なぅ、ぷりんてぃんぐ! ~二次元美少女を実体印刷!!~ (きゃら める)
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第一部 序章 開幕の結末
第一部 序章 開幕の結末


序章 開幕の結末

 

 

 ――あ、これはもうダメだ。

 直感的に俺はそう感じていた。

 首から下の感覚が、ない。

 手も足も千切れたり、身体を失ったわけでもないだろうけど、繋がってる感触がない。動かそうと思ってもどうすることもできない。

 痛いとか苦しいとか熱いって感覚も、ほんの少し前まであったはずなのに、それもない。

 ただ俺は、真っ暗な中で、意識が遠退いていく感触とともに、急速に死に近づきつつあることを意識した。

 澄んだ金属音がして、続いて何かがぶつかる音がした。それから、真っ暗だった場所に光が差し込む。

 話しかけてきてくれているらしい音は聞こえていたけど、意味はよくわからない。ヘルメットを被ったままだから、差し込む光は目線の下の方に見えるだけで、目の前は真っ暗なまま、声をかけてきてくれる人の姿は見えない。

 誰かが、俺の頭からヘルメットを脱がせた。

 海のように深い碧色。

 俺のことを見つめるふたつの瞳は、日本人では、いや、生きている人間ではあり得ないほどの、宝石のような美しい碧色をしていた。

 戦いによって煤けてしまっていてもなお白い肌。

 美術品のような完璧とも言える造形をしながらも、生きた人間の柔らかさを感じる顔立ち。

 それそのものが装飾品のような桜色の兜の下から伸びる絹糸に似た金色の髪は、兜以上の光を放っているみたいだった。

 戦乙女、エルディアーナ。

 比喩ではなく、文字通り物語の中から飛び出してきた彼女は、完璧とも言える美しさだった。

 手甲に覆われた彼女の手が光に包まれ、俺の身体をなぞる。でも、俺の身体の感覚は戻らない。

 それも仕方がない。

 戦の精霊でもあるエルディアーナの治癒術は決して万能じゃない。たとえ致命傷でも生きる望みのある者なら治癒力を高め、傷を癒すこともできるが、生きる望みのない奴には、いまの俺のような奴には、まったくの無力。

 そう、俺が設定したのだから。

 見開かれた彼女の目が、涙に揺れる。

 何かを叫んでるのはわかるのに、俺にはもう彼女の心地良い澄んだ声も聞こえない。

 ――俺はなんで、エルを泣かせてるんだ。

 そんなつもりで、俺は彼女をこっちの世界に引っ張り込んだんじゃない。こんな風に泣かせるために、俺の造った物語から喚び出したんじゃない。

 でも手を動かすこともできない俺は、彼女の頬に伝って俺の頬を暖かく濡らす涙すらも、拭ってやることができない。

「ゴメン、な、エル。お前の勇者を、魂の伴侶を、一緒に探すの手伝うって、約束したのに、約束を、守れそうにない」

 息ができてるかも自分ではわからない俺の言葉が、ちゃんと声になってるかは、自分でもわからない。

 それでも俺は、これ以上泣かなくて済むよう、涙を流し続けるエルに向かって言葉を紡ぐ。

「エルは、こんな風に泣く奴じゃ、ないだろ。もっと、強くて、気丈で、悲しいことがあっても、人の前で、俺なんかの前で、泣くような性格してないはずだろ」

 俺の言葉を否定するように、エルが左右に首を振る。手甲を外して、白くて長い指を、俺の頬に添えてくれる。

「もう俺は手伝えないけど、エルは自分の幸せを探せ。魂の伴侶を、お前が愛せる人を探せ。この世界では見つからないかも知れないけど、エルなら、この世界でも生きていけるはずだ。この世界でなら、平穏で、平和な生き方を見つけられるはずだ。そのために、俺はお前をこの世界に、リアライズしたんだから」

 いままで言えなかった言葉を口にする。

 これまでは恥ずかしくて、上手く言葉にできなかったこと。

 でももう俺は死ぬ。

 最期くらい、恥ずかしいことを言っても、本当の気持ちを言ってもいいだろう。

「俺の都合でたくさんつらい目にも、悲しい想いもさせたけど、俺は本当は、お前に笑っていてほしかったんだ。笑顔でいられる世界で生きてほしかったんだ……」

 口を動かすこともできなくなって、最期の言葉を言い切ることもできない。だから、さよならは言わない。

 視界も徐々に暗くなっていって、いよいよ俺は死を覚悟する。

 ぼやけていく世界の中で、ただエルディアーナの顔だけは鮮明だった。

 彼女は、泣きながら、穏やかに笑む。

 ――そうだ、エルのそんな笑顔が見たかったんだ。

 急速に暗くなっていく視界の中で、彼女に笑みを返す俺の顔が映った碧い瞳が近づいてくる。

 目を閉じ、最期の息を漏らしたとき、唇に何か柔らかいものが触れたような気がした。

 でもそれが何なのか確認することもできず、魂が引っ張られるような感触に身を委ね、俺は意識を、自分の命を手放した。

 



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第一部 第一章 二次元美少女を実体化!!
第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第一章 1


第一章 リアル戦乙女の実体化方法、教えます

 

 

       * 1 *

 

 

 やるべきことはそう難しくない。

 俺はリビングにある人が実物大で映るほどの大型平面モニタに、身体を丸めて眠る女の子の姿を映す。

 ミニスカート丈の薄手のワンピースを身につけ、背の半ばほどまで伸びた金色の髪を乱し、悲しげな表情で目をつむる彼女は、写真でも映像でもない。

 戦乙女エルディアーナ。

 俺が描いている同人マンガ『放浪の戦乙女』の主人公だ。

 たいして帰ってこない割にテレビ好きなお袋がこだわったリビングは、総床面積の割に広かったり床暖房入ってたり、一般家庭では珍しいサイズの大型平面テレビが置かれていたりする。少し前に描いたエルディアーナの姿をそのモニタに映し出した俺は、メジャーを当てて慎重に表示サイズを調節していく。

 たぶん、鍵になるのは表示サイズだ。

 いくら画面が大きいとは言え、人ひとりの全身を実寸サイズで表示することはできない。バストアップとか身体が切れていたらどうなるかわかったもんじゃない。新規で描いても良かったが、早く試してみたかったし、少し前に描いたものだが自分でも上手く描けたと自賛するほどの絵を、俺は選んでいた。

 調節を終えた俺はテレビに近づき、テレビ台の上に置いたプラ製の箱に手を伸ばす。

 立方体をちょっと前後に伸ばしたような形で、レンズがついていて、テレビの映像出力から伸ばしたケーブルを接続しているその機械は、小型プロジェクターにしか見えないが、違う。

 リアライズプリンタ。

 取扱説明書の言葉を借りるなら、『想像を実体化(リアライズ)』するプリンタだ。

 リアライズプリンタ上部のボタンを指で触れ、俺は唾を飲み込む。

 稼働開始ボタンを押し込もうとして、俺はためらいを感じていた。

 ――本当に、いいんだろうか。

 リアライズの結果がどうなるかは、正直なところわからない。稼働自体開始できないかも知れないし、想っていた通りのリアライズ結果にならない可能性もある。

 でももし、思っていた通りの結果になったのならば、俺の想像と、マンガと、イラストの中にしかいなかった彼女は、現実の世界の存在となる。

 彼女はファンタジー物語の登場人物らしく、長い間旅をし、様々な困難に出会ってきた。

 時には怪我をし、時には悩み、そして時には、泣くこともあった。

 それはあくまで俺がマンガの中に描いた彼女の姿に過ぎないが、それでもある意味では俺の分身で、娘と言っても過言ではない、エルディアーナ。

 自分の中から生まれた存在ながら、俺は彼女のことが好き、と言うか、尊敬の念を抱いていた。

 完結していない物語ではこの先、彼女にもっと大きな苦難が待っている予定だった。

 そんな彼女をリアライズしてしまっていいのか、俺は迷う。

「……いや、だからこそ、か」

 呟いて俺は、画面の中のエルディアーナを、しばらく切ってなくて鼻の近くまで垂れ下がってきている前髪の間から眺めて、笑む。

 決意をし、指に力を込めた俺は、叫ぶ。

「リアライズ!」

 エラー音ではなく、稼働開始のビープ音が鳴り、リアライズプリンタのレンズから紅い光が照射される。

 ローテーブルなんかをどかして場所を広くしたリビングの床に照射された光の中に、うっすらとエルディアーナの寝姿が見える。平面ではなく、立体で映し出されたその姿は、徐々に輪郭が確かなものになっていく。

 リアライズプリンタなんて、俺はつい二時間ばかり前までは、ただのジョークガジェットだと思っていた。

 でもそれは、冗談でもネタでもなく、本当に想像を実体化するプリンタだった。

 いよいよ実体化が完了しつつあるエルディアーナのことを見ながら、俺はいま起こっていることを、今日これまで起こったことを、一生忘れないだろうと思っていた。

 

 

          *

 

 

「本当に来るとはな……」

 手製カルボナーラで昼食を摂り終えたときに鳴らされた呼び鈴。やってきたのは宅配業者で、持ってきたのは両手だとちょっとはみ出るくらいの小さな茶箱。

 差出人は「ナイトメアエレクトロニクス」という名前を見たのはこれで二度目になる、どう考えても怪しい会社名。

「早乙女和輝(さおとめかずき)さんでよろしいでしょうか?」

「……あ、はい」

 箱には必ず本人に手渡すよう注意が印刷されたテープが貼られていて、あんまり気にしていなくて目まで掛かっている前髪越しに配達の小父さんのことを見ながら、俺はパーカーのポケットから取り出した携帯端末に識別情報を表示して見せる。

 そのまま携帯で受け取り確認を小父さんの端末に送って、茶箱を受け取った。

「スパムだと思ってたんだけどな」

 扉を閉め鍵も掛けて、家に入った俺は、リビングを通り抜けて飾り気もメーカー名も印刷されていない簡素な箱をダイニングテーブルに置く。

 携帯を操作して表示したのは、何日か前に届いたメールの本文。

 ナイトメアエレクトロニクスから届いたメールは、新型プリンタのモニター募集という、普通に考えればただのスパムにしか思えないものだった。

 でもそこに書かれた、想像をそのまま現実に印刷可能なプリンタ、という言葉に、どうしても我慢し切れずにアンケートに答え、抽選となるモニターに応募していた。そのうち架空請求のメールでも届くようになるかと思っていたら、日曜の今日になってこの箱が届いたという顛末。

 何が出てくるのかと思いながら俺はテープを剥がし、箱を開ける。

「……なんだこりゃ」

 入っていたのは、緩衝材に包まれた、小型プロジェクターっぽい黒い樹脂の外装をした箱と、「リアライズプリンタ取扱説明書」と印刷された小冊子だけ。モニター募集するようなものだから試供品なのかもしれないが、あまりに簡素すぎる中身だった。

 ネットで検索しても出てこない会社名だったこともあって、詐欺か冗談でなければ新興メーカーの立体プリンタか何かかと思ったが、受け取った時点で箱が小さすぎた。まさかジョークガジェットだとは思っていなかった。

「はぁ……、なんだって?」

 小さい割にそこそこ重量のあるリアライズプリンタを手の平の上で弄びながら、ダイニングの椅子に座った俺は、たいしたページ数のない取扱説明書を開く。

 どこかの説明書からそのままコピペしたんじゃないかといった感じの接続方法の解説や、やる気がないんじゃないかと感じる概念の説明とトラブルシューティング程度しか書いていない取扱説明書で、一応は概ねの使い方はわかった。

 それよりも目を引いた一文。

『リアライズプリンタはあなたの想像を現実に実体化するプリンタです。あなたの想像を、想いをリアライズしてください』

 ジョークガジェットにしては心くすぐられる文章だった。

 最低限の使い方はわかったものの、謎だらけのリアライズプリンタを手に、俺は冬もそろそろ本番になってきて寒いので閉めていた、ダイニングとリビングを仕切っている引き戸を開け、大型平面モニタのあるリビングへと入る。

 中学に入ってからは手が離れたとか言って両親ともに仕事ばかりで家にいる時間が少なく、最近じゃアニメとゲームくらいしか映した憶えのないモニタの上にリアライズプリンタを置き、テレビ台の引き出しから引っ張り出してきた映像ケーブルでテレビの映像出力をプリンタの入力コネクタに接続した。

「完全にプロジェクターだな」

 テレビからの電源供給で稼働できるのか、電源ケーブルがないのが謎だが、このリアライズプリンタと称された箱は、見た目には小型プロジェクターにしか見えない。

 映像を現実に実体化できるものらしいので、とりあえず俺は携帯端末を取り出して適当にネットを検索する。

 探し出したのは山と積まれた札束の写真。

 億の桁はありそうなその写真を平面モニタに転送して表示し、リアライズプリンタ上部の稼働開始ボタンに触れる。

「リ、リアライズっ!」

 叫ぶ必要なんて取扱説明書には書いてないが、なんとなくお約束として声を上げながらボタンを押す。

 しかしながら、レンズから光が照射されることはなく、連続したビープ音がするだけだった。持ってきていた取扱説明書を開いてみると、適切なリアライズ対象でない場合のエラー、となっていた。

「何が悪いってんだ」

 文句を言いながら俺は、改めて金塊の写真を探し出してモニタに映し、稼働開始ボタンを押す。

 今度も同じエラー音。

「わからん……」

 所詮ジョークガジェットか、と思いつつ、腕を組む格好で取扱説明書を開き、たいしたことのない内容を読んでいく。

「あなたの想像を現実に実体化する、か……」

 気になっていた一文を口に出して読み上げて、俺は少し考える。

 札束や金塊は確かにほしいものだが、俺の想像かと言われれば違うと否定できてしまう。ならば何が俺の想像か、と考えたとき、思い浮かぶものがあった。

 携帯端末を操作して家のファイルエリアに接続する。

 探し出したのは一枚の画像。

 剣の画像だが、それは写真じゃない。

 金属の鞘に収められた刀身は長い上に、幅が普通の剣の二倍以上もある。装飾も華美で、ファンタジーアニメなんかに出てきそうなその画像は、俺が描いたものだ。

 幼稚園の頃からアニメやマンガにはまり、小学校の頃から絵を描き始め、中学ではマンガを描くようになった俺は、高校に入った現在はすっかり同人漫画家だ。

 アニメなんかをモチーフにした二次創作は遊び程度にしかやらず、印刷所に頼んで自費で本をつくって同人誌即売会なんかのイベントで頒布しているオリジナルの作品は、大人気とは口が裂けても言えないものの、機材を買ったりオタクグッズを買い集めるのの足しになる程度には好調だ。

 そうやって描いている「放浪の戦乙女」というマンガシリーズの設定として描いた剣。神の手によってつくられ、作品の主人公である戦乙女エルディアーナが出会った第一部のボス、黒体無貌の魔神ゾディアーグと戦うために貸し与えられた「剣帝フラウス」。

 同人誌の中にイラストとして収録するのにカラーで描いたフラウスの画像を、モニタに転送した。

「……でかいな」

 設定上は剣先から柄先まで百センチ程度だが、画面がでかいために百七十センチを超える俺の顎くらいまで届きそうなサイズで、剣帝フラウスは表示されていた。

「まぁいいか。……リアライズ!」

 改めて小さめに叫び声を上げつつ稼働開始ボタンを押すと、今度はエラー音はせずにリアライズプリンタから紅い光が照射された。

 意外と稼ぎがいいらしい親父とお袋の収入と、お袋の両親の援助で建てられた俺の自宅は割と広く、テレビ鑑賞用のソファとローテーブルの手前辺りの、寝転がれそうなくらい空きがあるスペースに光は照射されていた。

「な……に?」

 立体プリンタではなくプロジェクターなら、立体映像でも見られるのかと思っていたが、違った。

 最初のうち光の中にうっすらと見えるだけだった剣は、まるで印刷されるように、徐々に輪郭をはっきりとさせていく。

 稼働終了のビープ音が鳴る頃には、実体としか思えない質感を備えるようになっていた。

「……これは、魔法か?」

 プリントが終了し、紅い光の照射が途絶えても、フラウスの姿は失われない。

 二十一世紀ももういい年になったとはいえ、素材を削るか樹脂を溶かして成形する立体プリンタや、かなりリアルな映像を表示することができる立体プロジェクターはあっても、想像を実体化できるプリンタなんて聞いたことも見たこともない。

 魔法としか思えない奇跡の技だが、夢でも幻でもなく、俺が絵に描いた通りの、――いや、頭に想像していた通りの、金属の質感とはめ込まれた宝石の煌めきのある剣帝フラウスが、いま俺の目の前にあった。

「うぉ、重っ。つか、でかい」

 触れてみた金属製の鞘の質感も想像していた通りで、しかし設定とは違い、一四〇センチほどの長さと、モニタで表示したのと同じサイズのフラウスを持ち上げてみたが、剣というにはあまりに重い。たぶん一〇キロ近くあるんじゃないかと思う重量に、俺は苦労して絨毯から持ち上げる。

「抜けは……、しないか」

 設定上、巨人と同じ身長の神が使うために力を引き出せればサイズは自由で、同時に神の血を引く者にしか抜くことができないことにしてあったフラウスは、柄に手をかけて抜こうとしてもビクともしなかった。

「すげー、すげー、すげー、すげー……」

 いったいこんな重量のものがどうやって光を照射しただけで実体化できたのかとか、どういう技術を使ってるのかってことよりも、ただ凄いという思いに捕らわれた俺は、とにかく一端フラウスを隠すことを考える。こんな物騒なもの、お袋にでも見られたらヤバイ。

 一階の倉庫から持ってきた発送用のエアパッキンのロールでフラウスを包み、見つからないように倉庫の隅に隠しておき、俺はリビングに戻った。

 そして次に携帯端末で探し出したのは、女の子の画像。

 放浪の戦乙女の主人公である戦乙女、エルディアーナ。

 最新の画像ではなく、サイズの問題が出ないよう、身体を丸めて眠っている彼女の画像を選び出し、はやる鼓動を押さえながら、俺は平面モニタにそれを転送した。

 

 

          *

 

 

 プリント終了のビープ音が鳴り、紅い光の照射も終わった。

 リビングの絨毯の上に身体を丸めて寝ているのは、確かにエルディアーナ。

 戦乙女の、エルディアーナだった。

 フラウスをリアライズしたときと同じで、見た目には本物としか思えない質感をしていた。

「くっ……」

 笑い出したいのか、息を飲みたいのか自分でもわからず小さく息を漏らし、俺は彼女の元へと近づいていく。

 純白のワンピースに包まれた、細身ながらも戦乙女らしく引き締まった身体つき。

 太股までのタイツとミニスカートの間の絶対領域は輝かしいばかりで、人肌の血色を保ちながらも白い。

 金色の髪は輝きを放っているみたいに美しく、閉じられたまぶたに見える長い睫毛もまた、金色だった。

 絵として描いたときにも会心の出来だと思ったけど、リアライズによって現実となったその横顔は、描いた自分が言うのも何だが、芸術的な造形をしていた。

「……い、生きてるのかな?」

 見ている限りは生きていてもおかしくなさそうだけど、彼女はリアライズプリンタで実体化した、俺の想像の産物だ。

 確認してみなければならない。

 足先の方から近づいていって、太股に触れてみる。

 絹のような触り心地のタイツと、その下の肌は人間のものと遜色のない柔らかさがあった。

 手を伸ばして触れてみた髪は、本当に繊細で美しく、音もなく指の間を流れていった。

 静かに肩に触れる。

 少し力を込めると、抵抗もなく、人形のように硬直も感じずにエルディアーナの身体は仰向けになった。

 大きく、しかし大きすぎない白い服に包まれた胸は、仰向けになってもその美しい形を崩すことはない。

「……確認、だよな。生きてるかどうかの」

 唾を飲み込んで、俺はそびえ立つふたつの膨らみを両手で包む。

「う、おっ……」

 柔らかい。

 が、それだけじゃない。しっかりとした弾力が指を押し返してくる。

 初めて触れる女性の胸に、俺は興奮と、言い知れない何かこみ上げてくるものを感じていた。

 触れているだけで気持ちのいい手の感触をもっと味わおうと、指を動かし、手で覆い、揉む。

 柔らかさと弾力のバランスが素晴らしい。どんな素材でつくればこんな神の産物のような心地良さが得られると言うのだろうか。顔を近づけて鼻を刺激する、微かに感じる甘いような、爽やかなような香りに酔いそうになる。

「すごい……。すごいぞ、これはっ」

 思わず声を上げ、当初の目的を忘れていたとき、ふと顔を上げて見えたもの。

 海よりも深い色を湛えた、碧い瞳。

「あっ……」

 閉じられていたはずの目が開かれ、驚いたような表情のエルディアーナが俺のことを見ていた。

 その碧い瞳がわずかに細められたと思った瞬間――。

「ぐおおぉぉぉぉぉ!!」

 視界が真っ暗になって、香しい匂いとともに、こめかみに細く、しかし力強い何かが食い込んできた。

 おそらく彼女の指だろうそれを外そうともがくが、万力のように俺の頭を潰すほどの強さで食い込む指はビクともしない。

「清純なる戦乙女の身体を汚らわしい手で犯すとは、恥を知れ!」

 溢れんばかりの怒気を含みながらも、どんな音楽よりも美しい声に震えそうになるが、いまはそれどころじゃない。

 頭をつかんだまま立ち上がったらしいエルディアーナは、そのまま俺の身体を宙吊りにする。文字通り床に足が着かず、割れんばかりの頭の痛みの他に、全体重がかかった首の骨が嫌な軋みを上げる。

「この罪、死を以て贖ってもらおう」

 言って俺の身体を投げ捨てたエルディアーナ。

 高温の炎のように燃え上がる碧い瞳が俺を睨みつけ、さっきまで白かった肌は怒りと羞恥にだろう、赤く染まっていた。

 そんな姿も美しいと思ってしまう俺だったが、「はっ」という気合いの声と同時に彼女の身体が光に包まれ、その中から現れたものに、年貢の納め時であることを知った。

 一瞬だった光が消えたとき、彼女の身を包んでいたのは純白のワンピースだけではなく、桜色の鎧だった。

 大きな胸を強調しつつも、傷ひとつ着けないよう覆い隠す胸当て。腰や腹を守る鎧もまた、短いスカート丈を隠すものではなく、彼女のボディラインを強調できるように、俺がよく考え抜いたものだった。

 少しごつ目の手甲と脚甲。飾り立てられた桜色の兜の下では、俺のことを碧い瞳が射抜いてきている。

 腰に佩いた装飾のあまりない長剣に手を添えたエルディアーナは、俺を睨みつけたまま抜き放つ。

「ま、待ってくれ!」

「言い訳とは見苦しい。自分が犯した罪を認め、素直に首を差し出せ」

 長剣をかざすように両手で構えた彼女は、尻餅を着いた格好で後退する俺にじりじりと近づいてくる。

 ――絶対、いまの状況がわかってない!

 怒りに支配された彼女は、俺以外のものが見えてる様子がない。

 いま自分がどこにいて、どんな状況にあるのか、理解しているはずがない。……説明し、理解したとして、俺のやったことが許されるとは限らないが。

「観念しろ、下衆め」

 エルディアーナが大きく一歩踏み出し、いままさに剣を振り下ろそうとしたとき、食器の立てる音が聞こえてきた。

 いま家には俺と、エルディアーナの他には誰もいない。誰かが洗い物をしてるとかそんな音ではなく、食器同士がぶつかり合う音が、キッチンの食器棚の方からしてきていた。

 そればかりか、家のいろんなところで軋んだ音とかぶつかり合う音が、だんだんと大きくなってくる。

「何かヘンだっ。待ってくれ!」

「そんな手入れもしていない長い髪をしていても、お前は男だろう。自分の犯した罪くらい認めたらどうだ!」

「違う!! 周りを見ろ! 音を聞け!」

 言われて周囲を見回し始めるエルディアーナ。

 そうしている間にも音は大きくなり、本格的に家が揺れ始める。その揺れはただの地震って規模ではなく、地震対策を施していない小物たちは踊り始めるほどだった。

「一端外に逃げるぞ。家に潰されて死にたくはないだろ!」

「いや、しかし……。わたしはっ」

 さすがに騒がしいでは済まない様々な音と激しい揺れに恐ろしさを感じてるんだろう、剣の構えを解いたエルディアーナの思ったより小さな左手を、立ち上がった俺はつかんで玄関に向かって走り出す。

 玄関の扉を開けてルームシューズのまま寒々しい冬空の下に飛び出した。

「ふぅ……。これで大丈、夫?」

 家の門の外まで走り出て、俺は違和感を感じていた。

 あれだけの地震だったというのに、俺と同じように家から飛び出してきてる人が誰もいないし、少し離れたところに見える幹線道路では普通に車が行き交っている。

 まるで地震なんてなかったかのように、街は日曜の午後の静けさを保っていた。

「やーっと出てきたっ。リビングで居眠りでもしてたの?」

 そんな呆れ返った声に振り向くと、千夜がいた。

 十一月も半ばですっかり寒くなってきているというのに、生足をさらす赤いミニスカートを穿き、地味目のセーターの上に落ち着いた色のジャケットを重ね、どこのアニメキャラだという感じの濃い茶色に染めたツーサイドアップの髪を揺らして、俺にいたずらな笑みを投げかけてきているのは、椎名千夜子(しいなちよこ)。

 俺の家に接した裏手のでかい庭と大きな家の住人である彼女は、幼稚園に入る前から付き合いのある腐れ縁の女の子だ。

「あれ? 千夜。いま地震が――」

「何にもないよーだっ。すぐ飛び出してくるかと思ったのに、意外としぶとかったなぁ」

 千夜が何を言いたいのかよくわからない。

 地震がなかったと言ってるのに、家が揺れたことは知ってるっぽい。

 どういうことなのかわからず、中三の頃から急速に膨らんできた胸を強調するかのように、少し前屈みになって上目遣いに俺のことを見つめてくる彼女に首を傾げるしかなかった。

「ってか、その子って……」

 わけがわからなくてすっかり忘れていたが、そう思えばエルディアーナの手を引っ張って家を飛び出したんだった。

 彼女のことを千夜にどう誤魔化せばいいのか思いつかない。ばっちり見つかってる現状、いまさら隠すこともできない。

 そして、振り返って見た彼女は、辺りを見回しながら、呆然とした表情をしている。

「えぇっと、この子は、その、何て言うか……」

 リアライズプリンタで実体化した戦乙女だ、なんて説明が通じるはずもなく、俺は何と言えばいいのか言葉が思い浮かばずにひたすら慌てるしかなかった。

 しかし、その悩みは千夜の言葉で消え失せた。

「和輝もリアライズプリンタのモニターに応募してたんだ? その子、エルディアーナだよね?」

「へ? 俺も、って?」

「あたしも応募してたんだ、モニター。ほら」

 言って千夜は俺の家の方を手で示す。

 振り返ったそこには、青空を背景に見慣れた二階建ての家があるだけだったが、見ている間に変化が現れた。

 空気から滲み出るかのように、家よりも高さのある何かが、輪郭を現してくる。

 白を基調にして青や赤、黄色などで彩られた装甲。

 立ち上がると確か十二メートルになる人型のそれは、頭部に特徴的な二本の角状のアンテナを備えた、巨大ロボット。

 名前だけなら日本では知らない者がいないだろうリアル系人気ロボットアニメ、アルドレッドシリーズの主役ロボをモチーフにした機体。

 細身ながら男らしいフォルムの原作アニメのロボと違い、膨らみや丸みのある雌型ボディのそいつは、少し前に千夜にねだられて俺が描いた、軌道戦士アルドレッドの第二シリーズに登場する、アルドレッド・ソアラをベースにした俺の二次創作絵、アルドレッド・ソフィアだ。

 跪いた格好で、伸ばした両腕で俺の家を抱えるようにしているソフィアが、たぶん局地的な揺れの原因だったんだろうと俺は気づいた。

「お前……、あんなのをリアライズしたのか?!」

「ふっふーんっ。いいでしょ? リアル巨大ロボ! 女のロマンだよ!!」

 何かちょっとズレてる気がしないでもないが、千夜は興奮したように鼻息を荒くしている。

 呆れて俺が何も言えなくなっているとき、つないだままだった手をふりほどき、よろけるように数歩歩いて辺りを見回すエルディアーナが言った。

「ここは、いったいどこなのだ?」

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第一章 2

       * 2 *

 

 

「嘘だっ。信じられない……」

 呆然とした顔で、まだ鎧も脱がず、剣も膝の上に乗せたままのエルディアーナが呟くように言った。

 さすがに巨大ロボットのアルドレッド・ソフィアは家の中に入れないから、千夜の家の広い庭で、姿を隠せるインビジブルモードで待機してもらっている。俺と千夜でもって、現実に実体化した戦乙女に、状況の説明をしたところだった。

 四人掛けのリビングテーブルには、何故か俺の隣に千夜が座り、ふたりで対面する形でエルディアーナと対峙している。

 説明したのは、この世界がエルディアーナが生きていたミッドガルドやアースガルドではないこと、彼女は俺が描いたマンガの登場人物であること、そしてヴァルハラは存在せず、彼女の親に当たる神々も存在せず、それと同時に、戦乙女の使命でもある勇者の探索、魂の伴侶の探索も、この世界では意味がないこと、などだ。

 綺麗な顔を驚愕に染めているエルディアーナは唇を震わせたり、聞こえないくらいの声で何かを呟いていたりして、さすがにショックが大きすぎるらしい。

 隣に座る千夜もまた、俺を非難するような視線を向けてきていた。

 沈黙に堪えきれず、俺はキッチンに行って湯飲みと急須を持ってきて、お茶っ葉とお湯を入れ、いいタイミングを計ってそれぞれの湯飲みに注いだ。

 無意識なのか、呆然としながらも湯飲みに手を伸ばしたエルディアーナは、お茶をひと口飲み、それまでと違った驚愕の表情を浮かべてもうひと口湯飲みを傾ける。

 ぐいぐいとお茶を飲み干してから、いまの状況を思い出したのか、「あっ」と声が出てきそうなほど口を開けている彼女に新しく湯を注いだ急須を示してやると、悔しそうに顔を歪ませながら湯飲みを差し出してきた。

 ――これは……。

 その様子が、なんだか妙に可愛らしい。

 勝てるはずのない敵にも信念を味方に立ち向かい、気丈で、諦めを知らない彼女が、口を少しすぼめながらうっすらと顔を赤く染めている様子は、俺の知らない戦乙女だった。

 ――そう思えば「放浪の戦乙女」で食事シーンってまともに出したことないなぁ。

 一話三二ページ、第一部八話、第二部六話までが同人誌で刊行済みで、最新第七話まで描き上がってるシリーズでは、酒を飲む場面は幾度かあったが、食事をする場面は一回くらいしか出したことがなかったと思う。

 エルディアーナの食事に関する嗜好もとくに考えたこともなかったが、もしかしたら意外と美味いもの好きなのかも知れない。俺がけっこう美味いものに目がないから、彼女もまた同様なのかも、と思っていた。

 ――もしかしたら、いろいろ食べさせてみたらおもしろいかもなぁ。

 熱いお茶をすするようにして飲みながら、いろんなことを考えているらしく俯いて難しい顔をしているエルディアーナ。

 彼女のことはとりあえずということにして、俺は千夜に向き直る。

「ソフィアはそういうの、大丈夫なのか?」

「うん、ぜんぜん。っていうか、ネットに接続する許可出したら、すごい勢いでいろんなこと調べて『状況を把握しました』って言っておしまい。いいよねぇ、やっぱりロボットは! そういうとこは本当に便利!!」

 原作アニメでは軍事兵器であるアルドレッドシリーズがそんなことでいいのか、と思わなくもないが、嬉しそうにニコニコと笑っている千夜には突っ込まないでおく。

「でもなんでソフィアなんだよ」

「なんでって?」

「お前が一番好きなのって、ソアラだろ。アルティメットモデルでもないノーマルソアラ。それが何でソフィアなんだ?」

 長期ロボットアニメであるアルドレッドシリーズは、初期シリーズとは設定や時代が異なる派生作品も含めて二〇を超える回数アニメ化がされている。

 千夜が一番好きなのは初期第二シリーズの最初に出てきた初代アルドレッドの発展型、アルドレッド・ソアラで、番組後半に登場した新開発強化型のアルドレッド・ソアラ・アルティメットや、他のシリーズの登場ロボはものは好きであっても一番じゃない。親が厳しくて大半は隠してある彼女の家のアルドレッド関連グッズも、ソアラのものが中心だ。

 ソフィアは俺がせがまれて描いたものだったが、俺の趣味で雌型にしたり、エルディアーナの世界に出てきそうなファンタジーな設定を数多く追加してて、千夜にはけっこう不評だったはずだ。

 パイロットがいなくても自律行動ができたり、光学迷彩のインビジブルモードがあったり、他にも核融合炉搭載の原作ロボを改変して、人間の想いをエネルギーにするハートフルジェネレータとかいろいろ追加してて、リアルロボであるアルドレッドが、ソフィアではほぼスーパーロボットになってしまっている。

「なんで、って言うか、最初はソアラをリアライズしようと思ったんだけど、できなかったのっ。いくつか試してみたんだけどダメで、試しにソフィアをやってみたら成功した感じ?」

「なんだそりゃ」

 俺も札束や金塊では失敗したが、エルディアーナも絵だったことには変わりない。千夜がソアラをリアライズできず、ソフィアでは成功した理由がわからない。

 ――何か、写真か画像かとかとは別に、リアライズの条件があるんだろうか?

 よくわからないもやもやとはっきりしないものを感じる俺は、腕を組みながらそろそろ剃らないといけないくらい髭が伸びた顎を手でさすりながら、考え込んでしまっていた。

「でもソフィアでよかったよーっ。インビジブルモードあるし、言えばちゃんとその通りに動いてくれるから操縦する必要ないし、自己修復機能あるからメンテ不要だし、空飛べたり燃料不要だったり、実物見たらけっこう可愛いし!」

 ソフィアの画像自体は立像を描いただけだったが、ファンタジックな機能なんかについては画像の横なんかにコメントとして文章を書き添えていた。どうやらそのすべてがソフィアには搭載されているらしい。

「だけどあれは問題だろ。あのでかさはいつまでも隠しておけるもんじゃないし、インビジブルモードもエネルギー食う設定だからいつまでも隠しておけるってもんじゃない。それにあの角はなぁ」

「何が問題だって言うの? アルドレッドシリーズの一番の特徴じゃない!」

「いや、そうなんだが、ソフィアの画像って前にネットで公開したことあったろ? どこかで見られたり写真撮られたりしたら、そのうち所有者特定されるかもしれないぞ」

「あぁ……」

 実際そんな事態になるかどうかわからないが、警察でも動くようなことになったら、画像の出本特定くらいはしてくるだろう。そんなことでバレるのは避けたかった。

 ――そもそも、戦乙女とか巨大ロボットがいるって時点で頭おかしい事態なわけだが。

 嬉しさにまだ酔っているらしい千夜はまだその辺考えてもいないだろうが、徐々に現実感が戻ってきた俺はそんなことを思っていた。

 剣帝フラウスに続いてエルディアーナのリアライズに成功して浮かれてしまっていたが、これからのことを考えると問題が山積みだ。

 戦乙女がよほどの大食らいでもなければ、農家をやってる母方の親戚が多すぎるくらい送ってくる農作物があるから大丈夫として、客室は使ってないからとりあえずの部屋はある。しかし服と言われてもどうにもならないし、彼女はいま戸籍もないし、俯いて顔にかかっている金糸のようなあの髪、思い悩むような深い色を湛えた碧い瞳は外に出れば目立つこと請け合いだ。

 そして何より、お袋にバレるのが一番面倒臭そうだった。

 アニメやマンガだとたいていその辺のことは誤魔化して適当にしてあるから参考にはならないし、立場もなく生い立ちも特殊な女の子が目の前に現れる事態なんて、想定して生きてる方がおかしい。エルディアーナのことだけじゃなく、ソフィアのこともある。

 小さくため息を漏らした俺は、成り行きに任せることに決めて、考えることを放棄した。

「じゃあどうすればいいって言うの?」

 頭を抱えたい気分だったところを千夜に声をかけられて現実に引き戻される。

「……一部デザインの変更とかした方がいいと思うんだ」

「そんなことできるの?」

「うん。上書きリアライズってのができるらしい」

 きょとんとした顔で首を傾げてる千夜は、取扱説明書をちゃんと読んでいなかったらしい。

 リアライズした物体の形状を変更したいといったときには、上書きリアライズができるというのは、説明書の中に書かれていたことだ。かなり不親切な書き方しかしてないから、どの程度のことができるのかはよくわからなかったが。

「描いてくれるの? 和輝が」

「まぁ、最初にソフィアを描いたのは俺だしな。それに千夜は絵が描けないし、俺がやるしかないだろ」

「そっかー。ちょっと惜しいけど、仕方ないかぁ」

 口を尖らせつつも、首を左右に傾げさせてなんだか楽しそうにしている千夜は上書きに同意してくれた。

 残っていたお茶を飲み干して、俺は椅子から立ち上がる。

 まだ考え込んでいたらしいエルディアーナの方を見ると、彼女は顔を上げ、俺に向かって言った。

「やはり、わたしは自分が貴方のマンガ? というものに出てくる登場人物だとは思えない。巨人族の魔法にでもかかって、夢でも見せられているのではないかと考えている」

「そりゃまぁ、いきなり現実に出てきても、エルは信じられないよねぇ」

「え、エル?」

「エル、か。うん、いいな。エル、これからその疑問に関して、信じられるかどうかわからないけど、証拠を見せるよ。一緒に来てくれ」

 まだ疑惑の目を向けてきながら渋い顔をしているエルディアーナだったが、俺の言葉に席を立ち、ちらりと湯飲みを見てそれを飲み干した後、二階の部屋に行く俺と千夜の後に着いてきてくれた。

 

 

 

 

 部屋の扉を開け、携帯端末で照明を点けた途端、背後から息を飲み込むような音が聞こえた。

 気にせず俺が部屋に踏み込んでいくと、千夜に続いておそるおそると言った感じでエルが入ってくる。

「いったい何なのだ、この部屋は……」

 驚いているのか呆れているのか、微妙な声音のエルの言葉は気にしないことにする。

 部屋の両サイドの壁のほとんどは天井まである棚が占有し、部屋の奥手の窓には最近開けた憶えのない分厚いカーテンが引いてあって、照明を点けても薄暗さを感じる。

 窓の前に置いた天板の広い机の上には、据置端末用のモニタが三枚、横につなげる形で並べてある。

 何よりエルが呆れているのは、机の上と言わず、分類ごとに整頓して棚に納めてある本の前と言わず置いてあるものだろう。

 いろんな場所にクリスタルケースに入れて飾ってあるのは、様々なフィギュア。

 美少女ものを中心に、ロボットやアメコミものなど、素材もつくりも様々なフィギュアたちが、俺の部屋の中には溢れていた。

「この人形たちはなんなのだ……」

「あんまり触らないでくれよ。けっこう壊れやすいから」

 左の棚に近づいて、並んだ美少女フィギュアを顔を顰めて眺めているエルに、一応注意しておく。

「けっこう散らかってるんだね。和輝らしくない」

「そりゃあな。今朝方まで原稿にかかりきりだったからな。……誰かさんのせいで」

「うっ……」

 次に参加する同人誌即売会の原稿は、今朝方上がって印刷所にネット経由で送信したばかりだ。原稿が当初の予定より遅れて、机の上や床に整理が追いついていない紙や資料が散乱しているのは、千夜が関わってる部分に時間がかかったからだった。

 目を逸らして知らない振りをする千夜にため息を漏らして、俺は右の棚から何冊かの本を取り出す。

 それは俺がつくった「放浪の戦乙女」の同人誌。

 二次創作ではなく、俺オリジナルの本であるそれを、エルに手渡す。

「信じてもらえるかどうかわからないけど、これが一応エルが俺の作品の登場人物である証拠。ひと通り読んでみてくれ」

「他に確か、設定絵とか新刊の下絵を印刷したのあったよね?」

「それはそこ。後で順番に渡してやってくれ」

 神妙な顔で受け取ったエルに、千夜が部屋に入り浸る用に持ち込んだクッションを示してやると、彼女はそれに座って、膝の上に置いた本を開き始めた。

 読んでもらってる間に、俺は据置端末の電源を入れ、ソフィアの上書きリアライズ用の絵を描く作業を始める。

 落書き程度に描き溜めていたロボットのストックから千夜に好みのものを選んでもらい、希望する感じにアレンジを加え、以前彼女に送信したソフィアの立像画像を修正する形で新しい頭部に変更する。他にも言われた希望を取り入れて、俺はボディの変更にも着手した。

 ――そう思えば。

 思いの外手を加えるところが多くて時間の掛かった作業に終わりが見えてきたところで、ふと思い、俺は顎髭をさすりながら考える。

 ――ソフィアの機能とか、エルの能力は、どうやって得たんだ?

 ソフィアのハートフルジェネレータやインビジブルモードはあくまでコメントとして書き添えたもので、絵に反映されてるものじゃない。さらには自律行動については書いていたが、どの程度のことができるかについては書いてなくて、しかし千夜の家の庭へと移動するときのソフィアは、千夜の言葉以上の意図を汲んでいるような、人間と遜色のない判断能力があるように見えた。

 エルに至っては、リアライズしたのはあくまで寝姿の絵で、コメントすらなかった。それなのに彼女は作中の能力である鎧の召喚をやってのけていた。

 そもそも絵をリアライズしたはずなのに、生きている人間――戦乙女だが――を生み出すなんてことは、描いていない内部構造、さらには記憶までを反映していないとできるものじゃない。

 ――リアライズプリンタはもしかして、絵を現実に実体化させるだけのものじゃないのか?

 そう思った俺は、ソフィアの立像画像に、ストック絵から新たな画像を呼び出して重ね、コメントを付け加えてみる。千夜にも確認し、設定追加のことを告げる。

 作業が終わり、画像の送信が終了した後、エルの方を見ると、読み終えたらしい本や資料をクッションの上に積み重ね、立ち上がってフィギュアの一体に注目していた。

「これは……、わたしか?」

「そう。知り合いになった造形師から造りたいって話があったから、こっちから設定画像を送って、販売を許可する代わりに一番出来がいいのをもらったんだ」

 エルが顔を近づけて見ているのは、エルディアーナのフィギュア。

 けっこう有名な同人造形師に造ってもらった、第一部のクライマックスで仮とは言え魂の伴侶を得、秘められた力を発揮し、剣帝フラウスの力を引き出したときの姿。ハイ・ヴァルキリーとなったエルディアーナのフィギュアだった。

 家の中だと邪魔なのでいまはアーマーだけを解除して最初のアンダーウェアの上に上着などを重ねた普段着スタイルの彼女だが、ハイ・ヴァルキリーの彼女は鎧を纏った姿とも違い、より神々しい印象があった。俺が設定絵を描いたものとは言え、造形師の腕が光る素晴らしい出来だと思う。

「やはりわたしは、貴方の生み出した想像上の存在なのだな……」

 何かを堪えるように、エルは唇を噛む。

「本を読んで、どうだった?」

「わたしが旅をした様子が描かれていた……。それだけでなく、途中からはまだわたしが経験したことのない時間、次に行こうと考えていた場所で起こる話になっていた」

 リアライズしたあのエルの寝姿は、第二部の第二話と第三話の間の時間と設定して描いていた。

 第一部のラストで魂の伴侶として決めた勇者を、魂を砕かれて失い、悲しみに暮れて眠る彼女の姿だった。

 だからだろう、最新は今度出る新刊で第二部七話になるが、彼女の記憶は二話の後までしかない。

 フィギュアから目を離し、俺を見たエル。

 でもすぐに視線を外して、泣きそうでも、悲しそうでもなく、困惑とやるせなさと、諦めが綯い交ぜになったような瞳で言う。

「和輝。貴方が言った通り、わたしは貴方の物語の登場人物だ。――しかしわたしは、まだ信じられない。いや、信じたくない。本当にわたしは、そのリアライズプリンタというもので実体化した存在なのだろうか? と思っている」

「いまからどうやっていまのエルが生まれたのか見せるよ。千夜」

「うん。取説は読み終わったから、やり方は大丈夫だと思う。できるかどうかはちょっと不安だけど、ねぇ……。まぁともかく、暗くなる前にやろ」

 俺の部屋のマンガを読んでいた千夜がぴょこんと立ち上がって言う。

 ふたりを伴い、俺はソフィアが待つ千夜の家の庭へと向かった。

 

 

          *

 

 

「ぐっ。その手があったか」

 千夜が頭に被っているものを見て、俺は思わずそう呟いていた。

 道路側は駐車場とポーチになってる俺の家の裏庭は、いまのところただの更地になっているが割と広いスペースがある。千夜の住む家とはコンクリートの壁に扉があって、玄関を出なくても行き来することができるようになっていた。

 インビジブルモードを解き、片膝を着いた姿勢で上半身も下げているアルドレッド・ソフィアは、それでも二階建ての上に屋根裏部屋がある俺の家よりも高いくらいのでかさがあった。

 ソフィアの前に立ち、左手にリアライズプリンタを乗せている千夜が頭に被っているのは、スマートギア。

 額と後頭部のバンドで頭に固定し、顔をけっこう覆うサイズのヘッドマウントディスプレイとヘッドホンが合わさったような水色のそれは、脳波を受信してポインター操作や応用してキーボード入力までこなせる多機能インターフェースだ。

 携帯端末の汎用コネクタに接続して使うスマートギアは、発売されてからけっこう経っているが普及してるとは言えず、価格もサラリーマンの月収くらいするため持っている人も少ない。けれど少し前から始まったフィギュアサイズのロボットが人間サイズになって戦うアニメ『ピクシードールズ』の主人公やヒロインが使っていることもあって、マニアアイテムとしてロボットオタクの千夜はアニメコラボモデルを買っていたし、絵を描くのにはどうにも慣れなくて使っていないが、俺もひとつ持っている。

 何よりの特徴は、俺がテレビでサイズ調整を慎重にやっていたのと違って、実投影サイズはともかく、見た目のサイズはかなり自由が効くことだ。リアライズプリンタで巨大なものを実体化するには最適なものと言えるだろう。

「よっし、いくよ! リアライズ!」

 その辺は俺と同じなのだろうか、やっぱり叫びながらリアライズプリンタの稼働開始ボタンを押した千夜。

 しかししばらく待っても、ソフィアに向かって光が照射されることがない。少ししてから、エラーのビープ音が鳴った。

「んー。もう一回っ。リアライズ!」

 不安そうに表情を曇らせているエルにちょっと注意を向けながらも、俺はリトライでも成功しなかった千夜に近づいていく。

「どうしたんだ?」

「んー。よくわかんない。ってか、この設定がよくわかんない」

 外部カメラがあって俺のことも見えてるんだろう千夜は、スマートギアを被ったまま右手につかんでいた携帯端末を見せてきた。

 俺が送った画像を拡大して表示したその部分は、ソフィアに新たに追加することにしたレディモードのところ。

 いくらなんでも全高十二メートルのアルドレッド・ソフィアはいつまでも隠しておけるもんじゃないと思って、どうせもうスーパーロボットみたいなものだからと人間サイズへの変身機能を追加してみていた。

「どこがわからないんだ?」

「ロボットが人間サイズになるのはいいとして、なんで人間の女の子になるの?」

 ゴーグルの下では俺のことを睨んできてるだろう千夜は、唇を尖らせる。

 アニメなんかではよくある設定だと思ったが、彼女はお気に召さなかったらしい。

「どうすりゃいいんだよ」

「ロボットなんだから、ここは人間サイズのロボットでしょ! 人間サイズになるにしても、ロボットがいいよー」

「あー、わかった。このロボフェチめ。スマートギア貸してくれ」

 小学校の頃にはアニメやマンガにはまっていた俺の影響もあってか、千夜もアニメ好きマンガ好きだが、主に美少女系のものが好きな俺と違って、彼女はロボットマニアだ。それも重度の。

 手渡してもらった、微かに千夜の香りがするスマートギアを俺に合うサイズに調節して被り、自分の携帯端末に接続して自宅の画像倉庫にアクセスした。

 ストック絵から見つけたロボットメイドの画像をちょっと調節して差し替え、コメントも変更して千夜に送信した。

「もう一度やってみてくれ」

「うんっ」

 どうやら今度は満足したらしい。スマートギアを被った千夜が三度目の上書きリアライズに挑戦する。

「リアライズ!」

 叫びながら千夜が稼働開始ボタンを押すと、今度はすぐさま紅い光がソフィアのボディ全体を包むようにに照射された。

 ――でも、なんでだ?

 そう、俺は考えていた。

 一度エラーで上手く行かなかった画像が、言ってしまえば細部の変更だけでリアライズが可能になった。

 同時にそもそもおかしいことに気づく。

 エルディアーナは俺が想像し、設定し、描いた登場人物だ。

 それに対してアルドレッド・ソフィアは、俺が描いたもので、希望を多く取り入れているにしても、千夜が描いたものじゃない。

 リアライズの可否について、その条件がいまひとつわからなくなっていた。

「――わたしも、こうして実体化したのだな」

 エルが見つめる先では、新しい画像に添って、少しずつソフィアの形状が変わりつつあった。

 ゼロから実体化していくものではないが、エルもまた、こうして実体化したことには変わらない。

「うん……。そうだよ」

 ちらりとエルの顔を見ると、その瞳には困惑の色は消え、諦めに近いものが浮かんでいるのが見えた。

 彼女の中で、何かが納得できたのと同時に、何かを諦めたのだろうと思えた。

 ――それでも俺は、君を……。

 言おうと思った言葉は、声にはならなかった。

 幼馴染みの千夜ならともかく、人見知りの上に人と話すのが苦手な俺は、あんまり人と話すのが得意な方じゃない。

 本人以上に彼女のことを知っていても、近寄りがたい雰囲気を醸し出しているエルを慰めてやることもなく、ただ唇を引き結んでいる姿を見ているだけだった。

「ソフィア、レディモード」

『――@*$!』

 千夜がそう言うと、ビープ音ともノイズとも違う、たぶんソフィアの言葉だろう声がした。

 一瞬まばゆいほどの光を放ったと思った次の瞬間には、アルドレッド・ソフィアの巨体は消え、レディ・ソフィアが庭の真ん中にぽつりと立っていた。

 近づいていくと、ロングスカートの地味なワンピースに飾り気の少ないエプロンと、ビクトリアンスタイルの落ち着いたメイド服を身につけ、俺より少し低いくらいの、エルと同じくらいの背丈の女の子が立っていた。

 黒くしっとりた感じの髪は、肩胛骨を超えるくらいのエルよりもさらに長い腰近くまで伸び、日本人ともまた違う少し人工的な感じがする整った顔立ちは、生きている女の子と変わりがないように見える。

 でも耳があるはずの場所にはアンテナ状の突き出たパーツが被さっていて、さらに長い袖口から先の手は、機械の関節を持つロボットの手だった。

「んーっ! いいっ! 凄くいい!! 想像してたのと同じで可愛いし、いいよ! レディ・ソフィア!!」

「――&#%*」

 興奮している様子の千夜ににっこりと笑んだソフィアは、何かを言ってスカートを軽くつまみ上げながら深くお辞儀をした。どうやら挨拶をしたらしい。

「ソフィアは喋れないのか?」

「ん? だってロボットでしょう? マスターであるあたしはソフィアの言ってることわかるけど、ロボットらしく喋ってほしいなー、と思ってたから、こんな感じだよ」

 なんで妙なところでこだわるのか、千夜の考えがわからない。

「よろしく頼む。わたしはエルディアーナ。……エルと呼んでくれればいい」

「――*$%」

「あぁ、そうだ。わたしは戦乙女、ヴァルキリーだ」

「――&%$#」

 挨拶を交わしているエルとソフィア。

 人間の言葉には聞こえないソフィアの言葉に、エルが応じて喋っている気がする。

「……エルは、ソフィアの言葉がわかるのか?」

「いや、言葉はわからない。けれども言いたいことの意味はわかる。彼女の意志は理解できる。わたしは戦乙女だからな」

「俺だけわからないのかよ……」

 確かにエルには言葉以外にも相手の意志を感じる能力をつけていたのは確かだが、どうやらそれによって俺だけがソフィアの言葉がわからない仲間外れになったらしい。

「……わたしは、この後どうすれば良いのだろうな」

 ソフィアとひと通りの挨拶を終えたらしいエルが、ぽつりと呟く。

 苦しげな表情を浮かべている彼女に、俺はどうしてやればいいのかわからない。

「――夕食でも、食べよう。そろそろいい時間だし、つくってる間に暗くなる」

 十一月半ばの昼間は思った以上に短く、あっという間に過ぎていく。

 リアライズプリンタが届いたのは昼飯直後だったが、いまはもう空は暗くなり始めていた。

「何つくるの? 今日は」

「決めてない。もうこんな時間だし、あるものでつくる予定だけど」

「あたしも行っていい? ソフィアもだけど」

「別にいいけどな」

「よしっ。じゃあ千尋さんに夕食いらないって言ってくるー」

 言って千夜は、ソフィアと一緒に家の方へと走っていった。

 千夜の従姉で、いろんな事情があって千夜の家のお手伝いさんをやってる千尋さんが今日は来ているんだろう。

「……えぇっと、エルは、どうする?」

 そう声をかけると、暗い表情をしてどこか遠いところを見ていた彼女は俺のことを見、小さくため息を吐いてから言った。

「わたしも一緒させていただいていいのならば」

「も、もちろん、いいんだけど。……後のことは、また食事をしてから考えよう」

「そうだな……」

 下ろした左腕をつかむようにしていた右手に力を入れ、唇を噛んでいたエルは、もう一度ため息を漏らしてから踵を返し俺の家の方に歩いていく。

 そんな彼女の背中にかけてやるべき言葉があるように思えたが、俺は何も言い出すことができず、後ろを着いていくように歩き始めた。

 

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第一章 3

       * 3 *

 

 

「――*%$#%」

「あぁ、うん。お願い」

 何を言っているのかわからないが、何を言いたいのかはだいたいわかるようになってきたソフィアにそう答えると、可愛らしい笑顔を見せた彼女は思った通り焦げ付かないよう鍋を柄杓でかき回してくれる。

 家に入ってから一時間半ほど。

 窓の外はすっかり暗くなっていて、家にあった材料で俺はとりあえずの夕食を完成させつつあった。

 今日の献立はカレー。

 千夜だけならともかく、三人になった人数分と、たぶん今日はお袋が帰ってくるからその分と思ってつくった量はけっこう多く、姿だけじゃなくメイド的機能も備えているソフィアに手伝ってもらって、明日くらいまでの量を寸胴いっぱいにつくっていた。

 千夜には手伝ってもらっていない。

 包丁くらいは握れる彼女だが、今日はあんまり時間を掛けられなかったし、基本不器用なため手伝ってもらうとむしろ効率が落ちる。

 ――お袋が帰ってくる前に、今晩エルにどこで寝てもらうか考えないとな。

 お袋に紹介するとしても、タイミングを見て千夜の友達としてがいいか、と考えながら対面式になってるキッチンの向こう、ダイニングテーブルで向かい合うように座る千夜とエルを見てみると、明け放ったリビングとの仕切りの扉の先のテレビを見ながら、いろんなことを話しているようだった。

 全体的には暗く深刻な顔をしているのに、食事ができるまでと思って置いておいた煎餅を食べて一瞬ながら碧い瞳を輝かせているエルは、俺が想像したキャラクターであるはずなのに、初めて会う女の子のようにも見えていた。

「そこの棚からお皿を出してきてくれ」

「――&%$」

 了承らしい返事の後、俺の背後にある棚からカレー皿を持ってきてくれるソフィア。

 その枚数は、四枚。

「……ソフィアも食べるのか?」

「――#$%」

 何かを言った後、頷く彼女に、皿を受け取った俺は炊きあがったご飯を盛りつけていく。

 ――そう思えばストマックエンジンとスメルセンサーを搭載してたんだっけ。

 アルドレッド・ソフィアだったときは、必要な物質を空気から収集してゆっくりながら自己修復する機能があると設定していたが、レディモードを追加する際に、食事をして物質収集を早めることができると言うのと、味を感じることができるようにしていたのを思い出した。

「さぁ、できたぞ」

 俺とソフィアでカレーライスを盛りつけた四枚の皿を運び、それぞれの椅子の前に置く。らっきょうは切らしてるために福神漬けだけを小瓶に小さなトングをつけて出して、あり合わせのサラダと取り皿も並べた。飲み物はエルが気に入ったらしいお茶にして、全員分新しいものを注ぐ。

「やったーっ。和輝のカレーだ。久しぶりー」

「これは……、カレーという食べ物か」

「あー。たいしたもんでもないぞ。市販のルーにちょっと手を加えただけだし、今日はアレンジするような材料もなかったし」

「あたしは好きだよー、和輝のカレー。普通のでもさ」

 妙にはしゃいでる千夜や、難しい顔でカレーの皿を見つめているエルにスプーンを配り、椅子に座る。

「いただきます」

「――*%&」

「……いただきます」

 俺と千夜のいただきますの声に合わせるように、そういう情報も調べていたのかソフィアの声が被り、その様子を見ていたエルもまた真似て言った後、カレーを食べ始める。

「こっ、れは……」

 予想はしていたことだったが、ひと口カレーを口に運んだエルの瞳が輝き始める。

 千夜と話しながら煎餅を食べていたときは誤魔化そうとしていたみたいだが、今度は二口目三口目と運ぶ手が止まらず、隠すこともできないらしい。

「……エルってさ、美味しいもの好きだよね」

「そっ、そんなことは!」

 千夜の指摘に金の髪を振り乱しながら左右に首を振るエルだったが、俺がまだ半分の食べていないのにすっかり空になってる皿があるんじゃ、説得力がない。

「お代わりならあるぞ」

「う! あ、う!」

 立ち上がった俺の顔と空の皿を見比べるエルは、千夜の指摘に恥ずかしがっているのか、素直に答えられないようだった。

「そりゃあまぁ、和輝のカレーはワタシが教えた以上に美味しいから、お代わりの二回や三回、当然よねぇ」

「あっ!」

 不意にリビングの入り口からかけられた声。

 驚きの声を唱和させた俺や千夜ではもちろんなく、振り向いているエルでもソフィアでもないその声は、俺のお袋だった。

「お邪魔してます、輝美(きみ)さんっ」

「あぁ、いいのよ、千夜ちゃん。しかし今日はなんだか賑やかねぇ。見知らぬ顔がふたりもいるし。何よ和輝、女の子ばっかりじゃない。根暗でヒッキーな貴方にモテ期でも来たの? ハーレム展開?」

 言いながら厚手のコートを脱いでコート掛けに引っかけたお袋、早乙女輝美(さおとめきみ)は、白いカジュアルシャツにジーンズというラフな格好でダイニングに入ってくる。

 フリーのファッションデザイナーという微妙にわかるようなわからないような仕事をしているお袋は、帰らないことも多いくらい仕事に出ていて、今日は帰るだろうってことはわかっていたが、もっと遅い時間かと思っていた。

 玄関の扉が開く音でも聞こえていたらまだ時間があったかも知れないが、エルの様子に気を取られて、不意打ち的に帰ってきたお袋からふたりを隠す暇がなかった。

 千夜に軽く手を上げて挨拶した後、お袋はソフィアとエルのことをじっくりと眺める。

 ――まぁ、お袋なら大丈夫か。

 見つかったものは仕方ない。いまさらだと思って俺はふたりのことを誤魔化すのを諦めた。

「そっちの子はロボットなのかしら? こんな精巧な上に自律行動できる人型ロボットなんて実用化されてたかしら? そっちの子も人間じゃないみたいだし――」

 最後は呟くように言いながらエルに顔を近づけるお袋。

「なんだ。確かエルディアーナちゃん、だよね? この子。コスプレってわけでもないみたいだし、凄いわね。本物よね?!」

 正面から横から後ろから、興味津々でエルの様子を眺めているお袋に、見られているエルは怖々と避けるようにしていた。

 俺がマンガを描いてお金を得るようになったのは、中学のときが最初だった。

 いくつかのことで親の同意が必要だったこともあって、お袋は俺がマンガを描いていることを知ってるし、いま描いてるエルディアーナの物語である同人誌も、読ませろと言われているので新刊が出る度に渡している。

 エルのことも、お袋は知っていて当然だが、よくも名前まで憶えているものだ。

「ふむふむ。まぁなんかよくわかんないけど、何かよくわからないことがあったのね。あったことはどうでもいいか。詳しいことは後で聞かせてもらうってことで。エルちゃんは戦乙女なんだし、行く場所ないんでしょ?」

「えぇっと、……はい」

「だったら和輝に客間準備させるから、とりあえず今日はそこに泊まりなさい。その後のことは後で相談する、ってことで。こっちで生きるための生活用品だってないんだろうし、どーせ貴女がここにいるのは和輝の責任なんだろうし、責任を持って和輝に準備させればいいし、服はワタシが用意するし」

「しかしわたしは――」

「いいのいいの。やったことの責任は自分で取れ、ってのが早乙女家の家訓だから。その通り和輝に責任取らせりゃいいのよ。服は……、とりあえず手持ちでエルちゃんが着られそうなものがあると思うからそれとして、他はもう、いろいろ気合い入れて選ばないとね! 金髪に碧眼! 身長もあるしスタイルもいい!! 千夜ちゃんも可愛くて大好きだけど、エルちゃんも綺麗でとっても素敵! 今度モデルにでもなってもらおうかしら? ロボットの子もいいわねぇ」

 息子である俺が聞いてても頭痛くなってきそうだが、お袋は大雑把と言うか、物怖じしないと言うか、細かいことは気にしない。

 繊細さについてはいまは海外にいて当分帰る予定のない親父が持ち合わせているので、お袋とのバランスが取れてるのかも知れないとか思う。

 出くわしたときにはどうなるかある程度予想してはいたが、お袋はエルとソフィアのことを自分なりに納得したらしい。

 たぶん打ち上げか何かがあった後で、お酒を飲んできてるらしいお袋のテンションはいつもよりもさらに高い。

 ニヤニヤした顔で迫られて戸惑っているエルには不幸かも知れないが、エルをリアライズして、たぶん当分は俺の家か千夜の家に住んでもらうことになるだろうと思っていたんだ、このタイミングでお袋にバレたのは悪くなかったかも知れない。

「とにかくまっ、夕食にしましょ。お腹空いちゃったぁ。ワタシの分とエルちゃんのお代わり、よろしくね、和輝。それからビールも!」

「……わかった」

 何がそんなに嬉しいのか、満面の笑みを浮かべて言うお袋に了承の言葉を返して、まだ困惑の表情を浮かべているエルの前から皿を奪うように取って、俺はキッチンへと向かった。

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第一章 4

       * 4 *

 

 

 結局明日の分までと思ってつくったカレーは、お袋とエルが競うように食べたために、すっかりなくなってしまっていた。

 千夜とソフィアが自分の家に帰り、軽くシャワーを浴びた後のお袋に今日あったことをひと通り説明をし、エルもまた当分この家で暮らすことを了承した。

「はぁ。今日はいろんなことがあったな」

 さらにお酒を飲んだお袋はさっさと寝室に引っ込み、エルのために客間を軽く掃除をした後、自分の部屋に入ってやっとひと息吐くことができた俺は、今日あったことを思い出していた。

 リアライズプリンタの到着と、戦乙女エルディアーナのリアライズ、さらに俺と同じようにリアライズプリンタを手に入れていた千夜がリアライズしたソフィアに彼女の上書きリアライズ、お袋の不意の帰宅とエルとの同居決定。

 今日一日だけでどれだけのことがあったのかと思ってしまうほどだった。

 その上現実だとわかっているのに、現実感がないことばかりが起こっていた。

 明日起きたら全部なかったことになっていても、夢だと信じられるほどに。

「でも、夢じゃないからな……」

 見ていたエルの表情を、全部思い出すことができる。

 マンガに描いていた以上に表情豊かな顔の、今日見てきたすべてを。

 それに彼女に触ったときの、柔らかくも気持ちのいい感触も――。

「お風呂が空いた」

「ひょっ」

 ノックと同時に扉が開けられて、俺は奇妙な悲鳴を上げてしまっていた。

「……わ、わかった。後で俺も入る」

「湯が冷める前に入った方がいいだろう」

 お袋が早速引っ張り出してきたピンク色のパジャマにカーディガンを重ねるエルは、ちらりと見ると何かを考え込むように扉のところに立っていた。

 しばらく考え込んでいたらしい彼女は、思い切って顔を上げ、声をかけてくる。

「少し、貴方と話がしたい。大丈夫か?」

「……うん。わかった」

 答えて俺はハンガーにかけておいた上着とコートを取って、コートの方をエルに渡してやる。

 壁は決して薄くないし、本が詰まった棚もあるから大丈夫だとは思うが、隣はお袋が寝ている寝室だ。これからどんな話をどんなテンションでするのかわからない以上は、あまり聞かれない方がいいような気がした。

 廊下の突き当たりからベランダに出て、千夜の家に面した家の裏側まで歩く。

 夜になって息が白くなる中で、俺はベランダの突き当たりの柵に身体を預けて、難しい顔をして足下を見つめているエルの言葉を待つ。

「わたしは……」

 顔を上げたエルの碧い瞳は、揺れているように見えた。

 そんな彼女の姿も、やはり美しい。

 夜に染まり暗くなったベランダで、遠くの街灯に煌めく金色の髪は、微かな風になびき、大きめのパジャマの上からでもわかる胸の膨らみを握った右手で押さえ、苦悩に表情を歪ませていても、エルディアーナは美しい戦乙女だ。

 自分が描いていた女の子のはずなのに、自分の知らない女の子ような、そんな印象のある彼女。

「わたしは知りたくなかった……。今日一日で、わたしはたくさんのことを知ってしまった。貴方の想像上の存在であったことも、わたしの目的も、旅も、物語の中の事柄でしかなかったことを」

 三歩あった距離を一歩詰め、彼女は言う。

「わたしには確かにあの世界で生きて、旅をして、戦ってきた記憶があるのに、あの世界で出会った人々が、失ってしまった我が魂の伴侶がいた記憶があるのに、すべてが……、すべてが嘘だった」

 唇を震わせ、涙に瞳を揺らしながら、彼女は言う。

「貴方の言う通り、すべては貴方の創作だったことがいまならわかる。絶対に途切れることのないヴァルハラとの交信もできず、貴方の読ませてくれた本の中に、確かにわたしがいた……。そしてわたしは、あの世界に帰ることもできない」

 零れそうになっている涙を見せないためにか、首を振り、彼女は俯いて顔を隠す。

 その拍子に飛び散った涙が街灯の光を受けてきらきら輝いて落ちる様子すらも、俺には美しく見えていた。

 けれど俺は、そんな彼女に返す言葉がない。

 元々高校以外は引きこもりがちで、クラスでもオタクと言われて孤立している俺は、あまり話すのが得意な方じゃない。

 彼女に返すべき言葉は、頭の中にイメージできても、それを口にすることができない。

「わたしの存在は、この世界では無意味だ。存在している価値すらない。戦うべき巨人族やその眷属はおらず、我らが神族もおらず、求めるべき英雄も、魂の伴侶もおそらくはこの平和な世界にはいない……」

 マンガの中で俺は戦乙女を、勇者の魂をヴァルハラへ誘う役を担う者として描いていた。

 戦乙女の原点である北欧神話で、ヴァルキリーは多くの英雄の魂をヴァルハラに連れて行っていることになっているが、俺はそれを変更して、ただひとりの勇者を求める存在として、勇者との出会いを結婚に見立てて、魂の伴侶を求める存在として、エルディアーナを描いていた。

 割と平和で、神話のように神や巨人がいなく、神話のような戦いも起こらないこの世界では、確かにエルの言う通り、戦乙女の存在は無意味だ。

 彼女をリアライズすると言うことは、彼女の存在意義を、生きる意味を奪うことになると、俺はわかっていた。

「何故、貴方はわたしをこの世界に喚びだしたのだっ。わたしを生み出した貴方ならば、それがわたしの存在を無意味にすることだとわかっていただろう! それなのに、それなのに何故! わたしを喚び出したのだ……」

 大きく一歩俺に近づいてきたエルは、両手で俺の上着をつかむ。

 もう抑えることのできない涙が、俯いた彼女の顔から滴り落ちていた。

「それは……」

 何か言おうと考えていて、でも思うように言葉にならない。

 マンガの中で描いたことがないほど打ちひしがれているエルは、俺の胸に額を着けて泣く。

「わたしは出会いたかったのだ、魂の伴侶に。我が勇者に。あの人を失ってなお消えない想いを打ち消してくれるほどの者に。それなのに、それなのに……、貴方はすべてを無にしてしまった。いまさらあの世界に帰れたとしても、わたしは今日知ってしまったことを忘れることはできない。わたしは、わたしはどうすればいいのだ……」

 肩を震わせているエルを慰めてやることもできなくて、思っていた以上に細い肩を抱いてやることもできず、俺はただ立ち尽くす。

 慰めの言葉も、抱き締めてやることも、いまの彼女には何の役にも立たない。それがわかっている俺は、彼女にやっと思いついた言葉を言う。

「……だったら、この世界で勇者を探してみるのは、どうかな?」

「それに、何の意味がある」

 手で涙を拭ったエルが顔を上げて言う。

 涙はどうにか止まったみたいだが、悲しみに揺れる碧い瞳はいまも変わらない。

「えぇっと……、巨人族との戦いのためとか、神に与えられた使命ってこともあったと思うけど、勇者を、魂の伴侶を求めるのは、エル自身の願いでもあったんじゃないか、と思うんだけど……」

「それは確かにそうだが」

「設定した俺だからわかるんだけど、魂の伴侶ってのは、好きな人を探すのに近い。好きになって、結婚相手を探すのに近い。あの世界での勇者とは意味が違ってくるけど、好きで、一緒にいたいと思える相手を探すのは、エルにとって無意味ではない、と思う……」

 俺が言ってる間に涙はすっかり止まり、驚いたような表情になるエル。

 俺から視線を外して、しばらくの間考え込むように俯いた彼女は、口元に微かな笑みを浮かべた。

「……そうだな。それもまた、よいかも知れない」

「うん」

「わたしはまだこの世界のことをよく知らない。すでに貴方の母上には良いと言われているが、しばらくの間この家に厄介になっても構わないだろうか?」

「それは……、もちろん」

「そうか。ならば、わたしがこの家を出る決心がつくまで、お願いしたい」

 上着をつかんでいた手を離し、一歩距離を離したエルは、深々と頭を下げる。

「こちらこそ、これからよろしく」

 戦乙女エルディアーナが強いことは知っていた。

 戦士としての強さだけでなく、心の強さも充分以上であることを。

 だからこそ、放浪の戦乙女の第一部のラストで、一度は出会った魂の伴侶を失っても、立ち上がることができたのだ。

 どんな風に言ったらいいのか、うまく思いつけるか不安だったが、俺は言葉選びに成功したらしい。

「しかしもし、昼間のような不埒なことをしたときには、容赦なく叩き斬るがな」

 冷たく鋭い視線を向けてくるエルに恐怖を感じて身を竦めてしまうが、そんな俺の様子を見て彼女は笑みを浮かべる。

 そんな彼女の表情が、一瞬して曇った。

「どうかした?」

「何か、おかしな気配が……」

 眉間にシワを寄せ、何かを探るように目を細めるエル。

「悪意か殺意か……。何かそうした禍々しい気配を持った者が近くにいる。それもこの気配は、人のものとは思えない……。魔神の力に似ている」

「いったい何なんだ?」

 そうエルに問うたとき、ズボンのポケットの中に入れておいた携帯端末が震え出した。

 取り出して見ると、千夜からの通話着信。

「どうしたんだ? 千夜」

『ソフィアが人間じゃないヘンなものの大きなエネルギーと、女の人の悲鳴を感知したって言ってるんだけど。なんか急いだ方がいいみたい』

「……わかった。すぐに家の前まで来てくれ」

 通話を切って、エルに向き直る。

「行こう、エル」

「えぇ」

 脱いだコートを俺に手渡したエルは光をまとい、パジャマ姿から普段着スタイルへと服装を変化させる。俺はすぐにやってくるだろう千夜と落ち合うためにベランダから中に入って玄関へと向かった。

 

 

          *

 

 

 バタバタと階段を駆け下りる音に目が覚めた水色のパジャマを着た輝美は、乱れた髪をなでつけながら階段を下りていく。

 階段を下りた先にある玄関には、すでに和輝とエルディアーナの姿はない。彼の靴と彼女の脚甲付きのブーツがなくなっていることから、外に出たのだろうと思った。

「こんな夜遅くに何に首を突っ込んでるんだか」

 大欠伸を漏らし、リビングの灯りを点けてダイニングを抜け、キッチンへと入る。

 流しの脇の水切りからコップを取って、冷蔵庫から出したペットボトルのミネラルウォーターを注いだ輝美は一気に飲み干し、もうひとつ欠伸を漏らしてリビングへと戻った。

「……これが例のリアライズプリンタって奴か」

 機能もサイズもできる限り大きなものを選んで買ったと言うのに、ここ最近自分ではあまり使っていない大型平面モニタ。その上に置かれた機械を覗き込むようにして見る。

 樹脂のカバーに覆われたリアライズプリンタは、仕事の際に使うことがあるプロジェクターにしか見えない。

 撫でるように触れた後、人差し指の平で軽く叩くと、プリンタの上部が跳ね上がるように開いた。

 思った以上に小さい基板や強い光を発する発光部などで構成された内部も、あまり見たことはなかったがプロジェクターの構造と違うところは見られない。

 しかしひとつだけ、違う点があった。

 ユニット化されたレンズの後ろに、増設されたらしい紅い宝石のような素材のレンズがあった。

「――やっぱりってところか」

 その紅いレンズに注目していた輝美は目を細め、そう呟いた。

 開いていた上部の蓋を閉じ、大きなため息を吐き出す。

「エルちゃんもソフィアちゃんも強いみたいだし、とりあえずはあの子たちに任せておいても問題なさそうだけど、ワタシも動かないとダメかぁ」

 欠伸を漏らし、頭を掻きながら、輝美はリビングを出て自分の部屋へと向かった。

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第一章 5

       * 5 *

 

 

「遅い!」

 急いで外に飛び出すと、コートを羽織った千夜と、相変わらずメイド服姿のソフィアがすでに待っていた。

「何なのかわかるか?」

「うぅん。ソフィアもわかんないって。エルはどうなの?」

「わたしも詳しいところは……。けれど人ではあり得ない、禍々しい力を感じる。魔神に似た気配であることは確かなんだが」

 勢いで飛び出してきてしまったが、なにやら恐ろしいことが起こってそうなことに首を突っ込んでいいのか、と思ってしまう。

 痴漢や通り魔の類いであれば人を呼べば逃げていくだろうけど、険しい表情を浮かべているソフィアの顔を見る限り、そんな感じではあり得なさそうだ。

 放浪の戦乙女の中に出てくる魔神に近いものの気配なんて、現実にはあり得ない、とも思う。しかし眉根にシワを寄せて気配を探っているらしいエルの碧い瞳は真剣で、助けることに迷っている様子はない。

 ――なら、俺が迷う必要はない。

「悲鳴が聞こえたのがどっちの方向かはわかるか?」

 俺が問うと、耳を澄ますようにソフィアが目を閉じる。

 それと同時に、ひらひらしたカチューシャの後ろからぴょこんとポップアップしてきたのは、ふさふさと毛を生やした、猫の耳。

「……なんだ、それは」

「あー。何て言うか、ソフィアってロボットだし、そういうセンサーとかありそうだし、どうせなら動物の耳だったら可愛いだろうなー、と思ったりしたの」

 コメントに記載すらしてなかったことを千夜が想像して上書きリアライズのときに追加したんだろうが、何でまたネコミミなんだろう、と思ってしまう。

 ひくひくとネコミミを動かした後、ソフィアは右の方向を指さしながら走り出した。

 どうやらこの街の地図はインストール済みらしいソフィアは、迷うことなく道を選び、俺たちを目的の方向へと導いていく。

 たどり着いたのは、家からほど近い場所にある雑木林になってる区画だった。

「凄まじい邪悪な気配がする」

 雑木林に入る前で立ち止まったエルは、そう言って迷うことなく鎧を喚び出し身にまとった。

「――&%#!」

 今度はエルを先頭に、急ごうと言っているらしいソフィアに続いて雑木林に足を踏み入れる。

 街灯の明かりが届かず、月明かりだけが頼りの林の奥にいたのは、黒い怪物だった。

「そこまでだ!」

 身長は俺よりも高く、軽く二メートルは超えているだろう黒いその物体は、エルの声に応えるように振り向く。

 姿は見ようによってはサンショウウオのような感じだが、二本脚で立っているその姿はまさに怪物で、小さく見える紅い目が、俺たちのことを睨みつけていた。

「ソフィア、お願い!」

「待て! ソフィアはダメだ!」

 エルから少し離れた場所に並んで立ったソフィアに俺は声を掛ける。

 どうやらアルドレッドモードになろうとしていたらしいソフィア。しかし木の密度が高いこの場所では、アルドレッドモードになれば木をなぎ倒しかねない。ソフィアのことだから俺たちに配慮はしてくれるだろうが、実際そうなったらどうなるかわかったものじゃなかった。

「この程度の怪物ならばわたしひとりで充分。それよりもあそこの女性を!」

「――$&%」

 言われて見た先には、腰を抜かしているらしいどこかの学生服姿の女の子が座り込んでいた。

 怪物が女性に迫ってこないように間にソフィアが立ち、俺と千夜で助け起こして、転がっていた鞄を持たせてやる。

「ひぃーーーーっ!」

 呆然としていたその子は、我に返ったらしく、そんな悲鳴を上げながら逃げていった。

 怪我がないようでひと安心してエルの方を見ると、剣を抜き、巨大サンショウウオと対峙していた。

 サンショウウオらしくなく、鋭い牙が並んだ大きな口を開けて噛みつこうとするが、その動きは俺の目から見ても遅い。

 悠々と避けてエルが剣を振るうと、長くない怪物の腕が宙を舞った。

 ――この怪物、どこかで……。

 もちろんこんな怪物、現実に見たことがあるわけじゃない。

 何かの本で、これに似たものを読んだことがあるような気がしていた。

 そうこうしている間に、エルと怪物の決着はついていた。

 痛みを感じないのか、両腕両脚と尻尾を切り離されてもまだもがいて噛みつこうと口を動かしている怪物。さらに身体を上下に切り離されても、死に絶える様子がない。

「これは……、どうすれば良いのだ? 和輝」

「どうしよう……」

 傷口からは血が流れている様子もない。

 生物かどうかもわからず、身体を両断されても元気が衰える様子のない怪物の対処方法など、思いつくわけがない。

「――*+$%!」

「は、離れて! ソフィアが焼くって!!」

 言われて俺たちは怪物の側から離れた。

 切り離されてなお動いている腕と脚を身体の元に集めたソフィアは、右手を高く上げた。

「そ! んなの、ありなのかぁ?」

 俺は思わず、そう漏らしていた。

 天を突くように上げられた右手が、巨大化した。

 手首から先だけがアルドレッドモードになり、メカメカしい関節を露わにしている。

「――*+%!」

「もっとだって!」

 五歩くらいだった距離をさらに広げると、アルドレッドモードの右手が赤く光り始めた。

「ヒートフィンガーか」

 原作アニメのアルドレッド・ソアラにもあった格闘用装備、赤熱させた拳で攻撃ができるヒートフィンガーを、ソフィアは怪物に向けて振り下ろした。

 激しい熱風と、樹脂か何かが高温で焼けるのに似たジュッという音が過ぎ去った後、雑木林の地面に残っていたのは巨大な手の平の形の焦げ跡だけだった。

「いまの怪物は、いったい何だったのだ?」

「いや、わからない……。あんな怪物、この世界にはいたことはない、はずだ……」

 剣を納めたエルに厳しい顔で問われるが、俺だって何だったのかがわかるはずもない。

「妖怪とかそういうものなのかな?」

「……どうなんだろ」

 首を傾げてる千夜も自分の言葉を信じているわけではないだろう。

 リアライズプリンタが届き、エルとソフィアを実体化した他に、この街では何かが起こり始めているような予感が、俺にはあった。

 

 



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第一部 第二章 三人目のリアライザー
第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第二章 1


第二章 三人目のリアライザー

 

 

       * 1 *

 

 

 再び鳴り出した目覚まし時計に手を伸ばして止め、俺は布団の中に潜り込む。

 まどろみが心地良い。

 寝不足気味の頭は靄がかかったように覚醒することはなく、冬場の朝の寒さを逃れて、俺は頭まで布団の中に潜り込んでいた。

 ふと、何かが横っ腹に触れた。

 布団の外かららしいその感触が、つつくように脇腹を攻撃してくる。

 何かを言われているような気もしていたが、まどろみに沈む俺の意識は言葉の意味を理解しない。

「くっ……」

 執拗な攻撃を無視していると、突然布団のぬくもりが消えて、冷たい空気に包まれた。

「うぅーー」

 掛け布団を探して目をつむったまま手を伸ばすと、何か暖かくて柔らかいものに触れた。

 つかんで引っ張り込んで両腕で抱き締める。

 布団ではないみたいだが、暖かく、柔らかく、いい香りのするそれは、布団以上に心地が良い。

 ――あぁ、この感触……。柔らかくて、でもほどよい弾力があって……。

 ちょうど顔に当たる極上の感触に頬をこすりつけていると、なんとなくそれに憶えがあることを思い出した。

 ゆっくりと目を開け、ふたつの膨らみの間から上目遣いに彼女の顔を見る。

「えっと……」

 即座にぬくもりを手放して折り畳みベッドの上で出来るだけ距離を取った俺だが、昨晩の戦闘のときにも見せなかった、碧く燃え上がるほどの怒りを宿す瞳をしたエルは、高く上げた右手を振り下ろした。

「この不埒者!」

 

 

 

 

 顔を洗って鏡を見ると、頬にまだくっきりと手形が残っていた。

「うぐぐ……」

 しばらく切ってなくて、目まで隠している前髪やシャツの襟まで届いてる後ろ髪を整えるのが面倒で諦め、俺はエルの平手打ちでズレた感触の残っている顎を左右に動かしながらダイニングへと入る。

「おー。この不埒者。やっと起きてきたか」

 味噌汁とご飯が並ぶダイニングテーブルの上に、厚切りベーコンを添えた目玉焼きの皿を置くお袋が、俺の姿を見て早速そんなことを言ってくる。

「二次元にしか興味がないオタクかと思っていたら、まさか変態だったとは情けない。育て方間違えたかしらねぇ、ワタシ」

 意地悪な笑みを浮かべているお袋の言葉が冗談なのはわかっているが、育て方を間違ったという発言については否定する気も起きない。

 立派なオタクに育った自分がまともな人間でないことは、充分に自覚している。

「でもね、和輝。そういうことはちゃんと本人の気持ちを考えて、ちゃんと了解を得てからじゃないとダメなのよ?」

「いや、さっきは寝ぼけてて――」

「ワタシもその気がないときにあの人が迫ってきたときは、アレを再起不能にするつもりで蹴りつけるからね」

「自分の親の性生活の話なんて聞きたくねぇよ……」

 親父は年の半分くらいは海外にいて、お袋も仕事で飛び回っているときが多いからそんなに一緒にいる時間は多くないが、結婚してもう二〇年弱が経つというのに、相変わらずラブラブらしい。

 喉の奥から忍び笑いを漏らしているお袋のことは気にせず、いつも自分が座っている椅子に座る。

 斜め向かいに座っているのは、エル。

 あからさまにそっぽを向く彼女だったが、俺はそんなことよりも彼女の着ている服に注目していた。

 折り返しの襟の部分が緑のチェック模様になっている茶系の落ち着いた色のブレザーは、俺が通っている高校の制服だ。

「なんでエルがうちの制服着てるんだ?」

「あぁ。それ、ワタシがデザインに関わってるから、サンプルでもらったのよ。結局使う機会はなかったから仕舞いっぱなしだったけど」

 四十手前なのにいまだに二十代に間違われることがあるとは言えさすがに無理がないかとか、何に使うつもりだったんだとか思い浮かんではいるが、俺の前に座ってニヤリと笑うお袋に突っ込みを入れたらたぶん負けなので黙っておく。

 改めて見たエルの姿は、俺が描いたことがある鎧姿でも、鎧を外した普段着スタイルでも、アンダーウェアでもなく、落ち着いた色合いの制服と相まって、いままでの彼女と印象が違って、何となく可愛らしく思えた。

 先ほどとは違って瞳に籠もった怒りは少し収まっているようだが、それでも俺を睨みつけてくるエルに、制服姿の感想でも言えば怒りを緩和できるかも知れないが、どうにも上手く口に出すことができない。

「エルちゃんに見惚れるのもいいけど、まぁとにかく学校に連れて行って上げて。この世界のことをもっと知りたいそうだから」

「……いや、無理だから。バレるから。金髪に碧眼って、違和感ありまくりだから」

「でもエルちゃん、目の前にいても認識出来なくなるくらいの気配消しの能力? 隠形の術? 持ってるでしょ。だったら大丈夫よ」

 人間ではなく、戦乙女である彼女は必要な場所に気づかれずに入り込めるよう、気配を消す能力を付加していたことを思い出す。大きな声を出したり激しく動いたりするとバレてしまうが、おとなしくしている分にはたぶん大丈夫だろう。

 というか、渡してあるとは言え、お袋もよくよく放浪の戦乙女を読み込んでるものだと関心する他ない。

「いや、まぁ、いいけども……」

「んっ。今日一日、エルちゃんのことはよろしくね、和輝。エルちゃんも和輝にお願いしないとね」

「ぐっ……。よろしく、頼む」

 悔しそうに唇の端を歪めながらも、頭を下げてくるエル。

「まぁ話がまとまったところで、食事にしましょ。そろそろ登校の時間だし、千夜ちゃん待たせちゃ悪いでしょー。いただきます」

「いただきます」

 お袋の号令で朝食を食べ始める。

 ベーコンや卵は作中世界でもあるはずだが、それでもひと口食べるごとに目を輝かせているエルは可愛らしい。痛くご飯が気に入ったらしく、茶碗が空になると挙動不審になって、それに気づいたお袋によって二度もお代わりをしていた。

「気づかれないようにしてくれよ……」

「努力する」

「ま、大丈夫でしょ。行ってらっしゃい」

 朝食の片付けをお袋に任せ、お気楽な声に送られて向かった玄関では、女の子としては大きめのエルに合うサイズの学校指定のローファーまであって、それを履いた彼女は何が入っているのか不明な校名がプリントされた鞄を肩に担いで玄関から家を出た。

「おはよー」

「――+*$%」

「うっ」

 家を出るといつものように気合いを入れて結っているツーサイドアップの髪を揺らして振り返ったのは、千夜。

 そして彼女の隣には、相変わらずきっちりとしたメイド服姿のレディモード・ソフィア。

「……なんでソフィアまで」

「昨日のこともあったし、知識としてはこの世界のことはある程度知ってるけど、自分の目で見たいんだって。インビジブルモードがあるから大丈夫だよ」

「レディモードでもあれ、使えるのか……」

「エルちゃんはどうして制服着てるの?」

「わたしも、この世界のことを知るために、と思って」

「あー。まぁ、ソフィアみたいにネットで高速検索とかできないんじゃ、自分で体験するしかないもんねぇ」

 何が起こるかわからないからできれば止めてほしかったが、唇に人差し指を当てて少し考えてから、納得したような返事をしてくる千夜。

 諦めた俺は、ため息を吐きつつ学校へと歩き出す。

 晴れ渡った空は清々しいほどだが、本格的とまではいかないものの、冬に足を突っ込んでいる十一月中旬は、その晴れが仇となって寒々しい。

 寒さが苦手な俺はブレザーの上に羽織ったコートの前をかき合わせつつ、人々の視線に気づかない振りをして歩き続ける。

 アパレル系雑誌の臨時モデルとしてお袋経由で声がかかることがある千夜だけでもけっこう注目されると言うのに、金髪碧眼の美少女であるエルと、手袋をして機械とわかる手は隠していても、突き出た耳のセンサーはそのままだし、メイド服姿のソフィアは目立って仕方がない。

 すれ違うサラリーマンやOL、走る車から奇異の目を向けられているのはわかっていたが、うつむき加減で無視することに決めていた。

「昨晩のような怪物は、度々出現するものなのか?」

 ソフィアと並んで後ろを歩くエルから、そんな声が掛けられる。

「いや、俺も初めて見たし、話にも聞いたことないよ」

「なんて言えばいいのかな? 都市伝説とか怪談話とか、つくり話なんかだとあったりするけど、真っ二つにされても死なないし血も流さない怪物なんていないよね、普通」

「しかし、昨日はいたのだし……」

 そうエルに突っ込まれるが、俺は千夜と顔を見合わせて小首を傾げるしかない。

 実際あの巨大サンショウウオのような怪物が何だったのかなんて、俺にだってわからない。どこかで似たようなものを読んだ憶えはあるが、思い出すこともできない。

 ――都市伝説だったかなぁ。

 何かの本だったのは確かだが、本のタイトルやいつ読んだかまでは思い出すことができず、俺は空を仰ぎながら考え込んでしまっていた。

「……だとしたら、この世界には我が勇者となれるものがいないやも知れぬのか」

「どういうこと?」

 軽く振り向くと、昨日の昼間と同じで暗い顔をして少し俯いているエルに、彼女に並んだ千夜が問うていた。

「いや、例え戦乙女の責務ではなくとも、この世界で勇者と認められる者を探してみようかと考えたのだが、戦うべき怪物がほとんど出現しないこの世界では、見つかる望みは薄いのだな、とな」

 言いながら俺のことを睨みつけてくるエルから視線を逸らして前を向く。

 この世界にリアライズした俺のことを恨んでいるんだろうとは思っていたが、かなり根は深いらしい。

「まぁ、この世界には昨日の怪物が例外だとしたら、神様も巨人もいないし、戦いっても人間同士の戦争くらいしかないからねぇ。あとは、武道の選手とかはいるけど」

「ブドー?」

「えぇっと、剣術とか、格闘技の、試合をする人とか、そういうの。ルールに則ったスポーツ、かな」

「ほぉ。この世界のことは、これからもっと知らなければならないな」

 まだ突き刺さるような視線を背中に感じるが、千夜と話している間に少し穏やかになったらしいエル。

「――*+%&」

 ソフィアの声に辺りを見ると、俺の通う学校の制服を着た人が前方に現れ始めていた。

「そろそろ姿を隠してくれ」

「わかった」

「――&%」

 空気ににじむようにして消えていったソフィアに対して、エルの姿は見えているが、視線を外すとそこにいると意識しないといることを忘れてしまいそうになる。隠形の術の効果だ。

 ――今日もいろいろありそうだな。

 そう思いながら、俺は何故か楽しそうに笑っている千夜と並んで、見えてきた校門に向かって歩き続けていた。

 

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第二章 2

 

       * 2 *

 

 

 防具越しの狭い視界から見えているのは、同じく剣道の防具を身につけた男子。

 口元に笑みを浮かべながら俺のことを睨んできているそいつは、同じ高校一年だけど、確か次期剣道部主将と噂されてる奴のはずだ。

 地下のプールを含めて四階建ての体育館。二階までが屋内スポーツ用で天井が低いと言っても、まだ午前中のいま、広すぎてまともにエアコンも効かない二階の武道室は、裸足でいるにはかじかむほどに寒い。

 今日の一時間目と二時間目の授業は体育。それも選択というよりくじ引きで決まった剣道。

 面倒臭がりの体育教師が基本を教えた後は姿を見せないために、生徒が勝手に決めてトーナメント形式の試合をすることになってしまっていた。

 ――面倒臭いな。

 現役剣道部らしく、機敏な動きと鋭い気合いの声を上げ、竹刀を上段に構えている次期主将は、たぶん俺のことを舐めきっている。

 消臭してても臭いのキツい体育の授業用の防具にやる気が失せていて、俺は背筋すら少し丸めて、だらりと中段に構えた竹刀をゆるゆると動かして牽制しているだけだ。

 ――あー。この構え、かったるいな。

 どうも俺にとって剣道の構えはやりづらい。

 授業くらいでしか習ってないから慣れていないのもあるが、ルールの堅苦しさが臭いとともに俺のやる気を削いでいた。元々、体育の授業なんていつも面倒臭くて真面目にやっていないが。

 外野のはやし立てる声に応えて先に動いたのは、次期主将。

 視線から面狙いとわかる剣筋を大きめに後ろに下がって避ける。

 空振った竹刀を戻して小手でも狙ってくるかと思ったが、遊びでやっているんだろう、次期主将はそのまま突っ込んできた。

「うぐっ」

 身長は同じくらいでも体重は三割は違いそうな奴の突進を受け止められるはずもなく、さらに下がって衝撃を弱めても、俺は尻餅を着く形で倒されていた。

「面!」

 倒れた俺に必要以上に強い打撃を降らせる次期主将。

 それで良いのかと思うが、教師のいない武道室での判定は一本。立ち上がった俺はぴょこんと礼をして、数が足りない防具と竹刀を所定の位置に戻し、試合待ちをしている男子連中から少し離れた場所に座り込んだ。

「痛てててて」

 金属で守られていた顔の前面じゃなく、厚いにしろ布地だけの頭頂部に受けた打撃は、触ってみるともううっすらとコブになっていた。

「真面目にやっていなかっただろう、和輝」

 隣からかかってきた声は、エル。

 真面目な奴がやっているように制服姿で正座をしているエルは、男子の中に女子がひとりという凄い状況なのに、気配を消しているために存在を知っている俺以外には誰にも気づかれていない。

 碧い瞳に睨まれて、俺はそっぽを向いてやり過ごす。

「授業だし、剣道はあんまり得意じゃないし」

「ジュギョウ、と言うのは修練のことだろう。何故真面目にやらない。不得意だからこそ修練し、克服しようとしない」

「授業はそういうものじゃないし……」

「貴方に比べれば、よほど対戦相手の方が真面目であったろう。和輝もあれくらい気合いを入れてやっていればよかったのではないか?」

「……やなこった」

 うるさい言葉に聞こえないよう文句の言葉を呟いたが、聞こえたらしいエルは碧い瞳を細めてさらに鋭い視線を向けてきていた。

「どこに行く、和輝。まだジュギョウというのは終わっていないのだろう?」

「俺の試合は終わったからもうやることないし、叩かれたところが痛いから冷やしてくる。見ていたかったら見ていていいぞ」

 立ち上がったところで掛けられた問いにそう答えると、エルもまた立ち上がって武道室から出る俺に着いてきた。真剣勝負ではないにしろ、剣道と聞いて目を輝かせていたのに、なんでまた俺に着いてくるのか。

「意外と腫れているな」

 並んでいる蛇口のひとつを捻ってフェイスタオルを濡らしていたとき、エルは細い指を伸ばして前屈みになった俺の髪をかき分け、コブの様子を見てくれる。

 エルが触れた指の感触から、さっきよりも熱を持ち大きくなってるのがわかる。

 それよりも、背伸びをして立つエルの、清楚な感じの制服越しでも存在をしっかり主張している胸が、顔のすぐ横にあるのが気になって仕方がない。顔に当たりそうになってるのに気づいていない彼女の無防備さを、俺の方がどうしていいのかわからなくなっていた。

「治癒の術でも使うか? 和輝」

「そう思えばそんなものも使えたんだったな、エルは」

 少し離れて割と心配してくれているらしい色合いの瞳で見つめてくるエルは、戦乙女として戦う技術などだけでなく、人を癒す治癒の術なども使うことができる。

 神に与えられたその力を本当に使えるのかどうかは疑問なところもあるが、隠形の術と同じように、たぶん使えるんだろう。

「なぁ、一年。ちょっといいか?」

「ん?」

 治癒の術を使ってもらおうかどうか迷っていたとき、背後から掛けられたのは野太い声だった。

 一番広い体育室がある三階の階段から下りてやってきたのは、男が三人。首に引っかけているだけの緑のネクタイの色から、二年の先輩だった。

 割とレベルが高くて進学校なのに、上履きの踵を履きつぶしていたり、息するごとに微かにタバコの臭いをさせるこいつらは、校内でも要注意人物と目されている不良三人組だ。

 三十代と言われても信じてしまいそうなガタイのいいリーダー格らしい奴が、近づいてきて言う。

「ちょっと財布を落としちまってさぁ、携帯も持ってないし、金を貸して欲しんだよ」

 ベタベタな台詞を吐くリーダーのにじり寄りを避けて後退りつつ、俺は周囲の状況を確認する。

 武道室に続く廊下には不良その二が立ち塞がり、階段には不良三が通せんぼしている。俺の逃げ道は更衣室に続く廊下しかない。廊下にある時計を見ると、授業終了まではあと二〇分もあって、時間稼ぎでどうにかなりそうもない。

「いやぁ、あの……。いまは持ってなくて……」

 愛想笑いを浮かべながら、俺はそう弁解する。

 敵を睨みつけるような鋭さでリーダーのことを見つめているエルは、いまのところ気配を消したままで、手を出してくる様子はなく、不良たちから見えないように手で合図すると、俺の後ろに隠れるように下がってくれた。

「ロッカーの中にはあんだろ? ちょっとでいいから貸してくれよ」

「現金は持ってないんで……」

「だったら携帯貸してくれよ。認証とか全部外してさ。俺たち本当に困っててよぉ」

「いや、まだ授業中なので、戻らないと……」

 逃げ場のない廊下に俺が踏み込んだからか、三人並んで迫ってくる不良たち。

 買い物があれば携帯端末で決済するから、普段は現金なんて持ち歩かないし、携帯端末の決済認証をフリーになんてしたら、銀行の中身がすっからかんになるまで使われるのはわかりきっている。武器になりそうなものはフェイスタオルのみ。

 適当に誤魔化して逃げ出す方法を考えているとき、聞こえてきたのは昨晩も聞いた金属がこすれる音。

 ダメだ、と声を掛ける暇もなく、長剣だけを喚び出したエルが鞘から抜き放ち、リーダーの眼前に突きつけていた。

「い、いつの間に……」

「なんなんだ?! て、てめぇ」

「金髪? すげぇ」

 それぞれ別のことを口にする不良たちを、隠形の術を解いたエルは睨みつける。

「なんなんだ? この剣は。――あぁ、このオタク野郎の知り合いなら、その髪も剣もコスプレ道具かなんかなんだろ?」

 細い睫毛も眉毛も金色をしてるんだから気づけよ、と思うが、鼻先に触れるほどに突きつけられている剣を怖がっている様子のないリーダー。

 ――勘弁してくれ。

 そう思うのに声を出せないうちに、エルが三人に向かって言う。

「これ以上盗賊のようなことをするならば、例え和輝と同じ学舎に通う者だとしても、容赦はしない。その腐った性根、叩き直されたいか?」

 張り上げてもいないのに涼やかな声が廊下に響いた。

「何言ってんだ? てめぇは。んなことよりこんなモヤシよりも俺たちと遊ぼうぜ。いいとこ連れてってやるからよ」

 いったいいつの時代の不良だと思うほど古風な台詞を吐くリーダーを目を細めて睨みつけたエルは、やめろと言う暇もなく、剣を閃かせた。

「あ?」

 何をされたのかわからなかったらしいリーダーは疑問の声を上げるが、それを無視してエルは剣を鞘に納める。

 顔に手を当てて俺がため息を漏らした瞬間、ばさりと何かが落ちる音がした。

 指の隙間から見ると、思った通り三人のズボンが床にずり落ちていた。

「おぅ、おおーーぉぅ!」

 悲鳴、というより驚愕の声を上げ、ベルトごと斬られたズボンを落ちないよう手で押さえながら、三人は階段を下りて逃げていった。

「何故あのような者たちと立ち向かおうとしないのだ、和輝。貴方の細腕では勝てる見込みは少なかろうが、あの手の輩は威勢ばかりなのだから、下手に出なければ決して相手にできない者たちではない。性根を叩き直さなければならない程度の威勢しか持ち合わせていない」

「それはまぁ、わかってるんだけどね……」

 確かにあの手の不良は失うものがあって、それが大切なものだと認識している間は事を荒立てることを嫌う。退学にはなりたくないであろう彼らは、ちょっと大きな声で怯まずに対応すればどうにかなったりするものだろう。

 でも俺は、その手のことは苦手だ。

 大きな声を出すことはもちろん、千夜とかお袋、いつも身近にいたように感じるエルならともかく、人と話すこと自体が得意じゃなかった。

「できれば学校では騒ぎを起こさないでくれ」

「ふんっ。性根を叩き直した方がいいのは、奴らだけではなく、和輝ものようだな」

 剣を消し、上着にボリュームをつけている胸の下で腕を組んだエルは、俺のことを睨みつけながらため息を漏らす。

「……お手柔らかに」

 物語の主人公である以上、ある程度熱血であるのは俺もわかっていたことだったが、予想以上にお節介焼きっぽいエルに、俺もまた彼女とは別の意味でため息を漏らしていた。

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第二章 3

 

       * 3 *

 

 

「そんな情けない顔してると、またファンクラブの連中に写真撮られるよ、チョコ」

「だってー」

 ソフィアにつくってもらった弁当を箸でつつきながら、千夜子は唇を尖らせる。

 千夜子のことをチョコと呼ぶのは、同じクラスの篠宮恵鈴(しのみやえりん)。

 純和風のすっきりとした顔立ちと短めの髪をし、女子としてはそこそこ身長のある千夜子と違って小柄な彼女とは、クラスメイトというだけでなく、幼稚園の頃からつき合いのある親友と呼び合える存在だった。

 和輝も彼女のことは知っているし、話すこともあるが、幼稚園の頃にはアニメ好きとそれに伴う面倒臭い病、人見知りを発症していた彼は、よほど用事があるとき以外逃げていくのが常だった。

 千夜子にとってはそこが素敵に感じるのだが、恵鈴の唐突に確信を突く発言が、和輝は怖いらしかった。

 輝美から依頼されて小さな頃からファッション雑誌を飾ることがあった千夜子は、高校ではついにファンクラブが結成されるに至り、割と面倒臭い自体が発生することもあったが、そんなことがあっても変わらぬつき合いをしてくれる恵鈴は、千夜子にとって和輝とは別の意味で無二の存在だった。

「どうせまた早乙女君のことでしょー」

「うっ」

 昼食のサンドイッチをつまんでいる恵鈴に言われて、千夜子は卵焼きを喉に詰まらせそうになっていた。

「チョコが暗い顔してるときはたいてい早乙女君のことだしねぇ。あぁあと、テストが終わった直後もそうか。テスト前と結果出た後は、早乙女君に勉強手伝ってもらったりおさらい一緒にしたりでウキウキしてるのに、けっこう勉強できないよね、チョコ」

「ううぅぅ。別に、悪いってほどじゃないし」

「でも早乙女君ほどじゃないでしょ? ってか、私も今度一緒に勉強させてよ。早乙女君、教え方上手いっていつも言ってるでしょ」

「いや……、あいつが嫌がるし」

「嫌なのはふたりっきりになれなくて不満なチョコの方でしょ。――んで、今回はどうしたの? 喧嘩でもした? それともついに告って振られた? 押し倒したら拒否られた?」

「いや、えぇっと……」

 畳みかけられるように言われて、千夜子は返事をすることができない。

 斜め前に立つソフィアは、マスターである千夜子にはうっすらと姿が見えていたが、恵鈴の様子に声を立てずに口元を手で押さえて笑っていた。

 ――説明、しにくいよなぁ。

 リアライズプリンタやソフィア、それにとりあえずの問題であるエルディアーナのことは、恵鈴には説明しづらかった。

 ネットで調べてみた限り噂になっている様子は見られず、絵を実体化するという非現実的な機能は、信じてもらうのが難しそうだった。

 ――恵鈴のことだから、そのうち気づくと思うけど。

 何かに着けて鋭い恵鈴は、具体的なことはわからないまでも、何かがあったかは早々に気づいてしまうだろう。そのうち説明する必要が出てきたとき、どう説明するかを考えて残り少ない弁当を食べ勧めていたとき、千夜子と恵鈴のを寄せた机の脇に立つ人影があった。

「あの、椎名さんっ。今度の日曜日、空いてますか?!」

 そうずいぶん威勢の良い声をかけてきたのは、確か隣のクラスの陸上部に所属する男子。

 運動部の割に細身だが痩せているわけではなく、女の子が好きそうな甘い感じの顔立ちとさっぱりとした髪をし、廊下の扉のところから顔を覗かせている友達らしい男子の声援に頬を赤く染めながら、恥ずかしそうに怒る仕草を返していた。

 ――あー。こんな感じの男子とつき合ったら、楽しいんだろうなぁ。

 興味がなかったので名前すら知らないが、よくいる告白すればつき合えるとか、男らしさは強引さと勘違いしている男子と違って、真面目で、誠実そうで、少し不器用そうなところは可愛いと思えた。

 オタクで引きこもりで愛想もなくて、その上いつも側にいるのに千夜子の想いに気づきもしない和輝とは大違いだった。

 視線を感じて恵鈴を見ると、彼女は唇の端をつり上げて何かわかっているような笑みを浮かべていた。姿を消したまま男子の隣に立つソフィアも、彼をちらりと見た後、同じような笑みを浮かべた。

「ゴメンね。日曜は一日予定が入ってるから」

「じゃあその次の日曜でも! 土曜の放課後でもっ」

「んー。当分予定は空きそうにないから」

「そう、ですか……」

 それまで緊張に怒らせていた肩をがっくりと落とし、男子はとぼとぼと廊下の方に歩いていく。友達らしい男子連中に慰められつつ、退出していった。

「たまにはあんな感じの子と遊びに行くくらいいいんじゃない? 自分から押せないなら、気を惹いてみる戦術とか。まぁ、つき合わされる男子にとっては迷惑な話かも知れないけど」

「そんなことしてる余裕、いまはなさそうだもん」

「何? もしかしてついにライバル出現?」

「いや、そういうんじゃ、ないと思うけど……」

 説明を避ける千夜子は言葉を濁す。

「そりゃそうよねぇ。早乙女君って自他共に認めるオタクだし、猫背だし、目が隠れるくらい髪ぼさぼさで見た目に気を遣ってないし、話しかけようとすると逃げるし、孤立してても気にしてないっていうか、そっちの方が好きみたいだし、本当にいいとこないよね。早乙女君を狙う女子なんていないよねぇ」

「悪いとこばっかじゃないよっ。確かに重度って言えるくらいオタクだけど、猫背なだけで本当は一八〇くらい身長あるし、気を遣ってないからアレだけど、お父さん譲りのすごくくっきりした顔立ちで格好良いし、そりゃあ人見知りするし、慣れた人以外と話すの苦手だけど、勉強できるし料理も美味しいし、絵だってプロレベルだし、あいつにもいいとこあるもんっ」

 悪いところはそれはもうたくさんあるが、和輝にも良いところがあるのは産院の頃からつき合いのある千夜子はよく知っていた。

 身だしなみなどはすぐに直せるところであるのはわかっていたが、実は俳優並みの顔立ちをしている和輝は、猫背を治して髪を整えればものすごく見栄えするが、それを知っているのは自分だけで充分だと思っていたから千夜子がうるさく言うことはなかった。

 頭に血が上って一気に反論の言葉を口にしてから、ぷるぷると頬を震わせている恵鈴の様子に気がつく。

 もういつもやられている攻撃なのに、和輝のこととなると千夜子はすぐに我を忘れてしまって、言い返さずにはいられなかった。

 すぐ隣に立つ半透明のソフィアも、両手で顔を隠して肩を震わせていた。

 鋭い視線でソフィアを睨みつけた後、立ち上がってしまった千夜子は椅子に座って唇を尖らせたまま、残りの弁当を口に運ぶ。

「そこまで早乙女君のことが好きなら、さっさと告っちゃえばいいのに」

「それはそれで、なんて言うか、怖いし……。あいつ何考えてんのかとか、あたしをどう想ってるのかとかわかんないし……」

 幼い頃から一緒にいるのに、和輝のことはつかみ所がなくてよくわからなかった。

 二次元の女の子が好きなのは昔からだったが、それが恋と違うものであるのはわかっていたし、しかし彼が現実の女の子に強い興味を示したことはないようだった。

「あいつの側にいられなくなるの、嫌だし……」

「そんなこと言ってると、そのうち早乙女君がチョコ以外の女の子に目を向けちゃうかも知れないよ」

「うっ……」

 サンドイッチを食べ終えランチボックスを片付ける恵鈴に言われて、千夜子は飲み込もうとしたお茶を吹き出しそうになってしまっていた。

 エルディアーナのことは、正直脅威に感じていた。

 和輝が執拗にこだわって描いていた戦乙女の彼女。

 これまで理想の女の子かも知れないとは思っていても、現実に現れることがなかったから、気にもしていなかった。

 しかしいまはリアライズプリンタによって実体化し、彼の側にいる。

 和輝がエルに向けている想いが恋情とは違っていたのはわかっていたし、おそらくこれからもそこの部分はそう大きく違わないのではないかと思っていたが、心配なことがあるのも確かだった。

「和輝が好きになる女の子はいないかも知れないけど、和輝を好きになるかも知れない女の子は、いるんだよね……」

「何それ? やっぱりライバル候補がいるの? それじゃあいよいよチョコはヤバいんじゃないの? 側にいられなくなるかも、なんて言ってられないじゃん」

「うぅーーっ」

 多くの人には嫌われていても、いいところがたくさんある和輝。

 和輝自身の気持ちも問題だったが、彼のいいところにエルディアーナが気づいた場合、彼女がどうなるのかが、千夜子にとって一番怖かった。

 姿だけは絶対に和輝の理想だろう彼女に迫られたら、これまで現実の女の子に興味のなかった和輝も、変わってしまうかも知れない。

 ――あたし、どうしたらいいんだろ。

 昨日エルが和輝の隣にいるのを発見してからずっと考えていて、でも答えは未だに出そうになく、千夜子はただため息を漏らすしかなかった。

「想いってのは、言葉がなくても伝わることもあるけど、そういう関係を築くまでは、やっぱり口にして伝えないと伝わらないよ」

「うん、そうだよね……」

 恵鈴とは言葉がなくても仕草や表情だけでもたくさんのことが伝わる関係になっていたが、和輝については自分も彼も、そこまでの関係になれていないことはわかっていた。

 喉の奥でうめき声を上げつつ、弁当箱を鞄の中に仕舞ったとき、ブレザーのポケットに入れてあった携帯端末の振動を感じた。

「どうしたの?」

「和輝からメール」

 取り出した携帯端末の表示を見ると、和輝からのメール着信を伝えていた。

 内容を確認し、ソフィアに目配せをした千夜子は席を立つ。

「献身的ねぇ、相変わらず」

「そう言うんじゃないって。なんかトラブルだって。ちょっと行ってくる」

「行ってらっしゃい、早乙女君の王子様」

 にんまりとした顔をしている恵鈴に見送られて、千夜子は不満の顔を帰しつつ、和輝から指定された場所へとソフィアとともに急いだ。

 

 

          *

 

 

 校舎裏のベンチから眺める青空は、すっきりと晴れ渡っていたが、寒々しくもあった。

 裏庭というには狭く、日向を花壇が占拠する校舎裏は、夏場は涼しさを求めて人が集まるが、冬のいまは俺たちの他に人っ子ひとりいやしない。

 いつもなら購買辺りで買ったパンを頬張って済ませる昼休みに、わざわざこんなところに出張っているのは、お袋がつくってくれた弁当を食べるためだ。それも俺が食べるためではなく、エルが食事中は隠形の術が使えないからだった。

「冷めても美味しいとは……」

 最初は手こずっていた箸をすでに器用に使いこなしているエルは、そんな呟きを漏らしつつ弁当に集中している。

 けっこう大きい俺の弁当箱と同じサイズのものが、エルはふたつ。片方にはおにぎりがぎっしりと詰め込まれ、もう片方には俺よりも種類の多いおかずが入っていた。昨日の食べっぷりを見て朝からお袋が頑張ったらしい。

 ――なんかやっぱ、違うな。

 唇の端に笑みを零しながら唐揚げを味わっているエルディアーナ。

 俺の中で、彼女は力強く、気丈で、でも儚さと脆さを持った女の子だった。

 マンガの中ではそうした部分を中心に描いていたからだが、いま横にいる彼女は、俺の中のイメージと違っている部分が多かった。

 違うことが、嫌なわけじゃない。

 でも俺が一番彼女のことを知ってると思っていたのに、可愛らしさすら感じるいまのエルは、俺の知らない女の子としてのエルディアーナだった。

 ――補完されてるってことなのか、無意識を反映してるってことなのか……。

 ボォッとそんなことを考えながら、俺は俺に料理の腕の半分を仕込んでくれたお袋の久しぶりの弁当を味わっていた。

「ごちそうさま」

 俺たちがそうしていたように、弁当を食べ終わったエルはそう言って、結局弁当のためだけに担いできた鞄に弁当箱を仕舞った。

 水筒から注いだお茶を飲んでいるとき、エルは俺に語りかけてきた。

「この世界は、本当に平穏で、平和なのだな」

 両手でカップにした水筒の蓋を包み、深緑のチェック柄のスカートに押さえるようにしながら、エルは青空を仰ぐ。

 朝から四時限目の授業までの間、時折どこかを歩き回っていたようだが、だいたいは俺と一緒にいたエル。

 まだまだ彼女が知らないことは多いはずだが、街の雰囲気や、校内の様子は、不良程度はいても、概ね平穏で、命を脅かすような明確な脅威はなく、平和だ。そのことを、この短い間に感じたのだろう。

「それはまぁ……、日本は島国で、隣の国とは海で隔てられてるってのも平和な理由のひとつだと思うけど、ね」

「あぁ。そうした理由もあるだろう。――本が多くある部屋に行って、いくつかの本を読んでみたが、この世界の歴史は争いは本当に多いが、神族や巨人族は神話や伝承という創作のような話の中にしかいないのだな。わたしや、わたしの魂の伴侶となる勇者が戦うべき敵は、ほとんど現れることのない世界なのだな、ここは」

「……強さって意味では、格闘家とかスポーツ選手とかはいるけどね」

「そうした本も少し読んでみた。朝に和輝がやっていた剣道の他にも、柔道や空手や合気道、他にも様々な武道や格闘技、運動競技があるのはわかった」

 エルが俺の側を離れていたのはそんなに長い時間じゃなかったと思うが、その短い時間に図書室だろう場所でどれほどの知識を詰め込んできたというのか。

 仰いでいる空の色よりもさらに深い碧色の瞳が、悲しげな色を湛えて、ゆっくりと俺に向けられる。

「戦乙女が――、わたしが求める勇者とは、ただ強いというだけではない。身体能力の高さだけを求めるものではない。強い心を持つ者だ。信念を、勇者としての心と想いを持つ者なのだ」

 わずかに目を細め、冬空よりも寂しげで、どこか泣きそうにも見えるのに、口元には微かな笑みを浮かべている戦乙女エルディアーナ。

 彼女が求める勇者がそうした者であることは、彼女の創造主でもある俺は知っていた。そして彼女のような存在も、彼女が求める勇者も、この世界ではほぼいないことも、わかっていた。

 まだ勇者探しを始めて一日と経っていないのに、諦めを感じ始めているらしい彼女に、俺は精一杯の言葉を掛ける。

「あー。その、エルの勇者と言えるかどうかはわからないけど、強くて、信念を持ってる人なら、ふたり知ってるよ」

「誰だ?」

 悲しげだった瞳に強い光を宿して、食いつくように身を乗り出してくるエル。

 前のめりになって上目遣いに俺の顔を見つめてくる彼女から漂う、微かな甘い香りに言い知れない心地良さを感じつつも、俺は言葉を続ける。

「ひとりはお袋。早乙女輝美。男の二、三人くらい目じゃないほどに強いし、心の強さも俺が知る限り断トツだ」

「確かに輝美殿は勇者と呼ぶにふさわしい方だ。あのしなやかで柔軟な心は、わたしが出会った人々――、貴方が描いた物語の中や、この世界で見た人々の中でも素晴らしいものだ」

 俺のことは呼び捨てなのに、お袋には尊称がついていることに気づいて、いつの間にそんなに仲良くなったんだろう、と思うが、気にしないでおく。

 勇者の話となると食いつきのいいエルは、お袋のことを思い出しているらしく、何かを呟きながら何度か頷いていたが、また俺に鋭い視線を向けてきた。

「しかし輝美殿はわたしが求める勇者とは違う。勇者であると感じることができない。もうひとりというのは誰なのだ? まさか自分だと言う気ではないだろうな? 和輝」

「まっ、まさか。俺はエルの勇者に選ばれるような心の強さとかはないよ……」

「では誰なのだ?」

「俺の親父。早乙女蔵雄(さおとめくらお)」

「和輝のお父上?」

 お袋のときと違って、訝しむように金色の眉と眉の間にシワを寄せるエル。

 それも仕方ないだろう。早乙女家の男と言ったら、いまのところ俺しか会ったことがないんだから、それを基準に考えてるんだと思う。

「まだお会いしたことはないが、どのような方なのだ?」

「んー。紛争地域で戦場カメラマンを……、争いしてるところでその記録を取る仕事をやってる」

「戦争の記録を? 従軍記録官というわけではないのだろう? 危険ではないのか?」

「危険は危険だけど、俺もお袋もあんまり心配はしてない。怪我をしてくることはあっても、絶対に帰ってくるし、帰ってくると信じられるからね。強さだけなら、人間最強かも。そんな親父相手に、運動だって言ってルール無用の格闘戦でいい勝負しちゃうお袋もけっこう凄いんだと思うけど」

「ふぅむ。どれほどの方かは会ってみなければわからないが、凄い方がいるのだな。和輝のお父上ということは、あの家に帰ってらっしゃるのか?」

「あー。いまは海外出てるからしばらくは帰ってこないけど、早ければ年末には帰ってくるんじゃないかな?」

「そうか……。輝美殿よりも強いとは、早くお会いしてみたいものだな」

 俄然元気が出てきたらしいエルは、水筒からお茶を注いで一気に飲み干し、楽しそうな笑みを浮かべていた。

 そんなとき、誰かのか細い悲鳴が俺の耳に聞こえてきた。

 弁当箱をベンチに置いて立ち上がり、周囲を見回してみるが、裏庭には人影はない。

 女の子のものだろう、微かな悲鳴が聞こえてきたと思う方向には、校舎と倉庫があって、くぐもった感じではなかったから、たぶんそこの隙間のところからだったのだと思う。

「エルは隠れていてくれ」

「……わかった」

 不満そうな顔をしつつも、エルは隠形の術によって存在が薄くなる。

 そんな彼女とともに、俺が校舎と倉庫の隙間に足音を忍ばせながら向かうと、そこには何人かの人影があるのが見えた。

 人目につきにくい隙間にいるのは、女子が四人。全員たぶん俺と同じ一年生だ。

 後ろ姿だけでは判断つかないが、スカートが恐ろしく短かったり爪のデコレーションがすごいことになってる三人が、尻餅を着いて頭を両腕で覆っているひとりを蹴りつけていたりするシチュエーション。

 ――いじめ、か。

 割と面倒臭い現場に出くわしたなと思う俺は、怒りの表情を浮かべているエルを手で制する。

「何もしないでくれ。これ以上エルに目立たれると色々面倒臭くなる」

「しかし和輝。弱い者いじめを見過ごしては……」

「こういうことは適任の奴がいる」

 言って俺は携帯端末を上着から取り出し、メールを作成して送信する。

 二分と経たずにやってきたのは、千夜だった。

 たぶんソフィアもいるはずだが、インビジブルモードの彼女は俺の目には見えない。

「わかった。ちょっと行ってくる」

 状況を説明すると、千夜はそう言って隙間へと入っていった。

「何故貴方は助けに行かない」

「……学校には学校の特殊なルールとかやり方ってのがあってね。たぶん、いまのは日常的ないじめだろうし、ヘタに俺みたいな校内の底辺が手を出すと後を引くんだよ。その点、千夜は女子にも男子にも人気があるし、好かれているから、恨まれても周囲がブロックしてくれる」

 碧い瞳で睨みつけてくるエルに説明するが、納得はしてくれていないらしい。

 悪態を吐きながら三人の女子たちが校舎の方に歩いて行くのを素知らぬ顔でやり過ごして隙間を覗き込むと、ちょうど千夜が尻餅を着いていたショートカットの女の子を助け起こしているところだった。

 立ち上がった彼女は、見たところ大きな怪我をしてる様子はない。

 地面に落ちてしまっていた赤い丸縁の眼鏡をかけ、気弱そうな顔に悔しそうなんだか悲しそうなんだかよくわからない表情を浮かべ、乱れた髪も上履きの跡が白く残る制服もそのままに、何も言わずに千夜の隣を通り抜ける。

 出口のところに立つ俺に気づいて、一瞬立ち止まった彼女は俺の顔を見ながら目を丸くしているが、すぐに昇降口の方に走り去っていった。

「大丈夫、なのだろうか……」

「大丈夫なんじゃないかな、とりあえずは」

 心配そうな顔をするエルに、隙間から出てきた千夜はとくに驚いた様子も心配した様子もなく言う。

「あの手の女の子のいじめは他にいじめる相手が見つかったり、本人が拒否したりしたら辞めちゃうくらいのもんだし、教室でたまにいたずらされてるのは見るけど、いたずら程度だしね。本当に嫌だったら声を上げればいいんだし」

 声を上げられる強さがあればいじめられないだろう、とは思うが、いまの言葉からクラスの中でだけでも気には掛けていることはわかった。ただ、言葉の内容自体は至極千夜の性格を表してる。

 俺は女子どころか男子ともあんまり話す機会がないからよく知らないが、千夜の話を聞いた限り、女子のこういう関係は割とドライなものらしい。

「これ以上悪化するようだったらあたしも友達に手伝ってもらって何か考えるけどね。あの三人組は二年の男子とつるんでて、よくない噂も聞いてるし」

「知り合い?」

「同じクラスの赤坂このみって子。和輝ほどじゃないけどクラスでは孤立してるかな? 友達とかあんまりいないみたいだし、声小さいし、ひとりでいるのが好きみたい。休み時間とかたいてい本を読んでるか、図書室に籠もってるみたいだしね」

 学校でも人気のある上、意外と世話好きな千夜にはそうした情報も集まってくるものらしい。

 友達でもなさそうな子のことも知ってる千夜は、ひとつため息を吐いて、俺の顔を覗き込むように見つめてくる。

「んーなことよりも和輝。……週末の準備、終わった?」

「昨日で一応ひと通り。主に千夜関係の作業で手こずったんだけどね」

「うっ……。ま、まぁ終わってるならいいや。っていうか、あたしが行きたいのは同じ日にやってる未来ロボット技術展だけどねっ」

「週末に、何かあるのか?」

 俺と千夜のやりとりに、不思議そうな顔をしながら割り込んでくるエル。

「んー。ちょっと、なんて言うか、お祭りみたいなものがあってね。千夜と一緒に行くことになってるんだよ」

「お祭り、ってか、そこまで規模大きくないけどさ、今度のは」

「ふむ、なるほど」

 納得したように返事をしつつ、わかっていない様子のエルに、俺は提案してみる。

「……もしエルがよかったら、手伝ってくれないか?」

「わたしでも手伝えることがあるのか?」

「うん、ある。ってか、立っててくれるだけで充分かも」

「それでよければ、いまは貴方の家に住まわせてもらって、食事の世話もしてもらっているのだ、できる限り手伝おう」

 千夜の微妙な視線を受けつつも、まだ不思議そうな顔をしているエルの返事に、俺は聞こえないくらい小さく「よしっ」と感嘆の声を上げていた。

 

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第二章 4

       * 4 *

 

 

「いつもありがとうございます!」

「――%$#」

「あ、ありがとうございます……」

 差し出された本を俺が確認し、千夜がお金を受け取り、それを渡されたソフィアが瞬時に計算して釣り銭を客に手渡す。

 俺がやってるのは売れた本の集計と、減った本の品出しと、乱れた場所の整理くらいだが、そんなサイクルを開始してもう一時間ばかり、ひっきりなしに客が来ていて、せっかく人数分の椅子があるのに座ってる暇もないほどだった。

 約束通りに、と言うべきか、俺の横でエルは立っている。

 事前にお願いした通り桜色の鎧を身につけ、装飾よりも実用性重視の剣を腰に佩き、ただ呆然と立っている。

 ヴィクトリアンスタイルのメイド服のソフィアはいつものこととして、何故か千夜も、以前俺が暴走してがっつり気合いを入れてつくった戦乙女エルディアーナのコスプレ衣装を、いままでは拒否っていたのに今日は着ていてくれたが。

 今日来ているのは数日前にエルに言った通り、祭りの会場だった。祭りと言っても、中規模程度の同人誌即売会だったが。

 本と言えば電子書籍が当たり前の時代になったが、紙の本の人気は根強く書店は絶滅には至っていないし、同人誌に関してはいまなお印刷刊行が主流だ。

 広いイベント会場の外壁沿いという、目立つし人が裁きやすい良好な立地にスペースを構える俺のサークル「ヴァルキリー・オペレーション」は、多少ガタのある長机の上にクロスを敷き、「放浪の戦乙女」第二部七巻を新刊として、第二部既刊六巻までと、第一部総集編の計八冊を並べている。

 いつも手伝ってくれる千夜の他に、ソフィアという強力過ぎる助っ人と、まさに作品の中から飛び出してきた姿のエルをマスコットとして、いつもの二倍近い勢いで自作同人誌を頒布しまくっていた。

 写真についてはソフィアが妨害電波を発して撮影できないようにしていたが、ネットではエルは勿論、根強い人気のメイドの上、ロボットスタイルのソフィア、こっちの世界でもけっっこう人気のある千夜の初コスプレということで話題が駆け、冷やかしも含めて早い時間からかなりの人が集まる事態となっていた。

「……これは、祭りなのか?」

 新刊がほぼ完売し、在庫の少ない既刊本にも欠品が出始めた頃、やっと人集りが途切れてひと息つくことができた。

 会場に到着してからずっと呆然としていたエルは、椅子に座ってもやはり呆然としたままで、問いかけていると言うより呟いている感じの言葉を漏らしていた。

「お祭りと言えばお祭りかなぁ。和輝がマンガ描くの早いから、月一回くらいは来てる感じだし、定期行事みたいになってるけど」

「いつもより人は多いけどね」

「そりゃあまぁ、いつもより花が多いからねー」

「……確かに」

 いまは売り子にはソフィアが立ち、いつのまにそんなものを使えるようにしたのか、小型のタブレット端末で合計金額の表示や本の案内をしたりと、喋れないのにお客さんの対応をそつなくこなしていた。

 俺と千夜とエルは、椅子に座って空いた椅子の上に置いた、ソフィアと俺とで朝早くにつくっていたサンドイッチをつまんでいる。

 同人活動を始める前、ちょっとしたことで名が知られていたこともあって、多少絵が上手い程度では苦戦を強いられるオリジナル作品を扱う創作同人サークルとしては、俺は中堅程度の人気となっている。それが今日は創作系大手にも手が届きそうな集客となったのは、千夜のコスプレとエルとソフィアという新戦力のおかげだ。

 確かに俺や千夜にとっては一種の祭りだったが、想像と違っていただろうエルは、いまだに状況に追いつけていない様子で、けっこう気合いを入れてつくったローストチキンサンドを、……まだ三つしか食べていない。

 何か声を掛けてやろうと思ったが、人と話すのが苦手な俺は、こういうときに何て言ってやればいいのかわからない。

 ちらりと千夜の方に視線で助けを求めると、何か噴き出しそうになりながらもエルに声をかけてくれる。

「今日は元気ないね、エル。さすがにお祭りってのが想像と違い過ぎた?」

「それもある、が……。なんと言うべきか、わたしが、……いや、わたしの物語は、こうして人に売り渡され、広まっているのだな、と思うと、何だか奇妙で、何と言っていいのかわからない感じがあってな……」

「あー。そりゃそうだよねぇ」

 エルにかける言葉が思いつかないらしい千夜だが、それについては俺も同じだった。

 私小説を書いて頒布してるならともかく、自分の生きてきた軌跡をマンガにされて売られているという感覚は、さすがに俺でも理解しようがない。

「でもこうやってエルの物語ができていってる、ってのは確かなんだよね」

「エルのだけじゃないだろ。お前の話だって収録してる」

「あ、あははははっ。それはそうだけど」

 第二部の一巻からは、俺の同人誌にはエルの物語だけじゃなく、画才のない千夜が書いたファンタジーロボットものの小説をページを増やして収録している。

 二次創作とも違うオリジナルの作品だが、彼女のロボット好きが反映された作品と言えるものだった。

 まだそれほど小説に書き慣れているとは言えない千夜だが、千夜の小説目的で俺の本を買ったり、感想が届く程度には人気が出始めていた。

「……まぁ、本の利益は得るの生活費に回すってことでお袋と話はついてるし、今日はエルが手伝ってくれたおかげでこれだけ売れたんだし、よかったよ」

「そういう話になっていたのか」

 四つ目のローストチキンサンドを口に運ぶ手を止めて、目を丸くしたエルに俺は微笑みかける。

 お袋も親父も稼ぎは良い方だから余裕はあるが、エルのことについてはリアライズした俺が責任を取れってことで、これまでフィギュアやマンガとかのオタクグッズや、機材や資料に使っていた利益を全部でないにしろ生活費に回すって話になっていた。

 食費の他はあまりかからないとは言え、人ひとりを養うのは所詮中堅クラスの同人誌の売り上げではまかない切れるものではないから、お袋も援助してくれるし、俺も売り上げをエルに使うことは異存はなかった。

「あたしだって頑張ったでしょう? こんな格好もしたんだし」

「……まぁ、そうだよな」

 立ち上がってくるりと回り、コスプレ姿を見せてくれる千夜。

 さすがに金属製で本物の鎧や剣であるエルの姿に遜色がないとまでは言えないが、樹脂成形の専門の業者と相談したり、塗料や布地の素材を選んだりしてつくった千夜の戦乙女衣装は、そこらの安物コスプレ衣装とは一線を画した出来映えだ。

 ウィッグとかは用意してなかったから、ツーサイドアップの濃い茶色の髪はそのままだが、エルの隣に立つと、千夜は戦乙女の姉妹と言っていいくらいの姿をしていた。

 同い年くらいの女子としては大きい方と言っても、エルほどは胸のない千夜が身につけたブレストアーマーは、ちょっと虚勢を張ったサイズになってしまっているが。

「でもなんで、今日はそれを着てくれたんだ? 千夜。いままで拒否してたのに」

「いや、それはまぁ、なんて言うか……」

「今日は後でロボット展見に行くんじゃなかったのか? 早めに行かないと撤収までに戻ってこられなくなるぞ」

「えぇっと、今日は、その、ううぅ……」

 何かに困ったように千夜は口ごもり、隣に座るエルに視線を投げかける。

 どういう意味を込めた視線なのかはわからないし、卵サンドを頬張っているエルも不思議そうな顔をしているだけだった。

「――*&%$」

「ふむ。なるほど」

「莫、莫迦っ。そんなんじゃないから! 違うっての!!」

 振り向いたソフィアが何かを言うが、俺にはその言葉の意味は理解できない。

 納得したらしいエルは食事を進め、千夜は顔を真っ赤にして俯いてしまっていた。

「うぅぅー。ロボット展はまた来年でも行くからいいのっ。今日はもうここにいるから気にしないで、和輝!」

「……わかった」

 恥ずかしがっているらしいが、俺には千夜が何をそんなに恥ずかしいのかわからず、考えるのも放棄した。

「あの……、新刊はまだ残っていますか?」

 ふたつ目のサンドイッチを食べ終えてソフィアと交代しようと立ち上がったとき、小さく、そしておずおずとした感じの声がかけられた。

 見ると長机の向こう側に立っていたのは、コスプレをした女の子。

「すごっ……」

 あっちには聞こえないくらいの声で呟く千夜の感想に、俺も同意せざるを得なかった。

 おそらくウィッグだろうが、お尻の辺りまでの長さがある真っ白な髪。

 レオタードのようなアンダーウェアを着、胸や腰、肩や腕には光沢のあるプロテクターを身につけ、目を覆っているのは、形こそ千夜が持っているのと同型だが、パールホワイトに輝くスマートギア。

 千夜はもちろん俺も見ている、現在二期が絶賛放映中のロボットアニメ「ピクシードールズ」。人形サイズのロボットが人間サイズになって戦うバトルものだが、それに登場するシンシアというロボットを、原作のイメージよりちょっと小柄ではあったが、彼女は忠実にと言って良いくらいに再現していた。

 千夜が今日着ているエルディアーナのコスプレも気合いを入れてつくったものだが、それよりもさらにハイレベルな衣装の出来映えだった。

「新刊ですね」

 ソフィアに変わって前に出て、今日の新刊の最後の一冊を手に取る。

 決して大きくない胸に手を当ててホッと安堵の息を吐くと、イメージを壊さないためだろう、彼女は白く光沢のあるバッグから財布を取り出した。代金を受け取ってソフィアに渡し、新刊をシンシア姿の女の子に手渡す。

 目はスマートギアに隠れて見えないが、口元に嬉しそうな笑みを浮かべた彼女は、本を鞄に仕舞って、俺にぺこりと礼をしてから踵を返した。

「この前もそうだったけど、本当に気合い入ってるよね」

「うん……」

 あの子が俺の本を買いに来たのは、たぶん三回目。最初は第一部の総集編を買い、前回は第二部を新刊までの六冊を全部買っていっていた。

 前回もその前も、毎回気合いの入ったコスプレをしていて、ネットでもちょっと話題になっているらしかったが、本人は写真嫌いらしい上、顔を隠す感じの衣装が多くて正体不明だった。

「千夜が着ているものも見た目だけならばわたしの鎧と遜色のないと思えるものだったが、いまの方のはそれを上回るな」

 コスプレどころか実物の鎧を身につけているエルですら、食事の手を止めて去って行くコスプレシンシアの姿を眺めていた。

 ――でもあの子、どこかで見たことがあるような気がするんだよな。

 千夜にもエルにもうるさく言われて髭を剃った滑らかな顎をさすりながら、俺は少し考え込む。

 いままで気づかなかったが、あの子の顔、というか顔の輪郭は、即売会会場以外のどこかで見たことがあったような気がしていた。スマートギアで顔の上半分が見えなかったし、ウィッグで本来の髪も隠れていたから誰だったのかまでは思い出すことができなかった。

「どうかしたのか? 和輝」

「……いや、なんでもない」

 椅子から立ち上がったエルが俺の横顔を見ながら問うてくるが、いまひとつはっきりしないのでそう答えていた。

「――$#&」

「え? 何? 和輝が? 嘘?! そうなの?」

「何がだ」

 千夜が慌てて俺に訊いてくるが、そもそもソフィアに何を言われたのかがわからないから答えようがなかった。

 人混みの中に消えて見えなくなったシンシアの後ろ姿が、喉に引っかかった小骨のように、俺の中に残り続けていた。

 

 

          *

 

 

 即売会会場から駅へと向かう化粧タイルが敷き詰められた道には、人はまばらだった。

 遅い昼食を求めて人が並ぶ店の辺りを通り過ぎると、まだ閉会には充分に時間があるため、晴れ渡った冬の寒空の下には、ベンチでくつろぐ人やたむろしている人々もいない。

 地味な濃茶のPコートを羽織り、ダークグリーンのミニスカートに黒いタイツを合わせた赤坂このみは、口元に微笑みを浮かべながら大きなトートバッグを担ぎ直して駅へと急いでいた。

 ヴァルキリーオペレーションのブースがいつになく盛況だとネットの実況情報を仕入れたときには少し焦ったが、他の本も含めて目的のものはすべて買うことができた。本を買う他には用事がなかったため、このみは混む前にと思って会場を後にしていた。

 最後の新刊を買えたこと、ブースにまさに「放浪の戦乙女」の主人公、エルディアーナがそのまま飛び出してきたかのようなコスプレを見られたことも嬉しくて、このみはスキップしたい気分になっていた。

「あのさぁ、ちょっといいかなぁ?」

 道の左右に植えられた街路樹の影から現れ声をかけてきたのは、三人の男たち。

 このみと同じ高校生くらいの男子だろうと思えたが、嫌な笑みを浮かべて行く手阻む三人から逃れようと後退る。

「そこまでつき合ってほしいんだけどさぁ」

 顔を近づけて言ってくる、リーダーらしいガタイのいい男のタバコ臭い息に顔を顰め、恐怖と緊張で硬くなってしまいそうになる身体を必死で後退らせていた。

 助けてくれそうな人はすぐ側にはいない。悲鳴でも上げれば駆けつけてくれるだろうが、ひとりで逃げ切れるならばそうしたかった。

「あれ? こいつあいつじゃね? 確か一年の、ほら……」

「あぁ、確か郁代たちがいじめてるっていう。根暗で臭い奴とは聞いてたけど、さらにオタクだったのかよ」

 リーダーの後ろに控えている男たちがこのみをいじめている女子の主犯格の名前を出した途端、足が動いていた。

 男子たちが阻んでいる駅の方角ではなく、左手の方へ。日曜であるために今日は営業していないショールームなどの建物があるビジネスエリアに向かって、このみは走り出していた。

 とにかく逃げることしか考えていなかった。

 学校や、家の中でだけならともかく、いまのこの場所にあんな気分を持ち込みたくはなかった。

「おい! 待てよ!」

 決して足の速くないこのみでは、不意を突いた逃走で少しは距離を稼げたと言っても逃げ切れるはずもなく、人気のない大きな建物の影に押し込まれる形で背中を押され、転んでしまった。

 転んだ拍子にトートバッグの中身が零れる。

 大きな荷物の大半は箱に収めて発送していたが、箱に入らなかったもの、今日どうしても読みたい本は、バッグの中に入っていた。乱れないよう小さくまとめておいた白いウィッグや、パールホワイトのスマートギアが、バッグから飛び出て覗いていた。

「うわっ、こいつレイヤーって奴なんじゃね?」

「レイヤーってあれだろ? アニメの格好とかしてる莫迦。パンツ丸見えとかでも恥ずかしくねぇのかよって」

「そういうので男釣って遊んでんだろ。オタクのモヤシ捕まえて金巻き上げるのもいいけど、こういう楽しみもいいかもな」

 壁を背にするこのみは、三人の男子に囲まれ逃げることもできない。

「私は、そんなんじゃない……」

 男子たちの言葉を受けて、このみは聞こえないほど小さな声でそう反論する。

「あー? なんだよ。聞こえねぇよ。何でもいいからとりあえず暖かいとこ行こうぜ。お前だってこんな寒いとこでしたくねぇだろ」

 ふざけているとしか思えない男子の言葉に、このみは怒りを覚え始めていた。

 倒れ込み、上半身を起こしただけの体勢のこのみは、両手の拳を強く握りしめる。

 アニメやマンガに興味を持つようになったのは、中学に入ってから。

 成績や生活態度には口を出すが、このみ自身には興味を示さない親に隠れて、データで済む電子書籍のマンガを買い、アニメの動画配信を見て過ごしていた。

 自分と同じようにアニメやマンガが好きな人々が集まって開催される同人誌イベントが行われているのを知ったのは、中学三年のとき。

 行きたいと思ったが、行く勇気がなくて、けれどあるときコスプレを知り、違う自分になって会場を歩くなら、と思って会場に足を運ぶようになっていた。

 いまでは同人誌を買うよりも、アニメのキャラクターになり切ることが楽しくて、写真を撮られたりするのは怖くて撮影をしている広場には行けなかったが、このみにとって普段とは違う自分になれるコスプレは、生き甲斐にもなっていた。

 男子たちが言うような不純な気持ちは、ひと欠片もなかった。

 ただアニメが好きで、アニメのキャラクターを現実にしたくて、そのために衣装も頑張って自分でつくり、完成度を高めるためにこっそり業者にも手配をするようになった。

 アニメが好きではないらしい彼らのような人間に、コスプレを貶されたくはなかった。

「なぁ、聞いてんのかよ」

 かけられた気色の悪い声に、このみの中の怒りが膨れ上がる。

 そのとき見つけたのは、鞄から零れている、スマートギア。

「――いなくなっちゃえ」

「あ? なんだって?」

 手を伸ばしてきた男から逃れ、建物の出っ張りの隅へと逃れたこのみは、素早くスマートギアを被って電源を入れ、ケーブルを差し込んだまま鞄に仕舞い込んでいた箱を取り出し、スマートギアの映像出力に接続した。

「あんたたちみたいな人間なんて、消えちゃえ!」

 叫び声を上げながら、このみは箱の上部にある稼働開始ボタンを押し込んだ。

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第二部 5

       * 5 *

 

 

「今回は完売早かったねぇ。エルとソフィアと、……あたしのおかげ?」

 少し前を歩いていた千夜が身体ごと振り向き、上目遣いにそんなことを言ってくる。

 戦乙女のコスプレから着替え、ひらひらの多いピンク色のワンピースに厚手のジャケットを合わせた千夜は、見た目からはロボフェチとはわからないほどに可愛らしい。

 お袋から依頼されてるモデルバイトの成果なのか、大きめに開いた襟元から覗きそうで覗いていない胸元がまぶしく、彼女の魅力を引き出した体勢に、俺は視線を逸らすしかなかった。

「まぁ、そうだな」

 今日一番注目を浴びていたのはエルだが、ソフィアをじっくり見ている人も多かったし、千夜に向けられていた視線も多かったのは確かだ。

 閉会までまだずいぶん時間があるのに、新刊はもちろん他の本もあらかた売り切れてしまったのは、三人のおかげだろう。いつもなら閉会間際までいるのに、今日はさっさと会場を引けて駅へと向かっていた。

 俺の隣を歩くエルは、何か疲れた表情を見せながら、少し俯いて考え事をしているようだった。

 さすがにいまは戦乙女の鎧姿ではなく、お袋から渡された普段着だ。

 膝上丈の濃紺のジャンパースカートに薄手のシャツを着、コートを羽織っているエル。

 さすがはお袋と言うべきか、エルの胸をさりげなく強調するようなデザインの服は、彼女によく似合っていた。

 たぶん自分の物語が本として売られていたことについてまだ考えているんだと思うが、それに対してどんな声をかけていいのかわからず、俺はただ、たまに俺の方をちらちらと見てくるエルの顔を眺めていることしかできなかった。

「――$%&#!!」

「え? どういうこと? ソフィア」

「何? どちらの方向だ?」

 まだあまり人通りが多くない駅までの道を歩いてる途中、ソフィアが鋭い声を発した。内容は俺にはわからなかったが、千夜とエルが反応する。

 何か深刻そうな事態に、俺たちは立ち止まってソフィアの次の声を待つ。

「――&%$」

 何かを言って、少し顎を引いたソフィア。

 次の瞬間彼女の長い髪の間から現れたのは、真っ白なウサギの耳。

「なんでウサギの耳……」

「いや、いろんな耳があると可愛いかなぁ、って」

 コメントにも書いてなかったのに、どんな設定が追加されているんだと、誤魔化すような表情を浮かべている千夜のことを睨みつけていたとき、ウサミミをピンと立てていたソフィアが、平日しかやっていない企業向けショールームなどが入っている建物の方を指さした。

「――%&$!」

「わかった」

 ソフィアの声に真っ先に駆け出したのは、エル。

 その後ろについて走り出した俺は、千夜に訊ねる。

「いったい何があるんだ?」

「何かまた、この前みたいな不穏なエネルギーと、微かなうめき声が聞こえたんだって」

「うめき声?」

 言ってる間に駅へと続く道からは見えない建物の裏側の方へと曲がる。

 そこにいたのは、巨人。

 身長五メートルはある、黒い身体をし、目鼻が有るべき場所には何もない黒い無貌の魔神だった。

 そしてそいつのことを、俺は知っていた。

「ゾディアーグ!」

 俺よりも先に奴の名を叫んだのは、エル。

 放浪の戦乙女第一部で最後に戦ったボス格の敵。巨人族の魔法によって人々の恐怖や怒り、怨嗟を固めて生まれた魔神ゾディアーグが、立っていた。

 ――でも、違う?

 両腕をだらりと垂らし、斜め上の方、空を見つめるようにしているゾディアーグは、俺がマンガの中に描いた奴とは印象が違っていた。

 俺たちに気づいたらしい奴は、目も鼻もない顔をこちらに向け、口もないクセに動物が威嚇するようにグルルッと喉を鳴らす。

 ――やっぱり違う!

「待て、エル!」

 戦乙女の装束を喚び出し、剣を抜こうとするエルの肩をつかんで止める。

「ソフィア、うめき声をした方向は?」

「――*$%」

「わかった。ソフィア、ここは頼む! あんまり大きな音は立てないでくれ。エルはこっちだ!」

 うめき声の方向を指さすソフィアにゾディアーグのことを任せると、数歩進み出た彼女は即座に全高十二メートルのアルドレッドモードへと変身し、奴と対峙した。

 エルの右手をつかんだ俺は、ソフィアが差した方向に走り出す。建物の出っ張った構造物の影のところまで来て、俺はそこにいる奴らの姿に足を止めた。

「千夜、待て。こっちまで来るな」

「う、うん」

 立ち止まった千夜の向こうでは、アルドレッド・ソフィアとゾディアーグが睨み合っている。

 それを確認してから、俺はエルに言う。

「治癒の術を頼む」

「和輝! この男たちはっ」

 そこに倒れていたのは、つい先日、体育館の廊下で俺に金を集ろうとしてきた二年の男子たち。

 ゾディアーグにやられたのだろう、ひとりは右腕と左足を千切り取られ、ひとりは両脚がおかしな方向に曲がり、最後のひとりは腹から大量の血を流していた。

 けど、三人ともまだかろうじて息がある。こんな状態になってからまだたいした時間が経っていないからだろう。

「わかってる。でも、頼む。すぐに傷だけでも塞がないとこいつらは死ぬ」

「……後で理由は聞かせてもらうぞ」

 怒りを浮かべた碧い瞳で俺を睨みつけてから、男たちに目を向けるエル。

 千切れて飛んで行ってしまっていた腕と脚を拾って傷口の側に置き、手に光を宿して腹を引き裂かれた男子の傷を癒すエルを手伝う。

 三人目の治療に入ったところで後ろを振り向くと、ソフィアとゾディアーグの戦いは、もう決着がつくところだった。

 右肩がおかしな感じで伸び、右足を引き摺って、それでも残った腕で殴りかかろうとしているのは、ゾディアーグ。

 身長五メートルのゾディアーグに対して、アルドレッド・ソフィアの全高は十二メートル。

 大きさが強さの基準ではないが、マンガの中でできるだけ描こうとした迫力を感じないゾディアーグは、ソフィアの敵ではなかった。

 腰からヒレのように伸びるスラスターに装着された剣を抜くソフィア。刃の部分を赤熱させた肘下の長さほどのそれは、ヒートエッジ。

 膝蹴りで腰までも高さのないゾディアーグを吹き飛ばしたソフィアは、大きく踏み込む。

 下から上への一閃。

 身体を左右ふたつに別たれ、さすがに立っていられなくなったゾディアーグ。だがそんな状態にされても這いずってソフィアに近づこうとする。死に絶える様子もない。

「――$%&#!」

「え? うんっ。和輝、どこか影に隠れてって!」

 剣を仕舞い、開いた両手を這いずるゾディアーグに向けたソフィア。

 その体勢と千夜の言葉で彼女の次の行動を感じ取った俺は、エルが治療を続けている建物の影へと、千夜の腕を引いて胸に抱き寄せ隠れる。

 ジュッというこの前も聞いた何かが焼ける音がした直後、熱風が通り過ぎていった。

 熱さを感じなくなった頃にソフィアの方を見てみると、地面にはゾディアーグの右半身と左半身が別々に、影絵のような焦げ跡になっていた。

「治療も終わったぞ、和輝」

 言われてエルの方を振り向くと、服は血塗れのままだが、千切れた手足は繋がれ、腹から新たな血も流していない三人が、多少荒いもののしっかりとした息をして寝かされていた。

「骨折や細かな傷など命に関わらない傷は癒していない。しかしこれですぐ死ぬようなことはないはずだ」

「充分だ。ありがとう、エル」

「ふんっ」

 ゾディアーグの焦げ跡を見、俺を睨みつけたエルは、不満そうな表情で視線を逸らした。

 ソフィアの戦いは激しいものにはならず、おそらく誰にも気づかれてはいないだろう。

 この後の面倒事に巻き込まれるのも嫌なので、レディモードになって近づいてきたソフィアと、千夜とエルに言う。

「とにかく、あとは適当に人を呼んで帰ろう」

 駅まで行って男が倒れていることを伝えておこうと思いつつ、それぞれ別の表情を浮かべている女子三人とともに、俺は駅に向かって歩き始めた。

 

 

          *

 

 

「……何これ」

 屋上ではない、建物のてっぺんに立った少女は、下に広がる風景に目を丸くしていた。

 潮の匂いを感じるそこには、何台もの救急車とパトカーが停まり、野次馬を含めて多くの人が集まっている。

 黒く長い髪をし、ドレスのような黒い服を身につけた、美少女と言って遜色のない顔立ちの少女は、そんな地上の様子に唇を尖らせる。

「せっかく面白そうな気配がしたから来てみたのに。誰よ、倒しちゃったの」

 少女が海の近くの大規模イベント会場の側にある建物に到着したときには、すでに気配は動かないものとなっていた。

 地上に残っていて、大きすぎて誰も気づかず踏みつけにされている両断された人型と思しき焦げ跡。おそらくそれが気配の正体だと気づいていたが、あの状態にされていてはもう活動することはできないだろうと思われた。

「この前もなんかそんな感じで倒されてたみたいだし、他人がリアライズしたものを倒して回るって、いったい何を考えてるのかしら?」

 幼さの残す顔で頬を膨らませ、不満を露わにする少女は、膨らんだ頬に指を当てて考え込む。

「ま、あれだけすごいのリアライズできる人がいるんだったら、アタシの目的は近いうちに達成できるかなぁ」

 言いながら地上に興味を失ったらしく踵を返した瞬間、少女の姿は忽然と消えていた。

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第二章 6

 

       * 6 *

 

 

 ダイニングテーブルに並んでいるのはビーフシチューが入った深皿とご飯の茶碗、サラダボール。本当はシチューに浸して食べるためのパンも準備していたが、それはいまここにはなかった。

 食事はひとり分。

 灯りは点いているのにいつになく暗く感じるダイニングで、俺はひとりシチューをすする。

 エルは俺の家に住んでるわけだからいつもいたし、ここのところは千夜がなんだかんだと理由を付けて夕食を食べに来てたし、食事をつくるときはソフィアも手伝ってくれていた。

 以前は当たり前だったのに、久しぶりのひとりの夕食は、味は申し分ないのに、何となく味気なさを感じていた。

「はぁ……」

「なんだ和輝。モテ期終了か? 理想の女の子に嫌われたのか?」

「理想の女の子じゃない。エルは作品の登場人物だよ」

 俺の返事に含み笑いを漏らしているのは、お袋。

 日曜も仕事の関係で出かけていたお袋は、膝下丈のタイトスカートなスーツを着ていた。

「今日はパーティか何かじゃなかった?」

「途中でフけてきた。だってせっかくの料理がオッサンの話でしなびてきちゃってたんだもん。あぁいうのは嫌よねぇ」

 この前聞いた話ではアパレル業界の大御所か何かの記念パーティって話だったような気がしたけど、いいんだろうか、とは思う。

 ――まぁでも、お袋だしな。

 ざっくばらんで歯に衣着せぬ言動のお袋は、業界では鼻つまみ者という話がちょくちょくネットに出てはいるが、高いセンスと手の早い仕事と、どんな相手でも間違いは間違いと言い、強引であっても筋も通せば尻ぬぐいもする性格のため、勢力はつくれなくてもフリーとしてひっきりなしに仕事が来ているみたいだった。

「んで、エルちゃんたちはどうしたの? 今日はイベントでその打ち上げの予定だったんじゃないの?」

「……エルには、嫌われたかも」

「ほほぉー」

 何でか嬉しそうな顔をするお袋。

「んじゃあエルちゃんたちはいま千夜ちゃんの家?」

「うん。夕食もそっちで食べるって」

「え? んじゃあワタシの分のシチューはぁ?」

 子供に見せるものじゃないだろう、と思うようなぐずった表情を浮かべるお袋。

 今日はイベント上がりってことでいつもよりちょっと豪勢な食材を使って、金曜の夜からつくり始めたシチューをお袋が狙っていたのはわかっていたから、寸胴は奪って行かれたが自分とお袋の分はちゃんと残してあった。

「ちゃんと確保してあるよ」

「そっか。よしっ。着替えてくるから準備お願いっ」

 エルほどでないにしろ美味いもの好きなお袋は、にぃと笑ってダイニングから出て行こうとする。

「一緒に食事しながら、今日何があったか聞かせてよ」

 

 

 

 

「ゾディアーグってあれか。確かエルちゃん主演のマンガに出てきたボス。真っ黒マッチョ」

「そう。ってか、よく憶えてるね」

 税金関係の処理をお願いしてる関係で、本は毎回渡してあると言っても、よく内容まで憶えてるものだと思う。

 夕食を食べ終え、今日あったことをひと通り説明した後、水色のパジャマに着替えたお袋は手酌で瓶ビールを飲みながら、眉根にシワを寄せていた。

「宿敵と戦わせずにあんたから金をせびり取ろうとした不良の命を救わせた、かぁ」

「そんな感じ」

 コップに注いだビールをひと息で飲み干し、お袋は難しい表情を浮かべながら言った。

「エルちゃんがどう感じたのかもだいたいわかるし、和輝がそいつらを助けようとした理由もわかる。でもエルちゃんは和輝が何を考えてそいつらを助けたかわかってないんだぁね」

「うん。説明することもできなかったしね」

 ――それに、たぶん上手く説明することもできない。

 帰りの電車の中で、不機嫌そうにしているエルに説明しようと思っていたが、上手く言葉にできなかった。家に帰って落ち着いてから話そうと思ったけど、家の前に着くなりエルに「今日は和輝の顔をこれ以上見ていたくない」と言われて千夜の家に行かれちゃったから、説明する機会も得られなかった。

 こういうときは、人づき合いが苦手で、話すのも苦手な自分のことが嫌になる。

 たぶん千夜にもそういうことがこれまでたくさんあったんだと思うけど、いまは彼女は言わなくても察してくれるようになった。

 でもエルは、まだリアライズによって実体化し、話をするようになってから十日と経っていない。言葉にしなければ伝わらないだろう。

 ため息を漏らし、俺は食後のコーヒーのカップを傾ける。

「何? そんなに凹んでるの? 女の子に嫌われるのはいつものことだったじゃない。やっぱりエルちゃんだから? この先はエルちゃんとどうなりたいの? 千夜ちゃんだっているのにさぁ。あぁー、でも、性格ならあのちょっと茶目っ気のあるソフィアちゃんもいいよねぇ。ロボットだけど。見た目は甲乙つけがたいしなぁ」

「……何言ってんだよ」

 ニヤニヤ笑っているお袋がからかっているのはわかっているが、流す余裕も反論する元気もいまの俺にはなかった。

「でもさ、ゾディアーグみたいな魔神だったかって、この世界にいるわけないよねぇ」

「それもあるんだけど、あいつはゾディアーグじゃなかった」

「どういうこと?」

 小首を傾げながら問うてくるお袋に、俺の感じたことを話す。

 マンガの中でエルが戦ったゾディアーグは、腕力や魔法だけなく、知能が高かった。

 魂の伴侶と認められる勇者に出会い、ハイ・ヴァルキリーとなったエルに苦戦するも、事前に仕込んでおいた計略で、自分が滅ぼされつつも勇者の魂を砕くような奴だった。

 今日見たゾディアーグは、姿こそそのままだったが、喋ることもなく、魔法を使うこともなく、目の前に立ったソフィアに殴りかかるだけだった。

 外見だけがゾディアーグで、中身は別物だったように。

 そして奴の行動パターンは、エルをリアライズした日に出会った、サンショウウオに似た怪物も同じだった。

「じゃあ和輝は、今日出会ったゾディアーグとその前出会った怪物は同じようなもの、って考えてるわけ?」

「……わからない。でもその可能性は高いと思う」

「んーと、つまりどういうこと?」

 新しい瓶ビールの戦を抜いているお袋が口にした疑問に、俺はいま考えてることを話す。

「もしかしたら、同じ人が生み出したのかも知れない。……リアライズプリンタで」

 ビールを注いだコップを口に運ぶ手を止め、お袋が目を細める。

「和輝はリアライズプリンタが和輝のと千夜ちゃんの以外にもあるって考えてるわけ?」

「うん」

「ちょっとそのリアライズプリンタってのがよくわかんなわね。ワタシも使ってみていい?」

「いいけど……。あんまり変なもの出さないでくれよ」

「大丈夫大丈夫」

 そろそろ酔いが回ってきた感じのあるお袋は、テーブルの上に置いてある携帯端末をつかんでリビングに行く。俺もその後を着いて行き、エルをリアライズして以来そのままだったリアライズプリンタが使えるよう平面モニタの電源を入れる。

 お袋が自分の携帯端末からモニタに転送したのは、ファッションデザイナーらしく、ちょっと抽象的なタッチの、女性ものの服のイラスト。

「りっ、あらーいずっ」

 やる気のなさそうな声を出しながら稼働開始ボタンを押すが、エラー音がするだけだった。

「ふむ。じゃあ次」

 言いながら次の服のイラストを転送してボタンを押しても、やはりエラー。

 それからまた何枚かの画像を試したり、俺が代わりにボタンを押してみても、ひとつもリアライズすることはできなかった。

「なるほど……。和輝はエルちゃん。千夜ちゃんはソフィアちゃん。でもソフィアちゃんは和輝が描いた絵だったわね。それに第三のリアライズプリンター所持者、――リアライザーは、和輝のゾディアーグをリアライズした。和輝が何か特殊ってこと?」

「たぶん違う。最初の怪物は、何だったか忘れたけど、怪談話か都市伝説の本に載ってた奴だと思う」

「なるほど、なるほど。リアライズのキーは和輝じゃない、と。じゃあなんだと思うの?」

 酔ってふざけていたようにも見えたのに、鋭く細められた目から向けてくるお袋の視線は、これまで見たことがないくらい真剣なものだった。

「たぶんリアライズプリンタは、想像力と、想い入れを実体化するものなんだと思う」

「根拠は?」

「……ソフィアのレディモードは、最初は生身の女の子のはずだったんだ。でも上書きリアライズに失敗して、千夜がロボはロボに、って言うからメイドロボの画像に差し替えて成功したんだ。それにソフィアには絵では描ききれない、コメントで書いてあった設定も反映されてた。エルはコメントすらなかったし、絵を実体化しただけなら生きてるだけでも不思議なのに、彼女は俺がこうだと思った能力、性格、時間を反映して実体化してた」

「そういうこと、か……」

 考え込むように腕を組み、顎をさすりながらリビングに戻って椅子に座ったお袋は、コップに残っていたビールを煽る。

「種明かしすると、さっき表示した服は、全部実際に実物をつくったことがあるものなんだ。未公開のものは契約の関係で見せにくいってのもあるんだけど、正直さっきのはもうあんまり想い入れはなかったんだよね。製品化されてワタシの手からは離れちゃってるし。和輝の予想する通りリアライズプリンタが想いを実体化するものなら、さっきの奴じゃあダメでしょうねぇ」

「それにもしかしたら、絵自体はトリガーに過ぎないのかも知れない、とも思ってる」

「と言うと?」

「もし、リアライズプリンタが絵以外の、頭の中にある想像も含めて実体化できるんだとしたら、絵を使わず、強い想いや恐怖心とかの感情とかも、リアライズできるのかも、って。そういうことでリアライズしたら、都市伝説の怪物とか中身が違うゾディアーグをリアライズできるかもと思うんだ」

「なるほどね。さすがにその通りだ、って納得できるほどの答えではないけど、いまの状況までで考えれば欠点はないわね」

 ビールをコップに注ぐお袋と一緒に、俺も話してる間に温くなってしまったコーヒーを飲み干す。

「もし和輝の予想通りなら、今後はよっぽどのことがない限り、リアライズプリンタは使わない方がいいかもね」

「なんで?」

 口元に寄せていたコップをテーブルに置いたお袋と視線を合わせる。

 わずかに緑がかっても見えるお袋の瞳には、俺を射貫くような厳しさと同時に、心配そうな色が浮かんでいるように見えた。

「普通のプリンタがインクを消費して、データだった画像を紙に印刷するように、もしかしたらリアライズプリンタも何かを消費して想像を実体化するのかも知れない」

「本当に?」

「さすがに確かめる方法が思い浮かばないけど、想像や想いを現実に打ち出すことによって和輝が何かを失っているのだとしたら、それは本来和輝にとって大切なものかも知れない。そんなリスク自体あるかどうかわからないけど、ないとわかるまでは使わない方が無難でしょうね」

「……そうかもね」

 言われるまでそんなこと考えもしてなかった。

 エルをリアライズした後は他のものをリアライズしようとは考えてもみなかったけど、エルをリアライズしたことによって俺の大切なものが失われてるかも知れない、と考えたら、少し怖くなってくる。

「しっかし、あんなもの、誰が造ったのかしらね?」

 いまさらな疑問を口にするお袋。

 エルが実体化した時点で常識離れしているって言うのに、それを気にせず受け入れて普通に生活出来ているお袋は、常識が壊れているって言うか、不思議なことに慣れている気すらしてくる。

 ――その点は、俺や千夜もあんまり変わらないか。

 まだたいした時間が経っていないのに、俺も千夜もエルやソフィアがいる生活に慣れ始めている。ロボットでアッというまにいまの状況を把握して受け入れたソフィアもそれは同様だ。

 でもエルは、いまなおこの状況を受け入れられているようには見えない。

 ――これから、どうなるんだろうな。

 やりたくてやってしまった感じがあるエルのリアライズだったが、稼働開始ボタンを押すときに考えていたことが実現できるのか、少し不安になっていた。

「製造者の情報とか、なんかわかった?」

「あ、いや、発送元の住所は空き地になってたし、ナイトメアエレクトロニクスって会社名も、何も情報は出てこなかった」

「三人目どころか、もっとたくさんの人がリアライズプリンタ持ってたら、世の中どうなっちゃうのかしらねぇ」

「うっ……」

 怖い想像をしそうになるが、上手く頭の中に思い描くことができなかった。もしリアライズプリンタがたくさんあるとしても、持ち主がどんな人で、どんな想いを持って使うのかがわからなかったから。

 ――でも、三人目のリアライザーは、危険だ。

 いつかもっと大きな怪物を生み出すかも知れない三人目のリアライザー。誰かが止めなければ、街は、日本は、大変な事になってしまうかも知れない、と思った。

「考えてることはだいたいわかるけど、和輝と千夜ちゃんは戦えないんだから、気をつけなさい」

 ビールの空き瓶とコップを手に椅子から立ち上がったお袋が言う。

「うん、わかってる」

「それと、また怪物が現れたらワタシに教えてくれてもいいから」

「いや、絶対無理だって」

「ワタシはけっこう強いのよぉ」

「知ってるけどさ、無理だよ」

 酔いが回ってきたのかニヤニヤと笑っているお袋は、俺の中では世界最強なんじゃないかと思ったりする親父とけっこう渡り合うことができる猛者だ。でもソフィアが焼いてシミにしてやっと活動を止めるような怪物に、お袋が敵うはずがない。

「まっ、あんたはエルちゃんたちと協力して、やりたいようにやってみなさい。怪我にだけは気をつけて、ね」

「うん」

「ワタシはワタシのできる範囲で、大人の力とか使ってあんたたちのバックアップくらいするからさ」

「何するつもりだよ」

 俺の問いかけに答えず、頼もしいんだかなんだかわからない笑みを残して、お袋はキッチンへと入っていった。

 自分が使っていたコーヒーカップを持って後を追った俺は、考えていた。

 リアライズプリンタのリスク。

 その製造者と目的。

 そして、第三のリアライザー。

 エルをリアライズしたことで……いや、リアライズプリンタに関わったことで、触れたことがない世界が広がり、俺はそれに巻き込まれていっているような予感がしていた。

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第二章 7

       * 7 *

 

 

「お風呂ありがとう」

 部屋に入ってそう言うと、部屋の真ん中に置かれたテーブルで茶器などの準備をしているソフィアと、クッションに座っている千夜子から笑みをかけられた。

 少し胸の辺りに苦しさを感じる千夜子から借りた緑色のパジャマのボタンをひとつ外して、ゴムでポニーテールにまとめた髪に滴が溜まっていないか確認しながら、エルは用意してもらっていたクッションに腰掛ける。

 和輝の部屋は物が多くていまひとつ広さがわからなかったが、彼の部屋よりも明らかに広く、ベッドや机などはひと回り大きく、薄ピンク色に統一された部屋は、千夜子らしい可愛らしい印象があった。

 ただし、棚や机の上には厳つい格好のロボットの人形が、少ないながら並んでいるのが見えていたが。

「和輝の家のものに比べて大きいな、千夜の家のお風呂は」

「まぁ、和輝んとこも、家の広さから考えるとかなり広いんだけど、うちは何かその辺こだわったらしいよ? ここに家を建て直すときに。つっても、うちの両親滅多に帰ってこないんだけどね」

「和輝の父上も国外にいて帰らないそうだが、同じようなものなのか?」

「あー。うちは違うよ。パパもママも仕事好きで、家に寄りつかないだけ」

「……寂しいな」

「そんなことないよー。家のことは千尋お姉ちゃん、従姉なんだけど――、がやってくれるし、すぐそこに和輝が住んでるし、いまはソフィアもいてくれるしね」

 そう言って笑っている千夜子だったが、どこか無理をしているように感じられて、エルはそれ以上聞くのを辞めた。

「まっ、そんなことはともかく、せっかく女の子が三人も集まったんだから、パジャマパーティってことで、ソフィアに美味しいもの用意してもらったよ」

 千夜子が示したテーブルの上には、透き通るような白色に鮮やかな模様が描かれたポットや、紅茶が注がれた揃いの柄のカップ、それから表面に白いクリームが塗られ、三角に切られた物体だった。

 切られた断面はパンのようで、柔らかいらしく小さなフォークでひと口サイズにして口に運んでいる千夜子の真似をして、エルもひと口食べてみる。

「……これは!」

 口の中で溶けるクリームの強めの甘みと、仄かに紅茶の香りと渋みを含んだ優しい甘みが舌の上で絡み合い、得も言われぬ味が広がった。

 さらにひと口運び、ヴァルハラでも食べたことのない、神々ですら食べたことがあるのかと思ってしまうような美味しさをじっくりと味わう。

「これは紅茶のシフォンケーキ。ケーキって食べ物だよ。お菓子だね」

「ケーキ、か。こんな美味しいものがこの世界にはあるのだな……」

「食べたことなかったんだ?」

「こんなに甘くて美味しいものは、……わたしの生きていた世界にはなかったからな。和輝の家の食事も美味しかったが、こうしたものは出てきたことがなかった」

「あー。あいつ、けっこうしっかりファンタジーの世界つくってるから、砂糖とかあんまりなさそうだしねぇ、あの世界。和輝もケーキつくるの上手いんだけど、本人があんまり食べないから滅多につくってくれないんだよねぇ」

「――*%&$」

「うっ……。この前頼んだら、『面倒臭い』って言ってつくってくれなかったんだよね。あー。今度ソフィアにつくり方教えて、ってことでつくってもらおうかなぁ」

「和輝は確かに、面倒なことは嫌う傾向があるようだな」

「そうでもないんだけどね。んーと、……エルが来てから、食事はいつも適当じゃなくて豪華版だし」

「――#$%」

「うぅ……。あ、あたしは不器用だしっ。ソフィアがつくってくれるようになればそれで問題ないしっ! まぁあんまり遅い時間に食べると、お腹の肉になりそうだけどね……。って言うか、エルって太ったりするの? けっこう食事量多いみたいだけど」

「それは……、どうなのだろう。いままで考えたことがなかったな」

 弾んでいく会話に、暗く沈んでいた気持ちが明るくなっていくのを感じて、ケーキを食べながらもソフィアに茶化され、表情がくるくると変わる千夜子に思わず笑みが漏れてくるのをエルは感じていた。

「どうしてエル、和輝の顔を見たくないなんて言ったの?」

 シフォンケーキを食べ終え、お代わりの紅茶をソフィアに注いでもらっているとき、そう千夜子が問うてきた。

「迷惑を掛けて済まない」

「うぅん。いいんだけどさ。あたしから誘ったんだし」

 家に帰り着き、和輝に「顔を見たくない」と言ったとき、千夜子が「じゃあうちにおいでよ」と言ってくれ、半ば強引に連れてこられていた。

 和輝が一昨日の夜からつくっていた美味しいシチューもほとんど奪うように持ってくることになってしまったし、エルは千夜子とソフィアにたくさんの迷惑をかけてしまっていると感じていた。

「まぁ、和輝とひとつの家にほとんどの時間、エルとふたりっきりってのもどうかと思ってたんだけどさ。と言っても、あいつのことだからあんまり心配することもないかな?」

「そうだろうか?」

「うん。あいつ、アニメとかマンガとかフィギュアの女の子しか興味ないみたいだし、筋金入りのオタクだしねぇ。これまでも何もなかったし……」

「――%$&」

「うぅ……。言わないでよ、ソフィア」

 楽しそうなやりとりをしている千夜子とソフィアを見ながら、エルは考えていた。

 最初にこの世界で目覚めたとき、エルの身体を触っていたことを考えると、和輝が女の子に興味がないという千夜子の言葉には疑問を憶えていたが、確かにその後は積極的に何かをしてくることはなかった。

 和輝が考えていることは、エルにはわからなかった。

「わたしは、和輝が考えていることがわからない……」

 ぽつりと、エルは自分の想いを口にする。

「どういうこと?」

「今日、わたしをゾディアーグと戦わせず、先日学校で和輝から金を奪おうとしていた男たちの命を救うよう彼は言った。奴らは盗賊のような男たち。何故宿敵である奴と戦わせず、彼らを癒せと言ったのか、わたしにはわからない」

「そのことかぁ」

 それを聞いた千夜子は、何かがわかっているかのように笑む。

「何が、おかしい?」

「あー、ゴメン。おかしいとかじゃなくて、あたしは不思議に思わなかったし、和輝はそういう奴だよなぁ、とね」

「そういう奴? わたしにはわからないが……。和輝とはどんなん人間なのだ?」

「んー、そうだねぇ」

 身体を寄せるように立てていた脚を崩してクッションに座った千夜子は、微笑みを浮かべているソフィアに何故か目配せをしてから話し始める。

「和輝はいまはあんな感じで、お父さんの蔵雄さんも滅多に帰ってこないくらいだし、輝美さんも仕事が忙しすぎて家を空けてることが多いけど、中学の頃まではそんなんじゃなくて、主に輝美さんがだけど、けっこうわいわいやってた家だったんだ。逆にあたしの家なんかは、両親はいまと変わらず昔から出突っ張りだったし、お手伝いさんとか、いまは千尋さんに家事とかお願いしてる感じだったんだよね。それであたしは敷地が繋がってるからってのもあって、和輝の家によく出入りしてたんだけど、あいつは両親の愛情を受けてたと思うよ」

 少し遠い目をして、千夜子は微笑む。

「性格は蔵雄さん似かな。口数少なくて、人と話すの苦手で、内向的なところとか。でも蔵雄さんはものすごいアウトドア派で、幼稚園の頃にアニメとかにはまって引きこもりがちになった和輝とは違うんだけどね。運動とか勉強もけっこうできるんだけど、面倒臭がりで真面目にやらないし、好きなことやってりゃ幸せだから、本当は蔵雄さん似の顔も髪で隠れるくらい外面に気を遣ってないし、猫背だし、学校ではオタクなのみんな知ってるから、外見のこともあってみんなからは避けられてるかなぁ」

「その、蔵雄殿に比べて、和輝には良いところがないように聞こえるな」

「あはははっ。そうかも。……でも料理とかは輝美さんと蔵雄さんの仕込みで上手いし、この前はあんなだったけど綺麗好きで、家の掃除とか欠かさないしね。それに、あいつは好きなことを好きってだけじゃ終わらせなくて、絵を描くようになって、それで努力して、中学に入る頃にはネットなんかでもちょっと有名になってて、賞取ってプロの漫画家やってたこともあるんだよね」

「プロ、と言うのは、その技術や成果で生活をしたり、報酬を得たりしている者のことだったか?」

「そそそっ。まぁ辞めちゃったんだけどね、一年くらいで」

「辞めた? プロというのはその世界で報酬を得られるくらい認められた者のことだろう。何故辞める必要がある」

「うぅーん。もう一年以上前のことで、和輝なりに幼かったから、ってのはあるかなぁ。それだけじゃなくて、あいつの場合仕方なかったからかな? ヘラヘラしてて気弱に見えるけど、凄く頑固だし、好きなものは譲れないってのがあったりするみたいだしね。えぇっと、どこに置いてあったっけ」

 振り返った千夜子に先んじて立ち上がっていたソフィアが、棚に収められていた本を持ってくる。

「ありがと、ソフィア。ちょっとこれ、読んでみてくれる?」

 そう言って千夜子から手渡されたのは、和輝の部屋にもたくさんあったマンガの本。今日のイベントで売っていた大きなサイズではなく、本屋に寄った際に並べられていたものと同じサイズのものだった。

「これは……、ヒルデ姉様の物語?」

「ちょっと違うんだけど、まぁそんな感じ。とりあえず読んでみて」

 物語は、作品の冒頭で勇者と戦乙女が出会い、よりよい勇者に、よりよい戦乙女になるべく一緒に旅をするというもの。

 勇者は若く、思慮不足で、それによって危機に陥ることもあるが、人を想う気持ちが強く、平和を望み、戦乙女の助けもあって苦難を乗り越えていく。しかし随所に、少し眉を顰めるような性的表現が盛り込まれていた。

 絵のタッチは荒々しさが見られ、和輝の描いているものに比べて上手いとは言えなかったが、彼のものにどこか似ていた。とくに後半になると、エルの最初の頃の絵と違いがわからないほどになっていた。

 まだまだ物語が続きそうな終わりをしている本を読み終え、エルは顔を上げた。

「これは、和輝が描いたものなのか?」

「そっ。和輝が出した最初の、それからたぶんプロとしては最後の本。受賞した話の続編を、中学二年から三年に掛けて雑誌連載して描いてたんだけど、その話はそこで終わっちゃった。プロ辞めるって言って、一応本にはなったけど、その後は雑誌では描かなくなっちゃったからね」

「どうして和輝は描くのを辞めてしまったのだ?」

「それは……、えぇっと、そのマンガの中のブリュンヒルデって、どんな感じだった?」

 言われてエルは膝の上に載せた本の表紙を眺める。

 勇者である男とともに、少しわざとらしいポーズを決めているその表紙の戦乙女ブリュンヒルデの格好は、肌色が多く、見ているだけで恥ずかしさを感じるものだった。

 そして話の中でも、そうした部分は多く見られた。

「戦乙女ブリュンヒルデは、勇者を得、秘められた力を発揮したハイ・ヴァルキリーを越え、主神よりヴァルハラを任されてクイーン・ヴァルキリーとなった我ら戦乙女の長姉に当たる方。その性格は清廉にして誠実、穏やかにして厳格な方であった……、と和輝の物語のなかでは設定されていたが、しかしこの本の中のヒルデ姉様は、わたしの記憶にあるものとは別人に思える」

「うん。言い方はおかしいけど、別人なんだよ。そのマンガの中のブリュンヒルデと、エルが知ってるブリュンヒルデとは」

「どういうことだ?」

 伸ばされた千夜子の手に本を渡すと、彼女はぱらぱらとめくりながら言う。

「和輝がプロを辞めたのはブリュンヒルデが主な理由。元々明るくて活動的な性格で、ヒルデは人気のあるキャラだったんだよね。いまほど絵が上手くはなかったけど、作品自体も人気あったし。でももっと長く続けて、もっと人気を出すために、それでもけっこう言われてエッチな感じにしてたけど、もっとエッチなのを前面に出して、そういうキャラクターを追加するように担当の編集の人……、仕事の依頼主から言われたんだ」

 本をソフィアに渡して仕舞ってもらい、テーブルに身体を乗り出すようにして千夜子は腕を組む。

「でも和輝は元々戦乙女を清純な乙女に設定しててね、担当編集と喧嘩になって、連載継続したいならあっちの条件を飲むこと、ってなって、じゃあ辞めるって言って廃業しちゃったの。和輝は、自分が好きなものを、好きなままの姿であることを望んだの」

「……そんなことがあったのか」

「うん。それで一応追加のキャラクターについて考えてて、そのひとりが戦乙女の末妹、エルディアーナだったの。連載終了と同時に放浪の戦乙女の話を描き始めて、ブリュンヒルデも一番最初の設定に戻して、今日みたいなイベントで売るようになったんだよね」

「なるほど……。しかしそのことが、今日の戦いのことと、どう関わると言うのだ?」

「うーんとね――」

 紅茶をひと口飲んでから、千夜子は続ける。

「和輝は根暗で引きこもりな上、頑固で意固地で、好きなことは曲げない奴なわけ。それに……、エルにも、たぶんブリュンヒルデにも引き継がれてると思うんだけど、あいつの話って、人を救う話とか、助ける話が多いじゃない? そういうとこあんまり見せないけど、あいつって平穏で、平和なのが好きなんだよね。だから最初の怪物が出たときも迷うことなく飛び出して行ったし、今日もソフィアにゾディアーグは任せられたから、死にそうな人を助けることを優先した。ソフィアじゃ怪我を癒すなんてことできなかったから、エルに頼むしかなかったし」

「そう、なのか?」

「うん。あいつはそーゆー奴。頭使ってできるだけ矢面に立たないようにはするし、後々面倒なことが起きないようにもするけど、理不尽なことがあると放っておけないし、ダメなら自分が表に立っても止めようとしちゃう。それが他人事であっても、見つけちゃったらね。そういうとこ、たぶん蔵雄さんと輝美さんの背中を見て育ったからじゃないかなぁ、と思う」

「そうなのだろうか……」

 千夜子の話を聞いていて、和輝のことがさらによくわからなくなったような気がしていた。

 冷めてしまった紅茶を飲み干し、新たにソフィアに注いでもらった紅茶のカップを眺めながら、エルは考える。

 和輝は必要なことや問うたこと以外はあまり多くのことを語ることはなく、前髪で隠れた目でどこを見ているのかもよくわからず、正体がいまひとつつかめていなかった。

 しかし千夜子の言ったことから考えると、確かに和輝にそうした平穏や平和を望む行動があったことも確かだった。

 ――それでも、やはりわからないことが多い。

 カップを口元に寄せ、暖かい紅茶を飲む。少し強めの渋みに、エルは顔を顰めていた。

「エルのその性格も、やっぱり和輝のそういう望みから生まれたものなんじゃないかな」

「そうなのか?」

「たぶんね。マンガの中で、エルは信念があって、強い望みに焦がれていて、涙を流すことはあっても倒れることがあってもまた立ち上がる。それに助けたいもの、撃ち砕きたい敵と戦う強さもある。エルは和輝にとって、自分の中にある理想を実現した、キャラクターのひとりだと思うよ」

「キャラクターのひとり、か……。わたしにはよくわからないな。和輝が本当にそんなことを考えているのかどうかなど。千夜はよくわかるな」

「まぁー、あいつとはつき合い長いしねぇ」

「――%&$」

「そ、そりゃまぁ、家が隣だから一緒にいる時間は長いけど、そうじゃなくって!」

 ソフィアに言われた言葉に顔を真っ赤にして反論している千夜子に、エルは笑みを零す。

「和輝のことがもう少しわかってきたら、エルにもわかるかも知れないけどね」

「――*+%」

「うっ……、あ、うっ……。そう、なるかも知れないけど、それは和輝次第だし……」

「ふふふっ」

 唇を尖らせて顔を赤くしている千夜子の様子に、エルは思わず笑い声を漏らしていた。

「そうだな。もう少し和輝のことを知ってみるのも、よいかも知れないな」

 呟くようにいって、エルは笑っていた。

 

 

          *

 

 

 けたたましい携帯端末の音に手に取って見てみると、千夜からのメールの着信だった。

 開いてみると、朝にはエルが帰るという内容と、パジャマ姿の三人が並んでピースをしている添付写真があった。

「何してるんだか」

 千夜の家でずいぶん楽しそうにしているエルにため息を漏らして、俺は新しく淹れたコーヒーを保温マグカップですする。

「さて……」

 気がかりだったことのひとつが解消され、俺は灯りを暗めにしてる自分の部屋で、三枚のモニタに向かい合う。

 今日即売会が終わったばかりだったが、来月にはまた大きな即売会がある。ひと月に一冊近いペースで出している放浪の戦乙女の次の話をさっさと描き上げなければならなかった。

 エルディアーナの話をつくり始めた頃にまとめたプロットと、その後にちょこちょこと書いていた物語の構成メモを表示し、次の話の場面を考えるためにメモソフトを立ち上げる。

 今日の新刊であった放浪の戦乙女第二部七巻は、第二部のボスとなる八つ首のドラゴン、名無しのため便宜上ヤマタノオロチと読んでる怪物が登場したところで終わっていた。予定では八話で第二部が完結するはずだったが、クライマックスバトルは一話に収まりきらず、九巻まで引っ張ることになりそうだった。

 後はもうバトルとエンディングだけだから、描くことは概ね決まっている。バトルの絵は簡単とは言えなかったし、ヤマタノオロチみたいな巨大な敵は描きにくかったが、話についてはもう悩むところはない状況だった。

「……あれ?」

 キーボードに指を置き、メモを取ろうと思うのに、指が動かなかった。

 硬直してるとか緊張してるとかではなくて、頭の中に何も思い浮かんでこない。

 ――どういうことだ?

 七話を描いているときは、この次どんな話にして、どんな場面を出して、どんな戦いをさせるかをずっと考えていた。それのメモをたくさん取っていた。

 悩むことも迷うこともない状況なのに、俺の頭には次描くべきエルディアーナの姿が何も浮かばない。

 自分用に持ち帰ってきた七巻を取り出して読み直してみるが、やっぱり浮かんでこない。放浪の戦乙女は俺が好きで、俺のために描いているようなマンガで、いつもいつもそのことを考えていたくらいだったのに、いまはもうひと欠片も頭の中に浮かんでこなかった。

 その代わりに、頭の中に浮かんでくるのは、いま現実にいるエルディアーナの姿ばかり。

「もしかして、これが?」

 椅子の背もたれに背中を預けて、俺は顎をさする。

 これまで当たり前のようになってきた想像が、できなくなっていた。

 当たり前で、手癖のようにエルのことを描いてきたと言うのに、現実のエルのことしか浮かんでこなくて、絵であったときの、マンガの中であったときの彼女の描き方がわからなくなっていた。

「リアライズプリンタのリスク、か……」

 ついさっきお袋と話していたリスクのこと。

 もしかしたらこれがそうなのかも知れないと思う。

 俺はエルをリアライズプリンタで実体化することによって、頭の中のエルを、想像上の戦乙女を、彼女への想いを、自分の中から失ってしまったのかも知れない。

「だとしたら、三人目は何を失っているんだ?」

 自分に起こっている変化に衝撃を受けながらも、俺は怪物を生み出した三人目のリアライザーのことを思う。

 おそらく、破壊の衝動や恐怖心、怒りなどを怪物の形で実体化させている三人目のリアライザー。

「このままリアライズプリンタを使い続けたら、そいつはどうなるんだ?」

 わからなかった。けれど、恐ろしいことになるような気がしていた。

 エルやソフィアで対処できる怪物そのものよりも、リアライズプリンタを使い続けることによるリスクの方が、俺には怖いもののように思えていた。

 

 



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第一部 第三章 闇に走る者たち
第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第三章 1


第三章 闇に走る者たち

 

 

       * 1 *

 

 

「なん、……だ?」

 微かな物音が聞こえたような気がして、エルは布団から身体を起こした。

 その途端、パジャマ越しに感じた寒さに震えてしまっていた。

 横目に見た遮光カーテンの隙間から差し込む朝日はまだ薄暗く、寒さが厳しい時間だった。とは言っても、旅の途中に感じた荒野の寒さに比べれば生易しいもの。

 ――薄着をしているとは言え、鈍ったものだな。

 和輝の家に暮らすようになって、もうずいぶんになるようで、まだ二週間と経っていない。それなのにエルは、柔らかく暖かい布団で寝ることにも、彼が用意してくれる美味しい食事にも、慣れて来つつある自分を感じていた。

「これから先、わたしはどうすれば良いのだろうな……」

 テレビというもので、戦う者の物語や、武道の試合の様子を見ることがあった。

 つくりもの染みた物語は内容としてはおもしろかったが、劇を見ているようでのめり込むには至らなかった。武道の試合は真剣さに心躍るものを感じたが、しかしそれは求めるものとは違っていた。

 街の様子を見ていても、この世界が平穏で、平和な世界であることは感じることができた。

 小さな争いや騒動、遠い国では激しい戦いが行われているのは知っていたが、しかしそれらはすべて人間同士のもので、戦乙女が介入するような、人と怪物、神族と巨人族といった、世界の存亡に関わるものではなかった。

 エルにとってはそうした小さな戦いは、人間に余裕があるからだろうとしか思えない。勇者を、戦乙女が求める魂の伴侶を生み出すほどの深刻なものではないと感じていた。

「わたしの求める強い魂を持った勇者は、見つけられるのだろうか」

 まだ微かに聞こえる音に、それを確認しようとエルはベッドから出て、サイドチェストの上に畳んで置いた黒いカーディガンを羽織る。

 自分の記憶も、姿も、生きていた世界も、すべては和輝の創作であったことはすでに理解している。

 気持ちの上では理解し難くもあったが、否定することができないほどに、和輝たちの話は筋が通っていて、同時に自分の中に多くの欠損があることに気づいていた。

 けれど何より納得できないことがあった。

「何故わたしがあのような軟弱な者に生み出されなければならないのだ」

 ぼさぼさの髪をし、一度もまともに目すら見たことがない。用事がなければほとんどの時間自室に籠もっていて、何をやっているのかも知れない。身長は高いのに背を丸めているため低く見え、人に話しかけられても慣れた人以外には怯えた様子を見せることがある。

 料理は上手く、平穏や平和を望む心は素晴らしいと思うが、物事に立ち向かわない軟弱な心は、長所を消し得るほどにエルにとっては苛立たしい短所に感じられていた。

 そして何より、そんな和輝に自分が生み出されたという事実が、信じがたいことだった。

 千夜子が言うには自分の中にも和輝に似たところがあるような話だったが、そんなものを感じたことはこれまで一度もなかった。

「我が勇者を見つけ出すには、時間を必要としそうだな……」

 諦めのため息を吐きつつ、エルは部屋を出て階段へと続く廊下を見てみると、一階に光があることに気がついた。

 階段を下りて灯りの点いているダイニングに入ってみるが、人影も人の気配もしない。

 訝しみながら目を細め、ダイニングから出てみると、物音は外から聞こえてきているようだった。

 鍵を開け、玄関の扉を押し開く。

「――%&$」

 真っ先に挨拶の声を掛けてきたのは、ソフィア。

 見ると玄関の前のポーチで、和輝と千夜子が柔軟体操をしていた。

「おはよ、エル。起きちゃったの?」

「……おはよう。まだ寝ていてもよかったのに」

 エルに気がついて挨拶の言葉を口にする千夜子と和輝。

「何をしているんだ? 三人とも」

「朝の日課だよ? ただのランニングだけどね」

「……先週はイベント準備で寝不足気味だったからね。昨日と一昨日は充分寝たし、今日から再開することにしたんだ」

「そう、なのか」

 言われていることの意味はわかったが、和輝たちのしていることの意味がよくわからなくて、エルは小首を傾げるしかなかった。

「エルも行く? その格好じゃあダメだけど」

「確かお袋がジャージを用意してくれてるはずだから、行くならクローゼットの引き出しを見てみてくれ」

 和輝は青の、千夜子は赤の、いつも落ち着いたワンピースとエプロンのソフィアは、今日はそれとは違い黒の、三人揃いの上着とズボンを身につけていた。対してエルは、ピンク色のパジャマにカーディガンを羽織っただけの格好だった。

「わかった。すぐに準備してくる。少し待っていてくれ」

 言い捨ててエルは、急いで与えられている部屋へと走って行った。

 

 

          *

 

 

 いつもならば六キロのランニングを、久しぶりということで今日は短めに四キロにして、軽く流す感じで走る。

 二週間近く休んでいたし、ここのところ食事の量が増えていたから、さすがに少し身体が鈍っているのを感じつつ、ちょっと思いついて肩から掛けた細長い鞄のストラップの揺れを気にしながら、俺は女子三人たちとともに太い河の土手の上を走っていた。

 俺の家からほど近い場所にある、見えるようになってきた太陽に照らされた河川敷の運動広場に入って、ひと通りの筋トレをこなす。

 短めのコースを選択しただけあって、今日は帰るには時間に余裕があった。

「……エル。ちょっといいか?」

 言って俺は近くのベンチに置いてあった鞄開け、中身を取り出して一本を、彼女らしい桜色のジャージを着たエルに投げ渡す。

「何をするんだ?」

「まぁ、見た通りだよ」

 受け止めた短い竹刀と俺の顔を見比べて、エルは不思議そうな顔をしていた。

 顔を見合わせた千夜とソフィアがベンチへと逃げていくのを確認して、俺はそこから少し離れた場所でエルと正対する。

「わかった。相手になろう。……しかし、その構えはなんだ?」

 俺とエルが持っているのは、小太刀程度の長さの練習用の竹刀。

 重さはそこそこだけど、かなり柔軟性が高く、本気で打ち込んでもよほどの力でない限り怪我をしないほどに柔らかいものだ。

 盾を持つことが多い戦乙女としては標準的な構えのひとつである、右足を引き、左腕を前面に構え、右手の竹刀を引き気味に構えるエル。

 対して俺は、右手に持った竹刀を頭の上で担ぐように水平にし、刀ならば剣の背に当たる部分に左手を添えるという構えを取っていた。そして竹刀は、エルに対して垂直にし、剣先が見えないようにする。

「……構えについてはあんまり気にしないで、本気で打ち込んできてみてくれ」

「ふむ」

 軽く振って竹刀の柔らかさを確かめ安全を確認したのか、訝しむように目を細めながらも構え直すエル。

 ――完全に一発勝負だな。

 俺の狙いはただひとつだけ。

 一度見られたら俺ごときじゃ二度は通用しない。俺に勝機があるのは一度だけだと思う。

 どのようにでも動けるように腰を少し低くし、細く長く息を吐いて、止める。邪魔な前髪すらも気にならないほどに、ほんの微かなエルの挙動も捕らえられるように集中する。

「はっ!」

 エルの気合いの声より先に、右足の踵が微かに上がったのを見た俺は、右手を動かし始めていた。

 思っていた通り素直で、速度を重視した打ち込みをしてくるエル。

 右手に持った竹刀を左肩の方に振り被り、深く踏み込んで俺の右肩から入るように袈裟懸けの軌道で斬りつけてくる。

「な?!」

 読みが当たったために軌道を修正する必要もなく、俺の竹刀は振り下ろされてくるエルの竹刀を、空中で打ち落としていた。

 驚きで表情と動きが固まった一瞬、俺は強引に力で胸元に引き戻した竹刀を、エルの喉元に突きつけていた。

「ま、参った……」

「ふぅーーっ」

 緊張が途切れて、俺は思わずしゃがみ込んでしまう。

「いまの太刀筋は何だったのだ? 学校でやっていた剣道というものとも違ったろう」

「あぁ、うん。違う。親父から習ったんだ」

「蔵雄殿から?」

 エルに差し出してもらった手をつかんで立ち上がった俺は、もう少し詳しく説明することにする。

「我流なのかどこかで習ったものなのか知らないんだけど、親父は達人と言っていいレベルの剣士だよ。俺と千夜が習ったのは護身術程度のものだけどね。いま使ったのは親父から習った型のひとつ。三ヶ月ぶりだから、まともに動けてよかったよ……。こっちから打ち込んでも絶対勝てないし、驚かせでもしないと対応されるからね」

 ある程度手加減をしていた感じもあったが、エルの動きは正直目で追えていたとは言い難い。竹刀の軌道とタイミングを読めたからこそ、打ち落とすことに成功しただけだ。

 戦乙女である彼女の動きは、手加減したものであっても親父がお袋と真剣勝負をしているときに匹敵していたから、普通の人間でしかない俺なんかじゃ、事前に彼女の戦い方を知り、読み勝ちでないと対応なんてできない。

「戦う前から負けを宣言するとは情けない。もう一本、お願いする」

「いや、絶対無理だし……」

「先に願いを受け入れたのはわたしだ。次は和輝、貴方がわたしの願いを聞いてくれてもよいのではないか? さぁ、構えろ」

「ぐっ」

 正論を言われて答えに詰まった俺は、どうやらムキになってるらしいエルから少し距離を取った。ニヤニヤと笑って声援を送ってくる千夜とソフィアにため息を吐きつつ、もう一度同じ型で構える。

 そうしてそれから三回エルと戦い、三回とも負けを味わう結果となった。

「痛つつつっ」

「……済まん。少し強く打ち込み過ぎた」

 感情をそのまま力に変えたエルの打ち込みは、柔らかい竹刀だと言うのに内出血するほどの強さで、ベンチに座った俺に彼女は治癒の術をかけてくれる。

 思っていた以上に時間が経ち、いつものランニングのときよりまだ早い時間とは言え、この後のことを考えるとそろそろ帰らないといけない時間になっていた。

 治療が終わり、ベンチから立ち上がった俺は全員の顔を見渡して言った。

「戻ってシャワーを浴びたら、俺の家に集まってほしい。朝食は俺が準備するから。……少し、話したいことがある」

「ん。わかった」

「――*%&」

 即答する千夜とソフィアだが、エルは目を細めて険しい顔をしていた。俺が視線を向けると、彼女もまた返事をくれる。

「わかった。その通りにしよう」

 全員の返事をもらった俺は、竹刀の入った鞄を担いで、家までさほどない距離を三人とともに走り始めた。

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第三章 2

 

       * 2 *

 

 

「みんなに頼みたいことがある」

 シャワーを浴び終え、制服に着替えてダイニングに集まって朝食を終えた後、俺は椅子から立ち上がってみんなに向かってそう言った。

 正面に座る千夜とソフィアは、もう何を言うのかわかっているみたいに笑っていた。

 隣にいるエルは、眉根にシワを寄せて疑問の言葉を口にする。

「いったい、何をだ?」

「怪物の主捜しでしょ、和輝」

「うん」

「何のために!」

 怒った声を出して立ち上がったエルは、俺の顔を睨みつけてくる。

「わたしやソフィアならばともかく、貴方や千夜は戦えないのだぞ」

「わかってる」

「近くに怪物が現れたのならば戦うのはわかる。知り合いが襲われているのならば助けるのもわかる。しかし戦えない貴方が何故怪物の主を捜そうとするっ。場合によっては貴方がこの前の男たちのようなことになるのかも知れないのだぞ!」

「わかってる。それでも、捜したいんだ」

「わかってない! 千夜も言ってやってくれ。どれだけ無茶なことをしようとしてるのか」

 俺のことを心配でもしてくれるのか、それとも別の想いなのか、激昂するエルは同意を求めて声をかけるが、千夜の方は落ち着いた表情で笑っていた。

「まぁ、そのうち言い出すと思ってたし、あたしは手伝うよ。ソフィアと一緒に。ね?」

「――&%$」

 ソフィアと頷き合う千夜に、エルは表情を強張らせる。

「とりあえずその先の話を聞こ。和輝も話はこれで終わりじゃないんでしょ」

「うん」

 睨みつけるように碧い瞳を細めているエルは、ひとつ大きなため息を漏らした後、椅子に座り直した。

「俺に怪物を倒せるほどの力がないのはわかってるし、危険に首を突っ込みたいわけでもない。……いや、首を突っ込もうとしてるんだけど。とにかく、街が騒がしいのは好きじゃないし、それにいつ、俺の知り合いが怪物に襲われないとも限らない」

「そのときはわたしがまた戦えばいい。この街に住んでいるのだ、街の平穏のためならば頼まれずともわたしは怪物を退治する」

「エルがそうしてくれるだろうとは思ってたけども……。俺は、争いや不幸は物語の中だけで充分だと思ってる。それに、問題は怪物だけのことじゃない」

 全員がテーブルに乗り出すようにして、俺の顔を睨むみたいに見つめてくる。

 期待のような、不安であるような色を浮かべる瞳を向けられる中で、俺は言った。

「たぶん、怪物の主は俺や千夜の他の、リアライズプリンタの所持者、三人目のリアライザーだ」

「やっぱり和輝もそう考えてたんだ」

「……うん。ゾディアーグが見た目だけで中身は別物だったし」

「――言われてみれば、奴はずる賢い魔神だった。ただ襲いかかってくるだけの獣のような者ではないはずだったな」

「それからこれは確認のしようがないことなんだけど、たぶんリアライズプリンタにはリスクがある」

「リスク?」

 声をハモらせる千夜とエルの顔をそれぞれ見て、それから一昨日の夜に気づいたことを話す。

「俺は放浪の戦乙女の次の話を、描けなくなってる。スランプとかそういうことじゃなくて、次の話もだいたい思いついてメモも取っていたのに、描くべきイメージが頭の中に浮かばない。エルのことを、頭の外に出してしまったみたいに」

「それって、もしかして?」

 思い当たることがあるのか、千夜が小首を傾げながら疑問の言葉を口にする。

「考えてる通りだと思う。たぶん千夜も、思い当たるんじゃないか?」

「ソフィアがいてくれたからぜんぜん考えてなかったけど、そうかも。和輝みたいに直接的なものじゃないけど、もう来月末のイベント向けに小説書かないといけないのに、何にも思いつかない。あたしも次の話のメモくらいつくってて、話の内容考えてたんだけどね。ロボットへのこだわりっていうか、書きたいって気持ちだけで書いてたのに、いまはそれがぜんぜんない」

「どういうことなんだ? 和輝」

 意味がわからないらしいエルの瞳は、揺れていた。

 不安、なのだろう。

 彼女はもう物語の中の登場人物ではなくなってしまっているけど、自分のことが描かれた物語なんだ、次の話が描けないなんて言われたら不安にもなるだろう。

「詳しくは説明しにくい。後は現れたヤマタノオロチと戦うだけの展開で、どんな風にするかだいたい決めていたはずなのに、描くべき絵が頭に浮かばない。本当にエルディアーナという登場人物を頭の中から取り出してしまったみたいに。いまはエル、ここにいる、実体化した君のことしか頭に思い浮かんでこない」

 言って俺の隣に座っているエルのことを見つめる。

 驚いたように目を見開き、口を小さく開けていたエルは、俺の言葉が頭に染み渡ったのか、一拍置いて、怒ったように金色の髪が映える白い肌を首まで赤く染める。

「な、何を言っているんだ、和輝」

「いや、怒らせるつもりはなかったんだけど……。千夜もそんな感じだろ?」

「まぁ、そうだけどね」

 何か不満でもあるように目を細めて俺のことを睨んでくる千夜。その隣では、ソフィアが手で顔を覆って下を向き、肩を震わせていた。

 何なのかよくわからなかったが、登校の時間が迫ってきているために、俺は話を続ける。

「はっきりとはわからないけど、たぶんこれがリアライズプリンタのリスクだと思う。三人目のリアライザーは少なくとも二度、リアライズプリンタを使ってる。もしかしたらもっと使ってるかも知れない。これ以上使い続けたら、どうなるかわからない」

「どうなると考えてるの? 和輝」

「正直なところ、俺にはわからない。でも、リアライズプリンタってのは絵を実体化するものじゃなく、想像や、想いを頭の中から現実に取り出すものなんだと思う。使い続けたり、強すぎる想いを取り出したりしたら、最悪廃人になるかも知れない。そんなことになる前に、俺は怪物の主を止めたい」

「当てはあるの?」

「いくつか。あんまりはっきりした手がかりじゃないけど。あとは登校中に話すよ」

「わかった」

 答えて千夜は床に置いてあった鞄を手に取って立ち上がる。手伝ってくれるかどうか確認はしていないが、千夜の答えは聞かなくてもわかってる。そして一瞬俺に微笑みを見せてから千夜の後ろに着いていったソフィアも、千夜と同じ意見なのだろうと思う。

 俺も弁当や教具が入った鞄を手にして、玄関に向かって歩き出そうとする。

「和輝」

 俺を後ろから呼び止めたのは、エル。

 そう思えばエルが手伝ってくれるかどうかを確認してないと思い、振り返る。

 彼女は、出会った日に見たのと同じように、泣きそうな顔で、碧い瞳を揺らしていた。

「わたしの、――いや、戦乙女エルディアーナの旅は、あそこで終わってしまうのか?」

「……わからない。本当はあの話は第三部まであって、いまは第二部のクライマックスに入ったところだ。最後まで描くつもりだったし、いまも描こうと思ってる。でも何も思い浮かべることができないんだ」

「そうか……」

「でも想いは積み重ねるものだと思う。これからまたあの話のことをたくさん考えて、想いを重ねれば、また描けるようになるかも知れない」

「本当に、できるのか?」

「わからない。でも、あんなところでエルの話を投げ出したくはないんだ」

「ん……。そうだな」

 何かひとつ吹っ切れたように、でも寂しそうに笑みを浮かべるエル。

「エル。君は俺の――」

「手伝うよ、わたしも。和輝、いまは貴方の想いに添おう。三人目のリアライザーの件に方がつくまでは……。いや、できたらわたしの、わたしだった者の物語に結末がつくまでは、この家にいたいと思う。だからわたしは和輝を手伝う。この家に住まわせてもらっている恩は、いまのところそれくらいでしか返すことができないからな」

「頼むよ、エル」

「あぁ。任せろ」

 ブレザーの上から形良く盛り上がった胸を叩き、エルは今度こそ元気を感じる笑み見せてくれた。

 

 

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第三章 3

 

       * 3 *

 

 

「……ないな」

 棚差しされた本の背表紙を見終わって、俺は呟いていた。

 いまいるのは駅前にある本屋。

 都心部の大型書店に比べれば小さいし、本はネットで電子のものを買うのが当たり前になってるから置いてある本の種類は子供の頃に比べて減ったが、それでも紙の本がいまのところ滅びる気配はない。

 そんな中規模書店のノンUV照明の下で、サブカルチャーコーナーの棚の前に立つ俺は、目的の本を見つけられないでいた。

 三人目のリアライザーを捜すことに決めた今日、俺とエルは本屋古本屋巡りに、千夜とソフィアは図書館にと、別れて本探しを開始していた。

 目的としているのは怪談ないし都市伝説の本。

 最初の怪物の姿が挿絵としてあるはずの本の名前などを確認するためだ。

 手持ちの電子書籍では目的の本を見つけることができず、どこかで借りたか捨てたかした本の書名や発売日から、いつ読んだどんな本だったかが手がかりになるかも知れない、と思って、たいしたものでないなりに探し出そうと考えていた。

 側にいないエルがどこに行ったのかと本屋の中を見てみると、紙の本の方が根強い人気のあるガイドブック系コーナーで、食い入るように本を読んでいるようだった。どうやらグルメ関係の本らしい。

 ちょっと噴き出しそうになりながらも、無害ならばいいかと思って、俺は違うコーナーに目的の本が紛れていないかと店の中を巡る。

 ――俺の同人誌を買ってることだけは、確かなんだよな。

 イベント会場の側に現れたゾディアーグから考えて、放浪の戦乙女の読者であることはほぼ確定していた。

 けれどそれ以上の情報と言えば、最初の怪物がこの街に現れたことと、怪物が俺の記憶の限り本の挿絵になっていたものだと思われることしか手がかりがない。

 でもなんとなく、俺は三人目のリアライザーは、この街の住人のような気がして仕方がなかった。

 マナーモードにしてある携帯端末がジャケットのサイドポケットで震えたのを感じて取り出してみると、千夜からのメール着信だった。

 図書館には該当しそうな本がなかったとの連絡。あっちも空振りだったらしい。

 こちらも見つからなかったこと、夕食を準備するから後で来てほしいと返信して、俺はエルの元へと向かう。

 俺が言い出して手伝ってもらっているのだから、できる限りの恩返しはしたいと思う。戦えない俺ができるのはせいぜい、自分ができるだけの食事をつくることくらいだ。

「エル。ここでは見つからなかった。そろそろ帰ろう」

「……ん? あ、うん。わかったっ」

 声を掛けても一瞬気づかなかったらしいエルは、慌てて本を棚に戻して、出口へと向かって歩き始めた俺の後を着いてくる。

 冬と言える寒さになってすっかり昼間が短くなり、外に出るとそろそろ夕焼けが始まりつつあった。

 何にも下準備をしていないから今日の夕食は何をつくろうかと思いつつ、俺はスーパーへと足を向ける。

 駅前商店街を歩くと、どうにも居心地の悪さを感じてしまう。

 猫背で前髪が隠れるほどのぼさぼさの頭の俺に対して、金髪碧眼で、戦乙女で異世界の存在なのだから当然だが、スタイルも日本人離れしている、斜め後ろを歩くエル。

 並んではいないが、ともすると腕と腕が触れあってしまうほどの距離は知り合いであることは確実なもので、見惚れるような視線をエルに向けた後、驚きや侮蔑の視線が俺に向けられる。

 エルと俺じゃ釣り合わないのは仕方がないし、怪物からの護衛役でもあるから離れるわけにもいかないが、居心地悪いことには変わりない。

「ちょっと買い物してから帰るから、先に帰っていてくれ」

 商店街の中にある大型スーパーの前で立ち止まり、入り口を指さしながらエルを振り返る。

「しかし和輝、わたしは――」

「まぁ、家までそんなに距離あるわけじゃないし、いまは不穏な気配はしてないんだろ? だったら大丈夫だろ。美味しい夕食つくれるように準備するから、家で待っていてくれ」

「ん……。少し街を見回ってから帰ることにする。わたしも遅くならないように貴方の家に帰るさ」

「……道、わかるのか?」

「大丈夫だろう、おそらく。わからなくなった場合は空を飛べば和輝の家くらいは見つけられるだろう」

「勘弁してくれ。普通の人は空飛べないんだから、見つかったら騒ぎになる。迷ったようならソフィアにでも見つけてもらうから、どこかわかりやすいところでおとなしくしておいてくれ」

「むっ。わかった。それではな」

 軽く左手を振って歩き出すエルに若干の不安を感じつつも、俺はスーパーの自動ドアをくぐる。

 そろそろエルにも携帯端末持たせた方がいいのかな、なんてことを考えながら生鮮食料品コーナーを巡って想定する夕食と、冷蔵庫の中にある食材を思い浮かべて、買い物を済ませた。

 空の半分が夕焼けに染まる空の下、俺は十分ほどの家までの道を少しショートカットするために、ちょっと広さのある公園に入った。

「よぉ、少年。アタシと少し話をしないか?」

 どうやら俺に掛けられたらしい声に立ち止まる。

 すぐ側のベンチに座る年下らしい女の子の目を見た瞬間、俺は立ち止まったことを後悔した。

 

 

 

 

「警戒するなよ。別に取って食おうってわけじゃない。訊きたいことがあるだけさ」

 ぶら下げている食材の入ったエコバッグと、担いでいる登校用の鞄の紐を強く握り、俺は後退る。

 別に、外見はただの女の子だった。

 たぶん小学生か、中学生くらい。

 小さく整った造作の顔は可愛らしかったが、どこか人形染みた感じがあって、微笑んで見せているのに異様さを感じていた。

 長い髪の色と同じ黒一色のフリルなんかの飾りが多い服は、ドレスのようにも見え、アニメの中に出てくる魔法少女の服装を思わせた。

 何よりも異様なのは、瞳。

 黒く、澄んでいるように見えるのに、その深さは極々たまにお袋や親父が見せる不安を起こさせるものよりもさらに深く、闇で染めたような、と言う感想がぴったりの色をしていた。

 ――三人目のリアライザー? ……いや、たぶん違う。

 見た目は年下なのに、黒いタイツに包まれた脚を高く組み、不遜な態度を見せる彼女は、見た目の雰囲気とはまた違う、別の深みを持っているように感じられていた。

 まさに悪の黒幕を思わせるような、そんな雰囲気を。

「何を、訊きたいんだ?」

 震えそうになる声を絞り出して問う。

 そんな俺の様子に、くくっ、と喉の奥で笑い声を上げた魔法少女はにやりと笑って言う。

「何故、知らない他人に干渉しようとする?」

「何の、ことだ?」

「リアライザーを捜している件だよ。そりゃあ自分に火の粉が降りかかってくるなら排除するのは当然だが、君自身もずいぶん強い想いをリアライズしているじゃないか。他の人がどんなものをリアライズしていようと、火の粉が飛んで来ないなら気にすることではないだろう?」

 どう説明していいのかわからない質問には答えず、俺は逆に彼女に問う。

「貴女は、誰だ? それと、貴女がリアライズプリンタを造ったのか?」

「くっ、くくくくくっ……」

 何がおかしいのか、お腹を抱えて笑い始める彼女。

「察しの良さは母親譲りということか? まさかリアライザー探しを始めるとは思わなかったし、あいつの子供だってことに気づかなかったのはアタシの落ち度だが。……アタシはサクヤ。魔法少女だよ」

「魔法、少女? 魔女じゃないのか?」

 服装や見た目がそれっぽいとは思ったが、自分で自分を魔法少女だと名乗る人間がいるとは思ってもみなかった。

 何にも言えなくなった俺にニヤニヤと嫌な感じの笑みを浮かべ、魔法少女サクヤは続ける。

「これでも十二歳だからな。まだ魔法少女と言っても別に問題はなかろうよ」

「……本当に?」

「くくっ。本当に鋭いな、お前は。何、ほんの少しばかり、二十数年ほど時間が停止した世界に封印されていただけさ。その間は身体は歳を取っていないんだ、いまはまだ十二歳だよ」

 知らない人が聞いたらどこの中二病患者かと思う話だが、リアライズプリンタの存在を知り、エルやソフィアがリアライズされているいま、サクヤの言葉はすべて本当ではないかも知れないが、すべて嘘だとも思えない。

 言葉通りに取れば、身体は歳を取っていないだけで、頭の方はその封印されていた二十数年過ごしてきているなら、本当に十二歳と言えるのかとか思ったりもするが、そんなことを突っ込んでいられる雰囲気ではない。

「何のために、リアライズプリンタなんてものを造ったんだ?」

「たいした理由ではないさ。想像力豊かなお前のような奴に、好きなものをリアライズしてもらいたかっただけさ」

「怪物のようなものを、……生み出すとしても、か?」

「もちろん。使える道具があれば、人はそれを使うだろう。ただ、お前やお前の幼馴染みのように、リアライズプリンタを上手く使えている奴はまだ少ないがな。リアライズされるものはリアライザーが望んだもの。それが怪物の姿をしているのは、それを本人が望んだからだ」

「それによって……、人や街に、どれだけ被害があると思ってるんだ」

「そんなことは知ったことじゃない。怪物を生み出したリアライザーの責任だろう。アタシは道具を与えただけだ。使って他人に迷惑を掛けるのは、使った本人の問題さ」

「そんな理屈が、通るわけ、ないだろうっ」

 だんだんと俺は、サクヤの態度に怒りを覚え始めていた。

 得体の知れない魔法少女。

 言葉通り魔法少女で、強い力を持っているのか、本当にリアライズプリンタを造った奴なのか、それとも口だけの奴なのかもわからない。

 しかしたいして戦う力を持たない俺が、手を出して大丈夫な相手にも思えず、怒っていてもどうすることもできない。

「元々リアライズプリンタはお前たちの頭の中にある想像を実体化するためのものだ。想像や妄想を実現するための機械だ。想像や妄想は欲望から生まれるもの。お前のように絵を描き、欲望を形づくれる者は多くなかろう。実体化した欲望が怪物の姿をしているのは当然のことさ。結局、欲望の増大は抑圧が原因なのだ。世界が持つストレスなのだ。世界によって抑圧された欲望がリアライズプリンタによって実体化するだけなのだ。それによる罪は、リアライザー本人と、同時に世界の罪でもある! リアライザーたちは、自分の欲望に従って、己のストレスを解放すればいいだけさ!」

「想像力を、想いを失うとしても、か?」

「ぷっ……。くくくくっ。あーーーーっ、はっはっはっはっ!」

 俺の言葉を聞いて途端に大声を上げて笑い出すサクヤ。

「本当にお前は凄いな。まさかこんなに早くリアライズプリンタのリスクに気づく奴がいるとはな! 絵によって欲望を形づくれるからか? それともあの女に育てられた影響か? そうだ! リアライズプリンタはお前たちの想像力をエネルギーとして駆動する機械だ。一度使えば想像力はすり減り、実体化した欲望は減っていく。しかしそれがどうした。この世界には理不尽なことがたくさんある。ストレス源が無数にあるのだ! 抑圧された欲望などいくらでも生み出されるさ。次々と生み出される欲望がリスクになどなるものか! 世界は己に内包したストレスによって崩壊するだけのことなのだ!!」

「それが、貴女がリアライズプリンタを造った理由か」

 ベンチから立ち上がり、両腕を広げて演説するように語ったサクヤに、俺は言葉を投げつける。

「そうさ! こんな世界は大嫌いだ!! だから壊れてしまえばいい! 壊してしまえばいい! そう考え、己の欲望を溜め込んだ者がリアライズプリンタを持てば、必ずや世界は崩壊してくれることだろうよ!!」

「……俺は、そんなのは嫌だ」

「それがお前の理由か? 早乙女和輝! しかしながらお前の望みが実現すると思うか? 欲望に流されない人間がどれほどいると思う? 平穏や平和を望む奴が多いと思うか? 人は欲望によって変わるもの。流されるもの。お前のような者が、そうした者より多ければ世界は救われるだろう。しかし、欲望に流される者が多ければ世界は崩壊することだろう。アタシはお前に勝負を挑もう、早乙女和輝。アタシはアタシの撒いたリアライズプリンタの所持者によって、お前は自分の持つリアライズプリンタとその実体化した被造物によって、この世界を崩壊させられるか、それを止められるかの勝負だ! まずは三人目のリアライザーを止めて見せるがいい!」

 叫ぶように言い、俺の顎ほども身長がないのに、巨大な闇を背負っているようなサクヤは、黒く染まった瞳で俺のことを睨みつけてくる。

「……貴女と勝負なんてしない。俺は俺が望むように、やりたいことをやるだけだ」

「言っているがいい。この世界がそんな悠長なことを言っていられる場所かどうか、近いうちに知ることになるだろう」

 唇の端をつり上げて笑ったサクヤは、くるりと身体を回転させたかと思うと、目の前から消えてなくなった。

 瞬間移動でもしたのか、ソフィアのように見えなくなったのかはわからなかった。

「やっぱり、リアライズプリンタには造った奴がいたんだな……」

 これまで、何となく引っかかっていて、でもわからなかった疑問。

 リアライズプリンタを誰が、何のために造ったのかという疑問。

 それは解消されたが、それよりも大きな問題に発展してしまったような気がした。

 顎に手を当てて考え込みながら、お袋に関係しているらしいサクヤと、そして三人目のリアライザーのことを考えていた。

 

 

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第三章 4

 

       * 4 *

 

 

 スマートギアを頭から脱ぐと、狭い庭から外の方へ、夜の闇の中で大きな何かがゆったりとした動きで出て行くのが見えた。

「また、使っちゃった……」

 呟いて、このみはLDKと言いながらもテーブルとソファを置いたらたいして広さを感じない屋内に、草履を脱いで掃出し窓から入る。

 灯りの点いていない家の中には、もう深夜に近い時間であるのに、このみしかいない。

 二階の両親の寝室にも誰もいない。それどころか、ここひと月ほど、その部屋の扉が開けられたことはなかった。

 窓を閉め、接続していたケーブルを外してスマートギアをダイニングテーブルに置いたこのみは、白いブラウスの上に入っていたベストのポケットに入れておいた携帯端末で灯りを点ける。暖房も付けていない部屋は、黒い膝丈のスカートに合わせた厚手のタイツでは寒いくらいだったが、点ける気も起きなかった。

 手に持ったままだったリアライズプリンタもテーブルに置き、椅子に座ったこのみは、そのままテーブルに突っ伏す。

「はぁ……」

 さっきまで、いろんなことでもやもやとして、胸が締めつけられるようで、吐き気がしているみたいだった気持ちが、いまは落ち着いてきていた。

 リアライズプリンタを使うと、そんな気持ちが軽くなるような気がしていた。

 目の前に置かれたリアライズプリンタをつつき、もう一度ため息を吐く。

「あれは、どうなるんだろう」

 今回でリアライズプリンタを使ったのは三回目。

 届いたそのときは最初、上手く使うことができず、投げ出してしまった。けれどその日の夜、このみを襲うように湧き上がってきた孤独に、何もかもが嫌になって、無我夢中で稼働させた。

 寂しくて、悲しくて、恐ろしくて、泣きそうで、そんな気持ちを吐き出したくてスマートギアを被って稼働ボタンを押すと、怪物をリアライズすることができた。

 読んだその日は眠れないほど怖かった都市伝説の本に描かれたイラストそのままの怪物が、どうなったのかは知らない。ニュースなども調べてみたが、怪物が出たという報告はとくに見つからなかった。

 もしかしたらしばらくしたら消えてしまうものなのかも知れないと、このみは思っていた。

 二度目に使った同人誌即売会の帰り。

 大好きなコスプレを性欲の体現のように言った彼らを許せず、いなくなってほしくて使って、その通りになったようだったが、途中で怖くなって逃げてしまった。

 そのときは強くてすべてを壊す存在を想像して、大好きなマンガ「放浪の戦乙女」第一部のボス、ゾディアーグの姿をした怪物がリアライズされていた。

 あのゾディアーグも、どうなったのかは知らない。あの三人は喧嘩をして大怪我をしたらしい、という記事を見かけたが、その後どうなったのかはわからなかった。身体が引き裂かれるほどの怪我だったのだから、たぶん死んだのだと思っていた。

 そのことに、とくにこれと言って思うことはない。いなくなった方がいいものがいなくなっただけ。そう感じるだけだった。

 けれども、それとは別に思うことがあった。

「私、そんなことのためにあの人のマンガのキャラクターを使っちゃったんだな」

 早乙女和輝が隣のクラスにいることは、知っていた。

 彼が描くようなマンガに憧れて、自分でも描いてみようと思ったこともあった。けれど、上手く描くことはできなかった。

 第二部から収録されるようになった、決して上手くはない、何故和輝の本に収録されているのかよくわからないロボットものの小説を真似して、自分でも書いてみようとしたのに、それすら書き上げることができなかった。

 自分には絵を描く才能も、文章を書く才能もないことは、このみ自身がよくわかっている。

 学校では暗いと言われ、臭いと言われ、教具を隠されたり壊されたり、殴られたり蹴られたり、制服を汚されたり、お金を取られることも普通だった。

 そのことを滅多に帰ってこない親に告げても、もっと頑張りなさい、と言われるだけ。

 父親も母親も、このみのことはもちろん、家のことも、夫婦であるはずのお互いのことも興味がなく、自分のことと世間体にしか興味がないらしいことは、もう小学校の頃から知っていた。

 死んでしまいたい、と思うこともあった。

 でもいまはそうは思わない。

「こんな世界、なくなってしまえばいい」

 そう呟いてこのみは身体を起こす。

 スマートギアとリアライズプリンタ。

 目の前にあるこのふたつがあれば、いらないものを壊せる怪物を生み出すことができた。その怪物を使えば、自分の居場所のないこの世界自体を壊すことができるかも知れないと、いまのこのみは考えていた。

「でもこの先、私はどうなっちゃうんだろう」

 リアライズプリンタで怪物をリアライズすると、気持ちが楽になるのはわかっていた。

 けれども同時に、ここのところ何に対してもやる気がなくなってきていた。

 それでも時折大波のように押し寄せる気持ちがあって、怖さや恐ろしさを自分の中に溜め込んでおけなくて、今日もまた使ってしまった。

 使い続けたらもっと気持ちが希薄になるかも知れない、とも思う。

「それならそれで、いいか……」

 気持ちと一緒に自分は消えてしまうかも知れない。でもそうなるとき、たぶん居場所のないこの世界も消えているだろう。

 だったらこのまま気にせず使い続ければいい。

 そう思いながら、このみは大切なふたつの道具に笑いかけていた。

 

 

          *

 

 

 酔いが回ってくらくらする頭に手を当てながら、パンツスーツの着た女性は、人通りの少ない道を歩いていた。

 毎日のように通っている道だったが、飲み会で遅くなり、寝静まっている左右の家々からは音がほとんどせず、慣れた道のはずなのに不気味さを感じるほどだった。

 立ち止まってこみ上げてきた吐き気を飲み込み、再び歩き始める。

「……なんだろ、これ」

 ちょうど通りがかかった街灯の下に、何かがいた。

 太いドラム缶の上に空飛ぶ円盤を乗せて手脚を生やし、青や赤や白など鮮やかな色で塗ったそれは、どこかで見た何かのマスコットキャラクターの着ぐるみだった気がした。けれど酔いが回って働かない頭では、名前すら思い出すことができなかった。

 若干気色の悪さもあるが、割と可愛らしい着ぐるみが何故こんなところにいるのかと思いつつ、鞄を持っていない右手を伸ばして微動だにしないそれを撫でてみようとする。

「うっ……」

 触れようとした一瞬、円盤の上に突き出た目が動いて自分を見つめたような気がして、女性は手を引っ込めた。

 思い返してみると、こんな夜遅くに着ぐるみがいるのはおかしいように思えた。

 酔っていてわからなかったが、何かがおかしいように感じていた。

 朝になって明るくなってからもう一度この道を通ってみようと思いつつ、すれ違うように着ぐるみから遠ざかる。

 その途端、腕を引かれたような気がした。

 鞄を持っていた左腕が、引っ張っても動かなかった。

 嫌な予感に振り返って見ると、着ぐるみが、噛みついてきていた。

 口のようになっている円盤の真ん中が開き、手の間近、鞄の把手の付け根のところまでが、前屈みになった着ぐるみの口の中に没してしまっている。

 わずかに開かれた口の中には、街灯の光を照り返す鋭い牙が無数に並んでいるのが見えた。

「ひっ」

 悲鳴を上げようとしたのに、声が出なかった。鞄から手を離して逃げようと思ったのに、腰が抜けて尻餅を着いてしまった。

 身体を起こして鞄を空中に放り上げた着ぐるみは、そのまま鞄を噛み砕き、飲み込んだ。

「いや……。いや……」

 逃げないといけないのはわかっていても、腰に力が入らなくて立ち上がれなかった。助けを呼ばないとと思っていても、声は喉で詰まって口までは出てきてくれなかった。

 大きく口を開いた着ぐるみ。

 歯というより、粉砕器か何かのような、赤い口の中のあらゆる場所に無数の牙が並んでいる。

 ゆったりとした動きで女性に近づく着ぐるみは、牙の間に唾液のような糸を引きながら、頭から女性に噛みつこうとする。

 声も出ない女性が涙と鼻水を流しながら目を見開いたとき、牙が見えなくなった。

 死んだのだと思ったが、身体に痛みはなく、無事な両手を確認することもできた。見ると、口を閉じてのたのたと後退っていく着ぐるみの鼻先に、大振りのナイフが突き刺さっていた。

「あー。これが例の怪物かぁ」

 とくに驚いた様子もなく、面倒臭がっているようにも聞こえる声音で言いながら、女性と着ぐるみの間に立ったのは、輝美。

「よいしょっと。あ、さっさと逃げなさい。こんなのに食べられたくなかったらね」

 おもむろに着ぐるみに近づいて蹴りつけながらナイフを抜いた輝美は、振り返って女性にしっしと手を振る。

「う、う、ううぅあーーーっ」

 やっと悲鳴を上げることができた女性は、這いずるようにしながらも意外に速い速度で逃げていった。

「まるでワタシが怪物みたいな悲鳴を上げて、失礼しちゃうわね、まったく」

 輝美に鋭い視線を向けてくる着ぐるみの鼻先にはナイフが刺さった跡である穴が残っているが、血などは流れていない。再び口を開け、ゆっくりと輝美へと迫ってきていた。

「生き物ってぇわけじゃないみたいね、こいつ。和輝から聞いてたけど、けっこう面倒臭そうな奴ねぇ。ま、いいんだけどさ」

 頭が裂けるほどに大きく口を開いている着ぐるみを見ながら、ナイフを水平に構えた輝美は、ニヤリと口元に笑みを浮かべていた。

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第三章 5

 

       * 5 *

 

 

「さすがに、情報が足りないか……」

 ネットの方も改めて検索してみたが、最初の怪物に関する情報は見つからなかった。

 確かかなりマイナーな本に載っていたはずだし、自分ですら何の本に載っていたのか憶えていないくらいだ、検索しようにも情報が足りな過ぎた。

 何より、その怪物の情報がリアライザーにたどり着くものかどうかもわかっていない。

「はい。どうぞ」

 ノックの音が聞こえて、俺はそれに返事をする。

 お袋でも帰ってきたのかと思ったが、扉を開けて入ってきたのは、臨戦態勢ででもいたのか、戦乙女の普段着スタイルのエルだった。

「ソフィアに機械の使い方を聞いて、コーヒーを淹れてみたのだが、飲むか?」

「ありがとう、エル」

 椅子ごと後ろを向いてそう答えると、わずかに微笑んだエルが机のところまでカップを持ってきてくれる。いつも飲んでいるのを見ていてくれたんだろう、牛乳たっぷりのコーヒーは、俺好みの味になっていた。

「リアライザーは見つかりそうか? 和輝」

「いや。情報が圧倒的に足りない」

 いま考えていたことを、俺はエルに告げる。

「そうか。さすがに手がかりがないのでは難しいな」

 自分の分のカップを手にしていたエルは、それに口をつけながら呟くように言っていた。

「……もう一回くらい怪物が出てきてくれれば、手がかりが増えるかも知れないんだが、そうなると、今度は本当に犠牲者が出るかも知れないからな」

「そのことであれば、先ほど怪物に似た気配があったぞ」

「なっ!」

 二口目のコーヒーを噴き出しそうになって、堪えて飲み込む。

「あぁ、一瞬気配がしただけで、すぐに消えてしまった。気配がした場所にも足を運んでみたが、とくにこれといって痕跡もなかったぞ」

「……そっか。ならいいけど」

 普段着スタイルなのはそういうことか、と納得する。

 机の上に出してある携帯端末には、千夜からの通話着信履歴もメール着信もない。気配がしただけで、気のせいだったのかも知れなかった。

「次、もし何かあったら真っ先に教えてくれ。いまは情報がほしい」

「わかった」

 そう答えたエルは、俺のすぐ側に立って机にお尻を押しつけるようにしてもたせかけ、コーヒーを飲んでいた。まだ話でもあるのか、カップの中身を眺めながら、部屋を出て行く気配がない。俺も声を掛けることができず、椅子を少し離してコーヒーを飲んでいるしかなかった。

 立っている彼女は、やはり美しい。

 見た目には俺とそう歳の変わらない女の子の姿をした戦乙女には、美しいという言葉がふさわしい。自分が描いていたキャラクターであるのに、そう思わずにはいられない。

 お風呂から上がってそれほど経っていないのだろう、少しいつもよりもしんなりとしているが、金色の滝のように背中に流れる髪。

 透き通るように白い肌をしているが、外に出ていて寒かったのか、少し赤くなっている頬は、神の造形美に人間らしい暖かみを与えていた。

 わずかに細められ、何か思い悩むように細められた目。

 いろんなことを考えているらしく、何かが映っているような碧い瞳は、宝石の輝きよりも綺麗だった。

「和輝」

 見とれていた俺は声をかけられて、我に返る。

「あ、うん」

「どうした。ボォッとして。そんなことより、怪物の主というのはどんな人物だと考えているのだ?」

「あー。おそらく読書好きで、ゾディアーグの姿を憶えていたくらいで、たぶん俺の本を読んでるオタクなんだろう。内向的で、根暗な奴かも知れない」

「ふっ、ふふっ」

 カップを机に置き、揃えた指を口に当ててエルは笑う。

「何だよ」

「いや、まさに和輝のような奴なのかな、とな」

「……否定はしないけどな。でもたぶん俺とは違う」

「何が違う?」

「タイプ、かな。あの怪物は破壊の衝動そのものみたいなものだった。恐怖や拒絶、そうしたものの塊のように見えた。性格は似ていても、俺みたいに発散する方法がなくて、溜め込むタイプなんじゃないかと思ってる。自己主張が苦手な人なんじゃないかな」

「なるほど、な」

 何か楽しそうな笑みを浮かべるエルが、碧い瞳で俺のことを見下ろしていた。

「和輝のような者を捜して目星を付ければいいことには変わりなさそうだな」

「そうだけど……。でもやっぱり違うかな」

「そうなのか?」

 いつになく笑った目をしているエルは、桜色の唇に笑みを浮かべていた。

「俺には、エルディアーナ。君がいたからね」

「なっ?!」

 驚いたように目を丸くし、口を小さく開けているエル。

「何を言っているのだ、和輝っ」

「何って、そのままだよ。俺にはマンガがあって、そういう破壊の衝動とか、何かを拒絶するとか、そういう気持ちは、ある程度マンガに描き出すことができた。鬱憤が溜まっていても、マンガを書いていれば気が晴れた。ストレス発散になっていたんだろうな」

「そう、か。そういう意味か。……そうだとしたら、わたしは和輝のストレスのはけ口か?」

「うっ」

 厳しい顔で睨みつけられて、俺はたじろいでしまう。

 マンガのほうではそういう部分はあんまりなかったけど、イラストなんかではそういう気持ちを吐き出したようなものがあるのも確かだった。エルの、割ときわどい絵とか。

 さすがにそんなのは隠してて彼女に見せたことはなかったが。

「そ、そういう話になってないのはエルが一番知ってるだろう?」

「確かにその通りだな。わたしは貴方が想像した話の中で、わたしらしくあり続けることができていた」

「うん、そうそう。そういうこと」

 何とか誤魔化すことができたことにホッとする。

 それから同時に、俺は思う。

「でももう、俺も似たようなものかな。いまはエルの物語を、頭に思い浮かべることもできない。全部、リアライズによって頭の中から外に出しちゃったよ」

「……そうだったな。貴方の想像が消えた代わりに、わたしがいるのだったな。しかし、また描けるのではないか? 例えば、わたしではなくても、登場人物を変えるなどして」

「それは……、できるかも知れない。まだそういうことを考えたことはなかったけど」

 言われてみて、その可能性すら考えていなかったことに思いつく。

 確かにエル以外のキャラクター、例えば過去に描いたブリュンヒルデとかだったら、また描くこともできるかも知れない。

「描けるかも知れないけど、いまはそのつもりはないよ。怪物の主のこともあるし、エルの物語を描くことを諦めたわけじゃないからね」

「ん……。そうか」

 頷いたエルは、柔らかく笑む。

 何かここのところで心境の変化でもあったのか、最初の頃のツンツンとした態度と違って、柔らかさを感じる笑みだった。

 ――まぁ、いまの生活に慣れてきたってことかな。

 エルがいつまでこの家にいるかはわからない。

 一応この前、俺がエルの物語を描き終えるまではいたいと言っていたが、勇者となるべき者を見つけ出したときには、出て行くことになるんだろう。

 彼女の魂の伴侶になる可能性など欠片もない俺は、そのときが来たら止めることなんてできそうにない。

「和輝は、どうして怪物の主を捜そうと思うのだ? 先にも言ったが、戦えないお前では危険だ。リスクがあるのもわかるし、街の平穏を願う気持ちもわからないでもないが、背負う危険が大きすぎる。もしかして、怪物の主と自分を重ねて見ているからか?」

「それはあるかも知れない。俺も、一歩間違えば、エルがいなかったら、同じように怪物を生み出すことになっていたかも知れないからね。でももうひとつ理由がある。いや、ある程度予想してたことが、今日はっきりした感じなんだけどね」

「今日? 何かあったのか?」

「……あぁ」

 頷いた俺は、今日出会った魔法少女サクヤについて、エルに話す。

 リアライズプリンタの造り手であることも、彼女の目的が世界の破壊であることも、含めて。

「なるほど。和輝は最初の頃から、造り手のことを考えていたのだな」

「うん。いくらなんでもこの世界では非常識的過ぎるからね、リアライズプリンタは。俺や千夜や、もうひとりのリアライザー、たぶん他にもいるリアライザーも、サクヤに利用されてるんだ。俺も同じ立場だと考えれば、怪物の主にも、そのことを教えてやりたい」

「和輝にとって怪物の主は、敵ではないのだな」

「たぶんね。わかった上でやってるなら別だけど、そうでないなら、教えて、助けてやりたいと思う」

 俺の言葉を聞いて目をつむったエルは、口元に笑みを浮かべていた。

「そういうことならば、わかった。わたしはお前を手伝おう。住まわせてもらっている恩もあるが、確かにその話を聞けば、わたしも和輝と同じことを考える。できうる限りの力で、わたしは貴方を助ける」

「うん。頼むよ」

 目を開け、笑いかけてくれるエルに、俺も笑みを返していた。

 

 



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第一部 第四章 破壊の権化
第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第四章 1


 

第四章 破壊の権化

 

 

       * 1 *

 

 

「訊きたいことがあるだけなんだからさぁ、答えてよ」

 言って女子生徒は、スカートが翻るのも気にせず、頭を守っている腕を靴底で蹴ってくる。

 濃紺のブレザーの袖に、新しい靴跡が残った。

 ――あぁ、また洗わないと。

 もうブレザーには靴跡がついていない場所の方が少ないくらいに蹴られていて、尻餅を着いているスカートも地面にこすれて真っ白になっていた。

 それでもこのみは、換えの制服の袖口のボタンをつけ直してあったかどうかを考えていた。

 相変わらずの校舎裏。相変わらずの校舎と倉庫の隙間。

 その近くには監視カメラはなく、近くに窓もないため、よほど大きな声でも出さなければ誰かが駆けつけてくることもなかった。

 まさにいじめの現場にするような場所で、長い間そのように使われていたらしく、壁に残っているのは殴った跡や焦げ跡、それから、黒い何かが染みついた跡だったりした。

 事なかれ主義の担任は明らかに靴跡がある制服を見ても転けないように気をつけろと言い、いじめを訴えても話し合うように言うだけだった。

 蹴られても殴られてももう痛みすらたいして感じないこのみにとっては、いま目の前にいる三人の女子がやっている行為すら、どうでもよかった。

 ――なんで、私がこんな目に遭わないといけないんだろう。

 理由が、よくわからなかった。

 ただただ、理不尽だった。

 教室の中では目立たないように努めて、静かにしているだけだった。いることすら忘れられるくらいに努めていたのに、どうして彼女たちがちょっかいをかけてくるのか、わからなかった。

 でもいまは、そんなことすらもどうでもいいことのように思えていた。

「だから訊いてんだろ。お前、琉星たちに何したんだよっ」

「……りゅうせい?」

 記憶にない言葉を聞いて、このみは顔を守っていた両腕を少し下げ、首を傾げながら訊き返していた。

「アタシの彼氏だよっ。莫迦だから三人でオタク狩りに行くとか言って日曜出かけて、よくわかんないけど死にかけで病院に運ばれたんだっ」

「……へぇ」

 ――死ななかったんだ。

 続く言葉は、口にしなかった。

 口に出すほど強い想いもなかった。

 それよりも生きていることの方が不思議だった。

 黒く大きな怪物によって、少なくともひとりは腹を裂かれていたのだから、死ななかった方が不思議に感じていた。

 ――誰かが助けたのかな。

 三人の男子たちに興味はなかったが、このみはそんなことを考えていた。

「昨日やっと意識が戻ったのに、あんたの名前呟いてずっと震えてんだよっ! あんたが何かやったんだろっ! 何やってあいつらを病院送りにしたのか言えよ!! もっと酷い目に遭わせてやるから!!」

「私は、何もやってないよ」

 ――やったのはゾディアーグだよ。

 そう続けようとしたけれど、言えなかった。

 もう三体も怪物をリアライズしているのに、思い返してみるとあまりに非常識で、声に出して言うことができなかった。

「ぷっ」

 それよりもマンガのキャラクターに殺されかけた男子たちが見せた表情を思い出して、それが妙にツボにはまって、噴き出してしまう。

「何笑ってんだよ!」

 ガツン、と強い衝撃が頭に走った。

 こめかみをつま先で蹴りつけられ、眼鏡が飛んでいった。

「やり過ぎだよっ」

「だってこいつが言わないから!」

「それでも見えるとこに怪我させたらさすがに問題になるって」

 何かが垂れてくる感触があったが、気にならなかった。揉めている三人の女子のことも気にならず、このみは校舎の壁に当たって地面に落ちた眼鏡を拾い上げ、立ち上がる。

「あぁあ、ヒビは入っちゃった。お気に入りだったのに」

 片方のレンズにヒビが入っている眼鏡を掛け、ため息を吐く。

「ねぇ」

「な、なんだよ。赤坂ごときが声かけてきてんじゃねぇよっ」

 呼びかけると威勢の良い言葉が返ってくるが、声には言葉ほどの元気はなかった。

 ――なんだ、この程度なんだ。この人たちも、あの人たちも同じ。

 背は三人の方が高いのに、小さく見える女子たちを見据えて、このみは言った。

「あんたたち、つまんない。邪魔なだけ。だから死んで。うぅん、私が殺す。あなたたちだけじゃなくて、全部。友達も、学校も、街も、全部いらない。全部全部、もういらない!」

 最後は叫び声になったこのみは、手の平を上に向けた左手を胸の前に持ってくる。

 ――あ、そっか。スマートギアもリアライズプリンタも家だった。取りに帰らないと。

 そんなことを考えながらこのみが一歩前に進み出ると、三人は一歩後退った。

「何なんだよっ、お前! 気色悪いんだよ!」

「どいて。後であんたたち全員殺すから」

「何かヤバいよっ。本格的に壊れちゃったよ。追い詰め過ぎたんだよ!」

「逃げよ。どうせ言葉だけなんだから、ほら!」

 恐れるように顔を強張らせ、三人は走っていってしまう。

 もう彼女たちのことすら気にならないこのみは、教室の荷物を取りにいくために、昇降口に向かってゆっくりと歩いていった。

 

 

          *

 

 

「ないよなぁ」

 俺が通う高校の図書室は、建物が相当古いため無駄に広さがある。

 本と言えば電子書籍の昨今、管理費や処分費を圧縮するために紙の本は新規で入ってくることは希で、古い本ばかりがあった。

 すぐ近くの民俗学や伝承のコーナーで神話の本を読みふけるエルとともに、放課後になってから俺はあんまり期待せずに本を捜していた。

 高校が保有する電子書籍は図書室で手続きしなければ敷地の外で読むことはできないようになっているが、読むだけなら生徒手帳の機能や、ロッカーとか下駄箱の鍵の機能を兼ねる生徒用アプリをインストールした携帯端末であれば教室でも読めるから、図書室には古い本好きの人しか来ず、同じクラスの図書委員の男子がカウンターで欠伸している他は、生徒はいなかった。

「和輝。貴方が捜している本は、こんな感じのものか?」

 そう言ってエルが差し出してきた本を「ありがとう」と行って受け取り、開く。

 様々な都市伝説を短編小説のように収録するその本は、奥付を見てみると二〇年近く前に発行されたもので、その割に綺麗で、借りた人が少なそうだった。

 そして俺は何となく、この本の表紙や収録されてる話の内容に、憶えがあった。

「……あった」

 開いたページには、二本脚で立つサンショウウオのような姿をした怪物のイラストが、片面ページいっぱいに描かれていた。

 話自体はどこにでもある正体不明の怪物もので、由来や生まれた経緯の推測が書かれていたりする程度。姿は想像上のものだと注釈がされているが、著者の書き方が上手いのか、元の話がそんな感じなのか、背筋がぞっとする話に仕上がっていた。

 携帯端末で検索してみたが、古すぎるためにネットの古書店では売っているのを見つけることができず、図書館でもちらほら、すぐ手に取れる開架書庫ではなく、指定して取り出してもらわなければならない閉架書庫にあるのが見られるだけだ。

 たぶんこの本は、高校の図書室という、入れ替わりが滅多に発生しなくなった場所だから残っていたものなのだろう。

「ありがとう、エル。見つかった。たぶん三人目のリアライザーは、この本を読んでいたはずだ」

「そうか。よかった」

 柔らかく笑むエルに俺も笑みをかけて、本を持ったまま暇そうにしている図書委員の男子の元まで行く。

「あー。ちょっと知りたいことがある。この本を借りた人の履歴が見たい」

「何だよ早乙女、唐突に。一応貸出情報は非公開なんだぜ。つかその一緒にいるすげー美人、誰だよ。そんな子うちの学校にいたか?」

 同じクラスで図書委員なのは知っていたが、興味がないので名前すら憶えてない男子の視線は、俺を通り越して近くの棚の本を読んでいるエルに向けられていた。

「秘密だ」

「……知り合いなんだろ? 紹介しろよ。名前だけでも教えてくれよ」

「ダメだ」

「人にものを訊ねるときってのは、それなりの態度があるんじゃねぇか?」

「それなりの態度か。ふむ」

 言われて俺は少し考える。

 エルのことを紹介するのは後々面倒なことになりそうだから却下とし、別の交渉手段がないかと記憶をほじくり返す。

「……これ、興味ないか?」

 取り出した携帯端末に表示させているのは、俺よりも数段上手い表紙絵の同人誌。

 ネットから画像を拾ってきたそれは、二期放映中の「ピクシードールズ」を題材にしたもので、半年近く前にある即売会で頒布されていたものだ。

 実はピクシードールズ一期制作陣の中心メンバーが深く関わっていたことが後になって判明し、少部数しかつくられなかったこともあり、千円だったものが現在は数万で取引されるプレミアものだった。

 俺は図書委員男子の携帯端末のストラップに、決して小さくないピクシードールズの三体のロボットが揺れていたのを見たことがあった。

「も、持ってんのか? これ」

「自分で一冊買った後、機会があってここのサークルメンバーと挨拶して自分の本と交換したんで、二冊ある。一冊なら手放しても問題ない。持ってくるのは探さないといけないから来週くらいになるけど」

「わかった。それでいい。すぐ調べる。待ってろ」

 俄然やる気になったらしい男子は、俺から本を受け取って据置端末を操作し始める。

「何を交渉材料に使ったのだ?」

「聞いてたのか」

 本を置いて近づいてきたエルは、俺に不審を宿した細めた碧い瞳を向けてきていた。

「まぁちょっと、手持ちの本を一冊」

「ふむ……」

「出たぞ。ぜんぜん借りてる人いねぇよ。誰だよ、こんな本入れたの」

 取り外してタブレット端末にもなる据置端末の画面を外して、カウンターの上に置く図書委員男子。

 どうやら五年前までしか遡れないらしい貸出者リストには、ふたつの名前しかなかった。

 ひとつは今年の五月で、俺の名前。

 それから同じく今年の八月で、赤坂このみという名前が表示されていた。

「こんなん調べてなんか意味あんのか?」

「ちょっとした……、姫の救出と世界の救済に必要な情報だったんだ」

「なんだそりゃ」

「本は見つかり次第持ってくる」

「絶対頼むぜっ。それとその子のことも今度紹介しろよーーっ」

 図書室らしくない大声を背に受けながら、俺はエルと一緒に廊下に出る。

 携帯端末登録者から迷わずひとりを選び出し、通話ボタンを押す。

「千夜。確か赤坂このみって同じクラスだったよな?」

『え? うん』

「まだ教室に残ってないか?」

『いないけど。っていうか、保健室でも行ってたのか二時間目いなくて、三時間目が始まる前に鞄持って帰っちゃったよ、赤坂さん』

「家の場所とか、連絡先とか知らないか?」

『うぅん。知らない。他の人も知らないんじゃないかな? あたしも友達ってわけじゃないし、他の人と親しくしてるの見たことないし。っていうか何なの? 突然赤坂さんのことなんて』

「たぶん、彼女だ」

 教室にまだ残っているらしい千夜の側に誰がいるのかわからなかったから、俺は決定的な単語は使わずに言った。

 千夜からの次の言葉は、大きく深呼吸ができるくらい間があった。

『ホントに?』

「絶対じゃないけど、たぶん。一番可能性が高いのが彼女だ」

『わかった。じゃああたしは家とか連絡先とか知ってる人いないか探してみる』

「頼む」

 通話を終了して、俺は特別教室が並ぶ人気のない廊下で立ち止まる。

 いますぐ打てる手は打ち終えた。

 今日会えないのであれば、明日の朝でも、放課後でも、赤坂このみを呼び出して話せば解決する、……はずだ。

 でも俺は、事情もわからず早退してしまった彼女のことが気がかりだった。すでに後手に回ってしまっているような、そんな予感がしていた。

「赤坂このみというのは、この前の女の子か?」

「うん。校舎の裏でいじめられてた子。それともう一回会ってるよ」

「もう一回?」

「この前のお祭り会場に来た、真っ白なコスプレの女の子、いただろ?」

「あぁ。出来の素晴らしい格好をしていた者だな。しかし彼女は、顔が半ば隠れていただろう」

「スマートギアを被っていたからわからなかったけど、あの顎の輪郭は彼女だ。それに性格なんかも合致する。オタクで、俺の本もさっきの本も読んでて、根暗で友達もいなくて、いじめによってストレスも溜めてる。たぶん赤坂このみで間違いないと思う」

「そうか……。ならば早く会わねばならないな」

「うん。できる限りもう一度リアライズプリンタを使う前に話して、彼女を止めたい。最悪の場合、リアライズプリンタを奪うか壊すかしないといけないかも。……そのときは頼むよ、エル」

「承知した、和輝」

 力強く揺るぎない色を碧い瞳に浮かべるエルに、俺も安心して頷きを返していた。

 

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第四章 2

 

 

       * 2 *

 

 

「こっちはダメ。あの子やっぱり友達いないし、中学のとき同じ学校だった子も家知らないって。早退したから担任に家教えてもらって行ってみようと思ったけど、担任から連絡するとか言われちゃった」

「――&%$#」

「うん。ソフィアにも手伝ってもらったんだけど、インビジブルモードだとたいしたことできないし、学校のネットに痕跡残さず侵入するのは時間かかるって言うから今日は諦めた」

「そっか。わかった。ありがとう」

 学校から帰ってきた俺たちは、早速ダイニングに集まって、煎餅を茶菓子にとりあえずの成果を報告しあっていた。

「本当に赤坂さんなの? 怪物の主は」

「たぶん。最初の怪物のイラストが載ってる本を借りたのは、最近じゃ俺と赤坂さんだけだし、この前の即売会の日、シンシアのコスプレイヤーいただろ?」

「あぁ、うん。あの人ね」

「彼女が赤坂このみだ」

「嘘っ。学校の印象とぜんぜん違う。ってかどうしてあんな格好で気づくのよ」

「顔の輪郭とか鼻筋とかで」

「……なんか妙なところに気づくよね、和輝。それくらい他のことにも敏感だったらいいのに」

 ため息を漏らしている千夜が何を言いたいのかはよくわからなかったが、あのシンシアのコスプレイヤーが赤坂このみだったことは間違いない。

「じゃあ明日来たら、呼べばいい?」

「うん。放課後、とりあえず校舎裏で、その後場合によってはここで。すぐ終わる話ではないと思うし」

「わかった」

 返事をした千夜は、表情を曇らせていた。

「どうかしたのか? 千夜」

「えぇっと、うん」

 エルの問いに、千夜は言いづらそうに話し始める。

「ちょっと今日気になったんだけど、赤坂さんがいじめられてたのは気づいてたし、うちの担任はその辺ぜんぜん当てにならないから、たいしたことじゃないけどできるだけ赤坂さんに被害がないようにはしてたんだよね。事情とか知らないから、そんなに積極的なことはできなかったんだけどさ」

「――$%&」

「うん。そう、そこ。いつもなら制服に汚れが残ってるくらいのことはあったけど、今日は怪我してたみたいなんだよね。こめかみの辺りだったかに。眼鏡にもヒビ入ってたし」

「それは……、まずいのではないか? 和輝」

「うん、そうかも知れない。できるだけ早く決着をつけた方がいいと思う。明日になるより前に連絡つける方法を思いついたら、すぐに動こう」

 俺を含めた四人全員が、複雑で難しい顔をしてうつむき加減になっているとき、場違いな明るい声がダイニングに響いた。

「なにー? 四人で作戦会議? 決戦準備?」

「き、輝美殿?」

「お袋……」

 俺とエルの肩に腕を回して登場したお袋に、ため息が出る。

「今日は早いね」

「そんな日もあるわよ。つーか莫迦がドタキャンして現場が消滅しただけだけど」

 白いシャツにジーンズという格好こそ控えめだが、薄いにしてもきっちりした化粧をしているお袋の今日の現場は、おそらくデザイン関係じゃなくて、臨時スタイリストか何か辺りだろう。

 驚いてるような声を出したエルと、目を丸くしている千夜は気づいてなかったが、煎餅に手を伸ばして俺の視線から逃れたソフィアはお袋の接近に気づいていたんだろう。

 部屋の隅に置いてある折りたたみの椅子を引っ張ってきて上座に座ったお袋は、煎餅に手を伸ばしながら言った。

「三人目のリアライザーでも見つかったの?」

「一応、その可能性が高い人物は」

「何よ何よ、話しなさいよ、和輝」

 次の怪物がいつリアライズされるかわからない状況でどうして明るくしていられるのかよくわからなかったが、お袋用のお茶を淹れた後、主に俺が赤坂このみのことを話した。

「なぁるほど。あの怪物は鬱憤の塊を吐き出した痰みたいなものなのね」

「あの怪物って……。見たことないだろ、お袋」

「ん? 言ってなかったっけ。この前会ったよ。着ぐるみみたいな奴」

「輝美殿! 大丈夫だったのですか?!」

「あぁ、うん。大丈夫。そんなに大きくなかったし、圧縮したからもう暴れることもないし。そんなことより、その赤坂このみちゃん? って子、和輝はどうするつもりなの?」

「そんなことって……」

 あっさり言うが、エルやソフィアが身体を両断しても死ななかった怪物だ。お袋がどう対処したのかものすごく気になったが、俺はそれを問うことはできなかった。

 お袋が向けてくる視線。

 俺が漫画家を始めるときにも、辞めるときにも、決意を問われたときに向けられたことがあるのと同じだったが、そのときよりもさらに深く、俺の心をえぐるような、見通すような鋭さを持ちながらも、口元の笑みとともに、どこか楽しんでいる雰囲気があった。

 笑みがありながらもぴりぴりした雰囲気を漂わせるお袋に、俺だけじゃなく、エルも、千夜も、ソフィアも、口元を引き締めて俺に視線を向けていた。

「倒すの? その子を。いざとなったら殺す?」

「……そんなつもりはないよ。できれば話し合いで決着をつけたい」

「そんな悠長なこと言ってられない状況になる可能性もあるのよ。いま聞いた状況だと、もし次このみちゃんがリアライズプリンタで怪物を生み出したら、これまで以上に強大な力を持ってる可能性が高い。そのときは、どうするの?」

「そのときは――」

 お袋の視線から逃れ、俺は俯いてしばし考える。

 でも、考えるまでもなかった。答えは最初から俺の中にある。

「怪物は倒す。でも赤坂さんは殺さない。リアライズプリンタを怪物を生み出すために使わないように話す。彼女を、救うためにも」

「良く言った! もー本当、根暗でオタクで引きこもりで、どーしようもない奴に育っちゃってるなぁ、と思ってたけど、そういうところはワタシの息子ね! よしよし。ワタシはワタシでやれることやってくるから!」

「何するつもりだよ」

 嬉しそうな笑顔で椅子から立って、椅子の背に掛けていたコートを羽織るお袋。

「まぁー、大人には大人にできることってのがあるの。それと、あんたたちはできたらいまのうちに眠っておきなさい。動きがあるとしたら、早くても夜でしょうから」

「何か夜にあるんですか? 輝美さん」

「んー。勘、かな。さほど根拠はないけど。夕食はワタシが美味しいの調達してくるから、準備しなくていいよ。もし動いてないとやってられないなら、ケーキつくっておいて。ひと仕事終わった後にワタシが食べるから。できるだけでっかくて美味しいの、よろしくね」

 矢継ぎ早に言って、お袋は家から出ていってしまった。

「な、んなんだろうな、輝美殿は」

「さぁ……」

 お袋がこれから何をするつもりで、これまで何をしてきたのかわからなったが、何となくだけど、任せておけば安心だと思えた。

 立ち上がった俺は、みんなの顔を眺めて宣言する。

「とにかく、赤坂さんのことは明日だ。動きがあるならすぐに動けるようにしておくこと。それと、お袋の要請だ、ケーキをつくる。ソフィア……、と千夜とエルも、手伝ってくれ」

「――%$#」

「んっ」

「わかった。手伝おう」

 俺の号令に、三人はそれぞれに笑みを浮かべて立ち上がった。

 

 

          *

 

 

 胸よりも腹が突き出た恰幅のいい貫禄のある男は、黒光りする壁をした大きな建物の自動ドアをくぐり、外へと歩み出た。

 ドアの左右に立つ警備員に軽く手を上げて挨拶し、スーツの襟を正しながら背の高い秘書とともに建物の前に停まっている黒いセダンへと近づいていく。

「やぁ、久しぶり。お、に、い、ちゃんっ」

 黄土色のロングコートの裾を翻して男とセダンの間に立ち塞がったのは、輝美。

 ふざけたような口調で言い、自分より若干背の低い男を余裕のある笑みを浮かべて見下ろす。

「ひっ、ひいいいぃぃぃぃぃーーっ」

 一瞬呆然とした男だったが、目を見開いた瞬間、それまで漂わせていた貫禄を投げ捨てて悲鳴を上げた。

「酷い反応するわねぇ、久しぶりだってのに。それにこれが貴方がワタシに対する応じ方なのかしら?」

 入り口の警備員が輝美に走り寄り、腰から抜いた警棒を構えてみせる。

「貴方がどうせまだ持ってるコレクションのタイトル、全部読み上げてもいい?」

「待て! このお方は私の知り合いだ。久しぶりでちょっと驚いただけだ……。下がっていい」

 男に言われ、警備員たちは不審そうな顔をしつつも、渋々輝美の側から離れた。

「車に乗ってくれ。プチシャ――、早乙女さん、だったよな?」

「そっ。お腹が空いてるから何か食べたいかなぁ」

「おい。いつもの店を予約してくれ。奥の部屋だ」

「あーっ、どこかいいところ知ってたら、ウナギの方がいいかな? 最近食べてないから、美味しいとこがいい」

「……それで頼む」

 男に言いつけられた秘書は、運転席側の扉の横で携帯端末を取り出し、どこかに電話をかけ始めた。

 促され、輝美は男とともに後部座席に乗り込む。リムジンのように向かい合って座れるわけではないが、充分に広さがあり、運転席と後部座席の間には仕切りがあって前と後ろでは会話ができないようになっていた。

「元々そういう家系だったけど、あんたが官僚とはねぇ」

「――うっせぇ」

「それも文部省とか、大問題よね。来期辺りには出馬予定だっけ? この子供の敵が」

「ぐっ……」

 輝美よりも十歳は年上だろう男は、滑るように静かに走り始めた車内で、彼女の言葉に喉を詰まらせて黙り込んだ。

「その上結婚までして子供がいるとか、笑っちゃうわよね。このロリコンど変態。子供は娘さんだっけ?」

「どこで調べてきやがった、この野郎!!」

 顔を真っ赤に染め、立ち上がらん勢いで男は怒鳴り声を上げた。

「調べるも何も、あの子はワタシの知り合いだからね。あの子はあっちの世界の被害者よ。あの幼すぎる姿も含めてね。大変だったのよー、あの子が出産するとき。ワタシも手伝ったんだから。医療的にじゃないけど」

「……いったいどうやって潜り込んだんだ」

「あの病院はワタシの知り合いが経営してるところだから」

「もっと大きな病院を勧めたのに、あいつがあそこを固持したのはそういうことか……」

 諦めたようにため息を吐き、男は顔を両手で覆って深く俯く。

「それでも、貴方だからあの子に会わせてみたの。重度のロリコンで、暴走すると変態になって、十歳以上年下の女の子に結婚を前提に交際を申し込むほどどうしようもない奴だけど、貴方の気持ちはいつも純粋だったから。過ぎるほどにね。ワタシを恨むかしら?」

 覆っていた両手から顔を上げた男は、ため息を漏らしつつも元の威厳とは違う、真っ直ぐで真剣な目を輝美に向けてきた。

「輝美のやったことは、俺にとっても、たぶんあいつにとっても、正解だったと思う。いまさらだが、ありがとう。しかし、いまのあいつと、あいつとの子供の平穏をお前が壊すようなら、俺はお前を許さん。俺が持てるあらゆる手を使ってお前を潰す、輝美」

 脅しが含まれた睨みとも違う、静かな目で男は輝美に宣言した。

「ワタシがそんなこと望むはずないでしょ。できればこっちの世界には巻き込みたくないわよ。でもあの子の力と身体はまだまだ不安定だからね。警戒くらいはしてる」

「わかった。何かあれば俺にできる限りのことはする。しかし輝美、今日はそんなことを言うために来たんじゃないんだろ?」

 お互いに携帯端末を取り出して連絡先を交換しつつ、輝美はその質問に答える。

「サクヤが封印を破って復活した。たぶん」

「な……、に?」

 パーソナルな情報を含んだ電子名刺の送信ボタンを押して顔を上げた男は、驚愕の声とともに表情を硬直させた。

「本当なのか? あいつの封印期間は千年じゃなかったのか? まだ二十年ちょいだぞ」

「うん、そうだったんだけど、解いちゃったみたい。相変わらずそういうところは要領いいみたいね」

 唇を震わせている男に対して、輝美は平然と話す。

 輝美と男のしがらみは三十年近く前に遡る。その頃輝美は小学生で、男は大学生で、サクヤは最初は仲間で、後に敵となった。

「まだワタシの方じゃ直接会ってないけど、ほぼ確実。例の結晶の破片を組み込んだ、アニメに出てきそうなオモチャが撒かれちゃってる。誰にでも使えるものじゃなさそうだけど、送り先を吐かせるためにはあいつをとっ捕まえないと」

「オモチャだと? いったいどんなものを、どうして……」

「オモチャを撒いた理由はわかんないけど、目的の方は相変わらずなんじゃないかな? 思い通りにならなくて、下らない世界の破壊と再構築。――ときに、お爺さまはご健在?」

「亡くなった、と言いたいところだが健在だ。惚けてすらいない。もう九十は過ぎてるのにな。だから色々細かい動きがしづらくて敵わないんだが……。まぁあの方が墓の下に落ち着く前には顔を見せてやってくれ。喜ぶ。結局あのときは、あの方まで巻き込むことになったからな……」

「その話は止めましょ。いまワタシも貴方もこうして生きてる。それだけで充分」

「そうだな……」

 もう五十過ぎた男に刻まれたシワは、年齢以上に深く、彼の顔に影を落としていた。

「しかしなんでまたあの方なんだ。俺や、親父の範囲で済まないのか?」

「もとより貴方の力なんて借りなくて済むならそれが一番なんだけど、もうすぐ学校に絡むところで大きなドンパチが起こりそうだからね。早ければ今晩にも。その戦いもそうだけど、その後も戦いが続くなら、貴方や、警察だけじゃなくて、国にも裏から支援してもらわないと無理かも」

「お前の勘か。やっかいだな。しかし学校が絡むって、お前は何をやるつもりだ」

「ワタシは何も。ワタシの息子がやる気だから全部任せるつもり。こっそり手伝いくらいはするかもだけど」

「お前に息子……。しかしよくあんなのと結婚したよな、お前も」

「はっはっはっはっ。そりゃあもう、貴方に比べれば何億倍もいい男だったからねぇ」

「……そういうところは相変わらずだな。安心したよ」

 ため息を漏らしつつも、満面の笑みを浮かべる輝美に、男は苦笑いを返していた。

「できる限り表沙汰にならないようには頑張りたいけど、無理かも知れないからね」

「わかった。サクヤ絡みなら仕方ないだろう。……そろそろ店に到着すると思うが、食ってくか?」

「んー。持ち帰りに変更でお願い。鰻重特上大盛りで、……えぇっと、七個」

「ずいぶん多いな」

 目を見開いて驚きながら、男は脇のボタンを押して秘書に指示を飛ばす。

「息子と、その仲間にね。ひとり素敵に可愛くて、たくさん食べる子がいるの。わたしも近々ひと仕事ありそうだから、力着けておきたいしね。支払いはよろしくっ。家までのタクシーの手配も!」

「いろいろ利用されてきたもんだが、本当にお前はちゃっかりしてるよ。昔も、いまも」

「それがワタシの持ち味だからねぇ。その分、ちゃんと支払うもんは支払ってきたつもりだけど?」

「わかってる。いまは先払い分が大きすぎる。しっかりやらせてもらうよ。その代わり、輝美の方もしっかり頼む。もうあんな事件の再来は勘弁したい」

「もちろん。それじゃあよろしくね」

 静かに速度を落として停車した車から降り、輝美は男に手を振って横付けされた大きな門構えの店の中へと入っていった。

 

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第四章 3

 

       * 3 *

 

 

 夜、広い校庭には動くものの影はひとつもなかった。

 煌びやかに星が輝き、うっすらと冬の天の川が流れる夜空の下で、校舎は翌日生徒がやってくるまで眠りに就く。

 何の変哲もない、冬の高校のひと場面だった。

 けれどもそれを打ち破り、ふらりと校庭に現れた小柄な人影。

 微かに吹く風に短い髪を揺らす彼女が肩から提げた鞄から取り出したのは、パールホワイトのスマートギア。

「もう、何もいらない」

 呟きながらスマートギアを被り、ポケットから取り出した手の平に乗るほどの箱とケーブルで接続する。

「もう、学校もいらない」

 分厚いコートを羽織ったこのみは、呟いてわずかに俯いた。

 ――とても強いもの……。

 頭の中で、このみは想像する。

 ――全部を壊しちゃえるもの。世界ごと、消しちゃえるもの。全部全部、いらないから。

 小学校の頃は、よかった。

 父親も、母親も、このみの側にいてくれた。暖かい家庭があった。

 進学する中学が決まった頃から、両親は家から遠ざかるようになった。

 理由はわからない。訊いても教えてくれなかったし、いまではまともに話すらしてくれない。

 家の中が暖かかった頃に戻りたいと願っていた。けれどももう無理だと諦めていた。

「だから……、だからもういらないの。全部いらないの」

 このみは顔を上げ、リアライズプリンタの稼働開始ボタンに右手の指を添える。

 これまで見た中で一番強かったもの。

 これまで知った中で一番恐ろしかったもの。

 世界そのものを破壊できるほどの力。

 ――パパ、ママ、さようなら。

「リア、ライズ!」

 叫び声を上げ、このみはボタンを押し込んだ。

 

 

          *

 

 

「うまかった……」

 食べ終えてもうしばらく経つのに、俺は舌に残る味を反芻して呟いていた。

 宣言通りお袋がどこからか調達してきたのは、けっこう大きな重箱に入った鰻重。

 持ち帰り用のもので返却が必要だと言うことだったが、ずいぶん高級そうなつくりの重箱に入っていた鰻重は、過去に食べたことがないほど美味かった。

 冷め切る前に食べようということで味噌汁すらなしで食べたが、俺も「美味い」を連発していたが、エルはもううめき声を上げるわ、星でも出てるんじゃないかというほど目を輝かせて食べていた。

 大きかったのに全員完食し、お袋とエルに至ってはふたつも食べていた。

 食後のケーキも食べ終え、今日は解散ということになって、千夜とソフィアは家に帰り、お袋も用事があると言ってまた出かけて行ってしまった。

 リビングのソファに座って鰻重の記憶に浸っている俺の横では、エルが大型平面モニタに食い入るように目を向けていた。

 映し出されているのはどこかでやってた、たぶん録画だと思われる剣道の試合。

 アクションものや戦争ものの映画なども見せてみたが、そうしたものの戦闘シーンはお気に召さないらしい。演技染みている、ということだった。

 ――まぁ、エルは戦乙女。闘争や戦乱の精霊でもあるからなぁ。

 そんなことを思いつつ、そろそろお風呂の準備をしようと思っていたとき、エルがソファから立ち上がった。

「和輝。とても強い力の高まりを感じる」

「ホントか?」

「あぁ。憎悪? 嫌悪? 違う……、これは絶望、か? とにかくどんどん力が膨れ上がっている。すでに先日のゾディアーグなどとは比べものにならない!」

「行こう!」

 言って俺はコートかけから自分のコートを外して羽織り、エルのコートを手渡しながら玄関へと急ぐ。

「遅い! 走るよ!」

 エルとともに家の外に飛び出して玄関の鍵を閉めると、すでに門の前には千夜とソフィアが待っていた。

「方向は?」

「――#%$」

「え? 学校なの?」

 ソフィアが指さす方向は、千夜の言う通り俺が通う高校のある方角だった。たぶん方向だけでなく、場所自体学校の辺りだと言ってるんだろう。

 三人目のリアライザーが赤坂さんだとしたら、何らかの理由で学校を怖そうとするのも、不思議じゃない。

「とにかく急ごう」

 全員に声をかけて、俺はいつも登校に使っている道を、いつもと違って街灯の光を頼りに走り始めた。

 

 

 

 

 家から近いという理由で選んだ十分の距離を走り、当然のように閉まっている校門を乗り越えてたどり着いた高校。

 校庭に出た俺たちは、離れた場所に人影があるのを見つけた。

 その人影が手に持っているだろう物からは、校舎に映像でも映し出すように、紅い光が発せられている。そしてその光の中には、黒く、巨大な何かがうずくまっているのが見えた。

 ――もうほとんどリアライズが終わってる!

 半透明ではなく、実体に近い状態になってきている体育館ほどもある怪物を見て、俺は人影の元へと走った。

「何をするつもりだ!」

「何って……、全部いらないから、壊すの」

 振り向きもせず、抑揚の薄い声で言ったのは、予想通り赤坂このみ。

 俺の隣まで駆けつけてきた千夜が叫ぶ。

「やめて! 赤坂さんっ」

「もう無理だよ。だって全部、全部いらないの。学校も、街も、世界も、パパもママも。だから全部消しちゃうだけ。あぁ、そうだ。あの私を襲おうとした男子も消しちゃわないとね。それと、私のことをいつも殴ったり蹴ったりしてきたあの子たちも」

 恐ろしいことを言いながらも、赤坂さんの声には感情がほとんど感じられない。リアライズプリンタによって、想いが実体化してしまい、考えてることを言葉に出しているだけのようにも聞こえた。

「辞めろ、エル」

 鎧を喚んで剣を抜こうとするエルを手で制する。

 いまからでもリアライズを止める方法は、赤坂さんを止める方法はないかと考えているときだった。

「ゴメンね、早乙女君。私は、貴方の描くお話が好きだったんだ。だから、ゴメンね」

 スマートギアを脱いだ赤坂さんが、俺の方を見てそう言った。その瞳は感情がないかのように焦点が合ってなく、けれど少し垂れた感じの目尻には、大粒の涙が浮かんでいた。

 そして、赤坂さんは糸が切れたように倒れ込んだ。

「こいつは……」

 気がついたときには、照射されていた紅い光が止んでいた。

 うずくまるように丸めていた身体をほどき、長い首をもたげる、夜の暗さよりもさらに黒い怪物。

 ファンタジーもののアニメに出てきそうな四本の脚と、広大な面積を持つ翼。けれど、こいつは違う。

「ヤマタノオロチ!」

 その姿を見た俺は叫んでいた。

 身体から生えているのは、人の胴体よりも太い八本の首。八対の紅く光る目が、俺たちのことを高見から見下ろしていた。

 放浪の戦乙女第二部のボス、名前がないために便宜上ヤマタノオロチと呼んでいる破壊の権化、八つ首のドラゴンが、俺たちの前に実体化していた。

 ただの首の多いドラゴンというだけでなく、俺はこれまで描いた中で最も恐ろしい存在として、ヤマタノオロチを気を遣って描いた。

 俺にとって、まさに最強の存在と言ってもいいだろう。

 迷わず剣を抜いたエルよりも先に、一本の首が俺たちから少し離れた場所に下りてくる。

 そこにいたのは赤坂さん。

 食べるのかと思ったが、違ったらしい。絨毯のように広い舌で絡め取り、開いたままの口の中に彼女の身体を納めた。

「ソフィア!」

「――$#%!」

「エル!」

「わかっている!」

 アルドレッドモードへと変身したソフィアは、標準装備のヒートエッジを引き抜き、長剣を両手に構えたエルがスカートの裾をはためかせながら地を這うように飛び、ヤマタノオロチへと迫る。

「千夜、こっちだ!」

 八本の首のうち一本が喉を膨らませたのを見て、俺は咄嗟に千夜の手をつかんで脇目も振らず校門の方へと走った。

 熱気が、ソフィアがゾディアーグを焼いたときよりも激しい熱さが、背中をあぶる。

 どうにか校門近くの木の陰まで逃げて振り向いたとき、ヤマタノオロチは上空を敏捷に飛ぶエルに向けて激しい火炎を吹き付けていた。

「何あれ? ヤマタノオロチってファイアブレスなんて吐けるの?」

「いや、そんな設定はしてない。というか、まだ七巻じゃ登場して少し暴れただけで、能力とか全然出してない。たぶん、赤坂さんの破壊の想像がリアライズされてるんだと思う」

 エルとソフィアは苦戦を強いられていた。

 首のうち四本がソフィアを狙い、三本が桜色の軌跡を残して飛び回るエルを捕らえようと蠢いている。赤坂さんを口の中に納めた首は、縮こまるように他の首の中に埋もれ、攻撃には参加していないようだった。

 エルもソフィアも目的は赤坂さんの奪取。しかし睨みつけてくる首の密度は高く、でかいため鈍そうなのに、首の動きは機敏な上に連携が取れていて、接近することすら難しい。

「千夜!」

 炎を吐き出したのとは違う首が開いた口の中に電撃が走ったのを見て、俺は千夜の頭を胸に抱き込み、自分も右腕を顔の前にかざす。

 耳が割れんばかりの轟音と、闇の中で発せられた激しい光。白く染まりかけた視界の中で、稲妻がソフィアのボディを打つのが見えていた。

「ソフィア!」

「莫迦、辞めろ!」

 地響きを立てながらがくりと膝を突くソフィアに駆け寄ろうとする千夜の手をつかむ。ヒートエッジを持っていない左手をこちらにかざして千夜の動きを制したソフィアは、立ち上がってエッジを両手に構えた。

「ソフィア、やるぞ!」

『――&%$!』

 距離を取って滞空するエルからの声に、いつもと違って拡声器から発せられるようなソフィアの声が応えた。

 同時に攻撃を仕掛けるエルとソフィア。

 上空と地上からの攻撃は、しかし八本の首の攪乱にはならない。

 再び炎と雷撃のブレスが吐き出されるが、それを避けてふたりはヤマタノオロチへと迫った。

 刃を赤熱させたソフィアのヒートエッジは、雷撃の首の喉元を捕らえるが、わずかに食い込むだけで、切り落とすには至らなかった。

 硬い石というより、金属を斬りつけたような甲高い音を響かせて炎の首とすれ違ったエルだったが、首の動きにダメージは見られない。

「斬れない、だと?」

 全高十二メートルのアルドレッド・ソフィアは、胴体だけで彼女の三倍倍近くありそうな容積を持つヤマタノオロチに比べれば小さく見えるが、力は巨大ロボットそのもののはずだ。

 そのヒートエッジは、通常の建物くらいだったら熱したナイフでバターを切るように斬り裂けるはずだし、もし彼女と同等の巨大ロボがいたとしたら、真っ二つにすることだって可能なはずだ。

 エルの剣だって、彼女の腕をもってすれば、地上にあるあらゆる物質を斬れると設定してあるものだ。ヤマタノオロチの鱗は、この世界に存在しないほどの硬さを、――赤坂さんの破壊への意志の硬さを表しているようだった。

「和輝! 奴の鱗は恐ろしく硬い。首を切り落とすのは難しい。どうする?!」

 俺たちから少し離れた斜め上に滞空して、視線を向けてくるエル。

「とにかくあいつから赤坂さんを引き離したい。その後は……、考えつかない」

「わかった。いまのままではわたしもソフィアも全力では戦えない。やってみる。ソフィア! わたしが牽制する! 少女のことは頼む!!」

『――*&%!』

 ソフィアの返事を聞いて剣を納めながら高く空へと上がったエルは、開いた右手を天へとかざす。

 現れたのは、エルの身長ほどの長さの槍。

 それをつかんだエルは身体に淡い光を纏い、槍へと光を集中させ、まばゆい光を発する光の槍としてヤマタノオロチへと投げつけた。

 ヴァルキリージャベリン。

 必殺技というほどのものではないが、巨人族や魔神、怪物相手でもダメージを与え得る戦乙女エルディアーナの攻撃術のひとつだ。

 ジャベリンはヤマタノオロチの胴体に突き刺さるが、貫くには至らない。

「もう一本!」

 さすがに痛みはあるのか、炎と雷撃を交互に吐き出しつつ、他の首を伸ばしてエルを捕らえようとするヤマタノオロチだが、空を舞う軽やかな羽根のように動き回る彼女を捕らえることができない。

 攻撃を避けながらエルがジャベリンを投げて気を引く隙に、ソフィアが体勢を低くして駆けた。

 そのとき、エルを狙っていた首の一本がソフィアを見、喉を膨らませた。

「水?!」

 炎とも雷撃とも違うその首が吐き出したのは、水。

 消防車のホースから発射されるのの何十倍もの太さの水がソフィアの身体を捕らえた。

 いくら大きいとは言え、どれほどの水があの身体に蓄えられていると言うのか。リアライズの時点で通常の物理法則なんて飛び越えているんだろうが、ものすごい勢いの水は最初のうち堪えていたソフィアの巨体を押し流し、体育館に叩きつけた。

「逃げろ! ソフィア!!」

「ソフィアーーーっ!!」

 エルの叫び声と千夜の悲鳴が被る。

 エルへの攻撃を中断した首の二本がソフィアの両腕をがっちりと咥え込み、もう一本が彼女の目の前に迫る。

「くっ。毒などわたしには効かん!」

 どうやら毒だったらしい煙にエルが視界を遮られている間に、ソフィアに向けられた首が雷撃を吐き出した。

 時間にして十秒にも満たないだろう。しかし余すことなく雷撃を受け続けたソフィアは、白い煙を上げ、咥え込まれていた両腕を解放されても倒れるだけで、動かなくなった。

「ソフィア……。ソフィア……。ソフィアぁーーーっ!!」

 錯乱して走り出そうとする千夜を後ろから抱き締めて止めながら、俺は奥歯を噛みしめつつエルへと目を向ける。

 ソフィアをやられて動揺しているのか、明らかにそれまでの敏捷さを失っているエルの身体を炎が嘗め、電撃がかすめる。

 最後には、これまで以上に大きく喉を膨らませた新たな首が、大風を吐き出し、彼女の身体を木の葉のように吹き飛ばしてしまった。

「くっ……」

 負けたのは、確実だった。

 これほどまでに強い怪物を実体化するほどに、赤坂さんの想いが強かったということなんだろうか。

 こちらに向かってきたら俺なんかじゃひとたまりもないことを感じつつ、千夜を抱き締める俺は動けなくなっていた。

 でもヤマタノオロチは俺たちに興味を示さず、校舎へと身体を向けた。

 二本の首が並び、風と炎を吐き出した。

 アッという間に燃え上がった校舎。

 明日も通うはずだった校舎は、ほんの数秒で余すところなく激しい炎の揺らめきの中に沈んでいった。

 しばらくその様子を眺めるように動かなかったヤマタノオロチは、最後に大水を吐き出し、炎でも脆くなっていただろう校舎を、水の圧力で倒壊させた。

 一本の首が、俺と千夜に向けられる。

 その口の中、舌の上に横たわっているのは、赤坂さん。

 それを見せたかったのかのようにも思えたヤマタノオロチは、すべての首を上空へと向け、翼を広げて羽ばたいた。

 ふわりと浮かんだかと思った次の瞬間には、オロチは空を飛び、何処かへと飛んでいってしまっていた。

 俺はその様子を、見ていることしかできなかった。

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第四章 4

 

       * 4 *

 

 

「……来週から学校再開だってさ」

「えーーっ」

 届いたメールの内容を告げると、みんなから可愛いと言われてる顔を歪ませ、千夜は頬を膨らませていた。

 学校から届いたメールは、休校期間中の宿題各種が添付され、来週から近くの廃校になった中学を仮校舎にして授業を再開する旨が書かれていた。

 ヤマタノオロチとの戦いの翌日、俺の家のリビングには千夜とソフィアも集まっていた。

 昨晩は、吹き飛ばされたエルが戻ってきた頃にはヤマタノオロチは感知できない距離まで離れてしまい、意識を取り戻したソフィアはどうにかレディモードになることができ、人が集まってくる前に学校から抜け出すことができた。

 エルの傷はそれほどでもなく、自分に治癒術を掛けてひと晩眠ったら、概ね回復することができた。

 ソフィアの方は、自己修復機能があるからそのままでも破損部分は治っていくが、今日の段階ではまだ戦闘を行える状況ではないらしい。修理のための物質を補給するために俺がつくった料理をエル以上に食べ、いまは千夜と何かを話し合っているようだった。

 飲み切ってしまったお茶を急須から自分の湯飲みに注いで、ひとり掛のソファに座って俯き、ずっと考え事をしているエルの湯飲みを見てみると、最初に注いだときから減っていなかった。

 重苦しい雰囲気に堪えきれず、俺は携帯端末を操作してモニタの電源を入れる。映し出されたのは朝のワイドショーだった。

 一瞬モニタに目を向けるが、すぐに俯いたり話し合いに戻る三人。ため息を吐き、俺は番組の内容を見ることにした。

 ちょうど話題は俺の高校に関することだった。

 夜のニュースでも、工事でもしているような音がしていたとか、激しい炎が見えたといった証言が出ていたが、調査の結果としてガス爆発の可能性が高いという話が出ていた。

 ――そんなわけないだろ。

 充満したガスが一気に点火でもしない限り、校舎がほぼ全壊するようなガス爆発なんてあり得ない。その上校庭にはエルとソフィアがヤマタノオロチと戦っていたときの、火炎や電撃の痕跡、足跡などが残されているはずだ。

 調査した奴らがよほど無能でもない限り、ガス爆発なんて結論には至らないはずだった。

「よしっ!」

 奇妙な違和感を憶えて顎をさすっているときに、かけ声とともに立ち上がった千夜が目の前までやってきた。

「和輝に頼みたいことがあるの」

「何だよ、改まって」

 男子からは絶賛されている、ほどよい大きさの胸を強調するように前屈みになって顔を近づけてきた千夜は言う。

「ソフィアに上書きリアライズがしたいの。そのための絵を描いてほしいんだ」

 息が届くほどの距離にある千夜の瞳に、揺らぎはない。いままでソフィアと話して、決めたことなんだろう。

「リスクがあるのはわかってるよな」

「もちろん。ってかたぶん、あたしももうロボットものの小説は書けないかも。和輝が言ってたからあたしも試してみたけど、何にも思いつかなかった。でもいいんだ」

 身体を起こした千夜は、ソフィアと視線を交わす。

「あたしにはいまソフィアがいる。あたしが一番ほしかったものとは違ってたけど、でもソフィアで良かったっていまなら思う。彼女とは友達だから。ロボットと友達になれるって、凄く楽しい。だから、少ないにしても続きを楽しみにしてくれてた人には悪いと思うけど、いまはソフィアがいてくれれば充分」

 千夜はソフィアと笑顔を交わし合い、また俺に向き直る。

「もしかしたら、あたしのロボット好きはもう全部ソフィアって形でリアライズされちゃってるかも知れないけど、でも必要なの。ソフィアが言うには、ヤマタノオロチと戦って勝てる確率は、エルと一緒で、全力で動ける広い場所でも、二割を切るんだって。いまのソフィアじゃ力不足だって。……赤坂さんを助けるためにも、ソフィアのパワーアップが必要なの」

「うぅーん」

 リアライズプリンタを使うときのリスクはどれくらいのものかははっきりしないけど、正直なところ使いたくはない。

 あのとき話した赤坂さんは、感情を失っているようにも感じた。

 千夜があんな風になるかも知れないと思うと、リスクは避けたかった。

 同時に千夜の話もわかる。赤坂さんをヤマタノオロチから救い出すには圧倒的に戦力が不足している。

 それにソフィアにはまだ戦力増強の余地があった。

 ソフィアの原型となったアルドレッド・ソアラは様々な手持ち武器やオプション装備があり、アニメ後半では新型機体となるアルドレッド・ソアラ・アルティメットが登場している。

 現在のソフィアはロボット本体のみを設定していたために、ヒートフィストなどの内蔵武器、ヒートエッジなどの標準装備以外の武器がない。

 これをもしアルティメット相当にして、追加武装も喚び出せるようにできれば、相当の戦力アップになるはずだった。

「ソフィアをアルティメットにしたいってことだよな?」

「うん。そう。試せることは試したいの」

「リスクが高すぎる。上手く行けば確かにパワーアップできるだろうけど、ソフィアにもどんな影響があるのかわからない。まだたいしたことないと言っても、記憶や、性格に影響が出るかも知れない」

「それも、わかってる。でももし次、ヤマタノオロチが出てきたら、あたしはソフィアに戦ってって言う。赤坂さんを助けたいってのもある。学校みたいに何かが壊されたりするかもってのも。でもそれよりも、あたしはソフィアに負けてほしくない。そのためには力が必要なの。……ソフィアとも話し合った上で、そうしようって決めたの」

 揺るぎない千夜の瞳には、俺がこれまでに見たこともないくらいの決意が込められていた。

 ソフィアの方を見てみると、微笑む彼女もまた、千夜と同じ目をしていた。

「――わかった。ちょっと描いてくる。夜まではかかるぞ。それとコーヒーと……、後で昼飯の準備は頼むよ」

「んっ。ソフィアと一緒に頑張る」

 にっこり笑う千夜とソフィアに笑顔を返して、お茶を飲み干した俺はソファから立ち上がる。

「和輝」

「どうしたんだ? エル」

 リビングを出て二階へ上がろうと階段に足をかけたとき、俺を追ってきたエルに声をかけられた。

 近づいてきたエルは少し俯いて目を逸らし、唇を噛む。ひとつ頷いた後、顔を上げて碧い瞳で俺の瞳を見つめながら、言った。

「わたしにも上書きリアライズを頼みたい」

 ――ずっと考えてたのは、それか。

 帰って寝るまでは意気消沈していて、朝起きてからはずっと何かに悩んでいるようだったエル。

 力不足を感じているようだというのはわかっていたが、パワーアップの方法をずっと考えていたらしい。

「あのヤマタノオロチはいつかわたしが倒さなければならなかった敵だ。しかしいまのわたしでは勝つことはできないし、我が勇者も見つかる当てがない状況ではハイ・ヴァルキリーになることもできない。それならばソフィアのように上書きリアライズをしてもらって、力を強くしてもらうしかない」

「ダメだ」

 すがるような色を浮かべる瞳のエルの提案を、俺は即答で却下する。

「しかし和輝。赤坂このみという少女を助けたいのだろう? そのためには力が――」

「それでもダメだ」

「何故だ!」

 怒り――、いや、苛立ちだろうか。碧い瞳の中で何かが揺らめいたように見えた。

 それでも俺はエルの態度に動じない。むしろできる限りの力を込めて、彼女の瞳を見つめ返す。

「ソフィアはあんな性格をして、あんな姿をしてても、ロボット、機械だ。最初の上書きリアライズでも大きな影響はなかったみたいだし、アルティメットへの上書きは造り直すにも近いことになりそうだけど、配慮した設定をする。それでもリスクはあるが、千夜とソフィアはそうした部分も含めてふたりで決めたんだ」

「わたしは和輝、貴方の生み出した物語の登場人物だ! 機械ではなくても、新たな設定を付け加えることはできるはずではないのか? ならば和輝もわたしの上書きに同意を――」

「だからダメだ、って。エルは機械じゃない。神の眷属で、戦の精霊で、戦乙女で、人とは本来少し違うけど、その身体はほとんど人なんだ。身体を造り直したりしたら、どうなるかわからない。リスクがソフィアの比じゃないくらい高い。場合によってはいまのエルは消えて、まったく別人になってしまうかも知れない」

 驚いたように目を見開き、唇を引き結んだエルは、深く俯く。

 下ろした両手を握りしめ、力みすぎて震わせている彼女は、俺の知ってるエルディアーナだ。

 でも、もういまの彼女は俺が描いていたマンガの登場人物とは違ってきてしまっている。

 俺が頭の中で描いていた戦乙女の女の子は、いま目の前にいる、道に迷って絹糸のような輝きを放つ金の髪を細かに震わせている女の子に上書きされてしまっている。

 ――リアライズするって、こういうことなのかも知れないな。

 想像力を、想いを実体化するだけじゃない。リアライズで想いを込めた想像物が目の前に現れると、それまであった想いまでが目の前にいる女の子に向けられてしまう。

 もしもう一度放浪の戦乙女を描こうと思ったら、俺は目の前にいるエルディアーナと、マンガの登場人物であるエルディアーナを別々に考えて、想えるようにならなくちゃいけない。

 なんとなく俺は、そんなことを考えていた。

 いつまでも顔を上げないエルの髪に手を乗せ、俺は言う。

「戦乙女エルディアーナの力は、マンガを描き始める前に第三部までに必要な設定を全部その身体に詰め込んであるんだ。だから眠っているだけで、エルはもうすべての力が備わってる」

 顔を上げ、悲しそうな、つらそうな表情を見せるエル。

 つややかな金糸のような手触りの髪を撫でながら、俺は彼女の潤んで揺れる瞳を見ていた。

「しかしわたしの力はわたしだけでは解放できない。この世界にはいない神々に許しを得るか、魂の伴侶たる勇者を得なければならない」

「うん。それはわかってる。でも、上書きリアライズすれば、いつでも力を解放できるようになる代わりに、勇者を求める気持ちも失われてしまうかも知れない。それでもいいの? エルは」

 そのことにやっと気づいたのか、驚きに目を見開いた後、悩むように金色の睫毛を伏せる。

「それは……、嫌だ。そんなわたしは、もう戦乙女ではない。戦乙女でなくなったわたしは、もうわたしではない」

「うん。俺もそう思う。だからエルに上書きリアライズはしたくないんだ」

「……わかった」

 諦めと悲しみの色を瞳に浮かべてため息を吐くエルに、俺は言う。

「ちょっと思い出したことがあるんだ。エルの力を解放することはできないし、パワーアップになるかどうかわからないけど」

「なんなのだ?」

 不思議そうに首を傾げるエルを連れ、俺は足をかけていた階段から下りて廊下の奥へと歩いていく。突き当たりの扉の向こう、使わないもの、滅多に使わないものを仕舞ってある倉庫の中を漁る。

「確かここに……、あった」

 倉庫の見えない場所に隠してあったエアクッションで厳重にくるんだ物体をエルに渡す。

「これは、いったいなんだ?」

 訝しむように眉根にシワを寄せるエルは、クッションを開梱して中身を取り出し、ぽかんと口を開けた。

「これは……、剣帝フラウス! 何故この世界に?!」

「最初は上手く行かなくて試してて、エルをリアライズする直前に、フラウスでやってみたら成功したんだ。形だけの金属の塊かと思ったけど、想像を実体化させるのがリアライズプリンタの機能なら、フラウスも設定通りの力があるはずだ」

 立てた剣帝フラウスは、柄の先端がエルの胸ほどの高さにある。銀のような輝きを放つ鞘や柄には、豪奢な装飾が施され、俺が持つとゴミ溜めに置かれた宝石のようだが、エルが持つとフラウスはさらに輝きを増し、鎧のない普段着スタイルのエルもまた、フラウス以上に輝いているようだった。

「しかし、大きな」

「あぁー、それはゴメン。たぶん設定上フラウスはサイズ自在の剣だから、モニタに映し出したサイズそのままになっちゃったんだ。ハイ・ヴァルキリーであれば力を引き出してサイズも変えられるだろうけど、ね……」

「いまのわたしでは、フラウスのそうした力を使わせてはくれないようだ」

 俺のことはもう見ていなくて、フラウスに注目しているエルは、鞘をつかみ、柄に手を掛ける。

 鈴のような音が、耳に響いた。

 俺では抜けなかった、神族か、それに連なる者にしか抜くことができない、神の剣にしてすべての武具を統べる剣の帝、剣帝フラウス。

 その刀身が、エルの手によって姿を見せていた。

 俺の手を広げたよりもさらに幅のある刀身には、世界樹の装飾がなされ、果実をあしらった紅い宝石がはめ込んであるのが見えた。

 抜き放つことはなく、途中で刀身を鞘に納めたエルは、少し興奮したように頬を桜色に染め、笑みを浮かべて俺を見る。

「確かにこれは剣帝フラウスだ。ゾディアーグと戦う折、神々より預けられたフラウスそのものだ。しかしやはりいまのわたしでは、フラウスはわたしの望みに応えてはくれないようだ。だがこの世界に神々はいなくとも、ヤマタノオロチは神々の敵だとフラウスは認識している。巨人族を、魔神を、神々すらも斬り裂き、討ち滅ぼす刀身を貸してくれると言っている。わたしには少し大きく、重いが、あのヤマタノオロチの太い首を断つにはそれもちょうどいい」

 フラウスを胸に抱き、嬉しそうに頬を緩めてエルは目をつむる。

「ありがとう、和輝。わたしはもうこの世界でひとりではない。フラウスがいてくれる。それに和輝や、千夜やソフィアたち仲間もいる。わたしは、存分に戦うことができる。ありがとう、和輝」

 まぶたを開き、これまでで一番優しさの籠もった瞳を見せてくれるエル。

 俺が頭に思い描けず、でも描きたいと思っていた戦乙女エルディアーナが目の前に現れたような気がして、俺もまた頬が緩んでいくのを感じていた。

「……やはり、赤坂このみを助けたいのか? 和輝。正直なところ、フラウスの力を借りてもヤマタノオロチとの戦いは厳しいものになると思う。赤坂このみを助けるために戦うのは、簡単ではない」

 睨むように細められた碧い瞳に、俺は少し考える。

「うん。やっぱり俺は助けたい」

「ふふっ。千夜からも聞いていたが、貴方は頑固なのだな、和輝。しかしわかった。わたしはわたしにできる限りのことをしよう。いまのわたしは貴方の剣となろう。貴方の意に添い、全力で戦うことを誓う」

「頼む」

「あぁ」

 俺の言葉に満足そうに笑みを浮かべるエル。

 剣帝フラウスを胸に抱き、柔らかい色を碧い瞳に浮かべる彼女は、本当に一枚の絵のようで、その姿が俺の目に焼き付いていた。

 

 



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第一部 第五章 魂の決意
第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第五章 1


 

第五章 魂の決意

 

 

       * 1 *

 

 

 夕食後のデザートとしてつくったイチゴの焼きケーキの最後のひと切れを食べたエルは、その余韻を楽しむように目をつむって幸せそうな表情を浮かべていた。

 ダイニングテーブルに就いているのは、俺を含めて五人。

 ヤマタノオロチ出現から今日で三日。

 出現の翌日、千夜の意見を取り入れてアルティメットの絵が完成する頃にはソフィアの自己修復も完了し、無事二度目の上書きリアライズも成功していた。

 剣帝フラウスを受け取ったエルは、人目につかない早朝や夜に、フラウスを使って素振りなどの鍛錬を行っていた。

 学校の再開までの間は割と暇で、宿題を一緒にやろうと言う千夜がソフィアを連れてきて、何でかお袋も家にいる時間が長くて、もちろんエルもいて、若干ピリピリとした空気はあるものの、いまのように朝昼晩と五人で食事することが多かった。

 紅茶を飲み終え、新しい紅茶を淹れようとティーポットに手を伸ばしたとき、斜め向かいに座るソフィアの頭に丸い耳がポップアップした。

「……タヌキの耳?」

「――&%$」

「うぅん。クマの耳だって。――それより、来たよ」

 クマの耳はあんなんじゃない、と思ってる間に、ソフィアはエプロンの前についている大きなポケットからタブレット端末を取り出し、テーブルの上に置く。電源を入れ、千夜と視線を交わしたソフィアは、たぶん無線で接続したんだろう、触ってもいないのにアプリを立ち上げて表示させた。地図。

「この辺に出現して、こっちの方に向かってるって」

 地図に現れた光点のある場所は、東京湾の真ん中。向かっているのは陸地の方だった。

 学校を破壊した他に、ヤマタノオロチが何を壊そうとしているのかはわからない。けど、俺たちがやるべきこと、やりたいことはひとつだ。

「行くの?」

 椅子から立ち上がった俺たちに、ここ数日はずっとそうだったが、珍しく夕食時にお酒を飲んでいないお袋は、座ったまま睨むような厳しい表情を見せる。

「うん。行ってくる」

「危ないことしようとしてるの、わかってる?」

「わかってる……、つもり。俺だけじゃなく、エルやソフィアや千夜が手伝ってくれるから、やろうと思える」

「親としては、大切な友達まで巻き込んで、戦争よりも酷いことになりそうな戦いになんて行ってほしくないって思ってるんだけど? 他人でしょ、助けたい女の子は」

「顔見知りってくらいの関係だけど、赤坂さんを助けたい。もしかしたら、俺が彼女のようになっていたかも知れないから。それに、俺が頼んだことだから、俺は戦えないけど、エルやソフィアが戦う様子を現場で見ているべきだと思う。たぶんだけど、ヤマタノオロチは自衛隊や米軍でも簡単には倒せない。俺たちが……、リアライズプリンタのことを知る俺たちの仕事なんだと思う」

 ひとつ息を吐き、口元を緩ませたお袋は笑む。

「本当、そういうとこは蔵雄に似てるのよね、あんた。言い出したら聞きゃしない。みんなもこんなのにつき合わされて大変ねぇ」

「いつものことだし」

「――$#&」

「わたしが戦うと決めたことなので」

 三者三様の答えに、お袋は唇の端をつり上げて笑った。

「行ってらっしゃい、和輝、エルちゃん、千夜ちゃん、ソフィアちゃん。でも、必ず帰ってきなさい。怪我をせずに、ってのは難しいかも知れないけど、必ず生きて帰りなさい」

「わかった。行ってきます」

 お袋の言葉に応え、俺はソファに置いてあった装備に手を伸ばす。普段着の上にさらにセーターを被り、厚手のコートを羽織る。千夜も同じように、かなりの重装備をしていた。寒さ対策をしろというお袋の勘による勧めだった。

 鎧を喚び寄せ纏ったエルと、いつものヴィクトリアンスタイルのメイド服のソフィアとともに玄関を出て、家の裏に回り千夜の家の庭に出る。

「お願い、ソフィア」

 千夜の言葉に応じ、星が瞬く空の下で、庭の真ん中まで進んだソフィアがレディモードからアルドレッドモードへと変身する。

 アルティメットモデルとなったソフィアは、以前よりもアーマーがごつくなり、スラスターも増加しながらも、スリムな印象となっていた。

 原作に登場したアルドレッド・ソアラ・アルティメットに、リアライズされたソフィアのイメージを重ね合わせてデザインした、俺の傑作ロボだ。

『――%&$』

「乗ってって」

 片膝を着き、右手を伸ばしてきたソフィア。

 たぶん、ソフィアがほんの微かにヒートフィストを使っているんだろう、暖かさを感じる手の平に三人で乗り、俺は言う。

「行こう、ヤマタノオロチの元へ」

 静かにスラスターから光を噴射したソフィアは、空へと舞い上がった。

 

 

          *

 

 

「口数はけっこう多いけど、本当和輝は蔵雄似の性格ねぇ」

 和輝たちが出ていってしまい、静かになったリビングで輝美はため息を漏らしていた。

 残っていた紅茶を飲み干し、置かれていた皿やカップをまとめ、キッチンへと持っていく。洗っておくかどうか少し悩んで、もう一度ため息を漏らした輝美は水に浸けておくだけにする。

「あっちはあっちで、あの子たちに任せるしかないわね。こっちはこっちでやることあるし、あんまり時間ないか」

 キッチンから出た輝美はロングコートを羽織り、玄関へと向かった。ポケットから取り出した携帯端末で手早くメールを書き、送信する。

 靴を履いて振り返ると、家の中は何だか妙なほど静かだった。

 旦那の蔵雄が帰ってくることがほとんどないから、主に和輝とふたりで過ごすことが多かった家。

 千夜子は頻繁に来ていたが、いまほど入り浸ることはなかった。

 けれどもう、以前とは家の雰囲気は違ってしまっている。和輝がいて、千夜子がいて、エルとソフィアも加わって、輝美が帰るとみんなで騒がしくしている。そんな家が、当たり前のように感じつつあった。

 また全員で帰ってくることを祈りながら、中から外へと目を向けた輝美は、家を出た。

 

 

          *

 

 

 少し風が強くてきつかったけど、寒さは感じずにたどり着いた東京湾上空。

 つかんで身体を支えにしているソフィアの指の間から下にある海を見てみると、夜で黒く見える海面よりもさらに暗い色をし、水をかき分けて進むヤマタノオロチの姿があった。

「……おっきくなってる?」

 安全を見てまだかなり距離があるはずなのに、ヤマタノオロチはすぐ近くにいるように見える。どこで何をしていたのかわからないけど、ヤマタノオロチは高校で戦ったときよりもふた回りは巨大化し、たぶん海底を歩いていると思うのに、胴体の一部と八本の首が海上に出ていた。

『――*+&』

「体積が予測で三倍程度に増加してるって」

「……あいつ、もしかして大きさを自在に変えられるのか? まぁいい、あそこに下ろしてくれ」

 俺が指さした先にあるのは、たぶん大型客船が乗りつけると思われる、陸地から突き出た船着き場。いまのままの進路をヤマタノオロチが取るなら、かすめて通る位置にある。

 アルドレッドモードのボディでも余裕があるほどの船着き場に静かに着陸し、手を下ろしたソフィアは俺たちを解放した。

 ヤマタノオロチはまだここからは小さく見える。けれどその速度は速く、あと数分とかからずにここを通過するだろう。

「奴には何か狙うものがあるのだろうか?」

「どうだろう……。あそこはマンションだし、あっちの建物は病院かなぁ」

 エルに言われて上陸予想方向を見てみると、海沿いに大きな建物がいくつか見えた。

 突き出た高い建物は超高層マンション。割と低くて横に広がっているのは、たぶん病院だろう。どこを目標としているのかはわからないが、学校を破壊したときのように、ヤマタノオロチは何か明確な意志を持って目的を達しようとしているのだろうか。それは赤坂さんの願いに合致しているものなのだろうか。

「んー。それよりも、けっこう静かだよね。誰もあれのこと、気づいてないのかな?」

「……そう言えば」

 ヤマタノオロチをソフィアが感知してからもう二〇分近くが経過してる。あれほど大きなものが海に出現しているのに、街は遠くでパトカーのサイレンが聞こえてくる他は、静まり返っている。就寝時間を過ぎてるからだろうけど、病院と思しき建物にも灯りはほとんどなく、それは超高層マンションでも同じだ。

 自衛隊が出動してもおかしくない事態だと思うのに、辺りは波の音がするばかりで、平穏な空気が満ちていた。

「理由はわからないが、その方がいいだろう。さっさと決着をつけよう」

「そうだな」

『――%&$!』

 俺の声に応えたエルとソフィア。

 エルは剣帝フラウスを喚び出し、鞘から引き抜いて両手に構えた。

 立ち上がったソフィアは、上書きリアライズで追加した半身を覆えるほどの大きな盾を左腕に、ヒートエッジよりも強力で、長さのある日本刀のような形状のビームソードを喚び出し、刃先に緑色の光を宿らせた。

「頼む」

 俺はそう言って、ふたりに頭を下げた。

「任せろ」

『――$%!』

 力強く応え、エルは軽やかに舞い上がり、ソフィアはヒレのように伸びた腰のと、翼のように広げた背中のスラスターから光を噴射し、空へと飛んだ。

 

 

          *

 

 

 ソフィアと並んで滞空し、エルはまだ遠いヤマタノオロチを空から見下ろした。

「行くぞ、ソフィア!」

『――%$!』

 声とともにエルは加速を開始し、桜色の軌跡を引いてヤマタノオロチへと迫る。

 以前使っていた――、和輝の描いたマンガの中で使っていたときよりも巨大な剣帝フラウスは、エルの腕力を以てしても重い。しかしその長さと重さは、厚く硬質なオロチの鱗に対して有効なはずだと彼女は考えていた。

 左右に分かれるようにして飛ぶソフィアの位置を確認しながら、エルは右からヤマタノオロチへと急接近する。

 気づいたらしいオロチは首の三本をエルの方に向け、やはり赤坂このみを口の中に納めているらしい首だけは動かず、残りの四本の首をソフィアの方へと向けた。

 オロチの首の一本が喉を膨らませた瞬間、エルは光となってその首とすれ違った。

 確かな手応え。

 上空へと待避して振り返ると、すれ違い様にフラウスで斬りつけた首は、ゆっくりとズレ、血を吹き出すことなく海面へと落下して水しぶきを上げた。

 巨人族でも神々でも斬れるとされる剣帝フラウス。一刀のもとにオロチの首を切断した斬れ味に、エルは満足し、剣に笑みをかける。

 見ると緑色の光を纏った盾で雷撃を受け止めたソフィアもまた、ビームソードによって首の一本を斬り落としていた。

「行ける!」

 決して余裕がある状況ではない。その上、切り落とした火炎と雷撃、他に大水、強風、毒霧の五本の首については吐き出す息がわかっているが、残り三本はまだわかっていなかった。

 和輝と千夜子の話を聞いた限りでは、ソフィアには光を撃ち出す射撃武器もあるはずだが、それを使って全力で攻撃するためには赤坂このみを助けなければならなかった。

 ――しかし、このまま首を斬り落としていけば問題ない!

 ソフィアに目配せをし、二度目の攻撃を行おうとしたとき、これまで動かなかった首が動いた。

 赤坂このみを咥えていると思われる首は、星のように煌めく粒子を含んだ輝く息を、切断された首の傷口へと吹きかける。

 途端に傷口の表面がもぞりと動いたかと思うと、斬り落としたはずの首が生え、頭が元通りの姿を取り戻した。

「再生……、するだと?」

 ゾディアーグのときがそうであるように、和輝からはヤマタノオロチもまた姿だけで、その能力は彼が設定したものとは異なるだろうと言う話は聞いていた。

 様々な息吹を吐き出すこと自体、和輝の設定したヤマタノオロチにはない能力であったが、破壊の権化とも言えるオロチが再生の力を持つことは、エルの想定外だった。

 エルとソフィアに向かって二本ずつ、揃えた首が向けられる。

 エルへは火炎と大風を組み合わせた長距離、広範囲に渡る極炎を、ソフィアには稲光る大水の柱が吹き付けられた。

「くっ!」

 距離を取ってどうにか回避したエルはソフィアと上空で並び、彼女たちのことを無視して陸地へと向かい始めたヤマタノオロチのことを見下ろす。

「一筋縄ではいきそうにもないな」

『――#$%!』

「あぁ。しかし、やるしかあるまい。我々の目的は赤坂このみを助け、その後にヤマタノオロチを退治すること。それがわたしをこの世界に生み出した和輝の、そしてソフィアの主、千夜の願いだ。行くぞ!」

『――%&!』

 ソフィアと頷きあい、エルは二度目の攻撃を仕掛けるために急降下を開始した。

 

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第五章 2

 

       * 2 *

 

 

 小さな店がたくさん集まったショッピングモールの建物の上に設置されたヘリポートからは、東京湾を見渡すことができた。

 そしていま、湾内で白波を引きながら蠢き進んでいるのは、ヤマタノオロチ。

 海風が吹く中、ヘリポートの上に落ちるように降ってきた紅い光。

 着地する直前に弾けた光から現れたのは、黒いドレスのような服を身につけた少女だった。

 彼女が右手に持っているのは、鎌のような、斧のような刃を備えた彼女の身長よりも長い杖。

 ヤマタノオロチの上空に淡く桜色の光を発するエルと、黄色い光を噴射しながら滞空している白と青のボディのソフィアのことを見、サクヤはニヤリと笑みを浮かべた。

「ここは本当、あの子たちの戦いがよく見える場所よね」

 ヘリポートの隅に腰掛け、振り返りながらサクヤに声をかけてきたのは女性。

 黄土色のロングコートの裾を海風にはためかせながら立ち上がり、サクヤへと向き直った女性は楽しそうに笑う。

「遅かったじゃない。もっと早くに来ると思ったのに」

「……なんで、アタシがここに来るのがわかった? 輝美」

「勘、と言いたいところだけど、まぁここが一番戦いを見るのにいい場所だからね。それに貴女は、この手の自分の仕掛けの結果がどうなるのか、見ずにはいられない性格だったからね、昔から。……久しぶり、サクヤ」

 とくに警戒した様子もなく近づき、猫背の和輝にも近い長身の輝美は、少女と言うにも背の低いサクヤを少し距離を取って見下ろす。

「老けたね、プチシャイニー」

「その名前で呼ばないでよ。引退してからどれくらい経ってると思ってるの。老けもするわよ。それでもまだ若いって言われるんだけど? そういう貴女はちんちくりんで幼いまんま。胸もぜーんぜんちっさいままだし」

 魔法少女として現役だった頃の名前で呼ばれ顔を顰める輝美。しかしサクヤのドレスの上からでもわかる凹凸のない胸を指摘し、苦々しい表情を浮かべる彼女に優越の笑みを浮かべる。

「あっちの手伝いはいいの?」

「いいのよ、あっちは。ワタシの息子たちが頑張ってるみたいだしね」

「彦根と結婚したのね、輝美」

「彦根とぉ?」

 サクヤとともに魔法少女を名乗って戦っていたとき、相棒として背中を預けていた男の名前を言われ、輝美は眉を顰める。

「あいつなら中学に入った頃に振ったわよ。同じ学校に進学したけど、その頃からモテ始めて、振られて傷心だって子のことを構って恋人のワタシのことを蔑ろにして、どういうつもりなのか問いつめてもウジウジしてはっきりしなかったからね。戦いの相棒としては頼りになっても、男としては頼りにならなかったのよ、あの莫迦野郎は」

「……何? アタシを差し置いてあれだけラブラブだったのに、振ったわけ? 誰よ、あのぼんやりした感じの息子の父親は!」

 一瞬唖然としながらも怒った表情を浮かべるサクヤに、そう思えば彼女も彦根に告白して振られていたのだということを思い出す。

「そうねぇ。振るくらいだったら貴女に譲っておけばよかったかしら? まぁあのときはワタシも彦根のこと好きだったし、仕方ないわよね。彦根もワタシのことを選んだんだし。まぁそんなことはともかく、あの子の父親は貴女も知ってる人よ」

「わかるわけないでしょ。ってか、まさかあのロリコン男じゃないわよね?」

「そんなわけないでしょー。ロリコン野郎は一日だけいろいろやってくれた報酬につき合って、それで終わり。あの子の父親、ワタシの旦那は蔵雄よ」

「蔵雄?」

 思い出すように視線を外し、目を細めるサクヤ。

「まさか、剣聖グラフィス? あいつ、生きてたの?」

「えぇ。あの戦いの後もどうにかね。彦根と別れた後、ゴミ捨て場にゴミみたいに寝転がってるのを偶然見つけて、拾って帰って、まぁその後いろいろあって、高校の頃からつき合って、ワタシが大学卒業するのと同時に結婚したの」

「はぁー? 何よそれ。グラフィスの息子があんな根暗なオタク野郎だって言うの? ……いや、根暗なのは、同じか」

 納得したように頷いたり、否定するように首を振るサクヤの様子に、昔と変わらないものを感じて、輝美は思わず笑みを漏らしていた。

「本当に懐かしいわね。貴女と一緒に聖邪王と戦ったのはもう三〇年近く前になるのね……。その後のことがなければ、いい想い出話だったのに」

「仕方ないでしょう、輝美。アタシには、どうしても力が必要だったんだから」

 輝美とサクヤが魔法少女として、彦根とともに戦ったのは、闇の軍団を率いて地上を滅ぼそうと画策した聖邪王。その過程で戦った魔人、剣聖グラフを倒し、後にグラフが気まぐれに育てていた人間の子供、グラフィスとも輝美は戦った。

 いまでは文部省の官僚となっているロリコン男とその父親、祖父の協力を得て表沙汰にならなかった闇の戦いに、輝美たちは勝利した。

 その後に残ったのは、聖邪王の遺骸から生み出された聖邪結晶。

 聖邪王の城に聖邪軍の生き残りの守護の元に保管されることとなった結晶を、力を求めたサクヤは奪い取り、自分のものとした。

 世界を、滅ぼすために。

 二度目の世界滅亡の危機を輝美は彦根と、さらに結晶を取り戻ことを目的とする二代目剣聖となったグラフィスを新たな仲間に戦い、サクヤを倒すことに成功していた。

 聖邪結晶を砕いて力を減らし、しかしサクヤを殺す決断ができなかった輝美は、時間が停止した世界への封印を施した。千年は出てこれないはずの封印を破り、サクヤはいま輝美の目の前に立っている。

 リアライズプリンタの中に取り付けられていた紅いレンズは、聖邪結晶の欠片。

 サクヤが封印を破っていたことは、それを見たときに輝美は気づいていた。

「相変わらず、貴女は世界を、人類を滅ぼしたいの?」

「そうよ。何が悪いの? アタシのことを受け入れず、排除した世界を、人間たちを、逆にアタシが排除して何が悪いって言うの?」

「いいわけないでしょ。あのときも言ったけど、貴女のその独りよがりな性格、直しなさいって。……貴女の意志が変わらないなら仕方ない。いま持ってる結晶を差し出して、リアライズプリンタの配布先を吐いてもらうわよ。素直に従うなら、いまだったら許してあげる、サクヤ」

 言って輝美は、コートの中に手を入れ、大振りのナイフを引き抜く。

 突き出し、開いていた左手をつかむようにして出現させたのは、まるでオモチャのように飾り立てられた、バトンほどの長さの杖。魔法少女時代から愛用している、これを手に入れたからこそ魔法の力に目覚めた、魔法の杖だった。

「従うわけないでしょ? 結晶砕かれてそりゃ力は減っちゃったけど、その恥ずかしい杖をいまでも使ってる年老いた元魔法少女ごときに、現役魔法少女のアタシが負けると思ってるの? あの身動きひとつできない空間で、ずっと貴女を倒す方法を考え続けてたんだから。さぁいらっしゃい、アタシの可愛い人形たちよ」

 長い杖をサクヤが天にかざすと、複雑な文様が描かれた魔法陣がいくつも空に浮かび上がる。

 そこから現れたのは、鎧。

 現実の騎士甲冑とは違い、デフォルメされたような姿の金属の鎧たちは、剣と盾を持ち、次々とヘリポートに降り立つ。

「輝美は一対一での戦いは得意だったけど、軍団戦は苦手だったもんね。これだけの魔法の傀儡なら、貴女でも簡単には倒せないでしょう?」

「さすがにこれは面倒臭いな」

 ひしめくほどの数となった鎧人形の向こうで楽しそうに笑うサクヤを睨み、輝美は小さくため息を漏らしていた。

 

 

          *

 

 

「厳しい、か?」

 蠢く首を相手にエルとソフィアは善戦していたが、状況は決してよくなかった。

 斬り落としても次々に首は再生し、ふたりの攻撃を受けつつもヤマタノオロチは徐々に陸に接近していた。俺がいる船着き場の最接近までは、あと三〇〇メートルもない。

 再生のブレスを吐く首に近づこうにも、他の首の攻撃が激しいため難しく、赤坂さんを助け出すことも、首を斬り落として再生を止めることもできなかった。

 ヴァルキリージャベリンを陽動にしたソフィアによる胴体への攻撃も、各種ブレスによって阻まれ、有効打にはなっていない。

 赤坂さんを助け出し、ライフルやバズーカや、他にも多数ある射撃武器を使えるようになれば戦況は大きく改善するだろうが、いまの状況では難しかった。

 逆に、この前の学校と違って広さに制限がないため、自由に飛び回るエルとソフィアは、ヤマタノオロチの攻撃を余裕を持って躱していた。

「大丈夫かな? ふたりとも」

「わからない。いい状況じゃないのは確かだ」

 お互い決定打を持たない戦いは、ヤマタノオロチの上陸によって悪化するのは目に見えている。何か方策が必要なのは確かだったが、戦う力のない俺や千夜では見ている以外のことは何もできなかった。

「あれ? ソフィア?」

 奥歯を噛みしめて船着き場の先端で戦いの趨勢を見ていたとき、ソフィアが戦線を離脱してこちらに向かってやってきた。

 船着き場に力なく四つん這いになったソフィア。

 見ていた限りブレスの直撃は食らっておらず、見上げたボディにも多少の焦げ跡はあっても、大きな傷はない。どうしたのかと思っていると、ソフィアが言った。

『――&%$』

「え? エネルギー不足? ど、どうしようっ」

「……そっか。そんなのもあったっけ」

 ソフィアのエネルギーは、原作ロボであるアルドレッドやアルドレッド・ソアラに搭載された小型核融合炉ではなく、ファンタジーな設定であるハートフルジェネレータによりまかなわれている、ということになってる。

 ハートフルジェネレータは人間の想いや感情を稼働エネルギーや武装のエネルギーに転換するもの。物理的にはどうなっているかはかなり謎だが、そういう設定でリアライズされ、動いているんだから大丈夫なんだろう、と思って深く考えるのは辞めた。

 ただ通常時はマスターである千夜の側にいることによって充分に供給され、蓄積できているが、戦場と千夜との距離が遠く、機動性も攻撃力も増したアルティメットモデルになって燃費が悪化したいまは、供給が追いつかなくなったんだろう。

「じゃああたしが乗って――」

「俺が乗る」

 千夜を手で制して、俺はソフィアの方に一歩進み出る。

「何でよっ。ソフィアのマスターはあたしよ? あたしが乗るのが普通でしょ」

「それはわかるけど、千夜はジェットコースターとか苦手だろ。それに乗り物酔いもするし」

「うっ……。で、でもソフィアのことはあたしがよくわかってるし!」

 背伸びをするように詰め寄ってくる千夜に、振り返った俺は彼女の肩に手を置き、言う。

「俺が、乗りたいんだ。この戦いを始めたのは俺だ。赤坂さんを助けたいと思ってるのも」

「助けたいのはあたしも同じ! 和輝だけじゃないんだから!!」

「だけど……」

 怒ったようにツーサイドアップの髪を揺らしてさらに詰め寄ってくる千夜から視線を外し、俺はソフィアが抜け、苦戦を強いられている、海上を舞うエルのことを見る。

「俺は、エルの助けになりたいんだ。エルはまだ迷いながら戦ってる。彼女の迷いを生んだのは俺だ。俺が彼女をこの世界にリアライズしたのが原因だから、俺が彼女の助けになりたいんだ」

 言って俺は千夜の瞳を真っ直ぐに見つめた。

 頬を膨らませて怒っていた千夜は、徐々に頬の膨らみをすぼめ、唇を尖らせていく。

「……しょうがないな、和輝は。いいところは本当、いつも持っていくんだもんっ」

「ゴメン」

「ん。でも絶対に戻ってきてね! 約束だからね!」

「努力する」

 瞳に不満そうな色を残しつつも笑ってくれた千夜に笑みを返して、俺は片膝を着いた姿勢になったソフィアに近づいていった。差し出された左手に乗り、女性らしい胸の膨らみのようなアーマーの下にある、コックピットハッチが開くのを待ってそこに乗り込んだ。

 原作アニメにおいて、アルドレッドシリーズはすべてパイロット搭乗型のロボットだ。

 狭さを感じるほどのコックピットの中の柔らかな感触の椅子に座り、四点式のシートベルトを締めて上から下りてきたヘルメットを被る。正式にはパイロットスーツを着なければならないはずだが、いまはそんなものはない。

『――ようこそ和輝様。シートベルトの装着を確認。セーフティプロテクターを搭乗位置へ。操縦桿を握ってください』

 耳に、というより頭の中に落ち着いた感じの女性の声が響いた。

「ソフィアって、こんな声してたんだ」

『――はい。パイロット搭乗時はヘルメットを介して意思疎通が可能となります』

 俺の身体の前面を覆うようにせり出してきた、衝撃で投げ出されるのを防止したり、外圧からの防御のためのセーフティプロテクターの下から手を出して、俺は操縦桿を握った。

 左右の操縦桿はレバーになっているわけじゃなく、握るだけのものだ。操縦はヘルメットと操縦桿から伝えられる、搭乗者の意志によって行う。

 完全自律行動はファンタジー設定を持つソフィアにしかない機能だが、アルドレッドシリーズのすべてはマスコット的人工個性を搭載している。それは機体と搭乗者との仲介を行い、ノイズとなる戦闘に関わらない意志をシャットアウトしたり、搭乗者が気絶した際に臨時で機体を動かすためのものだ。

『――リュンクスシステム、起動します。身体を楽にして、目を閉じてください』

 操縦には肉眼は使わない。リュンクスシステム起動と同時に、ヘルメットのバイザーは黒変して、様々なランプが灯っていたコックピット内の視界を閉ざした。

 ソフィアに言われたように半分寝るような格好のシートに身体を預け、目をつむる。目は閉じたままにも関わらず、俺の頭の中には起動シークエンスの情報が見え、その後に外の様子が映し出される。

 ヘルメット型のスマートギアをさらに進化させたようなリュンクスシステムは、スマートギアが脳波を受信するだけのものであるのに対して、映像情報や機体情報などを脳に送信する機能を持っている。操縦方法や戦闘に関わる情報は頭の中に入ってくるし、必要なことは思考で要求すれば表示されるから、俺でも問題はない。

 いま俺は、ソフィアの外部カメラを通して、外にいたときには広いと感じていた船着き場が、狭いと感じるほどのサイズに見えていた。

『――気をつけてください。通常の感覚とサイズが大きく異なっています。見えているものが同じでもサイズは十分の一ほどとお考えください』

「ジオラマを見てるみたいな感覚だな」

 立ち上がったソフィアの視界で見た世界は、大きめのジオラマか、怪獣ものの特撮セットに立ったような感じだった。視界の隅に映る警告表示のところに立っている千夜は、小人のように見えた。

「俺のことは燃料タンクだと考えてくれていい。戦えるような力があるわけじゃない」

『――はい。わかりました。けれどわたくしの戦闘データは基礎情報程度しか入っていません。必要な戦術、戦略がありましたら遠慮なくわたくしの身体を操縦してください』

「わかった」

 ソフィアを通じて千夜のことを見下ろし、俺は言う。

「行ってくる」

『気をつけて、和輝!』

 手を振る千夜に影響がないよう弱い噴射で身体を浮き上がらせ、ある程度上昇したところで加速を開始した。

「赤坂さんを取り戻して、エルを、助けるぞ!」

『――はい! この、和輝様の想いの強さは……。想像以上です。表面エネルギーコーティング出力二〇パーセントアップ。スラスター出力一〇パーセントアップに設定!』

「あんまり振り回さないでくれよ。俺はそんなに鍛えてる方じゃない」

『――大丈夫です。すでに和輝様の身体データは収集済みです。緊急時以外は無理はしません』

 ソフィアと言葉を交わしながら、俺は上空からヴァルキリージャベリンを投擲していたエルの隣に並ぶ。

「待たせた、エル!」

『和輝? 何をしに来た! ソフィア! エネルギーの補充をするだけではなかったのか?! 和輝も、危険だ。すぐに戻ってそこから下りるんだ!』

「アルティメットモデルはパイロットがいないとエネルギー消費に供給が追いつかないんだ。俺が乗りたいって言って乗ったんだ。エル、一緒に戦わせてくれ。これは俺の戦いでもあるんだ!」

 ソフィアの顔の横に並び、苦々しい表情を浮かべながら睨みつけてくるエル。

 けれど、迷っている時間はもうあまりなかった。

『――内蔵エネルギープール、フルチャージ完了。全兵装、リミッター解除します』

「来るぞ、エル!」

『くっ。無茶してくれるなよ、和輝! ソフィアも、和輝のことを守ってくれ!』

『――はい!』

 上空に向けて首をもたげたヤマタノオロチが、雷撃を飛ばしてくる。

 逃れたエルの代わりに、俺はソフィアを攻撃の正面に立たせる。表面防御を強化した盾を構え、ソフィアは雷撃をものともせずに急降下していく。

 ソフィアが持つ右手のビームソードの感触を確かめながら、俺は赤坂さんを助けるために、俺の戦いを開始した。

 

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第五章 3

 

       * 3 *

 

 

 アニメに出てくるパワードスーツに近い形状の鎧人形たちは、ぱっと見ただけで五〇体ほどまで増え、輝美はげっそりとした表情を浮かべていた。

 ちらりと後ろを見ると、一時戦線を離脱していたアルドレッド・ソフィアが復帰し、ヤマタノオロチとの戦いは第二ラウンドが開始されたところのようだった。

「いったい、どんだけつくったのよ、この木偶人形」

「もちろん、貴女を圧倒して勝てるだけの数に決まってるでしょう? ずっと貴女を倒す方法を、あの世界で考えてたんだから。一体だって貴女の力と能力じゃ手こずるはずよ」

「あーそー」

 投げやりに言いながら、おもむろに一番近い鎧人形に左手の杖の先端を向けた輝美は、予備動作も詠唱もなしにワインレッドの太い光を発射する。

 人の胴体ほどの太さがある光は、しかし鎧人形の数センチ手前で青で描かれた魔法陣に激突し、拡散して散ってしまった。人形には焼け焦げひとつ着いていない。

「うへー。っと」

 音もなく近づいてきた別の人形の斬撃を軽やかに躱し、右手に持った大振りのナイフをすれ違い様に押しつけ、斬りつける。

 振り返ってみると、ヘリポートを照らすスポットライトのような照明の下で、斬られたはずの鎧人形は、わずかに横腹にナイフの傷跡を残すだけで、動きに支障を来した様子もない。

「魔法攻撃も物理攻撃も効くわけがないでしょ? 貴女の攻撃に適した魔法防御も施してあるんだし、魔法で強化した素材は、射撃魔法使いのクセに接近戦好きの貴女の斬撃にも堪えられるくらい強くしてあるんだから! 貴女は手も足も出ずに、こいつらに蹂躙されるしかないのよ!」

 ひしめく鎧人形の向こう側で下品な高笑いを上げているサクヤにちらりと視線を飛ばし、輝美は大きく息を吐く。

 ニヤリと笑みを浮かべた輝美は、言った。

「さて、それはどうかしらね?」

 腰を落とした輝美は近づいてきていた三体の鎧人形のうち一体に接近し、胸元に魔法の杖をあてがう。

 杖の先端から発射されたのは、先ほどと同じ太さのワインレッドの魔法光。

 しかし魔法陣による防御が発動することはなく、胸から上を失った鎧人形は動きを止め、後ろに倒れていった。

 次の人形が振り下ろしてくる剣をナイフで逸らし、体勢を崩させた瞬間、頭頂部に押し当ててからナイフを一気に振り下ろした。

 縦に真っ二つにされた人形は、がらんどうの身体を曝しバラバラのパーツとなって崩れ落ちた。

「な……、んで?」

 サクヤが驚きの声を漏らしている間にも、輝美は次々に鎧人形に躍りかかり、ナイフで両断し、杖からの射撃魔法で撃ち抜く。

 さらに回し蹴りで切り裂き、膝蹴りを食らわせると同時に発動させた「膝からビーム」で貫き、どんどんサクヤへと近づいて行っていた。

 対する鎧人形たちは、人間以上の素早い動きで剣を振るうものの、輝美はそれ以上の動きで斬撃を避け、紙一重で躱し、すれ違う間の反撃で倒されていった。

「何なのよいったい! どうして貴女がこの子たちを倒せるのよ! それにその動きは!!」

「何って、まぁ……。貴女が施した魔法干渉障壁は、本体のだいたい六センチのところで発動するものでしょ? それより内側からの魔法には反応しない。だから杖を当ててから射撃魔法を使えば問題にもならないし、斬れ味強化の魔法だって有効なのよ」

 周囲の鎧人形をすべてガラクタに変えた輝美は、ためらうように接近してこない敵を油断なく見渡しながら言う。

「それに、中学入るときには魔法少女は引退したけど、別に魔法を失ったわけじゃないし、その後も蔵雄と一緒に鍛えてたからね。んで、アクションものの映画を見ててふと思いついたのよ。その映画は拳銃と格闘術を組み合わせたものだったんだけど、似たようなことを魔法と格闘術でできないかな、って。それで編み出したのが、これ」

 後ろから接近してきた二体をナイフと射撃魔法で瞬時に屠り、ガラクタへと変える。

「結局、格闘でも武器戦闘でも銃撃戦でも魔法戦でも、同じなのよ。他と違って魔法の場合、対抗魔法とか防御魔法が充実してて防ぐ手段が多いけど、要は敵の本体にダメージを与えて倒すってことには変わりない。その手段が拳か剣か銃弾か、魔法かの違いだけ。防ぐ手段が多い魔法はたいてい力押しの戦いになるけど、格闘術は相手の力を利用したり、攻撃を回避したり、動く相手に有効打を当てる技の勝負。組み会わせたらどうなるかな、って思ってやってみたら、できたのよ。魔法と格闘術を組み合わせたワタシの戦法は、映画の技に習って、マギ=カタと名付けてみたわ。ただ無駄に年老いてたわけじゃないのよ、サクヤ。ワタシはワタシで、いまでも成長中なのよ?」

 言い終えた輝美は、顔の前でナイフと杖を交差するように構え、サクヤへと走る。

 彼女をガードするように走り寄る鎧人形の斬撃を避け、すり抜け、切り刻み、撃ち抜き、囲いを突破した輝美。

 恐怖に表情を強張らせたサクヤの頬に、右手に持ったナイフのナックルガードを食い込ませた。

 

 

          *

 

 

 ――キツいか?

 俺がソフィアに乗り込んだことで戦況は有利に運んでいるが、瞬時に再生する首の再生速度を上回ることができない。

 すでに千夜のいる船着き場の最接近を終え、速度は落ちたもののヤマタノオロチの進行を止めることができないでいた。

『和輝! どうするつもりだ! このままでは上陸されてしまう!!』

 首の一本を切り落とし、ヴァルキリージャベリンを投げながら接近してきたエルが外部集音マイク越しに声を掛けてくる。

「どうすると言われても……」

 せめて空を飛んでくれれば、赤坂さんの首に危害が加わらない方向からライフルなりバズーカなりで攻撃して、いまよりもっと大きなダメージを与えられるが、身体の半分以上を海中に沈めているいまはそれを行うこともできない。

 正直、埒が空かない状況になっているのは確かだった。

『この際、赤坂このみのことは目をつむって、陸地の被害を最小限にとどめるべきではないのか?!』

「それはできない!」

『しかし!』

 睨みつけてくるエルに、俺もソフィア越しに彼女のことを睨みつける。

 確かにもう時間はいくらも残されていない。決断するなら早いほうがいい。

 そうだとわかっていても、俺は決断できずにいた。

『――よろしいですか? 和輝様』

「どうした? ソフィア」

『――おそらくヤマタノオロチの首の力そのものは、それほど強いものではありません。和輝様を乗せたいまのわたくしの力であれば、振りほどかれずに組み付けると思います』

「……そっか。エル! 一か八かになるけど、首をできるだけ斬り落としてくれ!」

『どうするつもりだ?!』

「俺が赤坂さんのいる首に組み付く。エルはその間に彼女の身体を奪い取ってくれ!」

『危険なことをするつもりか! くっ。しかし、仕方がない……』

 俺のことを心配してくれているのか、いままで見たことがないほど顔を歪ませたエルは、しかし作戦を了承してくれる。

「行くぞ、エル!」

 声とともに俺はソフィアを操って、海面すれすれを飛び、ヤマタノオロチへと迫る。

 二本の首が向けられ、喉を膨らませるのを見た俺は、スラスターを最大出力にして一気に距離を詰め、上昇しながらビームソードで二本の首を一度に斬り落とした。

 斬り落としたのは大水と雷撃の首。

 見るとあちらではエルが、毒霧と大風の首の二本を剣帝フラウスで斬り落としていた。

 ――行ける!

 さらに俺は向けられた一本の首に向かって、右腕を広げながら接近し、ラリアートをかます要領で引っかけ、そのまま再生ブレスの首共々両腕で抱き込んだ。

「いまだ、エル!」

『わかっている!』

 いつの間にか背後に隠れるように飛んでいたエルが、ソフィアで捻り潰すつもりで抱き込み動けなくなっている首の一本に接近する。

 ソフィアの位置からでは見えなかったが、エルはフラウスでヤマタノオロチの舌を切り取り、その腕に赤坂さんを抱いて口の中から飛び出してきた。

「よしっ!」

 嬉しさに叫んだのもつかの間、横合いから残った首二本の頭突きを受け、ソフィアのボディは吹き飛ばされた。

『和輝、これで!』

「あぁ。全力で攻撃して上陸する前に退治する! エルは赤坂さんを千夜のところに……」

 喚び出せる武器を確認しながら、隣で滞空しているエルに指示を飛ばしているとき、俺たちに向けて首の一本が向けられた。

 避ける暇もあればこそ、炎よりも早い速度で噴き出されたのは、黒い霧状の液体。

「なんだ? これは」

『――毒ではありません。現在成分を解析中』

 ソフィアのボディを黒く染めた液体は、水のように滴ることもなく、ゼリーか何かのように付着して留まっている。

 赤坂さんを両腕で抱き締めて守ったエルもまた、避けきれずゼリー状の霧の洗礼を受けて鎧や服の一部を黒く染めていた。

 大風の首を再生させ、ヤマタノオロチが炎の首と揃えて俺たちに向け、喉を膨らませた。

 ――まずい!

「エル!」

 思ったときには身体が動いていた。

 ソフィアのボディを操り、エルの身体を手の平で叩き落とすように海に沈める。赤坂さんのことが心配だが、いまは気にしていられない。

 スラスターの出力を上げて自分も避けようとしたときには、すでに遅かった。

 広範囲に広がった炎が足先をかすめる。

 次の瞬間、ソフィアの全身は炎に包まれていた。

 たぶん、ヤマタノオロチが吐き出したのは油だ。それもナパーム弾に使われるような粘液質の。

 もしエルが炎を浴びていたら、戦乙女である彼女は耐えられていても、赤坂さんは焼け死んでいただろう。

 視界は混乱していた。

 外部カメラはすべて炎が踊り、視界を著しく遮っている。温度警告が全身から発せられ、装甲が溶け出す限界温度まではまだ余裕があったが、徐々に限界に近づきつつあった。

「ソフィア! 一端海中に逃げて温度を下げよう!」

『――わかりました』

 炎で外が見えず、俺にはどちらが上でどちらが下かもよくわからない。指示通りソフィアが高度を落とし、海面へと接近していく。

 けれどその動きは、途中で止められてしまった。

「何が起こった? ソフィア!」

 激しい衝撃とともに装甲が軋む音が、コックピットの中にまで聞こえてくる。

『――首の一本に噛みつかれました。逃げられません』

 切り替わったカメラの画像で見えたのは、赤いヤマタノオロチの舌と、闇に染まった口内。

 火炎、電撃、大風、大水、毒霧、回復、油と来て、最後に残った首はどうやら噛みつき用の首だったようだ。がっちりと噛みつかれて、ソフィアは脱出できない。ちょうどコックピットの正面から腰の辺りにかけて、大きく開いた口が咥え込み、鋭い牙が引っかかって抜けられそうになかった。

『――大丈夫、です。この圧力ならば耐えることができます。それよりも早く脱出しなければ、温度の方が』

 ボディの各部を表示している警告では、まもなく表面温度が限界に達しようとしていた。俺はビームソードを持ったままの右腕が動くのを確認し、首を斬り落とそうと振り上げる。

「……ん?」

 そのとき見えたのは、黒かったはずの口内。

 ソフィアの身体の各部に設置されたランプを反射して光っているのは、口内にすっぽり収まるサイズの、金属の柱状の物体。

「パ、パイルバンカー!!」

 俺がそう叫んだときには、迫ってきた金属柱が視界を埋め尽くしていた。

 

 



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第一部 二次元美少女を実体印刷!! 第五章 4

 

 

       * 4 *

 

 

「この世界、は、……アタシが、壊す、んだから……」

 明らかにおかしな位置にぶら下がっている左肩を右手で庇いながら、可愛らしかった顔を見る影もなく腫らしたサクヤは、輝美との関係を別つときにも言っていた台詞を残して、ゆらゆらとおぼつかない飛行で空へと去って行った。

 構えを取り、それを見送った輝美は、サクヤの気配が消えたのと同時に尻餅を着いて座り、そのまま身体をヘリポートの上に横たえさせた。

「あの子は、片付けくらい、して行きなさい、よ」

 苦しそうに肩で息をする輝美の周囲には、大量のガラクタが転がっていた。

 優に百体を超えるだろう金属製のガラクタは、足の踏み場もないほどにヘリポートを埋めている。コートの裾にすら斬られた跡のない輝美は、大きくため息を吐き出した。

「歳は、本当、取りたくない、わね……」

 本当ならばサクヤを捕らえて聖邪結晶の残りと、必要な情報を聞き出したかったが、十数分にも渡るマギ=カタによる全力の戦闘は、四十歳も近くなった輝美の身体では限界で、彼女を捕らえる体力はもう残されていなかった。

「まだ、あの子たちは、戦っているようね」

 立ち上がって戦闘の状況を確認したかったが、身体を起こすこともできない輝美は、破壊を求める衝動の塊であるヤマタノオロチの気配から、それを察していた。

「ワタシにいまできるのは、あとは、これくらい」

 寝転がったまま左手の杖を天にかざし、輝美は意識を集中させる。

 目で確認することはできなかったが、障壁魔法の発動を感じた輝美は左腕を投げ出す。

 苦戦しているらしい和輝たちだが、この障壁魔法でわずかな間、上陸を妨げることができるだろう。

「あとは貴方たちで頑張りなさい、和輝」

 呟いた輝美は、体力を回復させるために目をつむった。

 

 

          *

 

 

 心配して駆けつけてきた千夜子の足下に、びしょ濡れの赤坂このみの身体を横たえさせた。

 海に叩き落とされたときには何をするのかと思ったが、海面に上がったエルが見たのは、燃え上がったソフィアの姿。

 海に沈められていなければ、油だったらしい液体に火が点いてエルは傷を負い、赤坂このみに至っては焼け死んでいただろう。

 赤坂このみの息が安定していて、命に別状がなさそうなのを確認したエルはヤマタノオロチに振り返る。

 その瞬間、背中を向けた格好で炎を纏ったソフィアが迫ってきた。

 船着き場のコンクリートを砕き、エルたちのすぐ側に身体の半分を海中に沈めながら、座り込むような格好で動かなくなるソフィア。

 衝撃で火は消えたのか、ボディのいろんなところからは煙が上がっていた。

 ソフィアの身体を見て、エルは震えそうなほどの衝撃を受けていた。

「和輝!」

「待て!!」

 駆け寄ろうとする千夜子を手で押しとどめ、エルは前に出る。

「まだ熱せられて表面は酷いことになっている。千夜では焼け死ぬぞ」

 泣きそうな顔をしている千夜子の両肩をつかみ、できるだけ強い視線で睨みつける。諦めてくれたらしく視線を落とした彼女を残し、自分でもどんな顔をしているのかわからないエルはソフィアへと近づいて行く。

 海水を浴びて急速に温度が下がっているアルドレッド・ソフィアのボディは、激しい湯気を発していた。

 その湯気の向こうに見える、胸部。

 そこには、細いソフィアの腰ほどの太さがある、金属柱が突き刺さっていた。

「ソフィア、大丈夫か?」

『――%&、$』

 弱々しく、ノイズ混じりのソフィアの応答にひと安心するが、金属柱が突き刺さり、装甲を押しつぶしているそこは、和輝が説明してくれたのでは、コックピットのハッチがある場所のはずだった。

「和輝! 和輝!! 返事をしろ!」

 呼びかけても、返事はない。

 太股や腕など、肌が露出しているところでソフィアの装甲に触れないように気をつけながら、エルはボディを上っていく。フラウスで金属柱を斬り裂き、排除する。

「ここを、開けてくれ。ソフィア」

『――#、$%』

 ひしゃげて大きく凹んでいるハッチを見ながら言うが、ソフィアから返ってきたのはできないと言う返事。

「済まない、ソフィア」

 斬りすぎないように気をつけながら上下を斬り、蹴り飛ばしてハッチを取り除く。

 中からあふれ出てきたのは、濛々とした湯気。

「和輝……。和輝……。返事を、してくれ」

 声が震えているのは、もう自分でもわかっていた。

 返事のないコックピットの中に、エルは震える唇を必死で噛みながら、身体を滑り込ませていく。

「くっ……。くっ……」

 声は、言葉にもならなかった。

 凄まじい威力で打ち出された金属柱は、コックピットハッチだけでなく、その内側をも、ひしゃげさせていた。

 和輝の身体は詳しく確認するまでもなく、まだ微かに口から息をしているだけで、奇跡のような状態だった。

「和輝……」

 呼びかけながら、エルは彼の頭を覆っているヘルメットをそっと脱がせる。

 ヘルメットとともに前髪が持ち上げられて、いつもは見えていなかった和輝の瞳が、見えていた。

 緑がかって見える黒い瞳には、どこまでもどこまでも深い優しさを湛えた色があって、ただひとり、エルディアーナのことだけを映していた。

 本来は衝撃からの防御用であろう、いまは彼の身体を押しつぶしているだけのクッションで覆われた板を無理矢理外して、フラウスを投げ出すようにコックピット内に放り出したエルは、両手に治癒術の光を灯す。

 いまは生きていても、もう幾ばくも命が続かない身体を光で撫で、回復を試みるも、エルの力は届かない。回復には至らない。戦乙女エルディアーナの治癒の術は、死を避け得ないほどの傷を治癒できるほどには、強力ではない。

「和輝……。死なないでくれ。死ぬな、和輝……」

 胸が詰まってどうしようもなかった。

 あのとき自分が危険を察知することができていたら、和輝も回避することができていたかも知れない。

 自分を助けずに回避していてくれれば、和輝はこんな目に遭わずに済んだかも知れない。

 けれどいまは、和輝の身体を回復させることもできない。時間を巻き戻して身代わりになることもできない。

「和輝! 死ぬな!! 貴方の身勝手で呼び出されたわたしは、まだ責任を取ってもらっていない!」

 顔を近づけて大きな声で呼びかけても、優しい色を浮かべ続ける彼の瞳が反応することはない。もう耳が聞こえていないかのように、口元に笑みを浮かべているだけだ。

 溢れた涙が頬を伝い、和輝の頬を濡らす。次々と滴り落ちる涙を、エルは止めることができなかった。

「ゴメン、な。エル。お前の勇者を、魂の伴侶を、一緒に探すの手伝うって約束したのに、約束を、守れそうにない」

 かすれて、半分も音にはなっていない。しかし彼の言いたい言葉は、彼の意志から読み取ることができた。

「何を言ってるのだ、和輝! そんなことよりも、いまは生きることを考えるんだ! 命をつなぐことを考えるんだ! 何か……、何か方法を考えるんだ!」

 首を左右に振り、涙を振りまきながら、エルは和輝に呼びかける。それでも彼女の言葉に応えることのない和輝は、唇を動かし続ける。

「エルは、こんな風に泣く奴じゃ、ないだろ。もっと、強くて、気丈で、悲しいことがあっても、人の前で、俺なんかの前で、泣くような性格してないはずだろ」

「そんなことはない! わたしは……、わたしは弱いのだっ。泣きたいときも、いつも我慢してきただけだっ。お前が思っているほど、わたしは強くなど、ない……」

 伝わらないだろうことはわかっていても、和輝の言葉を否定して左右に首を振ったエルは、右の手甲を外し、右手を彼の頬に添える。

 暖かく、柔らかい頬は、しかし生気が失われ、急速に死に近づきつつあるものだった。

 涙が止まらなかった。

 どうしてこんなことになってしまったのか、わからなかった。

 どうして自分がこんなにも泣いているのか、わからなかった。

 戦乙女エルディアーナは、いまさらながらに、自分が和輝のことをほとんど知らないことを意識していた。

 そして彼のことを、もっと知りたいと思っていた。

「もう俺は手伝えないけど、エルは自分の幸せを探せ。魂の伴侶を、お前が愛せる人を探せ。この世界では見つからないかも知れないけど、エルなら、この世界で生きていけるはずだ。この世界でなら、平穏で、平和な生き方を見つけられるはずだ。そのために、俺はお前をこの世界に、リアライズしたんだから」

「何を、言っているのだ、和輝……」

 ――わたしの、幸せだと?

 ずっと、和輝は自分の好きなものを身勝手に実体化させたのだと考えていた。

 後先考えず、リアライズプリンタを手に入れたことに浮かれて自分をリアライズし、この世界にはいないだろう勇者を探せといったのだと思っていた。

「俺の都合でたくさんつらい目にも、悲しい想いもさせたけど、俺は本当は、お前に笑っていてほしかったんだ。笑顔でいられる世界で生きてほしかったんだ……」

「そうか……。そうだったのか……」

 悲しくて、つらくて流れていた冷たい涙に、暖かさが混じるのを感じていた。

 和輝の想いを聞き、受け止めて、エルディアーナの胸には暖かさが溢れてくる。

「わたしは、見つけたよ、和輝」

 物語の中でも、実体化した後でも望み続けていたもの。

 自分のことを想ってくれ、自分が想いたいと感じられる人。

「わたしの求める勇者は、貴方だ、和輝」

 言葉に出した瞬間、胸の中にあったシコリがすとんと身体の中に落ちて消えてしまう感触があった。

 もう疑問に思うことなどない。

 もう探し求める必要などない。

 求めるものは、目の前にある。

「我が勇者よ。我が魂の伴侶よ。いま互いの魂を分け合い、混ぜ合わせよう。わたしは貴方の魂がある限り、貴方とともに在ることを誓う」

 和輝の瞳を見つめながら、エルディアーナは彼の顔に自分の顔を近づける。

 重ねた唇から和輝の魂を吸い、吐いた息から自分の魂を分け与える。

「くっ……」

 死にかけ、身体から離れる直前であった和輝の魂の半分を受け入れたことで、激しい痛みを感じた。しかし、彼に入ったエルの魂は、確実に彼の中で息づいている。彼の命を、つなぎ止めている。

「少し待っていてくれ、我が勇者よ。すぐに終わらせて、戻ってくる」

 涙を拭い、剣帝フラウスを手にした戦乙女エルディアーナは、コックピットから出て空へと浮かぶ。

「か、和輝は?!」

「もう大丈夫だ。彼が死ぬことはない。助け出すよりも先に、彼の望んでいたことを片付けることにする。待っていてくれ、千夜」

 心配そうな顔で見上げてくる千夜子に力強い笑みを返し、エルは上空へと舞い上がった。

「いま、わたしは魂の伴侶を得た。我が身体に秘められし力をすべて解き放とう。我が勇者に仇なし、我が勇者を傷つけた怪物を、この手で討ち滅ぼそう」

 言葉とともに、エルの身体が光に包まれる。

 強い光の中で、彼女の服が、鎧が形状を変える。

 スカートの裾はドレスのように長く伸び、頭を守る桜色の兜は、宝石をあしらったティアラとなった。

 胸や背中、肩を守っていた鎧は外れて宙を浮き、形状を変化させて四枚の盾となった。

 ハイ・ヴァルキリー。

 魂の伴侶を得てその身に宿した力を解放した彼女は、もう地上に住まう怪物などに触れられることなどない。鎧など必要がない。四枚の鉄壁の盾があらゆる攻撃から彼女を守る。

 見るとどうやら和輝が病院と予測していた場所に向かっていたらしいヤマタノオロチは、上陸する手前でそれ以上前に進めず、何かの障壁への攻撃を繰り返していた。

 エルディアーナの光に気づいたオロチは振り返り、危機を察したのか、炎と雷撃を放つ。

 攻撃はすべて盾が防ぎ、余波すらエルが纏う光の中で消え失せた。

「滅びよ、ヤマタノオロチよ。姿ばかりの破壊の権化よ」

 右手にぶら下げていた剣帝フラウスを両手に持ち、天に向けて構える。

「応えよ、剣帝フラウス。我が力と、我が勇者の願いと、我が想いに!」

 エルディアーナの声に応え、剣は刀身を伸ばす。

 どこまでも、どこまでも伸び、エルはひと息にそれを振り下ろす。

 鋭い光を放つ刀身が、ヤマタノオロチの身体を両断した。

 

 

 



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第一部 終章 魂の伴侶
第一部 二次元美少女を実体印刷!! 終章


終章 魂の伴侶

 

 

 

「あれ?」

 目を開けて飛び込んで来たのは、見慣れぬ白い天井。

「生きてる?」

 多少怠さを感じる身体を起こして回りを見てみると、どうやらどこかの病院の個室にいるようだった。

 窓の外に見えるのは海。たぶんだが、ヤマタノオロチと戦ったとき近くにあった病院かも知れなかった。

「――#$%」

「……和輝?」

 声を掛けられて見てみると、俺のベッドに突っ伏して寝ていたらしい千夜が身体を起こし、顔を覗き込むように見つめてきていた。

「よかった……。よかった!!」

 呆然としていた表情を泣き顔にして、千夜は入院服の俺の胸に飛び込んで来た。

「莫迦っ、莫迦っ! 和輝の莫迦っ!」

 莫迦莫迦と繰り返して胸に顔を押しつけてくる千夜の髪を撫でてやりながら、まだ状況がよくわかっていない俺は、少しボォッとする頭で状況を確認しようとする。

 ――そう思えば、身体を潰されたんだっけ。

 千夜の髪を撫でる手が普通に動くことを確認して、不思議に思う。千夜の後ろに控えるように立つソフィアに顔を向けてみても、彼女は小首を傾げるだけで、答えてはくれない。

 感覚を頼りに脚を動かしてみたが、普通に動かすことができた。

 生きていることすら不思議だが、身体にとくに支障を感じないのはもっと不思議だった。

 エルの治癒術でもあの状態の身体は治せるはずがない。どうなっているのかわからず、まだ肩を震わせてしゃくり上げている千夜にも聞けそうにない。

 ――それにあのとき、俺は……。

 唇に微かに残る感触に、指で撫でてみる。

 あれが夢だったのか、現実だったのか、意識を失う直前でよくわからなかった。

「やっと起きたか、莫迦息子」

 言いながらノックもなしに扉を開けたのは、お袋。

「生きて帰れと言ったのに、無茶しやがって」

「いや、生きてるじゃん」

「莫迦。命をつないでもらったんだよ」

「ん?」

 汚いものでも見るような蔑みの視線を向けてくるお袋。涙を手の甲で拭い、何故か頬を膨らませて睨んでくる千夜。

 どういうことなのかわからず、俺は首を傾げるしかない。

「すぐにわかるよ、莫迦息子」

 そう言われるが、わかるわけがない。

 と思ったのに、なんとなくわかってしまった。

 近づいてくるのを感じる。

 凄い速度で接近してくる。

 廊下をそんな早さで走ったら怒られるだろうと思うが、何が近づいているのか、どうしてそんなことを感じているのか、いまひとつ実感がわかない。

「和輝!」

 開きっぱなしの扉から姿を見せたのは、エル。

 彼女の姿を見た瞬間、心臓が強く脈打った。

 ふわりと裾が広がるジャンパースカートにショートコートを重ねた可愛い姿に、じゃない。少し乱れた、でも相変わらず美しい金色の髪にでも、本当に嬉しそうな色を浮かべた碧い瞳にでもない。

 エルディアーナの存在そのものに、俺の心臓は高鳴っていた。

 口を手で覆い、ぽろぽろと涙を零すエル。

 その涙を拭って上げたいと思うのに、いまひとつ上手く動かない俺の身体は、彼女に向かって手を伸ばすことしかできなくて、近づいてきたエルが俺の手に頬を寄せ、自分の手で包み込んでくれる。

「我が勇者よ、我が魂の伴侶よ、目覚めのときを、お待ちしておりました」

「……え?」

 エルから言われた言葉に、気持ちの方は過ぎるほどに納得しているのに、頭の理解が追いつかない。

 ニヤニヤと笑っているお袋を見、さっきよりもさらに不満そうな顔をしている千夜を見、助け船を出してくれる様子もなくにこにこと笑っているソフィアを見て、俺は理解する。

 あのとき死にかけた俺がエルディアーナと交わしたキスが、魂の契約であったことを。

「エ、ル?」

「はい。我が勇者、和輝よ。これから、末長く、よろしくお願いします」

 嬉しそうに笑みを浮かべ、それでも碧い瞳から涙を零れさせるエルは、そう言って俺の胸に顔を埋め、両腕を身体に回して抱きついてきた。

「まぁそういうことよ、和輝。どうやって口説いたのか知らないけど、貴方はエルちゃんの心と魂をゲットしたの。理解した?」

「あー、うん」

 突き刺さるような千夜の視線に気づかない振りをして、さっきとは違ってエルのつややかな髪を撫でながら、俺はお袋に顔を向け続けていた。

 なんだか、気持ちは理解できてしまっているのに、頭が追いつかなくて、なにやら怖い感じがしていたから。

「それで和輝に質問なんだけど、妹と他人、どっちがいい?」

「……なんの話だよ」

 突然想定外な質問をお袋からされて、俺は返事を返すことができない。

「まっ、この様子だと他人の方がいいかしらねぇ……。ちょっと知り合いに頼むかぁ」

「んん?」

 お袋の言ってることがわからず、千夜の視線にも耐えきれず、抱きついてきたままのエルをどうすることもできず、俺のボォッとしている頭はまだ本調子になるにはかなりの時間がかかりそうだった。

 

 

          *

 

 

「本当に皆さんにはご迷惑をおかけしました。申し訳ありません!」

 短い髪を揺らしながら、赤坂このみは深く頭を下げた。

 日曜日、俺の家のダイニングに集まっているのは、いつもの四人に加えて赤坂さんの五人だった。

 検査のために二日ばかり入院して、異常なしってことで俺は退院させられていた。

 戦闘後すぐに意識を取り戻した赤坂さんもひと晩入院したそうだけど、やはり異常はなく、翌朝には退院していたそうだ。

 ずっと頭を下げ続けている赤坂さんの様子に、千夜とソフィアとエルの視線が俺に集まる。何か言えということらしい。

「あー。まぁ、あの三莫迦トリオはまだ入院中だけど命に別状はないし、俺も赤坂さんのおかげでこの通り問題ないし、学校もどうせ来年度から建て直しだったんだし、問題ないだろう」

 赤い縁の眼鏡の向こうで済まなそう色を浮かべた瞳をしつつ顔を上げた赤坂さんは、まだ沈んだ表情で、俺が手で勧めた、いつもならお袋がいる上座の椅子に座った。

 俺の身体が元通りになっていたのは、ハイ・ヴァルキリーになったエルの治癒の術のおかげではなく、赤坂さんのヤマタノオロチの力だ。

 ほぼ真っ二つにされながらも原型を保つことができたというヤマタノオロチは、エルに倒された後は赤坂さんの指示を聞くようになり、回復の首のブレスによって俺の身体を元通りにしてくれていた。

 エルが魂の契約をしていたからこそ死なずに済んでいたが、首から下がほぼぺっちゃんこになっていた俺の身体は、回復のブレスがなければどうなっていたかわからない。

 彼女からは、すべての事情を聞いていた。

 思っていた以上にひどいいじめを受けていたことも、家庭の事情についても、赤坂さんは話してくれた。

「いまはヤマタノオロチはどうしてるの?」

「えぇっと、ここに」

 そう言って赤坂さんがブラウスの胸ポケットから取り出した携帯端末にぶら下がっていそうなサイズの物体。

 手の平に乗せたそれは、確かに八本の首がある、ヤマタノオロチだった。

「……こんなに小さくもなるものだったのか」

「えっと、はい。サイズは自由自在みたいです。どれくらい小さくできて、どれくらいまで大きくなれるかはわかりませんが。私の、全部壊したいって想いが形になったものですけど、いまは大丈夫みたいです。私の言うことを聞いてくれます」

「再生の首ってもしかしたら、あれだったのかもね。えぇっと、家族とかを元に戻したいって、そういう想いからだったのかも」

「そう、かも知れません……」

「千夜」

 話すときもつらそうにしていたことをほじくり返す千夜を睨みつける。言ってから気づいたのか、千夜は済まなそうな顔で「ゴメン」と小さく言って俯いた。

 学校が破壊された翌日には仮校舎が決まったことだとか、あれだけヤマタノオロチと激しい戦いを陸地の近くでしていたにも関わらず、報道のヘリ一機も飛ばず、警察や自衛隊にも動きがなさそうだったこととか、目撃者もいないとか腑に落ちないことは残っているものの、今回の怪物事件はとりあえず収束となったようだった。

 ソフィアが注いでくれた新しい紅茶にミルクを注ぎ、微かな甘さを楽しんだ俺は、ホッと息を吐いていた。

「あの、それでお訊きしたいことがあるのですが」

「何? このみ」

 あっという間に仲良くなって赤坂さんを名前で呼び捨てにしている千夜が、彼女の問いに応じる。

「私を助けようと一番頑張ってくださったのは和輝さんだと聞いたのですが、本当でしょうか?」

「ふむ。確かに一番頑張ったのは和輝だな」

「いや……」

「戦ったのは主にソフィアとエルだけど、和輝が助けるって言って譲らなかったのは確かだね」

「そう、だったんですね……」

 エル、ソフィア、千夜の順で割と胸の大きな面々が揃っている中では、薄いと感じてしまう胸を手で押さえて安堵の息を漏らし、赤坂さんは笑顔を見せる。

「私、ずっと和輝さんのファンだったんです」

「やっぱり、あのときのシンシアのコスプレって、赤坂さんだったんだね」

「はいっ」

 嬉しそうに返事をする彼女は、紅茶を一気に飲み干し、大きく息を吸って、吐いて、立ち上がった。

「それで、和輝さんにお願いしたいことがあるんです」

「うっ……」

 真っ直ぐな目で俺のことを見つめてくる赤坂さんに、俺は何となく嫌な予感と、二方向からの痛みを感じるほどの鋭い視線に、思わずうめき声を上げていた。

「助けていただいたお礼、と言うこととは違うんですが……」

 はにかみむように言葉を濁し、頬をほんのり赤く染め、膝と膝が触れあうほどに近づいてきた赤坂さん。

 真後ろで、音を立てながら椅子を引いて立ち上がったエルが、見えてはいないのに、魂が繋がっているからだろう、激しい感情の波動を発していた。

 机を挟んだ左隣では、千夜が角でも生えてるんじゃないかという表情を浮かべて俺のことを睨みつけてきていた。

 そんなふたりのことを気にしていないのか、それとも気づいていないのか、椅子に引っかけてあった鞄に手を伸ばして折り畳んだ紙を取り出した赤坂さんは、それを広げながら言った。

「私と、家族になってください」

「か、家族?! え? 告白もプロポーズもすっ飛ばして家族って……。そ、そういうのは和輝と一番長く過ごしているあたしを通して話をしてちょうだい、このみ!」

「そのこととこのことは関係ありません。私は和輝さんのことが好きなんです。小姑は口を挟まないでください!」

 怒ると相当怖い千夜の言葉も意に介さず、婚姻届を広げて見せたまま挑発するように顎を反らしてそっぽを向く赤坂さん。

「待て、ふたりとも」

 激しい雰囲気はまとったまま、冷静な声でエルがふたりに待ったをかける。

「幼馴染みでずっと一緒に過ごしてきたんだから、エルとは年季が違うんだけど?」

「横から出てこないでください。これは私と和輝さんの問題です」

「わたしはすでに和輝と魂の契約を交わし、彼はわたしの伴侶となっている。人間の行う結婚などという制度とは違い、わたしと和輝はいま魂と魂で繋がっているのだ。そこに割って入ることなど不可能だ」

「だからそれは!」

「そんなこと関係なくて!」

 頭の上で言い合いを始めた三人に、俺はため息を漏らすくらいしかできることがなかった。

 ふと思って、俺はエルに問うてみる。

「なぁエル」

「なんですか、和輝っ」

 言い合いを中断し、睨むような視線を俺に向けてくる彼女。

「あの魂の契約って、俺はもうほとんど意識なくて、契約が交わされたから俺が生きてるってのもわかるんだけど、ちゃんとした契約になってるのかな? って。確か魂の契約にはお互いの同意が必要だったよな? 片方だけで契約した場合ってどうなるか、設定してなかったよな……」

「ならば改めて契約を交わしましょう、和輝。我が魂の伴侶となってください、我が勇者よ」

 早口に言い、エルは俺の頬に手を添えて顔を近づけてくる。

「ダメ!」

「ダメです!」

 エルの後ろに回って彼女の肩をつかみ、俺から引き離す千夜と赤坂さん。言い合いを再開した彼女たちの声は、徐々に大きくなってきていた。

「赤坂さんの分の宿題をやる予定じゃなかったっけな……」

 すぐ側で展開される言い合いに小さく呟いてみたが、誰も聞いている様子はない。

 この場に居続ける気が失せてきて、俺はひとり静かにお茶を楽しんでいるソフィアに顔を向ける。

「なぁソフィア。ちょっと俺を乗せて、どこかここじゃない場所に連れて行ってくれよ……」

 口を付けていたカップをテーブルに置き、小首を傾げたソフィアは、エプロンのポケットに手を突っ込んでタブレット端末を取り出した。

 たぶんソフィアと接続されている端末はレタッチアプリが立ち上がり、そこに文字が描かれる。

『和輝さんはわたくしの中に入りたいと、そう申されるので?』

「ぐっ……」

 取りようによっては性的な意味にも取れる言葉に、俺はうめき声を上げていた。絶対にソフィアは俺を使って遊んでいる。

「……和輝。魂の伴侶たるわたしがいながら、ソフィアと何をするつもりか?」

「かーずーきーっ。ソフィアにまでちょっかい出すつもりーーっ?!」

「和輝さんっ。不潔です!」

 攻撃の対象が俺に集中し、六つの瞳が俺に鋭く突き刺さる。

「あー、えー、そのー」

 相変わらず目を隠している前髪越しに三人の視線を強く感じた俺は、くるりと振り返ってダイニングから逃走を開始する。

 途中のリビングで引っかけておいたコートを取り、そのまま玄関に向かい、外へと飛び出した。

 これから先いったいどうなるのかもうわからない。

 少なくとも俺はいまこの場にいたくない。

 とにかく俺は逃げの一手を打つために、晴れ渡る十二月の空の下を、隠れられる場所を探して全力で走っていた。

「和輝ーーーっ!」

「逃げるな! 和輝ーっ!」

「和輝さんーーーっ」

 追ってくる声に脇目も振らず、俺は当てもなく走ることしかできなかった。

 

 

          *

 

 

 なんだかんだと騒がしかった冬が終わり、春が来た。

 誰かの作為を感じなくもないが、たった三ヶ月ほどで全壊した校舎の後に新校舎が建ち、二年生最初の登校日となった今日、俺は朝のホームルームを頬杖をついて聞き流していた。

 どうせオタクであることが学校中に知られている俺は、よほどの用事があるとき以外には近づいてくる奴はいない。

 クラス替えもあって教室内のメンツは一部が入れ替わっているが、仲良くなることもないんだ、いままでと変わりはない。

 そう、思っていた。

「今日からこのクラスに編入することになった編入生を紹介する」

 窓の外を眺めたまま、一番後ろの列の一番窓際、俺の隣の席に空きがある理由を、眼鏡の神経質そうな細身の歴史教師の言葉で知った。

 俺は興味もなく、教室に入ってきたらしい編入生を見て悲鳴にも近い歓声を聞き流していた。

 が、聞き流せそうにもなかった。

 胸の中にわき上がったざわめきが、俺を教壇の方に目を向けさせる。

 ボードに自分の名前を書き、振り返って教室内を見渡したのは、金髪碧眼の女の子。

「結城(ゆうき)エルディアーナと申します。これからどうぞよろしくお願いします。……早乙女和輝と、クラスメイトの方々」

 エルの言葉に、一瞬にして教室中の奴らの視線が俺に集まる。

 ――お袋が言ってたことはこのことだったのか……。

 妹と他人どっちがいいか、と目が覚めたときに言われていたのを今更ながらに思い出す。

 どういう手段を使ったのかは知らないが、エルに戸籍や立場を用意したのは、俺の知る限りお袋以外には考えられない。

 教師に言われるまでもなく、空いている机のある俺のところまで来て、みんなの視線を避けるように机に突っ伏している俺に向かって、エルは微笑みかけてくる。

「これまでも、そしてこれからも、末長くよろしく、和輝。我が勇者よ、我が魂の伴侶よ」

 どの言葉に反応したのか、教室内には女子の黄色い歓声と、主に男子のはやし立てるような、やっかむような声が響いた。

 これまでは静かに過ごせていたのに、二年からはそういうわけにはいかなそうだと思いつつ、俺は突っ伏したまま寝たふりをすることに決めた。

 

 

             なぅ、ぷりんてぃんぐ! ~二次元美少女を実体印刷!!~ 了




次回予告

「あ、あの……。戦乙女は、その……、男性とそういう、――経験をしてしまったら、なんと呼ばれるようになるのだろうか?」
 妙な情報を仕入れて困難な質問をしてくるエルディアーナに苦慮する和輝。接近するふたりの関係に飛び込んでくるこのみに、これまでにない積極性を見せる千夜子。ソフィアの本気とも冗談ともわからないセリフが冴える!
 そして現れる新たなリアライザー。暗躍するサクヤと、それを追う輝美。ついに帰還する父、剣聖蔵雄。剣聖と邂逅するエルの反応は如何に?
 荒れ狂う予感しかしない「なぅ、ぷりんてぃんぐ!2 ~(元)二次元美少女の悩み事~」をリアライズ!

 なお、第二部公開時期については未定となっております。


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