新社会「イクシーズ」―最弱最低(マイナスニトウリュウ)な俺― (里奈方路灯)
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第一章 暗闇と晴天と夕景と
岡本光輝の受難


はじめまして、里奈方路灯と申す者です。拙い文ですが楽しんでいただければ光栄です。※小説家になろうに投稿してるものと同じです。


 この世界には異能が有り触れている。

 

 あっちを見れば異能者、こっちを見れば異能者。当然のことだ。此処、新社会(ニューソサエティ)「イクシーズ」はそういう場所なのだ。

 

 かといって異常は有り触れていない。

 

 いきなり街に崩壊の危機が怒ったり世界大戦が勃発したりしない。これは至極当然の事で、なぜなら人というのは利口だからだ。ぶっちゃけ、無駄に争うよりお互いに利用できる部分を利用し合って高め合い発展させる。ここイクシーズはそういうコンセプトで作られた街……と、まあ端的に言えばそんな感じだ。なので異常事態にはまずならない。

 

 けど、まぁ異能を使った(コス)い犯罪なんかは起こるんだけどね。

 

 高校1年生、今年高校に入学したばかりなのに若者のフレッシュさが無いとよく言われる俺こと岡本(おかもと)光輝(こうき)は、イヤホンで音楽を聴きつつ片手にぶ厚い小説、片手につり革のいつものスタイルでいつものように朝の電車に乗っていた。人が多く席などはとれず、かといって棒立ちでは退屈で死にそうなので趣味で時間を潰す。

 すると、視界の隅で妙な動きが見えた。駅で人が乗り降りをする際に男が学生に軽く肩を当てた。

 一瞬の出来事だが、体重移動で光輝の目にはそれがなんなのか見えた。

 

 ……スリか。

 

 異能には種類があり、光輝の異能は「超視力」。文字通り、目が異常に良くなるというものだ。使い方にはあらかた慣れて、その人間がどういった行動に移るかなどの観察眼の一面も発達している。なお、スリを行う人種は手の動きが素早い異能者が断然に多い。人とは分かりやすい生き物だ、自分の利点を活かしたがるんだろう。

 

「やるか」

 

 光輝はボソッと呟いた。犯人は電車から降りたが幸い光輝の目的地もこの駅なので、光輝も人混みに紛れて犯人に軽く肩を当てると同時に、盗まれた財布とついでに本人の財布も奪う。

 

 犯人はしたり顔で歩きながら自分のポケットに手を突っ込む。

 

「あれ、俺の財布が無え!?」

 

 駅の階段前で自身のポケットに手を突っ込み収穫を確認しようとしたであろうスリ師は収穫どころか自身の財布も無いことに気付き階段から転げ落ちていった。

 

 ざまあみろだ。

 

 そして被害にあった学生を確認し早歩きで軽く肩当てをし、本人の財布を返しておく。後で確認したところ犯人の財布に1万円ほど入っていたので金を全部抜いてから公園のゴミ箱にポイした。

 

 いやあ、良いことをした。気持ちがいいね。

 

 駅から学校までの徒歩の時間、流石に危ないのでイヤホンを着けず本も読まず歩く。人や車にぶつかったら危ないからな。道には学生がちらほら。

 その遠くから、スクーターの音がする。こういう時が危ないのだと道の端に寄ると、目の前の女子生徒の横をスクーターが通り過ぎると同時に女子生徒が肩にかけていたバックを奪い去っていった。

 

 あー、あれはダメだな。やりますか。

 

 それを確認した俺はすぐさまカバンから先ほど電車で読んでた分厚い小説を取り出し、思い切りスクーターに乗った人物の腕めがけて投げつける。

 回転を加えてブーメランのように飛んでいった小説は走るスクーターを通り越せる速度で腕にぶつかり、スクーターの人物はカバンを落としはしたが失敗したことを理解しすぐに逃げ去っていった。

 

 俺はすぐにその場所に走ってゆき、小説とカバンを手に取る。

 

「あー、俺のミヒャエルが……」

 

 本の角に凹みができ悲しみに明け暮れる俺に、少女が駆け寄ってくる。

 

「あっ、あのっ、本当にありがとうございます……っ!」

 

 深々と礼をする三つ編みおさげに眼鏡の少女。とりあえずカバンを返してやる。

 

「気をつけなよ」

 

「は、はいっ……!」

 

 多分あのスクーターの男は女子学生のカバンをひったくり家でハアハアする趣味があったんだろう。今は夏の時期。カバンに水着が入ってたりしたらそれはもう一粒で二度おいしいだろう。使用済みじゃないのは痛かろうが。

 

 まあ朝からいきなり2件あるなんてまずないが、このように。この社会には、狡い犯罪が起こったりする。スクーターの男は異能を使ってたかイマイチわからないが。

 人が自分の才能を活かそうとする社会は悪くはないが、こういう形では嫌なものだ。けれど、犯罪は無くならない。人が人である限り。だから俺は人というものを、信用してなかったりする。

 

 まあ、今日の友達と明日いきなり殺し合いをするなんて小説みたいな事は起こらないがな……だって友達居ないし。

 

 1年1組。俺が通う高校での俺が在籍するクラスだ。俺の席は1番後ろ。異能の「超視力」も携えて当然のごとく俺は目がいい。これは学校はおろか、イクシーズのデータベースにも登録されていることなので先生たちは知っている。故に1番後ろの席だ。まあ一応個人情報なので誰でも知れるってわけじゃない。住所みたいなもんだな。

 

 授業は真面目に聞き、授業の合間は音楽と小説で過ごす。努力の甲斐もあって成績は上の下~中。将来の夢は公務員。補導をされた事は1度たりとて無い健全な青少年。願わくばこのまま学生生活を平穏に終えたいものだ。

 

 昼休憩になればクラスに一緒に食べるような友達も居ないので校舎から出てグラウンドの傍の芝生の上で仰向けに寝そべり空を眺めながら前日にスーパーで買った菓子パンを食べる。母さんは仕事で忙しくコンビニはコスパが悪い。なので前日にスーパーで買っておく。おにぎりよりも腹が満たされる。

 

 夢のような形の入道雲を眺めていると、ふと後ろに誰かが立っている気がした。顔をそのまま後ろにスライドさせてやると、そこには朝のカバンの少女が居た。

 

 って、下着が。こっちが地面に寝そべってるから下着が見えてる。

 

 直ぐに顔を青空に向ける。何事も無かったかのように。

 

「何か用?」

 

 平静を装って話す。少しだけ心臓の鼓動が早くなっているのが分かる。ええい、静まれ。

 

「岡本光輝くん……ですよね?此処に居るってクラスの人に聞いて……あの、朝のお礼を、もう一度言いたくて……」

 

 なんとか向こうも下着の件には気付いてないようだ。安堵する。

 

「いいよ、がむしゃらに投げた本が当たっただけなんだ」

 

 嘘である。当てる確信があって投げた。

 

「す、凄いですよね。聞きましたよ、総合レートEだって。能力(スキル)は「超視力」。目が良いと便利ですよね、野球なんかも得意だったり……?」

 

 んなわけあるか。目が良くたって体が反応できなきゃ宝の持ち腐れだ。目で追えるだけで本来ならコントロール性は皆無だ。スピードも出ない。

 

「……知ってると思うけど俺のパラメータはパワー1、スピード1、タフネス1、スタミナ1、スキル3だ。スキルは良いがそれを活かせるステータスじゃないからレートEなんだ。だから偶然だよ」

 

 学校で行われる身体測定に能力検査というものがある。通常の身長・体重いろいろに加えてさらなる測定がある。俺のパラメータはその検定で総合レートE。はっきり言って、これはレートの中で一番低いランクだ。かといって己のひ弱さを嘆いたことなどない。

 

「偶然でも、助かりました。ありがとうございます。」

 

「どういたしまして」

 

 素直に返事を返す。好意は受け取る。

 

「それで、あの……いきなりでこんな事を言うのもなんですが……」

 

 口は挟まない。言葉を待つ。

 

「……岡本さん、貴方のことが好きです!付き合ってください!」

 

「それはできないよ」

 

 かといって、受け取れる好意と受け取れない好意がある。だから俺は即答した。

 

「か、彼女が居る、とか……!」

 

 彼女も踏み出してしまったからには下がるに下がれないのだろう、熱くなっているのが分かる。

 

「居ないよ」

 

「なら、なんで……!」

 

 ふぅ、と息を付く。嘘は付きたくないし、なるべく彼女に諦めてもらいやすく言わなければならない。

 

「さっきの、正確には好きですじゃなくて好きになりましたじゃない?」

 

「そ、そうです。助けてもらっちゃって、好きになっちゃったんです……」

 

 彼女はそれで良いのだろうか。いや、良いわけがない。

 

「うん、ありがとう。でもそれって一目惚れだよね?別に君に魅力が無いとかそういう訳じゃないんだ」

 

「じゃ、じゃあ……!」

 

「恋なんて一過性のものだ。一目惚れなら尚の事、いずれ消え去り思い出風情にしかならず時にそれは未来を(むしば)む」

 

「え、どういう……」

 

 困惑する少女。

 

「俺みたいな最弱最低の男なんかと付き合って君の未来を壊したくはないっていう自己満足だ。俺が君と付き合うことで俺は自分に引け目を感じる。分かるだろ?俺は周囲から浮いている。君が周りから色々言われるのが俺は予見できてそれが嫌だ。これはエゴに過ぎないが俺の意思だ。だから君とは付き合えない」

 

「……」

 

 少女は黙り込む。少し考えた後、言葉の意味を理解したのか涙ぐむ、少女は拒絶された事は理解した。

 

「……まあ、直ぐに忘れなよ。それじゃ」

 

 放っておいて、俺はその場を離れる。後ろですすり泣く声が聞こえたが振り向かない。振り向いたら俺の心が揺れる。決めた覚悟は無駄にしないのが大切だ。

 

『良かったのか?』

 

 俺の脳内で聞こえる声。

 

「当たり前だ。そもそも俺みたいなクソ人間、関わったら直ぐに嫌われるだろ。切り離したほうが互いに後が楽だ」

 

『ふむ……』

 

 これでいい。人生で告白されたのなんて初だが、断り方は上出来だ。自分の才能に感服する――

 

 

――「ちょっと」

 

 放課後、荷造りをして帰ろうと廊下に出ると一人の女子から声がかけられた。茶髪で化粧も軽く仕上げた、なるほど。よく仕上げた顔の女子だ。綺麗である。

 岡本光輝は頻繁に女子に声をかけられるような人間では無いし超視力により捉えた人物の特徴で何事かわかる。

 

「うん……別のとこで話そうか。ここじゃ人が多い」

 

「はっ、何言って」

 

 女子が眉をひそめて言いかけた所で先手を打つ。

 

「数を味方にするなんて卑怯じゃあないか、え?」

 

「……チッ」

 

 これだから他人は信用ならない。人の心とは黒いものだ。

 

 校舎裏。俺とその女子の二人になった。

 

「お前、楓の気持ち受け取ってやらなかったのかよ!」

 

「楓……あの子ね。うん、そうだね」

 

「なんでだよ!あんなにいい子居ないよ、楓めっちゃ泣いてたし!なんか変なこと言ったんじゃないかよ!」

 

「うん、事実なんだけどさ……」

 

 そう、変なことを言ったのは事実であるが。

 

「なんで君がそれをいいに来たのかわからないよね、なんでそんなに激高してるんだろうね。自分でわかってるかい?」

 

 嘘である。実際はわかっている。

 

「そんなの、友達の為じゃん!」

 

 彼女は正しいんだろう。が、正しいだけだ。それは「義」には成りえない。

 

「お前になんの権利があって俺とあの子の関係を(えぐ)る?あの子は余計傷ついたりしないだろうか」

 

 実際のところ、キレ気味に俺は言葉を放った。こういう自分が正しいと思っている少女ほど、迷惑なものはない。だから、頭ごなしに言ってやる。ふざけんなよ、と。

 

「お前があの子の事を考えるとして俺の意見はどうなる?はっきり言うぞ、お前はただただ俺にはウザい」

 

「っ……!」

 

 少女はたまらず右手を動かす。超視力により何が起こるかは分かる。

 

 パァン!という音と共に、俺は頬に痛みを受けて倒れた。避けることも可能だったが、これが一番楽だろう。

 

「もう知るかッ!」

 

 女子は走り去っていく。人を殴っておいて逃げるとか、悪もいいとこだ。

 

「つー、だから人間ってのはクソなんだよ」

 

『坊主はもっと人の心を考えるべきだぞ……今更ではあるが』

 

「そうだ、今更なんだ」

 

 頬の痛みを気にしつつ、俺は今日もまた一つ人間を嫌いになった。



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岡本光輝の受難2

 学校からいつもの足取りで家に帰宅する岡本光輝。部活動は入ったものの、ここ数ヶ月で行かなくなった幽霊部員として在籍してるボランティア部。

 いずれかの部活に入らなければいけないという校則の為に入っただけで先生が緩そうなボランティア部を選んだに過ぎずボランティアにカケラの興味もないし、部活をする時間があったら勉強する。そんな無駄な時間割いていられるか。

 

 家計を助けるためにバイトをしようかとも考えたが、母親はなかなか許してくれない。まあ、バイトにうつつを抜かして勉強できずいい会社に入れませんでしたじゃ本末転倒だよな。

 実のところ、イクシーズも外の世界もたいしてやることは変わんないのだ。ひと握りの奇跡のような異能者がシンデレラロードを歩めるだけでただの異能者は普通に過ごすしかない。まあ、イクシーズの利点は外よりもアパートの家賃が格段に安いという点だ。それだけで俺と母さんは外から引っ越してきた。

 

 3階建てのアパートの3階に着き、指定の部屋に持っている鍵を差し込み回す。ガチャリ、と音がして鍵が開いた。

 

「ただいまー。今日の晩飯なにー」

 

「おかえり。今日はね、焼きそば」

 

「おー、いーねー」

 

 台所から聞こえる声。母さんの声だ。そうか、今日は焼きそばか。肉も野菜も入ってて味が濃くご飯が何杯でも入る。思春期の若者にはぴったりのご馳走だ。

 

 父親は既に死別してこの世に居ない。父親は異能者ではなく、父親がまだ居ればイクシーズに移り住むという事は考えていなかった。が、その父親がある日いきなり自殺をした。父親に未練はさほど無かったようだ。遺書には「ごめん」と書いてはあったが、それだけだ。

 保険金は入ったものの元々そこまで財政余裕のある家じゃなかった。だから異能者である母さんと俺は家賃の低いイクシーズに移り住み、細々とやってきている。母さんの仕事が午後の早めに終わるからまだ気苦労が少なかったりご飯を作ってくれたりで助かっている。家計簿で赤字になることはなく、まあ身分相応の生活だろう。

 

 風呂に入り終わってから母さんと他愛もない話をしつつ食卓を囲み晩飯を食べ、俺は夜9時あたりまで勉強と読書をしたあとスーパーに向かう。そろそろだろう。

 近所のスーパーは夜9時半まで営業をしており、残り30分から1時間というタイミングで菓子パン・惣菜パンに値下げシールが貼られ出す。大体が20円引きか半額か。大本命は半額だが半額は他者に取られていたりそもそも貼られない事もあってなかなかお目にかかれず、今日は20円引きのメロンパンで手を打った。買ったのは結局メロンパンと50円の缶コーラ。缶コーラは帰り道で飲む用だ。

 

 夜9時半。この時間帯にもなると、この辺りは街灯があまり無い。学校や会社がある中心部とは違ってこのあたりはいわば田舎である。まあベッドタウンのようなもんだ。中心部よりも遥かに家賃が安いのが最大の利点だ。

 

 それに、明かりが少ないほうが夜空に浮かぶ星が綺麗に見える。超視力で見る星は凄く綺麗だが、他者はどうなんだろうか。

 

 ふと、後ろの方で声が聞こえた。女性の、甲高い声。

 

「っつ、嫌な予感がするぞ……」

 

 後ろを振り向いても、誰もいない。恐らくは、その先の十字路。右か左か……いや、声が聞こえたのは右か。足音をあまり立てず、早歩きで進む。杞憂であればいいが。十字路の角から、右を覗き込む。

 

「イヤっ、離してください!」

 

「ハッ、おとなしく、するんだよ!じゃねえと殺すぞ!」

 

「ひっ……」

 

 覆面を被った男が一人の少女を壁に押さえ込もうとしている。少女が必死に抵抗しようとするが、逃れられない。恐らくは身体強化の能力。男はバタフライナイフを取り出し、少女の目前に突きつける。

 

「おお……っ」

 

「っ、誰だ!」

 

 バレてしまった。というか、バラす為に声を出した。作戦は考え中、少しでもあの少女の負担を減らさなければいけない。

 

「お、岡本くん……っ!」

 

「あー……」

 

 彼女は俺を知っているようで、俺も彼女を知っていた。栗色の長髪、しなやかな四肢、整った顔立ち。学年主席のホリィ・ジェネシスさんだ。イクシーズは日本にあるメガフロートだが国際空港もあるため海外からも人は来る。

 まあ俺の事は多分、Eレートの1生徒として知られていたんだろう。だからこそ今は残酷だ。Eレートが暴漢に勝てるわけがない。常識的に考えて。実際、彼女は俺の顔を見て困惑している。まあ無理もあるまい。

 

 とりあえずメロンパンと缶コーラの入ったエコバッグは地面に置いて両手をあげる。なにもしない、できないの合図だ。

 

「おい、どっかいけよ、通報したらこの女殺すぞ」

 

 ホリィを押さえ込みつつ冷静に男は俺に退散を促してくる。そうなるよな。

 

「いや……たはは……」

 

 苦笑いを浮かべる俺。

 

「あん?」

 

「できれば、見てたいなって」

 

「はぁ!?」

 

「岡本くん!?」

 

 食らいついた。これが好奇(チャンス)だ。

 

「今から始まるのって、陵辱ですよね?」

 

 苦笑いを、だんだんと普通の笑顔に変えていく。二人からの視線がひしひしと感じられる。いいぞ、もっと意識を向けろ。

 

「いやぁー僕、綺麗な女の子が陵辱されるのってすごい興奮しまして、あ、家にあるエロビも陵辱物ばっかなんですよ」

 

「……」

 

「……」

 

 二人とも驚愕の目で俺を見る。そうだ、こんな奴なかなかいない。

 

「だから、抜いてきたいっていうか……できれば後で混ぜて欲しいかな、なんて……」

 

「っ、テメエ!」

 

 知っている女の子が犯されかけているこの状況で、抜きたいだなど、挙句の果てに混ぜて欲しいとかいう最低の屑。そういう人間を目の前にしてホリィは恐れおののく表情をし、覆面の男は舐められているという状況を理解した。

 

 男が彼女を離しナイフを持ってこっちに向かってくる。そうだ、このひ弱な俺なら殺してからでも女を襲えるだろう。動揺を誘い我を忘れさせ激高のまま俺を殺させようとする。今だ。

 

「ムサシ、やるぞ」

 

『合点承知の助!』

 

 俺の異能者としての能力、「超視力」。本来それは急激に目がよくなる、という話だ。これだけでは僕のパラメータはビクとも変動しない。しかし、この能力には別の使い方がある。それは、「霊視(れいし)」。その名のとおり、幽霊を視ることができる。

 この霊視により幽霊を見た場合、幽霊が自分を見れると分かり、さらに幽霊との波長が近ければテレパシーで語りかけてくることもある。そして、その幽霊を自分に憑依させ、幽霊の生前の肉体記憶をこの身にフィードバックさせる。これが自分に自信が無い俺の、他者の力を借りて2対1を生み出す最弱最低で卑屈なやり方。

 

「『魂結合(こんけつごう)』……双手貫(もろてぬき)

 

 足を踏ん張り、襲いかかる男の懐に潜り込むような体勢まで腰を落とし、カウンターの要領で両の手による貫手で敵の腹部を抉る。光輝の素のパラメータと背後霊ムサシのフィードバック、技術、それに覆面の男の恐らく身体強化によって、ちょうどいい具合にダメージを与える。殺してしまうと俺の社会的立場が危うい。

 

「がふっ……う!」

 

 腹部に致命的なダメージを負った男は、カウンターの勢いもあって後方に吹っ飛びアスファルトの地面に体を打ち付け気絶した。

 

「ふぅ……大丈夫か?」

 

 ムサシとの魂結合を解き地面に座り込んでいたホリィに手を差し伸べる。犯人がナイフを持っていた以上無闇に突っ込む事はできず、ああいう方法しか咄嗟に浮かばなかった。別に理解されようがされまいが俺にはどうだっていいが。

 

「ありがとう、ございます。すいません、あんな芝居までさせてしまって……」

 

「全くだ。夜道なんて出歩くからだ。送っていく」

 

「え、でも……」

 

「送っていく。またあんたに何かあったら俺はただの無駄骨で動いた事になる」

 

 有無は言わせない。強引に親切心を押し付けていく。

 

「はあ、ありがとうございます……それではお願いします」

 

「あ、通報しないと……まあいいや、当分起きないし。ジェネシスさん、だったよね?後で通報しといて」

 

「あ、はい」

 

 最悪の1日だ。朝に2件、夜に1件。こんな日まずありえない、目の前で3件も事件が起こるなんて。しかも送迎のオプション付きだ。かといってやらないわけにはいかない。彼女がまた事件に合えば俺は助けた意味がなくなる。そういうもんだ。まあいい。飲めずにいた缶コーラを開けた。動いたあとの炭酸と糖分が体に染みる。

 

 駅までたどり着き、そこから140円の区間電車に揺られてすぐのマンションにホリィ・ジェネシスの家はあるそうだ。その間に、ホリィは通報を終えていた。多分、後日事情を聞かれるだろう。まあいい、適当に誤魔化す。霊視は俺だけしか知らなくていい。電車代は払いますとホリィに言われたが、断った。朝のスリ師からのあぶく銭があるので、そのぐらいは別に構わない。

 

 駅から歩いてすぐにホリィの住むマンションはあった。おお、すげぇでけぇ……15階はあるんじゃなかろうか。一体家賃いくら……いや、買い切りか。パッと出ないあたり、自分の貧乏心が根強いと感じる。ホリィ・ジェネシス、見た目と成績に限らず根っからの金持ちのお嬢だったか。

 

「あの、お礼をしたいのであがっていってください」

 

 マンションの大きさに驚愕しているとホリィから声がかけられた。ぶっちゃけ明日も学校があるので早めに退散したい。

 

「いや、いいよ。それじゃ……」

 

 断って帰ろうとした時。

 

二天一流(デュアルアクション)

 

「……あ?」

 

 放ったのはホリィ。言葉の意味を直ぐに理解した光輝は気だるげにホリィの目を見つめる。

 

「貴方の、EX(エクストラ)能力(スキル)。あの時、貴方の身体能力が1からおよそ3まで跳ね上がるのが私には分かりました。それと同様に付与されたEX能力。ごめんなさい、私の目、そういうの分析(わか)るんです」

 

「お前……」

 

 光輝はただホリィを睨む。

 

「上がっていってください。お礼をしますよ。安心してください、家には今は誰も居ません。それと、少し……お話をしましょう」

 

 ホリィの、真剣な眼差し。光輝はこの話を受け入れるしかなかった。



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岡本光輝の受難3

「さあ、座ってください。今お茶を入れます」

 

 さて、どうしたものか……ホリィ・ジェネシスに連れられて、俺は今彼女の家の中に居た。

 不味い、実に不味い。何が不味いかというと、コイツは俺の能力の秘密を知っているかもしれない、ということだ。それは困る。

 

 ともかくは話をしよう、ということなので遠慮なくリビングにあったソファに座る。おお、ふわぁ……ってする。なにこれなにこれ、スゴい!というかいかにも荘厳、みたいな雰囲気出してるよなこの家!部屋の明かりの加減が薄暗くて廊下の壁に滝とかあったし、いや、噴水になるのか?あと、観葉植物とか飾ってる家初めて見た!なんか高級ホテルの一室、みたいな感じ?いや行ったことないけど!

 

 ……いや、はしゃぐな俺。見たことないものが多くてしばし我を忘れたが敵の腹の中だということを意識せねばならない。

 

「紅茶でよかったかしら?」

 

 直ぐにホリィは戻ってきた。目の前のテーブルに紅茶と茶菓子のラスクが置かれ向かいのソファにホリィが腰をかけた。その様はとても可憐で、傍から見ていても絵になる。

 

「ああ、ありがとう」

 

「そんなに緊張しないで、普段は兄との二人暮らしだけど兄さんは今仕事でいないから」

 

「そうか」

 

 実際の所、この言葉がどういう意図を持つのかわからない。だが、光輝の頭には色々な考えが渦巻いていた。

 緊張しないで、とは俺の能力を他言はしない、ということか?それともただ単にクラスメイトを家に招きい入れたことについてか?とりあえず、現状は彼女との1対1。どう彼女に対応すべきか……。

 

 思考を念入りに行うために、時間稼ぎとして目の前の紅茶をいただく。暖かいそれは、初めて飲むものであった為詳しい味などはわからなかったが、いい香りがする。美味いと言える部類だ。

 

 互い、少し無言になる。先に覚悟を決めて切り出したのは光輝だった。

 

「俺の能力は超視力。言わずもがな、視力の強化だ」

 

 まずは確信に入らない。手探りのジャブ。自分の能力の説明。

 

「はい、それは知ってます。あなたはイクシーズのEレート。能力こそ有能であれ、身体能力は……言ってはしまいますが底辺。仕方のないことです。その能力では素体が秀でて優れてなければ真価を発揮できません。身体能力がもし圧倒的に高ければ、あなたはAレートに余裕で食い込んでるでしょう」

 

「……」

 

 レーティング。このイクシーズには総合レートというものが存在する。

 

 身体能力にて純粋な力「パワー」、速さ「スピード」、耐久力「タフネス」、体力「スタミナ」、能力「スキル」の項目。およそ1から5の数字でその5項目を測定し、それらを総合して上からS.A.B.C.D.Eで割り振られる。もちろん上に行くほど有能であり、下に行くほど無能だ。同時にこれは「危険度」の表しでもある。上位レート陣程一人のスペックが高く、そんな奴らが犯罪者になっては目も当てられないため彼らには「栄光の道」が与えられる。

 

「ちなみに私はスキル5、他1のCレートというのはご存知ですね?」

 

「ああ、知ってるよ」

 

 スキル5の能力者は滅多にお目にかかる事ができない。彼女は、それほど稀有な異能者であるということだ。

 彼女は学年主席。1年で最優秀で入試を終え、最初のテストでも1位を取った正真正銘の「天才」。おしむらくは、レーティングの査定に知能がないことか。しかし、彼女がこのまま己の人生を歩めば栄光の道は難しくはないだろう。

 

「私の能力「光の瞳(ジ・アイズ)」はほかの人のステータスを図る事ができます。その人を見れば肉体の状態、例えば貴方のパラメータが手に取るように。私の価値観とこれは同期してますので貴方が能力以外オール1ということもわかりますし、貴方の能力「超視力」がどういう能力なのかもわかります。ただ……能力の数字だけはイクシーズのデータベースで決めるのでこれは私にはわからないんですよね」

 

「便利な能力だな……」

 

 さすがは5判定の能力。個の人間の力でそれだけできればまごう事なき異能者。才能の塊だ。だが、コイツ……

 

「私だけが貴方を一方的に見るのが申し訳ないので、先に私の能力を話させていただきました。これで、素直に本題に入れますね」

 

 なるほど、そういう意図か。端から腹の探り合いをするつもりはなく、純粋に俺とのノーガードでのど付き合いをしよう、って事だ。正直すぎる。

 

「貴方のEX能力「二天一流(デュアルアクション)」。おそらくはこのニュアンスで合ってると思うのですが、よかったですか?」

 

「いや、構わない。続けてくれ」

 

「ありがとうございます。えっと、それが発動したとき、貴方の能力値は1から3辺りに跳ね上がりました。EXスキルは持っている人が極まれというか、基本的に人の能力って一つなんですね。ただまあ努力の結晶や才能の塊という形で所有できる人がたまーに居るんですよ。基本狙って手に入れれるような代物でもないので皆さん意識しませんが。貴方、そのEXスキル、隠してきたのですか?」

 

「……能力のオン・オフはできない」

 

「はい、大前提ですね。」

 

「能力をコントロールする事は可能だ。別に「二天一流」を持ちつつ身体能力を上下させることは可能だ。だけれど、ジェネシスさん。今の君の目には何が視える?」

 

「……「超視力」を持った貴方だけです。だからわからないんです、貴方が。どういうことなのでしょう?」

 

「結論を言うとこうなる。俺の能力は実際Eレート、「二天一流」は君の「光の瞳」の誤認。あの状況は火事場の馬鹿力ってやつで乗り越えて君を助けた。偶然だ」

 

 そうだ、これが俺の答えだ。この結論を暴き出すまでに時間がかかった。全てをこの台詞で片付けるために話を進めてきたといっても過言ではない。ようやくこの茶番を終わらせて家に帰ることができる。なんの矛盾も無く、俺の勝利だ。

 

「偶然が2度もつづくって、おかしくないでしょうか。それは偶然ではないのでは?」

 

 が、何かが狂った。

 

「……は?」

 

 なにをいッテイルンダコイツハ。

 

「貴方が朝、その二天一流で人を助けるのをみました。ひったくりに対しての見事な投擲。そのとき「光の瞳」で--きゃっ!?」

 

 俺は気づくと立ち上がっていて、向かいの少女に飛びかかりその体をソファに押し倒した。

 

「今、理解(わか)った……お前、俺を尾行(つけ)てたな」

 

「……すいません」

 

 そもそもホリィがあの時間にあの場所に居た時点で感づいて思考しておくべきだった。怪しいと思うべきだったんだ。完璧に俺のミスだ。俺に今余裕はない。しかし、ここでコイツに主導権を握らせるわけには行かなかった。

 

「私、朝のあの事件が貴方が気になって今日1日中貴方を見ていたんです。昼休憩でのあの人との会話も、校舎裏でのやりとりも、全部、見てました」

 

「ふざけた野郎だ……」

 

 全部、見ていたというのか。ダメだ、脳髄が沸騰しそうなほどキれている

 

「貴方は人助けをできる立派な方です……しかし「暗い」。闇の中にいます。なぜですか?望んでそうなったとでも」

 

「んなわけあるか。わかったふうな口を聞くなよ……お前何様のつもりだ……」

 

「ほら、今だって。「二天一流」をつかって私を押さえ込めばいいのに使わない。根はとても優しい方の筈です」

 

「違うっつってんだろ!!」

 

「……っ!?」

 

 この状況で淡々と話すホリィに対しての怒り。コイツは正しか知らないんだろう、だがそれは義には成りえない。泣き出しそうになる少女の瞳。ダメだ、こんな感情久しぶりだ。今日1日災難が続いたがこうはならなかった。

 

 俺は何に対してキれている?この世の中の不条理にか?栄光と暗闇、その差だろうか。「栄光の道」を()く彼女と「暗闇の道」を藻掻く俺。栄光である彼女が暗闇に触れようとしている。巫山戯るな、お前に俺は理解できない……!

 

「俺、あの時いったっけか。陵辱が好きだってな。なあお前。今ここでお前を犯してやろうか……」

 

「……」

 

 感情のコントロールが出来ない。脳内で何か聞こえるが、届かない。今此処でコイツをメチャクチャにしてやりたい。グチャグチャに、彼女を(こわ)して瓦解(こわ)して崩壊(こわ)しつくしてやる--

 

 俺の親指が、少女の唇の端に触れる。

 

「……い、ですよ……」

 

「あ?」

 

 絞り出すような少女の声。

 

「いい、ですよ……」

 

「……は?」

 

 信じられない言葉だった。

 

「私、あなたを傷つけたんですよね……」

 

 少女の瞳からは涙が流れていた。

 

「私、あなたのこと何も知らないのにあなたの心にふれようとした……」

 

 とめどなく、涙が溢れていた。

 

「あの時、あなたが助けてくれなければ私はひどいことされてたんです……」

 

 すすり泣きながら少女は言う。

 

「私がかってにあなたを追って、あなたにたすけて貰って、ダメ、ですよね……」

 

「お前……」

 

「私、今ここであなたにされても、しょうがないんです……私が悪いんです……」

 

 彼女は泣いていた、しかし柔らかな瞳で。

 

「わたしを、犯してください……光輝さん」

 

「……チッ」

 

 俺はホリィを押さえつけていた腕を離し、立ち上がる。

 

「え……」

 

 怪訝そうな顔をするホリィ。どうやら彼女は本当に俺を受け入れようとしてたようだ。

 

「興が()がれた。受け入れられたんじゃあ陵辱じゃない」

 

 玄関の方に俺は歩き出す。すんでのところで理性が戻った。あんな顔されたんじゃ、俺は何もできない。

 

「帰るわ」

 

「あ、あの……っ!?」

 

「あ?」

 

 振り返るとジェネシスが涙に濡れた顔でこちらを見ていた。声もまだ少し上ずっている。まだなにか用があるのか?

 

「ごめんなさい、私、あなたの事、何も知らなくて……だからその」

 

 少しどもるホリィ。が、直ぐに言葉は放たれた。

 

「私と友達になりましょう!」

 

「……なん、だって?」

 

 全く理解できなかったその言葉。コイツはどれだけお人好し……いや、はた迷惑なだけか?

 

 本来交わらぬ「栄光」と「暗闇」、今道が交差した。狂いだした運命の歯車、どうやら岡本光輝の受難はまだ終わりそうにない……



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岡本光輝の友達

 岡本光輝はいつもより気だるげに通学路を歩いていた。ホリィとの1件があってから1日が過ぎ、二日目。昨日、ホリィは学校に1度顔を見せたそうだが直ぐに早退したらしい。多分、あの覆面の男について警察から事情聴取があったのだろう。尚、俺の所にはまだ何も話は来てない。

 

 しかし、なんて説明しようか。面倒くさいな……

 

 幸い、ホリィには結局俺の能力を全て明かしてはいない。ホリィが警察に俺の能力を言っているとは、考えにくい。ただホリィが俺自身に同意の上での証言を求める可能性はゼロではなく、どっちにしろ能力のことはいずれ聞かれることにはなるだろうが、そうなったらそうなったである。

 ただ打算が無いわけではなく、ホリィのような善の塊で出来た人間が一回揉めた相手にしつこく聞いてくることは無い、というものだ。そうなったら、一番良い。最悪、ホリィに他言無用で話すのもアリではある。光輝には、気負いの目があった。なにせ、あんな事をしようとしたのだから。実際、ホリィが警察に訴えたら1発アウトである。俺の経歴が台無しである。それだけは避けたい。

 そもそも、ホリィが許してくれているかどうか怪しいものだ。俺だって自分自身が許せない。だが、あの状況で自分をコントロールできなかった。その諸々のせいで、昨日は気が気でなかった。

 

「はぁ~……」

 

『坊主よ、ため息をすると幸せが逃げるぞ』

 

「どーでもいいや……」

 

『むぅ』

 

 脳内に聞こえる背後霊「ムサシ」の声。頻繁に語りかけてくるような事は無いヤツだが、俺の心配は意外としてくれる。少しだけ嬉しい。性格最低な俺でも、気にかけてもらえれば嬉しいもんだ。

 

「光輝さん」

 

「げ……」

 

 学校の門をくぐると、ホリィ・ジェネシスがそこに待ち構えていた。屈託のない笑顔で声をかけてくる。ぐぐぐ、痛い。その光は俺の心の闇に響く。

 

「おはようございます。友達なので、校門で待ってました。さぁ、行きましょう」

 

「あ、あぁ、おはよう……」

 

 少し怯む。このホリィ・ジェネシスという少女、俺に対して不快感を抱いていないのだろうか。あの夜見せたはずだ、卑屈で最低な俺の本性。なぜそうも平常でいられるのだろうか。俺にはわからない。

 

 下駄箱にて、それぞれ自分のスリッパに履き替える。

 

「実はですね、私、今日光輝さんの為にお弁当を作ってきました。光輝さんお昼パンだけ、ですよね?」

 

「……そうだけど」

 

「良かったー、もし光輝さんがお弁当持ってきたら、光輝さんのお腹が破裂してしまうところでした」

 

「……そうだな、ありがとう」

 

「いえ、どういたしまして」

 

 満足気なホリィの表情。実のところ、俺は普段昼飯をパン1個で済ませてはいるものの年頃の男子にはなかなかキツいものがある。なので、差し入れは非常に嬉しかった。しかし、俺たちはいつの間にそんな仲になったのだろうか。少なくとも面識を持ったのは一昨日で、昨日は話すらしてはいない。そもそも、どうも好感度がマイナスではなくプラスの方に動いてる気がして……いや、それはないか。ただ、ホリィの真意は読めない。彼女に裏の考えがあるのか?

 というか、学年主席ホリィ・ジェネシスとは、こんなに気さくな少女だったのか。面識を持つ前の、校内で希(まれ)に視界に入る彼女の姿は、静かでおしとやかで、クールなイメージを抱いていた。だが今は、ガラリと変わっている。挙句俺は何故か名前で呼ばれている。分からない。光輝は彼女を測り兼ねていた。

 

「着いたぞ、それじゃあな」

 

「おーっす、コーちゃん」

 

 とりあえず一旦これで別れられる、思考をせねば。1年1組の前でドアを開いて安堵しかけた時、横から声がかけられた。それは光輝がよく聞いた声であり、その姿はよく見た姿だった。

 

「あ、後藤(ごとう)か。どうした?」

 

「いやぁー、新作の小説が面白くってさー、コーに貸そうと思って」

 

「ほー。なんだ?」

 

 後藤(ごとう)征四郎(せいしろう)。身長は低め、しかし顔はイケメン。少しアンバランスな、だが女性が惹かれそうなルックスの持ち主だ。俺とは小説仲間であり、気軽に「コーちゃん」と声をかけてくる。ただのイケメンだったら俺はコイツとは話そうとは思わなかったが、何を隠さんコイツは。

 

「「これゾ」、幼女が魔法少女になって敵と戦う作品でさー、成長途中の膨らみかけな控えめの胸は神。揉んで大きくしたくなる。てか主人公ハーレムすぎて最高」

 

 こいつ、ロリコンかつハーレム願望があるちょっと頭の残念なヤツ……つまり残念なイケメンなのだ。しかも公衆の面前でこんな事言うのだから手がつけられない。しかも隣に女子がいるのに、だ。病的である。

 

「おう、気が向いたら読むよ」

 

 月並みな言葉。読みはするが、今の言葉に対して返す言葉は無い。

 

「コーちゃん、俺には夢がある」

 

「何」

 

「ハーレム王に、俺はなる」

 

「そうか」

 

 幾度となく聞いた言葉。それを言うと、「これゾ」を俺に渡し自分のクラス1年2組に帰っていった。嵐のような男だ。公然で猥褻な言葉を使うやつには、ハーレムはできないと思うぞ。そもそも日本は一夫多妻制は無い。

 

「あの、今のは……」

 

「小説を貸し借りする知り合いだ。対して仲は良くない」

 

「でも、コーちゃんって」

 

「ヤツが勝手に言ってるだけだ」

 

「はぁ……」

 

 実のところ、アイツとつるんでるとあまり思われたくない。まあ、あれぐらいはっちゃけてないと俺と関わりを持とうとは思わないか。だが、軽い会話はする。心の底から毛嫌いタイプではなかった。

 

「んじゃ、またな」

 

「あ、はい。それでは」

 

 ようやく、ホリィと別れられる。さて、対策を練ろう――

 

 

――学校での授業が始まる。授業中はしっかりと先生の話を聞き、ノートはしっかり取る。当然のことだ、この当然のことができない奴は社会においていかれる。もしおいていかれないならそいつは、すばらしい才能を秘めているんだろう。

 が、凡人である俺はそうはいかない。理詰めに理詰め、全力で行く。なので、授業中はホリィへの対策が出来ないので、休みの時間にする、予定だったのだが……

 

「なあ岡本、ここの問題を教えて欲しいのだが」

 

龍神(りゅうがみ)か……」

 

 2限目の数学の時間が終わってから、とても忙しいところに同じクラスの女子の龍神(りゅうがみ)王座(おうざ)が寄ってきた。仰々しい名前に中性的で凛々しい顔つき、美しいほどの黒い長髪というルックスになぜか赤いインナーシャツに黒い学ランとかいう時代錯誤の校則ガン無視という服装。そのミステリアスな雰囲気から男子よりも女子に圧倒的人気があるというとんでもないヤツ。たまにコイツは俺に授業内容を聞きに来るのだが……

 

「冒頭でタクヤくんは時速340kmで歩いていますと書いてあるのだが」

 

「ああ」

 

「よくよく考えたらおかしいと思わないか?人間が時速340キロで歩けるものか。タクヤくんは新幹線か巨大なゴキブリだとでも言うのか?そもそも「歩いています」と書いてある。新幹線は走るものだ。タクヤくんとは一体何だ」

 

 龍神王座の疑問はいつもどこかずれている。そんなもの、深く考えなくても問題など解ける……が、ここは例をくれてやる。

 

「はぁ~っ、お前……知らないのか?」

 

 わざと大雑把に脇れて龍神を煽る。

 

「どういうことだ?」

 

「タクヤくんは一大信仰を築き上げた伝説の剣術「三嶋流斬鉄剣(みしまりゅうざんてつけん)」の(にな)()だ。だとすれば……?」

 

「成程……っ、その発想は無かった!三嶋の剣なら神速の太刀、時速340キロも夢では無い。しかし、歩きというのは……」

 

日本(ジパング)に伝わりし伝説の歩法、摺足(すりあし)だ」

 

「なん……だと……!?」

 

「最速の流儀に最速の技。最速最強の心技体、これで全ての説明に収集が付く。理解したな?」

 

「ああ、最高だ岡本。やはりお前は頭がいいな!」

 

「後は自分で解け」

 

 龍神は自分の席へ戻っていった。席の周りの女の子から「ねー、何してたの?」とか聞かれている。

 

「君たちにはまだわからんさ。が、いずれ分かる。いずれな」

 

 龍神の言葉。うん、俺アイツは意外と好きになれる。さっきの話ほとんど即興で作ったでっちあげだが龍神は満足しているようだ。楽しい。いい事をしたという錯覚に囚われる。が、ホリィへの対策の時間が無くなってしまった。まあいいか。まだ時間は残されている。

 

「仲、良さそうですね……」

 

「……いつから居たんだよ」

 

 後ろを振り向かなくてもわかった。ホリィだ。もうすぐ次の授業だから帰れ。お前3つ隣の1年4組だろ。

 

 授業も過ぎて昼放課。弁当を作ってきてくれたというホリィを連れて俺はいつもの芝生へと腰掛ける。

 

「はい、召し上がれ」

 

「いただきます……おおっ」

 

 ホリィから渡された弁当。その中身は色とりどりの野菜、肉団子、ウインナー、白米。肉に野菜にごはん、理想の弁当じゃないか!

 

「食って、いいんだよな?」

 

「どうぞ」

 

 ホリィのにこやかな顔が今は天使に見える。すげぇ、すげぇ!

 

 感動している間に、平らげちまった。もう、お腹いっぱいだ。パンはまたの機会に食べるとしよう。

 

「ありがとう、ジェネシス」

 

「どういたしまして。良ければ、今後も……」

 

「お隣よろしいかな?岡本クン」

 

 ふと、俺の隣に立つ影があった。今日はよく人に声をかけられる。

 

(たき)か、構わないぞ」

 

「それじゃ、失礼して……っと」

 

 隣に腰をかけた女子、瀧シエル。龍神の妹であり、非常に姉と似た顔立ちをしている。黒髪で長髪なとこまで一緒だ。見分け方としては表情、龍神に比べて柔和なそれと、服装。ただの学生服だ。簡単に言えば、学ランが龍神である。龍神と苗字が違うのは諸事情だろう、俺に深入りするつもりはない。

 

「瀧、シエル……」

 

 ホリィは驚愕する。当然だ、最強と最弱がこの場にいるのだから。

 

 瀧シエル。パワー3、スピード4、タフネス3、スタミナ4、スキル5。ここまでを見てもハイスペックなのがわかるが、問題はその能力。

 イクシーズには2年に1度、5回の祭をやる年がある。春の「聖霊祭」、夏の「サマーフェスティバル」、秋の「オータムパーティー」、冬の「聖夜祭」、そしてその先の「大聖霊祭」。イクシーズに在住する高校生に参加が許される、事実上の「武闘祭」。

 俺には全く縁がないそれだが、観戦はした。今年行われた「聖霊祭」にて、この瀧シエルは出場者を全て高校1年生という歳にして「瞬殺」した。付けられたレーティングは文句なしのSレート。彼女の能力は「無敵」という次元にある。

 

 そんな瀧だが、ひょろっとこの芝生に来ることがあり、あろう事か俺の隣に座ってくる。人嫌いな俺だが、その中でも俺が会話していいと思う人物の一人でもあった。

 

「……」

 

「……」

 

「なあ、岡本クン……」

 

「なんだよ……」

 

「空が青いな……」

 

「雲は白いが……」

 

「私らは……」

 

「灰色だな……」

 

「だからこそ」

 

「俺らは」

 

「「空を飛びたい」」

 

 最後の言葉が重なった瞬間グっ、と光輝と瀧は拳を軽く合わせた。ホリィは???と疑問の表情を浮かべている。これは俺らの「習慣」のようなものだ。

 

「じゃあね、岡本クン。また来るよ」

 

「ああ、またな」

 

 そう言うと瀧は直ぐ様去っていった。経歴こそいけすかないヤツではあるが、彼女とは価値観を共有できる。青空の楽しみ方を、風情というものを理解(わか)っている。だから、嫌いじゃない。

 

「なんだったんですか?あの人……」

 

「悪い奴じゃないさ。それよりも、そろそろ俺らも帰ろう」

 

「あ、そうですね、もうそんな時間ですね……」

 

 名残惜しそうなホリィを連れて、俺たちは校舎に戻った。まずったな、ホリィに青空の楽しみ方を教えてやるのを忘れていた。なるほど、名残惜しいわけだ。今度はしっかり教えてやらなければ。

 

 なんだかんだで放課後になってしまった。しまった、1日を楽しみすぎてホリィへの対策を行っていなかった。

 友達ということで、ホリィと光輝は駅まで一緒に下校する事になった。

 

「光輝さん、意外とお友達多いんですね……」

 

「いや、いないさ。今日のアイツらは全員知り合いにすぎんさ。俺に友達なんて居ない」

 

「あそこまでの関係なら友達、と呼んでよさそうですけれど。共有の趣味を持っている、といった感じでしょうか?私と光輝さんの間にはまだ無いものです」

 

「友達、か。何をもってして友達というんだろうな」

 

 友達。学校でなくプライベートで遊んだり、飯を食いに行ったり、そんな感じだろうか。光輝にも昔は居た。外の世界でだが。イクシーズに来てからはいない。

 

「仲が良くて、気が同調して。なんて、そんな難しく考えなくとも多分、一緒にいて「楽しい」と感じれば、友達じゃないかと」

 

「ふうん」

 

 一緒にいて楽しい、か。なら、アイツらとは友達と言っていいのかもな。

 

「あ、でも友達と最初に名乗ったからには、光輝さんの最初の友達は私ですからね!」

 

「……ふっ、ははっ」

 

 なぜか、笑える。なんだろう、楽しい、のか?

 

「あ、今楽しいんですね?やっぱり私たちは友達ですね!」

 

「まあ、それでいいさ」

 

 わからない、自分が今なぜ笑ったのか。なんだろう、なんなのだろう。

 

 隣のホリィが、静かに言葉を放つ。

 

「……あの、一昨日の件、なんですけど」

 

「……ああ」

 

 そうだ、これがある。俺とホリィの、切っても切れない1件。まだ俺にはホリィに対する最大の「引け」がある。

 

「警察には、全て私で説明しました。光輝さんの話はしてません。だから、心配しなくていいです」

 

「それって、どういう……」

 

「光輝さん、悩んでいますから。能力に秘密があるのは分かりました。けれど、話したくない……ですよね……だから、私だけで話をつけました」

 

「……ありがとう」

 

 まさかこの少女にここまで心配されるとは。やはり彼女は善の塊だ。だからこそ、どうしても引けをとる。

 

「怒って、ないのか?ホリィの、その、家で……」

 

「あ、あれはですねっ!」

 

 顔が急激に赤くなるホリィ。思い出させてしまったか、すまない、と心の中で謝る。

 

「あれは、全面的に私が悪いというか、結局光輝さん何もしませんでしたしっ、だから全然大丈夫でしてっ……その、好きなんですか?りょ、りょうじょ……」

 

 最後は言葉にどもる。それはそうだ、年頃の少女が使うような言葉ではない。

 

「……あれは嘘だ。全くもってそんなことはない」

 

「ですよねっ、そうですよね!良かったー、光輝さんがそういう人だったら私どうしようかと……」

 

 まあそれはそうだろう。陵辱趣味の友達なんて嫌だ、俺だって嫌だ。多分そいつが友達だったら速攻で絶好するかはたまた豚箱に送り込むまである。いや、行(おこな)いかけた俺が言うのなんだが。

 

「ごめん」

 

「えっ」

 

 目をぱちくりとするホリィ。

 

「怖がらせたよな、ごめん」

 

「……いいですよ、怒ってません。だから、大丈夫です」

 

「でも……」

 

 どうしても、心の中の杭が抜けない。何かお詫びをしなければ。何がいいだろうか。飯でも奢るか。そもそも弁当を作ってきて貰ったんだ、それぐらいは。だが、年頃の少女って何が好みなんだ?わからない。

 

「明日、休みですよね」

 

「ああ」

 

 今日は金曜日。明日と明後日は、学校は休みだ。

 

「遊びに行きましょう。それで、チャラということで」

 

「それで、いいのか?」

 

「はい、それはもう。あ、それと、ジェネシスじゃなく、ホリィって呼んでください。友達なんですから」

 

「……断る」

 

「許しません」

 

 なんと頑固な女だろうか。しかし、ここは飲むしかあるまい。

 

「……ホリィ」

 

「はい。明日が楽しみですね」

 

 良かった、苦しい条件だがなんとか大義名分ができた。イクシーズで友達と遊ぶなんて、うまくやれるかどうかはわからないが。ともはかくあれ、これでホリィに許してもらうことができる。

 心の中でガッツポーズをする俺。やった、完全勝利だ。

 

「光輝さんの家とか」

 

「やめろ」

 

 それはハードルが高すぎる。



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ホリィとの休日

「遊びに、ねぇ……」

 

 土曜日の朝、健やかに目を覚ました岡本光輝は、朝の工程を全て終え、先に待ち受けるものに少し不安を感じながら着替えをしていた。

 人と遊ぶのはイクシーズに来てから初めてで、とても久しぶりだ。なので服装に悩んでいる。

 

『ほう、余所行きの服に悩み中かな?相手が女子(おなご)だものな、坊主もやはり男子(おのこ)よのう、』

 

 脳内で聞こえるムサシの声。

 

「別に、相手が女だからってわけじゃない。勘違いしないでくれ」

 

 霊の声は脳内に聞こえるが、霊には自分の声で話しかけなければいけない。だが、波長が合っている場合、多少は言葉を離さずとも意思疎通はできる。互の考えてることがなんとなく分かるのだ。まあなんとなくなので、どうしても言葉が必要な時はできてくる。その場合は周りから独り言を喋っているように見えるので、そこは気をつけなければいけない。

 

「……さて、行くか」

 

 黒字のよくわからない文字がプリントされたTシャツに、半丈のジーンズ。自分の体の白さと細さも相まって凄くひ弱に見えるが、そもそも他にもろくな服を持ってないので諦めた。

 

 自宅から外に出ると、雲一つ無い晴天の空。雲が無いと、太陽からの陽射しが直で当たって非常に暑い。雲とは偉大である。

 歩いて駅まで行き、そこから中央の市街まで。そこで、ホリィと待ち合わせる予定だ。

 

 数分電車で揺られて直ぐに、市街に着く。改札を出て、駅内の大きな時計がある場所まで。待ち合わせ場所だ。時間を見ると、10時25分。予定のおよそ5分前。

 

 やはり休日なこともあって人が多い。ぶっちゃけ、もう帰っていんじゃないかと考える自分がいる。人間が嫌いな光輝が、人ごみを嫌いじゃないわけがない。なんか急激にだるくなっきた。

 

「おはようございます、光輝さん」

 

 ふと、声をかけられた。思い当たる節は一人しか居ない。顔を向けると、そこには私服のホリィ・ジェネシスが立っていた。

 

「ああ、おはよう。行こうか」

 

 白の服に、赤いハーフパンツ。意外だと光輝が思ったのは、スカートのイメージがあったからだ。意外にも選んでいたのは動きやすいハーフパンツであり、おしとやかそうに見えて意外とアグレッシヴなのかもしれない。

 

「やっぱりですけど、人が多いですねー」

 

「うん。来てすぐに帰りたくなったよ」

 

「……極端ですね」

 

 イクシーズの中央市街は、隣接して国際空港が存在する。故に、外国人が観光に来たりする。新社会(ニューソサエティ)という名目は伊達ではなく、イクシーズの科学力は外の5年先を行っている、とはよく言われる。その為、国内・国外から観光客が後を絶たない。イクシーズでしか見れないものも多いのだ。それを普段から享受できるのは、イクシーズに住む利点の一つでもある。

 まあ、趣味が音楽と読書と青空を眺めることだけで世俗に疎い岡本光輝にはあまり関係のない話ではあるが。尚、来てすぐに帰りたくなったというのは半分冗談の半分本気である。

 

 駅から歩いて直ぐに、高層のビルが目の前に現れる。衣類店や飲食店など様々な店舗が入った巨大な興業施設だが、今日の目的はその中の映画館だ。

 

「「三谷」の映画、見に行きたかったんですよねー」

 

「奇遇だね、俺もこれは見たかったんだよな」

 

 劇場を爆笑の渦で巻き込むと有名な監督「三谷」の映画。人間は笑うと健康的に良いのが医学的に解明されているらしい。普段笑顔が少ないであろう俺の健康は大丈夫だろうか?

 

 光輝はチケット売り場で二人分のチケットを払い、売店でふたり分のジュースにホットドッグとチュロスを買う。ホットドッグは自分用、チュロスはホリィ用だ。ホリィは「私が払いますよ」と言ったがこの程度問題ない。この前の臨時収入もある。なお収入源は言わない。ホリィは絶対怒る。ちなみにホリィがいなければ飲み物等は外で買っておき、それを劇場内に持ち込むという方法を取っていただろう。これも多分ホリィは怒るのでやらなかった--

 

--劇場内で2時間ほどをすごし、二人で劇場を後にする。

 

「ふふ、あんなに笑ったのは久しぶりでした」

 

「俺もだよ」

 

 劇場内で、多くの観客の笑い声が聞こえていた。光輝もホリィもその例に漏れてはいなかった。

 

「意外と笑うんですね、光輝さん。なんか常にムスっとしてるイメージでしたので」

 

 ホリィのその認識は合っている。俺自身、自分で笑うことは少ないと思っているのだ。ムスっとしているかどうかは別として。

 

「そうかな」

 

『いやはや、現代日本の娯楽にはいつも驚かされるぞ、ガッハッハ!』

 

 ただし俺の背後霊はよく笑っている。なにが面白いのかよくわからない時も笑う。病気なんじゃないだろうか。

 

 映画を見終わって、ちょうど昼飯時。劇場内で食べたホットドッグは光輝には朝飯のようなもので、ホリィもチュロスを食べただけでは足りなかったようだ。中に高級飲食店が鎮座している高層ビルを後にして、近くのハンバーガー屋に向かう。

 

『坊主、儂あれ食べたい!あれ食べたい!』

 

 ハンバーガー屋のポップを見て目を輝かせるムサシ。霊と「魂結合」をしている間に食べ物を食べれば、霊もその味を感じる事ができる。ムサシは現代食に興味津々なので食事をするときに度々「魂結合」をしているのだが、今日はそういうワケにもいかない。今目の前にいるのは「光の瞳」を持つホリィ・ジェネシス。余計なことを考えられても面倒だ、迂闊な「魂結合」は控えるべきだろう。

 

「また今度な」

 

『ケチ』

 

 やめろ、おっさんにそういう事言われても全く嬉しくない。かといって女の子に言われたらと考えてもウザがるよなぁ、と思い直す。ああ、自分って本当に人間が嫌いだなぁ。まあおっさんに言われるよりかは女の子に言われた方が幾分かマシか。背後霊の交代を少しだけ考えた。

 

 レジで幾つかのハンバーガーと飲み物を受け取り、ホリィと一緒に席に着く。早速包み紙を取り、ハンバーガーにかぶりつく。……うん、なかなか。値段設定的にはこんなもんだろう。

 

「いやぁ、美味しいですね!私、なかなかこういう店に入ることないから少し感動しちゃいました」

 

「そうか、良かったな」

 

「はい」

 

 年頃の少女がハンバーガーショップに入ることが少ない、というのは不思議なものだ。ホリィは見るからに金持ちなので高級料理店にしか入らないのだろうか?ブルジョアめ。いや、それは単なるインネンに過ぎないか。恨んでも仕方ない、彼女にも理由が何かあるのだろうと思い込んで黒い思考を消し去る。

 

 ハンバーガーを平らげ、そろそろ店を出ようとした光輝とホリィ。

 

「あれ、ジェネシスさん。奇遇だね」

 

 店から出て少しして、目の前に立った坊主頭の好青年。光輝は知っている、1年4組、Cレートの御陸(みろく)歩牛(ほうし)だ。どうやらホリィと知り合いらしい。

 

「あら、御録さん。こんにちは」

 

「どうも」

 

 かといって、光輝にとっては知り合いではなく初対面のようなものだ。最低限の言葉だけ返しておく。

 

「……君は、岡本くん、だったかい。そうか……」

 

 なにやら神妙な顔つきの御陸。一体何だろうか。

 

「僕よりも彼を優先したってことかな、ジェネシスさん」

 

「いえ、光輝さんとはお友達ですので……」

 

 気まずい表情のホリィ。いや、俺のほうがだいぶ気まずい。なんだよこの状況。

 

「名前呼び……随分と仲が良さそうだ。ジェネシスさん、君のそういう優しさはいいと思う。けれど、相手を勘違いさせてしまってはかわいそうだ。岡本くんはEレートで、言っちゃ悪いが……変人じゃないか、君とは天と地ほど違う。無闇な優しさは、人を傷つけることになるよ」

 

「っ、その言い方は光輝さんに失礼です!」

 

 なんと、コイツは参った。推測すると、多分だが御陸はホリィを今日遊びに誘っていたのだろう。しかしホリィは断り、あろう事か俺を遊びに誘った。こんなところか。

 

 コイツの言いたいことも分かる。御陸歩牛は傍から見て良い男の部類に入る。坊主であることもその手の人からすればプラス要素になりうるかも。成績も良さげ、レートも平均ほど。基本人当たりも良い。身体能力は標準よりも上だ。自分に自信も持つだろう。が、そんな自分よりもEレートで根暗な岡本光輝という男を優先されちゃたまったもんじゃない。そうだな、その通りなんだよな。

 

 が、知ったこっちゃない。

 

「あ、いいですか。俺の名誉のために言いたいことがあります」

 

 だから、全力で潰しに行こう。

 

「俺から誘ったんじゃないんだ、ホリィに誘われたんだよね」

 

「……な、なに……?」

 

 ビンゴ。驚愕やら困惑やら、色々混じった御陸の顔。そりゃそうなるわな。普通俺から誘ったと思うわな。ホリィ・ジェネシスともあろう学年主席が最弱(イーレート)を誘うわけないもんな。違うんだなこれが。

 

「君の魅力が足りてなくて、俺が選ばれたワケ。まだ言いたいことがあるかい?」

 

 事実それは嘘じゃない。嘘は付かない。最低限に、最低に喋る。今必要なのは、御陸をズタボロにすることだ。ホリィを貶めることじゃない。行き過ぎては、ホリィを傷つけることになる。違う、この場での悪は御陸だ。俺は義を貫く。

 

 御陸は押し黙る。何も、喋らない。

 

「ないね、じゃ、行こうかホリィ」

 

「え、は、はい……」

 

 固まっていたホリィの手を手で握り、引っ張ってその場を後にしようとする。

 

「待て!」

 

「あ?」

 

 後ろからかけられる歩牛の静止の言葉。待っていた最大の好奇。いいぞ、来い。

 

「男として、岡本光輝!お前に、対面(タイメン)を申し込む!!」

 

 ……命中(ビンゴ)



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ホリィとの休日2

 対面(タイメン)。それは、この新社会(ニューソサエティ)「イクシーズ」における、合法の決闘(けっとう)に値する。

 

 人間とは、競い合う生き物だ。競い合ってこそ、人は停滞せず先に進める。つまり対面とは、イクシーズが人に競争を促すためのシステムだ。ただし、あくまで人道的な範囲で。人を殺してはいけない。再起不能になるまで痛めつけてはいけない。一方的な闘争はいけない。お互いが了承をし、基本的に第三者を審判に付ける。降参をしたらその時点で対面は終了。能力を使用するのは大いによろしい。それが、対面。

 

 岡本光輝は、目の前の坊主頭の男、御陸歩牛に対面を挑まれていた。が、それは光輝の理想通りだった。しかし、光輝はそれを匂わさずに運行をする。

 

「断る。受ける必要がない」

 

 そうだ、普通に考えればCレートからの対面の申し込みをEレートが受ける必要がないのだ。それも御陸は誰がどう見ても体を鍛錬(つく)っている。服の上からでも分かる膨らんだ腕と胸。ジーンズに包まれた脚も主張をしている、いい筋肉(にく)の持ち主だ。対してEレートの光輝は腕も足も細い。勝てる道理などどこにも無い。

 

「受ける必要が無い……ね、君はそれでも男かい?」

 

「あ?」

 

 煽る歩牛に、イラつきを見せる光輝。もちろん光輝のイラつきは(ブラフ)。対面を受けるための、最大限の理由造り。

 

「自分に自信が無い、だから対面を受けない。どうだろ?そんなヤツ、男としてどうかと思うね。ジェネシスさんだってそう思うだろ?」

 

「えと……その……」

 

 困惑しチラりとこちらに目配せをするホリィ。丁度いい。ホリィは二天一流の俺が御陸に絶対負けないという考えでこっちを向いたのだろうが、御陸はそこで最大の勘違いをしてくれる。そう、ここで御陸は「自分の意見にホリィ・ジェネシスも同意した」という考えを持つ。そしてそれを目の前の岡本光輝が感づいた、と考えるハズだ。

 

 やるならこの場面だ。

 

「いいぜ、その対面、受けてやるよ」

 

「光輝さん……!」

 

 ここでホリィは言えない、俺の二天一流のことを。当たり前だ、これは俺とホリィの秘密。ホリィがここで喋ることはできない。彼女がお人好しなのでそれは尚更だ。

 

「決まりだね、そこの路地裏でやろうか。審判はジェネシスさんにお願いするよ」

 

「ああ」

 

 足を進める御陸と光輝、それに着いていくホリィ。光輝は路地裏を見ていく。理想的だ、このような路地裏なら最高だ。御陸はEレートの俺を瞬殺できると考えているだう。ホリィは、俺が二天一流で逆に御陸を瞬殺すると考えているだろう。あーあー、どっちも愚かだ。

 

 この場を制するのは、二天一流を使わない正真正銘Eレート「超視力」の岡本光輝なのに。

 

 対面前に軽く体をほぐす御陸と光輝。いざという時に体が動かないのはいけない。光輝は屈伸に伸脚に股割りと、念入りに足をほぐす。今回やろうとしてることは光輝にとってはギリギリもいいとこ。が、理論上「可能」だ。理論上可能なら後は「超視力」で片付けてやれる。

 

「さて、行くぞ。君の勇姿は買おう」

 

 長く体をほぐす光輝の目前に、御陸が立つ。両拳を目前に配置させての構え、御陸の構えはボクシングのそれに似ている。それもそうだ、御陸の能力は「腕力の強化」。腕の力を生かすのならそうなる。殴って当てて勝ち、ということだ。向こうの準備は出来たようだ。

 

「勇姿もなんも買わなくていい。テメエはいらつく、ぶっ飛ばしてやる」

 

 虚言。光輝にそのつもりは無い。が、言うだけ無料(ただ)だ。これで相手に「イチかバチかで突っ込みますよ」というような意思表示をしたかのように思わせるフリだ。光輝の狙いはそんなところにない。

 

「で、ではいいですね、両者(りょうしゃ)対面(タイメン)――」

 

 ホリィが(ども)りながら右手を振り上げる。この腕が下ろされた瞬間、対面が始まる。両者、息を呑む。

 

「――開始(ファイ)っ!」

 

 振り下ろされた右腕。と同時に、御陸が踏み込み、左拳を高速で放つ。ジャブだ。

 

 光輝は踏み込みの体重移動を超視力の動体視力で視てから、半歩さがる。そして体勢を崩さないように、腰を落とす。レスリングでいうタックルの姿勢に近い。ジャブが空回りした。

 

()ッ!!」

 

 しかし、ジャブは囮。次に御陸が繰り出したのは、姿勢の低くなった光輝の顔面へ向けた回転の入った右拳のストレート。ボクシングの基本「ワンツー」だ。格闘技初心者を相手にするなら、最強最悪の「初見殺し」。かつ、隙もない。出しておくだけ得、といった万能力の高い技。……普通なら。

 

 光輝は超視力によって与えられた最高の動体視力を持っている。光輝は地面につけた右手を振り上げ自分の顔面を防御した。しかもただ防御しただけではない。その手にあったのは路地裏に落ちていた「レンガ」だ。

 

「――ッ!?」

 

 拳とレンガがぶつかり合い、レンガが半分に割れる。が、勿論のこと御陸の拳もただではすまない。「腕力の強化」で保護されたからといって振り抜いた右ストレートがレンガと衝突したのだ、痛くないわけがない。光輝の狙いとはこれだ。路地裏を見ていたのもこのためだ。念入りに時間をかけて体をほぐしていたのも理想のポジションを手に入れるため。

 御陸はなにが起きたのかわからなかった。いきなり拳を襲った激しい痛み。皮がめくれて血が出ている。その驚愕の間に――

 

「はい、俺の勝ち」

 

――光輝が割れたレンガをコツン、と御陸の頭に乗せる。「殴れた」が「殴らなかった」。なぜならこれは対面だから。殺傷が目的の闘争じゃない。事実上の決着であった。

 

「しょ、勝者、光輝さん……」

 

 ホリィは非常に気まずい表情をしている。当然だ、こんな勝ち方まともじゃない。光輝の取った策とは、誰がどう見ても卑劣そのものであった。

 

「なっ……」

 

 ようやく何が起きたか理解した御陸。惚けていたその表情が強張る。

 

「認めないぞ!今のは無効だ!」

 

「え、なんで」

 

 激昂する御陸に対して、それはなぜ?と煽るような態度の光輝。煽るだけ煽ってこっちのペースに乗せてしまえばいい、相手は今冷静な考えを出せない。後は理詰めだ。

 

「凶器なんて……反則じゃないか!」

 

「五大祭なら規定をクリアすりゃ武器を持ち込めるだろう。しかもこれは街中の物を利用しただけだ。反則にはならないな」

 

 これは実際曖昧なところだ。グレー中のグレー。しかし、闘いの舞台によっては街のオブジェクトを利用して勝つのは定石だ。これは相手も薄々思っているはずだ。だからこの言葉で解決できる。

 

「それにしたって……そもそも僕は殴られてもまだ闘えていた!」

 

「いや、だってそういう目的で対面は行われてないだろ。そんなのただの決闘、犯罪だ」

 

 これは言わずもがな。御陸はよほどテンパっているようだ。

 

「馬鹿な、そんな馬鹿な……!?」

 

 そう思うのも当然だ。御陸はぶっちゃけ「普通に強い」。そう、普通の水準にしては実際強いのだ。殆どのCレートと対面して勝てそうな気もする。が、御陸には欠点がある。

 

「思考停止のワンツーで勝てる……甘いな御陸」

 

 弱った御陸への上から目線の光輝。一気に畳み掛ける。

 

「なに……?」

 

「俺はお前の最初の動きは知っていたんだ。聖霊祭に出てたからな」

 

 そう、御陸は五大祭の内の春の祭「聖霊祭」に出場していた。1年生でCレート、3回戦敗退。瀧シエルなどの一部の例外を除いて、それは華やかしい功績と言える。が、故に舞い上がる。

 

「全ての試合に置いて開幕の初動は腕力の強化を活かしてのワンツー。2回戦目はそれで瞬殺。強いな、が、しかし。いつも同じ動きじゃ今のようになるぞ。結果がこれだ、お前の敗因は型にハマりすぎてやりたいだけになっていた事。動きを知っていれば、俺は超視力でらくーに対応できる」

 

「……」

 

 押し黙る御陸。これは正論中の正論だ。馬鹿げた話のように思えても正論を入れるだけで不思議とすべての話がその通りなんじゃないかと錯覚するのはよくあることだ。

 

「話をしよう。あるところに少女が居た。パワー1、スピード4、タフネス1、スタミナ1、スキル1「脚の強化」。総合レートCの下位、ってところか。」

 

 光輝は、誰に聞かれたでもなく話を始める。

 

「少女には強さが無かった。あったのは脚の速さだけ。けれど、少女は願った。この世で一番強い奴に成りたい。けれど、少女に力はない。打たれ強さも無い。ならばどうするか……少女は個性を「最大限」に活かした」

 

 そう、これは、ある大剣豪の少女の話だ。

 

「最終的な総合レートは結局Cレート。スピードが5に、スタミナが2に。後は1のまま。けれど2年前の「大聖霊祭」で優勝した。誰もが予想できなかった、ひ弱な少女の優勝。彼女はあらゆるものを速さで切り裂いた。彼女は攻撃を受けることが無かったそうだ」

 

「……三嶋(みしま)小雨(ささめ)、だな」

 

「知ってるんだな。彼女は圧倒的身体不利を持ちながらその奇策で全ての対面に勝った。特別に与えられたレーティングはSS。史上初の対面最強の称号。わかるな?イクシーズに住む俺たちに必要なのは道をなぞる事じゃない、常識に縛られず、人として大きく躍進することだ。つまるところは個性を活かせってな」

 

 うな垂れる御陸の肩をポン、と光輝は叩いた。

 

「筋は悪くない、が、圧倒的に実力が足りない。磨け、鍛え上げろ。そうして俺たちはあの青空を羽ばたける」

 

 路地から空を見上げる光輝。空には白い雲と青い空が混じり合っており、その雄大さを狭い路地からでも教えてくれる。御陸も空を見上げていた。

 

「済まない……僕が未熟だったようだ。なるほど、ジェネシスさんが君を選んだ理由が分かった。謝罪しよう、僕が悪かった。因縁をつけて済まない」

 

 なんだ、意外にも素直に謝れるじゃないかコイツ。根は悪くないんだろう。それがなんかムカつく。が、それは顔に出さない。折角事態が収束したのだから。

 

「別に構わない。俺たちは新社会(ニューソサエティ)に生きている、立ち止まることは許されない」

 

「そうだな。今日から心を入れ替えるよ、自惚れていた……よし、帰ったら禅だ!この拳は誇りとして受け取っておく!ありがとう、二人共!!」

 

 笑いながら走って帰っていく御陸歩牛。いやぁー、一件落着っと。疲れた疲れた。

 

「二天一流、使わなかったんですね」

 

 さっきからずっと怪訝そうな表情のホリィ。

 

「実力でアイツに勝ちたかったから。二天一流は実力じゃないからな。つまるところ実力Eレートの俺に負けたあいつは実質Fレート、最弱以下の最弱だな。あははっ、滑稽!笑っちまう」

 

 勝者としての優越感に浸る光輝。大げさに腹を抱えるそれは、傍から見れば最低そのもの、自分でもそう思う。けれどこれくらい許して欲しい。EレートがCレートに勝てることなんてまず無いんだから。

 

『がはは、やるのう坊主!敵を知り己を知れば百戦危うからずとはこのことだ!』

 

「なんだかなぁ……」

 

 ホリィはやるせなさをひしひしと感じていた。この岡本光輝という人って本当に優しいのだろうか?疑問で疑問で仕方がなくなってきた。

 

 対面が終わり、街中の服屋を冷やかして回り、時も夕暮れ。いい時間帯になってきた。

 

「そろそろ帰ろうか、送っていくよ」

 

「あ、その前に、もう一つだけ寄って行きたい場所があるんですけど……いいですか?」

 

 上目遣いのホリィに頼まれる。なんの問題もない。

 

「いいよ」

 

「それじゃ……」

 

 ホリィに促されるままに着いていく。電車に乗り、隣の駅へ。

 

「ここは……」

 

「はい、空港です」

 

 ホリィはまだ足を進める。エスカレータを上がり、辺りに店舗やイベントコーナーがある場所を抜け、広大な展望デッキへ。その一番先頭に二人で歩いていく。

 

 その展望デッキから望む景色は感慨深い物があった。飛行機が飛び交い、メガフロートの陸が見え、その端は陸と海が繋がり、さらにその端はオレンジ色の空へと繋がっていた。沈みかけの太陽が見える。

 

「私、ここの景色大好きなんです。思い返したら、空が大好きだっていう光輝さんと一緒に見たくなっちゃって」

 

「そうか……これはいいな。ありがとう、ホリィ」

 

「いえいえどういたしまして」

 

 満足気なホリィ。控えめな胸をピンとはる。後藤が好きそうだ。

 

「思ったんですけど、御陸さんとの対面、結局あれっていい話のように仕立て上げてましたけど卑怯な方法で勝って言いくるめてバイバイしただけですよね」

 

 人聞きの悪いことを言い出すホリィ。コイツ俺の考えよくわかってきたじゃないか、残念オツムの癖して。そうですそのとおりです。

 

「そだよ」

 

「光輝さんってわかんないですよね……優しいと思う時があれば、結構ひどかったり」

 

「優しいだけの人間なんて居ないだろ。まあ俺はひどさ9割と言ったところか、さしずめ最弱最低(マイナスニトウリュウ)つってな」

 

「あながち間違って無いから何も言えません」

 

「フォロー無しか」

 

 あはは、と笑うホリィ。気が付けば、軽口を交わす関係になっていた。

 光輝は思う。この少女に心を許しかけている。今まで一人で生きていたと錯覚していたが、こんな風に一緒に気楽に話せる友達が居れば別だったのかもしれない。

 いや。違う。ホリィ・ジェネシスという少女が特別なのだ。彼女は許してくれた、過ちを犯しそうになった俺を。それが彼女の心の底からなのかどうかはわからない。事実、今でさえ目の前の少女が内心どう思っているか怪しいものだ。本当は岡本光輝という人間を軽蔑しているのかもしれない。それならそれでいい。悪いのは俺のほうだ。

 

 けれど、仮にそうでも。目の前の彼女は笑っている。もしそうだとしたらすごいことだ。いや、そうじゃなくても。岡本光輝の目の前で彼女は、ホリィは、笑っているのだ。

 

 軽口を言い合い、少しして二人は静かになっていた。遠くの沈んでいく夕日を眺めている。

 

「……私、実は海外からこの空港を使ってイクシーズに移り住んできたんです」

 

 ホリィは話し出す。どこか遠い目をして。

 

「私の両親って異能者じゃなくて。私と兄は、生まれてから異能者になったんです」

 

 光輝は耳を傾ける。ホリィの物憂げな表情を見つめる。

 

「私たちは、学校でいじめられていたんです。異能者ってほら、結局特別な人間じゃないですか。中身は一緒なのに、それに敵対心を剥き出すように。子供のうちはからかい程度でした。けれど中学生になって、いじめがエスカレートして。兄なんかは喧嘩に明け暮れていました。兄は強かったんですけれど、私、弱くて、辛くて……」

 

 一瞬、空気が異常に重くなるのが分かった。

 

「一回、自殺しようとしたんです」

 

「――」

 

 目を見開く岡本光輝。光輝は、実の父を思い出す。笑顔でいながらふと自殺した、あの父親を。

 

「ごめんなさい、こんな話、聞きたくないですよね」

 

「いや、いい」

 

「えっ……」

 

「話してホリィの心が軽くなるならいくらでも」

 

 とても、他人事のようには思えなかった。

 

「……ありがとうございます」

 

 本当のホリィ・ジェネシスという少女を見た気がした。危うい、満身創痍のように見えた。

 

「その事件があって、大問題になって。異能者である私と兄だけ、このイクシーズに引っ越してきたんです。あの時は絶望のような毎日でしたけれど今は死ななくて良かったと思って。私、将来医者になりたいんです。この光の瞳があれば病気なんて一発でわかっちゃいますから。勉強して、お医者さんになって。いろんな人を救うんです」

 

 栄光の道を征く彼女。その過去は、とても深い暗闇だった。

 もう他人じゃない。が、彼女は俺とは違う。暗闇から這い上がった、生者。生きた死人のような俺とは――。

 

 だからこそ、彼女を放っておけないような気がして。彼女が征く道は、正しくなくてはならない。

 

「いい夢だ。絶対に叶えろよ」

 

「えへへ、勿論です」

 

 笑顔のホリィ。彼女は強い。見かけ以上に強い。そんなホリィが羨ましくて。

 

「……俺の――」

 

 光輝は言いかけた。「霊視」の事を。彼女になら言いたくて。彼女になら言える気がして。勇気を出そうとしたとき、近くの滑走路を飛行機が大きな音を出して飛んでいった。

 

「――だ」

 

「うわぁ、飛行機の飛び立つ姿ってやっぱ迫力ありますよね!って、え?何か言おうとしました?」

 

「…いや、なんでも無い」

 

 飛行機の離陸音でかき消された光輝の言葉。とてももう一度言う気にはなれなかった。彼女に比べたらなんと勇気の無いことか。

 いや、これでいい。俺はこれでいいんだ。栄光には栄光の役割が、暗闇には暗闇の役割がある。そう学んできたじゃないか。

 

「……そろそろ暗くなって来たな。送るよ」

 

「そうですね。今日は楽しかったですよ、光輝さん」

 

「ああ、俺もだ」

 

 二人で暗くなった展望デッキを戻っていく。光輝が出したのは卑屈な答え。光輝は満足していない。しかし、後悔もしてはいなかった。

 

「……ホリィ」

 

「はい?」

 

「俺で良ければ、いつでも頼れ」

 

「……ありがとうございます」

 

 それしか言えなかった。けれど、それでいい、今はそれだけで。



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夏の始まり

 岡本光輝の通う高校の体育館で、全校生徒が集められて集会が行なわれていた。集会と言っても、生徒会からの今後の学校の方針や校長先生からの特にこれといって聞きたくもないお話などを聞くだけで、これを重要視している生徒はそういないだろう。

 が、今回の集会は普段とは違って少しだけ、聞くのが嬉しいと光輝は思っている。きっと他者もそうだろう、と光輝は思う。なぜなら。

 

「来週からは夏休みが始まります。皆さん、長期のお休みだからといってハメをはずさす、節度を持って過ごすようにして下さい」

 

 そう、学生の一年一回一番のイベント、夏休みの通達だ。

 

 7月も中盤、あと1週間もすればそこからおよそ1ヶ月と1週間も休みがある。社会人に無く、学生のみに与えられた特権。それが眼前にあるという実感を今、ひしひしと感じている。きっと今多くの生徒の頭の中にはもう先生からの話など頭に入ってなく、それぞれが夏休みをどう過ごすかで頭がいっぱいだろう。

 光輝もそうだ。夏の間にいっぱいやりたいことがある。1日中青空の下で音楽を聞いて読書したい。贅沢に音楽だけ聞いててもいい。読書だけの日があってもいい。空をただただ眺める日というのも最高だ。ああ、待ち遠しい。

 

「では私からの話は以上です。生徒会長の厚木(あつき)血汐(ちしお)さん。お願いします」

 

「はい」

 

 理想の時間を思い描いていると、壇上に立つ人が先生から生徒に変わった。ほかの生徒と同じ制服ではあるが、額には特徴的な赤いハチマキが巻かれている男子生徒。3年生で生徒会長のSレート、厚木血汐だ。

 

「みんなは、燃えているか?」

 

 開口一番に意味ありげな言葉を投げかける厚木。何が始まるかは予想できる。

 

「今年は夏休みが始まってすぐに、イクシーズで最もアツい祭「サマーフェスティバル」が行われる!」

 

 マイク越しに力強く語る厚木。見ているだけなら愉快ではある。サマーフェスティバル。五大祭の内の一つ、夏に行われる武闘祭だ。尚、最もアツいと言うのは時期上当然だと思う。

 

「腕に自身があるものは奮って参加いただきたい!勿論の事、この「熱血王」厚木血汐も全力で参加させてもらう!やるからには俺を全力で倒しに来い!以上だ!」

 

 熱弁を終えると、静かに壇上を後にする厚木。普通は生徒がここまで自由に振る舞えないし、知らぬ人からはただのうるさいヤツと思われるかもしれないが、その実力は本物だ。2年前のサマーフェスティバルで優勝し、「熱血王」というその存在に相応しい称号を手に入れ、「大聖霊祭」にて準優勝という最高峰の実績を持つ。2年前といえば三嶋小雨が大聖霊祭で優勝した年である。三嶋小雨と戦って負けたのなら、それは仕方のない事だ。故に、素性を知る者は皆がこう言う。「厚木血汐は、本物の熱血漢だ」と。

 

 集会が終わり、昼放課。厚木血汐の言葉を聞いたあとからかどうか分からないが、熱い。炎天下の芝生の上にいるからでもある。

 しかしこの夏空の下、とても晴れやかな気分だ。薄い雲が青い空にアクセントを付ける。……すばらしい。感嘆してしまう。

 

「もうすぐ夏休みだね」

 

「ああ」

 

 当然のように気が付けば隣にいた瀧シエル。その長い黒髪がそよ風に揺られてなびく。いつの間にいたんだお前。

 

「サマーフェスティバル、岡本クンは出ないのかい?」

 

「出れる訳無いだろ、Eレートだぞ?俺。そもそも、生徒会長様がいる時点で優勝できないんでな」

 

 そうだ。Sレートの厚木が出る以上、優勝はもう決まっているようなものだ。イクシーズの全ての高校で見ても、厚木と肩を並べられる異能者は少ない上に開催されるのが「サマーフェスティバル」だ。ここ1番の熱い時期、厚木は限界を超えるだろう。そうなった厚木を止めるのは瀧シエルでも難しいんじゃなかろうか。

 

「熱血王、か。聖霊祭はあれはあれで楽しかったが、意外とあっけなくてね。サマーフェスティバルに出ればよかったかな」

 

 聖霊祭にはSレートが何人か居たが、それを「あっけなくてね」と言う彼女。全戦瞬殺なのだからそうも言ってしまうか。

 彼女の、「瀧シエル」の登場で、事実「Sレート」というネームバリューが薄れてしまった感はある。それほどまでに、圧倒的だ。「聖霊祭」で優勝した彼女に与えられた称号は「聖天士」。その称号に相応しい彼女の能力は、だれがどう見ても完全な「不条理」。抗えない、逃れられない。伝説の三嶋小雨さえ、彼女には勝てないかもしれないという不安を抱く。

 

「そんなに戦いたいなら聖霊祭からオータムパーティーまで決勝戦で降参して聖夜祭で優勝すればよかったじゃないか」

 

「……なるほど、その手があったか」

 

 五大祭の内、聖夜祭を除く四つは、優勝した時点でその年度では大聖霊祭以外に参加できない。これは、大聖霊祭が他の四つの祭の優勝者4人で行われるからだ。つまり、始めの「聖霊祭」で優勝してしまった彼女は、もう大聖霊祭まで参加をすることができない。

 

 といっても、これを実行してもらっては困る。全ての祭が「瀧シエルと当たらない」という前提条件での参加を余儀なくされる。勿論、瀧が負ける可能性は0じゃない。が、ほぼ0に近い。瀧がそんな事をしだしては、他の参加者はたまったもんじゃない。光輝もその提案を、真面目に言ったわけではない。冗談だ。過ぎたからこそ言える冗談だった。

 

「まあ終わってしまった事はさておき、私は岡本クンともやりたいんだがね」

 

「最弱を嬲って楽しいですかね最強サマ」

 

「なに、私の目的は「勝ち負け」じゃない。勝つのには飽きた。私はね、人の「可能性」を見たいのだよ」

 

 勝つのには飽きた。強者だからこそ言える言葉。まともな人間の言葉ではない。事実、それが許される程の存在。彼女は良い性格をしている。こういう「傲慢」さがあるからこそ、光輝は瀧という人間を邪険にしない。

 人が持つ心の「黒い部分」。それは誰にでもあるだろう。逆に、光輝は自分に「黒い部分」しか無いと自負している。卑屈な考えである。

 だが、人は表に「黒い部分」を出さない。出せば嫌われる、そう考えるのが普通だ。しかし光輝はそれが逆に好きだ。「黒い部分」とは、言ってしまえば心の本音、人間誰しもが持ち得る闇。それを垣間見るのが光輝は好きだ。

 

 言ってしまえば、光輝は他人を「信用してない」。「黒い部分」を見ないと信用できない。それが岡本光輝という、弄れた少年の素性だ。勿論光輝はそれを客観的に視て自分を「最低」と評している。

 

「まあいいさ、私は好きなようにやろう。じゃあね、岡本クン」

 

「ん、ああ」

 

 そう言うと芝生から立ち上がり去ろうとする瀧。

 

「時に岡本クン」

 

「どうした」

 

 ふとかけられる瀧からの呼び声。

 

「君の目って、青空の向こうは視えるのかい?」

 

「……成層圏の向こうを見たらオゾン層の保護を受けられなくなって目が太陽光線にやられるだろ。見れないよ」

 

「ははっ、違いないね。それじゃ」

 

 彼女は抽象的な意味で問いかけたのかもしれないが、常識的に返した。彼女が言う「青空」の意を、測りかねたのだ。

 

「青空の向こう、ね……」

 

 ふと考える。瀧にとっての青空とは、おそらく広大な「可能性」。だとすれば、話の流れからして人の「可能性」、その先辺りが妥当な所か。残念ながらそれは俺の分野じゃない。どちらかというと、ホリィの方だ。

 

「まあいいか」

 

 昼放課は直に終わる。光輝もその場所を後にすることにした。



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乱心する聖天士

『さぁーって始まりましたァ、五大祭が一つ「サマーフェスティバル」!』

 

 ワアーッ、と盛り上がるスタジアムの観客席。そこには老若男女がひしめき合い、満員の状態だ。マイクからは、非常に元気な司会の男の声が聞こえる。

 

『例年のごとく司会は私、MCマックがつとめさせていただきます!解説には聖霊祭の優勝者、「聖天士」こと瀧シエルさんを呼ばせていただきました!』

 

『よろしく頼もうかな』

 

 おぉーっ、とどよめき合う観客席。希代の天才……いや、天災とも言えるその存在には誰もが一目置いている。

 

 瀧シエル。イクシーズにおける、現状の「最強」。

 

『ルールは五大祭の基本ルール!スタジアム内で行われる1対1の対面(タイメン)のトーナメント方式ィ!対面エリア内で壁から天井にかけて貼られているドーム状の電磁フィールドをできる限り避けてお互いの全力をぶつけ合って下さい!』

 

 司会の言葉。非常に簡易的だが、正確なルールは大方誰もが知っているからだ。進行をスムーズにするため細かなルールは省かれている。

 

 補足するなら、武器の使用は有り。規定をクリアしておけば刀だろうと銃だろうとどんな武器を使用してもよし。エリア内は、電磁フィールドから発せられる特殊磁場によって物質の耐久性が上がる。要するに、対面エリア内では全力で敵を攻撃してもよっぽどの事がない限り人が死ぬことはない。現に、これまでの五大祭での死者はゼロだ。

 そして、電磁フィールドにもし当たってしまうと、電流で大ダメージを受ける。タフネスとスタミナが低い選手なら、1撃でノックアウトだ。要するに、脱出不可のデスマッチ。これは対面の形式上、どちらかが戦闘不能になるか、降参をするか、審判による試合続行不可が言い渡されるかで勝負が決まるので、残酷な虐殺ショーが行われたりすることはない。誰もが安心して参加をできる。もし大怪我があっても、イクシーズには異能者の医者が居る。回復は可能だ。

 さらに、イクシーズにおける対面ならではのルール、「能力の使用の許可」。これがなくては五大祭とは言えない。つまるところ、どちらの能力が優れているかを競い合う大会だ。これがあるからこそ外の世界のどんな格闘技よりも派手で魅力的。エクストリーム総合格闘技、と言ったところか。

 

 ちなみにこれは高校生のみが参加を許された、2年に1度の最強の異能者を決める大会。なお、スタジアムに入れるのはイクシーズの住人……つまり異能者だけであり、さらにチケット制。大会の光景は後に有線放送で配信されるという、金を毟ろうとする考え。少なくとも岡本光輝はそう考えている。なお光輝は外に居た頃に有線で五大祭を見たことがある。丁度その時の優勝者が伝説の「三嶋小雨」だ。それ以来、光輝は三嶋小雨に対して「憧れ」を抱いている。

 

「なーコウちゃん、だれが優勝すると思うよ」

 

「私も気になるな」

 

「光輝さん、どうでしょう?」

 

同時に聞いてくる後藤と龍神とホリィ。そう、光輝らは4人でサマーフェスティバルの観戦に来ていた。

 

 事は数日前。夏休みが始まる前の教室で、隣のクラスから乗り込んできた後藤が声をかけてきた。「夏休み、何かして遊ぼうぜ!」と。

 光輝は乗り気でなかったが、そこに同クラスの龍神も賛同、何故か4組のホリィも気がついたら横に居て結局夏休み最初の予定はサマーフェスティバルの観戦になった。なお、チケットは龍神が4枚揃えていてくれた。妹の瀧が解説として出演するため、特別チケットを複数貰ったとのこと。おかげで、光輝達はスタジアムの1番前の席で迫力のある戦いを見ることができる。

 

「あー、選手表見る限りは厚木会長かな。瀧みたいな化物の1年はもう居ないだろうし、3年は見た顔だ。初参加の2年も、レーティングは知れ渡ってる奴らばかり。Sレートも居るが、厚木会長の前では眩むか」

 

 冷静に分析する光輝。厚木血汐という男は、それだけの実力を持つ男だ。

 

「さすがバトルマニア!コウちゃんって意外と好きなんだよなーこういうの」

 

「男なら誰もが興奮するだろ、全力全開のバトルは。Eレートの俺にはできないから憧れもするさ」

 

 普段弄れた回答しかしない光輝は、今日は真面目だった。今言った事は本当だ。自分にできないことを行う者に尊敬の念を抱くことはある。

 

「そういう後藤はどうなんだよ。参加したりしないのか?」

 

 後藤征四郎のレーティングはDレート。まあ参加しても全勝はできないだろうが、運が良ければ1・2勝は出来るかもといった所か。記念としては十分だろう。

 

「俺はまだいいや。小説の主人公並みの実力をつけたら参加するよ」

 

「おう、頑張りな」

 

 果たしてその日はいつか来るのだろうか。2年後に後藤は参加できるだろうが、きっとその日永遠に来ない。少なくとも光輝はそう思った。だってあの後藤だ。顔はいいが身長が低く馬鹿で変態な夢見がちの思春期の男子。それ以上でも以下でもないような。所詮その程度だ。

 

 冷房が効きながらも、汗が止まらない灼熱のスタジアム内。熱い攻防を選手たちが繰り広げ、サマーフェスティバルのトーナメントが進んでいき試合も中盤。弱者は淘汰され、残っていくのは強者ばかりだ。

 

「うおぉーっしゃぁ!俺の勝利だ!」

 

 スタジアムでの試合に勝ち、炎を纏った右こぶしを天に向かって突き上げる厚木血汐。

 

『つよォーいッ!厚木選手、またも勝利!熱血王の名は伊達ではない!』

 

『流石はSレート。動きに迷いがない、躊躇いがない。気兼ねのなさこそが力を生む。彼は闘いというものをよくわかっている』

 

『と、言いますと……』

 

『彼は強い、ということだな』

 

『率直な意見、ありがとうございます!』

 

 意味ありげに月並みな言葉を放つ瀧。絶対途中でめんどくさくなったなアイツ。多分、解説には向いてない。が、彼女が言えばどことなくそれっぽく聞こえるのでみんな納得していた。

 

 しかし、と光輝は思った。このままだとなんの問題もなく厚木血汐が優勝する。他の選手が弱いわけではない、Aレート程度はゴロゴロ居る。が、それでも。厚木血汐には届くまい。

 

 ふと、光輝はスタジアムのベンチから席を外す。

 

「あれ?コウちゃんどこ行くの?」

 

「ちょっとな、外の空気が吸いたくなって。休憩してくるわ」

 

 熱気のこもったスタジアムが軽く息苦しくなった。基本人ごみは嫌いなのだ。五大祭をテレビで見てる分にはいいが、実際にスタジアムで観戦すると色々と状況が違う。あと、夏なのもある。暑苦しい。

 

「おー」

 

 後藤は返事をするとすぐにフィールドに目を戻す。次の対戦が始まるみたいだ。

 

「あ、私も」

 

 ホリィも光輝と一緒に席を立つ。そのまま、ホリィは光輝に着いていく。

 

 光輝は会場の外のベンチに腰をかけた。辺りには誰もいなく、スタジアムからは見えなかった真夏の青空が空を覆っている。雲ひとつない、晴天だ。

 

「いやー、暑いですね、光輝さん」

 

「そうだな」

 

 在り来りな質問をするホリィと、生返事を返す光輝。

 

「疲れましたか?」

 

「まあな。闘いってのは、見てるだけでも結構疲れる。白熱してついつい超視力を強めちゃってな」

 

 光輝は、闘いを見るのが好きだった。互いに力をぶつけ合い、互いに力を高め合う。衝突する熱い思い。自分には無いものだ。

 

 憧れ。そのような感情を、少なからずとも光輝は感じていた。

 

「あはは、光輝さん子供っぽいですね」

 

「そんなこともあってな、空を眺めたくなった」

 

「ご一緒していいですか」

 

「おう」

 

 とりあえずの小休止。空を眺める。ただただ青い空が心を癒してくれる。

 

「やあ」

 

 ふと、かけられる声。いつもの、空を眺めているとかけられてくる声だ。

 

「瀧か。解説はいいのか?」

 

 そう、瀧シエル。まだ試合はあるだろうに、何をほっぽり出してこんなところまで来ているのだろうか。

 

「トイレに行くと言って出てきた」

 

 なるほど。聖天士様もトイレには行く。そればかりは仕方がない。

 

 瀧が隣のベンチに座る。瀧も休憩だろうか。それはそうだ、ずっと休憩というのも疲れるだろう。

 

「実のところだね。ホリィ。君の兄から護衛の依頼が来ている」

 

「え……?」

 

 なんの脈絡も無く切り出された瀧からの話題。ホリィは困惑の表情を浮かべた。光輝は無言。話の続きを伺う。

 

「この前の1件、君が暴漢と会ったという事実。それで君の兄が心配して私を護衛にするとさ。イクシーズのデータベースもそれを推奨した」

 

 なるほど、俺とホリィが出会った日の事だ。確かに、イクシーズの街は絶対安全とは言えない。何らかの間違いが起こって、あのような事件がいつ起こるかも分からない。もし、将来有望なホリィが事件に合えば、もしかすると将来への希望を閉ざしてしまうかもしれない。それはホリィのお兄さんも困るだろうし、イクシーズにとっても避けたい事態だろう。

 

 もし、瀧が護衛ならそれ以上のことはない。Sレートの護衛、超VIP待遇。それだけの価値が、ホリィにはある。イクシーズのデータベースがそれを選んだのだ。

 

 納得の内容。ホリィからしてもそれは良い事だろう。彼女ほどの天才を、万が一、いや億が一でも失うのは困るハズだ。彼女はそれだけ有能だ。

 

「はてさて、ホリィ。つかぬことをお伺いするが君の目の前に居る彼は暴漢かもしれないね」

 

「な……っ!?」

 

「……どういうことだ?」

 

 何とも言えぬ笑みを浮かべている瀧に、驚愕するホリィ。意味がわからない。何を言いたいのだろうかコイツは。

 

「もしそうなら私は彼を排除する必要があるね」

 

「……いや、意味が分からないだろ。俺はホリィと同級生で、友達だ。あまり寝惚けた事を抜かすな」

 

 少しだけ、口調が荒くなる。当然だろう。いきなり馬鹿げた言いがかりを付けられてはこちらとしてもたまったもんじゃない。

 

 相手が瀧でなければ、さらなる罵詈雑言を浴びせていただろう。が、コイツにそれはいけない。知人というのもあるが、瀧は言ってしまうが「暴力の塊」だ。立ち向かってはいけない。彼女の正面に立つことは許されない。可能な限り彼女の斜め後ろに。道を塞いではいけない。それが彼女と話すときのルール。でなければ、その身は保証されない。

 

 光輝は後悔した。もっと卑屈であるべきだと、媚びへつらうべきだったと。 

 

「岡本クン。君が暴漢でない根拠はどこにあるだろう」

 

 子供のような言いがかり。理になどかなっていない。

 

「光輝さんは暴漢ではありません!私が保障します!」

 

ホリィが声を荒らげ立ち上がる。釣られて瀧と光輝も立ち上がった。

 

「Eレートの岡本クンと天才ホリィが仲良くなった。なぜだろうね?岡本クンによる策略かな」

 

 光輝がよく使う手でもあった。馬鹿げた話の中に正論を混ぜる。人を騙すための常套句。一種のトリックだ。

 

 本来ならありえないことなのだ、それは。以前御陸歩牛も言っていた。周りからはそう見えて当然なのだろう。が、ホリィは反論をしてくれた。

 

「それは貴方だって!」

 

「私は構わないんだなこれが。なぜなら私は岡本クンが襲ってきても撃退できるからね。ホリィ、君にそれは出来ない」

 

 これもまた馬鹿げた話の中に混ぜる正論。瀧は、無敵だ。その通りであり、光輝では敵うわけがない。だから一緒にいられる。つまりはこういう事だ。

 ホリィにその力はない。だから光輝に襲われる危険性がある。こちらは、ただの詭弁。

 

 さすがの光輝も黙っていられなかった。

 

「つーか、逆に言うぞ。瀧、お前がホリィを襲わない根拠もなかろうに」

 

「ふむ。それもそうだな。」

 

 まだだ、押す手を留めるな。瀧はそこらの人間と違う。光輝はそう思っていたが事実その通りだった。瀧はさらに、馬鹿げた理論を振りかざす。

 

「ならばこういうのはどうだろうか。私がホリィを今ここで襲うとしよう。岡本クン、君は私を止めたまえ」

 

「はぁ?」

 

 が、ひっくり返される。いきなりの言葉。意味がわからなかった。瀧がホリィを守るのとなんら関係無い。むしろその真逆。なぜ、そうなったのか。

 

「おや、目の前に立ちふさがる者がいるぞ。それっ」

 

「っ……!?がはっ、ごほっ!」

 

 土の地面に光輝の体が叩きつけられる。背中から体を打ち息が苦しい。一体今何が起きた?瀧、コイツは何をした?思考回路が機能しない。

 

「やめてください!」

 

「ほら、立ち上がれ。でないとホリィはひどい目に遭うぞ。なあ?」

 

 瀧は真顔で倒れている光輝を見下ろす。訳も分からないまま光輝は体を動かし、脳を動かした。

 

 今、光輝は足払いをされた。そのまま体を背中から地面にぶつけ、倒れた。追いついた思考回路が、なんとか超視力で視た光景を再生した。

 

 謂れ無き状況。目の前に佇む悪魔。が、理詰めで勝てる相手じゃない。そもそも相手にした時点で「終わる」相手。それが瀧シエルだ。

 

 それでも光輝は立つしか無かった。

 

「ふ、ざ……けんなよ」

 

「おーおー、元気な事だ岡本クン。そうだ、対面をしよう。君は僕に力を見せつければ勝ち、できなければ負け。いいね」

 

「馬鹿か、お前……」

 

 と、つぶやきざまによろけながら殴りかかる光輝。不意の一撃。

 

 瀧に適うなど思っちゃいけない。が、彼女に力を見せつけるという提示された条件。

 

 本来なら、乗らなければいい提案だ。しかし乗らざるをえなかった。

 

 人間が草原で虎と退治し、襲いかかってきたならどうすればいいだろう。逃げることはできない。戦うこともできない。可能性があるとすれば――例えば、満足してもらえば。

 

 虎はネコ科だという。もし遊んで、満足してもらえたなら助かるのではないだろうか。

 

 瀧と退治するとは、まさにそれだ。全力でじゃれついてやるしかない。彼女に満足してもらわなければいけない。仮に病院送りの事態になっても命が無事であれば救いがある。瀧とは、それだけ危険な存在だった。

 

 今思えば失敗だったのかもしれない、瀧と価値観を共有するのは。同じ青空を眺めなければ、こうなる事は無かったのかもしれない。けれどそれも後の祭りだ。

 

 光輝は全力で瀧に組み付く。

 

「んー、そうじゃないんだよな」

 

 が、勢いを利用され瞬時に腹部に蹴りを食らう。体重の乗った勢いのある一撃。

 

「がはっ……」

 

 内蔵が飛び出る。そのような感覚を、光輝は生まれて初めて実感した。地に倒れ伏す。

 

「これが本気かい?君の、岡本光輝という人間の全力なのかい?」

 

 地面を再び舐める光輝に、見下ろす瀧。

 

「ハーっ、馬鹿か、お前……っ!俺は、Eレートだぞ……」

 

 光輝はEレートだ。裏技である魂結合を使えばこの状況をなんとか出来るかもしれないと考えた。が、相手は最強のSレート。結局負けるのがわかってるのに、こちらの裏技を見せる必要はなかった。

 魂結合は、秘密の技。これが世間に広まれば光輝の評価は変わるだろう。が、光輝はそんなものお断りだ。光輝はこのままでなければいけない。外道は外道で。でなければ、成せぬこともある。

 見せる理由がないのだ、こんなつまらない状況で。これはただの事故。なんとか死は回避できるだろう。

 

 それが光輝の考えだ。が、状況は光輝の予想を上回った。

 

「残念だ。ではこうなるか」

 

「きゃっ、な、何を」

 

 腕を引っ張られるホリィ。瀧は、その手に指をかける。

 

「そう、今の私は暴漢だ。暴漢とは、理不尽なものだ」

 

「っ、痛い!痛い、痛い!!」

 

 瀧は、ホリィの人差し指をあらぬ方向に力尽くで曲げようとしていた。

 

「指を折ろう。何本がいいかな、3本ほどかな」

 

「て、てめぇ……っ!」

 

 グツグツと、煮えたぎる怒り。瀧のやろうとしていることに怒りが沸く。

 

「これはね、ホリィは悪くないんだ。悪いのは暴漢である私と、力なき岡本クンだ。ホリィはただ悲しんでいればいい。岡本クンは後悔するだろうね。その状況が良い!わかるかい?わからないだろうなぁ!君たちの目の前にあるそれは世界最大の「不浄利(ふじょうり)」だ!!君達ちっぽけな有象無象(うぞうむぞう)には分からない、圧倒的な存在の塊なんだよ!!!」

 

 瀧は笑っている。コイツは頭がおかしい。人を傷つけるときに、なぜ、笑うことが出来るのだろうか。

 

「そうかよ」

 

 ブチン、と何かが切れた音がした。それは光輝の頭の中で、だ。そうだ、これは、理性の糸が切れた音だ。

 

 光輝は瞬時に瀧の懐に潜り込み、腹部に右拳をねじ込んだ。いきなりの出来事に、瀧は気付けなかった。

 

「……が、はっ……」

 

 瀧は後ろによろけ、ホリィを掴んでいた手が開かれる。同時に、光輝はホリィを手繰り寄せその身の後ろに隠れさせる。

 

「こ、光輝さん……」

 

 ホリィは理解しているハズだ。今、岡本光輝のスキルに先程まで無かった「二天一流」が在るのを。

 

「よーく分かった。俺の頭の中で、今何をすべきなのかが」

 

 光輝はキレている。目の前の瀧シエルという悪鬼の存在に対してだ。

 

「ぶっ潰す」

 

 Eレートからの、Sレートへの大胆な宣言。しかし、光輝は本気だった。

 

「……謝謝(シエシエ)

 

 苦痛と冷や汗を浮かべながらも、瀧は笑う。不意打ちで瀧に一撃を叩き込んだとはいえ、それは微々たる一撃に過ぎない。

 

 最弱と最強。その二つが、文字通り向かい合って対面(タイメン)していた。



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乱心する聖天士2

「どいてろ」

 

 後ろに下げたホリィを離れさせると光輝はズボンのポケットから2本の棒のようなものを取り出し、それを両手に持って空中で振った。すると、その棒は一瞬にして伸び三段の長い武器になった。2本の武器を、何の躊躇いもなく目の前の瀧シエルに向ける。

 

「特殊警棒か。悪くない。弱者が強者に立ち向かうには、道具の力を借りるべきだ」

 

 光輝が手に持ったそれは炭素鋼(カーボンスチール)製の特殊警棒。持ち運びが便利で軽く、硬く、分かりやすい鈍器だ。物を叩くという点でこれほど便利なものもなかなか無い。

 

 対峙する瀧は無手。その手には何も持たれていない。なぜなら瀧に武器はいらないからだ。

 

「行かせて貰おう。「霧の中へと(ミスティレイズ)」」

 

 瀧は呟くと、その体と周りが霧に包まれる。視界が悪くなったその状況で、光輝の「超視力」はそれを捉えていた。

 

 直後、真横から飛んでくる拳。光輝はそれを避けると同時に警棒で殴りつける。が、距離を迂闊に詰めてはいけない。殴り返しを終えると、光輝は下がる。

 

「反応するか。やるね」

 

「言ってろ」

 

 瀧は足を止めない。拳が警棒によって殴られたという事実を無視するように止まらない。通常、警棒で拳を殴れば「砕ける」。骨程度余裕で折られるであろう。しかし瀧はそうではない。

 

「次だ。「風より速く(ハイマックス)」」

 

 瀧は前にステップを踏んだ。離れていた間合いを、一瞬で詰められた。その速さはおよそ人間のそれでは無かった。が、光輝は「超視力」と「二天一流」で対応する。

 

「視えてんだよ」

 

 瀧による速さ重視の拳の連撃に、光輝は両手の警棒で応戦する。幾つか受け止められはするものの、体に何発か貰う。が、こちらも警棒で向こうに何発か入れている。「ムサシ」の身体能力のフィードバックがなければ既に光輝は立てなくなっていただろう。それほどの、速くて強力なラッシュだ。警棒が2本なければ手数が足りずに沈んでいたかもしれない。

 

「二刀流、か……ッ!素晴らしい!」

 

 通常、物を2本持ってそれを別々に動かすのは常識で考えて不可能だ。剣道の試合では二刀流を認められているが、行われない。なぜなら2本を両手で動かすより1本を両手で動かす方が遥かに簡単で遥かに強いのだ。

 試せばごく簡単にわかるのだが、両手で同時に別の絵を書く事は出来ない。書かれたその絵は、理想とは大きくかけ離れているだろう。それは出来るとは言わない。人間の脳というのは、両の手を別々に複雑な動きで使うことに適していないのだ。

 

 2本より1本。それが定石。二刀流を行ってもいいが、勝てないだろう。故に、不可能。

 

 しかし、今の光輝は違った。光輝は二刀流を行っている。それは、背後霊「ムサシ」による遥かな才能と鍛錬の賜物。彼の才能が、磨き上げた技術が、異能にまで昇華し「二天一流」を可能にする。幻の、二刀流。

 

 勿論、瀧は狼狽えていた。かつて自分をこれほどまで楽しませた人間など居ただろうか。

 

 瀧にとって、瞬殺は当たり前。たまにワザと時間を延髄させて楽しむことはあろうと、瀧をして興味の対象になることは無かった。

 

 が、目の前の人間に興味が沸く。

 

 瀧は今、「半分本気」だ。普段ならこの時点で瞬殺が可能である。けれど、目の前の男は食い下がった。それは、Eレートであるハズの岡本光輝。ほんの僅かな「好意」は抱けど、それは圧倒的な「興味」に成り得はしなかったハズだ。

 

 それが今はどうだ。

 

 Sレートであるはずの最強「瀧シエル」相手に食い下がっているではないか。これほどの興味、今までにない。瀧は、岡本光輝に圧倒的な「興味」を抱いていた。

 

 殴り合いを瞬時に止め、瀧は後ろに高速のステップで下がったと同時に空中に正方形を描くように拳を打ち込む。すると打ち込んだ箇所にそれぞれ赤色、水色、茶色、緑色の光が漂う。

 

「駄目、光輝さん、避けてっ!」

 

 ホリィの声。が、遅い。光輝の足は動かない。

 

「興が乗った。耐えろ」

 

 瀧は更に白い光を纏った拳でその正方形の中央を打ち抜く。

 

聖砲(せいほう)

 

 すると、正方形が中央に収束しそこから強大な光の波が放たれた。粒子砲(りゅうしほう)。その光に飲まれれば人は塵も残らないだろう。無慈悲な一撃だ。

 

 光輝はその構えが始まる時点で知っていた。それは、聖霊祭の決勝戦で瀧が一度見せていたからだ。電磁フィールドで覆われた会場だからこそ、対戦相手は病院送りで済んだ。しかし、今のそれはわけが違う。守られるものも無い。

 

 避ける?駄目だ、範囲でそのまま飲まれる。守る?どうやって?

 

 思考を高速で回転させる光輝。目の前に在る不浄利。どうすれば立ち向かえる?

 

 直後、光輝は本能で動いていた。

 

「来い、「ジル」!」

 

 光輝が選んだ選択は、イチかバチかの賭け。

 

 『貴様に呼ばれるのは久しぶりだな』

 

 光輝が呼んだその名は、背後霊とは別の光輝の中に眠る「潜伏霊」。ジルと呼ばれたその霊が、光輝の体に憑依する。

 

 すると、光輝のEX能力が移り変わった。体から、黒い力が溢れ出す。

 

「く、「黒魔術」……!?」

 

 ホリィの目には見えていた、光輝の新たなEX能力。「二天一流」が消え、新たに加わった「黒魔術」。

 

「消え去れえぇぇぇ!!!」

 

 光輝は右手から警棒を離し手を前に突き出した。その手から放たれる、闇の障壁。周囲一帯を眩ますほどの瀧の拳から放たれた光の波は、闇の障壁に全て飲み込まれていった。

 

「……っ、(ハオ)!」

 

 瀧は、驚きつつも直様(すぐさま)に拳を握って光輝へ殴りに行った。

 

「っ、やるぞ「ムサシ」ィ!」

 

『合点承知!』

 

 光輝も瞬時に憑依を「ジル」から「ムサシ」に移す。EX能力が「黒魔術」から「二天一流」に変わった。

 

 地面に捨てた警棒を拾い直している暇は無い。光輝は一本の警棒を両手でしっかりと握りこむ。

 

 瀧の襲いかかる右拳。すんでのところで避ける。狙いはここじゃない。

 

 瀧の次の構え。左拳が放たれる直前だ。ここを、全力で叩く。

 

「喰らいやがれ!」

 

 光輝の両手による振り上げた警棒の一閃。瀧はその回避を間に合わないと悟ったか、両腕による「十字受け」を選んだ。腕をクロスさせることによる、強力な防御。瀧の能力なら、それは遥かに強固になる……ハズだった。

 

 「ムサシ」の「二天一流」は、本来不可能な二刀流を実現可能にする力だ。その条件として確かな力と技の二つを条件とする。力と技、揃ってこそ可能な方法だ。

 

 その力を1本の刀で振るったらどうなるのか。かつて巌流島(がんりゅうじま)の戦いにて、ムサシは船の櫂を用いて一流の相手を屠ったとされる。ムサシにとっては1本だろうと2本だろうとやることは目の前の相手を打ち倒す事に変わりは無かった。

 

「『これが……「剛の一太刀」ぞ!』」

 

 警棒を振り抜く光輝。それは、単なる1撃じゃなかった。二本の刀を振り回す力に、別々に動かす技術。その行き着く先にある方程式は、これだ。

 

 通常の二乗。

 

 「ムサシ」の異能が成せる偉業。瀧の十字受けの防御を貫き、瀧の脳天へとそのまま警棒を振り抜いた。

 

「ぐぁっ……!?」

 

 瀧はそのまま地面に倒れふし、額から流血をした。起き上がらない。起き上がれない。

 

 瞬間、光輝は手に持っていた警棒を地面に落とした。

 

「っはぁ、見たかよSレート!これがテメエの身の程だ!」

 

 倒れふした瀧に、勝者の言葉を投げつける光輝。光輝は、対面に勝ったのだ。Sレートである瀧に――

 

――白熱しきったサマーフェスティバルの会場。遂に、決勝戦が終わった。

 

『決まりましたァーッ!優勝は、「熱血王」厚木血汐選手でぇーすッッ!!』

 

 沸き立つ全観客。今年のサマーフェスティバルの優勝者が決まったのだ。

 

『では厚木選手、一言お願いします』

 

 エリアの厚木血汐はMCマックからマイクを受け取ると会場に向かって叫ぶ。

 

『大聖霊祭、俺と戦いたい奴は誰でも構わない!残りの二つの祭で、見事優勝してみせろ!』

 

 血汐の言葉。会場が再び、沸き立った。その会場に、瀧と光輝は居なかった。

 

 夕暮れの会場外、瀧と光輝は二人してベンチに座っていた。あの後、ある程度の話はつけてお互い会場に戻った後にまた、ホリィを除いて二人で合う約束をしていた。

 

「なあ……怒っているか?」

 

「別に……」

 

 不安そうな表情の瀧と、無表情な光輝。その無表情が、瀧の不安を募らせる。

 

「すまない、君の力が見たくて……ホリィにも、申し訳なかったと思っている」

 

 先ほどまでの狂戦士のような姿が嘘のようで、今はしおらしい少女のような瀧。

 

「……嫌いになったろう?」

 

「聞かんでも分かることを。俺がお前を嫌いになるわけ無いじゃないか。共に青空を共有する盟友だというのに」

 

 呆れ顔の光輝。光輝は、瀧を嫌いになってなどいなかった。

 

「むしろ、お前の素顔を見れたからこそお前がより好きになったと言える」

 

 そう、瀧が見せた「暗闇」の一面。だからこそ、光輝は瀧に抱くものがあった。

 光輝は善人が嫌いだ。善だけでは、世の(ことわり)を理解できない。そしてそれは、義に成りえない。が、隣の瀧は違った。善ではない、形容しがたい何か。その中の「暗闇」に、光輝は好意を抱いていた。

 

「ほ、ホントか!?」

 

 無邪気な表情の瀧。こういう時の瀧は、非常に好感を持てる。

 

「だが約束しろ」

 

 ガシッ、と光輝は瀧の肩を腕で抱き寄せた。まるで親友のように。

 

「二度と俺たちに危害を加えるな。それが守れるなら、俺はお前を嫌いにならない。二度は無いからな」

 

 勿論、ホリィを襲った瀧には怒りを覚える。が、罪を憎んで人を憎まず。瀧が反省し、今後に活かせるならばそれ以上の事はない。

 

「……ありがとう、約束するよ。むしろ、全身全霊を持って君たちを守るさ」

 

 瀧も光輝の肩に腕を回した。

 

「視界は違えど」

 

「世界は同じだ」

 

「俺が空を見上げれば」

 

「私もまた同じ空を見上げる」

 

「この晴天の下で」

 

「私たちは繋がっている」

 

「いつか」

 

「その手に」

 

「「征天の日を」」

 

 光輝と瀧は、互いに空いた手で拳を合わせた。



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第二章 霧に霞む月天下
ロンドンからの留学生 クリス・ド・レイ


 茹だるような暑さの夏真っ盛り、8月頭。光輝の母親は、出かける準備をしていた。

 

「それじゃ、行ってくるね」

 

「あいよー」

 

 日除けの帽子をかぶり、よそ行きの服装に身を包んだ母。その手にはキャリーケースを引いている。有給を取り、二泊三日で実家に顔を出すそうだ。お盆の間は休みを取れないので前倒しで行くらしい。

 

 なお、光輝は行かなかった。新幹線代が二人分かかるとか、イクシーズ外に出る手続きが面倒だからとか色々理由をつけたが、それらよりも大事な理由があった。

 

「やばい、俺三日間家で一人だ……自由だ……!」

 

『ワシもいるぞー』

 

 家には母がいない。つまり、一人きり。光輝を、謎の高揚感が包む。背後霊の声は今の光輝には聞こえない。

 

 子供の頃、親が外出に行って留守番になったとき。開放感があった者は少なくないだろう。今の光輝はそれだ。もう子供という歳でもないが、それでも何かがこみ上げてくる。今の自分にならなんでも出来る気がしてくる。それは錯覚なのだろうが、それを錯覚と理解してなおかつ楽しい。

 

 ぐでー、と居間に転がる光輝。まだ朝の10時だ。何をしよう。とてもじゃないが宿題をする気分にはなれなかった。食事をしようか?3日間の食費は母親から五千円も渡されている。めずらしく奮発されていた。何を食べよう、ラーメンでも食いに行こうかな?それより先に青空を味わいに行こうか。

 

 ガバッ、と起き上がる。ふと思いついた。

 

「そうだ、空港に行こう」

 

 青空に向かって飛び立つ飛行機が、無性に見たくなった。この前見たのは夕焼けの光景。夕焼けもいいが、光輝には青空の方が映えて見える。

 

 思い立ったが吉日、やる気をなくす前にすぐ行動だ。すぐにシャツとトランクスというだらしない部屋着から少なくともよそ行きと取れる黒いTシャツと半丈のジーンズに着替え、鍵をかけて光輝は家を出た。

 

 待っていろ、青空。俺が今行くぞ!

 

 最上機嫌な光輝。にやけが止まらない。きっとその時の表情は、今年一番の笑顔だ。

 

『おーい、無視されるのはちょっぴり悲しいぞー』

 

 ムサシの声は光輝の耳に全く入らなかった--

 

--空港の国際線到着ロビーにて、同じ高校の学年主席であるホリィ・ジェネシスと聖天士の称号を持つ瀧シエルは人を待っていた。ロンドンから出発した飛行機が先ほど到着し、もうすぐその人物は現れるだろう。

 

 ホリィはサマーフェスティバルの1件で瀧に襲われたが、それ以降は少しずつ友好関係を結んでいた。間に光輝が居たのも大きい。関係としてはホリィと光輝が友達であり、光輝と瀧が友達。友達の友達と言ったところだ。

 ホリィの兄が瀧に護衛を依頼したというのは本当の話であり、最初こそホリィは戸惑ったが今ではなんとかうまくやっていけてる。今日此処にホリィと瀧が立っているのもそういう意味合いもある。有事が起きても瀧シエルがいれば問題ない。ちなみに瀧が有事を起こす可能性は無いに等しいだろう、瀧と光輝がそういう約束をしている。

 

 飛行機到着口から幾つかの人が降りてきた。多種多様な人々だが、その中で事前に聞いていた外見と一致する人物を瀧とホリィは見つけた。

 

 綺麗な黒の長髪に全身をゆったりとした黒いローブに包んだ妖艶にも感じる少女。綺麗な顔立ちとローブの上から分かる大きめの胸が目を引くが、何より目を引くのが……その背中に担がれた「黒い棺桶」だ。その姿は、まるで「魔女」と形容できる。

 

 向こうも此方に気づくと、手を振って歩み寄ってくる。

 

 ホリィが右手を差し出し、魔女のような少女もまた右手で返し握手を交わす。

 

「始めまして、ホリィ・ジェネシスです。私の後ろの方は瀧シエルさんです」

 

「やあ、よろしく」

 

「始めまして、ホリィ、瀧。クリス・ド・レイよ。気軽にクリスでいいわ」

 

 ロンドンからイクシーズにやって来たその少女の名前はクリス・ド・レイ。イクシーズのデータベースからの判定で「Sレート」の評価を頂いた特待留学生だ。

 

 異能者が集められるイクシーズとは別に、世界にもまた幾つか異能者を集めて管理する機関が存在する。規模はイクシーズほどではないが、その中でクリスは鍛錬を積んで実績を残し、15歳という若さででSレートの評価を手に入れたのだ。

 

 ホリィと瀧の今日の目的は、彼女をイクシーズに迎えることだった。

 

「そろそろお昼時ですね。どこかで昼食でも食べましょうか?」

 

「いいわね。あ、でも先に空港内を少し見て回ってもいいかしら?日本の文化に興味があって」

 

「構いませんよ。道案内は私達におまかせ下さい」

 

 まずは空港内を歩くホリィ達。クリスの担いだ棺桶に周囲から好奇の視線が集まるが、気にしないことにしよう。何が入ってるかは凄く気になるホリィであったが。まさか本当に死体が入ってるわけでもあるまい。

 

 空港内には幾つもの店が並んでいる。飲食店、服屋、本屋、喫茶店、土産屋、その他にも色々なニーズに対応するために様々な店がある。クリスはそれらを、物珍しい目で見ていた。

 

「ところでホリィが学年主席で、瀧が1年で一番強い異能者で良かったのよね」

 

「はい、そうなりますね。お恥ずかしい話ですが、私には戦闘能力が無いに等しくて……」

 

 ふと問われた質問に、申し訳なさそうな顔をするホリィ。

 

「そうなのね。けれど、参ったわ。私、日本人に知り合いが居てね。1年前にロンドンで会ったんだけれど凄く強い男性の異能者が居たのよ」

 

「へぇー、そうなんですか」

 

「私と同い年でね、イクシーズに来たら会えると思ったんだけれど……やっぱり上手くは行かないものね」

 

「その方のお名前は?」

 

「名前は、確か……」

 

「おや、あれは」

 

 歩いている途中で、瀧が展望デッキの方に何かを見つけたようだ。瀧が足を向けるので、自然とホリィとクリスも向かうことになる。

 

「ちょっと寄っていっていいかな?岡本クンが居るみたいだ」

 

 展望デッキに入ると、確かに岡本光輝が居た。いつものように熱心に空を眺めていた。

 

「あ、本当ですね。声をかけましょうか。おーい、光輝さーん」

 

「コウ、キ……?」

 

 名前を呼ぶホリィと、怪訝そうな顔のクリス。名前を呼ばれた光輝は、振り向いた。

 

「……あ?」

 

 いつものように、気だるげな表情。その光輝の顔を見て、クリスは顔色を変えた。

 

「……光輝っ!!」

 

 瞬間、クリスは走り出した。担いだ棺桶の重量などまるで関係ないように走り出していた。彼女の能力は「重力制御」。物質の重量を軽くできるその異能で、棺桶の重量は無いに等しい。

 

 が、途中で棺桶を地面に捨て去る。ズン、と音を立てて地面に落ちる棺桶。さらに加速したクリスは、そのまま光輝の胸にダイブした。

 

「うおっと!?い、いきなりなんだお前!?」

 

 いきなりの出来事になんとかクリスを受け止めて対応した光輝。背中は展望デッキの柵に打ち付けることになったが、そのまま立っていられた。

 

「これが運命、偶然ではなく必然なのね!感じたわ私、光輝との赤い糸を!!」

 

 興奮気味のクリス。その表情はとても嬉しそうで、瞳の端に涙が浮かんでいる。嬉し泣きであった。

 

「……もしかしてお前、クリス・ド・レイか?」

 

「覚えていてくださったんですね、光輝っ!もう離しません!!」

 

「う、おぉっっ……!」

 

 ぎゅううっ、と光輝の体を抱きしめるクリス。ローブに包まれた主張ある肉体の柔らかさを感じている光輝は、周囲の目線が気になって理性で彼女を引き離そうとするか、男としての本能でその感触から逃れられないかというせめぎ合いで、結局何もできずに居た。

 

「……やれやれ、グローバルで人気者なのかな?岡本クンは」

 

 肩を竦める瀧シエル。瀧もまた何もせず、その光景を眺めていた。



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ロンドンからの留学生 クリス・ド・レイ2

「それで、クリスさんと光輝さんってどうやって知り合ったんですか?」

 

「私も気になるな」

 

 空港内での喫茶店で、4人席で座る光輝とクリス、瀧とホリィ。そして脇に置かれた存在感のある黒い棺桶。

 それぞれが隣同士で座っているのだが、クリスは光輝に肩をもたれ掛からせている。光輝はひたすら無表情だ。なぜこんなにもクリスからの好感度が高いのだろうか。自分でもよく分からない。

 

「クリスとはな、俺が中学3年のときの修学旅行で出会ったんだ。俺私立中学だったから」

 

「はい、今思えばあれが運命の始まりでした」

 

「ほうほう」

 

 淡々と話す光輝と、赤面しつつ話すクリス。そして興味深く聞いているホリィ。が、これ以上話すのは不味い。俺とクリスの間には、言ってはいけない秘密があるのだ。

 

「言っとくがホリィ、別にこれ以上話すことはないぞ。クリス、言うなよ?」

 

 クリスを睨めつけて脅す光輝。それに対して、クリスは身をくねらせる。ええい、その反応やめろ。

 

「光輝がそう言うのなら……」

 

「えーー」

 

 残念がるホリィ、特に反応は無くエスプレッソを味わう瀧。まあ、ここまで言えばホリィと瀧は多少の事情を察してこれ以上踏み込んでこない。それでいい。

 

 小休止して光輝は注文したウィンナーコーヒーを頂く。ぶっちゃけ上に乗っかっているホイップクリームを食べたいが為に頼んだ物だ。うん、優しい甘さが嬉しい。コーヒーの味はわからん、似た字体ではコーラのが美味い。断然に。

 

「あの、私決めたんですけど……ホームステイ、光輝さんの家にします!」

 

 ブーっと、ホイップクリームとコーヒーと唾液が混ざった液体を向かいに居る瀧に吹きかけてしまった光輝。コイツは何を言っているんだ?それと、瀧が怒らないか心配だ。瀧が怒ったらそれは尋常じゃないことになるだろう。それは困る。

 

「す、すまん、瀧」

 

「いや、構わないよ。クリスのその話、いいね。クリスも初対面の人間の家より知人の家のが安心できるだろう」

 

 ハンカチで顔を拭く瀧。良かった、許してくれるようだ。って、ちょっと待て。なにもよくねーよ。

 

「いやいや、俺が困るって」

 

 俺の家に他者を宿泊させる施設など無い。狭いし窮屈で、とてもじゃないが人を泊めれる家じゃない。というか、男と女がひとつ屋根の下って。貞操が危ないだろうに。流石にそれは不味いだろう。相手はロンドンのSレート異能者様、しかも名家である「レイ」家だ。国際問題にもなりかねん。

 

「あ、もしもしお父さん?今日から家に泊める予定だったクリスなんだけどね、知り合いを見つけたからそっちでお世話になるってさ。あはは、じゃ、またねー。さて、岡本クン。準備は整ったよ。クリスを頼んだ」

 

「おいぃぃぃ!?」

 

 気が付けば瀧は電話を終えていた。どうやら父親に即効で話を通したみたいだ。というか瀧の父親も飲み込みはえーな、俺の了承無しに話を決めないでくれ!?

 チラっ、とホリィの方を見る。期待しているぞ我が友達、俺の意図を雰囲気で汲み取ってくれ……!

 

 そんなホリィはまた光輝の顔をチラッと見て、苦笑した。

 

「あ、私の家は兄が居るので……ごめんなさい」

 

 ですよねー。わかってた。うん、諦めた。

 

「光輝、よろしくお願いしますね」

 

 こちらを熱い眼差しで見つめてくるクリス。……しょうがない。

 

「……クリス……」

 

 光輝はクリスの頭に手を伸ばし、その顔に自分の顔を近づけた。

 

「え、ちょっ、こんなとこでこまります光輝っ!あっでもっ、光輝がしたいのなら」

 

 しどろもどろとし顔を真っ赤にさせるクリス。見ていて面白い反応だ。そして--

 

「そりゃっ」

 

 グォン、と音をしてぶつかる額と額。光輝は、クリスに頭突きをかました。少しイラっと来たのだ。

 

「ふわぁっ!?何するんですか光輝、痛いです!」

 

 人類の一番硬い部分で一番硬い部分を叩いたんだ、痛くないわけなかろう。かといってこっちも痛いのだが。

 

「俺を無視して勝手に話を進めた罰だ。まあいい、ウチには泊めるよ」

 

 決まってしまった話を今更どうこうするつもりはない。が、光輝にはまだ打算があった。まだいくらでも状況をひっくり返すチャンスはある。

 

「もう……ありがとうございます」

 

 おでこを摩りながら礼を言うクリス。良い気味だ。

 

 それぞれがコーヒーを飲み終え鉄板で焼かれたナポリタンスパゲティを食べ終えると、店を後にする。

 

 瀧から車で送っていくと言われたので、光輝はお願いすることにした。電車代が浮くのはラッキーだし、クリスも飛行機からの長旅で疲れたろう。その好意は受け取るべきだ。

 

 ワンボックスカーにクリスの黒い棺桶を詰めつつ、乗り込む。多分この棺桶には衣類などの日用品が入っていると思われるが、とにかくデカい。もう少しコンパクトにならなかったのだろうか。セダンタイプとかだったりしたら入らなかったろう。なお、運転手は瀧家のお抱え運転手のようだ。やっぱ金持ちだな。

 

 そんなこんなで、光輝は自分の住むアパートまで送ってもらっていた。……ここに本気でクリスを泊める気か。

 

「それじゃあ、また何か用があればいつでも言ってくれ。じゃあね」

 

「お二人共、さようならー」

 

「おう」

 

「ありがとうございました、それでは」

 

 ホリィと瀧はそのまま車で去っていった。ようやく、これでクリスと二人きりになれる。

 

 クリスの黒い棺桶を持ってやろうとしたがとてもじゃないが重すぎて持つのを諦めた。アパートの3階まで着くと、鍵を開け、ドアを開ける。

 

「着いたぞ。ほら」

 

「おじゃまします……じゃなくて、ただいまになるのですね。ただいま」

 

 やはりというかしょうがないのだが辺りをキョロキョロしながら慎重に家に入ってくる。かなり緊張しているようだ。初めて来た国の、初めて入る家だ。それはもう気が気でないだろう。

 

「とりあえず俺の部屋に行くぞ」

 

「はい、分かりました」

 

 台所を抜け、居間を抜け自分の部屋に入る。この家は3DK、居間に母の部屋に光輝の部屋……ようするに、自然とクリスは光輝の部屋で暮らす事になる。それはとてもとても厳しい。

 

 壁横に備えられたベッドに本棚に時代遅れのCDラジカセ。後は中央に小さなテーブルが、壁に押し入れがあるだけで他は特に何も無い部屋。普段から片付けてはいるから直ぐに人を招けはしたもののやはりこじんまりしててとてもじゃないが自慢できる部屋ではない。

 

「こ、ここが光輝さんの部屋……」

 

「まあ座ってくれ。飲み物はコーラでいいか?」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 とりあえずクーラーを動かしてから冷蔵庫から缶コーラを二つ持ってくる光輝。といっても光輝の家にはお茶とコーラと母が飲むインスタントコーヒーしか無い。

 

「とりあえず、今日からよろしくな、クリス。お疲れ様」

 

「お疲れ様です」

 

 缶コーラのプルタブを開け、炭酸のいい音を聞いてから飲む。うむ、やはり夏に飲む冷えたコーラは最高だ。このキツめの炭酸が心を癒してくれる。

 

 一息着くと、光輝はもうクリスの方に意識を向けていた。

 

「さて。クリス、お前どういうつもりだ?」

 

 まずはこれに尽きる。クリスが何のために光輝の家にホームステイしに来たのか、全く意味がわからない。以前知り合いになったとはいえ、そこまで仲を深めたという印象は全く無かった。もしかすれば重要な要件があるのかもしれない。

 

 話してもらわなければいけない、クリス・ド・レイのその心中を。何らかの目的があるはずだ。話さなければならない、彼女と二人で。

 

「光輝に会いに来ました」

 

「……は?」

 

 ん?ちょっと待て。どういう事だ?

 

「私がロンドンでBレートから死に物狂いで頑張って1年でSレートになって特待留学生という名目でイクシーズを訪れたのは光輝。貴方にもう一度……違いますね。貴方とずっと一緒に居るためです」

 

「はぁ……」

 

 熱弁をふるうクリスと、よく分からない光輝。今は理解できていないので、とりあえず一通り聞いてから整理しよう。

 

「以前ロンドンでニュー・ジャックを倒した光輝ですが、あの時の光輝を見て決めたんです。この人みたいに強くなろう、この人の隣に居られるようになろうと。それに、光輝の図らいでレイ家は信用を取り戻しました。私は貴方と同じように強くなった。そして空港での再会、これは運命です」

 

「そうか」

 

 光輝は以前、ロンドンでクリスと一緒に連続殺人犯を捕まえたことがある。その手柄は面倒なのでクリスに丸投げしたのだが、いい方向には転がったようだ。良かった良かった。

 

「光輝、私と付き合ってください」

 

「……いや、お友達からで」

 

 一拍おいてからのノー。瞬時には何が起きたのか分からなかったが、なんとか飲み込んだ。現状光輝はクリスと付き合う事は出来ない。

 

「……え?」

 

 光輝がその想いを断った瞬間、クリスの表情はどんどん青ざめていき、瞳が潤い、その瞳から涙がぽろぽろと溢れだした。

 

「うわぁ~ん、そんなぁ~、ここまで来たのにぃ~」

 

 あれ。俺、泣かした?

 

「ま、まてまてクリス。泣くなよ、ほら、ティッシュ」

 

 子供のように泣きじゃくるクリスに近くにハンカチもタオルも無かったのでとりあえずティッシュを渡す。クリスは受け取ると涙を拭いたが、どんどん溢れてくる。

 

 まさかいきなり泣き出すとは思わなかった。予定ではそこからの質問攻めで、やんわりと受け流して最終的に絶対に断れる状況を作り出す予定だったのだが、これは予想外だ。

 

「……光輝、私のこと嫌いですか?」

 

 嗚咽混じりのクリスの声。やめてくれ、心が痛くなる。流石の光輝も、女子の涙には弱い。

 

「嫌いというか……そんな長く一緒に居たわけでも無いからあんまりお前の事わかってないというか。ほら、そんな状態で付き合っても楽しくないだろ?」

 

 実際、俺はクリスの事をそこまで知ってるわけじゃない。せいぜい、美人で、名家で、強くて。まあ、これらはいいとして。クリスとロンドンで仲良くなった光輝は、その「正義」に惹かれていた。だから仲良くなれた。

 だから、嫌いじゃない。むしろ人としてごく僅かな好きの部類に入れてもいいかもしれない。が、何よりも俺は自分自身に引け目を感じる。俺はそれが嫌だ。

 

「……じゃあ、友達からで?」

 

「ああ。まずお互いを知るに越したことはない」

 

「……いつか、付き合ってくれます?」

 

「……気が合えばな」

 

 こればかりは分からない。光輝には女性と付き合うというビジョンが全く見えない。なぜなら、光輝は自分が嫌いだから。自分に自信が持てないから。

 そんな自分が、仮に好きな人が出来たとして。自分がその人を幸せに出来るだろうか?……出来ない。そこにあるのは理想だけで、現実はない。

 

 が、完全にNOとは言えなかった。目の前のクリス・ド・レイという少女は、そんな自分に会いたくてイクシーズにまで来てくれたらしい。全否定しては、それこそ最低で済んだものじゃ無い。彼女も、一人の人間だ。想いを多少汲み取ってやらねばあまりにも(むご)いだろう。

 

「……抱きしめてください」

 

「……えっ」

 

 ドキリ、とする光輝。

 

「じゃなきゃ、涙収まらないです」

 

「……あー、分かったよ」

 

 半ばヤケクソに光輝はクリスの体に手を回すと、その体を抱きしめた。クリスもまた、光輝の体に手を回す。

 

「ん……」

 

 声を漏らすクリス。光輝とて、この行為に何も思わないわけではない。相手は年頃の少女だ。こうして抱きしめているだけで相手の体温が、息遣いが、鼓動が伝わり、暖かくなってくる。光輝の鼓動が、クリスの鼓動が、早まっていく。

 が、あくまで光輝は冷静でなくてはならない。雰囲気に飲まれないように、自分のコントロールを。

 

 とりあえずは、彼女が納得するまでこうしている予定の光輝だったが、光輝が解放されたのはその1時間後であり、二人は気づけば汗だくになっていた。



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ロンドンからの留学生 クリス・ド・レイ3

「暑いですね、光輝……」

 

 どくどくと汗を流しているクリス。黒のローブが体に張り付いて、主張ある体の輪郭がはっきり分かる。

 

「いや、夏にあんだけくっついてりゃ、そりゃな?っつーか、なんでそんな暑っ苦しいモン着てるんだよ……」

 

 対する光輝も服は汗びっしょりだ。クーラーを付けているとはいえ、今は夏真っ盛りだ。中古で買った古めのクーラーを省エネ設定の28度で起動させてかつ1時間も二人でくっついていりゃあそれは凄まじく暑くなる。そもそも、20分くらいの段階でもう汗がじんわりと出てきたのにクリスは全然離してくれなかった。好意を持たれるのは嬉しいが、節度はある。参ったものだ。

 クリスのその服は、黒の上に全身を覆っている。似合ってはいるが、夏に着るような服ではない。

 

「ロンドンの夏はこんなに暑くないんですよ……」

 

「……とりあえず風呂入るか」

 

 暑さにやられすごく気だるい状況で風呂の準備をする。光輝の住むアパートは風呂を沸かす機能は無く、お湯を出して張る事しか出来ない。なので、蛇口からお湯を出す。

 

「……先にクリス入れよ」

 

 ここは気を使う。男の入ったあとの風呂など、女子は入りたいと思わないだろう。それに、クリスは客人だ。どうせなら綺麗な風呂に入っていただきたい。

 

 クリスは、顔を赤らめて身をよじる。

 

「も、もしかして、私の上がった後のお湯を……光輝さんは……構いませんが……」

 

「おい、俺の好意を返せ」

 

 コイツは何を考えてやがる、随分と失礼な客人だ。かといって光輝も少しも想像しなかったかと言えばそうでもない。岡本光輝も年頃の男子。心は冷静であってもその奥底、深層心理では少しばかり意識した。

 まあ、結局クリスには先に入ってもらうことにした。光輝も一番風呂は好きだったが、こればかりは仕方がない。汗だくの状況で本も読むことができないので、ベランダに出て空を眺めることにした。

 

 ……暑い。雲一つ無い晴天の空。いつもならそれもまた一興と言えるが、駄目だ。太陽から放たれる灼熱の光がこの身を焼こうとしてくる。心は爽やかになるどころか、気がついたら黒焦げ寸前までいっていた。駄目だ、悪手すぎる。直ぐに室内に戻り、カーテンを閉める。さっきより暑い。服が汗を吸って気持ち悪い。完全に判断ミスだ。暑さで頭おかしくなってるんじゃないか、俺。

 

『坊主、楽しそうだな』

 

「楽しくねぇ……」

 

 ずっと出てこないと思ったらいきなりムサシが話しかけてきた。今日1日見なかった気がするが、遅い登場だな。

 

「お先いただきました」

 

 悪夢のようなひと時を経て、かけられる救いの声。クリスが風呂から上がったようだ。

 

「おっしゃ……おぉっ」

 

「どうかいたしましたか?」

 

 風呂上りのクリスは、薄手で黒のノースリーブのワンピースを纏っていた。その状態では、ローブで既に強調されていた体のラインが更に強調されて、肌の露出も程よく、すごく……良い。

 

 って、これじゃオヤジじゃないか。駄目だ、クリスをそんな目で見てはいけない。あくまで一友人として接しなければ。大丈夫だ、俺。自分に言い聞かせる。

 

「じゃ、俺も風呂入ってくるわ」

 

「いってらっしゃいませ」

 

 待ちかねた湯船。脱衣所で服を脱ぎ……と、ここで気づいた。脱衣カゴの中にある、黒色のそれに。ローブではない。その、女性が服の下に着ける……アレだ。

 じっと、超視力を強めて、見てしまう光輝。が、ハっと我に返る。何をしているんだ俺は。オヤジを超えてエロオヤジにまで進化してしまうではないか。違うぞ、俺は健全な青少年だ。

 

 煩悩を振り切り、自分の脱いだ服も脱衣カゴに放り込む。予想以上に誘惑の多いホームステイだが、まだ1日目だ。こんなところで根を上げてはいけない。

 

「行くぞ」

 

 自分に言い聞かせるようにして風呂場へ。お湯を頭から被る。熱さが自分の心を叩き直す。そうだ、それでいい。ビークール岡本光輝。いつもみたいに最低に行こうぜ。

 

 湯船に浸かる。……最高だ。うっとおしい暑さとは違って、心に染み込む心地よい熱さ。これがいい。文明の利器だ。

 

「あの……お背中を」

 

「折角だからお願いしようかな。だが、タオルを1枚くれ」

 

 さらっと浴槽に入ってきたクリスにはもう何も言うまい。変な日本文献でも読んで女は男の背中を流すものだと勘違いでもしているのだろうが、落ち着きを取り戻した光輝にはそれを許容する寛大さがあった。単にリミッターが振り切れて頭が少し馬鹿になっている気がしないでもないが。

 

 最低限必要なタオルを受け取ると前を隠し、風呂マットの上に座る。椅子は普段使わないから置いていない。

 

「濡れないようにしなよ」

 

「お心遣いありがとうございます。大丈夫です」

 

 クリスは石鹸で泡立てたタオルで背中をゴシゴシと擦ってくれる。絶妙な感触と力強さが心地よい。

 

「ところで、光輝のレーティングは幾つなんですか?瀧が一年で一番強いというお話ですけど」

 

 レーティングの話題。これはクリスには早く説明しておかねばいけないと思っていたので好都合だ。

 

「Eレートだよ。スキル3の他1」

 

 正直に自分のレーティングを言う。クリスなら理由はなんとなく分かってくれるはずだ。

 

「……憑依は使ってないんですか?」

 

「検査ではな。日常では差し支えない程度に使っている」

 

 そう、クリス・ド・レイには、俺の能力の裏技を話してある。

 それは、かつてのロンドンでその時の状況も色々あってだが……彼女は俺の中で「信用できる」と値つけていたからだ。彼女は知っている。その時俺の中に入った「ジャック」の事も。尚且つ彼女は俺を好いていてくれている。監視という線も捨てきれないがそれでもいい。この「正義」と「打算」を両刀として物事に挑む彼女の気持ちは大きな嘘で自分を塗り固められるほど器用じゃない。

 

「だから俺の霊視はイクシーズのデータベースに知られていない。勿論他の人にもだ。知っているのはお前だけだ、誰にも言っていないな?」

 

「……そうですね、光輝の能力は言っていません。けれど、光輝を見つけたいが為にホリィの前で光輝の事を「凄く強い」と言ってしまいました。すいません、あの時は光輝の事で頭がいっぱいで」

 

 声のトーンが低くなるクリス。そのことを悪いとは思っているようだ。

 

「……あの二人はまあ俺が憑依を使っているのを見たことあるが、その実態は知らない。いいよ。構わない。だが、憑依のことを言ったら駄目だからな。これは俺とお前の秘密だ」

 

「私と光輝の秘密……わかりました、何が何でも守り抜きます!」

 

「ありがとう」

 

 こう言っておけばクリスは誰にも俺の霊視を言わないだろう。彼女は俺を好いている。ならばそれを利用しない手は無い。

 

 会話を終えるとピタリ、とクリスの手が止まった。

 

「あの……」

 

「何だ」

 

「前も」

 

「前は自分でやる」

 

 流石にそれは厳しい。

 

 風呂を終えて、夕暮れどきになる。そろそろ、晩飯の時間だ。さて、どうするか。

 

「うちの母親、実家行ってて帰ってくるの明後日くらいだから晩飯無いんだけどどうする?」

 

「お父様も居ないのですか?」

 

「……あー、昔にな、死んでんだよ」

 

「ご……ごめんなさい、無神経でした!」

 

「いや、んなことない。説明してなかった俺が悪かった」

 

「で、でも……」

 

 これはミスだ。あらかじめ言っておけば良かったのに、クリスから聞かせてしまう形になってしまう。クリスの人柄上、どうしても気にするだろう。

 

 少し考えて、浮かんだ策があった。

 

「なら……夕食。お願いできるか?」

 

「え?」

 

 キョトンとするクリスの顔。もういっそ、頼みごとを作ってチャラという形に持っていけばいい。

 

「俺料理全くできなくてな。クリスにお願いしたいんだけど、いいか?」

 

「……喜んで申し受けます!」

 

 笑顔で承諾するクリス。良かった、これで晩飯も確保できる。

 

 近場のスーパーで買い物を済ませ、クリスは腕を振るった。その手さばきは見事な物で、キャベツを切る包丁も肉を炒めるフライパンも自由自在だ。おそらく彼女はその異能「重力制御」を存分に使っている。なるほど、手馴れた物だ。

 

 最後に大きめの皿に料理を盛り付けて完成した。それはクリスが作るとは思えなかった料理だ。

 

「お待たせいたしました。今晩の献立は「豚の生姜焼き」でございます」

 

「ほう……」

 

 完成したそれはとても立派な「豚の生姜焼き」。添えられた多めのキャベツもまた食欲をそそる。炊いていたお米も頃合のようだ。

 

「さあ、召し上がれ」

 

 自信満々のクリス。キリっとしたその顔つき、イクシーズで初めて、こんな表情を見た気がする。こっちに来てからずっと惚けてたようなイメージがあったからだ。

 

「いただきます」

 

 豚肉をまず一口かぶりつき、口の中で咀嚼する。豚バラ肉の多めの脂がタレとマッチして、非常に美味い。その濃い目の味付けに、白米に手を付けずにはいられない。次に千切りのキャベツを頬張る。シャキシャキとした食感がたまらない。

 

「美味い、美味すぎる……」

 

「日本料理はあらかた熟知しておきましたわ。全ては貴方……光輝のために」

 

 やばい。愛が重い。こんなに情熱を持った少女の料理、美味くて当然だ……!

 

 気が付けば2杯、3杯とご飯が進む。クリスも一緒に食べてはいたが、光輝のペースが速くて生姜焼きはあっという間になくなっていた。

 

「ふう……ご馳走様」

 

「ふふ、お粗末さま」

 

 目を細めて笑うクリス。そのクリスの表情が、とても美しく見える。なんてハイスペックなヤツなんだろうか。クリス・ド・レイ、末が恐ろしい……

 

 食後に二人でトランプなどをして夜も更け、そろそろ就寝時間。光輝は押入れから仕舞っていた布団を取り出す。来客用にとイクシーズに来たとき母が用意したが、永遠に使う機会は無いだろうと思われていた布団だ。それをこんなに速く使うことになるとは。

 

 ……が。

 

「おい、どういうことだ……」

 

「ホームシック、でしょうか?私、家では熊のぬいぐるみを抱いて寝るんです」

 

 なぜかクリスは光輝のベッドの中に潜り込んでいた。床に用意された布団があるにも関わらず、だ。もう消灯している。暗闇の中でクリスと同じベッドの中にいるという状況で、頭の中が混乱する。背を向ける光輝の腹部に、クリスの手が回される。

 

「……おかしいだろ、なあ?俺が間違いを犯そうとしたらどうする?」

 

「それはひとつ屋根の下にいる時点でどうしようもないので」

 

 なるほど、一理ある。が、待て待て。

 

「一緒のベッドだと理性も持つかどうか……」

 

「大丈夫です。貴方は冷静ですから」

 

「簡単に言ってくれる……」

 

 無茶ぶり、とまでは言わないが思春期の男子にとっては難しい注文である。この女は恥じらいというものが無いのだろうか。まあ、光輝だからこそこの状況で手を出さないというのはあるのかもしれない。

 

 よく言えば理性的。悪く言えばヘタレだ。

 

「それに、貴方となら間違いでは無いですから」

 

「……言ってろ。今夜だけだぞ」

 

「ありがとうございます」

 

 良いように言いくるめられてクリスと光輝は瞳を閉じた。光輝は壁に向かって寝ていたが、クリスはその背中に身を寄せるようにくっついていた。夏にわざわざ一緒に寝たいだなんて、もの好きなヤツだ。



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ニュー・ジャック

 朝、目を覚ました光輝は、見慣れない場所に居た。

 

 自分の部屋ではない。眠っているベッドにも違和感を感じる。部屋の内装も、家具も、何もかもが知らない物だ。

 少し考え、ふと結論に至った。それもそうだ。当たり前じゃあないか。

 

「ロンドン、か……」

 

 中学3年生岡本光輝は、イギリスの首都ロンドンに修学旅行で来ていた。

 

 朝起きて身支度をし、学校指定のブレザーで宿泊しているホテルの食堂に向かう。クラスごとの自由席のようだが、親しい友人も居ないので適当に座る。

 

 先生からの朝の挨拶と朝礼、それが終わればバイキング形式の朝食を頂く。飲み物が水かコーヒーかミルクしかないのだが、コーラが無いとか終わっている。一人で来ていたら絶対に頼まないバイキングだ。

 

 朝食が終われば社会見学。特に知りもしない他人と、有名どころを回るのだそうだ。来て3日目にしてなんだが、俺はなぜこの修学旅行に来たのだろうか。流れに身を任せたが、確実に失敗だ。来なければ良かった。いや、それはそれで2年かけて学校に納付した旅行の積立金がもったいないか。

 

 父親が死んで失意の内に、気が付けば親しかった友達とも関わらなくなり段々と心が影に侵され今に至る。中学を卒業すれば残った母と一緒に新社会(ニューソサエティ)「イクシーズ」という異能者の街に引っ越す事になっている。だから、今居る学校のやつらとはなんの心残りもない。むしろ、深く関わってしまってはそれこそお互いに傷つくだろう。

 

 だから、光輝は何もしていなかった。する必要がない。それが最善だ。

 

 社会見学が終わって、今日は自由行動。他の生徒がつるんで好きな場所を巡っているのに対して、光輝は公園を見つけてベンチで読書をしていた。秋の公園は木の枝の枯れ葉が風情を醸し出して良い。薄く雲が陰りを見せる空はこれ以上に無い心地よさだ。日本とはまた違った風景で、読書をするのが最高だ。こればかりは、修学旅行に来て良かったと思える。

 

「ねぇー、キミ日本人ー?」

 

 本を読み耽っていると、気が付けば3人の男に絡まれていた。見た目からにしてガラの悪い男達だ。やめてほしい。付き合っていては時間の無駄だ。

 

「……なんでしょうかね」

 

 光輝はベンチから立ち上がり丁寧に言葉を返す。まずは下手にでる。社会で生きていく常識だ。

 

「お金、貸してくんねーかなーって。修学旅行で来てんでしょ?お金持ってるよねー?」

 

 なるほど、カツアゲか。俺の大事な数少ないお小遣いをこんな奴らにやるわけにもいかない。

 

『坊主よ、蹴散らすか?』

 

 すると、脳内で聞こえる声。背後霊のムサシは好戦的だ。なぜなら、光輝の財布が薄くなればムサシもまた食事が貧相になるので、それは許すまいというムサシの思いがあるからだ。ムサシは食事が大好きだ。こういう時のムサシは扱いやすい。

 

「……やるか」

 

「あぁ?やるかだぁ!?」

 

 いきり立つガラの悪い男達。こいつらからすれば俺はただのひ弱な男子に過ぎないだろうが、ムサシをこの身に憑依させればこんな奴らどうとでもなる。問題にならないように、丁重に暴力を振るって退散していただこうか。

 光輝がムサシを憑依させてこの場を乗り切ろうとしたときだ。

 

「あら、喧嘩ですか?よろしくないですね」

 

 声がかけられた。その方向を向くと、そこには黒い長髪にブレザー姿の女子が居た。光輝の知っている制服では無い。現地の学生だろうか?心なしか、その女の周りは空間が歪んでいるように光輝には視えた。

 

「なんだ?お前」

 

 ガラの悪い男の一人が寄っていっていきなり女の胸ぐらを掴もうとした時だ。その右手がガクっと、触れる前に下に落とされた。まるでいきなり腕がとても重くなったように。

 

「なっ……!?」

 

「女性の胸元を触ろうだなんて、無礼なヤツだこと」

 

 女は逆に男の胸ぐらを掴むと、女性の力とは思えないように男を軽々と放り投げる。

 

「ってぇ……!」

 

 放り投げられた男は尻から地面に落下し、苦痛に顔を歪める。他の男二人は後ずさる。

 

 女は地面に落ちてた石を拾い上げ、ゆっくりと歩いて男達に近寄った。

 

「次は……潰してあげましょう。何を、とは言いませんが」

 

 女は冷たい笑みを浮かべ指で石を空中に弾き上げる。すると、その石は空中で見るも無残に粉々に砕け散った。男たちは青ざめる。当然だ、石を指で軽々と砕くなどただの人間がやってのける芸当ではない。

 

「コ…コイツ、「黒魔女」だ!おい、行くぞ!」

 

「マジかよ!?クッソ、ツイてねぇ!」

 

 男達は何かに気付くとその場を急いで逃げ出した。女は追いかけない。

 

「災難だったわね。怪我はないかしら?」

 

 にっこり、と微笑みかけてくる女。好戦的に見えて、なんとか友好的ではあるようだ。

 

「ありがとう、君のおかげで助かったよ」

 

 助けてもらったので礼を言う光輝。ムサシなら簡単にねじ伏せれる相手ではあったが、使わないに越した事はない。少女に感謝する。

 

「君、異能者だろ?」

 

 光輝は彼女の異質性を見て、異能者であることに気がついた。

 

「あら、おわかり?貴方、日本の方でしょ、私を知らないわよね」

 

「ああ。「目」だけは良いんだ、俺も異能者だから」

 

 光輝の目が彼女を見据える。さきほど彼女が石を指で弾いたとき、明らかに物理法則のおかしい力のかかり方をした。空中で上からと下から、両方から押しつぶされるような形で石は砕け散った。

 

「へえ、奇遇ね。私の名前はクリス・ド・レイ。「黒魔女」なんて呼ばれてるわ」

 

 自分の名を名乗るクリス。今はまだ彼女を測り兼ねる光輝だったが、名乗られた以上は此方も名乗り返さなければいけない。

 

「岡本光輝。修学旅行で来てる」

 

 自己紹介を終えた二人は、希に見る異能者同士という事で秋空の公園のベンチで語り合った。

 

「「超視力」……ね。なるほど、とても便利そうね」

 

 光輝とクリスはお互いの能力を教え合う。光輝の能力は、彼女の中でも興味深い物のようだった。

 

「便利ではあるがさっきみたいな状況では何の意味も持たない。君が通りがかってくれて助かったよ」

 

 これは嘘だ。超視力の副産物による「霊視」で光輝は本来より遥かに上の力を振るう事ができる。だが、この力を人には言わない。他者には視えない「霊」という概念だ、これは光輝が隠すことで光輝に利益を生むかも知れない。実の母にさえ、この事は言っていなかった。

 

「どういたしまして。あの程度ならワケ無いわ」

 

「それよりも君の「重力制御」の方がかなり凄そうだ。異名で呼ばれるなんて、皆が君に一目置いているのが分かる」

 

 黒魔女。彼女の異名らしい。さっきの男達もそれを気付いた瞬間、逃げ帰っていった。当然の事だ、強さの格が違う。言ってみれば念動力(サイコキネシス)のような物だろう、そんな能力を使う人間と戦って勝てるわけがない。

 

「ふふ、ありがとうございます」

 

 笑顔で返してくれるクリス。自分の能力が高く評価されるのはまんざらでも無いのだろう。

 

「あー、そろそろ時間か……じゃあね、レイさん。そろそろホテルに戻らないといけない時間だ」

 

 周囲が薄暗くなっていることに気付いて、ふと公園の時計に目をやると、いい時間になっていた。もう戻り始めないと、担当の先生にどやされる。修学旅行初日も、集合時間に間に合わない生徒がこっぴどく怒られていた。それからは皆過敏になっている。あくまで団体行動だ、集団の輪を乱してはいけない。

 

「ありがとう、岡本。日本の異能者とお話できて楽しかったわ」

 

「こちらこそ」

 

 日が落ちかけた公園でクリスと光輝は別れた。まさか他の異能者とこんなところで出会うとは思わなかったが、いいものが見れた。

 光輝には、他者の能力を見て楽しむ趣味もあった。人間にはそんな事が出来たのか、とついつい感心してしまう。それはまるで光輝の好きな小説や漫画の中の出来事が現実で起こっているようにも感じるからであった。

 

 ホテルに戻って朝の手順とほぼ同じ事をやる。終礼に、晩食のバイキング。終われば、部屋に戻って備え付けのバスルームでシャワーを浴び、寝巻きに着替えて読書をする光輝。ほかに何をする訳でもなかった。

 

 窓の外には、夜の帳が降りていた。階層が高めの部屋の窓から、ライトアップされたロンドンを象徴する時計塔「クロック・タワー」こと通称「ビッグ・ベン」が遠巻きに見える。月明かりの下のそれは、とてもいい眺めだ。

 

「……そろそろ寝るか」

 

 次の日もあるので、就寝の準備をする光輝。寝なれないベッドと枕が、とても息苦しい。寝付くまでに時間がかかった。

 

 翌日、ロンドンの街中を騒がせたニュースがあった。それは、「内蔵を切り抜かれた女性の猟奇殺人事件」というものだった。



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ニュー・ジャック2

「内蔵を切り抜かれたその女性の無残さと手口は、かつてロンドンを恐怖で覆った切り裂き魔ジャックのそれに似ている、か……」

 

 街頭でおおっぴらに新聞を配っていたので光輝は一部頂いた。そこには昨日の深夜起こったらしい事件が大々的に取り上げられていた。

 

 女性の猟奇殺人事件。被害者は内蔵の幾つかを切り裂かれ、持ち去られたそうだ。犯人はまだ見つかっていない。

 

 公園のベンチで空を見上げる。なんて時期に修学旅行に来てしまったのだろうか。おかげで公園といえど街があちこち騒がしい。読書を目的にやってきたのだが騒音が邪魔だ。……まあいい。

 

 光輝は再び新聞に目を移す。切り裂き魔ジャック。日本在住の人でも、その名だけは聞いたことがあるだろう。一種の伝説にもなっている正体不明の猟奇殺人鬼。光輝も、その名だけは知っていた。

 

 今回の手口が、そのジャックの仕業に非常に似ているらしい。新聞にはジャックの模倣犯と大々的に書かれている。

 

「模倣犯ねぇ……」

 

 それは十二分に考えられる。むしろ、そう考えるのが自然だ。有名な犯罪者に憧れ、真似る。社会不適合者が考えそうな事だ。自分では考えられない事ができる悪に憧れ、なりきり、自分が凄くなったと、社会から注目されていると錯覚する。

 

 それは虚構だ。嘘と見栄で塗り固めた偽りの自分だ。そうしなければ自分をアピール出来ない、哀れで仕方がない者の破滅への末路。

 

 まあ、それならそれでいい。そんな半端者、直ぐに捕まるだろう。だが、光輝には一つだけ、別の考えがあった。

 

「あら、奇遇ね。今日も此処に居たの」

 

「……やあ。レイさん、本当に奇遇だね」

 

 横からかけられた声。それは昨日出会ったクリス・ド・レイだった。

 

「私、この道学校からの帰り道なの……ってそれ、今日の号外ね」

 

「ああ」

 

 光輝の持っていた新聞に目をやり、目をキツめに細めるクリス。まるで嫌なものを見るような目だ。

 

「切り裂き魔ジャックの模倣犯ね。ふざけてるったらありゃしないわ、早く刑務所に突っ込まれて死刑になるべきね」

 

 クリスも光輝の隣にズカっ、と座る。大分イラついているように見える。意外と神経は太いようだ。まあ、気にしないが。

 

「警察はもう動いているわ。犯人が捕まるのも時間の問題よ。邪悪はすべからく排除すべきだわ、人が幸せに暮らすためにはね」

 

「そうだね」

 

 相槌を打つ光輝。その時のクリスは、えも言われぬ気迫があった。光輝は心中を言っていらぬ恨みを買うより、友好的に同意する事を選んだ。彼女の正義感は、果たして偽善なのか、それは光輝にはまだ分からなかった--

 

--光輝がロンドンに来てから五日目の朝、ロンドンのとある私立中学校。

 

 朝の学生たちの、いつものような他愛のない話は、ある事件によって持ち切りだった。そう、それは二日前から続いている事件。

 

「昨晩また、人が殺されたらしいよ」

 

「今度も女の人が内蔵を切り抜かれたらしいねー。気持ち悪ー」

 

「犯人についた名前はニュー・ジャックだってさ。もしかして切り裂き魔ジャックの幽霊だったりして」

 

「警察は何やってんだろうな、マジ使えねー」

 

「税金泥棒だって」

 

 あっはっは、と昇降口で笑う生徒達。猟奇殺人事件は、二日連続で起こった。また、女性が殺されたのだ。再び起こった猟奇殺人事件の犯人は、誰が呼んだか巷で「ニュー・ジャック」と呼ばれるようになっていた。

 

 生徒たちがたむろしていた時、ゴォン!と、近くで鉄のぶつかる大きな音がした。その音に、周りが静まる。

 そこには、傘立てを蹴り飛ばして壁にぶつけたクリス・ド・レイが居た。

 

 その時生徒たちは地雷を踏んだのが分かった。「レイ」家は、ロンドン警察の重役だ。クリスは、そのレイ家の娘。

 彼らは、「レイ」家を知らず知らずのうちに馬鹿にしていた。

 

「あら、申し訳ありませんわ。つい、足が滑ってしまいました」

 

 声は平常でいながら、しかし。その顔に一切の笑みは無く。ただただ無表情のクリス・ド・レイがそこにいた。

 

 クリス・ド・レイは「黒魔女」と呼ばれて有名だ。巷で争いがあれば顔を突っ込みたちまち解決させる。その正義とも偽善とも取れる彼女の姿勢から、人々からは賞賛と恨みの両方を買っている。

 

 が、恨みを持つものも彼女に手を出すことはできない。なぜなら彼女は「異能者」だから。ただの人間の少女とは違う、他者とは一線を画した存在がそこにあるのだ。

 

 失言をした男子生徒が直ぐに媚びへつらう。

 

「ち、違うんだクリス。俺たちは早く警察に解決して欲しくてな」

 

「はい?」

 

 その男子生徒にクリスは早足で歩み寄ると、クリスはその手で男子生徒の肩を壁に押し付けた。男子生徒は苦痛と恐怖に顔を歪める。

 

「クリス、ですか?違いますね、「レイ」さんですよ。誰ですか貴方、馴れ馴れしく呼び捨てにしないでくださいませんか」

 

「いや、俺、クラスメイト……」

 

 普段とは一変して雰囲気の変わったクリスに対して男子生徒は恐怖で腰が抜けたのか、その場にへたり込む。いつもとは違う彼女の姿に周りは驚愕し、辺りは静寂に包まれた。

 

「力無き者が何も知らず吠えないでいただきたい。無知も、無力も「罪」なんです。私ら強者にとって弱者は守るべきものですが、文句を言われる筋合いは無いのですよ」

 

 クリスはそのまま他の者を無視して教室に向かっていった。昇降口には、安堵が訪れる。まるで嵐が過ぎ去ったかのように。

 

 しかし、クリスの腹の虫は収まらない。

 

 何がニュー・ジャックだ。警察が無能だ?ふざけるな。レイ家は名家だ。他者に遅れを取ることはない!

 

 クリスにはプライドがあった。名家として、異能者として。他者の上に立つのが当然の存在。馬鹿にされるのは許せない。家族が馬鹿にされるのも、自分が馬鹿にされるのも「レイ」が馬鹿にされるのも嫌なのだ。

 

 クリスは知っている。自分の先祖に、英雄から道を踏み外して外道に成り果てた者の存在を。親から幾度となく聞かされたおとぎ話、「ジャンヌとジル」の物語。

 どんな人間でも、となり合わせで「邪悪」が存在する。だから、クリスは飲まれぬよう「正義」を掲げる。自分は正しいのだと、悪を許さない。自分が悪に染まらないために。かつての先祖が犯した過ちの、二の轍を踏まない。だからこそ、クリスは悪に対して過敏になる。この世の邪悪は、すべて排除する。

 

 それがクリス・ド・レイという人間を作りたらしめる圧倒的に強い自我(エゴ)だった。故に彼女は正しくいられる。彼女は、強かった――

 

――岡本光輝が空を見上げる。雲行きが怪しい。

 

 特にする事もなく今日も公園で読書に勤しむ光輝。だが、一雨来そうだ。本を肩から掛けた鞄に仕舞い込み、帰り支度をする。

 

 すると、近くによく見かける人物が居た。いつもより大分早い時間だが、それは紛れもなく「黒魔女」クリスだった。どこか、難しそうな顔をしている。

 

「……よう」

 

 声を掛けようか掛けまいか迷ったが、知っている人に挨拶をしないというのもアレなので一応挨拶しておく。こうしておけばこちらが悪いことなどない。

 

「どうも」

 

「どうした、元気なさそうだけれど」

 

「ふふっ、そう見えるかしらね……ならきっとそうなのよ」

 

「……?」

 

 いつもと比べて様子がおかしい。何か悩み事でもあるのだろうか。聞く気はないが。

 

「……ねえ、修学旅行生徒の中に貴方意外に異能者は居るのかしら?」

 

「いや、俺だけだと思う」

 

「そう、それならいいわ」

 

 しばし起こる沈黙。少ししてクリスはまた口を開いた。

 

「もし、貴方が腕の立つ方だったら……いえ、なんでもないわ。ごめんなさい」

 

「いや、構わない」

 

「それじゃ」

 

 いつもよりも短い会話を終えると、クリスはさっさと帰ってしまった。何が言いたかったのだろうか。

 

 それを皮切りにするかのように、ポツ、ポツと雨が降ってくる。

 

「……まずい、ホテルに戻るか」

 

 光輝はホテルに向かって走った。クリスの事が気にならないわけではなかったが、所詮他人だ。すぐに頭を切り替えてホテルに戻ることだけを考えた。

 

 光輝がホテルに帰る途中で雨は本降りに。他の生徒も既にホテルに戻っていた。

 

 光輝は自室でシャワーを浴び、着替えをし、晩食のバイキングの時間になると食堂に集まりまた終礼が始まった。が、今日の終礼はいつもと違った。

 

 先生から言い渡されたそれは、残りの二日間の外出禁止との事。

 

 それは賢明な判断だ。ここにいる誰かが、いつ猟奇殺人事件の被害者になるかもしれない状況で、外出許可は降りない。当然の如くまだ明日1日は本来遊び放題であるはずの生徒たちからはブーイングの嵐だったが、それが取り消されることはなかった。

 光輝は大人しく部屋で読書をする。おそらく明日も、光輝にとってやることは変わらない。

 

 雨音が五月蝿くていまいち集中できない。同じページの同じ行を、何度も読み返している気がする。

 

 ……迷いがあるのだろうか、俺は。一体、何に?

 

 自分でもわからなかった。いや、わかっていたのかもしれない。だが、それに気づかないように、視えないようにして、そっと蓋を閉めた。

 あと二日すれば日本に戻れる。それでいいじゃないか。ニュー・ジャックがどうした、自分は蚊帳の外だ。関わることじゃない。自分は何も知らない、何も出来ない。仕方がない。

 

 集中出来ない読書を止めて、ベッドの上に転がる。眠気はない。ただ、こうしているだけだ。そうすればいつか眠って、朝起きたら何でもない一日が始まって。それでいいじゃないか。何の不満も無いだろう。

 

 理解(わか)れよ、光輝(おれ)

 

 いつまでそうしていただろうか、気が付けばもう深夜だ。眠れない。が、背後霊が目の前に浮かぶ。

 

『客人ぞ』

 

 ムサシが言った。違和感を感じて窓を見やる。外の雨はいつの間にかあがっており、夜の黒を濃密な霧の白が塗りたくっていた。月の光は街に届かない。その中に、霧とは違う白い靄を見つける……いや、それは「幽霊」だ。

 

 光輝はムサシを憑依させて慎重に窓を開ける。すると中に入ってきたのは、中年の見た目の幽霊だった。

 

「……何の用だ」

 

 光輝は問う。もしかしたら、光輝は切っ掛けを待っていたのかもしれない。自分の行動を正当化する何かしらの切っ掛けを。

 

『夜分遅くにいきなりで済まないが、私が視える君に頼みがある。クリスを、助けて欲しい』

 

「話を聞かせろ」

 

 それは、待っていた切っ掛けとしては十分すぎるものだった。



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ニュー・ジャック3

 クリス・ド・レイは覚悟を決めた。いてもたってもいられなかった。

 

 ふざけた存在を、野放しにさせるわけにはいかない。これ以上の被害を出すわけには行かない。警察が捕まえられないなら私が捕まえればいい。私は、異能者なのだ。

 犯行が行われたのは2件とも深夜。私は、今宵(こよい)外を歩く。被害者は共通して、外で殺されたようだ。だから、そのポイントに近い場所を練り歩く。そして、見つけて、ねじ伏せて刑務所にブチ込む。

 

 可能だ、私になら可能なのだ。殺人鬼だろうと関係ない。私が直々に出向いてやる。

 

 父親の書斎に忍び込んだクリスは、隠されていた鍵を使って父の使っている机の引き出しの奥からあるものを取り出す。六発装填式の、回転式拳銃(リボルバー)。分けて用意されていた六発の銃弾も手に取り、拳銃に込める。

 拳銃を持ち出したことが父にバレれば、ただでは済まないだろう。しかし、私が犯人を捕まえてしまえばレイ家は信用を取り戻せる。それに、死者をこれ以上出さなくて済む。そして評価されるだろう、私という存在が。

 

 警察を、レイ家を馬鹿にした奴らを黙らせてやる。私こそがいずれロンドン警察のトップに立つ者、クリス・ド・レイであるという事を。人の上に立つべき存在なのだということを!

 

 クリスは夕食を終え、入浴を終え、期を待った。夜は更け深夜、外は雨が止み、その闇に霧が蔓延する。クリスは自室の窓を開け、「重力制御」によりその身の体重を軽くして夜の闇に身を投げた――

 

――クリス・ド・レイはニュー・ジャックを捕まえるつもりだ。

 

 中年の幽霊「ジル」から話された言葉を全て信じる。なるほど、彼女の様子に合点がいった。彼女の中は圧倒的な「正義」でいっぱいだ。その中に「打算」も見える。彼女は、自分という存在に自信を持っている。強い、とても強い人間だ。

 

 故に、危うい。自信を持った人間は、他者に打ち破られることで自信を失う。人の世でいつも行われてきた食物連鎖。そうして弱者と強者が分けられる。強者は勝って自信を手に入れ、弱者は負けて自信を失っていく。

 

 が、強者が「最強」という訳では無い。強者は一人ではないのだ。競争し、淘汰され、自分の器を知る。それが、その後の人生に活きる。人は須らくして身の程をわきまえ生きるべきだ。彼女はまだ、その本当の実力を測りかねている。なぜなら彼女は強いから。これまで乗り越えられない壁は無かったのだろう。

 その壁が今回なのだとしたら……彼女に未来は無い。ニュー・ジャックを仮に御せれたとしよう。彼女は強者たる道を突き進むのだろう。だが、ニュー・ジャックがもし今のクリスの器を上回るとしたら。

 光輝はその可能性がなんなのか知っている。もしニュー・ジャックがそうだった場合、クリスはいとも簡単に死にうる。彼女が強いからこそ、起こってしまう「交通事故」。本来死ぬべきではない場所で、いとも簡単に死んでしまう。

 

 光輝は直ぐにブレザーに着替える。寝巻き以外で碌な服はこれ以外持ってきていない。そして、旅行用バッグの中から木のパーツを四本取り出す。それを左手に持つと、ジルに話しかけた。

 

「お前の願い、聞いてやる。レイには……いや、ややこしいな。クリスには恩があるからな」

 

『ありがとう』

 

「だがそれだけじゃ足りないからもう一つ条件を乗せる。……俺と契約しろ、ジル・ド・レイ」

 

 ジル・ド・レイ。その中年の男は、正真正銘クリス・ド・レイの先祖だった。その力が手に入るというなら、ニュー・ジャックに挑む対価になる。

 

『クリスを救えるのなら頷こう。私のせいで、クリスは死ぬかもしれないのだから』

 

 クリスはジルの二の轍を踏むまいと、その身を正義に投じる。その結果招かれた事態だ。

 光輝とジルは似た波長を持っていた。後は簡単だ、その身に幽霊を取り込む。

 体の中……というより、感情の中に冷ややかな物が染み渡る。幽霊『ジル』が潜伏した証拠だ。光輝は試しにジルを憑依させ、ジルが持っていた「能力」を使ってみる。右手を空中にかざすと、空中に闇が広がった。

 光輝の超視力がそれを理解する。

 

「……最高だ」

 

 光輝は部屋の窓を開けた。外に広がる一杯の霧と、その遥か下にある地上。ここはホテルの14階だ。

 

 ホテルの中を行くわけにも行かない。先生が見張っているだろう。そんなものを縫って進むほど、時間余裕もない。

 

 光輝は躊躇なく窓から飛び降りた。夜の闇に、身を投げる。

 

 遥かな高さを、この身が舞う、地上に向かって加速する。そのまま地面にぶつかれば即死は間違いない。だから、光輝は使った。ジルの能力「黒魔術」を。

 

 光輝の身を闇が纏う。速度がみるみる減速していき、緩やかに地上が近づく。その速度はさしずめ、水の中を落ちていくようなもの。浮力。たとえるなら、それだ。地面に足と右手で着地し、木のパーツを組み立てる。二本のパーツが、一つの完成品に。出来たのは、二本の木刀。光輝がロンドンに持ち込んだ「有事」の為の武器だが、今が、その有事であるのは間違いなかった。

 

「行くぞ、ムサシ」

 

『合点承知!』

 

 光輝は憑依をジルからムサシに移行すると、走り出す。およその場所はジルが脳内で導いてくれる。ムサシのフィードバックによる身体強化、光輝の超視力が霧をかき分け、深夜のロンドンを走り出した。

 

 頼む、間に合ってくれ――

 

――尾行されている。

 

 クリスは遠くまで見えない霧の中を歩いていたが、そう感じた。後ろから、自分のものとは違う足音がするのだ。その他に人の気配は全く無い。自分と、もう一人だけ。

 

 クリスは重力制御の高重圧を身にまとっている。外部から触れようとしたもの全てが、強力な重力に潰され下に落ちる。クリスを強者たらしめる部分。クリスは外部からの攻撃をシャットアウトできる。

 

 これがあれば、負けないのだ。ニュー・ジャックであろうが、なんだろうが、負けやしない。

 

 拳銃を懐から抜き、後ろを振り返るクリス。足をその場に止めたが、向こうからはコツ、コツと雨に濡れた地面を踏み歩いてくる音が聞こえる。霧で遮られぬ距離まで近づいたそこに居たのは一人の男、手には折りたたみ式のナイフ--「ジャック・ナイフ」が握られていた。

 

 クリスは両手で拳銃を構えた。狙うのは的の大きい腹部。だが、これは威嚇に過ぎない。ヤツを生け捕りにするのが、クリスの目的だ。法による、然るべき処罰を。

 

「ニュー・ジャックね?大人しく止まりなさい」

 

 声をかけるクリス。男は近づくのをやめない。

 

「俺、そんな風に呼ばれてるらしいな。嬉しいぜ、あの切り裂き魔ジャックの後釜なんてよ」

 

 男は笑いながらいともたやすく認めた。やはり、模倣犯か。人を殺して笑っていられるなんて、とてもじゃないが正気では無い。

 

 クリスは拳銃を1度、ジャックの足元に向ける。タァン!と、音がして拳銃は地面を打ち抜いた。

 

「もう一度言うわ。止まりなさい。でなければ、今度は体を撃ち抜く」

 

 クリスの再度の警告。しかし、男は止まらない。それどころか……クリスに向かって走り出した。

 

「今日の被害者はお前だ」

 

男は速かった。気が付けば目の前。クリスは拳銃を捨て、重力制御に意識を完全に注ぐ。

 

 そもそも射撃訓練をしていないクリスが弾丸を相手にまともに当てられるわけがない。下手をすれば、当たり所が悪くて即死。そういう場合もあり得る。それはいけない。自分の経歴に傷が付く。しっかりと、目の前の男がニュー・ジャックであると証言してもらい、犯行を認めさせ、死刑を執行させる。それが、クリスの目的だ。

 

 だから、威嚇射撃で止まらなかった場合には、重力制御。敵の攻撃を防いで、そのまま敵を投げ地面に叩きつける。それで意識を奪う。クリスの中で一番確実な方法だった。

 

 男のナイフを持った右手が動く。狙われたのはクリスの腹部。そのまま内蔵をえぐり出すつもりだろう、だが、甘い。クリスはその重力制御でその右手を落とし――そのナイフはクリスの股の下、長いスカートを縦に切り裂いた。

 

 高重圧が効かない?

 

 クリスの疑問。本来なら辿り着く前に地面に落ちる筈だったその腕。だが、落としきれずにスカートを切り裂かれた。一体何が起こった?駄目だ、そんな余裕はない。早く敵を投げ飛ばさなければ!

 だが、腹部に一撃。男は左手でクリスの心臓に向かって貫手を繰り出そうとして、またも高重圧の壁に遮られ、腹部に貫手を受ける。防御壁を貫いてなお勢いあるその貫手は強力な衝撃となり、クリスは息を吐き出し、苦痛に地面を転がった。

 

 言ってしまえば、クリスの高重圧の壁で遮られるものは限られてくる。例えば、クリスの高重圧の壁に対して拳銃で銃弾を打ち込めば、地面に落ち切らず僅か下に逸れるだけだ。圧倒的な速さに対しては僅かな制限しかかけられない。

 クリスはそれを知らなかった。だって拳銃を撃たれたことがないから。当たり前のことである。

 この高重圧の壁で、クリスは以前、暴走車を止めた事がある。その時速はおよそ70キロで、高重圧の壁をぶつけて完全に停止し切った。だから止められないものは無いと考えていた。

 

 浅はかだった。男の突きは、暴走車より鋭いのだ。

 

 地面に転がったクリスは後悔する。恐らく目の前の敵は異能者だ。だが、そんな異能者は聞いたことがなかった。クリスは警察の重要書類を父の部屋で盗み見たことがあった。それはロンドンの異能者リストとその能力の書類だ。だが、載っていなかった。警察ですら把握していなかった能力者、はたまた流れ者か。

 

 自信が消え去り絶望に変わる。起きて、逃げなければ。お腹が痛い、苦しい、立ち上がれない。心臓の鼓動が早まっていく。感じたことはない焦り、その感情。それは死への「恐怖」だった。

 

 男がクリスを見下ろす。その手にはナイフが。死ぬ、殺されるんだ。

 

「異能者かよ、驚いたぜ。俺には関係無いけどな。そんじゃ、ジ・エ~ンド」

 

 男がナイフを振り上げた。クリスの頭が真っ白になる。

 

「死ねよお前」

 

 瞬間、男は横薙ぎに吹っ飛んだ。クリスはその虚ろな眼で光景を目にした。そこには一人の見知った少年がいた。

 

 岡本光輝だ。修学旅行で来た、超視力の少年。力を持たない筈の彼は、その両手に二本の木刀を持ち、ニュー・ジャックを叩き飛ばしていた。

 

 クリスは何が起きたのか分からない。これはどういう状況なんだろうか。

 

「生きてるかクリス!」

 

 叫ぶ光輝。クリスは、意識を整えて返事をする。助かったのだ。

 

「え……っ、あ、はい!」

 

「ならいい!」

 

 光輝は吹き飛ばしたニュー・ジャックに対して追い打ちを掛ける。奴の体は地面を転がったハズだ。あの威力なら、既に意識は飛んだ筈だろう。

 

 だが、瞬時にニュー・ジャックは起き上がる。いや、それは――ニュー・ジャックなのだろうか?

 

 なぜそんな事を思ったのか、クリスには分からなかった。だが、決定的に何かが違った。

 

 肉薄する光輝と「ジャック」。光輝はその超視力で「ジャック」を見据えた。光輝にナイフの鋭い刃が突き刺さろうとしている

 そこには鮮烈な死が、口を開けて光輝を待っていた。



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ジャック・ザ・リッパー

 岡本光輝の想像していた可能性、最悪の状況。その想像は、当たってしまっていた。

 クリスに襲いかかるニュー・ジャックを、二本の木刀で叩き飛ばす。俺の目には視える。コイツの中には幽霊、切り裂き魔「ジャック」が入っている。

 

 かつてロンドンを震撼させた猟奇連続殺人犯、切り裂き魔ジャック。ジャックは捕まる事なく、犯行はいつしか行われなくなりその事件は闇に閉ざされた。内蔵の切り取り方が鮮やかだったことから、ジャックには解剖学の知識があるとされた。

 もう100年以上前の事件だ。本人が生きているわけも無く、今回の事件はその模倣犯によるものとされた。

 

 違う。今回の事件は、「ジャック」本人によるものだ。

 

 倒れたジャックに光輝は追い打ちをかける。一瞬の油断も許されない。でなければ、こちらが死ぬ。最悪、殺してでも無力化するしかない。全力の追い打ち。

 

 しかし、ジャックは直ぐに起き上がる。本来の男の力では無い、その動き。素早く繰り出された、ナイフによる一閃。

 光輝はそれを超視力で視やる。速い、とても速い突き。光輝は気付く。

 

 避けれない。

 

 ムサシの身体フィードバックと超視力をもってしても、避けれぬ一撃。ならば防ぐしかない。が、速い。間に合うか?いや、間に合わせるしかない。

 

 光輝は右手の木刀で防御をする。止めるのではなく、弾く。それはとても止めれる威力ではなく、弾いて進行方向を逸らしてやるしか他ない。

 

 同時に精一杯体をよじる。肩をナイフが掠り、出血をする。死ぬよりは安い。が、同時に右手の受けた衝撃が脳内に伝達された。

 

 木刀が、ナイフを受けた部分から真っ二つに折れている。

 

 光輝は青ざめた。目の前の存在の異形さに。が、なりふり構ってはいられない。左手の木刀をジャックに振る。

 ジャックは木刀を避ける気は無く、より近づき膝を光輝の腹部にねじ込んできた。内蔵への、的確なダメージ。光輝は呻くが、止まっている暇はない。力の弱くなった左手をジャックにそのまま振り抜き肩へダメージを与え、後方に下がり息を整える。間一髪の攻防、走馬灯も目を見開く1秒程の出来事。

 

 クリスの傍に立つ光輝。あれだけで既に光輝は多くの集中力と体力を使っていた。ふと、地面に拳銃が落ちているのに気がつき、直ぐに拾い上げる。

 

「クリス、お前のか?弾は何発だ?」

 

 焦る光輝。最低限必要な情報を聞き出す。

 

「わ、私のよ!弾は5発、ダブルアクション!」

 

「オーケイ、下がってろ!」

 

 光輝は右手に木刀、左手を拳銃に切り替え間髪入れず発砲をする。超視力を使い動きを抑え、捉えたジャックに向かった弾はしかし、避けられた。

 

 目の前の存在、ジャック。奴は最早、ニュー・ジャックでは無い。

 

 ニュー・ジャックには最初意識があった。奴は自覚があるにしろ無いにしろ、その身に「ジャック」を憑依させていた。伝説の殺人鬼を宿したその身体は、異能こそ持てどまだ人の領域だった。だが、今は違う。

 

 意識を失ったニュー・ジャックは、今その意識の代わりに「ジャック」が入っている。それは最早、悪夢だ。完全に魂が結合し、全力を出せる伝説の殺人鬼が今目の前に降り立っている。

 

 目の前の奴は、正真正銘本物の「ジャック・ザ・リッパー」だ。

 

「クソが!」

 

 二発、弾をさらに撃つ。当たらない、残り二発。ジャックが迫っている。

 

 クリスは脚を震えさせながらも、後ろに下がっていた。自信は完全に砕かれ、戦意喪失。

 やるしかない。光輝がここで、「ジャック・ザ・リッパー」をねじ伏せるしかない。

 

 奴の必殺の間合い、ナイフがこの身に届く距離。そうなったら負けだ。奴の一突きで光輝の命は簡単に奪われるだろう。光輝はジャックと刺し違えてやるほど自分の命をぞんざいに思っていない。

 だから、光輝が一番有利な間合いで戦う。それは木刀の先端がギリギリ届く距離。それが一番安全で、一番威力の出る距離だ。人間が棒を振り抜いた時、一番加速する箇所はその先端だ。それを、ぶち当てる必殺のタイミングを伺う。

 同時に、左手に用意した残り弾薬二発の拳銃。撃鉄は既に起こしてある。だが、相手が速い。当たる確証は無い。が、拳銃を持っているという事実が敵への牽制になる。「二天一流」で、敵の攻撃を捌きつつ機を狙うしかなかった。

 

 ジャックの突きは、的確だ。常に必殺となる箇所を的確に付いてくる。だから、受けれない。隙を与えた瞬間、負けが決まる。

 

 幸いは、ジャックの一番速い部分が腕だけ、というところだった。脚は速いとはいえ、反応できぬ速度では無い。脚と腕が最高の速度を出せたのなら、光輝は既に死んでいる。ジャックの能力は、「腕の超強化」といったところか。

 

 魂が完全に結合してその全力を出せるジャックに対して、光輝とムサシは半分の結合しかしてない。意識があるから。ならば、光輝も無理矢理意識を飛ばしてムサシと魂を完全に結合すればいいのではないかといえば、そうではない。

 魂を完全に結合するには、波長が「完全」に合っていなくてはならない。光輝は背後霊のムサシを、感情のコントロールで半ば無理矢理憑依させているに過ぎない。本来なら光輝とムサシの波長は少ししか合わないのだ。この状況を生み出した最大の要因は、ニュー・ジャックとジャック本人の波長が完全に合っていたという事だ。その状況を予測していなかったわけではないが、ジャックは強すぎる。

 

 光輝は戦慄する。防戦一方だ。このままでは体力が無くなって、死ぬ。ふざけるな、なんでこんな所で。

 

 功を焦った光輝は拳銃を放った。残り一発。その破れかぶれにも近き銃弾は奇跡的にもナイフを持った右腕に当たった。ジャックはナイフを落とさないが、その右腕は痛みで直ぐには動くまい。

 

 やった!行ける!

 

 イチかバチかの賭けに勝った光輝。歓喜せずにいられない。しかし、直ぐに切り替える。倒すなら今だ。踏み込み、確実に当たる距離で木刀を縦に振る。唐竹割りだ。当たれば、ひとたまりもないだろう。これで、潰れろ!

 

 光輝の願い。それは虚しく、ジャックはあろう事か引かずに突き進んできた。木刀の根元がジャックに当たるが、致命的な一撃にはならない。

 

 馬鹿か俺は。振るのが遅すぎる。さっきもそうやって回避されたじゃないか。拳銃を撃ってから直ぐに振れば勝っていただろ。何をやっているんだ。

 

 光輝の判断ミス。ジャックは自由に動く左手で、光輝の鳩尾(みぞおち)を高速で突いた。光輝は息を吐く。呼吸ができない。ムサシのフィードバックがある肉体は貫かれこそしなかったが、多大なダメージを受ける。

 

 解剖学とはそのまま、格闘技に繋がる。人体構造を知り尽くしていれば、人体の弱点など思うがままだ。ジャックには解剖学の知識があるとされた。最初の膝蹴りも的確であることから、ジャックは格闘技にも精通してると言える。

 

 人体急所を突かれた光輝。脚を崩さずにはいられない。ジャックは直ぐに無事な左手にナイフを持ち変える。その左手が、動かされるのが視える。駄目だ、後ろに下がらなければ。必死に転がる光輝。だが、ジャックの腕は止まらない。馬鹿な、死ぬ?俺が?

 

 思考停止の0.2秒。光輝はここに来てさらなるミスを犯す。その0.2秒があれば、急所はギリギリ反らせるだろう。敵の狙う箇所と、超視力と、ムサシのフィードバック。全てを把握して瞬時に対応すれば間に合うかもしれない。しかし、思考停止。気づけば光輝は逃げるしかなかった。だが、ジャックは飛び跳ねる。それが決定打と言わんばかりの、跳躍。走るよりも、小さな距離を詰めるには速かった。

 

 嘘だ、負けるのか、考えろ、悩むな!動け!なんでもいい!体を動かせよ岡本光輝ィ!

 

 脳内が複雑にこんがらがる光輝。が、そこで違和感。ジャックは届かない。跳躍をしたが、光輝には未だ届いてない。本来なら届く距離なのにだ。

 

「座標を指定した重力制御、ジャックは今、無重力!お願い、早く決めて!もう持たないの!」

 

 気が付けば、クリスの声。クリス・ド・レイはここ一番で自分の出来うる能力の使い方に全力を注いでいた。

 

 本来、女性は男性に比べて空間把握能力が乏しい。飛行機のパイロットに女性より男性が多いのもその為だ。

 クリス・ド・レイは複雑な能力の使い方をしてこなかった。なぜなら、向いていないからだ。向いていないことを努力するより、得意なことを努力する方が遥かに効率が良い。それが、若くしてクリスを強者たらしめた要因の一つだった。

 

 だが、クリスは恐怖でジャックに近づけない。遠くから光輝とジャックの死闘を見届けるしか出来なかった。強者である為の弊害。しかし、それまでのクリスならの話だ。

 

 クリスは思った。岡本光輝を、助けたいと。目の前の勇敢な少年の力になりたいと。クリスは試行錯誤していた、その条件。

 

 それは、ジャックの脚が地面から離れたとき。その時に重力を軽くして、一瞬でも動きが止まれば。

 

 クリスは重力制御にて物を重くするより、物を軽くする方が得意だ。そして、ジャックの脚が地面から離れたとき。ジャックは体のコントロールを失う。空間把握が苦手なクリスには、それを長く続けられない。だが、一瞬でも止めてしまえば--!

 

「っ、やるぞムサシィ!」

 

『合点承知!』

 

 光輝は空中のジャックの左手に銃を撃つ。最後の一発だ。不意の事態に動けないジャックの左手を銃弾が撃ち抜き、左手からナイフが離された。直後、ジャックは地上に降り立つ。

 

 光輝は弾を撃ちきった拳銃を捨て、木刀を両手に握る。

 

 ジャックはなお立ち向かう。両腕はボロボロだが、まだ脚がある。その殺意だけは、賞賛に値した。

 

 ……だが、反吐が出る。

 

「沈めよ!『剛の一太刀!』」

 

 光輝は遠慮なく全力で木刀を振り抜く。ジャックの肩に当たったそれは、鎖骨を砕き、身体に重大なダメージを与え、ジャックを地面にねじ伏せた。

 

 今度こそ、ジャックは動かない。が、まだ終わっていない。仕上げがある。

 

「ジャック・ザ・リッパー!俺にはお前が視える!」

 

 光輝は名を呼ぶ、伝説の殺人鬼の名前を。

 

 すると、ニュー・ジャックだった男の肉体から幽霊が出てきた。それは白衣に身を包んだ、白髪の女。

 

『私が視えるヤツなんて初めてあったわ。変わってんのね、アンタ』

 

「単刀直入に言うぜ、俺と契約しろ」

 

 光輝の大胆な宣言。光輝はジャックをその身に取り込もうとしていた。ジャックは、バカ笑いをする。

 

『アッハハハ、最高、最っ高よアンタ!気でも狂ってんじゃないの?』

 

「お前に言われたくはないな」

 

 どっちもどっちだ。狂った者と、狂った者を取り込もうとする者。そのどちらも、気が狂っている。

 

『いいわよ、楽しそうだしその話に乗ってあげる。せいぜい、私に飲まれないようにしなさいよ。……それじゃ』

 

 そう言って「ジャック・ザ・リッパー」……ロンドンの伝説の猟奇殺人鬼は光輝の身の中に姿を消した。これで、ロンドンに二度とジャックが現れる事はないだろう。だが、同時に光輝はこれまで以上に「感情のコントロール」に気をつけなければいけない。その身には、悪魔が宿ったのだから。

 

「ふう……終わったぞクリス……」

 

 死闘の果ての、遂に決着。光輝は、クリスの方を見やる。すると、クリスは光輝に走ってきてその身に抱きつく。すでにフラフラだった光輝は、濡れた地面に尻餅をついた。

 

「お、おい……クリス?」

 

「……ごめんなさい、私が弱いばかりに、貴方を危険な目に……」

 

 クリスは光輝の胸に顔を押し付けていた。その表情は見えない。

 

「いや、最後の重力制御がなければ危なかった。助かったぞ……クリス?」

 

 気が付けば、クリスは肩を震わせている。息も荒かった。

 

「怖かった……光輝が死ぬのが怖くて、でも私、体が動かなくて……ごめんなさい」

 

 クリスは泣いていた。劣等感からか、不甲斐なさからだろうか。

 

 どうしていいか分からない光輝は、クリスの頭に手を置く。

 

「あの状況じゃ仕方がない。俺だって怖かったさ。なあ、クリス……お前は強かったよ」

 

「それでも、貴方のようには……」

 

「……」

 

「……」

 

 お互いに続く無言。どんな言葉をかければいいのか分からなかった。ただ、光輝はそのままで居た。クリスの震えが収まるまでは――

 

――ニュー・ジャックの一件が収まり、一日と少し。光輝はジャックを取り込む場面も見られていたため、言い訳のしようもなくクリスにその能力の実態を明かしていた。光輝は自分の能力を他人に知られたくはなかったため、クリスには口止めをした。結果、今回の事件はクリスが全部解決したこととなり、それはニュースにもなった。新聞の見出しは「黒魔女、ニュー・ジャックを撃退!!」。

 

 勿論クリスも色々面倒が付きまとうだろう。父親の書斎から盗んだ拳銃の弾薬も全て使い切り、無謀にも近い事をしたんだ。どれだけ怒られるか知らない。が、これでクリスは知ったはずだ。自分の器というものを。

 

 空港のチェックインカウンターにて自分の番を待つ。光輝のクラスは最後の方だ。色々あったが、ようやくロンドンから日本に帰る事ができる。

 

 光輝がチェックインカウンターを通ろうとした時だ。後ろから声が掛けられた。

 

「光輝っ!」

 

 知った声に光輝は振り向く。そこにはクリスが居た。周りは騒然とする。新聞でもテレビでも見たロンドンの英雄、「黒魔女」がそこに居たから。

 

「ありがとう、光輝……っ!いつかまた、ロンドンに来てくれませんか?精一杯で出迎えます!」

 

 クリスとは友好関係を築けたようだ。だが、それは悲しい事にもなる。

 

「……もう懲り懲りだ、二度と来ないよ。それに俺はイクシーズに行く。二度と会うことは無いだろうな」

 

 イクシーズに入れば外に出るのは難しくなる。出来ないことはないといえ、そんなめんどくさい事をわざわざやる必要はない。しかし、これは理由付けだ。光輝がクリスとの関係を断つための。

 

「俺さ、本当はお前に憧れたんだ。強く在れる、お前の姿にな。お前なら、まだ先に進める。……じゃあな」

 

 光輝はそのままチェックインカウンターを通り過ぎクリスの目前から消えていった。別れはできる限りあっさりした方がいい。でないと、後を引く。

 

「光輝、私は貴方を忘れません。そしていつか……」

 

 過ぎ去った光輝を、クリスは見送った。そして、ある想いをする。強くなんてない、私はまだ弱い。いつかもっと強くなって、必ず貴方の隣に――

 

――光輝は飛行機の中で窓の外を視る。遥か下に、ロンドンの街が視える。

 

 今思えば、忙しい7日間だった。楽しかったかと言われればそうでもないが、その手にした収穫は大きい。光輝は手を握る。

 

 しかし、飛行機とは偉大だ。雄大な青空と一つになれる。この心地よさは他の何にも代え難い。これは利点かもしれないな。

 

 光輝はそんなことを思いつつ、ロンドンでの出来事を消し去ろうとするかのようにまどろみの中に意識を落としていった。



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瀧家のお茶会

 朝、目を覚ました光輝は、見慣れない光景を目にした。

 

 自分の部屋だ。眠っているベッドになぜか違和感を感じる。部屋の内装も、家具も、何もかもが知っている物なのにだ。

 少し考え、ふと結論に至った。それもそうだ。当たり前じゃあないか。

 

 隣にクリス・ド・レイが寝ているのだ。光輝に抱きつく形で。

 

 光輝はそのまま天井を直視する。腕はクリスに枕にされ、脇腹にクリスの主張ある胸が当たっている。……俺はどうするのが正解なのだろうか。悩む。

 

 思考停止の10秒。光輝はここに来てさらなるミスを犯す。ふと、顔を横に動かしてしまったのだ。体を捕まえられているので必然的に、首から上だけ。少し痛い。が、気になってしまった。それはミスだった。

 

 そこにはクリスの顔があった。いや、それは分かっていた。知っていたのだ。僅か、数センチの距離。瞳を閉じて、幸せそうに寝息を立てている。その顔に、思わず光輝は胸が高まってしまった。

 

 馬鹿か俺は。何をしている!?

 

 自分への驚愕。光輝は直ぐに視界を天井に戻す。完全に失策だった。光輝は夢の中で、昔の夢を見ていたような気がする。クリスも出てきたような気がした。あまり覚えていないが、そのせいでクリス・ド・レイという少女を意識してしまっている。

 

「こーき~、わたしはあなたをわすれません、そしていつか~」

 

 ビクリ、と驚愕で心臓を高鳴らせる光輝。その言葉を発したのはクリスだ。まずい、見られてたか?

 

「あ、いや、すまん、少し気になってだな……」

 

「すう……すう……」

 

 と、慌てて弁解しようとしてそれが杞憂だったことが分かった。クリスはまだ夢の中にいるようだ。

 

 …よし。俺もまだ夢の中だ。随分幸せな夢だ。もう一度、寝直そう。

 

 光輝はそんなことを思いつつ、この場での出来事を消し去ろうとするかのようにまどろみの中に意識を落としていった――

 

 

――今、岡本光輝とクリス・ド・レイはイクシーズの街中を走っていた。

 

「すいません、つい寝過ぎちゃってて!」

 

 走りながら謝るクリス。今日は暑苦しいローブではなく、外出用の半袖の黒いワンピースだ。

 

「いや……ごめん」

 

 光輝はつい謝る。光輝が二度寝をしなければこのような事態にはならなかった。しかもその二度寝の理由を言えるわけがない。クリスと隣り合わせで寝るのが心地よかったなどと。もう少しだけ、それが続けばいいなどと。

 

『坊主は意外と助平よのう』

 

 ……否定できない。

 

 ともかく二人は、急いでいた。今日はクリスが来てから二日目。瀧の家で、クリスが来た記念にお茶会をやるとのことだ。

 その待ち合わせに、時間が遅れそうなのである。

 

 駅で電車を降りてから、走る。光輝は魂結合を使っていない。日常生活でも、いざという時以外は頼らないようにしたいのだ。これは光輝の意地でもある。

 

 道を走り、遠巻きに視える白い屋敷。光輝の目には鮮明に映る。事前に聞かされていたあれが、瀧の家だ。

 

「クリス、視えたぞ!あの白い家だ!」

 

「分かりました……光輝、私に掴まって」

 

「え……」

 

 クリスは光輝の体を抱き寄せる。そして感じる浮遊感。クリスの能力、「重力制御」だ。

 

「スカート抑えててくださいね、見せていいのは光輝だけですから」

 

「いや、見る気はなっおおおおおお!?」

 

 クリスの跳躍。一気に光輝とクリスは空高く舞い上がる。光輝は驚きつつも脚を出来るだけ触らないようにクリスのスカートを抑えてやる。

 それはまるで「無重力」。その感覚は空を飛んでいるようで、光輝は離れていく地面に恐怖を覚える。絶叫コースターではないが、支えは重力制御とクリスの身体だけ。光輝は、クリスに回す手を無意識に強めた。これは、予想以上に怖い。

 

 あっという間に、瀧家への距離が縮まる。空中でクリスは重力調整をする。落下速度が速くなったり遅くなったりで、とにかく心臓に悪い。

 

 遂に、瀧家の真上まで来た。下に芝生が視える。

 

「最終調整です!行きますよ!」

 

「おおおおおお!?」

 

 最後、重力が一気に増した。まるで、垂直落下遊具(フリーフォール)。光輝は内蔵の浮遊感を感じ、その瞬間「死」を意識した。

 

 トッ、と瀧家の庭に降り立つ二人。最後は重力を弱めてくれたようだ。だが、光輝の心臓はバクバクと音を立てている。

 

「すいません、光輝が抱きしめてくれるものだからつい本気を出してしまいました」

 

「いや、マジで、勘弁してくれ……死ぬ」

 

 悪戯な笑みを浮かべるクリスだが、光輝からしたらたまったものじゃない。空から落ちるという事象があんなに怖いものだとは。かつて天空で翼をもがれたイカロスはさぞ怖かっただろうと光輝は思った。

 

「おお、随分と派手なお出ましだな。待っていたぞ」

 

龍神(りゅうがみ)か、よっ」

 

 龍神(りゅうがみ)王座(おうざ)。瀧と瓜二つの、姉。今日は赤のインナーに、黒の上着とジーンズで決めている。相変わらず男物が似合う奴だ。

 

「はじめまして、クリス・ド・レイです。すいません、いきなり庭に入ってしまって」

 

「構わない。私も妹も派手な方が好きだ。私の名前は龍神王座、シエルの父違いの姉だ。さ、案内しよう」

 

「龍神、ですね。よろしくお願いします」

 

 クリスのおかげでなんとか時間には間に合ったようだ。いきなり家の庭には入ってしまったが、龍神は許してくれたようだ。

 

 龍神に案内され、白い屋敷の中を進む。随分と広い屋敷のようだ。内装は和と洋の調和、といった雰囲気だ。どちらともつかないそれが、瀧家の豪快さを表しているとも言える。瀧シエルの性格は親に似たのだろう。

 

「さあ、この部屋だ」

 

 二階にあがり、ある部屋の前で龍神がギィッ、と木製のドアを開ける。その中はテラスに続く広い空間になっており、中央にはテーブルに座った瀧シエルがティーカップを手に持って佇んでいた。

 

「夏の日差しは、心地の良いものだ。雲一つ無き晴天は、曇った心も晴れ飛ばす。そう、それは、太陽の導きだ」

 

 瀧は呟き、クイ、とティーカップに口を付ける。

 

「ようこそ、岡本クン、クリス。どうだね、君達も一杯」

 

「よう、瀧」

 

「お邪魔してます、瀧」

 

 光輝は瀧の誘いに乗り、中央のテーブルに向かう。クリスもまた、光輝に着いてく。

 

 テーブルにはティーカップは瀧が飲んでいた物しか無い。が、光輝は瀧のティーカップを握ると、一気にそれをあおった。

 

 瞬時、クリスは何が起こったか困惑する。瀧の言った言葉もそれを実行した光輝も分からない。ティーカップが一つしか無いのに、君達も一杯とは?そしてその一つだけのティーカップを飲み干した光輝も理解できない。

 

「ティーカップに注がれたコーラ……なるほど、有りだな」

 

「そう、その状況が良い」

 

「え、コーラ……?」

 

 光輝と瀧は拳をグッ、と合わせる。二人の、他者には理解できぬやり取り。龍神は眉一つ動かさず傍から見ているだけだが、それを何一つ理解してない。クリスは疑問を浮かべている。なぜティーカップにコーラを注ぐ必要があるのだろうか。そもそも光輝は瀧が口を付けたティーカップをノータイムで口に付けた。二人の間柄が読めない。

 

「あ、光輝さんとクリスさん来たんですね!」

 

「よっ、コーちゃん!……それと、誰だ?」

 

 部屋のドアから入ってくる新たな二人。それはホリィと後藤征四郎だった。

 

「よう……後藤も居るのかよ」

 

「その言い草は酷いぜコーちゃん」

 

 そうして、総計6人の瀧家のお茶会が始まった。……いや、それはお茶会と呼べるものでは無いのかもしれない。



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瀧家のお茶会2

「Sレートの特待留学生!へぇーっ、すげぇ!なんか特別っぽい!かっけぇ!」

 

 瀧に振舞われたお茶菓子のチョコパイをバクバクと食べながらクリスに感嘆する後藤。特別っぽいではなく特別である。Sレートとは実力者だ。事実、クリス・ド・レイは強い。

 クリスが最初に受けたレート判定はBだとされる。恐らくそれはジャックの事件当時の実力。だからクリスは、光輝が見た当時よりも遥かに強くなっているのだろう。それだけクリスは努力をしたはずだ。BレートとSレートの壁は大きい。その差を、1年間にも満たない間に埋めるなんて。

 

「ふふ、そうですか?ありがとうございます」

 

 礼を言うクリス。クリスは元々自信家であるため、素直に褒められる事は彼女にとって嬉しいことだ。ジャックに砕かれた自信は、今は取り戻せているようだ。

 

「向こうのSレートはクリスだけなのか?」

 

 瀧の疑問。瀧は強い奴が好きだ。Sレートが居ると知ったら、飛んでいって対面を挑むだろう。対面はイクシーズ内だけの制度ではあるが。教えて大丈夫なのだろうか。

 

 光輝の心配をよそに答えるクリス。

 

「はい、私が会った中には居ませんでしたね。多分、元々ただ異能者として自分を高めたいって人はイクシーズにそのまま入ると思いますよ」

 

「なるほど。クリスは違うわけか」

 

「私は大学の過程を終えればロンドンの警察に就職するという目的がありますから。イクシーズに留学に来たのは自分を高めるという建前が1割、光輝に会いたかったという本音が10割です」

 

「本気のようだね」

 

「……」

 

 おい、11割って100パーセント超えてるぞ。まるまる俺に会うためためじゃないか。

 

 光輝は新しく入れ直したティーカップのコーラを飲み突っ込みを入れる。クリスは、本当にそのために来たようだ。聞かなかったフリをしよう。

 

 特待留学生。クリスが来る前は多分無かったであろう制度。いや、あったのかもしれないが、それを満たす者が居なかった、もしくは必要なかったのか。前例を聞いたことがない。

 イクシーズの中でSレートを取ってから外へ出ることは可能だ。むしろ、東京や大阪などの主要都市の警察署にはSレートが派遣されているレベルだ。クリスがイクシーズに住みつつ過程を終えてロンドンの警察に就職する、という事も可能なはずだ。

 だが、クリスにも事情があるはずだ。レイ家も易々とご自慢の長女を手放すわけがないだろう。それが故の、特待留学生といったとこか。それ以上の思惑は想像するだけ無駄だ。それは妄想に過ぎないし、光輝に利益をもたらす訳でなく何の意味も無いからだ。

 

「コーちゃん……クリスって美人だよな」

 

 こっそりと耳打ちしてくる後藤。何を言い出すんだコイツは。いや、その通りなんだけどな。光輝は頷く。

 

「そうだな」

 

「胸が控えめだったら好みだったかもしれない」

 

 そうか。俺にはどうでもいいな。やっぱりコイツはロリコンだ。

 

「お聞きしたいのですが……瀧が思う強さの秘訣とはなんでしょう?私、まだ強さというものに疑問を持っていまして」

 

「ふむ、そうだな……」

 

 クリスの強さという概念への疑問。それもそうだろう。彼女は一度自分の強さを信じ、正義を突き進み、命を落としかけた。あれは例外中の例外とも言える状況ではあるが、異能者を相手にする場合は常にその例外という危険が付き纏う。彼女はまだ、不安なんだろう。

 

 瀧は少し悩む。そして何かに気付いたように答えた。

 

「強さとは、思いを貫き通す力。私はね、そう思っているよ」

 

「思いを貫き通す力、ですか……」

 

「そうだ。それが強さだ。だとすれば強さの秘訣とはなんだと思う?」

 

「……己の信じる道をただひたすら突き進む……事ですか?」

 

 疑問で答えるクリス。それもそうだ。クリスはそれが答えでないことを知っている。

 

「それもまた一つの答えだがね、私は違うと考えている。思いを貫き通すとは、無闇に突き進むのとは訳が違う。周りを受け入れて、考えて。だからこそ自分の進むべき道を正せる。必要なのは盲信じゃない。確信だ。私が思うにね、強さの秘訣とは柔軟性。自分を多方向から見て、その方向全てに独りよがりでない答えを出すことができれば、それは大きな飛躍となるだろう。そうして人は強くなる事が出来る、革新する事が出来る」

 

「なるほど……」

 

「だから私は言いたい。友を作れ、友と道を歩め。そして互いを高め合え、切磋琢磨せよ。友が居れば道を違えた時も正せ合える。それが私の答えかな」

 

 その場に居る誰もが感心してしまっていた。クリスは瀧という人物をよく知らないから素直に感心できるだろうが、少なくとも光輝とホリィは違う。狂戦士のような一面を知っているのだ。その瀧が、そんな真面目な回答をできるとは。いや、瀧の答えたそれは、予想以上に納得の行く物だ。確かに光輝もホリィもそう思えるのだ。

 

「つまり……光輝、互いに高め合いましょう!」

 

「……そうだな」

 

 キラキラとした目で見てくるクリス。その対象が俺でいいのか本気で分からない。だが、クリスがいいのならよしとしよう。

 

「コーちゃん、俺も強くならなきゃいけないんだ……一緒に戦ってくれるか?」

 

「いや、何(なに)とだよ」

 

 後藤はスルー。コイツは絶対深く考えていない。だって馬鹿だから。ハーレム作るために強くなりたいとかどんだけ不純なんだよ。

 

「さて、他に強さへの秘訣があるとするなら……いざ戦いという状況に置かれた時、敵が強大であれば強大であるほど脚が竦むこともあるだろう。それでは自分の真の力が出せない。そういう時は自分で自分を鼓舞してやるといい。……岡本クン、いいかな?手伝ってもらっても」

 

 瀧は部屋の掃き出し窓からテラスへ出ると、光輝を手招きする。今から何かするつもりのようだが、光輝はまだ察していない。訝しげな顔でついていく。

 

「一体何を……」

 

「私の口上だ。聖霊祭の決勝ができれば望ましい。できるかな?」

 

氷室翔天(ひむろしょうま)役か……やってみる」

 

「さすがだ。では行くぞ」

 

 説明を聞き光輝はなんのことか直ぐに理解した。クリスは再現をしようとしている。それは聖霊祭の決勝戦、瀧シエルと氷室翔天。1年と3年のSレートの戦い、その再現だ。

 

「1年生か。君が強いことはよく分かる。よくぞそこまで磨き上げたものだ。だが、僕の計算では君に万一つの勝ちもない。「氷天下(ひょうてんか)」氷室翔天……君は知ることになるだろう」

 

 瀧の前に立つ男はメガネをクイ、と人差し指で押し上げる動作をする。その相手は2年前に聖霊祭を制した男、「氷天下」氷室翔天。さしずめ、厚木血汐の対になる男。冷静沈着の氷使い。

 

 だが、瀧シエルは大胆不敵を行く。己の能力「精霊の加護」を解放し、その身に風を纏う。

 

「ふっ、ははは!」

 

「……」

 

「私が挑む?違うな。青年。挑むのはお前だ。お前の目の前にあるそれは世界最大の「不浄利(ふじょうり)」だ。決勝戦で2年前の優勝者を倒せるなど、最上の状況。約束しよう、1分。その間に倒す」

 

 それが瀧の答えだった。氷室の口上を演じた光輝は、一字一句その通りだった事を確認する。それが、瀧シエルの口上。敵が実力者だろうがなんだろうが関係ない。瀧は、試合が始まる前に敵を煽る。万に一つの油断もなく自己を鼓舞する。

 その代名詞が世界最大の「不浄利」という言葉。自分は凄いのだと、強いのだと誰にでもなくアピールをする。そして瀧は動くのだ。その不浄利を持って、敵をねじ伏せるのだ。

 

「……と、このように。いざという場面で自分に自信を付ける時、非常に役に立つ。手のひらに人を3回書いて飲み込むよりも私は重宝している」

 

「瀧はすげーけど、よくコーちゃん氷室の言葉覚えてんよなー。やっぱバトルオタクだわ」

 

 うるさい。印象的だったし覚えてるもんは仕方ねーだろ。

 

「なるほど……あ、たぶん私、日本文献で似たもの見たことあります。光輝、やってみていいですか?」

 

 クリスは一人頷くと、光輝を相手に実践したいと言う。

 

「……出来るのか?」

 

「はい」

 

「やってみるか」

 

 今度はクリスと光輝が向かい合う形に。そしてクリスは重力制御を解放し、光輝を見据える。

 

「……吾は面影糸を巣と張る蜘蛛。――ようこそ、この素晴らしき重力空間へ」

 

「一体どんな日本文献見たんだよ」

 

 クリスの口上に間髪入れず突っ込む光輝。なんかいけない方向に向かっている気がする。その方向に進んでは駄目な気がするのだ。またおかしな日本文献を読んだに違いない。

 

「ヤマの文帖によると貴方の死は確定らしいですが……光輝は私がなんとしても守ります」

 

「おう、出直しだ。もっとちゃんと練り直してこい」

 

「えー」

 

 残念そうな顔をするクリス。うん、駄目だ。間違っている事は間違っていると、友が道を正してやらねばな。大丈夫、まだ間に合う。

 

「はい、コーちゃん、俺も、俺も!」

 

「また今度な」

 

 事前に断る。コイツも似たようなことやりそうだ。



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瀧家のお茶会3

 瀧の家からの帰り道。駅で電車から降りて、光輝とクリスは家から最寄りのスーパーに買い物をするために向かっていた。

 

「皆さん個性的な方でした。光輝は素敵な友達に恵まれてるのね」

 

「変人ばっかだけどな」

 

 よく言えば個性的、悪く言えば変人。そもそも光輝自身が自分を変人であると自覚しているのだ。光輝はまともな人間を好きになれない。だから、光輝が友達になろうと思う人間も光輝と友達になろうと思う人間も変人のような物だ。

 

「そうでしょうか?いい人達でしたけど」

 

「まあな」

 

 それは否定しない。心の底から悪い奴はあの中には居ないだろう。みんな、いい奴ではある。

 

 では、自分はどうなのだろうか。光輝は考えた、自分がいい奴であるかどうか。……いや、そんな事はどうでもいいか。評価とは、他人がするものだ。自分で付けた点数など独りよがりでしかない。それこそ、瀧の言った言葉だ。独りよがりの答えは良くない。

 

 まあ、俺は最低でいいんだけどな。

 

 光輝は諦めて歩いた。光輝は先に進む事など考えていない。自分が弱者である事を誰より理解してるから。それは独りよがりかもしれない、だが、知らない。自分を自分で最低と位置付ければ、他者からの評価がどんなものでも受け入れることができる。自信が無くてなんぼだ。じゃないと光輝の心は自分を守れない。自己防衛は大事だ、死ぬよりマシだ。

 

 考え事をしていれば、いつの間にかスーパーの前まで。時間帯は5時ほど。夏のこの時間帯はまだ空が青い。夏は最高だ、その青空の下に長く居られるなんて。

 

 クリスとスーパーに入る。今日の晩ご飯はクリスがオムライスを作ってくれるそうだ。この少女は一体どれだけ有能なのだろうか。ありがたく享受させてもらうことにする。

 

 スーパー内を歩きながらクリスの食材選びを見ていると、店内に見知った人を見かける。このスーパーの店員の人だ。向こうも、光輝の姿に気づいたらしく手を振って近づいてくる。

 

「やあ、光輝くん。珍しいね、この時間帯に来るなんて」

 

「どうも、主任」

 

 このスーパーの主任、土井(どい)さん。年齢26歳であり、素直に切り分けた髪の上から被った帽子に素直な笑顔。分かりやすい好青年だ。光輝が閉店際にパンのコーナーに寄るとよく値引きシールを貼っている。その時間帯を狙って光輝はスーパーによく訪れていたので顔を覚えられてしまったのだ。

 この人はよく光輝を捕まえて昔話をする。「若いうちは無茶をしてでも色んな体験をすべきだよ。後で笑い話として話題にできるんだ」とか「僕も昔は菓子パンで昼を過ごしたもんだ。いいよね、菓子パン」とか。少し鬱陶しく思いつつ光輝はその話を聞いていた。そうすれば菓子パンの割引額を本来20円引きのものを半額にしてくれたりするのだ。節約面でよく助かっている。

 

「始めまして、光輝のお知り合いですか?クリス・ド・レイです」

 

「……んん?んんん??」

 

 主任は首をかしげる。そしてハッと何かに気付くと、光輝の肩を激しく揺さぶった。やめてくれ、脳震盪になる。

 

「光輝くん、彼女が出来たのかい!あの光輝くんに?奇跡が起きたのか!?」

 

「あら、彼女だなんてそんなお上手な……」

 

 顔を真っ赤にして手を主婦の「あらやだ」のようなモーションで振るクリス。主任は真面目に傷付く事を言ってくる。いや、無神経というわけではなく本来、岡本光輝という人間を知っている人ならするはずの通常の反応だ。だって俺でも傍から見たらそう思うから。

 

「違います、彼女じゃないです、ただの友達です」

 

「あれ、すまない。そうだね、そうだよね」

 

 だからそういう言い方は傷付くんですって。弄り半分もあるだろうけど。

 

「だがね、光輝くん。女の子と仲良くなったら大事にすべきだよ。あれは僕が中学生の頃だった。僕は好きな子に告白したんだ。そしたらなんて言われたと思う?「銀河(ぎんが)って名前がダサいから嫌」だってさ。女の子は気難しい、君も苦労する前に身持ちを固めておくべきだ。社会に出たら出会いが無いなんてザラだからね」

 

「はぁ」

 

 ええい、聞いてないし長いしウザったい。よく感傷的になるのはこの人の悪い癖だと思う。なんだろう、俺にシンパシーでも感じているんだろうか。ダメ男オーラでも出てるのだろうか。この人はこの手の話を始めるとそれまで好青年だったのにいきなりダメ男オーラを出し始める。そんなシンパシーいらないぞ。というか主任のフルネームは土井(どい)銀河(ぎんが)っていうのか。初めて知った。

 

「土井さん、お仕事をサボって何をしてるんですか?」

 

「げっ、店長!」

 

 主任は顔を引き攣らせつつ後ろを振り返った。主任の後ろには気が付くとにっこり笑いつつ主任の肩に手を置く店長と呼ばれた女性が。雰囲気が怖い。主任と合うとよく見る光景である。

 

「ごめんね、光輝くん。はーいお仕事戻りましょうねー」

 

「痛っ、痛たたた!店長、痛いっす!勘弁!!」

 

 耳を引っ張られながら幸福そうな顔でバックヤードに戻っていく主任と店長。主任はM気質なんだと思う。でないとあんな顔はなかなか出来ない。ふう、ようやくこれで好きに買い物できる。

 

「光輝の顔って広いんですね、流石です」

 

「ははは……」

 

 だから変人ばかり仲良くてもなあ、自慢になりゃしない。まあ、しょうがない。

 

 買い物を終え、帰り路を行き、晩御飯を食べ終える。クリスの料理は美味い。独りでないと時間がこんなにも速く過ぎていくのかと気付く。いつもは勉強をし、音楽を聞き、読書をし、空を見上げるだけで時間を潰していたので不思議な感覚でいっぱいだった。

 

 光輝とクリスは今トランプでババ抜きをしていた。風呂の順番を決めるためだ。光輝は譲ったのだが、クリスがそれは不公平だと持ち出したゲームだ。だからと言って、光輝は負けてやる気など更々無い。

 

 光輝は自分に戦闘能力が無いことを知っている。だからいつも幽霊の力を借りる。だが、それが関係ないゲームだとすれば、光輝は無慈悲を貫く。実力を全開で出す。光輝は、勝てる勝負にて他者の力を借りない。御陸歩牛との対面においてもそうだった。それは、光輝なりの意地、小さなプライド。

 だが、それは光輝という人間を作るのに大きい物だ。光輝は自分でもやれると、そういう場面を求めている。光輝がこの世に存在する理由を作るための僅かな自我(エゴ)。自分は何もできないわけではない、自分でもやれることがある。他者に勝る場面がある。光輝はそれを大事にする。

 

「ふふ……最後の局面、私は勝てる。光輝であろうと容赦しません」

 

 クリスは2枚の手札を握っている。対する光輝は1枚。光輝が手札を引く番だ。光輝が外せば絶体絶命、その瞬間「負け」を意識しなければいけない。逆に行けば光輝がここで引き勝てば光輝の勝利。それは単純な運否天賦。2分の1。

 

 ……いや、違うね。

 

 光輝は超視力を強める。光輝の超視力、傍から見ればスキルランク1もいいとこの外れスキル。だが、光輝の超視力はランク3を貰っている。なぜか?それは超視力の副産物の一つがもたらしている。これはイクシーズのデータベースも把握している超視力をランク3たらしめる要因、「思考の高速化」。

 

 光輝の超視力は通常の視力とは別に識別力、動体視力も上がる。そしてその隠された副産物、「思考の高速化」。これは光輝自身ですら自信を持てる要素の一つ。視たものを脳内で処理するために神が与えたもうた至福の時間。だからスキル3。光輝の思考速度は他者より速い。

 

 光輝はクリスを観察する。その表情筋、目の動き。光輝は手を動かす。2枚の札に対して、慎重に。

 クリスは僅かに目線を動かした。光輝はその隙を逃さない。まず最初は左の札へ。クリスは表情の変化無し。その右は?手を動かす。その瞬間クリスは表情を僅かに、ほんの僅かに動かした。頬が緩んだ。

 

 光輝は引く抜く。必殺の札を。そう、「右の札」を。

 

「っしゃあ!2と2、揃いィ!俺の勝ちだ!」

 

「っあああああ!?なんでですかぁぁぁ!?」

 

 光輝は手を天に振り抜く。クリスは残ったジョーカーを床に落とし、敗北という事実に崩れ落ちる。

 

「俺はな、人を信用するのが大嫌いだ。クリス、お前は俺を騙ろうとした。その演技、天晴れだ。だがな、この岡本光輝!疑う事には人一倍敏感なのさ!」

 

「馬鹿、な……」

 

 そう、クリスは演技をしていた。光輝を騙す為の一世一代の大演技。ジョーカーでない方を選ぼうとした時の、ほんの僅かな表情筋の動き。口角を上げたのだ。その僅かな隙間、光輝の超視力でようやく捉えられる動き。ようするに、「光輝相手への必殺の演技」。

 それを見越して、光輝は裏をかいた。クリスは出来る女だ。そのクリスならそれが出来る。光輝の超視力の精度を信じたからこその騙り。そのクリスを信じて、光輝は逆を選んだ。

 

 それが岡本光輝という人間。人を疑うことを知っている人間だ。故にマイナス。卑屈であるからこそ出来る悪魔にも似た所業……それが岡本光輝を岡本光輝足らしめる要因だ。

 

「ほいじゃ、おっさきー」

 

「くっ……」

 

 まあ、あれだけの事をやっておきつつ風呂の前後を決めるだけなのだが。

 

 夜、消灯する。クリスは光輝のベッドに潜り込もうとしたが、光輝はそれに対抗して追い出した。そうも理性が持つわけがない。

 

「俺、明日学校の部活で昼過ぎまで居ないから。母さん帰ってくるかもしれないから家でじっとしておけよ」

 

「えっ?わ、私、どうすれば……」

 

 慌てるクリス。それもそうだろう、一人で家主と対峙するかもしれないのだから。

 

「大丈夫。直ぐに帰るし、母さんがもし早く帰ってきても真面目に話せば問題ないだろ」

 

 そこには光輝の思惑に含まれる打算。上手くいけば、クリスを瀧家へ追い返せるかも知れない策がある。

 

「分かりました……光輝がそう言うのなら」

 

「おう。そんじゃ、おやすみ」

 

「はい、おやすみなさい」

 

 そして二人は就寝した。朝起きたら光輝のベッドにクリスが居たのは言うまでもない。








※登場した各キャラの補足です。現状のステータスです

 後藤征四郎 パワー2、スピード2、タフネス1、スタミナ1、スキル2「速度上昇」Dレート

 龍神王座 パワー2、スピード2、タフネス2、スタミナ2、スキル4「龍血種(ヴァン・ドラクリア)」Bレート

 厚木血汐 パワー4、スピード3、タフネス2、スタミナ5、スキル4「イグニッション」Sレート

 クリス・ド・レイ パワー2、スピード3、タフネス1、スタミナ3、スキル4「重力制御」Sレート


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第三章 深淵の×-
始まりは黒い衝動


「マジですか……先生」

 

「ああ、大マジだ」

 

 岡本光輝は意気消沈していた。光輝の入っている部活「ボランティア部」。今日学校であったのはその夏の行動の予定と、生徒の参加募集。ボランティア部員は夏休みの間に一つは活動をしなければいけない。しかし、普段から活動していない岡本光輝は一番厄介なボランティアを任されていた。それは「夏祭りの巡回」。お盆に開催されるイクシーズの中の神社での夏祭りを、交代制で回らなきゃいけない。

 よりによって、人が滅茶苦茶多い中での巡回だ。それはもうとてもとても疲れるだろう。なにせその日は、イクシーズ内の多くの人が一箇所に集まるだけでなく外からもその祭りを見ようと人が集まる。故にこのボランティアはイクシーズ内の三つの高校全てのボランティア部に加えて中学校、大学、さらに社会に正式に存在するボランティア団体、祭りの運営とも共同して行わなければいけない。要するに「すごくめんどくさい」のだ。」

 

 光輝は後悔した。普段から部活に顔を出しておけばこんなことにはならなかった。いや、読み違えた光輝が悪い。まさか夏祭りの巡回に強制的に回されるとは。くそう。だが、1日乗り切ってしまえばそれまでだ。今更どうしようもない、覚悟を持ってその日を待とう。

 

「それとな、今日休んでる黒咲にもプリントを渡しておけ。あとあいつも夏祭りの巡回だ。伝えておけよ」

 

「はぁ……」

 

 そうしてボランティア部の顧問の先生から嫌な通達を受けた挙句、今日休んだ生徒の家にまでプリントを持っていかなきゃいけない上に、俺が嫌な報告までさせられるハメに。強制的に夏祭りの巡回が決まったなんて言ったらどんな顔をされるやら。なんて不幸な1日だ。光輝は己の運命を呪う。

 

「住所なら心配するな。お前の家の近くだぞ、ほら地図をやる」

 

「はぁ……」

 

 そうして地図まで貰った。家が近いからってこの役は嫌だ。だが、仕方がない。こればかりはどうしようもない。先生からの内申は大事だ。やらなければいけない。

 

 光輝は学校から電車で自分の家からの最寄りの駅に向かう。なるほど、地図の通りでは黒咲の家はこの地区だ。光輝の家から徒歩で5から10分ほどとはいえ、確かに近い。

 

 黒咲(くろさき)夜千代(やちよ)。その少女の名前。光輝と同じクラスでありながら、その容姿をあまり覚えていない。確か黒のショートカットに鋭い目つき、女性としても少し低めの身長。だが、多くの男子生徒から人気……だった気がする。高校に入学してから告白された回数は10を優に超えるらしいがその全てを断った、と後藤からそんな話を聞いたことがある。噂では既に彼氏がいるだとか、同性に興味があるだとか。なお、同性からの評価は芳しくない模様。そんな、存在をつかみ兼ねる少女。

 

 光輝とは決して関係の無い少女だ。そんな見ず知らずの少女の家に、同じボランティア部という条件に家が近いというだけでプリントを持っていかなければいけないなんて。この岡本光輝という人間の人見知りをあの先生は理解しているのだろうか?おそらくしていない。くそ、なんてこった。

 

 まあいいさ、とっととプリントを渡して帰ろう。そしてクリスにお昼ご飯を作ってもらおう。昨日スーパーで菓子パンを買わなかった光輝は今ものすごくお腹が減っている。もう12時にもなる。当たり前のことだ。

 

 地図の通りに進み、一つのアパートを見つける。その第一印象は、「凄いボロアパート」だった。4階建てで、横長のアパート。だがとにかく、寂れている。壁に薄く亀裂が走っている。外壁の塗装の亀裂だろうが、なんにせよ見栄えが悪い。というか、本当に人が住んでいるのか怪しくなるレベルだ。

 

 階段を探し、歩く。黒咲の部屋は3階らしい。とにかく階段を登らなければ。

 

 アパートの周りを歩いていると、アパートの敷地に一人の人影が降り立った。光輝は驚愕する。

 

 その人影は明らかに空から降ってきた。夏だというのに黒のコートを着ている。そしてその顔に白いお面を付けていた。よく分からない模様の描かれたそれは、明らかに「変質者」であることを周囲に知らせる。

 

「--」

 

「--」

 

 絶句する光輝。変質者は右と左をチラりと見て、お面の下の目が光輝と合った瞬間すぐさま走り出していった。

 

 ……一体なんだったんだろう。

 

 光輝はその出来事をスルーする。下手なことには首を突っ込まないほうがいい。それが安全だ。アパートの階段を見つけ、3階まで上り、黒咲の住む号室を見つけインターホンを押す。……出ない。

 仕方がないので家のドアの郵便受けにプリントを突っ込んでおく。幸い、明日は高校の登校日だ。その時に黒咲に話せばいい。同じクラスだもんな。

 

 と、ここで光輝は気付いた。

 

 あれ、今日ここに来る意味無くね……?

 

 光輝は思い足取りで帰り道を歩き、自分の住むアパートの3階までたどり着きドアを開ける。なんかどっと疲れた気がする。夏休み中の登校というのもあるだろうが、やはり夏祭りの巡回というのが響いた。……うわぁ、考えると嫌になってくる。

 

『夏祭りは楽しみよのう』

 

 背後霊はなんか言ってるけど俺からすれば全然そんなことはないのだ。人ごみってだけで万死に値する。割とマジで。

 

 玄関で靴を脱ぎ居間に向かう。さて、早めに帰ってきたし母親はまだだろう。とりあえず腹ごしらえを。

 

「あれ、光輝~。おかえり、遅かったわね~」

 

「あ、おかえりなさい光輝」

 

 ……なぜかそこには酔っ払った母親が居た。なんかクリスに絡んでるし。

 

「クリスちゃんね~、いつまでも泊まってっていいのよ~。もういっそウチの子になんない~?」

 

「そ、それは……っ!……いずれは」

 

「ええい、やめろ母さん。恥ずかしいったりゃありゃしない。クリスもまともに相手すんな」

 

 クリスから母親を引っぺがす。いつ帰ってきたんだよ、もう仲良しじゃねーか。うわっ、酒くせえ。クリスなんかキラキラしてるし。

 

「いやー、新幹線で飲んでたら楽しくなっちゃって。あっはっは。あ、これお土産ね」

 

 どうも真昼間から飲んでいたらしい。たまに帰って羽を伸ばしたからって気を抜きすぎだ。人様に迷惑かけていないだろうか。

 机の上には、赤いパッケージに包まれた和菓子。伊勢からの帰りだ、中身はこし餡に包まれた餅だろう。後でクリスと一緒に食べるか。

 

 母親は光輝が帰ってきてから程なくして寝てしまった。まさか最初から出来上がっているとは、そうなると完全に打算が意味を無くしてしまう。クリスは結局この家にホームステイすることになってしまった。……何もかも瀧が悪い。あいつめ。

 

 その後、クリスと伊勢土産を食べ、クリスはその美味しさに身を震わせ、何事もない時間を過ごし、皆寝静まった夜11時40分。スマートフォンのバイブ機能と隠し飲んでいた母親のインスタントコーヒーにより、光輝は目を覚ます。

 

 時間を確認し、クリスを起こさないように暗い部屋の中で外出の準備をし、家の玄関を開けた。光輝には目的があった。それは、新作CDアルバムの購入。今は11時50分、あと10分で次の日になる。その日が、新作CDアルバムの発売日だ。近所のレンタルビデオショップが深夜営業をやっているので、そこに買いに行く。

 

 別にそこまでしなくても次の日の昼に買いに行けばいいのでは?という人が居るが、違うのだ。すぐに欲しい。そんな感覚が、光輝の中にはあった。だから買いに行く。

 

 家の鍵を閉め、レンタルビデオショップに向かう。勿論、護身用に二本の特殊警棒を持っている。後は何が起きてもいいように、ムサシにあらかじめいつでも魂結合出来るように言っておく。イクシーズの夜が特別危ないわけではないが、少し前のホリィの件のように何かが起きる可能性はゼロでは無い。用心できる事に越したことはない。

 月と街頭が照らす静かな住宅街を歩いていく光輝。昼間視る青空とは、また違った風情がある。なるほど、これはこれでいい。

 

 歩いて少しして、明るい建物を見つける。レンタルビデオショップ。スマートフォンを見た。12時を過ぎている。よし、店に入ろう。

 

「いらっしゃいませー」

 

 こんな夜中だというのに、店員は元気だ。これが仕事をするということなのか、と思ってしまう。もし社会に出ても深夜の仕事はやりたくないな。

 

 人入りの殆どない店の中、新作CDのコーナーを見る。色んなCDの見本が並んでいる中、光輝はそれを見つけた。「翔やん」の新作CDアルバムだ。笑いあり、涙ありの熱い青春を歌うアーティスト。光輝の好きなアーティストだ。

 

 それを手に取ろうとした時、横からもその見本に手が伸びた。二つの手がその見本を掴む。

 

「あっ、すいません……」

 

「いえ、こちらこそ……」

 

 そして光輝は驚いた。目を見開く。向こうもまた驚いた表情をしている。黒のショートカットの少女。

 

 光輝のクラスメイトであり、同じボランティア部員。それ以上でも以下でもない、なんの接点もない少女。その少女の名前は黒咲夜千代だった。



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始まりは黒い衝動2

「……買うのか?」

 

「……あんたこそ」

 

 二人して躊躇する。一応は、譲ろうとする二人。互いが、どういう存在なのかは知っている。

 

 かたや、同じクラスの暗い人間、岡本光輝。

 

 かたや、同じクラスの暗い人間、黒咲夜千代。

 

 二人はその状況で見合い、どう動いていいのか分からなかった。

 

「おい、邪魔だぞガキ共」

 

 いつまでそうしていただろうか。長い時間ではないはずだが、光輝の体感感覚では2分くらい経っていたような、経っていないような、それほどの時間。停滞していた二人の後ろからかけられる、声。振り向くと、そこには短めの白金髪(プラチナブロンド)という髪が目を引く男が立っていた。

 

 男は動きの止まっていた二人をかき分けると、ある見本を手に取る。「騎士団」の新作CDアルバム。この人も、これを買うのか。

 白金髪の男は少し考えて、二人を見やった。

 

「……お前らも翔やん、好きなのか?」

 

「「……はい」」

 

 白金髪男からかけられた言葉。返答すべきかどうか迷って二人は結局、同時に頷いた。二人とも「翔やん」が好きなのは偽りない。そのタイミングが被ってしまった事に、二人は顔を見合わせて愛想笑いをした。

 

「そうか……いや、すまねぇな。先に買ってくると……」

 

「この店この時間から開いてんだってー、ヤバくね?」

 

「おー、すげー。「翔やん」は……っと、なんかイカした髪色の奴居んじゃーん」

 

 白金髪の男が二人に見本を渡そうとすると、また新たに二人の男がCD売り場に来た。どうやら彼らも「翔やん」のファンのようだ。

 

「おっ、分かるかこの髪の良さ。いいじゃねーか、見る目あるぜお前ら」

 

 自慢の髪を掻き上げる白金髪の男。

 

「とゆーかさー、すげーイカしてんけど、雰囲気シャバ僧っぽくね?」

 

「ねー、対面してかね?俺たちさー、こう見えてもBレートなの。どう?いや、そんな度胸ねーか。あははははっ!」

 

 笑い転げる二人の男。いきなりの対面の誘い。舐められている。白金髪の男は、この二人の男に舐められているのだ。

 

「いーじゃねーか。じゃ、表出ようぜ」

 

「おっ、いーね」

 

 白金髪の男は二人の提案にいとも簡単に乗った。Bレートとは、一般人よりも強い。この二人の男は腕に自信があるのだろう。だが、白金髪の男もその誘いに乗った事から、腕に自身はあるようだ。はたまた、ただの虚勢か。

 

「いや、こっち来てからっつーもの、喧嘩相手捕まえんのも苦労しててな。対面、だっけ?ここのルール。最近ようやく作れたんだぜ、対面グループ」

 

「!?」

 

 男の一人が驚愕の表情を浮かべた。瞬間、顔が見る見る青ざめていく。

 

「たっちゃん、やべえ!コイツ、ユーヤだ!」

 

「ん?なんだそれ」

 

「知らねえのかよ、最近イクシーズに入ってきたっつう外の札付きの不良(ワル)!「白金鬼族(プラチナキゾク)」の総長(ヘッド)白金髪(プラチナブロンド)白銀(しろがね)雄也(ゆうや)だよ!Aレートだ!」

 

 慌てふためくその男。目の前の白金髪の男に、ビビリきっている。白金髪の男は頭を軽く掻いた。

 

「そうか、知ってんなら話が早ぇ。赤月(アカツキ)()(オニ)奔走(はし)る……罷り通るは「白金鬼族(プラチナキゾク)」。百鬼夜行(ひゃっきやこう)のその(かしら)、白銀雄也たぁ俺の事ヨ!」

 

「す、すんませんっしたー!」

 

「お、おい、ちょっと」

 

 名乗りを挙げ見栄を切った白金髪の男、白銀雄也。その名乗りを聞いて、男はもう一人の男の手を引いて店内から逃げるように出て行った。

 

「……んだよ、対面やんねぇのかよ」

 

 残念そうにする白銀。少しして、光輝と黒咲が居たことに気付く。忘れられていたようだ。

 

「あ、すまねえな。面倒に関わらせてな……ちょっと待ってろ」

 

 白銀は「翔やん」の見本を持って、レジへと向かっていく。少しして、白金は光輝と黒咲のとこへ戻ってきた。二人にレジ袋と、その中に入った商品を渡す。

 

「侘びだ。受け取れ」

 

「えっ、これって……」

 

「翔やんのCDじゃないですか。いいんですか?」

 

 光輝と黒咲は問う。翔やんの新作CDアルバムを、初めて知り合った白銀雄也から渡されたのだ。その金額は1枚三千円を超える。それを二人に、ということは六千円を超えるはずだ。大金である。

 

「構わねえ。こんな所で会ったのも縁だ。翔やん好きに悪い奴は居ねえ。代わりにといっちゃなんだが、名前を聞かせてくれるか?」

 

「……岡本光輝です」

 

「……黒咲夜千代です」

 

 光輝と黒咲は戸惑いつつも名前を名乗った。まさか翔やんのCDを奢ってもらえるなんていなかったのだ。何か裏があるんじゃないかと思いつつ、名乗った。

 

「光輝と夜千代か。覚えた。じゃあな、また会ったらヨロシクたのむぜ」

 

「「……ありがとうございます」」

 

 意外にあっさりと、白銀はそれだけ言って店から帰っていった。光輝と黒咲は礼を言ったが、以前不思議な感覚だ。

 白銀が去ったあとは、店内は静かだった。それはまるで嵐のように、過ぎ去った後は台風一過のような状況だった。

 

「……俺らも帰るか」

 

「……うん」

 

「家、近いから送っていくよ」

 

「あー、そうなの?ありがと」

 

 光輝と黒咲は、他にすることもないので帰ることにした。時間は深夜だ、早く家に帰って寝るべきである。

 

 レンタルビデオショップから出て静かな夜を歩く二人。住宅地であるこの付近は、都心地よりも遥かに静かだ。二人が歩く音以外、何一つ聞こえない。

 

「……」

 

「……」

 

 そもそも、二人の間に言葉一つ無い。光輝も黒咲も、互いにどんな言葉をかけるべきか……いや、かける必要を見出してないのだろうか。黙ったままである。

 

 月に照らされた道を、歩く。二人して、無言。なんの不満も疑問も無い。それが続くまでは。

 

 が、打ち破ってしまった。光輝は、その無言に耐えられず黒咲に喋りかけてしまう。それは正解なのだろうか、はたまた失敗なのだろうか。いや、それは些細な事だ。切っ掛けにしか過ぎなかった。

 

「なあ、ボランティア部の事、なんだけど……」

 

「……えっ?」

 

「今日、お前んちにプリント入れといた。俺もボランティア部でな、家が近いからって押し付けられたんだ」

 

「ああ、それで……」

 

「……お前、夏祭りの巡回が決まったぞ。災難だな」

 

「うわ、マジ?」

 

「ああ、大マジだ」

 

「だるー……」

 

 夏祭りの巡回。聞いただけで、自分がどんな状況に置かれたか一瞬で分かるワード。これで明日の……いや、時間的には今日か。今日の登校日に言う手間が省けたか。なら良しとしよう。早く知らせる方が彼女にとっても楽だろう。

 光輝は自分の中で結論づける。実際は、その場の沈黙を耐えられなかった光輝の逃げ道。話題を作って沈黙を消したに過ぎない。本来、二人は世間話をするような間柄でもないのだから。

 

 光輝は自分を「最弱最低」の人間だと思っていた。

 

 黒咲は自分を「最凶最悪」の人間だと思っていた。

 

 二人はそれを言わない。自慢できることでもないから。自慢できないことをわざわざ他人に話す必要など無い。冗談でもない。それが岡本光輝であり、それが黒咲夜千代だ。

 だが、二人は互いに軽く理解し合っている。なんとなく、どんな存在か。自分たちが、似ているのだということを。だからこそ、認め合わない。お前と俺は、違うのだぞと。お前と私は、違うのだぞと。それでいい。それが二人の領域を超えない、確かな境界線。それでいいのだ。

 

 しかし、本来あるはずべきの境界線が今日、ある出来事で崩れ去ってしまった。

 

 二人は黒咲の住むアパートの前まで着く。

 

「ところで……今日、家にプリントを届けてくれたのはあんたなの?」

 

「ああ、そうだけど」

 

 黒咲は口に手を当て考える。そして、少しして口を開いた。

 

「……最近、この辺で仮面を顔に付けた変質者が出るって噂を聞いたんだけれど、見なかった?」

 

 仮面を顔に付けた変質者。心当たりは大いにある。昼に、光輝はその姿を見ていた。

 

「……んー、いや、見てないな」

 

 だが、答えは「見てない」。嘘である。光輝はこの場で、嘘をついた。勿論、それには理由がある。

 

 ……ムサシ。

 

 心の中で念じ、光輝はその身にムサシを憑依させた。仮面を付けた変質者、それを言うのは不味いだろう。念には念を。ムサシを憑依させて万が一に備える。

 

「そっかぁ……」

 

 黒咲はふぅ、と息をつく。瞬間、光輝は持ち歩いていた護身用の特殊警棒をズボンから取り出す。その特殊警棒を前に出し、一閃を受けた。黒咲夜千代からの袈裟斬りの一閃を。

 

 黒咲のその手には、光の剣が握られていた。

 

「お前……その魂、どういう事だ?さっきまでとまるで別人じゃないか。何モンだ?」

 

「はっ……お前が言うのか?お前こそ何モンだよ」

 

 光輝は少し、少しずつ疑心を抱いていた。

 

 黒咲の瞳が、背格好が、昼間見た仮面の変質者と一致していた。それは光輝の超視力だからこそ捉えた、一瞬の出来事。

 

 その疑心は、確信に変わったようだ。コイツが、仮面だ。



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始まりは黒い衝動3

 いきなり斬りかかってきた、黒咲夜千代。光輝に対してのそれは、何をどう見積もっても分かりうる敵意だった。

 光輝は黒咲を見据える。その手に握られた、光の剣。なにも無いところから現れた、つまり能力による物。

 

 黒咲の能力を光輝は知らない。普段、互いに静かな二人だ。その能力を見せ合った事はない。逆に言えば、光輝の能力を黒咲が知らない可能性もある。

 だが、黒咲の発言。それはまるで、「魂」が見えているかのような、そんな発言。ホリィや光輝のように特殊な目を持っているのかもしれない。それが能力か?だが、光の剣は?もしかして、相手も「魂結合」が使えるのだろうか、それともただ単にEX能力(エクストラスキル)持ちか。

 

 光輝は考える。警戒は怠らない。まずは、相手の出方を見ることにした。

 

「岡本光輝、だよな?Eレートって話だけど……ただのEレートじゃない。まあいい、私はお前をねじ伏せる必要がある」

 

「……あ?」

 

 黒咲は嘲るように言う。

 

「対面張ろうぜ。負けたほうが勝ったやつの言うことをなんでも聞く。ああ、安心しろよ。自殺しろ、とかは言わないから。じゃあ、潰すわ」

 

 それを言い終えた瞬間、黒咲はもう一度光輝に斬りかかる。再び右手に握られた剣による、袈裟斬り。光輝は片手の特殊警棒で防ぐが、黒咲は空いている左手を横薙ぎに振る。その手には何も握られていないが、光輝の脳内を危機感という警報が過(よぎ)る。

 

「私は天才だ!「光の剣(ジ・エッジ)」!」

 

 振られたその手には、もうひと握りの光の剣。コイツもまさか、二刀流を使えるとは。

 

 光輝もまた、ズボンからもうひと握りの特殊警棒を取り出し、追撃の剣を防ぐ。距離を離し、特殊警棒を展開した。展開された三段の警棒は、相手の光の剣にリーチで劣っていない。それどころか確かな硬さと確かな重さを備えたその無骨な凶器は、単純に恐ろしい。

 

「拒否権は無しか……まあ、いーわ。テメエ……」

 

 黒咲を睨む光輝。この対面は対面では無い。光輝は合意などしていない、だが黒咲は攻撃をする。バカ正直に受けてやる必要もなく、逃げてもいいのだが……

 

「あんま舐めてんじゃねーぞ」

 

 光輝はイラついていた。目の前の黒咲夜千代という少女に。

 

 光輝は走る。空いた距離を一気に詰めた。そこから繰り出される、「二天一流」による遥かな技術の二刀流による連撃。黒咲も二本の光の剣で対応するが、押し込まれている。単純な身体能力自体なら、ムサシをフィードバックした光輝より黒咲のが高い。黒咲は、見た目の華奢さにそぐわぬ運動能力を持っていた。

 だが、二刀流の振り合いなら「二天一流」を持つ光輝に軍配が上がる。技術力ならこちらのが上だ。光輝は必殺の一瞬を待っていた。一度、まともな一撃を入れてやれば普通の能力者は沈む。沈まないのは、防御性能の高い能力者ぐらいだ。

 

「チッ、「流転」しろ!」

 

 黒咲は二刀流での押し引きに不利が付くと分かると、一瞬腰を落とし、下から跳ね上げる要領で光輝が振った特殊警棒を剣で弾いた。その時、力の流れが変わる。まるで黒咲がその流れを司るように、光輝は空中へ跳ね上がる。無防備だ。

 

「ッ、ジャック!」

 

賢明(クレバー)だよ、岡本光輝』

 

 光輝は直ぐに、憑依をムサシからジャックへ移す。ムサシの戦闘方法は、地上戦向きだ。足を地につけることを前提とする侍の戦い方は、空中に投げ出された瞬間、破綻する。

 だから、今はジャックに任せる。ジャックの能力は「神の手」。腕から先の動きが、常人のそれと一線を画す正に神の(わざ)。空中で二本の特殊警棒を、自分を守るように我武者羅に振る。

 普通の速度ならただの間抜けな行動にしか見えないが、それを行っているのは「神の手」だ。黒咲は、攻めあぐねる。攻撃の隙間がない。下手に動けば逆に攻撃を貰う。

 

 チャンスを作った黒咲だが、直ぐにそのチャンスを失う。空中に浮いていた光輝はもう地上に足を付けた。瞬時に、憑依をムサシへ。

 

「ッハ、駄目だ駄目だ駄目だ、ダメじゃないか夜千代!目の前のクソ雑魚に何手間取ってんだよ!」

 

 黒咲は自分を叱咤した。Eレートの少年、岡本光輝。そいつに、自分は上手くいなされている。それはまるで嘲笑。光輝から黒咲への嘲笑のように黒咲は感じていた。

 それは被害妄想だ。光輝は精一杯勝ちへの道を探して綱渡りしてるに過ぎない。だが、黒咲は劣等感を感じた。暗い少女の、一方的な被害妄想。

 

 ふざけるな。私は天才だ。お前風情が、そこらの石ころが、私の歩く道を阻むな。

 

 黒咲の脳内にはかつてないほどのアドレナリンが分泌されていた。こんなに私をイラつかせる奴は初めてだ。……ブッ殺す。

 

「もう後戻り出来ねー。殺す。お前は、殺す」

 

 目を見開き明らかに激昂している黒咲。光輝からすれば、謂れ無き怒り。ふざけるな。キレたいのは俺の方だ。

 

 だが、黒咲はもう限界だった。頭に手を当てる。

 

「「封印・解除」……嗚呼、最悪だ。最悪の気分だ。テメエが悪いんだ、岡本光輝。死んでも恨むなよ。鏖殺しろ……「サクラザカ」!!」

 

「……ッ!防げ、ジル!」

 

『禍々しいな、まるで殺意そのものだ』

 

 光輝はジルを憑依させ手を目の前に突き出した。「黒魔術」を発動し、目の前に闇の障壁を張る。

 

 黒咲の様子が、確実におかしかった。彼女が「サクラザカ」と言った瞬間、彼女の雰囲気がガラリと変わった。まるで、鋭い殺気が脳に直接テレパシーで呪言のように幾多数多も流れ込んでくる。ただの人間の感情じゃない、圧倒的な「負」の感情。受け続ければ、脳が腐敗するような無限の悪夢。

 

 次の瞬間、黒咲は動き出した。二本の剣を、空中で振る。その空中から、大量の真空波が襲ってきた。飛ぶ斬撃、形容するならそうなる。

 闇の障壁でそれを受け止めはしたが、すぐに闇の障壁が丸ごと消え去った。瀧シエルの聖砲と相打ちになる闇の障壁を消し去った飛ぶ斬撃の威力は、防御して正解だったと光輝を思わせる。

 

 が、甘かった。斬撃を防御している間に目前には既に黒咲が居た。速い、圧倒的に速かった。

 

「回れ」

 

 黒咲は光輝の顔に頭突きを繰り出す。何が起きるか分かっていた光輝は負けじと額で受けようとした。が、少し反応が遅れた。ゴン、と鈍い音。光輝が押し負け、仰け反る。その隙に黒咲は光の剣を解除、空いた手で光輝の体を円の動きで地面に投げつける。まるで、お手本のような美しい柔術。

 

「ガハッ……」

 

 光輝は背中からアスファルトに体を打ち付ける。後頭部が地面とぶつかる。一瞬、意識が飛ぶ。瞼に青か、黒かよくわからない物が浮かんだ。「ブラックアウト」と呼ばれる現象だ。(のち)の、激しい痛み。視界はすぐに取り戻したが、体から息が全部吐き出され、苦しい。空気が吸えない。頭が回るような感覚。その間に、黒咲は倒れた光輝の顔の真横に光の剣を突き立てる。地面に突き刺さったその剣は全てを物語っていた。

 

 決着だ。岡本光輝は負けた。

 

「動くなよ。動いた瞬間、光の剣がお前の顔を両断する」

 

 倒れている光輝の胸を黒咲は踏みつける。ただでさえ苦しいのに、さらに苦しい。

 

「私の勝ちだ。言うことを聞いてもらうぜ。今日あった事は、全て忘れろ。私との出来事を全て忘れろ。私に近づくな。私はテメエが嫌いなんだ」

 

「……それで、いいのか?」

 

 苦しくも必死にひねり出す光輝の疑問。願ってもない、こんな奴と二度と関わってたまるか。

 

「ああ、それでいい。お前に他の事頼んで満足に果たせるのかよ。果たせないね。お前みたいなクソ雑魚、一生道路の端っこで生きてろ」

 

「……」

 

「じゃあな。帰って寝る。今日のことを誰かに言った瞬間、私はテメエを殺す。分かるだろ?私はお前より遥かに強い」

 

 胸を踏みつけていた足を黒咲はどけると、光の剣を消して去っていった。

 

 光輝は地面に寝そべっていた。月が光輝を照らしている。

 

 ははは、とても綺麗だ。

 

 光輝は体を起こす。まだ頭が痛い。体は息を切らしている。

 

 負けたんだ。まるで悪魔のような奴に、負けたのだ。当然だ、黒咲は強い。光輝は弱い。当然の結果だ。

 

「ははは……」

 

 光輝はアスファルトの地面を拳で殴りつけた。

 

「クソがッ!!」

 

 アスファルトに人の体が勝てるわけがない。皮がめくれた拳から、血が滴り落ちる。鈍い痛み。後でこれはもっと酷い痛みになるのだろう。だが、興奮していた今の光輝にはそれほど痛みは感じられなかった。

 

 黒い衝動。光輝は今、不可解な気分に包まれていた。最悪な気分でその場に座り込んでいた。とてもじゃないが、歩き出す気分にはなれなかった。



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黒い衝動 Side:黒咲夜千代

 黒咲夜千代は最凶最悪だ。

 

 それは、夜千代自身の自身への評価。夜千代は自分を「悪」のようなものだと、思っている。なぜなら正しくなくていいから。そんなものになんの意味も感じられないし、説かれても分からない。けど、それでいい。不満は無い。

 

 夜千代は元々、能力者じゃなかった。ある日を境に、能力者になった。その日の事は、詳しく覚えてない。だが、分かっているのはその日、夜千代の両親が死んだ、という事だ。いや、正確には殺された、か。

 

 夜千代は朝が弱い。いつも起きたときは不機嫌だ。一日の始まりは、冷蔵庫に買いだめしてある缶コーヒーを飲むことから始まる。銘柄は特にこだわりは無い。が、絶対に許せない物がある。それはブラックのコーヒー。無糖のコーヒーに価値はない。砂糖とミルクがコーヒーと混ざってこそ、眠気を覚ます至宝になる。

 冷蔵庫から微糖の缶コーヒーを取り出しプルタブを引き、押し込む。カッ、と音が鳴って飲み口から視界に映る茶色の海はいつ見ても素晴らしい。熱い夏は、缶コーヒーがさらに美味い。白のショーツに黒のシャツというだらしない格好だが、熱いのだから仕方ない。夜千代は家に居るとき、いつもこのスタイルだ。家には、他に誰もいない。1Kの、ボロ借家。だが、家賃はべらぼうに安い。でなければ住まない。

 

 コーヒーを飲んでからしばらくして、気分が少し良くなってくる。常に嫌な一日に覚悟を決める。よし、今日も動ける。

 

 学校指定のセーラー服に着替えて家を出る。7月半ば。あと少しすれば、夏休みだ。この前の生徒会長の話はウザかったが、まあいい。もうすぐ、毎日自堕落な生活を過ごせる。それが楽しみで楽しみで仕方がない。早く来い来い、夏休み。課題の事は一切考えちゃいない。

 

 電車で学校から最寄りの駅まで着き、そこから歩く。その過程がめんどくさいが、この辺りは家賃が高い。市街であるためだ。流石に一人暮らしで市街に住もうとは思わなかった。お金は有限だ。

 

 学校に着き靴を履き替えようとすると、自分のスリッパの上に白い封筒が置いてあるのが分かった。よくあるから知っている。ラブレターだろう。

 夜千代はそれを手に取ると、周りを憚らず縦にビリッ、と破り、近くのゴミ箱に捨てた。周りの人々はその光景を気にしない。いつもの光景だ。

 

「噂通りなんだね、君。ますます好きになっちゃったよ」

 

「は?」

 

 その様子を見て、近寄ってくる男が一人。その辺の道端に落ちている石ころのような顔をしている。

 

 あー、コイツが手紙置いてたのか。資源の無駄遣いだな。

 

 夜千代は無視して歩き去る。

 

「ちょっと、待ってくれたまえ。僕は、君が好きなんだ。そのクールな振る舞い、たまらない。付き合ってくれないかな」

 

 しつこく食い下がる石ころ。気持ち悪い。コイツは自分の人生を見直したことが無いのだろうか。

 

「悪いけどアンタ、生まれ変わって出直してくれ。石ころに興味は持てない。そんとき私が生きてたら考える」

 

「い、石ころ……?」

 

 夜千代の容赦ない言葉に石ころはその場にへたり込む。道の邪魔なんだよ、クソ雑魚が。

 

 夜千代はよく告白される。最悪な私の何がいいんだか。時にはラブレターだったり、時には直接だったり。だが、その全てを断っている。なぜなら、「無駄」だから。

 

 昼間見ていた刑事ドラマの小説家の台詞で「人生は死ぬまでの暇つぶしだ」なんて言葉を聞いた。それは昔で、その時は理解出来なかった。だが、最近はその通りだと思う。生きることに意味なんてあるのだろうか。ただただ惰性。いかに自己満足を繰り返して暇を潰すか。それだけだと思う。

 だから、石ころと一緒に居るとか、冗談も甚だしい。私は石フェチじゃない。せいぜい宝石ならいいかもしれないが、すぐにそれも飽きるだろう。どうでもいい。

 

 かといって、自殺したりはしない。怖いのだ。それが人間の本能。死ぬことには恐怖を感じる。本当に、生きるとは難儀なものだ。人間とかいう下手に知能を持ったがために不自由になった生物は悲しい。

 

 体育の授業。体操服に身を纏った夜千代は、今体育館に立っている。他クラスと合同のバスケットボールの授業だ。

 八千代の身体能力は同性と比べて良さげである。パワー2、スピード3、タフネス2、スタミナ3。スキル3「過去の遺物(オー・パーツ)」のBレート。これは、一般的に言って「優秀な身体能力」だ。

 

「黒咲さん、お願い!」

 

「あいよ」

 

 ボールを受け取り、ドリブルで敵のゴールまで走る。いくつかの相手が邪魔してくるが、問題ない。私の速さにお前らは追いつけない。

 

 最後の一人。ゴールの下に立っている。

 

「挑めや少女」

 

 乗り越えれば勝ちだ。だが、その最後の一人が厄介だ。

 

「お前の目の前にあるそれは、世界最大の「不浄利」だ」

 

「私は天才だ!」

 

 夜千代は自分を叱咤した。でないと乗り越えようがない。

 

 瀧シエル。1年生にしてSレートの評価を持つ、天災。

 

 夜千代はそのまままっすぐ突っ込む。そしてジャンプすると見せかけて右斜め前にステップ、そこからジャンプしてゴールにボールを持っていく。身長の低い夜千代だが、その跳躍力は確かなものだ。

 

 だが、空中で横からの影。それはそのまま通りすぎ、夜千代のボールを奪っていった。瀧シエルだ。

 

「なッ……」

 

 フェイントはかけたはずだ。そこから一切の無駄もなかったはず。全て読んでいたというのか。はたまた、見た上での対応か。どちらにせよ、化物だ。

 

 そのまま瀧は神速でゴールへの距離を詰め、3ポイントシュート。綺麗にゴールに収まり、ゲームセット。

 

 瀧シエルとかいう化物。多分あれは元々そういう「存在」として生まれてきた人間だ。立ち向かおうなどと考えてはいけない。

 

「黒咲さん、惜しかったね」

 

 先ほどパスを出してきた女子。いや、何を言っているんだコイツは。

 

「駄目だ。勝てなきゃ何の意味もない。惜しいで済むなら、結果なんていらんだろ」

 

「え……ちょ、ちょっと、黒咲さん?」

 

 夜千代は女子の方を見ず歩き出す。たまに居るんだ、ああいう奴が。頑張ったね、凄いね、みたいな奴が。その言葉でどれだけの人間が夢を諦めきれずに奈落の底に落ちていったか知らないのだろうか。

 

 生きるという事柄に置いて、重要なのは「諦め」、「妥協」。惜しいとは、人を甘くたらし込む、まるでウツボカズラのようだ。一度入ったが最後、出れなくなってしまう。馴れ合いの言葉。

 

 夜千代はそんなのゴメンだ。好き勝手に生きる。それが最高の「暇つぶし」、即ち「人生」だ。身の程を知り、それより上を行かない。上を向かない。上手い生き方だ。夜千代はそれでいいのだ。

 

 授業が終わり、今日も帰るだけだ。なんとなく眠たいので、学校に備えられた自販機でコーヒーを買い、一気飲みする。時には贅沢も必要だ。人間は機械じゃない、感情のコントロールが大事だ。

 

「ちょっと」

 

 声がかけられる。女の声。

 

 だが、夜千代は無視して歩き出す。知らんことだ。

 

 声をかけた女が夜千代の肩を掴んできた。

 

「おい、呼んでんだろ!」

 

「ああ、私です?」

 

 一応は下手に出る。声がかけられた用件は多すぎて検討もつかない。困った事だ。

 振り返ると、5人の女子生徒がいた。見た顔は無い。

 

「お前、朝シュンの告白断ったらしいじゃんか!ざけてんの?」

 

「シュン君の顔に泥塗ったんだ、詫びろよ」

 

「……」

 

 黒咲は飲み終わった缶コーヒーを落とし足でグシャッ、と踏み潰した。いきなりの出来事に、女子生徒たちは狼狽える。

 

「な、なんだよ……」

 

 怯みつつも先頭の女子生徒が言った。黙ってろカス。

 

「対面しましょか。5対1。負けた方が屋上から逆さ吊りの刑な」

 

「は?」

 

「じゃ、始まり。「流転」せよ」

 

 夜千代は踏み込む。そして先頭の女子生徒の腕を掴むと、そのまま地面に軽く押さえ込む。女子生徒の体はいとも簡単に地面に倒れふした。

 

「え……」

 

 相手の女子生徒は全員何が起こったか分からない、という表情をしている。まだ分かってないのか、頭の回転が遅いな、コイツら。

 

 これは強者から弱者への虐めだ。

 

「あと4人」

 

「ヒッ……」

 

 夜千代が掴んでいた腕を離すと、5人は全員死に物狂いで逃げていった。力でねじ伏せる。上下関係を分からすには一番手っ取り早い方法だ。

 

 夜千代が帰る準備をしようと下駄箱へ向かうと、ウィィン、と携帯のバイブが鳴った。画面を見やる。そこには「黒咲(くろさき)枝垂梅(しすい)」と表示されていた。

 

「もしもし、早くないかよじーちゃん」

 

 『すまんな、夜千代。仕事じゃ』

 

 夜千代は用件を聞くと、直ぐに携帯を閉じた。また、めんどくさい事が始まる。



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黒い衝動 Side:黒咲夜千代2

 待ちに待った夏休み。黒咲夜千代はご機嫌である。

 

 缶コーヒを片手にいつもの下着(ショーツ)とシャツの2枚でテレビを惰性で見る。再放送のバラエティ番組が流れているが、たまに見るにはちょうどいい。夏休みの利点とは、勉強をしなくていい。他者に関わらなくていい。めんどくさい学校に行かなくていい。これらに尽きる。しかも、朝早く起きなくていいのだ。素晴らしい。

 

 夏休みが始まってからもう10日ほど過ぎ8月に入ってしまったが、まだほぼひと月ある。明日は学校の登校日だが、それは仕方ない。休んでもいいんじゃないかとも思っている。だが、そうすればじーちゃんがうるさい。まあ行ったことにすればいいかな?それに、今日のボランティア部の集会もサボったし。

 

 夜千代はボランティア部の幽霊部員だった。なぜボランティア部かと言えば行く回数が少なくていいから。しかも行っていない。ボランティアなんてアホみたいな事、脳味噌お花畑な奴らでやってりゃいい。くだらない、ああくだらない。

 

 あ。そういや明日って、翔やんの新作CDのアルバム発売日じゃねーか……

 

 ふと、夜千代は思い出した。夜千代の数少ない趣味の一つ、音楽を聞くこと。音楽はいい。気分を良くしてくれる。その世界にのめり込み、脳味噌をからっぽにして楽しめる。最高にて至高だ。

 

 つい思い出した事でさらにご機嫌になる。へへ、ラッキー。

 

 そんな自堕落な生活をしていると、ふとスマートフォンが鳴った。今は無き「OZMA」というアーティストの曲が流れる。夜千代は舌打ちした。どうせまた仕事だ。そもそも、夜千代の電話帳は仕事先の人間の番号しか入ってない。確定だ。

 

 画面に「黒咲(くろさき)枝垂梅(しすい)」と表示されたスマートフォンを取り、苛立ち混じりにめんどくさそうに話す。

 

「んだよ、真昼間にかけてきやがって」

 

『すまんの、仕事じゃ』

 

「シャインや土井さんは居ないの?」

 

『そうなのじゃ。お前が頼りなのじゃよ』

 

「……チッ、しゃーねーな」

 

 他に数言のやりとりをし、電話を切る。夜千代が仕事をする事によって、勿論お金が入ってくる。それも、決して少なくない量の。その仕事は、イクシーズの暗部、内密の仕事。決して表舞台に立たない、裏の世界。

 

 イクシーズ暗部機関「フラグメンツ」コード・ファウスト。それが、黒咲夜千代の正体だ。

 

 できるだけ急ぎの仕事だ。夜千代は自室のベランダから外を見る。真昼間の閑静な路地。人一人歩いていない。よし、飛び降りるか。

 

 夜千代は部屋で着替える。今着ている下着とシャツの上から部屋着用の短パンを履き、その上から黒のコートを羽織る。生地は薄めで防弾・防刃をこなす重要なアイテムだ。そして、仮面を被る。フラグメンツは一般人に正体を知られてはいけない。なので、変装は必須だ。

 変装が終わり、ベランダから飛び降りる。夜千代の身体能力は高い。だからといって、それだけで地面に降りるわけにはいかない。夜千代は自分の能力「過去の遺物(オー・パーツ)」を使う。その能力は、見たことのある印象の強い能力をコピーする、という物だ。

 かといって、瀧シエルの能力をそのままコピーできるかと言えばそうではない。このコピーは、非常に精度が低い。瀧の能力をコピーできたとして、使えるのはその10~20%程度の力。器用貧乏とも言える能力だった。まあ、使い方を間違えなければ便利な能力ではあるが。

 

 自分の中にあるレパートリーから、ある一つを引っ張り出す。「流転式(るてんしき)」という能力。今、それを再現する。

 

「「流転」せよ」

 

 地面に着地した時、本来足にくるはずの衝撃が殆ど地面に流れ去る。言ってしまえば、力を受け流す能力。それが「流転式」だ。

 

 左右を見渡す。すると、偶然今曲がり角を歩いてきた学生服の男子と仮面越しに目が会った。しかも、制服からして夜千代と同じ学校の生徒が。

 

 ……まずった。とりあえず逃げるか。

 

 夜千代はその場をとっとと走り去る。顔がバレてなきゃ問題無いだろ。

 

 その時は、そう思っていた――

 

――違法薬物の検挙。それが、今回の仕事だった。

 

 先手を夜千代が切り、敵をなぎ倒した所に後発で警察が乗り込むという作戦(プラン)。もっぱら、フラグメンツの仕事とはそういうものだ。

 

 実力を持った者が、犯罪を取り締まるために裏で警察と協力をする機関。それも、正体を外に明かさない程度に隠蔽が出来なければいけない。それが、フラグメンツ。危ない橋を渡る上に条件が限られている為、報酬は良い。

 

 夜千代は、その点で優れていた。特に有名でもなく、身体能力はそれなり。能力は他者の能力をコピーできる「過去の遺物」。様々な能力を状況に応じて使い分け、かつ特定がされにくい。天職とも言えた。夜千代に警察から秘密裏にスカウトが来てるくらいだ。その為には勉強して大学にも行かなければいけない。まあ、就職できれば将来は安泰だが。夜千代が現在考えている将来の一つでもある。

 

「コード・ファウスト、お疲れ様でした」

 

「ああ、どうも」

 

 警察官の一人が敬礼して声をかけてきた。歳はそれなり。流石に目上の人に無礼な態度を取るわけにもいかないので、会釈をする。

 

「仕事が終わり次第、支部に来てくださいとコード・セコンドからの伝言があります」

 

「……まじかよ、じーちゃん……」

 

 コード・セコンド。黒咲枝垂梅のコード・ネームだ。まさか、そんなめんどくさい事までしなければいけないのか。

 

 流石にこのままの姿で合うわけにもいかないので、コートを脱ぎ仮面を外す。シャツと短パンというお粗末な姿だが、まあ夏なら問題ないだろう。

 変装服を持っていたスーパーの袋に突っ込み、枝垂梅の居る支部へ向かう。電車に乗っていかなきゃならない。金もかかるし面倒だった。

 

 どこにでもありそうな街頭の3階ほどの建物。ぱっと見、何の建物か分からない。ただのマンションにも見える。だが、ここが警察支部であり「フラグメンツ」の本拠地だ。

 

 暗証番号でドアを開け、エレベーターで3階に上がりドアを開ける。そこには、一人の老人が居た。

 

「おお、久しぶりじゃな夜千代」

 

「何の用だよ」

 

 立ち上がったその姿は、見たんま70代のおじいちゃんだ。顔には多くの皺が刻まれ、かつて180cmを超えたとされる身長は今や女子である夜千代と同じ程度。頭髪は薄くなり、白い毛が少しだけある程度。この人がまさか、暗部機関「フラグメンツ」のリーダーなんて誰も信じないだろう。なお、ステータスはパワー2、スピード2、タフネス2、スタミナ2、スキル3「封印・解除(ふういん・かいじょ)」のCレートとされる。この体でこの身体能力は、未だに鍛錬を続けているが為か。

 

 枝垂梅は夜千代に椅子に座るよう促し、冷蔵庫から冷たい麦茶を持ってきた。夏にはありがたい。コップに注がれたそれを夜千代は一気飲みした。冷たい水分が喉を流れ、火照った体に染み込む。美味い、気持ちいい。

 

「最近どうじゃ。友達とは遊んでおるか」

 

「いや……友達居ないんだけど」

 

 世間話に少し答えづらいが答える。しょうがないじゃないか、いらないんだから。

 

「なんじゃと!?それはいかん、いかんぞ夜千代!」

 

「い、いきなりなんだよ」

 

 突然声を張り上げた枝垂梅。夜千代は耳を塞ぐ。世間話で大袈裟だ。まあ、そうなる気持ちも分かるが。

 

「可愛い孫に友達が居ないとは……気づいてやれんかったワシがだめじゃな。夜千代よ、寂しくはないか?」

 

「……別に」

 

 一転変わって優しげな目を向ける枝垂梅。寂しくないと言えば、嘘になるのかもしれない。家に両親は居ないし、じいちゃんは一緒に住んではいない。友達も居ない。仕事先の人を除けば交流などない。

 

 だが、別にいいのではないか?と。それで何かこの先困るのか?……考えてみたが、多分、困らない。それが夜千代が出した答えだ。

 

「……そうか。いや、ならいいのじゃ」

 

 その後、幾つかの話をして枝垂梅と別れる。

 

 夜千代は街で真夏の空を見上げる。……眩しい。なんでこんなにも青空というのはうっとおしいのだろうか。太陽なんて常に隠れていればいい。嵐の前の曇天。それが、夜千代が好きな天候。

 

 雲とは偉大だ。穏やかなそれは、荒れた心を落ち着かせる寛容さがある。うるさい晴天なんぞとは遥かに違う。愛せる。

 

 誰に理解されるでもなく、自分の世界に閉じこもって自由に生きる。それが黒咲夜千代の生き様。ゆっくりと、歩いていこう。夜千代は、そうする事で生きることに意味を感じていた。このスロースタイルが、自分である証だ--

 

--深夜。家から近いレンタルビデオショップ。日が変わる頃を見計らって、夜千代は新作CDを買いに来ていた。

 

 CDの見本を手に取ると、隣からも手が伸びた。いつの間に。

 

「あっ、すいません……」

 

 謝られた。下手に出られたのだからこちらも下手に出なければいけない。

 

「いえ、こちらこそ……」

 

 隣の人間に目をやる。その顔は、見たことある顔。同じクラスで、「超視力」を持つ少年、だっけか。確か、岡本光輝と言ったか。

 

 あれ、他にも何か……

 

 考えて、思い出した。昼間、仮面とコートの姿を見られた男だ。



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黒い衝動 Side:黒咲夜千代3

「……」

 

「……」

 

 月が照らす夜の街を歩く岡本光輝と黒咲夜千代。周りが住宅以外に特に何も無く、都心地よりも遥かに静かである。二人が歩く音以外、何一つ無かった。二人の間に、言葉なども無い。

 

 結局「翔やん」の新作CDアルバムは白銀というヤンキーのような男に奢ってもらってしまった。まあ、それはラッキーだという事にしておこう。お金を使わずに済むなら、それに越した事はない。

 

「なあ、ボランティア部の事、なんだけど……」

 

「……えっ?」

 

 岡本が持ち出した、ボランティア部の話。もしかしてコイツ、ボランティア部だったのか。夜千代は気まずい。自分は行かなかった。その事について咎められるのだろうか。だとすれば、めんどくさい。

 

 いや、それよりも深刻な問題が先程から頭の中で渦巻いている。

 

「今日、お前んちにプリント入れといた。俺もボランティア部でな、家が近いからって押し付けられたんだ」

 

「ああ、それで……」

 

 昼間、確かに夜千代の住むアパートに岡本が来ていた。なるほど、そういう事か。プリントはまだ目を通しちゃいない。めんどくさかった。

 

「……お前、夏祭りの巡回が決まったぞ。災難だな」

 

「うわ、マジ?」

 

「ああ、大マジだ」

 

「だるー……」

 

 夏祭りの巡回。最悪、それはすっぽかすまである。夜千代はその気になればボランティア部を抜ける気もある。別に、他の部活を今から探して入ってもいい。だから、重要なのはそこじゃないんだよ。わかってんのか?岡本光輝。

 

 お前は「超視力」で確かに変装した私を見たはずなんだ。お前みたいな陰気で根暗で私のような奴が、何も考えてないはず無いだろ。

 

 二人は、夜千代の住むアパートの前まで着く。

 

 もう一度、夜千代は岡本からある事を聞き出す。これは私が自然に対応する為の流れを作るためだ。私が有利に立って、岡本光輝という男を引きずり出す。

 

「ところで……今日、家にプリントを届けてくれたのはあんたなの?」

 

「ああ、そうだけど」

 

 そうだ、大前提だ。ここまではいい。

 

 夜千代は口に手を当て喋るべき事を考える。そして、少しして口を開いた。

 

「……最近、この辺で仮面を顔に付けた変質者が出るって噂を聞いたんだけれど、見なかった?」

 

 仮面を顔に付けた変質者。心当たりは大いにあるだろう。昼に、お前はその姿を見ているんだから。

 

「……んー、いや、見てないな」

 

 見ていない。その言葉は聞きたくなかった。弄れているコイツが答えた場合。それがどういう状況を作り出すか。

 

 まず、最悪の状況は岡本光輝が黒咲夜千代を仮面の変質者だと疑っている場合だ。

 

 コイツには超視力がある。仮面から覗く目、背格好を捉えることは可能だとして、だ。それを降ってきたアパートに住む夜千代と照らし合わせる可能性は十二分にある。

 

 そして、コイツの回答。「見てない」。その言葉の中には二つの意味が含まれる。仮に、岡本が普通だったとして、目の前の夜千代が仮面だったとして。「見た」と答えたら。夜千代が仮面だった場合、口封じに襲われるだろう。「見てない」と答えたら。襲われないだろう。仮面は安心するからだ。見てないのなら危害を加える必要が無い。岡本が変に小賢しい場合。結果はその「逆」を想定しなければならない。要するに読み合いだ。相手の知能レベルに合わせて、相手の回答にどういう意味合いが含まれるか。

 

 そしてコイツはその小賢しいを上回って、「弄れている」ハズだ。コイツの魂は、私と似たようなものを感じる。黒い、濁った魂。

 

 岡本の答えた「見てない」。私が岡本なら、その意味合いは二通りになる。保険をかけるはずだ。「知らぬ存ぜぬ、分かりません」と「見たけど見なかった事にしてやる。だからそれでいいだろ?」だ。

 

 弄れてて「見た」と答えたならなんの警戒も持っていなかったことになる。もしそうだった場合、全てをスルーで良かった。だが、そうもいかない。

 

「そっかぁ……」

 

 夜千代は心の中で怒りを増幅させる。戦うという事において、重要なのは感情だ。相手をどれだけ憎いと想うかで、握りこぶしは強くなるだろう。そして、ふぅ、と一息つく。心の中で言う。「光の剣(ジ・エッジ)」と。

 

 次の瞬間、夜千代は岡本に対して光の剣による袈裟斬りを仕掛ける。強襲。「フラグメンツ」の事は一般市民に知られてはいけない。疑いを持たれるのも面倒だ。誰かに話されないように、この一撃でぶっ倒して、調教して、私のことを喋れなくしてやる。相手は所詮Eレートだ。Bレートの、しかも普段全力を出していない私が、負ける道理などない。

 

 夜千代は、仕事中や夜道などの少しでも危険な時に「封印・解除」による解除で、自分の人間としての限界を解除している。精度は低くじーちゃんのように使いこなせはしないが、使えば自分の身体能力を上げることができる。人間の限界の、少し上を行く事ができる。それだけあれば十分だ。

 

 だが、岡本の魂が変わった。まるで凛々しく猛る、豪傑の魂。岡本は鉄の棒を取り出し、夜千代の剣を防いだ。

 

 夜千代の中に封印されている、「サクラザカ」の記憶。その詳細は思い出せない。記憶が、黒咲枝垂梅によって封印されているからだ。だが、それでも夜千代の記憶の表層ににじみ出てくる感覚。常時、「サクラザカ」は封印されつつ「過去の遺物」にて再現されていた。その「サクラザカ」により、夜千代は人の魂を見ることができた。

 

 人の魂。それはまるでその本人を象徴するような物だ。

 

 例えば、白銀雄也。先ほど会ったアイツの魂は白く強靭(つよ)い鋼鉄のような魂。瀧シエルは眩しく澄み渡る晴天のような魂。目の前の岡本光輝と自身である夜千代は黒く濁った暗闇のような魂。

 

 岡本光輝は魂がまるで塗り替えられるように変わった。いや、正確には混ざり合ったような。鬼気迫るその魂には黒い陰りが見える。

 

「お前……その魂、どういう事だ?さっきまでとまるで別人じゃないか。何モンだ?」

 

「はっ……お前が言うのか?お前こそ何モンだよ」

 

 疑い合う二人。岡本光輝は、何かを隠している。

 

「岡本光輝、だよな?Eレートって話だけど……ただのEレートじゃない。まあいい、私はお前をねじ伏せる必要がある」

 

「……あ?」

 

 黒咲は嘲るように言う。

 

「対面張ろうぜ。負けたほうが勝ったやつの言うことをなんでも聞く。ああ、安心しろよ。自殺しろ、とかは言わないから。じゃあ、潰すわ」

 

 岡本光輝が実は強いとか、そんなのはどうでもいい。とりあえず潰す。可能だ、私は天才だ!--

 

--クソッ、ふざけてやがる。

 

 夜千代は他人が使えない「二刀流」が可能だった。人間の限界を少し超えているからこそ使える技法。しかし、その技は相手が上回るように対応してきた。

 

 岡本を空中に放り出した時に勝った、と思った。だが、まるでバリアのような二本の警棒の防御により仕留める事は出来なかった。

 

「ッハ、駄目だ駄目だ駄目だ、ダメじゃないか夜千代!目の前のクソ雑魚に何手間取ってんだよ!」

 

 まさか、私が負ける?そんな事はあってはならない。コイツは石ころ。私は天才だ。何が何でも勝ってやる!

 

 夜千代は自分を叱咤する。目的は目の前の石ころの排除。コイツが、邪魔だ。私を嘲りやがって。クソ、イライラする!

 

 かつてないほどのアドレナリン分泌。岡本光輝は平然とそこに立っている。お前はもう倒れてなきゃいけないんだ。なんで立っているんだ。

 

 ……ブッ殺す。

 

「もう後戻り出来ねー。殺す。お前は、殺す」

 

 夜千代はもう止まらない。それは、黒い衝動。目の前の男に、怒りが止まらない。お前が、私より劣るお前が。何の権利があって--!

 

 頭に手を当てる。今から行うのは「封印」された記憶の「解除」。絶対に枝垂梅からやってはいけないと言われている行為だ。だが、止められない。今この場でコイツを叩きのめさなきゃ自分を否定することになる。そんなのは、死んでるのと同じだ。私がここで死なない為に、禁忌の扉を開ける。

 

「「封印・解除」」

 

 夜千代は呟いた。夜千代が技を使うときに呟くのは、自分がその能力を鮮明に意識するため。能力を鮮明にイメージできるほど、その能力は強くなる。枝垂梅がかけた封印は強力な物だが、少しだけでもこじ開ければ記憶は流れ込んでくるハズだ。一度、試したことがある。その時は、最悪な気分だった事を覚えている。

 

 夜千代は自分の記憶を解除した。それは、両親が殺された時の記憶。その時の情景が、頭に一気に流れ込んでくる。それはとてもじゃないが理性を保てるような情景じゃなかった。

 

「……嗚呼、最悪だ。最悪の気分だ。テメエが悪いんだ、岡本光輝。死んでも恨むなよ。鏖殺しろ……「サクラザカ」!!」

 

 だが、今は目の前の敵を倒すことが先決だ。夜千代は光の剣を、空中で振る。そこから、大量の真空波が生まれ、岡本光輝に襲いかかる。八つ当たり混じりの、負の感情。

 岡本は手を目の前に差し出し、黒い靄のような物を作り出した。また、魂が変わる。真空波は全てその靄に飲み込まれたが、夜千代は走り出していた。

 至近距離、岡本と夜千代。岡本の安堵した表情が一気に青ざめる。

 夜千代は頭突きを繰り出した。すんでの所で一瞬、我に帰ったのだ。殺してはいけない、と。剣で塞がっている両手は使えない。だからこその、頭突き。咄嗟に出たのが、それだった。岡本も反応してきたが、遅い。そのまま、頭突き倒す。

 岡本が仰け反る。瞬間、夜千代は光の剣を解除した。

 

「回れ」

 

 今なら、「流転式」をつぶやく事なく強くイメージする事ができる。夜千代は光輝の肢体に手を回し、アスファルトの地面に投げ飛ばした。美しい、円の動き。

 

「ガハッ……」

 

 地面に全身を打ち付ける岡本。瞬時、夜千代は光の剣を片手に生成。倒れた岡本の顔の隣に突き刺してやる。文句の言えぬ、決着だ。

 

 夜千代は、勝った。

 

「動くなよ。動いた瞬間、光の剣がお前の顔を両断する」

 

 倒れている岡本の胸を夜千代は踏みつけた。動くこともできまい。

 

「私の勝ちだ。言うことを聞いてもらうぜ。今日あった事は、全て忘れろ。私との出来事を全て忘れろ。私に近づくな。私はテメエが嫌いなんだ」

 

「……それで、いいのか?」

 

 苦しいだろうに、問いかける岡本。何の問題もない。

 

「ああ、それでいい。お前に他の事頼んで満足に果たせるのかよ。果たせないね。お前みたいなクソ雑魚、一生道路の端っこで生きてろ」

 

「……」

 

 これは強がりだ。今回は、意地に任せたに過ぎない。岡本光輝に負けたくないという一心で、やり過ぎてしまったという気持ちはある。少しばかりの、罪悪感。だから、それだけでいい。後は、関わってくれなければいい。

 

「じゃあな。帰って寝る。今日のことを誰かに言った瞬間、私はテメエを殺す。分かるだろ?私はお前より遥かに強い」

 

 脅しをかけて胸を踏みつけていた足を夜千代はどけると、光の剣を消して自分の家に帰った。それまでは、最高の優越感に浸っていた。

 

 自室のドアを開け、家の中に入った瞬間。「死にたい」という気持ちが溢れ出てきた。

 

「フーッ……フーッ……」

 

 よろけ、壁にもたれかかる。息が乱れる。駄目だ、頭の中がグチャグチャだ。靴のまま玄関を駆け抜け、トイレに駆け込む。

 

 それと同時に、便器の中に嘔吐した。

 

「ッ……うぁッ……うぅあッ……えぇッ……ッ!!」

 

 胃の内容物が、ドロドロの状態で食道を逆流し口から吐き出される。臭い。苦い。酸っぱい。苦しい。喉を通るえも言われぬ不快感。

 

 全てを思い出した。私の両親を殺した犯人。犯人と黒咲枝垂梅の関係。私の立ち位置。

 

 生きる理由が失くなる、そう形容した。夜千代は、死にたかった。先程まであった生きる意味、「岡本光輝を倒す事」。それが終わり、今。自分の生きる意味が全くない事に気付いた。境遇も、存在も、全てが私を否定する。

 

 いや、違う。違うだろ、夜千代。否定しているのはこの世の全てじゃない。「私」が「私」自身を否定しているんじゃあないか。

 

 呪う。他の誰でもない、自分を呪う。自暴自棄。自己嫌悪。

 

 夜千代は頭に手をやる。「光の剣」を生成しようとしていた事に気付く。

 

 駄目だ。それ以上踏み込むな。封印をしろ、記憶を、封印してしまえ--!!

 

 夜千代は、呟く。必死に、呟く。

 

「「封印」……」

 

 忌まわしい記憶を、狂いそうになりながら、封印した。感情が、落ち着いていく。

 

 ……先ほどまでの負の感情が嘘のようだ。笑える。何も嫌なことなど無い。私は、笑える。

 

「ははっ……やったんだ、私は!岡本光輝を倒したんだ!!あはははっっっ!!」

 

 そうだ、これでいい。これが、私だ。

 

 夜千代は高揚感を得ていた。「サクラザカ」の事は封印された。そうすれば、こんなにも光が視える。これでいいんだ。



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キャンプ・ダイブ・アサルトシェイド

「光輝と一緒に居られないなんて、寂しすぎます!」

 

 玄関で目をうるうるとさせてそんな殺生な、と訴えるクリス。

 

「いや、また昼過ぎには帰ってくるから……」

 

 光輝はクリスに対してそんな大げさな、と答える。

 今日もまた、光輝は学校に行かねばならない。なぜなら、登校日だから。

 

 何も今日じゃなくてもいい。夜に、黒咲夜千代と対面した……というか、喧嘩をした後だ。あの時はただただイラついていたが、冷静に考え直すと黒咲とは同じクラスだ。嫌でも顔を合わせることになる。気まずい。

 まあ、お互い話をしなければいいだけだ。光輝は夜千代の素性を詳しく知ってるわけでもないし、何か秘密はあるだろうがそれを他人に言うつもりも無い。逆に、夜千代が光輝に何か秘密があるのも知っているのだ。

 似たような状況。そして対面の取り決めもあるので、光輝は他人に絶対に言わない。

 

 あの夜、結局家に帰ってきてからはそのまま寝た。起きてからも、結局奢ってもらったCDを聞いてない。そんな気分にはなれなかった。内心、今日学校には行きたくない。

 

「というわけで、行ってくるわ。外に出てもいいけど迷子になるなよ」 

 

「はい、いってらっしゃいませ」

 

 しかし、行かなければならない。もうすぐ1年は校外学習でキャンプがある。今日は、その班の振り分けがあるのだ。今回もまた余り物になるだろうけどな。

 

 この手の班分けで、光輝は基本余り物で組んでいる。他人と仲が良くないからだ。1年1組で仲がいいと言えるのは、せいぜい龍神王座ぐらいだろうか。しかし、龍神は他の女子から引っ張りだこだ。期待は一切出来ない。

 

 ああ、頭が痛い。そんな事を思いながら、光輝は学校に向かっていった--

 

--なんでだ。なんでこうも、不幸というのは重なるのだろうか。

 

 人間、追い詰められたときというのはどうしても嫌なことに敏感になるものだ。

 こんな話がある。人生、生きていく中で良い事と悪い事、両方ともしっかりカウントしていくと実は良い事の方が多くて、悪いことっていうのはそのインパクトが強く、人間はそれで「私は不幸」だ、と思い込んでしまうそうな。だから実際は、人生は良い事のほうが多いのだと。

 

 そんなこと知るか。とりあえず今の俺は不幸だ、とアホみたいな希望論を抜かしたそいつに言ってやりたい。

 

 岡本光輝は学校からの帰り道、非常に重たい足を動かしていた。確かに、学校に行って良い事はあったんだろう。後藤らと馬鹿な話で盛り上がって。それはそれだけで楽しいのだ。それは、良い事だ。

 

 が、それとこれとは話は別だ。

 

「なんでまたアイツの家に行かなくちゃいけねーんだよ……」

 

 結論を言おう。岡本光輝は今日もまた、黒咲夜千代の家に行かなければいけなかった。

 

 黒咲は、今日、風邪で学校を休んだそうだ。その為に今日もまたプリントを渡しに行かなきゃいけないし、決まりごとの説明もあった。

 本当は他の奴に行って欲しかった。黒咲には「私に近づくな」と言われている。しかも、脅しではあるが「殺す」とも言われている。だから行きたくない。誰が好き好んで嫌われている奴の所に行くものか。

 

 だが、ボランティア部の先生がウチのクラスの担任に話をしたのか「岡本光輝は黒咲夜千代の家から近いし家を知っている」事を知っていたらしく、光輝が行くことになってしまった。流石に先生に黒咲さんと喧嘩をしたので行きたくありませんとは言えない。

 

 くそ、不幸だ。つかアイツ、あんなに夜元気だったのに絶対仮病だろ。

 

「おい、ムサシ。端から魂結合だ。殺されちゃかなわん」

 

『承知よ』

 

 夜千代の住むアパートの近くまでたどり着き、光輝はムサシと魂結合を行う。どうせ夜千代に秘密があるってのは知られているんだ。なら、遠慮なく予防線は貼っておこう。向こうが「殺す」をどれだけ本気で言っていたのか分からないが、用心するに越したことは無し。

 

 アパートの階段を上がり、3階の夜千代の住む号室まで。少し息を飲む。まずい、心臓の鼓動が速くなる。言っておくが、決して「恋」とか「愛」じゃない。認めたくないが、俺はあいつに「恐怖」している。「緊張」しているのだ。

 

 クソッ、本当に嫌だぜ……

 

 光輝は覚悟を決めた。それは、「押す」覚悟。インターホンを、押す覚悟。夜千代に会ってああだこうだと話をする覚悟なんて定まっちゃいない。だが、その一歩を踏み込まなければ永遠に先に進めない。そいう確信があった。

 勢いよく、インターホンを鳴らす。呼び鈴が夜千代の住む号室の中に響き渡るのが聞こえる。

 

 ……出ない。

 

 もう一回、インターホンを押す。出ない。居ないのだろうか?いや、それは困る。プリントだけじゃない。大事な話もあるのだ。当然のごとく、光輝は黒咲の電話番号を知らない。話すとなれば、もう一回、ここに来なければいけない。

 

 いや、嫌だよ?

 

 光輝は恐怖してここに来ている。そんなものは何回も味わいたくないものだ。あろう事か情けない、「男が女にビビって会いたがらない」という状況だ。光輝は自分の中でその事実を押し込みつつ、先に進むしかない。

 

「……っつ、いねーのか?」

 

 光輝はふと、ドアノブに手をかける。そのドアはガチャリ、と音をさせて開いてしまった。

 

 鍵が掛かっていない。居るのか?

 

 光輝は玄関を覗き込む。靴がある。そこから、真っ直ぐに通路を抜けて狭い部屋が視える。そこには布団が。盛り上がっているようだ。

 

 居る。黒咲は寝ている。

 

「黒咲ー。居るよなー。先生からの伝言があるぞー。あがるぞー。」

 

 ここまで来て引き戻すのも割に合わない。黒咲から何か言われた時の為に、理由を先に伝わりやすいように言っておく。そうすれば、俺は悪くない。

 靴を脱ぎ、玄関を上がる。一歩、一歩と慎重に通路を歩く。すぐにして、狭い部屋の中へ。間取りは1Kのようだ。

 

 部屋にはテレビとちゃぶ台とコンポ、他に特にない。6畳の和室。黒咲は、布団で寝ていた。その額は、うっすら赤い。

 

「本気で風邪か……おい、黒咲」

 

 光輝は黒咲を呼ぶ。返事は無い。すう、すうと寝息を立てているだけ。

 

 光輝は迷う。どうするべきか。安易に至ったその結果は、「医者」に任せるだった。

 

「ジャック」

 

『人使いが荒いねえ、アンタも』

 

 光輝はムサシとの魂結合を解き、ジャックと魂結合をする。最悪、ジャックならいきなり襲われても「神の手」で対応できる。それに、ジャックの身体能力フィードバックはムサシほどではないが優秀だ。なんとかなるだろう。

 

 そんな風に考えていたが、あろうことかジャックはいきなり、黒咲の額に手を乗せた。

 

「なッ……」

 

『ふうん、38度辺りね。高熱だ』

 

 光輝は驚く。いきなりそんな事をしてしまっては、黒咲が怒るだろう。いや、寝ている。間に合うか?

 

「……え、じーちゃん……?」

 

 黒咲は苦しそうに瞼をうっすらと開ける。寝ぼけているようだ。ほら、起きてしまった。どうすんだよ、ジャック!

 

「俺だ、岡本光輝だ。お前が学校に来ないからまた俺がプリント渡しに行けってさ。なんで倒れてんだよお前」

 

 光輝は必死に言い訳をする。どうか、黒咲に怒られませんように、お願いします神様。

 

『とりあえず状態を見るぞ。布団が邪魔だ』

 

 だが、医学の神様は残酷だった。

 

 なッ……!ジャックの奴、布団を引っペがしやがった!

 

 そこに現れるのは、黒いシャツに白のショーツの姿。無防備な、その肢体。まずい、この状況は非常にまずい。

 

「……え?」

 

 黒咲はまだ寝ぼけているようだ。その間に、ジャックはシャツの中に手を潜り込ませた。

 

 おい、お前--ッ!

 

『触診を始めるぞ。……ふーん』

 

「う……っ、ん」

 

 「神の手」を通じて触れる、黒咲の腹部。程よく脂肪と筋肉が付きしなやかなその感触は、きめ細かな肌と相まって、非常に触っていて心地の良いものだ。……いや、まずいって。

 

『ありゃりゃ、消化器官が駄目だねこれは……なあ、岡本光輝。変なところに血液集めるなよ。指先が狂う』

 

 お前は何を言っているんだ。ビークール、俺は冷静だぜ。

 

 それは、自分に言い聞かせる言葉。でないと、平静を保てない。というか、まずい。黒咲に殺される。「神の手」は少しずつ腹部から上に向かっていき、硬いものの下に指を潜り込ませ鳩尾を触る。

 

 ……って、ちょっと待て。今の硬いものって、も、もしかして、ブ……

 

「ど、どこ触って……ひゃあぁぁっ」

 

 だんだんと黒咲の意識もはっきりしてきたのか、言葉がしっかりとしてきた。いや、だからまずいってこの状況。

 しかし、ジャックは指を動かすのをやめない。幾つかの事を確認したのか、ようやくジャックは手をシャツから引き抜いた。

 

『ふむ。ストレス性の胃腸炎だね。これじゃ栄養補給できないわ』

 

 冷静に診断をするジャック。いや、目の前の黒咲さん、凄い怒ってらっしゃるんですけど。

 

 目の端にうっすらと涙を浮かべながら、赤い顔で光輝を睨みつける黒咲。多分その赤らみは、熱によるものだけじゃない。

 

「お、お前、ふざけ、やがって……」

 

 やはり体調がすぐれないのだろう。まだ起き上がれないようで、ただ強がりで必死に喋っているようだ。

 そんな様子をよそに、ジャックは脳内で語る。

 

『人間というのは素敵な生き物でね、脳内に幾つもの薬物を隠し持っている。プラシーボ効果って聞いた事はあるだろう?』

 

 プラシーボ効果。聞いたことがある。思い込みにより、体の調子が良くなる症例。医学に詳しくない光輝でもそれは知っていた。

 

『理解が早くてよろしい。喜怒哀楽によって人の体は健康にも不調にもなりうる。今回は典型的なストレス性だ。これなら話が早い、今から治療を行う』

 

 光輝は疑問に思う。ジャックには、そんな事が出来るのか。

 

『私を誰だと思っている。「神の手」を持つ天才外科医、ジャックだ。私が今から行おうとしている事がわかるかい?』

 

 ……分からない。人間の体を健康にする方法とは?光輝の疑問。ジャックは事細かに説明していく。それはまるで、医学の先生のように。

 

『人体の基礎は脳と心臓だ。この二つで人間の体は動いているようなものさ。体を回復させる手っ取り早い方法ってのは、それらを弄ってやることだ。しかし、直接触れることはできない』

 

 脳と心臓。それもそうだ、脳は頭蓋骨に、心臓は胸骨に大事に覆われている。それらを触ることは出来ない。ならどうするというのだ?

 

 考えるうちに、光輝の「神の手」が黒咲の腹部から下へと向かっていく。途中で直視してしまう、腰周りを大事に覆っている下着。その白い至宝が、また俺に情熱をもたらす……いかん、今は冷静に、だ。

 

『答え合わせだ。第二の心臓「足」を使う』

 

 光輝の「神の手」が黒咲の足裏をなぞる。その次の瞬間、一点を「神の手」が強く指圧した。

 

「……っ、つうぅぅぅ……!」

 

 苦痛に呻きを漏らす黒咲。その反応から、それがとても痛いものだとわかる。

 

『足裏を指圧する事により、心臓と脳に働けと命令を送る。プラスの薬物を促せ、てね。つまり、強制的にプラシーボ効果を起こすわけだな』

 

 説明をしながらも、足裏の指圧をやめない、その度に、黒咲は小さな悲鳴を上げる。うん、どんどん俺の立場が危うくなっている気がするのだが気のせいか?

 

『そうしてやれば、身体はたちまち回復に向かう。まあ、私にかかれば人体など六方一色のルービックキューブのようなものよ……よし、こんなものだろう』

 

 黒咲の足を、「神の手」が離す。黒咲は肩で息をしている。シャツと下着だけで布団の上で息を荒くしている姿は……うん。いや、やったのは俺なんだが。正確にはジャック。

 

 黒咲は何拍かしてからその体をガバッと起こすと、座っている光輝に対して握りこぶしを振り抜いた。光輝はそれを超視力で避け、腕を「神の手」で掴む。

 

「テメエ……何のつもりだ!?」

 

 顔を真っ赤にして怒り心頭に発する黒咲。その素早い動きから、体の調子は良くなったのが分かる。流石はジャック、医者として非常に有能だったようだ。

 

「落ち着けよ、俺はお前を治療してやったんだぜ?殴られる謂れはないな」

 

 光輝のそれは詭弁もいいとこだ。事実そうであったとして、勝手に家に上がり込んだ挙句に熱で抵抗できない年頃の少女の体を弄りまわしたのだから。

 だが待ってくれ、俺は悪くない。だって「神の手」を動かしていたのは殆どジャックなんだ。

 

『おや、ストップを出さなかった思春期の少年は誰だろう』

 

 ……返す言葉もない。

 

 しかし、ジャックを信用していたのは事実だ。結果、黒咲の体調は良くなった。

 

「私に近づくなって対面で決まったろ」

 

「言うことをなんでも聞くって話だが幾つも聞くとは言ってないだろ。だから俺はお前との出来事を忘れた事にした。他になんかあったか?いいや、俺たちの間には何も無かった。そうだろ?」

 

「……舌の回る奴だ。どこまでも弄れてんな、お前……」

 

「はっ、お前に言われたかないね」

 

 そもそもが一方的な喧嘩の決め事に過ぎない。それを光輝も黒咲も理解している。

 黒咲は手を振り払うと、布団で自分の体を包(くる)み床にドカっと座った。まあ、当たり前か。さすがにその姿は見る方としてもこう、辛いものがある。

 

「……お前、魔法でも使えるのか?さっきまで体が凄くだるかったのに、今はとても楽だ」

 

「礼は言わなくていいぞ。要求はあるからな」

 

「……はぁ!?」

 

 黒咲は顔をしかめる。光輝はジャックにストップを出さなかった一つの理由。それは、黒咲の体を治したかったのもある。それには理由があった。

 

「黒咲夜千代。お前に言わなきゃいけない事がある」

 

「……言ってみろよ」

 

 静寂が訪れるその時間。光輝は、真面目にその言葉を放った。 

 

「来週の校外学習のキャンプ、俺とお前が同じ「消灯係」に選ばれた。だから、お前はそれまでに体調を万全にしろ」

 

「……っ、はあぁ!!?」

 

 いや、そんな大げさに驚くなよ。俺だって嫌なんだからさ。



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キャンプ・ダイブ・アサルトシェイド2

 黒咲夜千代は今、体操服の状態で佇んでいた。周りは木々に囲まれ、あちこちにバンガローが並んでいる。場所は、イクシーズ外のキャンプ場。イクシーズにはキャンプ場が無いため校外学習のキャンプは外で行われるのだ。

 

 ……なぜこうなったんだろう。

 

 事は一週間前に遡る。岡本光輝とかいう野郎から受けた要求、同じ消灯係に選ばれたから体調を万全にしろ。

 

 夜千代は「サクラザカ」をの封印を解除したあと、異常な体調不良に襲われていた。食べ物が胃で消化されず、録に栄養補給ができない状態。その状態を、岡本光輝に治された。

 いや、というか、あの時は意識が朦朧としていたが覚えている。下着姿を見られ、腹部を触られ、胸元の近くを触られ、足の裏を触られた。……駄目だ、凄い、熱いものがこみ上げてくる。あの野郎をぶっ殺したい。乙女の体を弄びやがって。

 

 夜千代は少女だ。性格が最悪であれ、人並みの羞恥心がある。こともあろう事か、あの岡本光輝はそれを踏みにじった。対面でボコった事への報復だろうか。だからといって、あんなのは痴漢だ。婦女暴行だ。性犯罪者だ。

 

 だが、体が回復したのも事実なのである。その点では恩義を感じている。そんな黒咲は、とても曖昧な自意識に囚われていたのだった。

 そして今、ここにいる。実は、キャンプの事は忘れていた。岡本光輝から言われるまで、欠片も意識していなかった。来る気はなかった。だが、ここにいるのだ。岡本光輝に連れてこられた。くそ、めんどくさい。

 

 そんな岡本光輝はと言うと、すぐ近くで遊んでいた。

 

「光輝さん、キャンプですよ!キャンプ!わーい!」

 

 光輝と手を繋ぐ少女。確か学年主席のホリィ・ジェネシスだ。光輝とその少女は、手をつなぎ合いながら回る。

 

「ああ、そうだな。あっはっは……それ、遊んでこーい」

 

「わーい!」

 

 光輝が手を離すと同時にホリィは回転のまま遠心力で飛んでいった。

 

「コーちゃん……俺の、俺の愛する小説が先生に没収されてしまった!どうすればいい!?」

 

 今度は身長が低めの少年が光輝に泣きつく。私よりも身長が低いんじゃないか?と思ってしまうほどだ。目測156cm……くらいか?

 

「泣けば、いいんじゃないかな。先生も厳しいからな」

 

「チクショオォォォ!?」

 

 少年は顔を腕で覆いながら走り去っていった。五月蝿いなあ。

 

 今度は身長が高めで凛々しい少女が光輝の所へやってきた。アイツ地味に友達いるのな。

 

「やあ、岡本クン。今日も空が青いね」

 

「ああ、最高のキャンプ日和だ」

 

「木漏れ日が差すその世界は」

 

「まるで俺らの心を照らすように」

 

「私らの心は木々の隙間のように狭い」

 

「だが太陽はそれでもなお照らしていてくれる」

 

「「遥かなる光、それは救いなのだろう」」

 

 グッ、と拳を合わせる最弱と最強。意味がわからない。ってか、あれ瀧シエルじゃねーか。岡本光輝と仲が良かったのか。

 

 夜千代はそんな光景をただ見ていた。他にやることもない。他の人たちはワイワイと盛り上がっているが、そういう気分にもなれない。

 夜千代は椅子に座りボーッとしていた。その隣に、腰を下ろした人間がいる。嫌そうな顔でそっちを見てやる。岡本光輝だ。

 

「強姦罪で訴えるぞ医者ごっこの変態」

 

「傷害罪で訴えるぞ仮面ごっこの変態」

 

「「チッ」」

 

 互いに罵りあう。いや、最初に言ったのは夜千代だ。仮面の変態って……何気にコイツも根に持っているか。まあ殺しかけたししょうがないか。

 

「どうだ?体の調子は」

 

「お陰さまで全開。そんな事聞きに来たのか?」

 

「いや、気疲れで休みたいだけだ。お前がたまたまここに居たからしゃーなく聞いてやった」

 

「めんどくせー人種」

 

 光輝は割と本気で夜千代の体調を心配したのだろう。だが、二人の間にある壁が、お互いの言葉を歪ませる。

 まあ、これぐらいが丁度いいか。逆に表面上だけ取り繕うというのもめんどくさい。だったら、こっちのが断然楽だ。黒い言葉での罵り合い。それができるなら、気楽でいい。

 

「なあ、黒咲。青空は好きか」

 

「いや、大嫌いだ。曇天が好きだね」

 

「そうか。俺は好きだがな。あの雄大さ、お前にはわからんか」

 

「んだよそれ」

 

 駄目だ、岡本光輝という人種は似ているようで私と微妙に違う。そもそも、私は友達がいない。コイツには居る。

 

 ……羨ましい?

 

 夜千代の中で芽生えた何か。いや、何を考えているんだ、私は。同じ暗い人間に友達が居て、私には居ない。それが、羨ましい?

 

 いや、違うね。人間は一人で生きた方が絶対良い。気楽でいい。他人の事なんか、考えるだけ無駄だ。疲れるだけだ。

 

 夜千代は黙って座っている。光輝も黙って座っていた。他に話すことなんて無いだろう--

 

--「はい、では今から夏といえばこれ、肝試し大会を始めたいと思いまーす、はい皆さんいぇーい」

 

 壇上でカンニングペーパーを手に持ちながらやる気のない声で司会をする先生の呼びかけに、生徒達はいぇーい!と盛り上がる。いや、正確には盛り上げた、か。

 

 幾つかのプログラムが終わり、飯盒炊爨とかいうやる意味があるのか分からない面倒くさい過程を終えて夕食のカレーを食べ、夜。本日最後のプログラム、「肝試し大会」が始まろうとしていた。

 

 開けた場所に、1年生の全クラスが集まっている。壇上の先生が交代をし、司会が生徒会長の厚木血汐に変わった。厚木は3年生だが、どうやら生徒代表として引率に来ているらしい。本人も随分乗り気のようだ。

 

「ルールを説明させてもらう!開始地点から道なりに進んでいき、到着地点にあるフラッグを最初に手に入れた物が優勝者だ!優勝者には、イクシーズ内でどこでも使える商品券1万円分を贈呈する!」

 

 うおおおおお!!と湧き上がる生徒達。一万円。大金である。話をぼんやりと聞いていた黒咲もその言葉で少しやる気になる。1万円あれば、何か美味しいものでも食べれる。

 

 焼肉。焼肉が食べたい。

 

 ふと脳内で浮かんだ欲望。次の瞬間には、もう夜千代の脳内は優勝狙いただ一つしかなかった。黒咲だって年頃の少女である。焼肉を腹いっぱい食べたくなる時もあるのだ。

 

「なお、勿論のこと妨害はあるから気をつけるんだぞ!友情、努力、そして勝利!それが青春、それが肝試しだ!」

 

 話を終えると、厚木は壇上から降りていった。

 煮え立つ周囲。皆、優勝してやろうという心意気で一杯のようだ。はたして、これらを押しのけて優勝が出来るのか?私は、一人だ。他の奴らと違って皆で協力するなんてできない。

 

 いや、やってみせる。私になら出来る。私は天才だから。

 

 肝試し大会が始まる。スタート地点は人数が多いためクラス毎に用意された。

 ホイッスルが鳴り、皆が一斉に動き出す。夜千代はペース配分を気をつけて進む。妨害はある、とされた。だとしたら、無闇やたらに先走るのは頂けない。かといって遅れることのない、先頭より少し後ろ辺りが妥当か。

 

 木々が鬱蒼と茂る中、皆は懐中電灯を頼りに進む。他に明かりは木々の隙間を縫う月明かりしかない。何が飛び出してくるか。これはあくまで肝試しだ。

 

 先頭がふと、止まった。目の前には、何かが居るみたいだ。それは、死に装束で身を包んだ長い黒髪の……「男」だ。

 

「う~ら~め~し~や~」

 

 死に装束の上からでも分かるはち切れんばかりの胸筋、その開いてしまっている胸元から胸毛が見えている。体育教師の剛田(ごうだ)先生が口紅を塗りカツラを被って女装をしていた。

 

「ぶっふおぉ!?」

 

 先頭はその姿の衝撃に笑いを堪えきれず、転倒。何が起きたか遠巻きで理解できた夜千代は、目線をできるだけそちらの方へ向けずに横を走り去った。

 

 なつほど、確かに「怖い」。これが肝試しか、恐ろしい……っ!気がつかない内に、夜千代は楽しくなっていた。

 

 幾つかの妨害を通り越して、大広間に出る。周りを見渡すと、他の通路からやってきた別クラスの生徒たちが。

 

 なるほど、ここが合流地点か。問題は、ここから先を争って進まねばならないという事か……!

 

 だが、夜千代の予想は外れていた。先を見やると、一人の少女が闇の中で佇んでいた。懐中電灯が当てられる。白いカッターシャツに、赤いスカートの後ろ姿。背中には赤いランドセル、長い黒髪を靡かせている。有名な妖怪、トイレの「花子(はなこ)」風の姿だ。

 

「天使から残念なお知らせがある。そう、それは君たちにとって残酷な通知さ」

 

 少女は振り向く。その顔が誰かの懐中電灯に当てられた。その人物は「瀧シエル」だった。

 

「ゲームオーバーだ」

 

 どうやらこの化物を協力して倒せ、って事らしい……。

 

 夜千代はチッ、と軽く舌打ちをした。



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キャンプ・ダイブ・アサルトシェイド3

 岡本光輝は悩んでいた。まさか、肝試しに「瀧シエル」を配置してくるとは。

 

 実質、撃破不能に近い相手だ。瀧の言葉を借りれば、有象無象が束になったところで敵わぬ「不浄利」そのものだ。そもそも、1年生の瀧が肝試しの脅かす側なんて……いや、瀧なら自分から立候補しかねない。アイツは役として「勇者」か「魔王」かどちらがいいか?と問われたら喜んで「魔王」を選びに行くだろう。強いて言えば、「魔王」より強い「配下」ポジション……裏ボスを好むようなタチだ。

 

 瀧を倒せないとなると、食い止め役が必要だ。異能者には、二種類居る。武器を持ってこそ真価が出るやつと、無手でそのまま強いやつだ。今日この状況で、武器が必要な異能者は圧倒的に弱い。

 というもの、キャンプに来る際に先生による荷物チェックがあった。それにより、光輝は二本の「特殊警棒」を没収されていた。畜生、有事になったらどうするんだ。先生にはその旨を伝えたが、「イクシーズ外で有事が起こるわけないだろ」と相手にされなかった。それもそうだ、イクシーズ内と外とでは異能者が圧倒的に少ない外の方が安全だ。

 つまり、今武器を持っている生徒は居ない。必然的に、無手で強い異能者が瀧を止めなければいけない。そして瀧は、無手で滅茶苦茶強い異能者だ。

 光輝の知る限り、この高校の中で1年生のSレートもしくはAレートの異能者は瀧以外に存在しない。Bレート以下しか居ないのだ。だから、倒すことはできないと言って差し支えない。止めるにも、一苦労だ。

 

 クリスが居れば、とは思ったがクリスの留学は正式には9月からだ。今回のキャンプには参加してない。

 今、この場に居る者も進んで瀧に挑もうとはしない。その時点で、優勝が無くなるのが決まっているからだ。それは嫌だろう、光輝だって嫌だ。

 

 当然だ、「1万円」は誰だって欲しいのだ。

 

 思考する光輝、一つだけ案が浮かぶ。だがそれを実行できたとして後半が気になる。瀧シエルが配置されているんだ、後半に実力者の異能者が控えていてもおかしくない。それこそ、「熱血王」厚木血汐とか。夏が大好きな彼だ、こういう催し物に参加しないと考える方が間違っている。

 

 光輝は周りを見渡す。すると、一人、良い人物を見つけた。それはBレートの「黒咲夜千代」だ。

 

 光輝は夜千代の肩をトン、と叩き耳元に口を近づける。

 

「なあ、提案がある」

 

「ふわぁっ!?」

 

 背後からいきなりの行動に、夜千代はギョッと驚いた。光輝も考え直して無理もないと思った。今の行動は変質者に近い。

 

「脅かすなよ……なんだ」

 

「俺と手を組め。優勝商品は5・5で分け合おう。俺は瀧シエルを「止める」算段がある」

 

 瀧を止める為の案。光輝の秘策。この状況を乗り切る為の、優勝商品を手にするための方法。最も、必要なのはそこから先でもある。光輝が無傷で瀧を止めたとして、身体能力が高い人間は他にも居る。

 

 だからこそ、夜千代と組む。コイツも攻めあぐねていただろう。そこへの甘言。瀧を乗り越えれるなら安いものだろう。

 

「……7・3で請け負おう」

 

「テレフォンショッピングじゃねーんだ、悪いが7・3でも6・4でも飲む気はない。5・5固定だ。瀧を無傷で、俺とお前が突破する方法があるんだ。だが、その先が俺だけではクリア出来ない。……お前も一人だろう?」

 

 最初に多く要求して相手に譲歩させ、実質取り分を多くする方法。勿論、夜千代が行ったそれの裏は分かっていた。だが、飲む気は無い。だからこそ、こっちも端から半分半分(フィフティ・フィフティ)を持ちかけた。こうしておくことによって、此方の意志の強さを相手に提示してやる。

 

「チッ……成功させてみろ。じゃなきゃ契約は破棄だからな」

 

「オーケイ、成功させるさ。契約は履行する」

 

 こうしてる間にも幾つかの異能者が無謀にも挑んで、敗れていく。間を抜けようとしても、挑んだ者が瞬殺されてしまっては抜けようがない。瀧は速く硬く強い。万能な人間に皆、成す術がない様だ。

 

 光輝は後ろでその光景を見ていた黒ジャージに赤いインナーの龍神王座を見つけると、直ぐに近づいてその肩を掴んだ。

 

「龍神……これでいいのかよっ!?」

 

「岡本か……私はシエルさえ楽しければ、それでいいかと思っている」

 

 光輝は龍神に訴えかける。組んでいる腕を崩さない龍神。その顔は平然としている。

 

「みんなの思いが散っていく……俺はゴメンだね、俺は先に進まねばならないんだ!」

 

「岡本……お前」

 

 龍神は光輝の熱い瞳を見つめ直す。もう少し、もう少しだ。

 

「龍神、俺はお前の力を借りたい。あの「不浄利」を乗り越え、栄光を掴みたい!お前は掴みたくないのかよっ、栄光って奴を!お前が瀧シエルを止めれば、お前はその時点で英雄だ!それは、栄光なんだ!力を貸してくれっ!!」

 

「……そうか、本気、なんだな」

 

「ああ」

 

 龍神は組んでいた腕を解くと、光輝の右手を両手でガシッ、と握った。

 

「私は英雄も栄光も興味無い……が、親友(とも)の為に戦おう。任せろ、シエルは私が止める!」

 

「龍神……ありがとう」

 

 握っていた手を離すと、縦横無尽に暴れる瀧の方へと龍神は歩いて行った。黒い長髪が赤色に染まっていく。Bレート「龍神王座」の能力だ。彼女は無手でも強い。

 

「私は戦うさ。シエル、お前を止めてみせる」

 

 歩み寄ってくる龍神王座を見て、妹である瀧シエルは不敵に笑った。

 

「ようやくお出ましか……密かにね、待ち望んでいたよ」

 

「私の能力は「龍血種(ヴァン・ドラクリア)」。その名の通り、龍の血族だ。その力を解放した私は、通常の人間の身体能力を遥か上回る――」

 

 瀧に、周囲に見栄を切る。その時、誰もが見入っていた。瀧と龍神が相見える、瞬間。もうその時点で、光輝と夜千代は走り出していた。

 

 龍神は変貌した赤い髪を靡かせ、「瞬間移動」した。

 

「――こんな(ふう)にッ!」

 

 5メートル以上離れていた位置から龍神は瀧の胴体にミドルキックをかました、ようやく、周囲はその事態を受け止めることが出来る。

 

「は、()っえぇぇぇ!!」

 

 周囲のギャラリーは湧き上がる。普段なかなか見せない、龍神の実力。その動きは、瀧に引けを取らないレベルだ。

 

 瀧は腹部に一撃を貰いつつも、龍神に腕を振り返す。龍神はそれを避け、一度距離を離した。瀧は今の凶悪な一撃で、しかしまともにダメージを受けちゃいなかった。それどころか、満面の笑みを浮かべている。

 その人間離れした攻防、周囲がそれに飲まれている間に、光輝と夜千代は通路をすり抜けていった。

 

「これが瀧シエルを止める方法だ。天使を止めるには悪魔を、みたいな」

 

「お前って最低だよなー」

 

「知ってる」

 

 光輝は龍神を上手くけしかけて瀧に仕向けた。龍神はああいうシチュエーションに弱いだろうと踏んでのことだ。光輝は龍神の人間性をなんとなく理解していたのだ。そして、龍神を瀧に向かわせ自分らはその隙に進む。龍神レベルなら、瀧の注意を十分に引ける。だが、あそこまでの水準とは正直びっくりした。――つまるところ、光輝は己の目的の為に龍神を利用しただけだ。正に最低である。

 

 瀧を通り抜けた後は、とんとん拍子だった。他に特には強大な障害もなく、もうすぐ到着地点であろう灯りが灯る場所に着く。

 

 が、その前に止まる。光輝は超視力でそれを見た。

 

 木の台と、ランプ。木の台の上にはフラッグが。あれを取れば、俺たちが優勝者だ。だが、その前に立ち塞がる男。「厚木血汐」だ。文句なしのSレート、実力者。真っ向から挑んで勝てる相手じゃない。だが、目標物はすぐ目の前だ。

 

 光輝は木の陰に隠れ夜千代に耳打ちする。

 

「俺が奴の注意を引く。行けると思ったタイミングで、お前がフラッグを取れ。お前は俺より速い。厚木はまともに戦って勝てる相手じゃない」

 

「……信じていいんだな?」

 

「ああ」

 

 ここで光輝は、少しだけ「ズル」をする。ムサシとの魂結合。厚木から攻撃を受ける際、これで少しでも回避する事ができれば。動きの全部を見せる必要はない。そうすれば、疑われることはない。

 

 やるなら早くがいい。作戦が決まり、光輝が飛び出た。厚木血汐に向かって走っていく。

 

「フラッグ、刺し違えてでも!貰い受ける!」

 

「来たな、少年……一人でこの「熱血王」に敵うかな?」

 

 勿論、Sレート相手に敵うなんて思っちゃいないし刺し違えることをできるとも思っちゃいない。重要なのは注意をそらすことだ。突進する。

 

 厚木にそのまま走り向かう。厚木は拳を構えた。1メートル圏内。厚木が拳を振り抜く。

 

 瞬間、木陰から夜千代が飛び出す。そのスピードは、確かに速い。厚木は音で反応した。

 

「なっ――!」

 

 が、ワンテンポ遅い。そして、二対一。光輝が、夜千代が、どちらでもフラッグを取れる距離だ。

 

 行け――!

 

「最速らしく、いただいてゆく!」

 

 刹那、影が走る。それは、小柄な影。それは、光輝でも夜千代でも厚木でも無かった。第四の、影。光輝の視力はそれを捉えていた。

 

 が、間に合わない。その影が誰よりも速くフラッグを持ち去り、ズザザッと地面に砂埃を立ててブレーキをかけた。光輝はその男を知っていた。

 

「へへっ、この瞬間を待っていたんだってな!」

 

 後藤征四郎。「速度上昇」の能力を持つ少年。一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 

 少し思考して、結論に至る。やられた、漁夫の利だ……!!

 

「え、嘘、でしょ?そんな……?」

 

 ポカーン、とする夜千代。まだ現実を受け入れられていないようだ。

 

「……ゆ、優勝者、後藤征四郎!」

 

「おっしゃー!」

 

 高々とフラッグを持った手を夜空に掲げる後藤。まさかの伏兵。肝試し大会の優勝者が、後藤征四郎に決定してしまった。

 しばらくの間、夜千代は放心していた。



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キャンプ・ダイブ・アサルトシェイド4

「うー……私の賞金が、焼肉が……」

 

 うわごとのように呟く夜千代。肝試し大会の決着、それは突然飛び出てきた後藤征四郎の優勝という形で終わってしまった。途中までは完全に光輝と夜千代のペアが優勝する流れだった為に、夜千代は未練を捨てきれない。

 が、いつまでも続いているといい加減鬱陶しい。光輝と夜千代は今、真夜中のキャンプ場を消灯係として生徒たちの就寝を確認する為に幾つものバンガローを回っていた。そんな夜中にぶつぶつ呟かれては幽霊でなくても気味が悪い。いや、光輝は幽霊が視えるのだが。

 

「後悔先に立たず、終わった事はしょうがないだろ。俺もまさか後藤に持っていかれるとは思っていなかった」

 

 完全なる漁夫の利。周囲を出し抜いたのが自分たちだけと決めつけて、その他の可能性を排除してしまっていたのがいけなかった。が、厚木血汐を目の前にして、急がないという手もなかった。ヘタをすれば周りが追いついて乱戦になっていたかもしれないのだから。

 

 だとすると、あれはしょうがない。どうしようもない必然だ。

 

 だが、夜千代は食いかかる。

 

「あの時、絶対に、ぜーったいにもっと確実に勝てる方法があったハズだ!なぜ考えつかなかった!」

 

「う、うっさい!お前も考えつかなかった癖に俺のせいにすんなよ!」

 

「つか、なんで私とお前が同じ係なんだよ!ふざけんなよ!」

 

「黙れ、余り物同士なんだから仕方ねーじゃねーか!」

 

 にらみ合う二人。もう、終わってしまった事は仕方がない。それを切り捨てた光輝と、引きずる夜千代。

 

「「……チッ」」

 

 最終的に、二人は分かり合えなかった。目を逸らし、そっぽを向く。

 

 お互い無言で歩き、分かれ道。ここからは女子のバンガローと男子のバンガローがはっきり別れる。

 

「……じゃあ、終わったらここに集合な」

 

「……おう」

 

 夜千代と光輝はここで別れた。光輝は、懐中電灯を手に連なる男子バンガローを見て回る。この係の嫌な所は寝る準備が他の人より遅れることだ。睡眠は大事だ、明日への活力になる。ああ、めんどくさい。

 

 しかし、夜千代があそこまで優勝に執着するとは思わなかった。意外と根に持つタイプなんだろうか?……いや、彼女の人柄を見たところ、彼女が何より優先するのは恐らく自分という存在の「優位性」。以前に光輝を罵った時、彼女は言った。「私は天才だ」と。

 つまり、勝てるはずの勝負で勝てなかった。それが彼女の、後悔なのだろう。

 

 まあ、それは分からなくも無いんだがな。光輝だって悔しいものは悔しい。だがそれを、諦めとして切り捨てているだけだ。彼女はそうでは……

 

 いや、彼女の振る舞いを目にして分かる事がある。彼女も、「諦め」を知っている人間のハズだ。ならば、なぜ優位性に拘るのだろうか。

 まあ、こっから先は考えなくていいか。所詮、俺とアイツは同じクラスメイトって肩書きだけのそれ以上でもそれ以下でもない存在だ。無駄だな、そうだ、無駄だ。

 

「寝る準備は出来てるか?」

 

「おう、全員居るぜ」

 

 光輝が担当する最後の男子バンガローをチェックした。後は、さっき夜千代と約束した場所に戻るだけ。

 少しばかり歩いて、夜千代との集合場所に着いた。夜千代はまだ居ない。暇だ。光輝は空を、なんとなく見上げた。月は見えない。夜を漂う雲が、月を隠している。……なんだ、勿体無い。

 

 毎晩の月の形からしてもうじきに満月が来るだろうと思っていた光輝は、仕方なく下を向く。綺麗でないなら、空を見上げる必要などない。

 

 ……10分、15分と時間が過ぎていく。時計がないから実際の時間は分からないが、それぐらい立っている筈だ。なのに、夜千代は一向に来ない。夜千代が来ないと、消灯係の仕事が終わらない。それだけ、寝る時間が遅くなる。

 

「なにやってんだよ、アイツ……困るぞ」

 

 光輝はイライラを募らせつつ、ただ夜千代を待った--

 

--夜千代は女子バンガローの周回を終える。

 

 クソ、私の焼肉が。

 

 そんなことばかり、頭の中に渦巻いていた。世俗にあまり興味の無い夜千代でも、美味しい物は食べたくなる。しょうがない事だ。

 そして、確かに勝てる状況だった。優勝は目の前にあったのだ。それを横からかっさらわれたのが納得出来ない。

 

 未練を残したまま、岡本光輝との集合場所に集まろうとする。もう一度会ったら文句を言ってやろう。完全にアイツの言葉に乗せられて勝った気になっていた。そうだ、勝った気にさせたアイツが悪い。

 そんな言いがかりを考えつつ、歩く。実際はただ罵りたいだけ。光輝を憎んじゃいないし怒ってもいない。それは単なる些細な感情。そうしたい、ってだけだ。

 

 そこでふと、電話のバイヴが鳴る。体操服のズボンのポケットに突っ込んでいたスマートフォンを取り出す。表示は「黒咲枝垂梅」。夜千代はそれを手に取る。

 

「なんの用よじーちゃん」

 

 特に気にしない夜千代。イクシーズ内の問題なら他のフラグメンツに押し付けられる。だって夜千代はイクシーズの外に居るのだから。そういう理由で、夜千代は気楽に電話を取った。

 

 が、枝垂梅の話は夜千代を緊張足らしめるものだった。

 

「夜千代よ、落ち着いて聞くのじゃ。今そのキャンプ場をテログループが襲おうとしている」

 

「……何?」

 

 それは突然の通達。枝垂梅は夜千代がキャンプに来ていることを知っていたようだ。夜千代は黙って聞く。

 

「イクシーズ外の生徒なら囲んでしまえば比較的楽じゃ。イクシーズの警察が瞬時に向かえないのじゃからな。テログループはよく分かっておる。夜千代、お前の仕事は職員、それと瀧シエルに協力を要請してそれらを食い止める事じゃ」

 

 瀧シエル。イクシーズ最強の高校1年生。

 

 夜千代は頭に血が上るのを感じた。いつでもどこでも、瀧シエル。アイツが、そんなに強いのか。

 

 だとすれば、協力を要請しようか。いや、夜千代は考える。夜千代は瀧の電話番号を知らない。教員の電話番号を知らない。

 

 ……要するに、だ。私がテログループを全員潰せばいいんだろ?

 

「分かったよ、じーちゃん」

 

「そうか。頼むぞ、夜千代」

 

 そこで夜千代は通話終了ボタンを押した。なんだ、憂さ晴らしに丁度いい。さあ、始めようじゃないか。私が「天才」である事の証明を。

 

 夜千代は引率の職員にもSレート「瀧シエル」にも連絡しようとしない。実際は電話番号など知らなくても教員宿舎に行けばいいのだが、夜千代は向かわない。私がさっさと終わらせてしまえば構わないんだろう、夜千代は、そのまま鬱蒼と茂る森の中に身を潜ませる。

 

 黒咲夜千代は実質、複数の能力を使うことができる。「過去の遺物(オー・パーツ)」、いわゆる、能力のコピー。その夜千代の戦力は実際はイクシーズのデータベースでは測れない。身体リミッターの「封印・解除」と併用した場合、恐らくはAレートを超える。

 

 夜千代は衣服に隠していた仮面を被り、進む。自分の行くべき道を。

 

 キャンプ場の森に身を一旦隠す。周りを見渡す。そして、見つけた不審な人影を。

 見つけると同時に、「流転式」で体重移動をスムーズにし、足音を鳴らさないように近づく。夜千代は隠密行動もお手の物だ。

 

 そして、背後から光の剣をひと振り。そこに居た男は頭にそれをモロに受け、倒れる。覆面を被り迷彩服に身を包んだ、テログループの一員。

 

 なんだ、楽勝じゃないか。この調子でどんどん倒して行けば--!

 

 次の瞬間、大きな違和感を感じた。まるで全身の感覚が麻痺するような症状。そして、背後から強烈な衝撃を貰う。

 

「――っ!?」

 

 夜千代は吹っ飛び、地面を転がった。仮面が剥がれ、素顔がさらされる。土の上なので地面へ衝突した時のダメージは少ないが、目に見える光景がグニャリと曲がっている。それでも、目を凝らす。今、止まっては恐らく死ぬ。どう考えても今の状況は「敵に襲われた」以外有り得ない!

 

 夜千代の目に映る歪んだ世界。そこに映るのは森の木々以外に、一人の男の影。

 

 まずい、立ち上がらなければ。

 

 夜千代は立ち上がる。それは無茶な行動だ。体はロクに言うことを聞かないのだから。しかし、死ぬのと無茶をするのとでは断然後者だ。

 

 息を整える夜千代。その目の前に、佇む男。段々と認識出来てくる。年齢は20代と言ったところか、迷彩服に身を包んだ男。その瞳は無機質で、その魂は真っ黒。他に形容の仕様がない影。

 

「……チッ」

 

 体は直ぐに立ち直った。しかし、どうしても目の前の男の認識が鈍る。……異能者か。



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キャンプ・ダイブ・アサルトシェイド5

 立ち上がり、二振りの光の剣を構える夜千代。仮面は既にその顔に無い。対して相手の男は二つの握り拳を構える。その姿を視界に捉えようとすると、どうしても視界がぼやける。

 さっき殴られたときに毒を貰ったか?いや、切り傷も刺し傷も無い。本当に、殴られただけだ。血中に毒を入れられた訳じゃない。なら、そういう能力のハズだ。認識を低下させる能力か。

 

 しかし、重い一撃だった。肉体強化能力を使っていない?能力を複数持っている?いずれにせよ、この男は強敵だ。油断はならない。

 夜千代は駆ける。やるべき事の答えは単純だった。「倒す」、それしかない。封印・解除を使って肉体に強化を促す。限界よりちょっと先の、そのさらに先。肉体負担は少なくない。しかし、それに替えてでも倒さねばならない。

 敵はこいつらだけじゃない。他にも居るはずだ。遅れれば遅れるほど危険が広まる。ならば、手っ取り早く倒すしかない!

 

 光の剣の袈裟斬り。敵の男は素手と剣では分が悪いと踏んだか、迷彩服から二振りのコンバットナイフを取り出し両手に逆手で握る。

 

「お前も……二つかよ!」

 

 夜千代の光の剣をコンバットナイフでいなし、夜千代の懐に潜り込む男。二本の武器を取り扱う際、短ければ短いほど取り回しが楽だ。格闘技においての基礎とは、両の手を使いこなす事から始まる。動かせる手は無駄なく使うべきだ。

 刀の二刀流は長手の重い武器を二本持ち、理論的かつ対応的に動かさねばならない。それは至難だ。だとすれば、両の手を別々に、そして自由に動かす最たる物は無手。そして刀身が短く重量の軽いコンバットナイフなら無手とも差し支えない。

 無理無き二刀流に対して、この距離ではこちらの二刀流の優位性を生かせない。だが、夜千代は読んでいた。

 

 夜千代は光の剣を解除、徒手格闘へ。徒手は枝垂梅から念入りにしごかれた。腹部へ振り抜かれようとしていた相手の拳に人差し指を引っ掛ける。力の流れを取り組み、そのまま「流転式」へ繋げる。

 

「「流転」せよ!」

 

「--っ!」

 

 ぐるり、と空中を舞う男。しかし、男は空中で体制を立て直す。だが、今のお前は無防備だ。貰った。光の剣を作り、男へと突く。

 

 しかし、空振り。突いた場所は虚空。そこに何も無い。

 

 馬鹿な--ッ!?

 

 直後、足に感じる熱いもの。タァン、と音が聞こえた。一体なんだ?瞬時のことに、理解できず認識が遅れる。

 

「な……っ」

 

 夜千代はぐらつくが、直ぐに走る。まずい、戦っている敵は一人じゃなかった!足に走る激痛を、激しく脳内で分泌されるアドレナリンで誤魔化して走る。

 

 足を銃で撃たれた。目の前の男からじゃない、別の場所からだ。まずい、まずい。

 

 脳内で警報を鳴らしながら勝つための策を練る。ここは森の中だ、しかも暗闇。走っていればそう簡単に撃たれることもあるまい。そして追ってきた男を、どうにかして瞬間的に倒す。流転式が通用するのは分かった。今度は木に直接ぶつけてやる。先ほどは追撃が空振ったが、今度はミスをしない。

 

 夜千代は走る。ただひたすら走る。そして――地面に、盛大に転んだ。

 

 何が起きた?

 

 直ぐに理解する。足への、更なる激しい痛み。また、足を撃たれた。なぜだ?夜千代はさっき撃たれた方向を確認し、その真逆に向かっていた。そうして、男との1対1の状況を作ろうとしていたのだ。しかし、夜千代が走った「その方向」から撃たれた。撃たれた方向は真逆。敵は二人じゃないのか?

 

 転んだ夜千代を、一つの影が見下ろす。さっきの男だ。夜千代は倒れた体を手で必死に起こすが、男に蹴り飛ばされる。地面を転がり、仰向けに闇夜を見上げた。

 

「ガハッ……!」

 

「動くなよ、殺す気はない。人質なんだからな」

 

 男が口を開いた。夜千代は動けない。蹴り飛ばされた時、体を目眩が襲った。三半規管が狂った、そんな感覚。理解した、自分の姿をぼやけて見えさせる能力、そしてそれは触れたときに効果が強くなる。まとめれば、そんな能力か。そして男の単純な身体能力も高い。

 

 間違いない、マスタークラスの異能者。レーティングなら文句無しのSレート。なるほど、これがテログループのメンバーか。一筋縄ではいかない。

 

「アンタ、魂が真っ黒だぜ……どうすればそんな心の闇を抱えれる?」

 

 夜千代の空元気。相手の隙を探す為の言葉に過ぎない。言ってしまえば、苦し紛れだ。だが、何をしてでも敵の気を引ければいい。油断したところに「流転式」でも「光の剣」でもぶち込んでやればいい。

 だが、男は冷静だった。

 

「魂が視える……聞いたことがあるな。イクシーズの暗部に魂を視ることの出来る、複数の能力を使い分ける天才が居ると……そうか、お前が「魂司者(コード・ファウスト)」か。まさかこんな少女だったとはな。いい事を教えてやろう、世の中には金のために良心を捨て切れる奴が居る。俺がそれだ」

 

「はっ……そうかよ」

 

 駄目だ、男の立ち方から、気配から分かる。油断が一切無い。ここぞという時が見つからない。動いた瞬間、蹴り足が飛んでくる。私の「流転式」は本来のものに比べ、遥かに劣る。力の流れをより上手く使える、というだけのものだ。法則を無視して力の流れを自由に動かすといった物では無い。「光の剣」も、本来の物は空中に幾つも展開して戦うといった使い方の物だ。私では二本を手に持って動かすという使い方しか出来ない。この能力の本来の持ち主なら、この状況をひっくり返せるかもしれないのに。

 

 夜千代の脳裏を、嫌なものが()ぎった。

 

 無力だと?この私が?

 

 自分で自分を否定した。沸々と感情が心の奥底で湧き上がる。邪悪な感情。私が無力?そんなわけ無いだろ。私は天才だ。

 

 心の奥底で魂が、けたたましく震える。何かが、私を解き放てと吼えている。知っている。この魂は、私の邪悪な感情に呼応している。遥か奥に封印されている、「サクラザカ」の記憶。

 

 いいのかよ、それで。

 

 「サクザラカ」の封印を解除する、という事がどれだけ危険なのか何回も経験している。黒い衝動に身を任せ、目標を叩き潰し、終われば生きる意味を失くし自殺しかける。これまでは上手く自制してきたが、自分を殺すのが「今日」でも何もおかしくはない。それが、黒い衝動。

 

 何を言っているんだよ、お前が選んだ道じゃないか。テログループを全員潰すんだろ?

 

 夜千代の心の中での自問自答。そうだ、ここでコイツを倒さなければどっちにしろ先はない。ここはイクシーズ外だ、都合よくフラグメンツの仲間が助けに来てくれることは無い。異能者がイクシーズを出入りする時は多くの手続きが要る。来るわけがない。

 

 瀧に応援を出していれば?

 

 そんなたらればの話をするなよ夜千代。決めたんだろ?自分で、選んだんだろ?なら、後悔するなよ。お前の才能を使いこなせよ。その為には「サクラザカ」の解除が必要だ。さあ、禁断の扉を開けようじゃないか。

 

「お前が、悪いんだぜ……」

 

 夜千代はその扉に手をかける。心の奥底、厳重に閉ざされた封印という鎖のその向こうの扉。

 

 とても固く閉ざされ、その扉は重い。が、こじ開けようとする。扉の中からは、幾多数多の呪言(じゅごん)のような負の感情が溢れ出てくる。それだけで気が狂いそうになるが、扉にかける手をやめない。

 

「――っ!」

 

 男は夜千代の何かに気付いたか、夜千代の体を蹴り飛ばそうとした。無駄だ、私が一度これを解き放てば、どんな状況であろうとお前らを鏖殺出来る--!

 

 が、蹴りは夜千代に届かない。それどころか、男はその場から飛び退いた。

 瞬間、男の立っていた場所に飛んできた一本の物体。地面に突き刺さったその物体は、薪割りなどで使う「鉈」だった。

 

 直後、夜千代の隣に立った一人の人影。体操服の姿、そしてその顔には、夜千代が先程落とした仮面が着けられていた。手には鉈が握られている。

 

 その男を銃撃が襲う。一発、少し間を置いて二発と。別方向からの銃撃。しかし、男は手に持っていた鉈を神速の動きで振り回し、その二発を弾いた。

 

「瞬間移動する能力、か……速いんじゃない、完全な瞬間移動。それと、視界の妨害。残念だが、「視え」てんぞ、お前ら」

 

 男は地面に刺さった鉈を抜き、両の手に二振りの鉈を携える。鉈の二刀流だ。夜千代は「サクラザカ」の解除を止め、その姿を見た。黒い陰りが射す、豪傑の魂。

 

「……何者だ」

 

 敵の男からの言葉。その質問に対して、仮面の男はこう答えた。

 

「「正体不明(コード・ゼロ)」……とでも名乗ろうか」

 

 夜千代はその男の魂を知っていた。暗闇の心を持つ、自身を最低と称する少年。「岡本光輝」だ。



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-×-(マイナスカケルマイナス)

「お前……なんで……」

 

 夜千代は驚愕した。なぜ、この場に岡本光輝が居るのか。助けを要請した覚えはない。一般市民のお前が、なぜ此処に。

 

「お前がお戻ってくるのが遅いからだ。お前の報告が無いと寝れないだろ」

 

 違う、夜千代はそういう意味で言っている訳じゃない。光輝もそれを分かっているはずだ。今の言葉は夜千代を元気付けるための軽口に過ぎない。今の状況は決して絶望的なんかじゃない、そんなに厳しい状況じゃないぞ、と。

 

「……「サクラザカ」は控えろよ。また医者ごっこが待ってるぞ」

 

「変態が」

 

 光輝の気遣い。光輝は、夜千代が「サクラザカ」を解除すれば体調が悪くなるのを感づいていたらしい。察しのいいやつだ。

 だが、それで勝てるのか?敵は強い。目の前の男はともかく、森に潜んでいる銃使いまで相手にしなければいけない。光輝曰くその能力は「瞬間移動」。一体どうするのか。

 

「立てるか?悪いが全力でコイツの相手をしろ。俺は銃の方を追う」

 

「……今度は勝てるんだな」

 

「当たり前だ。あの時は少ししかズルをしなかったからな。今回は全力でズルしてやる。だからお前も全力で行け」

 

「その話、乗ったぜ」

 

 光輝は森の闇に消える。「超視力」でもう一人の敵を追ったのだろう。「瞬間移動」相手に、一体どう動くというのか。

 

 だが、これで純粋な一対一(タイメン)。夜千代は完全な限界(リミッター)解除を行う。体の痛みが全て吹き飛び、気分が高揚してくる。

 

「……勝てる気か?そのボロボロの体で」

 

「悪いけど、今は何も怖くねーんだわ。なんでだろな……」

 

 夜千代は不思議な感覚を感じていた。なんだろう、これまで感じた事の感覚だ。光輝と会話してからだ、こんなにも心が、「暖かく」なった事は。

 

 夜千代は走った。怒りに支配され熱くなることは多々あった。だが、今のそれは全く違う。嫌な感じは無い。なんというか、幸せというか、安らぎというか。感じたことのない、えも言われぬ感覚。

 

 光の剣による横薙ぎの一閃。続いて突き。袈裟斬り、突き。休み無しの剣撃の乱舞に、男は防戦一方だ。その姿がぼやけようと、夜千代は手を止めない。

 

「くっ……」

 

 ついに、夜千代に男の動きを捉えるチャンスが来た。男のナイフの防御を、理想の形で弾く。

 

「「流転」せよ」

 

 夜千代は「流転式」を使う。男の体が回転し、木の幹に投げ飛ばされる。

 

「ぐッ……!」

 

 呻く男。しかし、その体はまだ動いている。やられちゃいない。夜千代は踏み込む。止めを刺すために。

 だが、男はナイフを夜千代に向けた。距離はある。嫌な感覚がした。夜千代は身を動かす。瞬間、そのナイフがグリップから「発射」された。回避行動を取った夜千代は、しかし、右腕にナイフを受けてしまう。腕から光の剣が消える。

 

「ッ、クソがァッ!」

 

 スペツナズナイフ。軍事用の、刀身射出機能が付いたナイフ。知識としては持っていたが、夜千代は少しばかり遅れた反応で回避行動に移った為、腕に直撃を受けてしまった。

 

 夜千代はボロボロだ。しかし、まだ戦う。こんな状態じゃ、他のテログループを止められないかもしれない。切り札の「サクラザカ」はまだ、持っている。ただ、何よりも、信頼したい物があった。

 男は残りのナイフで、夜千代は残りの光の剣で応戦する。刃と刃のぶつかり合う音が、森に鳴り響く。

 

「俺にも、負けられない理由があるんだっ!!」

 

 渾身の一撃を込めて振られた、男のナイフ。夜千代はそれを剣で止め、そのまま剣同士が跳ねる。男はそのままナイフを捨て、夜千代の両腕を掴んだ。瞬間、夜千代の視界が、体がぐらり、と揺れる。男の能力だ。

 

「「流転」せよォッ!」

 

 だが、その動きを予想していたかのように、夜千代は思いきり、頭を前に振り抜いた。全身全霊の、「流転式」により自身の体の力の流れをそこに集めた全力の「頭突(ぱち)き」。グォン、という鈍い音共に、男は仰け反り頭を押さえる。夜千代は強烈な目眩に襲われ、地面に倒れこむ。頭蓋と頭蓋の衝突。両者とも、ただで済む訳が無い。

 

 まだだ、まだアイツは立っている。もう一発、もう一発かましてやれば……!

 

「最高だ、黒咲」

 

 夜千代が立ち上がろうとした瞬間、男は横薙ぎにぶっ飛んだ。夜千代は朦朧とする視界をなんとかその方向に向ける。そこには、仮面を付けた岡本光輝が鉈の峰で男を叩き飛ばしていた光景が。男は地面に倒れ込み、ピクリともしない。

 

「お、お前、なんで……」

 

 光輝はさっき瞬間移動の異能者を追っていたはずだ。しかし、なぜ此処に居るのか。もう倒したというのか。

 

「普通に考えて瞬間移動できる能力者なんて追える訳無いだろ。追いかけたのは脅しだ、そうすりゃ後は勝手に逃げてくれる。そしてお前と戦ってる敵に不意打ち、だ。上手いだろ」

 

「……私は囮かよ」

 

「拗ねるなよ。俺たちは勝ったんだ。最低(マイナス)の俺と、最悪(マイナス)のお前。単体じゃどうしようもないが、掛け合わせたらどうよ。小学生でも分かる簡単な算数だ」

 

「……はっ」

 

 光輝は手を上げる。夜千代も意図を察し、立ち上がって手を上げた。そして勢いよく、頭上で互の手をパン!と叩く。ハイタッチだ。

 

最高(プラス)だぜ、俺たち」

 

「よく言う」

 

 夜千代は顔が、熱くなるのが分かった。そうだ、これは「嬉しい」んだ。ずっと、欲しかった。こんな風に、暗くて黒い自分と対等に居てくれる友達が。この人なら、それが出来る。その気持ちは、とてもとても幸せで。

 

 ふと、気が抜けて足が崩れ落ちる。その体を光輝に支えてもらうが、まだ仕事がある。テログループの殲滅が、まだ終わっていない。

 

「もう限界だろ、休め。治療を受けなきゃまずいだろ」

 

「まだ、まだテログループが……行かなきゃ」

 

 その直後、鬱蒼と茂る森の中からでも分かる音と光の柱が遠くから見えた。それは、地上から天へと登る巨大な光の柱。

 

 夜千代は驚く。一体、なんだあれは。

 

「どうやら向こうも片付いたみたいだぞ」

 

「片付いたって……もしかして」

 

 夜千代は考え、直ぐに結論に至った。あんな事ができるのはこのキャンプ場で一人しか居ない。

 

「そう、瀧シエルだ」--

 

--嫌だっ、嫌だっ!

 

 ぱさついた金色の長髪に、薄汚れた薄手の衣類。そのみすぼらしい格好の少女は、走っていた。

 

 少女の能力「空間転移穴(ワープ・ホール)」は、離れた空間と空間を一瞬で移動する代わりに多大な集中力を必要としていた。その能力は今、集中力を欠いたこの状態では使えない。

 渡されていた武器のライフルは逃げるのに邪魔だから捨てた。少女が唯一テログループで信頼を置く「妨害幻波(ジャミング)」を持つ青年、ミカエル・アーサーは劣勢になったら直ぐに逃げろと言っていた。途中まではアーサーと一緒に一人の手練の少女を追い詰めていた。だが、そこに仮面の男が割って入って直ぐに自分とアーサーの能力を見抜かれてしまった。仮面の男がこちらを見、目が会った瞬間少女は走り出した。恐怖。そして、逃げ出した

 

 だが、少女はこれからどうしていいか分からない。他のテログループの人は好きじゃない。いつも私に乱暴をしようとしてくる。けれど、いつだってアーサーは止めてくれた。「彼女の能力は道具として優秀だ、壊されちゃ困る」と。アーサーは私を道具として大切に使ってくれていた。けれど、それで良かった。乱暴をしない、優しいアーサーが好きだった。

 

 少女は足を止める。だったら、アーサーを助けに行くしかない。元々、アーサー以外の人は信用できないのだ。怖いけれど、行くしか無い。

 

 アーサーは強い。もしかしたら、私が戻る前に敵を倒していたりして。そしたらいいな、と思いつつ来た道を戻ろうとする。幸い、先ほどの仮面の男は居ないようだ。

 

「あれ?こんな所に女の子?なんでまた」

 

 ガサッ、という茂みをかき分ける音と共に背後から聞こえた声。ビクッ、として少女は振り返った。無意識にポケットから拳銃を抜く。

 

「う、動かないでください!」

 

「いやー、動いちゃいけないのはキミの方だって」

 

「え……?」

 

 気が付けば、少女の手に持った拳銃の重心は斜めに切り裂かれていた。少年の手にはコンバットナイフが。私らのテログループで渡されているものと同じタイプだった。とてもじゃないが、そのナイフは本来鉄を両断出来るような代物じゃない。デタラメな速さで銃は切り裂かれたのだ。

 

 驚愕し、少女は銃を手放し、仰け反り地面に尻餅をつく。

 

「嫌っ……嫌ぁっ……!」

 

 私は殺されるのだろうか、暴力を振るわれるのだろうか。想像したくない、体が動かない。助けて、アーサー……!

 

「あ~……いや、そっちが武器を構えないんなら俺も武器を構えないんだけどさ。……俺の名前は後藤征四郎。君は?」

 

「え?」

 

 予想外の答え。後藤と名乗った少年は困った顔で少女に手を差し伸べる。

 

「……レイン・ヨークシティ」

 

「そっか、レインちゃんか。まず話を聞かせて貰えるかな……って、うわ、なんだあの光!?瀧か!!」--

 

--瀧シエルは感情の昂ぶりを感じていた。自分の思うがままに敵を蹂躙し、弄ぶ!自分という存在がこんなにも凄いのだと実感するこの刹那が、とても愛おしく感じる。それは暴力。強者から弱者への、無慈悲な陵辱。

 

 他の生徒達は一つの建物に閉じこもり、そこを先生と防御が得意な生徒、そして厚木血汐が守っている。三名ほど生徒が足りないそうだが、瀧は今忙しい。戦力を根こそぎ奪ってから探しに行くのが得策だろう。

 仮に人質だのなんだの言われたって、瀧は瞬時に敵を殺せる。瞬間、瀧の勝利だ。

 

 飛んでくる銃弾を避ける。当たっても、精々皮膚から少し血が滲む程度だがこの方が「美しい」。瀧シエルの本気の闘争とは、ただ戦うだけでは飽きたらず、いかに敵を鮮やかに仕留めるかも含まれる。

 

「あいつは化物だ!囲んでしまえ!」

 

 4方向から襲いかかる敵兵。しかし、無駄だ。瀧は地面に棒立ちし、言う。

 

「「裂けよ大地(アースブレイク)」!」

 

 地面から幾つもの土の柱が飛び出てきて瀧の周りを跳ね飛ばす。瀧は無傷だ。

 

 直後、瀧の背後から高速で迫る影があった。一切の音は無い。その男はテログループのリーダー、自身の音と衝撃を全て消してしまう「サイレンサー」の能力を持つ男「ロイ・アルカード」。海外で幾つもの強襲を成功させ大量の金を他者から奪い取った遥かな強者、テログループ「シェイド」を率いる実力者だった。

 

 その男が持った武器は、一見ただの日本刀のように見えるが特別な技術が施されており、刀身の半分から先が爆発的に「伸びる」武器だった。刀のパイルバンカー、例えればそうなる。

 見た目以上のリーチを持ち、かつ使用者に多大な反動という負担を与え、重量も日本刀より遥かに重いその武器は、鍛え上げられた肉体とその能力により初めて運用が可能な「幻」の武器だ。ロイは、幾つもの死線をこの武器で乗り越えてきた。今日もそうなる……はずだった。

 

 瀧は見えていないその攻撃をステップで躱す。爆発的な伸びを、回避して見せた。脇腹に薄皮一つの傷が付いただけだ。

 

「「風より速く(ハイマックス)」--まだ、遅い。しかし、傷を付けた褒美をやる」

 

「こ、この俺がッ……」

 

 瀧はロイの腹部にボディーブローを入れ、そのまま空中へと持ち上げた。少女が巨躯を持ち上げるその様は、とても異様だ。

 だが、こと瀧シエルなら話は別だった。

 

強兵(つわもの)よ、生き残って見せろ。「天砲(てんほう)」」

 

 瀧の拳からロイを巻き込んで巨大な光が放たれた。粒子砲。それは地上から天を貫く柱のように闇夜へ飲み込まれていく。

 

 それを受けたロイは、黒焦げになりながら空から降ってきた。地面に無残にも横たわるその姿、心臓はまだ動いているようだ。

 

「さて、これで全員か、いい暇つぶしになった……ん?」

 

 瀧が暴走の余韻に浸っていると、遠くの森から幾つかの人影が。その多くが、見知った顔だった。

 

「おお、流石はイクシーズの最終防衛装置……シェイドも相手が悪かったな」

 

「え……全滅……?嘘、でしょ……」

 

 一人の少女と、その隣には後藤征四郎。

 

「おお、瀧。ありがとな、お前が居てくれて本当に助かった」

 

「うっわ……生きてるのが嫌になるわ……」

 

「……」

 

 岡本光輝と、肩を貸されて歩く黒咲夜千代、そして引きずられている男。

 

「ふむ……まあ、こんなとこか」

 

 一人で納得をする瀧。そして、テログループ「シェイド」の犯行は、この世最大の「不浄利」瀧シエルの手によって無残にも失敗に終わった。



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黒咲夜千代の友達

「よう」

 

「……来たのか」

 

 夕方を過ぎて、午後八時。病室にて、二人の人物が顔を合わせた。

 場所はイクシーズの、とある病院。岡本光輝と黒咲夜千代、室内にはその二人以外に誰も居なかった。

 

「怪我はどうだ?」

 

「もう治った。科学の発展は凄いな、あんだけ傷ついた体が三日もすりゃ全快だ」

 

 夜千代は病室に備え付けられたベッドの上に座ったまま病衣のズボンの裾を捲る。脚に受けた弾丸は摘出され、傷口は殆ど塞がっていた。まだ僅かな痕(あと)は残るものの、これもあと数日すれば無くなるだろう。外ではこうも簡単に行かないが、イクシーズ内となれば話は別だ。イクシーズの科学は外の五年先を行く。

 

 キャンプ初日、テログループ「シェイド」によるイクシーズの生徒たちへの襲撃から三日経った。あの後夜千代は直ぐにイクシーズ内の病院に搬送され、シェイドのメンバーは身柄を拘束されイクシーズに送られた。

 瀧シエルが居たからこそ事態が無事に収束したものの、瀧が居なければ状況は危うかっただろう。テログループは精鋭ぞろいだったと聞く。だが、夜千代はあの時瀧に応援を出していなかった。それにも関わらず、瀧の対応は早かった。

 

「瀧に連絡をしたのはお前か」

 

「ああ。お前があまりにも遅いんで何かあるんじゃないかってな」

 

「はは……そうか、待たせて悪かったな」

 

 岡本光輝の選択に夜千代は、救われていた。テログループは予想よりも強力な部隊だった。夜千代が戦った青年、ミカエル・アーサー単体の戦力を体験してもそれが分かる。

 

「……私な、瀧に助けを出そうとしなかったんだ」

 

 あの時の夜千代は、頭に血が上っていた。枝垂梅に瀧シエルの名前を出されたときに、悔しい想いをした。

 

「人として……本当に最悪だ。自分が活躍したいって、アイツより優秀だって証明したくて、私でもできるんだって思い込んで……あの結果だ。馬鹿だよ」

 

 しかし、夜千代の力だけではテログループを押さえ込むことは出来なかった。自分の勝手な憤りで他の人達を危険にさらして、あまつさえ岡本光輝に助けて貰った。なんと無様なことか。

 夜千代は自分が嫌になる。身の程を弁えず、愚かで、弱い。天才なんて自分で言っちゃいるが、あくまでそうありたいという願望にすぎない。実際は、どこにでもいるゴロツキだ。喧嘩っぱやくて、根暗で、愛想のない。こんな人間、生きている価値などあるだろうか。

 

「笑えよ……私は最悪だ」

 

 自分を蔑んでくれと懇願する夜千代。しかし、光輝の返答は違った物だった。

 

「なあ……言わせてもらうが、俺はお前に負けたとき凄い悔しかった。お前にイラついた。次の日弱っているお前を見てこう思ったんだ。「ここでお前を助ければ俺に優位性が生まれる」ってさ」

 

「……」

 

 夜千代も光輝も目を合わせない。互いに後ろめたい。本音は、綺麗事だけじゃ語れない。今の光輝のそれは、まごう事なき心からの言葉だ。

 

「キャンプの時だって、お前に負けたくねーって、そんな事ばかり考えてさ。ホントは瀧に全部任せてもよかったんだ。そっちの方が俺は安全だからな。だがな、嫌だったんだ。俺がお前を助けたいって。俺を負かしたお前を、俺が助けたいって。そうする事で自分の負の感情を消しされる気がした。だから協力したんだ。あんなのは正でも義でもなんでもねー」

 

「それって……」

 

「意地だ。ただそれだけだ」

 

 光輝はわかっている。自分たちがいかに愚かかということを。しかし、それを飲み込んでなお、貫いた。それは我儘だ。若気の至りにすぎない。けれど、そうしたかった。衝動。己を突き動かす、大きな原動力。

 

「周りから見たらそりゃ間違ってるだろうよ。けど、自分の中では絶対間違ってねー。自分が決めたと思ったら、やるしかないだろ。じゃなきゃ、脆い俺たちの心なんざいとも簡単に崩れ去る。だから、それでいい。どんだけちっぽくても、つまんなくても、プライドはプライドだ」

 

「そうか……はは……」

 

 私たちは間違っている。けれど、間違っていない。矛盾じゃない、観点の違いだ。なんて、ちっぽけなエゴにすぎない。詭弁だ。でも、夜千代は光輝の言うことを納得する。そうだ、それでいい。いいじゃないか。正しいだの悪いだのでしか動けないのは機械だ。自分がどう思って、どう動くか。それが選べるのが人なんだ。完全無血の機械より、愚かでも血の通った人間の方がいいじゃないか。

 

 夜千代は自分の体に元気が出てきたのを感じる。

 

「「正体不明(コード・ゼロ)」って言ったっけか。お前、私の正体を聞いたのか?」

 

「いや、知らないな。俺はもうあんときの事は忘れた」

 

「都合の良い頭だな。……まあいいや。知らないなら構わない。私もお前の能力は「超視力」ってだけしか知らないしな」

 

「よく理解(わか)ってんじゃねーか」

 

 夜千代と光輝は右手どうしでタッチをする。お互い、それぞれの正体に薄々気付いている。しかし、知らない振りをする。だって、そのほうが楽だから。

 人間、楽をするのは大事だ。休まなければ、頑張ることも出来ない。知らない方がいい事もある。いらない事を知ってしまっては、余計な気遣いをするだけだ。

 

 だらしない黒咲夜千代は、だらしない岡本光輝という人間性を意外と好んでいた――

 

――管理所から出た学生服の岡本光輝と黒咲夜千代は、改めてイクシーズの夏祭りというのを実感した。

 

「うはぁ、こんだけ人が居るとか……病み上がりでこんなの見回らなきゃいけないのかよ」

 

「らしいぞ。ああ、もう帰りたい……」

 

 夜千代が病院を退院して直ぐに、そのイベントは待ち構えていた。お盆真っ只中に開催された、イクシーズの夏祭り。

 周りを見て、どこもかしこも人・人・人。イクシーズ内の人間だけではこうはならない。それはそうだ。イクシーズの外から、国内からも国外からも人が集まるのだから。一年の中でも非常に大きなイベントだった。

 その中を、光輝と夜千代は巡回をしなくちゃならない。といっても、区間は決まっている。他の区間は、また別の人たちが巡回する。こういうお祭りでは揉め事が絶えない。それらをやんわりと解決するのが、巡回役の仕事だ。

 

「人ごみは嫌いだ、暑苦しいし五月蝿いしいい事ない」

 

「あー、私もそう思うわ。本当に」

 

「まあ、行くか」

 

 かといって、やらないわけにはいかない。一度決まってしまった事だ。二人は、面倒くさそうにしながらも歩き出す。

 

「あ、ちょっと待ってな自販機で珈琲買うわ」

 

「おう」

 

「ほれ」

 

「あ……いいのか?ありがと」

 

「構わん」

 

 夜千代は自販機で微糖の缶コーヒーを二つ買うと、光輝に投げてよこした。光輝はコーヒーがあまり好きではないが、せっかく頂いたものだから飲まない訳にはいかない。カシュッ、と音を立てて栓を開け、一口いただく。……あれ、意外とうまい。

 

「ほー……結構うまいじゃん、これ」

 

 コーヒー特有の苦味は確かにあるが、甘くて飲みやすい。あまり不快感はない。むしろ、この苦味が甘さとマッチして……美味しい。

 

「結構いけるだろ、「プレボ」。最近好みの銘柄なんだ。あ、ブラックのコーヒーは糞な。あれは何がうまいのかわからん」

 

「同感だよ」

 

 缶コーヒーで一息ついて、二人は歩き出す。人ごみをかき分けるように歩く二人だが、ちょくちょく互いがどこに居るのか分からなくなるくらい人が多い。

 

「メンドクセーなー……しゃーないか」

 

「おい……ちょっと!」

 

「あ?」

 

 夜千代ははぐれそうになるのを鬱陶しく感じて、その手で岡本光輝の手を握った。こうすれば、絶対にはぐれないだろうと。

 しかし、光輝はその行為にドキリ、とした。夜千代は女性だ。光輝は男性。男同士で手をつなぐというのは嫌だが、かといって男女で手をつなぐという行為は嫌というよりは、気恥ずかしいというか、意識しない訳が無い。

 

 そんな光輝の考えを思ってか、恐らく深く考えずにその手を握った夜千代は、段々と顔を赤らめる。

 

「……っ、これは別にそういう意味じゃねえぞ!はぐれたら面倒だから繋いだだけだ、損得で言やぁこっちのが断然得だからこうしただけだ!私は別にお前なんぞ全く意識してねぇからな!」

 

「ははっ、そんな事言って、実は意識してんじゃないのか?」

 

「お前、それ本心かよ」

 

「……すまん、ちげーわ」

 

「……」

 

「……」

 

 急に無言になり、歩く二人。むしろ、言葉を失った現状の方がさっきよりよっぽど小っ恥ずかしい。けれど、一度握ってしまったものはしょうがない。

 夜千代は光輝の手をしっかりと握り、光輝もまた夜千代の手をしっかりと握った。その手は、しっかりと、血も心も魂も通った感情を持つ人間の、温もりを宿した手だ。夜千代は光輝の存在をそこに確かに感じている。

 

 語り合うというのはこんなにも面白くて。

 張り合うというのはこんなにも楽しくて。

 気が合うというのはこんなにも嬉しくて。

 触れ合うというのはこんなにも暖かくて。

 

 人生には辛いことも嫌なことも悲しいこともある。それでも人が前を向いて歩けるのは、独りじゃないからなのだろう。支え合う、なんて器用な事は、夜千代は出来るなんて思っちゃいない。けれど、一人より二人で居たほうが、心を強く持てる。

 夜千代のその目に視えた世界は今、これまでの濁ったものじゃなく、光り輝いて視えていた。

 

 過去がどれだけ暗かろうと、黒咲夜千代の今はとりあえず楽しい。



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第四章 サマーデイズ・スターリースカイ
夏祭り


「しかしよ、マジで暑いよなー。なんでこんなに暑いのに人がこんなに居るんだろ」

 

「日本人ってのは祭りが好きな人種らしい。並ぶのも好きだろ、あいつら。私は嫌いだが」

 

「あいつらって、俺らも日本人だろ。いや、俺も嫌いだが」

 

「……私ら日本人じゃないのかもな」

 

 二人してネガティブな言葉を交わしながら夏祭りの人ごみの中を歩いていく岡本光輝と、黒咲夜千代。はぐれないよう手を繋いだ二人は、岡本光輝を先頭として夜千代がそれに付いていく形になっていた。

 夜千代は端からやる気がなく、この辺りの地形など一切わかっちゃいない。対する光輝もやる気は無いが、それでも与えられた仕事はしっかりこなさないと先生への内申に響くため、真面目にやらざるをえない。

 

「俺たちの巡回時間でこの地区のメインイベントは……「対面!素手喧嘩(ステゴロ)グランプリ-天を目掛けて奢り高ぶれ-」だな。男だけが参加OK、武器は使用禁止、己の五体と異能だけで殴り合う戦いだ」

 

「うわ……何それ、暑苦しそう」

 

 露骨に嫌な顔をする夜千代。一見するのもゴメンだ、という雰囲気だ。しかし、光輝は違った。

 

「何を言う、男と男の熱いぶつかり合い!そこには確かな覚悟がある!負けたくない、勝ちたい、俺がお前より強いんだっていう意地を掲げた紳士達の正々堂々の対面!それだけで見る価値があるじゃあないか!」

 

「……なんでそんなに楽しそうなの?」

 

 夜千代の疑問。夜千代の見知った岡本光輝は冷暗所のもやしのような暗い冷ややかな男のハズだ。なのに、今はこうも熱く語っている。……ウザい。

 

 まあこっちがペースに乗らなければいいかと、夜千代は光輝に引かれるまま人ごみを歩いた。

 

 夏祭りだけあって、あちこちに出店が並んでいる。イクシーズの出店だから特別珍しいものがあるとかそういう訳ではなく、基本的には射的や輪投げなどの遊戯から、りんご飴やたこ焼きなどのメインメニュー、はたまたシロコロホルモンやオムそばなどのB級グルメ等、どこの祭りを見ても並んでそうな屋台ばかりだった。

 ちなみに、夜千代が好きな物はりんご飴だ。あの飴は芸術品と言っても過言ではなく、手練が精巧に調理(つく)ったりんご飴はそれはもう至高の嗜好品だ。昔は両親に祭りに連れてもらっていた度に買ってもらった。懐かしい。

 まあ、それは後で探して食べようと思う。今は見回り中ではあるわけだし。

 

「ん、どうした?」

 

「……あ、いや、なんでも」

 

 ふと、夜千代は光輝の手を強く、握ってしまった。駄目だ、両親の事を思い出して寂しくでもなったか?甘えるなよ夜千代、過去を掘り返すな。失ったものをどれだけ想っても戻りゃしない。

 

 自分に言い聞かせて、平常に戻る。らしくない。久々に人の手を握ったからだろうか。

 

「あぁ!?ぶつかって来たのはそっちだろが!」

 

「いいや、お前だね!」

 

 ふと、聞こえる罵声。場所は近い。

 

 夜千代と光輝は人ごみをかき分けると、少し開けた場所で二人の男がにらみ合っていたのを見つけた。揉め事のようだ。両方ともガタイがよくいきり立っていて、周りの人々はとても止めれる様子ではない。

 

「岡本、お前下がってろ。ちょっくら私が片付けてくるわ」

 

「あ、おい」

 

 繋いでいた手を離し光輝を下げて前へ出ようとする夜千代。本来、揉め事は穏便に済まさなければいけない。それこそ、警察を呼ぶぞと脅したり。自分が無謀にも割って入って揉め事を大きくしてしまっては話にならない。それを、夜千代がこなせるのだろうか。少し不安になる光輝。

 

「お兄さん方、ちょっとこまりますよー」

 

「「あぁ!?」」

 

 と、夜千代が割って入る前に二人の間に立った人影。紺色の甚兵衛に身を包んだ、素直に髪を切り分けたわかりやすい好青年。普段は笑顔の表情だが、今は困った顔をしている。

 光輝はその好青年を知っていた。土井銀河、光輝の家の近くのスーパーの主任だ。

 

「あの、あなた方外の人ですよね?だって僕らイクシーズの人間は祭りで喧嘩しませんもん。すぐに警察が飛んできてねじ伏せられちゃうから」

 

 土井の言うことはごもっともだ。イクシーズに住む人間は祭りで喧嘩をするのがどれだけ愚かかわかっている。それでも、希に祭りのテンションで喧嘩に発展する場合はあるわけだが。

 

「そんな事も分かってないあなた方に一つお願いがあるんですが、迷惑なんでやめてくれませんか?祭り中は無闇な対面もやっちゃいけない、あなた方が喧嘩するとこっちも商売あがったりでね、出店に客が入らなくなるんですよ」

 

「んだと?」

 

「まずはお前からやってやろうか?」

 

 少し煽り目の口調で言い放つ土井。それに対して、二人の男は怒りの矛先を土井へと向けた。それもそうだ、ただでさえ頭に血が上っている二人だ、煽られて黙って引き下がる訳にもいかない。

 

 男一人が土井の胸ぐらを掴んだ。周りの人々がそのまま殴られると思った瞬間、男の体は地面へと膝から崩れ落ちた。ガタイのいい男が優男に触れただけで、だ。

 

「--あれっ」

 

 男は不思議な表情をする。もうひとりの男も度肝を抜かれた顔だ。対して、土井の表情は平然としている。

 

「ごめんね、ちょっと「能力」を使わせてもらったけど、分かってくれたかな?多分、逆立ちしても君らじゃ勝てないよ。舐めてもらっちゃ困るね、僕らは「異能者」だ。はい、じゃあ二人共仲直り」

 

 土井は地面に膝をついた男の手を取り立ち上がらせ、もうひとりの男の手とつなぎ合わせた。

 

「……すまねえな」

 

「……ああ、悪かったな」

 

 お互いは納得などしてはいない。しかし、そうせざるを得なかった。どう足掻いても、目の前の男、土井銀河に勝つ術が無いと踏んだのだ。実際、その判断は正しい。光輝の超視力も、その一瞬を捉えていた。

 

 土井は見た目、何もしていない。だが、起こった現象から分かる。「力の流れを変えた」のだ。

 

 男たちは謝りあって、その場を離れた。周りも観るのをやめて歩き出す。喧嘩を異能者が収束させるのは、祭りではそれほど珍しいことではないからだ。その場に止まっていたのは土井と光輝と夜千代ぐらいだった。

 

「ふう、これで仕事に専念出来る……」

 

「どうも、主任」

 

「土井さんじゃん、何やってんの?」

 

「「……ん?」」

 

「やあ、光輝くんに夜千代ちゃん。いらっしゃい、まさか二人が知り合いだったなんてね。金魚すくいに来たのかな?」

 

 土井に対しての、光輝と夜千代の反応。どうやら、二人とも土井と知り合いらしい。そしてその土井は、何故か屋台で金魚すくいを営業していた。土居が自分の屋台に戻ると、その隣には顔に深く皺を刻んだ老人が。

 

「おお、夜千代よ、どうじゃ?一つ、金魚すくいでも……おや?その隣に居るのは知り合いかえ?」

 

「あー……岡本、この人、私のじーちゃん。じーちゃん、コイツは……あれだ、知り合いっつーか、なんつーか……」

 

 老人に対して、いまいち答えをはぐらかす夜千代。光輝は名乗らないわけには行かない。

 

「初めまして、岡本光輝です。夜千代さんの友達です」

 

「うわ、きっしょ、きっしょ!何それ、猫かぶり?普段のお前なら「どーも、俺の名前は岡本光輝。よろしく」みたいなやる気無い感じだろ」

 

「五月蝿いな」

 

 折角人が挨拶の上に補完してやってんのに、夜千代は逐一茶化してくる。というかコイツに常識はあるのだろうか。もしかしたら無い。まあ、普段からそれらしい言動は一切無いが。

 光輝の名自己紹介を聞いた老人は、目の色を変えていた。

 

「おお、夜千代についに友達が……!わしの名前は黒咲枝垂梅、夜千代の祖父じゃ。気難しい孫じゃが、どうか見捨てずにやってくれんかのう」

 

「じーちゃん、余計な事言うなよ。大丈夫、コイツも大分気難しいから」

 

「はは……分かりました」

 

 他人に一切心を開いていないような黒咲夜千代ではあったが、枝垂梅とは仲が良いようだった。枝垂梅も夜千代を大事に思っているらしく、二人の信頼は深い。光輝はまた、夜千代の新たな一面を見たような気がする。

 

「さて、話も終わったところだし、光輝くんに夜千代ちゃん。金魚すくい、君らなら一回百円にまけとくよ」

 

 土井さんはさっきから金魚すくいの宣伝ばっかしてくる。結構商売っけある人だよな、と光輝は思う。

 まあ、百円ならいいか、と光輝は財布から百円を取り出した。

 

「主任、意外と強かったんですね。まるで合気道だ」

 

 光輝は土井を褒める。先ほどの対処は、鮮やかだった。

 

「はは、師匠に教わったから。武術は一通りは、ね。僕も昔はモテたくて修行したよ。好きな女の子に振り向いてもらうためにレートをDから必死こいてBまで上げて、かっこよく見せるために大聖霊祭への出場権まで得て。けれど一回戦目で負けちゃってね、はは、所詮Bレートなんてそんなものさ。あ、ちなみにその師匠がこのお方、黒咲枝垂梅先生でね」

 

「土井さん話長い」

 

「ああ、ごめんね」

 

 土井のいつもの悪い癖を、あろう事か夜千代が遮った。多分、この人は誰にでもそうなんだろう。夜千代は対処法をよく分かっているみたいだった。光輝の家からも夜千代の家からも土井が働いているスーパーは近いようだし、何回も顔を見せているのだろう。

 

「さて、挑むか……」

 

 光輝はポイと茶碗を受け取り、金魚の軍勢とにらめっこをする。

 

 光輝には自信があった。超視力、それによる金魚の動き。金魚すくいのコツは書物で何回も見てきたから理解る。

 まず、狙うは胴体。尻尾をポイに載せた瞬間、ポイは破かれるからだ。そして、次に胴体を乗せるのは紙の部分では無い。その瞬間、負けが確定する。乗せるのは縁のプラスチックの部分なのだ。言うなれば、紙は囮。要するに、この遊び「金魚すくい」とは、力学のゲーム。全てを理解した上で、計算と動体視力に物を言わせて--

 

「--取ったッ!」

 

 ぽちゃん。

 

 ポイは無慈悲にやぶかれ、金魚は元いた水槽に帰っていく。

 

「うーん、残念。おしかったけれどね」

 

「……視えるのと出来るのとはわけが違うみたいだ」

 

 光輝は項垂れる。テクニックが足りなかったか。かといって、迂闊にムサシを憑依させる訳にもいかなかった。

 

「はっ、どいてろ雑魚が。こんなもの、天才の私が--」

 

 夜千代も百円を払いポイを受け取り、いざ挑む。その自信は満々だ。

 

 ぽちゃん。

 

「うーん、残念。おしかったんだけどね」

 

「「……」」

 

 二人して項垂れる。金魚すくいとは闇が深い--

 

--光輝と夜千代は土井と枝垂梅と少し世間話をし、巡回という役割があるのでその場を離れていった。

 

「……夜千代ちゃん、随分元気でしたね」

 

「まさかあの子に友達が出来るなんての。銀河よ、光輝という少年を知っているのか?」

 

「はい。義に忠実な、とてもいい少年です」

 

 土井は答える。岡本光輝は、今時では珍しい何が大切か、しっかりと自分で選択出来る少年だ。

 

「そうか、それは良かった。夜千代にはいずれ、真っ当な道を歩んで欲しいものじゃ。……土井よ、済まないな」

 

「……僕が選んだ道ですから。師匠のせいじゃありませんよ。あの記憶は、僕の中で未だ咲き誇っています。忘れてはいけない、僕の--」

 

--初恋で、最愛で、大切な人を。土井は忘れない。「君の欠片(フラグメンツ)」という名の能力を持った、他人の魂が視える女性「黒咲(くろさき)桜花(おうか)」の事を。夜千代の中に封印されている記憶、狂ってしまった彼女のことを。



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夏祭り2

「で、素手喧嘩グランプリってのはどこでやってんの」

 

 枝垂梅と土井の二人と別れたあと、夜千代と光輝は巡回をしつつメインイベントの会場を探していた。

 

「もう少しだぞ」

 

 屋台と人ごみがひしめき合う中を歩いていき、少し開けた広場に出る。広場は人で溢れかえっており、その中央にはまるでプロレスのリングのような物が設置され、中では二人の男が殴り合いをしていた。

 かたや、浴衣の右腕を衣類からだし、遠山の金さんのように粗雑(ワイルド)に着崩したハチマキの男。燃える拳を、相手に打ち付ける。

 かたや、白色の特攻服に身を包んだまるで暴走族のような出で立ちの白金髪(プラチナブロンド)という特徴を持つ男。その背中には金の刺繍で「白金鬼族二代目総長」と書かれた文字が。燃える拳に決して怯まず、下がらず、押し込むように拳を相手に打ち付けていた。

 

超男(ちょうおとこ)同士の戦いもいよいよ佳境であります!この決勝戦、両者共々決して引きません!「熱血王」厚木血汐選手がSレートの意地を見せるのか!?はたまた巷で噂の「白金鬼族(プラチナキゾク)」の総長(ヘッド)、白銀雄也選手が喧嘩人の意地を見せるのか!?二人の(おとこ)(おとこ)!最後まで目が離せませえぇぇぇんッ!!』

 

「「「()オォォォォォッ!王者(ヘッド)ッ!(ヘッド)ッ!我らが総長(ヘッド)ッ!」」」

 

「「「フレーッ!フレーッ!か・い・ちょうッ!フレッフレッ会長!燃えろよ燃えろよ会長ッ!」」」

 

 司会のMCマックが実況をし、白銀側の応援団である白の特攻服の軍勢と厚木側の応援団である黒い学ランの軍勢が応戦合戦をしている。まるで白組と赤組だ。どうやら今やっているのが決勝戦で、リングの上では厚木と白銀のまさに白熱という言葉が相応しい殴り合いが行われていた。

 観客は見入っていた、その美しい戦いに。単純で、純粋な闘争、両者の殴り合い。それはどちらが格上か決めるのにはとても分かりやすく、かくもその戦いで勝つという事がどれだけ至難なのか分からせてしまう。

 観客はイクシーズの人間も外の人間も含まれる。しかし、この中のどれだけが彼らに勝てるなどと言えよう。あの一発を受けただけで、倒れてしまうのではないか。心が折れて降参してしまうのではないか。自分たちには真似できない、単純で、かつ、密度の高く、崇高な戦い。それが、この対面の表すものだった。

 

「……憧れ、ちゃうな」

 

 光輝はふと、つぶやいていた。誰に言うでもなく、心から漏れた言葉。男なら誰だって憧れた事があるはずだ、腕っ節の強い男ってやつに。しかし、いつしか現実を見て、気が付けば忘れ去る。それが憧れというものだ。手を伸ばすだけ無駄で、決して届かない。それはまるで、人の夢のようで。雲を掴むような、そんな存在。

 

 だが、今一度、光輝はその憧れを思い出した。リング上の男達は、重い一撃を互いに受け合って、しかし、倒れない。何が彼らをそうさせるのだろうか。強者たる自負(エゴ)か、弱者たる意地(プライド)か。ただ一つ分かるのは、どちらも決して負ける気がないという事だ。

 

 白銀と厚木の拳が交差し、互いの顔面を殴り合う。瞬間、それまで引かなかった二人は後ろによろめき、互いにすぐに相手を見据える。隙は見せない。

 

「参った、この俺がここまでやられるなんてね……だからこそ、より燃えたぎる!俺の「イグニッション」、次の一撃に全てを賭ける!」

 

「へへっ、イクシーズにも骨のある奴が居るって分かって嬉しいわ……いいゼ、俺の「不屈のハート」はどんな攻撃だろうと決して砕けない!分かるな?俺は絶対に負けねえって事だ!」

 

 二人は走り出す。互いに大ぶりの拳を、相手に振りかざす。制空権が交わり、お互いの、全力の拳が互の身体(からだ)に振り抜かれた。直後、二人は吹っ飛ぶ。衝撃と衝撃、二つがぶつかり合って反発し厚木と白銀はリングの外へと飛び出てしまった。周囲からは盛大などよめきが起こる。

 

『あーッとぉ!両者共にリングアウトだ!記録班、ハイスピードカメラを!』

 

「同時……いや、違う、今のは僅か、ほんのごく僅かだが……」

 

 光輝の超視力はそれを捉えていた。厚木の拳と白銀の拳がぶつかった後のほんの刹那。この勝負は……

 

 周囲のどよめきを静まらせるように、マイクがキーンと鳴り響く。

 

『えー、ハイスピードカメラによる判定の所……ほんの僅かですが、一瞬、厚木選手の全身がリングから飛び出しています!なので、この対面の結果は白銀雄也選手の勝利となります!』

 

 オオオオオッッッ!!!と周囲から盛大な歓声が上がる。白銀側の応援団は飛び跳ね、拳を天へ突き上げ、厚木側の応援団は悔しそうな顔をしながらも拍手を送った。

 

『それでは白銀選手、折角なので表彰の前に何か一言を……』

 

 MCマックがマイクを白銀に渡すと、白銀はボロボロの特攻服の上着を脱ぎ捨て半裸になり、その鍛え抜かれた肉体を晒しながら言葉を放った。

 

『厚木、あんた最高だったゼ。大聖霊祭でまた当たったら今度はなんでもアリで()ろうや』

 

 その言葉に厚木は笑みを浮かべ頷き、周囲からはもう一度歓声が上がった――

 

 

――二人の超男同士の対面を目の当たりにした後の岡本光輝は、何十分と経ってもとても興奮が冷めやらぬ様子であった。

 

「あれが厚木血汐なんだよなー、燃え盛る拳による殴打、その破壊力!しかしそれを受けてなお倒れない雄也さんも凄いって!なんだよあれ、あれが「白金鬼族」の総長!いやー、たまんねえって!」

 

 そのはしゃぐ姿は、まるで子供のようだ。強きに憧れる、幼い少年のようで。

 

「……なんか、私も楽しくなるな。お前がそんなに楽しそうだと」

 

「おっ、分かるか!いやー、夜千代にも見せちゃおうかなー、俺の宝物!前回の大聖霊祭の決勝戦、三嶋小雨VS厚木血汐の録画DVD!最後までどっちが勝つか分からなかった試合だったけど、厚木の苦肉の策に対して見せつけた三嶋小雨の裏技「電磁投射砲斬鉄剣(レールキャノンざんてつけん)」!あれはもう、背筋が震えるってゆーか」

 

「はは……、っともうそろそろ交代の時間じゃないか?」

 

 夜千代は自分のスマートフォンを取り出し時間を確認する。なるほど、もうそろそろ交代の時間のようだ。

 

「……あー、そうだな。あー、やっと解放される」

 

 ぐっ、と腕を上に上げ上体を伸ばす光輝。ようやく、この仕事から解放されるのだ。他人の言うことを聞くというのは、不自由で窮屈で仕方ない。それが、終わるのだ。

 

「……その、なんだ」

 

「ん?」

 

 夜千代は少し、顔を俯かせる。

 

「よければ……この後も、一緒に夏祭りを回って欲しいというか、なんというか……あれだ、祭りが好きなわけじゃなくて、そうだ、りんご飴をまだ食べていないんだ!なっ、良いだろっ」

 

 夜千代の顔が少し赤い。ははーん、なるほど、と光輝は察する。

 

「いいぞ。とりあえずは管理所に戻るか」

 

「……あ、ありがと」

 

 やはり、そうだ。このしおらしさ。普段の黒咲夜千代には有り得ない。

 

 他に廻る相手が居ないんだな、と光輝は確信した。そりゃ恥ずかしくもなるだろう、友達が居ないから一緒に回ってくれ、なんて。

 

「大丈夫だ、黒咲。俺はお前の味方だぞ」

 

「……なんかいらん勘違いしてないか」

 

 照れ隠しをしやがって。かくいう俺も少し前までは友達が居なかった。ああ、安心しろ。お前と俺は友達だ--

 

--管理所で役員に報告をしてから出る二人。揉め事は一件だけあったが、それは土井が解決した。結果、報告するべき事は「異常なし」だ。

 

「ふーっ、疲れた疲れた」

 

「ああ、本当にな……」

 

 はれて、これから自由だ。まるで刑務所から上がった囚人のような感覚を受けて、二人は歩く。次の瞬間。

 

「光輝っ!待っていましたっ!」

 

 ガバっ、と光輝は横から飛び出してきた何かに覆われる。体に感じる肌と肌が触れ合う感触、脇腹に布越しに伝わる柔らかなそれ。甘い香り。なんとか倒れずに持ちこたえた光輝。心当たりはひとつしかない。

 

「おい、やめろよクリス」

 

「だって、待ってましたから。あなたと、こうして触れ合う時を……」

 

「いつもやってくるだろ、それ」

 

 黒いワンピースの、クリス・ド・レイ。彼女の腕が首に回され、肌と肌が密着して少し暑苦しい。こういつもやられると、こっちも気が楽でない。その……なんだ、アレがだ。仕方がないので、光輝はクリスの脇腹に手を回して引っぺがす。

 

「……岡本、それは?」

 

 怪訝そうな夜千代。それもそうだ、傍から見たらイチャラブなバカップルだろう。だが、違うんだ。

 

「九月からうちの高校に来るロンドンからの特待留学生、クリスだ。こう見えても、Sレートなんだ」

 

「あら、これは失礼。私、ロンドンのレイ家の長女のクリス・ド・レイと申します。よろしくお願いしますね」

 

 さっきのはしゃぎっぷりとは打って変わっておしとやかに振舞うクリス。会釈をされたので、夜千代もペコリ、と頭を軽く下げる。

 

「どーも、私の名前は黒咲夜千代。よろしく」

 

「んじゃあ、行くか。とりあえずクリスは日本文化に興味あるんだろ?じゃあ、テキトーに出店でも回って、三極の出店は……まあいいか。厚木会長の「バーニング神輿」はそこらへん回るだろうし」

 

「……もしかして、3人で、か?」

 

 光輝に問う夜千代。少し不安げな表情だ。

 

「大丈夫だ、夜千代。クリスはこう見えて意外と馬鹿だ。すぐに仲良くなれる」

 

 いや、傍から見て馬鹿っぽいのは分かるが。そうじゃなくて……まあいいか。

 

「では、いきましょう」

 

「おい、頼むから腕を絡めるな、暑い」

 

 光輝の腕に自身の腕を絡めるクリス。だから、肌と肌が密着すると暑いんだって。

 

 3人は、とりあえず目的地も特に無く屋台を見て回った。射的に苦渋を飲まされたり、じゃがバターとうたいつつマーガリンが使用された物を食べたり、屋台のクレープ屋のクオリティの低さに憤慨したり。なんやかんやで、楽しい時間を過ごしていく。

 

「あっ……」

 

 ふと、夜千代が立ち止まった。

 

「どうした」

 

 光輝とクリスも、その場で止まる。すると、その目の前の屋台には大小のいくつもの赤い固まりがビニールに包まれ細い棒に刺されて並んでいる。りんご飴だ。

 

「……おやっさん、りんご飴小三つ」

 

「あいよー!」

 

「ほれよ」

 

 光輝は代金を払いりんご飴を三つ受け取ると、その内二つを夜千代とクリスに渡す。

 

「まあ、ありがとうございます!」

 

「……いいのか?」

 

 素直に喜ぶクリスと、目をぱちくりさせて光輝の方を見る夜千代。

 

「黒咲、お前結局キャンプ楽しめなかっただろ。これはその埋め合わせだとでも思ってくれ」

 

「はは……ありがとな」

 

 ぼんやりと察する夜千代。ふと思い出した、夜千代はりんご飴は食べたいと光輝に言ってしまったことを。なるほど、なるほどな。

 しかし、それを光輝がプレゼントしてくれたのはまた話が別だ。なんだろう、この気持ち。すごく、嬉しい。両親に買ってもらった時の感覚に似ている。

 

「りんご飴を買うときってのはな、小さいのを選ぶのが当然だ。デカいのはアゴが疲れる、とてもじゃないがまともに食べきれる物じゃない。値段が200円しか変わらないからって大きいのを買うのはやめた方がいい、そもそもメインの飴の層なんてさして変わるものでも無いしな」

 

 何気なく雑学というか恐らく体験談であろう事をこと細かく語る光輝。それを聞いてクリスはふふ、と笑い、夜千代は暖かい気持ちになった。

 

 ……やっぱりだ。コイツと居ると、なんとなく、楽しい。

 

 岡本光輝はただ暗いだけじゃない。触れ合ってみれば、意外と陽気な一面もある。それは本人の自覚があるにしろ無いにしろ、話していて楽しい。……なるほど、岡本に友達ができるわけだ。

 

 なれるかな、私に。いや、ならなくてもいいか。岡本は岡本、私は私だ。

 

 夜千代は自分の中で勝手に納得する。いや、今はこれでいい。独りよがりでいい。他人を信じれないのなら、まずは自分から。自分も信じれない者に他人がどうして信じれようか。

 

 けれど、岡本光輝は信じていいかもしれない。だって、彼は、私と似た面を持っているから。正確には違えど、岡本光輝と黒咲夜千代が抱えている何かは近きものを感じるから。

 

「ソイヤッソイ!ハアァァァァァ!!セイッ!」

 

 ドォン、と遠くで鈍い音が鳴り響く。この音色は、太鼓の音色だ。

 

「おっ、厚木会長のバーニング神輿の時間か」

 

 道の端の本来車が通る道を、複数の先導が通りその後から大きな神輿と、その上で太鼓を叩く厚木血汐が。姿格好は素手喧嘩グランプリと同じ遠山の金さんスタイルだ。あの大試合の後に太鼓を叩く元気があるなんて、なんという熱血漢か。

 

 その神輿は所々に炎を灯し、それに照らされるやぐらで太鼓を打つ厚木血汐は普段とは違った衝撃を感じる。派手で、凛々しくて、男臭くて。だが、それが燃える。それが熱い。言葉だけでは言い表せれぬ、風情。

 

「はは、凄いな」

 

「これが日本式神輿……日本文献には載っていませんでした」

 

 乾いた笑いの夜千代と、仰天と言った表情のクリス。それもそうだ、こんなものイクシーズでしか見れないだろう。炎の制御に関しては右に出るものが居ない厚木血汐ならではの偉業なのだ。

 

 光輝たちはその神輿が付近を通り過ぎるまで見ていた。その壮大さに、少しばかり余韻が残る。

 

「いや、元気いっぱいだな、厚木会長も。どうする?そろそろ大花火が打ち上がるハズだけど、見てくか?」

 

 神輿が通り過ぎていったという事は、そろそろイクシーズ特性の花火が打ち上がる時間だ。まあ、そのまま家に帰るもよし、見ていくもよし。

 

「私は見ていきたいですね」

 

「折角だ、私も」

 

 クリスも夜千代も、乗り気のようだ。

 

「よし、それじゃいい場所があるんだ。多分他に人が来ないだろうって場所がな」

 

 光輝はあらかじめ花火を見るための場所はリサーチ済みだった。折角なのだ、特等席で見たいだろう――

 

 

――なんて考えるのは、意外と多く居て。

 

「コーちゃんじゃん、花火見に来たのか」

 

「あ、来たんですね光輝さんも」

 

「やあ、岡本クン。君も見に来たのか、夜天に咲く花を」

 

「シエル、お前表彰は……」

 

「いらんだろう。あの程度、私にとっちゃ取るに足らん。そんな表彰、要るか?」

 

「……おう、お前ら。元気だな」

 

 祭りの中央、イクシーズの大神社を少し離れて薄暗い木々の小さな森を進んだ、小さな分社。そこは周りより少しだけ高台になっており、花火が打ち上げられる海が綺麗に観える。しかし、その場には先客が居た。後藤征四郎と、ホリィ・ジェネシスと、瀧シエルと、龍神王座。

 これじゃ結局、いつものメンバーだ。

 

「……まあ、いーか。さあ、そろそろ始まるぞ」

 

 光輝は特に深く考えることも無かった。これはそうなる運命だったんだろうと。他にどう考えてもどうしようもない。けれど、まあ、いいじゃないか。これはこれで楽しい。

 

 ドン、と遠くで打ち上げられる最初の花火。その花は天まで昇って大きく開いて、夜空に咲き誇る。これは皮切りにすぎない。これからもっと、闇夜を照らす花が咲く。

 

 夏ももう半ば。短いようで、色々とあった気がする。結構めんどくさい事もあったけど、楽しくて。そしたらそしたで構わないか。さて、これから何があるのやら。

 

 光輝は空を見上げた。まん丸な満月と円を描く花のコラボレーション。なるほど、これはこれで綺麗である。



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影の行方

「……はっ!」

 

 ミカエル・アーサーは目を覚ました。先程まで起こった出来事が瞬時に脳内に蘇る。仮面の女との、熾烈な戦い。瞬時に身を起こそうとして、自分の両手に手錠がされているのに気がついた。

 

「起きたかの?」

 

 かけられた声の主の方を見ると、そこには顔に無数の皺が刻まれた老人が居た。周りを見渡すと、他にも幾人かの「シェイド」のメンバーが捉えられており、部屋内が時々揺れることから此処が大きな囚人護送車か何かという事が分かった。

 

 アーサーは自身の能力を使用しようとしたが、使えない。まるで、力が入らない。

 

「抵抗はやめときなさい。能力を封じる、それが儂の能力じゃ。残念じゃが、君らのお仲間は全員囚われの身じゃ。腕利きが何人も見張っておる。負けじゃよ、君らの」

 

 アーサーは完全なる敗北を悟り、体から力を抜いた。そうか、負けたのか、俺達は……

 

 テログループ「シェイド」は、これまで無敵だった。常に勝ち続け、強者として欲しいものを他者から奪っていった。だが、遂に敗北。その未来は、「死」か。だが、今更自分の命を大事になんて思っていない。それだけの事をしてきた自覚はある。

 

 そうだ、俺達は咎人なんだ――

 

――ミカエル・アーサーが生まれたのは、小国家の中の小さな村だった。村全体が貧しかったし、自分の生まれた家庭が裕福でなかったのは覚えている。けれど、けして不満は無かったし、その時は不自由でも不幸でも無かった。学校だって楽しかったし、みんな仲が良かった。ただ、本や物語に出てくる王様や貴族に成りたいと思った事はあった。

 

 ある日、アーサーが村を出て森の中で友達と遊んでいると、村の方で大きな音がして、一瞬でその方向が赤く染まった。アーサー達が村の方へ戻ると、村は火の海に飲まれていた。

 

 当時10歳だったアーサーはなんとなく起きた事が分かった。両親らが隣国で戦争が行われている、と言っていたのを聞いたことがあった。だから、勝手に遠くに行っちゃ駄目だと。村は、その戦争に巻き込まれたのだ。

 

 アーサーと友達らは呆然とした。これまで自分たちが居た場所が、世界が、どんどんと炎に飲まれ姿形を失っていく。ある少年は炎の中に飛び込んで家族を探しに行き、ある少女は半狂乱になって森の中へと姿を消した。彼らとはそれっきり二度と会っていない。その中で唯一アーサーが取った行動は、その炎をただただ見ているだけだった。それ以外に、何もできなかった。ただ一人で、立ち尽くしていた。

 

 一日ほど経ち、村に雨が振り村の炎は収まった。けれど、村は崩壊状態だった。いや、もう村とは呼べない。焼け野原とでも言った方がいいだろう。

 

 いまだ止まない雨を、まだ少しでも原型が残る家で凌いだ。その家の中も黒焦げで、しかし救いは人が居なかった事か。アーサーは自分の家も、他の家も決して確かめようとしなかった。それを見た瞬間、本当に自分が死んでしまう気がして。家族や友達が死んだなんて事は分かっている。悲しい。けれど、それを見るのは嫌だった。なんだろう、とても、嫌だったのだ。

 

 その家の中で一晩を過ごした。雨はまだ止まない。自分はこれからどうするのだろう。お腹が空いた。飢えて死ぬのだろうか。……いや、それで、もういいか。自分が今いる場所が地獄な気がして、生きるのが嫌になった。ここには家族も友達も居ないのだ。だったら、天国か地獄へ行ってみんなと会うのもありかな。そんな風に考え、炭で煤けたフローリングの床に体を横たえた。

 

 ギィ、と、ドアが空く音。空腹で眠れなかったアーサーはそちらの方へ目をやった。明かりは無いが、ずっと暗かったままなので多少の夜目が効く。そこには、ボロボロの迷彩服に身を包んだ、顔に手入れがされてない髭を蓄えた男が居た。

 男は地面に横たわっているアーサーを見ると、驚いたように言った。

 

「……まさか生き残りが居たとはな」

 

「……誰?」

 

 軍服からして、村を燃やした人の仲間だろうか。だったとして、アーサーにはどうしようもない。恨みも怒りもなく、無気力に、あるがままを受け入れるだけだ。殺されても、それもいいかな。

 

「俺は……敗北して、死にきれなかった男だ」

 

「ふーん……」

 

 男は地面に腰を下ろした。何かをするつもりでは無いらしい。

 

「少年は何をしている」

 

「……わからないよ。死ぬんじゃないかな、このまま。他にしたい事なんて無い」

 

「……なら、俺と一緒にこの世界に復讐をしようじゃないか。この不平等な、罪深き世界への復讐だ」

 

「ふく、しゅー?なにそれ?」

 

 アーサーは復讐の意味などまだ知らなかった。疑問を持つばかりだ。

 

「要するにだな……生き残って、強くなって、正しくなることだ」

 

「正しいの?」

 

「ああ。生きる事も、強くなることも、正しいことだ。正しくないのは、弱いことと、死ぬことだ。正しければ、お金持ちにもなれる」

 

 男が言っている事の意味は、深く分からなかった。しかし、アーサーは他に何をするでも無かった。お金持ち、憧れていた貴族や王様になれるかも。生きる意味がそこにあるというのなら、甘んじて受け入れようとした。

 

「じゃあ、する」

 

「そうか、じゃあ俺に付いてこい。俺の名前はロイ・アルカード。……お前は?」

 

「ミカエル・アーサー。よろしく、ロイ」――

 

――アーサーは今、イクシーズの中の警察署の、取調室の中に居た。向かいには、皺を深く刻んだ、バスの中に居た老人が座っている。

 

「それじゃ、お前さんが「シェイド」のサブリーダーって事で間違いないのじゃな?」

 

「はい、間違いないです。リーダーはロイ・アルカード、サブリーダーがこの私です」

 

「そうか、そうか……」

 

 老人はアゴに手を当てて考え事をしている。確かに老人が疑問に思うのも当たり前だろう。テログループ「シェイド」のメンバーは大体が30~40歳で組まれている。リーダーのロイ・アルカードは37歳、そしてサブリーダ-と名乗った青年、ミカエル・アーサーの年齢は21歳だ。そんな若輩者がサブリーダーと言われて、信じろという方も無理がある。しかし、これは事実だ。

 

 アーサーに抵抗の意志は一切無い。死刑で当たり前、そうでないのなら儲け物程度。自分の命にあまり意味などなく、だったら自分が罪をはやく認めてしまえば他のメンバーの罪が少しでも軽くなるかも、などと考えていた。中でも、なんとか助けてもらいたいと考える人物が居た。

 

 レイン・ヨークシティ。アーサーと同じ、戦争孤児だ。2年前、紛争地帯でシェイドが火事場泥棒を行っていた時に見つけた少女。最初は顔も体型も良かったのでメンバーの慰み者になる予定だったが、その際に逃げようとした彼女の「能力」を見てアーサーは道具として使えると判断した。

 それ以来、彼女はシェイドのメンバーだ。あくまで女性に過ぎないので肉弾戦は期待できず、まともな衣類を渡されていなかったがアーサーは彼女の能力「|空間転移穴《ワープ・ホール《」を非常に優秀だと感じていた。相手に強襲をかけるとき、彼女の能力は非常に役立った。言ってみれば、瞬間移動能力。それと、アーサーの「妨害幻波(ジャミング)」は相性がいい。一切気づかれることなく、敵陣を崩壊させる事が可能だ。

 

 最初はレインを「道具」程度にしか思っていなかった。しかし、アーサーが彼女の活躍がある度に褒めてやったり、食料を多めに回してやったりしている内に、レインはアーサーにいつの間にか「懐いて」いた。気がついたら話しかけてきたり、気がついたら体を寄せてきたり。ロイからは「まるでペットだな」と笑われていたが、そんなレインに、アーサーはいつしか「情」を抱いていた。

 

 そうだ。そもそも、そんな少女が戦争で両親を失い、こんなテログループに居る事自体間違っているのだ。アーサーは、自分たちが「正しい」と盲信している。他の誰でもない、「ロイ」の言葉だったから。

 ロイ・アルカードは、アーサーにとって父であり、兄のような存在だった。稽古を付けてくれて、危なくなったら助けてくれて、アーサーにいつの間にか目覚めていた能力「妨害幻波(ジャミング)」の使い方を教えてくれて、行く先も分からないアーサーを導いてくれて。アーサーは、ロイという存在を他の何より大切に想っていた。だから、信じた。

 

 しかし、レインは違う。ただの少女だ。それ以外の、何者でもない。彼女は戦うのだっていつも嫌がっていた。人を殺した事はない。どうしても殺さなければいけない時は、いつもアーサーが引き受けた。彼女は、優しい。こんな悪魔の巣窟のようなテログループに居る事自体、間違っている。

 

「……メンバーの中に一人だけ、女が居ます。名前はレイン・ヨークシティ、年齢は16歳。あれは、捕虜です。殺すぞと、脅して無理矢理従わせていました。彼女に罪はありません」

 

 アーサーは、そう言った。事実、殆ど嘘じゃない。レインはシェイドに従わざるを得なかった。じゃなければ暴力を振るわれるし、最悪殺されていたかもしれない。せめて、彼女の罪を無くしてやりたい。彼女は、助かってほしい。

 

「……ふむ、他のメンバーとの供述と違うのぉ」

 

「俺がサブリーダーだ。他のメンバーの言葉など信用できないだろう、自分らが助かりたいばっかのグループだ。じゃないとテロなんかしないさ」

 

 アーサーは諦めない。他のメンバーがどう言ったって構わない、なんならそいつを殺しても構わない。今のアーサーには、それだけの覚悟があった。

 

 しかし、老人は予想外の言葉を放つ。

 

「いや、違うんじゃよ。テログループのリーダー、ロイ・アルカードはこう言っているのじゃ。「ミカエル・アーサーとレイン・ヨークシティの二名が捕虜だ」……と、な」

 

「なっ……」

 

 アーサーは驚愕した。老人は、ロイは何を言っているのだろうか。意味が分からなかった。一体、どういう事だ?

 

「ロイ・アルカードはシェイドのリーダー、お主はさっきそう供述したの?」

 

「……はい」

 

 間違いない。言ってしまった事であるために、取り消すこともできない。

 

「ならロイの言うことは確かじゃのぉ。ふぉっふぉ」

 

「……待ってくださいッ!」

 

 バン、とアーサーは机を叩いた。それは、納得できない。

 

「ロイと俺はッ……一心同体だ!あの人は俺の父で、兄で……だからっ、俺はあの人と共に運命を……」

 

 アーサーはロイを裏切らない。ロイが居なければ、アーサーはとっくにこの世に居ない。全て、ロイのおかげなのだ。命の恩人で、大切な人。ロイがもし死刑になるなら、アーサーは一緒に死刑になりたい。それほどに、想っていた。

 

「お主が居なくて、あの少女はどうする?レイン、と言ったの。彼女はお前さんの心配ばかりしておったぞ。随分と好意を寄せられておるようじゃな、信じられる者がお主しか居ないのに、彼女は此処でどうやって生きていけるじゃろうか。そもそもお前さんがそれでも違うと言うのなら、彼女もまた同罪じゃろ。ロイの言葉が嘘なら、主の言葉もまた嘘。少女は仕方なく檻の中じゃ、彼女も主と一緒で嬉しいじゃろ」

 

「なっ……」

 

 それは困る。レインには助かってほしい。彼女に罪はない、咎人は俺達だけだ。

 老人は話を続ける。

 

「主よ、お前さんはまだ若い。どんな過去を背負っているかは分からんが、まだいくらでもやり直すチャンスはある。今がその時じゃ。かと言って、主の罪は消えるわけじゃないがの。だから、償うのじゃ。それがロイの為にも、レインの為にもなる。二人共、お主の事をだーいじに思っておる」

 

「……」

 

 アーサーは自分に問う。レインを助けたい。どうしても、助けたい。ロイとは添い遂げるつもりだった。彼が修羅道を行くというのならこの身もまた修羅に染まり、地獄へ落ちようというのならその奈落に喜んで身を投げるはずだった。しかし、ロイはアーサーに道をやり直せと言っているようだ。ロイは、俺に、助かれと言っている。レインもまた、俺の事を想っていてくれる。

 

 ……こんな自分で良かったのだろうか。俺は、これから、道を正せるのだろうか。これまで来た道を戻って、真っ当な道を歩めるのだろうか。

 

 気が付けば、アーサーの目からは頬を伝って涙がこぼれ落ちていた。自分が信じた者、自分が想った者もまた、自分を想っていてくれる。こんなに幸せな事は無い。

 

「お主がロイの言葉を認めるというのなら、罪を償う機会を、仕事を用意してやろう。決して楽じゃないぞ、だが、真っ当な道を歩むための足がかりにはなる」

 

「……レインは助かるんだな?」

 

 老人はニッ、と笑う。ただでさえ深い皺が、より深まる。その笑みは、とても優しい笑みだった。

 

「お主がしっかりと支えてやるんじゃぞ?それから先は、彼女と主の物語じゃ。他のだーれも、口は挟めん」

 

「ありがとう、ございます……っ!」

 

 感極まり、言葉が詰まりかける。

 

「礼には及ばん、お主にゃこれからいっぱい働いてもらわなければいかんからのぅ。……すまん、刑事殿。レイン・ヨークシティを、この部屋に連れてきなさい」

 

「はっ、コード・セコンド。直ちに!」

 

 老人は部屋のドアを開け外に立っていた刑事にレインを連れてくるよう命じると、刑事は直ぐにその場を去り、少しの間を開けてレイン・ヨークシティが取調室に連れてこられた。

 

「さて、ロイの供述「ミカエル・アーサーとレイン・ヨークシティは捕虜」という言葉により、これではれて君らは無実じゃ。君らには少しばかりの監視を付けてイクシーズでの生活を送ってもらうことになる」

 

「……えっ、ホント、ですか?」

 

 目をぱちくりとさせるレイン。驚くのも無理はないだろう、テログループに加担して無実になったのだから。

 

「さて、テログループの時の名前じゃ生きづらいじゃろ。君らは無関係の者として、イクシーズに住んでもらうことになる。関係者以外に決してその事は話すでないぞ。もしバレてしまったら、待遇を考えなければならん」

 

「……分かりました」

 

 それもそうだ、捕虜だったとしても犯罪に加担した事に変わりはない。それを隠せと言われれば、そうするしかない。周りから咎人として見られつつ生きるのは辛いはずだ。

 

「だから君らには新しい名前を付ける。そうじゃな……」

 

 老人は少しばかり頭を唸らせ、5分程考えていただろうか。閉ざしていたその口を開く。

 

「ミカエル・アーサー改め、浅野(あさの)深之介(しんのすけ)。レイン・ヨークシティ改め、賢島(かしこじま)雨京(うきょう)。それでいいな?」

 

「はい。ありがとうございます」

 

「えっと、その……ありがとうございます」

 

 無表情で頷くアーサー、改め深之介と、それに合わせて頷くレイン、改め雨京。

 

「そして、深之介には近日から儂達の手助けをして貰う。聞いた事あるかの?イクシーズには表舞台にでない暗部の機関があるという事を」

 

「はい」

 

 アーサーはそれを聞いたことがある。その内の、コード・ファウストとも戦った。

 

「なら話が早い。儂の名前は黒咲(くろさき)枝垂梅(しすい)、コード・ネームは介添者(コード・セコンド)。深之介、今日から君は浅深者(コード・ゼロ)じゃ。ほっほ、よろしくの」

 

 枝垂梅は右手を差し出した。

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 深之介もまた、右手を差し出し握手を交わす。こうして、浅野深之介と賢島雨京の、イクシーズでの新たな生活が幕を開けた。



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影の行方2

「良かったな、レイン……いや、雨京」

 

 六畳の何も無い部屋で、二人の男女は畳に腰を下ろしていた。短めに乱雑に切りそろえた、所々若白髪混じりの黒髪の男は足を崩していたが、ぱさついた手入れの行き渡っていない長い金髪の女はかしこまって正座をしていた。

 二人は何をするでもなく、とりあえず休憩をしていた。

 

「は、はい……そうですね、アーサー……あ、いえっ……浅野」

 

「折角だ、深之介でいい」

 

「はっ、はい……深之介」

 

「ああ」

 

 深之介と雨京。元々テログループに所属していた二人は、奇跡的にその罪を不問にされイクシーズでの居住権を得た。二人共が異能者なので、その点では問題がなかった。

 しかし、例外中の例外でもある。シェイドの中には他にも異能者は居た。それこそ、リーダーのロイ・アルカード。リーダーである彼が、こう言った。「ミカエル・アーサーとレイン・ヨークシティの二名が捕虜だ」と。

 テログループのリーダーの供述、それを警察が素直に信じたとは考え難い。だが、ロイが深之介を庇ったのは事実だし、それを警察が飲んだのも事実だ。イクシーズの意向は知らないが、深之介は、この好機を逃すわけにはいかなかった。なぜなら、今隣に居る女性、賢島雨京を助けたかったからだ。

 

 同情ではない。深之介は自分の境遇を呪ったことなど一度たりとも無い。自分の出生をあるべき物だと受け入れ、悲痛な出来事を受け流し、偶発な運命の出会いを神との邂逅としてその月日を積み重ねた。自分を正しいと思っていたし、それが罪であることも知っていた。だから、自分と彼女を重ねちゃいない。

 

 しかし、彼女はその道を歩むべきではないと思った。出会った直後は彼女を有能であるとし、道具として使ったが、その彼女は深之介を想ってくれた。そんな優しい彼女に、負い目を感じていたのかもしれない。

 

 だから、助けたかったのだ。

 

「……すまないな」

 

「え?」

 

 深之介は未だに正座している雨京に謝った。目線を下に向け、申し訳なさそうな表情をしている。

 

 今二人が居るのは、イクシーズ市街から少し離れた、住宅街の外れにあるアパート。黒咲枝垂梅から紹介された物件だった。外見は周りの住宅よりもかなり古びているが、屋根のある宿にずっと住めるというだけで彼らにはありがたい。家賃は最初の月はサービスされ、生活費も枝垂梅いくらか頂いてしまった。今二人が着ている市販のシャツやズボンも、枝垂梅がくれた者だ。

 

 現状は、とても良好だ。しかし、それは深之介にとっての事だ。彼女は、雨京はどう思っているだろうか。彼女が家族を失ったのは二年前だ。それまでは、普通の生活を送っていただろう。そんな彼女がテログループに入り、巻き込まれ、ここでの生活を余儀なくされている。

 はたして、それで彼女は良かったのだろうか。あの時、家族を失った彼女を引き取らずにもしそのまま逃がしていれば。彼女は別の道を歩めたのではないだろうか。自責の念で自分が一杯になる。

 

「……よく、わからないですけど」

 

 しかし、雨京は正座のままちょこちょこと深之介への距離を詰め横並びになり、深之介の左肩にその頭を乗せ身を寄せた。

 

「私、両親が死んで、一人になって。何も出来なくて、心細かったんです。それに、シェイドの人達にも乱暴されかけて……けど、深之介は私を助けてくれました。道具として、頼ってくれました。私が成功したら、私を褒めてくれました」

 

「……」

 

 雨京は、目を閉じて思い出を語るように話した。横目で見やるその顔は、決して辛そうではなく、どちらかと言えば、嬉しそうだった。

 

「私、深之介が好きです。強くて、優しくて。深之介がこれまで悪いことをしてきたんだなって、なんとなく分かってます。けれどそれは生きるために必要で、だったらそれは正しいことだと思います。だから、私は深之介を嫌いになれません。生きるために頑張れる人って、凄くカッコいいと思うんです」

 

「……そうか。ありがとう、その言葉で、救われたよ」

 

 深之介は、その言葉を聞いて、安心した。自分が間違っているのだと、心のどこかで疑っていた。自分が生きていていいのかと、奥底で問うていた。ロイを盲信することによりそれを見えないようにしていたが、不安だったのだ。

 

 しかし、雨京はそれを正しいと、言ってくれた。それが、とても嬉しかった。自分を認めてくれる人間なんて、この世界にロイだけだと思っていたから。だから、それが、とても嬉しかったのだ。

 

「あの……私、深之介の傍に居ていいんでしょうか……?深之介が嫌だと言うのなら、私は一人で生きていこうと思います。私、学もありませんし、戦うこともできません。フラグメンツにも、私の名前は入っていないんですよね。私、迷惑じゃありませんか?」

 

 逆に、不安そうな顔で深之介の顔を覗き込んでくる雨京。その表情はとても儚くて、寂しげで、しかし――深之介にはその顔がとても、愛おしく感じた。

 

 次の瞬間、深之介は雨京の体をその腕で抱きよせた。

 

「――っ、えっ、あのっ?」

 

「……俺には、お前しか居ない。信じられるものが、もう、お前しか居ない。だから、そんな事を言わないでくれ」

 

 深之介は、彼女以外に信じられるものを失った。両親は他界した。ロイは深之介の為に牢屋に入った。この世界を一人で歩けるほど、深之介の心は強くない。一人では、生きていけなかった。

 

 けれど、雨京が居るのなら。自分を想ってくれる、雨京が居るのなら。深之介はまた、歩き出せる。過ちをやり直し、真っ当な道を歩いていける気がした。

 

「お前が、大切だ。だからむしろ、お願いだ。ずっと、俺の傍に居てくれ。雨京」

 

「っ……はい」

 

 目を閉じて、雨京は体を深之介に預けた。二人の間には、目に見えぬ信頼の想いが繋がっている。お互いが、お互いを必要としていた。

 静かなその部屋で、しばらく二人はその身を寄せ合っていた――

 

――日も暮れる間際、深之介と雨京は家の周りを見て回っていた。辺りには住宅街だけあって、本当に家が並んでいる程度で、大きな建物などは市街地まで行かないと無いらしい。とりあえずは迷子にならない程度にしなければいけないので、今日は遠出はやめておこう。

 

 ふと、家の近くに人が多く出入りする建物があった。表の看板にはスーパーと書いてある。深之介はあまり入った事がない建物だが、なんとなくは知っている。食料品や生活用品を販売している店だ。

 

「……そうだ、食料を買わなくてはな」

 

「そうですね」

 

 幸い、枝垂梅に紹介してもらったアパートには冷蔵庫と炊飯器があった。深之介は炊飯器を使ったことはないが、雨京が知っているだろう。とりあえずは白米と、後は野菜でも買って帰ろうか。

 

 二人で、明るい店内に入る。建物内の脇にあるカゴを一つ、手に取った。流石に深之介も知っている。これに、買うものを入れてレジで会計を済ませるのだ。ああ、問題ない。

 

 まずは、入ってすぐの野菜コーナーを見て回る。ひんやりとした空気に包まれ、夏ではあるが涼しげだ。ズラリと並んでいる野菜を見ていくが、その中でも気になるのはトマトだ。トマトは栄養が豊富で、体に良い。畑を見つけては、取って食べた記憶が蘇る。

 

 が、その値段を見て深之介は驚愕した。

 

「何……っ!?」

 

「え、どうしたんですか?」

 

 こんなに小さいのに……高い。

 他の野菜と見比べても、その小さく赤い野菜は、値段が高く設定されているように見える。確かに栄養が豊富なのは知っている。味もいい。しかし、こんなに高いものだったとは。

 深之介は、枝垂梅に貰った小柄の財布とその金額を見る。……少し、心もとないな。

 仕方がないので、キャベツをふた玉、カゴに入れた。キャベツは素晴らしいな。こんなに安くて、量もあって、美味しいなんて。とりあえず、まとまったお金が入るまでは野菜はこれで凌ごう。

 

「雨京……キャベツは好きか?」

 

「……そうですね、どちかと言えば、好きです」

 

 何かに気付いた雨京は、疑問の表情から一転、笑顔になった。

 

 仕方ない。トマトは、いずれ買おう。雨京に申し訳なく思いつつ、そう決めた深之介だった。

 

 辺りを見渡していくと、本当にいろんなものが置いてあるのが分かる。飲料に、調味料に、香辛料、酒類や駄菓子まで。酒は、以前ロイに飲ませてもらったことがある。あれは、うまい。あれも、金が入ったら買おうかな。

 

「やあ、いらっしゃい。見ない顔ですけど、もしかして枝垂梅師匠のお知り合いですか?」

 

「……ああ」

 

 ふと、後ろからかけられた声。「枝垂梅」の名前が出ただけで何者かが分かる。素直に切り分けた髪の、好青年。こいつも、関係者か。

 

「ああ、警戒しないでよ。僕はこのスーパーの主任を任されている土井って言うんだ。一応、ね。それと」

 

 朗らかに喋る土井。そっと、深之介の耳元に顔を近づけて、小声で喋った。

 

「話は聞いてるよ。僕はコード・サウスだ。よろしく、深之介くん」

 

 そして直ぐに、顔を遠ざけ何もなかったかのように振舞う。なるほど、今感じた雰囲気で分かった。彼も暗部機関の一人だ、只者では無さそうだ。

 

「ああ。よろしく、土井さん」

 

「よ、よろしくお願いします」

 

「あ、そうだ。君たち、ここに来たばっかで色々と不便でしょ?食べ物とか困ってるよね?よし、僕が奮発してあげよう!」

 

 そう言うと、土井は深之介と雨京を連れてある場所を目指した。そこにあったのは、多くの種類が並んだパンのコーナーだった――

 

――二人はそれぞれ二つずつ、手にパンパンのレジ袋を持って帰り路を歩いた。レジ袋の中にはふた玉のキャベツと、ほかは縦長のパンに甘いクリームが挟まれたようなものや、パンにウインナーを挟んだ後にマヨネーズをかけたようなものなどの、所謂菓子パンと惣菜パンで一杯だった。全部、土井がお金を出してくれた。

 

 土井が買ってくれるならトマトも入れておくべきだったな、とは思いつつ土井に感謝する。パンの賞味期限は三日~四日程とはいえ、これなら食費は浮く。種類も豊富で、大いに助かる。

 

「あはは……よ、よかったですね」

 

「ああ」

 

 少し苦笑いの雨京。確かに何も全部パンじゃなくてもいいんじゃないかとは確かに思うが、それでも好意は好意だ。素直に受け取らねばならない。

 

 アパートに着き、階段を上り自分たちの部屋がある3階を目指す。その3階の廊下で、ある人物に出会った。短い黒髪の、黒いTシャツに短パンの少女。

 

 あの時、キャンプ場を襲撃した時に戦った仮面の少女。コード・ファウストだ。

 

「……あ、どうも」

 

 コード・ファウストはぺこり、と会釈をする。合わせて、深之介と雨京も頭を下げた。どう対応するべきか、迷う。

 

「今日、引っ越してきた浅野深之介と、こっちは賢島雨京だ。よろしく頼む」

 

「よ、よろしくお願いします」

 

 カチコチに緊張している雨京。それはそうだ。俺達は、彼女らを襲ったのだ。彼女は、どう出るのか?

 

 しかし、思ったよりもその少女の対応はあっさりしていた。

 

「ま、話はじーちゃんから聞いてるよ。私は黒咲夜千代だ。あの時の事なら、気にすんな。私は割り切れる人間だ。お前らも、そうしとけ。今日からイクシーズの住人なんだからな。それじゃ」

 

「あ……」

 

 それだけ言うと、夜千代は深之介が住む部屋から二つ隣の部屋に入っていった。あそこが、あの少女の家なのか。

 それをどう捉えるべきか。知り合いが近くに住んでいるとも考えられるし、監視が付いているとも言える。そもそも、彼女は本心でどう思っているのか。

 

 しかし、考えても仕方ない。荷物をずっと持っているのもなんなので、二人は自分たちの部屋に戻ることにした。

 キャベツを備え付けの冷蔵庫に入れ、後は菓子パンや惣菜パンを取り出す。改めて見ても、いろんな種類がある。

 

「そろそろ、夕飯にするか」

 

「あ、私これ食べてみたいです」

 

 雨京が手にとったのは、パンにマーガリンと小倉あんが挟んである菓子パンだった。深之介も一つ、手に取る。ツナマヨが乗っている惣菜パンだった。

 

「いただきまーす」

 

「いただきます」

 

 ペリ、封を開け、パクり、と二人してパンにかぶりついた。

 

「あ、すごいです、これ。マーガリンと小倉って、合うんですね……美味しいです」

 

「なるほど、これは……うまいな」

 

 二人のシェイドに居たの食生活は、缶詰だったり、ご飯だったり、外食だったり、色々だった。しかし、この手の食べ物は食べた事が無かった。

 

 まさか、あの値段で、こんなに美味しいとは。しかも、パンであるためお腹も膨れる。土井が絶賛するのも分かった気がする。

 

 ふと、雨京の動きが止まっていることに気付いた。雨京は、その瞳から、ぽろぽろと涙を流している。

 

「……私、今、凄く幸せです。こんな日常が、また来るなんて。こんなに幸せで、いいんでしょうか。いつか無くなったりしませんか」

 

 そっと、深之介はその頭に手を置き、雨京を撫でてやった。

 

「大丈夫だ。絶対に、大丈夫だ」

 

 深之介は、言い聞かせるようにそう言った。それは自分にも向けたのかもしれない。

 これから先はどうなるのか分からない。けれど、今この時は、確かにあるのだ。それがいつか奪われてしまうかもなんて、二度と考えないように。俺達は今、幸せなんだと。



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夜更けの来訪者

「でぇーいっ、クリス!もうそろそろ俺の布団に潜り込むのはやめい!」

 

 夜十時頃、いつもより少し早めに床に入った光輝は、およそいつも通りの感触に気付き、自分の布団を引っペがした。するとそこには、光輝に寄り添うようにクリス・ド・レイが同じベッドに居た。

 

「だって、こうでもしないと光輝は私を意識してくれませんから」

 

 潤んだ目でこちらを覗くクリス。

 

「いつだってしとるわい!お前の、そのっ……体を押し付けられる方の身にもなってみろ!」

 

 クリスは事あるごとに光輝に体を寄せてくる。クリスは光輝の事を好きだと言ってくれたが、恋人では無い。光輝が保留にしたからだ。友達からで、と。

 だから、その、そういう事はやめてほしい。光輝もクリスも、もう高校生だ。子供同士の微笑ましい仲良しじゃない。16歳ともなれば、いけない遊びに耽るような年頃だ。

 そう。クリスが体を押し付けるということは、光輝は嫌でもいけない妄想を膨らませてしまうわけで。消極的で根暗な岡本光輝ではあったが、そういう事を考えない訳ではない。むしろ、興味もあるのだ。この年頃で、無い方のがおかしい。

 

 要するに、そろそろ辛抱たまらないのだ。

 

「だって、それが目的ですもの。光輝に、私の体に自発的に触れられたい……愛する人には、触れて欲しいものなのです。そのように仕向けるために、必死に日本文献で勉強しました」

 

「その日本文献は盛大に間違っている。いいか、「貴方を愛しています」を「月が綺麗ですね」と言うような、奥ゆかしい、侘び寂びの心が日本人の魂だ。だから日本人はもっとさり気なく、儚く訴えゆく人種なんだ。解釈を間違えるな」

 

 文豪による有名な意訳を持ち出した、光輝による理詰め。

 

「そうですね、ギンギラギンにさり気なくという諺がありますものね。では私はギンギラギンに行くことにします」

 

 しかし効果は無かったようだ。クリスはベッドの上から退いてくれる気配が無い。それどころか、より体を絡めてくる。

 光輝のこめかみにビキッ、ビキッと筋が入った。

 

「ほー、そうかそうか、ならばこっちにも考えがある」

 

 光輝はベッドから起き上がり、携帯電話と小さめの小説を持つと部屋のドアを開けた。

 

「友達の家に泊まってくるわ。お前は付いてくんなよ」

 

「……えっ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、クリスの顔が青ざめた。それは、まるでこの世の終わりの絶望のような。

 

「そ、そんな殺生です光輝っ!私に貴方無しでどうやって生きろと!?」

 

「明日の朝頃には多分帰るから。そんじゃ」

 

 バタン、と懇願するクリスを無視するようにドアを閉め部屋を出た光輝。そのまま、家を出た。あの表情。まるでいい気味だ。

 

 さて--どうしよう!?

 

『坊主も結構考えなしに行動しよるのう』

 

 見栄を切って家を出たものの、行く宛は無い。ムサシのそれは的を得ている為、反論出来ない。とりあえずどうするか。

 携帯電話を開く。アドレス帳を流して見ると、そこには「後藤征四郎」の名前が。まあ、最大候補だよな。どうせアイツも暇だろう。小説の話題を語り明かして寝落ちするのも楽しいかもな。

 

 後藤に電話をかける。呼び出し音がなり、電話が繋がった。

 

『あ、もしもしどしたん?』

 

 いつもどおりの、後藤のお気楽な声。よし、いけそうだ。

 

「あー、わりぃ、後藤。今日ちょっと家に泊めてくんねーかな」

 

『あー……ごめん、今俺東京に居るんだわ。すまん、無理だー』

 

「東京!?」

 

 なん……だと……。まあ、お盆の時期だし実家帰りだろうか。これはやられた、まさかの状況だ。

 

『征四郎ー、うるさいよぉー』

 

『あ、すいません師匠……というわけでコーちゃん、すまんな』

 

 電話越しに他の人物の、恐らく女性の声が聞こえて直ぐに電話はブツっと切られた。まあ、仕方ないか。もういい時間帯だもんな。

 

 ……じゃなくてだな。どうするよ。

 

 思考回路を巡らせ、俺。ホリィの家は?駄目だ、兄との二人暮らしって言っていたし年頃の男と女がひとつ屋根の下など言語道断!瀧と龍神の家は?駄目だ、遠い!まあ、最終選択肢にしておこう。いざとなったら、という事で。

 

 他には……あれ、俺、居たっけ、友達。……少ねーな。

 

『坊主、もう一人居るぞ。坊主と似たような人種の嬢が』

 

 あ、そうか。丁度家も近いし、今のとこそれが最善択か--

 

--六畳一間の、小さなその部屋。

 

「んで、だ。お前はなんで私の家に来てまで小説を読んでいる?」

 

 家主の黒咲夜千代は、部屋の端の布団の上で我が物顔で寝そべって小説を読むのに勤しんでいる岡本光輝という少年に異を唱えた。

 

「なんでって……他にやることがないから?」

 

 疑問を浮かべる様な顔で光輝は答えると、すぐさま目線を小説に戻した。

 

「何もなくて悪かったな」

 

 確かに、夜千代の家には何も無い。精々、テレビとコンポと買いだめした缶コーヒーくらいか。家庭用ゲーム機も、ウノもトランプも無い。

 さて、どうしてこうなったのだろうか。夜千代は思い返す。

 

 夜千代がいつものようにコンポで音楽を聴いていると、ヘッドホン越しにインターホンが鳴るのが聞こえた。音楽を遮られた軽いイライラを抑えつつ、玄関に向かう。

 こんな夜更けにはたして誰だろうか。心当たりは枝垂梅ぐらいしか無い。他は、土井さんとか?

 

「はいはーい」

 

 鍵を開け、そのままギィッと音の鳴るドアを開けると、そこには見知った顔の少年が居た。忘れもしない、暗く、憎らしく、かつ不思議な安堵感を抱かせる形容しがたい少年。それは、岡本光輝だった。

 

「わりー、今日泊めてくんねーかな?」

 

「……は?」

 

 と、まあ、それで今に至る。

 

 他に行く宛が無いと言われたのでつい家に上げてしまったが、夜千代はそれほどまでに光輝と仲が良かっただろうか?それこそ、光輝も夜千代と仲が良いと思ったのだろうか。少なくとも、気は合うようだが。

 なら、まあいいか。彼にどんな理由があったのかは知らないが、夜千代を頼って来てくれたのは確かなのだ。それは、少し嬉しいことでもあって少し暖かい気持ちになる。

 

 しかし、特に何を話すわけでもなく、二人の若者はそこに居た。元々、会話を進んで弾ませるような二人でもない。

 

「何か飲むか?つっても冷蔵庫にプレボしか無いけど」

 

「あー、コーヒーか。いいや、眠れなくなるし」

 

「そっか」

 

「……」

 

「……」

 

 お互い、ただひたすら無言。けれど、これくらいが丁度いいのかもしれない。夜千代も特に何も思ってないし、また光輝もそうだった。

 

「……コンビニでアイス買ってくるけど、何かいる?」

 

「チョコモナジャンボを頼んだ」

 

「あいよー」

 

 ふと、思い立った夜千代。夜千代の部屋も、クーラーがあるとはいえうっすら熱い。その為に、少し、アイスが食べたくなったのだ。それに、少し、な。

 なので、近所のコンビニにアイスを買いに行ったのだ--

 

--週刊誌を立ち読みしてたら遅くなってしまった。コンビニとは卑怯だ、週刊誌を窓際に配置することによってコンビニの中に人が居ると思わせ、人を呼び込むのだから。夜になればなるほど、その効果は大きい。

 

 そんなこんなでコンビニで少しばかりの時間を過ごし、いざ夜千代は自分の家に帰ってきた。もちろん、光輝に頼まれたアイスも買って。しかし。

 

「……すぅ……すぅ」

 

 光輝は眠っていた。あろう事か、夜千代の布団で、だ。

 

 夜千代の家にはそもそも布団は一式しか無い。まあ、それは夜千代は分かっていた。自分の家なのだから。一番最初の予定としては、光輝には畳の上に何も敷かず寝てもらう予定だった。本当に最初の予定では。

 だが、夜千代はある「可能性」を考えていた。コンビニへ行ったのも、その布石だ。実はさっきから心臓の鼓動が高鳴って止まらない。ある事を、意識してしまっている。岡本光輝がこんな夜更けに、一人暮らしの少女、黒咲夜千代の家に来るという事態を。

 

 夜千代はコンビニの袋からアイスを二つ取り出し、冷凍庫に仕舞う。そして、もう一つ、ある物を取り出す。それは、「密着ゥゥ---ッ!!0.02m」とパッケージに書かれた、箱入りの「避妊具」だった。

 

 なんっでだよぉぉぉぉぉ!!?違うのかよおぉぉぉぉぉ!??

 

 夜千代は光輝がこの家に泊まりに来たとき、「男が女の家に!?」と感じていた。それもそうだ、夜千代にだって貞操の概念はある。それも、年頃の男子が女子の家に泊まるとはそういう意味合いが大きいだろう。いや、大きいはずだ。

 

 夜千代は期待していた訳じゃない、と自分の中で言い訳をする。いや、実際はそういう事を期待していた節がある。そもそも夜千代は、これまで人付き合いを積極的にしてきた訳じゃない。だから、異性である光輝が友達として仲良くなれた時、意識しないわけがなかった。夜千代も、そういう事には興味がある。一人でだって、した事があった。

 

 だから、光輝が泊めてくれと言った時、そういう意味だと思った。夜千代だって、自分の容姿に自信がないわけではない。ボディラインこそ控えめなものの、無(む)ではない。それに、男子によく告白される。性格は最悪だが、顔は良いと自負していた。そして、他の男ならお断りだが、岡本光輝ならそれでもいいと、思ってしまったのだ。彼になら、自分を捧げていいと。繋がってもいいと。

 

 が、しかし。爆睡。圧倒的、爆睡。

 

 夜千代は悩む。自分が間違っているのか?そうだよ、落ち着け。あの岡本光輝が性行為をしたいが為に私の家に来た?違うだろ、相手は岡本光輝だぞ?人を嘲笑う、道化師のような男だ。それこそ、からかっているまである。

 

 しかし、光輝は寝ている。いや、待て。本当に、光輝は「寝ている」のか?

 

 もしかしたらそれは狸寝入りで、実際は夜千代を「誘っている」のではないか?

 

 すやすやと、寝息を立てている光輝の顔を見る。普段あんなにも憎らしい人を疑うことしかしないような彼の顔は、こうして見るととても可愛らしい。男らしい、というよりは少々童顔か。普段の彼は年相応ではない言葉遣い、対応、そして魂。それらに溢れているが、こと眠っている彼の顔は、年相応でかつ抱き締めたくなるような顔だ。

 

 閉じられた瞼を見る。普段の彼は濁った目をしているが、今はその面影なく可愛い。

 息を吐く唇を見る。憎らしい言葉を吐くそれが、今はとても、甘そうに見えた。

 呼吸で膨らむ躰を見る。夜千代よりも少し大きいその躰は、かと言って大男ではなく、小男でもなく、年相応の、優しい体つき。標準的な男子の肉体よりも、筋肉は少し控えめだろうか。

 

 その純粋無垢な肉体に、夜千代は劣情を催し、欲情した。脳内で何かが、分泌される。心臓が跳ねる。えも言われぬ、何かが昂ぶる--!

 

 夜千代は仰向けの光輝の腹部を、Tシャツに手を潜り込ませるようにして軽く弄(まさぐ)る。

 

「……んっ、う……」

 

 寝息を漏らすが、起きない。その寝顔はとても安らかで、しかし夜千代の脳内は決してそうではなかった。

 

 触っている!岡本光輝の腹部に!犯罪?やられたことはあるしノーカンだろ!興奮!当然のようにしている!背徳?いや、それが堪らないっ!!

 

 夜千代の脳内である言葉が流れる。

 

『愛がある』

 

 夜千代のこの感情は、愛なのだろうか。歪んではいれこそ、それは愛なのだろう。

 

『哀しみもある……』

 

 この行為に対して、確かに自分に情けなくなる。もし光輝が本当に寝ているのなら、光輝が全くそういう事を意識せず夜千代の家に来たのだとしたら。それは光輝への裏切りとなる。そういう状況への、哀しみ。このまま、進んでいいのだろうか。

 

『しかし』

 

 夜千代はそこで手を止めた。本当に、そのままで満足なのだろうか。人が人を「襲う」という行為。はたして、そんな淡白な物でいいのだろうか。あっさりとして、薄味でいて。いや、違う。絶対に違う。もっと豪快に、もっと激しく!

 

『凌辱がないでしょッッッ!』

 

 夜千代の脳内ブレーカーが飛ぶ。光輝のズボンの中にそのまま手を入れたらどうなるのだろか。触って、撫でて、摩って、握って、扱いて。反り勃たせ、含んで、濕らせ、転がして、剥いて、先走らせ。解放いて、垂らして、充てがって、滑らせ、焦らして、揺らして、挿れて、擦って、擦って、擦って、擦って、擦って!!--

 

--朝の日差しと共に、光輝は体を起こした。睡眠は十分に取れて、体の調子はすこぶるいい。やはり、クリスとの添い寝をしなければ体は万全だ。

 

 と、少しして気付く。そういえば、昨日は夜千代の布団で小説を読みながら寝落ちしてしまった。あれ、実は結構まずいことをしたのではないかと周りを見渡す。

 

「……あ」

 

 すると、部屋の隅で正座の状態で手を組み、禅をしている黒咲夜千代の姿があった。

 

「やあ、岡本……起きたか?」

 

「あ、ああ……」

 

 目の下にはクマがあり、寝不足でとても不調のようだった。

 

「あのさ、私を頼ってくれるのは嬉しいんだけど、泊まるのだけは、勘弁な?」

 

「お、おう……」

 

 そう呟くと夜千代は、その言葉を最後に組んでいた足を崩し畳の上に倒れふした。









夜千代ちゃんは、結局シていません。すんでの所で理性との折り合いが着きました。思春期って大変ですね。


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白金頭と英雄剋拠

 夜のイクシーズ市街。未だ眠らぬ夜の街には、多くの人が溢れている。

 仕事帰りの人、飲みに行く人、遊ぶ人、そして--対面を張る人。

 

 多くの若者達が集まっていた。その軍勢は二手に分かれており、互いが互いににらみ合っている。その集いの中心には、今現在、対面を行う二人が居た。

 

「ユーヤァァァ!」

 

 男の盛大に振りかぶった、見え見えのテレフォンパンチ。速度は悪くない。しかし、格闘技経験者なら避けられる一撃だ。

 

「いいぜ、来いヨ!」

 

 が、しかし向かい合う男、白銀雄也は一切避ける動作が無い。その場に構えている。

 これには理由がある。白銀雄也のステータスは、パワー5、スピード1、タフネス5、スタミナ3、スキル2という非常に偏った物だった。遅い、とても遅かった。その為、速度の伴った大ぶりの技は、避けたくても避けられないのだ。

 彼は体を鍛える際、速度というものを一切合切捨てていた。ただ単に向いていないから、とい理由もあるが、その実態は「受けた上で殴り返す」という傲慢なカウンタースタイルを旨とする物だった。

 彼の能力は「不屈のハート」。その能力は評定2でしか無く、その内容も「心の強さだけ防御力が上がる」という物だ。お世辞にも、強いとは言い難い能力。

 しかし、彼は自分に絶対の自信を持っていた。負けない。何が何でも倒れない。その自信こそが、「不屈のハート」の力を高めていた。言うなれば、彼は「最硬の男」だ。

 

 拳を、顔面で受ける。しかし、吹き飛ばない。倒れない。いや、逆に、その足はお構いなしに前へと進んでいた。

 

「効かねェナ!」

 

 ボグリッ、と鈍い音。今度は雄也が拳を相手の顔面に振り抜いた。それと同時に相手の男は吹っ飛んで地面に倒れ伏す。そして、起き上がらなかった。

 

「勝負あり!勝者、白銀雄也!」

 

 脇に控えていたジャッジにより告げられた決着。今宵もまたいつものように、白銀雄也は勝利した。

 

「「「おっしゃあァァァァァ!!!」」」

 

「クッソ、まじかよ、強すぎんだろアイツ……」

 

 対面グループ「白金鬼族」からは歓声が上がり、相手グループは意気消沈していた。

 

「さ~て、次の相手は誰ヨ?」

 

「ちぃッ……」

 

 勝利して間もなく、対戦者を募る雄也。それに対して、相手のグループは怯むばかりだ。

 目の前の白金髪の男、白銀雄也。夏祭りの素手喧嘩グランプリで厚木血汐を倒してからというものの、彼の知名度は飛躍的に上がった。Sレートを倒したという新入り。その話題性は大きかった。故に、最近毎夜のように対面を挑まれる。

 

 しかし、お互いのグループが見合っていると、遠くから幾人かの警察官がやって来た。

 

「はい、君達ー、もう夜遅いよー。いつまでも遊んでないで、早く帰りなさーい」

 

警察(マッポ)か……覚えてろよ、ユーヤ!」

 

「いつでもかかってこいや」

 

 向こうの対面グループはそそくさと引き返したが、雄也率いる「白金鬼族」は未だその場にいた。なぜなら、総長(ヘッド)の白銀雄也がまだその場に居たからだ。

 

「君達も、ほら、早く帰りなさい」

 

「悪いけど、アンタに用はないんだ」

 

 忠告する警察官を無視して、後ろの警官隊の方へ向かう。通常の警官達のその中で、一人だけ他とは違うコートを来た警官が居た。

 帽子を被らず、シャツにコートという姿、無精ひげを生やし、少し薄くなった頭髪。大柄で、他とは頭抜けて威圧感の違うその警察官の前に、白銀雄也は立った。

 

「随分と人気者になったな。ええ?雄也」

 

「こんなもん序の口だぜ、牙刀(がとう)のオッサン」

 

「こ、こら君、天領(てんりょう)警部に向かってなんて口の利き方……」

 

 天領(てんりょう)牙刀(がとう)。イクシーズの中で「こいつが強い」という話題になったら、最近有名な瀧シエルやSSレートの三嶋小雨と並んで話題に挙がる人物だ。もう既に妻子持ちでいい年齢ではあるが、肉体にその衰えを見せることはなく、むしろ全盛期よりも凄味がある。

 彼が47歳である事、大っぴらに戦うのが少ない事から知っている人は多くないが、彼の戦いを見た人ならこう答えるだろう。「イクシーズ最強はなんだかんだで天領牙刀だ」と。付けられたその二つ名は「英雄剋拠(ワンマンズ・ヒーロー)」。

 

「あのなあ、こんなに派手に対面やられちゃこっちとしても困るんだよ。確かに禁止はしてねえ。だがな、他の人様の迷惑にならない範囲で、だ。こんな夜遅くに、それに大勢でやってちゃお前、見過ごせるもんも見過ごせないだろ」

 

「だからアンタが出てくる。それも狙いさ、オッサン。イッペン()りてェんだ、アンタとナ」

 

 睨み合う、白銀雄也と天領牙刀。その周りの空気は他とは違う、異質な次元で満ちていた。

 

「警部、こんな少年の言うことなど無視して……」

 

「だあってろ、丹羽(にわ)。こういうガキには一回分からせておかないと学べねえんだ。下がれ」

 

「はっ、はいっ!!」

 

 牙刀に促され、後ろの警官隊の方へと戻る丹羽と呼ばれた若警官。

 

「いいのかヨ、オッサン」

 

「たりめえだろ。男と男が夜のイクシーズ市街で睨みあう。したら、やる事は一つしかねえ。対面だ」

 

「ははっ、そう来なくっちゃ!」

 

「「「オオオオオ!やっちゃってください総長(ヘッド)ォ!」」」

 

 不敵に笑う雄也、威圧感(プレッシャー)を感じさせるようにどっしりと佇む牙刀。周りのメンバーから歓声があがる。警官隊もそれを見守る。

 さらには、これまで街を歩いていた人達も、その光景を気が付けば見ていた。異様な光景だ。青年と、中年。その両者が睨み合い、一触即発。ただ事では無かった。

 

「そんな派手にやる訳にもいかねえ。手四つでいいか?純粋な力比べで行こうや」

 

「構わねェぜ。力には自信があるんだ」

 

 二人は両の手を前に出すと、その手と手を互いに絡めた。プロレスなどで度々見られる、力比べ「手四つ」。お互いのパワーを測り合うなら、これほど分かりやすい方法も無いだろう。

 

 触れて、掴んだ瞬間。ミシッ、と、歪むような音がした。張り詰めた空気が鳴らしたラップ音なのか、骨が軋む音なのか、はたまた幻聴なのかは分からない。けれど確かなのは、この光景を見ている者全てがその音を聞いたという事だ。

 

 互いに、引かない。力は現状均衡か。その静かな状況から、しかし、周りは確かに白熱した対面を見ていた。力と力の、ぶつかり合い。見ているだけの彼らも、体が熱くなる。

 だが、あの大柄な中年の力を、身長差・体重差共に大きく劣る青年が抑えているというその光景はまるで幻のようだった。

 

「強えんだな、結構」

 

「ははっ、オッサンもナ!」

 

「けれど、これまでだ。「極一刀流(きわみいっとうりゅう)」」

 

「オォォォッッ!?」

 

 ドンッ、とさらなる音。ついに、均衡が崩れ始めた。雄也の手が、牙刀の手より少し下に下がった。力の差が出始めたのだ。

 

 苦しそうな雄也に対して、牙刀の顔は涼しげだ。

 

「俺の能力「極一刀流」は、ひと握りならどんな物を持とうと肉体の限界を超え、握った物を限界以上に扱うことができる。そしてそれは、「武器だけ」に非ず、人もしかり」

 

「テッ、テメエッ!卑怯なオヤジだゼ!」

 

「卑怯で何が悪い」

 

「オッ、オォォォォッッ!!」

 

 ギギッ、と、更なる音。雄也の足元のアスファルトにヒビが入り始めた。人間の体越しのアスファルトにヒビが入る。押す牙刀も牙刀だが、耐える雄也も雄也だった。

 周りはそれを、息を飲んで見守るばかり。このままでは、雄也の負けは確定する。誰もがそう思った。

 

 しかし、雄也は諦めなかった。というより、諦める心の弱さなど彼には決して無い。

 

「知ってるか?俺の「不屈のハート」は、心が折れなきゃ、決して砕けねェ!」

 

「……ほう?」

 

 雄也の足元が、さらに割れる。それは牙刀の力が重くなったからではない。雄也が大地を踏みしめる力を強めたからだ。

 

 グッ、ググッ、と雄也は手を押し返していく。これまで防戦一方だったはずの状況を、覆しつつあった。

 

「「「やっちまえーッ!総長(ヘッド)ーーッッ!!」」」

 

 周りからの歓声。気が付けばメンバーだけではない、市民もまた、雄也の味方だった。それは、彼の持つカリスマ性だろうか。周囲を見方に付けたのだ。

 そしてさらに雄也の力が強くなる。想いを力に、それが「不屈のハート」。

 

「ここに来て尚、輝きを増す……やるじゃねえか、白銀雄也」

 

 そこでニヤリ、と初めて牙刀は笑みを浮かべた。目の前の青年の強さを、牙刀は認めた。

 

「だが負けてやる理由にはならねえわな。「英雄剋拠(ワンマンズ・ヒーロー)」」

 

 次の瞬間、牙刀の腕が、一瞬にして祐也の体を押し倒した。雄也の腕はついに牙刀を抑えられなくなり、足は悲鳴を上げる間もなく支えとしての機能を失くし、雄也の膝は地面に着いた。勝負ありだ。

 

 息を飲んで見ていた周りは静まる。天領牙刀という男の、圧倒的な力に。

 

「決着、だな。気が済んだか?雄也」

 

「ッつ……マジかよ、自信あったんだけどなー……」

 

 雄也はもう限界だ、とアスファルトに体を横たえ、天を仰いだ。勝てなかった。強い。この世界には、まだ、こんなにも強い奴が居たのか。

 

「うし、行くぞ、丹羽。やる事は終わった」

 

「大丈夫ですか?警部。上に何か言われでもしたら」

 

「叱られんのが嫌なら俺の独断って事にしとけ。じーさんもそれで納得すんだろ」

 

「はーっ……なんだかなー、もー」

 

 牙刀は対面が終わると、警官隊を連れてそのまま帰ってしまった。ギャラリー達は足を動かし、雄也はアスファルトから体を起こした。

 

「大丈夫ですか?総長」

 

「ん?あー。大丈夫大丈夫。っしっかしなー」

 

 心配するメンバーと、それに答える雄也。さっきまで牙刀の手と握り合わせていた手を、グッパ、グッパと握って開いてを繰り返す。

 

「あの化物め……」

 

 雄也は脳裏にその強さをしっかりと刻み込み、さらに強くなりたいと、自分に願った。







※ここから先は本編とたぶん特に関係ない裏設定が含まれます。よければお進みください。




 ロイ・アルカード 性別:男、年齢:37歳、身長:188cm
 パワー・4、スピード・5、タフネス・4、スタミナ・5、スキル・4「サイレンサー」 評定:Sレート

 テログループ「シェイド」のリーダーであり、元軍人。小国家の都市に生まれ、強靭な肉体を資本に、弱者を叩く強者を叩く者として荒くれていた。
 自分の中の感情に素直であり、嫌いなものは「悪人」。人の嫌がることをする者は決して許さず、その相手が子供でも大人でも気にせず突っかかっていった。
 自分の住んでいる国の情勢が良くないと知っていたため、中学校を出て直ぐに軍隊へ就職。他者を寄せ付けぬ圧倒的な肉体と正義感で周りからの信頼を得、若きにして周囲のまとめ役へとなっていった。
 1年後、些細な事から遂に他の国との戦争が始まってしまった。最初は小規模であり直ぐに終わると思われたそれは、思ったよりも長引いて2年、3年、と水面下でずるずる続き、気が付けば10年続く大きな戦争となっていた。その10年間は後に「血に彩られた十年間(ブラッディ・クロス)」という名で他国の歴史の教科書の隅に乗る事になる。

 戦争で友を失っていき、それでも先へと足を進めた彼だったが、遂に国は敗けた。
 敗戦を聞いて失意の内に国へ戻ろうとしたが、その手前で彼の住んでいた都市が爆撃された事を知る。生存者不明、国は遂に機能を失った。
 彼の住む街には家族が居た。親友が居た。将来を誓った恋人も居た。それら全てを失った彼はこの世界を、神を憎むことになる。
 爆撃はそれだけに止まらず、小国家の端から端までを火の海にするかのように回っていった。抵抗する手段を失った小国家はそれを止める手段を一切持たず、後はなされるがままだった。
 それでもなんとか生き延びようと、彼は必死に身を隠した。この世界に憎しみを抱いただけでは、死にきれない。皮肉にも、その過程の中で彼に能力「サイレンサー」が宿った。自身の音と衝撃を消すその能力は白兵戦で無類の強さを発揮し、追いすがった敵兵を何人も返り討ちにした。
 ある日、逃亡生活を続けていると雨宿りした小屋の中で一人の少年を見つける。その少年は両親を失くし生きる事を諦めたようで、彼を生かしたいとふと思ってしまった。
 その少年の名はミカエル・アーサー。そこから、ロイとミカエルの世界への復讐が始まっていったのだった。

 爆撃刀「dsya(ディザイア)
 テログループでの放浪中に、居酒屋で仲良くなった異能者の鍛冶屋に多くの金と引き換えに作って貰った超越技術(オーバーテクノロジー)の塊のような武器。
 見た目は単なる日本刀だが、内部にマイクロシリンダーを内蔵、爆発機構を備えて「刀のパイルバンカー」化に成功した。通常の日本刀に比べると若干峰が厚い。初期案の鍔ではなく刀身の半分の箇所に推進箇所かを変更する事により、異常な伸びを見せる。その為、本来のアウトレンジから一瞬で敵を殺せる最強の「初見殺し」武器となった。ただし難点もあり、通常の日本刀よりも重いことと、起爆時の衝撃が激しいことだ。
 内部カートリッジ、マイクロシリンダー、爆発に耐えうる柄、全てが謎の物質と技術に包まれており、製作者がどのようにこの武器を作ったのかは不明。イクシーズ内でも調査が進んでいるが、ここまでの技術力を持った者はおらず、この武器に値段を付けるとしたら億ではすまないとの話(科学者談)。
 なお、刀の名前はロイが「己の欲望の果てまでを満たすように」と名付けたもの。


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最速を追い駆ける少年

 イクシーズの中心部から少し離れた郊外、そこには木造建築の大きな屋敷があった。

 瓦葺きの屋根、池も備えた白い玉石の敷き詰められた庭園。イクシーズでそれほどの屋敷を持つというのは、ただアパートやマンションに住むのとは訳が違う。多大な金額がかかっている家であった。

 

 その屋敷のある一室。10畳の厳かな和室に、二人の若者が居た。

 

「さあ、では総会議だ。征四郎、お前の収穫を全て晒せ」

 

 一人は、長い黒髪を後ろで赤いリボンで一つに束ねた、背の低い少女。しかし、その風格に幼さは無く、堂々たる風格だ。

 

「はい、分かりました」

 

 向かいのもう一人はまた、背の低い少年。髪は美容室にて切ったのだろう、ワイルドながらも綺麗に纏まっている。身なりに手を抜いていない。その名は後藤征四郎。イクシーズの高校に通う、1年生だ。

 

 征四郎は横に置かれた大きなバッグから慎重に物を取り出していき、畳の上に並べていく。それはB5サイズからA5サイズの、通常の本よりも厚さがかなり薄めの本だ。表紙には可愛い女の子が書かれているものばかり。それを、これでもかとバッグの中から取り出していき、畳の上にズラーっと並べていく。言葉にするならそれは壮観。

 

 並べ終えたそれを見て、満足そうに少女は放った。

 

「パーフェクトだ、征四郎」

 

「感謝の極み」

 

 褒められた征四郎は、向かいの少女に対して座礼をする。傍から見たそれは、とても堅苦しい。普段の後藤征四郎という少年にはとても似ても似つかしくない物だった。

 それもその筈だ。征四郎の目の前に居る少女は征四郎の「師匠」たる人物だった。

 

「とまあ、この辺りにしといて。有明遠征初参戦でよくここまで仕留めたもんだ。やはり私の目に狂いはなかった」

 

「いやぁー、そりゃもう師匠による指導の賜物ですよー」

 

 瞬間、征四郎の表情が崩れ満面の笑みになる。普段の征四郎の表情だった。

 この二人は三日間、イクシーズの外に出て東京の「創作の祭典」に参戦していたのだった。そこでは同じ志を持った者達が集い、戦い、肩を組む。辛くも楽しい、そんな祭がお盆に三日間だけ開催されていた。

 

「私が速さを追い求めたのも、有明遠征の為でもある……私は願ったのだよ。誰よりも速く歩けるという事は、誰よりも早く買えるという事だ」

 

「なるほど……その通りですね。今、心に刻みました!」

 

「うむ」

 

 少し遠い目をして語る少女と、頷く征四郎。

 

「して、収穫祭は小休止で征四郎よ。よくぞやった」

 

 少女が取り出したそれは、5枚の商品券。イクシーズ内でだけ使える、二千円の商品券5枚だ。そう、それは後藤征四郎が学校のキャンプの、肝試し大会で競り取った優勝賞品だった。征四郎はそれを、己が残した実力の結果として少女に献上していた。

 

「肝試し大会にて瀧シエルを他者が相手取っている間に優勝を掻っ攫い、テログループ「シェイド」の強襲の中でメンバーの一人を捕獲。私の弟子としてのスタートとしてはまずまずじゃないか」

 

「いやぁー、それほどでも」

 

 征四郎が成したそれは、凄いことだった。少なくとも、日々を呑気に暮らして、平凡に生きている学生からすれば、それは破格のものだ。

 

「しかし、これで終わりじゃない。お前への真の課題は大聖霊祭の優勝だ」

 

 そう、少女が課した後藤征四郎への課題。それは、「大聖霊祭」での優勝だった。その為には、あと二回ある祭「オータムパーティー」「聖夜祭」の内どちらかで優勝をしなければいけない。その為には乗り越えなければいけない壁が幾つもあった。

 三極の内、既に「サマーフェスティバル」で優勝を収めた厚木血汐は除いたとして、残りの二人は確実に出てくるだろう。氷室翔天と、風切(かざきり)(みやび)。それぞれ「熱血王」、「氷天下」、「風神」の二つ名を持つ彼らは二年前の「大聖霊祭」の参加者だった。

 そして、最近話題の白金髪の不良、白銀雄也。コイツも、五大祭に参戦してくると読んで間違いないだろう。話では対面グループのリーダーということだ。絶対に、強い。

 

「ちなみに分かってると思うが、大聖霊祭に参加すら出来なかった場合は破門(クビ)だ」

 

「分かってますよ。大聖霊祭での優勝っすよね。やりますよ、俺は」

 

 他にも多くの手練が居るだろう。それらを押しのけての優勝。参加すらできなければ、破門。

 考えただけで、手が震える。しかも、現在大聖霊祭への出場権を得ているのは「厚木血汐」と「瀧シエル」。両者共にSレートだ。

 ゴクリ、と生唾を飲む。まだ先の話だというのに、緊張が止まらない。

 

「よろしい。まあ、幸い次の祭「オータムパーティー」まで2ヶ月もある。その内に出来る事は全部やっとけ。その為に、私もお前を徹底的にいびり倒してやる。必要なのは「理詰め」じゃない、全ての状況に対応出来うる力だ。理屈だけで勝てるなら、私はSSレートになれなかった。分かるな?最弱だろうがなんだろうが最強に勝つ方法はある」

 

「はい……よく分かっています」

 

 つい、目線を下にやる征四郎。征四郎は掲げた目標がある。ハーレム王に、俺はなる、と。小説の、漫画の主人公のように、強くなって、どんな敵でも倒して、女の子にモテまくりたい。栄光を歩みたい。それは、少年が抱いた、夢であった。

 しかし、それが何を意味するのかぐらい分かっている。所詮そんなのは夢物語だ。自分は彼らのように強くない。才能も無い。神から与えられた力も無い。あるのは人よりも少なめの身体能力と、それを補うための申し訳程度の能力。

 

 ……勝てるのだろうか、これで?あの瀧シエルや、厚木血汐といった天才共を相手に?この俺が?

 無理だ、諦めよう、仕方ない。それらの言葉を吐くだけで、簡単に終わってしまいそうな自分の世界。いや、違うか。そうすれば始められるんだ、身の程を弁えた生活を。それが正しい。今の自分は無謀だ。

 

 けど。だって。目の前の少女はそれらを全部、やってのけたんだ。

 

(おもて)を上げろ、私の眼を見ろ。緊張感を持つのはいいが、あんまり怯えるな。勝てるって意志を強く持て、そして勝つための努力しろ。マイナスに考えてちゃ勝てるもんも勝てない。努力した者が成功するとは限らない。しかし、成功する者は皆努力している」

 

 征四郎を諭す少女。征四郎は目線を上げ、少女を見た。その眼に、言葉に、表情に偽りはない。

 

「私は努力した。そして成功した。お前に、私を越せとは言わない。私と並べとは言わない。けれど、追いすがってみせろ。私の背中を捉えてみせろ。それが出来るだけで、お前が凄いやつだって証明になる」

 

 この少女は、自分をこんなにも信用してくれている。期待してくれている。だったら、立ち上がるしかないじゃないか。

 

「はは、そうですよね。だって、イクシーズ最速にして対面最強、三嶋(みしま)小雨(ささめ)に対して追い付けるってだけで、とんでもない名誉ですもんね!」

 

 後藤征四郎の前に在る少女。彼女の名前は、三嶋小雨。三島流斬鉄剣の使い手にして、2年前の「大聖霊祭」の優勝者、対面最強。唯一の、「SSレート」。

 

「その意気込みだ、征四郎。まずは「オータムパーティ」で、サクッと優勝して来い!話はそれからだ!」

 

「師匠が2年前に制した大会ですね。分かりました。そして名実ともに、師匠の弟子だって証明して見せますよ!」

 

 少年は立ち上がる。目の前の少女の想いを受けて。自分の中の想いの為に。そして、きっといつかは、彼女の背中を捉えるのだと。

 

 三島小雨が唯一取った弟子、後藤征四郎。彼が目指した場所は、遥か頂。今は霞も視えない。しかし、進むしか無いだろう。少年が、それを望んでいるのだから。



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星の王子様

『――月が煌く夜空の下に 私は居た 見上げていた 瞬く無数の星たちが 輝いてた 伝えていた これから始まる never ending story……』

 

星姫(さき)ちゃん、可愛いなぁ……これで私と同い年なんて、やっぱ、憧れちゃいますねぇ……」

 

「可愛いわよねー、この娘。でもクリスちゃんも凄く可愛いわよ。大丈夫?光輝に変な事されてない?」

 

「ありがとうございます、義母(おかあ)さん。むしろされなくて困ってるんですよ」

 

 居間でテレビを見ながら雑談に耽る光輝の母と、クリス。その端でせんべいをバリバリと齧りながら、ぬぼーっと聞いている光輝。

 今テレビでやっているのは最近の話題のアーティストを取り上げる音楽番組だ。それを見て息を漏らすクリス。液晶内に映る、乙女として憧れを抱く、先程番組内で歌を歌い終えた一人の少女。

 

 一宮(いちのみや)星姫(さき)。スマートに仕上げた嫋かな肢体に、端整な顔立ち。日本人らしい艶やかで綺麗なセミロングの黒髪、柔らかな振る舞いの「女子高生」だ。

 音楽番組で歌ってたとはいえ、本来は歌手では無かった。元々は少し前に放送したテレビドラマでの脇役を演じていた若手俳優だ。その容姿の良さと演技が巷で話題になり、急遽時の人へ。その素性が高校一年生ともなれば、なるほど。合点がいく。

 話題性たっぷりの大型新人は彗星のように新しいドラマでの主役が決まり、メリハリのある声から歌手としてのデビューも果たした。そう、瞬く間にスターダムを駆け上がったそれはまるでシンデレラ。

 

 才能と運を手にした少女、それが一宮星姫だ。

 

「……なんて、どうせねじ曲がった回答しか出ませんよ俺は」

 

 ぽつり、と呟く光輝。憧れを抱くわけじゃなく、冷静に分析して彼女がどういう人物なのか構想して満足した。他の感情は特にない。

 岡本光輝という存在が人を嫌いなのは他人を見下しているからではない。その全く逆、他者への劣等感から来るものだ。

 自分は彼のように素晴らしい人間じゃない。彼女のように輝いている人種じゃない。それが、光輝が他者に抱く感情だ。だから、光輝は他者を嫌う。そして、誰より自分を嫌う。歪んだ瞳でしか人を視れない自分に嫌気がさして。

 

 ははっ、なんともちっぽけな男だ。陰鬱で矮小。最弱最低。だから、嫌なんだよ。俺は、俺自身が。

 

 いつだって光輝は自分が嫌いだ。それは昨日も、今日も、明日でも。多分そうだろう。だから、光輝は自分が居なくならないように。この世界に存在する理由を探すために。父親と同じ末路を辿らないために足掻く。暗闇を、必死に藻掻いて――

 

――イクシーズ市街から少しだけ離れた、ファミレス。

 その店内の一席に、岡本光輝と、もう一人、背の低めの少年は居た。

 

「そんでさー、思うわけよ……もし今の記憶を持ったまま小学生に戻れたらウハウハだぜ」

 

「はぁ」

 

 後藤征四郎。いつでも明るい少年だ。今もさぞ楽しそうに、突拍子もない話を繰り広げる。あろう事か彼の今日の話題は「もしも記憶を持ち越して子供に戻れたら」。強くてニューゲームというやつだ。

 

「なんでも出来るぜ?勉強だってするね、女の子のお手伝いだって進んでするぜ?そして作るわけよ、俺だけのハーレムを!幼女満載、「キャー後藤くんカッコイー」ってな」

 

「自分で言ってて悲しくならないかそれ」

 

「夢なら自由でいいじゃんかよー」

 

 勿論、現実で後藤征四郎がモテるはずもない。だからこんな妄想をしているのだ。いや、こういう妄想をするからモテないのかもな。顔だけは良いのにな。

 ともあれ、二人の少年が野郎だけでファミレスに居たのはただ単に光輝が後藤に誘われたからだった。夏休みに友達が遊ぶという事柄に理由など特に無い。後藤とイクシーズ市街の本屋を巡ってくだらない雑談をしながら小説や漫画を買ったり、CDショップに寄ったり。なかなかに充実した夏休みの一日を過ごして、夕方になり休憩がてらファミレスに寄ったのだった。

 

 後藤は多くの小説を買っていたが、光輝のほうはそれほどでもない。その中に、CDが一つ。クリスから頼まれた、一宮星姫のファーストシングル「Star shine」。光輝もテレビで聞いたことがある曲だった。

 新人にしては、確かに上手い。けれど、歌を聴いた光輝の印象としては「ありきたり」程度だった。いや、スタートダッシュならそれが常套だ。最初から凝りきって失敗するよりよっぽど良い。むしろ、個性を伸ばしていくのはそれからだ。

 だから、悪い印象は無い。むしろ、俳優として見た場合は「天才」の一言に尽きる。というよりは俳優と歌手を兼ねる女子高生という所にこそ彼女のスター性がある。クリスも憧れるわけだ。

 

 と言っても、クリスも決して凡才じゃない。警察の重役を親に持ち、本人は「黒魔女」としての異名を語られ、「ニュー・ジャック」を当時14歳で撃退したロンドンのヒーロー。肩書きとしては申し分もなく、容姿も端麗。スレンダーな一宮星姫と比べてクリスは大人の雰囲気を醸し出す体付きをしており、簡単に二文字で説明するなら「美女」だ。

 しかし、演じて踊れる。少女なら、誰もが憧れるだろう。だからこそ、クリスは彼女を「可愛い」と思ったはずだ。クリスの肩書きは言うなれば「仰々しい」。本人はそれを誰よりも誇るが、それと乙女として憧れるのとは話は別だった。

 

 ……まあ、ともかく。クリスの人間性を、光輝は割と好きなわけで。そんな少女に好意を向けられている自分は、そこまで凄い人間かと言われたら絶対に「NO」。そう答えた。

 

『坊主はのう、もっと自分に自信を持つべきぞ。そんな生き方で疲れはせぬか?』

 

 さあね。少なくとも、世界に嫌気はさせど絶望はしちゃいない。こんな世界でも、意外と生きてて楽しいもんだ。

 

「わりい、ちょっとトイレ行ってくるわ」

 

「ほいほーい」

 

 光輝は顔を洗って気分転換する為に席を立つ。数あるソファの間を通り抜け、お手洗いを目指す。

 

「全く、(ハク)のお節介もホント嫌になるのよー。今日なんか撒いてやったし」

 

「はは、天領(てんりょう)ちゃんさっちの事大好きだもんねー」

 

「マジでそれだって」

 

 その途中、ソファからいきなり通路に飛び出して来た一人の少女。光輝は超視力でそれを捉えるも、「魂結合」を使っていない為完全に避けることは叶わない。できる限り体を反らすが、その行動も虚しく体同士が衝突してしまった。

 

「っ、たぁ~……ちょっと、何処見てんのアンタ」

 

 体をぶつけ、地面に倒れる少女。野球帽とサングラスを身につけていた。

 

「いや、すみません……」

 

 知っている。今のはどう考えても不注意で通路に飛び出してきた向こうが悪い。しかし、光輝は面倒事に関わっている時間を惜しいと思う。だから、安直に謝りとにかく状況を平穏に済まそうとする。

 倒れた少女に手を伸ばす光輝。向こうもその手を手に取り、起き上がろうとした。

 

 瞬間、光輝は違和感に気付いた。今の声。聞いたことがある。

 光輝の「超視力」が少女のサングラスで隠された顔の向こうを視認した。もしかして、彼女は……

 

「一宮星姫さん、ですか?」

 

 ピクリ、とそれまで厄介そうな顔をしていた少女の表情が止まる。

 

「……へぇ、アンタ、見る目あるじゃん。よく分かったわね」

 

 少女は起き上がり、光輝に向き直った。話題の新生、一宮星姫。まさかこんな所で出会おうとは。

 

 少女は変装した自分に気付いた少年が居るという事実に顔を綻ばせていた。それもそうか、隠されていても分かってくれる人が居るなんて、有名人に成り立ての少女からしたら嬉しいものだろうな。

 

「なんか好きな物にサインしてあげよっか?」

 

「あ、いえ……お心使いだけでも」

 

 買ったCDにサインでもして貰えばクリスも喜ぶだろう。しかし、その為に席まで戻るのも面倒だ。参ったな、ふと名前を口に出してしまっていたが無言で通り抜けるべきだった。

 

「あらそう。それじゃあね」

 

 それだけを言うと、星姫は席を立ち、お手洗いの方まで向かっていった。……いや、そうだ。俺も行かなきゃいけないんだ。

 

 トイレで顔を洗い、席に戻る。少しばかりの軽食をし、後藤との話題で時間を潰した。

 

「そんでさー、あいつったらホンット、馬鹿なの!」

 

「あはは!超ウケるー!」

 

 先程から五月蠅めの組が居る。一宮星姫が居た席だ。六人の男女で盛り上がっており、その声は離れたこちらまで聞こえる程。周囲の迷惑を一切考えていない。

 彼らの容姿を見て、不良に近い者だという印象を受ける。その風貌からなのだろうか、店員は注意しに来ず、周りの客も口を挟めない。一宮星姫はそういう人間と仲が良いのだろうか。まあ、しったこっちゃないか。

 

「んじゃ、そろそろ行くか。」

 

「そうだな、今日は楽しかったぜコーちゃん」

 

 光輝と後藤は席を立つ。もうそろそろいい時間だ。今頃家で母さんとクリスは何をしているだろうか。

 

 そんな事を考えつつ、レジの方へ向かう。

 

「あれ、さっち……寝ちゃった?」

 

「しゃーねーか、仕事疲れだろ。おい、お前車だせる?」

 

「あ、自分出せますよ」

 

 先程五月蝿かった、一宮星姫の居た席。どうやら、一宮星姫は眠ってしまったらしい。それを心配そうに、彼らは労わる。

 しかし、光輝は視ていた。彼らの表情の、僅かな変化。

 

「1620円になります」

 

「はいよー。コーちゃん、800円ある?」

 

 いつの間にか、後藤はレジで精算を済ませていた。

 

「あ、おう」

 

 光輝は財布から500円1枚と100円玉3枚を取り出し、後藤に渡して店を出た。

 

「んじゃ、駅まで行くかねっと」

 

「あー、すまん。俺まだやることあるから先行っててくれ」

 

 帰るために駅へと向かおうとする後藤に、別れを言う光輝。

 

「そうかい?んじゃ、また今度なー」

 

「おう」

 

 去っていく後藤の背中を見送り、光輝は自分のポケットを探る。二本の特殊警棒は、確かにある。

 まだ、確信じゃないが。不安要素は須らく排除すべきだ――

 

――暗い建物の中で、彼女は目を覚ました。

 

 あれ、私、いつの間に眠っちゃってたんだろう。

 

 星姫は、体を動かそうとする。しかし、手が動かない。あれ?なんで?

 

 眠気が段々と冴えていき、後ろで両手が結ばれている事に気付いた。目も段々と周りを捉えていく。倉庫の、ような場所。周りには一緒にファミレスに居た友達五人が居る。これはどういう事なのだろう。

 

「グッモ~ニン、星姫。目覚めはどうだ?」

 

「あ、アンタ……!?」

 

 星姫の目の前に顔を出した男。星姫は、その人物を知っていた。

 

 数日前、星姫が振った元彼氏。いや、元彼氏と呼んでもいいのかと疑う程に、星姫はこの男と特に仲は良くなかった。ただ、告白されたからとりあえずOKを出しただけで、ほんの一週間でこの男の人間性が気に入らず特に何をするわけでもなく一方的に拒絶してやった。

 

 星姫は、今の状況を直ぐに悟り、顔を青ざめた。

 

「俺を弄んだお前に、これから、たっぷり。た~っぷり、朝が来るまでお前を嬲ってやる。このクソアマが」



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星の王子様2

「一体どういうことよ……解きなさいよ、これ!」

 

 状況を理解して、尚わめきたてる一宮星姫。こうでもしないと、今の自分を保てない。

 しかし、目の前の男の手がガシッと、星姫の頬を黙らせるように片手で掴む。

 

「まだ寝惚けてんのか、お前。解くくらいなら最初から縛らねーよ」

 

 しっかりと自分の意思を伝えた男は頬を掴んでいた手を離し、ズボンのポケットからタバコとライターを取り出して口に咥え点火し、一息大きめに吸い込んでからフゥっ、と白い煙を吐き出した。

 

「あ、アンタ達!なんでっ、こんな事を!」

 

 まだ、信じられない現実がある。それは、目の前の男以外の五人。一宮星姫と同じ学校に通う、友達だ。いつも馬鹿な話をして、馬鹿な事をして、楽しんでいた。彼らを、星姫は信じていた。

 

 きっと、助けてくれるはずだ。今にでも、この男を倒して。お願い、助けて。

 

「あ、ごめ~ん。アタシ、実はさっちのことってあんま好きじゃなかったのよね~。なんかエラそーでさ、癇に障るの?俳優で成功しただかなんか知らないけど」

 

「だよなー。星姫はシャシャりすぎだわ」

 

「兄貴が一宮を一緒にぶち犯そうって言った時は心が躍ったね!あの生意気な顔をぐしゃぐしゃにできるなんてさ!」

 

 あっはっは、と笑う彼ら。

 

 瞬間、星姫の中に少しでもあった希望が砕け散った。

 

 ぶわぁっ、と勢いよく男が吐いた煙草の煙が星姫の顔を直撃し、霧散する。星姫はノーリアクションだ。さっきまで張っていた威勢も消え、無表情。

 

「つーわけだ、星姫。お前は今から……そうだな、朝が来るまでだ。よがり狂うまで嬲ってやる」

 

「い、嫌だ……嘘でしょ……ねえ、嘘でしょ、これ番組のドッキリでしょ……プロデューサー、出てきなさいよ……マネージャー、アンタ解雇(クビ)にするわよ……」

 

 少しでも、ほんの僅かな可能性でもいい。とにかく、誰かこの状況を、奇跡でもいいから打開して!

 

「残っ念、嘘じゃないです!夢でもありません!」

 

 その言葉に無慈悲にギャハハハ!と下卑た笑いをする男。周りでは友達「だった」奴らがクスクス、と小笑いをしている。

 

 なんでよ。なんで笑っているの。助けてよ。嫌だよ。私、そんなの嫌だよ!

 

「ねぇっ!助けて!お願い!お金なら出すから!何が欲しいの?ロレックス?パネライ?いくらでも買ってあげるわ!」

 

 形振(なりふ)り構っていられなかった。プライドなど微塵もない。頭の中は真っ白で、心臓は恐怖に鷲掴みにされている。正常な判断はできやしない。いや、こんな状況で何が正しいも糞も無い。ただ、助かりたい。

 

 しかし、少女に男は最後の止めを刺しに来た。

 

「出たよ。困ったら金で解決だ。分かったかお前ら?こうなったら人間終わりだぜ」

 

 そんな事、この男が言えた義理など一切無い。しかし、星姫の心に(くさび)として突き刺さるには十分だった。

 

「ぶっちゃけさっちと一緒にいたのって飯とかカラオケとか酒とか、全部お金出してくれるからなんだよねー。けど、もういーや。壊れるところ見たいなー」

 

「ほら、お前の正体が解りきっちまった。結局は外側(ガワ)だけ、中身はすっからかんだ。俳優も歌手もどうせ見た目だけだよ、すぐに廃れる」

 

 星姫の頭の中が熱くなっていく。白い靄で一杯の頭の中で自分が静かに崩れていくのが分かる。

 

「顔と体だけはいいんだよな、お前。けど、性格はクソ中のクソ。俺以外にも男取っ替え引っ変えしてたんだろ?それで「アンタとは合わない」ってそりゃお前、こんな事になってもしゃーねーわ。誰もお前を大切になんか思ってない。白鶴(はくつる)って言ったっけ、お前の親友。どうせアレもお前の事、そんな大切に思っていないぜ。誰もお前の中身に興味なんて無いんだから」

 

 白鶴。私の「親友」。この場には居ない。私が昼間撒いたからだ。今、この場に居たら助けてくれた?いや、無いか。そうだな、有り得ない。だって、私は、人間として屑だ。どうしようもない。

 こんなに簡単に自分を失うなんて。なんだ、私はからっぽだったのか。

 

 虚ろに(こうべ)を垂れる星姫。その髪の毛をグイっと掴み、男は無理矢理顔を上げさせた。鼻水と涙が垂れ流しのその様に、最早テレビで輝いていた彼女の面影はない。

 

「さーて、始めるか。大丈夫、痛いのは最初だけだ。取って置きのクスリで直ぐにイカせて、それを何回も、何十回も、何百回も味わわせてやる。したら、明日の朝には肉便器の完成だ。大事にすり切れるまで使い潰してやるよ……そういう意味ではお前の中身に興味にあるわ、っつってな!アッハッハ!笑えるだろ?」

 

 もう、駄目だ。どうにでもなってしまえばいい。死にたい。いっそ、殺してくれないだろうか。私に生きている意味なんてないんだ。

 そうだ、明日自殺しよう。それがいい。そうすれば、楽になれる。そうか、こんなに簡単だったのか。そう思ったら、何も怖くなくなってきた。

 

 あはは。あははは。あはははは。

 

「アッハッハッハ!アッハッハッハバッ!?」

 

 バリンと音を立て、高笑いを上げていた男が、いきなり地面に倒れた。

 

 周りは何が起きたのか分かっていない。しかし、星姫は掴まれていた頭が支えを失い下を向いたことで気付いた。そこには、ガラスの破片を纏い地面に落ちた一冊の本。

 

「あーあ、俺のジュペリが……」

 

 瞬間、星姫の隣に誰かが降り立った。それは、仮面を被った謎の人物。

 

 降り立った仮面の人物は寝転がっていた男を蹴り飛ばして、黒い靄(もや)のような物を身に纏った。

 

「お前に選択肢をやろう。そう、それは悪魔が(もたら)した契約という名の甘言。「生きる」か「死ぬ」か、選べ」

 

「--っ……」

 

「っ、なんだテメエッ!」

 

 周りの男らは拳銃のような物を取り出し、仮面の人物に向けて引き金を引いた。いや、それは拳銃では無い。違法改造した、強化性のプラスチック空気銃(エアガン)。プラスチック製とは言え、通常とは違った特別な改造を施したそれは、人を傷つけるという点では十分すぎるものだった。空間を貫き、仮面の人物へと迫る。

 

「なるほど、強化空気銃か。悪くないな、しかし玩具(おもちゃ)だ」

 

 しかし、仮面の男が纏う黒い靄に触れた瞬間、弾丸はブレーキをかけたかのようにその場で自由落下を始めた。

 

 男は他に特に気にせず、仮面越しに光を失った、見上げる星姫の瞳を見つめた。

 

「答えを寄越せ。生きるのか、死ぬのか」

 

 それまで言葉を失っていた星姫は、喉の奥から搾り出すように声を漏らした。

 

「……死にたい。誰も信じられない。もう嫌だ。生きてていいことが無い」

 

 星姫が放った答えは、とても悲しいものだった。最早、星姫は暗闇よりも深い闇の中へ。

 しかし、仮面の人物は続ける。

 

「本当に、それでいいのか」

 

「……友達は、私を友達を思っていなかった。一方的に思っていただけだった。友達は私の中身を見ていなかった!私の中身は空っぽだった、見られる中身なんて無かった!私の世界は、もう無いんだ!」

 

 勢いのままにまくし立てる星姫。何もかも、捨てていい。いらないんだ、もう、何も。

 

「お前の世界ってのは、そんな簡単に崩されるのか?違うだろ。お前には求めた物があるはずだ。欲しがったはずだ。お前が手にしたスターダムは、お前が望んだ結果の筈だ」

 

「アンタに、何が分かって--」

 

「知らんさ。けど、それはお前が努力した結果だ。性格も友達も知ったこっちゃねー。けど、お前は成功したんだ。他人が信じられない?今のお前に必要なのは(ちげ)ぇだろ、まず最初に自分を信じろ!自分を強く持て、お前が出した結果を信じろ!成功した時、お前の世界は輝いたハズだ!お前にはその世界がある!」

 

「--」

 

 仮面の人物が言う言葉。頭で理解をしている余裕は無かった。けど、自然と、心の隙間にするすると入り込んでいく。暖かくは無い。けれど、冷たくない。

 仮初(かりそめ)かもしれない。けれど、今はとてもありがたかった。それにすがるしかなかった。

 

「もう一度聞く。「生きる」か?「死ぬ」か?」

 

「ーー私は」

 

 仮初か何かで満たされた少女。けれど、それだけあれば、少女は顔を上げられた。前を向けたのだった。

 

「死にたくない……。やりたいことはいっぱいある、欲しいものもある、会いたい人も居る……生きたいよぉ……!」

 

「それでいい」

 

 嗚咽混じりの星姫の言葉を聞くと、仮面の人物は満足そうに放った。仮面で表情は見えなかったが、不思議と、そう感じた。

 仮面の人物は屈んで星姫の顔に手を伸ばすと、曲げた人差し指で止みかけた涙の欠片を拭った。

 

「お前の感情(おもい)、受け取ったよ。それじゃ、一夜限りの契約だが代償は頂いていく。貰うのはお前の涙だ」

 

 その言葉を皮切りに、仮面の人物が立ち上がる。黒い靄が剥がれ、男は無防備のようにも見えた。

 

「っつ、舐めやがってェ!」

 

 周りの男らが仮面に向けた強化空気銃。放たれようとした筈だが、次の瞬間にそれら空気銃全ては地面に落ちていた。

 仮面の手に握られたそれは彼らの強化空気銃。いつの間に手に入れたのだろうか。先手で撃って空気銃を落としたのだ。

 

神撃(ゴッド・ドロー)。遅すぎるぜ、お前ら」

 

「ヒィィィッッ!?」

 

 力の差を悟ったのか、一目散に逃げようとする彼ら。しかし、倉庫の本来の出口は一つしか無い。必然と、そちらに向かう事になる。

 けれど、仮面はそれを見逃さなかった。

 

「悪い、ちと抱えるぞ」

 

「えっ--キャァッ!」

 

 くの字に肩に抱えられる星姫。重量は確かにある筈なのに、出口までかなりの速度で向かう。

 

 そして、右手の拳銃を捨て、ポケットからあるものを取り出した。それは、特殊警棒。

 

「とりあえず寝てろ」

 

 ガンっ、と男女お構いなしに腹部を殴り飛ばして気絶させる仮面。逃げ去ろうとした全員を殴り飛ばした。

 

「さて、解くぞ」

 

「あ、ありがとう……」

 

 仮面は星姫を肩から下ろし、紐で結ばれていた腕を解く。強く縛られていたが、こと「神の手」があれば2秒で解けた。

 

 しかし、後ろから迫る気配。先程まで寝ていた、今回の事件の首謀者だ。

 

「ふざけんなよ、お前えぇぇぇッ!」

 

 仮面は瞬時に警棒を手に取り、男に立ち向かう。左手には、さらに取り出したもうひと握りの特殊警棒。対する男は、はち切れんばかりの筋肉から放たれる拳。肉体強化系能力だ。

 

「お前がそいつを助けて何になる!人格破綻者のクソアマだ、自由にしてていいことなんざ一切無いだろうが!」

 

 拳を乱雑に振るう男。しかし肉体強化から繰り出されるそれは、むしろ軌道を読むことが適わず強力だ。しかし、仮面は冷静にそれを二本の特殊警棒で捌く。

 

「それはお前が決めることじゃないだろ。それに」

 

 仮面は左手の特殊警棒を思いっきり振り抜く。当然、男はその勢いある特殊警棒に全力で防御を注いだ。そして防御でガチガチに固まった肉体に対して、仮面は左手の特殊警棒を地面に投げ捨て一本を両手でひと握りにし、防御に向かって全力で振り抜いた。

 

「俺は()い女に目がなくてね」

 

「ぐおぉぉぉッッ!!?」

 

 防御のまま叩き飛ばされた男は倉庫の壁に超速度で激突し、今度こそ意識を失う。決着だ。

 

「さて、一宮。まずは話を……うぉっ」

 

「……やっぱり貴方だったのね」

 

 振り返った仮面の人物に星姫は近付き、その仮面を有無を言わさず剥ぎ取った。振り向きざまだった為、仮面は対応出来なかった。仮面の下から覗く、少年の顔。

 星姫はその少年を見たことがある。夕方、ファミレスでであった少年だ。

 

「……勘づいてたのか」

 

「眼と声と服装。ファンの容姿はしっかり覚えてるから」

 

「ご苦労なこって」

 

 星姫は、そういう事はちゃっかりしてるみたいだ。

 

「……何が欲しいの?助けてくれたってことは、下心があるんじゃないのかしら?キス?物?それともコネ?」

 

 先程までの弱気が嘘のように、傲慢を押し付けてくる。元気が出たのはいいが、こうも現金じゃなくてもいいだろうに。しかし、嫌いじゃない。

 

「はっは、なるほど性格が悪い。……いや、実は俺、お前のファンじゃなくてな。知り合いがお前のファンで、それで知ったんだ」

 

「ふーん……まあ、いいわ。名前は?」

 

「岡本光輝。俺の素性は警察に絶対に出すなよ。能力もだ。仮面の人に助けられたって言っとけ。じゃないと、お前がどうなっても知らんぞ」

 

 流石に素顔を見られて、名前を言わない訳にもいかない。ならば、素性を明かして脅しをかける方がよっぽど理にかなうか。

 まあ、この女はその辺りの計算は出来るだろう。

 

「分かったわ。……ねえ、あの本って、貴方の?」

 

「ああ。全く、今日買ったばかりのジュペリの新装版がだいな……むぐっ」

 

 星姫に指を指された方を見る光輝。その次の瞬間、頭が星姫の手に抱えられ、何事かと星姫の方を向くと、暖かくて柔らかい感触と共に星姫の顔が目と目の間にあった。

 

 ふわっとした感触。次いで、にゅるり、んちゅ、くちゅり、と続いていく暖かくて湿っぽい感触。脳内で何が起きてるのか処理ができない。あれ、俺は何をしている?

 最後に、んうちゅぅぅぅっと、吸われるような感触を口内に受け、んはっ、と息を荒げて星姫は光輝の頭を開放した。光輝の口内と星姫の口内に、唾液のアーチが出来ていた。

 

 そう、それは濃厚な「ディープキス」だった。

 

「ふふ……あげちゃった、私のファーストキス……」

 

「……」

 

 光輝はアーチの解けた口の唇を、指で名残惜しそうになぞる。

 

「……」

 

 暖かくて、気持ちよくて。その数秒はまるで数分のように感じて、神が与えた時間のように幸せで嬉しくて愛おしくて。

 

「……!!?」

 

 ようやく我に戻った岡本光輝は顔を真っ赤に染め意識を高揚、脳髄を激昂とは別の意味で蕩《とろ》けそうに沸騰させ、瞬時に自分が入ってきた窓に飛び乗り足をかけた。

 

「あ、あばよッ!!」

 

 その言葉を残して、光輝は倉庫から去った。仮面と小説、そして熱い恋心をその場に残して。

 遠くから、パトカーのサイレンの音が聞こえる。誰かが呼んだんだろうか、この倉庫に向かってくるみたいだ。

 けれど、どうしよう。もう、この思いは止まらない。さっきから、恐怖とは別の心臓の高鳴りが止まらない。

 

 恋をした。岡本光輝という少年に。

 

 少年が残した本を手に取り、付着したガラスの破片を払い落としてその本をギュッと、胸に抱く。

 あんなに自分を見つめてくれるなんて。あんなに私を信じてくれるなんて。私は、あの人が、堪らなく好きだ。好きになっちゃったみたいだ。

 

「ふふふ、私だけの、星の王子様」

 

 少女はそのまま、その場に佇んでいた。親友の白鶴が決死の顔でドアを薙ぎ倒して倉庫に入ってくるまでは--

 

--世間を騒がせた一宮星姫誘拐事件から数日後、星姫はテレビ番組の出演を断ることなくひっきりなしに出ていた。しかし、どうやら警察から「仮面」の話は伏せられているようで、その話については一切触れない。

 尚、犯行グループの6名は問答無用で捕まった。少年院行きだが、世間の大スターを誘拐したんだ。それなりの処罰はあるだろう。

 

 ところで、何より。不味い問題がある。

 

『--瞬く無数の星たちが 輝いてた 教えてくれた 私だけの star shine prince……』

 

「大サビの最後、これライブ版だけなんですかねー、CDのフルでも無いし……でも、素敵ですね。意訳で星の王子様、って所でしょうか」

 

「……」

 

 俺こと岡本光輝は彼女をテレビで見かけるたびにあの口内の感触を思い出すんです。しかも歌い終わりのウインクになんだろう、意図をかんじるんですよ、はい。これまではライブでしたこと無かったですよね?

 

 岡本光輝の夏に、また一つ思い出のページが出来た。それは幸か不幸か、まだ理解《わか》らない。



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ラスト・ワン・デイ

「夏休みの課題を見せろ」

 

「……はい?」

 

「忘れていたんだ。見せろ」

 

 八月三十一日、夏休み最終日。色々あった夏休みの終わりは、静かに優雅に過ごそうと思っていた岡本光輝。しかしその思惑は、突然のインターホンにより無残にも崩れ去るのだった。

 

 インターホンが鳴り響く光輝の家、光輝は苛立ちを感じながらも母は仕事で家に居ないので対応した。玄関のドアを開けると、そこには顔面蒼白の黒咲夜千代が居た。それは、非常に珍しい光景だった。

 黒咲夜千代。光輝の知ってのとおり、根暗系乱暴少女。そんな夜千代が一人で光輝宅に来るという事態。一体、何が起こったのかなんて思ってしまった。しかし、その理由は直ぐに判明した。

 

 なるほど、夏休みに遊びすぎて課題に手を付けなかった訳か。馬鹿だ、馬鹿もいいとこである。

 

「クッ……クククッ、アッハハハ……」

 

「笑うのはこの際構わん。見せてくれ……いや、見せてください!」

 

 夜千代を嘲笑する光輝に、しかし懇願する夜千代。軽く煽ってやったが、どうやら怒る余裕も無いようだ。

 ちなみに、光輝はしっかりと夏休みの課題を順当なペースで終わらせていた。モチベーションの維持調整として、ペース配分は大事だ。

 

「えー、どうしよっかなー?迷っちゃうなー」

 

 光輝が夜千代に対して上に立てることなどそうそうなく、今はその状況だ。故に、光輝はもっと楽しみたかった。黒咲夜千代を言葉でボコれる、この状況。煽れるだけ煽ってやる。

 しかし、夜千代も無手で来たわけじゃない。夜千代も、光輝に対してノーガードで出るわけがなかった。

 

「……仮面」

 

 ボソりと呟く夜千代、ピクりとする光輝。

 

「結局、キャンプん時から返してもらってねーんだよなー。この前、私は出てねーのに民間から「仮面」の目撃情報があったんだよなー。だーれのし・わ・ざ、かなー」

 

「……」

 

 得意げなその言葉に瞬間顔を俯かせ、一気に赤面させる光輝。まずい、そんな核兵器を持ってこられたら岡本光輝の心のシェルターはただではすまない。

 あの日、光輝が一宮星姫と会った日。光輝は夜千代の仮面を付け、星姫を助けた。結局彼女に正体はバれ、しかし星姫への口止めにより正体はしっかりと伏せられたようだが、本来の仮面の所有者は黒咲夜千代だ。

 光輝は夜千代の素性をしっかりと知らないが、夜千代にも夜千代の事情があるはずだ。光輝が仮面で行動したという事は、そのまま夜千代が行動したという結果に繋がってしまうはずだ。

 なるほど、その場合、光輝側に不利がつく。そして。

 

 光輝はその事件で思い出す。唇と舌にしっかりと刻み込まれた、あの感触を。

 光輝は意識しないように、しかしどうしてもむず痒い思いが脳内を駆け抜け、その唇を噛む。

 

「……入れ」

 

「恩に着る。お邪魔します」

 

 ギブアップ。仕方なく光輝は夜千代を家に招き入れる。つっても、減るもんでも無いし、まあいいか。どうせ、課題を見せるだけだし。

 

 と、夜千代が家に上がった瞬間に光輝はある事に気付く。まずい。ひじょーに不味い。

 

「あ、夜千代、ちょっとまっ」

 

「光輝、どうしたんですか?誰が来ました?」

 

「……えっ」

 

「って--」

 

 ドアを開け、部屋から出てきたクリスと夜千代は顔を合わせる。その夜千代の顔はまるで豆鉄砲を食らったかのように、目をぱちくりとさせて。

 

 なんか感覚が麻痺してたけど、女子が男子の家に留学って、普通に考えて大問題だよなコレ--

 

--黙々と課題を写しながら、光輝に冷たい言葉を向けてくる夜千代。

 

「つまり岡本光輝は本物の変態さんだった、と。よし、もうお前二度とウチの敷居を跨ぐな」

 

「だから違うんだって。俺は断ったんだがな、クリスが」

 

「光輝、もしかしてあの日泊まった友達の家ってもしかして夜千代の家では……」

 

「勘が良いな、アンタ。そうだ、この変態は夜中に女子の家に上がり込むド変態だ」

 

 ああ、どんどん俺のシェルターに核ミサイルが飛んでくる。どうしよう、コレ。防ぎきれない。

 

「岡本クンはてっきり枯れてるとばかり……。私も気をつけねばな」

 

「誰がお前みたいな戦闘馬鹿に(さか)るか。つーかお前のせいでもあんだぞ」

 

「こ、光輝さん……その、そういう事は、よろしくないかと……」

 

「コーちゃんが俺の知らないところでハーレム作ってるとか裏切られた気分だぜ。畜生、羨ましい」

 

 いや、ハーレムでもなんでもねーし。そういう事じゃないし。瀧みたいな奴に性的感情を持てないし。そもそもお前が了承出すからなんだよな。というよりだな。

 

「つかなんでお前らもちゃっかり居るんだよ!」

 

 今、岡本光輝の家には光輝・クリス・夜千代の三人に加え、瀧・ホリィ・後藤の計六人が集まっていた。流石に光輝の部屋だけで収まる人数ではなく、居間と直結させてなんとかやりくりできていた。

 

「いやー、姉さんに課題を見せてもらおうと思ったら「自分でやれ」の一点張りでさ。優しい岡本クンに見せてもらおうと思ってね」

 

「俺っちも瀧に同じく」

 

「あ、あの、私は折角の最終日だから遊びに……」

 

「はいはい、お好きにどーぞ」

 

 半ばヤケクソになっている光輝。結局の所、このメンバーの内半分はペース配分が出来ない奴らの集まりって事か。なんとも情けない事だ。人生を円滑に進めるために日頃からの積み重ねは大事だぞ。

 

 光輝の課題は今夜千代と後藤がせっせと写している為、瀧には待ってもらっている。というか、お前勉強やらない人間だっけか?

 

「いやー、夏休みの最後に課題を全部やるという学生の内に、しかも年に一回しかない極上の状況……まさか今回は姉さんが見せてくれないとはね。はっは、参った参った」

 

 そうだった、瀧は変人だった。天才と馬鹿は本当に紙一重だな。そんな状況、何が楽しいのやら。

 

「うし、コーちゃん、終わったー!トランプしよう、トランプ!」

 

「はえーな、オイ」

 

 先に課題を写していた夜千代よりも、課題を先に写し終えた後藤。なるほど、「速度上昇」の能力か。しかし、本当に写しただけのようだ。自分で考えてやらないと課題なんてのは意味の無いものなのに。

 

「ふむ、では私も写させてもらうとしよう。「風より速く(ハイマックス)」!」

 

「チィッ、化物共が!「速度上昇」!」

 

 遂に課題に手を付けだした瀧も、あろう事か能力を使って課題を片付けに来た。そしてそれに釣られるように夜千代もまた、後藤の能力を「過去の遺物(オー・パーツ)」により劣化コピーさせて速さを上げる。

 ……そんな急いでやることも無いんだぞ。まだお昼だから。

 

「皆さん、もうすぐお昼ご飯出来ますから食べていってくださいなー」

 

 ふわり、と良い匂いが漂ってきてクリスから声がかけられた。そうか、もう昼時か。

 その言葉を聞いて、さらに瀧と夜千代は手を動かす速度を速める。お前ら食い意地張ってんな。

 

 まあ、やる気があるのは、いい事か。

 

 その後10分程して課題を終わらせた二人に合わせるかのように、クリスはお昼ご飯を持ってきた。それは、特盛の野菜炒め。健康的かつ、ご飯のおかずになるように濃い目の味付けをしてある。

 クリスが家に居る事の一番の利点は、ご飯がうまい事だと思うんだ、俺--

 

--昼ごはんを食べた後、トランプやら駄弁やらで時間を過ごしていった光輝達は、光輝の母親が帰って来たことで外が暗くなっている事に気付いた。既に空に月が上り、無数の星々が見える。光輝が昔住んでいた伊勢市とは違ってイクシーズは都会であり、光源があるためそこまではっきりとは視えない。この辺り、住宅地は市街地よりは暗いが、この時間帯はまだ明るい方だ。光輝の超視力でも、夏の大三角を捉えることはできるが後はそこまで分からない。まあ、こればっかりは仕方がないか。

 

 玄関の外で、それぞれは散り散りになる。

 

「それじゃ、光輝さん。また明日、学校で」

 

 畏まって礼をするホリィ。

 

「じゃあね、岡本クン」

 

 右手の人差し指と中指を揃えてこめかみに当て、それを別れの言葉と共に空中に放る瀧。なんともキザったい。

 

「今日はありがとな」

 

 なんだかんだで礼を言う夜千代。

 

「そんじゃね、コーちゃん」

 

 いつも通りの後藤。

 

「おう。じゃあな」

 

「さようなら、皆さん」

 

 夏休みももう終わり、明日からはまた学校が始まる。なんか、ここ一ヶ月間程で人との交流が一気に増えた気がする。

 めんどくさいし、疲れるけど……こういうのも、悪くないな。

 

 光輝は学校をめんどくさそうにしつつ、少し楽しみでもあった。



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アフター・ワン・デイ

 岡本光輝の家から帰った夜千代は、終わった課題を部屋の隅に放ると、風呂に入って眠りに着こうとした。

 しかし、浴槽からあがると、ふと携帯電話の着信音が鳴り響く。こんな時間に連絡があるとは、心当たりは最早一人だ。

 

 通話ボタンをタップし、電話に出る。

 

『おお、すまんな夜千代よ。時間は大丈夫か?』

 

「大丈夫じゃない。仕事?やらないよ」

 

 とてもじゃないが、もう時間が時間だ。明日も学校だし、風呂も入ったし。もう眠りたい。今日ばかりは、お断りしたい。

 だが、そうもいかないようで。

 

『仕事の話ではあるが……ほんの少しだけじゃ。深之介を連れて、今から中央警察署(セントラル)に来てくれんかの?』

 

「げっ、中央かよ……市街か、嫌だなぁ。人多いんだよ」

 

 中央警察署は名前の通り、イクシーズの真ん中。市街地にある。支部に行く場合はまだ市街から離れているからいいが、人ごみが大っきらいな夜千代にそれは酷だ。

 

『結構大事な話なのじゃ』

 

「……はいはい、わかりました。深之介も連れてきゃいいんだな?」

 

 しかし、大事な話と言われて引き受けないのもどうかな……とは思う。話だけで現場は無いようなので、まあさっさと終わらせて帰ろう。

 夜千代は冷蔵庫から缶コーヒーを一本取り出して、眠気覚ましに胃にかっ込んだ――

 

――夜千代に連れられるがままに、イクシーズ市街地に来た浅野深之介。

 イクシーズ暗部機関「フラグメンツ」に入ってからまだ数回の活動しかしておらず、支部の場所は分かれど中央警察署に向かった事は数回しかない。それも、地図を確認しつつ右往左往で、だ。とりあえず、夜千代に付いて行くしかない。

 

「……夜千代?」

 

 夜千代は立ち止まると、ふと何処か遠くを見ていた。一体何があるというのだろうか。

 

「……ああ、いや、人ごみはめんどくさいよな」

 

「そうだな」

 

 なんでも無かったかのように歩き出す夜千代、後ろに付く深之介。

 最初の出会いこそ最悪で、敵同士として戦った二人。だからこそ、同じ組織に属するという状況では、二人は信用しあえるのかもしれない。

 勿論、いつ互いが裏切るのかは分からない。しかし最低限の予防線を張っておいて、一緒に仕事をするとなれば、彼らは協調しあえる。互いに互いの強さを分かっていた。まだ訓練でしか組んだことは無いが、即席のコンビとしては十二分な程に息の合う二人だ。

 

「さて、着いたぞ。中央警察署だ」

 

 夜千代は夜の中、明かりの点いた警察署のロビーから中に入り奥へと進んでいき、とある部屋のドアを開けた。

 

 その中には黒咲枝垂梅を始めとしたフラグメンツの面々と、何人かの警察官が居た。

 

 ここに居るフラグメンツのメンバーは全員知っている。ぶっきらぼうな黒髪ショートの少女、コード・ファウストの黒咲夜千代。年老いて尚得体の知れぬ雰囲気を発する、コード・セコンドの黒咲枝垂梅。柔和な笑みの下に何を隠しているのかわからない男、コード・サウスの土井銀河。サングラスをかけた栗色の髪の青年、コード・フォースのシャイン・ジェネシス。そして自身、コード・ゼロの浅野深之介。

 一人だけ、不明な人物が居る。「シェイド」として夜千代と戦った時に、助っ人に入った少年。彼は自信を「正体不明(コード・ゼロ)」と言ったが、フラグメンツでは無いのだろうか。少なくとも、深之介は彼を再び見たことはない。

 

「さて、殆ど揃ったが……あと一人」

 

 少し広めの部屋に、多くの人数が集まっている。その前に立つ二人の男。一人は黒咲枝垂梅、そして今声を放った男。彼は有名なので深之介もその名を知っていた。天領(てんりょう)牙刀(がとう)。警部を務める、常に隙がなく威圧感を纏っている男だ。見ただけで分かる。この男は強い。

 

「す、すいません……たはは。少し、遅れまして」

 

 ガチャッと、ドアを開けて入ってきた一人の男と、一人の少女。男は手入れのされていないボサっとした髪に、剃り残した髭、よれたネクタイに離れていても分かる、タバコの匂いの染み付いた黒いスーツ。そして何より光のない目。どう見積もっても「うだつが上がらない」という言葉がすっぽりと当てはまる男だ。

 それに対して、少女の方は「完璧」と言えるまでに凛としている。整えた金色のショートヘアーに、特徴的な碧眼。顔は鉄仮面のようで、スーツをスマートに着こなしている。靴には黒色のスニーカーを起用し、いついかなる状況でも戦闘に対して準備を整えているようだ。佇まいからして、上等な「戦士」という印象を受けた。

 

(おせ)えぞ、丹羽。それとなんでナナイがここに居る?下の部隊は呼んでないが」

 

「あー、それなんですけどね、警部」

 

「サー・ニワの御意向です。ただ単に説明の手間を省きたいとニヤさんは言っておりました」

 

「あっ馬鹿っ」

 

 淡々と述べるナナイと呼ばれた少女と、その言葉に狼狽える丹羽と呼ばれた男。

 

「……まあいい。丹羽、今度覚えてろ」

 

「すいません……」

 

 呆れ顔ではあるが、牙刀はその場では丹羽を許したようだ。その言葉に、丹羽はホッと胸を撫で下ろす。

 

「警察の丹羽(にわ)天津魔(あつま)さんと、イワコフ・ナナイさんだ。あんな感じだけど、ニヤさんには絶対逆らわない方がいいぞ。若くで巡査部長、頭いいし、何よりナナイさんが怖い。直属の部下らしいが、ナナイさんはニヤさんの言うこと絶対に聞くからな」

 

 深之介にそっと耳打ちしてくる夜千代。そういう情報はとても嬉しい。しかし、一つ疑問が。

 

「ニヤさんって……?」

 

「丹羽さんの愛称。暇があれば煙草(ヤニ)ばっか吸ってるからな。ヤニをズージャ読みしてニヤ、本名の丹羽さんと合わせてニヤさんだ」

 

「なるほど」

 

 ズージャ読みというのがよくわからないが、言っている意味はよく分かった。

 

「老若男女揃いましたな。では始めてくださいな、天領さん」

 

 どうやら人数が揃ったらしく、枝垂梅が牙刀に促す。

 

「はい。さて、ともあれ……全員揃ったな。言わなくても分かると思うが……此処に居る奴ら、全員、前線を張れるイクシーズ警察切っての精鋭だ。暗部機関も含んでいるが……知ってるだろうがその実力はコード・セコンドのお墨付きだ」

 

「ほっほ」

 

 確かに、この場に居る人間全てはただならぬ気配を感じるものばかりだ。全員が全員、強者なのだろう。

 その中でも威圧感を感じるのはやはり枝垂梅と牙刀……そして、先程のナナイといった少女か。まるで獣の牙を首元に突きつけられてるような感覚だ。かと言って、それだけで全ての実力は分からない。しかし、ひしひしと感じるプレッシャーが凄まじい。

 

「まあ、全員の素性が分かった所で本題に入るぞ。本日、夜中……ついさっき、だな。1時間くらい前か。市街地のあるヤクザの事務所が襲われた」

 

 シン、と静まったままの部屋。全員が静かに聞いていた。

 

「襲った奴らの詳細ははっきりしてねえが、そこの組長の話によると「赤い髪の色の少女」を見かけたんだとよ。まあ、一番最初に電気系統をやられて一方的にボコられたらしい。計画的な犯行だな」

 

 赤い髪の色の少女。ことイクシーズでも外でも珍しくはない。赤く髪を染める不良少女も居るし、最初から赤い髪の女性も居る。それこそ、この場にも赤髪の女性が一人居る。

 髪を後ろで編み込んだ、目つきの鋭い女性。キャリアの、凶獄(きょうごく)夏恋(かれん)という方だ。Bレートではあるが、能力「エレキテルパルス」による小型電動兵器の運用は目を見張るものがある。実際の評定よりも、強い。

 

 ようするに、この場の者は全員、只者ではなかった。

 

「結局の所調査中だがな……。とりあえず今日の要件は「より一層気を引き締めろ」、そんな所だ。イクシーズに失態の二文字は無い。こんだけ化物が揃っていて勝てませんでしたじゃあ、お話にならねえからな。上に向ける顔も()え。そんじゃ、解散だ。後は各自帰ってくれ。役割を与えるやつには後日連絡をする」

 

『はい!』

 

 牙刀の言葉に一同が返事をし、解散をする。全員の空気がその僅かな時間だけで移変(かわ)った。

 

 警察署の外を出るとポツポツ、と小雨(こさめ)が降っていた。さっきまで雲なんて無かったのに。

 夏はもう過ぎ、季節の移り変わり。これからは雨が多くなるだろう。



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第五章 血の雨化粧にその身を染めて
生き行く者たちの戦歌


「あー、雨か……季節も変わり目だもんな」

 

 ぽつぽつと朝から降る雨に、岡本光輝は沈む心を隠しきれずにはいられない。

 ただでさえ今日から夏休みが終わって学校が始まるというのに、始まりから雨ではとてもじゃないが気分がすぐれない。

 

「いいじゃないですか。私、雨って好きですよ」

 

 家の玄関から出たところで、クリスがそう言った。

 

「なんでよ」

 

 澄んだ空が好きな光輝にとっては、雨なんて鬱憤以外の何物でも無い。雨なんて天候、要らないとさえ思える。

 

「だって、目的の場所まで傘という二人の世界の中で一緒に居られるなんて……幸せだと、思いませんか?」

 

「相合傘はしないからな」

 

 すたすた、とアパートの廊下を歩いていく光輝。クリスには別途で傘を持たせてある。学校までの案内の為に後ろは付かせてやるが、一緒の傘で登校などできやしない。

 だって、そんなことでもしてみろ。ただでさえ綺麗なクリスだ。それもSレートの特待留学生。そんな彼女と岡本光輝という最弱(Eレート)が一緒に居たらその時点で噂になるに違いない。

 

 故に、光輝はここで念を押しておく。

 

「いいか、クリス。学校では俺にできるだけ近づくな、声を掛けるな。俺は厄介事が嫌いなんだ」

 

「はい、分かりました。光輝がそうおっしゃるのなら」

 

 なんと、意外と聞き分けの良いクリス。それもそうか、家の中と外では場所が違う。誰も見られてない場所ではイチャつけても、外ではそうもいかないか。

 聞き分けがいいなら、それでいい。他に文句はない。まあ、あまり信用はしていないが。

 

「そうか、それじゃあ行くぞ。(はぐ)れるなよ」

 

「はい、付いていきます」

 

 それにしても、今日からクリスが一緒の学校か。なんか不思議な感覚だが、まあ直ぐに慣れるだろう。なんせ、一緒の家で住んでいるんだから--

 

--家から駅に着き、そこから電車で学校がある地区まで。その中である人物と出会い、一緒の駅で降りた。

 が、しかし。光輝はそこである事に気付く。

 

「夜千代……お前、もしかして傘無いのか?」

 

「うっせーな……コンビニで盗まれたんだよ、悪いか」

 

 黒咲夜千代。光輝の家の意外と近くに住んでいる、同じ学年で同じクラスの生徒。いつも不機嫌そうな顔をしているが、今日は一段と増して不機嫌そうだ。

 どうやら、傘を盗まれたらしい。なんと間抜けなことか。

 

「……入ってけよ。学校まで濡れるのもしんどいだろ」

 

「……ありがとな」

 

 駅から出て学校までの距離、夜千代を自分の傘に入れる事にした光輝。異常に人嫌いな夜千代は嫌がる素振(そぶ)りを見せず、光輝の差した傘に入る。

 流石にこの距離を濡れたままってのは嫌だろうな。光輝だって、流石に傘を持っていないときに誰かの傘に入れてもらえるのなら喜んで入る。彼女もそうだろう。

 

「あっ、夜千代狡いです!いいなー、私も傘を忘れれば良かったなー」

 

「お前は馬鹿か」

 

 光輝と一緒の家から出てきたのに光輝がそれを指摘しないわけがない。クリスはお馬鹿さんか。いや、頭は特待留学生だから確かに良いはずなんだけどな。

 

「……私、やっぱ出るわ。そういやこれ変態の傘だった。いつ貞操を失うか分からん」

 

 無表情で、光輝の顔を見やる夜千代。そう言えば、夜千代はクリスが光輝の家にホームステイしてることを知っていたんだった。

 

「待て。だから誤解だっつーの。俺は何もしてねーって!」

 

「してないしてない言う奴ほど何かしてるんだよ」

 

「光輝は何もしていませんよ。それこそ、殿方であるか疑うくらいに。だって、ベッドの中で抱きしめても何もしてきませんの」

 

「……ごめん、私邪魔だったよな。すまん、走って学校向かうわ」

 

「だぁーかぁーらっ、何もねぇっつってんだろ!いい加減にしろよお前ら!」

 

 本気で身を引こうとする夜千代の肩を掴み、強引に傘の中に押し込む。だからクリスよ、余計な事を言わないでくれ。いや、実際にあった出来事ではあるんだが、言っていいこととわるいことがあるでしょ?ねぇ、クリスさん。

 まあ、そんなこんなで。なんとか無事に学校の校門をくぐった訳で。ああ、今日から新学期が始まる。もう頭を抱えたい。

 憂鬱な気分を胸に、光輝は先へ進む覚悟をした--

 

--「コッウちゃーん!」

 

「ぐぇっ」

 

 教室から出ようとしたら、いきなり首に抱きついてくる後藤征四郎。やめろ、俺にそっちの趣味はない。

 

 無理矢理引っペがしても、尚後藤は上機嫌だ。新学期に増して雨とかいう憂鬱の中で何がそんなに楽しい。

 

「始まったぜ、新学期!なあ、ワクワクしないかよ?」

 

「いや、別に」

 

 特に目新しい物も無いのに、ワクワクする要素があるのだろうか。一学期も二学期も校舎は一緒だ。顔ぶれも一緒。新入生として気分を浮かれさせるのは分かるが、お前はそうじゃないだろ。何をそんなにワクワクするのか。

 

「いや、なんつーの?フィーリング?あるじゃん、そう言うの。考えるより感じろってさ」

 

「すまん分からん」

 

 後藤の言っている意味が分からない。何を感じろというのか。

 

「まあ、それはさておき。クリスって一組になったんだろ?コーちゃんと同じクラスじゃん。どうしたの?」

 

「ああ、それなら」

 

 クイ、と光輝は自分が出てきた一年一組のクラスを指す。その中では、ある席を中心に人だかりの渦が。

 

「ねえねえ、クリスさんってSレートなんでしょ?ステータスは?」

 

「前新聞で見たよー!ロンドンの英雄、クリス・ド・レイ!かっこいーなー!」

 

「ねえねえ、彼氏とかやっぱ、もう居たり?」

 

「好きな女の子とか居るの?」

 

 とかいう、質問攻めに。ええ、わたくしめは手も足も出ませんとさ。だから、教室から抜け出してきた。

 って、ちょっと待てオイ。最後だけなんかおかしくないか?

 

「うっはー。すげーなー!あれが特待留学生!他のクラスの奴もいんじゃん!」

 

「流石にあの人ごみは面倒だからな。俺は教室から出てきた。後は知らん」

 

 クリスの存在が校内に知れ渡ったのは、始業式の事だ。始まりの挨拶の後に、教師から紹介された、その素性。

 ロンドンからの特待留学生、クリス・ド・レイ。Sレートの少女。

 勿論、校内が騒ぎにならない訳がなかった。一年でSレートなんて、この学校には瀧シエル以外に居ない。レートを上げるには、能力測定で頑張るか、五大祭で結果を残すか、だろうか。その中で、五大祭で結果を残すということは一年生にはとても難しい。なにしろ、実戦経験が足りないのだから。

 だからこそ、一年生のSレートというのは注目を集める。ロンドンではどんなテストがあったのかは知らないが、Sレートというのは伊達ではない筈だ。それだけ、凄い存在なのだ。

 

 と、光輝と後藤が廊下で(たむろ)していると、教室から女子生徒が出てきた。長い黒髪に、今は普段とは違って学校指定のセーラー服を身に纏った目を引くボディライン、優雅な佇まいに綺麗にも程があるその顔。ロンドンの英雄、クリス・ド・レイだ。

 

「ん?おう。どうしたよクリス」

 

 その綺麗な顔は、少しだけ訝しげな面影を浮かべて。

 

「光輝が居ないので出てきました。なんで来てくれないんですか?」

 

「いや、行く必要も無いだろうに」

 

 だって、いつも家で顔を合わせているんだ。わざわざ席に行ってクリスと話をする必要もないだろうに。それも、ただでさえうっとおしい人ごみの中で。

 

「私が他の男の人と話していても何も感じないというのですか!」

 

「……いや、クリスの勝手だろそれは」

 

 クリスが光輝を好こうが好かまいが、他の男と話すのはクリスの勝手だろうに。光輝は別に、なんとも思わない。

 

 しかし、その時点で光輝は失態に気付く。

 

「……岡本とレイさんって、どういう関係だ?名前呼びだぞ……」

 

「え?だれあの人。クリスさんとお知り合い?」

 

 不味い。Eレートで、かつクラスで常に目立たない俺がまさか教室のすぐ外でSレートの特待留学生と会話してるなんて。

 周りからしたら、不思議に思えて仕方ないのだろう。くそ、ここはどうやって言い訳しようか。

 

 クリス、お前、余計なことは絶対に喋るなよ……!

 

 光輝はクリスに対して、アイコンタクトでメッセージを送る。クリスはウィンクで、そのアイコンタクトに答えた。

 ちゃんと意味が伝わっていればいいが……。

 

「光輝とは、以前ロンドンで会ったんですよ。彼が修学旅行で来てる時に、ですね。同じ異能者として知り合ったんですが、まさかこちらに来て会えるとは思いませんでした」

 

 殆ど嘘もなく、実際に会ったことをほぼ正確に述べるクリス。さすがだ、完璧だ。その回答なら文句も出まい。違和感も一切無い。少しだけ、偽りを含むが。それは、クリスは光輝を追ってきたという事。会うために、イクシーズに来たのだ。

 嘘をつくには、本物の出来事を織り交ぜて。そうすれば、言葉に自然と真実味が帯びてくる。そうだ、それでいい。

 

「いいなー、俺もロンドンに行ってればなー」

 

「馬鹿だな、偶然でもまず会えんだろ。相手は黒魔女だぞ」

 

 おう、それでいい。このままなら、クリスと俺の仲がやたらといい理由付けになる。後はこの状態を維持していけば、それで問題ない。

 少しでも関わりがあれば、人間関係は自然と出来ていくものだ。そのきっかけがあればいい。よし、完璧なプランだ……!

 

「しかも驚くことなかれ!なんとクリスは、コーちゃんの家にホームステイしているのだ!」

 

 瞬間、周りが凍り付く音。いや、正確には音など無かった。ただ、形容するのならその表現が限りなく正しいという訳で。

 ビキッ、と周りが完全に凍る。一瞬の無言。そして直ぐに、ビシッ、と氷にヒビが入る。砕け散る一歩手前。

 

「コーちゃんの家は部屋が少ないから、おんなじ部屋で暮らしているらしいぞ!」」

 

 そして、バリンッ、と音を立てて固まった空気は完全に砕け散った。

 

『ええぇぇぇーーーーー!!?』

 

 ……終わったな、俺の静かな高校生活。後藤征四郎、許すまじ--

 

--黒咲夜千代は、ギャラリーが五月蝿い教室の外に出て自販機で買った微糖の缶コーヒーを飲んでいた。

 

 場所は校舎の4階、屋上へと続く階段の手前。この学校は屋上が解放されていない。なぜなら、危ないから。生徒の逢引の場所になっても困るし、自殺者が出ても困る。だから、解放されていない。

 

 そして、だからこそ、ここには誰も来ない。閉ざされたドアの前で、心を閉ざした少女は満足げに一刻(ひととき)を楽しんでいた。

 

「……なんの用だよ」

 

「いや、何が楽しくて此処に居るのかなって」

 

「何も楽しくないから此処に居るんだよ」

 

「なるほど。その状況は良いね」

 

 そう、ここには誰も来ない。ただ、変人を除いては。

 

 クイッ、と缶コーヒーを傾け頂く夜千代と、その隣に座る瀧シエル。一体なんの因果があってこうなっているのか、夜千代には全く見当もついていない。

 

「いいのかい?岡本クンと一緒に居なくて」

 

「別に。教室は五月蝿いからな。アイツと二人きりならまだしも、ああも人が多いと嫌になる」

 

「なるほど。それは確かに」

 

 夜千代は光輝と二人きりなら安心できる。彼は静かで、必要以上に踏み込んでこない。その距離感は、とても心地の良いものだ。夜千代も、決して不必要に踏み込むことはしない。

 だが、それは静かな場所で、だ。人が五月蝿すぎては、とてもじゃないが嫌だ。夜千代は、他人が嫌いだ。なぜなら、人間とは邪悪の塊のような生き物だから。自分がこんなに邪悪で出来ているのに、他の人間が邪悪でないわけがない。

 

 だから夜千代は一人を好む。だから夜千代は暗闇の少年、光輝を好む。彼ほど分かりやすい人間は居ないからだ。

 

「ところで、一つ提案が」

 

 人差し指を立て、夜千代に声をかける瀧。

 

「んだよ」

 

 めんどくさそうにその方向を見る夜千代。

 

「折角だ、屋上で対面しないか?今は絶好の雨日和。君も好きだろう?こういう天気」

 

「……まあ、糞みたいな雨、嫌いじゃないが」

 

 夜千代はコーヒーを最後の一滴まで飲み込むと、腰を下ろしていた階段から立ち上がりその場を離れるように下る。

 

「やらねぇよ。面倒くさいのは嫌いでね」

 

 夜千代は戦闘狂ではない。意味の無い対面を好まないし、してやる義理もない。しかも相手はSレートの瀧シエル。なぜ、負けると分かっている対面をやる必要があろうか。

 

「ふうん……そっか。しょうがないかな」

 

 瀧は惜しみそうに去っていく背中を見つめた。



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生き行く者たちの戦歌2

「……」

 

 昇降口で、疲弊しきった顔で靴を履き替える光輝。

 

「光輝、そんな落ち込まないでください。大丈夫です、きっと良い事もありますよ」

 

「そうだぜ、コーちゃん。人生楽ありゃ苦もあるさってな」

 

「おう、クリスはいいとして後藤に言われたくはない。つか後藤、お前は馬鹿だな」

 

「何を今更。何も出ないぜ!」

 

 ああ。褒めてないから何も出さなくていい。こいつはなぜそうも脳天気に居られるのだ。

 

 後藤が何故かクリスのホームステイ先が光輝の家であることをクラスでバラしてから、非常に大変な事になった、あっちからこっちからと、質問攻めの嵐だ。

 まあ、全く想定をしていなかった訳ではない。しかし、こんなに早い段階で周知の事実となってしまうとは思わなかった。おかげで、言い訳にかなりの時間がかかった。

 

 結局、クリスと光輝は「家族同士の仲良し」という事にしておいた。勿論、光輝の親とクリスの親は面識などない。

 しかし、だ。クリスと光輝の母親は仲良しだ。だとすれば、半分合っているようなものだろう。半分合っていれば四捨五入して全部合っている。そういう事にしておけ。

 

 とまあ、かなり苦しい感じはするがそんなこんなでなんとか切り抜ける事が出来た。とりあえず後藤にはいずれお世話になろう。真面目にあの場面では心臓が破裂しそうだった。根暗系男子のガラスハートの脆さを舐めるなよ、お前。

 

「……ん?なんぞ、あれ。校門前にいっぱいいるぞ」

 

「あ?」

 

「あら、本当ですね。どうしたんでしょうか」

 

 光輝とクリスと後藤は下駄箱で靴を履き変え下校しようとすると、雨の中の校門前に複数の傘が固まっているのが見えた。一体、何があるのだろうか。

 

「ねえ、この学校にさー、岡本光輝って人居る?」

 

「岡本……ああ、あの一組のEレートの。あ、今昇降口に居る、あのぬぼーってした目の」

 

「あ、見つけた!ありがと!ねぇ、君ー!」

 

「……げぇっ」

 

 雨で濡れたアスファルトの上を、小型の折りたたみ傘を差しながら走ってくる一人の少女。この高校の指定のセーラー服ではなく、ブレザーを着ている。別の高校の生徒だ。

 そして、光輝はその少女を知っている。

 

「やっほっ!また、会えたね!」

 

「……一宮。どうして此処に居る」

 

 一宮星姫。俳優と歌手を兼ねる、話題のスーパースター。今を時めくシンデレラガール。

 あろうことか別の高校の生徒である彼女は、光輝の高校の校門で光輝を待ち伏せていたのだ。

 

「そんな邪険にしないでよう。君に会うために終礼フケてきたんだから」

 

 その少女の声を聞き、顔を見て、クリスは全身を小刻みに震わせている。信じられない、といった表情。だ。

 

「え……星姫ちゃん?あの、テレビに出てる?」

 

「ん?そだよー。もしかして貴方、私のファン?嬉しいな!ねえ、光輝君のお知り合い?」

 

 ブリブリの営業スマイル中の星姫。少なくとも、光輝は彼女のこんな一面は知らない。いや、少ししか会話してないから分からなかっただけで、実はこういう人物だったってオチも。

 

「はい、そうですが……」

 

「うん、そう。あのね」

 

 星姫は自分の傘を地面に放ると、夜千代の傘に入りその耳に口を寄せ、小声

 

「私、光輝君は本気で狙うから。ゆっくりしてると持って行っちゃうからね」

 

「……っ!!?」

 

 途中まで本物の一宮星姫を見て輝いた表情を浮かべていたクリスの顔は、一瞬にして血の気がなくなる。

 そんなクリスをお構いなしに通り過ぎ、今度は光輝の傘の中へ。

 

「ふふ、来ちゃった」

 

「……なんのつもりだ」

 

 光輝は星姫を睨みつける。この少女は、何をしでかすか分からない。超視力で注視せねば。

 

「会いに来た、ってだけじゃ駄目かな?私だけの星の王子様」

 

「要件はそれだけか?帰るぞ」

 

「あっ、ちょっとちょっと!……もう、つれないなあ」

 

 星姫を置いて歩き出そうとする光輝。だが、星姫はその行く手を阻む。

 

「ねぇ、今週末空いてないかな。私、空けとくから。遊びに行こ?」

 

 それはまるで悪魔のような微笑み。可愛げな笑みの裏には、きっと黒い何かが隠されているのだろう。光輝にはそう思えて仕方が無かった。

 

「……気が向いたらな」

 

「そう?ありがと。私ねぇ……」

 

 紡いだ言葉に織り交ぜるように、星姫は自身の顔を光輝の顔へ寄せてくる。光輝は超視力でそれを見据え、緩やかに、不自然でないように回避する。

 だが、星姫はさらにそれを読んでいたかのように光輝の首元、うなじへ口を寄せ、軽くキスをした。

 

「……君の事、知りたいな」

 

「……っつ、お前な……!」

 

「それじゃね、光輝君」

 

 まるで流れ星のように一連の出来事を終わらせると、星姫は地面に放った折りたたみ傘を拾い、雨の中を駆けていく。

 

「ようやく見つけましたよ、姫殿(ひめどの)!あれほど(それがし)から離れてはいけないと!」

 

「あははっ!ゴメンね、(ハク)。んじゃ、帰ろっか」

 

 校門の人ごみを掻き分けて星姫の元に来た、白と呼ばれた少女。時代錯誤な口調と、長い髪をポニーテールの形で()った姿がなんとも言い難い違和感を感じる。

 星姫と同じ学校のブレザーが、傘を差さず走ってきたためか濡れている。彼女は、星姫の本当の友達なのだろう。光輝はそれを見て、少し安堵した。

 

「……俺らも帰るぞ。とっとと騒ぎになる前にな」

 

「ん?どして?」

 

 疑問の表情を浮かべる後藤。

 まだ分からないのか。一宮星姫と顔見知りの生徒が居るという事実。あれこれと聞かれるに違いないだろう。

 

 ああ、今日はなんとも憂鬱な一日だろうか。雨に、クリスの件に、星姫がまさか会いに来るとは。苦難が続いて嫌になる。さあ、とっとと帰ってしまおうか--

 

--中央警察署(セントラル)の廊下で、外の雨を虚ろに眺めながら丹羽天津魔は煙草を吸っていた。

 

「……だるいねぇ、ナナ()ぃ」

 

「どうかなされましたか、サー・ニワ」

 

 その隣には、金髪と碧眼が目を引く少女、イワコフ・ナナイが立っている。

 

「雨、やまないかなー。今日から僕ら、外回りなワケでしょ。あー、嫌だ嫌だ。ヤクザの抗争に巻き込まれて死んじゃうなんて、そんな悲しい結末嫌だよ僕ぅ」

 

「心配ありません。サー・ニワは私が護りますから」

 

「いいねぇ、よく出来た子だねぇ。今日の晩飯、何が食いたい?」

 

「アムールタイガーのステーキがいいです。ブルーが最高ですね。分厚いのを、がぶりと」

 

「……あったかなぁ、虎肉のステーキやってるとこ」

 

 無表情のままのナナイと、うすら笑いを浮かべている丹羽。傍から見ればまるで正反対の二人は、奇(く)しくも仲が悪いわけではなかった。

 

「ねぇ、ちょっと、丹羽!」

 

 そんな風に二人で駄弁っていると、ふと横槍から声がかけられる。

 

「ん?ああ、ここ禁煙かい?大丈夫、窓開けてるし携帯灰皿もあるよ」

 

 そちらの方向を向かずに、スーツの胸ポケットからEVA材質の安物の携帯灰皿を取り出し、吸っていた煙草をねじ込んだ。

 

「っ、コッチを向け!」

 

「あでっ」

 

 声の主は、丹羽のネクタイの根元を掴むと、無理矢理引っ張り顔を向かせる。強制的に顔を向かされた丹羽は、怒りの表情で顔を引きつらせた赤髪の女の表情を見て、光の無い目をにっこり、と細めた。

 

「やぁ、奇遇だねぇ、凶獄(きょうごく)ぅ。どしたい、なんか用かい人間?」

 

「巡回メンバーに私の名前が無くてアンタの名前があるってどういう事?アンタ本来課違うでしょ?また私を外したの!?」

 

 丹羽のよく分からない薄ら寒いギャグを無視して凶獄(きょうごく)夏恋(かれん)は鋭い眼差しで丹羽の目を見やる。

 昨日の事件、ヤクザの事務所の襲撃があってから一日。市民の安全を確保するために、警察と暗部組織の合同による夜の見回りが行われることになった。

 本来なら、凶獄はそのメンバーの中に入る予定だった。しかし、そのメンバーの中に凶獄の名前は無かった。

 

「ほら、夜の街って非行少年もいるわけじゃん?ついでに見回れるからお得かなーって。それに、ナナ氏も頼りになるし」

 

「とぼけないでよ!私が聞いているのは、私をメンバーから外したのがアンタかって聞いてるの!」

 

 論点のすり替え。丹羽は凶獄の質問になど答えていなかった。正確には、その横淵をなぞるように。そして緩やかに、カーブを描いて質問の本筋を逸らそうとした。

 しかし、凶獄は丹羽のやり口など分かっている。凶獄と丹羽は子供の頃からの付き合いだ。コイツが、どういう人間なのかを知っていた。

 

「……ナナ氏ぃ、人間が健やかに生きる上で大事な三原則、言えるよね?」

 

 丹羽は凶獄に言葉を直接返さず、ナナイに話題を振る。すると、ナナイは困惑の表情を一切浮かべずに淡々と語りだす。

 

無情(むじょう)無力(むりょく)無理(むり)の三つです」

 

 答えたナナイの頭を、丹羽は優しく撫でてやる。

 

「よしよし、偉いぞぉナナ氏。いいねぇ、いい言葉だよねぇ。言ってわかる子は頭がいい。逆に--」

 

 そしてそのまま、丹羽は続けていたうすら笑いを止め、冷たい目で凶獄の目を見る。

 

「--言っても分からない子は頭が悪い。そうじゃないかい?凶獄ぅ」

 

「……」

 

 その目線に対して、つい、凶獄は目を逸らして、顔を伏せてしまった。先程までの熱い怒りが()めやるような、()めた瞳。それはまるで、大人に怒られた子供が顔を俯かせるのに似ていた。

 

「世の中には向き不向きがある。頭が良い奴と悪い奴が居るように、力が強い奴と弱い奴が居るように。諦めって大事でさ、人間は自分が向いていないと思った事柄から逃げて別の得意な事をやる方が賢いんだよねぇ」

 

 丹羽は凶獄の顎に指をやり、クイ、と無理矢理顔を上げさせた。至近距離で凶獄の瞳を覗く。

 

「弱いんだから下がってろ。凶獄は僕が護ってやる」

 

「……っ」

 

 何も言い返せない凶獄。そんな彼女に背を向けると、丹羽は廊下を歩き出す。

 

「僕は間違っているかい?ナナ氏ぃ」

 

「人間としては。けれど大局を見る者としては一切間違っていません。正しさの塊です」

 

「あっはっは、キツいなぁ、ナナ氏は」

 

 丹羽の後ろを歩いていこうとしたナナイは、少しの間足を止め、凶獄の方を見やった。

 

「……すいません、キョウゴクさん。サー・ニワは、あれでも貴方の事を」

 

「五月蝿いっ!」

 

 廊下に怒声が鳴り響き、間を置いて凶獄は腹からひねり出すように声を発した。すでに、丹羽は居ない。

 

「……わかってるわよ。アンタに言われなくても、そんな事はわかってんのよ……!」

 

 それは誰に向けての言葉だろうか。答えるものも居なく静まった廊下に聞こえるのは、外で降り止まぬ雨の音だけだった。



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生き行く者たちの戦歌3

 夕方前に奇跡的にも雨が止み、時は過ぎて夜。未だ乾かぬ街のアスファルトの上を、丹羽とナナイは歩いていた。

 丹羽は見回りの勤務中だというのに、愛用の銘柄の煙草に火を点け口に咥えている。勿論、周りに注意する人間がいないからだ。天領や凶獄が居れば煙草は吸えない。逆に、土井銀河やナナイなら口煩く言っても来ないので気楽だった。

 

「雨があがって良かったねぇ」

 

「はい。雨は良くないです、風の便りが聞けませんから」

 

「ナナ氏の五感は特別性だもんねぇ。シュヴィアタの民族は凄いよなぁ」

 

 シュヴィアタの民族。イワコフ・ナナイは日本人ではない、海外からの移民だ。

 広大なる大地「シュヴィアタ」の元に生まれ、自然と共に暮らす少数民族。その中でもイワコフ・ナナイは、1000人に1人の「異能者」だった。故に、イワコフ・ナナイには二つ名がある。その名は「シュヴィアタの一騎当千」。

 

「おっと、電話だ……ん、夜千代ちゃんかぁ。何の用だろう」

 

 最近のアーティストの歌が流れ出し、丹羽の携帯が電話の着信を知らせる。その液晶に表示された名前は「黒咲夜千代」。暗部機関(フラグメンツ)の若き黒星(こくせい)。勉強はあまり得意では無いが、頭は良い子だ。丹羽が気に入るタイプの人間だった。

 通話ボタンを押し、丹羽は電話に出る。

 

「はいもしもし。どしたん?夜千代ちゃん」

 

『はい、こちらフラグメンツ。やられました。市街地北西区にある罰点(バッテン)の事務所が襲撃されました』

 

 北西区。こからは少し遠いが、なんてこった。連日で襲撃か。ちなみに、罰点とはヤクザの隠語だ。イクシーズの警察では周りに万が一聞かれたらまずい状況ではこうして言うことがある。

 実のところ、現在何が起こっているのかは分からない。しかし、ヤクザ絡みとなるとやはり筋者(すじもの)同士の抗争か。

 

「……そうか。また襲撃か。ありがとう、夜千代ちゃん。んで、僕らはどうすればいい?向かえばいいの?」

 

『いえ、中央警察署に戻ってくださいとの事です。天領警部が居るはずです』

 

「うん、ありがとう。じゃあね」

 

 通話終了のボタンを押すと、丹羽は携帯をポケットに仕舞う。

 

「ナナ氏ぃ、警察署に帰れって……あれ?ナナ氏?」

 

 丹羽が辺りを見回すと、その場にナナイは居なかった。他人が行き交うだけだ。

 

「……新人気分が抜けてないなぁ。ま、いっか。適当にやってくれよ」

 

 イワコフ・ナナイは時に暴走する。そのストッパーとして丹羽天津魔が居るわけだが、いきなり居なくなられてはどうしようもない。

 丹羽は仕方なく、近くをふらついてナナイを探すしかなかった。部下を残して警察署に帰ったら天領にどやされるのだーー

 

--雨上がりの中で、空気の中に立ち込める独特な匂いの中に、自分が知っている、懐かしい匂いを感じ取った。それは日本のものではない、祖国で感じたことのある匂いだ。

 

 周りの建物の突起を足で蹴って跳ね上がり、10階建てほどのビルの屋上に着地する。

 建物の上を吹きすさぶ風。その中に、香りを感じる。これは--香水か。シナの国の香水。けれど、これじゃない。先程の匂いは、これじゃない。

 五感を研ぎ澄ませる。色々な香りの中で、絡んだ糸を、ゆっくりと手繰り寄せて目当ての一本を引き当てるように。

 

 ……見つけた。

 

 シナの国の香水と、重なってやって来た香り。ナナイは方向を決めると、建物の上を足で跳ね回り、目的地へ急ぐ。人ごみや建物などの障害物が多い都会では、地上を走るより空を跳んだ方が速い。とん、とんと身軽にナナイは天を駆ける。

 

 そして、市街地から少し離れた、住宅地との境目辺り。人影は無い。ただ、1人を除いては。

 

 ナナイはその人物の目の前に降り立つ。赤いシャツに黒い上着とズボン、そして黒い長髪の少女。年齢は16歳ほどか。この少女から、シナの国の香水と、もう一つ、独特な匂いを嗅ぎ取った。

 

 少女は目を見開く。いきなり目の前に現れた、黒いスーツに身を包んだ金髪碧眼の少女。

 

「夜分に申し訳ありません。私の名前はイワコフ・ナナイ。少し、懐かしい匂いを感じたもので」

 

「……?」

 

 ナナイの目の前の少女は喋らない。ただ、ナナイの出方を伺っていた。

 

「シナの国の香水……ですよね。それと、鮮烈な「血」の香り。一つじゃない、他人の血と、自分の血の匂いが混ざっています」

 

「……」

 

「この血の香り、故郷で嗅いだことがあります。「龍血種(ヴァン・ドラクリア)」、ですよね?貴方」

 

 ナナイはその血の香りを知っていた。「龍血種」、その名の通り、龍の血を引く者。

 龍脈が流れる「シュヴィアタ」の地にも、龍血種は住んでいた。その際に、嗅いだことのある香り。まさか、こんな所で出会えるとは。

 しかし、それは決して喜ばしい事ではない。なぜなら、目の前の少女から香る血は一つではないからだ。それはつまり--

 

「だからなんだと言うのだ」

 

--目の前の少女は誰かに血を流させたということだからだ。

 

 瞬間、少女は動いた。ナナイへの、ミドルキック。ナナイはそれを腕一本で受け止めると、後ろに下がって身を構えた。

 両足は大地を踏みしめ、左手を牽制として前に、右手は必殺の一撃を繰り出すために一番力の加護を受けられる前へ。シュヴィアタの民族に伝わる、獲物を狩る構え。その五体に猟銃といった武器は必要無い。

 故に、付けられた闘法の名は「バレット・サンボ」。

 

「貴方に問いたい。誰の血を流した?」

 

「……」

 

 ナナイは少女に問う。しかし、少女は無言。それどころか、敵意を剥き出しにしていた。

 だとするならば、ナナイも戦わねばならない。誇り高きシュヴィアタの民として、正当性を掲げ正義を振りかざす警察官として。

 

「答えぬのならば、力尽くで吐いてもらう」

 

 その言葉の後に、ナナイは地面を蹴った。少女の眼前まで迫る。ナナイの左拳(さけん)による掴み。瞬間、少女の髪が赤く染まり、少女はそれを避けるように半歩下がり、見を低くして足払いをするようにナナイの足元を蹴った。

 ところが、ナナイの脚はそれを避けようとはせず、その場に立ったまま。足払いを受けたハズの脚は、しかし動じず、ナナイはそのまま少女に対して右拳(うけん)による下段突きを放つ。少女はそれを防御して、受けきれず地面に背中を衝突させ、その勢いを殺すように後方に回転しながら下がった。

 

 龍血種。それはその種族の総称であり、能力の総称。龍血種は全員が異能者である。

 その特徴として、能力を使うときは黒い髪が赤く染まる。その状態では、通常の人間の身体能力を遥か上回る。非常に強力だ。

 

 しかし、シュヴィアタの民族は素の状態でその能力を上回る。

 龍血種の能力発動時のステータスが仮にオール4だとしよう。対して、シュヴィアタの民族は能力を発動せずしてオール5を誇る。神が与えた落差だとでもいうのか、圧倒的な身体能力の違い。それに加え、シュヴィアタの民族は五感の鋭さに優れている。その中でも特筆すべきが、常人離れした視覚・聴覚・嗅覚による距離目測(ディスタンス)能力。こと戦うという事柄に対して、これ以上に特化された人種は居ない。弱点である物事の理解能力や計算能力、言語能力の低さを差し引いても十分にお釣りが来た。

 

 生まれながらにしての戦闘民族。それが「シュヴィアタ」の民だ。

 

 しかし、龍血種の少女はその力の差を見せつけられても、引く事は無かった。それどころか、先程よりも「敵意」が膨れ上がっていく。

 

 少女は衣類のポケットから赤い宝石のようなものの小さな欠片を取り出すと、口に放り込み奥歯でガリっ、とキャンディのように噛み砕いた。

 

「……「朱よりも紅く染まれ(ヴァー・ミリオン)」」

 

龍玉(りゅうぎょく)の欠片……そこまでして勝ちたいですか」

 

 彼女がそれを体内に取り込むと、彼女の髪の色が、より赤くなっていくのが分かった。(あか)というより(あか)、それほどまでに鮮やかな血の色に髪が染まっていく。

 

 瞬間、少女は動く。先程よりも速い、遥かに速い。ナナイも対応する。蹴りを受け、拳を受け、地面を蹴って、拳を放って。

 息をする()もない攻防。強い。速くて、硬くて、重い。心なしか、ナナイの方が押されていた。

 

「っ、(トリガー)ッ!」

 

「……っ!」

 

 ナナイは、この戦いで此処に来て始めて能力を使った。

 腹に力を込めての、崩拳(ほうけん)。そして、それに能力「闘気(オーラ)」を上乗せする。

 ナナイの能力は評定1、おまけもいいとこの最下位能力だ。ただ単に、肉体の強化を全体的にするだけ。他の異能者の身体強化能力と比べても、その加護は少ない。

 

 ただし、能力だけを見れば、の話である。

 

 崩拳を防御した少女は、その防御力も相まってダメージを負わない。しかし、大きく後方に吹っ飛んだ。それは、ナナイの力があればこその芸当だ。

 普通の能力者の身体強化能力がどういう物か説明すれば、「50点を80点に」。つまるところ、こういう事である。

 肉体の能力を、およそ1.5倍に。元々の肉体や能力の強さの差異があれど、評定2~3の身体強化ならそんな所だ。

 しかし、ナナイの場合は訳が違う。「100点満点を、105点に」。限界を超えた、更なる高みへ。それがナナイの強みであり、イワコフ・ナナイをイワコフ・ナナイたらしめる所以(ゆえん)であった。

 

 ナナイはアスファルトをしっかりと踏みしめ、腰を落とす。右手に、力を込める。

 

「この一撃で、貴方を確かめます。龍血種の少女、その貴方の心の強さを」

 

 右手に青色の「闘気」が溜まりきる。少女はその構えを危ないと思ったのか、その場に腰を据え、防御の体制に入る。

 

「母なる大地(シュヴィアタ)に誇りを捧げ、掲げた正当性を今、正義として振りかざさん!「生き行く者たちの戦歌(カンタータ)」ッ!」

 

「私こそは龍神(りゅうがみ)の末裔、(おう)として世に()す者だ!「王たる玉壁(ヴァン・ガード)」ッ!」

 

 青の闘気を振り抜く少女と、赤の玉壁でそれを受け止める少女。それはまるで、決して交わらぬ、陽と陰のように。二人の誇りが、その場で太極図を描くかのように衝突をした--

 

--丹羽は歩く。ピリピリとした空気の方へ、引き寄せられるように歩いた。

 道の曲がり角を曲がると、そこにはイワコフ・ナナイが空を見上げ佇んでいた。

 

「……どしたん。急に居なくなって、何か気になることでもあった?」

 

 ナナイはその声を聞くと、丹羽の方へと振り返った。いつもの無表情だ。

 

「いえ。ただ、旧友に会っただけです。すいません、仕事を放って行ってしまって」

 

 いや、少しだけ申し訳なさそうに、目を俯かせた。その頭を、ポン、と丹羽は撫でる。

 

「いーよいーよ、部下の失態は上司の失態だ。ほら、警察署で天領警部が待ってるから早く行こうか。まだ怒られるような時間じゃ無いだろう。適当、適当」

 

 怒られると思ったナナイは、予想外の丹羽の態度に安堵をした。

 

「はい、サー・ニワ。適当とは素晴らしい言葉ですね」

 

「そうだろそうだろ。終わったら晩飯食べに行く約束だったな……本当に虎肉が良いの?」

 

「いえ、気分が変わりました。中華料理が食べたいです」

 

「それはそれで困るな……まあ、いっか。どうせ食うなら美味いメシだ」



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龍神王座の苦悩

「行け」

 

 お互いの誇りをぶつけ合った、シュヴィアタの少女イワコフ・ナナイと、龍血種の少女龍神王座。その力は相殺され、お互いが後方に勢いで下がる。

 まだだ、次が来る。私はまだ、負けるわけにはいかない。私には取り戻さなきゃいけない誇りがある。父親の残した、大事な誇りがあるんだ!

 

 歯を食いしばって龍神は次の攻撃に向けて踏み込もうとしたが、ナナイはその場に棒立ちし龍神にそう言った。「行け」、と。

 

 龍神は止まった。なぜか、彼女--イワコフ・ナナイから戦意を感じられなくなった。龍神も臨戦態勢を解く。一体、何が起きているのか。

 

「貴方の心の覚悟を受け取った。貴方には貴方の中の正義がある。私はそれを邪魔したくない」

 

「……」

 

 龍神は戸惑う。この少女の心の奥底が読み取れない。彼女が、正義の味方なのだと、そんなような事は分かる。多分、彼女は自分のやっていることの素性を知っている。龍神王座が、イクシーズのヤクザの事務所を襲撃していることを。

 それを知って、尚この少女は私を見逃そうとしている。なぜだ。自分でも、こんなことは間違っているとわかっているんだ。それなのに、なぜ。

 

 ナナイは強く言う。それはまるで自分に言い聞かせるように。

 

「行けと言った!私は貴方の邪魔をしたくないんだ。今ならまだ、知らなかったで済ませられる!」

 

「……ありがとう」

 

 ナナイと名乗った少女は、強かった。恐らく、私を止めるための力を持っているのだろう。それなのに、私を野放しにした。なぜだろうか。

 龍神はその場から去る。ナナイは、私を見逃してくれる。ならば、甘えないわけにはいかない。

 私は間違っている。彼女は正しいのだろう。それなのに、なぜ。同情か?分からない。けれど分かることが一つあった。それは認めたくない事実。心の中で密かに感じていた事実。生きて行く中で、意識しないよう、それでもひしひしと、感じていた事実。

 

 私は、弱い。たった1人の、正義に勝てぬほど、弱い--

 

--龍神王座は貴族の子供として生まれた。いや、正確には、生まれたはずだった。

 王として世に座す者、故に「王座」。強く在れと想いを込められて生まれた私。生まれて物心付いた頃には、母親は居なかった。当時はそれが普通だと思っていたし、厳しくも優しい父が居たので何不自由は無かった。周りの子には、母親が居た。けれど、それはそういう物なんだと、あまり不思議には思わなかった。父が居れば、それで良かった。

 

 ある日からだろうか。父親がとても、優しくなった。常に上機嫌とでもいうのだろうか。それはとても嬉しかったし、いいことだと思った。思慮など持たぬ年齢で、それは喜ばしくしかなかったのだ。いつも私に構ってくれたし、休みの日はずっと遊んでいてくれていた。

 

 けれど、今ならその意味が分かる。父は、仕事を辞めていたのだ。無職だったのだ。

 

 どうやら、私の母親だった人が死んだらしい。私にはその意味が、よく分からなかった。知らない人が死んだ、ただそれだけだ。悲しくなんかなかったし、涙は出なかった。私に別れは訪れなかったから。

 けれど、父親は泣き狂ったみたいだ。既に別れた女性に対して。私の目に付かない所で、無残に泣いた。たまに、父親の書斎を通りかかった時に聞こえてきた、普段の優しくて厳しい父親からは到底想像できないような声。王座はその意味を分からなかった。

 

 いつしかして、父親は、酒に溺れるようになった。酔っ払った父親を見るのは、何故か好きになれなかった。なぜだろう、普段の父親とは違う雰囲気だったからだろうか。それはいつもの父親とは違うような気がして、別人に見えて仕方がなかった。

 

 そんな日が何年も続いたある日。王座も、物事がある程度分かるようになってきた時だった。それは、突然に訪れた。いや、それはいつ起きても仕方が無かったのだろう。

 

 父親が交通事故で死んだ。車に跳ねられて。原因は深夜の信号無視、父親は酒に酔って赤信号を渡ったそうだ。

 悲しかった。泣いた。その意味は分かった。父親には二度と、会えぬのだと。大きく泣いた。喉が枯れるまで泣いた。まるで自分の世界が無くなってしまったかのように泣いた。それだけ、父親が好きだった。愛していた。信じていた。それが、永遠のものなんだって。

 だからこそ、それが戻ってこないものなんだって分かって、絶望をした。諦めたかった。生きるという事柄を全部破棄して、死んでしまいたかった。取り乱して、喚いて、気が遠くなるほど、泣いた。

 

 私は恨んでいる。今、この時でも、過去からずっと。父親を死に追いやった、母親を。その顔は分からない。姿形を知らない。私がその存在を見る前に死んだのだから。生きているのだったら恨まない。なぜなら、もしそうだった場合。父は死んでいないからだ。全ては母親が死んだからだ。

 

 少し日が過ぎて、親の居ない私は親戚の家に引き取られることになる。その家は()しくも、私の恨んだ女と結婚した男の家だったらしい。その家には、私より一歳年下の、私と同じ母親の子が居た。名前はシエル。自信家で少し引っ込み思案の、掴みどころが難しい少女。

 つまり、私の母親は私を生んだ後、直ぐにこの家の男と子供を作ったというわけだ。考えるだけで頭が煮え立つ。なんという悪魔。阿呆の限りを尽くした女だろうか。そんなくだらない事のせいで、私の父親は死んだのだ--

 

--龍神は夜遅くの帰り路を辿り、自分の帰るべき場所へ付く。私の母親だった女の、最後の夫の家。

 

「ただいま」

 

 習慣のように玄関のドアを開け、そう言った。基本的には、いつも家に帰るのはシエルと一緒だった。シエルと一緒に行動をし、たまに危ういシエルを窘め、一緒に笑い、一緒に家に帰る。そのために、家のドアを開けたときはつい、ただいまと言ってしまう。

 しかし、ここ最近シエルとは一緒に行動していない。今の私にはするべき事があるからだ。シエルには言ってない。他の誰に言っても理解してくれないだろうし、どうせシエルもそうだろう。結局の所、これは私の中だけで意味を為す物だ。他の誰にも分かりゃしない。

 

 玄関を開けてすぐに、靴を脱ごうとする。しかし、気が付けばシエルが廊下の向こうから駆け寄ってきた。ドアの開閉の音を聞いたのだろうか。

 

「おかえり、お姉ちゃん。今日も遅かったね」

 

「ああ。少しな」

 

 何が、とは言わない。そう言えば、シエルは踏み込んでこない。いつもそうだ。直前の所までは歩み寄ってくる。しかし、私に気遣っての事だろう。その本筋までは聞かない。

 

「ね……なんか最近、あった?元気が無さそうだけど」

 

 どうやら心配をしてくれるらしい。先程、ナナイとの戦いで自分の無力さを分かってしまった為か、今の私はいつもより暗く見えるようだ。

 

「いや、何も無いよ。強いて言うならお腹が減った」

 

「あ!今日ね、刈谷(かりや)さんお手製のクリームシチューなんだって。お姉ちゃんが帰ってくるまで私も待ってたんだよ。ほら、食べに行こう!」

 

 刈谷さん。瀧家のお抱え家政婦さんだ。母親が居ず父親の忙しいこの家庭で、私たちの面倒を見てくれる良いおばさんだ。

 

「そうだな、待たせてすまない。行こうか」

 

 シエルは悪くない。彼女の父親も。二人がいい人なのは分かっている。頭では分かっている。

 けれど、心の中では、どうしても嫌な考えが浮かぶ。シエルの私との仲は表面上だけなんじゃないか、父親は私の母親だった女を奪ったのではないか、と。

 

 くっ、はは。もし人の心の中を読める人物が居たらそいつは私をこう評価するんだろうな。「最低な人類」と。

 

 けれど、そんな考えも、これから私が()くべき道も、決して後悔はしないだろう。そうだ、その通りなんだ王座。お前には何も無いじゃないか。この家族関係がもし上辺だけのものだったら。私の日常が偽りで出来ているのだったら。

 今はいいさ、それで楽しい。けれどそうじゃない日が来たら私は私を許せない。後悔する筈だ。「なぜあの時、ああしなかったのだろうか」と。そこには誇りを失った私の姿があるはずだ。

 

 誇りを失ったまま生き続けるぐらいなら、死んだほうがマシだ。

 

 龍神王座は命を無駄にする事など(もっ)ての(ほか)に御免だった。だからこそ、誇りを取り戻さなければいけない。彼女が彼女として生きた証を手に入れるために。

 父親の持っていた「龍玉(りゅうぎょく)」。イクシーズのヤクザの誰かが持っているはずなんだ。それを取り戻してこそ、私の人生に意味が持てる。逝った筈の、父との繋がりを!



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What do you think

「ねえ、龍神さん。今日の放課後、空いてない?みんなでカラオケに行こうと思ってるんだけど」

 

 1年1組の教室で、複数人の女子が帰り支度中の龍神王座に誘いをかける。放課後の遊びへの誘いのようだ。

 しかし、龍神はそれを断る。

 

「ゴメンね、最近忙はしくてさ」

 

「えー、ざんねーん」

 

「また今度誘うね?絶対行こうね?」

 

「ああ、また今度にね」

 

 女子達に惜しまれつつ教室を去る龍神。前は瀧と一緒に帰っていく姿をよく見たが、最近はさっさと帰ってしまう。何か用事があるのだろうか。

 

「いいよなー、龍神。あんなモテモテに俺もなりてーな」

 

「諦めろ、お前にゃ無理だ」

 

 龍神を羨ましがる後藤と、それは無理だと諭す光輝。ちなみにクリスは何やら学校の手続きがあるとかでもう教室には居ない。

 

 最近後藤が気がついたらこの教室に来ているんだが気のせいか?お前他の友達はどうしたよ。

 というか、あれは龍神だけの特権のような物だ。なんだろう、そもそもが発している雰囲気というか、帯びている物が違うんだよな。龍神と似たような喋り方の瀧が女子に特別人気かと言われればそうでもない。だが、龍神の人気度は異常だ。あれかな、服装かな。女子なのに赤シャツに学ラン、しかもボタン前開けという前代未聞の格好良いスタイルが人気なのか。

 まあ、俺は別に龍神に憧れているわけでもないので、深い考察は必要なしか。よし、帰ろう帰ろう。

 

「なあ、お前。今日空いてるか?ちょっと面貸せ」

 

 光輝もまた帰り支度をしていると、横から夜千代に声を掛けられた。何の用だろうか。しゃーない、後藤とは帰れないな。

 

「ん?ああ、いいぞ。悪い、後藤。ちょっと一緒に帰れねーわ」

 

「コーちゃんまで俺を除け者にするのか……。いいさ、俺は俺でビッグになってやるのだ!」

 

 断りを入れられた後藤は、少し拗ね気味に教室を出て行った。おう、頑張れ。声には出さんが応援してるぞ--

 

--建物と建物の間の路地裏。あろうことか、夜千代はそんなよくわからない場所に光輝を連れてきた。周りに人影は全くない。

 

「どういうつもりだよ。まさか面貸せって、対面でもやるつもりじゃないだろうな」

 

 光輝は自販機で買った缶コーラを飲みながら夜千代に尋ねる。対する夜千代もまた、壁に背中を預けて缶コーヒーを飲んでいた。戦闘の意思は一切見られない。

 

「いや、違う違う。まあ、とりあえず……あれよ。なんつーのかな」

 

「なによ」

 

 なにやら目をつぶり、首を捻ったり頭を唸らせたりして考え込むような仕草をする夜千代。一体何なんだろうか。

 

「……床屋のアレあるじゃん、クルクル回るやつ。あれさ、昔どこまで登ってくのかなー、何処に消えてくのかなーなんて思ったりしたわけよ」

 

「ああ、サインポールか。確かにあの視覚攪乱効果は目を見張るものがあるな。……そんな事を言いたかったのか?」

 

 だとしたら世間話も良いとこだ。まさしく駄弁。まあ、付き合えといえば構わないのだが。

 

「じゃなくてだな。……まあ、良いか。今から喋ることは他言無用だ。お前にだから、この場で、話す。私の憶測も含む、内容はどう捉えてもらっても構わない」

 

 神妙な、悩むような表情で光輝に念を押してくる夜千代。先程のは考えあぐねてつい繋ぎで発してしまったもののようだ。どうやら本題は大事な話らしい。

 

「分かった。約束する、信用してくれ」

 

「オーケイ、信用した。いきなりだが、今イクシーズの街は非常に物騒なんだ。報道こそ控えられてるが、警察は大忙しだ。理由は「ヤクザの抗争」らしい。なぜ私が知ってるのかは察せ」

 

「……ああ」

 

 黒先夜千代が何者であるか、その正体を未だ光輝は知らない。しかし、彼女には彼女の事情がある。だから、あえて聞かないが、彼女を信頼はする。

 そしてにわかには信じ難いが、イクシーズの街が危険な状態にあるかもしれない、という事だ。

 確かに栄えてる街なら、そういう物はあるのだろう。東京、大阪、名古屋。どこでだって似たような話はあるだろう。それはイクシーズでも同じらしい。

 だが、そんな話を聞いて俺にどうしようというのか。ただでさえ危険な話なのに、この街じゃその度合いは外とは段違いになる。なぜなら此処は異能者だけが住む社会だからだ。そんな所で抗争が始まったりしたら、それは只事じゃない。それは俺なんかにはどうしようもない。

 

「と、まあ。本題はここからだ。そんで初日の目撃情報があってな……。赤い髪の少女を見た奴が居るんだとよ。それがヤクザとどんな関係かってな」

 

「赤い髪の少女……。女、それも子供か」

 

 光輝は脳内で一人の人物を思い浮かべた。光輝が知っている赤い髪の少女と言えば心当たりは一つしかない。

 龍神王座。彼女がその能力を使った時、髪の色が丁度、黒から赤へと染まる筈だ。

 

 視界よりも脳内へ意識を集中させる光輝の眼前へ、夜千代は指を差した。

 

「お前の思ってる人物。最近様子はおかしくなかったか?」

 

 夜千代のまさかの言葉。その言葉に光輝は胸中でドキリ、とする。

 

「……って、お前、まさか」

 

 彼女が何を言いたいか、なんとなく分かった。そうだ、そうだった。

 思えば、夏休み最終日。いつも一緒だった瀧と龍神が、何故か瀧だけ光輝の家へ来て、龍神は居なかった。

 最近、龍神は他人との付き合いが悪い素振りもあった。いつもなら、誘われた物事には瀧と一緒に進んで行くような奴だった。

 一体、どういう事だ……?

 

 さらに、光輝の脳内へもうひとつの言葉がぶつかる。

 

「ちなみに、ヤクザの抗争があったっつーその日に、私は夜の街で龍神王座を見ている」

 

「……」

 

「龍神王座には、何か、大きな秘密があるんじゃないか」

 

 わからなくなる。龍神王座という少女が、ふと、いきなり。

 

 本来一歳年上という事実からかいつもは優しめの態度でいて、言葉遣いは貴族っぽく、荒っぽさのある瀧とは正反対で落ち着いていて、よくわからないファッションを好む、女子から人気のある、大人びた少女。それが光輝の中での龍神のイメージだ。

 

 それが、靄がかかったかのように霞む。一体どういう事だ。今、何が起きているんだ。

 

「……と、まあ。これが杞憂ならそれでいいんだがな。今の話は全部、重要機密(トップシークレット)だ。他人に匂わせる発言や行動も無しだ。けれど、私と龍神と、両方仲が良いお前だから聞きたい」

 

 夜千代は光輝の目を見る。お互いに、似たような目をしている。改めて感じる。俺たちは似ているんだと。

 

「お前はどう思う」

 

 希望や願望など無く、その目にはただ問いかけがあるだけだった--

 

--夜のイクシーズの街を、光輝は彷徨う。

 

 悩んでいた。龍神王座が、本当に関わっているのか?もし関わっていたとしたら、自分はどうすべきなのか?

 無視でいいのだろうか?自分に何かできるか?お前はそんなに何かを成せる程に立派な人間か?

 

 夜千代からの問いかけ。答えは直ぐには求められなかった。しかし、答えを出さなきゃいけない日が来るとしたら、それは直ぐだ。先延ばしには出来ない、だから早く答えを出さなければいけない。

 

『坊主よ、不安なのは分かる。しかし、考えすぎても気疲れするだけぞ。いっそのこと、嬢に聞いてみてはいかがかな?夜の街で、何をしていたのかと』

 

「そんな事出来んならとっくにやってるぜ……」

 

 背後霊のムサシが心の中で語りかけてくる。流石に夜の市街を、それも抗争があると噂の中でムサシの魂結合無しで歩くのは憚られた。今は仕方なく、魂結合を維持する。

 

 光輝は目が良い。それは「超視力」があるからだ。もし、この眼で今日、龍神を見たのなら。その時は絶対に聞く。現行犯だ。しかし、夜千代からの情報だけで龍神を疑い、聞くわけにはいかなかった。

 

 だって、そりゃそうだろ。俺とアイツは友達だから。

 

 岡本光輝の、数少ない友達。そんな友達は、大切にしなければいけない。

 しかし、この選択は合っているのだろうか。ムサシの言うとおり、もう確証も無しに本人に問いただしてしまえばいいのだろうか。それで違うと言ってもらえば、何の問題も無い筈だ。

 

 けれど、聞けない。

 

 後ろめたい?そりゃそうだ。もし違ったら。俺は安堵するだろう。けれど、申し訳なさもあるはずだ。人を疑うというのは、それを本人に言ってしまうのは、相手に不快感を与えるわけで。そうだよな、それは相手も自分も嫌だよな。

 

 ……違う。嘘をつくな、自分を騙すなよ。怖いんだ。もし、本当に、龍神がその件に関わっているのが。

 

 もし聞いて、龍神が本当の事を言って。それがそうだったとしたら。俺はどうする?止めるのか?何をどうして?俺は俺、アイツはアイツだ。友達だとはいえ、別人だ。アイツにはアイツの理由があるんだ。だとしたらどうする?

 

 クソ、クソ!どうすんだよ、俺!

 

「お、1年1組の岡本じゃんか。こんな夜中にどうしたんだ?」

 

「……え」

 

 気が付けば、目の前に複数の男達が立っていた。考え事で全然気にしてなかった。6人程の彼らは、カラオケかなんかの帰りだろうか。夜の街を歩いているとは遊んでいたということだろう。それともこれから何処かへ行くんだろうか。分からないが、なぜ俺の素性を知っているんだろうか。

 

 ふと、思い出す。彼らの顔を、光輝は見たことがある。同じ学校の生徒だった。

 

「……ちょっと、散歩を」

 

「へぇ、こんな夜中にねぇ。……お前、転校生のクリスさんや芸能人の一宮さんと仲が大分良いんだってな。なんでお前みたいな奴があんな美人様と仲良くなってんだ?」

 

 今の光輝はイラ付いている。龍神の事だけで精一杯なのに、そんな事をいちいち聞いてくるなよ。ああ、分かってる、理解(わか)ってんだよお前らが言いたい事は。

 

「……それはどういう意味でしょうか」

 

『待て、坊主。落ち着け、いつもの主じゃないぞ』

 

 光輝は分かっててそう言った。普段ならヘコヘコして勝手に下がって、合法的に逃走ルートを確保する。しかし今は、相手にその言葉を吐き出させたかった。もう導線は用意してある。後はお前らが勝手に火を着ければいい。今は感情を爆発させたかった。

 

「Eレートで底辺のようなお前よりも俺らのが相応しいって事だよ」

 

「ははっ、ちげぇねえ」

 

 ゲラゲラと笑う男達。楽しいねぇ、嗚呼、とても楽しいねぇ!

 

『……好きにせい。それもまた、主の道よ』

 

「お前らみたいな馬鹿が彼女らと釣り合う?ナマ言うんじゃねぇよ」

 

「--」

 

 ビキリ、と男達のこめかみに筋が浮かぶ。(いか)れ、もっと怒れよ。俺はめちゃくちゃキレてんだ。お前らが怒らねえと釣り合いがとれねぇ、キレ損だ。

 

「あ?」

 

 男達は扇状に光輝の前に立ちふさがった。光輝は今、喧嘩をふっかけたのだ。

 

 今の光輝は止まらない。感情のコントロールは出来ていない。ムサシとの魂結合がいずれ外れるかもしれない。けれど、そしたらそしたでジャックが居る。その気になればお前らみたいなミジンコを小微塵にすることだって他愛ない。

 

「ぜんっぜん、釣り合ってねえ。クリスも一宮も、立派な奴らだ。そんな彼女らがお前らと釣り合うわけがねぇ。雲の上、天と奈落だ。住む世界が次元超えて(ちげ)ぇんだよ」

 

「てめぇ……」

 

 男達の怒りが頂点に達しようとしていた。しかし、光輝の沸点は既に振り切れている。

 

「んで……そんなアイツ等に好かれてる俺がこんなにも情けない事にクソ腹が立つ!」

 

 光輝は二本の特殊警棒を抜いた。今の光輝は収まりが付かない。対面上等、六対一でもいいからかかって来い!

 

「おーおー、ロクイチか。懐かしいねェ、俺の時はジュウニイチだったっけか。まあ勝ったけどな」

 

 いきなり背後からかけられる声。皆がその方を向いた。そこには白金髪が特徴的な、一人の青年が。男たちはその姿を見て、怒りの状態を一気に萎縮させる。

 

「光輝、お前も度胸があるねェ。ま、助太刀するわ。(つれ)ェだろ」

 

 白銀雄也。対面グループ「白金鬼族」を纏める総長(ヘッド)がそこに居た。



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What do you think2

総長(ヘッド)じゃないですか。どうも」

 

 隣立つ白銀に光輝は挨拶を交わす。まさかの助っ人だが、今はそんな事で驚いている余裕などない。本当は一人で相手六人に挑み全員を殴り倒してやる予定だったが、この際なんでもいい。手伝ってくれるというのなら、好きにしてもらおう。

 

「白銀……雄也……」

 

 ギリッ、と歯を食いしばり、男達は白銀の方をまるで恐れるように見る。……いや、恐れているのだろう。今から始まろうとしていた六対一の対面、それが六対二になるという事。数だけ見れば男たちは優勢だ。そもそもEレートの岡本光輝は無視していいと思えるレベルにまで弱いハズだ。

 

 だが、そうはいかなくなる。どうやら、岡本光輝と白銀雄也は知り合いらしい。そして、岡本光輝に白銀雄也が手を貸すということ。男達対白銀雄也の構図、必然的にそうなる。

 白銀雄也。最早、イクシーズに住む少年たちの中で語られる、伝説のようなもの。評定2の防御系統のスキルを持ち、スピードはとにかく遅い。しかし圧倒的なタフネスと、それから放たれるパワーは人間のそれでは無いと言われるほど。例えるならその様は「戦車」。一発を撃たせるとそれだけで敗北が確定する、そんなような人物。Sレートの「熱血王」厚木血汐にも勝ったことがある、(オトコ)の中の(オトコ)

 

 バキ、バキと白銀は拳の骨を押して鳴らした。それは、男たちにとってはまるで警報のようにも聞こえる。

 

「さて……準備はいいゼ。いつでも来いや」

 

 瞬間、彼から感じる威圧感が膨れ上がる。闘士がむき出しにされている。それはまるで眼前に日本刀を持った侍が居るかのような感覚。特に構えというものは無い。白銀雄也はそこに立っているだけだ。なのに、こんなにも--恐ろしい。

 

「……すいません。俺らが悪かったです、勘弁してください……」

 

 気迫に耐えようがなくなった男達の一人が、そう発した。無理もない、対面でSレートにも勝った人物だ。雑兵が束になって勝てるような相手じゃなかった。だとするなら、素直に引いた方が利口だ。

 どうやら発した男以外もそう思ったらしく、次々と身を引いていく。気が付けば零対二。勝負になっていなかった。

 

「はぁーっ、なんだよ意気地なし共め。根性ねーな。いいよ、とっととどっか行け。今日はそのまま帰してやる。ただ、俺の友達(ダチ)に何かしようっつーんなら話は別だぞ」

 

 白銀はため息を吐く。どうやら、よほど戦いたかったようだ。手をしっしっ、と男達に振り、彼らを退散させる。

 

「……総長が出てきたから憂さを晴らす相手が居なくなったじゃないですか」

 

 横目で白銀に不満をぶつける光輝。まさか、相手全員が逃げ出すという結果になってしまうとは。先程まで憤っていた感情の行きどころがない。

 

「すまんな、どうも近頃のガキどもは無謀というものを知らんくて困る。やりたっかたなぁ、対面。今日予定無くて暇なんだよ」

 

 白銀は頭を掻く。かくいう雄也も折角の対面を逃して意気消沈しているようだ。

 

「……ま、いいですけどね。総長(ヘッド)友達(ダチ)って俺の事ですか?」

 

「ん?それ以外に何があるよ。翔やん好きなら友達(ダチ)だろ?」

 

 ……そんな決め方があっていいのだろうか。まあ、とりあえずここは受け取っておくか。

 

「それと、総長だなんて呼び方じゃなくていい。雄也って呼んでくれや、光輝」

 

「あ、はい、雄也さん」

 

「うし、そんでいい。暇だしなんか喋ってこーぜ、デカビタなら奢るからよ」

 

 そう言って雄也は近くの自販機を指差す。妙な事から光輝は白銀を世間話をしていくことになってしまった--

 

--ビン製の容器に、アルミのキャップ。いかにもな「元気ドリンク」、炭酸飲料デカビタだ。白銀はあろうことかその一本をごっごっ、と喉を鳴らしながら一気飲みし、ふぅ、と息を付く。

 

「やっぱ夏はこれよなー。いつの時期飲んでもうめーけど」

 

「はい」

 

 いやいや、あんな刺激物を一気飲みして「ふぅ」で済むわけが無い。ゲップも声も無い、これが「不屈のソウル」の副産物なのだろうか。なんとも理解(わか)り難い。

 

 まあ、光輝はコーラのが好きなんだが。なんといっても、そのコストパフォーマンス。

 

 言ってしまえば、元気ドリンクとは割高だ。リアゴにしろ、オロCにしろ、その容量で法外な値段設定を持っていく。それは清涼飲料水の値段ではない、栄養ドリンクに近しい値段なのだ。現に、自販機でコーラの容量が350なのに対して、デカビタは210だ。1.5倍以上の差がある。

 

 そんな事はさておき、先輩の言葉にいいえは無い。なので、デカビタのキャップを開けて一口。……うまい。一言目の感想はそれに尽きる。

 なんと言っていいのかわからない、甘さ。炭酸、酸味、甘味が程よい具合に調整された、最良の味に近い一口。味だけで言えばコーラを凌ぐかもしれない。なるほど、これはロングセラーヒットを誇るわけだ。もしこれがコーラと同じ容量なら、光輝は間違い無く此方を買う。

 しかしそれは技術の結晶、そうはいかない。味が優れているだけあって、値段は割高だ。故に光輝はコーラを優先する。だが、他人に奢ってもらうというなら、元気ドリンクもまたアリだろう。

 

「ところで、今日は夜千代と一緒じゃないんだな」

 

 いきなりの話題。此処には夜千代は居ない。というか、それもそうだ。

 

「雄也さんは俺とアイツをなんだと思ってるんですか。そんないつも一緒に居る訳ないじゃないですか」

 

「ん?お前の女じゃないのか?夏祭りん時も一緒に来てたろ」

 

 白銀は右手の小指を突き立てる。デカビタをブーっと、空中に霧散させる光輝。やめて、これを俺の持ちネタにさせるのやめて。つか、あの時見てたのか。

 

「ち、違いますよ。あいつは友達(ダチ)ですよ、ただの」

 

 光輝は否定する。だって、実際違うのだ。夜千代は友達、それ以外は有り得ない。

 

 しかし、雄也は腕を組み首を捻る。なんでしょうか、何か引っかかるものでもあるのでしょうか。

 

「でもよ、女が友達だとして、なんかこう、ふとクる事無いか」

 

「……クるってなんですか」

 

 なんとなくわかってはいるが。この人は何を言い出すのやら。

 

「例えばよ、スカートが翻った時に足の付け根が見えたりとか、服がなんかの拍子に捲れてうっかり腹部が見えてときめいたりとか。なんねーか?ならねーならそいつは男失格だと思うんだが」

 

「いや、それは--」

 

 光輝は思い返して、それが失敗だと分かった。

 脳内に浮かぶのは夜千代の薄着の姿。黒いシャツに、白の下着。その眩い情景が脳裏に蘇り、血流が活発になる。

 

「--な?」

 

「な、じゃないですよ。そんでも、アイツは友達です。それ以外のなんでもないですから」

 

 そうとしか返しようがない。夜千代はあくまで友達だ、性的に意識する事はあってもその線は引いてある。アイツ自体、俺の事をせいぜい気の合うやつぐらいにしか思っていないだろうし。うっかりそういう目で見てることがバレたら投げ飛ばされるだろう。

 

「ほーん。まあ、いいわ。光輝、お前って男と女の間に友情って芽生えると思うか?恋愛感情抜きで」

 

「男女間での友情、ですか」

 

 ふと考える光輝。思えば、光輝の友達は男よりも女が多い。男は後藤と白銀くらいだろうか。他は多いとは言えないが、女ばかりだ。ホリィに、瀧に、龍神に、夜千代に……。クリスと星姫は、まあ、友達か。

 ならば、芽生える筈だ。こんな最弱最低な人間にできる数少ない友達達だ。それは他人でも同じことだろう。

 

「芽生えるんじゃないですかね。俺はそう思いますよ」

 

「なるほどねェ。ありがとよ」

 

 そう言うと白銀は自分のデカビタのビンをゴミ箱に捨て、一歩踏み出す。

 

「いい意見が聞けた。またな」

 

「それはどうも」

 

 そして、白銀はその場を去った。

 

 ……そうだな、俺の数少ない友達、なんだよな。

 

「行くか」

 

 光輝もまた、足を踏み出す。決めた、龍神に会いに行く。話をしたい。白銀雄也の持つ不思議な力だろうか。彼は人をその先へと引っ張っていく、そんな力がある気がする。

 

『なんだか先程よりもすっきりしたような顔をしているのう』

 

「馬鹿言え、まだ不満たらたらだ。今からそれを払拭しに行くんだよ」

 

 龍神に聞いてしまおう、その上で決めよう。余計な事を考えるな、とりあえず今は踏み出そう。

 そうだ、クリスに連絡しておかないとな。もう少し遅れるって--

 

--何だ……一体どういう事だ?

 

 龍神に会うために瀧の家を訪ねた光輝は、今脳内で処理出来ない状況に見舞われていた。

 

「岡本くん……、お姉ちゃんが……お姉ちゃんが……っ」

 

 インターホンを押そうとした光輝だが、門の中--玄関の前に膝を着いている人物に気がついた。

 瀧シエル。龍神の妹であり、この家の娘。イクシーズの中でもトップクラスの強さを誇る、暴走特急。

 

 しかし、様子が変だった。瀧は光輝の姿を見ると立ち上がって光輝に駆け寄り、その胸に泣きついた。その姿に、崩れた表情に、言葉にいつものような威圧感は無い。本当に、彼女は瀧シエルなのだろうか。

 

「待て、落ち着け。冷静に話せ。……龍神がどうかしたのか」

 

 光輝の中で、何かがざわつく。何か、良くない事が起ころうとしている気がした。



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龍血種 龍神王座

「今夜は雨か……」

 

 携帯電話からアクセスしたサイトの天気予報を見て、微妙な気分に陥る龍神王座。

 雨に濡れるのは嫌だ。しかし、さほど支障が出るわけではない。王座は今日も、イクシーズの夜の市街へ出向こうとしていた。

 

 携帯電話を閉じ、赤いシャツの上から外行きの黒いジャケットを羽織り、ボタンを閉じる。この黒と赤のファッションは、父親が好んで選んでいたカラーだった。夜の街にも紛れやすい、ブラックアンドレッドの吸血鬼(ヴァンパイア)カラー。伝説上の怪物に(あやか)った、ハードボイルドスタイル。

 

 今日も義父は居ない。仕事が忙しいのだろう、日頃から家を開けている。その代わりに家政婦を雇ってはいるが、一人だけの家政婦は家事に忙しい。目を欺く事は容易い。

 玄関で靴を履き、外に出ようとする。傘は、要らないか。邪魔になる。帰ったら、熱いお風呂にでも入るかな……今日も無事に帰る事が出来たら。

 何、心配無い。私は一人じゃないさ。いつだって味方が居る。私が弱くても、不可能じゃない。それに、お守りがある。

 

 王座は黒のロングパンツのポケットに手を突っ込む。そこには、いくつかの欠片が。「龍玉の欠片」。これがあれば、「龍血種(ヴァン・ドラクリア)」はその真の力の断片を見せることが出来る。生前父親から渡された、お守りだ。それをひと握りして、胸に当てる。

 

 待っていてください、父さん。貴方との誇りを、私は絶対に、取り戻してみせます。

 

「お姉ちゃん、今日は雨だよ。外に出ると風邪引くよ?」

 

 背後から掛けられた声。シエルだ。王座はその手を違和感の無いようにポケットに突っ込み、振り向いた。

 

「……いや、なに。友人との約束があるんだ。直ぐ帰るよ」

 

「……そう」

 

 聞き分けの良いシエル。一度外に出れば縦横無尽を行く彼女は、王座の言うことはすんなりと聞き入れる。果たしてそれは、何を意味してのことだろうか。

 

「……傘は?」

 

 手ぶらの王座に対しての言葉。当然だ、不思議に思うはずだ。しかし、王座は断る。

 

「いらないさ。直ぐに帰る」

 

「持っていくだけでも、お得かなって」

 

「濡れるのもまた、オツだろう。今日は雨に打たれて行きたくてね」

 

 嘘だ。雨に打たれたい日なんて、あるわけがない。けれど、なんだかんだと理由をつけてやればシエルも納得するだろう。

 

 そう思った、いつもそうだった。今日もそうだと過信していた。

 

 けれど、今日は違った。

 

「おかしいよ。お姉ちゃん、雨嫌いなの知ってる。自慢の髪が痛むって」

 

「……」

 

 王座は無表情。シエルの顔が不安を帯びていく。

 

「最近、お姉ちゃんおかしいよ。何かあったの?」

 

「馬鹿だな、シエルは。私は普通だよ」

 

「嘘ばっかり。ポケットに入れてるの、龍玉の欠片だよね。私も分かるよ、龍の子だから。そんなの持って何処に行くの」

 

「……フン」

 

 シエルと王座は、同じ母を持つ者だ。とは言え、シエルの龍の血は薄い。そうばっかり思っていたが、これは見誤った。まさか彼女に、龍玉を感じる力があったとは。

 龍の血族にとって、龍玉とは力の源。故に、その多大な気を感じる事が出来る。王座は、それを使って龍玉を探していた。

 

「……ねえ、私も着いていくよ。何か大変だったら、私も力を貸すよ。聖天士の称号だって、伊達じゃないし」

 

「いい加減にしろ」

 

 静かに、しかし怒鳴るように言葉を放った王座に、シエルはビクっ、と心臓を跳ねさせる。

 

「シエル、良い子だから家に居ろ。私は用事がある。お前が来たら邪魔なんだ」

 

 そう、シエルが来たら邪魔なのだ。これは王座が抱える問題であり、シエルは一切関係無い。

 

 しかし、今日のシエルは引き下がらない。

 

「……嫌だよ。お姉ちゃんにもしもの事があったら嫌だから。私、お姉ちゃんより強いし。私がお姉ちゃんを守って……」

 

 その言葉を聞いた瞬間、王座の中で何かがブチりと切れた。

 

「そうだな、お前は私より強いな。けれどお前がそんなにも強いから私が苦しんでいる事になぜ気が付けない」

 

「……え?」

 

 困惑の表情になるシエル。そこにいつもの強気は無い。

 

「いつだってそうだ、お前は私に出来ない事を次々とやってのける。お前はなぜそんなにも強い。私は純正の龍血種、お前はその末端に過ぎない。なのに強すぎる。お前がそんなに強いことが、私は許せない」

 

「ご、ごめんなさい、そんなつもりじゃ……」

 

「お前はいつだって私の心に踏み込んで来ないようで、心の玄関を土足で塗りたくる。直前までは関わろうとしてくるのに、私が嫌がる素振りを見せればお前は引き戻す。私はいつだってお前の本音を聞きたかった。あれか?私とお前は所詮血が半分しか繋がっていない偽物の家族なんだな?だから言ってくれない、私はそれがいつも嫌でしょうがなかった。お前との関係が偽物に見えてしょうがなかった。それを今更家族気取りか?ご機嫌取りか。ああ、うっとおしい。お前は本当にうっとおしいな、シエル」

 

 心に抱えてた不満がポンポンと出てくる。全部本心だ。私はこんなにも、彼女が嫌いだったようだ。

 

「お前、昔と口調が変わったな。私の真似か?外でだけ使って何故家で使わない。私に申し訳が立たないからか。どこまでもお前は私をおちょくる。私の個性を奪って優越感にでも浸りたいか。私には何でもできます、お姉ちゃんより上なんです、ということか。はは、その通りだよシエル。お前は万能、いや全能か。対して私は無能だ。Bレートの姉とSレートの妹。世間からの目もお前に向いている」

 

「--」

 

 最早、シエルは無言だ。言葉を発せず、ただただその場に立ち尽くす。耐えているようだが、その瞳からはじわりじわりと涙がこぼれ出す。

 

「私はお前が嫌いだ。大っ嫌いだった。今日限りでお別れだ。じゃあな、シエル。二度と顔を見たくない」

 

 王座はそうして、家を出て夜の街に姿を消した。シエルは、動けない。その言葉の意味が理解しきれず、しかし動けなかった。ショックだった。好きな姉が、溺愛していた姉が、自分の事を嫌いだったという事実。その衝撃で、シエルはその場に立ち尽くしていた--

 

--「ふーん。龍神が、そんな事をねぇ」

 

「私……お姉ちゃんに嫌われてたって……どうしよう」

 

 光輝は瀧家の玄関前で、シエルから事の全てを聞いた。なるほど、結局龍神は家を出て行った訳か。

 話からして、龍神は家出のような物か。思春期のお子様ならよくある事だろう。しかし、親と喧嘩じゃなくて姉妹喧嘩とは。なんとも馬鹿馬鹿しい。

 泣きじゃくる瀧の顔を、光輝はただただ見ていた。

 

「光輝っ、迎えに来ました!」

 

 光輝はギョッとする。電話で「瀧の家に行くから遅くなる」と断りを入れたのだが、まさかこの場にクリスがやってこようとは。

 

「おう、クリスか。わざわざ傘持ってきてくれたのか……ちょうど、雨が降り出してきたな」

 

 空からポツ、ポツとついぞ雨が降り出した。ああ、だるい。非常に、だるい。こんな日に限って雨が降ってくるだなんて。ああ、これだから秋は嫌だ。クリスとのロンドンでの一件も秋であり雨だった。とてもだるい。

 

「まだ、用事は……って、どうしたんですか、瀧。……泣いているんですか。大丈夫ですか?」

 

 クリスは目を腫らして泣いているシエルの顔を見て、心配そうに声をかける。大丈夫な訳が無い。瀧の心は今、非常に脆い。

 

(わり)ぃ、クリス。瀧の面倒見ててくれ。ちょっと出てくる」

 

 光輝はそう言うとクリスから二本の傘を受け取り、背を向ける。クリスはその背中を見やった。

 

「えっ……何処へ?」

 

「大馬鹿野郎をふん縛って連れ戻しにだ」

 

 ああ、だるいだるい。なんで俺が他人の姉妹喧嘩にまで手を出さなきゃならん。これも全て龍神、お前が悪い。溜まっていた憂さはもう全部お前で晴らすからな。

 

 心の中の不満のぶつけどころを見つけ、雨の夜を光輝は歩き出した--

 

--ついに雨は本降りだ。雨に濡れるのをお構いなしに、王座は夜の市街の裏道を歩く。大雨の中、好き好んで街を出歩く人間は居ない。車の通りは無く、人影は一切無い。

 

 目の前に立った一人の少年を除いては。

 

「……やあ。奇遇だな、岡本。こんな雨の中どうした?」

 

 傘を差した光輝が、王座の前に立っていた。そのもう片方の手には、余って閉じられたもう一本の傘がある。

 

「ああ、よう龍神。いや、友達に会いに来たんだがな、こんな雨とは。約束もすっぽかすまであるか。……やるよ、傘。風邪引くぞ。帰ろうぜ」

 

 光輝は傘を差し出す。しかし、王座は受け取らない。

 

「いや、私は良いんだ。用事があるからな」

 

「ヤクザの事務所の襲撃か?」

 

「--」

 

 瞬間、無言になる王座。命中(ビンゴ)。それは、光輝にとって肯定を意味する。

 

「図星か。表情でわかるぜ、俺はEレートだけど目だけは良いんでね」

 

 そして光輝は差していた傘を後ろに放り投げ、手に持った閉じられた傘で王座に殴りかかった。

 

「『剛の一太刀』」

 

「--ッ!?」

 

 王座は髪を赤く染め、腕でそれを防御する。振り抜かれた傘は、防御を貫くこと適わずへの字にひしゃげる。

 光輝は使い物にならなくなった傘をしげしげと見つめると放り捨て、新たに二本の武器を構えた。黒い、鉄の武器「特殊警棒」。二刀流だ。

 

「殴ってゴメンな。とりあえず謝るわ。だから家に帰って瀧に謝れ。っていうか、こっから先は通さねぇ」

 

 王座は状況を把握した。岡本光輝はどうやら諸々の事情を知っているようだ。かと言って、今更引き戻すわけにはいかない。

 

 ポケットから龍玉の欠片を一つ取り出し、ガリッと噛み砕いて飲み込む。「朱よりも紅く染まれ(ヴァー・ミリオン)」。龍玉そのものによる完全なそれとはいかずと、この状態なら身体能力は余裕でSレートに到達する。Eレートを軽く捻るなら十分だろう。

 髪をより紅く染めあげ、王座は懇願するように光輝を見据える。友達を傷つけたくはない。

 

「後生だ……そこを退いてくれ、岡本」

 

 対する光輝はイラついた表情で王座を見据える。目の前に居る、正真正銘の大馬鹿野郎を。

 

絶対(ぜってー)()だ」



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龍血種 龍神王座2

 闇深き降りしきる雨の夜。誰もが外には出たがらぬ夜。

 当たり前だ。こんな大雨の中に、外に出て良い事など一つもない。家の中で素直に過ごすのが常套だろう。

 

 しかし、そんな雨の中。不思議な事に二人の若者はそこに居た。誰の目にも届かぬ市街地の裏道。一人の青年は二つの鉄の棒を両手に握り締めた少年。濡れることなどお構いなしだ。もう一人、少女は黒衣に身を包み、その髪をまるで血の雨でも浴びたかのように赤く、紅く染め上げ、目の前の障害に襲いかかる。

 

「アアァッ!」

 

 咆吼し、地を駆け、速度を乗せたミドルキック。王座は、龍血種(ヴァン・ドラクリア)の身体能力に龍玉の欠片の力を上乗せした暴力を奮う。

 

「チィッ!」

 

 対する光輝は、超視力と「ムサシ」の身体フィードバックを得て特殊警棒でそれを防御する。勿論、それで止まらない。蹴りを始点として拳、拳、膝、肘。次々と飛んでくる致死量にもなりうるそれを、二本の特殊警棒で()なす。ムサシの能力「二天一流(デュアルアクション)」があればこその鉄壁の布陣。

 

 しかし、光輝は戦慄する。これまでに龍神王座が能力「龍血種」を使ったのは何度も見てきたはずだ。勿論、その状態が強いのは知っているし龍神王座という人物を舐めていたわけじゃない。だが、今はこう思っていた。

 

 なんだよこの化物は!?

 

 これまでと格段に違って速い、硬い、重い!視認して、防御するので精一杯。隙を見つけて一撃を打つことなど不可能。瞬間、防御のガラ空きになった箇所を突かれて終わりだ。

 

 王座のレートは知っている。スキル4、他2のBレートだ。強くはあれど、その存在が驚異に成りうるかと言われればそうでもないような、そんなレーティングのはずだった。

 だが今この目に映る目の前の少女は違う。何をどう視ても驚異。油断などしてみろ、その瞬間命は刈り取られその身は血の海に沈む。どう厳しく見積もっても、Sレートに余裕でくい込む存在だった。

 

 だから逃げ出す?死ぬのなんてまっぴらゴメンだ。一番(せい)に近しき方法は、今この場から逃げ出す事だ。

 

 ――冗談じゃない。そんな選択肢あってたまるか。

 

「何の目的があってヤクザの事務所なんかに!そんなに大事な物があるのかよ!」

 

 腕で攻撃ができないなら口を動かす。王座の理由を知りたい。

 

「お前には関係無いだろう!これは私の問題だ!」

 

 返す龍神。聞く耳を持たない?いや、返してくれるだけで十分。一番怖かったのは、沈黙の中で一方的に動かれること。

 

「ざけんなよ!友達(ダチ)を心配して何が悪い!」。

 

 それが本心なのか偽りなのか光輝にですら分からない。自分の心を理解している暇など、超視力による思考高速化をもってしても無いからだ。だが、(かた)りかけなければならない。(かた)りかけてでもいい。目の前の紅い悪魔(ヴラッド・デビル)を止めるためにはどんな事でもする価値があった。

 

「っつ……!?」

 

 そして、それは有効だった。目に見えて、王座の動きが鈍る。その隙を付いて、光輝はここぞとばかりに特殊警棒を龍神の脇腹へ振り抜く。

 

「ぐぅっ……!」

 

 硬い肉体であれど、ダメージは通った。王座は苦痛の声を漏らす。光輝は追撃をしない。距離が少し離れ、その場に立ち止まる。

 

「なあ……龍神。俺はお前と戦いたくないんだ。一緒に帰ろう。瀧が、クリスだって、お前を心配してる」

 

 これは精神攻撃だ。相手の心の底へ、蝕むように釣り針を引っ掛ける。岡本光輝の常套句、他者を「騙る」。

 

 勿論それは、真っ赤な嘘ではない。しかし、心の底からの言葉じゃない。今理解した。光輝は、目の前の龍神王座という少女を、ただ今「懐柔」したいだけなのだ。最優先事項がそれなのだ。

 他に考えることなんてない。そんなもの、後で全部考えればいい。今一番大事なのは龍神王座をなんとしてでも連れ帰ること。それだけに全部を注げ。瀧との仲直りは、その後でいくらでもできる。そもそも、戦えば戦う程光輝は不利になる。戦力が違いすぎるのだ。

 

 故に、「騙る」。嘘ではない、「騙って」いるのだ。正義じゃなくていい。しかし、己の義を貫き通す。

 

「頼む、龍神」

 

「……」

 

 互いに動きが止まり、沈黙。そこにはただ、(したた)かな雨粒がアスファルトを無限刹那に叩く音だけが聞こえて。それはまるで時が静止したように、この雨がその時間を切り取っているかのようにも感じた。

 

「……私に残された物。それは……」

 

 少しして時が動き出し、王座は語る。

 

「逝った父が残した「龍玉」だけだ。それが私と父を繋ぐ(ほこり)だ。それがこのイクシーズの中に、異能者のヤクザが持っているんだ!」

 

 王座は自分の親指の腹を鋭い犬歯で噛み、皮膚を破る。そこから、赤い血がドロりと流れ出す。

 

 まずい、失敗か。王座はまだ戦う意思を失っちゃいない。

 

「私は()かねばならない!それが私の生きる意味だと知った!「九死座す宝刀(ヴラド・ツェペシュ)」!」

 

 親指から流れ出た血が膨張し、(いびつ)に拡散し、姿を形取(かたちど)る。それは、一メートル近くある大きな赤い「七支刀(しちしとう)」--いや、違う。刀の主身から左右に4本ずつ枝分かれしたそれは、「九支刀(きゅうしとう)」とでも呼ぶべきか。

 

 王座は握り締めたその剣を光輝に向ける。王座の瞳は揺らげど、光輝を見据える。

 

「邪魔だ……岡本光輝ィ!」

 

「--ああ、分かったよ、お前って人間が。龍神王座っつー人間が理解(わか)っちまった」

 

 叫ぶ王座に対して、光輝は静かに。理解った、というよりは、岡本光輝は知っていた。今更の事を、言葉にして吐き出すだけだ。

 

「馬鹿は死ななきゃ治らねぇ。大馬鹿野郎でも半殺しにしたら半分治んだろ。なぁ」

 

 王座は馬鹿だ。大馬鹿野郎だ。何をしてまでそうも死に急ぐのだろうか。そんなに日常が不満なのだろうか。

 なら半殺しにして無理矢理帰らせる。元々、そのプランは予定していた。王座を御せれると、そう思っていた。しかし予想外の出来事。王座は予定より強かった。当然、勝つこと叶わず。故に騙り落としに移行し--失敗。だったら、ごり押すしかない。目には目を、歯には歯を。此方も予想外をぶつけるしかない。

 

 ビリー、感情のコントロールを頼む。「フルマイナス」だ。

 

『分かったよ、コウキ。精々、脳を壊さぬよう努力してくれ』

 

 心の中でつぶやき、岡本光輝は「ムサシ」との魂結合を解除、別の潜伏霊「ビリー」との魂結合を行う。光輝の中の「二天一流」が無くなり--そして一度、能力が「超視力」だけになる。身体フィードバックも失い、無防備。

 

「なあ、龍神。お前、自分が死に向かっているって自覚はあるか?」

 

「……何?」

 

 しかしここで光輝は時間稼ぎ。「ビリー」による感情のコントロールを完成させる為に、龍神に再び騙りかける。

 

「その龍玉ってのを手に入れて、どうする?仮にお前が強奪に成功したとしよう。それは窃盗だ。出張ってくるのは相手のヤクザだけじゃない、警察も絡んでくるだろう」

 

「強奪も何も……あれは元々私達の物だっ!」

 

 いきり立つ王座。しかし光輝は話を続ける。

 

「そしたらお前はどうするんだよ。捕まって、再び龍玉は没収されて。あらら残念、欲しい物は手に入らず犯罪者になったという結果が残る。それで満足か?」

 

「馬鹿か。逃げるに決まっている。龍玉を手に入れた龍血種は無敵だ。どんな敵が相手だって、私は薙ぎ倒してみせる」

 

 尚、強気の王座。なるほど、そりゃその選択肢を選びに行くわな。けれど甘甘だ。いや、わかっているんだろうそれは。

 

「だから死に向かって行ってるっつーんだよ。相手は一人じゃない。それこそ天領牙刀や三嶋小雨、多くの強者がお前の行く手を阻む。ただじゃ済まない」

 

「構わない」

 

 そこまでは読めている。今の王座はとても強情な子供のようなものだ。なら、理詰めで限界まで引落してやる。

 

「そして--瀧はお前側に付くんだろうな。瀧シエルは龍神王座が大好きだ、愛している。ははっ、二人揃って大罪人だ!天使と悪魔、揃ってしまえばそれは壮観。最早イクシーズ内の問題じゃない、世界戦争だ!--けれどまあ、二人共死ぬんだろうな」

 

「--ッ!」

 

 呆れ言うように締める光輝、そこで目を見開く王座。そうだ、それでいい。言葉でこそ「大嫌い」と言えど、これまで共に過ごしてきた家族の筈だ。ほんの少しでも、情さえあれば。

 

 王座の心を弱らせる。この状況を作り出してしまえば、可能性は見えてくる。そして、時間稼ぎは十分終わった。さあ。

 

「だから、お前を半殺しにしてやる。そうすりゃ先には進めないだろ。良かったな、命が助かるぞ」

 

 そして、光輝に再び「ムサシ」が魂結合される。今の光輝の能力は「超視力」と「二天一流」、そして「神の手」と「黒魔術」。正確には、「超視力」以外の三つが目まぐるしく発動と解除を繰り返していた。

 

『人間は感情で生きる生き物だ。感情で人は弱くなり、また感情で人は強くなる。彼女の心の隙を作りつつ、君を高めろ』

 

 そう、最低に最低の最も最低な戦い方。故に「フルマイナス」。岡本光輝は今、形振り構わない。



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逝き征く者たちへの凱歌

「光輝は大きくなったら、何になりたい?」

 

「父さんみたいに、自分に満足の行く仕事ができる人間になりたい」

 

「はは、そりゃ嬉しいな」

 

 岡本光輝が超視力により幽霊を視ることが出来るようになったのは、父親が死んですぐだった。今でも、なぜそうなったのかは分からない。ただ、急にそうなったのだ。幽霊には法則性があるようで、少なくとも未練が無いとこの世に留まりはしないようで。

 

 きっと、父に未練は無かったのだろう。

 

 なんで……なんで自殺なんかしたんだよ……馬鹿親父……--

 

--「シエルがどうしようと……私の意思は変わらない!私が望むものは誇りだけだ!」

 

 王座は狼狽えど、止まらない。自分の中の感情に、正直に進む。彼女にとって、それが一番正しいのだと。

 巨大な紅い色の九支刀「九死座す宝刀(ヴラド・ツェペシュ)」を右手で握り締め、それを軽々と振り回す王座。紅髪の少女のその姿は他者から見れば異様ではあるが、龍血種が持つ怪力ならなんら不思議な事ではなかった。

 

 対する光輝は、威力と速さが伴うその大剣を二本の特殊警棒で去なす。リーチと攻撃範囲でこそ負けるものの、手数では完全に上回っている。なぜなら、今の光輝には二刀流をいとも容易くこなす「二天一流」に、腕先を高速化する「神の手」の二つがある。九支刀の複雑な(きっさき)も、能力をフルに活用して難なく止められる。問題は、必殺の間合いに入れない事か。王座も戦いというものを分かっており、自分の得意な間合いを大事に保っていた。

 

「考えても見ろ、お前が死んで、瀧が死んで、何人の人間が悲しむ?女子からいっぱい好かれてたろ、全部台無しにすんのか?」

 

 このままじゃ埒があかず、光輝は彼女を否定する。直接ではなく、やんわりと。頭ごなしではなく、優しく闇に包み込むように。

 説得とは、相手を理解しつつ否定してやらなければいけない。意図を飲み込んで、その上で違うんじゃないか?と言ってやるのだ。その点の話術は、光輝は得意だ。なぜなら他人という物が嫌いだから。そして他人が嫌いな自分が大嫌いだから。社会を他人と関わらないようにのらりくらりと生きて行く上での必要な処世術、それは皮肉にも他人という物を理解し、かつ考察することだった。

 だから、人がどんな事を言われれば気分が良くなるのか、またどうすれば気分を損なわずに断りを入れることができるのかなど光輝にとってはお茶の子再々だった。

 

 そして今必要なのは、彼女を煽り、彼女を受け入れ、彼女を否定すること。彼女の中の固定観念(アイデンティティ)をぐちゃぐちゃに瓦解させ、感情を惑わせるのが光輝のするべき事。そうしてやれば、人は自分を信じれなくなる。そしてそれは意思の強靭(つよ)さに直結し、心が乱れ実力を発揮できなくなる。

 

 本番に強い人間、とは持て囃される。それは凄いことだと。逆に言えば、「本番に弱い人間」はそれに比べて遥かに多い。本来、人とは心弱き者……要は心の持ち用。光輝が行う「感情のコントロール」とは、その理論に根ざすものでもあった。

 

 心を瓦解させることができたなら、人間ほど脆い物はない。感情を持ってしまったが為の欠点。獣とは違う、考える葦に存在する強さと弱さを兼ね備える心という矛盾。

 

「お前が居なくなったらクリスは悲しむ。後藤だって、ホリィだって。大罪人龍神王座は悪徳(ピカリズム)の限りを尽くし正義の味方に倒されてしまいました。めでたしめでたし」

 

「大いに結構だ、私はそれでいい!」

 

「なわけねーだろ馬鹿。誰も救われねーそんなトゥルーエンドあってたまるか」

 

 あえて光輝はここでトゥルーエンドと称した。王座にとってはそれが正しい道なのだろうから。けれど、光輝はそんな正しさは糞くらえと思っていた。

 

「誇りまみれのそんなもんより、泥臭いノーマルエンドの方がよっぽどいいさ。誰も悲しまない、得もしない。なんかさ、いつもどおりに食って、寝て、遊んで。そんな日常的なんで一つどうだ?」

 

「……っ」

 

 王座の躊躇。揺らぐだけ揺らぐがいい。その間に、お前の決意はどんどん弱っていく。現に、彼女の剣技は先程より衰えるばかり。

 

 別に裏などとっちゃいない、王座が死んで誰かが悲しむなど。まあ、嘘八百とは言わない、口からでまかせというわけでもなく、なんというか。まあ、それっぽい事をつらつらと並べて行けば人は釣られる訳で。今はそれしかないのだ。

 

『まだだ、もっと彼女の心を陥れるのだ。いくら君の体が身体フィードバックと「黒魔術」の闇の障壁に覆われているからといって、運悪く彼女の一撃をもらったら体は八つ裂きだ。それこそ、「フルマイナス」が切れた時なんて目も当てられない』

 

 わかってるっつーの、ただ今で精一杯なんだよ……!

 

 ビリーからの忠告。「フルマイナス」は、無敵じゃない。自分の感情を「ビリー」に無理矢理操作させて、強引に能力の引き出しを重ねてるだけだ。

 勿論、長く続く訳が無い。タイムリミットは短く、いつ心が壊れて使い物にならなくなるか分からない。恐らくそうなる前に「ビリー」が感情のコントロールを解除してくれるが、それはつまり無防備を晒すことになる。瞬間的に憑依を波長が合いかつ能力の高い「ジャック」か「ジル」に変えれればいいのだが、そうもうまくいくわけがない。だから、早く勝たねばならない。

 かと言って功を焦れば、全部台無しだ。慎重に、王座の心の隙間を縫うように。完全なる陥落は有り得ない、この一太刀を届かせる時が来ても、果たして龍血種の装甲を抜く事ができようか。いや、やるしかない。俺が不幸にならないためにも。

 

「お前の親父と母さんが死んでるのは知ってる。死んだ人間を思うのも大いに結構。けれどそれじゃ後追い自殺だ!そんなもん、お前の両親が望むわけ無いだろ!」

 

「死人に口は無い!これは私の自己満足だ!」

 

 わかってるじゃないか。なのにどうして。いや、理屈じゃないんだろうな。そんなの、わかってる。

 

 王座は自分がどれだけ愚かか分かってる。なのに破滅の道を征く。止まらない。

 

「シエルも、義父も信用ならない!私が信じるのは父との絆だけなのだ!」

 

「瀧はお前の事を愛してるのに、何が信用行かねえ!」

 

 つい、言葉が荒がる光輝。目前の大馬鹿野郎に釣られてしまう。

 

『感情のコントロールが乱れる。冷静にあれ』

 

 分かってる。理解ってるけど!

 

 光輝の感情が乱れつつある。弱ってるわけではない。ただ、感情がコントロールできないという事は「フルマイナス」も「ムサシ」との魂結合も解除される訳で。そうなったら、おしまいだ。

 

「アイツから話は聞いてんだ!瀧は、堂々たるお前に憧れて口調を変えたんだ!姉に妹が憧れて何が悪い!」

 

「嫌だ、聞きたくない、聴きたくない!私を惑わせるなぁッ!」

 

「後悔は無いのかよ、瀧と二度と会えなくなるなんて!お前の家族だろ、お前は何も思わねえのかよッ!」

 

 乱れあう感情。もう、光輝も王座も暴走し合っている。力を出し切るまで止まらない。エネルギーが底を尽きるまで、際限まで止まれない。

 

 豪雨と共に舞い合う剣閃の中、王座が剣を脇に、大ぶりに構えた。よろけつつも地に足を着け携えたそれは、異様な恐怖を感じる。隙が一瞬見えた。しかし、この一瞬で防御を抜けなければ、自分は確実に死ぬ。そういう最悪の未来が見えた。

 故に、光輝は動けなかった。恐怖した。人類の欠点、「恐怖」という感情。

 

(うるさ)いっ、何もかもッ、壊れてしまえぇッ!!「逝き征く者たちへの凱歌(ヴァル・キューレン)」ッッッ!!!」

 

 次の瞬間、決死の想いで王座が振ったそれは、紅い災厄だった。九支刀がさらに枝分かれをし、最早それは超視力ですら捉えられる状況ではない、降り注ぐ幾多数多の血の雨。鋭く、鮮やかに、命を奪おうとする無際限。

 

「この……大馬鹿野郎がァッッッ!!!」

 

 攻めあぐねた光輝も、死ぬわけにはいかない。自分が持ち得る能力を最大限に振り絞った、最大級の二閃。特殊警棒に黒い障壁を纏わせ、神の手で二天一流のそれを紅い災厄に振り抜く。

 

 紅と黒が衝突し、混じり合い、反発し、雨は刹那、霧散する。そして閃光と共に――破裂。何が爆ぜたかは分からない。しかし、紅い粉々が舞う様から「九死座す宝刀(ヴラド・ツェペシュ)」が砕け散った事は分かった。

 

 王座の「赤より紅く染まれ(ヴァー・ミリオン)」が解け、髪が黒色に戻る。オーバーリミット。どうやら、力を使いすぎたらしい。けれど、もう障害は無い。ドチャリ、と滴るアスファルトに倒れ伏す光輝。地面には、無残にひん曲がった二本の特殊警棒が転がっている。もう、光輝は立てないだろう。

 

 残されたのは立っている王座と、ザァ……ッ、と降り注ぐ雨音だけ。

 

「……何が後悔なんて、もう分からない。本当は、シエルとだって別れたくない……」

 

 王座はふと、呟く。何かにすがるように。

 

 けれど、もう終わりにしよう。これ以上、苦しみたくない。父の元に、早く征かねば。  

 

 その場に背を向け、歩き出したその時だった。

 

「最初から、そう言えよ……っ」

 

「--馬鹿な……ッ!?」

 

 王座は振り返る。そこには、立ち上がる岡本光輝の姿が。頭から、胴体から、腕から、脚から血を流し、なおそこに立つ。満身創痍。なぜ、そうまでして。

 

 光輝は驚愕している王座の胸ぐらを高速の腕でつかみ、その顔を見据えた。

 

「お前の心……ようやく、視つけたぜぇ……っ!」



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生きるという事

「はっ、離せ……っ、この!」

 

 予想外の出来事に対応出来ず、慌てふためく王座。光輝がまだ立てるなんて思っていなかった。まさか、胸ぐらを掴まれるとは思わなかった。逃げれない。

 王座の「朱より紅く染まれ(ヴァー・ミリオン)」は途切れている。しかし、光輝も既に満身創痍だ。対して、王座は無傷に近い。光輝のEレートとは思えない能力に翻弄されはしたが、これが現実だった。龍玉の欠片の効果を得た龍血種の、力。

 

 落ち着け、相手は岡本光輝だ。このまま振り払ってやればいい。早く、早く!

 

 自分の心を、奥底を見ないようにして頭ごなしに否定する。自分に嘘を付く。これ以上、決心を揺らがすわけにはいかない。

 

 しかし、だ。

 

「離すもんかよ……。お前を死なせないためなら、なんだってやってやる」

 

 王座は力を入れて、手を振りほどこうとする。振りほどけない。

 

 くそっ、硬い。ビクともしない。岡本光輝の握力とは、こんなに硬いものだったのか。Eレートといえど、流石は男か。

 

「……力、入ってねえぞ、お前」

 

「え……」

 

 王座は遅れて、実感する。力を入れた、と思ったはずだった。思っただけだった。自分は、その手に力を入れていなかった。

 

 なんで。私は何をしている?振りほどけよ、その手を。帰りたい。何処に?シエルに謝りたい。今更何を?考えるな、感じるな、私は、私の道を……っ!

 

「っ、っあああ!」

 

 それは最早喚きに近かった。混乱し取り乱し、為す術のなかった王座は、拳で光輝の顔面を殴る。ゴツっ、と鈍い音。拳の骨が、皮膚と肉越しに顔の骨に衝突した音だ。

 録に力の入らなかったそれに、光輝はビクともしない。

 

「ちげーよ、馬鹿が。殴るっつーのはなぁ……こうすんだよ!」

 

 光輝も負けじと、空いた左手で王座の顔面を殴り飛ばす。利き手でないそれは精度こそ完璧でないものの、胸ぐらをつかんでいるおかげで固定された王座の顔面に「神の手」を加えた速度で振り抜かれた為、王座は大きくよろける。

 

『アドレナリンでギリギリ意識繋いでるとはいえ、女の子の顔面を「神の手」で殴り飛ばすなんてねぇ。やっるう』

 

 光輝の頭の中に響く、「ジャック」の声。はっ、言ってろ。最弱最低、上等じゃねえか。なりふり構っていられないこの状況じゃ常套だろ。

 

 光輝の感情のコントロールは、既に切れていた。最後に放った、最大の黒い二閃。昂ぶった感情と共に吐き出したそれは、王座の「逝き征く者たちへの凱歌(ヴァル・キューレン)」を砕いたものの、勢いを完全に殺すことが出来なかった。

 一度「魂結合」が解かれ、無防備な状態で降り注ぐ血の雨に身を打たれ、ブラックアウト。しかし、寸前で「ジャック」との魂結合に成功したらしく、ジャックの強制的なプラシーボの促進により意識を繋がれていた。今の光輝の体は、アドレナリンで無理矢理動かされていた。

 

「く……っ、このッ!」

 

 顔面を殴り飛ばされた王座は、意識を飛ばさなかった。アスファルトを踏みしめ、負けじと光輝の顔面に拳を振り抜く。胸ぐらを掴んでる光輝は避けれず、ガンっ、と光輝の脳が揺れる。畜生、いてーじゃねーか。

 

「まだだよ、こんなもんじゃねーだろ龍神王座!」

 

 拳を振る光輝。もうそれは異能者同士の戦いじゃなく、ただの喧嘩のようなものに。意地の張り合い。そう例えるのが正しいか。

 

「私はっ……、私はぁッ!」

 

「来いやァッッッ!!」

 

 王座は振り絞れるだけの力を、ありったけ光輝にぶつけた。拳に感じる、鈍い痛み。

 

 光輝の口端からは、つー、と血が流れ出す。歯により口内が切れたようだ。雨粒により流され、拡散するその血は、しかし止まらない。

 

「……いてーかよ」

 

「……」

 

 王座の拳は痛がった。もうやめろと唸っている。当たり前だ、その手には神経がある、痛覚がある。殴ったのは王座だ、殴られたのは光輝だった。けれど当然のように拳に残る痛み。

 

「たりめーだ。生きてるって事は、いてーってことだ」

 

 光輝は殴り返さなかった。王座は棒立ちする。なぜだ、なぜこんなにもこの男は強い。なぜ倒れない。なぜ私の前に立ちはだかる。

 

「生きてるってことは、つれーってことだ。悲しいってことだ。……けどよ」

 

 王座は無言。光輝の目に吸い込まれる。逃げられない。強い意思を持つ目だ。

 

「死んじまったら、全部、無くなっちまうんだぞ……?」

 

 雨だけじゃない。光輝の瞳からは、涙が流れている。確固たる意思を持つ、強い目から流れる涙。一体何故、涙を流す。

 

 理解出来ない王座に、光輝は苦虫を噛み潰すような顔で「語り」かける。

 

 シエルは私を家族だと思ってくれてないと、それが嫌だと王座は言った。

 

「お前は強くて、優しくて、かっこよくって。だから皆お前の元に集まる。瀧は数少ない家族のお前を姉として慕っている。俺だってそうだ、お前を不思議な奴だけど、かっこいいって思ってる。自信家のお前が、自分に自信を持てない俺には、とても輝いて視えるんだ……」

 

「……」

 

 光輝の本音。そこには嘘偽りが無く、ただ、王座に自分の想いをぶつけるように。

 

「お前はお前だ、瀧は瀧だ。俺は俺だよ。そう思わなきゃこんな世界で生きてけないんだ。それじゃ駄目かよ……っ!?」

 

「わ、私は……」

 

 言葉を出そうとして、吃る王座。反論をしなければ。しかし、出来ない。目の前の岡本光輝という少年の意思に、飲まれている。

 

 王座は、シエルより劣っていると。妹より劣っていると。それで苦しんでいると言った。

 

「人間は完全じゃない、だからいいんだろ。全員が全員同じじゃない、だからいいんだろ!同じだから楽しいこともありゃ、違うから楽しいこともあんだろ!生きてるって、そういう簡単なことじゃねーのかよ!あれが嫌だこれが嫌だって、ただ我が儘に自分を振り回しるだけじゃねーのかよ!?」

 

「……っ!」

 

 ついぞ、言葉を出せぬ王座。意思を、力を失い、その場に膝を付く。王座の胸ぐらを掴んでいた光輝の手が、離れる。

 

「……俺は、お前が死ぬなんて絶対に嫌だからな。お前が死ぬってことは、俺が悲しいって事だ、俺が不幸になるってことだ。俺は俺が幸せであるために、不幸にならない為にお前を死なせない。お前が暴走するなら、いつだって俺が止めてやる……!」

 

「……はは、なんだよそれ」

 

 王座は体を、地面に倒れるように仰向けに投げ出した。雨水の溜まった地面に投げ出されたその身体に纏った服は、しかし既に雨水を大量に吸っていたため今更濡れるもなにも無い。投げ出された体を、幾つもの雨が打った。

 

 光輝のそれこそ我が儘じゃないか。そんな意思の為に、私の父への想いは砕け散ったのか。はは、なんとも情けない事だ。

 

 ……けれど。

 

「ありがとう」

 

「……帰るぞ。瀧が心配してる」

 

 王座が光輝に止められていなかったら、その命は投げ出していただろう。シエルと二度と会うことは無かったかもしれない。だから、光輝に感謝をする。シエルにまた、会えるんだ。

 

 帰ったらまず、謝らなきゃな。許してもらえるだろうか。いや、許してもらうまで頭を下げる。なんだってする。そして、許してもらって。

 

 今までやってきた事を、警察に自主しなければいけない。あの子には、謝らなきゃな。



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土井銀河の苦悩

 スーパーでの仕事を終えて夜。好青年という言葉がよく似合うと言われる彼、土井銀河は仕事帰りに家にそのまま帰らず、イクシーズの中央区市街までやってきていた。

 普段ならこの時間帯にもなると眠気がやってくるものだが、今日はそうもいかない。心の中に少しばかりの緊張を抱き、人が行き交う夜の街を歩いていた。こういう時、特徴が無いというのは非常に便利だ。誰も、彼を一般人としてしか認識しない。彼が暗部機関(フラグメンツ)として活躍しやすい要素にそういうのも含まれる。目を惹かない、というのは特技であろう。

 

 そして、何処の誰に目をつけられるわけでもなく、ある一件の建物に入っていく。何の変哲もない、二階建ての建物。それはまるで、フラグメンツの本拠地のように一見無個性だった。そこには何の異常も無い。

 

 建物の中を進む土井。閉じられた金属製の分厚そうなドアの前へ立つと、まるで土井を待っていたかのように備え付けの小型モニターに「rock」と表示されたドアが「open」となり、ドアが自動で開いた。本来は、指紋認証型のドアだ。土井は指紋認証機には触れていない。遠隔操作だ。土井がドアを抜けると、また自動で閉まる。

 

 ドアの向こうはまた通路になっており、途中からは下り階段だった。階段を下って、下って、さらに下って。どこまであるのだろうという階段を経て、ついに目的の部屋へ。土井がそのドアの前に立つと、また自動でドアが開く。

 

「やあ、いらっしゃい」

 

 ドアの向こうには、12畳の畳が敷き詰められた床に、壁際の床の間には昇り龍の巻物にソテツやドラセナ等の観葉植物、並べて飾られた幾つかのマトリョーシカ人形。向かいの壁には200インチ程の大きな電磁型ディスプレイが埋め込まれている。

 部屋の四隅には人を象った石像がそれぞれ四つ、反時計回りの方向に別の石像の方向を向けられて設置されている。中央には巨大な円型の大理石のテーブル、テーブルの中央には悪魔のような像が置かれ、それを囲むように配置された複数の円型のソファ。

 そして畳の部屋の奥の開けたスペースには黒い玉石の床とそれなりの大きさの噴水が設置されており、その中央の台座には紅く輝く丸い宝石のような物が祀(まつ)られていた。和洋入り乱れ、なんてレベルじゃない、とんでもなくちぐはぐな部屋。一貫性というものが無い。いかにももの好きが作りそうな、不思議な部屋だった。

 

 そして、そのソファに座る人物が一人。赤や橙など、色とりどりの暖色の模様が描かれた和装を身に付け、天然の赤髪を短く切りそろえた、もう50歳にはなるだろうという顔に皺を刻んだ婦人であった。土井を言葉で迎える。

 

「どうも、凶獄(きょうごく)さん」

 

「やあね、煉禍(れんか)でいいのよ、土井君。あ、かけてかけて」

 

「ありがとうございます」

 

 婦人、凶獄(きょうごく)煉禍(れんか)に促され、向かいのソファに座る。大理石のテーブルが大きいため、それだけで少しばかりの距離があった。しかし、今はそれが地味に嬉しい。

 

 こんな存在と近くで話し合うなど、それはとても恐ろしいからだ。

 

「どう、最近のあの子達。夏恋ちゃんと天津魔君、うまくやってる?」

 

「はは……いや、なんともです。お互い正直ではあるんですが、いかんせん素直でなくて……」

 

 凶獄夏恋は、彼女の娘だ。彼女にも親の意識はあるらしく、中々気にかけている様子ではある。二人の関係を見ていて土井が思うのは、煩わしい。そんな感情だった。

 

「全く、いつになったらくっつくのかしらあの二人は。そんなんじゃおじいちゃんとおばあちゃんになっちゃうわ。君みたいに、好きだったら猛烈にアタックしちゃえばいいのにね。あ、愛しの彼女の容態は悪くないわよ。魂が戻らないこと以外はね」

 

「ありがとうございます」

 

「さて、世間話はこのぐらいにして、そろそろ本題に入りましょうか。さ、どうぞ?」

 

「はい。では……」

 

 土井はゴクリと一息飲み、言うべき語句を今一度脳内で反復させて、言葉にする。幾度となく話してきた相手とは言え、どうしても緊張してしまう。

 

「龍神王座の一件、あなたにもみ消していただきたい」

 

 数日前から起こっていた事件、赤い髪の少女によるヤクザの事務所の襲撃事件。当初はヤクザ同士の抗争かと思われていたが、ある一人の少女、龍神王座が警察署に自主してきた事により事件の全貌が明らかになった。

 どうやら、彼女は「龍玉」という「龍血種」の秘宝を強奪する為に犯行に及んだとのことだ。一見して愚かな行為だが、彼女には彼女の理由があるのだろう。本来なら死者が出ていないとはいえ、少年院(ネンショウ)は免れないだろう。今回は、その処遇を無くしてもらうために来た。

 

「良いよ。端からそのつもりだし」

 

「意外とあっさり了承してくれるんですね」

 

 驚くくらいに簡潔な答え。そこまで素直に頷いてくれるとは思わなかった。

 

「ってか、分かっててこの場所に来てるでしょ?私が了承する事も、今回の事件の真相も」

 

「……ええ、まあ」

 

 迷った。ここで頷くべきか、否か。しかし、少し考えて肯定。彼女に、凶獄煉禍に本音が筒抜けでないわけがないだろう。なら、彼女の言葉を素直に受け入れるべきだ。彼女の機嫌を損なわない為にも。

 

「まあ分かってると思うけど、答え合わせしましょうか」

 

 煉禍は語りだす。隠すことなど、何一つなく。

 

「赤い髪の少女の目撃情報、果たしてそれは一人だったか?答えはノー、龍神王座には共犯者がいた。要するに赤い髪の少女が二人居れば納得。夜の襲撃を簡易にするため電気系統を破壊し目くらまし。ならば、スペシャリストが居たほうがいいね。そうすれば龍血種は持ち前の能力でサクッと無双できちゃう。あいつらね、夜目が効くの。黒い色を好むのも、闇に紛れるため。まるで吸血鬼みたい」

 

 それを話す様は何かを思い出すように。少し楽しそうで。

 

「ヤクザの事務所が襲われて得をするのは誰でしょうか?答えは対立するヤクザ、はたまた警察。最近は違法薬物や違法武器の検挙が多かったでしょ?一宮星姫の拉致事件でも薬物と違法改造した銃が押収されれました。当然、バックに居るのはそういう組織ですね。ならヤクザの事務所が襲撃されれば、警察が入ることになる。そこで現場検証なんて形で隅々までしらべちゃえばいい。対立するヤクザは向こうが潰れてくれてラッキー。わっお、効率的!」

 

「……はい」

 

 強引なやり方ではあるが、効果的だろう。そして、そこまで話を理解出来てる彼女。後は答えは一つしかない。

 

「そしたら警察とヤクザを兼ねる人が一番得する事になる。答えはだれでしょうか?」

 

「……貴方です」

 

 土井がそう答えると、煉禍の体がバチバチ、と電撃の光に包まれる。次の瞬間にはそこに婦人は居なく、一人の少女が座っていた。赤い髪の少女だ。

 

 彼女の持つ能力、「プラズマ」。あらゆる電気系能力の最上位に位置するとされ、その効果は電撃を放つ、機械に電気を流して動かすなど一般的な方法に加えて、唯一無二の使い方がある。「自分の体に電磁波を流して細胞を書き換える」という物だ。彼女は、自分で自分の見た目をすぐさま変えてしまうことができた。ただし遺伝子レベルで弄れるものではなく、赤い髪や骨格を大きく変えることは出来ない。

 

「ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん!答え、この私。凶獄組組長にして警察官を旦那に持つ、新社会(ニューソサエティ)「イクシーズ」統括管理局(データベース)第三最高責任者「凶獄煉禍」。そりゃ得するよねぇ、自分で事件もみ消せるわけだし、街は平和になるし?一人の少女に希望を抱かせて、妹と仲直りもさせて。ちなみに「龍玉」の在り処は私の所。あ、あの噴水の上になるやつね。嘘は付いてないわ。ほら、みんな幸せ」

 

 そう、目の前の彼女「凶獄煉禍」は、ヤクザの組長だ。そして夫が警察であり、娘も警察に所属。彼女自身はさらに「統括管理局(データベース)」に所属している。今回の事件で、一番得をする人物だ。

 

 祀られた、赤い宝石。あれが「龍玉」か。なぜ、彼女があんな物を持っているのか。彼女のした事は許されることなのだろうか。しかし、土井は意見出来ない。彼女はイクシーズにおいて「最高責任者」の実権を持つものだからだ。この街での全ての「5年先を行く電気機械」が彼女の発明であり、彼女に逆らうということは、この街で生きていけなくなることを意味する。

 

「ほら、私って科学者じゃん。龍血種の力をどんな物か見てみたいって気持ちもあってね。ローシュタインのじじい程じゃないけどさ、好奇心はある訳よ。シュヴィアタの民との戦いを見れたのも大きかったね、ミャフコフスキー君は戦いを見せてくれなくてさー」

 

「……」

 

「ってか、私の理由は全部話したんだから、君の理由を聞きたいよね。君が王座ちゃんを庇う理由って何?知り合いってわけじゃないでしょ」

 

 最もだ。彼女の行動には全て、彼女の中での「理由」がある。それがたとえ他者から見て外道の限りでも、全てこの街の平和と進化を願っての為。故に彼女は「統括管理局(データベース)」の「最高責任者」の一人を担っている。間違っているように見えて、間違っていない。彼女のような存在を「大局」を見る者、絶対的な「正義」というのだろう。だから、恐ろしいのだ。発展の為に、他者の感情論を切って捨てる事が出来る彼女の事が。

 

「僕は……」

 

 彼女の本心に比べたら、土井の本心などちっぽけなものなんだろう。周りしか見えていない、大局を見据えることなど出来ない。所詮、一人の人間でしかない。けれど、土井は自分を否定したくなかった。

 

「未来ある若者が一歩の間違いでそれを失ってしまうのが嫌なだけです。それだけですよ」

 

「ふうん、君らしい。いいよ、いい答えだ。君たちはその意思を大事にすべきだ」

 

 土井は自分の心を、想いを大事にする。人は一歩間違えるだけで栄光から奈落へ落ちてしまう。土井は二度と、そんな物を見たくない。だから、今日も土井は暗躍する。未だに彼は、目覚めぬ「黒咲桜花」を忘れることは出来ない。目覚めが決して絶望的であっても、それが愚かだと思いつつも。



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すべて世は事もなし

「しっかしよー、何でこんな事になったかなー」

 

 岡本光輝は嘆く。雨が止まぬ夜のイクシーズ市街を、傘を差せずにただひたすら歩く。

 

「いやはや、すまない」

 

 そんな光輝にうとうとと瞼を開いたり閉じたりでで謝る龍神王座。もう体力の限界が来ているようだった。

 

「あのな、なんで俺がお前を担いで歩かなきゃなんねぇ!?ちゃっかり寝そうになってんなよ!?」

 

 肩に王座の頬が乗せられ、異を唱える光輝。傷だらけの光輝は、背中に王座を背負って瀧家へ向かっている途中なのであった。

 龍神王座の説得、というよりは喧嘩のようなものを経て二人は和解した。光輝はボロボロになりつつも王座を懐柔する事に成功したが、その為に自分の本心を打ち明けてしまった。

 今思い出しても、自分らしく無い。感情に正直に、王座と想いのぶつけ合いをした。……やめよう、思い出すと小っ恥ずかしくなってくる。

 

「すまない、どうやら「龍血種」の力を使いすぎたようだ。体が録に動かないし、ねむたい」

 

「俺は全身が悲鳴あげているんですが」

 

『喜べ、明日は筋肉痛だぞ。君のひ弱な体もこれで少しはマシになるといいな』

 

 嬉しくねぇ。心の中で語りかけてくる医者の霊「ジャック」に適当に返す。まあ、今体を動かせているのは「ジャック」がアドレナリンの分泌を促してくれているからなのだがそれは感謝する。

 ああ、明日起きたらどうなるやら。明日が休みで良かった。遊ぼうと言われていた一宮星姫にはSNSで無理だ、と連絡しておこう。嘘じゃないのでしょうがない。

 

 まあ、とにもかくにも、今は瀧の家に王座を連れて帰らなければ話は進まない訳で。今は疲れてでも、こうして進まなければいけない。彼女には、瀧としっかり仲直りしてもらわないと困るのだ。主に、俺の日常が。

 

 当たり前というものは、失って始めてその大事さに気づくとされる。んじゃ、当たり前を端から無くさなければいいじゃないか。日常とは大事だ。

 

「龍神よ、俺はな、日常が好きだ。当たり前が好きだ。何故だか分かるか」

 

「何でだい?」

 

 素直に返す王座。そうか、聞きたいか。ならしょうがない、話してやろう。

 

「俺は日常の中に居るだけで、生きているっつーことを実感できるからだ。飯を食って美味いって思って、眠りに付けば心地よいって思って、誰かと遊ぶのが楽しいって思って。それらは当たり前で、だけどさ、幸せなんだよな。青空を見たり、音楽を聴いたり、読書したりしてさ」

 

「……」

 

 光輝は饒舌になる。疲れからだろうか、普段はこんなに話さないんだが。

 

「そりゃ、生きてりゃ辛いことはあるさ。アイツがムカつくとか、俺はなぜ上手くいかないとか。けど、辛いことよりも幸せなことのほうが、よくよく考えりゃ多いんじゃねーかな。なんだかんだでさ。ま、あくまで俺は、の話だが」

 

「ふふ……」

 

 小さく笑う王座。呆れたかな?と、光輝は思った。皆が皆、同じに思うわけないか。

 

「……可笑しいか?」

 

「いや、君の言うとおりだ。なるほど、確かに。息を吸うことも、雨に打たれるのも、眠りに落ちてしまいそうなこの感覚も、君の温もりを感じている今この時も……」

 

 王座は光輝の言葉に同調する。と、そこで王座はある事に気付く。今の現状。

 

 男性である光輝の背中に、王座はその体をくっつけている。びちゃびちゃに濡れた服越しとはいえ、服に含まれた水分は光輝と王座の体温で挟まれ、温められ、互いの温度を共有していた。これが、私たちの体温。それが、急に恥ずかしくなって。

 

「--~~っ」

 

 王座は再び、光輝の肩に顔をうずめる。

 

「どうした、もう睡魔が限界か」

 

 いや、今は違う。そうじゃない、ただ恥ずかしいのだ。

 

「……すまない」

 

 というか、光輝は大丈夫なのだろうか。女である私と体を密着させて、何も思わないのだろうか。

 

 そりゃ、私の身体は特段女らしいとこがあるとは言えない。男子と大差ない女子の中でも高めの身長、細めの体に、控えめな胸。なるほど、その部分の感触が無いと女として見なしてもらえないか。

 そもそも、女だと思われてるかどうかすら怪しい。普段そんな素振りは見られないし、普通、男女は殴ったり殴られたりをしたりしない。光輝は、私の事を女だと思ってないのかもしれない。分け隔てなく接してくれるのは嬉しいが。

 

 それはそれで、ちょっと寂しい。

 

「っ、光輝!」

 

 と、いきなり目の前に雨ではなく二人の人影がバシャッ、とアスファルトに溜まった水を落下の勢いで跳ね上げて降り立った。なんとそこに現れた人影はクリス・ド・レイと瀧シエルだった。重力制御で空を飛んで、王座と光輝を見つけて降りてきたらしい。

 

「……シエル」

 

「お姉ちゃん……その……」

 

 王座は眠気眼(ねむけまなこ)を覚まし、光輝の背中から離れ自立して、シエルの目前に立つ。シエルは何か言いたそうで、しかし言えない。もどかしい。

 

 沈黙は少しだけ。しかしすぐに、その沈黙は王座によって切られた。

 

「ごめん、シエル。私は馬鹿だった。シエルが大事だって、大好きだって、後から気づいたんだ。愚かだ」

 

「え……」

 

 驚きに目を見開くシエル。瞬間、涙が浮かぶ。

 

「シエル、すまない。私を、許してくれ。私はお前と、家族でいたい」

 

「っ……お姉ちゃん!」

 

 気が付けば、王座の胸にシエルは飛び込んでいた。二人はその身を、抱き寄せ合う。

 

「お姉ちゃん、私、お姉ちゃんが大好きでっ、頑張って仲良くしたくて……ごめんなさい、お姉ちゃんが嫌な思いしてるなんて気付けなくて……」

 

「シエルは悪くない、全部悪いのは、私なんだ。ごめん、本当にごめん……!」

 

 二人して、その場で泣き合う。光輝とクリスは、ただその光景を眺めていた。

 

「良かったですね、二人とも」

 

「ああ。今日もすべて世は事もなしってな」

 

「ふふ、そうですね」

 

 そして、一件落着。今日も、世の中は平和だ。少なくとも、今この場では。けれど、光輝にとってそれで十分だ。人間なんてのはちっぽけなもので、身の回りで手一杯で。けれど、それでいいんだろう。それが人間だ。そんなもんさ。



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第六章 満月の夜のパーティー、吹きすさぶ奇術の疾風
ジャックとクリス


 九月のある日、週末の土曜日。折角の休みだというのに、外で空も眺めず、読書をするわけでも音楽を聴くわけでも無く、岡本光輝はベッドの上で横になっていた。それには理由がある。

 

 なぜなら、体が動かないからであった。

 

「うおおおお、やばい、体中の至る所が悲鳴を上げている……」

 

『まあ当然の結果だろう、お前さんの体はそんな頑丈に出来ちゃいない。あれだけ限界を超えてよくその程度ですんだよ』

 

「はは、ムサシのフィードバックのお陰だな……」

 

 昨日の龍神との戦いで、体を余すことなく駆使した代償だ。光輝の体は、激しい疲労と筋肉痛に見舞われていた。少しでも動かそうものなら体が拒絶反応を起こす。しかし、その代償に見合った報酬は得ることが出来た。そこにはなんの後悔もない。

 

 そして、今の光輝には「ムサシ」ではなく「ジャック」が魂結合を行っていた。その理由は、ジャックが意図的に体の修復を脳から全身の各部へ通達し促進させるという人間とは思えぬ離れ業が出来たからだ。これは能力によるものではない、ジャックの特技のようなものだ。流石は天才外科医。猟奇殺人鬼ではあったといえ、その才能は確かなものだった。そして、光輝は今ジャックの特技の効力を受けている。体の修復も、明日には終わっているだろう。これはジャック談だ。

 

 まあ、とにかく今日一日安静という事は変わらないんだけどな。それに、仮に動こうとしてもそれは不可能だ。

 

「光輝、お粥が出来ましたよー。私自慢のおいしーいお粥ですよー」

 

 台所から耐熱のスープ皿に出来立て熱々のお粥を盛って運んでくるクリス。仕事で母が居らず、クリスが料理を作ってくれたのだ。

 

「おう、ありがとう。さんきゅー、置いといてくれ」

 

「いえ、光輝は体を動かすのが辛いでしょう。私がふーふーして食べさせてあげます」

 

「……まあ、頼む」

 

 ロンドンからの留学生にて光輝の家にホームステイしているクリス・ド・レイが付きっきりで看病していてくれたからだ。

 彼女は光輝に好意を抱いている、らしい。なので、光輝が無理をしようとするとクリスが許してくれないのだった。

 

「ふー、ふー……はい、あーん」

 

 今更この年でまさかお粥をふーふー、あーんして貰うことになるとは一切思わなかった光輝だが、彼女の好意をここは甘んじて受け入れる事にしよう。毒が入っているわけでもなく、そして……うん、美味いのだ。程よく、決して嫌にならない薄味の優しいお粥。怪我をしている時には丁度良かった。

 クリスは料理が上手だった。日本人の舌に合う料理の技術を教育されたらしく、その味付けは本来出身国の違う光輝の舌にジャストミートしていた。努力もあるが、才能もあるのだろう。流石は黒魔女、ロンドンの英雄か。

 

「すまないな、わざわざこんなことまでしてもらって。別に外に遊びに行ってもいいんだぞ?つまらないだろう」

 

「いえ、私にとっては光輝と一分一秒でも長く一緒に過ごす事が幸せですので。他の優先順位などありません」

 

「はは……」

 

 まあ、彼女がそうまで言うのならばしょうがないのだが……もどかしい。

 光輝はまだ、クリスの想いに答えられずにいた。クリスは光輝を好きだと言ってくれた。しかし、光輝はまだ友達で、と返した。それには理由がある。それは、光輝自身がクリスと釣り合わないからと思う故であった。

 

 クリスはそれでいいのかもしれない。しかし、光輝はそれが嫌だった。誰かの負担になるのが情けなくて嫌だった。それはエゴイズムであるが、光輝が自分を認めるために確かな大切なもの。だから、光輝は答えられない。今のまま気持ちを受け取ってしまうと自分に嘘を付くことになる。それは自分の中でも、クリスに申し訳が立たないのだった。

 

 はは、いっそ俺より良い奴がクリスの前に現れてくれたらな……なんて。

 

『本当にいいのかい、それで』

 

 脳内で聞こえるジャックの言葉。まるで光輝を疑うような言葉だ。

 

 いいもなにも、このままじゃクリスが浮かばれないだろう。いつまでもこんな最低な奴の元に居るよりよっぽどいいさ。

 

 卑屈な考え、光輝の十八番。世界を黒の色眼鏡で捉え、自分の姿を映し出す。--ほら、こんなにも黒いじゃないか。

 

『まあ、それもアリか。いいだろう、ちょっと失礼』

 

 ジャックが言い終えた次の瞬間、グンッ、と光輝の意識が内側に引っ張られるような感触。何をもってして内側、と感じたのかは分からない。ただ、例えるならそのような感触だった。

 

「ふうん、行けるものだね。なあ、岡本光輝」

 

「え、どうしたんですか?」

 

『ッ、な!?』

 

 光輝が脳内で叫ぶ。口に言葉として出せない。代わりに口から出されたのは、別の人間の言葉。いや、正確には幽霊か。

 

「やあ、久しぶりだな、黒魔女。で、良かったかな?」

 

「えっ……え?」

 

 まさか、とは思うが間違い無い。他に考えようもなく。今、光輝の体には「ジャック」の意識が入っていた。

 

『おい、どういう事だ!?』

 

 光輝とジャックは魂結合をしていた。それは完璧でないもので、それは今もその通りの筈だ。現に、光輝とジャックの意識は統合せず別れている。ならなぜ、ジャックが俺の体の意識を奪っている!?

 有りうるとするのならそれは意識の交代。確かに、ジャックと光輝は似た波長を持っていた。しかし、まさか譲渡が可能とは……いや、正確には強奪か。光輝はジャックに意識を渡そうなどと思っちゃいない。当然だ、殺人鬼に体など明け渡せるハズがなかった。

 

 思い返す。そう言えば、夜千代の体を診察した時も体は自分の意思とは関係無く動いていた。まずい、魂結合のリスクを見誤っていたか……?

 

 悩む光輝をよそに、ジャックはベッドに横たわっていたはずの光輝の体を起こし、自立させた。本来なら体全体がまともに動かない状態を、だ。

 

「私だ、「ジャック」だよ。今、岡本光輝の体を借りて出張中だ」

 

「……ッ!」

 

 瞬時、クリスは持っていたお粥をちゃぶ台の上に置き、後ろに下がって黒い靄を纏う。クリスの能力、「重力制御」だ。

 

 クリスは知っている、光輝の中に殺人鬼「ジャック」が入っていたことを。故に飲み込みが早い。

 

「今更なんのつもりかしら?」

 

「まあ、そう身構えるな。私が出てきたのは他でも無い、岡本光輝の体の治療のためだよ」

 

「……話を聞きましょう」

 

 存外、素直なクリス。光輝の為を思うと、仕方なく頷くしかなかった。

 

「よろしい。いいかい、私は体の調子をコントロールする事が出来る。それは魂結合として心の内側に居るよりも外側、つまり実際に意識として体を動かせる時の方がより精度がいい」

 

 ジャックは今、肉体に軽度な「リミッター解除」を行っていた。体の痛覚を麻痺させ、体を無理矢理動かす方法だ。アドレナリンと併用したこれは手術、はたまた戦闘で大いに役立ち、ジャックの過去の栄光と犯罪を可能にしてきた物でもある。

 

「それで、どうしたのかしら。安静にしていた方が良くなくて?」

 

「いや、折角動く体を久々に手に入れたんだ。してみたい事もあるだろう。リハビリだよ」

 

「え--ちょ、ちょっと?」

 

 そしてジャックはクリスに近づく。クリスの目の前にあるのは光輝の体だ、下手に能力対象にするわけにもいかない。最後の防衛戦は貼るため、気持ち程度の重力制御を纏わせてはいるが、今はその効果はまるで無いに等しい。ジャックはクリスのその手をそっと握り、クリスを背後の壁に優しく押し付けた。

 

「きゃっ、な、何を……」

 

 抵抗をしないクリス。ジャックの見た目、というより肉体が光輝の物であることもあり、動けない。光輝にこうされてるかと思うと、気持ちに危機感ではなく昂ぶりを感じた。

 

「何、普段岡本光輝という少年が感じている劣情を実践してみたいだけだ。なにしろ、魂結合というのは本人と感情を共有するに近い者だからね、今彼と私の感情は少なからずリンクしている。そして今私が行おうとしている事は岡本光輝がしてみたいことに他ならない」

 

『ま、待て!俺はそんな事は一切思って……』

 

 嘘を言え。君はクリスと恋仲になるのを拒んではいるが、男としての劣情は隠しきれていない。君は本当ならクリスに触れたい、クリスと交わりたい、そう思ったことがあるはずだ。違うかね?

 

『い、いいや違うね!』

 

 頑なに否定をする光輝。何処までも強情で弄れた少年だよ。しかし、肉体は正直だ。

 

 ジャックの意識が入った光輝の肉体は不思議な事に、体の血流が良くなり心拍数が上がっている。興奮状態、肉体の活性化が行われていた。

 

「岡本光輝は常に自分の感情に嘘を付いている。本当なら行動したくてしょうがないのに、自分を騙して生きている。それはアンタの為だよ、黒魔女」

 

「私の、為……?」

 

 ジャックは困惑するクリスに話を続ける。

 

「彼はアンタの好意を悪くないと、むしろ良いとすら思っている。しかし答えられない。岡本光輝自身が自分に自信がないから、アンタと釣り合わないと思っているから保留しているのさ。負い目を感じてる。つまらない事で苦しんでるんだよ、彼は」

 

『何を勝手に……!それ以上喋んな!』

 

 いつまでも煮え切らない君の態度を、魂を共有する私が看過出来なくなっただけさ。昨日のフルマイナスで、君と魂結合を幾度となく重ねて理解したんだよ。君はいい加減、感情を明らかにすべきだと。

 

 憤る光輝と、淡々と述べるジャック。

 

「そんな、光輝が、だって、光輝は素敵な人で、負い目なんてどこにも……」

 

 しどろもどろと言葉を重ねるクリス。まだ理解が追いついてないらしい。

 

「それはアンタの意見だろう、これは岡本光輝本人の意見だ。アンタがどう言おうと彼に届かない。だから……」

 

 ジャックは壁に押し付けたクリスの脇腹を、服越しに手で下からなぞっていく。その行動に、クリスは声を漏らす。

 

「んっ、な、何を……」

 

「私が行動を起こす。感情を暴走させれば彼も気付くだろう、自分の感情に」

 

『おい、ふざけんな!ジャック、おいコラ糞医者!ヤブ!体返せ!闇医者!ヤクザ医師!』

 

 脳内で罵詈雑言を訴える光輝をジャックは無視して、その手でクリスの体に触れていく。

 

「彼はアンタに誘惑される度にその体に触れたいと思っていた。今動いているこの手は、彼の本心だ」

 

 ジャックの手がクリスの体を撫で上げ、脇腹から脇へ。服の上からでも判る女性特有の体の柔らかをその手に感じ、光輝の体の心拍数は上がっていく。勿論、それはクリスもだ。顔が赤くなっていく。

 

「ちょっ、ちょっと、やめっ……」

 

 言葉では返すが、体は動かない。なされるがままだ。

 

「拒まないんだね。いや、拒めないのか。これが岡本光輝の体だからかい?それとも……」

 

「や、やめなさいっ!」

 

 ジャックは体を触るのを一度やめると、壁で後ろに逃げ場の無いクリスの体をさらに固定するため、足をクリスの股の間に差し込む。ただでさえ赤い顔が、さらに紅潮していく。

 

「彼のしたいこと、だからかい?」

 

「……これ以上は、駄目、光輝で、ないと……」

 

 必死の抵抗。クリスは迫るジャックの顔から目を逸らし、合わせない。今見てしまったら、完全に肯定することになる。目の前にあるのは、光輝の体、そして奥底の心。いつもの彼ではない。それを否定出来はせず、しかし肯定したくない。クリスは、いつもの光輝とそういう事がしたい。彼が口で、本心を喋ってくれる事を望んで。

 

 しかし、ジャックはそこで止まらない。クリスの体に体重を預け、耳元でこう囁いた。

 

(わり)い、クリス。俺、ここまで来たら止めらんねーわ」

 

「……っ!?」

 

 そこでまさかの選択。ジャックは光輝の口調を真似だした。クリスは頭で分かっている。今の光輝は、いつもの光輝ではない。そこに彼の当たり前は無く、例え意思が合っても、受け入れてはいけないのだ。

 

 けれど、分かっているのだけれど、体が動かない。萎縮し、心臓の鼓動が止まらない。触れ合っている光輝の体の鼓動も伝わっている。その言葉は、光輝の声による言葉で。それだけで脳髄が痺れそうになる。

 

 憧れていた。光輝にこうしてもらうことを、待ち焦がれていた。いつだってクリスはアピールしてきた、光輝を振り向かせるためのパフォーマンス。光輝はいつも苦笑して、受け入れてくれなかった。

 

 今、この時。クリスの心は大きく傾いている。そのまま流されてしまえ、と。折角のチャンスなんだ、相手はジャックとはいえその奥底は光輝の本心、意識だ。ならば何も嫌なことは無く、恥ずかしくも嬉しい。

 

 動けないクリスの体をジャックはソフトタッチしていく。(かいな)(ほお)(てのひら)大腿(だいたい)。異能力「神の手」によるその手運びは鮮やかでいて、して決定打を与えない。あくまで優しい愛撫。もどかしくて、達せなくて。

 

「なあ、クリス。そろそろいいか?俺、もう我慢できないんだ……」

 

 ジャックによる、(うなじ)への口付け。その感触は唇が触れるだけでなく、舌でれろり、と舐められることによりとてつもない衝撃となりクリスの脳を揺さぶった。

 

「~~っ!?」

 

 遂に立っていられなくなったクリスはその場にへたり込む。股に差し込まれていた足はそのままクリスの体重に押され、床に二人は倒れこむ。クリスは壁に背を付けたまま足を投げ出し、ジャックはそれに覆いかぶさるように、投げ出された足の股には変わらず膝が差し込まれ、クリスは先程よりも身動きが取れない。

 

「ちょ、ちょっと、待ってくださっ、心の準備がっ……!」

 

「大丈夫だ、直ぐに終わるさ。……始めてか?」

 

「--っ」

 

 ジャックは超視力によりその表情を逃さない。

 

「大丈夫、痛いのは最初だけだ。優しくするから」

 

「あ、あの……」

 

 クリスの最終選択肢、イエスか、ノーか。

 

「……はい、優しく、お願いします……」

 

 答えはイエスだった。

 

 さあ、岡本光輝。後は君のしたいがようにするがいいさ。

 

 瞬間、グンッと引っ張られるような衝撃を受け、光輝とジャックの意識が入れ替わる。

 

「っ、と……」

 

 気が付けば、光輝の眼前。すぐそこにはクリスの顔が。目と鼻の先、少し顔を前に出せば唇と唇が触れ合ってしまう距離。

 

 光輝の左手はクリスの肩に。長い黒髪を潜って襟から差し込まれた指先が、クリスの脰を撫でていた。

 

 光輝の右手にはクリスの大腿が。捲れたスカートの内側に潜り込んだそれは、クリスの柔肌と直に密着し、柔らかく、程よく肉のついた、そして弾力のある太股に指を沈ませて。その少し先は、言うまでもなく。

 

「--」

 

 瞬間、ボンッと音を立てて光輝はその場に崩れ落ちた。顔は真っ赤で、ピクリともしない。

 

「光輝っ、大丈夫ですか!光輝!?」

 

 それから丸一日、岡本光輝は起きなかったという。そして起きた光輝は、二度とジャックに体の所有権を渡してやらないことを決めたそうな。



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白銀雄也の休日

 真昼間のイクシーズ市街。太陽の日差しが降り注ぐ中、今日も老若男女人種を問わず多くの人が行き交っている。

 その雑踏の中で、際立って目を引く者が在った。若い男、白金(プラチナ)に輝く短髪が特徴的の彼が道を歩くと、回りの人が道を空けて譲ろうとする。それはまるで、畏怖の眼差しを向けるようで。

 

「……いくらなんでも露骨すぎじゃねーか?」

 

 余りの明らかさまな対応に困惑する男。これではまるで上様だ。

 

「しょーがないじゃない、ダーリンは有名人なんだもん」

 

白金髪(プラチナブロンド)の男を見つけたら道を空けろって、イクシーズじゃ常識になってるからねー」

 

「いつの間にできたんだよその常識。本当かよ?」

 

 その男の両脇には、長い金髪を風に靡かせた端正で瓜二つな顔つきの背の低い二人の少女が、それぞれ男の右腕と左腕を抱えて歩いている。傍から見てそれは両手に花。羨ましそうではあるが、とても歩きづらそうだ。しかし、男は嫌がる素振りを見せない。どっちかと言うと無視して歩いているように見える。

 

「……本当にしろ嘘にしろ、雄也さんは自分の持つ影響力にもっと自覚を持った方がいいと思います」

 

 そして、白金髪の男の背後を歩く、糸目で角刈りの巨漢。身長はおよそ200センチを越え、硬く膨れ上がったガタイはまるで岩のようだ。本当に人間かどうか怪しい肉体。もしかしたら人造人間かサイボーグかもしれない。それがまた、周りからの注意を引いていた。

 

白金髪(プラチナブロンド)……すげえ、白銀雄也、生で見たよ……」

 

「あの両隣の双子、J&J(ジュディ・アンド・ジャネット)だぜ……!野良でしか動かないあの二人が「白金鬼族(プラチナキゾク)」に入ったって噂、本当だったんだ……!」

 

「後ろのアイツ、でけ~な~……何センチあんだよ」

 

 回りからの反応から伺っても、非常に個性的な4人組。白銀雄也率いるそのメンバー「白金鬼族(プラチナキゾク)」を前に、道を塞ぐ者は居なかった。

 

「んー、俺なんてまだまだよ?」

 

「そんな事言っちゃってー。白金鬼族はもうイクシーズの対面グループでトップ誇ってんのに?」

 

「周りからも注目されっぱなし。やっぱダーリンは支配者の器を持ってるわ!」

 

「そうか。そいつぁ嬉しい、もっと褒めていいんだぜ」

 

 中央の男、白銀雄也。白金色の髪がトレードマーク。対面グループ「白金鬼族」を纏める総長(ヘッド)。Aレート。高校二年生。能力は「不屈のソウル」。

 両となりの背の低めの少女、ジュディ・ブランシャールとジャネット・ブランシャール。双子であり両者共に「白金鬼族」幹部。個々はDレート、タッグでSレート。高校三年生。能力は「ダブルドライブ」。通称J&J。

 後ろの巨漢、巌城(いわしろ)大吾(だいご)。「白金鬼族」幹部。Aレート。高校一年生。能力は「衝撃の増加」。

 

 巨漢な見た目とは裏腹に一年生の大吾と、小さいが三年生のJ&J。二人共々、イクシーズ不良(ワル)の中では有名な方だった。

 方や大吾は、喧嘩が好き、というよりは対面により自己を高める事を目的としていた。どちらかと言うと真面目な青年で見た目と中身が伴っており、普段は大人しい方である。が、一度闘い出すと止まらない。

 方やJ&Jは、もっぱらタッグでの対面を吹っかけては色んな対面グループを荒らしまわっていた。「ダブルドライブ」は双子が揃って真価を発揮する能力であり、肉体強化に加えてかつ、互いの意思疎通が言葉などを介さなくても可能になるというものだ。

 

 この二組に転機が訪れたのは今年の夏の時期だった。外からやってきたという喧嘩少年「白銀雄也」との対面で敗北を喫したからだ。

 敗けた、ということ自体はこれまでもあった。しかし、彼の持つ不思議な魅力--いや、それは魔力なのかもしれない。人を惹きつける何か、それが彼にはあった。故に、大吾とJ&Jは白金鬼族に所属した。そして、今は幹部として活動を行っている。

 

「また今日も来雷(くーらい)さんとこ?あの人もう対面屋引退したから無理だと思うけどなー」

 

「昼飯ついでにだ。来雷さんが対面に乗ってくれたらそれはそれで大儲け、あそこ美味いし」

 

「……来雷楼(くーらいろう)は確かにおいしいです」

 

 雄也達の今の目的地は、中華料理屋「来雷楼」だった。今が昼時なのもあるが、その店の店主「来雷(くーらい)娘々(にゃんにゃん)」はかつて有名な対面屋を勤めていた不良少女だった。今は能力の電撃の火力を活かして中華料理屋を営んでおり、対面の日々からは身を引いている。

 

「さあ、行こうぜ!愛しの「雷神(らいじん)」様を口説き落としによ!」

 

 が、それでもかつて「雷神」と謳われた者。すぐそこに強者が居て挑まぬなど、喧嘩マシーン白銀雄也には有り得ぬ事だった。今日も懲りずに、対面を挑みに行く--

 

--イクシーズ市街の小道に入った所にある店、「来雷楼」。味は良いと評判ではあるが、いかんせん外見からして目を引くような場所では無かった。辺りは何かあるわけでもなく、その店自体もまるで民家に「来雷楼」と書かれた暖簾を取ってつけてギリギリそれが「店」であることを実感できる程度だ。

 この店は最近出来たものだが元々は流行らない居酒屋かなんかだったらしく、その居酒屋が営業を辞めた所を買い取って作ったという噂がある。改装工事にまでは資産の問題で手がまわらず、ほとんど昔の内装のまま営業を続けているそうな。元が飲食店であるため、余り弄らなくても問題がないのは救いか。

 

「ちわーっす」

 

 ガラガラ、と音が鳴る古いタイプの引き戸を開けて店内に入る四人。店内はランチタイムだというのに空いていて、他の客は3人しか居ない。定食を味わうサラリーマン風のいい歳の男性、拉麺に夢中になっている金髪の少女、餃子と春巻きで一杯やってるヨボヨボのおばあちゃん。とてもじゃないが、流行っている、とは言い難い。

 

「アイヤー!いらっしゃいアルよ白銀(しろがね)少年(ボーイ)!他の子もニィハオマー、ネー!」

 

『どもー、来雷さん』

 

「……こんちわー、です」

 

 黒い髪を後頭部でお団子にして結った割烹着の女性「来雷娘々」は、ヒマそうに新聞を見ていた目をこちらに向けて元気に挨拶をする。相変わらず胡散臭い喋り方だし、そもそも中国人であるかどうかすら分からない。中華料理をやっていてそれっぽい名前と言えど、彼女の詳しい素性はこの場に居る誰もが知らない。ただ一人、本人を除いては。

 

「とりあえず来雷炒飯四つお願いします。ねえ来雷さん、今日昼過ぎたら空いてる?どっか遊びに行かない?」

 

「いい男からの誘いで申し訳ないが残念ネー、今日は昼寝とネット競輪で忙しいヨー」

 

「そっか、残念です。たまには貴方と()ってみたいですが」

 

 雄也の誘いをさらっと、拒否して流す来雷。しかし、だ。

 

 それは忙しいとは言わない……!

 

 大吾とJ&Jを含め、この場の多くの人間がそう心の中で思った。

 

「……ん」

 

 ぞわり、と雄也はそこで違和感を感じた。心を駆り立てる感覚。空腹時のそれではない、何か別なもの。

 この店に来るといつだって強い奴の波長をビシビシと感じていた。なぜなら、「来雷娘々」が居るからだ。しかし、今の感覚はそれだけじゃない。答えは、そこにあった。

 

「あ、ちょっとダーリン?」

 

「席、こっち空いてるけどー」

 

 J&Jの言葉を聞かず、雄也は奥のテーブル席に立つ。席の向かい、正面にはズルズルと拉麺をすする金色の髪の少女。雄也を気にかけず一心不乱に、彼女は食事を口に掻き込む。

 

「こんにちわ、此処空いてるかい?」

 

「……」

 

 返事は無い。拉麺を食べるので忙しいようだ。雄也は空白の席に座り込む。

 

「ビビっと来たぜ、アンタ。まるで飢えた獣のような威圧感。あ、俺の名前は白銀雄也ってんだ」

 

 麺を啜り終えたようで、次はどんぶりに手をかけ、スープを頬張る。なんとも豪快だ。

 

「いきなりですまないが、その……アンタに、対面を申込みたい。名前を伺っていいか?」

 

 スープをごく、ごくと飲み干していき、少女はタン、と机に空っぽになった拉麺どんぶりを置いた。その青い瞳がようやく、雄也の方に向けられる。

 

「……イワコフ・ナナイです」



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白銀雄也の休日2

「ごちそうさまでした」

 

「毎度ーアルよー!」

 

 サラリーマン風の男性を見送り、手を振る来雷。愛想は非常に良く、胡散臭い喋り方を差し引いてもその気になれば客商売は向いている方なのだと思う。ただ、怠惰でズボラな事を除けば。

 

「さて、と。じゃあ本日のランチはラストオーダーで……お客さーん、良かったですかー?」

 

 客の少なくなった店内……と言ってもサラリーマン風の男性とヨボヨボのおばあちゃんが居なくなっただけで、まだ店内には5人の若者が居る。その店内に向かって、声をかける。

 

「ああ、構わないぜ来雷さん。それじゃ腹ごなしも済んだし、表に出ようぜナナイさん」

 

 雄也は席から腰を上げると、先程までデザートの杏仁豆腐とマンゴープリンを味わっていたイワコフ・ナナイに声を掛ける。尚、この二つのデザートは雄也からナナイへのプレゼントだった。対面をする為の賄賂のようなものか。ナナイはそれで快く引き受けてくれた。

 

「はい、行きましょう」

 

 店を出る雄也らとナナイ。それを追いかけるように来雷も営業看板を「やっとる」から「おわっとる」に変え、店を締めて5人について行く。

 

「ナナイ、本当に良かったネー?あんまりおおっぴらにやっちゃうと、上司に怒られたり……」

 

「サー・ニワはオフの日の私に言及してきません。なので、問題ないです」

 

「そういうものネー……?」

 

 心配を掛ける来雷だが、ナナイは気にしない。まあ、彼女の上司は「適当」に生きる人間と知っているので、まあ、いいか。

 

 小道を、彼らは歩いていく。流石に対面を始めるには、この道は少し狭い。

 

「ねえねえ、誰からやるー?まず私行きたいなー」

 

 手を挙げ、名乗り出るジャネット。その姿に、雄也は異を唱える。

 

「え?ジャネット、お前一人で戦えんのかよ」

 

 ジャネットが一人で戦っても、Dレートの少女でしか無い。彼女はジュディとタッグを組んで始めて真価を発揮するのだ。

 もしやるとしたら、ナナイと、それとなぜかついて来た来雷。彼女達二人で組んでもらうのが一番か。しかし来雷は戦うと言っていないし、そもそももし彼女が戦うのならそれこそ雄也が一番にやりたかった。

 

「構いませんよ、二人で」

 

『え?』

 

 ジュディとジャネットの言葉が重なる。それはまさかのナナイの言葉。

 

J&J(ジュディ・アンド・ジャネット)、タッグで始めてお互いの実力を出し合える双子の少女。聞いていますよ、噂は。構いません、私一人で二人の相手を受けますよ」

 

「おいおい、マジかよ……」

 

 J&Jの実力は伊達ではない。本来Sレートが二人になって、ようやく相手になるレベルのタッグだ。その彼女らを、まさか一人で相手取る、だと?

 

「その変わり対面のルールはダウン・アウト方式で行きましょう。終わったら後のお二方どちらかでも、二人でかかってきても構いません」

 

 ダウン・アウト方式。足の裏と手の平以外の部分が地面に着いた瞬間、その人物は敗北するというルールだ。対面のルールの中でもかなりメジャーなルールであり、分かりやすく怪我も少ない。味気ないと言って切り捨てる輩も居るが、むしろ限られた中で全力で戦うこのルールこそを対面の真骨頂と言い張る人物も居る。それほどに、支持が高い。

 

「それじゃー、私がレフェリーをするネ。双子少女(ジェミニガール)、くれぐれも抜かるなヨー?ナナイの力は化物クラスだからネー」

 

「分かってますって!」

 

「行くよジャネット、相手が一人だろーと全力なんだからね!」

 

 忠告をする来雷と、意気込むJ&J。口ぶりや振る舞いからしてナナイと来雷は知り合いのようだ。

 

 小道を抜けて、開けた場所へ。かと言って、人通りはそこまで多くない。しかし、全く居ないわけではない。このぐらいのギャラリーが居た方が、対面は盛り上がるものだ。人に力を誇示するというのは、心地の良いものである。

 

 ザザっ、と音を立てて地面を蹴り、ナナイと向かい合うJ&J。準備は万端だった。

 

「さあ、いつでもどうぞ」

 

 ナナイは静かに、棒立ちする。いや、重心は戦うためのそれだ。風貌から少し、伺える。言ってしまえば、読まれないための構え。対応出来る自身があるのだろう。

 

 しかし、相手はJ&Jだ。その選択は、果たして正しいか。

 

「対面ファイっヨ!」

 

「それじゃ、ジャネット!」

 

「そうね、ジュディ!」

 

『ダブルドライブ!!』

 

 来雷の開始の合図と共にジュディとジャネットが声を掛け合った瞬間、二人は一瞬、内側へとお互いにぶつかるように跳ねた。そして互いに手を取り合い、お互いを突き飛ばして逆に反発した。その様は、まるで同極の磁石。強く、反発した。

 

 そして横に高速で跳ね、そこからさらに地面を蹴って加速。ナナイに向かってジュディとジャネットは(クロス)を描くように突っ込んだ。

 

 雄也はそれを目で捉えていた。あの二人の得意技、「アギト」。それはまるでライオンの口のように、二つの歯が一つの獲物を噛み砕くかのように迫る。タッグ戦とは、一人がやられた瞬間に負けが確定するようなものだった。そしてJ&Jはそれをよくわかっており、すぐさまに相手の一人を必殺技で仕留めにかかる。

 それでいい、戦いとはそういうものだ。勝ちに全力で挑む。相手の土俵に乗ってやる必要は何処にもなく、自分の持てる最大限の方法で勝利を貪欲に欲しがるべきだ。そして身を削って、琢磨して、ギリギリまで絞り尽くした者にこそ勝利という唯一無二の結果が転がり込む。戦うという事に全力を注げないものは、負けても仕方がない。

 

 故に、雄也は好む。この二人を、勝つために貪欲な双子を。消耗戦に付き合う暇など何処にもなく、開幕で勝てるならそうするべきだ。

 

「素晴らしい、良い闘争心です」

 

 対するナナイ。その場で跳躍。棒立ちから一瞬、そのまま空へ跳ね上がったナナイはあろうことか、回避として飛び上がると同時に迫った二人の腕を掴む。高速の攻防、周りは何が起きてるのか分からない。

 

 届かない、逆に掴まれた腕。J&Jは初手を失敗したと悟り、二人で逆にナナイの腕を掴み返し、地面に引き摺り下ろそうとする。「ダブルドライブ」による意思疎通があればこその技。しかし。

 

 ナナイは落ない。逆にJ&Jの体が浮き上がる。何が起きた?

 

 気が付けばナナイは空中でグルン、と回転をしていた。まさかの前転。それに引っ張られ、双子は地から足を離し、空中に投げ出された。

 

「しかし野性味が足りない」

 

 次の瞬間には、二人の背中は地面に付いていた。遠心力からの投げ。勢いはそれほどなく、ナナイが手加減をしてくれたのが分かる。しかし、少し遅れて二人の脳内で実感が起こる。

 

 敗、北……?

 

「勝負あり!ヒュウ!ナナイ、やるヨー!」

 

「ざっとこんな所でしょうか。お二方のプランは素敵でしたよ」

 

『……』

 

「さあ。次、どうぞ」

 

『ちくしょ~~っっ!!』

 

 まるで狐に包まれたかのようなJ&Jの顔。それもそうだ、いとも容易く自分たちの必勝法を破られてしまったのだから。

 そして、実感する。目の前の少女の圧倒的な戦力を。

 

「……次、俺が行きます」

 

 次いで名乗り出る大吾。J&Jがダウン・アウト方式と言えど、瞬殺された現状。どう見積もっても、大吾に勝ちの目はない。

 

「一人で良かったですか?」

 

 余裕綽々の表情で問いかけるナナイ。当然の心配ではある。しかし。

 

「……すいません、雄也さん。俺、一人で行きたいっす」

 

 あくまで一人で戦いたいという大吾。決意は揺るがない。

 

「おう、行ってこい!全力でやってみろ」

 

「……うす」

 

 雄也はそれをよしとする。大吾の想いとは「自己の昇華」。目の前に居る強敵を前にして、戦わずにはいられない。自分をぶつけずにいられない。そして敵を知り、己を知る。

 それは愚直かもしれない。不器用かも知れない。けれど、それはそれでいい。J&Jとは違えど、これもまた、喧嘩屋の美学である。故に、雄也は大吾を認めている。

 

 J&Jが悔しそうな表情で下がり、代わりに大吾が前に出た。

 

 さて、俺はこの少女に勝てるのだろうか。

 

 雄也は考える。どうすれば目の前の少女、イワコフ・ナナイに勝てるのか。彼女の戦力は、圧倒的だ。



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白銀雄也の休日3

 衝突する拳と拳。お互いの衝撃がぶつかり合い、ナナイは衝撃を飛ばすために後ろに跳ねる。対して、大吾はその場に留まる。いや、それどころかその一瞬の隙を活かそうと前に足を進めていた。

 

 ほー、やるモンだなー。

 

 雄也は感心した。こと、拳比べなら大吾は強い、無類に強い。能力「衝撃の増加」による加護、そして生まれ持った巨大な体躯。その反則級の五体から放たれる拳はやたらめったらな威力を誇る。かつて雄也も拳を合わせ合った時があるが、拳比べではとてもじゃないけど勝てる自信がない。まあ、負ける気もしないのだが。

 

「なるほど、威力は十分」

 

 そして、ナナイは下がる足を止めたかと思うと、急に前に走り出す。大吾も進めていた足をそのまま急がせ、急接近。大吾はナナイに拳を振り抜く。

 

 が、当たらず。目測のずれ、互いが走り、かつナナイの調整によりその拳はナナイの顔面の横を通り抜ける。

 逆に、大吾の腹部に大きな衝撃。ナナイの拳だ。懐に潜り込まれ、強烈な一撃。大吾は吹っ飛び、しかし足で必死に地面を捉え、その身を残す。まだだ、まだ地面に足以外着いちゃいない。

 

「残しますか」

 

 そして、頭頂部に大きな衝撃。大吾はそれを耐え切れず、顔面から地面に伏する。勝負ありだった。

 

「繊細さ、は今ひとつですね」

 

「勝負アリネ!」

 

 周りは見ていた、その光景。ナナイは拳を放った後跳躍、大吾が体を止めた所へ器用にも空中前転で位置調整、そこから遠心力に載せた踵落とし。

 

「ブルー・バード……」

 

 身軽かつ、パワフル。技術力もある、隙がない。それが白銀雄也がイワコフ・ナナイに抱いた印象だった。まるで羽が生えた鳥のようだ。躍動するその身に伴って舞う銀色の短髪と敵を見据える青い瞳が、かくも美しい。

 

 大吾は直ぐに起き上がって自分が負けたことを悟ると、ナナイに一礼し雄也の元に戻った。

 

「なるほどなるほど、こいつぁとんっでもねぇ上玉じゃねぇか……!」

 

「……すいません、雄也さん。負けました。彼女、強いですよ。とんでもなく」

 

「わーってる。だからこそ、()りてぇ。いてもたってもいられねぇんだ」

 

 あの踵落としを受けてなお立ち上がり、自分で下がるタフネスを持つ大吾も凄いが、何より眼前の少女、イワコフ・ナナイに興味を抱く。そして興味は、止まらない。

 

『ダーリンってもしかしてマゾ?』

 

「違わい」

 

 J&Jの言葉を流すが、心の底から否定は出来なかった。少なくとも、耐えきる、受けきるということが気持ちいいという感覚はある。……多分それとこれとは違う話だろ。

 

「お待たせしました、「白金鬼族」の総長、シロガネさん」

 

 ナナイが雄也に声を掛ける。どうも、知らない人物だった、とうわけではなさそうだ。

 

「へぇ、知ってんだ。なら話は(はえ)ぇ」

 

「今回の対面を引き受けたのは貴方の実力を知っておきたかったから、というのがありましてね」

 

 なんと、ナナイは雄也の素性を知っていたという。そしてなお、ここまでの大盤振る舞い。ナナイはパフォーマーとしても優秀だというのか。

 

 ……駄目だ。体の疼きが止まらない。雄也は今すぐにでも、ナナイとの殴り合いをしたい。一秒でも早く、早く!

 雄也とナナイは指定位置まで行く。その間までもが、狂いそうになるほど長く感じる。こんなにも一秒一秒とは長かったのか。

 

「落ち着いてください」

 

 ギラつく瞳の雄也を、優しい瞳で見つめるナナイ。けれど、その瞳は何処かシンパシーを覚えて。

 

「私も同じ気持ちです」

 

 指定位置に着くナナイ。雄也はその一言で、落ち着いた。

 

 そうか、アンタも同じか……。両思い、こんな嬉しい気持ち、中々無いぜ。

 

「そいじゃ、行くヨーっ!ラスト対面っ!」

 

 雄也は覚悟を決める。最初の一撃、綺麗に、不動で受け止める。そして。

 

「ファイッ!」

 

 瞬間、ナナイは動く。雄也へ向かって地を蹴り、加速。能力「闘気」の乗った、握り締めた拳を雄也の腹部目掛けて振り抜く。

 

(トリガー)ッ!」

 

 最高の初撃をアンタにくれてやる。それがこの対面の始まりの合図だ!

 

 ナナイの渾身の一撃。「闘気(オーラ)」の乗った破壊力満点のそれを、雄也は受けきる。とてつもない衝撃。しかし、問題ない。そしてあらかじめ仕込んでおいた右腕を起動。

 打ち込まれる寸前に腕は動かしてあった。その腕を、目標へ動かす。相手は一撃を放った瞬間、ここが一番のチャンスになる。

 

「足んねえぜオラァッ!」

 

「--ッッ!」

 

 ナナイの顔面を殴り飛ばす。ナナイはそれを受け、後方へ吹っ飛ぶ。後頭部から、地面へ。

 

「勝負あ--」

 

 しかしナナイ、そこで手を地に着かせる。そこから、バク転のように回転、足を地に。まだだ、まだナナイはダウンしていなかった。

 

「--続行!」

 

 レフェリーによる試合続行の合図。今ので仕留められなかったのは痛い。次からは絶対に警戒してくる、このカウンタースタイル。

 そして、腹部に感じる違和感。まずい、さっきの一撃で大分体力を削られてしまった。次のモロの一撃を耐えるかどうかさえ、怪しい。

 

 勝てるのか?俺はあの少女に?どうする?バカ野郎、やるこた一つしか()ぇだろ!

 

 雄也、再びその場に構える。全力で相手を迎え撃つ構え。

 

「乗ってきたゼ……次、来いヤ」

 

 空元気。相手への警戒促進、惑わせ、自己の鼓舞。色々な要素が詰まった、その言葉。

 その言葉が相手へ与えるものは、なんでもいい。ただ、少しでも自分が有利になればそれでいい。勝てるはずの対面を、つまらない事で落とすのは有り得ない。雄也は、勝ちに貪欲だった。

 

「……ならば」

 

 ナナイはすぐさまに向かわない。動かず構える雄也を見て、その場に留まった。そして、あろうことか--履いていた黒のスニーカーを、その下の黒いロングソックスを両方、脱いだ。素足で地面を捉える。

 

 ぞくり。

 

 周りは驚愕する。その行為、そして次の瞬間向けられる危険に満ちた恐怖。

 

「全力で行きましょう」

 

 彼女が靴を脱いだ瞬間、その力量は大きく膨れ上がった。雄也の体感で二倍。恐らくそれは間違いじゃない、その通りの結果だ。

 それはまるで、武士が鞘から刀を抜いたような、さっきまで寝ていた獣が牙を剥いたような、そんな感覚。

 しかし、だからこそ雄也は興奮する。

 

 コイツ、面白(おもしれ)ェッッッ!!

 

 不敵にも笑う雄也。それは空元気でなく、心の底からの笑顔。目の前に居る強者への興味、好意、恋慕。

 その御託であってるかは分からない、いや、どれでもいい。深く考えなくていい。とにかく今はアイツの一撃を貰いたい、受け止めたい、返したい!

 

「いざ」

 

 力を溜めるナナイ。気が、どんどん膨れ上がっていく。大きく、高く膨張していく。あの小さな体のどこにそんな力が溜まるのだろうと分からなくなる。しかし、次の瞬間それは放たれる。それが楽しみで、楽しみで。

 

 こんなにも楽しい一分一秒、久々である。それは、もう少しで終わってしまうのか。

 

 だから、今を全力で楽しむ!

 

「オオオオッッッ!」

 

「アアアアッッッ!」

 

「アホかお前は」

 

「あたっ」

 

 ナナイの攻撃は止まった。膨れ上がった気も、瞬間的に消滅する。

 

「え……」

 

 何が起こったのだろうか。気が付けば、そこには一人の女性が、ナナイの頭にコツリ、とげんこつを落としていた。

 

 いつの間に……?

 

「やけに人が集まってるから見に来たら……ガキども相手に何ムキになってんだ、靴まで脱いで」

 

「いえ、クリカラさん。これは理由があるんですよ」

 

天津魔(あつま)に言おっか?この事」

 

「是非ともご内密に」

 

 あっさり折れるナナイ。果たしてあのクリカラと呼ばれた女性は何者なんだろうか、あのナナイをいとも容易く御すなど。それに、いつの間にあの場にやってきた?

 薄手の黒いワンピースに、複雑に入り乱れるように激しくパーマのかかった黒髪の、少し不気味な印象を感じる女性。人を見た目で判断しようとしたら、「呪術に手を出してそうだ」と感じる人物。

 

「そいじゃ、対面はほどほどにしときなよ。じゃないといつか、捕まっても知らんぞ白銀くん?」

 

「待てよ、アンタは一体……」

 

「警察の対策一課、倶利伽羅(くりから)綾乃(あやの)だ。コイツの上司だよ」

 

 その言葉を残して、ナナイを引きずって行く倶利伽羅綾乃。警察、ナナイの上司って事は……

 

 ナナイは、警察官だったのか。全く気づかなかった。

 

 しかし、何より雄也に残る心残り。あの一撃、どうしても受けたかった。邪魔が入っては仕方ないが、いずれは、いずれこそは。

 

「……可憐だ……」

 

 呟く大吾。なるほど、お前ナナイみたいなタイプが好きか。確かに強くて、可愛くて、真面目そうだ。可憐、と言えるかは怪しいが、いい女だろうな。

 

「倶利伽羅さん……」

 

「そっちかよッ!?」

 

 あの人どう見積もっても20後半、下手したら30入ってんぞ。



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無双と雷神

 白い玉石が敷き詰められ淵には赤松が、間隔を開けて大きな庭石が幾つか配置された、人はその場に居るだけで気を張り詰めてしまいそうな、荘厳な庭園。イクシーズ郊外だというのに鹿威しの音が聴こえ、ここが本当に新社会(ニューソサエティ)なのかと一瞬錯覚してしまいそうな庭園だった。

 

 まるで相撲取り、いや、もっと大きい。胴回り、背丈、体重、全てが関取を上回るような庭石の前に、反して背の低い男女が二人、並んで立っていた。

 

「今日はこれを斬れ」

 

 少女は不真面目でもなく、真面目でもなく。さもそれが当たり前かのように隣の少年に向かってそう命じた。勿論、「これ」とは「庭石」の事である。大きな、とても大きな。

 

「はー、これを、ですか……」

 

 対して隣の少年は不満をぶつける訳でもなく、できると肯定してみせる訳でもなく。今は値踏みをするように、その庭石をしげしげと見つめている。

 

 少女は玉石の上にガチャリ、と幾つかの鞘に収められた刀を置いた。大小、全部で六本ある。

 

「刀は用意した。日本刀三本、忍者刀三本の計六本だ。脇差が欲しいなら言え、ただし計六本より多くの使用は認めない」

 

「あー……いいですよ、師匠のメインは忍者刀っすもんね」

 

 少年はそのままで良いと言う。まずは、彼女の戦い方を考えなければならない。師匠と呼んだ彼女、三嶋小雨の戦い方を。そうしなければ、追い駆けるどころか、その目で捉えることも叶わない。

 

「そっか。征四郎のそーいう物分りの良い所、意外と好きだよ。そんじゃ、終わったら呼んでくれ。向こうで客と茶ーしばいてくる」

 

 そう言うと、三嶋小雨は屋敷の向こう側へと玉石を踏み鳴らして歩いて行った。取り残された少年、後藤征四郎はその場でただひたすらと、まずは庭石を観察していた。

 

 そうだ、三嶋小雨が押し付けてみせたのはこの岩を切れ、という無理難題。岩とは普通に考えて切れる物じゃない。しかし、征四郎は嫌な顔一つせず、そこにあるのは無垢なる真剣な表情。

 無理難題で上等、なんのそのだ。そもそも、こうじゃなきゃ意味が無い!なんか凄く、修行っぽいぞ!

 

 少年は憧れる、小説のような最強の主人公に。この修行は、自分がそうなる為の一歩を踏みしめる事にほかならない--

 

--屋敷の縁側では、二人の女性が日向ぼっこをしていた。片方は屋敷の主である三嶋小雨、もう片方は割烹着姿に髪を後ろでお団子のように束ねた女性。客人だった。

 

「茶菓子は持ってきたんだろうな、娘々(にゃんにゃん)

 

「アイヤー、しっかりとネー。にゃごやんで良かったかネー?」

 

 娘々と呼ばれた彼女は、手提げから箱入りの和菓子を取り出す。地元の特産品、というには少し広義ではあるが、まあ、およそそんなとこだろうか。伊勢名物の和菓子ですらこの辺りでも売っている事を加味すると、もしかしたら違うのかもしれない。

 

「結構だ。ところでそのな、をにゃって言うのはキャラ付けか?」

 

「キャラ作りしないとこんな個性的な街でやっていけないアル」

 

 そしてさらに娘々が取り出したのは、2リットル入のペットボトルの烏龍茶だ。小雨は屋敷の中からグラスを二つ持ってくる。

 

「中国人的にそれはアリなのか?」

 

「日本人は市販の緑茶は飲めないカ?」

 

「ああ、いや……その通りだな」

 

 娘々がグラスに烏龍茶を注ぐと、二人はグラスを手に取りカツン、とぶつけて鳴らしあった。

 

「本当は酒でもいいんだがな」

 

「まだ昼下がりネ。弟子君に怒られるアルよ?」

 

「あいつはそういう所でうるさい奴じゃないんだよ」

 

「気のいい子ネ。けれどもう少し後で、ネ?」

 

 グイ、と烏龍茶を煽る二人。ただの市販の茶がこんなに美味いだなんて、人類の進化とはすごいものだな。

 

 和菓子をつまみながら、まったりと空を眺める二人。空とは、眺めているだけで意外と楽しいものである。横に気の合う仲間が居れば最高だった。

 

「白銀雄也、見てきたヨー」

 

 話を切り出す娘々。話題は巷で噂になっている対面グループ「白金鬼族」の総長の事だ。

 

「へぇ、興味深い。どうだった?」

 

 食いつきの良い小雨。白銀雄也の情報は知っておきたかった所だ。

 

「ありゃ大分強いネ。ナナイと対面してたケド、ナナイの初撃を腹で受け止めてかつ後ろに下がらずにカウンターしてたネ。タフネスで言ったらナナイより上アルよ」

 

「馬鹿じゃねーのかそいつ」

 

「多分馬鹿ネ」

 

 イワコフ・ナナイ。三嶋小雨と、やって来た客人、来雷(くーらい)娘々の同級生であり、警察官だ。小雨は彼女がどういう人物なのかを知っている。小雨が腹部をナナイに殴られた場面を想像すると、そのまま内蔵が口から出てきそうだった。

 とにかく、凄くパワフルだ。そんな彼女の攻撃をまともに受け、しかもやり返したソイツは、正気とは思えないし強いのが聞くだけで分かった。ただ、馬鹿だと思う。小雨だったら死んでもそんなプランは取らない。

 

「ところで小雨はどう思うネ、五大祭の優勝者。誰が一番ネ?」

 

「現状だと瀧シエル一択だな。三極でアイツを崩すのは無理に近い。それこそEX能力を取得するか、はたまた能力の進化(イクシード)でも起こさない限りはな。そもそもアイツ自体が能力を五つ持ってるようなもんだ」

 

 小雨は和菓子をまぐまぐ、と頬張るように口に入れ、少しして烏龍茶で流し込んだ。

 

「無理だな」

 

 それが現状の、三嶋小雨の結論だ。瀧シエルは、イクシーズ在住の高校生の中でもトップクラスで強い。というより、他に対抗馬が居ないレベルで強い。それこそ、三嶋小雨と張り合えるレベルで強いだろう。実際、そう提唱する対面ファンも多かった。

 そもそも、三極の内、氷室翔天と風切雅は既に聖霊祭で(くだ)されている。残るは一人、厚木血汐だ。しかし彼ですら、瀧シエルには及ばない。それが、小雨の見解だった。

 

「私も、少し前なら瀧を押したネ。しかし今は違う」

 

「へぇ」

 

「白銀雄也。あの子は優勝するネ。「雷神」である私が言うんだから間違い無いネ」

 

 自信満々にそう告げる娘々。そこに瞳の揺らぎはなく、信じて疑わない意思があった。

 

「そうか、そんなに凄いか、白銀雄也は。私とやったらどっちが勝つ」

 

「そりゃ小雨ネー!ユーに勝てる奴なんて世界中探しても見つからないヨ!」

 

 にこやかな顔で小雨の太ももの上に上半身を乗っけて転がる娘々。その様はまるで飼い主に懐く猫のようだ。

 

「媚売り上手だなオイ」

 

「本心ヨー。天領牙刀も、瀧シエルも、イワコフ・ナナイも、シャイン・ジェネシスも。三嶋小雨に勝てる人間なんて居ないネ!あ、今日は寿司が食べたいヨー。」

 

「回転寿司でも行くか」

 

「えー!回らない寿司が良いネー!ウニ、イクラ、ホヤが食いたいヨー!」

 

「いや、ホヤは食いたくねーな……ってそうじゃないわ」

 

「ところで弟子君の様子はどうネー?」

 

 回らない寿司の部分に抗議を申し出ようとした所、娘々は話題を切り替えた。コイツ……

 

「ああ、上達はかなり早い。本当に七月頭に弟子入りしたのかってレベルでな」

 

 後藤征四郎の近況。彼は、能力的に言って他者と比べて非常に弱い。パワー2、スピード2、タフネス1、スタミナ1、スキル2「速度上昇」Dレート。これが、征四郎のステータスだ。

 そもそもDレートという評定を抱えている時点で本来はお察しだ。イクシーズではレーティングが全てみたいな所はある。レーティングこそが体裁だ。

 

「いやー、驚いたネ。あの小雨がまさか弟子を取るなんて」

 

 しかし、小雨は弟子入りしに来た征四郎を、テストと面接をした上で受け入れた。これまでにも弟子入りしに来た人物は多く居た。なんせ、唯一のSSレートだ。最強の剣豪に、それはもうひっきりなしに名乗り出るものが居た。

 しかし、それらを小雨はすっぱり切った。なぜなら、この流派に合うものが居なかったからだ。三嶋流斬鉄剣。唯一人を除いては。

 

「アイツは驚いたね。出した筆記テストの点数、全部30点以下でさ。身体テストも得意なスピード物以外は全部駄目。本当にやる気があるのかってさ」

 

「ありゃりゃー……」

 

 でも、小雨は征四郎の答えを聞いた。

 

「けれど、弟子になりたい理由を聞いたらさ、あまつさえ面接でアイツ、こう言ったのさ。「小説の主人公のように、強くなりたくて来ました!」って。馬鹿だよな、面接で本音を、しかも子供らしい理由だ」

 

「……なおさらネ。なんで弟子にしたのさ」

 

「嘘偽りを持たずに、他人も自分も騙そうとせずに強くなりたいって奴、中々居ないだろ?アイツはそれを声に出して言ったのさ。だから弟子にした。丁度三嶋流の条件も満たしてたしな」

 

 征四郎は自分に、他人に正直だった。それを手放しで褒めるのは無理だが、それは一つの大きな武器になる。自分に真っ直ぐである事。愚直に、強くなりたいと願えるもの。だから小雨は彼を弟子にした。彼女もまた、欲望の為に強くなると願った者だから。

 

「あっ!そう言えば昔、小雨言ってたアルよ!「働きたくないから最強になりたい」って!もしかして小雨、昔の自分に彼を重ねちゃったネ!?」

 

「よし、その口を塞げ。じゃなきゃ寿司は無しだ」

 

「……」

 

 瞬間、口に両手を当て黙る娘々。普段五月蝿いのにこういう時の対応は速い。コイツ……まあいい。

 

「ちなみに今は向こうで刀で岩を斬らせてる」

 

「岩!?出たヨこの子、スパルタアルヨー!刀で岩なんて三嶋小雨以外斬れないネー!鬼!悪魔ー!」

 

 驚くついでにちゃっかり媚を売る娘々。コイツのこういうところ、意外と好きである。

 

「ふん、斬れなくて当たり前の物を斬るからこそ意味があるんだ。出来る出来ないじゃなくやるのさ。天地をひっくり返してようやく最弱が最強になる」

 

「うわー……」

 

 ちなみに、小雨は今日で征四郎が岩を切れる等と思っちゃいない。刃こぼれか、はたまた折れるかで普通は終わり。あわよくば、岩に切込が入ればいいぐらいか。未だに大きな鉄の音が聞こえてこないことを考えると、意外と折れまではしてないのかもしれない。

 

 しかし、折れないという事は、思い切りが足りないという事にも繋がる。もしかしたら刀が使い物にならなくなるのを考えでもしているのだろうか。だとしたら愚かだ、あんなもの切れ味がいいだけの安物だというのに。

 まあ、あえて言わなかったのだが。状況判断も三嶋流の内だ。弱者が強者を倒すための要素の一つだ。

 

「とりあえず、岩に切り込みが入れば御の字だよ。そろそろ様子を見に行くか」

 

「さてさて、どうなってるやら楽しみネー」

 

 二人で庭園を歩いていく。屋敷をぐるりと回り、反対側へ。そこには、岩に向かって忍者刀を振り終えた征四郎の後ろ姿が。

 

「あ、おーい、調子はどうだー?」

 

「あ、師匠ー。今--」

 

 小雨が声を掛けて、征四郎が反応した次の瞬間、ズリッ、と岩が下がる。下がる、と表現したのは、頂点がそのまま斜め下に、滑るように落ちたからだ。そして、ズドン、と大きな音を立てて玉石の上に岩の残骸が落下した。玉石が衝撃を和らげた為か、地響きは無かった。

 

「--斬り終わりましたよ」

 

「--」

 

「ワァオ……」

 

 言葉を失くす二人。娘々は喋り方すら統一出来ない程に驚いている。

 

「いやー、なんか色々考えてたんすけど、斬る事はもう確定してたんで、後はどうしたら安全に上手く斬れるんだろうなーって。ずーっと考えてて、したら日本刀で一回斜めしたから斬って切り込み入れてから反対から忍者刀で斬れば、こっちに落ちてこずに斬れると思いまして。いやー、意外と岩って斬れるもんですね。成功っす」

 

 小雨は近寄ると征四郎の頭をぽんぽん、と撫でた。

 

「よくやった、偉い。よし、今日は飯食いに行くぞ。回らない寿司奢ってやる」

 

「ええっ!?マジっすか!!」

 

 無邪気にも満面の笑みで嬉しがる征四郎。岩を刀で斬った事、回らない寿司の両方が合わさったらそのような笑顔になるのだろうか。いや、さらに小雨に褒められた事も大きいのだろう。

 

「おい娘々、さっき現状は瀧一択って言ったな」

 

 娘々の方に振り向く小雨。その顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。

 

「これは先が分からんぞ。「無双(ノーバディ)」の称号を持つこの私が言うんだから間違い無い」



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離反

「光輝……私じゃ駄目ですか」

 

 自宅の玄関にて、不安げな瞳で光輝を見るクリス。

 

「誤魔化さずに、答えてください」

 

 クリスのこんな顔は、態度は初めて見た。心の底へと触れるような、思い切った感情。

 やめてくれ。俺は、強い人間じゃない。心に触れられてまともでいられるほど出来た人間じゃない。

 

 なぜだ、何故こんな事になってしまった--

 

--イクシーズ市街。中央駅内の大きな時計にて、光輝は人を待っていた。今日は休日。学校はなく、いわゆる遊びの予定を入れていた。

 本来ならこんな人ごみ、大嫌いだ。しかし、今は耐えるしかない。なぜなら、俺は彼女に逆らうことが出来ない。弱みを握られているのだ。

 

「やっほー!」

 

 行き交う人々の中から待ち人が光輝を見つけ、声をかけながら近付いてくる。あまり大きな声を出さないでくれ、恥ずかしい。視線を受けるということは全く慣れていないんだ、お前と違って。つか、遅刻してんぞ。

 

「遅いぞ、一宮(いちのみや)

 

「えへへ、ごめんごめん。ちょっと寝坊しちゃった」

 

 待ち合わせから五分過ぎて現れた人物は一宮(いちのみや)星姫(さき)。光輝と同い年にして俳優と歌手を兼ねる芸能人であり、その容姿・演技力・歌唱力のどれをとってもなんとも高スペックだ。そんな人物とふとしたことから光輝は知り合いになってしまった。変装の為か、今はサングラスをかけている。

 そしてその隣に見かけた事のある人物が一人。ポニーテールの黒髪に、キリッとした表情。星姫の友人だ。

 

「一人じゃなかったんだな」

 

 光輝がそう言うと、星姫は顔をプクっと膨らませる。これら全ての行動が計算づけられた演技かもしれないと思うとなんとも怖いが、まあ、素直に受け取っておこうか。怒ってるんだよな。

 

「君がそれ言う?既に女の子侍らせて」

 

「侍らせるとは人聞きの悪い」

 

 そういう物言いは良くないぞ。ただ、勝手についてきただけだ。

 

「……どうも」

 

 何故か、光輝の隣には既に一人の少女が居心地の悪そうな様子で佇んでいた。クリス・ド・レイ。家から一緒にここまでやって来た。光輝の了承を得ずにだ。まあ、彼女を否定する理由も無く。

 

 今日は、星姫に誘われてしまったので市街で遊ぶ、というだけの話だった。別に二人きりのデートなんて設定は聞いていなかったので問題ない筈だ。

 

「まあ、いいけどね。こっちも(ハク)が勝手についてきちゃったし。ほら、自己紹介しなよ」

 

 星姫が促すと、ポニーテールの少女は光輝とクリスに向かって手を差し出し、名乗る。

 

「申し遅れました。(それがし)、名を天領(てんりょう)白鶴(はくつる)と申します。以後、よろしくお願いします」

 

「ああ。俺の名前は岡本光輝だ。よろしく」

 

「クリス・ド・レイです。よろしくお願いしますね」

 

 こちらもまた自己紹介をし、そして光輝、クリスの順に握手をしていく白鶴。

 なんというか、前にも聞いたことはあったが……時代錯誤な喋り方だ。まあ、個性的でいいとは思うが。ただ、聞きなれない言葉を使うもので、少し理解に時間を要する。

 

「しかし、困ったなー。ホントは光輝君と一緒に映画館でラブストーリーものでも観ようかと思ったのに、四人かー。どうしようかなー」

 

 うむむ、と唸る星姫。お前、俺と二人きりだったらそんなプラン立ててたのか。コイツはどこまで本気なのだろうか。ラブストーリーって、確実にそういう事だよな?

 そもそも、今日のプランを光輝は知らされてない。ただ一方的に星姫から「本と仮面を返すついでに遊ぼう」と誘われた以外には、何も聞いていない。勿論、こちらが決める気も無かった。そこまでの立ち回りがついこの間まで録に友達も居なかった俺に出来る訳もなく。

 まあ、今は星姫に任せればいいだろう。そう思っていた矢先、クリスが手を挙げる。

 

「あの……カラオケ、なんてどうでしょうか?」

 

 それはまさかの提案だった。クリスからカラオケという単語を聞くこと自体想像していなかった為、驚く……が、よく考えれば彼女も年頃の少女だ。クリスはいいとこのお嬢様だと色眼鏡で見ていただけで、どうやら偏った判断をしていたようだ。

 

「お、いいねそれ!クリスちゃん、ナイスアイディア!」

 

「カラオケですか。某もこう見えて歌唱には自身があるのですよ」

 

「そうだな、カラオケにしようか」

 

 光輝を含めて乗り気な三人。よくよく考えて、現役歌手の星姫の生歌が聴けるとは。これは意外と約得かもしれん--

 

--そしてイクシーズ市街の、少し割高のカラオケボックスに入る光輝達。市街から少し外れれば、本当はもう少し安いのだが流石にそんな野暮な事はせず。

 

「月のォ、かぁけェ、らぁをォ集めえてェ」

 

 ……なんとも変わった歌い方をするクリス。原曲とは違う、奇々怪々な手法だった。

 

 演奏が終わって拍手をする他3人。いや、まあ、上手いことは上手いんだが。

 

「……なんで演歌調だ?」

 

 疑問をぶつける光輝。お前、日本人じゃないだろうに。

 

「えっ!?日本人男性は演歌で落とせと文献に載っていたので得意な歌を仕上げてみたのですが!」

 

「毎度思うがお前が読んでいる文献はなんだ」

 

 個人的には、まあ……悪くはないが、普通でいいと思うぞ。別に特別な事なんて求めてないし。

 

「いや、でも上手いねクリス!私も負けてられないなー、これは」

 

「いやはや、クリス殿。貴女の歌いっぷり、しかと見届けました。では不肖ながら某、二番手を務めさせていただきます」

 

 他の二人には好評のようだが。良かったのか、これ--

 

--「また君ーにーぃー、恋してる 今まぁーでよーりもふーかく」

 

 ……なんで男性キーバージョンなんだ。いや、まあ、よく捉えてるな。器用だと思うし、彼女……天領白鶴らしい曲選だとは思う。女性キーバージョンより侘しくて俺は好きだよ。

 

「白、それ好きだよねー。思い入れでもあるの?」

 

「水と間違えて飲んだのが切っ掛けです。あれ以来ハマってしまいまして」

 

 ハマるって、CMか?曲のほうか。そうだよな、そうだと言ってくれ。アンタの父親、警察官だろ。天領なんて苗字、そうそうあってたまるか--

 

--「春を告げ、踊りだすsunshine……夏を見る宇治、野原唐草乾くわ……」

 

 自分で歌っといてなんだと思うけど……この曲選は間違った。確実に間違った。

 聞く分にはいいが、盛り上げるにはイマイチだ。男が歌うならなおさら。素直にワンナイトカーニバルかアゲアゲエブリナイトでも行くべきだったな。

 

「しみじみして素敵ですよ、光輝!」

 

 ああ、フォローありがとなクリス。大丈夫、自分の間違いは自分がよく分かってるんだ。

 

「光輝君、そういうの歌うんだ?」

 

「ああ、もっと盛り上がるの歌えば良かったと後悔している」

 

「じゃあさ……これ、一緒に歌える?私、メイン担当するから」

 

 と、カラオケの備え付けの端末を操作して画面を見せる星姫。なるほど、知っている曲だ。こういうのも歌うのか。

 

「……問題ないが」

 

 と、星姫が挽回のチャンスをくれて……って、まて。これをデュエットでやってお前がメインって事は--

 

--「ぶっちゃけチューしてギューッと抱きしめたい!」

 

LOVE(ラブ)LOVE(ラブ)!」

 

「全て、全てを投げ出したァい!」

 

「ドッきゅん!」

 

 ……合いの手は俺が担当する事になるんだよな。

 

 サビ前では、マイクを片手に持っている為にもう片方の手でハートの半分を作らされ、それを星姫の手と合わせて一つのハートを作ったりして原曲PVの再現をしたりして。……これ、クソ恥ずかしいぞ。

 

「だけど大きな、夢がある!NO.1!ヨロシクゥ!」

 

 思いのほか熱唱する星姫、そこには熱い感情が込められている。そして気付く。なるほど、これは星姫の覚悟を表している曲選でもあるのか。顔を見てみれば、そこには楽しくも凛々しい表情が。歌っていて、とても気持ちよさそうだ。

 

「すごい!星姫ちゃん、すごいよ!」

 

 まるで子供のような感想を出すクリス。しかし、目の輝きからそれがただ単に素直な感想なんだなと分かる。俺もそう思う、星姫は努力をしてきたのだろう、歌唱力では群を抜いている。……俺は恥ずかしかったけど。

 

「あはは、そう?ありがとね!」

 

 その声を掛けられた星姫も、満更でもなさそうで。素直なその姿には、好感を覚える。

 

 ……いや、あくまで、友達として、か。挽回のチャンスもくれたし、まあ、出だしとしては非常に良い印象だった。

 

 そして皆、それぞれ歌を歌ったりして、備え付けのフロントへの電話で料理を注文したりして。……ロシアンルーレットたこ焼きとかいう悪魔の風習をカラオケに持ってきたのはどこのどいつだ。喉が痛くて歌えやしないだろ、馬鹿か。食らったのは俺だ。

 尚、星姫がさらっとカシスオレンジカクテルを頼もうとしてたのには釘を刺しておいた。お前、未成年だろ。「ちえっ、ケチ」と言われたが駄目なもんは駄目だ。

 

 そして、皆の歌がある程度で終わって、少し休憩。雑談タイムに移行しだした。そこで、星姫からのまさかの質問が出る。

 

「ねー、光輝君とクリスって、どんな関係?」

 

「え……っ」

 

「……」

 

 いや、なんとなく、予想はしてたんだ、星姫がその質問をするのは。

 

 さて、どうするかな……。



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離反2

「ねー、光輝君とクリスって、どんな関係?」

 

 星姫のその質問に、少し考える光輝。超視力がもたらす思考の高速化も兼ねて、だ。

 

 はたして、どこまでを話べきだろうか。クリスが特待留学生である事、修学旅行の先で知り合った事、同じ学校のクラスメイトという事――ここら辺は、言ってしまっても差し支えがないだろうか。とりあえず探りを入れてみて、向こうの出方を伺うか。

 

 光輝はクリスの方を学校の時と同じように見る。アイコンタクトだ。視線を受け取ったクリスは固唾を飲むような面持ちで、星姫に言う。

 

「はい、私、実は留学生でして。光輝の家にホームステイしております」

 

 よし、それで――

 

「――って」

 

 え?

 

 一瞬、思考が停止する光輝。なんだ、何が起きた。理解ができなかった。

 

「ほー、そうなの?近頃の留学生ってそういうのアリなんだねー」

 

「はい、光輝とは昔、ロンドンで会ったことがありまして。どうせなら、知り合いの方がいいかと」

 

 特に遜色もなく会話を続けるクリスと星姫。白鶴はそれを無言で聞いていた。興味がない、というわけでは無さそうで、どうやら割って入れるような話題では無い、といった感じか。

 

 だが、唯一、光輝だけは今だ言葉を発せず、思考で脳内を埋め尽くしていた。

 

 まて、クリス。そうじゃないだろ。なぜいきなり踏み込む。

 

 クリスは頭が良い。良いはずだ。なのに、あえて危うい立ち回りをしたように思える光輝。しかし、星姫は対して顔色を変えていない。

 間違い、じゃないのか。そこまで読んでの選択なのか。事実、今のところ不備は起きていない。ならば、そのまま押し通るしかないか。

 

 覚悟を決めて、話に乗り込む光輝。

 

「ああ、そうなんだ。まあ、クリスがいいんなら、俺はいいんだがな」

 

 なんて、クリスがやって来た当時は本心じゃ思っちゃいなく。今はただ惰性で流されるように過ごしてきたが、この暮らしが本当に合っているのかは分からなくて。けれど、それを表には出さない。

 

「ふうん。それじゃ、二人は付き合ったりしてるわけ?」

 

 そして、グイグイと突っ込んでくる星姫。まあ、普通はそう思うだろう。けれど、そうではない。

 

「いや、そういう訳じゃないんだ。あくまで友達、だよ」

 

「はい。同じ部屋で寝泊りはしていますが」

 

「わお、大胆だね」

 

 ……いや、おかしい。クリスの立ち回りが乱れすぎている。

 

 人と話す、というのはなんの考えもなしにやっていいものじゃない。自分が持つ情報、相手が持つ情報、それらを上手くかみ合うように、慎重に織り成していく。それが、会話だ。

 光輝は視線で合図をした。あの後決めた合図、それは「様子見」の合図。情報を小出しに、そして相手の出方を見て、対応して話題を少しずつ、差し支えなく吐いていく。勿論、言うべきでない事は言わない。それが会話というものだ。

 

 しかし、クリスは様子見というレベルではなく言葉を出していく。その中で現状光輝が思いつくことといえば、それは「調べたらすぐに分かる情報」という事。これらは、既に俺たちの学校で後藤がバラしてしまった事実、という事がある。だから今言っても問題なかった、という事か。

 

 それにしても、その必要が本当にあるのか。光輝ならギリギリまで避けていくが、あくまで光輝なら、の話であって。クリスにはまた別の考えがあるのだろうか。

 

「じゃあさ」

 

 そこで、星姫が手を挙げる。ニヤリとした笑み。

 

「私と付き合わない?光輝君。君のこと、かなり好きなんだけど」

 

「--」

 

「あー」

 

 星姫のいきなりの光輝への愛の告白。クリスと白鶴は無言。わずか、クリスの顔は強張る。反面、光輝の顔は穏やか。なぜなら乗る気がないから。答えは直ぐに出ていた。

 

「悪い、今は無理かな。星姫と出会ってばっかだし」

 

 予め用意していた答え。不備はない。

 

「えー、いいじゃん。ほら、私俳優だよ?歌手だよ?それはもう、お得物件だよ?何が欲しい?アウディ?メルセデス?BM?あ、日本人らしく情熱の赤プリがいい?」

 

「俺は車の免許持ってねーし、赤プリは死語だろ。お前何歳だよ」

 

 告白を断られたという事実を衝撃吸収板のように柔らかに受け止め、茶化しを混ぜて場の空気が盛り下がるのを防いだであろう星姫。少なくとも、光輝はそう解釈した。

 

 なるほど、上手い。

 

 しかし、光輝の「今は無理」という言葉も、そのままの意味だけで放ったものではなく。それは、人間の心理を利用した言葉。「熱しやすく、冷めやすい」。それはおよそ、多くの人間が共通して持つ心理。今を生きるという存在が落ち入り易い、避けられぬパラドクス。

 今は星姫が光輝を好きだと言った。しかし、それは未来永劫続くだろか。いいや、違うね。そんなものは一瞬で過ぎ去っていく一過性のものに過ぎず、今はただ、その若気の至りという感情の暴走に振り回されているだけなんだろう。

 

 だから、今断る事が出来れば、彼女は心変わりをするかもしれない。やんわりと先延ばしにし、なあなあで終わらせる。それが、光輝の狙いだ。

 

「うーん、そっかー。まあ、いいや。今は友達って事で」

 

「ああ」

 

 意外と大人しく引き下がる星姫。それならそれでいい。とにもかくにも、俺がこんなハイスペックな人と釣り合うわけがなく。だから、俺じゃ付き合う事は出来ない――

 

――結局、なんだかんだでカラオケという名の雑談会が終わり、無事解散して市街から自宅へと帰ってきた光輝とクリス。時間は六時すぎだ。

 約束通り、星姫は夜千代の仮面と本を返してくれた。この二つが戻ってきてくれた事は、素直に喜ぶとしよう。これで夜千代に怖い顔をされなくて済む。

 

 しかしまあ、分かってたとは言え、一宮星姫に好意を寄せられているのだと実感すると、申し訳のない気持ちになる。こんな俺を好きになるだなんて、想うだけ無駄で、自分の心の事じゃないのに、虚しくなる。

 

 恋なんてのは一過性の物で、後できっと、後悔するんだ。

 

「あ……母さんの靴、無いな。まだ仕事の日だっけ?」

 

 玄関で母の靴がない事に気付く光輝。母の仕事は基本、午後の早めに終わるのだが、たまに遅い日はある。そればっかりは仕事だから仕方ない。普段は予め教えてくれるのだが、朝俺たちが家を早く出たから、聞きそびれたんだろうな。

 

 ……飯どうしよっかな。

 

「なあクリス、悪いけど晩飯……」

 

「今は無理かなって、いずれは良いって事ですか」

 

 振り向いてクリスに晩飯を頼もうとした時、クリスはこちらを、真剣に、そして不安げに見つめ、問いかけてきた。

 

 一瞬なんの事か考えて、思い出す。星姫に対して放った言葉。それは、あろうことか星姫ではなく、クリスの心に楔のように打ち込まれていた。

 直ぐに理解する光輝。その言葉で星姫には答えることが出来ても、クリスへ答えた事にはならなかった。心の、意思のすれ違い。光輝は悟った。失言だったと。これはクリスの告白を断っておきながら、彼女の眼前で、星姫の告白を先延ばしにした、という状況じゃないか。

 勿論、直ぐに弁解に入る。

 

「……あれは星姫を上手く諭すための言葉だ」

 

「そうやって私も諭すんですか」

 

 待て、落ち着け。

 

 それはクリスではなく、自分への言葉だ。また失言を重ねた。今の言葉でクリスを抑えられるわけがないだろ。馬鹿か、お前は。考えろ、考えて物事を喋れ。クリスは今、何を求めている?

 

「違う、そうじゃなくってだな」

 

「光輝」

 

 有無を言わさぬような雰囲気、なるほど、今合点がいった。それにしても、遅すぎた。もっと早くに気付くことが出来れば、対策が出来たものを。

 

「……私じゃ駄目ですか」

 

「……何を」

 

「誤魔化さずに、答えてください」

 

 クリスは焦っている。岡本光輝を好いているのが自分だけじゃなく、他にも居たという事実に。そしてそれが、テレビに映っていた、憧れていた一宮星姫であっては、焦りもする。

 

 はは、あろうことか未だに冷めた感情で周りを捉えようとするこんな俺に、だ。相変わらず最低だな、俺は。自分を好きだ、なんて言ってくれる女の子に対してこういう対処の仕方しか出来ないんだ。なんて無様だよ俺は。

 

「――逃げましたね」

 

「――」

 

 光輝の心を読むように言葉を放つクリス。

 

 やめろ。それ以上踏み込んでくるなよ。

 

「今、心の中で逃げましたね」

 

「やめろ」

 

 俺の心に入ってくるなよ。お前に何が分かるんだよ。

 

「目を背けないでください、光輝。私は貴方が好きです」

 

 背けている?はは、そうだろうな。お前は輝いている。真っ暗な俺とは違う。はは、なんで。なんでお前なんかが俺を好きだって?

 

「あああうるさい、(うるさ)いっ、五月蝿(うるさ)いッッ!!お前に一体何が分かって――」

 

「言ってくれなきゃ何も分からないじゃないですかっ!私の目を見て話してください!」

 

 がなる光輝を怒声で制するクリス。気が付けば下を向かせていた目を、クリスの目と合わせる。クリスの目には涙が浮かんでいた。

 

 ははっ、よく泣く奴だな……

 

 そう思って、気付く。いつも泣かせているのは俺じゃないか。

 

「お願いです光輝、答えてください……貴方は一体、何に囚われているのですか……」

 

 最早、縋るようなクリスの声。心の中で舌打ちする光輝。何に囚われているなんて、はたして自分ですら分かっているのだろうか……。



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離反3

 岡本光輝は自分を失うのが嫌だった。この世界から切り離されてしまうのが嫌だった。

 

 つまり、死ぬこと。それは、とても怖かった。

 

 昔は、こんなよくも分からないことを悩むような性格じゃなかったと思う。もっと呑気で、気軽で、素直に生きることができたと思う。いつからこんなに(ひねく)れた、(こじ)れた、()()がったような性格になってしまったか。その時期は覚えている。

 

 今から二年前、父親が自殺した時からだ。大雨の中、父は海に身を投げた。

 

 父は明るくて、笑顔で、皆から愛されていたとは思う。そんな父がなぜ自殺したか、思い当たる節はあった。

 

 なんの変哲もない夜、光輝は寝ている途中でトイレに行きたくなって起きた。既に夜深く、父も母も寝ていた。暗いリビングを電気で照らし、ある一枚の紙を見てしまった。

 

 テーブルに放られた、うつ病の診断書。もし今でもあの時に戻れたのなら、と考える事はある。けど、それは過ぎ去ってしまった事で。

 

 それから1週間もして間もなく、父は自殺した。篠突く雨が降り注ぐ秋の夜の中。あれから秋雨の夜は碌な事が無い。まるで、あの父の過去を連想させるかのように。いつも、胸騒ぎがする。

 

 父はきっと頑張りすぎたんだろう。周囲から期待され、信頼され、尊敬され。だから頑張らざるを得なかったのだろう。だから死んでしまったのだろう。父は殺されたのだ。周囲と、自分に。

 

 そして、俺は嫌になった。周囲の期待も、信頼も、尊敬なんてもってのほかだ。俺は俺の物だ、他の誰の物でもない。他人の為に死んでやるなんて、以ての外で。生きるということが、全てであると。だから自分で周りを切り離して、薄皮一枚だけ残して世界の端っこにとどまっていて。そうすれば、わずかな楽しみでいい。この世界で、幸せを享受することができる。

 

 それで正しいと、あれから今まで信じ込んできた--

 

--岡本光輝は動揺する。自分をこんなに求めてくれる人が居る。それは本来、喜ばしいことなのだろう。けれど、光輝にとってはそれが苦痛だった。

 

「……っ、やめてくれ、俺はお前に話すことなんて何も無い」

 

 自分の心を曝け出すというのは、相手に心臓を差し出すのと同じだ。魂をわし掴みにされ、自由に動けなくなる。そうなれば、自分は終わりだ。光輝は、そう思っていた。

 

 けれど、今この場面では、本当にそれが正しいのか理解らなくなって。

 

「嘘ですよ……光輝、凄く辛そうな顔してます」

 

 まるで家族を労わるような、悲しそうなクリスの瞳。やめてくれ、そんな目で俺を見ないでくれ。

 

「俺は辛くて結構だ……生きてりゃ辛いこともあるだろ」

 

 当然だ、それが生きるという事だ。辛いことを耐えて、だから楽しいこともあって。だから、それで良くて。

 光輝は切り捨てようとした。けれどクリスは、諦めない。

 

「話せば辛くなくなるかもしれません」

 

「くどいッ、そんなもん要らないんだ!」

 

 光輝は本心を明かしたくない。それは、どうしても。自分の本心は、自分の表面よりももっと最低だという意識があるからだ。

 

「光輝、私を本心で求めた事があるって、ジャックが言ってました。私、光輝の為ならなんでも出来ます。悩んでいるのなら、いくらでもぶつけてください。私は、光輝の求めた通りにします」

 

 何を言っているんだ、コイツは。そんなもの、求めていない。俺のためにお前が差し出されるなんて、そんな言葉で、俺がお前を奪うとでも思っているのか。

 

「だったら知ってるはずだ!俺じゃお前と釣り合わないんだ!俺が嫌なんだ!俺が最低だから、お前とは付き合えないんだ!求めたくないんだ!」

 

「……どうして、光輝、凄い人ですよ。私を助けてくれた時だって、王座の時だって。他人の為に頑張れるなんて、誰でも出来ることじゃないんです……!」

 

「……ッ!」

 

 光輝は過去を回想する。そうだ、あの時から、俺の歯車は狂ったんだ。

 

「あの時助けてもらって、私、そんな光輝に憧れたんです!だから……」

 

 あの時を思えば思うほど、自分を憎みたくなる。

 

「……もっと自分に自信を持ってください……貴方は、貴方が思っているよりももっと、凄い人です……」

 

 違う。俺は俺の為に動いた結果、自分の首を絞めたのだ。単なる自業自得だ。

 

「っ……あの時からだ、あの時選択を間違わなければ、俺は苦しまずに済んだんだ!クリス、お前を俺が助けたから!」

 

 それは、なんだかんだと言い訳を付けて、重ねて、自分が悪いと御託を並べて。結局は、責任転嫁でしかない。クリスを助けたからだという、責任転嫁。

 

「……」

 

「あの時、俺がお前を気にかけなければ!あれからだよ、俺が義なんて物に拘ってんのは!」

 

 それはなんとも最低な言葉だと、自分で理解している。あそこでクリスを助けなければ、クリスは死んでいただろう。この言葉は、紐解けば「クリスが死ねば、俺は苦しまずに済んだ」と。そう言っているのだ。

 

「クソ、どうしてこんな事にッ!」

 

 光輝は自暴自棄だった。この場でクリス・ド・レイを、切り捨てる気でいた。そして、いつもの日々に戻って、そして生きていけばそれでいいと。早く、俺を解放してくれ。そう思った。

 

 しかし、クリスはその言葉に怒りなどしなかった。

 

「……ごめんなさい」

 

 吐き出されたそれは、謝罪の言葉だった。

 

「私があの時、出しゃばらなければ、光輝は苦しまずに済んだのに……本当に、ごめんなさい」

 

 クリスは光輝を受け止める。否定される気で居た光輝は、まさかの肯定に困惑する。

 

「……っ」

 

 その言葉を聞いて、光輝は今更に気付いた。クリスに向かって、凄く酷いことを言ったのだと。それでもクリスは、悪いのは自分だと言って。理解した光輝は、憤りの行き場など失って。ただ、自分の行いを、とても愚かだと思った。

 

「……ごめん」

 

 それだけ言って、光輝は家を飛び出した。

 

「あっ……」

 

 クリスは追えなかった。光輝を、自分が苦しめているのだと思ってしまって。



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龍神王座からの贈り物

 10月半ば、肌寒いと感じてくる今日この頃。衣替えは既に終わり、学校では全ての生徒が夏服から冬服へと身なりを変えていた。

 

 岡本光輝も例外ではなく、黒の学ラン姿で休み時間の喧騒の中、自分の席で本を読んでいた。

 

 あの日以来--クリスと揉めてからもう一ヶ月ほど経つが、未だに彼女とは仲直り出来ていない。クリスと顔を合わせるといつも彼女は申し訳なさそうな顔をする。家でも会話は続かず、ベッドに潜り込んでくることもなくなった。

 

 ……全部、悪いのは俺なのに。俺が、謝れないのが悪いんだ。彼女と向き合えないのが悪いんだ。

 

 そして、関係を修復出来ず今に至る。本当は謝りたい。しかし、自分がどうしたいか、彼女をどう思えるかに答えが出せないまま只謝っても、意味がない気がして。俺は、自分がどうするべきなのかを見つけなければいけない。

 

「やあ、光輝。今日も不機嫌そうだな」

 

「そう見えるか?ならきっとそうなんだろうな」

 

 読書中の光輝に声を掛けてきたのは同じクラスの龍神王座だ。思えばコイツは春の入学時から夏を経て今、秋に至るまで服装が変わらない。赤のインナーに、ボタンを全部開けた学ラン。……いや、違うな。中が赤のシャツから、赤のトレーナーに変わっている。そして、それだけだ。

 

「今日も君から話しかけるなオーラがバンバンに出てる。どうしたらそんなおもむろに負の感情を出せるんだい?」

 

「他者を嫌え。そうすりゃ簡単だ」

 

「はは、君にとっての簡単と私にとっての簡単は大きく違うな」

 

「らしいな」

 

 そんな、傍から見たら煽り合いとも受け取れるような会話。Eレートの岡本光輝と、人気者な龍神王座の会話。

 最初こそ周囲に珍しがられたが、こと今では当たり前のようになっており、誰もそこに干渉はしてこない。

 

 かつて龍神王座は、イクシーズである事件を起こした。それは、ヤクザの事務所の襲撃事件。王座は事件の後に、自首に向かったそうだ。

 小さな事件では無かった。しかし、事件は報道されることなく、王座は少年院(ネンショウ)に入ることもなく、なんとか秘密裏に保護観察で済む事になった。この事を知っているのは、周りでは俺とクリスと、瀧家だけだ。そのお陰で、王座は今も普通に生活を送れている。

 

「なんの本を読んでいるんだい?」

 

「ピアニシモ。ジュブナイルだよ」

 

 光輝は本を閉じて見せてやる。厚みは余り無いが、時代の世界観と、主人公の人生の進み方が気に入っている。こういうのは、空想の中で観るのなら楽しい。本とは世代を知るのにも役立つ。

 

「いつも本読んでるけど、好きなんだね」

 

「まあな」

 

 というより、他にする事が無く、したい事も無く。今はひとりきりの世界に入れる、読書が自分にとって最適の択だった。

 あの日から、随分の間、こうしてきた気がする。未だに俺は逃げてるんだろう、答えを出すことを。考えることが苦痛で、しょうがなくて、ずっとこうしてた。

 

 やっぱり、俺は最低だ。

 

 そんな俺の心情は知らずか、空いていた眼前の席に王座はドカッと座り、小さな声で話しかけてくる。

 

「放課後、空けておいてくれ。君に用がある。いいかい?」

 

「……構わないが」

 

 果たして、王座の用とはなんだろう。また勉強の相談だろうか--

 

--そしてやって来たのは、庭のある二階建ての白い屋敷。瀧家だった。

 

 その中の一室、以前にクリスと来た部屋よりは小さめだが、それでもまだ広めの部屋に光輝は招待された。

 

「まあ、座ってくれ」

 

 王座に促されるように、高そうなソファに座る。……この沈み具合、しかし確かな安心感。やはりこの手のソファは凄いな。いつか家にも一つ欲しい。

 

「……用ってなんだよ」

 

 問う光輝。王座は光輝の向かいのソファに座り、そして頭を下げる。

 

「改めて、この前の件。君に礼を言わせて欲しい。本当に、ありがとう」

 

 なんだ、今更その話か。もう終わった事だというのに。とても義理堅いやつだ。

 

「いーよ。むしろ恨まれてなくて良かった。あんとき、いきなり殴りかかったのは俺の方だからな」

 

 ぶっきらぼうに答える光輝。そうだ、あの喧嘩の始まりは光輝が傘で殴りかかった事だ。

 

「はは、そういえばそうだっけか。それでも、私を止めてくれて感謝している。シエルとも仲良くやれているよ」

 

「そりゃよかった」

 

 あれ以来、傍から見てて龍神王座と瀧シエルの姉妹は前にも増して仲が良くなったようだ。彼女たちが幸せなら、それに越した事はない。

 

「その気持ちと言ってはなんだが……」

 

 王座は立ち上がると、壁付近にある棚から一つの箱を取り出した。赤い装飾の施された、黒塗りの箱。

 王座は再びソファに座ると、その箱を光輝の方へと差し出す。

 

「これを受け取って欲しい」

 

 なんと、贈り物か。箱からして高級そうな物が入ってそうではあるが、一体何が入っているのやら。

 

「……いいのか?」

 

「ああ。君のために(あつら)えた物だ。さあ、開けてみてくれ」

 

 王座に促され、その箱を開ける。すると中には、クッションとして敷かれた布にくるまった、二本の黒い「特殊警棒」が入っていた。

 特殊警棒。光輝のフェイバリット・ウェポン。携帯に便利で、振り回すのにも程よい長さ、打撃型であるため殺傷能力が高いわけではなく、しかし敵を無力化するのに役立つ。これ以上ない程、お気に入りの武器だった。

 

「あー、あの時壊れたからな。ありがと」

 

 龍神王座の「逝き征く者たちへの凱歌(ヴァル・キューレン)」によって、光輝の炭素鋼製(カーボンスチール)の特殊警棒は直す事が不可能なレベルにひん曲がってしまった。まあ、あそこまでなってしまったら新しい方を買ったほうが早い。

 

 光輝はその特殊警棒を両手に取り、伸ばしてサイズを確かめる。……大きさは前のと変わらない。重さは軽い、ぞ?

 

「黒いけど、これ……炭素鋼製か?俺が使ってたのよりも大分軽いが……最新の軽量化モデルか?」

 

 疑問に想う光輝。前使っていたのはかなり新しいモデルだったが、また新しくなったのだろうか。

 

「いや、ブラックミスリルだよ」

 

「ブッ……ッッッ!?」」

 

 王座の平然としつつも爆弾な発言に光輝は特殊警棒を取り落としそうになり、なんとか防ぐ。危ない……と思って、杞憂である事に気がついた。落とすぐらいの事でブラックミスリルが壊れるわけがない。それこそ、傷の一つですら付く訳もなく。

 

「パンドラクォーツじゃねぇか!?そんな高いもん、良いのか!?」

 

 パンドラクォーツ。今から三百年ほど前、偉大なる研究者「パンド・λ(ラムダ)・ローシュタイン」によって定義づけられた、人類史最大の魔法「錬金術(れんきんじゅつ)」によって生成する事も加工する事も叶わぬ、新たに確立された鉱物類の総称だ。

 ブラックミスリルはそのパンドラクォーツの一種であり、パンドラクォーツはその他の鉱物に比べて人為的に作ることが出来ず、遥かに高価だ。

 

「なに、パンドラクォーツもピンキリだ。ブラックミスリルはコスパが良くてな、その二振りでも加工代含めて二千万程だろう。安くて頑丈、これ程ない武器素材だ」

 

「にっ……二千万!?」

 

 いや、確かにパンドラクォーツが滅茶苦茶高くて、それを量用意して加工しようもんならもっと高そうだってのは容易に想像できる。だからこのブラックミスリルのコストパフォーマンスが良いってのは分かる。

 

 しかし、二千万円……だと……。家が買えるじゃないか……。

 

 庶民の光輝には、それほどの月並みな例しか出てこなかった。 

 

「それに、そのブラックミスリル自体は龍神家の財産の一つだ。掛かったのは加工代だけだから安心してくれ」

 

「あ、ああ……」

 

 もう、その加工代だけでいくらするのか聞くのも怖くなって聞かなかった。どうせ目玉が飛び出るに決まっている。

 

「しかし……本当にいいのか?俺なんかが、こんなすげえの貰っちまって」

 

 少し萎縮する光輝。とてもじゃないが、身分不相応だろう。王座ならまだしも、庶民の俺には似つかわしくない。それに、龍神家の財産って事は、彼女の父親が残した物でもあるという事だ。

 

「何を言う、君は凄いぞ。龍玉の欠片の効果を得た龍血種(ヴァン・ドラクリア)を撃退するなんて、普通の人間に出来る事じゃない。そして私を救ってくれた」

 

「だから、それは俺が卑怯をしたからで……」

 

 王座にすら、話せていない光輝の能力。適当に誤魔化しては置いたが、それを鵜呑みにされても困る。

 

「それでも、君は私を止めてくれた。卑怯をしようがしまいが、君は君の意思で私を止めてくれた。それは、誰でもが出来る事じゃない。君は誇っていい、君の意思の強さ、心の強さを。きっと私の父も、あの世で喜んでいてくれる。君にこの武器が行き渡ることを」

 

「……」

 

 光輝は聞き入っていた。改めて、自分を肯定してくれる言葉を、賛辞の言葉を。

 

「強さとは、思いを貫き通す力。シエルはそう言っていたが、私もそう思う。だから光輝。私は君に、これを託す。君の思うままに振るい、役立ててほしい。以前私を救ってくれたように」

 

 王座は認めてくれている、岡本光輝の存在を。友達にそう言われて、嬉しくない訳がなかった。光輝はブラックミスリルの特殊警棒を力強く握り締める。

 

 ……立ち止まっちゃいけないんだ。信頼してくれる人が居るなら、先へ進まなくちゃいけない。

 

 光輝は期待なんて、されるのは嫌だった。けれど、クリスに答えを告げるのなら、いやがおうにも進まなければいけない。

 

 なら、進んでやるさ。一回ぐらい、失敗していい。今回だけは、踏み出すしかない。そして答えてやるんだ、クリスに。

 

「……ありがとう、なんだか元気が出たよ」

 

 にこり、と光輝は笑みを浮かべて礼を言う。対する王座も笑っていた。

 

「ふふ、後は君が思うようにしたまえ」

 

 そして、他に他愛ない話をいくつかして、光輝は瀧家を発った。王座は玄関にて、光輝の背中を見送る。

 

「その武器……生かすも殺すも君次第だ。だが、君なら出来るさ、きっとな……」

 

 王座は光輝を信じていた。自分を救ってくれた勇敢な少年、岡本光輝を。彼なら、どんな暗闇だろうと、這ってでも進んで、きっと光を見つけられるだろう。彼なら、きっと。



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黒魔女と聖天士

「まだまだっ!」

 

 クリス・ド・レイは駆ける。光の雨が降り注ぐ中を、重力制御による重力の軽減・増加を駆使して飛び跳ねる。

 

「存外に速い。しかし、まだ遅い」

 

 瀧シエルは光の塊を空に放ちつつ、クリスから逃げる。攻撃の設置を行いつつ、かつ素早く敵から離れる様は、まるで余裕綽々の天使にように。手のひらで踊らされているかのように、クリスはシエルを射程に入れようと接近を試みる。

 

 放たれた光の塊は少しの間を置いて破裂し、光の雨となって辺りに降り注ぐ。その雨の中、クリスは防御と回避を行いつつ、シエルの追跡に回る。

 

「負けるものかっ!」

 

 負けたくない。それは、クリスの大きな思い。負けると言うことは、最悪、死が隣り合わせる。警察として活動するなら、さらに尚更。

 

 かつてジャックとの戦いで死を意識したクリス。もう二度と、あんな状況になってたまるか。

 

 あの時、私は助けられた。岡本光輝という、勇敢な少年に。自分の危険を顧みず、私の事を助けてくれたのだ。

 それ以来、私は彼に恋をしている。果てしなく心を埋め尽くす彼への想い。しかし、それは受け入れられず。彼は、私を拒んでいるみたいで。

 

 ……悔しい。光輝の力になれない、私の不甲斐なさが悔しい。Sレート?それがなんだ。彼の隣に居れなければ、そんな称号、なんの意味も無い。自分が憎い。強く、もっと強く、さらに強く!

 

 クリスは力を、さらに求めた。光輝に頼られるように、光輝を支えてあげられるように。それがクリスの望みだ。あの日、運命の出会いを交わした、岡本光輝の為に!――

 

――「何、私と戦いたい?」

 

「はい」

 

 青空の下で、語り合うクリスとシエル。シエルはこの間の龍神王座の一件が嘘のように決して余裕そうな表情を崩さす、淡々と答えていく。

 

「構わない。なんなら、今すぐにでも」

 

「ありがとうございます。……けれど、出来れば他の人には見られたくありません」

 

「ならいい場所がある。放課後、私に時間をくれ」

 

 すんなりと了承するシエル。こと瀧シエルは、戦いというものが大好きだった。その為、対面の誘いはまず断らない。それが友人、クリス・ド・レイの頼みなら尚更。

 

 放課後、シエルに連れられ瀧家を訪れるクリス。案内されるように屋敷内を歩いていくと、地下通路を下って到着したのは飾り気のなく大きなホールだった。壁はドーム状になっており、他には出口以外に何も無い。

 

「ここは、まさか……」

 

 キョロキョロ、と辺りを見回すクリス。これに似たような施設を、クリスは知っている。

 

「おや、ご存知かい。そうだ、此処は電磁フィールドを展開出来る空間、言ってみれば闘技場さ。観客席は無いけどね」

 

 電磁フィールド発生空間、イクシーズの五大祭の会場と同じ機能を備えた部屋。クリスはこれを、かつてイクシーズ外の異能者管理機関で体験した事がある。

 

 これは、お互いが安全にかつ全力を出すための空間だ。つまり、シエルは本気で行く、という事なのだろう。だったら、都合がいい。より強敵を相手にした方が、私も強くなれる。

 

 シエルは紺色のセーラー服を壁際に脱ぎ捨てると、英字のロゴプリントシャツとスカートだけの姿になった。いかにも瀧シエルらしい、堂々たる姿。彼女が持つ暴力を体現してるかのような、ぶっきらぼうなスタイル。

 

 対するクリスは、セーラー服に長さを足首まで伸ばしたロングスカートそのままだ。重力制御の効果適用内なら、衣類の重さなど誤差にも満たない。優雅にも見えるその様は、或いは傲慢さを感じる。

 

「しかしなんでまた、今更対面を?」

 

 それは、純粋なシエルの疑問。特別に不思議がった訳ではない。ただ、日常会話のように疑問を聞いただけだ。

 

「……私「オータムパーティー」のエキシビジョンで、戦うんです」

 

 静かに答えるクリス。そこには落ち着きだけしかなく--いや、自分をまるで無理矢理落ち着かせてるかのようにシエルの目には映る。

 

「へえ、そりゃまた。誰とだい?」

 

「イクシーズ警察の方です。誰とは、わかりませんが」

 

「ほう。そりゃまた、羨ましい」

 

 イクシーズ警察。簡単に言ってしまえば、「強者の巣窟」だ。

 

 この異能者の街で、警察には条件が求められる。それは、「市民よりも強い事」。単純明快にして至極当然の事実。なぜなら、警察が正義である為。市民より弱い異能者がどうして市民を止めることが出来ようか。どうして安全を約束出来ようか。

 

 要するに、イクシーズ警察とは必然的に強い異能者で組まれた組織なのだ。勿論、強さには多少のムラはあるだろう。しかし、選ばれた者である事には変わりはなく。導き出される事実は、「クリスは強者とエキシビジョンを演じる」という事だ。

 

 クリスは警察を目指していると以前聞いた。なら、此処で強さをアピールしたいのもあるのだろう。なるほど、合点がいった。

 

「だから、貴方と戦いたくて。イクシーズの学生で最強と謳われる貴方と」

 

 その言葉を、戦意を感じて、シエルの血が、肉が踊る。私は求められている。目の前の「黒魔女」に。

 

 自然と笑みが溢れる。シエルは興奮していく。闘争とは、人を元気にする。戦いの中で、人は進化し、先に進み、大きく躍進する事が出来る。それは人の可能性の欠片。

 

「私も知りたかった。Sレートの特待留学生、「黒魔女クリス」の実力を」

 

 電磁フィールドが展開された室内の中、クリスとシエルが見合う。お互いの周囲の空間がぐにゃり、と歪みを見せる。それは電磁フィールドによるものではなく、能力によるものか、はたまた凄みによるものか。

 

「挑めや黒魔女。お前の目の前にあるそれは世界最大の「不浄理」だ」

 

「……明日の月は綺麗でしょうね」

 

 次の瞬間、駆ける聖天士と黒魔女。二人の歪みが、今存在の塊と化してぶつかり合う--

 

--光の雨が降り注ぐ中、クリスは駆ける。その量は段々と増して行き、いつの間にかバケツをひっくり返したかのように降り注いでいく。

 

 能力による重力軽減で勢いを殺せど、光の雨は次から次へと降り注ぐためまるで押し込まれるかのようにクリスの体を塗りたくる。ダメージは大きい物ではない、電磁フィールドによるダメージの低下も相まって致死量にはならない。しかし、少しずつ体を蝕んでいく。これでは時間の問題だ。駄目だ、早く、なんとしてでもシエルを捉えないと。

 

 しかし、追いつけない。シエルは速い。光の雨をまるでものともせず--いや、違う。彼女は光の雨を自分の中に取り込んであまつさえエネルギーにし、身体強化を行っている。自給自足の身体強化、さらには相手の行動の制限をする。それはまるで、匠に罠を張る策士のようで。

 

 なるほど、これがイクシーズ最強と呼ばれたる所以。強い、強過ぎる。

 

 クリスは納得する、実感する、改めて彼女の強さを。勝てるのだろうか?負けるしかないか?どうしようもないのか?

 

 否。

 

 覚悟を決めたクリスは重力軽減の度合いを上げる。この状態では、地上を飛び跳ねての高速移動は出来ない。勿論、シエルとの追いかけっこすら出来やしない。

 

 けれど、一瞬だけでも追いつければ。

 

 クリスは地を蹴った。目指すは遥か天井、光の雨に突っ込みダメージを受けつつ空へ、空へと跳ね上がる。

 

「悪いが、ゲームエンドだ」

 

 気が付けば、クリスの真下にはシエルが立っていた。彼女の掌には、光の塊が。それは、光の雨の比じゃない。もっと大きな、力の塊。

 

「受けて見せろ。「天砲」」

 

 掌から、光の柱が放たれる。勿論、当たれば大打撃を受けることになる。戦闘不能になるかもしれない。

 

 けれど、覆すならここしかない。というより、この状況を待っていたのだ。

 

「……私は欲しい」

 

 勝利が欲しい。その為なら、ボロボロになったって構わない。運に縋っても構わない。

 

「光輝が、欲しい」

 

 彼が、欲しい。堪らなく、欲しい。その為なら、天使にだって打ち勝ってみせる。勝つなら今しかない。

 

「どうしようもなく、欲しいッ!」

 

 荒ぶる感情。今はこの感情に、身を任せるしかない!

 

「さよならだ、「黒城(こくじょう)奈落(ならく)」!」

 

 クリスはここで、自分とその下の筒状方位を、最大の高重圧で覆った。空間指定の、重力の枷。この筒状一帯を、全力全開で。

 

 反転する、光の柱の攻撃方向。それは地へと、瀧シエルへと降り注いでいく。

 

「……ふむ」

 

 シエルはそこで理解した。何が起きたのか、その際の問題点。

 

 光による攻撃は、シエルに通らない。クリスもそれを薄々わかっていただろう。だから、天砲が高重圧で押しつぶされてシエルに降り注ごうが何の痛手にもならない。勿論、シエルはそれを見越して真下で天砲を撃った。

 

 天砲は巨大な光の柱である為、斜めに撃つと軌道が確実に逸れる。故に、撃つなら密着、もしくは真上へ。当たると確信できる状況での、必殺の一撃。

 

 しかし、今回はそれが仇となった。

 

(ハオ)

 

 上から降ってくるのは光の柱だけじゃない。高重圧で動けなくなったシエルに向かって、空から光の柱と雨の中を貫通して「クリス・ド・レイ」がジャンピング・キックの構えで降ってきた。

 高重圧で重くなったのは光の柱やシエルだけじゃない。効果範囲にはクリスも含まれていたのだ。

 

 なるほど、その状況は良いね。

 

 次の瞬間、シエルはクリスの攻撃を諸に受ける事になる。高重圧により丸まった背中への重い一撃。しかし、あろうことかシエルはその一撃を耐える。

 

「っ……、けれど、私はもっと強い!」

 

 呻きを漏らしながらもシエルは光をまともに浴びて朦朧としたクリスの腕を掴み取り、ぶん回して電磁フィールドの壁に叩きつけた。

 体に衝突と電撃のダメージを受け、意識を失うクリス。文句なしの、ノックアウトだ――

 

――目を覚ませば、其処には白い天井が。体には、白い布団がかけられている。

 

 意識を取り戻し、上体を起こすクリス。

 

「やあ」

 

 声のする方向へ顔を向ければ、其処には瀧シエルが。どうやら此処は医務室らしい。

 

「……私の負け、ですか」

 

 俯くクリス。勝ちへの手順は整った筈だった。しかし、勝てなかった。それが結果だった。

 

 瀧シエルはクリス・ド・レイより強い。圧倒的に強い。同じSレートという立場でも、その差は歴然だ。

 

 ……だからと言って。

 

「もう一度、お願いしてもいいですか?」

 

 けれど、諦めたくなど無い。

 

 ここで引いたら、私は一生瀧シエルには勝てないだろう。それが意思として根付いてしまう。

 

 それは、嫌で。今諦めるということは、まるで光輝の隣に立つことをを諦めてしまうみたいで。

 

「ふふ……構わないけど、もうすぐ夜だ。帰って光輝クンを安心させたまえ」

 

「あっ……」

 

 うっかりと失念していた。戦う事に夢中で、気が付けばもうあれから1時間程立っていた。意識さえ失っていなければ、もう一回戦えただろうか。いや、今はそれよりも早く帰らなければ。

 

 急いで身支度をするクリスに向かって、シエルは手を差し出した。

 

「なあに、オータムパーティーまであと二週間ある。君のトレーニング、何回でも付き合うよ」

 

「……ありがとうございます」

 

 クリスはその手を取る。クリスにとって、それはとても嬉しい言葉だった。

 

 強者を知ることが出来るからこそ、強者が隣にいるからこそ、強者と高めあえるからこそ人は躍進出来る。クリスは、まだまだ強くなれる。

 

 こんな所で諦めてなどいられない。絶対に光輝を振り向かせてみせる、絶対に彼の心の隙間を埋めてみせる!

 

 意気込む黒魔女。彼女は倒れても、立ち上がる。なぜなら、愛する人の隣に立ちたいから。



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天魔割目

「光輝、これを」

 

 自宅の自室にてクリスが光輝に渡したのは、一枚のチケット。

 

「……これは」

 

「エキシビジョン、私が出ます。光輝、私を見ていてください」

 

 それは、「オータムパーティー」の観戦チケットだった。クリス・ド・レイのエキシビジョン、それを岡本光輝に見届けてもらう為の――

 

――「さあ、始まりましたァ!まぁるいお月様が昇る夜、五大祭が一つ「オータムパーティー」!」

 

 十月末、丁度満月の日に合わせて開催された「オータムパーティー」。多くの観客が沸き立ち、歓声が飛び交うスタジアム。

 

 光輝はその中の一角にて、静かにバトルステージを見る。

 

「心配かい?」

 

「……お前らか」

 

 横合いから声を掛けられ振り向けば、そこには瀧シエルが居た。それともう一人、黒咲夜千代まで。その二人が並ぶ光景は普段見かける訳ではなく、珍しい組み合わせだった。光輝の隣にシエル、その隣に夜千代が座る。

 

「クリスからチケットを貰ってね。来ない訳には行かないだろう?」

 

「私は知り合いから貰った。ホントならこんなもん興味ねーんだけどな」

 

 なるほど、二人共別々にチケットを貰ってやって来たというわけか。なら、この会場で会ったのは偶然だろう。

 

「……」

 

 まあいい。今はそれはどうでもいい。

 

 光輝はただ無言で、周りのことなど気にかけず思考の海に入り込んでいった。今考えるのは、クリスの事だけだ。

 

『さてさて!本日の大会では、本戦開始前に一つ、サブイベントがあります!強者二名による、エキシビジョン・バトル!』

 

 解説席からの司会のその言葉でどよめく会場。一般には、事前に知られていない情報だ。光輝達はその情報を知っていた。

 

『それでは、両選手入場!イッツ・エキシビージョン!』

 

 バトルステージの中の両端、二つの入場口のドアが開き、二人の人物がステージに入ってくる。

 

 片方は全身を覆う黒いローブに長く美しい黒髪、美麗な顔立ち。その妖艶な風貌から「魔女」と形容出来る少女だった。

 

『ロンドンからの特待留学生!高校一年生にしてSレート!人は彼女を「黒魔女」と呼ぶ!クリス・ド・レイ選手だァーーッ!』

 

 瞬間、おおおおおっ!と沸き立つ会場。その会場に向かって、クリスはニコリと笑って返す。

 

 特待留学生の話題はイクシーズ全体に知れ渡っているわけじゃない。クリスの名を知らない者もこの中に多くいるだろう。

 しかし、彼女が瀧シエルと並んで高校一年生のSレートである事、そしてその妖艶な黒魔女の姿がこの満月の夜に、まるでハロウィンの仮装の様な形でピッタリと当てはまる事に、観客は沸き立つ。パフォーマンスとしては上等な物だった。

 

 そして、もう一人。

 

「あーあ、こんなのナナ氏にでもやらせりゃいいのにぃ」

 

 向かいの入場口から入ってきた人物は手入れの行き届いていないボサボサの髪、中途半端な無精(ぶしょう)ひげ、よれたネクタイと黒スーツ。「うだつが上がらない」と形容出来る男だった。

 

『イクシーズ警察から選ばれましたA+レート!冴えない見た目は敵を欺くため!?知ってる人は知っている、知らない人は覚えてね!「天魔割目(オルタナティブ・ヒーロー)」と呼ばれる丹羽(にわ)天津魔(あつま)選手だァーーッ!』

 

 と、そこで観客席は再びどよめく。クリスの時と違って、歓声はあまり無い。

 

 余りにもラフなスタイルに、やる気の無い黒く濁った瞳。レートもSではなく、A+レート。

 

「A+ってなんだよ……」

 

「Sじゃないのかよ」

 

 AレートとSレートは、大きく違うとされる。その評価の中で、SではなくA+。観客は素直に喜べなかった。むしろ、不満を漏らす者すら。

 

 しかし、その中で目を見開き、驚愕する人物が一人。

 

「丹羽さんが出てきた……!?一体何を考えて……!」

 

 黒咲夜千代は丹羽を見つめる。まるで信じられないものを見るような目で。

 

「なんだ、知ってるのか?」

 

 何が何だか分からず問いかける光輝。夜千代は其方を向かず、落ち着いて答えた。

 

「……A+レートって、そもそも聞いたことがあるか?」

 

「……いや、無いな」

 

 よくよく考えて、そんなレートは聞いたことがない。Aレート、Sレート、そしてSSレートなら聞いたことがあるが、SSレートは特例だ。三嶋小雨だけの称号。光輝の知る限りでは、AとSの間には他のレートは無いはずだ。

 

「レート分けってのは、ぶちまけちまうと危険度なんだ。上に行けば行くほど凄いと認知され、同時に危険であるとも認知される。そりゃ当然だ、人より凄いって事は普通からかけ離れてる、人知の理解を越えたって事なんだ。人からしたら恐怖だろ。それをデータベースによって格付けされる」

 

「……」

 

「ふむ」

 

 光輝とシエルはその言葉を聞き入る。夜千代は、今この状況をただ事とは捉えていないのだ。

 

「あの人のスキルの評定は5だ。他のステータスも人並みはある。普通はそれだけでSレートなんだ。けれどあの人はA+レートの評定を受けてる。……つまりは」

 

 ゴクリ、と生唾を飲み込む夜千代。彼の、丹羽の目の前にいる少女はクリス・ド・レイ。Sレートであるとはいえ、まだ少女であり、夜千代は彼女と面識があるのだ。

 

「あの人はデータベースからは危険で無いと認知された、しかし絶対的な力をコントロールして戦える人間だって事だ。要するに任務を絶対に遂行出来る、正義を具現化したような存在、警察官の鏡だ。手加減はしてくれるだろうが、クリスが足掻けば足掻くほど事態は深刻になる」

 

「……何が言いたい」

 

 光輝は意味ありげな言葉を放った夜千代に、問いかけた。その言葉は、聞きたくはないが。 

 

「クリスは勝てない。絶対にだ。間違って大怪我をしないうちに、早く降参させた方がいい」

 

 無慈悲な言葉。夜千代は現実を見ていた。光輝はその現実を、クリスが負けてしまうのを、受け止めたくは無かった――

 

――ステージにて、丹羽はクリスに笑いかける。まるで大人が子供をあやす時の様な笑み。

 

「君、警察志望なんだって?ロンドン市警、なれるといいねぇ」

 

「現役警察官からのお言葉、ありがとうございます。あわよくば、今この場でアピールをしておきたいと思いまして。申し訳ありませんが、勝ちに行かさせてもらいます」

 

 クリスは勿論、戦う気満々だ。やれることは、全部やってやる。

 

「うん、いい心意気だ。遠慮なんて無しでさ、全力で来るといい。君の全力を、僕にぶつけて来い」

 

「ふふ、ありがとうございます」

 

『さあ、それでは両者位置に着いてェ!』

 

 司会の言葉を受けて、指定の位置に立つ二人。その距離はおよそ7メートル。さして遠くなく、さして近くなく。

 踏み込んで行けば、すぐに必殺の間合い。ならば、速攻を仕掛けるのが定石。

 

『対面……開始(ファイ)ッ!』

 

 司会からの開始の合図。瞬間、クリスは直進する。重力制御で身を軽くし、できる限り垂直へと地面を蹴った。

 クリスの能力は、屈指のインファイト能力だ。遠方の重力制御には空間把握能力が必要であり、敵を一発で仕留めようとするとその計算を脳で処理する前にまず逃げられる。だから、近づいて高重圧で押す。これがクリスの一番強い戦い方だ。

 

 だからクリスは接近する。むしろ、近づけなければクリスは勝てない。幸い、クリスの機動力は重力制御により非常に高い。

 

「そんじゃ、「エンジェルフィール」」

 

 しかし、丹羽も地面を蹴る。クリスがその場にたどり着く頃には、もう既に遥か横に飛んでいた。

 

『はっ、速アァァァいッ!』

 

 恐らく、身体強化。敵を逃がしたクリスは身構える。

 

「とりあえず「エクスカリバー」」

 

 そう呟いた丹羽は右手に光り輝く剣を何も無い場所から作り出し、クリスに向かって横薙ぎに振った。

 

 身体強化?武器生成?この距離で振った?届かない!いや、違う、マズい!

 

 脳内で思考を巡らせて瞬時に悟ったクリスは、左上に高く跳躍。次の瞬間には、クリスの居た場所を光の斬撃が通り過ぎていった。

 丹羽の剣撃は衝撃波となって電磁フィールドの壁へと飛んで行き、バチバチッと壁に衝突して消滅した。

 

「「「おおおおおーーーっ!!!」」」

 

 先ほどのどよめきと打って変わって興奮に声を張り上げる観客。いきなりの激しい攻防に、皆目を奪われていた。

 

「……流石はイクシーズ警察のお方です。これぐらいは余裕ですか」

 

 重力制御により地面に着地するクリス。不敵な笑みを浮かべ、しかし目の前の丹羽天津魔から目を決して離さない。

 

「んー?まあねぇ。あ、そうそう。君の能力って、重力制御だっけ。うん、僕だけ知ってるから僕の能力も明かしちゃうよ」

 

 丹羽はその場に立ち、スーツのポケットからタバコとライターを取り出し、口に加えて火を点ける。吸った煙をフーっと空中に吐き出して、ライターとタバコの箱を再び仕舞った。

 

「「天魔割目(てんまかつもく)」。僕ねぇ、天使と悪魔の力を使い放題できるのさ。使えるのは一度にどちらかだけって制約あるけど、そんだけ。天領警部の「英雄剋拠(ワンマンズ・ヒーロー)」になぞらえてオルタナティブ・ヒーローなんて呼ばれてるけどさ。まあ、そんなのあんま興味ないけど」

 

 クリスは冷や汗をかいた。

 

 ……強い。この人は強い。けれど、大丈夫、私なら勝てる、ここで証明してやる、私の強さを!

 

 無理矢理心を奮い立たせ、戦闘への意欲を高める。戦いとは気から来る。端から勝てないと思っては、勝てるものも勝てない。

 

「……明日の月は綺麗でしょうね」

 

 それはクリスの口上。敵を倒すという、覚悟の言葉。

 

「ははっ、殺る気満々か。いや、そんぐらいでないと楽しくないよね。ねぇ、司会さーん」

 

『あ、はい?どうしました?』

 

 いきなり司会に呼びかける丹羽。観客は一体何が始まるのかと期待をする。

 

「ステージ設定、弄れるでしょ?「聖域(サンクチュアリ)」にしてくれないかな?いいよね、クリスちゃん」

 

「構いませんよ」

 

『あ、えっと……その……』

 

 しどろもどろする司会。両選手は問題無いようだ。

 

『あー……今回だけ、特例ですよ!システム班、ステージ設定を「聖域(サンクチュアリ)」へ!』

 

 司会の言葉の後、少しして電磁フィールド内の景色が塗変わっていく。味気ないバトルステージから、ドーム状に壁を覆うように幾つもの石の柱がアーチを描いて天で繋がり、その中央には丸く空間が設けられ、その丸い隙間からは天に登った満月が見える。外の月が電磁フィールドによって映し出しされた映像だ。

 

 イクシーズの科学の結晶が生み出す、ネオプラズマホログラフィック。電磁フィールド内にて、本来存在しない物体構造を粒子にて構築し、まるでその場にあるかのように見せかける技術。実際にはその場にそれは無いのだが、粒子が体に与えるフィードバックにより視ることも触れることも出来る。それは5年先どころか、10年先と言っても差し支えないほどの技術力だった。

 

「このステージなら物質の耐久性は二倍。ねぇ、もっと本気で行けると思うんだ」

 

 丹羽はヘラヘラと笑う。クリスも負けじと笑みを浮かべるが、本当に彼に勝てるのだろうか。

 

「警察官っては強くなきゃぁいけない。君が警察官を目指すのなら、君の強さをここで見せて欲しいなぁ」



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天魔割目2

「動きが悪いな」

 

 バトルステージ内にて丹羽とクリス、二人の能力を存分に奮った戦いを見て、瀧シエルはそう呟く。

 

「何?」

 

「相手の動きを読んでいない。あれじゃただ突っ走ってるだけだ」

 

 疑問を浮かべた光輝にシエルはそう返す。あれ程の戦いで、動きが悪いだって言うのか。

 

 ……逆に、光輝は考える。俺が、クリスを贔屓目に見ているだけで、彼女は冷静に状況を見ているのだろう。

 

 瀧シエルは考える。シエルが知る限り、クリスはもっと冷静に物事を対処できる人間だ。しかし、今の姿はまるで考え無しに動く猪。このままでは本当に負けてしまう。

 

 落ち着け、クリス。お前は本当にそんな器か?

 

 シエルはこれまでクリスの対面に付き合ってきた。彼女がもっと強いことを、シエルは知っている。まだだ、お前には欲しいものがあるんだろう?――

 

――クリスは丹羽に接近するが、丹羽も一筋縄では行かない。クリスの踏み込みのタイミングを見て、光を帯びた剣「エクスカリバー」を回転させるように両手で振り抜く。

 

「薙ぎ払え「ローエングリン」」

 

「――ッ!」

 

 剣身は届かない。しかし振り抜かれた剣から放たれた光の波が、回る丹羽を中心として全方向に放たれた。接近した距離、回避は不可能。クリスは高重圧を身に纏って防御を行うが光の波を防ぎきれず、衝撃をその身に受けて吹っ飛び、地面に転がる。

 

「ぐぅッ!」

 

 苦痛に呻きを漏らしながらも、クリスは立ち上がる。迂闊に間合いを詰めたのがまずかった。

 

 必死に立ち上がるクリスに反して、丹羽は悠々とクリスに笑みを贈る。

 

「もう終わりかい?」

 

「……」

 

 丹羽は吸い終えたタバコを携帯灰皿にねじ込み、その場に立った。攻撃を加えず、ただ立っていた。

 

 ……まだだ、まだ終わっちゃいない!勝たなくちゃ、私は光輝に……!

 

「迷い事があるのかな。動きが単調だ」

 

「ッ!」

 

 見透かされている?私は顔に出てた?鵜呑みにするな、今踏み込んでしまえば!

 

「迷ったまま戦ってもね、しょうがないよ。どうせ勝てないんだ。諦めたらどうだい?」

 

「……何、を」

 

 動けない。丹羽の言葉に耳を傾けてしまう。

 

 一体、なんのつもりだっていうんだ。踏み込め、足を動かせ!

 

「君さ、本当に勝てる気でいるかい?頭は良さそうだ、気付いてるだろう。君は僕より圧倒的に弱い。能力も、踏んできた場数も、僕のほうが上さ」

 

 聞くな、堕ちるな、私は、まだ!諦めなど!

 

「ニュー・ジャックを倒したからって浮かれてないかい?イクシーズの警察じゃあ化物退治なんてよくある事なんだよ」

 

「――っ」

 

 丹羽の黒い塊のような言葉。ニュー・ジャックの件。クリスの心に、ずっと引っかかっていたもの。

 

 あれを倒したのは私じゃない。本当は、光輝なのだ。世界は私を持て囃して、私は自信と目標を得て。なんて馬鹿だ。本当の英雄は光輝なのに。彼は自身をEレートとして、自分出来る事をして。

 

 私じゃ、光輝と釣り合わないのか。私は、私は――

 

「わ、私は……ぁ……」

 

 反論をしようとするクリス。しかし、声は細くなり。声が喉を掠れて言いたいことは言えず。

 

 嫌だ……言葉を出せ……!諦めるな!

 

「無情、無力、無理。人間が健やかに生きる上で大事な三原則さ。諦めても、誰も君を咎めないよ」

 

「え……」

 

 耳を貸すな、これ以上は、もう!

 

「君の代わりなんていくらでも居るから。分不相応を求めたってしょうがないよ。自分の出来る事だけやればいい。分かるでしょ?」

 

「――」

 

 代わりはいくらでも居る。何にしたって同じ。それこそ、警察官になるのが私でなくても、光輝の隣に立つのが一宮星姫でも。

 

 そうだ。光輝の隣に居る人間は私じゃなくていい。私は光輝と釣り合わない。私にはこの戦いで勝つことが出来ない。諦めていいんだ。誰も、私を咎めない。

 

 ……なんだろう、疲れていた心が楽になる。そうか、これが、「諦める」って事なんだ。なんて心地の良い。

 

 クリスはその場に崩れ落ちる。膝から、手を地面に付け、諦めるように――

 

――『あーッと、ここでクリス選手、地面に崩れ落ちる!成すすべ無しかァ!?』

 

 ざわつく会場。丹羽天津魔の圧倒的な戦力に太刀打ち出来ず、クリス・ド・レイはその地に膝を着いた。

 

「やっぱり無理だったんだ……丹羽さんに勝つことなんて……」

 

「……ふむ」

 

 既に諦めムードの周り。なるほど、丹羽天津魔は強い。べらぼうに強い。クリスが足掻いても、勝つことなど出来ないんだろう。それが結果だ。

 

 けれど、それでいいのだろうか?

 

「……?」

 

 光輝は首を傾げた。それは自分の心の言葉に対して。

 

 いや、どうしてだよ。一目瞭然じゃないか。

 

 満足できるのだろうか。クリスがこの場で負けることに納得がいくのだろうか。

 

 ……何を。これ以上、どうしろって。

 

 欲しいんだろう?――何が。――勝利だよ。――どうして。

 

 ――クリスに勝ってほしいんだろう?

 

「あ……」

 

 光輝は不思議ながらも、その心の言葉を頷けるものだと理解した。だって、そうじゃないか。お前が憧れたのは、あの意思の強い少女なんだって。

 

 ニュー・ジャックに正義感を抱いて挑んだ、人を救いたいと願ったあのクリス・ド・レイなんだって。

 

 欲しがれよ。お前が欲しがらなくて誰が欲しがる。願えよ。これ以上に無いぐらい願えよ。無理だとか出来ないとか、そんなもん後回しにして。

 

 自分がそれを欲しいって、願って見ろよ!声にして、あの勇敢な少女に届けてみろよ!

 

「――っ、クリスゥーーッやっちまえェーーーッッ!!」

 

 気付いた時には、言葉が出ていた。叫んでいた。それは偽りでも騙る訳でもなく、心の底からの言葉。

 

 気が付けば、周りは唖然として光輝の方を見ていた。夜千代は驚愕して。しかしシエルはしたり顔で。それはそれはとても大きな声だった。変な奴だと思われただろう。

 

 けれどそんな事、どうでもよく。今はただ、クリスの事を思って。この声がクリスに届いていれば、それで良くて。この声を、クリスに届けなくちゃいけなくて――

 

――次の瞬間、観客は目を見開く事になる。

 

 黒魔女は立ち上がる。ゆらりと、その身をよろめかせながらも。

 

「うん?」

 

「……ああ、こんなにも月が綺麗で」

 

 クリスはその手を空に伸ばす。それはまるで、闇夜の満月をその手に掴もうとしているかのように。

 

 そして――黒魔女の上空が、一帯の空間が激しく歪んだ。

 

 ゴゴゴゴ、と衝撃によりスタジアムが揺れる。電磁フィールドがバチバチ、と音を立て観客は一斉に驚く。

 

『こッ、これは……!黒魔女の能力かァーーッ!?』

 

 わめきたてるスタジアム。電磁フィールドという防護壁に覆われつつも、その身に危険が及ぶのではないかと錯覚するほどの揺れ。まるで大地震。

 

「どうして欲しがらずにいられましょう……!」

 

「……へぇ」

 

 すぐに揺れは収まる。そして、気がつけばクリスの全身を覆うように先ほどの歪みがその身に纏われていた。

 

「来なよ。そこまで言うならやってみせなよ」

 

「……お言葉に甘えて」

 

「まあこっちから行くけどね。「ローエングリン」!」

 

 再び振られる、辺りを覆い尽くす光の波。

 

 重量の軽減により跳ねたクリス。本来ならその身にまともに衝突するハズ――なのだが、しかしそれはクリスに触れることなく、地に消え去る。

 

「ありゃ」

 

「もうそれは効きません」

 

 高重圧を纏ったクリス。にも関わらずその勢いは圧倒的で、その手に握りこぶしを作り、さらに球体の重力球を纏わせ、丹羽を上から殴りつけた。

 

「むぐっ!」

 

 上から殴る。単純にして明快、強力な技。それを、さらに重力を付加して行ったのだ。弱い訳が無い。

 

 今のクリスの能力には進化(イクシード)が起きていた。彼女はその身に重力軽減、そしてその周りに高重圧を纏っている。別々のベクトルの、同時進行。これまでにやった事の無い方法。

 

 それが出来た事は無かった。けれど今は出来た。だから、それを使わない手は無い。出来る事は全部やって、私は先に進むんだ!

 

 丹羽の目には映っている、これまでに無い「笑顔」のクリス・ド・レイ。その笑顔は本当に嬉しそうで、幸せそうで。クリスの身に起きている現象を、丹羽は知っていた。

 

 「タガ」の外れ。事実的なリミッター解除。人が可能性を躍進させる切っ掛け。クリスは進化しかけている。

 

 ははっ、困ったねぇ……手加減しちゃあ失礼かなぁ……

 

 丹羽は地面を跳ねながら後方に吹っ飛ぶ。それに対してクリスは追い打ちをかける。

 

 一発。地面を丹羽の体が跳ねた。二発。丹羽の体が再びボールのように跳ねた。そして三発目。

 

 三発目で技がからぶる。最後の三発目、丹羽は回避して除けた。その背中に羽を生やして、空中に舞い上がる。

 

「「イカロス」……悪いけど、君に敬意を払うよ。これは僕なりの……ね。「カラドボルグ」」

 

 丹羽は空中にて、新たな剣を生み出す。「エクスカリバー」では無く、また別の白と黒の二つの色の剣。

 

「掲げるは正当性だ」

 

 丹羽はその剣を振り上げた。その切り上げられた空中に光の塊が生み出される。さらに丹羽は上空へ飛翔する。

 

「振り下ろすは正義「デモンズフォールン」」

 

 丹羽の背中から翼が消え去り、剣に黒い塊……例えるなら「闇」が纏わりついた。丹羽は浮遊力を失い落下する中でその剣を振り下ろす。

 

「傲慢なる暴力を知り地に堕ちろ。正義とは力だ。「ルシフェル」」

 

 振り下ろされた闇の力は剣から放たれ、地上へと向かっていく。その中継地点にあるのは先程丹羽が生み出した光の塊。

 

 光と闇が混じり合って、地上へと、クリスへと向かう。

 

『こ……これはァッ、まさかの、天使と悪魔の合体技だァーーッッ!?』

 

 クリスはこれから何が起こるのかなんとなく予見出来た。あれを地上へ届かせちゃ駄目だ。受けちゃ行けない。

 

 こんなピンチなのに、不思議と怖くない。なぜだろう、私ならあれを返せる気がする。確信は無いけど、やってみせよう。だって。

 

 光輝が応援してくれたから。

 

 クリスはその腕を、空へと払った。

 

黒城(こくじょう)天落(てんらく)

 

 次の瞬間、混じりあった光と闇は翼を失った丹羽と共に、まるで夜空の満月に吸い込まれるかのように空へと向かい、電磁フィールドに衝突して大爆発を起こした。



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天魔割目3

 刹那、会場が沈黙に包まれた。

 

『こ、これはッ、何が起きたァーーッッ!?』

 

 即座に司会の声により、その沈黙は破られる。突如起きた、電磁フィールド内での大爆発。それはバトルステージ内を砂埃で埋め尽くし、観客席からは中で何が起きていたのか分からない。

 

 数拍して、バトルステージ中央に二人の人影。クリス・ド・レイと丹羽天津魔が、お互いの掌を相手に向けて、立ち止まっていた。

 

 あの大爆発の中で、両者が「無傷」。まさかの状態だった。誰もが予想もできなかった結果。

 

 丹羽が構えをそのままに、口を開いた。

 

「はっは……「デーモントレード」でダメージを無効にしてなきゃ敗けてたよ。いやぁ、天晴天晴(あっぱれあっぱれ)。まさか「光と闇の塊」の重力をありったけ軽くして電磁フィールドにぶつけて破裂させるなんて、考えもしなかったなぁ。それもステージ全体の範囲で軽く出来るなんてさ」

 

 クリス・ド・レイが行った事。それは、電磁フィールド内の全方位の重力をこれ以上に無いほど全力で軽くして、それを手で振り払う、というものだった。

 

 その手から起きた風は僅かな物だったが、それで十分。その風の影響を少しでも受けた物は、およそ重力という物を持たないので遥か上空へ。それが電磁フィールド内となれば、電磁フィールドにぶつかる。爆発物がぶつかれば爆発、人がぶつかれば大ダメージだ。

 

 丹羽は「ルシフェル」をその思いもしなかった行動によって跳ね返されたというのに、ヘラヘラ笑う。どこまでこの人は本気なのだろうか。

 

「このルールならそれ、最強じゃない?インチキ臭いなぁ。とんでもないねぇ、君」

 

「ふふ、お褒めにいただきありがとうございます。私、「重くする」より「軽くする」ほうが得意でして」

 

 丹羽は自分の能力を棚に上げて、クリスの能力を「インチキ臭い」と言った。だが、こと異能者間なら、それは褒め言葉のようなものだ。

 

 しかし、そこまでして――丹羽は無傷。彼はあのダメージを全て、無効化にした。何をしたかは分からない。だが、分かっている事がある。

 

 勝負は、これからだ……!

 

「……あー、こりゃ勝てないね。うん、無理だわ。そいじゃ、降参で」

 

「……え?」

 

 構えを解く丹羽。一瞬、クリスは丹羽が何を言ったのか分からなかった。

 

「司会さーん!悪いけど、僕降参でー!」

 

『……えっとー、あのー?』

 

 解説席の司会へと、大きな声で降参宣言をする丹羽、困る司会。当然だ。まだ五体満足の彼が降参と言い出したのだ。

 

「だーかーらー、降参だって。僕もう戦えないからさー!」

 

 どよめく会場内。いきなりの試合放棄。一応、ルールではこう決まっている。降参、ギブアップを行った場合、直ちに試合終了と。

 

 ルールはルールだ。司会も、それを飲むしかなく。

 

『……はい、承りました!それでは、エキシビジョンの勝者はァ!クリス・ド・レイ選手ゥーーッ!』

 

「やるなぁーっ、姉ちゃーん!」

 

「ヒュウーっ!かっこよかったぜーっ!」

 

 電磁フィールドが解除され、勝敗が付けられる。先程まで見えていたホログラムの聖域(サンクチュアリ)と満月は消え去り、普通のバトルステージへ。

 司会の言葉に、一泊置いて観客は拍手と声援をクリスに送った。壮大な声援。

 

 ……なんとも歯痒くはありますがね。けれども、よしとしましょうか。

 

 自然と頬に笑みが出てくる。人からの賛辞を受けると、どうしても嬉しいものだ。

 

「……本当によかったのでしょうか?それで」

 

 クリスも構えを解き、丹羽に尋ねた。未だに疑問ではある。

 

「うん?いーよぉ。見せるもんは見せたし、ルール上勝てないのは事実だからこれ以上やっても意味なし。エキシビジョンだしねぇ」

 

 丹羽はまたタバコを口に咥え、ライターで火を点ける。

 

「それに、ヤニ切れでねぇ。一服したかったのさ。それじゃ」

 

 丹羽はそう言うと、あっさりと背を向けて入場口へと歩き出す。

 

「君は諦めなかった。その結果は、君が選んだ、君だけのものだ。頑張れよ若者」

 

 去り際に手をひらひらと振り、言葉を残していく。

 

 ……ええ。なんとしてでも。

 

「私は望み、そして欲しがります。それが、私が選んだものですから。……ありがとうございました」

 

 クリスはまた一つ世界を知り、進化した。自分はまだまだ、絶対的な強者では無い。けれどまだ、可能性は見える。ならば、私は進まなければいけない。進化しなければいけない。私の代わりなんて、居ないのだと証明するために。

 

 少し名残惜しくも、クリスもまたバトルステージを去った――

 

――スタジアム内のドリンクコーナーにて、ベンチに座るクリス。

 

 今頃本選が行われているからか、人は一切居ない。けれど、丁度いい。戦いの熱を冷ますには、これぐらいがいい。

 

「……おつかれ様。コーラでいいか?」

 

「ありがとうございます」

 

 背後から声を掛けられ、クリスはそちらの方を向かない。その人物は自販機で缶コーラを二本買うと、一本をクリスに手渡し、クリスの隣に座った。

 

 声で分かった。岡本光輝だ。

 

 カシュッ、とプルタブが引かれ炭酸が抜ける音が重なり、二人はコーラを頂く。疲れ火照った体に、甘く冷たい爽やかな味がスーっと染み渡っていく。

 

 ……しばしの無言。先に沈黙を破ったのは光輝だった。

 

「……あのさ、クリス。その……わ」

 

「撫でてください」

 

「る……は?」

 

「撫でてください」

 

 しかし、光輝の言葉を遮るようにクリスは頭を光輝の方に向ける。問答無用。

 

「光輝が応援したので勝ちました。だから、褒めて、撫でてください」

 

「……」

 

 光輝は一度コーラを脇に置くと、差し出されたクリスの頭を両手で抱え、柔らかく抱きしめる。そしてその頭を、優しく撫でた。

 

「……これでいいのか」

 

「あ……あの、光輝……」

 

「なんだよ」

 

「そこまでして欲しいとは……言ってません……」

 

「……あっ、す、すまん、悪かった……」

 

 バッ、と光輝はその身を離す。クリスからすればそれはとても名残惜しい物だったが、まあ、あのままでは話しづらいので、しょうがないかと自身を納得させた。

 

 ……それに、これでは熱も冷めやりません。

 

「あっ、いえ、光輝が悪いとかではなく、ただ、そこまで甘えんぼでは無いですよー、って……」

 

 ……流石にこれは苦しい言い訳だ。自分でも分かる。光輝は軽く笑った。

 

「……ごめんな、あの日、クリスに凄く酷いこと言った」

 

 唐突な切り出し。いや、彼がどういう心境なのか分かる。この和やかな空気の内になんとか切り出したいほど、彼は苦しんでいた。

 

 およそ一ヶ月前の、あの日。光輝が、クリスと距離を取ったあの日。あれから光輝も、クリスもまた、お互いに苦しみ続けていた。

 

「俺、人を信じるのも、人に信じられるのも嫌でさ。自分を他人から切り離してきた。そうすりゃ裏切られる事も無いし、失望されることも無いって」

 

 それは、光輝の心の闇の断片。断片に過ぎず、全てではない。

 

 けれど、それでよかった。

 

「……それって、逃げなんだよな。ただ自分が傷つきたくないって、それだけでさ。人間は一人で生きていけないのにとんだ傲慢だよ。馬鹿だったんだよ、俺」

 

「そんなこと、ありません」

 

 光輝が、自分を少しでも頼ってくれることが凄く、嬉しくて。

 

「誰でも、怖いんだと思います。私だって、裏切られるのも失望されるのも怖いです。けれど、光輝は嫌だって思いつつも、出来ることを頑張ってきたんだって。私はそう思ってます」

 

 だって、私の一番好きな人だから。

 

「だから、私は貴方の事が好きになったんですよ?」

 

「……」

 

 ポリポリ、と先程までの暗い顔とは打って変わって恥ずかしそうに頬を掻く光輝。彼の時折見せるこういう一面は、普段の仏頂面も相まって非常に可愛い。

 

「……あのさ、俺、まだクリスに答え出せないんだ。今のまま出しちゃ、やっぱどうしても自分が許せねー」

 

 光輝は立ち上がった。思いは吹っ切れたようで。

 

「俺のやりたい事って奴がまだ見つかってねー。悪(わり)い、それまで待っててくんねーか?期限は一年。その間に、絶対に答えを出す」

 

「……はい、心からお待ちしています」

 

 光輝の真っ直ぐな瞳にクリスは頷く。それが例え自分が選ばれない結末であろうと、私がこの人に恋をして、愛した事に変わりはない。彼の望んだ未来なら、私は後悔せずに見送る事が出来る。

 

 そしてなにより、そんな結末が訪れぬように、私は最善を尽くして彼の物になり、また彼を私の物にしてみせる。私は彼を、心から欲して、心から望んでいるから――

 

――光輝とクリスは暫く休憩をしてから、観客席へと移った。折角来たのだ、他の対戦者の戦いも見ておきたい。

 

 シエルと夜千代を見つけ、その隣にクリスと一緒に座った。

 

「今んとこどーよ」

 

 光輝は二人に声を掛ける。すると二人は、信じられないものを目にするような形で光輝に目を向けた。

 

「やあ、クリス。信じていた――って、それもそうなんだが、さらに大事件なんだ。おい、光輝クン!大丈夫なのか、アイツは!?なぜあそこに居る!?」

 

「あんの馬鹿……勝てるつもりかよ……」

 

「え」

 

 クリスの勝利はシエルも望んでいた物だったが、もっと大きな問題が起きているようだ。光輝は一体何が起きているのかと、ステージを注視する。

 

「は!?」

 

 光輝すら超視力で目を見開くその刹那。信じられない。一体、なぜアイツがあの場所に!?

 

 お前……そこは五大祭、AレートやSレートが溢れかえる「オータムパーティー」だぞ!?

 

『ついにこの男が参戦だァ!その計算に寸分の狂いはない!君の全てが手のひらの上だァ!「氷天下」を知りその身を凍らせ!二年前の「聖霊祭」優勝者、Sレートの氷室(ひむろ)翔天(しょうま)選手だァ!!』

 

「ふん……勝ちに行くか」

 

 オオオオオッッ!と盛り上がる観客席。無理もない、かつての五大祭の一つの優勝者。厚木血汐と並んで、そのビッグネームはイクシーズに、そして世界に響いた。

 

 ……対するは。

 

『正体不明!?Dレート!背は少し小さいが、その身に宿した勇気が溢れる!後藤征四郎選手の入場だァ!!』

 

「ヘヘっ、こういうのがオイシイんだよな」

 

そこには、一本の日本刀を両手で握り、学校指定の体操服姿の……後藤征四郎が居た。





 あーあ、まさか全国放送する五大祭のエキシビジョンに警察を介入させて、その力を世界に見せつけるだって?統括管理局はホントに無茶苦茶言うなぁ。そりゃぁ能力の派手さで言ったら僕は適役だろうけどさぁ。

 ああ、嫌になる。戦うなんてのは大嫌いなんだ。頭ごなしに相手を否定して、自分を昇華させる。弱肉強食の体現、それが闘争。

 対面?進化?そんなもの要らないんだよ。人はただ怠惰に暮らすのが本当は幸せなのに。身の丈に合って控えめの生活をしないと、次から次を求めてしまう。僕はそれこそ、負の連鎖だと思うけどねぇ?

 ……まあ、やるしかないんでしょ。とりあえず適当にやって、見せるもん見せたら降参でいっか。けれど、あの子が実力不足だと判断したらここで潰しておかないとね。

 凶獄みたいな勘違いは二度と作っちゃいけない。あの子が自分は強いって勘違いをしてしまったのは僕の責任だから。

 せいぜい頑張りたまえ、ウェストミンスターの英雄。警察官を望む者らしく最強であって見せろ。僕はそれなりに本気で行くから。じゃないと、上に怒られちゃうんだよねぇ。

「んじゃ、まあ。行きますかぁ」



――side episode「丹羽天津魔の憂鬱」


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その男、不注視につき

「オイオイ、マジかよ……」

 

 ある者は信じられないといった表情で。

 

「運が良いだけだろ?」

 

 ある者はあくまで偶然だと割り切って。

 

「イカすぜ坊主ーー!」

 

 ある者はそれを粋だと、声援を送った。

 

 その場にいるのは偶然か必然か、神ですら知らぬダークホース。運も実力のうちだというのなら、それは実力なのだろう。

 少なくとも彼には、握ったチャンスを逃さないセンスが確かにあった。

 

『えー……(にわ)かには信じがたい状況ですが、認めざるを得ません!オータムパーティー決勝戦、向かい合うのはこの二人だァ!』

 

 日本刀を握り締めた背の低い体操服の少年と、花模様の入った薄桃色の鉄扇(てっせん)を両手に持った、赤やオレンジといった暖色の刺繍があしらわれた浴衣で身を飾った短い緑髪(りょくはつ)の、仏頂面の少女。その二人が、スタジアムのバトルステージで見合っていた。

 

『方や、ご存知の通り!前回の聖夜祭の優勝者、「風神」の名を持つ少女!Sレート、風切(かざきり)(みやび)選手だァーーッ!』

 

 緑髪の少女、風切雅。厚木血汐、氷室翔天と並んで「三極」と呼ばれる少女だ。二年前の大聖霊祭の出場者、「氷天下」「熱血王」「風神」そして、「無双(ノーバディ)」三嶋小雨を含めた四人は、近年の五大祭の中でも特に有能な能力者達である為、その他の五大祭優勝者に比べても知名度が高い。

 

 ……そして、その内の「氷天下」を倒したのは、目の前の少年。

 

『方や、全く無名!五大祭初参戦、Dレートにして決勝戦にまで上り詰めた高校一年生!ノーマークの少年、後藤征四郎選手だァーーッ!』

 

 後藤征四郎。Dレートの、一切の噂を持たぬ少年。彼がなぜここまでこれたのか、それはこのオータムパーティーのシステムにもあった。

 

 ステージ・トリック。それがオータムパーティーのルール。

 

 NPH(ネオプラズマホログラフィック)によるステージ変更を存分に使った、豪快なバトルシステム。およそ20種類のバリエーションの中から、ステージ選択がランダムに行われ、そしてそのステージの中で戦う事になる。つまりは、仮装されるステージだ。

 

 Sレートである氷室翔天は、不幸にも燃え盛るステージ「火山(ボルケーノ)」を引いてしまった。得意の氷の能力も録に生かせず、対する後藤はステージ効果を苦にすることなく、氷室の敗退。その後も後藤は、ステージ・トリックを物ともせずに勝利してきた。

 

 偶然か必然か、どっちつかずの立ち回り。しかし勝てば官軍。

 

『ステージ・トリック!今回のランダムステージは……なんと!森林(ジャングル)だァーーッ!』

 

 司会の声と共に、ステージ内を幾つもの木が覆い尽くし、瞬く間にステージ内にNPHによる森林が出来上がった。この状況では観客席からも非常に見づらいものとなっており、精々木々の隙間を塗って対戦者を見るしかない。そういう点では、このステージは大会に向かない。

 

 そして、このステージでは「風神」風切雅も非常に戦いづらい物となる。

 

 しかし、風切雅は仏頂面を崩さない。この程度で狼狽えるほどSレートの称号は安くない。

 

「運がいいのね。ま、悪いけど、私は弱者であろうと手加減する気はないのだよ」

 

「ははっ、そいつぁ嬉しいねオネーさん!やるなら全力で一緒に盛り上がろうぜ!」

 

 対する後藤は元気よく構え据える。無邪気か、はたまた挑発か。なんにせよ、彼が対戦相手であることに変わりはなく。

 

 ならば、雅は「風神」としてあるべき姿を見せつけるだけだ。

 

 二人は見合う。互いに余裕を見せ、それが本心であるかは分からぬまま。

 

『それでは両者、位置に着いてェ!対面……開始(ファイ)ッ!』

 

 司会による開幕の合図と同時に、雅は二つの鉄扇で目の前の空間を、風を切るように振った。そこから発生した二枚のソニックブームが、前方方向へと真っ直ぐ進んでいく。

 

 しかし、後藤はステージギミックの木に身を隠した。いや、当然だろう。放たれたソニックブームは、後藤の後方にある木を斬り裂き、斬られた木は電磁フィールドに当たると同時に、ぶつかった部分は判定消失(クリアエフェクト)となって消え去り、先端を失った短い丸太が地面に落ちた。

 

 速い……けれど、避けれる!

 

 そんな事お構いなしと言うように、後藤は「速度上昇」による素早い身のこなしで木から木へと身を隠しながら走り、相手に読まれぬよう動く。

 

 対する雅は僅かにステップを踏むだけで、あまり動きはせず。さもすれば、後藤に距離は一気に詰められて……だが。それ自体が罠だった。

 

 近づいた後藤に対して、雅は鉄扇で風を強く仰ぐように振った。その鉄扇から放たれるのは広範囲への「強風」。ソニックブームなら当たらない範囲だったが、強風は広範囲。

 その強風に後藤は吹き飛ばされ、電磁フィールドにぶつかる前に木に衝突しかけ、それを足と腕で上手く受けてダメージを最小限に殺した。

 

 本来なら、電磁フィールドに体がぶつかって後藤は終わっていた。後藤のタフネスとスタミナは、それほど脆い。故に「運が良い」。雅の強さとは、このシステム性にもあった。

 

 ふん、厄介なステージだ……。

 

 わざわざ体力を使わずとも、相手が遠距離砲台で無ければ雅は接近を好きに拒否する事が出来る。そして自身は遠距離から延々と斬撃を飛ばす。

 

『これが「風切り」!攻防一体の能力だァーーッ!』

 

 斬るように振ればソニックブーム、仰ぐように振れば広範囲への強風。単純に強く、そして優秀。これが出来るからこそ、彼女は強い。

 

 なにより――優雅。

 

 Sレートに必要なのは複雑な、頭を捻ってようやく出せるような答えでは無い。単純な「強さ」。頭の測り合いでは無く純粋な力比べ。強ければ強い、弱ければ弱い。それで十分なのだ。

 

 ……はっ、やっぱり、タダじゃいかないか。

 

 後藤征四郎は木々を駆けた。相手を攪乱し、一撃必殺を狙うかのように。

 

「はっ!」

 

 雅はソニックブームを振るう。そして、木々は斬り倒されていく。

 

 周りの木がなぎ倒される。次から次へと。その速度はさらに加速、雅は最速で鉄扇を振るう。

 

『あーッとォ、後藤選手!これでは逃げる術がなァい!』

 

 そして遂には木が一本もなくなり。残ったのは、晒された征四郎だけ。

 

「ヤバ……ッ」

 

「終わりだよ!」

 

 雅は微笑を浮かべて鉄扇を振った。大きな風、征四郎は空中へ、電磁フィールドへと飲まれゆく。

 

 小柄な剣士が宙を舞う。誰もが、勝負は終わったと思った。

 

 幾つかの人物を除いて。

 

「……あれ」

 

 ある人には、既視感があった。

 

「まさか……、この状況は!」

 

 岡本光輝には、その可能性が視えた。

 

「全ての準備は整った。後は実行するだけだぜ、征四郎」

 

 小柄な少女三嶋小雨は、勝ちを確信した。

 

 確信に至った者は、少女だけではなく。今、ステージで戦っている少年もまた。

 

「奇跡を見せてやろうじゃないか!」

 

 後藤は電磁フィールドを足で受け、バネのように蹴り放った。足に多大な衝撃。けれど、足をバネにする練習なら、幾度となくしてきた。それは、師匠に施された、基礎の特訓。

 最速とは、体をバネにすること。力を進ませるだけじゃない、跳ねさせて、通り抜ける。

 

「ッ、馬鹿な!?」

 

 雅はすんでの所で、何が起きたのか気付いた。かつての「大聖霊祭」の決勝戦で起こった事態。しかし、最早対応できるタイミングではなかった。身を守る様に鉄扇で身を隠すが、もしも、あれがそうだと言うのなら。そもそも、電磁フィールドを蹴らせた時点で負けだ。

 

 電磁フィールドの衝撃を受けた、「速度上昇」による超加速。それは刹那。後藤は電磁フィールドから雅までの長い距離を一瞬移動し、鉄扇を日本刀で突き抜いて、雅を切り抜けた。大きなダメージを受けた雅は、地に伏す。

 

「そん……な……」

 

 ドサリ、と倒れ込んだ雅。起き上がるのは不可能、対面終了。

 

 スタジアム全体で沈黙が起こる。それは、過去の再現。

 

 「弱者」が「強者」を打ち破る。稀代の天才的な大剣豪、三嶋小雨の再来。多くの人物が見た事のある技。

 

『こッ、これは……ッ!電磁投射砲(レールキャノン)斬鉄剣(ざんてつけん)だァーーーーーッッッ!!』

 

 電磁投射砲斬鉄剣。かつて三嶋小雨が、厚木血汐を屠った技。

 

 いま、ここに新たな伝説が生まれた。



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その男、不注視につき2

 バチバチ、と体に電撃を纏わせて、後藤征四郎は地に着地した。背後ではドサリ、と音を立てて地に倒れ伏す風切雅。

 

「小雨師匠直伝、これぞ、奥義……」

 

『こッ、これは……ッ!電磁投射砲斬鉄剣だァーーーーーッッッ!!勝負あり!勝者、後藤征四郎選手!』

 

 瞬間、拍手喝采の嵐。まるで、夕立のような賛辞。征四郎はそれを受けて、観客席に手を振り返す。

 

「いやー、どーもどーも!」

 

 彼への注目、期待はこの瞬間で、一気に膨れ上がった。それもその筈、「電磁投射砲斬鉄剣」を行ったのは過去では三嶋小雨が初であり、放たれたのは今日で二回目。だとするなら、人々はこういう期待を抱くものだ。

 

 彼は三嶋流斬鉄剣(みしまりゅうざんてつけん)の担い手では無いのか?と。

 

 速さをウリにした、侍スタイル。体躯の小ささ。レートの低さ。どれもが、かの三嶋小雨を彷彿とさせた。

 

 そして、もしそうだったのなら、これまでの常識が覆る。

 

 三嶋小雨に弟子が居ない、という常識が――

 

――意識の無い風切雅はタンカで運ばれたが、身体に深刻なダメージは無かったようだった。

 

 「オータムパティー」は無事に大会工程を終え、表彰式へと移る。ステージには、後藤征四郎とMCマックが。

 

『それでは、優勝者、後藤征四郎選手には、「大聖霊祭」への出場権と、データベースから二つ名が贈られる事になります!後藤選手に与えられる二つ名は……!』

 

 会場の皆、観客席も、ステージの征四郎もが緊張をする。一体、どんな二つ名が付くのだろうか。

 

『見えざる者、注意を配れぬ者、ダークホース!そういう意味を込めて、「不注視(ノーマーク)」!三嶋小雨さんのかの異名「無双(ノーバディ)」に準(なぞら)えて、「不注視」の二つ名が送られます!』

 

 色めき立つ会場。無理もない。二年前、三嶋小雨がオータムパーティーで優勝した。そしてその次、現在のオータムパーティー。此処に三嶋小雨の影が現る。

 

 誰がどう見ても、その姿はかつての「無双」に瓜二つ。違うのは、男であることと、お調子者のようなところ、そしてその手に持たれたのが日本刀、ということだろうか。三嶋小雨の武器は、忍者刀だった。

 

『えー、それでは優勝した後藤選手に一言を頂きたいのですが……』

 

 司会のMCマックはマイク越しにゴクリ、と唾を飲む声を鳴らす。緊張しているのが手に取るように分かった。MCという役割を持ったベテランの彼が、だ。

 

『インタビューを、お伺いして良いですか?』

 

『ん?いーぜ。いくらでも』

 

『ありがとうございます!』

 

 インタビュー。本来なら一言のとこを、特例として。征四郎は快く引き受ける。

 

 それは、どうしようもなく、多くの人間が知りたいだろう。Dレートである、後藤征四郎の素性を。

 

『それでは、まず……。剣技は、独学ですか?』

 

 先ずは、確信へ。多くの人間が気になる事実。それはMCマックも、例外でなく。これ以上にないほど、そわそわしている。

 

『違うよ。師匠に教わった』

 

 師匠。清四郎には、剣技を教えた人物が居る。

 

『師匠と言うのは……』

 

『三嶋小雨師匠。あっ、ホラ。今降りてくる』

 

 次の瞬間、ステージにズサッ、と降り立った人影。遥か遠くの観客席から飛び跳ねてきた。長い黒髪を赤いリボンで束ねた、黒いシャツに赤いジャケット、デニム生地のショートパンツからは細くしなやかに、黒いストッキングに包まれた脚が主張をする、黒いサングラスをかけた背の低い少女。その背は、ただでさえ背の低い後藤征四郎よりも、少し背が低い。しかしその風貌に幼さはなく、堂々たる風格があった。

 

 少観客席がざわつく中、少女はサングラスを外す。その姿はこの会場の殆どが知っていた。三嶋小雨。能力は「脚の強化」。イクシーズの中でも最強の一人と謳われる少女だ。

 

『征四郎。余計な事を答えてる暇があるなら食って鍛えろ』

 

『あっ、すんません。そこまで頭行きませんでした』

 

『あ、あのー……』

 

 司会がどうすべきか、という表情をしていると、小雨はマイクを奪って言った。

 

『此処の全員に告ぐ。私はこの間、弟子を取った。唯一のだ』

 

 ざわり、と会場で雑音が動く。それもそのはず、三嶋小雨はこれまで弟子を一切取らなかったのだから。

 

『生憎、私は二人も弟子を取る余裕がない。そもそも、コイツ程に私なりの才能がある奴を知らない。だから、これを機にまた弟子になろうとする奴は、悪いが全員追い返す。申し訳ないが、その気で』

 

 小雨は自ら大胆な宣言をしていく。彼女に遠慮など、無いのだろう。彼女は自分の為に人生を生きているのだから。それが最強に許された道。

 

『震えろ、強者ども。今年の大聖霊祭も、弱者が頂いていく』

 

 その言葉を最後に小雨はマックへとマイクを返し、ステージを後にした。それは、三嶋小雨の宣戦布告。観客席に居る多くの人物が、その光景を見ていた――

 

――「ワオ!大胆ネ、小雨!」

 

「まあ、いいんじゃないでしょうか。大聖霊祭が楽しみです」

 

 来雷娘々と、イワコフ・ナナイ――

 

――「はっはは!あの「無双」の弟子か!これはこれは、随分と大きな師を持ったものだよ、後藤クン!」

 

「……マジか」

 

「……らしいぞ」

 

 瀧シエルと、岡本光輝と、黒咲夜千代――

 

――「……熱いな」

 

 厚木血汐――

 

――『うわー、これすっごいよねー。ダーリンに伝えたらすっごい喜ぶんじゃないかしら』

 

「……総長(ヘッド)、絶対喜ぶね」

 

 J&Jと、巌城大吾。白金鬼族の幹部二人。しかし、総長の白銀雄也はその場に居ない。なぜなら、彼は――

 

――対峙する、白い羽織袴に身を包み模造刀を構えた、長い黒髪をポニーテールの形で結った少女と、白金髪が特徴的な、白地に金の刺繍で背中に「白金鬼族二代目総長」と書かれた特攻服を着た、暴走族のような男。

 

 二人は周りに誰も居ぬ中、見合っていた。

 

「本当に良かったのですか?」

 

「当たりめェだろ。アンタの誘いを断っちゃ、男が(すた)る」

 

「……それはなんとも嬉しいことです」

 

「それに、五大祭はまだ一回ある。聖夜祭で優勝できなきゃ、俺の器はそこまでヨ」

 

「潔いんですね」

 

「そんなことより、今は対面を楽しもうゼ」

 

「ええ」

 

 二人の若者はお互いの瞳を見据える。互いに敵意を剥き出した、猛獣のような瞳。

 

「極一刀流、第六天魔王の娘、天領白鶴。貴殿の力、見せていただこう」

 

「白金鬼族二代目総長、白銀雄也ァ!三千世界をねじ伏せてイザ、罷り通る!」



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第七章 白夜満つる街、諸人こぞりて
三極の集い


休み明けの学校。朝のホームルーム前に、岡本光輝は読書をしていた。

 

 ああ、今日もいい天気だ。こんな日は、いつもどおり静かに過ごせそうだ。

 

「ヘーイ、ジョニー!凄いニュースと驚くニュースがあるんだが、どっちから聞きたい?」

 

 とかなんとか思ってたらそんな事を言って一年一組に入ってきた少年が居た。その少年は、光輝がよく知っている人物だった。名を後藤征四郎という。

 

 ぶっちゃけ、朝っぱらからうるさい。

 

「……ジョニーって、俺のことか」

 

 呆れ顔で光輝は征四郎を見る。ジョニーなんて名前の奴はこのクラスに居ない。しかし、分かっていることがある。コイツがこのクラスでわざわざ呼ぶ奴は、俺ぐらいしか居ないって事だ。

 

「ザッツライ!」

 

「……凄いニュースで」

 

 どうやらその通りだそうで。やたらテンションの高い征四郎に静寂の時を邪魔されつつ、彼の質問に答えてやる。大体察しは付いているんだが。

 

 ……しかし、凄いニュースと驚くニュース、何が違うんだろうか。いやまあ、彼がいつも深く考えずに口を動かすのは分かっているのだが、ほんの少しだけ、興味が沸いたってだけで。まあいいや。深く考えるとこっちが飲まれかねん。

 

「なんと、この度!この俺っち後藤征四郎は、オータムパーティーで優勝を収めました!さあ、雨のような拍手を!センキュー!」

 

「……おう」

 

 パチパチ、と征四郎に対してやる気無く拍手をしてやる光輝。それでも征四郎は嬉しそうだ。

 

 いや、まあ。実際凄い。Dレートの彼がオータムパーティーを征するなんて。それに、三嶋小雨の弟子だっていうことも、気になる点は多く、とても多くあるのだ。

 

 ……ただ、なんとなくムカつくだけで。

 

 それに、気が付けば以前よりも圧倒的に征四郎は周りからの注目を惹いている。ただでさえ目立つやつだったが、今はそれよりもさらに目立っている。本人は気づいてないようだから言わないが。めんどくさいし。

 

「そんで、驚くニュースってのは?」

 

 そしてもう一つ。あまり気にならないが、とりあえず聞いておく。まあ、どうせ大したことじゃないだろう。

 

「白銀雄也が、高一の女子に負けたらしいぞ」

 

「……は?」

 

 いや、それは大したことだよ!滅茶苦茶重要だよ!!

 

 ……と、自分の心の中で自分に突っ込みをいれつつ、その言葉を自分の中で理解していった――

 

――「あー……悔しい」

 

 昼食時、学校の中庭のベンチで、白銀雄也は開封したての焼きそばパンを片手に空を見上げていた。そのやきそばパンにはまだ、口はつけられていない。

 

 空は青い。空気は澄んでいる。こんなに澄んでいるとまた、パンの乾燥も早いんだろうな。

 

「ダーリン、早く食べないとパサパサになっちゃうよ?」

 

「緑茶ならあるよ?飲む?」

 

 ただ惚けている雄也のその両隣には長い金髪を風に靡かせた背の低い二人の瓜二つの少女、ジュディとジャネットが座り、雄也を心配する。

 

「……総長(ヘッド)、食わなきゃ弱くなるよ」

 

 さらにそのジュディの隣には身長が驚く程大きい少年……少年と称するのが少し厳しいが、年齢はまだ16歳である男、巌城大吾が座っていた。

 

 揃って、空を見て惚ける白銀雄也を心配していた。

 

「ああ、すまねェな……。食うか」

 

 そうしてようやく雄也は焼きそばパンにかぶりつく。

 

 ガツリガツリと、とにかく食らった。何も考えず、食べるしかなかった。でないと、喉を通らない。ジャネットから緑茶を貰い、パンを無理矢理胃に流し込む。

 

 なんだろうな、この感覚。

 

 ただ、今は無心に、かぶりつくしか出来なかった。

 

「どうした、白銀。今日は不機嫌そうだな」

 

「……氷室か」

 

 一息つくと、中庭に一人の男が現れた。眼鏡をかけた、優等生風の男。

 氷室翔天。この学校の生徒会長であり、Sレート。別名「氷天下」の二つ名を持つ者だ。

 

「うっさいわね、馬鹿。ダーリンはアンタと違って繊細なの!負けたのにケロッとしていられる馬鹿と違ってね」

 

「ふん……それは違うな。俺はただ、迷わないだけだ。考えるだけ無駄だろう、やると言ったらやる、やらないと言ったらやらない。それだけで世の中の全ては片付く」

 

「やっぱ馬鹿だわ、コイツ……」

 

 J&Jは氷室に対して溜息をつく。身長差はあれど、彼女らはこう見えて同じ三年生、同級生だ。J&Jは氷室という男を分かっている。そもそも、こんな基本的に馬鹿が通う高校に入学してくる時点でアホだ。頭が良ければ厚木血汐が通う「臨空高校(りんくうこうこう)」か、風切雅が通う名門の私立高校「星ヶ丘高校(ほしがおかこうこう)」に通っているだろう。氷室の妹が臨空高校……通称「リン高」に通っている事から察しがつく。

 

 いや、まあ。潔いと言えば、潔いのかもしれない。しかしいかにも知的に振舞う彼の姿は、見ていて呆れを通り越して清々しい。

 

「いやな、負けたんだよ。対面で」

 

 雄也はやきそばパンをさっさと食べ終えると、氷室に答えた。雄也は意外と、氷室を好ましく思っている。彼の強いところ、考えるところ、そして一度これだと決めたら、納得するまで意思を曲げないところ。そんな彼は、雄也の目から見て「男らしい」のだ。

 

「なるほど、それで悔しい、ってワケだな」

 

「ああ。……アイツは強い。そして、(うま)い」

 

 雄也は今でも、彼女の戦い方を、脳内でシミュレーションしている。ああ来たらこう返すとか、こうすれば優位に立てるとか、全てにおいて相手が上回っていた。

 それは、雄也のがむしゃらな喧嘩殺法を、カウンタースタイル含めて完全に対策した物だった。その中で、雄也は天領牙刀の言葉を思い出す。

 

 卑怯で何が悪い。

 

 そうだ、戦うとは、卑怯な事だ。勝つとは、卑怯な事だ。綺麗事だけで戦うのはそういうルールの範疇だけ。

 

 本来、喧嘩というのは勝ってナンボ。どんな対策を練られようと、こちらが対策を練っていなかろうと、負けは負けだ。勝つために努力出来ない奴が、弱い。物言いなんて、女々しい。

 

 相手が武人なら、尚更。暴力を制するからこそ武。(ほこ)()めると書いて武だ。

 

 思考をする白銀に、氷室は口を開く。

 

「負けるなんて、人生でいくらでもある。お前なら分かってるさ。悔しいって気持ちをぶつけて、強くなりたいと願うのもありだな。戦うって、そういう事だよ」

 

「……はは、分かっちゃいたが、言われると、より意識するな」

 

 実にそのとおりだ。在るべき事を在るとして云う。氷室翔天のこういう真っ直ぐな所は、本当に見ていて気持ちがいい。見た目こそインテリを装ってはいるが、その中身は厚木血汐とよく似た、誠の漢。彼の言葉は一見難しそうに見えて、ただそのままの事を言っているだけだ。

 

 まだまだだな、俺も。言われるまで踏ん切りが付かないなんて。

 

「サンキュー、先輩。アンタが卒業するまでには一回やろうぜ」

 

「どうせならお前との戦いは勿体つけたい。……フン、いずれ相まみえる時が来るだろう」

 

 氷室はそれだけ言うと、とっととこの場を去っていった。

 

 ああ、アンタを満足させられる時が待ち遠しい。……なんだよ、俺。まだこんなに元気じゃねえか!――

 

――星ヶ丘高校の生徒会室、緑髪が特徴的な生徒会長の風切雅は苛立ちを隠せずに居た。周りのメンバーは、その明らか様に虫の居所が悪い様をオロオロと見ていた。

 

「ああ、あんな奴とっとと風神解放をしていれば……!なによあの初見殺し、ふざけんな、あんな奴風のバリア張って切り刻めば楽勝だったのに、クソ、クソ、クソ、クソ、クソ……」

 

 さっきからこのような感情の吐露の繰り返し。それは独り言であるが、口に出さなきゃ気が収まらないのだろう。メンバーはその怒りの理由を知っていて、しかし黙るしか無かった。

 

 オータムパーティーで風切雅が、まさかのDレートに負けた。

 

 誰もが予想外だったし、彼女自身がその想定をしてなかった。五大祭はシステム上、電磁フィールドに相手をぶつけてしまえば勝ちのルール。しかし、それを相手は返してみせた。しかも、その技はあろうことか二年前の五大祭を制した者、三嶋小雨の技だった。

 

「あの小娘、よくもまぁまた出しゃばってきてからに……ざーけてんじゃあねーぞあんのチビぃ……」

 

 とっくの昔に居なくなった亡霊が、またしても私の邪魔をする。クソ、相手を舐めてかかるのは私のクソみたいな所だ。

 

 雅は征四郎よりも、小雨よりも、自分にイラつく。端から本気で行くべきだった。雑魚を雑魚らしく、本気で片付けるべきだった。余裕など見せなければ良かった。釣られた……!

 

 ガチャリ、と生徒会室のドアを開けて一人の女子生徒が入ってくる。

 

「あ、あの、雅様」

 

「あーによぅ?」

 

 女子生徒に話しかけられて、雅は怪訝そうな顔をする。怒りが小出しで発散されつつあるためか爆発しなかったことに、メンバーは心をそっと撫で下ろす。

 

「氷室様が、お見えになってますが……」

 

「……通して。あの馬鹿、なんの用だかね」

 

 雅に促されるままに、氷室翔天が生徒会室に入ってきた。一応は別高校の生徒なのだが、氷室もまた、彼の通う高校「青空高校(あおぞらこうこう)」の生徒会長である為、多少の融通が効く。

 

「馬鹿とはまた、非道いな。君に朗報を届けに来たのに」

 

「携帯で伝えろよ馬鹿。お前の持ってる携帯は飾りかい」

 

 少し考えてハッとした表情を浮かべると、氷室は少し俯いて、かけていた眼鏡の位置を人差し指と中指でクイッ、と直した。

 

「……文明の利器を甘受するのも結構。しかし、会いたいなら会えば良い。伝えたいなら、会って伝えれば良い。そうじゃないかい?盟友」

 

「言い訳おつー。早く言え、何の用だ。私は忙しいのだよ」

 

 とてもめんどくさそうに、雅は座っていた椅子から生徒会長の机の上に脚を乗せる。とてもじゃないが、名門私立高校の生徒会長が取る行動じゃない。しかし、長いスカートから現れた白く美しいおみ足は、氷室以外の生徒の心を男女関係無しに鷲掴みにする。

 

 その横暴さは、かくも美しい。それは一種のカリスマ。

 

「厚木の家で焼肉を奢ってくれるらしい。行くか?」

 

「えーっ、何それ、超行くわー!」

 

 氷室のその言葉にそれまでのイライラをすっとばし眼を輝かせた雅はガタッと立ち上がり、氷室と共に生徒会室を出て行った。

 

 その様子を見届けた生徒会メンバーは一様に安堵をした。



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三極の集い2

「んーと、コブクロと、上ミノ、心刺し、上ホルで」

 

 メニューを見ながら、店員に注文をする風切雅。

 

「イカと、エビと、せせりと、ウインナーをよろしく頼む」

 

 次いで氷室翔天が。

 

「とりあえず上カルビ、上ロース、タン塩。それとライス大盛りを三つでお願いします」

 

 最後に厚木血汐の注文。

 

「はい、承りました。ライス大3、それ以外一人前ですね。それでは、血汐さんとその親友様。ごゆっくり」

 

 ファーストドリンクをテーブルに置き、肉の注文を受け厨房に戻っていく女性店員。三人はそれぞれのドリンクを手にすると、血汐が掛け声をかけた。

 

「それじゃ、オータムパーティー終了お疲れ様!かんぱーい!」

 

「「かんぱ~い」」

 

 カーン、と音を鳴らしてお互いのドリンクグラスをぶつける、イクシーズ内の三つの高校のそれぞれの生徒会長、血汐と翔天と雅。場所は焼肉屋「情熱家(じょうねつけ)」。厚木血汐の両親が経営する焼肉屋、その一室だった。

 

 開幕に、それぞれはソフトドリンクを飲み干す。血汐は元気ドリンク、翔天は緑茶、雅はコーラだった。

 

「っぷはぁ!いやー、コーラは最強だねぇ!」

 

「反応が三十路臭がするぞ、雅」

 

「そういうお前のチョイスは三十路通り越してジジ臭いな、翔天」

 

「はっは、まあ喧嘩せずに」

 

「「お前はなんかもう分かってた」」

 

 幼馴染であり、かつ気が合う仲であった三人は、しかしして好みが全く同じというわけではない。むしろ、その逆。三人の好みは、全く逆方向と言っても良いぐらいだった。血汐は三人分のドリンクバーを引き受け、すぐに戻ってくる。

 

「しかしまあ、今更だが……」

 

 厚木は注文表を見て唸る。

 

「君たちは肉をまともに食おうとは思わないんだな」

 

「んー?」

 

「そうか?」

 

 雅の注文した物は、見事に臓物系だった。心臓の刺身はまだ肉ではあるが、そもそも焼かない。「焼肉」じゃない。これらに共通した部分は「歯ごたえが良い」事。

 

「内蔵の部位が好きでさ。あれって顎使うじゃん?顎に筋肉が付くから、相手の攻撃で意識飛びにくくなんの」

 

 ……何も焼肉を食うときにそんな事を意識しなくたって、と血汐は思った。根っからの喧嘩マシーンか。

 

「それにミノの繊維を引き裂く感触、コブクロを細切れに噛みちぎるあの感覚、いや、マジで美味い」

 

「まるで狂犬だな」

 

 それは翔天の感想であったが、血汐もそう思う。なんか、こう……彼女の内から滲み出る、凶暴さなのだろうか。そういうものを感じる。大分Sっ気が高い。いや、普段の仕草から感じてはいたが。

 

「つか、翔天とかどうなの。海鮮鉄板焼きのメニューかなんかじゃねーの、それ」

 

「馬鹿を言え。焼肉屋なら鉄板メニューだろう」

 

「上手い事言ったつもりか」

 

「はは……」

 

 ……いや、翔天が注文した物が美味しいのは分かっている。しかしそれはあくまでサイドメニューに近い物だ。メインで頼むような物ではない。そして翔天はサイドメニューしか頼んでないのだ。

 

 違うんだよなー。分かるかな、焼肉ってのはもっとこう、さ。肉を食って、白米を食らって、ワイワイ騒いで……分かんないかなー。

 

 なんて凄く言いたかった血汐だが、言えない。空気を読んで、言えない。どう見積もっても、この二人はそれを受け入れるような人間じゃないから。まあ、最後のだけは達成できそうだから、良いか。良いよね。仕方なく自分を納得させた。

 

 やがて注文の品が届き、血汐はトングを使ってまずはタン塩から焼いていく。やはり開幕はタン塩以外有り得ない。雅と翔天は心臓の刺身をパクパクと食べているが。……あ、俺の分が無くなった。速いよ。少し悲しい。

 

「……所で、あの噂。聞いているかい?白銀雄也を倒した、女の子の話」

 

 気持ちを切り替えるように血汐が切り出した、一つの話題。対面上等のこの集まりでは、極上の話題だった。

 

 白銀雄也。Aレートではあるが、対面グループ「白金鬼族」の総長。その武勇伝は、彼がこの街にやってきてから後を絶たない。かくいう厚木血汐も、夏祭りで雄也と対面をし、敗北したから深く知っている。彼は、強い。傲慢なカウンタースタイルを持つ者。

 

 そんな彼を倒した者が居ると言う。燻らずにはいられなかった。

 

「そういや昼間、白銀の元気がイマイチだったな」

 

「知ってるよ。天領白鶴、ウチの一年だ」

 

「天領……なるほど、「英雄剋拠」天領牙刀さんの娘か。それなら納得が行く」

 

 血汐は焼けたタン塩をそれぞれの皿に乗っけた。血汐はそれをレモンと塩、翔天は塩だれ、雅はそのまま頂いた。そのままライスをかっ込む三人。至福の一時。

 

「……聞いたことの無い名だな。有名なのか?」

 

「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたがまさかそこまで馬鹿だとは思わなかった」

 

 翔天を信じられないといった目で見る雅。血汐は次いでメニューを鉄板に載せていく。血汐も雅の反応は仕方ないと思ったので、何も言えない。イクシーズに住む対面好きの青年、それもあろう事か五大祭優勝経験を持ってかつSレートの彼が知らないとは。

 

鰾膠(にべ)も無いな。血汐、頼んだ」

 

「はは……天領牙刀さんってのは、今から30年前くらい前か。イクシーズがまだ無かった頃、この辺り「中京圏」で起きた不良少年達の戦争「中京大戦」を征して、最終的に東西南北全域から集まった強者達を纏めあげて「中京連合」を作った伝説の不良少年さ」

 

 しょうがなく、フォローを入れる血汐。翔天は口に手を当て考えると、すぐに納得した。

 

「……滅茶苦茶凄い人じゃないか」

 

「そんな事も知らないからお前は馬鹿なんだよ」

 

「知るは一時の恥、無知は一生の恥。何とでも言え」

 

「屁理屈だけはポンポンと出るね、お前」

 

 犬猿の仲のような二人を尻目にして思考に耽る血汐。そう、全てはあの時から始まったとされる。中京大戦が終わってやがて中京圏は強者が集まる地となり、異能者が増え、中京圏――中でも都市部である名古屋は瞬く間に異能者の溢れかえる街に。

 余りにも異能者が増え犯罪等も軽視出来なくなり、やがて国は常滑の海上空港を増設し、人工巨島(メガフロート)へと、国際空港を備えた海上都市になった。その上には異能者だけが居住権を持てるという特権がある新社会(ニューソサエティ)、「イクシーズ」が作られた。

 

 今ではそんな経緯を知らない者も多いが、等の本人は今でもイクシーズ警察の対策一課で警部をやっている。近年では新たな伝説である三嶋小雨や瀧シエルが幅をきかせているが、それでも彼への信仰は未だに厚い。かくいう厚木血汐も、天領牙刀こそが最強だと信じて疑わない。

 

「とまあ、その人の娘さんが白銀雄也を倒したって話らしいね。それなら納得も行く」

 

 頃合の上カルビと上ロースをそれぞれの皿に配置していく血汐。こればかりは、三人ともタレで行く。白米との組み合わせが最高に美味い。

 

「私はそれより、小雨の奴がまたしゃしゃり出てきたのが気に食わねぇ」

 

「はは、あれもまさかだったね。まさか小雨さんが弟子を取るなんて」

 

「雅。そんなに眉間に皺を寄せると老けるぞ」

 

「うっせ。そんときゃそんとき」

 

 上ミノとコブクロを皿に取り分ける。上ミノはタレ、コブクロは塩で。それぞれタレと繊維、塩と旨みがマッチして、何度でも噛み締めたくなる。互いに歯ごたえがあるという共通点があるが、しかしその方向性は全く別で。これがたまらない。

 

「瀧シエルの攻略法は?どうすんの?」

 

「そりゃもう、全力で行くしかない。あの子は天才だよ。俺らが限界を越えない事には始まらない」

 

「俺と雅はもう負けてるからな。さて、どうするかな……」

 

「油断してただけだっつーの。風神解放さえすりゃ、あんな奴どうとでもなる」

 

「自身満々だね。まあ、精々また足を掬われないようにしなよ」

 

 雅の強さは傲慢さではあるが、逆に弱点でもある。彼女はそれを理解している筈だが、それもまた、彼女なりのアイデンティティ。彼女はそれでいい。

 

「つか、大聖霊祭が後一枠なんだよなー。やること多すぎるわ」

 

 そう、大聖霊祭への枠は後一枠しかない。雅が出るには、他の強豪を乗り越えないといけない。氷室翔天、白銀雄也、天領白鶴、注目するのはそれらだろうか。

 

「ああ、俺は聖夜祭の日は妹の誕生日だから出れないぞ。今年の大聖霊祭は諦める」

 

 血汐と雅は翔天を見る。そうか、彼は妹が居た。

 

「……お前、それで良いの?」

 

「別に構わない。五大祭で無いと戦っちゃ駄目だなんて規約は無いさ。俺は俺で好きにやらせてもらう」

 

「はは、それもアリだ」

 

 上ホルモンはタレ派と塩派に別れた。血汐と翔天はタレ、雅は塩。どちらにせよ、美味い。脂が少なめだが、これもまた良し。

 

 少しして、雅は難しい顔をして二人に問いかけた。

 

「つかさ、思ったけど……私ってもしかして、女にカウントされてない?」

 

「「なんで?」」

 

「いや、だってホラ……焼肉言うたら、煙の臭いが服についたり、口を付けた箸でうっかり肉触っちゃったり。そこは血汐がしっかりしてくれるからいいけどさ」

 

「まあ、ぶっちゃけ今更」

 

「……ごめん、こればかりは翔天に賛同するよ」

 

「なんで!?」

 

 淡白に答える翔天、眼を伏せ申し訳無さそうに答える血汐、驚愕の雅。

 

「昔っからの付き合いでガサツで言葉使いも悪くて横暴、顔だけ良くてもその他はまるでレディースの総長。あと無防備過ぎてときめきも足りん。お前のうなじとか生足とか一緒に居すぎてもう見飽きた。夏とかよくブラ透けてるぞ」

 

「ああクソ納得の行く憎たらしい御説明どうもありがとうこの馬鹿野郎。つか気付いてたらもっと早く言ってくれませんかねぇ!?」

 

「……なんだかんだ仲良いよね、君達」

 

 三極は今日も楽しげだった。



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白鶴の記憶

「11月を秋だって言う奴が居るが、私からしたら冬だ。そうは思わんか」

 

 コンポからアップテンポの曲が流れる室内。暖房を付けず、薄ら寒い部屋の中。畳の上にはカーペット(など)も敷かれず、仕方なく敷きっぱなしの万年布団の上で、黒咲夜千代は共に背中合わせで座っている岡本光輝にそう問いかけた。

 

 夜千代は部屋の中だというのに、ピンク色で動物柄のパジャマの上から白いジャンパーを羽織っている。夜千代が羽織るには少し大きめの、レアメタルが編みこまれた防弾・防刃に優れたジャンパー。普段の黒いコートよりも(ぬく)い。フラグメンツで支給された物だった。

 

 だって(さみ)ぃーもん。しょうがねーじゃん、ストーブ出すのめんどくさいし、灯油買ってないし。

 

 そんな夜千代の心情は別に気にせず、先程の問いに光輝は答えた。

 

「お前は正しい。わりかし俺もそう思う」

 

 対する光輝は賛同こそすれど、友人の家に来たというのにずっと小説を読んでいる。そんなに小説が好きか。夜千代は少し拗ねる。

 

「……なー、小説読むの止めてなんかしないか?指スマとか、マジカルバナナとか」

 

「ナイトオブファイヤーなら」

 

「下の人に怒られるから駄目だ」

 

「じゃあ諦める」

 

「やむなし」

 

 横壁も床もさして厚くないこのボロアパートじゃ、激しく動いたらそれはもう丸聞こえなので怒られる。幸い両隣は空いているのだが、下には人が住んでいる。しかも今は午後の七時、もう夜といっても差し支えない。それはマズい。

 

 尚、なぜ岡本光輝がこの部屋にいるかというと、彼が自室で小説を読んでいるとクリス・ド・レイがちょっかいをかけてきて集中出来ないらしい。この時間にもなると流石に図書館は開いていないので仕方なく部屋に入れてやっている。うん、贅沢な悩みだこと。

 

 と、まあ。そんな事を思ったりもしたけど、数少ない友達に頼られて夜千代は内心嬉しかったりしたため、仕方なく光輝を部屋に入れた。ただ、やることがない。折角友達がやってきたのだから、なんか話したいし、遊びたい。夜千代だって若者だ。決して修行僧ではなく、じっとしてるなんて性に合わない。布団の上に二人で座っているため、寝ることも出来ない。睡眠は人生の中でも最上級の一時だというのに。

 

 光輝は一切話題を振ってこない。なら、夜千代が動くしかない。

 

「……なあ、今から夜の街に繰り出さないか?」

 

 それは夜千代の決意の言葉。

 

「んー?いいけど。なんかあんのか?」

 

「フフ……それはな……」

 

 幸い明日は日曜だ。夜千代はそこまで興味がないが、フラグメンツの偵察として、かつ岡本光輝が興味を惹かれる話題を握っている。コイツと外をぶらつくのならまあ、楽しいだろう。

 

「新しく作られた対面グループ「白夜隊(びゃくやたい)」を見に行くのさ!リーダーはなんと!あの天領牙刀の一人娘であり、白銀雄也を倒した星ヶ丘高校一年生の天領白鶴だ!」

 

「なん……だと……」

 

 光輝の興味は引けたようだ。フフ、この勝負は私の勝ちだぜ……!――

 

――天領白鶴は、闘争という物に憧れを抱いていた。

 

 白鶴は父と母が大好きだった。父はかつて中京大戦にて第六天魔王と呼ばれ、今は英雄割拠の二つ名を持つ伝説の人。昔は不良少年だったそうだが、現在の職業は警察。母は当時の中京大戦にて父とライバルでありつつも、最後には共闘をした者。最終的には両思いになり、結婚に至ったらしい。

 

 闘う事。それは幼い頃から白鶴の中に「凄い事」として根付いていた。父と母は強い。両親を尊敬し、自分も強くなりたいと願い、闘いたいと想い、生きてきた。

 

 白鶴の能力は「極一刀流(きわみいっとうりゅう)」。それは幸いにも、父と同じ能力だった。どんな物でも、ひと握りであれば肉体の限界を越え、握った物を限界以上に扱うことの出来る能力。親から子へ能力が受け継がれる可能性は非常に高く、その才能を授かった白鶴は自分から強くなりたいと、進んで習い事をしていった。

 

 剣道、書道、柔道、空手、その他諸々……。武を心がけるにして大切な「心技体」を支えるものは、全て手を出してきた。空手は素手で戦いあうため苦手であったが、剣道、書道、柔道は全てにおいてその手に本質を「握る」為、極一刀流の効果も増して成功を収めていった。それは白鶴に自信を与えるファクターとして彼女を支えていく事になる。

 

 それだけでなく、白鶴はテレビで再放送の時代劇にのめり込んでいった。物語の中で悪人をばったばったと薙ぎ倒すその主人公である将軍の活躍はまるで父の牙刀を彷彿とさせ、時代劇に憧れ、登場人物の口調を真似た。それは小学生の頃からだった。

 

(けい)の力、とくと見せて貰った。今度は某が力を見せる番ぞ!」

 

 初めは周りから「面白い喋り方」と言われた。白鶴は喜んで貰えて楽しかったし、何より自分の信じる物が認められたことが嬉しかった。私は正しい、先に進める、と。

 

 しかし、中学校に上がった時。その憧れは砕かれた。

 

「天領ってさ、喋り方変じゃない?」

 

「なんていうか、子供だよね。成長しきれてないってやつ?」

 

 同じクラスの女生徒が、複数人で話し合ってるのが聞こえた。陰口というよりは、同じクラス内に居る白鶴に聞こえるように。まるで嫌がらせのように。

 

 信じた物が否定されるということ。普通なら白鶴の口調はもっと幼い時点で治っていたのだろう。しかし、彼女の輝かしい功績、それに好意的な反応を見せた周りの態度が彼女を正せずそのまま進ませてしまい、彼女は口調を治せず今に至った。彼女は天才であり、普通ではなかったのだ。

 

 周りは褒めてくれた、父と母は認めてくれた、私は、間違っているの……?

 

 天才であるため、周りと違うための、ジレンマ。新しい環境で周りに馴染めず、白鶴は孤立していった。周囲は嘲笑う、天領白鶴を。

 

「ねえ、星姫ちゃんもそう思うでしょ?」

 

「――は?」

 

 その時、周囲に反発する少女が一人。まるでモデルのようなしなやかな肢体に端整な顔立ち、日本人らしい艶やかで綺麗なセミロングの黒髪。周りからも幅広く好かれている少女、「一宮星姫」。

 

「別に。あの子がそうしたいならそうすればいいし、それは間違いじゃない。そんなの、私が口出しする話じゃない」

 

「えっ……?」

 

 星姫は座っていた席を無造作に立つ。

 

「はー、その話はあんたらだけでやってよ。私は他人を笑う趣味無いから。――ねぇ、それって楽しい?私からしたらつまんないわ」

 

「ちょ、ちょっと!」

 

「さ、星姫ちゃん!」

 

 周りから離れ、廊下へと歩いていく星姫。その姿は白鶴の目にとても印象的に映った。

 

 ……格好良い。

 

 白鶴は急いで彼女を追いかけた。そしてクラス前を離れた廊下にて追いつく。

 

「あ、あのっ!」

 

「……なによ」

 

 不機嫌そうな星姫。しかし、お礼を言わなければならない。

 

「あ、ありがとうございます!その、庇っていただいて……」

 

「はぁ?庇う?何馬鹿言ってんの」

 

 星姫は白鶴に強く歩み寄り、その額に人差し指を押し付ける。

 

「私は嫌なことを嫌って言っただけ。同調出来ない物に乗っかるほど私は人間出来てない」

 

「あ、あの?」

 

 白鶴は困惑する。

 

「アンタもアンタだよ。凄い力持ってんのに、主張しないからそうなる。あのね、弱くて個性的なんて叩かれる格好の的なんだから。アンタが自分の強さを主張して、それでようやく貴方の個性が認められる。あいつらみたいに他人となんでも同調してしか生きていけない奴は弱くて無個性な奴ら。そんなの、馬鹿らしくない?」

 

 彼女の言ってる事は理解出来るようで、理解出来ない。彼女は周囲を否定していて、けれどそれを受け入れているようにも見える。つまりは要領なのだろうか。

 

 それよりも、引っかかることが。

 

「あの……私を知っているんでしょうか?」

 

 白鶴を凄いと認めてくれる人。彼女は、私を知っているのだろうか。

 

「知ってるも何も、小学校から一緒だったでしょ。何、私を覚えてないの?まー、いいわ。そんじゃ、改めて初めまして」

 

 彼女は名乗る。堂々たる様に。

 

「私の名前は一宮星姫。いずれドラマ業界をあっと言わせる、俳優の卵だ!この名前、よく刻み込んでおきなさい!」

 

 その時の彼女は一切臆せず。その姿に白鶴はまた憧れを抱き、彼女を凄いと思った。それが始まりだった。私と星姫の、硬い友情――

 

――白鶴は昔を思い出していた。私を間違ってないと言ってくれた、星姫。彼女は強い。私も、彼女のように強くありたい。

 

「白鶴さん、どうかしたんすか?」

 

 声をかけてくる、白夜隊のメンバー。白夜隊とは、白鶴が白銀雄也を倒してから気が付けば出来上がっていた対面グループだ。強き者の元に、皆は集まるらしい。

 

 倒して一週間も経ってないのに、噂とは早く広がるものだ。

 

「いや、なんでも。それにしても、存外対面グループというのは暇よのう」

 

 十数人のメンバーで夜のイクシーズ市街を歩くが、特にやることなど無い。たまに別のグループにあって対面をし、終わればまた歩き出す。基本的には、みんなで集まって楽しく過ごすのが目的みたいな所はある。

 

 しかし、乾く。潤わぬ、喉の、心の渇き。何処かに私を満足させてくれる者は居ないのだろうか。

 

 そんな事を考えていた白鶴であったが、その願いはすぐに叶うことになる。

 

「ふん、これが噂の「白夜隊」、そしてリーダーの「天領白鶴」か。まあなんとも、烏合の衆とでも言うべきか」

 

「ああ?やんのか?」

 

 白夜隊の前に立ちふさがる一人の青年。眼鏡をかけた、知的な振る舞いを見せる彼を、白鶴は見たことがある。

 突っかかるメンバーを無視して、彼は白鶴を見据えてこう言った。

 

「君たちのリーダーに要件がある。対面を挑みたい」

 

 氷室翔天。「氷天下」の二つ名を持つ、氷使いのSレート。白鶴は彼の登場に、心を踊らせずにいられなかった。



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氷天下

 氷室翔天。「氷天下」の二つ名を持ち、三極の一人として君臨するSレート。その名を知らぬ者が、果たしてイクシーズに居るのだろうか。そういうレベルで有名だ。

 

 白鶴は静かに翔天へと微笑みを返し、答えを送る。

 

「願っても無い僥倖。貴殿の器、是非とも伺いたい」

 

 二つ返事の肯定。白鶴からすれば、棚からぼた餅だ。Sレートとトントン拍子に対面ができることなど、滅多に無い。

 

「やはりお前が天領白鶴か。他の奴らとは纏っている「迫力」が違う」

 

「それは光栄。……多々羅(たたら)、悪いが刀を」

 

「はっ」

 

 多々羅と呼ばれた少女から、白鶴は一本の鞘に収まった日本刀を受け取る。直ぐに躊躇なく鞘から刀を抜くと、鞘を再び多々羅に返した。鋼の刀身が夜の街の灯りを浴びてギラリ、と光る。

 

「なに、真剣では無い。古の名刀「オービタル・ノブナガ」のレプリカだ。勿論、形状の出来は寸分の狂いもなく美しいがな」

 

 模造刀。五大祭程の場で無ければ、真剣の使用は認められない。しかし、勿論の事に切れ味が無いとは言え、道端で安易に振り回せば模造刀と言えど銃刀法に触発する。

 だが、こと対面への使用ならそれは「グレー」。これはイクシーズが対面による人類の進化を促進しているからだ。

 

「結構だ。刀を持ってようやくお前の実力が見えるんだろ?ならそうするべきだ。剣道三倍段、そんなまやかしで勝てるほど――俺は甘くない」

 

「多々羅、ジャッジを任せる」

 

「御意のままに」

 

 白鶴と翔天が見合い、ジャッジは少し離れた所へ。そしてその他の「白夜隊」のメンバーは遠方からその対面を望む。

 白鶴は剥き身の模造刀を両手で握り翔天に向け、対する翔天はズボンのポケットに手を入れたままの棒立ち。

 

「それでは、対面……開始(かいし)!」

 

絶影(ぜつえい)……」

 

 ジャッジの開始の合図と同時に、白鶴はぬらり、と足を踏み込んだ。直進への、真っ直ぐな、しかし何処か歪んだような、歩み。

 

「コキュートス」

 

 対する翔天はノーモーションで目の前一方に地面から発せられる幾多もの巨大な氷の柱を突き刺した。その鋭さは直撃すればひとたまりもなく。

 

「なっ、なんだあれ!卑怯だろ!」

 

 まるで真剣ですら不利を取るような技。殺傷力では負けて無く、ギャラリーからは罵声が飛ぶ。しかし白鶴は既にそこに居ない。

 

「――」

 

 白鶴は既に、翔天の横へ。翔天は彼女を一切認識できなかった。

 

 ギャラリーからは白鶴の移動は見えていたが、翔天は未だに彼女を認識出来ていない。前方に集中していて、そして彼女が居ない事にまだ気づいていない。認識の錯覚。

 

 本来は(しのび)の歩法、「絶影」。忍の暗殺術「忍び足」に侍の体移動術「摺り足」を加え、その歩法は江戸時代に完成し――現在(いま)に至る。

 

 白鶴は死角から模造刀を横薙ぎに振る。無意識への一撃。しかし、その刃は翔天に届かない。見えない壁に弾かれ、その見えない壁はバリンと、輝いて割れた。

 

「どんなトリックを使ったが知らないが、悪いがこっからは俺の「世界」だ。ようこそ、「絶対領域(アブソリュート・ゼロ)」へ」

 

「……!」

 

 翔天の張っていた物は、薄い氷のバリア。耐久性はそこまで高くはないが、接近してきた相手の攻撃を「中継地点」として防げれば御の字だ。相手に氷のバリアは見えず、結果相手は加速の乗らないままに攻撃をする事になる。気付けぬ相手はそのままノックバック、そして翔天の絶対的な「世界」がその全貌を覗かせる。

 

 白鶴は後退する。しかし、体の動きが悪い。一体何が起きた?

 

 直ぐにその状況に気付くことになる。白鶴の体を氷の霜が覆い、体温を奪っていた。

 

 やられた……!体温が下がっては、人体はまともな動きをする事が出来ない。

 

「お前に魔法の華を教えてやる。それは青く、静寂な――」

 

 翔天が白鶴に歩む。動けない白鶴をさらに蝕むように冷気が襲う。それは翔天から発せられる冷たい世界。

 

「――氷結だ」

 

 屈指のインファイター殺し、氷室翔天。接近戦で翔天に挑むことは無謀を意味する。

 

「……ならば」

 

 白鶴は歩み寄る翔天に対して出来る限りの力で刀を上段に構え、それを斬撃範囲外から翔天へと振り下ろして――投げつけた。

 

「――ッ!」

 

 翔天は一瞬の硬直を経て、身を屈めつつそれを氷のバリアで防ぐ。投げつけられた刀はバリアを粉砕し、僅かに軌道を変えて地に飛んでいく。

 

 なるほど、考えたな。端から力を全力で込めていれば氷のバリアの距離感を無視出来る、という訳か。しかしそれでは武器が無いだろう!

 

 そう思って翔天が顔を上げた瞬間、白鶴は目の前に迫っていた。両手に握られた「凍った上着」を頭上に構えて。

 

「何ッ!?」

 

「極一刀流――「鋼鉄の衣(インビジブル・ドレス)」!」

 

 白鶴の手に握られた棒状のそれは、翔天の冷気で凍った白鶴の上着だった。白鶴は刀を翔天に投げた後、翔天が防御をしている間に上着を脱ぎ冷えた空中でそれを「極一刀流」で振って凍らせ、翔天に二の太刀を迫った。

 

「これぞ秘剣「兜割(かぶとわ)り」ぞ!」

 

 迫り来る彼女の一閃。氷のバリアを張る時間が無い。相手の武器は凍った衣類。相手が氷の世界の中でまともに動けないとは言え、それを極一刀流で上から下へと振り抜かれる。

 

 しょうがないな。

 

 翔天は右腕を前面に差し出し、振られた「鋼鉄の衣」にぶつける。翔天は右腕を纏っていた服の袖を瞬間冷凍し硬度を高め、「鋼鉄の衣」にそれが砕かれ、しかし内部の右腕に到達する時点では勢いを殺され、防御が成功。

 翔天は右腕に鈍い痛みを感じつつも、白鶴の腹部に手を当てて冷気を放射した。

 

「っ痛ぅ……!」

 

 白鶴は距離を不利だと悟ったか、一度後ろに跳ねる。腹部には、冷却の痛み。だが、耐える。「極一刀流」には身体能力への補正もある。

 

「……ここまでか」

 

 翔天はそう呟いた。白鶴は翔天を見据える。

 

「申し訳ないが、勝負はここまでのようだ。お前が思ったよりも強い。そうなると、俺は更なる本気を出さなければいけない」

 

「……そのようだな」

 

 二人の意見は一致し、両者共に構えを解き手を上げる。

 

「「引き分けだ」」

 

「――勝者、敗北者、共に無し!両者、引き分け!」

 

 ジャッジは二人の意見を汲み取ると、直ぐに引き分けの答えを出した。

 

「えーっ、なんだよそれー!」

 

「負け惜しみじゃねーのかー!」

 

 周りからのブーイング。納得が行かないとの事だ。

 

「うるさい奴らだ。「無限零度(インフィニット・ゼロ)」」

 

「「「――ッッ!!」」」

 

 瞬時、周りは息を呑み黙り込んだ。翔天の冷たい「世界」が、離れた位置のジャッジを通り越してさらに遠方のギャラリーにまで向かったからだ。ギャラリーはその冷たさに恐怖する。

 

「だから烏合の衆だと言う。俺が本気を出せば周りの奴まで巻き込むんだ。だから、今日はここまでだ。いずれ会う時はサシでやろう」

 

「……喜んで」

 

 翔天は踵を返すと、その姿を夜の街に消していった。その場に訪れるのは、沈黙した空気。

 

「……ふう」

 

 白鶴はそっと、息をつく。心からの安堵。Sレートとの対面は、普段の何倍もの緊張感を要していた。

 

 周りの霜が段々と溶けていき、湿った服に秋夜の冷たい風が襲い、白鶴はその身体に寒気を感じた。

 

 ……今日はもう帰るか。これは下手したら風邪を引く。

 

「……すまない、某は今日は帰宅する。もう体力も余り無くてな」

 

「「「うっす、お勤めご苦労様でしたぁッ!」」」

 

 リーダーの言葉があれば仕方がなく、「白夜隊」は今夜、そのまま活動を終えて散り散りになった。

 

 鞘を多々羅から受け取り刀を抑え、多々羅の肩車を受けて道を歩く白鶴。多々羅の能力は「ヒーリング」。触れた相手を回復するという能力だ。

 

「余り無茶をしないで。まったく、馬鹿なんだから」

 

「はは、多々羅には頭が上がらん」

 

 二人して歩く夜の街。白鶴は対面の後に、こうして多々羅によく回復してもらっている。

 

 その途中で、白鶴の方を伺う男女が居た。一人は名も顔も知らぬ白いジャンパーの少女、そしてその隣に居る人物。星姫の友達、岡本光輝だった。

 

「……お前だったんだな。雄也さんを倒したのって。強いのな」

 

「光輝殿か。はっは、「氷天下」はやはり強いな。あれで全力でないのだから底が知れぬ」

 

 白鶴は笑う。というか、笑うしか無い。自分もいずれは、彼のレベルに追いつけることが出来るのだろうか。

 

「……なんでしょうか。貴方も、白鶴と対面する気?」

 

 白鶴と光輝の間に割って入る多々羅。それは純粋に白鶴を心配してのこと。彼女だったら、この状況で誘われても断らないだろう。それは駄目だ、今日は帰ってゆっくり休むべきだ。

 

 その言葉に対して、光輝は首を横に振る。

 

「やらないよ。彼女とやる気は無い」

 

「……ならいいけど。行きましょう、白鶴」

 

 白鶴の手を握り、その場を行く多々羅。去り際に白鶴は光輝に空いた手で手を振った。

 

「君ともいずれは対面してみたいものだな!あの日握った手、あれは剣道を歩む者の手ぞ!」

 

「……はは」

 

 光輝は手を振り返した。そして、その手の平を改めて見る。目立ちこそさえしないが、その手にはうっすらと、何度も特殊警棒を握った証のマメが付いていた。



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白き侍/黒き侍

(ハク)ー。アンタ最近、対面グループ作ったの?」

 

 授業が終わり学校からの下校途中、一宮星姫は天領白鶴に問いかけた。

 

「作った、というか、出来ていた、というか……」

 

 白鶴のその言葉は間違っていない。気がついたら出来ていた。「白夜隊」は意図的に作られた物では無い。成り行きの産物だった。

 

「ふーん……」

 

 星姫は空を見上げる。そこには既に黒い翳りが。この時期になると、夜が訪れるのがめっぽう早い。その分、星が長い間見れて星姫はそれが好きだ。

 

「まあ、アンタが楽しいなら良いわ。どうせなら五大祭も取りに行っちゃえば?」

 

 五大祭。幾多数多もの強者が集う場所、無類の対面好き達によるビッグイベント。勿論、白鶴もそれを意識していた。

 

「ああ、是非とも」

 

 白鶴は星姫に憧れている。彼女みたいに、強くなりたい。

 白鶴は挑む。迫る五大祭の一つ、「聖夜祭」。決戦に向けて自己を高める!――

 

――「素手が剣より弱い時代など、とうの昔の御伽噺だ!」

 

 頭をスキンヘッドに丸くした、お寺のお坊さんのような青年。能力は腕の強化、といったところだろうか。拳を主体としたバトルスタイルから見て取れる。

 特段と強いわけではない。しかし、間合いの取り方、駆け引き、気合い、どれもが普通のそれより格段に上。総じて「立ち回り」が巧い。

 

 御陸(みろく)歩牛(ほうし)、Bレート。白鶴が彼に感じた物は、静かな「覇気」。まるで修行僧。静と動を使い分ける者。

 

 剣と拳の応酬、歩牛は白鶴の剣撃を数ミリ単位で拳でずらし、その追撃を狙ってくる。一撃一撃が確かに重く、手数もあり、フェイントに混ぜられた渾身の一撃は「極一刀流」で身体強化されていると言えど受けたくはない。

 

 間違いない、手練。これは、戦ってきた者の拳だ……!

 

(ぜん)――」

 

 歩牛は一度息を吐くと両の拳を背後に回し、息をすぅっと急激に吸い込む。瞬時、動きが止まった。

 

 チャンス?

 

 白鶴の一瞬の思考。焦りから来る希望論。 

 

 違う、これは――

 

 直ぐにその考えを捨て去る。その構えが、一体何を意味するのか。

 

 ――危険だ!

 

「――(たっ)!!」

 

 次の瞬間には、白鶴の体は吹っ飛んでいた。体制は崩さない。刀で相手の拳を「半分」防いだからだ。しかし、残りの「三発」の拳をボディにモロに食らった。

 

「……陸式(ろくしき)阿修羅(あしゅら)

 

 同時に放たれた、計六発の拳の連打。いや、連打というレベルの話じゃない。機関銃(マシンガン)というより散弾銃(ショットガン)。一発の一撃は正拳程の重さに達せずど、その総計の瞬間威力が肉体に与えたダメージは深刻だった。

 

 意識が飛びかける。歯を食いしばる。すんでで意識が繋がる。浮いた脚が地に降り着く。

 

 嗚呼、痛い。辛い。苦しい。なんで私はここまでして立っているんだろう。なんの為に立っているんだろう。

 

 白鶴は大きく開脚し、両足を地に据えて這わせるように。模造刀(オービタル・ノブナガ)は下段に構え、大地と水平に歩牛へと向ける。真っ直ぐへと進むという事を約束した、「牙刀」の構え。それはまるで、猛獣の牙のように。

 

「……鬼羅(きら)一刀閃(いっとうせん)、星の輝きは瞬く間に」

 

 歩牛が追い打ちをかけてくる。刀が届く距離。まだだ、有効範囲じゃない。白鶴は敵の喉仏を牙で掻っ切る一時を待つ。この一撃は、正真正銘最後の一撃。これで倒れないなら私の負け、これで倒れたなら私の勝ちだ。

 

 白鶴が立つ理由。別に崇高な理由を掲げる訳じゃない。そこに正当性などなく、「強くなりたい」、ただそれだけで。

 

 強いて言うなら、それは――意地。若気の至り。「戦って勝つ」、ただの暴走した感情論。

 

 くだらない?しょうもない?だが、それでいい。だからこんなにも楽しいんじゃないか!

 

「――禅!」

 

 歩牛が踏み込む。彼の有効間合い、刀が活きない「筈」の領域。白鶴のデッドゾーン。

 

 だからこそ、人は油断する。「有り得ない」を覆す。それが、逆転を産む。

 

「人の世は星の輝きに(ひと)しく(みじか)けり」

 

 白鶴はこれまでで最大の「殺意」を放つ。瞬時、歩牛は拳を放つ。人間が恐怖を感じた時の条件反射、白鶴はそれを利用した。

 

 フェイント。「間合い」において、それは最大限に生きる。逃げられない位置の敵はなすすべなく反射、結果「取るべきではない」行動を「取ってしまう」。人という存在がすべからく持つ、心があるからこその弱点。

 

 白鶴は落とした腰を摺り足と忍び足の併合歩法「絶影」で動かし、歩牛の横を歩く。歩牛はまだ反応出来ない。白鶴は下段に構えた刀を一気に上段に構える。これで最後だ。

 

 白鶴は刀を上から下へと振り抜いた。なんとか振り向いた歩牛は「腕の強化」で固めた両腕で頭部をガード。「極一刀流」により振り抜かれた模造刀(オービタル・ノブナガ)の一閃は、しかし無慈悲にその防御を貫いて歩牛を地にねじ伏せた。決着だ。

 

「ぐがッッ……!」

 

「故に()い。(それ)夢幻(ゆめまぼろし)(ごと)くなり。秘剣「兜割(かぶとわ)り」」

 

 白鶴は挑む。戦う、闘う。そうすれば何かが見えるかもしれない。強くなるための何かが、見えてくるかもしれない!――

 

――イクシーズ西区、船着場。海岸沿いの遊歩道、夜天の下で二人の少女が見合っていた。他には誰も居ない。波が堤防を打つ音が響く。

 

「対面に次ぐ対面、噂は常々聞いている。君の躍進は眼を見張るものがあるよ。だから君に興味を(いだ)いた。……夜の船着場、ここなら人も来ないだろう」

 

 ストレッチジーンズにシャツ、その上から薄手の白い上着。ラフなスタイルだ。中性的で凛々しく美麗な顔立ち、東洋人らしい美しく長い黒髪。表情には柔らかな笑み。その様は「神々しく」ある。

 

「貴女に此処で逢えた事、只々感謝をしたい。そして、此処で――貴女に勝つ」

 

 黒髪をポニーテールに結った、白い羽織袴に身を包んだ張り詰めた顔の少女、天領白鶴。彼女はその手に握った模造刀を目の前の少女、瀧シエルに向けた。

 

「人は進化する。人生とは毎日が勉強だ。立ち止まる事は許されず、それは死を意味する」

 

 シエルは両の腕を大げさに横に広げた。それはまるで、天使が翼を広げるかのように。

 

「挑めや少女。君の目の前にあるそれは世界最大の「不浄理」だ」

 

 二つ名「聖天士」、イクシーズ最強の異名を持つ「瀧シエル」。彼女に勝つ、何が何でも!――

 

――白鶴は刀を杖にしてその場に立つ。息を切らし、顔を引きつらせる。満身創痍。

 

「君は強いね。ここまで強いとさすがの私も嬉しくなる」

 

 対するシエル、無傷。息も乱れず、その顔から笑みは消えない。

 

 格が違う。そうとしか言い様がない。攻撃を当てるとか、防ぐとか、駆け引きだとか、そういう次元じゃない。「無理」なのだ。

 

「ははっ、それは嬉しいな……」

 

 彼女が「最強」と呼ばれる理由を垣間見た。これが不浄理、これが瀧シエル。どうあがいても勝てやしない。事実、白鶴の刀は一度たりともシエルに届かなかった。

 

「まあ、まだ空は広がっている。夜にせよ、朝にせよ。その空には無限の可能性がある。いいかい、諦めなければ可能性は可能性のままだ。0%は決して無く、人がそこに居る以上「絶対」は無い」

 

 シエルは白鶴に背を向ける。追いかける事も出来やしない。その場に立っているだけで、精一杯だ。

 

「君が諦めなければ、また私と戦う時が来るかもしれない。じゃあね、白鶴。君の名前は覚えたよ」

 

 シエルはその場から姿を消す。その幕を皮切りに、白鶴は地に倒れふした。文句なしの決着だった。



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白き侍/黒き侍2

 放課後の校内。静かな図書館の中で一人、岡本光輝はパラリパラリと本のページを捲っていた。

 

「……」

 

 ここの解釈は、これで合っているのか?

 

 岡本光輝は心の中で背後霊に語りかける。自身の背後霊「ムサシ」に。

 

『うむ。おおむね合ってるぞ。すこーしだけ、ニュアンスを取り違えてるがな』

 

 よし、そこは詳しく頼む。

 

「あのー、調べ物はまだかかりそうですか?」

 

「おおっ!?」

 

 学校の図書館で本を読みながら心中(しんちゅう)でムサシと語り合っていると、横合いから声をかけられた。光輝の友達でありかつ図書委員のホリィ・ジェネシスだ。

 

「そんなに驚かなくても。私の事嫌いなんでしょうか……?」

 

 シュン、と顔を俯かせるホリィ。慌てて弁解する。

 

「いや、そんな事ないぞ。好きだぞ、好き。どれぐらいかというと、ドリンクバーのメロンソーダぐらい好きだ」

 

「あ、良いですよね、ドリンクバーのメロンソーダ!缶とかペットボトルではないのに映画館やファミレスではあるから、ついつい飲んじゃうんですよねー。それぐらい好きって事は……えへへ」

 

 なんか嬉しそうに笑うホリィ。良かった良かった、機嫌は取れたようだ。

 

「あ、じゃなくてですね。もう図書館閉める時間なんですよ。ほら、外真っ暗です」

 

 そう言ってホリィは壁際の遮光カーテンの端ををピラり、と捲った。なんと、本当に外は真っ暗だ。携帯を取り出して見ると表示された時間は十六時五十五分。なるほど、十二月にもなればこの時間帯では既に日が沈んでいるだろう。

 図書館内にも、光輝とホリィ以外にもう人は居ない。そろそろ帰らなきゃいけないな。

 

「いや、とりあえず今日はもう本を借りて帰るよ。受付、いいかな?」

 

「あ、はい」

 

 そういって光輝とホリィは図書館の受付カウンターまで行き、カウンターにはホリィが入る。ホリィは図書委員であるため、定期的に図書館の受付を承っている。今週はホリィが受付を担当する週なのだそうだ。図書委員は大変そうで嫌だな。ボランティア部は気楽でいい。

 

 ピッ、ピッと本に付けられた貸出用バーコードをバーコードリーダーで読み取っていくホリィ。一度に借りられる本は五冊までという制約があり、本当はもっと借りたいが仕方なく五冊の本を借りる。

 

「えーっと、「日本の歴史・江戸時代の剣豪」、「マンガで分かる!五輪の書」、「放浪者」、「侍道(サムライン)」、「無敵中世魔術師は幕末剣士の夢を見るか?」……なんですかこのラインナップ」

 

 訝しげな顔をするホリィ。それもそうだ。こんなラインナップ、余程時代劇が好きだったりでもしないとまず無い。全てが侍関連の書物、タイトルだけ見れば日本大好きな外国人が借りたのか?と思うレベルだ。侍と忍者、どっちが人気なんだろう。

 

「知らんのか、今世間は絶賛「歴女(れきじょ)」ブームなんだぞ。偉人を制する者は女子(おなご)を制す」

 

「ははぁ、光輝さんもそーゆーの気にするんですね。クリスさんも歴女なんですかねぇ」

 

「……さあな」

 

 むう、ホリィをからかおうと思ったら思わぬカウンターを貰った。クリスが好きな偉人って居るのだろうか。

 

「あ、ちなみに私は西郷どんが好きです。どっしりしてて優しそうですよね」

 

「薩長同盟ぜよってか」

 

 ……西郷さんってどんな喋り方するんだろう。教科書に載ってたっけ。

 

 二人で図書館を出て、昇降口へ向かう。もうほとんど学校に残ってる人は少ない。

 

「家まで送っていこうか。もう遅いだろう」

 

 上を見上げれば夜空には星が輝いている。こんなに暗いと少しホリィが心配だ。

 

「あ、いえ、大丈夫ですよ。携帯をスリータッチすればシエルさんに緊急連絡が行くようになっていますから」

 

「そうか。それなら安心だな」

 

 それはいい。シエルが駆けつければどんな事があっても大丈夫だ。ホリィと別れ、家へ帰る。さて、クリスがちゃんと本を読ませてくれればいいのだが――

 

――「君が私を頼ってくれるなんて、本当に嬉しいな。このままウチの子にならないかい?」

 

「いや、遠慮しておくよ。王座とは姉弟じゃなく親友として接したいからな」

 

「ふふ、どちらにせよありがとう。君からそんな言葉が聞けるなんてね」

 

「さて、それじゃ折角使わせてもらうぜ」

 

 瀧家の地下、五大祭の試合会場と同じ設備を備えた電磁フィールド発生空間。まあ、なんともお金がかかってることで。

 光輝が取り出したのは二振りの黒い特殊警棒。その材質はパンドラ・クォーツであるブラックミスリル製だ。以前、龍神王座より御礼として受け取ったもの。

 それより前に光輝が愛用していた炭素鋼製(カーボンスチール)の特殊警棒に比べ、耐久性は遥かに高く、そして軽い。重さに任せた威力は出なくなったが、携帯性の振り回す武器という点では大きく優れる。……元値が滅茶苦茶高いという欠点はあるのだが。

 

「それでは、見せてもらおうか。今一度、君の力を」

 

「ああ。行くぜ」

 

 ……ムサシ。 

 

 光輝はその身にムサシを魂結合させ、身体能力のフィードバックとEX能力「二天一流(デュアルアクション)」を手に入れる。

 

『まず初めに必要なのは相手へ送る「気配」。気配無しに侍の「立ち回り」は完成せぬ』

 

 ムサシからの立ち回り指南。光輝が読み解いた書物の(すべ)てを脳内で精密にイメージし、超視力でそれを紐解き、動く。百聞は一見に如かず。見て、録し、聞き、動く。イメージとは知識、イメージとは力。

 

 光輝はそれらを理解し、自分なりに「気配」というものを出してみる。……こんな感じか?

 

『うむ。次に、歩法。足は侍の体移動術「摺り足」をベースでいいが、これから試す動きに混ぜるのは、忍の暗殺術「忍び足」ぞ。これで()まれ()る錯覚効果こそが「絶影(ぜつえい)」。これは相手が強者であれば強者であるほど効果が強くなる』

 

 光輝はそこから試しに動いてみる。前へ出るという事を意識しつつ、足はぬらりと滑らせ右斜め前へ。王座は横を通り抜ける光輝を意識出来ず、目の前を注視したまま。光輝は既に王座の斜め後ろに。

 

『ま、手品(トリック)にすぎんがの』

 

 遅れて振り返る王座の喉元に、光輝は特殊警棒を当てる。王座はまだ能力を使っていなかったとはいえ、決着。そもそも忍びの術自体が相手に行動させる前に勝負を終わらせてしまうというスタンスによって作られている。この結果は当然だった。

 

「……凄いな。そういう動きもあるのか。これは端からその気でないとやられてしまうな」

 

 眼をぱちくりとさせながら嬉しそうにする王座。なるほど、これが「武芸百般」か。

 

『まずはファーストレッスン完了だな。まだ先は長い、もっと歩みを進めるべきぞ』

 

 そうだ、まだ試さなければいけない動きは多い。なるほど、これは楽しい。知識を力に。これはもっと王座に付き合ってもらう必要があるようだ――

 

――対面を幾度となくし、休憩。備えられた休憩所にて王座と一緒に一息をつく、のだが……。

 

 汗をかき火照った体の王座は、なんというか……格好良い。水も滴るいい女、というやつだろうか。湿った髪が、服が、とてつもなくセクシャルだ。なるほど、これは俺が女だったら速攻で落ちるな。

 

「しかして、どうして私と対面をしたいだなんて?」

 

 ふと王座からかけられた声。いかんいかん、つい見とれてしまった。

 

「あ、いや、なんていうかさ。俺、これまで人と競いあうとかしてこなかったからさ。一度、戦うって事を競いたくて。それで、力量的に王座が丁度いいかなーって」

 

 光輝は自分への「自信」が欲しかった。「自信」が無ければ、きっと先に進めないのだ。クリスにも応える為に。

 

「なるほどね。……いいよ、君が望むなら私は君に付き合おう。君は強い。まだ先へ進むことが出来る器だ」

 

「ありがとな」

 

 王座は快く承諾してくれた。なんて優しいのだろう。そして格好良くて、強い。

 

「こんな姉が居るなんて、シエルは幸せだな」

 

「ふふ、どうも。……そうそう、この前シエルに対面を挑んだ者が居たらしい」

 

「……マジか」

 

 なんとも、随分命知らずな。まあ、結果は聞くまでもないが。

 

「シエルは無傷だったそうだが、こう言っていた。「いずれ私を脅かすかも知れない」と」

 

 なんと、シエルにそうまで言わせる人物が居るのか。誰だろうか、雄也さんとか?

 

「確か、名前は「天領白鶴」と言ったそうな。能力は「極一刀流」だとか」



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白き侍/黒き侍3

 すっかり寒くなってしまった夜の街の中で、天領白鶴は佇んでいた。隣には同じ対面グループ「白夜隊」であり白鶴の友人、多々羅(たたら)二之助(にのすけ)が同じように建物に背を預け立っている。

 多々羅二之助。女だというのにまるで男のような名前。どうも彼女の親は娘にそう育って欲しかったらしく、幼少期は剣道を学ばされとある道場で白鶴と多々羅は出会った。

 

 しかし、成長するにつれて彼女の人生は少女としての生活に方向が傾いていき、結果。多々羅は普通の女子高生に戻った。……筈だった。

 

 ある日、突然に対面グループ「白夜隊」が出来てしまい、多々羅は白鶴の補佐として白夜隊の幹部となってしまったのだ。

 

「いや、すまんな」

 

「んー?」

 

「巻き込んでしまって」

 

 申し訳なさそうな表情で多々羅に侘びを入れる白鶴。白鶴が「白金鬼族」の「白銀雄也」を倒したという知名度を持ってしまったせいで、幼少時代共に切磋琢磨した多々羅の名が引きずり出され、やむを得なく。多々羅は再び、対面の場に身を投じる事になってしまった。

 

 本人からしたらいい迷惑のはずだ。一度は退(しりぞ)いた道なのだから。しかし、多々羅は嫌な顔をしない。

 

「別に。昔を思い出してお前と一緒に居るのも楽しいもんよ。卿と並べば最早、敵無し!……ってね」

 

「はは、それは助かる」

 

 白鶴は腕が立つほうだ。レートは貫禄のA。数多く居る能力者の中でも強いほうの部類。そして多々羅はBレート。可もなく不可もなく、中途半端な立ち位置。

 しかし、多々羅もひと度剣を握れば、その腕前は滅法強い。能力をガン無視してもその才能は眼を見張るものがあり、能力が回復系統の「ヒーリング」なのが特に悔やまれた。能力が身体強化系統なら、白鶴を超えて「天下取り」の才能があったと言われるレベルで。

 

 けれど、それは生まれ持った才能。それを悔やんでも、仕方なく。それより、多々羅は白鶴が心配だった。

 

「……最近、焦ってる?」

 

「……まあのう。「聖夜祭」まであと二週間ばかりしかない。しかして、私は私なりの答えというものを見つけられていない。今のまま戦えば確実に負けるだろうな」

 

 白鶴が自身に出した厳しい結論。分かっているのだ。今のままでは、Sレートに及ばないという事が。兵法に頼れば、格上を崩す事も叶わなくはない。それこそ、白銀雄也を倒した時のように。

 

 戈を止めると書いて、武。武とは卑怯な物、弱者が強者を(くだ)すためのもの。それでいい。しかし、それをずっと続かせるというのは難しい。それはまるで綱渡りのように。今のまま勝ち越すというのは、運否天賦のようなもので。

 

 足りないのは、実力。地力。たかだか「Aレート」如きが「Sレート」に連戦連勝するというのは夢物語に近くて、白鶴はそんな自分に「進化」を求めていた。

 あれをすればこう勝てる、こう動けばこう勝てる。……そんな御託を並べて唸るより、もっと確かな力。圧倒的な力。そんな力を求めていて。そしてその答えは未だ、出ない。

 

「いいんじゃない?」

 

「え?」

 

 あれよこれよと悩む白鶴に対して、多々羅はあっさりと答えた。

 

「だから、負けてもさ」

 

「……負ける?」

 

 白鶴は首を傾げる。

 

「うん。だってさ、二年後も五大祭はあるよ。別に今年優勝しなくちゃいけないって訳じゃないでしょ。だったらさ、めんどくさい事考えずに普通に行けばいいんじゃないかな?負けたら負けた、勝ったら勝ったで」

 

「ほう……」

 

 多々羅は続ける。白鶴はその言葉を聞いてみる。

 

「誰かが勝つってことは、誰かが負けるって事。絶対に「勝つ」なんてありえないんだからさ。二択な訳じゃん。じゃあ、負けてもいいんじゃないかな」

 

 確かにそうだ。その通りだ。自分が勝つとは、他の誰かが負けることで。他の誰かが勝つという事は、自分が負ける事で。

 

 なるほど当たり前である。当然とは、すぐ近くにあるからこそ気付きにくい。灯台下暗し、単純な答えこそ眼前に転がっていて。

 そんな単純な「理屈」にさえ気付かなかった。……のだが。

 

「……まあ、ものの考えだな。少なくとも某はまだ、勝ちたい」

 

 しかして、そんな御託で収まっていいのだろうか。多分、駄目な気がした。今の私は勝ちに飢えている。なんというか、勝ちたいのだ。

 人より上だって、強いんだぞって、凄いんだぞって。勝ちたい。それは若気の至りでしかないのだろう。しかし、今の私を突き動かすには十分な物で。今はその感情論で動きたい。

 

 認めたくないんだ、自分より強い奴が居るって事を。先に進みたいんだ、自分が出来るって証明の為に。

 

「それならそれでいいんじゃない?ぶっちゃけ、私がとやかく言う話でも無い気がするし。それはもう白鶴が満足行くまでやって、挫折するか乗り越えるかの話になるからね」

 

 多々羅は壁から背を起こすと、白鶴に背を向けて歩き出した。

 

「五大祭、私は白鶴を応援しているから」

 

 去りゆく背中を見送る白鶴。多々羅の言うことはごもっともで、間違っていなければ嫌味ったらしくもなく、一人の若者としては至極正論であり的を得ていた。しかし。

 

 すまんな、私は私の感情に身を任せたいのだ……。

 

 人の感情とは人に諭されて簡単に変わってしまうものではない。ましてやプログラミングを施された機械でなく、「そういう考え方もあるのだろう、けれど私は違う」という答えで簡単に結論づいてしまうものだ。

 

 人の話を聞くというのは簡単だ。しかし、それを理解して飲み込むというのはまた別の話であって。それが長年連れ添った友の言葉であっても、受け入れないことは多々ある。実の親の言葉にさえ、反論する年だ。故に「思春期」。それは、人が自我を形成する上で大事な時期。考える葦の為の、心の成長期。

 

 今の白鶴はそれだ。分かっちゃいるけどやめられない。そういう理屈。だが、人間ならそれでいいのだ。迷い考えることにこそ意味が有る。

 

 白鶴は自己嫌悪しつつ、その場に居座る。不出来な自分を落ち着かせるために。未熟な自分を育てるために。

 

 ……一人とは、静かなものだな……

 

「よう」

 

 ふと、声をかけられた。白鶴はその方向を向く。そこには、見たことのある青年が居た。

 

「……(けい)か」

 

 岡本光輝。星姫が惚れ込んでいるという、少年。その理由は分からないが、白鶴には密かな自信がある。それは、この少年が「強者」だという事。

 

 握手した時に感じた、手のひらのマメ。それは一朝一夕でなく、確かに戦った者の証。

 

「空いてるか?」

 

「ああ。対面か?」

 

「よくわかったな。その通りだ」

 

 しかし、これは奇遇。冗談で言ってみたつもりだったが、まさかのそのとおりだったとは。白鶴の頬には笑みが浮かぶ。

 

「なんつーのかな。アンタと対面してみたくなった」

 

 以前はやる気が無いと言われたが、これは好都合。一度、手合わせしてみたかった者だ。

 

 白鶴は鞘から「オービタル・ノブナガ」を抜く。殺傷能力の無い模造刀。しかし、対面でなら十分。

 

 対する岡本光輝は一振りの黒い「特殊警棒」を取り出す。なるほど、機能美という点では模造刀にも勝る武具だ。リーチは模造刀に少しだけ劣る、か。それ故の取り回しやすさもあるのだが。

 

 分かっている。目の前の少年は立ち合いというものを分かっている。それは嬉しいことだ。

 

「では、いざ」

 

「尋常に。対面――」

 

「「開始(ファイ)ッ!!」」

 

 そして、二人は踏み込み、目の前で――すり抜け、またひと度見合って剣撃が衝突した。お互いの開幕の動きは、奇しくも同じ歩法「絶影」。忍の技術を取り入れた、侍の型。

 

 なんと――

 

 やっぱり――

 

 二人は思っただろう。目の前の人物の立ち回り、その型。

 

 ――面白いッ!!

 

 向かい合う二人の「侍」。(ゆめ)(うつつ)(たぐ)(まれ)なり、二人はまさかの「同門」だった。



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極一刀流

 岡本光輝は目の前の少女、天領白鶴を見据える。少女と言えど、彼女が模造刀を構えた時点での威圧感は言わずもがな。彼女の異能「極一刀流」の能力も相まり、まるで戦乱時代の剣豪のような風格を漂わせる。

 

 しかし。だからといって怯むわけにもいかない。此方にも最強の「侍」が付いているのだから。

 

『坊主よ、言いたいことは分かるな?』

 

 ああ、分かってる。自分に挑み、知るのは今だ。此処で逃せば、俺は大損をこく。それは嫌だな。

 

『敵を知り己を知れば百戦危うからず。「極一刀流」を知ることこそが、坊主が一番早く次の段階へと足を進めるきっかけぞ』

 

 岡本光輝は今、いつもの二刀流では無く、黒の特殊警棒一つを両手で握り、目の前の少女と対峙する。

 手を抜いている訳ではない。これは挑戦なのだ。万里の道も一歩から。一を知らねば二も知れぬ――

 

――天領白鶴は「勝ち」を重んじる。勝てぬ「武」など、「武」では無いからだ。

 

 かと言って、あくまでルールの範疇で。しかしルールの範疇ならどんな立ち回りでもする。それこそ、押せるならゴリ押し、先手必勝からガン待ちまで。相手の戦力に合わせて自由自在に立ち回りを変える。

 

 兵法。侍が魔法使いに勝つためには、知識が必要だ。狡猾でなければいけない。剣を握るからこそ、知略家でなければいけない。

 

 剣道三倍段という言葉がある。素手で剣士に挑むには、およそ三倍の「実力」が必要だという言葉。それは剣とて例外でなく、侍が魔法使いに挑むには三倍の「実力」が必要だ。素のポテンシャル、知識、経験、立ち回り……やるべき事が多いが、一度間合いを取ってしまえば必殺に成りうる。それが剣術。それが侍の「型」。一撃必殺という名詞が相応しい。

 

 尚、「三極」が「Sレート」である理由はこれに尽きる。彼らの持つ異能は遠距離型の魔法が多い。勿論、敵を寄らせずに完封するなどザラだ。もし自分がその手に真剣を持ったとして、相手が延々と遠距離から攻撃を送り込んできたらどうなるか。

 答えは、近づけぬままの敗北。勝つなら拳銃を手に持つのが賢い選択だろう。相手が撃たせてくれることと当てる事ができるという条件を満たせるのなら。そして無手ですら拳銃と引き合いに出されるという事柄を考えると彼らの個々の戦闘力は凄まじい事となる。故に「Sレート」。データベースが下した判断が正しいことが良く分かる。

 

 生まれ持った格差、それを埋めるのが兵法。兵法無くして、侍は有り得ない。

 

 しかして、相手もまた侍だというのなら。

 

 ――どう動く?

 

 模造刀で敵の特殊警棒を受け流し去なす。重さを取り除き速さを重視した剣の応酬。まだ様子見。リーチは僅かにこそこちらが長けれど、真正面からかち合ってしまえば叩き折られる可能性がある。踏み込むタイミングは見極めなければいけない。

 

 白鶴は自分の持ちうる技術を存分に生かす。父から教わった荒波のような剣術と、母から教わった(かすみ)のような忍術。生まれ得る、「夢幻(むげん)太刀(たち)」。古から伝わる歩法、「絶影」。

 今回の一番の問題は、相手もまた「絶影」を使ってきた事。あの歩法自体は立ち回りを知っているならさして難しいものではない。そこに行き着くまでにに理論を練り上げ行動に起こす必要はあるが。そういう意味では魔法に近い。いや、魔法というよりは手品か。

 

 白鶴は一度間合いを取った。ここからどう動くか。対応力の中段(ちゅうだん)か、暴力の上段(じょうだん)か。それとも――不退転の大下段(だいげだん)牙刀(がとう)」か。

 

 ……いや、違うな。「牙刀」の構えはこういう場面では活きない。

 

 攻め倦ねる白鶴。そこで不思議な事が起きる。

 

「来ないのか。なら此方は好きにやらせてもらう」

 

 岡本光輝、その場であろう事か特殊警棒を自身の左腰に、まるで鞘に納刀するかのように収め構える。

 

 ……一体どういう事だ?

 

 白鶴、困惑す。勿論、そこに鞘など存在しない。半身により隠された特殊警棒と添えられた左手により構えこそ納刀した刀に手をかけているかのように見えるが、「視えるだけ」だ。

 事実、特殊警棒を握る手は両手から右手だけになり、あそこから瞬時動こうものなら確実に速度は無い。鞘無くして居合い抜きは有り得ないのだ。

 ならば、暴力の上段。振り抜くのは此方が速い。最速最強の構え。力に身を任せ、奢り高ぶればいい。

 

 ……本当にか?

 

 天領白鶴、そこで恐怖する。目の前の構えを。岡本光輝を注視する。

 

 斬られる。

 

 そう感じた。あの間合いに入ったら、確実に斬られる。そんな事実ありえないのだが、そう確信した。まるで大口をあけた獅子がそこにいるように見えた。

 

「……かつて、最強の侍は「一刀流」を旨として幾多数多の勝利を築いた。後に極まった「一刀流」は無敵だ。至った答えとして、足回りで邪魔になる鞘を最初に捨ててしまう。故に、そこに「居合抜き」の型は存在しない。……本来なら、な」

 

 岡本光輝が口を開く。果たして、その言葉が意味するものは何か。

 

「……」

 

 天領白鶴の苦肉の策。対応力の「中段」。あらゆる動きに対応する構え。剣道の基本中の基本。後出しジャンケンで絶対に勝つ構え。

 

 これでいい。勝つなら、これでいい。白鶴は冷静だった。

 

 しかし目の前の少年はニヤリ、と笑う。まるで勝ちを確信したかのように。

 

「……白鶴、敗れたり」

 

 なるほど、向こうもまた兵法家か。偽りにせよ、真実にせよ。中段なら負けはしない。このまま行く!

 

「やってみせろ、剣客(けんかく)よ!」

 

 居合いに絶影は無謀だ。白鶴は通常の摺り足で、真っ直ぐに進む。構えは中段のまま。あれが仮に居合抜きであろうと、これで対応出来る。

 極一刀流の中段は立ち回りで無敵。岡本光輝、いざ。勝負!

 

 白鶴は模造刀の間合いに踏み込む。光輝もまた、同時タイミングに摺り足で踏み込んでくる。

 

 読んでいた。白鶴は中段からすぐさまに小手へ移行する。狙うは右腕。当たれば勝ち。そのまま特殊警棒を叩き落として必殺へ!

 

 ――の筈だった。瞬間、鬼気迫る。白鶴は小手を最速でキャンセル、刀を防御に構える。

 

 まずい!

 

 振り抜かれた「居合抜き」。鞘の存在しない筈の片手薙ぎ。右手で大きく振られたそれに模造刀が防御の構えを貫かれ、大きく弾かれる。防御体制だった為、白鶴は大きく仰け反る。特殊警棒は身体に当たらない。

 

 やられた。

 

 白鶴は瞬時に後悔をし、直ぐに切り替える。あのまま小手を振ることが出来たら勝てた。しかし、振れなかった。

 「気迫」。言ってしまえば白鶴が歩牛にやってのけた事と同じ、相手の反射を利用したもの。それも、「型式」も合間って「反射を理不尽に起こす」。

 上段で思いっきり振り抜いていれば「勝っていた」。それ以外の対応が無いから。しかし、どっちつかずの中段に移行してしまった。恐怖に駆られたのだ。

 

 そして、その力の乗っていない、速度も伴わぬ「見栄」だけの居合抜きは理論上考えうる威力よりも遥かに重かった。それもまた、計算外。だから、吹っ飛ぶ。けれど、このまま押し切る!

 

 白鶴は構えを上段にした。最高の威力を叩き出せる構え。やれることは一つしかない。しかし、一つで十分だ。

 

 居合いを終え、低い体勢の光輝へ白鶴は上段から模造刀を一気に振り下ろす。一撃必殺の一閃。

 

「秘剣「兜割り」!」

 

 どんな物であろうとねじ伏せる一閃。力任せの一太刀。だからこそ、純粋に――強い。砕けぬものは無い。

 

「待ってたぜ。「(ごう)一太刀(ひとたち)天龍(てんりゅう)」!」

 

 光輝は低い姿勢から脚をバネに、特殊警棒を上に跳ね上げるように振る。光輝の頭上少し上でぶつかった二つの剣は、お互いの力を「爆発」させ――白鶴の「オービタル・ノブナガ」は砕け折れた。

 

「な……っ!?」

 

 驚愕する白鶴。しかし理解は簡単だった。秘剣「兜割り」に砕けぬものは無かった。そう、それは自身の刀でさえも。

 

 かつて(いにしえ)、江戸時代。鬼才の二刀流を扱う流派「二天一流」が存在した。かと言って、その者は端から二刀流だった訳ではない。

 始まりは一刀流。やがて一刀流を極めた()の侍は飽くなき探求心から「二刀」に至り、そして一代かけて完成させた「二天一流」はその者を象徴する「異能力」として歴史に名を刻むことになる。

 その者の「一刀」、極まれしそれは故に「極一刀流」と呼ばれ、しかし「二刀」の衝撃から表の歴史では明言されて来なかった。幻の「最強」。

 中でも特筆すべきはその本気の一太刀。本来斬られぬ・割られぬを貫く筈の甲冑、兜を叩き割る事が出来る者はごく少なく、それ故にその一太刀に名が付けられた。

 一大信仰「兜割り」。強者の証。しかしそれは後世に付けられた後付けの名。「極一刀流」の始祖はこう呼んだ。

 

 「剛の一太刀」、と。宮本(みやもと)武蔵(むさし)はそう呼んだ。

 

「……降参だ」

 

「悪いな」

 

 二人の侍の決着は今ここについた。緻密に練られた兵法の隙間を縫って勝利を収めたのは、黒き侍「岡本光輝」。



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聖夜祭・開幕

 選手用の通路を歩いていく、白い羽織袴で身を飾り帯刀をした、ポニーテールの少女。その名は「天領白鶴」、今宵の祭り「聖夜祭」の出場者の一人だった。

 

 十二月二十五日、クリスマス当日。スタジアムの外では白い雪がこんこんと降り、空を、街を白く染めていく。ホワイトクリスマスそのものだ。

 

 特別な日だ、皆それぞれに用事があるのだろう。しかしそんな中で、私たち「もの好き」はこぞってこの場所に集う。この日が最後の「大聖霊祭」への切符を手にする事が出来る日。それを尊重する者も居る。

 

 だからこういう別名もある。「悪夢の一夜(ナイトメア・カーニバル)」だなんて。

 

 もの好き。それでいいのだ。私らは戦いたくて闘いたくてしょうがない。そういう奴らのたまり場、それが「五大祭」。

 

「進むのは邪魔しないよ」

 

 通路の端に、知っている人物を見た。多々羅二之助。白鶴の友人の一人だ。

 

「答えは出たの?」

 

 白鶴はその前を、通り過ぎる。一つの言葉を残して。

 

「某なりのならな」

 

「うん、なら――行って来い!」

 

「感謝痛み入る」

 

 多々羅は白鶴を満面の笑みで送り出した。白鶴もまた、満面の笑みで足を進める。ドアの前に立つ。

 

『それでは、第一試合選手入場ォーーッッ!』

 

 司会の合図を受け、そして、ステージへのドアを臆する事無く開けた――

 

――五大祭のスタジアム、常に満員であるはずのそれは、あろう事かいつもの半分の席数しか埋まって居ない。

 それもその筈。今日は「クリスマス」だ。誰も彼もに用事があろうである日。そんな中、この場に居るのは選手も観客も含めて「もの好き」だけ。

 

『それではやってまいりましたァッ!今年最後の五大祭「聖夜祭」!司会は相も変わらずこの私めMCマックでございまァーーッす!!』

 

 オオオォォーーーッッ!!と歓声が上がるスタジアム内。人がいつもより大幅に少ないにも関わらず、その声は大きい。なぜなら、この場に居る人達全員がそういう人種だから。根っからのバトルマニア。純粋に闘争を楽しむ者だけが此処に居る。

 

『そして解説はなんとッ!前回の優勝者、後藤征四郎選手に変わって!その友人であり「超視力」を持つこれまたバトルマニア、「岡本光輝」さんがやってくれる事になりましたァーーッ!』

 

『はい、今日は皆さんが楽しめるように、全力で解説をしていきたいと思います。よろしくお願いします』

 

 イエエエェェーーーイッッ!!と色めき立つ会場内。視力補正系統の能力はその手の人種にとても評価が高い。戦闘を余す事なく拝むことが出来るから。そんな能力を持ったバトルマニアが解説につくとなれば、会場は盛り上がる。

 

 なお、岡本光輝の心中には二つの思いがあった。こんな大舞台の解説を出来る嬉しさと、そんなめんどくさい事を押し付けてきた後藤征四郎への恨みだ。それらが半々でせめぎ合っている。いや、この場にいる時点でもう諦めて楽しむしかないのだが。

 なお、征四郎はスタジアムに居ない。多分、三嶋小雨と一緒だ。特訓かなんかやってるんじゃないかな。

 

『それでは、第一試合選手入場ォーーッッ!』

 

 司会の合図と共に、ステージへの入場口が開いた。

 

 入ってきたのは、白い羽織袴の姿に腰に携えた日本刀、黒く長い髪をポニーテールで結った凛々しい少女の姿だった。

 

『親はなんとあの「英雄剋拠」!受け継がれたるは武士(もののふ)の血よ!その技術の名は「極一刀流」!天領白鶴選手の入場だァーーッ!』

 

 少女は入場と共に鞘から刀を抜き出し、その鞘を会場の端に捨て去る。極一刀流の立ち回りの一つだ。

 

『……あれは「プロトノブナガ」ですね』

 

『プロトノブナガ?』

 

 白鶴の刀を見てそう言った光輝に、マックが問う。

 

『有名な名刀「オービタル・ノブナガ」のレプリカの中でも最初期に作られたものです。当時の再現度はそこまででもなかったんですけれど逆にそのオリジナリティに惹かれた人が多くて根強い人気を未だに誇るコレクターズアイテムです。マニアの中では「キッポウシ」って名で取引されてることが多いですね』

 

『ほー、よくご存知ですねー』

 

『あの武器は実践向きでもありますからね。結構知ってる人も多いかと思われます』

 

 刀の造形を見れば、何処のメーカーのどういうものかなど光輝の目の前ではその場で辞書を引くような物だった。メーカーは「更級(さらしな)」。流通量は多くなく現存してる品も少ないレア物だ。そんな高価な物をまさかこの場に持ってくるとは。

 

 ……まあ、彼女のメインの模造刀をへし折ったのは俺なのだが。

 

 光輝は心の中で少しだけ、気まずい気持ちになる。

 

 そこで、一つの事に気が付く。まだ、もう一人の入場が終わっていない。

 

『……と、まだ片方の選手が入場していませんね』

 

 入場の門が空いていない。まだ準備が終わっていないのだろうか――

 

――門の前で、彼女は踏み出せずに居た。その門を、押せないのだ。

 

「不安なのか?」

 

 少女の背後から声がかけられる。少女の友人だ、本来なら此処に居ないはずの。何故此処に。

 

「……どうして此処に居る。妹と過ごすんじゃなかったのか」

 

 その少年は自分のメガネをクイ、と中指と薬指で上げると、その問いに答える。

 

「少しだけ時間を貰った。お前に差し入れがあってな」

 

 少年はポケットから一つの小袋を取り出すと、少女に(ほう)った。少女はそれをキャッチする。30円程で売られているチューイングキャンディの駄菓子「ガブリチュー」コーラ味だ。冷たい。

 

「お前に「頑張れ」とか「負けるな」とかそういう言葉で応援する気は一切無い。けれどこれだけは言う」

 

「……あんだよ」

 

 少年の顔に表情はない。彼はいつだってポーカーフェイスだ。その雰囲気だけはクールそのもの。

 

「優勝したお前の姿を楽しみにしている」

 

「ハッ」

 

 何を思ってるのか読みづらい少年の言葉を受けた少女は駄菓子の袋を開け、冷却されガチガチに固まったそのチューイングキャンディをガブりと噛み、とにかく硬いそれをそして引きちぎった。

 

「言われなくたって」

 

 残りの破片も口内に放り込み、少女はドアを開けた。今日もまた、少女の闘いが始まる。

 

『来たァーーーッ!最初っからクライマックス!これが第一試合なのか!?「風神」、風切雅選手の入場だァーーーッッ!!』

 

 身に纏うは花柄の浴衣、その手には二振りの薄桃色の鉄扇。(なび)く短い緑髪。「風神」の二つ名を携えし彼女、その名は「風切雅」。

 

 仏頂面の彼女の眼が目前の白鶴を見据える。

 

「悪いけど、今日は手加減出来ないからそのつもりで」

 

「……。」



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踊るが随に

「――(ぜん)

 

 試合開始の合図と同時に白鶴は飛び込んだ。雅の意識の隙間、その好奇を刈り取ろうとせんばかりの牙、「絶影」。

 

 その距離の差を詰め――ようとして、白鶴は途中でその場に腰を据えて前方を切り払った。すり足により体勢の固定は容易い。侍の強み。

 しかし雅との距離はまだ詰まらず、目の前には「風の刃」が押し寄せていた。それを白鶴は「ノブナガ」で切り払う。

 

 白鶴は雅を見やる。鉄扇を振るい放った風斬(ふうざん)は一度のみ。その場に雅はただ、立っていた。

 

「――例えば」

 

 雅はその口を開く。

 

「はい」

 

 白鶴は応答の言葉と同時に摺り足で前進、雅との距離を二度(ふたたび)詰める。言葉で立ち止まっていられなどいやしない。これは闘いなのだ。白鶴は剣を振る。

 対する雅、端からそれを理解していた。二枚の鉄扇で、防御重視で白鶴を去なす。速度・威力・手数、二人は拮抗する。

 

「この一試合が決勝戦だ。お前は余力も残さないほど全力で動くだろう」

 

「はい」

 

 息をする間すら白鶴には惜しい。最低限の返しだけで雅を責め立てる。けれど、雅は会話をしながらだというのに息の乱れなし。「風」を操る能力のその根本、大地・空での消耗戦こそ彼女に対して不利がつくものはない。

 

 無限の呼吸、無限のブースト、常に追い風は彼女にあり。対する白鶴は事実的に不利である。

 

 勿論、白鶴はそんな事分かっている。剣撃に幾多もの意識の隙を突いた一撃を混ぜてはいるが、彼女の風の防壁がそれら全てを彼女に教え、彼女は反応する。

 

 侍の弱み。侍は「魔法使い」にこそ滅法弱い。

 

「けれどな、私は違うんだよ。Sレートだ。強者が許される奢り、建前、自尊心……私たちはいつだって「倒すべき相手(ラスボス)」でなけりゃあいけない。プロの格闘技だってそうさ、強者が弱者に対して一方的に策を郎じて勝つってのは許されない。どっしりと構えて、挑戦者の策を受けた上でねじ伏せてあげる。それが強者なんだ」

 

 瞬間、白鶴の体が中を舞った。

 

「糞くらえだ。関係なしに今はお前をぶっ叩く」

 

『あーーッと、これは!』

 

 雅は鉄扇を大凪に下から上へと振るった。大きな風、その風に揉まれて白鶴は遥か空へ。電磁フィールドへは届かない。

 

 それはあえて、だ。届かせなかった。なぜなら迂闊だから。後藤征四郎との戦いの二の舞になっては困る。だから、あえて。

 

 確実に敵をノックアウトさせる状況へ。「保険」へ「保険」を塗ったくる。

 

「私は認めてやるさ。お前は私に本気を出させるほどに「怖い」ってなぁ!」

 

 雅は大地を蹴ってその身を空中に飛ばす。その飛距離、常人の並より遥かに外れて、雅へ空中へと舞い踊る。

 

 空を、飛んだ。

 

『風の翼……!』

 

 解説の岡本光輝はその姿を「超視力」により捉えた。空を飛ぶ彼女の背中には、大気が畝り舞って守護するように付いて回る。それはまるで風で作られた翼。「風神」の御姿(すがた)だ。

 

「ぞらァッ!」

 

「むぅッ!」

 

 雅の鉄扇による一撃。素殴りだ。風の翼の守護を持つ雅とは裏腹に、空中にて支えのない白鶴は一切の強みがない。

 

 侍は「地に足をつけて」こそ完成する。理にかなった、地の利を活かした「立ち回り」。故に、基礎動作は摺り足。だから一兵。

 その足が地を離れればどうなるか……侍は空を飛ばない。飛ぶ必要が無かったから。不利になるからだ。つまりは空中に追い込まれれば必死も必至。そうなることを想定云々じゃなく、「必然的な敗北」と捉えるしかない。

 

 白鶴は想定していなかった。否、想定する必要はなく。その状況になった時点で詰みだからだ。

 

 白鶴の「ノブナガ」が弾き飛ばされ、地に落ちる。その身から「極一刀流」の補正が外れる。

 

「そぉらぁっ!行くぞぉらぁ、オらおらぁッ!ぞらぞらぞらァッッッ!!!」

 

 ()る。()る、()る、()る。雅は空中でひっきりなしに鉄扇を振るった。幾多数多の風の刃が白鶴の体を何度となく切り刻んでいく。服は切り裂かれる。肌から出血が起こる。白鶴の肉体が空中で刃にもみくちゃに裂かれる。

 

「ッッッゾラァッ!噛み切り刻め!「風切裂雅(ふうさいれつが)」ァ!」

 

 雅の最後の一閃。これまでとは違う、手数重視でない、強大な風の「ギロチン」。

 

 ――嗚呼。強いな、三極は。あれを受けたら、楽になれるんだろうな。

 

 なんて雄大。まるで空に(いだ)かれるようだ。

 

 風そのもの。彼女こそが風。

 

「……星の姿は煌くままに」

 

 薄れゆく意識の中で、白鶴は「死」を意識した。それは諦めへの徒歩。

 

 瞬間、その(から)()に武器が握りこまれた。

 

 白鶴はその風の刃を「何か」で受け止め、(それ)を蹴って地上へと飛ぶ。

 

「――あァ?」

 

 逃げ場のない中空から自分のフィールド、大地へ。落ちていたノブナガを拾い直す。

 

「――……、ふぅ、良し」

 

 再び地へと降り立ち、刃を構える。

 

 ――武士道、死ぬのもまた、道と見つけたり。



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踊るが随に2

 摩天舞いし殺戮の風、切り抜けたるは一人の武士。幾度の傷を帯びて、再び彼女は地に足を付ける。

 

「鬼羅の一刀閃。星の隔世(かくせい)を経てその刃、宇宙(そら)を切り裂かん」

 

 白鶴は瞬時に体制を立て直し、その剥き身の刀を自身の身体の後ろに隠す。それはまるで「居合い斬り」の構えのように。

 

「……」

 

 雅はその様子を眼を細めて見やる。不可解な先ほどの一件、そして今回の形を慎重に考察する。

 

 ……(まぐ)れじゃあないな。あらかじめ持っていた札の一つだ。

 

 それにしては、その場で咄嗟に答えを出したかのようにも見えた。というより――

 

「――可能性の中に見た対応。人間らしい、矮小でかつ最適な考えか」

 

 雅の空中での乱舞。白鶴はここぞという場面で切り抜けた。身体への最小なダメージを全て受け、止めの溜めが入った一撃を受け流す。肉を切らせ、骨は守った。

 

 しかし、なぁ。

 

「それでは化物は喰えんぞ」

 

 雅は空中で、その身に風の刃を纏わせる。空を飛んでいる限りは相手の刃がこの身に触れることはない。

 

 じっくりと、念を込めて必殺を作る。念には念を、白鶴を注視して。

 

「空の果てまでを(へだ)てよ、夢幻一刀閃(むげんいっとうせん)皆空(かいくう)」」

 

 そして空中に居る雅に、地上の白鶴は刀を振り抜いた。それは目前の虚空を切り裂き、そして。

 

 雅はその身を空中から落としていく。

 

「――!?」

 

一瞬の不快感、次に痛み。気付いたときには遅かった。体が機能を停止しろと喚いた。

 

 不可解。

 

 意味解んねぇ。

 

 ――なんだよそりゃあ!?

 

 「見栄を切る」。そういう「動作」が存在する。

 

 雅は、彼女の姿に居合いの「型」を見た。捨てたはずの鞘が視えた。鬼気が見栄た。それを嘘偽りだと捨て去り、否、策に溺れた。

 

 ――ハッタリがこんなにも痛いとは!

 

『切ったァーー!?あの距離を!?』

 

 驚愕のマック。驚愕したのはマックだけでなく、この会場の殆どが。しかし、解説の光輝は冷静だった。

 

『秘伝、「見栄切り」。ふふ、なんとも胡散臭い技を見せる』

 

『見栄、切り……?歌舞伎の、ですか……?』

 

 得意げに笑う光輝に、マックが問うた。

 

『はい、元は、ですが』

 

 元来、歌舞伎の技法「見栄切り」。本来の動作をより誇張して見せることにより、相手に多大なインパクトを与えるという物。

 

 魔法というよりは、手品。手品の条件は、観客の予想を「少しだけ」上回ること。

 

『しかし、あのレベルになると「手品(トリック)」というよりは「魔法(マジック)」ですね。……なんともまぁ、侍らしい』

 

 白鶴が振り抜いた刃は、遥か離れた雅に届いてなどいない。しかし事実、雅はその身にダメージを「イメージ」した。正確には、脳がそう反応してしまった。

 

 反射に騙りかける魔法。侍の真骨頂。

 

 在りもしない鞘、在りもしない飛距離。それら全てを、白鶴は「魅せる」事で実現可能にした。勿論、その本質は嘘っぱちではあるが。ハリボテかつハッタリもいいとこだ。あの技法は追撃を与えるまでの繋ぎでしかない。だって、肉体にダメージなんて無いんだから。

 

 ただ、この状況。ひとつだけ大きな問題があった。それは、雅の強さ。器の大きさ。その一瞬で、雅は白鶴の「見栄切り」を脳内で膨大にイメージしてしまった。

 強者故の弱点。弱者ではその見栄の真価をイメージ出来ない。雅にこれが効いたのは、そのボキャブラリーの多大さ故であった。

 

 幾度と戦ってきたからこそその動作の意味が解ってしまう。強いからこそ響く、まさかのワイルドカード。

 

 雅が地へと落ちる。高く高くから、地面へ。意識が飛ぶほど重い一撃だった。

 

「――」

 

 ハズだった。

 

 大地スレスレで雅、高速で低空滑空へと移行。意識など飛んでいない。

 

 やーれやれだよ、思わず切り札を使っちまったじゃねぇか。上等だゴラァ。

 

 そのまま地上を最速で飛ぶ雅の姿は、恐ろしい気を感じる。白鶴はその凶悪な「御姿」を視認し、すぐさま構えた。脚を大きく前後に開脚させ、刀を大地と平行に。不退転の構え、大下段「牙刀」。

 

 雅のその笑み、食いしばった歯には、青い「チューイングキャンディ」が噛み潰されていた。

 

 試合前に翔天から渡された、ガブリチューのマウスピース。これでもかというぐらい冷やし、堅く、硬く固めたチューイングキャンディを仕込み刀にして。本来飛ぶはずだった意識を、強力なクッションで吸収しあげた。

 

 気が付けば、真剣の間合い。雅と白鶴、必殺の距離。



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天地人

 零と零距離の間合い、瞬間(アズスンアズ)の軌跡。今宵衝突す、人と神。

 

 神、風神と呼ばれし少女、風切雅は大凪の風の刃を振るった。大きな、大きな風のギロチンが人に喰らいつく。

 

 人、侍としてこの地に立つ少女、天領白鶴は極一刀流により全力を込めた模造刀を、雅に対して下から上に、斜めに突き出した。

 

 低く腰を落とした姿勢から全力で前方に進み、狙うは愚直な突き。型式「牙刀」、剣撃「婆娑羅(バサラ)」。これは白鶴オリジナルの技では決してなく、尊敬する父、天領牙刀から教えてもらったものだ。

 

『いいか、白鶴。武器を握り立ってどうしようもなくなったら、ただひたすら己を信じて突き進め。そんときゃ、すべての道理はお前の手の中に握られてるもんだ』

 

 この僅かな刻の中で、その言葉がリフレインする。

 

 やれるか?――否。

 

 いけるか?――否。

 

 勝てるか?――否。

 

 欲しいのは「勝った」という、その結果だけ――他の何一つ必要ないのだ!

 

「貫けェッ!剣撃「婆娑羅」ァッッ!!」

 

 奇しくも、その感情は目の前の少女、風切雅ともシンクロしていた。

 

 ……お前はつえーよ、ああ。認めてやる。何が欲しい?栄誉か?名声か?

 

 だからさ、頼むよ……。お願いだからお前は此処でぶっ倒れてくれ!

 

 白鶴の突きに、雅は風のギロチンをぶつけた。確かな手応え、風を貫き剣撃は突進を止めない。

 

 知ってたさ。「英雄剋拠」の娘はそんなタマじゃねぇ。

 

 けどよ……。

 

 ニィッ、と雅はその顔を、歯を食いしばって強ばらせ、歪めた。

 

 私が何のために空中で風の刃を貯めていたと思っている!!

 

神砕(かみくだ)けよぉ、「風切裂雅」っ!」

 

 次の瞬間には、白鶴に向かって幾多数多の風のギロチン。二度、三度、四度――。これでもかというくらい、殺意の「風切裂雅」。

 

「ありったけだ!!」

 

 岩をも貫くかと見えた「婆娑羅」。度重なる風のギロチンに切り刻まれ――そして、プロトノブナガは再び、弾き飛ばされた。

 

 強固なる極一刀流、その握力もまた計り知れず、足も地についていた。だが、弾き飛ばしてやった。

 

 くくく、カカカカカカッ!!ざまーみやがれ、やっぱりだ!お前のそれは!弱点があんだよ!!!

 

 雅の目論見、それは「剣撃の速度」にあった。

 

 物体の進行とは遅ければ遅いほど瞬間的に外部からの影響を受けにくく、逆に、速ければ速いほど影響を大きく受ける。これは「速度」を伴うため、通常よりも段々上がりで力が作用するためだ。

 

 白鶴の直突き。雅はその速度を逆に利用した。

 

 「婆娑羅」は避けれない。大きく低く構えた下段から斜め上への直突き、これを回避しても上から大上段としてもう一太刀振り下ろされるためだ。そのため、初見では確実に直突きを「避ける」。そうすると、確実に「負ける」。

 だから弾いた。雅は知っていたのだ。イクシーズ最強の男、「天領牙刀」の伝説を。あれは間違いなく、この世界の中心に居る男だ。その男の技、対策しておかない理由など何処にもない。

 

 悪いが、私には負けられない理由がある!

 

「さあ死ね!今すぐ死ねぇッ!、天領白鶴ウゥゥゥーーーッッッ!」

 

 プロトノブナガは横薙ぎの「風切裂雅」で吹っ飛ばした。雅は風で鋭い爪を作り、それを右手に纏って白鶴へと突き刺そうとした。最速で、威力あるそれを、そう。「突き刺そうとした」。

 

 白鶴の手には何も無い。「何も無い」のだ。

 

 ……あ?

 

 いくら直突きが鋭かったとはいえ、大地で侍が、ましてや「極一刀流」が武器を手放すものか。

 

 ……なんでだよ。

 

 雅は逸らすだけで十分だった。なぜか刃は手放されていた。白鶴の右手は衝撃を受けて横薙ぎに吹っ飛んでいた。

 

 なんでその位置に「手」があるんだよ。

 

 白鶴は左手を上段に、いや、最上段に構えていた。その手には(とう)けた「日本刀」。

 

 なんでお前は武器を持ってん――

 

「鬼羅一刀閃「羅殺(らせつ)」」

 

 次の瞬間、雅は意識を失った。視界が黒くなる前、刹那に映ったのは日本刀を振り下ろす「悪鬼」の姿だった。



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聖夜祭ファイナル1

 白い部屋、状況。直ぐに気づく、自分は「負けた」んだという事を。

 

「……やあ。気が付いたか」

 

 声をかけてくる、見慣れた男。厚木血汐。その顔は優しげで、同時に悲しげで。段々と、自分の置かれた状況を脳内で理解し始めた。初めは薄かった感情も、少しづつだが極まってくる。ああ。負けたんだ。

 

「いつまで眠っていた」

 

 誤魔化すための一言に過ぎない。自分を、ごまかす為の。でないと、息ができなくなる。今はただ、喋って、喋って、この事実を紛らわしたくて。

 

「ずっとだよ。……もう、決勝だ。……その、君に勝った子は、その場に立っている」

 

「……そうか」

 

 ああ。そうか、そうだよな。私に勝ったんだ。アイツはそれだけの事をしでかしたんだ。なら、その場に立つ権利がある。じゃなきゃ、おかしい。私は風神だぞ。本当はそこに、私は立っていたんだ。

 

 私は風神だ。絶対に勝てた。なんで負けた。実力が足りなかった。冷静さが足りなかった。暴走が足りなかった。謙虚が足りなかった。傲慢が足りなかった。能力が足りなかった。相手の能力が弱ければ。もっと強ければ。もっと弱ければ。私は風神だ。私は風神だ。雷神に挑まなければ。雷神に挑めない。私はこいつらより弱い。血汐より弱い。翔天より弱い。アイツより弱い。なんで弱い。私は弱いから。弱いって何?私の事だろ。なんで私は。もう終わりだ私は。私は私は私は私は私は私は私は私は私は――

 

「――~~~~~~~~ッッッっ、ああぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 布団に顔を押し込み、嘆き、叫んだ。突きつけられた現実に衝突した。もう戻れない。私は目的を達成できなかった。悔しくて、憎くて、羨ましくて、恨めしくて。勝てなかった、勝ちたかった。もう勝てない、時は戻らない。これが夢なら、どんなに嬉しいだろう。これが夢でないなら、この世界はどんなに酷いんだろう。

 

 分かっている。どれだけ泣いても、これは現実で。終わってしまった事で。やり直せないんだ、だってそれが戦うって事だから。

 勝つヤツが居る。負けるヤツが居る。私は負けたヤツなんだ。その事実は決定的で。だから戦うということは楽しくて。これまでそうだった、勝ってきたんだ。私は勝てるんだ。けれど、負けた。全ては、そこに収束して。

 

 血汐は何も言ってくれない。何か言って欲しいけど、何を言って欲しいかすらわからない。多分、反逆をする。つっかかるはずだ。八つ当たりの先が欲しいんだ。嫌だ、怖い、怖い、怖い、これまでの自分が無くなっていく。私の目的が無くなっていく。あれは約束だったんだ、私が風神と呼ばれた日から。雷神と呼ばれる少女との、約束があったんだ。

 

『次の大聖霊祭に参加出来たら、戦ってやるネー。特別だヨー?』

 

 泣きたくなる。いや、泣いていた。私、泣いているんだ。止めたくても、止まらない。

 

 その日。風神と呼ばれた少女は絶望を知った。在る筈の希望、それを奪われたことへの、底無しの絶望を。届かないという、堕とされた者の心の底からの渇望を――

 

――決勝戦前、準備時間。解説の岡本光輝は外付けの展望席から空を眺めていた、雪降る夜の、果てしない白夜を。

 

 外だから味わえる、立体的な雪。矢継ぎ早に降り注ぐ、幾多数多の降雪。超視力で果てまで見える海には、無限に溶けゆく海雪が幻想を駆り立たせる 。

 

 ……はは。綺麗だな。

 

「寒くない?そんなトコに立っていて」

 

「そりゃ人として寒いって事か」

 

「そーじゃなくて」

 

 光輝が持たれていた手すりの横に、別の人物が居座る。一宮星姫。光輝の知り合いであり、芸能人だ。なぜここにいる。

 

「でもねー。私も、こーいうの好きだよ。君みたいな人が傍にいて、この温度を、この景色を共有して。……ねえ、どうせなら温もりも共有しないかしら」

 

「悪いな。今の俺には、少なくとも無理だ」

 

「あっそー。なんでもいいけど、ここには居ますからね」

 

 冗談か本気か分からないような言葉を吐いた星姫に対して、とりあえず否定をする光輝。ぶっちゃけ本能的には応じるべきなのだが、そこは考える葦。理性というキープが制限をかけた。

 

「……ねえ。あの子は優勝できるかしら?」

 

「さあな。勝つか負けるかは五分五分だろ、そこには勝つか負けるかしか無いんだからな」

 

「なら、勝てるのね」

 

「大いにな」

 

 勝てる、であって勝つではない。絶対的な勝利なんて、この場には無いからだ。この聖夜祭、その類の者しかいない。選んだ者、そして選ばれた者だけが此処に居る。

 

「言っとくが俺はどちらの味方も出来ない。両方とも知り合いなんでな」

 

「ま、いーんじゃないの?そーいうもんでしょ、戦いって」

 

「まーな」

 

 そう、勝つか負けるかのフィフティフィフティー。だからこそ、闘争に価値がある。決まりごとでは絶対に心は踊らない。俺たちは、沸き立つために闘争を楽しみにしていた。

 

 だが、今なら、光輝は贔屓にするべき相手が居た。

 

「……でも、まあ。どーしてもってんなら、俺は白鶴を推す」

 

「え、なんでなんで?」

 

 少し嬉しげの星姫。

 

「この現代の大和魂、挙げるんならアイツが筆頭候補だろ」

 

 こと、卑怯であるなら彼女。こと、勝てるなら彼女。

 

 天領白鶴。もし、叶うならば……白銀雄也に敵うならば、彼女しか居ない!!――

 

――「強敵(しーあわっせ)はー、あーるいーてこーない、だーからあーるいていーくんだねっと」

 

 白金髪の男は楽しげに通路を歩く。その先にあるのはひと握りの幸福。

 

 男は扉の前に立つ。以前、対戦相手に負けた時の事を深く思い出す。

 

 ……なあに、勝てなかったら俺はそこまでの男だけだったってことだ。だったら勝つしか無いだろ!

 

 男はドアを開けた。その先に、果てしなき希望があることを信じて。



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聖夜祭ファイナル2

 とーおりゃんせ、とおりゃんせ。

 

 二つの門が開き、いざ混じり合うは夢か現か、類い稀なり。

 

「よーう、久しぶりだな「白鬼(びゃっき)」。……あ、今お前、街の対面グループでは裏でそう呼ばれてんだよ」

 

「ほう、それは嬉しいことを聞いた。二つ名……私も有名になったものだ。なあ、百鬼夜行の頭目(とうもく)よ」

 

 逢魔、邂逅するは二つの物怪(もののけ)

 

「ああ。本当にな。今日って日、このタイミング……乞い焦がれたぜ。懐かしいんだこの感覚」

 

「して、その感覚とは」

 

 白きモノと白きモノ。その存在が(たがい)を喰らえと今、大口を開けた。

 

「負けてたって感覚だヨ。清算させて貰うぜ、勘定だ……白銀雄也、罷り通る」

 

「天領白鶴。六天を斬り伏せ、いざ白夜を(わた)(ある)かん」

 

――第七章「白夜満つる街、諸人こぞりて」 聖夜祭決勝戦 白銀雄也 対 天領白鶴――

 

 岡本光輝は実況席から、その光景を眼を凝らして注視していた。

 

 その場に立っていたのは二人の人。背中に「白金鬼族二代目総長」と金で刺繍を入れた白色の特攻服を身に纏いし白金髪の男と、白の羽織袴で身を包みポニーテールで髪を結った少女。

 

 この二人が今日一番輝いている二人。静かな世を五月蝿き夜に。神すら止められぬ無法者だ。

 

 まずは牽制、腹の探り合い。互いに準備運動のような、軽いどつき合いだ。叩いて、叩かれて、防いで、防がれて。 

 

『お互いに、一歩も譲らない!ここまで来た猛者だけの事はあります!』

 

 MCマックの声。マイクから放たれる、会場内に響く拡声された声。しかし、それすら耳に届かないほどには目の前の出来事に熱中していて。

 

『……始まります、彼らの「戦い」が』

 

 異変にいち早く気づいたのは、当事者の二人以外では光輝が初だった。変わったのだ。空気の流れが。

 

 白鶴の出す気迫(きはく)が変わったのだ。

 

「鬼羅、無尽……ッ!」

 

 鬼迫(きはく)。果たして人のそれであろうか。眼付、表情、振舞……。高名な戦国の侍が現代に居たら、きっとこう(・・)なんだろう。見ただけで逃げたくなるような、まさに物怪。

 

 怖い。そう感じたのは観客だ。

 

 白銀雄也は全く別の事を考えていた。

 

 ……違うな、前の立ち回りとは全く違う。前はもっと静かで、賢しくて、それこそ幽霊のような立ち回りだった。

 

 以前雄也が白鶴に負けたとき、白鶴は闇討ちに徹した。こんなに荒々しく立ち回らなかった。だから雄也は対策を立てた。その対策はあったのだ。

 

 そりゃそうだ。タネが割れてる手で勝とうなんて、そこまで卑しい性格じゃあないか。

 

 次の刹那。雄也の目が白鶴を捉えそこねた。これまでの比じゃない荒々しさ。また例の歩き方……っ?違う、「錯覚」じゃない。純粋に「速度」で出し抜かれた。彼女が「居た」地面には、オービタル・ノブナガが転がっていた。切り裂かれたのは、雄也の腕の装甲。

 

 勝ちたいからこそ、この女は別の手を持ってきた――!

 

『ッッ!?これは一体どういう事でしょーーーう!!?天領選手が手から刀を離しましたーーー!!!』

 

 不可解。彼女が武器から手を離すわけがなかった。彼女の能力は「極一刀流」。その手に武器を持たねば、彼女はその能力を使えないというのに。

 

『……いや』

 

 だが、しかし。岡本光輝の超視力は、その光景を理解し、捉えていた。

 

 彼女の手の中には、確かにある。「見栄」ではない、「本物」の刀が。

 

『風の刀……っ!!』

 

「これが某の「可能性」の具現化。……心の刃、とでも言おうか」

 

 彼女は握り締めていた。それは「風の刀」。彼女が想像し、意識し、練り上げた心の具現化だ。

 

「極一刀流っ、扱えるものは「武器だけに非ず」……ってか!」

 

「飲み込みが速い。ここから先は修羅の門よ、とおりゃんせ」

 

「っっ!」

 

 さらに速度を上げる天領白鶴。それもその筈、その風に重量は無い。軽い、というか、無手だ。実質無手である。

 ともすれば、刀を握るよりそりゃ速く。極一刀流と摺り足による高速移動、ただでさえスピードが遅い雄也は彼女に攻撃を当てれない。ただひたすら、敵の刃をすんでのところで受けてダメージの軽減を図るばかり。

 

 チッ、おいつけねぇ。ハハッ、こりゃお手上げか。

 

 為すすべなくなった雄也。一度、棒立ちをする。

 

 白鶴の刃が迫る。

 

「だからだよ」

 

 ギィンッ、と鈍い音。白鶴の風の刀と雄也の拳が衝突した。それもすごい速度で。

 

「アガるぜ――!」

 

「……!」

 

 眼を見開く白鶴。手に痺れが残る。風の刃が受けた衝撃が、確かにその手のひらに残った。

 白銀雄也の速度が上がった。いや、上がったなんて言葉で済まされるものじゃない。

 別物。これでもかというぐらい、全く以ての別物。その速度は、白鶴の速さに届いて――いや、超越している。

 

 追撃のボディーブロー。白鶴はそれを反応し、刀の腹で受け、吹っ飛ばされた。遥か遠く、なんとか足で状態を残す。

 

 不可解!有り得ぬ!なんだその力は!ただの野蛮なそれじゃない!もっと気高く、そして崇高で、まるで覇気を感じた……美しくもある。

 

 気が付けば、白銀雄也の体からは白い粒子が発せられていた。その仰々しさたるや、まるで白き鬼の様。

 

『なんですっ、あれは!?あれは……オーラってヤツですかッッッ!??』

 

 シュウゥゥゥ……、と(ほとばし)る白く輝く粒子。驚愕するマック。いや、マックだけじゃない。この会場の全ての人々がざわついた。そう、それは白銀雄也の新しい姿。それを誰も見たことがない。

 

 その中で、冷静に自体を把握しようと躍起になった者が居た。

 

『いや、違う!あれは……』

 

 岡本光輝。彼の視力が、知識が、その粒子の正体を捉え、理解(わか)った。

 

『「水蒸気」だ……』

 

『「すいじょうきィーーーッッ!!??」』

 

 白銀雄也の体から迸るそれの正体を突き止めた岡本光輝。誰もが驚愕した筈だ。そうだ、誰だって体から蒸気が見えるという光景は知っている。

 

 でもそれは。だって冬だから。だって寒いから。少量だから。あり得るものだとして考えていた。

 

 でも違う。今はだって違う。だってこれは。冬だけど、室内で、常温で。

 

 ――あんなに大量の水蒸気、人間は出せない!!

 

 歩き出した白銀雄也。それはまるで雲の中から現れたのかと錯覚する程の光景。

 

「決めようや、クライマックス。なあ、白鬼」

 

「……鬼はどちらよ」

 

 食うか食われるか、最終局面。二人は魔へへと、足を進ませた。



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聖夜祭ファイナル3 限界ブッチギリバトル!!

 跳ねたのは白銀雄也だ。(おびただ)しい程の水蒸気を帯びて、天領白鶴に向かって食らいつくように向かった。

 大振りの回し蹴り、左拳をスイングさせて遠心力を乗っけての殴り、右拳のストレート、白鶴が勢いで吹っ飛ばされた所にさらに追撃で飛び込んで()()ねた。

 

 人知を超えた無法のラッシュ。それら総てを極一刀流の「風の刀」で全部防ぐ。……というか、防ぐ事しか出来なかった。全てすんでのところでの防御だ。

 

 白鶴は戦慄した。今まで幾程もの強者と戦ってきた。けれど、そのどれらの敵よりも彼の動きは……

 

 読めないっ!!我武者羅すぎる!道理が無いんだ、暴走した体の赴くままに動いているんだ!いや、違う……動かされている!

 

 白鶴の考え、それはおおむね正しかった。白銀雄也の今の状態、異常に発熱した体が唸りをサイレンのように轟かせて暴走させた。そこにはルールなんて無い、道理がなく、動きが理想形として紡がれていない。故に――そこに(いびつ)さという美しさを孕んだ。

 

 要するに、考えるより先に体がオーバーフライングして動いてる。天下の無縫者。白銀雄也は、止まらない。

 

『彼の能力、「不屈のソウル」にこんな能力は無い……!データにも載ってない、統計が取れてない……?』

 

 今の不可思議の状況を目の当たりにして驚愕しつつ考察する解説の岡本光輝。そう、それが今回の一番の問題だ。白銀雄也のその状態は「これまで観測されなかった」。一体、どういう事だというのだ。

 白銀雄也のステータスはパワー5、スピード1、タフネス5、スタミナ3だ。防御と攻撃に総てを割いて、その代償として素早さを払った。彼の「不屈のソウル」は、ただ防御力を高めるだけのもの。そこに素早さは伴わない。だが、どうだ。今の彼の状態はスピード5の評定で間違いない。

 

 イクシーズのデータベースに乗ってない。ならば、彼の「EXスキル」では無い。解説の岡本光輝、彼はEXスキルを無理矢理別途で発現させる方法を知っていたが、彼がその超視力で白銀雄也を見ても、反応が無い。

 

 しかして。もし、これが異能で無いと言うなら、一体なんだというのだ。

 

『もしかしてスキルがシフトして……?いや違う、不屈のソウルは発現している、だとするなら、あれは……』

 

『岡本さん、一体……』

 

『あの人の、人としての可能性……?』

 

 スキルというのは、見たままの使い方だけとは限らない。岡本光輝の「超視力」のように、瀧シエルの「精霊の加護」のように、はたまた「極一刀流」のそれのように、本人の考察、開花、工夫で新たなる一歩を踏み出すことが出来る。

 

 彼は何かしらの方法で一歩を踏み出したんだ。それがなんなのか、分からない。けれど一つだけ言えることがあった。それは。

 

 白銀雄也のレーティングは、Aレートなんてもんじゃ済まない。正真正銘の、「Sレート」だ……ッ!

 

 白銀雄也の圧倒的な爆発力。その動力源がどこに有るのか分からない。しかし、相手がそんなに速いのだというなら!

 

 いきり立った天領白鶴は、一瞬の防御を捨て、白銀雄也の一撃をその身で受け、吹っ飛んだ。

 

 重いパンチ……!左なら軽いとか、思ったが……重すぎる!!いや、左で良かった!もう既に内蔵が飛び出そうだ!空から堕ちる浮遊感で、口から内蔵が出てきそうだ……!

 

(かぁ)っツ!!」

 

 一瞬の防御の隙を捨てたのは、次の一撃の全ての準備を用意するため。腹筋に力を入れ、口から言霊(ことだま)を吐いた。吹っ飛んだ、距離は目測5メートル。相手は向かって来る、迎撃体制、良し!

 

 全身の筋肉をフルで稼働させ、白鶴は体躯を促した。形は大下段、剣撃「婆娑羅」の準備だ。最高峰の直突き。雄也のあの速度、そのままブチ込む!

 

「いざ、「婆娑羅」!!」

 

「っ、来いヤッ!!」

 

 脚を動かし、雄也へと突っ込んだ白鶴。神域にも到達する直突きを、そのまま突っ込んできた雄也の腹部にねじ込んだ。下手すれば、そのまま風穴を開けてもおかしくない状況だ。それこそ、彼の背中から内蔵が飛び出るくらいに。

 

 ……が。

 

「っかっ、足んねぇ足んねぇ。なァ?オイッ!!」

 

「――!!?」

 

 雄也の腹筋に到達したその「風の刀」は、彼の両手で握り絞められ、腹部の表面に突き立てれた程度で、貫けなど出来なかった。あろうことか白銀雄也は、掴んだ「風の刀」をぶん回して白鶴と共に放り投げた。

 

 宙を舞う白鶴。地面に受身も出来ず、脳天からぶち当たった。天地を逆さまに感じ飛びそうな意識の中で、その状況を必至にリフレインした。

 

 何が?なぜ貫けない?あの感触、服の上から、水気、サラシ、新聞紙……筋肉、それと……脂肪??

 

 その状況を傍から見ていた一人の人物が、ついに断片の答えを見つけた。

 

 そうか、あのエネルギー量、耐久力、そういう事か……!

 

『体脂肪率……』

 

『え?』

 

 困惑するマック。それはそうだ、岡本光輝ですらこの答えを紐解くのにどれだけの混線を掻い潜ったか。

 

『一般のアスリート、備えた圧倒的筋肉量に付加される体脂肪率、それは1ケタがザラ……格闘技者も然り、階級(ウェイト)がある、彼らは必要最低限な体脂肪だけしか付けない』

 

 しかし、彼は違う。

 

『フリーの喧嘩屋、なるほど合点が行った……っ!彼の住んできた世界に階級(ウェイト)は無いッ!圧倒的耐久力!圧倒的爆発力!その全ては……「体脂肪」によるものだっ!!』

 

 体脂肪。時代から排他された、忌まわしき存在。痩せてる方が健康的だ、太ると醜い。そんな理由から、疎まれてきた存在。

 しかし実のところ、あれは筋肉を外部から守る「防御壁」に成りうる。トップアスリートですら、持久力の為に体脂肪を僅かながら意図的に増やす者も居る。しかし増やしすぎると運動力の低下が危惧するため、必要最低限で、だ。競技によっては階級で不利になる。外観も損なわれる……。

 

 が、そんな体脂肪を「意図的に」「大量に」増やすスポーツが存在する。それは奇しくも、日本の国技と名高い、美しいスポーツ「相撲」だった。彼らはその大量の筋肉を相手の激しい攻撃から守るために、その上からさらに大量の脂肪を着けた。その世界には、重量階級が無い。

 

 白銀雄也の本日の最初の体脂肪率は20%より上だった。しかし、その体脂肪を燃焼し、暴走し、その体脂肪率は既に10%を切っていた。それがどういう事か。

 

 これまで白銀雄也を縛っていた「枷」が消えた。そこには本物の悪魔が居る。

 

「くぁばら、くわばら……っ」

 

 涙目になりながらも、天領白鶴は目前の悪魔を見据えた。



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聖夜祭ファイナル4 背水の陣

 暴走する白銀雄也。現在の推定体脂肪率、およそ9%。

 

 一挙一動に踊らされ、無様にも逃げ惑うしかない対面する少女、天領白鶴。

 

 ……いや。

 

 岡本光輝は脳内で密かに思惑する。そうだ、あれだけの発熱量、弱点があるとするならそれは「エネルギー切れ」なんだ!白鶴のプランはそれで正しい……っ!

 

 攻めっけを失くした防御一点張りの構え。あの最大速度の剣撃「婆娑羅」が通じなかったという時点で、最早白鶴に「殴って勝つ」というプランは残されてないに等しい。この状況、勝つからこそ「逃げる」、勝つからこそ「守る」。紐解けば、そんなに難しくは無い「理屈」、「道理」であった。

 

 いや、無理!

 

 白鶴が横薙ぎの蹴りを刀で受け止めて、後退した。

 

 無理!無理無理!

 

 追撃の両足によるドロップキックを刀だけで受け止めきれず、腕のクッションを使って防御してそこからぶっ飛んだ。なんとか体勢を残したが、ズザザッと地面を滑り、着いたその先にはすぐ背中に電磁フィールドが。

 

 無理無理無理無理無理!!!

 

 受けきれない。捌けない。五里霧中。脳内が「守る」プランを全力で否定していた。体から灼熱のように熱い汗と全身が凍りつきそうな冷たい汗がせめぎあうように迸る。心臓が爆発しそうなぐらい痛い。喉はからっからでまるで砂漠にいるみたいだ。水が飲みたい。気休め程度に生唾を飲み込み、絶望的な現在(いま)を見直した。……全身が悲鳴をあげている。

 

 実力で負けているのは確かだ。天領白鶴の力量が、白銀雄也に対して追いついていない。頭二つ分くらい違った。白鶴が風切雅戦にて最後に完成させた「風の刀」という極上の武器に対して、白銀雄也はここに来てよくもわからぬ圧倒的な暴力を見せつけた。

 

 弱点は見付けた。それは莫大なエネルギー消費だ。しかしながら、この状況ではそれが有利にならない!なぜなら、ステージが電磁フィールドで囲まれたデスマッチだから。決勝戦、相手はここで全部の力を使いきれるだろう。

 

 状況からして不利の一辺倒。ははは、打つ手無しか。背中には電磁フィールド。逃げ場はなく、攻める手も思いつかない。もうお手上げだ。

 

 ……「電磁フィールド」。「逃げ場が無い」。「お手上げ」。刹那、白鶴の身体に電流が迸った。

 

 ――――勝てるッ!!

 

 白銀雄也が水蒸気を纏って近付いてくる。最中(さなか)、白鶴は電磁フィールドを背に、「風の刀」を、上段へと、最上段へと構えた。

 

「やあやあ、此処は鬼羅の国ぞ」

 

 目前の雄也に対して、白鶴は煽るように言葉を紡いだ。言葉はなるだけ流暢に。細工は隆々、仕上げを御覧じろ。

 

「ほうら、鬼が地獄門を叩いておる」

 

 刀を両手で最上段に構えた天領白鶴。それはまるで――地獄から現世を除く鬼のように。

 

『こっ、これは――背水の陣ッッ!?』

 

 マックの言葉で観客たちも瞬時に理解した。白鶴は、逃げるのを止めた。次の一撃に、総てを賭けて。

 けれど――。勿論、さっき放った「婆娑羅」が通じなかった時点で攻撃が雄也の装甲を貫けるとは思い難い。それが、観客たちの感想だ。

 

 だが、岡本光輝と白銀雄也は違った。

 

 構えた!

 

 その形が意味するのは、向かい合う白銀雄也と、(かたち)を知っている岡本光輝にのみ理解出来る、「最高峰」の構えだ。

 

 「剛の一太刀」。婆娑羅で通じないなら、なるほど。その手しかない。

 

 パン、パンと白銀雄也はその手を肯定するように叩いた。お見事、と。

 

「「鬼さん此方、手のなる方へ」……なあに、不思議がるこたァ無ェ。俺が呼んだんだ」

 

 雄也は進む脚を止めた。相手の策を理解したからだ。この状況、勝つも負けるも己次第、って事が!

 

 白鶴が用意した状況はこれだ。円形のスタジアムで背面に電磁フィールドを背負う事で、真横と背後の死角を無くす。実質、相手が殴りに来れるのは「白鶴が反応できる範囲」で。

 そして、現状の白銀雄也は言わずもがな、「殴りに行かないといけない」。こうしている間にも、雄也のエネルギーは消費されていく。この必然的状況、窮地から死に物狂いで掴んだ逆転の一手。ついさっきまで0:10だった勝率が、ここで漸く5:5(フィフティフィフティ)

 

 勝ちたいなら殴りに来い、某も全力で貴殿を叩く!

 

 天領白鶴は状況を完成させた。これ以上に無い、最高のシチュエーション。侍だからこそ出来る、最高峰の誘い受け。

 

 じり、じりとお互いが見合う。現在の推定体脂肪率、およそ7%。

 

 ごくり、と観客が、司会が、解説が息を飲む。現在の体脂肪率、およそ6%。

 

 張り詰めた空気が一気に破裂する音が聞こえた。現在の体脂肪率、5%を切った――。



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面白きこともなき夜を面白く

 天領白鶴は侍だ。策を弄する、そこで漸く勝利へと繋がる道標を手に入れることが出来る。それが侍。それが剣士だ。

 

 道具を使う。立ち回りを行う。相手を騙す、化かす。その結果が、勝利だ。「卑怯」だとか、「狡い」だとか。三文芝居も御託も戦いに要りゃしない。

 別に高潔な騎士道精神を掲げて誇りのぶつかり合いをしたいんじゃない。そんなのは聖人君子共でやってくれ。私らは武人、騎士じゃなく侍だ。直に狡猾な武士道精神を携えて腹の探り合いをする。それが私らにとっての試合だ。勝利に飢え、焦がれ、そして――勝つ。勝つためにキレイだぁとか、ビガクだぁとか。……鼻で笑ってヘソで茶を沸かすくらいの自信はある。

 

 だから手加減をしない。白鶴に情け容赦は無い。つまり、どういう事かと言うと――

 

――この勝負、この土壇場!全ては私の思いのままに!

 

 天領白鶴は状況を作った。絶対に勝つための状況をだ。白銀雄也が踏み込むタイミング、それは「確実に一発の攻撃を耐える」「その上で、最も推進力を得られる状態」。体脂肪率が5%を切った瞬間がそれに値する。

 

 これが白銀雄也に取って一番、セオリーに(のっと)ったタイミングなのだ。この場合、電磁フィールドを背にする白鶴に対して一撃も貰ってはいけない状態で突っ込むのは有り得ない。白鶴がそれを避けた瞬間、白銀雄也は電磁フィールドに衝突して敗北するからだ。だから最低でも白銀雄也は一撃分の耐久力を残しておかないといけない。白銀雄也がスピードを出せ、かつ耐久力が減少する「体脂肪率の低下」を待てば待つほど、白鶴はピークを過ぎた時点でそれこそ回避の準備をするからだ。端から避けると覚悟した人間は強い。それにしか考えを割かなくていいから。白銀雄也がいくらスピードを出せようが、白鶴は回避する自信もあった。

 

 つまるところ、雄也は縛られていた。動くなら、そのタイムリミット一歩手前で。それが、白鶴と雄也そのどちらも五分五分(イーブン)の状況。純粋な力比べ。

 

 勿論、そんなつもりは白鶴の脳内には一切無かった。

 

 白銀雄也が動いた、その瞬間。白鶴は上段に構えた「風の刀」を最速で振り下ろし鬼迫を放ちつつ「右斜め前」へと脚を進ませた。「絶影」。その歩法、しかしてただの「絶影」では無い。鬼の気迫に風の刀の軽さ、それは通常の絶影よりもより「鬼」かつ「朧」。

 

 差詰――朧絶影と言ったところか!

 

 白銀雄也のスタートダッシュは速く、目で追うことは出来なかった。けれど、追ってやる必要はない。白鶴のプランは、絶影で避けた所に雄也が電磁フィールドへと突っ込み、それを雄也が耐えつつこちらに向かって来るだろう。そこに、大下段「剣撃・婆娑羅」を打ち込む。決まれば勝ち。

 

 五分五分とは、博打でしか無い。真剣のやり取りでなら、つまるところ「半分死ぬ」のだ。そんなの御免だ。理詰めで、切磋琢磨し、勝率を高い方へ高い方へと持っていく。そこに侍の意味がある。

 

 最強の盾、最強の矛……認めよう、白銀雄也。卿こそがこの世の(ことわり)の矛盾であると。しかし、だがなぁ。戈を止めるのは!暴力という矛盾を武で制するのは!!侍たるこの私、天領白鶴だよ!

 

 脚を進ませた白鶴。そして、その勢いのまま地面が近づき、咄嗟の反射で地面に手を突き、うつ伏せになろうとしていた自分を仰向けになるように転がせ、起きようとした。

 

 ――!!?

 

 思考回路は瞬時に総てを理解した。脚が訴えた鋭く焼けるような痛み。天領白鶴の絶影――「摺り足」に対し、白銀雄也は「足払い」を行った。

 

 何故!?最速の勢いを蹴って殺してまでして絶影に摺り足!?そもそも反射じゃ間に合わない!雄也は私が「絶影」で行くことを読んでいた!!そのまま「剛の一太刀」を受けたら負けが確定する場面で――否、だからこそ!つか、んな事考えてる暇無いだろ!霧で何も見えない!おきあ――

 

「よう」

 

 白鶴が倒れた体を必至で起こそうとした、その瞬間には。辺り一帯の霧を掻き分けて白銀雄也が眼前に迫っていた。いや、もう「手遅れ」で。白銀雄也はその勢いのまま、最後の一撃を放った。

 

 その一撃は上下有利(マウント)から放たれ、その衝撃で周囲の霧は舞い上がり。電磁フィールドで覆われたドームを砂煙と霧が埋め尽くした――

 

――霧が止んだ。司会も、解説も、観客も、全ての人がその状況を固唾を飲んで見守った。

 

 その場に立っていたのは白銀雄也。地面に拳を突き立てて。それに覆い被さられるように地面に倒れていたのは天領白鶴。そして。

 

 電磁フィールドで守られたスタジアムの地面には、全体まで広がるように「ヒビ」が入っていた。

 

 ――っはーっ、ッはーっ、っつっ……っ!

 

 白鶴は腹部……脇腹に、熱い痛みを感じた。抉れていない。雄也の拳はその横を通り抜けて地面を殴り砕いていた。白鶴の脇腹は服諸共、掠めたその摩擦熱で焼けていた。服は焦げ落ち、その皮膚には黒い後が残っていた。

 

 生き……てる……?

 

 白鶴は息を大きく乱しながら、その実感をした。あの瞬間、眼前に雄也が霧の中から現れた瞬間。白鶴は「死」を意識していた。

 

 そして、大きく安堵した。その命が奪われていないことに。自分がまだ、この世に居ることに。

 

「どうする。立つか?」

 

 白銀雄也のその一言に、白鶴は苦笑して返した。そこに構えられた握り拳を見るだけで、もう

嫌だ。

 

「……いや、某の負けだ。完敗だ」

 

『――ッ!!決まりました――ッ!!聖夜祭を制したのは!白金鬼族(プラチナキゾク)のヘッドッ!偉大なる狂戦士!白銀雄也選手です―――ッ!!!』

 

 惜しみなき拍手が会場を包み、その中で白鶴が立ち上がり、雄也と見合った。勝利者として自信満々の笑みを浮かべる雄也と、もう笑うしかないとさっきまでの恐怖を自分で欺くように笑みを浮かべる白鶴。

 

「なぜ絶影で行くと分かった」

 

「おめーさんが五分五分(とんとん)の勝率を選ぶわけねーからな。別にアレで来ると分かったわけじゃねえ。けど、咄嗟に浮かんだ方法に直感で従っただけだ。そんだけやったら後はもう運否天賦、神様におねだりさ」

 

「くっ……ははは。いや、後悔が後を絶たない。あの丁半場、如何様(サマ)を使わず乗っておくべきだったか」

 

「そんならそんで俺が勝つけどな」

 

 どれだけ悔やんでも、結果は結果。終わった事は巻き戻らない。だからこそ、侍は手を抜かない。その過程に全てを尽くす。

 それはなぜか。尽くした結果がそれなら、なるほど。納得出来ずとも、自分には理由付けが出来た。勝って当然、負けても当然。為すべくして成ったのだから。文句のつけ用があるまい――

 

――選手用の門を潜り、白銀雄也はフィールドを出て、そして。壁にもたれ掛かり、地べたに勢いよく座り込んだ。というか、ほとんど倒れ込んだようなものだ。

 

 っはは、一歩も動けやしねぇ。

 

「大丈夫ですか」

 

「全っ然大丈夫じゃねぇ」

 

 通路を走ってやってきた岡本光輝に対して白銀雄也はそう答えた。その手にはポカリとメイトが握られている。休憩所の自販機にそういや売っていたっけか、気が効くな。

 

「どうぞ。明らかにカロリー不足です。あんなの、人間の戦い方じゃないです。いずれ筋肉もボロボロになりますよ」

 

 雄也はギリギリ動く手でそれを受け取ると、メイトを必至に噛み砕きポカリで流し込んだ。即効性のカロリーバーに飲む点滴。栄養を欲していた肉体に一気にそれが染み込んでいく。

 

「ははっ、うっめー。だからこそ、奥の手っつーか。まあ、自分でもテンションが最高潮にならねーと出ねーんだけどな、アレ」

 

 白銀雄也の肉体暴走状態。あれは、雄也のテンションがマックスかつ、敗北を意識してようやく発現する。だから、ここ一番での大勝負でしか出ない。それを制御できてるとは言い難いが、まあ。うまく付き合っていけば、心強い切り札にはなるか。

 

「とにもかくにもまあ。よくあんな口八丁手八丁が出ましたね。あの時もう一発も拳打てなかったように見えましたけど」

 

「ぐげほっ!?がっ……!……おぉい、人聞きの悪いこと言うんじゃねーよ。ありゃあ必要だったんだ」

 

 光輝の言葉に対してむせる雄也。図星ではあったようだが。

 

「ハッタリ三割腕七割。喧嘩少年の必須課目だぜ。こりゃ侍だけの特権じゃねー、騙し騙されが日常さ」

 

 そう、最後の状況。白銀雄也は拳を握り天領白鶴を脅してみせたのだ。「どうする。立つか?」と。

 

「そもそも、うまくアイツを足払いで転ばせたはいいものの霧で俺も狙い定まんなかったからな。とにかく思いっきりぶん殴って、外したら外したで脅す。一発しか弾の入って無い拳銃で威嚇射撃して「次は当てる」って脅すのと一緒さ」

 

 あの時、白鶴が起き上がって雄也を叩けば白鶴は勝っていた。しかし、それが起こらないように相手の心に「恐怖」を叩き込んだ。それもまた、戦いの一つ。ハッタリもこなせない人間が勝てるものか。

 

「フフッ……いえ、だからこそなんですかね。雄也さんをですね、少し憧れました」

 

「おっ、どんどん憧れろ。憧れる男は強くなるぜ」

 

 騙し騙され、切磋琢磨して。転がり込んだそれが、勝利という栄光の証。

 

 それを目指すために、少年少女は今日も昨日もそして明日も。各々の覚悟でまた戦う。それがこの街、「進化する者達(イクシーズ)」の日常である。喧嘩少年も侍少女も、その一員だ。




「だーれだ」

 雪降る街並みの中、帰路を辿る岡本光輝に後ろから抱きつくようにする人物が居た。

「片方の頚動脈を手首で極めると同時にその手の親指の爪はもう片方の頚動脈へ。左手は腹部のレバーへと狂い無く当たる場所にある。およそ俺と同じ背丈、美しい声。そして髪から香る甘いというか、なんというかあの女性独特な香り。全て満たせて俺の知り合いに居る奴は瀧シエルぐらいしか知らんのでお前は瀧シエルだ」

「洞察力が凄まじい。あの絶望的状況で客観的に物事を考え簡潔に答えを電卓で叩き出せる、そういう君は岡本光輝だ」

「そりゃどうも」

 弱点を抑えた手を離し、光輝の隣に並び立つシエル。

「役者が揃った」

「お前のお眼鏡には適うのかい?」

「至極当然、極まりない!理想を超えた理想さ!」

「そりゃよかった」

「さて、君なら誰を応援する?」

「瀧シエルって言って欲しいのか?」

「是非とも頼む。それだけで私のやる気が変わるのさ、青空同盟の盟友よ」

「瀧シエル」

「愛してるっ!結婚しようっ!」

「答えはNOだ」

「あら釣れない」

 幾つかの言葉を交わして別れる二人。瀧シエルは独りきりの住宅街の中、その手を空に伸ばした。

「この白き空も、黄昏も、深淵も、満月も、暁も血雨も星空も天の川へと!」

 そして、その手を、何かを掴むように握りこんだ。

「この統べてを、征天たる私の元へと……!」





――side episode「進め」


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第八章 赫月昇る忌まわしき異世
雪華街にて小雨師匠と


 12月25日、クリスマス当日。イエス様の誕生日としてそりゃまあ有名な日ではあるが。事、俺っち「後藤征四郎」には、別に「なんて無い日だ」。正確には、「だった」。

 神様に祈りを捧げるでもなく、ただ親から貰えるプレゼントを楽しみにして……なんて、そんな浮かれた話は小学生まで。中学にあがってからはそんな事も無く。妹と弟が居たりしたせいか、親は結構けちんぼで、そして高校生になって、これまでこの日に特別な感情を抱く気は一切無く、これからも無いだろうと思っていた。そんならそれもありなんだろう、精々お年玉でも楽しみにして冬休みをゆっくり過ごすさ、と。お年玉なら親戚からも貰えるし。

 

 ……その楽観とも落胆とも思える気兼は、思ったよりもあっさり打ち砕かれた。

 

「んっっめーーー!!こいつよ、コレなんだよ!やっぱ(たら)の白子は刺身なんだよなーーー!」

 

「いや、師匠。マッジうまいっすこれ!生まれて初めて食いました!……あっ、茹でた白身も、口の中でほろっと崩れて……!」

 

「ククク……!都会の料亭で食ったら諭吉が何枚飛ぶかぁ分からない……圧倒的鱈づくし……!寒さも吹っ飛ぶ起死回生の鱈鍋パーティよ……!」

 

 オータムパーティーの優勝、かつ大聖霊祭への出場という事で後藤征四郎は師匠「三嶋小雨」とイクシーズの外、岐阜の奥地「雪華街(せっかがい)」へと旅行に来ていた。

 街の有名な温泉宿にて、一泊二日の贅沢な旅。旅費はまさかの、師匠全部持ち。なんというかもう、頭が上がらない。ちなみに聖夜祭の実況をイクシーズから依頼されていたのだが、これは親友であるコーちゃんこと岡本光輝に丸投げしてきた。後は頼んだぜ、お前の勇姿は忘れない……!

 

 まあそんな訳で、今の時刻は夜。雪降る夜の中で征四郎は小雨と一緒に旅先の宿で鱈鍋をつついていた。魚に雪と書いて鱈というだけあって、冬に食べるには本当に美味い。鍋で茹った白身は勿論の事、まさかの白子の刺身というのはこの上なく最高で。紅葉おろしに薬味葱を突っ込んだポン酢に付けて、食べるのだ。ポン酢に浮いた白い膜を名残惜しく思いつつ、頬張る。……やばい。形容がし難いが、もし一言だけ言えるなら、こうだろう。「(とろ)ける。」

 

 この世の全てに感謝をしたくなる一時。幸福に降伏する。「謝りたいと感じている」……ならば、感謝と言えるんだろう。これを感謝と言うんだろう。とか、そんな感情が込み上げてくる。

 三年ぶりに、12月25日(クリスマス)という日が幸せである事を思い出した。

 

「あ、女将さーん、熱燗おねがいしまーす!せーしろーも飲むー?」

 

「あ、いえ、大丈夫です。お気持ちだけでも……」

 

 そういえば師匠、もう20歳なんだっけ。見た目はとても幼く見えてしまうが。お酒かー……あと、4年もかかるんだよなぁ――

 

――ふーーっ、ああ、ここが楽園か。

 

 宿泊部屋に個々に備え付けられた露天風呂。その白い濁り湯に征四郎は肩までを沈めて、唸った。空には延々と降り注ぐ雪が、闇を白く染め上げ白夜を創り出している。夜だというのに、その空は明るいと思うように錯覚してしまうほどだ。

 浴場の(はし)ではこんなに寒いというのに木が花を咲かせていた。「雪華街」の名は伊達ではなく、見て分かるように名前がそれを体現していた。この街はどうやら、特殊なパワースポットなんだそうだ。雪と華が両立する街。故に、この街は冬季に観光客が多い。

 

「……いや、風情っすなぁ……」

 

 幸せだ。こんな出来事、これまで味わえるとすら思っていなかった。それが今はどうさ。まるで夢のようで。

 それもこれも全て、小雨さんのお陰だ。彼女に全て教えてもらっている。あれもこれも、今も全て。小雨さんが居なければオータムパーティーも優勝できなかったし、こんな風においしい物を食べていい風呂に入ってなんて事も絶対無かった。

 

 ……あれ、俺、ヒモじゃね……?いや、違う、断じて違うぞー!

 

 ガラッ。

 

 そんな事を考えていたその瞬間、場が凍りついた。まるで、大寒波のように。

 

 浴場へ繋がる更衣室のドアが開いたのだ。

 

「お風呂一緒に……入っても……」

 

「……え……ッ!?」

 

 青ざめる顔を必至に動かしつつ、征四郎は後ろを、更衣室の方向を振り向いた。

 

「いいかなぁ~~っ?「征四郎」!?お姉ちゃんとたまには……」

 

「ちょっ……「小雨」師匠ッ!?何故、何故此処にッ!つかなんですかその設定!!?」

 

 ドドドドド、とそんな感じのオーラを纏いつつ露天風呂にはいって来た三嶋小雨。その右手にかけられたタオルと湯気によって大事な所は見えないが、まあ、全裸だ。膨らみかけの胸だとか、柔らかそうなお腹だとか、筋肉と脂肪が押し込められたコンパクトに細い脚だとか、そりゃもう危ない。

 

 いや、まずいって!見えますって!

 

「戦闘開始だ!とうッ!」

 

 ザボンッ!と、湯船に飛び込んだ小雨。征四郎は顔を瞬時にそっぽ向かせたものの、小雨は追いすがる。征四郎を捉えんと手を伸ばす。

 

「い、いや、師匠!?なんで入ってきてんですか?あっ、触っちゃ駄目っ!!」

 

「気分!!なんかそういう気分だった!!」

 

「っっっ、喰らえッ!目潰しッ!」

 

「あがっ、目がっ、目がーーッッ!??」

 

 酔っ払っているのか引っ付いてくる小雨に征四郎は危ない物を感じ、右手の人差し指と中指を折り曲げて小雨の目元へと目潰しを放った。それをまともに食らった小雨は眼をおさえつつ仰け反り、征四郎から離れる。

 

「痛いぞ~、征四郎~~。危ないじゃないか~~」

 

「いや、師匠の方が色々と危ないっすよ……何処触ろうとしてたんですか……」

 

「まあ、それは置いといて」

 

「置いとけませんよッ!?」

 

 よくも分からず、師匠と混浴をするハメになってしまった。……絶対この人酔っ払ってるって……。



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雪華街にて小雨師匠と2

「ちょ……近いですって師匠」

 

「良いではないか。来る衆無い、(ちこ)う寄れ」

 

 それなりに広さのある濁り湯の湯船の中で、何故か小雨と征四郎は背中合わせで浸かっていた。

 

「およしになって~おとのさま~……じゃないっすよ、もう……」

 

 離れようと思えば離れれるのだがそうすれば多分追いかけて来るだろうし、この状態だったら小雨の方を直視する事も無いのでここが妥協案だとして征四郎は諦めることを選んだ。大分気分が良いようで、声色からもそれが伺う事が出来る。

 

 しかし、背中越しにでもわかる、その小ささ。征四郎自体、背が低い方であった。153cm、今時の中学生なら余裕で超えていく数値だ。

 その背中すら下回る程の身長。それが、三嶋小雨だ。そんな小さな背中が、幼く見えてしまう容姿が、こんなにも近くて、だが――こんなにも遠い。

 

 柔肌を感じているが、彼女の正体は無敵にして無双。いつだってそうだ。彼女はその背中を追うことを許してくれている。追いすがれと言ってくれた。けれど、遠い。遠すぎるのだ。片鱗は見えても、捉えるなんてとてもじゃないけど出来ない。

 

 さっきだって、そうだった。未だに、まだ――

 

――雪華街、その内の繁華街。まだ六時過ぎだというのに、空は既に闇に包まれていて。その闇から白き雪がこんこんと降り注ぐ中で情緒溢れる街並みを、浴衣にシューズという姿で後藤征四郎と三嶋小雨は歩いていた。上に羽織りものをしているので多少はあったかいが、やはり少し寒い。

 

「ははっ、すげえぜ征四郎!まるで江戸時代かなんかかよ此処は!」

 

「いやー、すげーっすねこれ。やっぱこーいうのって和ってテイストでたまんねーっすねー」

 

 茶色い地面に街をずらーっと並んでいく瓦葺の建築物、灯される明かりは提灯や灯篭。そのオレンジ色の光の中を、多くの人が行き来する。地元民も居れば観光客も多いだろう。コンクリートジャングルにネオンサインが照らす都会とは世紀が違うように感じてしまった。あそこはあそこで人が多いのだが。

 

「女子高生がポン刀持つのが人気って話もある。なんだかんだで、私らは日本人だ。心の奥底でワビサビを求めちまってんだろうなぁ」

 

「男の子だって皆、侍に憧れますからね。かっこいいっすもん」

 

 確かにそうだ。征四郎だって侍には何度も憧れた。侍は日本刀を伸ばしたり出来るし、両手に刀を持って戦えるし、剣から衝撃波を飛ばすし、何でも切れるし、挙句の果てにはワープしたりする。強いの代名詞、それが侍だ。

 

 そう、侍は日本だ。ワビサビだ。武士道は首都高速では無いぞ、歌舞伎座は歌舞伎町には無いが。

 そんな和の心、確かに好きだ。だからこんな山奥にまで来て、こうして観光しているんだろう。

 

「どうだ、楽しんだか?そろそろ帰るか。ちなみに温泉街ならではのストリップショーだけは見るのはやめといたほうがいい、シラフではとてもじゃないが見れん」

 

「あ……はい、そっすね……」

 

 心の奥底でこういう所ならもしやとは思ったが、やはり駄目なのだろうか。とんでもない妖怪が出てくるとか?おお、くわばらくわばら。というか、師匠は見た事があるのだろうか。

 

「ちなみにオカマバーはいいぞ、最高だ」

 

「それも遠慮しときます」

 

 とてもじゃないが、見たくはない。

 

 あらかた街を見終わって、感慨深く道を辿り宿泊する宿へ戻る二人。

 

 人気も段々と少なくなり、街の外れ。この先に宿がある。そんな中。

 

「そろそろ出て来たらどう?遠慮はいらんぞ」

 

 いきなりそう言い放つ三嶋小雨。隣を歩いていた征四郎はキョトンとする。そんな征四郎を横目に、小雨は手を伸ばしてその頭をポン、と軽く叩いた。

 

「なんだ、気付いてなかったのか。一人、スキモノがツけてきてるぞ」

 

 そう言った矢先に、小雨は後ろを振り返った。釣られて征四郎もそちらを見る。すると、そこには灰色の和装に身を包んだ、肩よりももっと長い白髪を垂らした、長身の男。それだけでも異様だが、何より異様なのは――その手に持たれた、凄まじい程の長さの日本刀。その長さは、男の身長とほぼ同等。だとするなら、およそ「180cm」。

 

 恐怖……!征四郎はそう感じた。目の前の男に恐怖という感情を感じた。只者じゃ無い、手練。少なくとも、まともには見えない。

 

「一人だけなんだな、門番。寂しいねえ」

 

 しかし、そんな征四郎とは別に気軽に話す小雨。門番と呼ばれた男は小雨に返す。

 

「元来貴方に敵うと思ってる人等、居ないものでな。俺は違った、それだけだ」

 

「征四郎、アイツは灰音(はいね)(せん)。この雪華街の門番だ。この街で困った事があったらアイツに聞くといい。そんじゃ、下がってな」

 

 なにか良くもわからず得意げにそう話す小雨。一体どういう事なんだろうと分からず、しかし征四郎は促されるように身を引いた。

 

「えっ、いやっ、そうじゃなくて?」

 

「なーに言ってんのー。ここはイクシーズとおんなじ、異能者の街だぜ?だったらやることは一つしか無い」

 

「左様」

 

 小雨は灰音を見つめ、灰音はその長い日本刀を抜いて構えた。両足は僅かに前後に開き、その長い刀を両手で握り締め、位置は左肩。刃が上を向いた構え方、刀の反り故に、その位置に構えているのに(きっさき)は地面スレスレだ。

 

「対面だろ。なあ?征四郎」

 

 三嶋小雨はニヤリと笑った。



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雪華街にて小雨師匠と3

「ま、待って……師匠!」

 

「待てるかよ。もう「始まって」んだ」

 

 ストップを乞う征四郎に対して、耳を傾けない小雨。此処はイクシーズのスタジアムでは無い。電磁フィールドによる物質耐久の底上げなどなく、真剣がその身を貫けば勿論の事「そういう事」になる。

 

 灰音(はいね)(せん)が構えたあれは真剣だ。小雨に教えを受けた征四郎の目では見ただけで嫌というほど分かる。

 

 肉体を切るということ。勿論、ただでは済まない。腕や脚の一本や二本だったら、イクシーズ内ならなんとかなる。出血多量による失血死さえ防げば、くっつける事も出来る。内蔵なども、まあまだなんとかなる。死にさえしなければ、ある程度のリカバリーが効く。

 でも此処はイクシーズでは無い。雪華街。小雨が此処も異能者の街だと言った。それすら初耳ではあったが。此処に果たしてその治療施設があるのだろうか。無かったら……そんなの、嫌だ。

 

「征四郎ォっ!!」

 

 ビクッ、と征四郎はその身を震わせた。その名を、怒号で小雨が呼んだからだ。萎縮する。

 

「眼を背けるな!見据えていろ。背中を捉えろ!お前が見ているそれは、この世無双の異能者だ!!」

 

 小雨が征四郎に説いた、その瞬間。空間が歪んだ。その一体の空気が、降り注ぐ雪が、吐息が、流れる時間が、「スローモーション」になる。その中で征四郎がなんとなく分かったのは、相手「灰音殲」の速度だけが、そのスローな時間の中で影響を受けず動いた事だった。

 

厳界(げんかい)(いつくし)」」

 

「師匠っ!?」

 

 灰音が呟いた瞬間には、スローな時間とその一閃は終わっていた。地面スレスレまで届いていた肩から伸ばした上向き刃の鋒は、気付けば振り下ろすような形で地面に刃をぶつけていた。

 その剣閃、それこそまるで夢幻(ゆめまぼろし)の如く。太刀筋が見えなかったが、形を見てしまえば後から理解出来た。勿論、後から理解しては遅い。あの剣は一度地面から切り上げられてから、そのまま滑らかに地面へと振り下ろされたのだ。不可視の剣閃。初見殺しには上出来というか、対処のしようが無いのが目に見えた。剣技というには余りにも高度すぎる。そんな理屈がまかり通っていいのかと思うほどにだ。

 

 だが、ここで一番注目するべき点はそんなことではない。むしろその過程なんてどうでもよくなるぐらいにその結果は後藤征四郎という人物の脳裏に希望を焼き付け、同時に絶望を植え付けた。

 対する相手、その手練「三嶋小雨」。彼女はあろう事かそれら事象全てを置き去りにして、遥か遠く……灰音の背の向こうに「匕首(あいくち)」を抜いて立っていた。

 

 抜刀どころか彼女が進んだ瞬間すら見えなかった。しかし、地面に残った幾つもの雪への足跡が、彼女が確かに「駆け抜けた」事を教えてくれた。

 

「お前の敗因は積もりすぎた。軽く見積もっても簡単だ。第一に構えは最後まで取っておくべきだった」

 

 キッ、と鉄が滅びる音がした。その音は、灰音の刀から。180cmの立派な日本刀が、真ん中から真っ二つに斬り折られ雪が積もった地面に埋まり落ちた。

 

魔弾(まだん)燕返(つばめがえ)し。剣技を超えた剣技である故に付けられた「秘剣」では無く「魔弾」。「兜割り」の完成形ともされる、もはや法術クラスだ。対応出来る剣技は無い。じゃあ剣技じゃなくていい。私のは殺法でな」

 

 硬直する灰音の背に、小雨は振り向いて匕首を突きつけた。刀という武士の心を失った灰音に対抗する術など無い、「いつでもお前を殺せる」という合図。

 

「領域を支配するタイプの能力、タイミング自体はいいがツメが甘い。切り込む直前じゃなく切り込んでいる最中にすべきだった。あの手の能力は相手の出鼻を挫くんじゃなく相手の脚を戦闘中に狂わせてもつれ込ませてこそ真価を発揮する」

 

「……」

 

 灰音の能力、それは「指定空間の減速」。一定の空間の時間を遅くする能力だ。その能力対象内に自分は含まれない。緩やかな時間の中で自分だけが自由に動くことが出来た。イクシーズの査定なら少なめに見て4と言ったところか。非常に優秀な能力、5の評定をもらってもおかしくないほどに。

 

 しかし、相手が悪すぎた。相手はSS(むそう)の能力者だ。

 

「最後に。舐めてんのか?お前。この三嶋小雨、初見殺しなんて一発芸の馬鹿正直にしか戦えねぇ奴に負けるほどヘボくねえ。お前に一番足りねぇのはこの私様に対する敬意だよ。食い殺すつもりで来ないと私は切れねぇぜ」

 

「……一生の不覚。殺せ」

 

「アホか。私は私より弱い奴を切れるほど優しく無いんでね。私に切られたけりゃ私を(おびや)かしてみろよ」

 

 チンッ、と剥き身の匕首を懐から取り出した鞘に収めると、小雨はその匕首に軽く触れるように接吻を行った。

 

「いーい子だ、「鋭閃(えいせん)」。……くだらん時間だった。征四郎、帰るぞ」

 

 「鋭閃」。その匕首の名前だろうか。口付けを受けた匕首はポゥ……ッ、と薄紫色に一瞬だけ光った。歩き去る小雨の後を、我を忘れてその光景を見ているだけだった征四郎は急いで追いかける。

 

「あっ……はいっ!」

 

 何が何だか分からなかった。そんな、一時のやり取り。けれど征四郎はその中で深く深く、思うことがあった。それは、まだ自分が未熟であること。この人のステージに、同じ土俵にまだ征四郎は立てない。いったいどれほどの階段を駆け上がればいいんだろう。俺はどうやって、この人の隣に立てばいいんだろうか――

 

――石鹸を擦らせて泡立たせたタオルで、その小さな背中を強すぎず、優しすぎず洗う征四郎。小雨が征四郎にオーダーしたのは、こともあろう事か「背中流し」だった。

 

「えっと……このぐらいでしょうか?」

 

「あ~~……いいね。君、いいよ。スゴくいい。ウチで働かない?ギャラは弾むからさ」

 

「ヘへ、そりゃどうも……って、なんかいかがわしいやり取りっぽく無いですか?体洗い屋なんてやりませんよ俺」

 

「ちぇっ、ざんねーん」

 

 背中を洗っているだけなのに非常にリラックスしたような声を出す小雨。やめて下さい、それは俺の心の刃に響きます。

 背中を洗った後は、頭髪へ。シャンプーを手に取り、手のひらで捏ねて泡立たせ、その頭皮にすべり込ませる。こちらはとにかく、優しく。なぞるように、時にかき混ぜるように。

 

「そういや、聖夜祭の優勝は決まったよ。天領白鶴を倒して白銀雄也が台頭してきた。二つ名は「白金王者(プラチナム・ヘッド)」だとよ。ま、予想通りか」

 

「へぇ、あの人が……」

 

 驚きではない。ある程度の目星はついていた。風切雅か、天領白鶴か、白銀雄也。この三択で元々ファイナルアンサーだったため、特段言うような事も無い。

 

「さて、敵は「聖天士(せいてんし)」に「熱血王(ねっけつおう)」に「白金王者(プラチナム・ヘッド)」……。あーあ、トリプル役満だ。これをどうやって「不注視(ノーマーク)」くんは切り伏せるんでしょうねぇ……?」

 

「……」

 

 無言。征四郎は無言だ。

 

「まあ、私なら……って、ちょ、強い!征四郎!強いって」

 

 煽る小雨に、征四郎はその指先の力を強くする事で答えた。

 

「勝てます。俺はね、勝てるんですよ。三嶋流斬鉄剣は無双の刃。絶対に勝てます!」

 

「……くっ、はっはっは!」

 

「な、なんで笑うんですか!」

 

 シャワーのお湯でその頭を洗い流す征四郎に、小雨は笑いかけた。

 

「いや、お前で良かった!最高だよ!勝てるぜ征四郎!あっはっは!」

 

「だから笑わないでくださいよ、もう!」

 

 小雨は征四郎に格の違いを見せつけた。征四郎に高みを見せるためにだ。彼を怯えさせるため、怯えもまた人を強くする。

 

 そんな征四郎を慰めてやるつもりが、彼は一人でちゃんといきり立ち、その高みを登る事を決めたようだ。

 

 だとするなら、笑いが止まらない。これは喜びの笑いだ。後藤征四郎は逸材だ。この貪欲な強さ、臆してなお先へ進もうとする図太さ。

 

 そんな彼の姿が、かつての自分に瓜二つだったからだ。









三嶋小雨→後藤征四郎 可愛(かわい)(あい)する愛玩弟(あいがんおとうと)のような愛弟子(まなでし)
後藤征四郎→三嶋小雨 憧れの超師匠(スーパーししょう)ゴッドS(スーパー)S(ししょう)


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岡本光輝の決意

 12月頭、冬休みに入るまだ前の事だった。休日、イクシーズの高等学校の内の一つ「臨空高校」の職員室にて、一人の女教師と、また、一人の男子生徒が向かい合っていた。

 

「はいよ、これがイクシーズ外出許可証だ。期限は年末から年始の一週間。岡本光輝とクリス・ド・レイ、そんでお前の母親の……岡本(ひなた)さんの分だ」

 

 激しく入り乱れた黒いパーマの髪に黒一色のポンチョを羽織った(くっら)そうな見た目、瞳はやる気という物を一切見せてなく、そこに生気すらあるのか疑わしい女性。なんてことは無い、このお方こそこの学校のボランティア部の顧問をしておられる倶利伽羅(くりから)綾乃(あやの)先生だ。こらそこ、人選ミスとか言わない。

 

 綾乃はイスに座りながら横の空間に手を「突っ込んだ」。すると、そこには黒い――というかまさしく「闇」のような物が現れ、その中から三枚のカードを引っ張り出して岡本光輝に渡す。これが「イクシーズ外出許可証」。まるで免許証だ。イクシーズから外に出るには、事前にこういう手順を踏む事になる。地味にめんどくさい。

 

「はい、ありがとうございます」

 

 岡本光輝はその手から外出許可証を受け取る。俺と、クリスと、母親。確かに受け取った。写真と生年月日、外出期間をしっかりと視認する。問題なし。

 

 綾乃は再び闇に手を突っ込み球状の棒キャンディを引っ張り出すとペリペリと包装を捲って口に放り込んだ。いやおいおい、一応職務中では?

 

「あー、焼き鳥食いながらアサヒ飲んでメビウスぶはーってしてー。おかもとーぅ、書類やってくれよぅ」

 

「いやダメに決まってるじゃないですか」

 

「ケチんぼだねぇ。女の子には優しくしないとダメだぞぅ?」

 

「女の子……?」

 

 知っている。倶利伽羅綾乃、14年前に新設されたばかりのイクシーズを荒らしまわった対面チーム「不動冥王(フドウミョウオウ)」の総長(ヘッド)。当時高校生だった彼女の年齢から逆算しても、今の年齢は3……

 

「細かい事は気にするな。女が自分の事を「女の子」と言ったらそれは「女の子」だ」

 

「イエス、マ……女の子!」

 

「よろしぃー」

 

 いきなり眼付が「死人」から「冥王」になり、光輝はその場に姿勢を正して敬礼した。おっと、危ない危ない。相手はSレート能力者だ、こんなとこで殺されちゃかなわん。

 

 さて、用も済んだんだ。とっとと帰って音楽でも聞くかな。今日は何を聞こうか。洋楽の気分かなー……

 

「あ、そうそう。お前もうクリスとやった?」

 

「教師が生徒に向かってする話じゃないですよねぇ!?」

 

 後ろからかけられた爆弾発言に光輝は一瞬で振り向いて異を唱えた。良かったぁ、職員室に誰も居なくて……!

 

「え、まだなの?あ、もしかして本命はやっちー?やっちー可愛いからねぇ、後ろから抱きしめてぎゅーってしたくなるよねぇ、猫みたいだよねぇあの愛想の無さ」

 

「やっちーって、夜千代か!いや違いますって!そもそもそういう関係じゃないんですって!」

 

 一瞬誰だか分からなくなって、思考して、直ぐに分かった。やっちーで該当する知り合いは黒咲夜千代しか居ない。というかこの人の脳みそはどうなってるのか。餡子かなんかでも詰まってるのか?闇っぽいし。

 

 綾乃は怪訝そうな顔をして慌てふためく光輝の顔を覗き込む。……いったいなんだよ。

 

「枯れてんのか?おめぇ。だらしねーな」

 

「枯れてません。健全です。至って真面目な好青年です」

 

 光輝が反論をすると、綾乃はイスの背もたれに背を勢いよく倒し、ふぅーっと天井を仰いだ。そんなに呆れるか。

 

「雑魚。一言で言うならお前は雑魚だ。恋も愛もわかっちゃいねぇ、そんなんじゃ男として失格だぜぇ?」

 

「い、いきなりなんですか」

 

 彩乃はその体勢のまま顔だけを此方に向ける。器用だなおい。

 

「いいか、お前は性格は悪いが顔は悪く無い。あいつらとの関係も悪くない。なら、やるべき事は一つなのさ」

 

「はあ」

 

 性格が悪いとかいきなり言われたけど聞き流しておく。この手の人には反論するだけ損だもん。怖いし。

 

「やっただのやらないだの、難しく考えるこたぁないんだよ。お前がやらないって事はどういう事か分かるか?」

 

 彩乃は右手を、握りこぶしを、握った人差し指と中指の隙間から親指をのぞかせたその握りこぶしを光輝に突き付けた。

 

「他の誰かがやる。そういう話だ。それが人生だ。代わりなんていくらでも居るのさ」

 

「……」

 

 言いたいことは分かる。彼女の言うことは間違ってない。こんなクッソ阿呆みたいなシチュエーションで無ければ心の底から感心してこの先生は凄い!最高だ!と涙ながらに聞いていたんだろーなーと思いつつそのまま耳を傾けた。

 

「奪われるだけの人生、与えるだけの人生。大いに結構、それはそいつの生き方だ。……」

 

 瞬間、綾乃は上体を起こし光輝の胸ぐらを掴んだ。

 

「阿呆かァ!テメェそれでも玉付いてんのかァ!!?」

 

「えぇー」

 

 えっ!ちょっ!?何々!?この先生怖い!!

 

「人は欲しがる生き物だよ。欲望こそが人を昇華させる最高の肴さ。それを見て見ぬ振りして過ごすなんてのぁ、とんでもねぇ。二股でも何股でも良い。てめぇから突っ込んでみろ。男だろ?」

 

「いや、二股は良くないとおもうんですが……」

 

「いーんだよ、そんな糞どうでもいい事は」

 

 綾乃はようやく胸ぐらを掴んでた手を離す。いや、どうでもよくはない。

 

「ようするに、だぁ。お前も男だったら、怖がらずに前に進んでみろって話だぁよ。別に一回や二回いたしたから結婚だとか、そういうわけじゃねえんだ。憧れの子と付き合えたと思ったらあら不思議。突き合ってみたら意外と反りが合わなくて別れちまいました、って話もある。案ずるより産むが易し、って言うだろ?あ、お互いが納得するまでゴムは付けろよ」

 

「はあ……」

 

 そういう生々しい話は反応に困る。スケ番脳だとこんなもんなのかなあ?

 

「命短し恋せよ少年。ボーッとしてたら青春なんてあっという間だ。若いうちにはなんでもやっておけ、大人になったら少年院(ネンショウ)じゃすまねぇんだからよ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 結局いまいち腑に落ちずに倶利伽羅綾乃とのツーマンは終わった。所々(シモ)い話が多くてあの人の脳みそを疑ったが、為になる話もあった。

 

 そうか、俺がやらなきゃ他の人がやる。分かりきっていた事だったが。

 

 今の岡本光輝には、それが痛い程に分かっていた。クリスの隣に一番立ちたいのは他の誰でも無い、この俺だ。この俺が、クリスと並びたい。いいじゃないか。岡本光輝、お前らしく、なんでもやってみせろ。お前は目的の為ならどんな事だってやれる人間だ。

 

『欲しけりゃ力を貸すぞ?坊主よ』

 

 心から聞こえる、ムサシの声。ああ、貸してくれ。使えるものは全て使うさ。

 

 岡本光輝の一心発起。こんな所で焚きつけられるとは思わなかった。が、一応礼を言っておこう。ありがとう、倶利伽羅先生。アンタの話は半分に聞いておく。けれど。良い後押しにはなった――!



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IN THE HOUSE

「光輝っ!海ですよ、私達海の上を走っています!あ、魚が跳ねました!」

 

 新幹線の3列シートの内一番窓側ではしゃぐクリス・ド・レイ。その窓は通常の新幹線のそれよりも展望という目的の為にはるかに大きく設計されており、その外側には一面の「海」が広がっていた。

 

「ははっ、すげえだろ!日本革進計画のプランの内の一つ、海上新幹線!その試験運用(プロトタイプ)、常滑「新社会(ニューソサエティ)イクシーズ」から三重県「伊勢」までを繋ぐ新システム!その名も「しまかぜカスタム」!」

 

 得意気に説明をするのは岡本(おかもと)光輝。別に彼が作ったわけじゃないが、どうしても自慢せずにはいられなかった。イクシーズが外に放つ事の出来る自慢のシステム、その内の一つがこの「海上新幹線しまかぜカスタム」だからだ。この距離、この海溝、この速度。構造上最高速度を出すタイミングがそこまで無いが、そこは試験運用の一例の為仕方なしか。時代が進めば、いずれ各離島に海上新幹線を走らせるのも夢ではないだろう。

 

 クリスの隣では、光輝の母親である岡本(ひなた)が缶ビールを飲み干して眠っていた。うーん、早い。まだ発車して3分程だぞ。

 

「まったく、ウチのかーさんは……まあいい。すまんクリス、ちょっとトイレ行ってくるわ」

 

「あ、はい」

 

 光輝は席を立ち、トイレへと向かう。クリスと一緒に海を眺めるのは楽しい。しかし……いかんせん、岡本光輝という男は海というもの自体をそれほど好いている訳ではない。嫌悪感を抱くほどの事でも無いのだが……そこには(れっき)とした理由がある。

 

 用を済まし、男子トイレを出て席に戻ろうと帰りの通路を行こうとした。その時だ。

 

「よう」

 

「……はい?」

 

 後ろから声がかけられた。どこかで聞いた事のあるような声に振り向く。しかし、光輝は振り向いてそれを間違いだと悟った。

 

 焦茶色のテンガロンハットに黒いサングラス、白のインナーに黒の羅紗(らしゃ)コートとチノパン。そんな格好(なり)の少女がそこに立っていた。

 

 いや……誰?

 

 こういう時、目が良いというのは不便である。その一瞬で視覚情報を認識し脳内で解きほぐす為、それ以外の要素を「意味の薄いもの」として処理するのだ。つまる所、見てしまったが最後、そこに見知った要素がない場合、対象という物の答え合わせが難しくなる。

 

「わたしだよ」

 

 そういって少女はサングラスを取った。そして、瞬時に理解出来た。「あ~、なるほどね」と。世の中とはそんなもんだ。問いと答え、その中間というのは確かに難しいものである。脳みそのタンスの奥に仕舞ってしまった物を瞬時に取り出せないような感じだ。

 

「黒と白をとりあえず取って付けたように配色すればそれっぽく思えるとか安直な考えのコーデ、ああ、やっぱお前だ。黒咲夜千代。……いや、此処はやっちーと呼ぶべきか」

 

「……お前それだれから聞いた?」

 

「さあね」

 

 愛称を呼ばれて眉をひそめる夜千代。ちなみに「やっぱ」、と言ったのは強がりだ。アド稼ぎ。見栄というのは、ブラフを張ってでも時には欲しくなるものだ。実際は種明かしが無ければ誰かわからなかっただろう。それぐらいには彼女は普段と違っていた。けど、夜千代に対して敗北するというのはなんか悔しい。

 

「どうだ?今日の私は似合うか?ガーリーだろう」

 

 そう言って少し自慢げに腕を広げて見せ付けてくる夜千代。確かにいつもの粗雑な服装よりはとても女性らしい。

 

「ガーリーじゃなくアダルティーだな。大人の女性みたいで美しいぞ」

 

「見る目があるじゃんかよう。今日はお出かけだからな!」

 

 褒められて笑顔になる夜千代。なんだ、意外とそういうところもあるんだな。てっきりこの世の流行りその全てを「自分以外」と淘汰し自分の世界のみに生きる……そういう人物だと思っていたが、流行りも気にするんだな。結構可愛い所あるじゃないか。ただの無愛想な奴だと思ってた。

 

「少しだけ背伸びしてみたのさ!……んでお前のそれは何」

 

「ザ・ソウルオブジャパン「ZIPANG(ジパング)」」

 

『イカしたcoorde(こうで)ぞ、坊主よ!』

 

 対する岡本光輝が来ていたのは「大和魂・日本」を英語に表してプリントした長袖のシャツに上着を羽織った物だった。

 

 ……ムサシがこれが良いっていうから仕方なくだな……。勘違いした外人系センスとか言わんでくれ……

 

「まーいい。んで、お前が此処に居る。偶然じゃあない」

 

 そんな不毛な話はとっとと切って、この新幹線に夜千代が乗っている理由を聞いてみる。誤魔化した訳じゃない。

 

「最低限で済ませるぞ。私の口から言える最大限、後は察しろ。令嬢の護衛。岡本家とはなるべく接触しない事。有事の際はそれらの排除、また対象の問題行為の抑制……以上だ」

 

 飲み込みが早い、待ってたのだろう。最低限とは言ったが、簡潔に全ての要点を語ってくれる彼女。周りには誰も居ない、「ムサシ」が反応も示さない事から聞かれているという事はまず無いだろう。それで終わり。彼女の意図は汲み取った。

 

「ありがとう。何かあったら連絡するよ」

 

「精々何も無い事を祈る。おかげ横丁が楽しみだ」

 

 それを皮切りに夜千代はその場を離れた。新幹線はそのタイミングで丁度「海中トンネル」に入ったようだ。さて、しょうがない。クリスと一緒に海の中を見ようかな――

 

――なんだかんだであれこれ夜千代やクリスと話している内に、新幹線は目的地に着いた。一歩、また一歩と地面を踏みしめる。

 ……嗚呼、この空気。心なしか澄んでいるように感じる。気のせいか、俺の故郷だからか。三月に出たから、九ヶ月ぶりか……!

 

「あーーーーー、伊勢だーーーーー……!!!」

 

 改札を出て、ロータリーへ。腕を広げ、大きく息を吸う。吸って、吸って、吸い込んだ。美味い。美味すぎる。解き放たれる解放感、イクシーズじゃない。次元が違う。よくわからない、「地元」とかいう高揚感。高ぶる。いかん、脳内で歓喜が木霊のように響き渡る。

 

「気が付いたら着いてたなー。ずっと寝てたわー……」

 

「此処が、光輝の故郷……なんかこう、感慨深いですね……!」

 

 それぞれがそれぞれの想いを抱き、その地に立った。……いや、ただの帰省なんだけどさ。クリスは光輝と陽だけが帰るのもアレなので、一緒に着いてきた。瀧の家に止まらせるという手もあったのだが、クリスがどうしても来たいというから仕方なく。……叔父さん達に勘違いされないかなー。

 

「こうくーーーーーーん!!」

 

 瞬間、光輝は声のした方を見た。「こうくん」、岡本光輝のかつての愛称。しかして、この呼び方はただの一人しか使わなかった。だから、今回は見る前に一瞬で分かった。九ヶ月ぶりの声でも、岡本光輝はその声を捉えた。

 

「おう、あか――」

 

「とぅっ!」

 

「りィッッッ!?」

 

 声の少女。小柄、光輝より一回り程小さい。その少女、光輝の眼前まで来るとそのまま飛び跳ね、光輝の頭部――首に脚を回して、絡めるように。そのままくるりと遠心力をかけ、完成。

 それは、岡本光輝がその少女を「肩車」しているという構図だった。こら、女の子がそういうはしたない事しちゃいけません。しかもスカートだし。

 

「っっっふぅ……「ラナ」か「シュタイナー」が飛んでくると思ったから覚悟は完了したがな、こういう危ない事はいい加減やめとけよ(あかり)。せめて畳じゃなきゃ洒落にならん」

 

「えー?久々のこうくんだもん、楽しまなきゃ損だよー」

 

「おっひさー!暁ちゃん、光輝の事なんか気にせずどんどんやっちゃってねー」

 

「はい、叔母さん!遠慮しません!」

 

 光輝の講義に対して、なんの躊躇いもない母と少女。クリスはその光景を、ただ無言で見ていた。

 

 その口が、ようやく開かれる。

 

「あの……えっと、その……」

 

「ああ、紹介するよクリス。俺の従姉妹(いとこ)の、鬼灯(ほおずき)(あかり)だ」

 

「……んー?こうくんの、ガールフレンド?」

 

 光輝よりも幾分か幼い、しかし何処か似通った顔立ちの少女は、その顔を傾げた。



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IN THE HOUSE2

 場所は静かな街並みの外れ、そこに在りしはどこにでもありそうなどこかの民家。それなりに立派なお屋敷の中で、夕方からそれはもう賑やかに宴会をする姿があったそうな。

 

「がはは、飲めや光輝ィ!お前ももうオトナだろう!」

 

「こらアンタ、光輝君はまだ飲めないよ!大学入ったばっかなんだよね?」

 

「あ、いえ、高校一年生です、はい……」

 

 正月は酒が飲めるぞ、って歌があったな。いや、まだ正月でも無いのだけれど。そこには酔っ払った親戚達にくだを巻かれる少年、岡本光輝の姿が。

 未成年である為仮に正月だろうとまだ飲酒は出来ない。しかし久々の帰省、無下にすることも出来ない。そう。これがつまりどういうことかというと。

 

「やっちゃいなよユー、ほらイッキイッキ!それイッキイッキ!飲んで飲んでそら、飲んで飲んで!」

 

 その次の瞬間には岡本光輝の母親、岡本陽が息子の頭に缶ビールをどばばー、とかける姿が。

 

 このアホンダラが……!あーさんがしっかりしなくてどうすんですかー!?

 

 四面楚歌。逃げ場などこの場に無い。母親すらが敵。酔っ払い達のアフターファイブ、その中で酒池肉林に迷い込んだ少年はまるで鉄格子に囚われたように。岡本光輝は思惑する。この絶望的な状況の中でとにかく思惑した。

 

 いや、とりあえず風呂入りたい。皆キャッキャしてるけど俺びちゃびちゃだからね。うん、ビールって頭にかけてもいいのかな?祝賀会とかでよくかけ合ってるけど茶髪になるって本当なの?やだよ俺、ちゃらくなりたくないし。

 

 とりあえずの沈黙、はたしてどうするべきか。こんな状況、誰かが助けに来てくれないだろうか。誰が助けてくれるのかな、誰だったら助けてくれるのかな。

 

「もー、こうくん困ってるでしょー?ほら、こっちに来て遊ぼー?」

 

 そこに差し伸べられる天からの恵み。鬼灯(ほおずき)(あかり)。差し伸べられた手を取り、岡本光輝はその鉄格子から抜け出した。

 

「おうなんだ暁ぃ、お前は光輝の味方かぁ?」

 

「あったりまえでしょ、べーだ!こうくんより大切な物なんてないもーん!」

 

 光輝の伯父……暁の父に対して、暁はベロを威嚇するようにして突き出して突っぱねる。暁は光輝を引っ張って、大騒ぎの居間から抜け出した。

 

「もう、大丈夫?あの人達、自分達が飲む事しか考えてないんだから……!」

 

 頬を膨らませて怒る暁。まだ中学二年生だというのに、まあしっかりしてることで。二歳も歳が下なのに、下手したら俺よりも大人びてる。今はともかく、この子に感謝しなければいけない。

 

「はは、ありがとうな暁。伯父さんら、俺が久々に帰ってきたからってまあ絡んでくることったら」

 

「どーいたしまして。多分、皆嬉しいんだと思うよ、こうくんが帰ってきて。だからってあそこまでいくと迷惑だよねー……」

 

「っはは……あ、クリスまだあん中だ……ま、いっか……」

 

 あの酔っ払い達の中にクリスを置いてきてしまったのを後で気付いたけど、ま、いっか。意気投合するだろ。さて、風呂にでも入ってこようかな……服もびっしゃびしゃだしあんの母親め……!――

 

――温かい湯船に浸かり、頭も洗い、寝巻きに着替えた光輝。昔はよく使ったとはいえ、人の家の浴室というのはなんとなく不慣れである。いまいち勝手が分からない。

 

「――ふう、さってコーラコーラっと」

 

 冷蔵庫に入れておいた350缶のコーラを取り出して、縁側へと向かう。火照った体を涼ませるためだ。さすがに空には青空は無く、夕日も通り越して宵闇だった。いや、こーいうのも静かでいいもんだ。

 

『やはり賑やかだな、坊主の故郷は』

 

「ああ、本当にな。……懐かしいな」

 

 コーラを開封し頂きながら、ムサシと語らう。風はあまり無い。懐かしい、ムサシが視えるようになったのもこの土地だった。自分を落ち着かせるために街中を走って、駆け回って、そうしてたどり着いた一本の木。

 

 柳の木の下に、この男は佇んでいた。見るからに武士のような格好だったそれを、幽霊として理解したのは意外とすぐだった気がする。心の中でなぜか、そう納得したのだ。

 

「……よく俺に着いてきたな」

 

『心に大きな隙間が()いておってな。入り込むのに丁度良かったのだ』

 

「そんなもんか」

 

『そんなもんぞ』

 

 ウマが合ってるかどうかすら怪しい。好みが違ければ、波長がそこまで合うようにも思えなかった。しかし、嫌悪感は無かった、後は惰性、なんとなくで。

 

 そのおかげでちょくちょく美味しい思いもさせてもらってる。……いや、下手に出来ることが増えた為面倒事に顔を突っ込むようになってしまった。まあいいか。出来ない事が出来るようになって悪い気はしない。それが俺の力でなくても、誰かの役に立てたのなら俺の寝覚めは良い。じゃあラッキーだ。へへっ。やったぜラッキー。

 

 いつまでそうしてただろうか。気が付けば少し寒くなっていた。おお、いかん。あんまり冷えすぎては風邪を引いてしまう。そろそろ部屋に入るか。

 

「あ、こうくん此処にいたんだー。今日は久々に一緒に寝よー?」

 

「いや、お前もいい歳なんだし流石にそれはイカンだろ」

 

 こいつもこいつで人と一緒に寝たがるな、暁め。どうやら彼女も風呂上りらしく、ピンク色の可愛らしいパジャマに着替えていた。俺と一緒に寝ると吉夢でも見れるのかよ全く。

 

「いいじゃんいいじゃん。って、あー!」

 

『むぅ?』

 

 暁は虚空を見つめて声を上げた。いや、正確にはそこは虚空では無い。

 

「こうくんも視えるようになったんだねー!奇遇だね、私もだったんだー!」



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IN THE HOUSE3

 薄暗い部屋の中。光源はとても乏しく、なぜなら、それがその部屋に必要な設備だからだ。

 その部屋の中で、異能者の少年である岡本光輝は一つのガラス張りのそれ――「水槽」を「超視力」で静かに見つめていた。

 

「いーなー、俺もお前らみたいに困ったら入れる穴が欲しいよ。自分だけの世界、誰にも邪魔されることない理想の世界さ……」

 

 チンアナゴ。珍穴子とも、狆穴子とも表記される、小さく細く、それでいていつも砂の中にその体のほとんどを隠しているというなんとも奇っ怪なお魚だ。センスオブワンダーを感じる。砂からピョコっと顔を出しているが、一応全長は結構長いらしい。

 岡本光輝がなぜこのような場所で珍生物に感銘を受けているかというと、それには少し理由があった。別にもったいぶる理由も無く、彼はクリス・ド・レイ、鬼灯暁と共に水族館に来ていたのだった。そしてはしゃぐ二人から少し離れて、暗く人も少ないところでため息を吐きながら悦に入り浸っていた。

 

『今日も今日とて陰鬱ご苦労、楽しそうだね岡本光輝』

 

「ああ楽しいよ。人生で一番楽しい時間とは自己嫌悪してる時さ。自分を理解する事が未来へ進む事の条件、なら俺は今とても有意義な事をしている」

 

 心の中でかけられた声、「ジャック」のそれに光輝は口に出して返す。当然のごとくそれはチンアナゴに話しかけている少年という構図になるため、何処からか「えっ、怖っ……」などと言われた。いかん、迂闊だったな……口に出すのはやめよう。というかマジでさっきチンアナゴに愚痴ってたし。

 

 静かに、ただ静かに。その水槽の中を見つめる。閉じ込められた水槽という檻(ディストピア)の中で彼らは一体何を思うのか。表情を見ればそれはとても楽しそうで、緊張感(スリル)の無い世界で暮らすというのはそれはもう羨ましい事だ。日常上等。幸も不幸もないそれは、岡本光輝が心の底から望む物である。

 

『しかしてだね、岡本光輝や。君の従妹、鬼灯暁……と言ったな』

 

 なんだよ、薮から棒に。そもそも俺はお前がしゃしゃり出てきてる現状を納得しちゃいねーぞ。

 

『そう邪険にしなさんな。君にしちゃ珍しい、自分の能力が割れたんだ。口止めなり口封じなりなんなり、するつもりは無いのか?』

 

 阿呆言え。あれは俺の家族だ。疑う余地が無い、信頼してんのさ。

 

『……あの岡本光輝が人を信頼する?おいおい、雪でも降るんじゃないのか?』

 

 失礼なやつだな。俺だって人間だ、縋れるものには縋るし心の拠り所にもする。この世で一番信頼してるのは「家族」だよ。

 

『そういうものかね。まあいい。君がいいならそれでいいさ。従妹、ね。親戚で無く、家族か。君にも人間らしい部分があるものだね』

 

 言っておくけどお前のほうが人としてよっぽどどうかしてるんだぞ。ここに居れるだけでありがたいと思え。

 

『感謝感激雨霰。そんなアンタだからこそ気が合う。一蓮托生、精々この侭冥土までおぶってってくれよ、退屈はしなさそうだ』

 

「光輝ーッ!すごいですよ、シーラカンス!シーラカンスです!」

 

 ジャックが語り終えて引っ込むと同時に、クリスと暁がやってきた。おおう、水族館ではお静かに。

 

「生きてるんですよ、でかいんですよ、ホンット、こんな!人一匹飲み込めるんじゃないかってくらいに!」

 

 両腕をいっぱいに広げてその豊満な胸を主張してくるクリス。そうか、そんなでかいのか。さぞ素晴らしい事で。眼福。

 

「そらピラルクだ。日本にはまだ技術的な問題でシーラカンスを飼うのが難しくてな。確かにピラルクはすげえんだ、ロマンだよ、ああ、ロマンだ」

 

 しかし岡本光輝、そこは冷静に返す。感情のコントロール、彼にしてみればこのぐらいは容易(たやす)い。ポーカーフェイス。

 

「こうくんは何見てたの?クラゲ?」

 

「はは、ああ。クラゲはいいぞ、海を気ままに漂うなんて夢のようだ」

 

 チンアナゴを見て愚痴ってたとか、なんか、小っ恥ずかしくて言えない。暁の言葉に対しても光輝はブラフで返す。対応力では負けないさ。

 

「そうだ、85本足のタコを見に行こう。普通はタコには足が八本しかないんだが、その標本のタコはなんと世にも奇妙!85本もの足があるのさ」

 

 そして切り返し、第三の弾丸。この岡本光輝、侮ってもらっちゃ困るな。昔伊勢に住んでた頃には何回もこの水族館に来たことがある。目玉どこは把握してるんだぜ!

 

「わぁー!行きます行きます!」

 

 よし、興味を引けた!我ながら自分の才能に感服しちまうぜ……!

 

『……お前さんはお前さんで中々難儀な性格だね?一々そんなメンドくさい自問自答を繰り返して生きてるのか』

 

 こらそこ、失礼な事を言うんじゃない。これこそ人間の本来の在り方さ、思考停止しては人は生きていけないからな――

 

――館内の生物をしっかりと堪能し、とても満足気なクリスと暁。実のところ光輝も滅茶苦茶楽しんでたりする。

 

「ペンギンさんって、なんであんなに可愛いんでしょうねー……。神が与え賜うた幸せ、そう。あれは幸せですよ」

 

 中空で両手をふよふよと動かしながら顔をにやけさせるクリス。そんなに気に入ったのか。いやまあ、確かに可愛いが。

 

 そんなクリスの様子を見て暁はあははっ、と笑う。

 

「なんか、クリスさんって見た目結構怖そうだったけど、中身とてもお茶目なんですねー」

 

「ええっ、私怖そうですか?」

 

「いやまあ、初見はそうだろうな……でもまあ、確かに一緒にいると意外とこんなもんだ。お堅そうに見えて大分柔らかい」

 

 確かに怖いというか、近寄りがたさはある。黒一色のローブだもんな……さらにこれに「黒魔女」なんて異名もあれば。そこらのコチンピラは一目散に逃げ出すだろう。しかし実際に一緒に居ると、年相応というか。思いのほか、可愛らしい部分が多かったりする。

 

「あの、光輝……それって、どういう……」

 

 ほんのり顔を赤らめるクリス。それは、光輝の発言に対して。

 

「え……あっ」

 

 「柔らかい」、そう捉えるのも無理は無いだろう。光輝は瞬時に顔を別方向に向かせて現状から逃げる。

 いや、確かに柔らかいとも。ああ。だがそういう意味で言ったんじゃない。彼女は彼女で柔軟な思考をしていると、そういう意味だ。

 

「よし、みやげを買おう。ああ、買ってやろう!お、あの亀のぬいぐるみとか可愛くね?」

 

 そしてお土産屋の方向に早歩きで向かう光輝。この後クリスに亀のぬいぐるみをプレゼントし、三人で近くの料理屋でご飯を食べて伯父さんの家に帰った。その料理屋に夜千代が居たが一瞬だけ目配せをすると直ぐにお勘定をして帰っていった。仕事熱心な事で。



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屠月の明

 その少年とその少女は見合った。お互いに膠着、緊迫した世界観の中で二人はその状況をただ見合った。

 衣類は寝巻きだ。お互いは今すぐに寝ても仕方がないという格好でその場に立っていた、しかしてその熱はそんな連想をすっ飛ばすかのように燃え上がる。

 

 一人、少年の名は岡本光輝。何の取り柄があると言われれば特に無いが、特段目が良いという強みはあった。その手には「パイプ枕」が鷲掴みにされている。決してパイプの形の枕の事では無く、細かいパイプが内部にギッシリと詰められているが故の「パイプ枕」だ。安定感があって寝つきやすい。オススメだと光輝は自負する。

 

 一人、少女の名は鬼灯暁。取り柄があるとすればそれはすばしっこさ。腕白有り余ってか若さゆえの過ち故か分からぬが、すばしっこい。身軽で、手も足も早い。弱点があるとすればタッパか。中学二年生の女子にしては幾分か控えめの身長……伸び代はこれからだろう。そんな彼女の手にもまた「パイプ枕」。二人は従兄妹だ、好みも良く似る。

 

 場所は一つの畳部屋だ。八畳のその中に三枚のそれ……布団が敷かれている。岡本光輝、鬼灯暁、クリス・ド・レイが眠るためのものだ。地面にはまた、幾つものパイプ枕が転がっている。余程好きなのだろう。

 部屋の隅にはまた一人、クリス・ド・レイ。黒いワンピースの寝巻きを纏って、体育座りで事の行く末を見届ける。此処は「寝室」だった。誰がどう見ても寝室だ。

 

「さ、始めよっかこうくん。終焉のセレナーデを……」

 

「ああ。これは終わりの始まり(ラスト・プロローグ)だ。全てが集結し、そして終わりは輪廻を経てまた始まりを迎える」

 

 ……もうお分かりだろう。始まるのだ。彼らの誇り、意地、執着……特にそういうのは関係ないけど――

 

「ぐはっ!」

 

「がぁッ!」

 

――枕投げである。

 

 両者、初手を食らって仰け反る。しかして、次の瞬間には足元へ手が伸びる。そこにはまた、パイプ枕があった。

 

 そう、床には幾つものパイプ枕が転がっている。なぜなら、枕投げの為に暁が配置したからだ。妥協は許されない、これは本気の枕投げだ。

 

「ぜぇい!なはっ!?」

 

「ぞぉらッ!ぼふっ!?」

 

 お互いにその投げを避けない。二人には異能力「超視力」があるのに、だ。これは岡本光輝だけでなく、その従妹である鬼灯暁にも宿っている能力だ。「親の遺伝」――二人はその先祖から能力を受け継いだ、いわば「同類」に当たる。異常なまでの動体視力、たかだか人の枕投擲を避けるには十分すぎるだろう。しかし、避けない。

 

 そう、なぜ避けないのか……簡単である。投げられた枕を避ければ後ろの襖に当たってしまうから。うっかり壊した日には目も当てられない。受けの美学。これが、枕投げの正解だ。「怒られずに楽しむ」。理屈は完成していた。

 

 外してはいけない投擲合戦。当てるという事を楽しむ。その他になんもルールなんて無い。決まりごともなく、言ってしまえばこれは「子供の遊び」だ。だからこそ、本気で楽しむ。

 

 下らない?ちゃちい?「だから」だよ。遥か太古――俺達がまだ保育園や小学校に通ってた時のことだった。昔はなんでも楽しんだ。ウルトラごっこでどっちがウルトラをやるか揉めたり、どれだけ現実性を目指せるかというおままごとに情熱を注いだりした。石けりだって、白線の上だけを歩いた事だって、果物の香りが付いたボールペンを集めたりだとか。そういうどうでもいい事に本気で取り組んだものだ。……高校生にもなってそんな事はしないだろう。

 

 そう、久しくあった家族と。互いが互いに本気で馬鹿になれる相手と。昔を振り返りつつ、情熱を注ぎ合うためだ。

 

「――視えた!」

 

 枕を光輝に当てて一瞬の隙を作った暁は、瞬時に光輝の元へと向かった。光輝の軸足、左足に対して暁は強烈な「ローキック」を放った。

 

「なッ――」

 

 岡本光輝の空中浮遊。天地がひっくり返り、中空でその姿が逆さまになった。足が天へと放り出されたる。

 

「必殺!」

 

 暁は軽く飛んでその両足をしっかりと掴んだ。握り締めて。そして、まるでホッピングで遊ぶかのようにそのまま――地面へと降り立つように光輝の頭を畳の上に敷かれた布団へと叩きつけた。パイルドライバーだ。

 

「ダルマ落としっ!!」

 

「っ、んのぁあああぁぁぁぁ~~~ッッッ!??」

 

 暁が拘束を離すと同時に光輝は布団の上で頭をのたうち回る。その悲鳴はとても痛そうで――いや、痛い。痛くて当然だ。なんせクッションがあるとは言え、モロの頭からいったのだから。

 

「カンカンカーン!ウィナー、マスク・ド・ダルマーン!」

 

 腕を大きく広げガッツポーズを取る暁。その表情はとても嬉しそうだ。

 

「あ~か~りぃ~!!」

 

「えっ、リバサはやっ!」

 

 その次の瞬間には光輝が暁の体勢を崩し、足を足へと頭部へと、手を胴体へと複雑に相手に絡めるようにして固め技で返した。卍固め(オクトパス・ホールド)だ。

 

「首からいくタイプの技は禁じ手だっていつも言ってるだろ!?頚椎が折れたらどうする!」

 

「あだだだだっ!い、いや、やっぱあーいうのが投げ技の華だしさ……」

 

 反省の色、無し。やることは決まった。

 

「悪い子にはおしおきです」

 

「だっ!だだだ!それ以上締めるとアカンてこうくんっ!」

 

 枕投げからいつの間にかプロレスへ。そんな光景を見てクリス・ド・レイは呟いた。

 

「これが文献にも載ってたジャパニーズ・修学旅行……楽しそう……」

 

 できれば真似をしない方がいいのだが、得てして楽しいことには悪いことが付き物だ。イタズラ心を経てして子供は大人へと成長していく物であるから。……本当に真似しなくていいと、余計なものを見せてしまったと岡本光輝は確信した。彼女の重力制御があれば危険なプロレス技も自由自在だろう――

 

――激しく動いた後は、ぐっすり眠れるもので。プロレスごっこの後に、岡本光輝はばったりと倒れこむように床に就いた。そして刻が過ぎて。

 

「……」

 

 まだ暗い中でその瞼を開けた。横に引っ付いてたクリスを起こさぬように枕元の携帯を確認する。五時前。随分早すぎる時間に目が覚めてしまった。暁は居ない。トイレか腹でも減ったか。

 

 そもそもとして男子一人と女子二人が一緒の部屋で寝ること自体アレだが、もうしょうがないので無視する。何も起きんだろう、多分。何も無けりゃ、タダの役得だ。平常心(ビークール)だぜ、俺。

 

「……まぁ」

 

 そんな幸せな状態の中で、しかして妙に二度寝する気にはなれなかったので、少し空でも眺める事にした。今日の夜は神宮(じんぐう)大篝火(おおかがりび)を見る予定だから夜に早々に眠たくなる事は避けたかったが、軽い気分転換だ。またその内に眠たくなるだろう。そう思って、クリスをそっと引っペがして屋敷の庭に出た。

 

 置いてあったサンダルを適当に履き、ジャっジャっと音の鳴る砂利を歩く。流石に寝巻きでは明朝の風は冷たく、しかしそんな澄んだ空気の(もと)で夜を見上げると其処には満天の星空。イクシーズで見るそれとは比べ物にならない、心躍り昂ぶる世界。「超視力」にかつて見た情景が強烈に叩きつけられる。

 

 此処だ。此処が、俺の故郷だ。

 

「綺麗でしょ本当に、久々に見ると。私はもう見飽きたんだけどね」

 

「……ああ」

 

 その場には先客が居た。鬼灯暁。まだパジャマ姿だ。彼女もまた、この場で空を見ていたようだ。

 

 静寂な幻界(げんかい)の中で暁が空に向かって指を差す。光輝がそれを見やると、それは左弦に限界まで欠けた月の形だ。

 

「あれ。暁月(ぎょうげつ)って言うんだ。広い定義では満月から新月になるまでの欠けていく月をもっぱらそう呼ぶそうだけど、私はあの一番ギリギリなのが好きかな。無くなる直前だ」

 

 その表情は静かだが、視て分かるように笑顔だった。柔らかな笑み。彼女はこれが本当に好きなんだろう。

 

「へえ。俺は月っつーか、何が好きかって言われりゃ……天の川か。冬でも見れるんだよな」

 

 岡本光輝は盛大な空が好きだ。限りない蒼羅(そら)が好きだ。その先には終わりが無いようで、限界など無いと。この世界に不可能なんて無いと訴えるように果てしなく広がっていく。

 

「やっぱこうくんだね、昔から変わらないや。……うん、決めた」

 

 暁は空から光輝へ眼を映す。眼と眼が合った。同じ能力「超視力」――そして恐らく、同じように「霊視」を。彼女もまた、幽霊が視えるんだろう。彼女は視て見せた、「ムサシ」のその姿を。

 

「私ね。日常が大好きなんだ。日々が好き。普通が好き。平凡が好き。大好きなんだ」

 

「いきなりなんだよ」

 

 暁は饒舌になる。何かが彼女を駆り立てたのだろうか。

 

「だから、その日常が壊れるのは嫌いでさ……親戚で、従兄で、家族で。昔はいつも一緒だった……いつも隣に居たこうくんが。一緒に遊んで、一緒にご飯を食べて、一緒に眠って。そして「あの時」からこうくんが居なくなった時、凄く寂しかったんだ。大事な心が引き剥がされたような感覚だった」

 

 岡本光輝はかつてこの地に住んでいた。しかし、訳あってこの地から離れることになった。暁はそれを孤独に感じていた。痛がっていた。

 

「気付いたんだよ。私の中ではね、いつでもこうくんが居て。何でも言い合って、何でも分かり合って。私の隣に居てくれる「岡本光輝」って人物が、とても大切な事に気が付いたの」

 

「なんだよそりゃあ。愛の告白か」

 

 光輝は茶化して返す。要領を得ない。一体なんだってんだ?

 

「うん、そう。私はね、鬼灯暁は。岡本光輝が好き。この世で一番大好き。多分それは変わらない。あの世でもね」

 

「――」

 

――は?

 

 脳みそが一瞬固まった。凝り固まっている。柔軟性を持てない。彼女は何を言っている。

 

「こうくんがお盆に帰ってこなかった時、とても悲しかったの。でも大丈夫、今はこうして此処に居るから。そして帰って来た。すごく嬉しかった。多分、今まで生きてた中で一番嬉しかったよ。こうくんにも幽霊が視えるって分かった時はもっともっと嬉しかった」

 

「おいおい、待てよ。お前は一体何の話をしている?」

 

 光輝は脳内で暁の言葉を理解しきれていない。余りにも突拍子が無さすぎる。

 

「好きって一体」

 

「そういうことだよ。結婚したいとか、そういうこと」

 

 いやいや、待て待て。

 

「俺たちゃ従兄妹だ」

 

「日本では四親等は結婚オッケーだよ。従兄妹は丁度四親等、結婚できるんだっ」

 

「よく調べてらっしゃる……」

 

 頭を抱える光輝。こういう減らず口は誰に似たのか。しかし、とてもじゃないが理解出来ない。

 

「恋なんて一過性のモンだぞ?」

 

「恋はね。愛ならどう?」

 

「おおう……」

 

 そう返すか。返す言葉もない。暁は口説きを止めない。

 

「私はね、変わることが嫌なんだ。先へ進むのが嫌い。怖いから。だから「進化する者達(イクシーズ)」なんて街、絶対に行かない。私が異能者だってのは分かってるけど、絶対に行かない」

 

「……そりゃあ、俺だって家賃が安く無けりゃ行かなかったさ」

 

「ごめん、それは本心じゃないよ。言ってしまえばこうくんは、お父さんが死んだこの場所から離れたかった。だから向こう側に行った。……ごめん、本当にごめん。これを言うのは卑怯だけど、こうくんには私の本心を聞いてもらいたいから」

 

「……いや、いい。自分でも分かってる。そうだよ。逃げた。後悔はしてない」

 

 これは本当だ。岡本光輝はこの土地から逃げた。イクシーズへと。しょうがなかった。粉々になった心を修復させるためには必要だった。

 

「私もそれで良かったと思ってる。こうくん、あの日より絶対に笑顔になったもん。私だけじゃきっと出来なかった。そこだけはあの街を評価してあげる……進化する人達の中に居る気分はどうだった?」

 

「意外と良いと思えたよ。あれはあれでいいもんだ。俺も目標を持てた。あの俺がだ」

 

 三度の飯と同じぐらい日常を好む岡本光輝が自分へ変化を促そうとしている。これも本当だ。

 

「そう。こうくんは凄い人。感受性が高くて、優しくて、器が広いの。まるで「神器(じんぎ)」……神々(こうごう)しき大器(たいき)。それはいいの。私はあの街へ行けない。自分でもダメな人種だって勘付いている。でもそういう人が居るのも事実だって。鬼灯暁――「黎明(フィサリス)」だなんて大層な霊名(いみな)を受け賜っておきながら実のところ私は(うつ)ろうことを(よし)としない。でもしょうが無いんだ。親が付けた名前の道理(とうり)に子が成長するわけじゃない。そこにあるのは願望。人が神様に頼むというお願いだから」

 

 暁は心中の吐露をやめない。光輝はそれを受け止めるように聞いた。

 

「だとするなら、共通点は――あの空の月。「暁月(ぎょうげつ)」。私の名前と同じ「(あかつき)」という字。あの姿はね、とても美しいの。今にもその姿を無くさんとするばかりの形。屠月(ほおずき)(あかり)。もう少しもすれば、月が無くなってしまうという直前。だからいい、それがいい」

 

 彼女は思いつめていたのかもしれない。変われないというがんじがらめの中で、ここまで生きてきたのだろう。ならば光輝は邪魔できない。人の弱さを知っている。人間は弱い。とてつもなく脆い。心があるから。彼女の心が今も尚壊れないでいること、むしろそれを救いだと思ったほうがいいのかもしれない。

 

 暁は欲しがるように手を伸ばした。それは他の誰でも無い岡本光輝へと。

 

「だから、ね。伊勢(ここ)で一緒に暮らそう。もう一度、昔みたいに」

 

「……」

 

「勿論ただじゃないよ。これは一方的なお願いだからね。私も、私の出来る限りでこうくんに尽くすから。それこそ、何でも」

 

 取りあぐねた。光輝はその手を取ろうとした。彼女は光輝の家族だ。光輝が彼女を信じなくて誰が信じようか。

 

 しかし、取れない。彼女の背後に「何かが」視える。それはなんだ。一体なんだというのだ??――

 

「さあ、ここからは私の独壇場。こうくんにも見せてあげる。私達だけの「理想の世界(ユートピア)」を……」

 

――そしてもう、その場には誰も居なかった。空から暁月が、ただ世界の閉じた形を照らしていた。



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岡本光輝と鬼灯暁

――うくん、起きて。ねえ、こうくん。

 

 声が聞こえる。なんだろう、誰が俺を呼んでいる?あれ、さっきまで俺は何処にいた?

 

「こうくん。朝だよ」

 

「……ああ」

 

 岡本光輝は布団の中で目を覚ました。いつもの朝だ。薄明かりの中、外では小鳥が囀り、段々と視界が物事を捉えていく。光輝の目の前に居る夏物のセーラー服の人物は鬼灯暁。光輝の従妹である。

 

 くあぁ~~っ、と盛大に欠伸をかまして光輝は背筋を伸ばした。ああ、今日がまた始まってしまう。

 

「もうご飯出来てるから、早く着替えてきてね」

 

「おう、いつもありがとな」

 

「いえいえ」

 

 暁がその和室を出、光輝は眠いながらも着替えを始める。寝巻きをせっせと非効率に身体から引っペがし、そして夏物の学生服をまた非効率に着て行く。……あ、靴下は最後だった。何やってんだ俺。カッターシャツはズボンより先に着ないと入れるのが面倒だろ。あー、もう。

 

 うっすらと額に汗を浮かべながら、光輝は理解した。今が夏であること、この場所が光輝の親戚の家である事を。

 

――TO DAY 鬼灯家 SEASON:SUMMER――

 

 目覚めたばかりという億劫な状況の中で頑張って朝という大事な時間の余裕を作りながら、光輝は居間へ向かった。ほんとにこの朝は何度迎えても慣れやしない。

 

「ふわぁ……。暁ぃ、今日の朝ご飯何?」

 

 光輝が暁に問いかけると、暁はふっふっふー。と如何にも得意そうな顔で笑った。

 

「白米に味噌汁に海苔に納豆!純和風、これぞフルコース・デ・シャングリラ!」

 

 そのちゃぶ台に乗せられた一面は光輝の脳髄を揺るがした。湯気から漂う芳醇な味噌の香り、輝かしい白の秘宝に熟成した畑の肉、そして極めつけは――磯を凝縮した薄紙。いたれりつくせり。暁の最後の一言が純和風を台無しにしたが。

 

「ぶっちゃけ神」

 

「崇め讃えよ。そちにその馳走を喰らうことを許す」

 

「頂きます」

 

「いただきまーす」

 

 カーペットにあぐらで座り、ちゃぶ台を暁と囲んだ。たれをつけた納豆をかき混ぜ、糸を引かせてご飯の上にかける。頬張る。海苔で巻く。頬張る。味噌汁を一口。海苔を味噌汁に浸してから納豆ご飯を巻く。頬張る……もはや、敵なし。

 

「ねえ、こうくん。今日の晩御飯は何が良い?」

 

「そうだねー……ああ、あれ。麻婆茄子が良いな」

 

「げー、茄子ぅー?あたし嫌いだなー。麻婆豆腐じゃ駄目?」

 

「いや、いいよ。暁がそれがいいなら、俺もそれが良い」

 

「よし、じゃあ今日はそれで!決まりだぜ!」

 

 光輝からすれば、ご飯を作ってくれたりするのが暁なので何でも良かったりするのだが、こういう場面で「何でも良い」と言えばそれはそれで怒られる。だから否定されるにしろ何にしろ具体的な案は出さなければいけない。後は飲むだけ。それがやり取りだ。

 

 至高の朝食を平らげて二人で食器を洗ってから家を出る。学校までの時間は徒歩15分、携帯の時計を確認し、余裕で間に合う事に安堵する。

 

「さっ、こうくん!今日も一日乗り切ろー!」

 

「おー」

 

 無駄に元気な暁としぶしぶやる気をひねり出す光輝。テンションに差異はあれど、噛み合っていないわけでもない。むしろ片方がプラス、片方がマイナスで合わせてプラマイ「ゼロ」である。丁度いいのだ。

 

「あら、暁ちゃん、光輝くん。今日も元気ねぇ、おはよう」

 

「おはようございます」

 

「おはようございまーっす!」

 

 街を行く人々と挨拶をしていく。いつも見ている顔ぶればかりだ。やはり田舎という事もあって、人の入れ替わりは少ないんだろう。

 

 鬼灯暁。俺の従妹だ。とても元気で明るい性格で、わんぱくで、急かしくて……本当に俺は同じ血を引いているのかと錯覚する。とてもじゃないが似ても似つかない。かといって彼女が羨ましいわけでもなく。だって疲れそうだし。

 けれど、一緒に居て安心は出来る。変に気を使わなくていいし、そもそも向こうも使って来ないし、衝突することもあればしかしすぐに修復してしまう。この温度が良い。ぬるま湯だ。

 

「ん?なに。私の顔がそんなに可愛いの?」

 

 暁が顔をまじまじと見られている事に気が付いた。

 

「ああ、可愛い。すごく可愛い。食べちゃいたいぐらいだ」

 

「いや、私こうくんの口に入るほど小さく無いよ、ハムスターじゃあるまいし」

 

 ……そういうもんか?

 

 煽りに煽りで返した所に真面目に返されるという、それすらも煽りなのか分からないまま放置し、そのまま意味の無いような有るようなやり取りをただ続けて気がついたら学校に到着していた。多くの生徒が校門を潜っていく。

 

「じゃあ、私こっちだから。また帰りでね」

 

「おう。またな」

 

 下駄箱で暁と別れ、上履きに履き替える。ここから教室まで行くのもまた、苦痛であったりする。なぜ自ら地獄町への道を歩まねばならんのだとなると本当に心が痛い。

 

「よっす!岡本、今日も(くれ)ーな!」

 

 パン、と背中を叩かれる。光輝がその方を向くと背後には見知った顔が。榊原(さかきばら)八代(やしろ)。ワックスで無駄に尖った髪がトレードマークのチャラ男だ。別に言うほどチャラい訳でもないが俺はコイツをこう呼ぶ。

 

「うっせチャラ男。間違ってるのは世界だよ、合ってるのは俺のほうだね」

 

「まあまあそう言うなって。ミンミの新曲出たべ。聞く?」

 

 そう言っておもむろに榊原は通学カバンからCDケースを取り出した。おお、ありがたい。

 

「聞きます聞きます」

 

「さっすが岡本、話が分かんべ!」

 

 共通の話題に共感してくれて嬉しいのか、榊原は笑顔のまま教室へと歩き出した。光輝もそれに連れられて歩き出す、が……。体の良いように乗せられたようにも思える。チッ、相手のが上手だったか……。

 

 そっから先は時間の流れがまあ早いことで早いことで。授業ほど退屈なものは無い。合間の時間に榊原が持ってきた携帯CDプレイヤーで曲を聞いたり、気がついたら教室に暁がやって来てプロレス技をかけてきたり。流石にラナ系統は教室ではやめて欲しいものだ、心臓が口から飛び出るかと思った。

 そんないつものように時間を過ごして、4時限目終了後。昼食を購買に買いに行くとこだった。

 

「ヘロー、ナイスチュミーチュー、アンドユー?ご機嫌はどうだ。岡本光輝」

 

 背後からポン、と頭に手を置かれ、その手をぐわしぐわしといきなり回された。え、誰誰?

 

「あ、どもっす」

 

 光輝が頭上の手に必至に抵抗しつつ後ろを見やると、そこには光輝よりも長身の、長い白髪に白衣の異様な井出達の女性が居た。一応、教師である。リサ・ジャクリーン先生だ。何処か怖さもある。

 

「……えと、何か用ですか」

 

 光輝が振り向いた後も光輝の頭を撫でるというかこねくり回していた彼女は空いた左手で顎に手を当て少し考えると、その答えを口にした。

 

「ふむ、岡本光輝。お前さん、今日の昼は「保健室(ウチ)」で食ってけ。見たところこれから購買に行くように見える。何、私が手料理を振舞おう」

 

「お、マジっすか!ゴチんなりゃーす!」

 

 タダで食えることに越したことはない。せっかくだからいただくとしますか。



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岡本光輝とリサ・ジャクリーン

「イシンノソーンフォザブルォーキンハーリット」

 

 歌を歌いながらご機嫌にコンロの上に置かれた鍋を見つめるリサ・ジャクリーン先生。まさかの白衣の上から白とピンクのチェック柄のエプロンを着けるその様は、何処か奇っ怪でありながら彼女の元来の美しさをお茶目さというスパイスで相乗させるという不思議な現象に陥っていた。

 夏真っ盛りだというのに長袖の白衣、腰まで届く長い白髪、その下にノースリーブセーターに黄土色のロングズボン、更にはブーツまで履くという冷え性か何かという状態でありつつも、此処「保健室」の中ではガンガンにクーラーが冷えてたのでギリギリまともに見える。外で見たら暑っくるしい事この上無い。

 

 そう、岡本光輝は保健室の先生に誘われて昼食(ランチ)を食べに来ていた。

 

 テーブルを前にして備え付けの安っぽいイスに座る。プラスチックと金属で出来た、座り心地もへったくれも無い表面がザラザラしたイスだ。学校だから仕方ないか。

 

 リサは炊飯器から二つの大きめの皿に湯気が立つ程のほかほかの白米を盛ると、鍋から取り出したそれ……銀色のパウチ「レトルトカレー」の封を切り豪快に盛り付ける。

 

「イーッツマーイラーイッ……待たせたね。保健室特製・ジパングカレーだ」

 

 そして仕上げに。皿の端っこに扇状に切った「沢庵(タクアン)」を添えて光輝に差し出してきた。まてまて、福神漬けじゃないのか。それは駄目じゃないか?どれぐらい駄目かというと皮の焼き鳥を塩で無くタレで焼くぐらい駄目じゃないか?ああ、もうっ!論外っ!

 

 特製カレー……ね。レトルトカレーがですか。いや、ご馳走だせていただくんだから、文句は言えないか。

 

「カップ麺だのレトルトだの……人類は進化したね。此処数年で飛躍的にだ。漬物は開けるだけ、冷凍食品だって美味い。誰がどう作っても美味いのだ。ちなみに私は料理が出来ない」

 

 瞼を閉じながら感慨深そうに天井を仰ぐリサ。あ、そうですか。さいですか。

 

「ありがとうございます。頂きます」

 

「ああ、頂こう」

 

 テーブルの向かい側にリサが座り、二人でスプーンを持つ。早速一口目を頂いた。

 

 レトルトカレー……。やはりルーで作ったそれらと比べると確かに味は落ちる。落ちるのだが。これが(あった)めるだけの食品だと考えるのなら話は全くの別物になった。

 

 神の作りしアーティファクト。食文化が実に偉大かが分かる。人類が健やかに暮らす上で欠かせないものが三つある……「衣」「食」「住」がそれに当たる。その内の一つである「食」は、勿論の事人類の促進を促すため必要不可欠だ。

 生き急ぎ(せわ)しない現代人を支える為に、なるほど。作る手間を省いた食品が極められる訳だ。その現代(いま)がこれだ。ならば、嗚呼。美味い。

 

 沢庵も食べる。ザクザクした食感に心地よい酸味と甘みが日本人の舌に合わせられたレトルトカレーと相まって予想以上に美味い。これは美味い。論外とか言ってごめんよ、沢庵。「ジパングカレー」、あながち間違いじゃないようだ。

 

「美味いですね」

 

「自分でも驚きだ。沢庵とカレー、予想以上に合うね」

 

 ……ぶっつけ本番かよ。まあいいや。美味けりゃなんでも。

 

「御馳走様でした」

 

「お粗末さま」

 

 予想外に噛み合ったジパングカレーなる聖地バラナシのサドゥーも奇想天外(ウェルウィッチア)なトンデモ料理を平らげ、二人は満足気な表情をする。

 

「なあ、岡本光輝よ。一ついいか」

 

「あ、はい。なんでしょうか」

 

 リサが光輝に問いかける。一体なんだろう。

 

「「この世界」が正しいと思うかね」

 

「……はい?」

 

 岡本光輝はその言葉に疑問を抱いた。一体なんだろう。この世界が正しい?そりゃ俺は常にこの世界に不満を抱いているが。

 

 リサは立ち上がると、市販の瓶詰めインスタントコーヒーを作り始めた。お湯を沸かしている。

 

「なるほど。分かった」

 

 いや、まだ何も答えていない。光輝の中で謎が更に深まる。

 

「私たちが此処に来て何日立つか教えてやろう。30日だよ。30日の間、私たちは何でもないような「日常」をただ過ごしてきた」

 

 彼女が何を言いたいか分からない。30日?……一体何の事だ。リサは沸騰したお湯を珈琲粉の入ったマグカップに注いだ。立ち上がる湯気をリサは嗅ぐ。

 

「幸せだよ。私達は幸せだ。私が今此処に在る事、こうして美味い飯を食って美味い珈琲を入れて、そして安らかに眠り次の朝が来れば――また「同じ一日」が始まる。其処には決して「新たな一日」は無い」

 

「あの、どういう……」

 

 光輝は問いかけた。いよいよ以て分からない。彼女が何を言いたいか。今の光輝には理解出来ない。

 

「見兼ねたのだよ、この私が。君という存在が腐っていくのをだ」

 

 珈琲を口に含んだリサは、あろう事か――光輝の胸ぐらをその手で掴み、近くのベッドへと投げ倒し、そのまま光輝の口を自らの口で塞いだ。

 

「~~ッッ!!?~~~~ッッッ!!!」

 

 光輝は抗議しようとしたが、リサは予想以上に力が強い。引き離せない。リサの胸を握りこぶしでドンドンと叩く、力が入りきらない。リサの口から苦く、濃い物が流れ込んでくる。「コーヒー」だ。大分強く作ってある。ゴクリ、とついそれを飲んでしまった。うげぇ、苦い。

 

「ぷはっ……食後は眠くなる。君は嫌いだったからね、無理やり飲ませて貰ったよ。眠気覚ましのコーヒーを」

 

「ッッげはぁッ!!おいっ、アンタっ!!一体何して……」

 

「眠りの王子様へ目覚めのキスとでも言えば格好は良いか。まあそんな事はどうでもいいんだ。これを借りるぞ」

 

「あっ、おいッ」

 

 リサはベッドの上に横たわる光輝から、抱えるようにして無理やり「脚」の自由を奪った。上履きと靴下を脱がす。

 

「復習の時間だよ、岡本光輝。第二の心臓は何処にある?」

 

 次の瞬間、岡本光輝の身体に激痛が走った。リサが光輝の足裏を「指圧」したのだ。

 

『答え合わせだ。第二の心臓「足」を使う』

 

「あづづづッッッ!……、えっ、足?」

 

 既視感(デジャヴ)。今の一瞬、光輝の脳裏に懐かしいものが過ぎった。光輝の覚えていない記憶だ。けれど、何故か光輝はそれを「知っている」。

 

「そう、足だ。ちなみにこの痛みは「脳」がそう訴えろと発している信号による物だ。……次に。人間の身体を司る大事な基礎の部分は「心臓」ともう一つ、何処だと思う?ヒントは胸骨と頭蓋骨だ」

 

 リサはその手を止めない。光輝の足裏をグッ、グッと押していく。それを押される度に、光輝の脳内で何かが沸き上がってくる。

 

「んなもんッ……、「脳みそ」に決まってんだろ……ッ!」

 

「そう。その通りだよ。ここからは新しい授業だ……トレパネーションを知っているかい?」

 

 光輝は歯を食いしばって必至に痛みを堪えながらも、リサに答えていく。段々とコイツに腹が立ってきた。

 

「し……知るかよッ!」

 

「そうか。簡単な話だよ。「脳」という中枢に無理矢理アクセスして人間の限界を引き出す方法さ。一般的には頭蓋骨に穴を開けるんだがね……流石にそういう機材が無い。私の技術なら機材が無くても安全に出来そうではあるが」

 

 おいおい、恐ろしい事を言うなよ!

 

 光輝は恐怖を覚えながらも、今はただリサに身体を預けるしかない。とてもじゃないが痛みでまともに動ける状況ではなかった。

 

「先ほど頭部を触診させて貰った。流石に頭蓋越しには無理でね、更なる答えを「神の手」で作り出してやった。私のトレパネーションは「足裏」を使う。これほど「脳」に密接に語りかける器官、無駄にする訳にはいかなくてね……!」

 

 さっき、俺の頭をこねくり回してた時か。一体なんだと思ったが、そういう事だったのか。

 

 グッ、グッと足のツボを指圧するリサ、次から次へと脳へ訴える刺激。ついぞ、こいつへの怒りが爆発しそうだった。いつも勝手に色々しやがって。よく助けてくれるから我慢はしてたが、やはりコイツはヤクザ医師だ。ふざけんじゃねぇぞ。

 

「ッつ、いい加減離しやがれ、「ジャック・ザ・リッパー」!!」

 

 口から出た言葉。何の不思議も無かった。リサはその手を離した。そして直ぐに、光輝の思考が鮮明(クリア)になっていく。

 

「……って、あれ?俺は……」

 

「ようやく、君が知っている筈の私の名を口にしたね」

 

 ジャック・ザ・リッパー。ロンドンを震撼させた猟奇殺人鬼。遥か昔にその大罪人は死んでおり、現代に現れた「ニュー・ジャック」はジャック・ザ・リッパーの亡霊であった。

 

 そう、死んでいるのだ。亡霊なんだ。だとしたら、何故。

 

 何故目の前に、彼女が。(さわ)れる状態で彼女(ジャック)が居るのだろうか。

 

 そもそも、暁月の下に居た岡本光輝は何処へ行ったのだというのだ。此処は何処だというのだ。

 

 ――あの時、暁は一体何をした!?

 

「そう、疑う事こそが君の本懐だよ。世界を疑え、岡本光輝。君の未来は「理想の世界(こんなせかい)」には無い」



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柳の木の下の待人

 黒咲夜千代は時々ある夢を見る。

 

 朝になったら自分でも覚えていない。けれど夢の中で、その場面に遭遇したとき。「ああ、私は何回もこれを見たことがあるんだ」と思い出すことが出来る。思い出せることと覚えていることとはまた違う。

 

 なんとなく、その光景に嫌悪感を覚える。本当になんとなくだ。自分でもよく分かっていない。けれど、その情景が浮かんだ時。「ああ、私はこの光景を二度と見たくないんだ」と思ってしまうのだ。夢は決して当人の見たい物だけを映すわけではない。

 

 長く続く道だ。その両脇には幾本もの桜の木が。ゆったりと、緩やかに下に降りていく「桜坂(さくらざか)」。その坂を、私は多分父と思える人物と、多分母と思える人物と楽しそうに歩んでいく。自分で見ておいて楽しそうだというのも変な話だが、そうとしか言いようが無い。その場に居る私はまだ幼くて、無邪気な少女のように笑っているのだ。

 

 黒咲夜千代は時々この夢を見た。

 

 きっと忘れてはいけない事なんだろう。父も母も顔が朧気(おぼろげ)なのに、その桜の風景はいつでもはっきりと脳内に瞼に鮮烈に焼きついているのだ。

 

 そして、いつもそこでその夢は終わってしまう。唐突にだ。まるでそこから先を、見せたくないかのように、思い出してはいけないように――

 

――静かな草原だ。空は青い。その青い空の中には、太陽でも無く月でもなく何故か青と緑の惑星――そう、あれは「地球」だ。「地球」が、その空に浮かんでいた。

 

 此処はどこだろう。夢の延長線だろうか、黒咲夜千代は寝る前の姿では無く伊勢にやってきた羅紗コートの姿で立っていた。サングラスを外して周りを見渡した。……落ち着く。

 

 不思議な空間だ。凄く空気がおいしく、自然と居心地が良いと感じる。地平線まで続く草原を吹き抜ける風が、まるで私を祝福しているかのようにも感じた。その肌に触れた感覚は、まるでここが夢じゃないと言っているように。

 

「あれ……もし、そこの御方」

 

「ん?」

 

 夜千代は隣を見た。其処には黒い長髪にローブ姿の少女……クリス・ド・レイが居た。さっきまでは居なかった。突然、現れたのだ。

 

「此処はどちらなのでしょう?私、気が付いたら此処に居まして」

 

 なんだ、コイツもそーいう感じか。夜千代は身につけていた帽子を取ってクリスに向き直った。

 

「ああ、私もだクリス・ド・レイ。気が付いたら此処に居たんだよ。此処は夢かね」

 

「あ……ああ、夜千代でしたか。いえ、私さっきまでロンドンに……って、ああ、夢ですか」

 

 クリスは目をぱちくりさせて納得した。なるほど、二人共「自分の夢」から「この場所」にアクセスしてしまったという訳か。だとしたら、この場所は夢であると。

 

 そう考えて、やはり何か違うと思った。妙にリアリティがある。そう、「妙に」だ。五感が捉えたそれは、この場が「夢」で無いと語っている。六感が訴えていた、この場は「現実」に非常に近い何かだと。でも、それでも此処を現実だと思えないのは……。

 

「あれだよなぁ……」

 

 夜千代が空を見上げると同時に、クリスも空を見上げる。

 

「ですよねぇ……」

 

 空に浮かんだ「地球」。誰がどう見ても何度見ても見続けても教科書に載っていた「地球」だ。あれほど特徴的な水の惑星、そうあるまいて。

 

 其処に地球があるという事は、普通に考えたら此処が地球でないと言うわけで。じゃあなんだ、此処は月か?……月にこんな草原があるものか。

 

「此処はどこだっつーの」

 

 夜千代がそう呟いた瞬間、地平線まで草原だったこの場に、目の前に一本の木が現れた。上から下へと垂れ下がる幾つもの葉っぱ。風に靡くその葉が、その自己性を語っていた。柳の木だ。

 その柳の木の下には、あぐらをかいて座り込んでいる紺色の和服の男が。髪型は……ちょんまげ。あれは、ちょんまげだろう。その横には大刀と小刀、二つの鞘に入った日本刀が置いてある。侍だ。

 

「って……夜千代!お侍さんです!お侍さんですよ!」

 

 クリスは夜千代の腕を引っ張って揺らしながらそう言う。いや、分かってるよ。まあ、お前がそんだけ驚くのもしょうがない。……なんで侍がこんな所に?

 

「ぬ?おぉ、嬢等(じょうら)。こんな辺鄙な所に何用ぞ」

 

 侍は座りながら此方を向いた。粗雑な無精ひげに柔らかくも何処か鋭さを感じる眼付。オフの武人ってところか。

 

「ねっ、喋りましたよ!お侍さん喋りましたよ!」

 

「お前意外とうっとーしーな……こりゃ岡本も疲れる訳だ」

 

「うっと!?」

 

「まーいい」

 

 多分、これはクリス・ド・レイの子供っぽい部分だろう。少女として張り詰めてきた、正義を掲げる者としての心の隙。彼女は自分に妥協をしてこなかったはずだ。それ故の、心の隙だ。齢16歳の少女がいっちょまえの大人張りに全てに余裕を持てるわけがない。大人でも余裕が無いのに、だ。

 彼女のこういう、世の中に対する好奇心……それが彼女の心の拠り所。だからこそ、彼女だ。それはそれでいい。鬱陶しくも、可愛げもある。

 

「お侍さんや。此処はどこでしょうか?」

 

「此処?天国に決まっておろう」

 

「ああ、そうですか、天国ですか」

 

 ……は?天国?

 

「別に幽世(かくりよ)でも浄土(じょうど)でもへぶんでも好きに呼んだら良い。が、儂の知る限りそういう所じゃ。嬢等が来るにはまだ早い。帰るといい。儂は用事があるのでな、此処で待っておるのだ」

 

 侍はそう言って、再び柳の木を向いた。……ダメだ、意味が分からん。とりあえず、とっとと帰るか。道でも聞こう。

 

「あの、どちらに行けば帰れるでしょうか?」

 

「さあ?知らん」

 

 ……おう、なんやコイツ。偉そうにして知らへんのか。へっぽこ侍め、使えやしねぇ。

 

「かくいう儂も此処に来るのは久しぶりでな。なんなら行きたい場所を想像しながら足を踏み出すと良い。好きな場所へと行けるぞ」

 

 行きたい場所って、こんな草原の中で?一体何を想像しろって……

 

「よし、夜千代。腕を」

 

「あっ、オイ」

 

 クリスはそれを聞くと、強引に夜千代の腕を自身の腕に絡めて離さないようにすると、そのまま夜千代を引っ張って一歩を踏み出した。

 

「えいっ」

 

「おわぁッッ!?」

 

「達者での――」

 

 侍が別れの言葉を告げると同時に場所は草原から一転、暗い物置小屋みたいな所に移った。一瞬でだ。照明はオレンジ色のランプで照らされ、周りには机や棚やらにごっちゃごちゃによくわからない物が置いてある。分かる物で精々、緑色や紫色の液体の入った試験管、何語で書いてあるか分からない魔道書、年季の入った中世からありそうな魔女の帽子、荘厳な装飾の入った由緒正しそうな杖、不味そうな焦げた串焼きイモリ……。

 

「おい、これ……お前の趣味だろ!?」

 

 どこからどう考えても此処は「黒魔女クリス」の趣味だ。迂闊に動くなよ、こんな所で何があるかも分からないのに!

 

「あっ、夜千代!ジーマの魔女の林檎がありますよ!飲みたい、飲みたいです!」

 

「いや待て、それ酒だ!瓶詰めの赤い美味そうなジュースに見えるけどそりゃ酒だ!」

 

「ヒッヒッヒ、いらっしゃい……」

 

「のわぁッ!?」

 

 気が付いたら今度は隣にしわくちゃの妖怪のような黒服のおばあちゃんが居た。ここは店か。魔女ショップか。アンタは店主か、もう気が狂いそうだ。

 

 夜千代は早く現実に戻りたいと思いながら、此処を楽しむクリスを諭そうと必至になった。

 

 しかし、あの侍。やけに親しげだったな……。



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夢か現か幻か

 黒咲夜千代は頭を抱えていた。場所は草原。再び戻ってきたのだ。空にはさっきと同じ「地球」が浮かんでいるが、侍と柳の木はもう無い。

 

 その横ではホクホク顔でクリスが笑っていた。腕の中には一冊の「魔道書」。最初の魔女ショップで彼女が店長の怪しげな老婆から買った物だ。

 

「「GRIMOIRE(グリムワール)L(エル) RE() NOAH(ノア)」!偉大なる錬金術師「エルレノア・バロックヒート」が記した伝説の魔道書ですよ!時はおよそ三百年程前に遡ります、当時数多くの中世魔術師達が溢れかえっていました……世は正に魔術師の時代!あ、この時代では明確に区分けすると「錬金術」と「魔術」とはまた違うんですけど、それは「四元素」「五行」「五大」の様な物でして事実上同じものではあるんです。日本では侍がこれを取り入れた「五輪の書」なる物を書いたとされていますね。さてそんな時代ですが時代はある一人の天才少女を産んでしまいました。そう、魔術師の時代に颯爽と産声を上げた、彼女こそ!エルレノア・バロックヒートです。彼女がどれだけすごいかと言いますと……」

 

 彼女は楽しそうだ。なんとも長ったらしい呪文だろう、話の99%を理解出来ない。これも魔術師の能力だろうか。

 しかし、夜千代は決して楽しくない。あれからひたすらにクリスに振り回されていた。レストランでジョッキパフェを食べたり、ウインドウショッピングでアダルティな服に目を輝かせたり、ゲームセンターでダンスゲームを踊ったり……コイツはアホじゃないかと。少しばかり緊張感を持ったらどうなんだと。

 

「……この魔道書を読み解けば、例えば私でも瀧シエルの「聖砲」を打つ事が出来るのです!彼女の「精霊の加護」は実質オートマの「五行」であり、この魔道書がマニュアルの「四元素」でして。手順こそかかるのですが、理論方程式の構築、理由の定義、存在の証明!この三つさえ出来てしまえば誰でも錬金術が出来るというわけですね!これは本来現実的ではないのですが、それを可能にするのがこの本でして……」

 

 いや、流されたままにいた夜千代も夜千代だ。クリスが楽しそうだからと、ついつい乗っかってしまった。だって、しょうがないじゃんかよ。隣の奴が楽しそうにしてると、意外と自分も楽しくなってしまうのだ。

 

「……孤独であったエルレノアの唯一の理解者であるパンド・λ(ラムダ)・ローシュタインは自身の身体を「機械」にする事を選び、対するエルレノアは自身を「転生」の魔術の実験台にする事を選びました。その結末は……」

 

「さて、黒魔女。そろそろ帰る方法を本格的に探すぞ」

 

「あ……ごほん、そうですね、つい錬金術師を先祖に持つ者として白熱してしまいました……しかしこれはお宝ですよ~」

 

 いい加減五月蝿く思えてきたクリスをあっち側からこっち側へと引き戻す。一応、夜千代には仕事はある。それは「クリス・ド・レイの護衛」だ。イクシーズ外にて彼女が危険な目に遭わぬよう配慮し、また彼女が能力を使って問題沙汰を起こさぬよう監視する事。クリス・ド・レイはロンドンの重役の娘だ。何かあったでは済まされないのである。まあ、Sレート能力者である彼女に何かあるというのはただでさえ平和なこの日本、飛行機が墜落する確率のレベルで有り得ないのだが。

 暗部機関「フラグメンツ」の中でも最もフットワークが軽い彼女にそれは任された。まあ、要するに他に用事が無かったというだけだが。

 

 さて、そんな黒先夜千代であるが、イクシーズ外にて色々楽しんでいたりもした。初めての海上新幹線に心を躍らせ、水族館で陰鬱に浸ったり、料理屋で開きのジャンボ海老フライを食べたり。それはもう、普段ロクに家から出やしない彼女はさぞ新感覚に包まれただろう。惜しむらくは、それが単独行動である事だが。一人は一人で気が楽だし、まあよしとしよう。

 

 そして、次の日はおかげ横丁……伊勢神宮へと連なる商店街を楽しみながら夜の大篝火(おおかがりび)を待とうとしていた矢先にこれだよ。ホテルで眠って気が付いたらこうなっていた。おいおい、バカじゃないのか。私は何も神の世界へと足を踏み入れようって訳じゃ無いんだ。ただ神宮でちょびっと神様にお願い事を出来ればよかったんだ。

 

 ……なんでこうなるかなぁ。

 

「しかし、帰る、となると……現実へと踏み出すのは無理だったしなぁ……此処にもう一度戻ってきて侍に聞こうと思ったんだが、もう居ないし」

 

 一回、現実を願って踏み出しては見たものの、それは不可能だった。願った物は多分、場所にでも物でも、それと――人でも良いはずなんだ。夜千代が最初に願ったのは、「此処が何処か知っている人物」だった。それで、あの侍が出てきた。

 

 あの侍の言葉を思い出す。此処は天国だと言った。じゃあ何だ、アイツは幽霊か?

 

「アイツは幽霊か……。にわかには信じ難いが、現状がこれだ。受け入れるしか無いよなぁ……」

 

 幽霊なんてこの世に居るとそんなに信じちゃ居なかった。精々宇宙人が居るのと同じ感覚だと思ったが、まあ、居るんだろう。天国があるぐらいだし。

 

 ……というか、私たちはどれだけ此処に居る?もう何時間だ?そろそろ帰らないと、朝起きるどころか夜になっちまうかも……

 

「あ……」

 

 夜千代が悩んでいると、その隣でクリスが何か思いついたようだった。

 

「お、どうした」

 

「いえ、あの……もしかして、此処に光輝は来ていませんか……?」

 

「んん?岡本だ?」

 

 夜千代は考える。有り得る。私たちだけ此処に来て、岡本光輝だけいないというのも無いだろう。大いに有り得る。

 しかして、何故岡本光輝だ。アイツが帰り道を知っているとでも?アイツのわざとらしく惚けたような顔を思い出す。……マジで有り得るな。

 

「多分、帰り方を知っていると思うんです」

 

 やけに自身に満ちた表情のクリスだ。何か裏付けでもあるのだろうか。

 

「何故そう思う?」

 

「……女の感です!」

 

「なる程、それだ信じよう」

 

 女の感というものは鋭いと雑誌かなんかで読んだことがある。ならば、猫の手も借りたいこの状況。それに乗っからない理由は無い。

 

 夜千代はクリスの手を取った。今一度、その足を草原から前へと踏み出す。とりあえず目指すは、あの根暗ヤローの目の前だ!



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その世界は幸か不幸か

 岡本光輝は校内中を駆け回った。

 

 昼飯を食べた後、直ぐにだ。ジャックの言葉を聞いて、彼女に問い質したかった。

 

 彼女の教室を探した。居ない。自分の教室を探した。居ない。何処に居る?職員室か?校庭か?中庭か?――一体何処にいる?

 

 走り回って、中庭にまで来て、居ない事を悟って……脇腹に痛みを感じた。昼食を食べた後直ぐに走りでもすれば、当然こうなる。少し考えれば分かるのに。自分とした事が情けない。

 

 中庭に備え付けられたベンチに座り、俯く。汗が吹き出る。今、岡本光輝の中には一切の「幽霊」が居ない。ムサシ、ジャック、ジル、ビリー。全て居ない。それどころか、ジャックに至っては普通に保健室の先生をやっていた。意味が分からない。アイツらは幽霊だ。なぜ、普通の人間のように。ムサシらも、何処かで何かをやっているんだろうか。

 

 駄目だ。頭がこんがらがっている。真夏特有の真上からの直射が熱い。頭の整理がしたい。

 

 ……暁は何をした?まず第一に、俺たちは鬼灯家の庭に居た。明朝に二人で立っていた。ここまでが第一前提だ。

 次だ。暁の後に異様な空間が視えた。わからない、視た事の無い空間だ。言い表すなら……恐怖を感じた。空間が歪んだような感じだ。彼女が手を差し出し、俺がそれに手を伸ばして、彼女が半ば強引に俺の手を取った。その次には俺の意識が無くなっていた筈だ。

 次だ。そう、次にはもう――「幸」か「不幸」かも分からないような、何でもないような日常が始まっていた。それはまるで夢心地で、俺にとって理想で、俺にとっては確かに「幸せ」だったのだろう。だからか、気付けなかった。理解(わか)らなかった。こんな世界を望んだのは、他の誰でも無く俺だ。

 

 そうだ。全て、彼女は俺の為に何も言わなかったし、俺の為に何でも尽くしてくれていた。

 

「……馬鹿になるな」

 

 考えなくていい。堕落で、気楽な、喜怒哀楽の無い世界。居心地が良いはずだ。決して進むわけでもなく、戻るわけでもなく。三歩も二歩も進まず下がらず、答えはその場での足踏み。全体止まれの号令も無しに、俺は進化無き世界を生きていた。少なくとも、「30日間」だ。

 

 人は毒される。住めば都とか、郷に入っては郷に従えだとか、そんな風に順応してしまう。岡本光輝は順応していた。この世界に。けれど、一つだけ言えるのは――

 

「――ここは俺の居た現実じゃないんだ」

 

 岡本光輝がベンチから顔を上げると、空はもう「オレンジ色」だ。空に太陽は無い。きっと西の方へ沈んでいったのだろう。先程まで真上にあったのにだ。もう、嫌になるな。一体この世界はなんだってんだ。

 

 そして見上げた校舎の屋上の淵に、人影が居る。此方に向かって手を振っている。言うまでもなく、「鬼灯暁」だ。岡本光輝の超視力は迷い無く彼女の姿を捉えていた。

 

「あがりゃいいんだろ、あがりゃ」

 

 軽く溜め息をつきつつ無駄な徒労感に追われながら、岡本光輝は校舎の階段を駆け上がっていった――

 

――息が切れそうだ。急いで駆け上がって来た。岡本光輝におよそ身体能力と呼べる物は一切無い。運動神経フルマイナスだ。全力で下方していってる。

 

 もう校舎に生徒は殆ど居なかった。とっくに下校の時刻なんだろう。そんな中で彼女が此処に居る。その理由は……理由なんて、考えるだけ無駄だろう。

 

 岡本光輝は、彼女の何もわかっちゃいないのだから。

 

「こうなったって事は、もうなんとなく分かったみたいだね」

 

「全然わかっちゃいねーよ。未だに何が何だかさっぱりだ」

 

 夏の温い風が通り抜ける校舎の屋上。ドアを開けた先には彼女一人が、光輝を待っていたかのように此方を向いて佇んでいた。

 

 暁は笑顔だ。それは光輝に向けられた笑顔だ。他の何にでもない、誰にでもない、岡本光輝を捉えた心の底からの笑顔だ。

 

「どうだった?日常は」

 

「悪くねー。けど、良くもねー」

 

「うん。だからいいよね」

 

 きっと、彼女からじゃ踏み込んで来ない。彼女は光輝から触れる事を待っている。光輝は怖くありつつも勇気を出して彼女に踏み込む。彼女の心に触れようとする。

 

「俺に何をした。此処は何処だ?現実ではない、けど夢じゃない」

 

 そう、此処は。岡本光輝が今立っている「場所」は、決して現実じゃない。光輝が居た世界の何処にでも無い筈だし、かといって夢かと言えばそれもまた違う。確かに「在る」のだ。現実では無く現在として此処に残る。踏みしめた大地が、違和感のある空が、目の前に居る彼女が。それら全てがそれを此処に「在る」物だとして光輝の身体に訴えている。目で見て、耳で聞いて、鼻で息をし、肌に風を感じ、緊張して唾を飲み込んだ。本能、「第六感」が光輝にこれを現在として叩きつけた。

 

 光輝は答えを待った。暁は、ゆっくりと口を開く。

 

「こうくんにね、見せたかったの。理想の世界だ。私は此処に自由にアクセスする事が出来るの」

 

 そして。彼女は、その瞳の「超視力」の可能性を見せる。彼女の瞳が、黄金に。黄昏を、夕焼けを映すように金色に輝いた。

 

「私の能力はこうくんと同じ、鬼灯の家系の「超視力」。そして、可能性の向こう側――私の本質は「願いを視る」事。私は人の願いを視て、感じ、そして。この世界を通して「現在」にする事が出来る」

 

 鬼灯暁は少女の小さな手でしかし上手に指パッチンを鳴らした。その瞬間、さっきまで暁の来ていた服がセーラー服だった筈が、まるで神社の巫女のような、白い衣に赤い袴の姿になった。

 

 光輝はその光景を超視力で捉えていた。一瞬だ。手品じゃない。どちらかというと、魔術や錬金術……その類になる。

 

「まあ、それはこの世界ありきなんだけどね……あくまで私は願いを視るだけ。後はこの世界に接続するだけ。四元素説は知ってる?」

 

 いきなりの問いだ。光輝は臆することなく答える。その手の分野は予め潜伏霊の「ジル」により教わっている。侍の立ち回りにも、また敵対者への対策にも必要な事だった。

 

「この世界の物質の根本を為す物。火・水・風・土、だ。説き方によっては五元素とする事もある」

 

 一応は知っている。その内部まで理解しているかと聞かれれば答えはノーだが、前提条件ぐらいなら。暁はわざとらしくパチパチと手を叩く。

 

「おー。それじゃ、その五元素目は何か分かるかな?ヒントいち、この世界を作っている物。ヒントに、この世界はそれを元にした巨大な「Library(ライブラリー)」である事。ヒントさん!この世界は断片であり、末端である事!!」

 

 暁の言葉。光輝は思考する。なんて回りくどい言い方だ、答えを教えてくれてもいいのに。……いや、やられっぱなしも癪なのでせっかくだから当ててやろう。この世界の答えを。

 

「五元素目……エーテル。というより、現代ではこう言った方がいいか。「阿迦奢(アーカーシャ)」。それが構成する物、それは「有り得ない」という物質。度々「存在の証明」にてぶち当たる大きな壁、その解だ。それが構成するっつー世界ってのはだなぁ……」

 

 と。光輝は言ってて、自分でおかしいと気付く。何がおかしいって。自分の触れようとしている根本だ。光輝は今、その「存在の証明」をしかけた。そうすると、認める事になる。この世界の本当の答えを。

 

「違う、此処は「地獄」!そうだ、そうじゃないか!ジャックが居た、アイツは極悪人の幽霊だ!そいつが居るんだ、こんな夢のような世界、あってたまるか」

 

「「星の記録(アカシックレコード)」」

 

 直前で恐怖にかられてUターンした光輝に対して暁は何も怖がる事無く、その答えを口に出した。存在の証明、確かに今此処に在る物の名を。

 

「此処はね、過去全ての記録の中で、その端っこ。一番現世に近くて、死んじゃった良い人達が生前の未練を果たすために神様が用意してくれた場所だよ。だから、有り体に言うと「天国」になるね」



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その世界は幸か不幸か2

「「星の記録(アカシックレコード)」……!?」

 

 生きていれば何処かで聞いたことがあるだろう、その名前。それは岡本光輝とて例外じゃなく。それが意味するものとは、「この世界全ての記録」だ。まごうことなく、この地球という惑星の全て。人類史、白亜紀、そしてはたまた、この星の誕生の全て――。光輝の認識が間違っていなければ、そういう事になる。

 

 そんな中の隅っこに、俺たちが居る。記録の中にだ。……いや、それ自体はどうでもいいんだ。そもそも地球自体が奇跡の塊であり、其処に立っていることに特別な感情を覚えたことなど無い。そう、気になる事はそんなトコではないのだ。もっと別の所にある。

 

 天国。此処が、天国だというのだ。

 

「……おい、待てよ、じゃあ……俺がこの30日間見てきた人達ってのは……」

 

「そうだね。現世で死んで未練を残して此処に留まっている人達だね。私たち以外は」

 

 何の躊躇いも無く。暁はそう言い放ったのだ。むしろ、残酷性は無かった。清々しく。

 

 街を行く人々、学校の先生、生徒。俺が会話をして来た人たちが全て、現世の者では無い……?現実じゃないってのか。生きていないっていうのかよ。

 

「あ、安心してよ。そうして此処に残ってるって事は、気付かずに幸せに暮らしているか、気付きながらもそれがいいと幸せに暮らしているかのどっちなんだからさ。満足して完全に満たされた人は本格的にあの世に行くみたいだよ。……此処が天国なのにあの世に行くってのも変な話だけどさ」

 

 まてよ。それじゃ、自分が死んだことに気付いてないやつも、死んだことに気付いてる奴も、それを受け入れて此処で暮らしてるってのかよ。そんな悲しい事があるのかよ。

 

「そういう話じゃ……!」

 

「そういう話なんだよ」

 

 光輝が激昂しかけた瞬間に、暁は真剣な眼差しで光輝の眼を見た。その瞳はとても綺麗で、濁りなど一切無く、ただ本質を捉えた上で希望を宿すかのように輝いていた。

 

「世の中には死にたくなくても死んじゃった人たちがいっぱい居る。そんな救いのない人達に手を差し伸べるのがこの世界だ。なら、それはとても尊い事だと思う。だからこの世界は現世を必至で生きてきた人たちへのご褒美なの。本来はね。私は此処に偶にお邪魔するお客さん。……本当はいけない事だって分かってるけどね。あ、残念ながらこうくんのお父さんは「自分殺しの罪」があるから此処には居ないよ」

 

「……んだよ……」

 

 光輝の抱いた感情。言うなればそれは「やるせなさ」だ。なんとなく、それが嫌だって思う。けれど、どうしようもない物事に衝突した時。そういう時に感じる感情だ。そう、それが今で。

 

 光輝は割り切る事が出来ないのだ。この世界で幸せに暮らしている人達が、既に死んでしまった人達だなんて。この隔離された世界の中でまるで「水槽の魚(ディストピア)」のように暮らしている事を。

 

 光輝だって、それがいいって。気楽だって思える。確かに思えるんだ。でも、それは。「生きている」という前提があって。

 

 だって、死んでから、気付いたって、気付かなくたって、そうして在り続けるなんてのは……。

 

「深く考えないほうが良い。ただでさえ感受性の高いこうくんだ、きっと何かしようとする」

 

 軽く立ち竦んだ光輝のだらりと垂れた両手を、暁は柔らかくて暖かい両手でそっと合わせ、包み込むように握り締める。

 

「けれどね、私はそんな事、求めていないの。というか、できっこ無いから。違う。私がこうくんに求めるのは受け入れる事なんだ。突っぱねる事じゃない、私の理解者として此処に立ってくれる事。そして、理解した上で伊勢で一緒に暮らしてくれる事」

 

「……いや……ああ」

 

 光輝は否定しようとして――肯定した。彼女の思考回路を理解した。それが正しいかどうかなんて、多分、人間が決めていいことじゃないんだ。死んだ人間が幸せに暮らせる、それはもう神様の領分であって。人間が出る幕では無く。

 

 そして、鬼灯暁の行動は。それまた確かな「義」である。彼女は此処の本質を理解った上でよしとした。考えれば、考えるほど、それでいいのだ。ああ。いい。むしろ、悩んでしまうことのほうが、馬鹿らしくて。

 

 だから、彼女は此処に来る事が出来るんだろう。彼女の本質は黒でも白でも無い。無垢だ。故に、「黎明(フィサリス)」。……名は体を表すというが、彼女が気づいていないだけで、その中身は可能性(イノセント)の塊だ。

 

「さあ、行こう?もうすぐ元の世界に戻ろうと思うからさ、折角なんだ。水入らずで楽しもうよ」

 

「……ああ」

 

 光輝は最早、受け入れるがままに。暁に促され、彼女の手に惹かれるように目の前の一歩を踏み出した――

 

――静かな夜だ。クーラーは付けない。少し蒸しっぽく、しかしだからこそ情緒があるものだと暁は言う。

 

「……んふふ。電気は付けないよ。月の(あかり)があるからね、そうして楽しもう」

 

 畳に敷かれた、一枚の布団の上だ。光輝は浴衣を着て、そこに仰向けになっていた。

 

 暗い。しかし、ほんのり明るい。障子戸の向こうから射す満月の光があれば光輝の眼は容易く全ての物事を捉えることが出来るが……そうしない。敢えてそうしない。というのも、緊張しているわけで。

 

 光輝の腰に跨るように、暁が座っている。暁は着ている巫女服をしゅる、しゅると焦らすように解いていく。少し控えめな、しかし確かに実った房が目の前に現れる。細くも瑞々しい姿が光輝の視界を奪った。暗い中でさえ、白く、艶かしく。それはこれまで見てきたどの「従妹・鬼灯暁」とは違って見えた。今日だけ、今だけ――特別だ。

 

「昔っから良くこうくんとお風呂に入ったり着替えたりしてたからあんま新鮮味無いと思うけどさー……。なんか感想の一つでも欲しいな」

 

「うっせ、馬鹿……」

 

「ほー。そうきますか。いいもんねー……じゃあ、こうくんのお乳を御開帳ーー!!」

 

 暁は光輝の浴衣の胸元を強引にかっ開いた。年頃の男子の、健全な肉体だ。少し細い。

 

「うわー……こうくん、もうちょっと鍛えた方がいいよ。揉んで大きくしようか?」

 

 少し鋭い目つきで暁が言ってくる。悪かったな。揉んで大きくなるならもういっそいっぱい揉んでくれ。いっぱいいっぱいだ。

 

「……なんていうか、抵抗しないんだね」

 

「妹だからな」

 

「むしろ妹だと思ったらこそ抵抗すべきだと思うんですけど」

 

「っつーか、もう、キレたんだよ。いいからとっととやって帰ろうぜ。俺はお前を信頼する、だからお前は好きにしろ」

 

「ヒューッ!こうくんのそういうSome like it hotなトコ大好きーーっ!!」

 

「むしろ冷めてんだけどな」

 

 半ばヤケクソに光輝は暁を受け入れようとしていた。どうせ現実じゃないのだ。いっぱい振り回された。なら、もう。遠慮などいらないだろうと。

 

 光輝にだって我慢がならない事もある。今がそうだろう。折角のお膳立てだ、食わぬは男の恥だろう。ならば――皿まで食ってやろうじゃないか!

 

 刹那、庭側の障子がバンッと開いた。

 

「うーーっす、岡本ォ!こっからけーらせろ!!」

 

「……あ?」

 

 光輝は首を横向けた。すると、其処にはよく見知った顔が。黒咲夜千代が。

 

「……え?」

 

 その隣にはまたまたよく見知った顔が。クリス・ド・レイである。

 

「……は??」

 

 夜千代は障子を開けたときの勢いを失って其処に固まっていた。理解が出来ないといった間抜けな表情だ。

 

 クリスと夜千代、二人の目の前に映ったのは。裸の少女に布団の上で馬乗りになられはだけた、見知った少年という構図だった。

 

「「「えーーーーーーっっっ!!??」」」

 

 絶叫する三人を尻目に、暁はこめかみに手のひらを当てた。

 

「いや、驚きたいのはこっちのほうなんですけど」



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魂踊れや、赴くままに

 岡本光輝が横たわっていた布団の端にザン!と一つの刃が突き刺さる。黄色く光る光線のような剣、黒咲夜千代の「過去の遺物(オーパーツ)」から生まれし「光の剣(ジエッジ)」だ。投擲された。光輝はその危機に顔を青ざめる。

 

「私のダチは従妹のロリに手ェ出すペドさんだったとさ。いよし、未練はねー。遠慮なく逝け。後藤征四郎が泣いて喜ぶロリコンだ」

 

「まーて待て待て待てやっちんよ!お前は何か勘違いをしてる!俺とコイツは二歳しか変わらんぞ、ペドじゃない!ギリロリコンになるのかもしれんが!」

 

 ズシ、と庭から縁側へと土足で上がってくる妙に笑顔な夜千代に対して光輝は必死に静止の声をかける。犯罪じゃない、同意の上なら犯罪じゃないぞ!ちょっ……それ以上来ないで怖い!

 

「なんとも不忠たる背徳。不逞も不貞、よろしくねぇな。ふてえやつだ、こりゃクリス・ド・レイに靡かん訳だ……安心しろ岡本、此処は天国だ。死んでもなんとかなるんじゃね?」

 

「そんな曖昧な定義で俺を殺すな!おい、クリス!ちょっと待って……コイツ止めて!」

 

「知りません」

 

 悲痛に助けを求めた光輝だが、庭で凍った表情のクリス・ド・レイはまるで石化したロボットのように動かない。ただ、その口から悲しげに声を漏らすだけだ。

 

 夜千代が近付く。終わったと思った。しかし、その時。光輝の上に跨っていた人物が立ち上がった。

 

 巫女服を着直して、夜千代の前に立つ。鬼灯暁だ。まるで女神のように。煌めいてやがる。

 

「貴方誰ですか?何で此処に居るんですか?」

 

「あたしゃソイツのダチだ。何で此処に居るか分からんから帰り道を聞くために此処に来た。そしたらどうだ、なんやらガキと乳繰り合ってる。気に食わねんだよ」

 

 暁は夜千代をじっくりと視る。夜千代は笑顔だ。「黒い」笑顔だ。対する暁は睨みつけるように。光輝はただ、事が収まるのを願いつつわたわたするしかない。

 

「貴方……人間ですね。霊障でも受けたのでしょうか?私が門を開いたときにうっかり作用したのかも。ええ、先に帰しますとも。私にはそれが出来る。私はこうくんと此処でやる事やってから帰るんで。文句ありませんよね?」

 

「なんだ、お前さんが光輝を此処に連れ込んでたのかい。そのとばっちりを私らは受けたと。カカ、伊勢はパワースポットだ。八百万の神の舞台……奇跡を起こせるのなら不思議じゃねー、有り得んな。おいお前、過ぎた力は身を滅ぼす。気が変わった、私はお前をぶちのめすよ」

 

 夜千代は、まるで喧嘩を売るように言の葉を紡いで暁の胸ぐらを掴んだ。別に何ら、彼女に対して不安感を募らせるようなことはなく。夜千代も経験からか知らないが、肝は座っているようだ。しかし暁は怯まない。

 

「は?貴方ガイキチですか?善良な一般市民捕まえて何言ってるのですか?」

 

「善良な市民様は他人に迷惑をかけない奴の事を言う。私は安眠を阻害されてね……だとしたらお前は悪そのものだろ?」

 

 そう言い終えて、夜千代はそのまま暁を庭へと放り投げた。暁は自身の足に靴を「願い」で履かせて、そのまま砂利へ押し滑るように着地した。それを追うように、夜千代もまた庭へと降りる。

 

 いや、待て待て。その様は明らかに「輩」である。因縁を振っかけた。とてもじゃないが、褒められたものじゃない。と、思って、夜千代の過去を思い出す……あ、元々あーいうやつだ。

 

「悪は叩く。この世の灰汁(アク)だ。要らない物はポイと匙ごと投げてやるのがせめてもの礼儀だ。手向けの花束とでも思っとけ、彼岸花(ひがんばな)ほど大層なもんじゃねーがな。……ヴィレヴァンにシュネッケンが売ってた、供花にくれてやる」

 

「傲慢な奴ね……我が名は暁月(ぎょうげつ)、屠月の明!汝に押し付けるは不在証明の烙印よ!」

 

 世の中で気に入らない奴全てに喧嘩を売っていくスタイル、敵は居るだけ居た方が元気が出るようだ。それが、黒咲夜千代。彼女は張り合うのでなく、張っ倒して生きていく。一方的に。

 

「澄んだ、いい魂の色だぁ……恍惚するね。そんな無垢でいたいけな邪悪を知らない少女の泣き顔を見るのもまた、オツなのかもねぇ。そんじゃ、泣いて喚け。見せてくれよ」

 

「You can't see me(見えっこねぇ)」

 

 夜千代はまるで微笑みかけるように、暁は右手を自身の眼前で振って挑発するように。相手を向かい立つ、二人の少女。もう止まらないだろう、アレは。そんな風に思いつつ、光輝は縁側で座ってその光景を見てた。

 

 その隣で、ようやく時が動き出す人物が。クリス・ド・レイが、なんとかその隣に並んで座る。

 

「あの……止めなくていいんですか?」

 

「止まるわけねーだろ。岡本光輝は一般人だ、神の意思の代行者と過去の遺物を司る天才の間に板挟みされてみろ。金印のチューブワサビみたいにすり下ろされた状態になる」

 

「……貧乳が好みなんですか?まな板系ですか?」

 

「馬鹿言え。俺はクリスのDカップが大好きだ。ロリコンじゃない、むしろお姉さん系が大好きだ」

 

 ……って、あれ。俺何言ってんだ。弁明をしようとして、どんどんぬかるみにハマって行ってる。おいおい、岡本光輝よ。そりゃぶっ飛び過ぎだぜい。

 

「カップ数、分かるんですか?」

 

「超視力舐めんな」

 

 もう、敢えて開き直った。ここまで墓穴ほると後戻りは出来ん。……さて、後の問題は。

 

「私は天才だ!「光の剣(ジエッジ)」!!」

 

 あそこの二人にどうやって仲良くしてもらうかだよな。……うーん、どうしよ。



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魂踊れや、赴くままに2

 夜千代が砂利から音を立てて蹴り飛び、その両手に「光の剣」を握り締めて鬼灯暁に斬りかかる。その様はさながら切り裂き魔。まだ幼き少女に斬りかかる不届き者だ。

 

 ゲィン!と、鈍い音が鳴った。まるで鉄が、電動ノコギリに当たったあの音。火花が飛び散る。夜千代は落ち着いてもう片方の、左手の剣を当初の予定通りに相手に動かす。が、外れ。気が付けば後ろに暁は飛び跳ねていた。……すばしっこい。意外と身軽、か。

 

神威(かむい)弦月(げんげつ)」」

 

 暁の手には、ひとつの刀が。その形は、一般的な日本刀とされる物だろう。日本型特有の反り、あれが中々どうして、鍔迫り合いでは厄介だ。叩き切る目的の西洋剣とは別の、切り裂く事に特化した(かたち)の剣。それを、暁は両手で握り締めていた。何時の間にか。

 

 夜千代の初撃を、暁は刀でモロに受け止めた。故に、鈍い音。侍の技術では無い、あんな受け方をすると日本刀は結構ポロリと折れる。ならば彼女は素人(トーシロ)。戦いは不慣れだろう。だったら美味い。

 

「おいおいジョーちゃん、結構やるね。身軽だ、足元が軽い。スポーツでもやってんのか?」

 

 否。スポーツをやってる者の足さばきでは無い。完全に独学、瞬発力は高いが無駄が多い。

 

「そういう貴方は随分と体勢が悪いのね。性格が身に出るのかしら、腐った(くっさ)い悪才の塊だわ。そういうの何て言うか知ってる?「邪悪」っていうの」

 

 暁は刀を、弦月を空に向かってかざした。すると、さっきまで黄色く綺麗だった満月がいきなり真っ赤に染まる。そして、闇夜一帯を赤く染めた。

 

「滅ぼすわ、罪をね。そしてもっと胸を張って生きなさい」

 

 次に、暁は刀を夜千代にまっすぐ向けた。それはまるで誇りを突き刺すように。

 

 無論、夜千代は高らかに笑う。

 

「ケケ、いーや無理だね。そこまで崇高な人生送って無くてね……猫背で行くわ。なんなら地に胸を這って行こうか?あ、ごめんやっぱ無理だわ」

 

 次の瞬間、夜千代は脱力する。元々、夜千代は猫背気味だ。その前かがみの体勢を、さらに前へ。そして歩き出す。首を、肩を、体勢を左右に揺らして。動きは悪漢が行うようなそれだ。刀を前に突き出した暁に向かって。

 

 段々と足が早まる……そして夜千代は数秒後に駆け出した。

 

「ぶっ刺してみろォ!!」

 

「ぶっ飛ばすッ!神威「須佐之男(すさのお)」ッッ!!」

 

 暁の刺突の構えはダミー。そこから、暁は地面へと刀を振り下ろした。そうすると、刀から光の衝撃波が生まれ前面一体を埋め尽くした。

 

 が、夜千代は相手の行動に対処出来るように仕組んである。光の剣を解除する。

 

「モード「喰雷(クーライ)」、ライトニング・ボルト」

 

 バチり、と夜千代の体に雷が迸る。光の波よりも早く、夜千代は足を前へと進めた。正確には、斜め前へ。拡散する光の波の動きを読んで、それを回避するように。到着地点、暁と多少なりとも距離がある。

 

鳴神(なるかみ)

 

 次に、夜千代は雷を纏ったまま両手を開き、そこから親指と人差し指を伸ばしたまま後の指を折り込んだ。俗に言う「拳銃」の形に握り締めた。ジャンケンではインチキの無敵を誇る。

 

 その形の人差し指から、雷撃を暁に向かって放った。勿論早く、暁はそれをまともに身に受ける。

 

「神に神のなんたるかを説く事をチャカにテッポーっつーんだっけ。わり、わたし学ねーからわかんなくてよぉー」

 

 煙が舞う。夜千代は追撃しない。なぜなら、「馬鹿にしてる」から。相手を常に下に見て、上から優越感の隠った黒い心と黒い眼差しで見つめる。

 

「ゴミクズがぁッッ!!」

 

 しかし、暁無傷。火力が弱かったか。服が軽く焦げただけで済んだようだ。なるほど、身体強化も使えるか。

 

武甕槌(たけみかづち)

 

 夜千代の次の手。今度は「雷の槌」を作り出して両手で握り締める。大きい。人一人分はあるデカい槌だ。

 

「あんま巫山戯るなよっ、神威「武甕槌」!」

 

 なんと。暁も同じ「雷の槌」を作り出したじゃないか。しかも夜千代のよりも一回り……いやふた回り大きい。夜千代の「劣化コピー」よりも本物に近い。さっきから不思議に思っていたが、彼女の能力の法則性を辿る。こりゃあ人為型っつーより自然型だな。神寄りの力、自身を寄り代に神力を使える……ああ、なるほど。「願いを届ける」能力か。

 

「綺麗で美しいねぇ」

 

「馬鹿にィッ!」

 

 暁の方が踏み出しが速かった。流石にすばしっこい。暁は大きな雷の槌を振り上げ、上から圧力をかけるように夜千代に振り下ろす。愚直だ。素直で可愛い。

 

 だから、馬鹿なのに。

 

 夜千代は下から槌を重ねるように振った。馬鹿でも分かる事だ。「上から」と「下から」なら、上からの方が強い。それは、地球に重力があるから。重さを含め、引力を混ぜ込んで「上下有利(マウント)」が成立する。勿論、彼女はそうするだろう。夜千代は後手で、下からでいい。

 

 じゃあ、重力が無くなったらどうだろう。それを、強い力でぶっ飛ばすのはどうだろう。

 

「重力解除+極一刀流」

 

「な――」

 

 カッ、と雷鳴が轟いて暁は上空に吹っ飛ばされる。夜千代は地面だ。余裕を以て振り勝った。武甕槌を解除して、右手で赤月に対してサンバイザーを作るようにして暁を目で追った。

 

()()ー、()()ー。正直者は馬鹿を見るぜ」

 

 黒咲夜千代のレーティングはBレートである。あくまでカタログスペックで言うならである。人間の出来る事、思い付き、常識……それらを踏まえてデータベースにBレートとされている。

 

 しかし、この少女。決して常識に縛られるという事は有り得ない。彼女には信条がある。それは「相手より上に立つこと」だ。

 

 相手を馬鹿にするのが楽しくて楽しくてしょうがない。小馬鹿に、からかって、自分は優越感に浸るのだ。ああ、相手を踏みにじるのが楽しい。因縁を吹っかけて一方的に勝つのがたまらない。自力の差は大きくていい、負けてていい。重要なのは出し抜く事だ。相手のやりたい事を踏みにじって、足でグリグリと、踏み潰して、捻って、ケケケ。そして力のぶつかり合いで、僅かに開いたそれを、こじ開けて大きくする。無理矢理、それが気持ちいい。快感である。

 

 彼女の戦いとは、ひたすら相手を馬鹿にすること。事、それは戦いにおいて奇遇にも一番重要な事とされる。「如何に相手がされたくない行動をするか」。そういう意味では、彼女の戦い方は道理にカッチリとハマり込む。

 

 彼女の能力と性格、そこから来る無限の対応力。意外や意外、それを踏まえてしまうと彼女は「Sレート」と肩を並んで歩けるほどの驚異である。最凶最悪。それが黒咲夜千代という少女だった。



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魂踊れや、赴くままに3

 縁側で座り込み膝に肘を立てて手のひらで頬をつく岡本光輝。少し楽しそうな、少し厄介そうな。いまいち踏ん切りが付かない、曖昧な眼をしていた。

 

 ああ、そんな気がする。

 

 黒咲夜千代という人物の姿。彼女を見ていると、なんとなく理由が分かる気がする。岡本光輝は、彼女と気が合う理由が分かる気がした。

 

「凄い……あれだけの……」

 

 クリスはただ、驚く。彼女達二人の攻防に。情勢は夜千代が有利だ。しかし、目を見張るとなるとそんな簡単な感想で済ましていいわけじゃない。

 

 言ってしまえば、彼女らは異常である。

 

「まさかだと思ったが、暁の力は「超視力」からさらに「願い」を視て事実的に「具現化」する……しかもその力を取り込んでいる。ああ、分かりやすく言うとな、アイツは神様の力を使っているんだ」

 

 神様。クリスは目をパチクリさせた。俄かには信じ難い。光輝は幽霊を視る事が出来る。ならば、その他のまた別の物も。特殊な何かが視えているのだろう。

 

 神様。ジパングには多くの神様が住むと言う。有名どころで言うとアマテラスオオミカミやツクヨミノミコト。それぐらいは外国人のクリス・ド・レイでも知っている。文献で読んだ。……漠然なイメージでしかないが。

 

「え、ええ……彼女から何かこう、ビリビリとした物を感じます。けれど、その、神というのは」

 

「んーとな……なんつーか、人の……こう、想像力だ。「あれがいい」「これがいい」っつって。例えば、俺が瀧シエルの力が欲しいって思ったら、その力をそのまま使えるわけだ。俺がイメージした瀧シエルの力をだ。オリジナル程の精巧さは無いが、逆にオリジナルを超えてしまう事が出来る可能性もある。それが「願いの具現化」だ」

 

 光輝は脳内から頑張って自分の考えを述べる。言えば言うほど夢物語のように聴こえてくるが、事実なのだからしょうがない。うまく言えただろうか。多分、例えるとこうなる。

 

「まあ、正確には願いを視て具現化だから、多分自分の願いは具現化出来ない。けどアイツは普段から視てきてる物がある。それは「神への祈り」。日本には幾つもの神社があるが、伊勢にはその総本山「伊勢神宮(いせじんぐう)」がある。勿論、参拝する人々の数なんざ幾ら数えても足りゃしない。そんな複雑に入り乱れた願いをどう纏めるか……だからアイツは「神威(かむい)」とわざとらしく付けて存在の証明を促している。簡単な事だ、「(かみ)()()る故「神威」」。言の葉にして紡ぐというのは分かりやすい、括り付けて方式を固めた訳だな」

 

 たかだか(よわい)十四歳の少女が。そこまでしっかりと自分を理解して、周りを理解して、能力を行使できるとは。なんつーメンタルだ。岡本光輝以上に世界というものを現実的に受け止めているのかもしれない。現実とは、敷かれた白線の上をはみ出さずに歩くような物なんだと。

 

「あー、ちなみに俺はアイツと良く似た能力の歴史上の人物を知ってる。(セント)ニコラウスって言ってな、彼もまた願いを叶える能力を持っていたそうだ」

 

「それって、もしかして……」

 

 偉大なる聖者、聖ニコラウス。その言い伝えは、世界各地で未だに残されていた。12月25日、聖夜の日に子供から願い事を聞いてプレゼントを配るあの人だ。

 

「サンタクロースと同じ能力。聖者のそれだ。海外の異能力者の土地にその末裔が居るとは聞いてたが、まさか()(もと)の神の根城にも同類が居るなんて驚きだろうよ」

 

 聖者と同じ力を持つ、鬼灯暁。彼女が凄くいい子で助かった。もし悪い奴にあんな能力が行き渡ったらそれはもう目が当てられない。

 けれど、彼女なら大丈夫なんだ。光輝は暁を信頼していた。岡本光輝の数少ない家族。父が死んで、母が居て。そして、彼女も居る。事実上の妹。だから光輝は彼女になによりの信頼を置けた。

 

「ほんで、その暁に対して有利に立ち回ってる夜千代は何者って話だよな」

 

「あ、そうです!それですよそれそれ!」

 

 話を大分逸らしたが、今注目すべき点は次にそれだ。黒咲夜千代は滅茶苦茶強い。正直、光輝が前見た彼女はこんなに強かっただろうか?という感想だ。

 

 本来、暁の使う能力は大きいプレッシャーを相手に与えているはずだ。見てるだけでビリビリ来る……となると普通は足が竦む。まともに立ち回れない。しかし夜千代は、臆することなく進んだ。勇み足だろうか?多分違う。事実、彼女の中ではある一定の法則が出来ていた。

 

 恐怖のタガを封印する。そうすれば、戦いというのは凄く有利に傾く。

 

 黒咲夜千代は戦闘中、無意識に恐怖のトリガーを「封印・解除」で封印している。意図的ではない。しかし、彼女が戦いに求める物の中で本能的にそれを要らないと判断し、切り捨て、戦っていた。

 

 恐怖を無くす。緊張感を消し飛ばし、物事を冷静に考え、戦闘を有利にする。一般人ならそこまで出来ないだろう。というかする必要がない。しかし彼女は一般人と言うには少々特殊であった。イクシーズ警察の中の暗部組織、「フラグメンツ」のメンバーだ。少しの焦りが、作戦のミスを招く。

 

 実践という荒波。その中で、彼女は恐怖を従える術を手に入れていた。簡単に言えば、場馴れである。能力で劣っていても、経験の差が勝敗を分ける時もある。

 

「神だか紙だか知らんが、んな薄っぺらいモンで人様を説けると思わんことだ。そういう気取った奴の鼻っ柱ぁ頭突(パチ)き砕いて(こうべ)にネリチャギ決めてすいませんでしたって言わせるのが私が生きてる上で何よりの楽しみなのさ。よし、波止場の船乗りごっこしようぜ。お前足をかけるアレな」

 

 上空にぶっ飛んだ後対空していた暁に夜千代は煽りを入れる。空も飛べるのか。しかしなんて事は無い、いくらでも(はた)き落す方法ならあるのだ。

 

 赤い満月を背にした暁は、苦虫を噛み潰したかのように表情筋をこわばらせて夜千代を睨んだ。

 

「鬱陶しいっっ!貴様はッッ!!」

 

「謝れば許してやる。地べたに這いつくばってははーとその(きたね)(こうべ)ぇ垂れやがれ」

 

 ズモン……と空で(うごめ)くものがあった。赤い空に(ひし)めく黒雲だ。夜千代の能力によるものじゃない。だとするなら、一人。暁の能力だ。しかも、夜千代はその能力が何か知っている。

 

 げっ、不味っ。おいおい、そりゃシャインさんの切り札じゃないか……!

 

 集まった巨大な黒雲から、一つ、また一つ、その次に一つ一つ一つと幾多数多もの光の剣が現れる。集いし、円を描きて、段々と黒雲が晴れて完成したそれはまるでシャンデリアのようだ。赤月の空を(てら)すシャンデリア。とても巨大な。

 

「地を這うのは貴様の方だ」

 

「人様の力に頼りっぱなしで気分はいいか?そういうのを「(もた)()たれつ」っつーんだ。おんぶにだっこだよテメーは」

 

 棚上げ。夜千代の能力も他人の能力をコピーをする能力であるため、実質他人に頼る事になる。能力系統自体は暁と夜千代、非常に似通っているのだ。

 しかして違うのは価値観である。千差万別、夜千代が良いと思うものと暁が良いと思うものは違うわけで。夜千代は暁を気に食わない。そんな夜千代を暁は気に食わない。喧嘩を売ったのが夜千代だが、暁はそれを買ってしまった。

 

 お互いが後に引けない状況だ。戦争というのは、些細な食い違いから起こるものである。

 

「偉そうに!神威「天降(あもり)天叢雲光剣(あまのむらくものみつるぎ)」!」

 

 煽られた暁は引くことができない。その多大な力を持って目の前の異物を排除しようとする。空から降り注ぐ数え切れない光の剣は、いとも簡単に人の命を奪う事が出来るだろう。追い詰められていた。

 力を行使した彼女が、追い詰められていたのだ。精神的に。それが夜千代の目的であるから。相手を暴走させて打ち砕く。

 

 夜千代はニッ、と笑った。襲いかかろうとする光の剣を見て笑った。

 

 まーだ、純粋なままだ……。だからこそ御しやすい。あーいう奴がなかなかどうして、誘導にかかりやすい。

 

 ボウッ、と夜千代の体から風が舞う。夜千代が次にコピーした能力はこれだ。一本だけの「光の剣」と「極一刀流」と「風の操作」。両手で握り締めた光の剣に、風を纏わせて。さらにそこに「流転式」を混ぜ込む。

 

 4つの能力の同時発動。チッ、やっぱり心臓にクるな……。心臓っつーか、なんっつーか、魂?震え(たぎ)ってきやがる。が、これでいい。今はこの熱さが必要だ。少なくとも、Sレートでありフラグメンツのコード・フォースたるシャイン・ジェネシスの切り札を止めるにはこれぐらいの魂が。そう、魂だ!

 

「魂ィィィィィッ!!」

 

 夜千代は奮い立った。柄にも無く熱くなる。あ、これ意外と楽しい。人が闘争にお(ねつ)する訳が少しだけ分かった。さあ、目の前のあれを防げ!そして次はアイツを!行くぞ、なあ!

 

「下がってください。貴方は些か(せわ)しない」

 

 ザッ、と夜千代の前に滑り込むように立つ人物が。夜千代の眼はその背中と、夜千代をいたわるように差し出された左手を捉えた。

 

黒城(こくじょう)天落(てんらく)

 

 黒い長髪とローブを靡かせて彼女は右手を上に払う。すると、どうだ。さっきまで迫っていた光の剣はあらぬ方向へ。赤い空にまるで吸い込まれるというか、落ちるように飛んでいった。暁が居た位置から丁度外されている。

 

「落ち着きましょう、二人共。全く」

 

 そこには、黒魔女と呼ばれるクリス・ド・レイが二人の仲裁をするように割って入っていた。



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魂踊れや、赴くままに4

「黒魔女……一体何をっ!」

 

 多少興奮気味の夜千代は、庇われようが庇われまいがそんな事はどうでもよく自分の行動を阻害したものとしてクリスに食いかかる。

 

 イラつく存在は踏みにじる。自分に害を成す者はぶっ飛ばす。それが彼女の生き方だ。相手が男だろうと女だろうと、それがガキであろうと。然るべき行動で世の中の厳しさってヤツを直々に教えてやる。それが黒咲夜千代のアイデンティティ……俗的に言うなら「エゴイズム」と。

 

 だから納得するまで止まらないし、止められたくない。故にクリスに対して突っかかる、が……そんな夜千代に向き直りて、クリスは逃すまいとその肩を両手で抱えた。勿論夜千代は嫌がる。

 

「おいっ、放せ!」

 

「放しませんよ。落ち着いてください、これはお願いです」

 

「何をっ……!」

 

 お願い。彼女はそう言った。この私に対してお願いだと……?と、疑問に思って、気付いた。クリス・ド・レイは「重力制御」を行使していない。素手で夜千代を抑えているだけだ。本気になったら振りほどけそうなほどに優しく。彼女の「重力制御」なら、そのまま夜千代を無理矢理ねじ伏せて止めることも他愛ないだろうに。

 

 一体何を考えていやがる……!舐めてんのか!?

 

「間違いがあるなら止めるべきです。それが私の正義。私はそこに割って入って、誤ちを正すもの。そして、それが友人であるなら尚更見逃せません」

 

 友人。彼女は、そう言ったか。夜千代は自分の顔が豆鉄砲を食らった鳩のようになっている事に気付いていない。

 

「友人って、おまっ……」

 

「ああ、ええと……この国では敬愛を込めるとき、こういうのでしたっけ。「友達(ダチ)」でしょう?私達」

 

 友達(ダチ)。いや、別にそう表現すると決まったわけでもなく。親友だの、連れだの、仲間だの、フレンドリーな表現はいくらでもあるのだが。そして、そういう話じゃなく。

 

 素直な好意を向けられて嫌な顔が出来るほど、夜千代は悪に徹せない。彼女の人間としての情、というのか。すぐさまにその顔は紅潮していった。

 

 夜千代は、意外と脆い。それは、「親しみを持って接せられる事」に対して。非常に脆い……両親は居ない、反抗期として当たる一番親身な相手が居らず。足りぬのは触れ合う相手、彼女は反抗期という物を辺りに当り散らすことで紛らわして生きてきた。そんな彼女には心の底から許し合える相手など殆ど居ない。一番最初の段階で拒絶してきたからだ。

 

 愛に飢えた少女、それが黒咲夜千代の一面でもあった。故に脆い。愛情というものに。

 

「だ、だだだだ、だちって……なっ、クリっさん……!!?」

 

 気が付けばさっきまで饒舌だった筈が今や舌も回らずに完全に行動を停止していた夜千代。その様子にクリスはにっこりと微笑みかけて後ろに下がらせる。ええ、休んでいてください。偽善でも何でも構わないんですよ、お友達のために立つことが出来るのなら。

 次に空から地上へとゆっくり降りてきた暁と対峙する。クリスは尚、笑顔である。

 

「……クリスさんはその人の味方?なら、私の敵なんだけど」

 

 敵意。それを向けられていた。暁から、「お前を倒す」というような。そんな感じをヒシヒシと受けている。笑顔は崩さない。

 

「いいえ、そうではありません……というのも、嘘になりますか。言うなら私は誰の敵でもなく。それは貴女も夜千代も。そして、誰の味方でもあるのです。無論、貴女と夜千代の」

 

 クリス・ド・レイのそれ自体は、厳密に言えば嘘になる。倒すべき相手……凶悪な犯罪者が居たとしたら、それはクリス・ド・レイにとって敵になる。親身になってなど考えてやらないだろう。明確に犯罪者に対して「味方」で無く「敵」として対峙出来る。それもまた、正義の在り方の一つで。遠慮をしないというのは強みだ。

 

 けど、その言葉の意味そのものは本当なのだ。彼女はこの場に居る全員の味方だ。最愛の人と、その従妹、友人。全てが自分に取って大事な人である。彼女がそれを「命懸けで守れ」と言われたら、言われなくても守るぐらいには。

 

「今回の件、どちらが悪いというか……些細な行き違いのような物でして。貴女にも夜千代にも罪は無いのですよ。「罪を憎んで人を憎まず」とは言いますが、その罪が無いのなら。憎むべきものは無いのです」

 

「……へぇ」

 

 暁は敵意の表情を消した。一先ずは、和解へと漕ぎ着けそうか。

 

 クリスは迷っていた。ただひたすら優しさで相手を包み込むか、それとも言葉の意味で誠実さを売っていくか。本当に気持ちが伝わるのは前者であろう。が、ケースバイケース。

 

 クリス・ド・レイからして鬼灯暁は信頼出来る人物である。しかして、鬼灯暁がクリス・ド・レイを信頼たる人物と定義づけていると思い込むには、些か早計であると思うのだ。

 

 自分が相手に抱く感情と相手が自分に抱く感情は、もっぱら別の物と言っていいだろう。というか、当たり前である。例えば、道端を歩いていた見知らぬ二人がすれ違ったとして、「あ、人がいる」。これなら同じ感情と言って差し支えない。仲の良い友人同士が「コイツとは気が合う」というのもザラで。でも、「私は君が好き」と「僕は君が嫌い」というのは平気で有り得て。だから、人間関係というのは怖い。うっかり間違って足を踏み出すと、それは虎の尾を踏む事に成りかねない。

 

 故にクリスが選んだ答えはとりあえずひたすら相手を懐柔する事。それが今の目的だ。

 

「しかし、凄い能力者です。私としても、憧れるものがありました」

 

 しかし、見えない地雷を踏むのが早すぎた。

 

「凄い能力……そう。憧れたから、何さ」

 

 暁にとって、そういうのは御免だったのだ。

 

「能力者だの、そうじゃないだの、私はそういう枠組みに囚われるのが大っ嫌いだ」

 

「……あの?」

 

 クリスの困惑。これはやらかしたか。

 

「どれだけ特別な能力だろうと、なんだろうと!私は私だ!鬼灯暁っていう人間だ!そんな物に憧れられて、困らないわけがない!」

 

「……!」

 

 異能である少女。それは外側だけで、中身はごく普通の少女なんだ。

 

「先へ進むだ?促進だぁ、革新だぁ?「イクシーズ」なんて大層な名前を付けやがって。私に大事なのは「在り来りな日常」だ、多くの人に大事な筈だ!そんなに特別がいいかよ、普通であることのほうがよっぽど建設的だね!特別ってのは、異常ってことだ!私はこの能力を明かすことなくっ、平然と暮らすために普通として生きてきた!悪いかよッ!」

 

 クリスにプレイングミスがあったとするなら、それは彼女が「岡本光輝」の従妹であるという事を失念していた事だろう。光輝の思考回路に寄り添って会話していけば彼女の地雷を踏むことは無かったはずだ。彼女の内面は、光輝と非常に似通った物がある。

 

「……えと、栄光の道を歩むのも、中々楽しいものですよ?」

 

 どっちつかずに陥ったクリスは。「前へ進むか」、「引き戻すか」の中から「ゆっくりと歩む」事を選んだ。引き返すのが一番丸いだろうが、そんな事は誰にでも出来る。今のクリスの狙いは、暁と分かり合う事にあった。

 彼女の言いたい事は分かるのだ。けれど、押されるだけでは、分かり合えない。受け入れただけで、理解してもらえてない。だから、少しずつ踏み出す。

 

「ふん……「井の中の蛙」って知ってる?日本の有名な話だよ。知らなきゃ良かったなんて事はいくらでもある。平和に暮らしたいなら、身内で、仲間内で。世界を知る必要なんて無く」

 

「はい。存じてます」

 

 井の中の蛙、大海を知らず。それを駄目だというものが居れば、それがいいと言う人も居るだろう。人間というのは十人十色で。

 

「人の命なんてたかだか数十余年だ。何億何兆もある星の命の中でそれは塵芥(ちりあくた)でしかなく、私らはそん中でピエロ演じるHam(ハム) actor(アクター)に過ぎない。なら、好きに生きるべきだよ。いずれ来る死のことなんか考えずに、踊らにゃ損々と」

 

 ……間違いじゃない。正論だ。その正論を。クリス・ド・レイが今更肯定して、何になるのだろうか。

 

 ……分からない。なんと言えばいいのか。

 

「そうだ、その状況がいい」

 

 その時、背後から掛けられる声。ああ、そうだ。きっと彼なら、彼女に対して適切な言葉をかけてくれるだろう。その登場はあたかもヒーローのように。

 

「だから、俺も踊るのさ。歪ながらも、教えられたてのタップダンスをな」

 

 岡本光輝。彼なら、きっと。



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Together

「こうくんは、私の味方だよね」

 

 伺うように、しかし半ば確信したように問う暁。その少しだけ不安そうな瞳が、なんだろう。保護意欲を掻き立てるのか。

 

「おう。夜千代は馬鹿だからな、俺はアイツの敵だ」

 

 当たり前のように光輝は暁の味方に回った。

 

「なっ!岡本、テメェ!」

 

「ま、置いといて」

 

 夜千代の呼びかけを光輝は無視した。クリスがどうどう、と抑えておいてくれている。やり易い。サンキュー。

 

「そうだよ、人生ってのは楽しんだもん勝ちだ。食う寝る遊ぶ……いや、働くのも必要だがな。そうやって人は営みながら生きる。合間合間で好きなことすりゃいい」

 

「うん、うんっ!そうだよね!だから、こうくん!私と一緒に伊勢で――」

 

「――が、使命感、ってのもあるんだなこれが」

 

 食い気味の暁に対して、光輝は頭に手を当てて苦しそうに呟いた。ここで一旦、突き放す。

 

「やりたいこととやらなきゃいけないことは当然の如く別だ。やりたいことは最高に楽しい。けど、人間ってのは一人で生きちゃいねぇ。やんなきゃいけねーこともあってな。やれ勉強だの、人付き合いだの、部活動に体力作りに健全な学校生活……これら、全部「使命感」で出来てやがる。別に全部スルーしても生きていける。それで成功したやつも少なからず居る」

 

 そう、それこそが白線の上をはみ出さずに歩く事で。「使命感」とは、人を人たらせる、重要な人生の部品(パーツ)である。

 

「けど、無視したらそれは「普通じゃない」のよ。結局、使命感に従う事こそが普通であって。出来る事をやる事こそがそいつにとっての普通になっちまうんだ……やんなるよな。まともに生きりゃまともに生きるほど縛られていくんだ。期待とリスクを背負ってよ、武者震いしながら苦笑で引き受けて。けど、それも楽しいのさ」

 

 光輝は、なんとなく、ようやく気付いた気がする。自分で言って、自分で納得してしまった。なる程、こういう事だ。これまで毛嫌っていたそれが、「父親」を死に追いやったそれこそが普通なんだって分かってしまった。済んだことは、執着は此処で切り捨てる。いい加減死者の幻影に縋り付くのは辞めてやる!

 

「山あり谷あり、楽ありゃ苦もあるんだ。上を向いて歩くことが楽しいって、アイツに――アイツらに気付かされちまった」

 

 そして、光輝は背後を親指で差しながら諦めるように、しかし何処か楽しそうに笑った。その背後には揉めているクリスと夜千代が。

 

 暁は、少し悲しそうな顔をして――直ぐに笑顔になった。好きな人がそれを選んだ。なのならば、彼女はそれを送り出すことしかできないのだ。

 

「すまん、俺は伊勢に住むことは出来ない。イクシーズで自分のやりたい事、やらなくちゃいけない事を全部やってくる」

 

 光輝は暁で無く、彼女達を選んだ。私は選ばれなかった。

 

 悲しいな。でも、うん、うん……仕方ないよね。それがこうくんにとっての日常なら。

 

「はは、フられちゃった……そんなに向こうの女がいいのかな」

 

 暁は納得しようとする。こうくんは決めたんだ。必死に考えたんだろう、あれだけ日常が好きだったこうくんが。ずっと一緒だったこうくんが。

 

 頬を、温かいものが流れ落ちる。唇の端から口内に染み込んだ。しょっぱい。

 

「あれ、おかしいな。涙、っ、分かってる、つもり、なのにぃっ……!」

 

 悔しい。納得したい。ダメだ、どんどん溢れてくる。どうして止まってくれないんだろう、こうくんにこんな無様な姿、見せたくないのに……格好悪いよ……。

 

 手で必死に涙を拭おうとする暁。口が歪み、嗚咽が漏れる。その震える体を、光輝はそっと抱きしめた。

 

「おいおい、泣くなよ。別に二度と会えないってわけじゃねーんだ。盆と正月、年に二回は帰ってきてやる。結婚はしてやれんが、せめて兄として優しく接せさせてくれ。数少ない家族でな」

 

「っ……ははっ、やっぱこうくんは優しいなぁ。ありがと、ありがとね……!」

 

 上ずり気味の暁だが、顔はもう笑顔に。傍から見たら、まあなんと仲睦まじい兄妹だろうか。

 

「……」

 

「……」

 

「おい、黒魔女」

 

「なんでしょう夜千代」

 

 その様子を、生暖かい視線で見つめる二人。夜千代とクリスだ。 

 

「私らいらなくね」

 

「でしょうね」

 

 ま、まあ一件落着という事で。そんな風に心の中で自分に納得させつつ、落ち着くまでその様子を見守った――

 

――泣き止み、息も整え、しっかりと立ち直った暁。

 

「よし、夜千代。謝れ。仲直りだ」

 

「なんで私がッ!?」

 

 いきなり切り出した光輝に対して夜千代は素っ頓狂な声を上げる。いや、全面的に悪いのはお前だぞ。気に入らないから喧嘩売ったってだけだもんな。何被害者ヅラしてやがる。

 

「ま、まあまあ夜千代、此処は丸く収めるという事で……。暁さんも、それでいいでしょうか?」

 

Suck(サック) it(イット)!コイツは嫌いです。が……こうくんとクリスさんが言うなら仕方ない。おい、貧乳男女。欠片のらしさも無い廃れたお前と握手してやる。感謝しろ」

 

「ケッ、可愛くねーガキンチョだぜ。力はあるが使い方もいっぱしに知らんお前が偉そうに言いやがって、ビービー泣き喚くまでいびってやりたかったがしゃーなしだ。ほら、仲直りの握手だ」

 

 お互いに不本意ながらも、その右手を近づけあった。光輝とクリスはそれを苦笑いで見守った。何はともあれ、これで仲直り――

 

「拒否ィッ!」

 

「マクードナールドッ♪」

 

 暁は握手の形から親指を除いた四つ指だけを根元から内側に素早く折り曲げて相手の手を(はた)こうとしたが、夜千代に至ってはそのまま手を上下に「M」の文字を描くように大きく動かしてそれを回避した。

 

 うん、駄目だこいつら。

 

「ケッ、カッカッカ!雑っ魚ー、山っ戯ー!これだからガキはよぉーう!」

 

「ぶっ、こっ、殺すっ、殺してやるっ!」

 

 腹を抱えて地面を笑い転げまわる夜千代と、顔を真っ赤にして地団駄を踏んで憤る暁。人をからかうことにおいては夜千代のが幾分も上手(うわて)のようだ。おう、分かったからもう帰ろうぜ。一生仲良くなれんわお前ら――

 

――ピピピ、ピピピ。

 

 何かが鳴ってる。なんだろう。目を開ける。薄暗い。段々と視界と思考がクリアになっていって。天井が見える。そりゃそうだ。耳元で携帯が鳴ってる。ああ、アラーム設定したからな。

 

「……あー」

 

 鬱陶しい掛け布団を跳ね除けて、ベッドから足を地面に垂らす。黒の薄いTシャツに薄桃色のショーツ。夜千代の普段着だ。冬でもこれだ。流石にずっと過ごしていると寒いが、寝てたらなんとかなる。体温は高いほうだ。髪はぼっさー、と所々跳ねている。だりー。

 

 ……ああ、ここ、ホテルだ。そういや私、伊勢にいんじゃん。

 

 とりあえず冷蔵庫に入れておいた缶コーヒーを取り出そうとして、ベッドから立ち上がった。暖房が効いているから、自分の家と違ってそこまで寒くない。一生此処に住んでたいな。ベッドは柔らかいし。

 

 ああ、そうだ。なんか、すっげー夢見てた気がする。大事な夢だった気がする。結構、壮大な――

 

「……あれ」

 

 覚えてない。いっつもそうだ、夢ってのは起きる寸前まで覚えててもいざ起きると全て抜け落ちる。不思議なものだ。

 

 ま、いっか。なんか損するわけでもないし。

 

 缶コーヒーのプルタブを開けて、キュイッと行く。おお、糖分とカフェインが私の脳みそに覚醒を促している。美味い、美味いぞ。

 

「……ああ、今日はおかげ横丁行くんだったな」

 

 本当に朝が弱い夜千代であった。



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愛おしき7 days

 ガヤガヤと賑わう店内。そりゃ、時期が時期故に当然のことで。12時過ぎ、昼時。日本の中でも屈指の規模を誇る神の社「伊勢神宮」。そしてその前に列挙する商店街「おかげ横丁」。今、黒咲夜千代が居るのはその中の一つの定食屋のカウンターだった。

 

 12月31日、大晦日。今日で良かった、今日が良かった。なぜなら、年末と年始の二日間、人が少ないとするならばまず前者。「年末」でしか有り得ない。行くなら、今日だった。

 仮に年始だとしよう。初詣がある。後は分かるな?「お話にならない」、だ。中京圏、名古屋市中央にある「大須観音」ですら1月1日って日はやたら人が来やがる。だっていくら三大観音の一つだって言っても……ねぇ?ありがたみを感じれるのだろうか。偏見かもしれんが。

 

 とりあえず1月1日の神社にだけは「近寄ってはならない」、そういう事だ。黒咲夜千代は人ごみが大嫌いだ。夏まつりの時に悪くは無いと思えたが、それでも嫌いなもんは嫌いだ。だから今日。心の底からお祭りが好きな奴は明日来い。

 

 ちなみに黒咲夜千代に信仰心なんて者は無い。神よりも他人よりも真っ先に自分を信じる。その次に自分の勘だ。なんと合理的であろうか。これだけは自身がある。ふふ、私かっこいいぜ。惚れるなよ?

 と……誰に言うでも無く、ただ「人が多いなあ」と思いつつ注文した料理をつついていると、丁度隣に空いた三つのカウンター席に、まず一人の男が座った。

 

「調子はどうだ?」

 

「別に。異常なしだ。平和で何より。そのまま黒魔女の手綱を上手く握っててくれ」

 

 常に浮かないような顔をしている少年、岡本光輝。夜千代の数少ない友達である。相変わらず黒い眼差しが人を落ち着けるやつだ。この平行線のテンションがいい。

 

「サザエのつぼ焼きか」

 

「ん?おう。ほんっと美味いな、これ。サイゼのエスカルゴを日本風に味付けしたような感じだな」

 

 殻付きのサザエを蓋の付いたまま醤油……出汁か?その辺りで焼くというか、煮るというか……とりあえずそんな料理だ。焦げた醤油の香りがたまらない。見た目の豪快さもさる事ながら、中々これがどうして。理に適っていて美味い。眼と舌と鼻、三位一体で楽しめる。素晴らしい。

 

「……確かにありゃ貝類だし美味いが、ゼリヤのあれと一緒にされるのはな……ちなみにサザエの本当に美味い食い方は刺身だ。肝とかな、神だぞ」

 

 サザエの刺身……?なんだそれ、興味ある。肝って生で食えるのか……じゅるり、と涎が出てきた。しかし、ここで重大なことに気付く。こいつは痛い。

 

「あ、本当だ。メニューにもあるな。って、お前が居るって事はもしかしてクリスとかもうすぐ来るのか」

 

「おう。また今度にでも食っとけ。なんならそう珍しいもんでもないしイクシーズでも食える」

 

 なんとも口惜しい、流石に監視対象本人との鉢合わせは困る。その辺は上から念を押されているんだ。本当は岡本光輝ともあっちゃいけないんだが、まあコイツの事だ。口裏合わせは余裕だろう。しかしクリスとなると……合わせてくれそうではあるが。そもそも彼女には素性を知られていない、無理に明かす必要もあるまい。

 

「おう、じゃ、またな。次に会うときゃイクシーズかな。一先ず大丈夫そうだ」

 

「ん。あ、待った。これもってけ」

 

 そうして、光輝は所持していた紙袋から一つ、手で持てる程度で長細い六角形の仰々しい箱を夜千代に渡す。

 

「なんだ、これ……?ん、ニッキの香りか?」

 

「生姜糖っつーんだ。一応伊勢名物でな、お前への土産だ」

 

 箱から薄く染み出た独特な鼻を刺すような香りがなんとも言えない。和菓子か。しかし、ほう。あの岡本光輝が土産とな。まさかの伏兵に夜千代は思わず嬉しくなる。

 

「おっ、おう!あんがとな?」

 

 普段からお礼というものを言い慣れていないせいで語尾が若干おかしくなってしまったが、再度言い直すのも気恥ずかしいので諦めてその場を後にした。

 

「……サザエの壷焼きか。良いな」

 

 貝類の食べ方は人によって大きく好みが分かれる。独特な磯の香りを楽しめるなら刺身、あれが苦手だという人は焼きで。光輝はそういうのは大の好物なのでもっぱら生食が好きだが、クリスは分からない。外人ってあの味は大丈夫なのかな?

 

 しかし、生のサザエってのは本当に美っ味いんだ。ゴリゴリとした食感、鼻孔を擽る鮮烈な磯の香り。個人的にはアワビの刺身よりも好きな程に。よし、食おう。サザエの刺身、クリスと暁を巻き込んで食おう――

 

――夜の境内。犇めく人々の中で、光輝と暁は並んで立っていた。母親達は今頃家で酒でも飲んでいるだろう。クリスは、その……トイレだ。長い列に並びに行っている。

 

大篝火(おおかがりび)ってどんな意味があるんだ?」

 

「んとね……さあ?大きな火を焚いて、神様をお呼びして、そして参拝するって流れじゃない?」

 

「まあ、理には適ってるのか」

 

 当たり障りのない話をして時間を潰す。しかし待ち時間もあるし、あの件について整理するなら今だろう。まだ、彼女とはその件について深い言及をし合っていない。光輝はそれまでの疑問の全てを暁に問う。

 

「結局どういう事だ?夜千代もクリスもあの時の出来事は一切覚えてないようだが、俺は覚えている。それと、あの中では確かに日にちが立っていた筈だ。が、帰ってきたら物の数分も立っていなかった。まだ明け方だった」

 

 あれから、光輝達はすんなりと帰ってきた。そう、本当にすんなりと。

 

 「星の記録」の中から出てきた光輝達はそれぞれが元々居た位置……「場所」と、「時間」。ほぼそのままに帰ってきた。多少の誤差はあるかもしれないが、概ねそのままだった。

 

 そして、その出来事を光輝と暁は覚えているが、クリスと夜千代は一切覚えちゃいなかった。問いただしたわけじゃない。しかし、覚えているには反応が淡白だ。なら、覚えてないと見るが正しい。

 

「さあね。人の夢と同じじゃない?覚えてる時は覚えてるし、覚えてない時は全く覚えてない。夢の中で何時間も過ごしたように感じても、起きたら30分くらいしか経ってないのとおんなじじゃない?体感時間の関係かな」

 

「そんな適当な……」

 

 多分、その辺は暁にも分からないんだろう。そもそも幽世(かくりよ)で光輝達とクリス達が同じ時間を過ごしていたかどうかすら怪しい。そういう素振りは無いようにも見えた。あの場所の時間の流れ方はどうなっているのだろう。考えるだけ無駄なのかも。あの場所は特別だ。

 

「……もしかしたら、幽世が夢みたいなんじゃなくて、夢が幽世みたいなんじゃないかなぁ。デジャヴとか、走馬灯とか。それらひっくるめて人の脳みそ全部が「星の記録」を真似た物だったりして」

 

「……んう?もうそこまでいくと哲学の領域だな」

 

「ごめん、自分でも何言ってるかわからなくなってきた。気にしないで」

 

 段々と難解になっていき、収拾がつかなくなる前に二人してその話題を閉じた。考えても分からない事のほうが世の中は多い。まあ、今此処に居ることは確かだしよしとしよう。おお、ほら気が付いたらクリスも帰ってきた。大篝火か、懐かしいな。目の前で轟々と燃える様は見ていて高ぶるものを感じる。

 

 尚、クリスはこれを見て後に「ジャパニーズ・キャンプファイヤー」と勘違いすることになる。彼女の見てきた文献が本当に気になる――

 

――そんなこんなで、イクシーズからの外出許可証の期限いっぱいまで伊勢で遊んだ俺たちにも、遂に帰る日が訪れた。

 

 思い返せば夢のような七日間だった。一回だけ慌ただしかった事もあったが、それ以外は特別な事もなく。夢のようなのほほんとした時間をクリスと暁、そして偶に夜千代達と過ごした。……母さんや伯父さん達はずっと飲んでいたが。しかしそれでいい。折角の年末年始だ、休める時にしっかりと休んで遊んで。だからこそ、明日へとまた歩き出せる訳で。

 

 して、今日は出発の日だというのに、一人足りない。大事な人だ。

 

「あれ、母さんは?」

 

 岡本陽。光輝の母親が居ないではないか。出発の日だというのに、何処に。母さんのことだからてっきりまた朝から飲んでると思ったが。

 

「うん?あいつなら例の場所だろ。盆の時にも帰る日にはあそこに居た。お前の母親も父親も、本当にロマンチストな奴らだった」

 

 答えてくれる伯父さん。例の場所って、一体。光輝には見当が付いていない。

 

「あの、それって……?」

 

「なんだ、知らんのか。夫婦岩(めおといわ)だ。お前の父親、岡本(おかもと)直輝(なおき)鬼灯(ほおずき)(ひなた)に愛の告白をした場所だよ」



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Fade out

 彼方まで届く青だ。海の表面に、空の色が反射してそう見える。成層圏の色。地平線の向こう側にはかろうじて山が見えた。

 

 海の上に、その二つの岩は立っていた。大きな岩と、小さな岩。その二つはまるで縁を結ぶかのように大注連縄(おおしめなわ)で紡がれている。

 

 彼女は橋の上から、ただその姿を見ていた。ザザーっと、波の音が聞こえる。彼女は、何度この景色を見たんだろう。

 

「此処に居たんだな」

 

 光輝は彼女に声をかけた。岡本陽。光輝の母は、この場所でただ何をするでもなくそうしていた。

 

「知ってて来たくせに。どうせ聞いたんでしょ」

 

「まあ」

 

 陽は光輝の方を向かずにそう言った。一分一秒でもそれを見ていたいのだろう。

 

 ……ザザー。周りに人は居るはずなのに、何故か静寂が訪れるような錯覚を覚える。まるで其処が彼女だけの世界のように。ならばきっと、光輝は迷い込んだか引きずり込まれたかだ。

 

「まだあの人を恨んでる?」

 

 あの人。光輝の父親、岡本直輝の事だ。あいつは、この海に飛び込んで自殺した。

 

「恨んだ事も無いし、もう根に持つのもやめた」

 

 これは本当だ。いつまでたっても過去に縋り付いてていい事なんてない。

 

「そう。なら良かった」

 

 陽は陽で光輝の事を気遣って来たのだろう。あれから全ての事に強制をされた事は無いし、かといって日常生活はとても普通に接してきていた。

 

 母は母で苦しかった筈なのに。けれど、彼女は決して弱音など吐いた事が無かった。

 

「私ね、あれで良かったと思ってるんだ。あの人の最後」

 

 光輝はただ耳を傾ける。その言葉に一切の不信を抱かない。だって、彼女はこの世で最も岡本直輝を愛して、そして最も岡本直輝に愛された人の筈だから。

 

「あの人と過ごした時間、とっても幸せだった。とても愛おしかった。ほんとに夢のような時間でさ、この幸せは永遠に続くんだろうって思ってた。けど、当たり前のように永遠なんて無くて、むしろ「人」の「夢」だからこそ「儚く」て良い。あの人が死んで、すこししてから分かったんだ……」

 

 彼女は嘘を付かない。自分の息子である岡本光輝に対して。だから、光輝も陽を信じる事が出来て。

 

「あの人の最後の気持ちは分からない。けど、もしかしたら。あの人の中に何にも変えられないものがあって。あの人はそれを抱いたまま生きた事にしたくて死んだのかもしれない。だったら、それはとても優しかったあの人の中での唯一の「エゴ」。あの人がそれを選んだのなら、私は何にも言えないんだ。……可笑しいなあ。惚れた弱みってやつなのかなぁ。告ってきたのはアイツだったのに、何時の間にか骨抜きにされてたんだ」

 

 陽はそうして、眼を閉じた。「超視力」を持つその瞳を閉じて、耳を傾けた。ザザー。普段眼に頼りっきりになるこの能力だからこそ、こうしてじゃないと意識できない物もある。

 

「こうしていると、あの人の声が聞こえる気がして。あの人はこの海に身を投げたんだ。もしかしたら、あの人の魂はまだこの海に残っているんじゃないかって。はは、流石に与太が過ぎるか」

 

「そんな事は無いと思う」

 

 光輝は、それを否定できなかった。肯定するわけではないが、せめて否定は。

 

「そんな事は、無いと思う」

 

「……そっか」

 

 陽は眼を開けると光輝の方へ向き直り、その頭に手を置いてわしゃわしゃと強めに撫でた。

 

「まあ、アンタに望むのはそんな難しい話じゃない。先のことなんか分からない世の中だ。だから、せめて。とりあえず明日胸を張れるように生きなさい」

 

「こいつぁ難しい注文ですぜ」

 

「ははっ、こなせ」

 

 彼女は歩き出す。今日も歩き出す。そしてきっと、いつかまた此処で足を止めるんだろう。でも、それでいい。それがいい。偶にちらっと、後ろを振り返るぐらいなら。三歩進んで二歩下がるぐらいなら、きっと許してくれるだろう。

 

「「イクシーズ」に帰るかぁ……。あー、やんなるな。明日からまた仕事だよ」

 

「俺はまだ休みだね」

 

「コイツは」

 

 そう急く必要も無く、ゆっくりとでいい。だって、人の寿命は人が思うよりも長いのだから――

 

――駅の改札前で、光輝達は伯父夫婦と暁から見送りを受けた。

 

「それじゃね、こうくん。それにクリスさんも」

 

「おう。また来るよ」

 

「ええ。もし次に伊勢に寄った時は是非とも」

 

 手を振りながら別れる際に、暁は光輝に駆け寄ってその手を取った。

 

「あっ、ちょっと待って。神威「猿田彦(さるたひこ)」」

 

 バチり、と音はしないが不思議な感覚に一瞬包まれた。暁は光輝の右手の小指を自身の小指に絡ませ、「ゆびきり」をしたのだ。

 

「なっ……お前、現実(こっち)でも神威を……!」

 

 光輝の眼には見えた。彼女が実際に「神力」をその身に宿して能力を行使するのを。

 

「別に幽世(むこう)でなきゃ使えないなんて言って無いからね。縁結びをしたよ。その気になったらいつでも「阿迦奢(アカシャ)」を通って来てね?」

 

 そして、暁はそのまま「(やわら)」の要領で光輝の指を引っ張り――その頬にキスをした。

 

「これは「那由他(ナユタ)」の誓いだ」

 

「お前な……!」

 

「ははっ!またねー!」

 

 なんとも天真爛漫なことだろう。散々振り回しといていざ怒ろうとすると、ささっと逃げてしまう。光輝は軽く溜め息をついて、その姿に手を振った。

 

「形無しですね」

 

「うっせ」

 

 くすり、とクリスにすら笑われてしまった。いい、もういい。光輝は早歩きでホームへと向かった。

 

 少しばかり名残惜しくあるが、しかしまた。いずれ来るんだ。ならば気持ちは無視して、先に進もうじゃないか。

 

「ははっ、照れてやんのー」

 

「……。」

 

 母までからかってくる始末で。もう無視だ。

 

 三人で水上新幹線に乗り込む。母は早速売店で買ったビールを開け、クリスは海を見ながらはしゃぎ、光輝は自分の携帯にイヤホンを繋いで音楽を聞いた。

 

 外の青を眼に映す。なるほど、父親の魂があそこに眠ってるのなら……

 

「悪くはないな」

 

 そして、直ぐに光輝は瞳を閉じて音楽に意識を傾けた。

 

 しかし、最近「ムサシ」が返事に答えない。魂は確かに感じているから、問題無いとは思うが。











 クリスは気になる。普段光輝がどんな曲を聴いてるのか。

 音楽が好きな彼ではあるが、彼の好みをいまいち知っていない。クリスの好みはミスター・トラブルメイカーやジャスティファイズだ。やはり正義を歌う曲は良い。

 そして、今水上新幹線の隣の席で光輝がイヤホンを付けながら寝ている。

 これほどの好奇、二度とない……!光輝だけに!なんちて、なんちてー!

 ……コホン。ええ、では行きましょう。いざ!

「ええい、ままよ!」

 光輝の片耳からスポっとイヤホンを抜き、それを自分の耳に挿す。

「……オヒルノオトのエンディングじゃないですか」

 昼に流れてるラジオのやつですね。光輝が好んで聞いてます。なんというかお昼に流れる曲なのに夕暮れのような薄暗く、しかしどこかロマンティックを感じて非常に良い。ラス前の大サビなんて大好きで。途中で途切れてしまうんですが、そもそもあの曲に正式名称はあるのでしょうか。曲が終わり、次へ。

「この特徴的な神秘的な感じ……ああ、旅サラダの」

 土曜日の朝にテレビを付けてると流れてくる曲です。CM前だっけ、後だっけ?に、サビのワンフレーズだけしか流れないのですが、それだけで十二分に耳に残る美しい声と曲調。正直、あれからダイシさんのファンになったと光輝が言ってました。私も良いと思います。曲が終わり、次へ。

「……中山きんにくんの曲じゃないですか」

 前二つに比べてガラっとイメージ変わりましたが。ボンジョビ、という人の曲でしたっけ?盛大に粉チーズをぶっかけるやつですね。

「何してんだ」

「あっ、ええと……なんでしょうね?」

 どうやら光輝はこの曲の部分を目覚ましにしてるようです。そりゃいきなり「イッツマーイラーイ!」なんて耳元で言われたら起きますよね。


――side episode「日本に馴染むクリス」


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柳の木の下の待人2

 ふむ……初の感触だったが、なかなかどうして。あれは良き心地だったな。

 

 白衣に身を包み、腰まで届く長い白髪を揺らしながらジャック・ザ・リッパーは暮れ泥む学校の廊下を歩いていた。外の夕日に眼を傾けながら、いま一度、自分の口に手を当てて考えてみる。その唇を指でなぞってみる。生前に感じた事のない体験、「キス」の味だ。

 

 口には多くの神経が集まっている。その暖かさ、柔らかさ、滑らかさ――それだけじゃない。おそらく感情的な物もある。あれが何処の誰か分からん奴のだったら、只々不快なだけだろう。絶世の美女だろうが、世紀最大の美男だろうが、ああは行くまい。想像しただけで御免である。だとすると。

 

「ククク……はははっ……」

 

 ジャックは額に手を当てて笑った。今更なんだというのだ。この殺人鬼が。

 

 岡本光輝は見送った。今頃うまくやれているだろうか。なんて、心配をしている。有り得ない。自分は彼に毒されている。生前はこうじゃなかった筈だ。もっと、孤高で、孤独な。

 

 失われた過去を模索する。彼女は生まれつき、体に重大な疾患を患っていた。別に直ぐ死に至るわけじゃない。しかし、手を出せる医者は一切居ない。彼女は怯えた。いつか自分は「これ」に殺されるのではないかと。不備があった時に誰も手を出せないのだと。

 死を恐怖した。人が誰しも生まれ持つ本能の警報。彼女は読み耽った、あらゆる書物を。幾度となく勉学に励み、人体学を理解し、自己を高め、高め、高め……。

 

 やがて、そこに立ったのは一人の「怪物」。あるべきだった人間としての時間を奇しくも「生きたい」という恐怖に奪われ、誰からの理解も無く、ただ丘の上で一人、風を受けていた。

 

 彼女は、孤独な天才だった。故に、狂った。

 

「今更……今更だ……」

 

 一人だったジャック・ザ・リッパー。しかし、今は違った。何の手違いか幽霊として現界し、彼の者に「潜伏霊」として取り憑く日々を過ごしていた。

 

『ジャック・ザ・リッパー!俺にはお前が視える!』

 

 出逢いとしては最高峰であったと自負出来る。自分の在るがままを曝け出したつもりだ。殺して、殺して、殺して、殺そうとして――有り得ないだろう。戦争でもない、なんの正義も無しにただ自分の存在の証明をする為に殺した。「生きた証が欲しかった」、だなんて。もう死んだはずだろう?私は。そして、負けて。理解(わか)った筈だ、ただの壊れたモノだって。だというのに、彼はなんとこう言って見せた。

 

『単刀直入に言うぜ、俺と契約しろ』

 

 正気の沙汰では有り得ない。こんな狂った玩具、拾わずに捨てておくべきだ。爆発が怖いのなら丁重に処分してやりゃいい。なのに、あろう事か。彼は私を受け入れた。素性を知った上でだ。

 

 あれからもう一年は経った。彼は私を見捨てる素振り無く、つんけんとした口調で接してくれている。分からない。怖いのなら「丁寧に」対応すべきだ。いつ勝手に誤作動を起こすか怖くないのか?ご機嫌取りは良かったか?この私を普通の存在だと思っているのか?

 

 ……嗚呼。そんな彼だから楽しい。生活が楽しい。生前失った全てを、まるで今与えられたかのような。彼は私を「一人の友人」かのように見ているのか?……だとしたら嬉しい。

 

「笑えない……友達が欲しかっただけとはね……」

 

 彼女は孤独でなくなりたかった。ただ、それだけだ。それは、彼女の中で残った唯一の人間らしい部分だろう。

 

 だからこそ、鼻で笑える。

 

「死してなお現世に縋り付くなど、なんとも女々しい……そうは思わんか?」

 

 ジャックは動かしていた足を止めた。何時の間にか上には青い空が広がり、足元には草原が。青い空には月も太陽も無く、ただ「地球」が浮かんでいるだけで。見知らぬ場所だった、しかし何処か懐かしい。

 

 目の前には地平線、その手前に一本の柳の木が。柳の木の下には、一人の和装の男が。

 

「私が此処に居るというのは、呼んだのだろう?私を。どうせならお前さんの執着を聞かせてくれないか」

 

 その男はかいていたあぐらを解き、見ていた柳からジャックの方へと眼を移す。

 

「……おお、ジャックか。なるほど、(ぬし)がそうか」

 

 紺色の和装にちょんまげ、地面には二振りの日本刀が。実際に見合った事はないが、波長で分かる。岡本光輝の背後霊、「ムサシ」だ。

 

 此処は願い事が叶う場所だ。一体、彼は何を願ったか。

 

「ワシが求めた物……がははっ、恥ずかしながらワシには知らん物がある。死を賭して、幾多数多に死合い、正を積み重ね。武神を体現して……「死」と「知」、貪ったが故に気が付けばどんどん離れていったのだ。おかしな話ぞ、死にたがり屋が歩けば歩くほど「生」に近しくなっていったのだ」

 

 求めたからこそ遠くなる。願うからこそ、付かず離れて。「思い」とは「矛盾」だ。欲しいがままに出来ない。

 

「生涯武術と学問に励んできたワシが、そんなワシですらが知り得なかった物がある。常に隣り合わせで合った筈のそれはもう二度と手に入らなくなってしまった」

 

 没するまでの時間全てを己の存在の証明だけに費やしてきた男。一切の回り道をする事なく、溢れ出る才能の欲するままに強さを貪った。

 

「ワシが唯一知れなかった物、それはのう」

 

 そして、死してからもそれを願い続けた。今や、その強さこそ証明であり。彼の存在など知らぬ者は居ないというのに。貪欲に欲しがった。

 

「「敗北」だ」

 

 彼は待っていた。この場で、自分を倒すことが出来る相手を。呼んでいたのだ、最強の武士を超える強者を。

 

「望むなら叶えよう。この「神の手」、適わぬ者は無い」

 

 ジャックの答えを聞いた瞬間。ムサシはその腰をゆらりと上げ、二つの鞘から同時に刀を抜き、鞘は捨て去る。左手の小刀は目前の敵に向け牽制するように中断の位置、そして右手の大刀は今か今かと必殺の瞬間を待つように上段へ。構えた。

 

二天一流(にてんいちりゅう)宮本武蔵(みやもとむさし)(われ)()()()()(きざ)め!」

 

 伝説の武士(もののふ)、この場に立ち。全身全霊で、いざ(さむら)う――。



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神の手と二天一流

 ムサシは構えた。小刀を中段、大刀を上段にするあの構え、ジャックにはあれがなんだか分かる。

 

 ジャックも右手で武器を抜く。白衣の内側から、一本のメスをだ。

 

「開幕の合図は要るか?」

 

「いらないよ。なんなら、そら。はじめようか」

 

 そして、ジャックは左手でも白衣からメスを抜き、そしてムサシに投擲した。

 

「では、御免(ごめん)!」

 

 次の瞬間、ムサシはその構えのまま瞬間移動する事になる。メスは中段の小刀で斬り伏せ、足を素早く動かしてジャックに接近した。

 

 ジャックの顔から笑みがこぼれる。口角が釣り上がった。

 

 ジャックはバックステップでそれに「なんとか」対応した。ムサシの大刀の剣閃が、空間を切り裂く。僅かの差、ジャックの白衣の先端に切れ込みが入った。間一髪。

 

 は……速い!予想以上に!見えない!侍とはこういうものか!

 

 決して余裕から来る笑みじゃない。怖さを笑って紛らわせているというだけだ。ムサシの歩法、「摺り足」。その想定外の速さに驚いた。正直、意味が分からない。ありゃ歩くというより、ワープだろう!?

 だからこそ、恐怖するというのは有り得ない。恐怖は人を動かなくする。医者であるジャックには、それがよく分かっている。そして、生身じゃ到底あれに対応出来ない事も。

 

DRUG(ドラッグ)!!」

 

 叫ぶ。「薬」を意味する言葉をだ。その一言で脳内の信号が活発になり、身体全体に異常なまでの活性化が起こる。

 

 ジャックは右手のメスを投擲、さらに両手で白衣の内側から無数の「まち針」を手に取り、ムサシの方に「何度も」それを(ほう)った。

 

「正気じゃいられない境地。「強制的なプラシーボの促進」か……!」

 

 メスを回避するムサシだが、その眼前に幾多数多ものまち針が迫った。決して刺さっても痛くは無い。所詮、針に過ぎないからだ。だとすれば、これが意味する事は一つ。

 

 ムサシは大刀で風を起こすようにまち針を払った。当たるわけにはいかない。

 

「毒か!」

 

 そして、刀を振るった後にジャックが構えた物は。

 

「ご名答」

 

 拳銃。白衣の内側から取り出したそれを、ジャックはノータイムで撃つ。射線に問題はなし、むしろ大刀でムサシがまち針を払った為、その隙間は綺麗な物だ。

 

 迫る弾丸。迫る迫る。ならどうするのか。斬ればいいだろう。

 

 そんな、如何にも簡単かのようにムサシはそれを横の一閃で斬って払った。小刀の一閃、そして弾丸はもう「その場に存在しない」。不在を証明する一閃。

 

(ぜつ)燕返(つばめがえ)し……」

 

 嘘のような技法、「弾丸反(たまが)ね」。銃弾を「斬る」という行為、フィクションでも多く語られてきた。実は理屈的にはそんなに難しい事じゃない。

 

 素早い速度の弾丸に鋭い刀の鋒を当てれば、自然と「斬る」事が出来る。これは鉄同士がぶつかり合って熱を帯びるのと、丸い銃弾に対して鋭い刃が「摩擦無し」で滑らすように当たる事、そして弾丸の速度故に「切った方向に弾が反れる」事で人の体に結果的に当たらないことが理由になる。俗に言う「斬鉄剣(ざんてつけん)」の理論だ。その条件をぬるくしたものである。ここまでは「銃弾を斬る」事が出来るなら誰でもこなせることである。そもそも銃弾に対して刀を当てるのが無理というならば諦めていい。そんなレベルの人間は世界で指を折って数えれるほどだろう。「視力」だけでも「反射神経」だけでもこれらの条件は満たせないのだから。

 

 そして、あまりにもその熱が大きかった場合。弾丸の速度と刀の速度がある一定値を超えた場合にのみ、それは存在する。そうした場合、刀で切られた弾丸は不思議な事に異次元の彼方へ葬られるのだ。

 

次元斬(じげんざん)……ッ!?」

 

 空間のメルトダウン。溶け落ちた次元に弾丸が飲み込まれた。別にだからどうしたって事は無い。ただの「弾丸反ね」と戦闘結果に変わりはない。もし、これに意味があるとするなら……。

 

 くそっ、今、私は「恐怖」した!まずい、まずいまずいまずいまずいまずいッ!

 

 銃弾を乱射するジャック。その全てを、ムサシは摺り足で進みながら次元の彼方へと葬っていく。気が付けば弾切れに。ジャックは拳銃をムサシに向かって投げた。ええいっ、こんなものもういらん!

 

 ムサシが拳銃を両断するのを尻目に、ジャックはひたすら距離を取った。距離を取るという事は、そもそも有利になるというわけではない。「神の手」という能力の特性上、ある程度の距離を詰めないとそもそも攻撃に移れない。そこは問題ない、ムサシが「摺り足」による瞬間移動で追いかけてきてくれるのだから。

 だから今のこの時間稼ぎにしか過ぎない逃走は、破れかぶれの作戦を実行するため。ジャックは逃げつつも、白衣の内側からまち針をムサシの方に送っていった。

 

「どうした、戦いはもう終わりか?」

 

 刀でまち針を退けるムサシ、距離は15メートル。このぐらい……かッ!

 

「「今から」始まるのさッ!」

 

 ジャックは空へと大地を蹴って飛び跳ねた。人間の跳躍では無い。勢いを付けて飛び跳ねたそれは、とても高く、高く飛んだ。そして、飛び跳ねる途中もまち針をムサシの方へ。

 

 そして、最後。ジャックは空中で両手で計六本の「メス」を同時に、ムサシに投擲した。

 

「かっ、(ぬし)の白衣は四次元ポケットぞ?」

 

 もう空っ穴だよ……!

 

 高い位置からの投擲、これに意味がある。大事なのは相手の視界をかく乱する事だ。丹念に込めたこの一撃で、お前のナトリウムチャンネルを揺さぶってやる!

 

 幾つものまち針と六発のメスをムサシは大刀と小刀で切り捨てた。そして、気が付けば左手に違和感。気が付けば、ムサシは小刀を地面に落としていた。

 

 何……ッ!?

 

 ムサシの左腕から、ポロっと落ちる何か。ギラリ、と一瞬だけ空からの光に反射して、そしてそれは草原の地面に落ちて見えなくなった。

 

 裁縫……針……ッ!!

 

 ジャックは最後の針投げの時に幾つかの裁縫針も混ぜていた。メスの投擲時にも乗せるようにして投げた。まち針もメスも、視覚の攪乱。本命は何よりも見えない「裁縫針」。そのうちの一つだけがムサシに当たった。一つだけしか当たらなかったが、逆に言えば一つも当たったのだ。ならば、効果は覿面。

 

 ムサシの左腕は活動を停止している。今空中に居るジャックだが、直ぐにでも落ちてムサシに接近したい。片付けるなら相手が戸惑っている今だ。ならば……!

 

 ゆらり、とムサシの体が揺らめいて。次にザン!と両足で大地を捉えて腰を据えた。右手だけで握った大刀を左の腰に携え、ジャックに対してプレッシャーを放つ。

 

綺羅星(きらぼし)明里(みょうり)脳裏(のうり)(かん)()()け」

 

 ……いやっ、いやいや嘘だろう?お前は片手じゃないか。さっき「恐怖」した物がここで一気に来た。だから嫌だったんだ。

 

白玉楼(はくぎょくろう)(もん)(くぐ)れ!鬼羅夢刃(きらむじん)奥義(おうぎ)――」

 

「なぜそんな鬼迫を出せる!?15メートルの距離に届くと思ってるのかあァァァッ!!?」

 

「――「魔王(まおう)」!!」

 

 その一言と共に、ムサシは大刀を空中のジャックに向かって振るった。豪快な一閃だ。脳内の警報がサイレンをけたたましく上げた。ジャックの目には、どうしてもその刀が「空の向こう側まで」を斬り裂く物にしか見えなかったのだ。

 

 駄目だっ!「当たる」!あれは「当たる!」

 

BLOOOOOOD(ブラーーーーーッド)!!!」

 

 最終決断。ジャックは迫り来るその刀に対して、この身に届く寸前で刀身の腹を右足で下から蹴っ跳ねた。

 

 確かにそこに在る刀を(いち)(ばち)かの賭けで蹴って、その勢いでジャックはまるで鉄棒で逆上がりをするような体勢とムーブで地面へと急降下、大地にその足を付けることに成功した。体内からどっと嫌な汗が噴き出した。

 

 死の意識。人の最後の生命線。

 

 人間は常にリミッターをかけた状態で生活している。性能を引き出せるのはその中で精々30%が限度……。それより先を踏み出すと身体が壊れてしまう。脳がストップをかけるのだ。

 そんなリミッターを外せる方法がある。それは生命の危機だ。脳が「死」よりも「身体の崩壊」を選ぶため、人はその瞬間にだけ限界を超えることが出来る。尚、その後はお察しだ。それで命が買えるなら安いもんだろう。

 

 このジャック・ザ・リッパーという者。いつでもリミッターを外すことが出来た。脳内で意識するだけで強制的に「プラシーボ効果」を発生させ、身体を縛るタガを外し、その全力を行使出来る。これは「神の手」とは違って異能力では無く、特技である。特技も昇華すれば「二天一流」のように異能力に成り得るが……。

 そして成立する「100%」。これは脳内麻薬によるものだ。そこからさらにジャックは「身体の崩壊」を選ぶ事が出来る。これはいつでもとはいかない、生命の危機のみだ。既に限界を超えた彼女だからこそ、その限界を超えた限界という壁を突き破る事が出来た。「身体の崩壊」と引き換えに、だ。

 

 心臓を異常という言葉では生ぬるいほど強制的に酷使し、全身に血液を壊れるほど促進。その状態で得られる身体パフォーマンスはおよそ1.8倍。100%の1.8倍だから、「180%」。通常が「30%」だとしたら、その方程式の末はこういう(かい)で差し支えないだろう。

 

 通常の六倍。

 

 持つかっ!?後15秒!持たせる!それだけあればケリを付ける!大刀を振るったムサシ、左手は動かない――攻めるなら今だ!

 

 15メートルの距離をジャックは駆けた。ストップなど効かない、もう食い殺す事前提で。そもそもチャンスを逃した場合、次のチャンスは回って来ない。じゃあ殺す。今すぐ殺す!死んでも殺す!

 

 駆けたジャック、最後の武器「ジャックナイフ」を右手に持ち、ムサシの首元に食いつくとでも言わんばかりに飛び込んだ。

 

 ザシュン!とても心地の良い音だった。ジャックはこの音をよく知っていた。肉が、内蔵が切り裂かれる音だった。心地の良い音だった……。

 

「極一刀流・奥義「剛の一太刀」」

 

 その眼に映った直前の景色は、「両手で大刀を構えた」ムサシの姿だった。

 

 え……?何で……?

 

「心に刃を持つ者、故に「忍」なり」

 

 武芸百般(ぶげいひゃっぱん)(さむらい)とは、「(そうろう)」。(さむら)う者の意である。即ち、「あらゆる物事に対応出来る者」の事。それは芸者の「見栄切り」然り、忍者の「忍び足」然り。

 侍は凡ゆる物事に精通する。それは知識・技術に限らず、身体的にも。

 

 忍者は幼い頃から毒を微量に摂取し続け、成人した頃にはどんな有事に対しても毒の効果を受け付けず行動出来る正に「死の美」とも言える状態になるそうだ。現代では毒に耐性を持つ者を挙げるなら世界一防御力の高い「プロレスラー」を挙げる者も居るだろう。

 

 侍もまた、毒に対して耐性を持っている。左腕の麻痺は、既に剥がれた。

 

 ジャックの左手が直前でムサシの腕を握りつぶしていたが時既に遅し。その心の刀は、ジャックの体に深く深く。鎖骨を胸骨を貫き、左胸部に突き刺さっていた。心臓を潰してしまえば人の機能は停止する。



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Wonder World Exist~刻み合う傷名~

「ごぷっ……」

 

 ジャックの口から血が漏れる。赤いそれが、ジャックが息を吐き出すと同時にどぷり、と溢れた。唇から、顎を伝い、喉を赤く染めた。

 

 左胸部には深く深く、日本刀が突き刺さっている。ムサシが振り下ろした刀が、内蔵を切り裂いていた。人体構造で言うなら「肺」と「心臓」に位置する。「心臓」がエンジンであるなら「肺」は油圧装置。血液と酸素無くしては、人体は動かない。そして、肺は二つあれど、心臓は一つしかない。もう動かない。決着だった。

 

「ふむ……唐竹割りのつもりで振り抜いたがな」

 

 ムサシはジャックの頭蓋を切り割るつもりで両手で刀を振った。ジャックの高速移動故に微妙に位置がずれた事と、ムサシの刀を握った手をジャックが左手で真下から突き上げるように握り締めた事から「左胸部で止まって」しまった。もしムサシの手が握られなければジャックの体は両断されていただろう。その証拠に、ムサシの右手首は握られた衝撃でぐちゃぐちゃに変形している。血も滲み出ている。もう動かないだろう。

 

 しかし、結果がこれならなんの問題もない。ジャックは勝てなかった。ムサシは、また勝ってしまった。

 いや、なんの問題もない事は無いか。また、負けられなかったのだ。幾度となく望んだ敗北を、また叶えられなかった。

 

 ムサシは名残惜しく、その瞳を伏せた。

 

「強かった。本当に強かったぞ、これほどの緊張感ここ二世紀は無かった。確か、其の方名を「ジャック」と」

 

 ズグリ、と違和感。ムサシは眼を見開いた。ジャックの右手がムサシの左胸部に届いている。その手に握られたは「ジャックナイフ」。胸骨の隙間を縫って、ムサシの心臓に突き刺さっていた。

 

 反応するより前に、ムサシの身体は吹っ飛ばされた。ジャックの左手が握りこぶしを作って、ムサシの硬い右胸を殴り抜く。ムサシの日本刀を握っていた手が離れた。握られたままだったジャックナイフはムサシが吹っ飛んだことにより左胸部より抜かれ、その傷跡からはシャワーのように血液が飛び散ってジャックの白衣と白髪を濡らした。

 

 ジャックはナイフを放り捨てる。右手で血濡れの前髪を掻き上げて、痛みで呻き苦しそうなしかめっ(つら)を無理矢理笑みで化粧して見せた。草原に倒れ込んだムサシに吐き捨てる。

 

「「ARIS(アリス)」だ!冥土の土産に持ってきな」

 

 逆転した勝敗。倒れたムサシは朦朧と消えゆく意識の中で、尚も敗因を探す。手に残った感触、なぜ至ったかを。

 

 思い当たる節が一つだけ、あった。

 

「は……はは……「内臓逆位」か……」

 

「おお、お見事。日本刀越しでも分かるものだね」

 

 内臓逆位。書いて字の通り、内蔵が「逆に位置する」病気である。勿論その場合心臓は右に。

 それがジャックが生まれ持った「重大な疾患」である。発生確率は十万分の一程度……ありえないわけではない。しかし、そうなってしまった者には生きていく上で多くの枷が課せられる。内臓逆位による特有の左利き、医療による誤診、手術のミス……この世の全てが「正常」である人の為に作られ、発展してきた。故に見捨てられる、ほんのひと握りの「異常」。親は重大視しなかった。それが問題だった。

 

 彼女らは許されなかった存在だ。だから、彼女は自分で自分を治療できるようにした。何も出来ずに死んでいくなんて嫌だ。この世全ての医学を貪った。自分の脳構造を知り、理解してくれないファミリーネームすら必要ない物と淘汰して、その分の知識を詰め込み、そして完成した。

 

 医学の丘の上に立つ者。誰も寄る事は出来ず、理解されず、狂ったまま自分の存在を示そうとして、そして彼女は34歳の時に没する事になる。自分の頭を拳銃で打ち抜くという結末を選んだ。なぜなら、「闇医者として人を治す神」と「切り裂き魔として人を殺す殺人鬼」、自分でもどちらが自分なのかわからなかったのだ。人に自分の存在の証明をしたくても、自分が自分の正体を知らないのなら出来ないではないか。「リサ・ジャクリーン」と「ジャック・ザ・リッパー」、果たしてどちらが本当の自分だったのか。泥沼で足掻くことが嫌になって、誰よりも生きがった少女は、皮肉にもその手で自分を殺めてしまった。

 

 胸に刺さったままの日本刀を慎重に体から抜いて放り捨てると、ジャックは背を向けた。そして歩き出す。目の前に広がる地平線へと、足を踏み出した。

 

「お前さんの感じた孤独、私にも分かる気がするよ。私らは一人だった。誰にも理解されなかったんだ。どうだ、望みは叶ったかい?」

 

 ムサシはもう何も言えない。見上げているのは、ただ遥かな天空だけ。果たして、その空の向こうには何が見えているか。

 

 ジャックが感じていたのは妙な絆。お互いを深くと知らなくとも、戦いを経て残った物はなんとなくの理解。だから、その胸に名を刻み込んだ。

 

 与えるは「アリス」、受け取るは「ムサシ」。知名度的にはシャークトレードでしかないが、アンティルールという事にしておこう。勝者は私だ。

 

「大事な名だ、脳に焼き付けておくとするよ「宮本武蔵」。それじゃ私はご主人様の元に帰るよ、いずれ明夜(あかしや)の果てに。 “Sayonara(サヨナラ) Baby(ベイビー)”」

 

 踏み出したジャックも、倒れていたムサシも、柳の木ですらもう其処には無い。あるのはどこまでも続く草原と、空に浮かんだ地球だけだった。



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第九章 遥か空のイクシーズ
統括管理局とフラグメンツ


 青い空が澄み渡る桜並木の中。舞い散る花弁など目にもかけず、彼――土井銀河は目の前の彼女を見ていた。眼を逸らせなかった。逸らしたくても出来なかった。

 

 彼女の足元には倒れているのは三人の人間。成人男性と女性、そして少女。家族だろう。血が道路を濡らしていた。目の前の彼女は泣きながら、土井の方を見ていた。

 

 私を、殺して。

 

 土井はスーツの懐から拳銃を引き抜いた。心の中でその瞬間に何度も葛藤があったが、それが彼女の望みなら、と。その引き金を引いた。泣きながら、引いた。

 

 発砲音が鳴って、桜並木に彼女は倒れる。その話はそこで終わり。その悪夢はいつもそこから先を見せない。いや、むしろそこまでを何度も見せてくる。まるで後悔のように。

 

 僕がもし、あの時彼女を抱きしめていられたら――

 

――場所は新社会「イクシーズ」、中央地区の地下。カツ、カツと音を鳴らして土井銀河は薄暗い部屋を歩いていく。

 周りには緑色のランプを発光させている機材が幾つもある。緑色は問題無しの色、此処で島のあらゆる制御を行っている。浮島の地下がまさかこんな事になっているとは誰も思いやしまい。

 

 統括管理局(データベース)地下。それがこの場所だ。地上の表向きの施設と地下の裏の施設。多くの職員で成り立つそれはイクシーズの中でもエリートクラスの職務であり、目指すものも多い。給料も高待遇である。イクシーズ側からしたら、それだけの賃金を払っても有り余る利益があるのだ。その内の一つ、この施設「世界樹(システムツリー)」。

 

 奥に厳重に管理されたシステムの根本と、その周りを段々と内側から埋めていくアシストツール。正直、土井にはそれがなんなのか分かってはいない。一般人に理解出来るような物では無いのだ。恐らく根本を理解出来るのは普通の職員でも不可能で、精々が最高責任者の「パンド・λ・ローシュタイン」と「凶獄煉禍(きょうごくれんか)」と「氷室永冷(ひむろえいれい)」の三人くらいだろう。最高責任者はあと二人居るが、メカニズムの基本はこの三人で成り立っている。職員は彼等の指先に過ぎない。

 

 その地下で、職員ですら立ち入れない場所に土井は居た。これは暗部機関「フラグメンツ」の中でも「コード・セコンド」黒咲枝垂梅と「コード・サウス」土井銀河だけに与えられた特権。訪れた理由は一つだ。進めていた足を止めて、それの前に立った。目の前には巨大なバイオカプセル、その中には培養液と共に薄い布の服一枚だけを着た人間が浮かんでいた。瞳は堅く閉ざされている。

 

 黒咲桜花(くろさきおうか)。享年21歳。去年で26。能力は「君の欠片(フラグメンツ)」。他人の悪しき魂を吸収する能力と、溜め込んだ魂のエネルギーを斬撃として放出する能力。正確には、一度放った魂の衝撃で空間にヒビを入れて、そしてヒビの入った空間が自己再生する時に断裂部分から生まれる斬撃を放つ、という少しややこしい能力だ。

 

 そして、そんなまどろっこしい話はともかく。土井銀河に言えるのは、彼女は土井の最愛の女性である、という事で。また、彼女を殺したのも土井だった。

 

「やあ、また来たよ」

 

 声をかけても返事は無い。彼女の瞳はあれから二度と開く事は無かった。あの日、彼女を失ったあの日から。土井の心の中には後悔しかない。しかし、ああするしか無かった。

 

「ははっ、この前天津魔ったらさー。ノックせずに休憩室に入ったらなんとナナイちゃんが着替えてたみたいで。下着姿のナナイちゃんは動じる事無くキョトンとしてたらしいんだけど、(うしろ)に居た夏恋(かれん)ちゃんにドロップキック食らったらしくて。「僕は悪くない」って言ってたよ。いいなあ、ラッキースケベ」

 

 ただの日常会話を楽しく話す。あの時、土井がもし拳銃を握る事無く、彼女の体を抱きしめていられたら。結末は変わっていたのだろうか。あの桜並木の中で土井がその時選んだのは彼女を「信頼」することじゃなく、彼女を「信用」した事だった。彼女の隣に立つことじゃなく、一「フラグメンツのメンバー」として暴走した彼女を始末する事だった。

 皆はしょうがなかったと言ってくれる。彼女も望んだ。しかし、自分ではそう思えないのだ。むしろ、なぜああしてしまったのだろうか。

 

「君も飽きないね。未だ彼女は目覚めないよ」

 

「……煉禍(れんか)さん」

 

 気が付けば土井の背後には赤いショートヘアに暖色の浴衣を纏った婦人、統括管理局第三最高責任者の凶獄煉禍が立っていた。この部屋は足音が響く筈だが、土井は桜花に夢中になっていたため気付かなかったようだ。

 

「不思議な物だね。身体機能に問題は無し、体の再生率は100%。脳に負担も無いはずだ。いつでも活動出来る状態だというのに何故か彼女は動けない」

 

 イクシーズの技術力の成果もあって、彼女の体には最早一切の傷は残っていない。後遺症も無いはずだ……。なのに、彼女は目覚めない。

 

「「器」だけあっても「魂」が無ければ人体は動かない、というのがローシュタイン卿の見解だ。これは人造人間(ホムンクルス)においても一緒らしくてね、未だに世界で人造人間の成功例はローシュタインの研究上の「三例」しか観測されていない。この世最大の科学者でも解明出来ていない秘密を握る本人がこの状態では、手の付けようが無いと来た」

 

「……」

 

「さて、果たして魂とはなんだろうね。どこまでが生者で、どこからが死者なのか。彼女は死んでいるのか、彼女に魂を「戻す」のではなく「移す」のならそれは死者の蘇生になるのか」

 

「どういう事ですか」

 

 煉禍が何を言っているのか、根本自体は分かるが何を言いたいかが分からない。きっとまたこの人はとんでも無い事を考えているのだろう。

 

「そもそも人間とは器である肉体と精神である魂から出来ている、ということを前提条件としよう。クローン、ホムンクルスもどうやら似たような物らしい。そこに器があっても精神が無ければおよそ人として動かせない。これはローシュタイン卿の研究により明らかな事例がある」

 

 ローシュタインの研究。イクシーズの第一最高責任者「パンド・λ・ローシュタイン」が「在りと凡ゆる存在の証明」をする為に300年前からその末裔と共に続けてきている研究だ。それは時に神の証明であったり、悪魔の証明であったり。パンドラクォーツに異能力など、彼が人類の躍進に役立てた功績は数知れない程だ。

 

 そして、彼は死者を召喚する方法すら手に入れた。

 

「ジャンヌ・ダルクって知ってるだろう。「闇を聖する者」の意、その名を二つ名に付けられたいたいけな少女だ。後に聖女と呼ばれた彼女の遺骨が手に入ってね、それを媒介にホムンクルスを作る事が成功したんだよ。素体の遺伝子はジャンヌ・ダルクによく似た赤ん坊の物を引っ張ってきて、結果成功したんだ。「ジャンヌ・X(クルス)・ローシュタイン」。そして、彼女は「新しく生まれてきた」。記憶も経験も知識も性格も……オリジナルの魂なら伴っていて良いはずなんだ。これがどういう事か分かるかい?」

 

 駄目だ。もう嫌な予感しかしない。

 

「どういうことって……」

 

模造(つく)ったんだよ、魂を。ありゃオリジナルジャンヌじゃない、コピーだ。不思議だねぇ、その本質はジャンヌ・ダルクそのものなのにとてもじゃないがジャンヌ・ダルクとは似ても似つかない。……あれ、自分でも何を言ってるかわからなくなってきたな。とりあえず言えることはね、何処からか知らないけどオリジナルと非常に良く似た物を「どっか」から(もっ)()たのさ」

 

 その言葉で、彼女の言いたいことが分かった。次に自分が発する一言は決まった。

 

「ローシュタインのじじいにでも、ロンドンに居る末裔にでも頼んだら造れそうだがね?黒咲桜花の魂。どうだい、もういっそ作ってみても」

 

「断ります」

 

 切り裂くようなその言葉に、煉禍は眼を細めた。まるでその言葉を待っていたかのように。

 

「ならば君は何が出来る?あの時死に損なった少女の中に入り込んだ魂、あれの祝福に一役買えるのかい?舞台なら私が用意しよう。今のままでは祝福に時間がかかりすぎる。「イクシーズ」は平和過ぎてね。暗部機関だけじゃ足りない。黒咲桜花はなんとしても統括管理局に欲しいのだよ」

 

 煉禍はこれを言いたかったのか。そうだ、統括管理局にとっては優秀な能力者はあればあるほどいいだろう。黒咲桜花は能力者の中でもとびきり特別だ。喉から手が欲しいはずだ、その為の犠牲なんていくらあっても事足りるはずだ。

 

 土井は奥歯を一度噛み締めると、手のひらを自分の胸に当てて、煉禍の眼を見据えて強く言い放った。

 

「いざという時は、この命に替えてでも」

 

「君で良かったよ」

 

 にっこり、と満面の笑みを浮かべる煉禍。そうだ、これでいい。彼女のご機嫌取りを怠れば、黒咲桜花は帰ってこない。彼女からしたら、中身が本物かどうかなんて関係無いんだから。

 

 黒咲桜花を解放する条件として一番有り得るとされるのは、桜花の魂に溜り込んだ「悪しき魂」の浄化。その条件は、祝福。あの魂が「悪しき魂」の者を倒して、優越感を得る事だ。

 

 そう。それは、即ち。黒咲桜花の魂を取り込んでしまった黒咲夜千代が、悪を倒す事で成立する。それが現在のフラグメンツの存在理由だった。



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統括管理局とフラグメンツ2

 統括管理局の地下システムルームから出る二人。暗い部屋のドアを開けるとそこには、明るい廊下の中で一人の青年が後ろで手を組んで佇んでいた。オールバックに決めた短い黒髪に黒いスーツで大人しく締め、光らせるは重厚な眼差し。腰には右と左、それぞれに黒塗りの鞘に収まった二振りの日本刀が。

 

「やあ、待たせたねイオリ君」

 

「いえ、問題は無いです」

 

 重い。そのように土井は感じた。この空間に収まった瞬間、いや。正確には、システムルームのドアを開ける寸前から。異様(いよう)、というより威妖(いよう)。禍々しい何かが土井の能力「流転式」を通じてドクドクと伝わってくる。全ては、この青年から。

 

「ああ、紹介しよう。彼はね、新しく統括管理局職員になったイオリ・ドラクロア君だ。データ周りじゃなく警備員のほうだよ。イオリ、彼は土井銀河。誇り高きイクシーズのフラグメンツの一員さ」

 

「ああ、なるほど。よろしく、イオリ君」

 

 右手を差し出して平然としている土井だが、内面では流転式で汗を体内循環させるのに必死だ。溢れ出る生唾を必死に飲み込む。こうでもしないと汗が吹き出る。

 

「よろしく頼む、土井さん」

 

 イオリと握手をする土井。イオリのそれは表面上こそ軽く柔らかい表情ではあるが、その最中でも常に彼はこの――「戦闘体勢」というものを崩さない。どの段階でも瞬時に抜刀し対応できる状態。そういう「感じ」だ。気を抜いたら今にでも両断されそうだ。

 

「じゃあ、私は先に行ってるよ。イオリ、君はある程度彼と交流をした上で追いかけて来るといい。五分、猶予を持たそう。それじゃ」

 

 そう言ってしまうと、凶獄はとっとと行ってしまった。気まずい。何を言えばいいのだろうか。この重苦しい彼と。一体、何を話せばいいのだろうか。

 

「その……まだ若そうに見えるけど、随分と強そうだね」

 

 とりあえずのジャブ。気になったことを、マイルドに伝える。話の切り出しには常套だろう。

 

「一応、24歳だ。素性は先の紛争、血に彩られた十年間(ブラッディクロス)の亡霊だ」

 

「ブラッディクロス……確か、地理的には海外、あれはサンクレアの方の紛争……ええと、十年続いた……」

 

 サンクレア。海外にある魔法都市だ。元は鉱山都市として賑わったそれは、いつしか豊富なパンドラクォーツの資源と共に世界有数の魔法都市に。機能や外交から異能者の都市としてはイクシーズの方が有名ではあるが、パンドラクォーツの産地として知る者は多く、言ってみれば知る人ぞ知る異能都市か。現在は王立都市サンクレアと名を変え、幾つもの王から成り立つ独自の政治を建立している。ブラッディクロスと言えばそちらのあたりで起きた国際紛争だが。

 

 と、そこでおかしな事に気付く。紛争が始まったのはおよそ20年前だとされる。なら、彼の年齢は。ブラッディクロスの亡霊、となると軍人……まさか少年兵……?

 

「死んだ筈の人間だ。後は察せ」

 

「う、うん。そうか、それは頑張ってきたんだね……」

 

 彼には彼の人生があったのだろう、波乱万丈な物が。だとするとここまで気を張っているのも分かる。張り詰めなければ落ち着かないのだろう……せめてほぐしてあげなければ。

 

「でも、安心していいよ。この街は異能者にとって幸せな街だ。ま、何が幸せかなんて人それぞれだけどさ……少なくとも戦争なんて起きないよ。だって、此処の防衛システムは世界随一だからね!無敵の警察官に全てを統率する管理局!世界と敵対なんて絶対に有り得ないと断言できるよ、その為の新社会だ!」

 

 イクシーズの在り方とは、能力者全員に「理想の世界を」、である。静かに暮らしたい者は静かに、目立ちたい者は目立ち。各々が能力を行使して、能力に見合った理想の人生を歩んでいく。五大祭がエントリー制なのもその為だ。目立ちたく無い人は目立たなくていい。目立ちたい人は大いに目立てば良い。祀ったり、望んだり。参加するのも、遠巻きに見るのも。それはその人の在り方だ。

 

「フ、それはそうだろうな。ああ。此処の人々は幸せそうだ。俺はその幸せを守るために死人として蘇ったのさ」

 

 そして、イオリは歩き出した。少し嬉しそうに。

 

「良い街だ。共に頑張ろう、この幸せを守るために」

 

「……!ああ!」

 

 その背中は哀愁を感じさせるものだが、心意気は確かなものだった。なる程、悪い人じゃない。気張っていたのはそういうことだったのか。

 

 妙なシンパシーを感じて土井は顔を綻ばせる。彼とは、良い友達になれそうだ――

 

――夜八時半。街中の小さなスーパーにて一応主任をしている土井は少なくなってきた商品の補充をしながら、溜め息を吐く。

 

「はーっ……」

 

 桜花には会いに行った。イオリとも友達になれそうだ。けれど、心のつっかえが取れるわけじゃない。なんか、もやっとするんだよなぁ。しかし、仕事は仕事。仕方なく鉛のように重い腕を動かす。

 

 そこでバスン、と仕事用の紙キャップの上から脳天の上にチョップを食らった。

 

「こら、溜め息しながら仕事をするな銀河」

 

「ぐえっ、店長。たはは、すみません……」

 

 滅茶苦茶ダサい親を恨みそうな名前を呼ばれて声の主に振り向くと、其処には案の定このスーパーの店長が。年齢は多分30代。化粧は程々に、しかしキリッと身だしなみを整えて。綺麗に切り分けた長髪を後ろで結い、姿はパリッとした肌のツヤ。いかにもな健康体で、何より美人。制服にエプロンの上から主張する推定Cカップのバストが眼を惹く、理想の「出来る女性」ってやつだ。とりあえず笑って誤魔化す。

 

「君はたまーにそういう風になるな。いつもの勤務態度は素晴らしいのに……あと1時間だぞ、気ィ引き締めろー」

 

「ははは、ご指導ありがとうございます」

 

 軽く怒るような素振りを見せつつも、それは何処かおどけたようで。彼女なりの気遣いと土井は受け取っている。何より、去っていく後ろ姿の前掛けエプロンの間から見える黒いロングパンツに張り詰めたヒップが堪らない。

 

 それを心の中で拝みつつ、土井はあと一時間の糧にした。なんとも心優しい彼女、こんな人が奥さんだったらきっと楽しい生活が待っているだろう。

 

 仕事を終えて着替え、外に出る。

 

「ううー、さみ……」

 

 身に纏ったウインドブレーカーは暖かいが、顔や手を冷たい風が吹き抜けていく。

 

 店長、飲みに誘ってくれないかなー。こんな寒い夜は是非とも温まりたい。なんなら宅飲みでも。ああ、店長の部屋の中、温かいナリ……。

 

 みたいな妄想を考えつつ何気なく携帯を開いて見ると、SNSを通じて同じフラグメンツのシャイン・ジェネシスから通知が届いてた。五分前だ。

 

『土井さん、そろそろ仕事終わり?今日ホリィが瀧んトコ泊りに行ってるから一緒に飲もうぜ!実は浅野ももう来てるんだ』

 

 画面に映ったそのメッセージに、自然と顔が綻びる。

 

 なんとも女っ気が無いが、ふふ、なんというかこの、男同士の友情ってみたいなのもいいかもな。

 

「さて、行くか」

 

 僕は一人じゃない。皆が居て、仲間が居る。そう感じるだけで、明日への糧になる。

 

 土井銀河は今日も往く。この日常を、イクシーズという街にある確かに暖かい繋がりというものを感じて行くんだ。



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エモーショナル・バウンサー

 場所は街中にある一つのレストランチェーン。そのうちのひとつのボックス席に、三人の女性が腰を掛けていた。

 

「やっぱエスカルゴには生中だろー。デカンタなんて不味くて飲めん、スーパーで400いくらのメルシャンでも買って飲んだほうがマシだ」

 

 一人は黒のロングコートにサングラス、複雑に入り乱れるように黒髪にパーマをかけた女性、倶利伽羅(くりから)綾乃(あやの)。陶器のプレートに盛り付けられたエスカルゴのオリーブオイル焼きを、塩を振ってフォークで食しながら中ジョッキに入った生ビールを煽る。グビッ、グビッと。夕方五時から飲み始めるその様は、如何にも堂に入っている。

 

「えー……、私、美味しいと思うですけどね。このワイン。それにメルシャンは神の飲み物ですよぅ」

 

 一人は肩までと短めに切られた赤髪にシャツの上から青のジージャンと黒のジーパンの女性、凶獄(きょうごく)夏恋(かれん)。デカンタ入りの冷えた白ワインをワイングラスに注いで味わう。

 

「わたしゃー食えれば何でもいいよ。もぐもぐ」

 

 一人は黒のストレートボブに白衣というファミレスで佇むには少し変人臭い女性、逢坂(おうさか)(みどり)。夏恋の隣でテーブルに並んだパスタとピザを、片っ端から食らう。ピザを切り分けるのが意外と上手い。

 

 なんともチグハグなガールズトーク。というのも、何故こんな三人が同席しているのかというと。

 

「なんでお前みたいなのが人類主席なんだ?傍から見たら馬鹿にしか見えん」

 

 方や、14年前のイクシーズを騒がせた対面グループ「不動冥王(フドウミョウオウ)」の総長(ヘッド)にして現イクシーズ警察対策一課主任、Sレート能力者の倶利伽羅綾乃。警察署を歩けば重役ですらが道を開ける「脅威」である。ちなみに「胸囲」も結構ある。別名「東洋の黒魔女」。

 

「馬鹿と天才は紙一重。一般人に出来ない考えを成功させるのが天才の条件ですぅー」

 

 方や、学生時代から全てのテストをオールトップで合格。現統括管理局(データベース)筆頭、職員の中でもトップを引き受ける天才中の天才、逢坂緑。レーティングこそDレートではあるが、統括管理局を歩けば後ろから多くの職員が彼女をアシストする為に連れ添って歩く。仕事は真面目に、振る舞いはお茶目に。可愛さと凛々しさを両立した偉大なるブレーン、別名「人類主席」。

 

「炭水化物はそりゃ糖分かもしれないけど……そんな食って太らないの?」

 

 方や、イクシーズ警察のキャリア組にして、暴力団・凶獄組の組長兼統括管理局第三最高責任者である凶獄(きょうごく)煉禍(れんか)を親に持つエリート、凶獄夏恋。彼女の駆る銀色のメルセデスE500が街中を征くと、道行く車がビビって道を開けるほど。イクシーズに幅を利かせたその名は伊達じゃない。別名「極道の娘」。

 

 言ってしまえば、超ハイスペックの三名によるガールズトーク。女三人寄れば姦しいとは言うが、その話す姿は一般的なそれとはちょっと違って。俗的ではあるが、どこか危ない香りのするハードボイルドチックを含んだサスペンストークへと突入しそうな勢いであるそれは、とても姦しいとは傍から見て思えない。

 

「うんにゃ、太らん。なんなら私の洗練された腹部、見てみる?見事に割れた腹筋が姿を覗かせるぞ。運動不足解消にトレーニングルームで鍛えてるからね、筋肉ってのは化学よカガク」

 

 緑は自慢気に隣の夏恋の方へと向いて自分の服の裾に手を伸ばした。駄目だ、流石に店内でそういうのはやめさせないと。コイツはやると言ったらやる程度の馬鹿だ……!

 

「アホぅ。女の価値ってのは筋肉ちゃうわ。度胸と愛嬌に決まってんだろ、兼ね備えて最強だ。表出るか?人類主席」

 

 その振る舞いを見て生中をぐびっと飲みながら、鈍い眼光を響かせる綾乃。あ、駄目だ。この人も一度火が点ると満足するまで燃えるのを止めない人だ。急いで止めないと。

 

「すいまーせん、生中ひとつと、アイスクリームひとつー!あ、あとデカンタ赤ひとつ!」

 

「かしこまりましたー」

 

「あ、ははは……そろそろ無くなるかなーって」

 

 夏恋は店員に二人を抑える為の餌を頼むついでに自分のドリンクも注文すると、二人に向かって笑顔を振りまいた。あー、もう。なんで私はこの二人と一緒に居るんだ。めんどくさいなぁ。

 

「おう、すまんねぇ夏恋。気の利く女は抱きたくなるねぇ」

 

「夏恋ちゃんやさしーから好きー。えへへ」

 

 二人からヨイショされて少し笑みがこぼれる。緑に至っては隣の席だからと肩と腰に手を回してくる。あの、頬ずりしないでください。恥ずかしいから。

 

「いや、あの。私そっちの気とかほんとないんで。勘弁してください」

 

 照れて赤く染まる頬を止めることは出来ないので、とりあえず否定しといて緑を両手で押して剥がす。あ、コイツ意外と力強い。能力で無理矢理剥がしてやろうか?あ、剥がれた。

 

「なるほど。好きな男がいると」

 

「わー。夏恋ちゃんやっらしー」

 

「ちょ、なんでそうなる!?」

 

 ニヤニヤと笑う二人。おおい、何時の間にか私が追い込まれる形に!?くそっ、ここに私の味方は居ないのか?

 

「はーい、タイプの男性告白会開始ー。私はー、上田次郎」

 

「あのっ、それ実在人物だけど実在しませんよね!?」

 

 突如始まる無茶振りからなんたるインチキっ!?綾乃さん、それ卑怯ですよ!え、言いませんよ私!

 

「ん、私は……強いて言うなら、天領牙刀さん?」

 

「それ人の旦那ーーー!!不貞行為は駄目ですーーー!!」

 

 流石にまずいでしょう!いや、好みのタイプを上げるだけだから別に人の夫でも構わない……のか?

 

「文句を言うお前は誰だよ」

 

「そうだぞー、ぶーぶー」

 

「ぐっ……がっ……」

 

 なんというリンチ。二人が一応でもしっかりと名前を挙げた為、こうなると仕方なく私も言わなくちゃならない流れじゃないか。グダグダの息ながらなんというコンビプレー。くそっ、私だけを虐めるのはやめろ!

 

「……ええと、じゃあ」

 

「ワクワク」

 

「ワクワク」

 

 声に出してワクワクすんのやめろ。ワクワク止まれ。

 

「一警察官として……神戸尊で」

 

「……」

 

「……」

 

 え、何。その二人とも「信じられない」って表情は。私なんか悪いこと言った?これ綾乃さんも使った手法ですよ?私ワルクナーイ。

 

「雑魚。一言で言うならテメーは雑魚だ。日和ってんじゃねーぞヒヨリのひよ子ちゃん、わたしゃお前をそんな風に育てた覚えはねー」

 

「夏恋ちゃん、つまんなーい。もっと身近な人の話聞きたかったー」

 

「いや。いや、いや!育てられた覚えはないし身近に恋した覚えもない!」

 

 いいじゃんかよう、シーズンエイトのOPとかすごい好きなんだよう。別に本当に気になるやつの名前を挙げるとかが恥ずかしかった訳じゃないし!マジだし!――

 

――「ありがとうございましたー」

 

 結構長い間駄弁っていた。年甲斐もなくはしゃいでいると、気が付けばもう七時半に。日はすっかり落ち、辺りは街灯や店先の光が無ければ真っ暗だ。

 

「んうぅ~~っ、飲んだ食った~~っ!」

 

 手を組んで上に伸ばしながら声を漏らす綾乃。随分と満足そうである。

 

「さて……こんな所ですかね。よかったですよね?」

 

 綾乃と夏恋はすっかりほろ酔いに。緑は一滴も飲んではいない。

 

「うん。そろそろかな?……おお、さみ」

 

 ひゅるり、と吹いた風に緑は軽く身体を震わせる。そりゃ、白衣だと寒いでしょうに。ちゃんと防寒タイプなのだろうか?

 

「んじゃ、私は闇で帰るから。お前らも気をつけろよー」

 

「ああ、はい。お疲れ様でした」

 

「お疲れ様」

 

 そう言うと、綾乃はとっとと空間に異能力「闇との同化」で闇の扉を開いて、それに入っていった。彼女のこの能力は指定箇所への空間干渉能力だ。正直、便利だなと思う。

 

 そして、綾乃が帰って、二人。夏恋と緑は見合った。

 

「さて、帰ろっか」

 

「……」

 

「何、イヤ?」

 

 緑は夏恋に問う。

 

「……別に」

 

 夏恋は眼を背けた。夏恋と彼女は、学生時代からの友達だ。幾度となく交友を深めた。実の所、「名残惜しさ」がある。

 

「……えと、今からでもさ、私の迎えに乗ってかない?お家まで送っ」

 

 言いかけた夏恋の口を、緑は人差し指でそっと抑えた。ビークワイエット、と。

 

「もうガキじゃあないしさ。いいじゃん、私らは「大人」だし「社会人」だ」

 

 そう告げると、緑は背を向けて歩き出す。夏恋は、その背中に消え入りそうな声で言葉を投げた。

 

「……もう、あんな事、ゴメンだよ……」

 

 一瞬だけ、彼女は振り返った。

 

「「黒咲桜花」の再来はもう二度と来ない。過ちは繰り返さない。その為のイクシーズだ、その為の人類主席だ」

 

 そして、彼女はその場を去る。少しして、近くの道路に銀色のメルセデスE500が停車した。

 

「お迎えに上がりました、お嬢様」

 

「ん……」

 

 夏恋はその場に名残惜しく視線を残すと、E500の後部座席に乗り込んだ――

 

――夜八時の街中。繁華街を歩く逢坂緑は、白衣という特異な姿であっても十人十色のこの場所では決して異色では無かった。

 

 繁華街だけ見るとここが「特殊な場所」とは決して思わない。精々が賑やかな場所という感想であり、もし深夜帯なら名古屋の伏見の方がよっぽど怖いだろう。

 

 そんな気兼ねで歩いていると、頭に鉢巻を巻いて青の半纏を着た男が近付いてきた。

 

「やや、お姉さん!お暇ならウチなんてどっすか?良いの入ってますよー」

 

 ああ、客引きか。繁華街だと結構あるんだよね、こういうの。

 

「いえ、ごめんなさいね。今はそういう気分ではないので」

 

 やんわりと断ると、次はバーテンダーの服を着たキザったい青年が近付いてくる。

 

「なら、お姉さん。ウチなんてどうですか?只今サービスタイム中です、お気入りの相手がきっと見つかりますよ。是非貴方を夢の世界へと……」

 

「あー、男遊びの気分じゃ無いので」

 

 そして断る。すると、さらに多くの客引きが寄ってきた。

 

「ならウチで相席なんてどっすか?」

 

「なら此方で焼き鳥なんてどうでしょう?」

 

「なら此方へ、プラネタリウムバーで貴方に癒しを」

 

「あ、あの……」

 

 押し寄せてくる老若男女が次々と緑の周りを取り囲み、気がつけば人の肉壁で緑が覆われる。まずい、と判断した緑はズボンのポケットに手を突っ込み、護身用の武器「ビームクボタン」に手を伸ばした。普段は只のキーホルダーだが、能力で電気を送ればそれだけで熱線が展開される強力な武器だ。統括管理局最高責任者の凶獄煉禍から直接受け賜うた物だ。リングを親指に掛け、リングに吊るされた三つのホルダーを人差し指から薬指の間に一つずつ握りこむ。

 

 展開準備は完了。しかし、人が作り出した歪な円形の中で、緑が目視した……いや、せざるを得なかったのは一人の人間。体型からして男。細身だ。

 

『ヤァ、アイタカッタヨ』

 

「……ッ!」

 

 緑は眼を見開く。声はボイスチェンジャーで加工されており、甲高い音が耳につく。姿は緑と奇しくも同じ白衣、そして、異様なのは何よりも。

 その顔には、まるでアメリカンコミックのような馬鹿げた「兎の仮面」が被られている事であった。その男が仮面を外すと同時に30代程度の素顔が現れ、同時にボイスチェンジャーが外れる。眼が、離せなかった。

 

「ようこそ、「月の兎」へ。私は佐之(さの)・R・ミュンヒハウゼン。我々は貴方を歓迎する、「人類主席」逢坂緑殿」

 

 その眼と声を感じた瞬間に、緑の中で何かが込み上げる。緑は衝動の赴くままに空を見上げた。すると、空には半分に欠けた月が。まるで、彼女らを導くように光を放っていた。



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エモーショナル・バウンサー2

「お日様良し、洗濯物良し、おふとん良し、食器洗い良し、お風呂良し、トイレ良し、畳良し!」

 

 一つ一つの事柄を指差し確認をし、うっすらと額に浮き出た汗を袖で拭う賢島(かしこじま)雨京(うきょう)。冬といえど、動くと熱くなるものだ。時間はまだ10時前、太陽光が燦々と降り注ぐ真っ只中だ。なんとか家事で今出来る事は終わった。普段からこなしているものを再び今日もこなすというだけであり、時間はそれほどかからない。その分、手広く。

 

 フラグメンツに属する浅野(あさの)深之介(しんのすけ)と共に生活をしている雨京。元々は雨京も働くと言ったのだが、深之介はそれを断った。「お前は家で、ゆっくりしてくれればそれでいい」と。しかし、そうはいかない。働いてお金を稼いでくれる深之介の為にも、私は出来ることを全部やらなきゃ!

 今日の晩御飯は何がいいかなー。久々に奮発して長芋の刺身にでもしようか。普段から頑張ってもらってるし、やっぱ元気がいるよね。もしくはバター醤油で焼いてもいいかも。サブメニューには納豆を添えたりして。菜飯のふりかけをかけると海苔巻きのような風味になってとても贅沢である。

 じゃあ、それにお茶漬けの元を使ったお吸い物を足そう。とろろ昆布なんか入れちゃったりして。おお、凄い豪華だ!御飯に、長芋に、納豆に、とろろ昆布のお吸い物!ネバネバ系は体力が付くというし、これで深之介が元気になってくれるといいな。そして、元気になった彼が、きっと私を……。

 

「おかえりなさい、アナタ。ご飯にする?お風呂にする?そして、ア・タ・シ?……」

 

 一人新妻ごっこをした雨京、瞬間顔が一瞬で紅潮して掃除したての畳の上に転がり込んだ。

 

「~~~~~!!?」

 

 まずい、なんて恥ずかしい事を言ったんだ私は。とてもじゃないけど、こんな事本人の前で言えない。あの人は心配性だから、きっと病院に連れてかれるだろう。余計な心配は与えたくない。

 

 ピン、ポーン。と、不意に鳴り響く音。インターホンだ。

 

「はーい」

 

 直ぐに気持ちを切り替えてドアの方へと向かう。あれ、誰が来たんだろう。宅配便が来るわけないし、新聞屋かな?訪問販売?どっちにしろ、ここの団地は一応警察の管理下だから滅多な人は来ないと思うけど……。

 

 ガチャリ、とドアを開けた。其処には、一人の婦人が。柔和な笑みが浮かべられ、優しそうな印象を受ける。顔の皺と身長から年齢は推定50幾つ……おっと、相手を観察してしまうのはシェイドの時からの悪い癖だ。直さなきゃ。

 

「おはようございます。朝早くからすいません」

 

「あ、いいえ。大丈夫です」

 

 挨拶から入ってくれる。あ、良い人だ。

 

「あの、わたくし、こう云う者なんですけども……」

 

 そして、婦人は懐から取り出した小さなケースから紙切れを取り出して雨京に手渡した。これ、名刺か。

 

「あ、どもです……えと、「月の兎」広報部長の、奥、さん?」

 

 奥。苗字にそう書いてあるのだ。変わった苗字だ。愛称じゃないよね?

 

「そうなんです。お恥ずかしい話ですけど、苗字が奥でして。主人も奥さんなんです。やだもう、「奥さん」って声をかけられたら私も主人も振り向いちゃうんですよ。ははは」

 

「あ、あはは。それは難儀ですね」

 

 気さくに笑う奥さん。うん、良い人だ。

 

「それでですね、少しお話よろしいですか?」

 

「あ、はい。今家事も終わったとこなんで、構いませんよ」

 

「あら、まだお若いのに専業主婦?大変でしょう?」

 

「いえ、そんな事は」――

 

――眩しいほどの白い光に照らされた、広大な空間。部屋いっぱいに備え付けられたテーブルには、既に全席にスーツを着た人が腰を下ろしていた。全テーブルの向かい側、後ろに巨大なスクリーンを用意した壇上には。無精ひげに大きな体躯、なによりも放たれる威圧感をヒシヒシと感じる男、天領牙刀が立っていた。よれた濃いカーキの背広と薄くなり始めた頭髪に哀愁が漂う。

 

 場所はイクシーズ中央警察署(セントラル)会議室。始まるのは、恐らく近年のイクシーズの中でも特に大きな事件の説明。

 

「それでは、全員が席に着いた所で始めさせていただきたい。今回の事件の説明に入る。「管理棟に投獄されたフラグメンツの元コード・ゼロ、シャノワール・ミュンヒハウゼンの脱獄」、及びに「それを幇助した統括管理局職員、大宮(おおみや)吾郎(ごろう)の逃亡」、そしてシャノワールが立ち上げた「宗教団体「月の兎」による統括管理局職員、逢坂緑の誘拐」……こんな所だ」

 

 牙刀が話していくと同時に、その背中にあるスクリーンには三つの人物画像が映し出された。一つは細身で少しやつれた30代程度の男、もう一つは坊主頭で凛々しい表情の20代の青年、もう一つはショートボブの20代の女性。それぞれがシャノワール・ミュンヒハウゼン、大宮吾郎、逢坂緑である。

 

 牙刀は直ぐに次の話に移った。

 

「今回の事件の要点として、まず「管理棟」について。新社会(ニューソサエティ)イクシーズの最南から少し南、海を渡った離島に位置する場所だ。橋は一つっきり、出入りはとても難しい。建物の材質はパンドラクォーツのホワイトマーブルで出来ており、この鉱石には異能者の能力の行使を著しく難化させる効果がある。言わずもがな、重犯罪者の監獄だ。シャノワール・ミュンヒハウゼンはそこから脱獄した」

 

 管理棟からの脱獄。とてもじゃないが、まともに出来るものじゃない。それでは、何があったか。

 

「脱獄方法はおよそこうらしい。シャノワールの能力「シンパシー」は、他人の能力を引き上げる効果がある。そして、大宮吾郎の能力「空間断裂」は字の通り空間を切り裂いて物質を移動させる事が出来る。が、大宮吾郎のそれは精々が手品程度の能力。どうやったかは分からないが、能力をマトモに使えない管理棟の中でこの二つの能力を巧みに使って脱獄した……という事らしい」

 

 空間転移能力。敵に回すと面倒なことこの上無い能力だ。シャノワールの能力でそれが一体どの程度まで増幅されたのか、慎重に進めなければいけない。

 

「少なくとも、二人はまだイクシーズで「月の兎」として活動している。脱獄したのが三日前の晩、そんで宗教団体を作って信者を集めてる。何を考えてんのか知らないが、大宮吾郎は統括管理局の職員だ。レートEとD辺りの住民に絞って狙っている所から、住民データも盗んでいる可能性が高い」

 

 月の兎。市民からの通報があって警察に知らされたそれは、勧誘者の容姿がシャノワールと大宮の二人と完全に一致した事から断定された。

 

「そんで、昨日の晩。統括管理局職員筆頭「人類主席」逢坂緑が誘拐された。事前に食事をしていた友人の話からすると、七時半までは一緒との事だから犯行はその後だろう。今日の出勤時に無断での欠勤、疑問に思った職員が調べた所一連の流れの中で昨日のイクシーズの繁華街での不自然な集会と、その直前に目撃された逢坂緑の姿から事が判明した。それが一時間前の出来事だ、流石に人類主席が誘拐されたとなりゃ上も動くのが迅速だ」

 

 これが、今回の事件の大まかな流れだ。牙刀はここまでを話終えると、一息吸い込んで、大きく吐いた。その身に覇気が宿る。

 

「作戦が決まった。決行は本日夜、討伐対象はシャノワール・ミュンヒハウゼンと大宮吾郎!奪還対象は洗脳された一般市民と逢坂緑!尚、大宮吾郎に対しては生死を問わず!シャノワール・ミュンヒハウゼンに対しては「死罪」が執行される!」

 

 死罪。その一言で、会議室の空気がガラッと変わった。

 

 新社会「イクシーズ」では能力者の犯罪の中でも幾つかレベルが分かれる。その中でも、特に重い重犯罪者は管理棟へと移されることになる。刑期さえ終えれば管理棟から出ること自体は出来たが、その期間から実質的な終身刑のような扱いが多い。

 

 そして、一度管理棟へと移された犯罪者がさらに重い罪を重ねた場合。その者は「最重要危険対象」として、イクシーズ警察総出で「殺処分」の対象とされる。通称、「死罪」。この為に、元々管理棟の脱獄など考える者は居ない。イクシーズを敵に回すことになるのだから。今回は例外中の例外だ。

 

「各々の者は各自の班長の指示に従い、夜に備えろ。今回の作戦、シャノワールの能力上俺や倶利伽羅綾乃、丹羽天津魔といった強力な異能者を端っから投入する事は出来ないが、後方から支援を行う。それでは、解散!!」

 

押忍(オス)!!!』

 

 牙刀の終礼の合図と共に座っていた警察官達が一斉に立ち上がり、言霊を発した。日が落ちれば、大きな戦いが始まる。それぞれが、その覚悟を持って。



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エモーショナル・バウンサー3

「あぁん?オトリ捜査だぁ??」

 

 パイプ椅子にあぐらをかいて座っていた栗色の髪にサングラスの青年、シャイン・ジェネシスが訝しげに反応した。場所はイクシーズ警察対策支部、フラグメンツの本拠地。小さな部屋の中で壁際に置かれたモニターからは、警察官の天領牙刀の言葉が聞こえる。リアルタイムでの映像だ。

 

「実質的にそうなる。緑の能力から発せられる信号を統括管理局で受信し、場所を特定するという方法での。場所は既に抑えたそうじゃ」

 

 頷いた黒咲(くろさき)枝垂梅(しすい)。この場には他に黒咲夜千代、土井銀河、浅野深之介の計五名が集まっていた。目的は一つ、警察の会議を聞きつつフラグメンツにしか出来ない動きをする為の集会だ。

 

「というのも、合理的な話だ。人類主席殿の能力「電流操作」は評定2程度の能力だが、あれで佐之(さの)のシンパシーの影響を受けにくくなる。脳ってのは電気信号で動いてるに過ぎないらしくての」

 

「……佐之?ん、ああ。シャノワールって奴の事か。元フラグメンツだって?」

 

 夜千代の純粋な疑問。夜千代は知らない、シャノワール・ミュンヒハウゼンという人物を。

 

「そう。佐之・R・ミュンヒハウゼン、と。本人はシャノワールという本名を嫌っておった。なんせ元々母国から勘当された身の奴での。ミュンヒハウゼンというのは鉱山都市サンクレア……いや、今は「王立都市」か。そこの貴族の出じゃ。奴は流されるままにイクシーズにたどり着いて、当時のフラグメンツを大きく支えた。奴のコードは「浅深(ゼロ)」。メンタリストとしてとても優秀な人材じゃった」

 

「……ええ、あの人がね。人は変わる、変わってしまう。たった一つの切っ掛けが、人を狂わせてしまうんだ……」

 

 枝垂梅の言葉に、土井が眼を伏せて昔を思い出すように語った。他の三人は何の事か分からなかった。

 

「知ってるのか?土井さん」

 

 浅野は尋ねる。土井は、静かに眼を開いた。

 

(ほし)(みや)通り魔事件。5年前の事件さ。あの事件を切っ掛けに、全てが狂いだした」

 

 星の宮通り魔事件。イクシーズ関連の事件の中でも、特に口に出すことが憚られる事件。それほど、危険な案件だ。

 

「星の宮……」

 

 夜千代が眼を見開く。歯を食いしばる。無理も無い。その事件こそが、彼女の両親が殺された事件だからだ。それを機に、彼女の苗字は「榊原」から「黒咲」と変わることになる。

 

「ごめん、嫌な事思い出させちゃったね」

 

「いや、構いませんよ。必要なら続けてください、戦う理由ってのは何においても重要だ。自分の正当化が活力になる」

 

 夜千代は引かない。それが必要なら、引き受けてやる。リスクなど勝利に比べたら些細なことだ。

 

「さすがじゃの。あの子がまだ生きておったら、きっと夜千代と仲睦まじかったろうなぁ……。黒咲(くろさき)桜花(おうか)、儂の実孫にして元コード・ファウスト。あの事件の被害者の一人で、彼女は佐之と仲が良かった。良き理解者だったろう。お互いに軽く変わり者だったが……。だからこそ、感じるものがあったのだろうな。あれから佐之はおかしくなっていった。もう後の祭りじゃがの、失った物は帰ってこない」

 

 黒咲桜花。夜千代とは血のつながりがない。夜千代が桜花の両親の養子である為だ。夜千代はその姿を見たことがない。聞いたことしかなかった。

 

「当時のフラグメンツは4人だった。桜花に銀河、儂と佐之。だから奴の事もよくわかっておる。今回の作戦、儂と銀河は参加できん」

 

「ああ?そりゃまたなんでよ」

 

 シャインの言葉。ただでさえ少ないフラグメンツだ、人数の低下は著しい戦力の低下に繋がる。しかし、そうせざるを得ない理由があった。

 

「奴の「シンパシー」という能力は、奴と親交が深ければ深いほど。価値観を共有すればするほど浸透していく。浸透した状態の心を、奴は言葉で簡単に宥める事も……また、狂気に染める事も出来る。メンタリストとしての才能は随一だったが、故に危険だった。レーティングA評定だが実質Sという評価、優秀な者は同時に危険であることも孕む」

 

 つまるところ。シャノワールという人物を知っている人間は、彼の前に立つことが出来ない。精神汚染を食らう恐れがある。故に今回の作戦に、シャノワールがフラグメンツだった時期に警察組織に所属していた者は投入し難い。サポートに回る事になるだろう。先陣を切る者は新顔の方が望ましい。

 

「忠告する。出来るだけ奴の眼を見るな、奴の言葉を聞くな。意識したらそれが脳へのダメージと思え。もう奴は儂らの知っているフラグメンツのメンバーじゃない。……佐之への発令は「死罪」。覚悟はいいかの?」

 

 重苦しい枝垂梅の言葉。その投げかけられた言葉に対して、三人は「あたぼうよ」と余裕のある表情を見せた。

 

code(コード) Faust(ファウスト)!黒咲夜千代、覚悟ぁ出来てんぜ?」

 

code(コード) Force(フォース)ゥ、シャイン・ジェネシス!見つけ次第アノ世に葬送(おく)ってやるさ」

 

code(コード) zero(ゼロ)、浅野深之介。任務を遂行する」

 

 人を殺す。ただ事じゃない。それを「問題なく」引き受ける、汚れ役を演じる者が必要だろう。

 

 汚れ役ならお任せあれ。我ら暗部組織「フラグメンツ」。警察の手の届かない痒い所を請け負うために存在する!――

 

――夕方。帰宅ラッシュ真っ只中の混み合った道路を、空色の車が駆け抜けていく。旧型のシルフィ、ハンドルを握っているのは少女警察官の少女イワコフ・ナナイ。

 

「囮捜査……ですか。なぜそのような事が」

 

 助手席に座るのは丹羽天津魔。お互い無表情のような、なんとも言えない様な顔で会話のやり取りをしている。

 

「簡単だよ、邪魔になったんだよシャノワール・ミュンヒハウゼンが。「人類主席」を「管理棟脱獄者」に攫わせりゃそんだけで「死罪」確定でしょ。世間体さ。罪を積み重ねりゃ、後は一方的にだ」

 

「ンー……メイビー……」

 

 よくわかってないような返事だ。まあ、ナナ氏に分かれってのも無理な話か。

 

「釣りだよ。泳いでる魚に餌を食わせて、そんで釣り上げるんだ。魚はシャノワール、餌は逢坂緑。釣り上げた魚は、どうなるか分かるよね?」

 

「焼いて食べます」

 

「その通り」

 

 一幕置いて、「おお!」と声を出して納得するナナイ。戦略的な事は一切駄目なようだ。

 

「人道的じゃないんだよ、「死罪」も「釣り」も」

 

「なぜそんな事を?」

 

「そりゃナナ氏ィ、イクシーズを円滑に導くためだよ。統括管理局最高責任者の考えそうな事だ。そんなかでも断トツ、ヤクザのかーちゃんが考えそうな事だ。天領警部めっちゃ不満げだったけどね。そういう俺も、実のとこ乗り気じゃない。緑ちゃんは可愛いしなぁ。何かあったらと思うと思うと」

 

 大体、こんな作戦を考えてあまつさえ実行しようなんてのは凶獄煉禍しか居ない。あんな悪魔からどうして天使のような娘が生まれたかねぇ。今頃夏恋も憤慨してそうだ。

 

「緑は煉禍さんの右手、シャノワールは昔の左手。おイタをした左手を、右手で叱る。小指詰めるぐらいじゃ足んないけどね。丸々手首から切り落とそうって話しさ」

 

「落とした後の腕はどうなるんですか?」

 

「また生えるっしょ。代わりはいくらでもいるさ」

 

 少しの無言。流石にドライな会話のやり取りだったか。しかし、ねぇ。僕は柔らかい話っての苦手だかんなぁ。

 

 気を使う事はある。けど、欲しがってるものに対して誤魔化すってのが苦手だ。流すだけなら流す、求められるならぶちまけちまう。それが丹羽天津魔のスタンス。「知りたけりゃ、教えてあげる。知らない方が得かもしれないけど、教えてあげる」とかいう。望むのならね。変に隠すのはだるい。

 

「……サー・ニワは」

 

「んぃ?」

 

「シャノワール・ミュンヒハウゼンを殺すのが正しいと思いますか?」

 

 少女は運転に集中しながら問いかけた。問われたら、丹羽は。しっかりと答えてやるのだ。誤魔化さずに。

 

「正しい。落としちて割れちまったコップを捨てるのが正解のように、あれはもう駄目だ。迷いなく殺せ。じゃなきゃ仲間が殺されるんだ」

 

「ヤー。サー・ニワの御意向に沿います」

 

 そんな、素直で不器用な丹羽天津魔を。素直で不器用な少女イワコフ・ナナイは、誰よりも信用出来たのだ。



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エモーショナル・バウンサー4

「ささ、此方へ。ミュンヒハウゼン様の演説が聞けるわよ」

 

「は、はぁ……」

 

 月の兎という宗教団体のようなものの職員、(おく)に連れられるままにやって来た雨京は、街中にあった協会の礼拝堂にやって来ていた。そこには既に多くの人々が集まってる。

 別に宗教に興味などあるわけではないが、話が合ったので聞くだけでも話を聞きに来た。イクシーズにこういうものがあったのか。正直、初耳だ。

 

 宗教というものには良いイメージを抱かない。雨京の故郷の方でも、色々あった。ああいうのは、なんだろう。論理的でない。そう思った。信仰というか、あれは本能に近いのだ。分かり合うのではなく、むしろ排他的に、飲み込めるものは飲み込んで。その有様に対して「気持ち悪い」などと考えていた。雨京は、争いが嫌だった。

 

 ……イクシーズの宗教とはどういうものか。

 

 そういった意味では「興味があった」。知れることは知っておいていい。だから、やって来た。そういう打算だ。この街に置いていかれたくないという思いは僅かながらあったのだ。

 

「ようこそ、健やかにそして華やかに繁栄していく者達よ」

 

 声が聞こえた。生声だ。人が犇めく礼拝堂が一斉にある方向を向いた。先頭、壇上。そこには大きな銅像――女性を模した銅像が祀られており、その前には一人の男。やせ細った体を白衣で包んだ男が立っていた。

 

 パチパチパチパチと、そこで一斉に拍手が鳴り響く。

 

「あ……えっと」

 

 つられて雨京も拍手をする。アウェーになるのはよろしくない。そして、拍手は一時して鳴り止む。

 

「初めに、自己紹介といきましょう。私の名は佐之・R・ミュンヒハウゼン。王立都市サンクレアにて根強く崇められる月の女神「アルテミス」を布教する為にやってきました。「月の兎」の設立者にして敬虔なる月の使徒。以後、お見知りおきを」

 

 彼が「ミュンヒハウゼン様」か。男の瞳はそれはそれは力強く、そして何処か柔らかさもあるような瞳だった。不思議と、その瞳に視線が吸い込まれた。

 

 男は続けた。

 

「R、とは「Rapin(ラパン)」。即ち(うさぎ)。月を見て跳ねるものの意でして。兎を名乗るこの私ですが、この街にやって来て嘆かわしい出来事に出会いました」

 

 全員が吸い込まれるように。静かに、礼拝堂に佐之の言葉が響く。

 

「イクシーズとは、あれでしょう。「進化する者達」……そういう意味を込めて作られた街だと聞いています。この街は凄い。これだけ多くの異能者達が集まってお互いを高めようという崇高な理念の元に生きている。よくぞ纏めあげられました。それは皆さん達の強力あってこそなのです。主導者たる者も凄い。ええ、凄いんですよ」

 

 イクシーズを凄いと、そう語る佐之。しかしそれは賛辞などではない。

 

「しかし凄いだけだ」

 

 それは否定だった。佐之は切り捨てた。

 

「素晴らしく無い。一方的なんですよ。私は見てきました、進化していく者達を。それはね、「ひと握り」だけなんですよ。全ての人々では無い。才能ある凄い人間だけが上へのエスカレーターに乗る「権利」を得る!才無き者たちは狭いフロアに押し込められたまま良いようにエスカレーターを動かすための発電をするんです。それがイクシーズの在り方だ」

 

 其処には憎しみ、怒り、そのような物が込められている。

 

「それで良いのか?良い訳がない!人々は生まれ持って平等だ。等しく先へ進むための権利を生まれ持って得る!ならばその権利を行使しようじゃあないか!アルテミスはその為に我らを導くと約束してくれた!これはその証、「アルテミスの加護」である!」

 

 悲しみを、情緒を抑揚を付けて語る佐之。佐之が白衣のボタンを外してフロントを開けると、その肉体が現れた。ズボンの上、下腹部から胸部にかけてのタトゥー……輝く月と、それに向かって飛び跳ねる動物、のようなものを連想させるタトゥー。不思議な事は、最初は色の薄かったそれが、段々と色濃く、はっきりと黒く浮かび上がって来た事だ。その様子に、人々は昂ぶる気持ちを抑えきれず一斉に「おぉ……」と声を漏らした。

 

「太陽に近付き過ぎたイカロスはその翼をもがれた。行き過ぎた光は人を救わない!人を救うのは、この地球(ほし)に寄り添う存在――即ち「月」!人に真に必要なのは進化では無い、その一歩を踏み締めてゆっくりと歩み始める事だ!月の光は我々の真の姿……本能(こころ)を照らし出してくれる。我々は今、Rapinとなり!月に向かって跳ねるのだ!大いなるアルテミスに願いを!」

 

『アルテミスに願いを!』

 

 気が付けば、一致団結。佐野が握りこぶしを天に掲げると、その場に居る誰しもが拳を天に掲げた。まるで洗脳されたかのように。そして、それは雨京でさえも――

 

――暗い個室。薄暗いシャンデリアの光がその場を照らす。ソファには、白衣の女性が座っていた。逢坂緑だ。何処かオシャンティな空間。そして、テーブルを挟んで向かい側にはバーテンダー服に身を包んだ髪型をキザったく尖らせて整えた青年がピシっと立っていた。昨日の夜に見かけた人物である。

 

 緑は訝しげである。テーブルに頬杖を付いていた。疑問である、目前の状況に。

 

「……一体、これはどういう事なんだかな。そこのキミ、分かる?」

 

「丁重におもてなしをと、ミュンヒハウゼン様から承っております。飲み物は何がよろしいでしょうか?」

 

「スパークリング」

 

「かしこまりました」

 

 聞かれたから応えた緑。暖簾に手押しのような気の抜けた問答の末、青年は壁に備えられたセラーから一つのビンを取り出すと、慎重にコルクを抜いた。ポン、と心地の良い音が聞こえる。……あ、本当にバーテンダーか何かなんだ。

 

「シャルドネでございます」

 

 ラベルを上向きにワイングラスに注がれた白のシャルドネが、シュワシュワと音を立てて泡を作った。薄く、その香りが鼻を擽る。……甘ったい。

 

 緑はグラスを受け取ると、とりあえずひと口それを頂く。……普通に美味い。

 

「変なもの入ってないよね?私これ飲んで寝ちゃったら変なことされたりしないわよね?」

 

 少し眉を潜める緑。ここは敵陣だ、迂闊だったか?

 

「ご心配なく。緑様にには手の一つも出させません。それはミュンヒハウゼン様でさえも」

 

「……キミ一体何?幹部?」

 

 妙に調子の良い青年だ。やけににこやかだし。一体、なんだという。軽く不安になる。まあ、これがホストってやつか。

 

(たいらの)清盛(きよもり)でございます」

 

 笑顔の平。明らかに本名じゃない。笑顔だな、ホント。客商売ってのは大変だ。

 

「……偽名」

 

源氏名(げんじな)でございます」

 

「ダウト。私だったらKING(キング)とか、輝矢(てるや)にするよ」

 

「それはどちらかというと源氏(げんじ)というより男児(だんじ)にございます。似て非なる物、大分(だうと)違いますよ」

 

 軽く考えた末、緑はワインを左手に右手で中空を触った。すると、その指先から緑色の電気が迸った。暗い部屋の中でのそれは、とても綺麗だった。緑は指先を高速で動かす。

 

「んーー……」

 

「それはなんでしょうか?」

 

「エア算盤(そろばん)。手癖なんだ、叩いてると集中出来るの」

 

 カチカチと動かすような素振りをして、視線を算盤に向けたまま緑は(たいらの)に話しかける。

 

「私の役目は終わってるのかしら?」

 

「三分の二程。手筈としては、此処に乗り込んで来た警察に保護してもらう予定でいます。それが三分の一です」

 

 青年は素直だ。果たしてこれは「アルテミスの加護」によるものか?

 

「ここ盗聴器ある?」

 

「ございません。貴方様の能力ならお分かりでしょう?」

 

「まーね。ミュンヒハウゼンの目的は?」

 

「イクシーズに変革をもたらす事。付け加えるなら、その末に何があっても過程に、(おこな)った事に意味が有る結末を望んでます」

 

 只の傀儡(ドール)か……?にしては、受け答えがはっきりしている。

 

「大宮吾郎の目的は?」

 

「存じません。口と頭が硬いので」

 

「市民は死ぬ?」

 

「それは計画に入っていません。ミュンヒハウゼン様も望んでおられません」

 

「君は何故此処に?」

 

「気分です。運命というものを信じるなら、貴方様に出会うために」

 

「君は私の味方?」

 

「イエス、「主席(ドミネ)」。私はこの場で誰よりも貴方の味方です」

 

 その言葉を皮切りに、緑は親指でピシャッと算盤を締めた。その瞳で、平の瞳を覗き込む。黒く、深く黒い瞳。そこに輝きは無い。

 

「信用する。信頼じゃあ無い。その人を疑り腐った瞳を信用しましょう」

 

「仰せの通りに」

 

 ワインを飲み干した緑は、次に紅茶を頼んだ。甘い紅茶を。すると平は肩から腹部へという高いエアリングを経て紅茶を出した。その紅茶は、やたら美味しかった。



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エモーショナル・バウンサー5

「配置はいいか」

 

 無線機を握り締めて警官服に身を包んだ若めの男が全体に指揮を送る。警官隊は揃って右耳に受信用の小型無線機を装着していた。

 

 場所はイクシーズ市街、旧教会前。今は跡地となった筈のその建物、使われていなかったそれだが、ここから逢坂緑が発する能力の電波を受信した。宗教団体「月の兎」の目撃情報とも一致している。時刻は夜九時、突入作戦が決行されようとしていた。この場には多くの警察官が静かに佇んでいる。ある者はポリカーボネートの透明な盾を、ある者は拳銃を、ある者は素手で。

 

 指揮官――(たき)聖夜(せいや)の言葉に警察隊は無言。即ち、問題ないの合図だ。突入の直前でわざわざ声を張り上げる事も無い。

 

「先陣で突入してもらうのはナナイ巡査率いる特攻部隊」

 

了解(ヤー)

 

 先頭に立つのは、若干20歳の少女イワコフ・ナナイ。その後にはナナイと同等、もしくは付いていける程の機動力の持ち主が並んでいる。その中にフラグメンツ所属は浅野深之介だけ。

 

「中距離の制圧支援はコード・フォースのジェネシス君率いる火力支援部隊」

 

「おう」

 

 その次に、シャイン・ジェネシス。フラグメンツ率いるその部隊は主に中距離型の火力系能力者が多く集い、足りない機動力を範囲と威力でカバーして特攻部隊を支援していく。その中には黒咲夜千代の姿も見受けられる。

 

「そして、殿(しんがり)――ケツ持ちは僕ら騎士隊が引き受ける。隊長は「聖騎士」事、この僕。瀧聖夜が務める。駄目だと思った者は()ず下がれ、負傷者は全て守る。その上で敵は全て通さん」

 

 最後に、瀧聖夜。イクシーズ警察隊の中でも継戦能力最高クラスの能力者が最後尾で待ち構えている。彼が此処に立つという事は、どんな敵ですら逃さないという事。この中で唯一の「特殊Sレート群」だ。

 

 特殊Sレート群とは、イクシーズの統括管理局(データベース)から「一戦力として一軍事力に勝ちうる程と評価された異能者」の事である。他に現警察官で該当するのは天領牙刀、丹羽天津魔、倶利伽羅綾乃の三名。それらは現在、イクシーズの端――三つのルートに分けて配置されている。

 理由は、大宮吾郎の空間移動能力を考慮して。イクシーズの周りには電磁によるバリアを張っており、このバリアの外には異能力が到達しない――つまりシャットアウトする機能がある。その機能があれば、空間転移能力すら通り抜ける事が出来ない。

 しかし、これは五大祭の会場のように生身を通さないわけではない。「能力は通さない」が、「人間は通す」のだ。バリア手前まで空間移動されて徒歩でバリアの外に出られたら終わりなのである。「月の兎」をイクシーズ外に出すためにはいかない。その為の三名の配置。

 

 白兵戦で無敵の天領牙刀はイクシーズから外への連絡通路、検問場での待機。どんな突破方法ですら無効化出来る。

 

 固定砲台として優秀な丹羽天津魔は海岸沿いへ。海に船があろうと空に飛び立とうと遠距離射撃でなぎ払う。

 

 空間移動を司る倶利伽羅綾乃は空路と電車の封鎖。対象が紛れ込んだ場合は直ちにそれを停止、最強の異能者を送り込んで制圧する。

 

 イクシーズの包囲網。月の兎に、シャノワール・ミュンヒハウゼンと大宮吾郎に逃げ場などない。

 

「突入合図、五秒前」

 

 聖夜がそう告げると、部隊の空気が更に張り詰めた。

 

「四、三、二、一……」

 

 そのタイミングの直前に空気が一気に鋭く尖る。

 

「零」

 

螺掌紋(らしょうもん)ッ!」

 

 最後の合図と共に、ナナイが教会のドアに対して拳を放った。拳が青い渦を纏ってドアに打ち込まれ、そのドアは衝撃で回転しながら吹っ飛んだ。こうなれば鍵も何も関係ない。

 

 そして、警官隊が乗り込む。特攻部隊が先陣を切った。すると、教会内には幾つもの「兎の仮面」を付けた人々が居た。

 

「警察だ!動くな!」

 

 ナナイの一言。しかし、その言葉に人々は応えなかった。座る者は立ち上がり、立っているものは歩き出し。ナナイ達の元へと向かう。交渉決裂。

 

「鎮圧する!」

 

『了解!』

 

 特攻隊が兎の仮面を付けた人々に向かう。しかし、兎の仮面達はそのまま取り抑えられる気など一切無いかのように特攻隊に襲いかかった。

 

 ナナイは三人に襲いかかられる。その三人の腹部を殴り抜けて吹っ飛ばし対処する。が、直ぐに違和感。

 

「彼ら……」

 

「ああ!」

 

 浅野深之介は自分の能力「妨害幻波(ジャミング)」を纏わせた握り拳の中指だけを突出させるような形で的確に兎の仮面達の顎を掠めさせた。受けた仮面はすぐにノックアウト……とは行かず、尚も深之介に襲いかかってくる。一般人ならこれだけで倒れる。

 

 また、特攻隊達が兎の仮面達と競り合うと、所々で競り負けている者も居た。

 

『これが、「アルテミスの加護」!?』

 

 アルテミスの加護。シャノワール・ミュンヒハウゼンの能力「シンパシー」の副産物。果たしてそれがシャノワールの意思なのか、人体がそれに対して呼応する現象なのかついぞ分からなかった。しかし、その状態になると、人間はおよそ「通常の三倍」程の身体能力を手に入れるとされていた。まるでドーピング。

 

 夢のようなパフォーマンス向上。しかし、いい事ばかりという訳でもない。この状態になった人間は……。

 

「キシャアァァァッッ!!?」

 

「……ッ!?」

 

 深之介に迫り来る兎。余りにも事前の予備動作からかけ離れた飛びかかりは、対応し難く奇を衒われた。

 

 そう、「マトモ」でなくなる者も居る。衝動、本能の赴くままに。破壊衝動を持つ者が「アルテミスの加護」を受ければ、普段温厚な少年少女ですらが他者に牙を剥くのだ。

 

 ザン!と横から一筋の光。深之介に到達する前に兎は吹っ飛ばされる。その腹部には光の剣がねじ込まれていた。刺さってはいない。

 

「冷静に行け、浅野ォ!ナナイに続け!目標は大宮とミュンヒハウゼンだ!」

 

「っ、ああ!」

 

 火力支援隊の制圧の手筈が整ったようだ。特攻隊のすぐ後ろにシャイン達が付いた。

 

「部隊ィ、特攻隊には当てんなよ!後は殺さねぇ程度にぶち壊せ!心配はいらねぇ、一度牙ァ向けられたんなら公務執行妨害だ!」

 

(オウ)!』

 

 そこから先は魔法や錬金術のオンパレードだ。特攻隊が突き進んだ後に残った兎の仮面達を吹き飛ばす。炎に水、雷や光の剣。何でもありだ。

 

「オラオラッ、もっと来んと押せんがね!」

 

 長い黒髪に軽く褐色の入った肌の女性が敵を吹っ飛ばす。その腕には、骨。骸骨が幾つも纏わりついていた。その様は、軽くホラー。

 

 巨大な骸骨の装甲。それを、女は振るう。振るう、振るった。距離こそそこまで広く見えないが、その制圧力はとてつもない。

 

「やるじゃねぇか、ババア!」

 

 シャインが笑って女に話しかける。

 

「「Miss(麗しき) El(エリザベス)(ミシェル)」様、だ!お前と同い年だよ!次言ったら44マグナムでそのドタマカチ割んぞ!アタイぁ休暇で来てんだ!」

 

「おお、こっえぇ!」

 

 シャインは「光の剣」を空中に放ち、それで兎の仮面達を薙ぎ払う。威力、数、範囲、小回り。どれをとっても申し分ない。

 

「……こりゃ、僕たちの出番は無いかもね」

 

「構わん。来たら迎え撃つ。それが俺たちの役割だ」

 

 そして、最後尾。盾と銃の「騎士隊」。先頭には素手の瀧聖夜が、その隣には角刈りで図体のデカく、身に付けた警官服なんかは腕周りや胸部、尻周りなどが筋肉でぱっつんぱっつんの男が両手にデザートイーグルを握って立っていた。

 

「久しぶりに呼び出しちゃって御免ね、やっぱ一番信頼出来るのはマモちゃんだけだからさ」

 

「調子の良い事を言うなよ聖夜。体育教師が冬休みに暇だと思ったら大間違いだ。可愛子ちゃんの店、期待してるぜ」

 

「安い安い、それで安心が買えるなら幾らでも出すさ」

 

 剛田(ごうだ)(まもる)。現体育教師だが、瀧聖夜の強い要望があって今回の作戦に参加した。元警察官であり、能力は「空間接続」。倶利伽羅綾乃の昔の師匠でもある。そのゴリゴリな見た目の裏腹に、戦闘行動においては理知的な行動を好む。

 

「……しかし、余り関心はせんな。この作戦」

 

 剛田は目を細める。今回の作戦を快く思っていない。

 

「そりゃね。誰もがそうだろうよ」

 

 そもそも無駄な争いを無くす為のこの街である。それがこんな形で崩されている時点で、理想的とは言い難い――

 

――兎を倒しながら突き進むナナイ。シャノワール・ミュンヒハウゼンを探す。

 

 何処だ……?何処に居る?

 

 もしかしてこれまで倒した兎の中に居たのだろうか。それならそれでいい。しかし、今は進むしかない。

 

 ここまでナナイ、ノーダメージ。体力も減っていない。この程度の戦闘、かつてシュヴィアタの雪原で戦ったアムールタイガーの方がよっぽど辛かった。当時は吹雪の中だった……。

 

岩越(イワコフ)無々(ナナイ)

 

「――」

 

 瞬間、ナナイは後ろに飛び跳ねた。前へ進むのを止めて。「そうせざるを得なかった」。

 

 それは野生の勘だろうか。目の前には、断裂した空間が目に見えていた。危ない、一歩間違えていれば「ああ成っていた」……!?

 

 ナナイの前に立ちふさがった兎の仮面。その兎が仮面を取った。すると、そこには坊主頭の知っている顔が。

 

「ゴロウ……!」

 

 大宮吾郎。統括管理局職員だ。白衣に纏ったの姿が、かつての彼を連想させる。

 

「ようこそ、偉大なる「太陽」。私は此処で貴方と決別する為に覚悟してきた!」

 

「何……?」

 

 いきなり何を言い出す?構えを止めないナナイ。すると、吾郎はその白衣を脱ぎ捨てた。白衣の下には筋肉質の上半身、そして其処には「アルテミスの加護」が浮き上がっていた。前情報と同じ、黒く下腹部から胸部へと繋がるように浮き上がったタトゥーだ。

 

「強すぎる光が目を焼く様に!貴方は眩しすぎた!此処でその報いを受けろ!」――

 

――深之介は駆ける。任務を遂行させるために。そして仕事を終えて、帰ったら……雨京が居る。安心できる生活だ。

 

 その日常の為に今日を頑張る。それが今の深之介だ。かつてのミカエル・アーサーという人間は今は鳴りを潜めている。それでいい。幸せならそれで。

 

 深之介が進む。次の兎がやって来た。拳を交える。此処で……!

 

 その兎の髪色。見覚えがあった。長い金髪。この身なり。

 

 腕を止めた。直ぐに分かった。

 

「雨、京……!?」

 

 兎も直ぐに腕を止めた。その言葉で、彼女は身体を止めて、その兎の仮面を取った。その下の姿は紛れもなく「賢島雨京」だった。

 

「深之介……さん……っ?あれ、私、なんで此処に……」

 

 立ち尽くす二人。お互いに目を見開き、信じられないといった顔で見つめ合う。

 

 そして、深之介は直ぐに雨京の手を引いて自分の後ろへとその身を隠れさせた。

 

「きゃっ……」

 

 驚く雨京。しかし、それで良かった。今雨京が居た場所の直ぐ先には、一人の白衣の男が立っていた。はだけた白衣の下には裸体の上半身が、そして特徴的なタトゥーが浮かんでいる。

 

『魔法ガ解ケタネ』

 

 耳を疑う機械音。ボイスチェンジャーか。深之介がその白衣の男を見る。すると、白衣の男がその兎の仮面を取った。

 

「ようこそ、当代「浅深者(コード・ゼロ)」。私が先代、佐之・R・ミュンヒハウゼンだ」



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エモーショナル・バウンサー6

「佐之……!」

 

 深之介は目を鋭く窄めた。死罪対象の相手、昔のコード・ゼロ。そして、コイツは。

 

 気が付けば飛びかかっていた。右手にコンバットナイフ、左手に拳銃。銃拳術の流れを含んだ近・中距離に対応する強襲の型。深之介がこれまでテログループで培ってきた身軽かつ鋭い戦闘能力を活かすためのバトルスタイルだ。

 

「お前は手を出してはならない物に手を出したッ!」

 

 雨京に手を出した。それだけでコイツは万死に値する!

 

 手数の斬撃と打撃。佐之は、それを「素手」で受け止めた……いや、正確には「素手」では無い。ナイフと拳銃は、空中で見えない「障壁」に遮られていた。

 

「フフ……だから君は(いか)る。(にく)しむ。(いきどお)る……!その為だよ!」

 

「何だと!」

 

 佐之は「障壁」で深之介を弾き飛ばした後、さらに5メートル程開いた距離から右手を深之介に向かって突き出した。追撃の「見えない何か」。それに深之介は吹っ飛ばされて地面を転がる。

 

「深之介さん!」

 

 雨京が駆け寄る。その様子を、佐之はただ見ていた。まるで対話する為のように。

 

「私は君に興味している。新しき「浅深者」、その姿を。凶獄御大が新しくメンバーに加えたという君という存在を!」

 

「カンマゼロ、ファイア!」

 

 タァンッ!鳴ったのは幾つもの銃声。

 

 合図と共に、三人の特攻隊が佐之に対して拳銃の引き金を引いていた。争いの最中、有無を言わさずの三閃。

 

「――笑止!」

 

 しかし、その三人の撃った先に佐之は既に居らず。銃弾は空を打ち抜いて、壁にぶち当たる。

 

 気が付けば。特攻隊三人の後へと佐之は両手を広げ立っていた。右手に二つ、左手に一つ。計三つの拳銃。

 

「闘争心が足りん!」

 

「っ、ああああぁぁぁ!」

 

 拳銃を、握った手から無理矢理毟り取られた。結果、三人の人差し指はあらぬ方向へと曲がっている。

 

 三つの拳銃を地面に放り捨て、佐之は足で踏み潰す。

 

「文明とはっ、進化せねばならぬ!こんな玩具で、イクシーズなどと名乗れるものか!」

 

 つまらなき、くだらなきと。佐之は何回も拳銃を踏み潰した。古き文明を否定するかのように。

 

「……そうは思わんかね、浅野深之介!」

 

「チィッ!」

 

 佐野と浅野が再び対峙する。只の研究者とはいかない、コイツは……強いッ!――

 

――大宮吾郎。元、統括管理局職員。

 

 ナナイはその姿を、その目で見たことがある。真面目な好青年だった筈だ。

 

「馬鹿な真似は止めて、大人しく投降してください。そうすれば、私は貴方を倒さなくて済む」

 

 静かに青いオーラを纏うナナイ。シュヴィアタの一騎当千、「青い鳥(ブルーバード)」ナナイ。岩越(イワコフ)と、岩より強く育てと名付けられたその少女は。鋼鉄の精神と身体で大宮吾郎の前に立つ。

 

「……此処で投降するぐらいなら、初めからこんな事しませんよ!」

 

 吾郎はナナイに向かって右拳を振った。ナナイはそれを避け、右拳を逆に吾郎の腹部へとねじ込んだ。

 

 めしり、と入る拳。手応えはあった。しかし、違和感。

 

「温いですね。甘さが捨てきれてない!」

 

「!」

 

 吾郎の左拳がナナイの頬を捉えた。その衝撃を殺す為にナナイはつられて地面に転がり、直ぐに体勢を立て直した。立ち膝からすぐに立ち上がる。

 

 吾郎は笑み。ほくそ笑んでいた。

 

「アルテミスの加護があれば、ククク。容易(たやす)い!今、俺は!イワコフ・ナナイと同じ舞台(ステージ)に立っているぞ!」

 

 吾郎とナナイ、向かい合う。今の大宮吾郎は、マトモでは無い。

 

「これはミュンヒハウゼンに感謝しなくちゃな……!俺の悲願だったんだ、あのイワコフ・ナナイと並ぶ事が!」

 

「……私、と?」

 

「分からんとは!」

 

 吾郎はナナイに対して「分からんとはな」、と。その瞬間、上からライトに照らされて影が降って沸いた。

 

「――猪口才(ちょこざい)!」

 

「姉さまから離れろッ!」

 

 三つ編みの黒髪に褐色肌の少女。両手にはトンファー。右手のトンファーが、空中から吾郎に振り下ろされる。

 

「フィー・スライッ!」

 

「この……ストーカーがぁッ!」

 

 トンファーを吾郎は回避、そのまま大地にヒビを入れてトンファーが突き刺さった。そして息もつかぬ間、フィーと呼ばれた少女は吾郎に食ってかかる。

 

「フィー!」

 

 ナナイはその名を呼んだ。フィー・スライ。ナナイの同僚。運動神経は良い方だ、しかし……。

 

「天才と凡才、その差が分かるか?」

 

「黙れッ!死ね!」

 

 フィーのトンファーによる連撃。右手と左手、その巧みな技を吾郎は全て空手で去なす。

 

 フィーが踏み込んだ。トンファーを目の前に突き出し、瞬く間に吾郎の腹部に押し当てる。

 

砲撃(ファイエル)ッ!」

 

 ドンッ、と。火薬の音。トンファーの先端が射出され、吾郎を捉えようとした。

 

 パイルバンカー。フィー・スライの武器は、「ガントンファー」。マイクロシリンダーを内臓した、爆発機構型のトンファーだ。

 

 しかし、吾郎。無傷。腹部に「空間の亀裂」を発生させていた。その身に届いていない。

 

「一発芸しか出来ぬ者の事を「二流」と言う!」

 

「な……っ」

 

 バゴンッ!フィーがまともに打撃を喰らって吹っ飛んだ。壁に衝突して、満身創痍。静かな呻きを漏らすだけ。

 

「ぐ……ぅ……」

 

 大宮吾郎。もはや、その力は。決して、無視できない程に。

 

「イワコフ・ナナイ。貴方じゃなくちゃあ駄目なんだ……!」

 

「……何がそこまで……」

 

 まるで、心酔。吾郎の瞳は酔い狂った者のように、イワコフ・ナナイを捉えていた――

 

――くそっ、なんて乱戦だ……もっと圧倒的でなければ!

 

 凶獄夏恋は焦っていた。今回の作戦、簡単な物だと思っていた。イクシーズ警察の能力をもってすれば、一方的な物だと考えていた。

 

 甘かった。相手を考慮していなかった。相手は凶悪な洗脳者と、洗脳された市民だ。ただ殲滅さればいいって物じゃない。くそ、こんなにめんどくさい物だとは!

 

 複雑な心境。相手が只の犯罪者なら、一方的になぎ払えてしまえる。しかし、今回はそうじゃない。その為に、特Sクラスの能力者は軒並み封印されていた。殺せない。対象二人以外を殺してしまえば、イクシーズの信用を失うことになる。警察の歯がゆい所だ。政治とは……!

 

 でも、そんなことより。もっと大切な物があった。政治なんてかなぐり捨てるほどの。それは。

 

「――あれ?てっきり此処には来ないものだとばかり。やっほう、夏恋」

 

「み、緑っ!」

 

 夏恋の前に姿を現したその者の名は。誰よりの親友、逢坂緑。今回の作戦に「囮」として使われた、大変な役割を持った人類主席。

 

「だ、大丈夫だった?変なコトされてない?さあ、帰ろうっ!私と一緒に、後はみんなに任せて――」

 

「――ゴメン」

 

 緑は、自分の服を捲くりあげた。薄い筋肉と脂肪を蓄えた、柔らかな腹部が姿を現す。何よりも、その表面には――

 

「――私、もう「帰れない」んだ」

 

――黒いタトゥーが。アルテミスの加護が浮かんでいた。それは、シャノワール・ミュンヒハウゼンに対する共感(シンパシー)の証だ。



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エモーショナル・バウンサー7

「そんな……それ……」

 

 逢坂緑はシャノワール・ミュンヒハウゼンの「シンパシー」を能力によって受けない。そういう話だった筈だ。だから夏恋も苦汁を飲み込んで緑を見送った。安全だった筈なんだ。電気信号によるプロテクトがあれば、と。シンパシーは脳に語りかける能力、夏恋が今回の作戦に参加出来たのもその為だ。本当なら、「顔見知り」であるシャノワールミュンヒハウゼンとの接触は避けなければいけないのに、逢坂緑を心配してやって来た。

 

――だったら。無理矢理ッ!

 

 夏恋は右手を伸ばした。逢坂緑を連れ戻す為に。彼女の異能「エレキテルパルス」による電磁波を右手に流し込み、起動する。小型の「電磁フィールド」。緑を気絶させてでも、此処は!

 

 夏恋の右腕から発せられる電磁フィールドを、緑は向かってキーホルダーを突きつけた。筒状のホルダーから放たれたのは、黄色い光線の刃(ビームソード)。電磁フィールドにぶつかり、相殺される。

 

 っ、電磁フィールドの対処方法を!

 

「つぁっ!!」

 

 人類主席が電磁フィールドを壊す方法を知っているのは至極当然の事だった。電磁フィールドは衝撃に対して反応、展開する。ならば、持続して衝撃を与えてやると常時反応する。迫り来る電磁フィールドはビーム武器で阻害出来る。

 相殺した衝撃で、二人は仰け反る。戦闘慣れしているわけでは無い夏恋は大きく反動を受けて、体勢を崩す。対する緑もまたよろめくが、、一人の「月の兎」に抱きとめられた。上品(シック)なバーテンダースーツに、病的(シック)なアメコミ兎の仮面。体格からして青年だろう。夏恋の目にはそう映った。

 

「女性がみだりに人前で柔肌を晒すのは関心しません」

 

「うん、ゴメン」

 

 妙に仲のいい二人。その姿は互いを信頼した友人のように。一体、どういう事だ。まさか緑は、そこまで「月の兎」に……!

 

「な、待て……!」

 

主よ、何方へ(ドミネ・クォ・ヴァディス)?」

 

「……月に臨む方へ」

 

 夏恋の制止の言葉など聞かず、青年は緑に問いかけるとその答えを受け。彼女を両腕で抱き抱えてその場を離れるように飛び跳ねた。夏恋は、ただ信じられない光景を呆然と見ていて――

 

――「発勁(はっけい)!」

 

無々(むん)ッ!」

 

 バシリッ、と互いの拳をぶつけ合う吾郎とナナイ。オーラを含んだナナイの拳に対して、吾郎は引かない。互角だ。

 

 殴り合いながらも吾郎は笑う。欲しかった念願をついに手に入れたのだ。

 

「シュヴィアタの民の身体能力は通常の人間のおよそ三倍を越える!貴方はオーラを含めて四倍だ!「(イー)(アル)」ッ!!」

 

 拳の応酬。地を蹴っての勢い余ったぶつかり合い。引かない。下がらない。

 

「アルテミスの加護はシュヴィアタの民と並んだ!身体パフォーマンスは見るに同等ッ!「練砲(レンホウ)」ッッ!!!」

 

「「(トリガー)」ッ!」

 

 割っては入れない。高スピードの高火力。他の月の民も警察も、攻めあぐねる程のやり取り。拳のぶつかり合いの衝撃で吹っ飛びかねないほどに周りに影響を与えていた。その飛び火を受けまいと、邪魔をさせまいと、両陣営は故に支援に回らなかった。

 

「そこに優劣を付けるなら「技」と「才能」……なにより「能力」!」

 

「空手から派生し中国拳法を取り入れたオリジナル……!強い!と言わざるを得んッ!」

 

「それを決定づけるのは「本能」だ!貴方に劣情ッ!殺意を催すッ!!」

 

「ですが勝てない、貴方では!正当性を掲げ、正義として振り下ろさんッ!」

 

 ほんの一瞬だけ、時が止まった。というのは、「傍観者」の観点。次の瞬間には、「死」を意識した。と、後に見ていた警官は語った。「青」の拳と「灰」の拳が交じり合う。

 

(ぜつ)因果斬(いんがざん)「メギド」!」

 

 吾郎の拳からは空間の断裂が広がった。飲み込んだ物全てを異次元に消し飛ばすような。

 

「「生き行く者たちの戦歌(カンタータ)」!」

 

 ナナイの拳からは澄み渡る大地の力が広がった。衝突した物全てを受け止めるかのような――

 

――威圧感(プレッシャー)。目の前のやせ細った体の男に、深之介は緊張をしている。白衣の下の裸体からはとても感じられないほどの躍動感。スピード、それと、これは……。

 

「人が通常発揮し得る肉体の限界をご存知かな?」

 

 佐之が跳ねた。深之介はナイフで佐之に対応する。狙うは動脈!

 

「知らん!」

 

 ナイフが見えない壁に阻まれる。手が弾かれ、まともなキックを腹部に受けた。異常な衝撃にその体が宙を舞う。

 

「ぐっ!」

 

 駄目だ、これでは妨害幻波が届かない!

 

「「30%」だよ。君はその体の力を30%しか使えていない。対する私は――」

 

「遅いッ!そんなんじゃー()が明けちまうぜェ!」

 

 ギインッ!と佐之の見えない壁に「光の剣」が火花を散らす。能面・般若を付けた白いジャンパーの少女が割って入った……黒咲夜千代か!

 

「――120%だ!コード・ファウストォッ!!」

 

「数学しか脳の無ェおちんちんがよぉ。四の五の言わずにかかってきやがれ!」

 

 佐之が手を前に突き出した。駄目だ、またアレが来る。

 

「夜千代ッ!」

 

「だァれッ!「流転式」だ!!」

 

 見えない衝撃が夜千代にぶつかる。瞬間、夜千代は二本の「光の剣」でそれを受け流した。

 

「ほう!」

 

「ケッ、構えたぞ」

 

 再び夜千代が二本の光の剣を佐之に対して構えた。佐之、一瞬の硬直。慎重だ。

 

「そんじゃ、動くぜ。ヨガりな」

 

「――」

 

 ダガンッ!強烈な衝撃音が鳴った。寸前のタイミングで佐野は場から飛び跳ねた。その右肩は肉塊を飛び散らせ、赤い血液を辺りに撒き散らした。

 

「っぐぐぐ……はははっ!!」

 

 その状態でも追いすがる夜千代を尻目に退避行動を取った。普通なら痛みで気絶、ってところだが。流石に「アルテミスの加護」じゃ別の話か。

 

「1コンマおせーか……なんて反応しやがる」

 

 夜千代は陽動だ。本当の狙いは遥か後方、騎士隊から――

 

――「クラウ・ソラス」

 

 二丁のデザートイーグルを放ったのは剛田守だ。安全地帯から能力で空間を接続、瞬時に発砲。直ぐに接続を切り、反撃を許さない。どれだけ離れていてもゼロ距離射撃に近いほどの威力を叩き出せる。

 

 何が起きたのか理解した「月の兎」達が騎士隊に向かってきた。こっちの手を止めようというわけだ。

 

「それじゃ、行くよ。「小さな聖域(リトル・サンクチュアリ)」」

 

 瀧聖夜がそう言い放つと、騎士隊の辺り光が包み込む。光に包まれたシールド持ちの警察官が「月の兎」に向かってシールドバッシュを仕掛けた。盾による打突。すると、いとも簡単に「月の兎」の軍勢が吹き飛んだ。まるで装甲車に弾き飛ばされたかのように。

 

「この影響下なら問題は無いと思うけど。手の空いてる人、早く医療班へ。彼らを保護するんだ」

 

了解(ラジャー)!』

 

 地面に叩きつけられ気を失った「月の兎」達を、騎士隊が後方へと運ぶ。相手は市民だ。無力化させたなら匿う。

 

「マモちゃん、次お願い」

 

「そのつもりで()ってる。しかし種が割れた。もうチャンスは来ない。勘の強さにやられたな」

 

「うん、それでも牽制にはなるから。後は前衛に任せるしかないね、僕らが行くと足でまといになるし」

 

 一方的な攻撃と防御。これが騎士隊の陣形(フォーメーション)。鋼鉄の盾と、果てまでを打ち抜く銃。一定エリアに「無敵」を与える瀧聖夜とエリア外に空間を無視して干渉出来る剛田守ならではのコンビネーションだった。



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エモーショナル・バウンサー8

「行くぞ!我が同胞(はらから)達よ!」

 

『月に願いを!』

 

「チィッ!」

 

 佐之に対して追い縋る夜千代に、月の兎達が飛びかかる。その間に佐之は後退する。

 

「浅野!行ってこい!お前の機動力なら!」

 

「――行く!」

 

 深之介一人で対応出来る相手とは思わない。しかし、ここで逃がす訳にはいかない!足止めを!

 

 拳銃を放つ。見えない壁に防がれ、銃弾は横に逸れる。コンバットナイフのトリガーを引き、刀身を射出する。見えない壁に防がれる。

 

 ――が、ここでようやく追いついた。深之介は浅野に対して無手で掴みかかった。広げた右手の指先に強い衝撃が走る。これは一体!?

 

「君は今のままの世界が正しいと思うだろう。当然だ、君は悲劇しか無き「地獄」の世界から一転「楽園」へと来たのだから」

 

 突然深之介に対して問いかける佐之。

 

「何をッ!」

 

 右手がついに弾き飛ばされた。空中で深之介の体が佐之から離れる。

 

「しかし「楽園」に住まう者は悲しみの溢れた「地獄」という物を知らない。それでは進化は訪れん。イクシーズが「進化」を否定しているのだ!」

 

 深之介の体が背中から地面に付いた。早く、体勢を立て直さなければ!援護は――?

 

 そして、時既に遅し。気がついた時には佐之の隣に大宮吾郎と逢坂緑、幾人もの月の兎達が集結していた。

 

「私の望みというのはだね。奇しくもイクシーズと同じ「人の進化」だよ。しかし独り()がりで無く、大局を見据えた本当の意味での「進化」だ」

 

 最後に大宮吾郎が血の滲み出た右手を振った。空間に亀裂が入り、それが佐之ら一帯を切り取るように広がる。

 

 警官達の銃撃が一斉に佐之を捉えようとした。的としては動かない標的、当てるのは容易いだろう。が、佐之の「見えない壁」に防がれる。

 

「――マモちゃん、クラウ・ソラスを!」

 

「駄目だ、アクセス出来ん!大宮吾郎の能力か……!」

 

 銃を構えた剛田守だが、空間が繋がらない。これでは、間に合わない――!

 

「――シャノワールゥゥゥ!!お前だけは!!!」

 

 キィィィィィン、耳鳴りのような音が周りに響く。その発信源は、一人の警察官から。

 

 凶獄夏恋。右手に力を込めるように構えた場所が、歪曲して見える。電磁波が飛び散り、衝撃が迸る。

 

「当然の感情だ。親しき友人との別れは何よりも悲しい」

 

 挑発するように佐之が左手の指で夏恋に向かってクイッと合図した。

 

「――まずいっ、キョウゴクさん!それ(・・)は駄目だ!!」

 

「「プルート」ォォォッッ!!!」

 

 遠くから気付いたナナイの制止の声も聞かず、夏恋が右手を佐之に対して突き付けた。掌から歪曲した空間が、直線上に暴走して放出された。「小型の波動砲」、例えるならそう言える。

 

 佐之が左手を眼前に広げ、その衝撃を受け止める。濃縮し圧縮された「電磁フィールド」を見えない壁で受け止めた。左手がぐちゃぐちゃに変形していく。

 

「そうでなくては」

 

 衝撃を受け止め切った佐之は満足そうに自分の壊れた左手を見つめ、空間の裂け目に月の兎達と大宮吾郎、そして逢坂緑を連れて消えていった。

 

「待てっ、待てよォっ!!」

 

「失礼します」

 

 錯乱し喚く夏恋の後ろ首に手を回し、ナナイは自分の前額部を夏恋の額に対してぶつけた。

 

「ぐがっ……」

 

 鈍い音と共に夏恋は意識を失い、ナナイの腕に抱きかかえられた。

 

 残された警察官と保護された月の兎。作戦結果は全ての人間の思うとおり、「失敗」だろう。

 

 静寂な教会に佇む警察官達の無線機に一拍置いて指揮官の瀧聖夜から連絡が入った。

 

「管制塔からの連絡だ。作戦は一時休止、中央警察署(セントラル)へ招集との事。準備が出来次第、第二作戦へとフェーズを以降する。逢坂緑の放つ電磁波から佐之の逃亡先が判明した。場所は――」

 

 警察官達が、瀧聖夜までもが息を飲んだ。この狭い人工巨島(メガフロート)の中で、奴らが逃げ込んだ先は。

 

「――彼らの逃亡先は「地下繁華街(ちかはんかがい)」だ」――

 

――「馬鹿者!」

 

 統括管理局の一角、ある病室で大きな声が鳴り響いた。声の主は管理局の最高責任者の一人、凶獄煉禍の物だった。

 

「私情に流されて「プルート」を起動するとは何事だ!下手すれば周りの警察官全てを巻き込む危険なシロモノだという事を理解していないのか!?」

 

「……ごめんなさい」

 

 ベッドに横たわり謝るのは凶獄夏恋。この様子では第二作戦へ参加出来ない。煉禍は舌打ちをすると、病室を出た。

 

「緑は作戦行動の一環でシャノワール・ミュンヒハウゼンへと付いていったのだ、そこで自分が如何に無能か頭を冷やすといい」

 

「……」

 

 自動ドアで病室が閉じられた。凶獄煉禍が通路を歩いていくと、途中で一人の人物が壁に背を預けて立っていた。

 

「あの体たらくでその言い方は無いんじゃないですかぁ?なあ、煉禍さんよぉ」

 

 入り乱れた黒いパーマカットの女、倶利伽羅綾乃。第一作戦が休止したため配置していた三人の特殊Sレート郡にも招集がかかった。部隊は未だ現地に配備してあるが、彼女らには新しい役割がある。

 

「盗み聞きは関心せんぞ。何が言いたい」

 

「端からあたしらをブっ込みゃよかったろ。作戦ミスだよ作戦ミス、敵を雑魚く見すぎだ。逃げられてちゃザマぁねえっての」

 

「結果論に過ぎん。作戦は最適だった。お前らを失う危険を伴うぐらいなら私はまどろっこしくていい。なに、奴の手の内は割れている」

 

 煉禍は目で軽く綾乃を見やると、そのまま通り過ぎる。

 

「奴らが逃げ込んだのは袋小路だ、もう逃げ場は無い。次の作戦でカタが付いて何の問題も無い」

 

地下犯下街(ちかはんかがい)、「イクシーズの負の遺産」。……懐かしいねぇ、あの頃を思い出す」

 

 気が付けば、もう距離は離れて。声の届かぬ位置になった。

 

 元々イクシーズには地下施設がある。限られた敷地内を奮わせるため地下に作られた市街、地下繁華街。最初は賑やかで華やかで、人々の笑顔が絶えぬ場所だった。……最初だけは。

 

 地上と地下に管理を割く都合上、どちらかを集中して管理するよりもどうしても手薄になる部分がある。それがやがて露出し、犯罪の温床になり、退廃し――そして閉鎖された。皮肉として呼ばれた名前は「地下犯下街」。

 

 イクシーズがまだ完璧で無かった頃の遺物。そんな場所に、シャノワール・ミュンヒハウゼンは逃げ込んだ。まるで凶獄煉禍に、イクシーズに喧嘩を売るように。それはきっと抗議なんだろう。

 

 煉禍は気が付けば握りこぶしで壁を叩いていた。忌々しい。

 

偏執狂(パラノイア)めが……!」

 

 しかし、もう逃げ場は無い。地下繁華街に奴らが逃げ込んだ瞬間に電磁フィールドを展開した。空間転移では逃げられん。さあ、報いを受けろシャノワール・ミュンヒハウゼン。イクシーズに喧嘩を売ったことを後悔させてやる、正義というのは私の事だ!――

 

――「……」

 

 統括管理局内にて一人佇む深之介。適当に見つけた椅子に座り、意識を闇に沈めていた。

 

「んだよ、どうしたの浅野くーん」

 

「……黒咲か」

 

 横槍からかけられた声の主は黒咲夜千代だ。いきなり何かを放り投げて来た。手でそれを受け止めると、ブラックの缶コーヒーだった事が分かる。飲めというのか。

 

「間違えて買ったから飲め。わたしゃブラック飲めんでよ」

 

「……ありがとう。頂く」

 

 深之介がブラック、夜千代は微糖のコーヒーを同時に開けると、それを頂いた。……苦い。

 

「夜はまだ更けるぜ。眠気覚ましの一発だ。ああ、脳内に糖分が染み渡るぅ~~……」

 

「……」

 

 苦い。夜千代のコーヒーが甘いのに対しこっちはブラック故、当然に苦い。しかし、せっかく貰った物だ。飲まなければ。

 

 ……苦い。

 

「んで、何考えてたの。アイツを殺す方法か?何か見えねぇシールド持ってやがったな。さあ、どうするか」

 

 夜千代の問いに対し。しかし深之介は、全く違うことを考えていた。

 

「……佐之は、元々はイクシーズのフラグメンツだったんだろう」

 

「……」

 

 深之介は目を地面に向け、話を続ける。

 

「イクシーズと佐之の間に何があったのか分からない。けれど、仲間だったはずだ。佐之にもきっとやらなきゃいけない事があるのかもしれない。それを、俺は――」

 

「あんな」

 

 夜千代は深之介の胸ぐらをつかんだ。その目線を、此方にしっかりと向けさせる。深之介の消沈した瞳と夜千代の気だるげな瞳が衝突する。

 

「そんなめんどくせー事、考えんな。上がやれって言ったんなら私らぁやるのが「仕事」だ。責任なんて取るのは上司だ、糞めんどくせー事あーだこ考える必要ねーって」

 

「……お前に取って、正義とは何だ?」

 

「天上天下唯我独尊。(たが)うもの、相容れぬもの、そぐわぬ者。全て張っ倒す!それが私の中の正義だ」

 

 夜千代は手を離した。意見とは、違ったのなら理解し得る物では無い。結局の所、魂に響かない言葉などは無意味だ。言葉で分かり合えるならこの世界に戦争は無い。

 

「未来に持っていけるもんってのは限られてる。そういうのはあんたらが一番分かってんだろ、シェイドの副リーダーさんよ」

 

「……」

 

「捨てていけ。無理なら切り捨てちまうしかねーんだよ。お前がやらんなら私がやる。なに、気負うな。誰にだって無理なもんがある。が、私なら出来る。生憎天才でな」

 

 無言の深之介。夜千代は軽くあくびをすると、「仮眠してくるわ」とその場を離れた。

 

 ……気を使ってくれたんだろう。なのに俺は、心いい返事も出来ずに。佐之が犯罪者だってのは分かる。しかし、ただの悪人のようには思えなかったのだ。俺は、一体……。

 

 と、そこでコーヒーを何気なく口にして思った。やっぱり苦い。これは飲み干すのに時間がかかる。外の空気にでも当たってくるか。

 

 一番近くで外に出れる場所はこのフロアの屋外喫煙所の筈だ。脳内に記憶したマップを頼りに、そこを目指す。

 

 ガラス張りのドア。喫煙所と書かれたそれを開けると、そこには既に先客が居て煙草を吸っていた。

 

「あ、どうもです」

 

「……アンタも煙草か?」

 

 オールバックの髪型にスーツ、右と左の腰に日本刀を帯刀した青年が底に立っていた。その様はちぐはぐのように見えてどこか統一感がある。「様になって」いるからだろう。身長はおよそ180cmを超えて、鈍く光る眼差し、首は顔より太く、肩幅もゴツい。ヒシヒシと放たれる「威圧感」が、何処か安心出来るような。そんな印象の人物だった。只者では無いだろう。

 

「あ、いえ。外の空気を吸いに……」

 

 すると、男は胸ポケットから人物肖像画が表紙に乗った煙草の箱を取り出して深之介に一本、差し出して見せた。

 

「チェ・シガレットだ。海外(そと)のヤニだがコンビニで見かけてな、吸うか?」

 

「……ありがとうございます、折角なので」

 

 深之介はそれを受け取ると口に咥え、ライターで火を貰った。……マズイな、コーヒーを消費しようとしたら煙草まで増えた。両方とも好きじゃないのだが……。

 

 フー、ととりあえず煙を吐き出して見た。なんかもやっとする。美味しいかどうかは分からない。

 

「……自分はフラグメンツの浅野深之介って言います。えっと、統括管理局の方ですか?」

 

 警察官の服では無いから、職員だろうか。警察官でもスーツの人は幾らでも居るのでアテにならないが。

 

「統括管理局の警備を担当しているイオリ・ドラクロアだ。最近入ってきたばっかでな、よろしく頼む」

 

 イオリ・ドラクロア。その青年は、そう名乗った。



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エモーショナル・バウンサー9

 二人は煙を呼吸し、寒空が造る夜の下に佇む。白い煙のそれは、しかし直ぐに空へと登る前に黒の中に霧散していった。

 

 軽い沈黙の間。煙草は人を静かにさせる。その一息の中に、様々な思いを馳せるからだ。肺に入れるというのはこうでいいのか、喉に絡みつくもやもやが少し心地悪い。吐き出す時は口からでいいのか、……少し、「美味い」かも。そんな初心(うぶ)な事を、こんな深刻な事態の最中(さなか)に深之介は考えていた。

 

 一服、とはこういう事なんだろう。少し落ち着く事が出来た。どうでもいい事を考えてみるのも、なるほど。ありだ。

 

「……時にアンタ」

 

 少しして、沈黙を破ったのはイオリの方だ。

 

「はい」

 

「シェイドのメンバーだと聞く。人を殺した事はあるかい?」

 

 当然のごとく。

 

「……はい」

 

 紛れもない事実。これまで、何人かをこの手で殺めた事はある。胸糞悪い悪党、偉ぶった貴族、死を望んだ子供。殺したという事実は一つであれど、その人種は様々だ。それは、どうしようもなくて。「そうしなくちゃ生きてこれなかった」と免罪符を常に深之介は心の中で打って来た。

 

「そうか。ならいい」

 

 イオリは煙を吐いた。瞳の行き先はどこか遠く。

 

「命は皆平等に等しく安い。優劣など存在しない、あるとすれば価値観のみだ」

 

 男は呟いた。それもまるで免罪符のように。

 

「俺のも安い、お前のも安い。人間なんてのは所詮、生態系の頂点に偶然立った種族にしか過ぎない。そしてやがて消え逝く。人は何れ死ぬと知れ(メメント・モリ)、生きるか死ぬかは早さの違いだ」

 

「……何故、今そんな話を」

 

 深之介は不思議そうな顔で目の前の男を見た。彼の言いたいことが分からない。すると男は、鼻で嗤う。

 

「シャノワール・ミュンヒハウゼンに対して下された「死罪」の判決が気に食わない顔をしていた。気に食わないというのは重要な感情だ。気に食わないのなら足掻いていい」

 

「……!!」

 

 まるで心を見透かされたみたいで。その男の鈍く光る目には、何が見えているのだというのか。少し、気構える。

 

「何が必要か、何がいらないかはお前で決めろ。お前が選んだそれはお前に何を与えるのか、お前が要らないと言ったそれがお前の心に何を穿つか。……好きにすればいい。」

 

 イオリは言い終わると、短くなった煙草を灰皿にねじ込んでとっとと何処かへ行ってしまった。その場には一人、残ったコーヒーといまいち吸いあぐねた煙草を摘んだ深之介が残された。

 

「……何が必要か……」

 

 と、問われたのなら。彼にとって答えは一つしかない。

 

 どこか勘違いしていた。楽園に辿り着いた自分が、全てを手に入れた感覚になっていた。いいや、違う。何も手に入れちゃ居ない。手元に残っただけだ。

 

 あの時、深之介がまだ「ミカエル・アーサー」だった時。リーダーの男、ロイ・アルカードから幾度となく聞かされた言葉を思い出した、

 

『神は人を救わない、神では人を救えない。(ねが)うな、強請(ねだ)るな。欲しがれ、そして勝ち取れ』

 

 何が「月の女神(アルテミス)」だ。他者に幸せを乞うな。生きたいのならば、戦うしかない。いつだって、そうやって生きてきた。そうしなくちゃ、生きてこれなかった。

 

 彼は思った筈だ。「俺には雨京しか居ない」と。

 

 ならば。やる事は決まっていた。

 

 深之介は残された珈琲を煽った。眠気を否が応にも消し飛ばす為に。だって、まだ夜は長いんだ――

 

――統括管理局、管制塔。地上から遥か高く、300メートルを越えるその建物の先、赤いライトが光る頂点にイワコフ・ナナイは立っていた。

 

 防寒の為に黒いスーツの上から羽織ったカーキのパイロットジャンパーを風に棚引かせてナナイは下に広がる街を眺めた。夜に灯る明かり、あれは人の営みの証だ。あれを守る為に、私達は戦っている。

 

「……未熟千万也」

 

 大宮吾郎の言葉に揺れ動いた自分が居る。太陽だの、劣情だの、なんだの……。あれは褒められているのだろうか。彼が私に投げかけた言葉とは、「私が彼をああした」とでも?

 

 なんて、考えをかなぐり捨てる。

 

「無情、無力、無理……。全ては其処に集約する」

 

 それは自分に言い聞かせるように。サー・ニワなら鼻で笑って大宮吾郎を殺しただろう。ただの逆恨み程度で立ち止れる程、彼は暇ではない。見習わなくては。

 

 自分だってそうだ。目的の為に立ち塞がるのなら、「仕方なく」屠れるはずだ。以前、シュヴィアタの雪原で対峙したアムールタイガーを思い出す。

 

 吹雪の中、街から街へと薬を運ぶ途中に出逢ってしまった「偉大なる友」。……あの血肉を噛み締めて、私は今、此処に立っている。倒した強敵(とも)を、喰らうという事は何よりも悲しかった。

 

 生きるということは、先に進む事だ。ならば、私は躊躇わない。

 

「おーい、此処に居たのか」

 

 管制塔の下から、光の柱を足場にして如意棒のように登ってきた青年をナナイは捉えた。シャイン・ジェネシスだ。あの足場、確か「天橋立(あまのはしだて)」と言ったか。器用な男だ……。張り詰めていたナナイの目が、同期を捉えて少し和らぐ。

 

「そろそろ戻ってこいって連絡が……何か考え事か?」

 

 首を傾げてナナイの顔を覗き込むシャイン。起伏の少ない表情とはよく言われるが、よく見ているようだ。

 

「ノープロブレム。戸惑わんと決めた」

 

 戻って来いというなら、行くしかあるまい。イワコフ・ナナイは管制塔の上からジャンプすると、遥か下の地面へと落下していった。

 

「……ひゅぅ、カっきー」

 

 その様子を足場「天橋立」を徐々に短くして管制塔の頂上から降りながら眺めるシャイン。相変わらずやる事が人間じゃないと、感心しながらその後ろ姿を見ていた――

 

――「やぁ、凶獄ぅ。暇してるぅ?」

 

「……暇なんだろうね、アンタらからしたら」

 

 病室に入るなりいきなりイヤミをぶつけてくる丹羽天津魔に対して、ベッドに横たわった凶獄夏恋は鬱陶しそうに返した。表情からはそれが嫌なんだと、プンプン分かる。

 

 丹羽はドアを閉めて壁にもたれ掛かった。部屋には夏恋と丹羽、二人きりになる。

 

「ねぇ、凶獄ぅ。君をそうしたのは誰だい?ミュン君?大宮?それとも――さ、緑ちゃん?」

 

「……答えない」

 

 にっこり顔の丹羽だが、夏恋は目を合わそうとしない。その瞳の奥が、うっかり見えてしまったから。

 

「釣れないなぁ。いいんだよ?僕はいつだって君の味方だぁ。君が安全な場所で、安心して暮らせるように、安定した社会を作る為なら。僕はなんだってしてあげる(・・・・・・・・・・)よ?」

 

「……アンタは、」

 

 夏恋は左手で額を抱えた。彼にとっては、正義とはそういうものなんだろう。でも、それは。

 

「アンタは、そうやって私の為に自分を差し出す――っていうか、「出来るからやるんだ」ってぇ、そんなのじゃ「釣り合わないんだ」っての!」

 

 がなる夏恋。しかし、丹羽はそれが当然かというように驚かない。首を傾げ、疑問を浮かべたような表情で。

 

「その感覚、わかんないなー。いいじゃん。適材適所って、良い言葉だよぉ。僕は君の為に、君は僕の為に。それって、素晴らしい事だと思うなぁ。やるべき正義を正当性として君が掲げれば、僕が振り下ろす。そういう関係でいいんじゃぁ?」

 

「私はっ!!」

 

 一瞬の沈黙。夏恋がついに丹羽の目を見た。いつだって無機質で、けれど「夏恋にだけ優しい」目。昔からそうだった、コイツはそうだった――!

 

「そうやって、アンタが「人を殺す」トコを、もう見たくないっっ!!!」

 

「……」

 

 夏恋はショートして動かなくなった右腕の「義手」を左手で押さえ、悲しそうな声色でそう叫んだ。

 その義手はとても精巧に作られており、見た目ではとてもじゃないが区別の出来ない程によく造られている。

 

「……僕は、守るためならなんだってやるさ。だって嫌だもん。大切で綺麗な物が、どこぞの何かに踏みにじられるのが」

 

 それは丹羽天津魔の真意。嘘偽りない、心の底からの言葉だ。

 

「幸せを壊すやつは、ぶっ壊す。僕にならそれが出来る」

 

「丹羽がやるなら、絶対そうなるんだ。けれど、そんな結末私は望んでない、丹羽だけの手が汚れるなんて、そんなの不公平だ」

 

 瞳と瞳がぶつかり合う。凶獄夏恋の瞳と丹羽天津魔の瞳が静かに衝突した。

 

「せめて、平和に。静かに今夜を終わらせて」

 

「……それ、僕に何もするなって言ってるようなもんじゃん。ま、いいけど。ミュン君如き他のだれかがやってくれるでしょ。あーあー」

 

 丹羽は身体を伸ばした。もうちょっとだけ、今日は続く。身体を動かして、起こしてやるのだ。

 

「あ、そういや、ミュン君の防御壁って何?話でしか聞いてないんだけど、凶獄なら分かる?」

 

「……あれは、私の目が間違いないなら。勘違いでないなら、分かる」

 

 夏恋は、自分の右腕に視線を移した。多分、間違いない。

 

世界樹(システムツリー)のシステムの一つ、この街を守る物「電磁フィールド」。その発生装置……奴は、どうやったか知らないけどそれを使える。この街の根本を支える「ノアのシステム」を」

 

 ノアのシステム。それは、永久的にエネルギーを生み出す新社会の為の画期的な装置。新社会「イクシーズ」を創る為に生まれた、神のシステムだ。



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エモーショナル・バウンサー10

 静かな機械音が鳴り響く暗い部屋。透明な緑色の液体……形で言えば繭のような球状の液体に、裸体の佐之・R・ミュンヒハウゼンは全身を浸されていた。

 

 緑色の液体越しでも分かる肉体は、あらゆる損傷箇所が回復されていた。抉れた肉、ぐちゃぐちゃに変形した骨。披露した筋肉全て、その液体――Bionic Coupling Cell、通称「バイオカプセル」と呼ばれる物にて修復が完了した。その時間、ものの30分。その修復力は、イクシーズの技術力であれど類稀なものである。

 

 パチン、と液体の繭の表皮、膜が破れて中の液体が床に流れ出す。目を閉じていた佐之が目を開けると、其処には大宮吾郎が立っていた。

 

「時間だ。これ以上は長引かせれん、信者がお待ちだぞ」

 

 寝起きであるにもかかわらず佐野は薄くクマの付いた瞼を開き吾郎をしっかりと捉え、そして笑って返した。

 

「起こしてくれてありがとう。120%の代償は余り楽ではなくてね……君もそうか。クク、常人のやる事じゃあ無い」

 

 吾郎は素肌に羽織った白衣のポケットからアルミとプラのブリスターパックを取り出した。中から五錠ずつ、佐之と自分に振り分けると、それを唾液で飲み込んだ。錠剤だ。

 

「余り関係無い。くだらなき未来より生きるべき今だ。今の為になら未来を捨てても良い」

 

 考え方が直情的な人間。真っ先に身を滅ぼすタイプの人間だが、そうでなくては叶わない物もある。

 

「それが常人じゃないと言う。ま、それでいいのだがね」

 

 佐之は近くに脱ぎ捨ててあった衣類を身に纏うと、したり顔で歩き出す――

 

――「――なのです!」

 

 オォーーーッッ!!!と歓声の上がる広場。其処には百を越えるであろう信者達、天井には夜空の「スクリーン」が映し出されており、その下で佐野は月の兎の信者達に演説を行っていた。今のイクシーズを変える方法、自分達がやるべき事を。

 

 イクシーズの地下施設、「地下繁華街」。今は封鎖されていた筈の施設だが、佐之の記憶と吾郎の能力によりこの場所に入ることは出来た。杜撰(ずさん)な管理だ、いくらイクシーズの負の遺産――忘れたい場所であるとは言え、これほどの巨大な施設に対して注意を振りまかないなど。まあ、逃げ場所は直ぐにばれるだろう。むしろこれまで気付かれなかった方が奇跡な程に。

 例を挙げれば、ここは一つのテーマパークに劣らぬほど巨大な施設だ。そんな建物を作ってしまった当時のイクシーズは、先が見えていなかったのだと思う。管理しきれなくて当然だ。しかし、それ程の冒険が出来なくては、人は先へ進めない。アプローチが間違っただけなのだ。

 

 万物には綻びがある。その隙間を縫うのが「奇跡」であると、佐之は理解していた。能力の進化、管理棟の脱出、信者の掌握、地下繁華街への侵入……一見出来ないように見えて。いや、だからこそやる価値がある。脳味噌は柔軟に。天才と馬鹿とは紙一重とはよく言ったものだ、普通ならやらない。

 

 しかし、私はやる。それが未来へ進む方法だというのなら、いくらでも奇跡を起こしてやる。終焉のこの街で、再び始めようじゃないか。それが私の、「イクシーズ」――

 

――「ミュンヒハウゼン様」

 

「……ん」

 

 演説が終わり信者達を持ち場へと促した後、一人の信者が声をかけてきた。バーテンダースーツに身を包んだ青年。信者の情報は吾郎が管理をしているから詳細を覚えてはいないが、確か「平清盛」と言ったか。

 若い割にとても丁寧な対応を行う青年の為、彼にはVIPである逢坂緑のもてなしを頼んでいた。どうやら彼自身彼女へ強い想いがあるらしく、その感情は偽りで塗り固められた表情の上からですらよく分かった。Gut(良い)。好意的だ。

 

「逢坂様がお話がしたい、と」

 

「ありがとう。すぐに行く」

 

 佐之は話を聞いて逢坂緑の元へと向かった。地下繁華街の廃れた街並みを流し見て、そして捉える。彼女が待っていた建物は当時使われていたというBARを元に、ほんの少しだけ弄って辛うじて部屋として使える、といった場所。冷蔵庫等が備え付けられていた為に電気を入れてやれば動いたというのが幸いか。

 

 ドアを開けると、そこは古いながらも当時の面影を少しだけ残していた。軽く暗いムーディな空間に紅色のソファが映える。其処には、既に逢坂緑がワインを片手に座っていた。

 

「やあ、こんばんわ」

 

「待たせたね。君、ハードシードルを頼む」

 

「かしこまりました」

 

 緑の向かい側に佐之も腰をかける。直ぐにワイングラスと緑色の瓶が運ばれ、瓶から黄金色の液体がグラスに注がれた。見た目はビールのそれだ。しかし、香りが違う。

 

 佐之は一口、それを味わう。……ふむ、やはり甘くないシードルというのは良い。絶妙だ。

 

「さて、君から話があると」

 

「ああ。そのつもりで呼んだの。」

 

 緑はつまみの柿ピーをポリポリと齧りながら言う。

 

「いい加減、この茶番劇の真相を知りたいな、と」

 

 茶番劇。緑はそう例えた。

 

「随分と酷い。結末が手緩いとでも」

 

「そうとしか思えないんだよ。ここまで来たのは褒めてあげる。でもね、逃げ場が無いでしょう。破滅しか待ってないのさ。此処の設計者に私も入ってた。だから、分かるんだよ。端から「負け戦」を仕掛けるつもりだったんだ、って……」

 

 半ば呆れ顔の緑に対して、クク、と佐之は笑った。

 

「それは君達の主観だ。私はそういう視野で物事を見ていない。私にとっての勝ちというのは、そういうことじゃない」

 

「……んならさ、今宵の物語の幕引き。どんな物を想定してんの」

 

「それは君の想う事と一緒だ。「黒咲桜花」の死を無駄にしてはいけない。私はね、「偏執狂(パラノイア)」なんだよ。暗く(NOIR)、そして悲しき(NOIA)。この感情無くしては、イクシーズは先に進めない」

 

「……君なりの慈善事業という訳ね。それ、私にとってはやっぱ負けだよ」

 

「それでいいのさ。逝くのは私一人でいい。私にとっての勝ちとは、そういう事だ」

 

 ス……と、佐之は机の上にアルミのブリスターパックを置いた。

 

「何それ」

 

「精神安定剤だ。アルテミスの加護下でこれを使えば、通常の4倍の力を発揮出来る。やってみるかね?」

 

「うへぇ。無理無理、私にその気は無い。逝くならアンタ一人で頼むわ」

 

「だろうね。そんなことをして「マトモ」で済むわけがない。しかし、それでいいのさ」



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エモーショナル・バウンサー11

「はいはーいよく聞けよ貴方らども。この私が直々に説明してやる。が、私はおんなじことは一回しか言いません、二度聞かなくちゃいけねーってのは余程の馬鹿か耳が遠いかよ。そこんとこよかとね」

 

 警察署の会議室、ウェーブのかかった黒髪を掻きながら倶利伽羅綾乃はその場にいる警察官達に面倒臭さ全開の表情で説明を始めた。「感じが悪い」。決して良くはない。しかし彼女ならしょうがない、とその場の全員は納得している。黒咲夜千代でさえも、だ。有無を言わせない。

 

「知らねーやつもいんかんなー。イクシーズには昔、地下に娯楽施設があったのさ。15年も前の話だよ、あんときゃ私も若かった……」

 

 小声で辺りから笑みが漏れた。彼女なりのギャグだろうか、張り詰めていた雰囲気が少しだけ和らいだ。

 

「あ、今笑った奴後でしばくから」

 

 ビクン!と身体を硬直させる数人。可哀想に。より空気が張り詰めた。

 

「んで、賑わったわけよ。裏のイクシーズ、その名も「地下繁華街」。ムーディな街でな、空には開発当初のNPH(ネオプラズマホログラフィック)を採用、明るい夜と暗い夜の二つを採用して昼と夜を区別した。街灯が夜を照らす、大人向けの世界さ。しかしガキも憧れた……マセたガキがいっちょまえにカッコつけてよ、アソぶ訳よ。したらどうよ、物は壊れるわ、春が売られるわ……大人とガキの境界線が曖昧になっちまった。表と裏にイクシーズ作っちゃ、警備も薄くなってな。後は、言うまでもねぇか。そっから先は「地下犯下街」って呼ばれた暗黒期よ」

 

 気が付けば、綾乃はその手にメビウスライトを摘んでいた。……此処は禁煙の筈だが。口から煙が吐き出される。

 

「最後は不良の戦争に使われてオシマイ。それが決定打で封鎖されちまう訳。ま、やったのはバックボーンに凶獄組付けて依頼受けた私なんだけどさ。実際に地下繁華街を潰したのは統括管理局なんだが、これ一般には内緒な。あくまであれが潰れたのは不良のせいで、統括管理局は悪く無いって話」

 

 正直、この時点でついて行けてない人が多い。綾乃が対面グループ「不動冥王(フドウミョウオウ)」の初代総長だったというのは有名だが、そのバックに凶獄組があって、しかもその依頼で地下繁華街を潰したというのは。そんな人物が今や警察の対策一課な上に学校の臨時教師。人間というのは分からない。

 

「さって、昔話はここまでだ。要するに、そういう場所が「あった」って、しかも今も「ある」って事。入口はコンクリで封鎖されてるが、施設は丸々イクシーズの地下だ。電気も生きてるらしい、これ切っちまうとイクシーズの機能そのものに支障が出るからまだ弄れない。サボってたツケだな。そこにミュンヒハウゼンと大宮は逃げ込んだ。ので、私がお前らを地下街に放り投げてミュンヒハウゼンを討伐してもらいます。以上!後はスクリーンを頼んだ!」

 

 小声で「でぇれ疲れた……」と呟きながらメビウスライトを味わう綾乃。後は背後のスクリーンが全てを語った。

 

 地下繁華街には入口が三つある。北、東、南にそれは分かれており、それら全てに警察を配置。地下繁華街は電磁フィールドで覆われているため、突入の際にはそれを極限まで弱める。入口は封鎖されており、その瞬間に綾乃が全員を能力「常夜の闇」にて無理矢理に空間移動、入口の向こう側へ。

 それを全ての方角で順次に、そして素早く行う。後は三つの方角からローラー式に月の兎の討伐、終点の「地平線の泉」という公園がある西方向まで進むという物。空間移動が入口までなのは、本人の負担を減らすため。ただでさえ10年以上前の記憶を頼りに電磁フィールド越しに空間移動するのだ、いくらSレートであってもそれを何回もというのは辛い。とてもじゃないが奥までは無理だ、空間移動には集中力が居る。

 

 そして、黒咲夜千代の配置は終点から一番遠い東の地区だった。ナナイやシャイン、浅野や聖夜等の強力な部隊は比較的西へと向かいやすい北口と南口。そう考えると東口は比較的楽な位置……。

 

 という訳でも無いんだな、これが!

 

 夜千代は部隊を率いて月の兎と交戦していた。両手に「光の剣」を握り締め、前線で戦う。

 

「こんなに残党が居るなんて聞いてねぇぞ!」

 

 まだ入口付近だというのに、街中に潜んでいた月の兎達が遅いかかってくる。夜千代の部隊の数9人に対して、敵は二桁。明らかに教会戦で逃げた数より多い。こりゃ予め地下繁華街に残していやがったな。前線だけじゃ押せない、後方支援に手伝ってもらうしか!

 

「支援、まだかよ!」

 

「乱戦で狙いが……!」

 

「チィッ!場が悪いか!」

 

 地下繁華街の地理は地図を見て想定していたよりも更に「悪い」。入り組んだ街中、街すべてが裏路地みたいにややこしい。そして夜深く故の周囲の暗さが関係してくる。そこで強襲を仕掛けられたら、迎撃出来るつもりが対応で手一杯だった。

 

 しかし、こんなトコでへばってるようじゃあ……!

 

 トッ、と街中に降り立つ一つの影。バーテンダースーツに身を包み、顔には他の信者同様の兎の仮面。そして、手には身の丈の二倍はあるサイズの「旗」。長い柄の先には黒字に黄色いマークの月を模した旗が括られている。月の兎を現す旗のようだ。

 

 男……青年?奴は……!?魂が黒い!!?

 

「――」

 

 ドン!男は旗を奮う。一体どんな怪力か、月の兎の軍勢を的確な間合いで吹っ飛ばした。

 

「なっ……?」

 

 仲間割れ!?

 

 月の兎と思われた男は、その旗で他の月の兎達を蹂躙し始めた。

 

 突き、振り、旗包み、目隠しからの大薙。その細身からはとても感じられない程のパワフルな動きで瞬く間に辺りの月の兎達は地に倒れ伏した。

 

 夜千代達、その場を眺めていただけ。手を出せなかった。邪魔になるというレベルで「(テク)い」。その様、まるでダンスのように。

 

「……なんだ、誰だい?テメェは……」

 

「……。」

 

 夜千代が問いかけると、男は無言で旗を柄から外すと、それを夜千代に放った。

 

「なッ!おいッ!」

 

「――」

 

 目隠し。旗を夜千代が光の剣で押し退けた時には既に、男はその場からいなくなっていた。

 

「……んだったんだよ……」

 

 助けてもらった、という認識でいいのか?奴の目的が何かは分からない。しかし、こっちの手伝いをしてくれたというのは確かだろう。

 

 夜千代は男の魂の色を思い出す。夜千代の目には魂の色が視える。月の兎達は皆揃って魂が「透き通るような無色」に近い。行動原理が本能そのものだからだろう。合理的な物でないのだ。

 

 対して佐之や大宮を見た時の色は「果てしなく黒」。恐らく、アルテミスの加護を受けつつも頭で考えて動いているのだろう。だとするなら、さっきの男はきっと幹部クラスだ。ただの信者では無い。

 

 尚更、なら何のために……?



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エモーショナル・バウンサー12

 篠萩(しのはぎ)勝正(かつただ)、23歳。イクシーズ在住現警察官。性別男、能力「パイロキネシス」レートA。炎を発生させる能力者だ。単純に便利で強力。

 身長は172cm、体重67キロ。学問上の中、「不可無く可有り」、それなりに出来る奴という自負がある。周りからの評価は良く、人付き合いもいい。酒は()る。むしろ大好き。

 

 生きていく上で第一に「情」、第二に「金」を信条にしている。人間関係は全てを作る、そしてそれを支えるのは金だ。そんな彼が選んだ就職先というのは「警察官」だった。

 給料が良い、人の為に働ける。ならば、就職するしかないだろう。良い事づくしの人生だ。自分という男を役立てて、この世の為に尽くす。正直、自分は高水準の人間だ。俺には出来る、人を幸せに!それが俺の正義だ!

 

 この日、彼は目の前で「理不尽」を目撃する事になる。

 

「マジかよ」

 

 目の前で飛び跳ねる青い瞳の少女。黄色い短髪を忙しなく靡かせて、夜の地下繁華街の街並みを「飛んでいた」……。文字通り、「飛んでいた」のだ。

 

 人は飛ばない。鳥じゃないから。人は飛ばない。飛行機じゃないから。人は飛ばない。スーパーマンじゃないから。そんな「常識」って奴は、現実を目の当たりにするといとも簡単に崩れ去ってしまうものだ。

 

「フウゥゥゥゥゥゥ……!!」

 

 腹式呼吸のような何かだろうか。少女は口からそのように呼吸音を鈍く響かせて、周りの月の兎を次々と蹴散らす。蹴ったり、殴り飛ばしたり、跳ねたり、撥ねたり。飛んでいる理屈は分かる。「建物」と「建物」の間を、壁を蹴って行ったり来たりすれば飛べるだろう。

 

 いやいや、理屈上で分かってても実際に出来るのとは違う。水の上を走る方法が分かってても出来ないのと一緒だ。右足が沈むより早く左足を前に進ませれば、それを繰り返して理論上走ることが出来る……?「馬鹿か」と。

 

 そんな彼女に次々と吹き飛ばされる月の兎達ってのは、一人を相手するのにAレート一人付きっきりでなんとか有利に倒せる、というものの筈だ。篠萩は体験していた。数合わせの雑魚じゃない。レート評定およそE~D程の市民、しかしアルテミスの加護による身体能力向上が凄まじい。故に実質「Aレート」……の筈なんだ。シャノワール・ミュンヒハウゼンは驚異なんだと知らしめるほどに。「阿呆か」と。

 

 イワコフ・ナナイ。19歳の少女。能力1判定。たかだかそれだけの存在。それが彼女だ。

 

 「国士無双」。麻雀でそういう役がある。篠萩勝正が趣味でやる麻雀の中でも、特別好きな役だ。個別の十三牌に加えて一牌からなる役、クラスは「役満」。役として最高のクラスだ。条件を整えればさらに二倍。言葉の意味としては、「最強の者」。単純明快に格好いいのだ。

 

 目の前の少女は、その「国士無双」に値する――!!

 

「ナナイの邪魔はすんな!自由にさせてやれーーッ!!」

 

『押忍!!!』

 

 Sレート「光の剣(ジ・エッジ)」シャイン・ジェネシス率いる班は、ナナイ班のアシストの為に存在していた。ナナイ班……といっても、先行するのはナナイだけ。残ったナナイ班は半ばシャイン班に混ざり込むような形でナナイ一人を出来るだけ「邪魔しない」ように敵への攻撃・負傷者の介護へと当たる。というか、それだけで充分。

 

 シャインですら、ナナイに付いて行くなんてのは無理だ。邪魔をしないように立ち回る。ああなったイワコフ・ナナイは止まらない。追いつくのだけで周りはわりかし精一杯だ。

 

『月に願いを!!!』

 

(ゼン)……」

 

 着地したナナイに、一人一人では勝てないと悟った月の兎達は揃って飛びかかる。数は十では済まない。

 

 この光景、勝負を確信したものが居た。シャイン・ジェネシスは、その光景をまるで白昼夢(デイドリーム)を見るような恍惚の瞳で見ていた。勝ちだと。

 

Reverie(レヴァリィ)……」

 

 無論、篠萩にすら結末は見えた。「あ、勝ちだ」と。

 

羅掌紋(らしょうもん)ッッッ!!」

 

 地から伝わる力を足から腕へ。全身を体躯して放つ渾身の一撃、「纏絲勁(てんしけい)」。中国拳法の流れ、彼女の能力「オーラ」を纏った青い螺旋の力が、その掌底から放たれ襲いかかる月の兎達を一瞬で吹き飛ばした。

 

 はじけ飛ぶ、軍勢。そして道が開ける。故に「国士無双」。これがシュヴィアタの一騎当千、「自由の鳥(ブルーバード)」ナナイ。

 

 吹き飛ばされた者達の後には、追撃が無い。この辺りの月の兎はここまでのようか。

 

「道が開いた……」

 

 篠萩勝正は、ただそれを眺めていただけ。Aレート評定を貰っている彼自慢の「パイロキネシス」は一切発動する機会を貰えなかった。そういうレベルで、戦いについて行けない。

 

 それが、彼女の姿。齢19歳、小さな背中が、とても大きく見えた――

 

――北口、地下繁華街内部。浅野深之介は隊長である「エリザベス・ロドリゲス」に着いて行った。

 

 少数の高機動編成。後方からのバックアップは他班に任せて、今はとにかく前へ進む。

 

「……LA(ロス)には足を運んだ事がある。貴方を見たこともある。モデル、だっけか?」

 

 浅野と並走する褐色肌に癖のある髪を後ろで括った女、エリザベス。イクシーズの人間じゃない。CIAからの応援、しかも「特殊Sレート郡」の人間だ。俗に言えば「化物」とも。媚を売る。

 

「よく知ってるね。そういう私も、お前をよく知ってんのさ。LAじゃ暴れなかったのかい?」

 

 シェイド、テログループの一人「ミカエル・アーサー」。今は違えど、当時はそうだった。

 

「暴れれなかったんだ。LAには悪魔が出るってな。……おっと、いや、なんの話だかな。俺は「浅野深之介」だ」

 

「殊勝だね。あたいは「エリザベス・ロドリゲス」だ。気軽にミシェル(麗しきエリザベス)とでも読んでおくんなまし」

 

 深之介とミシェルとの談笑中、空中から何かが降ってきた。二人はそれを避ける。地響きを起こして、何かはその場に現れた。ミシェルは特段驚いた様子もなく問う。

 

「おっと、何用や?」

 

 巨大な体躯、威圧的なドレッドヘアー、黒い肌色、筋骨隆々。大きな拳が地面にめり込んでいる。明らかに只者でない男が降って沸いた。

 

「ミー、ここでキサマら足止めシマース。キサマら、此処でデッドオアダーイ」

 

 ノシ、ノシと重い足音。近くで見れば見るほど……デカい。その図体、目測250cmオーバー。

 

「……(しん)やん、他の奴ら連れてきな。コイツぶっ飛ばして直ぐ向かうわ」

 

オーライ(問題無し)

 

 深之介がミシェル班を連れて行くと、此処は巨漢、以外に素直。それを見送った。

 

 巨漢はミシェルの方を向き、ニカリと笑う。

 

「お前、良い匂いする。グッドスメル。血と、硝煙と、油っ臭さと、死の香り。……タノシイ(・・・・)

 

 拙い日本語で話す巨漢。その様は、むしろ恐怖を煽るものである。……ミシェル以外なら。

 

「オ~ラ~イ、シェーシェー。日本の方じゃねぇのさね。そういうのは楽しそう(・・・・)ってんだ。なあ貴様、ロスに悪魔が出るって(ウワサ)知ってるか?」

 

「俺の名、ボラリタール・モーリス・ゲイリー・ジ・オーツ。お前、fuck(ぶち) you(壊す)

 

「めんどいからお前ボブな」



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エモーショナル・バウンサー13

――地下繁華街中央区、流星公園。先行していたナナイは足を止め、右耳のインカムに問いかけた。

 

「管制塔、状況が欲しい。進んでいいのですか?」

 

『問題無しです。そこから先が西区です、進んでください』

 

 流星公園。ここが丁度、地下繁華街の中での真ん中に当たる。北区、東区、南区、西区――全ての接続地点だ。

 

 イクシーズ中央、統括管理局管制塔からの連絡を受けて状況整理が出来た。ローラー作戦に現状支障は無し。やはりこの先、唯一出入り口が存在しなかった西区が本拠地という事か。いいだろう、先へと――

 

「来たか太陽ォ!構わぬさ、それが神の定めというのなら!!」

 

「ゴロウ!」

 

 夜の公園に鳴り響く声。気が付けば、そこに降り立つ影。坊主頭に白衣、紛う事なき元・統括管理局職員「大宮吾郎」だ。

 

 彼は歩くような早さでナナイに近づくと、数メートル先で足を止めた。

 

「貴方を、超える……!」

 

「その気は無い」

 

 瞬間、ナナイ跳躍。横へと、一瞬の間だった。

 

「神へと寝惚けな。「天降(あもり)天叢雲光剣(あまのむらくものみつるぎ)」」

 

 路地の影で親指で首を掻っ切るような仕草をして、そのままサムズダウン(死の合図)へと指を振り下ろしたシャイン。夜空のスクリーンに混ざり込んだ黒雲から公園に降り注ぐ光の剣の雨。辺り一体を、凶器が襲った。

 

 作戦。ナナイが陽動を受けた。釣った敵を一網打尽。掛かったのは大宮吾郎だ。

 

 眩い程の光の霧散。剣の雨が止んだ後は、まるで昼間のように眩しくて。……大宮吾郎が、空に手を伸ばして無傷で立っていた。

 

「小癪な。しかし意味の無い……シャイン・ジェネシス!貴様では無理だ!!」

 

 空間の歪曲。光の剣全てを何処かへやったらしい。

 

「第二陣、敷くぞ。潰せ」

 

『押忍!!!』

 

 しかしそこまでは予想の範疇。シャインが合図をすると、増援が公園に突入する。ナナイと合流をし、吾郎へと迫る。

 

「数には数を。……敬虔なる信徒よ、奴らを共にねじ伏せようか」

 

『月に願いを!!!』

 

 吾郎の言葉で、背後から湧いてくる月の兎達。再びの乱戦が始まり、夜明けまで、あと少し――

 

――巨大な黒人オーツの巨拳がミシェルへと迫る。

 

 ミシェル、合わせ打ち。体躯をノーモーションのまま、腕から骨の塊を発現させて拳を形どり、オーツの拳に殴り合わせた。

 

「オーウ!ファッキンファンタジスタ!!?」

 

「夢みてーだろ。現実(リアル)だぜ、コイツ」

 

 骨……骸骨?に殴られたオーツはその拳を抑えて後ろに下がった。痛い。瞳の色をさっきまでと180度変えて、目の前の華奢な女の肉体を流し見る。

 

 体重差、およそ100キロ。身長差、およそ50センチ。……その合わせ打ちの結果、こういう感想が生める。「有り得ない」。ただそれだけが脳内を埋める。純粋な疑問だった。

 

 Holy shit(馬鹿じゃねぇか)!??何をした???

 

「力量から見るにSレート……素でAレートってとこか。筋悪くないぜ、アンタ。次に起きた時は全部忘れて真っ当な道を巡りな」

 

「……キルユー!!」

 

 直後、飛び込んだオーツ。対してミシェルが取ったアクションはただ一つ。骨で目の前に壁を作っただけだった。

 

泡沫に沈め(サイレント・ノイズ)

 

 骨が軋む音。それを聞いたオーツは、そのまま意識を失いミシェルの作った骨の壁にもたれ掛かった。ズシン、とその巨躯を骨が微動だにせず支える。

 オーツの骨が軋んだのではない。ミシェルの生み出した骨の塊が音を鳴らしたのだ。

 

「低周波の骨振動……筋肉の壁じゃあ、この音は防げねぇなぁ。ノーミソ夢へと溶け出しちまいそうだろ?って、もう聞こえてねーか」

 

 筋肉を鍛えようが、骨を太くしようが、脳味噌は鍛えようがない、三半規管は存在する。ミシェルはオーツを道の端っこへと除けると、先に進んだ――

 

――青と灰の衝突。ナナイと吾郎の拳がぶつかり合う色。誰の目に見ても分かる。あの二人だけ、ランクが別だった。

 

「ミュンヒハウゼンは何処へ?」

 

「ツれませんね……!今は俺だけを見てくださいよぉ!!」

 

 吾郎の右ストレートをナナイはギリギリ頬スレスレで交わし、右拳を腹部へねじ込んだ。

 

「ゲェッッ!!!」

 

 弾け飛ぶ吾郎。ナナイ、冷静。誘いの追撃に乗らない。その場に立ち、言葉を投げる。

 

「後何回殴ればお前は死ぬ?このまま夜が開けるまでお前を小突き回してもいい」

 

 吾郎が吹っ飛んだ中間地点の空間が、少しして歪な音を立ててねじ切れた。追いかけていたら、あれに飲まれていたろう。

 

 目をひん剥いて、口を大きく開いて、ナナイを向く吾郎。やはり強い。

 

「ハハァ……!大雑把じゃ駄目か……。なら、いいんですよ。この公園一体を、飲み込んでも!!それが大雑把で駄目なら、もっとど派手にイぃィぃィィハハハァあぁぁぁぁ!!!」

 

 両手を大きく広げ、高笑いをしながらさらに疳高く叫ぶ吾郎。空間が、一帯が、歪んでいく。

 

「ッ!ナナイ、ぶち込めェ!「星の宇宙船」起動開始ィ!!」

 

 様子が怪しい吾郎を見てがなるシャイン。月の兎や見方が犇めく周囲の状況を一切合切無視して腰を落とし、拳を地面に付ける。地面に光の円が浮かび上がり、そこから次々と光の剣が宙に浮かび上がった。狙うは吾郎だけ!

 

了解(ヤー)

 

 ナナイ、またただ吾郎にだけ狙いを付けたまま最短距離を突っ走る。右手には「青い拳(カンタータ)」を準備して。

 

 吾郎目掛けて迫る光の剣とナナイ。あれを無視しては駄目だ、奴はこの空間全てを何処かに飛ばすつもりだ。ここで崩さないと、マズい――!!

 

 瞬間。吾郎の前に割って入る月の兎が。白衣と仮面を身に付けたそいつが、吾郎とナナイの間に「見えない壁」を作って「カンタータ」と「光の剣」を防いだと同時に五郎が作った空間の歪みをかき消す。

 

「いかんね、吾郎君。それでは役割を果たせない」

 

「ミュンヒハウゼン……!」

 

 目を細めるナナイ。現れた、佐之・R・ミュンヒハウゼン。次の瞬間。「見えない壁」に罅が入り、割れた。

 

「――覚悟は出来たぞ、佐之。お前は未来に連れていけない」

 

グート(それでいい)。その答えを聞きに来た」

 

 横槍から入ったのはフラグメンツ、浅野深之介。その手にはバッテリー駆動式の「ビームネイル」が握り込まれていた。形状はバグナク(虎の爪)を模したもの。

 

 ミュンヒハウゼンの見えない壁はなんてことない、正体は「電磁フィールド」そのものだ。ならば、光学兵器で壊すまで。



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エモーショナル・バウンサー14

光学兵器のビームネイルにより砕け散った電磁フィールド。言うまでもなく、佐之は無防備だった。しかし、笑みをこぼす。

 

「ほう」

 

 深之介の踏み込みは足りなかった。直後、次に動いたのはナナイ、この好奇を逃さんとす。無論、それを吾郎が許す訳もなく。踏み込んだナナイに吾郎が攻撃を仕掛ける形となった。

 

「螺掌紋!」

 

 ナナイ、それを無視。優先目標は言うまでもなく黒幕「佐之・R・ミュンヒハウゼン」。「カンタータ」はさっき撃った、溜めが足りない。仕方なく力が乗り切らない螺旋の拳を放つが、横から吾郎の攻撃を受け、佐之に対して甘い攻撃で終わってしまう。上半身にねじ込んだが、感触で分かる。「足りない」。

 

「っぐ、はははっ!!足りん!」

 

 アルテミスの加護が乗った人間、それもどうやらそれだけじゃない――威力で意識を奪いきれず、ここで佐之を逃がす口実を与えてしまった。佐之が後退し始める。まだ、誰もついて行けない――!

 

 トン、トン、トンと。佐之は空中を駆け上っていく……いや、正確には電磁フィールドを足場にして何段も空中を飛び跳ねたのだ。それは「まさか」の使い方だったろう。事前に佐之が電磁フィールドを展開出来る事を知っていたとはいえ……。

 地上30メートル、皆が追いかけあぐねる。唯一着いていけそうなナナイは吾郎に応戦している。一度取っ組み合っては無理だ、吾郎はナナイに対して尋常じゃない執着心を抱いているのは誰の目にも明らかだった。

 

「さあ!逸らさないでください!」

 

「チッ……!」

 

 そして佐之が飛んだその先には、吾郎が用意した空間の裂け目。これが逃げ道だった。完璧な逃走ルート、逃すわけにはいかない。

 

「成る程、統括管理局も私の力に勘付いたようだ。さて、此処は失礼しようか。夜はまだ終わってない」

 

「待て――」

 

 佐之が空間の裂け目に飲まれる。深之介はフリーだが、あそこまで行くには――

 

「乗ってけや浅野!行け!!」

 

 声に振り向いた深之介の目に飛び込んだ光景は、空を行く幾つもの「光の剣」。シャインは拳を地面に付けたまま、それを未だに射出していた。

 

「早くしな!誰でもいい、奴を追いかけろ!これはっ、俺がダメになるまでしか持たん!!早くだ!!」

 

 周囲、コンマの沈黙。月の兎達も、警官達も、気付いたのだ、「追いかけるならこれしかない」。こうしている間にも、空間の裂け目はその口を閉じようとしていた。

 

「っ、任せろ!」

 

 深之介、空を行く光の剣の一本に飛び乗り柄を握り締めた。重量を増やした光の剣は、しかし減速する事なく空を行く。

 そして、さらにもう一つ。光の剣に骸骨を絡ませてしがみつき飛んでいく者が居た。薄い褐色肌の女。

 

「闇夜の海へヨーソロー……さあ、一緒に地獄に行こうさぁ!!」

 

 エリザベス・ロドリゲス。深之介と共に空間の裂け目へと突っ込む。そして、それを送り届ける者。

 

 あと少し、あと少しなんだ。

 

 シャインはその場にしゃがみ込んでいる。というか、この姿勢でないと無理……!光の剣を空に放つだけで精一杯だ。一つ一つのコントロールなぞ、やってのけられる物では無い。ただ数を放って、それを目標まで突き立てるだけ。そして、ナナイは吾郎と戦っている。つまりシャインは今。

 

 月の兎が、シャインになだれ込むように襲ってきた。警官の束を押しのけて。

 

 果てしなくピンチだ!俺がこれを手放せば、月の兎達に反撃出来るだろう……!しかし、そうなれば!深之介とミシェルを送る事が出来なくなる……。それだけは駄目だ。絶対に有り得ない。奴を叩くなら今だろう。深之介と、ミシェルなら。

 

 ニィッとシャインは歯を食いしばり笑った。

 

「俺が倒れようが、くたばろうが。この手は止めねぇよ……!来いやぁ糞野郎共」

 

 腹を括った。倒れてもいい。けれど、仕事だけはこなす。それが、「シブい男」って奴じゃあねぇか。なぁ、ナナイ……!

 

 襲いかかる、かかる、月の兎達。シャインはその光景を、目を見開いていた。歯を、食いしばって。

 

 そして、その目前に走る電撃の槍。月の兎達は電撃に痺れ、その場に硬直して直ぐに倒れた。

 

 !!?シャインの脳髄に稲妻のような刺激が流れた。

 

「「鳴神(なるかみ)」……!馬鹿な、来雷(くーらい)……?なぜ此処に!!」

 

 シャインはその電撃の槍をよく知っていた。来雷(くーらい)娘々(にゃんにゃん)、よーく知った、友人の技「鳴神」。その電撃そのものだった。しかし、彼女は警察でも統括管理局でも無い。あのプライドの塊でええかっこしぃの統括管理局が応援を出したとは思えない。一体、なぜ……?

 

「いいや、私だ。弱気なんて槍が降るぜ?パイセン」

 

 光の剣が空間の裂け目に入ったのを目指して、シャインはその構えを解いて振り返った。深く聞き覚えのある声に、深く安堵した……。

 

「おせえぞ、夜千代」

 

「わりっす、道が混んでまして」

 

 夜千代が差し出した拳にシャインもまた立ち上がり拳を掲げ、コツンと重ねた。そして敵に向き直る。

 

大地(ガイア)口付け(キス)しな、雑魚共が』

 

 フラグメンツ二名。荒事ならお任せあれ。さあ、反撃はここからだ――

 

――深之介とミシェルは同時に地面に着地した。深之介はその手と足で、ミシェルは骸骨で。

 

 辺りは真っ暗。電気が通ってないのか……?辛うじて光は空のスクリーンだけ。満点な偽りの星空が、この場で二人を照らしていた。

 

「おいおい、こりゃ何の趣向だい?アタイらショーパブに来たんじゃないぜ」

 

「……」

 

 茶化すミシェルと、無言の深之介。思惑する、敵の意図を。すぐ其処に奴は居るはずなんだ。

 

「ふむ、二人か。思わぬ闖入者(ちんにゅうしゃ)……。呼んだ覚えはないがね、LAの悪魔「エリザベス・ロドリゲス」」

 

 カッ、とお約束のように暗闇にライトアップされた言葉の発言者、佐之・R・ミュンヒハウゼン。距離の離れたそれに、ミシェルは減らずの口を叩いた。

 

「ありゃりゃ、御呼ばれでないかいそーかいそーかい。知ったこっちゃねぇ。入場料が要るなら幾らでも積むぜェ?」

 

「なら、それでは「君の命」を頂こうか」

 

 パチン、と佐之が指を弾く音。それと同時に周囲のライトが点火した。どうやら此処は、広い路地のようで。そして、その壁には幾つもの――

 

「おもてなしは私の分身が、ね」

 

――緑色の繭。薄い膜の内側には液体と、そして幾つもの裸体、男の裸体、「佐之・R・ミュンヒハウゼン」の肉体が。

 

 パチン、と一斉に膜が割れて中身が地面に落ちる。目覚め出す、幾多数多の肉人形。動力源は、佐之の能力「シンパシー」。

 

「こういう使い方もある」



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エモーショナル・バウンサー15

 男は強さという物に少なからずの自信を抱いていた。

 柔道・空手共に黒帯、剣道二段。街中で吹っかけられる対面にも勿論答える。レートBではあるが、そこいらの能力者相手にでもおよそ勝てる。勝てないのはAレート上位勢、もしくはSレート等の規格外ぐらい。バッサリ言って、それら全部まとめて「人間じゃない」。

 人間という範疇でなら俺は強い。比べる対象が違う。彼らは夢の世界の住人、男は現実の世界に住んでいた。

 それでも、俺は――

「っく、あああ……」

 暴走しだした「実験体」。統括管理局は実験を進めていた、不可能を可能にする為の実験。

 作ろうとしていたのは、「シュヴィアタの民」のクローン。貴重なサンプルを元に作られたそれは、確かな完成度を持っていて……。

 けれど、それが言う事を聞くとは限らない。

「応援を寄越せ!警備、警備を!!」

 班長の怒声が響く。実験は失敗だ、実験体を破棄しなければいけない。こんな時こそ、立ち向かえるのが俺だというのに。

「ああ、あああ……!」

 腰が地面を這って足が動かない。「死への恐怖」。

 暴走した実験体と目が合う。あ、駄目だ。俺は死んだ。――その時、確かに戦うという意思は死んでいた。

「おーいおい、新入りの挨拶参りに来たのになんだいこりゃあ。統括管理局の警備はどうなってんのぉ」

「……危険が香ります」

 ザッ、と地を這う男の前に立つスーツの二人。短い金色の髪が美しい青い瞳の少女……どう見ても「少女」と、ボサボサで手入れが行ってない髪と髭の男。そんな二人だった。

「えっと、「いわこし」の「ななし」さん、だっけ。とりまテストといこっか。あれ、やれる?」

「「岩越(イワコフ)」の「無々(ナナイ)」です。答えはYesです、やれと言われるのであれば」

 直後、男の目には「白昼夢」が映る事になる。現実と夢、どれだけ混ざらない世界であっても。その光景に見蕩れて、手を伸ばしてしまいたくなる程の――


「ちぃッ……!キリが無ぇなァ!!「ブレードサークル」ッ!!」

 

 シャインが敵陣に飛び込み、自分の周りに飛ぶ「光の剣」を円形に振り回した。シャインを中心に回りながら月の兎達に向かって広がっていく。

 

 その一本に夜千代が飛び乗り、その上で雷の槌「武甕槌(たけみかづち)」を豪快に振り回した。辺りの月の兎を弾きとばす。警察官達はそれを必死に反応して避けていた。乱戦ではもう「当てない」というより「当たらない」ように避けてもらうしかない。

 

「とりまナナイさんに吾郎のゴミクズをぶっ飛ばしてもらってから……って、この連絡、管制塔から……?」

 

 光の剣から地面に飛び降り手を付いて着地した夜千代の耳に入ったのは、インカム越しの管制塔の連絡。あれ、これって……。

 

 瞬間、夜千代はシャインの方向に走っていった。シャインも夜千代に向かっていき、また警察官達も交戦を止めて彼らの方へ。皆聞いたようだ。ナナイはお構いなしに吾郎と殴り合っている。耳に入った連絡とは。

 

「おい!俺の後ろに隠れろ!!盾貼れる奴は前に出なァ、「魔王」が来る!!」――

 

――地下繁華街東区、入口のほんの手前。瀧聖夜が放つ光の領域「小さな聖域(リトル・サンクチュアリ)」の中で佇む一人の男が居た。人はたった二人きり、周りには他に誰も居ない。

 

 くたびれたコートを身に纏った警官服の男。身長は大きめ、頭部は少し寂しく、髭を軽く乱して揃えた渋みのある面持ち。年齢は推定で40の後半。左手には鞘に入った日本刀。名を「オービタル・ノブナガ」と云う、その現物(オリジナル)

 

「英雄一人居りゃ充分」

 

 詠うは名乗り。その男は誰に聴かせるでも無く、唯言霊を綴った。

 

「並ぶ奴あ二つと無し」

 

 放つのは、「鬼迫」。まるで、鬼気迫るような気迫。

 

「三文芝居は要りゃしねえ」

 

 安全地帯の中で、近付く事を許されぬような世界が其処に生まれて。

 

「四の五の言わずに(こうべ)を垂れろ。大六天(だいろくてん)――」

 

 男、天領(てんりょう)牙刀(がとう)は鞘に入ったままの「オービタル・ノブナガ」を。

 

「――「魔王(まおう)」」

 

 右手で鍔ごと鞘と柄を握り締めて思い切りの「大見栄切り」を目前の虚空に放った――

 

――見えない「何か」。その何かが地上を飛び、地下繁華街全てを襲った。

 

 瞬間、防御壁を持たない月の兎達が一斉に弾け飛んで倒れた。東を向いて目の前に光の剣で壁を作ったシャイン達は、そのプレッシャーを大いに受けながらもなんとか意識を繋ぐ。

 

 光の壁を崩したシャインが、一気に息を吐いた。心臓が大きく脈打っているのが自分でも分かる。これは、「恐怖」だ。

 

「っぶはぁっっ!!あのオッサン、無茶しすぎだろ!」

 

 シャインの肩に手を置いて後ろにひっつき、シャインを身代わりにしていた夜千代は少し余裕を持って笑った。

 

「ふう、パねぇ……。何処まで離れててもお構いなしとか意味不明すぎっす」

 

 そう、天領牙刀の「大見栄切り」は、その姿が見えてなかろうが口上が聞こえていなかろうが障害物越しだろうが、「お構いなし」だ。横の軸が合っていれば、盾が無い限り意味が無い。それを、安全地帯から放った。地の果てまでを統べる威圧感。

 

 圧倒的な生命感(スリル)の侵略。それが彼の「大見栄切り」だ。

 

 これが、統括管理局が出した天領牙刀の出撃条件。完全な安全地帯からの敵の殲滅。ローラー作戦で敵を引きつけてからの、さらに瀧聖夜の「小さな聖域(リトル・サンクチュアリ)」内からの念に念を入れた一撃。

 事実、これで月の兎の大半は片付いた筈だ。しかし、まだ重要な敵が残っている。

 

 二人きり、別次元の戦いをしていた吾郎とナナイ。「魔王」をモロに受けて、尚立っていた。

 

 シュウゥゥゥゥ……。肉が焼ける音。吾郎は苦しそうにしつつも、笑っていた。

 

「フフ……!牙刀さんも慈悲深い人だ、大方鞘付きのままに「魔王」を振ったのだろう。抜き身なら死んでいた……ククク、市民を殺しちゃあいけないからな!アハハハハハ!!」

 

「市民を人質に取って笑うとは、堕ちたな吾郎。いいだろう、引導を渡してやる」

 

 ナナイもノーダメージじゃ済んでいない、しかし痛み分けのフィフティ・フィフティ。このダメージはお互いにある。

 

 吾郎は背を向け、走り去ろうとした。ナナイがその背中を追いかけようとした時だ。

 

「待て――」

 

 その背中が消えた。ナナイは瞬時に気配のする方を見る。――空!!

 

「此処は逃げさせて頂きますよ……いくらなんでも分が悪くてねぇ!」

 

 吾郎は細かい空間断裂による移動を何度も行い、空を飛びながら高速で逃げて行く。方向は西、ミュンヒハウゼンに合流するつもりか。

 

「ラストダンスだ」

 

 ナナイ、地を飛び跳ねた。空を駆ける。飛び駆ける。高速で、吾郎が飛ぶよりもっと高速で。

 

「佐之、お前の力を貸せェ……!私は超える!なんとしても、彼女をこ、え……え?」

 

 空を飛ぶ吾郎、違和感。背後を少し、振り返る。嫌な予感は、的中した。

 

 シャインが放った「光の剣 星の宇宙船」の残骸を、蹴って吾郎に急接近してきた。

 

「ええええええええええ無理がある!!!??」

 

 僅かな残骸を足場に、蹴っては跳ねて、蹴っては跳ねて。

 

 例えば。水の上を走る方法がある。水の上に足を踏み出し、踏んだ足が沈む前にもう一つの足を前に踏み出すのだ。後はそれを繰り返すだけ。そうすれば、理論上では人は水の上を走る事が出来る。

 

 人は、それを「無理」と言う。

 

「無理など無い。限界はお前が決めた常識だろう」

 

 静かに吐き捨てるナナイ。バラバラになって霧散した光の剣を、「裸足」でただ蹴上がるだけ。靴も靴下も脱ぎ捨てていた。吾郎に向かって右拳を構える。青い力が漲っていくのが見てるだけで分かる。

 

 もちろん吾郎、無抵抗は有り得ない。こうなったら逃走は一度破棄、迎え撃つしかない。ナナイに向かって右手を構え、人差し指と中指を伸ばした拳銃の形へ。辺り一帯の空間を掌握する。

 

「だが、俺は強いィ!!貴方など超える程にィィ!!絶・因果斬「メギド」!!!」

 

 開く空間。断裂する筈の空間。飲まれたら終わりだろう。その空間の裂け目を、ナナイは左手で掴んで無理矢理閉じさせた。

 

「あっ馬鹿なああああああああああああああああああああ!!!!!?????」

 

「開くのなら閉じさせるまで」

 

 掴んだ空間を引っかかりに、ナナイさらに加速。寸前、吾郎の元へ。

 

「いや、シュヴィアタの民は地に足を付けてこその完成!力の源は自然である全て!空中での戦闘は向かない、ならば勝算は……!」

 

 ナナイ、青く染まった右手で浮いていた光の剣の残骸を握り砕いた。砕かれた光の剣は粒子となり、ナナイの右拳に飲み込まれる。ナナイの拳が眩い程の青い光を放った。

 

 闇夜に浮かぶその光、さながら真夜中の太陽。その光景、まるであの時瞳に映った白昼夢のようだった。

 

「……嗚呼、やはり貴方が」

 

 メギドを打つために体勢を無理矢理崩した吾郎は、その光景をただ走馬灯のように見送るしか無かった。

 

「そうか、貴方が」

 

 シュヴィアタの民が駆る体術、バレット・サンボ。なぜその名が付いたかというと、理由は単純明快。彼らは武器を必要としない。彼らの五体、そして自然そのものが武器だからだ。

 

「だから、貴方が――」

 

「私が岩越(イワコフ)だ。「天石刀(あまのいわと)」」

 

 ナナイは強い光を放つ、青く煌く拳を振り下ろすように吾郎に叩き込んだ。

 

 彼女の名は、イワコフ・ナナイ。文字通り、「岩を越える」程屈強な者。



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エモーショナル・バウンサー16

「わらわらわらわら……うっとおしいたりゃあらせんわ!!「泡沫に沈め(サイレント・ノイズ)」!」

 

『あ~~……あ~~』

 

 ミシェルは(かたど)った骨の偽骸人(ぎがいじん)から、ノイズを放った。脳味噌を揺さぶる骨振動の音波。辺り一帯に群がる佐之・R・ミュンヒハウゼンのクローンにそれは伝わった……ハズだが、効いている様子(・・・・・・・)がない。巨人ですら一瞬でKO(ノックアウト)の大打撃が、だ。

 

 ちぃッ!思い当たるフシはある!!

 

 人間は言うまでもなく脳味噌で考えて動く。これを停止させてやるのがこのノイズだ。けれど、もし相手が脳味噌で考えずに動いていたら。思考でなく、反応でなく、反射で。佐之の能力「シンパシー」、これがクローンを動かすトリガーだったとしたら。そりゃ、脳味噌を揺さぶった程度で動きは止まってくれない。

 

 ならば、やるべきは佐之を倒すこと。将を射んと欲すればそのまま将を射よ。単純明快、であるが……。

 

 佐之と交戦する深之介。状況……微妙に不利、か。ならば、もう。ノイズでこの一帯をまとめて……?

 

 ミシェルは襲いかかるクローンを偽骸人で吹っ飛ばして、かつ思考を止めない。クローンの肉片が、赤い液体と共に周りに飛び散った。ありゃ、ただの「タンパク質」だ。心無き肉体を「(ヒト)」とは言わない。

 

 無理!ミュンヒハウゼンが電磁フィールドを展開している以上、奴の脳内にノイズが届くっていう補償がない!そうだった場合、浅野深之介も巻き込む事になる!それが一番辛い!!

 

 例えば、この場に味方が誰も居らず、ミシェル一人だった場合。その能力により周り一体を吹っ飛ばす事が出来る。それがミシェルの能力。LA(ロス)の悪魔、辺り一帯にLOSEを振り撒くグレムリン。故に、問題が起きる。

 ミシェルがもし、自分が死ぬと判断した場合。生存を第一優先にする。その時は能力を惜しみなく行使する。どれだけ周りを壊してもいい。そういうタガを、頭の中で外せる。

 

 けれど、今はそうじゃない。

 

 勝ちがハナから決まっているゲーム。統括管理局は負けない。それだけは分かっている。有象無象の処理、平常運転。今はその為の(ツめ)の場面。損失を最低限にしなければいけない。今は時間稼ぎでもいい、けれど。損失は最低限で。糞。こんな几帳面な戦場、アタいにゃ向いてねーんだよ統括管理局め。

 

 故に、落ち着く。一度外したタガは、ハマらない。外れたら……少なくとも、地下繁華街を全壊にしてしまえる。別に街は良い。安い。けれど、統括管理局が観る「能力者」ってのは、そうはいかない。人一人、うっかり殺してしまったじゃ、事故じゃあ済まない。その損害はデカすぎる。今は、まだ、その時を……!勝機は悪くねー、五分と言わずとも、四分……!いや、三……。

 

 ミシェルがクローンに対応している途中だった。深之介が吹っ飛ぶ。地を転がり、直ぐに体勢を直す。が、異変に気付く。

 

 カチッ、カチッ。

 

「……!」

 

 深之介、表情が強張る。それまで少しは涼しげがあったように見えたその顔に、一気に陰りが押し寄せた。その理由は、直ぐに分かったのだ。

 

 手の中のビーム・ネイルが起動していない。

 

 目の前にミュンヒハウゼンが、とても涼しげな顔で歩み寄っていた。

 

「私はね、人工的に能力をもう一つ持っている。脳内にチップを埋め込んでね、簡単な物さ。「電力の操作」だ。君のバグナクのバッテリーを奪った。さあ、ここから君はどうする……?」

 

 電力の操作。なるほど、合点が行く。電磁フィールドの展開、というか。その可能性は考慮しておくべきだった。チッ、悠長に出来ねーじゃねーか!

 

 ミシェル、瞬時硬直。もし、このまま深之介が一方的に嬲られるというなら。ミシェルは佐之に向かう以外の方法が無くなる。「深之介を生かしたまま佐之を倒す」という選択肢が無くなる故だ。ならこの状況一切合切無視して屠った方が「安い」。ミシェルがクローンに対応していたのはこれを深之介に近付けないため。乱戦になれば、深之介を殺す自信があった。どう見積もっても守れない、巻き込むしかない。故に。

 

 その瞳を「暗闇」に染めて。ミシェルは深之介を伺った。準備が出来た。その時が訪れるようなら、ただの「タンパク質」と「カルシウム」に変えてしまう覚悟が出来ていた。次に深之介が吹っ飛んだ瞬間、スイッチは入る。

 

 否。吹っ飛んだのは佐之だった。

 

 近づいた佐之の電磁フィールドを、深之介は殴り抜いた。あろう事か、素手で。深之介はその場に腰を据えて立つ。

 

「俺の本能は……「生きること」だ」

 

 ボロボロになった上着を、汗を吸ったシャツを。不要だろうということか破り脱ぎ捨て去った。

 

「……!」

 

 きょとんとしたミシェル、刹那。満面の笑み。綺麗な白い歯が覗く。思わず笑いが止まらなかった。

 

「生きること、戦うことが……俺の本質(センス)だ!」

 

 その肉体には痣が刻まれていた。月の兎の紋章が、上半身にくっきりと。彼は受け取ったのだ。佐之を倒す為に、彼のシンパシーを。



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エモーショナル・バウンサー17

 踏み込んで、殴る。

 

 暗闇に電撃が迸った。佐之の纏った電磁フィールドが、唸りを吠えて弾ける。佐之が仰け反った。

 

 深之介は握りこぶしを作って殴った。素手、だ。ビーム・ネイルは使えない。悪手かもしれない。けれど、今の自分には深く考えている余裕など無い。本能に促されるまま。それがシンパシーの制約。とりあえず、体が動く限り!!

 

「受け取ったというのか、私の意思を!」

 

 表情を悦楽に歪め、嬉しそうな顔の佐之。深之介は、あえて彼の能力を受け入れた。理由は、単純。彼を、殺すため。身体能力を強化する為に。

 

 下手をすれば精神汚染の結果、佐之の支配下になっただろう。けれど、そうならないという根拠の無い自信に賭けただけだ。結果、この場ではそれが功を成した。

 

「お前の意思は汲んじゃいない。断ち切るために理解しただけだ」

 

「構わん!!」

 

 佐之は押され気味の肉体を空中で立て直すと着地し、しっかりと足を地面に据え、再度前に進む。深之介との一騎打ち。

 

 電磁フィールドは絶対的な防御力を誇る。故の弱点……それを深之介は突いていた。佐之が展開するそれ、佐之を中心に広がるバリア。微動だにしないバリア……バリアを、殴って「吹っ飛ばす」。そうすれば、理論上佐野が「吹っ飛ぶ」。壊れないバリアに引っ張られて。

 

 けれど、それだけ。有効打になるとは言い難い。

 

 深之介はただただ殴る。拳から血が吹き出る。それがいつまで続くのか……ただ、機が熟すのを待つのみ。彼は、待っていた。

 

 対して、佐野は深之介の攻撃に耐えるだけでいい。ただ、耐えた。電磁フィールドに防御を任せて、足を前に動かす。体勢を立て直して。

 

 無駄!迂闊!愚直!それでは、私を倒せるわけがない!!

 

 ただ、耐えるだけ。明快な優劣。相性の問題だ、佐之が深之介を踊らせている状況。

 

 そして、君はやがて肉体に披露を訴えかけるだろう。それがこの戦いの終わりを告げる。そろそろだ、君の肉体は限界だろう!!

 

 ……深之介は殴る。まだ殴る。勢いを乗せて、右拳を、左拳を、次から、次へと。

 

 さあ!限界だろう!倒れたまえ!平伏すのだ!

 

 深之介、止まらない。その気配は見せない。違和感。アルテミスの加護下であっても、常人であればとっくに息が切れる筈。痛みに手を引っ込める筈。佐之の脳内に疑問が走る。

 

 そして、瞬時。バリアを貫通して、深之介の腕が、佐之の肉体に刺さった。

 

「げぇあっ!?ふっ……ぅぅぅ!?」

 

 佐之が地を転がり、痛みに呻きを漏らす。そして問う、「何が起きた!?」……単純な疑問。とはいえ、紐解けば意外と難しいことじゃなかった。

 

「急所が外れた。次は殺す」

 

 肺活量。単純な身体能力、継戦能力の差。浅野深之介という男の五体に刻まれた記憶が、状況を作る。

 

 闘争に対する集中力、経験、気兼ね。その他諸々が、この数瞬の奇跡を作った。ボロボロになっても止まらない深之介に対して、佐之は心の中でほんの少しだけ「油断」をした。ただそれだけ。電磁フィールドの展開理論を間違えた。根比べに負けた、という事だ。

 

 とはいえ、明確な決着には至らなかった。深之介と佐之の身体能力の差、それはアルテミスの加護下で互角。戦闘経験、深之介有利。能力、佐之有利……。

 

 ここで佐之がアクションを起こした。

 

「コード・ゼロ……!私はね、君を知りたかったんだよ」

 

 展開していた電磁フィールドを右手に集めた。歪曲した空間の塊が、佐之の手の中で異次元を生み出す。危険な香りだ。

 

「私と同じ名を持つ者の意。君は及第点だ。納得したよ、決着だ」

 

 そして、その異次元を目の前の男に放つ。掌から拡散する、異次元の破壊光線。

 

「プルート」

 

 稲妻を纏った黒くおぞましい光?が、深之介に迫った。速度からして避けられないだろう。勿論、佐之は勝利を確信する。

 

 けれど、深之介は避ける必要なんていなかった。だって。

 

 その場に居たミシェルが、骸骨でそれを受け止める。群がっていたクローン達は異次元の波に飲まれゆくが、ミシェルの偽骸人は壊れない。

 

「っとぉ、なんだこんなもんかよ」

 

 そう。深之介は居なかった(・・・・・)。故に、避ける必要がなかった。

 

「すり替……ッ!?」

 

幻世(ヴィジョン)

 

 背後から聞こえる声。佐之は振り向いた。気が付けば、すぐそこに。後ろに、浅野深之介が迫っていた。

 

 深之介は「アルテミスの加護」で増幅された自信の能力で、触れなくとも佐之に幻覚を見せていた。歪曲した空間の状況を。

 

 佐之は展開する、電磁フィールドを。瞬時、ドゴン。と、そこに、大きな衝撃。

 

「汝に不吉あれ。オーメンだ」

 

 冷酷な、ミシェルの声。そう、後ろから。骨の弾丸が打ち込まれたのが分かった。余程強大だったのだろう、佐之のフィールドが一気に収縮する。

 

「背徳の輩があァァァァァッッッ!!」

 

「――禅」

 

 息をする暇も無く、無慈悲に迫る深之介。その拳が、佐之の胸部へと迫る。最早、ミュンヒハウゼンは電磁フィールドに頼る事しか考えていなかった。

 

 そして、再度の展開。瞬間、深之介の拳にブツが握られている事に気付いた。

 

 バッテリーを失った筈の、ビームネイル。

 

 放たれた電磁フィールドがビームネイルへとぶつかり、急に膨大な電力を与えられたビームネイルはエラーを起こす。そして、爆発した。深之介の右手と、佐之の心臓を道連れにして。

 

 最後まで立っていた深之介の眼には、仰向けに倒れゆく佐之の最後が映っていたその顔は、何処か嬉しそうに。

 

 なるほど。これが結末か。

 

Oh,yeah(それでいい)……」



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エモーショナル・バウンサー18

 心臓を貫かれ、後方の地面へと倒れゆく佐之・R・ミュンヒハウゼン。その様を、深之介はゆっくりと流れる体感時間の中で見送った。

 

 右手が痛いどころじゃない。感覚が無い。焼き切れている。爆発に飲み込まれた。……でも。そんなことより。

 

 フラついた深之介の身体が、肩に手を回す形で支えられた。いきなりの事にキョトンとするが、朦朧とした意識の中でもそれが誰なのかは判っていた。この場に居るのは他に一人しか居ない。

 

「Hey!ブラザー!!よぉーくやったァ、大金星だぜ!!」

 

「耳元で劈かないでくれ、死ぬ」

 

 ミシェルが身体を支えてくれた。体がまともでないこの状況でそれは嬉しいのだが、如何せん五月蝿い。この場面でどうしてお前はそうも元気があるんだ。流石は特殊Sレート群だけあるか。

 

「……クローン達は良かったのか?」

 

「ん。佐之が死んだ瞬間一斉に止まった。もう心配ぁ無いさね」

 

 ようやく意識して周りを見渡せた所、辺り一体には肉塊の地獄絵図が。その全てが、活動を停止している。

 

 今は動きを止めているとはいえ、ミシェル一人でこれらを食い止めていたのか……。

 

 右手に違和感。失った筈の感覚の場所に違和感が走った。気が付けば、無いはずの右手をミシェルがフリーの方の手で握りこんでいた。

 

「ちょっと痛いかもしれんが我慢してくれ、カルシウムの層だ。外に出るまでの繋ぎにはなる」

 

「ありがとう。痛みの方は無い、如何せん神経もろとも吹っ飛んだからな」

 

 何を馬鹿な、とは思われただろう。右手が無くなろうと、そこに繋がっていた腕の神経はまだある。それが痛む筈だ。しかし、その痛みは自然と無い。脳内麻薬が痛みを止めているのだろう。

 

「……帰ったら精神ケア受けときな。じゃねーと「マトモ」じゃいられなくなる」

 

「ああ、わかっているさ。自分でも無理をしたと感じている」

 

 アルテミスの加護……佐之のシンパシー。深之介の体の痣は無くなってはいるが、その脳内に影響が残らないと高をくくるには早い。出来るだけ早く、帰って――

 

『――……!!』

 

「お、おい!どうした?」

 

 いきなり足をガクり、と落とす深之介の体重を支えていたミシェルは心配をした。チッ、後遺症か……!

 

「いや、大丈夫だ。大丈夫なんだが……」

 

 ミシェルの腕から抜け出すと、深之介は足をよろめかせながら佐之の亡骸に近付いていった。

 

「……佐之・R・ミュンヒハウゼン」

 

 腰をかがめ、その亡骸に触れる。お前は此処で死んだ。そう、死んだんだ。

 

 その先に……お前は何を見た?お前にもある筈なんだろう、お前だけの答えが――

 

 白衣から試験管が落ちた。中には、緑色の液体を保有している。

 

 これは……?

 

「おーーーい!!生きてるかーーー!!!」

 

「おっせーぜ、もう終わっちまったよ」

 

 声の方を振り返ると、其処には追いついた警察官達が。夜千代を始め、シャイン・ジェネシスにイワコフ・ナナイ。向こうもどうやら、大宮吾郎達の対応に終わった後のようだった。

 

「……ってうえぇぇぇぇぇ!!なんだこれ……!!」

 

「形状から想するに佐之・R・ミュンヒハウゼンの亡骸……コピー、いや、クローン……?」

 

 暗い中を、近くに来てようやく状況を理解した夜千代と冷静に分析するナナイ。先行する二人を後から追いかけ、息を切らしながらシャインがミシェルに問う。

 

「……大丈夫だったんだな?」

 

「あー。それよりも、優先すべき事があるんだほら、休んでないで行くぜ」

 

 黒髪をかき乱して、ミシェルはまだ奥に足を進める。

 

「逢坂緑の保護も優先事項だ」

 

 そしてそれに続いて深之介。

 

「ったく……忙しい奴らだよお前ら!」

 

 それに続いてシャイン、そして夜千代とナナイも足を先へと進めた。




「ぶはぁッッ!!!」

 男――風貌からして「青年」は目を覚ました。場所はアパートの一室、居間。透き通る緑色の液体の繭に包まれていた全裸の「青年」は、繭の膜を突き破って外に出た。床に繭から弾け出た液体が広がる。

 青年は指をぐっぱっ、と握り締める。周りを見渡す。思考する。私の名前は――「佐之・R・ミュンヒハウゼン」。

「ははっ!やったぞ!!「デジャヴ」だ!!!」

 佐之は想定していた敗北の為の逃げ場を用意していた。イクシーズの地上、適当なアパートを他人名義で用意して、そこに自分の「クローン」を用意していた。それもその姿……推定「19歳」。およそ20年程前の姿。これが肝だ。

 この姿なら、イクシーズの包囲網を掻い潜れる。

 佐之は身体をタオルで拭き、予め用意していた衣服を着る。黒のカーゴに橙色のトレーナー。

 準備は完了した。さあ、外に出よう。「仕込み」は済んだ。後は、その様子を外から見守るだけ――!!

「――」

――!?

 衝撃!??佐之はフローリングの床を転がった。ドアを開けようとした。玄関のドアを、だ。そう、ドアを開けようと――


――両腕が無い。

「!!??」

 錯乱の佐之。その瞳に、見つめた溢れ出る血の手首の向こう側に、本来なら見えない向こう側に。在るはずの手の向こう側に、男が立っていた。

 その手に、両手に、「二振りの日本刀」を握り締めて。

「10年ぶり、だな。シャノワール」

 地面には切り裂かれ三分割された玄関のドア、聳え立つは黒いスーツ姿の男。オールバックに揃えた黒髪、骨ばった輪郭、隆々巨大な体躯。左腰には上向きの鞘、右腰には下向きの鞘。それを脳内に焼き付けた瞬間、佐之の脳内には「諦め」しか浮かばなかった。

「は、はは……、貴様が何故此処に居るぅ……?「血塗られた十年間(ブラッディ・クロス)」の亡霊、居ないはずの人間……!!唯織(イオリ)draclawyer(ドラクロア)……!!いや、「「大罪王」ロイ・アルカード」ォォ……ッ!」

 男は二本の刀を納刀し……男、イオリは赤く染まったその瞳で佐之を見つめた。

「二度目の転生だ。俺は二回死んだ。だから今の俺はロイ・アルカードではない。今一度、イオリと名乗った」

「ははっ……!!死んだのなら寝ていろよ……!私の邪魔をするなぁァァ!!!」

 手のない身体を、足だけで必死に起こした。大丈夫、この体には「電磁フィールド」ある。不意ならともかく、正面なら……!

「死んだのはどっちだ?」

 一閃。右手が僅かに動いたのが見えた。その次の瞬間には左腰の納刀が終わり、佐之の左足は地面に転がり佐之は地面に血を撒き散らして尻餅をついた。

「あ……!あぁ……っ、電磁フィールドが……馬鹿な……!!」

 佐之の疑問。電磁フィールドが通用しない。それも、その筈。

「俺に衝撃の類は効かない。お前への最特効という訳だ」

 サイレンサー。「音と衝撃を無効に」。それがイオリの手に入れた能力。

「は……ははッ!!詰みか!!!」

「無論」

 チンッ、と。イオリは納刀した筈の刀を、両腰に携えた日本刀を鞘と少しだけ離した後、再び納刀しわざとらしく鳴らした。「サイレンサー」を弱めて。

 金打ち。古来から伝わる、約束の礼法。刀の鍔と鞘を音を立てて打った。この状況でのこの意味とは、「お前を殺す」という誓い。「見栄」を「切る」動作の一つ。

――この空間、俺だけの間合(せか)いだ――

人は何れ死ぬと知れ(メメント・モリ)

「……神よ、私を」

 瞬間、二閃。

二式(にしき)魔王(まおう)

 その一時だけが、赤く燃え盛る濃密な刹那。

「神は人を救わない、神では人を救えない」

 別れゆく、頭部と上半身と下半身。その頭は宙を舞いながら、瞳を閉じて笑っていた。

 三秒後にはゴロンッと、音を立てて地に転がる頭部。

「とはいえ、野望を抱く雄というのは嫌いではない」

 血の一滴も付かない刀を再度納刀し、イオリは軽く笑みを浮かべた。

「お前はそれでよかった」


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エモーショナル・バウンサー~エンディング~

「もうじきに決着が着くみたい。今日って夜の御終いだ」

 地下繁華街の果て、「地平線の泉」。公園の真ん中には噴水が、そして円を描くような形状の広場。地下のギリギリ、地上と海の狭間。海の一帯を見渡すパノラマの窓から、肘を窓枠について「統括管理局(データベース)人類主席(じんるいしゅせき)」逢坂緑は夜明け寸前の紫色の海を視ていた。

「そうですか」

 バーテンダースーツに身を包んだ青年「平清盛」は、背後から彼女に相槌を打つ。そう、もうすぐ夜明けだ。全てが丸く収まるのだ。

 それは、彼の願い。卑屈な少年の、せめてもの狙い。

「モチのロンだけど、君には一切罪が無いようにしておくよ。私をここまで守ってくれた勇敢な男の子だってね」

「それは、ありがとうございます。僕は貴方さえ無事であれば、なんでもいいんですけれど」

 彼が、そう答えた次の時には。緑は振り返り、彼の体を抱いていた。両腕で彼の身体を抱き込み、その顔を胸に抱きしめ。

「……え?」

 突然の事。彼にはそれが視えていたが、対処がわからなかった。

「うん、良い顔だ。可愛げのある顔立ちだが、目付きが悪い。笑うようにするとモテるぞ少年」

 仄かな暖かさ、ふわりとした優しさ。彼は、その心地に「安らぎ」を感じた。

「本当に良い男だよ、全く。私がマトモだったら放っておかなかった。真実の愛とは幽霊のようなものだと言う、なぜなら誰もがそれを口にするが、誰も見たことが無いかららしい」

 それも、束の間――

「君は愛を視たことがあるかしら?」

――緑はその華奢な体で、彼の肉体を窓の外に放り投げた。

 瞬時、反応出来るはずもなく。有るはずの窓は、その瞬間には無かった。彼は能力の「目」で認識する、理解した、消えゆく電磁波の欠片から、それが「電磁フィールド」の窓だったことに。なら、彼女が解除したんだろう。

 無いはずの筋力。そんな筋肉、彼女の体には備わっていない――否。有り得るとするならば、例えば、筋肉を電磁操作して……?

 何よりの不可解は、彼女が。なぜそんな行動に出たのか、だった。故に彼は、対応出来なかった。

「頑張って泳げば海岸線に着く。すぐ近くに海浜公園がある、良い子はもうすぐおはようの時間だ。悪い夢から覚めて、普通に過ごすといい」

「ま、待って……!貴方は――」

 直ぐに分かった。彼女は、全てを。

「この物語のフィクサーは一人で充分。その方が悲劇だろう?」

 わざとらしく、右手の人差し指を立てて。

 全てを、理解(わか)っていたのだと。

「さよならだ、岡本光輝くん。せめて、君が、目が醒めた後に――」

――悲しんでくれたなら。

 直ぐに閉じられた窓の向こうで、聞こえなくなった筈の彼女の声が、彼女の唇がそう言った気がして。

 バーテンダースーツの男、岡本光輝は黒い海に飲み込まれた。


「こっちであってんのかよ?」

 

 走る五人組。シャイン・ジェネシスがいまにも息を切らしそうな苦しい顔で、必死に呟く。

 

「合っている。統括管理局からのマップ通りだ。お前は土地勘を鍛えたほうがいい」

 

 その中で戦陣を切るイワコフ・ナナイ。迷い無い瞳で、息の一つも切らさず走る。そして、それに涼しい顔で着いて行く浅野深之介。エリザベス・ロドリゲスは足に骨の擬鎧(ぎがい)を装備して難なく走っていた。

 

「いや、あんだけの情報で分かるナナイさんが大概だから」

 

 尚、夜千代も着いて行くのが精一杯ではあるが、息が切れるという事は無い。足に雷の加速装置を着けていた。

 

「……お前らズりぃもん……」

 

『そのすぐ先から逢坂緑主席の反応があります。そのまま向かってください』

 

 シャインが泣き言を言うと、耳元のインカムから管制塔のオペレーターからの指示が聞こえた。なるほど、問題無し。

 

「わかったよ、行きゃいんだろ行きゃ!」

 

 そして五人は、その広場へと足を踏み入れる――

 

――統括管理局、管制塔。そこでは複数人のオペレーターと、そして、一人。和装を身にまとった赤髪の少女……それは見た目だけで、中身はもっといった女性が。

 

「順調じゃあ無いか。流石はイクシーズの者達よ、優秀だな」

 

 ソファに座りご満悦。凶獄煉禍が楽しそうに笑っていた。

 

 宙に手を漂わせ、ふわふわと揺らし、そして、握り込む。

 

「全ての運命は、私の物だ。私が司る……緑よ、よくやった。私の片腕よ」

 

 彼女の手の中には全てがある。イクシーズの権限、統括管理局、人類主席。その全て――

 

――カタカタ、と橙色のレンガが敷き詰められた広場に足を鳴らして入る五人。辺りには街灯の明かりが少し、円形の広場の中央には噴水。今はもう忘れ去られた地下繁華街の中で尚機関が運転しているようで、水が湧き出ている。

 

「おいおい、とっくの昔に作られた場所にしちゃまだ小奇麗じゃんか――」

 

 ガシャン。

 

「――おっと!」

 

 五人の内最後に広場に入ったシャインが辺りを見渡して感想を言うと、後ろで何かが閉まる音がした。振り返ってみると、其処には大きめの通路を塞ぐほどのガラス張りのドアがあった。見事に閉まっている。

 

「……こんなもんあったのか?おい、管制塔。此処で――」

 

『――……。』

 

 シャインがインカムを使って管制塔に語りかけるが、応答がない。

 

「通信障害のようだ」

 

「チッ、ここまで来て……いや、電波が届かなくなったか」

 

 深之介が冷静にそう答えたが、まあ、無理も無いか。ただでさえ使われてない地下の最新部、そこまでくりゃあ電子機器の電波も届かない事もあるだろう、と。

 そして、再度。辺りを見渡した。ここが最新部なら、彼女が居るはずだ。囚われの姫君、逢坂緑。

 

「そろそろ来るとは思っていたけど、待っていたわ。ありがとう、みんな。任務達成ね」

 

 声の方向。広場の奥で佇む、白衣の女性。背後には窓、そして東雲。僅かな明かりが、まるで後光のように彼女を照らしていく。少しずつ、外から明かりが舞い込んできた。

 そう、少し特殊な立地。この場所は地下だというのに、外の景色に臨むのだ。その大窓を区切りにして。

 

「おっし、センセ!さあ、帰ろうぜ」

 

 シャインが喜び、緑に声をかけてその足を踏み出す。これで任務完了。世は全て事も無し。

 

 ザシュン!!

 

「ったぁ!!?」

 

 そんな内心をかき消されるかのようないきなりの出来事にシャイン、のけぞってレンガ造りの床に尻餅を打つ。凄く痛い。いったい何事だと目を見開いて改めて思考すると、目の前の床には、「光の剣」が突き刺さっていた。

 

 これはシャインの能力だ。シャインが自分の能力で突き刺したわけじゃない。だとするなら、誰が……?答えは一つだった。

 

「おい夜千代!てめ……」

 

「ま、いやっ、待っただ!待ったを掛けるッッ!!」

 

 シャインが振り向くと、其処には残った四人の中で、一人。剣を投げた後の動作で固まっていた黒咲夜千代が居た。どう考えてもこの状況、彼女が投げたとしか考えれない。

 シャイン、直ぐに立ち上がり、夜千代の目を見る。凄く動揺して――怯えた目。おかしい。普段の彼女のふてぶてしさからは、とても想像が付かないぐらい。

 

「待っただ……?エンディングはすぐソコだ。エンドロールをじっくりみたいっつっても、ポーズぁ効かねぇ。うっかりスキップしそうになったか?それとも、だ」

 

 シャインは茶色の前髪を掻き上げて、夜千代の目をじっくり見る。ガンを飛ばすように。

 

「佐之の「シンパシー」か?……いや、そりゃ無えか。アイツは死んだ。能力の影響も消し飛んだ」

 

 佐之・R・ミュンヒハウゼンの影響が残っているなら、この奇行も有り得るだろう。しかし、それは無い。だって、アイツの亡骸は確かにあったのだから。事実、シャイン達は信者へのシンパシーが消えた事を確かめた上でここまで来た。

 

「そう……アイツは死んだ……死んだんだ……なのにオカしいじゃねえかよ……なあ、人類主席(・・・・)サマ……緑さんよ……!!」

 

「ほう」

 

 一方的に、ただ怯えた様子の夜千代に対して、緑は笑顔で相槌を打った。

 

「なんで貴女の魂は無色(・・)なんだよ……ッッ!!」

 

「……ふぅん?」

 

 緑は笑ったままだ。笑ったまま、五人の方へと歩き出す。

 

「あ?夜千代、お前何言って」

 

「魂はッ!!」

 

 夜千代が手の形を銃にした。ゆっくりと、ナメクジの速さで歩み寄る緑にそれを向ける。明らかな敵意。

 

「人間の欲望を映す……!どんな人間にだろうと、少なからず(カラー)があんだ!シャインさんが黒と黄色混ざってるみてーに、普通の人間は姿形(カタチ)が見えやがる……!」

 

「それで?」

 

「緑さんのも色があった!ピンクと黄色と青と色々混ざった、フツーの人間の色だった……。でも今のそれは、その……」

 

 夜千代はその言葉を、喉の奥から、捻り出すように叫んだ。

 

「月の信者と、おんなじ色してやがんだッッッ!!!」

 

 その言葉に。夜千代が叫んだ、その言霊に。この場の空気が、凍りついたような気がした。

 

「それはつまり……「人間」の色じゃない……!!」

 

「……君が何を言いたいかいまいち分かりかねるが?」

 

「よーするに、だ。アンタ、怪しいぜ?」

 

 夜千代を庇うように、ミシェルがその前に立った。首をコキリ、と鳴らしゆらり立つ姿は傍から見て戦闘態勢のように。

 

「最初っからどうもきなっくせー話だったんだよ。破られるはずの無い管理棟が破られた。包囲網を抜けられた。地下繁華街へと逃げ込まれた。なぜ天下の統括管理局が出し抜かれる。挙句の果てにはクローンだ?ありゃ、CIAでもトップクラスの機密だぜ?それをなぜ、佐之の手にあるか。どっから持って来た?」

 

「おい、ミシェル……!それ以上は」

 

「良い子ちゃんは黙ってな。世の中にゃ叩きつけなきゃいけねー事実がある」

 

 今度はストップを掛ける側になったシャインを置いてミシェルは続ける。

 

「お前だよ、逢坂緑。手引きしたろ、何の取引だ?」

 

 言っちゃオシマイ。そういう話だ。考えれば、逢坂緑は「胡散臭すぎる」のだ。それは、傍から見て。同じ組織の人間では、それを言えない。情があるから。関係があるから。「仲良くしたい」、普通だったらそう思うだろう。

 

 夜千代のそれを皮切りに、ミシェルはぶちまけた。

 

「40点」

 

 進める足を止めた緑。一番近いシャインとの距離、僅か5メートル。

 

「嘘だと言ってくれ……」

 

 シャインは、信じたいような、疑いを僅かに含んだような苦い表情で、緑を見る。緑は、それを目にもかけない。

 

「論より証拠だ。方程式が合っていても解が無ければ数学のテストではペケだぞ?君の解答(QED)はそれまでかね?」

 

「例えば、こういうのはどうだ」

 

 深之介が、ズボンのポケットから試験管を取り出した。中には緑色の液体が入っている。

 

「これの中身を統括管理局に分析してもらったらいい。恐らく佐之のクローンに使われたものと同じ物だ。その中身がどれだけ重要な物か分かるだろう。それに指紋も良い。佐之が持っていた物だが、まあ、彼女のも見つかるだろう」

 

――賭け。これは半ば、賭けに近い。

 

 今、突発的に頭の中で浮かんだ「理想論」。それだけを、競馬の3連複を当てるように能書きで綴っただけだ。

 

 後は、伸るか反るか。

 

「……ツキが落ちたな」

 

 緑は窓の外を見た。其処にはもう、朝日が昇り始めていた。夜明けだ。

 

「いいよ。70点!!及第点をあげよう」

 

 緑は右手を天へとかかげ、そして指パッチンを鳴らすと同時に肩と水平になるように下ろした。

 

「私が全ての根源だ」

 

「――」

 

 瞬時、ノータイム。この時を待っていたと言わんばかりに碧眼金髪の少女が地を駆けた。

 時速150キロのストレートのような動きから即斜めへ角度を切り、そして死角の場所から緑に掴みかかる。

 そして、その掴みを「知っていた」かのようにステップで躱され、その場に緑は居ない。取った筈の死角を取り返される形でナナイは緑に投げられ地面へと突っ伏した。

 

――馬鹿な!?

 

 そう思ったのは、ナナイだけでは無いだろう。この場でただ一人。逢坂緑を除いては。

 

「君がそう出るのは知っていた。だから、準備しておいた。分かるかな……?」

 

 投げっぱなしの後のナナイを、緑は背を踏んでその場に止めた。ナナイは必死に動こうとするが……。

 

「は、離せ……ッ!」

 

 動けない。動かない。まるで、自分の体が金縛りに合っているみたいに。自分の意思で動けない。

 

「筋肉というのは、電気信号で動くって知っているよね?ならば答えは簡単なのさ。「私が全て操っている」……-10度の雪山でも問題なく動けるシュヴィアタの民でも、流石にこれは効くみたいだね。君の敗因は勝てるはずの相手に慢心してイニシアティブを譲渡した事だ。勝ちたかったら皆で一斉に攻撃すりゃよかった」

 

「ナナイッッ……!なあ、緑さん!冗談にしちゃ度が過ぎるでしょう!?」

 

「まだ寝ぼけてんのかシャイン。ありゃもうお前の知ってるあの人じゃない」

 

「なんだってんだよ……ッ!」

 

 ミシェルがその手を、骸骨をまとわせて緑に向けて。「不吉あれ(オーメン)」、そう言おうとした時だ。

 

 緑がその足で、ナナイの頭を踏みつけた。ゴリッ、と。レンガの床に食い込みそうな音で。

 

「ぐがッッ……」

 

「まあ、待ってよ。スイカ割りにしちゃ、まだ時期が早すぎる。少し、お話しようじゃないか。君達は、私をご機嫌にしてくれるだけでいいんだ。それで彼女を解放するから」

 

 人質。手を出せない。ミシェルはかざしていた手を下ろした。

 

「ケッ」

 

「悪魔的な……ッ!」

 

「ふふ、違うよ夜千代ちゃん。私はね、悪魔に魂を売ったつもりは無い。君の見た色の通り、無色……。偉人で例えるならイエスかムハンマドに近い。良い例えだろう?神のそれだ」

 

 静寂が訪れた。ひとまずの、無音。場が落ち着いた。

 

「話がぶち切られたな……何から話そうかね。そうそう、管理棟の杜撰な管理も。教会戦で私が彼に付いていったアドリブも。地下繁華街が生きていて其処に逃げ込まれたのも。彼のクローンがあんなにも存在していたのも……」

 

 パン!と緑は両の手の平を合わせるように叩き、そして体の横へと広げた。

 

「全て私の「想定内」だ。さて、100点から-30点分の理由は」

 

 煽るような動作の後、緑は考え込むような仕草で右手を顎に当てる。

 

「私はそうなるように物事を「配置」しただけで、手引きなどした訳では無いんだよねぇ……」

 

「あ゛?」

 

 苛立ちを隠せないミシェル。しかし、どういう事だ?

 

「お前が佐之の共謀者だろっつってんだよ!!」

 

「だーかーら、違うんだよっ♥私は、あれやこれを、そこに「置いていた」だけ。何も言ってないの。佐之君はぁ、それを上手く利用したってだけ。きゃー、イシンデンシーン♪」

 

 今度は両手をグーのような形にしてそれで顔を隠すような、ぶりっ子のポーズ。傍から見てそれは狂気を含むような。それが許されるような状況ではないというのに。

 

 本人も飽きたのか、直ぐに素に戻って体勢を楽にした。両の手を白衣のポケットに突っ込む。

 

「……んでさ。偶然に偶然が重なって。私がそういう風に状況を作ったとして。佐之と取引してないのに佐之がそれを全部利用したとしてさ。私は罪に問われるかい?犯罪示唆か?……違うんだよ。ただの不祥事、それだけの話なんだよ」

 

「なら、それでいい。ここまでのを全部、」

 

「あ、君の録音装置は此処に入ってきた時点で壊しておいたから」

 

「――」

 

 ミシェルは直様自分の服に仕込んでおいた小型録音端末を取り出した。手の平にコンパクトに収まるそれのスイッチを押すが、なんと。うんともすんとも言わない。

 

「てっめ……!」

 

「分かっていたさ。全部。そう、私には全部分かっているんだ」

 

 緑の背後には、ついぞ太陽が。海を朝焼けに照らす、オレンジ色の光。そして、彼女の瞳が。同調したかのように、黄金色に光る。

 

「なぜ、何がどうしてそうなるのか。簡単な事、全ての事象が観測出きかつ処理出来るなら、物事というのは得てして結果が決まっている物。かつて物理学の上に君臨した「悪魔の証明(パン・デモニウム)」を、学者達は挙って「ラプラスの悪魔」と称した」

 

「「我々はそうすべきだ、我々はそうするだろう」……ダチが言ってたぜ、そういう事か」

 

 夜千代が口を挟む。その答えに、緑は笑みで返した。

 

「そう。人の行動原理、他人には分からぬが当人なら知っている。どうしてもそうしてしまう(さが)。それら全て理解してしまったのなら、後はもう電卓を叩くまでも無い。私の脳がそうであるように」

 

 その言葉、どこまで信じていいのだろうか。信じてしまったのなら、人は、運命を崇拝しなければいけなくなる。「占い」「予言」「未来視」etc――未来を知る権利を、持てるとしたら。それを、人と呼んでいいのだろうか。

 

「私の脳は進化(イクシード)した。電磁波を操る能力により、力はシュヴィアタを超え。処理能力はスパコンなんて比じゃ無い。これはもう神の領域だよ……!はははっ!!「完全なるセカヰ(パーフェクト・ヘヴン)」だ!!私はこれを、こう呼ぼうと思う!あははははははは!!!」

 

 けたたましく、馬鹿のように高笑いをする緑。左手でその顔を抑え、ただ、狂ったかのように笑った。

 

「っっっはーー……。ねぇ。私の人生で一番楽しかった話を聞きたいかい?」

 

 その問いには、誰も答えない。五人全員、その結末を見届けるしかない状況だ。

 

 おかしくなった、彼女の。そうするしか、ないのだ。

 

「ありゃ、夏休みだったかなぁ。高校の時ね。外に遊びに行ったんだよ。友達とね。そしたらさぁ、近所の家からさぁ、犬が出てきたんだ。黒色の。芝みたいなやつ。其処の家、家電を頼んだみたいでね。販売店のトラックが止まっていてね。玄関を開けてたんだろうねぇ。可愛くってさぁ、でも、遊びに行く途中だから、手だけ振って、遊びに行ったんだよ。忘れもしない、16の夏。八月だったよ。あははっ、暑い熱い……」

 

 念入りにじっくりと思い出すように語る緑。その表情は、まるで無邪気な少女のようにも。

 

「友達と遊んでね。お家に帰ったの。夕方だった。そしたらさ、どうなったと思う?え、その犬だよぉ。あははっ。其処の家の玄関に人が集まっててさぁ、どうしたってさぁ、犬、小道出て、車に轢かれて……さぁ、死んでたってさぁーーー!!!っげはははははははは……えはっ、えはっ。死ぬ、笑い死ぬ……」

 

 本当に、それがさぞ、可笑しかったのだろう。腹の奥から嗤う緑。其処に普段の知的で愛らしい彼女の姿は無く、話を聞いているシャインと夜千代はなんとも言えない表情で俯き、ミシェルは呆れ顔で、深之介は無表情で。

 

 ひーっ、ひーっ、と笑いが収まる頃には、緑はその目尻に浮かんだ小粒の涙を左手で拭っていた。

 

「ようするに、私が言いたいのはね、こんな糞みたいな管理社会の中で最も楽しかった出来事ってのが、「呆気ない死」だったんだよ。些細な、すれ違いによる死だ。生き物は簡単に死ぬ、例えば、さっきまでの話は、「犬をしっかり鎖で繋いでおけば死ななかった」んだよ。そう、簡単に死ぬ。命ってのは安くてねぇ。イクシーズの中で、しかしそれは外よりも少ないんだ。監視されてるからねぇ……」

 

「当たり前だろう。その為のイクシーズだ」

 

 此処で深之介が言葉を挟む。勿論、緑にはそれが判っていた。

 

「それは君が楽園にたどり着いた側だからさ。っていうか、此処に居る私以外みんなそう。シャイン君も、ミシェルちゃんも、ナナイちゃんも、深之介くんも、そして――夜千代ちゃん。君もさ」

 

 それは、意図的に仕組まれたのだろうか。それとも、初めから決まっていた結果――「神のみぞ知る」のか。

 

「“人は秩序を作るが、秩序は人を作らない”……よく言ったものだよねぇ。神が創った世界の中で人は産まれるが、人が造った世界の中では悪魔が産まれ生る。あー、やだやだ」

 

 さっきまで踏んでいたナナイから降りると、緑は後ろの窓へと歩き出した。ナナイはまだ動けない。

 

「さて、じゃあ、そろそろ行こうかな。ねえ、君達」

 

 緑は太陽を背に、眩しい光の中でにっこりと笑った。その光で、彼女の姿は上手く見えず、

 

「夏恋ちゃんにさ、伝えといてよ。「殺したいほど愛してた♥」って」

 

 かろうじてポケットの中から取り出した右手を、こめかみに添えた事だけが分かった――

 

――「GPS機能復旧、通信OK」

 

「ようやくか」

 

 オペレーターの声に安堵する煉禍。少しだけ焦ったが、何も問題無かろう。煉禍は優雅に赤ワインの入ったグラスを口に近付け――

 

「――逢坂緑主席、信号喪失(シグナルロスト)

 

「は?――」

 

 そして地面に落とされたグラスは、割れたガラスの破片と共に赤い液体を地面へと飛び散らせた。



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EB:epilogue~シャイン・ジェネシスの場合~1

 風が靡く浅い夜。紫色の空、地平線の橙色を浅野深之介は眺めていた。夕焼け――時間的にはそうなるか。白髪化が進んだ短髪を風に靡かせて。イクシーズ内の病棟の屋上で、彼は、向こう側――「何処か」、何処でもない、「何処か」を見つめていた。強い風に、目を細めて。

 

「おっす。ここかよ」

 

「ああ、此処だ」

 

 バタン、とドアが閉まる音。声の方を向くまでもない、誰が来たかは分かる。シャイン・ジェネシス――「閃光者」。自分と同じ「フラグメンツ」の一人、コード・フォース。

 

 建物の屋上の淵、柵の前で。二人の青年は並び立って、幾多数多、建造物の向こう側、何処でもない何処かを共に眺めた。風の中で。……

 

「大団円、と。言えはしねーな」

 

「これで終わりか。けれど、問題はない」

 

「……ああ、全くだよ」

 

 人の死。世界で言えば、別に。「珍しいことじゃあない」。シャインですらが、「よく知ってる」。たかが二人、この世界人口の遥か何十億にも登る内の、たった二人(・・・・・)……。それが今日、この世から居なくなったというだけの、それだけの話。

 

「後味の悪い決着だ……」

 

 シャインは柵に両腕を乗せ、ため息を吐く。

 彼女。逢坂緑は、自らが持っていたビームクボタンでまさかの「自殺」を選んだ。シャイン達の目の前で。何もさせずに。何が、彼女をそうさせたのか。月の加護は無くなっていたはずだ。佐之の影響は無い。なぜ、彼女が……。

 

「なあ、日本における1年間の自殺数をしっているか?」

 

「……300人、くらいか?」

 

 シャインは問う、深之介は答えた。……しかし、その差は歴然だった。

 

「3万人だ。それも、推測される数で、だ。全部カウントしちまうと10万超えちまうらしい。その推測数3万ですら他殺数300人の100倍だ」

 

 シャインと深之介の問答。その実態に、浅野は静かに目を細めた。

 

「「死を選ぶ」。考えられねーと思うが、そうしたがってる奴はいくらでもいるって訳だ。俺にはわかんねーけどよ……。でも、そんなの……」

 

 ダァン!!……。気が付けばシャインは柵に握りこぶしを振り下ろしていた。鉄が揺れ、音が響いた。

 

「ふっっざけんじゃねー……!!」

 

 鈍く、喉の奥から捻り出した声を。シャインはその場で、静かに叫んだ。

 

「……夏恋さんへの伝言、」

 

 逢坂緑は、今際の言葉を残した。それは、凶獄夏恋への言葉。恐らくそれが彼女の想いだったのだろう。

 

「あれでよかったんですか?」

 

「……ああするしかねーだろ」

 

 シャインは、病室で療養する夏恋に彼女の言葉を曲解して答えた。「緑さんは、貴女の事を最後まで心配に想っていました」、と。その言葉を伝えられた夏恋は、遂に涙を堪えきれなかった。

 

「俺たちのやってきた事は間違いなんかじゃねー。真実を、あるべきモノとして、世界を平和にしていくんだ」

 

「……もし、だが」

 

 深之介が、口をゆっくりと開いた。

 

「もし、俺が。彼女をあの時、追い詰めなければ」

 

「だとしても!」

 

 シャインが深之介の方を向いた。その顔は、怒りと哀しみが混ざったような、苦虫を噛み潰したような顔で。

 

「そうしなければいけなかった。じゃねーと「フラグメンツ(おれたち)」はいらねーんだ。なあ」

 

「……ああ。」

 

 深之介は一度目を伏せ、そして、空を見上げた。

 

「そうだな……」

 

 夜の明かりは、空を埋め尽くす白雲で遮られていた。



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EB:epilogue~シャイン・ジェネシスの場合~2

「ちわーっす」

 

 ガラガラ、と音が鳴る戸を開ければ。中には狭めのカウンター席、目前には低い壁の向こう側に開いた万力のような独特の形のコンロ(・・・)。静かな音を立てて何かが焼ける音。香ばしいタレと炭の混じりあった匂いが、青年シャイン・ジェネシスの鼻腔をくすぐる。

 

「んでよぉ、私は言ってやったんだ。『私様に対する敬意が足りねぇ!!』……ってな」

 

「まあまあウケるネ」

 

 席では三人の少女たちが串を持ちながら話をしている。その串に貫かれるは……「鳥の肉」。内蔵だとか、皮だとか。ひっくるめて、「鳥の肉」だ。

 

「ヤーヤー。お待ちしていました、シャイン。これで揃いましたね」

 

「ああ、遅くなって悪いな」

 

『あなた 追って出雲崎 悲しみの日本海……』

 

 店内スピーカーから広がる懐かしい曲。仕事帰りのシャイン・ジェネシスは、友人達との新年会に来ていた。――

 

――NO ONE NO LIFE――

 

――グラスに入った氷と、少し朧げな透明の液体。白い割烹着の上から赤地に花柄のちゃんちゃんこを羽織った彼女、来雷娘々はロックの焼酎を口に少し含み、三嶋小雨の方を向いた。

 

「世の中に男が何人居るかしってるネ?」

 

「知るかボケ。いっぱいだいっぱい」

 

 いつもの黒インナーに赤コート、黒のストッキングに紺のホットパンツ。串に刺さった「くだ」を齧りながらグラスに入ったビールを煽り小雨は答えた。

 

「そう。その通りネ。その筈なのに……」

 

 タァン!!飲み干され氷だけが入ったロックグラスを木製テーブルに勢いよく置き、娘々は突っ伏した。

 

「なぁーーーんでこんなにも出会いが無いのにゃぁーーーーーー!!」

 

『あなたに あなたに 謝りたくて……』

 

「別に構わんだろ。死ぬわけじゃあるまい。人は一人でも生きていけるよ」

 

 小雨は空になった竹串を、竹の筒に入れた。いくつも竹串が入った竹筒は、まるで武蔵坊弁慶の刀狩りの後のように。

 

「なあ?シャイン・ジェネシス」

 

 そしてニタ付いた目をシャインの方に向けた。

 

「知るかよ。お前らがズボラなのが悪いんじゃないのか?」

 

 シャインは向けられた視線など知ったこっちゃ無い、と自分のウーロンハイを頂く。つまみは鳥の心臓の刺身。これをごま油で行く。酒にとても合う。

 

「おーおー、釣れない。浮いた話は無いのかねニーニョ(坊や)

 

「お前んトコの弟子のガキぁどうなんだ。仲が良いみたいじゃねぇか」

 

「質問を質問で返すなと学校で教わらなかったのかニーニョ」

 

「ならハッキリ言ってやる。答えはNO(ノー)だ満足か嬢ちゃん」

 

 頬杖を付いて偉そうに口を聞いてくる小雨に対してキッパリと答えを投げつけ中指を立てて見せるシャイン。

 

「……好きな女は居るくせに足を踏み出せないからニーニョって言われるのにネ」

 

「あ゛あ゛!?」

 

「まあまあ。そう慌てなくても、きっとこれから素晴らしい人が見つかりますよ」

 

「……チッ」

 

 娘々による小雨の援護射撃への反応は、ナナイに宥められた事によって静まる。シャインはナナイの優しそうな顔を見ると、不服そうではあったが矛先を失った。

 

「……素直じゃないネ」

 

「……うっせ」

 

『また君に 恋してる いままでよりも深く……』

 

「しっかし、まさか思わんかったよなぁ……この四人組で酒を飲む日が来るなんてよ。貸し切っちゃって悪いね、剣兵衛(けんべえ)さん、黒翼(クロエ)さん」

 

 小さな焼き鳥屋、「焼き鳥べんけぇ」。静かなオヤジさんと気さくなオカミさんの二人経営。客はこの四人だけ。三嶋小雨、来雷娘々、イワコフ・ナナイ、シャイン・ジェネシス。今日は貸切り、新年会シーズンとして無茶な注文ではあるが、身内だけで愉快に飲みたかったという小雨の考えだった。

 

「なに、小雨ちゃんのお願いは聞かねぇ訳にはいかんからな」

 

「ふふ、剣兵衛さんは小雨ちゃん大好きだもの。うちの子も可愛いんだけど、小雨ちゃんには叶わないわ」

 

「まあ、あの人は可愛いっていうか、怖ぇっていうか……いや、ほんとすまねっす。今度また武勇伝持ってきますんで」

 

 焼き鳥の店主である剣兵衛と妻である黒翼は三嶋小雨にとてもよくしてくれる。なんでも、小雨の我道を往く大無茶な暴れっぷりが昔の自分達を見ていてとても楽しいのだとか。

――方やジパング最強の剣豪「倶利伽羅剣兵衛」、方や東洋の黒龍「(リー)黒翼」。小雨もその話は聞いていた。なんでもその出会いの馴れ初めは敵対勢力でのぶつかり合いだったらしく、そこから強烈に惹かれていった……だとか。いずれは、その話全てを聞いてみたい。「龍神(りゅうがみ)夜紅(やこう)討伐計画」の神話を。

 

「武勇伝、ネーー……。私はあれが好きかな、ホラ、シャインジェネシスが初めてイクシーズに引っ越してきた時の話」

 

「ああ、アレですか……」

 

 クピクピと可愛らしくコップに入った透明の液体を飲む緑のパイロットジャンバー姿のナナイは、それだけで全てを思い出していた。懐かしむように瞳を閉じる。

 

「あっ、テメエ!?それ持ってくるのはナシだぞ!!」

 

 フッと思い出した後に直様驚いて娘々に講義するシャインだが、時既に遅し。味方は居ない。

 

「学校に来て早々ここの(バン)出しやがれって名乗り上げて、出て来たナナイに対して「一分で片ァ付けてやる」って息巻いちゃっテ!」

 

「対面開始からその地に伏すまでの時間!なぁんと、まさかの――」

 

 パァン!と小雨と娘々は空中で手を叩いた。

 

「「12秒!!」」

 

「うっせぇよ!!!」

 

 満面の笑みの二人に対してがなり頭を抱えるシャイン。それはなんとも、恥ずかしそうに。栗色の髪から覗く耳が真っ赤だ。

 

「まあまあ、落ち着いてくださいシャイン」

 

 ポンポン、と落ち込んだ背中を優しくあやすナナイ。

 

「ナナイ……おめえって奴ぁ……」

 

「若い時は誰でもイキがるものです」

 

「四面楚歌!!!」

 

『きび団子を忘れさせるわ トゥ・ナイト』

 

 やはりこの場に味方は居ない。テーブルに置いてあった水のコップを取り、一気に飲み干す。これで、クールダウン――

 

「あ、それ――」

 

「……あれ?」

 

 直ぐに頭があったかくなり、視界が揺らぐ。空を見上げると、そこでぐらついている。あれ、これ楽しいぞ。

 

 クールダウンどころかヒートアップ。あっという間に気分がアガり――

 

 ……ドサリ。ナナイが気付いた時には遅かった。水と思った透明な液体は水ではない。ナナイが飲んでいた「スカイウォッカ」だ。その度数たるや――

 

「40度のストレートをイッキか。やるなブライト」

 

「アチャー……」

 

「んんぅ……シャイン・ジェネシスだ……」

 

 小雨の声が聞こえているのか否か。シャイン・ジェネシスは最早、夢の中へ――

 

――シャイン・ジェネシスが不慮の事故で酔いつぶれ、仕方なくお開きになってしまった飲み会。

 

 ナナイは自分が酒を迂闊な所に置いたからとシャインを家までおぶっていた。

 

 街はすっかり夜に染まり。街灯が照らす帰り道を、ナナイはただただ歩く。

 

「くそ~~~、なめやがってぇ~~~。おれだってにゃあ~~、がんばってんらよ……」

 

 誰に対しての言葉なのか、まともじゃない意識の中でそううわ言を呟くシャイン。それを聞いて、ナナイはフフっと笑った。

 

「ええ、分かっています。あなたは、がんばっていますとも」

 

 辛くても、報われなくても、貴方が闇を抱えていても。でも、私はあなたを見ている。シャイン・ジェネシス、とてもひたむきな、頑張り屋の孤独な英雄――

 

 雲が揺れる薄い月明かりの下、ひたひたと。ナナイはゆっくり、街灯に照らされてその足を進めた。



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EB:epilogue~✖✖✖✖の場合~

 シャカシャカシャカ……。

 いーい音だ。ああ、とても気持ちのいい。ベンチに降り注ぐ、最高のコーラスだ。

 シャカシャカシャカ……。

 蝉ってのは罪人の魂なのさ。十数年の牢獄を経て解放されたかと思いきや、その生命の有余は僅か七夜。天の河へとその身を焦がし、そして死に逝く定めなんだ。盆に戻ってくるんだよ、彼らは。そして、後に彼岸の華が咲く。閻魔様の繁忙期だよ……。

 藪から棒と言えばそうなる。ただ、思っただけさ……。

 欝蝉の時雨に囚われし現影なる残響――陽炎の中で、蝉はね。悲しいから哭いているのさ。

 ドントシンクフィール。人生を謳歌せよ、だっけな。

 何?オヤジギャグのつもりちゃうわ。

 ただ、何の意味も無い人生こそが、一番有意義な在り方かもな、と。

 我々は何処から来て何処へ行く?なあ――桜花(おうか)


「おらは死んじまっただ~」

 

 コツ、コツと白衣に身を包んだ彼女は歩いた。

 

「おらは死んじまっただ~」

 

 暗い暗い道の中を、道標も無しにそれがさも当たり前かのように彼女は真っ直ぐ歩いた。

 

「おらは死んじまっただ~」

 

 自前のビームクボタンで自殺を図った筈の彼女、逢坂緑は確かにその道を歩いていた。

 

「地獄へ行っただ~……」

 

 そして彼女は立ち止まる。たどり着いた場所は一つの門。荘厳な彫刻があしらわれたそれはまるで「此処」と「何処か」を区別するかのように。

 

「線路は続くよ、何処までも……か。“ロダンの地獄門”とは、如何にもじゃあないか。おやおやまあまあ」

 

 死んだ筈の彼女は何故か此処にたどり着いていた。確かに死を意識した筈だ。自分の頭蓋骨が砕ける音を聞いた。脳味噌が弾け飛ぶ感覚も知った。そして、尚――彼女は何故か、此処に居た。

 

「さて、自分殺しではやはり地獄行きなのかね。賽の河原で石でも積むのかな。ふふふ、これが『死後の世界』か。……生前の謎が一つ解明されたな。死んでみた価値が合ったという物だ。これが答えか。さて」

 

 そして、彼女は足を踏み出して――いや、踏み出そうとして。その白衣の裾を後ろから引っ張られるような感覚。

 

「――待てっ!巫山戯んじゃねぇ!!」

 

「おや」

 

 緑はその体を振り返らせた。すると、其処には知っている人物が。とてもよく知っている人物だ。強いて言うなら――初めて好きになった異性、と月並みではあるが形容してみようか。

 

「岡本光輝くんじゃないか」

 

「そういうお前は逢坂緑だ……!!」

 

 額から汗を流し息を切らせていた彼は、さっきまで折っていた腰をただして緑に向き合うと、その両手で彼女の胸ぐらをつかんだ。

 

「聞いてねえぞ!!俺はっ、アンタを助ける為に……!全力でっ!!悲しいのが嫌だから!!」

 

「君が此処に居る……。おかしいな。私の「完全なるセカヰ(パーフェクトヘヴン)」の予測外だ。死んだのかい?」

 

「一月の激寒い海に投げ出されたからな……!!臨死体験でやってきた!今頃向こうじゃジャック(俺の切り札)が頑張ってるだろうさ……!」

 

「……風が吹けば桶屋が儲かる。butterfly effectという訳か」

 

 緑はその瞳で光輝の瞳をしっかりと捉え、言葉を紡ぐ。

 

「理由は決まっている。決まっているのさ。私が怪物になるのを防ぎたかった。それだけだ」

 

「……怪、物……。」

 

 光輝は困惑しながらも、彼の意思を崩そうとはしない。なるほど、少年の私への思いは本物だ。

 

「あのまま私が生きていたらね、殺してしまうんだよ。私の親友を、ね。だから死んだ。それが答えだ」

 

「そんな事、どうにか――」

 

「出来ない」

 

 いきり立つ光輝を、緑は、切り離すようにキッパリと、冷ややかな声で制した。

 

「当の本人が出来ないと言った。君は私じゃない。人は自分の世界でしか物事を見ない。私の事は私にしか分からない」

 

「……!!」

 

「いいじゃあないか、死ぬ時ぐらい選ばせてくれたって。私の命だぞ?こんな詭弁があってね、「お前が死を選んだ今日は昨日死んだ誰かが死ぬほど生きたがった明日だ」――って。知るかよ馬鹿。私の人生は他の誰でも無い、私だけが持つ権利だ。なら決めるのは私だ――」

 

「でもっ!!」

 

 瞬間、緑は抱きしめられていた。他の誰でもない、目の前の彼に。

 

「――」

 

 余りにもの予測不能に、面食らう。

 

「……そんな事言わないでください、嫌ですよ、知ってる人が死ぬなんて……」

 

「ならばどうと――」

 

「俺はっ!!」

 

 泣きそうな彼の声。分からない、なぜ私に執着する?君の何がそこまで君を縛り付ける??

 

「貴女をすごい人だって知っていた、思っていた……!話で聞く貴女、テレビで見る貴女、本で、新聞で見る貴女、目前で視る貴女……!その全てに、憧れていた……!なのに、どうして……!」

 

「……ふぅん、君の思い違いだ。私はただ頭が他の人間より発達しただけの変人だよ」

 

「それは、貴女の考えでしょ……!」

 

「なに?」

 

「最高の頭脳を持つ、イクシーズのトップ……!そんな凄い人が「変人」なんて括りで終わっていいわけがないんだ!」

 

 光輝は、嗚咽でかれそうな声を必死に絞り出した。

 

「頭の良い貴女が好きだっ、他人と違う価値観を持ってそれで進む我の強い貴女が好きだ、人前でも飄々としてペースを掴ませないニヒルな貴女が好きだ、綺麗な黒髪と可愛い顔の貴女が好きだ、天才という立場にかまけずスレンダーなボディラインを維持する貴女が好きだ、適度に膨らんだ胸の貴女が好きだ!!」

 

「おいおい、段々変態チックになってきてるぞ」

 

「そんな、女性として人間として魅力的な逢坂緑って人が、大好きだ!!!」

 

 相手の忠告など構わず、自分がそう思った全てをぶちまけた。今の彼に余計な事など考えている余裕は無い。いつだって、そう――岡本光輝は一人の少年にしか過ぎない。なら、凄い人達と言葉で渡り合うなら。その感情の全てを、ぶつけるしかない。これが彼のやり方。卑屈な少年の、精一杯。

 

「……まあ、まて。離せ」

 

「嫌です、離しません!!」

 

「恥ずかしいから離せっての!!」

 

 ガン!と、緑はその額を直ぐ近くの光輝の額にぶち当てた。

 

「あたっ!」

 

「……何処にも行かないから、さ」

 

「……すんません」

 

 光輝は、その腕を離す。さっきまでの感覚が名残惜しいが、彼女の言うことも最もで。よく見れば、緑はその頬をほんのり赤く染めて視線を斜めに向けている。

 

「……初めてだよ、そこまで思いをぶつけられたの。私を好きになる男が居るなんて思っちゃいなかったし、私が好きになる男が居るとも思ってなかった」

 

「?……あっ、そっ、それって……。」

 

「なあ」

 

 緑はその手を光輝の頭にポン、と置いた。あくまで彼女は年上だ。その「主導権(イニシアチブ)」は少しでもハッキリとさせておきたい。

 

「そして君は私に何を望む?もう死んだ身だよ、私は。なあ、君は私にどうして欲しい。この場で恋人の真似事でもしてやれば気が済むのか?それとも――」

 

「……。」

 

 光輝は濡れた目をバーテンダースーツの袖で拭い、その覚悟を緑に告げる。

 

「幽霊として、僕と一緒に来てください。僕と一緒に、この先の世界を見に行きましょう。絶対後悔させない、貴女が観れなかった筈の世界、この俺が視せて届けます!!」

 

「ほう?」

 

「俺と契約してください、逢坂緑!俺には貴女が視える!」

 

「そこまで情熱的とは……しょうがないなぁ」

 

 緑は、光輝に体重を預けると耳元で囁いた。

 

「私を退屈させないでおくれよ?私の主導者殿(マイドミネ)

 

「……!はいっ!!」

 

 そして二人は、光に包まれ地獄門の前から消え去った。



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外伝 大罪王の今日から始めるサムリーマン!!

 凍てつく雨が降り頻る夜の山。男――青年、イオリ・ドラクロアは、衝撃により地面を転がった。

 

 軍用の迷彩服に泥が跳ねて染み付く。急いで体勢を立て直す。直ぐに両腰に携えた二振りの日本刀の柄に手を当て、体勢を立て直した。

 

 ……「姿勢」。この形で無いといけない。十年戦ってきてなお、未だ未熟な自分。そんな自分がこんな相手(・・・・・)と戦うには、せめてでも、型にはまっていなくてはならない。平然動作(ルーティン・ワーク)。いつだって勝利を呼ぶのは、日頃からの積み重ねだ。

 

 乱れる呼吸、多分、恐怖。目の前の存在に対しての怯えを感じたイオリは、だからこそ。落ち着きを取り戻さなければならない……この空間。俺だけの間合(せか)いだ。

 

「……人は何れ死ぬと知れ(メメント・モリ)

 

 チィン。彼、イオリ・ドラクロアは、二つの日本刀の鍔を鞘からほんの少し浮かせ、そして再びわざとらしく納刀した。――金打(きんちょう)(いにしえ)から伝わる、侍による約束の礼法。見栄を切る動作。

 

「笑止。吾輩という神にィ!死など在り得んのだァァァァァ!!」

 

 目の前の黒き異形――いや、傍から見れば只の「少女」。しかしその黒い長髪、青い瞳、身に纏ったボロボロの衣類、何よりもその……忌まわしき、とでも言うべきのような「姿形(カタチ)」。雰囲気。それが、彼女を只の「少女」でない何か……例えるなら「邪神」であると言わしめている要素であった。

 

 夜魔(やま)の国の邪神。コイツを倒せば、全てが手に入る。

 

 イオリ・ドラクロアは竜の巫女、預言者であり妻である女に告げられていた言葉を信じて、目の前の異形を倒そうとする。およそ人間には無理であるとされ彼に回ってきた貧乏くじではあったが、それでも彼は、皆を救えるなら。夜魔大国(やまたいこく)の人々の未来を手に入れる事が出来るなら、と。その身を燃やして戦っていた。

 

 イオリは摺り足によってぬかるんだ地面を進んだ。足を埋めず、滑らせず、最高峰の運び。目の前、僅か数メートル。

 

 焦りから手が震える。抜けるのか、俺が?――否。刺せるのか、俺が?――否。

 

 全てはやるしか無い。そう決めたイオリは、その刀を抜いた。

 

「二式・魔王」

 

 彼女を倒せば。国が助かる。それがイオリの使命だった筈だ。

 

 彼女を倒すことが、国を滅ぼす。まさか、そんな真実だとは知らずに――

 

――バスルーム。朝のトレーニングでかいた汗を熱いシャワーで流した青年イオリ・ドラクロアはバスタオルで筋骨隆々な巨躯にまとわりついた水分を拭い、温めの暖房で満たされたリビングへと出る。

 

 冬場の急激な温度変化は心臓に負担を与える。故に、イオリは温度調整に手を抜かない。ソファに置かれたトランクスタイプの下着を穿き(ボクサーブリーフだとモノが窮屈な為)、そしてグレーカラーのジャージをそのまま身に着けた。

 

 ……喉が渇いたな。そろそろ水分補給だ。

 

 テーブルに置かれた1リットルタイプの炭酸水の蓋を開ける。シュワッ、と小気味良い音を聞き、そしてそのペットボトルにそのまま口を付ける。ゴキュリ、ゴキュリ。水と爽快感が喉を流れ込み、体に水分を与えているのがリアルタイムで実感出来る。本当はウィルキンソンが一番なんだが、節約を考えるとスーパーで売ってる一本百円以下の物が財布に良い。

 

「……ふう」

 

 空になったペットボトルを蓋とは別に資源のゴミ袋に入れ、今度は冷蔵庫を開けた。

 

 今日の晩飯はアンガス牛肩ロース肉のステーキだ。添え物はキャベツと国産にんにくを炒めた物、使うのはヒマラヤピンクロックソルトとミル挽きのブラックペッパー。抜かり無く、メーカーはエスビー……ステーキを焼くときは牛脂、そしてフライパンに残った油で野菜を炒める。仕上げにはごま油を軽くかけてやると良い。最高の飾り付け(ドレッシング)だ……。

 

 夕食のヴィジョンを想定し終えたイオリは大きいスポーツバッグを背負い、戸締りを確認して家を出た。

 

 オートロック式の高級マンション。イオリ・ドラクロアに与えられた住居だ。駐輪場にて黒色のカゴ付きシティサイクルのロックを明け、それに跨る。

 

「行くぞマリス」

 

 自分の愛車の名前を呼ぶと、イオリは雀がまだ小うるさい朝焼けの冬の道を爆走した。時速30オーバー。これがイオリ・ドラクロアの通勤スタイルだ。寒くはあるが、着くまでには温まっているだろう。

 

 イオリ・ドラクロア。実年齢38歳。現在19歳(免許上24)。性別・男。身長188cm。元テログループ「シェイド」リーダー、現統括管理局(データベース)職員。

 

 かつて「大罪王」と呼ばれ、欲望のままに欲しいものを奪い、仲間と共にその名を世界に馳せた「ロイ・アルカード」の姿は見る影も無く普通の社会人としての生活を送っていた。それには理由がある。

 課外授業のキャンプ中の新社会「イクシーズ」の学生達にテログループとして強襲を仕掛けイクシーズから金を奪おうとしたが、その生徒の内の一人「世界最大の不条理 瀧シエル」に敗北し投獄。幾つかの取引をして、イクシーズの犬として日常生活を送れる事を保証された。その際に能力によって年齢を若くされ、今はイクシーズの中枢である「統括管理局(データベース)」にてサラリーマンをしている。事実上の第三(・・)の人生。

 

 統括管理局の駐輪場に自転車を止めると、職員用のICカードで裏口から入り、そして更衣室にてジャージから汗をタオルで拭いて黒色のスーツに着替え、警備用の武器を装備し、そして正門前に立つ。朝七時前、適当な時間だ。

 

 ザン!!統括管理局正門に二人の黒いスーツの男が立つ。一人はイオリ・ドラクロア。両腰に一本ずつの日本刀を帯刀し、厳粛な佇まいでその場に在る。その放つ威圧感は言わずもがな。

 

 もう一人は短く切った白髪に細身な体の美形の男。統括管理局の職員……では厳密には無く、委託の警備会社「ヨコハマエンタープライズ」所属の警備員だ。その名を――

 

「おはよう、イオリ君。今日もこの僕、歌川(うたがわの)(はやぶさ)弌弐弎代(ひふみよ)君とお仕事だ。それって、素晴らしい朝だと思わないかい?うーん、プライスレス」

 

「ああ、おはようだなヒフミ」

 

 聞いての通り、滅茶苦茶長い。歌川鶻弌弐弎代。それが彼の名。長すぎてイオリはヒフミ、と三文字でしか呼ばない。

 

「ふふ、釣れない。そこがまた「いい」」

 

「そうか、それもいいだろう」

 

 黙っていればイケメンなのに、口を開けば残念。そんな男、貴方の周りに居ないだろうか?何を隠そう、この男、ヒフミもその内の一人なのだ。基本的に喋るとよくもわからずまるで阿呆のような発言ばかりを抜かす。果たして彼は、その顔を有効活用出来るのだろうか……?

 

「イオリ君、もしかしていつも通り失礼な事を考えていないかい?」

 

「答えはNOだ。お前の事を考えるくらいなら世界平和について考えた方がよっぽど有意義だ」

 

「なるほど、つまり僕の存在は考慮するに当たらないと」

 

「感が良いな、その通りだ。よく出来ましたをやろう」

 

「わあい、嬉しいな!」

 

 訳の分からないやり取りをしつつ、警備員としての時間は過ぎていく。

 

「……まあ、予想出来てたけど。今日も人が殆ど居ないよね」

 

「まあな。なんせ先日アレ(・・)があったばかりだ、統括管理局は内部だけでてんやわんやだろう。俺たち警備員には関係のない話だが」

 

「ははっ、むしろ楽でいいかもね」

 

「あまり大きな声で言うなよ?上に聞かれたら面倒だ」

 

 何気ない日常会話。そんな事をしていると、何処からが声がかけられる。

 

「こんちゃーー!巷で噂の「サムリーマン」てのは貴方の事ですかーー?」

 

 二人が声のする方向を向くと、其処には白金髪(プラチナブロンド)が特徴的な白い特攻服姿の青年が立っていた。それが誰なのかは一目で分かった。新社会「イクシーズ」で最も有名な対面グループのリーダー。「白金鬼族(プラチナキゾク)」の頭目(ヘッド)白銀(しろがね)雄也(ゆうや)。喧嘩を生業とする不良少年だ。

 

 イオリは頭を軽く掻くと、雄也の問いに答えてやる。

 

「多分そうだろ。それよりお前学校はどうした?」

 

 サムリーマン。どうもイオリ・ドラクロワは風の噂でそう呼ばれているらしかった。なんでも「統括管理局の玄関に帯刀したサラリーマンが現れた。間合いに入ったら、確実に()られる……!奴は現代に現れた侍サラリーマン、略してサムリーマンだ!!(弌弐弎代が流した噂)」とかなんとか。でも、そんな事より学生が平日の朝っぱらから道端をぶらついてる方がおかしい。

 

「いや、実は今日オールでして。学校行くのもダリーし軽くぶらついてから帰ろっかなーって話だったんですけど、ほら、昨日会った其処の子と話が弾みまして」

 

 そして白銀雄也は背後を親指で指す。其処には黒い長髪、あしらわれたピカケの花火の刺繍が特徴的な黒の浴衣、一枚刃の下駄という時代錯誤な、まるで日本人形……いや、雰囲気的には「座敷童子(ざしきわらし)」、それも邪悪な「座敷童子」といったイメージの少女?が佇んでいた。

 

 そして何よりも。イオリ・ドラクロアを襲ったのは、その既視感。

 

「あっ……」

 

「むぅ?」

 

 いや、そんなハズ(・・)が無い。奴が此処に居る訳がない。馬鹿じゃないか?だって此処はイクシーズだ。夜魔大国じゃない。

 

「おっ」

 

 少女が気が付いたのか此方に歩いてくる。いや、その一枚刃の下駄をアスファルトに鳴らしながら最早、走ってきている。

 

「えっ、ちょっ」

 

 ヒフミが戸惑っている事など知ったことではなく。つい、ここぞとばかりとイオリ・ドラクロアは左手で右腰の日本刀を抜いていた。

 

「っははははは!!」

 

 直後、飛び込んでくる少女。抜かれた刀は少女が突き出した右の手の平とぶつかり合うと衝撃で弾かれ、しかしイオリは能力「サイレンサー」によりその衝撃の殆どを受け付けずに納刀し次の動きへの準備へ。少女は勢いで後退しカツンと下駄を鳴らして地面に優雅に降り立った。下ろした少女の右手には黒い靄がかかっている。

 

「久しぶりだな、イオリ・ドラクロア……!吾輩だ!夜魔の邪神、鴉魔(からすま)アルトで在ります……!!」

 

 推定14歳程の見た目。青い瞳に、邪悪な雰囲気。間違えようもないその姿は、イオリ・ドラクロアが13年前に戦った、邪神だった。



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外伝 大罪王の今日から始めるサムリーマン!!2

 地面にカッ、と一枚刃の下駄を鳴らして降り立った鴉魔アルト。優雅な振る舞い、笑みから見るに圧倒的な余裕。今更何故お前が、こんな場所に居るのだという?

 

 納刀が終わり、イオリ・ドラクロアは次の行動に備えた。基本的にイオリの動きは誘い受けの型(カウンタータイプ)。二つの刀を使って対応力に物を言わせて有利を取る戦法だ。

 

 静かな見合い。白銀雄也も歌川鶻弌弐弎代も息を飲んで見守る。ほんの二秒ほど、それがとてつもなく長く感じた。そして、その沈黙を破ったのは……彼女、鴉魔アルトの方だった。

 

「……イオリですよな??」

 

 首を傾げる。その一言に他三人がズッコケた。確信無しで殴りかかって来たんかい。

 

「しかしあれから時間経ってるのに歳食ってないし……あ、吾輩も一緒か。でも立ち振る舞いがまんまイオリであるよな……。しかして……」

 

 一人で顎に手を当てぶつくさと喋っているアルト。だが、イオリ・ドラクロアの方は相手が誰だか分かっているし、彼女の考えが間違いで無いというのも分かっている。……13年前より若返っているし、俺。

 

「なあ」

 

「もうよい!お前はイオリ・ドラクロアだ!!吾輩が決めました!ならばそうなのです!!」

 

 アルトが大袈裟に指を指して傲慢に決めつけてきた。いや、まあ、そうなんだがな。

 

「ヒフミ。10分程時間を頂くぞ、来賓客の対応という事だ。行くぞアルト」

 

「えっ、ちょ」

 

「話が分かりますなぁ、イオリ・ドラクロア!」

 

 何がなんだか分かっていないヒフミをよそに、イオリ・ドラクロアと鴉魔アルトは歩いてその場を離れだした。残されたのは、白銀雄也とヒフミだけ。

 

「……どっか行きましたね」

 

「うーん。どうしよ。ところで何か用かい?」

 

 ヒフミは雄也が何か用があって来たのだろうと尋ねる。

 

「いや、イオリさんと対面(タイメン)しに来たんですけど、フラれちゃいましたね。また今度来ますよ。それじゃ」

 

 そう言うと、白銀雄也はとっとと帰ってしまった。対面(タイメン)。新社会イクシーズにおける、合法の「決闘」。街中で安全であれば、互いの合意で誰もが行える異能力バトル。俗に言う「試合(ためしあい)」だ。イクシーズが能力者に進化を促すための。

 

 即ち、合意が無いなら無効。なるほど、フラれたという表現は言い得て妙だ。

 

「……ま、いっか」

 

 残されたヒフミはスーツのポケットから携帯電話を取り出すと、電話帳から知り合いの名前を引っ張り出して電話をかけた。

 

「もしもし、こちら「ヨコハマエンタープライズ」所属の歌川鶻弌弐弎代です。そちら「スカイシステム」のノエル・ローエングリン・瀧さんでよろしいでしょうか。えぇ、はい」――

 

――近所の路地を歩く二人。平日ではあるが時間的に人通りは多く、その中に混ざるように帯刀したサラリーマンと邪悪な座敷童子が歩く姿は、しかしイクシーズの中ではさほど異様な光景では無かった。

 

「15年ぶり……ぐらいでしたっけなぁ?」

 

 アルトがイオリに話しかける。大体そのぐらいであろう。しかしその月日が流れようと、二人の見た目は殆ど変わっていない。

 

「まだ生きていたとはな。驚きだ」

 

「フン、それは此方の台詞だ。貴様の方こそ……よく、生き残ったな」

 

「ああ。もう二回も死んでるのに、それでも、生きてる」

 

 昔話。13年前の、あの惨劇。果たして、俺達は何をどう間違って現世に縋り付いているのか。それは彼らが知る由も無く。

 

「神は人を救わない……神では人を救えない」

 

「残念だが、返す言葉もない。吾輩ではお前らを救えなかった。挙句の果てに、夜魔大国は無くなった」

 

 イオリとアルトは立ち止まり、向き合う。因縁の二人。現代にこうして並び立つことの奇跡。

 

「しかし、悪いのはお前じゃない。そして吾輩でも在りません。ならば、よいではないですか。それはそれとして此の場で再会出来た事を喜びましょう」

 

「その程度の事で喜べる感情など、13年も前に失ってしまったよ」

 

 薄く笑い合う二人。全ては今更、悩んだ末でどうしようもない。ならば、せめて搾り粕として生き延びた後でも楽しむとしようか。

 

「イクシーズの北区の方……森の辺りに、神社が在ります。今日の夕方七時、其処で待つ。あの時の続きをしようじゃあないですか」

 

 最後にそう言い残すと、鴉魔アルトは一枚刃の下駄をコンコンと鳴らしながら一人で歩いて行った。

 

 それは、13年前の。死闘の続きの催促だった。

 

「……いいだろう」

 

 受けて立つ。イオリ・ドラクロアはそう思い、統括管理局への帰り道を歩いて行った――

 

――仕事終わり。時刻は六時を過ぎ、もう空は暗く鳴りを潜めている。スーツ姿のままバッグを背負って自転車を漕いでいたイオリ・ドラクロアは、自転車を降りて押し、一本の路地裏に入っていった。

 

 街灯はほんの少しだけ配備されている。それでも少ないのは、やはりメインのストリートでは無いから。仕方ない、あるのは精々が店の裏口や建物の裏の窓ぐらいなのだから。その道を少し進めば、一つの小さな屋台があった。

 

 安っぽい木箱と、その上には少し高級そうな紅い布の上に置かれた青い水晶。立てかけられた値札には「一回千円」。その屋台の主は、まるで瞳を見られたくないかのように口元以外を黒と紫の装束で覆った女。占い師だ。そして、この女を、イオリ・ドラクロアはよく知っていた。

 

 自転車のスタンドを立たせ側に起き、バッグを地面に置いて屋台の前の椅子に座ると、イオリは財布から千円札を取り出し机の上に置く。

 

「今日の運勢を頼む」

 

「かしこまりました。少々お待ちください」

 

 占いの依頼を受けた彼女が青い水晶に手を翳すと、なんと水晶が光輝き出すではないか。それに呼応するかのように、彼女は言葉を呪文のように綴った。

 

千条(せんじょう)(つむぎ)(わたし)(いの)りで今解(いまと)()かす。(まじな)いよ、仄暗(ほのくら)()かりにて未来(みらい)(てら)せ。(かた)れ――「憑黄泉(ツクヨミ)」」

 

 一瞬。ほんの一瞬、辺りを眩い光が包み込んだかと思うと、その直ぐ後には確かな路地裏の静寂が訪れていた。

 

 ゆっくりと、彼女は艶かしい唇を開く。

 

「今日も、ええ。大丈夫です。イオリ・ドラクロアの運命は良好でしょう」

 

 ニコり、と優しげに彼女は口元に笑みを浮かべた。

 

「ああ、ありがとう。最高だよ」

 

 一連のやり取りが終わると、イオリ・ドラクロアは再び自転車に跨った。

 

「また来る」

 

「お待ちしています」

 

 イオリ・ドラクロアが自転車を走らせれば、再び路地裏に静寂が訪れるた――

 

――北区の森、その目前にイオリは自転車を止める。バッグから刀を抜き腰に帯刀してそのままバッグを自転車の籠に入れて地に降り立つ。

 

「……此処か」

 

 見上げれば、白い鳥居の向こう側には、幾つもの木が生い茂る中央に高い石段が。鳥居に備えられた額束には「百八神社」の文字が。

 

 そして……この奥に「邪神」、鴉魔アルトが居る。

 

「「百八神社(ひゃくやじんじゃ)」……イクシーズに建てられた神社にしては大層な名前じゃないか」

 

 しげしげとイオリが鳥居を見つめていると、気が付けば空から白い粒が降ってきている。空を見上げるが、其処には紫色の空こそあれど濁った雲など無い。しかし、これは……。

 

「雪……?」

 

 その光景を眺めれば眺めるほど、強くなっていく勢い。場違いの雪。

 

「……ワタヌキ」

 

 チン、とイオリは左腰の刀の鞘を鍔で軽く打つ。

 

「ドウタヌキ」

 

 チン、そしてもう一度。今度は右腰の刀の鞘を打った。

 

 験担ぎは済んだ。「ワタヌキ」、そして「ドウタヌキ」。イオリ・ドラクロアが統括管理局を通して受け取った二つの刀。今日は、これが命綱になる。

 

「……行くぞ」

 

 覚悟を決めたイオリは、薄く雪の層が張られた白い石段を、一歩、一歩と確実に、しかし歩くより早く踏み出していく。……緊張。幾千と死線を越えたイオリであれど、その胸に抱くは緊張。しかして、その生命感(スリル)。これこそが戦いを有利に持っていくという物だ。

 

 只の屍では、生き残れない。死を目指すのならばこそ、生きる。生の裏側に死あり。その全てに本気になれてこそ、人は「命」であると。

 

 息の乱れ無く石段を上がり終えたイオリ。その目に映るは、白く染まった神社の境内。木々に囲まれて、狭すぎず、広すぎず。何の変哲もない、雪の降っている境内だ……。一つを除いては。

 

 本殿への途中。石畳の道の側にある灯篭、その一つだけに火が点っていた。そして、その灯篭の上に腰を掛けている者が一人。

 

「ゆ~き~やこんこ、あ~られ~やこんこ……。境内を染める夜と雪、クク。白と黒のコントラスト――逢引には最適ではありませんかぁ?」

 

 赤縁(あかぶち)の黒い和傘をくるり、くるりと回しながら楽しげに小唄を歌う彼女……鴉魔アルトは、待ち人が来るとよりご機嫌のような表情をニヤりと見せ、一枚刃の下駄を薄く雪の積もった石畳にコン、と鳴らして灯篭から降り立った。そして、同時にさっきまで灯篭に点っていた火がボウッと風が吹いたように消える。

 

 あいも変わらず偉ぶった年端も行かない少女のようではあるが、それはどうあれ。中身は確実に……ヤバ(・・)い。なにせ、13年前から(・・・・・・)姿が変わっていない(・・・・・・・・・)のだから。

 

「明日も仕事でな。こんな寒い日には眠りたいものだ。なぜなら、雪の予報が無いのに雪が降るくらい寒い。風邪を引かないように、温まって家で眠る。それが賢いサラリーマンって奴だ」

 

「ククク、サラリーマン……片腹痛い」

 

 コン、コンとアルトは石畳の上を歩き、イオリの横を通り過ぎる。和傘の中から細い腕を外に出すと、落ちてくる雪を手の平に乗せた。それは、体温ですぐに溶けた。

 

「人は縛られてはならぬ。何物にも……他人、社会、環境、未来、そして過去。人が唯一行動原理にするその鎖は、「自分のエゴ」以外他ならん。全ての存在は生きたいように生きねばならん」

 

 神社を降りる石段の方へと歩いて行ったアルトが和傘を畳むと次の瞬間に傘は消え、その手にはひと振りの剥き身の日本刀が握られていた。そして、傘が消えて分かった。

 

「こんなに月が赤くて――貴様は滾られずに居られますか?」

 

 石段の向こう、木々を縫ったその隙間。そこには、赤色の大きな満月が昇っていた。

 

「死ぬには良い日だ」

 

 イオリは腰に帯刀したふた振りの刀に腕を交差(クロス)するように構え、その瞳をまるで月を映したかのように真っ赤にして戦意を剥き出しにした。アルトの青い瞳がイオリを捉えて、表情を漲らせた。もう始まっている。

 

「286年――改め、300年の悪夢。鴉魔アルトだ。夜魔(ヤマ)たる私が貴様の罪を計ろう」

 

唯織(イオリ)draclawyer(ドラクロア)だ。精々足掻こう」



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外伝 大罪王の今日から始めるサムリーマン!!3

 開幕はいきなりだった。お互いが名乗りを挙げた瞬間に足を踏み出し、接近。すぐさま距離が詰められ、鍔迫り合い。

 イオリの右手が左腰に帯刀された上向きの刀を居合いの要領で引き抜き間合いに入ったアルトを両断――出来ず、アルトはそれを自分の刀で弾き、直ぐ様イオリは次の動きへ。弾かれた左腰の刀は納刀のモーションへ移りその動きと同時に左手が右腰の下向きの刀を抜く。刀がアルトを捉えようとした。

 

二刀(にとう)……よいぞ!」

 

 イオリ・ドラクロアは二つの刀を腰に帯刀している。その理由は、決して「二刀流」などと言う伝説の「シロモノ」を可能にする為なんかではない。常人が使えばそれは「イロモノ」になる。イオリはもっと現実的に物事を見ていた。

 

 「二刀流」というのは、それぞれの刀を独立させて、かつその一つ一つを一刀の威力を出して動かせるからこそ意味がある。それは、人間の動きでは無い。

 イオリ・ドラクロアが駆使する「二刀」の「一刀流」というのは、もっと考え方が単純なのだ。「動かすのは一本でいい」、「それを絶え間なく」「まるで二刀のような速度で」「一刀流の威力で」相手に打ち込む……これがイオリ・ドラクロアの考え。

 片方の刀を抜いたら、もう片方は納刀のモーションに移る。絶え間ない居合の型、この剣術に必要なのは一刀を最大の威力で振る為の「積み上げられた肉体」と、もう片方の刀を寸分の狂い無く納刀する「積み重なった感覚」。現実主義(リアリスト)なイオリが追求した、隙の無い生き残る為の剣術。その名、「二式(にしき)一刀流(いっとうりゅう)」。

 

 アルトの刀は一本。対応に追われ、アルトは浴衣の懐から紫色の気のカタマリをイオリにぶつける。狙いは刃で無く、その横っ面。

 僅かに逸れる軌道。切っ先が、ほんの少し。アルトの長い黒髪を掠め取る。しかし、そんな事は些細な問題じゃあない。アルトの本命は、今一瞬。奪えるとするなら、この瞬間――

 

「んがッ!?」

 

 瞬時、アルト宙を仰ぐ。空の夜、降り注ぐ雪が視界に入り、そしてそのままバク転して雪の上に一本刃の下駄を突き刺して立った。目の前には、体勢を立て直しているイオリ。直ぐに次撃が来るだろう。

 

 ゴキッ、ゴキッと首を横に振って鳴らすアルト。今、何が起きたのか……肉眼の端で確かに捉えていた。イオリ・ドラクロアは斬撃のほんの僅かな隙間を、足で補った。アルトの目には映りこんでいた、反応こそ出来なかったが……。

 

 Somersault(サマーソルト)。イオリ・ドラクロアはバク転しながら巨体から遠心力を加えて最大限に威力の乗ったトゥー・キックをその小さく可愛らしい少女の顎にブち込んだ。人間なら即死だろう。

 

 勿論、人間なら。イオリの目の前の少女はピンピンしている。

 

「パフォーマンス中申し訳無いが、吾輩の肉体は特別性だ。吾輩が完成させた「存在の証明(アルス・マグナ)」――その名も「卑屈な万魔殿(リトルパンデモニウム)」。内包された72通りの「聖者の禁法(スペル・オブ・ソロモン)」が内一つ、吾輩を守る障壁……それは」

 

 アルトが笑いつつ、ご自慢そうに手を広げる。その身体(からだ)から紫色のオーラが滲み、溢れ出してくる。

 

天邪鬼(あまのじゃく)。プラスをマイナスに、光を闇に。吾輩へのダメージは全て、回復になります」

 

「説明ご苦労」

 

 アルトが解説中にイオリ、駆ける。雪の上を、摺り足で滑らず最速で走った。二本の刀は納刀されている。そして飛び込み、距離数十センチメートル。アルトは持っていた日本刀の鞘を何処かから取り出して――

 

時雨(しぐれ)

 

 納刀。その瞬間、世界が……、いや、この「一帯」。その空間だけが切り取られたかのように、空の雪ですら、時間が静止した。動いているのは、たった一人だけ。

 

「3秒、あれば充分ですな」

 

 トン、トンと術者であるアルトはイオリに背を向け歩き出した。再び引き抜かれた刀は黒い靄を纏っており、その様はまるで妖刀のように。

 

「さあ、その罪を喰らうがいい」

 

 アルトが立ち止まり、刀を地面スレスレまで下ろす。そうすると、刀の靄が……まるで死神の鎌みたいに姿を形どるじゃないか。その刀を、アルトはイオリに振り返るように思いっきり振るった。

 

「――禍叢雲(まがのむらくも)

 

 ジュガン。静止した時間の中で、衝撃の音だけがエコーする事なく鳴り止まる。

 

 回転し、再びイオリに背を向けたアルトは誰に聴かせるでもなく静かに言葉を紡いだ。

 

「よい、よいのだ。吾輩は何もお前を取って食おうって話では無い。今一度、手を取り合って。共に歩めたらそれでいいのです」

 

 そして3秒が経過し、再び雪が空から降りる。吾輩の勝ちだな。と振り返るアルトの目前には右刀を振り抜くイオリ・ドラクロアが。

 

「なにぃィィィィィィィ!??」

 

 昔と違う事がある。それは、今のイオリ・ドラクロアは能力者だと言う事を。その能力は「サイレンサー」……衝撃と音を無効にする能力。止まった時間の中での鎌の一撃は、ノーダメージだった。

 

 余りにも想定外な出来事に仰け反ったアルトは、故になんとかその左手を差し出しただけで済んだ。ボトリ、地面に可愛らしい左手が糸を引いて落ちる。アルトの左腕からは黒い粘膜のような、砂のような……人間のそれでは無い体液が流れ落ちた。

 

 勿論、鴉魔アルト。邪神である彼女がその程度で終わる訳が無い。

 

「……ッ、フン!たかが腕一本くれてやっただけの事!!直ぐに再生が始まって……」

 

 アルトの体は急速な自己再生能力がある。だから直ぐに落ちた手が戻って来て……無い。

 

「ぬぉほほほほほほ―――ッッ!!??」

 

人は何れ死ぬと知れ(メメント・モリ)

 

 変な笑いが込み上げてきた。今度は左刀により右足が切り裂かれた。足が宙へと放り出され、ドサリ。地面に尻餅を付くアルト。

 

 二刀を納刀したイオリ・ドラクロアがアルトの前に立った。納刀された筈の刀が、鞘越しに光を放っているのが分かる。左腰の刀は赤黒く、右腰の刀は青白く。

 

 そんな……?浄瑠璃(じょうるり)製の妖刀と霊剣……!!何処でそんなものを……!それもなんて圧!!!

 

 チィン。金打の音。それを合図に、少女に注がれる青年からのありったけの殺意。

 

「二式」

 

 あ、これ死ぬやつだ。

 

「ままま待て待て待て、まーってよイオリくぅーん!アハハハハハーーーッッッ!!」

 

 鴉魔アルトは涙目になりながら、残った右手で刀を放り捨て、イオリの方に向けてストップのジェスチャーを送った。

 

「負け、吾輩の負け!降参である!故、のっ!どうだ、ここらでお開きにしては……!!吾輩殺してもええ事無いぞ……!!吾輩はイオリと仲良くしたいだけ……!!なっ……?」

 

「……成る程」

 

 構えを解いたイオリは、その場に姿勢よく立ってふと夜空を見上げた。

 

「俺を怨みで殺しに来たと思ったが……違ったか」

 

 殺意が一気に霧散したのを感じ取ると、アルトはホッと胸をなで下ろした。



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外伝 大罪王の今日から始めるサムリーマン!!4

「ぬうう……酷いではないかイオリよ……吾輩の体はズタボロだ……あ、くっついた」

 

 境内本殿の石段に座りながら切断された自分の手と足を半べそをかいて必死に元の場所にくっつけていた鴉魔アルトは、左手の接合が上手くいくと少し表情を明るくした。

 

「けしかけたのはお前の方だ、申し訳ないが俺は恐怖対象に手加減する程の余裕がない」

 

 対する言葉はなんとも容赦無い。傍から見れば、なんとも大人気無いであろうかその実態は、そう言われても多少はしょうがない状態だった。

 その隣に立つイオリ・ドラクロアは白い息を零しながらただ赤い月の方を見ていた。雪はもう止んでいる。空は透き通った瑠璃色だ。向こう側では星々が綺羅綺羅と瞬いている。……アリだな。

 

「そう言えば吾輩の機嫌が良くなると勘違いしているな?吾輩はな、親しみ易く振舞っているつもりだぞ。恐怖などされる謂れが無い……よし、くっついた」

 

 そして左足の方の接合も完了したアルトは、石段からスクっと立ち上がると元気そうに一枚刃の下駄で前へと歩き出す。……邪神を自称するような奴のどの口が、親しみ易いなどとそんな戯言(たわごと)を抜かすのか。

 

 アルトは少し歩くとイオリの方へ振り返った。コイツ振り返るの好きだな。さて、そんな事はどうでもよく。その時に鴉魔アルトが見せた表情は、まるで少女のような可愛らしい笑顔で。なんだ、そういう表情も出来るんじゃないか。

 

「さて、久々の邂逅だ。夜も遅い。今晩は貴様の家に泊まるとしよう」

 

「…………来るな」

 

 前言撤回。突然のトチ狂ったとしか言いようのない発言にイオリは現実を踏まえた上で否定した。いきなり何を言い出すんだコイツは。少し十三年前に因縁があったからといってほぼ知り合いという程度でしか無い俺の家に泊まるとか抜かすなど図々し過ぎるのではなかろうか。

 

 イオリ・ドラクロアは半ば無視の形で境内から出て石の階段を降りていく。それに後ろから添う形でアルトが付いて来る。

 

「よいではないか。実は吾輩、行くアテも無くてな。この街に詳しくないのだ」

 

「巫山戯るな、これまでの宿はどうしていた。というかそもそもお前いつから日本に居る」

 

 長い石段を降りて軽く雪の積もったシティサイクル、愛車「マリス」の雪を手で払った後地面にタイヤをバウンドしてやると、残りの雪が舞って殆ど綺麗に取れる。それに跨り、盛りこぐ。初手から引き離す。流石に走りでは付いてこれないだろう。さあ、逃げる。

 

「吾輩5年前くらいからずっと「雪華街(せっかがい)」に()ってなぁーー、泊まる場所無いのだ。なあ、よいではないかーー」

 

 と、時速20kmを越えた辺りで後ろから声。ちらりと目をやると、まるでアルトは飛行機みたいに空を飛んでいた。いやいや、んな馬鹿な。

 

「マジで来るな。漫画喫茶でも行けばいいだろう」

 

「知らんのか、漫喫は成年の証明が出来んと泊まれんのだァ。やーい世間知らずーー」

 

 あろうことか茶化すような声で馬鹿しに来た為、イオリは速度を上げた。時速40km、ギア無しシティサイクルでは殆ど最高速度。電灯にエネルギーを伝えるダイナモが焼き切れてしまうんじゃないかという程唸る。これ以上はチェーンがぶち壊れる。

 

「死ね、凍えて野垂れ死ね」

 

「やだ、温かい布団で眠りたい」

 

 追いすがるアルト。その様に辛いや苦しいなどはない。いや――速くね!?

 

「死なないだろお前死ね」

 

「死ねっていう方が死ねなんですー」

 

 アホみたいな応酬をし、信号や一旦停止は律儀に止まり、こんなに寒いのに気が付けば汗をかく頃には……イオリが住むマンションに着いているでは無いか。

 

 イオリは仕方なく自転車を駐輪場にしまうと玄関にて暗証番号でオートロックを開け、諦めてマンションへと入ることにした。絶対に諦めないなコイツ。

 

「……一晩で帰れ」

 

「うむ、それでいいのだ。感謝するぞイオリよ」

 

 声をかけてやると、満足そうなアルト。最終的に押し切られた、端からコイツの掌で踊らされているようにしか思えずに納得がいかない……。まあ、いいだろう。こうなったらヤケだ。

 

 階段で上り、一番上の12階まで。階段を昇るのは良い日常トレーニングになる。健康とは積み重ねだ。

 

「エレベーターで上がればいいのに酔狂だな」

 

「お前もそう思うか。だよな。俺もそう思う」

 

 まさかのアルトに突っ込みを入れられた。お前は飛べるだろう。だが、このほんの少しだけ自分に酔った行動が味気ない日常を彩るというものよ。フフフ。と、イオリは心の中でほくそ笑む。

 

 鍵で自室のロックを解除すると、ドアノブを捻って玄関に入る。それに次いでアルトも遠慮無く入室。

 

「お邪魔します……もっとアジト的なものかと思ったが。如何にもな現代のマンションだな」

 

「悪かったな。そういうのは2年前に卒業した」

 

「別に悪いなどとは言っていない。ただ、吾輩もこれまで和室ばっかだったからな。物珍しいだけよ」

 

「和室……?そんなとこに住んで」

 

 イオリ、ここで刹那の思考逆流。脳裏に浮かんだ答えは「雪華街」。さっき、神社を出た辺りで言っていた。

 

「……雪華街?」

 

 イオリはゆっくりと、一枚刃の下駄を脱いだアルトの方を向く。アルトは屈託の無い顔で此方を窺ってきた。

 

「うむ。悪いか?」

 

「……いや、悪く無い。お前の素性がわからんくなっただけだ」

 

 テログループ「シェイド」のリーダーとして活動し、なおかつイクシーズの統括管理局職員と転職していれば否が応にもその耳に入る街の名前。岐阜県にある繁華街、「雪華街」。

 イクシーズとはまた違った形態での能力者街であり、日本の真ん中に位置するパワースポットという土地柄季節外れでも雪が降ったりするし、冬でも華が街中で咲き乱れ、そしてその土地では能力者が多く観測される……。イクシーズからしたら、「喉から手が出るほど欲しい」サンプルNo.1の街だろう。では、何故そうしないのか。

 しないのではない。……出来ないのだ。理由は、(いにしえ)から根強くある文化、歴史がそれを阻むから。その街を統制する組織、その名も「叢雲家(むらくもけ)」。陰陽師(おんみょうじ)の流れを含むその家系は外部からの侵略を拒み、権威を示し、神を信じる者が少なくなった現代。時代が移り変わろうと、現在は観光地という事で大きく賑わっているジパングの誇り。……「絶対に喧嘩を売っちゃ行けない国家」の一つだ。ちなみにイオリはその喧嘩を売っていけない国家の一つイクシーズに立ち向かって惨敗した結果を踏まえると、確実に敵に回してはいけない事が伺える。

 

 はてさて、そんな情報を3秒ほどで脳内整理して。何故この小娘がそんな場所に5年間も居たのか。

 

「別に。一昔前の神仲間と連絡取れたらたまたま其処に居たから世話になっただけだ。深い理由などありゃしないよ、ま。強いて言うなら、いい場所だった。人も良いし、飯も美味いし、眺めはいいし風情もあるし。正直吾輩にとっては天国だったな」

 

「超満喫してるじゃないか……まあいい」

 

 そもそもコイツをまともな物差しで測ろうというのが間違いか。意味のわからんウルトラCの塊のような奴だ。取り合うだけ無駄だろう。

 

「先に風呂にでも入れ。着替えはあるのか?無いならデカいが俺のを貸そう」

 

「いんや、心配はいらん」

 

 そしてアルトはにょいっと、浴衣の懐から服を二着取り出した。……取り出したぁ?

 

「は?」

 

「なに、別に着替えはあるんだ。ほら、こっちが吾輩考案のメッセージシャツ「推定無職」だ。ホワイトカラー。ええ語呂だろう?こっちはロックメタル風ブラック「TOKUGAWA(トクガワ) GYA-KOTU(ギャーコツ)」だ。自信作でな、ご当地ゆるキャラとして一発当たると確信している」

 

 その右手には白いシャツに黒字でプリントされた「推定無職」の文字が目を引くTシャツ(誰が為のTシャツだ)と、左手には黒い革製にバックにプリントされた太めな黒い衣冠束帯のシルエット……徳川家康(と思われる)の骸骨が珍妙なジャンパーが持たれていた。……いや、ほんとに誰の為のアイテムなんだそれは。全然ゆるくないし。超ロックじゃねぇか。

 

 いや、そうじゃないだろ。

 

「お前、今何処から取り出した?」

 

「ん?浴衣の中から。実はこれそのものが「卑屈な万魔殿(リトルパンデモニウム)」でして」

 

 ぽぽい、とアルトは次から次へと浴衣の懐から物を取り出して見せた。刀、カップスープ春雨(かきたま味)、狛犬の置物、サングラス、和傘……。そういや神社でも色々出してたな。猫型ロボットか貴様は。

 

「ふふん、驚いたろう?教会の五月蝿い子雀(むのう)らを二秒で黙らせる悪夢の具現化だ」

 

「いや、猫型ロボットかと思った」

 

「OKよ、えへん!まあよい。それでは風呂を先にいただこうとするかの。残り汁を飲もうとするんじゃないぞ?」

 

「300歳の幼女体型のババアの風呂なんか死んでも飲むか。俺は20代のボインちゃんが最高に好みでね」

 

 阿呆(あほう)を抜かすアルトに容赦無い言葉を返してやり、風呂を入れる。温度は40度を軽く下回るくらいになるよう。冬ならこんなものか。

 

 浴室に向かったアルトを見やると、イオリは帰宅後の部屋の温度調節を行う。温度設定は20度あればいいだろう。飲み物は申し訳ないが、冷えたビールか常温の炭酸水しか無い。こればっかりは普段使いの物しかないから諦めて貰う他ない、温かい茶を出せと言われてもしょうがない。無いのだから。

 

 ククク、用意したのは日本の最高傑作「スーパードライ」……。これが肉によく合う。文句無しのもてなしだ、これでうだうだいうようならもう一回顎に蹴り入れてやる。礼を言うのなら仕方なく受け入れてやろう。ははは、悔しがれ。

 

 ひと仕事終え、リビングのソファでスーツの上着を脱ぎ乾かし、雪で水分を含んだ髪をタオルで拭いてゆったりと休憩しているときだった。

 

『ぎにゃーーーーーーっっっ!!?』

 

 ……猫の声か?いいや、違う。ウチでは猫を飼っていない。あんな百害あって一利有りぐらいの動物を飼うぐらいなら従順なドッグを飼った方がよっぽどいい。いや、置いといて。

 

『なっ、なっ、なっ、なっ……!!』

 

 ドタドタドタドタ、とフローリングの床を素足せ小走りする音が聞こえる。イオリはやっかみの表情でその音がする方向を振り返った。

 

「お前ん家の風呂は聖水製かーーーーーッッ!!!」

 

 バタン!!思いっきり開けられたドアの向こうには、何を血迷ったか肌色90%の状態の鴉魔アルトが仁王のように立っていた。残りの10%は色々と……言うまでもない。

 

 いや、そんな事はどうでもいい。何より目を惹いたのは、その……「金髪」だろう。いや、さっきまで美しい「黒髪」だったはずだ。姿形はそのままに、髪の色だけが金色になっていた。それはそれで……美しい。

 

「吾輩の呪詛がかった最高の黒髪が……!夜魔たる証が!まるで祝福を受けた聖女のようにパッキンキンだ!どーしてくれる!?」

 

「……何故そうなった」

 

「知らん!かけ湯して風呂に入って、妙にピリッとくるなと思ったらこれだ!!吾輩の髪に含まれていた呪詛が流れ落ちたとしか考えられん!!都会のお湯はみんなこうなのか!雪華街では無かったぞこんな事!」

 

「……」

 

 わめきたてるアルトとは別に、訝しげにアルトの方を窺うイオリ。

 

「なんだ!?」

 

「いや、下の方も金色なんだなと」

 

「っ!??死――ぼフォっ」

 

 次の瞬間にはアルトの方にタオルが投げられていた。先程までイオリが使っていたタオルだ。そして、イオリは眉間に中指を当てて考える。

 

「……聖水?んな馬鹿な。水道水はたまに飲むが問題無い。雪華街では大丈夫、イクシーズでは駄目……?温泉なら良いが、水道水では駄目……ピリっと来たって」

 

 一つだけ、思い当たる節があった。

 

「あーー……カルキか」



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外伝 大罪王の今日から始めるサムリーマン!!5

『ふーんふーんふふんふーふんふふふふふーん』

 

 ちゃぽん。ご機嫌そうな鼻歌と、水の音が浴室から響いて漏れて聞こえてくる。どうやら納得はしていただけたらしい、彼女を祝福する為の専用の温泉。……形容するなら「炭酸泉」、とでも言おうか。俺の全身全霊を込めた最高傑作。

 

 リビングに残ったのは、何十本……?数えるのも嫌になるような程の、夥しい程の空のペットボトル。今は無残にも床を転がっている。

 中身だったものは、勿論「炭酸水」。常温のそれを、わざわざ沸かしてやったのだ。カルキ一滴も無い家庭用即席の「炭酸泉」……贅沢にも程がある。

 

「邪悪な座敷童子だ……。不幸を(もたら)すんじゃあないのか?」

 

 上機嫌そうなアルトと違って、イオリは疲弊していた。肉体的なものでは無い。これは、精神的な。心からくる問題だ。スポーツ後の癒し、そのストックの殆どを持って行かれたのだから。水道水が駄目なんて、一体どんな箱入り娘だ。

 

 そのいっぱいいっぱいである心の様を、残ったうちの一本である炭酸水を飲んで落ち着ける。まあ構わんだろう、(たま)の出逢いだ。こんぐらいやってもいいと思え。大のおっさんが情けない。親戚の娘がやって来たぐらいを思って振舞わなければ。

 

 ならば、心を入れ替えようか。イオリ・ドラクロアは冷蔵庫を開ける。まだだ、イオリ・ドラクロアの真髄はここからだ!――

 

――「吾輩、再誕……!ククク、甦ったぞ……!」

 

 美しい西洋人の金髪から一転し、元の東洋人らしい黒い長髪に無事姿を取り戻したアルトは、Tシャツに半ズボンというラフな格好で髪をタオルで拭きながら出てきた。胸には「推定無職」というメッセージが施されている。誰が得するんだ、それ。

 

「のう、イオリ!最高のお湯だったぞ!シュワシュワってしてな、まるで上質なジャグジーバスのようだった、褒めてやる……お?よき香りだな」

 

 アルトが上がると、ほんのり煙に乗って鼻腔をくすぐる何かが。換気扇では吸いきれないほどの、良い匂い。

 

「ああ。ならば次は俺の番だな。さて、もてなしはこっからが本番だ」

 

 コンロの前に立っていたイオリはアルトを見据えると、ニヤリとその太い骨と筋肉に包まれた首を撓ませた。

 

 大きめの皿をリビングの木製テーブルの上に置く。椅子は無い、カーペットの上で胡座をかいてゆったり座る為のものだ。冬だが炬燵の形式は取らない。これはポリシーだ。

 

 テーブルの上に置かれた皿に盛られているのは、皿を埋め尽くす程の一枚の「ステーキ」……牛肉だ。下にはソースが敷かれている。 そして、小皿が追加で添えられた。そちらは、軽く炒められててらてらしたキャベツ、そしてスライスニンニクが和えてある。香ばしい香りがする。

 

 ゴクリ。思わず、だ。思わず、意図せずに、鴉魔アルトは生唾を飲んで、その小さな喉を鳴らした。

 

「……美味そうだな」

 

「食っていい。俺からお前へのご馳走だ」

 

 そしてイオリは箸置きにフォークとステーキナイフを置く。瞬時。アルト、野菜には目もくれず目前の800グラムを越えたステーキに直ぐ様、フォークを突き立てた。……弾力。「弾む力」と書いて「弾力」……を感じた。

 

 ナイフを、小刻みに動かす。出来上がる、一口で「頬張りきれる」量の肉……中はレアだ。表面の旨みを閉じ込める焼き方。香りからして、挽きたての黒胡椒がかけられている。

 

「いただきます」

 

 言葉と同時、ノータイム。頬張った。まるでハムスター、小さな頬が張る……。その傲慢とも言える程の量を、噛み締める。中の肉汁が、舌に絡まった。そして鮮烈に、旨みを訴える。

 

「……美味い」

 

 ……美味い。口の中に物が入っている状態で、呟かずに「居られなかった」……まるで、言葉を漏らさない方が失礼だと。脳髄が伝えたのだ。筋肉が反応したのだ。「頂いた肉に失礼だ」……と。

 

 咀嚼し、味わい、飲み込む。……大げさじゃない。違う、なんというか。この味は……。

 

 次の手は、キャベツとニンニクのサラダだった。こっちなんだ、次に食べなきゃあいけないのは。

 

「そう言ってる……」

 

 誰が……?サラダが?イオリが?否、何より自分が……!そして、脳髄に染み渡る「素直」さ……。キャベツ、こんなにも美味しかったんだぁ……!

 

「歯ごたえ……」

 

 シンプルなサラダだった。加熱して半ばになった歯ごたえのキャベツ、サクサクとしたニンニク……味付けは、これ、甘くてしょっぱくて……岩塩?思えば、ステーキの下ごしらえに使われた物と一緒。統一感……!そして、垂らされた「ごま油」……。シンプルで、故に。王道とは……この事だろう!!

 

 肉をまた切って、喰らう。そう、この料理は決して煌びやかなんかじゃあない。どっちかと言えば素直。素朴で真っ直ぐ……訴え方が、「これでいいのだ」と。それだけなんだ。だから、嫌らしくない。お高く止まった気品さは無く、庶民の贅沢だからこそ……。

 

 隣には、トン。と。イオリが、それを置いた。アルト、またも唾を飲んだ。

 

「……!?」

 

「要るだろう?ああ要るとも。「必要」なんだ、「必ず要る」と書いて「必要」……こんな男の料理には、ワインなんてオシャンティぶった物は要らない。「必要」なのはこれなんだ」

 

 胴長のフォルム、まるで「俺はクールだ」と言わんばかりなメタル・シルバー。500mlのそれは、また。量からして「素直」に「贅沢」だった。

 

 イオリは、さぞ。それが当たり前のように笑む。そして、それが当たり前なのだからアルトも笑うしかない。

 

「スーパードライ。ジパングの名を冠する最高傑作のビールだ。今、お前の喉はこれが欲しくて欲しくて堪らない……コップなんて無粋な物は要らんだろう。好きにしろ、本能のままに」

 

「……憎いやつめ」

 

 シュカッ。泡が弾ける音が鳴った。プルタブを倒し飲み口を確保すると、アルトは堪らず、煽った。

 

 ゴキュリ、ゴキュリ、ゴキュリ、喉が音を鳴らす。アルミ缶から直で飲むという行為、その男臭さ。女だからと気にしない。それもまた、多幸感。

 

 ーーーーッッッ!!

 

「っっっかぁーーーーー!!!っこの為に生きてる!!」

 

「そうとも。生きているとは、平常である事。故に、人は日常にこそ幸せを感じなければいけない。これは中々生きてるだけじゃ分からないものさ」

 

 最上級の褒め言葉を聞いたイオリは満足そうな顔で、浴室へと向かうのであった。



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外伝 大罪王の今日から始めるサムリーマン!!6

「ぬうう、客人をこんな薄い布団に寝かせるとは随分と失礼だな貴様。吾輩もベッドで寝たいぞ」

 

 寝室にて、フローリングの床に敷かれた携帯用簡易睡眠セットに文句を言うアルト。阿呆(あほう)を抜かせ。仕方なく泊めてやってんだ。

 

「暇人と違って俺は明日も仕事なんだ、少なくとも安らかに眠れる環境が良い。なあに、それも熱帯雨林の蔦のベッドやサバンナの土製の家屋で寝るよりはよっぽど快適だろう。人類を有難がって寝るといい」

 

 イオリ・ドラクロアは寝巻きのタンクトップに着替え、自分のふかふかのベッドに潜り込んでいる。天井から吊るされたぼんぼり照明のスイッチは、丁度イオリがベッドから体を起こした所にある。最適の位置。イオリはそれを引っ張ると、豆電球だけ点灯している状態にした。

 

「あっ!貴様!もう寝るのか!?まだここからがパジャマパーティーだろう!」

 

「社会人は色々と大変なんだ。じゃあな、お休み」

 

 そして、イオリはスイッチをもう一回引っ張り、最後の電球を消した。後は、真っ暗。

 

「ちぃっ……社会の歯車め」

 

「そりゃ結構。夜魔の軍人イオリ・ドラクロアも大罪王ロイ・アルカードももう居ないのさ。今の俺は只のイクシーズに住んでるサラリーマン、イオリ・ドラクロアだ……」

 

 まるで突き放すようなその言葉を最後に、イオリは調息じみて寝息を立てる……。

 

「……そうか」

 

 しかし、その言葉に、暗い部屋の中でアルトはひっそりと優しい笑みを浮かべたのだった――

 

――ふと、本当に、ふと。イオリは目を覚ます。

 

 暗い天井、カーテン越しに隙間から薄く入り込んでくる月の光。なんの事は無い。まだ夜――

 

 いや。居ないな。

 

 人の気配が居ないことを察し、ベッドから下を除いた。居ない。鴉魔アルトは捲れた布団を置いて何処かへ行っていた。

 

 壁掛けの時計に目をやると深夜一時……。まあいい。三時までに寝れば十分寝れるだろう。しょうがない、とイオリはベッドから体を起こす。

 

 一枚、黒色の褞袍(どてら)を羽織り、寝室から出た。さて、奴は何処だ。何処に居る……?

 

 静寂な常闇の中、イオリが行ったのは意識のコンセントレイション。只でさえ常に張り詰めた神経を、さらに尖らせるように研ぎ澄まさせた。

 五感+第六感の全てを解放、38年間積み上げてきた「生命感(スリル)」により辺り一帯で何が起きているのかが分かる。今のイオリ・ドラクロアの心眼は鷹の目と言っても過言では無い。

 

 そして五秒程、直ぐに答えが出た。真上だ。そこに「邪神」が居るのが分かった。ベランダに通ずる窓に手をかける。……やはり、開いている。鍵がかかっていない。ここから出たな。

 

「屋上だな……」

 

 イオリはベランダに出ると、手すりに足をかけ、上に出っ張ったレンガの壁に手を伸ばした。レンガ造り故の、壁の起伏。接合部に指をかけ、そしてそれをもう一回、もう一回と続けていく。後は足が手すりから離れ、するするとヤモリのように壁を登って行き、屋上に到達。

 

「おう。来たのか」

 

「呼ばれた気がしてな」

 

 このマンションの屋上にはなんの変哲も無い、貯水タンクと接続の為のパイプ、電波を受信するアンテナが設置され、床には排水機構があるだけという、シンプルな屋上だった。そこでアルトはパイプが埋め込まれた大きめの出っ張りに腰をかけて、ビールを飲んでいた。……それ俺のじゃないか。

 

 アルトはすすす、と掛けていた小さい尻を動かすと、出っ張りをぱしぱしと叩いた。座れ、という事か。

 

「ん」

 

 つられて腰をかけたイオリにアルトは銀色のビールを渡してきた。それも未開封……コイツどんだけ冷蔵庫からくすねてきたんだ。まあいい、乗ってやろうじゃないか。プルタブを開け、一口。……最高だ。

 

「なあ。今は楽しいか」

 

「ああ。まあまあな」

 

「ふふ、それはよい」

 

 アルトは空を見上げた。さっきはあんなに赤かった月……今は真上に上って、燦然と白い光を放っている。それは、冬の済んだ空の中で、イクシーズなんて都会でも街中に確かに届いていて。

 

「実はな、その……なんだ」

 

「なんだ?」

 

 少し、声を潜めるアルト。その様子は、まるで普通の人間のように。しおらしさを感じた。

 

「私は、お前が此処に居る事を知って来たんだ」

 

「だろうな」

 

 グビり、とイオリはビールを飲んだ。それは予測できなかった事じゃない。

 

「……驚かんのだな」

 

「別に。この世に偶然なんてものはない。あるのは必然……「運命」だけだ」

 

「運命を信じて偶然は信じない……納得いかんな」

 

「現実しか見ないんだ俺は。夢は見ないんだ、合理主義でな」

 

 グビり。アルトがビールを飲んだ。

 

「そうか。まあ、その……あれだ。私はお前が此処までやって来た経緯を知っている」

 

「……「叢雲」、だな?お前が「イクシーズ」「教会」とそう密接になっている訳もあるまい」

 

「脳筋に見えてそういうところは勘が鋭いな、貴様。まあ良い。過去の事など取るに足りん。お前はお前が生きていく為に今日まで生きてきたんだ。ならその全ては間違いじゃない。それが例え、「大罪王」等と呼ばれようと――」

 

「ははっ。「生きてきた」、か」

 

 それは、イオリの乾いた笑い。喉が軽く引き攣るのが、自分で分かった。どれだけ生まれ変わろうと、この身は「イオリ・ドラクロア」と「ロイ・アルカード」の業、その咎……全ての罪を、消せない過去を背負って生きている。

 

「人の命は安い。どんな命も平等に安いのさ。だとしたら――なあ。俺は(・・)何人の命を奪ってきた(・・・・・・・・・・)?」

 

「……。」

 

「聞いても分からんか。だって、俺ですら分からないんだ。安い命を幾らでも屠ってきた。罪なき者まで巻き添えにしてきたんだ。そんな俺の命に今更価値なんて――」

 

「黙れ」

 

 パンッ。軽い、けれど、重い音が鳴った。イオリは、その一瞬を分かっていて、けれど避けなかった。

 

 アルトが、イオリの頬を叩いたのだ。泣きそうな、少し俯いた顔で。

 

「それ以上は、黙れ……!」

 

「……ん。」

 

 バゴンッ!!鈍く、重い音が鳴った。アルトは、その不意の一撃にさぞ驚いただろう。吹っ飛び、地面に尻餅をつき、イオリを信じられないといった揺れた瞳で見る。持っていたビールはその中身を溢し、無残にも床に飲まれていった。

 

 イオリ・ドラクロアが、鴉魔アルトの頬を殴り飛ばしたのだ。

 

「一発は一発だ。悪いが俺の信条は「女子供に手を出さない」だが「天には唾を吐け」でな……」

 

 ゴキュリ、ゴキュリとイオリは自分のビールを一気に飲み干すと、空になった缶を地面に投げ捨てた。アルミが音を響かせて転がる。

 

「死に場所だよ。俺は死に場所を求めて彷徨う生霊(いきりょう)だ。今更こんな命、大切とも思っちゃいない。価値の無い未来だ、分からん他人が口を出すな……!」

 

「……ああ、そうか。分かった。分かったぞ……!!」

 

 立ち上がったアルト、イオリに跳び込んで両足で渾身のロケットキック。イオリ、仰け反りはするがその身にダメージは無い。

 

「なんて言うと思ったかバーカ!!それじゃただ拗ねてるだけの餓鬼じゃあないか!お前が生きてきた38年間、そんなにくだらない物だったのか!」

 

「知るか……知るかよ!」

 

 イオリ、アルトに跳び込んでの胴廻し回転蹴り。顔面に寸分狂い無くクリーンヒット。アルトが弾け飛ぶ。

 

「300年生きた奴には分からんだろうよ、人間のこの苦しみは!!ならば、捨てるしか無いだろうが!!」

 

 先手で起き上がるアルト、地面に尻を着いたイオリの胸元を掴んだ。その眼を見据える。

 

「持っていけ!!!」

 

「っ、何……!?」

 

 瞬時、呆気(あっけ)に取られた。

 

「背負ったままでいいだろう、それまでの事をしたんだったら!そして未来へ持っていけ!苦しめ!忘れるな、けれど悔やむな!!お前の生きた証明、其処に全部、詰まってるんだから!!」

 

「世迷いがかった事を……!!」

 

「迷って何が悪い!!構わんだろう!?全知全能の神じゃあない、人ならば!迷っていいんだ!!その末の未来を手に入れてやりゃいい!!だから……」

 

 アルト、手を離す。イオリは気圧され、その場に座り込んだ。もう、殴り合う勢いは無かった。

 

「そんな、悲しい事は言うな……!私は、お前が死んだら悲しいぞ……!」

 

「……チッ」

 

 そっぽを向くイオリ、しかし。心の何処かで、アルトの声は僅かに届いているかも知れない。それ以上、まるで根負けしたかのように何も言わなかった。きっと、この言葉の意味は理解している……。アルトは少なくとも、そう思った。

 

 ……少しばかりの無言。地面に座り込んだイオリにまた、冷たい物が投げ渡された。缶ビールだ。

 

「……おい、待て」

 

「待たん。美味い物は存分に楽しめ。動いた後はビールだろう?」

 

 シュカッ、と音が鳴った後、アルトは自分の分のビールを煽った。

 

「何処から持ってきた……!」

 

「勘の良い餓鬼は大好きだ。何、貴様ん家の冷蔵庫☆」

 

 テヘペロッ!ウインクと同時に舌を可愛らしく口から溢した300歳の少女は悪気なく誤魔化すように笑った。

 

 瞬時、イオリ・ドラクロアの左手がその可愛らしい顔面を鷲掴みにする!

 

「お前なぁ!高いんだぞビールは!人の!もんだと思って!幾らでも貪りやがって!!」

 

「あああ!!痛い痛いイオリ・ドラクロア!?お前っ、これやばいやばい!」

 

 アイアン・クローで掴まれたアルトは宙に浮きながら苦痛の呻きを叫ぶ。

 

「天には唾を吐けだ!覚悟は出来たか?神でも恨め。「人は何れ死ぬと知れ(メメント・モリ)」だ」

 

「あっ、あっ、出ちゃう、何か出ちゃう――」

 

 ミシミシと軋む音と共に悲鳴が月夜の空に響いた。新社会「イクシーズ」、今日もまた平和?なのだろう――

 

――「雪の降った境内。ふふ。「実に風流」、と言った処ですか」

 

 空に月が登りきった頃。雪の積もった「百八神社(ひゃくやじんじゃ)」の境内に大柄な人影が一人。

 

 水色の袴に、黒色の羽織。そして赤いマフラーを首に巻いた、何の事は無い、場所が神社である事を考えれば違和感の無い服装だろう。ただ、違和感を挙げれば――その男の髪が「ドレッドヘアー」であり、「サングラス」を掛けている事ぐらい、だろうか。

 

「全く、掃除も大変なのに鴉魔嬢(からすまじょう)は……。(まこと)に任せてもいいのですが、まあ。残しておく事も無いでしょう。どうせ見飽きたでしょうし……句繰術(くくりじゅつ)(ほむら)」」

 

 男が呟くと、辺り一体が小さな炎の海に染まる。そして、積もった雪が見る見る内に溶けていく。

 

「「(とまれ)」」

 

 そして、その言葉を境に炎は一瞬にしてボウッと消え去った。後は、地面を濡らした水だけ。

 

「因果の歯車は動き出した。さてさて、役者は揃ったのでしょうか?否――まだ。物語はここから。ええ、ここから。結末はまだ分かりません。」

 

 男は言葉を紡ぎながら、(ふところ)から出した扇子をパッと開いて。「叢守(むらかみ)」と書かれた扇面で境内に漂った冷気を味わいながら、神社の裏側へと消えていった。

 

「選ぶのは、彼らですから」



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外伝 大罪王の今日から始めるサムリーマン!!――宵の明けない妖怪横丁――
スカイシステム


 朝。統括管理局の玄関の前に帯刀しスーツで立つイオリ・ドラクロアは、小さな欠伸をした。

 

「ふぅ……んん」

 

「おや、どうしたのかい?イオリ君。昨日は良い人とお楽しみかな?」

 

 必死に我慢したが口の端からそれが漏れると、隣に立った白髪の青年、歌川鶻弌弐弎代(うたがわのはやぶさひふみよ)がからかいを送ってきた。

 

「ん……いや、親戚の子だ。泊まりに来たんだが、ここ最近それが煩くてな。まともに寝付けやしない」

 

「なーんだ、そういう話を聞かないからついにと思っちゃったよ。ふふ、もしかして、こっち(・・・)?」

 

 そう言うと、ヒフミは頬に平手を寄せた。阿呆め。コイツは何を言っている?男が惹かれて良いのは女体だけだろうが。

 

「んな訳あるか。俺は女子高生から人妻まで万々歳のセックスマシンガンだ」

 

「良いねぇ。漢らしい、それもまた魅力的だ」

 

「そういうお前は浮いた話が無いのか?モてるだろう」

 

 カウンターに、とイオリは逆に突っ込んでやる。すると、ヒフミは顎に手を当てて考え出した。

 

「んーー……まあ。ぼちぼちかなぁ?言うて、人並み?」

 

「なぜ疑問形」

 

「付き合いたいと思った子が居ないからね。僕が求めるのは、ほら。ぶっきらぼうでミステリアスでかっこよくて強い人だから」

 

「いるかそんな女」

 

「さあねぇ?」

 

 と、またも疑問形で返してくるヒフミ。女という物に高望みしすぎでは無いだろうか。果たして、この何処かネジの外れた好青年は何を考えているのだろうか。

 

 女というものは、やはり。優しく、気立てよく、美しく……。そして、肉付き。程よくむっちりしていれば最高だろうが。

 

「まあ、いいさ。ねぇ、夜にさ、ご飯行かない?」

 

「断る」

 

 瞬間、ノータイムの断ち切り。今日だろう?断る。

 

「えっ、えーーー!?早くない!?」

 

「悪いな。少なくとも、今の俺は……」

 

 流石に驚くヒフミには申し訳なさを感じるが、イオリは軽く頭を掻くと、辛く呟いた。決意は固い。

 

「女体が見たい。それも、お淑やかで、慎ましく、尚且つ清廉潔白な女が……それこそ、極上。良い女が、な……」

 

「……何それ。それこそ居るの?」

 

「やかましい餓鬼を相手にしていると、美しい女が欲しくなるものだ」

 

「はぁ」

 

 そして、ヒフミはそれ以上追求してこなかった。

 

 そう、イオリ・ドラクロアにとって、今一番重要なのは、「うっとおしい女性」じゃない。この疲れた心、疲弊した精神を癒してくれる救いの女神のような「やさしい女性」だった。

 

 ならばこそ、今夜。家に居るであろう「邪悪な座敷童子」は無視して、いざ。夜の街へ――

 

――夜のイクシーズを歩くイオリ。街を彩る光はとても煌びやかで、成る程。「新社会」と冠するに劣らない、都会の街並みが広がっていた。イオリがこれまで渡り歩いてきたどの都会と比べても遜色無い。

 

 とはいえ、この中の殆どは子供騙(まやか)し……。そうだろう?

 

 都会だからこそ、見定めなくてはいけない物がある。果たして、自分を本当に「満たしてくれるもの」はなんなのだろうか……?

 

 悩む。イオリ・ドラクロア、悩む。何が欲しい?ありきたりなファミレス、自然なウェイトレスはさぞ癒しだろう……。違う。そうじゃない。もう少し、強請(ねだ)っていい。欲張っていい。メイド喫茶……?違う。あざと過ぎる。さて、もう少し踏み込む……?

 

 ……風俗?違う。気分じゃない。ショーパブ……当たりを引けないと意味が無い。もう少し、ステージを落として……。

 

 そうして、歩いた末にたどり着いた場所。ふと、裏道を歩いてみると。「もしかして……?」そんな、夢見がちな理想理論。好きじゃあない。とはいえ、今は我武者羅に、本能のままに足を向かわせるしか無かった。

 

 まさか、そう、まさかだ。無い無い、それは無い……。

 

 思いつつ辿り着いたイオリ、表にて木製に墨染で描かれた達筆な字の看板を見つめる。

 

「「浄土喫茶(じょうどきっさ)一番地(いちばんち)」……?」

 

 直感。後は、それしか無かった。詐欺でも構わない、騙された方が悪いのだろう、と鈴を鳴らして店内に入った。騙されたとしても構わない、厭わないと。浄土の一番地……いいじゃあないか。惹かれたんだ、その謎の魔力に。

 

 その中は。言ってしまえば……「静寂」。客が居ないのか。しっかりとした内装だ。白をベースとした、明るいが、落ち着いていて、寛いでしまうような場所……。流行っていない?何故だ、茶が不味い?店員が悪い?

 

「お帰りなさいませ、旦那様」

 

 邪推をしていると、声が掛けられた。その方を見ると、――ほう。豊満な、給仕服に身を包んだ、大人の女性の姿。一目で分かった、美人……!乳がデカい!推定、D……!ウェストのサイズ……細すぎず、少し肉が付いていてよし!エロい!ヒップ……理解(わか)る!!!ギリギリだが、「ボンキュッボン」!!ボン&ボンは言わずがな、キュッは……ギリギリ故、そこがよし!胸に掛けられた名札のプレートには「刈谷 家政婦長」と書かれている……。そう、その名札の浮き具合までもが、エロいという事!

 

 オーナーは……!「理解(わか)っている」……!強い!

 

「ああ、今帰った」

 

「此方へどうぞ。今、お食事を作ります。是非、好きなものを……お召し物は、良かったでしょうか?壁に掛けましょうか?」

 

「頼む」

 

 問いかけにイオリは答えた。成る程、こういう趣向の店か。イオリは来ていた黒スーツを脱ぐと、白のシャツ姿になる。スーツを刈谷さんに渡し、丁寧な手付きでハンガーを越して立てかけられた服掛けに掛けられる。そこまでしてくれるのか。帯刀した二振りの日本刀も腰から外し、渡す。

 

「お預かり致しますね」

 

 ……いい。いいじゃないか。俺の直感は「此処が良い」と、答えやがった。

 

 テーブルに備えられたメニューを見る。……つまみが多いな。居酒屋形式だろうか。それと、目を引くのは……。メニューの裏面、「裏メニュー」……。黄金チャーハン?イクシーズでは偉ぶった上等な中華料理屋でしか見ないが。……春巻?小龍包?フカヒレスープ……?否否(いやいや)。中華料理に偏り過ぎではないだろういか?しかし、それも美味そうで……。シュウマイ?いや、スブタ……。

 

「おや?もしかして、君は……」

 

「ん?」

 

 カウンターの、四つ隣。気にはしていなかったが、客が居たようだ。それも、一人。まあ、良さげな店だ。居ても可笑しくないだろう……?

 

 そこで、一つの違和感に気付く。自分と同じ、白の長袖シャツ。サラリーマンか。いや、重要なのはそこではない。イオリ・ドラクロアは、その姿を見た事があった。短く、今風に切りそろえた清潔感のある黒髪、端整な顔立ち。身体はスマートで、全体的に爽やかだ。そんな男は何処にでもいるだって?違う、イオリ・ドラクロアの知っているこの顔立ちは一人しか居なかった。イクシーズ内でもとびきり有名だ。

 

 思えば、何処か似ている。その内から滲み出る、「余裕」という名の「恐怖」……。

 

「やあ、初めまして。でいいのかな?警察の瀧聖夜(たきせいや)だ。君は統括管理局の、イオリ・ドラクロア君だね?話は聞いているよ」

 

「ええ、初めまして。統括管理局職員、イオリ・ドラクロアです。お会い出来て光栄です」

 

 あろうことか、新社会「イクシーズ」にて伝説級の生き物――聖天士「瀧シエル」の父親、特殊Sレート群の警察官、騎士隊・隊長「瀧聖夜」がこんな所に居るとは。この人もスキモノか。

 

 聖夜は自分の飲み物と食事を手に取ると、イオリの隣に座った。わざわざ距離を詰めてくれるのは、初対面としてはありがたい。

 

「好きなんですか?」

 

「ああ、とても、大好きだ。家政婦、良いよね……」

 

「……いい。」

 

 ニッ、とお互いおっさん独特の渋い笑みを交わすと、右手で腕相撲のような熱い握手をかました――

 

――聖夜は食事をつまみに瓶のままのスカイブルーに口を付ける。とても美味そうに、それを飲んだ。

 

「女体はね……。良いものだよ。ああ、とても良いものだ」

 

 イオリは鰹節のかかったみょうがをつまみに、ジョッキに入った生ビールを味わう。静かな、酒飲みスタイル。

 

「同感だ。生命の神秘だよ、あれは。凄い……」

 

 まさかの、お互いによる女体談議。良い年をしたおっさんが、まさか女性が給仕をする店で女体について熱く語る等とは、如何にも変態がましいだろう。

 しかし、だからこそ。不意に同志と出会ったが故の、一期一会。すれ違ったが最後、止まらない想いの連鎖。それが――人だ。

 

「ははは。そういや、あれだよイオリ君。統括管理局でね、聞いたんだけどさ」

 

「ああ。なんだ?」

 

 上機嫌な聖夜。イオリもまた、上機嫌。二人共完全に出来上がっている。気が合うからか。

 

「この前、アルトちゃんって言うのかな?そういう子が、君を訪ねてきたみたいだが」

 

「ああ。……親戚の子だよ。偶然出会ってね」

 

 聖夜の言葉に、イオリは誤魔化しの嘘。とはいえ、これは最上級の嘘だ。なぜなら、「半分本当」……。その理屈を証明しよう。

 人類、皆兄弟という言葉を聞いたことが無いだろうか?一部の地域には誰にでも「兄弟(ブラザー)」という部族が居ると聞く。おかしい?いや、そんな事は無いのだ。

 

 鳥が先か?卵が先か?そんな例え話がある。答えは簡単。「どっちでもいい」……重要なのは、その始まりは限られたものだという事だ。きっとほんのささやかな切っ掛け、そこから末広がりに生まれた生命の神秘。始まりは、きっと同じ場所。

 

 ならば。同じ地域で生まれ育った者同志、「親戚」と言っても過言では無いのだろうか。鴉魔アルトとイオリ・ドラクロア、同じ夜魔の民なら。それは親戚だろう、というか親戚だよ!

 

 ――という暴論。ここまで理由を積み上げた「嘘」……いや、こじつけた「とんち」、インチキなら。臆面なく、イエスと言えるものだ。

 

 とは言え、偶然など信じていないが。そこだけ、まっさらな嘘だ。

 

「ふーん。そうか……」

 

 クピ、クピとスカイブルーを飲み干す聖夜。瓶を机に置くと、聖夜はイオリの眼を見据えた。未だ酔い越しの見えず、確かな眼で。

 

「ねぇ、取引をしないか?鴉魔アルトを引き渡して欲しいんだ。君ツテで。悪いようにはしない」

 

「――何?」

 

 瞬時、硬直の一時。イオリ・ドラクロアは、その言葉を理解出来なかった。

 

「なら、こう言えば分かるかな……。鴉魔アルトを寄越したまえ。我々は「教会」だ」



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スカイシステム2

 家政婦長の刈谷に見送られながら「浄土喫茶(じょうどきっさ)一番地(いちばんち)」を後にする二人、イオリ・ドラクロアと瀧聖夜。

 

 夜も更け戌四つ時、休日前と違って平日の夜ともなれば街は閑散……。居酒屋帰りの人もまばらで、()いてしまった明るい街中を男二人が揃って歩いた。

 

 黒いスーツにガタイの良い仏頂面な兄ちゃんと、紺スーツで細身の軽く笑みを浮かべた大人しそうな青年……。傍から見ればそうなるんだろう。しかし、実はこの二人。中身の年齢は「38歳」と、全く一緒であった。

 若い見た目に寄らない年齢。「お若いですね」という世辞のレベルでは通用しない、事情持ちの二人の男。そんな二人が、周りでは検討も付かない理由で、只成らぬオーラで歩いている。周囲はとにかく、気付いた者から「知らんぷり」をして道を空けるしかなかった。

 

 関わり合わない方がいい。世の中で平穏に生きて行く為の常とは、生存本能に付き従う事だ。

 

「気に喰わんな……。奴を寄越せ、だというのは俺に言うことじゃない。そういう事はアイツに直接言え。それが筋だろう」

 

「仲の良い人の介入って、企業同志でも大事なんだよ。僕らは社会人だ、上手く立ち回ろうじゃないか……「大罪王」殿」

 

 わざわざ分かり易いように「大罪王」と、聖夜はイオリにマウントをふっかけてくる。一から十まで鬱陶しい事此の上無い。

 

「フラグメンツでも知らん事をお前が知っている……教会とイクシーズは随分と仲の良い事だ。俺に仲人(なこうど)を取れと?」

 

「良い相談だとは思うけど。君の昇進に幾らでも便宜をは」

 

「断る」

 

 ブチ切るように、くだらんと喋りかけの言葉を切って捨てたイオリ。立ち止まり、向き合う二人……。最早、周囲には誰も居ない。皆、良くないものを察知したのだろう。人の生存本能とは摩訶不思議や、知らず知らずの間に危機を避けるもののようで。しかし、それで正しい。イクシーズの民は長生きする事だろう。

 

 笑みの聖夜、無表情のイオリ。それだけで明らかに、状況が悪いのだと。それは獣の目に見ても明らかだ。

 

「俺に仲間を差し出せという根性が気に喰わん。舐められたものだな……。奪いたいのならば勝手に奪えばいい、十三年前のあの時(・・・)のように」

 

「それじゃ駄目なんだよ、現代ってのは。分かるだろ?だから「新社会(ニューソサエティ)」だ。欲しい物は奪う、違わぬ物は壊す……。おいおい、何処の田舎だ?()だ昔の感覚が抜けていないか」

 

 その一言。その言葉が、イオリ。ドラクロアの黒い瞳を真っ赤に染めた。

 

「死にたいようだな……!そうして来たのは貴様等だろう」

 

「だから問うているのが分からないのなら一生亡霊で居ろ大罪王。あ、もう死んでいる奴に一生なんて通じないか。あはっは」

 

 ……刹那の無言。お互いに喧嘩を、明らかに「売った」……。それは対立の幕切れだ、相容れぬのなら排除する。それもまた、世の常……。

 

「分かった!分かったよ大罪王。この街のお互いを競い合う為の決闘方式だ……」

 

「構わん。お前を殴れるのならな」

 

 そう、新社会「イクシーズ」にはお互いを高め合う為の決闘の方式がある。その名を、「対面(タイメン)」……一体一の能力有りの殴り合い。

 

 まるで巡り巡ってくるかのように、二人は街中から外れて夜の公園に辿り着いていた。意図した訳じゃない、言わば、運命。

 バネ式の遊具やジャングルジム以外、ベンチや水道にトイレ等最低限の物だけ備え付けられた公園……。近年では危険な遊具は取っ払われるという。しかし、今はその広さがいい。

 

「刀は危ない。僕も剣は使わないよ、正々堂々殴り合いで行こうか」

 

 邪魔な上着を聖夜は脱いでベンチに放り、しゅるりとネクタイを外した。殴り合いに正装など無い。

 

「ならジャンケンだ。勝った方から順番に、殴っていくんだ。それを避けてはならない……。シンプルで分かり易い」

 

「君の意見に乗ろう」

 

 イオリもまた上着を脱ぎ、お互いにシャツ姿に。向かい合い、拳の届く距離。何処を殴っても構わない。のならば。

 

 二人は構える。右手を左手で多い、三種の拳を放つ型。

 

「「さーいしょーはグー、ジャンケン……」」

 

 掛け声と共に、運命の第一声。勿論、勝った方から殴れるのだから最初に勝ったほうが強い。

 

「「ポン!」」

 

 そして、両者によって選ばれた結果。イオリ、チョキ。聖夜、パー。即ちイオリの勝ち。

 

「あっ、マ」

 

「フンッッッ!!!」

 

 コンマ、イチ。イオリ・ドラクロアは瀧聖夜のその股の中心……俗に言う「金玉」を全力で殴り抜いた。遠慮などは皆無、体躯を促して腰を入れ思いっきり拳を振り抜いた。

 

 道徳的にやってはいけない事、というものがある。男の「金玉」……控えめに言うなら、「金的」、と言い換えようか。それを殴り抜く事。殴打する事……「やってはいけない」。どれだけ時代が移ろうとも、それだけはやっちゃいけない。

 

 それは、男の言わば暗黙の了解。言わずもがな、触れてはいけない場所。それをイオリは聖夜が油断している間にルール上合法として殴り抜いた。果たして其処に正義はあるのだろうか?気負わなかったのだろうか……?

 

 ……強いて言うならば、自己の正当化。それが今のイオリにはあった。「仲間を売れ」……身内を大事にしてきた、その為に生きてきたイオリにすれば魂を売り渡すのも同然。それは誰の目にも明らかだった。そう、魂を売り渡すぐらいなら。「その玉を殴り飛ばす」、それがイオリが選んだ決断だった。

 

 なに、運が良ければカタキン(・・・・)で済むだろう。兎にも角にも、俺は悪く無い。悪いのは俺に喧嘩を売ってきた貴様の方だ……!

 

 ――しかし、様子がおかしい事に気付く。聖夜、地を這いずり回って悶絶するどころか身動(みじろ)ぎ一つしないではないか。その場に立ったままだ。

 

 ……在り得ん……!!?

 

「遠慮の無い一撃だ、正直ヒヤッとしたよ……。縮こまっちゃった。けれどね、僕のタマシイってのは、そんなヤワじゃない。「小さな聖域(リトル・サンクチュアリ)」、祝福された僕の「存在」は絶対領域、誰にも犯せない不可侵の「黄金廟(エルドラド)」……。そうだ、まだ名乗っていなかったね」

 

 その尋常な眩さに、イオリは一歩、後ろに退いた。いや、実際に光ってなどいない。けれど、まるで彼に後光が差すかのように彼が輝いて見える。これは……コイツの能力!?

 

「教会所属「スカイシステム」リーダー、天位階級(てんいかいきゅう)第九天位(だいきゅうてんい)・『聖なる者(イエスマン)』」ノエル・ローエングリン・瀧。それが僕の聖霊名(せいれいめい)さ」

 

 聖夜もまた後に引き、距離は5メートル……。馬鹿な?この距離から殴るつもりか!?まさか、加速?

 

 そんなイオリの予想は悪い意味で裏切られる事になる。聖夜は目の前の空間に拳を打ち込みだした。正方形を描くように、中空に赤色、水色、茶色、緑色……四回、光がその場に留まる。

 

「僕の能力は「聖霊の加護」、四元素の精霊達ととても仲良しなんだ。自慢の娘「瀧シエル」と一緒の能力だ。僕の娘は強かったろう?」

 

「貴様……!」

 

 苦虫を噛み潰すように顔を顰めたイオリだが、もう遅い。相手の策に乗ったのは自分だ。ならば、これは己が悪い。

 

 なぜなら、「タブー」を犯す事によってまた相手にも正当性を持たせてしまったのだから。

 

「さあ、罪深き者よ、聖者の怒りをその身に刻め。一撃は一撃だろう?「聖砲(せいほう)」」

 

 最後、聖夜は白い光を纏った拳で四属性の正方形の中央を打ち抜いた。後はその光が収束し、加速して光の波――粒子砲となってイオリに放たれる。

 

「なーあ、イオリー。腹減ったぞ。飯はまだか?」

 

 どうしようもなく神を恨むように眼を瞑ったイオリ、聞き覚えのある声に眼を見開いた。なんと、いつの間にか其処には目の前に和傘を前方に向けて立つ和服の邪悪な座敷童子(こううんをよぶもの)、鴉魔アルトがイオリを守るように立ち塞がっていたではないか。

 

 ……わざわざ探しに来てくれたのか。

 

「……良い子だから30分待て。家に着いたら売上ナンバーワンの冷凍ギョーザを焼いてやる、ビールはおまけだ」

 

「おっ、良いですなぁ。今日はサッポロが良い」

 

「あるから喜べ」

 

「おっしゃ!」

 

 聖夜の聖砲をいとも容易くかき消したアルトはイオリの隣に立ち、満面の笑みをイオリに向けた(のち)に聖夜の方に嫌悪を剥き出した不機嫌な顔を向けた。

 

「んで、お前誰?事によっちゃ死なすぞ。私の可愛い親友に牙を向ける屑はどいつですかぁ?」

 

 底無し沼の邪悪。溢れ出し、周囲一帯を黒く染める程の呪詛。それが、鴉魔アルトの体からイオリを庇うように。

 

「……これはこれは、アルト様。お会いしとうございました。私、教会の使者の瀧聖夜で御座います」

 

「帰れ。この場所はお前らが踏み入っていい場所じゃない。もう一度戦争がしたいのなら……吾輩が直々にお前らの所に行ってやる」

 

「おい、アルト」

 

「構わぬだろ」

 

 あまりにも激昂したアルトを諭そうとするイオリだったが、それは向けられた優しい笑みの前で無意味である事を思い知らされた。コイツ、こんな顔も出来て……。

 

 イオリの頬に背伸びして手を伸ばすアルト。その小さな手が、頬をそっと撫でた。

 

「吾輩が此処に居るという事が教会にばれるのは時間の問題だったのだろう。ならば、立つ鳥は後を濁さず。……お前に再会出来ただけで私はとても嬉しかったのだぞ?邪魔したな」

 

「……人は軒先に作られた燕の巣を壊したりはしない。「信頼されている」事を「信頼している」からだ……。そして燕は再びその巣に戻り、残してくれていた人を「信頼する」。俺もお前との再会を……いや、これ以上は野暮ったくなるな。やめておく」

 

「ふふ、もう十分に野暮ったいわ」

 

 アルトはイオリの頬から手を離すと、聖夜の方に歩いていく。

 

「すまぬな、ナンバーワンの餃子とやら。また焼いてくれ、イオリよ」

 

「ああ、ああ。いつでも焼いてやる」

 

「……さらばだ」

 

 最後の言葉は、そこまで。アルトは、聖夜の目前に。

 

「さあ、吾輩を連れて行け。それが教会の望みなのだろう?」

 

「…………しんみりしている所申し訳ないんですけれど、いや、本当に申し訳ないんですけれど。悲しみの別れの所、誠に申し訳ないんですけれど」

 

 聖夜は悪びれるように、しかし笑って誤魔化す様に軽く頭を垂れた。

 

「イオリ君とアルト様の絆を試させてもらいました。連れて行く気は毛頭ありません」

 

「「……」」

 

 瞬時、無言。離れたアルトとイオリは、眼差しを合わせて。

 

「「はあ??」」

 

 そう応えるしか無いだろうに……。

 

「いや、教会にも派閥があってですね、アルト様を尊重する派閥と、アルト様を奪えという派閥があって。僕らは尊重する派閥で、奪う派閥らがした事は同じ教会の人間として謝りますが、しかしお任せください。イクシーズに貴女が居るというのは、私ら「スカイシステム」及び「尊重派」の胸の中にしまっていますので」

 

 そして聖夜はその胸に手を当てて宣誓をすると、アルトの両手を祈るように柔らかく握り、そして二人に背を向けて公園を去ろうとする。

 

「では、お二方。幸せなイクシーズでの生活をお続けください。我々はそれを見守る者……。お似合いですよ、御二方」

 

 ベンチから荷物を取り、とっとと居なくなった聖夜。ぽかん。取り残された、二人。台風一過とは、こういう事を言うのだろうか。

 

 少しして、言いづらそうにアルトが口を出した。

 

「ま、まあ。なんだ、その。結果オーライか?大丈夫だったみたいだな。しかし、のう。その、お似合いというのは言い過ぎでは無かろうか?いやー、まいったまいった。吾輩ちっともそんな気がないけども、言われてしまったんじゃー認めるしか無いですなー」

 

 ほんの少し顔を俯かせて、早口気味に話す。そして、イオリの方へと向いて――

 

「――壊す」

 

 直後、無表情のイオリ・ドラクロアは足を動かしていた。それは、先程聖夜が歩いて行った方へ。

 

「ま、待つのだ!!落ち着け、事はすんだろうが!これ以上は何も成す事は無いぞ!?」

 

「奴は俺を舐めた……。死なす!冥土に葬送(おく)ってやらんと俺の腹が地獄釜じみて煮えくり返る!!」

 

「ほら、可愛い吾輩ですぞー。にぱっ、座敷童子スマイル!!がっ、あががががっ!!??」

 

 アルトの方を直視せず、顔を逸らしながら左手でアイアンクローをアルトの顔面に極めるイオリ・ドラクロア。

 

 歪な形の友情。それが、認められたというのなら、仕方なく、甘んじる……?

 

 新社会「イクシーズ」、未だ、平和??



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百八神社・園田園

 警備のシフト外、社会人に誰しも与えられた休日という日。まだ太陽が昇りきらず低い内の中、イオリ・ドラクロアはいつもの二刀を帯びた黒いスーツ姿でイクシーズの市街を独歩していた。

 

 如何せん、イオリ・ドラクロアはこの街に来て日が浅い。故に、統括管理局職員であろうと知らぬという物が多く存在していた。そんな半手探りの状態、だからこそネットワークツールだけに頼らずその五体で見聞を広める。

 これは昔から変わらず、知らぬ街はその身で感じる……イオリ・ドラクロアの幾つかの趣味の一つであった。この一時、心が躍るではないか。それはまるで若い頃の少年のような感覚で、知るということやさぞ楽しからずや。

 

百八(ひゃくや)(しゃ)……」

 

 そして、イオリ・ドラクロアが再び訪れたのはあの日に邪神と13年越しの決闘をした、「百八神社」。北側に向いた白き鳥居、まるで山のように生い茂る木々と本殿へ人を誘う長い石段。「神域」――そういうものを目の当たりにしたら、きっとこのような前座を踏まえるのだろう。

 

 尚今更ではあるが最初に言っておくと、イオリに信仰心という物は存在しない。

 

 ゆっくりと、石段をのぼり始めるイオリ。彼が神を否定するのは、至極単純な答えで。神に救われた事が無い(・・・・・・・・・・)故に。

 悪魔との契約なら慣れっこだが、神とは裏切り裏切られを繰り返して……いや。そもそも信じたことが無いのなら、裏切ったも何も無いのだろうな。なぁに、向こうも俺の事は信じていないのだろう。……変な邪神には懐かれてしまったが。

 

 そんな、神を嘘として「天には唾を吐け」がモットーのイオリが石段をあがり終えると、目の前にはあの時と同等の風景が広がっていた。

 

 やはり、いやはや。なんとも立派に作ってあることで。こんな新社会に、しかして未だに神というものが根強く信じられているのは、成る程。ジパングの国柄、という事か。

 八百万――この世界の全てには神が宿っている、等とホラを聞いたことはあったが、人は何処までも欲望に忠実だ。都合が良い事は信じて、悪い事は神にお願いしてなんとかしてもらおうという。(ぬる)い、自分でカタを付けるのが一番早いというに……。

 

 境内には本殿の他にも掲示板や祓石や石碑など、如何にもな物が置いてあった。果たして、この多くの物の何処までが意味のある物なのか。

 

「設立……平安、雪華の街……?大國、主……」

 

 石碑に彫られた文字を、注視するように捉えるイオリ。字が達筆な上に墨でなぞっているような事もなく、上手く読めはしないが平仮名ならともかく見覚えのある漢字ならギリギリ分かる。

 

「祭神……稲穂神(イナホノカミ)……。……?「叢雲(むらくも)」、「鳳世(ほうせい)」……」

 

「ええ、この神社は今や昔、平安時代。雪華街に建てられた物をイクシーズに引越しさせた物です」

 

 バッ、とイオリが横に飛び跳ねて二刀に両の手を置き、声の方がした場所をその赤く染めた瞳で捉える。

 

 馬鹿な……!この俺が背後を取られた……!?気配がしなかった……足音でさえ!!

 

 目の前の男、その巨躯……188cmのイオリを優に超え、そして柔和な笑み。水色の袴に黒の羽織を見るに……この神社の神主だろうか。そんな、見ただけで派手だと分かる出で立ちの中で何より目を惹いたのは……。

 

 頭部のドレッドヘアーに、黒のサングラス。まるで神職の者には見えぬ、余りにものファンクな格好だった。

 

「驚かせてしまったようですね、これはすみません。私、この百八神社の神主の「八雲(やくも)鳳世(ほうせい)」と申します。興味がおありで?」

 

「……統括管理局、警備のイオリ・ドラクロアだ。すまない、今の所神を信じる予定は無いものでね」

 

 あっさりと名乗られたが故に、礼節としてこちらも名乗る。刀に置いていた手を離し、構えを解いた。

 

「そうでしたか、残念……。でも、私は貴方に興味があります。夜魔の軍人、イオリ・ドラクロア殿」

 

「いい加減俺にもプライベートという物が欲しい所だ。なんでも筒抜けなんだな、叢雲家には」

 

「博識ですね」

 

 そして男、八雲鳳世は懐から取り出した扇子を広げる。扇面には「叢守(むらかみ)」の字……「叢雲の守護者」の通称。

 余りにも自分の素性が知られ過ぎたイクシーズの現状に呆れを通り越して薄ら笑いを浮かべつつ、額に手を当ててイオリは八雲鳳世に問う。

 

「雪華街の神社に八雲なんて苗字、ピンと来ない方が可笑しいだろう。俺になんの用だ?」

 

「そうですね、座りながらお話しましょう。下に茶屋があるんですよ、其処にて」

 

 鳳世に促されるようにイオリは神社の長い石段を降り、山を廻るようになぞると其処には確かに一軒の木造建築の平屋があった。見たことはあった、しかしこれが茶屋だとは気にかけないだろう……。小さい表札には控えめに「園田園(そのだえん)」と書いてある。……これは、茶屋だと分かる方が珍しいのでは?

 

「ささ、中にどうぞ」

 

「……ああ」

 

 訝しげに開けられた引き戸の向こうに足を踏み出してみると、成る程。昔からの居酒屋にありそうな丸いクッションの付いたパイプ椅子が並んだカウンターにテーブル。これを茶屋だと言われれば……イオリはそうだ、と答えられるかもしれない。一目でそう分からせるだけの説得力はあった。

 

 ……他に客が居ない事を除けば。

 

「いらっしゃいませ……あ、鳳世様、と……お客様ですか。珍しいですね、いらっしゃいませ」

 

 よっぽど珍しいのだろう、いらっしゃいませと念を押されて二回言ったその青年……水色の袴と白衣、短く切り揃えられた清潔感のある髪型に優しげな顔付き、この茶屋の店員……というよりは、恐らく「百八神社」の神職の者だろう。鳳世様、と呼んだあたりにもその事が伺える。

 

(まこと)、モーニングBセットを二つ頼みます」

 

「かしこまりました。少々お待ちください」

 

 注文を承った誠と呼ばれた青年は再び店の奥へと引っ込む。一つのテーブルに向かい合ってイオリと鳳世は腰をかけた。

 

「さて、まずは何からお話しましょうか……私、単刀直入という言葉が嫌いでして」

 

「奇遇だな、急がば回れだ。俺はお前の事を何も知らない。精々俺が納得するよう面接を受ける就活生のように話してみたまえ」

 

「おやおや、随分と第一印象が悪いようで」

 

 柔らかな物腰の鳳世に対して、イオリは受け入れているようで突っ撥ねた物言いをした。というもの、無理もない。ただでさえイオリは神というものが嫌いなのに、あろう事か一人での見聞を楽しんでいたところに一方的に素性を知っている神職者が「興味がある」と近付いてきたのだ。挙げただけで-100点と言っても過言では無い程のスタートだ。

 

「さて、ではまず第一前提で話しましょう。神社に神は居ないんですよ」

 

「よし、手を取ろう」

 

 合致(ガシ)ッ!!と二人はその太く大きな腕から伸びた広い(てのひら)で強い握手をした。深い溝(クレバス)が一瞬で富士山(フジヤマ)を形成する。

 

 と思いきや、次の瞬間にはイオリは手を離した。呼応するように鳳世もまた、手を離す。

 

「というのは冗談だ。早計が過ぎたな、先ずは話を聞こう」

 

「はは、だろうとは思いました」

 

 否、広がったのは一面の平面(フラット)な田畑、5(フィフティ):5(フィフティ)の状況を鳳世が作り出した。

 成る程、胡散臭い見た目通りのやり手という訳だ……。

 

「神は休暇でベガスに行ってる……とは言い得て妙でして。神はね、留守なんですよ」

 

「何?」

 

「お待たせしました。此方、セットのほうじ茶に小倉トースト、ゆで卵です。お茶はおかわり自由なので、お気軽にどうぞ」

 

 鳳世の言葉にイオリが軽く悪態をつくと、店員の誠が料理を持ってきた。如何にもなモーニングセット、珈琲がお茶である事を除けば。

 

「ありがとう。では、頂きます」

 

「……頂きます」

 

 喰らう為の言霊を唱え、イオリは小倉トーストを齧った。……マーガリンを薄く敷いた食パンをオーブンで炙り、その上に小倉を乗せている。これはジパングの中京地区独特な名物とも言え、殆ど郷土料理に近いとされるが……その嫌悪感さえ取っ払ってしまえば、うん。確かにベストマッチしている。考案者は天才だろう。

 

 そして合間の、ほうじ茶……熱め故、冷ましながら啜る。これもまた、良い。和味だ。

 

「話は遡って平安時代にタイムスリップ」

 

「いいだろう」

 

 ほうじ茶を啜りながら話を続ける鳳世にイオリは相槌を打つ。

 

「平安と言えば妖怪が蔓延る時代。陰陽師(おんみょうじ)が当時活躍したものです」

 

「……知らんな。少なくとも全て、嘘っ八じゃあないのか?」

 

「まさか、冗談がお窮屈(キツ)い。貴方は現代で一番の妖怪をその眼で見ている筈です」

 

 鳳世はしたり顔でその言葉を放った。心当たりが有り過ぎて困る。

 

「はぁ……鴉魔アルトだな」

 

「答えはYESです。貴方は見てしまった、故にこの物語から片耳を逸らせない」

 

「ふん……続けろ」

 

 納得は出来ないが、聞いてはみる。そういう状況にハマる。

 

「さて、神と妖怪、その違いは何か?……答えはね、「一緒」の物なんですよ。古代から伝わってきた八百万(やおよろず)という胡散臭い神話、その中に妖怪は全て含まれるのです」

 

「詐欺師の手腕だな。あたかも有ったかのように無い事を話す。それを信憑性があるように騙るからタチが悪い」

 

 ほうじ茶を一口、喉を潤すイオリ。乾きは誤魔化す。

 

「信じなくても結構、なら私はとある御伽噺をするとしましょう。……遥か昔から伝わってきた神話、その終止符を打ったのはですね。他の誰でも無い、「教会」ですよ」

 

「……!」

 

 イオリは此処で鳳世の話術の巧さを実感した。そう、此方の気が逸れない様に話を開拓していっている。それがテンプレートをなぞった物として、問題はその配置場所だ。余りにも的確すぎる。

 

 教会。その名が出た以上、今のイオリは耳なし芳一の如く「耳を奪われる」……。まるで鳳世がほくそ笑んでいるような疑心暗鬼に捕らわれた。果たしてそれは嘘か誠か……?確かな事は、イオリはもう耳を離せない。飲まれてしまったのだ。

 最早、目の前の男。八雲鳳世こそが、妖怪なのでは無いかと感じてしまう程に。

 

「そもそも教会の目的とは何か?簡単な事。自分達が唯一神である為に、日本の八百万の神全てを封印する事だったんですよ」

 

「成る程、ジパングはそれを飲んだ……乗り気だったのか?」

 

「いいえ。妖怪と神はイコール故、親神派と反神派がバッサリ別れました。その中でも、反神派の勢いは何より強かったんです。そのリーダーの名は「安倍(あべの)晴明(せいめい)」……対妖怪のスペシャリストです。ご存知ですか?」

 

「……安倍晴明」

 

 日本人で無いイオリですら、その名は知っている。陰陽師の中でもトップクラスのネームバリューを誇る、伝説の術師。

 

「保険屋か?」

 

 にょっ、と机の淵から顔を覗かせる小さい邪悪な座敷童子。……コイツはどっから出た。

 

「そして、どうなったんだ」

 

「あっ、おい無視するな!」

 

 抗議をする鴉魔アルト。しかしこっちは大人の話をしている。

 

「勿論、親神派は負けました。相手が相手ですからねぇ、この世の神全ては「幽世(かくりよ)」に送られる事になりました。そう、文字通り「隔離された世界」……神様全ては今、其処に居まし」

 

「ほら、此処にも居るぞっ!なぁ、鳳世!」

 

 自分を指差すアルト。というかコイツ等、さては面識があるな……。

 

「さて、御伽噺は此処までです。要約すると、「神の実権は教会が持っている」、「雪華街に神は居ない」、「イクシーズは両方に提携がある」……」

 

「成る程な、そういう事か」

 

 この能力者社会に「教会」と「雪華街」の両方があるのなら、話はもう決まったも同然だ。

 

「「教会」は貴方にアプローチをした。それをアドバンテージだと思っている……冗談じゃない。出し抜くというなら、こっちは追い縋るまで。さあ、鴉魔アルトの親友「イオリ・ドラクロア」殿。私達に手を貸してくれませんか?」

 

「……嫌ーな奴だ。お前も人質を取るのか?」

 

「いえ、まさか。友好の証ですよ。叢雲は神を蔑ろにしない、敬う者達です。私達を幾らでも頼ってください。私達が見据えているのはイクシーズ全体です」

 

そして鳳世は再び手を差し出した。その手を何の迷いもなくイオリは再び手に取る。

 

 男と男の、固き握手。

 

「勿論その中に貴方も……ね」

 

野望猛(やぼうたか)(オス)だ。故に、その手を取ろう」

 

「なあ、吾輩も入れてくれ!なあ?何の話だ?」

 

 喚き立てるアルトをよそに、イオリと鳳世はその決意を深く深く、奈落のような執念で結んだ。――

 

――「なあ。結局、鳳世と何を話したのだ?」

 

「別に、お前が気にすることじゃない」

 

 昼下がりの帰り道。モーニングセットを平らげたイオリとアルトは並び、静かな街を闊歩する。

 

「さて、お前。頼る相手が居ないなんて大の嘘じゃないか」

 

「ギクゥッ!?」

 

 イオリがアルトを見据えると、冬だというのに額からだらだらと汗を流している。とはいえ、本気で責め立てるつもりなどない。

 なぜなら、信頼する叢雲家を差し置いてまで頼っていてくれたのだ。一昔前、出逢ってしまっただけの俺を。ならばその期待、全力で答えなければ男が廃るというものだ。

 

「まあ、いい」

 

「え……、よいのか?」

 

 顔を綻ばせるアルトを気にしないフリをして、前を見詰めるイオリ。自分が進む、まだ()(さら)な道を。

 

 ……心がヒリ付く。これはきっと、嫌な事の予兆だ。この38年間、嫌な出来事が起こる前はいつも心がこんな感じになる。痛むような、燃えるような、擦り切れてしまうような……(つら)い感覚。

 

 きっと、直ぐ近く、嫌な事が起こる。その出来事の罫線は、きっとここ最近で張り詰められた。そして今日、それが確信となって心に訴えたんだ。

 

 がしり、イオリはその大きな右手でアルトの美しい黒髪を上からガシガシと撫で回した。

 

「?、?な、なんだ?」

 

「……なんでも無い」

 

 気が済むと、イオリは早足でアルトを置き去るように歩いていく。

 

「なあ、おい!どうしたのだ?」

 

「なんでも無いと言った」

 

 イオリの瞳は何が映されているのか、それはアルトには分からない。なぜなら、当の本人にですら、それが何か分からないのだから。



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シオリ・ドラクロア

 イオリ・ドラクロアは目を覚ます。いつものようにカーテン越しの窓から薄明かりの東雲が差すベッドの上で、半覚醒の脳で上体を起こした。

 

 そう、もう朝だ。いつも通りの朝、今日も社会人として世の為人の為とコンプライアンスじみた騙し文句を謳い、自分の自分による自分の為の世界生活を送ろうじゃないか。死んだ筈の生命の少しでもの抵抗、それは「自己の正当化」に他ならない。正しいとして生きる事が自分のエゴを満たすのだ。

 

 さて。一日を始める為の一歩を踏み出そうとするがしかして、何やら窮屈。

 

「むぅ~~ん、霞はもう()めんのだぁ~~……」

 

 気が付けば、イオリの腹部に腕を回してくっついているアルト。下の客用布団から抜け出し、俺のベッドに潜り込んでいるではないか。

 

 その寝惚けた頭部を掴んで引っペがし(少し重いな)、地面に投げ捨てる。ぞむっ、と床に敷かれた薄布団に鈍い音が鳴った。

 

「ぐぉっ!?」

 

「……お前、太ったか?少しは働け」

 

 いつもアルトの頭を持ち上げる感覚とは全く違う。さてはまだ、体が起きていないのか。

 

「いたた……乱暴だな、貴様!」

 

「今更気付いたのならいささか間抜けだな」

 

 そして腕を組み、むにゅ。おかしな感覚に気付く。

 

 ……むにゅ?何?太ったのは俺の方か?馬鹿言え。

 

 例えば、寝ているときに自信の体重で自分の腕を圧迫したとしよう。起きた時に腕の感覚が無くなり、自分の腕がまるで他人の物かのように感じる現象がある。血がうまく通っていないと、まるでそんな奇妙な体感をする……。上から生暖かく重く柔らかい物が降ってきた時は半覚醒時の脳回転もあって、軽くホラーだ。

 

 それかと思ったが、違う。いつもとは違えど、これは自分の感触だ。一体、何が……?

 

 イオリは冗談めいて自分の胸に手を当てて考えようとして、再びむにゅり。ふにゅふにゅ。何かがおかしい。……クッション?ビーズクッション?

 

「ぬ?……!?貴様、誰だ!?」

 

 アルトが此方の方を指差し、まるで阿呆のような事を抜かすでないか。この家の主の顔を忘れたらしい。

 

「俺?俺はイオリ・ドラクロアに決まっているだろう」

 

「いや、お前……あ、っぽいが……そうか、貴様!!」

 

「?あ……あ゛あ゛?」

 

 そこで、イオリは一つの違和感に気付いた。

 

 そう、発した筈の聞き慣れぬ声。鈍く低く響く男前のヴォイスで無く、少し高めで、かつ渋さを残した……そう、ハスキーボイスのような。

 

「……?俺……!?」

 

 喉に手を当てる。加湿と暖房はしっかりしている筈だ、風邪とかじゃあない。なにより、その喉。出っ張りが無い……。喉仏が無いのだ。顔が青ざめたのが直ぐに分かった。

 

 顔に手を当てる。太くない。骨格が、ほっそりとしてスマートに……?

 

 頭……輪郭をなぞり、あれ、俺こんなに髪の毛伸びてたっけ!?

 

 胸……まるで、それはグラビアを飾る美しい女のように膨らんでいて。

 

 股間。何よりもその物打(ブッダ)──自慢の仏陀(ぶっだ)が如き「霊剣」が無くなり、代わりに妙に柔らかい渓谷が形成されていた。遥か遠き地、クスコ王国の初代国王はManqu Qhapaq(素晴らしき礎)の意を持つ者……そんな今考えるべきでは無い知識が脳裏を通り過ぎる。空中都市「マチュ・ピチュ」、再度死ぬ迄には訪れたいものだ。

 

 では無い。否否否否否。それは在り得ない。現実逃避している場合か。

 

「……アルト、今の俺は何に見える?」

 

「うむ。紛う事なき女の子じゃな」

 

 女の子という言葉がアルトの口から発せられた瞬間、イオリドラクロアはアルトの顔面にその手でいつも通りにアイアン・クローを決めた。

 

「元に戻せッ!今回ばかりは我慢ならん!!上の口を塞いでやっても足りんというのなら下の口も塞いでやろうかぁぁぁぁ!!?」

 

「あだだだだ……いや、いつもより痛くないぞぞぞぞぞぞぞ!???」

 

 その一言に、イオリはいつもの手加減をやめた。アルトの頭蓋が軋む感触がする。ちぃっ、女の体ではこうも勝手が違うものか!

 

「あがが、待て!やめてイオリ!?これは多分、「天邪鬼」のフィールドのせいだ!吾輩を殺すと治せんくなる!」

 

 そこでイオリは手を離すと、ポロっとアルトが地面に転がった。掌が小さくなっている、握力も低くなっている……。今の体では全力が出せない。本来の力だったら握りつぶしてもおかしくは無い程の力の込め方だ。いや、流石にそこまではしないが。

 

「……成る程。じゃあ今すぐ治せ」

 

「ごめん、それ無理☆魔力が足りひん」

 

 イオリがベッドの上から飛び込みのローリング・ソバットをアルトの延髄に決めた。随分と鋭い蹴りだ、身が軽くなったから見事にクリーンヒットしたろう。男の時の重さは無いがな――

 

――統括管理局玄関、並び立つ二人。黒スーツの若い男女が、その場に凛として立っていた。

 

 ……とは言うが、男の方。歌川鶻弌弐弎代は訝しげに女の方を見ている。まあ、それもその筈ではあるが。

 

「えっと、今日はイオリ君のシフトの日だけど……」

 

「悪いな、今日は兄は風邪で休みだ。代わりに俺……じゃなく?いや、……(おれ)(おれ)。妹のシオリ・ドラクロアが担当を努めよう。上にも話を通してある」

 

 という設定。今の吾の名はシオリ・ドラクロアという名前のイオリ・ドラクロアの妹だ。無理は……無いだろう?

 

「あっ、はい」

 

 気まずい空気。さて、どうしたものか……。

 

 今のシオリ(イオリ改め)は身の丈に合わないスーツをアルトの「卑屈な万魔殿(リトルパンデモニウム)」で調節し、その身にピッタリ合うようにした。どうやら紡織機能もあるらしく、そろそろアイツの何でも有り感がヤバくなってきている。

 

 セミロング程度の長さの黒い髪に、細めになってしまった顎から首にかけてのライン……もはや、それは只の女子(おなご)のような顔。目付きは以前鋭く、しかし(いか)つい、というよりは凛々しく。正直、自分で見ても良い女だと思う。

 身長は10cm以上も縮んでおり、推定174cm。とはいえ、女としては高めの身長だ。胸囲は、脂肪の分でかくなったか……アルトの感覚で測って86cm。気に食わない。男なのに女の体というのが何よりも気に食わないのだ。これでは良い女を見ても魂で反応出来ないじゃないか。俺の霊剣、カムバック。

 

『なぁに、大丈夫だぞイオリ!今のお前は何処から見ても萌エロ良い女だ!』

 

『夜までに魔力は回復しておけ。さもなくば此処にお前の居場所は無い。最悪現世からさよならする事になる。それはそれは悲しい事だ』

 

『わっ、分かっておるって!』

 

 余裕の無いドスじみた低い女声でアルトを脅し、イオリは低下した腕力故に握りきれない一刀「ワタヌキ」を家に置いて、もう一刀「ドウタヌキ」を右腰に帯びて玄関を出た。

 

 嗚呼、もうなんて最悪な日だ……!

 

 カシャリ。

 

「ん?」

 

「あ、あれ、おかしいな……僕はイオリ君じゃないのになんでこんな事を……?」

 

 イオリは音の鳴った方を向くと、そこではヒフミが自分のスマートフォンを構えて写真を撮っていたではないか。それも、他の誰でもない……位置、視点からして「シオリ・ドラクロア」のをだ。

 

「……フン」

 

 シオリは掻き慣れぬ長い黒髪をわしゃわしゃと撫で、悩むのを諦めたように首をコキっと鳴らすと、ヒフミの方に軽く手を振った。

 

uh()-()oh()ー☆」

 

「お、おっおー……。ははは」

 

 刹那、シオリの赤い瞳と目が逢ったヒフミの視界が青空を仰いだ。

 

「!!?」

 

 後頭部が地面に近付くのが分かる。左手を地面に付いて大地から頭を守り、尻が地に付くより先に右手で大地を捉えて手首を回転、体の自由を残したままヒフミはシオリの方へと地に手を付いた状態で向き直った。足裏がようやく地に着き、これにて全ての動きへ繋げる事が可能になる。

 

 そう、シオリはあの一瞬で、ヒフミがどんな反応をするよりも先に鋭い足払いを行ったのだ。

 

「きっ、君ね……!」

 

 冷や汗が止まらない。それ程の驚異という物を目の前の少女に感じつつ、しかし笑みは、余裕は残してヒフミは牽制をする。

 

「いや、先に仕掛けたのは貴様の方だ。とはいえ、悪かったな。ほれっ、返す」

 

 すると、シオリは自分の手の中にあったそれ……ヒフミが足払いを受けた際に空中へ放ってしまったスマートフォンを投げてヒフミに返した。素直にキャッチする。

 

「あっ、どうも……て、もしかして、あぁーーーっ!」

 

 そう。ヒフミはまさか、と思ってフォトフォルダを確認したが……無い。無いではないか。つい、先程、出来心で撮ってしまったそれ。シオリ・ドラクロアのフォトデータが削除されてしまっていた。

 

 シオリ・ドラクロアの目的。それは、ヒフミによる盗み撮りのデータを削除する事だった。その為に、一瞬の判断でヒフミの体の自由を奪った。意識をわざとあやふやな方へ向けさせてから注意が逸れた根元を刈り取るセットプレイ。

 

「ひ、酷い……これだけの為にここまでやるなんて……」

 

「貴様なら余裕で回避できそうだったからな。少し遊ばせてもらった」

 

 がっくり、と項垂れるヒフミ。出来心とはいえ、確かにそれを、心の底から「いい」と思ってしまって撮った写真なのだ。其処に後悔も未練も無く、それが削除されたゆえ残された「消失感」……一度手に入れた物を失うとは、こんなにも心が響くものなのか。

 

 とはいえ、確かに悪いのはヒフミだ。断りも無しに女性の写真を撮るなど、マナー違反も甚だしい。それだけの魅力があったのは確かだが。

 

「まあ、いーさ……悪いのは僕の方だ。しかし、君。速いね」

 

「ん?ああ。そうだな。吾は確かに」

 

 其処でシオリ……いや、イオリは気付いた。

 

「速いな」

 

 この体にあって、あの体に無い物が一つ。自分の体よりも、もっと凄い可能性。今感じたそれは、あらゆるウルトラCを可能にするイオリ・ドラクロアの肉体を圧倒的に凌駕した「身軽さ」だった。



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シオリ・ドラクロア2

 ……さて、どうしたものか。

 

 警備の仕事を終えたシオリは統括管理局から出て帰路に着く前に「寄るべき場所」と「寄りたい場所」があった。既に時刻は五時半を過ぎ、そして「寄るべき場所」に行くにはまだ少し、時間が早い。ならば、故に。シオリは手間を惜しまず、「寄りたい場所」に寄る選択肢を取った。

 

 そしていざ其処に立ち、目の前の白い鳥居をしげしげと眺め、今一度その正否を考える。「呪いで女になった」……。流石に与太が過ぎるが、しかしそこは神職者。もし、解決法があるとするなら、それは儲け物で。

 

「どうか、なさいましたか?お嬢さん」

 

 不意の声にシオリは横っ飛びをすると右腰の刀に手を置き、抜刀の準備をして、瞳を黒から赤色に染め、しかしその必要が無いと思い出すと直ぐに戦闘態勢を解いた。

 

「……お前のその神出鬼没はどうにかならんのか、八雲鳳世」

 

 呆れ顔で目の前のドレッドヘアーにグラサンのイカ()た神主を見るやいなや、シオリは軽く溜息を付いて悪態を吐いた。

 

「おや、何処かで会いましたか?嗚呼否(ああいや)、軟派な気持ちで無くまるで私と面識があるかのような口振りでしたが、如何せん私には身に覚えが無いものでしてね」

 

 それもそうだ、とシオリは直ぐに思った。成る程、これはやらかした。筋骨隆々のむさいアニキからB(ボン)Q(キュッ)B(ボン)の美女になっては分かるわけもない。美しさとは罪だろう、大罪王にこそ相応しい。

 

「俺だ、イオリ・ドラクロアだ。あの黒っ子い阿呆に呪われたのさ」

 

「……ああ」

 

 そして鳳世は下に、上にと少し視線を動かすと。

 

「成る程ですね。これはこれは、まるで面影がそのままのようで」

 

 いつものように胡散臭く、ニコりと優しく微笑んだ――

 

――「すると、なんだ?これは解けるのか」

 

 暖かいびわ茶をすすりながら、さも意外かのようにシオリはその確認をとる。背後では天井に備え付けられたスピーカーから「雅楽『越天楽』」が流れているのだが、それが何故かというとどうやらそれっぽいから、という理由らしいのだが「スキャットマンはお好きですか」と聞かれて「いや、これでいい」と答えてしまった。神社ならともかく、越天楽とは茶屋で流すものなのか……?

 

 さて、ともかく。二人は真面目だ。

 

「ええ。目に見て分かる「呪詛(じゅそ)」です。他の誰やならともかく、私なら出来ます」

 

 なんという僥倖。これは運命だ……!珍しく他人という物に信頼を送るシオリ。

 

「それじゃあ、早速……!」

 

「一晩、あれば。ですがね」

 

 その一言。それは聞きたくなかった一言だ。一瞬、目眩がして気が遠くなる。

 

「正直、邪神の呪詛を人が剥がそうというのは烏滸がましい事なのです。事情によれど、悪いものは何十年、何百年と続く呪詛もある……。「私なら出来る」、しかしもっと早い方法はやはり本人に直してもらうことですかねぇ。出来るんでしょう?今夜」

 

 呑気に、ゆったりと茶をすする鳳世。いや、感謝出来ない訳じゃない。出来ると、言ってくれた事はとても嬉しいのだ。だが、故に。正論で固めた真実という答えを突きつけられては、やはり気は沈む物で。

 

「……意地悪だな、お前。ならば最初から期待させずにそう言えよ」

 

「意地悪、ですか。ふふ、よく言われます」

 

 見た目によらずの柔らかな物腰、果たしてこの八雲鳳世という男は。何処までが本気で、何処からが偽りなのだろうか。

 

 話が込めば、もう時刻は六時を過ぎて。さて、もう一杯茶を飲んで御暇しようか。

 

「すみません、お茶のおかわりをください」

 

「はーい♪」

 

 自分の声とは思えない程の妙なハスキーボイスで店員を呼ぶと、ニコニコ顔で奥から園田園の店員の誠が急須を持ってきた。……やたら表面がでこぼこで使いづらそうな。

 

「いや、それはそれで趣があるか……」

 

 自然な、手作りゆえの急須の凹凸。とても日常生活で使おうとは思わないが、こういう隠れ家的な茶屋ならそれはそれで良いものだろう。雰囲気にそぐう、これもまた和み。

 

「分かります!?」

 

 ガバッ、とシオリのその女性特有の柔らかな両手に神への祈りのようにその手を合わせた誠。

 

「お、おう……」

 

 余りの勢いに丸椅子の上で仰け反り軽く戦慄(おのの)くシオリ。

 

「実はこれ、私の作品でしてね!そうなんですよー……。それはもう最高傑作でして!名前は「村正(むらまさ)九式(きゅうしき)」にしようかと!村正は「正しく叢守(村上)」の意、九は数字で最高峰!この素晴らしさが分かるとは……。お姉さん、是非僕と夜の白川郷へ風情を観に行きませんか?」

 

「誠。このお方は君の手に負える人ではありませんよ。深雪(みゆき)嬢を相手にしてるとお思いなさい」

 

「えー」

 

 鳳世に諭されると、仕方のなく茶だけを淹れて帰る誠。……どうやら、気に入られたらしい。

 

「なあ、本当の事を云ったほうが」

 

「それは貴方の口から」

 

 ……いや、夢見る少年に真実を告げるのは男としてとても辛かろうて――

 

――「僕は絶世の美女と待ち合わせをしたつもりは無いが?」

 

「奇遇だな、俺はお前と待ち合わせをしたんだ。あの日あの時あの場所で」

 

 教会所属「スカイシステム」が運営する飲食店「浄土喫茶・一番地」(後で知った)にてカウンターに座るイオリ・ドラクロアに、その隣に腰を掛ける瀧聖夜。犬猿の仲である二人(イオリはイクシーズの犬なので、差詰聖夜は狂言回しの猿だろう:イオリ談)はまさかの状況を飲みつつ(察しが良い瀧聖夜)、互いに頬を付きながら視線を合わせないぐらいの抗議で会話をする。

 

「今日は君から呼び出したのになんてザマだい?いっそその姿のままの方が役立つと思うがね、色々ときっと」

 

「人の不幸をネチネチと劈く貴様は悪い男だな。邪神に呪われた(おれ)はとても良い男を知っていますわ、彼の者名をイオリ・ドラクロアと云ふ」

 

 互いに喧嘩を売っていては埒があかない。……さて、折れるか。

 

「と言うのも、なんだ。要する話が、だ。俺は教会と鴉魔アルトの関係を知らない。それを聞きに来て」

 

 ぷっ、ははは!と聖夜が笑い出す。うっせ。

 

「えーーーっ、「血塗られた十年間(ブラッディ・クロス)」の亡霊がそんな事も知らないでずっと戦ってきたのーーー??それってナウくない??ちょーシャバい」

 

「……いい、無知を承知で頼んだんだ、教えてくれ。頼む」

 

 神経を逆撫でするように喧嘩を売ってくる聖夜を相手に、シオリは乗らない。此処は下がる。それが、大人というものだ。今の俺はカッコいい……!あ、吾だ。

 

「アイヤー、フカヒレスープおまちどネー!こら、シャチョさん!お客さんに無礼は駄目ネ?ブラック企業はぶっ潰す、それ私のポリシーあるネ?」

 

「……面目ない」

 

 赤い旗袍(チーパオ)に身を包んだ、頭の後ろに髪でお団子を作ったスリムな女の子が注文の品を持って来た。スリットから覗く御御足がエロい。胸のネームプレートには「来雷(くーらい)」と書かれている。この人が鍋番か?

 

「おネぇさん、ウチはワケありの客しか来ないから好きに話すといいネ。どんな危ない話でも聞かなかった事にするヨー!」

 

「……ああ」

 

 そう言うと、セクシーな女の子は手と妖艶なヒップを振りながら厨房へと姿を消す。……良い。凄く良い。反応(・・)しなくても、ココ(・・)が疼く。レズセもありか?

 

「相も変わらず良い女揃いだ。趣味か?」

 

「うん!」

 

 満面の笑みで頷く聖夜。少年の瞳、コイツ、なんて純真な眼を……。そして、何処か遠い目で語りだす。

 

「僕の夢は理想の女の子が働く飲食店……。最高の女性に接客してもらうんだ……。決していやらしいお店じゃない、だからいい。――少年漫画のショーツと一緒さ、魅力とは添え物なんだ。メインディッシュであってはならない。だから僕はバーの態勢で魅力的な女性を集めることにした、それが「スカイシステム」が誇る「浄土喫茶・一番地」なのさ!!」

 

「――実に、その通りだ」

 

 力説を終えた聖夜と今でこそ女だが少年の心を忘れないシオリは、そこで深く共感すると深く深く固い握手をした。

 

「さて、そんで例の話だが」

 

 シオリは目の前のフカヒレスープをジッと見、そして一口。黒の外側に赤い内側、龍が描かれ趣向を凝らした大きめな漆器、透き通ったとろみのあるスープに漂うフカヒレ、僅かに乗せられた刻みネギ……見た目も良ければ味もいい。かなり、美味い。

 

「イオリ君。君は、龍の血族を知っているかな?」

 

 龍の血族。それは、初めて聞く名だった。

 

「……龍血種(ヴァン・ドラクリア)なら」

 

 似たような言葉で思い当たる節があるとすれば、シオリの中では「龍血種」。これは一昔前に中国を支配していた、能力者の総称。赤い瞳に赤い髪の、特徴的な人種だ。

 

「まあ、実質的には殆ど同じだね。それを知っているのなら話は早い。そもそも君達「夜魔(やま)大国(たいこく)」ってのは、元々「教会」とルーツは同じなのさ。辿ってしまえばね」

 

「……ッ!?」

 

 あろうことか、コイツは戦争をした二つの国のルーツが同じなのだとこきやがる……?馬鹿も休み休みに、いや、待て。だとするならば……?

 

「そもそも「夜魔(やま)」とは仏教用語の「閻魔(えんま)」の一つの呼び方だ。「夜魔の大国」とは、即ち「閻魔の大国」」

 

「閻魔の、大国……」

 

 閻魔。屍人(しびと)の罪を計る、地獄の主だ。確かに、アルトは罪だの計るだのそういった類いの言葉を好んで使っていたフシがある。ならば、この話の信憑性は高い。

 

「その閻魔の大国ってのは、元々別の国だったのさ。不思議に思った事は無いか?君達の文化は遥か遠い地の筈なのに何故かある国の文化と良く似ている。だって、派生したのはそこからだからね」

 

「……ジパングか」

 

 シオリは思い出す。自分が好んで使っていた武器、好んだ服装、アルトの姿形……。確かに、此処。現にシオリが居るこの国「日本」の文化と良く似ている。

 

「そう、日本だ。日本の、「龍宮(りゅうぐう)」と呼ばれた場所……其処から「龍の血族」は幾つかに派生した。その内の一つが「夜魔」、そしてもう一つは我々「教会」。此処まで言ったら理解したろう、「血塗られた十年間(ブラッディクロス)」の真実は、只の権力争いさ」

 

「……!」

 

 眼を伏せてそう言った聖夜に対して、何も言葉が出ない。そんな事の為に、俺達は……!

 

 しかし、考えた所でしょうがない。そもそも戦争が始まったって事は「夜魔の国」のお偉いさん達はそれを飲んだという事だ。降伏も出来たかもしれない。だけれど戦争は始まり、そして終滅を迎えた。即ち――此処で悩んだって、もう何も戻りはしない。

 

「……それで、ヤツと何の関係があるんだ?」

 

「んー?鴉魔アルト様は、掻い摘んで言うと閻魔の大国の神様だったって事さ。戦争が終わって所在が不明って事になってはいるが、教会のトップはアルト様を見つけ次第抱き込むか、叶わなかったなら総力を挙げて殺す筈だ。何せ教会のトップと同じだけの力を持っているんだからね」

 

「教会の、トップと……?」

 

 そこでシオリに疑問が湧く。シオリはアルトと二回戦って、そして二回も勝った。それほどの力が、いくら邪神と言えどあるのだろうか?たかが人間如きに負けて?

 

「馬鹿な。俺はアイツに勝ったぞ」

 

 聖夜は眼をぱちくりとさせた。よっぽど不思議だったのだろう。

 

「そりゃおかしい。君がいくら龍の血族であろうと、夜魔の力そのものであるアルト様に勝てるわけが無いだろう?だってあの人は元々祝福されて生まれてきた存在だ。彼女の全ての力は無尽蔵……。その気になれば君は近付く事すら出来ないはずだよ」

 

「――」

 

 シオリは財布を取り出すと二千円札を取り出し、その場に置いて残ったフカヒレスープを器ごと煽った。ごくり、ごくり、ごくり。余りの豪快ぶりに周りからすれば美人が台無しだ。

 

 空になった器をカウンターに置くと、シオリは立ち上がって出入り口の方に歩いていく。

 

「ご馳走様だ。良い事を聞いた、礼は言う」

 

 それだけを言うと、シオリは玄関のドアを開けて「浄土喫茶・一番地」を後にした。それをただ、見送る聖夜。

 

 カウンターに置かれた二千円札を見やり、聖夜は軽く息を漏らす。目に飛び込んだのは描かれた首里城の守礼門。

 

「やれやれ、話はまだ終わっていないんだけどな。アルト様の「聖霊名(せいれいめい)」も、「龍宮」から派生した三つ目……もう一つの国家も、そしてそもそも「龍宮」の事ですら」

 

 聖夜は立ち上がりカウンター裏からスカイブルーを取り出すと、キャップを開けて瓶のまま飲み始める。

 

「ま、いっか」――

 

――ドン!と、シオリは勢いよく自宅の玄関を開けた。その音に反応して、中からアルトが仄かな笑顔の小走りでやって来る。

 

「おかえりだ、風呂にするか?飯にするか?それとも、わ・が・はい?」

 

 可愛らしく笑顔を振りまく。その姿に、未来は決定した。

 

「欲しいのは……」

 

 玄関の鍵を締めて黒のスニーカーを脱ぐと、シオリはそのままアルトの顔面に滑らかで華麗なドロップキックを決めた。

 

「お前の命じゃーーーー!!!」

 

「吾輩でしたかーーーー!??」

 

 アルトを蹴っ飛ばして満足したシオリはそのまま床に落下するなんて事無く綺麗に両の足で着地をし、吹っ飛んだアルトを見やった。

 

「聖夜に聞いたぞ。お前、魔力切れとか無いだろう」

 

「チッ、アイツ余計な事を……!」

 

 舌打ちをし、眉間に皺を寄せるアルト。どうやら紛う事なき図星らしい。

 

 床に片膝を立てて悪態を着くアルトにシオリは詰め寄る。思いっきり睨みつけているが、アルトに悪びれた様子は無い。

 

「さあ、なぜあんな嘘を吐いた?言ってみろ」

 

 顎に手を当てて考え込むアルト。そして、直ぐにピーンと来たかと思うとあっさりその答えを口にした。

 

「楽しそうだったから」

 

人は何れ死ぬと知れ(メメント・モリ)――!!」

 

 シオリの左手がアルトの顔面を鷲掴みにして持ち上げた。頭蓋の軋む良い音が鳴る。

 

「やめて痛い痛い痛いいだいーーーッッ!!!」

 

 鳴き声で許しを乞うアルトはその後直ぐにイオリの体を元に戻した。



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ニアミス:逢魔

(のろ)われた彼女(かのじょ)人間(にんげん)(うら)んだ。

(まぶた)()()幾千(いくせん)情景(じょうけい)脳裏(のうり)(かす)(とお)()(いの)り。

(うしな)った(おとこ)(かみ)(うら)んだ。

流離(さすら)(さむら)(ひと)りの(おとこ)は、その(あか)(ひとみ)(なに)(うつ)す?

()きは()()い、(かえ)りは(こわ)い』

(あさ)夢見(ゆめみ)し、(よい)もせず――』

これは、祝福(しゅくふく)物語(ものがたり)

───新社会「イクシーズ」外伝 (よる)()けない妖怪横丁(ようかいよこちょう)───


『夕暮れの 彼方から 蜃気楼……』

 

 イヤホンから流れるメロディを聞きながら真昼間の雑多が飛び交うイクシーズ市街を歩く、褐色肌にパーマがかった長い黒髪の女。冬ではあるがポリシーのように着こなされた薄手の服に強調される細めのボディライン、「痩せた」というよりは肉が「締まった」と形容するのが相応だろう。細身でありながら張りがある、というのも。その理由は彼女がグラビアモデルだからというのもあるだろう。ウェイトコントロールはバッチリだ。

 

 エリザベス・ロドリゲス。19歳。ロサンゼルス出身、CIA所属。レーティングはSレート、特殊Sレート群――「LA(ロス)の悪魔」。それが彼女のコードネームだ。

 能力は「想像たる創造主(クリエイト・オブ・ジ・イマジネイター)」。自分の中にある凝固し固形化した固定概念を召喚する、というもの。彼女が選んだその力は、骸骨の妖怪「餓娑髑髏(がしゃどくろ)」。最強の矛であり、最強の盾。彼女は自分が産みだした想像の怪物に全ての信頼を置いている。事実、先の大事件「月の兎」において彼女は比類無き力を見せ付けた。

 

 そんな彼女には趣味がある。今街中を歩いているのもそれが理由だ。街の中のあちこちを探して、流行りのカフェやレストランのある街角で眼を見遣って――そして、何も無いと分かると直ぐに興味が無いといった素振りでしなやかな足を早めた。

 

 やはり、歴史が無い街では無理か。

 

 彼女はある種の愛好家だ。何を隠そう、悪魔が好きだ。その中でもとびきり、日本の悪魔「妖怪」が好きだった。

 妖怪が出てくる物語が好きだ。胡散臭い企画番組でさえ好きだ。好む音楽の殆どが妖怪に纏わる物だ。そして、何よりは――

 

 妖怪の街へ、行きたい。

 

 ちらり、と目の前を横切る白く漂う線が見えた。

 

「……雪かい。こりゃまあ」

 

 気が付けば、見上げた空からは白い点が幾つも降ってくるではないか。今日はそろそろホテルに戻って大人しくインターネットで情報収集でもする方が吉だろう。これだけの都会、チャンスがあるとするならこうゆう神に対しての信仰が無くなった街だと思ったのだが。

 

 エリザベスの探している物。それは、ある一冊の「書物」だった。

 

 この国に来て数ヶ月、エリザベスはイクシーズを根城として幾つかの地方へと回った。本部には仕事とかこつけて、その真実は私利私欲。自分の欲求を満たすための物だ。そして、その探し物がどんなものか。

 

 彼女は常日頃から妖怪について調べている。自由奔放に会社ではパソコンで、専属の運転手がハンドルを握るリムジンの中ではスマートフォンで、ジパングで空いた時間があれば静かな図書館で。その人生の無駄な時間を、未知との遭遇の為に費やしてきた。そして、去年。興味深い話をネットで見かけた。

 

『平安時代の妖怪百科(ようかいひゃっか)を入手した友達が神隠しにあった』

 

 脳髄にガンジャ程の痺れるような稲妻が迸った。たかが日に日に埋もれる与太話の中の一つ、幾多数多の造り噺だが乗らないにしちゃ「損が過ぎる」。もし、それが真実なら。無視したのなら、自分はこの世に生まれた価値を無くすのだろう。Go or Back?答えは「Go」だ。行動せずに後悔するぐらいなら、行動してから後悔しろ。

 

 そう、噂の真実を確かめるなら自分のこの眼だ。向かうはジパング、しかして平安時代の妖怪百科、そんな本が何処にあるのか。それらしき骨董屋、古本屋、リサイクルショップ、通信販売……。手に付く範囲で、県に県を跨いで探せる場所は狙いを絞ってあらかた探した。しかしそれらしき物は何処にも無い。

 

 その理由を考えた。結果、こうは考えられないだろうか。「自分と同じ考えの人種が既に探した後だった」……。エリザベスももうそろそろ国に帰る頃だ。時期が来ている。誰かが試した後だろう手応えが無い方法を試すより、別のアプローチを試みてみたが、やはりダメか。前提条件が間違っていてはどうしようもないものだ。

 

 さて、雪も降ってきた事だしホテルに帰ろうか。スマートフォンで地図アプリを起動させ、最短ルートを検索する。……裏路地を通っていくルートが出たか。まあいいだろう。

 

 動き易いスニーカーでまだ濡れきらないアスファルトを早足に踏み締める。どうにかして逢えないだろうか、現実の妖怪というものに……。

 

 駆けて、駆けて、駆けてほんの三歩その場で戻った。裏路地の一角、流行っていなさそうな古本屋を見付けてしまった。地図アプリにも載っていない。如何にもな個人経営、軒先の緑色のテント式屋根が眼を惹いた……。

 

 これは、来たんじゃあないか!?

 

 錯覚にも等しいような滾りを覚えて僅かに濡れた黒髪を祓い、狭い店内へと入店した。これは憤りで構わない、1%の確率?それがなんだって言うんだ。不可能という言葉は、乗り越えた者にこそ楽園を見せる麻薬のような言葉だ。

 店内を見渡し、注視と流し見を使い分けて目当ての物を探す。探す、探す……大判コーナーへ。

 

 瞬間、胸が跳ねた。幾つものどうでもいい本の間、少し太めで擦れた背表紙のヴィンテージ。その一冊だけが、まるでエリザベスと出会うが為のように目が合ったという感覚に陥る。冷静に考えれば、この世の中にある本の種類を数えるだけでそれが1%どころか天文学的な確率の低さを叩き出すだろう。

 しかし今のエリザベスには確信があった。それが運命なのだと。妖怪が私と出会うための措置を施したのだと盲信(りかい)している。故に、その本に手を出した。

 

「それは吾輩のものだ」

 

 エリザベスが手を出すより先に、言葉が聞こえた気がした。その言葉に意思を向けた。それは、まるで恋人と逢う前に立ち塞がった恋敵のように、敵意の篭った心で、その方向を向いて――

 

「500円になります」

 

 その方向に誰も居なかった。まさかの空耳?いや、まて。今は目の前に。

 

「無い!?」

 

 エリザベスはさっきまで確かにその「書物」があった本棚を見た。段が違う?列が違う?いや……無い。明らかに、其処にあった本が空間だけを残していた。空間に対して斜めに倒れた本がそれを物語っている。

 

 待て、今、何が起きた?後ろから声が聞こえて、本が無くなっていて、いや、それより。何が聞こえた?

 

『500円になります』

 

 レジッ!!

 

 ミシェルは老いた男が静かに佇むレジへと向かう。確かに、店員は値段を言った。それは誰に?何に対して?

 

「なあ、おっさんっ!今誰に本を売ったッ!?」

 

 エリザベスの大きな声にゆっくりと向き直る老いた男。耳は遠くなっているのだろうか、その様はスローモーションだ。

 

「ん?今通っていった女の子だよ。黒い髪で、黒い花柄の浴衣を着た……日本人形みたいな、小さな女の子だったね」

 

「おっす、テンキュー!」

 

 情報に対して礼を言い、店を出たエリザベス。テントの向こうでは空から大粒の雪が降っている。真っ白な世界の中で左右を見渡す、さあ。どっちだ、どっちに行った……?

 

 あの時。エリザベスは明らかに「出し抜かれた」。何をされたかは分からない。しかし、確実に分かっているのはあの本はエリザベスが先に手を取ろうとした……つまり、所有権はエリザベスにあるという事だ。依怙(エゴ)が過ぎる?構うものか。奪われる人生より、奪う人生だ!!

 

『御用の無い者 通しゃせぬ』

 

 耳奥に響く、何かの歌声。エリザベスはその方を向いた。路地の奥……。まるでそちらが此方此方、手の鳴る方へと云う様に。

 

『行きは良い良い 帰りは怖い』

 

 僅かに積もった雪を踏み締めて走るエリザベス。路地の奥へ、向かえば向かうほど白から黒に飲まれていくような感覚。空から太陽が消えた事と、その残った光でさえ建物が遮っていくからだろうか。

 

『とおりゃんせ とおりゃんせ……』

 

 円形の小さな広場。その中央にさっきの歌の主が居た。赤縁の黒い和傘をクル、クルと回している小さな女の子が居た。黒い長髪、和製の人形を彷彿とさせた端整な顔立ち、花柄……あれはピカケ、か。ピカケの、花火柄が刺繍された黒い浴衣。そして、足には一枚だけ刃が付いた奇妙な下駄。この子が声の主か。

 

 そして、その手には一冊の書物。白く、擦れが酷い昔の本だ。表紙には達者だが、日本かぶれのエリザベスには見逃せない筆で「妖怪百科 百物語」と書かれている。間違いない、あれは私が探している物だ。

 

「雪が、降っている。こんな日は帰るといい。目の前は白だが、その奥は果て無き黒かもしれん」

 

 目の前の少女が、急に姿不相応の複雑な言葉遣いで喋り始めた。

 

「願っても無い邂逅だ。私はそれを手に入れに来たんだ」

 

 エリザベスは譲らない。その手を、少女に伸ばした。何処かを向いていた少女の瞳が此処でようやくエリザベスの瞳を捉える。少女の瞳は、とても綺麗な青色だった。

 

 クル、クルと再び傘を回す少女。少し眼を閉じると、書物を浴衣の懐に閉まって傘を閉じ、再び眼を開く。

 

「お前は人間だ。どれだけ粋に振舞おうとその枠からの域を抜け出せぬ。帰れ」

 

「じゃあ、アンタはなんだってんだい?」

 

 人間だと。あろうことかこの「LAの悪魔」を人間と称したか。随分と抜かしたものだ。

 

「吾輩か?吾輩は――」

 

 そして、問うた所で。辺り一帯に嫌な雰囲気が溢れ出した。これは、まるで底無しの「呪詛」。五体と第六感で味わうその場酔いに、心がブルっと滾ってきた。

 

「邪神だ。鴉魔(からすま)アルト、夜魔たる者だよ」

 

 邪神。そう言ったのか、目の前の彼女は。……最高じゃねえか。未知との遭遇がこんな形で叶うとは。

 

「私は「LAの悪魔」、エリザベス・ロドリゲスだ。悪いが、そいつを貰ってくぜ。「偽骸(ぎがい)餓娑髑髏(がしゃどくろ)」ォ!」

 

 エリザベスは右手でパチン、と指を鳴らした。その次の瞬間には、エリザベスの隣に骸骨の塊が現れる。エリザベスの体の数倍はある質量の骸骨だ。

 対するアルトと名乗った少女は、畳んだ傘に黒い靄をかけ、一瞬で日本刀にした。まるで空間移動の手品のように。

 

「「天雨(あもう)」。申し訳ないな、勝たせてもらうぞ」

 

「汝に不吉あれ。オーメンだ!!」

 

 真昼間の逢魔ヶ刻。悪魔と邪神、まさかのニアミス――




 新社会「イクシーズ」の夜、「百八神社」の境内にて石段から街を見下ろす人影が二つ。

「さて、もうすぐ私達の念願が叶うときだ。楽しみだね、穂浪(ほなみ)

 グレーのスーツにベージュのジャケットを羽織った、優しそうな顔の初老の男。

「うん。ようやくこの時が来たんだね、之也(のなり)君。千年の悠久、とてもとても長い時だった」

 もう一人は、暖色の花柄が刺繍された、赤い浴衣の女の子。穂浪と呼ばれた少女の綺麗な黒髪が高台に吹く風に靡く。

「そう、もうすぐだとも。あの日からの念願、私達の夢だ」

 之也と呼ばれた彼は年甲斐にそぐわずに両の手を宙で強く握り締め、僅かに震える体からそれが喜びなんだということを他の誰に言うでもなく現す。

「今一度、人間と妖怪が手を取り合う世界。現世と妖怪横丁を紡ぐときだ。物語は此処から始まる」

「うん」

 二人の影は、とても笑顔で。そして、気が付けば境内には誰も居なくなっていた。


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日守連盟

「鬼門が開いた」

 

 荘厳な日本式の会議室。32畳の室内には幾人の者々、上座の座椅子に腰かけている彼女。桜色の綺麗な髪に黒と紺をベースとした和柄のゴシックドレスが眼を引く小柄の少女が口を開く。

 

「即ち、「名無きの妖怪」が現界したという事……事態は深刻、ですわ。八雲。分かっていますね?」

 

 紗蔵天満宮(さくらてんまんぐう)紗蔵庵(さくらあん)」の代表にしてまた、この集まり――「日守連盟(ひのもりれんめい)」。信仰が薄れ人々が発展し神をも越えようとしたこの現代、神職者達は挙ってその歴史を絶やすまいと幅広い業種に着目した。その日本のあらゆる神道興業(しんとうこうぎょう)の元締めが紗蔵天満宮の「紗蔵庵」代表、「佐藤(さとう)麒麟(きりん)」。彼女は幼めな見た目を思わせない大人びた声色で八雲の性を呼ぶ。

 

「ええ、勿論ですとも麒麟様。その為に私は「百八神社」を任されています」

 

 水色の袴に黒の羽織、その巨躯……何よりは、その頭部。まさかのドレッドヘアー。この場に似つかわしくない、しかもサングラスまで掛けているその姿は言葉使いの大人しさを除けば、まるで先程の少女と対極。しかし、互いの言葉の含みには何処か、信頼というものが見えた。

 

 叢雲ホールディングス「園田園」代表、八雲鳳世。本来叢雲ホールディングスの代表は代々女性と決まっているが、当代の代表がまだ学生の身分であるため代わりに鳳世がこの場への出席をしている。しかし、只の代替では無いというのが、見た目の雰囲気で匂わされていた。訝しさ、胡散臭さ最大限に。

 

「「教会」と「イクシーズ」の二つは抑えつつ、あわよくばその力を借りる……。上手く活用しますよ。彼等が直接出張るような事態にはさせません。ですが、どちらにしろ彼等も我々と都合は似通っている。手出しせざるを得ないんです。故に、手伝って貰います」

 

 ニコり、と笑う鳳世。その言葉を聞いて、ダン!と目の前の机を叩いて座椅子から立ち上がる黒スーツの女。

 

「馬鹿な!「教会」と「イクシーズ」の手を借りるだと……!?」

 

「おやおや、これは。アクアマリン観光協会「湊岬(みなとみさき)」の土御門(つちみかど)(いのり)嬢。何か、不服がおありで?」

 

 土御門祈。最近になって代表者になり新しく出てきた、茶色に明るく色を抜いたショートボブの綺麗めの女性。ズン、ズンと畳の上を靴下越しに力強く踏み締めて接近し、鳳世の前に立つ。

 

 その行為に、他の誰も物申さなかった。この場の多くの者が、心の中で思っていたのだ。「傾奇者(かぶきもの)・鳳世」を快く思っていないと、日本から神の座を奪った「教会」・「イクシーズ」と手を組むなんて真っ平だと。

 あろうことか、その「教会」・「イクシーズ」と叢雲ホールディングス「園田園」の八雲鳳世は提携を結んでいるでは無いか。それが必要な事とは言え、不信感は募るばかり。こうして正義感の強い新人が鳳世に絡むのはよくあることだ。

 

「不服もなにも大有りだ!お前にはプライドってもんが無いのかよ?奴らにおんぶにだっこで――」

 

「ふむ。少々(うるさ)いですねぇ――句繰術(くくりじゅつ)(しずか)」」

 

「――!?」

 

 鳳世がその言葉を紡いだ瞬間、彼女の、祈の動きが止まった。口の動きが、少しばかり動くものの自由じゃない。そしてまた、体の自由さえ。

 祈は必死に動こうとした。しかし、体が小刻みに震えるだけで、動かない。まるで金縛り。意識さえはっきりしているが、それは逆に止まった時間の中で思考だけが動いているようで。

 

 目の前の鳳世が右手の人差し指をわざとらしく掲げた。

 

「そう、君一人の力とはその程度です。その程度で私の目の前に立ったのです」

 

 体さえ動けば、能力で目の前の男など一瞬で吹き飛ばせるのに……!

 

 祈の能力、陰陽五行の「火」にだけ梶を切った最高級の火炎術。体さえ自由なら大型トラック一つが燃えて吹っ飛ぶ。しかし、体が動かないとは余りにも無力。自慢の能力ですらこの場で無意味。

 

 そして鳳世の人差し指が、彼女の額を差す。脳味噌が詰まったその一番手前、頭蓋の外側、額を。

 

「愚かな、とても愚かな行為だ……。個の力というものを理解していない。身の程を知らねば人はその身を滅ぼす」

 

 次に、左目の目頭。目の前に指が迫っているのに、突き刺されてもおかしくない位置なのに、恐怖が瞼を閉じてくれない。人の意思を尊重しない魔の術式。

 

「怖くて瞳を閉じたいですか?残念。これは愚かな貴女へのささやかな罰です」

 

 次、瑞々しい唇に人差し指が触れる。

 

「世の中にはやむを得ず言葉を飲み込まなければいけない時があります。それが大人の対応というものです。貴女はまだ、子供のようだ……」

 

「……!」

 

「鳳世、そこまでにしろ」

 

 言葉を発せない祈の変わりに、先程まで祈が座っていた席の隣……黒いスーツの、体育会系のような男らしい体つきと見た目の一人の男が言葉を発した。腕を組みながら、鳳世の方を睨みつけている男。日丸(ひのまる)エンターテインメント「屋久屋(やくや)」、(もり)(あさひ)

 

「俺の教えが悪かった。申し訳ない。そいつは許してやってくれ」

 

 旭の言葉に鳳世は眼を向け、耳を傾け

 

「いいえ、許しません」

 

「なっ……!?」

 

 なかった。次に人差し指が胸骨を差す。

 

「祈嬢。貴女の心配をしてくれるとても優しい先輩が居ますね」

 

「……!」

 

 指が少しずつ下がる。祈の隆起した乳房の隙間を縫うように、その指が下がる。

 

「申し訳無いと思わないんですか?「何も出来ない私が何でも出来る叢雲家に口出しした」って事を悔いないんですか?」

 

 そして、最後。手の殆どが乳房に埋まり、人差し指が指した場所。其処は左胸。つまり――心臓。

 

「あ、そうそう。馬鹿は死ななきゃ治らないと言います。ならば」

 

 ニコり。と鳳世はサングラス越しの瞳で揺れる祈の瞳に笑いかけた。

 

「死んだら、治るのでは?」

 

「――!!?」

 

「っ、八雲鳳世!!」

 

 遂に我慢できないと立ち上がる旭、それに釣られて他の多くの連盟メンバーも立ち上がった。畳を駆け、机に乗り上げ。鳳世の元に。

 

 場が騒ぐ中、鳳世は動かずに。大勢が、今にも鳳世に殴りかからんという所で。

 

「静まれ」

 

 鈍く、酷く低い声だった。その響いた一言で場に静寂が訪れる。発せられたのは、上座。他の誰でもない、佐藤麒麟から。

 

「……軽い冗談です」

 

 静止の言葉に鳳世は両手をその場で上げた。麒麟は座椅子の肘掛に肘を付いてはぁ、と溜息を()くと。一度閉じた眼を薄く開く。

 

「鳳世……。君が腹を立てるのも分かりますわ。正直、此れは日守連盟の元締である私の責任。ごめんなさい、私が頼りないのが原因ですもの」

 

「そんな、麒麟様が悪いなどと言う事は……!」

 

「そうですよ!麒麟様の意思は、日守の総意……!」

 

「麒麟様が謝る必要なんてありません!」

 

 旭の発言を皮切りに麒麟を庇う声が飛び交う会議室。鳳世と違って、その信頼はとても厚い。

 

「有難う。なら、座ってくれるかしら?皆」

 

 その言葉で、皆状況に気付く。荘厳な場に相応しくない蹴り飛ばされた座椅子、机に乗り上がった人々。

 

『す、すいませんでした!!』

 

 皆が麒麟の方に粗相をしたと頭を下げると、直様に自分の席に戻った。

 

 その流れの中で、鳳世が解いた術式から自由になった祈の手を手繰り寄せ、自分の背中に彼女を隠して鳳世を睨み付ける旭。鳳世は相も変わらず笑顔。

 

「何故お前のような傾奇者なぞが麒麟様に……!」

 

「さあ……なんででしょう?」

 

「あ、あの……」

 

 しどろもどろする祈の手を引いて自分の席に戻る旭。その様を、鳳世は柔和な表情を崩さずに見送った。

 

 全員が再び席に着き、僅かな一拍。空気が落ち着いた事を確認した麒麟が口を開いた。

 

「今一度……、皆に認識して貰う必要がありますね。日本の神職は今、かつて程の勢いが無い。故に多種多様な事業に手を出すし、今回のような一件、足りぬ手をやむを得ない手段で埋めるかもしれません」

 

 日本の神職という尊き職業、それを代々継いできた者のみが集う場所。だからこそ、この言葉の重みが分かる。佐藤麒麟は、日本という国柄を背負って進んでいる。その一字一句が、日本を想う物だ。一字一句が、日本を憂う物だ。

 

「けれども、私は再び信仰を取り戻す為に手段を選びません。全ては八百万の神と、それを取り戻す日守連盟の為に。やがて、この国を再び思い溢れる神々の舞台へと……付いて来てはくれますね?」

 

 麒麟はその手を伸ばす。まるで皆の手を取る様に。まるで神へ救いを乞うように。

 

『はい!!』

 

 一同の座礼。それを受け取った麒麟は再び、本題を唱える。

 

「そう、有難うございます。……さあ、貴方の好きにはさせません。「名無きの妖怪」――いえ、私は今一度、敢えてその名を指して呼びましょう。我々が倒すべき敵、「安倍晴明(あべのせいめい)」様……」

 

 静かに、侘びしく、重々しくその名を口にする麒麟。その表情には、今までとない憂いを浮かべて。



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日守連盟2

「あの……」

 

 クラシックが流れる情緒的な仄明かりの室内、余裕を持ったスペースで間取られたテーブルが配置されたレストランの中。土御門祈と森旭はテーブルを挟み、向かい合って座っていた。旭は食前酒のグラスに注がれた白いワインを照明にかざすように眺めている。

 

「ん?どうした?」

 

「あ、あの、こういう所って高いんじゃ……」

 

 祈が見やった店内の壁面は地上65階の大パノラマの窓となっており、其処から見える夜景はまるで強者が弱者を見下ろす様に。優越感、余裕ある物は高い、上からの景色を嗜むものなのか。

 

 だが、オシャンティな所に慣れていない祈は、おずおずと不安そうに旭の顔を窺う。旭はグラスに口を付けると、ほんの少ししてそのグラスを机に置いた。グラス内のワインが僅かに揺れる。

 

「それは君が気にすべき所じゃない。なあに、出世払いで構わない」

 

「あ、はは……出世出来るんですかね、私」

 

「冗句だ。俺は君に期待してるけどな」

 

 軽い笑みを浮かべる旭に対して祈は凝り固まった歪な笑顔で返すしか出来なかった。

 

 お……落ち着かない!私はなんで、こんな所に居るんだろう!?

 

 というのも。アクアマリン観光協会「湊岬」代表の土御門祈は、神道の先輩である日丸エンターテインメント「屋久屋」代表の森旭に誘われて日守連盟の会合の後に二人で食事に来ていた。ただそれだけの話だが、如何せん。祈にはこういう経験が無い。普段は海女業と巫女業を兼業として行い地元でのんびりと暮らしていく生活。ビールとポン酒があれば生きていける。そもそも、日守連盟に代表者として参加したのもつい最近の出来事だ。こういう御高い場所に入るなど、人生初で。それも、人として信頼している旭の誘いじゃなかったら断っていたろう。

 

 しかし、まさかの集会でついいきり立ってしまった……。これ、怒られるのかな……。

 

 落ち着かず辺りにあたふたと眼を泳がせる祈に、対して旭は祈を静かに見据えた。

 

「あの時。君があの場で八雲鳳世に言ったこと、間違いじゃない」

 

「あっ、え?」

 

 予想とは反した言葉に、祈は眼をぱちくりさせる。

 

「元来、日守にとって「教会」「イクシーズ」は敵だ。商売敵なんて生易しい物じゃない、それこそ……親の敵と言っても良いほどに恨むべきのな」

 

 親の敵。そういう答えが出るっていう事は、もはや身を焦がすほどの憎悪が伴う。目の前の森旭はしかし落ち着き、しかしそれが嘘じゃないと眼で語っている。

 

「君は間違っちゃいない。おかしいのは八雲鳳世の方だ。一つ、言わせてもらえば。世の中の汚さを知らない君はまだ子供だ」

 

「はぁ……汚さ……ですか」

 

 あの時も八雲鳳世に言われた。「貴女はまだ、子供のようだ」と。……確かにそこまで頭を回せているつもりは無いが、そんなに子供かなあ私。

 

「あの手は汚い。しかし大人は汚い物さ。子供に比べてずるい。君はずるさを知るべきだ」

 

「……面目ない」

 

「愚直なのは君という美徳でもあるがね」

 

 ……褒められているんだろうか。これは。抽象的な言葉を並べられ、脳の稼働を止める祈。こういう言われ方は私には考えても分からんのだ。ならば考えるのをやめる。深く考える意味が祈には無い。とは、言ったら怒られるんだろうな。あ、そうか。これを言わないって事が大人か。成る程、大人とは「逃げる事」か。

 

 そんな事よりも、知れる事を知ったほうが先に進める。増やせる知識は増やさねば。

 

「あの、八雲鳳世って何者なんですか?」

 

 此方の方が先決だろう。あの阿呆みたいな格好の男。それでいて何処か気品が有り、圧倒的な自信を持ち、麒麟様からの信頼とその他大勢からの不信を持つ……ちぐはぐ過ぎる。余りにも不明瞭だ。

 

 祈が口に出したその名に、これまで静かだった旭の眉が一瞬だけ吊り上がった。

 

「……「二代目鳳世」だよ。叢雲家のな」

 

「はあ、二代目……」

 

 二代目。という事は先代がいるのか。……じゃなくて。二代目、っていう事はきっと意味の有る名……「祝福された名」だ。お馬鹿の祈でもそれぐらいは分かった。

 

「麒麟様と同期、そして当時の日守学宮(ひのもりがくぐう)のツートップだ。二人して最高成績を叩き出すのが恒例だった。天才二人……いや、秀才「麒麟」と奇才「鳳世」と呼ばれていたよ」

 

「へぇ……ってマジすか!?めっちゃヤバいヤツじゃないすかそれ!?」

 

 学宮の最高成績、そんなもの夢物語だと思っていた。祈は精々、赤点の少し上を連打するので精一杯……。基礎科目で手一杯なのに、陰陽五行の思想なんて、分かるかそんなもの。

 

「マジすかって……、まあ、勿論只事じゃない。八雲鳳世は才能だけは一級品だよ。だが、叢雲家の行動は余りにも目に余る。「あんな物」を神道等と呼べるものか……!」

 

 その言葉を吐いていく内に、段々と、旭の頬が皺を作る。歯が掠る音がした。

 

「あれは邪道だよ……「(まが)(もの)(かみ)」めが……!」

 

「ちょちょっ、落ち着いて落ち着いて!此処お店ですから!」

 

 テーブルの上の握り拳を震わせる旭を諭す祈。よほど忌々しい存在なのだろう、叢雲家というのは。

 

「むっ、スマンな……。大人気無かった。人の事は言えないな」

 

「ええ、いえ。……ところで、今回の件って、結局私達には何も出来ないんですかね?正直、何がなんだか……」

 

「そこでこれだよ」

 

 場を和ませるために笑みを作って話を逸らした祈に、ここぞとばかりに旭はスーツの懐から一冊の本を取り出した。とても寂れた表紙の、古い本……。一体、いつの時代の本だろうか。江戸時代?もっと前?表題は……。

 

妖怪百科(ようかいひゃっか)百物語(ひゃくものがたり)

 

 祈がその達筆で難解な字を解読する前に旭が呟いた。ええと、妖怪……百科?百物語、って……。

 

「平安時代に親神派を率いた男、叢雲(むらくも)鳳世(ほうせい)が作ったらしい本だ。この本は阿迦奢(アーカーシャ)製……五行の全てが詰め込まれていた原本の複製(コピー)。危険過ぎて日守が全て回収していたがな、偶然にも私は個人的にこれをコレクションとして持っていた」

 

「え、えぇ??」

 

 今、旭が喋った事が衝撃的過ぎて何回も脳内でリフレインした。が、祈が全て処理出来る訳無かった。ので、一番気になった事を直球で聞く。

 

「危険って、あの」

 

「神隠しだよ」

 

 ぬるり。

 

「この本は妖怪横丁(ようかいよこちょう)に繋がっている。人がこれを使うと神隠しに遭うんだ」

 

 一瞬、この場の空気が変わったのが分かった。なんというか、どろっとした温い風に包まれた気がする。とても、嫌な。そういう空気だった。

 土御門祈、神職としてこの空気は何度もそれらしき物を味わっていたりする。例えば、夜の海とか……。お盆の近い、墓……?夜の境内……。全体的に、「逢魔」なる刻。でも、その中の全てより、何より今の空気は。まるで、現実と空想の境界線が曖昧になったかのような。

 

 まるで、日常に非日常が溶け込むような。それは、それはとても嫌な空気だ。

 

「今回の件は麒麟様が思案なさるように、只事じゃない。……「名無きの妖怪」、その正体を知っているかい?」

 

「ええ。まあ……けれど、あれって全て隠語じゃあ」

 

 旭が机に肘を着き組んだ手で口元を隠す。祈りは静かに、しかしうっかりゴクリと唾を飲む音を隠せなかった。

 

「……全て現実さ。比喩じゃない。我々の敵は妖怪そのものだ」

 

「……嘘でしょう。だって、だとしたら、私達の敵は神其の物……!?」

 

 そこで、祈はなんとなく話が見えてきた。

 

 現界したのは「名無きの妖怪」。彼が鬼門を通って現れた。潜伏先は、話を全て本当とするなら「妖怪横丁」。危険だとされるのは、この本が「妖怪横丁」に繋がっているから。「名無きの妖怪」がこの世に幾つもの鬼門を開いたとしたら、その結果はどうなるのか……。

 

 「現世(げんせ)」と「妖怪横丁」が、混ざり合う。

 

「……!?」

 

 でも、それって。妖怪が、現実になるって事は……。

 

「日守にとって、得なんじゃ……?」

 

 日本から居なくなった神が、再び現世に戻る。それは、日守にとって喜ばしい……。

 

「じゃあ、教会の目的とは何だ?」

 

「え、それは、自分達を唯一神に……ああぁっっっ!!」

 

 そう。それが、悩みの種。教会が幅を利かせている中、日本の意思で日本の神が現世に降り立つとなれば。

 

 戦争。もう一度、世界戦争が起きる。

 

 事の重大さを本質的に理解した祈は、静かに、机の上に眼を落とした。何処を向けばいいのか分からない。背中を、嫌な汗が通る。表情が作れない。

 

 まさか、自分達の神を。異教の神と共に葬る事になるなんて。

 

「……これは君に譲ろう」

 

 スっ、と机を滑らせて「妖怪百科・百物語」が旭から祈の目の前に贈られる。祈りは、静かに早まる鼓動を隠せずにその本を受け取った。

 

「私は如何せん忙しくてな。君の可能性を信じて、それを託す。君なら、何かが出来るんじゃないかって信じている。何、全ては鳳世と麒麟様が為さるんだ。君は、君の答えを探したまえ」

 

 何処か、優しげな旭の顔。それを見て、少し安堵する。答えを出せとは言われていない。責任を貰った訳じゃない。しかし、期待はされている。ならば、私は……!

 

「わ、私は……っ!」

 

「お待たせしました。こちら、前菜となります」

 

 祈の覚悟が見えた所で、遂に給仕が食事を運んできた。目の前に鮮やかなサラダが置かれる。

 

「話し込んでしまったな。さて、では頂くと」

 

「旭さんっ!これっ、凄いですね!私、スナックが入ってるサラダなんて初めて食べました!シャキシャキとザクザクに玉子のとろとろが……っ!」

 

 旭が声を掛けるより前に祈は始まっていた。妖怪百科を自分の豊満な胸の中に仕舞い込み、先程までの悩みっぷりが嘘のように目の前の食事に釘付けに。

 あんぐりと、呆気に取られた旭が一口目をするより早く祈はサラダをたいらげ、そして一口も付けられていなかった白ワインをグビグビと喉越し(・・・)で飲む。……いや、そのワイン、そうやって飲むものじゃ……。

 

「はぁ~~っ、おいしっ……!初めて飲みました、こんな美味しいの」

 

 コトッ、と置かれた空のグラス。絶句。近くに居た給仕が、少し早足で追加の白ワインを持って来た時だ。

 

「あ、生大ってあります?銘柄って」

 

「はい、一番搾りで御座います」

 

「ではお願いします」

 

「かしこまりました」

 

 空いた皿を手に取って給仕が下がり、そして別の給仕が持って来た次の皿は伊勢海老の丸焼き。真ん中から両断され割られたプリプリとした身が覗くその殻を、左手で鷲掴みにして祈は右手にスプーンを構えた。

 

「ああ、これ凄い……っ、海老の殻の香ばしさを立たせつつ伊勢海老の肉質が持つ味わいを死なせてない……!ソースも合う!凄い、凄い美味しい……っ!!」

 

 海老を堪能しつつ、白ワインをイッキ、直ぐに持ってこられた大ジョッキをグビグビと減らしていく。

 

 ……ま、まあ。これはこれで可愛げがあるか。

 

 旭は複雑な気分で、シェフに次の入店を断られる事を覚悟しつつ自分の分の食事も味わった。……彼女に喜んで貰えたなら幸いか。

 

 会計時、旭が給仕に小声で囁かれる。

 

「シェフから、伝言が」

 

 ……やっぱりか。そりゃ、あんだけ傍若無人に振る舞えば。

 

「「思う存分に味わってくれる女性を見て、失っていた何かを取り戻した。私は顔色を伺うばかりで作りたい料理を作れていなかった。しかし、彼女のおかげで気が付いたんだ。是非、次も彼女を呼んで欲しい」……と」

 

「……」

 

 想定外の答えに、旭は。

 

「マジすか」

 

 と、呟いた。



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ドウタヌキとワタヌキ

「……ん」

 

 イオリ・ドラクロアは手を伸ばす。何を掴むでもない、ただその中空へ手を伸ばしていた。

 

 無意識。きっと、夢を見ていた気がする。昔の夢……。いや、何の夢だったかな。俺は、何処で。誰かに。手を伸ばしていた……?夢中の感覚、体がそう覚えているみたいで。

 

「ふわぁ」

 

 馬鹿な。全て失った俺に縋るものが有る訳が無い。自分で自分を否定し、ベッドの上でのそりとその巨躯を起こして休日の日の朝を実感した。……とても良い朝だ。労働とは尊い、こんなに幸せな一日の始まりを迎えることが出来るからだ。

 

 ……ラムネが、飲みたいかな。無性に。

 

 タンクトップにハーフパンツという、筋肉付(にくつ)きの良い身体を惜しげもなくひらけかすスタイル(自宅で無いと恥ずくて無理)でイオリは居間へと向かった。寝室に鴉魔アルトが居なかった事から、もう起きたのだろう。アイツにしては珍しい。

 

「なあ、お前朝飯何が良い――」

 

 ガチャリ、ドアを開けて人影を視認すると、その第一声を放って。

 

「あ、おはようでありますなイオリ」

 

「おはようございます、旦那様」

 

 ガチャリ。もう一回ドアを閉めた。

 

 ……、今、何か二人居た気がする。いや、間違いじゃない。錯覚じゃない。確かに二人、人?が居た。一人はアルト。そして、もう一人の女は……。

 

 旦那様??誰?、俺??お前は???

 

「誰だお前」

 

 イオリは再度ドアを開け、その姿に問う。女子……。滑らかな黒色のショートヘアー、少し幼げな、けれど発達はしていそうな、そしてかなり美麗な顔立ち。身に纏うは、アルトが持っていた件の黒いイカれたロックコート「TOKUGAWA GYA-KOTU」。背面に覗く骸骨がなんとも言えない。勿論、良い意味では無い。

 

「あ、申し遅れました」

 

 そして女はソファから立ち上がると、イオリ・ドラクロアに対して深くお辞儀をしたのだった。

 

「わたし、呪われし刀の「ワタヌキ」で御座います。日頃からお世話になっていますが、何故かこうして現界しました!よろしくお願いします、旦那様!!」

 

 活気の良い声、その声色から真摯な姿勢が伝わってくる。「ワタヌキ」ィ……?しかし、現実をイマイチ受け止めきれていないイオリは。

 

「……ああ、よろしくな」

 

 とりあえず返事だけして濁し、朝シャンをする事にした。

 

 ……日本刀が、人間になっていた。

 

 否々、何かの間違いだろう。ワタヌキ、ってあれだな。俺の持っているイクシーズから借りた二振りの刀の内一つだな。あの、何処か安心する刀……。現界って何?具現化?

 

 脱衣所で、カゴに着ていたタンクトップとハーフパンツ、そしてトランクスを脱ぎ捨てる。ちなみに、今。イオリ・ドラクロアは寝起きと平和ボケで正常な判断力を失っている。

 

 ……?待てよ、じゃあもう一振り、ドウタヌキはどうなった?あの刀は二振り、片方がどうにかなればもう片方も……?

 

 普段の彼からは考えられぬ程、盲目だった。目の前のドア越しの浴室から聞こえる、シャワーの音すらが聞こえていなかったのだ。自身の音と衝撃をかき消す異能力「サイレンサー」は骨伝導を消して自分への音を消すことが出来るが、とはいえ常にゼロにしている訳じゃ無い。それじゃ有事に行動出来ない。そもそもさっき普通にアルトの声を聴いていた。

 

 故に、それは只のイオリのポカだ。

 

「ふぅ……」

 

「ん……?」

 

 イオリが手を掛けるより前にスライド式の引き戸が開くと、熱気、湿気、そして色気が三位一体となって脱衣所にまろび出てきた。水を吸った美しく長い黒髪、静かで美麗なワタヌキと瓜二つの顔立ち、スラっとしてかつ出るところは出した、艶かしい、凹凸……水の滴る、極上の、女体。

 

 イオリ・ドラクロアのなりを潜めていた朝勃ちが、此処で一気に起き上がる。

 

「ふっ……!?富士山!!?」

 

「なっ……!?誰だお前は!!?」

 

 お互い、緊急の出逢い。何が何だか分からぬ刹那の邂逅。ならば、1から応えるのみ。

 

「私はドウタヌキだ!貴様はっ、イオリ・ドラクロア……!!?」

 

「俺がイオリ・ドラクロアだ!貴様は、ドウタヌキ……っ!?」

 

 シャウトじみた自己紹介を終え、裸体の二人はそこでお互い背を向け合う。こういう場合、何はともあれ男が悪いとイオリは思う。

 

「すっ、すまんな……、俺が確認をせず入ったのが何より悪い」

 

「もっ、申し訳無い……!此処は貴方の家だ、浴室を勝手に借りた私が悪い……!とはいえ、今ばかりは譲って欲しい……」

 

「あ、ああ」

 

 バタン、と裸体のままイオリは浴室を出た。今のはいけない、俺が悪い。えも言われぬ罪悪感に満ち溢れていると、丸出しのイオリを見付けたアルトが指を指して嘲笑う。

 

(間抜けよのう)

 

(教えろや馬鹿)

 

 脳内会話の末忌々しいアルトをこめかみに血管を浮かばせながら蹴り飛ばし、なにはともあれイオリは態勢を立て直す事にした――

 

――「何故、こうなったのか」

 

 居間にてイオリ・ドラクロアは向かい合って座る二人の女子……髪を上の方でポニーテールに結った「ドウタヌキ(服は推定無職Tシャツ)」と「ワタヌキ」に問いかけた。

 

「エロゲですな」

 

「貴様は黙っとれ」

 

 無いはずのメガネをクイっとする役立たずのアルトを切り捨て、イオリは現状を考えた。

 

「刀は確かに無い……となれば刀は人間になった……?いや、刀が盗まれて人間が置かれた可能性……」

 

「あっ、刀出せますよー」

 

 にょいっ、とワタヌキは掌から鞘付きの日本刀を出して見せた。紛う事なき「ワタヌキ」そのものを。

 

「……認めざるをえんか。となると、付喪神(つくもがみ)ィ……?」

 

 自分自身の刀を出せるとなると、彼女らの証言を以て遂にそれが本物だと認識するしかない。イオリのボキャブラリーの中では、古き物に魂が宿り妖怪化する現象「付喪神」しか分からない。

 

「そもそも、その肉体は人間なのか?」

 

 次に、これも重要だろう。質量保存の法則とかどうなる。

 

「ああ、しっかりと生娘だったぞ。良い肉体だ」

 

 手をわきわきとさせてアルトが見やると、ドウタヌキはぞわわっと鳥肌を立たせてその身を軽くよじった。いや、何をしたし。

 

「思い出させるな!御前(おまえ)さんのアレは不愉快極まりない!!」

 

「……お前、なにした」

 

「ん?「卑屈な万魔殿」で生体データを取った。皮膚・筋肉・内蔵・骨髄全て人間のそれだぞ、不思議な事にな。こう、体の隅から隅まで邪悪を滑り込ませて……」

 

「やめいやめいやめい!」

 

 手を中空で艶かしく滑らせるアルトにドウタヌキが静止を掛ける。……しかし、現実を知れば知るほど謎が増えるな。

 正直な話、後は考えても知識が足らないので答えが出ない。ならば簡単、後は専門家に聞くしかない。二つほど心当たりがある。今日が休日で良かった。

 

「なあ、お前ら――」

 

「のう、イオリよ。お出かけしてきていいか?どうせお前は調べ物があるだろう、目処が付いたら連絡してくれ」

 

 馬鹿だが察しは良いなコイツ。しかし、お出かけだと?この緊急時に?何の理由があって。

 

「それはまた、どうしてだ」

 

「折角だから遊びたいだろう、彼女らも。女三人寄れば姦し娘……かかってこいや喧嘩上等ですな!」

 

「あ、つまるところ人間体に時間制限があったら嫌なので街中をこの眼で観て回りたい訳です」

 

 アルトの訳わからん説明に、ワタヌキが補足をしてくれた。……そういや言語の把握も出来てるんだな。会話からして知識もそれなりにありそうだ。

 まあ、少なくとも現状を専門家に話せば分からないorどうにか出来るの二択が帰ってくるだろう。別に必ずしもその場に居ればいいと言う訳でもあるまい。……ならば、有りか。

 

 もし自分が刀から人間になったら。そりゃ、街を見たい気分にもなるか。不都合もあるまいし構わないだろう。

 

「好きにするといい。ただ、連絡を寄越したら直ぐに来いよ」

 

「任されました!」

 

 自身満々のアルト。まあ、問題はあるまい。さて、最初に向かうべきはやはり……この二刀の本来の所有者、「刀狩り」こと「倶利伽羅(くりから)剣兵衛(けんべえ)」の所だろうか。



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デイドリーム

 イクシーズ市街の小道を歩いていたイオリは、一軒の木造建築の家……否、取り付けられた金属の煙突から、それが何かしらの商売店である事を理解させる……そう、店を見付けると躊躇う様子も無く引き戸の扉をガラガラと開けた。鍵はかかっていない。

 

「こんにちは、お待たせしました」

 

「ん、別に待っとらん」

 

 居酒屋「焼き鳥べんけぇ」……まだ開いてない筈の店内ではカウンター席に既に一人が腰掛けていた。この店の店主、倶利伽羅剣兵衞。皺を刻んだ顔と白髪を蓄えた頭から容易に高齢である事が伺えるが、如何せん内側に秘められたエネルギーはイオリの生命感(スリル)にじりじりと軽い恐怖感を与えてくる。只のおじいさんでは無い。

 

 イオリもまたカウンターの椅子を一つ頂くと、それに腰掛けた。剣兵衞と斜めで軽く向き合う形になる。

 

「そんで、要件をもう一度詳しく聞こうか。あの二振りの刀が、なんだって?」

 

 予め電話をしておいたイオリだが、やはり実際に会って話を詳しくした方が要件は伝わるというもの。人の瞳、表情、声色、雰囲気……それら全て相まって、故にそれを「会話」と云う。

 

「ええ、貴方に貸与された刀の二つが人間化致しました。……いや、妖怪或いは神格化、付喪神化の何れかの表現には当てはまるような何かです」

 

「……そりゃあお前さん、白昼夢でも見たんだぜ」

 

 イオリ・ドラクロアの妙にニュアンスのはっきりとしない、しかし意味合いとしては「これだ」とそれを括り付けるような表現に剣兵衞は彼の言いたい事を理解した。

 

───宵の明けない妖怪横丁 デイドリーム───

 

「……うむ、こういうのが良い」

 

 街中の衣類店にて試着室から出てきたドウタヌキは、先程まで着ていた「推定無職」のTシャツとは打って変わって都会的で煌びやかな格好をしていた。

 「シティ・ガール」……水色のポンチョに白のインナーとレーススカート、まるで透き通る青空のような服装は彼女の美麗な顔立ちと相まり、とても清楚で清廉な印象を少なくとも鴉魔アルトの脳内に叩きつけた。笑みを浮かべる。

 

「ほう、持ち味を生かしたか。似合っていますな」

 

「うん!ウタちゃん、格好良い!」

 

 文句無しに感想を述べたアルトとワタヌキ。かくいうワタヌキの服装は件の骸骨柄のロックコートのままだが、どうやら気に入ったらしい。街中を歩く座敷童子とロックコートと推定無職はさぞ眼を惹いた事だろう。

 

「しかし、良いのか……?安めに見積もってはみたが、それでも割と値段が張るが」

 

 不安そうな顔を浮かべるドウタヌキ(値札にドギマギしながら実現的な物を選んだ)にアルトは掌をひらひらと振った。

 

「構うものか。どうせ全部イオリ持ちだ、好きな物を買うといい」

 

「は、はあ……貴奴(きゃつ)には礼を言わねば」

 

 ともかくまともな服を購入し街に再び出た三人は、この近代的な町並みをその肉眼で見て再び時代は移り行くのだと実感した。

 舗装された地、高層な建造物、行き交う乗車物、彼方此方の商業店、青空を行く飛行機……不思議そうに眼を開く様から、これら全て少なくとも二人の生まれた時代ではお目にかかれなかった物のようだ。

 

「人とは凄いな……これが全て、人間の仕業か」

 

「まあ、探究心豊かというか、見栄っ張りというか」

 

 アルトが小走りで一枚刃の下駄をアスファルトに鳴らし三人の輪から躍り出る。その場でくるりと周りを見渡すように回った。花火柄の黒い浴衣が翻る。呪詛掛かった黒髪が揺れた。

 

「面倒な存在だよ、人間というのは。先に破滅が見えていて、それでも進むのを止めようとしない。誰もがそれを気付いている筈なのに、取り残されたく無いとゴンドラから降りない。赤信号は、皆で渡れば怖くないのだ。それがきっと、三途でさえ」

 

 何処か呆れたような表情で発達した犬歯を覗かせ言葉を紡ぐアルトはそして一回転すると止まり、跳ねて再びドウタヌキとワタヌキの間に嵌まる。

 

「そういう吾輩も、その一人でありますがな」

 

「……アルちゃん、悲しいの?」

 

 ワタヌキがアルトの顔を覗き込んだ。其処には変わらず、不敵に口角を歪めるアルト。

 

「んや。吾輩は吾輩が死ぬまで幸せならそれで良いのであります。別に世界がどうなろうと、知ったこっちゃありません。……それはそうと」

 

 アルトが足を止めて、目の前の横を指差す。ドウタヌキとワタヌキも立ち止まりその方向を見ると、其処には一軒の店が。アルファベットで「coffee」と綴られている。

 

「モーニングでも食っていこう。そろそろ小休止だ」

 

「モーニングって……今はもう殆ど昼みたいなものだ。朝じゃない」

 

 ドウタヌキの体内時計はおよそ11時辺りを指している。其処に、アルトは携帯電話の画面を見せてみせた。アナログの電子時計は10時54分を指している。……やっぱり昼じゃないか。

 

 しかし、アルトは何処か得意げに空いた方の手の人差し指をチッチッチと左右に振った。

 

「喫茶店のモーニングってのは昼近くまで余裕でやっておる。ま、とりあえず行くぞ」

 

「そういうものなのか……?」

 

 訝しげに感じつつもドウタヌキとワタヌキは、先を行くアルトの後ろを着いていった――

 

――百八神社、境内。冬季の早まった夕暮れの日が刺す境内を歩きながら、イオリ・ドラクロアは八雲鳳世の話に耳を向ける。

 

「……成る程。物に宿った魂がなんらかの影響を受けて神へと覚醒した。そういう事でしょうね」

 

 結局、剣兵衞からは人間化のめぼしい情報は得られなかった。少なくとも、確かに分かった事はあの二振りは「霊剣・ドウタヌキ」と、「妖刀・ワタヌキ」である事。打たれたのが同時期であり、製作者は同一人物である事。見た目は違いの無い程同じであるが、用途はそれぞれ別の物として作られた事。

 その用途とは……「退魔」と、「斬首」。祝福される為に生まれてきた刀と、呪われる為に生まれてきた刀という事。今からおよそ千年前……平安の時代に打たれた、互いが政治の為に使用される事を目的に造られた姉妹刀。製作者は「双葉(ふたば)弥七(やしち)」。

 

「物に魂が宿る原理ってのは知らんが状況はよく分かった。そもそも人間が特殊能力を持つのが当たり前と分かった現代だ、それを今更不思議がってもしょうがない」

 

「ええ、まあ。それで貴方の意見は?」

 

「あのままでいいのか、と聞いている」

 

「……成る程」

 

 イオリ・ドラクロアにとって、目の前に神が現れようが、いくら増えようが、そんな事は自分にはどうでも良かった。けれど、考慮すべき事は多々ある。

 

「道具がいきなり人になって社会へ溶け込めるか?周囲への危険性は無いのか?生命エネルギーはどうなる?寿命はどうなる?」

 

 それら諸々、「自分だけ」ではすまない問題だ。イオリ・ドラクロアは幾らでも死ねる。だが、社会は違う。人が秩序を守る為には、人がそうあらねばならない。世界をあらぬ方向へ曲げない為に、人々が造っていく必要がある。

 

 そして、何より。

 

「……「イクシーズ」は、これを看過するのか……?」

 

 不安。特例は何よりも留意すべきだ。道具が人間になったなぞ、極上の研究対象でしかない。あれはあくまで貸与された刀……人間になったと分かれば、否が応にでも上が回収対応に出るかもしれない。イクシーズは神を目指す人々の新社会だ。統括管理局が黙っているとは思えない。

 

「その場合あいつらはどうなる?データは取られるとして、データベースへの登録、メディアへの露出は無いにせよ、何処まで解剖のメスが入る?人間として扱われるのか?俺はどうすれば良い?どうすれば」

 

「ティータイム・イズ・マネー」

 

 悩みから錯乱しかけるイオリの前に、拙い発音の英語と共にお茶の入った湯呑みが差し出された。その方向を見ると、鳳世が金属製の水筒を持って柔らかに笑っている。

 イオリがそれに手を伸ばして受け取る。……重みからして湯呑みはプラスチック製だ。鳳世は何処にこれを持っていたんだろう。

 

「悩むなとは言いませんが、まずは出来る事から解決していきましょう。その為には、休憩が大事です。「雅は金なり」……ですよ。ドラクロア卿」

 

「……ああ、すまない」

 

 一時、考えるのはやめて茶の味を確かめる事にする。……以前飲んだほうじ茶に近い味だ。煎れたてとはいかないが、それでも尚美味い。未だ暖かく、茶の苦味を鮮明に感じる。……美味い。

 

「今日の所は帰ったらどうですか」

 

 落ち着いた所へと、鳳世が提案をする。それはまさかの言葉だった。

 

「もう日が落ちます。彼女達も日が浅い。今日は皆で帰って、休んで、そして明日からまた仕切り直しましょう。落ち着いたらでいいですのでまた四人で此処に来て下さい。状況の解決策を一緒に出していきましょう、我々は神と人の為ならなんでもします故」

 

「……ありがとう」

 

 成る程、今日は休め、か。確かに悩んでばかりではどうしようもないか。

 

 鳳世に礼を言い、神社を出る石段を降りながら携帯電話を開くイオリ。内蔵された電話帳から「鴉魔アルト」の名前を引っ張り出して、電話のボタンを押した――

 

――「ん?どうしたのだイオリ」

 

 空が瑠璃色に透き通り建物が光を灯し出す頃、お気に入りのナンバーに反応したアルトは携帯電話を開きイオリ・ドラクロアの名を確認して受話ボタンを押した。

 

「此処?ビルがある。12階ぐらい。後は分からん……何、知るか!分かれ!!分かった、適当に歩いて来い!吾輩が行く!」

 

 携帯電話をしまうと、アルトは軽く頭を掻いて一枚刃の下駄を地面から離した。体が宙に浮き始める。

 

「あの、旦那様はなんて……?」

 

「場所が分からんらしい。全く、吾輩ならこの街中何処に居てもイオリ・ドラクロアの気配なぞ分かるのにアイツからはわからんらしい。吾輩が邪悪を垂れ流せば行けるかもしれんがそれは色々面倒だ。だから吾輩がアイツを連れて来る」

 

 ポツリ、ポツリと遂には雨が降ってきた。チィッ、とアルトは軽く顔をしかめる。

 

「お前らは其処で雨宿りして待っておれ。なあに、10分もあれば傘とイオリを一緒に連れて来る」

 

「あっ、ちょっ」

 

 ドウタヌキの言葉も録に聞かず、急がば急げと言わんばかりにアルトは空中を猛スピードで飛びビルの向こう側へと消えていった。次第に透き通った空には雲が蔓延り、雨音が街中を埋めていく。

 

 残されたドウタヌキとワタヌキ。正直アルトにそのまま付いていってイオリ・ドラクロアと合流しても良かったのだが、それよりもこっちの方が早いと慮ってくれたアルトの厚意は受け取りたかった。

 

 ……しとしと。さらさら。ざーざー。あっという間に街中を埋め尽くした雨がアスファルトを射ちつける。雨の音、何処か、この音にドウタヌキは安らぎを覚えた。

 

「……今日は楽しかった」

 

「うん。そうだね」

 

 まるで母の子守唄があればそれだと言わんばかりに、この音に心地よさを感じた。まるで、祈り……祝福のような。

 

「……良い音だな」

 

「……うん」

 

 こうも雨が降っていては、さっきまで行き交っていた人々もまばらになる。気が付けば誰も居ない、この街中でまるで雨を区切りに閉ざされたような感覚。

 ドウタヌキは雨の向こう側を見た。雨の向こう側を、視た。雨の、向こう、側に……

 

「ん、どうしたの?ウタちゃ……」

 

 ワタヌキがおかしな様子のドウタヌキと同じ方向を見ると、其処には黒い傘を差した初老の男が。グレーのスーツにベージュのジャケットを羽織った男だ。

 その隣には、傘にすっぽりと収まった少女。暖色の花柄が刺繍された赤い浴衣を身に纏った、黒髪の女の子。

 

『かぁーー』

 

 何処かでカラスの声が聞こえる。ワタヌキは違和感を感じた。服装じゃない、雨の中此方に向かって歩いてくる事じゃない、人種の組み合わせじゃない。違和感は、この感覚は、きっと間違いで無ければ――

 

――暗い空、明るいコンビニ。大雨が視界を遮る軒先で、黒いスーツに白髪の男は目の前を眺めていた。

 

 店内に人は居れど、コンビニの軒先に人は一人しか居ない。それもそうか、大雨が地面に跳ね返ってスーツの裾を濡らすからだ。けれど、男は気にしない。否、気にしないフリをしているだけなのかもしれない。

 

 一羽、雨の中を飛んできたカラスが男の隣に人懐っこそうに降り立った。濡れた身体を身震いさせると、その黒いクチバシを開く。

 

『ヘヴン・レイヴン様、名無きの妖怪を観測致しました。場所は16 G3付近です』

 

「そうかい、ありがとう。引き続き頼むよ」

 

「かぁー」

 

 カラスはそれを告げた後、再び猛雨の中を飛び去る。男……歌川鶻弌弐弎代は、足を前へと踏み出した。まるで濡れることを厭わないかのように。

 

「夢か幻か類い稀なり、罷り通るは百鬼夜行の頭目よ。我が存在に現を抜かせ……か、あの人の謳い文句」

 

 濡れた白髪を掻き上げたヒフミ。強い瞳で、まるで神が涙を流しているかのような空を見つめる。

 

「好きにはさせませんよ、安倍晴明様」



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叢雨

 雨の中向かって歩いてくる二人を見て、ビルの軒先から足を踏み出した。一人……ワタヌキが、ドウタヌキを置いて雨に打たれ行く。

 

「アンタ……誰だ?」

 

 敵を見ていると云わんばかりに鋭く目を細める彼女に対して、初老の男はにこやかに返す。

 

「私の名前は刑部(けいぶ)之也(のなり)。「誰でも無い者」と申します」

 

「あっ、私は穂浪(ほなみ)って言うんだ。よろしく、「ワタヌキ」ちゃん」

 

そう(・・)じゃない。何者だ(・・・)って聞いているんだ」

 

 此方が名乗っていないにも関わらず「ワタヌキ」という名前を知っている穂浪の事など、それがさも当然だというようにどうでもいいというように気にかけず。ワタヌキは目の前の男……「刑部之也」に対して、「誰だ」と問い直した。

 

「おっ、おい……?待て、一体なんの話だ?」

 

「そうですね……素直に名乗るなら、妖怪横丁(ようかいよこちょう)一宮(いちのみや)」『みんなの会』会長、「刑部之也」……百鬼夜行の頭目、差し詰め「百目鬼(どうめき)」と名乗りましょうか」

 

「長い。その百目鬼さんが一体、何の……御用、でしょうか……?」

 

 まるで話に置いて行かれてるドウタヌキをワタヌキは無視する。ただひたすら、目の前の之也という男を注視した。なぜなら……全身の警報が「気を逸らすな」とけたたましく鳴り響いているからだ。

 

「迎えに来たのですよ。貴女方二人を」

 

「迎えって」

 

「断る」

 

 ザー…………事細かく聞かず、之也の言葉をワタヌキは一蹴した。端から聞く気などない。未だ之也は笑む、不思議そうな穂浪、戸惑うドウタヌキ、睨むワタヌキ。

 

「私らの旦那様は既に決まっている……今更お前如きが割って入る余地など無いと知れ」

 

「……私達には、貴女方が必要なのですよ。人と妖怪が、再び手を取り合う為に。貴女方の幸せの為にも、この手を差し出したい」

 

「そいつぁ罷り通らんぜ刑部之也ィ」

 

 ずぉん……ワタヌキと之也を遮るように、雨中の空間に黒い靄が発生する。そして、その中から突如現れたのはスーツ姿の三人の男女。

 一人、先ほど言葉を放ったのはウェーブのかかった黒髪の女。一人、無精ひげに巨躯、カーキの背広と薄くなり始めた頭髪の威圧と哀愁を放つ男。一人、切りそろえた清潔感のある黒髪に端整な顔立ちの爽やかな男。

 

 イクシーズが誇る最精鋭、倶利伽羅綾乃と天領牙刀と瀧聖夜。その三人が、雨に取り残された街中で刑部之也の前に立ち塞がった。

 

「すまぬな……この街の秩序にお前らは要らない。帰ってもらうぞ」

 

「……あな、おそろしや」

 

 天領牙刀と刑部之也が見合う。瞬間、之也の懐からもまた、黒い靄が溢れ出す。そして瞬く間に之也の隣に二人の男が現れた。

 尖った髪に尖った目つき、青いチャイナ服に身を包み腰に白鞘の日本刀を差した若めの男と、まるで「岩」という言葉を人間にでもしたかのような巨躯で堅物、クリーム色のオーダーメイドスーツの男。なぜオーダーメイドかは……サイズからして歴然。「2メートルを超えている」からだ。

 

 妖怪側と人間側。両方が強い雨に打たれる事を厭わず、ただ己の目的を遂行する為にその場に立つ――

 

――大雨の中、街を駆けるイオリ・ドラクロア。息を吸うたびに口内に雨が入り込む。全身が水に浸かっているいるような感覚。これはイオリの能力「サイレンサー」でもどうしようもない。それでも走るのをやめない。

 六感がひり付く。何か、嫌な事が起こっている。一体世界はどうなっている?どうしてこんなに……生命観(スリル)が脅かされる?

 

「イオリッ!」

 

 バオッ、雨粒を勢いと風圧で跳ね飛ばして目の前の滴るアスファルトに下駄と手を付いて鴉魔アルトが勢い良く着地する。ようやく来たか……!

 

「おい、どうなっている?一体、何が、何かが起きている!?」

 

 この邪神なら、何か分かるだろうか。イオリは何より第一に、その言葉を最初に発した。かくいうアルト、その言葉が飛んでくるだろうと予測していたのか険しい表情で応答する。

 

「理解(わか)るか……!嫌な感じだ、何故もっと早く気付けなかったのか……!!この感覚、きっと悪魔もしくは神の類い……」

 

「『名無きの妖怪』と呼ばれる男が現れたんだよ、イオリ君」

 

 瞬時、イオリとアルトは横を向いた。何時の間に、そこには白髪にスーツのイオリが良く知っている雨の滴る良い男が立っていた。

 

「ヒフミ……!!」

 

「さあ、どうする?ぼやぼやしていると君の刀が妖怪横丁へと持っていかれるぞ。また、失うのかい?」

 

 いきなり現れた目の前の男が、謎めいた事を云う。また、失うだと……?

 

「妖怪横丁?貴様、一体……ええぃっ、それより早く行けばいいんだろう!?イオリ、手を貸せ。三分で着く」

 

「ああ、構うものか。行くか行かないかなんて問いは無い、答えは出ている」

 

「僕なら30秒だ」

 

 アルトが差し出した手をイオリが取ろうとすると、男……歌川鶻弌弐弎代が背中から翼を広げた。雨を弾き飛ばし、羽根が舞い、大きく広げられたまるで天使と見紛う程の白い二枚の翼。

 

 その光景、イオリとアルトはその眼を見開いた。白髪に白い翼……一体、この男は?

 

「……ヒフミ、お前は何者だ?」

 

 静かにその姿を見据えるイオリに、ヒフミはいつも通り爽やかな笑顔で軽く返す。

 

「君に名乗った通りの男さ。警備会社から統括管理局に委託で来てる「ヨコハマエンタープライズ」の歌川鶻弌弐弎代。それ以上でも、それ以下でも無いよ」――

 

――「行くぜ、鍔鬼(つばき)ィ!「九龍砲刀(クーロンカノン)」ッ!」

 

 チャイナ服の男が赤色に光る白鞘から日本刀を居合の要領で振り抜いた。刀身から巨大な九つの光が放たれ、放物線を描いて警察官達へと襲いかかる。

 

「この場で一番強いのはお前だな。「鬼羅一煌刃(きらいっこうじん)」」

 

 天領牙刀は綾乃が闇の中から取り出した一振りの日本刀を受け取ると、それをただ目の前で抜刀した。まるで雨の空間を割るかのような剣撃。迫り来る九つのまばらな光が、雨と混じって霧散する。

 

 あんぐり、チャイナ服の男は目と口を大きくおっぴろげて驚愕した。

 

 嘘だろ……!?鍔鬼から放った俺の切り札の一つをいとも容易く!??

 

 無理も無い。天領牙刀の能力は「英雄剋拠(ワンマンズ・ヒーロー)」……その効果とは、「この場で一番強い奴より強くなる」能力。単純な話が、最強になる能力だ。この場で最強がチャイナ服の男なら、それよりも最も強くなる能力。そして其処に「極一刀流」の能力が上乗せされる……それが、イクシーズ最強。それが、天領牙刀。

 

 だから、誰も勝てない。そもそも、後ろで瀧聖夜が「小さな聖域(リトル・サンクチュアリ)」を張っているので届いた所で無意味なのだが。今のは只の……引き付け。本命は真上だ。雨と一緒に男が降ってきた。

 

「バアル・ゼブル」

 

 雨を吸ってふやけたボサボサの髪に、だらしない無精ひげ。よれたネクタイ。こんな男、イクシーズ警察の中で丹羽天津魔ぐらいしか居ないだろう。右手に破壊が渦巻いた槌を握り締め、それを刑部之也へと躊躇なく振り下ろす。

 

 ガァァァァァン!!!空気と水分が弾け飛ぶ。之也の横に立っていた岩の様な男が、両手でその破壊槌を止めていた。

 

 えっ……?ヴァティカン一つ吹っ飛ぶぐらいの一撃だぞ!???

 

「地獄の釜と同じぐらい(ぬる)か」

 

 破壊槌が役割を終えると消滅し、天津魔はズザザッと音を立てて雨の敷かれたアスファルトに革靴を滑らせ着地する。

 

 確実に、今の不意打ちで仕留めるつもりだった人間側。まさかの目論見外れ、しかし今回の目的は討伐、或いは防衛……。相手の手の内が読みきれない。どこまで実力を出して安全に勝てる?下手な手を打つわけにはいかない。相手が相手だ……。

 

「そろそろ良い?」

 

 ふと、之也の隣に立つ少女、穂浪が之也に問いかける。

 

「はい、お願いしましょう」

 

 之也が傘をたたむ。雨ざらしの中、二人が無防備に雨に打たれだす。穂浪は一度、瞳を閉じて――

 

「『叢雨(むらさめ)』」

 

――その言葉と共に、世界の時間が停止した。二人以外、之也と穂浪を置き去りにして雨の中の全てが切り取られた空間に取り残される……身動ぎ一つ無い。雨粒も、小さな聖域に守られた警察官達も、チャイナ服の男と岩のような男ですら動きが止まっていた。

 

 否、動く者が他にもあった。

 

「……何をした?」

 

「えっ、一体……?何なんだこれは!?」

 

 後ろで戦闘を見ていた、ドウタヌキとワタヌキ。この二人は、雨の中に取り残されなかった。

 

「私が降らせた雨は、崇高な神以外の者の時間を止める力がある。この場で崇高な神に括られるのは、私と之也くんと……」

 

 穂浪は1、2と指をおって数えていき、そしてその数が4になると、指を二人に向けた。

 

「君達だ。よっぽどの祝福を受けてきたみたいだね」

 

 祝福。その言葉を聞いて、ドウタヌキの脳裏に何かが奔る。

 

『……――』

 

「うあぁっっっ……!?うぅ……」

 

 水飛沫を立てて、アスファルトに膝を付いて苦しそうに頭を抱えるドウタヌキ。その様に、慌ててワタヌキが駆け寄る。

 

「ウタちゃん!?」

 

 瞳を瞑り、呻くドウタヌキ。一体、何が……!

 

「……仕方ない、無理矢理連れて行く?」

 

「チィ……ッ!」

 

 切り取られた世界の中で、もう助けは居ない。私一人でどうにかなる相手でも無い……くそっ、ここまでか……!!

 

 ブォン。

 

 音が聞こえた。空間を高速で移動する音。その方向を見る事が叶う前に、閉ざされた世界の中に光の球体が降り立った。……いや、光の球体では無い。それは、白く丸まった翼。

 

「毎度どうも、警備・輸送のヨコハマエンタープライズで御座います。送料は――」

 

 翼が開くと同時に、中から現れたのは三人の存在。その姿に、ワタヌキは鋭い眼を緩めた。白い翼の男と、黒い浴衣の女「鴉魔アルト」と……そして、自分にありったけの祝福を注いでくれた黒スーツの男「イオリ・ドラクロア」だ。

 

 ヒフミは之也の姿を見据えると、ニコりと笑った。

 

「着払いでよろしかったですね」



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