレニア一族の長、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアにある。

 

ダーニックは見た目こそ二十代後半だが実年齢は八十を超えている。彼は六十年前に起こった“冬木の”聖杯戦争の参加者である。彼は聖杯戦争の最中、偶然にも聖杯戦争を引き起こしている原因である“大聖杯”をとある山中で発見した。

彼はその大聖杯を盗み出した。旧ナチス軍と協力し、“冬木の”大聖杯を作った御三家と帝国陸軍を出し抜いて日本から持ち去った。そのあと旧ナチス軍を欺き、自身が管理する都市トゥリファスに大聖杯を隠し、六十年以上を掛けて聖杯をトゥリファスの地脈と接続させた。

 

ユグドミレニアは大聖杯を使い、魔術協会への叛逆を決意し、新たな協会を結成すると宣言する。

 

この為に大聖杯を奪い、六十年という時間耐え続けてきた。七体のサーヴァントを召喚し、魔術協会を打倒する。

 

…その予定だった。魔術協会の魔術師がユグドミレニア一族の本拠地であるミレニア城塞の地下に眠る大聖杯の予備システムを開放するまでは。

 

大聖杯は状況に応じ、令呪の再配布など聖杯戦争に関する補助を行う。この場合、一勢力に七体のサーヴァントが統一されたため、もう七体のサーヴァントを召喚可能とした。

 

故に“聖杯大戦”。

 

“冬木の”聖杯戦争の形式と異なり、七対七のサーヴァントがぶつかり合う。最小にして最も苛烈で大きな戦争が始まる。

 

ユグドミレニアの一族と魔術協会の魔術師が火花を散らす、“黒”と“赤”の魔術戦争。

 

それこそが“聖杯大戦”だ。

 

 

 

 

 

「……バーサーカーか」

 

聖杯大戦がどういうものなのか、聖杯によって与えられた知識とマスターからの確認で把握した。大まかではあるが、なぜ聖杯大戦が引き起こされたのかの経緯も理解した。

サーヴァントとして頼られたなら応えるべき。曲がりなりにも神話に名を残した英雄なのだ。それが予定とは違い、望まれて喚ばれたわけではなくとも、マスターの願いと自身の願いのため獅子奮迅しようと決意した。

 

バーサーカーこと、ヒッポメネスはそう考えたのだ。

 

彼は間違いなく自分自身こそ聖杯大戦で最弱のサーヴァントなのだと考えている。会って間もないが己と轡を並べて戦うサーヴァント達の真名を聞き、格が違うと納得した。

 

剣士のサーヴァント セイバー。最優のサーヴァントと言われるだけあり、万能の力と技能を有するクラス。真名は知れずとも隠しきれぬ英雄の覇気を纏っていた。

 

槍兵のサーヴァント ランサー。俊敏にて最速を担うクラス。この“黒”の陣営で『王』として君臨し、此処ルーマニアにて最高の知名度を誇る守護者。

 

弓兵のサーヴァント アーチャー。遠距離戦を得意とするクラス。そのクラスの英雄を彼は生前に知っていた。会ったことはなくとも数々の英雄を育てた大賢者である。

 

騎兵のサーヴァント ライダー。数多くの宝具を有し、空中を駆けるクラス。会ったばかりではあるが気が合い、マスターの許可さえあれば町へと遊びに行くことが多い友人。

 

魔術師のサーヴァント キャスター。名の通り魔術師のクラス。常に仮面を着け、表情も心中も読めはしないが彼が造るゴーレムには感嘆の一言に尽きる。

 

暗殺者のサーヴァント アサシン。マスター殺しを得意とする暗殺者のクラス。聞いた話だと近代に生まれた殺人鬼らしい。

 

そして、バーサーカー。狂戦士のクラス。理性なく、ひたすら戦場で命尽きるまで暴れる。それがヒッポメネスに与えられたクラスだ。

 

「バーサーカーらしきしたことは…あれか」

 

ヒッポメネスがバーサーカーとしてカテゴライズされる逸話は存在しなくもない。

 

ヒッポメネスは妻アタランテと神が奉られている神殿で体を交わり、神の怒りに触れて獅子に変えられたと伝えられている。

 

それは紛れもなく不敬であり、信心深い者からしたら狂った所業とも思えなくもない。

 

彼のクラス別スキル“狂化”は極めて低い。

 

“狂化:E-”

 

恩恵は筋力も耐久が『痛みを感じにくい』だけだ。当初予定していた狂化のステータス向上はできていない。

 

「…そんなことした覚えはないけどね」

 

ヒッポメネスは生前そんなことした覚えはない。この逸話は後の世の人が語った創作に過ぎない。彼が妻と共に獅子になったのは違う理由だ。

 

それは彼と妻しか知らない物語の中にしか存在しない。

 

人知れず時間の中に消えていった、語られぬ英雄譚。

 

純潔の狩人無しには英雄と認められない彼は、果たしてどのような偉業を成したのか。

 

それをこの聖杯大戦にて語ろう。二度目の生を与えてくれたマスターに、勝利と聖杯の二つを携えて。

 

「お〜い! ヒッポメネス〜!」

 

見張り台の上に佇んでいたバーサーカーは下から響いてきた友の声に振り向いた。見下ろすとライダーがこちらに手を振っていた。二度目の生にて初めて得た友人 アストルフォ。そんな彼に苦笑いしながら、見張り台を降りて近づいた。

 

「ライダー? 真名は呼ばないでくれって言っただろう」

 

「あ、ごめんごめん。君のマスターにも言われたばかりなのに忘れちゃってたよ」

 

「カウレス君に? 彼に何か用があったのかい?」

 

「うん! これから町に遊びに行こうかと思ってさ! 君を誘おうかと思ってまずマスターの許可を取りに行ったのさ!」

 

「それはまず僕に許可を取るべきじゃない?」

 

まあ僕がいいと思ってもカウレス君が許してくれなきゃダメだけどね、と追加してからアストルフォと共に城塞内へと戻っていった。

町に遊びにいくことは問題無い、しかしまず服に着替えなければならないので服を置いているライダーの部屋へと向かうことにした。

 




聖杯戦争説明回? 的な話。
フランちゃんには申し訳ないけど退場してもらいました。でも、実力はフランちゃんと変わらない…かも?


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戦争の報酬は?

今回も戦闘なし。特に進むことはないですが、是非読んでいただいたら幸いです。

式セイバーさんが来ない!!!


カラカラと車輪が押される音が城塞内の古めかしい廊下に響いた。廊下には車椅子に乗る少女と、車椅子を押す青年。

 

少女の名はフィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。この度アーチャーのマスターとして聖杯大戦に参加した魔術師だ。ユグドミレニア一族随一の能力を持つ魔術師であり、ダーニックの後継者。次期ユグドミレニア一族の長になる者として期待されている。

 

押している青年はアーチャー、真名はケイローン。

彼は大英雄を育て上げたケンタウロス族の大賢者。物腰は柔らかく、人格者であり、誰に対しても礼を忘れない好青年だ。

ケイローンといえば半人半馬で有名だが、それではすぐに真名が割れてしまうため、ステータス低下を代償に人の姿で召喚された。

 

二人は召喚されてから数日の間、良き信頼関係を築けている。そんな二人は移動中にふと、こんな会話を始めた。

 

「アーチャー、貴方から見てバーサーカーはどう判断します?」

 

フィオレは数日の間、思いついては考えた存在についてアーチャーに尋ねた。それは自分の弟であるカウレスのサーヴァント、バーサーカーだ。

 

「バーサーカーには悪いけど、正直戦力になるか不安が残ります」

 

バーサーカーなのに狂わない。バーサーカーとして前代未聞の正常な思考回路を有するサーヴァント、ヒッポメネス。弟は最初、フランケンシュタインを召喚つもりだったのだがとあるミスにて彼が召喚されてしまった。

 

そのミスとは、カウレスが買った触媒が古いだけの“模造品”だったのだ。

 

カウレスにその触媒を売ったフリーランスの魔術師はフィオレの知己である。まさか、彼が偽物の触媒を弟に売ったとは思いもよらず、罪悪感に苛まれていた。

 

それをユグドレミニアの一族は嘲笑った。触媒が本物かどうかも見分けられない愚か者。カウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニアは所詮フィオレの予備に過ぎず、令呪が浮かびあがったのは偶然に過ぎないなど、侮蔑を隠さない言葉でカウレスを笑った。

 

セイバーのマスター、ゴルド・ムジーク・ユグドミレニアは嘲笑を隠さなかった。

ランサーのマスター、ダーニックは落胆を隠せなかった。

セレニケ・アイスコル・ユグドミレニアとロシェ・フレイン・ユグドミレニアは特に思うことは無いらしい。

 

申し訳なかった。弟は自分のバックアップで来ただけだったのにマスターとして選ばれて、殺し合いに参加することになった。魔術師として必要があれば、血縁同士でも殺しあうことも理解の範疇だ。それでも、億劫となってしまうのだ。

 

「バーサーカーのことですね」

 

「はい。同じギリシャの英雄として、貴方は彼をどう見えますか?」

 

ケイローンは英雄ヘラクレス、イアソンなど神話に名を残す英雄を育てた賢者だ。英雄を見る目は長けているに相違ない。そんな彼はヒッポメネスをどう見るかーーー

 

「さして問題はないでしょう」

 

「え?」

 

さらっと答えを言ってのけた事に脱力したような声が出た。その様子にアーチャーはクスクスと笑い、諭すように説明し始めた。

 

「確かに彼の逸話や知名度から考えれば不安も残るでしょうが、戦闘面に関しては心配する必要はないかと」

 

「…貴方がそれまで言うほどなんですか?」

 

「はい。理由は既に、彼の逸話が証明しています」

 

フィオレはヒッポメネスの逸話、黄金の林檎を使いアタランテを妻とした逸話を思い出す。女神に黄金の林檎を三つ受け取り、それを使い俊足のアタランテとの徒競走に勝った。

 

「重要なのは彼が妻に勝ったことではありません。彼が女神から黄金の林檎を受け取ったことですよ」

 

「あの、それが…」

 

「“女神”から認められたのです。彼は」

 

あ、とフィオレは手で口を押さえた。アタランテに黄金の林檎を使い、勝ったことばかり目が行き過ぎていた。ヒッポメネスは神に認められて、あの林檎を渡された。食べれば不老不死となり、トロイア戦争の原因ともなったあの神々の秘宝をだ。

 

「あの時代の神々は気まぐれで、時に暴虐とも言える一面が見えました。しかし、愚かではなかった。 愛の女神が何を思って彼に黄金の林檎を授けたのかは知りません。…ですが預けるに値する何かを彼から見出した。だから、林檎を三つも預けたのです」

 

神から贈り物を授かることは稀ではあるが珍しいことではなかった。神話において武器や防具を授かり、偉業を成した英雄は存在する。

神は授けた人物がそれを受け取るに相応しいと見抜き、贈ったのだ。

ましてや黄金の林檎だ。一つでトロイア戦争を起こし、幾人の英雄を生み、死者を築いた。それを三つ、女神から預かった。

英雄じゃないわけがない。聖杯戦争に相応しくないわけがない。ヒッポメネスはこの戦争に参戦するに値するなにかがある。

 

「他のマスター達は彼を低く見ている傾向がありますが、この城にいる英雄皆、バーサーカーを下とは見ていませんよ」

 

「そう…ですか」

 

確かにそうだった。一斉召喚の後の顔合わせの時、バーサーカーの真名を聞いても誰一人彼に対し、疑惑や卑下する態度はなかった。

 

「ならば私は彼に謝らなければなりませんね。どの様な経緯であれ、弟の為に聖杯を取ると誓ってくれた彼に、不遜な態度を取ってしまったのですから」

 

「それは必要ないと思いますよ?」

 

「なんでですか?」

 

「彼自身そうなることは覚悟のようでしたし、彼は英雄です。自身の名誉は、戦場で勝ち取るでしょう」

 

彼は武勇を誇ったわけではない。しかし、バーサーカーとして喚ばれたからにはそれ相応の働きをするだろう、とアーチャーは言外に言っている。

 

「そうですか。ならば、彼が英雄だと証明した時、改めて賞賛を送りましょう」

 

カラカラと、車椅子が押される。目指す場所はミレニア城塞、王の間。

そこでトゥリファスに侵入した“赤”のサーヴァントを迎え撃つのだ。

 

 

 

○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

ミレニア城塞、王の間には“黒”の陣営のマスターとサーヴァントが集まっていた。

“黒”のキャスター、アヴィケブロンが七枝の燭台に灯った炎を通じて現在トゥリファスの市街で行われている戦闘を映し出していた。そこに見えるのは“赤”のセイバーらしき全身鎧のサーヴァントが、“黒”のキャスターが作り出したゴーレム相手に奮迅していた。

“赤”のセイバーが大剣を振るえば、瓦礫が吹き飛ぶ。大剣に切り刻まれれば微塵に粉砕される。

ダーニックを除いたマスター達は圧倒され、サーヴァント達は冷静に戦いを分析している。

“黒”のキャスターが作り出されたゴーレム達は低ランクのサーヴァントならば互角に戦える程度の力を有している。それを嵐の如く、木っ端微塵にしていく。

 

「さすがセイバー、と言うべきか」

 

そう言い放つのは“黒”のランサー、ヴラド三世だ。

ルーマニアにおいて最大の英雄、この地において最高の知名度を誇るサーヴァントだ。信仰心に篤く、小国の王として君臨した人物である。

 

「筋力B+、耐久A、敏捷B、魔力B…幸運は高くありませんがそれを差し引いても剣の英雄に選ばれただけある、ということでしょう」

 

ランサーの言葉に頷いたのはダーニック。彼がヴラド三世と契約したマスターだ。ダーニックはランサーの主ではなく、臣下の姿勢を取っていた。

 

「更に注目すべきは一部のステータスを隠蔽している節があることです」

 

マスターはサーヴァントのステータスを読み取ることができる。しかし、何故かそれを読み取ることができない。

固有スキルか宝具かは分からないが、自身の情報を隠すことができるらしい。

 

「他の者はどう思う? セイバーよ、君は彼に勝てるかね?」

 

“黒”のセイバーは無言で頷いた。セイバーは話せないわけではない。しかし、セイバーのマスターであるゴルドが喋らないように命令したのだ。彼の真名から致命的な弱点が露呈することを恐れてのことらしい。真名を知るのはマスターであるゴルド、ダーニック、ランサーのみ。それゆえにランサーはセイバーの無言の首肯を許している。

 

「大賢者よ。君は考察を聞かせてくれ」

 

アーチャーはランサーの問いに微笑みで答えた。

 

「難敵であることには違いないでしょう。ですが、後は宝具の性質さえ判明すればさほど問題はないように思われます」

 

「ふむ…」

 

満足げにランサーは頷いた。

 

「おじ様。マスターの方はご存知なのですか?」

 

フィオレは映り出した光景にセイバーのマスターらしき人物を見つけた。スカーフェイスに剃刀のような目つき。筋骨隆々な肉体に、黒いジャケット。一般人には見えない格好の彼は襲いくるホムンクルス達を相手に魔術で迎撃した。

 

「ああ、時計塔に潜ませた血族から情報を得ている。獅子劫界離。死霊魔術師の賞金稼ぎだ。時計塔に限らず、どこの依頼も受けるフリーランスだ」

 

「魔術で金を稼ぐ、薄汚い面汚しということか」

 

ゴルドが吐き捨てるように言う。生粋の魔術師として獅子劫の在り方が気に入らないようだ。

「…セイバーは既に去っていった。今宵はこれで終い、皆の者解散せよ」

 

「はっ」

 

 

ランサーの合図にてダーニック以外のマスターとサーヴァントが王の間から去っていく。ゴルドはセイバーを引き連れて自室へ帰る。ライダーは勝手に何処かに行き、マスターであるセレニケは嘆息する。ロシェはキャスターと共に工房へ帰る。カウレスとフィオレもそれぞれサーヴァントを引き連れて自室へと帰ることにした。

 

『なあ、バーサーカー』

 

『なんだい、カウレス君?』

 

契約を結ぶマスターとサーヴァントは言葉にしなくとも意思疎通が可能だ。カウレスは先ほどの戦いを見てからバーサーカーに聞きたいことがある。

 

『お前、あいつに勝てるか?』

 

『真正面からは限りなくゼロに近いねぇ』

 

『やっぱりか』

 

想像どおりだから特に落ち込むことも、嘆くこともない。カウレスはありのままの事実を受け止める。

 

『僕が“赤”のセイバーに勝つにはマスターを狙うか、他のサーヴァントと共闘して不意打ちを狙うかのどちらかだねぇ』

 

『そうか、ならお前は他のサーヴァントのサポートに回って貰うことになると思うけど大丈夫か?』

 

『もちろんさ』

 

マスターの戦闘方針に異を唱えない。というよりカウレスが提示した方針こそがヒッポメネスという英雄を最も活かせるだろう。

召喚してからの数日間、カウレスはバーサーカーのステータスと宝具を確認し、一撃必殺や遊撃として戦場に放り込んで自爆するよりも他のサーヴァントと協力したほうがいいと判断した。

バーサーカーもそれがいいと思っている。その方がマスターと自分が聖杯を手に入れる確率が上がる。

戦場で首級を得るのも悪くはないが、目的を優先する方が大事と考えているバーサーカーとカウレスは色々と気が合う。

それもそうだ。触媒無し(触媒が偽物)の召喚の場合は精神性が近いサーヴァントが召喚されるのだ。カウレスとバーサーカーが気が合うのは不思議ではないのだ。

 

『それはそうとカウレス君』

 

『ん? なんだよ』

 

『君が僕を最も活かせる方法を考えてくれるのは嬉しいけど、僕は聞かなきゃいけないことを聞いていなかったよ』

 

バーサーカー、ヒッポメネスは問う。

 

『マスター、君が聖杯に願う望みはなんだい?』

バーサーカーにそう問われると、どう答えたらいいか困ってしまった。正直に言うと、カウレスはこれといって聖杯に願うものがない。

 

カウレスはそもそも魔術師になるつもりはない。魔術は好きだ。科学で起こし得ない不条理を手に掴む快感は得難いものがある。が、魔術に一生を捧げるのは御免蒙りたい。

魔術師とは人間でありながら人間ではなくなった人でなしの連中だ。

魔術を習っているのも姉であるフィオレの予備。聖杯大戦のマスターになったのも令呪が顕れたからだ。

一応は魔術師なのだから、魔術師の悲願『根源の渦』に到達したいと思う気持ちもある。しかしだ。聖杯ーーー万能の願望機がそんな簡単に根源に到達できるのか? それが疑問だった。

とにかくカウレスには願うものがないのだ。しかし、それを正直に答えるのはどうだろうか?

バーサーカーことヒッポメネスは聖杯に叶えてほしいことがあったから召喚に応じたのだ。自分が叶えてほしいものがないといえば、勝つつもりがないと怒り、殺されてしまうかもしれない。ならば、根源の到達と誤魔化しておくべきか? 魔術師とはそういうものだと聖杯から教えられているから、それで乗り切るべきなのか?

それでもーーー

 

『その、悪い。まだ決めてないんだ』

 

カウレスは嘘を切り捨てた。

 

『決めてない?』

 

『まあ、なんだ。望みが定まってないというか、そもそも願うことがなかったんだ。たまたまマスターになって、ここにいるだけだからな。いきなり聖杯を得られる機会が回ってきて、どうしたらいいか分からないんだ』

 

『・・・・・』

 

バーサーカーは無言だ。続けろ、ということなのだろう。

 

『根源の到達も悪くない。けど、それよりも願いたいことが大戦中に出てくるかもしれない。とにかく、何がなんでも叶えたいものが思いつかないんだ。だから、悪い』

 

本音は伝えた。隠すことなく、思っていることを開示した。それで許されるとは思えない。一発ぶん殴られることは覚悟しなきゃならないと思っていたら。

 

『うん、カウレス君らしくていいんじゃないかなぁ?』

 

許してくれた。バーサーカーは、ヒッポメネスは許してくれた。

 

『というより逆にそっちの方がいいかもしれないね』

 

『え、それでいいのか?』

 

『うん』

 

相変わらず穏やかなサーヴァントは、マスターを尊重している。

 

『僕はお世辞にもダークホースと言うものにもなれない二流サーヴァント。与えられた役割も果たせないかもしれない、勝てる可能性も極めて低いし、カウレス君が令呪で補強してくれても無駄になることも考えられるねぇ。君の為に聖杯と勝利をと言ったはいいが、正直かなり難しいところさ』

 

それもそうだ。“赤”のサーヴァントに勝ったとしてもその後は“黒”のサーヴァントとの戦いが待っている。ヴラド三世にケイローン、アストルフォにアヴィケブロン、謎のセイバーにジャック・ザ・リッパーと強力なサーヴァント達相手にヒッポメネスが勝ち残れるとは思えない。だからこそヒッポメネスは考える。

 

『願いはない。だとしたら君が戦いに巻き込まれたならまず考えるのは命の安全。それでいいと思うよ?』

 

『お前に願いはないのかよ?』

 

『あるさ。だけどその願いは君が僕を喚んでくれたからこそ叶えることができる願いだ。亡霊たる僕に機会をくれた。聖杯と勝利を与えられる事は出来なくともサーヴァントとして、マスターを守る。その義務だけは無欲の君が叶えさせてくれそうだから、それでいいんだよ』

 

ーーーなるほど、だからこいつは黄金の林檎を女神から貰えたのかもしれない

 

我欲は勿論ある。人間である限り、我欲を断ち切れない。この英雄だって我欲があるからこそ、聖杯を求めるのだ。自分だって興味が無かったものの当事者となれば我欲が浮かび上がる。

ヒッポメネスは我欲を抱いていても、感謝を忘れない。感謝されることなどしていない。ミスで喚ばれ、誇り高く、自尊心が高い英雄なら憤慨する態度を取っても怒りはしなかった。

 

“二度目の生をありがとう”

 

“おかげで願いが叶えられるかもしれない”

 

“君の剣と盾となろう。君の両手には聖杯と勝利を。それがダメなら命を守り抜こう”

 

英雄とは荒々しく尊大な存在であった時代に、穏やかで人を尊重できる人であったのだろう。だからこそ女神は黄金の林檎を渡すことができた。我欲に塗れた獣ではなく、我欲より感謝と平穏を崇めれる人に。

 

カウレスは己のサーヴァントをそう捉えれた。

 

『…そうか。でも勝てるものなら勝とうな、バーサーカー』

 

『そうだねカウレス君。貰えるものなら貰おうか』

 

そんな気軽で手に入るものじゃないだろう、とカウレスは苦笑する。

 

『なら、お前の願いはなんだ?』

 

次はバーサーカーの番だとカウレスは尋ねた。バーサーカーはカウレスの質問に逡巡なく答えた。

 

『僕の願いはねぇ』

 

 

 

『一日でいい。一日でいいからアタランテと現世に現界したいんだ』

 

 




ランサーとアサシンに好かれる作者。代わりにセイバーやキャスターに嫌われている。

FGO楽しいね。


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輪は廻る

お気に入りと感想が増えてきて皆様に感謝を!

少しずつですがヒッポメネスの能力を開示していきますが、一応ネットで調べた上でできるんじゃね?とか、こういうのが作者は好きとか入ってくるのでどうか温かい目で見てください。

では、どうぞ


「あれ、ライダー何しているんだい?」

 

「あ、バーサーカー」

 

深夜、マスターであるカウレスが眠ってしまったためする事もなく、ミレニア城塞の廊下を訳もなく歩いていたバーサーカーは肩にマントで包んだ少年を担ぐライダーを見つけた。ライダーはバーサーカーの姿を見つけるなり、笑顔で近づいてきた。

 

「ねえねえバーサーカー、悪いけど君の部屋借りていい?」

 

「僕の部屋? すまないけど僕用の部屋は無いよ」

 

「え、そうなの?」

 

バーサーカーはカウレスが寝ている時は霊体化して部屋の隅で待機したり、城塞の見張り台で雲の流れを眺めている。昼間はカウレスと作戦を練ったり、ライダーに引っ張られて城下に遊びに行ったりとするため部屋を使わない。無論、バーサーカー自身が望めば与えられるのだが疲れも眠りもしないサーヴァントの肉体なので、必要ないと思っている。

 

「うん、城下へ行く時だって君の部屋で着替えていくじゃないか」

 

「そういえばそうだった。なら、アーチャーの部屋に行こう」

 

踵を返してアーチャーの部屋に向かいだす。バーサーカーは僕もついていくと、後ろからついていく。 よく分からないがライダーを一人にしておくと何かしらトラブルを起こす。この数日間、身を持って理解しているため肩に担いだ少年を案じ、ついていくことにした。そして、ふと思い出す。

 

「…そういえばホムンクルス達が何か探していたねぇ」

 

担がれている少年の顔を覗く。白い髪に白い肌、その外見は城でせっせと働きーーーサーヴァントの魔力供給のために鋳造されているホムンクルス達の容姿と酷似していた。

 

 

 

サーヴァントはマスターを楔に魔力で現界している。強力な宝具を使用するにも魔力は必要不可欠。真名を覚醒するための魔力が不足すれば、無理に覚醒させてもその後に消滅、敗退の恐れがある。魔力の消費が少ない宝具であれば、連続で使用できる。

サーヴァントが勝つには魔力が必要で、魔力無くして勝機を見出すのは難しい。

マスターの持つ魔力保有量が多ければ多いほど、有利になる。しかし、ユグドミレニア一族は発想を変えた。

魔力を他のところから引っ張り出し、サーヴァントへ供給しよう。

 

それは魔力の経路を分割し、ホムンクルスから魔力を搾取すればいいという残酷な提案だった。

その提案は通り、ユグドミレニアの一族はホムンクルスの鋳造へ取り掛かり、魔力をサーヴァント達に供給させることを実現した。

ホムンクルスは名の通り、人造人間。錬金術で作られた人間だ。感情に乏しく、魔術回路を軸として肉体を形成されている。短期間で成長するため、短命。倫理的な問題は度外視し、聖杯を手に入れるために必要な手段として鋳造され続ける生命体。ひどい言い方をすれば電池だ。魔力を生み出すための電池。

 

そのことに思うことがないわけない。必要だと割り切ることは可能だ。マスターに勝利と聖杯をと誓った以上、あらゆる手段を持って戦いに挑むつもりだ。だが、目を背けていいものではない。

 

(彼らの命を食い散らかしているのは僕達だけどなぁ…)

 

だからこそ勝たなければならない。彼らが生まれた意味を無駄にしない。そのためにも勝とう。バーサーカーは勝たなければならない理由を増やす。それが心を押し潰すことになるかもしれないと分かっていても。

 

「アーチャー。ボク、ライダーだけど。部屋に誰かいるかい?」

 

「ライダー?いえ、誰もいませんが」

 

ライダーが扉をノックし、帰ってきたのは青年の返事。ライダーは扉を開く。扉の向こうには広大な森のような清廉な気配を持った青年、“黒”のアーチャーとして召喚された大賢者ケイローンがいた。

 

「おや、バーサーカーもいたのですね」

 

「失礼します、アーチャー」

 

バーサーカーは敬意を忘れず頭を下げる。無理もない。バーサーカーことヒッポメネスが生きた時代にて、かの大英雄達が師事した大賢者だ。生前会ったことなくとも、その聡明さは広く聞き及んでいる。

バーサーカーの振る舞いにアーチャーも頭を下げて返す。礼には礼を。丁寧な返しにバーサーカーが逆に戸惑うも、ライダーが知ったこっちゃないとアーチャーの部屋にホムンクルスの少年を担いで入る。アーチャーは即座にそれを察して、三人をベッドに案内した。

 

「キャスターが追っているホムンクルスですね」

 

「そうだと思う」

 

ライダーはホムンクルスをベッドに載せると、ホムンクルスの少年を包んでいたマントを剥いだ。気を利かせたアーチャーがライダーにタオルを渡すと、ライダーはホムンクルスの少年の体を拭き、借りたローブを着せてやる。

バーサーカーはライダーの一通りの作業が終わると、ホムンクルスの少年の額に手を乗せた。

 

「バーサーカー?」

 

「ーーー淵源=波及(セット)

 

延々と澄み渡る魔力の鼓動。

浸透し、把握する。血、血流、血管、骨髄、骨格、肉、筋肉、臓器、魔術回路。一から十へと順番に。一粒の雫が水面に落ち、波面が広がるようにわかっていく。他者の流れを知る。血を水と考え、血流を波として把握。

そして至り、“治癒魔術”を発動。ホムンクルスの少年の破れた血管を修復。血流を正し、肺の活動を補助する。

荒々しい呼吸をしていたホムンクルスの少年は徐々に穏やかに呼吸が整っていき、次第に落ち着いて眠りはじめた。

 

「…うん、これでとりあえず大丈夫かな」

 

「バーサーカー、貴方は魔術が使えるのですか?」

 

アーチャーが目を見開いて驚いている。バーサーカーは少しだけ恥ずかしそうに頬をかく。

 

「まあ、嗜み程度…、と言えば魔術師達が憤慨しますがキャスターのクラスには当てはまらない程度には扱えますよ」

 

「それよりも彼はどうなんだい? というより魔術で何をしたの?」

 

ライダーはバーサーカーが魔術を使えることよりホムンクルスの少年の方が気になるようだ。

 

「僕がしたのは体の内部の状態を調べたことと、魔術回路が暴れて傷ついた血管の修復さ。

見た限りでは使用された彼自身の魔力が自分の体に耐え切れず破裂した、って感じだね。そして何よりも、虚弱だ。産まれたての赤ん坊のように肌も血肉も骨も柔らかい。人造人間なんて見たことないけど…うん、強く造られていないの、かな?」

 

魔術でホムンクルスの内部を調べ、傷ついた箇所を治癒した。内部を調べた際にホムンクルスの肉体が如何に虚弱であるか悟った。このホムンクルスの少年は魔力供給用として鋳造されたのだろう。戦闘用に鋳造されたホムンクルスとは違い、歩くことを必要されていないため、皮膚も筋肉も赤子並みに弱い。だが、それとは真逆に魔術回路は一級品。それを活かせる肉体ではないため、魔術を使うと体が傷つく。

 

「そうか…、彼は赤子なんだね」

 

「バーサーカー。そのことを踏まえ、彼は何年生きていけると考えますか?」

 

「…そうですねぇ。よくて…三年かな? 肉体は脆いし、元々短命ですから」

 

残酷な程に短い余命。三年という短さにライダーも肩を落とす。しかし、ライダーは重くなった空気を振り切らんばかりに口を開いた。

 

「…ベッドを汚したね。申し訳ない」

 

「それは構いません。…ですが、一つ。何故、助けたのですか?」

 

それはバーサーカーも疑問に思った。何故ライダーは彼を助けたのだろう。アーチャーの問いに、ライダーは当たり前のように答えた。

 

「助けたかったからだけど?」

 

「彼はキャスターが追っているようですが?」

 

「あはは、知ったこっちゃなーい」

 

「…まあ、いいのかなぁ?」

 

ライダーのシンプルで英雄らしい行動には好意を持てる。助けたかったから助けた。なんとも英雄らしく、誇らしい。しかしその行為はライダーとホムンクルスの少年以外にどのようなことに繋がるとは一切考えていないらしい。

アーチャーも似たような考えに至っているらしい。ため息をついているも、その行為は間違いではないとも思っている。戦いに勝つのも重要だが、英雄の本分を忘れるほど窮地ではない。彼を見逃すことぐらい許されるだろう。

 

「…少し、この部屋を空けます。人が訪れることはないでしょうが、ノックをされても返事はしないように」

 

「ありがと。じゃ、しばらく居させて貰うね」

 

「すいません。色々迷惑かけてしまい」

 

部屋を去ろうとする寸前、アーチャーはライダーに問いかけた。

 

「君は、最後まで責任は持つつもりですか?」

 

ライダーはベッドで眠るホムンクルスの少年に視線を注ぐ。寿命は三年。キャスターが追っている。もし、キャスターと城塞の追っ手から逃れても脆弱な肉体で生きていけるのか。責任を持つことは彼の人生に責任を持つこと。聖杯大戦という短い期間で彼と関われるのは僅か。どう責任を持つか。どうやって彼を『助ける』のか。

ライダーには分からない。分からない時は心赴くままに決める。

 

「ボクはボクが、納得いくまでは助けるよ。見捨てるなんて、できない」

 

ライダーの混じりっけのない言葉に厳かに頷くと、アーチャーはバーサーカーへと視線をズラす。アーチャーの瞳の奥にある考えを汲み取り、バーサーカーは首を縦に振った。

 

「僕も付き合うよライダー。ここまで来て知らんぷりするのもできないしね」

 

「え、本当!? さすがヒッポメネス〜!!」

 

「ははは、まあできるのは治療ぐらいだけどね」

 

 

 

ーーーここで一人の少年の運命が廻り始める。この聖杯大戦において、周りの運命さえも捻じ曲げる存在として。

 

 

 

ーーーそして、また一つ。運命が加速していた。

 

 

 

○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

時間は朝。ライダーがホムンクルスの少年を救った前日のことである。

シキジョアラ、トゥリファスに最も近い都市である。そのシキジョアラの山上教会の内部、祭壇にて一人のマスターと一人のサーヴァントがいた。

マスターは神父服を身に纏う二十歳にも届かない神父。サーヴァントは暗闇のドレスを纏った退廃的な美女。どちらとも黒の陣営と敵対する“赤”の陣営のマスターとサーヴァント。

 

マスターの名は“シロウ・コトミネ”

サーヴァントの美女は“赤”のアサシンである。

 

マスターが先ほど訪れた人物、“赤”のセイバーのマスター獅子刧界離とセイバーは他のマスターとサーヴァント達の共同戦線を断り、単独で行動すると言われた。

断られたなら断られたでいい。こちらもこちらで動くのみ。二人は聖杯大戦をどう動かそうと画策しているところにとんでもない知らせを耳にした。

 

「バーサーカーがトゥリファスに移動ですか?」

 

シロウはその報告を中世ヨーロッパの洒脱な衣装を身に纏った伊達男ーーーキャスター、シェイクスピアに聞いた。

 

「ええ、どうやら仕留めるべき相手を見定めたようで」

 

へつらいの笑みを浮かべて申すキャスターにアサシンーーーセミラミスが苦々しげな表情を浮かべる。

 

「お主…笑い事ではないぞ」

 

「大丈夫ですぞ女帝殿。アーチャーが追っています。押しとどめれるかは五分五分でしょうが…まあ、恐らく失敗に終わるでしょうが」

 

「やれやれ…、それは困りましたね」

 

その割にはのんびりとした口調である。黒と赤、両陣営サーヴァントは揃ったものの戦争の準備が整った訳ではない。ユグドミレニアにはサーヴァントが待ち受けているというのに、バーサーカーが突貫しても返り討ちにあうだけだ。サーヴァントは替えが効かない。それが例えステータスが劣る二流だとしてもだ。現代の魔術師が勝てる存在ではないのだ。

 

「如何とする、マスター? まだ、我の宝具は準備ができておらぬ。この状況で攻め入るのは愚策。バーサーカーは見捨てるしかないぞ」

 

「『災厄よ、やっと動き出したか。後は汝の思うがままに!』…という訳ですな」

 

「ふむ、つまり、唆したのはキャスターですね?」

 

ピタリとキャスターの動きが止まる。アサシンは激昂しキャスターに吼えた。

 

「トゥリファスの場所を教えたのか!!」

 

「ああ、このシェイクスピア、彼の狂戦士の満ち溢れた苦悩を見ていられずに、何もせぬわけにはいきませんでしたので」

 

言い訳も悪びれもしない。バツの悪そうな顔をしたがそれまで。シェイクスピアは作家である。それゆえそこにストーリーがあるのなら綴り残さねば気が済まない。なによりストーリーをこよなく愛している。ストーリーを求める故、時に味方陣営が窮地に陥るのも承知の上で事態を掻き乱す。

 

「このっ…! …はあ。相手するだけ無駄か…」

 

女帝も呆れずにはいられない。湧きだった憤怒も呆れになるほどになってしまった。

 

「まあ、こうなった以上仕方ありません。アーチャーにはバーサーカーの後方支援を要請。ただし、状況が不利ならば即時撤退を。あのバーサーカーが止まることなどあり得ませんからね」

 

「わかった。使い魔を飛ばそう」

 

「お願いします。私はこれから監督官の仕事をせねばならないようなので失礼します。それとキャスター、貴方はじっとしておいてくださいね?」

 

そうしてシロウとキャスターと別れたセミラミスは鳩に伝書を持たせてバーサーカーを追うアーチャーへと指示を飛ばそうとし、ふとある事を思い出し、艶然と微笑んだ。

 

「運命とは残酷よな。互いに求めるものがあるとはいえ、殺しあうこととなるというのは」

 

こちらのアーチャーとあちらのバーサーカー。シロウから教えられたことが正しければ、バーサーカーにより齎される戦闘の最中、殺しあうこととなるのだ。

 

あの弓兵は知らない、だが知ることになるであろう。如何に戦争が残酷か。聖杯が冷酷か。運命が酷薄か。

いや、残酷なのはあの“女狩人”かもしれない。存外あの弓兵は淡々と矢を“黒”のバーサーカー目掛けて放つかもしれない。

 

「さて…、()()の再会を祈ってやろうではないか」

 

腕を振って鳩を飛ばす。青い空へ羽ばたいた鳩は翠緑の女狩人へと飛んでいく。

 




赤のアーチャーは何処の獅子耳なのか…。


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狂の逆鱗

戦闘描写? らしきものと新たなスキルオープン!回です。



黒”のセイバーと“赤”のランサーがぶつかり合う。何故かは分からぬが鋭い眼光に肉体と一体化した黄金の鎧を持つ弩級の槍兵が()()()()を襲おうとしていたのだ。

セイバーとそのマスターであるゴルドが襲撃を阻止し、あわよくばルーラーをこちら側へと誘おうしていたがルーラーは公平を保つ為と拒否された。拒否された時のゴルドの顔がかなり惚けたものだったがそれはすぐ頭から消えた。

 

神域に達した武芸と技術。それを目にして心奪われたのだ。剣戟が激しい火花を生み、ぶつかり合う大剣と槍が轟音を撒き散らす。豪雨のような刺突を繰り出す英雄の前に、果敢に間合いを詰めようと踏み込む勇者。一歩も引かぬぶつかり合いは千日手。斬りつければ、突かれる。払えば、叩き落される。何度、何合も斬りつけあうも一向に終わらない。既に数時間も経っているのに、目を離せれるわけがない。直に見ているわけでもないのに、視線を外せば、殺されるのではないかと錯覚してしまうほどの殺し合いなのだ。

しかし、おかしい。セイバーはなぜ死なないのか?

セイバーはランサーの巨大な槍に千も超える刺突をくらっても膝を屈するどころか体勢を崩すこともない。喉や腹部、腕に足と致命傷や最悪一撃で絶命する箇所に斬りつけられても僅かに傷つくだけで大したダメージを負っていることはないのだ。

宝具の恩恵なのか。一撃で人肉がミンチとなる威力は、セイバーはすぐに治癒できる軽傷で済ませている。

超越した神技の槍兵に、勇猛果敢な鋼鉄の剣士。英雄同士の初戦は夜が朝へと変わる時間帯まで続いた。

夜明けと共に“赤”のランサーが去るとセイバーとゴルドも去っていった。ゴルドは最後にもう一度ルーラーにミレニア城塞にくるよう誘ったが断られたようだった。

 

 

 

○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「…一応聞くけどさ」

 

「あれとぶつかれと言えばぶつかるけど、結果は言わずとも分かるんじゃない?」

 

「……だよなぁ」

 

カウレスとバーサーカーは自室にてセイバーとランサーの初戦を見て、戦闘方針を見直していた。カウレスは英雄同士のぶつかり合いに固唾を呑むことしかできず、終わった後に冷たい汗が背中に流れるのを感じた。

 

「こないだのセイバーといい、ランサーといい、まだあんなのが五騎もいるんだよな」

 

「圧倒されているみたいだけどねぇ、あのランサーは間違いなく英雄の中でもトップクラス、あれ以上の存在なんかそうそう出張ってくることなんかないさ」

 

黄金の鎧が肉体と一体化し、巨大な槍を持つランサー。あんな英雄二人はいない。あのサーヴァントの真名は恐らくーーー“カルナ”。

古代インドの大叙事詩『マハーバーラタ』で有名な施しの英雄カルナ。太陽神スーリヤと人間の女性であったクンティーの間に生まれた半神。生まれた時からあの黄金の鎧を纏っていたと伝説が残る。

 

「施しの英雄以上の実力の持ち主はそうそういないさ。そんなに悲観的になることないよ〜」

 

「いや、おまえぶつかれば負けるって言ってたじゃないか」

 

「負けるとは一言も言ってないよ〜。…まあ、実力も格も桁違いすぎるけど、勝機はある」

 

虚偽なき瞳が真摯さを語る。カウレスは項垂れるのはやめて、バーサーカーの言葉に耳を傾ける。

 

「あれほどの英雄だと死因が大々的に明かされている。カルナだと黄金の鎧を剥ぎ取られ、呪いが祟り、アルジュナに殺された。鎧は雷神に騙し取られたけど、鎧がなければ剣は届く」

 

「じゃあ鎧を剥ぎ取るっていうのか?」

 

「剥ぎ取れる隙なんて与えてくれないだろうね〜。だから、待つ。セイバーにカルナの相手をさせてひたすらにね」

 

“黒”の陣営が有利となる切り札はホムンクルスを用いての魔力供給。魔術協会に潜ませている一族から得た情報では、サーヴァントの魔術供給はマスターからのみ。激しい戦闘を繰り返すと魔力は次第に尽き、徐々に弱体していくだろう。それを狙う。

 

「カルナの不死身はあの鎧。当然宝具の筈さ、宝具の自動展開なんて相当の魔力喰らい。長時間の激しい戦闘をしている内に魔力が尽きて隙もできるだろう」

 

「…だが、相手もそれは分かっているんだろうな」

 

「だね〜」

 

それを踏まえて作戦を練らなければならない。姿を見せない残り五騎の“赤”のサーヴァント。魔術協会が選んだサーヴァント達だ。どのサーヴァントも高名で破格の英雄が揃い踏みのはずだ。

勝てることよりも生き残れるかどうか、最近のカウレスの思考はそれに定まり始めたのである。

 

 

 

「…ふん、カウレスか」

 

「…げっ、ゴルドおじさん」

 

城外の森でバーサーカーの手の内を確認しようと廊下を歩いているところでゴルドとカウレス、バーサーカーは鉢合わせした。ゴルドと会った瞬間カウレスは嫌そうな顔になり、ゴルドはカウレスと会うと見下した視線でカウレスを刺す。

 

「昼間からどこへ行くつもりだ? ああ、自分のサーヴァントと城下にでも遊びに行くつもりか。これだから未熟者は…」

 

事情も聞かず決めつけで話に走りだしたゴルドにカウレスはうんざりする。後ろで待機しているバーサーカーもこれには苦笑せざるをえない。チラッとゴルドの後ろで霊体化しているセイバーに視線を送るも、見られた本人はマスターの命令で話すことは許されておらず、律儀に命令を守っている。

誇り高い英霊にそんな扱いすれば、命の危険だと考えられるが、マスターの傲慢な態度を許し、つき従うことから高潔な英霊なのだと、改めて考えた。

カウレスがゴルドの説教にそろそろ痺れを切らしはじめたのか、“help me”と助けを求められたので会話に割り込むことにした。

 

「ゴルドさん、そろそろいいかな? 僕とカウレス君はこれから僕の実力を測るために森に行こうかとしているところなんですよ」

 

「む、む…。バーサーカー…」

 

ゴルド・ムジーク・ユグドミレニアは小心者だ。かつては錬金術で名門だった家系だが、ユグドミレニアに吸収されてしまうほどに血は衰退し始めてきている。もうすぐ四十と近い歳になっても名門()()()ということが認められず、誇りが増長して成長してきた。

此度の聖杯大戦においても魔力供給の分割化を実現させた手腕、セイバーをサーヴァントにしたことから益々傲慢となっているが、セイバーを後ろに置いておいても、誇り高く人類最高峰の亡霊を前にして萎縮してしまうのである。

 

「ふ、ふん。いい心がけではないか。精々セイバーの補助になる程度には使えるようにしておけ」

 

サーヴァントなどたかが使い魔風情、というもの言いにカウレスは表情に出ない程度に焦る。ヒッポメネスは知名度も低く、ステータスも低い。セイバーと比べればお粗末だろうが、ヒッポメネスも英霊なのだ。『使えるようにしておけ』などとあからさまな侮辱に平穏な英雄たる彼も激昂するのではないかと…思ったが。

 

「はは、そうですね〜。足手まといにならないよう決戦までには整えておきます」

 

…この程度ではビクともしないようだ。カウレスは安堵する。

 

ーーーが、その言葉を聞いてゴルドが調子に乗ったのが悪かった。

 

「そ、そうだ。貴様なぞ所詮妻を林檎で釣るしか無かった英雄だ。林檎で釣られる妻も安い女だとたかが知れているがーーー」

 

 

 

ーーー前触れはなかった。故に剣は唐突に振り下ろされた。

鋼と鋼が削れ火花が散り、轟音が響き渡る。

 

 

 

「ひぃ!?」

 

ゴルドが情けない声と共に尻餅をついた。

恐怖で顔を歪ませるゴルドの前にはセイバーが立っていた。小剣を手に前に立つバーサーカーとーーー鍔迫り合っていた。

 

「バ、バーサーカー!?」

 

腰布に吊るしていた小剣を抜き、ゴルドに斬りかかろうとした瞬間セイバーが霊体化を解き、マスターであるゴルドを守ったのだ。

 

「ーーー淵源=波及(セット)

 

「っ!」

 

大剣と小剣が鎬を削る鍔迫り合い。剣の重み、幅、尺などあまりに差がありすぎる。使い手の体格の差も違いすぎる。セイバーは190cm近くあり、バーサーカーは170cm近く。あまりに開けすぎている差が明確に存在するのにーーー。

剣から噴出された魔力がその差を覆し、セイバーを一歩下がらせた。

これにはゴルド、カウレス共々目を剥いた。想像していたのは逆、セイバーの力にバーサーカーが押され負ける。予想を覆すバーサーカーの実力にゴルドは焦る。

 

“殺される”

 

なぜバーサーカーが剣を抜いたのか。そんなこと明確だ。侮辱した、ヒッポメネスではなく、彼の妻を。そもそも英霊を侮辱したそれだけで殺されるかもしれないのだ。許してきたのだ。どんな見下した視線でも、言葉でも、態度でも。

その証拠にどうだ。今の彼の目は?

 

冷えている。人形、いやそれ以上に無機質であり機械的であり、目の奥にある怒りの炎が燃え滾っているのが見てわかる。

平穏な態度を破り、牙を剥いた英霊にゴルドは叫ぶ。

 

「バ、バーサーカーを打ちのめせぇぇぇ!!」

 

セイバーはマスターの命令に戸惑う。目の前で鍔迫り合うのは同じ敵に立ち向かう仲間。それを打ちのめせという命令。最初の命令を破り、バーサーカーに怒りを収めるよう言葉にするか、指示通り屈服させるべきか。迷う間に、バーサーカーが先に動く。

 

淵源=波及(セット)

 

『魔力放出:C』ヒッポメネスが持つスキル。

 

魔力放出とは武器、もしくは肉体に魔力を帯びさせ、瞬間的に放出することにより能力を向上させるスキル。だが、バーサーカーのこれは常時の発動ではなく、一動作毎に一詠唱を必要とし、一時的な能力の向上としかならない。

魔力が唸り、爆発する。加速した小剣はセイバーの持つ大剣を押し、もう一歩、セイバーを後退させた。

圧倒的な知名度の差とステータス差、それを補うスキルにカウレスは歴史に語られなかったヒッポメネスの実力を純粋に驚いた。

またセイバーも驚愕した。決して見下してはいない。英霊として、敬意を表していた。だが、平穏な性格とステータスからどこか見誤っていたと、バーサーカーを見直した。

だからこそ、セイバー(ジークフリート)は鍔迫り合いで一歩前へ足を踏み込んだ。魔力放出で均衡になった筋力。負けるつもりはない。が、油断すれば斬り込まれる。

鍔迫り合いから垣間見るバーサーカーの表情は極めて零。無表情に近い表情からは怒気が空気を焦がさんとばかりに溢れている。

誇りを傷つけた。彼が英雄たる理由を、侮辱した。それを分かったからこそセイバーは命令を、破る。

 

「…マスターの失言、無礼を謝る。バーサーカー」

 

セイバーが、口を開いた。怯えるゴルドもその場で立つことしかできないカウレスもセイバーの言葉に意識を持っていかれた。

 

「非はこちらにしかない。だが、どうか怒りを収めてくれ。我らが剣を向けるべきなのは“赤”のサーヴァント。ここで争うことは誰も望んでいない。俺からは謝る事しかできないが…すまない」

 

懇願。寡黙を強いられたセイバーからの懇願にバーサーカーは無表情が僅かに崩れた。

 

「・・・・・」

 

辺りに撒き散らされていた怒気は静んだ。バーサーカーは小剣を鞘に戻した。セイバーも構えを解いた。圧倒され、見守ることしかできなかった両者のマスターは動くこともできず、未だ見守る事しかできない。

 

「ゴルド」

 

ポツリと呟いただけでゴルドの心臓は跳ね上がる。

 

「今後、何があっても“彼女”の侮辱だけはやめてくれ。それを約束してくれるなら、今回の事は水に流す」

 

あまりに感情が含まれていない言葉。それだけあって、不安を湧きあがらせる。ゴルドは首を縦に何度も振った。

 

「…カウレス君、行こうか」

 

「あ、あぁ」

 

バーサーカーは霊体化し姿を消す。カウレスはゴルドとセイバーの横を通り過ぎ、その場を去る。セイバーはカウレスが去っていったあとに霊体化しているバーサーカーに頭を下げた。

 

 

 

 

 

「…ふむ、バーサーカーが魔術を扱うとはな」

 

「ロード、ゴルドの処分は如何にしましょう」

 

ヴラド三世とダーニックはセイバーとバーサーカーの鍔迫り合いを使い魔を通して王の間から眺めていた。最初はゴルドの軽率な発言に頭を痛めたが、剣士と狂戦士の鍔迫り合いを見て、表情を変えた。

 

「いや、何もしなくてよい。あれが傲慢で己の価値も見極めれぬ小者であれ、セイバーのマスターだ。今回の件で如何に自分が愚かであったか思い知ったであろう」

 

「はっ。…そして、バーサーカーですが」

 

「うむ。当初はライダー辺りと組ませてサーヴァントを討ち入らせようと考えておったが、策を考え直さねばならぬな」

 

「はい」

 

“黒”の陣営において一番知名度が低く、ステータスが低いバーサーカーであったが保有するスキルが弱さを補う。実力はセイバーを持って証明した。あの鍔迫り合いの中で僅かではあったがセイバーを押した。実力が不明瞭であったがこれで今後の作戦を立てるのに必要な材料は揃った。その切っ掛けになったゴルドはある意味よくやったと言えなくない。

 

「英霊として座に招かれただけある、ということか」

 

王は先を見据える。王が統べる土地に土足で踏み込んだ蛮族を屠った生前と同じように。

 

「余に生前に足りなかった『人』は集まった。我が配下、我が将は皆かけがえのない英雄達だ。…勝つぞ、この戦」

 

「はい、ロードよ」

 




おそらくカルナの真名バレは後の筈ですが、カウレスとバーサーカーは多分カルナじゃね? と推測の元に話していますので悪しからず。

あと魔力放出に関してはオリジナルっちゃ、オリジナルなんですがネットで調べていくうちにできるのではないかと直感が働いてしまいぶち込みました。それでも無双できないのが弱小鯖の悲しいところ。

そしてカム着火ファイヤー。バーサーカーとして呼ばれた彼の狂化はここで片鱗を見せる。バーサーカーでなければ怒るは怒るが殺そうとはしなかっただろう。


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閉じられつつある平穏

日間四位!? 皆様、読んでいただき誠に感謝します!!
まさかまさかの結果に作者の心臓がヤバい! お気に入りも六百人突破と目を疑うばかり。

この調子で完結目指しますのでどうぞお付き合いください!

では、どうぞ



どうしたらいいものか。カウレスは霊体化してから沈黙を保つバーサーカーをどう接したらいいか分からずにいた。

調子に乗ったゴルドがバーサーカーの妻を侮辱し、ゴルドを殺そうと襲いかかったバーサーカー。セイバーがそれを阻止したが、その後魔術を駆使し、鍔迫り合いでセイバーに二歩下がらせた。

魔術による身体強化。というよりもあれは魔力の放出であったがそれだけでも、あの最優のセイバーを押したのだ。

バーサーカーというクラスでありながらもだ。

なぜ魔術が使えるのか、これが一番気になるところだ。ヒッポメネスが魔術師であったという逸話など聞いたことがない。いや、実際は魔術師であったが逸話に残らなかったというだけかもしれない。

事実は小説よりも奇なり、という言葉もある。それならばこの機会に神代の魔術を教えてほしいものだ。…あんなことがなければ。

 

森で実力を確かめるという予定だったが、セイバーとの鍔迫り合いではあるが片鱗は見えた。他にもあるのであれば教えてほしいものだ。語られなかった逸話の裏話を。…本当にあんなことがなければ。

 

『…ごめんね〜、カウレス君』

 

『バーサーカー?』

 

今まで黙っていたバーサーカーが話始めた。声音からは怒りはなく、暗然としていた。

 

『いやぁ、怒りに身を任せて斬りつけてしまって…』

 

『いやいや、あれはキレて当然だろ』

 

誰がどう見てもゴルドが悪い。ましてや英霊に喧嘩売るなど正気とは思えない。セイバーが不本意な束縛を赦していることや、バーサーカーが不遜な態度を容認していることで気が大きくなったしまったのだろうがそれでも愚かとしかいいようがない。

 

『お前奥さんのこと大事にしてんだろ? そりゃ英霊じゃなくても一発殴りたくなるもんじゃないのか?』

 

『ごめん。本気で殺そうとした』

 

…セイバーが後ろにいてよかった。ゴルドがあまりに愚かでも今は聖杯大戦の最中。序盤からセイバーが脱落なんて洒落にならない。

“黒”のバーサーカー、ヒッポメネスの妻は純潔の女狩人で有名なアタランテ。ヒッポメネスはアタランテの名あってこその英雄なのだ。ヒッポメネスが彼女の事を誇りとしていてもおかしくない。

おかしくない。おかしくないのだが、ここ数日間でバーサーカーと行動を共にしたカウレスは一つの謎が生まれていた。

 

『なあ、バーサーカー。答えたくないのなら答えなくてもいいんだが…』

 

『? どうしたんだい』

 

 

 

『お前、本当に黄金の林檎を使って奥さんに勝ったのか?』

 

 

 

ヒッポメネスという英霊の根底を揺るがす質問だったと思う。ヒッポメネスは英霊という割には平穏な人格者だと思えた。姉のサーヴァントであるアーチャーも威圧的ではないであれ、大賢者の名に負けぬ聡明な雰囲気を放っている。しかし、ヒッポメネスは聡明でなくて平穏。目に移れば無害、話せば温厚という悠然とした英霊なのだ。

力や武勇で女を手に入れるのではなく、言葉と時間と愛情で妻を娶るというのが彼らしいのではないのか?

知れば知るほどに逸話とは違う人間性が見えてしまい、尋ねずにはいられなかった。

尋ねられた本人は

 

 

 

『そうさ。僕は林檎を使って妻を娶ったんだ』

 

 

 

無味な返事だった。淡々と事実を語る。逸話に間違いはないと言った彼は、霊体化を解いてカウレスに頭を下げた。

 

「…あ〜、ごめん。少し頭を冷やしてきていいかい」

 

「あ、ああ。大丈夫だ」

 

バーサーカーは去っていった。残されたカウレスは地雷を踏んでしまったか、と困り果ててしまい踵を返して自室へと帰った。

 

 

 

○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

ルーラー、というクラスのサーヴァントが存在する。ルーラーとは聖杯戦争を管理するクラスなのだ。

 

そのサーヴァントが聖杯戦争に参加することは基本的にはない。なぜならば、ルーラーが召喚されることには条件があるからだ。

 

一つ、聖杯戦争が非常に特殊な形式で、結果が未知数な場合。

 

一つ、聖杯戦争の影響で世界に歪みが出る可能性がある場合。

 

この二つのどちらかによって、ルーラーは聖杯により適応する英霊を詮索し、現界する。

 

此度七騎対七騎の史上最大規模の聖杯戦争が勃発したことにより、ルーラーは聖杯に召喚された。

 

召喚されたのはジャンヌ・ダルク。彼女は聖杯大戦の管理者として十五体目のサーヴァントとして召喚された。しかし、その召喚方法は異常であった。

“憑依”による現界であった。フランス人の少女、レティシアの肉体に憑依してジャンヌ・ダルクは現界を果たしたのだ。この時からルーラーは、この聖杯戦争は異常だと感じた。憑依した直後にフランスからルーマニアへ飛び、決戦の地となるトゥリファスに移動した。だが、“赤”の陣営のサーヴァントに襲撃された。ルーラーは裁定者であり、管理者。どちらに肩入れすることはなく、公平に見守る立場のサーヴァントだ。襲う必要などない。なのに“赤”のランサーに襲われた。助太刀にと“黒”のセイバーに助けられ、その後ランサーとセイバーは去っていったがそれでも疑問が消えることはない。

 

“この聖杯戦争はどこかおかしい”

 

浮き立つ疑問は消えることなく、トゥリファスへと向かうルーラーことジャンヌ・ダルク。向かう先にある決戦の土地ではもうすぐ聖杯大戦の二戦目が開始されようとしていた。

 

 

 

○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

“黒”のバーサーカーはここ数日間の内、これほどまでに不満を募らせたことはなかった。原因は言わずともセイバーのマスター、ゴルドだ。傲慢ではあれ優秀な人物なのであろう、とそう評価していた。見下された態度もさほど気にしない。だが、平穏な彼にもどうしても許せないものは存在する。

 

“彼女”を侮辱すること。それが例え王だったとしても“彼女”を侮辱するなら首を跳ね飛ばす。

 

非常にイラついている。廊下を歩きながらもコツコツと壁を叩き、不満を放出している。叩かれた壁は罅が生まれ、ポロポロと細かい壁の破片が落ちる。 時折すれ違うホムンクルスがバーサーカーの不機嫌な表情にわずかに後ずさり、落ちた破片を掃除するという光景が生まれるが、幸いにも他のホムンクルス達以外には見られなかった。

どうにかしてこの不満を解消したい。不和を生んではならないと、ストレス解消法を考えはじめた。

 

「…海に行きたいな〜」

 

だがここはトゥリファス。海には行けない。

 

「…森にでも行こうかな」

 

森には多くの思い出がある。彼女は森が好きだった。厳しい自然の摂理がありのままに存在していた深く広がる森林で彼女とよく狩りをした。無謀にもどちらが大物を狩れるかを競ったこともある。結果は惨敗であったが、彼女が勝ち誇った笑顔を見れたのはいい思い出だった。

そういえば海に行った時にも同じことをした。銛を持ってどちらが大物を取れるか競ったがその時は自分が圧勝した。あの後は悲惨だった。もう一度と彼女が言うから競ったら、自分が突こうとした獲物を陸から矢で射られて命の危険を感じたものだ。

 

「…ふふ」

 

それがきっかけとなり、数々の思い出が蘇る。楽しかったことや辛い目にあったこと。思わず笑みが溢れる。

不満なんていつの間にか消えてしまった。なんとも単純な男だ。ゴルドのことも許そうとも思えた(彼女を侮辱したことは忘れないけど)。

 

「まあ、先にカウレス君のところに戻ろう」

 

不機嫌の振る舞いに迷惑をかけてしまったのだ。マスターの元に戻り、まだ見せていない実力を見せて作戦を練ろう。カウレスの自室へと戻ろうとした時。

 

『バーサーカー、王の間に集合してくれ。サーヴァントが攻めてきたらしい』

 

ーーーすぐに霊体化し、カウレスの元へと舞い戻る。

 

 

 

○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「諸君。キャスターによれば、このサーヴァントは昼夜を問わず真っ直ぐ森を突き進み、このミレニア城塞に向かっている」

 

ダーニックがキャスターに映し出させた映像には半裸の筋肉が森を突き進んでいた。二メートルを超す大男、青白い肌には無数の傷が走り、何が楽しいのか笑みを絶やさず浮かべて森の中を進行していた。

 

「私はこれが“赤”のバーサーカーであると睨んでいる。恐らく、狂化のランクが高いせいだろう。彼は敵を求めて暴走状態に陥っているのだ」

 

敵本陣に単騎で襲撃するなど普通は考えられない。大男の周りには他のサーヴァントが見当たらないことからバーサーカーと判断したのだろう。

 

「いや〜、あれこそまさにバーサーカーっぽいね」

 

「返す言葉がないな〜」

 

ライダーの大きい独り言に狂戦士らしくないバーサーカーは苦笑する。ダーニックが咳払いをし、二人は口を閉ざした。

 

「おじさま、どうなさいますか?」

 

「無論、この機を逃す手はない。サーヴァントを三機も出せば事足りるだろう。だが、これは此度の大戦における唯一無二のチャンスだ。この“赤”のバーサーカー、上手くすれば我らの手駒にすることが可能かもしれぬ」

 

ダーニックの言葉に王の間がざわめく。落ち着いた頃合いにランサーがダーニックに尋ねた。

 

「具体的なプランを聞かせてもらおうか。もちろん、こうしてサーヴァントを集めたからにはそれがあるのだろうね?」

 

「はい、ロードよ」

 

“赤”のバーサーカーが到達し次第、捕獲作戦を開始することが決まった。バーサーカーの歩行速度から約一日。それまでに“黒”の陣営は準備を整え始めた。

 




はい、次回かな!? 何が次とはお楽しみに!


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追う赤、立ち向かう黒

針は進む、無慈悲にも寸分違わず、一刻と


トゥリファス東部、イデアル森林にて“赤”のバーサーカーが“黒”の陣営の本拠地、ミレニア城塞へと移動していた。

 

“赤”のバーサーカーの真名はスパルタクス。

ローマの奴隷剣士であった彼は七十八人の仲間と共に脱走し、三千人の追撃部隊を敗退させた。その後各地の奴隷を武装蜂起させた英雄だ。圧制者を憎み、弱者を守る叛逆の狂戦士。

青白い肌の無数の傷は幾つもの叛逆を成した証拠。彼の頭の中は圧制者を屠ることのみ。剣と拳を振るう圧制者が先にいると思うと笑みが自然と溢れてしまうのだ。

 

「ーーー止まらぬか、バーサーカー!」

 

少女の声が森に響いた。翠緑の衣装を身に纏い、髪は無造作に伸ばされていた。眼差しは無機質で鋭い。貴婦人のような着飾った美しさはなく、自然が生み出した美しさを秘めていた。

枝から枝へと飛び移り、バーサーカーに制止するよう呼びかけた。が、バーサーカーは歩みを止めることなく、少女の言葉に応じた。

 

「ははは、アーチャーよ。その命令には応じかねるな。私はあの城塞に、圧制者たちの元へと赴かねばならないのだ」

 

少女ーーー“赤”のアーチャーは叫んだ。

 

「汝は愚か者よ! 機が熟すまで待てというのがなぜ分からぬ!」

 

それでも止まらない。一歩一歩確実にバーサーカーは城塞へと進んでいく。

 

「待つ、などという言葉は私にはないのだ」

 

はぁ…、とアーチャーは見限った。これは止まらない。鳩からの指示に従い、援護に徹するべきだと判断した。

 

「所詮、狂戦士。意思の疎通、能わずか」

 

「まあ、そうだろうねェ。伊達にバーサーカーのクラスじゃねぇな、ありゃ」

 

アーチャーの独り言に応じる声がし、見上げると枝の上に屈託のない笑みを浮かべた青年がいた。瞳は猛禽のように鋭く、体躯はしっかりと頑丈。美丈夫と言われるに値する青年だった。その正体は“赤”のライダーとして現界した英雄である。

 

「ライダー…、見捨てるしかないと、汝は申すか?」

 

「ま、仕方ねぇだろう。あれは、戦うことだけを思考している生物だ。説得しようとしたアンタの方が、よっぽど変わり者ですよ?」

 

「暴れる獣を御するのは得意だったのでな。いっそ膝を矢で射抜いてやればとも思うたのだが…」

 

攻撃した瞬間、バーサーカーは標的をアーチャーへと変えるだろう。まさしく狂戦士。思考が定まりそれ以外の事柄など見向きもしない、ある意味完成されているといっても間違いではない。

 

「自制してくれて良かったよ、姐さん」

 

「ところで汝。どうして後を追ってきた?」

 

ライダーは人懐っこい笑みを浮かべた。その笑みは数多の女の頬を赤らめさせ、初心な少女ならば恋に落ちてもおかしくないほどの魅惑を放つ。そんな笑みをアーチャーのみに向けて、彼女の問いに答えた。

 

「そりゃ、アンタが心配だったからですよ。決まってンだろ」

 

「フム、然様か」

 

無反応。獣に育てられたアーチャーにとって、口説き文句など意味をなさない。口説きが失敗したライダーは肩を竦めたまま移動するアーチャーに並走する。

 

「…で、だ。俺たちはこれからバーサーカーの後方支援しつつ、相手の情報収集ってわけなんだが…」

 

何やら言いにくそうにするライダーを不審と思ったアーチャーが首を傾げる。

 

「どうしたライダー」

 

「…いや、姐さんを追う前にアサシンの奴がやけに上機嫌にしていたことを思い出してな」

 

“赤”のアサシンとして現界したアッシリアの女帝、セミラミス。生粋の戦士たるライダーとアーチャーは女帝が纏う退廃的な雰囲気を毛嫌いする嫌いがある。その女帝がアーチャーの後を追おうとしたライダーに任務の内容を語っていた時の様子が、やけに楽しそうにしていたことがどうにも胡散臭かった。

 

「アサシンが、か」

 

「ああ、尊大な態度が気に食わねぇっていうのにやけに上機嫌だと引っかかるもんがあるだろ?」

 

「気にすること無し。女帝らしく策略でも思いついたのであろう」

 

アーチャーは気にせずバーサーカーの後を追う。そうかねぇ、とセミラミスの手の平で踊らされているようで気に入らないライダーは、アーチャーの後を追った。

 

 

 

○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「・・・・・」

 

「どうしたのさヒッポメネス、難しい顔をしてさ」

 

ミレニア城塞の高台で日が沈みかけ、夜が垣間見える空の色を厳しい目つきで睨む“黒”のバーサーカーを横にいた“黒”のライダーが顔を覗き込んだ。

 

「…雲行きが芳しくないねぇ」

 

「雲行きが? 雲はあんなに薄くて綺麗なのに?」

 

日没時に見える夕焼け空は見事な橙色をしていた。 山に沈む太陽は地平線が赤く、上に行くほど漆黒へと染まっていく。都会の濁った大気では見えない清々な雲の色が幻想的とも見えた。最も科学が発達していない時代に生まれた英霊二人にとってこの空の色こそ正常なものなのだが。

 

「ん〜、あの鱗のように薄くて途切れるような雲は雨の前兆だ。戦闘に関して雨は好ましいんだけど、戦いの前に雨が降る前兆を見るとどうも不吉な気がしてねぇ」

 

「ああ〜、なんか分かる。天が敵に回った気がするよね」

 

ウンウンと頷く二人がいる高台の下ではもうすぐ城塞の麓まで近づいてくる“赤”のバーサーカーを捕獲するため、ゴーレムや戦闘用ホムンクルスが歩き回っていた。“黒”のバーサーカーの目に戦闘用ホムンクルスが映り、ライダーが助けたホムンクルスの少年のことについて思い出した。

 

「ライダー。彼の調子はどうだった?」

 

「うん。アーチャーに説教食らってた」

 

「は?」

 

大賢者ケイローンが叱った?

“黒”のライダー、アストルフォは難しそうに頭を捻りながら話を続ける。

 

「ホムンクルスっていうのはさ、ある意味生まれながらにして完璧な存在らしいんだ。だから、どう生きていくのか自分で考えるようにしなくちゃいけないんだってさ」

 

ホムンクルスは誕生した時から自立できる。必要な知識も、力も、判断能力を設計されている。

なるほど、アーチャーの言うとおりだ。

寿命が三年ほどしかないホムンクルスにとって、どう生きるのかなど考えたこともなかっただろう。だが、誰かに押し付けられた道のりの人生よりも、自分が決めて生きた道のりの人生の方が終わった時に『これでよかった』と思えるだろう。死ぬ時に後悔や無念が残るより、納得ができる終わり方なら生きたと胸が張れる。

だからこそ、ホムンクルスの少年は考えるべきなのだ。生きる意味があったと誇れるように。

 

「…そうか。なら、彼は考えなければならないねぇ」

 

「ボクは生きているだけで儲けモノだと思うけどなー」

 

「それも悪くないけど、ただ生きるよりかはどう生きていくか決めた方が人生楽しくないかな?」

 

「あ、それもそうか」

 

ポンと手を叩いて納得した。今頃、ホムンクルスの少年はアーチャーの言葉をどう受け取ったのだろう、とバーサーカーは考える。近頃はカウレスの傍にいることが多いため、会う機会が少なくなったが暇さえあれば様子を見ていた。ライダーの話を大人しく聞くこともあれば、バーサーカーの嗜み程度の神代の魔術を見て興味深そうにしていたことを思い出す。

 

「あ、そうだ。“赤”のバーサーカーを捕まえた後にさ、彼を城の外に連れ出そうと思うんだ」

 

「え、そうなの?」

 

「この魔窟にずっと置いておくのは危ないでしょ? 」

 

それもそうだ。何故か“黒”のキャスターは未だホムンクルスの少年を探している。時折ホムンクルス達が城を捜索している姿を見かける。キャスターに見つかれば彼がどうなるか分からない。城から抜け出し、外で生きていく方が安全だ。

 

「…あ〜、ならもっと会いに行けばよかったなぁ」

 

「ふふーん、ボクは彼と結構仲良くなったよ! 羨ましいでしょう!」

 

最初はライダーと共に責任を持とうと思ったのだがライダーに任せきりになってしまった。それに後ろめたさが残るが、ライダーは気にしてなさそうなのだ。

 

「なら、戦闘が終わり次第迅速にね〜。僕は追っ手が来ないか見張っておくからさ」

 

「うん! よろしくね!」

 

密かに終わった逃亡計画。“赤”のバーサーカーが到着するまで刻一刻も迫っていた。ライダーと“黒”のバーサーカーは互いのマスターの連絡が来るまで、高台でホムンクルスの少年の未来について語り合った。

 

そして、ライダーはマスターに呼ばれランサーとキャスターの元へ向かい、バーサーカーはカウレスに呼ばれてイデアル森林の入り口へと走った。

 

 

○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「さて、バーサーカー。ダーニックおじさんからの任務だ」

 

「うん、分かっているさ」

 

カウレスからの連絡で即座に主人の下に現れたバーサーカー。そのバーサーカーにダーニックとランサーから任務が下された。

バーサーカーが軽くカウレスの横を見ると、カウレスの五歩ほど隣にはゴルドがいた。チラリチラリとバーサーカーを窺っている。バーサーカーは軽くゴルドにお辞儀するとされた本人はビクリと後ずさった。

 

『…別に頭下げなくてもいいんじゃないのか?』

 

『殺そうとしたのは事実だし、それに後腐れがない方がいいかなってねぇ』

 

カウレスは肩をすくめ、ゴルドはセイバーの霊体化を解いて盾になるように立たせた。バーサーカーはセイバーの前に立つとセイバーにも頭を下げた。

 

「昨日はすみませんでした。怒りに身を任せ、仲間であるはずなのに斬りかかった無礼、許してください」

 

セイバーは首を横に振り、自身もバーサーカーへ頭を下げた。こちらもマスターの無礼をすまない、ということだろう。マスター本人はバーサーカーに怯え、反省しているかどうか分からないけど。

 

「…なら、これからの任務。共に力を合わせましょう」

 

“黒”のセイバーは首肯する。そして“黒”のセイバーと“黒”のバーサーカーは“赤”のバーサーカーが現れた森の奥へと視線を向ける。ランサー主従から与えられた任務は一つ。

 

『“赤”のバーサーカーの護衛らしきサーヴァントが二人現れた。“赤”のバーサーカー捕獲までセイバーとバーサーカーの二騎で対応してほしい』

 

相手のサーヴァントがどのクラスかは分からない。だが、相手にとって不足はしないだろう。バーサーカーは腰に吊るした鞘から小剣を抜き、空へと翳した。

 

「ではカウレス君ーーー否、マスター! “黒”のバーサーカー、戦場へ赴く!!」

 

英雄らしく高らかに宣言した。その背中に一瞬圧倒したがカウレスも男。近づく戦場の雰囲気に高揚し、バーサーカーの宣言に応えた。

 

「ああ! 行ってこいバーサーカー!!」

 

「お前も行け! セイバー!!」

 

主の命令を忠実に応え、寡黙な剣士は大剣を鞘から抜いた。

寡黙な剣士と理性を保つ狂戦士は同時に駆け出し、闇が犇めく森林へと踏み込んだ。常人なら前方の物体さえも認識できない暗い細道だが英霊である二人には関係ない。狭い木々をくぐり抜けながら、二人は迫る三騎の内の二騎の英雄達の元へと向かう。

 

(さて、初陣か)

 

緊張と戦意が混じり合い、息に熱が籠る。決して武芸に秀でた英雄ではないバーサーカーにとって、戦術など知らないも同然。

知るとしたら、教わった獣の狩り方のみ。

英雄と獣を同列に扱えるはずがないし、自分の技は狩人ではないから通用するかも分からない。だが。

 

ーーー彼女に、もう一度会う為に。

 

息を吐き捨て、熱を捨てる。一切の甘えも、妥協も捨てる。冷徹になりきり、刃を敵の喉に突き立てる。それだけを考え、バーサーカーは疾走を加速させた。

 

 

 

 

ここに聖杯大戦第二戦目が開始される。

 

 

 




刃は、向けられるのか?


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激突

戦いを、始めよう


「…笑っていたな」

 

「笑うていたな」

 

  “赤”のライダーと“赤”のアーチャーは気まずそうに視線を合わせた。理由は“赤”のバーサーカーだ。“赤”のバーサーカーは一方的にホムンクルスとゴーレムの攻撃を受け、ーーー笑顔で、反撃した。ゴーレムの頭を握力だけで握りつぶし、無造作に剣を振るうとホムンクルス達の上半身を吹き飛ばす。全て、攻撃を受けた後に行われる反撃。全て笑顔で、一層に笑みを深めて行われる叛逆の行進。バーサーカーの通った後は血肉と瓦礫と破壊の爪痕。

 

「…確かにあの英霊は狂戦士以外の何者でもないな」

 

「ともあれ、これで実力は明瞭になった。あれならば、余程の宝具でも使われぬ限り、進撃を止めることはできまい」

 

「ふぅん。アーチャー、アンタの見立てでは一騎くらいサーヴァントを喰えるかい?」

 

「どうかな。彼奴の宝具が淀みなく機能すれば、有り得ない話ではなかろうが…」

 

「だが、その『淀みなく機能する』ってのが至難の技だからな、あいつの宝具は…」

 

  バーサーカーの宝具名は『疵獣の咆哮』。それはあまりに特異であるため、“赤”のサーヴァント達全員に伝えられているが、ライダーの言う通り『淀みなく機能する』ことは困難であろう。

  なんせ、傷を負えば負うほど強さを増す宝具なのだ。バーサーカーの異常性から推測すると、その威力は計り知れぬものと昇華されるであろう。

 

「…む」

 

  アーチャーがふと空を見上げると、眉を顰めた。空はすでに黒く、日は沈んでいたが薄い雲から途切れ途切れに月が顔を出していた。

 

「どうした姐さん?」

 

「もしやすると、雨が降るかもしれぬ」

 

「ん? 雲は薄いが…」

 

「あの雲の流れは雨の予兆。近々降るかもしれぬぞ」

 

  へぇ、と雲を見上げる“赤”のライダー。雲はゆっくりと風に身を任せて流れている。

 

「それはどこで習ったんだ? 俺の先生もそれは教えてくれなかったぞ」

 

「習ったなどではない。いつかは知らぬが耳にした程度ぞ」

 

  だが、いつ、どこで、誰に聞いたのであったか。薄れた記憶から引きずり出そうとしたが、どうにも思い出せない。ただ覚えていた。覚えておくほどの知識であったのは間違いない。

 

「……来たか」

 

  思考を切り替える。風に乗る匂いが変わった。草と土の匂いの他に違うものが混ざった。

 

「どうした?」

 

「気づかれた。“黒”のサーヴァントが接近してくるぞ」

 

  弓兵の知覚がサーヴァントの存在を察知した。

 

「ーーーやるぞ」

 

「応よ」

 

  ライダーは槍を手に召喚し、アーチャーは弓を喚びだした。ライダーの槍は白兵戦に向く、シンプルなつくりの槍。アーチャーの弓は彼女の身長を超すほどの大きさの弓であった。

 

「ではライダー。私は後退し、汝とバーサーカーを援護しよう」

 

  アーチャーは弓兵らしく遠距離でのサポートに徹するようだ。深く暗い森の中に潜み、気配を消す。

 

「あいよ。それじゃ、軽く揉んでやりますか」

 

  近づいてくるサーヴァントの姿がライダーにも確認できるようになった。森の奥から鎧を着た男が()()、姿を現した。

 

「ーーー甘く見られたもんだな、“黒”のサーヴァントめ。この“赤”のライダーを単騎で倒せると思ったか」

 

  莫大な闘志と絶大な自信が満ち溢れる。不敵な笑みが“黒”のセイバーに向けられ、セイバーは大剣を構える。

 

「よう“黒”のセイバー。俺は“赤”のライダー。ああ、心配するな。騎乗してないのは、まさか戦争も序盤で馬を失ったからではない。一人相手に使うのは勿体ないからだ。どうせなら、七騎揃ってなければ面白くも何ともならん」

 

  その言葉にセイバーは不愉快そうに眉根を上げた。ライダーはセイバーに『お前だけでは相手にならん』と宣言したのだ。殺意が場を満たし始めるが、受けたライダーは涼しい顔で受けとめる。彼が生きたのは殺意が蠢き、増悪がぶつかり合う戦場。この程度、慣れしたしんでいる。

 

「来い。真の英雄、真の戦士というものをその身に刻んでやろう」

 

 

 

 

 

『セイバー、申し訳ないけど僕は後方支援に徹しさせてもらうよ』

 

  任務によりバーサーカーの護衛らしきサーヴァント二人を相手するよう命じられ、“黒”のバーサーカーと移動しながら戦いの方針について話した。

 

『僕の実力は大して高くないからね〜。宝具も戦闘向けじゃないし、正直あなたの横で戦えばあなたの邪魔にしかならないと言い切れる。だから僕は、卑怯者と呼ばれるようなやり方で戦うつもりだ。それで構わないかい?』

 

  セイバーは首肯した。バーサーカーがどのような英霊で、卑怯者と呼ばれる戦いに徹しようともそれはマスターを勝利に導くために必要なこと。むしろ、マスターのため泥を被ることを厭わないその信念は好感的だ。

 

  故にセイバーは“赤”のライダーと名乗る美丈夫に一人で戦いに挑んでいる。敵は二人と聞いていた。もう一人はどこに消えた? と、疑問に思っていたが。

  それを考える暇は訪れそうにない。

  大剣を振り下ろせば槍で受け止められ、受け止められた直後に蹴り返される。

  大剣が“赤”のライダーの肉体を刻み込むが傷一つ無し。また同様に“黒”のセイバーの胴体に槍が食い込むが腹は抉れない。

  “黒”のセイバー、ジークフリートの宝具『悪竜の血鎧』はBランクの攻撃を無効化とする。現在ライダーはBランク以上の攻撃を放たないため均衡状態であるが、それを超える宝具があるのならば話は変わる。

  すでに激突が百を超える。双方の肉体に外傷はなく、呼吸も整い、汗ひとつ流してない。それに比べ周りの木々は折れ、吹き飛んでいた。

 

「…互いに手詰まりだな」

 

「・・・・・」

 

  セイバーは口を開かない。マスターの指示を守る為。その無反応が気に入らないため、“赤”のライダーは不快そうに顔を歪めた。

 

「無愛想な奴め。戦場で笑わぬ者は、エリュシオンで笑いを忘れてしまうぞ?」

 

  返事は無い。無愛想に向けられたのは大剣の鋒。セイバーはライダーのように戦場では笑わない。戦場の笑いは嘲笑とも受け取られ、敵を侮蔑することになるかもしれないから。

 

「…まあいい。だが」

 

  笑いながらライダーは槍を構える。

 

「散り様は陽気がいいぞ!」

 

  疾風のごとき俊足。距離を一呼吸で詰め、セイバーの間合いに入る。上段の振り下ろしを放つセイバーより、ライダーの速さが勝る。セイバーの胸元に槍を突き刺そうと一歩踏み込もうとした時。ーーー視界がブレた。

 

「なっ…!」

 

  セイバーの一撃をまともに喰らい吹き飛んだ。木々を巻き込んで、地面を一度転がると体を起こし体勢を立て直す。

  “赤”のライダーは何が起こったと目を見開いた。“黒”のセイバーも僅かに戸惑いを浮かばせているがすぐに表情を戻し、大剣を構える。

  “赤”のライダーは大剣の一撃を喰らう前に何があったか掴めなかった。足を踏み出し、腕を突き出してセイバーを殺そうとしたが叶わず、一撃を貰った。

  何が自分を遅らせた?理由を探ろうと足を動かすと、足の裏に違和感を感じた。

 

「…泥?」

 

  足には泥が付着していた。自分が先ほど立っていた地面を見ると地面が湿り黒く変色している。視界がブレたのではない。泥を踏み、体がずれただけだ。

 

「なるほど、そちらも二人だった訳か」

 

  不可解な現象を起こせるのはサーヴァントの中で魔術に特化したクラス、キャスターだ。セイバーとキャスターがこちらの首を取りに来たのだとライダーはせせら笑う。

 

「キャスターが前線に出るとはな。魔術師っていうのは穴ぐらに閉じこもるもんだと思ってたがそうでもないらしい」

 

 

 

 

 

  魔術使うけどバーサーカーなんだよね〜、と口に出さず心中で呟く。“黒”のバーサーカーは“黒”のセイバーと“赤”のライダーが激突するから少し離れた小川で戦いを監視していた。

  右手は川に触れ、左手は大地に触れる。

 

淵源=波及(セット)

 

  水の流れを読み取り、魔術を発動する。小川の水流が蛇のように動き、土へと染み込むようになだれ込む。大地に水が浸透し、地中からセイバー達の足元へと移動する。

  地中では水が広範囲に染み渡り、セイバー達の踏み込む振動、声、重さの情報をバーサーカーへと瞬時に伝達してくれる。受け取った情報からセイバーが有利に動けるよう地面を変化させる。

 

  ライダーが駆けると足が着く寸前に水を集め泥を形成、セイバーが踏み込むと水を吸収して硬い地面へと整える。

  轟音が地面に触れる手と耳から伝わる。セイバーが一太刀入れたようだ。

  でも、この状態も永くは続かない。相手は英霊。悪環境などすぐに適応し、反撃へと移るだろう。多種多様に水を移動させセイバーを補助し、ライダーを妨害するが段々とライダーの動きが滑らかになるのが分かる。

 

「…相手の真名が分かれば有利になるかなぁ」

 

  相手はセイバーと同じく不死身の英霊だろうとは予測できる。筋力がB+の剣撃を喰らい、ビクともしないのは宝具の影響以外考えられない。宝具ならば不死身となった逸話が存在する。

  ライダーがセイバーに言った言葉“エリュシオン”。これには聞き覚えがある。ギリシャ神話で神々に愛された人々が死後に行く楽園だ。ならば“赤”のライダーの正体はギリシャの英雄。それも不死身の騎手だ、これならばある程度絞れるはずだ。あとほしい情報はステータスだ。

 

『カウレス君、ライダーのステータスは』

 

『…やばいぞあいつ! ステータスが魔力と幸運はCとDだがそれ以外は全てB+以上だ!』

 

『それはまたご高名な英雄なんだろうねぇ』

 

  遠見の魔術でセイバーとライダーの戦いを監視しているカウレスからステータスを測ってもらうと、予想以上の高ステータスに乾いた笑いが止まらない。

  高ステータスという事は知名度による補正、もしくは武勇を誇る逸話を残したのだろう。いや、そのどちらとも考え得る。

  敵対するのは“赤”のサーヴァント達は魔術協会が触媒を集め、現界させたのだ。生半可な逸話の英雄ではない。世界に名を広めた英雄だろう。

 

「…カマかけてみようか」

 

  聖杯の知識から最も該当するであろう英霊がいた。バーサーカーは脳裏にある男を思い浮かべた。自分の推測が正しければ酷なことではないのか?

  でも、その考えを内にしまい、バーサーカーは魔術を発動させた。

 

 

 

 

 

「はっ、甘いぞキャスター! その程度で怯むと思ったか!」

 

  “赤”のライダーはぬかるんだ地面をものともしない。滑るのならば流れに身をまかせ槍を振るうのみ。序盤ではやりにくかったがその程度で“赤”のライダーの槍は衰えることはない。泥の上であるのにも関わらず、“黒”のセイバーの剣を捌き流し反撃をも可能とする。

  三百を超える連突を喰らうもセイバーの肉体に変化はない。ライダーも無論同じ。人間ならば真っ二つになるどころか剣圧で無残な肉塊になってもおかしくないのにも関わらず、傷は皆無。

  終わることのない激突を何度繰り返せば勝機が見えてくるか。

  変化は突然訪れた。

  ライダーの足元周りの地面から水が緩やかな速度で湧き上がる。ライダーは一歩身を引いて警戒すると、水が突如湧き上がり蔓の形となった。十数の水蔓はしなり、蛇のようにライダーに絡み突こうと一斉に襲いかかる。

 

「痺れを切らして打って出たか!」

 

  槍を大薙ぎで振る。それだけで水蔓は弾け飛び水滴となって木々を濡らす。ポツポツと上に飛び散った水滴が雨のように降り始めーーー泥が手の形となり、ライダーの足を掴みかかろうとした

 

「しっ!」

 

  笑みが僅かに崩れ、表情が一瞬歪む。その表情の変化を悟らせないとライダーはわざとらしく鼻で笑いながら、泥の手を容易く弾き飛ばした。

 

『成功すると思ったのは甘かったということだねぇ』

 

  周囲から声が響いた。一方向ではなく、多方向に聞こえてくる声は居場所を悟られないようにするためだろう。セイバーは正体がバーサーカーだと分かっている。だが“赤”のライダーはこれを“黒”のキャスターだと思い込んでいた。

 

「お前が“黒”のキャスターか。さっきから姑息な真似ばっか、姿の一つ見せたらどうだ?」

 

『う〜ん…、僕は武勇に優れた英霊じゃないからさ、こういう姑息なやり方でしかマスターに勝利と聖杯をあげられないんだよ』

 

「まあ、キャスターだからな」

 

  キャスターは自身の陣地を形成し、有利な状況で戦うのが主流である。嬉々として前線に出るキャスターなどそうそういないだろう。

 

「だがお前の魔術は俺には当たらんぞ。俺に一撃与えたければ姿を見せるんだな」

 

『生半可な腕じゃその槍がいつ自分を貫いたのかさえ気づかないだろうから断らせてもらうよ』

 

 

 

『君は誰よりも疾い英雄だからね。トロイア戦争の大英雄ーーー()()()()()

 

 

 

「ーーーへえ」

 

  “赤”のライダー、アキレウスは姿が見えぬ魔術師に賞賛を送りたかった。よくぞ我が真名を見破った、と。セイバーは目を見開いた。目の前の英霊が、全世界で名を轟かすギリシャの大英雄、アキレウスなんだと。

 

「よく分かったもんだな。俺の真名にどうやって至った?」

 

『エリュシオンで大笑いする不死身の騎手なんて君ぐらいのもんじゃないかい?』

 

「なるほど。口を滑らせちまったってわけか」

 

  一番の決定打は泥が足へ絡み突こうとした時だ。アキレウスは踵以外が不死身で、踵だけが人間の半神だ。神話でもアキレウスは踵を矢で射られたことが死因となった。アキレウスの不死身の肉体の弱点は踵。それを掴まれそうになれば動揺するのは当然である。

 

『ランサーといい君といい、魔術協会はなんで超弩級の英霊を現界させるかな〜? これで三大騎士のアーチャーがヘラクレスとかだったら驚くのを通り越して呆れるんだけど』

 

「それなら安心しなくていいぜ。ヘラクレスじゃないが弩級のアーチャーがこっちにはいるからよ」

 

『…勘弁してよ』

 

  割とげんなりした声で項垂れるキャスター(本当はバーサーカー)にライダーは笑った。敵と談笑するなどもってのほかだが“赤”のライダーは不愉快とは思わなかった。

 

「ま、アーチャーの正体を知りたくば俺を超えることだな。最も、それこそ無理だと知れ」

 

『…まあ、“赤”のライダーの真名を知れただけでも意味はあーーー』

 

 

 

  ゴウンッッッ!!!

 

 

 

  大地を揺るがす程の衝撃は轟音となってライダーとセイバーの元へと届いた。

  それと同時に周りから聞こえていたバーサーカーの声は搔き消え、セイバーはライダーに注意しながらも轟音の発生源へと意識を向ける。セイバー達から少し離れたところにある小川から水飛沫が上がり、落ちてきた水滴が雨のように降り注ぐ。

  汗か水滴か、セイバーはバーサーカーの安否を心配しマスターへ連絡を取ろうとした瞬間ーーー

 

  音速と共に飛来した矢が胸板に突き刺さり、衝撃と共に後方へと弾き飛ばされた。

 

「言っただろう? 弩級の弓兵がいると」

 

  くつくつと笑いながらライダーは最初に矢が着弾した小川へと駆け出した。

 

 




「容赦無し、それが自然の掟だ」

その言葉を、忘れていない


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貴女/貴方の名前はーーー

僕/私はここにいるーーー


  思い出した。なぜ私が雲を見て雨を読み取れたかを。

 

  あれは()()()が珍しく狩りで競おうと誘ったことから始まった。森でどちらが大物を仕留められるかを競い、負けた方はその日の夕餉を作るという張り合いがない賭けであった。

  だがこれは小規模であれ闘争。負けるつもりなど毛頭ない。結果は私が勝った。私が猪を狩ったことに対し、()()()は鳥を狩ってきた。

 

  ()()()が次は海で競おうと誘ってきた。負けるつもりなどない。全力で魚を狩りにいく。…初めて()()()に負けた。屈辱とまでは言わぬが腹が立ったのは事実。

  翌日、逆に私が狩りに誘った。次は負けぬと弓で海中を潜む獲物を射抜いた。獲物は()()()が見つけたのを銛で突く前に射抜いた。こめかみに掠ったと慌てるが大物を狩ったのは私だ。だから私の勝ちだ。

 

  その日の夕餉、勝負が二回だけではどちらが上か分からぬため、翌朝沖に出て決着としようと提案した時、()()()に止められた。

 

『見て、あの雲。あの薄くて鱗のような雲が出るのは雨の前触れなんだ。雨の日の海は荒れる。お祖父様が君を攫ってしまうかもしれないねぇ』

 

  言う通り次の日は雨だった。嵐が海上を唸り、渦が大海に逆巻いていた。

  だからこの事は覚えるように心がけた。大雨の海を慈しむように眺める()()()の横顔も、雲の形と共に覚えた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「汝も参戦したか」

 

  矢を番え、弦を引き絞る。()()()()()()()声が森から響き、耳に届いた時には姿見えぬ敵の正体に気づいた。“赤”のアーチャーは深い森の闇に潜み、水の流れる場所を探した。小川を見つけ、上流から下流へと視線をなぞっていく。姿は見つからずとも、居場所は見つけた。一際幹が太い木を見つけ、その木を境に水流が減少していた。

 

「汝の願いは分からぬが」

 

  強く、力強く引き絞る。矢が刺すのは木の陰に隠れるサーヴァント。

 

「ーーーその命、奪わせてもらおう」

 

  放たれる逡巡なき一矢。目指すは“黒”のキャスター、否、“黒”のバーサーカー。

 

「汝が当てはまるとしたら狂戦士か暗殺者であろう」

 

 

 

 

 

  本能とは理性と相反するものであり、時に天啓ともなる。背凭れている木の後ろから死そのものを感じた。理由は無く、本能が逃げろと叫ぶ。

  その場から横へと転がりながら回避する。第三者が見れば無様だと形容するだろうが“黒”のバーサーカーの判断は正しかった。

  木の幹が弾け飛び、小川に矢が着弾した。土と石と水が弾け飛び、矢が着弾した場所は爆弾を投下されたようにクレーターができていた。

 

「“赤”のアーチャー…!」

 

  “赤”のライダーと共に行動していたのは“赤”のアーチャー。この暗い森林の中、隠れていたバーサーカーの場所を見つけ射抜いた。逃げることが一瞬でも遅れていたなら、“黒”のバーサーカーは聖杯大戦で最初の脱落者となっただろう。

  避けたバーサーカーを逃さないと、矢が森の奥から飛んでくる。

 

「…確かに弩級だよ!」

 

  一時的な魔力放出で大地を駆ける。“黒”のバーサーカーであるヒッポメネスの魔力放出はいちいち詠唱を必要とするが、一度の魔力の爆発力は他の魔力放出の威力を上回る。

  一歩で二十メートルを飛び、着地と同時に放出。だが、着地と同時にバーサーカーの肩に矢が突き刺さった。

 

「ぐっ!?」

 

  狙われた。着地地点を予測して、着地と同時に当たるよう射られた。肩から血が流れ落ち、地面に赤を彩る。

 

「よう、お前がキャスターか?」

 

「!」

 

  小剣を抜き、振り返ると同時に小剣を振るう。穂先と小剣がぶつかり、火花が散った。柄を片手で回し、巧緻な槍捌きが攻めてくる。

  バーサーカーは突如現れた“黒”のセイバーと戦っていたはずの赤”のライダーの()()調()()()()の刺突をギリギリで躱し、弾き流す。

  少しずつではあるが槍がバーサーカーを傷つけ、切創を刻みつけられていく。“赤”のライダーの蹴りが腹に入るが、当たる寸前に片腕で防いだ。

 

「驚いたぜキャスター。いや、魔術を扱い、剣も振るう魔術師など知らん。お前キャスターではなく他のクラスだな?」

 

「…まあ、隠してもいずれバレるだろうから言うけど。僕はバーサーカーだ」

 

「……こっちのバーサーカーと違って理性があるんだな。そちらさんの方がバーサーカーらしくないが」

 

「そう言われてもバーサーカーとして喚ばれてねぇ。狂戦士らしく戦場を掻き乱すよう言われたなら、そうするだけさ」

 

  小剣を手放し、大地に刺さる。バーサーカーが手を上へと翳した。

  バーサーカーが手を翳すと“槍”が喚びだされた。その槍は長槍というには短く、短槍にしては長い半端な長さで作られた槍だった。その槍を右手に、小剣を左手に持ち独特の型で構えた。“赤”のライダーは口笛を吹くと自身の槍を構え直した。

 

「は! 本当にバーサーカーらしくねえな! えらく多彩な狂戦士だ! だが気に入ったぞ“黒”のバーサーカー!」

 

  ライダーの笑みが陽気でありながら、冷酷なものへと変わる。次は本気で獲りに来るつもりだ。そう勘づき、武器を持つ手に力を込めた。どちらが先に動くか、タイミングを見合わせていた矢先、動いたのはーーー

 

「セイバー!」

 

  “黒”のセイバーだった。胸板に矢が突き刺さっていたが、それを顧みず“赤”のライダーへと斬りかかる。“赤”のアーチャーに胸板を射られ、しばらく動けなかったが動けるようになり次第、バーサーカーの元へと駆けつけにきてくれた。舌打ちと同時にセイバーの一撃を防ぐが、それを逃さないとバーサーカーが槍を振るう。下段から上段への振り上げ。ライダーは足を後ろに移し、体を反らしたがーーー

 

「…なに?」

 

  血が、流れた。首筋に短く、浅い切り傷ができていた。それだけで戦場の時が止まった。

 

 唖然、驚愕、絶句、納得。

 

  この暗く茂る森林の舞台で四者四様表情を変える。ライダーは己の傷に触れ、指先の血を見るとーーーその身を震わせた。

 

 歓喜。歓喜の感情だけがライダーの心を満たしていた。そこに恥辱はない。ただただ、自分を傷つけれる存在が目の前にいたことを喜んだ。

 

 困惑。困惑だけがバーサーカーの頭の中を渦巻いていた。あのセイバーでさえも傷つけられないライダーを自分が傷つけた。何が原因だ。

 

  目の前の男の腕前は自分に劣る。だが自分を殺せる。

  目の前の英雄は遥か高みの戦士。だが自分は殺せる。

 

  それさえ分かればーーー殺す。

 

「セイバー! 援護を!!」

 

「!」

 

  セイバーは首肯と同時に踏み出した。ライダーが望むはバーサーカーの首。バーサーカーが望むはライダーへの勝利。

  血が咲き、肉が覗く。主に血が飛び散るのはバーサーカー。皮膚が裂けるのもバーサーカー。だが、バーサーカーだけではない。大剣が腕を叩くが骨は軋まない。槍が頬を掠ると出血する。ライダーが犬歯を剥き出しに自分が傷つくことを喜ぶ。

 

 これぞ戦争。これぞ闘争。これこそ決戦!

  久しく感じる命の奪い合いに心踊る!

 

  苛烈な槍の暴虐にセイバーが応じ、暴虐の主をバーサーカーが傷つける。死に瀕しつつあるのはバーサーカーだ。しかし、死に近づきつつあるのはライダーも同じ。

  要はどちらが先に仕留められるか。武芸の練達はギリシャの大英雄が上、応対するのは二人の英霊。

  数の差を物ともせずに勝る“赤”のライダーに“黒”の二騎は噛みつこうとするが、ライダーには信頼を寄せる弓兵が後方で構えていた。

 

  風を切り、大気を揺るがす一矢がセイバーの足を大地に縫い付けた。動けぬセイバーを横目にライダーが勝機を逃さず、石突きでバーサーカーを突き飛ばす。

  胸を破城槌で突かれたような衝撃に、肺が破れる錯覚に“黒”のバーサーカー陥った。

 

「かふっ…!」

 

  空気が絞り取られ、脳が弛緩するが、朦朧とする意識の中でーーー声がした。

 

 

 

「これで終いだ!」

 

  惜しいーーー正直にそう思った。敵は自分を殺せる格がある。武芸は己に劣る英霊であった。しかし、すぐに倒せることはできない実力であった。刹那の剣戟で自分の槍に対応し、隙を見て自分を殺しにくる。この英霊が初戦で消えるのは勿体無いとも思えたが、“赤”のバーサーカーの反応を見失った時点でそういう訳にはいかなくなった。帳尻を合わせるには“黒”のバーサーカーを消すほか無い。

  何処ぞの英雄なのかは知らないが、槍を交えたことを誇りに思い、讃えよう。槍の穂先を崩れ落ちるバーサーカーの心臓に合わせ、躊躇いなく腕を突き出した。

 

「さらばだ、バーサーカー!」

 

  “赤”のライダーの槍がバーサーカーの胸に突き刺さる、寸前。肩に痛みが走る。

 

「…な!」

 

  崩れ落ちる、のではなく自ら()()()バーサーカーの後方から矢が飛来した。前のめりで倒れる演技をしたバーサーカーの瞳は闘志に溢れている。足に力を入れ前へと飛び出す。ライダーの脇を通り過ぎ、“赤”のアーチャーがいる方向へと。

  ライダーは行かせまいと背中に槍を突き立てようとするが、流星のように降り注ぐ矢によって防がれる。冴え渡る矢の一つ一つを防ぐが幾つかが体に被弾し、血が空気に散る。

 

  ーーーこいつも、また…!

 

  ライダーは見えぬ“黒”のアーチャーに絶賛するように吼えた。

 

「お前もか“黒”のアーチャーよ! 素晴らしい! 素晴らしいぞ聖杯大戦! おお、オリンポスの神々よ! この戦いに栄光と名誉を与えたまえ!!」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

『バーサーカー。私がライダーに矢で対応します。貴方は全力で、アーチャーに向かって突貫なさい』

 

『できるのですか?』

 

  鮮明になりつつある意識の中で、“黒”のアーチャーの声が念話で届いてきた。

  できるのか? それはーーー“師”として、“弟子”を殺せるのかという意味ではなく、あの不死身の肉体を傷つけられるのかという意味ではある。

 

  “黒”のアーチャー、ケイローン。

  “赤”のライダー、アキレウス。

 

  幼少期、アキレウスはケイローンを師事し、様々な知識と武芸を習った。ケイローンは多くのことをアキレウスに教えた。

  しかし、ケイローンこと“黒”のアーチャーがそれで手を抜くとは“黒”のバーサーカーは考えない。彼はサーヴァントの役割を忘れないだろう。マスターに勝利と聖杯を約束したことを、忘れるはずがない。アーチャーもバーサーカーの質問の意を理解している。

 

『四分の一、()の血を継ぐ貴方の刃が通るならば、私にも可能でしょう』

 

『分かりました』

 

  “なるほど、そういうことか”

 

  アキレウスの不死身の肉体を傷つけられる理由に納得し、一歩踏み出した。

  疑いもせず、まっすぐと走り出す。姿を見せぬ弓兵を見つけ、一太刀を浴びせようと魔力放出の詠唱を口にする。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「来るか」

 

  “赤”のアーチャーが弓を引き絞る。彼女が持つ弓の名は『天穹の弓』。この弓にはとある力が宿っている。それは引き絞れば引き絞るほど、力を増す。単純であるが限界まで引き絞れば、それはAランク相当の力までに昇華する。

  突貫するのは“黒”のバーサーカー。()()程度と申した魔術を使い、確実にこちらへと接近してくる。

 

「愚か。汝は本当に狂うたか」

 

  自身を守る武装も、加護も無い身で突っ込んでくる姿に僅かに眉根を顰めた。

 

  ーーー見えぬ獲物に考えなしに突っ込むことを蛮勇と教えたのも忘れたか

 

  内心で吐き捨て、弓を更に引き絞る。その途中で吐き捨てた言葉を訂正した。

 

  ーーー否、おぬしは小賢しさで生き抜いた男だったな。策があるか

 

  であるからこそ速さではなく、力で仕留める。弓の恐ろしさを、狩りの本質を教えたからこそ一撃で仕留めることを選んだ。

  次に加速した時こそ、射抜く。アーチャーはその時を森と一体化したまま待った。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

  とある一つの疑問を腹に残したまま走り続ける。

 

 ーーーなぜ“赤”のアーチャーは僕の魔力放出に気づけた?

 

  バーサーカーの魔力放出は初速度なら恐らく“赤”のランサーであるカルナさえも凌ぐ火力がある。本人の意識次第での解放とは違い、詠唱という溜めが存在しているからだ。魔力放出を用いての加速移動は初見で看破するのは困難である。

 

淵源=波及(セット)

 

  しかし、“赤”のアーチャーはそれを初見で看破し、加速移動の着地地点を狙って射抜いてきた。あの射手座の原型となった弓の名手ケイローンでも初見は恐らく難しいはずなのに。

 

「…淵源=波及(セット)

 

  ならば何故だ。“赤”のアーチャーはケイローンを凌ぐ弓の名手なのか? 弓の名手と言われた英霊は神話、逸話に存在する。だが名も知らず、戦ったこともない者の動きを予測できる者など存在するのか?

 

  だが。

 

  ーーー相手が自分を()()()()()()

 

「……淵源=波及(セット)!」

 

  相手が自分の動きを熟知し、手の内を最初に知っていたら?

  槍の熟練を、剣の型を、魔術の神秘を知っていたら?

  自分の声を、顔を、真名をーーー知っていたら?

 

淵源=波及(セット)!!」

 

  疑惑が予想へと乗り移る。もしそうであるのならば、辻褄が合う。全て納得がいく。隠れていた場所、加速移動の着地地点の把握を看破されたのもそういうことだったのかと理解できる。

  相手は“赤”のアーチャー。()()なのだ。アキレウスとケイローンがいるように、()()()()()()だってありえなくない。

  魔力の爆発で増した速度は風と一体化し、空を舞う。あとコンマ数秒で地面に足が着く。着くと同時に詠唱し、魔力放出を用いての加速移動でアーチャーが潜伏しているであろう場所へと翔ぶ。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

  ーーーここだ。弓は手先ではなく感覚で放つ。狙いは心臓。駆ける者は獣であり、人であり、半分に半分を重ねた神の仔。神であろうとも、人であり獣ならば心臓は穿てる。

  放たれた矢は音を起き、後から音が纏われる。結果は心臓に矢が生えている、はずだった。

 

「なに…!?」

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

淵源=波及(セット)!」

 

  着地と同時に詠唱、魔力を纏わせて槍を投擲する。魔力が爆発し、投擲された槍は音を纏う速度となり、風を切り裂いた。神の力が宿る矢と魔力が渦となり唸る槍が衝突し、暗い森に光を生む。矢は方向を変え、地面を抉り大穴を作った。槍はあらぬ方向へと弾き飛ばされ空中を舞う。

 

「《来い》」

 

  一言で槍は主の元へと帰る。空中でピタリと制止し、瞬時にバーサーカーの手に戻った。

 

淵源=波及(セット)

 

  弾丸のように直進に飛ぶ。放たれた矢で“赤”のアーチャーの居場所は把握した。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

  矢が外れたのを確認し、次の一矢へと行動を移す。

  矢を番え、弓を引く動作が零と思えるほどの速射。

  再び心臓へと放たれた一矢は寸分違わず飛翔する。だが、その風となった矢は当たることはなかった。

 

「なにっ!?」

 

  迫る男の後方、卓越した視覚が森の奥にある城塞から弓を構える男を目視した。その男は弓を手に持っており、弓を持った姿勢を見て、彼女は気づく。

 

  男が撃ち放った矢がこちらへと飛びーーー自分が放った矢を()()()()()()

 

「“黒”のアーチャー…!」

 

  即座に放った一撃は“黒”の陣営の弓兵により撃ち落とされた。信じ難い事実に体を硬直させる。放たれた矢を矢で撃ち落とす超精密射撃。遥か後方で弓を構える同クラスの英霊に、怒りと恥辱を覚える。が、その感情は速やかに捨てる。今やるべきことは、目の前の男を屠ることだ。

  この距離で矢を放っても避けられるだけだ。ならばと、彼女が選んだのはーーー

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  “黒”のアーチャーの矢が“赤”のアーチャーの矢を撃ち落とした。驚愕は後にただ前へと推進する。“赤”のアーチャーが隠れている茂みへ槍を突き刺す。だが、茂みに槍が到達する前より先に“赤”のアーチャーが飛び出した。

 

  ……ああ、やはり()

 

  背後にした月が後光となり姿が影に包まれるが、体の輪郭で全てを悟った。弓を構えた姿も、広がる髪の色も、その獣のごとき鋭い眼差しを、全て昨日のように覚えている。

  ()()の矢が眉間、喉、胸へと飛んでくる。加速した槍の一振りで全て叩き落とす。“赤”のアーチャーがバーサーカーが立つ地面に着地した。月下に晒された翠緑の狩人。()()の真名はーーー

 

 

 

 

 

「ーーーアタランテ、君が“赤”のアーチャーか」

 

「ーーーヒッポメネス、汝が“黒”のバーサーカーか」

 

 

 

 

  二度と逢う筈のない因果がここで覆された。これから始まるのは殺し合いの、宿命。

 

 




その名は運命(Fate)


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赤のアーチャー

お気に入り数1000件突破!
感想も多くいただき感謝感激の極みです!
これからも生暖かい目で見守っていただければ幸いです!

というわけで更新です!

誤字脱字の報告かなり感謝いたします!


「君の奥さんってさ、実際どれほど綺麗なんだい?」

 

  聖杯大戦の初戦が始まる少し前、ミレニア城塞の城下にある洒落たカフェテラスで“黒”のライダー、アストルフォに“黒”のバーサーカー、ヒッポメネスは唐突尋ねられた。“赤”と“黒”の七騎両方が揃い、決戦の火蓋が切られる直前にマスターを放置して、紅茶を飲んでいるとはサーヴァント達はどうなのか? サーヴァントの役割を忘れているとしか言いようがないが、少なくともヒッポメネスはマスターに許可を得てアストルフォと城下に遊びに来ている。

 

「何人もの男が挑んで負けては死んだのに、それでも彼女を妻にしようと挑んだんでしょ? やっぱり絶世の美女だったの?」

 

  単なる好奇心。理性が蒸発していると言われる彼だけあり、無遠慮に聞いてくる。それを不快だとは思わず、ヒッポメネスは正直に答えた。

 

「う〜ん、絶世の美女、とまではいかないかなぁ」

 

「ありゃ?」

 

  アストルフォは椅子に座ったままずっこけた。

 

「自分の奥さんをそう言っていいの?」

 

「別に貶しているわけじゃないだけどねぇ。純粋に美しいと思える人だったのさ。アタランテはね」

 

  町娘のような陽気な可憐さでも、王族のような煌びやかさでも、魔女のような妖艶さでもない。自然が生み出した強さを形にした美しさがあった。時代によって女に求められる美しさは変化する。翠緑の狩人には当時の男達が求めていたその美しさを秘めていた。だからこそ皆、彼女を求めて散っていったのだ。ヒッポメネスも、その一人になるはずだった。

 

「ふ〜ん、それってどれぐらい綺麗だったの?」

 

  そうだな、と一間置いてから照れたようにヒッポメネスは笑いながら言った。

 

「彼女になら、殺されてもいいと思えるぐらいかな〜」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  死ぬわけにはいかない。マスターであるカウレスに聖杯と勝利を届けるため。そして何よりも生前にしなかったことを、果たすため。当初はカウレスと共に聖杯大戦を生き残り、聖杯の力で()()を座から現界させ、願いを叶えるはずだった。

  だが運命は微笑んでいるのか、嘲笑っているのか。

  聖杯に叶えてもらう過程を、予想外の形で叶ってしまった。

  最初からそのような事態があるかもと考えておくべきだった。アキレウスとケイローンが参戦した時に、もしかしたらとそうなるかもと想定しておけば、これほど心がざわめいたりはしていなかった。

  槍を握る手に必要以上に力が入る。焦燥が、動揺が顔に出ないよう呼吸を整える。目の前に立つのは誰よりも再会を望み、声を聞きたかった妻ーーー“赤”のアーチャー、アタランテが冷厳な雰囲気を纏い、弓を構えている。

 

「アタランテ」

 

「否、“赤”のアーチャーだ。“黒”のバーサーカーよ」

 

  苦虫を噛んだような、安堵したような感情が混ざった笑みを浮かんでしまう。やはり、今も昔も変わらず、彼女は彼女なんだと。

 

「“赤”のアーチャー。君に一つ、尋ねたい」

 

「何ぞや?」

 

「君の願いは何だ」

 

  聖杯に臨む願い。この聖杯大戦に現界されたサーヴァントは大なり小なり願いを携えている。生前に叶えられなかった願い、ただ強者と闘うため、受肉を果たし二度目の生を謳歌するため。問われたアーチャーは少し不満げに応えた。

 

「それを問うかバーサーカー?生前最も私と共にいたのは汝であろう」

 

「…知っているさ。知っているからこそ、問わねばならないんだ」

 

  バーサーカーは隠そうとしていた苦悶の表情を浮かべた。知っているからこそーーー自分の愚かさを思い知らされる。

  睨み合いが膠着状態となり、肌がチリチリと焼きつくような緊張感が臓腑を引き締める。

  どちらが先に動くか、二人の考えは皮肉にも重なっていた。だが、第三者によって膠着状態は引き裂かれた。

  嘶きが空気を震わせ、車輪が大地を揺らす。威風堂々と空からかけてきたのは“赤”のライダーだった。騎手の名の通り、馬が三頭で牽く戦車に乗りったライダーが御車台から手を差し伸ばしていた。

 

「姐さん! 今回はこれでお開きだ!」

 

  アーチャーはバーサーカーを一瞥し、大地を蹴ってライダーの手を掴み、ライダーと共に空へ駆けて行った。途中でライダーがバーサーカーへ振り返り、声高らかに叫んだ。

 

「さらばだバーサーカー! 次に戦場で合間見える時こそ、貴様の首を戴くぞ!!」

 

  そうして“赤”のサーヴァント達は去り、聖杯大戦の二戦目は終了した。イデアル森林にはいつも通りの静けさが戻り、静けさと引き換えに戦争の傷跡が森中に広がっていた。バーサーカーはその場で一人、戦車が見えなくなっても空を見つめ続けていた。

 

「…そうするのが当然なんだろうけど、僕の目の前で他の男の手を握らないでおくれよ」

 

  その呟きは届くはずがなく、静けさが虚しさを大きくした。バーサーカーはカウレスの念話が届いても返事をせず、迎えにきた“黒”のセイバーが肩を叩くまでずっと

 

  空に消えた少女の背中を追うように仰いでいた。

 

 

 

  ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ホムンクルスの少年が“黒”のアーチャーの自室で、体を鍛えるべく歩行の練習をしていた。“黒”のアーチャー曰く、体を鍛えれば魔術回路が耐えれるようになるであろうと。

  生きるため、そしてどう生きていくかを決めるために生き抜く力を手に入れる。まずは歩けるようにと部屋内で歩いてみたが、すぐに疲労してしまう。少し休憩し、また始めようとした時、扉が突然開かれた。入ってきたのは“黒”のライダー。“赤”のバーサーカーの捕獲に貢献し、作戦が終わり次第ホムンクルスの少年の元へと駆けつけた。やや負傷していたが笑顔でホムンクルスの少年に近づき、手を差し伸べた。

 

「今が好機だ。さ、逃げよう!」

 

  ホムンクルスは事情を理解し、差し伸べられた手を取り部屋を出た。城内を走り逃げている最中にホムンクルス達とすれ違うが誰も止めず、去る少年を見送った。すれ違う時、憐れみと希望が乗った視線を受けた。

 

  だが、見逃さない者もいる。

 

  手を出さずとも逃げる二人を監視する、キャスターのゴーレムだ。ゴーレムの眼窩に嵌められた宝石が、鈍色の光を帯びて逃げる二人の姿を捉え続けた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「そうか、“赤”のアーチャーはそなたの伴侶であったか」

 

  森から帰還した“黒”のバーサーカーは、“黒”のランサー、ヴラド三世の元に“赤”のアーチャーの正体を報告した。王の間の玉座に座る王はこの度の戦闘で判明した“赤”のライダーと“赤”のアーチャーの真名に顔を顰めた。

 

  トロイア戦争の大英雄アキレウスと純潔の狩人アタランテ。

 

  どちらとも“黒”の陣営のアーチャーとバーサーカーに深く関わる英霊だ。 片や師弟関係であり、片や夫婦である。聖杯大戦で選ばれたにしては皮肉なほどに劇的な人選だった。

  その報告を王の間で聞いていたカウレスはどのような顔をしたら分からずにいた。少なくともこの場にいる“黒”のアーチャーと姉であるフィオレは微々たるものではあるが驚愕しているように見えた。王の横で臣下の如く控えるダーニックは事実をそのまま受け取っていた。

 

「バーサーカーよ。余はそなたに聞かねばならぬことがある」

 

  ヴラド三世の睨みだけで王の間の空気が変わる。人間であるマスター達は首元に剃刀を当てられたような危険を感じる。小国でありながらもオスマントルコの大軍勢から国を守護した王の威圧はそれだけで武器とも成り得る。鋭い眼光を向けられたバーサーカーは怯むことなく、真っ直ぐと受け止めた。

 

「王よ。なんでしょうか?」

 

「そなたは自身の伴侶を殺せるか?」

 

  聞くべきは生前の妻を殺せるか。これは戦争である。聖杯により覇を競った英雄達が集う人類史上類を見ない最大の大戦。サーヴァントは換えが利かない最大の兵器だ。しかし、武器ではなく人。兵士なのだ。戦場で情けや躊躇いが生まれた兵士は死ぬ。相手が家族や親しい者ならば躊躇いが生まれるのは必然。故にここで覚悟を問わねば、一騎のサーヴァントが失われる可能性がある。故にヴラド三世は、王は臣下に覚悟の程は如何にと問いた。

 

「殺します」

 

  淡白な返事だ。考えるという時間がない程にあっさりとした返答であった。うむ、と一拍置いてからバーサーカーへ向ける威圧的な眼光を納めた。場の空気が静かなものとなり、マスター達は呼吸が楽になった。

 

「今宵の活躍ご苦労であった。体を休め、英気を養うがよい」

 

「はい」

 

 

 

 

「王よ、“赤”のアーチャー対策ですが」

 

「あぁ、分かっておる」

 

  アーチャーとバーサーカーの主従が王の間から立ち去った後、ランサーとダーニックが今後のサーヴァント対策について話していた。玉座に座り、ダーニックの言葉を聞いたランサーは手で制し、その後の言葉を遮った。

 

「ダーニック、先に言っておくが余はバーサーカーを“赤”のアーチャーとぶつけるつもりはない」

 

「…それは」

 

  ダーニックはバーサーカーとライダーを組ませ、“赤”のアーチャーを打倒する算段でいた。しかし、王の意見は違った。王ははっきりと宣言する。

 

「バーサーカーはアーチャーを殺せぬよ」

 

「バーサーカーが“赤”の陣営に寝返ると?」

 

「そうではない」

 

  ランサーは首を横に振る。ランサーが思い出すのはバーサーカーの眼。虚偽の色はなく、悔いと悲哀の色が浮かんでいた。ランサーはあの眼を持つ者には覚えがあった。オスマントルコの大軍勢の前に、国で待つ愛する者を守ろうと槍を手に取る兵士達の眼と同じだった。帰る為に戦うのではなく、戦場で朽ち果てんと命を散らした儚き者達によく見た瞳。その瞳を幾度となく眺めたランサーにとって、その悲哀は理解できるものだ。

 

「あれは愛に生きた者の眼であった。あやつは自身が申した通り伴侶へと矛先を向けるであろう。だが、貫くことはできぬ。貫いてしまえば自我を保てぬほどの嘆きが心を蝕むだろう」

 

「では…、バーサーカーはどのように」

 

「彼の()()を最大限に活かす。戦場を駆け回り、残りの“赤”のサーヴァント、キャスター、アサシンの発見を急がせる。見つけ次第セイバー、もしくは余と合流し宝具を解放させる」

 

「では、そのように」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  王の間を出て自室へと帰る道中、古めかしい廊下ではいいようがない空気で満ちていた。歩くのはアーチャーの主従とバーサーカーの主従。フィオレは車椅子をアーチャーに押してもらい、カウレスは横に霊体化を解いたバーサーカーと歩いていた。

  姉弟どちらも自身のサーヴァントにどう声をかけていいか分からない。まさか、顔見知りどころか家族同然の存在と殺し合うこととなるとは想像だにしなかった。

 

  特にカウレスの方は頭を悩ましていた。バーサーカー、ヒッポメネスの願いはアタランテと共に一日現界すること。最悪“赤”の陣営に寝返ることだって考え得る。バーサーカーの人格から可能性は低いと思うが、伴侶があちらにいる限り寝返る可能性も否めない。

  どうこうと考えている内に姉とアーチャーと別れてしまい、自室に着いていた。バーサーカーは何も話さない。カウレスはどうするべきか判断に困っていると、バーサーカーが頭を下げた。

 

「ごめんよ、カウレス君」

 

「…どうしたんだよ?」

 

「裏切るつもりはない。けど、そう思わせてしまっていることに謝る」

 

  バーサーカーはカウレスが困っていることに気づいていた。はぁ、とカウレスはため息をつくと、椅子に座った。

 

「そんなことで謝るなよ。というかあのサーヴァントがお前の奥さんなのか」

 

「ああ、彼女が僕の妻、アタランテだ」

 

  バーサーカーと視覚を共有し、彼女の姿を見たが美しい獣とはああいうものなんだなと、何故か納得のいく風貌だった。あれが純潔の狩人アタランテ。ヒッポメネスが策略で娶った女。そして、ヒッポメネスが聖杯に願い再会を望む英霊だった。

 

「…大丈夫か?」

 

「大丈夫さ。ランサーの前でも言っただろう?」

 

  そういうことじゃないんだけどな、と言うのは止めた。ここで突き詰めても何も出ない。バーサーカーとはこの聖杯大戦の間だけの共闘関係なのだ。無理に深入りして、余計な諍いを生む恐れは極力抑えようと聞くのをやめた。

 

「そうか。…だがお前の奥さんは三騎士クラスの内の一人だ。無理に自分が討ち取ろうとはするなよ」

 

「了解しているよ。戦うとしても他の人と協力するさ」

 

  それで話は終わった。カウレスは眠りにつき、バーサーカーは外に出ていた。

  彼の顔は召喚された当時と比べれば、かなり無機質に見える。表情を変えている、内心を隠そうとしている。無理をして、逆に不自然に見えてしまう顔だった。

 

  本来ならバーサーカーは考えるべきことを、今は放棄した。脳裏に浮かんでいた顔を掻き消し、今世の友と友が救った少年の顔を思い浮かべた。

 

  今頃“黒”のライダーが上手くいっていればホムンクルスの少年を外へ連れ出しているだろう。短い期間で会う回数も少ないものの彼が世界で上手く生きていけることを願いつつ、いつも行く見張り台へと歩み始めた。

 

「…あ、その前に」

 

  “黒”のセイバーにお礼を言うため、踵を返した。“赤”のライダーとの戦いでセイバーの助力がなければバーサーカーはライダーとまともに打ち合うことはできなかっただろう。信頼関係を築くという意味でも少しは会話ができたらいいと思いつつ、ゴルドの自室へと向かう。まあ…、ゴルドが話すことを許せばだが。

 

 

 

  しかし、時は既に遅し。

  あの決戦を機にバーサーカーは二度とセイバーと話すことも、会うことは無かった。

 

 

 

  聖杯大戦で最初に脱落したのは“黒”の陣営最優のサーヴァント、ジークフリートだった。




普段メンタル『強』
アタランテが絡むとメンタル『瀕死』
現実逃避しないとやってられない。


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庭園会議

その頃、“赤”の陣営ではーーー


「それで、説明して貰おうか?」

 

  怒りと不機嫌を隠さずに“赤”のライダーは玉座の間と言われる部屋で、玉座に座る“赤”のアサシンを睨みつけた。睨みつけられた本人であるアッシリアの女帝、セミラミスはライダーの視線をそよ風を浴びるかのように悠然と受け止める。

 

「ほう、何を説明しろと申すかライダー?」

 

「あんたが“黒”のバーサーカーの正体を隠していたことについてだ」

 

  この玉座の間には“赤”の陣営のセイバーとバーサーカーを除いたすべてのサーヴァントが揃っている。現在女帝に問い質すライダー、アキレウス。玉座に座るアサシン、セミラミス。玉座の間の壁に背中を預けるランサー、カルナ。ライダーとアサシンの様子を愉快そうに眺めるキャスター、シェイクスピア。そして玉座の間を眺めるアーチャー、アタランテ。残りの二人は別行動と捕縛され、“赤”の陣営を離れている。

 

「隠していた? 何をもってそう言い切れるのだ」

 

「俺が姐さんを追う前にやけに上機嫌だったじゃねえか。姐さんからバーサーカーの真名を聞いて納得したぜ。そりゃあんたみたいなのが好きそうだよな?殺そうとする相手が姐さんの旦那なんだからよ」

 

  “黒”のバーサーカーの真名はヒッポメネス。

 

  これを聞いた時、ライダーは心底驚いた。まさか自身を傷つけた英霊がアーチャーの夫であったとは。 それを聞くと同時に女帝がアーチャーの任務の内容を嬉々として語ったことを思い出し、このことを既に知っていたのではないかと直感した。

 

「ふむ、証拠もない言いがかりだな」

 

「てめぇ…」

 

「だが、正解だ。我はバーサーカーの正体を掴んでいた」

 

  包み隠さず嫣然な笑みを浮かべてバラした。騙し、弄ばれていたことに怒りの色が濃くなったライダーの視線が女帝へと突き刺さる。一触即発な空気が滲む中、それを壊したのはアーチャーだった。

 

「してアサシン。汝はどうやってバーサーカーの正体を知った」

 

  大して憤りも、悲しみもなくアーチャーはアサシンに尋ねた。

 

「トゥリファスに使い魔を飛ばした際、偶然知ったのじゃ。それだけよ」

 

「おいおい、敵の本拠地に使い魔飛ばしただけで知れる訳ねぇだろ。相手が真名を話したのなら別だけどよ」

 

「いや、それじゃ」

 

「は?」

 

「バーサーカーとライダーらしき二人が町中を歩いてるのを見かけて話を盗み聞きしておったら、ライダーの方が何度もバーサーカーの真名を漏らしていたわ」

 

  トゥリファスのミレニア城塞と近隣の森林には動物避けの結界が張られている。だが、トゥリファスの街は結界が薄い。アサシンの使い魔である鳩を潜ませていたが、偶然にもライダーに引っ張られるバーサーカー達を補足した。

  二人の跡を尾け、会話を盗聴しているとライダーが何度もバーサーカーの真名を連呼していた。

  この時、その様子を監視していたシロウとアサシンは偽装工作ではと疑うほどにライダーは平然とバーサーカーの真名を連呼していた。

 

「なんだそれ…」

 

「なるほど。それさえ分かれば特に無い」

 

  踵を返し、玉座の間から去ろうとするアーチャー。ライダーは慌てて引き止めた。

 

「姐さん。アサシンに思うところはないのかよ? この女帝分かってて黙ってたんだぞ」

 

「ふむ。だが、それだけであろう? ならば私が申す事は何もない」

 

「おぉ、なんとも冷酷でありますな! アーチャー!」

 

  大袈裟に両手を広げ、嘆くように、愉しんでいるように声を高らかにする。キャスターの突拍子もない行動に呆れたようにする一同。特にアーチャーはそうであった。

 

「何が冷酷か、キャスター」

 

「いやいや生前夫婦となった間柄にも関わらずその無関心さ。我輩、狩人の本性というものを垣間見て少々驚愕を隠せずにいるだけでして!ああ!バーサーカーはさぞ無念でしょうな!聖杯に望みを託すべく参戦したにも関わらず、いずれ殺さなければならぬのは英雄として誉れ高き妻! シナリオは二流でしょうがキャストは一流!筆が一段と進みましょうぞ!」

 

  これぞ悲劇と演劇の男優の如く振舞うキャスターに周囲はため息が隠せない。人の不幸をこれほど喜ぶ者はそうはいないだろう。しかも、本人の前で。退廃的と言われる女帝もこれにはついていけない。

 

「姐さん…。どうするよこいつ?」

 

「放っておけ。こういう生き物なのだろう」

 

「ええ否定しませんとも! 作家とは悲劇も喜劇も綴らなければ生きてはいけませんぞ!」

 

「開き直りやがった…」

 

「ーーーおや、皆さん楽しそうですね」

 

  玉座の間の扉を開き入ってきたのはシロウだった。相変わらず穏やかな笑みを携えて入ってきたが、ライダーは手を振って違うと返した。

 

「シロウ。バーサーカーの後片付けは終わったか?」

 

「ええ。なんとかそちらの方の処理は先ほど完了したばかりです」

 

  “赤”のバーサーカー、スパルタクスは霊体化を解き、堂々とまっすぐトゥリファスへと向かったため、多くの一般人に見つかった。監督官たるシロウは魔術の秘匿の為、“赤”のバーサーカーが残した爪痕を消す仕事で手が離せなかったのである。

 

「あの肉達磨め。暴れるだけ暴れて捕まるとは…」

 

「過ぎてしまったことは仕方ありません。バーサーカーがあちらへ渡ってしまった以上考えなければならない事は…」

 

「バーサーカーの空き分をどうするかですな!」

 

  サーヴァントは一騎いるかいないかだけで大きく戦況が偏ってくる。それが大英雄アキレウスがいるとしてもだ。現在“赤”の陣営には五騎存在するものの、相手は七騎。“赤”のセイバーは協力を拒んでおり、“黒”のアサシンは行方知れず。ならば、“黒”の陣営から一騎どのような方法であれ“赤”の陣営へと鞍替えさせる他ない。そこで一人、誘えるかもしれないサーヴァントがいる。それは

 

「アーチャー。申し訳ありませんが“黒”のバーサーカー、ヒッポメネスについて教えて貰えないでしょうか?」

 

「・・・・・」

 

  ヒッポメネスしかいない。アタランテの夫であるから逸話として名を残した英霊。説得すれば万が一ではあるが“赤”の陣営へと来るかもしれない。アーチャーもそれは理解したが何度も尋ねられるとうんざりしてくる。

  シロウはすいませんと謝りながら頭を下げるので、このまま去るという訳にも行かなくなった。

 

「…分かった。何が知りたいのだ汝は」

 

  渋々といった表情でシロウの頼みを受け入れた。これにはライダーやアサシン、キャスターも興味が湧いた。唯一気にしてなさそうなのは壁に凭れたまま、無言を保つランサーぐらいか。この女っ気が無い狩人が旦那をどう語るのか、サーヴァント達の興味はそこに尽きる。

 

「では、もしヒッポメネスが聖杯に望むならば何を願うでしょうか?」

 

  サーヴァントは皆、聖杯か聖杯戦争自体に惹かれ魔術師の召喚に応じた英霊だ。大なり小なり願望を持っているはずだ。

  狩人の夫、ヒッポメネス。妻である純潔の狩人ならば夫である彼の願望を推察ぐらいはできるはずだと、思っていたのだが。

 

「分からん」

 

  と、即答した。これにはアサシンが不満そうに口を尖らした。

 

「少なからず夫婦だったのであろう?夫が何を望む、何を糧にして生きたのかも知らぬのかアーチャー」

 

「知らぬよ、聞いたことがない」

 

  これまた即答だった。嘘も言ってないし、誤魔化してもいない。臣下に傅かれ、民を統べてきた女帝は狩人が問われたことを虚偽なく応えていると分かる。

  確認の為とアサシンはランサーへと視線を送るが、視線の真意を察したランサーは首を横に振る。つまり、嘘偽りはない。

 

「ほほぅ…。という事は互いの肉体を食い散らかすような熱き肉欲の日々は如何に!!」

 

「何聞いてんだお前?」

 

  直球に明後日の方向に向かった質問するキャスターに目を丸くするライダー。まあまあと宥めるシロウであるがーーー。

 

「無いな」

 

「「「「はい?」」」」

 

「あやつは一度も私を抱かなかった。私が月女神に祝福を受けた身であると理解していたため、バーサーカーは私と臥所を共にしなかった」

 

「…すみませんが逸話では神殿で体を交わったことや、子供がいると伝わっているのですが」

 

「獅子に姿を変えられたのは別にある。子供など交わらなければできぬであろう」

 

  空気が死んだ。

 

  時間が凍ったような気がしたがそれはものの数秒で硬直が解けた。質問していたのはこちらだが聞いてはいけないことを聞いてしまった気がする。主にヒッポメネスの。

  本来仲が良いわけではないライダーとキャスターが肩を寄せ合い、息を潜めた。

 

「ふむ…。もしやヒッポメネス殿はどうてーーー」

 

「いやいやいやいや。さすがに姐さんと会う前に一度はしているだろ」

 

「これは改めて実感しますね。本来の出来事と後世に伝えられた逸話には違いがあるということですか」

 

「……男共は何を話しておる。そしてシロウ、ズレておる」

 

  呆れ果てた様子で男衆を見下ろすアサシン。問われたことを正直に答え、頬を赤くしないアーチャーもアーチャーだが。

 彼女の死生観は野生の獣と近い。彼女の抱くということは刹那的な快楽を得るのではなく、親が子を成すということ。勿論男女の情事についても知ってはいるが、それがどうしたと気にしない。

  聞くことはもう無いのかと、不機嫌になりつつあるアーチャーに、皆の視線がライダーに集う。

 シロウ、アサシン、キャスターと来たら次はライダーだ。ライダーは困り果て、とりあえず率直に。

 

「結局、ヒッポメネスはどんな男だったんだ?」

 

「…ふむ」

 

  知らない、分からない、聞いたことがない。そんな言葉が羅列された限り、アーチャーは夫の事に関して無関心なのだと感じさせられる。だが、意外にも彼女の言葉からは。

 

「間抜けだったが、鋭い男だった」

 

「鋭い?」

 

「ああ、ヒッポメネスは印象と同じくぬけているところがあったが、土壇場での頭の回転は早かった。己の危機に対して人一倍鋭く、相手の隙を見逃さず。小細工を弄する事に長けていて…悪賢かった」

 

  悪賢こい、その時ばかりは()()を思い出したかのように顔を顰め、すぐに表情をいつもの凛としたものに戻した。

 

「姐さん? どうした」

 

「…気にするな。そうだな、あとは精々言う事があるとすれば、弓が死ぬほど下手だ。ありえんぐらいに」

 

  先ほどの苦々しい表情とは違い、次は表情が消えた。

  その瞬間にアーチャーの脳裏には生前の記憶が浮かび上がった。

 

  ヒッポメネスが弓を持って狩りに出かけたのに、帰ってきた時にはなぜか弓はなく、片手には仕留めた獲物、片手には血のついた拳大の石が。

  弓を扱えるように教えたが、的から大きく外れて森の奥へと飛び、たまたま森にいた羆に当たり追いかけられた。

  最後には「弓で石を飛ばせない? え、無理?」とかとち狂った事を言ったので弓矢で獲物を狩ってくるまで帰るなと怒れば…帰ってくるのに三日かかっていた。

 

「アーチャー? 大丈夫ですかアーチャー?」

 

  シロウの呼びかけで過去から現実へと戻る。頭を振って過去の一部を消し去った。

 

「結局は、なにも知らずということか。これほどまでに夫に無関心な女もそうはおらんだろうな」

 

  利益になるような情報を得られず、アサシンはため息を漏らすと同時に役に立たないと目で訴える。ため息と共に送られた蔑みの視線はアーチャーの勘に障った。

 

「夫を結婚早々に毒殺する女も貴様ぐらいだろうアサシン。 最初の夫は自殺ではなく、謀殺でもしたのではないか?」

 

「ほう、生娘が言いよるな? 夫が手を出さなかったのではなく、手をつけるほどの色気がなかったの間違いではないか?」

 

「そういう貴様は媚薬臭さで男を寄り付けたか。私から言わせれば、毒臭さで鼻が曲がりそうだがな」

 

「さすが純潔の狩人殿だ。己の獣臭さを棚に上げ、他人の匂いには敏感なのだな」

 

  割り込まない方がいい、産まれた時代も育った環境も違う男性サーヴァント達の心理は奇しくも一致した。

  いつの時代だって女の口論に男がついていけるわけがない。割り込めばどんな二次被害を受けるのだろうか。あの大英雄であるアキレウスさえ、黙って罵り合いを見守っている。

  “黒”のバーサーカーの話題からこうなるとは…。誰かが止めなければ何時までも続くかもしれない口喧嘩に、勇者が現れた。

 

「アサシン、アーチャー、その辺でやめてくれないでしょうか?」

 

  シロウだ。神父服を着た少年がこの時ばかりは聖人に見えてしまう。少なくとも男性サーヴァント達はそう見えた。

 

「だがシロウ。この生娘は」

 

「今は欠いたバーサーカーの代わりをあちらのバーサーカーで補えるかどうかですよ、アサシン?」

 

  そう言われては…、とそっぽを向いて口を閉ざすアサシン。怒らせてしまったかと苦笑しながらもシロウはアーチャーへと向き直す。

 

「このまま話しても埒が明かないので率直に聞きましょう。…アーチャー、“黒”のバーサーカーをこちらへ引き込むことは可能でしょうか?」

 

「無理だな」

 

  シロウの問いにアーチャーは最初の質問と同様にはっきりと答えた。

 

「悪賢くとも、ヒッポメネスは人を裏切ることは決してなかった。いくらあやつが私の夫でもそれだけはないだろう」

 

「むう、なかなかに乾いた関係なのですな御二方は」

 

  キャスターは面白くないと言いたげに唸る。いいネタが転がってきたと直感したのは間違いだったか、そう勝手に落胆した。

 

  だが、彼の落胆はすぐに掻き消された。

 

 

 

「そうだな。あやつは()()()()()()()()()()からな」

 

 

 

  そう言ったアーチャーに、キャスターは虚を突かれたような顔になり、直後に楽しげに口角を上げた。

 

「ほうほうほう!! そうだったのですか!」

 

「…何を笑っているか。もういいだろう、私は去るがよいな」

 

「…ええ、ありがとうございました」

 

  話すことはないとアーチャーは玉座の間から去っていった。今回の話で分かったことはヒッポメネスという男は悪賢く、アタランテはヒッポメネスの事について知らぬことが多く、そして愛していなかった。

  齎された情報をどう扱えばいいか、シロウを困らせたがーーー真逆にキャスターは愉悦とばかりに笑みを深めた。

  そんなキャスターを見ていたアサシンとライダーは嫌な予感がすると表情を曇らせ、ランサーは最後まで口を閉ざしたままだったが、視線だけは去っていったアーチャーを追っていた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

『君の願いは、何だ?』

 

『それを問うかバーサーカー?生前最も私と共にいたのは汝であろう』

 

『知っているさ。知っているからこそ、問わねばならないんだ』

 

 

 

「…お前は知っている、か」

 

  燦然とした星々を眺めながら、ヒッポメネスとの会話を思い出す。かつての婚姻しただけの男は女の願いを知っていた。娶られただけの女は男の願いを知らない。そう思えば酷く滑稽だと毒づいた。

 

  思い出はある。

 

  何時までも上達しない彼の弓の腕前が少しはマシになった時、少しだけ達成感を感じたことを。

  魔術を嗜んでいると聞き、傷ついた腕を懸命に治癒されたこともある。

  森で獣を狩るのもいいが海で漁も悪くないと誘われ、海に船を出し星を眺めたこともある。

 

  だがーーー愛していたか、と問われれば違うと応える。あれは愛ではない。そう思った。何がそう思うように至らせたのだろうか?

 

  生涯の内に愛した人はいない。

 

  ヒッポメネスは生前で最も隣にいた男であることは間違いない。しかし愛した男ではなかった。生前を振り返れば分からないことが多くある。あの男と再び会うまでは考えもしなかったのに。

 

「…何を願い、何を糧にして生きたのか」

 

  知らない。アサシンに問われたことに正直に答えたが、変な話だ。最も共にいたと自覚している癖に。

 

「汝は何を願い、糧とした。ヒッポメネス」

 

  答えは返ってくるはずない。問うべき相手は殺さなければならぬ相手。ならば、問うべきは次なる戦場。今さら聞くことではないが、と自らを嘲笑したが聞く選択肢は捨てることはなかった。

 




読了ありがとうございます。毎日更新していましたが、明日は更新できない可能性が大です。もしかしたら、できるかもしれないので、その時はまたお読みください。


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はじまりの海祖

はい、更新です。毎日できるように頑張っていきたいところですが、二日に一回に落ちる可能性あり。根性出しますが、今後とも暖かい目で見てください。

では、どうぞ!!


  ーーーそこは、果てしなく続く海が見えた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  少年は帰る場所もなく、ひたすら歩いて海へ辿り着いた。

 

  父は戦に参戦し、早くに亡くなった。母も父を追うように病で亡くなった。

  父に教わったことは自身に流れるお祖父様の血を尊うことと、槍と剣の鍛錬は欠かさないこと。

  母には心はいつも平穏を保つことと、憤りと悲しみを忘れずに人に優しくなるようにと言いつけられた。

 

 

 

  両親を亡くし、行く宛のない僕は海へと辿り着いた。お祖父様を尊えとの父の教えの通り、地平線の果てまで碧が広がる海へと跪いた。

 

『お祖父様、僕の名はヒッポメネスともうします。父はメガレウス、母はメロペ。あなたの孫です』

 

『どうかお祖父様、僕にお導きを。僕に道を照らしてください』

 

  ーーー嵐が吹き荒れ、僕は波にさらわれた。

 

  空には重く黒い雲と矢のような雨が降り体を叩き、海は渦が体を引き裂こうと狂い回る。痛いし、苦しいし、何もできない。お祖父様が統治する海で一部になれということか。これがお祖父様のお導きというのなら仕方ない。生きるのを諦めたくはないが、お祖父様がそうしろというのならそうするしかない。意識は闇に、痛みは薄れ、体は海の底へと引き摺られる。

 

 

 

  いつしか本当に何も感じなくなったと思った時。頭を誰かに小突かれた。気がつけばそこは海辺だった。

  顔につく砂を払い、顔を上げるとそこには会ったこともない顔が皺だらけのお爺さんが立っていた。

 

  ーーーよう来なさった、ささ、こちらへ。

 

  言われるがままついていくと、海辺の近くにはこぢんまりとしていたが立派な神殿が建てられていた。お爺さんの後ろへついていくと、神殿の中央には巨大な石像があった。

 

  掘られていた石像は男だった。巌のように荒々しくも凛とした顔立ちに、手には鋒が三つに分かれた三叉槍。嵐の波に立ち、海を統べるにふさわしき誇り高き姿をした神の姿が石像となって神殿の中央に座していた。

 

 ーーーポセイドン(お祖父様)

 

  天空神の兄、あらゆる英雄の父でもある海神の石像を前にして、僕は思わず呟いた。

  その呟きを聞いていたお爺さんは膝を曲げ、僕に優しく語ってくれた。

  この場所はポセイドンを信仰とする者によって造られた神殿、ここは海神の家でもあり屋敷でもある。そして、僕の新しい家でもある、と。

  そして、ポセイドンが此処へ僕を導いてくれたと話してくれた。

 

 

  それを聞き、僕は再び海へと向かった。夜の海は朝の喧騒を全て飲み込み無へと帰らせる。あらゆる命が、多くの命が漂う生命の箱。その海を統べるが我が祖父、ポセイドン。

 

『ありがとうございます、お祖父様。僕にお導きを、ありがとうございます』

 

  跪いて、感謝を告げる。父と母を亡くした僕に与えられた新たな場所。全て祖父の贈り物だと瞳に涙を溜めながら、感謝した。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  これがヒッポメネスの幼年期か、とカウレスは幼いバーサーカーの後ろ姿を眺めていた。幼年期の頃から平和そうな顔立ちをしているのかと呟きながら彼が跪く海を眺めた。

  ここは夢の中。契約により因果線が主従に繋がることで見れる英霊の過去。召喚した初日振りの夢にカウレスは何処となく高揚していた。

  アタランテとの出会いまでヒッポメネスの生前は語られていない。誰もが知らぬ神話の裏側を自分だけが独占できている感覚に、浅はかだと自覚しながらも鑑賞し始める。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

  時は経ち、少年と青年の狭間の年頃となったヒッポメネスは浜辺で槍を振るっていた。父の教えを忘れず朝起きると槍と剣の鍛錬を開始する。それが終わると船を出して漁に行く。漁が終わるとヒッポメネスは必ず、海へと泳ぎにいった。

 

  海で泳ぐと様々な知識が自然と頭の中に入ってきた。人の体の中に流れる水流ーーー血流から人の肉体の構造を知り、治癒される工程、工程の仕組み。自然に流れる水が何処から生まれ、そして去っていくのか。

  それは様々なものだった。これも全て祖父であるポセイドンのお陰か。ポセイドンはヒッポメネスが青年になるまで姿を表すことも声もかけてくることもなかったが、ヒッポメネスは自然とこの知識を授けてくれるのが祖父なのだと理解していた。

  そして学んだ知識をヒッポメネスを拾ってくれた神殿の守り手である老人に話すと、老人はその知識を発展させるべく新たな知識を語ってくれた。

 

  世界の成り立ち、世界とは何ででき、そして誰によって創造を成されているのか。

  神は自然の権現であり、人は神を模して造られた現し身であること。

  神は気まぐれで、暴虐で、慈悲深い。神であり祖父でもあるポセイドンの慈悲深さに幼き頃のヒッポメネスは救われ、生きている。

  故に感謝を忘れない。母の言いつけでもあり、祖父の慈悲で実感したからこそヒッポメネスは祖父に対して感謝を忘れたことはなかった。

 

  それから数月、数年と時は流れ、ヒッポメネスは青年となった。彼が青年になる間、ギリシャではアルゴー船の冒険やヘラクレスの十二の試練、カリュドーンの猪など様々な冒険譚が広まっていた。若者は我こそはと名乗りを上げ、武勇と栄光を後世に残そうと猛々しくあったが、ヒッポメネスは我は知らんと今日も海に船を出していた。

 

  海に潜り、水中を自由に泳ぎ、挙句には海面を歩いていた。全て彼の体に流れる神の血の恩恵と教えのお陰である。その教えがいつの間にか魔術となって形になり、血脈の力を最大限まで引き伸ばした。

 

  欠点があるとしたら、彼はそれを誰にも披露しようとせず、生活に役立つものとしか捉えなかったこと。

  呪文を唱えれば崖を飛び越えられる脚力を、銛を最大限の力で投げれば鯨の脳天を貫ける膂力を、水を通せばどんな傷も癒せられる魔力を宿すのに、それを自慢しなかった。

  見せたとしたら守り手の老人だけ。

  老人も少しは祖父のように力を顕示しても怒られないのでは、と苦言したほどだ。

 

  幼少から育ててもらった老人が寿命を迎え、永い眠りについてからヒッポメネスは神殿を出て旅に出た。育ち過ごしてきた神殿で一生を過ごすのも良かったが、一度世界を見てみるのも悪くないと身支度をまとめて、幾つもの国を見て回り始めた。

  自由気ままな旅生活。悪くないと思いながらも、何処か物足りないと感じる日々。そろそろ海が恋しくなり、故郷へと戻ろうと最後に寄った国で、ヒッポメネスは一つの噂を耳にした。

 

『あのアタランテを妻として娶れるぞ』

 

  アルゴー船の乗務員にして、カリュドーンの猪を最初に傷つけた女狩人。旅先々で聞いた有名な狩人を妻として迎えられる。国中の男が意気揚々と話していたので嫌でも耳にする。ヒッポメネスも噂に誘われて、アタランテがいると聞いた場所へと足を進めた。

 

 

 

 そこで最初に見たのはーーー死体の山だった。

 

 木や草が抜かれ、固く踏まれた大地は兵を鍛える為の修練場であったのだろう。そこに何故死体が積まれているのかが理解できなかった。近くにいた者に聞くと、死体となった人物達はアタランテに挑戦して敗れた者達だった。

 

  アタランテは婚姻することに一つの条件をあげた。

 

『私と競争し勝った者の妻となろう。だが、負けた者は死んでもらう』

 

  死体は例外なく胸に矢が生えていた。アタランテは自らの言葉を覆すことなく負けた者に等しく死を与えている。

 

  ヒッポメネスは正直理解できなかった。一人の女性を娶るためだけに命を捨てることができるのか? 死体の山は一つだけではないらしい。前にも一つ積み上がったらしく、国の王が臣下に命じて除けたのだ。

 

  男達に同情しつつ、ヒッポメネスは踵を返してその場を去ろうとした。命は捨てられない。海辺に帰り、漁をしながら暮らそう。今後の人生を海辺で過ごそうと決心し、国を離れようとした時ーーー

 

「なんだ、汝が次の挑戦者ではないのか」

 

  声をかけられた。若い女の声。誰だと振り返った時ーーー

 

 

 

  あの死体達のように、胸を射抜かれたような熱を覚えた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  目を覚ますといつも通りの自室の光景だった。眼鏡をかけて時計を見ると一時間程しか眠れてない。目が疲労で重く、肩もだるさで重い。体にのしかかる脱力感に抗いながら、ベッドから立ち上がる。

  神話の語られなかった部分を知って、達成感や全能感を感じると思ったら、案外そうでもなかった。あるとしたら歯車が噛み合ったような納得。

  魔術が使えて、槍や剣も扱える。そして、何よりあのアキレウスを傷つけられる理由。

 

  ヒッポメネスは海の神、ポセイドンの孫だ。

 

  ヒッポメネスの父、メガレウスはポセイドンと人間の女性の間に生まれた半神。

  テーバイ攻めの七将に同じ名を持つ英雄がいるが、ヒッポメネスの父であるメガレウスはギリシャの地方都市の名祖となった英雄。クレタ王ミノスと戦うメガラー王ニソスを援護するために軍を率いて戦へ赴いたが、戦場で命を落とした。

 

  カウレスはヒッポメネスが持つクラス別スキル狂化以外の保有スキルを思い出す。

 

 

 

『魔力放出:C』『神性:C』『大海の血潮:B』『気配遮断:D』

 

 

 

『神性』という希少なスキルや『大海の血潮』という謎のスキルが付いていると疑問に思っていたがこれで全て分かった。

神の血が四分の一。だがその血は全世界で知れ渡っている海と地震を司る大神の血だ。薄まっているとはいえ、ランクがCとなるほどの神秘と知名度を誇っている。

 

  『大海の血潮』も希少なスキルだ。水に触れるか、水が近くにあるだけでステータス補正が入る。主に敏捷、魔力、幸運の三つが上昇するが、海水だと更に大幅に変化するらしい。ヒッポメネスが扱う魔術はこのスキルに含まれているものだろう。

  当初ダーニックがそのスキルを聞き、海水を用意しようとしたが『海と認識していないと意味がない』と言われ、ヒッポメネス自身が魔術で水を確保するということに終わった。

 

  そして『気配遮断』のスキル。まさかアサシンのクラス別スキルがあるとは想像していなかった。ヒッポメネスはアタランテとの競争に挑む際、彼女に黄金の林檎を持っていることがバレないように懐に隠し持ち続けたと逸話に残されている。その隠し持っていたことがスキルとして発現しているのだ。

 

  ともあれ、ヒッポメネスの保有するスキルの謎も解けた。自身のサーヴァントについて知らないことが多くある。

  バーサーカーとは聖杯大戦だけの短期間の付き合いだ。短い間に深く知ろうとすると争いの種になりかねないが、“赤”の陣営には“赤”のアーチャー、アタランテがいる。ヒッポメネスは裏切らないと言うものの、万が一を考え、ヒッポメネスの動向を観察しておくようにしようとカウレスは決める。

  信じるために疑う。疑念ではなく、確認の為の観察。なんか嫌だな、と呟きつつカウレスは部屋を出て行った。

 




ヒッポメネスのスキルとアタランテとの邂逅前の話。ほとんど会話ないのが盛り上がらない。
次の生前回想は言葉多めで頑張ります。


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冷たい石の囲み

段々と気温が暖かくなり、過ごしやすくなってきましたが皆様はどうでしょうか?
急な変化で体調を崩さないように気をつけましょう。

では、どうぞ




  動き出した運命が拍車をかけて疾く回りはじめる。この時、この場所で生まれ、この一瞬にて尽きる循環の中にいた。循環が狂ったのではなく、僅かな意識が目覚めただけ。立ち止まるほどの誤差ではなかった。だが、その誤差が疾い循環から抜け出し、一つの運命を動かすこととなった。

 

  人ではなかった。

 

  英霊でもなかった。

 

  造られた人工物だった。

 

  ()()()のだ。

 

  今の“彼”はなんなのだろう。

 

  前代未聞の存在。イレギュラー。闖入者。

 彼を現すには多くの言葉があろう。でも、今はこう言うべきなのだろう。

 

「生きてる…良かった。良かった、良かった、良かった…!」

 

  産まれて、生まれた。生きて、死んだ。また生まれた。

 

  彼は目覚める。

  名も無きホムンクルスの少年は、ここに誕生した。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

  コツコツと階段を降りる足音が酷く遠くに聞こえる。薄暗く、肌寒い。洞窟かと間違えるほどの不気味な地下牢へと続く螺旋式の階段を降りていく。地下牢は永く使われていないのだろうか、藁や蜘蛛の巣ばかりだ。八つもある牢には現在二人のサーヴァントが使用している。一人は“赤”のバーサーカー、スパルタクス。そして、もう一人が…。

 

「やあ、ライダー」

 

「あ、バーサーカー。やっほー」

 

  “黒”のライダー、アストルフォ。彼は手足をランサーの杭で貫かれ、キャスターの流体式のゴーレムによって動きを封じられている。その姿にバーサーカーは申し訳無さそうにした。

 

「ごめんライダー。追手が来ないように見張っておくって言ったのに…」

 

「いいよいいよ。ちょろっと聞いたけどあっちのアーチャーが君の奥さんだったんでしょ? 結構ショックだったんじゃない?」

 

「…まあ、ね」

 

  あっけらかんとするライダーに私事ばかりに気を取られてばかりにいた自分が情けなかった。

  ライダーが何故、地下牢に閉じ込められているのか?それは彼が“黒”の陣営に大きな被害を与えたからだ。それはーーー

 

「…セイバーは、逝ってしまったのかい」

 

「うん。悔いが無さそうに逝ったよ」

 

  セイバーを自害させてしまったことだ。

 

  ライダーとホムンクルスの少年は城から逃げ出したはいいものの、ゴルドとセイバーの追手に捕まえられてしまった。必死の抵抗を試みたが、創造主を殺そうとホムンクルスの少年が反撃し、それに激昂したゴルドによって心臓を破壊された。セイバーはライダーの説得でホムンクルスの少年をゴルドに救うよう願ったが、結果は虚しく聞いてくれず、反抗したと喚き散らすゴルドを気絶させた。死にかけの少年を救うべく、セイバーが取った行動は自分の心臓を抉り取り、少年に飲み込ませた。

 

  少年は救われ、セイバーは死に、ジークフリートは聖杯大戦から脱落した。

 

  少年は救って貰ったジークフリートの名の一部を借り、『ジーク』と名乗り生きることを決意したらしい。

  この事を全て包み隠さずマスター、サーヴァント達に告白し、最後には『いや、実にスカッとした!』とまで言った。

  ランサー、ヴラド三世が怒り狂うのも当然だ。ライダーは投獄され、戦いの間以外はここで過ごすよう命じられた。

 

「マスターがあれだったけど、高潔な人だったんだね」

 

「それはボクも同感。マスターがあれじゃなければねぇ…」

 

  ゴルドはもはやあれ呼ばわり。稀代の英雄が小心者のマスターに召喚されたことすら悲劇だったのかもしれない。

 

「あの少年…ジーク君は大丈夫かなぁ?」

 

「大丈夫さ。ジークフリードの心臓を飲み込んだおかげか体格がガッチリになって、逞しくなってたよ」

 

  なるほど、とバーサーカーは納得の笑みを浮かべた。

 

「ジークフリードの心臓だからね。龍の血を浴びて不死身に近い肉体を手に入れたんだ。心臓はその血を巡らせる臓器だから、彼は竜の血を手に入れたことになるねぇ」

 

「いいな〜、竜殺し。僕もその称号ほしかったな〜」

 

  杭が突き刺さっている状態を前にして朗らかな会話ができるのは話し相手がライダーなのだからだろう。もう暫くそこでライダーの話し相手になると伝えると、暇潰しができた〜、と喜んでいた。

 

「…それでライダー?」

 

「ん?」

 

「さっき来た()()()()に何を訊かれたんだい?」

 

  バーサーカーはライダーが投獄された後、現れた鎧甲冑に身を包んだ聖女ーーージャンヌ・ダルクについて尋ねた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「…とにかく、普通の戦いでしたね」

 

  “赤”のライダー、アーチャーと“黒”のセイバー、バーサーカー、アーチャーの戦いの舞台となった森林に、一人の甲冑を身に纏った少女が周りの状況を確かめながら歩いていた。彼女の名前は“ジャンヌ・ダルク”。この聖杯大戦においてルーラーのクラスとして、フランスの少女に憑依したサーヴァントである。

  木々が薙ぎ倒され、地面が抉れている有様が普通とは思えないが、古代の英雄達が争ったにしてはまだ抑えられている方だ。

 

「…う。駄目…まだ…」

 

  ルーラーは少女に憑依したサーヴァント。それゆえ肉体があり、疲れれば眠くなり、動けば腹が減る。少女の肉体が疲れを教えており、ルーラーに眠気が襲いよろめいた。

  ルーラーの仕事を全うしなければならないため、頬をつねって意識を保った。

  一先ずサーヴァントの位置を把握しようと聖水を使った。問題が無ければ拠点として滞在している教会へ帰ろうとしたが…。

 

「一騎足りない…?」

 

  ミレニア城塞には六騎しかいない。“赤”のバーサーカーはマスター替えをさせられたはず。この戦いで消失したサーヴァントはいない。消失したなら感覚的に察知できる。ならば、どこへ…。捜索範囲を広げたが、どこにもいない。

  異常事態だ。

  ルーラーは“黒”の陣営のサーヴァントとマスターが在住しているミレニア城塞へと向かいはじめた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  この聖杯大戦の監視者であり、裁定者。サーヴァント一人に対して二つの令呪を宿す例外のサーヴァント。金色の髪にアメジストの瞳、甲冑を身に待とう姿は堂々たる者。四人のサーヴァントと戦斧を手にしたホムンクルスが待つ王の間に入ってきても臆する様子を見せない。

  ルーラーが何故かミレニア城塞を訪れてきた。ランサーとダーニックはルーラーを迎え入れ、王の間まで誘導した。

  玉座に座るランサーとルーラーが対話し、ルーラーが尋ねてきたのはセイバーのことであった。“赤”の陣営との戦い後、何があったかを尋ねてきた。セイバーの事を訊かれたランサーはからかい半分で不機嫌なフリをしたり、ルーラーをこちらへ誘ったりと色々あったが諍いになるようなことは起こらず無事にルーラーとの面談は終わった。

 

  だが、最後にセイバーについて詳しく知りたいとルーラーが言い出し、ルーラーはライダーが収監されている牢獄へ行くこととなった。

  ルーラーがライダーに会いに行っている間、バーサーカーは一応の警戒の為にカウレスの横で控えていたのでライダーとルーラーが何を話していたのか不明だった、のだがーーー

 

 

 

「え? 大丈夫なのそれ」

 

  ルーラーがジークへ会いに行く、それを聞いたバーサーカーは焦った。

  ジークはサーヴァントの心臓、しかも竜の心臓を持つジークフリートの心臓を持ったホムンクルス。下手すると『異常』と見做されて『排除』されてしまうかもしれない。

  そんなバーサーカーの心配をライダーはケロッと否定した。

 

「んー、大丈夫っぽいよ?ジークが望まぬ限り過度な干渉はしないー、だってさ」

 

  あくまで確認として会いに行くとのこと。ルーラー曰くサーヴァントの気配をジークが漂わせている。裁定者として見に行くとのこと。ライダー、バーサーカー、アーチャー、セイバーにとってジークは二度目の生を得て、残した証同様の存在だ。できるならば自由に生きて、彼なりの生きた答えを見つけてほしいと願っている。

 

「というかさー、本当にここ暇なんだけど。話し相手がバーサーカーかアーチャーしかいないし、マスターは倒錯的だし、“赤”のバーサーカーは喋れるけど会話にならないし」

 

「え? “赤”のバーサーカーは喋れるの?」

 

  自分もバーサーカーで理性を持っているが、まさか“赤”のバーサーカーも話せれるとは思ってもいなかった。ライダーは違うと首を横に振った。

 

「違うんだよな〜。…お〜い、“赤”のバーサーカーや〜い」

 

  すると隣の地下牢から声が返ってきた。

 

「なんだ圧制者の走狗よ。話すつもりはない。だが、この拘束を外してくれればちがうのだが…」

 

「それは今度ね。それよりもなんか楽しいことってないかな?」

 

「楽しいことは圧制者達を屠り、自由を掴み取ることだ。隷属を良しとし、弱き者を踏み躙る権力者をこの手で、腕で、剣で根絶やしにーーー」

 

「なんかずっとこの調子なんだ」

 

  “黒”のバーサーカーはライダーの牢から出て、隣の牢を覗いた。牢の中には“赤”のバーサーカーがライダー同様流体型のゴーレムに動きを封じられていた。それだけなら隷属された闘剣士だと思えたが、“黒”のバーサーカーが自分を見ていると気づく前から顔に笑みを浮かべており、視線が合うと笑みを深めた。

 

「どうした圧制者の走狗よ?」

 

  すぐにライダーの牢に引きつった笑みをしながら戻った。

 

「よく立ち向かえたね、あれに」

 

「もっと褒めてくれてもいいよ?」

 

「ライダー凄い!! さすがシャルルマーニュ十二勇士が一人、アストルフォだ!!」

 

「はっはー!! どうだいやるもんだろぅ!!」

 

  ははは、と閑散とし陰鬱とした地下牢に明るい笑い声が広がる。が、それはライダーの笑い声によってのみだ。

 

「ねえ、本当に大丈夫なの?」

 

「ははは、は、…はは、いやかなり、その、キツイね」

 

  渇き、乾き、燥ききった笑いを隠せなかった。無理をして、明るく振舞って、心の軋みを隠そうとしたが最後まで演じきれなかった。

  バーサーカーは牢獄の隅に寄り、壁に背中を預けて座り込んだ。

 

「…あーあ、なんでこうなっちゃったんだろうね」

 

  望んでいた事なのに、どうしてこうなってしまったのか。バーサーカーの頭の中は記憶や理性、思慕や役目、悲しみと小さな歓喜が渦巻いて、区切りを付けられずにいた。

  ランサーに戦うと、カウレスに裏切らないと言ったのだが、考えれば考える程に彼女にーーーアタランテに会いたいという気持ちが湧き上がってくる。

  裏切るつもりはない、そんな不義理な真似をしたくない、だがーーー

 

  髪を掻き毟り、また本日数十回目のため息をついた。

 

「ああ、それにしても…」

 

  思い出すのはアタランテと共にいたサーヴァント。“赤”のライダーとして現界した大英雄、アキレウス。“黒”のアーチャーのケイローンの弟子であり、トロイア戦争で輝かしい戦果を挙げた偉丈夫なのだが…。

 

「…次にあったら、踵を貫いてやる」

 

  アタランテの手を取った。撤退の時にアタランテの手を取ったあの男の事を思い出し、やけに大きい歯軋りを奏でる。

  補足するとバーサーカーだってアタランテの手を何度も触れた事があるし、常に無造作なアタランテの髪を何度も梳かして整えたことだってある。触れるということに対しては圧倒的にバーサーカーが上なのだが、何故だろうか、バーサーカーはライダーに負けたというより、こう、色々と危機感を覚える。

  主にアキレウスという英雄の経歴や女関係やらを聖杯から得た知識を思い返して。

  結局のところはバーサーカーは嫉妬している。戦いの途中だと分かっていても、軽々しく妻に触れる何処ぞの大英雄に対して苛立ちを隠せずになってきた。

 

「あーーーー!!大丈夫かなぁアタランテ!? 万が一の万が一だけど、もしも、もしも()()()()()()になったとしたらーーーっ!!?」

 

「あー、もしもーし?」

 

「いやあのアタランテだよ!? あの益荒男揃いのアルゴー船で一人女性にも関わらず、手を出そうとした男を悉く海へ叩き落としたって豪語した彼女だけれども!? あの踵だけが不死身じゃない微妙な男に誑かされたらっ!!」

 

「おーい、ヒッポメネスー?」

 

  最初の悲哀は彼方へと消えた。四肢に杭を打ち込まれたライダーは悲しげな面持ちで現れた筈なのだが、今は床に転がりながら悶えているバーサーカーを見て、うーんと唸った。

 

「いや大丈夫だ問題ない。アタランテだから問題ない。どうせ口説きかかっても適当にあしらわれるのが目に見えている。……だけど、大英雄だからなあ!? くそ、できることならばすぐにでもアキレウスがヘクトールにした仕打ちをアタランテに伝えて彼の好感度を!!」

 

「たぶんあったら弓で射られるんじゃないかな?」

 

  と、ライダーからの助言を耳にしてバーサーカーの動きが止まる。

 

「は、ははっ…、そうだよね」

 

  冷静になったら、また同じように不安と自らの嫌悪感に苛まれる。再び薄暗い思考に呑まれようとした時だった。

 

「まあ大丈夫だよ、気にすんな!」

 

  陽気に笑うライダーはとても楽しそうだった。その姿はいつもと変わらず、収監されているとはとても思えない。

  そんな姿を見て、一瞬怒りが込み上げて、すぐに落ち着いた。ここで怒るのは八つ当たりに過ぎない、バーサーカーは自らの感情を抑え込めた。

 

「大丈夫、かなぁ…」

 

「大丈夫、大丈夫! 君は大丈夫だよバーサーカー!」

 

  何をそこまで大丈夫と言い切れるのか。既に慣れたものだが、底ぬけの人の良さに流石のバーサーカーも疑問に思う。バーサーカーの視線に気づいたライダーは、ニカッて笑って告げた。

 

「だって君の願い、叶ってるんじゃん」

 

「ーーーーー」

 

  息を、止めた。

  そうだ。バーサーカー(ヒッポメネス)の切望は成就している。

  確かに悲劇的な形をしていようと、聖杯が完成していなくても、ヒッポメネスの元々の目的はこの時点で叶っているのだ。

 

「奥さんがあっちにいるのは悲しいことだけど、()()()()だよね?だったら次にあった時思いの丈はどーんとぶつけちゃえばいいんだよ。もしかしたらそれが原因で負けちゃうかもしれないけど、でも大丈夫! 君がいなくなっても僕が“黒”の陣営を勝たせてみせるさ。何故なら僕はシャルルマーニュ十二勇士が一人、アストルフォだからね!」

 

  そう言ったライダーの言葉に、不意に目尻に涙が溜まりそうになった。手で目元を拭い、バーサーカーは立ち上がった。

 

「君は…強いねアストルフォ」

 

「ん? 僕は弱いよ」

 

「いや、君は強いよ。僕が女の子だったら好きになる程に強くて、かっこいい」

 

「え? かっこいい? 僕ってかっこいい?」

 

「ああ、最高にかっこいいよ」

 

「そうかぁ、かっこいいかぁ…でへへへ」

 

  照れたように笑う彼の姿を見ていると、さっきまで悩んでいた自分が馬鹿のようだった。

  そうだ、そうだった。

 

  願いは叶った。

 

  順序は狂ったが、それでも成就している。敵だからなんだ。そんなの関係ない、ただ思いをぶつければいいんだ。

  恐らく、簡単ではない。アタランテとあった瞬間、彼女は自分を殺しにくるだろうけど、それでも言葉を伝える事と勝つことは別問題だ。

  裏切る必要なんてない。カウレスとの絆を断つ必要はない。

 

  やるべきことは最初から変わっていないのだ。

 

「よし、よし!!僕はもう大丈夫だ!」

 

「お、元気になったね!」

 

  陰鬱とした顔はなくなり、平穏そうな顔には活気が宿る。ライダーの手足が自由なら手を取って小躍りするぐらいに、バーサーカーの調子は戻った。

 

「じゃあやってやろうよバーサーカー! 僕達はやってやるぞーーー!!」

 

「ああ、やってやろう!」

 

  “黒”の二騎は相変わらず調子がいい。だが、その明るさは決して無駄なものではない。これからの悲劇にその明るさは光明となり、皆を導く光と成り得る可能性が秘めているのだからーーー

 

「ーーーああ、私はやれる。圧制者達に叛逆の狼煙を上げるのだ」

 

「「・・・・・」」

 

  隣の牢に幽閉される“赤”のバーサーカーの声に、二人の動きは思わず止まり、笑うのだった。

 

 




僕らの天使アストルフォ。ガチャに出た瞬間財を使い果たす覚悟は出来ているーーー!

結局式セイバーゲットならず。ほしかったが式アサシンさんで満足します。

BLはないよ? 魔境ギリシャでも、ヒッポメネスはアタランテ一筋なのです。

 
 一応、彼のイメージ画像です。

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黒の匂いの暗殺者

さて、明日だ。金の準備は? カードの準備は? 当たらなくても後悔しない準備は? 金欠の覚悟は?

レッツカモン!アストルフォandシロウ!!

テンション高めですが、どうぞ。


 ーーーああ、怖かった。

 

  カウレスは廊下を歩きながら、前にあった筈の光景を思い出す。カウレスが恐怖を抱いたのはランサーだ。どうやらゴルドとセイバー、そしてライダーの間で諍いがありセイバーを失うことになってしまったのだ。

  “赤”のバーサーカーを捕まえ、戦力上有利になったと思った矢先、戦わずにして最優のサーヴァントを失ってしまった。

  ライダーは何故か説明の途中に意気揚々となり始め、ランサーが激怒した。この怒りに向けられていないはずのカウレスは生きた心地がしなかった。黒魔術の使い手であるライダーのマスターのセレニケさえもが顔色を青くしていた。

  アーチャー、キャスター、バーサーカーは平然と構えていたことに対し、驚嘆を隠せない。ライダーなんか笑って怒り狂うランサーの前に立っていた。あれが理性が蒸発しているということなのだろう。

  怒ったランサーは罰としてライダーの手足を杭で貫き、地下牢に幽閉させた。そのライダーの様子を見てくるとバーサーカーは何度も本や雑誌など持ってライダーに会いに行っているらしい。

  仲がいいのは問題無いが、ランサーの怒りを買うような真似は絶対してくれないようにと密かに願うカウレスであった。

 

「あら、カウレス」

 

「姉さん? そんな物騒なもの持ってどこかにお出掛け?」

 

  考えを止めて前を向くと姉であるフィオレがアーチャーに車椅子を押されていた。姉の膝には黒いスーツケースがある。これが何なのか知っているカウレスは異常なのだと察知した。フィオレは厳粛な様子で頷く。

 

「ええ、“黒”のアサシン、ジャック・ザ・リッパーとそのマスターにコンタクトを取りに行くつもりです」

 

「コンタクト? その割には物騒だと思うんだけど…」

 

  フィオレの膝のスーツケースの中に収められているのはフィオレが独自に考案した接続強化型魔術礼装だ。魔術戦闘の際や複雑な行動を伴う移動の時に用いられる礼装だ。

 

「これの事だと思うよ、カウレス君」

 

「うおっ!?」

 

  真後ろから声が聞こえて焦りながら振り返ると、手に丸めた新聞紙を持ったバーサーカーがいた。

 

「お前ライダーのところに行っていたんじゃないのか?」

 

「新聞はつまらないって言われて違う物を探しに来たんだ。…それよりこれ」

 

  新聞紙が広げられると一面を大きく飾る記事に目に付いた。そこには連続殺人鬼がルーマニアの首都ブカレストから北上し、シギショアラまで被害を広げていると書かれていた。被害者全員が心臓を抜かれていることからジャック・ザ・リッパーの再来か!?と囃し立ているが…。

 

「この連続殺人鬼って“黒”のアサシンじゃないのフィオレさん?」

 

「ええ、その通りですバーサーカー」

 

  バーサーカーの予想はフィオレが肯定した。カウレスはもう一度新聞の記事を読むと“心臓”が死体から抜かれているところに注目し、“魂喰い”と答えが行き着いた。

  サーヴァントが現界を保つことや宝具を使用するには魔力が必要だ。魂喰いとは生きた人間から魔力を吸収し、サーヴァントの力を底上げさせる行為だ。心臓は人間にとって生命の源となる臓器。それを集めることで強化を図っているのだろうか。

 

「だけど新聞に載るほどの殺戮行為はダメだろ?神秘の秘匿とか考えてない」

 

「その通りです。だからこそ会いに行く必要があるのです」

 

  フィオレの頑として揺るがない意思を瞳を通じて分かった。魔術師として神秘の秘匿を無視する行いを憤るのではなく、人として当たり前のように殺戮行為を続ける殺人鬼に対しての義憤だった。

 

「だから私達はシギショアラへと向かいます。留守番よろしくね。…あと、パソコンだけじゃなく新聞も読むように」

 

  小言を残し、アーチャーに車椅子を押されて立ち去った。残されたカウレスとバーサーカーは新聞紙を広げたまま立ち尽くしていた。

  部屋へ帰ろうとしたがバーサーカーは新聞紙の一面を隈なく読んでいる。まるで殺人鬼の被害者に身内がいないことを願うように。

 

「バーサーカー?」

 

「…ん、ああ。ごめん」

 

  バーサーカーは新聞紙を折り畳みカウレスの後をついていく。自室へと戻ったカウレスはパソコンの電源をつけ、電子メールを確認し始めた。カチカチとマウスのクリックが鳴り響き、続いて新聞紙が捲られる音。どうやらまだバーサーカーは新聞紙を読んでいるようだ。カウレスはその様子に疑問符が浮かんだが、新たな電子メールの内容を開き。

 

「……はぁ」

 

  電子メールの内容を読み終わり、一息つくと机の中にしまっていたものを取り出した。腕輪に蟲の卵、全てカウレスが使用する魔術の魔道具だ。腕輪を着けたり、靴の爪先に仕込んだりする様子にバーサーカーは怪訝に見つめた。

 

「カウレス君?」

 

「悪いがバーサーカー。ちょっと留守番頼んだ」

 

「…フィオレさんの援護に行くの?」

 

「…連続殺人鬼に殺された被害者は魔術協会の魔術師達らしい」

 

  カウレスが見ていた電子メールには、連続殺人鬼に殺されているのは魔術協会に属する魔術師達だという情報が書かれていた。

  これだけを見れば、連続殺人鬼である“黒”のアサシンは“赤”の陣営である魔術協会に被害を与えていると見えなくはないが。

 

「…“黒”のアサシンが、どちら側にもついていないということかい?」

 

  バーサーカーの答えに、カウレスは無言で頷いた。もし“黒”のアサシンがこちらの味方ならば何かしらのメッセージをこちらへ送る筈だ。

しかし、アサシンからの連絡は一切なく姿も現さない。マスター達の中では裏切ったのではないかと疑念されている。だからこそフィオレが確認にいったのだが、かなりの確率で裏切っていると確信している。

 

「もしもだ、“黒”のアサシンがうちと“赤”の陣営どちらともに敵対しているなら…シギショアラで三つ巴の乱戦状態になる」

 

  “黒”のセイバーが脱落した今、“黒”の主戦力はランサーとアーチャーだとはっきり言える。もしアーチャーがアサシンとの戦いの最中、赤のサーヴァントの乱入により脱落となったら…“黒”の陣営の勝利は無いものだと思ったほうがいい。

 

「なら、僕もついていったほうが良くないかな?」

 

「それはそうなんだけど…、この要塞も守らないといけないし留守番を頼みたいんだ。やばい時には令呪使って呼ぶから」

 

  カウレスが言うことに納得するしかないのだろう。確かに要塞の戦力が減ることは好ましくない。もしもバーサーカーも居なくなり、その隙にあのアキレウスでもやって来られたらどうなるのだろうか。

  ランサーがいるからまだ大丈夫かもしれないが、護国の鬼将でも限りはある。防衛を担当するサーヴァントの欠落は防ぎたいのだろう。

  バーサーカーは渋々とカウレスの頼みを聞き、部屋を出る彼を見送った。

 

 

  主人が居なくなった部屋でバーサーカーは持っている新聞紙を見る。記事には被害者となった者の特徴が書かれている。最初の方は年齢にバラツキはあったが男性だけだった。徐々に女性が増えていっている。

  バーサーカーはこの情報に被害者に悪いと思いつつ、安堵する。被害者の中には“子供”はいない。バーサーカーが懸念しているのは年齢。子供は被害にあっていない。

  カウレスが部屋から出て姉の後を追って数時間。バーサーカーは指示通り待機することにしたが、一つの“もし”が浮かび上がる。

 

  “彼女が動くかもしれない”

 

  バーサーカーは立ち上がり、部屋から出る。カウレスの自室には電源が付けっ放しのパソコンが光っている。僅かに空いた扉から漏れるパソコンの明かりが薄暗い廊下に差し、照らしていた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「なあ、姐さん」

 

「なんだ」

 

「暇だな」

 

「ああ、暇だ」

 

  彼らは“赤”のアサシンによって造られた庭園の玉座の間で、することがなく時間を持て余していた。

  昨夜の戦闘で帰還した二人は待機するようシロウから伝えられたが、暇を潰せるような娯楽は庭園にはない。ランサーは空を見上げ星を眺めたり、沐浴をしたりと時間を潰している。キャスターは庭園の中に造られた陣地ーーーというより“書斎”に籠っている。アサシンは裏で何をしているか知らないし知りたくもない。ライダーとアーチャーは怠惰な時に飽き飽きしていた。

  ライダーが仰向きに寝転がり、アーチャーが欠伸をしていると扉を開きトリックスターもとい、トラブルメーカーであるキャスターが入ってきた。

 

「お暇ですかな御二人共!!」

 

「…やってきたよ」

 

「放っておけ」

 

  暇なのは嫌だがキャスターの相手はもっと嫌だ。二人はキャスターを無視の方向に決めた。だが、キャスターは構わず話し続ける。

 

「そういえば二人は知っておいでですかな!巷を騒がしている殺人鬼を!」

 

  手には新聞紙を掴み、無視する二人など知ったことかと言わんばかりに声を張り上げる作家。

 

「このルーマニアに夜な夜な現れ標的を見つけると、一人だろうが二人だろうが三人だろうと心臓を抉り出す。おお、怖い怖い!我らサーヴァントには巷を騒がす殺人鬼など関係ないでしょうな!しかし、そうも言ってられませんぞ!なぜなら!殺人鬼の正体は“黒”のアサシンなのですからな!」

 

「…なに?」

 

  キャスターの台詞を流石に見逃せなかった。二人が反応を示したのを見てキャスターの口角が上がる。

 

「えぇ!“黒”のアサシンはどうやら魂喰いで魔力を補充し続けているようなのです!無関係な一般人を襲い生命の源たる心臓を食し魔力で自身を強化しているのです!シロウ殿も“黒”のアサシンが起こした事件の所為で監督官の仕事に手一杯のようで!」

 

「なるほどな…、道理でシロウの奴が顔を見せない訳だ」

 

「…まあ、私達には関係なきことだ」

 

「おや?関係なきことなのでしょうか?“黒”のアサシンの犯行ですぞ?」

 

「“黒”のアサシンの仕業だとしてもだ。死した者たちは“黒”のアサシンに狙われた。運が悪かったのだろう」

 

  弱者は強者に運悪く喰われてしまい、強者ですら“何か”に絡め捕られる。死の責任は彼らにある。ただ、致命的に運が悪かった。それを知っているアーチャーはキャスターの話に興味を失くした。

 

「確かにそうでしょうな。“黒”のアサシンが一般人を襲おうかと世間では殺人鬼の再来で済んでいるだけ。最初はマフィアやゴロツキといった男性ばかり狙っていましたが、最近では老若男女見境なく襲っていようが我々には…」

 

「ーーー待て」

 

  キャスターの止まらぬ言葉の数々に一つだけ見逃せなかった言葉があった。アーチャーの鋭い眼差しがキャスターへと戻る。

 

「老若男女、と、言ったか?」

 

「えぇ、老若男女、見境なく襲っているようですぞ?」

 

「その雑紙を寄越せ」

 

  キャスターが恭しく新聞紙を差し出すとアーチャーが新聞紙を開く。ライダーはアーチャーの変化に少し瞠目したが近くに寄って新聞紙を覗く、が。

 

  アーチャーが新聞紙を持ち方を変えながら横に縦に回し始めた。

 

「姐さん?」

 

「アーチャー殿?」

 

  アーチャーが渋い表情になって呟いた。

 

「……どこから読む?」

 

「「・・・・・」」

 

  古代人の狩人は聖杯から異国の文字を教えられても新聞紙の読み方までは教えられてなかったようだ。

 

 

 

「…二十代男性、六十代男性、十代女性、三十代女性。確かに見境なく襲ってんな“黒”のアサシンの奴」

 

  キャスターの言葉に偽りが無く、“黒”のアサシンの所業にライダーは気分を害した。剣も盾も持たず、戦争と何の関わりもない一般人が虐殺されることに怒りを覚えぬはずがない。

  生前の彼なら殺人鬼を止めに探しに行くだろうが、今はサーヴァントの身。令呪で縛られ、マスターの命でこの世に繋ぎとめられている。迂闊に行動することはできない。

 

「警察は犯人の手掛かりが掴めず市民から無能と非難されていますな。サーヴァントの仕業なのですから手掛かりが掴めぬのは当然といえば当然。あらゆる手段で防ごうと奮迅しておりますが徒労に終わりましょうぞ。せめてもと学校に通う子供達の登下校を付き添っている警察官の姿が微笑ましく思えますな」

 

  新聞に貼られている写真には小学生らしき子供達が警察官の主導の元登下校している姿が映っている。最も“黒”のアサシンが動くのは夜。昼間に動こうとも意味は無い。

  アーチャーが新聞紙をキャスターに返す。

 

「キャスター。アサシンに襲われた者達の居場所は分かるか?」

 

「姐さん?」

 

  アーチャーの瞳の奥に怒りと使命感によく似た決意の色が浮かぶ。その瞳を見たキャスターは“既に”準備していたと思われる地図を取り出した。地図には“黒”のアサシンが起こした事件の場所が赤丸で書かれていた。床に敷いたシギショアラの地図に書かれてた赤丸に指差していく。

 

「ここと、ここと。そしてここですな。かなり広範囲ですが人目がつく場所では行っていないようですぞ」

 

「そうか。それだけ分かれば充分だ」

 

  アーチャーは説明を聴き終わるなり、王の間の扉へと向かう。それをライダーが引き止めた。

 

「姐さん。“黒”のアサシンを追うのかよ?」

 

「無論。このままでは()()が“黒”のアサシンの餌食となりかねん。その前に“黒”のアサシンを仕留める」

 

「彼らとは誰ですかな?」

 

  首を傾げて質問するキャスターに振り返る。“赤”のアーチャー、アタランテははっきりと告げた。

 

「子供達だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キャスター、尋ねたいことがあるのだが」

 

「おお、どうしましたかな女帝殿?」

 

「我が庭園からアーチャーとライダーの気配が無いのだが何処に行ったかは知りはせぬか?」

 

「あの二人ならば…“黒”のアサシンを追いに行きましたぞ!!」

 

「なっ…!?何故止めなかった!」

 

「大英雄たる二人の義憤を前にしてこのシェイクスピア…、引き止めることは無粋と思いまして…」

 

「くっ!急いで使い魔を飛ばし……と、少し待てキャスター」

 

「はい。何でございましょうか?」

 

「床に広がっている地図はなんだ?しかもこの赤丸がついている場所はシロウが“黒”のアサシンの犯行現場を記したものだな?無くなったとシロウが探し回っていたものだぞ」

 

「……ふっ」

 

「…キャスタアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 




彼はバーサーカー。
妻がいると分かった以上、命令なんて知ったこっちゃない。
なぜなら彼はバーサーカーなのだから。


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都市にて

更新を止めてしまい申し訳ありませんでした。季節の変わり目ゆえに体調を崩して数日寝込んでました。
また更新を開始しますので、お読みになっていただければ幸いです

では、どうぞ。


「表に出ろ!魔術師らしく、正々堂々と名乗りを上げたらどうだ!?」

 

「断る!自己紹介は他所でやれ、この筋肉ダルマ!」

 

  都市シギショアラ深夜。シギショアラの一角で現在二つの戦いが繰り広げられていた。一つはサーヴァントの戦い。“赤”のセイバーと“黒”のアサシンの戦闘中に“黒”のアーチャーが参戦。“黒”のアサシンは手傷を負ったまま撤退。“赤”のセイバーは“黒”のアーチャーに突貫し、両者引かぬ戦いが行われている。

  そしてもう一つはマスター同士の戦い。“赤”のセイバーのマスター獅子劫界離と“黒”のアーチャーのマスターフィオレが魔術合戦を繰り広げていた。フィオレが最初は有利だったものの、命懸けの殺し合いを幾度となく潜り抜けてきた獅子劫の機転を利かせた反撃に窮地に追いやられる、が。姉を助けにきたカウレスの助太刀にフィオレは窮地を救われた。

  マスター同士は互いに建物の影に隠れ、相手の動向を窺っていた。

 

「…カウレス。アーチャーから撤退するよう提案されたわ」

 

  アーチャーから念話で撤退することを勧められたフィオレはカウレスに告げた。フィオレはアーチャーの提案に反感の意なく賛成。カウレスもその案に賛成の意を込めて頷く。

 

「賛成だ。さっさとトゥリファスに帰るべきーーー」

 

『カウレス君!!シギショアラから早く撤退して!!』

 

「…バーサーカー!?」

 

  突然の念話に思わず声を出してしまう。“黒”のバーサーカーは現在トゥリファスのミレニア城塞で待機しているはず。ミレニア城塞で何かあったのかと懸念したが…。

 

『“赤”のライダーと“赤”のアーチャーがそちらに向かっている! アーチャーとフィオレさんと一緒に逃げろ!!』

 

「はぁ!?」

 

  “赤”のライダー、アキレウスと“赤”のアーチャー、アタランテが此方へと向かっている。大英雄と神域の弓兵の進行にブワッと冷や汗が滲み出る。

 

『なんで分かるんだよ!?』

 

『今()()してるからだよ!!』

 

『……はぁ!?』

 

  トゥリファスではなくシギショアラにバーサーカーはいる。指示を破り、独断行動をしているバーサーカーに経緯を問いただしたいがバーサーカーの方は念話の余裕が無くなってきているようだ。

 

『説教は帰ってから聞くよ!! 早く逃げて!! あと宝具をーーー』

 

  ブチっと、念話が途切れバーサーカーの声が聞こえなくなる。フィオレが自分の様子におかしいと気づき、心配そうに見つめている。

 

「カウレス?バーサーカーがどうしたの?」

 

「…姉さん! “赤”のライダーとアーチャーがこっちに向かっている!」

 

「なんですって…!?」

 

  カウレスはバーサーカーの安否の確認を後にして、撤退を選択した。今は被害を少なくするためバーサーカーの言うとおり逃げることを優先する。

  魔術礼装を身に纏ったフィオレに捕まり、シギショアラの街から逃走する。逃げる際、獅子劫界離が何か叫んだが無視する。

 

「…無事に逃げろよバーサーカー!」

 

 

○ ○ ○ ○ ○

 

 

  “赤”のセイバーと“黒”のアサシンの戦いが始まる少し前、“赤”のライダー、アキレウスと“赤”のアーチャー、アタランテは深夜のシギショアラの街並みを、周りと比べて一際高い建物の屋上から見下ろしていた。

 

「…容易には見つからぬか」

 

「相手はこちらの女帝さんとは違いまともな暗殺者らしいからな。暗殺する前から見つかるヘマはしねえってわけか」

 

  アサシンのクラス別スキルに『気配遮断』がある。名の通り気配を感じさせず行動できる。気配遮断のスキルは暗殺する瞬間までスキルの効果は消えない。アーチャーの察知能力が優れたものとしても隠れるアサシンを見つけるには難しい。

 

「姐さんは夜の闇の中でも目が利くだろうけど、俺には全く見えねえな」

 

「ならば汝はアサシンの根城に帰るがいい。アサシンの討伐は私だけで充分だ」

 

「そういう訳にはいかねえさ。あんたが心配って前にも言ったろ?」

 

「そうか」

 

  一瞥もくれずアーチャーは夜の帳に感覚を研ぎ澄まし続ける。二度目の口説き文句も彼女には響かない。アーチャーを見習い暗闇に動きがないか監視するが何も起こらず。そろそろ違う場所に移動するように提案しようとした時、遠く離れた場所から魔力の波動を感じ取った。

 

「姐さん」

 

「…あちらは確かこの街の名所である時計塔があったな」

 

  両者共、時計塔がある方向にサーヴァント同士の戦闘の気配を感じた。シギショアラで戦闘を行う者は限られている。“黒”の陣営のサーヴァントか、別行動をしている“赤”のセイバーかだ。

 

「いくぞ」

 

「応よ!」

 

  二人が屋上から飛び降り、次々に建物の屋上を走り、飛び移り、駆けていく。その速さは一般人には捉えきれず、何かが通ったとしか認識されない。どの英雄よりも疾い大英雄と狩人はものの数分で時計塔付近に到着する、予定だった。

 

「むっ!」

 

「ちっ!」

 

  二人が次の建物へと飛ぶ最中、住宅地の真ん中にある公園の上を通り過ぎていた。その公園の中央に建てられた巨大な噴水から、水が弾丸のように噴出された。握り拳程の水の塊がライダーとアーチャーへと襲いかかる。すぐに水の塊に気づき弓で撃ち落とし、槍で払う。撃ち落とし、払われた水は形を失い、地面へと落ちていく。大地が水を吸い、湿らせるーーー前に水が霧へと変化した。

 

「おいおいアサシンの仕業かこれ?」

 

「・・・・・」

 

  二人が公園へと着地すると背中合わせになりながら周りを見渡す。夜の公園は水から変化した霧に包み込まれていた。公園に立つ少数の街灯がぼやけて公園を照らす。ひんやりと一層に冷えた空気がアーチャー達の頬を撫でた。

 

「否、アサシンの仕業ではない」

 

「あ?じゃあなんだこれ?」

 

「足下を見よ」

 

  アキレウスが足元を見ると、公園に敷き詰められたタイルの上に水が流れてきていた。タイル全てに水が流れ、公園全体に水が張られた状態になった。耳をすますと大量の水が湧き出す音がする。恐らく公園の噴水から大量の水が溢れ出ているのだろう。

 

「心してかかれ、ここは既に()()()の狩場ぞ」

 

「…そういうことかよ!」

 

  ライダーに笑みが生まれる。水を使った戦い。その戦い方こそアキレウスが聖杯大戦で最初に戦った男の戦い方だった。つまり。

 

「あんたがここにいるってわけか“黒”のバーサーカー!」

 

  自分を殺せる男の一人がここにいる。アキレウスは自然と槍を握る手の力が強くなる。返事は水面からだった。水面から剣の形を模した尖った水が飛び出す。それを後退しながら槍で、矢で払い飛ばす。水の剣は水面が見えなくなるまで飛び出し続ける。その様子は雨が空からではなく、地面から降り注ぐようだった。

  神性を持つ者にしか傷つけられない大英雄は嵐の様に、しかし鮮麗に槍を使い、全ての水の剣を破壊していく。

  俊足の女狩人は水面から剣が飛ぶ前に走り抜け、霧を生み出した“黒”のバーサーカーであり、生前の夫の居場所を探す。だがーーー

 

「なに?」

 

  コロコロと曇る霧の中から丸に近い物体が転がってきた。それはあらゆる文明や地域が行き来する現代だからこそ目にできる、違う国の果物。

  聖杯の知識では、パイナップルという名の果物だ。

 

「なんだこれ?」

 

  見当違いというか場違いな物の登場にライダーは槍の石突きで軽く突く。しかし、それは町の商店なら目にできるどこにでもあるようなものだった。

  ライダーは異常でもない何でもないものだから、蹴って飛ばそうと足を振りかぶるが。

 

「離れろ!」

 

  アーチャーに肩を引っ張られた。アーチャーの行動に目を見開くがライダーは直後、アーチャーの行動の意味を理解した。

 

  バァン!!!

 

  パイナップルが突如膨れ上がり、破裂する。固い皮の中から弾き飛ぶ果肉と果汁は甘い匂いを漂わせるがーーーその果肉と果汁に込められた()()を察知し、一雫も浴びないようにアーチャー達は後ろへと下がる。

  破裂したパイナップルの果実と果汁は地面のタイルや遊具へと飛び散りーーー触れたタイルや遊具はまるで銃弾でも受けたように罅が走り、破砕された。

 

「ありゃあ…」

 

「小細工が得意だと言っただろう。あれは果実に魔力を込め、爆発させ己が武器としている」

 

  アーチャーはあの一見巫山戯ているような攻撃手段を知っている。

 

  果物の中に含まれる豊富な水分を使い、爆弾として扱う技は海神の孫にして、水に特化したヒッポメネスだからこそできる技術だ。

  果実の水分を魔力で凝縮、皮を硬化させて破裂しないようにし、固めた水分を無数の粒とさせ、撹乱し、沸騰させる。そして時間経過後、皮の硬化を解き、爆発。爆発した果汁と果肉は鉄のように硬く、破裂した勢いは現代の携帯兵器ーーー手榴弾の如く。

  魔力が含まれているからサーヴァントにも通用する。世にも珍しき果実で作製される爆弾となる。

 

「…ふざけているのか?」

 

「いや、巫山戯ていない。あやつは本気だ」

 

  それを示すように幾つかの果物が投げ込まれてきた。

 

  桃、葡萄、梨、苺、杏、無花果、石榴、柚子、檸檬、メロン、蜜柑

 

  世界各地にある果物が戦場に投げ込まれる光景とはどんなものか。

 

  滑稽?

 

  だが、その滑稽さを演出する果物達は全て、爆弾。現代の手榴弾と同等の威力を誇るものが十数個も迫るのを想像してほしい。

  英霊にも通用し軽傷で済む程度の威力だが、塵も積もれば山となる。全部をまともに喰らえばーーー重傷は免れない。

 

「ラァ!!!」

 

  光景こそ巫山戯ているが洒落にならない攻撃手段にライダーは槍を振るい一斉に切り飛ばす。飛ばされた途端に破裂する果実達、果肉と果汁が鉄片となり周囲に突き刺さり地面が剥がされ、抉られる。

 

「シッ!!」

 

  アーチャーは全て射ち落す。目にも止まらない連射は全て的確に命中し、破裂させて彼女の元に届くことはない。寧ろ一つの果実が破裂することにより、連鎖的に周りの果実も爆発する。

 

「ああ、クソ! 姿を見せるつもりはないのかよ!?」

 

「集中しろライダー。…ほら、来たぞ」

 

  二人の足元には新たに水が流れこんでくる。水流達が急に波立ち、水の槍や剣へと変わって突き上がってくる。しかもその槍と剣に変わった水は全てーーーライダーの()へと狙いを定めている。

 

「面倒、だなっ!」

 

  疾り、砕き、捌く。一番速い脚を持つ男には迫る水の武具は遅すぎた。

  回避することも対処することも問題ない。問題なのは、攻撃してくる相手の姿を見つけ出せないこと。

 

「姐さん!!」

 

  ライダーは嗅覚、視覚、聴覚と索敵能力に長けるアーチャーに頼る。だが、アーチャーは顔を顰めるしかできなかった。

 

「これが厄介だ…」

 

  アーチャーに再び、幾つもの果物が霧の中から投げ込まれる。それを射ち落すのは容易いことだがーーー甘ったるい匂いが周囲に満たされる。

  芳ばしい果実の匂いがアーチャーの鋭い嗅覚を刺激する。あの果実は魔術で中身を操作されている果実に過ぎず、砕けば中の果汁が空気となって混じるのは当然だ。それが霧に混じってはアーチャーの嗅覚を邪魔立て、バーサーカーの居場所を悟らせない。

 

「ちっ! 挑発の一つ二つに乗りそうな相手では」

 

  ライダーは舌打ち混じりに厄介な相手を誘い出そうと挑発を考えたのだが。

 

  ーーーそういえば、相手はアーチャーの夫だったよな?

 

  ライダーの口角は軽く上がる。それはまるで悪戯を思いついた少年のような笑みで、若者の軽い調子なノリの笑みのようなものであった。

 

「姐さん、近くに来てくれ!」

 

「む? どうした!」

 

  ライダーの呼びかけに水流を避けながらアーチャーは迅速に駆け寄ってきた。疑いもせず、アーチャーはライダーを見上げると。

 

「ちょっと我慢してくれよ?」

 

「なに?」

 

  ライダーはアーチャーの返答を待たず、

 

 

 

  アーチャーを抱きかかえた。俗に現代で言う、お姫様だっこと言う抱え方で。

 

 

 

  「はははっ! よくもアタランテとの逢いびきを邪魔してくれたなヒッポメネス! 折角もう直ぐで口説き落とせたところなのによ!!」

 

 

 

「……なにをしているか汝は」

 

  冷たい視線がライダーを貫く。そんな視線を受けたライダーは役得ばかりにアーチャーを抱え直そうとしたが、アーチャーは器用にライダーの腕からすり抜けた。呆れたようにため息をつくアーチャーはライダーに非難の視線をぶつけようとしてーーー

 

 

 

  周りが不自然過ぎるほどに静かになったことに気づいた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「カウレス! バーサーカーとの連絡は!?」

 

「ダメだ、全然返事がない!!」

 

  カウレスとフィオレの“黒”のマスター二人はシギショアラからトゥリファスへと繋がる車道を車で爆走していた。フィオレが魔術礼装で器用に運転し、助手席に座るカウレスが念話で先ほどからバーサーカーよ呼びかけるが、繋がっているはずなのにまったく返事がない。

 

「くそ、なにを…って、姉ちゃん前、前!!」

 

「え? きゃあ!?」

 

  フィオレが運転する車がいつの間にか対向車線へ逸れて、対向車とぶつかりそうになりギリギリで正しい車線へと戻る。

  フィオレとカウレスが同時に安堵し、そして先ほど“黒”のアーチャーと相談したことを思い出し、苦悩する。

 

『バーサーカーの援護へ行きます。ですがもし、彼が“赤”の陣営へ寝返るようなことがあった時にはーーー』

 

  自害を、令呪を持って命令させる。

  聖杯から与えられたサーヴァントへの絶対命令権。参画で形成された令呪は、三度しかサーヴァントを縛ることができない。

 

  なぜアーチャーがこんな事を提案したのかは、誰もが分かる。

  “赤”のアーチャーはバーサーカーの妻、アタランテ。バーサーカーの聖杯へ願う悲願は『妻との再会』。敵サーヴァントととはいえ、彼方にアタランテがいる以上バーサーカーが単独行動を取ることは考えられた。

 

  そして、裏切ることも想定できた。

 

  彼がシギショアラへ単独で動き、現れた理由は未だ不明だが“赤”のアーチャーの名前が出た時点で万が一の、最悪の事態を考えたらアーチャーの作戦は最もだ。

 

  そして自害を命じるのはマスターであるカウレス。カウレスはバーサーカーが裏切るようなことがないようにと祈りつつも、もしかしたら…という不安が先ほどから何度も交差している。

  手の甲に刻まれた令呪を指で撫でて、車窓から映るシギショアラの夜景を眺めーーー

 

  いきなり魔力を()()()()()()疲労感に、体勢を崩した。

 

「カウレス!?」

 

  姉の声を聞きながら、なんとかカウレスは体勢を直した。

 

「な、なにしてんだバーサーカー…?」

 

  トゥリファスにはホムンクルス達より精製された魔力が“黒”のサーヴァントへと供給されているが、それと同時にマスターからも送られている。トゥリファスから離れている以上ホムンクルス達から送られる魔力は乏しく、近くにいるマスターの魔力が先に供給されているのだが。

 

  明らかにバーサーカーは宝具発動に必要な魔力と同等以上の魔力をカウレスから搾り取っている。

  魔力の枯渇による疲労感に魘されながらカウレスは徐々に意識を失いかけていた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  この現代において、人々の生活は保障されている。それは神秘からかけ離れ、人々の知恵と物理法則によって約束された科学の力によって民衆の生活基盤が向上したからである。

 

  その生活基盤とは主に何なのか?

 

  電気製品の使用と衛生技術を満遍なく配備するための電力、熱を精製し調節する為のガス。

 

  そして、最も忘れてはいけないーーー()()()()である。

 

  民家一つに対し、水道が設置されている現代において水道は蜘蛛の巣のように地下に張り巡らされている。

  それはシギショアラも例外ではない。古き中世の街並みを色濃く残す都市であるが、広大な土地に比肩するように集まった市民の生活を充実させる為に水を供給する水道管はーーー人々の想像以上に多い。

 

  ならばもし、万単位の人間を養う為の水量が、キロ単位に張り巡らされている水道管の水がーーー全て襲ってきたらどうなのだろう?

 

 

 

 

 

「なんだ?」

 

「・・・・・」

 

  ずしん、ずしんと拍を置いて揺れる地面にライダー達は立ち止まった。

  公園からの襲撃、それを難なく抜け出したライダー達は“黒”のバーサーカーを見つける為公園を抜け出した直後、シギショアラの街の地下から振動が響いてくる。

  ライダーは振動に対し警戒し、アーチャーはずっと自らの足元を注視している。

  揺れは拍を置くごとに大きくなり、そして拍も徐々に間隔を短くしていっている。それもアーチャーとライダーがいる位置に向かって、早くなっているような…

 

「ライダー」

 

  アーチャーの呼びかけにライダーが振り返る。アーチャーは至極真面目な顔で告げた。

 

「走れ、とにかく走れ。私はバーサーカーを見つける。とにかく頼んだぞ」

 

「え? おい、姐さん?」

 

  ライダーの返事を待たず、アーチャーは近くにあった五階建てのマンションの屋上へ駆け登った。そして、ビルからビルへ飛ぶように移動していきあっという間にライダーの前から姿を消した。

  ライダーはアーチャーは自分に何を頼んだのか思案しているとーーー

 

  近くにあったマンホールの蓋が月まで飛ぶような勢いで吹き飛んだ。

 

  空いたマンホールからはーーー濁流と思わしき程の大水流が噴き出した。

  それも一つではない、連鎖的に道路にあるマンホールの蓋が次々に吹き飛び、その全てから鉄砲水の如き大水流が流れ飛び出た。

 

「これは…!」

 

  そして、大水流達は命を宿したように一つに繋がりーーー大渦となった。

  地下から大渦が現れた。言葉にすれば何を言っているのか分からない、だがライダーにとってそれは大法螺とは思わない、思えない。

  実際その光景を前にして、戦場を駆けた男の口の端がひきつく。

 

「…マジかよ」

 

  普段のライダーなら、この様な光景を目にしては戦意が昂ぶり、先ほどみたいに敵を挑発して戦闘を楽しむだろう。

  だが彼は見てしまった。その大渦の中にーーー爆発する果実が十数個も混ざって掻き回されているのを。

  さらにだ。それが目の前のやつだけではない。

 

  後ろにも、右にも、左にも、大渦がライダーへと迫ってくる。

 

  もし一つにでも呑み込まれたら、体を掻き乱された挙句に果実達が爆発し、四肢が飛散するのが目に見えている。

 

「やばーーー」

 

  彼の呟きが最後まで言われることはなかった。文字通り波打つ大渦と大水流は、爆発する果実を孕んだ状態で一斉にーーー不埒にも夫の前で妻に触れた大英雄に襲いかかってきた。

 

「うおおおおおおおおおおおおお!!?」

 

  そして“赤”のライダーが地下から次々に襲いかかってくる大水流に追われる鬼ごっこが開催された。

 

 




なんか雑な気がする…、色々と修正する部分があった為、後日修正しようと思います。


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憤怒の果実

セミ様実装はよ。

それではどうぞ。


  “赤”のアーチャーは徐々に民家から灯りが増えていく都市部を暗躍する。森と反する街の中は鉄と油、そしてあらゆる科学物質が混じり合った汚臭がするも、耐えながら懐かしき匂いを辿ってシギショアラの外れまでやってきた。

 

「なるほど、ここならば街の水を把握できよう」

 

  彼女が辿り着いたのはシギショアラ都市部郊外に接する川だった。この川はシギショアラの中心にある排水路と繋がっており、辿れば都市部の水路全てと繋がる。バーサーカーはその水路を辿り、遠隔であの大水流を操っている。

  それにしてもあの濁流に比肩すべき大水流を把握しているのだから膨大な魔力を使用しているのが分かる。あの量だと並みの魔術師なら干からびて、死んでしまうだろう。あれならば宝具を連発で解放したほうが効率がいい。

 

  そして“赤”のアーチャーは“黒”のバーサーカーの居場所を突き止め、姿を目視した。

  バーサーカーは“赤”のアーチャーが立っている建物の屋上から約100メートル弱離れた川のふもとに片膝をついていた。

  アーチャーはバーサーカーの体から湯気のように立ち込める魔力の残渣を見ていた。それだけで必要以上の魔力が消費され、無意味に散っていると理解できる。

 

  しかし…

 

「…見たこともない顔だな」

 

  アーチャーが言う見たことのない顔とは、生前に見かけたことのない表情を指す。

 

  バーサーカーの顔は、それはもう、酷い。

 

  目が飢えた獣の如く開き、瞳孔が開いているのではないかと思う程だ。白目には血管が浮き子供どころか心が弱い大人でさえ泣いてしまうのではないかと思う。しかも、アーチャーが彼を見つけてから彼は一度も瞬きをしていない。

  口の端から血が流れ落ち、深く深く歯を噛み締めているし、額には血管が浮き彫っている。

  バーサーカーの周りは暴れたのか激しく荒らされており、己の獲物である小剣と槍が適当に捨てられていた。

 

  激しい怒り、憤怒が撒き散らされている。

 

  それは誰か? 言うまでもなく、“赤”のライダーに対してだろう。

 

(独占欲、か)

 

  バーサーカーは夫であり、アーチャーは妻。妻とは夫の所有物であり、奉仕するべき者。古代のギリシャでもそういう風潮がなくは無かった。バーサーカーは妻を、所有物を取られて怒っているのではないかーーー

 

(…いや、あやつはそういった風潮に全く興味なかったな)

 

  アーチャーはその考えはないと切り捨てる。

  ならばなぜバーサーカーはあれほどに怒って、思いのままに力を振るうのか?

 

  (ライダーが私に触れたのに嫉妬したから?)

 

  そんな甘い少女のような考えを。

 

  (馬鹿な、それこそあり得んな)

 

  直ぐに切り捨てた。

  ない、ありえない、あるはずがない。そう思った自分が馬鹿馬鹿しくなってしまうほどに妄想じみた発想だった。

  それ以上の事は考えないと、アーチャーは弓兵のクラス通り弓を構えた。

  以前にバーサーカーの願いを聞こうと考えたが、気が変わった。

  これほどまでに距離が詰められているのに未だライダーを仕留めようと魔術に集中している隙を逃すには惜しすぎる。

  アーチャーは最初の邂逅の時と同じく、そして生前と同様にーーー狩人となって矢を番えて、放った。

 

  矢はまっすぐ飛ぶ。音を置いていき、風を纏って空気を抉る。必殺の矢が飛来するのにも関わらずバーサーカーは水流を操るのに夢中である。

 

  その姿に、僅かに、ほんの僅かにアーチャーが嘆息し。

 

 

 

  新たなサーヴァントの登場に目を丸くした。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  肩を並べるべき英雄の姿を見たとき、“黒”のアーチャーは少なからず安堵した。

 

  同郷の英雄である狩人の夫、“黒”のバーサーカー、ヒッポメネス。

 

  “赤”のアーチャーがアタランテだと知り、トゥリファスにマスターの許可なく現れた時には裏切るのではないかと思案したが、そうではなかったらしい。

  バーサーカーはトゥリファスの郊外近くにある都市の水路と直接繋がる川に手を入れて魔術を行使させていた。

  恐らくはあれで現れたという“赤”のアーチャーと“赤”のライダーへ対応しているのだろう。声をかけ、撤退を伝えようとした時。

 

  100メートルほど離れた建物の屋上から矢を射る少女の姿を見つけ、“黒”のアーチャーは駆けた。

  偶然か必然か、捨てられていた“黒”のバーサーカーの小剣を拾い上げ、すぐさま黒のアーチャーは神域の矢を斬り落とした。

 

「…汝が“黒”のアーチャーか」

 

「貴女が“赤”のアーチャー、アタランテですか…」

 

  声量を僅かに上げて、弓兵同士が会話する。“赤”のアーチャーにしたら前に自分の矢を矢で撃ち落とされただけあり警戒している。

 

「この場には何故貴女が? “赤”のセイバーの加勢に来たのでしょうか?」

 

「セイバーが此処にいたのは知らぬ。そこのバーサーカーに足止めを喰らっていたのだからな。汝は“黒”のアサシンの加勢か」

 

「…“黒”のアサシンのことは把握済みなのですね」

 

  “赤”の陣営でもある魔術協会の魔術師が“黒”のアサシンに殺害され続けている。それに加え、神秘の秘匿をせずに連続殺人を行っている。“赤”の陣営はこれ以上自陣の被害を抑えるためにサーヴァントを動かし“黒”のアサシンの討伐を狙っていた。だから、セイバー、アーチャー、ライダーが“黒”のアサシンを追跡していると、“黒”のアーチャーは判断したのだが。

 

「…そうか、貴様ら」

 

  赤のアーチャーの顔色が怒りに染まっていく。その目には絶対の敵意、相容れぬ仇敵へと向ける目そのものだった。

 

「この聖杯大戦も根本は所詮戦争。戦争である以上犠牲はやむ得ぬと見過ごしておったが…よもやここまで“黒”のアサシンを野放しにするとは、英雄の名が聞いて呆れるな」

 

「・・・・・」

 

  “黒”のアーチャーは何も応えない。何故ならば、彼女の怒りに見当がつかないからだ。勿論、怒る理由は分かる。元々“黒”のアサシンはギャングや犯罪者の類を最初は殺害していたが時間が経つに連れて、魔術師へと狙いを定めた。だが、それに対して“赤”のアーチャーは怒るのだろうか?

  “黒”のバーサーカーの話から彼女の思想は極めて野性に近いと聞く。無差別な殺人に嫌気が差しても、ここまでの敵意を向けられるほど“赤”のアーチャーは義に重んずる性格なのだろうか。

  安易な言葉は致命的となる。今の自分は反撃はできるが弓を万全に構えれるほどに“赤”のセイバーから受けた負傷が回復していない。

  “黒”のアーチャーが返答に思考していると、“赤”のアーチャーは今も黙するバーサーカーへと視線をずらした。

 

「バーサーカー」

 

  彼女の呼びかけに彼は応えない。

 

  …応えない?

 

  彼が? 妻を溺愛している彼が妻の呼びかけに応えない?

 

  “黒”のアーチャーは先ほどから全くもって動こうとせず、()()()()()()()()()バーサーカーに瞠目した。

 

 

 

「潰す、潰す、必ず潰す。彼女に触れた、彼女を誑かした、アタランテを口説き、アタランテの肌に触れた。奴は大英雄、だが、かもしれないが、そうなるかも、しかし、許すわけには、潰す、必ず、貫く、弱点は、抉り、捻り、踵を、この手で、いや、魔術で、勝てない。でも、僕が、いや、僕だからこそ、やらなければ。必ず、必ず、必ず、必ず、必ず、僕こそがーーー殺す」

 

 

 

  バーサーカー。狂戦士のクラスを与えられたサーヴァント。それは狂った伝承を元に適正があると判断された英雄や弱小の英雄を狂化によりステータスの補正を入れるクラスである。

 

  最初、“黒”のアーチャーであるケイローンは“黒”のバーサーカー、ヒッポメネスは後者だと思ったが話し、行動を見て、その慧眼で直ぐに見極めた。

 

  彼は()()の理由でバーサーカーに選ばれたのであると。

 

  同時に不味いと思った。狂化のランクが最底辺にあるとはいえ、この状況は間違いなく暴走している。理性が無いのではなく、これは()()だ。

  何が原因、いや間違いなく近くにいる“赤”のアーチャーが原因であるのは間違いないが、バーサーカーは彼女に対し敵意も殺意も滾らせていない。つまり、ここにいない第三者であるのだがーーー

 

  “赤”のライダーだ、間違いなく。

 

  己の弟子であるライダーがバーサーカーの琴線に触れる何かをした。それも“赤”のアーチャーに関連した。

 

  大賢者は頭を悩ませる。それはもう色々と。

 

  その悩みはとりあえず後回しとして、“黒”のバーサーカーをどうやって正気に戻すかだ。このバーサーカーの尋常ではない魔力消費量からするとマスターであるカウレスの様子も気にかかる。彼は姉と比べると魔力保有量が乏しすぎる。この調子では枯渇し、命にも関わってくるだろう。

  慎重かつ、迅速に言葉をかけようとした時ーーー

 

 

 

「ヒッポメネス!!」

 

「え、はいぃ!?」

 

 

戻った。妻の呼びかけで、真名を呼ばれて、直ぐに戻った。それはもう呆気ないぐらいに。

  大賢者が苦笑を隠しきれないぐらいに……ちょろい。

 

「え、え? アタランテ? っていうかアーチャー!? なんで此処に!?」

 

「…ようやく気付いたのですね」

 

  隣に立つ“黒”のアーチャーの存在に気づき、“黒”のバーサーカーは驚いていた。というより“赤”のアーチャーの存在の方に驚愕し、困惑している。

 

「アタランテ!! 君はあの女ったらしの踵野郎に何もされてないよね!? 無いよね!?」

 

「黙れ!! ライダーの見え透いた挑発などどうでもいい!」

 

「挑発!? あの野郎、挑発とはいえアタランテにーーー」

 

「ヒッポメネス!!!」

 

「はいぃ!?」

 

  妻の怒声に体を硬直させ、直立不動となる夫。上下関係を一瞬で理解した“黒”のアーチャーだった。

 

「汝は“黒”のアサシンの蛮行を知った上で見逃しているのか!」

 

「蛮行?」

 

  “赤”のアーチャーの言葉にバーサーカーは首を傾げた。

 

「“黒”のアサシンが不逞の輩から分別なく老体から…子供までもを殺害していると耳にした!」

 

  “赤”のアーチャーの叫びに、バーサーカーと“黒”のアーチャーが顔を合わせた。子供? どういうことだ?

 

「もしそうであるならば! 私はマスター共々子供を消費させんとする貴様らを射殺してやる!!」

 

  決意、絶対の信条を胸に“赤”のアーチャーは弓と共に矢に魔力を籠める。獣に育てられた彼女から放たれる威圧は建物の影に隠れ住む小動物を刺激し、騒ぎ立てさせる。

  “赤”のアーチャーの怒声に対し、バーサーカーは。

 

「…アタランテ、君ってマスターと仲が悪かったりするのかな?」

 

「なに?」

 

  “黒”のアサシンの行動を懇切丁寧に説明することにした。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「…ということは、子供達は狙われておらず、魔術師共のみが標的か」

 

「う、うん」

 

  “黒”のバーサーカーは“赤”のアーチャーの怒り、彼女が最も尊く大事にしている存在を知っているだけあり、彼女の怒りと“黒”のアサシンの行動が全く噛み合っていないことに気づき、アサシンの行動について打ち明けた。

  そこには勿論“黒”のアサシンが“黒”の陣営から離別していることを隠すように、あくまで作戦の内と思わせるような“黒”のアーチャーからの補足が入ったが。

 

「そうか、そうだったのだな」

 

  “赤”のアーチャーの戦意は一段落落ち着いた。子供の安全の保障、それが“赤”のアーチャーを動かしたのだ。それが確定された以上、彼女の怒りは消失ーーーするわけがない。

 

(あの道化師め…)

 

  戦わず、口だけは達者で、戦況を掻き乱す傍迷惑な作家の英霊に怒りを募らせる。自分は彼の欲を満たすだけに走らされ、踊らされた。“黒”の陣営との決着が済んだら真っ先に消してやろうと“赤”のアーチャーはひっそりと決意した。

 

「あ、あのさアタランテ」

 

「“赤”のアーチャー、貴女に提案があります」

 

  バーサーカーが落ち着いた“赤”のアーチャーへの呼びかけを遮り、“黒”のアーチャーが“赤”のアーチャーへ話しかけた。

 

「提案? なんだ、“黒”のアーチャーよ」

 

「貴女が“黒”のアサシンの情報を伝えられてないほどにマスターとの関係が定まっていないというならば」

 

 

 

「どうですか。“黒”の陣営へ来るというのは?」

 

 

 

「!!」

 

  “黒”のアーチャーの提案にバーサーカーは目を分かりやすいほどに開き、反対に“赤”のアーチャーは目を細めて「ほう?」と呟いた。

 

「貴女も聖杯に願いを託すために呼ばれた者ならば、聖杯が近くにあった方がいいでしょう。それにそちらは“赤”のバーサーカーを失い、既に六騎となっております」

 

「そちらも“黒”のセイバーを失っているではないか」

 

「ええ、大きな痛手だと否定できませんがそちらに勝つということに支障はありません」

 

「言うではないか。 “赤”のライダー、“赤”のランサー、そして私と姿を現していないアサシンとキャスターがいるのにか?」

 

「ええ、貴女がこちらへ加われば勝利は確実になるでしょう。…なにより、貴方の悲願の成就も成功しやすいのではないですか?」

 

  悲願の成就、その言葉に僅かだが“赤”のアーチャーが反応した。

 

  “黒”のアーチャーの言葉は何一つ嘘は含まれていない。彼の頭の中の戦略は完成しておらず欠けているとはいえ、勝利の算段はついている。後は敵サーヴァントの全ての情報さえ揃えばーーー手段と手間を惜しまなければ勝てると見込んでいる。

  遥か先を見据える戦略眼、そして千里眼から得られる自信は、一言で百の言葉に匹敵する。

 

「…そちらにヒッポメネスがいるから、ということか」

 

  “黒”のアーチャーの自信による重みが加わった言葉に、“赤”のアーチャーは少なくとも虚偽で乗り切ろうとしていないことは察せれた。

  “黒”のバーサーカーは“赤”のアーチャーの悲願を知っている。確かに彼ならば自分に協力してくれるかもしれない。その可能性は高いだろう。だがーーー

 

「彼の願いは叶っている」

 

  ーーー心を見透かされたように、告げられた。

 

  悲願が達成されやすくなるというのは同じ願いが二つに増えるというだけの単純な式なだけ。

  しかし、バーサーカーも聖杯を求めて参戦している。彼も彼なりに悲願があり戦っているのだから、異なる願いならば争うしかない。

 

  決して相容れない、だからこそ戦う宿命なのだから。

 

  しかし、叶っているのなら話は別だ。

 

  聖杯を求めていない、聖杯を必要しない。

 

  聖杯に選ばれるのは一人と一騎だけ。

 

  その一つの枠に当てはめる願いをーーー彼ならば、私の願いを知る彼ならば、協力して埋めてくれるのかもしれない。

 

  “赤”のアーチャーは“黒”のバーサーカーへ目を向けると、彼は一瞬戸惑ったように体を揺らしたが直ぐに持ち直し、頑とした面持ちでまっすぐ“赤”のアーチャー(アタランテ)と向き合った。

 

  そして、口を開き

 

 

 

  ーーーこちらへ急接近してくるサーヴァントの気配を感じて口を閉じた。

 

「“赤”のライダーか!」

 

  先ほどまでバーサーカーの怒りの猛攻を捌き続けていたライダーがこちらの場所を特定し、援軍として駆けてきている。

 

  ーーーこれは、不味い。

 

  負傷と敵サーヴァントが二騎、こちらが不利と悟り、“黒”のアーチャーはバーサーカーへ呼びかけた。

 

「バーサーカー! 撤退を!」

 

  これ以上の説得は無理だ。それはバーサーカーも理解した。バーサーカーも踵を返そうとしーーーその前に一縷の願いを掛けて“赤”のアーチャーを見ると。

 

「ふむ、だが寝返りはせん」

 

  そう、勧誘の手を跳ね除けられた。“黒”のアーチャーの言葉に多少揺れたりもしたが、結局は裏切るような真似を彼女はするつもりなどないのだ。

 

「色々言葉巧みに惑わされたが、私の願いは私の手で成就させる。汝の手を借りる必要などない」

 

  拒絶、というほど冷えたものではなかった。ただそれが当たり前で、そうするべきだと決めていただけで、“赤”のアーチャーはバーサーカーへ改めて告げるように言葉にしただけだった。

 

  それにバーサーカーは、薄く微笑んだ。やっぱりそうなのかと、予想は出来ていた。

  期待はしていたし、分かりきっていた結果を前に彼の心は砕けるどころか、胸に暖かな炎が灯るのを感じた。

 

  こんな命を散らし合う戦況でも、生前と変わらないアタランテが嬉しかったのだ。

 

「ああ、そうだね。君は君なんだよね」

 

「汝は汝のままだ。戦場でもその浮ついた顔はやめておくがいい」

 

  “赤”のライダーがもう直ぐこちらへ辿り着く。彼の存在感が、魔力が気配としてそれを伝えている。“黒”のアーチャーは後方で待機しているが、早急に、と気配だけでバーサーカーにその旨を教える。

  バーサーカーは“黒”のアーチャーに申し訳ないと思いつつ、いつもの調子をできるだけ保ちつつ、告げた。

 

 

 

「次会った時、僕は君をーーー射止めてみせる」

 

 

 

「ふむ、汝は矢がてんで駄目であったが、出来るならやってみよ」

 

「ははは、やっぱり君は君だよね! …じゃあね!」

 

  そう言ってバーサーカーはようやく踵を返し、先行する“黒”のアーチャーの跡を追った。バーサーカーが後ろへ振り向く時、何がおかしいのか満面の笑みをしていたのを“赤”のアーチャーは見ていたが、何が楽しいのかよく分からなかった。

  既に去っていく“黒”の二騎を討つことはもはやできない、いや、しようとしたが二騎との会話で戦う気が失せてしまった。

  変な疲労を背負った気がして、無駄足だったかと愚痴を漏らす。近づいてくるライダーを迎えようと思ったが、アーチャーは一つ不自然な物を視界に入れてしまった。

 

「む?」

 

  バーサーカーが立っていた川のふもとに木で編まれた籠を見つけた。元々川の近くにあれがあったとは考えにくい、ならばバーサーカーの忘れ物か?

  アーチャーは川の近くまで跳躍し、近づいて籠を手にとった。そして籠の中身を見てーーー

 

 

 

 

 

「姐さん!」

 

  “赤”のライダーは執拗な水流と弾ける果実の猛攻をくぐり抜け、漸くアーチャーと再会した。彼の体からは甘い果実の匂いがべったりと漂っており、身につけている軽鎧には果実の皮や果肉が付着していた。

  にも関わらず肉体には傷の一つもついていない。英雄最速の肩書きは伊達ではないが、果実臭がなんとも彼の勇姿を台無しにしている。

 

「む、ライダーか。大事はないようだな」

 

「当たり前だ。あんな小細工如きでこの俺がーーー」

 

  彼はアーチャーの近くに駆け寄り近づいた時、少しだけ固まった。

 

「む、どうした?」

 

「え、いや。姐さん、その、それは…」

 

「これがどうしたか?」

 

  アーチャーの手には大きな籠があった。現代ではバスケットと呼ばれているものには、生前でもよく見かけ、食べたことがある()()が入っていた。

 

「………普通に食べれるのか?」

 

「毒はないぞ。匂いで分かる」

 

「いや、そういうわけではないが…」

 

  アーチャーはーーー()()()を食べていた。それはもう美味しそうに、しゃりしゃりと、籠の中身にあった十数個から一つ手にとって食べていた。

 

「それはそもそもなんだ?」

 

「ふむ、おそらくはバーサーカーが果実を破裂する為に持ち合わせていた物だろう。いらなくなって置かれていた物を手に入れたまでだ」

 

  なるほど、あれは召喚の時に座から持ってきたものではなく、現代にある物だから籠などで詰めて持ってきたのか。しかし、何故りんごだけなのか? あれだけ大量の果物を攻撃に使用していたのにりんごだけは残していたのか。もしかするとりんごを持ち込んだはいいが、生前の出来事からりんごを使うのが居た堪れなくなったのだろうか?

 

  …いや、そうじゃない。考えることが違う、話をズラすな。問題は彼女が普通に食べていることだ。

  ヒッポメネスとの逸話からライダーはアーチャーがりんごを嫌っているのではないかと邪推したのだが。

 

「…ふふ」

 

  ご満悦で食べていらっしゃる。普段からは考えられないくらいに頬を緩ませて、食べている。

  …どうやら彼女はりんごが大好物のようだ。

 

「…やらんぞ」

 

「いらねえよ」

 

  ライダーがずっと見ていることに気づいたアーチャーは自分の獲物と言わんばかりに視線を鋭くしたがライダーは手を振って否定した。

 

「…まったく散々だ」

 

  そう呟いて、アーチャー達は本拠地へと帰還する。

  単独行動を行っても成果は何一つなく、ライダーに至ってはバーサーカーを煽って果汁塗れになっただけ、唯一成果があったとしたらバーサーカーが何故かりんごのみを残した籠のみ。

  ライダーは嘆息しながらも、上機嫌でりんごを持ち帰るアーチャーを見て「まあいいか」と帰路を駆ける。

 

 

  そして、帰還した直後“赤”のアサシンとキャスターがライダーの顔を見た瞬間、大爆笑した。

  曰く、果物から必死に逃げ続ける大英雄、と。

  ライダーは本気で殺してやろうと追うが宝具と魔術によって結局捕まえることはできず、“赤”のランサーから「鎧についた果実を拭わないのか?」と善意で差し出されたタオルに沈黙した。

 

 

 

 

  その頃、“黒”のバーサーカーは“黒”のアーチャー、“黒”のランサー、フィオレの三人から単独行動したことで説教されており、魔力の枯渇で疲労困憊のカウレスはバーサーカーが攻撃の為に購入した大量の果実の請求書を見て、膝から完全に崩れ落ちた。

 

  サーヴァントの私用の出費は、マスターの自腹なのである。

 




妖怪テケテケ、怪談困るさん→浮気したら旦那オーバーキル

ヒッポメネス→浮気したら浮気相手の男をオーバーキル

この違い、かなり重要。
というか二人の関係上、浮気になるかかなり微妙なラインですけどね。



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夜と血、黒と赤

ーーー小競り合いには飽きてきた


  ミレニア城塞へと無事戻れたアーチャー主従とバーサーカー主従。帰るなり王の間からバーサーカー主従はランサーとダーニックに無断でシギショアラへと向かったことを詰問されたが、“黒”のバーサーカーが“赤”のアーチャーの性格上“黒”のアサシンを追跡する可能性を説明し、実際に“赤”のアーチャーと“赤”のライダーが“黒”のアーチャー達に接近していた事実からバーサーカーが足止めしたことでこの件についてのお咎めは無かった。

 

「…あー、お前なあ、マジでお前なあ」

 

「あははは、…本当にごめんなさい」

 

「…はぁ」

 

  “黒”のライダーがやらかした件で非常に張り詰めた空気が満ちる王の間で、王と一族の長に睨まれて正に『蛇に睨まれた蛙』となったカウレスにバーサーカーが一から丁寧に説明したことでランサーの怒りを買うことはなかった。

 

「というかお前も“赤”のアーチャーが来ることを予想できたなら言っておいてくれよ。姉さんと俺がどんだけ必死になったと思うんだ? というか、途中で尋常なく俺が死にかけたんだけど」

 

「ん〜、僕は来るかもしれない程度の予想だったからね。余計なこと言って不安にさせるのはどうかなって思ってさ。最後近くのアレは不倶戴天の踵野郎を始末しようと思って」

 

「なんか色々と変わりすぎてないかお前?」

 

  どうやら“赤”のアーチャーだけではなく“赤”のライダーまで来た。どうやらアーチャーとライダーはセットで動いているように思える。あちらの作戦か、あるいは気が合うからか。とにかく“赤”のライダーの話題を出した瞬間バーサーカーの表情が消えるから変に刺激しないようにしよう。

 

「なんだかんだ言ってお前サーヴァント二騎相手にして生き延びているよな?」

 

「だからって勝てとか無茶言わないでね?二回対面したけど最初はセイバーがいたおかげだし、二回目はアーチャーがいたからだし」

 

「宝具は使ったのか?」

 

「使ってないさ。でも、僕の宝具は対人かつ攻撃に向いてないって理解しているよね?」

 

「分かっているよ。…どうやって勝つもんかな」

 

  募る不安は重くなるだけ。ここは一つ勝機や攻略法などの心が軽くなる話題がほしいと切に願うカウレスだった。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「皆さんお待たせしたようで申し訳ありません」

 

  シロウが“赤”のアサシンとともに王の間に到着すると、ライダーとアーチャーがそれぞれくつろいでいた。ライダーは寝転んで天井を見上げ、アーチャーは何処から持ってきたのか籠からリンゴを取り出して食べていた。

 

「謝らなくて良いぞマスター。元はといえば此奴らがキャスターに唆されたのが悪い」

 

  ライダーとアーチャーがアサシンの言葉で同時に睨みつけた。それを言うなと視線が物語っていた。

シロウは先ほどまで監督官の仕事として、ライダーとアーチャーが接触した“黒”のバーサーカーによって齎されたシギショアラの水道への被害の対応に忙しかったのだ。

 

「はあ、それで彼との接触で何か成果はありましたか?」

 

「何も。成果という成果はアーチャーが持ってきたリンゴと籠と笑い話だ」

 

「リンゴと籠と笑い話?」

 

  ニヤリと笑うアサシンにシロウが首を傾げた瞬間、ライダーから殺意が膨れ上がる。それに反応してアサシンの笑みが艶やかかつ嗜虐的になっていく。

  触れないほうがいいと判断したシロウは話題を変えた。

 

「ランサーとキャスターはどうしました?」

 

「あー…ランサーはさっきボケっと外を見ていたぜ。キャスターは工房に逃げやがった」

 

「そうですか、呼んできますね」

 

「ははは、マスター。お主が呼び掛けに行けば、まるで使い走りにさせているみたいではないか。我が念話で呼ぶさ」

 

  二本の指を軽く振ると、暫くして玉座の間の扉が開いた。入ってきたのはランサーだ。

 

「ランサー、呼び立てて申し訳ありませんね」

 

  ゆっくりした動作で首を横に振った。変わらない表情は能面のよう。白い肌が更にそれを引き立てる。

 

「構わない。何かあったのか?」

 

「申し訳ありません、もう一人が到着してからお話しします」

 

  そしてーーー五分後。キャスターが全員の苛立ちが籠った視線を一身に受けつつ玉座の間に入ってきた。

 

「おお、『地獄のように黒く、闇の夜の如き貴女を!』『私は美しいと想い、輝いているとすら感じる始末!』」

 

「…はぁ、それは我のことと考えてよいのか?」

 

「他に誰がおりますか、アッシリアの女帝よ!…いえいえ、申し訳ありません。ついはしゃぎ過ぎてしまいました。久しぶりに執筆に興が乗ったもので。ああ、ところでシロウ神父。唐突ですがーーー」

 

「おい待てやキャスター」

 

「おや?」

 

  キャスターの言葉を遮りライダーが額に青筋を浮かばせながらキャスターに詰め寄っていた。

 

「てめえ、その前に俺と姐さんに言わなければならないことがあるんじゃねえのか?」

 

「…おお、そうでした!」

 

  思い出したように手を叩く。ライダーはウンウンと頷き謝罪の言葉をーーー

 

「此度の出来事を本にすると『フルーツパニック♪』と『炸裂果汁狂騒夜』、どちらがタイトルに相応しいかお聞かせください!」

 

「ぶはぁ!!」

 

  一撃で“赤”のアサシンが吹いて、腹を抱えて苦しみはじめる。体を震わせながら笑い苦しむ女帝と満面の笑みで楽しそうな作家を前に。

 

「よし、殺す」

 

  据わった目でライダーが槍を握った。それを止めたのはアーチャーだった。

 

「キャスター達の行動は前からこうであろう。いちいち噛み付いていては身が持たぬぞ?」

 

「ああ分かっているよ!だが、いい加減こいつらをなんとかしてくれ!鬱陶しくて仕方ない!! 馬鹿にしすぎだろうが!!」

 

  諭すアーチャーだが片手には食べかけのリンゴがある。食事も睡眠も必要としない身体だが、リンゴを手に入れてからずっと食していること。どれだけリンゴが好きなんだ、と突っ込みたくなるがなんとか飲み込んだ。

 

「もういい…、そんで俺達を集めた理由はなんだ?」

 

  ライダーの疑問にアーチャーとランサーが同意する。呼ばれたからには理由がある。この女帝と食えぬ青年が理由もなく集めるはずがない。アサシンが艶然と笑みを浮かべた。

 

「…くくく。はあ、なに。“黒”のセイバーが脱落し、我々の準備が整った今、打って出る時期だ。小競り合いを繰り返す戦争ほど、面白くもなかろう?」

 

  その通りだ、と不承不承に頷くアーチャーとライダー。顔見知りと会ったり、好敵手を見つけたりしたが小競り合いだけでは飽きがくる。

 

「せっかくの戦争だ。派手にいこうではないか、のう?」

 

「いやまあ、そりゃそうなんだけどよ。わざわざ城を作って立て籠もる準備を整えたアンタが言うことか?」

 

  「()()()()()?ライダー、お主は前提が間違っているぞ。我の宝具『虚栄の空中庭園』はな、守るために存在するのではない。攻め込むための宝具よ」

 

  シロウとキャスター、そしてこの庭園の持ち主であるアサシン、セミラミスだけが知る庭園の正体。それを知らない三人は首を傾げたり、変わらず佇んだり。

 

「アサシン、そうもったいぶらずに私たちにも体感させて下さい」

 

「応。…マスター、お主も割と心が湧きたっておるな」

 

「男ですからね」

 

  くつくつと笑うとアサシンは座っている玉座の肘掛けに埋め込まれた大きな宝石に手を乗せた。途端、大地が揺れ始めた。揺れは激しさを増していき、突如停止させた。

 

「ふふ、外を見てくるといい」

 

  アサシンを除いた全員が玉座の間を抜けて外へ出る。なぜなら、外はーーー

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「…うぇ。これは、不味いな」

 

  しゃくりと、不味いと思いながらリンゴをもうひと齧り。酸味が強すぎるリンゴは若すぎる。熟し過ぎるとリンゴが柔らかくなって食感が悪くなる。

  ホムンクルス達が仕入れたリンゴは若すぎて生で食うには早すぎる。幾ら知識はあろうとも経験によって磨かれる審美眼はホムンクルス達に教えるのは無理のようだ。

 

  今日も今日とて“黒”のバーサーカーは見張り台で空を見上げていた。カウレスと別れ、“黒”のライダーとの会話を楽しんだ後、日課となりつつある見張り台での天体観測をしようと思ったのだが…。

 

「…あ。降り始めたねぇ」

 

  鼻先に冷たい雫が落ちた。ポツポツと降り始めた雫は小雨となる。雨雲が空を覆い、月も星も隠れてしまった。トゥリファスの城下に灯る街灯や民家の窓から溢れる灯りが夜の闇の中を頼りなく照らす。森の方は漆黒となり、前の“赤”のバーサーカー到来よりも黒く深い闇となっている。サーヴァントには何の問題はないが普通の人間には懐中電灯がないと歩くのが困難だろう。

 

「でも、あの雲だったら数時間で晴れるかな」

 

  雲の流れと形、薄さから晴れると判断する。これは前から分かっていたことだ。むしろ雨が降ってくれた方がバーサーカーは相手より有利に動ける。バーサーカーの保有スキル『大海の血潮』は水があればステータス補正が入り、より敏捷に動け、魔力は高まる。海水が一番だが雨でもバーサーカーは強くなる。

 

「さて、そろそろ中へ戻るか」

 

  リンゴをもうひと齧りして、カウレスの元へと戻ろうと決めかけた時。

 

「ーーーなっ」

 

  手からリンゴが零れ落ち、床を転がり足元にぶつかった。

  空の向こう側から何か大きな物が近づいてくる。最初は大きな雲かと思った。だが、違う。

  悠々と、ゆっくりと、鈍重に浮かび上がり動くあれはーーー

 

()?」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

『虚栄の空中庭園』

 

  それはアッシリアの女帝セミラミスが空中庭園を建造したというわけではない。実際にセミラミス本人が空中庭園を見たわけではない。だが、これは後世の人間が建てたという強烈なイメージでできた後付けの神秘なのである。そのためこの空中庭園はセミラミスの宝具まで昇華したのである。

  もちろん、こんな巨大かつ出鱈目な建造物を魔力で召喚するのは無理だ。特定の地域の石材、木材を必要とし、長時間の儀式を執り行われることで完成する。

  完成した宝具は名の通り空中を動く巨大な庭園と化し、現在トゥリファスのミレニア城塞へと突き進んでいた。既に空中庭園はトゥリファスの森と草原まで到着しており、草原の向こうにはミレニア城塞がある。

 

「では、どなたが先陣を切りますか?」

 

  シロウが目前に控えた戦を前に一番槍を誰が務めるかを問い掛けた。アサシン、キャスターは素知らぬ顔。ライダー、アーチャー、ランサーが顔を合わせた。ランサーは首を横に振り、二人に譲る。ライダーとアーチャーの睨み合いが開始された。どちらも先陣を切りたくて仕方ないらしい。

 

「先陣を切った者に詩を捧げましょう!」

 

  キャスターは火に油を注ぎ、アサシンは呆れる。シロウが苦笑しながら平和的に話し合うよう頼んだ。

 

「先陣は俺が切る」

 

  先陣はライダーのようだ。しかし、アーチャーは弓を喚び出しそれを空へと掲げる。

 

「ただし、先制攻撃は私が放つ。元より、宝具を解放するつもりだったからな」

 

「分かりました。では、そのように」

 

「初めての二人の共同作業、というやつですな。愛の詩にしましょうか?」

 

  キャスターの提案にライダーは喜んだ。愛の詩、なんて甘美な響きなのだろうか。これを是非あのバーサーカーに聞かせてやりたい、と懲りずにライダーは思った。

 

「応、是非頼む」

 

  逆にアーチャーは嫌そうに顔を顰めた。

 

「否、やめて欲しい」

 

  結局、二人の要望に応えキャスターは失恋する男の切ない詩を作ることにした。

  ーーーライダーの脳裏に満面な笑みで親指を逆さにするバーサーカーが脳裏に浮かんでたとか、無かったりとか。

 

 

 

 

  全ての “赤”のサーヴァントとマスターであるシロウは空中庭園の船首部分へと集結した。船首より先の下に広がる森と平原と城塞は夜闇に包まれ、普通の人間には雨によって揺れる木々の動きしか感知できない。しかし、ここに集結しているのは人知を超えた英傑達。夜闇の黒は意味を成さない。

 

「今頃向こうは慌てふためいているのでしょうなぁ」

 

  キャスターは突然現れた空飛ぶ城に、相手の陣営がどんな反応をしているのか想像して、楽しんでいる。

  キャスターの言葉にアーチャーが頷いた。彼女の視覚は数キロ離れた城塞の様子を捉えれる。城塞の様子は敵襲に迎撃すべきサーヴァントが出ずに、慌てふためいている、そういう気配を感じ取れた。

  もっと詳しく知ろうと思った時、城塞の見張り台に見知った顔を見つけてーーー

 

「…はあ」

 

  ため息をつく。目を凝らした先には見知った顔、しかも生前の夫だったりする。

  見張り台にいたのは“黒”のバーサーカー。こちらに気づき、食べかけのリンゴが零れ落ちるほどに口を開いて唖然とする表情があまりに滑稽だったのだ。

 

「どうしたアーチャー?あちらで動きがあったか」

 

「いや、なんでもない」

 

  表情を引き締めて、城塞の様子を再度確認する。“黒”のバーサーカー以外はまだ城塞から出てこない。大方マスター達が騒ぎ立てているのだろう。

 

「迎撃すべきサーヴァント達は出てこない。突然現れたこちらに、混乱しているようだな」

 

「ならば、今のうちに雑兵どもを整列させておく」

 

  アサシンが手を掲げると直径三メートル近い大釜が空中に浮いた状態で出現した。その大釜をひっくり返すと、黄ばんだ骨が雨のように大地に降り注ぐ。大地に触れた骨は、植物のように成長し、骨でできた骸骨兵が誕生してきた。

 

「…脆そうだな」

 

「ああその通り。脆い、ひどく脆いぞ。だが数は多い。サーヴァントは論外として、ホムンクルス程度ならば相手が務まるだろう。…だがまあ、向こうのキャスターがこちらのキャスターのように雑魚であったら、倒せる可能性はある」

 

「ははは、これは手厳しい。しかし世のキャスターが皆、我輩のように優れた文筆家ということはないでしょうな!」

 

  皮肉も効かぬと知り、もう何も言わないとアサシンは決めた。

 

「…む、ようやく“黒”の連中が揃ったぞ」

 

  アーチャーの視覚が捉えた暗闇の向こうの英霊達。総勢六騎。一騎が兵であり、兵器であり、伝説であった。

  勝利と敗北が決まる、決戦の時まで、あとーーー

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

「…領土ごと攻めてくるとは、さすがに予想外でした」

 

「あの流れが逆転したような城…いや、庭園はネブカドネザル二世かセミラミスの空中庭園が宝具としたものなのかな」

 

  思考がフリーズしてしばらくその場で立ち尽くしていると、カウレスの念話にて醒めたヒッポメネスは最初に城壁に現れた“黒”のアーチャーと共にこちらに向かってくる浮遊する庭園を冷静に分析する。

 

「アーチャー、あれは今どうなっていますか?」

 

  アーチャーの傍らにいたフィオレが細い声で尋ねた。僅かに震えがある声にアーチャーは気づき、微笑みながら答えた。

 

「停止しました。…これは私の推測ですが、どうやら“赤”の側はこの草原を戦場とする意向のようですね」

 

「全面対決というわけですか」

 

「ええ。マスター達は安全なところへ。恐らく向こうもサーヴァントと使い魔で陣を敷くつもりでしょう」

 

「ーーーそうらしいな。連中、竜牙兵を召喚したようだ。こちらのホムンクルスとゴーレムに対抗するつもりだろう」

 

  城塞の上へとランサーが着地した。極刑王の苛烈な瞳は空飛ぶ要塞へと向けられている。キャスターも飛んできた要塞に立ち向かうために城塞の上へと現れている。サーヴァント達の傍らにいたマスター達は大戦の空気を感じ、城塞内へと戻っていく。バーサーカーのマスター、カウレスも姉の後に続こうとしたが、その前にと城塞を見上げるバーサーカーの背中に声をかけた。

 

「……勝てよ。バーサーカー」

 

「……ああ。任せて」

 

  振り返らずに答える理性を保つ狂戦士。その返事に勝利を信じ、マスター達はダーニックだけを残し、城塞へと避難した。

 

「我が領土にあのような醜悪な代物で踏み込んだ挙句、穢らわしい骸骨兵どもを撒き散らすとはな」

 

  ランサーは不愉快を隠さずに侮蔑の言葉を吐く。侵略者を屠れと、義務感が彼の肉体を縛り付ける。

 

「ダーニック。ライダーと“赤”のバーサーカーを解放せよ」

 

「よろしいのですか?バーサーカーはともかくとして、ライダーはーーー」

 

「構わん。ここまで全面的な対決を望んできたのだ。こちらも全兵力を投入するのが礼儀というものだろう」

 

「…分かりました、すぐに」

 

  ダーニックが姿を消すのと同時に王であるランサーが指示する。

 

「アーチャー。ライダー、バーサーカーと共に編制したホムンクルスの指揮を執れ」

 

「了解しました、ランサー。ただ“赤”のライダーがやってきた場合、私かバーサーカーが抑えに掛からねばなりませんが…」

 

「“赤”のライダーはおぬしが相手せよ。バーサーカーはーーー」

 

  ランサーはチラリとバーサーカーを見た。バーサーカーは自分が相手すべき敵を言われずとも分かっている。最初からその気持ちでランサーの指示を待っていたが、ランサーの考えとバーサーカーの考えは違っていた。

 

「戦場を駆け回りつつ、“赤”のアサシンとキャスターを発見次第殲滅せよ」

 

「え?」

 

  バーサーカーが驚きながらランサーの顔を見た。ランサーは僅かに微笑みつつ、バーサーカーに告げる。

 

「お前の剣を妻の血で濡らすことはない。お前は我らを勝利へと導く為、できることに尽力せよ」

 

  言うべき事はそれだけとランサーはキャスターに指示を出し、“赤”のバーサーカーの手綱をキャスターに任せた。唖然とするバーサーカーの肩に、アーチャーの手が置かれた。

 

「バーサーカー、貴方の覚悟はランサーも承知の上です。ですがその上で貴方と“赤”のアーチャーをぶつけることを避けるべきだと判断したのです」

 

「……はい」

 

  アーチャーもバーサーカーの心情を察していた。此度の戦いによって二度目の命と、生前から死後まで願い焦がれた望みを叶えられる機会が巡ってきた。だが、それでも英雄として、譲れない矜持というものがある。

  バーサーカーことヒッポメネスという英雄としての矜持とは妻、アタランテの事を指す。それを自らの手で穢すことは耐え難い苦痛だと、死後吸血鬼として侮辱されてランサー、ヴラド三世は身を持って理解している。

  私情を考慮されたことに申し訳なさが立つ。暗い雰囲気になりつつあった城壁に、場違いな明るい声が響いた。

 

「やっほー!うわぉ、あれすごいねぇ!あんなのが宝具なんだ!」

 

  先程牢屋から釈放された“黒”のライダー、アストルフォだ。ライダーは草原の上に浮く敵の要塞を物珍しく眺めている。

 

「ライダー。今更反省したかどうかなど問わぬ。お前の力、今こそ余に見せてみよ。シャルルマーニュ十二勇士としての力量をな」

 

「うん、任せてよ!それはそれこれはこれ。この戦争はボクの使命だからね!」

 

「その認識があればよい。アーチャー、バーサーカーと共にホムンクルスの指揮に加われ」

 

「ラジャー!」

 

  キャスターが用意した馬型のゴーレムへと跨り、ランサーは全員に聞き届くように静かに言葉を紡ぎ出す。

 

「ーーーさて、諸君。セイバーは消え、アサシンはおらぬ。代わりに“赤”のバーサーカーが手に入ったが、あれはただの使い捨ての『兵器』でしかない。つまり我々が全戦力という訳だ。

  一方、向こうは恐らくバーサーカーを除いた六騎全てを揃えている。“赤”のランサーはセイバーと互角に戦い、“赤”のライダーはそのセイバーの攻撃に傷一つつかなかった。未だ姿を見せぬキャスターやアサシンも、恐るべき敵であることは間違いない」

 

  不利、結局は不利なのだ。最優のサーヴァントは失われ、数も不足している。質も未だ不明瞭。まともに戦えば敗戦の色は濃厚だ。だがーーー

 

「さて、それでは質問だ、諸君。敗北を受け入れる気はあるかな?」

 

  ()()()()で戦わない訳がない。全員が敗北など受け入れるつもりは毛頭ない。

  圧倒的不利も、絶望的状況も覆し、勝利の美酒を飲み干す者こそ英雄と至れた者だ。

 

「そう、その通り。我々は勝利する!この程度の戦力差、この程度の絶望、喰らいつくせずして誰が英雄を名乗れるものか!」

 

  英雄達を鼓舞するその姿こそ、かつて土地を穢そうとした侵略者に恐怖と絶望を刻みつけた護国の王の勇姿。

 

「あれは蛮族だ。我が領土を穢し、傲岸不遜に下劣に高笑いする死ぬしかない愚者どもだ。笑いながら連中を殺すがいい。恐怖という知識が欠けている彼奴らには、牛革の鞭で徹底的に躾け直してやれねばならぬ」

 

  “黒”の王は再びーーー鬼将として蛮族へと牙を剥く。

 

 

 

「では、先陣を切らせて貰おう」

 

  ランサーは馬の手綱を握ると、馬と共に城塞から飛び降りた。

  真っ先に辿り着いた草原は長閑で、冷然。パラパラとふる小雨が丁度よく、戦い前の高揚を冷ましてくれる。ランサーの後ろにはサーヴァント三人に率いられたホムンクルスとゴーレムの軍勢が集結し始めた。

  軍勢の片隅には“赤”のバーサーカーを引き連れたキャスターもいる。戦況の頃合いで解き放つつもりだ。

  “黒”の陣営ならぬ、“黒の軍勢”が前面にいる竜牙兵達へと進んでいく。

  だが、竜牙兵達の中には将であるサーヴァント達の姿は見当たらない。それを怪しく思い、軍勢を止まらせたランサー。視線は自然に空中に止まる庭園へと向けられる。

 

「ふむ、どう動くつもりだ?」

 

  ランサーの呟きと同時に、空中庭園から二本の矢が放たれた。矢は輝く軌跡を描きながら、雨雲の向こうへと突き抜けていく。雨雲の向こうに消えた矢を誰もが見届けていたが。

  ーーー真っ先に反応したバーサーカーが、ランサーへと叫ぶ。

 

「ランサー!!彼女の宝具だ! ()()()が降るぞ!!」

 

  素早く腕を振り、平原に声が響く。

 

「全軍!!構え!!!」

 

  後ろへ続く軍勢へと吼える。ゴーレムは両腕を交差させ、ホムンクルスは盾や戦斧を空へと掲げて防御の体勢を取る。

 

  しかし、それは何の意味を成さなかった。

 

 

 

 

 

 

「我が弓と矢を以って太陽神と月女神の加護を願い奉る」

 

  降りやまぬ冷えた小雨の中、“赤”のアーチャーは雨雲が覆う空の向こうへと弓を構え、矢を番えた。妖しく輝く矢を引く彼女の姿はギリシャ随一の狩人の名に相応しきものだった。

  この矢は彼女の宝具ではない。弓に矢を番え、放つという術理そのものが宝具だ。

 

「この災厄を捧がんーーー『訴状の矢文』(ポイポス・カタストロフェ)!」

 

  空へと放たれた二矢は軌跡を描き、雨雲の向こうへ突き抜けていく。この二矢こそが開戦の狼煙、始まりの一矢。

 

  それは災厄であった。雨雲から降り注ぐのは水滴ではなかった。ーーー矢であった。

  太陽神と月女神の加護とは災厄。光の矢が水滴と共に雨を降らす。ホムンクルス達は構えていたはずの盾を貫かれ、身体に突き刺さる。ゴーレム達も丈夫な胴体に幾数の矢が突き刺さっては砕け散る。サーヴァントは払い、避け、耐えきる。

  災厄が終わった後の大地はホムンクルス達の血肉により紅く染まった。“赤”のアーチャー、アタランテは陰惨たる光景を見下ろしながら告げた。

 

「これで露払いは終わったぞ。交代だ、ライダー」

 

「応!」

 

  ライダーはパンと膝を叩き、心底嬉しそうに空中庭園を飛び出した。

  それを見届けた後、ランサーやシロウ、キャスターも続き、庭園を飛び出していく。

  アーチャー、アタランテも同様に飛び出していく。自分が相手せねばならぬ敵は分かっている。

  義務ではない、責任でもない。

  なのに戦わなければならないと理解している。

  それは運命だったのか、因果なのかはどうでもいい。

  戦う理由などせいぜい知己だったから。それだけで降り立った大地を疾走し、前へ立ち憚る肉人形と土人形を射抜く。

  高揚などない。極めて平然。冷然な表情で骨と人形と人型が争う戦場を駆け回る。

 

  ーーーピクリと、慣れた匂いが鼻につく。

 

  その場で強く大地を蹴り上げて、空を舞った。足が空に、頭が地面へと逆さになった状態で矢を放つ。

  矢が放たれた先には、ゴーレムだった瓦礫を足場にして飛んでくる碧き衣の青年。小剣と槍を両手に構え、矢を叩き落としながらこちらへと近づいてくる。

  アタランテは小剣を左手で持ち、槍を右手と器用で変型な構えをする姿に何も思わない。

  知っているから驚くことなどない。ただ、あの構えは様子見でも逃げの体勢でもなく、本気で此方を殺そうとしていることだけ理解した。

  それに応えるわけではないが、アタランテは一度に三本の矢を放つ。矢を難なく跳ね除け、接近してきた槍は真っ直ぐに彼女の胸へと突かれる。

  彼女も槍の一撃を容易く避け、逆手に持った矢を青年の喉へと突き刺そうとした。でも、それは腕を取られて投げ飛ばされたことで防がれる。

  猫のように体重を感じさせない着地により、直ぐに弓を構えれた。

  アタランテと青年の距離は開く。互いに数歩駆け寄れば一瞬の攻防が再び繰り返される。

 

「やはり私の相手は汝か」

 

「…王からはアサシンかキャスターを相手しろと言われたけど、僕はこうするべきなんだよな」

 

  青年ーーー“黒”のバーサーカー、ヒッポメネスは逡巡も迷いもなくアタランテの命を狙う。話す間も隙があり次第、その細い首を圧し折るつもりでいた。

  またアタランテも同じ。弱みを見せた瞬間、喉を噛みちぎるつもりでいる。

 

  ここに、聖杯大戦の名に相応しき英雄達の戦争が勃発した。生き残りし者だけが、願いを叶えられる。故に、事情も誇りも後に置く。全てはーーー終わった後の話であった。

 

 

 




ーーー本番だ、後悔だけはするなよ?死に物狂いで興じな。


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戦々狂興

アヴェンジャー実装おめでとう。
早速の10連ガチャは誤爆。試しの彼の格好良さに惚れるが金が無し。
呼符のみが希望、今年の幸運を我にーーー!!

では、どうぞ


  草原はホムンクルスの血で紅く染まっていた。

 

  戦いが始まり、あちこちでサーヴァント同士の戦いが始まる中、唯一血を流す兵であるホムンクルス達は敵の竜牙兵達による猛攻により肉を裂かれ、血を噴き出し、脆く崩れ去っていく。

  “黒”のキャスターによって創り出されたゴーレム達は土に還るだけ、また竜牙兵も崩れ破れた瞬間に魔力の散りとなって空中に分散する。

  この戦いのためだけに創り出された存在ではあるが、この時間に生きている肉人形であるホムンクルス達は大地にこびりつくシミとなってこの世に生きていたことを証明していく。やがて、降りやまぬ雨によってシミは流されて蒸発し、世界の一部として循環するだろう。人と、同じく。

  ならば、ホムンクルスも人と同じになるのだろう。時が経てば屍となり、地や空気と一つになり星に還る存在。この大地に存在するなら、どの生命も同等に等しい。

  ただ違いがあるとすれば、同等な循環の中で何を思い、何に行動し、何を残せるかだけ。

  人間はその答えを探し、見つけ、残してきたからこそ、世界を我が物顔で闊歩する生命なのだ。

  生まれてきた時から存在する答えがあるホムンクルスにとって、彼らは物と同列にされる。

 

  だがーーー答えに疑問を持ち、探し始めたならば…彼らは人間と呼べるのではないか?

 

  それを人間が許すかどうかは別の問題だ。この儚く短い命が消費されていく戦場で、二人。とある二人が足を踏み入れようとしていた。

 

  片や、英霊が憑依した娘。

 

  片や、英雄により命を貰った元ホムンクルス。

 

  イレギュラーである二つの存在はこの運命を加速させんと、自ら死地へと飛び込んでいく。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「さあ、我が国土を踏み荒らす蛮族達よ!懲罰の時だ!慈悲と憤怒は灼熱の杭となって、貴様達をさしつらぬく!そしてこの杭の群れに限度はなく、事実無根であると絶望しーーー己の血で喉を潤すが良い!『極刑王』!」

 

  宝具の真名を口にすると大地が揺れる。揺れる大地に竜牙兵たちが下を向くと、瞬時に大地一帯に細長い杭が召喚され、天へ伸びるが如く彼らを貫いていく。

  宝具の発動により竜牙兵たちは三桁程の数を消された。

  魔力の粒子となって消えていく竜牙兵に目をくれず、“黒”のランサーは真っ直ぐと空中庭園へと馬を走らせる。

  そこに、黄金の鎧を身につけるサーヴァントが迎撃へと立ちはだかった。

 

「“黒”のランサー、ヴラド三世とお見受けする」

 

「ほう。余の真名を呼ぶ貴様は“赤”のランサーか」

 

「そうだ。理由あって、お前を討つ。悪く思うな」

 

「いやいや、悪く思う必要はないさ。お前達は余を殺さねばならなくて、余はお前達を殺さねばならない。痛ましいが当然ではある。それに何より

 

  侵略者を打ち倒すのは王の役割。だから、嘆く必要はない」

 

  “赤”のランサーに、地面から杭が突き上がった。

 

「ーーーふむ」

 

  だが、“赤”のランサーは手に持つ神槍であっさりと打ち砕く。

 

「なるほど。やはり、この杭が宝具かーーーしかし、この数は異常だな」

 

  ランサーが首を回して周囲を見渡すと、草原を埋めつくさんとばかりに杭が突き上がっている。“黒”のランサー、ヴラド三世の宝具『極刑王』は聖剣や神槍の類の物ではなく、歴史的に起きたことを再現するものだ。ヴラド三世が起こした歴史、すなわち二万のオスマントルコの軍勢を串刺しにしたことである。

  一本一本は宝具未満に満たない代物である、が、二万という圧倒的な数が揃えばそれは英霊といえど威圧できる。

 

「さあ、我が故国に無断で踏み入った咎人たちよ。処断の時だ、あのガラクタ共々屍を晒すが良い」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「バーサーカー。お前のマスターは僕だ。分かるな?」

 

「ああ、分かる。どうやら、君の力無しでは私は存在できないらしい。許し難い隷属だ」

 

「…なら、僕を殺すかね?」

 

「だから君を殺すことはできない。何故なら、私には少しでも長くこの現世に残らねばならない使命があるからだ。圧制者を打ち倒し、絶望の果てにある希望を掴まねばならないからだ。そして最後に、聖杯を求めて集った権力者達を鏖殺しなければ」

 

「ーーーなるほど。だが、そのためにはまず相手方を殲滅しなければ話になるまい。行け、バーサーカー。お前の相手は侵略者であり、権力者の走狗だ。動機としては充分だろう」

 

  そう言ってキャスターは“赤”のバーサーカー、スパルタクスの封印を解く。

  バーサーカーは隷属からの解放を目指し、柔和な笑みを浮かべたまま戦場へと進み始めた。

  その様子にやれやれと溜め息をつく“黒”のキャスター。

  下手に高圧的に出れば前言撤回してキャスターに斬りかかることも考えれる。内心ヒヤヒヤしているが仮面を被っているせいでキャスターの表情は読み取れない。

  キャスターのやるべき事はあと一つ。頃合いを見て、宝具を発動させる事だ。ダーニックの許可を得て、不承不承だが宝具の炉心として、今は亡きセイバーのマスターを組み込む。本来ならもっと優秀で炉心に適した魔術師を炉心に使いたいが贅沢は言えない。炉心として使う予定のホムンクルスは“黒”のライダーが逃したし、そのホムンクルスがきっかけでセイバーを失った。炉心に拘りすぎると後々ツケがきそうなため、妥協することにした。

 

『先生!』

 

  不意に念話でマスターである少年の魔術師のロシェが話しかけてきた。同じゴーレムを基盤とする魔術師で、キャスター、アヴィケブロンの腕前に尊敬し、先生と呼び慕うマスターにサーヴァントであるキャスターは呼び声に応える。

 

『どうしたんだマスター』

 

『はい!あの、戻ってきたら…僕のゴーレムを見て貰えませんか!?今度は、上手くできたと思うんです!』

 

  ほう、と感心したように頷く。ロシェのゴーレムに対する情熱は知っている。アドバイスすればすぐに指摘された点を直す素直さは好感が持てて、生前なら弟子として迎えることも考える。

  今が戦闘中でなければよかったが、ロシェはこちらが負ける事など一切考えていないようであった。

 

『時間があれば見せて貰う』

 

『は…はい!』

 

  子供は苦手だと思いつつ、ロシェの頼みを引き受ける。直ぐにロシェからの念話は止んだが、やはりゴルドを炉心に使う事に残念だと嘆息した。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  “赤”のライダーは短命であった。

 

  生まれつき体が弱いという訳ではない、それこそ母の恩恵で踵以外は傷つけられない不死身の肉体を手にしている。

  ただ、英雄として生きる事を選んだため、戦場を華々しい活躍と絶賛される栄光を得られる代わりに、駆けるように命が尽きた。

  彼の最後は彼と比肩される英雄を殺した後に戦車で引き摺り回し、侮辱したことで太陽神の不興を買ったことから始まった。

  太陽神はトロイアの英雄パリスに加護を与えて彼の弱点である踵を撃ち抜いた。続け様に心臓を射抜かれ、そこで絶命ーーーすると思いきや、彼は自身の死を悟ると力尽くまでトロイア軍を殺し尽くした。

  平穏を捨て、英雄として生きる事を選んだ彼は若き身でこの世を去った。

 

  それが“赤”のライダー、アキレウスの人生であった。

 

  そんな大英雄アキレウスにはとても優秀な師匠であり、頼りになる兄であり、越えるべき父がいた。

  実父であるペレウスが頼み、九年間自身を英雄として開花させるべく、育ててくれた恩師がいる。

 

  その名はケイローン。

 

  此度の聖杯大戦にて、“黒”のアーチャーとして召喚されたケイローンが、自分の前に立つことを、“赤”のライダー、アキレウスは何と言葉にしたらいいのか分からなかった。

  ただ一つ脳裏に思い浮かんだのは、“赤”のアーチャーであるアタランテと“黒”のバーサーカーであるヒッポメネスである。

  彼らが()()であったように、ケイローンとアキレウスも戦わなければならないことを、深く、理解した。

 

「ーーー行きます、先生」

 

「そんな言葉は不要ですよ、“赤”のライダー」

 

  厳しい言葉に萎縮しつつも、師弟の、兄弟の、父子の戦いが始まった。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「…よし、行くか!」

 

  能天気な声と共に飛び出したのは“黒”のライダー、アストルフォ。彼は宝具である自身の愛馬『ヒポグリフ』を召喚し、空中庭園へと空を駆け出した。ヒポグリフを呼び出す前に、“黒”の陣営の魔力供給を受け持つホムンクルス達を案じて宝具の使用を迷っていた。

  ホムンクルス達と、自分が救ったジークという少年のこと。

  彼らは魔力を精製する電池として造られたが、彼らの命を消費する宝具の展開はできるだけ避けたかった。

  だから、彼は最大の宝具は使わない。アストルフォはそう決めた。ヒポグリフの能力はただ幻獣を呼ぶことではない。真名の解放によって本来の力を発揮できるのだが、アストルフォはそれを封印することにした。

  莫迦な選択肢なのだろう。だが、その選択肢を取るからこそ彼は英雄なのだ。やりたくないことはやりたくない。絶対にやらないのだ。

 

「いよぉ〜し!ひとっ飛びだ!」

 

  主の命令に遵守に従い、翼を強くはためかせ、空へと駆けていく幻馬。目指すは“赤”のアサシンが支配する空中庭園。

 

  もちろん庭園の主は、アストルフォの侵入を許す訳ないが。

 

 

 

 

 

「ーーーほう?向こうのライダーも天を駆ける馬を持っているか。ならば、用意したこいつらも無駄にはなるまい

行け。醜悪なる翼者ども。せいぜい食い散らかしてやれ」

 

  “赤”のアサシン、セミラミスは薄く笑いながら空中庭園から接近してくる“黒”のライダーを見つめる。軽く手を振ると人間大の物体が空へと飛び出していく。

 

 

 

 

 

  “黒”のライダーは空中庭園から飛び出したものを見て、首を傾げた。それは上半身は竜牙兵であり、下半身は鳥類そのものだった。

 

「妖鳥?いや、竜牙兵の改良版?」

 

  数は多く、百羽近い数の竜翼兵が一斉にライダーへと襲いかかる。彼らの鉤爪は鋼鉄より硬く鋭い。庭園に近づこうとする不届き者を排除しようと群がってくる。

  だが、そんなものライダーの障害にはならなかった。

  ライダー、アストルフォの宝具は多彩で豊富だ。数は四つ。相手を転がすことに特化した槍、ありとあらゆる魔術を打破する魔導書、ある一点において特筆すべき力を持つ幻馬、そして、彼が今手に持つ角笛だ。

 

「それじゃ一列並んでぇ。はーい、ーーー『恐慌呼び起こせし魔笛』!」

 

  腰にぶら下げていた角笛が巨大化した。その角笛に一気に空気を吐き出すとーーー甲高い角笛の音が戦場に響き渡る。

  竜の咆哮と比肩する大音量は、百羽近い竜翼兵達を一瞬に消しとばした。この宝具、『恐慌呼び起こせし魔笛』は純粋な広域破壊兵器だ。

 

「ようし、真っ直ぐ真っ直ぐ。行くぞーっ!」

 

「そうは上手くいかんよ。可憐な戦乙女よ」

 

  ライダーは庭園の先頭に立つ、黒衣の女に気づいた。あれはサーヴァントだ。

 

「…“赤”のキャスターとお見受けする!!どうか、お覚悟を!」

 

「外れだ。我は“赤”のアサシン。しかし、お主の予想通り、魔術の腕にも少々心得があってな。この『庭園』にお主が入る資格があるかどうか。試させてもらおう」

 

  指を一度鳴らすと、彼女の周囲に魔力が展開した。

 

「ああ、上にも下にもあるぞ。気をつけろ」

 

  ライダーが空を見て唖然とした。彼女が展開したのは彼女自身の周囲だけではない。ライダーの上空に四つ、下側に四つと十二の高魔力の密度が装填された魔法陣が展開していた。

 

「ーーー失墜ろ」

 

  この魔法陣から繰り出される魔力砲に、ライダーは冷や汗を流しーーー余すことなく直撃した。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  雨は降りやまず、然りとて強くなるわけでもない。肌に纏わりつく小雨の水滴が顔のラインを伝って顎から流れ落ちる。草原の土は雨水を吸い、歩く度に足跡が残る。

  大地を駆ける二人は高地、低地、森、草原と多くの足跡を残しながら互いの肉体を傷つけていた。

  翠緑の狩人、“赤”のアーチャーは俊足を駆使し、岩や木々の障害物があろうと速度を落とさぬまま弓を構えて相手の命を奪おうと射抜く。

  碧衣の青年、“黒”のバーサーカーは槍と小剣、魔術を巧みに扱いながら“赤”のアーチャーに喰いつこうと雨により濡れた大地の上を滑るように走る。

  “黒”のバーサーカーは『大海の血潮』という保有スキルは水の恩恵により、ステータスの補正を受けれる。主に俊敏、魔力、幸運の補強があるが、現在バーサーカーは俊敏と魔力が上昇し、俊敏:Aのアタランテの俊足と渡り合っている。

  魔力放出で弾丸のように加速するバーサーカーはアーチャーへと斬りかかるが、避けられる。

  矢を連続で放ちながら、脚の腱や心臓、喉元、膝に狙うが、詠唱と共に作り出された水の蔓や水の剣が壁となりバーサーカーには届かない。

  最も広く、疾く、戦場を使う二人の戦いは未だ決定的な致命傷を与えるには至らない。

  バーサーカーは腕や足に矢が刺さっているが戦闘の支障とはなっていない。

  アーチャーは体の所々に切り傷が走るが、どれも軽傷に過ぎず戦意は衰えるどころか昂ぶっている。

 

  バーサーカーが片手に持っていた小剣をアーチャーへと投擲するも、それをバック転の要領で上空へと蹴り飛ばされる。槍だけとなったバーサーカーは、残った槍さえも魔力放出で加速された状態でアーチャー目掛けて振りかぶった。

  舌打ちをしながらアーチャーは横に飛びながら分厚い鋼鉄さえも貫く槍の投擲を躱す。

  バーサーカーは手ぶらとなり、このままでは武器は無いままアーチャーの弓から逃げ延びねばならないーーーが、わざわざ武器を手放し弱みを作るわけがない。

 

  「くっ!?」

 

  横に躱した一瞬を突いて、アーチャーへと接近したバーサーカーは拳をアーチャーの弓を持つ手首へと叩き落す。

  痺れたせいで指の力が入らない。バーサーカーはアーチャーの弓の恐ろしさを知っている。だからこそ、できるだけ弓を握れぬよう腕をへし折ろうと試みるが、それをアーチャーがやすやすと許すわけがない。

  バーサーカーがアーチャーを知るようにまた、アーチャーもバーサーカーの技を知っている。否、弓を扱う狩人の殺し方を教えた者として、バーサーカーがどう動くか知っていた。

  叩き落とした拳でそのまま手首を掴み、捻りあげようとするがアーチャーは腕を折られる前に、捻られる方向へと身体を回す。身体を回しながらバーサーカーの手首を逆に掴み上げながら、背中へ回り込み、首を絞め上げる。

 

「かっ!?」

 

  膝を後ろから蹴り、片膝を着かした状態で立ち上がれぬよう地面に膝を着いた足を踏めつける。身動きが取れない状態で首を絞め、絶命するまで力を入れ続ける。

  だが、バーサーカーは踏まれていない足の踵に魔力を集中させる。

 

淵源……=波及(セット)!!」

 

「なにっ!?」

 

  踵より放出された魔力は後方へと飛び出し、バーサーカーの後ろに抱き着く形で首を絞め上げるアーチャーも後ろへと飛ぶ。

  後方へと飛ぶ先には竜牙兵を叩き潰すゴーレムがいた。ゴーレムはバーサーカーとアーチャーの姿を目視するなり、腕を引いた。どうやら、アーチャーを認識し攻撃するように判断したようだ。

  アーチャーは逃げようと首から手を離すが。

 

「逃さないよ!」

 

  バーサーカーが逃さんとアーチャーの身体へと飛びついた。

 

「くっ!離せバーサーカー!…がっ!」

 

  バーサーカーが口角を上げたのを確認した時、背中から凄まじい衝撃が走る。ゴーレムの堅固な拳は鉄より硬い竜牙兵を粉々にする。その拳の一撃をまともに受けたアーチャーは苦痛に声を漏らす。バーサーカーもアーチャーの身体を通してその衝撃を理解し、アーチャーもろとも吹き飛ばされる。

  地面にしばらく転がるとアーチャーの上へと馬乗りになり、体を押さえつける。

 

「はぁ、はぁ、はぁ…!」

 

「どけ! バーサーカー!」

 

  息を整えながらも、アーチャー。逃さないと体を押さえつける。両手で彼女の両腕を押さえつけ、体を捩ることしかできない状態へと持ち込む。

  こうなってはどうしようもない。もし、アーチャーが真名の詠唱だけで宝具を発動できるならこの状況を脱することができるだろうが、そう都合の良い宝具を彼女は持っていない。

  弓を矢に番えれず、射抜くこともできない。蹴ることも殴ることもできず無防備。

  バーサーカーの遥か格上である英雄のアーチャーにこの状態へ持ち込めたのはーーー奇跡としかいいようがない。

  この状態が解かれれば、次は二度とないだろう。それほどまでにこの状況は千載一遇のチャンス。格上殺しの英雄たる堂々とした成果だろう。だがーーー

 

「・・・・・」

 

  バーサーカーは何もしない。剣を握らない、槍を掴まない、彼女の細い首に手が伸びない。

  ここまで来たら、あとは“赤”のアーチャーを絶命させるのみだ。でも、バーサーカーはそれを行わない。

  何もしないバーサーカーにアーチャーは眉を顰めながら、吼えた。

 

「…いつまで私を組み敷くつもりだ! 殺すならば殺せバーサーカー! 汝は私の敵だろう! もしや敵を辱める趣向でも持ち合わせているのか!」

 

「違う!!」

 

  怒るアーチャーに負けない否定の叫びが雨降る平原に響く。その怒声は一瞬だがアーチャーの虚を突き、破顔させる程の声量だった。

  そしてアーチャーはまたすぐに驚くこととなる。

 

「何を、している」

 

  アーチャーの体から退き、馬乗りの姿勢を解いた。腕も体も自由となり、すぐにでも再戦ができる。

  しかし、わざわざバーサーカーは好機を捨てた。アーチャーの横に座り、まっすぐな瞳が彼女の瞳と混ざり合う。

  アーチャーは射抜くために距離を取ろうとしたが、動こうとしないバーサーカーを前にして、動きを止めた。それと同時に思い出したことがある。

 

  ーーー何を糧とし、生きたのか。

 

  それを知らなかった。夫である男のことを何も知らない。それを聞こうと思っていた事を、アーチャーは思い出した。

 

「アタランテ、聞いてほしいことがある」

 

  戦場のいたるところで戦火が上がるのにも関わらず、バーサーカーの瞳の中にはアーチャーしか映らない。そしてまた、アーチャーの瞳にも今はバーサーカーの姿しか映らない。

  それほどまでに今は彼の言葉を待たなければならないと、彼女は不覚にも思ってしまった。

 

「僕は君をーーーっ!?」

 

  そう思っていたのに、彼の瞳はアーチャーから違うものへとズレた。何事かと思った瞬間、アーチャーも気づいた。自分達の上に何か()()()()が伸びている。

  すぐに振り向けば其処にはーーー

 

 

 

  巨大な嗤う筋肉(マッスル)があった。

 

 




スパさんはさすがスパさん。圧政圧政ィ!!


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巨人闊歩

遅れて申し訳ありません。
頑張って毎日更新しようにも、体力が追いつきません。
しかしアタランテが可愛いから頑張ります

では、どうぞ。

#文を修正しました。すいません。


  背後に立っていたのは優しく微笑む筋肉(マッスル)だった。

  青白い肌に、拘束具と思える鎧を着込み、溢れんばかりの筋肉が盛り上がっている。

  “赤”のバーサーカー、スパルタクスだ。

 

「おお、圧政者の走狗らよ。見つけたぞ」

 

  “黒”のキャスターが叛逆者である彼を解き放ったのだろう。彼は手に持つ小剣とは思えぬ大きな剣を躊躇いなく振り下ろした。

 

「な!?バーサーカー!」

 

「…っ!やはり腱を撃ち抜いておくべきだった!!」

 

  “黒”のバーサーカーと“赤”のアーチャーはそれぞれ左右に分かれ、触れるだけで肉体をバラバラにされる一撃から逃れた。

  “赤”のバーサーカーは“黒”のバーサーカーをアーチャーごと殺すつもりだった。

  キャスターに隷属された身となっていても、思考回路を固定する狂気は健在らしい。

 

「ははは、さあ私の腕の中で眠りなさい」

 

  剣を地面に食い込ませたまま手放し、両腕を広げて突進してくる。やはり狙いは二人。味方という概念は既に消え去っている。

 

「くそっ!期待した訳じゃないがやっぱりバーサーカーか!」

 

「汝もバーサーカーだがな!」

 

  軽口を叩きながら大振りの攻撃を避け続ける。アーチャーは避けざまに一瞬で複数箇所を矢で貫く。だが、“赤”のバーサーカーの笑みは絶えない。

 

「まだまだまだああああだああぁ!!」

 

「!アタランテ!」

 

  “黒”のバーサーカーが“赤”のアーチャーの手を引いて、鉄槌と見間違えるほどの拳撃から躱させる。

 

「だから何をしているのだ汝は!?私と汝は敵であろう!!」

 

  先ほどのバーサーカーとのやりとりでは現を抜かしたが、考えれば可笑しかった。

  二度の助力行為。一度は生かされ、二度目も助けられた。何の為に二度目の生があるのかを理解しているとは思えない“黒”のバーサーカーの行動にアーチャーは激昂する。

 

「分かっているさ!!愚かで馬鹿だってことぐらい分かっている!罵倒すればいいさ!サーヴァントの本分を果たせれないできそこないさ、僕は!!それでも、僕は、君を!!」

 

「ーーー頭を下げろ!」

 

  地面を抉り、石飛礫を飛ばす“赤”のバーサーカーの拳を次はアーチャーが“黒”のバーサーカーの頭を押さえて回避させた。

  満面な笑みで二人を見下ろす筋肉(マッスル)はひたすらに叛逆という思考に飲み込まれている。敵味方などそこにはなく、ただ屠ることのみに突き動かされている。

 

「…ああ、もう。とにかくだ、どうするヒッポメネス」

 

「…とにかくもこうも、あれじゃ味方として数えられるわけもないよ」

 

「そうだな。元はこちらのサーヴァントだが、こうなればどちらでもない。つまり…」

 

  顎を動かし、こちらへとゆっくりと歩み寄る小山のサーヴァントへと指す。

 

「汝もアレを野放しはできんだろう。さっさと始末して、続きを再開させる。…どうだ?」

 

  つまりーーー共闘の提案。

  常に暴走する“赤”のバーサーカーだが、形だけは“黒”のサーヴァントとして働いている。“黒”のバーサーカーにとってあの暴走する筋肉は一応は同じ軍門だ。

 

「ーーー乗った!!」

 

  だが、そんなこと“黒”のバーサーカーには知ったことではない。提案したのが“赤”のアーチャーでなければ、彼は“赤”のバーサーカーという囮を持って敵対するサーヴァントを倒そうとしただろう。しかし、提案したのは、“赤”のアーチャーだ。彼にその手を跳ね除ける思考はない。

  了承と共に、二人は同時に駆けだした。

 

「ぬううううううぅぅぅん!!」

 

  小剣という名の大剣を持ち直し、“赤”のバーサーカーは地面を抉り返す。再び石飛礫が二人へと飛来するが、“赤”のアーチャーは構わず推進し、逆に“黒”のバーサーカーは大きく下がり、小剣を地面へと突き刺す。

 

淵源=波及(セット)!」

 

  詠唱、魔術発動。雨により平原に満ちつつある水分を掻き集め、バーサーカーは水柱を地面より湧き立たせた。水柱の形成と共に新たに魔術を詠唱。

 

固マレ、天降リノ血水(Μετατροπή)

 

  瞬間に水柱が凝縮され、鉄柱のような硬度へと昇華する。その柱達は全て、“赤”のアーチャーが走る先々へと形成されていた。

 

「ーーーフッ!」

 

  “赤”のアーチャーは跳ぶ。飛来する礫達は彼女の肉を抉ることはなく、彼女は水柱を()()とした。圧縮され、鋼鉄と同等の強度の水柱を蹴り、更に飛んだ先には水柱がありーーーまるでピンボールのように跳ねて飛ぶ。その様はさながら空中を走るようで、その道は全て“黒”のバーサーカーが彼女が走りやすいようにと常に操作する。そうして彼女は“赤”のバーサーカーへと急接近する。

 

「ぅはあ!!」

 

  水柱ごとアーチャーを潰そうと腕を振るうが、緩慢かつ豪快な一撃は掠ることなく、“赤”のバーサーカーが振り終わった後の腕に着地したアーチャーは、腕の上を駆ける。

  矢が“赤”のバーサーカーの両目へと突き刺さり、視界が遮られるが“赤”のバーサーカーは構わずアーチャーがいた腕の箇所を殴るがーーー()()では遅すぎる。

 

「外れだ」

 

  “赤”のバーサーカーの降り下ろされた腕の手首に十数本の矢が突き刺さる。的確に健へと狙われた矢はバーサーカーの握力を奪い、握っていた剣が地面へと落ちた。

  傷つけられたことにより、()()した眼球がアーチャーを捉えるがそれもまた遅かった。

 

淵源=波及(セット)

 

  耳元で聞こえてきた声に“赤”のバーサーカーの首が動くが、振り返った先には何もない。

  しかし、両足に走った違和感に“赤”のバーサーカーが眼球を下へと降ろすと、そこには“赤”のアーチャーが“赤”のバーサーカーの剣を拾い右足の甲に突き刺し、“黒”のバーサーカーが左足の甲へと槍を突き刺して地面へと縫い付けていた。

 

「Woooooooooooo!!!!」

 

  視認した二人の圧政者へ叛逆者の鉄槌が振り下ろされるが、女は一歩で距離を開け、男は叛逆者の両足の間を潜って叛逆者の後方へ移った。

 

淵源=波及(セット)

 

  “黒”のバーサーカーは手に持つ小剣を両手で持ち替え、呪文を紡ぐと刀身に水流が纏わりつく。深呼吸を二つと意識を集中させ、外界と切り離した直後にソレは起きた。

  水流と刀身は一体と化し、刀身の丈は伸び、“黒”のバーサーカーの背丈の約三倍近くまで刃を成長させた。刀身となった高水圧、高密度の水流は常に流動し、回転している。さながらはそれはチェンソーのようだ。

  “黒”のバーサーカーは意識を呼び戻し、同時に叫び、剣を振るう。

 

震エヨ、我等ノ怒リハ満チタ(ελευθέρωση)!」

 

  一太刀。

  横薙ぎによる一閃は光の残滓を残しながら振り切られた。

 

  ズルリ

 

  生々しい音と共に斜めへとずれたのはーーー“赤”のバーサーカーの両脚。丁度足の健に位置する場所を同時に斬られると、足を失った“赤”のバーサーカーは前のめりに地面へと倒れる。

 

「ーーーはははははは!!!」

 

  だが、肉体の損失など決して気にしていない嗤いが平原に再び広がった。

 

「脚を失った程度で私は止まらぬよ!!」

 

  まだまだ笑みは止まらない。絶望?そんなもの知らないと言わんばかりに叛逆者は両手をつき、筋骨隆々の肉体を起こす。

  這いずってでも、一人でも圧政者を屠らんと彼は進み続けるだろう。まずは脚を斬ってくれた圧政者を抱擁せんと面を上げるとーーー

 

 

 

「そうか。ならば次は頭を失え」

 

 

 

  麗しき狩人が弓を構えて、正面に立っていた。

  キリキリと弦が軋むほどに強く()()()()()()弓は圧倒的な覇気を秘める。

  彼女の弓、『天穹の弓』は強く引き絞られただけ威力を増すという特性がある。最高の威力は筋力Aの威力を誇り、下手な宝具よりも強力だ。

 

  そして、その威力に至る分だけの時間は稼がれ、分かりやすいほどに当たりやすい的がある。

 

「おおおーーー」

 

  咆哮と共に突撃しようとしたが、その前に顎を蹴りあげられた。脚を斬り落とし、赤のバーサーカーの頭部まで移動し蹴りつけた“黒”のバーサーカーの行動は一切の無駄がなく、迷いがない。

  ただその行動は雄弁にーーー『黙っていろ』と告げている。

 

「ーーーふっ!」

 

  放たれた剛力の一射。月女神より賜りし神弓の一撃は、“赤”のバーサーカーの眉間を貫いた。

 

「お…」

 

  衝撃と共に眉間に突き刺さった矢の威力に“赤”のバーサーカーは仰け反り、そして再び地面へと倒れる。超重量の肉体が倒れた振動が地面へと波及する。

  不意に訪れた静寂は“赤”のバーサーカーの終焉を意味する。それに“赤”のアーチャーは短く鼻を鳴らした。

 

「アタランテ!」

 

  彼女へと駆け寄るのは“黒”のバーサーカー。手を挙げてこちらへと駆け寄り、近づいた瞬間に彼女の手へと振ろうとしたのだが。

 

「あれ?」

 

「何をしようとしているんだ汝は」

 

  見事に空を切る。ハイタッチしようとした“黒”のバーサーカーはあっさり避けられたことに、少し残念そうに首を垂れたが。

  ポン、と胸を叩かれて顔を上げる。

 

「でも、悪くなかったぞ」

 

  呆れてはいるが、それでも賞賛しているように“赤”のアーチャーは微笑んだ。

  その微笑みに“黒”のバーサーカーの顔は一気に赤くなり、今にも大量の汗が流れ落ちそうだった。バーサーカーは顔を大きく振り、表情を引き締めた。

 

「あ、あのアタランテ!!」

 

「なんだ?」

 

「さ、さっきはあのバーサーカーの所為で言えなかったけど、僕はーーー」

 

 

 

「WOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!」

 

 

 

「「!?」」

 

  沈黙したはずの空気に響き裂く大咆哮。空気を揺るがし、地面の小石を浮かせる声量に二人は同時に振り返った。

  そこには死んだはずの、いや、死んだと思った“赤”のバーサーカー、スパルタクスが()()()()()

  “黒”のバーサーカーが死線の隙に集中と魔力を籠めて振るった一太刀の傷が治っている。だが、その足はとても足と言うには奇怪すぎた。

 

  足の甲が二つ。両脚に足の甲が四つあった。

 

  無様な人形のほうがまだ可愛げがあった。微笑ましさもあったのかもしれない。だが、微笑みを絶やさぬ筋肉はどう見ても不気味以外の何物でもない。

  しかもアーチャーによって貫かれた眉間も肉が盛り上がり、拘束具によって包まれた顔が酷く不細工になっている。

  これには、“赤”のバーサーカーの宝具を知っているアーチャーと“黒”のバーサーカーも後ずさりたくなる。

 

 『疵獣の咆哮』(クライング・ウォーモンガー)

 

  受けたダメージを魔力へと変換し、治癒能力の向上とステータスの強化へと転用する宝具である。彼が元来持ち合わす耐久EXという規格外のステータスと合わさることで、死なず、死ぬまで暴れ回る狂戦士となる。

  傷つければ傷つける程に強く、傷つければ傷つける程に治癒する。早々に倒すには霊核がある頭部と心臓を破壊するか、規格外の耐久値を一撃で超えるほどの威力をぶつけるしかない。

  故に二人は前者である霊核の破壊を選んだのだが、その規格外の耐久を超えることができず、逆にバーサーカーを治癒させてしまった。

 

「この、筋肉達磨が…っ!」

 

「…異常が過ぎる、これでは獣以下だな」

 

  片や苛つき、片や冷ややかな目で隆起する叛逆者を睥睨する。収めた矛を再び解き、次こそは仕留めようとした時。

 

  遥か後方で雷光に似た光が照らされた。アーチャーと“黒”のバーサーカーが振り返ると空中庭園で高密度の魔力が爆発したようだ。

  “黒”のバーサーカーが目を凝らすと、魔力の爆発により発生した煙の中から一人の少年とも少女とも思える中性的なサーヴァントが幻馬と共に、地上へ落ちていく姿を捉えた。

 

「ライダー!?」

 

  “黒”のライダーが草原の向こうの森へと墜落する。消滅には至らなかったがあの様子では酷いダメージを負ったと推測する。

  助けにいく選択肢が思い浮かんだがーーー

 

「ははははは!!!」

 

  現在猛攻を止めようとしない“赤”のバーサーカーを相手するか否かのどちらかを迫られる。

  “赤”のバーサーカーは味方ではない。このまま放置するとどう転ぶか分からない。“黒”のライダーの安否を確認しに行くか、“赤”のアーチャーと共に“赤”のバーサーカーを打倒するべきか。二者選択に迷い、歯噛みした。その様子を横で眺め、見守っていた者はーーー深く嘆息した。

 

「…ふん!」

 

「ぐぇ!?」

 

  脇腹に鋭い蹴りが直撃した。蹴りを放ったのはアーチャーだった。彼女は“黒”のバーサーカーの前へ出て、迫ろうとする“赤”のバーサーカーへと立ちはだかる。

 

「行け。その様に悩み迷う者がいては背中を任すことなどできん。元々はあの化け物は敵となった身だ。私が倒すのが道理だろうよ」

 

  裏切り者には粛清を。彼女はそれを実行する為に、戦へと赴く。協力関係は数分で瓦解してしまった。これからは再び敵対関係へと戻る。“黒”のライダーの元へ行くことを赦すのは、せめてもの協力の名残なのかもしれない。

 

「行け。あの化け物の次は、汝の命を貰い受ける」

 

  それだけ言い残すとアーチャーは迫る“赤”のバーサーカーへと突貫した。一人でも“赤”のバーサーカーの猛攻を潜り抜け、あの筋肉を矢の筵へと変えていく光景に“黒”のバーサーカーは彼女が死なないことを確信し、森へと走り出した。

 

「ごめん!!アタランテ!!」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

  襲いかかる竜牙兵を打ち砕き、ホムンクルス達を助けながら進んでいくうちに草原から森へと入り込んだ。ライダーが墜落した地点までまだ距離があるとはいえ、人知を越えた英霊の脚力ならあと数分程度でライダーのところに辿り着くだろう。

  “黒”のバーサーカーは荒れつつある戦場を横目に、樹木同士の間隔が狭くなる森へと足を触れていく。

  森の中でもホムンクルスとゴーレム、そして竜牙兵の戦闘が及んでいるらしく、血の匂いが僅かに濃くなっている。

  ライダーを探すべく、叫ぼうとした時

 

「ああ、貴方が“黒”のバーサーカー、ヒッポメネスですね?」

 

  不意に声をかけられた。穏やかで敵意を感じられない声音。ゆっくりと振り返るとそこにはカソックを着た褐色の少年がいた。

  屈託のない笑みを浮かべ、こちらを眺めてくるがーーーバーサーカーはその少年から漂う気配に気づいた。

 

「……君は」

 

「どうも初めまして。理性を保てているバーサーカーがいて驚きました。私の名はシロウ・コトミネ、此度の聖杯大戦でマスターとして参戦しています」

 

「は?マスター?」

 

  可笑しい。可笑しすぎるだろう。マスターがこの戦場の前線へと出てくるのがまず可笑しい。

  場違いなマスターの登場にバーサーカーの警戒心が頂点へ達する。構えた体勢を解くことなくシロウを睨み続け、シロウは苦笑する。

 

「ほらシロウ殿、やはりこうなるのです。マスターが直々に戦場へ赴くなど…面白いにもほどがありますぞ!」

 

  シロウの背後からサーヴァントらしき男が現れた。男はバーサーカーに一礼する。中世の貴族服のような格好から好んで剣を振るうような男ではなさそうだ。まだ見てないキャスターかアサシンか?

  しかし、ならばなぜ自分の前へ現れた。そんな疑問に答えるかのようにサーヴァントーーーキャスターは高らかに叫んだ。

 

「何を可笑しなことを! 我輩はサーヴァントですぞ?マスターに付いていて何が可笑しいのですかな!?」

 

「……随分と陽気な人だね?」

 

  ライダーとどっこいどっこいか?いきなり現れて道化のように振る舞う男にバーサーカーは苦笑を隠せない。そんなキャスターを無視して、シロウはバーサーカーへと対面する。

 

「私はマスターですよ。この通り、ホラ」

 

  シロウが袖を捲ると参画の令呪が腕に刻まれていた。シロウの言葉に嘘はない、と分かってもバーサーカーの懐疑の視線は止まないが、このまま睨み合っていても何も変わらない。

 

「なら、このまま剣を向けても構わないということだね?」

 

「その見識で構いませんよーーーしかし、話を少し聞いてくれませんか?」

 

「話?」

 

「ええ」

 

  バーサーカーは僅かに悩むものの聞いてみても悪くないと判断し、首を縦に振る。肯定を得られたシロウは頭を下げると口を開いた。

 

「“黒”のバーサーカー、ヒッポメネス。どうでしょう?“赤”のバーサーカーと代わり、こちらへ来る気はありませんか?」

 

「…それは、無理な相談だね」

 

「おや、ダメでしたか?こちらには貴方の妻、アタランテがいますよ?」

 

  バーサーカーは苦笑する。自分はアタランテがいれば付いてくると思われているのか。

 

「彼女がそちらにいることは凄く惹かれるさ。実際のところ行きたいという気持ちがあることを否定できないしね」

 

「ならばなぜでしょうか?戦力的に見てもこちらが有利ですよ」

 

「全くだ。だけどね…」

 

  言葉を区切り、瞳に決意の色を浮かべてシロウへとぶつける。

 

「この命、マスターに選ばれ、聖杯によって与えられた。恩があるし感謝しきれない。そのマスターに唾を吐くような裏切りは、できないさ」

 

  まあ、色々と命令に背くことばかりしているけど…と付け加えた。

 

「そうですか…」

 

  交渉が失敗に終わる。シロウは少しだけ残念そうにしていたが、腕をだらりと垂れ下げると両手指の間に柄のような物を挟んだ。

 

「もしもこちらへ来る気がありましたら、いつでも申し出てください」

 

「その言葉、頭の片隅にでも置いておくよ」

 

  喚び出した小剣と槍を構えた。“黒”のバーサーカーは小さく、息を吐くとーーー駆け出した。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  「あー…いたたたた…」

 

  痛む身体に鞭打って、なんとか“黒”のライダーは立ち上がる。“赤”のアサシンの魔術によって墜落させられても、なんとか自身の宝具で防げれた。

  本来のヒポグリフの力を完全開放できていたのなら、あの魔術の弾幕を容易に回避できていたはずなのだがーーーやらないと決めたため、開放しなかった。

  空中庭園に攻め込むのを急かし過ぎたと、若干の反省しながら周囲を見渡す。どうやら、森の中のようだ。草原から少し離れた場所で、あちこちで戦いが繰り広げられている。

 

「…ひとまず、他を探すか」

 

  仲間の加勢をしようと、一歩踏み出したところでーーー戦場に似つかわしくない音が響いた。

 

 キィィィィィーーー

 

「む?」

 

  慌てて振り返ると竜牙兵やホムンクルスを跳ね飛ばしながら、爆走する赤いボディのスポーツカーがライダー目掛けて突っ込んできた。

 

「嘘ぉ!?」

 

  咄嗟に回避行動を取るとライダーの脇を通り抜けて、激しく回転しながらスポーツカーは停車した。

  しばらくするとスポーツカーがガタガタ揺れて、中からドアが蹴破られた。中から出てきたのは真っ赤なレザージャケットにチューブトップ、太ももを露わにしたカットジーンズを着た少女と、黒いブーツに黒いズボンの強面の大男だった。

 

「おいマスター、アメ車は頑丈じゃなかったのか?」

 

「…お前さんの運転に耐えられる車なんざ戦車しかねぇよ。というか、お前本当に騎乗スキルB?運転の意味分かってんのか?いや、やっぱりいい。こりゃ、お前の性質なんだな。うん」

 

  疲れた表情で大男ーーー獅子劫界離は、少女ーーー“赤”のセイバーの質問に答えた。“黒”のライダーは驚く。“赤”のセイバーの力量を、一目見て分かったからだ。

 

「“赤”の、セイバー」

 

「いよぅ。“黒”のサーヴァント…だよな?」

 

「合ってるぞ、多分そいつがライダーだ。さて、セイバー。後は任せた、俺は逃げる」

 

「なんだ、マスター。残ってオレの勇姿を見届けんのか」

 

「戦場の真っ只中じゃなけりゃ思う存分みるがなぁ…」

 

  そう言って獅子劫界離は車に戻り、去っていった。その後ろ姿を眺めながらセイバーはため息をついた。

 

「やれやれ。オレ抜きで開戦するとは、ふざけているにも程がある。…まあいい。主役は遅れて登場する、王は戦場に悠々と参陣するのが世の道理だ」

 

「あれ、王様なの?」

 

「応。降伏するなら、楽に首斬りで済ませてやるが」

 

「…いやあ、そういうのはちょっと」

 

  ライダーは槍を構え、セイバーへと戦意をぶつける。構えの様子にセイバーは不審げにライダーを見る。

 

「おい、ライダー。騎乗すべき馬はどうした?」

 

「あー、ちょっと一休みさせてるとこ」

 

  瞬間、戦場に殺意と怒気が満ちる。ライダーの態度が心底気に入らないらしい。

 

「ああん?騎乗兵が馬に乗らずしてどうする。ただでさえの弱兵が、それじゃあアマチュアだろうが」

 

「まあ、否定しないけど」

 

「いや、しろよ否定」

 

  呆気らかんと応えるライダーに脱力してしまう。セイバーは舌打ちをしつつ聞きたいことを思いだし、ライダーに尋ねた。

 

「そういや、“黒”のセイバーが消えちまったっていうのはマジか?」

 

「マジもマジ、大マジだよ」

 

「原因は?」

 

「んー……傍目から見たら内輪揉め。彼からすれば己の信念を貫いた、かな」

 

「うわ、ダセぇ、“黒”のセイバーは田舎騎士か何かだったのか?信念貫いてくたばった?阿呆らしい!」

 

  その言葉で、場の雰囲気は一転する。“黒”のライダーが変えたのだ。その雰囲気に“赤”のセイバーも慢心も油断も取り消した。

 

「これまた否定しないよ?しないけど、アイツのことを口にするな。たかだか不良風情の剣士が、アイツのことを口にするな!」

 

「ほう、よく吠えた。であればーーー」

 

  “赤”のセイバーの手に、幅広の騎士剣が現れた。全身に鎧を纏い、兜を被る。白銀の鎧を身に付けた“赤”のセイバーの姿は威風堂々。セイバーの名に恥じぬ、轟然とした立ち振る舞いであった。

 

「ーーー世間話はこれにて終了。剣の錆に変えてやろう、馬無しの騎乗兵めが!」

 

 ーーーあ、ヤバ。何かこれ死ぬな。

 

  本気の剣の英雄を前にして、アストルフォは直感で己の死を悟る。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  水が刃に、絡み手となってシロウへと襲いかかる。後方と右側から襲いかかるそれらを、シロウは刃ーーー黒鍵で対応する。

  左手の指に挟んだ柄からは刃が生み出され、それらで払いのける。刃にやすやすと飛び散らかされた水の刃達は元の水滴となって周りの大地に浸み込んだ。

 

淵源=波及(セット)

 

  魔力の爆発で急接近する“黒”のバーサーカーに、シロウは黒鍵の刃を放出させる。槍を振り回し、刃を叩き折りそのまま槍を振り下ろそうと天へと掲げる。

 

告げる(セット)

 

  シロウが告げると、叩き折られた刃はバーサーカーへ吸い込まれるように飛び出した。バーサーカーは振り向きながら小剣を逆手に持って刃を弾く。

 

「シッ!」

 

「っ!」

 

  シロウは黒鍵を投げ捨て、右手に持っていった“刀”で真っ直ぐと刺突を放つ。

  バーサーカーは小剣の剣脊で流すように刺突を逸らした。刀と小剣が合わさることで火花が散り、暗い森の中を仄かに照らす。

  両者は一度距離を取り、息を整えた。

 

「…やはり強いですね。逸話は少なくとも神代に生きた英雄。海神の血が四分の一も流れるだけあって水を扱うことにも長けている」

 

「賞賛は素直に受け取るよ。それを言うなら君はどうなんだい?神代に生きた英雄とまともに渡り合える奴なんて少ないんじゃないのかな?」

 

「ははは、どうなんでしょうか?」

 

  笑っているが弱みも隙も見せない。浮かべる笑みが胡散臭くなりつつあるが、身を引き締めて相手を見据える。

  シロウの主力はあの刀。英霊を傷つけることを可能とする魔力を秘める刃は要注意だ。厄介なのは黒鍵。詠唱すれば再び襲いかかるように術式が組み込まれている。

 

  ーーーしかし、それにしても何なんだ?

 

  バーサーカーは明らかに()()()()しているシロウに疑問を抱き始める。

  この時代にサーヴァントと、過去の英雄と渡り合える魔術師なんて存在するのか? カウレスから聞いた話では代行者と呼ばれる戦闘の専門家がいるのは聞いたが、それにしては何かが違い過ぎる。

  胸の内の靄が晴れることがなく、また止まることもなく増え続けている。謎を解けることができない焦りが、バーサーカーを急かす。

 

(彼は、ここで殺さなければならない…!)

 

  誰に指図された訳でもないが、そうしなければならない程に彼の存在感に気味の悪さを覚える。

 

  人とは違い、もっとこうーーー自分達に近いような存在感に忌避する。

 

 魔力を高め、突貫しようとした時。ふと彼のサーヴァントに目が行ってしまい足を止める。

 

「それにしても君のサーヴァントはなんなんだい?さっきからこちらを眺めるだけで何もしないなんて、可笑しくないかな?」

 

  シロウの後ろで控えるキャスターは先ほどからマスターであるシロウに助力もせず、ただ眺めていた。シロウとの戦闘中、キャスターの存在を忘れずに注意していたが何もしてこないことは流石に不審に感じた。

 

「失礼。我輩、戦うつもりなど毛頭ありません」

 

「はい?」

 

「なんせ我輩、戦う力など皆無に等しく、竜牙兵にもやられるかもしれぬのですからな!!」

 

  自身満々に宣言するキャスターとシロウを見比べる。シロウは肩をすくめるだけ。内心バーサーカーは自分より弱い奴がいたのか…、と安堵していいのかどうか迷っていた。

 

「そういうわけなので、どうぞ心行くまで戦ってください」

 

「いや、だからと言ってはいそうですかって…」

 

  同意を求めようとシロウへと目配せするが、シロウの様子がおかしくなっていることに気付いた。渋い表情となり一度舌打ちすると、後方へと飛び退いた。

 

「キャスター、撤退です」

 

「な!?」

 

  突然撤退を選ぶシロウにバーサーカーは驚愕を露わにした。

 

「思っていた以上に、()()()()()が早い。これは…啓示か何か受けていますね」

 

彼女?誰のことを指しているのだろうか?シロウはキャスターと幾つか話し、踵を返すとその場から去ろうと走り始めた。

 

「待て!!」

 

  ここで逃すわけには行かない。キャスターと共に退散するシロウを追おうとしたのだが。

 

『待ったバーサーカー!』

 

「カウレス君!?」

 

  マスターであるカウレスから念話が届き、その場で立ち止まる。シロウは既に距離を開けている、だが急げば間に合わないこともない。上手く理由を説明できないが、直ぐにでも追うことを進言しようとしたが。

 

『ライダーがあちらのセイバーと接触して戦闘になった!そちらへ急いでくれ!』

 

  その報告で立ち止まり、完全にシロウと距離が空いてしまった。あの最優クラスが、ライダーと戦闘?

  かなり不味い。あのセイバーのステータスはバーサーカーとライダーとは比べられない程に高く、スキルの隠蔽がされており、どの時代、神話、逸話などまったく知れていない。

  “赤”のセイバーとの戦闘で“黒”のライダーの勝利の確率はーーー低い。

 

「クソっ!」

 

『場所を案内するから急げ!』

 

  舌打ちと共にその場から駆け出す。

  今は直ぐにでもライダーへの助力が大事だ。バーサーカーは先ほど会ってしまったマスターの少年のことを思い出し、ライダーの元へと急いだ。

 

  彼から感じたーーー人の領域を離れた存在感を、忘れることを出来ずに。

 

 

 

 

 

 




すいません。読み直して、色々と気に入らない部分が出来てしまったのでかなり修正しました。一度読んでいただいた方々に迷惑かけてしまい、すみませんでした。



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赤雷渦巻く

気がつけば既に三月後半。もう直ぐで五章も始まるわけだし、色々と節約せねば。

アヴェンジャーほしかった。

というわけで更新です、どうぞ。


  ーーー圧倒的じゃないか

 

  “黒”のライダーは自身の宝具『触れれば転倒!』である黄金色の馬上槍を握りしめ、果敢に攻めていくも、“赤”のセイバーは機敏に避け続ける。

  『触れれば転倒!』の能力は、一撃でも喰らえばサーヴァントの脚部を強制的に霊体化させることだ。

  だが、直撃しなければ意味はない。

  “赤”のセイバーはスキルに『直感』を保持している。故に彼女の直感は彼女に囁く。

 

 “あれに触れるな”と

 

「遅い!」

 

「ぐっ!」

 

  全身鎧を身に纏っていてもライダーを超える敏捷さでセイバーは一方的に刃を叩き込む。何とか凌ぎきろうと馬上槍で受け止めるが、一撃一撃に赤雷を纏わせたセイバーの剣に今にも崩れ落ちそうだ。

  この赤雷は“赤”のセイバーの魔力だ。全身から余すことなく放出される魔力は赤雷へと姿を変え、敵に襲いかかる。

 

「ああクソ、こっちは忙しいんだ。…さっさと死ねよ!」

 

「いやいや、そう言わずに、もうちょっと付き合ってくれない?」

 

「ほざけーーー!!」

 

  笑みを絶やさずに戦うライダーにセイバーは怒髪天を突く。沸点が低すぎる。

 

「くっ…!」

 

「隙だらけだぞ!オラァ!!」

 

「ガッ…!」

 

  馬上槍を上方へと弾き、がら空きになった腹部へ剣を叩き込む。ライダーは身体を捻ることに徹底した。それが功を奏したのか、脇腹を貫いただけで即死とはならなかった。

  だが、それはセイバーの剣が喉元へ突きつけられた状態では何の意味はない。

 

「じゃあな、楽しかったぜ」

 

  大剣を振り上げる。これが落ちれば“黒”のライダーは消滅する。ーーーが、ライダーは笑って呟いた。

 

「…準備、完了だ」

 

  ライダーの言葉に、セイバーは大剣を止めた。

 

「おい、なにが準備できたってんだ。ええ?」

 

  ニヤリと笑うライダーにセイバーの苛立ちが募る。策か罠か、自らの状況を振り返ろうとした時ーーー

 

「シッ!!」

 

  音もなく参上した“黒”のバーサーカーが、“赤”のセイバーの背中に小剣を突き刺した。

 

  キィン!!

 

  しかし、金属音が寂しく響き渡っただけであった。

  高ステータスの耐久に、ただのバーサーカーの刺突は通らなかった。

 “黒”のライダーは、驚愕を隠せずに“赤”のセイバーを見上げた。彼女は怒りで、身体を震わせている。

  背部で油断させたところでの完璧な一撃。だが、それは鎧の表面に剣を突き立てるだけの虚しい結果だけが残るのみだった。

 

「てめぇ如き三下が、一匹増えたところでな…」

 

  ギリギリ…と歯軋りが響く。“黒”のライダーはその様子に危険を察知し、馬上槍で突こうとするもセイバーに肩を踏まれて身動きが取れなくなった。

 

「勝てると思ったーーー」

 

 

 

「君みたいな一流に噛み付けるように令呪があるんだよ」

 

 

 

  “赤”のセイバーの直感が告げる。

 

 ()()()

 

  彼女はその直感に従い、体を捻った。背中に突き刺された小剣の位置を、せめてもと腹部へと移せたのはまだ幸運だっただろう。

  だが、時は既に遅すぎた。バーサーカーの持つ小剣に力が篭る。それと同時にバーサーカーのマスターから命令が下された。

 

 

 

『第五の“黒”が令呪を以って命じる』

 

 

 

『貫け!バーサーカー!!』

 

 

 

「淵源=波及《セット》!!!」

 

 

 

「…ガアアアァァーーー!!?」

 

  小剣が鎧に突きつけられた状態からの魔力放出、加えての令呪によるバックアップ。限定されたこの一撃は最優と称されるセイバーの堅牢な鎧を突き破り、中の肉体を貫いた。

  衝撃は空気を揺らし、“赤”のセイバーは吹き飛ばされる。

  切っ先についた血を払い、バーサーカーは倒れるライダーへと手を伸ばす。ライダーは満面の笑みで手を取って、立ち上がる。

 

「やるじゃんバーサーカー!!」

 

「ナイスアシストだろ?」

 

「ああ!」

 

  勢いよくハイタッチする。傷ついたライダーの肉体は、マスターからの治癒魔術がやっと届き、少しづつ治っていく。

  二人は少しだけ喜び合うと、セイバーが吹き飛ばされた方向へと向き直す。

 

「ねえ、あいつ倒せると思う?」

 

「かなり…難しすぎる」

 

「だよね〜」

 

  ガラリと、鎧が音を立てながら立ち上がる。ゆっくりとした動作はまるで何があったのか、確認しているようだった。

 

「ところで“黒”のセイバーとあいつ、どっちが強いと思う?」

 

「……断言できないな、どちらも次元が違い過ぎる」

 

「だね」

 

  やがて、立ち上がった彼女の周囲には赤雷が迸り始めた。彼女の感情と連動し、大地を、空気を、降りやまぬ水滴を焦がしていく。離れた位置でも、赤雷にどんな感情が含まれているのか分かる。

  ーーー怒り

  この一点に他ならない。

 

「でも“黒”のセイバーの方が勝てない、と思えたかな?」

 

「違いない。しかし、前に立つのは彼だ。ーーー気を引き締めてよ、ライダー?」

 

「大丈夫!やってやるさ!」

 

  黄金色の馬上槍を構える“黒”のライダーと、槍と小剣を両手に構えた“黒”のバーサーカー。

  幽鬼のように揺らめきながら、“赤”のセイバーは剣を一度振る。

  赤雷が剣の軌跡に乗り、破壊力を得る。大地が爆ぜて、空気が燃える。

  顔を上げた“赤”のセイバーは真っ直ぐと二人を見据えて、叫んだ。

 

「ぶっ潰してやるぞクソッタレどもがああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

  その表情はまさしく若獅子。兜の奥では可憐と思える顔の造形が恐怖へと感じる程に怒り猛っていた。

  直に怒りをぶつけられる二人は揃って呟いた。

 

 

 

「「あ、ダメだコレ」」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  走る、走る、走る。

  少年は走り続ける。目指すのは恩人の元。

  “会いたい”ただそれだけが、彼を突き動かす。

  彼の目的はもう一つあった。だがそれは既に果たされた。

  ならば恩人の再会に全てを置いて、走る。

  戦場で幾度となく叫ぶが返事はない。喧騒が掻き消し、雨音が音を落とす。

  肌に張り付く衣服が不快感を生むが、それさえも今は感じていられない。

  この戦場で今、命を削りながら戦い続けているもの達がいる。

  恩人もその一人であろう。

  なら、借りを返したい。役立たずかもしれない。逃げろと怒られるかもしれない。

 

  でもーーー自分で選んだ。

 

  引き返そうとも既に選択肢は散り散りとなっている。

  ならば、一歩でも前へ進まなければならない。自分が選んだ道程を、少しでも良かったと思えるために。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「オラアアアァァァァァァァァァァ!!!」

 

「ぐぉっ!」「くっ!」

 

  “赤”のセイバーの猛攻を、“黒”のライダーと“黒”のバーサーカーは耐え忍ぶことしかできなかった。バーサーカーのあの一撃は令呪あっての最高の一撃。セイバーの鎧を貫き、手傷を負わせれたがそれも時間が経つことでマスターの治癒魔術で修復されるだろう。

  空いた鎧から血が漏れているが、些末だと言わんばかりに赤雷を撒き散らす。

 

「ぶっ潰れろ!!」

 

「潰れ、ない!!」

 

  急速な振り下ろしを槍を両手に持って防ぐ。槍に直撃した瞬間に、足が地面に埋まるような衝撃に身体が硬直した。その隙を逃さず、蹴りを叩き込もうとセイバーが足を半歩引くが、その前にライダーの横入りが入った。

 

「倒れてよ!」

 

「鬱陶しいな、おい!」

 

  馬上槍を突き出すが身体を後ろに逸らして躱された。セイバーは大きく後ろに飛び退き、間合いを取る。ライダーとバーサーカーの二人はセイバーの余りにも格が違いすぎる実力に舌を巻くばかりだ。

 

「バーサーカー、あのセイバー強すぎない?」

 

「それはセイバーだからね。生半可な実力で最優には選ばれないだろうから」

 

「あー、王様は伊達じゃないかぁ。というか女の子だから女王かな?」

 

「ん?王様?女王?」

 

  ライダーの言葉に反応するバーサーカー。ライダーは頷くと“赤”のセイバーを指差した。

 

「あの娘、女の子だよ?」

 

「…女の子で騎士で王だった英雄?」

 

  真名をーーーブリタニアの女王、ブーディカかと“黒”のバーサーカーは考えた。王であった夫の死後、女王の座に就いたが女性に相続権がないとローマ帝国に娘共々苦痛と陵辱に遭わされ、大帝国へ反旗を翻した勝利の女王。

  しかし、ならばあの情報隠蔽のスキルは何だ? かの女王にそんな逸話があったか。そもそも女王は王であって、騎士ではない。

  それにあの気性の荒さに、“黒”のランサーのような王気を感じない。

  卓越した剣術を持つ歴戦の騎士、それが“赤”のセイバーから感じられた印象だ。王というにはーーー少し違う。

 

  こちらの会話を聞いていたのかセイバーの眉が跳ね上がった。

 

「てめぇ、俺の事を女と呼んだな?絶対てめぇの首を跳ねてやる!」

 

「ありゃ、更に怒ったよ」

 

「……むう」

 

  女が嫌い…という訳ではない。恐らくあの様子だと生前は男として振舞っていたのかもしれない。もしかすると事実は女で、逸話では男として語り継がれた英雄なのかもしれないとバーサーカーは考えた。

  逸話と事実はとことん掛け離れている。伝えられていない部分など幾らでも存在するだろう。

  このまま思考しても何の問題解決にもならない。だから、聞いてみよう。

 

「“赤”のセイバー。君は本当に王なのかい? 僕の知る王という姿は、もっとこう、誇り高くて…君みたいに粗暴ではないと思うんだけど?」

 

  バーサーカーはもう少し情報を得ようと話しかけてみる。返事は赤雷と咆哮であった。

 

「うるせえ! 品行方正とか礼儀正しいとかは忌々しい優等生だけで充分だ。王は王だ! 俺は()()()より王として、相応しい!」

 

「なるほど、その言い分だと結局のところ君は王になれずじまいだった訳だね」

 

「てめえ…!」

 

  兜の下にどんな顔が収まっているかは分からないが、絶対激怒している。彼、いや、彼女にとって王というワードは彼女という英霊に深く関わっている。そして、『あの人』。この流れだとすれば必ず『あの人』とは王を指す。

 

「君が騎士ならば、さぞ『あの人』という方は優秀な人なんだろうね。君みたいな不良騎士を従えていたんだ。王として、()()()に立派な方だったんだろうさ」

 

「ーーーてめえが」

 

  竜の尾を踏んだ。もしくは逆鱗に触れたか。怒りにより魔力が体から溢れ出し、弾けた赤雷が空気を焦がし、大地を爆ぜる。

 

「オレと、()()を語っているつもりか三流!!!」

 

  ーーー父上

 

  その言葉にバーサーカーの思考回路が高速で回転する。

  騎士、素性を隠すスキル、宝具と思わしき白銀の剣、そして王である父への執着。

  そこで一人の英雄の名へと辿り着く。可能性としては大きい。だからこそバーサーカーはセイバーに向かって、こう口にした。

 

 

 

「だから父に刃向かう道を選んだのか?叛逆の騎士()()()()()()?」

 

 

 

  ピタリ、と“赤”のセイバー、モードレッドの動きが止まった。今までの怒りは何処へ消えたのか、雷の轟音は不思議と鳴り止んでいた。

 

「…てめぇ」

 

  その反応にバーサーカーは小さく呟く。ーーービンゴ、と。

 

「…モードレッド?モードレッドってあの、モードレッド?」

 

「ああ、円卓の騎士の末席にしてアーサー王に叛逆した騎士、モードレッドだろうね。彼女…いや、彼は」

 

  モードレッド。伝説名高き騎士王、アーサー王の息子にして、アーサー王の伝説に終止符を打った叛逆の騎士。

  アーサー王がフランスに出兵している間、留守を任されたモードレッドは多くの諸侯や豪族を従えて謀叛を起こした。

  そして、帰ってきたアーサー王の軍勢とぶつかり合い、カムランの戦いにてアーサー王に一騎討ちを申し込み、騎士王の一撃にて破れた。

  そのモードレッドがまさかの女性とは予想外だったのだろう。正体を言い当てたバーサーカーも、セイバーが動きを止めるまで疑い半分だったのだから。ライダーも驚愕で口をあんぐり開けている。

  当の本人はしばらく瞠目していたが、落ち着きを取り戻したのかため息を吐きーーー兜を脱いだ。

  バーサーカーは初めてセイバーの素顔を見ることになったが、素直に愛らしい少女だと思った。

  輝く金髪を後ろで一つに纏め、端整な顔立ちに勝気な目つきは何処か自分の妻に通じるものがあると感じた。

 

「…バーサーカー、だっけかお前?」

 

「あぁ、そうだよ」

 

「お前みたいな、弱い癖にやたら小賢しいやつは基本的に厄介なやつだって決まってんだよ」

 

  今までの暴威は何処に行ったのか、極めて落ち着いて語りかけてきたセイバーに、バーサーカーとライダーはたじろいだ。

  その佇みとは裏腹に彼女から発せられる魔力の圧力が先程とは比べものとはならない程に膨らみ上がっている。

 

「それが、どうしたんだい?」

 

「なに、そういうやつはのらりくらりといつの間にか戦場から遠のいて、決着がつかないことが多々あった。こっちには面倒くさいものを置き去りにしてくれたりしてな」

 

  白銀の剣を両手に持ち替えて、無作法に、だがしっかりと足を開いて構えを取った。

  膨大な魔力が剣に集束し、バチバチと魔力が弾き光る。

 

「だから、余計なことをしてくれる前にーーー」

 

  視線が此方に定まった。

 

「ーーーここで潰す」

 

 

 

「ライダー!!」「うん!!」

 

 

 

  その時二人は察した。

  セイバーはここで決着をつける気だと。

  二人は身を翻して、全力で後退し始めた。

  戦場で背を向けることは恥だと、侮辱されるが二人は背を向けて逃げることに徹した。

  あの魔力の集束は『宝具』の解放の兆し。そして、解放された宝具の威力を防ぐ術を持たない二人は、できるだけ宝具の一撃を避けようとなりふり構わず走り出す。

 

  白銀の刀身が紅へと染まっていく。形を変えて、王剣は邪剣へと変貌する。荒れる赤雷が周囲へと走り、形ある物を崩していく。

 

『我が麗しきーーー」(クラレント)

 

  赤雷の輝きが最高潮へと高まり、剣の振り降ろす向きを逃げる二騎へと向けられる。

  彼女は叫ぶ。彼女が最も世界に残した逸話を。王への、父への最大の憎悪と憧憬を込めて。

 

ーーー父への叛逆』(ブラッドアーサー)!!!」

 

  放出された魔力の奔流はまさに竜の息吹。その一撃は世界を削り、概念を揺るがせる。

 

  赤雷が、世界を満たした。

 

 

 

 

 

「ーーーゲホッ」

 

  やっと呼吸ができたと思ったら吐き出したのは血痰だった。肺に血が溜まっていたのだろう。血を吐き出して顔を上げて見える景色はーーー焦土だった。

  ホムンクルスの死体も、ゴーレムの瓦礫も、竜牙兵の残骸も、全て木っ端微塵となって消えていた。

  戦っていた場所は移動に移動を重ねながらだったため、森から草原の近くにいたが生えていた草木も消え去っている。

  モードレッドの宝具『我が麗しき父への叛逆』

  その宝具は周囲を跡形もなく消し飛ばす高威力の赤雷を放つこと。弱小のサーヴァントなら直に喰らえば、必殺となるだろう。

  だが、バーサーカーは生きていた。五体は満足ではあるが全身が痛めつけられて体を上手く動かせない。宝具の解放のギリギリまで逃げて、解放と同時に左右に飛び退いたことが功を成したか。

 

「ライ、ダー……」

 

  友の姿を探すが、すぐに見つかった。僅かに離れた距離にバーサーカー同様に倒れ伏せていたが意識を取り戻している。ーーーだが、その横でセイバーが剣を突き刺そうと立っていた。

 

 

 

 

「ーーーこれは、きつい…なぁ……」

 

  両目に映るのは剣を持ち、自分の胸に突き刺そうとしている“赤”のセイバー、モードレッド。“黒”のライダーは騎乗槍でも何でもいいから反撃しようとするが、上手く手が動かせない。というより、指が痺れて物も上手く掴めない。マスターであるセレニケが令呪で転移してくれればこの状況から逃げられるだろうが、不運にも先程の宝具の一撃で戦況を観察する使い魔は何処かへと飛んで行ってしまった。此方の状況を確認できなければ的確に令呪を使えないだろう。

 

「ムカつく雌犬だったがよくやったーーーだが、これで終わりだ」

 

  セイバーは蔑みもなく、賞賛と終わりを告げる。ライダーは視線を横に移し、こちらを助けようと必死に這いずるバーサーカーの姿を捉えた。

 

(逃げるんだ)

 

  二度目の生で得た最初の友、ヒッポメネス。曲者揃いの“黒”の陣営で自分の遊びに付き合ってくれた平穏な英霊。彼の願いは妻であるアタランテとの再会。そのアタランテが皮肉にも“赤”のアーチャーとして現界している。普通の人なら敵同士で殺しあわなければならないことを憐れむだろうが、ライダーはバーサーカーにその事を聞いた時こう言った。

 

『良かったじゃないか!奥さんと会えるよ!』

 

  理性が蒸発しているライダーにとって敵同士など知った事ではなかった。純粋に友の願いが叶えられることを喜んだ。バーサーカーは少しだけ複雑そうに表情を変えていたが、すぐに嬉しそうに破顔した。

 

『ああ、アタランテに会ってくるよ』

 

  この戦場で満足いく再会はできていないだろう。だから、ここで逃げるんだ。ライダーは手をしっしっと振って逃げろとバーサーカーに伝えた。それでも、バーサーカーは転がっていた小剣を拾って近づいてくる。

  ーーー友達ってやっぱりいいね。そう思いながら、ライダーは視線をセイバーへと戻す。

  倒錯的なマスターに召喚されたがバーサーカーやアーチャー、そして命を救えたホムンクルスの少年と出会えたことは良かったと思いながら眼を瞑る。

 

「じゃあな」

 

  セイバーの言葉と、バーサーカーの叫びが聞こえる。

 

(…あーあ、これで終わりかぁ)

 

  少しだけ後ろ髪を引かれるが悔いはない。自分らしく、英雄らしく二度目の生を全うできたことを誇りながら剣が降ろされることを待つ。

  歯を食いしばり痛みに覚悟してその時を待つがーーーいつまで待ってもその時が来ない。

  何事かと、眼を開けるとーーー絶句した。

 

  セイバーの後ろには見覚えがある()()が立っていた。少年はバーサーカーが穴を開けたセイバーの鎧の隙間から細身の剣を突き刺し、修復されかけていた傷口を開かせた。血が再び流れ、セイバーは苦痛と驚愕に首だけを回して、自分を傷つけた正体を睨みつけた。

 

「ーーー何者だ、貴様?」

 

  ホムンクルスの少年、ジークは細身の剣は引き抜き後ろに下がる。無言、それがセイバーの質問に対するジークの返答だった。

 

「…答えぬならそれでも構わん。お前は、オレが殺すと決めた」

 

「ーーーっ!! 止めろ、セイバー!」

 

  現界まで傷ついた体を起こし、セイバーへと掴みかかるライダーだが、無謀な行動の代償に腹部に鋭い蹴りが入る。

 

「がっ…!」

 

  激痛に膝を着く。痛みどころで屈するつもりはないが限界に近い肉体は行動を障害する。

 

「残念なことに。オレはこいつを敵だと見定めた。せめて、もう少し弱ければ別の道が見つけられたものをな」

 

  セイバーが蹲るライダーへ告げると、白銀の剣を構える。ジークは動かない。直視する死の恐怖で動けないのか、平然な様子で目の前のセイバーを眺めていた。白銀の剣がブレ、ジークへ降ろされたその時。

 

淵源=波及(セット)!」

 

  ジークの前に地面に溜まった水溜りが壁とならんと盛り上がった。バーサーカーが魔術でジークを救わんと満身創痍で即席の壁を作った。ーーーだが。

 

「ーーーあっ」

 

  その儚い一言はジークなのか、ライダーなのか、バーサーカーだったのか。水の壁は容易く引き裂かれ、白銀の剣はジークを斬り裂いた。体が崩れ、地面に紅い水溜りを生む。

雨は未だ降り続く。草原を彩るホムンクルス達の血の中にまた、ジークも加わった。

 




接近戦では全くもって二流サーヴァントなヒッポメネスなのです。彼がアタランテと同等に闘えたのは、彼女を知っているからであり、それ以外のサーヴァントに対しては普通に弱いのです。


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少年の帰還ーーー

すいません、『巨人闊歩』の文章を修正しました。幾らか直しているというか、結構変えてしまったので申し訳ありません。
あまり修正しないように気をつけます。

では、どうぞ


  ホムンクルスの少年、ジークはルーラーでありレティシアという少女に憑依したジャンヌ・ダルクと行動を共にした。

  “黒”のライダー、アストルフォと“黒”のセイバー、ジーフリートに救われたジークは自由に生きろと言われ、自由が分からずにジャンヌに自由とは何をすればいいのか?と尋ねると、こう答えられた。

 

『もしかすると、貴方には何か望みがあるのでは?』

 

  その言葉にジークは一つの願いが込み上げた。

 

『仲間を救うこと』

 

  かつて自分がいたあの城塞にいるホムンクルスの同胞達。何も為すことがないと確定された仲間達を救いたい。ライダーが自分を救ってくれたように、彼らを救いたい。助けてほしいという声を聞いてしまった。聞かなかったことも、逃げ出すことも俺にはできない。

  仲間の嘆きに応じるために、ジークは抜け出した場所へと戻ってきた。

  ジャンヌ・ダルクはこの戦いに何か見逃せない不安を感じると“赤”と“黒”の大戦へと赴いた。ジークは元々戦争の中ならばチャンスはあるとジャンヌと行動を共にし、途中までは戦場の中を潜り抜けた。

  空へ浮かぶ空中庭園からの爆撃で別れ、ジークは仲間の救出、ジャンヌは“赤”の陣営の調査にためそれぞれ駆け出した。

  荒れる戦場で運良くジークは前線で戦うホムンクルス達に出会い、自分達の生き方は自分達で決めるよう他のホムンクルス達に伝えてくれるよう頼んだ。

  これでジークの目的は達成された。そして、ジークはもう一つの目的の為に再び戦場を走り出す。

 

  “黒”のライダーとの再会。

 

  あの少女とも思える美貌の騎士との再会を望み、駆け回るなか、一つ赤い光の奔流が戦場となっている草原の一角を焼いた。

  ジークは桁違いの魔力の一撃に恐る恐る近づくと、其処には見覚えがある二人と全身鎧を纏った少女のサーヴァントがいた。

  見覚えがある一人は傷ついた自分を治癒してくれた理性を失わなかった平穏なバーサーカー。

  そして、見覚えのあるもう一人はーーー

 

  そのもう一人が少女のサーヴァントに剣を向けられているのを見て、無我夢中となって駆け出した。

 

  恩人がくれた細身の剣を鞘から抜き、サーヴァントめがけて突貫する。サーヴァントはこちらを見向きもしない。

  全身鎧の腹部付近に空いている隙間から滑らせるように細身の剣を突き刺す。

  突き刺した時、初めて少女のサーヴァントがジークに気づいた。唖然と怒り。少女が此方へ向けてきた感情だ。

  サーヴァントが剣を振り上げて、叩きつけるように振り下ろされる。それを平常心に近い状態で眺めていた。生きるのを諦めたわけではない。恐怖で身が竦んでいるのでもない。ただ、どこか夢心地だった。

  剣が振り下ろされる寸前、水の壁がジークを守るように展開されたが、するりとジークごと斬り裂かれた。

  セイバーが持つクラス別スキル『対魔力』。魔術を無効化するそのスキルは、水の壁をもろともしなかった。

  だが水の壁がクッションとなったのか、ジークは即死には至らず、胸から大量の血を流しながら地面に倒れる。

  痛みが感覚を麻痺させ、夢心地が続く。虚ろとなっていく視界が重く黒ずんだ空を映す。戦場となるまえに降り始めた雨は、熱くなる傷口を冷やしてくれる。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「くそぉっ!!」

 

  地面に拳を振り下ろす。泥水が弾け、顔につくがどうでもよかった。ただ目の前で失われてしまった命を救えなかったことに強く歯をくいしばる。

  “赤”のセイバーによって、ホムンクルスの少年ジークは斬り伏せられた。

  “黒”のライダーは唖然と固まっている。“黒”のバーサーカーは小剣を握りしめ、“赤”のセイバーを睨みつける。

  睨みつけられた本人は既にジークから視線を外し、“黒”のライダーへと視線を移している。

  このままではライダーはセイバーの手によって殺される。やっと四肢に力が入り、立ち上がろうとした瞬間ーーー

 

  ジークの指がわずかに動いたのを目にした。

 

「…生きている!」

 

  歓喜が胸を満たす。生きていてくれた。それが何よりも嬉しかった。生きているなら傷を治せばいい。すぐにでも駆け寄り治癒魔術を施したい。だが、それを近くにいるセイバーが許さないだろう。

 

  最優のサーヴァントを出し抜き、彼を救出するのにはどうすればいい?

  今一刻と命が尽きそうな彼を窮地から救うにはどうすればいい?

  一秒にも満たさない内に思考回路が稼働し、最善の策を導かんと考える。

 

  ーーーそして、“黒”のバーサーカーは最善へと至る。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

「待たせたな」

 

「・・・・・」

 

  “赤”のセイバーは“黒”のライダーに向き直った。ライダーは顔を伏せて沈黙する。ライダーの表情から、柔らかな笑みは消えていた。

 

「行くぞ、“赤”のセイバー。君は、許さない」

 

「は、情を移すのも結構だがな!此処は戦場だぞ。オレに敵対した者はそりゃ、殺すさ。傷を付けた者なら、尚更だ!」

 

「ああ、そんなコトは分かっている。分かっているけどな、このアストルフォが、そんな理屈で納得するわけないだろうッ!」

 

  ライダーが槍を低く構えて、突貫を試みる。それを迎撃しようと剣を構えたセイバー。両者の獲物がぶつかろうとした一瞬にーーー地面が弾けた。

 

「「なっ!?」」

 

  土砂が吹き飛び、泥水が降りかかる。地面が幕となって迫り来るのを剣を振るって薙ぐも、続け様に地面が弾けて土砂や泥水が口に入ったり、頭にかかる。

 

「げっ!ペッペッ!!うぇ!?なん、だこれ!?」

 

  全方向からくる土砂に焦るセイバー。全身に泥や土がこびりつく。誰がこのような仕業をするか、すぐに答えが出た。

 

「…バーサーカァァァァァ!!!」

 

  最初は不意打ちを喰らい痛手を負って、二度目は真名を見抜かれ、今は土砂を浴びせられる。苛立ちが募りに募り、剣を振り回して下手人を探す。

 

「どこだてめええええええ!!!」

 

  絶対に叩き斬ると魔力を全開に放出し、地面ごと赤雷で弾き飛ばす。やっと止んだ土砂の向こうに、小剣を地面に突き刺すバーサーカーを見つけ、すかさずセイバーは弾丸のように接近した。

 

「くたばりやがれ!!」

 

  怒りに身を負かした一撃にバーサーカーは正面から立ち向かった。両手の槍と小剣で防御の姿勢を取り、白銀の剣がぶつかる寸前に魔力放出で立ち向かった。赤雷纏う白銀の剣と名も無き小剣がぶつかった。

 

「っ!ぐうおぉぉぉぉぉ!!!」

 

「オラアアアァァァァァ!!!」

 

  互いの魔力が底力を上げ、周囲に圧力を生む。塵一つでも二人に近づけば、木っ端微塵に押し消される。今は均衡に保つが、それは一瞬で勝負がついた。

 

「ーーーラアァ!!」

 

「ーーーガッ…!」

 

  バーサーカーが打ち破られた。セイバーの怒涛の一撃がバーサーカーの片腕を折り、遠くに投げ飛ばした。

  地面に転がり、立つ事もままならない。そもそもセイバーの宝具を受け、疲労困憊だったのだ。バーサーカーの実力ではどうやってもセイバーには届かない。

  伏せるバーサーカーにセイバーが近づいていく。

 

「やっとこれでお前は終いだ、バーサーカー。本当に厄介だったが、片腕で勝てるほどオレは安くねぇぞ」

 

「・・・・・」

 

  答えぬバーサーカーにセイバーは細心の注意を払う。少しでも油断を見せれば何を起こすか分からない。視線を外さず、周りを警戒して近づいていく。もしかしたらあの“黒”のライダーが邪魔するかもしれない。

 

  …“黒”のライダー?

 

  急いで振り向いてライダーが倒れた場所を見ると、ライダーの姿が見当たらない。

 

「…逃げやがったか!!」

 

  なぜバーサーカーがあれほど地面を弾いて土砂を撒き散らしたか、それは目眩ましの為。セイバーの視界を遮ることでライダーを隠し、バーサーカー自身が囮になることで意識を逸らした。

  セイバーは倒れるバーサーカーを睨みつけた。この狂戦士はどこまでも戦場を掻き乱す。三流と侮るべきではなかった。二人仕留められるはずだったのに、一人逃してしまった。その事実に誰よりも自信過剰な“赤”のセイバー、モードレッドは歯噛みする。

 

「てめえだけは確実に仕留めるぞ!バーサーカー!!」

 

  魔力放出の突出で距離を殺す。バーサーカーは無防備で息絶え絶え、ここで剣を振り下ろせば確実に仕留められる。そう思っていた。

 

 

 

  彼女の背後で、()()()()()の光が生まれる時までは。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ルーラー、ジャンヌ・ダルクは空中庭園から連続で発射される魔術による光線を自身が持つ尋常ならぬ『対魔力』で捌きながら、進み続けている。この戦場において会わなければならぬ“何者か”を追跡しようとするが竜牙兵達が道を防ぐ。それを手に持った聖旗の尖端で一点を狙い、突き崩した。

  “赤”のサーヴァント達と出会わぬよう、ルートを構築して進んでいたのだが、とんでもない相手が道を防ぐように現れた。

 

「な…!?」

 

  現れたのは、一言でいうならば“小山”。巨大な体躯に異形の姿をした物体が現れたのだ。腕が八本に、丸太のような足には昆虫のような足が生えている。頭は首に呑まれ、肩からは恐竜のような上顎と下顎が生えている。

  一目見ただけでその正体を看破できるルーラーなのだが、それでも異形の姿に驚愕を隠せずにいる。

  この化け物の正体は“赤”のバーサーカー、スパルタクス。

  スパルタクスが持つ宝具『疵獣の咆哮』は、ダメージの一部を魔力に変換、蓄積して能力を向上させる。

  この異形はその宝具による影響なのだろう。

 

「む、そこの汝、“黒”のサーヴァントーーーではないな。ふん、ルーラーか」

 

  空中で体を回転させ、ルーラーの近くに翠緑の少女が着地した。

 

「“赤”の…アーチャーですか」

 

「何だ、汝は裁定者であろう。今、警戒すべき対象が分からんのか?」

 

「ーーーいえ、当然理解しています」

 

  “赤”の陣営に襲われたルーラーにとって、“赤”のサーヴァントは警戒すべき相手だ。だが、“赤”のアーチャー、アタランテはこちらを殺害対象とは見ていないようだ。“赤”の陣営も一枚岩ではないということだ。

 

「…“黒”にとっては二人目のバーサーカー、スパルタクス…ですか」

 

「確かにそうだが、これを陣営に当てはめようとするのはやめておいた方がいいぞ」

 

「雄々々々々々々々々々々々々々々々々!!!」

 

  異形の怪物となったスパルタクスは叫び続けている。それに二人は身構えた。

 

「…ここまで酷いとは思わなんだ。射てば射つだけ、増強され、最早人のカタチを忘却している。さすがバーサーカー、ここまで狂っているとはな」

 

  それを生み出した当事者は嘆息する。だが、嘆息させてくれる時間は与えんと、“赤”のバーサーカーが動いた。

 

「そこ、かーーー!!」

 

「ぐ、ぅーーー!」

 

「くっ…!」

 

  スパルタクスの一撃が大地に当たり、石や岩が彼女達に襲い掛かる。ただの石や岩にサーヴァントを傷つける力はない。だが、彼が触れた一撃には魔力が宿り二人を傷つけることを可能とした。

 

「ふむ。どうやら巻き込んだ形になったか、許せルーラー」

 

「いいえ、このような些事はよくあること。…ただ、立場上私は彼と相対するわけにもいきません。現状、被害が及ぶとしたらこの戦場だけですので」

 

「ふぅむ。私もまあ、その点については文句はないのだがーーー」

 

  急に表情が渋くなった“赤”のアーチャーに、ルーラーは嫌な予感がした。

 

「…何か?」

 

「マスターからの命令でな。そろそろ撤退する」

 

「あの、まさか」

 

  ポン、とルーラーの肩を叩いた“赤”のアーチャー。

 

「申し訳ないのだが、後は任せた」

 

「ちょっ!」

 

  “赤”のアーチャー、アタランテ。駿足を誇る英雄。その彼女の足に追いつける者はそうはいない。ルーラーが引き止める前に、彼女は森に姿を消した。

 

「…やられた」

 

  ルーラーが上を見上げると、スパルタクスの五つの目が自分を捉えている。

  ルーラーは旗を握り締め、迫り来る巨体を待ち構えた。

 

  ーーースパルタクスの頭上から極大の光線が降り注いだ。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  “黒”のバーサーカーによって土砂が巻き散らかせられた時、“黒”のライダーはこちらへ投げつけられた物体に目を惹かれた。

 

  それは余りに神々しく、心を揺さぶる秘宝だった。人類が求める極致であり、触れてはならない領域を秘める()()()()()が飛来する。

 

  慌ててそれを掴んだ。手に持った瞬間、思わず喉が鳴った。

  ーーー食べたい。本能が揺すぶられ、理性が崩壊しそうになる。

  だが、それを蒸発していると言われる理性で持ち堪える。自分でよく持ち堪えられたと絶賛すると同時に、なぜ()()がここにあるのかと疑問になる。

  飛んできた方向を見ると、“黒”のバーサーカーが小剣を地面に突き刺しながら、別方向を必死に指差している。“黒”のライダーが指差された方向を見ると、セイバーに斬り裂かれたジークがいる。

  暗い気持ちが湧き上がるがーーー僅かに、彼の胸が動いている。

 

  ライダーはバーサーカーが何をしてほしいか理解した。

 

  土砂のカーテンが“赤”のセイバーの視界を遮り、“黒”のライダーとジークを隠す。ライダーはすかさずジークに駆け寄り抱きかかえると、戦場から離れた。

  ある程度離れた時点でジークを降ろし、傷口を抑えながら叫んだ。ジークの口元に手にした()()()()()を近づけながら。

 

「起きるんだ!起きて口を動かせ!それで君は助かるんだ!!!」

 

  ライダーがジークへと呼びかける。ジークの瞼は閉じ、ピクリとも動かない。それでも体を揺すぶって叫び続けた。

 

「ここで死ぬとかふざけるなよ!君は生きるんだ!生きなきゃダメなんだ!君が生きなきゃボクも、セイバーも、バーサーカーも何の為にここにいるのか分からなくなるだろ!!

 

  君は生きて自由を謳歌して幸せになるんだ!!だからここで死ぬなよバカ野郎!!

 

  少しでいい!無力でいい!少し口を動かすだけでいいんだ!それで、君は生きられる!

 

  だから…頑張ってよ!!」

 

  ジークの口元が、少しだけ動いた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー貴方こそ、彼女に必要なモノでしょう。

 

 

 

彼が目の前の美貌と愛の化身に跪くと、その手に黄金に輝く秘宝が置かれた。

  化身は姿がブレて、光に包まれているため人の目では化身の姿を認識できない。恐らく、跪いている彼にしかできないのだろう。

 

 

 

 ーーーこれを使いなさい。しかし、覚えておきなさい。これは栄華の灯火なれど災禍の種。求め、懇願するものこそを与えますが、誠実なき者には悲劇を送るでしょう。

 

 ーーーゆえに…間違えてはなりません。己を、想いを、過ちを。何よりも人を間違えてはなりません。

 

 ーーー貴方にこれを与えるのは、ええ、きっと。貴方がそういう人なのだと期待しているからよ。

 

 

 

  手に置かれた“黄金に輝く秘宝”を抱き寄せて、彼は頷いた。それに満足したのか化身は姿を消した。一人残った彼はゆっくりと立ち上がり、黄金に輝く()()を見て呟いた。

 

『僕が…すべきなんだ』

 

  両の瞳から、涙が零れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

  それはとても寂しい背中だった。

  後ろから幽霊のようにその光景を眺めている自分は、なんでこれを眺めているのかという疑問より、なぜそんなに悲しい顔をしているのかが気になった。

 

  これが彼の英霊としての力の根源なのだろう。だが、その力には悲哀が籠められていた。

  彼が為して手に入れられたのではなく、化身から与えられた物が彼を英雄として導いた。

 

  いや、きっと彼は英雄になりたかったのではない。英雄になりたいのではなく、たった一人の、たった一人の女性のーーー

 

 

 

  手を握りたかっただけなんだろう。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

  重い瞼が開かれると、眼に映ったのは別れてからそれほど時間は経ってない筈の恩人の泣き顔だった。

 

「…えぐっ、うぐっ!良かった、良かったァ…!!」

 

「……ライダー?」

 

  痛いほどに抱きしめられるが振り解こうとは思わなかった。されるがままの強い抱擁にしばらく精神と肉体を預けていたが、直ぐに疑問が浮き上がった。

 

「…生きている?」

 

  体を動かすが痛みは感じない。セイバーに斬られた時の尋常ならぬ激痛は既に消え去っていた。むしろ、肉体の調子は良いぐらいだ。

 

「…こんの、バカ野郎!!」

 

「っ!?」

 

  突如抱擁止めたライダーに拳骨を喰らい、脳が揺さぶられる。ジークは頭を抑えながら、ライダーへと意識を戻す。

 

「なんでここに帰ってきたんだよ!危ないことぐらい分かっているだろう!?なのになんで!?」

 

「…すまない」

 

  ジークはライダーへと素直に頭を下げた。自分の愚かな行動は自覚している。“黒”のセイバーから貰った心臓により、肉体は強靭となったがそれでもサーヴァントに敵うはずがない。それなのに“赤”のセイバーへと突貫した。ライダーの怒りは最もだ。助けられたのに危ない目に自ら飛び込むなど愚の骨頂。それでもーーー

 

「ライダーに会いたかった」

 

「っ!」

 

「自由に生きるべきだったのかもしれない。…しかし、願いがあって、ライダーやセイバーに胸を張れるように生きてみたいと思えた。だから、此処に戻ってきた」

 

  そう言われては、ライダーは何も言えなかった。彼が選び、決めた道程だ。それを否定できるわけがない。でも。

 

「ならもうちょっと考えたらどうさ!?」

 

「…君が言うか?」

 

「うるさい!!」

 

  ジークは立ち上がって、周囲を確認する。雨は止まず、戦いは続いている。何処かしらから、サーヴァントの戦いの余波が音となって響いてくる。

  自分が気絶している間でも変わっている様子はないようだと理解すると、左手の甲に痛みが走った。

 

「っ!」

 

「ちょ!? なにソレ!」

 

「…馬鹿な、これは!?」

 

  ジークの左手に刻まれていたのは参画の“令呪”だった。だが、普通の令呪とは異なる。令呪の紋様はマスターにより変わるが、赤い色が普通だ。だが、ジークの令呪は黒だった。なにより、その令呪は悍ましい。この令呪の奥には巨大な生物が潜んでいそうだった。

  これは何なのか、なんでこれが宿っているのか。疑問は生まれ、一つ一つ彼の優秀な頭脳が解決してくれる。

  少しづつ納得、理解していき、隣で驚くライダーに尋ねた。

 

「ライダー」

 

「・・・・・」

 

「ライダー!」

 

「えっ!?なに!」

 

「俺はどうやって生き返った?」

 

「バ、バーサーカーの()()って…、バーサーカー!?」

 

  思い出したように走り出したジークに、その後を追いかけるライダー。

  直ぐにライダーが辿り着くと離れた先にはセイバーがバーサーカーへ叫びながら突撃していた。バーサーカーは倒れ、抵抗しようにもできていない。

 

「バーサーカー!!」

 

  きっと、バーサーカーがライダーと自分を逃し、時間を稼いでくれたのだろう。ジークはバーサーカーの宝具と胸に収まるセイバーの心臓、そして手に刻み込まれた令呪で今の自分が何なのか把握した。全てではない、だが大まかに知れれば問題はない。

  今やるべきは、ライダーとセイバーに続き、自分を救ってくれた恩人を救うことだ。

 

「ーーー令呪を以って、我が肉体に命ずる」

 

  三分だ。三分を三度だけ、奇跡を再現できる。その代償は何なのかはわからない。だが、進もう。ここで立ち止まるわけには行かない。

  令呪の一画が輝き、ジークの身体が変貌する。

 

 

 

  そこに伝説の龍殺しが再現される。

 

  胸にーーー黄金の鼓動を宿しながら。

 

 

 




原作通りジーク君復活。結構ゴリ押しかも知れませんが生暖かく見守っていただけたら、と…!



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竜殺しの帰還

明日で高難度クエスト終了。結局あのイケメンを手に入れることができなかった…。超かっこよかったのに。
また数日程更新できないかもしれません。その間に修正や構成の手直しをしたいと思います。

では、どうぞ


  竜殺しの帰還は、その場に居た全てのサーヴァントが知覚し硬直させるほどのものだった。

  莫大な魔力が爆発したと思ったら、その魔力が形を取り、サーヴァントが誕生していたのだから。

 

  “赤”のライダーと“黒”のアーチャーは一時的に戦いを止めた。

 

  “黒”のキャスターはゴーレムの操作を中断した。

 

  “黒”のランサーと“赤”のランサーは互いを牽制しつつ何かに視線を移した。

 

  “赤”のキャスター、“赤”のアサシンは呆然と何かを見下ろした。

 

  “赤”のバーサーカーも動きを止めた。

 

  “赤”のセイバーは背後で起こったことに戸惑った。

 

 

 

  “赤”のアーチャーはその現象は唖然としながらも、魔力に混じる神々しさに覚えがあった。

  肌で感じる圧倒的な黄昏の魔力と神秘を纏う黄金の魔力。

  二つの魔力が顕現したその瞬間、空を塞ぐ雨雲を散り散りに霧散させた。雨は止み、月と星が夜空を彩る。懐かしくも感じる黄金の魔力に“赤”のアーチャー、アタランテは魔力の中心点へと呟いた。

 

()()()()()を使ったのか…ヒッポメネス」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

『…おい、バーサーカー!バーサーカー!!』

 

「…かふっ」

 

  意識が目覚めると吐血した。“黒”のバーサーカーは限界に近い状態で目を覚ました。頭にマスターの声が響き、途切れ途切れに答える。

 

『…ああ、カウ…レス君。大丈夫、まだ…生きている……』

 

『…そうか、そりゃ良かったけどあのセイバーはなんだ!?』

 

「……セイバー?」

 

  耳を澄ませると剣戟が響くのが聞こえてくる。重厚な剣同士がぶつかり、再びぶつかる音は零に近い。神域の剣士同士の戦い、首だけを動かしてそれを確かめる。

 

「…嘘だろ」

 

  戦っていたのは“赤”のセイバーとーーー“黒”のセイバーだった。あの背中と胸元が開いた鎧に柄に青い宝石が埋め込まれた大剣、灰色の髪の青年を見間違えるはずがない。

  あれは“黒”のセイバー、ジークフリートだ。

 

「なんで…彼が…」

 

「ジークがあのリンゴを食べたら“黒”のセイバーになったんだ」

 

「…ライダー?」

 

  気がついたら直ぐ横に“黒”のライダーがいた。ライダーは不安そうにセイバー同士の戦いを眺めていた。

 

「…結局、ジークを助けられなかった」

 

「・・・・・」

 

「彼は戦うことを選んじゃった。とても過酷で、苦難の道を」

 

「…君が弱かったからじゃないよ」

 

「ううん。ボクが弱かった。強かったら彼を戦わせることなんてなかったのに」

 

「…今は自分の弱さを責めるべきじゃない。自分の強さをどう使うべきか…考えよう」

 

「…うん、そうだね」

 

  珍しく落ち込んでいる、とバーサーカーは目を剥いた。ライダーの落ち込みように驚きながらも、セイバーの戦いに意識を戻した。

  ライダーの発言からあの“黒”のセイバーはジークである。ジークは“赤”のセイバーに負けぬ剣技を披露し、“赤”のセイバーを押している。“赤”のセイバーも負けじと破天荒で豪快な剣術で対抗している。

  ジークは“黒”のセイバーとなっている。生まれて一年も満たないホムンクルスが神域の技に達せれるわけがない。

  バーサーカーはジークの様子を冷静に観察しながら、“黒”のセイバーへと至った理由を考えた。

 

  ジークの心臓は“黒”のセイバーの心臓だ。恐らく、バーサーカーの宝具の一部である黄金の林檎を食した事により、サーヴァントに変貌することが可能となったのだろう。

  バーサーカー自身、そうなるとは予想だにしなかった。最初は黄金の林檎を食べさせる事で肉体の治癒を計った。だが、それだけでは終わらなかった。

 

 

 

  黄金の林檎は食した者を不老不死にする。

 

 

 

  バーサーカーはサーヴァントとして召喚された時、宝具となった黄金の林檎を確認して分かった事があった。

 

  それは()()していることだった。

 

  神々の秘宝であり、百の首を持つ竜ラドンによって守られていた黄金の林檎は聖杯によって再現されても、完璧には再現されていなかった。

  ヒッポメネスの黄金の林檎はアタランテを出し抜いたという逸話を宝具としたことであって、りんご自体が宝具ではない。りんごはあくまで宝具を発動させる触媒だ。

 

  故に、りんご自体の本来の効果は劣化していた。

 

  それでも、黄金の林檎は不老不死の果実であった。ジークの肉体の治癒ならば容易だと低く見ていた。しかし、黄金の林檎の力は偉大だった。

 

  不老不死へと至らない。だが、肉体を人類最高峰のものへと昇華させた。

 

  ジークの心臓はジークフリートの物だ。心臓は全身に血を分け巡らせる人体において重要不可欠な臓器であり、血を多く含む臓器だ。

  ジークフリートの血が混じるジークが劣化した黄金の林檎を食べればどうなったか?

 

  結果はサーヴァント、“黒”のセイバーへと成った。

 

  令呪と三分間という限定的な時間が必要だが、ジークは黄金の林檎の類を見ない回復能力の先にーーーサーヴァントへの昇華を成功させた。

 

  恐らく、不老不死の劣化とはーーー進化。

  肉体、器の限界を突破し続けて、更なる成長を促し続ける、頂点を見定めない概念の果実。

  それが“黒”のバーサーカーの宝具の、()()()使用方法だった。

 

「…彼を戦いに引きずりこんだのは、僕の所為でもあるんだね」

 

  最善を選んだつもりが、ジークに戦う選択肢を作ってしまった。あの時の決断は間違いだったのか、いや正しかったのか。選んでしまったことは変えられない。だからこそーーー

 

「彼を、どうやって助けていくのかを考えなきゃいけないか」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「剣よ、満ちろ」

 

  “黒”のセイバー、ジークが持つ大剣に黄昏色の極光を放ち始める。それは“黒”のセイバーにとって最高の切り札を解放させる兆しーーー宝具の解放の合図だ。

 

「宝具を解放するか。…ハ、いいだろう!」

 

『いいぜ、セイバー。お前の宝具を見せてやれ!』

 

  “赤”のセイバーも同様に宝具を解放させる。ライダーとバーサーカーを苦しめたあの一撃を、もう一度放つつもりだ。

  白銀の剣が赤に染まり、形を変えて、赤雷が瞬く。

 

「仕置きの時間だ。紛い物に相応しい最後を遂げるがいい。“黒”のセイバー!!」

 

「…参る」

 

  静かに呟くも、その瞳は決意を秘めている。紛い物、借り物、贋作。今の彼をどう呼ぼうと、心を除いた他の全ては伝説の竜殺し、ジークフリートだ。

 

  ーーーそれでいい。だから、力を貸してくれ。

 

  彼/ジークが手にしたのは伝説の大剣、名をーーー

 

「『幻想大剣・天魔失墜』!!」

 

  彼女はかつて父、アーサー王が手に入れた『燦然と輝く王剣』を邪剣へと変貌させ、吼えた。

 

「『我が麗しき父への叛逆』!!」

 

  黄昏の光と赤い雷が激突する。強大な力がせめぎ合い、喰らい合う。周囲へと被害は渡り、地面に亀裂を生み、破壊する。そこには何も残らない、巻き込まれた瓦礫は粉々となる。

 

  そのせめぎ合いに勝ったのは“赤”のセイバーだった。勝利の決定打は宝具の性質。“黒”のセイバーの宝具は周囲一帯を殲滅するのに対し、“赤”のセイバーの宝具は直線上に存在するものを破壊する。

  “黒”のセイバーが膝をつき、“赤”のセイバーは激怒する。

 

「貴様、何故生きている…!」

 

  “赤”のセイバー、モードレッドにとって手に持つ白銀の剣/クラレントは父以外の誰にも敗北を許すわけにはいかない。それは父を致命傷に追いやったのだから、それで生き延びるのは父と同等という意味となる。それを許せないのだ、この少女は。

 

「そこを動くな“黒”のセイバー。オレが殺す、他でもないこのオレが、お前を殺してやる…!」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「…これは!」

 

  どくん、どくんと脈打つ小山は“赤”のバーサーカー、スパルタクスだった。まだスパルタクスなのだろうが、既に原型を留めていない。ルーラーは空中庭園から降り注いだ魔術の弾幕はスパルタクスに集中した。

  “赤”の陣営は“赤”のバーサーカーをここで使い潰すつもりなのだろう。彼の宝具はダメージを魔力へと変換できる。ダメージを臨界点を超えてまで与え続け、その結果溜められた魔力が解放されようとしている。

  ルーラーから城塞へと視線を移した瞬間、彼女は二人のセイバーへと駆け寄った。

  “赤”のセイバー、“黒”のセイバー、“黒”のライダー、“黒”のバーサーカー以外のサーヴァントは“赤”のバーサーカーの異常性に気づき安全圏へと退却している。

  ルーラーは四人に退却するように呼びかける。

 

「逃げなさい!」

 

  ジークにトドメを刺そうとしていた“赤”のセイバーは“赤”のバーサーカーの異常性に気づき愕然とした。ジークと“赤”のバーサーカーを交互に見るが、舌打ちした後霊体化してその場を去っていった。

  実際に存在する者はレティシアに憑依したルーラーとジークのみ。この二人は霊体化して逃げることはできない。

 

「ジーク君!」

 

  ルーラーの呼びかけにジークは首を横に振る。“赤”のセイバーとの戦いで肉体は痛み、損傷していた。

 

「…行け。貴女はここで滅びていいサーヴァントではない」

 

「馬鹿を言わないで下さい。…此処に貴方を連れてきたのは私です」

 

「戦うことを選んだのは、俺の意思だ」

 

「ぐ。頑固者にも程がありますね!」

 

「…人のことを言えた義理か、貴女が」

 

「……仲がいいねぇ」

 

  二人のやり取りに微笑ましいような、苦笑するような声音で“黒”のバーサーカーが呟いた。ルーラーが“黒”のバーサーカーを見ると、以前見た真名を再度読み取った。

 

「貴方は…」

 

  “黒”のバーサーカーの真名はヒッポメネス。先ほど会った“赤”のアーチャーの真名はアタランテ。妙な因果で英雄の夫婦と会ったことにルーラーは驚いた。

 

「……アタランテと会ったのかな?」

 

  「はい。彼女は私に“赤”のバーサーカーを押し付けて去りました」

 

「アタランテらしくないなぁ」

 

  くつくつと笑いながら、“黒”のバーサーカーは立ち上がった。左腕は折れて青く変色している。細かな傷が体中にあり、服は自身の血で滲んでいる。相当の深手を負っているのにも関わらず、バーサーカーはジークの横に立つとジークの腕を自分の肩に回し、ジークを立ち上がらせる。

 

「何を…」

 

「そりゃ逃げなきゃ死んじまうからさ」

 

「貴方はライダーと逃げろ。ここで死んでいいサーヴァントじゃ…」

 

「それは君も同じだ!」

 

  ジークの逆の腕を掴み、自分の肩へと回したライダーがジークへと怒った。怒られたジークはライダーを見つめた。

 

「ライダー…」

 

「君も生きるんだよ!絶対生きるんだぞ!これ以上君が傷つくところなんか見たくない!だからさっさとこの場から去ろう!!」

 

  ライダーが一歩踏み出すと、姿勢が崩れドミノ倒しのように三人が倒れた。一番下にバーサーカー、間にジーク、上にライダーという形で。

 

「わっ!」「むっ…」「あがぁ!?」

 

「何やってるのですか…」

 

  ルーラーは二人の下敷きになり、激痛で悶えるバーサーカーを視界の端に追いやりながらため息を吐く。

 

「絶対に守ってやるんだ…」

 

「・・・・・」

 

  ルーラーはライダーの姿を見て、後ろを振り返る。“赤”のバーサーカーが此方へと狙いを定めていることは分かった。

 

「ーーー分かりました。そこでじっとしておいて下さい。動くとか危険ですから」

 

  彼女が三人の前へ立つのは“黒”の陣営に手を貸すのではない。サーヴァントは自らの意思でそこにいるのだ。これはジークを守る為、裁定者としての責務とは違うかもしれないが、裁量はルーラーに任されているから問題ない。

 

「…うぅ。……なに?カウレス君?」

 

  苦しみバーサーカーにマスターであるカウレスから念話が届いた。バーサーカーはマスターからの命令を聞くと、ライダー達を見て悩み始めた。

  何を迷っているのか察したジークはバーサーカーへ呼びかけた。

 

「マスターの元に戻ってくれバーサーカー」

 

「…しかし」

 

「俺達は大丈夫だ。貴方はサーヴァントの責務を全うしてくれ」

 

  バーサーカーはルーラーとライダーへと視線を移すが、二人とも非難はなく、頷いてくれた。

 

「……ごめん。また会おう」

 

  バーサーカーは霊体化してその場を去った。実はさっきからライダーもマスターであるセレニケから帰還するよう煩いぐらいに念話が来ているがすべて無視している。それよりもライダーは守るべきジークを抱きしめた。

  その様子にルーラーは微笑みながら、力が最高潮に達しつつあるスパルタクスへと旗の先端を向けた。

 

 

 

○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ため息が漏れた。あまりに責め立てる痛み、絡みつく束縛、逃れ切れぬ服従がーーー快感のあまりにため息が漏れる。

  スパルタクスは狂っている。それはスパルタクス自身が理解しているし、それを変えようとも思わない。生まれ持った時から持ち合わせているものだったのだ。この叛逆の性質は。

 

  痛みが快感。蔑まれることが快感。被虐こそが己を満たすものであった。

  故に笑みが止むことはない。

  この快感が最高潮に達し、臨界点を越えようとした時こそ叛逆の狼煙。

  二度目の生を得た今、スパルタクスは生前を超える生涯最高の一撃を放とうとしていた。

  眼は潰れ、耳も塞がり、鼻も閉じている。

  苦しいーーーだが得がたい快感だ。

  この快感()圧制者(ルーラー)へとぶつける。

 

「ああーーー」

 

  感嘆の息を零し、最大最高の一撃を放つ。

 拳だった肉塊を振るった後、肉体が粒子となって消えていく。

  ーーーそれも悪くない。

  消え去るその瞬間まで笑みを止めることがなかった“赤”のバーサーカー、スパルタクス。

  ここに、二度目の生を終えた。

 

 

 

○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  後ろには“黒”のライダーと、ジークがいる。視界に広がるは“赤”のバーサーカー最大の一撃。それは一直線に面で放たれた。

  避ける気もないが、避けれるわけがない。

  暴力的な魔力の光を前に、ルーラーは 旗を握りしめて、掲げる。

 

「『我が神はーーー」

 

  その旗は聖女ジャンヌ・ダルクが剣の代わりに手に取ったもの。その旗が振るわれるごとに聖女に付き従う兵士は高揚し、先陣を切って敵に走る聖女を守護するため雄叫びをあげた。

 

「ここにありて』!」

 

  その聖旗は宝具として用いられれば、ルーラーがもつ規格外のスキル『対魔力EX』を物理的霊的問わずあらゆる守りへと変換させる力を持つ。

  “赤”のバーサーカーの一撃はルーラーへ触れることはない。光がルーラーの持つ聖旗から遮断され、別れていく。

  戦場にいたホムンクルス、竜牙兵、ゴーレムは光に触れ粉塵となって消えていく。ミレニア城塞は光に触れ、半壊まで追いやられる。

  それでもルーラーとその後ろにいた二人には届かない。光が収まると、ルーラーは旗を下ろし二人へと振り向いた。

 

「…無事ですね、良かった」

 

  暖かで煌めく笑顔を浮かべて。

 

 

 




ご読了ありがとうございました。


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この世に蔓延る悪鬼が一つ

うおおおおおおーーーっ!!!
新作ダブル発表きたーーーーっ!!!
来年までは必ず生きねば働かねば!!
新作ゲームには是非アーチャー枠にアタランテをおおお!!

間を空けすぎてすみませんでした。

では、どうぞ。


  崩れ落ちる瓦礫が多くあった。ひび割れ、焦げて焼かれ、脆く儚く崩れ落ちる其処はーーー“黒”の陣営の本拠地、ミレニア城塞だった。

  頭上から散り散りに落ちてくる埃や砂塵等をくぐり抜け、数人の男女が咳き込みながら安否を確認していた。

 

「…ゲホッ!…み、みんな生きてますか?」

 

「俺は大丈夫だ、姉さん…」

 

「…えぇ、私もよ」

 

「な、何が起きたのだ?」

 

  ユグドレミニアの魔術師達は幸いにも“赤”のバーサーカー、最後の一撃を貰うことはなかった。だが、ミレニア城塞は半壊まで追いやられ、彼らがいる数メートル先は崩れていた。

 

「…“赤”のバーサーカーは?」

 

「消失したようだ。…こちらのバーサーカーは生きているが他は?」

 

「アーチャーは生きています。ライダーは?」

 

  セレニケは忌々しげに頷いた。ライダーに何度も霊体化して戻るよう伝えたのにホムンクルスを優先し、命令を無視したのだ。ライダーの行動に、そろそろ決断すべきなのかもしれない、とセレニケは考慮していた。

 

「ライダーも生きているわ。キャスターは?」

 

  問われたロシェは顔を真っ青にしながら頷いた。自身とキャスターで作り上げたゴーレム達が木っ端微塵にされたのだ。衝撃がないわけない。

 

「先生なら無事だよ。…ゴーレムは八割方吹き飛んで、城塞で待機させていたゴーレムが、かろうじて稼働可能かな」

 

「そう。後はランサーですね。おじさまは生きていらっしゃるようですが…」

 

「領王も無事だ、“赤”のランサーとの戦いが有耶無耶の内に終了でね。ひどくお怒りだよ。それよりも、緊急事態だ」

 

  ダーニックは壊れた窓枠に立ち、空を見上げている。緊迫し、焦るような声で全員に聞こえるように呟いた。

 

「ーーー空中庭園が、接近を開始した」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

  散り散りとなった雲々を押し潰しながら“赤”の陣営の本拠地、『虚栄の空中庭園』はトゥリファスの象徴であり町の中心であった半壊のミレニア城塞の真上に動きを止めた。

  漆黒の衣に身を包む美女、“赤”の女帝は嫋やかな唇の端をあげてせせら嗤う。

 

「…ふむ。あの城塞を破壊するのは些か面倒だと思っていたが手間が省けたな。ランサーの宝具でも使わなければなるまいか、と思っていたのだがな」

 

  “赤”のアサシンが崩れた城塞を見下ろすと、他のサーヴァント達へと視線を移した。

  それぞれマスターからの命令とはいえ、戦いの最中に帰投を命じられたのだから不満げな雰囲気を放っていた。最もそれはライダーとアーチャーのみで、キャスターとシロウは変わりなく、ランサーも黙したまま指示を待っている。

 

「ご苦労、皆の衆。滾った血はまだ収まりがつかぬと見えるがーーー何、少し我慢しろ。すぐに再戦だ」

 

  “赤”のサーヴァント達の中で、“赤”のアーチャーがアサシンの言葉に首を傾げた。

 

「それは構わぬが。ーーーあの城塞に接近してどうする気だ?マスター達を直接殺しに行くつもりか?」

 

「知れたこと。ーーー大聖杯を返して貰うまでよ」

 

「……何?」

 

  その言葉に流石に寡黙な“赤”のランサーまでもが訝しげに呟いた。アーチャーもライダーもアサシンの言葉に表情を変える。

 

「返して貰う、だって。いや、そもそも…どうやってだ」

 

「ーーーこの空中庭園が浮遊しているのは『逆しまである』という概念によるものだ。植物は下に向かって生長し、水は下流から上流へと流れていく」

 

  床へと指差し、嫣然に嘲笑いながら女帝は告げる。

 

「聢と見るがいい、矮小な魔術師どもめ。これが魔術の真なる領域だ」

 

  ーーー嵐が吹き荒れる。空中庭園の底部から嵐によく似たそれが、パイプのように城塞と合致した。

 

「おいおい。…まさか、本当に奪うつもりか!?」

 

  叫ぶライダーに、アサシンは哄笑しながら叫び返した。

 

「無論だ!この庭園はそのために設計されたもの故な!さあ、出てくるがいい大聖杯よ!神域の如き魔術で構築された、その醜くも美しき姿をな!」

 

  瓦礫が弾き飛ばされ、地盤が捲れ上がる。城塞はほとんど崩壊に近い状態までに破壊されている。砂塵が舞い、岩が砕け散るとーーーそれは姿を現した。

 

「あれがーーー聖杯、か?」

 

  そこにいる全ての者の心内を代表するようにアーチャーが唖然としながら呟く。

  ランサーも、ライダーも、キャスターも呆然とするしかなかった。六十年以上もの間、溜め込んだ膨大不変の魔力の蔵が渦巻いていたのだ。

 

「あれが聖杯…!良い!あれは良すぎる!素晴らしい!素晴らしい、素晴らしい、素晴らしいッ!!ここから吾輩ですら感じ取れるあの圧倒的な魔力!飛び込み溺れ、一体化したいとさえ願う!その癖、あの剥き出しの人体のような醜く!まさに『綺麗は汚く、汚いは綺麗』!」

 

  キャスターの歓喜の叫びが響き渡る。

  あの無色透明の魔力の塊ならば『万能の願望機』と呼ぶに差し支えない。彼らが興奮するのも無理はない。

 

「…ちっ、完全に霊脈と癒着しておるな。剥がすのには時間がかかる。その間に奴らがくるであろうな」

 

  サーヴァント達は感じていた。空中庭園に乗り込み、大聖杯を取り戻そうとする“黒”のサーヴァント達を。

 

「我はあの大聖杯へと注力せねばならん。他の連中は任せるぞ。ここで止めねばお主らの願いも露へと消える。心して掛かれよ?」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「ぐっ!…っぅ、淵源=波及(セット)

 

  空中庭園に流れる水流へと折れた左腕を浸し、魔術を発動させる。下流から上流へと流れる水の流れに奇妙だと思いながら、腕の内部の骨を繋ぎ合わせ、細胞、血管、筋肉を治癒していく。ついでに“赤”のセイバーとの戦いで傷ついた肉体をここで癒した。

  水流から腕を出して手を開け閉めすると左腕は問題なく動いた。

  “黒”のバーサーカーは空中庭園の内部でサーヴァント同士がぶつかり合う気配を感じながら、内部へと繋がる庭園の回廊を走り始めた。

 

  空中庭園に大聖杯が奪われる光景を目にし、“黒”のサーヴァント達は一斉に庭園へと乗り込んでいった。大聖杯を奪われては叶えてもらうはずの願いも叶えられないかもしれないのだ。

  聖杯を奪われ、自分の領地を破壊された“黒”のランサーの怒りなど最も顕著だっただろう。真っ先に先行したランサーを追うように他のサーヴァントも侵入していった。“黒”のバーサーカーも後に続き、出遅れた形で空中庭園へと侵入したのだが。

 

「…空気が違う?」

 

  違和感だ。まるで朝靄の中にいるような不明瞭な感覚。体が重くなったわけでも、軽くなったわけでもない。だが、どこか異質とは違う違和感が体に纏わりつく。

  謎の違和感に囚われながらもそれ以外の変化が無いことに納得が行かないが、バーサーカーは仲間達との合流を急ぐべく庭園内を突き進む。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  “黒”のバーサーカーが感じた違和感はステータスの低下だった。

  ここは“赤”のアサシン、セミラミスの宝具である『虚栄の空中庭園』の内部である。この空中庭園は特定の地域の材料で作り上げられた、言うならばセミラミスの為の要塞だ。この庭園内ならばセミラミスは魔法に近い魔術を行使できる。

  だが、他のサーヴァントは違う。ここはセミラミスの為の要塞であり、セミラミスが支配する領域だ。サーヴァントは知名度によってステータスが補強される。しかししつこいようだが此処は女帝の庭園。女帝の領地であり、国である。彼女こそが絶対であり神話である。故にーーー

 

「…やはりな」

 

「くっ…!」

 

  “赤”のランサー、カルナの槍の一撃が“黒”のランサー、ヴラド三世を傷つける。

  草原での戦いとは違い、槍兵同士の戦いは一方的となっていた。

 

「この空中庭園においては、こちらのアサシンが支配する領域だ。お前の領土というわけではない。つまり、この庭園に居る限り、お前は救国の英雄ではない訳だ」

 

  ルーマニアでこそヴラド三世の実力は発揮される。だが、ここはセミラミスの領域。カルナもそれは同様だが、カルナは世界中に名を残す大英雄。反してヴラド三世はルーマニアから出れば吸血鬼として名を残す。

  ルーマニアの地ではないヴラド三世はただの吸血鬼の汚名を背負わされたサーヴァントでしかなく、対してカルナは武人のサーヴァントであり、ステータスに依存しない武芸を持つ。ならば互いに槍を突き合わせばどうなるか? 結果は先程出てしまった。

  ヴラド三世がいまだカルナに打ち倒されないのは英雄としての矜持があるからこそ。でも、それだけではカルナを殺すには程遠い。

 

 ーーー余は、死ぬのか。

 

  確信に近い思いが湧いた。二度目の生で得た“人”がいながらも敗北を喫してしまうことを恥じて、後悔してしまう。

  もう、どうしようもない。敗北を覚悟し、せめて一太刀、目の前の大英雄に爪痕を残してやろうと決めた時、悪魔染みた言葉が囁かれた。

 

「いいえ、まだ勝てない訳ではありません」

 

  その声は本来此処にいる筈のない、いるべきではない魔術師の声だった。

  白を基調とし、血族であることを主張する為に整えられた衣服を見に纏う老いよりも若さを感じさせる男が、其処にいた。

 

「貴方がーーー宝具を、世に広く恐れられる怪物になれば不可能ではない」

 

  囁いたのはユグドミレニアの長であり、“黒”のランサー、ヴラド三世のマスター、ダーニックだった。突然の闖入者にその場にいた全てのサーヴァントが動きを止めた。突如現れた魔術師よりも、“黒”のランサーはダーニックの言葉に反応した。

 

「…ダーニック、貴様、今この余に何と申した」

 

  殺意がダーニックへとぶつけられた。混じりっけのない純粋な殺意。それを難なく受け止めたダーニックは臣下として偽りの忠誠を誓った主へと言葉を続ける。

 

「領王よ。宝具を開放しなさいと言ったのです。勝機はそれ以外に有り得ない」

 

「貴様、何を言っている!?あの宝具は使わぬと言ったぞ、忘れたか!?余はここで死ぬ!無念と共に死に、朽ち果てる!だが、それが敗者の定めだ!ダーニック!余はあれを使って、無様な存在に為ろうなどとは考えておらん!断じて、断じてだ!」

 

  ランサーの激昂はそれこそ悪魔の相貌だった。元々青白い肌に蛇のように鋭い目つきだったのだが、傷により顔に血が滲み、大きく開かれては剥き出しになった眼球は威圧だけで人を恐怖で屈服させられるだろう。

  だがダーニックは怯えることも、平伏すこともなかった。

 

「忘れているのは貴方の方だ。我々はどんな犠牲を払おうと大聖杯を手にせねばならない!あれを象徴とし、魔術協会への叛逆のために!領王とて、願いは切実のはずだ。ならばーーー宝具をつかうしか他ならない」

 

「貴様…!」

 

  ダーニックが腕を翳すと、血の赤のような令呪が輝く。

 

「令呪を以って命じる。“ヴラド三世よ。宝具『鮮血の伝承』をーーー発動せよ”」

 

「ダーニック、貴様ァァァァァァァァァッ!!!」

 

  絶叫が空中庭園に虚しく広がる。“黒”のランサーの嘆きはダーニックには届かない。

  彼は無情に、無感情に、無関心に淡々と己の使()()()に令呪で命じるのみだ。その目には王への敬意など既になく、これから化け物になる()を見つめていただけだった。

 

「余は、吸血鬼では、ない…ない、のだ!」

 

「ーーーいや、お前は吸血鬼だよ。創作によって生まれ、汚名を被せられた哀れな怪物だ。第二の令呪を以って命じる。“大聖杯を手に入れるまで生き続けろ”」

 

「ダァァァァニィィィィィィィィック!!!!!!」

 

  “黒”のランサー、ヴラド三世はダーニック目掛けて飛びかかった。ダーニックは笑みを浮かべながら、ヴラド三世の腕を受け入れた。

  ヴラド三世の腕がダーニックの胸を貫き、胸から鮮血が噴き出した。それでも、ダーニックの表情から笑みは消えず、逆に深まっていく。

 

「ははははは!これは失礼!詫びに我が血を吸うがいい!お前はやはりヴァンパイアだ!貴様の願望など不要。私の夢、私の願望を、私の存在を残すがいい!第三の令呪を以って命じる、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

「なーーーに?」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  霊体であるサーヴァントは人間の魂を喰らい、魔力として変換することができる。それは霊体であるサーヴァントだからこそできる特権だ。

  生きている魔術師は魂を魔力として変換することなどできはしない。

  だが、例外はある。その例外を扱える魔術師こそダーニックなのだ。

  ダーニックは他者の魂を己の糧とする魔術を編み出したのだ。

  その魔術は危険極まりなく、細心の注意を払わねば死へと繋がる禁忌に近い技だった。

  実際、ダーニックは六十年という時間の中で三度しかこの術を使用していない。この術は使えば使うほどダーニックという自我が削れ、違うものの魂と混じり、ダーニックという名の“誰か”へと成り代りつつあるのだ。

  それをーーーダーニックは“黒”のランサーに発動させた。英霊の魂を現代の魔術師が支配できるはずもない。明らかな自殺行為。誰もが失敗だと、思っていた。

 

「莫迦な、あり得ん…!」

 

  だが、失敗とはならなかった。そこにいるサーヴァント達は察知した。“黒”のランサーの魂がダーニックという魔術師の魂に蝕まれつつあるのを。

 

「令呪。いや、それでも有り得ない。ダーニック…いや、今の貴方は…ダーニックでもなければ、ヴラド三世ですらないのだな」

 

  “黒”のアーチャーの推察に、“黒”のランサーともダーニックでもない何かが笑った。

 

「その通りだ、アーチャー。第三の、令呪、で、ヴラド三世という英霊の魂を、取り込まれやすいよう…加工するなど無理な話。取り込むなど不可能だ」

 

  しかし、と。

 

「しかしだ。刻み付けることはできる。この私の、百年に及ぶ思念ならば…聖杯に対する執念ならば…刻み付けることはできるのだ。私は、既にダーニックでもなければ、ヴラド三世でもない!聖杯を求める怪物で、構わない!!」

 

  元々、ダーニックとヴラド三世の精神性は近い傾向があった。精神性が近いということは魂の色が似ている。だからこそダーニックはヴラド三世の魂に己を刻み付けることが可能だったのだ。

  妄執に近い執念が、僅かに英霊の魂に上回った。

 

「やめろやめろやめろ!やめてくれ!!余はワラキアの王、ヴラド二世の息子ーーー余の中に入ってくるなァァァァァ!!!」

 

「ははははははは!!!これで私と貴方は共になった!領王よ、否、吸血鬼!貴方の力は我らの共有財産となる!全ては聖杯のため!我が希望は貴方の中に根付き、永遠に生き続ける!」

 

「お、のれェェェェェェェェェェェェッ!!!」

 

「…いかんな」

 

  今まで見に徹していた“赤”のランサーが動き、巨大な槍で“黒”のランサーの胸を貫いた。霊核がある心臓を貫いた。殆どのサーヴァントはこれで死滅するはずだ。耐久力が高いサーヴァントならば、まだ現界は可能だろうが貫いたのは“黒”のランサー、ヴラド三世。本来ならばこれで終わりのはずだ。ーーー本来ならば。

 

「……ッ!」

 

  胸から漏れたのは血ではなく、黒い影に似たものだった。槍を引き抜き、自身の槍を眺めると“赤”のランサーは呟いた。

 

「確かに手応えはあったが。ああ成り果てては意味をなさないということか」

 

「ランサー、汝の槍は効果がなかったと?」

 

「吸血鬼になる前だったら、恐らく普通に砕いて殺せてはいただろう」

 

  神から賜った業物の槍。それが効かないことに周囲に驚愕が走る。

 

「だが、オレたちの眼前に居るのは“黒”のランサー、ヴラド三世ではない。世界中から知られ、恐れられているーーー吸血鬼だ」

 

  宝具によって変貌し、魂を妄執で穢され、ヴラド三世だったサーヴァント。それは世界中から恐れられている創作上の怪物、“吸血鬼ドラキュラ”。それが今、聖杯を求める化け物として生誕されてしまった。

  蝙蝠が集まり、人の形を成すと吸血鬼はサーヴァントたちへと顔を向けた。優雅も気品も既になく、あるのは禍々しき妖気。身体から質量を持つ影が溢れ出し、ヴラド三世とはかけ離れた存在だった。

 

「…さあ、私の聖杯を返してくれ。私はあの大聖杯で、我が一族の悲願を叶えなければならないのだ。そう、我が悲願を叶えるため、私は無限に、そして無尽蔵に生きねばならぬ。血族を増やさなければならない。我が子を生み出さなければならない、眷属を更にふやさなければならない。才と努力と育成環境、それらを揃えて私の後に続く者たちを生み出さなくてはならないのだ。だから、大聖杯を…返せ、返せ、返せ、返せぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

  叫びに秘めたのはダーニックの悲願と吸血鬼の本能。混じり合った二つの思惑が一つとなり、向けられるのはただ一点。庭園の奥にある大聖杯だ。

 

「ハッ。どうあれ神々からは程遠いバケモンってのは変わりねえだろうが!」

 

  “赤”のライダーが吸血鬼へと進み出す。英雄殺しの槍を手にし、どの英雄よりも疾い駿足が吸血鬼との距離を一気に縮めた。跳躍と共に投擲された槍は、一寸の狂いなく吸血鬼へと飛ばされる。

 

「いかん!」

 

  叫んだのは“黒”のアーチャー。槍は吸血鬼を貫くのではなく、吸血鬼の手によって止められた。

 

「なに!?」

 

  音速を超える速度の投擲を掴み取れば、腕は裂け、神経は断裂し、骨が砕けるだろう。だが、掴むのは吸血鬼。人の領域を超えた再生能力は腕を瞬時に再生させた。

  笑みを浮かべた吸血鬼は“赤”のライダーへと跳躍する。宙に浮いていたライダーは組み伏せられるが、ライダーは余裕を保っている。ライダーの肉体は神性を宿さぬ限り傷つくことはない。

  吸血鬼が牙を剥いた瞬間ーーー肌が粟立った。咄嗟に腕を突き出す。腕に吸血鬼の牙が食い込んだ。牙が食い込んだ瞬間感じたのはむず痒さ。

  ーーー毒か!?

  次の瞬間、“赤”のライダーは“黒”のアーチャーに蹴り飛ばされた。突然の蹴りに立ち上がりながら、師に抗議する。

 

「何するんだよ、先生!?」

 

「…貴方への攻撃は確かに『神性』スキルがなければ届かない。その勇猛さのせいで、精神への干渉する幻惑魔術のようなものすら通じません。ですが神の血を引いておらずとも、貴方を仲間にする方法は存在します」

 

  躊躇なく、嘗ての仲間へ矢を射出した。吸血鬼に矢が突き刺さるが、平然とそれを引き抜いた。傷口はたちまち治り、塞がっていく。

 

「今のは攻撃ではない、吸血行為です。貴方を殺すのではなく、貴方を仲間に引き入れるための行動だ。貴方の躰は悪意や殺意には無敵に等しい。だが求められることには弱い。そう、つまりーーー」

 

「…友愛を示す行動には通用しない、か」

 

  嫌そうに表情を歪めながら、言葉を引き継いだ。“黒”のアーチャーは頷き、弓に矢を番えた。他のサーヴァント達もそれぞれ吸血鬼へと戦意を向ける。向けられた戦意へと笑みを深めると、吸血鬼は躰から影を噴出させ、黒い風圧を全員へと叩きつけた。衝撃に近い風圧により全員が壁際まで引き下がられた。

  吸血鬼の姿は消え、それぞれが姿を探すとーーー

 

「上だ!」

 

  感覚が鋭い“赤”のアーチャーは上で影が集まるのを察知し、矢を射出させた。矢は形を成す前に当たったため、影は霧散し再度姿を消す。次に現れたのは、“赤”のアーチャーの眼前。影が腕となって掴みかかってくるので“赤”のアーチャーは横へと飛ぶが、影は蝙蝠となって“赤”のアーチャーへと襲いかかる。

 

「くっ!」

 

  視界全体を覆い尽くす蝙蝠の群れを腕で薙ぎはらうと、吸血鬼の腕が“赤”のアーチャーの細い首を掴み上げた。

 

「がっ!」

 

「姐さん!」

 

「が、らがあああああああああっ!!!」

 

  “赤”のライダーが助けんと駆け寄ろうとするが、形を成した吸血鬼の内部から、杭が突出した。杭を十数本ほど量産され、サーヴァント達へと放たれる。

 

「ちっ!」

 

「…っ!」

 

  全員が払い折ったり、避けたりと回避行動を取って動きが取れない。吸血鬼は杭を躰から放ち続けながら口を大きく開けた。鋭く尖った犬歯、“赤”のアーチャーがそれを目で捉えると、生存本能が激しく警鐘を鳴らす。首を掴んでくる腕に両足を絡めて、吸血鬼の腕を捻り上げる。吸血鬼の腕が悲鳴をあげ、骨が粉々となる感触が足から伝わるが、吸血鬼の握力が緩むことはなかった。

 

「…くそっ!?」

 

  壁へと押し付けられ、吸血鬼の牙が“赤”のアーチャーの首筋へと近づく。止めようにも腕はへし折られないよう防ぐのに手一杯。味方は杭への対処で間に合わない。窮地と悟り、歯を噛み締めたその時ーーー

 

  ズブシュッ

 

  肉に食い込む音がした。それは牙が皮膚を貫き、血管へと達したものであった。

  どくどくと血が流れ、破れた皮膚から血が噴き出し、肌を沿って床へと血の水滴が流れ落ちる。

  しかし、不思議と“赤”のアーチャーに痛みはなかった。なぜなら、()()()()のはアーチャーではないのだから。

  食い込んだのは吸血鬼の牙、その牙が食い込んだのは。

 

「…ヒッポメネス?」

 

  “黒”のバーサーカーの腕だった。

 

  現れた“黒”の狂戦士の姿に、全員の視線が集まった。“赤”のアーチャーの首筋を庇うため、差し出された腕は吸血鬼に噛まれている。

 

「バーサーカー! 腕から牙を外しなさい!!」

 

  吸血鬼に噛まれる。つまりそれは吸血行為であり、己が眷属を作るための手順である。“黒”のアーチャーの呼びかけにバーサーカーは。

 

「…貴様は」

 

  ただ、そう呟いた。

  “黒”のバーサーカーにより吸血を免れた“赤”のアーチャーは噛まれたまま不動の体勢を保つバーサーカーの顔を見ると、虚を突かれた。

  その顔は酷く、冷たかった。人を人として見ず、地面に転がる死骸を見る目よりももっと侮蔑と怒り、様々な負の感情を織り交ぜたかのような絶対零度の眼差しで、吸血鬼に成り果てた“黒”のランサーを()()()()()()

 

「ーーー殺す」

 

  かつて、“黒”のバーサーカーは“黒”のランサーを王として認め、頭を下げていた。国を守らんと、冤罪というべき怪物の二つ名を消し去らんとする誇り高き精神に、羨望の眼差しで見ていたこともあった。

 

  だがその憧れは遠く、過去の物へと消え去った。

 

  小さき殺人声明と共に小剣を引き抜き、吸血鬼の首へと突き刺した。

 

「っか!?」

 

  牙がバーサーカーの腕から離れるやいなや、バーサーカーは吸血鬼の髪を掴み、小剣を横へと滑らせて頭を胴体から引き抜いた。冗談のように首から噴き出す血を浴びながらバーサーカーは吸血鬼の頭を床へと勢いよく叩きつけた。残された胴体は影と消え、叩きつけられた頭部は苦悶の表情で固まっていたが、一度床に叩きつけられて跳ね上がった次にーーー

 

  ぐしゃり。

 

  トマトでも踏みつけたような生々しい音がした。

 

  バーサーカーがしたのはただ、()()()()()ことだけだった。その動作に逡巡も躊躇いも微塵もなかった。

  その行動を見ていた者は戦慄に近いものを感じた。近くで見ていた“赤”のアーチャーなど、驚愕で口を開けていた。

  平穏と称される“黒”のバーサーカーの一連の動作に幻惑なのかと疑ってしまう。“赤”のアーチャー、アタランテは生前にも見たことがない“黒”のバーサーカー、ヒッポメネスの残酷な一面を目にし、彼の後ろ姿をまじまじと眺めた。

  飛び散った肉の破片は霧へと姿を変えて、胴体だった影と交わる。霧の流れに沿って“黒”のバーサーカーの首もそちらへと動いた。

  影と霧が混ざり合い、肉体を再び形成する。形成した肉体は“黒”のランサーだった吸血鬼。吸血鬼は苦痛と憤悶に体を震わせ、喉を震わせた。

 

「…死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!」

 

  体から生みだした杭を手にとってバーサーカー目掛けて投擲する。吸血鬼の怪力によって放たれた杭は音速を凌駕している。そんな杭などどうでもいいようにバーサーカーは小剣で弾き飛ばした。

  吸血鬼は次々に槍を身体から形成し、生まれ落とした瞬間に投げ飛ばす。そんな杭の猛攻にーーーバーサーカーは突っ込んだ。

 

「バーサーカー!?止めなさい!」

 

  “黒”のアーチャーの呼びかけは届かず、大量の杭が正面から降り注ぐのを無視し、小剣と喚び出した槍で弾き、逸らし、躱しながら突き進む。対処できなかった杭がバーサーカーの肉体へと突き刺さる。肩、脚、脇腹へと一本ずつ刺さった。だが、バーサーカーは仰け反ることもなく、立ち止まることもない。

  その様子に誰かが息を呑んだ。身体に異物が刺さるも、苦悶の表情を浮かべない。淡々と前へ進む為、飛ぶ杭を作業のように捌き続ける。それはまさに狂戦士。“赤”のバーサーカーのような荒々しさはない、冷ややかな狂気が滲み出ていた。

 

「…怒りで我を忘れているな」

 

  “赤”のランサーがぼそっと呟いた。“赤”のランサーは『貧者の見識』というスキルがある。そのスキルは相手の性格、属性を一目で見抜く。ランサーに嘘も欺瞞も通じず、その者の本質を語る。

 

「妻を傷つけられるのを目にし、狂戦士へと傾いたか。力も俊敏さも忍耐も変わらないが、殺意と憤怒は燃え上がっている」

 

「…つまり、姐さんが襲われるのを目にしてブチ切れてるってか?」

 

  静かにランサーは頷き、“赤”のライダーは嘆息した。

  ーーーどれだけ姐さんが好きなんだよ?

  槍を手にすると、“赤”のライダーは吸血鬼へと跳躍した。次は投擲するのではなく、横から風を切るように槍を突き出した。

  身体を蝙蝠の群れへと変え、槍を躱す。肉体を現すと、“赤”のランサーや“黒”のアーチャー、“黒”のキャスターのゴーレム達が襲いかかる。

  それを霧に変え、杭を飛ばし、時に猛犬へとなって、逃げ続ける。

  “黒”のバーサーカーは吸血鬼を殺そうと一歩前へ進み出したところに、“赤”のライダーが近づいた。

 

「おいおい待てよ、落ち着けって」

 

「・・・・・」

 

  眼だけがライダーへと向けられーーー暫くライダーの顔を注視した後、バーサーカーの小剣が素早くライダーの喉元へと迫った。

 

「おっと」

 

  鋼鉄の甲高い音が響く。バーサーカーの一撃をライダーが槍で払った。本当に我を忘れているのか?と苦笑すると、バーサーカーはもう一つの主武器である槍をライダーへ突き刺そうとした。

  でも、その槍が突き刺さることはない。

 

「止めろ、バーサーカー」

 

  槍を持つ手にーーー“赤”のアーチャーの手が添えられた。 彼女は驚愕に身を固めていたが、すぐに彼の変わり様を受け止めて暴走を止めるべく走り出したのだ。手を握る程度でバーサーカーが止まるとは思えないがすぐに取り押さえれるように、手を添えるだけではなくバーサーカーの胸に彼女は手を置いた。

 

  ーーー怒りと狂気によって満たされたバーサーカーの心に涼風が通った気がした。

  殺意も薄まり、正常となっていくバーサーカーの理性がアーチャーを、妻を捉えた。

 

「アタランテ…?」

 

「あぁ、私だ」

 

  狂気から己を取り戻したバーサーカーは手と胸に、彼女の手が触れていることに三割の恥ずかしさと七割の嬉しさで、先程の怒りなど忘れて叫びそうになったが。

 

「………痛たたたた!?」

 

  激痛で叫んでしまった。

  アーチャーを認識した瞬間、バーサーカーの痛覚が正常に働いた。『狂化E−』はある程度の痛覚を緩和するが、杭が数本身体に突き刺さっている状態を無視できなかったのだ。

 

「…はあ」

 

  杭を引き抜き、痛みで涙目になる男の姿に“赤”のアーチャーはため息をついた。

 

 

 

 




もしかしたらまた間が空くかもしれません。申し訳ありません。

うおおおおおおーーー!! 三月三十日は第5章、でも夜通し仕事だ!

泣ける。


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黄金林檎

なんか急にエクストラがやりたくなった。
赤王ちゃまプレイするぜ。

では、どうぞ


  それは、少し前のことーーー

 

 

  “黒”のバーサーカーは遠くからダーニックと“黒”のランサーの会話を聞き、漠然と何が起こっているのかは理解していた。焦る気持ちを抑えながらやっとサーヴァント達が集まる場所へと到着し眼を向けると、“黒”のランサーだった吸血鬼が“赤”のアーチャー、アタランテへと噛みつこうとしていた。

 

  その瞬間頭の中が沸き立ち、とにかく前へと飛び込んだ。煮えくりかえる激情は臨界点を越えて、冷ややかなものへと変わっていく。“黒”のランサーだった者に思う事は特に無くなった。

  誇り高き“黒”の陣営の王。吸血鬼に堕ち、哀れや同情といった感情は抜き去った。

 

  今、吸血鬼に思う事は一つ

 

 

 

  アタランテに触れるな、化け物。

 

 

 

  化け物の命を絶やす為、剣を取った。

 

 

 

  次に意識が戻った時には痛みと嬉しさで悶え叫んだが。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

  カラン、と落ちた杭には血が付着している。右肩、左の脇腹、左大腿部に刺さった杭を引き抜く。前を見ると吸血鬼を抑える為に“赤”のランサー、“黒”のアーチャー、“黒”のキャスターが奮迅していた。

  “黒”のバーサーカーは痛みに耐えながら、身体が動くことを確認し、小剣と槍を持ち直した。

 

「よし、やれる」

 

「…先程のように狂気に呑まれぬのか?」

 

  “赤”のアーチャーの質問にバーサーカーは照れて、顔を逸らしながら答えた。先程手と胸に手を置かれたことを思い出したのだ。

 

「大丈夫だよ。さっきのは偶々だから」

 

「その図らずの狂化が不安なのだ。戦いの途中でああなってしまったら此方が危ない」

 

「いや、大丈夫だって」

 

「何が大丈夫なのだ」

 

「…え〜っと、とりあえず大丈夫なんだって!」

 

「此方が納得がいく言い分を言えと申しているではないか」

 

「…夫婦喧嘩は後にしてくれよ、お二人さん」

 

  “赤”のライダーは誤魔化そうとするバーサーカーと納得がいかないアーチャーの口喧嘩寸前の会話に苦笑する。

  仲裁によりアーチャーはバーサーカーを睨み、睨まれたバーサーカーは目を宙に泳がせる。やれやれと首を振るとライダーは二人を置いて戦いに加わりに行った。

 

「…万が一、狂うた場合は汝の命を先にもらうぞ」

 

「そんなことは無いから別に構わないよ」

 

  不承不承に納得したアーチャーは矢を番え、あり得ないと了承するとバーサーカーは小剣と槍を構える。狙いは多くのサーヴァント相手に戦う吸血鬼。息を合わせて飛び出そうとしたその時ーーー

 

  一人の少女が戦いの場へと参陣した。旗を手に、金糸を三つ編みに束ねたその美しき少女は、この聖杯大戦の調整者。

 

「ルーラー!」

 

  “赤”のアーチャーの叫びに全員がルーラーを注視する。聖旗を持ち、駆けつけたルーラーは吸血鬼を見て、顔を顰めた。

 

「ヴラド三世…いえ、吸血鬼であり、ダーニックでもある…」

 

  既にサーヴァントとして消滅しつつあるランサーの正体を一目で見抜き、ルーラーの持つ特権が通じないことを悟る。

  ルーラーは聖杯大戦で感じていた不安の正体をこの吸血鬼と認識した。

  この吸血鬼が聖杯を手にしたその時、世界がどうなるかを想像する。吸血鬼としての伝承と串刺し公としての伝説が混在する“無銘の怪物”は野に放たれれば、ルーマニアは一夜にして地獄と化すであろう。

  そうしてルーラーは決断した。

 

「聖杯戦争の調律のため、一時的ですが貴方がたには協力態勢を敷いて戴きます」

 

「…あの吸血鬼を討伐する、ってことだね」

 

  バーサーカーの言葉に、ルーラーは首肯した。

 

「はい。彼を倒すまでは、休戦をお願いします。この吸血鬼を聖杯に辿り着かせる訳にはいきません。…絶対に」

 

  それはここにいるサーヴァントが既に理解していることだった。この怪物に聖杯を触れさせてはならない。

  ルーラーの言葉に改めて、吸血鬼の討伐が決まった。それを合図するかのようにルーラーは左手を掲げ、朗々と告げた。

 

「ルーラー、ジャンヌ・ダルクの名において。この場に集う全サーヴァントに令呪を以って命ずる!かつてヴラド三世であった吸血鬼を打倒せよ!」

 

  それはルーラーというサーヴァントが持つ最大特権。各サーヴァントに対し二回ずつ命令できる絶対命令執行権、『令呪』を所有している。

  それを発動させた。令呪の呪縛はその場に集うサーヴァント達の動きを制限した。吸血鬼に立ち向かう者は力を増し、逃げる者には束縛を命じる。最も逃げる者などいない。

 

「いいだろう。私と“黒”のアーチャーで援護する。バーサーカー、ライダー、ランサー、汝らは好きに動くがいい」

 

「あいよ、姐さん。それでいいよな二人とも」

 

「構わない」

 

「問題無いよ」

 

「キャスター。“赤”のバーサーカーを捕縛した時のように、ゴーレムで枷を作れますか?」

 

「できなくはないが、“赤”のバーサーカーのときのようにはいかん。良くて動きを鈍らせるだけだな。それに、霧や蝙蝠に姿を変えられればどうしようもない」

 

  “黒”のキャスターが指を動かすと十体のゴーレムが滑らかに動き出す。指一本で一体のゴーレムを操作し、戦場にて自律で動いていたゴーレム達とは段違いの動きを披露する。

  ゴーレムが別々に動き、吸血鬼へと襲いかかった。ゴーレム達の攻撃を掻い潜り、反撃へと打って出るが、“赤”のライダー、ランサー、バーサーカーがタイミングを合わせて槍で襲いかかる。

  英雄殺しの槍と神から賜った神槍、普遍の槍。

  そして援護するように神域の弓使い達の矢が放たれる。

  その上で、吸血鬼が苦手とする聖旗を携えたルーラーの攻撃が加わり、吸血鬼に七体のサーヴァントが一斉に攻め込んできた。

  全員が慢心などなく、無銘の怪物を狩ることだけに集中する。

 

「また霧に…!」

 

  ヴラド三世ではなく、吸血鬼となった怪物は数多の力を宿すようになっている。蝙蝠、霧、杭、猛犬、鋭い爪、牙。一つ一つが恐怖の象徴として顕現し、七体のサーヴァント相手に猛威を振るう。

  肉体から再び杭を召喚し、連続で射出してくる。それぞれが回避行動を取るが、一つがランサーの足の甲へと突き刺さる。引き抜こうとした瞬間、吸血鬼が単純に怪力でランサーを殴り飛ばした。ダメージこそ大したことはないが、圧倒的な膂力にランサーが目を剥いた。

  ランサーが壁へと吹き飛ばされたのを見て、ライダーが反射的にそちらへと視線を移す。その隙を狙ったのか、吸血鬼がライダーへと襲いかかった。吸血行為で眷属を増やす魂胆なのだろう。だが、それを察知して吸血鬼の背後にバーサーカーが飛び込んだ。

  ズブリ、と背後から小剣が吸血鬼の心臓へと突き刺さる。吸血鬼が霧となって逃げようとするが、バーサーカーの口から魔術が紡がれた。

 

淵源=波及(セット)

 

  魔術が詠唱された途端、吸血鬼の青白い肌が波打った。ピタリと止まったと思った次の瞬間、吸血鬼の全身から血が噴き出した。

 

「ガァっ!?」

 

  血は全方向へと吹き出すやいなや、杭のように尖り地面へと縫い付けられる。吸血鬼の全身から出た血は硬い縄の様になり、締め付け、動きを止めた。

  止められた本人は霧や蝙蝠となって逃げようと試みるが、腕や足はできても胴体だけは変化させることはできない。

 

「えげつない手段だけど、あなたの心臓にある血を魔術で操り地面と固定させてもらった。あなたもサーヴァントだったんだ、この世に存在するための楔の一つが縫い付けられれば流石にどうにもならないだろ」

 

  “黒”のバーサーカーは海神の血を引くだけあり、水の扱いは“黒”のキャスターよりも長けている。加えて神代の魔術だけあり、その拘束力は怪物でも容易には解くことはできない。

  肉体の形成で重要な血の大部分を固定され、霧や蝙蝠となって逃げることも不可能となった。

 

「今です!」

 

  好機が訪れ、全員が最大の一撃を叩き込もうと構えた。

 

 

 

  しかし、何の前兆もなく、唐突に変化は起こった。

 

 

 

「ぐっ…!?」

 

「アタランテ!?」

 

  “赤”のアーチャーが苦悶の表情で膝を突いた。それは“赤”のアーチャーだけではない。この場にいる“赤”のサーヴァント全てが動きを止めたのだ。

 

「何が、起きた…!?」

 

「……っ!!」

 

  “赤”のライダー、“赤”のランサーの双方も苦しげに立ち尽くす。ほんの一瞬、ほんの僅かだが彼らの存在感が薄れた。

 

「おおおおおおおおっ!!!」

 

「しまった!?」

 

  バーサーカーが“赤”のアーチャーへ意識を逸らした為、肉体を膨大化させて吸血鬼は枷を破壊した。肉体を元の形へと修復させ、大きく跳躍し大聖杯へと走り出した。

  その後ろ姿を見て肉体に変異がないサーヴァント達が焦る。

 

「待ちなさい!」

 

  ルーラーと“黒”のアーチャーが同時に走りだそうと一歩踏み出した。

 

「待つんだルーラー、アーチャー!」

 

  だが、それを“黒”のバーサーカーが呼び止めた。

 

「バーサーカー!急がなければ大聖杯が吸血鬼の手にーーー!」

 

「だからこそあいつには()()()()()()()()

 

  その言葉にルーラーは訝しげに首を傾けたが、その言葉の真意にすぐに気づく。バーサーカーは息を吐くと、両手を前へと突き出した。

 

 

 

  ーーー突如、バーサーカーの両手に黄金の輝きが満ち溢れた。

 

 

  その光にその場にいた全サーヴァントは目を奪われた。神々しく、本能を掻き乱す豪奢な輝き。

  言葉を失い、光に釘付けになる。神性にして魔性。触れ難い尊さに甘く柔らかい誘惑。

  光の中央でありながら、光を放つ“ソレ”をバーサーカーは握りしめた。

  握りしめた瞬間、光はバーサーカーの手のひらに収束していき、人の目で認識できるほどの輝きに収まった。

 

 

 

 

「見よ、此れこそ運命の果実也」

 

 

「百の顎の守護と女神の寵愛により賜りしこの秘宝」

 

 

「三度投げれば麗しき狩人さえも振りかえる」

 

 

 

 

 ーーーその輝き/秘宝/逸話は零れ落ちた。

 

 

 

 

「さあ喉を鳴らせーーー『不遜賜わす黄金林檎』(ミロ・クリューソス)!!」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  正面から立て続けに放たれる細い糸のような光を、壁に激突しボールのように跳ねながら進み続ける。

  前へ前へと本能の赴くままに突き進む。吸血鬼はやがて、正面にある一つの扉を見つけた。

 

  ーーーああ!あそこに我が望みが!!

 

  “黒”のセイバー、“赤”のバーサーカーの二騎が既に小聖杯に納められている。世界を改変させる程の魔力はないが、限られた小規模の願いなら成就できる。ダーニックだったのか、ランサーだったのか。吸血鬼という存在はすでに両者どちらでもない。しかし、聖杯を手に入れ、願いを叶えたい時こそダーニックという存在がそこにいることは分かっている。

 

  吸血鬼が乾く喉に血を求めるように、眼を血走せて 扉を勢いよく開けた。

  開けた扉の先には彼にとって正に理想郷と言えたのだろう。煉瓦で組み上げられた幅色の階段、其処には無限、無尽の魔力が内包された超巨大構造物があったのだ。

  青白い光を漂わせるそれこそーーー

 

「ーーーああ」

 

  万物の願望機ーーー冬木の大聖杯だ。

 

  あと少しで手が届く、触れたその時こそ執念と渇望の願いは叶う…。

 

  だが、常に願いの前に障害は付き物だった。

 

「そこまでですよ、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア」

 

  大聖杯へと続く階段の途中、カソックを着る少年がいた。吸血鬼は即座に殺害を決意する。ここまで来て、誰にも邪魔をさせるわけにはいかない。

  殺そうとする。ーーーだが、殺そうとするのに何かが引っかかって立ち止まってしまった。

 

「…誰だ?」

 

  少年の肌は褐色、穏やかな笑みを浮かべ、一歩ずつ階段を降りてくる。

 

「あるいはその残滓と言い換えるべきでしたか。その執念には正直感服しました。ですが、貴方に聖杯を渡すわけにはいかない。まして、吸血鬼に成り果てた貴方などにはね」

 

  息が、荒くなる。その少年の顔を見た瞬間、吸血鬼の記憶にダーニックだった者の記憶が流れ込む。魔術師だった頃、第三次聖杯戦争によってすべてが始まった事。忘れられる筈が無いーーー記憶。

 

「……そんな、莫迦な」

 

「おや、貴方にしては真っ当で凡庸な台詞ですね、ダーニック。貴方が生きていたのだから、()()()()()()()()()()()驚くことはないでしょうに」

 

「そんな莫迦な!有り得ない!何故だ!何故()()()()()()()()!何故お前が生きている!?」

 

  吸血鬼の叫びを涼風でも受けるように聞き入れた少年は、肩を竦めた。

 

「ーーー無論、この聖杯大戦に参戦したからですよ。“赤”の側のマスターとしてね」

 

  驚愕が思考回路から神経、すべての肉体を支配した。硬直から抜け出せない吸血鬼を他所に、少年は高々に宣言する。

 

「この時を待っていたのさ、ダーニック!冬木の大聖杯は、()()()()()!魔術師、あるいは吸血鬼。どちらでもないにせよーーー世界を破滅に追いやるしか能の無い貴様に、この大聖杯は断じて渡すものか!」

 

「……ほざけェェェェェェェェェェェェェェェェっ!!」

 

  少年の叫びに反応した吸血鬼が駆け出した。目の前の存在がここにいることはどうでもいい。最後の障害を跳ね除ければ、成就するのだ。

  吸血鬼の腕が振るわれ、少年の喉へと伸びる。

  ーーーが、吸血鬼の鋭く伸びた爪は、少年の喉の一歩手前で止まった。

 

「なっ!?」

 

「ああ、バーサーカーの宝具が発動されたのですよ」

 

  変わらず、笑みを浮かべた少年は吸血鬼に起こった現象を丁寧に説明する。

  何度爪の先に力を入れようとも、そこから先には進まない。…いや、寧ろ下がっていっている。来た道をゆっくりと、しかも、徐々に力を増して後退しようと体が下がっていっている。

 

「…な、がっ、これは!?」

 

  まるで見えない鎖が肉体を雁字搦めに縛っている。その鎖の正体は本能。理性を突き破り、剥き出しになった本能が後ろへ戻り、()()()を欲している。

  眼前に広がる大聖杯を無視し、後ろにある()()()を奪い取れと本能が掻き立てる。

 

「ーーー恐ろしい宝具です。もし、そちらのセイバーが最初に脱落していなかったら、いち早く退場して貰おうと思いました。

  彼の宝具は()()()()()()()のような対軍宝具と組み合わされば、一撃で戦況を変えられることが可能なのですから」

 

  既に吸血鬼は扉の前まで下がっていた。それに合わせ、少年も足を進めて“黒”のバーサーカーの脅威性を淡々と語る。

  吸血鬼の耳に少年の言葉は届かない。理性が本能に抗おうとして必死なのだ。数十年の悲観の達成を無視する本能に打ち勝とうと踠いているのだ。

  その有様に自身に満ち溢れていた魔術師の姿はない。死しても生者を求める屍人だった。

 

「“黒”のセイバー復活という不測の事態はありましたが…、大聖杯を手にした今、関係無くなりました。…ダーニック、貴方は此処で退場です。聖女の祈りでどうか、安らかな眠りを」

 

「…待ってくれ。待ってくれ待ってくれ待ってくれ待ってくれ待ってくれェェェェェェェェェェェェェェェェッ!!!!」

 

  遂には誰かに引きずられるかのように後ろへ下がる吸血鬼は床に爪を立てる。絶叫は庭園全体に広がる勢いで響き渡る。

  少年は指の間に挟んだ黒鍵から刃を生やし、ポツリと魔術師の成れの果てに呟いた。

 

「言っただろう?世界を破滅に追いやるしか能の無い貴様に、この大聖杯は断じて渡さないと」

 

  床に立てていた指を刃で斬り落とした。

 

「クソォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッッ!!!」

 

  唯一の楔が無くなり、後ろにへ引きずられていく吸血鬼。望んだ大聖杯は遥か遠くになっていく。少年は同情も憐れみも含んだ瞳で消えていく吸血鬼の姿を捉え続けた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

『不遜賜わす黄金林檎』

 

  その宝具の能力は単純なものだった。『相手を引き寄せる』それだけだった。サーヴァントを屠る力もなく、弱体化させるわけでもなく、守護を与えるものでもない。

 

  一つあれば、一騎のサーヴァントを引き寄せる。

 

  二つあれば、黄金の林檎の魅力を感じたもの全てを引き寄せる。

 

  三つあれば、距離や宝具の効果、対魔力の抗いを無視し、黄金の林檎の元へと引き寄せる。

 

  容姿と真名を知ってれば宝具の効果も向上し、魅力の効果に近いものとなり、自ら黄金の林檎の元へと向かうようになってしまう。

  それだけの力だがーーーそれがもし、“黒”のセイバーのような、“赤”のセイバーのような一撃で地形を変える程の威力を持つ宝具と組み合わされればどうなるのか?

  “赤”のランサーや“赤”のライダーのような守護宝具が無ければ防ぐ事は出来ないだろう。

 

  ゆえにダーニックと“黒”のランサーはできるだけバーサーカーに多くのサーヴァントを接触させて、可能ならば七騎全員をバーサーカーの元へ集め、“黒”の六騎の宝具で囲み一網打尽にするという作戦を立案していた。

  しかしそれは、“黒”のセイバーの消滅や“赤”のアーチャーの登場、“黒”のバーサーカーの作戦無視や単独行動により実現ができなかったが。

 

  林檎に引き寄せられた者を破滅へと導く神性にして魔性の果実。トロイア戦争の引き金となり、純潔の狩人が娶られる理由となったリンゴこそがーーー

 

 

 

「……“黒”のバーサーカーの宝具か」

 

  空中に浮かぶ“二つ”のリンゴ。黄金の光を放ち、その光で大聖杯へと走り出した吸血鬼を誘い込む。大聖杯へと続く道から絶叫が響き、全てのサーヴァント達の耳に入ってくる。それぞれが武器を構え、吸血鬼を待っている。“赤”のライダーも吸血鬼を倒す為、ルーラーが提示した作戦通りその時を待つ。

  吸血鬼が自分達の前に姿を現わすのも後僅かだろう。緊張が周囲を満たすなか、ライダーも視線をズラし、隣同士で立つ二人を見た。

  槍一つに持ち直して力を込めた一撃を狙う“黒”のバーサーカーと弓を限界まで引けるだけ引き絞り宝具の守護を貫く矢を放とうとする“赤”のアーチャー。

 

  ヒッポメネスとアタランテ

 

  二人が夫婦として結ばれる事となった逸話が眼前で再現されている。二人の心中は今、何を考えているのか。

  横顔からは何も読み取れない。ただ、やがて訪れるその時をひたすらに待ち続けている。

 

「ーーー来ます」

 

  永く感じた時間をルーラーが閉ざす。彼女の察知能力が、吸血鬼の接近を感じ取った。

  そうして吸血鬼は姿を現した。

 

「ーーーあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

  出現を見計らい、バーサーカーが黄金のリンゴを消すとルーラーが叫ぶ。

 

「ーーー今です!」

 

  まず放たれたのは“黒”と“赤”のアーチャーの矢。二つのは矢は吸血鬼の両足の甲を貫き、床と結びつけた。

  次は三つの槍と聖旗が吸血鬼の身体を貫く。聖なる気を帯びた旗の先端が刺さり、吸血鬼の肉体から焼けるような煙が漂う。

  そうして最後に“黒”のキャスターがゴーレムを操作し、流体となったゴーレム達が吸血鬼を拘束した。

  串刺しとなった吸血鬼の口から血が吐き出される。絶望と嘆きが表情に色濃く現れる吸血鬼を前に、聖女は祈るように聖言を紡いだ。

 

  “渇いた魂を満ち足らし、飢えた魂を良き物で満たす”

 

  “深い闇の中、苦しみと鉄に縛られし者に救いあれ”

 

  “今、枷を壊し、深い闇から救い出せる”

 

  “罪に汚れた行いを病み、不義を悩む者には救いあれ”

 

  “正しき者には喜びの歌を、不義の者には沈黙を”

 

  “ーーー去りゆく魂に安らぎあれ”

 

  シュウシュウと、肉体から煙が変わっていく。肉だけではない、存在までもが消え去ろうとしていた。聖言による浄化、かつては敬虔な信者で王だった者、望みに為に生涯を捧げた魔術師だった者も、空気に溶け、消えていった。

 

 “ーーーあぁ”

 

  その言葉を誰もが聞いた。その声の主は誰だったのか。救われたように、疲れが染み出したかのような安らかな呻きを確かに耳にした。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  吸血鬼が空気となって消え、“黒”のランサーの消失をルーラーは己の裁定者としての感覚で確認した。これで、世界の危機を防げたはずなのに。

  不安が消えていない。吸血鬼を屠ったはず、だが己の啓示はーーーこれではないと告げている。

 

「……では」

 

  カンッ!

  振り返ると矢を放った“赤”のアーチャーとそれを払う“黒”のバーサーカーがいた。

  吸血鬼を倒すという共通の理由が無くなったいま、“赤”と“黒”の戦争は再開された。

 

「申した通り、汝の命は私が貰い受けるぞバーサーカー」

 

  “赤”のアーチャーの宣言に互いのサーヴァントが各々構えた。

  聖杯戦争のルール違反に抵触しないならば、ルーラーは中立として監視するのみ。一歩後ろへ下り、サーヴァントの戦いに巻き込まれない距離まで移動した。

 

「…あー、やっぱりそうなるよね?」

 

「当たり前だ。こうなるのが自然な形だ、何を迷うことがある?」

 

「…だよねぇ」

 

  バーサーカーも説得は無理だと槍と小剣を構えた。悠然とだが、轟然と空気を滾らせる。それに対するように“赤”のアーチャーも、他のサーヴァントも戦意を高めた。

 

  だが、バーサーカーの内心はすごく焦っていた。

  何故ならばこちらが明らかに不利な状況だ。“黒”のランサーが脱落し、“黒”のサーヴァントは三騎。相手も三騎だが一人一人が弩級の英霊達だ。こちらにも大賢者とゴーレム使いの魔術師がいるものの相手が悪すぎる。

  しかもバーサーカーは間違いなく、先ほどの草原の戦いのようにはアーチャー相手に戦えない。前は雨が降っていたため、自分のスキルがステータスの補正を行ってくれたが此処は庭園内。雨も水も少ない。

  確実にやばい。“黒”のアーチャーや“黒”のキャスターもそれに気づいているに違いない。

 

「…ああ、そういえばアタランテ」

 

  だからこそ、バーサーカーはせめてもの足掻きと時間稼ぎに打ってでる。

 

「そちらのキャスターのマスター君は何者だい?」

 

「キャスターの…マスター?」

 

  戦力差的に明確な問題があるならば、策略で対処すればいい。残念ながらバーサーカーにはそれほどの知略がないので“黒”のアーチャーに丸投げだが、そんなバーサーカーの意思を汲み取って“黒”のアーチャーは思考をフルスロットルさせて戦略を構築させてくれている。

 

「ああ…名前は、シロウ君だったかな?」

 

  とにかく話題を出す為に頭にこびりつく危機感を覚えた少年の名前を出す。

 

「…シロウがどうかしたか」

 

「いやぁ、あの子なんでかは分からないけど僕と一騎打ちできるぐらいに強かったからね。仮にも英霊である僕とだよ?どういう手品か分からないけど凄いなって」

 

「なに?」

 

  “赤”のアーチャー、いや、“赤”のサーヴァント達に衝撃が走る。それぞれが驚愕を顔に張り付けて、目を見開かせる。それは“黒”のサーヴァント達もだった。この場にいるバーサーカー以外の者達が驚きで声を失った。

 

「あ、あれ?」

 

  予想以上の効果にバーサーカーも戸惑う。普通ならそれは常識的に考えてありえないものだった。どれだけ現代に最強と謳われる魔術師が揃ってもサーヴァントに勝つことなど到底不可能なのに、それをやり遂げるマスターがいるということはあり得ないにも等しいことなのだ。

 

「ーーーバーサーカー、それは本当なのですか?」

 

  勿論、大戦のバランサーたるルーラーも聞き逃さなかった。いつの間にか問い詰めるように接近していたルーラーに驚きつつもバーサーカーは頷いた。

 

「あ、ああ…ちょっと前に森で戦ったけど、彼は魔術や技術で僕と対等に戦えていたんだ」

 

  ルーラーはバーサーカーの言葉に嘘偽りないと直感した。それと同時に啓示が舞い降りる。

 

  ーーー“黒”のランサーは脅威ではない。

 

  この聖杯大戦を、世界を狂わせる程の脅威を“黒”のランサーと勘違いしていた。彼ではない、もっと違う誰かを探せと、啓示していたのだ。

  ルーラーの目的は調停。聖杯大戦が通常通り動くように見定めるのが仕事だが、その仕事はまだ終わっていない。終わらせてはならない。

 

「バーサーカー、そのシロウという方のことをもっと詳しく」

 

 

 

 

 

「それ以上は、私本人からで結構ですよ」

 

 

 

 

  ルーラーの言葉を遮り現れた少年に、全員の目線が集まった。そして、バーサーカーを除く全員が絶句する。

 

「…そん、な」

 

  その少年が纏う雰囲気、それは間違いなく英雄としての霊格を露わにしていた。ルーラーは息を呑む。

 

 

 

  目の前の少年はーーーサーヴァントだ。

 

 

 

  それは特に問題はない。かなり珍しいことだがサーヴァントがマスターを務めていてもルールを逸脱しているわけではない。だが、彼のサーヴァントとしてのクラスが問題だった。

 

「ーーー初めまして、()()のルーラー」

 

「…十六人目の、サーヴァント…!」

 

  バーサーカーの言葉通り、マスターとして参加しているサーヴァントに“黒”のアーチャーも、冷静を保てない。それは“赤”の面々も同じだった。まさか、マスターと思っていた少年がサーヴァントだったとは夢にも思わなかっただろう。

 

「十六人目ではないんですよ、ケイローン。十六人目はそこにいるルーラーです。私は厳密に言えば一人目のサーヴァントです」

 

「アサシンのマスター…我らのマスターに何をした!?」

 

  怒り吼える“赤”のアーチャーの問いかけに少年は笑い、片腕を掲げて袖を捲りあげた。全員がそれを見て息を呑む。

  腕に刻まれた十八画の令呪。アーチャー、ランサー、ライダー、バーサーカー、キャスター、アサシン、計六騎の令呪が少年の腕にあった。

 

「平和的にマスターとしての権利と三画の令呪を譲ってもらいました。心配せずとも、貴方がたが現界するに当たって消費する魔力など、大聖杯が接続した現状では取るに足らない量です」

 

「平和的にーーー?」

 

  誰の呟きとも知れずにも、少年は頷いた。

 

「何しろ、“赤”のランサーは人の嘘を見抜くに長けた施しの英霊。だから、出来うるだけ嘘をつかず、尚且つ自分達の狙い通りにことを運ばねばならなかった。私の命令を、わざわざマスターに経由させていたのはそのためです。そう、マスターたちは嘘をついていない。彼らは己の判断で指示を出したと思っている、今も…ね」

 

「ーーーそう。私が知覚していたのは、神が警告していたのは貴方だったのですね」

 

「それはどうでしょうか。私は神に逆らっているつもりは毛頭ないのですが」

 

  ようやく落ち着いてきた頭脳でルーラーは全てを悟ることができた。人の身を借りての召喚。それから全てがおかしかった。十四騎という前代未聞の事態に、異例の召喚事体が問題だったんだ。だが、分かった。目の前の少年の正体を把握できたことから。

 

「貴方は…冬木において第三次聖杯戦争で召喚されたルーラーか」

 

「ええ。彼らの正式のマスターとなる前に、貴女と顔を合わせてしまっては全てが瓦解する。何しろ、貴女には令呪がある。俺の夢は、誰にも邪魔はさせない」

 

 

 

 

 

「何が目的なのです。天草四郎時貞」

 

 

 

 

 

「知れたこと。全人類の救済だよ、ジャンヌ・ダルク」

 

 

 

 




AUOもしようか。


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奇跡の真名

ガチャはわるい文明。
五章開始!(わー!)
めちゃ大乱戦(わー!)
サーヴァントかっこいいかわいい!!(わー!!)

エレナーーー!! ナイチンゲールーーー!!メイヴーーー!! 兄貴ーーー!!(ガチャガチャ)

来ねえええええええええええええええ!!!(ちくしょおおおおおおおお!!!)

ジェロニモ、慎二、お前じゃない帰れ。

では、どうぞ。


  かほっ、と吐き捨てた血で残る口の中には鉄の味が充満していた。体は鈍く、痛みでもたつくが動けないことはない。支えとなって貰っている“黒”のライダーがいなければ倒れていたかもしれないが、今は問題なく歩けれる程度まで回復している。

  ジークは今の自身の肉体に問題を感じていた。その問題は危機ではない。寧ろ良い方向へと転がっていっていると言っても良い。

 

  “赤”のセイバーとの戦いで傷ついていた肉体が、完治一歩手前なのだ。地形が変わる程の戦いを後にしての立つことも儘ならなかったのが一時間も経ちもしないのに、治りかけている。

  原因はやはりバーサーカーの宝具の触媒となる『黄金のリンゴ』。食べれば不老不死となると言われる神々の秘宝の影響がジークの体に異変を齎したのだ。

  この異変が何処まで自分の肉体に及んでいるのか思考に耽っていると、耳元で金切り声が爆発した。

 

「もう、聞いているの!!?」

 

  ぐわんと脳内が揺れ、意識が外界へと戻った。金切り声の正体はやはり“黒”のライダー、アストルフォ。再会と無事により流れた涙の跡が頬に残るも、きゃんきゃんと喚く友の姿に不思議と落ち着く自分がいることにジークは安堵のため息を漏らした。

 

「なにため息してんのさぁ!?」

 

「すまない。悪気はなかったんだ」

 

「…なら、いいけどさ。それより体は大丈夫なの?」

 

「ああ、問題はない。セイバーとバーサーカーのおかげだろう」

 

  そっと心臓がある位置に手を当てる。今も脈打つ心臓は“黒”のセイバーの物、そしてこの心臓を再び動かし新たな力を与えたのはバーサーカーの宝具。

  鼓動を手のひらで感じながら、ジークはアストルフォと共に辿り着いたミレニア城塞を見上げた。

 

「よし!これからみんなを助け出しちゃおう、おー!!」

 

  ジークとアストルフォの目的はホムンクルス達の救出。当初の目的通りジークはホムンクルス達を解放するつもりだったがアストルフォもそれに加わるとは思わなかった。ホムンクルス達を解放するということは、魔力供給のアドバンテージを棄てることだ。それをサーヴァントとマスターが許すはず無いのにアストルフォは

 

 “そんなの後で考えればいいさ!”

 

  と、当たり前の様に言い放った。

  何はともあれ心強い仲間が加わり、仲間達の元へ向かおうとした矢先、ジークは立ち止まり、アストルフォはやっぱりかと言いたげにあちゃーと言い放った。

  彼等の行く先に一人の女性が立っていた。それも優しげな微笑みを浮かべながら。

 

「うわぁ。怒ってくれた方がまだマシだったね、アレ」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  セレニケは冷静だった。すこぶる冷静で、どうやってアストルフォを苦しめようかと考えていた。

  怒りは一周すると落ち着きを取り戻し、逆に冷静になると言うがセレニケは正にそうだった。

  彼女の脳内は言うことを聞かず、ホムンクルスに心を許すアストルフォをどう痛めつけようかと思考し、考え得る限り最悪の手段を思いついた。

 

「ねえ、ライダー?貴方の真名を言ってちょうだい」

 

「アストルフォ。シャルルマーニュ十二勇士の一人だけど?」

 

「いえ、違うわ。貴方は英霊の本体から分離したサーヴァント。言うなればコピー商品。本体と同じ記憶を持とうがアストルフォという存在はとうの昔に消え去っているのよ」

 

「へぇ」

 

  こんな挑発はアストルフォにとって何の意味も持たない。セレニケの言い分にも一理ある。

 

「で?ボクがコピー商品なら何か問題でもあるのかな?」

 

「ええ。本物の英雄ならそれ相応の敬意を示すに値するのだけれども、模造品に敬意を払う必要があるのかしら?」

 

「何言ってんさ、マスター。ボクが本物だろうが偽物だろうが貴女はボクに敬意を払うとは思えないんだけどなー」

 

「えぇ、その通りかもね。でも、分かったでしょアストルフォ?私は貴方を英霊なんて思っていない。私が召喚した、可愛い玩具にしか過ぎないのよ」

 

「・・・・」

 

  アストルフォは無言で黄金の馬上槍を構えた。マスターに対して考えられない行為だが、そうしなければならないと判断した。

 

「ジーク、早くここから逃げろ」

 

「だが…」

 

「いいから早く!」

 

「第四の“黒”が令呪を以って命じる。()()()()()()()()()()()()()()

 

  セレニケの取った行動にジークの動きが僅かだが止まる。まさか、こんな事で令呪を使用するマスターがいるとは思いもしなかった。

  そもそもセレニケは聖杯大戦で勝利しようともしていない。彼女の目的は最初から一つ、アストルフォを陵辱することだけだった。

 

「逃げ、ろ!」

 

  黄金の馬上槍の穂先がジークへと向けられる。アストルフォが持つ対魔力が令呪の縛りから抗っているからまだ命令に反することができているが、それも時間の問題だろう。

 

「あら、まだ抗えるのね?なら…」

 

  セレニケはもう一度左腕を掲げた。二画に刻まれた令呪が赤く輝く。それを目にしたアストルフォとジークの表情が絶望へと染まる。

 

「さあ、二画目の令呪を使用するわ」

 

「やめ、て…お願い、何でもするから。それだけはやめてくれ…!」

 

  追い詰められた可憐な少女のような懇願にセレニケの嗜虐心は大きく煽られた。蕩けるような幸福感に満たされて、セレニケの頬が緩む。

  ジークはセレニケに隙ができたことを見抜き、腰に吊るした細身の剣に手をかけた。ここでセレニケを止めなければ自分はアストルフォによって殺されるという最悪な結末が待っている。

  ミスは許されない状況にジークはタイミングを逃さぬよう、息を整える。こちらに意識が向いていない今、一歩前へ踏み出し、剣を引き抜こうとした瞬間。

 

「邪魔だ」

 

  ぞんざいな一言と共に、セレニケの頭部が消えた。抜けた言葉がジークとアストルフォの口から漏れ、頭部を無くしたセレニケの体が地面に崩れ落ちた。

 

  彼女の首を刎ねたのは、“赤”のセイバーだった。

 

「“赤”のセイバー…!」

 

  セレニケと相対した時とは違う緊張感が走る。アストルフォが馬上槍を構え、殺意と敵意を“赤”のセイバーにぶつける。

  ニィと薄笑いを浮かべた“赤”のセイバーは手を適当に振って戦意は無いと伝えた。

 

「よせよせ、“黒”のライダー。お前らに構っている暇なんて無いんでな。オレ達はあそこにある大聖杯へと向かわなきゃならん。今は見逃してやる…つっても、令呪に縛られているお前ではオレに刃向かうことすら叶わんだろうがな?」

 

「…っ!」

 

  今のアストルフォはセレニケの令呪により行動を制限されている。“赤”のセイバーの言う通り、“赤”のセイバーへ攻撃しようともできないのだ。

  “赤”のセイバーはジークを一瞥すると、すぐに大聖杯へと視線を向ける。ジークを見た時、“赤”のセイバーの瞳には同情が浮かんでいるようにも見えた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  “赤”のアサシンによって作り出された規格外の宝具『虚栄の空中庭園』。その内部では今、沈黙が空間を支配していた。

  そこでは二人の少年少女が睨み合っていた。その二人はサーヴァント、そして互いに裁定者の役割を担った『ルーラー』であった。

  少女は今回の聖杯大戦で聖杯に喚びだされたルーラー、ジャンヌ・ダルク。

  少年は前回の聖杯戦争、第三次聖杯戦争でルーラーとして、アインツベルンの魔術師に召喚された、天草四郎時貞。

  双方が睨み合う、その時間こそ異常な事態だった。

 

「何を考えているのです、天草四郎。それほどまでに、聖杯が欲しかったのですか?」

 

「それはもう。同じ神を信じる貴女なら分かるでしょう?」

 

「ふざけないでください。何が目的ですか?ルーラーとしての責務を放棄し、聖杯を奪おうとするその目的は?」

 

「先程申した通りーーー全人類の救済ですが?」

 

  少年ーーー天草四郎は揺るがない。“黒”と“赤”のサーヴァント、そしてルーラーからの疑惑の目線が集中している今、揺るがぬ信念を以って全人類の救済を掲げている。

  シロウの傍に“赤”のアサシン、セミラミスが哄笑とともに実体化した。女帝の出現に、全員が其方へと目線が向き、“赤”のアーチャーとライダーが眉を顰めた。

 

「どういうことだアサシン。汝ら、何を企んでいる」

 

「おいおい、何度も言わせるな。“我ら”がマスターは全人類の救済という大望を掲げておるではないか?」

 

「てめぇ…、俺らのマスターに何をした!?」

 

「“元”、マスターだろう?」

 

  平然と応じる“赤”のアサシンに、“赤”のサーヴァント達の敵意が一気に膨れ上がった。飛び出さなかっただけでもまだ冷静さを保てている。

 

「心配せずとも生きておりますよ。彼等には平和的に令呪とマスターとしての権利を譲って貰ったのです。夢現つのまま、聖杯大戦に勝利したと信じているのです。目覚めてしまってはいけないので、起こさないで下さい」

 

  シロウの言葉に堪忍袋の緒が切れた。“赤”のアーチャーとライダーが同時に飛び出し、シロウの喉元を狙う。

  だが、それは“赤”のアサシンと“赤”のランサーの双者によって防がれる。ランサーはアーチャーの矢を防ぎ、ライダーの槍はアサシンが左手に展開させた黒い魚鱗のような装甲で防いだ。

 

「やれやれ、神魚の鱗を容易く貫くか。さすがはアキレウス、神の息子よ。だが、その行為は軽率だぞ?」

 

「そうですね。今のマスターは私ですよ?」

 

「マスター替えに賛成した覚えはないぞ。仮に一度も顔を合わせていなくとも、主君を裏切る真似は願い下げだ」

 

「そこは見解の相違ですかね。貴方は裏切ってなどいませんよ」

 

  ライダーは舌打ちをして引き下がる。だが、“赤”のアーチャーは矢を払いのけた“赤”のランサーへと問い詰めた。

 

「ランサー、何故邪魔をする!まさか汝、マスター替えを了承したのではあるまいな!」

 

「……厳密にいえば、確かに彼はマスターなのだろう。だが、オレとてマスター替えを認めたわけではない」

 

「なら、何故だ」

 

「その男に真実を問わなければならないためだ。そのために、お前の矢で死んでもらっては困る」

 

  “赤”のランサーの言葉に自分の行動が早計であったと悟った“赤”のアーチャーは納得いかなさそうにとりあえずは引き下がる。

  その様子を黙って見ていたシロウは落ち着いたことを見計らい、ルーラーへと向き直る。

 

「さて、我々からの要望ですルーラーと“黒”のサーヴァント達。この聖杯大戦、既に決したも同然です」

 

「…降伏しろ、ということですか」

 

「その通りです。“ケイローン”」

 

  ルーラーが持つ特権の一つ、『真名看破』により既に真名が判明されている“黒”のアーチャー(ケイローン)は眉を寄せる。ルーラー、バーサーカーは警戒心を上げてシロウを睨む。

 

「望むなら平和的に解決したいのです。避けれる戦いがあるのなら避け、必要ならば致し方ないでしょう。この状況ならば、貴方はどうなさいますか?」

 

「…どう、ということもありませんね。状況的に考えて、ルーラーはこちら側と見なしていいでしょう。さらに“赤”のサーヴァントも一枚岩という訳ではないようだ。となれば、然程不利とは思えませんが」

 

「ーーーなるほど。では、“黒”のキャスター。貴方達はどうですか?」

 

「…さてね。だが、殲滅よりも降伏を提示する辺りに、何か其方に考えがあるのではないかと考えた。此方へ降伏したとして、僕達に有益となるなにかがあると」

 

  聞き逃す事ができない言葉に、“黒”のアーチャーが鋭い視線を飛ばした。

 

「キャスター…!?」

 

  仮面を着けた青い装束のキャスターは何を考え、仮面の奥にどのような表情を浮かべているのか、分からない。だが、シロウへと真っ直ぐ顔を向けていた。

 

「そうですねーーー貴方の願いの成就、でどうでしょうか?」

 

「ふむ。…しかし、聖杯はどうなるんだ?“赤”のバーサーカー、“黒”のランサーの二騎しか聖杯に収納されてない今、聖杯は起動しないのでは?」

 

「問題ありません。私はこの大聖杯を、誰よりも理解しています。心配せずとも、私の望みと貴方の望みは、決して重なり合うことはなく達成されるはずです。もっとも、貴方の望みが私の推測通りならばーーーですが」

 

「条件が一つある」

 

「どうぞ、できるだけ配慮しましょう」

 

「君をマスターにする分には問題ないが、私の元マスターとなるロシェ・フレイン・ユグドミレニアは僕に一任してくれないだろうか」

 

「つまり?」

 

「彼に危害を加えることは止めろ、ということだ」

 

  シロウは頷き、キャスターはシロウの元へと進み始めた。

 

「キャスター、君はまさかーーー」

 

  冷静で広い森林のような雰囲気を持つ“黒”のアーチャーの声は、鋭く冷たいものへと変化した。“赤”のライダーは気づく。彼が本気で怒っている、と。

  “黒”のアーチャーの怒りを無視し、シロウへと手を差し伸ばす“黒”のキャスター。

 

「手袋越しで失礼」

 

「いえ、構いませんよ」

 

  手が繋がれ、シロウは再契約の為の詠唱を開始した。

 

「止めろ、キャスター…!」

 

  “黒”のアーチャーが矢をキャスター目掛けて射る。だが、その矢は“赤”のランサーの槍によって防がれる。弾き飛ばされた矢は、轟音と共に爆発し塵と消えた。

 

「聖杯戦争において、マスターは魔力供給と令呪を以て英霊を使役する。だが、我々にもマスターを選ぶ権利はある。彼のマスターが如何なる存在であったかは知らないが…その選択は尊重されて然るべきだろう、大賢者よ」

 

  “赤”のランサーの言い分に“黒”のアーチャーはため息をついた。止められず、“赤”のランサーに守られている以上再契約を止まらない。

 

「貴方を我がマスターとして認めよう、天草四郎時貞殿」

 

「これで、契約は完了ですキャスター」

 

  なんの逡巡も躊躇いもなく前のマスターとの契約を破棄した“黒”のキャスターを笑顔で迎えいれるシロウ。そうして、シロウは最後に残った“黒”のサーヴァントーーー“黒”のバーサーカー、ヒッポメネスに向きを変えた。

 

「さて、“黒”のバーサーカー(ヒッポメネス)。貴方はどうなさいますか?」

 

「・・・・・」

 

  問われた“黒”のバーサーカーは目を固く閉じていた。悩んでいる、というよりも考えている。それはマスターを裏切るか否か、それとも違うことを考えているのか。思っていたよりも早く熟考を終えたのか、瞼をゆっくりと開いたバーサーカーはシロウへと声をかける。

 

「天草四郎時貞君」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「一つ質問に答えてもらいたい。質問の回答次第では、僕は君に従っても構わない」

 

  周りの英雄達がざわめく。“赤”のアサシンは妖艶に微笑み、“赤”のライダーは眉を寄せた。“赤”のランサーと“黒”のキャスターには反応はない。“赤”のアーチャーは目が吊りあがり僅かな苛立ちを漂わせる。“黒”のアーチャーとルーラーは止めようと詰め寄るが、バーサーカーは手で制した。

 

「…なるほど。では、質問とは?」

 

  バーサーカーがシロウの後方、すなわち大聖杯がある場所へと指差す。

 

「君はあの大聖杯を奪い、大聖杯を使って全人類の救済を謳う。違いないね?」

 

「はい。私の願いのため、大聖杯は必要不可欠なので」

 

「そうか」

 

  なら、と。

 

「君はあの大聖杯に“なに”を願って全人類の救済を行うつもりだ。大聖杯を誰よりも理解している君ならば、ただ願うだけではそれが叶わないと分かっているだろう」

 

  聖杯とは過程を省略し、勝者が望む結果を用意する願望機だ。サーヴァント六騎の魂を小聖杯に収納できれば世界の内で叶えられることは叶う。七騎収納すれば世界の外、すなわち根源へ繋がる。

  だが、聖杯でも叶えられないことがある。

 

  人が知り得ないことは聖杯でも叶えられないのだ。

 

  世界平和を願うならば、世界平和までの過程を聖杯に説明せねば願いは成就しない。誰も知り得ぬことを、聖杯が知るわけがないのだ。

  人が、魔術師が作りあげた聖杯の贋作では叶えられる奇跡にも限界がある。それを誰よりも理解していると自負する奇跡の少年が知っていないわけがない。

  バーサーカーは知りたい。本当に人類が救われる方法があるのならばーーー()()()()()が叶うかもしれないのだ。

 

  もし、本当にもし、彼が人類救済の解答を知っているのならーーー

 

  バーサーカーは最も己に禁じ、恥じるべき行為に踏み込むかもしれない。

 

  シロウは頷く。その頷く一つの動作からは絶対の自信と不滅の信念が感じ取れた。

 

「勿論です。大聖杯を手に入れただけでは人類救済など夢のまた夢。ですが、六十年前に触れた大聖杯の力と、六十年という時間で確信することができました」

 

 

 

「私はあの大聖杯を使いーーー人々から死を取り除く」

 

 

 

  すなわちーーー第三魔法『天の杯』(ヘヴンズフィール)へと至る

 

 

 

 

 




次の章で騎士共(マッシュや寝取りや男の娘)とか蝉様の出現の匂いがプンプンする。あとついでにブリュンヒルデとシグルドとか。

ガチャをあと一度だけしとこ。


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否定解答

Q.あなたは何フェチですか?

A.ヒッポメネス:足(生前から)と猫みm…ゲフンゲフン耳かな?
アタランテ:……匂い、とかか?

リンゴを服や全身に全力で擦り付けるヒッポメネスの姿があったとかなかったとか。

では、どうぞ


  天草四郎時貞(シロウ)の言葉を最初に理解できたのは誰だったのだろう。止まった時間は一呼吸の間だった。だが、空気が交換されるまでの時間は遠く、鈍重だった。

 

「天草四郎…!貴方は…人類全てを不老不死にするつもりですか!?」

 

  ルーラーは理解した。目の前の聖人と称された少年が行おうとしていることは全人類の不老不死化、大聖杯を使い、この世に生きる全ての人間ーーーいや、過去に存在した人間全てに第三魔法『天の杯』を行使するつもりだ。

 

  第三魔法『天の杯』

 

  その奇跡は“魂の物質化”だ。

  魂とは永久不変の存在。その存在は単体で活動することは不可能であり、肉体や幽体といった存在に繋がってなければ生命として成り立たない。

  魂を物質化する、それは永久不変の存在が肉体から抜け出し単体として、生命として活動することを可能とする業だ。

  シロウは、天草四郎時貞は過去に死んだ人間、現在に生きる人間、等しく全ての人間の魂を肉体から脱却させ、不滅の存在ーーー不老不死としてこの世に根付かせるつもりだ。

 

「それは人類が築き上げた歴史への叛逆…いや、人間という存在への叛逆です!」

 

「ですが私は確信しているのです。この方法こそが人類を救う法であると」

 

  その澄みきった瞳にルーラーは恐怖を覚えた。この方法こそ、全てを救えると信じている。疑っていない、迷いもしない。狂気とさえ思えるその確固たる信念に息を呑む。

 

「ではバーサーカー。貴方の質問に私は答えました。貴方の返答をお聞きしたいのですが」

 

  穏やかな笑みは変わらない。聖人のような純潔さが、今では悍ましさとさえ感じ取れる。バーサーカーは俯きながらもシロウへと答えた。

 

「……それで、本当に救えると思っているのかい?」

 

「ええ」

 

「誰もが、悲しまず、生きていけれると本当に思っているのか?」

 

「無論です」

 

「そうか。ああ、そうかい…っ」

 

  顔を上げ、シロウへと睨みつける。握りしめる拳と肩が震え、唇を深く噛み締めている。バーサーカーのシロウを見る目は怒りに近い感情があったが、嘲りも憐れみもなくシロウを敵として判断していた。相容れないと、言外で語っていた。

 

「君には、絶対に従えない」

 

「…そうですか。残念ですが…キャスター」

 

「分かった」

 

  キャスターが指を動かすと、ゴーレム達がルーラー、“黒”のアーチャー、バーサーカーを囲んだ。囲まれた三人は背中合わせになりながらゴーレム達の動きに注意する。

 

 

 

  シロウの計画の全貌を知った“赤”のアーチャー(アタランテ)は傍観という形で、ルーラー達の動きを見守っていた。

  彼女はまだシロウをマスターとして認められない。シロウが人類救済という大望を成就せんと動こうとは理解できたが、自分が動くにはまだ足りていない。

  とりあえず行く末を見守る形を取るのだが、彼女の弓兵としての知覚が視線を感じ取った。

  視線の正体は言わずもがな“黒”のバーサーカー(ヒッポメネス)だった。

 

「アタランテ」

 

  ゴーレムに囲まれ、警戒しながらもこちらへと語りかけてくるのは余裕なのか、愚かなのか。怒るべきか、呆れるべきなのか判断に迷うが応えることにした。

 

「なんだ」

 

「聖杯で、君の願いは叶わない」

 

  叶わない。その言葉に心が固まり、理解した時、怒りが込み上げた。

 

「ーーー謀るな、バーサーカー。そこな聖人は全人類の救済を聖杯によって叶えると言った。我が願いぐらい叶えずして何が聖杯だ」

 

  英雄アタランテの願い、理想、原動力。死して座に収められても尚、足掻き、挑み続ける悲願を、極東の聖人は叶えられる。方法こそ魔術師ではない自分が到底理解できるものではないが、十分な可能性がある。それを理解してバーサーカーは自分をこちらに引き込もうと嘘をついている。自らの願いを知ってくれている男が騙そうとしている。そう思った彼女の声には熱が籠っていた。

 

  バーサーカーはそんな彼女の心境を察してか、追い込まれている状況にも関わらず、厳として告げる。

 

「確かに。シロウ君の方法は悲劇に見舞われ、救われるべき人や、救われなかった人に光を与える神の御業のようなものかもしれない」

 

「なら」

 

「だけどね」

 

 

 

「死ぬ必要がないということは、()()を愛する必要もなくなることでもあるんだよ」

 

 

 

 

  ーーーガギリ

 

  耳の奥で、頭の奥で何かが深く食い込み引っ掻くような音が響いた気がした。頭蓋の奥を軋めるように、鎖が絡まり犇きあうように、音と共に頭が少し痛んだ。

  “赤”のアーチャーは頭を少し抑え、謎の痛みに耐えた。

 

(…なんだ、今のは?)

 

  不可解な痛みの原因が思いつかず動揺する。“黒”のバーサーカーがアーチャーの様子に気がついたが、囲んでいたゴーレム達がバーサーカーの視界から彼女を隠した。

  “赤”のアーチャーの変化を“黒”のバーサーカー以外は気づかずに状況は展開し続ける。

  “赤”のアサシンがバーサーカーとアーチャーの会話に呆れながら鼻で嗤う。

 

「バーサーカー、この後に及んで何を申すかと思えば…」

 

「もう少しで死ぬかもしれないから、伝えなければならない事を彼女に伝えているだけですよ」

 

「…ふん、ならば跪け。さすれば妻と話す時間ぐらい作ってやらんでもないぞ?」

 

「ご厚意感謝します、が、貴女に似た人…というより女神に一度恩恵を受けていますからね。二度目はないようにしているんですよね」

 

「殊勝な事だな。…ならば、早々と消え去れ目障りだ」

 

  “赤”のアサシンが右手を振ると、バーサーカー達の頭上から光の刃が振り下ろされる。ここは女帝の領域。この『虚栄の空中庭園』内部なら、彼女の魔術は魔法に近い大魔術へと昇華する。

  三者三様に回避行動を取り、逃げようとするがゴーレム達が立ち塞がり邪魔をする。

  再び“赤”のアサシンの手が振るわれ、光の刃がバーサーカー達へと降り注がれようとした。

 

 

 

  だが、赤い稲妻を纏った若獅子が剣を携えて現れた。

 

 

 

「何!?」

 

  予想外の乱入者に驚きを隠せないサーヴァント達。驚いていないのはルーラー、“黒”のアーチャー、“赤”のランサーの三騎だった。

  剣を携えた若獅子ーーー“赤”のセイバーは手にした大剣を振るい、ゴーレム二体を一太刀で斬り崩した。大剣を振るった後に聞こえるうねりは獅子の咆哮のようだった。

  口元を僅かにあげて薄笑う“赤”のセイバーは一騎を除き勢揃いした“赤”のサーヴァント達を一目眺め終えると鼻で笑う。

 

「はっ!どいつもこいつも、雑魚ばっかだ!」

 

  休む暇も与えないと自分が砕いたゴーレムを足蹴にして、違うゴーレムへと突貫する。次々に破壊されるゴーレムを見て、“赤”のアサシンは何かに気づいたように舌打ちする。

 

「“黒”のアーチャー…!先ほどの矢はこの為か!」

 

  “黒”のアーチャーが前に放った矢は“黒”のキャスターの再契約を防ぐために行ったのではなく、“赤”のセイバーがここへ正しく辿り着くために射出したものだった。大きな音で居場所を伝え、早く駆けつけれるように。

 

「セイバー!貴様、裏切るか!?」

 

「馬鹿か手前ぇ!先に裏切っていたのはそっちだろうが!オレのマスターを狙った時点で手前らはオレの敵だ!!」

 

  “赤”のセイバーの怒りを現したような赤い魔力が雷へと変換され、猛威となって周囲へと撒き散らされた。床が弾かれ、砂煙が舞い上がる。

 

「むっ、いかん」

 

  “赤”のランサーの言葉を“赤”のサーヴァント達は聞き逃さなかった。視界を奪う煙の向こうに一縷の閃光。光が煙を払い、姿を現したのは黄金の果実とそれを握る碧の青年。

 

『不遜賜す黄金林檎』(ミロ・クリューソス)!」

 

  二度目の宝具の開帳。バーサーカーは吸血鬼の時とは違い、使うリンゴの数は一つ。高く遠く、シロウ達の後方へとリンゴは投げられた。

 

「…しまった!」

 

  自然とシロウ達の視線が動き、リンゴが描く放物線へと集中する。警戒すべきはルーラーと“黒”のサーヴァント達、そして“赤”のセイバー。なのにシロウ達は敵対者達に目も顔も向けれぬままリンゴを追う。

  あの宝具の能力は『ただ引き寄せること』だ。一個だけなら一騎のサーヴァントを引き寄せるが、()()だけなら複数のサーヴァントの視線を同時に引き寄せることなど容易い。

  リンゴはやがて粒子となって空気に四散する。すぐに視線をルーラー達へと戻したが時は遅く、彼女達の姿は消えていた。

 

「“黒”のセイバーが消えたのをいい事に彼の宝具の危険性を過小評価しすぎてしまったようですね」

 

「すぐに始末する。少し待てーーー」

 

「いや、ここは僕がいこう」

 

  “黒”のキャスターが“赤”のアサシンを遮り、前へ出る。後方支援で実力を発揮する魔術師であるはずの彼が、ゴーレムの肩に乗り追跡へと走りだした。

  呆気取られ、“黒”のキャスターを見送ってしまった面々はしばらくして動きだした。

 

「ありゃ大丈夫なのか?」

 

「大丈夫、とは言い切れませんね。彼はおそらくこちらへ来た目的を果たそうとしているのでしょう」

 

「目的?」

 

「ええ、彼の真名はアヴィケブロン。彼の目的は己の造るゴーレムが至高であることを証明すること。それ以外に執着するものはなく、そこに邪念は一切ありません」

 

  そう“黒”のキャスターを推察するシロウの言葉は、“赤”のアーチャーの耳には入らなかった。

 

「・・・・・」

 

  証明のためと去っていった“黒”のキャスターとは二度と会うことはない、と自然と分かってしまう。最初に攻め込んだ時と変わらぬ顔触れが空中庭園に戻った。だが、最初と今では状況が変わってしまった。

  シロウの正体、目的、そしてーーーバーサーカーの言葉。

  “赤”のアーチャー(アタランテ)の心の中に広がる蟠り。言葉の真意、聖杯への疑問、そしてーーーシロウの悲願の先にある世界の在り方。

 

  分からない。

 

  捉えられない謎の正体を掴むことができず、“赤”のアーチャーは考えることを止めて、彼らが場所を見つめ続けた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  さて、どうしたものか。

  カウレスはこめかみを手で押さえながらこの状況に頭を悩ませている。

  自分の横には姉のフィオレと“黒”のセイバーの元マスターであるゴルド。そして、目の前にいるのはホムンクルス達と“黒”のライダー(アストルフォ)だった。

  ホムンクルス達が勝手に行動していると知り、供給槽がある部屋へ赴くと“黒”のセイバーが自決するきっかけとなったホムンクルスが指揮をとり、供給槽に入っているホムンクルス達を取り出していた。

  元の役割を果たせ、とゴルドとフィオレが命令するが役割を果たす義理はないと突っぱねられてしまった。

  ゴルドが怒り弾劾しはじめるが、ホムンクルスと再契約したという“黒”のライダーが現れると、押し黙ってしまったのだ。

  結果的にはホムンクルス達の解放は決定。だが解放の報酬として聖杯大戦をまだ諦めていないフィオレはホムンクルスに協力するよう言ってきた。

  ライダーは猛反対するがホムンクルスは同意した。マスターとして参戦してしまったからには戦いに身を投じるのは覚悟の上、とのことだ。

  これでこちらのサーヴァントは五騎。セイバー、アーチャー、ライダー、キャスター、バーサーカー。まだ充分に勝機は見出せれることにカウレスが安堵の息を吐こうとした時、バーサーカーからの念話が飛び込んできた。

 

『カウレス君!』

 

「…バーサーカー?」

 

  焦ったような声音に自然と体が強張る。フィオレもアーチャーからの念話が届いているのか、目の前のホムンクルスから意識を外し会話へと集中していた。

 

『どうした?“赤”の方に動きでも…』

 

『率直に申すとキャスターが裏切った!』

 

「……はぁ!?」

 

  思わず叫ぶとすぐに姉と顔を見合わせた。フィオレにもキャスターの裏切りが伝わったのだ。ホムンクルス、ライダー、ゴルドが訝しげにしているが気にしてられない。

 

「カウレス!ロシェを探してきなさい!」

 

「分かった!」

 

  扉からすぐに飛び出すと城塞内部を駆け巡る。何故ロシェを探す必要があるのか分からないが姉の緊迫した様子に思考するのは後と部屋を次々に開けていく。“黒”のキャスターのマスターであるロシェの姿はどこにも見当たらない。戦闘用のホムンクルス達も途中で協力し、探すも最年少のマスターは城塞にはいなかった。

  城塞の内部を全力疾走している途中、カウレスが抱いた疑問をバーサーカーは答えていた。

 

『カウレス君、ダーニックさんからキャスターの宝具の詳細は聞いたよね?』

 

『ああ、確か宝具の発動には『炉心』が必要不可欠とは…』

 

『その『炉心』は魔術師じゃなければならないんだ』

 

『…なっ!?』

 

  知らされていなかった事実にカウレスは絶句する。

 

『どうやらキャスターの奴、ジーク君…ああ、逃げたホムンクルスを最初に炉心にしようとして、ダメになったからゴルドさんを使おうとしていたんだ』

 

『だけどゴルドおじさんならここにいるぞ!』

 

『だからロシェ君なんだ。彼はゴーレムに造詣が深く、魔術回路、性質、その他諸々と宝具の炉心として適していたはずだ。だがそれはマスターだったから出来ずにいたけどーーー』

 

『裏切った今では関係ないってか!』

 

  改めて魔術師という存在を認識せざるを得ない。己が目的のためならば倫理、道徳を足蹴にし、無辜の人々を犠牲にすることを厭わない。

  例え先生と慕われた幼い少年であっても必要と分かれば炉心として使う。

  アヴィケブロンがなんのクラスとして召喚されたかを再認識し、走り続けて消耗した体を休める為に足を止めた。息を整え姉の元へと帰ろうとした時、後ろからホムンクルスの少女が近寄ってきた。

 

「カウレス様、こちらの階にもロシェ様の姿はありませんでした」

 

  分かった、と伝えようと喉を動かそうとした時。壁の向こう側から巨大な存在を感じ取った。すぐさまホムンクルスの少女の腕を引いたその時。

 

  鉄槌の如き、巨大な拳が振り下ろされた。

 

  天井から床を貫く規格外とも思える一撃が城塞の一部を破壊した。カウレスがホムンクルスの少女の腕を取っていなければ少女は形が無くなっていただろう。

  拳が引かれ、外の景色が見えるようになった。カウレスは崩れた壁から外を見た。

 

  そこにいたのは巨大なゴーレムーーーいや、あれは唯の土人形なんかじゃない。

  巨人だ。まるで自然の雄大さと美しさを宿した巨人だ。そして、理解する。あの様な巨大なものを創れるのは誰か。創造された巨人の正体が何なのか。

 

「あれがキャスターの宝具…」

 

 『王冠・叡智の光』(ゴーレム・ケテルマルクト)

 

 




Q.今異性の体に触れたい部位は?

A.ヒッポメネス:耳!絶対に耳!
アタランテ:ない
アキレウス:姐さん、俺ならどこでも触れていいぜ?
ヒッポメネス:君は呼んでない!!!

前書きや後書きに書く内容がないときはこうします。


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楽園の代行者

Q.聖杯により現代知識を得た今、相手に似合いそうな楽器はなんですか?

A.
ヒッポメネス:アタランテはオカリナとか似合いそうだよね。
アタランテ:お前は…カスタネットか?

では、どうぞ。


  息を呑んだのはどちらだったのか。いや、どちらともだったのだろう。城塞の外に存在する神々しく、美しい巨人を目の前にして心が奪われてしまった。

  巨人から放たれる甘美な匂いにそこが楽園ではないかと思わされる。巨人の足元には木々が生え、地面を巨人の栄光で満たしていた。

  カウレスは目の前の大いなる存在に平伏しそうになりながら、巨人の肩に乗っていた者の姿を見つけた。

 

「キャスター…!」

 

  仮面に蒼い装束のサーヴァントは自分ではなく、巨人が開けた穴ーーーつまり、フィオレやゴルド、ホムンクルスのジークと“黒”のライダーがいる地下室へと視線を向けていた。

 

「カウレス様…」

 

  腕を握っていたホムンクルスの少女の声にカウレスは振り返る。

 

「ここにいては危険です。いったん引きましょう」

 

  確かに彼女の言う通りだ。キャスターが自分に気づいてないのは意識する値もないということだ。それはそれで思うところがあるが、余計なプライドで命を無駄にはできない。カウレスは頷くと、気づかれないようにその場を去っていこうとした。

 

「ーーー君に気づいていないとでも?バーサーカーのマスター」

 

  巨腕が城塞を破壊しながら迫ってくる。キャスターは別にカウレスを無視していたのではない。まず、誰が生き残っていたのかを確かめていただけだった。

  そして、一番近くにいたカウレスをまず始末しようと巨人に指示した。

 

「走れ!!」

 

  ホムンクルスの少女と共に城塞の廊下を走る。一刻も早く彼らを潰さんと巨腕が伸びてくる。

  カウレスの生存本能は最大限に働き、普段動かさない筋肉を酷使させて全力で足を動かした。しかし、カウレスの足よりも巨人の腕の方が早い。手のひらがカウレスを握りしめようとした時。

 

「ーーー失礼します!」

 

  隣に並走していたホムンクルスの少女がカウレスを抱きかかえて、弾丸のように窓から外へと飛び出した。突如感じる浮遊感、遥か下には崩れた瓦礫が転がっているのが見えた。

  高さとしては五十メートル強、魔術礼装がない今、無事に着地することは不可能だ。それはまた、ホムンクルスの少女も同じ。少女が如何に戦闘用のホムンクルスといってもこの高さでは無事では済まない。

  ホムンクルスの少女はそれを理解していたのかカウレスを両腕で抱きしめ、自身の背中を地面へと向けた。

 

「なっ!お前…!」

 

  体を襲う重力が下へと堕ちていく。加速していく視界には残り数秒で地面へと辿り着くことになる。地面と接触した時、カウレスは軽症で済み、ホムンクルスの少女は死ぬ。

  自分の命を救わんとしているのは少し前に解放されたはずの人工生命の人形。短い命だが、それでも自由となった身なのに、それでも生み出された役割をーーー創造主に忠実でいようとしている。

 カウレスは、納得がいかなかった。憤っているのは義憤ではない。自分は魔術師だし、彼女の同胞達が使い捨てにされていることを好しとしてきた。そんな自分が今更義憤なんて感情を抱くとは白々しいにも程がある。

 

  だけどよーーー少しは自分の命を優先しろよ。

 

  そう言いたかった。でもそんな言葉を伝える時間なんて一切ない。一寸先は闇どころか真っ赤な地獄だ。だからこそ、カウレスは希望に縋って息を一瞬で吸い込んだ。

 

「バーサーカアアアアアアアァァァ!!」

 

  契約したサーヴァントへの叫び。

 

  そうして、返事はやってきた。

 

「マスター!!」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「キャスター!」

 

「ふむ、君か。どうやら僕と同じように主を替えたようだな」

 

「お前と同じにするな!」

 

  天井をぶち抜き現れた巨人と、巨人の肩に乗るキャスターに全員の恨みがましい視線が集まる。裏切り仲間だった者達の前へと平然と現れたことと、マスターを贄として宝具を使用したことに。

 

「そんな木偶の坊を引き連れて何の用だ!」

 

  “黒”のライダーの叫びにそこにいたライダー以外の者達の頬が引き攣った。あの宝具である巨人の威光を前にしてこの言い様。理性が蒸発していると言うべきか、恐れを知らぬと言うべきか。

 

「…このゴーレムは世界を救済できる『原初の人間』の現し身だ。木偶の坊とは不遜極まりないとは思わないのか?」

 

「そんなの君が作った道具だろ!君が何を作ったなんか知るもんか!」

 

  確かにその通りだ。キャスターがどれほど神々しいゴーレムを創造しようともそれは所詮道具に過ぎない。

  仮面の奥に隠されたキャスターの表情は分からないが、ライダーの言葉に身に纏う雰囲気が変わるのが分かった。

  ライダーが構えてジークとフィオレやホムンクルス達を守るように前へ立つ。キャスターが指示し、ゴーレムの腕が動き出し。

 

「ーーー君に気づいていないとでも?バーサーカーのマスター」

 

「「「なっ!?」」」

 

  突如腕を城塞へと薙ぎ払い始めた。腕が城塞の廊下を破壊しはじめ、その廊下を走るカウレスとホムンクルスの少女がいた。

 

「カウレス!?」

 

  弟の存在を確認し、フィオレが叫ぶ。ゴーレムの巨腕がカウレス達を飲み込もうと迫っていく。あと少しで押しつぶされそうになった瞬間、ホムンクルスの少女がカウレスを抱え、外へと飛び出した。

 

「くっ!!」

 

  ライダーが助けようと飛び出すが、ゴーレムの足が道を防いだ。

 

「邪魔だ!!」

 

「そうはいかない。君達はここで終わりにさせてーーー」

 

 

 

「いや、お前がここで終わるんだ。キャスター」

 

 

 

  空から響く声と共に、音速の矢が飛来する。矢がキャスターの肩へと深く刺さり、青い装束に赤い染みが広がる。

 

「ぐっ…!」

 

「アーチャー…!」

 

  少し離れた城壁に頼もしく知恵深き賢者の姿があった。手には弓と次弾の矢を番えており、いつでもキャスターを射抜けるように狙いを定めていた。

  “黒”のアーチャーの姿を見てフィオレの歓喜の声が出た。だがすぐに落ちていったカウレスのことを思い出し、表情が反転する。だがその焦燥の顔もすぐに終わる。

 

「よっと…、あぶないあぶない」

 

「バーサーカー!」

 

  カウレスとホムンクルスの少女を抱えた“黒”のバーサーカーがフィオレ達の近くに降り立った。二人を下ろすとバーサーカーは小剣と槍を構え、ライダーと並び立つ。

 

「おかえり!」

 

「ただいま…って、悠長なこと言えないか」

 

  バーサーカーの視線はキャスターとゴーレムへと向く。

  アーチャーが矢の先をキャスターの脳天と胸板に向けたまま冷酷に言い放つ。

 

「次は仕留めてみせよう、キャスター」

 

「…そうか。だが」

 

「分かっている。恐らく、君を仕留めようとも…君の宝具は停止しないだろう」

 

「…全て分かっている、ということか」

 

  返事はーーー矢だった。矢は全て狙い通り脳天と胸板を射抜いた。キャスターは絶命した、と思われた。しかしキャスターは強い意志のみで、この世からの消失を免れている。

 

「……残念だが、僕の役割は全て終わっている。これが裏切りの代償なら甘んじて受けよう」

 

  だが、とキャスターは決死の思いを告げる。

 

「この『叡智の光』だけは残していく!こいつなら、世界を救える!必ず…必ずや楽園を創造できる!世界を、人を、我らが民を、救い給え!!」

 

  そうして、キャスターは己の肉体をゴーレムへと捧げた。ゴーレムが創造主たる存在を自身の肉体へと溶かし入れた。

 

「な、に…!?」

 

「馬鹿な、あり得ん!」

 

  周りにいた魔術師、サーヴァント達が愕然とした。サーヴァントという巨大な魔力の塊を取り込んだことが原因か、ゴーレムの存在が一気に膨れ上がる。

  ゴーレムが右手を振ると黒曜石で構成された剣が生まれた。ゴーレムは誰かを探すように周囲を見渡すと、フィオレを目に止めた。

 

「ライダー!」

 

「了解!」

 

  サーヴァント達はゴーレムの行動を理解し、いち早く行動した。ライダーが車椅子に乗るフィオレを抱えると、フィオレを狙う黒曜の剣が落とされる。ライダーは城壁を足場に飛び、宝具であるヒポグリフを呼び出した。

 

「しっかり掴まっててよ!」

 

  剣が幾度も振るわれるが、風を切り空を舞うヒポグリフへとは届かない。途中、ゴーレムが動きを止めるといきなり後方へと剣を振るった。

 

  ガオンッ!!!

 

「…『原初の人間』とは…、“黒”のキャスターも、厄介なものを遺してくれますね」

 

  黒曜の剣を受け止めたのはルーラーだった。華奢な腕で、旗で、巨大な剣を押しとどめている。

 

「ルーラー、そのまま!」

 

  アーチャーが限界まで引き絞った一撃を放つ。矢はゴーレムの目へと突き刺さり、動きを止め怯ませた。ルーラーが駆け、聖旗をゴーレムの膝へと叩き込む。

  関節が砕け、ゴーレムは後ろへと仰け反る。城塞の東部にある崖から落ち、地面へと着地した。結果としてマスターやホムンクルス達に被害が及ばないようになり、ルーラーとゴーレムが一騎打ちの形となる。

  アーチャーが援護のため、矢を立て続け様に射出する。視界を奪うため、もう一つの眼球を狙う。しかし、このゴーレムは今までのキャスターのゴーレムとは違う。

 

「なに!?」

 

  飛来する矢を払いのけ、目に刺さった矢を抜く。鈍重なゴーレムとは思えない、俊敏かつ迅速な行動、的確な動作に驚くがルーラー達にさらなる驚愕が襲う。破壊された眼球、そして膝が修復されはじめたのだ。

 

「治癒…魔術?いや、これは魔術じゃないもっと自然現象に近いものか」

 

  ルーラーの横へと飛び降りてきたバーサーカーが呟く。ルーラーはバーサーカーの言葉に頷き、修復の正体を言い当てた。

 

「ええ。あれは恐らく大地からの祝福です」

 

  『王冠・叡智の光』は自律した固有結界『原初の人間』を生み出す。その存在はそこにいるだけで周囲を異界へと変貌させる。楽園では誰も傷つかず、血を流さない。故に、矢傷など存在しなかったことになる。

 

「急いで倒さないと!このまま周囲が楽園と化せば、彼が“不死身”となってしまいます!」

 

  ルーラーが聖旗を突き上げ、ゴーレムが剣を振り下ろす。バーサーカーが伸びた腕に槍を突き刺し、腕を破壊しようと試みる。魔力を込めた一撃はゴーレムの腕を破壊したが、徐々に復元されていく。

 

「…ダメだ!これは弱点である炉心を破壊しなきゃ死なない!」

 

 『ダメですバーサーカー。炉心を壊すだけではあの巨人を葬るには至りません』

 

 『アーチャー?』

 

  ゴーレムの拳を躱しながら、地道に体を削ろうとしている最中アーチャーからの念話が届いた。それはルーラーも同様でゴーレムに集中しながらアーチャーの言葉に耳を傾ける。

 

 『あの巨人はゴーレムというよりサーヴァントに近い状態になっています。頭部の霊核、心臓の炉心、そして大地から魔力を受け取っている足の裏。その三つを同時に破壊しなければ巨人は復活し続けます』

 

 『それじゃあ最低でも三人のサーヴァントが必要じゃないですか!』

 

  しかも完全に破壊するために強力な一撃を放てるサーヴァントだ。ルーラーは剣を受け止めれる膂力が存在するが完全な破壊はできない。アーチャーも破壊できる宝具があるが三つ同時には破壊できない。バーサーカーの宝具は対人ではあるが攻撃用の代物ではない。

  八方ふさがりの状況にルーラーとバーサーカーは焦るが、アーチャーは焦りなど一切見せず、力強く宣告した。

 

 『ええ、ですから()()が必要です』

 

「…そういうことですか!」

 

  ルーラーが聖旗を掲げ、高らかに叫ぶ。

 

「“赤”のセイバー!我が真名ジャンヌ・ダルクの名に於て、参陣を要求します!声が聞こえぬ場所に居るわけでもないでしょう、来なさい!」

 

  返事は静寂。だが、すぐに現れた。城塞の瓦礫の陰から白銀の全身鎧を纏う騎士が現れる。

 

「参上してやったぞ、ルーラー。で、オレに何をして欲しいんだ?」

 

「アーチャーに聞いてください!」

 

「…む?」

 

  “赤”のセイバーが事の詳細をアーチャーへと尋ねようとした時、丁度ライダーが乗るヒポグリフから飛び降りて、ルーラーの側へと着地した銀髪赤目の少年、ジークと目があった。

 

「…ふん、お前か」

 

「過去の遺恨は水に流せーーーとまではいきませんが、少し忘れましょう。今はあれを打ち倒すことが先決です」

 

「分かってるよ。おいホムンクルス!お前もそれで構わないよな!?」

 

  セイバーの呼び掛けにジークは頷きながら応じた。

 

「構わない!」

 

「ジーク!貴方も手伝って欲しいのですが、もう一度、宝具を解放することは可能ですか!?」

 

  ジークは左手の甲に刻まれている二画の令呪を見る。手に刻まれた令呪の数は“黒”のセイバーへと成れる残りの回数。一度目の令呪使用から時間は経過し、肉体の回復も済んだ。令呪の使用に問題や障害など一切ない。

 

「大丈夫だ。どちらも問題ない」

 

「ちょ、マスター!アーチャー!ボクのマスターに何をさせるつもりさ!?」

 

  ライダーがヒポグリフに乗りながらゴーレムの動きをかく乱している。ジークはライダーへ何も言うなと首を横に振って合図すると、一瞬だけ顔を顰めたが再びヒポグリフの手綱を操ることに集中し始めた。

 

「これで準備は完了なのかい!?」

 

「ええ、あとは私と貴方が道を拓き、場を確立させます。そして、ジーク君と“赤”のセイバーが巨人を粉砕する。これでアーチャーの手筈通りです」

 

「よし!分かった!」

 

  バーサーカーが突貫し、ゴーレムの手首へと鋭い突きで砕こうとするも、ゴーレムが足を後ろへと引いて槍を躱した。黒曜石の剣がバーサーカーを消し飛ばそうと振るわれるもバーサーカーは体を低くして、間一髪に避けた。少しでもゴーレムの剣に触れたならば身体の部位が無くなることが言われなくても分かる。

  徐々に動きに人間味が増していくゴーレムに冷や汗を抑えられないがバーサーカーに恐怖はない。一人ならば消滅の危機に撤退したくなるが、今は救国の聖女が共にいる。彼女と息を合わせて再び突貫を試みようと目で合図をおくろうとしたが。

 

「あれ!?ルーラー!?」

 

  隣には誰もおらず、一人ゴーレムの前に立ち尽くすのみ。急いでルーラーの姿を探せばニヤつき顔の“赤”のセイバーに何やら焦ったような顔をしながら慌てふためいていた。

 

「ちょ!?僕一人じゃ抑えられないんだけど!!」

 

「ま、待ってくださいバーサーカー!!今、決断を…!」

 

「ーーーオオオオオオオォォォォ!?」

 

  ゴーレムの袈裟斬りを槍の柄で防ぐ。足が浮き、剣の重みで吹き飛んだ。衝撃を受け流せきれず、圧力が身体の内部を軋めかせる。血を吐きながらも空中で体勢を整えて、地面へと着地する。のだが、ゴーレムは確実に命を狩ろうと巨軀を器用に動かしながら突撃してくる。その光景にバーサーカーは思わず叫んだ。

 

「ルゥーーーラァーーー!!!」

 

「ほらほら、早く決めねえとバーサーカーがやられるぞ?」

 

「うぅ!!分かりました一画です!一画だけです!!」

 

「よし、決まりだ!!」

 

  ルーラーとの間にあった何らかの取引が成立し、“赤”のセイバーが意気揚々と剣を天へと掲げて宣言した。ルーラーは「令呪がぁ…」と嘆いているが、バーサーカーとしてはどうでもいいから助太刀に来てほしいと念を送り続けている。

 

「よし!アーチャー、タイミングを計れ!ホムンクルス、とっとと変身しろ!この木偶の坊を三分で始末するぞ!」

 

「いいからーーー!!助けてえーーー!!」

 

「す、すいません!」

 

 ようやく助太刀に来たルーラーがゴーレムの剣を聖旗の先端で受け流し、軌道を変えた。加勢が入り、ようやく攻勢に打って出れると思いーーーすぐにその考えを改めた。

  ゴーレムはただ、合理的な思考で動いてなどいない。この巨人は、『原初の人間』は思考し、学習する。感情も意思も存在しない。単純に、必要なことを模索し、不必要な物を切り捨てる。それゆえに。

 

「くっ…!?」

 

「疾い!?」

 

  ルーラーとバーサーカーが徐々に押され始めてきている。闘いの中で戦闘経験を積み、僅かな時間で動きに現す。巨人に見合った膂力とそれを裏切る技術を見せつける。その光景に魔術師だけではなく、サーヴァントでさえも息を呑む。

 

 

 

「ーーー令呪を以って、我が肉体に命ずる」

 

  令呪が忠実に作動し、ジークの肉体が『竜殺し』へと変貌した。悪竜の血を浴びた鋼鉄の肉体、悪竜を切り裂いた聖剣を握りしめーーー三分という時間だけ、この世に現界した。

 

「よし、後はアーチャーが隙を…」

 

  隙を作り、自分たちが終わらせる予定なのだが。

  ゴーレムの猛攻にルーラーとバーサーカーが押されていた。暴風雨と言ってもおかしくない状況下で、一つの失敗も許さず耐え切っている。隙を作ろうとも、ゴーレムはアーチャーやセイバー達の姿を忘れてはなかった。

 

『ジーク、“赤”のセイバー。…やれますか?』

 

  ならば、四人で潰しにかかればいい。四人でかかり、一瞬だけでもいいから、アーチャーから意識をそらせる状況にさせてやればいいのだ。

 

「よし、やってやらぁ!」

 

  魔力を放出させ、その勢いで弾丸のように飛び出した。“赤”のセイバーは赤い弾丸となり、ゴーレムへと大剣を薙ぐ。

 

「な!?」

 

  その一撃もゴーレムは見切り、凄まじい跳躍によって躱した。落下の重力を加えた斬撃が“赤”のセイバーに振り下ろされた。

  呻きながら剣を受け止めるも、地面に叩きつけられて鎧に罅が走る。マスターの治癒魔術により修復されるもあと一撃でも加えれば鎧は砕け散るだろう。それを狙ってかゴーレムの巨腕が振るわれる。

  刹那、“赤”のセイバーとゴーレムの間に灰色髪の青年が割り込んだ。大剣がゴーレムの拳を受け止める。

 

「ぐぅ…!!」

 

  ジークは凄まじい膂力の一撃に後退するも、地面に足をつけて耐えきった。大地に二つの大きな溝を残しながらも、最後には両脚で立っていた。

 

「よし!そのままでいろ!」

 

  後ろから“赤”のセイバーが回り込み、ゴーレムの手首に剣を振り上げ破壊した。ゴーレムの腕は大地から魔力を吸い上げ、すぐに修復されていくが叛逆の騎士はそれを簡単に許すつもりはない。

 

「ぶっ倒れろ木偶の坊!!」

 

  赤雷が迸り、ゴーレムの肩へと直撃した。肩の根元から崩壊し腕が弾き飛ぶ。片腕を無くしたゴーレムが剣を持つ腕を振り上げようとした。

 

「させはしない」

 

  先に動いたのはジークだった。竜殺しの聖剣が先ほどアーチャーが貫いたゴーレムの眼球部位を切り裂いた。夜の闇に煌めく聖剣の剣閃がゴーレムの頭部を斜めにズラす。ズレた視界で剣の軌跡が歪み、“赤”のセイバーから離れた場所に落ちた。

 

  ーーーここだ。

 

  “黒”のアーチャーが矢を番えた。二本の矢を引き、両脚へと狙いを定める。今まで手を出さず、機会を窺い、その時が訪れた。ここで外してしまえばゴーレムの再生能力が上がり、ルーマニアが『原初の人間』の力により異界と化してしまうだろう。

  重責を担う立場、だが責任という枷でアーチャーの技巧は衰えない。

  “黒”のアーチャー、ケイローンが二つの矢を射ち放った。

 

  ゴーレムの片方の眼球がアーチャーの放った二つの矢を捉えた。

 

  “死ぬわけにはいかない”

 

  死の恐怖はない。人々を救済するという創造主の意思を忠実に実行するため、ゴーレムは必要最低限、合理的判断で巨躯を動かした。

 

「…馬鹿な!!」

 

  誰が叫んだかは分からない。ただ、ゴーレムが取った行動に叫んだことは理解している。残った片腕で片脚を守り、残りの脚を犠牲にする。アーチャーのミサイルに近い威力を持つ矢が着弾し、腕と片脚を破壊した。ゴーレムに残ったのは修復しつつある片腕と片脚、失ったのは腕と脚の一つずつ。

  だが、問題はない。地面に一つでも触れていれば世界はゴーレムを祝福し、楽園は傷をなかったことにする。

 

  しかし、ゴーレムの身体は後ろへと仰け反った。

 

  『原初の人間』は驚きはしない。しかし思考は停止する。何故倒れていくのか、誰がそうしたのか、『原初の人間』は考えて理解した。

  悠然と空を舞う幻想種とその背中に乗る小さな騎士の姿を見た。

  ここには叛逆の騎士、大賢者、竜殺し、聖女、狩人の夫という英雄達が揃っている。そして、忘れてはいけないもう一人の英雄がいた。

  理性が蒸発しても騎士としての誇りと在り方を忘れない、神をも恐れぬ英雄を。

 

  その英雄の名はシャルルマーニュ十二勇士が一人、アストルフォ。

 

「よっし、後は任せた!マスター!」

 

  手には黄金の馬上槍、宝具『触れれば転倒!』(トラップ・オブ・アルガリア)

  この宝具の真髄は槍の一突きの威力ではない。触れた相手を転ばせる。どれだけ堅固な守りであっても、無窮の武練を積んだものであろうとも転倒させる。

  滑稽な概念武装が、ゴーレムの生き死にを決めた。

 

  転倒するゴーレムに二つの光が届く。

  赤く猛々しい稲妻の光と黄昏に染まる尊き極光。

  ライダーによって大地と遮断された『原初の人間』に祝福は届かない。足は失い、残りは頭部と炉心の二つ。

  二騎の英雄はそれぞれが誇り、憎み、己が代名詞たる一撃の真名を叫んだ。

 

 「幻想大剣ーーー」(バル)

 

 「我が麗しきーーー」(クラレント)

 

  “黒”と“赤”の咆哮が響き渡った。

 

 「天魔失墜ッ!!」(ムンク)

 

 「父への叛逆ッ!!」(ブラッドアーサー)

 

  赤と黄昏の光が『原初の人間』の頭部と炉心を貫いた。

 

「ヘッドショットだ、木偶の坊。楽園は他所でさがしてろ」

 

  “赤”のセイバーの哄笑とともに『原初の人間』は朽ちていく。神々しい姿も、救済の幻想も滅びていく。

 

  途中からいつでも横入りできるよう構えていたバーサーカーもやっと構えを解く。周りではマスター達とホムンクルス達の安堵の溜息が溢れ、サーヴァント達はそれぞれ勝利を味わう。そうして実感する。

 

  聖杯大戦は変わってしまった。

 

  “赤”と“黒”の戦いではなく、“聖人”と“聖人”の戦いへと変貌してしまった。

 

 

 




Q.とりあえず叫んでください。

A.
ヒッポメネス:アタランテえええええええええ!!!
アタランテ:リンゴっっっ!!!…なんなんだコレは。
アストルフォ:キィヤァァァァァァァァァァァァァァァ!!!
ジーク:落ち着けライダー。

二人を描いてみたかっただけ。

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願いを

Q.外は土砂降りで予定していたピクニックに行けません。家で何をしますか?

A.
ヒッポメネス:持っていくはずだったお弁当を鮮やかに皿に飾ってみて、ちょっとした贅沢気分を味わってみる。
アタランテ:その皿に飾った弁当を食べる。

では、どうぞ。


  大聖杯を奪った空中庭園は動き出した。空に浮かぶ女帝の領土は緩やかに動き出し、ルーマニアの地を離れようとしていた。

  その空中庭園にて、とある睨み合いが発生していた。

 

「…さて、シロウ。おまえが聖杯を使い、第三魔法ってやつで人類を救済しようとしていることは分かった。…だが、俺たちのマスターがどうなったのかを聞かせてもらおう」

 

  “赤”のサーヴァントの三騎とシロウ、“赤”のアサシンのセミラミスの睨み合い。敵意の視線を放っているのは“赤”のライダーと“赤”のアーチャーだけであり、シロウは穏やかな笑みを崩さず、セミラミスは嘲るようにライダー達を見ていた。ここで無言を保っているのは“赤”のランサーのみ。キャスターは…いつも通り書斎で執筆に忙しいのだろう。

 

「彼らはこの庭園の一室で戦争が終わるまでくつろいでもらっています。…まあ、既に戦争が終わっていると、夢を見ていますが」

 

「…てめぇ」

 

「当然であろう。奴らを自由にさしては目障りで困るのでな。魔術師ほど他者を出し抜こうとする者は他におらんだろう」

 

「他者を出し抜くことに関して、汝らが言える身ではなかろ」

 

  不愉快そうに顔を顰めたが、シロウは苦笑しながら話を続ける。

 

「確かにそのことは否定できませんし、否定しませんよ。しかし、これからは全て真実を語りましょう」

 

「…へえ?じゃあ俺たちのマスターになってどうするつもりだ。人類救済が済んだあと、いらなくなった俺たちを切り捨てられるようにするためか」

 

「まさか。私の目的と反しない限り、貴方達の願望を極力叶えるつもりです。逆に問いますが、貴方達の願いはなんでしょうか?聖杯に縋るほどの願いと、その理由をお伺いしてもよろしいですか?」

 

  サーヴァント達の口が一斉に閉じる。信頼していいのか、疑うべきか。僅かな迷いの末、最初に口を開いたのはライダーだった。

 

「俺の願いは生前と対して変わらんさ。“英雄として振る舞う”…それだけだ」

 

「ほう?世界に名を轟かす大英雄にしては平凡な願いだな」

 

「黙れ。確かに平凡な願いかもしれんな。だが、この願いは誰にも譲らん。そちらがいくら高尚高潔であろうとも立ち塞がるなら潰すまでだ」

 

  大英雄と女帝が睨み合う。やがて、シロウがなだめるように割り込んだ。

 

「その願いで構いませんよライダー。私の敵と貴方が戦う相手は重なっております。どうぞ、貴方の願望を存分に叶えてください」

 

「ちっ…」

 

  シロウが言う敵はーーー“黒”のアーチャー、ケイローン。己が師と戦い、打ち勝ち、決着をつけることこそ今回の戦争における目標であり願いである。それが重なり合っているからこそ、ライダーはシロウに叛逆する理由などなかった。

  納得したが腑に落ちないように少しだけ後ろに下がった。一応はシロウをマスターとして認めたようだ。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ミレニア城塞、血族用会議室。

  城塞は“赤”のバーサーカーの一撃により半壊したものの、優秀な魔術師であるフィオレとゴルドの魔術によって会議室だけ修繕は完了した。

  会議室の場は言い知れぬ空気に満ちていた。ルーラーとアーチャーによって空中庭園内部で起こったことをジークやライダー、ユグドミレニアのマスター達に伝えられた。

  第三次聖杯戦争で受肉し六十年以上生きたルーラー、天草四郎時貞。ルーラーが“赤”の陣営のマスターとし参戦。そして、人類救済を掲げーーー第三魔法を経て全人類の不老不死化を狙っていること。

 

「第三魔法…?人類救済…?ーーー巫山戯るな!!」

 

  机を叩き、ゴルドが立ち上がった。

 

「そんな馬鹿馬鹿しいことで私達は聖杯を奪われたのか!?いや、それはまだいい!!極東の聖人もどきにそんなことがーーー」

 

「できるから奪ったんだろうが」

 

  顔を真っ赤にして叫ぶゴルドを冷ややかな目で“赤”のセイバーが遮った。

 

「人類救済だろうがなんだろうが、あいつは叶えることができると分かったから動いてんだろ。今更ぎゃーぎゃー喚こうが意味ねぇんだよ」

 

「ぐっ…」

 

  もっともな指摘に憤慨していたゴルドも黙り込む。

 

「確かに…天草四郎時貞は聖杯で第三魔法を行使することで人類救済を唱えましたが。…それは本当に救済となるのでしょうか?」

 

  フィオレの問いに、その場にいた全員が黙り込む。全人類を不老不死とする、今までの人類史に於いて誰もが成したことはない蛮行が、果たして人類の救済となるのか分からない。

 

  大賢者と言われ、神々の知識を授かったケイローンでさえも分からない。

  聖女と崇められた少女でさえも、それで人類が救われるのか迷っている。

  叛逆の騎士はそもそも興味が無い。自分が聖杯を手に入れるための壁としか思っていない。

  理性が蒸発した騎士は自分のマスターの今後を気にしている。

 

「少なくとも…天草四郎君はそう思っているということだよ」

 

  沈黙を破ったのは“黒”のバーサーカーだった。

 

「それが本当の人類の救済なのかどうかは後だよ。少なくとも今回の聖杯大戦でルーラーが現れた時点で、彼の計画が世界の危機だと聖杯に認識されているはずだ」

 

「そう…ですね。私が聖杯に召喚されるのは世界に危機を及ぼす可能性があることが条件の一つになります。私はルーラーとして、彼を止めなければなりません。そこで、ここに集まったマスターとサーヴァントで阻止する。…異論はありませんか?」

 

  ユグドミレニアの魔術師達が頷き、“赤”のセイバーのマスター、獅子劫界離も頷いた。全員の了承を得たルーラーは頷き、口を開く。

 

「それでは、これからのことについて話そうかと思います。

  現在空中庭園は緩やかに移動しつつありますが、どこへ向かうかは分かりません。私は召喚の関係上、聖杯と強く結びついているため、大まかな場所さえ分かれば見逃すことは無いでしょう」

 

「しかし、問題はどうやって空中庭園に乗り込むかだよな?」

 

  追いつくことは可能でも、空に浮かぶ空中庭園にどうやって辿り着くかだ。

 

「ボクのヒポグリフなら、多分いけるんだけど?」

 

「全サーヴァントを乗せてですか?」

 

「あ、無理無理。戦車があれば問題ないかもしれないけど、後ろにもう一人が限界。あと、後ろに乗るのはマスターだけって決めてるんだ」

 

「そこはどうでもいいだろ」

 

  “赤”のセイバーが呆れてため息を零した。

 

「どっちみち、宝具で長時間の移動は難しいだろ。魔術も大人数は難しいし、コストもかかる。飛行機を数機チャーターするのがいいんじゃないか?」

 

「…うーん、そこの弟君の案に一理なんだがなぁ」

 

「やめろ、オッサン。その言い方」

 

  オッサンという言葉に反応し、言い返そうとしたが“赤”のセイバーが笑いを堪えているのを見て黙殺することにした。

 

「向こうにはアーチャーがいるんだよ」

 

「…そう、だったな」

 

  自然と視線がバーサーカーへと集まった。これに反応しなかったのは獅子劫と“赤”のセイバー。この主従は“赤”のアーチャーの正体をルーラーから知らされていても、“黒”のバーサーカーの真名を知らない。

 

「おい駄目ライダー。なんでそこでバーサーカー見んだよ」

 

「駄目言うな。そりゃバーサーカーの奥さんなんだから当然でしょ?」

 

  ーーー空気が死んだ。ライダーを除いた全員の顔が固まる。特に話題に上がったバーサーカー本人とマスターであるカウレスがひどい。

 

「…確かあっちのアーチャーの真名はアタランテだよな?」

 

「そうだよ?ルーラーの説明聞いてなかったの?」

 

「アタランテの旦那ということは…弟君のバーサーカーの真名はヒッポメネスということだよな?」

 

「そうだけどそれが……あっ」

 

  やっと自分の失言に気づいたライダー。カウレスは頭を抱えて天を仰ぎ、フィオレは遠い目で彼方を見つめた。ゴルドに至ってはセイバーの口を閉ざしていて正解なんじゃないのかと思っている。

  “黒”のアーチャーとルーラー、ジークは嘆息し、バーサーカーは苦笑いを隠しきれていない。

 

「馬鹿だ、こいつ馬鹿だ」

 

「あ、ごめんバーサーカー!真名をバラしちゃった!」

 

「……いや、よく考えれば僕の真名がバレた程度じゃ大したことじゃないだろう。うん、大丈夫、問題ない」

 

「いや、大アリだろ」

 

  寛容にも真名の露呈を許したバーサーカーにカウレスがため息をつく。“赤”のセイバーはふぅん、と少し考えたあと一つの案を提示した。

 

「ならよ、“赤”のアーチャーを説得できねえのか?旦那のお前ならできなくはないだろ」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「次は私か」

 

  “赤”のライダーが下がり、次は“赤”のアーチャーが前へ出た。“赤”のランサーは最後でいいらしく、目で先を譲った。

 

「我がマスターが毒を飲まされたというのはなかなかに業腹だが…仕方あるまい。汝をマスターとして、認めよう」

 

「姐さん。仕方ない、で済ませていいことかぁ?」

 

  ライダーの呆れた様子も気にせず、“赤”のアーチャーは静かに首を縦に振る。

 

「それはそうだ。相手を出し抜くべき聖杯戦争において、毒を飲まされる方が悪い。私を召喚するまでは用心するべきであった。それすら怠るような惰弱なマスターに、未練はない。死んでないだけ、救いはある」

 

  彼女にとって『生きる糧は奪う』ということはおかしなことではない。生まれた直後に捨てられ雌熊に乳を与えられ、狩人に育てられた彼女にはそれが世界の法則であった。

  それゆえにマスターが弱かったからこうなってしまった。警戒を解いてしまったことが悪かったのだ。不満はあるが願望の成就を諦めるわけにはいかない。だからシロウをマスターとして認めることにした。

 

「なるほど。それではアーチャー、貴女の願いを仰ってください」

 

  そうして翠緑の狩人は生前からの願いを言葉にした。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「無理だ。彼女は天草四郎君に協力するだろう」

 

  バーサーカーはその提案を即座に切り捨てた。無理、とはっきり確信を得て言い放った。

 

「なんでだよ?“赤”のアーチャーは世界救済に賛成なのか」

 

  首を横に振ってこれも否定した。バーサーカーは少しだけ目を瞑り、悩んでいる素振りを見せる。やがて迷いを切り捨てたのか、全員に伝わるように告げた。

 

「彼女の、アタランテの願いはーーー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーーこの世全ての子供らが、愛される世界だからさ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「父に、母に、人に愛された子どもが育ち、また子供を愛するという循環だ。誰であろうと、この願いを妨げるなら容赦はせん」

 

「…なあ、アーチャー。気を悪くするなよ?それは、不可能な世界ではないか?」

 

  アサシンの言葉に怒りが込み上げた。万能の願望機、全てを叶える英雄と魔術師達の希望であり奇跡の依り代。それをもってしても不可能という女帝に反論しようとした。

 

 

 

 ーーー死ぬ必要がないということは、“子供”を愛する必要もなくなる可能性があるんだよ?

 

 

 

「…っ」

 

  蘇る言葉にアサシンへの反論が止まる。この程度の願いが叶わぬはずがない。その為の願望機、その為の聖杯。マスターとなった聖人は人類救済を聖杯で手にしようとしている。ならば、愛の循環が肯定される世界も叶えられるはずだ。

 

「……そんなことはない。聖杯ならば、可能だ」

 

「そうですね。この程度の願い、叶えられないはずがない。如何なる形であれ、聖杯は貴女の願いを叶えるはずでしょう。そして、私の願いも貴女の願いのそれに添うものです」

 

「・・・・・」

 

  言葉とは裏腹に頭の中が軋む始めている。間違いないはずだ、可能性があるからサーヴァントとなったのだ。全人類が不老不死となった後、人がどう生きるかなどヒッポメネスが知るはずがない。あやつは()()()()()()()()のだ。賢人でも神でもない男の答えが、六十年以上の答えを覆せるはずがない。

 

  そう自分に言い聞かせた。

 

  言い聞かせるほど、頭の奥が軋むのを無視して。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「…子供達が親に愛される世界ですか」

 

  バーサーカーから告げられたアーチャーの願いに一同は口を閉ざす。その願いは大差はあれ、天草四郎時貞と本質は変わらないものだった。

 

「アタランテはシロウ君みたいに結果に至るまでの過程を持ち合わせていない。聖杯ならばこの程度の願いは叶えられる、叶えずしてなにが万能の願望機だ、とね」

 

  聖杯の仕組みを把握しきれていないサーヴァントならば、そう考えてもおかしくない。時間や世界から隔離された存在、英霊を召喚させるほどの聖杯ならできるはずだと、信じている。

 

「彼女だって愚かじゃない。心の何処かでその願いが無理じゃないかと考えているはずさ。だけど、今の彼女にはシロウ君によって過程が用意された」

 

「…人類の救済がアーチャーの願いに準じている、だから彼女はルーラーに力を貸すというわけですか」

 

  無言が肯定を意味した。人類救済なら子供達が愛される世界になる可能性がある。翠緑の狩人がこちらへ降る理由がない。

  バーサーカーはそれを悟り、誰にも気付かれないように小さく愛する者の名を漏らした。

 

「…アタランテ」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  空中庭園攻略の話し合いは一旦終了することとなった。皆が気づかぬうちに朝日が昇っていたのだ。夜から始まった全戦力のぶつかり合いから一日が経ち、サーヴァント達はともかくマスター達の体力が限界なのだ。

  それぞれが部屋で休憩を取ることになったが、フィオレとカウレスだけはまだ起きていた。

 

「マスター、今はただ、お休みください。血族への連絡は昼以降でもよろしいかと」

 

「え?でも…」

 

「アーチャーの言う通りだぞ、姉さん。血族への連絡なんぞ無駄だって。助力になる訳でもないし、せいぜい当てこすりだの何だので心が磨り減るだけだ」

 

「そうだよ〜。休む時と動く時は見極めなきゃ」

 

「…そうかしら」

 

  フィオレは少し悩んだが、アーチャーがそういうのだから違いないと同意した。

 

「では、私はこれで。ええと、おはようございます…じゃなくて、お休みなさい」

 

  フィオレは三人に軽く頭を下げて、私室の扉を閉めた。

 

「アーチャー、あんたは部屋には入らないのか?」

 

「女性のマスターですから、プライバシーを尊重した方がいいかと思いまして。基本的に、乞われない限りはここで霊体化しています」

 

  紳士だなぁ、とカウレスは賞賛した。気性が荒いケンタウロスの中で唯一穏やかと言われただけある。

 

「それじゃ、俺も部屋に戻るよ」

 

「失礼します」

 

  カウレスはバーサーカーを引きつれて、私室に戻り休もうとした。精神的にも身体的にも疲れている。少しでもいいから睡眠をとりたい。そんなカウレスだったが、それは暫く叶いそうになかった。

 

「すみません、カウレス殿。貴方に一つ尋ねたいことがあるのですが」

 

「俺に…?」

 

  大賢者からの質問に僅かに戸惑った。未熟な魔術師である自分に、彼からの問いに答えられる自信なんてない。

  そんなカウレスの思惑とは裏腹に、アーチャーは静かにーーー爆弾を投げかけた。

 

 

 

「我がマスター、フォオレ様は貴方の目から見てユグドミレニアの長に相応しいですか?」

 

 

 

「な…!?」

 

  それはカウレスにとって想定外の言葉だった。

 

「ま、待て。待ってくれ、アーチャー。アンタ、今のはーーー」

 

「カウレス君、落ち着いて落ち着いて」

 

  バーサーカーは慌てふためくマスターを宥め、落ち着かせる。落ち着かせる間、アーチャーから目を離さず懐疑の視線を向けたまま。

 

「あ、ああ…」

 

「ご心配なさらずとも、マスターは眠っています。…ですが、不安ならば場所を変えますが」

 

  混乱しながらもカウレスは冷静になろうと心を落ち着かせた。アーチャーが主である姉の力を疑っているのか、それとも違う思惑があるのか。

  考えるよりも話を聞くべきだと、判断した。

 

「話なら見張り台にいくことを勧めるよ」

 

  カウレスの心中を察したバーサーカーが話し合う場所を提案する。カウレスは頷き、言葉の真相を確かめようと城壁の見張り台へと歩き始めた。

 

 

 

 

  見張り台に登ったカウレスはバーサーカーを後ろに控えさせ、アーチャーと向かい合った。僅かながら戸惑いも混じりながらも、その目に敵意を宿らせながら。

  バーサーカーはその様子を静かに見守っている。マスターの命に忠実に従い、刃を向けるならば牙を剥く。サーヴァントの名に恥じぬ立ち姿だった。

 

「それで、アーチャー。姉さんが何だって?」

 

「…勘違いされていらっしゃるようですが。私はフィオレ様を自身のマスターとして認めております。彼女が死ねと言ったならば、喜んでそれに従いましょう」

 

  アーチャーは苦笑を交えつつカウレスの勘違いを指摘した。姉が認められていることを安堵し、カウレスの敵意は薄れた。

 

「…なら、さっきの言葉は何だよ。俺の考える限り、ダーニックおじさんの跡を継げる実力を持っているのは、姉さんくらいしか居ないぞ」

 

「確かに、実力という面では完璧です。ですが、精神面では?」

 

「姉さんが、魔術師を嫌がっているかもってことか?それはない。魔術自体を嫌がっているようではないし…いや、聞いたことはないけど」

 

「…そういうことじゃないかな、カウレス君」

 

「バーサーカー?」

 

  黙っていたバーサーカーが口を開いたと思えば、カウレスの言葉を否定した。

 

「フィオレさんはマスターとしてとても優秀だよ。魔術師として優れているし、人としても理想的だ。だからこそ致命的なんだと思う」

 

「なんでだよ。どこが致命的なんだ?別に問題なんか…」

 

()として理想的なんだよ?その彼女が必要なら人を殺すことを当然とする魔術師達の長として務められるのかい?」

 

「ーーーーー」

 

  以前、フィオレとアーチャーは“黒”のアサシンの調査を命じられ、アサシンと戦った。アサシンは大量の猟奇殺人を実行し、多くの人間の命を奪い去った。

  フィオレは自身の利益の為に無関係な人を襲い、犠牲を厭わない彼等の諸行に怒りを覚えた。

 

  だが、その怒りは魔術師として不要なものだ。

 

  あくまで彼女達がアサシンと戦う理由となったのは魔術の秘匿の為である。必要ならば人殺しを許容することが普通の魔術師ならば、フィオレの怒りなど不要なものだと指摘するだろう。

 

  ゆえにアーチャーは尋ねる。

 

「カウレス殿。フィオレ様の弟君である貴方に尋ねたい。…フィオレ様は、私のマスターははたして人を殺す覚悟がありますか?」

 

  その問いにカウレスは即答することはできなかった。

  フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアという魔術師は、魔術師としては人間らしい倫理観を持ち合わせていた。

  人殺しを許してはならない、人命を軽視するべきではない。とても人間らしい倫理観。

  それゆえに耐えられるのか?

  非道を許容し、外道を見逃さなければならないことを。最初は大丈夫なのかもしれない。だが、いずれ壊れはじめる。積もり積もった罪悪感は己を責め、精神を蝕み、魂を濁らせる。

 

  否定したかった。

 

  だが、カウレスは忌まわしい過去を思い出してしまった。

 

 

 

  昔、姉弟は犬を飼っていた。

  その犬は彼等の父が降霊術を学ばせる為にと拾ってきたものだった。

  早速学ばせようとした矢先、父は急用の為出掛けてしまった。仕方なく二人は世話をすることになったのだが、姉の方がその犬に愛着を持ってしまった。

  不自由な足なのに懸命に体を洗い、餌を吟味し、愛用の櫛で毛を梳かした。

  弟はその様子を不思議に思い、姉に尋ねた。

 

  ーーー何でそんなことするんだよ?

 

  姉は質問の意味を理解せず、弟と同様に不思議にそうに、当たり前のように答えた。

 

  ーーーだって、ペットには愛情を持って接しなければならないでしょう?

 

  弟は何も言えなかった。なぜ父が降霊術の為に犬を拾ってきたのか。姉は分かっておらず、弟は分かっていた。

  いずれどのような結末を迎えるのか分かっていたのに、それでも姉の姿を見て何も言えなかった。

 

 

 

「……降霊術の、失敗例を見せるために拾ってきたんだね」

 

  バーサーカーの言葉に、石壁を蹴ってカウレスは肯定の意を現した。

 

「一週間ほどだよ、親父が帰ってきたのは。スマンスマンと気軽に犬を引っ張って俺と姉さんの前で降霊術の失敗を見せたんだ」

 

  思い出せば一気に蘇る。皮膚が膨れ上がり、絶叫する犬の姿を。フィオレは耳を塞ぐことも、泣くこともしなかった。すれば叱られる、だから車椅子の肘掛けを強く握ることしかできなかった。

  一分ぐらいして犬は絶命した。

  父は気をつけなければお前達がこうなってしまう、と伝えた。それだけだ。それだけの為に犬を拾ってきて、姉弟達の前で失敗例を見せたのだ。失敗したら次は自分達がこうなるのだと。

 

  フィオレは、分かりました、と笑顔で答えた。

 

  優秀な魔術師ゆえの最適な選択。けれど、それでもフィオレの心は深く傷ついた。犬の墓の前で大泣きし、肉がしばらく食べられず、カウレスに手を握ってもらわなければ寝れなかった。

 

「……姉さんは、耐えられないかもしれない」

 

  あの日の出来事を、忘れておらず、今でも覚えているのなら。フィオレは魔術師の長として、いつか壊れてしまう。

 

「私が不安なのもそれです。私の去った後の話ということもあり、迂闊に誰かに話すわけにもいきませんでしたがーーー現状、空中庭園への進入が開始されれば、誰かにこれをお伝えする余裕がありませんから」

 

「何で、わざわざこんなコトを?」

 

「当然でしょう?迷う者を導くことが教師の務めです。英霊になったからといって、生前からのお務めをおろそかにしませんよ」

 

「さすがですねぇ…」

 

  バーサーカーのアーチャーを見る目には尊敬の一つしか映っていなかった。ギリシャの英霊ならば、生前を含めて知らぬ者がいない大賢者の在り方に只々感服するほかなかった。

 

「カウレス殿。私が居なくなれば、マスターにとっての頼りは貴方だけです」

 

「分かっているよ。姉さんとはきちんと話してみる。姉さんがどのような道を選ぼうと、俺はそれを手助けしてやるさ」

 

  そう言うとカウレスはその場に腰を下ろした。瞼が重そうに閉じていく。明らかに睡魔が込み上げて来ており、カウレスの精神は睡眠欲に支配されかけている。

 

「…あぁ、さすがに限界だ。…バーサーカー」

 

「はいはい。部屋に運んでおくよ。今はゆっくり休んでね」

 

「……すまん」

 

  瞼が閉じ、やがて寝息を立てはじめた。今日は色々ありすぎた。いや、すでに昨日となっているのかもしれない。今の今まで起きていただけでも頑張ったほうだ。

 

「さて、これから大変になりそうですね」

 

「何も変わりませんよ。マスターの為、そして己が為に戦う。その舞台と相手が変わっただけでしょう」

 

「…まったくですよ」

 

  舞台は空中庭園、敵は受肉した聖人とそれに従う英霊達。“黒”と“赤”の戦いではなくなり、人類の在り方の戦いとなった。

  この戦いの、相対すべき英霊はおそらく決まっている。

 

  ルーラーはあの聖人の少年。

 

  アーチャーは自分が教えた大英雄。

 

  そしてバーサーカーはーーー

 

 

 

「バーサーカー、貴方に“赤”のアーチャーを討ち取ることはできません」

 

「………やはり、そうですか」

 

  まるで心を見透かされたかのようだった。こう言われるのが分かっていたようにアーチャーの忠告とも予知とも言える言葉を受け入れた。

 

  “黒”のアーチャーにとって、“黒”のバーサーカーとはある意味一番の常識人だと思っている。

  “黒”のセイバーは黙秘を課せられ、“黒”のランサーは王であり、“黒”のキャスターは人嫌い、“黒”のライダーは理性が蒸発、“黒”のアサシンは離反。

  “黒”のバーサーカーは一つの条件さえ理解していれば、マスターに忠誠的で、作戦に忠実で、過分なプライドを持っておらず非道的でない限り嫌な顔をせず従ってくれる。

  だからこそ、彼には言わなければならない。言って胸に秘めてもらい、理解した上でこれからをどう遂げるのかを考えてもらわなければならない。

 

「勿論、能力差のことも考慮してのことでありますし、貴方の妻に対する思いを重んじた上で言います」

 

  今までは運が良すぎた。状況が、環境が、運が全て“黒”のバーサーカーへと傾いていた。愛しき人に近づく為に必要な困難も、偶然と必然が取り除いてくれていたが、これからは全て彼方へ傾いていっている。

  それでも、“黒”のバーサーカーは“赤”のアーチャーへ歩み寄ることを止めないだろう。それを一番彼が理解しているだろう。

 

  だからこそ、この結論はーーー酷く簡潔的で、当たり前のように聞こえるだろう。

 

 

 

 

 

「貴方は、“赤”のアーチャー(アタランテ)に殺されます」

 

 

 

 




Q.夢を見た。その夢はなに?

A.
ヒッポメネス:悪夢さ。
アタランテ:ふむ、どんな悪夢だ?



ヒッポメネス:幻だよ


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はじまりは憧憬より

Q.一目見たとき、彼のことをどう思いましたか?

A.アタランテ「さてな、昔のことだから覚えていないな」


  ーーー焦がれる夢を、視た。

 

 走る姿はまさに獣の如く俊敏であった。

  相手を先に走らせ、体に武装を身につけているのにも関係なく彼女は颯爽と相手より早く走り、先に線引きされた線を越えた。

  彼女が先に到着した、すなわち彼女が勝ったという事だ。

  彼女より後に到着した相手の男は顔を青褪めて逃げ出した。

  そんな後ろ姿を眺めながら、彼女は弓と矢を取り出した。

  矢を番い、キリキリと弦が軋みような音を立ててーーー放たれた。

  矢は男の背中を貫き、心の臓に当たる。

  心臓が破られ男は間も無く絶命した。

 

  その姿に周りの観衆は沸き立ち、一部は息を飲んだ。

  だが一人だけ、寂しそうな表情を浮かべながら彼女ーーー翠緑の狩人、アタランテを見ている青年がいる。

 

  海神の血が四分の一混ざる人間、ヒッポメネスだった。

 

  アタランテの父、アルカディア王イアソスは世継ぎたる男の子を欲したために彼女に子を産むように婚約を強いた。

  彼女はそれを拒んだが父に逆らう事はできず、一つの条件を出し、それを満たせれば従うことを約束した。

 

『私との競争に勝った者を夫として認めよう。だが、負けた者には死んでもらう』

 

  この事は多くの若者に伝わり、彼女の夫にならんと毎日多くの男が彼女に挑むが結果は先ほどの男のような結末に辿り着く。

  早いのだ。早く、速く、疾いのだ。

  彼女は人間において最も疾い脚を持っていたのだ。それに勝てるのはーーー当たり前だがーーー彼女よりも疾くなければならないのだ。

  そんな人間など、現時点においてヘラクレス級の大英雄しか考えられない。

  ゆえに、今日も屍が彼女によって積み上げられる。これで何人目なのだろうか。次で何人目となるのだろうか。

 

  それを思うと、アタランテには子を産みたくない理由があるのではないかと考えてしまう。

 

  彼女を讃える群衆の中でひっそりと静かに眺めていた。

  前に声をかけられた時に近くで話したあの時の事が今でも忘れない。

 

 彼女の声が耳に残っている。

 

 彼女の瞳の深さを覚えている。

 

 彼女の肌の色が目に焼き付いている。

 

  あの時ほど心が浮ついた事は無かった。アタランテとの出会いはそれほどまでに、彼の一生に刻み込まれたのだ。

 

 

 

  ヒッポメネスはしばらく国に留まった。すぐに故郷である海辺に帰るつもりだったのに、アタランテの事が気にかかったのだ。

  国に留まるも彼には財宝などの蓄えはない。野宿で暮らす他ないため、その日に狩りに出て食べる為の食材を調達している。

上と内容が同じ

 

  今日もヒッポメネスは狩りに出ていた。弓と矢筒を持ち、鬱蒼と茂る森の中を進む。視界が狭まる森の中で目を凝らすと雄鹿を見つけた。

  立派な角を天へと伸ばし、筋が付いた肉体は数日は肉に困る事はないだろう。

  息を潜め、ゆっくりと狙いを鹿の眉間へと定める。鹿の動きが止まった瞬間を待ち、放った。

  ーーーだが、矢は鹿に当たらず横にあった木に当たった。

  あ、と声が出た間に鹿は森の奥深くに逃げてしまった。

  このヒッポメネス、実は狩りをしたことがあまり無いのだ。弓は持っていても使ったことは指で数えられるほど。

  海で泳ぐ魚達を一撃で仕留める技量を持とうとも、陸に住まう生き物達を仕留める技は無に近かったのだ。

 

「下手だな。幼い子供達でももう少し巧かろう」

 

  くすりと、笑う声が後ろから届いた。嘲りではない、からかうような声音だった。

  振り返り、声の正体を確かめるとーーー体が震えた。

 

「汝、まだ国にいたのか。挑戦者ではないと申していたであろう」

 

  ーーーアタランテ。美貌と野性を秘める俊足の女狩人がいた。

  手には月の女神から賜ったと聞く弓を持ち、反対の手には仕留めたと思われる兎を持っていた。

 

「え、え〜?なんで、君…が?」

 

「狩りだ。昼餉を仕留めに来ただけだ」

 

  兎を掲げ、それを主張する。なるほどと納得したと同時になんで狩りにと疑問が浮かぶ。

  彼女はこの国の王女であり、この時間帯には挑戦者を相手し徒競走をしているはず。それを聞くとアタランテは不快そうに表情を変えた。

 

「君は…夫探しに走っているはず、というか王女様だから侍従が食事を用意してくれるんじゃ…」

 

「…城の食事は口に合わん。そして本日は挑戦は無しとなったのだ。父の策略でな」

 

「策略?」

 

「挑戦者を一人一人相手するのではなく一度に連続で挑戦させた方が私に勝てると考えたのだ」

 

  その不快さにはわずかにだが、悲しみの感情が混じっているように見えた。何に悲嘆に暮れているのだろうか。

  何故か悲しくないはずなのに、とても心臓が重く感じた。これは何なのだろうか。それを自身に問い尋ねようかと思うよりも、ヒッポメネスはアタランテに問いた。

 

「君には…惚れた人でもいるの?」

 

  出た質問はこれであった。

  アタランテは少しばかり疑問そうに眉を顰めたが、すぐに答えてくれた。

 

「否、私には愛した者など一人もいない」

 

  だが、と一度区切られた。

 

「愛する者はこの先にも現れることはないだろう」

 

  どこか確信があった。決めつけたように、そう納得したようだった。

  言い切った彼女にどう話しかけるべきか迷った。何故それに至ったのか、そう決めたのか聞きたいとは思ったが、それは彼女によって閉じられた。

 

「ーーー狩りの邪魔をして悪かった」

 

  そう言って踵を返して去っていく。留めようと伸ばした手は止まる。止めて何になる。二度会った男に話す事もなく、その決意の奥にあるものを話そうとも思わないだろう。

  だが、彼女は立ち止まりヒッポメネスに助言を与えた。

 

「…木を的に弓の鍛錬を行うがいい。あと、狙うなら眉間ではなく腹を狙え。慣れていないクセに的が小さい頭を狙うのは愚かよ」

 

  それだけ言って次こそは去っていった。

  残された彼は暫く自分の弓を眺めると、矢を番えて離れた木に射抜き始めた。

 

 

 

  アタランテと再び会った次の日、彼女の挑もうとする男の数は今までの倍以上の数に集まっていた。数十人にも及ぶ屈強な男達、それを見て周りに集まった物好きな観客達は大いに盛り上がっていた。

  今日こそは決まる、あのアタランテの夫が、と。

 

 

 

  それは結局杞憂として終わった。

  アタランテはその何十人にも及ぶ男達全てに打ち勝った。

  数時間にも及ぶ立て続けの競争にも彼女の脚には疲れはなく、俊足は劣えることはなかった。

  昨日と変わることなく挑戦者の屍が積まれた。流石の観客達も言葉を失った。

  沈黙が満たすなか、一人だけ離れた場所からそれを見守る青年がいた。

  ヒッポメネスは獲ったばかりの鹿の肉を焼き、アタランテの疾走を眺めていた。最後の一人に打ち勝ち、矢を放って命を奪う。どこまでも課した条件を忠実に守るアタランテの冷酷さに観衆も恐れ慄いていた。

  しかし、ヒッポメネスだけはそれを平然と眺めていた。まるで押しては帰る海の波の流れをいつも通り見ているようだった。

  焼けた肉を頬張り、肉の脂を舌で楽しむ。目の前は死屍累々とした場所なのに呑気に肉を食べている姿は不謹慎にも思えるが、そんなことをヒッポメネスは考えてすらなかった。

 

  愛する者はいないと語ったアタランテの言葉が頭にこびりつく。

  愛していないからこそ夫を迎えることを拒む。ならば、最初から断れば良かったのではないか?

  こんな条件を付けずに最初から父である王に訴え、婚約するつもりなどないと言えばいい。

  しかし彼女は訴えもせずに挑戦者と走り、負ければ殺している。

 

  彼女の心中を知りたくなった。どうしても知りたくなったのだ。会って数日しか経っていない彼女に何故こんなにも惹かれているのか、彼は答えを得ていた。

 

  ーーー所謂、一目惚れなのだろう。

 

  恋をしてしまった。彼女に、翠緑の狩人に、アタランテにどうしようもないほど恋い焦がれてしまった。

  この想いはどう心を抑えても抑え切れるものではなかった。本能が彼女に近づけと耳元で囁いているようだった。

  意気込みの為にと肉をさらにかぶりつき、

 

「…ぅ!?むぐぅ!?」

 

  喉に詰めて悶絶した。空気が肺に行き届かず、苦しみのあまり地面に転げ回る。胸を叩くも食べた肉が大きすぎて食道に流し込まれない。

  こんなことで死ねないと力強く何度も胸を叩く。それでも肉は流れない。意識が徐々に消えていき、顔が青くなり始めた時

 

「ぶふぅ!?」

 

  背中に鋭い拳打が入った。骨に浸透するような振動が臓器まで響き、食道でさえ震わせた。肉が胃まで流れ込み、気道に空気が通じるようになった。

 

「た、助かったーーー」

 

「…何をしているか汝は」

 

「よおおおおおおおおおおおおおおおお!!?!」

 

  ヒッポメネスの背中を叩き、命を救ったのは一目惚れした意中の女性、アタランテであった。

 

 

 

「…汝は馬鹿だな」

 

「……否定しないけどさ、少しだけ言葉を選んでほしいよ」

 

  彼女は本日の挑戦を済ませ、その場から去っている最中焚き火の近くで無様に転げ回る男を見つけ、近づいてみると知った顔であったため事態を察して背中を叩いたのであった。

  どういう状態かは分かっていたが、改めて話を聞くとアタランテはヒッポメネスを呆れた様子で見つめた。

 

「ふむ、この焼いた鹿肉は汝が獲ったものか?」

 

「う、うん。君に言われた通りに練習してね」

 

  照れながらも焼きたての肉を刺した枝を持ち上げた。

 

「一晩中山を走り回ってやっと昼頃に一体仕留めることができたよ!」

 

「……昼に、一体だけか?」

 

「え?うん」

 

「…そうか」

 

  何故だろうか、アタランテから可哀想なものを見るような目で見られた。

  アタランテは立ち上がり、弓を持って森へ向かおうとした。

 

「え、あれ、食べないの?」

 

「それは汝の獲物だ。私が仕留めた獲物ではない。私の糧は私が獲る。施しはいらぬよ」

 

  食事しながら話すことができると思っていたのにアタランテは自身の食事を取りに行くために離れていく。

  早々と森へ入っていったアタランテとまだ多く焼いている鹿肉を交互に見て、ヒッポメネスは一つの判断を決めた。

 

 

 

「うぇ…」

 

  獲った命を粗末にしてはならない。狩りは神聖なものであり、決して捨てることは禁断である。

  ゆえに即座に肉を平らげたのだが、胃は限界に近くあり、中身を吐き出しそうになっていた。

  それでもヒッポメネスは彼女を探すべく森へ入り込むもアタランテの姿は見当たらない。気配すら森と一体化しているようで、どこにいるのかすら見当もつかない。

 

「…どうしよう」

 

  勢いであった。ここで機会を逃すと次はいつ話せれるか分からなかった。

  もしかすると次会った時には他の男の妻となっているのかもしれない。

 

「…それは、嫌だなぁ」

 

  吐き気が、嫌気がこみ上げる。アタランテの隣に知らない男が立っているのを想像すると、気分が下がる。

  アタランテの特別でも、親しくもないのに何を思っているのかと自嘲しながらもヒッポメネスは森の中へ進み始める。

  陽が徐々に沈みかけ、完全な闇へと近づきつつある森は漆黒へと侵食されつつある。

  これでは昨日のように獲物を探すだけで一夜を過ごすだけとなってしまう。

  アタランテに会うための策を講じるが、どうしてもいい案が思いつかない。

 

「…一応、顔を覚えてもらっているから明日話しかけてみようか」

 

  諦めた、とは言いたくないがこの状況で彼女と会うのは絶望的であった。

  妥協案として、せめてとヒッポメネスは獲物の一つは狩ってやろうと決めた。

 

「よし、早速成功した手段を使うか」

 

  腰に括り付けていた鞘から小剣を抜き取り、鋒を僅かだが前腕に突き刺した。

 

淵源=波及(セット)

 

  詠唱が完了すると同時にヒッポメネスの体が霧に包まれ、晴れたと同時にそこには青年の姿ではなく、雄鹿の姿があった。

  鹿となれば鹿も警戒心を解き、自身が射抜きやすい位置まで移動することができると考えた末の作戦であった。

  蹄を鳴らし、森へと進もうとした時ーーー風を斬る音が聞こえた。

  鹿となったヒッポメネスは咄嗟に前足を後ろへと蹴った。

 

  先ほど立っていた鹿の頭の位置にあったところへ矢が飛来した。

 

  ヒッポメネスは無い筈の全身の体毛が逆毛立つのを感じた。根拠もなく、颯爽とその場から逃げようと走り出す。

  擬態している四本脚で走り森へ出ようとするも、音も姿もない矢が何度も飛んできた。冷や汗は止まることなく、恐怖は心臓を爆発させんと暴れ狂う。

  呼吸が短くなってくる前にと魔術の擬装を解き、人の姿に戻ったと同時に小剣を振り、矢を弾き落とした。

 

「ままままって!!僕は鹿じゃない、人間だ!」

 

  矢が放たれた方向に向かって大声で叫ぶ。鹿の姿から人間の姿と戻った今なら襲われることも無い。必死になって手を振って合図していると。

 

「…また汝か」

 

  さらに汗が溢れ出たのは言うまでもない。

 

 

 

  矢を放った狩人ーーーアタランテは立派な雄鹿だと思って狙ったら避けられて逃げるので、闘争心が燃え滾り仕留めようと追いかけたら見知る青年が魔術で擬装していたことに大層ご立腹であった。

 

「…汝は本当になんだ。挑戦者かと思えば違い、下手くそであれば魔術師であった。前から私の周りを嗅ぎ回るように現れる。汝はやはり私と婚姻を結びにきた者か」

 

「…ごめん。不快にさせる気はなかったんだけど、あの方法だったら確実に獲物を仕留められたんだ」

 

「次は狩猟の腕を磨いた後に森へ参れ」

 

「うん…」

 

  森の茂みから抜け出すと空には円を描く月が現れていた。時は既に子が眠る刻。ヒッポメネスとアタランテは森の奥深くまで足を踏み入れていたらしい。

  アタランテはその場から去ろうと踵を返した。それと同時にヒッポメネスは嘆息しそうになる。話しかけようとしたのに、次会う時に話しかけづらくなった。

  自分も帰ろうと振り返ろうとしたが、アタランテの動きが止まっていることに気づいた。

  アタランテが去ろうとした方向に松明を持った侍従らしき男達と、その奥にいる壮年の男がいたのだ。

 

「ほう、アタランテ。帰りが遅いと思ったが男とおったのか」

 

「…いえ。この者は森で狩りの最中に出くわした者にしか過ぎません」

 

「ほうほう、そうかそうか。別に私はそれでもよかったのだがな」

 

「……失礼します」

 

  アタランテは男の横を通って去っていく。

  背中越しから伝わる感情を殺したような声に、ヒッポメネスは視線を鋭くした。よく見れば、壮年の男のことを彼は知っている。

  アルカディア王、アタランテの父ーーーイアソス王だ。

  イアソス王は去っていくアタランテの背中をつまらなそうに見送ると、飾ったような笑顔をヒッポメネスに向けた。

 

「ふむ、君の名はなんというのだね?」

 

「…ヒッポメネスと申します。イアソス王」

 

「そうかそうか」

 

  何が面白いのか、愉しそうに笑う王の笑顔を卑しいとさえ思う。目の前の男が王で無ければ直ぐにでも立ち去りたい気分だった。

  イアソス王は笑いながらヒッポメネスに近づくと彼の肩に手を置いて言った。

 

「ーーーアタランテの夫になるつもりはないか?」

 

  驚くほどに、驚嘆という感情は湧かなかった。

  それと同時になぜアタランテが父である王から足早く去っていったのか分かった気もした。

  この男は、気色悪い。

 

「実はなここ数日間君に監視の者をつけさせて貰った」

 

「…え?」

 

「いや、なに。あのアタランテが一人の男と話しているのが気になってな。先ほども仲睦まじく狩りに出ておったところから、君ならばアタランテも競争にわざと負けてくれるのではないかと思ったのだよ」

 

  和気藹々と一人で話すイアソス王を前にして、己が監視されていたことに驚く。

  ヒッポメネスは聞きたいことが多く出てきたが、この王の前にして真っ先に聞きたいことがあった。

 

「王よ。一つ訪ねたいことがあるのですが」

 

「む?なんだ、申してみよ」

 

「なぜそれほどまでに王女の婚約を急かすのでしょうか」

 

  アタランテは婚約をすることを条件をつけてまで拒否している。そのことを父であるイアソス王が知らぬ筈がない。それを理解したうえでこの王はアタランテの伴侶を求めている。

  イアソス王の真意を知りたかった。拒絶する彼女の意思を考慮せずに行う意味をーーー

 

 

 

「男児がほしいのだよ。国を存続させるためのな」

 

 

 

「………は?」

 

「王は必ず男で無ければならぬ。だがアタランテは勿論女の身である。王を継げぬよ」

 

  男児がほしい、それは、つまりーーー

 

「アタランテには早く夫に娶ってもらい、子を成してもらわねば困る。儂も老い先短い、国がこの先も残るかどうか見極めねばならぬのでな」

 

  この男は、自分の娘をーーー

 

「ああ、勿論アタランテの子が成長するまでは夫が国を統べてもらう。だから君がアタランテの夫となってくれれば、君には王となってもらう」

 

  国を存続させるための道具としてしか見てないのだ。

 

 

 

  何もする気が起きなかった。狩りのために森へ行くのも、狩りの腕を上げるための鍛錬も、アタランテの夫が決まる競争の見学も、何も行動する気力が沸かない。

  昨夜の王との会話に、怒りを感じていた。

  怒りを感じたが、何も言い返せなかった。

  言い返せるほどの、材料がなかったのだ。

  億劫な気持ちに体を鞭打つ気分にもなれない。ただ、大地に横たわり通過する白亜の雲を見て過ごした。

 

「汝、父と話したそうだな」

 

  首を横に回すと、恋い焦がれているアタランテがいた。

  いつの間に現れたのか、驚きを隠せなかったが。表情を直ぐに納めて彼女に告げた。

 

「僕を王にしてやると言われた」

 

「そうなのか」

 

「ああ、君の父は君の子を望んでいるようだね」

 

「そのようだな」

 

「知っていたんだ」

 

「知っているからこそ拒んでいるのだ」

 

「君は…父君を愛しているのかい?」

 

「さあ、な。少なくとも再会した時には喜びを感じていたさ」

 

  味気のない会話、子を産むだけに父に求められている事実を伝えたというのに、伝えられた彼女自身は何も変わった様子がなかった。

 

「聞いていい?」

 

「なんだ」

 

「君は…父と昔からああなのかい?」

 

「…否、父がああなのは知ったばかりだ。少なくとも、そうなのだろうとは予想がつくはずだったのにな」

 

  ーーーアタランテは産まれた直後に捨てられた。

  理由は女児だったから、それだけで捨てられた。しかし彼女は月女神が恩恵を受け、雌熊に育てられた。

  成長したのちに狩人に拾われ、狩人として育った。 カリュドンの猪、アルゴー船への参加。その功績がギリシャ全体へと轟き、その噂を聞きつけた父がアタランテに会いにいき、親子の再会へと繋がってしまった。

  捨てられたのに、彼女は父との再会を純粋に喜んだ。

  父の方も喜んだーーー婚姻の材料が現れたことに。

  そう語った少女に、青年はすでに悟っているであろう真実を言葉にした。

 

「父君は、君を愛していないよ」

 

  幼い頃に父と母を亡くしたヒッポメネスでも、人が人を愛する形を知っている。

  無償の愛は報酬を求めぬ奉公であり、未来の幸福こそが報酬となる。

  娘に子を産むことだけを求める父に、愛など存在せぬと言い切った。

 

「そうだな」

 

「ならなんで逃げないんだい。逃げればこんなことに付き合わなくていいだろう」

 

  ふ、と笑われた。それは話している彼にではない。己を嘲るように笑ったのだ。

 

「なんでだろうな。父だからだろうか」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  釈然としない気持ちだ。ヒッポメネスは彼女の感情に理解しようとしたが、考えれば考えるほどに胸が重くなる。

 

  彼女は、父に愛されたかった。

 

  親がいない子どもが親を求めるのを当たり前のように。子供の頃に求めた親の愛情を求め、今も心の何処かで諦めきれない彼女がいる。

  国の存命という大義だけしか見ていない王である父でも、彼女は何処かで親の愛を見つけようとしている。

 

  ーーー答えなんて、分かっているくせに。

 

  娘に子だけしか求めていないあの男に、アタランテへの愛など皆目無いとしか思えないヒッポメネスはため息を漏らすことしかできなかった。

 

  所詮自分は親がいた子供だ。父に頭を撫でられ、母に子守唄を歌われ寝かせつけられた幸せな子供だった。親の愛情には既に満たされ、求めていない。

  無意味だと悟ったとしても、彼の言葉は彼女に届くことはないだろう。

  それが、ヒッポメネスの心を掻き乱させる。

 

「くそっ」

 

  たき火の側で肉を焼いていたが、今は食べる気分ではない。

  アタランテとの会話から数日、彼女と会うことはなかった。今日とて男達が挑み、負けては心臓を射抜かれていた。それが当たり前だと思い始めたのはきっと感覚が麻痺しているからだろう。

  夜空の月光と焚き火の光がやけに眩しく見えてしまうのは、きっと心が虚しくなっているからだろう。さっさと寝ようと敷いた布地にヒッポメネスは寝転んだ。瞼を閉じ、意識を閉ざそうとした。

 

  カサリッ。

 

  目を開けた。近くの茂みから物音がした。体を起こし、剣を構える。

 

「誰だ」

 

  獣の可能性もある。だが焚き火を燃やし、森の奥でもないこの場に獣がやってくる可能性は低い。野盗か、ヒッポメネスは目を鋭く細めて殺意を飛ばす。

  その物音の正体はすぐに姿を見せた。

 

「待て、落ち着かれよ」

 

  茂みから姿を出したのは、兵士の身なりをした男だった。手には薬草や花が詰められた袋を持ち、服についた葉をはたき落としていた。

 

「君は…」

 

  その男の顔には覚えがある。この男はヒッポメネスがイアソス王と会った時、侍従として横に引き連れていた男の内の一人だ。

 

「そなたに用があったのではない。王の命により森の奥へ赴いていたのだが道に迷い、彷徨っていたのだ。焚き火を見つけ、それを頼りに此処へ来ただけだ」

 

「そうなんですか、これは失礼を」

 

「では、これにて」

 

  ヒッポメネスは横を通り過ぎ、去っていく兵士を見送る。だが、ヒッポメネスは彼が持っていた薬草や花が詰められた袋の中身を見て、首を傾げた。

 

「あれは…」

 

  ヒッポメネスが抱いた疑問が解消されることはなく、兵士は城へ向かって消えていく。残された焚き火がパチパチと火花を上げながら燃えていく音に振り返り、ヒッポメネスは今夜の出会いをすぐに忘れた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「今日も今日とて、変わらないねぇ…」

 

  彼がこの国に訪れてから何日が経ったのだろうか。本来ならばヒッポメネスは育った神殿へと戻り、漁師と神殿の守り手として生涯を全うしていたはずだったのだが、あの狩人に心奪われ、日に日に想いが募っていくばかりだった。

  彼の目に映るのは今日も競争に勤しむアタランテとそれに挑み敗れる男達の姿だった。結果は昨日と一昨日と変わらずアタランテの圧勝、彼女の疾走を越す勇者は本日も現れなかったようだ。

  見物と集まった民衆は本日の競争が終わったと解散していく、ヒッポメネスもまた立ち上がり、前に設置した天幕へと戻ろうとした。

 

「…イケる、かなあ?」

 

  しかし、今日は少し頑張ってみようと思った。きっかけは特にない。なんとなく、アタランテに顔を知ってもらったのだから、話しかけても大丈夫だろうと思っただけだった。

 

「…よし!」

 

  競技場から去っていく彼女の後ろ姿を視認して、ヒッポメネスは駆け出した。

 

 

 

 

「あ、あれぇ?」

 

  だがすぐに見失った。競技場に近くにある城は市街地と比べ、整地されている方であり、草木が生えていないのだがアタランテが向かったのは城から離れた森の中だ。

  すぐに追いつくと高を括っていたのだが、見つからないことに落胆を隠せなかった。

  彼女との会話のために話題を幾つか用意していたのだが、次の機会に持ち越しということだろう。

  このまま探しても自分では見つけられないだろうと、早く帰って本日の夕餉を探そうと元の道を引き返そうとした。

 

  ーーーカサ…。

 

「ん?」

 

  近くに物音を感じた。ヒッポメネスは兎か鹿かと思い、近づいた。しかし、そこに居たのは。

 

  アタランテだった。

 

「うぇ、えええええええ!?」

 

「…うるさい」

 

  首を絞められた鶏のような奇怪な叫び声をするヒッポメネスにアタランテは不機嫌になる。すぐにヒッポメネスは口を閉ざし、慌てたが前以て用意していた話題で彼女に話しかけようとして。

 

「どう…したの!?」

 

  アタランテがぐったりと木に背を預け、苦しそうに呼吸をしていた。額には大粒の汗を流し、呼吸するたびに汗が流れ落ちる。明らかに疲労している、すぐさま駆け寄ったヒッポメネスにアタランテは苦い笑いを浮かべた。

 

「何…、近頃病が風に乗ってきたと耳にしたのを聞いてな、恐らくはそれの類にかかった、だけだろう。肉を喰らい、休めばすぐに…」

 

  流行り病? 確かに市街地に行けばそんな噂話を耳にしたが、彼女はこの状態で先ほどの競争を受け入れたのか? だとすればなんという体力だ、病で疲労困憊なのにそれでも圧勝するというのは尋常ではないということがよくわかる。

 

「何言ってるんだい! とにかく、ほら! 看病するから行くよ!」

 

「助けは…」

 

「病人が何言ってるんだよ!」

 

  拒もうとするアタランテを無視して、ヒッポメネスは彼女を抱えた。アタランテが一瞬睨んだが、彼はそれに気づかない。やがて彼女は諦めたのか、されるがまま彼の指示に従った。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「よし。はい、どうぞ」

 

「…う、む」

 

  アタランテを自分の天幕へと運び、体に毛布をかけて額には濡れた布地を乗せる。冷えた水で濡らした布地はアタランテの熱した体をよく冷やし、気持ちいいのかアタランテは瞼を軽く閉じた。

 

「まったく、こんな状態になっているのに競争を拒まないなんてどうかしてるよ?」

 

「…約束だ。例外は決して、ない」

 

  父との約束。それが彼女をこんな状態でも走らせていることにヒッポメネスは少しだけ嫌悪したが、今はそれどころじゃない。とにかく看病だ。彼は今ある材料で食べやすいようにスープを作ろうと鍋の中に食材を投下していく。

 

「…明日の競争はやめるんだ。その状態のままなら、いつか負けるよ」

 

「…その時は致し方なし。病に負けた、私が弱かったのみだ」

 

「……そうかい」

 

  喉から出かけた言葉をすぐに飲み込み、違う言葉を吐く。彼女に何を言っても無駄だ。短く、親密な付き合いではない彼でもそれが分かる。いや、思い込んでいるのかもしれないが、彼女は自分で決めたことを曲げない。曲げるつもりなど一切ないのかもしれない。

 

「なら僕がさっさと治すよ」

 

「…なに? 汝は薬師なのか」

 

「違うよ。僕は魔術師だけど…と魔術師と言うのもおかしいか。まあ、肉体を治癒することが得意なんだ」

 

  そう言ってヒッポメネスはアタランテの首筋に触れた。

 

淵源=波及(セット)

 

  彼の魔力が彼女の肌を通じ、血管に染み込み全身へと伝わる。肉体及び水に通じる業は祖父より賜りし知識から派生し、魔術へと変換させたヒッポメネスにとって病の特定や治療、肉体の治癒などは得意分野である。

  触れた指先から彼女の肉体の情報を解読して、脳へと響き渡らせた。

 

「ーーーーー」

 

  得た情報から病原の特定、必要な治療方法を選択し、魔術を施工する。

 

淵源=波及(セット)

 

「…けほ」

 

  アタランテの肉体にヒッポメネスの魔力が響き、その影響で彼女の痛覚が刺激される。僅かな痛みに彼女が咳き込むが一瞬で痛みは収まった。

  治療が済み、ヒッポメネスはアタランテへと微笑んだ。

 

「これで治療は済んだよ」

 

「…これでか?」

 

「病原体を直接殺すことは難しいからね。今君の体に擬似的な合図を出し、体温を上げるようにしたからね」

 

「熱を?」

 

「人っていうのはね、体に入った病を消そうとして熱を出す体をしているんだ。今晩は少し苦しいかもしれないけど明日には完治しているはずさ」

 

  寝床に横になりながらもアタランテは納得したように頷いた。ヒッポメネスは彼女の体にかかった毛布をかけ直し、近くに水が入った桶と布を置いた。

 

「汗を大量にかくだろうから、これで体を拭いてね」

 

「すまないな…」

 

  病人は安静にね、と言葉を残しヒッポメネスは天幕から出ようとした。ここは彼の場所だが彼女がいる以上いるべきではないだろうという判断だった。

 

「待ってくれ…」

 

  垂れた幕を上げた所でアタランテに呼び止められた。

 

「顔を知ってしばらく経つが、肝心な事を忘れていた…」

 

  肝心なこと? ヒッポメネスは頭を傾げるが、その事について覚えがない。彼女は何を言いたいのだろうかと、思い。

 

「汝の名を、私は未だ知らぬ…」

 

「ありゃりゃ…」

 

  少しばかり脱力した。そう言えばそうだった。ヒッポメネスはアタランテの名前を一方的に知っていたが、彼からは一度も彼女へ名前を告げたことがない。

  名前を知らない人物にここまでして貰ったのに、名前を知らない事に気付いたのだろう。彼は苦笑しながらもアタランテへと名乗った。

 

「僕の名はヒッポメネス、祖父ポセイドンの血を引く者さ」

 

「そうか…、神の血を引く者だったか」

 

  ならば魔術を使える筈だ、と納得してアタランテは頷いた。

 

「ありがとうヒッポメネス、助かったよ」

 

「ーーーーー」

 

  屈託のない笑顔にヒッポメネスの心臓は射抜かれた。冷徹な狩人の面貌とは裏腹に嘘偽りのない感謝の言葉と笑みはそれはもう一つの芸術のような麗しさと可憐さだった。

 

「だだだだだ大丈夫だよっ!? うん、全く全然問題ないよ!?」

 

「…そうか、すまないが一晩厄介になるぞ」

 

「う、うん!僕は外にいるから何かあったら声を掛けてね!」

 

  颯爽と天幕を離れたヒッポメネスの背中を見送りながら、アタランテは小さく呟いた。

 

「ヒッポメネス、か…」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「ふう…」

 

  天幕から勢いよく出たちょっとした後、ヒッポメネスは一度大きく深呼吸した。不意打ちのような可憐な笑みに心を奪われたが、少しだけ全力疾走したら落ち着いた。

  荒れた呼吸を落ち着かせ、ヒッポメネスは顔を上げた。

 

「ーーーよし」

 

  顔を上げた先、其処は。

 

  この国ーーー牧人の国アルカディアのアルカディア王が住む城だった。

  城の前には兵士達が守りを固めており、兵士各々が鍛えられた体と軽鎧で国の守護者たる相応しき出で立ちをしていた。そんな彼等を前にしてもヒッポメネスは揺らぐことも怯えることもなかった。

 

「すいません」

 

「ん? 何かーーー」

 

  いや、それよりも寧ろ。

 

「ひぃ…っ!?」

 

  怯えることになるのは、兵士だった。

 

  城門を守る為に配備された兵士のうち一人は突然現れた訪問者の前に、情けない悲鳴を上げた。彼は国を守ろうと血が滲むような鍛錬を積み重ね、鋼のような魂を持つと自負するような人物だった。突然城に訪れたならず者ぐらい片手間で追い払えると、思っていた。

 

「アルカディア王に話がある」

 

  ーーーなのに、目の前にいる男は何なのだ。

  顔を確認した直後、震えが止まらない。ただ目の前に立つだけなのに恐怖を呼び起こされる。

 

  その男は率直に言うとーーー激怒していた。

 

  顔は色も熱もないように冷めたものに違いないのに、それに反して纏う空気の厚みと熱は何なのか。近くにいるだけで血管を逆流させられるかのような圧は何なのか。

 

  怖い、ひたすらに怖い。

  まるで嵐の前の静けさのような不穏さ。

 

  それをなぜ自分に、いや、アルカディア王へと向けられているのか。兵士たる自分はこの男を取り押さえるか、殺す必要がある。

  なのに、できない。この威圧の塊のような男に刃向かおうとする気概を持てない。震えが体を押さえつけ、喉元に刃を突き立てられているような幻覚はなんだ。

 

「ーーー聞いていますか?」

 

  勘弁してくれ、何で自分がこんな目に。

  いつまで経っても答えられない兵士に、意識が集中した。足腰が弱まり尻餅をつく。見上げ、見下ろす形が更に恐怖を煽る。

  いずれは股間から暖かい液体が流れ、涙が溢れ出てくるであろう兵士はただ黙って恐怖に怯えることしかできなかった。

 

  しかし、そこに救世主と思ってしまうほどに、頼りになる人物が現れた。

 

「ふむ?君は確か、ヒッポメネスだったかね?」

 

  この国の王、イアソス王だった。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「やあ、君が私の元に会いにくるとは驚きを隠せないな。今日は何の用だね?」

 

  アルカディアの王、イアソス。壮年の風貌に相応しく、髪には白髪が混じり、顔には木の幹の様に深い皺がなぞられている。

  城門から中庭へと場所を移し、小さな中庭にあった人間大の石に腰掛けるその姿は、不覚にもその石が玉座だと思わせる程に優雅な佇まいをしていた。

  突然の他人に近き男の来訪に驚くことも、憤ることもなく、更には兵士を下がらせて一体一でヒッポメネスと対面している。

  対面を望んだ張本人であるヒッポメネスはイアソス王を前にして、敬う態度を取ることなく、泰然と腰掛けるイアソス王の前に立っていた。

 

「前にあったのは…ふむ、数日前か、十数日前だったか。いやはや歳は取りたくないものだな。どうしても記憶が薄れていってしまい、最近のことでも思い出すのが難しくなる。仕方ないことだと分かっていても、抗いたいものだな」

 

  そう言いながら朗らかに笑う姿は好青年ならぬ好老年だった。並の女性ならこの笑みだけで心を許し、他愛ない会話を咲かせて楽しんでいただろう。

 

「おお、そういえば。あれからアタランテとはどうかね?あの娘も変わらず婚姻を避けたいみたいでね。最近は最初と比べると挑戦する若者も減ってしまって、まあ寂しいものになってしまった。そろそろ親として、安心させてもらいたいものだがーーー」

 

  それは、音もなく差し向けられていた。

 

「ーーーほう、何のつもりかな?」

 

  目の前に現れた、剣を前にしてもイアソスの顔色は変わらなかった。まるで最初から分かっていたように、突きつけられた刃に物怖じしない。

 

  剣を握り、差し向けているのは当然、ヒッポメネスである。

 

  ヒッポメネスは冷たい眼差しで、冷めた剣を握りしめ、冷えた声音で王である目の前の男へと問いかけた。

 

「何のつもりか、か。その言葉が出るのは当然でしょうが、本当にそう思っているのなら眉の一つぐらい動かしたらどうなんですか?」

 

「私も一応王でね。剣を向けられたことなど幾らでもあるのだよ。今更ながらこんな瑣末に心動かされることなどないな」

 

「ああ、そうですか。そう言うならさっさと本題に移りましょう」

 

  剣を下ろさず、未だイアソスの喉元へと突きつけられている刃は不動のまま、ヒッポメネスは侮蔑と怒りを交えた声色で呟いた。

 

 

 

「アタランテに()を忍ばせたのは貴様か」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ヒッポメネスはアタランテの体に触れ、彼女の内部を魔術で覗いた瞬間、瞬時にアタランテの肉体を侵している異変に気づいた。

  高熱と疲労、眩暈と吐き気、この症状だけならば病に身を冒されていると考えるアタランテは何も可笑しくない。そのような症状を引き起こす病など世にごまんと存在している。ヒッポメネスも彼女は病に身を蝕まれていると思っていた。そのつもりで肉体を把握し、突然の事に顔に驚きを浮かべなかっただけでも己を褒めていいとさえ思う。

 

  彼女の肉体は、毒によりゆっくりと侵食されている。

 

  この毒は即効性ではない。ならば遅延性の毒か?

 

  それも違う。

 

 

 

  この毒は、ゆっくりと肉体に()()()()()ことにより症状を引き起こす血に、肉に、臓物に沈殿する毒だった。

 

 

 

  自然に蓄積されることは考えられにくい()()()が加えられた人工の毒物。肉体に摂取しすぎたら確実に骨の髄から肉体を腐らせて死に至らしめる悍ましき代物にヒッポメネスの心臓は一瞬に縮まった。

  アタランテの体に貯蓄した毒はまだ微量の方で、外傷の治癒を得意とする彼でもまだ対処できる段階だった。肉体の機能を活発化させ、排泄物と共に外部へ排出するように誘導したからアタランテは今夜中に毒を肉体から全て退けることはできるだろう。

 

  だが、誰がアタランテに毒を忍ばせた?

 

  彼女は森で暮らす狩人だ。毒の恐ろしさだって知っているし、そもそも毒物が含んだ食べ物を口にするとは考えにくい。

  誰かが意図的に彼女に毒を飲ませていることは確かだ。アタランテは毒ではなく病と信じている以上間違いないだろう。

 

  ヒッポメネスの思考は自然と一人の男へと辿り着きーーーそして否定した。

 

  流石にあり得ないだろう。

  確かにあの人ならば、アタランテに毒を忍ばせる動機もあるし、怪しまれずに実行できる。

  でも、それはあまりにも()()()()()()。確かに最初に会った時から彼女に求めていた物があり、気持ち悪いほどに本心を語っていた。

 

  だがーーー仮にも()()だ。

 

  …こんな、こんなことを娘にする筈がないだろう!

 

  そんな正当性を引き出しておいて、ヒッポメネスは脳裏に数日前に起きた出会いを思い出す。

  その出会いは突然で、特に変わりばえしない夜空の下で起こったことだった。

 

 

 

  ーーーあの()()()()()()()()()()()を詰めた袋を持つ兵士との出会いは。

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「不思議なこともあるもんですね。前に貴方の命で森の奥に入った兵士と、その兵士が持っていた薬草が丁度アタランテの体を苦しめている毒を作れるなんて」

 

  そう、あの時、兵士が持っていた薬草の種類を見て首を傾げたのは、あの薬草が決して薬の材料になることはなく、人の命を奪う為の毒薬の材料だけを集めていたからだった。

  自分には関係ないことだと無視したが、あの材料でできる毒薬がアタランテを苦しませているのなら見逃すことなどできる筈がない。

 

  あの毒薬を持って帰るように指示したのはイアソス王。そしてもし狩人であり武人である彼女に、気づかれず、悟らせず、病であると錯覚させるほどにゆっくりと時間をかけて毒を忍ばせることが可能なのは。

 

  この世に父親であるイアソス王以外にあり得ない。

 

「…ふむ。なるほどなるほど」

 

  その当の本人はヒッポメネスから伝えられた毒の話を無言で聞き、聞き終わった直後納得したように頷いた。

 

「確かに、もしアタランテに毒を忍ばせられるとしたら私ぐらいだろうね」

 

「認めるんですか?」

 

「認めるも何もーーー」

 

 

 

「私以外に毒を忍ばせる者などいないだろう?」

 

 

 

  剣を振り上げなかっただけでも、上等だったと思う。

  代わりにイアソス王の服を掴み上げた。痩せて肉が少ない体は軽々と持ち上がる。

 

「貴様正気か!!」

 

  普段の丁寧で語尾が伸びた口調など吹き飛び、荒々しい言葉遣いで国王へ怒気を浴びせる。王を掴み上げる真逆の拳が常に握りしめられ、いつ飛び出すかも分からない。

 

「お前は父親だろう!!なぜ娘にそのような仕打ち、いや、そこまでも外道に堕ちれる!?」

 

  娘に婚姻を強要し、命を落とす危険もある毒を忍ばせてまで娘を負かしーーー娘の子を望む。

  その行動に、思惑にヒッポメネスは吐き気すら感じる。まるで人を人と思わないその所業に殺意すら覚える。

 

「なぜだ!! なぜそこまでして彼女を負かそうとさせる!!」

 

「言っただろう? 国を存続させる為に、男児が必要だと」

 

「ふざ、けるなぁ!!」

 

  イアソスを地面へと投げ飛ばす。強く地面へと叩き落とされたイアソスは短い苦悶の声を上げたが、服についた泥を手で叩き落としながらゆっくりと立ち上がった。

 

「ふう、乱暴だな。もしかしたら私は君の義父となるのだぞ? 父に敬意を示すよう母君に教えられなかったのかな?」

 

「黙れ! 貴様の息子など御免だ!」

 

「ならば、アタランテは不要と?」

 

  アタランテ。麗しき女性の名に一瞬だけヒッポメネスの肩は揺れた。

  そして、その動揺を決して彼女の父は見逃さなかった。

 

「ーーーやはり惚れているな? アタランテに」

 

  くつくつと心底面白そうに、愉快そうにーーー思惑通りになったと言わんばかりにイアソス王は笑う。

 

「…お前には関係ない」

 

「いやいや、そんな冷たいことを言わんでくれヒッポメネス君。私は嬉しいよ、君のような優しそうな男が娘に惚れてくれたことに」

 

「黙れ」

 

「アタランテに挑んだ男達は殆どがアタランテの美貌に酔い、目が眩んで命を落とした。だが君だ。君だけなんだよ。アタランテに純粋に、ひたすら心を奪われている男は」

 

「黙れと言った」

 

「どうだろう? このまま()()()いったら君もアタランテに勝てる。そしたら君は栄えあるアルカディアの玉座に、次代の王に、何よりもアタランテを」

 

「黙れぇ!!!」

 

  一喝。ヒッポメネスの怒りの叫びに、イアソス王は口を閉ざした。辺りに静寂が訪れ、遠くの兵士達の鍛錬の掛け声が、小鳥の囀りが遠くから聞こえてくる。

  ヒッポメネスは乱れた息を整え、イアソスに背を向けた。

 

「アタランテに真実を伝える。それで貴方の思惑は破綻だ」

 

  それだけを伝え、ヒッポメネスは自身の天幕の所へ、眠るアタランテの元へ向かおうとした。

  イアソスがどれだけ陰謀を思いつこうとも、明白にされてしまっては意味はない。流石のアタランテも父の所業に婚姻の条件である競争も辞退するだろう。

  ヒッポメネスはいち早く帰ろうと走ろうとした。

 

「今から…大体五日ぐらい前かな?」

 

  唐突に始まったイアソスの語りに足を止めようとしたが、構わず歩き出す。

 

「私はね、アタランテを食事に誘ったのだよ」

 

  だが、そんな不退転の思いもすぐに砕け散ってしまった。

 

「なに、理由は娘と食事をしたいという適当なものだった。断られてしまったらもう少し考えた理由をつけようとしたがアタランテはあっさり私の誘いに乗ってくれてね」

 

「アタランテはぶっきらぼうに答えたが、嬉しそうに私と食事を取ってくれたよ。食事の内容は…私が狩りで取ってきた獲物を、私自ら調理したものだった」

 

「獲物は大層痩せてて、身も少なかった。あまり満腹にはならないものだったが…娘は文句を言いながらも食べてくれたよ」

 

「その次の日はアタランテが狩りで取ってきてくれた。調理もアタランテがしてくれてね。それは美味しいものだった。狩りのコツや弓の弾き方、そんなことを語ってくれながら一緒に食事を取ったよ」

 

「その次の日は、一緒に狩りに行ったな。いやはや、流石カリュドンの大猪に一矢を与えただけある。長く狩りをしてきた私も、娘の実力の前では赤子にも等しい」

 

「アタランテはあの冷徹な美貌で純潔の狩人だと持て囃されてはいるが、愛に飢えた幼子のようなものだったよ」

 

「遥か昔に捨てたこの父を今も尚父と慕ってくれる。それはとても嬉しいことだよ」

 

 

 

 

 

「全ての食事に私が一滴の毒を落としている事も、毒の入った酒も、疑わず腹に収めてくれるのだから」

 

 

 

  一度収めた剣を再び引き抜き、振り返っては全力で走り出した。

  ただその男に怒りも侮蔑も超え、一見純粋とも見える殺意と衝動だけで突き動かされる。

  剣は小剣で握りしめられ、天へ伸びるように振り上げられて。力強く振り落とされる軌跡は躊躇いなく外道の首をーーー

 

「殺すか? アタランテの父を」

 

  落とす、ことは無かった。

  ほんの僅かな隙間が首と刃に挟まれていた。この隙間が埋められることがあればヒッポメネスの体に赤い飛沫が舞うことになるが、震える刃がそれはないと告げている。

 

「唯一の肉親を、娘が望むものを唯一与えられる存在を、冷え荒む彼女の心を癒す者を殺せるか? 君に」

 

  アタランテがこの世で最も望むもの。それは愛。捨てられた寂しさと孤独を埋めてくれる温もりを、捨てられた筈の父に求めている。

  それをヒッポメネスは知っている。強引な婚姻も、イアソスが父であるからこそ条件を付けてでも従っている。

  そしてそれを、この、毒を盛ってまで彼女に子を産ませようとするイアソスも知っていた。

 

「もし、アタランテが実の父に毒を盛られていたと知れば、どう思うだろうね」

 

  絶望、もしかしたら殺意かもしれない。怒りに身を任せ、イアソスを殺すことがあれば。アタランテは親殺しの罪を背負うことになるだろう。

  いや、それを彼女が気にすることはないだろう。彼女に最も大事なのは、

 

  父に裏切られたということだ。

 

「…そんなの、脅しにならない!!」

 

「ああ、脅しにならないと私も思うよ。だが、脅しになっているだろう?」

 

  笑みは変わらない。最初会った時も、再開した時も、投げ飛ばされた後も笑みは変わらず、薄い笑み。

  だからこそ、気持ち悪い。酷く淡々とこちらを嘲笑っているように嗤うこの男に吐き気を覚えるしかない。

 

「本当に嬉しいよ。アタランテのことをこんなに()()()男が好きになってくれて、父として嬉しいと思う以外にないよ」

 

  ヒッポメネスが真実を語ればアタランテは裏切りに深く悲しみ心に傷を負う、ここでヒッポメネスが怒りのままイアソスを殺してもアタランテは悲しみ傷を負う。

  もしヒッポメネスがもっと傲慢で、自信家だったら『それでもアタランテを幸せにしてみせよう』とイアソスを斬り捨てて、彼女に真実を伝えれただろう。

 

  だが、ヒッポメネスは刃を止めてしまった。怒りに身を任せて振り上げた剣を、父という言葉に理性が働き、想像をかき立てた。

 

  ーーー父を失い、泣き腫らす愛しき狩人の姿を。

 

 

 

「…ぜ」

 

「うん?」

 

「なぜそこまで、アタランテの子を望む」

 

  悔しさに唇を噛み締め、震える刃を下ろせないヒッポメネスは最初の疑問を問いにして投げた。イアソスはただ、変わらずに薄ら笑いで告げる。

 

「君はこのアルカディアの歴史を、先代の王達の名を知っているかね?」

 

  アルカディアの祖、ゼウスの子にして星座となったアルカス。そのアルカスの血筋を辿りアルカディアとなる国に地上最初の都市を建設し、神の怒りを買い狼となったリュカオン。イアソスの父にして、王殺しを成したリュクルゴス。

  数多の偉業がこの地で打ち立てられ、神の名が色濃く残る牧人の楽園の王達は、まさしく英雄達だった。

 

「私の祖先、父達はそれはもうまさしく英雄であり、王だった。その英雄達が王として振る舞い、この国に永き時を渡り平和と栄誉を国民達に与え続けてきた。子供の頃に父からその逸話を聴き続けさせられた私は、当然、その血筋であることに光栄に感じた。私もその様にならなければ、私の子供達に誇れる様な男にならなければ。そう思い鍛錬に励んだがーーー私は、凡俗だった」

 

  その瞬間、笑みは崩れた。今までの得体の知れない微笑みが崩れ去り、本性が露わとなる。

 

「それを気づいた時、私は愕然とした!! 父が、祖父が、そのまた父が英雄なのに!! 私は英雄となれる素質を持っていなかった!! どれほどの絶望だったと思う!? 正統な血筋を継いでいたのに武も知も平凡で、そして英雄となれる機会など一切起こらず、ただ王という座に座り続けるだけの凡骨だということはーーーどれほどの苦痛を齎すかを!!?」

 

  凡骨、平凡、凡俗。自らをそう称するイアソスは、英雄ではなかった。怪物を殺す力も無ければ、困難を凌駕する程の知謀も持たず、しかして英雄となるべき舞台も用意されなかった。

 

  ーーー英雄になりたかった。アルカディア王の血筋として

 

  その血を吐き散らすほどの苦痛が言葉にせずとも伝わる。先程怒りだけで兵士を圧したヒッポメネスも、イアソスの威圧に一歩引き下がる。

 

「どれほど待っても! どれほどの血の滲む思いをしようとも! 私は英雄となれない!! 決してだ! その才能も運命も私には用意されない!

 

  それを悟った時、私はようやく王としての自分の使命を果たそうと決めたのだ」

 

  そして怒りが収まりーーーヒッポメネスもまた理解した。

  なんでイアソスの笑みがあんなにも気味が悪く、笑みを保ち続けられるのか。

 

  諦観と達観。

 

  いわば悟りだったのだろう。己の運命、宿命を勝手に確定させて国の為に生きようと決めた、哀れで、壊れた、王という舞台装置と成ろうとした者。

 

  その者の笑みは人に向けたものではない。

 

  国を機能させるために必要な、歯車という()を見る目だったから、心を許せなかったのだ。

 

「次代の王の、英雄の為の土台とだろう。英雄の父、英雄を産み出した者ならば私もかつての王達に恥じない偉業を果たす事ができる。そうやって私は妻を娶り、子を産ませた」

 

  そうして生まれたのが女児だった。

  最初はただ落胆し、森へ捨てさせた。英雄となる子は一人でいい、余計な存在は才を食い潰す原因となるかもしれない。女児の母は騒いだが関係ない。

  男児を、力強く賢智に溢れた才児を。しかし、悲しいことに女児を境にそれ以上子が恵まれる事がなかった。

  どうするべきか、神に祈るか、それとも遠縁の子を攫い父と偽るか。

 

  悩みに悩んだイアソスが歳を老い、子を継がせるための肉体として無理が生じてきた時ーーー捨てた筈の女児が、英雄となって現れた。

 

「…まさに、神からのお恵み。諦めかけた私に名も知れぬ神が与えてくださった恩赦だった。彼女の逸話を聞いた時、年甲斐もなくはしゃいだよ。アタランテの心躍る冒険譚にはーーーだからこそ、彼女には次なる英雄を産んでもらわなければね?」

 

  英雄が産まれた。ならば、次の英雄を。アルカディアの王を生み出さなければ。

  王の務めとして、王の娘にはアルカディアを継いでもらう息子を産んでもらわなければ。女王など認められない。王は男であるべき、今までもそうだった様にこれからも。

 

  だからイアソスは画策する。婚姻を拒絶するアタランテを組み伏せ、時代を継いでもらう。

  己の唯一の神話を築き、アルカディアの王という責務を果たすために。

 

「…巫山戯ている」

 

「そう巫山戯ている。私がどれほど血が冷えているなど分かっている。若き頃の私ならば、老いた私を殺していただろうね」

 

  もう何も感じない。非道だと、外道だと罵られても心は揺れない。何故ならば…その生き方を選び、それが正しいのだと決めつけたから。イアソスは殺されぬ限り、このやり方を止めない。自分の唯一性を守り続けるために。

 

「さて、ヒッポメネス君。長らく語ったが…君はどうするのかね? 娘の為と私を斬るのも良し。君には惚れた女を守るという思いがある、それは重々理解した。

 

  だがそれはアタランテから父を奪いーーーアルカディアの歴史に終止符を打つということだ。

 

  君にはできるか?

 

  王達が築き上げた歴史、栄えある功績に泥を塗りたくる勇気があるか?

 

  一人の女の為に、国民の平和を維持する王の命を絶つことができるのか?

 

  さあ、答え給えヒッポメネス。

 

  君には、一つの国を背負うことができるのか」

 

「ーーー」

 

  ヒッポメネスは剣を握りしめる。皮膚の色が赤から白へと変わり、指の隙間から血が滴り落ち、垂れた血筋が手首から腕を添って、地面へと落ちた瞬間ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでいい。当然の選択だ」

 

  剣は、柄に血が染み込んだ剣は、気がつけば地面へと突き刺さっていた。

  いつの間にーーーそう言葉にしようとしたが、その前に肩にイアソスの、王の手が乗せられていた。

  変わらぬ薄い笑みはヒッポメネスの瞳に映る。

 

「私は諦めない。アタランテが負けて、君の妻となる日まで。君も理解してくれればいいんだが…納得がいかないだろう。でも、それでいい。悪いのは全て私だ。悪いのは全て私だと納得すればいい。そして、納得した時には…君の腕にはアタランテがいることを約束しよう」

 

  違う。剣を落としたのは、そういう意味じゃない。

  王はそれを見越した上か、有無を言わせずに肩に置いていた手に力を込めている。

  反論しようにも、上手く口が動かない。何故だ、何故だ何故だ何故なんだ。

 

「では、失礼しよう。アタランテの毒は君が消したのだろう? 手はまだ幾らでもあるからね。君はアタランテとの仲を深め、夫婦となる準備をしておいてくれ」

 

「……待って、くれ」

 

  そうして去ろうとするイアソスに、ヒッポメネスはやっと口を開けた。

  何か、と目で訴えるイアソスにヒッポメネスは…何を聞こうかと迷った。

  考えて、考えて、考えて聞くべきことは……。

 

「なぜ、僕なんだ…?」

 

  ここまでの真意をなぜ話す。なぜアタランテと自分をくっつけようとする。他の男もいた筈だ。なのに、イアソス王は自分を優遇しようと動こうとする。剣を向けた時、兵士を呼ぶこともできた。なのに、なぜ、自分を助けようとする。

 

「…ふむ。ここまで来て嘘は通じないから語るとしよう」

 

 

 

 

 

「特に意味はない。誰でもよかったのだよ」

 

 

 

 

「……………は?」

 

「だから意味はないのだよ」

 

 

 

 

 

「本当に誰でもよかったのだよ。英雄はアタランテが成った。夫となる男はどんな凡俗でも、英傑でも、下劣でも……誰でもよかった。ただアタランテの近くにいたのは君だった。だから君に()()。ただ、それだけだよ」

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

「……ヒッポメネス、か?」

 

  天幕へと帰ってきた時、外にいるものの気配を感じ取ったアタランテは天幕の主の名を告げる。その声は昼間の苦しげなものではなく、いつもの彼女らしい声音に戻っていた。

 

「ああ、うん、ただいま。調子はどう?」

 

「ああ、お陰で快活だ。明日にはまた申し出を受けれるだろう」

 

「そう」

 

  ヒッポメネスは天幕の近くに腰を下ろした。中に入る気は起きなかった。というより入れなかった。

  天幕の中で火を点けている所為でアタランテの影が天幕に映り出されている。どうやらアタランテは体を拭いているのか、彼女の艶かしい体のラインが影に映し出されていた。

  大きくないが小さくない乳房に、細くともしっかりとした筋肉がついた腰。長い髪がハラリと動き、余計に扇情的に見える。

  ヒッポメネスは天幕を背にして座る。彼の耳には衣擦れの音が入るが、彼は黙って地面を見下ろす。

 

「悪いな」

 

「んー?」

 

「汝の天幕だと言うのに私が使うことになってしまって」

 

「構わないさ。………病人に、優先すべきだよ」

 

「そうか」

 

  何度か衣擦れの音がし、そして羽織るような音がした。ヒッポメネスが少しだけ天幕の方を見ると、艶かしい姿はなく、座るアタランテの影が映っていた。

 

「入っていいぞ?」

 

「…いいよ。今日は暖かい。外で寝ても問題ないだろうから」

 

「いや、快復した以上私の寝床へ帰ろうと思うのだが…」

 

「…ああ、かもね。だけど僕が君を診た以上、異変がないように最後まで診るべきかと、思ってね」

 

「…なるほど」

 

  項垂れるように座るヒッポメネスの横顔に僅かな光が当たる。薄い光に目を細め見てみると、天幕の垂れ布が開かれて、そこからアタランテが天幕から出てきていた。

 

「なら、すまぬが今日は此処に厄介となろう」

 

「……え、いいのかい?」

 

「汝が申したことだろう」

 

  そう言って、アタランテはヒッポメネスの横へ座った。

 

 

 

 

 

  燦々と輝く星々は散りばめられてはいるものの、集めれば陽光にも負けぬ輝きがある。

  それを言ったのは誰だったのだろうかと、ヒッポメネスはアタランテと共に見上げる夜空を眺めながら思った。

  雲ひとつない空には月が浮かび、夜の闇を裂いて地上に灯りを与えてくれている。焚き火を点けていないのにアタランテの横顔が見えるのは月のお陰だろう。

 

「お祈りかい?」

 

「ああ」

 

  手を合わせ、空へ拝む。円を描く空の大地、太陽と対なる夜の象徴。月に向かってアタランテは信仰を捧げている。

 

「何を願ったか聞いていい?」

 

「願いか。そうだな、特に願いはないのだが感謝を。感謝を捧げている」

 

「感謝、かぁ」

 

  ーーー親に捨てられ、アルテミス様に救われた。

  前に聞いた昔話に胸が痛めつけられる気がした。だが、それはヒッポメネスの痛みではない。アタランテの痛みだ。ヒッポメネスはただ、痛みを想像しているにすぎない。

 

「前に君に『父君は君を愛していない』って言ったことを覚えている?」

 

「そんなことを言っていたな」

 

  思い出したのかアタランテは悲痛か、それとも自嘲か、どちらとも言える笑みを浮かべた。

 

「絶対、君は…父君に愛されていない」

 

「はっきりと言うのだな」

 

「・・・・・」

 

  ヒッポメネスはただ、自身の思いを告げた。告げたのだが、その次に何を言っていいのか分からなかった。具体性もなく、抽象的な言葉が口の中で転がり続ける。

 

「とにかく、もういいだろう。君は…いいんだよ」

 

「…はあ、さっきから何なのだ。意味が分からない」

 

 

  ーーー僕だって、分からないさ

 

 

「父に何か言われたのか?」

 

「…違う」

 

「そうか、言われたか」

 

「…違うって」

 

「何を言われたのかは知らんが、止めておけ」

 

「違うって!!」

 

 

  ーーー違う。言われただろう。さっさと話せ。

 

 

 

 

 

 

「汝は私に勝てない」

 

 

 

 

  ヒッポメネスは平穏である。それはもう、ひたすらに穏やかだった。

 

 

 

「もし汝が私を求めているのならば、やめておけ」

 

 

 

  気性が荒いと、好色であると逸話に残る海神ポセイドンの血筋としては考えられない程に平穏で一途だった。

 

 

 

「無駄死にになるだけだ」

 

 

 

  平穏ゆえに物事を正しく見定める。どちらかに加担することもなく公平な判断を下せる。偏見さえもそういう考えもあると納得できる。

  言葉の真意も汲み取れるだろう。

 

 

 

「汝に相応しき者がいる。決して私ではない。汝には汝の事を思う者がいずれ現れるさ」

 

 

 

  ーーー殺したくない

 

  アタランテは少なくともヒッポメネスの事をそう思っていた。今まで出会ってきた男達は皆、乱暴で粗野だった。必要以上の暴虐を振るう者もいたし、好色で強欲な者もいた。そういった輩に嫌悪しつつも、許容し友人となった者もいる。

  一人だけ珍しく穏やかな男とも友人となったが、それ以上に平穏が似合う男と出会った。

  陽だまりの中で眠る、幸せそうな笑みを浮かべ鼻唄を歌うのが様になるような優しげな男。

 

  名をヒッポメネス。

 

  惚れるような事はないが、好感なことには変わりない。会ってから間抜けなところを多く見かけたが、それでも見ていて飽きぬ男だった。

 

  また、この男も私を狙っている。

 

  培ってきた経験からそれを漠然と察したアタランテは忠言する。

  私のような女を選ぶな、挑戦するな、願わくばその雰囲気に似合うような生き方をしてほしい。

  魔猪狩りの終結から男に近づいてほしくなかったアタランテにとって、生きてほしいと思った男は稀有に違いなかった。

  競争を挑まれれば、必ず私が勝つ。どのような手段だろうと私が勝ち……ヒッポメネスを殺さねばならない。

 

 

 

「私に挑むなヒッポメネス。お前は此処にいていい男ではない」

 

 

 

  ーーーどうか幸せに。私じゃない誰かを幸せに。

  彼女が言葉の裏に込めた思いは彼女の顔を見て、少し考えれば分かることだった。冷徹な狩人ができる最大の思いやり。それを贈られたヒッポメネスは短い期間でそれほどの関係を築けられたのだろう。此処から先、どのような言葉が、どのような行動が彼女の心を動かし、救いを与えられるか。平穏なヒッポメネスならば理解できただろう。

 

 

 

  ーーー普段の彼ならば

 

 

 

「おい、ヒッポメネス!?」

 

  おもむろに立ち上がり、名を呼ばれた彼は駆け出した。月の光も届かない森の奥へと走り出した。唖然となったアタランテは彼の背中を見送ることしかできず、去っていった彼の足音はすぐに消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  あぁ。

 

 

 

  あぁ…。

 

 

 

 

 

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

  足を茂みに引っ掛けて惨めに転び、肩に枝が当たっては転がり、石を飛び越えた先にあった溝に嵌っては転げた。

  何度も無様に転び、立ち上がっては走り出す。痛みなど感じない。感じる余裕なんてない。ただ叫び、走らなければ正気が保てなかった。

  いや、正気などなかった。正気がないと理解できる理性を保てないから叫び走っている。

 

 

 

『誰でもよかった』

 

 

 

『無駄死にになるだけだ』

 

 

 

『汝は私に勝てない』

 

 

 

『特に意味はない』

 

 

 

  誰でもよかったわけではなかった。そんなわけなかった。いい気になっていたわけではない。彼女と出会い、話し、距離を縮められたのは間違いなく嬉しかった。

 

  でもあの男が、イアソス王が現れ、アタランテが僅かに語ってくれた過去と思い出ーーー心の何処かで、僕じゃなければならないと思っていたのかもしれない。

 

  彼女の事が分かってあげれるのは僕だけだって、救えるのは僕だけだって。だからこそイアソス王は僕に近づいた。アタランテの唯一である僕を唆し、企み通りにする。

 

  でもそんな甘い幻想なんて何処にもなく、僕はただ、彼女の近くにいただけの()()()に過ぎなかった。

 

  悔しい、悔しい、悔しくて悲しい。

  なんでこんな思いを、こんな無様なことになっているのだろうか。

  彼女に恋して、知りたくて知ってほしくて、でも僕じゃなかった。

 

 

 

『私は私より速い者と婚姻しよう』

 

 

 

  彼女を本当に救えるのは彼女が求む者、それは彼女より疾き英傑のみ。風より早く、風となれる人々の理想を形とした男だけだった。

 

  僕ではない、僕では決してなかった。

 

 

 

「あ、ああああああ!!!」

 

 

 

  ヒッポメネスは英雄ではない。英雄という益荒男ではなく、海辺で漁と知識を養ったものにしか過ぎない。

  足は疾いが探せば幾らでもいる程度で、弓の腕なんか壊滅的、殺し合いの経験なんて殆どなく英雄とは程遠い、神の血を引くだけの平凡な男。

 

  それが現実だった。

 

  覆せそうにもない自分だった。

 

  王の策略を口にして、彼女を傷つける勇気があれば何かが変わったのかもしれない。外道を斬り伏せ、その上で彼女を包み込む器があれば英雄となれたかもしれない。

 

  何もかも足りなく、思えば思うほどに足が竦み口が震える臆病者の自分に嫌気がさす。

 

「あ、ああ…」

 

  何処まで走ったのか、何時まで叫び続けたかなど分からない。気がつけば森を越えて、平原にただ一人蹲っていた。赤子のように、闇に怯える幼子のように両腕で体を抱いて泣いていた。

 

「僕は、僕はっ…」

 

  この先、どうすればいいか分からなかった。

  王の手から彼女を守り続けるのか。それとも彼女の身が壊れる前に彼女を救い出す英雄を探すのか。

  それとも、自分が彼女の望み通りの救い手になるのか。

 

「無理に、決まっているだろう…」

 

  何度も見た。彼女が走る姿を熱を込めた視線で何度も焼きつけた。だから分かる。同時に走りだした瞬間、最初は自分が勝っていると思い、すぐに抜かれて先に待ち受けるアタランテに胸を貫かれている。

  死ぬのは怖くない。怖いのは…何もできず、無意味なままで彼女の行く末を見続けること。

 

「誰か…」

 

  王になりたくない。名誉もいらない。国なんてほしくもない。

  ただ一つの望みはーーー

 

「…助けて」

 

  ーーーアタランテがほしい

 

 

 

  その願いは、届いた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

  その日のことを、今でも覚えている

 

 

 

「汝か」

 

 

 

  あれは喉が焼けるような熱い日だったことを

 

 

 

「宣告したのに、それでも挑むか」

 

 

 

  あまりに明るい日差しのせいで彼女の顔がよく見えなかったことを覚えている

 

 

 

「……愚か者め」

 

 

 

 

 

 

  僕が過ちを犯したあの日のことを、今でも覚えている。

 

 

 

 

 

  語ることは特に無い。

  全ての逸話の通りに物事は進んだ。

  ヒッポメネスは女神より賜りし秘宝を手に、彼女の前へと現れた。

  美の女神より授けられた秘宝、不死の果実と名高き『黄金の林檎』を三つも渡された。

 

  ヒッポメネスはそれを使い、アタランテへと挑んだ。

 

  相手に必ず先に走らせて、次に自分が走り出すアタランテの行動は何ら変わらなかった。

  例え相手が数日に渡って知り合った知り合いでも、彼女は容赦しなかった。淡々と仕事をこなし、先に終着点へと辿り着いて弓を引く。矢を放ち、心の臓を貫く。

  いつも通りになるはずだった。

 

  だが、ならなかった。

 

  ヒッポメネスは追ってくるアタランテへ黄金の林檎を投げた。

 

  あまりにも美しく、魅力に魔力を撒き散らし、本能を掻き立てるその秘宝は獣である彼女の理性を揺るがした。

  強靭な精神で立て直すも、もう一つ、さらに一つと黄金の林檎は投げられた。

  全ての誘惑を振り払い、彼女は走ることを止めなかった。

 

  走り、走り、走りーーー

 

 

 

 

 

  彼女は初めての敗北を突きつけられた。

 

 

 

  そして、妻となった。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  全てが終わった後に夢から醒めたような、泥から這い出たような重みが頭から爪先に駆け巡った。

  耳にするのは喝采と罵声。声援が地面と空気を揺るがせ、彼はただ立ち尽くした。

 

「見事!! おお、見事だヒッポメネス君!!」

 

  誰よりも喜び、立ち尽くす彼に喝采を贈るのはアルカディア王のイアソス。用意されていた椅子から立ち上がり、大股で彼へと近づき力強く肩を叩いた。

 

「まさか、あのような手を使うとは! 私も予想できていなかった!! ああ、この驚愕は言葉にはできないよ」

 

  まるで自分が自分ではなかった。自分自身の感覚を絵と見立て、それを眺めている自分がいるような疎外感を覚える。

  肩を叩かれる衝撃も、肌を刺す日光も、耳に入る歓声と罵倒にも何も入らなかった。

  卑怯者、卑劣、それでも男かと自分を揶揄する男達の声がする。

 

「ええい黙れ! 衛兵、民衆を黙らせよ! 知恵も回せず、然りとて挑むこともできぬ臆病者達めが!! これから我が息子となる者を嘲る発言は許さん!!」

 

  むすこ、ムスコ、息子ーーー

  漸く、彼は全てを悟ることができた。

  そう、そうだった。彼は挑んだんだ。あの純潔の狩人に。

 

  彼は振り返る。

 

 

 

  振り返ってーーー

 

 

 

「…っ、あ、あぁ」

 

 

 

  自分の愚かさも、漸く悟った。

 

 

 

  アタランテを救うならば、言葉と時間が必要だった。

  それは特別なことでは無い。男女の仲を築くには英雄譚が必要か? それを問われれば、否と答えよう。

  わざわざ仰々しく回りくどい手段を用いなくても、人は人を愛し、次代を紡ぐことができてきた。

 

  アタランテもそうだったのかもしれない。彼女の境遇はそれは酷かったのかもしれない。彼女が中心となった諍いがあったこともあったが、それは全て彼女の所為であったわけではない。

  アタランテは美しい。美しいだけなのだ。神域の弓術があり、狩人でもあり、英雄でもあるのだが。

 

  それでも一人の女性なのだ。

 

  女を口説くのは難しい。それでも無理難題ではない。

 

  言葉と時間と出会いを幾度となく伝え、思いの丈をぶつけて、同じ思いを共感して、何度も何度も当たり前の日々を共有していけばーーー暴虐でも粗忽でもない、平穏な彼だったならば『もしかしたら』が、あったかもしれない。

 

  それに彼は気づいていた。彼女が最も望むものを、欲していたものを知っていた。

 

  なのにーーー選択を誤った。

 

 

 

「さあアタランテ。お前は負け、ヒッポメネス君は勝った」

 

  やめろ。

 

「条件は満たした。どのような手段だろうと、負けは負け、勝利は勝利だ。彼は…お前よりも速い。それは先ほどをもって証明された。何か反論はあるかね?」

 

  やめてくれ、お前が僕に近づくな横に立つな。

 

「ああ、ヒッポメネス君。本当によくやってくれた。これで約束通り、君をこの国の王とし…」

 

  やめて、くれ。

 

「娘は、君の物だ」

 

 

 

 

 

「ーーーああ、約束だ。認めよう」

 

  ごめんなさいごめんなさいごめんなさい

 

「ヒッポメネス、お前は私に勝利した。だから…」

 

  卑劣で、優柔不断で、臆病者で、最低な男でごめんなさい。だからどうか、お願いだからーーー

 

 

 

「お前は私の夫だ。私は、お前の物だよヒッポメネス」

 

 

 

  そんな、全てを諦めたような顔で僕を見ないでくれ

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

 

  何をどうしても、取り返しがつかない。

  欲望に負けた、悔しさに報いたかった、どうしても特別に成りたくて、何よりもアタランテがほしかった。

  弁明がしようにもないほど、僕はかつて彼女に挑み命を散っていった男達と同じだった。彼女の美貌に呼び寄せられ、そして欲しては挑んだ。此処までは死んでいった者達と同じだったが、僕は違った。

 

  僕は神に祝福された。祝福され、勝つ手段を与えられた。

 

  僕自身の力ではなく、神により齎された勝利。

 

  聞こえはいいが僕が成したことは何一つない、神の助力無ければ僕は彼らと同じ末路を辿っていた。神に感謝すべきなのだが、僕は祈る気力も湧かなかった。

 

 

 

  僕はイアソス王と同じだった。

 

 

 

  イアソスは英雄になりたかった。だが、なれなかった。成れなかったから英雄の父として名を残し、そして次代の英雄の為に王として娘に子を産むよう指示したのだ。

  ヒッポメネスも英雄になりたかった。イアソスと違い、憧憬ではなく、アタランテを救う為には英雄という存在が必要だと気づき、英雄ではない自分に絶望し、英雄を望んだ。

 

  ヒッポメネスは神より賜りし秘宝を手にした瞬間、アタランテの思いなど頭から消え去り、彼女を手にせんと競争へと臨んだ。

 

  結果どうだったか?

  アタランテの目からしたら、ヒッポメネスはどういう男に映ったか。

  自身の父と供託し、自分に近づいて、自分を負かした卑劣な男。彼女が少しでも彼のことを信じ、好感を抱いていたのなら、それは間違いなく裏切りだろう。

 

  ヒッポメネスは間違えた。

 

  アタランテを救いたかったのなら、こんな手段に頼ることなく、ただ言葉と誠意を尽くして彼女の手を引けばよかったのだ。

  それをできなかったのは彼自身の臆病さと甘さが原因だった。いや、今更こんな言い訳を並べようとも言えることは一つしかない。

 

 

 

  ヒッポメネスは裏切った。アタランテの信頼を全て、自身の手で引き裂いた。

 

 

 

  彼の言葉は彼女に届かず、彼女も彼の言葉を信じない。そんな関係を自ら打ち付けてしまった。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  広々と続く石造りの廊下で夜空を見上げていた。いや、見上げていたと言うよりも見る物がそれしかなくて、ただ眺めていただけに過ぎないが。

 

「ヒッポメネス様」

 

  後ろからかけられた声に振り向くと、城で働く侍女がヒッポメネスに向かってお辞儀していた。

 

「寝床の用意はできました。姫様がお待ちです。どうぞ、お部屋へ」

 

「…ああ、向かうよ」

 

  もう一度お辞儀をすると廊下の先へと侍女は去っていった。

  ここはアルカディアの城。アルカディアの王達が代々此処で過ごし、生活してきた。その場所に住む一員として正式に認められたヒッポメネスは明日からこの城の『主』となる。

  アタランテとの競争に勝利し、その日の内に婚礼の宴が催された。盛大に酒と食事が振る舞われ、国を挙げての祝い事は町中を明るくした。

 

  花嫁と花婿は、終始口を開かなかったが。

 

  宴は終わり訪れた夜はあまりにも静かだったが、花婿達にはまだやらなければならない婚礼の『儀式』があった。

  これは宴よりもイアソスが力強く押していた。

 

  つまるところ、()()である。

 

  夫婦となった二人が夜を共にすることに問題はない。とても自然なことで、イアソスが告げなくても流れでそこに辿り着くだろう。

 

「・・・・・」

 

  ヒッポメネスは歩き出す。遅く重い足取りで、幽界へと赴くように歩き出した。

 

 

 

 

 

  不自然に香る花の香りは恐らく雰囲気を出すためなのだろう。蝋燭に灯された火だけが暖かに部屋を照らし出し、純白の布が光るように見えてしまう。

  純白の絹が敷かれた寝台にはーーーアタランテが座っていた。薄い寝巻きに体を包み、湯浴みで体を洗わされたのか髪も肌もより美しく、艶やかに潤っていた。

 

  部屋の中にはヒッポメネスとアタランテの二人だけ。二人だけの空間が広々とし、互いの存在を小さく追いやっているようだった。

 

  美女と二人きりの空間で並の男なら息を乱し、心臓の脈が早く波打っていただろう。

  だが此処にいる男であるヒッポメネスはーーー不思議なほどに何も感じなかった。麗しい狩人の薄着姿に顔を紅潮させることもなくただ、静かにアタランテへと近づいた。

  近づいていくたびに視界を埋める彼女の姿は、白く無味に見えた。あれだけ心動かされ、嘆き叫んだのに今ではどうでもよくなるほどにーーー普通の女性だった。

 

  彼女の肩に手を置き、そのまま押し倒した。

 

  抵抗も何もない。簡単に寝台に押し倒された彼女の金糸の髪が広がる。手のひらから感じるアタランテの肌の温もりが冷たく感じる。その度に、彼の心の虚無が広がっていく気がした。

  ヒッポメネスは寝台に腰を落とし、そしてアタランテへ覆いかぶさるように姿勢を変えた。

  ヒッポメネスの体の影がアタランテを覆い尽くすが、アタランテはヒッポメネスに顔を向けなかった。髪の陰に隠れた瞳は見えないが、恐らく侮蔑の色が浮かんでいるのだろう。

  分かりきった事を頭に浮かべて、ヒッポメネスは手を動かす。手は彼女の胸へと伸びてーーー

 

  触れることはなく、空中で拳を握りしめた。

 

 

 

  ーーー本当に、何をやっているんだろうね

 

 

 

  虚無が冷えた鉛に変わり、今すぐにでも胸を掻きむしってやりたい気持ちが浮かぶ。どこまでも流されやすく、このまま楽になりたいと考える己の頭蓋を叩き割ってやりたかった。

  抵抗しても、殺しても問題ないのに、アタランテはただ約束に準じていた。夫婦となるのは純潔を捧げるということで、それが例えどんな下卑た男でも結婚すれば『妻』として応じる彼女の高潔さにヒッポメネスは自分が如何に矮小だと思い知らされる。

 

  ヒッポメネスは誤った。取り返しがつかず、どうにもならないほどに選択を間違えた。

  アタランテを裏切る道に足を踏み入れたのにも関わらず、彼女は弾劾することもない。それが何よりも苦しかったから、そのまま『夫』として楽になろうとしたのにやはり駄目だった。

 

  ーーーこんなの望んでいない。

 

  既に終わりなのに、それなのに諦められない。醜く今でもアタランテを望んでいた。

  誇り高い彼女と小さく弱い自分では釣り合わないなど今思い知らされた。それでも、アタランテに振り向いてほしかった。

 

  どうしようもなく、見向きもされない自分となったが。

 

  卑劣で、悪賢い男になったが。

 

  英雄でもない、形だけの夫となったが。

 

 

 

  それでも、君に僕の全てを捧げよう。

 

 

 

「ごめんね」

 

「え?」

 

淵源=波及(セット)

 

  彼女の首筋に手を添えて、魔術を発動させる。彼女の体が一度跳ね上がり、苦悶の声を上げることなく彼女は意識を闇の奥深くに落とした。

  強制的に眠りへと誘われたアタランテの顔は、ただのあどけない少女の寝顔だった。

 

「ごめんね」

 

  そう、どれだけ強く、恐怖に打ち勝つ強靭な魂を胸に秘めてようとも、愛も恋も知らない少女の側面がアタランテにもあった。

  そんな側面があったからこそ、悲しみに伏せている。心を無残に引き裂き、痛めつけたヒッポメネスの所業は、忘れることはできないだろう。

 

「ごめんね」

 

  アタランテの頬にかかった髪の毛を指で掬い整えた。

  ーーー僅かに目尻から零れ落ちた涙を同じように指で掬い、

 

  アタランテが安らかな寝息をつく頃には、ヒッポメネスの姿はなかった。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「おい!こちらに応援寄越せ!!」

 

「なんでだよ!? 今日は宴だったのに、なんでこうなるんだ!?」

 

「知るかよ! 奴さんにあがぁ!?」

 

「ま、待って! 待ってくださぎゃはがぁ!?」

 

 

 

 

 

「止まれ!これ以上はお通しできません!」

 

「クソクソクソォ! なんだよ、ただの卑怯者じゃなかったのかよ!」

 

「ただの男ならあんな物持っているわけねえだろうが!」

 

「全員、やれぇ!!」

 

 

 

「うおおおおお!」

 

「バッ、やめ」

 

「待って待って待って!」

 

「…くそ、なんで、こうなる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかとは思っていたが、初夜を迎えることなくこうなったか」

 

  イアソスは玉座に座り、広間を見下ろした。百の人数は入る広間は、死屍累々となった兵士達の血によって赤に染められようとしている。倒れてる兵士達は皆死んではいないものの、虫の息だった。荒く浅い呼吸が苦しみをより強調している。

  そして、兵士達を瀕死にさせた張本人はイアソスの前に立っていた。

 

「予想はできていたことですね」

 

「どちらかと言うと予想外だ。君はそのままアタランテの夫となり、王として君臨し、アタランテの子にその玉座を奪われる。叛逆してもすぐに屈する、と思ってたのだが…」

 

  仕事終わりのようにため息をつき、イアソスは椅子に座りなおす。

 

「君が、強かったことを見抜けなかった」

 

「僕はポセイドンの孫です」

 

「…ああ、なるほど。見誤っていたか」

 

  薄ら笑いは苦笑いへと変わり、目つきは鋭く憎々しげになっていた。イアソスはヒッポメネスを何処ぞの若者としか思っておらず、まさか神々の血筋とは思わなかった。

  ーーー私と同じ、凡骨じゃなかったのか。

 

「それで? 明日には王となる君が何の目的でこんなことをしたか聞いていいかな」

 

「旅をします」

 

「……は?」

 

「アタランテと、共に国を出て旅をします」

 

  一瞬、間を空けて、唾を飲み込み、理解した瞬間にイアソスの顔は変わった。厳格に、そして無表情に色を感じさせない王の顔になった。

 

「ふざけているのか?」

 

「本気です」

 

「王が国を捨てるというのか?」

 

「捨てません」

 

「それを捨てるというのだ!!」

 

  玉座の肘掛けに拳を叩き落とし、顔を赤くさせながらイアソスは唾を飛ばしながら叫ぶ。

 

「国は王がいなければ成立しない! 君は王となった! アタランテは王妃となった! 王族となった以上その役目を果たさなければならない! 貴様はその役目を捨てるというのか!!」

 

  王として果たさねばならない義務。玉座に座り、民を導くという役目が王にはある。アタランテを手に入れたヒッポメネスは必然的にアルカディアの王として、民を導かねばならない。

  外道、非道という手段を用いてきたイアソスも自分の為でもあったが国の為に役目を果たそうとした。

 

「その役目も捨てませんよ」

 

「なに?」

 

  ヒッポメネスは揺るがない。激怒するイアソスを前にしても表情も体も物怖じしない。

 

「代わりはいるでしょう?」

 

  代わり? 誰だと聞こうとーーー

 

  ザシュ

 

「え?」

 

  手に衝撃が走った。イアソスが自分の左手に視線をズラすとーーー手に剣が突き刺さっていた。

 

「ひ、あがあああああああっ!!?」

 

  皮膚を貫き、肉を抉り、骨を砕く激痛にイアソスは悲鳴を上げる。突き刺さる剣が手の甲を玉座の肘掛けへと縫い付ける。刺された部分から血が湧き出し、叫ぶ強さに比例して血の色が赤く見える。

 

「すいません。だけど仕方ないことですから」

 

  そう言って、イアソスの手に剣を突き刺したヒッポメネスは、ゆっくりと剣を引き抜いた。

 

「く、き、貴様!? なにをする!?」

 

  手の甲に風穴を開けられたイアソスは傷口を押さえながら、ヒッポメネスへと睨みつける。睨まれた彼は特に反応することはなく、剣についた血を振って払った。

 

「呪いなんてものじゃないですけど、戒めでしょうか」

 

「なにを言っている!」

 

  ヒッポメネスは左手の甲を指差す。最初何を言っているのか分からなかったが、それは左手の甲を見ろという合図だと知り、イアソスは突き刺された自身の左手の甲を見た。

 

「…なんだ、これは?」

 

  気がついた時には貫かれた手の甲には、禍々しい紋様が広がっていた。その紋様の形は貫かれた部分からまるで()()したかのようだった。

  イアソスの疑問に付き合うことはなく、あくまで自分の速度でヒッポメネスは話し出す。

 

「ここに来るまでの間、この城の中を探らせてもらいました。結構広くて大変だったけど、探し出すことは何ら問題ではなかったです」

 

  懐から小瓶を取り出した。その小瓶を見た瞬間、イアソスの目の色は変わった。

 

「それ、は…!」

 

「ええ、アタランテに使った毒ですよね?」

 

  幾つもの毒草を煮詰め、凝縮させた毒の液体。一滴一滴、ゆっくりと時間をかけてアタランテの肉体を蝕んだ原因。その毒の効力は作ったイアソス自身がよく知っている。

 

「これは、一気に体に流れたらそれこそ絶命する危険な毒。だからこそあなたは扱いに慎重になりながらアタランテへと毒を流し込んだ」

 

  小瓶を投げ捨て、ヒッポメネスはイアソスに突き刺した剣を掲げた。

 

「この剣にーーーその毒を塗らせてもらいました」

 

「貴様ァ!!!」

 

  無事な右手で掴みかかろうと身を乗り出したが、その前にヒッポメネスがイアソスの首を掴み、玉座へと押し付け戻した。

  剣に塗りつけて、手に突き刺した瞬間僅かな毒がイアソスの中へと流れ込む。その瞬間にイアソスの体は異常をきたし、死へと追い込まれる。なのだが、イアソスの体に異常はなかった。

 

「安心してください。()()()()()のそれですので」

 

  ヒッポメネスが指差すのはイアソスの左手に刻まれた紋様。禍々しい黒い紋様はーーー小瓶の中に入っていた、どす黒い液体の色と酷似している。

 

「言ったでしょう? 呪いではなく戒めだって。僕の意思、僕が死んだ時にその戒めは開かれーーー閉じていた毒は貴方の体に流れ込みます」

 

  戒めーーー魔術的呪いではなく、毒を一時的に紋様と言う形で閉じ込める。そうすることでイアソスの体の中にある毒は血流に乗ることもなく、肉に溶け込むこともない。その戒めを解く権限は、ヒッポメネスにある。

 

「ーーー何が望みだ」

 

「だから、代わりですよ」

 

  ああ、ああ、と納得したようにヤケになりながらイアソスは頷く。

 

「王であり続けろと、このまま私に王の役目を押し付け続ける訳か」

 

「ええ、そうです。僕に王冠も玉座も必要ない、僕が欲するのはーーーアタランテの安寧だけ」

 

  掴んでいた首を離し、ヒッポメネスは踵を返して去っていく。玉座には傷ついた前王が、広間には去ろうとする次代の王がいた。

 

「安寧か。自分で砕いておいて、傲慢なことだ。恥知らずめ」

 

  既に王としての顔はない。義父としての顔もない。ただただ自分の理想を壊し、己の理想の為に闊歩しようとする忌々しい男に侮蔑を吐く男がいた。

 

「ええ、だから僕はーーー全てをかける」

 

  彼女が愛をほしいといえばーーー愛を用意しよう。

 

  彼女が戦争に嘆き悲しむならーーー戦争を終わらせよう。

 

  彼女が神を疎ましいと思うならーーー神を殺そう。

 

  愛は此処に極まれり。

  悔恨は胸を蝕み、嘆く喉は掻き切れた。

  欲したものに届くことはないが、その代わりにできることはアタランテに幸せを贈ることだけ。

 

  その為に、ヒッポメネスは暴逆も冷酷も己に許す。

 

  夫として、妻の為に世界ですら捧げよう。

 

  それが、己の命と魂を貶めることになろうとも。

 

  ヒッポメネスは広間を去る直前、後ろへと一回だけ振り向いた。イアソスには決して向けることのない、笑みを浮かべながら口を開いた。

 

 

「ああ、前に僕に聞きましたよね? 国を背負う覚悟があるかって?」

 

 

 

「ーーーええ。彼女の為ならば、国も犠牲にします」

 

 

 

「彼女の為に、これからはいい父君を演じてくださいね? お義父さん」

 

 

 

  目には、濁ったような狂気の色が孕んでいた。

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  肌がやけに寒く、吐いた息には色がつきそうだった。昼間の熱と比べて、夜の空気は冷えて身震いを起こす。

  背中に人一人を背負い歩くものの温もりを感じるのは背中だけ。触れていない部分は寒さのせいで産毛が立っていた。

 

「……此処、は?」

 

  やがて寒さからか歩く振動からか、背中に背負っていたアタランテは目覚めた。

 

「やあ、おはよう。ごめんね起こしちゃったみたいだね」

 

「…ヒッポメネスか。此処はどこだ?」

 

「今は国の境目。時間は…あ〜、夜明け近くかな?」

 

「なぜ国の境目に…」

 

  起きたら背中に背負われて、しかも場所は国の境目。城で寝ていたらこうなったとは誰もが思わないだろう。

 

「…うん、ごめん。ちょっと僕の我儘で少し旅に出ることにしたんだ」

 

  完全に意識がまだ覚醒していないのだろう。魔術で強制的に眠りにつかされた副作用だろう。疑問を浮かべることが困難なのか、アタランテは短く「そうか」と呟いた。

 

「父は許したのか」

 

「あの人にはいずれ帰ってくるなら、と約束を取り付けたら納得してもらったよ」

 

  また「そうか」とアタランテは呟いた。

 

「…私が旅に同伴するのは、お前の意思か」

 

「うん。一人旅は寂しかったから、君についてきて貰いたいけど…嫌なら引き返すよ」

 

  立ち止まり、ヒッポメネスは肩越しに背負うアタランテの顔を覗いた。アタランテの瞼は重く、半分しか開いていなかったがそれでも瞳の色は見えた。睡魔により輝きが薄い瞳はヒッポメネスの瞳と交わり、背けられた。

 

「…構わない。同伴しよう」

 

「ありがとう」

 

  前を見てヒッポメネスは再び歩き出す。

  しばらく歩くと空の色が徐々に明るくなり始めてきた。やがて地平線には太陽が顔を出して、月は地平線の奥へ去っていくだろう。

 

「汝は、何がしたかった」

 

  唐突の問いかけにヒッポメネスは足を止めず、振り替えらずに答えた。

 

「何がって?」

 

「王になりたかったか、名誉がほしかったか、それとも私がほしかったのか。こうして旅に出る以上、手に入れたそれらは意味をなさんぞ。…いや、私があるか」

 

  自嘲するような声音にヒッポメネスは振り向かなかった。だが、その問いにヒッポメネスははっきりと答えた。

 

「君だから、かな」

 

「は?」

 

「うん。この答えが一番しっくりくる」

 

  自分だけ納得するように、ヒッポメネスは頷いた。アタランテは何が言いたいのか理解できなくて、ただ背負われたまま道を進む。

 

「君だったから、僕は今こうしている」

 

  「分からなくていいよ」と無理やり打ち切って、ヒッポメネスは歩みを早くする。有無を言わせない雰囲気にアタランテは黙った。

  答える気がないのか、答えたくないのかは分からない。よく分からなかったが今は眠たい、ゆえにアタランテは黙り、睡魔に身を任せ瞼を閉じる。

 

  再び眠りにつき、寝息を立てるアタランテを背負い直し

ヒッポメネスは歩み続ける。

  丁度太陽が地平線から現れ、正面からヒッポメネス達を日光が包む。その姿は希望に満ち、光に向かおうとしている者のように見えた。

 

  決してそんな、清らかなものではなかったが。

 

 

 

 

  こうして逸話は完成され、後世に伝えられた。

  その裏で起こったことなど、誰も知らない。ただその逸話には純潔の狩人が負けて、卑怯者の男の妻になってしまったという悲劇が綴られていた。

 

  その物語の主人公である彼女は知らない。物語の裏で起こった醜い争いと葛藤を。一人の男の流した涙の跡を知らない。

 

  そして、今後も知ることは決してなかった。

 

 




Q.後悔はしていませんか?

A.解答者ーーー0人。もう一度、該当者を募り検討してください。


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追撃の為に

Q.オッケー! カモンベイベー!?

A.
ヒッポメネス「イエーーー!!!」
アタランテ「・・・・・」
ヒッポメネス「どうしたの?」
アタランテ「乗れと? これに?」


  酷く、長い夢を見た。

  青年が後に英雄の一人として語られる出来事をビデオを視聴するように頭に流れてきた。

  カウレスは目覚めたばかりだというのに肩の重みを感じた。

  あれがヒッポメネスとアタランテの馴れ初め。

  サーヴァントとマスターの契約によって繋がった因果線による記憶の共有は、思いの外負担がかかるとカウレスは理解した。

 

「カウレス君、おはよう〜」

 

  部屋の隅で霊体化を解いたバーサーカー(ヒッポメネス)。昨日見張り台で眠り落ちてしまったはずだ。バーサーカーは眠りに就く前のマスターの言いつけ通り、カウレスを自室のベッドまで運んだのだった。

 

「ああ、バーサーカーおはよう」

 

「よく…眠れていないようだね。嫌な夢でも見たのかい?」

 

「…そういうわけじゃないけどな」

 

  カウレスは立ち上がって、机に置いてあった眼鏡を掛けた。

  さて、休憩は十分取れた。“赤”の陣営ーーーいや、天草四郎時貞への巻き返しの時だ。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「…やっぱり飛行機は難しいか姉さん」

 

「ええ、やっぱりというかままならないものね」

 

  血族の魔術師との情報連絡、そしてユグドレミニアの資産から使用できる飛行機の数と調達の期間を考えても三日かかる事が判明した。

  いち早く天草四郎の思惑を打破せねばならないというのに動くことができないことに歯がゆい思いであったが、その前にやらねばならない問題も判明した。

  フィオレとカウレス、そして雑務を手伝うアーチャーとバーサーカーがその問題に頭を悩ませる。

  他の者に相談したいが残りの血族であるゴルドは未だ血族用の会議室に顔を出していない。

  ホムンクルスの一人に聞くと、ホムンクルス全員の肉体の調整に朝方まで掛かったそうで現在深い眠りについているそうだ。

  あのゴルドがそんな事をしたのも驚きではあるが、ここでゴルドに相談したところでいい案があるとは思えないのでこのまま眠らせておく事にした。

 

「やはり、ルーラー達と相談すべきですね」

 

「フィオレさん、“赤”のセイバーとそのマスターには相談しないんですか?」

 

「ダメです。魔術協会の獅子劫界離に借りを作れません」

 

  ユグドミレニアと魔術協会は敵対関係であり、協力体制を敷くとなると情報を開示しなければならない。それを避けたいフィオレは獅子劫への協力を却下した。

 

「ルーラーと“赤”のセイバーを除くサーヴァントがいれば戦力的に問題はないでしょうし、それで構わないでしょう」

 

「確かに相手が一騎でこちらはホムンクルスのジークを含めば五騎だからな、大丈夫だろう」

 

「ええ、ではアーチャー、バーサーカー。申し訳ありませんが彼女達に連絡をお願いしてもよろしいでしょうか?」

 

「はい、お任せください」

 

「うん、任せて」

 

「先ほどルーラーが城塞へ入ったと聞きました。恐らくジークの部屋でしょうからそちらへお願いします」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  アーチャーとバーサーカーは共にジークの自室…というよりライダーの部屋に向かっていたが、途中でやんややんやと騒がしい喧騒が廊下へ響いてきた。

  言い争っていると思わしきは二人。アーチャーと共に開きかけの扉の隙間から顔を覗かせると。

 

「ジーク君は子供なんです!サーヴァントである貴女がしっかりしないと悪影響となるでしょう!!」

 

「マスターは子供じゃないよ!立派な大人さ!大体悪影響ならノックもせずに勝手に入ってきた君だろう!朝からボク達の寝室に入ってくる君が破廉恥だ!」

 

「ノックはキチンとしました!貴女が寝ぼすけなだけです!それと今は昼です!あと軽挙妄動は慎むように!」

 

「断る!ボクはマスターと寝る事で闘志が沸き立つんだ!」

 

「そんな闘志あるわけないでしょう!!」

 

「おや。修羅場ですか?」

 

  口を押さえてくつくつと笑うアーチャーの姿は珍しい。不意に掛けられた声にルーラーとライダー、そしてライダーのマスターであるジークがアーチャーとバーサーカーの姿を認識した。

 

「やあ、疲れは取れているようだね。…いや、逆に疲れているのかな?」

 

「バーサーカー!!」

 

  バーサーカーの軽口にルーラーは激昂した。ライダーは何故か誇らしく胸を張り、ジークは言葉の意味が分からずに首を傾げた。

 

「もう、貴方までそんな冗談はやめて下さい」

 

「ごめんごめん。で、何があったんだい?」

 

「それは…どうでもいいことです。それよりも貴方達に聞きたいことがあるのです」

 

 

 

「夢の中で殺されかける、か…」

 

  ジークから説明された夢の詳細、“黒”のセイバー(ジークフリート)から心臓を貰い受けた日から、夢の中で自身がジークフリートとなり、悪竜との激闘を繰り広げられている。

  胸を抉られ、口から吐かれる猛火に身を焼かれる痛みに悶え、反撃しようにも通らない鋼鉄の甲殻に絶望を覚える。

  濃く鮮明に感じる世界は現実と変わりない程らしい。

  神々の知識を会得する“黒”のアーチャー(ケイローン)と魔術を扱う“黒”のバーサーカー(ヒッポメネス)に夢の解析を依頼するのだが。

 

「予め言っておきますが、断言はできません。と言うのもジーク、貴方は間違いなく世界で唯一無二、過去の聖杯戦争の歴史から見ても一度たりとも有り得なかった存在です」

 

  初めての現象であり、未知数。ジークの肉体がどう変化するのも完全に予測することは難しいのだ。

 

「死に体であった貴方はジークフリートの心臓により生き延び、ヒッポメネスの黄金の林檎によりサーヴァントへと昇華するまでに進化しました。

  問題は、心臓。その心臓は本来なら“黒”のセイバーの消滅と共に消え去る。だが、心臓は貴方の魔術回路に結びつき、一種の受肉した状態になっています」

 

  アインツベルンのホムンクルスは自己管理能力を持った聖杯の器、即ち小聖杯としての機能を持っている。

  だが、その機能はゴルドとダーニックが此度の聖杯大戦で不要と判断し、構造的には器となれる程度に設計された。

  ジークもそれは例外ではない。サーヴァント一騎ですら受け止められない器であったが、サーヴァントの臓器一つ分ならば、受け入れることが可能となったのだ。

 

「その夢も間違いなく心臓の影響なのでしょう。問題はそれがただの夢であるかどうか。ジーク、貴方はどう思いますか?」

 

「ーーーいや、違うだろうな。あれは、夢ではない」

 

  そう言い切るジークには確証がある。夢ならば、竜と会う前に契約を結ぶライダーの生前の記憶を見ていたのだ。

 

「なるほど、バーサーカー」

 

「はい」

 

  アーチャーに言われバーサーカーは小剣を抜いた。ライダーとルーラーはそれに反応し、思わず戦闘態勢を取ってしまった。

 

「何をするつもりですかバーサーカー!」

 

「ちょ、なんで剣を抜いてんの!?」

 

「落ち着け、二人とも」

 

  二人を諌めたのはジークだった。

 

「バーサーカーは水の属性に特化した魔術師だ。俺の心臓の侵食具合を確認するために魔術礼装である剣を抜いたに過ぎないのだろう」

 

「その通り。さすがだねジーク君」

 

  バーサーカーの意図を理解し、ほっと息を吐くルーラーとライダー。その二人を受け流し、バーサーカーは小剣の切っ先を僅かにジークの胸に突き刺した。

 

「…調べると分かっていても、胸に剣が突き刺されているのは心臓に悪いですね」

 

「ねえ、バーサーカー?大丈夫だよね?グサっといかないよね?」

 

「君達が騒いで体勢が崩れたらグサっといくかもね〜」

 

  二人は大人しく行く末を見守ることに決めた。バーサーカーは魔術礼装でもある小剣に魔力を流し、詠唱を紡いだ。

 

淵源=波及(セット)

 

  ぞるり、と魔力がジークの血管に流れる。魔力に意識を転移させ、バーサーカーの意識はジークの設計された幼い肉体中を駆け回った。動脈から静脈へと流れ、大静脈から右心房へと目指す。

  黒く、濃く、重くなるような血の流れの先に一点の収束した力を感じ取る。

  暴虐。そう暴虐だ。あの収束した力は暴れ狂っている。細胞の一つ一つを大人しく、抉るように侵食している。

  あれに触れてはならない、と本能で感じた。指先の一片でも触れたりしたら、あの暴虐がこちらまで食らいついてくる。

 

  ーーーこれは、不味いかな?

 

  暴虐の正体に気づき、ここに用はないと意識を本体へと戻させようとした。

  しかし、立ち止まった。

  侵食しようとした細胞の下から、暴虐とは異なる猛威が溢れ出た。

  暴れず、狂わず。暴虐を抑え込むように猛威は包み込み、血流の終着点へと押し戻した。侵食された細胞は濁ったように黒ずんでいたが、再び湧き出た猛威が細胞の上へと溶け込み、正常な細胞により若く、強く、美しく変貌した。

  あの猛威は何なのか、いや、バーサーカーは知っていた。

  充分にジークの中に起こっていることを理解し、次こそバーサーカーは意識を本体へと戻した。

 

「…よし、そういうことか」

 

  目の前にはジークの姿、周りのルーラー達が心配そうに見つめていた。

  意識が完全に戻ったことを認識し、バーサーカーは小剣に力を入れた。

 

「ごめん、ジーク君。ちょっと我慢して」

 

「なに?」

 

  小剣を並行に動かし、真横にジークの胸を斬った。

 

「「ジーク(君)!?」」

 

  ジークの胸に横一線に斬られた傷口から血が流れ落ちる。少量とも言える血量がジークの座っていたベッドのシーツに染み込む。

 

「なにやってんのさバーサーカー!?ジークになんてことをーーー」

 

「ライダー、ジークの傷を見なさい」

 

  怒り、食ってかかろうとしたライダーが見たのは。

  傷口が既に塞がっているジークの胸だった。

 

「あ、あれ!?さっきまで血が流れていたよね!?」

 

「はい、確かに傷がありました。ですが、ものの数秒で完全に治癒されました…。これは…」

 

「ーーー黄金の林檎の影響ですね。バーサーカー」

 

  アーチャーが一瞬で傷口が治癒されたジークの現象を一瞬で理解した。

  バーサーカーは頷いて肯定した。

 

「彼の中で見たのは“黒”のセイバーの心臓がジークの肉体を侵食しようと暴れていることと、それを抑え込み整えようとしているリンゴの力でした。

  僕の宝具『不遜賜わす黄金林檎』の触媒たるリンゴは本当の果実とは違い劣化しています」

 

「口にしても不老不死には至らないということか?」

 

  黄金のリンゴを直接口にしたジークは己の肉体の様子を確かめる。

  心臓の鼓動、筋肉、神経回路、魔術回路の全てに異常は見られない。寧ろ調子がいいぐらいの快活さだ。

 

「宝具のリンゴの効果は『進化』。肉体を人類最高峰の物へと成長させ、最善の状態を維持する力を宿す。だからセイバーの心臓を持つ君は進化し、ジークフリートへと“為れた”。さっきの傷の治癒もリンゴの力が今でも君の肉体で働いているから成せた事象なんだ」

 

「でもさぁ、それを見せるならもっと僕達が安心できる確かめ方をしてよ。思わず槍で胸を貫いてやろうかと思っちゃったじゃないか」

 

  ライダーの物騒な発言に冷や汗をかきながら、ジークの肉体の変化の語りを続ける。

 

「僕の見立てはジークの見た夢は近いうちに収まると思うよ」

 

「え!本当に!?」

 

「黄金のリンゴが心臓の血を馴染ませようと働いていたからねぇ。徐々にジークの肉体に落ち着いて悪夢も自然と収まるだろう」

 

「…ですが、ジーク君がもう一度ジークフリートに為った場合は?」

 

  ルーラーの懸念はそこに尽きる。ジークは既に“黒”のセイバーに二回為っている。

  もし、今後“黒”のセイバーに為り続けたら?

  心臓の侵食が進み続けたら?

  ジークの命は、どうなるのだろうか。

 

「それこそアーチャーが言った通り未知数。だが、あまりお勧めしないことは確かさ。英雄の末路なんて大抵が悲惨なものだからね。人が英雄に近づくほど運命は残酷を好んでくるから」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ジークの診察を終え、ルーラーとライダーをフィオレの指示通りに血族用の会議室へと連れてきた。

  ルーラーとライダーは当初、空中庭園へ乗り込むための飛行機が準備されたと思っていたが、飛行機はまだ準備されておらず、準備される前にとある一つの重要な案件が残っていることを告げられた。

 

「アサシン?“黒”のアサシンがどうなされたのですか?」

 

  “黒”のアサシン。ユグドミレニアの魔術師である相良豹馬のサーヴァントであり、真名を“ジャック・ザ・リッパー”。

  その“黒”のアサシンなのだが。

 

「情けない話、アサシンのサーヴァントを奪われたようなのです」

 

「おおう、本当に情けないや」

 

「…はっきりしていることが一つ、アサシンは暴走しています」

 

  ライダーの感想をできるだけスルーしつつ、バーサーカーがルーラーとライダーに新聞紙を運んだ。渡された新聞紙の記事を見てルーラーの顔が渋くなった。

 

  ーーールーマニアの切り裂きジャック、未だ正体掴めず。

 

  時に下世話な記事を載せる新聞紙も真実を語るときがある。 記事の通り、この犯行を行っているのはジャック・ザ・リッパー本人である。

 

  元々このジャック・ザ・リッパーはマスターであった相良豹馬がアサシンとして呼ばれるハサンに限界を感じたために打開策として呼び出した英霊である。

  ジャック・ザ・リッパーは最新の英霊にして、英国最大のミステリーである。ジャックが男なのか女なのか分からない殺人鬼。これまでの聖杯戦争で誰一人として召喚したことがないアサシンである。

 

「その新聞紙の記事で“黒”のアサシンがルーマニアに到着しており、魔術師とは思えぬ振る舞いを行っていることが分かった私達は調査に赴きました」

 

「結果は“赤”のセイバーと交戦となりアサシンには逃げられるわ、しかも“赤”のライダーとアーチャーが接近してくるわで散々だったよ」

 

  姉弟揃って苦々しい思い出なのか同時に顔を顰める。姉はアサシンを逃したことにより被害が拡大していることに、弟は“赤”の二騎が接近してきた恐怖に。

 

「…そして先ほど、トゥリファスの街にいる血族から一報が入りました。昨夜、我々が“赤”の側と交戦する直前、街に潜伏していた魔術師たちが連絡を絶ってしまったようです。数は十人、そのほとんどが一流には及ばずとも練達の魔術師でした」

 

  “黒”のマスターとして選ばれなかったものの、十人の内の何人かはカウレスよりも実力があり、家の歴史も古い魔術師だった。

 

「ルーラーとライダー、貴方達に頼みたいのは」

 

「“黒”のアサシンの討伐ですね」

 

  ルーラーとしてもこの事態を逃すことはできない。裁定者として呼ばれた特殊なサーヴァント。聖杯戦争が正しく行われるためのバランサーである彼女は“黒”のアサシンの行動は既にペナルティを課すべきものだと判断した。

 

「分かりました。“黒”のアサシンは速やかに排除します。ルーラーとしての役割を果たしましょう」

 

  ルーラーの言葉に頷き、フィオレは付け加えるに、と言葉を繋げた。

 

「“黒”のアサシン捜索および討伐に使用できる時間は飛行機を調達するまでの三日間。それ以降は『庭園』の追跡に時間を要しなければなりません」

 

「それってつまり、『三日以内に出発したいなら、協力しろ』って言ってるじゃん」

 

「我が家の家訓に『立っている者は鼠でも使え』という言葉があります」

 

  しれっと澄ました風に言うフィオレにルーラーはわずかな苦笑を漏らすも別に問題はないと判断して一つの自身の懸念をフィオレへと申した。

 

「アサシンの討伐に何の問題はありませんが、ジーク君の参加を見逃す方向でお願いします」

 

「…彼にも手伝って貰いたいところですが、そうですね。あのホムンクルスが“黒”のセイバーを憑依できるのは残り三回と聞いております。アサシン一騎に使うこともないでしょう」

 

  ルーラーはジークの安否が確約され内心でホッとする。

 

「それでは貴女達に私たちが交戦した“黒”のアサシンの情報を…」

 

  途中でフィオレの言葉が途切れた。何事かと全員がーーーいや、アーチャー以外の全員が彼女に注目する。

 

「アーチャー」

 

「ええ、マスター。私も貴女と同じ状況です」

 

  フィオレとアーチャーが自分達のみが分かる会話を始めた。それを真っ先に質問したのはカウレスであった。

 

「姉さん、どうしたんだ?」

 

「…“黒”のアサシンのステータスが、思い出せないの」

 

「ステータスが?」

 

「いえ、それどころかアサシンの姿すら思い出せない。()()()()()()()()()

 

「…アサシンの固有スキル、または宝具か」

 

  一度見たはずの情報を忘却、または消失させる能力。“赤”のセイバーも自身の真名を隠す能力を持つ宝具を有していた。“黒”のアサシンもまた自分の能力を隠匿させる宝具ないしスキルを持っていた。

 

「これはまた厄介な力の持ち主みたいだね」

 

「じゃあ僕達はアサシンの真名を知っているだけで後はなーんにも分からないってこと?」

 

「その通り…ですね」

 

  ライダーの言葉にフィオレは陰鬱な表情で頷く。しかし、アサシンを無視するわけにはいかない。彼らがアサシンの討伐に取らなければならない行動は。

 

「探すしかありませんね」

 

  ルーラーがきっぱりと宣言した。皆が他にいい案を出せない以上、それ以外にやれることはない。

 

「それではこちらで当世風の服を用意します。そちらは目立たぬように行動を」

 

「あ! なら新しい服がほしい! 最新流行で斬新でコケティッシュなやつで!」

 

「…ライダー? 遊びにいくわけじゃないんですよ」

 

  フィオレの視線が途端に冷たくなる。いや、隣に座っているはずのルーラーの視線も絶対零度まで降下するもそれを気にするライダーではなかった。

 

「分かってる分かってる! あ、マスターを連れて行きたいナー」

 

「ライダー、ジーク君は留守番だよ。 さっきルーラーが言ったじゃないか」

 

  フィオレとルーラーの目元がひくつき始めたのを見たバーサーカーはライダーを止めに入った。というよりもこの中で一番ライダーと付き合いが長いバーサーカーにカウレスがなんとかしろと念話を送ってきたのだ。

 

「えー、でも今から昼だし夕方まで時間があるよ。 ちょっと遊びにいくだけでーーー」

 

「今日でアサシンを討伐できたら残り二日間はジーク君と遊び倒せるよ」

 

「よーし行こう! ぱっぱっとジャック・ザ・リッパー退治だ!」

 

  やる気が急上昇したライダーに全員のため息が溢れる。それにしてもこの男の娘単純である。

 

「んじゃ、バーサーカー着替えよう! さっさと街へ繰り出すよ!」

 

「いえ、バーサーカーにはこの城塞で待機してもらいます」

 

「え? なんで?」

 

「もしバーサーカーが単騎でアサシンと相対した時に勝てるかどうかが分からないからです」

 

  どのような姿かは覚えていないがフィオレとアーチャーはアサシンが“赤”のセイバーと渡り合っていたことだけは記憶していた。

  昨日の戦いでライダーと共に“赤”のセイバーと戦ったバーサーカーだが後少しジークの助太刀が遅かったら脱落しているところだった。

 

「仮にアサシンが“赤”のセイバーと同等の技の使い手ならバーサーカーが敵うかどうか分かりません。 ここに四騎のサーヴァントがいるのであれば一騎はここで万が一の奇襲を予想して残したほうが無難だと思い、バーサーカーには残ってもらうことにしました」

 

「アサシンを倒せるかどうかは分からないけど、援軍が来るまでは持ち堪えれることはできそうだからね〜」

 

  アーチャーは実力は語るまでもなく、スキル『単独行動』を持っているためもし一人で戦うこととなっても切り抜けられる。

  マスターが必要なく実力もあるルーラーも問題ない。

  ライダーは豊富な宝具を保持しているため、いざという時に対処ができるはずだ。

  バーサーカーの宝具である『不遜賜わす黄金林檎』は対象を引きつける能力だがサーヴァントを脱落させれるかどうかと問われれば微妙な実力である。

 

「うーん、そうかぁ。この際バーサーカーと遊びにいこうかと思ったのに」

 

「それはアサシンを討伐してからね?」

 

  呑気にするライダーに頭を痛めはじめるフィオレとルーラーを思い宥めるバーサーカー。

  彼も自分がライダーのストッパーもとい世話係的立場となるとは召喚当時は思わなかっただろう。

 

「…ともかく。そういうことなのでアーチャー、ルーラー、ライダー、カウレスと案内係のホムンクルスでアサシンの捜索をお願いします」

 

  話が逸れそうになりながらもこうしてアサシンの討伐計画が開始された。

  …上手くいくかどうかは分からずとして。

 

 

 

 




Q.一目見た時に「あ、この人実は性欲強そうだなー」と思っちゃった人を聖杯大戦参加者の中から答えてください。

A
ヒッポメネス「“黒”のランサー」
アタランテ「“黒”のランサー」
ヴラド三世「謂れのない誹謗中傷!?」

“黒”のランサーファンの人はごめんなさい。


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濃霧の古城

Q.伯父であるオリオンについてどう思っています?

A.
ヒッポメネス「尊敬しているよ〜。お祖父様の息子の中で最も有名な英雄であり、星座となった名高き狩人。愛に生き、愛ゆえに命を散らした人だけど八面玲瓏と名高き女神アルテミスを射止めたほどの美貌の持ち主だったらしいねぇ。アタランテに縁がある女神、そしてオリオンの甥である僕。ちょっとだけ繋がりがあるから子供の頃より憧れが強くなっているだよねぇ。オリオン伯父さんとアルテミス様ってどんな人だったんだろう?」

マシュ「…あの、先輩」

ぐだ「会わせるな、絶対に阻止しろ」

オリオン(?)「あれ〜? なんかオリオンにちょっと似ているようなーーー」

クマ(?)「バカ! やめろ! 今は会いたくないですお願いします!!」


「暇だ」

 

  そう呟いたのは“赤”のライダーであった。大きく口を開けて欠伸をする姿は大英雄とは思えず暇を持て余す一人の青年としか見えなかった。

 

  現在、休むことなく空中を移動し続ける『虚栄の空中庭園』ではすることもなく、ただ“黒”の陣営の襲撃を待つだけの時間が流れていた。

  ちなみに“赤”のランサーは夜空に浮かぶ星空を眺め続け、“赤”のキャスターは本職(サーヴァントの役割ではない)である執筆活動に勤しんでいる。

  そして、“赤”のライダーと同じく暇を持て余している“赤”のアーチャーはというと。

 

「・・・・・」

 

  ただ黙々とバスケットのなかの林檎を食べている。この林檎がたくさん詰まったバスケットは“黒”のアサシンを探しにシギショアラに赴いた際、拾ったものである。

  林檎を食べ終え、もう一つバスケットから取り出そうとしたが先ほどの林檎で最後だったためアーチャーの手はからぶるだけであった。

 

「…空か」

 

「姐さん、さっきので十一個目だぜ? まだ食べるのかよ」

 

「することもなく手持ち無沙汰でな。 汝も同じであろう」

 

  ライダーはそりゃそうだなと適当に返した。大英雄であろうと暇には勝てるものではないらしい。

 

「退屈ですか?」

 

  退屈に心を腐らせていた二人に“赤”のアサシンを連れたシロウがやってきた。

 

「まあな。 “黒”の連中は三日後に到着する話だったよな」

 

「そうですね。 恐らく彼らは空中庭園に追いつくだけの“馬”を用意せねばなりませんからーーー状況によってはもう少し伸びる可能性もあります」

 

  ライダーとアーチャーの不満の声が同時に漏れた。その様子に逆にため息を吐いたのはアサシンであった。

 

「たかだか三日だろう。 武人の英雄は堪え性がないのか?」

 

「喧嘩売ってんなら喜んで買うぜ」

 

「まあまあ、お二人とも。 そこで一つ、アーチャーにはお願いしたいことがあるのですが」

 

「…む?」

 

  シロウからの“お願い”に怪訝そうなアーチャーは顔を顰めた。

 

「“黒”の側の斥候へ出て戴きたいのです。 本来なら『気配遮断』を持つアサシンが適切なクラスなんですが…」

 

「ああ、アサシンはアサシンでも“コレ”ではな」

 

  シロウが言いたい事を察し、横目でアサシンのクラスである最古の毒殺者、アッシリアの女帝を見る。

 

「気配を遮断できるかどうかも怪しいもんだし、仕方ねえな!」

 

  ガハハと笑うライダーとしれっと笑うアーチャーにアサシンの機嫌が瞬時に下がっていく。それを宥めつつシロウはアーチャーに言った。

 

「そこで、貴女が斥候に適役だと思うのです」

 

「なあ、俺はどうーーー」

 

「向いておると思うのか? お前ほど斥候に向いていない英雄はいないと断言してやろう」

 

  ライダーを酷評するアサシンの顔はそれはとてもいい笑顔であった。

 

「ふむ。 だが、帰りはどうすればいい」

 

「私が貴女のマスターである以上、精神的に繋がっています。 念話でよびつけてくれれば令呪で引き戻しますよ。 あちらのルーラーに何かを命じられても、こちらの令呪で封殺できます」

 

「そのような些事で令呪を使用していいのか?」

 

「構いませんよ。私は他のマスターから令呪を継承したため、ルーラーとして召喚された彼女とは違い、一騎のサーヴァントに全ての令呪を集中することもできます。 バーサーカーの分がありますから、一画程度では問題ありません」

 

  まさに大盤振る舞いである。 斥候程度で貴重な令呪を使用できるほどの数がシロウの腕に集中しているのである。

 

「ふむ、まあいいさ。 斥候程度、引き受けよう」

 

「それでは、お願いします」

 

  霊体化し、アーチャーは空中庭園から出て行った。

 

「なあ、シロウ。 この際ランサーを斥候に出しても良かったのではないか?」

 

  アーチャーの気配が完全に消え去ってからアサシンがシロウに自身の懸念を口にした。

 

「あちらには“黒”のバーサーカーがおる。 そしてどうやらあの男はアーチャーの悲願を知っておった。 最悪の場合アーチャーが裏切ることも考えられるのではないか?」

 

「おいおい女帝さんよ、姐さんがあんた達のような真似をするって言いたいわけか?」

 

「では貴様は無いと言い切れるのか? せいぜい同郷の英雄である程度の貴様が」

 

  とことん噛み合わない、仲が悪い二人である。 シロウは二人を宥めつつアサシンの疑問に答える。

 

「かもしれませんね。 彼女の願いは私の願いに沿うものだとしても最悪の場合、そうなることもあるでしょう」

 

「ならばなぜアーチャーに行かせたのだ?」

 

「…私はアーチャーとバーサーカーの間に何があったのかは分かりませんが」

 

  シロウはバーサーカーと二度相対し、そして彼の言葉、アーチャーへ向ける表情から一つの可能性へと辿り着いた。

 

「バーサーカーは彼女の願いを否定できても拒絶することはできない、と思ったのですよ」

 

  確信に近い思いをシロウは持っていた。 天からの啓示かまたは直感か。 アサシンとライダーはシロウの言葉に反論することはなく、ただ去っていったアーチャーの吉報を待つことにした。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ルーラー達がトゥリファスの街へとアサシンを探しにいき、情報のやりとり、血族達への情報の交換、魔術協会の情報隠蔽を行うフィオレの手伝いをバーサーカーは行っていた。

 

「バーサーカー、その書類を取って」

 

「はい」

 

「ごめんなさい、それではなくてその大きめのやつをお願い」

 

「これだね、あとさっき言われた通りに書き写したものがこれだよ」

 

「ありがとう。 あと、こちらに必要でない書類ができたから証拠隠滅のために燃やしておいて」

 

「分かったよ」

 

  古代の様式とは違う用紙に書かれた文字を理解しつつ、“黒”のアーチャーと比べると遅いものの現代の事務作業に適応しつつあるバーサーカーに本当に狂戦士のクラスなのかと再三の疑問を思い浮かべつつ、仮の相棒と情報整理を順調に行うフィオレ。バーサーカーはフィオレに頼まれ、魔術を起動させて用紙を燃やして灰へと変えていた。

 

「カウレス君…というより、ライダーは大丈夫かなぁ?」

 

「それはアサシンと対面した時のことですか、それとも問題を起こさないかですか?」

 

「多分君が思っている方と同じだと思うよ」

 

  フィオレは間違いなく後者であった。

 

「…貴方の方を行かすべきでしたか?」

 

「いや、ライダーを行かせて正解だと思うよ。 触れれば転倒する騎乗槍に魔笛、魔導書に幻馬。 あの豊富な宝具があれば大抵は生き残れるしね。 僕の宝具はまともなのが『黄金の林檎』しかないからね。 離れたサーヴァントをいざという時に呼び出せるから僕をここに残して正解さ」

 

「そう、ですか。 それならルーラー達が良き報告を届けてくれることを待つのみですか」

 

「そうだね。 あ、僕は次になにをすればいい?」

 

「…貴方に任せる仕事は、今はありませんね。 少しほど休憩なさいますか?」

 

  サーヴァントに休憩は必要ない。魔力があれば傷も修復できる。体力も魔力があれば戻るのだ。フィオレは冗談のつもりでそう言ったのだが。

 

「あ、そう? ならちょっとジーク君達の様子を見てくるよ」

 

「え、ちょっ…」

 

  霊体化して、会議室を去っていった。会議室にはフィオレと手伝ってほしかった仕事の数だけが残っている。そうして、フィオレは思い出した。

 

  バーサーカーだけが、ライダーの無茶振りに付き合えていたことを。

 

「貴方はライダーと通じるものがあったのですね…」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  城塞内を歩き、ジークの姿を探していたがそれは直ぐに見つかった。

  見れば少女型のホムンクルスと模擬戦を行っていた。少女は木槍を持ち、ジークは“黒”のセイバーの大剣を模しているのか木剣を持っている。

  戦況は互角とは言えず、少女の方が圧倒的に強い。眺めている内に既に三度ほどぶっ飛ばされていた。

  ジークの脇腹に木槍が直撃し、吹き飛ばされたのを見計らい、近くで霊体化を解いた。

 

「む、バーサーカー」

 

「や、君は…」

 

「私の名はトゥールだ」

 

  名前を尋ねようと思ったがホムンクルス全員に名が無い…と思い出したところで少女の方から名乗られた。

 

「トゥール。 それは君が自分で?」

 

「いや、ゴルドが名付けた」

 

「ゴルドさんが?」

 

  バーサーカーはゴルドがホムンクルスに名を与えたことに驚いた。

  ホムンクルス達はユグドミレニアの魔術師達から解放されたが、フィオレとの交渉の末、細かな作業を手伝うという条件付きでここに住まわせて貰っている。

  その際に一人一人が少しでも延命できるようにとゴルドが手伝っていると聞き及んでいたが…まさか名付けまでしていたとは。

 

「ああ、色々あってな」

 

「そうか…、それじゃあトゥールちゃん。 君達は何をしていたんだい?」

 

「ジークに剣に慣れる為に戦い方を享受してほしいと頼まれてな」

 

「バーサーカーか」

 

  ジークがよろよろと力無く立ち上がったところから、かなりトゥールにしごかれたのだろう。バーサーカーは内心その様子に苦笑した。

 

「やあ、調子はどうだい? 見た限り元気のようだけど」

 

「見た限りだ。かなり、ひどい」

 

  うな垂れたジークには力が無い。体力的な問題ではなく、精神的に痛いようだ。

 

「まあ、少し君の様子を見させて貰ったけど君がトゥールちゃんに勝つのは少なくとも3ヶ月ほど鍛錬を積まないといけないかな?」

 

「…やはり、そうか」

 

  全て把握していないが何故ジークが模擬戦を行っていたか、バーサーカーは分かっていた。ただ守られているだけでは、“黒”のセイバーの心臓を受け継いでしまっているだけでは自らを受け入れきれないのだろう。

  元々短命であったが、セイバーによって救われた。そして、セイバーの力を持ってしまった。それゆえにその力に見合う実力を持ちたいのだ。

  そして、ライダーとルーラーと共に前線に立ちたいのだろう。

 

「ジーク。 悪いことは言わないがサーヴァントとお前ではどう逆立ちしても敵うものではない。 このバーサーカーもこんな風でも闘争と殺害に特化した存在だ。 相対した場合すぐにでも身を隠せ」

 

  トゥールの言い分はかなり正論だ。魔術師、人間では彼らを傷つけることすら叶わない。それほどの明確な実力差がある。

 

「分かっているつもりだが」

 

「どうだかな、本当に分かって…、どうしたバーサーカー?」

 

「いや…、こんな風でもって…」

 

  バーサーカーは地味にトゥールの言葉に傷ついていた。自分でも自覚していたことだが、悪意もない言葉がやけに突き刺さる。

 

「ん、んん。 まあ、鍛錬はいいことだと思うよ? 付き合うトゥールちゃんは大変かもしれないけど、一時間でも身についた技がいざという時に光ることもある。 サーヴァント相手だって、傷つけれることもある。 …実際ジーク君は“赤”のセイバーに一太刀くれてやったからね」

 

「…そういえばそうだったな」

 

  バーサーカーが開けた鎧の亀裂から差し込むように突き刺した細剣がセイバーを傷つけた。バーサーカーの功績のほうが大きいが、それでも英霊相手に刃が届いた証明だ。

 

「そんなに落ち込まなくてもいいよ。 いざという時はもう一個黄金の林檎を食べてみるかい?」

 

「いや、それはどうなんだ?」

 

  自分の宝具を気軽に勧める英霊もどうなんだろうと若干困りはじめるジーク。気楽に笑うバーサーカーにトゥールは『やはりこんな風でも英霊なのだな』と毒づいていた。

 

「さて、君の様子も見れたしそろそろフィオレさんの元へ…」

 

  ピタリとバーサーカーの動きが止まった。彼の目線は辺りを包み始めた霧へと向けられている。日が沈みかけ、気温も下がりはじめたからか霧が立ち込めはじめた。最初はジークもトゥールもそう思っていたが、霧が徐々に深く、広く、立ちこもり始めてーーー

 

「…霧じゃない!?」

 

  霧にしては尋常ではない発生の量だ。ものの数秒で城塞を包み込むように立ち篭ってきた深い霧にジークとトゥールも異常なのだと気付いた。

 

「ーーー逃げるよ!!」

 

  素早く二人を抱え上げたバーサーカーが颯爽と城内へと押し込んだ。

 

「バーサーカー、これは…!!」

 

「僕はフィオレさんの元へ行く! 君は他のホムンクルス達を城内へ引き摺り込んで!」

 

  ジークの相手をせず、伝えることだけ伝え霊体化して消えたバーサーカー。 先ほどの穏やかな会話とは裏腹の緊迫した雰囲気。 これは間違いなくーーー

 

「サーヴァント…!」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

『今すぐ逃げろ姉ちゃん! アサシンがそっちにーーー!』

 

「え? ちょって何言って、もしもし? カウレス?」

 

  ーーーカウレスは召喚魔術師アヴィ・ディケイルの死に際を残留思念から読み取る魔術で見た。

  その時に見たのは、“黒”のアサシンがディケイルに拷問しながら何かを尋ねていた。

 

『俺なら答えられる』と。

 

  カウレスはフィオレと連絡を取り、ディケイルを城塞の防備に関わっていたリストと照合して貰った結果ーーーディケイルは城塞の警備を行う低級悪霊のメンテナンスを行っていた。

  それを知ったカウレスは顔色を変え、“ディケイルがアサシンに警戒解除暗号を教えた”ことに気付いた。すぐにそれを姉に伝えようとしたがーーー途中、電波が途切れてしまい、通話が切れた。

  カウレスが何を伝えたかったのかは分からない。しかし、フィオレの直感が警鐘を鳴らしている。直ぐさま念話を繋げ城塞内にいるバーサーカーへと告げる。

 

『バーサーカー、聞こえますか?』

 

  いつまで経っても、返事が帰ってこなかった。

  この時点でフィオレは警戒から緊急事態だと気づいた。

  車椅子の車輪を回し、今いたダーニックの部屋を飛び出した。まずやるべきことは自分の魔術礼装を取りに行き、防護手段を確保すること。

  ダーニックの部屋から魔術礼装がある自分の私室まで距離は約三十メートル。決して遠くはない距離だ。

  だが、しかし。しかし。しかし。しかし!

 

  ーーーなんでこんなに廊下が長く感じるんだろう?

 

「…っ!」

 

  ポォン! となる振り子の時計がやけに大きく聞こえる。

  喉がやけに乾く、廊下の小物の細部がやけに気になる。普段気にしないところが大きく見えてしまって集中が保たない。

  なんでこんなに心臓の音が大きく聞こえるのかも分からない。

  ただ、腕を動かす。力を入れて早く車輪を動かすことだけに力を入れた。

  私室の扉の前へと着き、急いで扉の解錠文を呟いた。

  扉が開かれ、室内へ入ろうとした時、ふと左側を見た。根拠はない、ただの安全確認だった。

 

  そうしてーーーこちらへ音も無く疾走する“白い少女”を見つけてしまった。

 

「閉鎖!!」

 

  扉を閉めると同時にフィオレは車椅子から転げ落ちた。驚きはあったが悲鳴をあげず時間を浪費することだけは避けれた。後はひたすら机の上にある魔術礼装を目指すだけ。腕を前へと伸ばす。

 

「ーーー開封」

 

  まだ数秒も経っていない。扉は開かれた。

  驚愕とともに振り返ると、白い少女の姿をフィオレは捉えた。

  白く薄く短い髪の毛、切り傷が残るあどけない顔立ち、少女が着るとは思えない男を惑わすボンテージスーツ、そして無感情なアイスブルーの瞳。

 

「貴女が、“黒”のアサシン…、ジャック・ザ・リッパー?」

 

「うんっ」

 

  とてもアサシン、サーヴァントとは思えない可愛らしい仕草で頷いた。だが、決して可憐とは言えない獲物を両手に握る。真っ赤な血が付いたメスを指の間に余すところなく握っていた。

 

「あなたは、“黒”のアーチャーのマスター…だよね? 確か、アーチャーはケイローン」

 

  こちらの情報まで筒抜なところに愕然とする。まさか真名まで知られているとは。こちらを確実に殺しにきていた。

 

「…既にここには聖杯はありません。 既に持ち出されてしまいました」

 

「うん、知っているよ。 “赤”の人達が持っていってしまったんでしょ?」

 

「知っていてここを襲ったのですか!?」

 

「…? だって、潰しやすいところから潰すのが普通でしょ」

 

  クルクルと器用にメスを回しながら、フィオレへと近づくアサシンの少女。フィオレは机にゆっくりと近づき、机の上にあったトランクケースへと手を伸ばし。

 

「あ、ダメだよ」

 

「きゃっ!」

 

  メスが投げられ、トランクケースへと突き刺さる。トランクケースの中にはフィオレの魔術礼装が入っていた、そしてアサシンはそれを見抜いていた。クスクスと笑いながら、アサシンはメスを掲げた。

 

「じゃあね、バイバイ」

 

 

 

 

 

「いや、まだバイバイには早い時間だよ」

 

 

 

 

 

私室の扉を貫き、槍の穂先がアサシンへと迫った。アサシンは突然の横槍に振り返りながら回避し、部屋の隅まで後退する。アサシンの後退とともに扉を蹴破って侵入してきたのは。

 

「君が“黒”のアサシンか」

 

  渋い顔をした“黒”のバーサーカーだった。

 

 

 




Q.一夫多妻についてどう思う?

A.
ヒッポメネス「人それぞれだと思うよ? 王族だとお妾さんがいるのは当たり前だったし、古代ギリシャなんて重婚はざらだったからねぇ。本人達が納得して幸せなら横から口を出すもんじゃないよね。
あ、でも。それで悲劇が勃発して死んだ英雄もいるから、女性関係は無頓着じゃないほうがいいかもね」

ジークフリート「……すまない」



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暗殺者と狂戦士

Q.応! お前が純潔の狩人の夫か! 妻共々余の軍勢に加わらんか!? 応酬は要相談だぞ!

A.
ヒッポメネス「貴方のイベントは少し先ですから落ち着いてください征服王」

アタランテ「Fate/Zeroコラボ、イスカンダル実装おめでとう。作者の財布が爆死しないことを祈っておこう」

イスカンダル「がははははっ! 余の軍門に降るならば考えんでもないぞ!! ーーー待て、しかして希望せよ、という奴だわい!!」

エルメロイ二世「王よ、分かりやすいネタ提供はどうかと?」

イスカンダル「征服征服ゥ!!」





  城塞内は謎の霧へと包まれ、痛みに行動を縛られた者たちが城塞の内部に閉じ込められていた。

  この謎の霧は“黒”のアサシンの宝具『暗黒霧都』の力であった。

  産業革命頃のロンドンは工業の発達とともに発生した煤煙と立ち込めた霧により汚染空気となっていた。煤煙に含まれた二酸化ガスは大気中で変化し、霧状の硫酸となる。

  その霧に包まれたサーヴァントは敏捷ランクがワンランク下がり、人間や魔術師は霧状の硫酸に眼を、肺を、肌を傷つけられる。そして、その霧の中を縦横無尽に動き回れるのは“黒”のアサシンのみ。

 

  だが、その霧は城塞内部まで届いていない。

 

  城塞内部で対面するのは“黒”のアサシンと“黒”のバーサーカー、そしてフィオレだった。

 

「…君が、“黒”のアサシンか」

 

  小さな体躯に短く切られた白髪、感情が感じないアイスブルーの瞳と愛らしい顔立ち。少女の姿をしたサーヴァントに“黒”のバーサーカー、ヒッポメネスは苦虫を噛んだような顔となった。

 

「あなたが“黒”のバーサーカー? お嫁さんと金色のりんごで結婚した英雄だよね」

 

「ああ、そうだよ」

 

  サーヴァントはその英雄の最盛期の姿で現界する。最も肉体的に動け、逸話を打ち立てた年齢で現れる。

  ならば、アサシンの少女の姿はジャック・ザ・リッパーとして暗躍した時期として喚ばれたこととなる。

  そのことにバーサーカーは酷く悲しげにアサシンを見つめた。

 

「なんでそんな顔をするの? お腹でも痛いの?」

 

「…心が痛むのさ。 サーヴァントとはいえ君は幼い女の子だ。 正直、手を合わせたくない相手だよ」

 

「へえ、優しんだ」

 

「優しくないよ。甘ったれたことを言っておいて、結局やる事は変わらないから」

 

  バーサーカーは小剣と槍を同時に扱う独特の構えを取る。アサシンも反応するように腰に吊るした大量の鞘からナイフを二つ取り出した。

 

「貴方、とっても弱いって聞いたよ?」

 

  先に飛び出したのはアサシンだった。抜いたばかりのナイフをバーサーカーの首元目掛けて投擲した。小剣を振り、叩き落すと低い身長を活かしたアサシンが一気に懐へと忍び込んできた。

  残ったナイフを逆手に持ち、臓腑を抉らんと突き刺そうとした。

 

「ーーー甘い」

 

  膝をアサシンの肘へと叩き込む。肘に受けた衝撃で握力が弱まり、ナイフの握りが甘くなった。

  小剣を振り下ろし、ナイフの峰へ当てるとナイフは根元からパキンと軽微な音と同時に折れた。

  バーサーカーは勢いを殺さないと半歩後退し、片手で持っていた槍を回し、槍の石突きをアサシン目掛けて横薙ぎにする。

  肘の衝撃で手が痺れるのを我慢しつつ、アサシンは頭を後ろに仰け反った。槍を回避はできたアサシンだったが、避ける事だけに気を取られすぎて腹部への蹴りを真正面から喰らう。

 

「かはっ!!」

 

  壁を突き破り、フィオレ目掛けて走った廊下へ押し戻された。

 

淵源=波及(セット)

 

  魔力による推進力を得た槍の投擲がアサシンの心臓へと飛ぶ。

  アサシンはその槍を軽い体躯を活かし、重量を感じさせない素早い動きで後ろへ後退しながら避けた。

  アサシンは口から流れる血を拭いながらフィオレを守るように立つバーサーカーを睨みつけた。

 

「貴方が弱いって言った魔術師の人、嘘つきだね」

 

「いや、その人は間違ってない。 君が戦った“赤”のセイバーに殺される寸前までにされたからね。 ただ、これでも狂戦士なんで、暗殺者に負けるほどの脆弱さは持ち合わせてないだけさ」

 

  良くも悪くもこの聖杯大戦には世界に名を轟かせ、覇を競う英雄たちが集まりすぎている。

  十六騎の英霊の中で間違いなく“黒”のバーサーカー(ヒッポメネス)は下の方に位置付けられる。

  だが、それでもサーヴァントとしての実力は備えていた。

  アサシンは奇襲を取り柄とし、バーサーカーは狂化によるステータスアップを取り柄とする。

  そのアサシンは今、奇襲を失敗し姿を露わにしている。戦場で暴れまわるバーサーカーと奇襲ができないアサシンが正面からぶつかりあえばどちらに勝敗が上がるか?

 

  その問いの答えは既に出ていた。

 

「アサシン、君が何を願い聖杯戦争に参加したかは知らないが…覚悟してもらう。 恨み辛みは今の内に吐いておいてくれ」

 

  再び構えたバーサーカーの表情には悲しみや憂いは既にない。目の前の敵を討つ、それだけに徹していた。

 

「ううん。 私まだ死なないもん」

 

「逃がさない!」

 

  淵源=波及(セット)と叫び、突撃するもアサシンは廊下の窓から飛び出した。窓からは霧が入り込み、人間が吸えば肺を爛し、腐らせる。

 

「フィオレさん! 窓から離れておいて!!」

 

「ええ! 貴方はアサシンを!!」

 

  あの■■のアサシンを追い、逃げ出した霧の中へと飛び込んだ。

  霧の中では俊敏が下がり、視界も遮られている。魔術で祓おうにもこれは宝具であるため太刀打ちできない。

  既に気配を感じないアサシンを探そうと意識を集中させようとした。

 

「私はここだよ」

 

  一つの言葉が何重にも別れ、全方位から聞こえてくる。

  バーサーカーは気づいた。自分は追ったつもりが、アサシンの罠に飛び込んでしまったのだと。

  くぐもった声が横から、耳元から、上から、下から響いてくる。恐怖心を煽り、判断能力を鈍らせる。不味い、と思いつつ、背中を守ろうと城壁を探そうとした時。

 

「お兄ちゃんここだよ」

 

  ひゅっ、と風切り音が聞こえた。視界の端で肉切り包丁が振られてくるのが見えた。

  反応が鈍り、避ける事ができない。

  まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい!!

  せめて腕一本ぐらい犠牲にしてやろうと思考が判断を決めた時。

 

「ん!!」

 

  アサシンの肉切り包丁の軌道が外れた。霧の奥から空気に穴を穿つように矢が飛来したのだ。矢が肉切り包丁を破砕し、奇襲してきたアサシンの姿を再び捉えた。

  バーサーカーはこの矢を放った者の正体に気づいた。

 

「アーチャー!」

 

「バーサーカー、フィオレ様を守っていただき感謝します」

 

  バーサーカーの隣へと現れたアーチャー。これでアサシンは二人のサーヴァントを相手にしなければならなくなった。

 

「…アーチャー」

 

「再び相見えました。これで決着をつけましょうか、“黒”のアサシン」

 

「いやだよ。他にもサーヴァントが来るんでしょ。“わたしたち”はバカな戦いかたはしないもん」

 

  べぇ、と舌を出す仕草は明らかに子供だった。しかし、しっかりと引き時を弁えている。バーサーカーはアサシンの言葉の一つに反応した。

 

「だから、バイバイ」

 

  アサシンが霧の中へと姿を消す。霧へ逃げれば気配を完全に見失ってしまう。

  見逃してしまうとバーサーカーとアーチャーが追撃しようとしたがーーーアサシンに思わぬ一撃が入る。

 

「…え?」

 

  呆然とするアサシンが自身の腕を見つめた。一線に引かれる紅い流線。そこから溢れでる血にアサシンは固まった。

  アサシンに斬りつけたのは、ライダーの細剣を持ったジークだった。

  眼は手で覆い、鼻と口は布を被っている。あれでは視界が定まらず、当たる訳がない。でも、ジークはアサシンを斬りつけた。

 

「…いたい」

 

  そっとアサシンは傷口を触れた。いたい、とてもいたい。

  自分を斬りつけた少年が何者かは知らない。しかしーーーこの男は“わたしたち”を傷つけた!!

 

「…ゆるさない!」

 

「…それはこちらの台詞だ」

 

  アサシンもジークも怒りを込めた言葉を吐いた。アサシンは“自分達”を傷つけたことを、ジークはーーーアサシンの霧によって死んでしまった仲間がいたことを怒る。

 

「つぎは、絶対にころすから」

 

  そう言い残し、アサシンは霧と共に消え去っていった。城塞には霧が晴れたことによって夕陽の光が訪れる。

 

「ジーク、体は無事ですか?」

 

「ああ、傷以上には酷くない」

 

  アーチャーが硫酸の霧によって皮膚が焼け、崩れ落ちるジークへと近づく。目もやられ、酷く傷を負っている様子であったが無事のようであった。

 

「アーチャー、アサシンのことだが…」

 

「ええ、先程のことにも関わらずもう顔が薄れてきてます」

 

  あの■■のアサシンは■を使い、多くの仲間を傷つけた。何を使い、仲間を傷つけたのかはもう分からない。だが、あのアサシンは仲間を一人殺した。それだけは確かに覚えている。

 

「バーサーカー。 …バーサーカー?」

 

  アーチャーの呼びかけに答えず、バーサーカーは自分の小剣へと視線を落としていた。小剣を見つめる顔はどこか苦悶に満ちており、徐々に苦しみから疑問の色へと変えていく。

 

「…アサシンの正体は分からないけど、何か」

 

  既に消えた霧へと彼は見つめ直す。

 

「見逃してはいけなかった何かを、忘れたような気がします」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

おかあさん(マスター)、ごめんなさい、失敗しちゃった」

 

  トゥリファス、旧市街地区の更に奥まった住宅地。そこに“黒”のアサシンとそのマスターが寝ぐらとして住み着いていた。

  “黒”のアサシンがその場で霊体化を解くと、キッチンの奥から一人の女性が現われた。

 

「ジャック。 お帰りなさい、いいのよ貴女が無事なら」

 

 憂いを帯びたような雰囲気と蠱惑的声音が特徴の女性、名を六導玲霞。 元々“黒”の陣営のマスター、相良豹馬から“黒”のアサシンを奪った一般人の女性であった。

  元々、相良は玲霞を生贄にして“黒”のアサシンを呼ぶつもりであったが、“黒”のアサシンの性質が本来のマスターより玲霞を選んだため、一般人であった玲霞が“黒”のアサシンのマスターとなった。

 

「バーサーカー、つよかった」

 

「あら、この間襲った魔術師の方は一番“使えない”と自白したのだけれどねぇ」

 

  ミレニア城塞への襲撃に対し、ルーラー、ライダー、アーチャーの三騎がいなくなったことを見計らいマスターを暗殺することを目的としたが、バーサーカーの実力が予測以上のもので失敗してしまった。

 

「もうあそこには攻められないね。 どうしようかなぁ。 あ、あとやっぱり聖杯は赤いほうに持ってかれちゃったみたい」

 

「残念ね。 …その聖杯はどこにいったの?」

 

「んー…、あの大きなのが持っていっちゃったんじゃないかなぁ…」

 

「恐らくそうでしょうね」

 

  空中庭園が聖杯を奪取し、持ち去るところをこの主従は目撃していた。

  “黒”のアサシンは“黒”と“赤”総力戦の時、密かに戦場でホムンクルス達を襲い、魔力を補充していたのである。

 

「どうしよっか、おかあさん(マスター)

 

「そうねぇ…」

 

  話し合う姿はどこから見ても、親子の会話そのものであった。だが、話している内容は“黒”の陣営をどう皆殺しにするかだった。

  いつまでも悩み、考えているうち、玲霞は一つの案が頭に浮かんだ。

 

「ねえ、ジャック?」

 

 

 

 

 

「貴女の霧で町を包んでみましょう?」

 

 

 

 

 




Q.古代ギリシャでは堅琴をよく弾いていたそうですが、二人は弾けるのですか?

A.
ヒッポメネス「僕は弾けるけど、特に特徴のないのが特徴と好評だったよ?」

アタランテ「私はダメだな。そういう教養は皆無なのでな」

ヒッポメネス「ケイローンさんに教えてもらう? 音楽は子供達に好かれるよ?」

アタランテ「…う、む。いいかもな…」

ケイローン「私で良ければ教えますよ? ふふ」


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ただいま策謀中

Q.ヒッポメネスって獅子耳あるけど、尻尾あるの?

A.
ヒッポメネス「あるよー。背中と臀部の間に生えているし、服にも穴開けて出せるようにしてるよ?」

アタランテ「だが普段は見えないが?」

ヒッポメネス「腰に巻いてるんだよね」

カウレス(○ジータとかナッ○みたいな感じか)



「駄目元で撮影してみたけど、写ってたな」

 

  カウレスが皆に見せたのは携帯電話の撮影機能で撮影したミレニア城塞の様子だった。城塞は全体を霧で包まれ、城塞の輪郭がボヤけて見える。

  “黒”のアサシンの調査の為出ていたサーヴァント達とカウレス、ホムンクルス達はミレニア城塞が襲撃されると気づき、先にサーヴァント達を向かわせ、カウレス達は後から追いかける形となったのだが、その時カウレスは“黒”のアサシンが何らかのスキル、宝具で情報を抹消することを思い出し、咄嗟に記録を残していた。

 

「霧、ね。亡くなったホムンクルス達の身体を調べてみると皮膚が溶けて、肺が爛れていたわ。ジャック・ザ・リッパーが存在したとされる当時のロンドンは産業革命の影響によって深刻な公害が発生していたらしいから…、それが宝具として昇華されたものかしら?」

 

「だとしたら魔術師にはこれを払うことはできなさそうだな。サーヴァントにはあまり影響が無さそうだけど…」

 

  カウレスがチラッと己のサーヴァントへ視線を移す。実際にアサシンと対峙したバーサーカーは覚えている限りの事を話す。

 

「そうだねぇ。僕自身大した傷も受けてないし、アサシンの能力の霧は視覚の妨害、敏捷のランクダウン、そして霧に溶け込んでの奇襲になるのかな」

 

  この検討に皆、反論はない。反論はないものの、これによりアサシンが想像以上の難敵だということも分かった。

  姿を消す度に情報を隠蔽し、同じ奇襲を何度も再現できる。能力が分かったとしてもアサシンは今回のようにマスターを狙う戦略を取る。

  英雄としての矜持はなく、ただ卑怯と罵られるのも顧みず勝利のために用意周到に暗殺を執行する。それがアサシンの戦いだ。

 

「う〜ん、それじゃあどうやってアサシンをあと二日で仕留めれるんだろう? アーチャー、何かいい策はない?」

 

「…困難でしょう。 犠牲を払う、という前提であれば話は別ですが」

 

  アーチャーを含め、その場にいた全員の表情が苦い。犠牲とはつまり、アサシンをこの街に残すということ。アサシンが積む犠牲の山は幾つになるか、誰も想像がつかない。

 

「バーサーカー、貴方の宝具の能力は『対象を引き寄せる』。それでアサシンを引き寄せれないのですか?」

 

  ルーラーがバーサーカーの宝具の能力を思い出し、尋ねるがバーサーカーは首を横に振る。

 

「あの宝具は引き寄せる対象が認識できていないと真価を発揮できない。街全体に林檎の魅力を放って引き寄せる手段もあるけどーーー」

 

「三つ揃わなければできないということか」

 

  バーサーカーの宝具である黄金の林檎は現在二つ。三つあった内の一つはジークのために使ったため、既に失われてしまっている。

 

「まあね、二つでもある程度の範囲はできるけど…」

 

「アサシンが当たるかよりも、カウレス殿の魔力が持つかどうかですね」

 

  アーチャーの指摘はカウレス、バーサーカー主従を苦笑いさせる。

  実際、宝具の使用には大量の魔力が消費させられる。魔力量がフィオレに比べて乏しいカウレスでは闇雲に放つ宝具の使用により魔力が持ってくれるかどうかが問題である。

 

「ここで実力の問題かよ…」

 

「せめて、アサシンの姿を覚えていれば問答無用で呼び寄せられたのに…」

 

  姿さえ覚えていれば長距離でなければ林檎の魅力で引き寄せられる。しかし、アサシンの能力には情報を隠蔽させることができるスキル、宝具があるため姿を覚えていない。

 

「…でも、ねえ」

 

「ん、何か他に気づいたことがあるのか?」

 

  どこか釈然としない気持ちで悩むヒッポメネスに全員が首を傾げる。ここ最近は“赤”のアーチャーのことで悩む姿が見られるが、他のことに関しては大抵平気そうにしている彼にしては、珍しいと思ってしまう。

 

「なんか、こう、納得いかないというか…忘れちゃいけないというか、腑に落ちないんだよね」

 

「なにそれ?」

 

  ライダーもその返しに首をかしげるが、本人の方が分からなくて頭を悩ませている。

 

「…ん〜〜〜、ダメだ全く思い出せない」

 

「仕方ないことだと思います。ライダーや私、ルーラーは対魔力をスキルとして宿していますがそれを持ってしても防げないということは、相手の能力はよっぽどじゃなければ防げないということですから」

 

「アーチャーの言うことじゃなくて、もっと…個人的な感覚なんですよね」

 

「つまり趣味とか性癖とかそんな感じ?」

 

「いや、それはなんか違うような…、だけど遠からず近からず…」

 

「あ、分かった! アサシンは女性で容姿が凄くバーサーカーのタイプだったとか!?」

 

「アタランテは“赤”のアーチャーであって“黒”のアサシンじゃないよ?」

 

「話が拗れてきてます!」

 

  バーサーカーの言いたいことは全く分からないが、これ以上ライダーとバーサーカーの会話を放置していると止められないと思い、ルーラーが無理やり話を変えた。

 

「とりあえずこの話は置いておきましょう。 まずはアサシンをどう討ち取るか、ですが……え?」

 

  突然ルーラーが驚いたように表情を変え、己の意識に集中するように俯いた。何があったと皆が見つめていると、ルーラーは微笑みながら顔を上げた。

 

「皆さん、一つ良案が出ました」

 

 

 

 

 

「大、はんた〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!!!」

 

  響くのはライダーの金切り声。思わず耳を塞いだのはルーラーだけではない。

 

「なんでさ! 別にジークを囮にしなくてもいいじゃない!」

 

「ジーク君だけではありません。 私、も。 囮になるのです」

 

  ルーラーが提案した良案とはジークとルーラーが街へ出向き、アサシンをおびき寄せるというものであった。

  当初、なぜジークとルーラーなのかと疑問に思ったがジークは“黒”のセイバーの心臓がある為、セイバーを憑依させなくともある程度は対抗できる。

  アサシンが魔力を狙って犠牲を生み出しているのなら、ジークを狙うだろう。だがーーー

 

「ルーラーはサーヴァントじゃん! サーヴァントはアサシンに悟られて逃げられるんでしょう!」

 

「私は特別な手段で喚ばれたサーヴァントです。 純粋な霊体ではなく、きちんとした肉体を保持しています。 霊体を抑え込めば、サーヴァントとしての気配を断てます」

 

「むむむ…! じゃあ、ルーラーが憑依しているレティシアさんが可哀想じゃん! 反対、反対、はんたーい!」

 

「ルーラー、俺もレティシアに危険が及ぶような作戦には同意しかねる」

 

  ライダーの反対に、ジークも賛同する。いくらアサシンを討つためとはいえ、ルーラーの本体であり憑依している少女のレティシアが傷つく真似はしたくない。

 

「いえ、これはレティシアが提案したものです」

 

「レティシアが?」

 

  今のルーラー、ジャンヌ・ダルクとレティシアの意識は混じっている状態である。普段はレティシアがジャンヌを立てて、レティシアは眠りについている状態となっている。

  レティシアはジャンヌの視点から全てを俯瞰しており、夢心地で物語を鑑賞しているようなものだ。

  いつもならレティシアは眠りにつきながら、傍観しているのだがーーー

 

「“それならこんなのはどうですか?”と言って、それきり何も言わなくなって…」

 

「まあ、こっちとしてはその提案はありがたいものですが…」

 

  ルーラーを憑依させているとはいえ、一般人を危険に晒してしまうことにフィオレは申し訳なさそうにしながらも良い案だと思ってしまう。

 

「むー…、バーサーカー!」

 

「いや、僕に助けを求められてもなぁ…」

 

「ライダー、俺は別に一人で囮をして構わない。いや、俺が一人で囮をする」

 

  ルーラーの案を覆し、一人で行うと言い放つジークにライダーとルーラーの眉間に皺が寄る。

 

「ジーク君、確かに霊体を抑えようとも私はサーヴァントです。 アサシンの奇襲ぐらい、退けてみせます」

 

「そうだよマスター。 それよりも危険なのはマスターの方だし、マスターは外してルーラーだけでも…」

 

「いや、俺は囮となる。 これだけは譲るわけにもいかない」

 

  頑として意見を変えないジークに、一同が違和感を覚えた。感情に乏しいはずのジークに、どこか憤りが見てとれる。

 

「どうしましたジーク、なぜそこまで自らが囮になる事をこだわるのです」

 

「アサシンは俺の同族を殺していた。 俺はそれに怒りを感じている」

 

  記憶には無い、だがジークはホムンクルスの同族が殺された怒りを覚えている。感情は今も尚、鮮明に覚えているのだ。

 

「…はぁ、だめだ。 ボクのマスターは頑固すぎる」

 

「これは私の案で行ったほうが良さそうですね」

 

  ライダーとルーラーがため息をつきながら、レティシアの作戦を承諾することとなった。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  作戦が決まった夜、バーサーカーはいつも通りと見張り台に佇んでいた。

  昨日はこの場所でカウレスとアーチャーと共にフィオレの心の弱みを見つけた。

  今は誰もおらず、静かな夜の帳が辺りを包み込んでいた。バーサーカーも夜に溶け込むように、目を閉じて瞑想に浸かっていた。

 

「…バーサーカーか?」

 

  そんは静寂に来訪者がやってきた。

 

「あれ? ジーク君かい?」

 

  やってきたのはジークだった。時は既に時刻が変わる寸前、明日囮になるジークは眠りについていてもおかしくない。

 

「どうしたんだい、ライダーは?」

 

「眠っている途中ベッドから蹴り落とされた」

 

  蹴られたと思わしき腰部を摩るジークを見て、バーサーカーは噴き出した。

 

「ははははは! ライダーらしいねぇ」

 

「ベッドを独占されてしまった。 暫くしたら寝相も変わり、隅が空くだろう」

 

「仲が良いねえ」

 

  良き主従関係だと笑うバーサーカーにジークはどう反応すべきか迷った。

  ジークとバーサーカーは城塞を抜け出す前に幾つかか話したことがあったがライダーと比べれば少ないほうだった。

  しかも二人きりで話すのはこれが初めてだった。ジークはこの際だと、今まで聞きそびれていたことを尋ねてみた。

 

「なあ、バーサーカー」

 

「ん、なんだい?」

 

「なぜ俺に、黄金の林檎をくれたんだ?」

 

  あの時、“赤”のセイバーに斬られた時、ジークは再び死にかけた。

  痛みが引くと同時に熱も抜けていくような、死ににいくような虚脱感を味わいながら意識が遠のいていった。

  しかし、ライダーの呼びかけと微かに開いた瞼に入る黄金の輝きが自分の命を現世に踏み止まらせた。

  その結果、ジークは“黒”のセイバーを憑依できるようになり、肉体自体も人類最高峰のモノへと昇華した。

  生きていることに、助けられたことには感謝している。

  だが、バーサーカーがジークを助ける為に失ったのは英霊の象徴たる宝具である。

  三つあった黄金の林檎は二つとなり、本来の力を発揮できなくなっている。決して強いとは言えないバーサーカーにとって致命的なはずだ。

  宝具が一部欠損することによる影響を機転が利くバーサーカーが知らない筈がない。

  そのデメリットを考慮して、自分を救った理由を知りたかったが

 

「…あー、勢い?」

 

「・・・・・」

 

  このサーヴァント、特に考えていなかったようだ。

 

「そうか、貴方はライダーと仲が良かったのだったな」

 

「え、なに?その全てを理解したって感じの達観的表情? ねえジーク君、ちょっとこっち向いて」

 

  ジト目で睨むがジークは一人納得したように頷くだけ。しかし、そう思われても仕方ないかなーと納得し、そしてバーサーカーはジークの質問に真面目に考えた。

 

「…そうだね、君なら間違えないって思ったからかな」

 

「間違えない?」

 

  バーサーカーは何か、苦いことを思い出したのか表情が優れない。今にもため息をつきそうだったが、それを振り切るように首を振った。

 

「あの林檎はね、所有者は選ばないけど使用者を選ぶ。誤った使い方をすれば…悲劇を招く。そういう類の秘宝なんだよね、アレって」

 

「そうなのか。…ならば、なぜ本当にそんなものを俺に?」

 

  ジークの疑問に、バーサーカーは小さく笑う。

 

「言っただろう? 君なら間違えないと。…まあ、直感だね、直感」

 

  曖昧に答えるバーサーカーは答えたくないのか、視線をずらす。ジークは黄金の林檎を自分が預かるのにふさわしいのかどうか疑問に思い、もう少し深く聞き込もうとしたのだが。

 

「あ、君の仲間達だね」

 

  バーサーカーは見張り台から少し身を乗り出し、城塞内の中庭に出ているホムンクルスを見下ろした。数人のホムンクルス達は中庭でバラバラに草木や石といった物を集めている。恐らく、“黒”のアサシンの襲撃で使われた宝具である霧の能力を調べる為、外壁や草、水といった物を収集して効果や範囲をより具体的にしようとしているのだろう。

  そんな彼らを見て、バーサーカーはジークに聞こえるか、聞こえないぐらいに呟いた。

 

「…外見と知識は完成しているけど、彼らもまだ子供なのかもね」

 

「バーサーカー?」

 

  ジークはバーサーカーの呟きを聞き取れなかった。何を呟いたのか。何を思って同族である彼らを見たのか。そんなバーサーカーの内心を読み取れずジークは黙ったのだが、それに気づいたバーサーカーは少しだけ微笑み。

 

「ごめんね」

 

  と、だけ言ってジークの頭を軽く撫でた。その謝罪の言葉はーーーかつて仕方ないと割り切って魔力供給のために見捨てたホムンクルス達と、まだ子供なのだと気づけなかったことに対してのものだと、ジークが気づく事はなかった。

 

 

 

  暫く静寂の時間が流れて、ジークは思い出して呟いた。

 

「…そうだ、そういえば夢を見たんだ」

 

「夢? それは竜に襲われるアレかい?」

 

「違う、貴方の夢だ。 黄金の林檎を食べた時に、貴方が光に包まれた何かに跪いて黄金の林檎を貰っていた」

 

「…あぁ、なるほど」

 

  ジークが見た夢は宝具の影響により、バーサーカーの記憶が入り込んだのだろう。黄金の林檎がヒッポメネスに美の女神から手に渡った時のことをジークは目撃していた。

 

「とても古い記憶さ。 古すぎて、薄れることがない僕の根源だよ」

 

  目を細め、ここにいない誰かを見ているようだった。感情について薄いジークにもそのいない誰かが分かった。だからこそ尋ねた。

 

「…友情と愛はどう異なるのだろうか」

 

「…はい?」

 

  突然の問いに、バーサーカーは固まった。

 

「俺はライダーという友を持てた。 その事に深く感謝し、幸運だと思っている。 多分、ライダーの為に戦うことを厭わないし、ライダーもそうなのだろう。 俺がそう思えるこの感情こそが友情だと思えるが…ならば愛とはなんなのか、と思ったんだ」

 

  純粋な疑問。ただ単純な知識欲なのだろう。友を得たことにより理解した思いとは別に、ジークはバーサーカーが“赤”のアーチャーへ向ける感情、合理的に物事を進める手段とは違う思いに疑問を持った。

 

「俺が得た知識には愛とは親しき者へと向けるものだとあるが…それでは友情と変わりないのではないか?」

 

  だからこそバーサーカーに聞いた。 ジークが知る仲で愛に動く者が理性ある狂戦士なのだと認知したから。

 

「…愛かぁ」

 

  困ったように、頬を掻く。その仕草は語るのが恥ずかしいのではなく、どちらかというと自分が言っていいのかと迷っているのかのように見えた。

 

「…ごめんねジーク君。 僕には君の疑問に答えることができそうにないかな」

 

「なぜだ? 貴方は“赤”のアーチャーを愛しているのだろう」

 

「…うん、そうだね。君の言う通りだよ。だけどね、愛するってのは意外に言葉にするのは困難な事なんだよ。友情だって愛だって結局は相手を想うことで合致する。其処からどう分布するのかは自分の感性次第だ。感性っていうのは具体的にしようとするとどうも陳腐で安く見えてしまうでしょ? それと同様に僕が説明すれば…君は逆に理解出来にくくなってしまうかもね」

 

  人は感情を共有できても理解するには至れない。

  それは人から生まれた感情は、その人唯一独自の世界だからだ。

  世界は一つに当てはめればこそ、万人が見る視界は同じ位置からでも違って見えてくる。差異を消そうと工夫を懲らそうとも、世界を捉える視点が違えば同じ物とは見れなくなる。

  故にバーサーカーがジークに愛を教えようとも、愛という感情の立ち位置に気づけていないジークにそれを伝えることはできない。

 

「そうか。 まだ俺には理解できないのか」

 

「君もいつか分かる日が来るさ。 それが分かった時、僕が言ったことが分かるかもね」

 

  そして、しばらく二人は空に浮かぶ月を眺め続けた。 会話も何もないが空虚ではないささやかな時間。 やがてジークに眠気が訪れ、二人の時間は尽きた。

 

 

 

 

 そして、作戦実行の朝がきた。

 

 




Q.無人島に漂流するとしたら、必ず持っておきたいものは何ですか?

A.
アタランテ「ナイフ…まあ、小剣だな」

ヒッポメネス「銛かな? 海があるなら魚もいるしね」

アヴィケブロン「ふむ、君ならば妻を所望すると思ったのだが?」

ヒッポメネス「アタランテは『物』じゃないよ?」


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束の間の食事

最近更新が遅くなってしまい申し訳ありません。また更新が遅くなるかもしれませんが続けていくので付き合っていただければ幸いです。

では、どうぞ。

それにしても相変わらずメンテナンス長えな。


「…ふわぁ、寝過ごしてしまった」

 

「最近眠りが深いね。 疲れているのかい?」

 

「…聖杯大戦の最中だしな。 まともに眠れている方がおかしいだろ」

 

  それはごもっともだ、とバーサーカーは納得した。カウレスはバーサーカーを引き連れて食堂へと向かっていたが途中、ホムンクルス達が使用する食堂に立ち止まった。

  多くのホムンクルス達が食堂にひしめき、食事を摂っているというのに静けさが浮き彫り立つ。食事中に私語をしないのはマナーが良いのかもしれないがここまで静かだと異様にも思えた。

 

「あれ? カウレス君じゃん」

 

  さっさと立ち去ろうとしたカウレスの後ろから本日の作戦の要たるジークとルーラー、そしてライダーがやってきた。

 

「お前達か。 今日は大丈夫か?」

 

「問題ない。 これから食事を摂るところだ」

 

「それじゃあご飯だ、レッツゴー!」

 

「お、おい!?」

 

「ライダー、食堂です。 静かにしてください」

 

「さて、僕は席を確保しようかね」

 

  ライダーに引っ張られ同じ席へと座られたカウレスはこれ以上動けないことを悟り、ここの食堂で朝食を摂ることにした。

  給仕係のホムンクルスが全員分の食事を運び、全員で食べ始めた。

 

「美味しい美味しい♪」

 

「これは美味です…」

 

  凄い勢いで食事を胃へとかきいれる様に唖然とする周囲。まるでブラックホール、何故そこまで食べられるのだろう。いや、お前らサーヴァントだろう。

 

「俺たちの分まで無くなりそうだな…」

 

「おかわりが無くならない内に食べ切ってしまおう」

 

  細々と食べる男達。その姿が目に入らないのか、未だ食べ続けるライダーとルーラーに思わず給仕係も苦言を申す。

 

「そろそろ加減しろ。 全員分のアイントプフが無くなる」

 

「え? これはポトフですよね?」

 

「いや、これはアイントプフであって、ポトフではない」

 

「これはポトフですよ、絶対」

 

「アイントプフだ」

 

「ポトフです」

 

  ポトフと主張するルーラーとアイントプフと主張するホムンクルスの舌戦が火花を切った。

  それをよそにウマウマとおかわりをし続けるライダー。

  話を聞きつけ舌戦に参加し始めた他のホムンクルス達。

  最終的にこの料理はアイントプフとなった。

 

「ポトフなのにぃ…」

 

「アイントプフだ」「アイントプフ以外あり得ない」「アイントプフを作ったものがいるからアイントプフだ」「あれ? 無くなっちゃった」「おい、寸胴鍋が空になっているぞ?」

 

「「「なに?」」」

 

  ホムンクルス達が寸胴鍋を覗き込むとアイントプフは無く、ライダーの皿には何杯目となるであろアイントプフが山盛りに注がれていた。

 

「…サーヴァントの癖に」「よし、戦争だ」「皆の者、武器を取れ」「我々の自由を勝ち取るぞ」

 

「ちょ、待て待て待て!?」

 

  朝の食事だけで内部崩壊が始まりそうになり、自分の食事量を確保できたカウレスが止めに入る。

  だがホムンクルス達は人間味が薄い顔をギラつかせ、食事を奪った張本人へと目を血走らせていた。

 

「バーサーカー、止めるのを手伝ってくれ!」

 

「んむっ?」

 

  こちらはこちらでサーヴァントなのに食事を摂っていたバーサーカーがホムンクルス達の憤りにやっと気づいた。

 

「みんな感情豊かになってるな〜」

 

「ああ…じゃない! なんとか場を鎮めなきゃ姉さんに叱られんぞ!」

 

「そうだね…じゃあ、僕が料理を作ろう」

 

「え?」

 

  ポン、と名案を思いついたように手を叩いたバーサーカーは嬉々として厨房へと向かっていった。

  カウレスは一瞬茫然としたがこの際何でもいいとホムンクルス達へと叫んだ。

 

「落ち着け! バーサーカーが代わりのものを作ってくれるらしいぞ!」

 

「なに?」「バーサーカーがか?」「料理できるのか、サーヴァントに?」

 

  暴動寸前のホムンクルス達が持ってきた戦斧や盾などを置き、熱気は好奇心かはたまた猜疑心により収まる。ルーラーやライダー、ジークもバーサーカーが料理を作ると興味を持ち、食堂にいた者が厨房へと耳を傾けるとーーー

 

 

 

「あ、これは調味料? 香辛料? いい匂いだから適当に…あ、入れすぎたかな。 まあ、煮て薄めればいいか。 お、鹿肉。 よいしょっと…」

 

  ガイン!ガイン!ガイン!

 

「大きさはこれぐらいで…フン!」

 

  ぐちゃり……!

 

「あ、お酒…料理酒かあ、現代には色々増えてて面白いな。よし、採用!」

 

  ドボボボボ…!

 

「後は火を…なんだこれ? これを回せばいいのかな? いや、魔術で熱すればいいか」

 

  ゴゥン!!!

 

 

 

「「「「「・・・・・」」」」」

 

  料理をしているのか、儀式しているのか。料理とは思えぬ行き当たりばったりかつ適当な采配。ここにシェフがいたら料理人の魂なんて知ったもんかと包丁を突き立てているだろう。というか古代ギリシャの料理はこんなにも混沌としているのか。いや、そもそも食べられるの、アレ?

 

「そういえば俺は十分に食事を摂っていた」「それほど憤ることもなかったな」「しかしバーサーカーが作ってくれている料理はどうする?」「そこに無駄に大食らいの駄サーヴァントが二人もいるぞ」

 

「「「よし、頼んだ」」」

 

「「ちょっ!?」」

 

  ホムンクルス達がそそくさと去り、食堂には違う静けさが広がる。残ったのは駄サーヴァント二人とジークにカウレス。ジークとカウレスが顔を合わせ、その場を立ち去ろうとしたがライダーとルーラーに手を掴まれて逃げそびれた。

 

「離せ! 朝から腹を下す気はない!」

 

「ボクだってないさ! ほら、意外と美味しいかもしれないし!」

 

「それならば食べてくれ、全部」

 

「ジーク君! 同じ卓で共に食事を摂る尊さを学びましょう…!」

 

  残念ながらサーヴァントの力には敵わず逃げられない。どうにかしようとカウレスが説得を試みるが。

 

「あれ? みんなどこ行ったのかな」

 

  鍋を運んできた狂戦士が来てしまった。ジークでさえも青い顔をする。

  ガシャンと卓の上に鍋を置く。四人がそっと鍋の中身を見てーーー見なきゃ良かったと全員の心が揃った。

 

「ふう、なかなか苦戦したけどいい出来だよ。 見た目はちょっと不揃いだけど味は保証するよ」

 

  お願いしますその暗黒物質をどこかへやってくださいと言いたかった。でも言えなかった。バーサーカーに一抹の悪意など存在しなかったのだから。

 

「さあ、どうぞ」

 

  丁寧に皿へ鍋の中身をよそってくれる。もうちょっと早くに止めてくれっていえば食べずに済んだものの時は既に遅し、全員分の皿に鍋の中身ーーー形容しがたいナニカがよそられた。言葉にするのなら、それは泥沼のようだった。色は茶色と黒の境目。油が浮かび、肉を使ったのかもしれないが、熱していないのにゴボッと油が泡となって膨れて弾けた。トロミというよりももっと粘着質的な液体が重々しい。口に入れた瞬間にご馳走様と言いたくなるような、不出来な何かが全員に行き渡った。

 

「「い、いただきますぅ…」」

 

  もう後には引けないと悟ったサーヴァント二人がスプーンを取った。いや、ナイフとフォークを取るべきだったのか。とりあえずよそられたということは液状なのだと判断し、スプーンを取ったのだ。

  観念したのかジークとカウレスもスプーンを取った。スプーンでバーサーカーが作った料理を掬い、口へとゆっくり運びーーー

 

 

 

 

 

「それではジーク君、参りましょう」

 

  和かにジークを連れて町へ行こうとしたルーラーに心配そうに見つめるジークがいた。

 

「ああ。 …ところで腹痛は大丈夫か?」

 

「だ、大丈夫です。 でも…なんで私だけお腹を痛めなければならないのですか!?」

 

  バーサーカーの料理はギャンブルだ、と食べ終えた後にカウレスは語った。見た目と反し、意外に意外、バーサーカーの料理は美味しかった。

  一口にした後、ルーラーとライダーは一気に料理をかきいれはじめ、カウレスも美味しさに目を丸めた。味覚が薄いジークも美味と判断し食べはじめたのだがーーーなぜかルーラーだけ食べ終えたあとに腹痛で魘されてしまった。

 

「一定の確率で腹痛となるか、もしくは時間差があるのかもしれない」

 

「何なんですか!? 毒なんですかあれは!?」

 

「少なくとも魔術を利用した料理だ。 何らかの呪いがあるのかもな」

 

「迷惑極まりないですね!?」

 

  ルーラーが涙目で語りながらも二人は町へと繰り出していった。

 

 

 

  ちなみに余談でしかないのだがバーサーカーの料理を食べたことがあるとある狩人は

 

『ヒッポメネスの料理? 腹に収めてしまえばなんであれ問題ではないだろう。だが見た目はないな、本当にない。獣でもない』

 

  と申していた。あと一度も腹痛に悩まされたことはないらしい。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

『こちら異常なーし、オーバー』

 

『こちらも特に変わった様子はありません』

 

『魔術師、又はアサシンらしき姿はないです』

 

 

 

『ジークとルーラーがいちゃいちゃしていてつまんなーい、オーバー』

 

『ライダー、集中なさい』

 

『今のところ、昼過ぎなのか人が集まってきてますね』

 

 

 

『あー! 僕が目に付けてた喫茶店に入った! オーバー!』

 

『先程から言葉の終わりにつけるオーバーはなんなのですか?』

 

『映画館に観にいった映画の軍隊の真似事をしているんですよ』

 

  ジークとルーラーによるアサシン誘き寄せの囮作戦が実行され、サーヴァント達は二人にアサシンの魔の手が忍び寄ってないかミレニア城塞から現代の望遠鏡や魔術施工された水晶玉で監視していた。

  二人もその事を重々承知のはずなのに、と言うよりもルーラーがその事を忘れているようにジークとのデートを楽しんでいた。

 

『本格的に動くのは夜からだから別に構わないけど…楽しそうにしているね』

 

『じゃあボクも行ってきていい?』

 

『ライダー?』

 

『…分かったよぅ』

 

  念話で三騎も暇とばかりに話をしているが、アサシンらしきサーヴァントの襲撃にいつでもいいように目を離さない。

 

『しかし、“黒”のアサシンを相手しているけど平和だね』

 

『“赤”のサーヴァントに動きがない、という事ですか』

 

『ほら、普通戦争って相手側に斥候を出す事が常道でしょ? せめてこないにしても何かアクションがあるんじゃないかなって』

 

『…なるほどね』

 

  戦争という類の争いに関わったことのないバーサーカーにとっては戦に携わった騎士であるライダーの意見に納得した。バーサーカーだけではなく、アーチャーも肯定の意を唱える。

 

『そうですね。 相手側も後は時間稼ぎに徹する訳ですが何かしらの動きがあってもおかしくありません』

 

『ですが、斥候に何にしろ、相手のサーヴァントのアサシンはあの女帝ですからね…』

 

  ルーラーの真名看破によって分かった“赤”のアサシンの正体、アッシリアの女帝セミラミス。

  あれは婚約して数日で夫を毒殺した女だ。アサシンとして喚ばれてもおかしくない。斥候として適任のサーヴァントはアサシンだが、あの女帝に斥候という任を任せれるわけがない。

 

『まあ、それならそれで構わないけど気をつけておこうよ。 あちらには真名を確認できていないキャスターもいるんでしょ?』

 

『知略策謀に長けた魔術師の英霊…。 セミラミス同様の厄介さじゃなきゃいいけど…』

 

『お二人共、 話はそこまで』

 

  アーチャーの叱るような口調にライダーとバーサーカーは同時に黙る。

 

『そろそろ太陽が沈み、夜が顔を出します。 アサシンも動くことでしょう』

 

  話に夢中になっていると空は赤く染め、黒が赤を侵食していくようであった。

  遠目からルーラーとジークの顔つきも昼の楽しげな雰囲気を終わらせ、緊張と覚悟が滲み出ている。

 

『我々も何時でも出陣できるように構えてーーー』

 

『ねえ、あれ!!』

 

  ライダーの叫びに、アーチャーとバーサーカーの意識がトゥリファスの街へと向く。

 

 

 

  バーサーカーは城塞の見張り台から遠見の水晶玉を通してジークとルーラーを見守っていたが、いま彼が見ているのは水晶玉ではなく眼下に広がる街並みだった。

 

「…これは!!」

 

  重く、深く、そして何よりも暗く、包むものを霞ませる霧がトゥリファスの街から生まれ出てきていた。霧は迅速に膨れ上がっていき、広範囲までにその逸話を再現させている。

  そして聞こえるーーー悲鳴。

  その身が奇跡でできていた為に否応なく受け取ってしまうその聴覚には、老若男女関係なく苦悶を聞き取ってしまった。

 

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!」

 

「目が、目が!! 喉が痛い!」

 

「あ、ああああああああああああああ!!!」

 

「肌が、私の肌がぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」

 

「ど、どこだ!? 返事をしてくれぇ!!」

 

「ママ、ママ!! ママどこぉ!?」

 

  ギリィ、と歯を噛みしめる。

  この悲鳴をアサシンはどう思っているのだろうか?

  バーサーカーにその疑問が過ったが、それを確認しようとするつもりは失せてしまった。

  アサシンの姿を忘れてしまった。あの英霊との出会いも忘れてしまった。

  知っているのは真名だけ。

 

「お前の蛮行…止めさせてもらう!」

 

  突然の無差別の奇襲にバーサーカーは見張り台を飛び出した。

  他二名も同様に飛び出した。あの街には多くの無関係な市民とジークとルーラー、そして“黒”のアサシンとそのマスターがいる。

  アサシンとマスターを狩るべく“黒”の陣営は動き出す。

 

 

 

 

 

 

 

  そして、ここに一人。

 

「…これは」

 

  “赤”の弓兵がーーー翠緑の狩人がトゥリファスに到着していた。

 

 

 

 




Q.ヒッポメネスの料理を全員に食べてもらった。

A.
ジークフリート「す、すまない……」
ケイローン「少し調理作業を見させてもらってもよろしいですか?いえ、美味ですけど流石にこれは…」
ヴラド「ど、毒か!?」
アヴィケブロン「…特にないな?」
アストルフォ「美味し〜い!でもゲロみたいだね!」
ジャック「おいしい!ハンバーグ作って!」

モードレッド「…マッシュのほうがマシだな。見た目は。味は断然こっちだが」
アタランテ「懐かしいな。相変わらず見るに堪えぬが」
カルナ「………」(汗)
シェイクスピア「か、カオス!? でもこれはこれで…」
アキレウス「ぐ、うおおおおおおお!?」
セミラミス「…食えたものではないな。食えたが」
スパルタクス「圧政いいいいいい!?」

ジャンヌ「あれ? 今回は大丈夫ですね?」
天草四郎「…本当にただのギャンブルのようです。アタランテは別の理由だも思いますが」

ヒント、愛。




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母と娘

Q.寒いのと暑いのどちらが嫌?

A.
ヒッポメネス「寒いところだね」
アタランテ「寒いところだな」
ジャンヌ「やはり獅子だから?」


  ジークは昏倒する

 

  確か、突然発生した奇跡の再現ーーー公害の濃霧が親子を苦しめ始めたことから思い出す。

  自分とルーラーは街を周りながら地形を覚え、そして楽しんでいた。

  彼女達が自分を救えたことが、愛おしいと答えてくれた。ふとした疑問で彼女を困らせた。そんな、なんというか、ありふれたような日常が終わる昼と夜の切れ間に悲劇が降りた。

  “黒”のアサシンーーージャック・ザ・リッパーの宝具らしき濃霧が現れ、関係ない母親と娘の目と喉も肌を焼いた。

  助け出そうと霧に入ると娘だけが見当たらず、母親が目から血を流して倒れていた。

  娘を助けると、母親に約束して探そうとした時ーーー胸に鋭い衝動が三回も響く。

 

  今までを振り返り、ジークは理解する。

 

  助け出そうとした母親が銃で自分を撃ったのだ。

  起き上がろうと四肢に力を込めると、誰かが自分の前に立っていることに気づき、咄嗟に魔術を発動させる。

 

「理導/開通」

 

  腕を振るうと頭部付近に弾ける“弾丸”の気配。

  必死に体を動かし、体を上げると目に映る娘の母親がこちらへ銃を向けていた。

  母親の顔には緊張がなかった。恐怖も、憤りも。まるで当たり前のことをしているような自然な佇まい。

  母親があら、と不思議そうに首をかしげる。

 

「どうしようかしら」

 

「お前が、アサシンのマスターか」

 

  自分でも、低い声だなとジークは思った。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ルーラーは痛みに耐える

 

「くっ…!」

 

  持っていた聖旗を手放すことなく、なんとか踏みとどまる。

  押し寄せてきた黒色の怨念は彼女の肉体をーーー腹部を弾き飛ばそうとしたが、前以て展開させていた彼女の宝具『わが神はここにありて』は怨念の殆どを弾き飛ばした。わずかにルーラー自身に流れ込んだ怨念は完全な力を発揮できぬまま、彼女の肉体の内部を少しだけ傷つける程度にまで格下げした。

 

  “黒”のアサシンの二つ目の宝具『解体聖母』

 

  この宝具はある条件を揃えることによって、一撃必殺を発動させる。

 

  一つ、夜であること

 

  二つ、霧の中であること

 

  三つ、女性であること

 

  ジャック・ザ・リッパーが行った事件を再現させる“雌”を殺す呪術式宝具。

  三つの条件が揃うことで絶対を誇ることができるのだが、その正体が呪術、何よりも怨念による腹部の破裂だったことが聖女であるルーラーに届かなかった。

 

「貴女は…悪霊使いですか」

 

  ルーラーの片腕には一人の少女が抱えられている。少女の片腕は真っ黒に染まっていた。この腕にはアサシンによって憑けられた悪霊が宿っている。

 

  ルーラーはアサシンによって生み出された霧の中でこの少女を見つけ、アサシンの囮として使われたと勘違いしていた。

  だが、実際この少女自体が罠でもあった。アサシンに操られた少女は口の中に隠していたメスでルーラーを攻撃し、その隙にアサシンが宝具を使用したが失敗に終わってしまった。

  ルーラーは一先ず腕で暴れる少女の額に触れて眠らせ、持っていた聖水で憑いていた悪霊を祓った。

 

「私の宝具を…あなたなんのクラス?」

 

「貴女もサーヴァントならルーラーのクラスは知っているでしょう」

 

「…へえ、そんなのがここにいたんだ」

 

  知らなかった、という素振りをするアサシン。そんなアサシンにルーラーは聖旗を突き立てて、凛とした表情で言い放つ。

 

「アサシン。聖杯戦争というものは、本来七人のマスターとサーヴァントだけが聖杯を巡って争うべきもの。罪無き幼子を巻き込む貴女の行状は最悪です。 逃しはしません」

 

「…ふぅん。 そうなんだ」

 

  それだけ呟くと、アサシンは自身が悪霊を憑かした少女へとメスを投擲した。ルーラーがそれを弾くが、アサシンはメスを指の間全てに挟み込み、不敵に笑う。

 

「子供なんて、掃いて捨てるほど沢山いるよ。 それでも守りたいなら…頑張ってね」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  “赤”のアーチャー(アタランテ)は霧に包まれる街を俯瞰する。

 

  小さな街並みを包み込む濃霧、そして濃霧から聞こえる少なくない市民の悲鳴。

  アーチャーはわずかに戸惑った。だが、その迷いは考える必要でないものだと判断した。

  この悲鳴を上げる人々は、運が悪かっただけだ。夕方だけあって帰宅途中の者もいただろう。しかし、こんな異常事態だというのに外へ出た者もいる。

 

「運が悪いな」

 

  それだけだ。運が悪くて亡くなった者は多くいる。“黒”のアサシンが一番の原因だろうが、圧倒的に運が無かっただけだ。

  アーチャーは己の感覚を広げ、この街にいるサーヴァントの気配を辿る。

  まず、“黒”のアサシン。この気配は霧の中にいると分かるが、何処にいるかは判らない。

  “黒”のアーチャーと“黒”のライダーはこちらを探しているようだ。あちらも“赤”のアーチャーがいることが分かっているらしいが場所を掴めないらしい。

  そして、ルーラーだ。ルーラーの気配は非常に分かりやすい。姿見えずとも感じれる清廉な輝き。その輝きは霧の中を走っている。恐らくは“黒”のアサシンと対峙している。

  最後に“黒”のバーサーカーだったが…。

 

「…何をしている?」

 

  アーチャーは体の向きを変え、バーサーカーがいる方向に意識を集中させる。

  霧の中へは入りは出て、出ては入るの繰り返し。出てくる度にバーサーカーの近くには幾つかの気配が窺える。

 

「救っているのか」

 

  バーサーカーは少しずつだがこちらへと移動しながら、その間に霧に蝕まれつつある人々を助けていた。

  その判断にアーチャーは口を閉ざしたままだった。

  本当に人々を救いたいのであれば、“黒”のアサシンを討伐することを優先すべきである。

  手が届く少人数だけ助けても、それは自己満足でしかない。

  この惨劇を止めぬ限り、絶える命は救った命よりも遥かに上回る。

  それを理解してないのか、それとも理解したうえでそれを行っているのか。

 

「変わらぬな、汝は」

 

  “赤”のアーチャーは己がすべき事を考える。

  このまま様子見を続けるか、霧に飛び込むかだ。

  状況を窺うのであればこちらを探す“黒”のアーチャーと“黒”のライダーに見つかる可能性もあるがこちらは確実に逃走することができる。

  元々は斥候のためにトゥリファスに来たのだ。既に目的は達成できたものだろう。

  だが、霧に飛び込むのならルーラーを仕留める機会があるかもしれない。危険を承知の上だが、シロウの第三魔法を用いての人類救済の成就は確実のものとなる。

 

  “赤”のアーチャー(アタランテ)の目的は子供が親に愛され、育った子供が自らの子供を愛する循環を作ることだ。

 

  産まれて間もなく女という理由で親に捨てられ、哀れと思った女神により遣わされた雌熊に育てられた。

  やがて狩人に拾われ、美しく成長し、数多の冒険の中で友を得た。しかしその中で愛する者も、愛そうと思う者もいなかった。

  カリュドンの猪狩りの際に起きた争いは元々自分に惹かれた男がいたことや納得しなかった者たちがいたからだ。それが、彼女をもっと孤独にした。

 

  やがて自分を見放した父親と再会することになった。不思議とそこに憎しみはなかった。ただ、嬉しかった。父親と、家族と再会できたことに胸が満たされた。だがーーー

 

 “誰でもいい。婿を取って子を育め”

 

  心に空洞ができた。あの感覚は今でも忘れない。父のあの目は自分を見ていなかった。ただ、そこに都合がいい獲物がきた。そう思っているような目に見えてしまった。

  否定したかった。拒絶して、都合がいい夢を見たかったに違いない。

  望まぬ婚姻と理解して、条件を課して自分を妻に望む男たちと競争して父を見た。

 

  結局、父はいつまでも婚姻しない自分に苛立ちを感じていた。

 

  だからこそ、彼は目の前に現れた。

 

  ーーー愛されたかっただけなのに

 

  ーーーなんで誰も

 

  ーーー■■■■■■■■

 

  ガキリと何かが軋む。

  まただ、アーチャーの頭の奥の何かが噛み合わない。

 

  肉欲や権力欲ではない、ただ純粋な無償の愛が欲しかっただけなのに。

  親が子に未来を託し、成長を望むようなあの暖かな愛情がとても眩しく見えた。

  それと反して己の親と同じく、自らの都合だけで子を虐げ、廃棄する者もいた。

  そしてアーチャーは至った。

 

  ーーーあれこそ、世界に必要なものだ

 

  この世は決して地獄ではない。

 

  どんなに醜く、悪意に塗れてようとも。

 

  厳しく無情な自然の摂理が定まっていても。

 

  あの愛情は必要で、是であらなければならない。

 

  そのためにあの聖人の少年の口車に乗った。人類救済を謳い、そのために使えるものは使い、敵対する者を排除せんと己のマスターから令呪を奪ったあの少年のだ。

  今、再び世に戻ってきたのはこの時の為だ。ならば、すべき事は一つだろう。

 

彼ら(子供達)のためならば、惜しくはない」

 

  “赤”のアーチャーは霧の中へと飛び込んだ。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ジークはマスターらしき母親を見失い、追いかけている途中でルーラーと再会した。

  ルーラーは少女を抱えながら、アサシンらしき黒いボンテージ調の服を着込んだ少女と戦っていた。アサシンはジークの姿を見るなり、メスを投擲してきたがルーラーがそれをすかさず聖旗で払い落とす。

 

「驚いた。 死んでいなかったんだね」

 

「彼と面識があるようですが、今の貴女の相手は私です」

 

  未だルーラーとアサシンは決着はついていない。本来の実力差ならばアサシンを仕留めるぐらいルーラーは容易く行える。ただ、アサシンはルーラーの腕にいる少女を狙っている。それがルーラーがアサシンに手こずる理由だとジークは悟った。

 

「ルーラー、俺はマスターを探す」

 

「マスターの姿が分かったのですか?」

 

「ああ、撃たれてしまったがはっきりと姿を目視した」

 

「そうですか………う、撃たれた? だだだ、大丈夫ですか?」

 

  かなり狼狽しながらもアサシンに注意を向けていることは流石というべきだろう。

  しかし、アサシンの方はジークの言葉に表情を消し、殺意を露わにした。

 

「おかあさんのところへは、行かせない」

 

  投擲されるメスの標的はジークへと定まった。何度も投げられるメスにルーラーは的確に払い落とし、互いの距離は固まってしまう。

 

「すまない、足手まといのようだ」

 

「お気になさらずに、ジーク君。 今は援軍を待ちましょう。 もう少し待てば、彼らが来ます」

 

「ーーーじゃあ、こうするね」

 

  アサシンが軽く口笛を吹く。ルーラー達を囲う霧の中から、小さな足音が聞こえてきた。微かな音はやがてはっきりと著明となり、ルーラーは足音の正体に気づく。

 

「アサシン、まさか…!」

 

  霧の中からぼんやりと現れる無数の子供達。その子供達の手にはメスがあり、ルーラー達を見る目は虚空となり、カタカタと皆痙攣している。

 

「…子供達に怨霊を!!」

 

  子供達は“黒”のアサシンの手により怨霊に憑かれていた。ルーラーの聖句によればすぐにでも除霊できるもののこの数では人質として使われている。不意に行動を起こせば考えたくない結末が待っている。

 

「ん、それじゃあルーラーと…そのマスター? 一人残らず守ってみせてね」

 

「ジーク君!」

 

「分かっている!」

 

  強襲を仕掛けてくる子供達をなるべく傷つけないよう足を引っ掛けて転ばせる。しかし、怨霊に憑かれているのだから転ばさせられても時間稼ぎにしかならない。

 

 

 

 

  ルーラーとジークは投げられるメスや飛びかかる子供達を捌きながらなんとか怨霊を除霊させていく。それでも数が多すぎる。

  ジークも令呪による“黒”のセイバーの憑依を抑えてメスを躱していくのだが、ルーラーが一人の子供の浄化が済んだところで気がついた。

 

「ジーク君! 離れすぎています!」

 

  ジークとルーラーに距離が空きすぎていた。アサシンは子供達を使い、ジークとルーラーを分断させたのだ。ルーラーもすぐに向かおうとするも、子供達が壁となり道を防いだ。

 

「ーーーここだ!」

 

  アサシンが肉切り包丁を両手に持って突貫する。包丁が振り下ろされるはジークの細い首。勝利は確信的、サーヴァントを切り離し、小さな負傷が目立つマスターがサーヴァントに叶うはずがない。

  聖杯に一歩近づいたと思った瞬間ーーー

 

  アサシンに流星が穿たれた。

 

「え?」

 

  現“黒”の陣営、参謀にして最強のサーヴァント、“黒”のアーチャーの矢が霧の暗幕を無理やりこじ開けた。

  魔力を込められた矢は寸分違わずに“黒”のアサシンの小柄な体躯に突き刺さり、破裂した。

 

「あ、ぐぅ、あぐぅ…!!」

 

  体の皮を剥がされるような痛みに耐えながらも、その場から離脱することを選んだアサシンだが、それを逃す者はいなかった。

 

「逃がしません、アサシン」

 

  ルーラーの聖旗がアサシンの手にあったナイフに振り下ろされ、粉々に砕け散る。

  退路に立つのは聖杯戦争の裁定者の役を担う英霊、ジャンヌ・ダルク。その実力は三騎士クラスと匹敵するステータスと宝具を保持する。

  裁定者と暗殺者、このクラス差にどうしようもないほどの壁が立ちはだかっていた。

 

「お…かあ……さん、 おかあ…さん!!」

 

  アサシンはそれでも這い蹲って逃げようとした。母を求めて地面を這う姿は、この惨状を生んだ張本人とは思えなかった。

  ルーラーは気づいていた、このアサシンの正体を。あの怨霊とこの姿、そしてジャック・ザ・リッパーが誕生してしまった時代の背景を。

  だが、ここで踏みとどまれる訳がない。ここで彼女を逃してしまうと、新たな惨状が生者へと降りかかる。

  逃れようとするアサシンの前に回り込み、膝をつき、額に手を置いた。

 

「主は全ての不義を許し、全ての厄災を許す。そしてその命は墓穴から救い出し、慈しみ、憐れみーーー」

 

  聖女の言は迷い、憎しみ、苦しむ亡霊を主の元へと導く。その言葉が紡ぎ出されることに、アサシンは恐怖に駆られた。

 

「やだ」

 

  それでも、ルーラーは止まらない。止まれない。

 

 

 

「やだ…やだやだ…おかあさん、助けて、助けてよぅ、おかあさん! おかあああさあああああああああああああああああん!」

 

 

 

「!? 令呪!?」

 

  アサシンの内部より膨れ上がる魔力を察知した瞬間、アサシンの姿は唐突にその場から掻き消えてしまった。ルーラーとジークは驚きに顔を見合わせるも、すぐに状況を把握する。

 

「令呪による空間転移、ですが然程遠くに行ってはいません! 探しますよジーク君!」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「ごめんなさい…おかあさん…」

 

「喋らなくていいわ。まずはおやすみなさい」

 

  “黒”のアサシンのマスター、六導玲霞は優しくアサシンを抱き上げて細く暗い路地裏を進む。

  玲霞はアサシンの霧が街から消えた瞬間、アサシンの異常に気づき令呪を使用した。

 

「これから…どうしよう…」

 

「怪我を治してから考えましょう。 今は、自分のことを心配して」

 

  自分の子供をあやすようにアサシンを労わるその姿は母娘にしか見えない。この主従関係は所詮、聖杯戦争の時だけの間柄だけにしか過ぎない。それなのに玲霞とアサシンにはどのマスターとサーヴァントにも劣らない繋がりができていた。

 

  魔術師の居宅を奪い、そこを隠れ家としている玲霞達はアサシンの霧によって一層に静かとなる通りを歩く。自分達の手によって息を引き取った者達の屍を無視し、二人は家へと帰宅しようと考えていた。

  玲霞はふと、通りにある店のガラス窓へと視線が行く。街灯により照らし出されたガラスには、偶然にも人影が写っていた。

  現代の服装とは違う、古代めいた服装を纏う少女。その少女は此方へと弓を構え、矢を番えている。

 

  ああーーー、と玲霞は理解した。

 

  ここで終わりかーーー。

 

  彼女の人生は良くはなかった。幸せだったことはあると思うが、悲しみを感じることもなく、ただ空虚となって過ごしていた。

  悪い男に騙され、殺されかけたところにやっと、人並みにーーー生きたいと願った。

  その願いを叶えてくれたのは、人とは異なる少女だった。

 

  彼女と出会い、楽しかった。残酷で悍ましく、決して褒められない日々を少女と過ごし、彼女の願いを叶えたいと、愛おしく思った。

 

  だが、それもおしまいだ。こうなってしまったら、どう足掻こうとも終わりは見えている。

 

  だから、せめてと玲霞はーーー愛おしい娘にこう告げる。

 

「二つの令呪を以て、命じます。『私がいなくても』『あなたは大丈夫』…ジャック」

 

  そうしてーーー心臓に刺さった矢から溢れる血が体から無くなり、六導玲霞は命を絶えた。

 

 

  傍で呆然とする娘の未来を願って。

 

 




Q.正義の味方。貴方はなりたいと思った事は?

A.
ヒッポメネス「かつてはあったかも、ね」




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灯無き深淵で

此処は荒野。寒風は指を凍らし、歯の根を震わせる。空腹を満たす贄もなく、貴方はただ体を丸ませる。重く天を防ぐ雲も晴れることもなく、貴方を責めんと夜は訪れる。
ーーー其処に一人の者が訪れる。

Q.その人は貴女にとって何者であり、何を齎してくれるでしょうか?

A.
聖者か亡者か。餓えか恵みか。それは貴方の瞳の景色が決める。




  アタランテ(赤のアーチャー)は許せなかった。この街に広がる霧によって、多くの人の命が絶えていくことではなく、アサシンが関係ない子供達を使ったことに。そして、それを許したマスターにも。

  道に倒れこむ者達は運がなかったとしか思えぬが、子供達を巻き込んだ時点でアサシン達は自分の敵となった。

  逃げたアサシンを追い、すぐに主従を見つけたアタランテの行動に躊躇いはなかった。

  弓を引き、矢を放つ。

  一連の動作はすぐに結果となり、アサシンのマスターの胸を貫いた。

 

  そこに一つ驚いたことがあった。アサシンのマスターである、現代の衣服を着込むありふれたような女はアサシンを庇った。

 

  なんの意味もないーーー

 

  そう思い、アタランテはアサシンへと矢を放つ。

  矢はアサシンの心臓であり、サーヴァントを現界させるための楔である霊核を穿った。

  霊核が破壊される寸前までマスターに縋り、咽び泣いていていた少女の姿をしたアサシンに心を痛めていたが、それも特例だと割り切った。

  サーヴァントは最盛期の姿として召喚される。あのアサシンの姿もそうなのだろうと。

 

  だが、そのアサシンは何時まで経っても消滅しなかった。

  霊核がある心臓を破ったというのに、まるで糸が切れた人形のように何時までも母と呼ぶマスターの近くに座り込んだままだった。

  矢は胸に確実に突き刺さっている。マスターも息絶え、手の甲にある令呪も消えている。

  それなのにアサシンは未だ現界していた。

 

  ふと、背筋に冷たいものを感じる。

 

  恐怖を感じる理由などなかった。敵は既に心臓を穿ち、勝利を手にしたはずであった。

  夜の暗闇、巨大な猪、死が蔓延る戦場にさえも恐怖を克服し、笑って闊歩できると豪語できるはずだった。

  なのにーーーこの恐怖だけには、逃げなければならないと本能が叫んでいる。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ジャック・ザ・リッパーの正体は、子供達だった。1888年のロンドンには数万人にも及ぶ娼婦がいた。その時代の堕胎技術は未発達で、多くの“子供達”が死んでいった。

  産まれることさえ拒まれた子供達の怨念はやがて、人の形をとり、意味も理由もなく、ただ彷徨い始めた。

  人の形は姿を変え、幼い少女へと変貌していった。

  少女は偶然にも、ただの娼婦と会ってしまった。

 

  ーーーおかあさん

 

  そう呟いた。なのに、娼婦は少女を激しく罵倒した。とても悲しかった。悲しくて、辛くて、痛くて、そして…殺した。

 

  解体した死体はとても温かった。自分の冷たい体をぬくもりに、探していたものはこれなのかもしれない、と殺人を始めた。

 

  少女が三人目を殺した辺りから、自分に名前が付いた。

 

 “ジャック・ザ・リッパー”

 

  彼女はとても喜んだ。自分が何者か分からなかったから、名前が付いたことに歓喜する。

  その後、彼女は死んだ。理由はなんともない。この猟奇的な殺人の正体に気づいたとある魔術師が彼女を殺したからだ。

  犯行は止まった。だが、恐怖は消えたわけではなかった。

  犯人は不明、猟奇的で、謎だけが残ってしまった。刻み込まれてしまった恐怖は百年以上経とうとも消えたりはせず、未だミステリーとして残り続けてしまった。

  正体不明の連続殺人犯の反英霊、それがジャック・ザ・リッパー。

 

「おかあ…さん…?」

 

  ただ、彼女はぬくもりがほしかった。捨てられる寂しさも、路面に横たわる冷たさも、拒絶される痛みも全てをほぐしてくれるぬくもりをーーー母の胎内に戻ることを求めた。

  聖杯に求め、出番が訪れた時、“生きたい”と願う女がいた。

  ゆえにマスターであった男をナイフで切り、彼女を助けた。

  それは自分と同じであったからか、求めていた母ーーー女であったからかどちらであったかはどちらでもいい、どちらでもよくなってしまった。

 

  自分を抱えてくれるマスター(おかあさん)が腕を開き、地面へ尻餅をついた時、驚き、そして目を疑った。

  マスターの胸を貫く一矢、そして倒れる細い肉体。

 

「おかあさん!!」

 

  激痛さえ忘れて近寄った。

  胸から流れ落ちる血流は止まることはない。神の手を持つ、最も嫌悪する医者の技術を持っても助からない。

  それを想像したくないから叫んだ。

 

「いや! いやぁ! おかあさん!!」

 

  泣き叫ぶ娘に、母は優しく微笑んで頬を撫でた。

 

「二つの令呪を以て、命じます。『私がいなくても』『あなたは大丈夫』…ジャック」

 

  もう本人だって分かっていた。これが今生の別れ。ゆえに願い、慈しんだ。もう少しだけ、もう少しだけーーー娘の幸せを願い、頬を撫でて、髪を梳いた。

 

  こつり、と命が絶えて、玲霞の瞳に光が失われた。それを呆然と眺めて、軽い衝撃が胸に響く。

  アサシンはそれを確認すらせず、亡くなった母を見下ろした。

  矢が胸に刺さり、死んでしまうのに。そんなこと、どうでもいいと。母の亡骸に擦り寄った。

 

  やがて、理解する。

 

「どうして?」

 

  母と自分の胸を貫いたーーー翠緑の少女へと目を向けた。

  もう心は軽く、感情は揺るがない。動くべき感情が死滅したのだから。

  いや、“元に戻った”だけだ。

  得て、知って、持ってしまったものを失った。

 

  怨霊の塊は体を放り出し、本性を露わにした。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  逃走本能はほんの一歩遅かった。

  アサシンの口から悍ましい塊が排出された。

  あれに触れてはならない、そう分かっていたのに恐怖が足を上手く動かさなかった。

 

  アタランテの眼前に迫るは蠢く黒の塊。それに足掻く時間も与えられずーーー地獄を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■■■■■

 

 

 

 

 

 

  地獄があった

 

 

 

 

 

 

  まだ十にも届かない少女が躰を売っていた。

 

  汚臭が漂い、汚物が撒き散らされている道があった。

 

  ネズミが死体にかぶりつき、ゴキブリが壁中に貼り付けられているほどに繁殖していた。

 

  ここはイギリス、ホワイトチャペル。

 

  産業革命の時代、多くの子供達が生きる喜びを感じ取れぬまま亡くなった背景だった。

 

  ここは地獄だ。

 

  少なくともアタランテはそう思った。

  多くの子供達が生きることに絶望すらせず、希望を持てない虚として生を強いられていた。

 

  生きるために同じ子供を半殺しにし、生き残っても他の大人や強者にいたぶられる循環がそこに存在していた。

 

  目を覆い、耳を閉ざしたい。なんだここは、なんなんだここは!?

  一縷の未来さえも望めない暗闇の底に多くの子供達が彷徨い続ける光景が許し難かった。

 

  ーーーそんな目をするな! 愛はある! 確かにあるんだ!

 

  そんな言葉が出なかった。死んだ瞳に輝きを灯したかった。自分に与えられた希望と歓喜を彼らに教えたいのに、それさえも叶わない。

 

  ーーー助けてあげる!だから、こちらへ!

 

  心で訴えるアタランテの言葉が届いたのか、同じ瞳をした子供達が彼女へと歩み寄ってくる。

  瞳は曇った硝子のようだった。光が届こうとも宿ることはなく、濁るように光を反映する。

  アタランテの言葉も、思いも、届いていなかった。

  首元を舐められたような悍ましさが立つ。後ろへ一歩、退こうとしたが、一人の子供がアタランテの腕を掴んだ。

  そして、子供達は同じ言葉を口にする。

 

「「「「「一緒にいて」」」」」

 

  ぞるり、と肉体に泥のような物が浸入した。

  肌に、血管に、神経に、内臓に、筋肉に、脳髄にーーー子供達が入り込む。

  子供達の絶望が内側を侵食する。抉られているのか、刻まれているのか、潰されているのかすら分からない絶望が彼女の心を蝕んでいく。

  痛いか苦しいとかそういうものではない。もっと具体的な抽象的な、訳がわからない狂気めいた感情が棘となって暴れている。

 

  絶叫、悲鳴、慟哭が歪んだ夜に響き渡る。

 

  何人、何十人、何百人、何千人、何万人ーーー地獄が巡り回される。

  やめてくれ、やめてくれ、助けてと手を伸ばすが誰も掴んでくれない。アタランテの脳内の最も古い記憶が呼び起こされる。赤子だった頃、父に捨てられて森の中でひたすら泣いていた初めての悲しみ。あの悲しみを晴らしてくれたのは分厚く暖かすぎる程の毛皮の塊だった。あの獣の温もりと獣を送ってくれた女神に彼女は救われたのだった。

  だが今はあの獣も女神もいない、誰も彼女の手を握ってくれない。絶望は蹂躙の形となって彼女を責め立てる。地獄は続き、意識は食い尽くされ、心は砕きかける。

 

  ーーー誰か。

 

  知らない、分からない、怖い。そんな感情を乗り越えた。成長と共に克服してきたはずなのに、この暗闇と絶望に体が震えてしまう。

 

  ーーー誰か、私を。

 

  振り解けない。振りほどこうにも理性が拒否する。守るべき愛し子。受け入れるべき幼な子。心身をかけて救うと決めた彼等を彼女は拒絶することなどできない。

  だけど。

 

  ーーーーーたすけて

 

  手は届かない。握りしめてくれない。あの時と同じ奇跡は、

 

「やめろ。彼女(アタランテ)から離れるんだ」

 

  訪れた。背中から唐突に、次に手に。かつての温もり(救い)と比べると冷えているが、それでも陽だまりのような…安寧があった。

 

  地獄は鳴り止んだ。緻密に身体中を這い回っていた絶望は突如消失した。

  崩れ落ちる躰に、浅瀬の海のように涼しくて、穏やかな波の引き返しのような心地良さが包み込んだ。

  擦り切れるほどの精神の汚染から、アタランテはようやく自分の状況に気づいた。

 

「…ヒッポ…メネス?」

 

  抱きしめられていた。強く離さないように、だが痛くないよう包むように。

  今は敵として立ちはだかる“黒”のサーヴァント、ヒッポメネス(バーサーカー)がアタランテを抱きしめていたのだ。

  何があったのか分からない。だが、敵の筈だ。すぐに引き離そうと腕に力を込めるが。

 

「だめだ」

 

  逃がさないと腕に力を込められる。

  いつもの彼とは思えぬ強引な仕方にアタランテは瞠目した。

 

「だめだ、だめなんだアタランテ。ここは君がいつか知らなくてはいけなくて、そしてまだ直視してはいけなかった世界だ」

 

  そう言うと、ヒッポメネスはアタランテの頭に手を回し、自らの胸に引き寄せるように抱きしめ直した。

 

「目を閉じて、耳を塞ぐんだ。今はそうしなきゃ、君の心が曇ってしまう」

 

  怯えるように、そして願うように震えるのをアタランテは頬から感じ取った。

  どういうことなのか、何故なのか問い正したかった。

  だが、子供達の怨念の影響なのか、生前ぶりに感じ取った彼の匂いと温もりなのか。

  アタランテは暫く動けず、ヒッポメネスに身を預けたまま抱きしめられていた。

 

  だが、遠くで愛し子達の声を二人は聞いてしまった。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ジャンヌ(ルーラー)とジークも、アサシンにより生み出された地獄に巻き込まれていた。

  アサシンを追って通りに出た時、アサシンの口からでた蠢く黒い霧のような物に包み込まれてしまった。包むこまれる寸前、ルーラーの視界の端に“赤”のアーチャーと、それに必死に手を伸ばすバーサーカーの姿を捉えていた。

 

「英国…ですか」

 

  気がつけばジークと分かれていたジャンヌは周りの近代様式の建築物を見て呟いた。

  ジークが気にかかるが、今はこの周りの風景を生み出している元凶の元へと行かなければならないと決めた。

  立ち込める腐臭と重く暗い夜のなか、ジャンヌは目的の場所へと歩き始めた。

 

  その少女は路地裏にいた。少女の容姿は“黒”のアサシンたる少女の姿と酷似、いや、彼女の姿がジャック・ザ・リッパーである少女の代表格なのかもしれない。

  この街に似つかわしくない凛然とした聖女が現れた時、少女は顔を上げて無機質な瞳で睨みつけてきた。その睨みに、聖女ーーージャンヌは殺意に似た敵意を向けた。

 

「どうしました“黒”のアサシン。 いえ、ジャック・ザ・リッパーの名を持ってしまった、誰でもない貴女」

 

「…怖くないの?」

 

「怖い?どうしてあなたたちを恐ろしいと考える必要があるのですか? あなたたちは、ただの哀れな犠牲者でしょうに」

 

  いつの間にか、ジャンヌの周りには無数の子供達が現れてきた。どの子供たちにも一つ共通点があるとしたら、どの子供も等しく汚れ、瞳には何も映されていないこと。

  子供達はジャンヌ・ダルクにーーー聖女に手を伸ばした。

 

「せいじょさま」

 

「たすけて」

 

「あわれなわたしたちをすくって」

 

「かわいそうなわたしたちをすくって」

 

「おねがい、すくって」

 

  手を伸ばす子供達にジャンヌはーーー動じず、冷然とも思える表情で彼女達に告げる。

 

「できません。私は迷い子を救うことはできます、祈ることで未練を残す魂を浄化することができます。しかし、“切り裂きジャックを救うことはできないのです”」

 

  告げられた言葉に子供達は立ち止まる。

 

「あなた達は既に彼の伝説に取り込まれてしまっています。切り裂きジャックは誰でもなく、誰でもあるのです」

 

  切り裂きジャックの伝説はいまだ様々な逸話が残されている。

  五人の人間を殺した。その正体は未だ不明、犯人は皇室、医者、画家、はたまたそれ以外の人間か。

  嘘と真実が入り乱れ、ありえなく、未知数にまで膨れ上がる。誰もが正体に気づけなく、辿り着けない未解決な伝説。

  無限大の可能性を秘めてしまった存在。それがジャック・ザ・リッパーだった。

 

「あなたたちは取り込まれた。取り込まれてしまったのかもしれませんが…だから、倒すことができても救うことはできない」

 

「やだーーー」

 

「やだよ」

 

「だって、わたしたちは」

 

  そうして子供達は分かってしまった。聖女が与えるのは慈悲でも憐れみでもない。彼女はーーー

 

「私は、あなたたちを滅ぼします」

 

  祈りで、子供達を完全に消滅させる。

  聖女は祈りを紡ぐ。

 

  ーーー主の恵みは深く、慈しみは永久に絶えず

 

「どうして…そんな!?」

 

「あなた達も分かるでしょう? これが自然の摂理だと、膨らんだ人間の絶望で、あなた達は変質してしまった。今や、“切り裂きジャック”という概念から、誰一人として離れられないのでしょう」

 

  ーーー貴方は人なき荒野に住まい、生きるべき場所に至る道もしらず

 

  彼らは一つで全、全で一つとして成立してしまった。彼らには一人一人の名前も与えられず、個を認められていない。

 

  ーーー餓え、渇き、魂は衰えていく

 

「ちがう! ちがうよ、わたしたちは…!!」

 

「ならば、あなた達には一人一人に名前があるのですか?」

 

  凍りつく。誰もが、この場の中央たるジャンヌ以外の者が息を止め、突きつけられた事実に打ちのめされる。

 

  ーーー彼の名を口にし、救われよ。生きるべき場所へと導く者の名を

 

「ではーーー」

 

  ゆっくりと持ち上げられた右手の先には子供達が。子供達に終わりを告げるべく、最後の詠唱を唱えようとした時

 

「止めろ…ルーラー!!」

 

  第三者の介入、吼える声にルーラーが振り返る。そこにいたのは弓を構えた“赤”のアーチャーと、目を閉じて俯いた“黒”のバーサーカーがいた。

 

 

 

 




選びなさい。

聖者か亡者か。

貴方が。




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眠り子達に歌と名を

貴女は正しい。しかし、正しさは何時だって間違える。





“赤”のアーチャー(アタランテ)!?」

 

  アタランテは弓に矢を番え、狙いをジャンヌへと定めた。睨みは険しく、獣でさえ怯んでしまう眼光は、子供達を引きつけた。

  矢の先がジャンヌへと向けられていることで自分達の救い主だと思ったのだろう。そしてジャンヌは目にした。その救い主の腕には黒い何かが蠢いている。

 

「アーチャー…!その腕は! 何をやっているのです“赤”のアーチャー! その子達がどの様な存在だと…!」

 

「黙れ! 貴様こそ、何をやろうとした!子供達だぞ!彼らは子供であり、無害な霊にしかすぎん!悪ですらない!犠牲者だ!世界の機構に挟み潰された憐れむべき魂だ!それをどうして殺す!?」

 

  アタランテが持つ弓と矢は強い意志の証明だ。この世界は切り裂きジャックの内部であり、幻影にすぎない。いくら矢を放とうとも、ジャンヌとアタランテに決着はつかないだろう。

  アタランテの言葉には同情の想いが乗せられている。それゆえに事実から目を背いている。

  だからジャンヌは、アタランテに隣立つヒッポメネス(黒のバーサーカー)へと睨みつける。

 

「貴方も、彼女と同意見なのですか?バーサーカー」

 

「・・・・・」

 

  ヒッポメネスは答えず、ただ現れた時と変わらず俯いていた。

  何かに囚われているように、何も反応を示さず佇んでいるようであった。

  だが、やがてヒッポメネスは口を開いた。

 

「…ルーラー、君でもこの子達を救うことはできないのかな」

 

「できません」

 

  ルーラーの答えは酷く、冷血にも思えた。

 

「貴方も分かっているのでしょう。この子供達はジャック・ザ・リッパーに取り組まれてしまった。その魂を救うことはできないのです」

 

「聖女の君でも、か」

 

「ええ、私にはーーーできない」

 

  ひゅんと、矢が飛ぶ。突き刺さったのはジャンヌの足元である石畳。石畳は砕け、破片が散った。

 

「何を言うか!救うことが聖女の役割であろう!オルレアンの乙女、戦場で剣を抜かなかったのはその為だろう!殺さず、その手を血まみれにせぬようーーー」

 

「ーーーそう思いますか、“赤”のアーチャー」

 

  まるで刃のようだった。鋭く、研ぎ澄まされた言葉がアタランテの言葉を両断した。

 

「剣を使わなかったから、私の手が血に塗れてない?()()()。ーーー私はあの戦いに加担した。戦うと決めた。その瞬間から血に塗れたも同然です。甘く見ないでください。彼女たちを滅ぼすことに、躊躇いなどない!」

 

  一瞬、呆気にとられたがアタランテは怒りが込み上げる。

 

「ならば貴様は聖女などではない!!」

 

「そうです。私は聖女ではありません」

 

  否定。聖女自身がそう否定した。

 

「皆、私が聖女と呼ぶ。けれど他ならぬ私だけはそう思ったことは一度としてないのです」

 

  まさか、否定されるとは思わなかったのだろう。聖女自身が聖女ではないと言い切ることなど、想像しなかった。そして、聖女たる彼女ならばこの子たちを救うことができると考えていた。

  そして、アタランテはもう一つの可能性に賭けた。

 

「ならば…!聖杯による救済を行うのみだ!」

 

  シロウによる第三魔法の発動。魂の物質化を全人類に展開させる。それにより死の恐怖を取り除き、根本的な争いの元を断ち切ることで得られる人類の救済がシロウの目的だ。

  これならばジャック・ザ・リッパーがいたことも、生み出された背景、過程も消え去る。

  子供達が切り裂きジャックに取り込まれたことも無くなるだろう。

  ゆえに、子供達もこの地獄から抜け出せる。子供達は救済されるーーー

 

 

 

「できないよ。アタランテ」

 

 

 

  だが、それさえも否定される。

 

「…なに?」

 

  否定したのは聖女でないと言う聖女ではなく、彼女の横に立ち、今まで黙っていたヒッポメネスだった。

 

「なにを…言っている」

 

「できない。できないんだアタランテ」

 

  そう言ってヒッポメネスは片膝をついた。彼は近くにいた“黒”のアサシンの姿、つまりアサシンの代表格となった少女へと手を伸ばした。

  伸ばされた手に戸惑いつつも、少女は差し出された手を握り返した。

  それはただ嬉しかっただけかもしれない。今まで差し伸ばさたことがなかっただけから意味もなく握ってしまったのだ。

  だが、それは最悪の結果を現してしまった。

 

「…え?」

 

  それは少女だったのかもしれない。もしくは、他の子供達だったのかもしれない。

 

  少女が触れたヒッポメネスの手は、黒く汚染されていく。

 

「バーサーカー!!」

 

  ルーラーが叫ぶと同時に、少女は咄嗟に手を離した。だが、ヒッポメネスの手は黒く蠢き、悍ましい怨念により侵食されてしまっていた。

 

「魂を物質化させることは、今までの積み重ねを無かったことにできるわけではない。歴史は無くなるだろう。逸話も、伝説も、英雄譚も消え去るだけだ。だが、魂は違う」

 

  魂は蓄積された記憶でもある。発露した感情の種類でもある。あらゆる価値観で得られた哲学でもある。それが魂だ。

  いくら死を取り無くそうとも、生きていた頃の、刻み込まれた業と罪が無くなるわけがない。

 

「この子たちに罪はない。悪意もない。ただ、飲み込まれてしまっただけなんだろう。このジャック・ザ・リッパーの悪夢の中に」

 

  それだけだった。それだけでここまで変質してしまったのだ。無垢なる魂は悪意により、人を悪意に導く憎悪を生んだ。憎悪に染めるその性質は触れるだけで、同胞を生み出してしまう。

 

  全人類の魂が物質化しようとも、子供達は災厄を振りまく。それがこれが子供たちが背負うこととなってしまった業。

 

  この業はシロウによる救いでは消し去ることはできない。魂の在り方を変えることと魂の物質化は、両立しない。

 

  ヒッポメネスは振り離された少女の手を再び掴んだ。掴んだ掌から汚染は進み、ヒッポメネスの手は手首まで黒く変貌する。

 

「ーーーごめん」

 

  ただ、頭を下げた。頭を下げている間にも、怨念が彼の内部へと入り込んでいる。英霊である高位の存在ならば、この程度の怨念は念じる程度で消し飛ばせることができる。それこそやろうと思えば念じるだけで汚染など起こらなかっただろう。でもそれは実際起きていなかった。

  その方法を取らないのはきっと、ヒッポメネスが彼女を受け入れているから。

  穢れてしまった無垢なる魂達を、彼は侮蔑も忌避もなく認めているのだろう。だから、言葉にしなくてはならなかった。

 

「これが、君達なんだ。もう…救われないんだ」

 

  ただいるだけで害を及ぼす。どれだけ悪意が無くても善意に溢れても、彼女達は…いるだけで人々に拒否される。本当に救われない。言葉にするのも憚かる程に報われなかった。

 

「ふざけるな」

 

  無慈悲に聞こえる突き落としの言葉に、小さく反応する声がある。その声は震えていた。非情で無情な真実に、狩人が叫んだ。

 

「ふざけるな、ふざけるなヒッポメネス!!」

 

  アタランテは弓を投げ捨て、ヒッポメネスを掴みかかった。彼女の顔は憤怒に染まり、彼が言った言葉に責めかかった。

 

「救われないだと!?そんなことがあっていいものか!!ただ産まれてきただけで否定され、親に見放され、挙句には世界からも否定されるだと!?そんなことがあっていいはずがなかろう!!」

 

  そう、あっていいはずがない。そんなものがあってしまったら、彼女が求める理想は根本から否定されてしまう。

  認められる筈がない。それを知っていてもなお、彼女を知る彼は覆す。

 

「だがそれはあってしまった。()()()()()()()()()()アタランテ」

 

  目の前に広がるそれこそがこれだとヒッポメネスは真実を突きつけた。アタランテとて先程その地獄の一端を味わわされた。選択さえも選ばさせてくれない、終わりなき巡りを見てしまった。

  アタランテは言葉が詰まる。それでも、彼女が認められる筈がない。

 

「認めていいはずがなかろう!お前もあの聖女も同じなのか!この子達を…見離すのか!!」

 

  ヒッポメネスがアタランテを否定した時から黙して様子を見守っていたジャンヌは、アタランテの背中が今までと違い、とても小さく見えてしまった。

  見下しているわけでも、忌避しているからでもない。アタランテの姿が、とても寂しそうに見えたからだった。

  ヒッポメネスに対して怒りをぶつけているだけではなくーーーそれは、お前だけは味方であってほしかったと、信じたくなかったようにも見えてしまったから。

 

「なら、どうするつもりなんだアタランテ。仮に君がこの子達を生き返らせたとしよう、なんらかの方法で魂の性質を正しく浄化できたとしよう。…なら、次は?」

 

  その問いにアタランテの答えは既に決まっていた。

 

「守り、愛する!この子達は私が守らなけらばならない者達だ!この子達が親を求めるのならば、私が母となる!!」

 

  「無理だ」

 

  無碍なくそれを言い切った。ヒッポメネスの表情はアサシンと対峙したルーラーと同じ表情のようだった。あらゆる思いを断ち切り、信念の元に突き進むと決意してしまった者の、それだった。

  見たことのない初めて見せる伴侶の顔に、アタランテは動揺する。ヒッポメネスは彼女の手を掴み、引き寄せた。互いの息がかかるほどの近距離、虚偽も誤魔化しも許さないヒッポメネスの瞳がアタランテへと突き刺さる。

 

「君には、できない」

 

  決定事項だと言わんヒッポメネスの言動にアタランテは牙を剥いて反論した。

 

「無理ではない!捨てられたこの子達の気持ちならば私は理解できる!この子達に、生きる喜びを伝えることができる!」

 

「それが違うんだ」

 

  冷たさなど一切ない。温もりもない。無感情でも昂ぶっているわけでもない。ヒッポメネスはただ彼女の瞳から逸らさず、刻むように告げている。

 

「子供達が望むのは庇護さ。愛による庇護。母の腹の中にいる安心感、外界の影響を受けない、絶対の領域だ」

 

  愛を欲しているのは確かなのだろう。彼女達は一度も与えられなかったものを求め、怨霊になりながらも求め続けている。

 

「君の愛は暖かい。暖かいが、その温もりはやがて違う誰かへと与えなくてはならない。彼らは与えたくないんだ。ただずっと、与えられ続けたいんだ」

 

  アタランテの愛は、やがて希望となる日光のような慈愛だった。

  父が子に向ける愛は勇ましさ。知勇に優れ、力強くあれと願う様は頼もしかった。

  母が子に向ける愛は慈しみ。優しくあれ、大きく育てと願う様は憧れた。

  これこそが愛なのだと確信していた。この大いなる想いこそが無情な世界で必要なものなのだと信じていた。しかし愛はそんなに寛容じゃない。

 

「でもね、愛はそんなに綺麗なものじゃないんだよ」

 

  曰く、

 

「愛は独占だ」

 

  曰く、

 

「愛は渇望だ」

 

  曰く、

 

「愛は裏切りだ」

 

  そう語るヒッポメネスは何処を見ているのだろうか。直視しているのはアタランテの瞳だ。しかし、アタランテの内側か、それともアタランテの背景か。どちらにしよ、彼はいま彼女を否定している。

 

「君の愛は等しい。固執できない愛に、人は離れていくことしかできないんだ」

 

  ヒッポメネスは視線をズラした。自然とアタランテの視線も彼がズラした方向へと向けられた。

  子供達がこちらを見ていた。ヒッポメネスの手を握った少女、アタランテの背中へと隠れた少年達。その子供達の目は、等しく暗闇に沈んでいた。

 

「この子達は()()()()()()()()()。でも()()()()()()()()()()()()()()()()

 

  そして、再びヒッポメネスとアタランテの視線が重なった。

 

「君が与える愛は同情に成り下がる。同情は温もりになれない」

 

  それがヒッポメネスの言葉。これがヒッポメネスが聖杯戦争に出た理由の一つ。アタランテの欠点だった。

  彼女の想いは何一つ間違いはない。子供達が親に愛されることに何一つ間違いはないのだ。だが、アタランテに一つ間違いがあるとしたらアタランテの愛は、全ての子供達に向けられていること。全てを救う彼女の手段は未だ平等という一つしかなかった。

  その一つの手段は、ジャック・ザ・リッパーを救うにはあまりにも致命的すぎていた。

 

「…なら」

 

  弱々しく、潰れそうな声だった。しかし、次には大きく変わる。

 

「ならばどうすればいい!私はこの子たちを救いたい!!救わなければ私は私を否定してしまう!!この子たちを…どうやったら助けれるんだ!」

 

  怒りか、嘆きか。それすらアタランテには分からない。もう分からなくなってしまった。

  受け入れ難く、そして見えなくしてしまったものを引きずり出されてしまった。

  それをした張本人はただ、彼女の言葉を受け止め続けた。

 

「教えろヒッポメネス!お前は()()()も子供達を救ってみせた!お前ならばこの子たちを救えるのではないか!?どうなのだヒッポメネス!!」

 

「救えないよアタランテ」

 

  彼の答えは決まっていた。この地獄を見た時からやるべきことは同じだった。

 

「生きようと足掻いて進む者は救えるかもしれない。だけど、戻ろうと立ち止まる者を僕達は救えない」

 

  絶句による静寂が続いた。手段がない、方法がない、やれることは既にない。

  アタランテは考える。魔術と無縁だったが、自らの手でできることがないかと考える。しかし、答えが出る前に答えを決めた者達がいた。

 

「ありがとう」

 

  ポツリと、呟かれる細々とした声にアタランテは顔を上げた。

 

「ありがとう」

「たすけてくれようとしてくれて」「うれしかった」

「でも、もういいよ」「ありがとう」

「ほんとうに」「ありがとう」

 

  後ろから横から続いた声達はやがて彼女の背後から前へ、ジャンヌの元へと歩き始めた。子供達が自ら聖女の元へと進みだした。

 

「…まて、待ってくれ!」

 

  アタランテが子供達を引き止めようと腕を伸ばすが、それをヒッポメネスが遮った。彼女を引き止めるために抱きしめて、子供達の元に行かせないよう防ぐ。

 

「離せ!離してヒッポメネス!」

 

  ヒッポメネスは答えなかった。ただ逃さないように腕に力を込めて、彼女を引き止める。

  子供達はジャンヌの元へ辿り着くと、ふと疑問をぶつけた。

 

「わたしたち、どこへいくのかな?」

 

「あなたたちは主がいるべき場所に、そこはあなた達が在るべき場所です」

 

「そっか」

 

  ジャンヌは静かに、そして厳かに聖句を紡ぎ始めた。

 

  ーーー渇いた魂を満ち足らし、飢えた魂を良き物で満たす

 

「わたしたちをころして、へいきなの?」

 

  唇を強く噛み締めた。噛み締めた唇から血が流れる。

 

「それでも。それでも、私たちは前へ進まなければならないのです」

 

  その言葉で、子供達の顔には恐怖は無くなった。受け入れ、聖女による救済を静かに聴き留める。

  一人一人、静かに存在が消滅していく。その消滅は何の含みもない、消滅。サーヴァントとしての二度目の生は消え去り、子供達はこの世界の摂理から外れていく。

  その光景を必死に止めようと抗うアタランテだが、ヒッポメネスがそれを許さなかった。力の差はアタランテの方が上の筈だった。しかし、ここは切り裂きジャックの世界。子供達の意思を尊重するヒッポメネスは動けて、意思に反するアタランテは動けない。

 

「ねえ」

 

  消え去る子供達のなかに、一人だけ二人の元に残った子供がいた。“黒”のアサシンの姿をした、子供達の代表格の少女だった。

 

「おにいちゃんは、かなしくないの?」

 

  背中越しに問われた質問に、ヒッポメネスは振り返らず答えた。

 

「ーーーごめん」

 

  言葉と共に、アタランテの頬に冷たい何かが沿った。触れてみるとそれは濡れていた。アタランテは顔を上げて、ヒッポメネスの顔を見るとーーー

 

「そっか。ないてくれるんだ」

 

  表情は見えない。だけど、分かってしまった。この青年は、私たちの為に泣いてくれるのだと。

  身勝手な話である。子供達を殺さなければならないと告げて、それに手を下したのにも関わらず、悲しんでいる。

  悲しむのも、哀しむのも許されないくせに涙を流す。

 

それが、少女にとって嬉しく思えてしまった。

 

  少女は手を伸ばし、ヒッポメネスの手に触れた。触れた先から彼の手は子供達の怨念に侵食されていく。しかし、少女が伸ばした手を彼は握り返した。それぐらいしか彼はできなかったから。

 

「うん、あったかい」

 

「…ごめん」

 

「いいよ、こうしなきゃだめなんだから」

 

「…ごめんね」

 

「そういってくれるだけで、じゅうぶんだよ」

 

  ああ、と少女は空を見上げた。霧と雲により星が隠された空には光は届かない。こんな暗闇のなかで小さな命達は尽きてきた。なのにーーー僅かな雲の隙間から星が覗いた。

 

「しにたくないな」

 

  愚策だ。涙を流すと未練を残す。悲しんでしまうと後悔が残るはず。

  だからジャンヌは鉄の殻を作り、悲しみも涙も見せなかった。

  しかしヒッポメネスは鉄の殻を作ることもできず、悲しみも涙も見せてしまった。

 

  少女は思う。

 

  こうやって泣いてくれる人がいた。

 

  私たちを助けようと必死に叫ぶ人がいた。

 

  助けたいけど、こうするしかなかった人がいた。

 

  みんな違ったけど、みんな私たちの幸せを願ってくれた人なんだろうと。

  だから、意味はないかもしれないけど願ってみよう。

 

「おにいちゃん、さいごのおねがいきいて」

 

「…なんだい?」

 

「わたしに、なまえをちょうだい」

 

  それだけはほしかった。意味はないけど、誰でもないなんて寂しすぎる。せめて、自分が誰だったのか。切り裂きジャックに取り込まれた誰だったのかを覚えて消えたい。そんな願いだった。

 

「アステル、でどうかな?」

 

「どういういみ?」

 

「星、という意味だよ」

 

  雲の隙間から一つだけ見えた星。数多の星の海から、この地獄に届いた光。ヒッポメネスも見上げていたのだ。どうすることもできない澱みの中で唯一見出せた光を。そんな光を、彼女へと贈る。

 

「あすてる、わたしはあすてる」

 

  確かめるように名前を繰り返し、少女ーーーアステルはこの地獄で、最後まで救おうとしてくれた人を見た。とても泣きそうで、青年の腕のなかで抗う儚げな女の人を。

 

「おねえちゃん。わたしはあすてる。あすてるだよ」

 

「…アステル」

 

  ヒッポメネスの腕の中でアタランテは手を伸ばした。必死に、必死に彼女を守ろうと腕の中で温めようと足掻いた。しかし、それは少女から拒んだ。

 

「だめ」

 

  救おうとしたアタランテの手は彼女の体へと届かない。しかし、少女はアタランテへと微笑んだ。

 

「わたしだけここにいたらじごくはおわらないよ。わたしも、みんなといかなきゃ」

 

  気がつけば、アステル以外の子供達は消滅していた。等しく誰もが帰るべき場所へと聖女は送り届けた。最後の旅人は決まっている。故にジャンヌは静かにそこに佇み、経緯を見守る。

 

「だめだ。行ってはだめだ。お前達は救われなくては、幸せにならなくてはだめなんだ。お前達が認められなくては、全ての子供達が報われない。認めていい筈がない、こんなことは…」

 

「でも、すてきななまえはつけてくれなかった」

 

  救われなかった、報われなかった少女の名前はアステル。母に捨てられ、生きることさえ否定された少女にとって唯一肯定された名前はーーーマスターと過ごした短き日々と同等の価値を持てた。

 

「だから、いいの。わたしのなまえ、おぼえていて」

 

  救われないと報われないと彼女は理解した。幼き子供達に無情を突きつける有様は決して誉められない。しかし誰かがしなければならない。誰かがその役目を担わなければならない。

 

  その役目は、幸か不幸か二人いた。

 

「ルーラー」

 

「はい」

 

「頼む。悉く一切なく、終わらせてくれ」

 

  聖女は厳かに首肯した。

  そうして少女は歩き出した。最後を締めくくるべく、終わりへと。

 

「っ! …っ!!」

 

「・・・・・」

 

  腕が解かれることはない。必死に最後まで彼女を救おうとする者は間違えていない。誰かを救う事は尊く、非難されること自体が可笑しい。でも、いまのアタランテにはできることはなかったのだ。

 

「ねえ、せいじょさま」

 

「なんですかアステル」

 

「ううん、なんでもない」

 

  此処にいる人たちから認めて貰えた。それで覚悟は決まった。

  僅かに振り返り、こちらに涙を流しながら手を伸ばすアタランテと振り返らず背中を見せるヒッポメネスを見た。

 

「ばいばい。なきむしなおにいちゃんをゆるしてあげてね、やさしいおねえちゃん」

 

  笑みを浮かべて目を瞑る。アステルの額に細い指先が触れるのが分かった。そして、微かに震えているのが分かった。

  足元から消えていく。もう、生き返ることもここにいる事もない。けれどーーー

 

「おやすみなさい」

 

  なんて、安らかなんだろう。

 

  そうして切り裂きジャックは、子供達は、アステルは消えた。

  世界に未だ謎と恐怖を残す殺人鬼は、消滅したのだった。

 

 

 




さようなら。いつか、その日まで。




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歪みの歩み

GWを期に久々に連日投稿。活動報告にアンケート実施しました。よければ見てください。

では、どうぞ。


  地獄は終わっていた。

  薄暗い近代の建築物は無くなり、肌が立つ寒さも眉を顰める異臭もすでに消え去っていた。周りには夜を迎えたトゥリファスの街並み。

  通りには“黒”のアサシンの影響で倒れこむ人々がおり、そして路地裏には三者がいた。

 

  ジャンヌ、ヒッポメネス、アタランテ。

 

  地獄に巻き込まれたのは彼らだけではなくジークもいたが、今は何処にいるのかも分からない。

  ジャンヌはそれも気になったが、今気にかけなければならないのはアタランテ(赤のアーチャー)だ。

  本来ならばシロウ側と“黒”の側は敵対関係。そして、先ほどの幻影のなかでも相対していた。

  アタランテは蹲り、体を震わせる。そして、その近くに居るヒッポメネスが彼女を見下ろしていた。

 

「アタランテ」

 

  ヒッポメネスは膝をついた。何と声をかけるべきか、何を口にするのかとジャンヌはヒッポメネスの言葉を待つ。

 

「僕が殺した」

 

  ーーー刹那、顔を上げたアタランテの顔は涙と怒り、殺意に染められていた。

  夜の街に響くのは獣の咆哮に似た女の絶叫。アタランテはヒッポメネスに掴みかかり、馬乗りになって彼の顔に拳を叩きつけた。

  ジャンヌはすぐ助け出そうと駆け出したが、アタランテの殺気に比肩する敵意を殴られているヒッポメネスにぶつけられた。

  アタランテの拳が風を切る度に鈍く、潰れた音が鳴る。何度も何度も、振り下ろされ、彼女の拳には血が付き、地面に筆を振った後のような形の血痕が撒かれる。

  何秒か、いや何分かそれが続いた。ジャンヌは何度も止めようとしたがヒッポメネスの敵意は変わらず、一歩踏み込むごとに向けられる。彼自身がジャンヌに静止を呼びかけていて、ジャンヌは救おうにも救えなかった。

 

「何故だ!何故だ!!」

 

  息を切らし、両手は余す事なく殴り下ろした青年の血に汚れた。

 

「何故なんだ!!何であの子達を救えなかった!!」

 

  涙が流れ、噛み締めた唇から血が流れる。子供達を救えなかった。子供達は切り捨てられた。子供達の命は踏みにじられた。

 

「なんで、なんで救う手段がない!?万能の願望機があればあの子達ですら助かるはずなのに、それすらも叶わないというのか!?」

 

  振り上げられた拳は力なく降ろされ、ヒッポメネスの胸へと落ち着いた。

 

「ならどうすればよかった!?子供達を、アステルを母の腹の中へ返せばよかったのか!?」

 

  母の腹へ戻るだけなら再び同じ事が繰り返される。しかし、受肉させればその身自身が災厄となり近づく者を不幸とする。結局は母の腹に戻る事と大差ない、その身を否定されるのだから。

 

「あの地獄を生み出した根元を無くせばいいのか!?さすればあの子たちはーーー」

 

「また別の誰かがその責を負うこととなる」

 

  ずっとされるがままの男の腫れ上がった瞼の隙間から覗いた瞳が泣き叫ぶ彼女を写す。

 

「歴史の否定は現在の焼却だ。幸せを享受する誰かを犠牲に不幸である誰かを救うことに意味はない。また犠牲にして結果が出ては繰り返す。それが大人であろうと子供であろうと負の連鎖は永遠に続く」

 

「黙れ!!」

 

  拳が破壊音を生み出す。ヒッポメネスの頭の横の石畳が破砕し、粉々となった破片が転がる。

 

「お前はあの子達を殺した!偽りの聖女と共にあの子達を!救われなければならぬ子供達を殺した!」

 

「そうだ。僕が殺したんだ」

 

  また、拳を振り上げた。拳を振り上げて、怒りのまま身を任せようとした。だけど…。

 

「…なぜ、お前は泣いていた!」

 

  泣いていた。双眸から溢れる涙を堪えもうとしても濁流のように涙が溢れていた。ジャック・ザ・リッパーを殺すことを是として、冷血な判断を下した。なのに、最後まで悔しさと悲しみに表情を歪ませていたのを見てしまった。

 

「間違いだ。正しくあるはずがない。あんなもの、受け入れてはいけない!」

 

「…それは、ダメだ」

 

  涙で濡れたアタランテの頬をヒッポメネスの指が撫でた。

 

「…あれを受け入れなくてはならない。あれが間違いだというのなら。君が望むものは…その先なんだ」

 

「…なに?」

 

「君が望む循環は世界平和と等しい。人類が未だ…なし得てない領域だ」

 

  だから、と血と折れた歯を吐き出しながら応えた。

 

「考えを止めるな。愛を決めつけるな。人類の救済が……君の願いの一部と思うな…アタランテ……」

 

  その言葉、その思いやりに似た声音に頭の奥で、ぎしりと噛み合わない歯車が軋んだ痛みと不快感が広がる。まただ、また何かが私を苦しめる。

  頭が痛い、なんだこれは、私を苦しめるこれはなんなんだ…!?

 

「…アタランテ?」

 

  はっ、と意識を取り戻す。怒りがある。憤りが胸を狂わせる。この青年とあの偽の聖女は己の魂を傷つけた。

  その事実を忘れてはならない。ヒッポメネスの首を掴み、石畳に押し付けて頭を砕いてやろうとした時。

 

「猛々しきは神なる鉄槌なり」

 

  魔力を帯びた矢が飛来する。瞬時にヒッポメネスから離れると矢が床へと着弾する。

  放ったのは建物の屋上に立ちそびえる“黒”のアーチャーだった。

  状況は不利、既にこの場は包囲されかかっている。彼女が取るべき行動は決まっている。

 

「…っ!!」

 

  地面に仰向けに倒れながらも苦しげに体を起こすかつて夫であった青年を睨みつけた。苦悶が思考を沸きだたせる。思いのまま叫んでやろうとした。

 

 

 

  ーーーばいばい。なきむしなおにいちゃんをゆるしてあげてね、やさしいおねえちゃん

 

 

 

  言葉が詰まった。吐き出そうとした怨嗟が固まる。

  別れ際、消え去る直前に亡くなった少女、アステルの手向けの言葉を思い出す。

  憎くて、恨めしく、殺してやりたいほどの男をあの娘は許した。

  その少女の言葉の真意を解き明かそうとするが、その度にギジリと軋み頭痛が増強される。なんなんだ、これは!?

 

「お前を…許してなるものか。許していいはずが…ない!」

 

  頭痛に苛まれながらアタランテは後退する。

  数多の男が追いつけなかった俊足は“黒”のアーチャーの追撃を許さない。

  街を抜け、夜の暗闇に紛れながら疾走は潰えない。ただ、全力で闇の中を走る。

 

  そうしていれば、痛みが軽くなっていく気がするから。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「大丈夫ですかバーサーカー」

 

「はい、大丈夫です…」

 

  顔の熱と痛みは引いてないが気を失うほどのものではーーーいや、少しでも気を緩めればそのまま沈んでしまいそうだった。

  ヒッポメネスは“黒”のアーチャーに支えられながらも立ち上がると周囲を見渡した。ルーラーはジークを探しにいき既にいない。アタランテは逃げたためにもう気配がないことは分かっている。あとは、“黒”のアサシンにより傷つけられた人々が通りに倒れていた。

 

「街の人々は重症でしたが命に関わる者はいません。マスター達が後は対処してくれます」

 

「そう、ですか」

 

「…“黒”のアサシンは終わったようですね」

 

「…はい」

 

  “黒”のアーチャーはヒッポメネスとアタランテの様子、そして“黒”のアサシンの能力から大体の事情は察していた。そして、二人に何かしらの亀裂が生まれたことも。

 

「その右手はどうするつもりですか?」

 

  “黒”のアーチャーの目はヒッポメネスの右手を向いていた。彼の右手には黒く侵食され、怨霊が取り憑いていた。この怨霊はヒッポメネスの意思次第ですぐに消滅、排除できるのだがヒッポメネスは頭を振った。

 

「…このままにしておきます」

 

「そうですか」

 

  何も聞かず、“黒”のアーチャーはヒッポメネスを支えてルーラー達の元へと向かう。その間、ヒッポメネスは申し訳ないなと思いながら弱々しく歩いていった。

 

 

 

  ルーラーを見つけた時にはジークも共にいた。あの通りから少し離れた場所にジークは倒れていたらしい。“黒”のアーチャーはルーラーを見つけると、ヒッポメネスの事を任せ先にマスターの元へ戻っていった。

  じんじんと意識を薄れさせる鈍痛を自前の魔術で少しずつ治癒しているなか、ヒッポメネスにジークが歩み寄ってきた。ジークの顔は優れず、今にも折れてしまいそうなほどに青かった。

 

「バーサーカー」

 

「…どうしたいんだい?」

 

「彼女は、“赤”のアーチャーは“アレ”を見た事がなかったのか」

 

  ジークの後ろにいたルーラーは愁いに似た顔をしていた。バーサーカーはルーラーとジークに何があったのかは深く問わない、しかしジークも恐らく“黒”のアサシンの幻影に巻き込まれ…地獄を見たのだろう。

 

「そう…だね。僕達が見たアレは彼女にとって最も見たくなかった現実、知らなかった歴史だ」

 

「歴史…か」

 

  人の歴史は立ち位置から正義と悪は入れ替わる。当事者にとってそれは善だと信じていた。だが、遥か未来ではその行いは悪と見做されていたことは多々ある。歴史とはその多々あるものを収束した出来事でしかない。

 

  「アタランテが見た地獄とは絶対的な強者による圧政、資源の不足による飢餓、自然の猛威による疫病、神々による断罪…分かりやすくするとこんな感じだろうね。だが」

 

「誰も…悪くなかった。誰も正しくなくて、誰もが…虚ろのようだった」

 

  地獄はあった。だが、それを生み出した主体がなかった。

  誰が邪悪で、それを打ち倒す正義の味方で、その悲劇に嘆く者さえもいなかった。

  全員が傍観者であり、地獄を強いられる被害者だった。

  彼女が知る地獄には倒すべき主体は常にあり、それを救う手段は存在した。筋道ができていたからだ。分かりやすいほどの原因があれば、分かりやすいほどの打倒策は生み出される。

  しかしーーー原因が霞であれば、導く光も薄れ、届かない。

 

「あの地獄は既に終わっていた、だが残された者がいた。それが“黒”のアサシン…ジャック・ザ・リッパー」

 

  サーヴァントを召喚することはそういうことなんだろうと呟く青年の姿は何処か遠くを見据えていた。諦観というよりも達観しているような物言いに、ジークは疑問を覚えた。

 

「なら…なぜ彼女は知らなかった」

 

  彼が知っていたのなら、彼女が知り得ぬはずがない。何故なら夫婦で共にいた。語り、伝える機会など幾らでもあったはずだ。

  それを知っていればアタランテも、あの地獄をーーー

 

「知ろうが知ってなかろうが関係ない」

 

  ジークの思考を読み取ったようにヒッポメネスは彼の目を見て言った。

 

「地獄を知ろうが関係ない。如何あっても彼女は子供達の悲劇に泣き叫ぶ。それが…彼女がアタランテである所以だから」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

「…なるほど。斥候の任、ご苦労様でした」

 

  アタランテ(赤のアーチャー)“黒”のアサシン(セミラミス)の宝具『虚栄の空中庭園』へ帰還すると、シロウと“赤”のアサシンに“黒”のアサシンを討ち取ったことを報告した。

 

「できれば“黒”のアサシンにもう少し後方で撹乱して欲しかったのですが」

 

「どちらでもよかろう。いずれにせよ、連中は間違いなく我らを追ってくる、総力戦になる以上余計な動きをされても困る」

 

  ふん、と退屈そうに応える“赤”のアサシンは“黒”のアサシンについてどうでもいいようだ。それよりも悠然と玉座へ座る女帝が気になったことが、というよりもシロウも気になっていたのが。

 

「その“血”はどうしたのですか?」

 

  アタランテの手に着けている革製の籠手、翠緑の衣、秀麗の顔には乾いた血痕が張り付いていた。指を動かす度に落ちる乾いた血の塵は、この王の間に至るまでの道に後を残している。

  それにアタランテの表情は幽鬼めいていた。困惑と憤り、そして苦痛が混ざり合ったその顔には多くの男が求めていた気高さはなく、常に陰が落ちていた。

 

「…報告は以上だ」

 

  シロウの質問を取り合わず、そのまま王の間を去ろうとする。これに“赤”のアサシンは引きとめようとしたが、シロウの目配せに口を閉ざす。

  王の間に出るまでの僅かな距離でもアタランテが通った道では乾いた血の塵が残った。

 

「なんなのだあやつは? “黒”のアサシン…というよりも」

 

「ええ、“黒”のバーサーカーと何かあったのかもしれませんね」

 

  シロウと“赤”のアサシンは内心ではアタランテが裏切ることを想定していた。アタランテの願いが子供達の救済と互いの利益が一致していたからシロウをマスターと認めているが、“黒”の陣営には彼女をよく知る人物がいた。

  “黒”のバーサーカー(ヒッポメネス)による説得があるかもしれない、何かしらの警戒はしておくべきだと考えていたが…。

 

「どうする。アーチャーに監視をつけておくか?」

 

「いえ、こちらに不信感を持ってもらうのを避けておきたいので構いません」

 

  何よりもシロウの“啓示”が告げている。彼女は裏切らない、と。根拠がないが、それは確かなものだと確信するものがある。

  シロウは頭の隅に置き続けておくべきだと判断し、近づく決戦の日まで勝利の為の過程を空想することとした。

 

 

 

「おや?まるで帰り道を見失い彷徨う童のようですな」

 

「…どけ、キャスター」

 

  疲れた。酷く疲れた。頭痛は既に収まったものの頭痛の後遺症は精神の疲労。斥候の任を終わらせたことをあの主従に報告し、私室に戻り横になりたかった。サーヴァントには睡眠などいらない、だが今は心を落ち着かせるために微睡みに落ちたかった。

  なのに道を遮るように現れたのは戦わないサーヴァント、“赤”のキャスター。何時もと変わらない巫山戯た笑みは酷く勘にさわる。

 

「私は疲れた。疲れているんだ。お前に構っている暇などない」

 

  横の道を通り過ぎようと体をズラし、

 

「『昼の善良な者たちは項垂れ、微睡み、黒き夜の化身が餌食を求めて蠢きだす』…夜の闇に囚われましたかな?尊き駿足の狩人よ」

 

  服の襟を掴んで壁に押し込んだ。

 

「黙れ道化師。それ以上口を開くとその油の乗った舌を引き抜くぞ」

 

「やけに疲れているご様子。ですが斥候如きで疲れる貴女ではありませんでしょう。そう、貴女はただ…怯えているのでしょう?」

 

  言葉より先に手が出た。女性の身では考えられない力が背丈の高い男の首をへし折らんと掴んだが、キャスターだった者はいつの間にか無味な木偶人形に成り代わっていた。恐らくは作家であるキャスターの魔術、もしくは宝具である。

 

「何をご覧に?過去の残骸か、はたまた地獄の一端か。もしくは無知を見たのですか?」

 

  ーーー無知?

  ピタリとアタランテの怒りが止まる。

 

「何も知らない。何も知ろうとしない。己が未開の領域、いや捨てて置いていったはずの影が今頃陰ってきたのですかな」

 

  浮き彫りになって眼を隠したがっているのかもしれませぬな、と語る。何処にいて、どんな顔で語っているのかなど、どうでもいい。

  無知。知らなかった、確かに何も知り得てなかった。あの地獄が、神も人も獣も全てが失った、完璧な機構が存在していたことを。

  知っていれば何かできたのかもしれない。知っていれば考えて対処できたのかもしれない。それも後の祭り、全ては終わったこと。過去を幾ら悩もうとも変えることなど、できない。

 

「…知っていて、何もできなかったのか」

 

  思い出すのは子供達を葬った偽りの聖女とーーーそれを許し、子供達を見送った平穏な、悪賢い男。

 

  出会ったときから、私を手に入れるために私に近づいてきたあの青年。こそこそと遠くから見入り、ふと会ってみれば馬鹿げたなことで無様に転げ回っていた。

 

  森で狩りをし、父に目をつけられていた。

  父の話で王になれることを唆されーーーあの林檎を使って私に勝利した。

 

  そして、私は■■■■■

 

「……っ!?」

 

  ガリガリガリガリガリガリガリガリガリ

 

  頭の中を引っ掻き回すような不快な音と痛み。痛みが吹き返しはじめた。片手で頭を抑えた。幾ら力で押さえ込もうとこの痛みは消えない。

  痛い、痛い、痛い、イタイ、イタイ。この痛みは何なのか、考えれば考えるほどに痛みは強さを増して思考を掻き乱す。

 

「どうなされましたかな?」

 

  いつの間にかキャスターが後ろに現れた心配するような素振りを見せる。だが、笑みを隠そうともせず顔に張り付いたままだった。

 

「…黙れ。もう黙ってくれ」

 

  これ以上は付き合っていられない。アタランテはキャスターを振り切り庭園の通路を突き進む。キャスターは物足りなさそうに肩を竦めた。

 

「…ふむ。かの狩人の物語に不可欠なのは“黒”のバーサーカー。悲劇と転ぶか、喜劇と転ぶか…悩ましげですな」

 

「そこはてっきり楽しみと言うかと思ったな」

 

  キャスターが振り返るとそこには面倒臭そうなものを見る目でキャスターを睨む“赤”のライダーが立っていた。

 

「おお、ライダー殿。てっきりアーチャー殿を慰めにいくのかと思いましたぞ」

 

「姐さんを慰めたところで俺の言葉は雑音にしかならんだろう」

 

「ほう、ならば貴方はアーチャー殿が何にお悩みかお分かりで?」

 

「いや、知らん」

 

  きっぱりと言い放ったライダーにキャスターは意外と言いたげに微笑む。ライダーはその様子にふんと鼻を鳴らした。

 

「人間だろうと獣だろうと踏み込んではいけない領域があんだろうが。その領域に土足で踏み込んだのか、あるいは」

 

「その領域の境界が崩れかけたか、ですかな?」

 

  ちっ、と舌打ちをするとライダーは踵を返してアタランテと逆の道に向かい始めた。

 

「あちらで何があったかは知らんがバーサーカーが関わってんのは確かだろう。ったく、あながち狂戦士ってのは間違いじゃないのかもな」

 

「暴れるだけ暴れて戦場を掻き乱す。ははは、実に良い。吾輩が何をしなくとも展開が開かれ続けてくれる。彼には是非ともアーチャー殿と相対して貰いたいものですな!」

 

「姐さんに悩み続けろってか?」

 

  大英雄の睨みはそれだけで敵意を削ぎ、殺意を屈服させる。そんな視線の暴力に晒されてもキャスターは磨きかかった芝居仕草で弾き飛ばす。

 

「何を仰られるか!()()してくれなくては困りますぞ!主役も脇役も完結してこその物語、一人だけ未完などと作家に仕事をするなと暴挙を押し付けるようなものだ!それに何より…彼女の物語には必ず彼が付随する!既にそう書き始めてしまったのですから!」

 

「…そうかよ」

 

  なんだかもう付き合っていられない。付き合えばこちらの調子を崩して突っ切ってしまう。戦場では出会わなかった強敵に退散を選んだ大英雄は霊体化して消えてしまった。

 

「さて!物語は終幕へと踏み入れられた。貴方達がどのような悲劇喜劇茶番劇を演じようともこのシェイクスピア、傑作を残してみせましょう!!」

 

 




Q.座にいる時、仲がいい英霊はいる?

A.
ヒッポメネス「えっとラーマ君やオジマンディアスさん…」

セミラミス(どういう縁で仲がいいのか分かるな…)

ヒッポメネス「あとメディアさん、タマモさん、ブリュンヒルデさん、清姫ちゃん、最近ではスカサハさんやメイヴさんとメル友に…」

セミラミス「もういい」

ちなみに座ではセミラミスとメル友なヒッポメネス。


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一縷の光

アンケートご参加ありがとうございます。また今度、活動報告に結果を載せますが、書くとしてもこの作品を完結させてからにしますので暫しお待ちください。

では、どうぞ


  ーーー痛い

 

  この痛みが何処から、何故、私を蝕むのか一切分からなかった。

 

  “赤”のアサシンの誇る『虚栄の空中庭園』には各サーヴァントに私室が用意されている。

  霊体化を拒み、現実に足を降ろしていたいと思うサーヴァントは少なくない。聖杯と接続されたシロウにより、魔力の心配がなくなったサーヴァント達は各々実体化して過ごしていた。

 

  アタランテも皆と同じく実体化し、私室に用意されてた寝床で体を丸めていた。

  赤子のように体を曲げ、手で頭を抱えていた。斥候から戻り、キャスターに話しかけられてからずっと、正体無き頭痛が彼女を襲っていた。

  “黒”のアサシン、あの子供達の怨念を正面から受けた後遺症だと最初は思っていた。

  しかし、違う。それとは違った。意識を腕に集中させれば聞こえてくる。

 

『いたいいたいいたい』『かえりたい、かえりりたいよぅ』『たすけてたすけて』

 

  腕には歪に漂い蠢く黒い痣が幾重にも擦り込まれたように存在していた。これの正体はあの“黒”のアサシンの残留思念。切り裂きジャックに囚われていた怨霊の思念だ。声だけが響き、いつまでも囁き続ける。だが、この痛みとは関係ない。

 

  内にある何かが、自分で自身を傷つけている。何かが頭を悩ませ、熱を齎す程に働かせ、痛みを生み出すほどの棘を生む。

 

  その痛みは槍で貫かれるほどに、剣で引き裂かれるより、矢で射抜かれるより苦痛を広がらせる。

 

「…っ」

 

  脳裏に浮かぶはあの忌まわしき男だった。

  平穏で、呑気で、何よりも悪賢い男。

  あの男に会って、話し、挑まれて負けた。己が課した条件を策略で突破し、娶られることとなった。

 

  カリュドンの猪狩りで自分を巡り、大きな諍いが起こった。我が美貌に惹かれ、女であることを蔑まれ、功績を否定されたあの諍い。

 

  婚姻の条件も思えば、自身の美貌と名誉が絡んでいた。多くの男を亡くし、一人の青年が終わらせた騒動も結局はーーー肉欲と名誉欲が根本にあった。

 

  あの男もそうだったはず、私を欲しがった、私を求めた。故に私はあの男の妻となった。

  愛せるはずがない、愛せられるはずが無い。所詮は肉欲と名誉だけだった、それが、私を求めた理由だ。

 

  アタランテは嘲笑する。

 

  …今更なにを。

 

  そんなこと生前に行き着いた結末だ。何を振り返る必要があるのだと嗤った。

  乾いた笑いが口元から漏れて、頭痛が和らいだと思った瞬間

 

  ーーー君だったから、僕は今こうしている

 

「…っ!!」

 

  頭痛が戻ってきた。頭皮に食い込むほどに爪を立て、奥歯が砕けそうなほどに噛み締める。

 

  記憶が振り返る。

 

  肉欲と名誉欲しさに自分を手に入れた男は、生涯一度も、己を“抱いた”ことがなかった。

  一国の王となれたはずなのに、それを蹴って自分の手を取って国を出た。

 

  分からない。

 

  今も昔も、それだけが分からなかった。

  思えばあの大船の旅と大猪狩りの日々が終わり、彼と出会ってから常に共にいた。

  下らないと笑い、些細なことで喧嘩した。ありふれた平和な日々を終わりの時まで過ごした。

 

  分からない。

 

  なのに…彼の事を何一つ知らない自分がいた。表面的なことは知っている。だが、踏み込んだことは何も知らなかった。

 

「なんなのだ」

 

  ポツリと呟かれた。返事はない、あるはずが無いのにそれでも口に出た。

  彼の事を思い出す度に頭痛は引き起こる。

 

「なんなのだ汝は…!」

 

  この怒りは何なのかすら分からない。

  子供達を殺した男を許さないのか、自分を苦しめる正体に対する疑惑なのかは分からない。

  でもーーー

 

「ヒッポメネス、なんなのだお前は!!!」

 

  怒りは何処にも辿り着けず、頭痛は蝕む。痛みに腕が鈍ることはない。だが、痛みは精神に穴を穿つ。

 

『たすけてたすけてたすけて』『かえりたいよかえりたいよ』

 

「…ああ、そうだな。そうだったな」

 

  痛みが和らいだ気がした。囁く声がする腕をそっと撫でた。黒い痣はかつて在った薄汚れた歴史の残骸達。救うべきで、見捨てるべきではなかった幼き子供達の思念が、自分に助けを求めている。

 

『ころしてころして』『あのひとたちを』『わたしたちをおびやかす、あのひとたちを』

 

「…ああ」

 

  そう、聞こえた気がする。いやそう言った。子供達はそう望んだのだ。

  実際、残留思念達は自我も意思もない。ただ囁き続けるだけの低級霊にしか過ぎない。そう聞こえたのは、彼女がそう思っているからその様に囁いてると受け取った。

 

「関係ないな」

 

  そうだ。あの男が何であれ関係ない。あの男と聖女は殺した。殺したのだ。愛しい子供達を。それが何よりの事実で自分が最も嫌悪し、殺さなければならぬ人種だ。

 

「安心してくれ。汝達は私が守ってやる。何があろうともお前達の存在を私が肯定しよう。お前達が望む、お前達の敵は私が殺してやろう」

 

  怒りと困惑は消え去った。痛みも疑惑も何処かへ行った。ただ残ったのはーーーいや、生まれたのは『憎しみ』という感情だった。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ミレニア城塞、会議室には“黒”の陣営全サーヴァントとルーラー、そしてマスターが揃った。

  “黒”のアサシンを討伐した事を報告と同時に、今後の行動について話そうとしていたのだが、フィオレとカウレスはそれよりも“黒”のバーサーカーの様子に目が行っていた。

  顔は何度も殴られて腫れ上がり、皮膚が切れて出血している。服は己の血で汚れ、右手には本来見慣れない包帯を巻きつけていた。

 

「カウレス殿、あとでバーサーカーの治癒を」

 

「あ、あぁ」

 

  “黒”のアーチャーの声かけによりカウレスのみならずフィオレも姿勢を正した。

 

「明日の昼、トゥリファスからブカレストに移り、飛行機に乗って『虚栄の空中庭園』に空襲を仕掛けます」

 

「はいはーい、結局飛行機に乗っていくの?」

 

「ええ、だっていくら考えても迎撃されないなんて不可能ですもの。なら、できるだけ擬装した飛行機に乗って攻め入るのがベストでしょう」

 

「あ、ならならボクが運転したい!僕ライダーだし!」

 

  張り切って手を挙げる“黒”のライダーだったがフィオレは真っ先に首を横に振った。

 

「飛行機の操縦はゴーレムに任せます。サーヴァントの手を塞ぐわけにも参りませんし」

 

「えー、ボクの騎乗スキルはA+だよ!ヒポグリフ以外にも色々操縦できるってところを見せてやるさ!」

 

「そういう理由なら尚更いけません。…正直なにをするか分かったものじゃありませんし」

 

  フィオレの呟きにライダー以外の全員が頷いた。このライダー、ある意味信頼されている。

 

「むー!なんだい!ボクだって弁えているさ!」

 

「なら飛行機はゴーレムに任せてください。それにあなたが操縦に集中していたらマスターを護れないのでは?」

 

  むむー、と唸りながらもマスターを出されては何も言えないのでライダーは引き下がった。

 

「空中庭園に向かうメンバーは、“黒”のアーチャー、“黒”のライダー、“黒”のバーサーカー、ルーラー、それから“黒”のセイバーと成れる彼。…そして、私とカウレスです」

 

「しかし、マスター」

 

  アーチャーが引きとめようとしたが、フィオレは頑なにそれを否定する。

 

「くどいです、アーチャー。私にもユグドミレニアの長としての誇りがあります。まさか、戦闘の途中で魔力切れなど起こさせる訳にもいかないでしょう」

 

  魔術師とサーヴァントは因果線により結ばれている。結ばれている限り因果線には距離は関係ない。だが、魔術師とサーヴァントの因果線は聖杯により召喚された擬似的な物でしかなく、あまりに遠すぎると因果線が切れてしまう可能性があるのだ。

 

「それに、私にはユグドミレニアの長としてこの戦いの終結を見届ける使命があります。カウレスもマスターであるため、行かせなければならないのが申し訳ありませんが…」

 

「…姉さん」

 

  それは兄弟としての情か、魔術師として後継者を危険地帯に送り込んでしまわなければならない憂いか。いや、カウレスは分かっていた。姉が、その言葉の真意がどちらかなど。

 

「飛行機ですか。…速度は大丈夫でしょうが対策は如何程に?」

 

「ええ、三手ほど思いつきました。まずーーー」

 

 

 

「え、えぇ。なるほど、これが魔術師と一般人の違いですか…」

 

「? どうなさいましたか」

 

  フィオレから告げられた作戦にルーラーは軽く引いていた。作戦としては上々で、悪くないと判断できる。少なくともここにいる皆、その作戦に異を唱える者はいない。しかし、その作戦は一般常識を知るルーラーにとって魔術師と一般人に大きな溝があることを深く再認識した。

 

「ですが、あともう一手ほしいですね」

 

  フィオレの作戦は空中庭園に肉薄できるだけ。空中庭園に接近し、着陸できるのはまだどうしても難しい。

 

「我々が乗る物とは別に爆薬を詰めた飛行機を用意、それを庭園に向けて墜落させるのは如何でしょう」

 

「だ、大胆ですね」

 

  今度はフィオレが引いた。幾多の戦場を駆け抜けたルーラーの策は過激で、魔術師であるフィオレにしても大胆すぎた。

 

「…一つは、僕が囮になる」

 

  ポツリとバーサーカーが難しい顔で呟いた。全員がバーサーカーへ集中すると、バーサーカーは手に黄金の林檎を喚び寄せた。

 

「僕の宝具の真骨頂は引き寄せること。あのアサシンの爆撃もこの林檎の解放で飛行機から逸らすことだって可能だ」

 

「でもよ、それじゃあお前が…」

 

  “赤”のアサシンの魔術攻撃がバーサーカーへと集中する。あの光の爆撃は対魔力Aであるライダーの防御を突破し傷を負わせるほどだ。それをバーサーカーが喰らえば、消滅することは必定だ。

 

「いけません、それは悪手です。貴方は重要な戦力の一人、囮で済ませていいわけありません」

 

  さすがにこの案は否定された。敵は大英雄クラスばかりの強者揃い。戦闘力に欠けるが、それでも勝てる可能性がある人材を欠く行動はできない。

 

「そうか…。でも、本当にどうしようか。今のままじゃ庭園に乗り込むことも困難だし」

 

  振り出しに戻った。皆が頭を悩ませ、場の空気が濁っていくのを感じる。このまま正面突破という愚策に頼るしかない。

 

「大丈夫大丈夫! 少なくともマスターと、あと一人ぐらいならボクが守ってみせるさ!」

 

 そんな中、空気を壊したのは天真爛漫な“黒”のライダーだった。

 

「ヒポグリフか?」

 

「うん! 前回の戦いでは本領発揮できなかったけど、今度こそは上手くやるさ! なんてたって君がマスターだし!」

 

  朗らかに笑うライダーに空気が明るくなった。強がりや見栄ではない。自信と勇気に溢れた言葉こそ、英雄たる証にも思えた。

 

「それにほら。ボクは魔術関係は全然問題ないしね! 何しろ魔術だったらどんな物でも攻略できる書物があるし!」

 

「…あぁ、そういや言ってたね。確か『魔術万能攻略書』だっけ?」

 

「そうそう、それ!」

 

  召喚された当時より“黒”のライダーと付き合いが長いバーサーカーはライダーの宝具名とそれの能力について把握していた。

  無理矢理街に連れて行かれた時はそれを手に入れた経緯について詳しく教えてもらい、話のネタに欠くことはなかった。

  ーーーその宝具は確か…。

 

「…ん?」

 

  とてつもなく、何かが引っかかった。

 

「んん?」

 

  確かそれは“黒”のセイバーが脱落する少し前、カウレスに許可を貰い、ライダーと共にトゥリファスの城下町に遊びに言ってた時のこと…。

 

 

 

『それでね、魔女にこの書物を貰ったのさ!』

 

『…これは、凄い。魔術にはちょっと知識があるから言えるけど。…ただの代物じゃないねコレ』

 

『これのおかげで僕は対魔力を持ってるからね!』

 

  そう、それが“黒”のライダー、アストルフォが三騎士クラスが持つ対魔力を保有している理由だ。

 

『でも、普通宝具は真名を開帳した時にこそ発動するものの筈だよね?持っているだけでその能力の末端を顕現させれるってことは…』

 

『もっとスゴイことになるよ!』

 

  自信満々に言う姿は正直同性には思えないが、それでも言葉から伝わる気持ちはあまりに真っ直ぐだった。…いや、重要なのはそれじゃない。確か、その先だったはず……。

 

『でもね〜、ダメなんだよね』

 

『え? 何が?』

 

『これね、魔術万能攻略書とか言ってるけどボクが名付けただけだから』

 

『…どういうこと?』

 

『真名を覚えてないんだよね〜。ほらボクって理性が蒸発しているからさ、なかなか思い出せないんだよ』

 

『ははは、君らしいけど…駄目じゃない?』

 

『マスターは「いざとなったら令呪使ってでも思い出させればいいわ」とか言ってたから大丈夫じゃない?』

 

『あの人も適当だね…』

 

  どうもライダーのマスターのセレニケは他のマスターと比べて聖杯戦争に意欲を感じれなかった。ライダーを召喚させたのも一族のダーニックの指示だっただけではない、か……。

 

 

 

  いや、ちょっと待て。

 

 

 

「まてまてまてまてまて…」

 

「バーサーカー?なに独り言いってんだ?」

 

  突然の独り言に皆の目線がバーサーカーに集まった。だが、バーサーカー本人はそんなことよりも重要なことを必死に思い出そうとしていた。

  セレニケのことよりも、ちょっと前のーーー

 

 

 

『真名を覚えてないんだよね〜』

 

 

 

カッと目が開かれた。

 

「ライダー!? 真名思い出した!?」

 

「え? 真名?」

 

  問われたライダーは何のことか分からず首を傾げた。他の面々もバーサーカーが何を指しているのか分からずに疑問符を浮かべたが、次の言葉に顔色を変えることとなる。

 

「君の魔導書! 真名を覚えてなくて本領発揮していないじゃんか!!」

 

  真っ先に反応したのはフィオレだった。

 

「ライダー!?それは本当なのですか!?」

 

「…あ、うん。そうだった」

 

  ポン、と手を打ってライダーは手を掲げた。

 

 

 

「こ、これが魔女より渡された魔導書…」

 

  机に置かれた魔導書に皆が集まった。現代の魔術師、フィオレ達はこの魔導書の異能性に慄いていた。魔導書とは魔術師にとって身近なものであったが、この本はそんな有り触れたものではない。

 

「喉まで出かかっているんだけどね〜」

 

  瞬間、フィオレの魔術礼装である義手がライダーの肩を掴んだ。

 

「思い出してください! 即刻に、今すぐ!上手くすれば庭園を突破できるのです!」

 

「わ、わぁ!? ちょ、あ、思い出した!今思い出した!」

 

「ライダー、本当に?」

 

  いつの間にかバーサーカーやルーラー、アーチャーまでもがライダーに詰め寄ってきていた。

 

「えっと…思い出したのは真名じゃなくて、思い出す条件…です」

 

「条件…?」

 

「うん。条件はーーー」

 

 




Q.Fateシリーズ全作品を見て、参加したい聖杯戦争はありますか?

A.
ヒッポメネス「うーん? 僕はアポだけでいいかな。じゃなきゃ本格的に勝てなさそうだし」

アタランテ「私はEXATRAだな。敵を屠ればいい。至極単直で分かりやすい」

ヒッポメネス「流石のはくのんでも僕とともにはキツすぎるだろうなー」

Q.Zeroはどうですか?

A.
二人「「キャスター主従はダメだ。絶対潰す!!」」


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きっと大英雄

Q.Fate全シリーズを見て、召喚されたいマスターはいますか。

A.
ヒッポメネス「僕は巽くんかな? 士郎くんや凛ちゃんも好きだけど、僕じゃ足手まといだし、彼らにはあの二人がお似合いだしね」

アタランテ「私はエルザだな。聖杯への願いが好ましい。力を存分に発揮できそうだ。…イリヤにも召喚されたいが、あの娘には彼奴がいる。大英雄の加護より頼もしいものは無かろうて」




  フィオレは決断に迫られていた。

  今すぐにでも大聖杯を取り返しに行くべきか、“五日後”を待って大聖杯を奪還すべきか。

 

  “黒”のライダー(アストルフォ)の宝具である魔導書の真価が発揮される条件は『月が出ない夜』つまり『新月』の夜こそ、あらゆる魔術を無効とする宝具が解放される。

  宝具を解放できれば空中庭園に接近できリスクを消せる。だが、それには一つ諦めなければならぬことがある。

 

  ユグドミレニアが大聖杯を諦めなければならない。

 

  新月の夜は五日後、つまり五日間の時間を待たなければならない。

  その五日の間、空中庭園の移動を許してしまう。空中庭園がルーマニアから出れば、ユグドミレニアの勢力の影響は無くなる。ルーマニアの外に待機している協会の魔術師達が大聖杯を奪取するだろう。

 

  つまり、リスクを失くすには大聖杯を諦め、大聖杯を諦めたくなければリスクを覚悟しなければならない。

 

  ユグドミレニアの長として、フィオレは決断に迫られた。

 

  ユグドミレニアの威厳を、根源への到達を、天秤に掛けなければならないことを。

 

「悪い。ちょっと姉さんと話させてくれ」

 

  思考の深い溝に嵌ったフィオレの意識を戻したのは、弟のカウレスだった。

 

「サーヴァントとジークは今夜は戻って休んでくれ。明日、結論を出すから」

 

  カウレスの言葉にーーーフィオレの決断を待っていたマスター、サーヴァント達はそれぞれ違う表情で会議室から退出していった。

  ゴルドは自分が出る幕ではないと、ライダーは何か言いたそうだったが察したジークとルーラーに掴まれて、アーチャーはフィオレとカウレスを交互に見ては微笑んで、バーサーカーはカウレスの肩にそっと手を置くと静かに去った。

  残ったのはフィオレとカウレスだけ。聖杯戦争が始まって以来、久々の姉弟だけの時間だった。

 

「姉さん、どうする?」

 

「多少のリスクを背負うべきです。私たちは、是が非でも大聖杯を奪い返さねばーーー」

 

「俺は、ここが分水嶺だと思う」

 

「分水嶺って…何が?」

 

  ユグドミレニアの、魔術師としての話だと思っていた。フィオレはそう思って話していたのに、弟の話は何処か別のことを話していた。

 

「姉ちゃんが魔術師になるか、人間になるかの分岐点ってことさ」

 

 

 

  カウレスは思う。ここは、自分にとっても分け目なのかもしれない。魔術師か人か、今後の進むべき道の境目。

 

「ルーラーから聞いた話だと、あいつらは黒海に向かっている。空中庭園がどこへ向かっているかは不明だが明日にでも空中庭園へ向かわなければ大聖杯の所有権はユグドミレニアの物では無くなる」

 

「それは、分かっているわ」

 

「ダーニックはこの叛乱のために全てを捧げた。血も、魔力も、金も、全てを賭け金として上乗せさせた。これで敗北すれば、全てが無駄になる。五日経てば、高確率で勝っても無駄になる」

 

「それも、分かっている」

 

「だから大聖杯が欲しいなら明日中に出発するしかない」

 

「だから、分かってる!カウレス!あなたは何が言いたいの!?」

 

  確認するように分かりきったことを言うカウレスに苛立ったフィオレはカウレスを睨むが。

 

「だけど。それは魔術師の選択だ」

 

  カウレスの、酷く冷淡とした魔術師の瞳を見た。

 

「…魔術師の?」

 

「あの大聖杯を天草四郎に使用されるわけにはいかない。だから勝つ。そのためにはリスクを最低限にしなければならない。リスクより確率だ。たとえ、大聖杯が手に入らなくとも」

 

「考慮に値しません。ユグドミレニアがーーー」

 

「ユグドミレニアは関係ない。姉ちゃんが長であることもだ。これは、姉ちゃんが魔術師であり続けるかどうかって問題だ」

 

  それは、フィオレにとって恐るべきものだった。

 

「…私に、魔術師を止めろって言いたいの?」

 

「それを、姉ちゃんが選択しろ」

 

「そんなの決まっているでしょう。わたしはーーー」

 

「犬のこと、覚えてるか?」

 

  呼吸が、時間が止まった。思い出さないようにと、閉じ込めたはずの記憶がこじ開けられた。

  あの、今でも鮮明に覚えている、耳に、目にこびりつく酷い光景がこみ上げてくる。

 

「…忘れるはずが、ないでしょう」

 

「…そうか。でも、それは魔術師にとって不必要だ。あんなもの忘れてしまえばよかったのに」

 

  その記憶を忘れれば、もしかしたら進めたかもしれない。しかし、それがフィオレにとっての始まりだった。あの犬の様なことがないように、失敗しないようにと魔術を学んできた。トラウマが今でも蘇り、苦しめてはーーーあの穏やかな日々も帰ってくる。

 

「忘れられる筈がないじゃない…」

 

「どうして?」

 

「忘れてしまえば…あの子はどこに行けばいいの?」

 

  フィオレとカウレスが降霊術を学ぶために用意され、そして殺されてしまったあの老犬は、何処に行くのか。

  天国なんて都合がいいものは考えない。人が生きていたという証明は、残るものか、残り続けたものかで明かされる。

  あの老犬が残っていたと証明できるのは、フィオレとカウレスの記憶だけ。

  フィオレは捨てきれない、捨てきれるわけがない。あの犬との大切な思い出は、捨てていいものでない。

 

「だから、だめなんだよ姉ちゃん」

 

「…そう、ね」

 

  気づいてしまった。この感情は魔術師にとって要らないものだ。合理的ではなく、あまりにも、感情的だった。

  だが、それだからこそ涙が頬を撫でた。仄かに暖かく、それでいて人間らしい涙が。

 

「ーーー私は、もう上がれない」

 

「…そっか、うん。姉ちゃんは、やっぱそれでいいと思う」

 

  カウレスはそうしてフィオレの背中をさする。涙がとめどなく溢れ、止まらなかった。

  姉が流す涙に、カウレスの瞳はただの弟と戻っていた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  日が沈みかけていた時には、街は悲鳴が飛び交い、激痛で涙を流す者がいたが既に収まりを見せ、トゥリファスの街には静寂が流れていた。

  耳に入り込むのは風の音のみーーーだが、聞こえる筈のない声まで聞こえてきた。

 

『かえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたい』

 

  怨嗟だった。同じことを何度も繰り返すことしかしない、怨念の残留思念。

  胎児達の怨念の集合体である“黒”のアサシン(ジャック・ザ・リッパー)の一人である少女、アステルと名付けられた娘によって右腕を侵食されたバーサーカーは、呪いが移っている右腕をさすった。

 

「…かえりたい、かぁ」

 

  自我も意識もない、ただの()()()()存在。帰りたいと呟くことしかない思念は痛みも苦しみもないが、バーサーカーの心を沈ませる。

  自らの行いに迷いはない。ああしなければ他の者に被害が及んでいた。

  しかし、それでも…。

 

『何故なんだ!!何であの子達を救えなかった!!』

 

『お前を…許してなるものか。許していいはずが…ない!』

 

  受け入れられない者がいる。それも分かっていた。それを…誰よりも目を瞑りたくて、認められなくて、変えたいと抗う女がいたことも。

 

「おーい、ヒッポメネスゥ」

 

  囁き続ける怨嗟とは別に、可憐な少女のような少年が近づいてきた。その正体は言わずもがなライダーだった。

 

「おー、やっぱいつもの見張り台にいたいた」

 

「ライダー、どうしたんだい?」

 

「えっとね、フィオレちゃんがさ、空中庭園の追跡は五日後に決めたんだってことを連絡してきてくれって言われたんだよ」

 

「そっか…」

 

  マスターが姉を救えたことを察し、バーサーカーは静かに瞼を下ろした。

 

「なーんか知ってるみたいだね」

 

「うん。僕のマスターは得れたものがあったみたいだ」

 

「嬉しそうだね」

 

「そりゃ嬉しいさ。…一人の少年の、門出だろう?」

 

「それもそうだね!」

 

  静けさを無視した陽気な笑いが夜の闇へと消えていく。二人の笑みは続くこともなく直ぐに止み、ライダーは優しい笑みで尋ねた。

 

「大丈夫?」

 

「…ちょっとキツイね」

 

「前聞いた時はもっと辛そうだったけどね」

 

「うん」

 

  この“黒”の陣営において、限りなく場を明るくした二人の間には明るさとは違う確かなつながりがあった。

  召喚された当初から、“赤”のバーサーカーの進行により発覚した“赤”のアーチャーの正体まで二人は多くのことを語り合ったことを思い出す。

 

「覚悟していたし、違う形ではあったけれどこうなることは分かっていた。…だけど、やっぱり痛いのは痛いなぁ」

 

「何をするつもりだったのさ、本来ならさ」

 

  目を瞑り、想像する。もし聖杯を手にすることができて、英霊の座にいるアタランテを召喚した時、しようとした事はーーー

 

「…全て話すつもりだった。生前に死ぬまで隣にいた者として、彼女の願いがどれ程に尊く、果てなき道路になるかを。その道は彼女が抱く理想で足を踏み入れることすら拒み、踏み入れようとするたびに悲劇を目にすることを」

 

  理想ーーー親が子を愛する循環は紛れもなく綺麗だ。綺麗で、多くの者がその理想に共感を覚えるだろう。…だが、その理想も幻想である。

 

「自らが差し出したことのない愛をどうやって聖杯に教える? アタランテが想う愛は果たして全人類の親が与える愛と同じなのか? 何よりも…もし彼女が聖杯を手に入れ、目前として願う叶える直前にそれを気づいてしまえば?」

 

  諦めるか、自らの理想を『思想』として人類に押し付けるだろう。

  だが、アタランテは諦めない。諦めるわけがないのだ。

  そう、なってしまったから

 

「だから僕は話すつもりだった。彼女の願いの欠点を、彼女が見るべき事実を。どんなに暗く、重く、深い世界の歴史を直視しようとも…君の願いは紛うことなき正しい願いだって。そして…」

 

  そこで言葉を途切らせた。最後の言葉は自らが彼女に伝える言葉だったから。ここで言っても何も無いから。

  その事を全て吐いた後はどうなるのかは想像していなかった。いや、想像しなかった方が正しい。

  アタランテという分霊、そして英霊の座にいる本体が目指すべきものは、彼女自身が抱く信念では到底辿り着くことができないと告げる。それは、彼女という英霊の存在理由を否定することに当たるのだ。

  それを直接聞いた本人はどう思うか。快く思うはずがない。何かしらの感情が吐き出されーーー痛みを伴わさせることは承知の上だった。

 

「自分という男は何様のつもりなんだって、本当に思うよ」

 

  一方的にアタランテを知っているつもりでいて、傷つけることを前提として心の内を抉り出す。

  まさに彼女が最も嫌う醜く、傲慢で、惨い男だ。

 

「…難しいなぁ、人を好きになるのって」

 

「そりゃあ難しいよ。僕の友なんて好きな女の子が他の男に取られて理性失くすほどだよ?」

 

「…それって」

 

「いやぁ、あいつ興奮すると全裸になるわヤケに強いわ聖剣持ってるわで大変だったな〜」

 

  誰のことを指しているか何となく察した。かの聖剣使いは、とりあえず露出狂の気があるという知らない方が良かった事実を胸に仕舞う。

 

「でもさ、恋で人はそこまで狂えるってことは…それだけで人は戦えるってことなんじゃないの」

 

  息が詰まる。何気ない一言だったのかもしれない。ライダーは考えないわけではない。理性が蒸発しているわけで、思考が狂っているわけではない。

  かつてバーサーカーはライダーに質問したことがある。『理性が蒸発しているって大変か?』

  そんな問いにライダーは高らかに答えた。『それなりに。でもね! 理性が蒸発しているからこそ分かることもあるんだ!』

 

「君の奥さんは子供達が幸せになってほしいから戦ってるわけじゃん。聖杯でも叶えられないかもしれない、それでも可能性があるから立ち上がりつづける。それは誰も笑わないし、馬鹿にしてはいけない」

 

  でも、と

 

「それはヒッポメネスも同じだよ。どんな経緯があれ、君はアタランテに幸せになってほしいと戦っている。他人のため、好きな人に願いを叶えてほしいためと立ち上がる人を僕は弱かろうと笑わない。むしろこう言うね。…君は格好いい!」

 

  バンと叩かれた背中はとても痛かった。叩かれた強さはとても弱いのに、無性に涙が出そうなほどに痛かった。

 

「ダメだなぁ…。今の僕、アタランテの事ばっかしで他のこと考えてないや。カウレス君に聖杯を手に入れるって誓ったのに」

 

「それがどうした、ボクなんてマスター替えした挙句に今はジークを守る為だけ考えていて、天草四郎がしようとしていることなんて守るついでに潰しちゃおうぐらいだよ?」

 

「ついでとか…、君は世界の命運をついでで救うのかい?」

 

「そりゃそうさ! 世界を救うのなんてついででいい。誰かを守るついでに世界を救っちゃうのが英雄さ!」

 

  そう言い切るライダーの、アストルフォの目には欺瞞や嘘などない。単純にそう思っていたのだ。世界は、ついでで充分だと。

  そんな言葉に、ヒッポメネスは本当に涙が出そうになった。まさに大言壮語、本当にできるかどうか分からないことをそう言い切る英雄の姿が、沈みかけた心を再び掬い上げてくれた。

 

「…僕は英雄という存在を一人しか知らなかった」

 

  生前、狩人を妻として娶る前までは栄華や功名心などに欠片も興味なかった男は英雄という人外を知りもしなかった。だがーーー

 

「この聖杯大戦で誰が一番の英雄かと尋ねられれば、君しかいないと答えるよ」

 

  そう思えた。二度目の生で得たこの友人こそが英雄だと、心の底から思えたのだ。

 

「照れるなぁ〜」

 

  その英雄はとても陽気で理性がない弱小の騎士だったが、そんな人になってみたいと思えた。

  互いに下らない話をしながら小突き合い、夜が明けるその時には、バーサーカーの覚悟()は決まっていた。

 

  “赤”のアーチャー(アタランテ)を超えると。

 




ヒッポメネス「座に帰ったらメルアド教えてー」

アストルフォ「いいともー!」



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成長と進歩を

遅れまして、すみません。

では、どうぞ


  ジークと“黒”のライダーはブカレストに向かうこととなった。

  それを知ったのはカウレスとフィオレが話し、空中庭園を五日後に攻めると決まった次の日だった。

  フィオレは魔術師を辞めることに決め、カウレスに一族が受け継いできた魔術刻印を継承することにした。その継承の儀式は部外者に知られてはならないため、協力者の形を取っているジークと“黒”のライダーはトゥリファスを出ることとなった。

  ルーラーはその立会人として少しだけトゥリファスに残り、終わり次第ブカレストに向かうことになる。

 

「そういうことだから余計な騒ぎを起こしたらダメだよ〜、アストルフォ」

 

「ははは、マスター含めてみんなボクに喧嘩売ってんなコンチクショー!」

 

  がぁー!と怒る“黒”のライダー(アストルフォ)を抑えるのは“黒”のバーサーカー(ヒッポメネス)だった。

  抑える風景を呆れながら見ているのはジークやルーラー、フィオレ達“黒”の陣営とホムンクルス達だった。

  “黒”のライダーが起こした騒動は大なり小なり沢山ある。それを知っているからこそブカレストでジークと二人になると何を起こすやら…。

  前まではバーサーカーがストッパーとしていたものの彼はトゥリファスで残るため、ジークとルーラーの二人でライダーを監視しなければならない。その事をジークに厳重に注意しているのを…真横に本人がいるのに続けていてこうなった。

 

「まあまあ、ある意味信頼の表れだよ、これも」

 

「こんな信頼あるかー!」

 

「落ち着いてくださいライダー、私は信じていますよ」

 

  穏やかな笑みを見せる“黒”のアーチャーに、ライダーは涙目で顔を明るくさせるが。

 

「最後まで悩んでたけどな、見張りをつけるべきか否か」

 

「君もかー!!」

 

  カウレスの一言で台無しとなった。ポコポコとアーチャーへと殴りかかるライダーを宥めるバーサーカーの姿に僅かに微笑んだフィオレは、咳払いを一回した。

 

「私達が合流次第、空中庭園へ向かいます。今のうちにホムンクルス達へ別れを告げておいて方がいいかもしれませんよ?」

 

  驚き、ジークは顔を固めた。フィオレの言う通り、ブカレストに向かえばトゥリファスに戻る予定はない。

  ここで、ジークはホムンクルス達との別れとなる。

 

「ライダー、みんなに別れを言ってくる」

 

「うん、好きなだけ言っておいでよ」

 

  そう言ってジーク達はホムンクルス達の元へと向かった。

  ホムンクルス達はそれぞれジーク達に別れを告げていく、その様子をサーヴァント達とマスター達は眺めていた。

 

「ジークも友達が多くできたみたいだねぇ」

 

「うん! あとはさっさと“赤”の連中をぶっ飛ばしてジークを自由にさせるだけ!」

 

「ええ、敵も一筋縄ではいかないでしょうが対策は充分な筈。後は各々がーーー」

 

「割り振れられた役割を、全うするだけです」

 

  “黒”の陣営において残る三騎のサーヴァントとルーラーが自ずと己の役割を語る。

 

「ボクは宝具の解放で道を切り拓く。そして、空中庭園の迎撃機システムを破壊する!」

 

「私は“赤”のライダーを。彼を斃せるのは私だけでしょうし」

 

「私は空中庭園の内部を突破し天草四郎を。途中で“赤”のアサシン、“赤”のキャスターとの戦闘も考えられるでしょうがなんとかします」

 

  ライダー、アーチャー、ルーラーと続き、最後にバーサーカーの番が来た。

  近くにいたマスター達、カウレスとフィオレ、少し離れた場所にいたゴルドもバーサーカーへと視線がいく。

  流れから、いや、必然的にバーサーカーが相手しなければならないのはーーー

 

「僕は“赤”のアーチャーを相手する」

 

  だったのだが、すんなりと告げられた。

  マスターであるカウレスがその様子に一番驚いていた。バーサーカーの表情はとても変わってなかったから。悲しみも、躊躇いも見えなかった。

  ただ、見えたのは受容。その事実を受け入れ、抗うことが見えなかった。

  バーサーカーの言葉にサーヴァント達は疑問を抱くこともなく、頷いた。

 

「ではその手筈で間違いないですね? 勝てばすぐに他の者の手助けを、それで構いませんね?」

 

  返事は首肯。それで戦いの再確認は終わった。同時にジークの挨拶が終わり、ライダーがジークへと駆け寄った。

 

「では、俺達はブカレストに向かう」

 

「はい、私も用事が終わり次第向かいますので…くれぐれもライダーを頼みます」

 

「ああ」

 

「もうその下りはいいってさぁ!」

 

 

 

○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ジーク達が去っただけなのにやけに静かになったミレニア城塞内部では、一つの継承が行われようとしていた。

  フィオレの私室で、三騎のサーヴァントと姉弟が揃っていた。

 

「本当によろしいのですね?」

 

「ええ、ここで行わなければ手離したくなくなりそうで」

 

  行われるのは、魔術刻印の継承。

  本来受け付けられた魔術刻印は簡単に受け継げれるものではない。しかし、カウレスはフィオレの代用として育てられてきた魔術師。幼くして体を調整されてきた。

  受け継がれる魔術刻印は体に大きな負担をかける。それこそ体に支障をきたし、激痛を伴うこともある。何代にも渡って継承されてきた神経を他人へ移すのだ。生半可なものではない。

  ゆえに、サーヴァント達が此処にいる。

  魔術にも造詣が深いアーチャーと治癒が可能なルーラー、そして海を根源とする神の血を引くバーサーカーがいる。

  サーヴァント達は移植の補助のためにいた。

 

「さて、二人ともいいかな」

 

  補助の主導は肉体治癒や水の属性に富んだバーサーカーだった。

 

「いきなり七割の刻印とかな…」

 

「…不安かい?」

 

「貧弱な魔術回路を持ってればな」

 

  言葉の割には平気そうな返事だった。肩を竦めるカウレスを見て、一度は笑ったバーサーカーはすぐに表情を引き締めた。

 

「さてーーーはじめるよ」

 

 

 

  溶けるように広がり、融けるように熱を取り戻していく。

  目の前に映るのは何百年も続く先代達の妄執だった。

  なぜお前が、あり得ぬ、やめろ。巫山戯るなと叫び続ける。今までの歴史を穢し、宿願を遠ざけるつもりか。

  鬱陶しいほどの叫びにカウレスは眉を顰めるように顔の一部を動かした。

 

  ーーー黙れ

 

  その言葉に静かになるわけではない。だが、そこには絶対の意思が含まれていた。

  関係ないと突き進む。迫り来る不快など振り払う。その度に痛みが走り、意識が飛びそうになったが。

 

  ーーその調子、その調子

 

  なんて場に似つかわしく声なのだろう。会った時から思っていたが、時折その声に緊張感を剥ぎ取られそうになった。

  だけど、その声は穏やかな波を足下まで運んだ。

  さっきまであったのは妄執が降り注ぐ無味だったのが、いつの間にか爽やかに晴れた海辺へと姿を変えていた。

  全くと、ため息が溢れそうになる。

  でも、突き進んだ。せめてもと自分がしっかりしなければ。それでちょうど釣り合いが取れるものだ。

 

  ーーーああ、だからかもな

 

  だからこそ、自分はこの英雄を引き寄せたのかも。

  なんて事を考えながら歩き続けた。重みに感じていたものは知らぬうちに流れ落ち、一歩ごとに進む足は確実に目的の場所へとたどり着くことだろう。

 

  地平線の彼方まで続くと思っていた砂浜も終わりが見えてきた。

  そこには少女がいた。少女の手には引き紐、引き紐の先には首輪をされた老犬もいた。

  そうか、と納得する。優秀で、いつまでも後ろについていくと漠然と決めていた姉が、何でいつまでも人間のままで留まっていたのか。

 

  忘れられるはずがないよな。

  そう呟きながら少年は少女へと近づいていった。少年が近づくのを見て、少女は悲しそうな顔を浮かべる。

 

  ーーーもう、終わりなのね

 

  ーーー終わりじゃねえよ

 

  少女の手にあった引き紐を奪い取った。

 

  ーーー継ぐってことは、こいつも引き継ぐってことだ。…安心してくれよ、ちゃんと面倒みるからさ

 

  そう朗らかに笑って見せた。少しだけ驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔になった。

 

  ーーーじゃあ、よろしくね

 

  ーーーああ

 

  受け取った引き紐の先にいた老犬は無邪気に一度吠えて見せた。それを見た姉弟は、昔のように笑ってみせた。

 

 

 

 

 

  目を開くと、何てことはなかった。三騎のサーヴァントと横に目覚めたばかりのフィオレがいた。

  カウレスは目を擦ろうとしたが、体中に感じる異物感に腕を上げることさえできなかった。

 

「っつつ…」

 

「どうやら、上手く成功したようですね」

 

  安心したように微笑む聖女の言葉にカウレスは魔術刻印の継承が済んだことを思い出した。

  血が銅になっているような鈍重感に抗いながら、自分の肉体に魔力を巡らせて、再確認した。

 

「…本当にできたみたいだな」

 

「おめでとう、カウレス君」

 

  パチパチと拍手をしていたのは自分のサーヴァント、バーサーカーだった。少しばかり褒められて嬉しいのか、顔を背けて短く返事した。

 

「ああ」

 

「では、これを」

 

  ルーラーはカウレスの胸板に布を巻きつけた。巻かれたカウレスは体を責めていた痛みが和らいでいくことのを感じた。

 

「聖骸布です。いざという時に取っておいたのですが今は貴方が使うべきでしょう。多少の痛みなら緩和させることができます」

 

「すまない、ルーラー」

 

  多少は動けるようになったもののバーサーカーの手を借りなければ体を起こすことができなかった。同じようにフィオレはアーチャーの手を借りて体を起こしていた。

 

「立派でしたよ。カウレス・フォルヴェッジ・ユグドレミニア。そしてもちろん、姉であるフィオレ、貴女も」

 

  ルーラーの言葉にフィオレは首を横に振って否定した。

 

「いいえ。今はカウレスだけを褒めてあげてください。私の、自慢の弟なんですから」

 

  カウレスは緩みそうになる口元を抑えるも、赤くなる顔を隠せなかった。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  継承も終わり、ルーラーはジーク達が向かったブカレストへと向かっていった。ミレニア城塞では現在忙しなくホムンクルス達とゴルドが城塞の復旧作業を続けていた。

  ホムンクルス達はフィオレ達の契約により安全の保証をされ、とりあえずはこの城塞の働きながら住まうこととなった。戦闘用、魔力補給用と鋳造されたホムンクルスは肉体の不調を訴える者も未だ存在し、その度にゴルドが眠っている最中であろうが引っ張り出されていた。

  そんなゴルドがホムンクルスのリーダー格たるトゥールに引き摺られ、悲鳴が響く城塞の廊下を扉越しから聞いたカウレスは苦笑いだった。

 

「ゴルドのおっさんも災難だな」

 

「でもセイバーを召喚した時に比べればイキイキしているように見えたよ」

 

「そりゃあ寝不足だからだ。目が血走っていただろ?」

 

  シャリシャリと器用に果物ナイフでリンゴの皮を剥いていたバーサーカーは、ベッドの高さに合った椅子の上に剥いたばかりのリンゴを置いた。

  剥かれたばかりのリンゴに手を伸ばすカウレスだが、腕を上げた瞬間に顔を顰めた。

 

「聖骸布でも完全には痛みは緩和できないみたいだねぇ」

 

「だな。…まあ、これぐらいは耐えないとな」

 

  フィオレはこの痛みに耐え続けた。受け継ぐと宣言した以上、これも背負い続けるのだ。

  結果として今は八割の魔術刻印を継承した今、自分の魔力は前に比べて上昇している。この魔力量ならばバーサーカーも気兼ねなく戦わせることができる。

  作戦が決行される残り四日間でどれだけ体に馴染ませることができるかで勝率も変わってくる。ゆっくりと体を休ませることがカウレスにできる最良の行動だ。

 

「はぁ、あと四日はこの状態かよ」

 

「暇なら枕元までパソコン持ってくる?」

 

「流石にそこまで暇に飢えてねえよ」

 

  枕に顔を沈めたカウレスはため息をついた。バーサーカーはその様子に笑うと椅子に座り、剥いたリンゴを一口食べた。

  カウレスは特に気まずくもない空気の中で口を開いた。

 

「やれるのか?」

 

「“赤”のアーチャーのことかい?」

 

  もう名前では呼んでいなかった。敵として立ちはだかる弓兵のサーヴァントとして、 バーサーカーは見ていた。

 

「ああ」

 

「もう戻れないからね。ここで彼女を突破しないと君達の明日は止まってしまう。終わりを迎えない、固まった世界は受け入れるべきではないんだ」

 

  固まった世界。あらゆる価値観が灰燼となり消え去った世界は何が起こるのか。

  天草四郎はその先を見据えているのか、それとも争いを無くすことだけを見ているのか。

  それは分からない。だが、バーサーカーは全人類の不老不死の先には、停滞しか待ち受けていないと考えていた。

  そこまで考えて、バーサーカーは申し訳なさそうに頭を垂れた。

 

「ごめんね、カウレス君」

 

「何がだよ」

 

「約束、果たせそうにないや」

 

  約束が何を指しているのかをすぐに理解できて、カウレスは呆れ顔になった。

 

「聖杯を勝ち取ることか?」

 

「うん。こんな形に進むことになったけど、恐らく僕は“赤”のアーチャーに勝てても君に聖杯を渡すことはできない」

 

  五日後に空中庭園に乗り込み、無事に大聖杯を奪取できたとしても大聖杯は魔術協会の魔術師に回収されてしまう可能性が高い。ルーマニアを出てしまえばユグドレミニアの勢力は弱まり、どう足掻こうともカウレス達は大聖杯を取り戻すことはできないだろう。

 

「そんなの今更だろ。…というか、今だから言えるが俺は聖杯を手に入れれるなんてこれっぽっちも想像できていなかった」

 

  カウレスは“赤”の陣営に勝ち、最後の身内同士の戦いになった場合、真っ先に脱落するだろうとしか思い描いていなかった。

  バーサーカーが理性を保ち、話せれるからこそ希望的想像を考えてきたがどうにも良い結果は浮かんでこなかった。

 

「せいぜい姉さんと戦って、バーサーカーはやられてしまって俺はなんとか生き残る。…それがまともな終わり方だろうなと思っていたさ」

 

「そうなんだ。まあ、それが普通なんだろうけどさ」

 

  バーサーカーは怒らなかった。それはなんとなく受け入れていた。勝つつもりではいたがどうしようとも根本的な実力の差で聖杯は遠ざいていくことを、何処かで妥協していた部分もあったのかもしれない。

 

「じゃあ僕も今更だけど…、“赤”のアーチャーがアタランテと分かった時点で聖杯戦争のことそっちのけで彼女のことしか考えていなかった」

 

「だろうな」

 

  誰が見てもそうだろう。気づかなかったのはセイバーを失い自信喪失だったゴルドや興味がないセレニケ、ロシェぐらいだ。他の全員、ホムンクルス達もそれには気づいていた。

 

「まぁなんというかどちらもやる気ないというかなんというか、聖杯大戦に乗り気じゃなかったわけだ」

 

「だね〜。…でも」

 

「得れるものがあり、目指すべき場所が分かった」

 

  カウレスは魔術の道を進むことを決め、ヒッポメネス(黒のバーサーカー)アタランテ(赤のアーチャー)を越えることを決めた。

  最小にして最大の殺し合いのなか、道のりを見出せた。それが一つの主従が手に取った唯一の鈍い栄光。ありふれて目立たないが、勇気ある人間の選択だった。

 

「…カウレス君(マスター)。僕は、()()を使う」

 

「…いいのか? 相当に嫌がっていただろう」

 

「出し惜しみは無しさ。やるべきことをやろう」

 

  椅子から立ち上がり、バーサーカーは部屋の扉まで向かった。

 

「じゃあ、ちょっとだけ夜風を浴びてくるよ」

 

「ああ。…お休み」

 

「うん、お休みなさい」

 

  閉められた扉をしばらく眺めてからカウレスはぎこちない動きで腕を持ち上げて、手の甲に刻まれた二画の令呪を見上げた。

 

「これの使い所、間違えないようにしないとな」

 

  それがサーヴァントのマスターたる魔術師の、最大の補助だから。

  カウレスは近づく決戦の日まで、あらゆる状況を予測し、使う令呪の内容を思考し始めた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「ふっ!!」

 

  上から下へと振り下ろし、勢いを失わないように体を捻り逆手に持った小剣を横に薙ぐ。薙いだ小剣は振りかぶり過ぎ、隙を見せた。

 

  三連に刺突した槍は眉間、喉、胸を目指した。しかし、目につけた場所から僅かにズレてしまった。

 

  魔術を起動させ、槍の形に変えて離れた大地へと突き刺した。離れた位置すぎると、すぐに形は崩れて水は地面に染み込んだ。

 

  詠唱を紡ぎ、体に魔力を巡り満たす。一動作限定の破格の一撃を移動に利用し、一歩の踏み込みで城塞の壁を飛び越えた。

 

  一通りの動作を再確認し、“赤”のアーチャーの動きを思い出す。 弓を引く動作、走法、回避行動、視線誘導、気配の隠し方。

  ありとあらゆる情報を思い出し、“赤”のアーチャー自身に教わった戦い方を引きずり出す。

  そして脳内で己と彼女の模擬戦を行いーーー負ける。

  負けた要点を振り返りーーー負ける。

  もう一度迫りーーー負けた。

  何度も、幾度も振り返るがその度に矢が喉や額、心臓を貫かれるイメージが克明に想像できた。

 

  そんなこと、分かっている。

 

  相手は神域の狩人。ギリシャ神話において勇者が集まったアルゴー船の乗務員、アルゴナウタイの一人であり、カリュドンの猪に一矢を刺した女傑。

  それに名誉など一切無いただの神の血を引いた男が、追いつくはずがない。

 

  分かりきっていることを確認することはない。

 

  それでも剣を振るい、槍を持つ理由がある。

  最初から、出会った時から目的は変わっていない。

 

  だが、加わったものがあった。

 

  現代において得た友と、友が向かおうとする道の想い。

  報われるべきだったのに、自ら手を下した過去の残骸達。

  そして、涙を流させても尚、伝えなければいけない言葉があった。

 

  もう引かない。例えどんなに血に塗れ、屈辱に押し潰されそうになり、心が裂かれそうになっても、選んだ信念があるのだから。

 

「重心がなってませんよ。脇を閉め、足を広げなさい」

 

  突然声を掛けられて、驚きながらも振り返ると“黒”のアーチャー(ケイローン)が後ろに立っていた。

 

「夜中に風を切る音がしたのでやってきてみれば、貴方が槍を振るっていたもので。余計な言葉を申し訳ありません」

 

  どうやら弓兵の聴覚が槍を振るう音を拾ってしまったらしい。そんなことはないと、バーサーカーは首を横に振った。

 

「いえ、かの賢者から助言を頂けるなんて光栄です」

 

  ギリシャ神話において、世界において最強の大英雄ヘラクレスを育てた賢者に教えて貰えるなど名誉の他ない。

  言われた通りに、バーサーカーは脇を閉めて足をひろげた。自然に低くなった姿勢でもう一度槍を突く。大した変わりではなかったものの槍先はブレず、心なしか鋭さを増した感覚を覚えた。

  槍の冴えを見て、アーチャーはバーサーカーの心境の変化に気づいた。

 

「どうやら、貴方も良きマスターに会えたようですね」

 

「ええ、二度目の生で失えない友が多く得れました」

 

  カウレスにアストルフォ、ジークとどうにも放っとけない友が瞼の裏に浮かびあがった。

  槍をもう一度放ち、素早く構え直す。

 

「互いに妙な縁を持って召喚されましたよね」

 

「はい。同じギリシャの英雄として召喚され、あちらには生前に深く関わった者がおり、マスターは自らの生き方を見つけれた者同士。奇縁ではありましょうが決して悪いものではなかったでしょう」

 

  悪いはずなんてない。苦しくもあったが、決して後悔なんて抱くことなんてない出会いだ。

 

「アーチャー。以前にあなたが僕に言ったことを覚えていますか?」

 

「ええ、もちろん。貴方は、“赤”のアーチャーに殺されると」

 

「今はどうでしょうか?」

 

「残念ながら、今もそれは変わってません」

 

  やはりかと苦笑した。しかし、アーチャーはですがと言葉を続けた。

 

「一つだけ、突破口があります」

 

  にこやかに笑うアーチャーは厳かに、そして未来を見据える予言者のように言った。

 

「英雄となっても、一人の男として抗い続ける貴方にしか得られない力を与えましょう」

 

 

 

 




決戦は粛々と。そして、彼の物語もまたーーー


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彼と彼女の物語

終わりを語ろう

亡霊の無様さを語ろう

みっともない嘆きを語ろう




  これが最後の夢

 

  彼と彼女の終わりの物語

 

  外典への前日譚

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

  純潔の狩人が娶られて月が何度昇り、沈んだことか。

  夫婦の関係になった二人はただ、旅を続けた。

  行く当てなど何処にもない。何処に辿り着くかさえ考えず、大地が続く限り歩く。

  時には獣に作物を食い荒らされた村を救い、森に迷い込んだ子供を助け親の元へ送り返し、狩りの腕に自信があるという男の挑戦を受けたりと、英雄であるアタランテの側にヒッポメネスは常にいた。

 

  二人の関係は夫婦であった。だが、言葉に当てはめられるほどに愛し合ってはいなかった。

 

  アタランテは何故ヒッポメネスが自分を娶り、国と名誉を捨ててまでこの旅を続けているのか分からなかった。

  それについて彼に幾度か尋ねたことはあっても、彼はいつもはぐらかす。やがて抱いていた疑問は時が経つにつれて関心も薄くなり、ヒッポメネスが共にいることが自然だと思い始めた時には消え去っていた。

 

  ヒッポメネスはアタランテを娶ったのにも関わらず、ただの一度たりとも旅に出た理由を語らない。

  彼は多いに恥じて、怖がっていた。アタランテを妻として迎えたきっかけの競争。三つのリンゴを使い彼女を出し抜いた結果、彼の思いは彼女にとって全て虚偽でしかなく、届くことはないと諦めていた。だからこそ彼はせめて、彼女には幸せになってもらおうと願う。その為ならば、なんでもしようと決意している。

 

  だから彼女と彼の想いは何一つ交わらず、片方が知るのはありふれた日常から見つけた一面で、片方は一方的な救済を考えている。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  アタランテは子供が好きだった。彼等の笑顔を見ると自然に微笑み、優しい声音となる。

  子供がそんなに好きなのかと尋ねた時、彼女は『彼等は希望だ』と応えた。

 

「世界は無情だ。強き者が弱き者を喰らうのは自然であるが、それでも子供達が喰らわれるのは…痛い」

 

  そう語る彼女の目はとても悲しそうだったことを覚えている。

 

「見てみろヒッポメネス。子供達の親のあの目を、とても暖かく、優しいものだ」

 

  最初は憧れだったのだろう。自分とは違い、親の庇護の元に育てられた子供達が普通に守られて、心より温められていたのを。

  やがて彼女は成長し多くの感動と悲劇を目にし、一つの答えへと辿り着いた。

 

「あの眼差しこそが必要だ。あの暖かな想いがあれば…悲劇は生まれない。もう涙を流さなくてもいいんだ」

 

  その答えに辿り着く道程には自分が含まれているのだろう。それに気づき、悔いながら目を深く閉じる。

  騙し、策略に掛け、望まぬ婚姻をさせた男。その男との出会いによりアタランテはその答えを導いた。

 

  己の過去、悲劇、同情、羨望、そして温もり。この要素からアタランテは未来(嘆き)を呟いた。

 

「…子が親に愛される。そんな当たり前の循環があればよかったのに」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  婚姻騒動から年月が経った。

  ヒッポメネスとアタランテの二人はアルカディアの地を抜け、ギリシャの大地を歩き回っていた。

  道が続く限り前へ進み、夜になると雨除けとなる木の下や洞窟寝泊まりする生活だったが、偶然に立ち寄った村で二人は悲劇に立ち会った。

 

  村には約百に近い村民が暮らしており、戦場や神々の怒りに触れることなく穏やかな日々を過ごしていたらしい。

  だが、それも突如終わりを迎えることとなっていた。

 

  疫病が流行りはじめていたのだ。

 

  原因は何か、何処からやってきたのかは分からなかった。ただ流行りはじめた病魔は老若男女関係なく村民の体を蝕んでいた。

  最初、ヒッポメネスとアタランテは驚いたものの直ぐに落ち着きを取り戻した。

  今まで立ち寄った町や村でも疫病は珍しくなかった。疫病が流行りはじめるのは神の怒りに触れたから。それがこの時代にとって当たり前の事実だった。

  だからヒッポメネスとアタランテは村を避けることとした。

  無情にも思えるが神の怒りを肩代わりする訳にはいかない。何よりも解決する手段がない。

  かつてアタランテが相手したカリュドンの猪のような獣が神罰なら手を貸せられたもののヒッポメネスとアタランテには医術の知識はない。

  だから、ここで自分達がやれることはない。そう割り切り去ろうとした。

 

 

 

  二人が病に苦しむ子供を見つけるまでは。

 

 

 

  道を引き返そうとした時に鉢合わせてしまった少年と二人は会ってしまった。

  少年は苦しむ肉体を気力で奮い立たせ、何かを両手一杯に抱えて村へと急いでいた。だが幼い体は気力だけでは保たず、アタランテの近くで倒れこんでしまった。

  咄嗟に少年を受け止めたアタランテは彼が持っていた物を見て唖然とした。

  大量の雑草と野鳥の死骸。

 

  雑草の中には薬と成り得る薬草が混じり、野鳥は必死に捕まえようとしたのかズタズタだった。

 

  意識が途切れそうになりながらも少年は受け止めたアタランテに懇願した。必死に、泣きそうになりながらも、小さな声を振り絞り、願った。

 

 

 

  ーーーたす、けて

 

 

 

  少年を担ぎ、村の中にある少年の家へと向かったアタランテとヒッポメネス。

  少年の家へと入ると彼の父らしき男と、寝室で冷たくなった母親らしき女性がいた。

  この少年は苦しむ母を助けようと村を出て薬となる薬草と体力をつけるべく肉を探して村を出たらしい。

  だが、少年は薬となる薬草を知らないし、狩りの知識は皆無だった。

  必死になって持ち帰ったものは殆ど使えなかった。だが、代わりに純潔の狩人とその夫を動かした。

 

  ヒッポメネスは少年とその父を看病し、アタランテは薬草や獣の肉を調達しに森へ出向いた。

  水に特化したヒッポメネスは治癒魔術で疫病の治療を試みたが、ヒッポメネスの魔術は治癒が限界。“治療”には向いていなかった。だから治癒魔術でせめても苦痛を緩和しようと魔術の行使を続けた。

  アタランテも精をつけるためにと獣を狩り、肉を調達してきたものの肉を噛み千切れるほどの力が少年とその父にはなかった。薬草を煎じて飲ませてみるも、病の元に薬草の効果は発揮しない。

 

  二人が親子を看病しにきて数日が経ち始めた頃、他の村民達がヒッポメネス達に救いを求めて近寄ってきた。

  徐々に病魔によって体が弱り始めてくるなかに、外からきた健康な二人。看病を求めても仕方ないことだろう。

  だが、親子を今の状態で保つことが精一杯の二人に他の村民を助けれる余裕はなかった。

 

  縋る手を振り解こうかと考えた。だがーーー

 

  アタランテとヒッポメネスに縋る手には、少年よりも幼い子供が多くいた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  どうしようもない。村の集会所に集められた病人達は村民の殆どの数だった。辛うじて動けれる者もやがては横に眠らされている者達に加わることとなるのは見えている。

 

「…ヒッポメネス」

 

  皮の籠手を外すアタランテの手を見れば弓の弦を引きすぎた所為で血豆ができ、潰れて出血していた。

 

  「貸して」

 

  問いかけられた声に応えるよりも先にヒッポメネスは彼女の手を取り、擦った薬草を浸した布切れで指先を保護した。

 

「すまない」

 

  そう呟いてはアタランテは体を丸め、両手で両膝を抱えた。

 

「私は、あの子達を救いたかった」

 

「…僕もだよ」

 

  紛れも無い本心だ。苦しむ幼童を見て、心が淀むような感覚が一日中続く。子供を愛するアタランテにとってその感覚はヒッポメネス以上のものだろう。

 

「だが、できなかった」

 

  アタランテとヒッポメネスの前には全身に布を被せられた十にも満たない少女が静かに横たわっていた。胸は上下せず、体から生気を感じ取れない冷たい体。

  アタランテとヒッポメネスが村民全員を看病しはじめて四日経って、少女は短い命を病によって奪われてしまった。

 

「無力だ。酷く無力だ」

 

  少女の親達は少女より先に病により先立ってしまった。アタランテはその少女の心が挫けないようにとなるべく近くにいた。だが、心よりも先に少女の肉体が限界を迎えてしまったのだ。

  俯き、震える彼女の体をヒッポメネスはそっと抱きしめた。

  悲しみでも、怒りでもなんでもいい。あらゆる激情を自分の胸にぶつけてもらってもいい。

  ヒッポメネスはアタランテを静かに引き寄せた。当の本人は抗うことはない。ヒッポメネスの胸に頭を置いて、暗い感情で歪められた顔を隠した。

 

 

「何も、できないのか」

 

 

  ヒッポメネスは黙考する。ひたすら考え続けた。病が村民の命を奪い続け、彼女の心を引き裂いていく。失われる命を防ぎたいのに、防ぐ手段が見当たらない。相手は自然の脅威、神による罰なのか、それともただ自然から生み出された罰なのか。

  神罰なら罪を犯した者がいるはずなのに、村民の皆の誰もが覚えがないと口にする。罪人を探してはみたが、誰もいなかった。

  自然の脅威なら現状は最悪といっていい。病を治せる治癒師を探しにいけば間に合わず、多くの者は死に絶えて生き残りは十分の一以下となるのが見えている。然りとてこのまま看病をしていても結果は同様だ。

 

  選ぶほど、選択肢はない。

  多くでも救える可能性のため、村を出る。

 

  それを告げるしかない。今にも泣きそうな妻の前で、はっきりと。

 

  彼女に告げるべく両腕を離し、俯く彼女の顔を持ち上げた。

 

「アタランテ」

 

  辛く、今にも泣きそうな顔はあまり見たくなかった。こんな顔、婚姻騒動の時以来だろう。

 

「僕達が」

 

  言うべきだ。救う為に一度、見捨てなければならないことを。一人だけで治癒師を探すより、二人の方が可能性は高くなる。だから、言わなければ、『見捨てろ』と。

 

「すべき事はーーー」

 

  その次の言葉を紡ぐ前にアタランテの顔は歪んだ。彼女も浅はかではない。ヒッポメネスが考えたことを、アタランテも思いついていたのだろう。

  だが選びたくなかった。子供達を見捨てる選択など取れるはずもないのだから。

 

  背きたい。今すぐ彼女の顔から違うものに逃避したい。

  しかし、ヒッポメネスは彼女の夫だ。夫だからこそ共に逃げるのではなく、外れた道を直すために敢えて苦言を齎さなければならない。

 

  そう、ヒッポメネスは夫だから。

 

  彼女を黄金の林檎で手に入れた卑怯者ーーー

 

  ………黄金の、林檎?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  これでよかったと、アタランテは語ってくれた。嬉しそうに口元を綻ばせながら、言ってくれた。

  ヒッポメネスとアタランテの前に広がる景色は暖かなもので満ちていた。

 

  病が治り、互いの健康を祝い、抱きしめ合う村民達。

 

  ヒッポメネスは大きな陶器を抱えていた。陶器の中には村民が作った葡萄酒の残りと、砕かれて粉々になった果物の破片が浮いていた。

 

  ヒッポメネスとアタランテが村民を助ける為に取った方法。それはーーー

 

 

 

 

 

 

  黄金の林檎を村民に()()()()()ことだった。

 

 

 

 

 

  黄金の林檎は食べれば不老不死を得る神々の秘宝。ヒッポメネスはアタランテを妻として手に入れる時、アフロディーテより授けられたもので彼女との競走で勝った後、使うこともなく持ち続けていた。

 

  食べれば不死となる果実があれば村民を救えるのではないか?

  そう考えたヒッポメネスは所持している三つの黄金の林檎のうち一つを取り出した。

  林檎の果肉が不老不死を得る理由ならば、その果汁にも不死の加護が宿っている。

 

  だからこそまず砕いた。丁寧に力強く、形が崩れ液体になるまで擦り続けた。そして次は葡萄酒に混ぜ込んだ。

 

  この世にはネクタルと呼ばれる神の酒がある。それは神々にしか許されぬ、不老の源。

  ヒッポメネスはそれを真似ようと砕いた黄金の林檎を果実酒に混ぜ込んだ『擬似神酒』を作り上げた。

 

  擬似神酒を村民一人一人に飲ませると、村民の病は消え、肉体は病に罹る前よりも屈強なものとなった。

  村民はヒッポメネスとアタランテに感謝し、お礼として宴を行うと言ったが二人はそれを断り、早々と村を去っていった。

  ヒッポメネスとアタランテは宴が嫌なわけではなかった。英雄としてもてなされる事も、感謝される事も。

  二人が村を出た理由は一つ、神の怒りが彼等にふりかからないようにするためだ。

 

  擬似とはいえ神酒を真似た物を作った。女神より授けられた物を妻以外の者に使った。それだけでも神の怒りに触れるのには充分過ぎた。

  それをヒッポメネスとアタランテは甘んじることなく受け入れた。神の怒りを受ける覚悟で彼等に偽物の神酒を与えたのだった。

 

「子供達が健やかに育ち、親に愛される未来の為だ。後悔などない。どんな罰だろうが、受け入れようとも。…だが、お前は違う」

 

  申し訳なさそうに目を下に下げるアタランテはヒッポメネスに謝った。

 

「私の我儘にお前を巻き込んだ。お前には罪はない。お前だけでも…」

 

  ヒッポメネスは少し怒ったような顔をして、アタランテに告げる。

 

「アタランテ。僕だって覚悟の上で女神から与えられた林檎を使ったんだ。神の怒りは僕にも向けられている。…それに、君一人に罪を負わせるのは都合が良さすぎるというものだよ」

 

「…すまない」

 

  それから二人の間には会話はなく、人気がない獣道を進んでいく。目指すべき場所はかつて女神を崇めていた神域。

  その場所で、罰を受けようと二人は歩み続けた。

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

  指は五本、両手で十本。足は二足で、目は前についている。体を覆う体毛は無くなり、鋭い犬歯は無くなっていた。体の調子を確かめるべく体を弓のようにしならせて、両手を天へと伸ばす。体の力を抜き、手を頭の上に乗せるとーーー柔らかい感触を手に感じる。

 

  頭の横ではなく、上から周りの音を聴取する。草が風で擦れる音や遠くの小鳥の囀りさえ今では鮮明に聞き取れた。

  そして腰部近くに意識を向けると、フリフリと揺れる“尻尾”があった。

 

「ヒッポメネス」

 

  振り返ると妻であり、純潔の狩人であるアタランテが翠緑の衣装に着直していた。翠緑の衣装自体珍しいことではない。森に溶け込むために自然を基調とした色を好む彼女だが、違和感を覚えるのは頭部だった。

 

「やはりお前もか」

 

「君もだねぇ」

 

  互いに見つめているのは互いの頭部。二人とも頭部にーーー獅子の耳が生えていた。

 

 

 

  二人は女神ーーーアフロディーテより神罰を受けた。黄金の林檎を授けたというのに感謝せず、砕くという不敬に女神は激怒した。

  女神が与えた罰は、二人を獅子の姿へと変える呪いであった。

  獅子に姿を変えられた二人は暫くの時間彷徨うこととなった。獅子の姿では人々から恐れられ、血気盛んな者なら狩ろうとしてくる。

  獅子となった身として、二人は森の奥で潜むこととした。

  人間の身には戻れない。だが二人は後悔などない。アタランテは熊に育てられたことだけあって獅子の生活に不自由さはなかったが、ヒッポメネスは最初だけ戸惑ったものの時間が経つごとに慣れていった。

 

  獅子の生活が暫く経った頃、ヒッポメネスは獲物を追い森の中を疾走していた。狙うのは猪。巨大な体躯となった彼は四足で大地をかける。人間の頃よりも早い足に猪はすぐに捕まえれた。しかし意外に猪が粘ったため、森を抜けて木が一つもない草原に出てしまった。

  幸いなことに人は一人もいない。ヒッポメネスは付け狙うものもいないと安堵し、猪の首筋に牙を突き立てて持って帰ろうとした時。

 

  空から雷のような轟音が聞こえ、空を見上げた。

 

  すると空から馬に引かれる戦車がこちらへと推進してきている。呆気に取られたヒッポメネスは遅れて退避行動を取る。

  ギリギリで避けた為、鬣に戦車の輪が僅かに擦りーーーそれだけで派手に吹き飛ばされた。

  超高速で進む戦車が纏う空気は直撃すればそれだけで四肢を吹き飛ばす。掠っただけでも獅子の体が吹き飛ぶのは実に分かりやすい。

  ヒッポメネスは地面へと叩きつけられ、僅かに抜かれた鬣から血が滲む。

 

  倒れ伏せる獅子に近づく者がいた。その者は、この世の者とは思えぬほど美しい人だったーーー

 

 

 

  その人の名は、キュベレー。大地母神と名高き女神だった。

  女神キュベレーは戦車で走行中、間違えてヒッポメネスを轢いてしまったのだ。最初は獅子がなぜこんなところにと疑問を持ったが、 キュベレーがヒッポメネスに近づいた瞬間、元が人間だとすぐに彼女は気づいた。

 

  そしてキュベレーはヒッポメネスになぜこの様な姿になっているのかと質問した。ヒッポメネスは嘘偽りなく、全てを話した。

  全てを聞いたキュベレーは頷き、こう言った。

 

  ーーー分かりました。私がなんとかしましょう。

 

  そう言うとキュベレーは戦車に乗り、去っていった。なんだったのだろうかと、ヒッポメネスは傷ついた体でアタランテの元へと帰った。

  すると帰る途中で体に異変を感じた。全身に駆け巡る謎の感触に身を捩ると、たちまち体が獅子から人間へと戻っていった。

  キュベレーは轢いてしまったお詫びにアフロディーテの元へ行き、二人を元の姿へ戻す様に説得した。キュベレーの説得により、アフロディーテは獅子の呪いを解いた。

  人間へと戻ったヒッポメネスはキュベレーのお陰だと悟り、意気揚々とアタランテの元へと帰った。

 

  帰った直後、人間の姿で全裸となっているアタランテがいて、ヒッポメネスは殴り飛ばされた。

 

  神の罰は終わり、獅子から人間へと戻れたのはいいが呪いの後遺症により二人は獅子の耳と尻尾が生えていた。

  ヒッポメネスは獅子の時の感覚が僅かに残り戸惑ったがアタランテには悪い気はないようだ。

  森の奥から久々に出た二人はまず擬似神酒で救った村に向かうことにした。以前は神の罰に巻き込まないようにと急いで出た為にまともな挨拶ができなかった。元気になった子供達の姿を見たいとアタランテも賛成し、二人は救った村へ足を運び

 

 

 

  待っていたのは武器を構えた村民達だった。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  二人は状況を理解するのに遅れてしまい、ヒッポメネスは飛来した矢に膝を貫かれてしまった。

  痛みに必死に耐えながら倒れることだけは阻止し、村民達を睨んだ。アタランテは弓を構え威嚇し、叫んだ。

 

「何故だ!なぜ汝らが吾々を襲う!」

 

  誰よりも疾い狩人の咆哮は村民達を怯ませたが引く事はなかった。村民はアタランテーーーいや、ヒッポメネスの方を睨み叫び返した。

 

「黄金の林檎を寄越せ!!」

 

  彼等の目には恐怖よりも物欲に染められた禍々しいものに染められていた。男も女も、老人も若者も、武器を構える全員が同じような目をしていた。

 

「あれは不老不死の源。あれさえあれば疫病に恐れず、神の怒りに怯えなくてもよくなる!」

 

  隣にいたアタランテが舌打ちをするのが耳に入る。村民達は助けられた恩を忘れ、黄金の林檎の魅力に取り憑かれていた。

  疫病を癒し、肉体を活性させる神秘の果実。それをもう一度酒に混ぜて飲めば、さらなる恩恵を得られると考えているのだろう。

 

「やれぇ!!!」

 

  一斉に襲いかかってくる狂気を帯びた村民達。ヒッポメネスは小剣を引き抜き、アタランテは矢を放った。

  小剣は数人の村民の足の健を切り裂き、同時に放った三矢はすべて額の真ん中を貫いた。膝を負傷しながらもアタランテの矢の支援により、なんとか劣勢にならないように立ち回りながら迫り来る村民達を返り討ちにする。

  襲いかかって数十秒経たないうちに十数人やられたのを見て村民達の勢いが削がれ始めた。

  勢いが緩んだ隙に逃げようとヒッポメネスはアタランテの傍まで移動し彼女を連れていこうと試みた時、彼女の様子がおかしいのに気づいた。

 

  まるで、予想外の光景を目にしたかのように。

 

  ヒッポメネスが後ろから迫る村民へ振り向き、遥か後方にあるものへ目を細めるとーーー

 

 

 

  こちらに怯えながら弓を構える少年と、撃てと叱咤させる少年の父が見えてしまった。

 

 

 

  ヒッポメネスは咄嗟にアタランテの前へ躍り出た。

 次に知覚したのは痛覚。背中から胸へと続く異物感。同時に吹き出す出血と吐血。

  痛みに噎び泣いている時間はなかった。後ろから聞こえる怒号に勢いを取り戻したことを悟り、固まるアタランテの手を引いてその場から急いで去る事を選んだ。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  森の中を進み、たどり着いたのは懐かしい潮の匂いがする海辺の崖だった。途中からアタランテの肩を借りての移動だったが、ここまで来るのに血を流し過ぎて立つ事すらままならなくなってきた。

 

「ヒッポメネス、瞼を閉じるな。私を見ろ!」

 

  背中から撃たれた矢は心臓を穿った。どのみち、自分は後少しで死ぬ。それはもう確定事項だった。

  だからだろうか。ヒッポメネスは最後の最後で伝えるべきことがすぐに思いついた。

  夫となってから、禁じていたことを破る。行動ではなく、言葉で想いを。口を必死に動かし、言いたいことを口にする。

 

「アタ…ラン、テ」

 

  あと一言。たった一言で終わる。伝え終わった時にはヒッポメネスという男の生も終わる。それでも、たったの一言の為に命を燃やし続けた。

 

「ぼ、くは…君、を…!?」

 

  矢が飛んでくる。何十という矢の雨が降り注ぐ。

 

「あ…」

 

  そんなか細い声が聞こえ、瞬きの間に、アタランテの体に矢が全て突き刺さった。

 

「ーーーアタランテェェェェェェェェ!!!」

 

  矢の筵と化したアタランテがヒッポメネスへ倒れこんだ。鈍くなる体で受け止めて、必死に叫ぶ。

 

「死ぬな!死ぬんじゃないアタランテ!!君にまだ、僕は!!」

 

  泣き叫ぶ声と遠くから聞こえる歓声が海辺に木霊する。村民達の追っ手と死にかけの二人。この後の結末は語るだけ無駄なほどに見えている。

 

「なんで!なんで君がぁ!」

 

  強く抱きしめるが返事はなかった。心臓の鼓動も、肌から伝わる熱も消え去った。

  気がつけば薄汚い喜色を顔に浮かべる村民が死に体の二人を囲んでいた。黄金の林檎を求め、武器を手にする村民達は、ヒッポメネスにとってただただ醜い何かにしか見えなかった。

 

「ーーー渡さない」

 

  怒りが心を満たす。酷く恨めしい。

  不老不死を求める人々がこれほどまでに醜くる堕ちるとは。

 

「渡してなるものか」

 

  黄金の林檎は少しした未来にて、ギリシャ最大の戦争を引き起こす原因となった。栄華を呼び、災厄をも呼び込む。

  彼が手にしたのはアタランテ(栄華)悲劇(災厄)

  だがその栄華と災厄を導いたこのキッカケだけは、この醜い愚か者達には渡したくない。

 

「お前達に、彼女は渡さない!!」

 

  アタランテを抱え、ヒッポメネスは海へと身を投げた。

  海の冷たさと潮の流れが二人を海底へと引きずり込む。胸から流れ落ちる血が海へと引きずりだされ、意識は暗闇へと誘われていく。

 

 

 

 

  こうして、彼女とこれの物語は終焉に辿り着いた。

 

  そう、()()()の物語は。

 

 

 

 

 

  深く冷たい深淵の奥で、鼓動が一つ、蠢いた。

 

 




孤高を望み、貴女は理想の荒野を歩む

振り返らない、振り返れない

貴女が遺した足跡は今でも濃く残る

その足跡は何を語るか、人に何を想起させるか



貴女は振り返らない、振り返れない



死したその時から、奇跡に縋ったのだから


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夜よ、朝よ

この日を待っていた。


  ーーー夜は黒の帳を終い、朝は白の天幕を降ろす

 

  目覚める時には余りに早い時間に起きてしまったカウレスは目を擦りながら城塞の外へ出た。

  地平線の彼方にある空は薄い光が頭を出していた。コーヒーでもあれば少しは眠気も飛ぶだろうと思いながら、静かに日の出の時を待った。

  何時もなら、こんなことしたことなかった。日の出など何処で見ても一緒なのだから、ネットや魔術の研究に手を付けようと思考が行き着く筈なのに。

 

  仕方ないことだ。なぜならあの日の出が、自分の最後に見ることとなる太陽なのかもしれないのだから。

  今日が決戦の日。空中庭園へ向かい、天草四郎との決着をつける。

  姉から継承した魔術刻印の影響も緩和し、一人で歩けれるようにもなった。魔力総量も以前と比べ物にならない。

 

  終わりは近い。心残りはないけれど、少しだけ未来を夢見てる。

 

「…魔術師らしくねえな」

 

  少し感情的になったと愚痴りながら、食堂で働いているホムンクルス達にコーヒーを分けて貰おうと城塞内に戻っていった。

 

  後ろでは太陽が昇りはじめていた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ーーー夜は黒の帳を終い、朝は白の天幕を降ろす

 

  フィオレは最後の夜を眠らなかった。眠るのが怖かったのかもしれない。夢を見るのも怖かったのかもしれない。

  今日という日は魔術師としての自分が終わる日なのだから。天草四郎と“赤”のサーヴァント達との決戦が終われば、明日の自分は人間として生きていく事となる。…それに、“黒”のアーチャーとの別れも待っている。

  魔術を失うこととアーチャーとの別れが来ることが、酷く心を空っぽにする。

  分かっていてももう少しだけ待ってほしいと願う自分がいる。その事に微笑んでしまう。

 

  まったく…人間らしい。

 

  やはり魔術師には向いてなかった。魔術は楽しかった。アーチャーとの出会いがあった。忘れられない、老犬との思い出も胸に焼き付いている。

  この記憶と魔術を手放した後悔を抱えながら生きていく。何度も悔やみながら、それでも明るい今日を笑って過ごすために。

 

  窓から、目覚めの陽光が差し込んだ。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ーーー夜は黒の帳を終い、朝は白の天幕を降ろす

 

  “黒”のアーチャー(ケイローン)は静かに心を落ち着かせた。本日、この城塞を出れば最後の戦いが始まる。

  己が敵は最初から決まっている。“赤”のライダーであり、ギリシャ二大英雄が一人であり、生前に教えを授けた弟子の一人、アキレウス。

  マスターであるフィオレはアキレウスと自分を戦わせる運命を引き寄せてしまったと悲しんでくれた。だが、自分は感謝の意を唱えた。

  あの幼かった少年が英雄となり何処まで成長したのか目に出来た。あの大英雄は大人となっていてもやはり根が甘いと嬉しく思いながらも叱りつけた。何よりも、あの英雄と自分がどちらが強いのかと戦いたいと願えれた。

  心が奮い立つのを隠せない。勝ちたい、勝たせてやりたい。

  無情な魔術達の戦いの中で幸運にも得れた友と主に。

 

  必ず勝つ、そう胸に秘めた想いに惹かれるように太陽は昇る。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ーーー夜は黒の帳を終い、朝は白の天幕を降ろす

 

  “黒”のライダーはまだ夢の中。口の端から涎を垂らし、情けない顔を出してえへへと笑う。

  幸せな夢を見ているのか、戦いで活躍している夢を見ているのか。ベッドの上を器用に転げ回りながら腕や足を振り回していた。

  ここでジークとルーラーが見ていたら最悪の寝相だと言いそ…いや、既に前日に言っていた。

  彼が夢見るのはジークの明るい未来。戦いに勝利し、大聖杯は取り返せて、自分は受肉しジークと共に世界を渡る。…ついでにルーラーも?

  だが、それが都合のいい夢だと分かっていた。いや、そうなる筈がないと直感していた。

 

  でも、そんなものこのアストルフォに通じない!

 

  いい夢を見れた。ならそんな明るい幻想を再現させてやろうではないか!

  弱小ながらも誰よりも英雄らしい騎士は拳を振り上げた。ぐふっ、と隣で悲鳴が聞こえた。

 

  カーテンから差し込んできた陽光に一度目を覚ましながらも、彼は二度寝した。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ーーー夜は黒の帳を終い、朝は白の天幕を降ろす

 

  “赤”のセイバーは己に問いた。どんな王になりたかったのか、と。

  生前に憧れた()は完璧な王だった。誰よりも賢く、誰よりも清廉だった。だからこそ強く憧れ、近づきたいと剣を握り、息子ではないと否定されたから強く恨んだ。

  前に会ったホムンクルスの少年、ジークと抜けた“黒”のライダーと話していた時に問われた。

 

『君は悪しき王になりたいのか善き王になりたいのか、どっちなんだい?』

 

  善き王に決まっている。だが、王となった先の事を全く見えてなかった。

  王となる事は当たり前で、善き王になりたいのも虚偽ではない。

  そもそも、なぜ父は王となったのだろうか?

  あの父は民草にとって理想の王であった。多くの者を救うために少数を切り捨てる苦渋の判断さえ取れていた。その判断を下すのに、心はなぜ耐えれたのだろうか?

  国の未来の為? 良き王であり続ける為?

  わからない。何一つ分かっていなかった。

 

  ため息が出た。最悪だ、もう直ぐ正念場だと言うのにそれのことだけが頭を埋め尽くす。

 

  でも、マスターである強面の魔術師に助言を送られた。

 

『父と向き合えよ。背中を追うだけではなく、越える為に分析しろ。お前が目指し、憧れたものは何だったのかってな』

 

  憧れては…いない。とにかくその助言は有難く受け取っておく。超えて、座したかった王の座とはなんだったのか、不貞の息子は考える。

  終わりの時は近づいてる。その時までに答えは得れるのか。

 

  道路を走る車の側面から陽光が差し、目を細めた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ーーー夜は黒の帳を終い、朝は白の天幕を降ろす

 

  “赤”のライダーは虚空に音速の槍を突き放つ。二、三、四。一度引き、払いながら石突きで鳩尾に迫る。

  だが、その前に頭を撃たれて絶命する。

 

  幾つもの想定の上で行われた模擬戦もまた敗れた。五つの戦いも、すべて敗退した。

  相手は師にして父、兄にして友であるケイローン。自分の槍、武術、知識は彼から授かったものである。そのケイローンに勝つということは、己の原典を超えるに等しい。

 

  多くの敵を屠り、英雄として駆け抜けて、神の怒りを買い殺された。最後の最後まで暴れ尽くし、後の世にまで英雄として崇められた。

  そして二度目の命を授かり、英雄として駆け抜けようと槍を取った直後、この大戦の宿敵を見つけた。

 

  奇跡だ。そう思った。いずれ越えたいと、全力を引きずり出したいと願ったことがある。

  しかし、その機会は訪れず師は毒で死に、自分も戦場で死んだ。

  聖杯の導きに、オリンポスの神々に感謝する。己が願いは既に叶っている。聖杯に請うものなどない。

  マスターはあの聖人になってしまったが、自分の暇つぶしに付き合えばマスターとして認めてもらえるかもしれないという僅かな希望で殺し合いに興じた大馬鹿の計画に加担するのも悪くない。

  だが、ケイローンだけは譲れない。それだけはこのアキレウスが斃す。

 

  庭園の下から差し込んでくる太陽に決戦の時は近いと確信した。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ーーー夜は黒の帳を終い、朝は白の天幕を降ろす

 

  “赤”のランサーは泉から湧き上がる水を掬い、肩から流れ落とした。生前からの慣習である沐浴はサーヴァントの身となっても続けている。これをする事に優位性など何もないが、それでも染み付いたものだから余裕があるなら続けている。

  “赤”のランサーは思う。槍となると誓ったマスターはあの聖人の少年へと移り、元マスターという肩書きになった魔術師達は“赤”のアサシンの毒によって夢と現の境目に生きている。

  会話など成り立たないし、返事が返ってくるわけでもない。

  “赤”のアサシンは捨ててしまえと言っていたが、捨てられるわけがない。

  体と一体化している鎧は母が願い、父により授けられた。太陽である父に恥じぬ生き方をしてきた。

  サーヴァントであってもずっと、その生き方だけは忘れない。

 

  この身は槍である。施しの英雄と呼ばれた“赤”のランサー、カルナは請われたならその願いに応える。

  そして元マスターであった魔術師達は自我を失っていても未だ聖杯を望んでいる。

 

  その願いを請われたなら“赤”のランサーは槍を振るう。英雄だからではない。仕えることが彼にとって望みである。

  魔術師達がどの様な願いを持っていたかなど知らない。聖杯を手に入れた後、彼らが何をするのかも分からない。だが、その願いは願いである。どのような人間の願いも全ては等価値で、貧富の差などない。

 

  あの元マスター達が望み、聖人の少年が望むものが同じなら彼等と轡を並べよう。

 

  だが、一つだけ聞いてもらえるなら…もう一度“黒”のセイバーとの戦いを所望したい。

 

  父である太陽が地平線から顔を出したことに懐かしむように瞳を閉じた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ーーー夜は黒の帳を終い、朝は白の天幕を降ろす

 

  恋ではない、決してそんなものではない。

  玉座に座り込みながら、赤の女帝セミラミスは否定し続けていた。

 

  興味深い、ただそれだけだった筈だ。

 

  あの聖人が成す世界、まだ自分が見たことのない世界を見せてやるといったあの少年の口車に乗ってここまで来ただけあって、他意などなかった。

 

「施しの英雄め…」

 

  思い出すのは前のマスター達を始末しようとした時、あの黄金の鎧と一体化した大英雄が発した言葉。

 

  ーーーお前は恋した男を殺したい性分なのか?

 

  ありえない。その言葉を突きつけられた時、なんと無様な狼狽えをしたことか。

  ありえない、決してありえない。何度も否定し、忌々しい大英雄の勘違いだと納得しようとしたが、あの大英雄は人の嘘を見抜く眼力があった事を思い出し、また頭を抱え始める。

  答えを出ない、いつまでも悩みに悩み続け、気がつけば夜が明けそうな事を女帝は気づかない。その姿はとても暴君とは見えずーーー

 

  太陽は地平線に淡い赤をなぞらせながら、その姿を顕示した。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ーーー夜は黒の帳を終い、朝は白の天幕を降ろす

 

  同じ夢を何度も見た。大剣を握り、勝てるはずのない相手に何度も挑む青年の夢を。

  頑丈な鱗は剣を弾く、堅固な甲殻は刃を兼ね合わせ、巨大な肉体は恐怖そのものだった。

  この夢を見てから何度も挑んでいる。咬み殺されそうになって、叩き潰されそうになって、焼き殺されそうになって、八つ裂きにされそうになる。

  それでも足はまだ立てた。指は全部揃い、剣を握れた。眼差しに光は失われず、奥底で今もなお輝きを秘め続ける。

  雄叫びを上げ、大剣の柄を握り、両腕を掲げた。一撃一撃が必殺ではないが、全力を込め続けた。

  怖くて、挫けそうだ。でも、この体はまだ、うごーーー

 

「うごっ!?」

 

  頬の部分に脳を揺らすほどの衝撃を喰らい、薄暗い部屋のベッドから起き上がった。

 

「うへへへへ……」

 

  自分を夢の中から現実に戻したのはこのサーヴァントか。蹴り飛ばして散乱しているシーツを掛け直し、ベッドから起き上がった。

  夜はもうすぐ明け、最後の戦いが待ち受けている。それに心が緊張しないわけがない。供給槽の中にいた頃には得られなかった感情だろう。

 

  …思えば、一ヶ月すら経っていない。

 

  死ぬのが怖くて、ライダーに助けられ、一度死にかけ、生き返った。そして聖女と出会い、少しずつ知識を得て、自らの願いを見つけられた。戦場に行けばまた死にかけて、バーサーカーに助けられていつの間にか世界の命運がかかる大舞台に立っていた。

 

  今日という日まで地獄を見たし、明るいものまで見た。人が善性か悪性か。世界は何か。自分自身は何なのかと自問自答を繰り返し探す毎日。考えて、考え続けなければ。

  近代から神代に渡る世界を変えてきた英雄達から学び、今こうして生きている。

  分からないことだらけだ。でも、知りたいと好奇心が疼く。

  ルーラーから信じてほしいといわれた、人々の未来。

  天草四郎とジャンヌ・ダルクは同じ願いを持つにもかかわらず、殺し合いになってしまう。

  戦いの先に答えがあるのか、自ら気づかなければならないのか。

 

「やることが多くありすぎる」

 

  いまだ掴めていないような気がした。でも、天草四郎を見逃すわけにもいかない。

  止めなければいけない。例え、全人類の不老不死こそが人類を救う唯一の手段としても。なぜなら、それはーーー

 

  答えと迷いは胸の中に。始まりの朝日が昇ってくる。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 ーーー夜は黒の帳を終い、朝は白の天幕を降ろす

 

  ふと目が覚めた伸ばすのは夜明け前だった。空は暗く、星々が燦々と輝いている。地平線は僅かに白く濁り始め、星々を隠そうと朝が背伸びしているように見えた。

  またベッドに体を鎮める気にもなれず、ジャンヌは寝巻きから着替え、外へ出た。

 

  辿り着いたのは教会。夜明け前だから空いているはずもなく、扉は閉ざされている。何気なく立ち寄ったとはいえ、空いてないことに嘆息し何気なく扉に触れた。

 

「あれ?」

 

  ギギギ、と古い木の軋みと共に扉は開いた。教会の中は無人で、静けさと寂しさで渋滞している。

  鍵をかけ忘れた? 無用心ですね、などと考えながらも心の底では幸運ですと呟きジャンヌは教会の内部へ足を踏み入れた。

  教会の広間の奥。主を象った彫像はいつの時代も変わらない厳かさだと肌で感じ取る。そうして、ジャンヌは主の前で膝を付く。

 

  ーーーこの戦いで多くの者が亡くなりました

 

  使われる為に生み出されたホムンクルス、“黒”のアサシンに奪われた一般人、聖杯を求めた魔術師達。そして、ジークという名の少年。

 

  ーーー主よ、どうか彼を

 

  サーヴァントの心臓と宝具を胸に秘めた例外無二の存在。戦うことを選び、そして戦いへと誘われた少年。それが彼自身の選択でも、どうかとジャンヌは祈る。

 

  ーーー彼と人類を…見守りください

 

  硝子の奥から降り注ぐ朝陽は、暗闇を割く祝福のようだった。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  何時まで祈っているのだろうか。彼はただ膝を折り、指を組んで祈りを捧げる。

  空中庭園内に造られた教会は“赤”のアサシンが彼の要望を汲み取り、設計したもの。四郎とセミラミスの生まれた時代も文化も趣味嗜好も異なり、彼女の造った教会内部は豪華な景観であったがそれでも四郎にとって充分だった。

 

「・・・・・」

 

  ただ、祈る。救いを求めているのか、それとも赦しを乞うているのか分からない。受肉し、六十年の永き時を答えを得るだけに費やし、そして行動に移してきた。

  聖人の思考を読み取れる者はいるのだろうか。欺瞞を許さない“赤”のランサーなら或いはだが、それでも理解しきれるかは別だ。

  天草四郎は人類の救済を、不老不死こそが手段だと嘘偽りなく確信している。狂っているわけではない。己を殺しているのではない。()()()()()()()()()()()()()()。それが今の彼である。

  彼の根底にあるものはなにかなど、知ろうと思う者は少ない。誰も彼もが己が理想と欲望の為に戦いの場へと赴いている。

 

  ーーーそれでいい。

 

  それでもいい。()()()()()()()

  平等に悪人も善人も、男も女も、子供も老人も、英雄も反英雄も彼は救いきる。

 

  この祈りはその為に必要なこと。祈りで世界が救われるなら、彼は永劫に祈り続けよう。

 

  彼がようやく祈りを止めたのは、福音の如く降り注ぐ朝陽に気づいた時だった。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ーーー夜は沈み、穢れを断つ朝は眩しくて

 

  声が聞こえる。

  何度も何度も囁くか細い声が聞こえる。

  助けを求め、苦しみ、すり寄ってくる嘆きが何度も何度もか細い声で聞こえてくる。

 

  『たすけてたすけてたすけてたすけてたすけて』

  『あいつたちをころして、わたしをきずつけるわるいやつらを』

  『あのおとこを、あのせいじょを、あなたのーーー』

 

「…あぁ、聞こえているさ」

 

  愛しく自らの腕を撫で、慈しむように微笑む。魂は消え去り、輪廻から外されてもあの子達は“此処”に残っている。

  アタランテ(赤のアーチャー)は空中庭園の外周、外界に広がる科学文化から隔離された広い空飛ぶ大地の上で呼吸をする。

  肺に空気が入る度に頭蓋に清涼感が満ち、心が落ち着く感覚を味わう。この時代、鉄と機械油が漂う街の中は好きにはなれず、離れてても僅かに匂う濁った汚臭の世界に飽き飽きしていた。しかしここは人類が住めない遥か高みの空間。歴史も文化も紡がれていない此処では原初の時代と変わらない澄みきった空気を味わえる。

 

  一度空気の交換が終えれば、“黒”のアサシンの残留思念である子供達の声に耳を傾けた。最早意思もなく、囁き続ける思念に彼女は気付かない。帰りたいと、母の胎内に帰還したいという思念しかない筈の囁きは変化していた。殺意を交えさせ、絶望を滲ませて、囁きは絶叫に変貌していた。

  アタランテの絶望が思念に憎しみを覚えさせたのかどうかは分からない。だが、一つ確かなことがあった。

 

「お前達は生きてよかったのだ。生きて…幸せになってよかった」

 

  例え怨霊であっても生きたいという思いは否定してはならなかった。子供達の未来の為、絶望が二度とあの子達に降りかからないようにする為、侵入者を殺し尽くす。

 

「来るなら来い。この矢で心臓を穿ってやる」

 

  彼女は待ち受ける。あの黒と青の境界線の先からやってくる憎き来訪者を。誰よりも深く憎み、自分の愛を否定したーーー夫であった男を。

 

「ヒッポメネス、お前は…私が殺す」

 

  眠りは終わる。目覚めは既に始まり、朝は夜明けを告げた。戦いの終わりは近づいた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ーーー朝は来る。やがて夜が来ようとも、また陽は昇る。

 

  陽は昇った。天辺の端からでも大地を照らす日光は朝の肌寒い温度に温もりを与えてくれる。かつて、あの光を放つ星を人は神と崇めた。この恵みを与える大地を、生命を生んだ海を神と視た。この世には幾千幾多の自然が幾多幾万の神を宿した。自然が、世界が神というならば、この世の皆、神の目から逃れることは不可能である。

  もし、この戦いを照覧している神がいるならば、自分の結末をどう望むのであろうかと、ヒッポメネスは考えた。

  破滅か絶望か、または希望か。戦いの末の幸福はあまり考えれない。望めば望むほど、何処かへ消え去ってしまいそうだったから。

 

  ヒッポメネスは空を見上げた。この空の先に彼女が待っている。アタランテはきっと憎んでいる。悲しんで、哀しんで、怒っている。

  腕に住み着く思念は今も変わらず囁いてる。

 

『かえりたい、かえりたい、かえりたい』

 

  変わることなどない。“黒”のアサシンの正体は産まれることさえ望まれなかった子供達の怨霊。帰りたいのは母の腹の中。世界から遮断された暖かな空間に包まれたいと願い続ける思念が泣き続ける。

 

「ごめんね」

 

  返事が返ってくるわけでも許されるわけでもない。この罪は永遠。許す者などいないが、罰を与えようとする者はいる。

  その者が、殺し合う相手。最愛の妻(アタランテ)こそ最大の敵だ。

  勝てるだろうか、と思うことは消えた。

  勝つ、と決めた。

 

  この日に二度目の命が尽きることも、再び彼女と別離することも覚悟した。

  全てを投げ打ち、全てを賭ける。賽は既に投げられた。

 

  陽は急かす。悠然と佇む炎の星は始まりの象徴。

 

 

 

 

 

  終わりは粛々と決められて迎えられた。

 

 

 




後戻り?
話にならない

全てを此処に置いていけ


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旅立ちの時

Q.スマホで一番使うアプリを教えてください。

A.
ヒッポメネス「○イッターとカメラ機能。何を撮っているのかはノーコメントで」

アタランテ(入手5分で大破。使えない)


  立つ者もいない見張り台は寒々としていた。召喚された当初からこの見張り台で夜空を眺め、雲の動きと城下町の人の流れを見ていた。

 

  ここにはもう戻れない、と“黒”のバーサーカー(ヒッポメネス)は実感した。

 

  特に理由もなくいた場所であったがいざ離れるとなると愛着が湧いていたことが分かった。おかしなものだと軽く笑うと床に手を置き、名残惜しそうに軽く撫でた。

 

「じゃあね。いつまでも残っていることを祈るよ」

 

  それだけ告げて霊体化した。その場には誰も残らない。ただ、そこに誰かがいたことだけは確かに残った。それが誰だったかは、いずれ分からなくなるだけであった。

 

 

 

「へぇ〜、これがリムジンかぁ」

 

  城塞前に用意された長く上品な黒く濡れたボディの車体にバーサーカーは物珍しく眺めた。

 

「ええ、折角なので全員でと用意したのです」

 

「いいね〜、なんか豪華な感じだよ」

 

「…やれやれ。呑気なものだ」

 

  戦いの前だと言うのに調子を崩さないバーサーカーの様子に呆れながらため息を吐くゴルド。そんな彼だが現在の身なりは前と比べて少し崩れた様子であった。整えていた髪は崩れ、無精髭は伸ばしっぱなし。前のように威張った貴族のような態度は消え、何処か憑き物が落ちたようだった。

 

「まあ、ある意味絶好調ということじゃないのか?」

 

「少しは真面目になってもいいと思うが」

 

  慣れたと言わんばかりのカウレスと見送りに来たホムンクルスのトゥールは肩を竦めた。

  フィオレと“黒”のアーチャーはその様子を楽しそうに眺めた後、ゴルドに頭を下げた。

 

「それではゴルド叔父様、後をよろしくお願いします」

 

「…ん。まあ、なんだ。無事に戻ってこい」

 

  後のこと、すなわち破壊された城塞の修繕とユグドミレニアが起こした事の後始末のための協会との交渉のことである。サーヴァントを持たないマスターとして、面倒事を頼まれた身だがゴルドからは大して嫌そうな雰囲気はなかった。

 

「えぇ。死のうとは思ってはいません。必ず返ってくるつもりなのでホムンクルスたちの事もよろしくお願いします」

 

「…こいつらは私がいなくても勝手に生きるだろう」

 

「ーーーいえ、なんだかんだ言ってゴルド“様”は私達を救ってくれた慈悲深い方ですので、大丈夫です」

 

  トゥールの言い方に眉を顰めたゴルドを見て、何故か姉弟は声を上げて笑い合った。

 

 

 

「さて、参りましょうか」

 

「それじゃあ…」

 

  バーサーカーが先行し、リムジンの扉を開けて優雅に礼をした。

 

「どうぞお嬢様、お坊っちゃま」

 

「…それはなんですかバーサーカー?」

 

  バーサーカーの突然の敬語口調にアーチャーは僅かに呆然とし、すぐに口元を手で隠しながら問うた。

 

「え? 前にライダーと見た映画の執事がこんな事していたんですよ〜」

 

  ぷっ、とフィオレとカウレスが吹いた。アーチャーは笑うというより笑いを堪えているといった感じに肩を揺らしている。

 

「ぜんっっっぜん似合わねえな」

 

「ええ、モノマネをしているひとのモノマネって感じね」

 

「貴方には似合わない職業かもしれませんね。執事というのは」

 

「え〜?」

 

  そんな小さく笑いあえる出来事が有りつつも、四人はリムジンに乗り込んだ。

  共に乗り込む仲間と、旅立つ為の飛行機が待つ空港へと。召喚されたトゥリファスの街を去って。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「あ! バーサーカー!」

 

  ジーク、ライダー、ルーラーが待つブカレストの隠れ家に着いたのは夕方になった。フィオレとアーチャーが迎えに行っている間、カウレスとバーサーカーは車内で待っていたがすぐにライダーが乗り込んできて、バーサーカーを見つけるなり近くに座ってきた。

 

「やあ、ライダー。ブカレストは楽しめたかい?」

 

「ああ! 色々な人や色んな物があって楽しめた!」

 

  本当に楽しめたようだ。屈託のない笑顔はそれを物語っていた。時折男だと言うことを忘れそうだとバーサーカーは思いながらも女だとしても妻一筋だから問題ないと心の中で一人結論づけた。

  それから直ぐにジークが入ってきて、ルーラーも入ってきた。

 

「バーサーカー」

 

「や、ジーク君にルーラー。ブカレストはどうだった?」

 

「ええ。色々と現代を知ることができました。悪くない…そんな気持ちです」

 

「ああ、色々と学べること、知ることができた機会だった」

 

  三人とも悪くは無い顔、そうバーサーカーは判断した。最後の時を過ごし互いに思い残すことはない、というより悔いがないようにしてきたというべきか。

 

「バーサーカー。貴方は?」

 

  ルーラーの問いにバーサーカーとの両者に僅かな沈黙が生まれた。見ていたジークは少しだけ息を呑み、フィオレと共にリムジンに乗り込もうとしたアーチャーは静かに見守った。

  二人の沈黙の中には“黒”のアサシンが存在していた。そして“赤”のアーチャーも。決して恨みはなかった。どちらもそうしなければならなかったと理解していた。だが、それでも拭えきれないものもある筈だった。

 

「ああ、大丈夫だよ。ルーラー」

 

  それを踏まえた上でバーサーカーは笑って答えた。

 

「やれるさ。君は?」

 

「…ええ。問題はありません」

 

  その笑みにルーラーもまた微笑みで答えた。ジークは何故か顔には出さなかったがストンと胸に何かが落ちたような気がした。アーチャーは何も答えず安心したようにリムジンの席に座った。

 

「では、よいですね?」

 

  フィオレの言葉に全員が頷いて、リムジンは走り出した。目指すのはルーマニアの空港、アンリ・コアンダ国際空港だ。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「こ、これは…」

 

  ルーラーの口元が引きつっていた。何せ無理もない。一般人感覚を持つ、というよりルーラーの姿、精神瓜二つの少女に憑依しているジャンヌ・ダルクは目の前に絶句するしかなかった。

 

「一般人に知られるわけにはいかないでしょう。ですのでーーー空港を“貸し切り”ました」

 

  空港とは人が雑多し、常に騒がしい印象を持たされる場であるが国際空港に関わらずフィオレを筆頭とする“黒”の陣営のマスターとサーヴァントしかいなかった。

  電子掲示板も、カウンターも、コンベアも止まっていた。

  広い空港にポツンと自分たちだけが立っているというのは僅かな不安が生まれるほどだった。

 

「…我が姉ながら、すげえな」

 

  驚いているのはルーラーだけではなくカウレスもだった。他の反応といえば合理的だとか、すげー、だとか、あ…美味しそうな店があるとか、賢明な判断ですだとかまともな反応が返ってきていない。ここで一般人と魔術に深く関わる者の違いが出ていた。

 

「私の魔術礼装を五つほど売って十二時間まで貸しきれました。…それにしても飛行機は新しいのでは無くていいと言ったのに、あれほど高くなるとは。ダーニック叔父様の蓄えがあって助かりました」

 

「そりゃあジャンボジェット機だからな…」

 

  空港のロビーから見える着陸場には十機のジェット機が揃えられていた。

  飛行機一機で向かえば自然に集中砲火を受けることとなる。ならば、複数で向かうことにより空中庭園の魔術攻撃を分散させることができる。

  そのために飛行機十機と空港を貸し切ったのだが…、かなり散財をしたものだ。

 

「さて、最後の準備ですがライダー。魔導書の真名を思い出せましたか?」

 

「ん? え、え〜っとね…」

 

  ライダーは慌てたように目を逸らす。流石にそれは全員を焦らせるのには充分だった。

 

「ライダー!?それは流石に洒落になりません!なんとしてでも思い出しなさい!!」

 

「マジで頼むぞお前!?ここで思い出さなきゃやばいからな!全員が!!」

 

「ま、待って待って!思い出してきているんだ!今が夕方なだけで夜になれば確実に思い出せるからさ!」

 

  ガクガクと肩を揺さぶられる姿は以前にも見たことあるような気がしなくもない。

  ライダーが言う通り今宵は新月。魔導書の真名を思い出せる条件である新月が浮かぶまでまだ時間がある。

  今思い出せないのにも納得だ。だが

 

「すまない。少しだけ離れさせてくれ」

 

「え、え?ちょっ、ジーク?」

 

  有無を言わせずにジークはライダーの腕を引き、離れていった。その様子を見送るのだが。

 

「すいません。少し行ってきます」

 

  ルーラーもジーク達の後を追っていく。結局残ったのはアーチャー、バーサーカー主従なのだが…。

 

「どうしたのでしょう?」

 

「さあ、愛の告白か?」

 

「ライダーならありえるかもしれませんがジークはないでしょう」

 

「まあ、彼なら受け入れそうな気も…どうなんだろう?」

 

  そんな呑気な会話をしながら彼等の帰りを待つことにした。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「…そろそろ時間ですね」

 

  フィオレが手首元の時計を見ると既に出立の時間だった。

  ジークも、ライダーも、ルーラーも、アーチャーも、バーサーカーも、カウレスも理解した。

  ジャンボジェット機の操縦はゴーレムに任せている。ゴーレムは鋳造された後にも必要な術式を拡張させることが可能だ。ロシェが残したゴーレムを拡張させ、空中庭園まで飛行機を飛ばす。

  後はただ各々が決めた相手と戦闘するのみ。つまり、ここで集まるのは最後となる。

 

「…それじゃあ、まあ。ここで最後だバーサーカー」

 

「そうだねカウレス君」

 

  フィオレはアーチャーと、ジークとライダーはルーラーと最後になるかもしれない会話、そして別れを告げ始めた。それはバーサーカーとカウレスも例外じゃない。

 

「これ、どうするよ?」

 

  カウレスが掲げた手には二画の令呪が刻まれていた。最初の一画は“赤”のセイバー(モードレッド)への一撃に使われた。残り二つの令呪の内一つはバーサーカーを現界させるための楔として必要、一画だけはこれから始まる戦いの為に使える。

 

「お前の好きなタイミングで使用するつもりだ。言ってくれれば使うぞ」

 

  全てサーヴァントに任せる。それは信頼の現れだった。令呪は誇り高い英雄を縛り、服従させるための首輪でもある。また、彼等の支援、強化のために存在するものでもある。それを全てサーヴァントの判断に任せる、それぐらいの信頼が二人の間にできていた。

 

「それかぁ。なんてお願いしようかな?」

 

「勝て、とかにしとくか?」

 

「ん〜…、じゃあそれで?」

 

「そこで疑問系とか勘弁しろよ…」

 

  この男、今まで穏やかとか緩やかとか思っていたけどかなりマイペース、天然な部分がある。これにはあの狩人も困らされたのではないかと思い始めてしまったカウレス。…だが、だからこそ令呪の使い道が見えてきた。

 

「バーサーカー、なんでもいいなら俺の独断でいいか?」

 

「え? まあ、そこはマスターたる君の判断に任せるけど」

 

「そうか、じゃあ…」

 

  令呪に意識を向けて、魔力を通す。魔術刻印を継承したおかげで魔力の量、質とも向上している。バーサーカーの戦いに支障をきたさない。今まで以上に万全として戦えるだろう。その上でカウレスはこの呆れるほどに緩やかな英雄を令呪で命令する。

 

「令呪を以って命ずる。バーサーカー、『最後まで自分の願いに忠実になれ』」

 

「はい?」

 

  令呪は受理された。バーサーカーの体は言葉通りに縛られ、そして促進させられる。予想だにしなかった命令に固まるバーサーカーにカウレスはバンッと勢いよく背中を叩いた。

 

「俺達にはもう聖杯に託す願いなんてない。それぞれやるべきことが目の前にできちまった。幸い、お前の相手は奥さんだ。やるべきこととやりたいことが一致しているなら、みんな文句ねえだろう」

 

「…君は」

 

  全て把握するのに時間がかかった。まさか、マスターがサーヴァントの願いのために力を貸すとは。

  サーヴァントは分類上、使い魔でしかない。一時的な主従関係で、互いの利益のために互いを使い合う間柄だ。それを無視して、この魔術師の少年はマスター最大の武器を使ったのだ。

 

「…カウレス君。いや、マスター」

 

  だからこそ。思った。思えてしまった。

 

「君に出会えてよかった。君がマスターで、本当によかった」

 

「…間違えて召喚しちまったけどな。本当はフランケンシュタインの怪物を喚ぶつもりだったが、まさかこんな英雄に会うとはなにがあるか分からないものだ」

 

  本当に分からない。触媒が偽物で、代わりに召喚されたサーヴァントはかなりの弱小。勝利になんて諦めていたのも同然だった。しかし、案外悪くない関係だった。サーヴァント同様マスターもそう思えた。

 

「それでも君でよかった。もし、フランケンシュタインがバーサーカーで喚ばれたとしても、彼は君がマスターでよかったと思えるほどに君は良き人さ、カウレス君」

 

「なら、今度は思い切って大英雄でも召喚してみるか?」

 

「あ、それは止めといたほうがいい。それとこれとは別だから」

 

「分かってんだから言うなよ、この馬鹿」

 

  軽く小突いて笑いあう。まるで只の友達のようだった。下らないことで大笑いし、どうでもいいことで怒る。そんな、当たり前のような眩しい存在。

  どうしようもなく明るいものだったがここで別れであることを二人は悟る。だからこそ、笑ったまま互いに拳を突き合わせた。

 

「じゃあね。僕の誇れる素敵なマスターくん」

 

「じゃあな。俺の馬鹿で眩しいサーヴァント」

 

  それで別れを終えた。それぞれが乗るべき飛行機へと向かう。これ以上話すと名残惜しくなってしまう。そんな気持ちがあったから、振り返らなかった。

  向かった先には同じ飛行機に乗ると決めていた同乗者が待っていてくれていた。“彼女”も彼らと話す事が終えて、バーサーカーを待っていたようだ。

 

「では、短い空の旅のご同行お願いします」

 

「僕じゃつまらないかもしれないけどよろしくね」

 

  “ルーラー”と同じ飛行機には理由がある。アタランテ(“赤”のアーチャー)だ。子供達を浄化したことをアタランテは許さない。きっと報復の為にバーサーカーとルーラーに襲いかかってくるだろう。敵の主力であるアタランテをバーサーカーが抑えている間、ルーラーは首謀者たる天草四郎の元に行く。そのために二人が共に行動したほうが都合がいいのだ。

  挨拶も短く飛行機に乗り込む。振り返るとアーチャーも、ジークとライダーも乗り込んでいた。カウレスとフィオレも同じ飛行機に乗り込んでいる。

  それを確認したあと、ルーラーとバーサーカーも飛行機の機内に入り込み、窓側の座席に着席した。ルーラーは中央近くの席に顔を青くして座った。疑問に思ったが先程までと違い妙に緊張しているので声をかけないほうが賢明だと判断した。

 

  やがて飛行機が動き出す。僅かに震えるのを座席から感じとり、時間をかけて空へ飛び立った。窓から眺める景色にバーサーカーは見入った。街の灯りが一つ一つ小さくなり、ブカレストの街並みが両手に収まる宝石箱のようだった。神代の時代にはない、奇跡に頼らず己の知識と力だけで築いてきた人間の結晶。この飛行機もそうだ。魔術や魔法など必要ない、一つ一つ小さく弱々しい人間が手を取ってやってきたことだ。

  素晴らしい。例え偽りの輝きであろうと、人は本物を作っていける。

  それを彼女は知っているのだろうか。今更ながら、そんなことを考えていた。

 

  街を超え、海の上を飛ぶ景色になっていた。あの人工物の明かりではなく、原初から夜に光りを放つ月が海面を反射し光を灯している。

 

「アタランテはこっちの方が好きそうだ」

 

 

 




Q.腕相撲してください

A.
ヒッポメネス(アタランテの手の平柔らかい! 超柔らかい! もうちょっと強く握ってくれても…!!)

アタランテ「ふんっ!!」ベキィッ!!

ヒッポメネス「腕がぁっ!?」

モードレッド「でも手は離さないんだな」


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天蓋目下・赤の開戦

行こう、行こう、行こう

我等、人類の救世主也

聖杯の加護を、この星に捧げよう


  そこは奇矯な場所だった。

  本来水というのは重力に従い、下へ流れ落ちて溜まる。水の流れとは上から下へと流れ落ちるものである。物理の法則に沿って流体は流れ巡るものである。

  だが、その場所はあまりにも条理から外れた場所だった。空白の広い面積である空間は、“上”に水が流れ上がっていた。下から上へと水が流れ、水面に水滴がぶつかるごとに波紋が広がる。世界法則から見放された水面の天井には存在を象徴するような色取り取りの睡蓮の花が咲いている。

 

「いやはや、いつ見ても感覚が狂ってしまいそうですな」

 

  あまりにも現実離れした光景を“赤”のキャスター(シェイクスピア)は一人呟いた。この場の入り口から下へと降る階段を一歩一歩降りながら摩訶不思議な光景に肩を竦める“赤”の陣営の道化師。彼は煉瓦で組まれた階段を降りおえ、まっすぐ進むと空間の真ん中で一人の少年を見つけた。

 

  この空間を作り移動する要塞の所有者である“赤”のアサシンのマスターであり、この大戦を利用とし己が目的を果たさんとする極東の聖人ーーー天草四郎時貞がキャスターの姿を見つけ、手を振った。

 

「キャスター、こちらの宝具の準備は整いました」

 

「ええ、こちらも整いましたぞ」

 

  二人の宝具は決して必殺といえるものではない。神槍、聖剣などのように在るだけで伝説、神秘を秘めた武器ではない。二人に持つのは人生で成した逸話が昇華した武器だ。心臓を必ず穿つこともなく、一振りで怪物を消し去る光の束でもない。聖杯戦争に召喚されれば勝つこともままならないだろう。

  だが、二人の宝具は戦闘ではなくーーー今、この時にこそ真価を発揮する。

  敵を屠ることに意味はない、主を護り抜くことにも意味はない。

  ただ、一つの力。“変えること”だけに特化した二人だからこそーーー目の前の大聖杯を改竄し得る数少ないサーヴァント達なのだ。

 

「既に魔力供給は完全に作動しています。私が“この中”に入ろうとも魔力が切れることはないでしょう」

 

  “赤”のアサシンの協力により、“赤”の全サーヴァント達との魔力供給は滞りなく繋がっている。これで戦闘途中に魔力切れという情けない失態は起こることはないだろう。

  これから行うのは革命、否、救済。全人類に対し第三魔法を行使し、救われた者、救われぬ者、幸福な者、不幸な者、全ての人類を隔たりなく死の概念を取り除く。

  四郎はこの大聖杯の中に入り込み、自身の宝具の力によって大聖杯を改竄する。永久に第三魔法を行使させるために命令する。

  今までの積み重ねは全てこの時の為、そう思うと四郎の手は震える。失敗など許されない。失敗したらーーー救われぬ者が生まれてしまう。

 

「それでも貴方は進むのでしょう」

 

「ええ、決めたことです。ーーーここで立ち止まることなどあり得ない」

 

  震える手を強く握りしめる。もう覚悟など前からしているのだ、この程度の震えで考え直したりするなど本当にあり得ない。

  息を吐き、大聖杯へと一歩前へーーー進む前にキャスターへと振り返る。

 

「マスター?」

 

「キャスター。貴方のことは作家として心から尊敬し、信頼もしています。だからこそ、分かってしまう。貴方はきっと“悲劇”が描きたくなる。描きたくて、描きたくなって行動をしてしまう前にーーー使わせてもらいます」

 

  この時、キャスターが見た四郎の顔は満面で、それはもういい笑顔だったと語る。

 

「令呪を以って命ずる。キャスター、私に関して悲劇を書くな」

 

「ぐっ…!?」

 

  ルーラーの対策の為に消費され、残り少ない令呪がまた一つ消費された。

  令呪によって行動を縛られたキャスターは悲哀の表情を浮かべた。

 

「マスター…惨い。あまりにも惨い仕打ちですぞ…」

 

「ええ、ですが必要なことなのです。貴方は喜劇を書くと決めてくれた。しかし、もし私が窮地に陥ると、書かないと決めていてもそちらの方へと筆を進めてしまうであろうと信じているのです。なにせ」

 

  四郎が懐から一冊の本を取り出した。その本はシェイクスピアが生み出した作品の中で四大悲劇と言われる物語を一つにまとめた作品集だった。

 

「貴方から貰ったこれを全て読ませてもらい、分かったのですから」

 

  おぉ、とキャスターは嘆く。渡さなければよかったと、読んでもらい嬉しい思いが混ざり合う。読んでもらってこその作家なのだから、この呪縛は止むなしと結論づけた。

 

「では、そろそろ始めましょう」

 

『ーーー遅い。何時になったら始めるのかと思ったぞ』

 

  空間全体に声が響く。婉然としていて、僅かな苛立ちが含まれるその声に四郎は苦笑いを浮かべた。

 

「ごめん。ーーーこれから始めるよ」

 

『ふん。…敗北は許さん。勝て』

 

  声の主ーーー“赤”のアサシンの無感情な激励に四郎は頭を下げた。

 

  四郎は着ていたステラとマントを脱いだ。露わになった上半身は幾つもの傷痕が肌に走り、その姿は悲劇の後の様にキャスターは見えた。

  空間に固定された大聖杯に四郎は一歩近づいた。彼の両手に令呪の輝きとは別の光が満ち始める。四郎が持つ宝具が発動したのだ。

 

「ではーーー」

 

  腕を持ち上げて大聖杯に手を伸ばす。

 

「ーーー始めよう」

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

  “赤”のアサシンは静かに玉座に佇む。自らのマスターが大聖杯の中に入り込み、既に数時間が経った。あれから何の異常も変化も起こらない。魔力供給も滞りなく済んでおり、何もないことに浮足立たせる気を持たせる。無論、その様な動作は外見には現れていない。内心では渦巻く感情が支配させている。

  生前には人の醜さ、清らかさ、強さ、弱さ、栄華、没落などあらゆる側面を目にしてきたが、女帝にも未だ見ぬ光景がある。

 

  聖人の絶望と不老不死の世界。

 

  どちらも目にしたことがない。清廉も醜悪をも認め、世界の救済を願う人種が未だ手にしたことのない領域に手が届くか、届かぬかのとても僅かな間に女帝は身を置く。

  あの青年の絶望を目にするのも一興、だが、目にしたことのない光景への好奇心もそれに勝る。

  どちらに転ぼうとも己の暇を潰す享楽となる。その愉しみに手を抜くことなどあり得ない。ましてや、この王が英雄風情に負けを認めるのも断固としてあり得ない。

 

  いずれ“黒”のサーヴァント達が来る。サーヴァント達を抑え、四郎を守るのが“赤”のサーヴァント達の役目だ。その軸となるのが自分であることに、当たり前だと受け入れたにも関わらず背筋が張る。

 

  ーーー悪くない

 

  思わず頬が緩む。この緊張、張り詰めた空気、大きく聞こえる心臓の音が女帝の白い肌に赤みを差す。

  この高揚感は常に生きている感覚を味わわせてくれる。冷静に、この熱を弄び、万人に愉悦を見出してきた。

  最高のコンディション。ここで英雄七騎が来ようともこの万能感と自信があれば自慢の庭園で鏖殺してくれる。

 

 

 

  ーーーその気持ちに応える如く、庭園が捉えている領域に異物を察知した。

 

 

 

○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

  頬を撫でる風は冷たい。眼前に広がる闇は冥府の入り口かのように暗い。この程度の闇に臆することはない。寧ろ待ち遠しさがある。

  晴れた夜空であっても星や月の光は照らすものがなければ夜の闇は深く広がるしかない。唯一照らすものがあるとしたら、それは彼女の立っている周りぐらいだ。

  “赤”のアサシンの空中庭園の外周部分には花が乱れ咲いていた。逆しまの概念により浮いている庭園だが庭園というだけあり花は咲いている。殆どの花は逆しまの概念に従い逆に咲くという醜い姿だったが、庭園の外見を整えるためか例外的にまっすぐ天に向かって咲く花達がある。

  彼女は案外ここが気に入っていた。土と草、花の匂いと原初の香りしかない場所は現代の鉄と油の匂いを消し去ってくれる。

 

  それぞれが持ち場につき、襲来を待つ。“赤”のライダーは闘う相手がいる。ランサーは“黒”のセイバーと何らかの因縁があったがセイバーが消え去った今その心境はどうなのか。

 

  ーーーどちらでもいい。

 

  彼女の考えることは一つに定まっている。それ以外の要素は無視してもいい。自らが定めたことに務める。

 

  “あの子”達の願いを成就させる。

 

  あの子達は囁いている。私に頼む。怖いと、帰りたいと嘆き続ける。私は子供達を脅かす者を殺すのみ。それだけが私の存在意義となる。

  だから来い。シロウの願望が成就したら意味が無くなる。私の想いも全て無になる。

 

  ーーー無に…なる?

 

  思考が止まる。何故その結果に導かれたのか、なぜそうなったのか振り返る。

  天草四郎時貞の願い、第三魔法による全人類の不老不死により全ての人類の魂は形を持つ。そうなれば誰も死なず、誰も殺せない。子供達の願いも届かなくなる。循環は無くなり、停滞だけが在り続ける。

 

  循環が無くなる? 子供達が大人に愛される、一歩の想いが全て無となる? それは私の願いとはーーー

 

『殺して殺して殺して殺して』『聖女を』『私達を殺そうとする』『あの男を殺して』

 

  ーーーいや、私の願いは変わらない。

 

  子供達の祝福の為に戦う。それが意義がある戦いだ。意義が通じるからこそ願いが持てる。意義がある戦いの先にこそ私の望みもきっとある。

  何を血迷ったかと彼女は頭を振る。そして腕を撫でた。子供達の思念が黒い模様となって浮かびこむ。“黒”のアサシンの怨霊達の声は彼女の耳に“都合良く”解釈されて届いている。

 

  彼女はーーーアタランテ(“赤”のアーチャー)は子供達の想いに応えて戦う。

 

 

 

  だからこそ、卓越した視力が捉えた物に、殺意が昂った。

 

 

 

○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  さて、と槍を持ち直した。足元から強い揺れが一度感じ、この庭園の主も気づいたのだと“赤”のライダーは察知した。

 

『アーチャー、ライダー、迎撃しろ。どんな飛行手段を持ち込んできようが我々の攻撃に耐え得る物ではないだろう。ライダー、貴様の戦車ならば容易いことだ』

 

  届いてきた念話にライダーは少しばかり躊躇ったような色を込めて返事する。

 

『…まー、できなくはないが時間は掛かるぞ』

 

『なに?』

 

『気になるなら見てみろ』

 

  自分が見ている光景を“赤”のアサシンも見れば言った言葉の意味も分かるだろう。ものの数秒後、自身の思惑どおり女帝の驚愕の声が響いた。

 

『…なっ!?』

 

  “赤”のライダー、アサシン、いやシロウとキャスターを除く全ての者があの飛行する機械の塊、いや、塊“達”を見た。

 

  聖杯によって与えられた知識により飛行機という神秘を一切用いない飛行手段を持つ人間の知恵の結晶があるということは知っていた。だがそれらはサーヴァント達の手によれば数十秒で鉄屑へと変えられる事実がある見掛け倒しの塊にしか過ぎなかった。

  ーーーだが、その塊が十機もあればどうだろう。

  ジャンボジェット機と呼ばれる大型の飛行機がこちらへと飛んでくる。

 

「アーチャー…っ!」

 

  そして、その飛行機の一つに“黒”のアーチャー(ケイローン)が立っているのを視界に捉えれた。隣の飛行機には“黒”のライダーと新しいマスターであるホムンクルス、そして離れた飛行機には聖女であるルーラーと、“赤”のアーチャーと深く関わりがある英雄、“黒”のバーサーカーがいた。

 

『ライダー、我は連中が一定の距離に入らぬ限り手を出すつもりはないがーーー』

 

『そりゃあ距離に入れば俺諸共吹き飛ばすってことか?』

 

『そうだ。不満か?』

 

  にやり、も口元を獰猛な獣のように歪ませた。喜悦に歪む口元を直そうとはせずに平然アサシンの問いに答えた。

 

『いやいや、まったく問題ない。“黒”のアーチャーを仕留めるついでにあの鉄屑をバラしてやるさ』

 

  と言うよりも邪魔ならば他のサーヴァントも潰す。横槍や無粋な真似だろうと己ならば覆せる自信がある。相手には己が師であるがーーー元より超える気である。

  三馬に走らせる戦車を喚び出し、ライダーは颯爽と乗り込む。手綱を握り締め、武者震いで震える手に気づき、笑みが益々深くなった。

 

「おやおや、死しても尚変わらない顔立ちであらせられるな我が主」

 

  戦意が止まることを知らないライダーに話しかける人物、いや馬がいた。戦車を走らせる三頭の馬の内、二頭は神より与えられた不死の馬、クサントスとバリオス。話しかけたのはクサントスだった。

 

「なんだ、煩い口なら閉じとけよ」

 

「いやいや、少しばかりーーー」

 

  クサントスの目は己が主では無く、こちらへと向かってくる飛行機の内の一つ、ルーラーとバーサーカーが乗った飛行機、ではなくバーサーカーを見ていた。

 

「ーーー懐かしき顔だと思いまして」

 

「あん?」

 

  ライダーは疑問に思った。この不死の馬は生前にあのバーサーカーと会ったことがあるのか? そんな話一度も聞いたことがない。

  その疑問に答えたのはクサントス自身であった。

 

「なに、貴方の前の主…というより最終的な私共の主の血縁というだけですよ」

 

「…なるほど」

 

  そういえばそうだった。クサントスとバリオスは元は海神に仕えていた。それが父と母の祝いとして贈られて、自分の元にやってきた。その海神の末裔の一人が、あのバーサーカーであるのだ。だからだろう、クサントスだけではなくバリオスまでもが懐かしそうに目を細めているのは。かの海神の孫は、祖父の顔と近寄ったものなのだと。

 

「まあ、あの方に比べ覇気が足りてないようで。それも仕方なきこと、神と比べれば四分の一の血も無に等しい。…ですが、貴方を殺すには充分ということはそういうことなのかもしれないのですかねぇ?」

 

「黙れ」

 

  槍の石突きで叩いた、かなりの強さで。ブヒンと悲鳴をあげるクサントスをバリオスは呆れたように見つめた。もう一頭である不死ではない駿馬のペーソダスは主の指示を黙って待っている。

  黙った己の馬達を落ち着かせ、“黒”のアーチャーへと目を向ける。あちらもこちらへ気づいているだろう。そして、自分がそっちへと向かってくる事も。

 

  ーーー早く、早く戦いを

 

  逸る気持ちははち切れんばかりである開戦まであとーーー

 

 

 

○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  “赤”のランサーは粛々と待ち続ける。今頭から流れる“赤”の女帝から全員に流れる念話では、怨念と相違ない女の声が聞こえる。

 

『…いや、私はあの小娘とヒッポメネスを仕留めにいく』

 

  アサシンからアーチャーへと下された指示、飛行機という鉄の鳥を墜とせという命令は一蹴された。

  この声が聞こえる全員が疑問を持っているだろう。冷徹で、武人然とした純潔の狩人が激昂している。

  “赤”のランサーは虚偽を見抜き、真実を捉える。言葉の全ては増悪に染められている。信念を傷つけられ、怒りが身を焦がしている。だが、その中には僅かなーーー瑣末な困惑と悲しみをも捉えた。その困惑と悲しみは、彼女が口にした人物の一人に向けられている。

  言葉にすべきか否か、今の彼女に言葉は届かないだろう。自らの真意さえも届かないほどに憎しみに支配されている。剥き出しにされている怒りを晴らさぬ限り他の言葉は意味はなく、近く者に牙を向けることを悟る。

  もし、彼女の真意を指摘し、届けれるものがあるとしたらーーー彼女に増悪を向けられているあの男だけだろう。

 

『あの者達は、必ず私の手で…討たねばならぬ!!』

 

  故にランサーは口を閉ざす。自らはただの槍にしか過ぎない。己が与えられた役割を果たすべきだと判断した。

 

『…分かった。ランサー、お前にはあやつらが最接近した時のためにこの庭園を守護してもらう。構わないな』

 

「心得た」

 

  異論はない。いや、少しばかり残念ではあるが。思い浮かぶのは“黒”のセイバー。あの男とは再戦の約束をした。だが、再開を果たす前にあの男は去っていった。だが、心の何処かで違うと否定している。あの男は生きている。違う形で現れた。自分が会った時とは違うだろうが、生きている。

  まともな手段がない限りこの庭園に近づくことは叶わないだろう。だが、もしかするとーーー

 

 

 

『ではーーー鏖殺せよ、大聖杯は我らのものだッ!!』

 

 

 

  女帝より“赤”の陣営の戦の火蓋は切られた。この戦いがどの様な結末を迎えるかは未だ不明。“赤”か“黒”か。それは神のみぞ知るであろう。

 

 

 




Q.前フリなしの王様ゲーム開始!!!

A.
天草「王様…」

サーヴァント一同「「「だーれだ!?」」」

モードレッド「お! 俺だ! んじゃ『○番と○番がポッキーゲーム』にするか」

ヒッポメネス(アタランテ来いアタランテ来いアタランテ来い!)

セミラミス(し、シロウ!)

アキレウス(姐さ〈くたばれ!!〉こいつ、直接脳内に…っ!?)

モードレッド「んじゃ六番と…」

ヒッポメネス「!」←六番

モードレッド「八番な」

セミラミス「われ「いやだあああああああああああああああああああっっっ!!?!」離せカルナ!! 気持ちは分からんでもないが殺すっ!!」


なんかごめんなさい


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天蓋目下・黒の決戦

我々は簒奪者

侵略者であり、破壊者

人類より安寧を強奪し、明日を残す

さあ、聖杯を地へ堕とす時だ



「見えました!」

 

  遥か地上から遠く離れ、人が生きていくにはあまりにも薄い空気の中、聖女は叫んだ。上空七千五百メートルの天空を進む飛行機の上から見えた庭園は一言で言うならば黄金の鳥籠のように見えた。

  下へと伸びる植物、下から上へと流れる水は庭園の概念を顕す。そして、その庭園を囲む二十メートルもある漆黒のプレートが十一個も浮いていた。あのプレート一つ一つが侵入者を撃墜する迎撃術式。術式から放たれる魔力の奔流は対軍級、サーヴァントでも耐えられても無傷では済まないものが多数あることに冷や汗を流れることを抑えられない。

 

「うん、確認したよ」

 

『こちらも見えました』

 

『こっちもだよ! いやぁ、それにしても本当にデカイねあれ!』

 

  聖旗を手に佇む聖女の横には武も知略も乏しい名だけ残すサーヴァント、“黒”のバーサーカーが立っていた。念話で帰ってきた返事から他の者も“赤”のアサシンの空中庭園を捉えたようだ。

  星に彩られた黄金の庭園は不気味さと美しさが混ざり合っている。

 

「天草四郎時貞ーーー!!」

 

  ルーラーの咆哮が切るような風を裂いて上空に木霊する。その咆哮に答えたのは天草四郎のサーヴァント、庭園の主である“赤”の女帝だった。

 

『吠えるな見苦しい。マスターは聖杯による人類救済に忙しくてな。貴様らに構っている暇なぞない』

 

  言葉の一句ごとに感じ取られる嘲るような音色。女帝に相応しかろう慢心がある。しかし、その慢心の中にはこちらへと近づけないという絶対の意思をも感じ取らせた。

 

「彼は本当に人類を救うつもりなのですか!」

 

『さてな。あやつの思惑が分からぬとも我らがすべきは一つよ。サーヴァントならばマスターの命に従うのみよ』

 

  従う気性などない女帝がよく言う、と彼女を毛嫌う者はそう吐き捨てるだろう。だがこの場でそれを言葉にする者はいない。何故なら

 

『問答が所望ならば…まずは“赤”のサーヴァントを突破するがよい!!』

 

  直後、流星が翔けた。空中庭園から放たれた魔力の光は目で追うにはあまりにも疾い速度で飛行機の、“黒”のアーチャーが足場とする飛行機へと急接近した。

 

「さあ、“黒”のアーチャー(ケイローン)! 約束の刻だ、愉しもうじゃないか!!」

 

  名をアキレウス。ギリシャ二大英雄が片割れ。その足は英雄の中で最も疾いと謳われた神の仔である。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  『疾風怒濤の不死戦車』海神から授けられた二頭の不死の馬と類い稀なる駿馬によって引かれる神速の戦車。疾すぎるその戦車は触れる物を粉々にし、堅牢な守りでさえも砕く必殺を宿す大英雄が乗るに相応しい戦車だ。

  触れれば死、そんな撹拌機を止めることなど自らの力では不可能だと判断している“黒”のアーチャーは足場としている飛行機から跳躍した。

  直後、飛行機が大破。神秘など一片も宿さぬ鉄の塊が墜落するのは当たり前だった。アーチャーは跳躍と同時に射出。弦を引くのと放つ間は一秒も、いや一秒以下、次の射撃までの空白時間は零に近い。魔力が込められた矢は襲撃者、“赤”のライダーの頭部へと飛ぶ。当たれば終わり、余りにもあっけなさすぎる幕引きだろう。

 

  だが、彼の弟子は大英雄だ

 

  ライダーが振り向きざまに矢を“噛みちぎった”。これにはアーチャーも瞠目した。避けられることは想定内。だが飛んでくる音速を超えた矢を口で捕らえるとは驚愕以外に何もない。

 

「そこにいたかァ!!!」

 

  アーチャーの姿を捕らえたライダーは獰猛な笑みを隠さない。戦車を急反転させ、一瞬で最高速度に達する。迫り来るライダーにアーチャーはあらかじめ飛行機に伝えられていた操作用術式を発動させた。

 

「“廻れ”」

 

  巨大な飛行機がアーチャーの盾となるように傾転する。だが、その行動は予想外の行動により盾とならず、寧ろ相手の盾となってしまう。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

「っ!?」

 

  盾として壁となった飛行機にライダーはそのまま突撃した。そのまま戦車で飛行機を貫き接近するのかと考えた。しかし、ライダーはその飛行機をそのまま“押して突き進んだ”。

  盾とするはずの飛行機が自身を押しつぶす壁となる。アーチャーは弓を引き、魔力により絶大な破壊力を得た矢で飛行機を破壊する。

  ライダーは破壊された飛行機の残骸を槍で叩き、アーチャーへと打ち込む。剛槍で刺された残骸は鉄槌のようにアーチャーへと降り注ぐが、飛行機から飛行機へと飛び移ることにより躱していく。アーチャーがライダーの追撃を回避していくごとに飛行機は残骸へと化す。アーチャーとライダーの戦いが開始し数分で六つの飛行機が破壊された。

  足場が無くなり、“黒”のサーヴァント達の足場が減る状況にアーチャーはーーー

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「さて、ここからが僕達の出番だ!!」

 

  愛馬であるヒポグリフに跨り、後ろにジークを乗せた“黒”のライダーは手に持った魔導書を掲げた。今宵は新月、月は無くライダーの理性は“戻っている”。アストルフォの理性は蒸発しているのでは無く、戻り常人と同じく恐怖を宿している。庭園に旅立つ前、戦う恐怖に手が震え、足が竦みそうになった。自らが前へ立ち、英雄として皆と同様に戦えたのは理性が無かったから。だからこそ槍を持ち、強き巨人の英雄や王の息子にも立ち向かえた。ならば、理性がある今では戦えないのか。

 

  否、違う。

 

  例え、理性があろうともライダーは、このアストルフォは前へ出る。友と名誉と願いがある今、誰よりも勇敢に戦える。

 

「シャルルマーニュ十二勇士、アストルフォ! お相手仕る!」

 

  幻馬の嘶きが上空に響き渡る。蹄が一度屋根を鳴らし、次には助走から空高く舞い上がる。英雄譚に伝わる幻の騎士、空を駆け、雲が後についてくるような疾走を夢に見た者もいるだろう。

  その騎士は、この地に今一度現れた。

 

 

 

 

  “赤”のアサシンは滑稽と鼻で笑う。

  指を振るえば迎撃術式『十と一の黒棺』が発動し、大魔術で矮小な存在を消し飛ばせれる。一度それを味わわせたのにも関わらず、もう一度攻めてくる蛮勇ーーー笑わずにいられない。

  手を持ち上げて、女帝は指を振るった。

 

「さらばだ戦乙女よ。その傲慢を後悔に無様と散れ」

 

  全標的を“黒”のライダーに集中。『十と一の黒棺』から放たれた光弾はライダーと幻馬、そしてライダーのマスターを埋めた。これで一騎消失ーーー

 

「…何だと?」

 

  だと確信してい()

 

 

 

 

「さあさあ、刻限だ! 我が心は月もなく恐怖に震え、されど断じて退きはしない! 解放ーーー『破却宣言』(キャッサー・デ・ロジェスティラ)!」

 

  魔導書の紙が千切れ、空に舞う。迫り来る光弾がライダー達に襲いかかる。だが、彼等の目に恐怖は映らない。ジークは既に信じている。ライダーが必ずこの光の嵐を超えることを。その信頼に応えるべくライダーは笑って正面から走った。主の命に勇敢な幻馬は光の中央を飛びーーー光を打ち破る。

 

「あははは!! さいっこーーー!!!」

 

  対魔力Aを宿す魔導書が真名を唱えたことにより、真価を発揮する。魔術である限り、全てを無に帰す絶対防壁。魔導書の加護を纏った騎士達は七千五百の高さを自由自在に飛び続ける。

 

「いっくぞーーー! 捕まっててジーク!」

 

「ああ! ライダー!!!」

 

  恐怖を胸に、勇気を身につける。小さな勇者達は空飛ぶ庭園へと接近する。

  だが、それを許すほど生緩くない相手が待ち受けていた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

『ランサー、出番だ。接近する者を撃ち落せ』

 

『…心得た』

 

 

 

  庭園の外周、その縁にその男は佇んでいた。

  素朴を好み、頼まれれば答える『施しの英霊』

  母の頼みにより父より与えられた黄金の鎧の輝きは衰えず、鎧の対価に渡された神槍は重圧を放ち、積まれた武技は無限に近い魔力により完全に発揮される。

  “赤”のライダーと同等の知名度と力を持つインドの大英雄。

  太陽神の息子であり、最後に父と一つになったその美丈夫の名はーーーカルナ。

 

  父の血により恵まれた力、サーヴァントになってスキルとして現れた力『魔力放出(炎)』が、龍の息吹のように豪炎が吹き荒れた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  開戦はとうに過ぎた。なのに、空気は相変わらず冷たいままなことに違和感を覚える。

  少し周囲を見渡せば上空を自在に駆ける“赤”のライダーと飛行機から飛行機へと飛び移る“黒”のアーチャーが見える。“黒”のライダーとジークはヒポグリフに乗り、連発で叩きつけられる光弾は容易く搔き消し空中庭園へと接近していた。

  自分達だけだ。自分達だけが何にもないとルーラーは不安を覚える。同じ飛行機に乗る“黒”のバーサーカーは静かに戦いの様子と空中庭園を睨んでいる。今までの緩やかな佇まいは鳴りを潜め、刻がくるのを待っているようだ。

 

「ルーラー」

 

  自分を呼ぶ声はとても涼しく、そして熱が宿っているようにも思えた。バーサーカーはルーラーの前へ出て、近く庭園を睨んだままだ。

 

「隣の飛行機へ移るんだ」

 

  “赤”のライダーと“黒”のアーチャーの戦いにより用意した飛行機も数少なくなりつつある。それでも彼等の戦いにまだ巻き込まれない範囲の飛行機は無事であった。そもそも何故ルーラーとバーサーカーが同じ飛行機へ搭乗したのかというと、あちら側にいる“彼女”の狙いを一つに定めるためだ。その狙いを崩すような行動をするということはーーー

 

「肌で感じるんだよ、彼女の狙いは僕の命だってことが」

 

「…一度離れたら、二度と戻ることはできません」

 

  この戦いにおいて一番軸となるサーヴァントはルーラーであろうことは全サーヴァントが認知している。彼女が天草四郎を屠る可能性が高い、それゆえ“赤”のサーヴァント達はルーラーの隙を逃さない。バーサーカーの助力の為に動けば、すかさず殺しにくる。

  バーサーカーはそれを承知の上で頷いた。

 

「何て言ったらいいんだろうね…、かなり自分でも変な事は分かっているんだけどさ」

 

  恥ずかしそうに、そして困ったようにバーサーカーは頬を掻く。

 

「憎しみも悲しみも、彼女の全てを僕は受け止めたいんだ。それが僕を傷つけるものであっても」

 

  歪んでいて、自らが“執着”している薄暗い感情なのだと気づいている。それをバーサーカーは愚かなのだと分かっていてもその気持ちを持ち続けていたいのだろう。

  ルーラーは笑わない。その気持ちがいずれ破綻を招くかもしれないものだとしても、その気持ちがあまりにも人間らしいから。

 

「ーーーご武運を」

 

  これが最後の会話なのだとルーラーは悟った。それが啓示なのか、それとも違う何かが教えたのかは分からない。だが、彼にはこの言葉だけでいいのだと信じれた。

  その言葉を最後にルーラーは大きく跳躍して、飛行機へと飛び移った。

  移った飛行機の屋根から一度バーサーカーの方へと振り向いた。そして、見えたのはーーー

 

 

 

 

 

 

 

  空に月はなく、変わらぬ星々は燦々と輝く。夜空のことは生前からよく覚えている。あの空の向こう、宙に住まう神々により人が生まれ、営みの中で歴史を紡いできた。自らの人生も神々の手により始まったものであり、神々の一柱に祖父が座していることに誇りを感じていた。

  父と母を亡くし、守り手の翁に育てられ、“彼女”に会った。

  彼女に一目惚れした日から、亡くなる時まで単純な程に早かった。滞留した日々が決壊したように溢れ出た時間なのに、それでも鮮明と覚えている。

  後悔があって、決意があって、懺悔したい思いがあって、そしてまた間違いだったと嘆いたこともあった。どうしようもないほどに愚かだと吐き捨てた。でも、それでも諦めきれなかった。数千年の時が経ち、自分は卑怯者だと名を残した。それでもよかった、どれだけ蔑まれようとも、望み薄くても手を伸ばすと決めた。

 

 

 

  夜空を仰いでいた目を下げる。

 

 

  そして、視線が絡み合う。

 

 

 

  その瞳の色を覚えている。孤高を良しとした鋭き色を直視できず、何度も顔を背けた。

  その髪の色を覚えている。鬱陶しいと髪をかき揚げて切ろうとした時には切らないでと懇願した。

  その肌の色を覚えている。幾度となく的はずれなところに飛ぶ弓の腕を笑われて、赤みを帯びた肌に触れたいと思った。

 

  憎悪に染められた顔を見ても、面影が残っている。

 

「殺してやる」

 

  庭園からここまで一度の疾走で辿り着いたのだろう。恐るべきその駿足に震えがくる。

  怨嗟に塗れ、殺意が空気を満たす。空気を変えるアタランテは愛おしそうに己の腕に接吻した。

 

「聞こえるか? この子達は叫んでいる。お前を殺せと、殺してくれと願っている。お前を殺せばこの子達の泣き声は収まる。そして次はあの小娘だ。あの偽りの聖女は羆の餌にでもしてくれよう」

 

  本当に、そう言っている。心の底からそう思っていた。言葉の一句ずつから聞こえる憎しみと哀しみが耳の奥に沁みる。

  そこまで彼女を堕としたのは何かなのは明白だった。分かっているから叫ぶことも、否定する事も出来ない。アタランテの腕を侵食する幾つもの蛇が絡み合うような黒い痣。己の右手を見ると、同じような痣があった。

 

  アステル、最後に名付けた怨霊の少女の名前。

 

  既に消えた少女がいた証であり、己の罪の証。ならば彼女のあの痣も罪の証であり、彼女の復讐の証明だろう。

 

  彼女が聞こえる子供達の声が自分の願望なのだとも知らず。

 

「そうか」

 

  それなのにあまりにも真っ直ぐに見えてしまった。アタランテの愛は同情だとヒッポメネスは見抜いていた。かつて救われたからこそ否定したい思いと、羨望した親子の温もりが彼女の愛を形成させている。ただ裏返せばアタランテも愛がほしかった、得られなかったあの想いを向けられたかっただけなのだ。

 

  それでも、彼女の愛は愛だった。

 

  初めは憐れみだったのかもしれない。妬ましいとさえも思っていたこともあった。悲しみに明け暮れる瞳が重なって、手を差しのばし続けていたら、救った子供達の笑顔に理想を見た。

  この理想こそが人を救い、不幸を消し去れる方法なのだと気づいたからこそ彼女は高く飛び続けることを選んだ。理想を砕き、地へと堕とす雷雲は憎むべき仇敵。

 

  その仇敵が目の前にいる。ならばーーー

 

 

 

「その(理想)を砕こう。この現実(幻想)と共に」

 

 

 

  理想が届かず、現実の果てにあるものなら。

  幻想は、現実に届かぬ永遠の陽炎。

 

  信じ続けるからこそ存在するように見える偶像。触れれば消える湖面の月。瞼の裏に映る一時の微睡み。

 

  ーーー手を繋いで生きていく。

 

  何処にもなかった未来を、微かに夢見た今を、彼は振りほどく。

 

  両手に小剣と槍の二振り。何時もながら異色の型だと彼は思う。父の遺言通り槍と剣の鍛錬をし続けている内に編み出した技。一番自分に合った為に使い続けてきた型だが今は頼もしい重みとなって感じる。

  小剣の鋒は彼女に、槍の鋒はーーー

 

「なに?」

 

  ヒッポメネスは持っていた槍を()()()()()()へと深く突き刺した。貫いた屋根から火花が飛び散り、飛行機全体が揺らついた。

  アタランテは訝しげにヒッポメネスを睨みつけた。この飛行機は空中庭園にたどり着く為に必要な足、それともここで自分を囮にして私を脱落させるつもりなのか。万が一そうだとしてもここから空中庭園まで走ることができる。

  だが、ここで退く事をアタランテは選ばなかった。逃げれば子供たちの仇の一人を逃すことになる。怒りは既に執念に成り代わっている。

  魔力を込めた鏃をヒッポメネスの頭へと向けた。限界まで引いた弦は対軍宝具までに威力を高めている。この矢を食らえば無防備な頭部は地面に叩きつけられた柘榴の様に弾けるだろう。

 

  だが、アタランテの獣の耳は破砕音を捉えた。甲高く、鉄がひしゃげた音ではない硝子の音。疑問が浮かぶ中、足の裏からは先ほどの振動とは別の揺れ、川の氾濫を思わせる激流の揺れを感じた。

 

  ーーーまさか!?

 

  飛行機の揺れの正体に気がついた時には遅かった。飛行機の小さな幾十にも及ぶ窓から()()が飛びだした。飛行機に巻きつく様に機内から現れた水流は、機体の表面に張り付く様に流れ始める。幾重緻密の水流の全ての始まりと終わりはヒッポメネスが突き刺した槍に集結していた。

 

  上空七千五百の天空でヒッポメネスは屋根から槍を引き抜いた。槍には水流が集まり、固まり、形を為す。刃は三つ、一つは鋭く研いだ鉄の刃、二つは水によって編まれた鋭き激流。

 

 

 

  海を統べる大神が携える武器を模したーーー三叉槍(トリアイナ)

 

 

 

「まさか君に対して何も考えず挑むわけないだろう」

 

  スキル『大海の血潮』、海神の血を引くヒッポメネスだからこそ現れたステータス補正のスキル。水が近くにあること、触れることにより敏捷、魔力、幸運のランクが上昇する。ステータスがもっとも向上するのは海、海水に触れることが一番なのだ。しかし、ただ海水を陸上に持って来ればいいわけではない。大海原に接することにより、祖父の血筋は覚醒する。海から離れれば海水は塩水でしかない。ーーーだが

 

  アタランテは魔力の昂りを感じ、感じた方向へ咄嗟に睨んだ。聖旗を手に持ち、こちらへ腕を向ける様にして立つ聖杯戦争の裁定者を見つけた。

 

 

 

 

 

「令呪を持って命じます。ーーー『バーサーカー、貴方に眠る祖父の血を万全に醒ましなさい』

 

  ルーラー、裁定者のクラスだけが持てる最高特権『神明裁決』各サーヴァントに対して二つずつ与えられた令呪をバーサーカーの分だけ使い切った。

  己ができること、そしてバーサーカー本人から頼まれた最後のサポートは終わった。

 

 

 

 ーーー僕を単純に令呪で強化するぐらいなら、スキルの効果範囲を広げてほしいんだ

 

 

 

  それは飛行機に乗るもっと前、空中庭園攻略の打ち合わせの時に“黒”のバーサーカーが言った言葉だった。

  彼曰く、“赤”のアーチャーに勝つには単純なステータス補正では足りない。自らの手札を増やす他ならないと言い切った。手札を増やすには自らのスキルを十全に使えること、それを確信していたバーサーカーはルーラーに令呪で海と離れた上空であろうと海水を海水だと己の中に眠る血に認識させてほしいとのことだった。

 

  結果、ルーラーの予想以上の力を得ていた。バーサーカーの戦いのために用意され、今まで自分が乗っていた飛行機には大量の海水を貯めたタンクが載せられていた。座席を取り外してまで満遍なく積まれた飛行機にはプール三個分の海水がある。あの海水により強化されたヒッポメネスに今まで感じられなかった“格”を感じた。

 

  彼が取った判断は正しかった。ルーラーはそう確信して、彼らから顔を背けた。

  何故ならば庭園から降り注ぐ大量の光弾が自分に降り注ぐからだ。あちらにとって早めに潰しておきたいのは自分なのだろう。これでバーサーカーへの助力は不可能となる。

  握りしめていた聖旗の柄を一度握り締め直し、穂先を庭園へと向けた。

 

「ーーーいきます!」

 

 

 

 

 

  その姿から間違いなく神の血を引く者であったと、アタランテは認識を改め直した。

  肌に張り付く様に淡く光るのは神気なのだろう。海を纏う姿は覇気を生み出し、手に持つ三叉槍は力の権現。

  あそこまでの力を秘めていたことに何の含みのない驚愕を覚えた。今までの弱く、悪賢く、何よりも緩い印象だった彼とは大きくかけ離れているのだから。

 

「…あの小娘の令呪か」

 

  力の正体に見当はついていた。令呪、限定的になるほど力の束縛は強くなる。この場合、束縛ではなく強化になるのであろうが。

 

「そうさ。毎度情けないが僕は誰かに後押しして貰えないと何も成せない。いや、自ら成せたことなんてないのだろうけどね」

 

  そうやって卑下する物言いが勘に障る。何時もそうだ、事あるごとにこちらを讃えるように言い、自らは何もしてないと卑屈な言い方はあまり好きでなかった。その言い方はまるで己には罪がないように言っているようで、苛立ちを覚える。

 

「ならば何も成せずに死ね。私を苛立たせるな、いつもいつもその物言いが気に食わないんだ」

 

「そうか、次からは気をつけるようにするよ」

 

  笑う。何故、笑う? 腹立たしい、とても腹立たしい! その言葉がその顔が今は腹立たしい!!

  自分自身、何故これほどまでに怒りを覚えているのか分からなかった。これまでの立ち振る舞いが全て剥ぎ取られる感覚に陥るのが、不快だった。

  怒りのまま殺しにいけばいい、だが本能がそれを拒む。下手な突進は罠にかかる。あの豊潤とも思える魔力の昂りは今までの小細工も増えていることが分かってしまう。

 

  ーーー殺して、目の前にいるよ。

  ーーーあなたならできるよ。

  ーーーお願い、私達を助けて。

 

  腕に染み込む黒い痣が囁く。子供達の声は彼女にとって甘言でしかない。請われて、願われた。ならば彼女が取るべき行動は一つしかない。

 

「ーーーああ、そうであろうな」

 

  ならば小細工ごと叩き潰してやろう。下手な策は好まない、己が武を持って相手に勝ることを善しとする。憎しみに呑まれた今であろうともそれだけは変わらない。英雄として、武人としての有り様は“まだ”変貌していない。

  誰も追いつけなかった俊足は一歩で最大速度に迫った。目に負えぬ速さに、人類が追いつけぬ疾さは一瞬でヒッポメネスの脇へと入り込む。

  矢を番え、放つまでの時間は零に近い。拳銃の早撃ちなど遅い。彼女の最も最たる狩人の戦い方は接近戦。獣を御すことを得意とする彼女は、獣を御すために己が力を見せつけようとする。

  狩りの獲物ーーーヒッポネスは向けられた矢を見て、一息吐いた。

 

淵源=波及(セット)

 

  彼女の足元から、いや頭上からも剣が降り注いだ。瞠目しながらも、アタランテは雨に近しい剣の落下と突出を躱し切った。

  剣の色は透明。どれもが天空から落ちる星の輝きを帯びていた。剣の正体はーーー水。飛行機機内に準備されていた潮水が、形を変えてヒッポメネスを守護する。

 

「さあ“赤”のアーチャー」

 

  既に始まっていた。しかし、改めて宣言する。

 

「はじめよう。僕と君のーーー殺しあいを」

 

 

 

「…ああ、いいだろう」

 

  かつての記憶が掘り起こされる。ちょうど良いと嗤った。

 

 

 

「どちらが強い(疾い)か決めようではないか!!」

 

 

 

  アタランテとヒッポメネス。この戦争において、逸話の改竄がはじまった。

 

 




運命よ、此処に至れり!

片や純潔の狩人!

片や大海の血筋!

さあ、観衆の皆様方々!

伝説の再来だ! 罵声を止めろ! 余所見をするな!

我々は今、神代に戻った!



今まさに、外典(Apocrypha)の時だ!


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天蓋目下・続成因果

此処に告げるべき言葉は何か?

今もなお考え続け、果ては同じと辿り着く




  ーーーその戦いは、悉く拮抗した。

 

 

 

  浮く水滴は一粒ずつに微量の魔力が含まれており、物理法則に逆らって浮いていた。水流は更に多く、主に繋がることによりさらなる力を宿していた。

  水滴の表面が光を反射する。光の正体は凝縮された魔力の発光現象。必殺を得た鏃が飛来するのを視覚が捉え、頭を僅かに逸らすことで死を免れる。しかし、完璧に避けれたわけではなかった。親指の腹で顔を拭う。指の腹には赤い血が濃く付着していた。避けるのが微かに遅かったことにより、顔の頬に傷が走っていた。

 

  次にヒッポメネス(“黒”のバーサーカー)が捉えたのは近代兵器と見間違えるほどの矢の連射。人の手では成し得ない弓技を、相手は繰り出してくる。

  次は避ける気はない。横薙ぎに槍を振るえば、発動させている魔術により鉄砲雨のような激流が槍の軌跡に続く。

  矢は激流に呑まれ、空中に放り出される。構えを直し、一歩踏み込むと距離を一度に詰める。

 

  急な接近に対し、相手ーーーアタランテ(“赤”のアーチャー)は驚くことも焦ることもない。憎悪を瞳の奥に宿したまま、あえてこちらから前へ出た。

  近すぎず、離れ過ぎず。アタランテが最も力を活かせる距離にヒッポメネスが入った瞬間に、射出。一度に放った数は三矢。同時に放たれた矢はヒッポメネスの体に伸びるが、突進からの横への急激な移動により避けられた。

 

「…ちっ!!」

 

  やりにくい。それがアタランテが心中で毒づいた言葉。ヒッポメネスの足を見ると、彼につきまとうように浮く水流の一部が飛行機と彼の足底の間に滑り、回避行動を実現させていた。

  海神の血筋であるからこそ、水に対する知識は深い。故の魔術と戦いにやりにくさを覚えた。

  近すぎれば水流が剣と槍となって突き刺さる、離れれば盾と壁となり守りに徹する。令呪という強化が為す力の開拓に突破口を見つけんとアタランテは思考を回す。

 

淵源=波及(セット)!!」

 

  反対にヒッポメネスは思考の時間さえ与えないと、水流を纏った三叉槍を投擲した。魔力の収束、解放による爆発はアタランテの射撃に近い速度を生む。難なく避けて、迎撃に出ようとするアタランテ。ヒッポメネスは避けようと行動した時には次の行動に移っていた。

  駆け出しながら小剣を逆手に持って、迎撃の一歩手前のアタランテに特攻をかける。

 

  振られる刃は首に、

 

  振り抜かれた刃は空を斬り、

 

  放った矢は足に、

 

  放たれた矢は大腿に突き刺さる。

 

「っ!!」

 

  ヒッポメネスが姿勢を崩したのを見て、アタランテは勝利を確信して矢の狙いを剥き出しの後頭部につける。

  子供達の仇、安寧を妨げる者への勝利。それが近づいている。最後の一手と指を離そうと

 

 

 

  ーーー腹部に鋭い衝撃が走る。

 

 

 

「かっ!?」

 

  腹を殴ったーーー突き刺したのは水の槍。アーチャーのクラス別スキル『対魔力』が槍の威力を削ったのだが全てではなかった。差し引かれた一撃は皮膚を貫かなくとも衝撃を与える。

  苦悶の空気が吐き出されたのを、彼は見逃さない。

 

「はあ!!!」

 

「…っ!?」

 

  飛行機の屋根にも張りめぐらせる水流の、三叉槍の投擲により、三叉槍を中心として水流の範囲を薄く広がせた。その水流の一部を操作しての不意打ち。

  この瞬間の為にあえてヒッポメネスは足に一撃を喰らったのだ。その一撃を上回る一撃をここに放つために。

 

淵源=波及(セット)!!」

 

アタランテの一瞬の怯みの内に無詠唱で自然と手元に戻した三叉槍をヒッポメネスは構えていた。

  水流の三叉槍の穂先に魔力を集中させて放つ重き一撃をアタランテへとぶつける。

  だが、彼女は正真正銘の英雄。この程度の隙でやられるほど柔ではない。

  アタランテは迫る三叉槍の穂先が近づくのを限界まで見つめ続け、最大限に達した時体を回し弓を穂先へと叩きつけた。槍の軌道はズレ、アタランテから外れるも三つの穂先の一つが彼女の腹部を僅かに抉った。

  苦痛に顔を歪めるも体の動きは止まらず距離を取る。ヒッポメネスは足に負傷、アタランテは腹部に負傷。互いに致命傷とはならないが傷を一度与えた。

 

「…小賢しいな、まるで変わらん」

 

「こういう男だから、変わるのは難しいんだよ」

 

  憎み口に適当な返事。ふん、とつまらなそうに鼻を鳴らすと二人は再び構えた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

  とうに戦車は仕舞い、互いの武を持って決着を着けんと“赤”のライダーは己が師が作った槍を、師に放った。だが、師だからこそ分かっていた。その武の型を、弱点を、何よりも弟子の悪い癖も全て把握していた。

 

「くっ!!」

 

「はっ!!」

 

  弓も槍も接近戦さえも我が物として振る舞うことができる大賢者、それこそがギリシャ神話が誇る半人半馬の大英雄、“黒”のアーチャー、ケイローン。

  大木を折ることが可能な蹴りを捌き、槍の穂先を目で追うよりも先を見据え、次の動作を予測して動きを封じる。

  何という男だ。“赤”のライダーは心の底よりの賞賛を視線で送った。

  兄として、父として、友として崇めた男との一騎打ち。いずれ、いずれはと密かに思った願いがここで成就される。嬉しさに体が弛緩しそうだがーーーそんなことしたら間違いなく負ける。

  アキレウスは思考の中であまりにも少ない、アーチャーへの勝利の為の手段を取る。

 

  ほんの一飛びで距離を取った。この行為に“黒”のアーチャーも訝しげに思った。すぐに行動の意味を把握する。

 

 “宝具”

 

  サーヴァントの絶対の必殺。己が伝説の象徴を開帳させようとしている。アーチャーはあの槍の真価を幾つか想像し、何が出ても対処できると身を構える。

  その様子にライダーは笑った。

 

「この槍はあんたが作った槍。ーーーだが、槍に宿る神秘は俺が生み出したものだぜ?」

 

  そう言い放ち、ライダーは“空”へ穂先を向けた。

 

「行けッ!! 我が槍、我が信念ーーー『宙駆ける星の穂先』(ディアトレコーン・アステール・ロンケーイ)!!」

 

  投げられた槍は宙に飛び、機体中央部分へと突き刺さった。予想外の槍の使用に冷静なケイローンも困惑し、次にはその宝具の真価を理解した。

 

「これは…!!」

 

  世界が切り離された。言葉にすればそれが的確だった。風は強く、床は鋼鉄ではなく、柔らかくも硬くもない地面。突き刺さった槍が中央であり軸として存在する空間ーーー大魔術が展開されたのだ。

  魔力供給は滞りなくできている、固有結界のような世界を塗り替える魔術ではないが、それでもこの魔術は大魔術。それを、“赤”のライダーが放った。

 

「魔術まで使えるようになったとは…」

 

「やり方はどうでもいいさ。これは俺がヘクトールのおっさんと決着をつけるためにつくったものなんだよ」

 

  曰く、ヘクトールは笑いながら逃げる飄々とした男だったらしい。トロイア戦争はアキレウスやアイアスのような英雄がいながらもトロイアを陥すのに数年の時間が費やされた。それはアキレウス自身や他の要因も多々あるが、トロイア軍にヘクトールという英雄がいたのが最大の要因だった。

  王子、将軍、軍師、政治家。ありとあらゆる側面を持つこの英雄がいたからこそ、トロイア戦争は長く続いた。

 

「この技はヘクトールのおっさんが俺と戦えるように整えた空間。ーーー神性も加護も消え去った空間、殴れば血が出て、極めれば折れる。ただのアキレウスとただのヘクトールが戦う為だけに生み出したものさ」

 

  アーチャーは絶句する。アキレウスの最大のアドバンテージ、不老不死の肉体を捨て、あえてただの英雄として戦う為だけの宝具。

  ステータスダウンも何もない、本当にこの男は“殴り合う”ためだけの宝具を使ったのだ!

 

「…なるほど、つまり貴方は私に拳技で挑みたい、と」

 

「ああ、そうだ。 あんたとコレで決着をつけたい」

 

  翳した拳は堅く握り締められている。どこまでも堅く、硬く、固く握られた拳を見て、アーチャーは。

 

「では、一つ約束を」

 

  人の良さそうな笑みを浮かべてそう言ってきた。

 

「約束?」

 

「はい、その約束とはーーー」

 

  約束の内容を聞き、ライダーは顔を歪ませた。その顔が妙に可笑しくて、少し笑う。

 

「では、この決闘を受諾します」

 

  返事を聞く前に快諾する。叶えてくれるのは少ない可能性だ。返事を聞かないほうが、叶えてくれるかもしれない。そんな事も打算しながらも、アーチャーとしてはこの戦いから逃げるつもりなど一切なかった。逃げてしまってはーーー師として弟子を誇れないではないか。

 

 

 

  空気が乾き、窒息しそうに張り詰める。

 

  ここに立つのは二人の男。

 

  英雄も、サーヴァントも、戦いも全てを忘れ、拳を向けあった。

 

「“赤”のライダー、我が真名はアキレウス。英雄ペーレウスが子なり」

 

「“黒”のアーチャー、我が真名はケイローン。大神クロノスが子なり」

 

 

 

「「いざ尋常にーーー勝負!!!」」

 

 

 

  師と弟子、最後の殴り合いが開始された。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「しっっっつこい!!」

 

  ピポグリフの手綱を引き、魔力を爆発させる。その瞬間、“黒”のライダーとジークの頭部に人が振るうには大きすぎる神槍が噴きだされる炎と共に突撃した。当たれば間違いなく二人の頭は吹き飛ぶ。だが。

 

「『この世ならざる幻馬(ピポグリフ)』!」

 

  その叫び共とに二人と幻馬の姿はーーー掻き消えた。神槍を振るった“赤”のランサーは目の前から消えた二人と一匹に驚くことなく、少し頭を動かし、自分から五十メートル程離れた位置に現れたライダー達を見つけ、炎を噴出させて急接近させた。

 

「ああ、もう! なんで諦めないんだよアイツ!?」

 

  この世ならざる幻馬(ヒポグリフ)

 

  “黒”のライダー(アストルフォ)の宝具にして彼の象徴とも言える幻獣。その宝具の真の能力はーーー次元の跳躍。本来ならば産まれることがない幻獣であるだけあり、その存在はひどく曖昧。宝具として昇華された時、ヒポグリフは一時的に自らの存在をこの世から抹消させることができる。

 

  “赤”のランサーの追撃も幾度の次元の跳躍で躱し続けてきているのだが、彼は姿を消すたびにライダー達を見つけ、諦めることなく無限の魔力を使い炎を噴出させてくる。

 

  ライダーとジークは既に空中庭園に到着している。なのにジークが着陸できないのは当然後ろから追尾してくるランサーの所為だ。ライダーは空中庭園の周りを浮かぶ黒棺を破壊できず、どうしようかと思案する。ライダーが答えを出す前に、ジークが先に答えを出した。

 

「ライダー。黒棺の破壊を頼めるか?」

 

「ジーク!?」

 

「あれさえ全部破壊できればルーラー達が着陸できる。俺はランサーを…」

 

「相手するってわけか! でも死ぬなよ! 絶対死んじゃダメだからな!!」

 

「ああ!!」

 

  ライダーがピポグリフを急上昇させると同時にーーージークは飛び降りた。真下からは槍を構えたランサーが上昇してきている。太陽の炎が渦巻いて迫ってくる光景に、ジークは恐怖よりも高揚感を感じていた。あれに触れれば死ぬのは分かっている。

 

  でも、叫んでいる。

 

  誰かが叫んでいる。

 

 

 

  ーーー彼との決着を

 

 

 

「ーーー来たか」

 

  神槍と聖剣がぶつかる。神性と幻想が削り合い、鍔迫り合い、火花が撒き散らされる。

  “赤”のランサーが目にしているのはあの人造物の少年ではなく、その瞳には竜殺しの大英雄がいた。

 

  三分限りの極小簡略召喚ーーー憑依召喚。

 

  竜殺しの心臓を受け継いだ人造物だからこそ得られた奇跡が、聖杯大戦の序盤の戦いをここに実現させた。

  ランサーだって分かっている。目の前の英雄が、あの時の英雄であるわけではないことを。

  しかし、それでも。

 

「行くぞ、“黒”のセイバー」

 

「来い、“赤”のランサー」

 

 

 

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!!」

 

梵天よ、我を呪え(ブラフマーストラ・クンダーラ)!!」

 

 

 

  黄昏の極光と陽熱の日光が互いを喰らいあうーーー

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「ぐっ!?」

 

  肩に異物が抉りこんできた痛覚と貫ぬかんとする衝撃が体を後ろへ逸らさせる。体勢を持ち直そうと一瞬考えたが、勢いに任せたまま後ろへと後退することを選ぶ。一拍置いて、雨のような矢の嵐が落ちてくる。選択を間違えた後に起こる“もし”を想像し、ヒッポメネスはアタランテを睨みつける。アタランテは顔色を変えず、淡々と冷酷を携えて、矢を番え狙いを定めてくる。

 

「…やはり差は歴然か」

 

  当たり前だと己に唾を吐きたい。平原の戦いは殺す一歩手前までいったがあれは間違いなく奇跡だろう。全てにおいて、アタランテはヒッポメネスの力を超えている。遥かな高みなのだ。それを絶対に殺せるなどと口にできることが烏滸がましいほど、ヒッポメネスはあまりにも格下だった。

 

淵源=波及(セット)!!」

 

  一度に距離を超える。接近戦しか選べないその手は明らかな悪手と分かっている。だが、それしかない。

  槍をアタランテへと向け、突き刺そうと力を込めようとーーー

 

  飛行機全体が揺れた。

 

「なっ!?」

 

  飛行機が向かう先、空中庭園から光弾が叩き込まれた。一撃が飛行機の操縦席へと当たり、飛行機を操作していたゴーレムの破片が空中へと投げ出された。舵取りを無くした船が大海原に投げ出されたように、飛行機も空気の大流に揉まれ、飛行機全体が揺れ動く。

 

  この飛行機にはヒッポメネスとアタランテしかいないはずなのに、妖艶な嗤いを耳にしたのは幻聴なのだろうか。

 

  その一瞬、僅かな動揺の間にヒッポメネスはアタランテを見失った。

 

「…くそっ! 何処にーーー」

 

  ザクリ。

  足の力が抜けた。

 

「があっっっ!?」

 

  片膝をついて、後ろへ振り返るが其処には誰もいない。見失った。ヒッポメネスがアタランテとの戦いの中で最も恐れていたことが起こってしまった。

  アタランテは狩人。狩人で英雄。闇夜に潜み、獣を狩る生業とする者。

  下腿を貫いた矢を引き抜きながらアタランテの姿を探す。自分が獲物にならなかったのはまだ正面に捉えていたからこそだ。だが、姿を失えば自分は獲物でしかない。すぐに体勢を戻す為に魔術を使いアタランテをーーー

 

「こちらだ愚か者」

 

  振り向き、衝撃。

  頭が割れるような一撃が天辺から振り下ろされる。振り返った視界が捉えれたのは形のいい脚を振り下ろすアタランテの姿。

  英雄の踵は鋼さえ容易に凹まされることは間違いない。ヒッポメネスの頭部に落とされたアタランテの踵は彼の意識を刈り取る寸前に追い込んだ。

  ギリギリの意識が考えるのは後退。このまま戦っても死ぬ事実を本能が囁く。おぼつく足に魔力を込め。

 

「淵源=波ーーー」

 

「させると思うてか?」

 

  ガンっ!!

  ヒッポメネスの足と共に床を踏みつける。

  退却を許さないアタランテは彼の足を踏みつけることでそれを防いだ。

 

「女帝には些か不愉快だが…」

 

  ガッ! 右頬に鋼鉄の拳が刺さる。

 

「まあいい」

 

  ゴッ! 左鎖骨に鎌のような肘が叩き落される。

 

「汝は」

 

  ドッ! 鳩尾に膝が抉りこむ。

 

「私が殺すと言った!!」

 

  ガンッ! 振り下ろされた両拳は鉄槌だった。

 

「がっ…」

 

  流れ込む拳と脚の連打に肺から空気を搾り出される。揺れる視点、途切れる意識、歪む痛覚はヒッポメネスの判断能力を著しく落とす。手は痺れ、指が弛緩し小剣を零す。

  朦朧は完全な死を告げる。ヒッポメネスの前に立つのは麗しい狩人ではなく、彼の命を刈り取る死神だ。

 

「朽ちろ、早々に」

 

  その言葉は既に亡き怨念達への手向け。悲哀を払うための供物はヒッポメネスの首なのだろう。

  彼女は彼を蹴り飛ばし、距離を開けさせる。これでヒッポメネスはさらに窮地に追いやられた。弓兵に距離を取られるとは、死角を与えると言ってもいい。

  キリキリと弓の弦から奏でられる音律は死を誘う。指が放された瞬間、矢は迷うことなくヒッポメネスを抉る。既に決定事項と言ってもいいのかもしれない。これはアタランテの勝利であり、ヒッポメネスの敗北だと。

 

  なのに、彼は口角を上げて笑った。

 

「は、はは…っ」

 

「…何を笑っておる」

 

  その笑みにアタランテの笑みは消えた。前までの勝利を確信した未来予想図は消え、緊張が背筋を走る。

 

  緊張?

 

  何を馬鹿な。

  アタランテは頭を振る。殴り倒し、距離を取り、矢を番えて狙いを済ました。後は放つだけでヒッポメネスは死に自分が勝つ。それ以外の結末はないのに緊張、それはつまり警戒しているということだ。

  もちろん戦場で余裕を晒す醜態を晒しているつもりなどない。見落としているものはない。

  奴が持っていた小剣は落ち、残りはあの三叉槍のみ。ここから槍を伸ばそうとも私に届くことはない。

 

 

 

 

 

  三叉槍、のみ?

 

 

 

 

「しまっ!?」

 

  まだ終わっていない。それに気づいた時、足元が大きく揺れた。

  爆発による衝撃と破砕の振動。二つの揺れ幅を足から感じ、アタランテは一瞬立ち眩む。

 

「ヒッポメネス!」

 

  彼女は彼の名を叫ぶ。

  彼等の足元ーーージャンボジェット機の内部から煙が立ち込もり、次々に爆発が引き起こされている。耳を澄ますとジェット機の中で巨大な何かが這いずり回っているような音を捉えた。それはまるで蛇が苦しみながらのたうち回っているような、悪あがきのような無秩序な暴走。

  後にその暴走はジェット機の内部から外部へと飛び出しーーーアタランテの瞳は巨大な水流を見つけた。

 

「貴様まさか!?」

 

  ヒッポメネスの持つ三叉槍は小剣と同じく、魔術を発動させる為の礼装という役割を果たしている。

  小剣も槍もどちらも性能としては変わらない。どちらか一つさえあれば、彼は短詠唱で魔術を発動できる。

  しかし、祖父の血である潮水を纏う三叉槍は魔術礼装として格が上がっている。水流の加速、変質、放出という工程を重ねる必要がある技こそ詠唱が必要だが、

 

  ただの水流の操作だけなら、念じるだけでこと足りる。

 

「“赤”のアーチャー。君ならば、僕が君を見失った瞬間に殺すことなんて容易かったはずだ」

 

  水流を幾つにも分離させジェット機の内部に叩きつけ、抉り、引き剥がす。エンジンや精密機器、主翼さえもが破壊され、へし折られそうになっている。

  まるで大蛇が絡みつくような光景にアタランテは言葉を失いかけるが、それよりも目の前の男の声が大きく聞こえた。

 

「なのに、なぜ君は僕を殴った? 蹴って、振り落とし、苦しめる手段を取った? いや、分かる。ごめん、厭らしい聞き方だ」

 

  ただその手段を行ったのはできるだけ苦しめるようとしたからだ。それは彼女の嗜好ではない。ただ憎かった。子供達の苦しみをできるだけ味わせて、殺してやりたいという暗い気持ちの表れだったのだろう。

 

「普段の君なら、間違いなくこんなことしなかった。君は狩人だ。獲物には容赦ないが、嬲ることを毛嫌う。だからこそ、僕は今の君に勝利を見出した」

 

  気づいた。そこまで語られて、ようやく自分の周りの状況を見渡せた。

  足元にある巨大な鋼鉄の塊は水流に締めつけられ、破壊し、破片が散り散りと雲の下へと落ちていく。鋼鉄の内部から発生する煙は後方へと流れていく。火はやがて足元まで広がってきており、火の灯りが顎をなぞる。そして、アタランテはようやく気づいた。

 

「庭園から…ズレている!?」

 

  ーーー二人が乗るジェット機の進路がずれていた。

  空中庭園へと飛んでいたジェット機は少しずつ、逸れていた。ほんの僅かな角度をずらし、ゆっくりと、ゆっくりと飛ぶ方向を変えて、アタランテが庭園の姿を捉えた時には庭園から横へ逸れるように飛ぼうとしていた。

 

「さらに、これで!!」

 

  ガクンとジェット機全体が揺れ動き、急速に旋回行動を取った。ヒッポメネスが持つ三叉槍が水流を動かし、コックピットの操縦桿を横へと思いっきり回したのだろう。庭園の主によりゴーレムはいないが、水流がゴーレムの代わりとなり操作している。エンジンが破壊され、主翼も破壊されかけているが飛行進路を変えるだけの機能は残していたのだろう。

  そしてジェット機は完全に庭園から逸れ、離れるように()()()()()

  高度を保つことができず、機体は摂理に応じて地面に落ちようとしている。

 

  ーーーこれが目的か!!

 

  アタランテは叫んだ。心の中で、忌々しく怨嗟の叫びを吠えた。

  今更ながらこれが聖杯大戦だということを思い出す。これは戦争だ。断じて競争でも、決闘でもない。

 

  勝てばいい。

 

  手段を問わず、相手を貶めて勝利を掴みとることが戦争の流儀だ。武人はその戦争に己の流儀を組み込ませ、暴力を振る舞い、高潔を謳う。それは全て武人に力あってこそのもの。

 

  だが、ヒッポメネスは力がない。武人と名乗るものの戦争に己を持ち出せるほど傲慢になれなかった。

 

  だから、彼は勝つことだけに執着できる。

 

  どんな形でも勝てばいい。勝てば、聖杯を手にして宿願を成就できる。

  ゆえに、アタランテはヒッポメネスが自分に勝ち庭園へ向かうことを前提と考えていた。

 

  ヒッポメネスが()()()()()()()()()()()、自分を脱落させようなどと考えてもいなかった。

 

 

 

 

 

  ヒッポメネスの勝利とは、アタランテを脱落させる一点のみ。己の願いは聖杯により先に叶えられた。それはある意味願望機としての役目を果たしているのだろう。

  ゆえに聖杯はいらない。それは既に己とマスターと仲間達も知っている。

 

  だから彼は()()()()()()()

 

  脱落させればいいだけだ。

  彼女を殺さなくても、戦闘不能にしなくてもいい。ただ、()()()()()()()()()彼の勝利となる。

  ヒッポメネスはジェット機上の戦闘となった場合、この方法を取ると即断した。これならば必ず勝てる。彼女を殺さず、終わらせることができる。

 

  ゆえに、彼は彼女もろともジェット機を墜落させることを選んだ。

 

 

 

  アタランテはすぐに駆け出した。

  彼と彼女の立ち位置の関係でアタランテはヒッポメネスへと真っ直ぐ飛ぶように走り出す。

  アタランテは墜落しようと高度が下がる機体の頭部におり、ヒッポメネスは機体の後方、つまりまだ高度が高く、アタランテが力の限り飛べば庭園に戻れる可能性がある立ち位置にいた。

  庭園へ戻ろうとするアタランテをヒッポメネスが許すはずはなかった。三叉槍を高らかに掲げ、己の手足同様に操れる水に命令する。

 

 

 

淵源=波及(セット)

 

  目の前に迫るのはのたうち回るように暴れる水流の束だった。私を呑まんとする水流の壁を、難なく切り抜け、すり抜き、足を休めない。

  幾多の障害物を前にしようとも走る足の速度は緩まない。峻険たるアルカディアの土地を駆け抜けた俊足は『アルカディア越え』というスキルに収まっている。

  例え千の障害を用意されようとも足は遅くならない。

 

  絶対に負けない。

 

  それは意地だったのかもしれない。かつて卑劣な手段だとしても負けたのだ。二度も負けるのは、彼女にとって許容できるものではない。

  あと少し、あと少しの障害で庭園への道は見えてくる。まだ間に合う。こんな終わり方ができるはずがない。子供達の未来を守る。

 

  こんなところで、こんなところで負けるわけにはいかない!!!

 

  そして、見えてきた鉄の塊の終着点。水の壁を避け続けた先に見えた鳥を真似た鉄塊の先と夜空。手を伸ばせば届くような暗闇に彼女は、足に力を込めてーーー

 

  肩を()()()()()()

 

 

 

『動く獲物を射抜けぬのなら、誘導せよ。汝の射抜ける的になるように場と機を整えろ』

 

  そう言ったアタランテの言葉を忘れない。弓の腕が壊滅だった自分にそれを教え、獣を翻弄し、狩りやすくする為の手段を教えてくれたのは皮肉にも今射抜いた彼女だった。

  襲わせた水流の束は自分の姿を消す為の隠蔽工作(ダミー)。ヒッポメネス自身はすぐにジェット機の主翼へ移動し、魔術で即席の弓と矢を作製した。

  そして弓に矢を番え、水流の中から出てくる彼女を待った。

 

  待って待って待ってーーー彼女の姿が見えた瞬間、指を離した。

 

 

 

  肩から生えた水でできた透明な矢は、私の動きを止めた。

  見れば矢の端、矢筈には水でできた鎖が繋がれていた。鎖を辿り、その終わりにはーーーヒッポメネスがいた。手には矢と繋がれた鎖。その鎖を、ヒッポメネスは引っ張った。

  体が浮き、後ろへと引っ張られる。庭園は遥か前方。駆け飛べば間に合うほどの距離だった。

 

  しかし、それはもう永遠に届くことのないほど切り離されてしまった。

 

「行くぞ“赤”のアーチャー」

 

  アタランテはヒッポメネスの腕の中にいた。肩に刺さっていた矢も鎖も消え、両腕もヒッポメネスの腕の中に収まっている。

  抵抗すればもしかしたら。だが、そんなもしかしたらの時間は既にない。

  体がヒッポメネスごと後ろへと倒れる。ここは鉄塊の翼の上。翼の幅は胴体より狭く、一歩先は空の下。そんな状況で後ろへと倒れればーーー

 

「舌を噛まないようにしなよ!!!」

 

「ヒッポメネェェェェェェェェェス!!!」

 

 

 

 

 

  シギショアラ、“赤”のアーチャーと“黒”のバーサーカーが二度目の再会を果たし、去り際にバーサーカーが放った宣言。

 

『次会った時、僕は君をーーー射止めてみせる』

 

  かなり遅れてしまったし、言葉通りにはならなかったが、彼は約束を果たした。

 




このオレを脇役に回すとはいい度胸だ。相応の覚悟はできてんだろうなぁ?

…しかし、まあいい。此処は寛容に譲ってやるよ。

…あ? なんでかだって? そりゃあちょこまかと鬱陶しかったし、泥浴びせられたし、倒せなかったりぶっちゃけ殴ってもいいんだが。

今だけはお前の物語だ。酒のつまみになる程度の活躍をしてこねえとそれこそぶん殴る。

せいぜい格好つけてこいよ、三流。





あ、あと飯おごれよ。詫びはまずそれからな。


ヒッポメネス決戦verのイメージ画像。細部や服装が変わっているのは気にしないでください。

【挿絵表示】



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三秒間の幕間

酒呑童子様、カルデアへおいでなさいまし(錯乱)

新イベント楽しいですね。

では、どうぞ。


  その一撃こそ英雄の証ーーー

 

  研鑽を怠らず、血が滲むほどの激闘と、数多の出会いがあった人生だった。

  友の為に戦い、女の為に戦い、我儘の為に戦い、何よりも英雄であるが為に拳を握りしめた。

 

  遠く、あまりに遠く。

 

  最初に目指したものは何だったのか。憧れた原初の光景さえ、遠くに置き去りにしてしまった。

  後悔などしない。後悔するほどの暇などないほどに駆け抜けてきた。

  振り返った時には心臓が潰れ、足も動かない。誰よりも疾き者として名を語り継がれることを確信した時だった。

  走馬灯というものなのだろう。一から百まで、そして百から一に戻る為の再生と逆行。瞼を閉じなくとも流れこむのはーーー師への尊敬。

 

  強さの起点。それこそが我が師だった。

 

  英雄の祖とも言える賢者と、競ったことがなかった。旅立つ時には、あまりにも幼かった自分。挑むことさえ考えて…いや、思い出した。

 

 

 

  いずれ挑んで、勝ってみたかった。

 

 

 

  旅立った、最初の一歩で混ざり合った感情の中に燻っていた思い。悲しみ、郷愁、不安、期待と雁字絡みにされていた願いを思い出した。

 

  …無理だったなぁ。先生、亡くなってしまったし。

 

  兄弟子の不祥事で師はあの空の星になった。また会いたいと願ったが、もう届かない。何よりも自分も死ぬ。足掻こうとも因果は捻じ曲げれない。突きつけられた現実に英雄らしい英雄はーーー微笑んだ。

 

 

 

  んじゃ、次は空で戦おうか。

 

 

 

  血と臓物と腐臭と熱気が漂う戦場で大英雄はその命を尽きた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーー見事」

 

「ーーー感謝」

 

  上空七千五百メートル。天には遠く、大地から遠い空で決着はついた。

  崩れ落ちたのは“黒”のアーチャー、拳を強く握りしめたのは“赤”のライダーだった。

  ライダーは中央に突き刺さっていた槍を引き抜くと、周りに流れていた緩慢な景色は破れ、風が暴れる上空へと戻った。

  アーチャー(ケイローン)は立ち上がることはない。アキレウスの一撃は霊核を砕き、彼を構成するものを粉々にしたのだから。

 

「先生ーーー」

 

「先生は止めなさい。“赤”のライダー(アキレウス)。既にあの戦いが終わった以上、貴方は私を“黒”のアーチャーと呼ぶべきだ」

 

  そう言われてもライダーは何かを言いたげに、しかし、何も言えずに…頭を下げた。謝意では決してない。その行為が意味するのは、感謝。その一つだけだった。

  アーチャーは苦笑いのような笑みを浮かべて、告げる。

 

「さあ、とどめを刺しなさい。私は貴方の敵だ。ケイローンとアキレウスではなく、“黒”のアーチャーと“赤”のライダーなのだから」

 

「…できません」

 

  あの戦いに応えた時から、アキレウスの中では“黒”のアーチャーはケイローンに戻っていた。それを今から戻すほどアキレウスはーーー非情になれなかった。

 

「私が貴方との戦いで宝具を使わなかったのは条件があったからです」

 

  唐突にアーチャーが呟いた。

 

「私に可能な攻撃手段の中でも、この宝具は威力と精密性において最高峰でしょう。けれど、何よりも特異な点が一つだけある」

 

  残り少ない命、サーヴァントとしての第二の人生が尽きかけであるのに、淡々と語る。

 

「当然ながら、これは攻撃の為の宝具です。ならば、私は弓に矢を番えなければならない。それもそうでしょう。剣であれ、槍であれ、あらゆる宝具は手にして構えて発動させるものだ」

 

  ライダーはアーチャーの言葉を黙って聞き入っていた。聞き入りながらも、止まることのない悪寒を感じながら。

 

「しかし、私の宝具はそれが異なるのです。ーーー宙空に浮かぶ星。それが私であるのなら、“私は常に弓を構えている”」

 

  理解した。アーチャーが、ケイローンが何を語っているのかを。

  かつて友であり、弟子であった大英雄に神さえ苦しめる毒を喰らい、不死を捨てることで命を尽きることとなった大賢者。神がそれを憐れみ、ケイローンは宙空に浮かぶ星へと召し上げた。

 

  名を射手座(サジタリウス)

 

  常に矢を番え、引き絞っている。ライダーの魔術によって遮られていた夜星はライダーとアーチャーを見下ろしている。そして勿論ーーー射手座もライダーを見下ろし、弓を構えている。

 

  そして、気がついた時には全てが終わっていた。

 

「が、ああああああああぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

  アーチャーに必要なのは標的だけ。魔力を込める必要も、真名の発動すらいらない。弓という武器の致命的な弱点、タイムラグも必要としない完全絶対射撃。

 

  ケイローンの宝具『天蠍一射』(アンタレス・スナイプ)

 

  星座からの精密射撃がライダーの踵に射抜かれていた。

 

「てめえ、アーチャー…!!」

 

「我が星は、正しく射抜くべき場所を射抜いたか。…最後の最後で、私はようやくサーヴァントとしての務めを果たせたようだ」

 

  安心したと、安堵の息をつく。アーチャーの目には生気が徐々に失われていく。弱点である踵を射抜かれたライダーは、何も叫べなくなった。何と言おうとも応えるほどの力が既にないのだから。

  不意に床が揺れた。戦いの余波に耐えられなくなった飛行機が墜落していく。ライダーは一度アーチャーに目を向けて、近くを飛行していた飛行機に飛び移った。

 

 

 

  アーチャーは失墜する。

  既にやるべきこともない。やれることもやりきった。サーヴァントとしての務めも果たせた。

  考えるのはマスターであるフィオレのこと。彼女は今後の生で何を成し得るのだろうか。魔術の才に恵まれ、魔術師として無才であったマスター。

  大事なものを捨て、歩き続けることになる彼女の前にはきっと苦難が待っているのだろう。捨てたことを後悔し続け、それでも自分で決めた道を歩むことになる。

 

  願わくば、彼女達の人生が輝けるように。

 

 

 

  ライダーは痛みを噛み締める。

  最後の最後でサーヴァントとして、アーチャーに戻っていた。

  ライダーの体は不死身を引き剥がされ、俊足も七割減となっている。宝具でもあった踵を射抜かれた影響だ。『神性』スキルを保有していなくとも今ならば傷つけることができる。

  それでも並のサーヴァントに負ける気はない。しかし、痛手なのは間違いない。

  最大の好敵手は破った。ならば次はどうするべきか。アーチャーとした約束を守るべきか、否か。それともシロウと庭園を護るためにルーラー、セイバー、“黒”のライダー、バーサーカー、とぶつかるべきか。

 

 

 

『ヒッポメネェェェェェェェェェス!!!』

 

 

 

  失墜するアーチャーと思考するライダー。その二人は突如空に響いた咆哮に同時に振り向いた。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  流星群。地上から空を見上げた人々がいるのなら、そう呟いただろう。

  庭園を取り巻くように浮遊する黒棺から放たれ続ける光弾。その光弾は一機の飛行機に集中している。飛行機の先頭に立つのは聖旗を手に持ち、光弾を全て捌き続ける聖女。金糸を束ねたような三つ編みが聖旗を振るうごとに揺れ跳ねる。ルーラーは“赤”のアサシンの魔術光弾を相手しながらも庭園へと視線を向ける。

 

  庭園から降り注ぐ光弾は前と比べて数が減り続けている。その理由は見て分かる。

  少女と見間違う可憐さを持つ少年、“黒”のライダーが幻馬に跨り黒棺に突貫し続けているからだ。庭園では高密度の魔力のぶつかりが察知できる。ーーー“黒”のセイバーとなったジークと“赤”のランサーが戦っている。

 

  また“赤”のライダーと“黒”のアーチャーも戦っている。こちらは一瞬気配が希薄になったものの、つい先ほど気配が明確となった。

 

  そして、気になるのは“黒”のバーサーカーと“赤”のアーチャーだ。光弾がこちらへと集中しているものの一発が二騎の戦いへと放たれている。あれからどうなったのか。ルーラーは僅かに焦りを放つ。

  バーサーカーが負ければすぐにアーチャーがこちらへ向かってくる。負ける気はないが時間がかかればかかるほどシロウの目的を阻止できなくなる。

 

  “赤”のアサシンの嘲笑を察知できる。こちらの考えを見抜いている。ルーラーができるのは光弾を防ぐのみ。早く庭園に乗り込むことを考えてーーー

 

 

 

『ヒッポメネェェェェェェェェェス!!!』

 

 

 

  不意に耳にした叫びにルーラーは振り返った。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

「ヒッポメネェェェェェェェェェス!!!!」

 

  “赤”のアーチャーの叫びが空に響き渡る。殺意を目に秘め、牙と錯覚するほどの犬歯を剥き出しにする。

  “黒”のバーサーカーに掴まれ、足場もない上空へと身を投げ出される。“赤”のアーチャーには空を歩く手段も、飛行する魔術もない。一度墜落してしまえば、空へ這い上がることなど不可能。

  バーサーカーを足場にして墜落しかけの飛行機へ戻ることもできる。だが、バーサーカーはしがみついて離せない。

 

  思考し、答えを出す時間などない。

 

  滞空は一秒にも満たない。後は、墜落するのみ。

 

  目にしたのは“赤”の二騎、“黒”の一騎、ルーラーだった。

  “赤”のライダーと“赤”のアサシンは目を見開き、驚愕に固まる。“黒”のアーチャーとルーラーは驚き、口角を思わずあげてしまう。敵の数が減ったからでもある。それよりも彼らが微笑んでしまったのは“彼らしい”からだったから。

 

  殺害を選べない、勝利を得られない、剣を握る手が緩んでしまう。

 

  “黒”のバーサーカー(ヒッポメネス)にとって、“赤”のアーチャー(アタランテ)とはその三拍子を揃えてしまう相手だった。

 

  これはヒッポネスなりの勝利。打倒せず、戦線から脱却させる。英雄の在り方とサーヴァントの務めと“黒”の陣営の役割を果たす。

  彼は空中庭園に来られないだろう。マスターに再会することはない。でも、勝った。彼の勝利にーーールーラーと“黒”のアーチャーは微笑んだのだ。

 

 

 

  墜落する飛行機の上に伏せる“黒”のアーチャーと“赤”のアーチャーを掴んだまま失墜する“黒”のバーサーカーの目が百メートル近く離れているのに合った。

  互いの目の奥には満足が浮かんでいる。当然だ、両者とも望みと役目を果たせているのだから。

 

 

 

  ーーーさらば

 

 

 

  “黒”のアーチャーは静かに消失し、“赤”のアーチャーと“黒”のバーサーカーは雲の中へと消えていく。

 

  ルーラーは一度頭を振りかぶった。これで振り返ることはもうない。ーーー目指すは空中庭園のみ。充分な距離に止んだ光弾の流星群。

 

  “黒”のライダーが全ての黒棺を破壊した。

 

  ルーラーは助走をつけ、一気に飛翔する。たどり着いたのは美しい花々が醜く咲き誇る花畑の中。感覚が理解させてくれる極東の聖人の位置。

  聖女は真っ直ぐ走り出す。後方にあった闘いに見向きすることもなく。

 

 

 




ジャックちゃんにアタランテ姐さん、茨木童子相手に大活躍。フレンドの師匠ありがたや〜。


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汝は獅子、邪婬の罰となりて

罪は続き、罰は貴方を責め戒める。

罰が貴方を苛ませ、心を濁らせる。

けれど、彼方へと消えた尊き人の笑顔が

貴方を、導いてくれるでしょう。



「ぐっ、うぅぅぅぅっっっ!!」

 

  顔に叩きつけてくるように抵抗する空気の壁。身体中の肌を上へと引っ張るような圧に思わず口から悲鳴が漏れる。

 

「離せ!!」

 

「がふっ!」

 

  失墜する世界の中、怖気なくアタランテはヒッポメネスを蹴り、己の肉体に張り付くヒッポメネスを引き剥がす。

  アタランテは舌打ちを隠せず、宙空を見上げる。神秘を宿す庭園が遥か遠くに離れていく。コンマ一秒ごとに点に近づく光景に奥歯を噛み締める。

 

  ーーーやられたやられたやられたやられた、やられた!!

 

  判断を誤った。この手で子供達を殺すことに手を貸した男の息を止めたかった。殴り、蹴り、首の骨をへし折ってやろうと考えた。

  だが、相手の男は最初からこれを狙っていたのか? 身体を掴まれ、足場であった鉄の塊から自分ごと身を投げ出した。

  失態だ。感情に呑まれすぎた。これでーーーあの忌まわしい聖女が人類救済の夢を破壊することを許してしまう。

 

「ヒッポ、メネスッッッ!!!」

 

  絶叫に似た咆哮は離れて失墜する男に向けられた。男は鋭い刃に似た視線で絶叫に応えた。

  まだ終わっていない、それを察し、小剣と槍を構える。既に己を底上げしていた令呪の縛りとスキルを発動させる大量の水は飛行機の上に置いてきた。堕ちていくのは只のバーサーカー。そして、相対するのは“赤”のアーチャー。

  アタランテは落ちながらも弓に矢を番え、放った。

 

「ぐっ…!?」

 

  神弓により魔力を込められた矢が肩に突き刺さる。不安定な姿勢に落ちながらの射撃。にも関わらず精密に頭を狙った一撃はギリギリで体を反らすことで致命傷を防げれた。

 

  終わってない。終われるはずがない。アタランテの憎しみは今も尚、ヒッポメネスに向けられている。空中庭園から離れようと、子供達の願いの為と突き動かされる。護れないのならばーーー殺すのみ。

 

  連射される矢にヒッポメネスは的となるのみ。幾つかは捌けるが、それでも体に矢が突き刺さる。針の筵、いや、矢の筵になるのは時間の問題だ。致命傷は避けていても、直に体が動かなくなる。

  それでもヒッポメネスは捌き、防ぐ。

 

  ーーー終わりはいずれ来るのだから。

 

  さらに弓を構え、矢を番えようとしたアタランテは突如標的としたヒッポメネスを見失った。視界は暗く、叩きつけられたような痛みが全身に駆け上る。

  衝撃と冷温。身体中に染み込む冷たい感覚と、鼻と口から入り込む塩っ辛い味覚。何よりも息ができない。アタランテは何が起こったのか困惑し、すぐに理解した。

  落ちきった。空から堕ちてーーー“海”へと着地した。上へと腕を動かし、水面へと顔を出した。

  見上げる空からは破壊され、落ちてくる飛行機の残骸。横は墜落し、海の底へと沈んでいく飛行機を見かけた。当然のことだ。ルーマニアから出た空中庭園は遥か上空を移動していた。大陸から出たら境界線まで海がある。だからこそ“黒”の陣営はジャンボジェット機を使い捨てにする作戦を思いついたのだ。

 

  だが、彼女が探しているのはそんなものじゃない。

 

  “海”に最も近づけさせてはならない男が見当たらない!

 

  彼女の警戒はすぐに破られた。離れた海面が突如膨れ上がり、目的の男が空へと身を投げ出していた。槍と小剣を構え、体に矢を突き刺したままーーーアタランテへと接近する。

 

「アタランテェェェェェェェ!!!」

 

  狙いをつけ、放つーーーことができなかった。海水に弦が揉まれ、波に体を揺らされる。空中よりも不安定な海中では、彼女の技術は激減される。

  ここは海。原初の命が生まれた揺籠の中。それを自在に動き回れる者はーーー海の血を引く者。

 

「ーーーくそ」

 

淵源=波及(セット)!!!」

 

  投擲された魔力を込められた槍は海面に突き刺され、膨張しーーー破裂した。

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

  水気が含まれた砂浜は踏まれる度に軽やかな音を奏でる。波は荒々しく、細やかな金属片が漂流していた。寄せては物体を運び、引いては攫っていく大波の中。ヒッポメネスはアタランテを抱えて、陸地に上がった。海にある小さな島。文明も何もなく、獰猛な獣も存在しないだろう穏やかな大地に偶然辿り着いた。

  波が届かない位置まで上がると、気絶した彼女を起こさないように地面へと寝かせた。彼女の口元に耳を寄せると、静かな呼吸音が届く。豊満には届かず、慎ましくもない胸板は呼吸のたび上下している。

  ヒッポメネスは安堵の息をついた。

 

「ダメだなぁ…」

 

  結局、トドメを刺せなかった。海に触れたことによりステータスの向上を感じた。令呪によるバックアップではなく、元来持つ機能が発揮されたのだ。海こそが原初。海に近づくことにより力が増した。

  それなのに、アタランテを殺す選択肢を選べない。いや、選ばない。

  カウレスの令呪、『願いに忠実であれ』は慎ましく発動している。己の願望に忠実で、未練がましくアタランテを望んでいる。自分が望めば、すぐにでも細い首を絞めれるのに。

 

「本当に…馬鹿だなぁ」

 

  壊れそうな物に触れるようにアタランテの右腕に触れた。蛇がうねる様な黒い痣は、“黒”のアサシンの残留思念。アタランテと比べると少なすぎるがヒッポメネスの右腕にも同じ痣がある。

 

『ころしておねがいせいじょをあのおとこ』『ころしてころしてころして』『けしてあのおとこをけして』

 

『かえりたいかえりたいかえりたい』

 

  別物だ。同じサーヴァントから派生された残留思念でも、変化している。囁き続けるだけの思念は、殺意に塗れ縋っていた。

  アタランテから聞こえる思念は前者、ヒッポメネスから聞こえる思念は後者。

  同じ物だからこそ共鳴し、聞くことができる。思念は囁くだけ。変化しているのは、アタランテの憎しみに当てられたからだ。

 

「…君たちは、もういない」

 

  魂はジャック・ザ・リッパーから放たれ、行くべき場所へと向かった。思念は魂ではなく残渣。

  己に言い聞かせるように呟き、濁った思念が取り付くアタランテの右手を握った。

 

「これは僕が引き継ぐ」

 

  己が背負うべきだ。“黒”のアサシンにいた子供達の怨念は自分に向けられるべきだ。彼等を救おうとした彼女の憎しみも、殺した自分が請け負うべきだ。

  今の状態なら、同じ思念を宿す右腕なら移すこともできる。いつもの詠唱を紡ぎ、引き受けようとした。

 

「…離せっ!!」

 

  最悪のタイミングでアタランテは目覚めた。手を払い、アタランテは距離を取るべく後ろへと飛んだ。

  弓を構え、狙いをヒッポメネスの胸へ構えた。

 

「なぜ生かした!!」

 

「…僕が君を生かして、何かおかしいのかい?」

 

「可笑しい! 可笑しすぎるだろう!」

 

  また生かされた。何時でも殺せるのに、また生かされたことにアタランテは怒り狂い、困惑が生まれる。

 

「これは、戦争だ!! 魔術師と英霊が手を組み、己が願望を叶える為に殺しあう戦争だ。にも関わらず汝は私を生かす。生かし続ける!?」

 

  痛い。また頭が痛みだす。困惑を引き金に頭痛が起こる。この痛みに苦しむ。この困惑に心を掻き乱される。

  この男に、翻弄され続ける。それが不快で、不愉快で、不可解だった。

 

「何なのだ汝は! なぜこの戦いに赴いた!? なぜ聖杯に縋り付く!? ーーー汝の願いは何なのだ!!」

 

  それが聞きたかった。この戦いで再会した時は何も思わなかった。この男も聖杯に縋り付く願望を持ち合わせていた。それだけなのだと納得していた。

  だが“赤”のアサシンに問われ、悩んだ。

 

  ーーーあやつは私の願いを知っているのに、私はあやつのことを何も知っていない。

 

  不愉快だったわけではない。独占欲も何もない。だが、何処か欠けている気がした。

  街で会えば微笑んだだけで顔を赤らめた。

  平野で戦った時は泣きそうな顔をしていた。

  庭園で吸血鬼の攻撃から庇われて、激昂して突き進む背中を見た。

  悪夢の中で抱きしめられ、子供達を殺すことに手を貸した時には絶望を覚えた。

 

  信じられない。許せない。殺してやる。怒り狂い、怒り狂い、怒り狂いーーー疑問が脳を責め立てる。

 

  ヒッポメネスが何をしたいのか、分からない。

 

「何なのだ汝はっ!!?」

 

  叫びは反響せず海へと吸い込まれる。その叫びに怒りも狂気もない。只の叫び、只の疑問。

  困惑し、怯えているようにも見える女。その前に立つ男は、その叫びに対し、ただ、こう応えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君に、愛していると言いたかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………え?」

 

  空白。何もなく、白でもない空虚が全てに変わった。言葉をそのまま受け入れることも、言葉の意味も受け止めれなかった。

 

  愛している。

 

  そう言った男は何処か晴れ晴れしていて、でも苦しむようにーーー笑っていた。繕うようなのに、崩れそうな儚い顔。

 

  意味が、分からない。それだけが世界を成立させている。何時になったら破れるのか分からない空気を破ったのは、空気を作った男だった。

 

「それだけさ。こんな一言の為に、勝つことができない戦いに魂を売ったのさ」

 

  幾多の平行世界にて行われている魔術師による魔術師の為の殺し合い。英霊の魂を使い魔まで引き落とし、令呪の鎖で縛られてまで戦う理由。救国、征服、統治、平穏、理想、払拭、挑戦。英雄一人ごとに違う欲望の中で、英雄未満の英雄の願いはーーーこの時の為にあった。

 

「僕は君が好きだった。大好きで、君とずっといたかった。でも、それを口にすることを…僕は諦めた。あの日、あの時、僕が君に勝って妻に迎えられた日から身勝手に決めつけて僕は言葉を切り捨てた」

 

  後悔しかなかった。

 

「恥じて、行動で想いを伝えようとした。だがそんなもの意味などなかった。だって、僕達は人間だ。言葉でしか真の想いを伝えれない不器用な命なのだから」

 

  それを死に際に悟り、泣き伏せた。

 

「後の世に卑劣で欲深な男だって伝えられてもいい。女神に力を借りれなければ何もできなくて、他の者でもできた偉業だと謗られてもいい」

 

  だから言わせてくれ。

 

 

 

「君をあ「違う」」

 

 

 

 

 

「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う」

 

 

 

  壊れたラジオカセットテープのように、繰り返される否定。一定の速さで紡がれる言葉の羅列は、並行なのに無規律を思わせる。

  目には光も色もなく、空いた瞳孔が光を吸い取らんばかりの深淵を映している。

 

「違う、ありえない、そんなわけない、だってあやつは肉欲に囚われた男の一人で、私の夫で、愛などなく、名誉と欲望に駆られた者でしかなく、汝は私をーーー愛しているはずがない!!!」

 

  打ち切られた言葉は断言ーーー拒絶に見えた。認めた価値観、理解を拒み、それ以外の存在と意味すら認めない、認めたくない。

 

「そんなわけがあるはずない! 愛などあるか! お前は私が欲しかっただけだ! 欲しかったから私に挑み、女神の贈り物を使って勝った! 名誉が、身体が、国が欲しかった! だからだ! だからお前のその想いが愛であるわけがない! 断じて違う! 愛と…認められるか!!」

 

  痛い、とても痛い。頭の中から針が飛び出してくるような痛みが言葉とともに生み出される。痛みを誤魔化すように、叫び続ける。叫んでいると、痛みが軽くーーーなるわけがないのに。

  両手で頭を抑えるが、痛みは止まない。強くなる。考えると痛みが強くなる。なんで、どうして。

 

  逃げたい、助けて。どうやったらこの痛みから抜け出される。どうすれば、どうすればーーー

 

 

 

『殺して』

 

 

 

『殺して、私達を殺した男を』

 

 

 

『憎い男を』

 

 

 

『私を責め立て、苦しませる男を』

 

 

 

『殺せ』

 

 

 

  答えは出ていた。最初から、そうだった。

  子供達の為、当初から、自分はそれだけの為に戦ってきた。

 

  最後の呟きが、子供達の囁きでないことに気づかずに。

 

 

 

 

 

「アタランテ!? それはっ!!?」

 

  否定されるのも、拒絶されるのも当たり前だ。それが正しくて、認められないことも了承済みだった。でも伝えたくて、言いたかった。

  この後、どんな酷い殺され方をされようとも受け入れられる。

 

  でも、それだけは駄目。

 

  顕れたのは黒ずんだ悍ましい毛皮。表面から感じるのは肌を震えさせるほどの魔性。その奥は、人の身では理解できない歪んだ神性がある。

 

「カリュドンの猪…!?」

 

  生前、一度だけ目にしたことがある。彼女が忌み嫌い、それでも持ち続けていた諍いの根源。

 

  カリュドンの魔獣。かつてカリュドン王オイネウスはオリンポスの神々に捧げる生贄を、アルテミスにだけ送らなかった。諸説は多数あるが、生贄がオイネウスだったからという説もある。どういう理由であれ、生贄を捧げなかったオイネウスにアルテミスは激怒し、地上に魔獣を送り込んだ。

  大猪の形をした規格外の魔獣。腐臭を身体から放ち、大地を腐らせる害悪。

  大猪を討伐する為の隊が組まれ、その中にアタランテも存在した。アタランテは女というだけで隊の男たちから忌避されたが、彼女は大猪の身体に最初に血を流させた。

  大猪が討伐された後、猪の頭部と毛皮は剥がされ、オイネウスの息子メレアグロスがその毛皮をアタランテへと贈った。理由は恋心か、それとも公平のためか。

  アタランテは毛皮を拒否した。そこからアタランテに不満を抱いていた者達の諍いは始まった。地位と名誉に駆られ、毛皮を所望した男たちが争いはじめたのだ。

 

  結果、アタランテの手元には断った毛皮があった。

 

  多くの者が亡くなり、血を流した諍いの証明品。

  アタランテはそれを生涯手放すことはなかった。捨てても良かったのかもしれない。だが、彼女は自分を戒めるように持ち続けていた。

 

「やめろアタランテッ!」

 

  あれは宝具だ。だが、決して使っていいものではないと感じた。

 

 

 

  最初、この毛皮の使い道が分からなかった。手元にあるだけで、どんな力を宿すのかさえ不明。

  だが今なら分かる。これは自分が憎悪を抱いた時こそ発揮する力。後戻りも先も必要としない破滅の祝福。これを身に纏えば、復讐は果たされる。

  必死に手を伸ばし、近付く男を一瞥する。殺すべき忌むべき敵。

  こやつを殺せるのならば、どうなってもいい。

 

「宝具ーーー『神罰の野猪』(アグリオス・メタモローゼ)

 

 

 

  渦巻き、取り巻き、黒い靄が払われた。いや、靄に取り憑かれた一部が露出された。

  翠緑の服は無くなり、体全体には赤黒い毛皮が張り付いていた。靄がアタランテを護るように渦巻き、靄の中心であるアタランテが嗤った。

 

「ああ、痛い、痛い、痛いなぁ」

 

  見てられない。目を背けないのに、酷くみてはいけないものを目にした罪悪感が胸の奥に広がる。

 

「これが子供達の痛みだ。そしてヒッポメネス…お前もこの痛みで果てなき連鎖に堕ちろぉぉぉぉ!!!」

 

「アタランテェ!!!」

 

  踏み込み、飛び込んだ。何の考えもなく、槍の鋒を彼女へ向けて走った。

 

  それが間違いと悟る前に、世界が反転した。

 

「………えっ?」

 

  衝撃と痛みは後から訪れる。徐々に熱した鉄板に押し付けられるように、激痛は近く。目には大地と空と海とーーー血と腕が見えた。

 

  くるりくるりと血が軌跡を描きながら地面に落ち、続いて自分も地面に叩きつけられた。

 

「がっ! ぐがぁっ…!」

 

  左腕が食い千切られている。気がついた時には喰われていた。誰に? そんなもの分かりきっている…!

 

「は、ははははははははははははっっっ!!!」

 

  片腕だけになった手で立ち上がると哄笑しながらこちらを見つめるアタランテを、“魔人”を見つめた。

  魔人がいつの間に走り、走りきったのか分からない。間も無かった。所作も何もなく、完走しきっていた。

  人としての動きも全て失い、生物外の速さを手に入れている。あの毛皮を被ることはそういうことなのだ。

  アルテミスの神獣である猪に、災厄の呪いをかけたことにより魔獣と化した。その毛皮を被ることで人は魔人に堕ちる。

  サーヴァントであるかも怪しい。既に愛した女の面影は薄れている。

 

  それでもーーー

 

「アタランテっ…!」

 

  彼は見失わない、あれは愛する女性だと。

 

「ははははは…がぁ!!」

 

「っ!」

 

  今の一撃を躱せたのは偶然に近しい。動物的本能、それが死から救い出させた。地面を転がるように体を回し、前にいた位置には巨大な爪で抉られたような痕が残った。

  動いてなければ死んでいた。何よりも、ヒッポメネスが感じたのは走った事も、走り去ったことも何も察知できなかったことだ。

 

  どんな敵だって弱点がある。それを突くことで勝機を得ようとしてきた。

  だが、魔人には通用しない。弱点を捨てて魔性になった者に、弱点など最早ない。

 

  すなわち、勝ち目がない。

 

「…!」

 

  何もできない。だが、ヒッポメネスは海へと飛び込んだ。時間稼ぎ以外の何物でもない。でもそれに意味がある。

  一度、海底に沈んでいく感覚に身を染める。体の芯に向かって冷感が深まっていくのを自覚し、空気を吐き出す。気泡となって水面へと上がっていき、海の中に鋭い矢が飛び込んできた。一つじゃない、十数本に及ぶ矢が突き刺さってくる。多数は外れ、幾つかは掠る。

 

  どうするかなど、決まっていた。だが、目的を果たした今、ここで戦うのは悪手だろう。余計な魔力を消費し、カウレスに負担がかかる事を考えた。思考に深まり、海底に沈んでいく。ふと思い出したのは、ここに辿り着く前の空港での会話。

 

  ーーー俺達にはもう聖杯に託す願いなんてない。それぞれやるべきことが目の前にできちまった。幸い、お前の相手は奥さんだ。やるべきこととやりたいことが一致しているなら、みんな文句ねえだろう。

 

  ふ、と口元が緩む。これから行うことは間違いなく彼の意図から外れている。だがマスターは言って、命じた。好きなようにやれと。

  体を起こし、水面へと駆け上った。

 

 

 

『汝は獅子、邪婬の罰となりて』(アマルティア・レオーネ)

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

「なんとか…たどり着けたな」

 

「ええ」

 

  カウレスとフィオレ。“黒”の陣営の最後のマスター達。彼らはライダーの活躍により、空中庭園へと辿り着けた。

  彼等はジャンボジェット機に乗らず、小型のジェット機に乗ってここまでやってきた。ジャンボジェット機の陰に隠れ、安全を確保して侵入に成功していた。

  ジェット機を乗り捨て、神秘に溢れる神代の建築物を踏みしめる姉弟は警戒する。この庭園の主たる“赤”のアサシンに。

  だが、何も起こらないところを見ると他のところに集中しているのか。とりあえず安心した二人はため息をつき、沈黙を保った。

 

  “黒”のアーチャーが消滅した。

 

  フィオレとアーチャーの因果線が途切れたのだ。それを証明するようにフィオレの令呪は消え去った。既に会えないことは覚悟の上、だが、それでも堪えることがある。

  堪えるフィオレに見守るカウレスはただ、少しだけそこに立ち尽くした。

 

(でも、進まないと)

 

  カウレスは分かっている。それが時間の無駄だと。悲しむことは最初から分かっていた筈。でも人間に戻る姉にとって、この沈黙が大事なのだと理解している。もう少しだけ、と姉の肩に手を乗せて

 

  ーーー体の力が抜き取られた感覚に陥った。

 

「カウレス!?」

 

「だ、大丈夫」

 

  崩れ落ちそうになったカウレスにフィオレは驚き手を差しのばす。やんわりと手を振って誤魔化すが、魔力の大量消費に何が起きたのかカウレスは悟った。

 

()()の宝具か…!」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  誇りも、人である事も棄てたアタランテには自我があるものの理性はない。ただ憎悪に染まり、破壊衝動のみが彼女を突き動かす。つまりは獣になってしまった。

  海へ逃げた獲物を逃さんと狙いを曖昧に定めて撃ち続けた。いずれは当たる。駄目ならば海ごと消し飛ばす。殺すことだけ考え、動く。敵味方の区別、周りの事など考えに当たるわけなどなかった。

 

  だから、海面から獲物が顔を出した瞬間駆け出した。

 

  噛みちぎり、引き千切る。後は悉く蹂躙し、臓物をばら撒き獣に喰わせる。

  音を置き、衝撃さえも置き去りにする疾走はーーー空振った。

 

「?」

 

  感触がない。血の匂いも温もりもしない。何故だ? 疑問より速く首を動かして、獲物を探し、

 

  頭上から“爪”が落ちてきた。

 

「っ!?」

 

  腕を掴まれ、陸地まで投げ飛ばされた。空中で姿勢を変え、着地し掴んだ者の姿を見た。

 

 

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァ!!!!!」

 

 

 

  穏やかな姿は無かった。荒々しく、猛々しい。その二つが今の彼に合っていた。

  碧の髪色は濁り、藍よりも深い青へと変色していた。片腕になっていた腕は修復され、両腕に戻り、爪は伸びて太く鋭く刈り取る形へと変わる。口元から覗く犬歯も鋭い。瞳は金色へと変貌し、温厚とは程遠い鋭さを備え始めた。

  無造作に髪は長く伸び、空へ叫ぶ姿はーーー獅子であった。

 

  アタランテは今更その変貌に気を止めない。殺戮、それだけが彼女を動かしーーー体に制限がかかったように重くなった。

 

「!?」

 

  先ほどより体が鈍い。関節がぎこちなく、筋力が弛緩している。魔人となった彼女にステータスなど不要。だが、もしあるとしたらステータスがワンランクダウンしていることを察知できていただろう。

 

 

 

  宝具『汝は獅子、邪婬の罰となりて』(アマルティア・レオーネ)

 

  この宝具はかつて二人が獅子となった逸話を由来とする。ヒッポメネスがアタランテを娶り、幸せを享受していたが、彼は彼女を娶ることができた黄金の林檎のことを忘れていた。黄金の林檎を授けてくれたのは美の女神アフロディーテ。ヒッポメネスはアフロディーテに感謝を忘れており、そのことを怒ったアフロディーテはヒッポメネスとアタランテを獅子に変えた。

 

  だがこの逸話には諸説がある。

 

  ヒッポメネスはアタランテを妻とし、幸せを享受していたがある日、かつて神を奉っていた神殿で宿を取っていた時、黄金の林檎を授けたことを感謝していないヒッポメネスに怒ったアフロディーテが彼にアタランテに欲情する呪いをかけ、彼女を襲わせた。それを見たかつて神殿に奉られていた神は怒り、二人を獅子にしたとされる。

 

  実際はどうであったかは二人しか知らない。だが、この宝具は後者の逸話を原典としている。

 

  『汝は獅子、邪婬の罰となりて(アマルティア・レオーネ)』は時間経過ごとに使用者であるヒッポメネスを獅子へと変えていく。獅子に変わるごとに『狂化』スキルが向上し、最終的にはA+まで向上する。その領域に達した時、ヒッポメネスの理性は獣同然になるだろう。

  そして、この宝具の能力はもう一つある。獅子の咆哮は女を萎縮させ、力を減退させる。勇猛果敢な英霊が萎縮する事はないが、その咆哮は低確率でステータスダウンを引き起こす。女を組み伏せ、神殿で交わった逸話だからこそ得た力。

 

  獣の如き所業を顕現させるーーー忌むべき宝具。

 

  ヒッポメネスがバーサーカーである由縁とされる逸話を表したーーー呪いの力だった。

 

「アタ、らンテぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

  理性は削られ続け、いずれ彼女のことさえ認知できなくなる狂化上昇型宝具を発動させたヒッポメネス。

  そして、獅子の咆哮で体が鈍くなろうとも増された殺意を振りまきながら魔人となったアタランテは吼えた。

 

「ヒッポメネェェェェェェェェスッ!!!」

 

 

 

 

「「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎!!!!!」」

 

 

 

  既に言葉を必要としない、原初の殺し合いが始まった。

  猪か獅子か。女か男か。妻か夫か。

 

  最後に立つのは、どちらか。

 

 




鎖は無くなり、貴方は現れた。

だからこそーーー迷い続け、戦い続ける。



第二宝具解放

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この手は貴女の為にある

あの一目惚れに、間違いはなかったと僕は語ろう

死んでも、生きても、それだけは誇れる

唯一の存在証明

僕の名はーーーヒッポメネス



  ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアはバーサーカーを使い捨てするつもりだった。

  低ランクの二流サーヴァント。バーサーカーであるのに狂化ランクも低く、知名度も低い。正直使い道に困るサーヴァントであったことには違いない。

 

  だが、カウレスから知らされた『汝は獅子、邪婬の罰となりて(アマルティア・レオーネ)』を聞いて考えを変えた。

 

  時間経過ごとに狂化ランクの上昇、女性サーヴァントならステータスの減少。それが第二の宝具の効果だった。

  第一の宝具である『不遜賜わす黄金林檎(ミロ・クリューソス)』と迷うところだが、バーサーカーはバーサーカーとして振舞って貰おうとしてーーー諦めた。

 

  カウレスからバーサーカーの宝具の話を聞いていたのはダーニックだけではなく、“黒”のランサー(ヴラド三世)までもが聞いていたからだ。

  宝具の効果を聞き、ランサーは眉を顰めた。その効果は奇しくもランサーが忌むべき宝具と似ていた。

  この宝具を容易に使えばランサーの機嫌を損ねる。信頼関係が崩れる恐れを感じたダーニックは、残念と思いながらも理性あるバーサーカーを選ぶ羽目になった。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  この宝具はできるだけ使いたくない。いや、使う必要があるなら使おうと覚悟していた。

  自分の願いの為もある。だが、自分はサーヴァント。マスターの命令ならば従うが常。理性を失う覚悟をしていたのだが、ありがたいことに今回のマスターはそれを使えと強要しなかった。

  一度、理由を聞いた。バーサーカーとして喚んだのに、なぜ開帳しないのかと。それを問われたマスター(カウレス)は。

 

『いや、まあ、出来たらでいいよ。出来たらで』

 

  変な魔術師だ。魔術師なのに人間臭くて、何処か割り切っている癖に、慌てやすい。いわゆる人間らしい人間だった。

  そんなマスターだったから主従関係は良好で、召喚されて良かったと明言できる。

 

  ならば何故、嫌なのに、避けていたのにこの宝具を使ったのか?

  理性を失い、彼女を犯したと揶揄される逸話を基とした宝具を使用したのか?

 

  単純だ。

 

  今の彼女はアタランテでなかったからだ。

 

  怒りで、憎しみで殺されるのは許容できる。彼女の意思ならば全てを受け入れよう。

 

  だが、あれは違う。

 

  憎しみ、憎しみだけだ。彼女の意思さえも塗り潰し、憎悪を冠する怪物だ。

  戦う理由と、怒りを生み出す意思さえも圧し潰す呪いの権現。

 

  アタランテでは、なくなった。

 

  彼女を失いたくない、彼女の意思を守りたい、彼女が彼女のままであってほしい。

 

  あまりにも美しい理想を抱き、無理と悟りながらも挑み続ける狩人を穢す物を、僕は決して許せない。

 

  暴力を振り翳す者を制するには暴力しかない。

 

  ならば、暴力の化身と成り下がろう。

 

  己が己でなくなろうとも、自分もまた理性なき獣となった愚か者と指差されようとも。

 

 

 

  アタランテを取り戻したい。

 

 

 

 

 

「あ、がああああああああああっ!!!」

 

  振られた爪は木の幹を抉り取り、爪をそのまま抉らせて木を振るう。

 

「る、らああああああああああっ!!!」

 

  放つ、放つ、放つ、放つ、放つ。五つの矢は今までの速さを覆し、木を穿いて獅子へと突き刺さる。

  刺された獅子は一度仰け反ったが勢いよく立ち直り、刺さった二本の矢を無理やり引き抜いた。両手を地面につき、獣の如き疾走で魔人へと迫り、魔人は避けることなく立ち向かった。

  取っ組み合い、跨り獅子を押さえつけ、殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る。

  対する獅子は暫く殴られ続け、二十回目で反撃へと移る。落とされる腕に横から噛みつき、牙を食い込ませる。魔人は振るい外そうとしたが、獅子がそれよりも早く頭を掴みーーー地面へと力任せに叩きつける。

  一、二、三、四、五、六。口を開けて腕を離し、立ち上がると獅子は魔人の腹を蹴り飛ばした。

 

「ぎ、がうあああああああああああおあああ!!!」

 

「ざあああああああああああああああ!!!」

 

  この戦いを英雄達が見れば、全員が口を揃えてこう言うに違いない。

 

  ーーーこれは英雄の戦いではない、と。

 

  まだ子供の喧嘩の方が見応えがあるだろう。女の罵り合いなら苦笑いを浮かべただろう。

  だがこれは微笑ましさも、正当性も存在しない。

  醜悪の一言に尽きる。殴り、蹴るにも型がある。だが、この戦いにそんな秀麗さなどない。

  殺すことだけに点を置く戦いほど泥臭いものはない。ヒッポメネスとアタランテの戦いはそのレベルまで堕ちている。

  殴れば殴り返す。蹴れば蹴り返す。噛めば噛み返す。どちらかが朽ちるまで行われる絡み合い。

  悠久で刹那的な戦いの転換点は、すぐに来た。

 

「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎!!!」

 

  言葉にならない咆哮が夜を裂く。亡霊でさえ身を震わせる絶叫は、人を捨てたアタランテにも届いてしまった。

  一段、重くなる。体の一部が石になってしまったかのように不自由さが増された。

  女であるならば低確率で発生するステータスダウン。獅子となったヒッポメネスとの戦いで、三度目のステータスダウンが引き起こされた。

 

「ぐるあああああああああああ!!!」

 

  重くなるならばしならせる。人の枠に収まらなくなった今ならば肉体の強制的な変貌も可能。アタランテは腕を長く長く伸ばし、鞭のように振るい始める。

  本能で戦う獅子は四つの脚を瞬発的に組み直し、うねる腕を回避する。

  避ける動作で距離が開くのを見て、アタランテは口を上手く使い、矢を咥えながら水平に構える弓に乗せて、射撃。

 

  ぎゃがっ!!

 

  最早腕は前脚である。掴む動作ができなくなった腕で止めるのではなく、口を大きく開いて鏃ごと嚙み砕いた。

  ヒッポメネスの体はそろそろ人間の面影が無くなりつつあった。鬣があり、前脚があり、獰猛な牙がある。瞳だけが人間らしさを残すが限界はすぐに訪れる。

 

「獣があああああああああああああ!!!」

 

  魔人は殺す相手だとは分かっている。だが殺す相手の名前も、正体も、理由すらも頭の中から消え去っていた。

  言葉はあっても、意味などない。頭に浮かんだことを口にしているだけだ。

 

  体を低くして、疾走する構えをとる。光に及ばず、音を踏みつける脚法。一度腕を噛み千切ったのならば次も当たる。

  相手する獅子はその姿を見てーーー同じように姿勢を低くする。

 

「きひっ」

 

  殺せる。

  確信した。狂気に支配され、恐怖を感じる本能さえも麻痺している。

  両踵に力を込める。解き放たれた時には獅子の頭蓋は砕かれ、腸がぶちまけられている。

  最大限まで膨れ上がる魔力を全て脚に注ぎ込みーーー爆ぜる。

 

「ぜがあああああああああああああああああ!!!」

 

  背景が伸びて後から付いてくるような感覚に超越的感覚を覚える。不条理さえもが覆る絶対的神域を宿したこの世界ならば望み通りの物が手に入る。

 

  そう、なるはずだった。

 

  だが無残にも、それは訪れない。

 

「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎!!!!」

 

  ーーー四度目の硬直。背景が追いつくと同時に届いた獅子の咆哮は自らの女の体に届き、肉体を拘束させる。

  早すぎる不運に、形にできない運命を感じる。それはあながち間違いではない。

 

  運命ではなく、因果があった。

 

  こと逸話において、アタランテがヒッポメネスに勝ったという事実は一切ない。実力も知名度も圧倒的にアタランテが上なのは事実。だが、ヒッポメネスは徒競走でアタランテに勝った。その歴史だけは今世にも残されていた。

  因果とは一度定められた限り、運命を巡り直すほか解けることはない。似たような生き方を生き、似たような終わり方で終わる。

  因果ほど、身勝手な味方はいない。

 

  因果は、運命(フェイト)はヒッポメネスに傾く。

  妻と交わった逸話は、宝具となった今でも再現されかけようとしていた。

 

  ステータスダウンによる肉体の硬直、距離を殺す疾走は獅子の眼の前で中断される。

  獅子は咆哮と共に走りだし、獰猛を剥き出しに前脚をアタランテへと叩きつけた。

 

「ぐっ!?」

 

  爪でアタランテの肉体を抉り、抜け出さないように固定する。

  両前脚の爪で肩を縫い付け、逃れられない。獅子の口から垂れる涎には肉欲など微塵もない。食欲すらない。この獣にあるのはーーー女を殺すこと。抵抗を取るための時間も、怒りを視線に変える余裕も与えない。

 

  アタランテの細い首筋にーーー牙が喰いつく。

 

 

 

 ■■■■■

 

 

  殺せばいい。殺セばイい。殺ス時こそ、呪イから報わレル。

  僕ガ誰で、何だったのかさえどうでもいイ。

  僕にハ願望がある。何よりもかけがえノない大切な物がある。

 

  デモーーーなんだったか、忘れタ。

 

  別に気にスルことなんてない。

  僕は獅子。ぼくは獣。僕は人なんかジャない。

  大切なコトがあっただろうが、忘れるホドだ。大したモノでもなかっタ気がする。

 

  ああーーー分かラないナ。

 

  この女になんでそそられるノダろう。食べたい。口に含んで咀嚼シテ飲み込ミたイ。

  お腹いっぱいになりたい。お腹が、喉ガ乾く。胸が痛クテ涙が出そう。

  コレを食べれば、無くなるのかな?

 

  食べたい。

 

  食べたい食べタイ食ベたイタベタイ食べタい食べタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイタベタイ

 

  抑えつけて、逃さないように爪をーーーこんなに爪って長かったけ?ーーー食い込ませて、逃げないように。

 

  頂き、ます。

 

 

 

 

 

  ーーーいいの? なきむしなおにいちゃん

 

 

 

 

 

  ふと、幻聴が届いた。

  幼い、とても幼い少女の声。

  既にこの世にも、世界からも消え去りあるべきところへ送られた哀れな幼子が囁いた。

 

 

 

  ーーーだいすきなんでしょう? おねえちゃんのこと

 

 

 

  黒の暗殺者、霧夜の殺人者、母の温もりを求めた無邪気な悪魔はいない。

  だから、これは幻聴だ。都合のいい夢、身勝手な贖罪。

  だがその夢も、贖罪を求めたのは

 

 

 

  ーーーだったら、だきしめてあげなきゃ

 

 

 

  いつも、間違えてばかりの自分だ。

 

 

 

  ーーー令呪を以って命ずる。バーサーカー、『最後まで自分の願いに忠実になれ』

 

 

 

  ()から与えられた束縛(約束)が、意識に颯爽と駆け巡った。

 

 

 

 ■■■■■

 

 

 

  獅子の鋭い牙は首筋に突き刺さらない。皮膚に触れるかの境目で漂うばかり。牙は鎖に縛られたかのように震え、立ち止まっていた。

 

「どけえ!!」

 

  組み伏せられていたアタランテは獅子の胴体を蹴り、拘束を打ち破った。空中へと上げられた獅子は軽やかに体勢を整え、大地に根を生やさんとばかりに四つの脚を力強く踏みつけた。

 

  狂乱と本能に塗れていた瞳には、決意と理性の色を輝かせていた。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォッッッ!!!!!」

 

  この雄叫びに呪いはない。頂きであらんとした百獣の王に相応しき咆哮。それが嘗て卑怯者で己を卑下していた男のものであったとしても、万人の心を奮わせるには相応しき格を持っていた。

  重みある前脚は前に立つ魔人へと向けられる。憎悪に染まる翳る女はそれを挑戦と理解する。

  それを受け入れ立ち向かうのは、英雄だからではない。分かりやすく叩き潰すのに最適だったからに他ならない。

 

  互いに頭を低くし、四肢に力を込める。濃厚な魔力は大気を奮わせ、地面に亀裂を奔らせる。最強と最強。互いの全てをここに収束させた。

 

  合図は、波だった。

 

  海辺の波が一度引き、寄せられてーーー水が跳ね上げられた時

 

  駆けだした。

 

  脚を直線に出したのは魔人ーーーアタランテだった。

 

  脚を“上”へと跳ねあげたのは獅子ーーーヒッポメネスだった。

 

  そして、ヒッポメネスの口にはーーー黄金に輝く、確執の果実が咥えられていた。

 

 

 

不遜賜す黄金林檎(◼︎◼︎・◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎)!!!」

 

 

 

  声帯はない。だが、真名が詠唱される。

  この宝具の能力は引き寄せるのみ。力は狂うことなく、万全に発揮される。

  対象であるアタランテは引き寄せられた。抵抗の意思は遮断、無視、拒絶され真っ直ぐと、ヒッポメネスの元へ。

  だが、なぜ宝具を発動させたのか? アタランテはヒッポメネスを殺す気で真っ直ぐに突き進んでいた。避ける素振りも、不意打ちの所作もない。

 

  ヒッポメネスが狙ったのは、進行方向の調整。

 

  真っ直ぐ進めば魔人の特攻で彼の肉体は挽肉になっていた。衝撃と共に血肉は蒸発し、原型を留めていなかった。

  しかし、それはまともに当たればの話だ。真っ直ぐと、体の芯を狙えばの話。ならば少しズラすことで衝撃が、威力が分散させるように攻撃の中心点を誘導すればどうなるか?

 

  魔人の特攻を獅子は受け止める。

 

  音速を超える一撃は獅子の内部を掻き乱す。臓器は痛めつけられ、一部は破裂する。筋肉は断裂し、骨は粉砕骨折。口から大量に吐血され、前脚と後ろ脚は痙攣し動かない。

 

  肉体は激しく損傷し、瀕死寸前だがーーー獲物を仕留める牙は折れていない。

 

  突進の進行方向にある木々や岩を破壊し、速度が衰えたところで獅子はーーーヒッポメネスは最後の闘争本能を叩き起こした。

  魔人の、憎悪の核。アタランテを乱す根源。即ち諍いの獣、頭部付きの皮へと死にかけの牙を突き立てた。

 

「ぐ、うあああああああああああああっ!!?」

 

  苦悶の叫びが響き渡る。身を捩り、苦痛に暴れ回る。その苦しみを受けているのはアタランテであり、魔獣でもあった。

  剥がされる。殺される。アタランテの理性に巣くった魔獣は歯を突き立てる獅子へ憎悪を沸き立たせる。

 

「やめろやめろやめろおぉぉぉぉ!!!」

 

  反抗は、獅子と同じく牙を剥き出しにすること。逆立った鬣は急所である首元を隠すためだが、魔獣の牙は重厚な体毛を貫いた。鬣の奥にある太い血管を、気管を貫いた。

  魔獣の皮に食らいつく獅子の牙の隙間から血が漏れる。首から、口から血が噴き出す。しかし、勢いが止まることはない。

 

  だって、最初から死にもの狂いなのだから

 

  皮の頭部にある、眼窩の奥にある歪んだ光と獅子の瞳が重なった。

 

 

 

  ーーー彼女を穢すな

 

 

 

  魔獣は獅子の瞳に後ずさる。言葉なき叫び、怒りが神の呪いに恐怖を覚えさす。

  そしてそれこそが、魔獣の終わりだった。

 

「がああああああああああああああああああ!!!」

 

  不快な音とともに魔獣は取り憑いた女から引き剥がされる。

  黒く、夥しい魔獣の形の果ては空中に離散する。そして残ったのは。

 

「……ヒッポ、メネス?」

 

  少しだけ疲れた顔をした、愛すべき女だった。

 

 

 

 

 

  まるで波風立たない水面のように、痛みも憎しみもなかった。

  呼吸がここまで楽だと感じたのは何時ぶりだったか。それほどまでに清涼に感じるのは何故か。機械油と金属の匂いがする都会から離れたからか、木々や緑しかない原初の自然の中だからか。

  その疑問の答えは実はどうでもいい。それよりも目に入ったのは。

 

「……ヒッポ、メネス?」

 

  あれほど憎んだ男が、死にかけていた。

 

  覚えているのは憎悪に突き進み、ひたすら殺意を振りまいていたこと。男が獅子に変貌し、殺しあっていたこと。また命を刈り取られそうになり、手放されたこと。

 

  そして気がつけば、ヒッポメネスが首元と口から大量の血を流していた。

 

  獅子の変貌は解け、いつも通りの平穏そうな姿に戻っていた。簡易な服に身を包み、人が良さそうな平和な男。

  そんな男が今にも死にかけで、這いずりながらこちらへ近づいてくる。

 

  そんな光景をただ見つめる。逃げる気もしない。逃げる気力も起きない。そんな力、残っていなかった。

  体を構成する魔力が酷く綻んでいる。少しでも力を入れれば崩れてしまいそうなほどに。当然だ。そうなってしまうものに手を伸ばした。解けた今、現界しているのが奇跡なほどだ。

 

  這いずってきたヒッポメネスが私の体に触れる。そして、抱きしめられた。

 

  強く、強く、強く。痛くなるほど抱きしめられる。

 

「…痛い」

 

  そんな呟きが通じたのか、少しだけ力を緩められた。体が密着して互いの体温と心臓の鼓動が聞こえるほど抱きしめられる。だから分かる。

 

  ヒッポメネスはあと少しで死んでしまうことを。

 

  満足したのか分からないが、やっとこちらが腕の中で動けるほどには力を緩められた。腕の中から見上げたヒッポメネスの顔は、酷く穏やかだった。

  平穏とか、そういうものではない。賢者や老人が見せる、悟った者が垣間見せる答えを見つけたそれだった。

 

  ヒッポメネスの口がゆっくり開いてーーー

 

「ーーーーー、ーーー」

 

  言葉にならない。喉元から空気が漏れる。ヒューヒューと笛を吹いたような音と共に血が喉から漏れる。

  それに気づき、手で喉を押さえて喋ろうとするが

 

「ーーーーーーー、ーーーー」

 

  話す度に血と空気しか出ない。

  ふと舌を動かせば、鉄の味がする。そうだ、私が此奴の喉を突き破ったのだった。

  手先と顔色が青白く変色していく。血が失われているからだ。

 

  でも、それでも。

 

「ーーーーーーー!!」

 

  何かを、叫びたがっている。

  私に向かって、叫んでいる。

 

「ーーーーー……」

 

  限界だ。叫ぶ力も失ってきている。私を抱くその腕も、震えるほどに弱々しい。

 

 

 

  そんな腕で、私はもう一度かき抱かれた。

 

 

 

  私の頬から伝わるヒッポメネスの頬の温度は冷たい。とても冷たいのに、暖かい何かが流れる。それを指で掬えばーーー涙だった。

 

  涙と知り、抱いた思いを問おうとした時。

 

 

 

  ヒッポメネスの体は崩れ落ちた。

 

 

 

  抱擁から解放され、上半身だけ体を起こす私はヒッポメネスを見下ろす。

  あの悟った顔は生気が失われ、瞳は途中で閉ざされている。僅かに開く瞳は光が喪われていき、終わりを物語っていく。

 

「待て」

 

  待ってくれ。

 

「教えてくれ」

 

  ヒッポメネス、分からないんだ。

 

「なんで」

 

  なんでーーー

 

「こんなにも、胸が痛いんだ」

 

  痛い。まだ痛むんだ。汝を殺せば消えると思った痛みは、違う形で私を苦しませるんだ。胸の奥で叫んでいる。感情が暴れて、泣き叫んでいる。これが何なのか、全く理解できないんだ。

  お前は知っているんだろう。汝は私の悲願をずっと知っていた。知っていながらも子供達を奪った。だから、この痛みの正体を汝は既に暴いているのだろう?

 

  お願い、教えてーーー

 

「汝は、何がしたかったんだ!」

 

  愛していると言った。だが、愛して…その先に何を望んだ。その先が分からないんだ。暗くも明るくもない、空白しか見えてこない。

  これが愛されることなのか? これが愛なのか? 分からない、分からない!!

 

  目から一筋の涙が落ちる。何も変わらない。体を揺すり続けても答えは返ってこない。

  やがて消滅が始まった。足先からサーヴァント(ヒッポメネス)を形成させていた魔力が崩壊していく。存在は薄まり、空気へと散りばみ何処でもない何処かへと還る。それがサーヴァントの運命。そこに例外なく、ヒッポメネスも還っていく。

 

「ーーー待ってくれ」

 

  懇願は神か聖杯か。アタランテの願いは誰にも聞き届けられない。

  胸の痛みも、愛への疑問も解決していない。答えてくれる相手もいなくなる。後はただ消えるだけでも、それだけは嫌だった。

 

  追い縋るようにヒッポメネスを抱きしめた。彼女を知る者なら、その姿を想像だにしなかっただろう。消えてほしくない。その一心だけが心を埋め尽くし

 

 

 

  脚に当たるように、転がってぶつかった。

 

 

 

 

 

  黄金の輝きを放つ、神秘の果実が。

 

 

 




名は、嵐の前の静けさ

この道程は光に満ち溢れたものではなかった

醜く、飽きれ、見向きもされない茶番劇

君をずっと見つめてた、一生でした


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いつか眠るその日まで

Q:長い旅となるぜ? 必要な物ぐらい揃えてやるよ

A:必要ありません。既にもう、揃ってます

Q:くははは、そうかい。なら二度と振り返るなよ

A:はい、それでは……いってきます


  そう、これはーーー悪足搔きだ。

 

 

 

「……ぅ?」

 

  肌にざらつく感覚と足元を震え上がらせる冷たさに目覚めた。震える両腕に力を込めて体を起こすと、そこは只の海岸だった。ただの海岸、目に止まる物も人気もない海岸。

  痛み頭を押さえながら何が起こったのかをヒッポメネスは思い出す。

 

「そうだ、僕は……」

 

  追いかけられて、自ら海へ飛び込んだ。

  疫病にかかった村民を救い、裏切られた。裏切りは全て黄金の果実に辿り着く。万病を癒す疑似神酒、黄金の果実を砕き、酒と混ぜたあの酒で村人全員を救った。

  恩を仇で返される。自らの安全と利益だけを求め、殺しもしたことがない村民が武器を取った。

  最初は乗り切れそうだったが自分が胸に矢を食らう事で状況は悪化。アタランテに引っ張られ、崖まで逃げたがーーー

 

「アタランテ!?」

 

  そうだアタランテだ。最後に見た絶望。矢の雨を背中から受け、事切れた最愛の女性。

  妻の姿を求め、海岸を見渡すとアタランテはすぐ見つかった。少し離れた場所で倒れていたのを、ヒッポメネスはすぐに立ち上がり駆け寄った。

 

  思わず顔が綻ぶ。良かった。彼女も無事だ。

  彼女を抱き上げて、顔を見てーーー

 

 

 

「え?」

 

 

 

  硬直する。顔も体も、周りの空気や波でさえも止まったようだと幻視した。

 

 

 

「ま、待って、だって僕は、無事で…」

 

 

 

  自分の体を触り、無事なことを確認する。矢を受けた足や胸に傷はない。若干痛むが問題ない。

 

  おかしい。胸を矢で貫かれ、無事に生き延びる人がいる筈がない。自分が例え海神の孫だとしてもーーー

  そうして気づく。自分が“海神の孫”だということを。

 

  己の魔力が高まるのは何処だ?

  最も得意な魔術は何だ?

  属性は? 原初は?

 

  全てーーー海に由来する。

 

  だから不思議ではないことに気づいた。

 

 

 

「あ、あぁっ…」

 

 

 

  海に包まれることで無意識に魔力が高まり、傷が修復されるのも。

  致命傷だった心臓も、一矢程度ならば治癒されても。

  何の問題もなかったことに気づく。

 

 

 

「あぁ…!」

 

 

 

  だが、アタランテに血筋の恩恵はない。

  彼女は神に祝福された英雄。月の女神による祝福を受けた、純潔の契りを交わした女傑。

 

  “ただ”の人間で、誰よりも輝いた人間。

 

 

 

 

 

  ただの人間は、矢の雨を受けて生きていられない。

 

 

 

 

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

 

 

 

  響く、響く。何処までも遥か遠く、天の上にあるとされる神々が住まう山(オリンポス)にまで届くほど叫んだ。

 

 

 

「お願いします! 天空神(ゼウス)よ、僕の命と引き換えに彼女を、僕の妻を生き返らせてください!!」

 

 

「彼女に罪は無い! 彼女は愛されたかっただけだ! 全て僕が悪いんです! 彼女を絶望に叩き落としたぼくが悪いんです!!」

 

 

「お願いしますお願いします! 冥界神(ハデス)よ、彼女の魂を連れていかないでください! 彼女は生きるべきだ! 彼女は幸せになるべきなんです!!」

 

 

「僕の魂なら幾らでも捧げます! 永劫の闇に閉ざされたっていい! 彼女が笑って、幸せになるなら如何なる責め苦も受け入れます! どうか、だからぁ!!」

 

 

「見ているのでしょう月女神(アルテミス)!! 貴女を信仰した者が死んだのです! 彼女は貴女を裏切っておりません!!」

 

 

「彼女は貴女に捧げた! 今も尚それは変わりありません! だからどうかご慈悲を、祝福を彼女に与えてください!!」

 

 

太陽神(アポロン)鍛治神(ヘファイストス)知恵女神(アテネ)、誰でもいいお願いします!! どうか彼女を、アタランテをぉ!!」

 

 

お祖父様ぁ(ポセイドン)!! なぜ僕なんだ! なぜ僕なんですか!!」

 

 

「誰でもいい、誰でもいいんです!! 僕じゃない、彼女に生きる権利を、彼女に祝福を与えてください…お願いします、お願いします…」

 

 

「お願いします……どうか、何でもしますから……」

 

 

「……………アタランテぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 

 

  懇願も慟哭も応える者はいない。亡骸を抱いて泣き続ける。ずっと、ずっと、三日三晩泣き叫んで、応えるものは誰もいない。

  喉から血を吐き、流した涙は乾いて皮膚がひび割れても、叫び続ける。

 

  それでも、死から免れなかった。

 

  認めなくても、ヒッポメネスだって分かっている。

 

 

 

  純潔の狩人は、死んだ。

 

 

 

 ■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

  アタランテが死んで一週間。

  ヒッポメネスは一週間の間、自分が何をしたのか覚えていない。

  とりあえず、墓を作ったことは間違いない。嫌で嫌で、仕方なかったけど。亡骸をあのままにしておくのだけは避けたかった。

  後は、食べれる物を集めて、死なない程度には食べたと思う。自分の周りには食べ物の残骸が散らばっているのだから間違いと思う。

  他は知らない。何もしてないと思う。墓の前で蹲り、ただ眺めていた。

 

  自分の今までの行為を後悔しながら。

 

  何が言葉無しで愛を伝えるだ。馬鹿らしい。本当に馬鹿らしい。

  あの徒競走で後悔して、彼女を幸せにしようと必死だった。言葉は信じられないだろうからと言い訳して、ずっと本音を隠して隣にいた。

 

  最悪だ。死んだほうがいいほど醜悪な男がいる。

 

  人間は言葉で歴史を紡いできた。言葉を形に残す為に文字を生み出し、学び、言い伝えてきた。

  魔術を習得する自分が言葉の重みを知っている癖に、獣に劣る手段をずっと選んできた。

 

  本当に彼女を愛しているなら、言葉にするべきだった。嘘だと否定され、嫌悪され、拒絶されてもみっともなく何度だって話すべきだった。

  自らの汚い部分を開き、知ってもらうべきだった。人が当たり前にしてきた事から逃げた。

 

  人を怠り、獣に逃げた自分には本当にお似合いの結末だ。

 

  愛する者を失い、生き続けている内は永遠と後悔に悩み続ける。

  天罰か? 女神への感謝を忘れた自分への仕打ちか?

 

  …いや、止めよう。神の所為ではない。

 

  巡り回った行いが今になって精算されているだけだ。それに気づくと、このまま喉を掻き毟りたくなる。

  結局、悪いのは自分だけなのだから。もし八つ当たりできる者がいたのならば彼は復讐に取り憑かれ、死ぬまで暴れ続けただろう。だが都合のいい相手はいない。このまま自殺を考えたところで。

 

  いた、復讐できる相手が。

 

  アタランテの温情を、疫病から救いたいという願いを踏み躙り、恩を仇で返した村人達が。

 

  心の奥で醜い濁った黒い感情が渦巻く。怒りが沸々と浮き彫りになり歯軋りになって現れはじめる。

  そうだ。いた、殺していい相手が、復讐に身を燃やせる連中がいた。

 

  ヒッポメネスを止める者はいない。引き止める者も、囁く者も。神さえも止めることはない。

 

  自分と同じに海辺に流れ着いていた小剣と槍を拾い、ゆっくりと歩き始めた。

  爛々と燃える復讐の色を魂に染め、凄惨な光景を頭に思い浮かべながら。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  嘗て歩いた道をよく覚えている。前に歩いた時はアタランテと一緒だった。だが彼女はもういない。その事がヒッポメネスの苛立ちを刺激する。もうすぐ着く村の連中はどうしているだろうか。幸せか、それとも不幸の最中か? どうでもいい、幸せなら絶望に叩き落とす。 不幸ならば地獄に送る。違いなどない。ただ、殺意だけが彼を支配する。男も女も関係ない。顔を合わせた瞬間、首を胴体から斬り飛ばす。

  見えてきた村の風景に自然と手に力が入る。槍か剣か。歩みが早くなり、ヒッポメネスが村に入った瞬間。

 

  誰もいなかった。

 

  畑も空き、家の中から一切生活音が聞こえてこない。村人が去った村だと判断すべきか。

  ヒッポメネスは脱力した。どういう理由でいないのか知らない。だが、探し出す。そう思い、踵を返し。

 

  村の入り口に少年が立っていた。

 

  その少年の顔を覚えている。最初に遭遇した病に冒された幼き男子。アタランテに助けを請い、村人の為に尽力を尽くそうとしたキッカケ。

  そして、アタランテを殺そうと矢を放ち、自分の心臓を貫いた者。

 

  叫び、剣を構えた。今まで滾らせていたものが弾け飛んだ。一歩で魔力を回し、二歩目で飛んだ。

  確実に殺す為、地面へと押し付け剣の切っ先を頭へと向ける。

 

「お前の親達は何処へ行ったあ!!!」

 

  ここで殺さなかったのはまだ理性が残っていたからか。問われた少年は恐怖に怯えながらもヒッポメネスの問いに答えた。

 

  ーーーほ、他の村で、略奪しにいきましたっ。

 

  そうかと納得し、剣を両手で握りしめ天へと持ち上げる。

  あの畜生共は他の村で略奪に向かった。アタランテの命を奪って尚、さらに欲しがっていることに復讐心がさらに燃え滾る。

 

  この少年を殺してから、向かおう。

 

  逡巡などない。ヒッポメネスは顔を青くして歯の奥をカチカチと鳴らす少年を見下した。言葉などかける手間も価値もない。

 

  何の気概なく、剣を振り下ろした。

 

 

 

  『子供達が健やかに育ち、親に愛される未来の為だ。後悔などない。どんな罰だろうが、受け入れようとも』

 

 

 

  振り下ろした剣は少年の顔の横へと深く突き刺さった。

 

「どうして…」

 

  少年は剣とヒッポメネスを交互に見る。なぜ殺さないのか、何で助かったのか怯えながらも疑問を抱いたのだろう。だが、ヒッポメネスはそんな少年の気持ちなど知ったことではない。

  突き刺す瞬間に思い出す、愛しき声が脳裏に蘇ったから。

 

「どうして邪魔をするんだ……!」

 

  殺したい。憎み、怒り、どうしようもないほど恨んでいる。呪っていると言ってもいい、そんな少年を殺そうとしたのに、戒めのように彼女の声が心を縛る。

 

「こんな仕打ちでも君は許せたのかい!? アタランテ!!」

 

  何処に叫ぼうとも返事が来るわけないのに、そう叫ばなければならなかった。そうしなければ、どうしたらいいのか分からないんだ。

 

  ーーーご、ごめんなさい

 

  自分が押さえつけている少年の震える声に、ヒッポメネスは恨みがましく見下ろした。

 

  ーーー助けてく、くれたのにあんなことしてごめんなさい。お姉さんやお兄さんにも、感謝しているのに…ごめんなさい、ごめんなさい!

 

  謝罪の言葉に眉を顰める。今更、そんな言葉に絆されるわけでもない。殺意は未だに続いている。その減らず口を八つ裂きにしたい。

 

  ーーーごめん…なさい。ごめんな、さい。

 

  でもーーーできない。何処までも憎いのに、恨んでいるのに。殺せなかった。剣を持つ手が血で滲むほど握りしめる。口の端から血が垂れ落ちるまで嚙みしめる。泣きたくなんかないのにーーー涙が落ちる。

 

 

 

『子が親に愛される。そんな当たり前の循環があればよかったのに』

 

 

  その言葉がずっと頭に浮かんで、もう、何もできなかった。

 

 

 

 

 

 

「…親達は、全員行ったのか」

 

  ーーー…はい。

 

  諦めた。この少年をどれだけ恨み、憎もうとも殺せなかった。してしまえば、心の何処かが決定的に壊れてしまうのを感じて、ヒッポメネスは諦めた。

 

  どうでもいい。どうでもよくなってしまったから、とりあえず少年に村の現状を尋ねた。

  アタランテと自分を襲った大人の村民達は他の村の物資を奪うため、武器を持って出て行ってしまったらしい。

 

  黄金の林檎を混ぜた酒を飲んだ者は全員力が湧き上がり、不死身になったと少年は語る。

  肌を傷つけようとも傷はたちまち治り、どれだけ走ろうと息切れすることがない。まるで神になったようだと村人は目を血走っていた。

 

  そんな事実、誇張だろうと流しながら少年に案内され、村で一番大きい家へと案内される。

  家の中には村の子供達が寄って集っており、ヒッポメネスの姿を見ると足元に抱きついてきた。

 

  子供達は覚えている。アタランテとヒッポメネスが病気を治してくれたことを、村を助けてくれたことを覚えていた。

  小さな口から紡がれる、ありがとうの言葉。それさえもヒッポメネスは流しながら少年に尋ねた。

 

「大人達が最後に帰ってきたのは?」

 

  ーーーお兄さん達が、海に消えてからすぐ、出立しました。

 

  大体一週間も帰っていない。大人達は子供達を放って全員で他の村を襲いにいっている。

  もしヒッポメネスがアタランテを失っていなければその事実に憤慨しただろう。今のヒッポメネスはそうは思わず、ならもう少し待てば帰ってくるだろうと考えた。

 

  子供は殺せない。なら、帰ってきた時大人達を殺そう。

 

  そう考えて、ヒッポメネスは子供しかいない村に滞在し始めた。

 

  そして、ヒッポメネスにとって些細で、重大な数十日が始まった。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  村に滞在して三日目。

  子供達がヒッポメネスの元へ集まってきた。何事か胡乱げに見つめると口を揃えて、お腹すいた、と言ってきた。一瞬惚けたが、少年を見てみると申し訳なさそうに頭を下げた。

 

  この少年は子供達の中で一番年齢が高い。大人達がいない現状、少年が子供達の面倒を見ていた。

  今まで家に残っていた食べ物で食い繋いできたがそれも尽きたらしい。他の子供達は親が出かけたとしか知らない。

  つまり、大人であるヒッポメネスに食べ物を求めに来たのだ。

 

  最初は突っぱねてやろうと考えた。村にいる間は森に出向き自分で食糧を確保してきた。分け与える必要などない。

 

  なのだがーーー

 

 

 

  村に滞在して七日目。

  年齢が高い子供達を集め、狩りを教えることにした。なぜ自分一人が子供達の食糧を集めなければならないのか。

  別に猪を刈る必要などない。罠で小動物だけを狙えばいいのだ。

  アタランテから教わり習得した狩りの技術を子供達に教えた。

 

 

 

  村に滞在して十五日目

  子供達に料理を教えた。だが誰も覚えないし、食べない。なぜだ。

 

 

 

  村に滞在して二十二日目

  村の穀物を狙って獣が村に現れ始めた。結局、自分が動くことになる。獣を狩ってついでに子供達に毛皮を与える。

  村の周りに魔術を編み込んだ柵を作り、囲っていく。丁度いい暇つぶしだが、子供達が魔術を教えてとせがんでくる。正直鬱陶しい。

 

 

 

  村に滞在して三十日目。

 

「……どういうことだ?」

 

  流石に遅い、遅すぎる。三十日も村を離れるのは異常事態だ。

  いや、最初からおかしかった。ヒッポメネスはアタランテを失った失意から思考を放棄していたが、村を襲いにいくのに女まで出る必要はない。

  男だけでいいのに、女まで出るのはおかしすぎる。

  ヒッポメネスは少年に問い質すが少年は分からないとまともな答えはない。

  いや、そもそもこの少年に聞くのは酷だ。彼はヒッポメネスが来るまでその身一つで子供達を守っていた。本来なら彼こそがこの事実を問いたいのだろう。

 

「…他の村はどちらの方角にあるんだい?」

 

  ようやく、ヒッポメネスは重い腰をあげた。

 

 

 

 ■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

  名もなき羅刹の世界。

 

  光など無い、深淵の重み。

 

  ーーーいわゆる、地獄というものだった。

 

 

 

「こ、れは……」

 

  ヒッポメネスが目にしたのは、まず屍の山だった。腹から裂けられ臓物を垂れ流す死体、首から上が無く服さえも取り除かれた女の屍、弄ばれ苦痛の表情で朽ち果てていた骸。

  村の中の家畜や木々、建物など全てに火が付けられて炭化した生黒い背景とそれを引き立たせる地面に転がる血肉の赤。

  そんな地獄の一端が、小さな村で起こっていた。いや、終わっていたというべきなのかもしれない。

  村を出て、近くの村まで半日という時間をかけてやってきた時には腐臭と汚臭の匂いが嗅覚を激しく刺激した。

  ヒッポメネス死屍累々となっていた隣村の中を歩き、家の中まで確認したが生きている者など一人もいなかった。

 

  なにがあった。

 

  広く見渡すと食物や穀物、酒といった物は足元にばら撒かれ、まるで()()()でも開いた後のようだった。

  その宴の周囲には村人であっただろう無惨な骸達が転がっている。

 

  状況証拠というやつなのだろう。語る言葉無くとも、遺した跡が何を行っていたのか分かる。

 

  老人、青年、若人、淑女、子供

 

  老若男女問わず、殺されている。

  酒を呑み、食物を食い散らかしながら、()()()()()()()()

 

「…ぅっ!」

 

  咄嗟に口を押さえた。その有り様が脳裏に鮮明に映しだされ、想像できるだけ酷たらしい諸行が目の奥で再現された。

  吐き気を催し、食道に今朝食べた物が込み上げる。吐くことこそなかったが、胸に後味の悪い感触が残り気持ち悪さに酔う。

 

「なんで、こんな…」

 

  こんな真似ができるのか。なんでこんな事を行ったのか。

  ヒッポメネスは知っている。長閑な村を黒く悍ましい地獄へと変えた悪魔の正体を、知っている。

  ()()は嘗て、ヒッポメネスとアタランテに救いを求め、神の怒りを買う覚悟で救った輩だった。彼らを救った当初ヒッポメネス達は喜んだ。救えて良かったと、助けられて良かったと、喜んだ。

  なのに、これはどうなんだ? あの日、あの時救った時から彼らはただの人ではなく恩知らずの愚か者へと変貌した。

  ヒッポメネスは忘れない。忘れるはずがない。あの連中は、僕達をーーー!!

 

  後ろで茂みが揺れた。

 

「!!」

 

  一応と武装していた小剣を構えると同時に振り返る。茂みから出てきたのは、一人の男だった。

  何処にでもいそうな、村民の出で立ち。それならばヒッポメネスとて彼に向けて剣を構えないが、彼は構えを解かない。

 

  男の服は血で染められていた。

 

  何の血なのか。獣の血か? いや、そんなものではない。なぜ、今ヒッポメネスはそれは断言できるのか?

 

  男の手には、短剣とーーー切断された()()()()ものがあった。

 

「ああ、ああ!!」

 

  男は嬉しそうに顔を綻ばせる。その顔には人の良さそうなものとか陽気そうなとかそういうものは一切なくーーーひたすらに欲と狂気に彩られた表情で塗りたくられていた。

 

「いた、いたいたいたいたいたいたぁ!!」

 

  手に持っていたーーー頭部を投げ捨てて、男は手に持った短剣を素人らしい構えともならない構えをして突撃してきた。

 

「黄金の、林檎ォ!! 俺の、不老不死ィ!!」

 

 

 

  その男の顔をーーー覚えている。

 

  その男は、誰よりもヒッポメネスとアタランテに感謝していた男だった。二人の手を取り、何度も頭を下げ、二人を救世主だと称え、救ってくれたことを感謝していた。

  息子を救ってくれてありがとう、村を救ってくれてありがとう、と褒め称えた。

  なのにーーーこの男は、裏切った。

 

  自分の息子に矢を撃てと叱咤していた。その男の顔を忘れる筈がない。

 

 

 

  ヒッポメネスがアタランテを失う原因となった、あの村で()()()の、二人に助けを求めた、あの()()()()()の顔を忘れる筈がなかった。

 

 

 

「貴様ああああああああああああああっっっ!!!!」

 

 

 

  怨嗟の叫びを上げて、小剣を叩きつけるように落とした。それは技ではない、ただ力任せに斬りつけた殺意だけの一撃。

 

  血飛沫が舞う。

 

  男の肩にめり込んだ剣は激しく血を吹き出し、地面と木々とヒッポメネスを赤く染め上げた。

  常人ならば苦悶の叫びと共に倒れ無様に転び回るほどの激痛が襲う。ヒッポメネスはそれを期待した。この者には苦痛だけでは足りない。もっと絶望に叩きつけないと気が晴れない。それほどまでに憎く、黒い炎が心中で渦巻いていた。

 

  なのに

 

「くひゃ、ひゃひゃひゃ!!」

 

「な…!?」

 

  嗤っていた。口元からよだれを垂れ流し、気持ち悪い笑みを浮かべていた。

  痛みなど感じてないのか、小剣が右肩から心臓近くまでにめり込んでいるというのにそんなものを目に入っていなかった。

 

「寄越せぇ!!」

 

「くっ!?」

 

  短剣を真っ直ぐ繰り出すのを、ギリギリで避けた。頬に鋭い熱が走るが、それを無視してヒッポメネスは短剣を持つ男の手首を掴む、捻り上げた。

  骨と筋繊維がミチミチと悲鳴をあげ、へし折れる寸前まで健を痛めつける。それでも。

 

「はな、せぇ!!」

 

「…らあ!!」

 

  痛覚を無視し、抗うのを目にして腕を捻る。

  軽く感じる音と決定的な衝撃が手の平から伝わった。男の腕は骨が折れ、まともに短剣を握れないほどに痛みがするはずだ。

 

「どうなっている…!?」

 

  笑みが途絶えることはなかった。

  小剣が胸にまで斬り込まれ、片腕もへし折られたのにも関わらず、男は狂った様子で笑い続ける。

  気味が悪く、肩から剣を抜いて蹴り飛ばした。数歩ほどの距離が開き、肩から血を撒き散らす男の容姿を再び観察し、ヒッポメネスの目は見開いた。

 

  じゅうじゅうと、傷口から沸騰するように泡が溢れていた。

  粘着質な音と沸き立つ赤い煙。

  その異様な光景の中心は狂気の男だった。肩の傷口からぼたぼたとドス黒い赤い泡が噴き出ては溢れ、やがて無くなったと思ったらーーー傷口は無くなっていた。

 

「な、んだ。それはーーー」

 

「黄金の、林檎」

 

  男の口から溢れた言葉は、ヒッポメネスの疑問に応えた。

 

「黄金の林檎の、ちから、素晴らしい! 私達は、今まで、こんなすごい力をかんじたことは、なかった。溢れる活力、尋常ならざる力、痛みを忘れさせ、胸の奥底から出てくる願いを、なんでも叶えられ、る!

  こんな、片田舎でずっと農作もつをしなくても、王族に頭を下げ、て、戦にでなくても、われわれは、オリンポスの神々のよ、うに、力で、全てを、支配できる!!」

 

  酔ったように、途切れ途切れで告げられる妄言。何処を見ているのか、目の焦点もあっていない。

 

「お前達の、お陰だ!われわれは、不老不死! 神々と同じとなっ、た!!だから、だからだから、我々を苦しめる神々へ反逆する!力で証明する! 力を力を力を、不老不死を俺に寄越せぇ!!」

 

  その様に叫き散らし、肩も腕も完全に元に戻った状態で、男は突進してした。手には短剣は握られておらず、完全なる素手だ。首を締めようているのか、殴り殺そうとしているのか。

  でも、そんなことを一切ヒッポメネスは気にしなかった。

 

  いや、気にかける必要もなかった。

 

「ーーーーー」

 

  叫びは止まった。

  それは一瞬の事だった。

  ただ単純に、ヒッポメネスは持っていた小剣を横へ薙いだ。

  薙いだのは男の首だった。体から切り離された首は、ポトリと地面へ転げ落ちた。脳を無くした胴体は何が起こったのか、暫く立ち尽くしたがーーー何も行動を起こせず、静かに倒れた。

  脳を無くせば動けないのは当然だ。怪物と呼ばれた幻想種でも、頭を無くせば動くことはありえない。例外はあるだろう、それこそ英雄殺し(ヒュドラ)や神といった権能だ。

 

  でも、これは人間だ。()()()()になり損ねた人間だ。

 

  あの異様な肉体修復の光景は黄金の林檎の力だろう。

  食べれば不老不死に、欠片は病を払い、傷を癒す。

  そんな()()()()を、ヒッポメネスはしていたのだ。

 

 

 

 ーーーこれを使いなさい。しかし、覚えておきなさい。これは栄華の灯火なれど災禍の種。求め、懇願するものこそを与えますが、誠実なき者には悲劇を送るでしょう。

 

 ーーーゆえに…間違えてはなりません。己を、想いを、過ちを。何よりも人を間違えてはなりません。

 

 ーーー貴方にこれを与えるのは、ええ、きっと。貴方がそういう人なのだと期待しているからよ。

 

 

 

  これは、慈悲深き女神より贈られた言葉。

  自身の弱さに憎み、嘆いたときに賜われた果実と共に与えられた忠告だった。

 

  今になってようやくその言葉の意味がよく理解できた。そういうことだ。そういうことだったのだ。

  これは神々の秘宝。神々の試練や恩恵といったものではない、分かりやすい程に形にされた刃である。

 

  刃は持ち主を選ばない。

  刃は斬る相手を選ばない。

  刃は、持ち主でさえも斬る。

 

  怪物を殺さない。奇跡を呼び起こさない。王にしない。

 

  欲望(本能)を覚醒させる。これが黄金の林檎の真価だ。

 

  強き欲は身を滅ぼさせる。我が身でさえも、果ては隣人さえも破滅させる。人の欲望とは鍛え抜かれた鋼鉄よりも鋭く、毒よりも浸透し、千の知恵を狂わせる。

  そんな欲望を武器としたものこそがーーー黄金の林檎だ。

 

  だから黄金の林檎は持ち主を選ばない、その身を喉に通すべき者を選ぶ。

 

  不老不死の裏側に隠された、人の本性を増長させ狂わせる神々の罰をーーーヒッポメネスはようやく理解した。

 

「あ、あはは…」

 

  足元が無くなってるような感覚がする。大地が波打ち、空が落ちてくるような酩酊感。立つのも精一杯な、歪みが彼の頭をひしめかせた。

 

「ああ、そうか、そうなのか…」

 

  頭の中で何度も繰り返され、想起させられ、結論を押しつけられ、何度も拒絶する。

  ちがう、違う違う違う違う。そんなわけがない、ありえない。

  おぼつかない足並みで何とか立ち上がっていたが、遂には尻餅をついてしまった。

 

「違う、違う。そんなわけが、あるはずない」

 

  おもむろに髪を引っ掻き回した。頭に浮かぶ結論を否定したくて、咄嗟にとれた行動だった。

  男の返り血によって髪が重く濡れ、手の平も、顔も体中血塗れだとヒッポメネスはやっと気づく。

  蒸せ返る血の匂いが酷く気持ち悪い。さっさとこの場から離れたい。

  ヒッポメネスは立ち上がって、村から去ろうとした。

 

  したのにーーー()()を目にしてしまった。

 

 

 

 

「ーーーぁあ」

 

 

 

  ソレは、男が出てきた茂みの奥にあった。

  茂みの奥は薄暗く、目を凝らさなければ何があるのか分からないが少なくとも目に痛いほどの()が見えた瞬間、其処に何があるのか分かってしまった。

 

「そん、な…」

 

  ヒッポメネスは重い足取りで茂みを両手で開いた。

 

 

 

  ソレは、()のない女の死体だった。来ていた衣が無惨に引き裂かれていたのを見て、何をされていたのかは一目瞭然だった。

 

  だが、死体はそれだけではなかった。

 

  死体となった女はーーー殺される前は、幸せだったのかもしれない。

  良き夫と出会い、愛し、幸せな生活を享受していたのだと、そんな想像が目に浮かぶことができる。

 

  何故そんなことが、会ったことも、話したこともない彼は分かってしまうのか?そんな想像ができるのか?

 

 

 

 

  女の死体の周りには、一人の男と三人の子供がいた。

  男は必死に戦ったのか全身が痣と血で染められていたが、最後には首を絞められたのか首元には手の跡が残っていた。

  そして、三人の子供達はーーーその男と死体となった女の顔立ちとよく似ている。

  そんな子供達も皆、無惨にも、朽ち果てていた。重なりながら、怯えながら、助けと救いを求めるようにして、物言わぬ骸となっていた。

 

 

 

  体が崩れ、地面に両膝をついた。

 

 

 

 

『お前達の、お陰だ!』

 

 

 

  そんな言葉が、耳に残る。

  今まで、必死に否定したかったことが避けられないほどに大きくなった。

 

「あ、う、あぁ…」

 

  全ての原点に振り返れば、それはもう抗えない。

  何が彼らを掻き立てた? 何故彼らはこの様な行動を起こさせた?

  国の片隅にひっそりと住んでいた筈だった村民がこんな残虐極まりない行為に何故及んだのか。

 

  元々そんなこと起こすつもりもなかった。

 

  胸に秘めた願い。安楽で安定で、苦労もない満ち足りた日々。そんな願いを誰が否定できるのか。万人が抱く、休息を誰も否定できる筈がない。

 

  タガが外れてしまっただけだった。

 

  願いが増幅し、不満が濁り、怒りが弾けた。

  その時にはすでに自制などできなかった。膨れ上がった願いは本来の形を失い、醜く変わり果ててしまった。

  安寧など、程遠いーーー欲望へと。

 

  願いを濁らせたのは何だ?

  安寧を変えたのは何だ?

  元々あった人々の欲望をーーー増幅させたのは

 

 

 

 

  黄金の林檎だ。

 

 

 

  その黄金の林檎により人々が暴走した結果、人は死に、親は死に、子は死に、争いは広がった。

 

 

 

 

  そして、アタランテはーーー死んだ。

 

 

 

  つまり、アタランテを殺した原因はーーー

 

 

 

 

「ぼく、だったのか?」

 

 

 

  それを間近に直視してしまえば、もうダメだった。

 

  違う。違うんだ僕のせいじゃない僕はただ、アタランテの悲しみをこんなことになるなんて微塵もアタランテが死んだのはあれは奴らが救った、救ってやってごめんなさい僕のせいだダメだ違う僕のせいじゃごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい何も考えなくて力がなくてただ彼女の後ろを追うだけで救うつもりなんてなかった彼女の悲しみをぬぐいたかっただけで彼等のことなんて、何も考えてなくて、殺したい、奴らを、僕を、僕をーーー殺したい

 

  虚ろに、何もない空間に呟く姿は痛々しいのだろう。目から涙がーーー血の涙が流れては、唇は消え去りそうな大きさで怨嗟を呟く。

  結局、また間違えた。

  あの時、愛した者を傷つけた時自身の愚かさを悟ったというのに、また間違えた。最初は一人だった、なのに次は失いたくなかった人と、その人が守りたかった人々を失った。

 

  なんという愚物。自らの価値が路傍の石ころより軽い物だと本当に悟った。その瞬間に、体は動いていた。

 

  手には、血に濡れた剣がある。その剣の切っ先が自分に向いていたのに、ヒッポメネスはまるで水面を眺めているようだった。刃が自分に迫るのに躊躇いがなく、恐怖もない。

 

  むしろ、ああ、ようやく死ぬのかこの愚か者めと思う。

 

  刃が喉元へと迫る。喉を貫き、死ぬまであと瞬きもいらない時間だろう。

 

  ーーーこれで、僕は…。

 

 

 

 

 

「ダメ!!!」

 

 

 

 

  自分の手に、複数の小さな手が飛びついたのをヒッポメネスは見た。

 

「なにを、するんだい…?」

 

  手だけではない。腰や胸に腕に、幾つもの小さな塊が飛びついてきた。

  その者達はーーー置いてきた村の子供たちだった。

  あの村の、アタランテが救おうとして裏切られ、そしてヒッポメネスが壊した村の子供たちだ。

  子供たちは自害しようとしたヒッポメネスを止めようと動かないように抱きついてきたのだった。

 

「何をしているんですか!?」

 

「うるさい、頼むから何もしないでくれ」

 

  その村の最も年長の少年が焦ったように怒鳴る。ヒッポメネスはその少年を一瞥するも、関係ないと再び喉に突きたてようとした刃を自分に引き寄せた。

 

「だ、めぇ!」「待ってよヒッポメネスさん!」「剣を取って!」「うぐぅ…!」

 

  少年、少女、まだ十にも満たない年齢の子ども達が弱い力で必死に止めようとした。ヒッポメネスはそれを鬱陶しく、払おうと腕を振った。

 

「きゃっ!」「こんのぉ!」

 

  振るった瞬間に払いのけられる子もいたが、新たな子供や負けじと飛びかかる子どもがいた。

 

「離せ」

 

「離しません!」

 

  ヒッポメネスの腕を、手に持った剣を奪おう少年が抗う。

 

「離してくれ」

 

「あなたが死のうとしなければ、離れます!!」

 

  十数人の子ども達が必死に、飛びつき体が動かない。やろうと思えばヒッポメネスとて彼等を薙ぎ払い、自害できるだろう。だが、彼はただ死にたいだけだった。

 

「死なせてくれ」

 

「死なせません!」

 

  楽になりたくて、苦悩から解き放たれかった。嫌悪感に苛まれ、思考することこそ煩わしくて眠りたかった。闇に飲まれれば何も考えずに済む。

  抗うという思考すら湧かないほど無気力に、死にたかったのだ。

 

「僕は君の父を殺した」

 

「……っ!」

 

  少年の手が止まる。

  その瞬間だった。手に込められていた力はなくなり、剣を喉元へと突き立てる隙ができたのは。

  そうして、ヒッポメネスは躊躇いも気負いもなく、刃を引き寄せーーー

 

 

 

「ごめんなさい!」

 

 

 

  後ろから聞こえてきた幼い声と衝撃に、視界が暗転した。

 

 

 

 ■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

「……ここは?」

 

  ヒッポメネスが見たのは、何処かで見たことのあるような屋内の天井だった。

  後頭部に感じる鈍痛が少々痛むが問題はない。ふと頭の後ろに手を伸ばそうとして、やたら両手が窮屈なことに気づく。

  両手には枷の代わりなのだろうか、縄が幾重に巻きついていた。やたら何度も縛ったのかそこそこの重さとなっており、指が広げられないくらいに窮屈だ。

  なんでこんなことに…、少しだけ思い出そうとして、ああ。

 

「僕の、せいだったんだ…」

 

  黄金の林檎という神々の秘宝、その本当の力は不老不死だけではなく、人の奥底にある願い欲望を増幅させる肉体ではなく精神へ作用する武具。

  それが村人達の心へ突き立ち、欲望を暴走させ、狂気へと走らせた。

  病から救おうとした結果が、逆に彼等を畜生に貶めた。そして、守りたく愛していた女性を死へと導いてしまった。

 

「は、はは…」

 

  もう笑いが込み上げる。なんて無様なんだろう。

  彼女の為、彼女の幸せと謳っておきながら彼女を殺す要因を作ってしまうとは。

  これで夫としての役目を果たすことも、償いも、己の思いを伝えることもできない。

  残されてしまった余分な命。自らの矮小さに手が震える。

  あれだけ憎く、殺そうとした村人も今では首を垂れて謝りたい、許しを請いたい。

  自分の所為で穏やかな暮らしを壊した。彼等に破滅と狂気を与えてしまった。

  そして、無関係だった人々の平穏を壊してしまった。

  全て、自分の所為で。

 

「あ…」

 

  顔を上げると、家の玄関に水瓶を持った最年長の少年が立っていた。目覚めたヒッポメネスの顔を見ると少しだけ顔を歪ませ、そして顔を伏せた。

 

「起きたの、ですね…」

 

「…ああ」

 

「すいません。起きて、自害しないようにと…」

 

「舌を噛めば、死ねるよ」

 

  少年ははっと顔を上げたが、ヒッポメネスは縛られた両手を上げて制した。

 

「…思えば、君達はなぜあの村にいたんだ」

 

  隣村に行く時、ヒッポメネスは絶対に来るなと子供達に告げて出て行った。ただ単純にあの時は村の大人達がいたら皆殺しにするつもりだったので、子供達が邪魔になると思いそう留めたのだ。

 

「…みんな、あなたのことが心配だったので」

 

「……僕を、ね」

 

「あなたはみんなにご飯や狩りの仕方を教えてくれたり、獣除けの柵を作ってくれたから懐いているんです」

 

  鼻で笑うのを抑えた。懐く? 縋っているの間違いではないだろうか。

  頼る大人がいなくなり、寂しく、不安になったから前に手を差し伸べた自分がいたから寄り添ってるだけだとヒッポメネスは思った。

 

「で、みんなであの村にということか」

 

「………は、い。っぅぷ」

 

  少年の顔は一気に青くなった。両手で口を塞ぎ、胃から込み上げてくるものを抑えた。

  土色に変わりかけた顔が元の顔色に戻るのを待ち、ヒッポメネスは聞いた。

 

「落ち着いた?」

 

「…はぃ」

 

「子供達もアレを見たのか」

 

「……いえ、僕が先に入って、目に入らないように迂回させました」

 

「そうか」

 

  短く息を吐いた。

  あの地獄の光景は、見るに耐えなかった。ヒッポメネスでさえ吐き気が込み上げたのだ。

  凄惨に辱められた骸の山は見なくてもいい類のものだ。子供も大人も関係なく、いたぶられて捨てられた光景など忘れられるならば忘れたいだろう。

 

「そうか。そうだったのか…で、僕をどうするつもりだ」

 

「…死なないでくれたら、とりあえず」

 

「殺さないのか」

 

  少年の肩を揺れたのを見逃さない。

 

「大体、なんで大人達があんなことをしたのか考えれば分かるだろう。僕があの酒で病を治してから、大人達がおかしくなった。ならば大人達があんな行動をしたのも…君の父上が死ぬことになったのも「違います」」

 

  肩が震え、拳を膝の上で握り、顔を俯かせる少年ははっきりとヒッポメネスの言葉を遮って告げる。

 

「違います。絶対に、違います」

 

「何が違うんだい。僕が何もしなければよかった。何もしなければ、あんな悲劇起こらなかった。だから全てーーー」

 

「違います!!」

 

  跳ね上がるように立ち上がり、少年はヒッポメネスを睨んだ。目尻には涙が浮かび上がり、涙が溢れ落ちないように唇を噛み締める。

 

「何もしてくれなければ、ぼく達は死んでました!! だから、悪いのは、ぼく達なんです!! お父さん達が、あんなことをしなければあんなことは、あんなことは!!」

 

「何もしなければ、アタランテは死ななかった」

 

  必死に叫ぶ少年とは裏腹に、ヒッポメネスは無気力に愛しき人の名を口にする。

  ヒッポメネスにとって、アタランテこそが全てだった。罪なき人々が死んだことに罪悪感はある。救った人々を狂気に貶めた罪を感じている。だがそれよりも、彼にとって大事だったのはーーーアタランテだった。

 

「最初からそうだ。僕に勇気があれば、彼女だってもう少し幸せになれたかもしれない。今回のことだって、僕に力があれば全て救えたのかもしれない。全て僕が、僕が上手くやれていればアタランテは、死ぬことはなかっーーー」

 

  ぺちん。

  不意に、頬に衝撃が走った。

 

「もう、やめてください…」

 

  見るに耐えない、そんな目で少年はヒッポメネスを見ていた。叩き終えた手の平はゆっくりと降りて、少年は頭を振る。

 

「悪いのは僕達で、あなたは悪くないんです。僕が矢を撃たなければ、お父さん達を止めていれば…何もなかったんです。だから、そんなこと言うのはやめてください」

 

  それだけ言って、少年は机の上に乱暴に水瓶を置いて玄関から去っていった。

  頬を叩かれたヒッポメネスはしばらく死んだように放心し、正気に戻ったのはそれから数分以上要した。

 

 

 

 ■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

  ーーーヒッポメネス

 

 

 

  ーーー起きろヒッポメネス

 

 

 

  ーーー朝だ。いい加減起きないか

 

 

 

  ーーー本日はどちらへ向かう

 

 

 

  ーーー何? また海に向かうというのか

 

 

 

  ーーー嫌いではないが、私は山が良い

 

 

 

  ーーー魚はいい加減飽きる。そろそろ鹿が恋しくなる

 

 

 

  ーーーふふっ、そう嫌な顔をするでない。汝は罠か、寝床でも作ってくれ

 

 

 

  ーーー役に立たないかだと? …まあ、汝は下手くそだし、獲物を逃すからな。狩りにおいては足手まといは否定できぬな

 

 

 

  ーーーそう落ち込むな。狩りは、と言ってるだろう。

 

 

 

  ーーー飯は見るに堪えないが、狩りから帰った時に用意してくれているというのは存外安心できる

 

 

 

  ーーー分担だよ。私が狩り、汝が夕餉を作る

 

 

 

  ーーーそれだけだ。お前がやれることをやってくれる。それだけで、安心できるものもあるということだ

 

 

 

  ーーーそれでは行ってくる

 

 

 

  ーーー頼むぞ、ヒッポメネス

 

 

 

 ■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

  ああ、懐かしい。とても懐かしくて、腹の中心が重い。

  夢の中だけならば、再びアタランテと会える。

  微睡みの中、ヒッポメネスの瞼の裏に彼女が現れた。少年と子供達により両手が塞がれて、ヒッポメネスは惰眠を貪るしかやることがなかった。

  自害を防ごうとする少年少女が交代でヒッポメネスを覗きに来ている。今では自害することが億劫となっている現状、無駄なことかもしれないが子供達は防ごうと多忙の中見張り役を頑張っていた。

  そんな子供達を胡乱に見つめ、ヒッポメネスは瞼を閉じる。そんな日々が数日も続いている。

  今日もまたヒッポメネスは瞼を閉じようとした。アタランテと会うために、夢の中に潜ろうとしてーーー

 

  本当に腹が重いことに気づいた。

 

「すー…、すー…」

 

  気づけば、女の子が腹を枕にして寝ていた。

  齢はまだ3歳から5歳ぐらいだろうか。年端もいかない少女がいつの間にかヒッポメネスの近くで、というよりも枕にして寝ていたのだ。

 

「……えぇ」

 

  なんと言えばよいのか、ヒッポメネスも詰まってしまう。というより、この子はなんでここにいるのだろうか。

  ヒッポメネスにはこの子の顔に覚えがある。

  確かこの村で最も幼い子だった。村で流行っていた病には遅くから罹り、運良く悪化する前に治療できた娘だったはず。

 

「…だれか、いないの?」

 

  小声で人を呼ぶ。しかし、少女を起こさないと気遣った声量では誰にも届かなかった。

  時間帯は空に太陽が昇った頃合いだから、他の子供達は畑仕事が集団で狩りにでかけているのかもしれない。つまり、彼らが帰ってくるまでヒッポメネスはこの子の面倒を見なくてはならない。

 

「はぁ」

 

  腹に頭を置いているから迂闊に動くことはできない。ヒッポメネスは上半身を動かすこともできず、ただ寝転んで天井を見上げる。

 

「……何も、できなかったよ」

 

  夢の中で彼女が告げた言葉を思い出し、呟く。

  やれることは何もなく、やったことは彼女を死に追いやった。

 

「は、はは…」

 

  ヒッポメネスは再び、瞼を閉じた。惰眠に安寧を求めて、心地よい過去へ浸ろうとした。

 

「ぅ、うぁ…」

 

  ……だと言うのに、間が悪いとはこういう事なのだろう。

 

「起きたのかい?」

 

「ぅ、ぅう〜」

 

  少女が目を覚ました。少女は目を擦りながら体を起こすと、ヒッポメネスも体を起こせた。寝ぼけ眼のせいかヒッポメネスに反応しない。

  とにかくやっといなくなってくれると思い、ヒッポメネスは安堵のため息を吐いた。

 

「はい!」

 

「え?」

 

  突然少女が差し出してきた。両手の上には赤くて丸い物体。何処に置いていたのだろうか、前触れもなく現れたそれにヒッポメネスは固まった。

 

「これあげる!」

 

  きっと少女は単なる厚意でヒッポメネスにソレを持ってきたのだろう。しかし、ヒッポメネスは寝ていた。少女は恐らく起きるのを持っていたら自分も眠くなってしまい、寝てしまったのだ。

  だからこそ少女は屈託のない眩しい笑顔で、ソレを差し出してきたのだ。

 

「リンゴ、か」

 

  黄金ではない、真っ赤なリンゴ。ただの果実で、アタランテが好きだった食べ物。

 

「えへへ」

 

「…ああ、ありがとう」

 

  ヒッポメネスはソレを素直に受け取った。内心では複雑な感情が渦巻いており、あまり目にしたくないというのが素直な気持ちだったのだが。

  縛られた両手で受け取り、どうしたものかと考えているとすぐ隣に少女が座り込み、期待の眼差しで見上げてきた。

  …食べて感想を聞かせてほしいということだろうか。

 

「…あむ」

 

  シャリ、と小気味よい音が屋内に響く。

  噛み締めるごとに果肉から果汁が溢れて、リンゴの甘さが口腔内に広がった。

 

  懐かしい。

 

  最後にリンゴを食べたのはいつだったのだろうか。

  すぐに咀嚼、嚥下し次の一口へと移った。

  食べていくごとに止まらなくなる。自分はこれほどリンゴが好きだったのだろうか?

  アタランテが好きでよく食べる姿を見ていたが、自分はあの婚姻の出来事からリンゴを食べることを避けていた。彼女はあまり気にしていなさそうに見えたが、自分がリンゴを手に持った時僅かに顔が曇ったのを見て、自粛したのを思い出した。

 

  ああ、懐かしい。

 

「ねえ」

 

  リンゴを半分食べ終えた時、横の少女が手を伸ばした。手の行き先はヒッポメネスの顔。

  少女の小さい手がヒッポメネスの頬に近づきーーー

 

「なんで泣いてるの?」

 

「…え?」

 

  咄嗟に頬に触れると、涙が流れていた。頬を沿い、顎をなぞって床へと滴り落ちる。

  気づかぬうちに、多くの涙を流していたようだ。

  情緒不安定かと自身に言い聞かせ涙を拭うが、すぐに涙が零れ落ちた。

 

「なんだよ、これ。哀しくないのに、なんで…。意味がわからないよ」

 

  拭っても拭っても涙が流れる。やがて苛立ち両手で擦ろうとした時、手にあったリンゴが床へ落ちた。

 

「…あ」

 

「はい」

 

  縄で縛られた両手で拾おうとしたが、先に少女が拾ってくれた。

  半月型になったリンゴは床に落ちたせいで少し土で汚れてしまった。そんなリンゴをただ眺め、落ちてくる涙をもう一度拭い、ヒッポメネスは理解する。

 

「やっと、追いついたのか」

 

  郷愁にも似た感情。始まりの象徴たるリンゴを目にし、哀しみがようやく届いたのだ。

  彼女を失った原因が自分だと理解し、絶望し、心が渇き、虚ろになっていた。惰眠を貪ることで空いた胸は時間を止めていたが、過去へ振り返ることがきっかけで再び涙が込み上げてきた。

 

「涸れたと思っていたのに、まだあったんだ」

 

  泣き崩れ、神に縋ったあの日から一ヶ月以上経つ。涙は涸れ、これ以上心が壊れることも渇くこともないと思っていたのに、それでも流れる雫もあったのだと。

 

「大丈夫?」

 

「…ああ、大丈夫だよ」

 

  涙が流れるだけ。それ以上は何もなかった。搔きむしるほどの激情も、嘆き叫ぶために震える喉も今はない。

  ただ淡々と、壊れているように自分が思えた。全て失い、熱情も冷淡もない。ただあるがままに虚無。

  つまり、何も躍動しないのだ。

  全てを捧げるはずだった彼女はおらず、伝えたかった言葉も彷徨って見失い、叫び続けても届かない。

 

「…そうか」

 

  今ならば、どんな酷いことでも躊躇いなく口にできそうだ。それが例え己の生き様を拒絶することも。彼女の理想を貶める言葉ですら躊躇いがない。

  だからなのか、今までの道程を思い出し、ドス黒い影ができる。

  細やかな日常や忘れてしまった悲劇、押さえ込んでいた苦しみや叫びたいほどの喜びの記憶も、黒く黒く、穢れていく。

  あのどす黒いものは何なのか、染まって見えなくなっていくものは何なのか。

  分からないではなく、考えたくないのだろう。

  記憶を翳らせていく正体は分かる。だが、己の記憶を穢す正体を()()()()()行動自体を、ヒッポメネスは言葉にしたくない。

 

  その行動の正体をーーー意味を口にしてしまえば、また死にたくなる。

 

  いや、もともと死にたいのだ。今死なないのは絶望したくないから。死のうとすれば胸の奥深くに塞ぎ込んだものが溢れ、アタランテを失った嘆きより濃い絶望が彼の魂を殺すだろう。だから、死なないのだ。

  リンゴを傍へ起き、目を閉じる。このまま再び眠りへつきたい。黒く染まっていく記憶だがそれでもいい。いまはただ、何もーーー

 

 

 

  ガシャン!!

 

 

 

  外から聞こえてきた破砕音に、眠りは妨げられた。

 

 

 

 ■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

  ぼく達は置いて行かれた。

  あの日、あの時、死を克服したという大人達は村へ略奪しに行くといって去っていった。

  ぼくは必死に止めたことを覚えている。

 

  だめだ、そんなことしちゃいけない、村で実りを耕そう。

 

  あの疫病が広がる前はみんなもっと穏やかだった。

  父さんと母さん。村の大人達と子供達。知り合い達と野山を駆けながら暮らしてきた幸せな日々は病により崩れた。

  次々と苦しみながら息を止める疫病。誰もが治療法を探すも分からなく、薬師を探しに行く前にみんな死にかけた。

  母さんが死にそうになるのをぼくは見ていられなかった。痛く、苦しいけど父さん達と比べてぼくはまだ大丈夫だったから森へ行って精がつくものを探した。

  でも、採れたのは僅か。どれも食べれそうになく、一口で終わってしまいそうなのや、そもそも食べられるのか分からないものばかり。

 

  だめだ、だめだ。分からない、どうしよう。

 

  あやふやになっている頭で必死に考えたけど、分からない。どうしたらいい、どうしたらみんなが助かるんだろう。

  ぼくは考えて、考えながら森を出た。

 

  そして、人を見つけた。

 

  綺麗な女の人と優しそうな男の人。

 

  どんな人か分からない。旅の人なのかもしれない。もしかしたら疫病が流行っているから去ろうとしているのかもしれない。

 

  でも、ぼくは言った。

 

 

 

「助けて」

 

 

 

 

 

  あの日から数十日も経っている。

  ぼく達は救われた。あの日あった人たちのおかげで病から救われた。

  みんなみんな助かった。本当に覚えている。母さんは死んでしまったけど、父さんは助かった。

  多くの人が救われて、笑っていた。あの二人は、ぼくにとって英雄だった。

 

  純潔の狩人に、女神に認められた男。

 

  あの黄金の林檎で作ったお酒でみんな救われた。感謝しているし、忘れもしない。

  子供達だってあの優しい二人のことを慕っている。

 

  でも、大人達は違った。

 

  大人達はあの人達が去っていった数日後変わってしまっていた。しきりに二人の姿を探し始めた。

  口を揃えて、黄金の林檎、不死身と呟く姿が見られてきた。

  父さんも例外じゃなかった。母さんの墓を掘り終わった後に農作業もせず、ただ弓と矢を持って二人が去った道を探りに行っていた。

 

  なんで? なんでそんなに怖い顔であの人達を探すの?

 

  子供達みんなそう聞くと大人達はこう答えた。

 

 

 

『不死身になれる。もっと不死身になって、お前達を楽させることができる』

 

 

 

  そう言ってくれた父さん達の目は、ぼく達を見ていなかったと今になって気づく。

 

  ぼく達を、あの人達を見つけた。たまたまだった。大人達が子供達も使おうと言い出し、使い慣れていない弓矢や剣を持たせて村から出ようとした時、あの人達は現れた。

  誰かの矢があの人の足を貫いた。

  そこからみんな襲いかかった。子供達は怯えて後ろに立ち、ぼくもなんでこうなったのか分からず眺めていた。

  あの人達は強く、傷ついていても大人達を圧倒していた。このままだと村の人達は負けてしまう。

 

  ーーーそうなった方がいい

 

  心の何処かでそう思った。

  なんで命の恩人を殺そうと、強奪しようとしているのだろうか。

  あれだけ感謝していたのに、あんな目で見れるのだろう。

  そんな疑問を浮かべていたら、父さんに無理矢理手を引かれ、叱咤された。

 

  撃て! 撃つんだ■■■■■!

 

  叩かれた。たくさん叩かれた。ぼくは父さんの言う通り弓を構えた。

  矢を力の限り引き、指を離した。どうせ当たらない。習ったばっかの矢で当たるはずがない。

 

  だけど、ぼくが放った矢はーーーあの人の胸を貫いた。

 

 

 

 

 

「お、おじさん」

 

  ぼくの前には牧師のおじさんがいた。

  下の年齢の子供達はぼくの後ろにいた。みんなそれぞれ震えながら、おじさんを見ている。

  あの優しかったおじさん。羊の肉を食べさせてくれたり、遊んでくれた牧師のおじさん。

  でも優しかった面影はなく、目が血走ったおじさんが今、剣を持って村へ帰ってきた。

 

「林檎は、どこだ? あの男はどこに、いる?」

 

  ゆっくりとした口調だったおじさんはいない。

  すぐにそれを理解できた。

  今ならば分かる。なんでおじさんが、父さんが、村の大人達がみんな、おかしくなったのか。

 

  みんなあのリンゴを求めている。不老不死を求め、好き勝手暴れて、人を殺している。

 

「いない! ここにはいないよ!」

 

「嘘つ、け!! 聞いた! あの男がこちらへやってきたと、すれ違ったと、旅の者に、聞いた!」

 

  ーーーその服の返り血は、その旅人のものなのか?

  言葉にしなかったのは、聞いても無駄だったからだ。ぼく達を見ていない、おじさんが気にしているのはあの人の事を知っているぼく達だ。

 

「お、おじさん。お父さんは、何処? お母さんは何処にいるの?」

 

  背中に隠れていたぼくより年が一個低い女の子が問いた。おじさんはぐらりと頭が落ちそうなぐらいに首を傾げた。

 

「お、父さん? お前のお父さんと、お母さん? 何処にいるか、いや、誰だったけな? みんなみんな、村で楽しく遊んでいる、よ。この前は、そうだ、仲良く村娘と遊んでいたなぁ。肌が綺麗でほしいとか、髪が綺麗だからほしいと言って、剣でーーー」

 

「もういい!!!」

 

  叫んだ!できるだけでも大きな声で遮った。

  みんな震えている。隣村の悲惨な光景を見せないようにしたけど、完全には無理だったのかもしれない。

  子供達は何処かで父さん達がしでかした事を理解しているのだろう。

  それでも、それでも大人達の口から聞きたくなかった!

 

「もういいよおじさん! 黄金の林檎なんていらない! あんなもの必要ない! だから帰ってきてよ! みんな待っているんだ! みんなおじさん達の事を待っているんだ! 黄金とか、楽させたいとかどうでもいい! あんな酷いことしないで、帰ってきてよ!!」

 

  帰ってきてほしかったのは本心だった。

  父さんは酷いことを、それ以上のことをしたのは分かっている。

  首を切り落とされていたのは、あの人がやったのだろう。父さんは帰ってこない。母さんも死に、僕は一人になった。

  でも、後ろにいる子供達は違う。みんな親がいるのだ。あの疫病でぼくと同じく親がいなくなった子もいるけど、まだ村のみんながいる。

  だから帰ってきてくれたら、帰ってきてくれたならまたみんなで…!

 

「いや、必要ない」

 

「え?」

 

「来、い。みんなの元へ、案内し、よう」

 

  おじさんがぼく達へと手を伸ばす。

  村の大人達の元へと連れて行ってくれるのだろう。

  でも。

 

「……? …なん、で。後ろへ下がる」

 

  みんな、一歩後ろへ下がった。

  十数人もいたのにみんな一斉に後ろへ下がった。

 

「い、いやだ」

 

  誰かが呟いた。後ろへ振り返れない状況だが、誰を特定するかなどどうでもいい。なぜならば、それを皮切りにみんなが叫んだ。

 

「いやだ! 行きたくないよ!」

 

「お父さんが、かえってきてよぅ!」

 

「あ、あっち行って…!」

 

「来るな! 村から出てけ!」

 

「帰って、帰ってよ!!」

 

  怖い。その気持ちがいっぱいだった。

  父さんが村から出て行った日、大人達が消え去る時に見た大人達の顔は、怖かった。

  ただただ怖くて声をかけれず、震えて家の中で待っていた。隣の村へ穀物を奪いに行くというのを黙って見ていた。何もできず、毛布に包まっていた。

  あの時と同じように、おじさんの顔が怖い。ついて行ったら、どうなるのか。

 

「なぜだ? お父さん達は、待っているぞ? みんな、みんな強くなった、誰に、も負けな、いし、天罰だって喰らわない。私達は最強、だ。もう、病も恐れな、い。神も怖くな、い。私達は、もう」

 

「違う!!」

 

  それは、絶対違う。

  あれは最強なんじゃない。あんな酷いことを平然とやってのける人が最強の訳がない。

 

「父さんやおじさん達は、助けられただけだ!! あの人達に…ヒッポメネスさんやアタランテさんに助けられただけなんだ!! それが、ただ、身体が強くなっただけで最強なんてあるはずがない!」

 

  そうだ。本当に強いのは、あの二人だ。

  ぼくは覚えている。

  アタランテさんが必死に獣を狩って、ぼく達に食べ物を運んできてくれたことを。

  ヒッポメネスさんが病を治そうと、魔術を一晩中使ってくれたことを。

  そして、病を治ったぼく達を優しい眼差しで見つめてくれていた二人の顔を、ぼくは知っている。

 

「だから、行かない! 絶対に行くもんか! おじさん達はぼく達の知っているおじさん達じゃない! みんな、もう、化け物だ!!」

 

  ーーー父さん。

  死んでいた時、ヒッポメネスさんに殺されたと知った時。ぼくはヒッポメネスさんを恨みました。

  とても憎くて、子供の一人に頭を殴られたあの人を、殺したいと少し思いました。

 

  だけど、だけど、それはきっとヒッポメネスさんだって同じなんだ。

 

  ぼく達がこうなったのは全てぼく達のせいだ。

  本来死ぬはずだったぼく達に生きる希望を与えてくれて、その恩を仇として返しても、ぼく達に狩りや生きる術を教えてくれた、ヒッポメネスさん。

  大好きなアタランテさんを殺されたというのに、ぼく達を恨んでいるはずなのに、殺したいと思っているはずなのに、それでも子供達に術を教えてくれる、あの人の目は

 

  アタランテさんのように、優しかったことをぼくは覚えている。

 

  だから行けない。もう、あの人達の元へとは帰れない。

 

「村は、ぼくが守る。だから、帰れ! ぼく達はぼく達で、生きていく!!」

 

  たとえ苦しくても、嫌なことがあってもぼく達は父さん達のようにはなりたくない。

  あの人達の想いを裏切ることも、人の命を踏みにじるようなことも絶対にしたくない。

  だからぼくは、みんなと生きていく。

 

「…そう、か」

 

  おじさんは残念そうに首を振った。

  とても残念そうに、ため息をつきながらーーー剣を構えた。

 

「そう、か。なら、いら、ないな。悪い、子は、いらない。黄金の林檎をよこ、せ。黄金の林檎があればいい、黄金の林檎を、よこせえええええええええええええええええええええええええええ!!!」

 

  足が立ち止まる。

  剣を振り回しながら突撃する姿が怖くて、怯んでしまった。あんな大口叩いたのに、情けない。

  後ろにいる子供達も同じだった。みんなぼくについてきてくれるのか、反対の言葉はなかった。

  どうしようどうしようどうしよう! このままじゃみんな殺されてしまう。

  なんとか抗ってみようと、ぼくは前へ飛び込もうとした。

 

 

 

  その時、近くの家の扉からーーー碧い髪色の男が飛び出した。

 

 

 

 ■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

淵源=波及(セット)

 

  気付いたら、詠唱を終えて手に巻きつけられていた縄を力づくで引きちぎった。

  空いた両手の具合を確かめて、足元で外の様子を恐々と眺めていた少女へと目線を向ける。

 

「…そこにいて」

 

  少女は一拍置いて、頷いた。

  それを確かめた瞬間、僕は、外へと飛び出した。

  目に映るのは、血塗れで剣を振り回しながら走る男と、子供達を守ろうと両手を広げ庇う体勢をとる少年がいた。

 

淵源=波及(セット)

 

  一気に飛び込み、距離を殺す。

  魔力の推進で一足で少年達の前へと降り立つ。

 

「ヒッポメネス、さん」

 

  振り返らない。

  ヒッポメネスは何も答えず、前へ進んだ。

 

「いた! いたいたいたいたいた!! 黄金の林檎! 私達が、不老不死となる、ために必要な、黄金の林檎があるべがば」

 

  破砕音が、鳴り響く。

  拳を振り上げ顎を破砕する。話す為に必要な口が半壊し、男は呂律が回らない。

  次に破壊するのは剣を持つ腕。ヒッポメネスは男の膝に足を蹴り落とし、無理矢理姿勢を崩させた。倒れた瞬間に腕を取り、絡め、捻り、腕を破壊する。

  骨が砕ける音が鳴り響く。並の人間なら絶叫し、戦士ならば苦悶の声を漏らす激痛に男は悲鳴の一つ漏らさず、今でも血走った目で黄金の林檎を求め、ヒッポメネスへと迫っている。

  そんな男にヒッポメネスは、何の感情も抱かず、男が持っていた剣を手から奪った。

 

「あべばぶば、ひゃはあらうあ、ばべばばぶ」

 

  一、二、三。剣閃が男の身体に走り、折られていない腕、両脚の健から血が飛び出した。

 

「あべは、へは?」

 

  痛みを感じてない。予め分かっていることだ。

  だからこそヒッポメネスは健を切り、動けなくした。

 

  殺すのは簡単だ。首を切り落とす、もしくは心臓を潰す。確証はないが、人体に置いて必要な臓器を破壊すれば、殺せる。如何に黄金の林檎の恩恵があっても人である限り、死なないわけがない。

 

「へははふは! あばへば───」

 

  グキリ。

  静寂が響いた。

  男の首はぐるりと一周し、情けない感じに下へと垂れた。あれほど叫き散らかしていたのにも関わらず、男の口から二度と騒音が放たれることはない。

 

「あ、の…」

 

  少年と子供達はヒッポメネスの背中に不安な視線を送る。子供達の耳にも音が響いたが、子供達の目にはヒッポメネスの背中しか映らず何があったのか分からないのだろう。少年以外は。

 

「…いのか」

 

「え?」

 

「君は、僕を殺したくないのか。君の父親を、村の大人達をここまで変えてしまった、僕を…殺したくないのか」

 

  ヒッポメネスの問いに、少年は俯き息を呑む。

  何かに耐えるように俯き、やがて顔を上げた。

 

「何も…思わないわけじゃないです。父さんはあんなことをしたから、ああなるのは、多分、そうなるべきだったと今は思います。だから、ぼくはあなたを殺すことなんてできないし、絶対だめなんだと思います。それに、父さん達がああなったのは、ヒッポメネスさんのせいじゃありません。ヒッポメネスさんはぼく達を助けてくれました。だから…ありがとうございます、そして、ごめんなさい」

 

  深く、頭を下げた。少年は腰を最大限曲げて、謝罪した。後ろにいた子供達もそれに倣い、ヒッポメネスに対して頭を下げて「ありがとう」と呟いた。

 

「───やめてくれ」

 

「え?」

 

「…なんでもない。この人の墓を掘る、だから、手伝ってくれ」

 

  遺体となった男の亡骸を抱え、ヒッポメネスは歩み始めた。少年は慌ててヒッポメネスの横へ走り、ヒッポメネスの顔を見上げたのだが。

 

「あの」

 

「・・・・・」

 

  ヒッポメネスは応えない、振り返らない。

  少年が見たヒッポメネスの横顔は───とても死んでしまいそうなぐらい、焦燥していた。

 

 

 

 ■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

  ───翁様、翁様!

 

  ───どうなされましたかな、ヒッポメネス

 

  ───またお祖父様が海のことを教えてくれました!なんと、人の体は砂浜の砂より小さな粒がいっぱい集まってできているんです!

 

  ───ほほ、それはそれは。珍妙なことですな

 

  ───嘘じゃありません! 血も肉も骨も、目に見えないぐらい小さな粒々でできているんです! ってお祖父様が教えてくれましたよ!

 

  ───ええ、ええ、落ち着きなさいませ。大海神様が嘘を申すはずがない。分かっておいでます。ですが、それを鵜呑みにするのも早計というもの。大海神様はそう言っておられませんでしたかな?

 

  ───…言ってました。

 

  ───よろしい。では、本当かどうか見てみましょうか。

 

  ───え?

 

  ───大海神様が言っておられたことが正しいか。教わった術で見てみましょう。なに、あのお方の孫息子たるあなたなら造作もないことでしょう。

 

  ───はい!!

 

 

 

 

 

  ああ…なんと懐かしき郷愁の夢なのだろうか。

  まだ幼き頃、神殿の守り手である老人と過ごした日々。世界の広さ、美しさ、醜さ、強かさを知らず、祖父への尊敬と海の恵みと亡き両親の教えのみで構成させられていた小さな揺り籠の中で生きていた日常を思い出した。

  既にいなくなった妻以外の夢など、いつ振りだろうか。目尻に涙が溜まることのない、懐かしさに心が潤う眠りの合間など本当に久方ぶりだ。

  あの頃は波の満ち引きと潮風の音が子守唄だった。空から降り注ぐ暖かな日光が毛布で、寝床が若草。なんと安らげた幼少期だったのだろうと、今ならそう思える。

  耳に響く波の音など、今にも故郷の神殿近くではないか。鼻につく潮の香りもあの頃と同じで………

 

「……夢、なのか?」

 

  目を開き、体を起こす。

 

 

 

  ───目の前には、故郷の海があった。

 

 

 

  ヒッポメネスは記憶を遡らせる。

  あの林檎の魔性に取り憑かれた男を殺し、墓を掘って埋めた後、自分はすぐに眠りについた。

  少年やヒッポメネスの近くにいた少女はヒッポメネスに何か言いたそうだったが、それを全て無視して夢の世界へと落ちた。はずだったのに、目の前の広がる碧の光景に驚愕し、そして落ち着いた。

 

「…これもまた、夢か」

 

  明晰夢というやつなのだろうと、ヒッポメネスは結論が出付けた。

  それ以外ありえない。少年達が気づかずここに運び込むことなど不可能だし、そもそもヒッポメネスの故郷など知らない。ゆえに夢。夢に理由も根拠も必要ない、全て都合が良くできているもの。それがはっきり近くできているだけで、他に変わりない。

  此度もまた、都合がいい夢を見ているだけだ。

 

「……ああ、夢なんだな。これも、全ても」

 

「かもしれませんの」

 

  咄嗟に立ち上がり、距離を取り構える。

  気づかなかった。気配もなにも感じず、気づいたら後ろにいた。武具も一つもないが、ヒッポメネスは拳を握り後ろに立っていたものの姿を捉え。

 

「…………え?」

 

  握った拳が緩んだ。前にいたの顔が皺くちゃで何十年という永き時を生きたことが分かる、老人の姿があった。ただの老人ならヒッポメネスは拳を緩めることも、瞠目し体が硬直することもなかっただろう。しかし。

 

「ほほ、懐かしく顔を見てみればこれは酷い。まだ亡者もマシな顔をしておりますぞヒッポメネス?」

 

「翁…様?」

 

  後ろにいたのは、数年も前に亡くなった筈の育て親の翁だった。

 

 

 

 

 

「ほほ、少しは背丈も大きくなりましたかな? 儂が亡くなって随分と経ってますからのう」

 

「背丈は変わらないよ。翁様が亡くなってから…うん、数年ぐらいだよ」

 

「ああ、特に経っておりませんでしたな。これは失敬失敬」

 

  これは何なのだろうか。

  ヒッポメネスは横に座り、何一つ気にする様子もなく語りかけてくる翁を見てそう思わずにはいられなかった。

  頭部の髪は全て抜け落ち、顎や口周りに生えた長く白い髭。老いて痩せた腕や足だが仕草がやけに軽快に思えるその老人は、祖父である大海神が幼少の頃育ての親として任せた翁本人である。

  子供の頃は亡くなった両親の代わりに世話をし、多くの知識を祖父と共に教えてくれた師匠のような存在だ。

  数年前に衰弱死し、この世を去ったからヒッポメネスは故郷を出てアタランテと会った。

  つまり翁が亡くなったからこそヒッポメネスはアタランテと出会うようになったのだ。

  大幅な解釈だが、そのきっかけの張本人が目の前にはいて語りかけてくる。何の冗談だと思うのだが。

 

「何を惚けておられるのかな? ボケるのはまだ早いですぞ?」

 

「いや、うん。死人と話すとなると、それはこうなると思うんだけど」

 

「ほほ、夢で常識など。貴方自身、夢だと申されたではありませんか。ならばこういう都合がいい夢なのでしょうな」

 

  そうなのか?

  夢だと決めつけるには生々しすぎるような気もする。

  …だが、まあ。

 

「そういうもの、なのかなぁ…」

 

「そうそう、そんなこともある。人生そんなもんですぞ」

 

「そうかぁ…」

 

  流されているような感じもあったが、それでいいと思えた。

  あまりに唐突だが、心の何処かで臨んでいたかのような懐かしさにどうでもよくなった。

  夢ならば、夢でいい。この再会が今はとても幸福に思えた。

 

「うん、そうだよね。そういうもんだよね」

 

「ほほほほほ、相変わらずですなぁ」

 

「うるさいなぁ」

 

  そうやって笑う。こんなやりとりはいつ振りだったのだろうか。

 

「そういえば、覚えておいでですかな? 貴方がまだ歳が十にも満たない頃。大海神の三叉槍を真似た下手くそな木の槍を持って、海へ潜ったのはいいのですが波に三叉槍が流されて儂に『お祖父様が怒った!』と泣きついたことを」

 

「いやぁ、やっぱりお祖父様の象徴で遊んだのはまずかったかなぁって思ってさ。というか本当にいつの話だよそれ」

 

「まあまあ、後は…ほれ。隣の村に遊びにいった時のことでしたかな? 儂が目を離すといつの間にか村の男児達との大喧嘩をしていて止めに行ったこと。あの時の喧嘩の原因を聞くと、まあ、流石大海神様の孫息子。まさか村一番可愛いという娘に…」

 

「あー、やめてやめて。あの時は結局何もなくてあちらの誤解だったじゃないか」

 

「…まあ、そうですなー、そういうことにしておきますかなー」

 

「え? なにやめてよ、僕何もしてないよ!? なんでそんな目で見るの!?」

 

「ほほほほほ」

 

「は、はははっ」

 

  そんな会話にヒッポメネスは安らいだ。

  懐かしき人と会話する。それだけで鬱屈した顔も晴れてきた。

  なんで翁が現れたのかなどどうでもよくなった。今が楽しい。だから今はとても気が楽になっていて。

 

「───やはり、顔が優れませんな」

 

「え?」

 

  そんな気に、なっていた()()()だった。

 

「ほれ」

 

  翁がどこからともなく差し出したのは、水が入った桶だった。変哲な、使うためだけに作り出されただけの桶。その中に入っている水を覗き込むと、自分の顔が映った。

 

  自分の顔を見て───亡者かと思った。

 

  まともに食事を摂っていなかったからか頬は瘦せこけ、色がやたら青白い。目元の隈は真っ黒で、やたら目が獣のように獰猛だ。髪も整っていなく不清潔で、頬に手を伸ばした指先の爪もひび割れている。

  さっきまで昔話で楽しんでいたから少しは顔色もまともだと思っていたのだが、そんなことはない。

 

「口調こそ笑っていたものの、顔は何一つ、笑っておりませんでしたなぁ」

 

  面と向かって話していた翁は、そう告げる。

  嘘などないだろう。ここで嘘を言う意味もないし、ヒッポメネス自身もそう()()()()()()()のを後から自覚した。

 

「…うん、そうだったのかな」

 

「やれやれ、夢に化けてでたというのにこの始末ですかなヒッポメネス」

 

「……ごめん」

 

「ふむ、忘れられませんか。かの狩人殿のことを」

 

  返事は無言だった。唇を強く噛みしめ、力なく俯向く姿は言葉など必要ない以上に雄弁だった。

  愚問なのだろう。翁が、いや、万民がそれを問うのは無意味なほどに、その問いの答えは決まっていた。

  翁は禿頭を撫でながら、横に座るヒッポメネスへと問いを投げた。

 

「儂は会ったことがない貴方の妻のことをよう知りません。教えて貰っても、よいですかな?」

 

「今は、勘弁してよ」

 

「今ですか? なら、次ならば語ってくるのですかな」

 

  無言、だった。

 

「ほう、次もダメ。ならば次の次は?」

 

  無言。

 

「ダメですか。ふむ、ならば次の次の次。いや、長期的に見て十日後の夢で構いませんかな?」

 

  無言。

 

「これは頑固。ならば貴方が語りたい時で、でどうですかな?」

 

  これに対しての答えも無言、だった。

  その態度に、姿勢に、空白に、翁は変わらなかった。ただ、ヒッポメネスの横へ座りながらもまっすぐ海を見ていた。

  気が付けば、海は黒く澄んでいた。空は夜空、浮かぶはずだった月は淀んだ雲で隠され、灯り無き深淵が砂浜の先に佇んでいた。

  それにヒッポメネスは気づいていないのか、それとも気づこうとしないのか。頭を下げて、耐えるように震えていた。

  そんなヒッポメネスに、翁ははっきり告げた。

 

「違う女を愛してみては?」

 

  一瞬だけヒッポメネスの肩が揺れた。

 

「既にいなくなった女にいつまでも固執したところで何も変わらまい。それならば新たな妻を娶り、子を成した方が幾分有意義ではありませんかな?」

 

「やめてくれ」

 

「彼女は最後まで貴方を理解せず、また貴方も理解しきれなかった。調和がずれた…いや、互いに見て見ぬ振りをし続けましたな。貴方はそれに甘んじ、彼女はそれを良しとした。何か残したならば彼女に縋り付くことも理解できるでしょうが、彼女は何も残していない。今更何を期待しているのですか。彼女は所詮貴方にとって()()()()だったに過ぎなかった。さっさと違う女を愛し、形を残すべき。いつまでも()()な時間を貪ってはなりませんぞ」

 

「黙れ!!」

 

  苛立ちが止まらない。そんな感情を隠さず、ヒッポメネスは立ち上がり翁を激情に任したまま見下ろした。

 

「あなたに何がわかる!! 知ったような口でベラベラと彼女を語り、僕を語るなよ!! あなたなんかにアタランテの何が───」

 

「分からないから、語れと申しておりますぞ」

 

  しかし翁は動じない。怒声によって震えた空気をものともせず、飄々な雰囲気で怒りを流す。翁の理知に溢れた瞳が大きく欠けたヒッポメネスを見定めている。

 

「語る言葉がないからこそ、儂は貴方の先を語りましょうぞ。惰眠に沈み、夢現に目を反らす貴方を導くこそが我が使命。これは最も幼き頃の貴方が大海神に請い願ったことですぞ」

 

「…っ!!」

 

  両親を失ったヒッポメネスは海に直々に願った。導いてくれと、道を照らしてくれと。

 

「ゆえに、大海神に名を下された儂が語りましょうや。いつまでもくだらぬ妄想に浸る軟弱極まりない()()を、儂が再び導いてやろう」

 

  そう言い切り、翁は立ち上がった。そのままヒッポメネスの横を通って砂浜を歩き出す。

 

「さて、まずは忘れなさい。それが最初の課題ですぞ。それが終わった後は故郷に帰り、元の生活に戻りなさい。海に教えを学び、魚を取って腹を膨らませ、父の遺言に従い武を鍛えるのですぞ。その後は」

 

  途中で翁は足を止めた。いつも通りなら、翁が知っている彼ならば、自分の後ろをついてくる足音が聞こえるはずなのに聞こえない。後ろを振り返ると、ヒッポメネスがいた。しかし、ずっとその場に動かず立ち尽くすだけだった。

 

「何をしておられるのかな? ヒッポメネス」

 

「・・・・・」

 

「来なさい。貴方の人生をやり直しましょうぞ。安心なされい。次は間違えぬよう、しっかりと導いてみせましょう。貴方が愚かだと悟った部分も含めて、儂が教えましょうぞ」

 

  不動のヒッポメネスの背中に優しく語りかける翁だが、彼は動かなかった。

  夜の海から流れてくる冷たい風波は二人の間を通り抜ける。空は相変わらず曇り、鈍重な重みは心を浮かせない。

  沈黙の時はいつまで続くのか、永劫かと思われた時。

 

「最初は怖かった、とっても怖かった」

 

  ヒッポメネスは口を開いた。

 

「あの死体の山。敗者に差別なく与えられた死に、冷酷な女性だと情けなく震えたよ。でも、彼女の姿を見た瞬間に恐怖は吹き飛んだ。

  何がそこまで僕の心を塗り潰したのかを僕自身が語り尽くせないほどに、僕は彼女に一目惚れしたんだ。

  彼女を知りたい。彼女に知ってほしい。彼女が…ほしい。そんな心の内を秘めて接して、恥と拒絶に恐れ、結果として僕は彼女の夫になったけど、ダメだった」

 

  語り告げるのは始まり。邂逅と顛末。

  彼と彼女の物語の口火は切られた。しかし、その後の結末は長くは続かなかった。

 

「夫として、幸せにしようとした。彼女が望むものを揃え、彼女の理想を叶えようと奔走した。言葉を尽くさず、生き方で示そうとしたけど…そんなことで心が伝わるはずがない。ただ無為に時間が流れたよ。彼女を一方的に理解したつもりで、僕は隠し続けてきた。

  隠し続け、逃げ続け、見つめ続け……彼女を失った」

 

  失われ続ける幼い命の前に、彼は立ち上がった。かつて偶然にも目をつけられ、与えられた秘宝を砕き、彼女以外に分け与えることにより悲劇を終結させた。

  あの時の選択を後悔している。なぜあの時そうしてしまったのか。もっとマシな方法がなかったのか。違う方法ならば───アタランテは死なずに済んだのかもしれない。

 

「何も残らなかった。僕は生き延びてしまい、彼女は過去へ置いて行かれた。泣き伏せ、叫び続けても救いの手は無く、存在意義さえなくなった。

  何をすればいい、何が彼女の為になる? そう考え続けた先に、僕は復讐を選んだ」

 

  待っていたのは、子供だけだった。

  力も無く、知恵も足らず、独り立ちするには脆すぎる命達。

  そんな子供達でも良かった。己の心の燻りを、空白を、嘆きを埋めてくれるのなら子供達だとしても───そんな暗く澱んだ心が存在していた。

 

「でもさ、無理だったよ」

 

「どうしてですかな?」

 

「失ったのは彼女だった。でも、失った空白もまた彼女だった」

 

  失くしたものは永遠に取り戻せない。あるのは空白。空いてしまった虚無は永遠に埋まることがないだろう。

  しかし、虚無は無意味ではない。そこにあった事実が明白にあった。

 

「できた空白が彼女を呼び起こす。澱んだ僕を繋ぎ止める。あのままでよかったのに、それでもいけないと囁き続ける。あの時僕は───初めて彼女を憎んだ」

 

  なんで復讐の化身にさせてくれない、渇望のまま獣にしてくれない。なんでなんでなんで!!

  既におらず、身勝手に、最低に彼女を恨んでいた。

 

「だからこそ、絶望した」

 

  彼女を失った原因は自分にある。

  良かれと思って、彼女を救いたくて、彼女の理想のためにと行ったことは全て、過ちとなって彼女を殺した。

  黄金の林檎の魔性により心から変質した村民による暴動は元を辿れば、全て持ち主であった自分自身。

  悪意は無くとも結果が全てを決めてしまい、彼女を殺してしまった。

  幸せな家族も、復讐として殺そうとした子供の親も、逆恨みしてしまったアタランテも、全て自分の所為で狂ってしまった。

  死にたかった。死んで地獄の炎に焼かれ魂の根から消え去りたかった。

  厚顔無恥なヒッポメネスという男を、己の手で殺したかった。

 

「でも、生きている」

 

  あの子供達に生かされている。

  なぜ、なんで生かすのか。

  必死になって止められて、手を拘束させてまでも生かそうとする子供達の意思が理解できず、思考を放棄した。

  甘い夢に、悲劇の前の暖かな日常に浸り、全てのことを忘れたくなった。

  誰かに苦しめられ、裁かれるのを望んだ。

 

「そうして、此処にいる」

 

「……なるほど、それが貴方が語る妻の話ですかな?」

 

「いや、これは僕の話だ」

 

  そうして、ようやく彼は振り返る。

  翁の前に立って、正面からかつて導いてくれた恩師の前に堂々と立った。

 

  顔には一筋の涙を流しながら。

 

「ごめん、ありがとう。夢に出てきてくれて、叱ってくれてありがとう」

 

「ふむ、儂はただ幼少の時と同様に導こうとしただけだったのじゃがのぅ」

 

  白い髭を撫でながら、翁はただヒッポメネスを正視する。

  彼の言葉を待つ。彼が語ったのは己の生き様。恥じ続けた、器の小さな男の昔話。

 

「ああ、クソ、だめだ。あなたに厳しい言葉で突きつけられ、怒りでようやく頭が冴えた。そうだ、そうだよなぁ。クソ、クソクソクソ!!」

 

  落ち着いた様子を見せた矢先、髪を掻き毟りだす。ひたすら乱暴に搔きまわし、痛みに意識を引っ張られずに彼は叫ぶ。

 

「ああ、クソ!! 何が分かるかだチクショウ!!! 何も分かっていなかったのは()だろう!!! 彼女はただ愛されたかったなんて分かっていたくせに手も出せず! ただただ言われるがままに従う畜生にも劣る大馬鹿で!! いなくなったら周りに当たり散らす最低な人間に誰が惚れてくれるんだよ!! 」

 

  気づけば、雲は晴れていた。

  真夜中の砂浜には光が差し伸ばされ、幾万数多の星々と孤高にして清廉な月が姿を現し、ヒッポメネスと翁を見守っていた。

 

「好きだった! 大好きだった!! だから僕はアタランテに全てを捧げる───ふざけるな!!

  僕は幸せになりたかった! 彼女に愛してもらい、共に幸せになりたかった!! それが本音だろうヒッポメネス!!」

 

  全ては、その為だったと振り返り気づく。

  婚姻の競争により彼女を傷つけ、大事なものを汚した罪の意識により彼は彼女に人生を捧げた、つもりだった。

 

「彼女の理想を叶える? 馬鹿馬鹿しい!! そんな戯言を吐く僕が大っ嫌いだ!! 僕がしたのは彼女の顔を曇らせたくなかっただけだ!! 彼女の想いを、願いを受け止めたのは表面だけで、子供達を救う気なんか僕にはなかったんだろう!?」

 

  あの時、黄金の林檎を潰してまで村と子供達を救ったのは単純に悲しむ彼女を見たくなかった。彼女にはずっと笑顔でいてほしかった。ただ、それだけだったからやったことだった。

 

「僕はアタランテ以外どうでも良かった! アタランテが幸せに、僕も幸せになれるなら彼女の理想なんてどうでもいいと見向きもしなかった!! 人が、国が、神が、世界が死して滅びようとも彼女と笑って生きていけるなら、どうでもいい! 本当にどうでも良かった!!」

 

 

 

  なのに、アタランテを失った。

 

 

 

 

  死にたくなった。今までの思慕さえも吹き飛び、魂が抜け落ちた。

  彼女を失い、失った原因が自分だと知るも自害できず、ひたすら生きるだけの人間に成り下がってしまった。

  夢の中に逃げ込んで、起きれば彼女を思い出し苦悩する。眠りにつく間、ずっと過去から今を振り返り、ふと思い浮かんだことを思い出し、頭を抱えて震えだす。

 

「……無駄だと思ってしまった。全てが無意味で、挑むことすら愚行なことだと…アタランテの願いを、蔑んでしまった」

 

  祝福の循環。

  親が子を愛し、育った子がまた生まれた子を愛する優しい螺旋。

  聞くだけならそれはとても祝福され、望まれるべき願いなのだろう。

  しかし、それはあまりにも脆い砂上の城だったとヒッポメネスは語ってしまった。

  例え自分が生み出した地獄でも、子を殺すことなど容易くなってしまった人間。同じ親だとしても同情なく、無惨な所業を好み、ひたすら繰り返す現実。

  それは自分の目の前で起こったことだけなのだろうか?彼女の親である王は、自分の理想と現実の為に娘を物として扱った。神々の秘宝無くとも、人はあそこまで非道になりきれる。

  それが世界中に広がり、今も何処かで続いているならその全てに彼女の理想を広がらせ、実現できるものなのか?

 

  ヒッポメネスは一人になってしまった時間で考えてしまった。思考を止めようとしても止められない。何もせず、ただ蹲っているだけならば尚更と───答えを導いてしまった。

 

  そんな理想は、世界に通じないと。

 

  ヒッポメネスはさらに夢へと逃げ込んだ。二人だけの時間に、幸福だったと思える時間を振り返る。そうしていればやがて終わりが迎えに来てくれる。終わりが来たら、考えず、絶望しなくてもいいと。

 

 

 

  それでも、希望を見つけてしまった。

 

 

 

「……残っていた。残っていたんだ。彼女が残していたものが」

 

  それは、少し前の現実の話。

  全てが蒙昧に白く塗り潰され、意味を見出せなかった時に声が聞こえた。

  林檎の魔性に狂った村の男が帰ってきた。既に殺す気も起きず、そのまま見つかれば死ぬるかと思っていた。ただ聞こえる男の欲に塗れた声を聞き流し、目を瞑ろうとしていた。

 

 

 ───いやだ! 行きたくないよ!

 

 ───お父さんが、かえってきてよぅ!

 

 ───あ、あっち行って…!

 

 ───来るな! 村から出てけ!」

 

 ───帰って、帰ってよ!!

 

 

  子供達の叫び声。

  驚愕に揺れ、動揺が駆け巡った。

  何故だ? 行けばいいだろう。あの村民たちはお前たちを迎えに来た。帰れるんだ。親の元へ、帰れるんだぞ?

 

 

 ───父さんやおじさん達は、助けられただけだ!! あの人達に…ヒッポメネスさんやアタランテさんに助けられただけなんだ!! それが、ただ、身体が強くなっただけで最強なんてあるはずがない!

 

 

  違う。

  僕は助けようとしたんじゃない。アタランテを助けたかっただけなんだ。僕は、お前たちのことなんて。

 

 

 ───だから、行かない! 絶対に行くもんか! おじさん達はぼく達の知っているおじさん達じゃない! みんな、もう、化け物だ!!

 

 

 ───村は、ぼくが守る。だから、帰れ! ぼく達はぼく達で、生きていく!!

 

 

  強かった。逞しくて、弱々しくありながらも清廉で高潔で、希望に満ち溢れていた。

  怖くて寂しいだろう。震えて、安寧と共に穏やかでありたかったはずだろうに。親の元に行き、胸に抱かれていたかったはずの年齢なのに。

  ヒッポメネスよりも強く、とても輝かしく生きている。

 

  その声と在り方に

 

  純潔の狩人の在りし日を思い出し───思わず飛び出した。

 

「生きていた。彼女は目の前にいなくなったけど、彼女が残したものを僕は見てしまって…僕は、彼女の理想を目にした」

 

  彼女の理想を知っていた。子供の祝福と平和。親が子を愛し慈しみ、そしてそれが永遠と続く螺旋。

  その理想は何を見て想起したのか。

  過去の傷か、同情か、それとも羨望か。どれもあったのかもしれない。どれもアタランテの理想に必要な要素であり、根源だったのかもしれない。

  だが、ヒッポメネスは知らなかった。その理想を理解するのに、共感するのに必要だったものを。

 

  子供という、輝きに満ち溢れた可能性と強さをずっと知らずにいた。

 

  誰もが最初は無力だった。歩くこともままならず、手を差し伸ばさなければ吹いて倒れるような弱々しい生き物だった。

  しかしアタランテが女神の慈悲で生きれたように、ヒッポメネスが両親の愛と祖父の導きで生きてきたように。

  やがて悲劇を繰り返す悲しき宿命を持ち、美しくも儚い閃光のような輝きを放てる生き物が『人』だ。

  その人の歩き始めた最初の姿に、アタランテは希望を託せると信じれた。

 

  ───二度と自分のような人がいないように

 

  ───救われる、光があると知ってほしくて

 

  ───愛は、必ず未来を切り開けると

 

  アタランテは子供を救おうと、歩き始めた。

 

「その理想を、僕は、初めて理解できたんだ…。彼女を失って、ようやく、アタランテを本当に知ることができた。寂しかっただけじゃない、愛してほしかっただけじゃない。彼女は!! 心の底から子供を愛し、救いたかったんだ!! だから彼女は()()()()()()()()()()()()!!」

 

  それは悲しいことなのだろう。

  遥か尊き理想は人の手に届かない。

  狩人の故郷は楽園(アルカディア)とまで呼ばれたが、それでも本当に楽園とはなれなかった。

  人が傷つかず、誰もが幸せになれるとは限らない。

 

  それを知りながらも彼女は挑むことを選ぶ。

 

  子供が、可能性が、未来が暖かくあることを祈り、正しいことだと理解できたから。

 

「それを、僕は……蔑んだ」

 

  無意味だと、知りもせず想起した。

  理想を上辺で捉え、見向きもしなかったことに彼は子供達を見て、気づき惨めになった。

  子供達の前に立つのが恥ずかしい。救われたなんて言ってもらえることすら自分には相応しくない。

  大人たちから離れ、自分達で生きていくと決意した君達の方が立派なのだから。

 

「だから、儂を求めた訳ですか」

 

  ヒッポメネスは頷いた。

  己を恥じ、惨めになり、どこまでも小さい男だと思い知らされ、挙句の果てにはアタランテのことすら()()()()と思ってしまった。

  現実の己の矮小さに、夢で救いを求めた。

 

 

 

  こんな自分になる前の、幼き頃に導いてくれた懐かしき者。

 

 

 

「まったく、まあ、本当に小さな男になりましたなぁ」

 

  翁はそう言いながらも、優しい瞳でヒッポメネスを見た。不甲斐ないながらも可愛い孫を慈しむように、夢に敗れ嘆きふて腐れる情けない息子を慰めるように、ヒッポメネスに手を伸ばす。

  手を伸ばされた本人は蹲っていた。叫び、心に溜まっていた者を吐露している内に泣きながら伏せてしまっていた。

  大人になったはずなのに、小さく丸まってしまった背中に仕方ないと小さく息を吐きながら、翁はヒッポメネスの頭を落ち着くように撫でた。

 

「ごめん、ごめんよアタランテ…。何もできなくて、君を救えなくて、君に縋っていただけの男で、ごめん……」

 

  嗚咽を交え、今は亡き最愛の人に詫びた。

  理解していなかったのは同じで、互いに理解しようしていなかった。

  でも、アタランテ亡き今ヒッポメネスは理解した。とても遅く、取り返しがつかないほど後になってしまったが、アタランテが追っていた光景の一端をヒッポメネスは見れた。

 

「意味はありました。無駄じゃありませんでした。残ったものがありました。とても眩しくて、あまりにも眩しくて、目が霞んでしまいそうなほどに、大切なものが残りました。

  だから、忘れません。他の女を愛せません」

 

  今も、昔も。

 

「僕はアタランテに惹かれ続けています。命尽きるまで、この恋慕を抱き続けて生きていきます!」

 

  もう導かれるわけにはいかない。

  一度挫け、諦めそうになったけれど歩くための足はまだ残っていた。まだ足元が不安定で、倒れてしまいそうだけど、それでも光明は見えた。

 

「そうですか」

 

  翁は頭を撫でるのを止めた。手はそのまま頭に置き、目線は楽しげに見下ろしている。皺で弛んだ口元の口角を上げて、若々しく笑った。

 

「なら、最後に聞いておきますが」

 

  翁は懐に手を入れて、あるものを取り出した。

  泣き伏せていたヒッポメネスはゆっくりと顔を上げ、懐から出たものを見て瞠目した。

 

「これは、いりますかな?」

 

  翁の手には、黄金の林檎があった。

  アタランテと共に海へ身を投げ出した後、どこへ流れ着いたのか分からなかった黄金の林檎の一つが翁の手のひらに収まっていた。

  なぜ、なんでという疑問が押し寄せる。しかし、それはすぐに無くなり自然に黄金の林檎の価値を測る。

  女神より賜りし秘宝、あれがあれば何を成すにも助力となる。だが。

 

「…いえ」

 

  そっと、ヒッポメネスは手で押し返した。

 

「僕には過ぎた物のようでした。できれば、かの女神に返却と言伝を。『ごめんなさい、ありがとうございました』と」

 

「やれやれ、無茶な頼みを。老骨には厳しすぎますが、やってみせますかな」

 

  翁の言葉に申し訳なさげに苦笑する。

  泣き腫らし、赤く腫れぼったくなった目を一度擦りヒッポメネスは立ち上がろうとした。

  だが、立ち上がる寸前に頭に乗せられている手にチカラが加わり、立ち上がれなかった。

 

「翁様?」

 

「気が乗りましたからな。恐らく、一生使うことは無さそうですが、貴方に授けましょうや」

 

  頭に乗せられた手には握力が加わる。何事かと思った瞬間───深海が見えた。

  深く深く深く、重く広い海の底。そこに圧倒的な存在で君臨してたのは鯨だった。暗闇の中に漂う感覚に体が硬直するが、すぐに目の光景が転じた。

  次に見えたのは浅瀬。色鮮やかな小魚の群。海底を彩るサンゴ礁。悠々自適と波に乗るイルカの親子。

  また光景が転じる。見えたのは嵐。猛々しく渦を巻き、飲み込んでは破壊を生む。差し込む光は閉じ、薄暗い海中を牛耳るは鮫。

  すぐに光景が回転した。次に見えたのは神殿。海の底に沈んだ神殿は神気を淡く放ち、領域というものを生じていた。海の底だというのに建築されたばかりの傷や沁み、風化がないように見えた。

 

  その神殿の奥深く。そこには、海のように蒼い髪を靡かせた男と、矛先が三つに別れた槍が───

 

「っ!?」

 

  景色は戻っていた。視線は砂浜で、あたりは薄暗い。あの光景から戻ってきたのだろう。

  そして、頭に乗せられている手の重力に意識を戻し。

 

「……あぁ」

 

  思わず、破顔する。

  そうか、そうだったのか。ずっと気づかなかった。

  頭に乗せられていた手の重力が変わっていた。骨と皮と皺でできたような手だったのに、ごつごつとした深い重みと寛容さを感じられる優しい掌に変わっていた。掌から伝わる温度は人にしては涼しく、穏やかだった。

 

「そういうことだったんですね」

 

「まあ、そういうこった」

 

  声も変わっている。嗄れた声は青年のように若々しくはっきりしていて、口調も荒々しくも人懐っこい。

 

「最初は面倒くさいから適当に任せようとも思ったんだが、偶にはいいだろうと興がのっちまってな。少しばかり姿を変えて、本当に爺さんのようにやってみたんだが…。存外悪くなかったわけさ」

 

  ぐしぐしと乱暴にヒッポメネスの頭は撫でられた。先ほどのと比べると荒々しいが、そういう()()なのだろう。

 

「珍しいこともあるもんだ。俺の家系っていうのは大抵女好き。ゼウス然りオリオン然り。にも関わらず女に尽くされるんじゃなくて尽くす。しかも一人の女にな」

 

「…なら、アタランテはどの女性よりも美しく、気高く、可愛い女性なんです」

 

「…くはははははっ!! そうか、そうくるか! お前を一度メドゥーサやゴルゴン姉妹と遊ばせてやってみたかったよ!」

 

  そう言うと頭から重力が消えた。

  顔を上げると目の前には誰もいなかった。あったのはどこまでも続く浅い黒色の海。空の月は今も煌々と輝き、ヒッポメネスを照らしている。

 

「これで最後だよ。お前に会うのも、導くのも」

 

  後ろに移動していたが、振り返らなかった。振り返れば去ってしまい、会話が終わってしまいそうだったから。

 

「…ずっと、そばで見守り続けてくださり感謝します」

 

「くはははっ、感謝しろよ。こんなこと二度としねえし、やりたくねぇ。悪くなかったが、一度でいいわ。泣き虫小僧の世話とか思いの外疲れる。帰ったら周りの馬鹿どもに何て言われるか分かったもんじゃねえし」

 

  そうして、軽く背中を蹴られた。痛みはない、衝撃はあるけど悪くないような送りの仕方だった。

 

「じゃあな。メガレウスが息子、我を淵源と是とする大海が系譜、嵐の前の静けさ(ヒッポメネス)よ。汝が生を望むがまま波及せよ」

 

  その声を最後に気配は消えた。振り返って確かめると、砂浜に足跡が残っていた。その足跡は海へと続き、消えていた。

  海は不動に揺らぎ続ける。其処には何もかもがあり、そして還るべき場所。二度と会えないと言っていたが、訪れればまた会える。

  幼少から今まで、ずっと見守っていてくれた。そしてきっと、これからも見守ってくれている。

 

「ありがとうございます。偉大なるお祖父様」

 

  そして、海から太陽が昇る。朝の光明がヒッポメネスを包み込み、世界を白へと変えた───

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

  其処には地獄が広がっていた。

 

  小さな村が、数十人の来訪者に蹂躙されていた。元の住人は泣き叫びながら逃亡し、ある者は抵抗しようと持った獲物で斬りかかる。

  斬りつけられた来訪者は腕で剣を受け止めた。肉が食い込み、血が噴き出す。痛みで泣き叫び、倒れたところを止めを刺そうとしたがーーー来訪者は腕に食い込んだ剣を無視し、住人の首を締め上げた。数十秒の内に空気が遮断され、息絶えた住人を捨て、来訪者は剣を引き抜く。すると傷口は数秒で閉じ、何もなかったような綺麗な肌に戻った。

 

  来訪者達は顔を合わせ、嗤いあう。備蓄を漁り、酒を飲み干す。若い女がいれば髪を掴み、暗がりへと引きずる。そんな当たり前となった事を、当たり前のようにしようとした時ーーー

 

  一人の来訪者の首が飛んだ。

 

  若い女が悲鳴をあげながら逃げるのを耳にし、全員の視線が一人の若者へと集中した。

 

  その者は碧い髪に獅子の耳を生やし、簡易な衣服に身を包んだ者だった。両腕には小剣と槍を待ち、剣には首を斬り飛ばした際の血が付着していた。

 

  来訪者は驚き、笑みを浮かべる。

 

  その若者こそ、自分達を強者へと導いてくれた切っ掛けだからだ。彼の手荷物には、自分達を不死の存在へと変えてくれた黄金の果実がある。

  それを奪い、また食べれば次は神になれる。そんな妄想が来訪者全員の思考に塗れていた。

 

  我先に一人が突撃する。斬りつけられようとも傷はすぐ癒える。それが黄金の果実を混ぜた酒を呑んだ際に手に入れた力。例え、斬られようともーーー

 

  また、首が飛ぶ。

 

  沈黙が場を支配し、若者は口を開く。

 

「お前達が不死? ありえない」

 

  曰く、果実を食べた者が不老不死になれるが、一欠片程度しか口にしていない者は肉体の強化と優れた治癒能力を得るだけ。

  そして、なぜ今までそんな勘違いをしていたのか?

 

「村しか襲っていなかったからだろう。武芸も何もない村人を襲っても、反抗もしれたことだしね」

 

  間違っていない。来訪者ーーー元はただの小さな村人達は自分達と同じ弱者しか襲ってこなかった。自分達と同じ、田を耕し自らの糧を得るだけに必死な暮らしをする者たちしか狙っていない。同じ者だからこそ、弱さを知っている。

 

「さて…率直に言わせてもらうよ。君達を止めさせてもらう。妻の恩を仇としたことは勿論だ。無限の欲に駆られて行った残虐の数々。いずれは名のある英雄が貴方達を始末しにきただろうが、それは譲れない。これは僕から始まった悲劇に他ならない。ならばーーーここで全て終わらせよう」

 

  剣と槍を構えた型は堂に入った。その姿を見て、村人達は悟る。自分達より強いことを。

  だが、臆さない。自分たちは無敵だと、不老不死だと今でも信じている。数で掛かれば殺せると、保障のない確信があった。全ては増幅された欲によって思考が破壊されている。

 

  そして、一人の合図で若者にーーーヒッポメネスに村人達は襲いかかった。

 

  ヒッポメネスは躊躇いなく村人達へと槍と剣を振り下ろす。一人、一人葬られ、隙を見た瞬間にヒッポメネスは傷つく。それを好機と前へ出るが、ヒッポメネスは反撃にと瞬時に三人は斬り捨てる。

 

「舐めるなよ。こんな男でもかの英雄の夫だ」

 

 

 

「我が名はヒッポメネス。海神の血筋にして、純潔の狩人の夫。ーーーこの名を手土産に冥界神へ首を垂れてこい」

 

 

 

  腹に突き刺さった剣を抜きながらヒッポメネスは剣と槍を手に取り、立ち向かった。

 

 

 

 

○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

  涼しい木陰でのことだった。

  木の葉が細やかな風に揺れ、こすれ合って音を生む。土と草の香りが息を吸うだけで肺が満腹になったような錯覚を覚えさせる。

  春を過ぎ、夏に近づいた季節は陽光も暑く、肌を焼いてしまう。そんな陽光から身を隠すように一人の老人が地面に座っていた。

  顔面は歳に相応しく皺が目立ち、手の指先など枯れ木のように細くなっていた。背丈は小さく、足腰の力が弱くなったのか手に背丈と同じ高さの杖が握られていた。髪も髭も真っ白だが、髪の方は薄っすらと碧の色が混ざっているようにも見える。

  老人が座っている正面には、墓があった。

  巨木の前に幾つも積まれた石に、石の周りには供物らしき果物や花が添えられている。果物の殆どがリンゴで構成させられており、墓の人物がリンゴが好きだったことが分かる。

  そんなリンゴの匂いに溢れた墓の前で、老人は座り込んでいた。

 

「やぁ…アタランテ」

 

  老人は口を開く。嗄れた声に覇気はなく、しかし耳に残るような温もりに満ちた声音だった。

 

「ここに来るのも、いつ振りになるのだろうかな? 最近は寝てばかりで、ここに来るのも一苦労になってしまって、いけないなぁ」

 

  墓に語りかける老人は楽しげに笑みを浮かべた。勿論話しかけても声が返ってくるわけなどない。でも老人は構わず墓に話しかけ続けた。

 

「眠りも浅くなってしまって、朝か夜かも分からない。まったく、老いるっていうのは中々、辛くもあるよ。……はぁ、君の前に来れるのも、後何度になるんだろうねぇ」

 

  老人がこの墓を作ったのは、妻が亡くなってすぐだった。

  妻の亡骸をそのままにしておくわけにはいかず、泣きながら、悔やみながら土を掘り、石を積んだ。完成した墓の前に数日も蹲ったことを記憶している。

 

「…ああ、すまないねぇ。また愚痴をこぼしてしまった。歳を取る度に愚痴が増えてしまっていけない。君も飽き飽きしてるだろう。だから、本題に入ろうか」

 

  老人はーーー老いたヒッポメネスはもう一度、アタランテの墓へと微笑んだ。

 

「また、あの子達の子供が産まれたよ」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「ごめん」

 

  ヒッポメネスは集まった子供達の前で地面に膝をついて、謝罪した。

  子供達は突然目覚め、ヒッポメネスに集められた。集められた子供達はヒッポメネスの姿に驚いた。死者のような生気がなく、日が進むことに虚ろとなっていく彼だったのだが次の日、目覚めれば今までの彼はいなかった。

  ヒッポメネスは初めて子供達のあった頃の、優しげで何処か抜けてそうな穏やかな青年に戻っていた。

 

「君たちの親がああなったのは全て僕のせいだ。何の言い訳もできない。とりかえしのつかないことをした」

 

  子供達の間で、困惑が走る。ヒッポメネスは口を開き、何が起こったのか全てを説明しようとした、とき。

 

「必要ありません」

 

  子供達の中から、いつもの少年が現れた。この村一番の年長でヒッポメネスと大きく関わりがある少年だ。

 

「みんな、既に知ってます」

 

「え?」

 

「僕達だって子供のままじゃありません。何となくでも、理解しているんですよ」

 

  ヒッポメネスが子供達の顔を見渡すと子供達は困惑していたが、それでもはっきりとヒッポメネスの顔を見ていた。そんな子供達の中から一人、少女が出てきた。その少女はヒッポメネスに林檎を届けた幼い少女。

 

「おかあさんやおとうさんが変わっちゃったのは、わたしたちを助けようとしてくれたからでしょ?」

 

  その言葉が胸に突き刺さる。

  そうだ。ヒッポメネスはアタランテの為とは子供達を助けようとした。みんな病から助かったが、代わりに狂気に身を堕とした。今でも多くの村々が被害を受け、血が流されている。多くの骸が生み出されていることに、自然と拳に力が入る。

 

「うん…」

 

「わたし、嬉しかったよ」

 

  その少女はにっこりと笑った。太陽な、暖かな笑みだった。

 

「助けてくれてありがとう。ヒッポメネスおにいちゃん。わたし、今、とっても元気!!」

 

  うさぎのように飛び回る姿に周りの子供達にも笑顔が浮かんだ。

  きっと彼女は全てを知っているわけではない。大人達が、父と母がどんな状況なのか。そして、この後この少女の父と母をヒッポメネスが()()()()()()を。

  周りの子供達は分かっている。それは、もうどうしようもないほどに、手遅れになっていることを。

 

「ヒッポメネスさん」

 

  少年が跳ね回る少女の肩に手を置いて、落ち着かせた。そして子供達の目を一人一人見始める。みんな、苦しそうに顔を歪ませたり、涙を流すのを我慢している。それでも決して目を背けたり、背を向けたりしなかった。

 

「僕達は決めました。僕達は貴方に要求したいことがあります」

 

「…なんだい?」

 

「生きてください」

 

「…え?」

 

「生きて、僕達を育ててください」

 

  ヒッポメネスは固まった。予想外とも言える要求に、心身共々硬直した。

 

「僕達はまだまだ子供です。みんなで生きていくには、足らないものばっかりで難しすぎます。ヒッポメネスさんが寝ている間にやってはみたんですが、どうも大人達のようにはできなかったみたいです」

 

  村を見渡すと畑を耕してみようとしたり、柵を補強しようと頑張ってはみたがあまりにもお粗末すぎて、作業と言えるものにはなっていなかった。

 

「…ヒッポメネスさんに、こんなことを頼むのはおかしいのかもしれません。あなた達は僕達を助けてくれました。でも、父さん達をああしてしまったのもまたヒッポメネスさん。悪いのは父さん達だけど、それでもあなたが僕達に罪を感じているのなら、僕達が大人になるまで見守ってください」

 

「……いいのかい?」

 

  僕でいいのか? 恨んでいないのか? 殺したくないのか? そんなごちゃ混ぜな感情を幾つも含ませて放った台詞に、少年はしっかり頷いた。

 

「はい。…ですが、あなたは? あなたは僕達を、恨んでないんですか?」

 

  ───アタランテ。

  もっとも美しく、愛おしい狩人。その狩人はこの村が原因で亡くなり、この世を去った。

  それを思うと、正直憎い気持ちもある。胸の奥にある黒い炎が燃え上がる。だが。

 

「…アタランテに、怒られちゃうんだよね」

 

「え?」

 

「彼女、子供が大好きなんだ。もし、ぶっちゃったりしたら僕が倍にして殴られる。だから…僕は君達を守らなくちゃいけないんだ」

 

  アタランテはもういない。どれだけ泣き叫んで絶望に塗れようとも、彼女は帰ってこない。

  胸の空白は消えない。しかし、その空白が彼女の愛おしさを思い出す。

  何も残ったものがなかったわけではない。彼女が救いたいと願った子供達がこの地に残り、僕は彼女が望んだ螺旋を知っている。

 

  ならば、僕はその理想を継ごう。

 

  彼女が愛おしい、彼女が守りたかった者を守りたい、その理想を叶え彼女への手向けとしたい。

  とても分かりやすい動機だが、それでもヒッポメネスにとって充分だった。

  きっと長い旅になる。まずこの子達を立派に育て、大人にしなければならない。その後はまた旅に出よう。世界を見て、人と語り、愛の数だけ知らなければならない。途方もない旅だ。終わりなんてないのだろう。きっと理想の為、欲張ってもろくでもない終わり方になってしまうかもしれない。

 

  それでも、僕はアタランテの夫だ。これぐらいしないで夫なんて名乗れない。

 

「───その要求に応えよう。僕はこれより、君たちの親となろう。だけど、一つお願いがあるんだ」

 

  これは単なる願望だ。そうなったらいいな、と。夢見たことだ。もう叶わないことだろうけど、子供ができたんだ。これぐらいなら許されるだろうと、ヒッポメネスは望む。

 

「アタランテを、『お母さん』と言ってあげてくれないかな?」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  老いたヒッポメネスは過去を思い出す。

  まだ青年だったヒッポメネス。かつてあの村に住んでいた子供達の親を、大人達を歴史から消し去り、ヒッポメネスは子供達の親となるべく奮戦した。

  村の田を耕し、獣を狩り、子供達に字を教える。あまりにも忙しい毎日に倒れそうになった数など数えられないほどだった。

  やがて数年ほど時が流れると子供達は大人になり自立し、ヒッポメネスの肩の荷はとりあえず降りた。その後、ヒッポメネスは一旦旅に出た。アタランテの願いを叶える為、理想の成就のため方法を探しに出た。

  旅のいく先々で戦争、飢餓、疫病と地獄を見たり、遠目で英雄の高らかな凱旋を眺めたりと多くの出来事と遭遇した。時には捨てられた子を拾い育てたり、戦争で孤児となった子供達を引き取り村へ招き入れたり、或いは育ててくれと頼まれて請け負ったりと、永きに渡る年月を子供達と過ごし、親となった子供達の成長を喜んだ。

 

「ああ、大変だった。本当に大変だったよ」

 

  勿論絶望もあった。助けれなかったことや、手を差し伸べても払われたこと、そもそも救いの方法が見つからなかったこと。幸せと比較すれば悲劇の方が多かったのかもしれない。

  それでも、ヒッポメネスはアタランテの理想に挑み続けた。

 

  そして───

 

「理想に、手は届かなかったよ」

 

  ヒッポメネスは生涯を通して、アタランテの理想を叶えることはできなかった。

 

「あの子供が大人となり、親となった。純真無垢で、無邪気で、誠実な子供たちだったけど、それでも道を違えてしまったものもいたんだ」

 

  愛し、守り、導いた。そのつもりだったが、大人となった子供の中には過ちを犯してしまったものがいた。

  ヒッポメネスが過去に行ってしまった過ちを持ち出して、お前は人殺しだと蔑むものもいた。

  また村を出て、英雄になるつもりが悪党となってしまい、処刑されてしまったものもいた。

  どうしてこうなったのか、何がいけなかったのか。苦悶に苛まれ、罪を感じ、心にかかる罪悪感で押し潰されそうになった時期もあった。

 

「子供も人だったということだよね。どれほど無垢であろうとも、やがて、欲を覚えるんだ」

 

  成長は学ぶことだ。

  道徳倫理、弱肉強食、嫉妬と傲慢、性差獣欲。

  あらゆる知識と経験、それらを重ねていくうちに人は己を形成し、自らを完成させるために求めていく。

  人の本能だろう。本能が抑え、社会に生きていくための理性もまた生まれるが、人が本能に抗いきれる訳ではない。

  それを嫌悪するものもいるだろう。人という生き物ほど業が深い生き物はいないだろう。ヒッポメネスは少なくともそれを思い知らされた。

  成長することこそ子供の本能であり、大人の本能が己を完成させることなど、何度も何度も叩きのめされながら理解させられた。

 

  だからこそ、ヒッポメネスはこう語れる。

 

「人は、美しいよね」

 

  醜くも、それを受容し進む者も子供達の中にいた。

  無秩序を憎み、法を作ろうと村を出て国に仕えにでた者がいた。

  多くの弱き者を救おうと武を学び、力を求めた者もいた。

  誰かの支えになろうと人を知り、英雄になろうとした者さえいた。

  本能に抗い、されど本能と理性を両立し、理性で人の道標となる。

  矛盾を孕み、高潔を謳う人の業。これを美しいと言わず何という。

 

「だから、今になったら分かる。なんで、子供達が()()()()()()()()()()()()()()()

 

  ずっと疑問に思っていたことだった。

  自分が変えてしまった村の大人達は林檎の影響により狂ったが、同じ物を口にしながら子供達は一切()()()()()()()()

  心のうちに秘める願いを増幅させ、欲望へと転じさせる魔性と神秘の果実。

  当初は林檎を授けてくれた女神の慈悲だと思っていたのだが。

 

「あれは、確立された己に刺激する」

 

  大人は完成された自我を持つ。己という存在を証明するための本能と理性、記憶と感情を認識できるものこそが自我なのだ。その自我が明確にできているからこそ、人は自らを導ける。

  しかし、子供は自我が薄い。まだ個性を明確に捉えきれず、漠然としか己を現せない。だからこそ成長しようとあらゆる刺激を吸収する。

 

  道が定まらず、あやふやで、誰かに手を引かれないと歩けない子供達。

  林檎の魔性は光でも闇でもない。誰かを導くための指針でもない。

  ()()は増やすだけ。在るものを増やすだけの水なのだ。

 

  何者にもなりきれていない()()()()()()()()()に、魔性は叶わなかっただけの話だったのだ。

 

「無敵だよ。まったく、無敵さ」

 

  弱々しくて儚いくせに、大人よりも最強な存在。あんな連中に勝とうとする奴らが馬鹿馬鹿しい。

 

  だから人は彼等を守ろうとする。

 

  命に代えて、己を投げ捨ててまで尽くそうとする。

  その背景には幾多の理由があろうとも、可能性の為に人は子供達の為に尽力する。

 

「だから、君は間違っていなかった」

 

  醜く、美しくなる可能性の塊達が幸せになるための環境と縮図を求め続けた狩人の理想は正しかった。

  その理想は万人が求め、知らない誰かが今もなお願い続けている願望だ。

  ヒッポメネスは理想に手が届かないと告げた。

 

  当たり前だ。

 

  こんな理想が、たった一人が叶えられるものではない。

  万人が望み、叶えるために切磋琢磨し、繋がれていく。

  大人から子供へ、その子供から子供へ、過去から未来へ。

  血脈だけではなく、絆と願いで紡がれ描かれる人類共通の理想の楽園(アルカディア)

  この理想は人一人が背負うには遥か遠く、重すぎる。それを彼女は背負おうとした。数多の人々と同じように、背負って歩き出そうとした。

 

  しかし、君は他の人と違う。

 

  君は孤高だ。孤高であるが故に、ひたすら子供達の為に心血を注げる。誰とも交わらないからこそ、理想に駆け続けれる。

  だからこそ君は理想の為に理想を裏切れないし、きっと君が知らない地獄に苦しみ続けるだろう。許容できず、しかし理想の為考え続け、流れる時間が全てを解決し、救えなかった命に嘆き続ける。

 

 

 

  だから、僕は決めたんだ。

 

 

 

「アタランテ。必ず、君に追いつくよ」

 

 

 

  どんな人より俊足だった神域の狩人よ。貴女は既に僕の手の届かない場所へ駆け続けているのだろう。僕を過去にして、見知らぬ未来の種々の為に奉仕し続けているのだろう。

 

  そんな君に、必ず辿り着いてみせる。

 

  話したいんだ。多くのことを君に、語りたいんだ。

 

  君が知らないこと、知りたいこと、僕の事や、僕が生きて出会った人達のこと、美しき愛の話、歪な愛の話、語られなかった英雄譚や、くだらなかった笑い話、理想の答えとなりかけた出来事や、どうあっても覆せなかった地獄の惨劇。

 

  そのどれか一つが君の救いになれば、助けになれば僕は報われる。

 

  君が理想に疲れ、堕ちることを望んだのなら僕はそんな君を受け止めよう。恥じゃない、決して嗤わない。

 

  君が現実に潰れ、それでも君が高く跳ぼうとするのなら僕は踏み台になろう。

 

  それを君に知ってほしい。

 

  君は一人じゃない。決して、孤高である必要なんてない。

 

  僕がいる。みんながいる。未来を守ろうと、未来をより良くしようと子供を救おうとする名も無き勇者達は、君が知らない場所で、今も尚生まれ続けている。

 

「いつか、そう、いつか何処かで君と再会しよう。その時には、どうか」

 

  ───僕の言葉を聞いてくれないかな?

 

  そんな言葉を口にしようとした瞬間、暖かな声達に遮られてしまった。

 

「おじいちゃ〜ん、帰ろ〜」

 

「長老ー、まだかぁ?」

 

「村長ー、死んでませんよね〜?」

 

  声にはあらゆる年齢が集まっていた。幼少の童女、歳若い青年、老いた男。他にも年頃の少女や少年、老女や爺の声も響いてくる。その数々の声達はヒッポメネスを呼んでいた。

 

「ああ、もう迎えが来てくれたみたいだ。もうちょっと話したかったのになぁ」

 

  僕が死ぬんじゃないのかって心配してくれているみたいだ、と呟きながらヒッポメネスはぎこちなくなった体に鞭を打ち、立ち上がった。

 

「…君がいなくなった時、僕は死にたいと心の底から思ってしまった。それこそ僕の存在さえなくなればいいって、全ての間違いがなかったことになればって」

 

  ヒッポメネスは僅かに振り返る。そこには陽だまりのように安らげる、帰るべき場所達が待ってくれていた。狩人の夫が一生を賭けて紡いできた絆達が手を振ってくれている。

 

「虫がいい話だけど、まだ生きなくちゃなぁって思っちゃうよ」

 

  全ての選択肢には大した差はなく、また選んでしまった選択にも大きな意味はない。彼の選択肢が悲劇を招き、愛しき人を失う結果が待っていたとしても、彼が選択した想い自体が『今』を生み出した。

  だからこそ、彼は口にしない。口にしてはならない。紡いできた今の命達を否定しない為に、自分は間違っていた、と言うわけにはいかない。

 

「生きて生きて、生き続ける。僕の命続く限り君が生きた意味を、君が夢見た理想を追い続けよう。僕では届かない、未来の可能性達が理想に追いつくその日の為に」

 

  いずれ、君の理想は叶う。

  これから先数千年と続く理想への旅は命から絆へ、絆から歴史となって続いていく。その旅がいつになったら終わるのかは分からない。時には妥協し、諦め、誰かに託し、託された人は更に築かれた歴史の上を闊歩する。

  その繰り返し、理想にたどり着く為に続く螺旋の循環は永劫に続く。

  けれど、続いて行った先に終わりはいずれ来る。ヒッポメネスはそう信じてやまない。

  何十年と続く人生の中で見出した人の可能性が、そう信じさせてくれる。

 

「じゃあ、アタランテ。いずれまた」

 

  彼は振り返り、彼女の元を去る。後ろで控えてくれているかつて子供だった大人達と、可能性に溢れた子供達の元へ。

  何ができるかは分からない。今日もまた考え、躓きながら歩んでいくことになる。老いた身でもできることを、今からやってみよう。

 

  そうして老人は墓の前から消える。この場にはかつて名を馳せた純潔の狩人が眠っている。

  狩人への訪問者が来るのは何時なのか。二度とこないのか、それとも驚くほど速くなるのか。

  いずれにせよ、老人が再び現れるだろう。その時には口動かぬ骸か、健在か。どうなるのかは分からない。

 

  今日もまた風が吹いた。そよそよと細やかに流れる風は森を揺らす。

  木の葉の陰から漏れる陰が木陰を生み、墓を照らす。其処には誰もいない。けれど、誰かはいた。その誰かの為の訪問はあと何回になるのか。

 

  これは既に終わった物語。

 

  故に分かっている。誰かの為の訪問に、訪問者がこの場に足を踏み入れるのはあと───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

 

 

  懐かしい、そんな思いとーーー唇に感じる暖かな柔らかみに意識が覚醒する。

  微睡みと心地よい痺れが同時にやってきた。形容しがたい感覚を言葉にできない。いや、口にする事ができない。

 

  片頬に髪が触れくすぐったく、片頬と顎には両手が添えられていた。固定された頭部に、押し付けられた唇。そして口腔内に甘酸っぱい固形の物が幾つか転がり、咽頭を通って食道へと落ちる。

 

  口が塞がれていて、漸くヒッポメネスの意識は完全に覚醒する。

 

  甘く、柔らかく、官能的になってしまいそうな……接吻。

 

  暖かな触感ーーー唇が離されて、己の唇を塞いでいた者の正体を知り、言葉にできた。

 

「……アタランテ」

 

  その狩人の英雄は、名前を呼ばれたと同時に両の瞳から一筋の涙を流させた。涙は頬を沿い、顎に溜まって雫となってヒッポメネスの頬に落ちた。

  膝を枕にして頭を置かれている状況。先ほどの接吻と舌で感じた甘味。そして、アタランテの足元に転がっていた()()()()()()()()()()()()()

 

「なあ、ヒッポメネス」

 

  瞳から流れる涙は一筋だけで収まりきれず流れ続ける。それで表情は崩れず、まるで遠い空を眺めているような目で瞳にヒッポメネスを映す。

 

「夢を見たんだ」

 

「…どんな夢だい?」

 

「英雄と呼ぶには大袈裟すぎる、卑怯な男の夢だ」

 

  その男は英雄の子供だった。だが父と母が死に、祖父の好意で翁に育てられた。すくすくと成長し、翁が死んだきっかけで旅に出た。その旅の帰り道、一人の女狩人を目にし一目惚れしてしまった。男は女の背景、思いを知ると幸せにしようと、救おうと考えた。だが、自分には何もできないと悔しくて震えていると、女神が男に助力した。

  結果、女は幸せになれず理想へ走り、男は救えずに己を恥じた。恥じた男は口を閉ざし、女の隣に立ち続けることで想いを伝えようと走り出す。

  だが、女がそれに気づくことは一生無かった。己が手を伸ばした者に裏切られ、女は男を置いて先に亡くなった。

  男は絶望し、泣き叫び、復讐の為にと立ち上がったが結局女の影がいつまでも付いて行き、復讐を成せなかった。そして、男は一人の子供と子供達と過ごし、それがきっかけで女の理想の先を見据えれるようになった。男は子供と共に生きることを選んだ。子供達の親を殺し、罪を背負いながらも理想を追い続け、老いてもなお女の理想の為に未来を見据え続けた。

 

  それがアタランテの見た夢、そしてヒッポメネスが辿ってきた道だ。

 

  ヒッポメネスを生かすためにアタランテが宝具である黄金の林檎を口移しで食べさせた事が発端。

  消失しかけのヒッポメネスと消失しかけのアタランテが宝具を用いての口移しによる接触が起こした、バグと同等の確率で起こった記憶の共有、いや、記憶の抵触。

  宝具は逸話を昇華させた必殺。逸話は生涯であり、本能そのもの。それを口移しという形であれど、共有したことにより起こった過去の閲覧という奇跡。

 

  アタランテは見てしまった。ヒッポメネスという男が何を思い、どう生きてきたのかを。

 

「もし、この男の夢が本当ならば…私がこうやって戦っているのは何なのだ。いずれ叶う理想ならば私がこうやって戦っているのは何なんだ? …分からないんだ。分からなくなってきたんだヒッポメネス」

 

  教えてくれ、その叫びを耳にした。ヒッポメネスはただ迷い子となっていた女の頬に手を伸ばし、優しく触れながら答えた。

 

「意味はあるよアタランテ。僕が見た理想の終わりはあくまで僕が見たものだ。君はまだその理想の終わりを見ていない、その行方を想像できていない、つまり君の理想は尽きていないんだ」

 

  同じ想いを抱こうとも見据えるものは違う。人は同じ人になれないように、同じ理想も結末は違う形で見えてくる。

 

「僕が見る“君の理想”は決着した。…君はどうなんだいアタランテ? あの夢を見て、君が救おうと手を伸ばした子供達が、君の死んだ後の生き様を見てどう感じた?」

 

「………眩しかった」

 

  長い沈黙の後に吐き出された言葉は、凝縮された感情を共に吐き出させた。

 

「親に無情にも捨てられた、それでも自分達の足で立ち上がり、自らが信じた正しさの為に決別を選んだあの子達が眩しくて…嬉しかったのだ」

 

「そっか」

 

「ヒッポメネス、私は間違っていたのか? あの子供達に手を伸ばしたことが誤ちだったのだろうか? 汝らに討ち果たされることこそが救いだったのか」

 

  脳裏に過るのはあの殺人鬼の少女。生まれる事も生きる事も望まれず、この世に名前も与えられず歴史から消え去った忌子達。死後も人々の信仰により囚われ、殺人鬼の名の中で苦しみ続けた。

  誰かに解き放たなければ永遠に続く地獄、されど解き放たれば帰るべき場所に行き、名も持たず消え去る。

  アタランテは救おうとした。例え自らが過ちでも、それが後が無くとも救おうとした。それが救いでは無くとも、救いたかった。

  ヒッポメネスははっきりと応える。彼女の疑問に。

 

「ーーー違う」

 

  その返答は有無を言わせなかった。

 

「僕が誤ちで、ルーラーも間違っていた。君が正しくて、救うべき魂だった。君は決して、間違っていなかった」

 

「なら、どうして汝は手を払った。汝は如何してーーー」

 

  一度、目がたじろいで、再びヒッポメネスの目を覗く。

 

「私を、裏切った」

 

「君が救いたいのは全ての子供達。愛され続ける者、愛されなかった者。過去と未来、そして今に生きる者達だ。だけど、あの子達を救おうと受け入れてしまえば…彼等の為に今と未来を棄てなくてはいけなくなる」

 

  亡霊に身を傾けさせるということはそういうことだ。怨念を受容してしまえば、周囲に呪いを振りまく。今と未来を潰し、過去へと逆行することを彼は許せなかった。

 

「僕は僕の為、僕は彼女達を見放した。君が彼女達に向ける愛情も否定し、目の前で葬った。全て、自分の為に君を裏切った」

 

  怒りはーーー自然と沸かなかった。冷血な言葉を吐く男にしては、あまりにも弱々しい顔だったからか、それとも違う理由からか。

  あまりにも多くを救う為に手を伸ばす。だが、そこに必然的に救われない者がいたとしよう。その者を救おうとすればするほど多くは救われなくて、いずれは破滅する。それをヒッポメネスは許容できなかった。

  自らが理想とするものの為に自らを貶める。結果として、己が傷つこうとも省みなかった。間違っているとしても、守りたい者がいた。

 

  それが自分だと気づき、アタランテの瞳から流れる涙は増えた。

 

「なん、で。なんでなんだ。なんでそこまでお前は…こんな、こんな進むことしか、踏み止まることもできない、女に……」

 

  ーーー違う。そうじゃない。こんなことが言いたいんじゃない。

  産まれてからずっと、捨てられてからずっと望んでいたモノがある。だがそれは生涯において諦めた。自分には必要ないものだと切り捨てたつもりだった。

 

  でも、言ってほしい言葉がずっとあった。

 

  気づけばヒッポメネスの両手はアタランテの頬に添えられていた。小さな力でしっかりと。互いの視線が逃れられないように伸ばされていた。

 

  穏やかな男、でも悪賢くて、卑怯な男。

 

  そんな男は厳かに、静かに、優しく願いを叶える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アタランテ。ずっとずっと君を愛している。そして、これからも君を愛し続けます。だからどうか……僕と結婚してくれませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なん、だ、それはっ…」

 

  言葉の意味を咀嚼し、全て飲み込んだ時には膨れ上がった感情が膨張し爆発しかけていた。歓喜でも羞恥ではない。もっと高度な何かで、それでもってシンプルな気持ち。それを言葉にできなくて、どうやってこの気持ちを伝えればいい。

 

「お前は、お前は…っ!」

 

  駄目だ。全て剥ぎ取られてしまいそうだ。纏ってきた風格や培ってきた在り方でさえひっくり返されてしまいそうだった。

 

「遅くなって、ごめん。ずっと言うべきことだった」

 

  女が流す涙をそっと指の腹で拭い、また流れると拭い続ける。そんな仕草がとても暖かくて、また爆発しそうだ。

 

「こんな卑怯者の僕だ。きっと、君の夫には相応しくないかもしれない」

 

  でも、それでも彼は先に走り出した愛しき人の影を追い続ける。躓こうとも、倒れ、立ち上がる力が無くなろうとも、這い続ける。

  それが彼の存在理由。英霊としての在り方。そして、

 

「いつか君より早く走ってみせるよ。君の前を走って、いつでも受け止められるように」

 

  これが純潔の狩人の夫(ヒッポメネス)なのだ。例え振り返られずとも、置いてかれようとも追い続ける。そして、追いついた時には必ず

 

  満面の笑みで、妻へと微笑みかける。

 

  ーーーああ、もう駄目だ。

  抑えつけようとした感情が溢れ出した。破裂しかけた想いが胸から溢れ、泣き声となって爆発し続ける。

  その涙には様々な想いが募っている。捨てられた時の寂しい気持ち、誰にも愛してもらえなかった寂しさ、女だからという理由で起こった諍いの孤立感、父に子を産むだけの存在としてしか見てもらえない孤独、子供達を救えなかった怒り、また裏切られた憎しみ。

  彼女でさえ自分が何を叫んで、訴えているのか分からない。ひどくみっともなくて、その姿を客観的に見たら情けないと言ってしまうものかもしれない。

  だがーーー嬉しかった。こんなにも許容されて、受容されて、甘受されたことが。

 

  アタランテは一つの愛こそが真理なのだと、親の愛こそが唯一の救いなのだと自身の心に枷を付けた。

  他の想いは、愛は自分には不要で必要ないものだと暗示していた。そうしなければ、折れてしまうかもしれないから。

 

  ヒッポメネスという存在は鎖として完成されていた。その者があったから、その枷は成立している。故に例外はなく、異例はあってはならない。

  だから己の予想外、定義が崩れそうになるたび痛みでーーー頭痛で思考を停止させていた。

  それ以上はいけない。壊れてしまう、飛べなくなってしまう。だからこそ痛みは加速し、止まらなかった。

 

  ヒッポメネスは想いの枷が外れ、泣きじゃくるアタランテを抱きしめる。

 

  いつまでもずっと、泣き止むまで、彼女が泣き疲れ寝てしまい、起きるまでずっと彼は彼女を甘受するだろう。

  それが一夜超えて、太陽が沈み、月が顔を出そうとも彼は苦しみ続けた彼女を癒し続ける。

 

 

 

  生前八十年と三千年。

 

 

 

  彼はようやく、彼女を真っ直ぐと見つめあうことができた。

 

 




この手の温もりだけでも、意味はある。


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血よ爆ぜろ、君が君であらんため

理性が蒸発したからこそ分かることもある!
そう言った友人がいたように、狂うほどに恋い焦がれた道のりの先に見えた景色がある。
その景色が決して無駄なんて言わせない。言わせてたまるか!!




  終わりは着々と近づく。

 

  赤の槍士と黒の剣士が再戦の約束を果たした。形は違い、人は違い、果てた夢へと形骸したかけたが武人達の誇りと誓いは守られた。

 

  赤の剣士と赤の女帝は死に際に立つ。王の背中に、父の背中に焦がれた若武者は毒を貰う。然りとて、彼女は立ち続ける。あの背中を、願った想いが分かったのだから。庭園の女帝へと奪った宝剣を突き立てた。

  女帝は去り、残るは剣士の主従のみ。庭園の玉座で静かに尽きる。互いに“突き抜けた”と笑い合いながら。

 

  聖女と聖人は相対する。片方は救国の聖者、片方は極東の聖人。互いに人に尽くし、人を想う。人の原罪を赦すか、赦せぬか。許容するか終わりにするか。

  絶望し、塗りつぶされて、押し潰されて。それでも立ち上がる聖女は傲慢か、はたまた罪深いのか。

  未来の種に想いを寄せて、再会の約束を。身灼きの炎は葬いに。聖人の願いと共に立ち去ろう。

 

 

 

  だが、人類の希望は屈しない。

 

 

 

「…やった、やったぞ……大聖杯は、まだ生きている…!!」

 

  聖人───大聖杯からの帰還者にして、所有者、そして聖杯を人類救済の夢、第三魔法の為の架け橋へと改竄した少年、天草四郎時貞───シロウは叫ぶ。

  あの聖女、この聖杯大戦であり願望成就の為の道の障害をジャンヌ・ダルクの宝具を乗り切った。

 

 『紅蓮の聖女』(ラ・ピュセル)

 

  己の心象風景を結晶として放つ特攻宝具。自らの命を犠牲にして放つ、最強にして唯一の聖女の剣。

  大聖杯のバックアップがあっても、完全には防ぎきれなかった美しい焔は大聖杯を八割も破壊した。

 

  だが、八割しか破壊できなかったのに違いはなかった。

 

「まだだ! まだ僕がいるぞ!」

 

  彼の希望はまだ成立していない。そう、この場にはもう一騎サーヴァントがいる。あのホムンクルスと再契約し、“黒”のライダーとして最後まで生き残った英雄、アストルフォ。

  ここまでの道程を自身のサーヴァント、“赤”のアサシンが防いでいたのだが彼の執念は何重にも迫り来る鎖の壁を超えてきた。

  彼の象徴たる幻馬がシロウへと迫る。その突進力は余裕で彼の肉体を破壊させる。右腕は亡くなり、残る武装は刀一本。そして、黒鍵複数のみ。希望が絶望へ堕ちる一瞬に───

 

「つなぎ、とめる…!!」

 

  祝福は降りてくる。

 

「なっ!?」

 

  青銅の鎖が幻馬に跨る“黒”のライダーを縛る。幻馬にも絡みつき、突進を防ぎその場に縛り付ける。

  シロウは咄嗟に振り返ると、そこには“赤”のアサシンーーー妖艶たる女帝が傷つきながらも右腕を掲げ、魔術を行使させていた。

 

「アサシン!!」

 

「たわけ! モタモタせずに我に令呪を使え!」

 

  駆け寄ろうとした矢先、叫ばれたその言葉に足を止める。逡巡をすぐに潰し、最後の令呪を使用する。

 

「───令呪を以て命ずる。我が暗殺者よ、その力で“黒”のライダーを縛りつけろ!」

 

  すぐに“黒”のライダーを縛っていた鎖に魔力が付加される。その鎖はライダーの怪力を持ってしても砕くことはできない、金剛石に近い硬度を誇る。

  シロウは何故、彼女が此処までの傷を負ってまで自分を助けに来てくれたのか疑問に思った。あの致命傷では霊核にまで響いてるのは確か。どうしようとも消滅は免れない。なのに、這いずるような真似をしてでも何故ここへ───

 

  そう思って、頭を振る。

 

  今は思考に耽っている場合ではない。何故なら、こちらを先ほどから睨みつける者がいるのだから。

 

「貴方に怨みはありませんが」

 

「俺にはある」

 

 

 

 

 

  元より覚悟はしていた。

  この戦いはそういうものであれ、最終的には消えて去ることも。後悔、怨恨、屈辱を残して、何も成さずに消え去ることもあると分かっていた。分かっていた、つもりだった。

 

  魔力供給の為に生かされ、生かし尽きさせられる。それが自分が生まれた意味だった。

  虚無に、無意味に恐怖を覚え、足掻いて生き延びた。誰よりも弱い癖に人間らしく英雄らしい少年に救われて、探す為に生きろと賢者から教えられ、妻である少女に恋焦がれる青年に命を繋ぎとめられた。

 

  そして、君に出会った。

  最初の出会いはとても素っ頓狂なもので空腹に苛まれている可笑しな人だった。

  見惚れるほどの美しさで今でも鮮明に思い出す。君が語ってくれた言葉を一言一句忘れていない。それはホムンクルス故の性能なんかではない。魂が君の想いを、君の魂の美しさを覚えている。

 

  また会いたい。そう思って勝ち抜いた。あの“赤”のランサーに打ち勝ち、君の元まで駆け抜けた。

  再会した時には挫けそうな顔をしていたが───そんな顔は似合わない。

  彼女は立ち上がった。折れそうな彼女の問い投げられた質問に、俺は心の内をそのまま伝えた。

 

  ───俺はまだ考えている。そして、考え続ける。人の悪性と善性を。人間そのものを、少しでも解りたいから。

 

  ───ジーク君は、大丈夫です。

 

  何があったかは分からない。だけど、彼女の助けになれた。彼女は少なくとも彼女なりの答えを抱き、信じて前へ踏み出した。

 

  その決意は焔となった。聖女の焔、彼女の心象風景が焔となって───それが彼女の最期となった。

  あの焔こそ自身さえも焼き尽くし、敵さえも塗り潰す宝具。

 

  ───また会いたい

 

  ───必ず、会いにいきます

 

  その約束と共に、彼女は座に帰還した。

 

  そして、あの男は生き残った。あの焔を受けてなお大聖杯の力を駆使し、片腕を亡くしながらも生きていた。

  その姿を見た時、心臓の奥が煮え滾るのを覚えた。とてもとても熱く、暗い感情。この思いは始めてだったが、言葉にすべきではないとも悟る。

 

  だから───

 

 

 

  このホムンクルスに嫌悪を覚えた。自身が理想とする人間像。絶望も渇望も希望もなく、生を求めず悲劇を生まない存在。

  生きたいと思うからこそ、人は悲劇を呼ぶ。ならば生を固定し、死を取り除く。そうすればありとあらゆる絶望は消え去り、誰もが救われると信じた。

 

  それに反し、このジークと言うホムンクルスはどうだ?

 生を求めず、絶望を知らない存在が───生を求めて、生き足掻く。人を知り、考え続ける。

 

  理想とした者が、理想と離れていくことにどうしても嫌悪感を隠せない。許せないのではない。怒っているわけではない。ただ、どうしても相容れない。

 

  そして、その存在が願望成就を前に立ちはだかる。剣を持って、こちらに苛烈な感情を浮かべた目をして、敵意を滾らせている。

 

  ───ここまで来て、負けられるか。

 

  六十年間、この肉体で生きてきた。この時の為に肌の色を変え、彼女を喚びだす為に長い時を異国の地に根を張った。

  女帝である彼女が最期の力を振り絞っている。最期の最期まで俺をマスターとして認めてくれている。

 

  ───ここまで来て、負けていられるか!!

 

 

 

 

 

「天草四郎時貞。三池典太にてお相手する」

 

「ジークだ。ただの、ジークだ」

 

  この戦いの勝者こそ、聖杯大戦の覇者となり得る。

  極東の聖人か、生まれて一ヶ月にも満たない少年か。刀か剣か。互いの武器を振るい、思いを剣戟に乗せた。

 

 

 

  そして庭園の遥か下、其処で最後のサーヴァントの戦いが迫っていた。

 

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

  ただ、二人は静かに寄り添う。小さな島の何もない海岸で波の動きを何もせず、見つめていた。

  こんなに穏やかなことはなかっただろう。ただの余暇。そんな余りある時間を無為に過ごす事に、人は喜びと意味を見出させる。

  僅かに触れる肌の温もりが尊い。それ以上の温もりは、少しだけ手を伸ばしにくい。だから二人は肩で触れ合うぐらいが丁度いいのだった。

  しかし、この時間がいつまで続くのか。彼らは英霊であり、亡霊であり、死人だ。過去の遺物、やがて去るべき運命。

 

  まだ聖杯戦争の途中。だから、ヒッポメネスは立ち上がった。

 

「行くのか」

 

  アタランテは立ち上がらない。いや、立つ力がない。魔獣の皮を被り、存在そのものが危ぶまれていたが彼女は五体満足だった。それはヒッポメネスの命を引き止める為に黄金の林檎を齧り、口移しした時に林檎の影響で肉体の崩壊は免れたからである。一命は取り留めても、戦える力はない。

 

「うん。僕はバーサーカーだ。この因果線(ライン)が繋がっている限り、僕は友のサーヴァントだから」

 

  遥か高みにある空中庭園、宙空に最も近い大地には友がまだ戦っている。力は無くても一族の誇りを持って、最後まで立ち続ける男がいる。ならばサーヴァントであるこの身も隣に立ち、剣を振るわねばならないだろう。

 

「…まあ、行くって言っても此処にいなくちゃダメみたいだけど」

 

「なに?」

 

  どういう意図なのか頭を傾げたが、アタランテは己の五感が近くにいた存在を捉えた。

 

「よう、もういいのか?」

 

  霊体化を解いたその者は少し離れた岩場の影から現れた。身につけている軽鎧は傷つき、纏っていた不死身の神性が薄れているのが一目で察知できた。

  聖杯大戦で最も英雄らしく、最も強き者として召喚されたその者の名は───

 

「やあ、“赤”のライダー(アキレウス)。覗きとは趣味が悪いね」

 

「出歯亀なんて趣味じゃねえんだがな」

 

「ライダー!?」

 

  最も疾い男の登場に対して場は驚愕が少なくなかった。驚愕は突然の登場ではなく、なぜ彼が此処にいるのか。空中庭園で戦っているものだと思っていたばかりに、僅かな動揺はあった。

  ヒッポメネスは臨戦態勢の為か、両手に小剣と槍といつもの姿で構えていた。

 

「君が此処にいるということはそういうことなのかな?」

 

「まあな。俺の勝ちだよ」

 

  ヒッポメネスの脳裏に浮かぶのは半人半馬の大賢者。勝ったというライダーは喜色を顔を浮かべるのではなく、落ち着いた様子で返した。

 

「そう、か。なら僕はますます分からないな。なぜ君が此処にいることが」

 

「二つあるが、一つは姐さんを迎えに来たこと。ちょいとばかり弱々しかったから慰めてやろうと思ったが…」

 

  ちらりとアタランテに視線を流し、次にヒッポメネスを見てライダーは気持ち良い笑顔を見せて、肩をすくめる。

 

「やれやれ、既に慰められちまったか。手が早いところは祖父譲りだな」

 

「ははは、なに言ったんだこの大英雄」

 

「…ライダー」

 

  分かりやすいほどの勘違いのフリに額に青筋を浮かせるヒッポメネスと呆れてため息が出るアタランテ。

  人懐っこそうに笑う姿に何人の女が振り向いたのだろうか。そんな場違いなことを思いーーー表情を変える。

 

「それで? 何故ここに来たんだい」

 

「俺は自分の言葉を捻じ曲げない」

 

  そう言ってライダーは槍の穂先をヒッポメネスへと向けた。

 

「言っただろう? 貴様の命は俺が獲ると」

 

  それは“赤”のバーサーカーの暴走により始まった戦いの終幕。“黒”のアーチャーと“黒”のバーサーカーのみが大英雄の肉体に傷をつけた。その歓喜に、アキレウスは高々に宣言した。

 

  次に相見えた時に貴様の首を戴く、と。

 

「…律儀な人だね。マスターの方はいいのかい?」

 

「あちらには主思いの女帝とランサーがいる。先生を獲った以上、俺の助太刀もいらねえだろ」

 

「じゃあ…もし、僕が臆病風に吹かれて降参したりしたら?」

 

「そん時は庭園に戻るだけだな。あとは姐さんと好きに過ごせや」

 

「そうかい。じゃあーーー」

 

  手の力を弱めて小剣を落とす。ストンと砂に突き刺さる小剣を見て、アキレウスは落胆したように眉を顰め。

 

  両手でしっかりと柄を握りしめ、槍を構えるヒッポメネスの姿を見て目を見開いた。

 

「最後の最後まで、みっともなく立ち向かわせてもらうよ」

 

  得意の型を捨てた。というよりも小細工は捨て、正面からの戦法を取ったことにアキレウスよりもアタランテが驚愕していた。

  あの小剣こそヒッポメネスが魔術を扱う為の魔術礼装だ。魔力放出とは違い、繊細自在な魔術の使用の為に必要な要。それを捨てるということは───真っ向からの戦いを所望しているに違いない。

 

「っ!」

 

  叫ぼうとして、言葉に詰まる。なんと叫べばいいのか。引き止める言葉が正しいのかもしれない。だが自分は“赤”のサーヴァントである。今更、彼の伴侶だからという理由で叫ぶのも烏滸がましい。

  何よりも彼はアキレウスと己の差を知っている。英雄としての格も、実力も数段以上の差が開いていることを。その上で捨て身に近い戦いに臨もうとしている。

  それを、遮ることをしていいはずがないのだ。

 

「…は、はは、ふははははははははっ!!」

 

  その不退転の決意を目にしアキレウスは笑う。嘲笑ではない。高潔な戦士と出会えた、相手を讃える気持ちのいい気分で思わず笑ってしまったのだ。

 

「いいぞ。ああ、此度の戦争は本当に恵まれている。生前より聞き行った狩人と出会い、師と死闘を演じ、最後にはここまで命を、愛を滾らせる戦士と立ち会える。───この疾走はまさしくオリンポスの神々より与えられた祝福に違いない」

 

「それは違うよ」

 

  祝福、それだけは正さなければならない。ヒッポメネスは厳としてその言葉を正す。

 

「この戦いは全て、魔術師(マスター)によって引き起こされた悲劇に過ぎない。その悲劇の中、偶然と必然により、僕達は幕間にだけ救われているんだ」

 

「つまり、あんたは救われたというわけか」

 

「いや」

 

 

 

「まだ救われ足りない。最後まで満たされないと、気が済まないんだ」

 

 

 

  強欲にも傲慢にも、二度目の命とここまでの軌跡が名残惜しい。まだ終われない、まだ彼女と触れ合っていたい。

  己が本命を果たし、“黒”のサーヴァントとして“赤”のアーチャーを無力化した。本来ならば此処で去ってもヒッポメネスは文句を言われることなく、座へと戻っていてもよかっただろう。しかし、まことに強欲にも、彼は望んでしまう。

  だから、戦うことを選ぶ。このやり方があえて彼女との逢瀬を崩してしまうことになるとしても、間違いだと分かっていても選んでしまった。

  そうしなければ、また失ってしまいそうになったから。

 

「───その意気や良し」

 

  その言葉だけで、後は必要ないとアキレウスは槍の穂先を上げる。既に戦いは決まった。後は決着の時が何秒、何分かかるかだ。

  勝者は、自然とアキレウスだと理解してしまう。それはこの場にいない者でも悟ってしまう。アキレウスから放たれる充溢する覇気が圧倒的な『英雄さ』を現していた。

  前に立つヒッポメネスの存在感はアキレウスと比べると哀れみを誘うほどに矮小だ。

  それでも、彼は静かに怯むことなく佇む。その姿こそ彼が最も信仰した神が彼を称した『嵐の前の静けさ』そのものだった。

 

  ヒッポメネスは手にする槍に魔力を込める。

 

  槍に仄かな魔力光が灯り、たちまち隣に流れ広がる海の一部が槍へと集結していく。

  海から集まってきた水流が彼の槍に馴染むように張り付くと、矛先が一つから三つに増幅される。

 

  三叉槍(トリアイナ)

 

  かの大海神の象徴であり、最強の矛。

  ヒッポメネスの持つその三叉槍は所詮模しているだけにすぎない。贋作でもなく、唯の模造品。偽物にも本物にもなれない、劣化品だ。

 

  しかし、彼はその槍を()()()()()()()()()()

 

  ヒッポメネスは直に三叉神槍(トライデント)を見たことがない。しかし、見たことがあるのだ。間接的に()()()()()()で本物を知った。

  海の記憶、海の存在、海の脈動、海の深淵、海の真名。

  原初から終焉まで、彼は知ることができた。生涯を賭けても人が辿りつくことができない領域を、()()の気紛れにより夢の中で垣間見たのだ。

  本物の様に偽物を振るう。それはきっと無様なのだろう。贋作と罵られても可笑しくない。しかしその槍に培われた技と記憶は彼の絶対唯一。

  海を振るうは大海神の技。大水流を振るうのがヒッポメネスの技。知らぬ者はそれが大海神の技だと知るわけがない。ヒッポメネスもそれを祖父の技と言うつもりはない。これはヒッポメネスだけの()()()()だ。

  彼だけの全てを───大英雄一人に対して集結させた。

 

  一抹の勝利を望み、死ぬ覚悟もある。後は彼女だけだ。少しだけアタランテを見る。秀麗な顔は僅かな困惑に歪んでいた。

  ヒッポメネスはそんな困惑の表情でさえ、愛おしいと思ってしまう。場違いなのは理解している。

  六十年だ。生き別れた時には二十年、理想を追って六十年。生前八十年の形が今のサーヴァント(バーサーカー)だ。自分に向けてくれる感情や表情、言葉でさえ、ヒッポメネスの心を溢れさせる。

  アタランテの全てを許し、許容するヒッポメネスだがそれでも彼女に似合わない言葉があることなど承知している。少なくとも彼女は自分とアキレウスの戦いを止めることはない。二人の間に割り込む言葉など無粋と理解してくれる。

  その事を踏まえ、ヒッポメネスはアタランテに望む。この場に相応しき言葉を、戦士達に贈る賞賛を───

 

 

 

  アタランテはこちらに優しく微笑み、決意の静かな焔を瞳に灯した彼の意図に気づく。アタランテは生前、英霊になった後でも、一度たりともヒッポメネスの内に気付いたことも、覗こうとしたこともなかった。だが、今だけはわかる。彼が自分に望むことを。

 

「…そうか」

 

  誰にも聞こえない程度に呟く。

  決意を理解した。その信念に準ずるならば、応えようと思った。その結末が死だと分かっていても。それが今生の別れになるとしても。

 

  告げられた愛の言葉、婚姻の申し出。真っ直ぐな恋慕の想いに返事できなかった。あまりにも予想外で、思いもよらなかったことに微睡んでしまった。

  不誠実なのだろう。ここまで尽くしてくれたのに、まだ言葉にできていないなんて。

 

  なら…せめて、妻らしく振舞ってみよう。

 

  返事するにも、何かするにも遅くなりすぎた。取り返しがつかないぐらいに、時は戻らない。ならば、狩人という在り方は一時収め、唯の妻として、彼の望みを叶えよう。

  …らしくない、本当にらしくない。こんなこと思うなんて、生前でも考えなかっただろう。そんなことを内心で笑い、心身を引き締めて告げる。

 

  全てを今に持っていき、過去を踏み砕き、未来でさえも棄て去った。

  この場にある全ての者に祝福を、高潔と強欲を持って相対する敵に賛辞を、敗北と亡骸をもって勝利の咆哮を。

 

「双方、構え」

 

  凛と響く声に二人の男は互いの槍を握りしめた。

  戦いに必要な最後の要素は『名乗り』と『宣言』。それ無くして、戦いは始まらない。

  最後の要素は麗しの狩人に託し、男達は命を滾らせる。

 

「大海神ポセイドンの孫にして純潔の狩人の夫、ヒッポメネス」

 

「英雄ペレウスの子にして大英雄、アキレウス」

 

  名も無き島の、大地の上。

  最後のサーヴァント戦が始まる。

  息を大きく吸い込んだ見届け人の狩人が、声を張った。

 

「───始め!!」

 

  英雄殺しの槍と模造の三叉槍が交差する。刹那と散った火花が、槍を交わした男達の相貌を激しく照らした。

 

 




流した血でさえ花となる。
ならば人の為に流した涙は大樹となるだろう。
血と涙も意味はある。 意味にしたいのなら、溢れんばかりの生き様を晒せ。

初歩の初歩もわからん奴に、英雄を語らせるわけにはいかんな。


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大英雄

此処よりは死地

疾走に挑め




  削れる、削がれる、削られる。

  払い、突き、振り下ろす。

  突かれ、叩かれ、蹴り飛ばされる。

 

  圧倒的な戦力差が、技量の差が、経験の差がある。

 

  生きた年月も、駆け抜けた年月も違う。ただ先に生まれただけだ。怪物や好敵手もいない。ただ穏やかな幼少期と愛に貫かれた青年期、理想を担い続けて終えた老年期があった唯の人に過ぎない。

 

  笑えるほどに弱く、勝てる見込みなど一切ない。

 

  けれども、諦めきれない。機会があるのなら嚙みつこうと決めた。決して届かなくても、手を伸ばしたい人がいたのだから。

  だから、だからこそ───この聖杯大戦は本当の本当に幸運だったに違いない。

 

 

 

 

 

  見せられている戦いに、ふと感嘆がある事に気づいた。

  “赤”のライダー、アキレウス。英雄の中で最も速く、人間において最も早いと謳われた私さえも追い越す走力を誇っている。

  “黒”のアーチャーに踵を貫かれ、不死生と敏捷を失っていても大英雄と渡り合えるその技量に感嘆を覚えずにはいられない。

 

  私の夫であっただけのヒッポメネスとトロイア戦争の大英雄では、勝敗など明らかだった。弱点を突かれ、全力でなくてもどちらが勝っているなど語る必要が無いほどだ。

 

  どれだけヒッポメネスが槍を振るおうともアキレウスは弾き、流し、受け止めて反撃でヒッポメネスを追い込んでいく。

  アキレウスが槍を振るえば、ヒッポメネスが弾き切れず、流し切れず、受け止めきれず死にかけていく。

 

  賢者の教えと天賦の才と戦場の疾走が猛威を振るう。ヒッポメネスの肉体を切り刻み、抉り削り、叩き折っていく。

  血は満遍なく衣服に滲む、呼吸が乱れ、意識が朦朧となっていくヒッポメネス。対してアキレウスは変わらない。鎧と肉体に走る傷は全て“黒”のアーチャーとの戦いによってつけられたもの。ヒッポメネスは未だ、彼に届いてさえいない。傷一つさえ負わせていない。

 

  負けるはずだ。負けてしまうはずだ。風前の灯。天災の前に人が叶うはずがなく、吹けば耐える暇も無く消し飛んでしまう。

 

  ───なのに何故、ヒッポメネスは生きている?

 

 

 

 

 

  最初に答えに辿り着いたのはアキレウスだった。目の前の男を本気で殺すつもりで仕掛けている。心臓を、脳を、喉を穿つつもりで奔らせた槍の一刺しは全て寸前で躱された。肉を削られ、身体を傷つけられながらも致命傷だけは避けられている。

 

  あり得ない。

 

  初戦で彼の実力は把握している。“黒”のセイバーの助力があってようやく自分の身体に傷をつけられる程度の技量だ。逃げて、避けることだけに専念しているだけならばまだ分かる。真っ向からの勝負ではなく、魔術や小細工で策を弄する戦いならばもしかしたら───ほんの一欠片の可能性だが自分を殺せるに至るかもしれない。

 

  だが目の前の男は真っ向から挑んでなお、自分の前で槍を必死に振るっている。

 

  何度殺せると確信しただろう。

  だがその度に結果を覆し、懸命に生き延びる。苛立ちは無い、ただただ疑問が思い浮かぶ。宝具か、スキルか。そのどちらかがこの男を生かしていることだけが確かだった。

  だが幾度となく窮地を脱するほどの術を身に宿しているのか? 否、違う。振るう槍で奴の実力を理解する。戦いに明け暮れた者の槍では無い。ならば何故、生きていられる。大英雄と名を残す自分を前に、未だ敵意を抱け続けていられるのか!

 

  その答えは奇しくも振るう槍で理解することとなった。

 

「───なに?」

 

  気づく。ヒッポメネスの槍捌きが、何処か変わっている事に。一挙一動を目にし、何処か既視感を覚えた。

 

 

 

 ───アキレウス、腕で振るうのではありません。脚にも注意するのです。

 

 

 ───ええ、難しいです。ですが指先にまで意識しなければ槍を振るうとは言わない。

 

 

 ───頭で考え、体で動かす。やがて精神と肉体が合わさり、貴方の技となるでしょう。

 

 

 

  生前の幼き自分と師を思い出した。殺し合いの最中、脳裏に過ることでは無い。一瞬の隙こそ致命傷となり得る。それを忘れたのか。忘れるわけが無い、それもまた師から賜った教えであり。

 

  ヒッポメネスが振るう技が師の教えと酷似していた。

 

「っ!?」

 

  距離を取るべく蹴り飛ばす。ガラ空きの胴体に入った鋭く重い蹴りは軽々とヒッポメネスの身体を浮かせ、吹き飛ばした。

  ヒッポメネスは地面に転がり、呻き、震えても、すぐに立ち上がる。砂だらけで、呼吸は早く、汗と血で身を汚しても、固めた決意早く衰えず朽ち果てんとする肉体を鼓舞している。

 

「どういうことだ?」

 

  彼は答えない。答えられないと言った方が正しいのだろう。肺に溜まった空気を吐き出させられ、換気するのに精一杯の状態で喋れるわけがない。ここで特攻したら、殺せるかもしれない。だがアキレウスはそれを自ら律した。

 

「何故あんたがその技を扱える?」

 

  その疑問だけは解明すべきだ。その思いだけが今のヒッポメネスを生かしている。

  酸素を取り込み、息絶え絶えになりながらもヒッポメネスは待ってくれている律儀な大英雄の問いに答えた。

 

「君の…師は、英雄屈指の…大賢者だっ……。君や、ヘラクレス、医術の神と…なった英雄も、あの人から…教わった……。そんな、人が、先生が……」

 

 

 

「こんな弱小の男に…ほんの僅かな、未来を、見出してくれる、可能性(スキル)があっても可笑しくない、だろう」

 

 

  それは、大賢者と呼ばれた彼だけが宿す事が許された特権に等しきスキル。

 

  『神授の智慧』

 

  ギリシャの神々から様々な智慧を授かった、賢者ケイローンの智慧を収束させたスキル。特定の英雄が持つスキルを除いた汎用的なスキルをA〜Bランクまで発揮できる賢者たる彼にこそ許された万能とも言える業の集大成。槍術から弓術、堅琴や医術、野外追跡の多岐に渡る技術を宿し、アーチャーのクラスに止まらない実力を顕現させれる。

  そして、このスキルの真骨頂は

 

  ───マスターの同意があれば、このスキルを他サーヴァントに授けることができることだ。

 

  この日に巡るまでの僅かな猶予期間(モラトリアム)。庭園が国境を越え、“黒”の勇者達が刃を下ろしていた数日間。英雄未満の英雄は英雄の師の元で技と智慧を授かった。

  宙空より堕ちる星の様な槍を、天の覇者たる鳥を穿つ弓を、野山に芽吹く花々を、根源から至った万象の理を、足らずばかりの未熟な器に詰め込んだ。

  それでも彼女に届くとは限らない。それでも想いを通すことが可能とは限らない。多くを知り、多くを学べても勝てるかどうか依然不明。だが───

 

  不明ならば、見えぬ未来があるのなら、最後まで諦めない。

 

 “そういう貴方だからこそ、私は貴方の背中を押したいのです”

 

  そうに語る賢者の声が、今も耳に響いてくる。

 

 

 

 

  ああ、成る程。道理なわけだ。

  そう言われて納得してしまう。飛行機での戦い、狭所で真っ向からの戦いであやつは私に挑み、地上へと叩き落とした。弓兵なれど、真っ向からならばヒッポメネスを叩き潰すことも容易だったのに、私は殺せなかった。憎しみで気づかなかった。あやつの動きに違和感も抱かなかった。

  いつの間に“黒”のアーチャーから授けられたのだろうか。最初からか、はたまた空中庭園に攻め込むまでの数日間の内に教わったのか。

  どちらにしろ、今のヒッポメネスは私が知る男ではなくなった。

  どこまでも弱くて、どこまでも足掻く癖に、どうしようもない程に強欲な男。なのに。

 

  ───……ああ、なんでだろう。

 

  ───どうでもいいと思っていたその背中が。

 

  ───今は、眩しくて敵わないな

 

 

 

 

「なるほど、な」

 

  さすが先生だ。どこまで人を導いて、背中を押すつもりなのだろうか。

  歯牙にもかけない弱者を、屈しない戦士へと変貌させた。こんな記憶にも残らないであろう短い戦争で、一人の男を英雄に昇華させた。

  父であり、兄であり、友である貴方に感謝を捧げよう。

 

「ならば、“兄弟子”として教えてやろう」

 

  この“弟弟子”にケイローンの教えの窮極とは如何なものか。遥か高みの武芸とは何かをその身に刻み込んでやろう。

 

  空気が一瞬で密閉され、窒息しそうなほどの殺気に満たされる。吐く息は白く熱が籠る。両腕の筋肉が一気に膨張し、血管が脈を打った。

  目に込められた光は英雄の()()以外にありえない。

  遥か高みに存在する極致の武芸を、此処に放つ。

 

「これがーーー大英雄だ」

 

 

 

 

 

 

  空気が一度死に、生き返った瞬間に大量の赤い花が咲く。

  刹那で十撃、一呼吸で十五斬、一手で三十突。

  捌ききれなかった英雄殺しの槍の閃光にヒッポメネスの肉体から血が溢れ出す如くに攻め続けられる。

  瞬きも許されない。

  無拍子で最高速度、そして鋼を穿つ威力の刺突に肩の肉が抉れる。苦痛を漏らす空気すら吐いてはいけない。呼吸する暇で命を穿ち削られる。

  神経をすり減らし、血肉を沸き立たせ、魂を膨張させる。

 

  死ぬな死ぬな死ぬな死ぬな死ぬな死ぬな!!!

 

  槍を振るうことなど忘れろ!生きることを優先しろ!ただただこの瞬間から生き伸びろ!!

  生存本能が筋繊維の一本全てにまで呼びかけて、刺突の雨から逃れるように骨と筋肉に鞭を打つ。

 

  考えながら考えるな!!

 

  矛盾だと分かっている。どうすれば生き延びるか、最善を選択するため突きつけられた選択肢をすぐに掴み取る。間違えれば死ぬ、だから間違えないように考えろ。だが悩む時間は取らせない。

  まるで奈落の底の上に引かれた線の上を歩いているような感覚。じっとしていられない、動かなければ落ちてしまう。恐怖など忘れてしまわねばやっていられない。

 

  もう少し、あと少し!!

 

  数秒か数十秒か数分か。もしかしたら数十分かもしれない。槍の壁を前にしてギリギリで生き抜いてきた。相手も人間だ。やがて終わりは来る、終わった瞬間に退がる。

  何もかも限界に達してきた肉体に酸素でも冷気でもいい、とにかく“間”がほしい。一瞬の休息を求めて、意識を手放さない。

  大英雄の槍捌きを前に、傷を負いながらもなんとか前に立てていた。そして、嵐ともいえる連撃に僅かな隙間を目にした。

  ヒッポメネスはこの絶好の機会を逃すわけにはいかなかった。何としても掻い潜り、反撃の一突を放たなければ終わってしまう。

  だからヒッポメネスは叫び、踏み出した。絶対に負けられるか! 此処で…勝つ!!

 

 

 

  一歩踏み出し、胸が爆発した。

 

 

 

「───がふぉ」

 

  喀血してしまった。

  油断した。釣られた(フェイク)だ。

  槍の乱打の終わりと思わせ、胸板へと鉄拳が抉りこみ、肋骨に罅が走って数本が砕けた音と衝撃がした。臓器が破裂するような音はしなかったが、心臓の上にあった左肺は少なくとも凹み、脳に送るはずだった酸素を遮断させる。

  視覚、嗅覚、味覚、触覚、聴覚。外界を刺激として伝える機能がストップする。生命維持の痛覚でさえ停止寸前まで追いやられる。

  心臓の鼓動が何処か遠くに聞こえてくる。あれほど活発に休む事無く動いていた胸が、徐々に止まり、冷えていく。

 

  見えない、暗い。何も感じない。時間が流れているのか止まっているのかも分からない。停止だ。只の停滞だ。周りにあったもの全て無くなった。前の敵も見えない。命の危険さえも感じない。

 

  一度死んだ身だが、死にゆく感覚はあっても死んだ実感はない。

 

  これが死か。僕はもう……終わったのか。

 

  張りつめられていた感覚を解き、下がっていく瞼を自然に降ろし───

 

 

 

 

 

「さらば、殉愛の英雄よ」

 

  ヒッポメネスの胸に叩き込まれた一撃が雌雄を決した。肉と骨が潰れる音が夜闇に響き、ヒッポメネスの身体はアキレウスの拳によって支えられている。

  槍の猛攻撃、終わりの瞬間に拳打へと切り替えたその技量はまさに究極の一。英雄として生きた者に許された領域に、ヒッポメネスは踏み込めなかった。

 

  意識がない。あの一撃で残りの全てを持っていかれた。あやつの目には光が灯っていない。もう声も届かないだろう。

 

  終わった。アキレウスが勝ち残り、ヒッポメネスが敗れた。

  “赤”のライダーが勝ち、“黒”のバーサーカーが負けた。結果としてそう残るだけ。

  当然の結果で、そう決まっていた。それで違いない。間違いなど、あるはずがない。

 

  それなのに、なぜ私は目を逸らさない。

 

  もう動くはずないのに、それなのにまだあの平穏そうな顔を直視している。全霊をかけて敗れた、誉れある死体にまだ意義を求めている。

  死んだ。終わった。停止した。当たり前の摂理に私は反逆を望んでいる。

 

  ここまでなのか? お前はここで眠るのか?

 

  二度目の生の終着点が英雄らしく散るならば本望だろう。

 

  ただの英雄なら、そうだったのだろう。

 

  お前は違う。お前は自分で言っていた。自分はただ私の夫だけだったのだと。英雄なのではない。

 

  そういうのであれば───

 

 

 

 

  私を、置いていかないでくれ

 

 

 

 

  ───瞼を降ろさない。

 

「なにっ!?」

 

  止まる寸前だった心臓に、微かな黄金の輝きが灯る。それは、あの因縁の果実の色と酷似していた。

  純潔の狩人からの口移し、カケラ程度の黄金の林檎が一時の治癒活性を促進させる。止まりかけた血流を、破損して砕かれた骨を、断裂しかけた筋繊維を驚異的な速さで復活させ、死の淵から彼を呼び戻す。

  胸に置かれた大英雄の拳を逃がさないと握りしめる。込み上げてきた血を吐き出し、両足の指で地面を掴む。

  目の前の大英雄を睨みつけ、弛緩した指を丸める。歯の奥が砕けるまで嚙み締めた。そして僅かに視線を逸らし、こちらを見守り続けてきてくれたアタランテを見た。

 

  この戦いを見守るその女は毅然とした面持ちをしていた。何時もと変わらぬ冷然さと自然の美しさを秘めていた。

  変わらない、本当に変わっていない。

  きっと、聞こえてきたあのか細い呟きは都合の良い幻聴だったのかもしれない。

 

  それでもいい。

 

  置いていかない。もう一人にしない。疲れたなら受け止めるし、飛びたいなら先に飛んで導いてみせる。

 

「…………大英雄(おまえ)なんかに」

 

  地獄の最中だろうと、世界の終わりだろうと、大英雄との殺し合いだろうと。

  アタランテがいるこの時間を、出会いを、奇跡を。

 

「奪われてたまるかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっ!!!!」

 

  全身全霊、その身に宿る魔力と魂、全てを震わせた最後の一撃。槍を捨て、拳一つに纏めたその拳打は迷うことなく一直線に放たれた。

  迫る一撃を前にし、大英雄は拳の軌道を確実に捉えた。当たるまでの距離は長く、反らせば外れるであろう愚直一心の拳。それを見てアキレウスは───笑った。

 

  吸い込まれるように大英雄の頬へと拳が突き刺さる。鈍い音が発せられ、その威力の余波が空気を揺らす。海の波を立たせ、大樹の木の葉を揺り落とす一撃は正に英雄の拳。誰にも否定させない渾身の一撃をここに完成させた。

 

「───見事」

 

  その拳を受けてなおアキレウスは倒れない。口元から血を流しながら、自分に血を流させた男を賞賛した。

  怯む事はない、倒れる事も全くない、ただ拳を入れただけ。大英雄を屠ることはできなかった。

  それを見て、ヒッポメネスは次こそ崩れ落ちた。

 

「ヒッポメネス!!」

 

  アタランテの叫びに反応できなかった。

  死んではいない。だが限界だった。

  折れかけた身体を気力のみで支え、残る体力を出し切った。意識を保てるのが幸いないぐらいだ。

  地面に横回りながらも立ち上がろうとするが、力が入らず立ち上がれない。

  勝敗の時は来た。もう抗う術がなく、勝者が敗者に剣を振り下ろすだけ。

  なのに、アキレウスは笑うだけ。笑って、手に持つ槍を握るだけ。

 

  そして、前触れもなく握っていた槍は霧散した。

 

「…なに?」

 

「不思議なことじゃねえよ姐さん。ほら、集中してみろよ」

 

  瞠目したアタランテにアキレウスは当然の如く促した。

  言われるがまま、何に集中するのか分からずに集中する。集中し、ふと気づく。

  サーヴァントを現界させる為のマスターからの魔力供給が成されていないことに。

 

「これは」

 

「さてね。シロウが負けたか、大聖杯が破壊されたか。だがそれがこの結果だ」

 

  ───アキレウスの存在感が薄らいでいく。足元から徐々に魔力が失われ、この世に現界できる時間が終わりへと近づく。

  英霊をこの世に保つのは楔であるマスターの存在が不可欠。大英雄たるアキレウスの魔力消費量は多い。マスターであるシロウから離れすぎた現状、大聖杯からの魔力供給ができておらず、大量に魔力を消費すればやがて消えていく。それを踏まえた上でアキレウスは全力をヒッポメネスに打ち込んだ。

  アキレウスは存在し続けた。それは英霊としての矜持か、生前の行いであるスキルか。戦いの途中で去るということを許せなかったアキレウスは戦い続け、勝ったと確信した。ヒッポメネスが、復活するまでは。

 

「姐さんはアーチャーだからまだ大丈夫だろう。こいつもマスターとのラインが繋がっているからまだ現界できるはずだ。残りの時間がどう転ぶか知らんが、好きに過ごせばいいさ」

 

  「ま…て……」

 

  足首をがっしりと掴まれたのを感じアキレウスは視線を下げる。息絶え絶えとしながらも、こちらへの敵意を衰えさせないヒッポメネスを見てアキレウスは嘆息する。

 

「そういうの嫌いじゃないがここは黙ってろって。余計なことをして俺の気が変わったらどうするんだ?」

 

「まだ、僕は…終わって……」

 

「死にかけで何言ってんだ。変なところで狂戦士(バーサーカー)になんな」

 

  アキレウスが屈んでヒッポメネスの頭を軽く叩くと、ヒッポメネスは「ぐふっ」と再度倒れた。

  やれやれと頭を振る姿に今までの流れを見守る形に徹していたアタランテは尋ねた。

 

「よいのか?」

 

「あ? 姐さんもなんだよ?」

 

「汝は英雄らしく在ることこそ己だと言っていた。この形では汝は…」

 

「そりゃあ納得してねえさ」

 

  途中でアタランテの言葉を遮り、不貞腐れた顔になるアキレウス。恐らくは『敗者』という言葉を聞きたくなかったからだろう。

 

「俺の方が疾く、強かった。それは紛れもない事実で覆ることはない。実際俺の方が勝っていたし、俺が立っている。

  だが立ち続ける者だけが英雄じゃない。誰よりも鮮明に生き、己を魅せ続ける者も英雄の一つだ。

  …それに関して、今回だけはこいつの方が俺より優っていたってだけだ」

 

  ゆえに今回だけは勝ちを譲ったのさ、とアキレウスは言う。負けを認めたんじゃない、譲っただけだと強調した。その様子にアタランテは思わず吹き出してしまった。

 

「ふふっ…」

 

「…なんだよ姐さん。そんなに可笑しいのかよ」

 

「すまんな。汝が数多の勇者、美姫を惹きつけたのは武勇だけではなかった、のだと思っただけだ」

 

  男らしさだけではない、捨てきれない甘さと子供らしさが人を惹きつける。そんな男だからこそ、英雄から大英雄として語られるに相応しき逸話となったのだろう。少なくともアタランテは彼のことをそう思った。

 

「あー、もう分かった。俺はさっさと去る。あとは二人でどうにでもなれ」

 

「ふっ、そう不貞腐れるのではないライダー。…そうだ、一つ伝えなければならなかったことがあった」

 

「ん? なんだよ」

 

「汝との出会い、悪くなかった。さらばだ───アキレウス」

 

「───」

 

  そう名を呼ばれて、アキレウスは背を向けた。背を向ける僅かな隙にアタランテは見逃さなかった。嬉しそうに微笑んでいたところを。

 

「応、じゃあな()()()()()の姐さん。…んで、姐さん泣かすなよ? ()()()()()()?」

 

  「……うるさいなぁ」

 

  鬱陶しそうな呟きの後、大英雄は散っていった。塵芥と魔力の粒となり、解けて消えた。

 

  苛烈に現れて、多くの戦果を挙げて、潔く去っていくその姿に誰が憧憬を浮かべたか分からない。少なくとも彼を目にした者はその在り方に手を伸ばした者もいただろう。

  あまりにも颯爽とした生き方に人並みの幸せを享受することはできなかったのかもしれない。だが、駆け抜けた日々を振り返った時、人が得られる以上の物を得たと大声で笑えた。

 

  そういう生き方をこの戦いでもできた。

  此度の生でも笑えて逝けた。

 

  ゆえに、その後ろ姿に後悔はなかった。

 

 




夜明けは近い

ただ、日の出を待つ



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最後の剣

我らサーヴァント
貴方の盾に、貴方の矛に
命尽きるその瞬間まで、貴方の運命と共に


  本当に、おかしなことがあったものだと嘆息する。

 

  三流以上二流止まり、一流にはなれなくてその上に踏み入れられることはあり得ない。

 

  そう悟っていたから、期待されていないことも苦ではなかった。

 

  姉の予備と育てられたことにも受け入れた。

 

  魔術師として、人間としての生き方を選べれるし、選択できる意思もある時点で魔術師として欠陥だと思っていた。

  こんな英雄同士の殺し合いでも隅っこにでも立って、嵐に怯えながら過ぎるのを待つものばかりだと考えていた。

 

  あえて言わせてもらおう。

 

  ───どうしてこうなった?

 

  姉は既に空中庭園から離脱させた。運がいいのか悪いのか。“赤”のランサーの頼みを聞き入れ、元々“赤”の陣営のサーヴァント達のマスターであった魔術師達を救出した。その際に姉も転移装置に乗せた。

  自分はマスターとして、ユグドミレニアの魔術師として最後まで見届けるという名目でこの神代の化け物がひしめく庭園に残っている。

 

  本当は神代の魔術を見逃すのは惜しかったりしたからだ。なんだかんだ言って、己は魔術師だと内心で嘲笑する。

 

  こんな状況で何考えてんだと。

 

 

 

  剣と刀が剣戟を打ち鳴らし、血が撒かれて、魔力が迸る。受肉した英雄と英雄に限られた時間だけ成れた人間未満。そんな奴らが人類の今後を左右するとは戦争というのは突拍子もない展開にもつれ込むものだとカウレス・フォルヴェッヂ・ユグドミレニアはもう一度嘆息した。

 

  体がだるい。途轍もない疲労感が襲ってくる。一時期収まったのにまた魔力を持っていかれる。魔力の枯渇による体力の消費。カウレスは疲れのあまり、最後の戦いを壁に体を預け眺めていた。

 

  今更、カウレスに注意する者はいない。サーヴァントが隣にいない今、片手間で殺せる脆弱な存在に注意する者などいない。

  殺しあう聖人と人造人間、戦いを見守る少女のような少年と黒衣の女帝。この四人がカウレスの他いたが、あくまで彼らが主人公であり、カウレスは背景か観客にしか収まらない。

 

  それをカウレスは怒らない。ゴルドのように自尊心が高いわけではない。自分の役目は魔力タンクかサーヴァント現界の為の楔と令呪のタイミングを図るのみだと徹している。

  だから、今もこうして見守っている。誰にも気づかれず場違いな場所に留まり、己のサーヴァントの戦いが終わるのを待ちながら。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ヒッポメネスは酷使し続けた肉体に力を入れる。

  正直に言えば泣きそうぐらい痛い。身体中、あらゆるところが血で滲み、折れていては動かない。息すれば胸が動いて痛む。小さな所作でさえ痛むのに、動かなければならないことを嘆きそうだ。

 

「…あぁ、くそ」

 

「…あれだけやられてよく動く。泣き叫んでも呆れはしないぞ」

 

「はは…、狂化がこんなところで役立っているよ」

 

  『狂化:E-』、痛みを感じにくくするだけの能力を発揮するが、この時ばかりはその恩恵を享受する。

  ふらつく動きだがなんとか立てた。ヒッポメネスは槍を拾い、そして地面に突き立てていた小剣も拾う。

 

「ヒッポメネス」

 

「なに、アタランテ?」

 

「汝は私を愛していると言った。だが、私はその言葉に返答していなかったな」

 

  動揺し、動きが止まる。立つ力の無いアタランテは岩に背を置き、身体を上げて緊張したヒッポメネスの目を見て告げる。

 

「私は…子供達を愛そうとしても誰か一人に愛を向けたことがない。私の愛は広く、決して個人に対してのものではなかった。だから…汝を愛しているといえば、それはきっと虚飾の言葉になってしまう」

 

  だが。

 

「だが、汝と居た日々は安らげた。汝と生きていた時間は何でもなかったように思えたが、振り返れば何でもないことが暖かさを秘めていた。それは決して嘘ではない」

 

  都合がいいことだ。

 

「なあ、ヒッポメネス。汝は本当はこんな女がいいのか? 今の今まで何も気がつかず、汝の好意を知っても愛していないと都合がいい事を言う女が…本当にいいのか?」

 

  こんな事を言いつつも、求めている。誰でもなく、私だけに対して激情も醜態も惜しみなくさらけ出してくれる特別な人を。私だけしか知らない貴方を求めている。だが自分は何も教えないし、返さない。

 

  そんな都合がいいことを、傲慢で強欲で汚いことを言っていると自覚している。

 

  小娘にも劣る、愛を知らない女の我儘にお前は───

 

 

 

「君だけだ。もう、君しか愛せそうにないや。だから君以外はありえないよ」

 

 

 

  ───これは、駄目だな。

 

  そんな風に照れた顔で言ってくれるな。私まで恥ずかしくなってしまいそうではないか。いつもは弱々しいくせに全て吐きだしたらこんな風に口にするなど、卑怯じゃないか。

 

「ヒッポメネス」

 

「なんだいアタランテ」

 

  この想いは今生のみなのかもしれない。死に座へ帰ればこの時間も、この語らいも全て無に帰す。愛を知らず、ヒッポメネスを知らない純潔の狩人(アタランテ)へと戻る。

  だが、そうだとしてもこの時を生きる私は私のみだ。この私が何処へ消え、どこに向かうのかも知れぬが───

 

「私と、本当に一緒にいてくれるか?」

 

「ああ、足りないなら何度だって叫ぶよ」

 

「ずっと?」

 

「ずっと、ずっとさ」

 

  二人ならば寂しくはない。なら、何処へ行こうとも一緒なら言葉にしよう。

 

  この刹那な想いが永劫にも負けぬ熱になるように───

 

 

 

「結婚しようヒッポメネス。ずっと愛してくれた汝に愛を授けたい。まずは、この不器用な女に恋を教えてくれまいか?」

 

 

 

「───ぁっ」

 

  なんと言葉にしていいか。この感情をどう名付ければいいか彼には分からない。幸福なんて言葉じゃ足りない。たった二文字じゃ収まりきれない。言葉だけでは表しきれない。

  その笑顔は本当に卑怯だろう。ただの笑顔、何の含みもない純潔の笑みが心臓を鷲掴みにされた。思わず、力が抜けて頬が緩んでしまう。

  途方も無く涙が溢れ続け、どうしようもないほどに叫び狂いそうだ。

  もう表情なんてきっとぐちゃぐちゃで、形容し難いほどに纏まりきれない感情で溢れかえっている。

  何か、何か返さなければ。ここで言葉にしないなんてとんでもない。ヒッポメネスはどうしようもないほどに崩れた泣き笑いの顔で叫んだ

 

「…っ、ありがとう!!!」

 

  言えた言葉がそれだけ。あとはただ情けないことに痛む身体に無理にでも動かし彼女に近寄ることしかできなかった。そして、抱きしめる。ただ抱きしめるだけ。細く、力を込めたら折れそうな身体。その身体で偉業を成してきたことに尊敬の念を覚える。

  彼女もただ、抱きしめられるだけでこのままずっと続けばいいと───いや、ダメだ。

  幸せなのに、それでもやらなくちゃいけない事がある。此処で踏みとどまってしまっては、もっと取り返しのつかないことになってしまう。

 

「行ってくる。必ず戻ってくるから、待っていて」

 

「約束だ。言ったからには必ずだぞ?」

 

  彼女を抱きしめたまま、意識に集中させる。遠い遠い空の上、遥か天に近き大地にいる。

 

  我がマスターへと。

 

 

 

 

 

 

  ーーーカウレス君

 

  ーーー待ちくたびれたぞバーサーカー

 

  ーーーごめん、でももう大丈夫だ

 

  ーーーやれるか?

 

  ーーー勿論

 

  口の端を上がる。何時までこの時を待っていたのだろうか。

  魔術刻印を継承してから底上げされた魔力でも、追いつきそうにないほどの魔力消費に疲労が凄まじかった。

  連絡も取れず、やられてしまったも思ったがそうではなかった。

  ずっと戦っていたのか、それとも妻と過ごしていたのかは分からない。でも、最後の最後まで生き残っていた。カウレスは手の甲に刻まれた一画の令呪を見て、ジークとシロウの戦いへと目を移す。

 

  英霊であり戦場を経験した天草四郎時貞とサーヴァントとなり戦ってきたジーク。

  ジークフリートに追いつこうと経験を引き出すジークだがそれは模範の範疇を超えることができず、片腕を無くしていても刀を振るい圧倒的に攻めていくシロウ。

  サーヴァント同士の最小の戦争に近く、人の一騎打ちの技量を超える戦いは終盤間近。

 

  ジークがシロウに斬られる度にその傷が数秒で治る現象にカウレスも驚いたがその現象の原因はすぐにわかった。

  バーサーカーの宝具の影響、黄金の林檎の影響だ。

 

  ジークを救う為に食べさせたのは不死に成れるという黄金の林檎。三位一体で全力を出せる宝具だったのに、完全に力を出し切ることはなかったのは残念だが今は結果として功を成している。それがちょっと誇らしい、ひどく威張りたい気分だ。

  戦闘面では目立てなかった癖に、変なところで活躍するとか相変わらず変な奴だと改めて思ってしまう。

 

  ーーーさて、頑張れよ?

 

  ーーーははは、期待に応えられる程度にはね

 

  ーーー十分だ。

 

  ここが恐らくカウレスがこの聖杯大戦で辿ってきた全てが収束することとなる。召喚から交流、そして自らの決意の全て。

 

  さあやってやろう。きっとここで叫ぶと───かなり痛快だ!

 

 

 

「やっちまえ!! バーサーカーーー!!!」

 

 

 

  この時、戦っていた者、見守っていた者全てが叫んだ只の魔術師を見た。自信満々で、誇らしげに自らの腕を掲げて叫んだ。腕に刻まれた残り一画の令呪。その一画が紅く光り、魔力の解放を知らせる合図となる。

 

  魔術師のすぐ隣、何もなかった空間に一人の青年が転移した。

 

  血塗れで、傷だらけで、とても痛々しい風貌だった。装束だった首回りは血で紅く染まり、泥に汚れ、何度も斬られたのか千切れかけている部分もある。

  だが風貌こそ酷いものだが現れた瞬間に発せられた威圧に誰もが理解した。

 

  大英雄が入り乱れる最悪の戦争の中で弱いと判断されながらもこの終盤まで生き延びてきた。此処に辿り着くまでの経験は成長には繋がらないだろう。しかし、強敵との戦いが彼を相応の戦士へと変えた。

 

  だからこそ、“赤”のアサシンは現れた瞬間魔術を発動させた。“黒”のライダーを縛る青銅の鎖と同じ物を現れた青年へと差し向ける。

 

  だからこそ、“黒”のライダーは拳を上に突き上げた。友の再会と最高のタイミングでの登場。かっこいいじゃないか!と誇らしげに叫んだ。

 

  だからこそ、ジークは少しだけ気が抜けた。戦いの最中でそんなことをすれば致命的な弱点を晒すのに、それでも気が抜けてしまった。

 

 

 

  だからこそ、シロウは身を強張らせた。既に消えたものかと思っていた。実力的に考えれば、下から数えれば早いサーヴァント。危険視していた宝具も欠落が生まれ放置していた。

 

  だがそのサーヴァントを放置した結果が今はこの状況を生み出した。

  目の前のホムンクルスの命を留め、宝具を使い“黒”のセイバー(ジークフリート)へと昇華させた。そして“黒”のセイバーに成れぬ今、只のホムンクルスに戻っても尚その力は残っていた。

 

  ジークとの戦いの最中、ジークの明らかな異常に気づいた。どれだけ傷つけようとも驚異的な回復力が傷を修復させる。その回復力の源は心臓だった。戦いの途中でも、筋肉と皮膚に覆われていても黄金の輝きが見て取れた。

 

  竜殺しの心臓と黄金の林檎。

 

  竜の血を引く心臓と人を不死へと昇華させる果実。その二つを肉体に宿す人造人間。

  生まれたばかりの無垢な魂が成立させた二つの神話の集合体。幻想種の血を不死へとさせる肉体が自らの前へと立ちふさがる。その強敵を倒せる寸前だった。寸前だったはずだった!!

 

  迫りくる数十の鎖に青年は───“黒”のバーサーカーは真っ直ぐに駆け抜けた。鎖の僅かな隙間を掻い潜り、払い砕き、ただ前へと走り抜ける。

  鉤爪が先端に付いた鎖が服に引っかかり、動きが一瞬止まってしまった。それを好機と“赤”のアサシンは鎖を倍へと増やし、“黒”のバーサーカーへと降り注がせる。

 

  だが、この程度で止まるわけがない。

 

  僅か数日だけ大賢者の弟子となり、兄弟子となる大英雄と槍を交えた。あの神域の武芸を見た今、百にも及ぶ鎖など───障害になり得ない。

  槍と小剣を巧みに振るう。最初は只の工夫でしかなかった変形武術だった。単なる思いつきが今では一つの型として成立する。鎖の壁など容易い。アキレウスの槍と比べれば、あの苛烈さと比べれば……簡単に超えられる!!

 

  バーサーカーは跳躍する。鎖の壁をたやすく飛び越え、最後の戦場を空中で見下ろした。

  槍を持ち替え、投擲の構えを取る。投げ穿つのは決まっており───極東の少年へと視線を固めていた。

 

 

 

  君と語ることは何もない。でも、仲良くなれたかもね。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  ───避けろ

 

  ───避けろ避けろ避けろ避けろ避けろ避けろ避けろ避けろ!!!

 

  脳に鳴り響く警戒が酷く暴れ回っている。あの一撃は、一投は確実に命を刈り取る。

  それを本能が理解し、咄嗟に後ろへと飛んだ。一瞬の判断だった。それが間違いではないと悟ったのは一秒にも満たない後だった。

 

淵源=波及(セット)!!」

 

  詠唱後に投げられた槍は魔力を唸らせ、爆発した。魔力の爆発により推進力を得た槍は今までのバーサーカーの投擲を遥かに超える完成度を誇っていた。宝具にはならずとも、まともにくらえば普通のサーヴァントでも致命傷を負うことが必須の一撃。その一撃は僅か前にシロウが立っていた場所に着弾し、着弾した床は放射線状に亀裂が走った。

 

  やった、やったぞ!!

 

  歓喜が込み上げる。恐らくあの一撃は最後にして最高の一投。令呪による空間転移、あの転移でバーサーカーのマスターは令呪を使い切った。マスターである少年は大量の魔力消費に疲労している。あの様子では長くは戦えない。あと少し、あと少し耐え抜けばこちらの勝利である。

 

  なのに、バーサーカーの目に苦渋の色が無い。

 

  シロウの目はバーサーカーを捉えたが、彼は投擲をしきった体勢で次の行動へと移ろうと体勢を変えた。

  槍を投げた腕の反対、小剣を持つ腕を投げる姿勢へと移った。

  二度目の投擲。それに対してシロウも回避行動を考えた。

 

 

 

 そして、シロウが槍の投擲の回避行動を取った一瞬

 

  回避するために後ろに飛んではならなかったと悟った。

 

 

 

  バーサーカーが上へ飛んだから上を見上げていた。それが仇となった。

  投擲を避けるばかりで、避けた後のことを考えてなかったことが仇となった。

 

  こちらへ駆けてくるホムンクルスを視界に映し、漸く間違いだと気づいた。

 

 

 

 

 

  合図されたわけではない。ただ、此処が好機だと思って走り出していた。手には既に折れた細剣。使い物にはならない。ライダーから譲り受けたものだが投げ捨てた。

  何も持っていない。武器などなく、あるのは拳のみ。

  後ろへとと飛んで避けた天草四郎は滞空している。この好機を逃せば、自分は殺されてしまう。何もない自分が天草四郎をどう殺すか?

  殴る?締める?折る?自分がサーヴァントにそんなことができるはずもない。できるとしたらサーヴァントの武具のみ。

 

 

 

「ジィィィィィィィクゥッッッ!!!」

 

 

 

  ガィン!! と前の地面へと流星のように小さな鋼が飛来し、突き刺さる。

  槍の投擲とは違い、ただ投げただけ。殺す威力ではなく、“渡す”だけの投擲。

  ジークは走りながら拾いあげる。拾いあげて、一気に駆け疾る。()()()()を敵の心臓へと向けるように持ち替えた。

  あとはただ走った。腕を振り上げる必要も振り下ろす必要もない。ただ走って突き刺せばいいのだから。シロウ足が地面に着きそうな瀬戸際、ジークは間に合った。

 

「貴様ーーーー!!!」

 

「ーーーああああああああああ!!!」

 

  腕を突き刺す。たったそれだけの動作に全ての力を込め、叫んだ。

 

  ズブリ、とした鈍い感覚が小剣から伝わった。

 

「ぐっ!?」

 

「マスター!?」

 

  その感覚を後にジークは地面へと転んだ。勢いよく走った為に派手に転び、その無様な転びように“黒”のライダーが叫んだ。

 

「マスター!? ねえマスター!? 大丈夫、君大丈夫なの!?」

 

  “黒”のライダーは必死になって駆け寄った。一心不乱にダッシュし、ジークの胸元を持って力一杯揺すった。

 

「あ、あぁ、大丈夫だ。大丈夫だから揺らさないでくれ」

 

  酔いそうになるほどめちゃくちゃに揺さぶられてからライダーは揺するのを止めて、ジークに抱きついた。

 

「このバカぁ…! なにやってるんだよぉ…サーヴァントに挑んちゃってさぁ…!!」

 

「…すまない」

 

  ジークは “黒”のライダーの頭をあやすように撫でた。ぐずるようにジークの胸で泣くライダーは気づいているのだろうか。いや、確実に気づいていない。

 

  ───自分を縛っていた鎖が消滅していることを。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「どう思う?」

 

「…さあね。少なくとも消えたということは戦う気は失せたってことじゃないかな?」

 

  バーサーカーの横へ辿り着いたカウレスは“シロウを連れて転移した赤のアサシン”についてバーサーカーへ尋ねたが、バーサーカーは追う気が無く。泣きじゃくるライダーとジークを見つめていた。

 

「まあいいか。さすがに心臓刺されて生きている奴がいるわけないよな」

 

  そう、サーヴァントであろうと人間であろう。霊核であろうと心臓であろうと、急所を貫かれた時点で死は確定した。

  あの主従が何処に消え、どう過ごそうともカウレス達には関係ない。だから二人は漸く安堵のため息をつけた。

 

「まあ、そういうこと。…それでその娘は」

 

「ルーラーが憑依していた娘だよ。名前はレティシア」

 

  カウレスが背負っている少女、レティシアという娘はルーラーの容姿と酷似、いや瓜二つだった。元々生身の人間に憑依していたと知っていたがここまでそっくりな娘だということにバーサーカーは驚きだった。

 

「じゃあルーラーは…」

 

  カウレスは沈黙で返した。その意味を理解し、その後は追求しないことにした。

 

「さて、俺たちの勝ちか?」

 

「勝ちだったら…僕はアストルフォと戦わきなきゃならないのかな?」

 

  と言ってもバーサーカーに戦う意思はない。それはカウレスも同様である。願いがそもそもないし、今更ライダーと戦ってどうなるのだ。冗談を零したバーサーカーに呆れるように笑いかける。

 

「今更聖杯なんていらないだろ。それに聖杯は───」

 

  使い物にならないだろうと、そう呟こうとした時。

 

  庭園が震えた。

 




だから覚悟を
戦いの過程が、結果が悲惨そのものになろうとも

貴方は盾を掲げ、剣を振るい続けた


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救済を賜わす奇跡の杯





ありがとう






  唐突に床が揺れ、パラパラと天井から瓦礫が落ちてくる。突然の異変に泣いていたライダーが顔を上げ、顔色を青くする。

 

「な、なに!?」

 

「…そういうことか」

 

  バーサーカーはこの広場の中央に座する巨大な建造物を見た。鳴動している。光を強く放ち始め、今にも起動せんと鼓動を鳴らしていた。

 

「こ、これは…」

 

「動き始めたんだ。天草四郎の願望───人類救済が」

 

  既に願望機としての役割を終え、人類救済機へと変貌した聖杯は起動していた。八割という損傷を負ってもなお動こうとするその姿は、天草四郎の執念を現しているようだった。

 

「出よう、此処にいたら上空七千五百メートルから墜落する」

 

  ライダーの言葉にカウレスは文句を言うこと無く頷いた。こうなってしまった以上止められない。この大聖杯を止められる手段など此処にいる者全て持ち合わせていなかった。

  どうしようにも、結果は天草四郎の勝利。そしてジーク達が敗者だった。

  生きて帰る。もうそれしかなかった。

 

  ジーク以外の者達は。

 

「いや、俺は此処に残る」

 

  その言葉に震えたのは“黒”のライダーだった。

 

「なに言ってんだ!! 無理に決まってるだろ! こうなった以上どうする事も出来ない! ああ、負けさ負けたんだ! 悔しいけどあいつらの勝ちだ! それでいいだろ、もう帰ろう! 帰って幸せになろうとしろよ!!」

 

  その慟哭は切なかった。希望を前にし、絶望に打ちのめされることなく大聖杯を前にして立つジークの姿に“黒”のライダーは不安を隠せなかった。

  生きるチャンスがある。これからは自由で生きていけるかもしれない。自由の可能性を捨てる覚悟がジークの横顔から見えてしまった。

 

「ーーーすまない」

 

「なにが、すまないだよぉ!!」

 

「ライダー…」

 

  なにがあっても、テコでも動きそうにない。ジークのその姿勢に目尻に涙を溜めるライダーだった。どうしようと困ったところ、ライダーの肩に手が置かれた。

 

「ライダー、君が助けた少年はとんでもない頑固者になっちゃったね?」

 

「バーサーカー…」

 

  苦笑いここに極まりと言わんばかりに疲れた笑みをしていた。だが、すぐにその表情をしまいこみ真面目な顔へと変わった。

 

「だけどねジーク。策はあるのかい?」

 

「ああ」

 

  ジークは右手を見せつけるように掲げた。右手に浮かぶ黒い痣。だがそれは“痣”ではない。目を凝らすと分かる、その痣の本当の正体が。それが分かりライダーは息を止め、バーサーカーは観念したように目を閉じた。

 

「…そういう、ことか」

 

「最初から答えが出ていた。貴方に身体の様子を調べてもらった時から、令呪を使い切ったらどうなるかは予測できていた」

 

  三分間だけの限定召喚。三分間だけジークフリートを憑依させ、肉体を竜殺しへと成させる。その三分間の時間、竜の、幻想種の頂点の血がジークの身体を駆け巡る。ジークフリートならば耐えられる血の重圧。ジークの体が耐えられる筈もない。

  だが、その血に対抗できる手段をジークは得ていた。それが不老不死の果実。竜の血がジークの身体を穢し、力の代償を払えと迫るが不老不死の果実がジークの肉体を令呪を使用する度に修復していた。

  それでもいつか限界がくる。五回目の令呪の使用の時、竜の血がジークの身体に深く濃く根付いた。血の濃度が上昇した時、肉体を最高峰にせんと働いていた不老不死の果実は自我なき意思で判断した。

 

  ーーー排除ではなく、さらなる進化を

 

  その進化が促される。竜の血と黄金の果実が混ざり合い、ジークの肉体は“人間”のものではなくなりつつある。

 

  ジークの右手、黒い痣から“鱗”が生えていた。

 

「…でも君が“成る”時間が足りない」

 

「完成間近の聖杯なら、僅かな願いを叶えてくれるだろう」

 

  完敗だ。そう言いたげにバーサーカーは自分の髪を乱暴に掻いた。

  完敗間近の聖杯は願望機としての機能を少しだけなら備えてくれている。その少しの機能で、小さな願望を成就させてくれる。

  ここまでの材料が揃っている今、ジークを引き止められない。

 

「…どうしてもやるのかい?」

 

「ああ、自分で決めたことだ。俺が選び、俺が決めーーー」

 

「大反対だよ!!」

 

  ライダーは叫ぶ。心の何処かでそれが無駄なんだろうなと分かっていながらも叫んだ。

 

「君には幸せになってほしかった! こんな戦いから離れて、当たり前に笑って、最後には生きていてよかったっていいながら死ねる人生を歩んでほしかった! なのに、なのに…! これじゃあ君は…死ぬよりも恐ろしいことになるじゃないか!!」

 

  ジークがしようとしていることが死よりも酷いことになることを察した。理屈は分からない、だがそれを理解できる。だから嗚咽も悲鳴も隠せない。守りたかったのに、こんな悲劇を招くなんて…!

 

「…きっと、ルーラーも同じ想いだったから俺を遠ざけたかったんだと思う」

 

「じゃあなんで…!」

 

「ルーラーが信じた人間、ライダーが信じた人間。俺は二人が信じた人を信じてみたいんだ」

 

  悪も正義も巨悪も善も兼ね合わせ、一つの信仰でも多数の価値観が生まれて争い殺す、醜くも美しい生命体。成長は遅く、理性的なのに本能に忠実な愚かさ。絶望を覚えて嫌悪する者もいる。

 

  だが逆に愚か故に学び、悔いては立ち上がり、前へ進もうと足掻き続ける人間の魂はなんと美しいことかーーー

 

  人を愛したジャンヌ・ダルク、人を肯定するアストルフォ。この二人に導かれたこそジークは今ここに立っている。そして、自らが成したいことを見定めたからこそジークは歩み始めた。

 

「…じゃあ、ここでお別れか」

 

  引き止める言葉は無駄であり、彼の決意に水を差すと分かった。ならば、言うべきことは決まった。

 

「さようならジーク。また会えるといいけど…その時は妻を紹介するよ」

 

「ああ、是非紹介してくれ」

 

  そんなやり取りが可笑しくて少し笑って、バーサーカーは踵を返した。あとはライダーとの話でいいだろうと思ってのことだった。バーサーカーがもっと話さなければならないのは───

 

 

 

  レティシアを抱え、すぐにでも脱出できるように準備する。といっても“黒”のライダーがピポグリフを召喚してくれなければ話も準備も何もない。ただジーク達の会話を待つばかりだったのだが。

 

「カウレス君」

 

  自分のサーヴァントだったバーサーカーがやってきた。

 

「奥さんとはどうだった?」

 

「ああ、うん。おかげさまで仲直りできたよ」

 

「そりゃあよかった。あんなめちゃくちゃな内容で令呪使ったんだ、それなりにやってもらわなきゃ意味がないからな」

 

「ははは、だよね」

 

  別れの言葉はーーー不要だった。その言葉なら既に空港で済ませてある。終わり間近に余ってしまった一時に過ぎない。

 

「……うん、でも本当、よかった。本当によかったよ。君にもアタランテを紹介したかったけど無理みたいだ」

 

「…そうみたいだな」

 

  時間がない。大聖杯が起動し、ジークが聖人の願いを成就させようとしている今では時間が足りなさ過ぎた。

  本当に申し訳なさそうにしているバーサーカーにカウレスは苦笑いする。

 

「ごめん、お待たせ!」

 

  間も無くしてライダーがピポグリフに跨りながらカウレスの元まで駆け寄った。まずは眠っているレティシアを乗せ、次にカウレスがピポグリフに乗った。

 

「じゃあ、アストルフォ。カウレス君をよろしく」

 

「…君は来ないの?」

 

「僕には先約があるからね、君ともここでお別れだ」

 

「そっかぁ…」

 

  分かっていた、いずれそうなるとは。それでも別れは辛いもの。それを隠さないこの少年のこういうところに好意を抱く。

  そして、ふと思いついた。それはとんでもないことで、誤ればどんな被害を与えるか知れたものではない。

  だがバーサーカーは、ヒッポメネスは知っている。この目の前の少年は底抜けの善人であることを。理性が蒸発して予測不能なのが不安だが…それでも信じられる大馬鹿者だ。

 

  だからこそ、バーサーカーは決断した。

 

「ねえアストルフォ」

 

「ん、なに?」

 

「いい物あげるよ」

 

  残り僅かになりつつある魔力を消費し、ある物を喚びだす。それを手に取り、ライダーへと投げ渡した。

 

「え!? ちょっ、これ!?」

 

「おいおいおい、マジかバーサーカー」

 

  ライダーもカウレスも瞠目する。投げ渡された“ソレ”は本来ならば譲ってはいい、というより譲る筈がないモノ。

  黄金に輝く魔性の果実、バーサーカーの象徴たる宝具、“黄金の林檎”だった。

 

「僕にはもう不必要な物さ。それは幸福を呼ぶが災いも呼び寄せる。…特に邪な者にね」

 

「そんなもん僕に寄越すかなぁ!? というか、なんで君といいあちらのライダーもほいほいと宝具を渡せるの!?」

 

「君だってあの槍を生前に他の人に渡してなかったけ?」

 

「あ、そうだった」

 

「いやいや納得すんなよ」

 

  少しだけ話がズレそうになったが渡された林檎を少しだけ悩んだがライダーは受け取ることに決めたのか、懐に仕舞った。

 

「…というかなんで僕にこれを渡すのさ? 宝具だよ? 君の半身みたいなものじゃないか」

 

「うん、僕の半身だから君に渡すのさ。君ならその林檎を間違いなく僕が望んだ通りに使ってくれると思ってさ。…まあ、言うならばささやかな心残りかな?」

 

「心残り?」

 

「カウレス君を無事にトゥリファスに帰還させてあげてくれ。そして、君がしたいようにそれを使ってくれ」

 

「…よく分かんないけど、分かった。でもあんまり期待しないでよ? 本当に意味わかんないんだからさ」

 

「大丈夫。君と()()なら、信じられるから」

 

  純粋な信頼の眼差しに、ライダーは首を傾げた。何をしてほしいのか、何に期待されているのか全く分からない。でも、バーサーカーはライダーなら信じられると言ってくれた。

 

「そんな風に信じられちゃったら…、応えるしかないよね!」

 

「いや、いいのかよそれで…」

 

  なんとも能天気に答えるライダーに嘆息するカウレスだが、それに反してバーサーカーは優しげな目で可憐な騎士を見つめた。

  そうして、バーサーカーは霊体化し始めた。これから落下し始める庭園の中で現体化しておくのはまずいだろうという対応だろう。

  徐々に消えていく温厚な狂戦士の姿に、其処にいた皆が目を逸らさず見つめる。そんな戦争を駆け抜けてきた戦士達に狂戦士は、ヒッポメネスは腕を掲げて吼えた。

 

「───さらば、今生の友達よ!! 君達の行く道に幸あれ!!」

 

  未来への福音、まだ見えぬ先へ祈り、雄叫びと共にその姿を消した。何も残らなくなったその場に、ライダーは腕を高らかに上げて応えて、ジークは振り返らずに頷き、カウレスは───

 

「じゃあなヒッポメネス!! お前と戦えて楽しかった!!」

 

  先に駆け出した青年は後ろから聞こえる声に、小さく微笑んだ。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  白く染まりつつある空を見上げると世界の終焉を思わせる風景を目にした。神代の時代を思わせる建造物が海へと落下してくる。植物や瓦礫、大小構わず降り落ちる旅に波が立ち、やがて津波となって地上に被害を齎すだろう。

  あの建造物を知っている。あれが何なのかを知っている。そしてこの墜落が何を意味しているのか分かっている。きっと、失敗したのだろう。あの極東の聖人は人類救済を達成できなかった。主観は違ったが人を救いたい気持ちは同じだった為、嫌いではなかったが世界を救えなかったことに対して残念に思える。聖人の救済が自分の描く救済と同じものにならないと気づいた今だが、それでも可能性が潰えたことに何も感じないことはなかった。

  少しだけ落ちてくる量が増える瓦礫に不安が過る。想像しうる最悪の未来を浮かべて、消すように念じる。大丈夫、大丈夫だ。約束した、だからあの人は必ず現れる。

 

  黒が晴れる寸前の空をもう一度見上げ、超越した視力を持つ彼女の目には燦々と輝く星によく似た光源を見つけた

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「……マジか」

 

  思わずそう呟いた。呼吸をする事を忘れ、心臓も鼓動を忘れたかのようだ。先ほどまで味わっていた命の危機に怯えることも消し飛び、ただただカウレスは目の前の光景に全身が痺れた。レティシアを支え、必死にアストルフォにしがみついていても思わず落ちてしまいそうな程に。

 

  黒く重みのある巨躯、大地を削りとれるであろう爪、炎や雷霆をも防ぐ鱗の甲殻、天を駆け風を裂く鋼の翼。全ての生命の頂点に立つその存在は現代から消え去った。

  だが、あらゆる神話をも繋がらせる聖杯戦争だからこそあり得た奇跡。永遠に見る事ができないその姿をカウレスは見た。

 

  そして、永遠に忘れないだろう。その雄々しくも醜くも気高い現し身を───

 

  竜の姿を。

 

  ファブニールとなったジークの姿を。

 

  大聖杯を口に咥えて、人類の希望を持ち去る悪竜の羽ばたきを。

 

  ───カウレスは、二度と忘れない。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  聖杯か、と誰にも聞こえぬ声で呟いた。

  あの聖杯は何処へ飛んでいくのだろうか。あそこにいた者が聖杯に手を加えたのか、遥か空の彼方へと飛んでいく姿をただ見送る。

  さすがの純潔の狩人も上空七千五百の距離をずっと見つめることはできない。聖杯の光をやがて見失う。

 

  だが一つ、見つけたものがあった。

 

  庭園の残骸が雨の如く降り積もる中に、人を見つけた。

 

  失墜する瓦礫の一つにしがみつき、瓦礫から瓦礫へ飛び移るように落ちていく一人の青年の姿を捉えて、安堵のため息を漏らした。

  その青年はすぐに海へと落ち、他の瓦礫を避けながら此方へと泳いでくる。達者な動きで瓦礫を掻い潜り、波に乗ってやってくる。

  待つ時間も短いだろう。そんな事を思いながらアタランテは彼の到着を待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

「ああ、おかえり。約束を守ってくれたな」

 

「当たり前じゃないか。君との約束は絶対守るよ」

 

「よく言える。約束などこれが初めてではないか」

 

「あれそうだっけ? まあうん、いいよね?無事帰ってきたんだし」

 

「まったく調子がいいことを…」

 

「ははは、ごめんごめん」

 

「……終わったのか?」

 

「ああ、終わっちゃったよ。全て終わって、後は時間が全て解決してくれるさ」

 

「そうか。もう吾々の力は必要ないか」

 

「うん、僕達の、魔術師達の聖杯大戦もこれで終焉さ。僕達も…あとは時間の問題だね」

 

「…そうだな」

 

「…あ、そうだ」

 

「?」

 

 

 

「……汝がしたい事はよく分からんな」

 

「そう? 前から一度してほしかったんだよね〜」

 

「はあ…まあいいがあまり動くな。こそばゆい」

 

「いいじゃないか。膝枕なんだし」

 

「だから動くなと言うておるにっ」

 

「痛っ!」

 

 

 

「……ねえ、アタランテ」

 

「……なんだ、ヒッポメネス」

 

「朝日が綺麗だ。とても綺麗だよ」

 

「ああ、太陽神が目覚められたようだ」

 

「月女神は眠っちゃったようだね」

 

「残念だな。アルテミス様を参拝したかったのだが…」

 

「また次に期待しようよ、その時にはこの分も入れてさ」

 

「……次、か」

 

「ああ、次さ」

 

「次があるとすれば地獄だろうな」

 

「地獄でもさ、太陽や月が無いとは限らないよ?」

 

「地の下に何を期待してるか…。まあ、そうだな。地獄でも天を仰ごう。いずれ、大地を超えて届くやもしれんな」

 

 

 

 

 

 

「手を繋いでくれ」

 

「うん」

 

 

 

 

 

 

 

「アタランテ、そろそろ行こうか」

 

「ああ、大丈夫だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「愛している。ずっと愛しているよ、アタランテ」

 

「……そうか。ありがとう、嬉しいよヒッポメネス」

 

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 

  粛々と魔力の粒子が風に舞う。どこまでも晴れ渡る白く澄み渡った空へと高みに昇る。

  明けた海と空は白と青が混ざり合い、燦々と煌めきを放つ。其処に血も憎しみも怒りもなく、始まりの朝を迎えていた。

 

  朝を向かい入れた小島の砂浜には大きな破壊が刻まれていて、誰か二人が寄り添っていた様に足跡が残っている。

 

  いずれ風と波に連れ去られ、その痕跡すらなかったこととなる。誰もそれを気にしない。そして見向きもしない。

 

  空へ、海へ、大地に散らばった魂は何処へ行くか。世界の外か、または世界となったか。それも分からない。誰も知ろうとしない。

 

  二人は何処へ行くか、それも知らない。

 

  だが───二人は一緒に飛んで行った。

 

 

 







さようなら、またいつか





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終章:碧く揺らめく外典にて


青く過ぎた少年時代を終え、

夕映えのような赤き激情の青年時代を超え、

新緑に似た命芽吹く時代を見つめた老年時代を迎えた。

やがて全てを終え、眠りに誘われた。




それでも諦めることを知らず、ずっとずっとずっと……追い続けてくれた大馬鹿者を、私はやっと知った。

だから、会いに行こう。

森を抜け出し───碧い海へ




  困った、困ったと見た目麗しい少年は美麗な顔を歪めて頬杖をつく。

  冷たい風が吹き抜けるミレニア城塞の見張り台で、指でコロコロと物を転がせて遊びながら悩んでいた。

 

「……ん〜〜〜、わっかんないよ!!」

 

  やがて思考を放棄して空へ向かって叫ぶ。あー!と頭を抱えてぶんぶんと振り回す。三つ編みにした髪が犬の尻尾のように振り回され、やがて少年、アストルフォが指で遊んでいた物に当たって見張り台の外へ───

 

「わわっ!? 危なっ!!」

 

  咄嗟に拾いあげる。落ちたら何処へ転がっていくか分からない。壊れる事はないだろうが友から貰ったものを無くす訳にはいかない。アストルフォの両手にはしっかりと“黄金の林檎”が握られている。

 

「も〜、ヒッポメネスもなんでこんな物渡すかなぁ?」

 

  別れの時に貰った宝具。所有権がアストルフォに移ったからかヒッポメネスが消滅した後もこうして存在している。物の試しで真名を唱えてみたが、その能力が発動しなかったことから本当に林檎だけを渡されたみたいだった。

 

  アストルフォはトゥリファス、ミレニア城塞に戻ってからこれからの事について考えていた。

  聞いた話ではカウレス達、生き残った“黒”のマスター達はなんとか首の皮が繋がったらしい。

  “赤”のアサシンと天草四郎によって睡眠状態にさせられていた“赤”のマスター達を“赤”のランサーとの取引で救出した。救出された“赤”のマスター達は戦争が始まる前から操られ、何もせず捕まっていた事実を目覚めた後知り、“黒”のマスター達の命と魔術師としての家系を残す代わりにこの事を公表しないでほしいと取引を持ちかけてきた。

  これをユグドミレニアの魔術師達は了承した。だが、了承したが聖杯を使い、魔術協会に宣戦布告した事実から逃れられず、ユグドミレニアの解散を命じられた。

  これでユグドミレニアは無くなり、ユグドミレニアの名の元に集まった魔術師達は散り散りになる。そして、その魔術師達が再会することは二度とないだろう。

  アストルフォとしてはそれについては割とどうでもよく、会いに行きたくなったら会いにいくと気楽に考えていた。だが彼が気にしたのはホムンクルス達の事だった。

  ジークと共に誕生した多くのホムンクルス達、余命短く一年保てばいい者と三、四年生きられる儚い命達。ジークと同じように懸命に生きていくと決めた輝く者。ホムンクルス達はカウレス、ゴルド、フィオレの三人に複数名仕える者、“黒”のキャスターが残したゴーレムを従えて新天地を目指す者と別れている。ジークの兄弟姉妹達だけあってアストルフォは心配で仕方ない。特に余命について。短くとも自分らしく生きて幸せになれたらいいのだが、幸せの時間は長い方がそれは勿論いい。でも、自分にはホムンクルス達を延命させられる魔術なんてないし力もない。

 

「どうしたもんかな〜」

 

「よお、悩んでんな」

 

  頭を抱えて考えていると見張り台に缶ジュースを二つ持った眼鏡をかけた少年、カウレスが現れた。

 

「あ、カウレス君。やっほー」

 

「ああ、ほれジュース」

 

「サンキュー!」

 

  投げ渡されたオレンジジュースを一気に飲み干し、プハァと気持ち良い声をあげる。カウレスはそれを横目で見ながらリンゴジュースのプルタブを開けた。

 

「そういやレティシアは?」

 

「ちゃんと送り届けてきたさ。彼女、なんだかんだ楽しかったみたい」

 

  ジャンヌ・ダルクを憑依させてルーラーとして戦ってくれた少女、レティシア。彼女はカウレスができる限りの援助を行い、飛行機に乗ってフランスへと帰った。魔術師でもない彼女が戦いの場で何を感じ、何を得たかは分からない。しかし、きっと楽しいと言っていた以上悪い出来事ではなかったはずだ。

 

「それで? そっちはどうなの? フィオレちゃんとかさ」

 

「姉ちゃんは魔術師を辞めて、一般人として生きるよ。まあその前に変異した魔術回路を除いて歩けるよう他の魔術師のところで治療するけど」

 

  フィオレは自分で決めた道を進む。魔術の才能に溢れた才女は魔術師の才能が無かった。決して楽では無かったが積み重ねた物を捨てる決断は重かったはず。だけど、フィオレは決めた。後悔もするし、振り返りたくもなる。でも、前へ進むと決めた。自分が見たこともない新たな世界で、生きてみると。

 

「ふ〜ん、じゃあセイバーのマスターは?」

 

「ゴルドおじさんは息子の性根を叩き直すんだとさ」

 

  自分たちは何も成せない、それが分かったゴルドは何処か晴れ晴れした様子だった。傲慢で自尊心が高く決して落ちぶれてなどいない、と態度で語っていた男は自ら口にした。自分達は落ちぶれてしまっている、と。だが其処から目指すと決めたらしい。マイナスからの出発だろうと結局は我儘に根源の到達を諦めない。それがゴルドの答え。その為にもまずは自分と同じく性格の悪いドラ息子の考えを改めさせると決めた。

  ───まあ、それはゴルドだけではなく、とあるホムンクルスの少女の調きょ…指導によって治るのだが、それは近い未来の話。

 

「じゃあ君は?」

 

「俺は人質。近いうちにイギリスの時計塔に行くことになった」

 

  魔術の総本山、時計塔。若く未来有望な魔術師達が集まり魔術協会の本部が置かれている。フィオレの後を継いだカウレスは時計塔の監視下の元でしばらく過ごすことになる。

  責任も魔術も姉の分まで背負うのを決めたのはカウレスであり、それについて疑問を抱く事はない。死ななかっただけマシだと思っている。

  これで全てが終わって、返済の旅が始まる。魔術刻印を継承された時に一族の怒りを買った。才能も素質も二流な自分が背負った代償は重い。これからの人生少なくとも姉と同じぐらいの位置に立たなきゃ面目が立たないだろうが───それでいい。

  自分は魔術師、ならば足りなかろうが他から持ってきて、倍にして叩き返してやる。それぐらいの意地を心の底に根付いている。ならば嘆く必要など全くない。

 

「大変だね〜」

 

「まったく思ってねえだろ…」

 

  ため息を隠さずに半眼で睨むと睨まれた方も口笛を吹いて知らんぷり。突っ込むだけ無駄だと知り、アストルフォが持っている林檎を見た。

  途端、カウレスの顔が緩んだ。見ていたアストルフォはその顔がどういう意味を差しているか分かった。聖杯大戦が終わってまだ数日しか経っていない。だがこの戦いはあまりにも濃密で、颯爽と去っていた。思い出しているんだろう。あの平穏な狂戦士の事を、悔いなく去っていった相棒の事を。

 

「これ、どうしようか?」

 

「それはお前が任されたものだろ? 自分で考えろ」

 

「えー! 一緒に考えてよ〜!!」

 

  と言っても、これは考えても分からない。ヒッポメネスはアストルフォを信じて渡した。それはアストルフォだからこそやってのけれることがあるという信頼の証。アストルフォでない自分が…というか理性が蒸発している奴の考えが分かるか。

 

「…というか、さっきからそれについて考えてたのか?」

 

「ん? いや、ホムンクルス達のこと考えてた」

 

「ホムンクルス達?」

 

「うん。あの子達さ、自分達はそれでいいって思ってるけどやっぱり長生きした方がいいよね〜って」

 

「まあ…そうだな」

 

「だからさ、どうにかして長生きさせれないかな……って………」

 

  ピタリと止まる。言葉の途中で停止し、ゆっくりと視線を下げる。視線はやがて、手にまで移り固まった。其処には勿論

 

  黄金の林檎があった。

 

「あったあああああああああああああああああっ!!!」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

『はーいみんなっ!! こっちこっち、こっちに集合〜〜〜!!!』

 

  拡声器を使い、城塞中のホムンクルスを集めているアストルフォに集まったホムンクルス達はやや迷惑そうに顔を歪めている。

  アストルフォの暴走をよく知っているホムンクルス達はまた何かやらかすのではないかと懸念している。いざという時の為に戦斧を持っている者もいる。

 

「これは何の騒ぎなのカウレス?」

 

「…またやらかすつもりか?」

 

  アストルフォが騒ぐ中庭の隅で佇むカウレスの元に声に誘われて出てきたフィオレとゴルドが近寄ってきた。カウレスは苦笑いを浮かべつつ、アストルフォの横にある大きな鍋と木製の大きなスプーン、そして()()に指差した。

 

「まあ、見てたら分かる」

 

「「?」」

 

「よぉーし! みんな集まったね!」

 

「…また何をやらかすつもりだ」

 

  怪訝そうな顔で現れたのはホムンクルス達のリーダー的役割の少女、トゥールだった。

  アストルフォはそれを軽く流し、ホムンクルス全員がやってきたのを確認すると懐に仕舞っていたものを高々に掲げた。

 

「じゃーん!!」

 

「…それはバーサーカーの宝具か」

 

  黄金の林檎、不老不死の果実、トロイア戦争の引き金。神々の果実を目の前にして動揺が走るが、それだけ。アストルフォがヒッポメネスから譲られたことは周知に知れられている。今更、それが何だと呟こうとした時───

 

「えい☆」

 

  グシャ

 

「「「「「……………は?」」」」」

 

  時が、止まった。実際はアストルフォとカウレス以外の全員の動きが止まった。

  握りつぶした。何の手加減なく黄金の林檎が粉々に握りつぶされた。ポタポタと果汁が横にあった鍋に落ち、崩れた果肉も全部鍋の中に落ちた。

 

「どっこい、しょっと」

 

「…ま、少し待ーーー」

 

「えーい☆」

 

  ドバドバドバドバ……

  粉々になった黄金の林檎の鍋の中に、近くにあった酒樽を傾けて大量のお酒を注ぎ始めた。

  その奇行に思考が飛び、戻った意識で再確認し、完全に何があったかを飲み込んで───

 

「「「「「何やってんだーーーーーっ!!?」」」」」

 

  冷静沈着、感情無味のホムンクルス達も思わず叫びたくなる奇行。実行犯である本人はやりきった顔で鍋一杯に入れた酒をかき回し始めた。

 

「ちょ、ちょっとカウレス!?」

 

「あやつは何やってるのだーーーっ!!?」

 

  魔術師達もぶっ飛んだ行為に言葉を失う。というか叫んだ。

  フィオレはカウレスの服の裾を掴み、ゴルドは顎が外れんばかりに口を開けていた。

  宝具とは英雄の象徴であり、現代に失われた神代の秘術。それを砕くわ酒と混ぜるわ。しかも主従関係であったカウレスの前で。

  カウレスが怒るのではないかと二人が恐る恐る確認すると。

 

「…は、ははは、ははははは!」

 

  カウレスは笑っていた。アストルフォを見ているはずなのに、何処か遠い場所を見ているような目で彼の行動を笑って見守っていた。

 

「お、お前何やっているのか…!」

 

「できたー!!」

 

  周りの制止の言葉を無視し、力任せに酒と林檎が混ぜ合わさった鍋の中身を確認したアストルフォは叫んだ。すぐに用意していたコップで酒を掬いあげ、近くいたホムンクルス、というかトゥールに押し付けた。

 

「な、なんだこれ…」

 

「これで延命できるよ!」

 

「……え?」

 

  またも時が止まる。その言葉に焦っていたホムンクルス達も、フィオレ達も固まった。

 

「カウレス君から聞いたけど、ヒッポメネスって生前も同じ方法で人を救ったことがあるんだって! だから、君達もこれを飲めば人と同じ年月を生きられる! 多分!」

 

  全員がゆっくりとカウレスへと視線を移した。視線が集まる中カウレスは視線に慣れないのか頬を少し掻き、しっかりと告げる。

 

「まあ、あれだ。気持ちは痛い程分かるぞ? 逸話にも伝説にもなってないし、それこそ不死の果実を割って酒に混ぜるとか意味不明だけど。 でもさ、()()()()()()()()

 

  サーヴァントと契約したマスターは英霊の生前の記憶を夢として見れることがある。カウレスは聖杯大戦の最中でヒッポメネスの人生を鑑賞した。だからこそ、確信した。

 

「あのヒッポメネス(バーサーカー)は奥さんが大好きだけど、基本的にはライダーと同じ善人なんだよ。だから…ライダーにそれを渡したんじゃないのか? ……少なくても、マスターだった俺はそう思う」

 

  ヒッポメネスがアストルフォに宝具を託したのは、躊躇いなくホムンクルスを救う為に動いてくれるから。

  妻が大好きで、子供を救おうと生き続けた平凡な大馬鹿者。完成されて生まれてきたが故に、()()()()()()()()であるホムンクルス達を、彼は時折優しく見つめていたことを脳裏に過った。

  あの穏やかな英雄未満は世界を救えない。世界を救う力など全くなく、だからこそ人に手を差し伸べる道を選んだ。たった一人救えたら、二人目を救い、助けれたら次の人へ。できる限りの人に手を伸ばし、その救った人々がやがて、世界を救えるようにと願いを込めて夢を見続ける。何処にでもいて、何処かにいた人間以上英雄未満な子供好きな愛妻家なだけなのだ。

  だからきっと、アストルフォが選んだ行動は間違いではない。

 

「さあ、どうぞ!」

 

  アストルフォの強引な渡し方に半分流される形だったが、トゥールは受け取ってしまった。少し迷った顔で周りを見渡したが、全員の顔が疑問と希望が混ざり合った複雑な表情になっていたのを見て───決心して、口にした。

 

「っ!!」

 

「トゥール!?」

 

  酒を口にした後、急に胸を押さえて蹲ったトゥールに急いで駆け寄ったゴルド。何か不具合でも起こったのかと、首元に手を置き体を確認すると───ゴルドは固まった。

  アストルフォも何か失敗したのかと焦るが、トゥールが手を挙げた。

 

「だ、大丈夫だ」

 

「え、ほ、本当に大丈夫なの?」

 

「ああ、大丈夫だ…」

 

「トゥール、何があった」

 

  トゥールとゴルドの様子に不安を覚えたホムンクルス達が近寄り、トゥールが答える前にゴルドが無意識に呟いた。

 

「……これが、黄金の林檎か…っ!!」

 

  ゴルドは感じた。魔術でトゥールの肉体を調べた時、超スピードで彼女の肉体が進化しているのを察知した。人の数倍の速さで肉体が衰えていく、その理屈を覆し肉体を最高峰へと変えんと体に入り込んだ神秘が輝く。

  あり得ない、素晴らしい、非現実的だ、これが神代か!!

  魔術の最奥、神秘の最奥を認識し、ゴルドは感嘆を隠せない。それよりも何も───

 

「喜ぶがいいトゥール、お前は───」

 

「言わなくていい」

 

  ゴルドの言葉を遮って、トゥールは同胞であるホムンクルスを見渡してから全員に伝わるように告げる。

 

「私達は、生きられる」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「それで、姉ちゃんはアレいらないのか?」

 

  遠目で酒が配られるのを眺めるカウレスとフィオレ。どうやら成功したようで、最初に酒を飲んだホムンクルスの体は延命が成功したらしい。

  人間が飲めばあらゆる病を治せるなら、ホムンクルスが飲めば延命が可能ではと推測したが成功してよかったとカウレスは内心で安心した。

  カウレスは、ヒッポメネスの前世を()()見た。苦悩を、絶望を、決意を、道程を限りなく庭園に攻める寸前まで彼の記憶を共有した。あれを口にすることで人の本能に、欲望に刺激し増幅させる恐るべき性能の真実までもを。

  ホムンクルスは自我が薄い。自我が薄い分、刺激される欲望も少なく、宝具となった林檎の影響も少ないだろう。それを踏んだ上でアストルフォに渡したのだろう、あの青年は。

  アストルフォが順番に黄金の林檎入り酒を配り、ゴルドが問題ないか検査する。半分以上の人数が飲んでいるが異常は無いらしく、みんな短命を脱出できたことに薄い感情表現で喜びを表している。

 

「ええ、私が飲んだら最悪、魔術回路が活性化されるかもしれないでしょ? そうなったら元も子もないじゃない」

 

「それもそうか」

 

「それに“黒”のライダーが造ったお酒は信用しきれません」

 

「……それも、そうか」

 

  言いたいことが分かるから否定できない。だがカウレスは毒舌はどうでもよかった。フィオレの“嘘”、それが重要だった。

  あれはただ延命させるだけでは無い。進化を齎す神秘の果実なのだ。あれは肉体を最高峰へと変える物であり、フィオレが飲めば魔術回路は正式のものへと変質し、歩けるし魔術も使えるようになるかもしれない。

  まあ、カウレスとしてはもしフィオレが飲もうとしたらやんわりと説得しようとしたが、予想通り姉が断ってくれてよかったと内心でほっとした。

 

  もしかしたら、足も治って魔術を使えるかもしれない。それをフィオレも分かっている。───だが、フィオレは手を伸ばさない。

  何を考え、手を伸ばさないのかカウレスは聞かない。この短い時間の間でも葛藤しているのかもしれない。本当は飲んで、魔術も足も両方取りたいのかもしれない。

  でも、フィオレは選んだ。魔術を捨て、日常に生きることに。もうカウレスと関わることなんてない。すれ違いはあっても向かい会うことはない。だってそれが魔術師と一般人の常識なのだから。

  だから、フィオレも聞かない。カウレスがあれを飲めば魔術師として成長できるのではないのか。その事をカウレスが知らない訳がない。きっと手を伸ばさないのは───

 

  もう背中を押されてしまったから。

 

  それが分かると、不意に嬉しくなった。姉と弟、両方ともお節介な英雄を引き当ててしまったのだから。

 

「やっぱり姉弟なのね」

 

「ああ、そうだな姉ちゃん」

 

  こんな突発な言葉を理解してくれるから、この子と姉弟をやれてよかったと心から思える。

 

「じゃあね、カウレス」

 

「姉ちゃん、さよならだ」

 

  そう言って、二人は別々の方向に歩き出す。振り返ることはない。だが何処かで繋がっている。目に見えない繋がりは何処までも続く。それを何時までも忘れなければ───いつかすれ違うのかもしれない。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

  また此処にやってきてしまう。いつもこの場所に立っていた英雄の後ろ姿を思い出す。

  あの英雄は立った場所から見える景色に何を思っていたのだろう。自分には変わらないただの山々の自然が映っていたがあの平凡な英雄は別の物を見ていたのかもしれない。

  見張り台に立ち、カウレスは世界を眺める。なんでもなかった風景が今では遠い世界に見える。あの雲の先には何があるか、あの山からは何が見えるか、あの川の流れはどれくらいなのか。些細な事でさえあらゆる想像に駆り立てられる。

  見えない物を見ようとしているのか、それとも魔術師になったからかは分からない。だが───それが今はとても楽しいと思ってしまう。

 

「にゃあ」

 

「ん?」

 

  可愛らしい鳴き声が下から聞こえ見下ろすと、見張り台にいつの間にか二匹の猫がいた。

  城塞の結界の張り直しの為、一時的に結界を解いた影響か動物に侵入を許してしまったらしい。

 

「ほれ、ゴルドおじさんに雷落とされる前に帰れよ」

 

「にゃあ」

 

「にゃ」

 

  言葉を理解したのか、それとも払うような手振りに反応したのか二匹は並びながら城塞の上を歩いていった。やれやれと猫達に背中を見せるように振り返った時

 

 

 

  碧色の青年と翠緑の少女が手を繋いでいて───

 

 

 

  咄嗟に振り返る。其処には誰もおらず、ただ去っていく二匹の猫が見えただけ。幻視、ただの都合のいい幻想だ。でも、それでもいいものが見れた。

 

「カウレス様」

 

「ん?」

 

  後ろからの呼びかけにカウレスは振り向いた。そこには少女のホムンクルスが一人。額を見せるような、髪を二房に分けた小動物のような白髪の少女だった。

 

「もう直ぐ、魔術協会の魔術師がお見えです。一応準備を」

 

「ああ、分かった。…えっと」

 

「? どうなされました」

 

「…あんたの名前が分からん」

 

  別に名前を聞く必要などないのかもしれない。カウレスが名前を聞こうとしたのは、そのホムンクルスに覚えがあったから。

  その少女のホムンクルスはかつての“黒”のキャスターが裏切り、彼が創りし巨人にカウレスが追われた時、自身を救おうと飛び降りてくれたあのホムンクルスだった。

  ホムンクルスは少しだけきょとんと顔を惚けさせ、ホムンクルスに似つかわしくない笑みを浮かべた。

 

「…では、自己紹介を。私の名はアルツィア。今後、カウレス様のお世話回りをさせていただきます」

 

  そんな笑みに逆にカウレスが虚を突かれ、そして笑みをこぼす。

 

  ───まったく、怖いな黄金の林檎。

 

  ものの数分でホムンクルスに感情を強め、被造物らしき無機質感を取り除いた。

 

「ああ、よろしく頼むよアルツィア」

 

  カウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニアは背を向けた。かつていた友がいた場所に背中を見せる。

  白い少女に導かれ、これから起こる嫌味説教にうんざりしそうになるが、それもまた進路だと割り切る。

  その進路はいずれも暗く、三歩進んだ先には奈落があるかもしれない。それでもカウレスは、人は突き進む。どう足掻いても歩み続けなければいけないのが人なのだから。死んでも進もうとする愚か者もいるのだから、生きている自分は先に行くぐらいしなければ笑われてしまう。

  だからカウレスは少し早足になってアルツィアを追い越した。

 

  少年も青年もいなくなった場所には涼やかな風が通り過ぎ、やがて白亜の雲にめがけて駆け上がる。

 

  その空は、何処までも碧かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  波は足元に訪れ、また去っていく。

  くすぐったい感触と爽やかな温度がとても心地よく感じられる、そんな場所だった。

  見上げる空は何処までも碧く、白い雲がよく映える。その空に反映したかのような蒼く透明な海は地平線の果てまで伸びている。

  そんな風景に青年は微笑んだ。帰ってきたと呟きながら。

  此処は彼が生まれ育ち、魂にまで刻みつけた故郷。命の灯火が尽き、放浪した魂が行き着いた揺り籠。人類が彼の同類を認知した時から彼は此処にずっといる。

 

  砂浜で彼は空と海を眺め続ける。その目に映る風景に彼はずっと憧憬を抱き続けてきた。

  あの空と海の果てに希望があると、もう届かない理想があると眺め続けてきた。

  しかし、もう瞳の中には憧憬はない。見なくなったのか、それとも諦めたのか。どちらでもない。もう見る必要は無くなったのだ。

 

  さくり、と砂を踏んだ音がした。

 

  此処には彼しかいない。此処はそういう場所だ。彼以外が足を踏み入れることはなく、彼の為にある場所だ。

  しかし、例外はある。彼の為にある場所なのだから、此処に訪れるのは彼が望んだ人だけ。彼は立ち上がり、振り向いて、酷く驚いた。

 

  ───あぁ…ごめんね

 

  彼は謝る。そこには申し訳なさそうにする、ちょっと情けない青年がいた。

 

  ───僕から会いにいく筈だったのに、君が来ちゃったか。

 

  ───お前は足が遅いからな。私が駆けねばならないと思ったが、そのようだったか。

 

  彼女は笑う。それが当然だが、もうちょっとなんとかしろと呆れる少女がいた。

 

  ───届いた。いや、まだだね

 

  ───ああ、まだだ

 

  彼は彼女へと歩み寄る。さくりさくりと小気味良い音が耳に響き、優しい風が彼等を撫でる。

  青年と少女は見つめ合う。この場所の外、幾重にも並びある世界で彼らは再び巡り会った。その記録が二人に刻み込まれた。

  だが、それだけでは寂しい。だから二人は世界の外でまた巡り会う。記録だけではダメだ。とても大事な言葉だから、記録ではなく記憶に残したい。二人はかつてできたのにできなかった続きを求める。

 

  ───君にずっと、伝えたいことがあったんだ

 

  だから彼は、もう一度言葉にする。いや一度だけではない。ずっと叫び続けたい、恋慕の思いを口にする。

 

 

 

  ───僕は君をずっと、愛してます

 

 

 

  砂浜には二人分の足跡が残る。離れる事はなく、手が触れる距離で足跡の道はできていた。

  彼等が何処へ行くのは分からない。どこへ行き着くのは分からない。

 

  だけど。

 

  きっと寂しくない。だから道はずっと続いていく。

 

  いつか辿り着く、彼等が望んだ永遠まで。

 

 

 

  fin…

 

 




約五ヶ月間、お付き合いいただき感謝します。
これにて二次小説『碧く揺らめく外典にて』は無事完結しました!!

感想を書いていただいた皆様! 誤字脱字を修正していただいた皆様!



深く感謝させていただきます!!



純潔の狩人アタランテ大好きな作者、つぎはぎでした!


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ヒッポメネス・ステータス

 

  真名:ヒッポメネス

 

  身長:173cm/体重64kg

 

  属性:中立・善

 

  イメージカラー:碧

 

  特技:銛突き

 

  好きなもの:海、水泳

  /苦手なもの:子供を物扱いする人

 

  天敵:義父

 

  略歴:

  カウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニアがミスして召喚されたサーヴァント。呼ばれた原因は姉であるフィオレの呼び出したサーヴァントがギリシャの英雄であり、ギリシャ神話に関わる英雄の中で最も性質が近いことからカウレスの召喚に応じた。

  マスター達からは特筆することのない能力面に低い知名度から期待されていなかったが、なんだかんだ生き残っていることと“黒”のサーヴァントの中で気軽に命令しやすいこと、そして“黒”のライダーのストッパー兼遊び相手ということから必要な人材として見られている。

 

  人物:

  簡易な衣服に身を包む穏やかな青年。初対面では平穏、親しくなれば天然と評されることがしばしば。

  基本的にお人好しで寛容だが逆鱗に触れると敵味方であろうと容赦しない。その逆鱗とはもちろん妻と妻が大事にしているものであろう。

  己を卑下する発言や頼りない発言が度々聞かれるが決して「無理」とは言わない。

 

  この世界のヒッポメネスは幼い頃に両親が死に、行く当てがなく祖父であるポセイドンに頼ったところ祖父を奉っている神殿の守り手のところへと送られた。

  父の言いつけで槍と小剣の鍛錬を行い、母の言いつけで感謝を忘れないようにと育ち、ポセイドンから知識を授かりながら守り手である老人から魔術を習得して過ごす。そんな日々に億劫になるわけでもなく、そんな日々でいいと印象通りの平穏な少年時代を過ごした。

  体が大きくなると銛で鯨の脳天を投擲で貫き、祖父の血筋からか水の属性に特化した魔術使いになるがそれを自慢するわけでもない。せいぜい便利としか見ていない。

  老人が老衰で亡くなり、ようやく外に興味を持ち旅に出て───翠緑の女狩人に一目惚れした。

 

  能力:

  低ランクの魔力放出とキャスターのクラスに当てはまらない程度の魔術、そして小剣と槍を巧みに扱う変形術。

  突出したステータスも他と引きを取らないような技もない二流サーヴァント。

  強敵と戦うことが分かったらまず撤退、そして遠方からの魔術による攻撃、追い詰められたらやっと剣を抜く。本当にバーサーカーか?と聞きたくなる。

  弱いのかと問われれば、それほど弱くない。祖父が世界に名を轟かせる海神なだけに素質はある。ただ、その素質が開花することなく亡くなった。

 

  ステータス:

  筋力D

  耐久C

  敏捷B

  魔力C

  幸運B

 

  クラス別スキル:

  狂化:E-

 

  狂化E-となると狂化の恩恵はほとんどない。痛覚のシャットダウン程度の影響がある。同ランクの竜の娘は最初から狂っていたが、彼の場合ギリギリ適正があるということから低ランクの狂化が付いた。

  本人は気づいていないがアタランテの事になるとキレやすくなっている。

 

 

  保有スキル:

  魔力放出:C

  神性:C

  大海の血潮:B

  気配遮断:C

 

  『大海の血潮』

 

  周囲に水、もしくは水に触れている場合に限りステータス補正が入る強化スキル。

  海の大神ポセイドンの血筋である英雄に発生する。

  水溜り→川→湖→海の順で強化され、主に敏捷、魔力、幸運が上昇する。海水だけ持ってきても水と大差ないらしい。

 

  『気配遮断』

 

  アタランテとの競争の際、彼女に注目されず黄金の林檎を所持できていたことから取得できた。

 

 

 

 宝具:

不遜賜わす黄金林檎(ミロ・クリューソス)

  対人宝具

  ランク:B

  詳細:女神アフロディーテに授けられた三つの黄金の林檎。これを使い、アタランテとの競争に勝った逸話が宝具と化した。

  能力は林檎の魅力を周囲に放ち引き寄せる。一つ揃えば一人を引きつけ、二つ揃えば魅力に当てられた者全てを引き寄せ、三つ揃えばスキル、宝具関係なく魔性を感知した者を集束させるか、相手の動きを停止させられる。

  尚、宝具の有効範囲はマスターの魔術師としての格により変化するがカウレスの場合でも半径一キロも有効なことから他のマスターならどうなることやら。

  他の対軍宝具を所有するサーヴァントとの組み合わせなら一網打尽、戦況を変えることさえ可能。地味に危険な宝具。

 

 

汝は獅子、邪婬の罰となりて(アマルティア・レオーネ)

  狂化促進宝具

  ランク:C

  詳細:神域にて妻と交わったことで獅子に姿を変えられた逸話が宝具と化した。

  この世界のヒッポメネスは後の世の人がそう伝えただけで実際は交わっていない。ヒッポメネスがバーサーカーたる由縁となった宝具である。

  時間経過ごとに姿が獅子へと変わっていくと共に狂化のランクが上がっていく。完全に獅子になると狂化A+となり、理性を完全に失くす。獅子の咆哮は低確率で女性サーヴァントのステータスを低下させる。狂化が上がっていくごとに確率は上昇する。

  ヒッポメネス自身あまり好ましく思っておらず、ダーニックは宝具を完全発動させた状態で戦場に放とうと考えたが、ランサーと似た宝具なだけあり彼の不興を買わないように使用を諦めた。

 

 

 

  ちなみにヒッポメネスがサーヴァントとして召喚される際にはバーサーカーかアサシンの二択しかない。

  アサシンとして召喚された場合は狂化が無くなり気配遮断がワンランク上昇する。ステータスの変動はない。

 

 

 



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何処かでいつかのアフター

生存報告とリハビリとこの間のアポアニメを見ての投稿

エタっていてすみません。近々再開させようと思ってます。


「…むぅ」

 

 カルデア、そこには一人のマスターにより様々な時代、神話、逸話より英霊の座へと導かれたサーヴァント達が集まっていた。

 人理焼却という世界の危機に多くのサーヴァントたちがマスターの召喚に応じ、カルデアの特殊な機構により籍を置くサーヴァントの数は優に三桁を越えている。

 ゲーティアを打破し、無事未来を取り戻した世界は彼等の残党を排除すべく急ぎ足で駆け回り、されど一時の平和を享受していた。

 

「……むぅ」

 

 そんなカルデアの地下施設の一つ、地下庭園。

 職員のセラピーの目的で作られた地下庭園は今や食料の確保の為の農作業やキャスター達の魔術触媒の確保地にされてはいるが、原型を留めているところもある。

 世界各地により集められた花々が咲き誇る花畑だ。太陽に近い光を放つ照明や空調機による空気の換気により自然が育つ最適な環境を保持できている。

 お茶会や昼寝、多くの用途で使われているそこに不穏な空気は流れず、穏やかな一時を過ごせれることは間違い…なかったはずだった。

 

「………むぅ」

 

 花畑より少し離れた木の陰に、不機嫌そうに唸る少女が一人。

 翠緑の服に獅子の耳と尻尾が特徴なアーチャーのサーヴァント、つまり純潔の狩人ことアタランテが眼光を鋭く光らせていた。

 この長閑な庭園には似つかわしくない棘つく雰囲気を全身から放ち、目線の先にある光景を睨んでいた。

 

「……なんだね〜」

 

「……ぅ、そうそう」

 

 花畑の真ん中で仲良さげに話す二人の男女、碧の髪に獅子の耳を生やすアサシンのサーヴァント、ヒッポメネスとオッドアイと身体の所々に機械が組み込まれているセイバーのサーヴァント、フランケンシュタインだ。

 

 先日行われたとある女神によるレースによって、バーサーカーからセイバーへと霊基を変える謎理論チェンジを果たしたフランケンシュタインはセイバーになったことによりバーサーカーの時には不可能だった会話が可能となった。

 それにより、今まで閉鎖的だったコミュニティが解放され、今では解放的なコミュニケーションが可能となったのだ。

 

 まあ、それはいい。アタランテにとってそれは些細なこと。会話ができるようになったのならそれはいいことだ。進んでやるべきだ。神代の人物ゆえ、近代の油や鉄の匂いが漂う彼女に対して苦手意識はあるがそこまでの忌避感もない。

 

 彼女にとって問題なのは、その彼女とヒッポメネスが二人っきりでいることだ。

 

 ヒッポメネスがアタランテ以外の女性といることもそう珍しいことはない。

 

 時にアルトリアに頼まれて甘いリンゴを持っていき、アルトリア・オルタにパシられ、ネロに侍るよう命令され、ステンノとエウリュアレにパシられ、ジャックとナーサリーの遊び相手になり、モードレッドにパシられ、ナイチンゲールに消毒され、メイヴにパシられ、スカサハに死にかけにされ、イシュタルにパシられ、ケツァルコァトルに関節技を喰らい、ペンテシレイアに殺されかけ、アルテミスに何度もパシられている。

 

 カルデアに来て以来から何度も走り回る姿を見るゆえ、全くもって気にしていなかったが今回は他のソレと違う。

 ふらっとヒッポメネスを見つければ他の女性陣とは違い、何やら違う雰囲気でフランケンシュタインと歩き、ここに到着していた。

 

「………むぅ」

 

 話す様子はまさに楽しげで、こちらのことに気づいている様子はない。アタランテの訝しい視線はますます強くなるが、ヒッポメネスがそれに気づくことはない。

 

「……ああ、これだこれ」

 

「……ぅ、これー」

 

 花畑に手を伸ばし、花を一輪摘み取ったヒッポメネス。その花を見たフランケンシュタインは同意するように何度も頷く。

 

「はい、どうぞ」

 

「ありがとー」

 

「……………むぅ」

 

 そのままフランケンシュタインに花を渡す行為に唸りが大きくなる。

 一輪の花を貰ったフランケンシュタインは嬉しそうに花を掲げている。

 

「じゃあねー」

 

「うん、バイバ〜イ」

 

 その花を受け取ると、フランケンシュタインは手を振りながら去っていった。若干ゆるふわ気味な彼女が去るのを見送ったアタランテはジトッと一人残ったヒッポメネスへと視線を戻す。ヒッポメネスは未だそこに留まり、腰を深く落とし休息していた。

 

「・・・・・」

 

 

 

 そんな背中を見ながら、アタランテはそっと動いた。

 

「おい」

 

「うわっとぉ!?」

 

 ビクッと肩を跳ね上がらせながらヒッポメネスが振り返ると、そこにはアタランテが立っていた。

 

「アタランテ? どうしたの?」

 

「…私が用もなく此処にいたら何やら不味い事でもあるのか?」

 

「いや、ない…ですけどぉ……」

 

 あれ?なんか怒ってません?

 

 ヒッポメネスは額から汗を流しながら仁王立ちするアタランテを見上げた。立ち位置的な関係からアタランテはヒッポメネスを見下ろしているのだがその圧迫感が凄まじい。顔の陰が妙に濃く、空気がピリついている。

 これはアレだ。オリオンの浮気が発覚し、天罰を下さんとせんアルテミスのアレと同じだ。

 

「あの、アタランテ「なんだ」…様」

 

 やばい、感じたことのない恐怖を覚える。ヒッポメネスは生前にも感じたことのない恐怖に冷や汗が脂汗へとチェンジしかけていた。

 

「…随分仲がよろしいのだな」

 

「へ?」

 

「あの機械混じりのバーサーカー、いや、セイバーと」

 

「フランちゃんの「ん?」…フランケンシュタインさんのことですか……」

 

 ちゃん、のところでNPが増量したような気がする。今宝具を喰らえば星を大量生産されそうな予感だ。戦々恐々と、いつの間にか正座となってアタランテと向き直っている。

 

「・・・・・」

 

「・・・・・」

 

「・・・・・」

 

「・・・・・」

 

 そうして会話が途切れた。アタランテからの言葉を待っていたヒッポメネスはチラリと彼女の顔を覗き見るが、アタランテは口を開けては閉じていた。何やら何か言いたい、というよりかは何を言えばいいのか困っていた。まるで衝動的に行動してはみたものの、その行動した理由がアレだったから己に説明がつかなくなったような、そんな様子だ。

 

「……すまん」

 

「え?」

 

「…いや、その」

 

 そういって、アタランテはヒッポメネスから顔を背けたまま座った。

 

「…何を言えばいいのかわからなった、というか頭を働かせたら自分が何をやっているのか分からなくなって、何を言えばいいのやら…」

 

「…えっと、ごめんなさい」

 

「なぜ、謝る」

 

「こういう時って、大抵僕が悪いんじゃないかなって?」

 

「……いや、うん、まあ。多分…私もか?」

 

「そこで疑問形なのかい? ふふっ」

 

「…む」

 

「いてっ」

 

 くすっと笑ったヒッポメネスにアタランテはペシっとチョップする。

 

「茶化すでない」

 

「ごめんごめん。じゃあ、君はなんで僕に謝ったのかな? そこから考えようよ」

 

「……………あのセイバーと、二人っきりで何をしていた」

 

 長い葛藤があったが、ギリギリ聞こえる小声でそう答えた。

 

「あぁ、花を探していたんだ」

 

「花?」

 

「うん、思い出の花を。僕も心当たりがあったし、無関係でもなかったから」

 

 そこでアタランテは首を傾げた。無関係ではないとはどういうことなのだろう。フランケンとヒッポメネスの仲は良好ではあるがよく行動を共にするほどではない。フランはよく“赤”のセイバーだったブリテンの騎士とよくセットで見る。特異点の探索でも頻回に組む事もない為、それらしいことはなかったと思うのだが。

 

 そんなアタランテの疑問に気づいたのか、ヒッポメネスは笑って答える。

 

「君は僕がバーサーカーになった時のことを、覚えていてくれているかい?」

 

 

 

 

 

「ん? どうしたんだよフラン」

 

 ざわざわと賑わう食堂で、水着姿のモードレッドことサモさんはせっせと手を動かすフランを見つけた。

 

「ぅ、押し花」

 

「押し花?」

 

 マスターか、それとも他の職員かサーヴァントに貸してもらった工具を使い、失敗しないようにゆっくりと作業する。

 

「さっき、ヒッポメネスとはなしておもいだしたの」

 

「あん? あの嫁バカか?」

 

 嫁バカと聞いて、インドとエジプトの王が振り返ったが気にしないことにした。

 

「うん、これ、大事なおもいで」

 

 そこで完成した押し花をサモさんに差し出した。受け取ったサモさんは何処かで見たような、でもそうでもないようなそんな気になったが「へぇ」と答えた。

 

「これ、マスターとなんかあったのか」

 

「うん、あったんだ」

 

 サモさんは今のマスターのことを頭に浮かべた。

 だがフランは違うマスターのことを頭に浮かべた。

 

 今のマスターと同じくらい平凡で、最初は苛立ったけど歩み寄ってくれて、最後には悲しみを潜ませて私の悪足掻きに全力で付き合ってくれた、最高のマスターの事を思い出した。

 

 フランは、満面の笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

「…くっしょん!!」

 

 少年は鼻をすする。ここ最近、空気が冷たくなってきたせいかやたらくしゃみが出てしまう。そろそろ冬用の服を出さねばと心に決め、そっと席を立ち上がる。

 鞄に次の講義の為の教本と飲みかけのリンゴジュースの蓋を閉めて押し込む。

 

「あっ、と」

 

 そこで机から離れようとした時、忘れものを思い出す。それは机の隅に置かれていた。きっと無くても、問題はないがあったらあったで役に立つ。

 

 トゥリファスに咲いていた、白い花の押し花は。

 

「ーーーじゃあ、行ってくる」

 

 少年しかいない空間で少年は何処かにいるはずの誰かに言う。そして、振り返る事もなく少年は外へと歩き出した。

 

 

 

 かつて確かにあった、誰も知らない戦いの終わりと同じように。

 

 





「そうか、そういえば汝も奴も()()だったな」

「ああ、懐かしい記憶さ。…ところでさ、アタランテ」

「なんだ」

「僕がフランちゃんと一緒にいて怒ったってことはさ。それって…」

「・・・・・」

「あ! 待ってよアタランテ!」

「・・・・・!」

「早い! 早いってー!置いてかなんでぇ!!」


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かつて、けれど今の星


アポ最新話、アタランテ回…!
アタランテリリィ…!
短いのもいいよね! 最っ高だね! ビューティフォーだね!
だがケモ耳があるから既にヒッポメネスと会っていることになるけどそこは追求してはいけないことなのだろうね。

ジャック脱落の為投稿



「ねえねえ」

 

「なんだジャック?」

 

 それは珍しく吹雪が吹いていない夜の事だった。

 カルデアは人里離れた山脈の中に建てられており、地形の関係から一年中吹雪が吹き荒んでいる。

 そんな状態でよく大掛かりな施設を建てられたものだといつも疑問に思う。神々の奇跡もない、神代の頃よりも衰えた魔術と人の文化技術でよく作れたものだとこの様なものに疎い私も感心するものがある。

 

「そろそろかなぁ?」

 

「ああ、きっとそろそろだな」

 

 私に後ろから抱きしめられる形で毛布を被っているジャック。私の腹部に擦り寄ってくるのはきっとこの子の本能、願いからくる行動だろう。

 それを拒むことはしない。それを拒絶することは、私自身を、私の願いを否定することだからだ。

 受け入れるように力を込めて抱きしめると、「えへへ」と嬉しそうな呟きが聞こえる。その声に私の頬も自然と緩んでしまう。

 

「デュフフフwwwアタランテちゃんに擦り寄るジャックたん、拙者のお胸がキュンキュンしますぞ〜。これは我が聖典に加えるべき光景グボワァ!?」

 

 何やら不快が滲みよってきたが地に伏せたようだ。音のみ拾うと「はい、証拠です」「はい、ローアングルの隠し撮りですね。ギルティ」「刑は谷底に逝ってもらうわよ」と物騒な会話が聞こえる。

 なにやら髭らしきものを縛る音がした後、野太い悲鳴が木霊しながら消えていく。

 さくさくと小気味良い音が近づいてくる。振り向くとそこにはヒッポメネスがいた。

 

「やあ、おまたせ」

 

「あらジャックったら猫みたいだわ! まるでカンガルーの親子みたい」

 

 ヒッポメネスの手はナーサリーと繋がっており、片方の手には毛布がある。

 

「ほらナーサリー、君もカンガルーだよ〜」

 

「ヒッポメネスはお父さんカンガルーなのね!」

 

 私の横に座ると、ジャックと同じようにナーサリーを包み、ヒッポメネスは空を見上げた。

 

「時間的にはそろそろなんだけどねぇ」

 

「あぁ、そうだな」

 

 周りを見渡すと私達と同じように空を見上げるサーヴァントと、カルデア職員達がいる。

 サーヴァント達は雪山の寒さに堪えることはないためいつも通りの格好だが、生きている人間は分厚い防寒具で寒さを凌いでいる。

 …サーヴァントの中には寒さを理由に女に擦り寄る者が多数いる。

 

 円卓の騎士の一人がマシュに罵られ、膝をついていた。

 

 マスターは逆に女のサーヴァントから擦り寄られている。あれでは逆に暑苦しいであろう。マシュが騎士を蹴り飛ばしマスターの元へ飛び込んでいく。

 

「ダーリン! ロマンチックね! あ、ほら見てダーリンよ!?」

 

「…俺、ある意味自分の遺体を見上げているんだよなぁ」

 

 ………何も見ていない。決して自分が信仰している女神がオリオン座を指差し、ブサイクな熊の人形の目が腐っていくところなんて決して見ていない。

 

「ははは、みんな大騒ぎだねぇ。施設内のテラスでは宴をやっているらしいよ?」

 

「…その宴では四人に分裂した竜娘がゲリラライブをするのだろう」

 

「阿鼻叫喚の地獄絵図だね。ドレイクさんがブチ切れていたよ」

 

 既に地獄らしい。良かった、聴覚が優れる自分には座への帰還案件となっていただろう。

 

「ジャック、ナーサリー。一応魔法瓶に入れたホットココアがあるからね。飲みたい時は…」

 

「「飲むー!」」

 

「はいはい、じゃあ用意するね」

 

 懐に入れていたであろう魔法瓶と紙コップを取り出し、紙コップにホットココアを注いでいく。暖かい湯気が揺れる紙コップが二つ完成すると、ジャックとナーサリーはアサシンに負けない敏捷さで紙コップを取る。

 

「甘〜い!」

 

「おかわり!」

 

「はいはい、今日だけはナイチンゲールさんからお許しが出てるからね。おかわり自由だよ」

 

「「わーい!!」」

 

 はしゃぐ子ども達を見て、胸があったかくなるのを自覚する。

 そうだ、これだ。この光景が私が望んだものだ。

 産まれることを拒まれた子供に、少女の形をした子供達の英雄としての物語。どちらも英雄としては変則的なものだが、私にとっては子供だ。

 護るべき者、未来があり幸せになるべき者。親の愛の元で育ち、育み、親となって自身の子供を愛す。

 そういう世界を望んだ。そういう世界であるべきだと理想を抱き、そうなる様に覚悟し、決意のもと魔術師達の代理戦争に身を投じた。

 

 

 

 …ああ、そうだ。数多の並行世界、分霊として戦った戦争の記録と記憶が擦り切れているなかでも、今もなお忘れることなく焼き付いている戦いの記憶が私の魂にある。

 

 

 

 無垢な殺人鬼。母を、胎の中への帰還に焦がれる暗殺者の“黒”がいた。

 

 忘れられないあの地獄、どうしようもない程に救いがなく、誰もが悪く、誰もが裁くことができない時代の理不尽。

 

 救うことができなかった。

 

 味方するだけで、破滅だけが待つ先延ばしを選ぶしかなかった。

 

 聖人に絶望し、怒りに身を蝕んだ。

 

 

 

 ーーーああ、でも。そんな地獄でも、無力でも痛みを背負おうとした者がいたな。

 

 

 

「はい」

 

「ひぃぁ!?」

 

 頬に突然当てられた暖かさに背すじが伸びる。

 横を見ると、ホットココアを入れた紙コップを持つヒッポメネスがいた。

 

「君もどう?」

 

「………貰おう」

 

 ホットココアを奪い取り、口に運ぶが熱くて一気に飲むことができない。

 チロチロと舐めるように飲む。少しだけヒッポメネスの方を向くと、あいつも似たようにチロチロと少しずつ飲んでいた。…そんなところまで似なくても良かろう。

 

「おかわり!」

 

「はいはい、ゆっくり飲むようにねジャック」

 

 新たにホットココアを注ごうとした時、ナーサリーとジャックが突然立ち上がる。

 

「来た!」

 

「来たよ!」

 

 二人が同時に指差すと、私とヒッポメネスもつられて空を見上げた。

 

 

 

 そこには、流星雨があった。

 

 

 

「おぉ、これはすごい」

 

「あぁ、これほどまでとはな」

 

「すっごーーーい!」

 

「すごい、星の雨だわ!!」

 

 そう、全てはこのためにカルデアの全職員は空を見上げて待っていたのだ。

 吹雪が止んだ夜に偶然にも流星雨が降るという奇跡の日と重なったのだ。

 ジャックとナーサリーの感嘆を皮切りにカルデアの所々から叫びに近い感動の声が鳴り響く。

 

 生前にも何度か見たことがあるが、この美しさは飽きさせることはない。

 

 そんな光景を見たことの無いジャックとナーサリーは雪の上を空を見上げながら駆け回る。

 

「汝ら! あまり遠くに行くではないぞ!」

 

「まあまあ、僕達が見守っててあげようよ」

 

「まったく、…私も大概だがお前もあの子達に甘いぞ?」

 

 ゆるく笑うこいつに少しだけ嘆息し、もう一度空を見上げる。祈りのように、祝福するように降り注ぐ星の雨。その美しさは神代から現代に受け継がれている。

 

 痛みも憎しみも醜さも、全て今へ。

 

 

 

 

 あの地獄も、この奇跡へと繋がっている。

 

 

 

 だからこそ、救おう。“いつか”、そう“いつか”だ。

 儚くて、根拠のない、だけど信じ続けれる誇りと理想を。

 

 私が願ったことを、私の知らない違う誰かが祈ってくれているこの世界を。

 

 私はこの場所で守り通してみせよう。

 

 

 

「アタランテ、どうしたんだい?」

 

 

 

 ーーー違ったな。

 

 

 

「ヒッポメネス」

 

「?」

 

「子供は、やはり愛いな」

 

「ーーーああ、間違いない」

 

 

 

 ここに少し頼りないが、頼らせてくれる男がいたな。

 

 

 

「アタランテー! ヒッポメネスー!」

 

 

 

 離れた場所で手を振るジャックがいる。

 あの時の彼女とは違う、別の救われるべき少女。

 彼女は救われなければならない。彼女は報われなければならない。彼女は愛されなければならない。

 

 聖杯ではできなくても、この時ならば奇跡がある。

 

 だから、彼女の笑顔を少しでも長く見ていよう。

 

 

 

 遠くに行ってしまいそうな子供達の元へと、()()は駆け出した。

 

 

 




『星』は既に還るべきところへと還った。
彼女は『殺人鬼』の中の無罪の一人。
名はなく、声も形も歴史に消え去った。

けれどーーー『星』が確かにそこにいたことを、『私達』は覚えている。


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