野獣先輩 精霊説 (ほろろぎ)
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1話 フォーゲット・メモリー

MTISKTN「記憶、それは淡い夏の日の思い出。甘い思い出。幸せな思い出。……本当に?」


 ……ミーンミンミンミーン……

 

 遠くから聞こえてくるセミの鳴き声に目を覚ます。

 真っ暗だった世界を開いてみれば、そこは一転して白一色。他には何もない。

 足元の地面も、頭上の空も、それらを分かつ地平線すらも、何もかもの一切が存在しない場所に、男はただ独りだけ立っていた。

 

「どこだ……、こ↑こ↓は……」

 

 短髪に浅黒い肌、筋肉質のスポーツマンらしい風貌の男からは似つかわしくない、甲高い声が響く。

 周囲をぐるりと見回すが、辺りには何もありはしない。男の声に応えるものも存在しない。

 これほどに奇妙な目覚めを迎える事は、一生のうちに早々あるものではないだろう。

 

「これもうわかんねぇな」

 

 両腕を組んで思案するが、自身のいる場所が皆目見当もつかないため、男は諦めたように呟く。

 その後訪れる静寂、それによって男は、ある重要な事実に気が付いた。

 

「俺は……誰だ……!?」

 

 わかんねぇのは自身のいる場所だけでなく、自分自身そのものだ。

 男は、ついさっき目覚めるまでの記憶が一切無くなっている事に驚愕の叫びを上げた。

 

「やべぇよ、やべぇよ」

 

 胸の中が締め付けられるような焦燥感にかられ、男の全身に冷や汗が浮かぶ。

 頭を抱える様に両手をこめかみに当て、必死に思考をめぐらす。

 男の脳内で神経パルスが唸り、光の速さで情報を処理し始める。

 しかし、セミの鳴き声よりも前の事は、どうしてもさかのぼる事が出来ないでいた。

 

「ウッソだろお前……」

 

 愕然とした呟きが空間に響く。

 何が何だかわからない。

 男は取り乱す事すら忘れてうろたえる。

 今いる場所が何処なのか分からず、その上自分が何者なのかさえ思い出せないのであれば、参ってしまうのも仕方がない事だ。

 どうすればいい?医者へ行くべきか?それはどこにある?視線をさ迷わせても道しるべは現れない。

 最悪なのは助けを求めるべき相手が誰一人いない事だ。

 万事休す。

 男は弱々しくしゃがみ込むと、そのまま取り残された子供の様にうずくまった。

 

「あらあら、一体どうなさったんですの?」

 

 どれくらい経ったろうか、深閑とした静寂の中に響く自分ではない誰かの声。

 それに気づいた男はハッと顔を上げた。

 眼前には一人の少女が佇んでいる。

 その髪は極端に左右非対称のツインテールで、赤と黒に彩られたゴシックなドレスがその身を包んでいた。

 清楚なお嬢様の様な雰囲気と、どこか不気味な怪しさをかもし出す不可思議な女の子だ。

 垂らされた髪から覗く左目が、白新の世界でなお一層、ランランと金色に輝いている。

 

「何だお前!?」

 

 男は突然奇妙な世界に現れた奇妙な少女に困惑の声を上げた。

 

「人に名前を尋ねる時は、まず自分から名乗るものですわよ?」

 

 子供でも知ってますわ、少女はクスクスと薄く笑みを浮かべながら、男をからかうように言った。

 

「…………」

 

 無言。

 男は自分に関する記憶を必死に絞り出そうとするが、やはり何も浮かんでは来ない。

 溜息と共に頭をゆっくりと左右に振った。

 

「可哀想に」

 

 同情の言葉が少女の口からもれる。

 しかしその声色には男に対する憐みは感じられず、むしろ関心の無い、素っ気無いただの『お決まり文句(セリフ)』であった。

 

「ですけれど、あまり気にしない方がいいですわ。むしろその状態の方が、わたくし達にとっては普通のことなのですから」

 

「ん? どういう意味だ?」

 

 次いで放たれた少女の訳知り顔の発言に、男は反射的に食いついた。

 必死さを感じさせる男の反応に、少女は笑みを隠す様に口元に手を当てる。

 

「これは悲劇? それとも神様がお与え下すった奇跡? わたくし達という存在は、この世ならざる神域から使わされたのです」

 

「お、大丈夫か大丈夫か?」

 

 突然両手を天に向かって広げ、芝居がかった口調になった少女の頭を男はまっさきに心配した。

 

「こういう時は、オーブラボーと言いながら拍手をするものですわよ。人間たちの間では」

 

 芝居を止め、両手を降ろしながら少女は言う。

 人間たち、という言葉に男は違和感を持った。

 普通は自分達と言うもんじゃないのか? さっきの言い方では、まるで俺達は人間では無い別の何かのようではないか。

 その考えを見透かしたように少女はニコリと微笑んだ。

 

「ええ、そうですわ。わたくし達は人ではありません。『精霊』ですのよ」

 

「せいれい……?」

 

 なじみのない単語を男はくり返し呟いた。

 とはいえ初めて聞く言葉でもない。

 男の頭の中の本棚からわずかに引き出された記憶によれば、精霊とは自然物に宿る霊的なエネルギー存在のはずである。

 そんな超常的なわけのわかんねぇものになってしまったのか?

 男にはまったくもってその実感はわかなかった。

 

「なんで精霊になんてなる必要があるんですか?」

 

 男は少女に尋ねた。

 なぜ自分が奇怪な変貌を遂げたのか、この少女なら何か答えを知っているかもしれない。

 

「それはわたくしの方が聞きたいですわ。今まで会った精霊は皆女性ばかり。男の方の精霊だなんて、わたくしも初めて見ましたわ」

 

 残念ながら男の思うような展開にはならなかった。

 少女にとっても、男の存在は不可思議なものであるようだ。

 

「とても興味深い御方ですわ。ある意味、士道さん以上に……」

 

 少女は男をマジマジと見つめる。

 上から下まで舐めるように視線を這わせた。

 

「あっ、そうですわ。あなたの記憶を取り戻す方法を、わたくしは知っていますの」

 

 少女が唐突に言った。

 

「ファッ!?」

 

 急な展開に男は驚く。

 

「教えてください! なんでもしますから!」

 

 オナシャス! センセンシャル! フイにもたらされた救いの手をつかもうと、男は何度も頭を下げる。

 

「可哀想な子羊さん。もちろん手助けしてさしあげますわ」

 

 少女は氷上を踊る様にクルクルクルと回りながら男に近づく。

 そして男の前でピタリとその動きを止めた。

 そっと伸ばされた少女の腕が、男の顔に向けられる。

 

「『一〇の弾(ユッド)』」

 

 突如、男は後方にのけ反った。

 額には黒い穴。

 少女の腕には一丁の古式短銃が、いつの間にか握られていた。

 その砲身からは、弾丸が発射された事をしめす様に煙が上がっている。

 

「いきなりなにすんだオラァァァァァァン!? 驚いたダルルォ!?」

 

 怒り心頭の男は、エビ反りの状態からバネのごとき筋力で上体を立てなおし少女に吠えた。

 ついさっき頭部に開けられた穴は、最初から無かったかのように消え去っている。

 これは夢なのか、現実なのか……。

 

「痛っ…!」

 

 フイに男の頭に駆け抜けるような痛みが走った。

 だがそれは少女に撃たれた傷跡からではない。

 もっと奥深く、心の中から湧き上ってくる痛みだ。

 

「頭に来ますよ~」

 

 男はガクリと膝をついた。

 少女はその姿を、何か楽しいショーでも始まるかのように見下ろしている。

 

──先輩──

 

 突如、男の脳内にその言葉が鳴り響いた。

 男の声だ。

 同時に懐かしさと愛しさが湧きあがる。

 

……ミーンミンミンミーン……

 

 蝉の声 夏の日差し 焼けるアスファルト

 

ガチャン!ゴン!

 

 扉 疲労感 屋上

 

ブロロロロロ…ブロロロロ…

 

 寝そべる 暑い コインロッカー

 

サッー!

 

 アイスティー 白い粉 地下室

 

 さまざまな音と光景が、男の頭の中を嵐のように駆け巡り心をかき乱す。

 

「やめちくり~!!」

 

 男は叫んだ。

 これ以上はいけない。

 自分の中の何かが、掘り起こされつつある記憶を戒める。

 

「う、羽毛……」

 

 怒涛のフラッシュバックに耐え切れず、男は意識を失いその場に倒れ込んだ。

 少女は相変わらず、その様を冷淡に見つめている。

 やがて男の姿が徐々に、空気に溶ける霧の様に薄くなり、ついにはこの場から完全に消え去ってしまった。

 

「行きますのね、向こう側の世界へ」

 

 少女は男のいた場所を見つめながらひとり呟く。

 

「これは悲劇? それとも神様がお与え下すった奇跡? 一体あなたは何ものなのでしょうか……」

 

 背を向ける少女。歩き出すと男と同様にその体が薄くなり始める。

 

「あなたの存在が、わたくしの願いを叶えるための追い風になってくれることを願いますわ」

 

 少女の願い。それは救世?

 

 全ての始まり、30年前。

 原初の精霊。

 崩壊する世界。

 精霊と化す少女達。

 歴史の転換。

 全精霊の抹殺。

 

 膨大な生命の犠牲の上に成り立つその願望。

 それをなすため、少女は偶然見つけた新たなる生贄を、躊躇なく捧げる事にした。

 

「士道さんに蓄えられる霊力は、少しでも多いに越したことはありませんものね」

 

 誰に向けたものでもない言葉を最後に、少女も真白き世界……この世ならざる場所──『隣界』──から姿を消した。




次回 『野獣ミステイク』


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2話 野獣ミステイク

MTISKTN「男と女、その出会いは愛をもたらした。男と男、その出会いは何をもたらすのか」


「ぬわああん疲れたもおおおおおおん」

 

 人通りの無い市内の道中で、五河 士道は呻くような溜息と共にその言葉を吐き出した。

 雲一つない青空の真ん中では、地上を焦がさんとばかりに灼熱の太陽が強烈な熱線を放射している。

 まだ夏は始まったばかりだというのに嫌に暑い。

 焼けたアスファルトから立ち上る熱気で、向こう側の景色はユラユラと波打っている。

 汗で湿ったシャツが肌に張り付く不快感。

 帰ったらまずシャワーだな。それから冷蔵庫でキンキンに冷えたアイスティーを飲もう。

 そんな熱気でまいってしまっている士道の隣では、彼と同じく都立来禅高校の制服に身を包んでおきながら、照りつける暑さをものともしない様子の少女が楽しげに歩いていた。

 

「あ~今日も学校楽しかったな~。早く帰って宿題しなきゃ」

 

 ニコニコと屈託のない笑顔を浮かべながら夜刀神 十香は言った。

 別に、この日に限って特別な催し物が開かれたというわけではない。いつも通りの授業が行われただけだ。

 だが十香という少女は、日々の何でもない出来事にも嬉しさや楽しさを感じる事が出来る恵まれた精神を持っている。

 それは彼女が生まれつき持っていたものではない。

 十香の生は誕生と同時に呪われたものであった。

 自らの由来を喪失した虚無感と、手に余るほどの強大な『力』だけを与えられた彼女は、自身の為すべき事も分からず独りきりでこの世界に放り出されたのだ。

 そうして望まざる力による破壊を振りまく十香に向けられたのは、人々からの恐怖と憎しみ。

 そんな人間に、世界に絶望の念を抱き他者を拒絶していた十香であったが、その彼女に手を差し伸べ、暗闇の底から救い上げてくれたのが、今彼女の隣を歩く士道という男だった。

 

「十香はマジメ君だな」

 

 早々宿題などという物の存在を忘れ去っていた士道は素直に感心した。

 

「私はエライかシドー!?」

 

「ああ、偉い偉い」

 

「そうか! では、もっと褒めてもよいのだぞ」

 

 十香はただでさえ近かった士道との距離をさらに詰めるように近づくと、擦りつけるように頭を差し出す。

 その行為から十香がなにを望んでいるのかを察知した士道は、柔らかな手つきでゆっくりと十香の頭を撫でてやった。

 二人の姿は恋人のものというよりは親子か兄妹、もっと言えばご主人様とペットの犬のような雰囲気だ。

 和やかな時の流れを二人は楽しむ。

 だがそれを打ち破る不穏な音が、突如として士道たちの耳に飛び込んできた。

 

クウォーン… クウォーン…

 

 どこかしら不安を煽るサウンドが、士道と十香の住まう天宮市に響き渡る。

 

『ただいま当空域に空間震警報が発令されました。これは訓練ではありません。市民の皆さんはただちに近くのシェルターに避難してください』

 

 各所に設置されているスピーカーからの呼びかけに二人は顔を見合わせた。

 空間振動現象、それは30年前から突如発生し始めた空間に起きる地震、自然災害の一種である。

 被害の規模は甚大で、街一つから国単位で地上から消滅してしまう事もあった。

 人々が慌てて避難を始める中で、士道たちは平然とその場に立ち尽くしている。まるで何かを待っているかのように。

 果たしてそれは起きた。

 二人の体が淡い光に包まれると、風船のようにフワリと体が地面から離れ……次の瞬間には何の痕跡も残さず消えてしまったのである。

 彼らはどこへ行ってしまったのか。そこはシェルターなどではない。

 士道たちは突如として、SF映画のセットを思わせる舞台へと放り込まれた。

 そこでは大きなスクリーンを正面に、左右に分かれるように数人の男女が近未来的なマシン設備と共に配置されている。

 空間震を防ぎ世界を守るために結成された秘密組織であるラタトスク機関、その母艦である空中艦フラクシナスのブリッジで、メンバーである彼らは自らの職務をまっとうせんと一心にコンソールを叩き情報を集めていた。

 

「来たわね、士道」

 

 さながら基地の発令所ような空間の背後、一段高い場所に設置された高級そうな椅子に腰かけながら、ラタトスクの司令官でもある士道の義妹の五河 琴里は、14歳という幼さを感じさせない高圧的な態度で言った。

 

「空間震が起きたって事は、また新しい精霊が出たのか?」

 

 士道は緊張感のこもった視線を琴里に向ける。

 

「そのはず……なんだけどね。ちょっと妙なのよ」

 

「なにかあったのか?」

 

「私が説明しよう」

 

 歯切れの悪い琴里に変わって、隣に控えていた村雨 令音解析官が一歩前に出る。

 

「まあ説明と言っても、まだ我々にも状況が整理しきれていなくてね」

 

 最新の観測機器や優秀なクルーたちをもってしても、先ほど起きた空間震は不測の物であったようだ。

 もし上層部の人間がこの場にいたら、「はー、ホンマつっかえ。やめたらこの仕事?」と言う事だろう。

 令音が手元の端末を操作すると、正面の大スクリーンにグラフやら何やらのデータが表示されたが、士道にはそれらが何を示しているものなのか皆目わからなかった。

 

「とにかく、今回の空間震は今までのものとは違うという事だけ頭に入れておいてくれればいい」

 

 専門的な説明は一切省いて令音はそれだけ士道に伝えた。

 

「規模が小さかったおかげで被害が大した事なかったのがラッキーだったわね。でも……」

 

 琴里が補足するように言う。

 モニターには震源の起きた場所が映されているのだろうが、そこにはノイズが走り詳しい状況を黙視する事が出来ない。おまけに他の観測機にもエラーが起きているようだ。

 この何もかも不明な状況で、士道はこれから空間震の震源地へただ一人飛び込んで行かなければならない。それは士道にしかできない使命があるからだ。

 その士道にたいし、今まで静観していた十香が口を開いた。

 

「おっシドー、一人で大丈夫か大丈夫か? 私も一緒に行くか?」

 

 士道はその申し出を嬉しく思ったが、首を左右に振り断った。

 

「いや、十香も今は普通の女の子なんだ。危ない目には合わせられない。俺一人で大丈夫だ」

 

 そう言うと令音に目配せをした。

 令音は頷くと手元の端末を操作し、士道と十香をフラクシナスまで運んできた転送装置を作動させる。

 青白い閃光に包まれながら、士道は小型の通信用インカムを耳へとはめ込み、心を落ち着かせるように大きく息を吐いた。

 

「気を付けてね、士道」

 

 琴里の言葉にヘーキヘーキと応えるように軽く手を上げ、士道は単身まだ見ぬ震源地へと飛んだ。

 士道がブリッジから消えて数秒後にインカムからの音声が繋がるが、空間震による電波障害か雑音交じりの音が流れてきた。

 

「士道、状況を報告しなさい」

 

『……それが、煙か霧みたいなものが立ち込めてて何も見えない』

 

 見えねえってのは恐えなあ。

 スピーカーからは瓦礫の上を歩くような足音と、士道の吐息が漏れ聞こえる。息が荒いけどどうした? 心臓悪いのか?

 

『ファッ!?』

 

 突然スピーカー越しに士道の驚きの声が響いた。

 

「どうしたの!? 精霊が出たの!?」

 

『いや……せい、れい? なのか? うーん……』

 

 どうにも要領を得ない様子の士道。

 復旧し始めた観測機による情報によれば、士道のすぐ側に一つの生命反応が見受けられる。それも眠っているのか完全な静止状態でだ。

 このままではらちが明かないと見た琴里は、士道ごと精霊と思われる存在をフラクシナス内に転送し、怪我でもして気絶しているのなら治療を施そうと考えたのだが、何故か士道はやめなされやめなされと反対の姿勢である。

 結局は琴里が指令権限で転送を実行したのだが、ブリッジに現れた物体を見たクルー一同は揃って驚愕の声を上げた。

 

「「「なんだこのおっさん!?」」」

 

 あーあやっちまったよ、みたいな表情を浮かべている士道の横では、一人の男が大の字になって寝ころんでいた。それも裸で。

 正確には下半身に一枚の、伸縮性のあるボクサー型のスパッツに近い感じのブリーフを履いていた。

 鍛え上げられた体格に短髪と浅黒い肌が、見るものに何かスポーツでもやっていたかのような印象を与える。

 

「……シン、彼が精霊なのかね?」

 

 騒然としているブリッジの一同の中で、ただ一人冷静な令音が訪ねた。

 

「さあ、俺には何とも……十香、お前どう?」

 

 士道は精霊の一人でもある十香に意見を求める。

 

「むむむ……四糸乃や琴里のような匂いを感じる気もするが……違う気もする。そいつ臭そうだし」

 

 十香は腕を組んで考えながら答える。

 結局は何もわからず、本人に直接聞くしかないと言う事で一旦治療室へと運ぶこととなった。

 

「……ヌッ!」

 

 治療室のベッドへと男の体を寝かせ、脳波やら何やらを測定しようとした所で、呻くような声と共に男の目がカッと見開かれた。

 最初はボンヤリとした視線を天井に向けていたが、やがてキョロキョロと周囲に目を走らせ、一緒に治療室まで来ていた士道たちに気がつくと

 

「おいおいおいおい、何やってんだ」

 

 警戒するような声色で言った。

 

「心配しなくていい。我々は君に危害を加えるつもりはない」

 

「ほんとぉ?」

 

 年長者である令音が落ち着かせるように言うと、男は憎たらしい子供の様に応える。

 士道はその男をマジマジと見つめた。彼からは、24歳の学生というような矛盾した奇妙な印象を受ける。やはり人間ではないのだろうか?

 

「あの、あなたは精霊なんですか?」

 

「そうだよ」

 

 士道のダイレクトな質問を男はあっさりと肯定した。

 

「つっても、俺も変な髪型の女の子にそう言われただけで、精霊ってのが何なのかよくわかんねぇんだけどなぁ」

 

 そうか、と短くうなづいた令音は、かいつまんで重要な点のみを男に話して聞かせる。

 

「精霊とは超常の力を持ち、通常は隣界と呼ばれる世界に存在する。そして、こちら側に出現する際大規模な破壊を伴う。そのため精霊は特殊災害指定生命体と呼称され、AST──自衛隊の精霊対策チーム──などに殲滅対象として狙われている」

 

 だから、と言葉を続ける。

 

「君のことは、我々ラタトスクが保護する」

 

「てめぇ職権乱用じゃねーかよ!」

 

 男は棒読みのまま令音に食って掛かるが、彼女は涼しい顔でそれをいなした。

 

「ならどこで寝泊まりするつもりだね? 食事は? 君の今の格好では即刻逮捕も免れないと思うが?」

 

 パンツ一丁の自身をかえりみて反論できずにいる男に、この状況でお前に自由はないと言わんばかりに令音は畳みかける。

 しょうがねぇなぁと渋々ながら従う男に、なかなか良い気分だな~。威張りたくなるよな~? とどこか満足気に彼女は頷いた。

 

「ではシン、彼の名前を君が決めてくれないか」

 

「えぇ……」

 

 その後のやり取りで、男は自身に関する記憶があやふやなことが分かり、まずは名前を付ける事が最善だろうと言う事で令音が提案したのだが、それに対して士道は困惑の声を上げた。

 以前も十香の名前を付けてやる事態が起きたが、その時のように何かヒントになるものが無いかと男の姿を見やる。

 ふと彼の視線が気になった。鋭い獣のような、それでいて純粋な少年のような無垢さを持つ眼光。

 

「野獣……」

 

「よし、今から彼の識別名は『ビースト』だ」

 

「えぇ……」

 

 口を突いて出た士道の呟きから、即決で男の名前が決定された。

 その適当さに士道はまたも戸惑いの声を上げるが、当の野獣は満更でもなさそうだった。

 




次回 『士道の受難』


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3話 士道の受難

MTISKTN「野に放たれた獣を人は野獣と呼ぶ。では、この星に放たれた彼は、人か、獣か」


 夕暮れ時の夏空の下、オレンジ色に染まった世界を4人の人影が歩く。

 一介の高校生でありながら、その身に不可思議な力を宿し、世界の命運を握る男、五河 士道。

 その妹であり、世界を守る使命を帯びた秘密組織の司令官、五河 琴里。

 世界を殺す破壊の力を与えられ、尚も受け入れられた精霊の少女、夜刀神 十香。

 そして、つい先ごろ観測された史上初の男の精霊、出自詳細一切不明の謎の存在、識別名『ビースト』こと野獣(仮)。

 

 野獣がフラクシナスに回収され士道によって名前を付けられたあとで、彼の詳細を調べるのはラタトスクのクルーたちに任せる事になり、野獣たちは家路につくという手はずになった。

 太陽も山の先端に差し掛かるほど降下した日暮れ時だというのに、気温はより蒸し暑さを増していた。

 発見時はブリーフ一丁なんてバカみたいな恰好だった野獣も、フラクシナス艦内に置いてあったISLANDERSとプリントされている白地のTシャツに黒の短パンを履いて、どうにか不審者に見紛われる事を避けられるまでになっている。

 その分、体に熱がこもって、ハッ……ハッ……アッー! アーツィ! アーツ! アーツェ! アツゥイ!

ヒュゥー、アッツ! アツウィー、アツーウィ! アツー、アツーェ! すいませへぇぇ~ん!

アッアッアッ、アツェ! アツェ! アッー、熱いっす! 熱いっす! ーアッ! 熱いっす! 熱いっす!

アツェ! アツイ! アツイ! アツイ! アツイ! アツイ! アー……アツイ! とひたすら愚痴っている。うるさい。

 野獣以外の3人も、聞かされるこっちの事情も考えてよと辟易していた。

 いい加減尻でも蹴りつけて黙らせてやろうかと琴里が考えていた所で、士道が一軒の家を指差し歩みを止めた。

 

「こ↑こ↓」

 

「はぇ~、すっごい大きい……」

 

 そこは士道と琴里の兄妹が暮らす五河邸である。

 野獣がもらした通り、子供が二人だけで住むには中々に立派な邸宅であった。

 ガチャン! ゴン! という大きな音と共に、玄関に施錠されていた鍵が外され扉が開け放たれる。

 

「あ……お帰り、なさい……」

 

 その音を聞いたからか、廊下の奥の部屋から一人の少女が玄関先まで歩いてきた。

 水色の髪に水色の瞳の小学生くらいの幼い外見で、左手には眼帯を付けたウサギのパペットを構えている。

 

『おかえりみんな~、待ってたよ~』

 

 少女の持つウサギのパペットから声がした。

 まるでそれ単体で生きているかのような見事な話術だと野獣は思う。

 

「ただいま四糸乃。よしのんも、留守番ありがとな」

 

 士道はそう言って少女、四糸乃の頭を撫でる。

 

「入って、どうぞ」

 

 振り返りながら、士道は野獣を自宅へ招き入れた。十香と琴里もその後に続く。

 応接間へと通された野獣は、部屋の中央にある大きなソファに腰を下ろした。

 士道は台所から茶色い液体の入ったグラスを5つ、御盆に載せて持ってくる。

 

「おまたせ! アイスティーしかなかったんだけどいいかな?」

 

 野獣以外の面々も共にソファに座り、士道がそれぞれの前にグラスを置くと、炎天下の中を歩いてきた四糸乃以外の4人は一息でアイスティーを飲み干した。

 

「ああ^~、たまらねえぜ」

 

 喉を潤した野獣が声を漏らす。

 そして先ほどからこっちの事をチラチラ見てた四糸乃が、おずおずと右手を小さく揚げ口を開いた。

 

「あ、あの、士道さん……そのおじさんはだ、誰ですか……?」

 

 雨の中で震える子犬のような、おどおどとした態度で尋ねる。

 初対面の野獣に緊張している以上に、どうやら元から人見知りが激しい様だ。

 

「おじさん↑だと!? ふざけんじゃねえよお前、お兄さんだろォ!!」

 

「ひぃっ!?」

 

 おじさんという単語が逆鱗に触れたのか、野獣は突然大声を出して四糸乃を叱りつける。

 四糸乃くらいの子供から見たら十分におじさんだと思うんですけど、それは……。

 怒られた四糸乃は怯えきっており、完全に警戒モードで十香の陰に隠れるようにしている。

 

「大丈夫だ四糸乃! やじう(・・・)はわたし達と同じ精霊なのだ!」

 

 そんな四糸乃に対して十香が嬉しそうに言った。

 四糸乃は「うっそだろお前!」という表情を士道に向ける。

 

「ああ、本当だよ」

 

「ま、確証はまだ得てないんだけどね?」

 

 士道と琴里が応えた。

 

『信じらんねぇ!』

 

 パペットであるよしのんが叫ぶ。

 四糸乃は自分と同類という事で少しは安心感を覚えたのか、興味深げな視線を野獣に向ける。

 それでもまだ警戒心もあるのか、十香の背からは出ようとしないが。

 野獣はソファから立ち上がると、怖がらせないようにゆっくりとした足取りで四糸乃の前まで近づき、腰を下ろして視線を合わせる。

 

「大丈夫お兄さんはアイシクルライオン」

 

 意味は分からないが、野獣は四糸乃を安心させようと人畜無害な笑顔を浮かべそう言った。

 その笑みにつられるように、徐々に四糸乃の顔にも微笑が浮かぶ。

 

「よ、よろしくお願いします……野獣、さん……」

 

 十香の背から出てきた四糸乃は、ペコリと頭を下げながら挨拶した。

 

 一方フラクシナスのブリッジでは副指令である神無月 恭平を中心に、クルーたちによるミーティングが行われていた。

 内容は勿論野獣の存在についてである。

 短い時間ながらも優秀なメンバーの手によって、情報はわずかずつではあるが集まり始めていた。

 

「彼……識別名『ビースト』の体からは十香ちゃんたちに近いレベルの霊波が検知されています」

 

 モヒカンのような白い頭髪を生やしているフラクシナス内の年長者、早すぎた倦怠期(バッドマリッジ) 川越が第一声を発した。

 ブリッジのメインスクリーンには野獣の顔写真と、身長体重などのデータがグラフとして表示されている。

 

「その霊波ですが、常に安定せず変動が著しいのが気にかかりますね」

 

 頭部が後退しつつある壮年の男性、社長(シャチョサン)こと幹本が続けた。

 スクリーン上の霊波グラフも上下変動を繰り返している。

 

「単純に、精霊化して日が浅いから固定化していないのでは?」

 

 ウェーブのかかった髪をしている保護観察処分(ディープラブ) 箕輪が疑問を浮かべた。

 

「ビーストと同種の霊波は、2001年の下北沢で観測されていたことが分かっています。おそらく彼はその時に出現したと思われるので、今頃なら霊波は安定しているはずですが……」

 

 瞳が隠れるほどの前髪を伸ばした藁人形(ネイルノッカー) 椎崎は、データベースから新たな情報を提示しつつ答えた。

 

「男と女の違いなんじゃないかなぁ? 男の精霊って今まで確認されていないんだし、今までの精霊と差があっても不思議じゃないでしょう」

 

 指ぬきグローブをはめた手でメガネをクイと上げながら、次元を超える者(ディメンション・ブレイカー) 中津川は言った。

 

「情緒不安定な男っていうのも変な感じですけどね」

 

「む、それって女性蔑視な発言ですよ?」

 

 中津川の言動に箕輪は苦言を呈す。

 

「なんにしても、数値が安定しないというのはかなりの不安要素に違いありませんね」

 

 神無月は普段のフザケた態度などおくびにも出さず、神妙な顔で言った。

 精霊が内包する強大な力がもし暴走などしようものなら、空間震に匹敵する大被害を引き起こす可能性がある。それは避けねばならない事態だ。

 

「そもそも、ビーストは本当に精霊と考えていいんでしょうか?」

 

「データ上ではそうなりますね。ですが、フラクシナスの統合AIは判断を保留しています」

 

 川越が根本的な質問を掲げ、それに椎崎が返答する。

 今まで観測されてきた精霊は全て少女であり、男の精霊はいないのではとされてきた。

 それがここにきて野獣の出現により覆ったわけである。

 しかし野獣という存在には不確定な部分が多すぎる。

 そのため世界最高峰のコンピューターであるフラクシナスの人工知能にも、野獣を精霊だと断定する事ができずにいた。

 

「……単なるシステム上の誤り(ミステイク)かもしれないな」

 

 これまで黙々と報告をまとめていた令音が言葉を発した。

 彼女の発言に一同の視線が集まる。

 

「それって、ゲームで起きるエラーとかバグみたいなものですか?」

 

「そう考えてもらっても構わない」

 

 中津川は自身の趣味に照らし合わせてわかりやすく噛み砕く。

 それは精霊という、世界の機能が正常に動作する事が出来ずに発生した誤作動……欠陥……。

 

「そこに何らかの意思が介入したのか、それとも何の意味も存在しないただの偶然なのか、そこまでは分からないがね……」

 

 令音はスクリーン上の野獣の顔を見ながら呟いた。

 その瞳は、どこか憐れみを感じているような色があった。

 

 その頃、当の野獣は五河家の風呂に入り体をさっぱりさせているところであった。

 

「ふあー疲れたどぉおおん」

 

 浴槽の中にどっかりと身を横たえ、完全にリラックスしている。

 湯の熱に当てられたのか、野獣はボンヤリとした視線を天井に向ける。

 

「どうすっかな~俺もな~」

 

 それは、これから先の事を考えての呟きだった。

 令音はラタトスク機関が野獣を保護すると言った。

 彼女自身のことは信用してやってもいいだろう。そこに所属している士道たちも悪い人間には見えない。

 だが組織というものは様々な人々の思惑によって成り立っている。

 野獣のことを単なる道具として利用しようとする者がいないとも限らない。

 そうなった時、大人しく利用されてやる気など野獣にはさらさら無かった。

 とはいえ、まだそうなると決まったわけでもない。

 野獣はひとまず先のことを心配するのは止め、体の芯まで温もりを感じようと湯船の中にその身を沈めるのだった。

 

『……以上がビーストに関する現段階での報告の全てです』

 

「ごくろうさま。引き続き調査をお願い」

 

 琴里はそう言うと、神無月からの通信を切った。同時に目の前に投影されていたホログラム映像が消失する。

 現在リビングには琴里一人。

 野獣が風呂に入る前にみんなで夕食を済ませ、士道は台所で食器の後片付けの最中だ。

 十香と四糸乃は五河家の隣にある、ラタトスク所有の精霊専用マンションへ帰って行った。

 テレビからは、四糸乃がそれまで見ていた女児向けアニメ番組『マジカルパティシエ中野くん』が流しっぱなしになっている。

 

「結局、あの男が何者なのかはハッキリしないままか……」

 

 琴里はキャンディを頬張ったまま独りごちた。

 

「野獣さんの事か?」

 

 台所から片づけを終えた士道が、エプロンで手を拭いながらやって来た。

 テーブルに置いた端末を琴里は見る。

 神無月からの報告と共に送信されたデータには野獣の事が記載されている。

 そこには、野獣を完全に精霊と断定できないまでも、限りなく近い存在ではあるというようなことが書かれていた。

 

「ええ。でも、あいつが何だろうと精霊である可能性が僅かでもあるのなら、私たちにはやるべきこと、やらなければならないことがあるわ」

 

 わかってるでしょ、士道? と視線を向ける。

 

「えっ?」

 

「とぼけちゃってぇ……。今までアンタが何やってきたか、忘れた訳じゃないでしょうね?」

 

 琴里はズイッと士道に歩み寄り睨みを利かせるが、身長が士道より低いせいでどうにも威圧感という物が足りなかった。

 

「……あっ、おい待てぃ! まさかだろ!?」

 

 江戸っ子口調で何かに気づいた士道にたいし、琴里はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「野獣さんともデートしろってのか!?」

 

「当たり前だよなぁ?」

 

 士道は精霊と交流を深め、自身に対する好意を持たせたうえで精霊とキスを交わす事で、その精霊が持つ霊力を自分の体に封印する事ができるのだ。

 何故彼がそのような特異な能力を持つにいたったかは分かっていないが、その事を知っていた者が士道の活動を支援するために作ったのがラタトスクという組織である。

 霊力が不安定でいつ暴発するかもわからない状態の野獣を鎮めるためには、早急にデートして彼をデレさせる必要がある訳だが……。

 

「あのさぁ……、野獣さんは男なんだぞ?」

 

「えっ、そんなん関係無いでしょ」

 

「あーもう1回言ってくれ」

 

 恋愛対象に男性は含まれない士道は難色を示す。しかし琴里は正論で返し一歩も引く気配はない。

 

「アンタまさか、助けるのは女の子だけで男は知りませんなんて言うんじゃないでしょうね」

 

「(そんなこと)ないです」

 

 士道はムッとした様子で返した。

 

「俺だって野獣さんが困ってるなら助けたいよ。3回だよ、3回」

 

 3回、それは士道がこれまで対話し救ってきた精霊の数であり、十香、四糸乃、そして今目の前にいる琴里の事だ。

 今まで士道が精霊を助け続けてきたのも、幼い頃実の両親に捨てられ自殺を考えるまで追い詰められたという経歴があり、そのため他人の絶望に人一倍敏感でほおってはおけないという理由がある。

 そんな士道を信じているからこそ、琴里は野獣のため、ひいては世界の平和のために、男とのデートという難題をあえて押し付けようとした。

 

「Foo↑気持ちぃ~」

 

 脱衣所から野獣の声が聞こえてきた。どうやら風呂から上がったようだ。

 士道は覚悟を決めた瞳で琴里を見据える。

 

「ベストを尽くせば結果は出せる」

 

 琴里もしゃがれ声で士道に格言を送った。

 

「ビール! ビール! 冷えてるか~?」

 

 湯上りの蒸気を体中にまとわせ、野獣はリビングへとやって来る。

 当然子供しか住んでいない五河家にはアルコール類は置いていない。

 士道は強い意志を感じさせる表情のまま野獣の前に立つと、はっきりと告げた。

 

「野獣さん、俺と……デートしてください」




次回 『禁断のデート』


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4話 禁断のデート

MTISKTN「デート、それは男と女の睦愛。では、男と男のそれはデートと呼べるのか……」


 士道は野獣の瞳をまっすぐに見つめ、迷うことなく告げた。

 

「野獣さん、俺と……デートしてください」

 

「ちょっ、このバカッ!」

 

 背後で満足げに、そしてニヤニヤと楽しげな笑みを浮かべ事の推移を眺めていた琴里は、士道の発言を聞いて慌てたように声を荒げる。

 当の野獣は他人事のように士道の言葉を聞いていた。

 突然の内容で理解が追いついていないのだろう。

 

「……は?」

 

 やがて、野獣は威圧的な雰囲気で短く発した。

 サッー! その態度に、士道は急激に頭が冷えていくのを感じる。

 冷静になれば、自身と同様に野獣も男にデートに誘われて、喜んで了承する訳がないと思ったのである。

 

「誰がいきなりデートに誘えっつったのよオラァン!! 手順ってもんがあるでしょうが!?」

 

 琴里が士道の胸ぐらをつかんで怒鳴りつける。

 クビだクビだクビだ! 普通の会社ならば即刻辞職を勧告されるレベルの失態であった。

 

「すいませへぇぇ~ん!」

 

「バカじゃねぇ?」

 

 平謝りする士道を本音で罵倒する琴里。

 部屋の隅の方でそんなやりとりをする二人を、野獣は黙って見ている。

 一帯は妙な雰囲気と静寂に包まれた。

 

「士道、どうにかしろ」

 

 琴里は無責任な無茶ブリをかます。

 

「やっぱり無茶なんじゃないか? 野獣さんだって男とデートなんてしたくないだろうし……」

 

「無茶は承知の上よ」

 

 士道は小声で琴里に耳打ちする。

 

「世界が終わる前にアイツを殺すか、キスして笑って終わらせるしかないのよ」

 

「ハァ~~~」

 

 士道はクソデカ溜息をついて、どうやって野獣を説得するか頭を悩ませはじめるが、以外にも救いの手は向こうの方からやってきた。それも最悪の形で。

 野獣は、ポンと士道の肩に手を置くと、ニヤァ~っと口の端を三日月形につり上げこう言った。

 

「なんだよSD(シドー)、お前もホモかよぉ?」

 

 まるでハグレてしまった親を見つけた子供のように、とても嬉しそうな笑顔だ。

 士道はその笑みに、とてつもない恐怖心がこみ上げるのを感じた。ゾワッと背筋にサブイボが浮かび上がり、無意識に自身の尻を両手で庇う。

 お前()ってことは……まさか、もしかして、ウソぉ……。

 琴里は琴里でドン引きしたような表情で、実際にも野獣から距離を取りつつ彼のことを見つめている。

 先ほどまではイケイケどんどんの精神で士道の背中を押していたが、野獣の発言を聞いてから一転して、一人の妹として兄の事(主に貞操)を心配し始めた。

 デートというのは便せん上で、ただ一緒に色々やって(意味深)親交を深めてパパパっとキスして終わりっ! のはずだったのに、本気で恋されでもしたら今後の士道たちの生活にも影響を与える事になるだろう。

 

「ねーホモ……ねーホモ……」

 

 返事が無い士道に野獣は語りかける。

 マズイと思った士道は即座に野獣の誤解を解こうとするが、それを琴里は静止した。

 

「これはチャンスよ。ちょっと心配だけど、このままデートしてしまいなさい」

 

 士道に作戦の続行を耳打ちする。

 

「お前他人事だと思って軽く言うなよ!」

 

「誤解はあとで解けばいいわ。私たちも全力でサポートするから」

 

「あぁーすわわぁー……」

 

 自身の逃れられないカルマを思い、士道は絶望の声を漏らす。

 結局、野獣は士道の事を誤解したままデートの約束を取り付け、疲れたと言って空いていた客間へと引っ込んでいった。

 リビングに残された士道はソファの上にガックリと腰を降ろし、泣いているかのようにテーブルに突っ伏している。

 琴里はそんな兄にわずかばかりの同情を向けたが、同時にラタトスクの司令官として自分の判断は間違っていないという自負も持ち合わせていた。

 こうして五河家の夜は、めちゃくちゃなままに更けていくのであった。

 

 士道が野獣とのデートの約束を取り付けた翌日、琴里と士道はフラクシナスのブリッジに赴いた。

 男同士のデートという初めての作戦に対するミーティングのためだ。

 しかしラタトスクサイドとしてもこのような事態は想定していなかったようで、これまで3度の精霊とのデートを成功に導いてきたメンバーをもってしても有用な意見は出ずじまいだった。

 

「どうすっかな~俺もな~」

 

 琴理をフラクシナスに残し、士道は一人で精霊マンションを訪れた。

 艦内ではいまだに野獣用デート会議が行われているが、そちらにだけ任せっきりになる訳にもいかない。

 士道がマンションを訪ねた理由は、デート作戦に対して少しでも妙案を得ようと、精霊仲間である十香と四糸乃の意見を求めてであった。

 自身とデートを経験した彼女達であるなら、野獣とのデートに対しても何かいいアイディアを提供してくれるかもしれない。

 

ピ^~ヒョロピ^~

 

 十香の部屋のドアを開けると、上手い具合に四糸乃も居合わせた。

 二人は士道を温かく迎え入れてくれた。

 士道はテーブル越しに二人と対面する位置で椅子に座ると、彼女達を訪ねてきた理由を説明する。

 十香と四糸乃は士道の話を聞いて難しい顔を浮かべた。

 

「頼む、協力してくれ! お前たちも野獣さんが仲間になってくれたら嬉しいダルルォ!?」

 

 士道はテーブルに手をつき頭を下げる。

 しかし、二人が微妙な表情を浮かべているのは単に妙案が浮かばなかったからにすぎなかった。

 

「すまん、シドー。力になれなくて……」

 

 シュンとした様子で十香が謝るが、士道は気にしなくていいと告げた。

 

「あの……わ、わたしは、士道さんが楽しむのが……い、一番いいと思います」

 

 四糸乃は控えめな様子で言った。

 士道自身がデートを楽しむ、それは琴理とのデートの際にも気づいた事であった。

 

「そうだな、お前らに相談してよかったよ。あーさっぱりした」

 

 吹っ切れた士道は皮肉にもとれる礼を二人に述べると、自分の家に帰っていった。

 

 さらに翌日、ついに野獣とのデートの日が到来した。天気は快晴、今日も暑い一日になりそうだ。

 士道は外出着に着替えると先に玄関に出て野獣を待っていた。

 その間に、フラクシナスと通信するためのインカムを耳にセットする。

 

『士道、本当に貴方に任せて大丈夫なの?』

 

 インカムの向こうから琴理の声が流れてきた。

 その声には疲労の色がたまっている。

 結局、野獣とのデートプランの会議は徹夜で行われ、そして答えが出る前にデート本番の時間にまでなってしまったわけだ。

 

「ああ。ま、何とかなるだろ」

 

 四糸乃の後押しのおかげで余計な気負いが無くなった士道は気楽な感じで答える。

 

『よう言うた! それでこそ男や!』

 

 お前も見習わにゃいかんとちゃうんか? と琴理は隣に控えている神無月に言った。

 その時、ギィー、ガッタン! と盛大な音を立てて玄関扉が開かれる。

 中からはISLANDERSのTシャツを着た野獣が出てきた。

 

「おまたせ! 財布もハンカチも無いんだけど、いいかな?」

 

「よしっ」

 

 士道は野獣の言葉に適当に相槌を打つと、二人は揃って家を出発した。

 

「本日は素敵なデートのエスコートをしてくれるそうで、よろしくお願いしますね~」

 

「よろしくお願いさしすせそ」

 

 軽く頭を下げる野獣に、士道もこちらこそと返事をする。

 

「それで、今日は何をするんだ?」

 

 野獣は興味津々といった風に尋ねた。

 

「まま、そう焦んないでよ。まずこの街さぁ……案内しようと思うんだけど……ついて来ない?」

 

「おっ、そうだな。じゃけん今から行きましょうね~」

 

 天宮市は空間震によって起きたすり鉢状の大地に造られた街で、士道の家はその外縁部分に建てられている。

 二人はすり鉢の底にある街の中心地を目指し、螺旋状にはしる道路を歩き進めていった。

 

「それにしても暑い……暑くない?」

 

 野獣が日光から手で顔を隠しながら尋ねる。

 

「ま、多少はね? 今年の夏は特に暑い感じですね。アイスティー持ってきたけど、飲みますか?」

 

 士道はショルダーバッグの中から魔法瓶を取り出し野獣に渡した。

 

「ありがとナス。バッチェ冷えてますよ~。……フゥッー!」

 

 野獣はアイスティーを美味そうにゴクゴクと飲み干した。

 

「あ、さ、SD(シドー)さ、これ夜中腹減んない?」

 

 一リットルはあったアイスティーを飲み下しておいて、すでに次の空腹の事を野獣は考えている。

 

「昼頃には空いてますよ」

 

「ですよねぇ? 多分」

 

「この辺にぃ、美味いラーメン屋の屋台、来てるらしいっすよ」

 

 士道はスマホで情報を調べながらそれを伝える。

 

「あっそっかぁ、行きてえなぁ」

 

「行きましょうよ」

 

「おっそうだな」

 

 士道の提案で、二人は昼食を屋台のラーメンにする事に決めた。

 そんな風にのんびりと会話を楽しみながら、二人は徐々に市街に近づきつつあった。

 士道は今回の野獣とのデートを、デートと考えず友人との遊びだという風に考えを変えている。

 だから気負わず野獣との会話もスムーズに行えているのだ。

 琴理も、順調に事をこなす士道の様子をフラクシナスのモニター越しに見てホッと胸をなでおろした。

 どうやら今回は自分たちのサポートもあまり必要ないかもしれない。

 そして、この様子なら何事も無く野獣の霊力を封印できるだろう。一件落着! 終わりっ! 閉廷! …以上! 解散解散!

 

「さあ、私たちの戦争(デート)を続けましょ」

 

 ご機嫌な様子の琴理。

 視線の先では、士道と野獣の二人が来禅高校の校舎前を通過する所が映されていた。

 

「はえ~、こ↑こ↓がSD(シドー)の通う学校かぁ。なかなか立派な建物だゾ」

 

 野獣は校舎を眺めしみじみと言った。

 その様子は二人を知らない者が見れば親子に思ったかもしれない。

 

「なあSD(シドー)

 

 突然野獣は士道に呼びかけた。

 ニヤニヤと悪い笑顔を浮かべている。

 

「どんぐらいやってないの?」

 

「? なんのこったよ」

 

「ホナニーだよ! ホナニー!!」

 

「へええっ!?」

 

 人通りが無いとはいえ、白昼の中堂々と野獣は問題発言を大音量でかました。

 

「何言ってんすか!! やめてくださいよ本当に!」

 

 赤面しながら士道は動揺する。

 

「いいだろお前成人の日だぞ。高校生ならさぁ、あんな可愛い女の子たちに囲まれてたら、したくても出来ないダルルォ? お兄さんに苦しい胸の内を告白してみな、おいしろ」

 

 豹変した口調に加え、有無を言わせぬ野獣の眼光に飲まれた士道は、逡巡のすえ口を開いた。

 

「二ヶ月くらい……」

 

「だいぶ溜まってんじゃんアゼルバイジャン」

 

 野獣は満足げな顔で頷いた。

 一連のやり取りは当然フラクシナスにも届いていたわけだが、そこは琴理が慌てている隙に、情けからか気を聞かせてくれた令音が通信記録を削除してくれたおかげで士道の面子は保たれる事となった。

 とにもかくにも男同士にしか通じないやり取りのおかげで、士道と野獣の仲はより一歩近づいた様子だった。

 

「何でこんなキツいんすかねえ、やめたくなりますよ~なんかデェートォー」

 

 否、そう思っているのは野獣だけかもしれない。

 士道は体中から変な汗が出てシャツがもう、ビショビショであった。

 

「ウフフッ」

 

 非難めいた士道の視線を受け、野獣は笑って誤魔化す。

 そんなやり取りの間に、二人は商店街にまでたどり着いていた。

 休日もあってか通りはかなりの人で埋め尽くされており、どの店も繁盛している様子だ。

 そんな華やかな雰囲気のおかげで、テンションの下がっていた士道の気分もいくばくか持ち直した。

 その隣では対照的に、野獣が寂しそうな視線を人々に向けている。

 きっと家族や友人などの繋がりのある人たちを見て、たった一人で帰る場所の無い自身を思い出してしまったのだろう。

 

「野獣さん……」

 

 士道は野獣に何か声をかけなければならない気がしたが、どう慰めていいのか思いつかず、その後の言葉も出てこなかった。

 

「風呂入ってさっぱりしましょうよ~」

 

 出し抜けに野獣が言った。その顔には先ほどまでの悲しげな色は無い。

 

「入ろうぜはやく」

 

 ニカッと笑みを浮かべ士道を見つめる。

 自分の事を気にかけてくれた士道を、逆に心配させまいと気丈に振る舞っているのだろう。

 

「そうですね」

 

 士道もつられて微笑を浮かべた。

 

「うし、行くか」

 

「あ、待ってくださいよぉ。野獣さん銭湯の場所知らないでしょ?」

 

「お、そうだな。じゃけん案内してくださいね~」

 

 士道と野獣は連れ立って、銭湯を目指し人混みの中に消えるのだった。

 

 ……この時はまだ誰も気付かなかった。

 二人のデートが最悪の終わりを迎えることを……。




次回 『野獣、吼える』


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5話 野獣、吼える

MTISKTN「精霊は世界を殺す。されど、精霊は人と分かり合える。共に、戦える」


 最新鋭の非難設備を誇る天宮市にあって、その銭湯は異様に古びていた。

 まるで建物だけを5、60年前の年代から引っ張り出して、現在の時間にそのまま置き去りにしたような有様だ。

 士道と野獣がどういった事があってこの銭湯を選んだのかは、さしたる理由は無い。

 ただ単に着いた先にあったというだけの事だ。

 

「おっ開いてんじゃ~ん!」

 

 今にも潰れそうな錆びれた外観に士道は別の場所を探そうと言ったが、野獣はむしろ古風な外観が気に入ったとそこに決めてしまっていた。

 

「お金タダでいいから」

 

 店番をしていた人物は今日で銭湯が閉店となるため、最後の客である2人への親切でサービスしてくれた。

 服を脱ぎ中に入ると、それなりの広さを持つ浴室には2人の他に人はいなかった。貸切状態である。

 

「いいカラダしてんねぇ!」

 

「野獣さんもな。なんかやってたの? スポーツ……すごいガッチリしてるよね」

 

「特にはやってないんすけど、トゥレーニングはし、やってました」

 

 お互いの肉体を褒め合うと、野獣は汗で脂ぎった肌でドヤ顔を決めた。

 そして、まずは汗を流して体を綺麗にしようと士道は石鹸を手にする。

 

「俺が洗ってやるゾ」

 

 野獣が、士道が手にした石鹸を横から奪い取った。

 

「えっ、それは……」

 

「大丈夫だって安心しろよ~。ヘーキヘーキ。」

 

「あっ、ふーん」

 

 ねめつける様な野獣の視線と、軽い口ぶりながら断固として引こうとしない強い意志を感じる口調に何かを察した士道は早々に諦めて、クソデカ溜息を吐くと野獣に背中を向けた。

 石鹸を泡立てたタオルで、強すぎず弱すぎず絶妙な力加減で士道の背中をこする。

 

「前は自分でやりますからね」

 

「だから安心しろっつってんじゃねえかよ。俺だって無理やりはもうしないって、反省してるんだから……」

 

 呟くような野獣の声にふと、深い後悔をにじませる暗い色が混じったが、背中を向けている士道にはそれが伝わっていない事を野獣は安堵した。

 自身の過去を知られたら、いくら友好的な士道といえど嫌悪感を催すだろう。

 士道だけではない、十香や四糸乃にも、誰にも伝える訳にはいかない、一時の気の迷いといえど自らが犯してしまった過ちを、野獣は一人背負い続けなければならないのだ。

 

「白菜かけますね」

 

 背中についていた泡を桶に溜めた湯で一気に洗い流すと、野獣が先に湯につかり、シャンプーまで終えた士道が後から湯に入った。

 2人は他愛もない会話をポツポツと続けながら30分ばかり風呂につかり、上がってからコーヒー牛乳を飲み終えると、店主に挨拶して銭湯を後にした。

 

「お~いい格好だぜぇ!」

 

 風呂上りのまだ濡れた髪の士道を見て野獣は言った。

 水も滴るいい女ではないが、野獣には湯上りの士道の姿が色気を感じさせたのだ。

 

「ありがとナス」

 

 苦笑する士道。今の野獣からは変な視線は感じないので単純に褒めただけだろう。悪い気はしなかった。

 フイに顔に冷たい物が当たる。髪から滴るしずくではない。

 空を見上げると、そこははもう夏空ではなかった。辺り一面黒雲に覆われている。

 

「もーなんかソフトクリームみてぇじゃぁん」

 

 雨雲を見上げていた野獣が無邪気に言う。

 一滴二滴と空から降るしずくはたちどころに量を増し、街を歩いていた人達は慌てて屋根の下へと避難し始めた。

 士道たちも急いで手近にあったゲームセンターへと難を逃れる。

 その時であった。

 慌てていたため足元を見てなかったせいで、士道はゲーム筐体の配線コードに足を引っかけてしまった。

 そのままつんのめって床に向かって倒れ込む所を、すぐ前を走っていた野獣が振り向き様に受け止める。

 しかし走っていたため勢いがついたおかげで、野獣も巻き込んで士道は盛大に転倒してしまった。

 手をついて体を支える間もなく顔面から突っ伏したというのに、不思議と痛みは無い

 士道が閉じていた瞳を開けると、すぐ目の前に野獣の顔があった。

 顔がデカすぎる。否、それは距離が近すぎるせいだった。

 士道と野獣は唇を起点に接触していた。つまり、キスしちゃっていた。

 劇的な瞬間を見とけよ見とけよ~、とでも言わんばかりにその光景はフラクシナスの大画面のスクリーンに映し出されている。

 

「ンアッー!」

 

 愛する兄の凄惨な姿を見た琴理は獣の様な雄たけびをあげ白目をむいた。

 この瞬間が来るのは覚悟していたが、あまりにも唐突であったため心の準備が出来ていなかった。

 

「ビーストと士道くんのキスを確認! 霊波測定開始します!」

 

 そんな琴理の衝撃などどこ吹く風か、クルーの誰かがそう叫んだ。

 真っ白に燃え尽きた琴理はただ椅子にうなだれたまま座り込んでいる。

 なんにせよ、これで終わったのだ……。

 

「し、指令ッ!!」

 

 ふいに、まるで怒っているかのような焦ったクルーの声が響いた。

 

「何よ、いったいどうした……」

 

 顔を上げた琴理は事態が呑み込めず息を呑んだ。

 正面のスクリーンには、野獣が士道の首を両手でつかみ、その体を宙に持ち上げている姿が映されている。

 

「これは……どうなってるの!?」

 

「ビーストの霊波がマイナス値を示しています!」

 

「そんな!?」

 

 直前まで観測されていた野獣の士道に対する好感度メーターは、キスによる霊力封印を可能にするのに十分な値を示していた。

 それがキスを切っ掛けに、一気にマイナスにまで下降してしまったのだ。

 それによって引き起こされるのは反転という現象。

 まるで多重人格の様に精霊の凶暴な面が表に現れる状態であり、非常に不味い兆候だ。

 

「や、野獣さ……ん……!」

 

 のど元を締め上げられた士道が苦しげに野獣の名を呼びかける。

 

「荒れてるんだよ」

 

 野獣はつぶやくように言った。

 

「俺の心が、荒れてんだよなぁお前のせいでよお、なぁ!」

 

 今までの様なおちゃらけた態度とは一変し、これまでに見せた事の無い怒りの形相で叫ぶ。

 その理由を士道は知っている。先ほどのキスを通して、野獣の過去の記憶が頭の中に流れ込んできたのだ。

 野獣はかつて一人の男を愛し、愛ゆえの暴走から男の意志を無視して手を出し、強硬的な手段をもって自らの物にしようとしたのだ。

 結果、男と野獣の間には修復不能な亀裂が入り、男は野獣の前から去って行った。

 独り残された野獣に唯一残されたのが、男とのキスの思い出であった。

 そのただ一つの宝物が、事故とはいえ士道のせいで塗り替えられてしまった。

 

「じゃあ、死のうか」

 

 凶悪な犯罪者のように暗黒的微笑を浮かべる野獣。

 暴走した精神は歯止めがきかず、士道の命を奪わんとその手に力を込める。

 その時、物陰から二つの影が飛び出した。

 

「フ・ザ・ケ・ン・ナ! ヤ・メ・ロ・バ・カ!」

 

 叫びと共に、影の一つである十香が背後から野獣を羽交い絞めにした。

 野獣の腰にも四糸乃がすがりつくようにしてしがみついてる。

 

「流行らせコラ! ドロヘドロ!」

 

 野獣は2人を振りほどくと、勢いで士道の体も手放した。

 

『士道くん大丈夫か?』

 

 床に投げ出され咳き込む士道に十香と四糸乃が駆け寄り、人間の鑑のようなよしのんが声をかける。

 

「だ、大丈夫だ……。それより、お前ら何でここに……?」

 

「シドーの事が心配だったので、こっそりあとをつけていたのだ」

 

 十香の言葉を肯定するように、四糸乃がコクコクとうなづいた。

 

「ヤジウ、シドーに何てことを…… さっきまであんなに楽しそうだったのに、急にどうしたというのだ!?」

 

「いつもこうだよ」

 

 やにわに立ち上がった十香が憤怒の表情で野獣に詰問するが、当の野獣はそれを涼しい顔で受け流す。

 

「なんだその偉そうな……すわわっ!」

 

 十香は怒りのあまり野獣に掴みかかろうとするが、それを士道が制止した。

 

「よすんだ十香! 悪いのは俺の方なんだ」

 

 士道は立ち上がると、野獣に対して頭を下げる。

 

「申しわけナス!」

 

「申しわけは聞き飽きたわ! それしか言えんのかこのサルゥ!」

 

 士道の謝罪を野獣はとりあおうとはしない。

 

「笑顔だけかお前はぁ!? もう許さねぇからなぁ?」

 

 野獣が士道に向けて一歩踏み出す。

 

「けしからん 私が喝を 入れてやる」

 

 これ以上士道に危害は加えさせまいと、その前に十香が立ちはだかった。

 両者の間にピリピリとした空気が流れる。

 やべえよやべえよ。士道は2人を止めようと考えるが、一高校生の体力しか持ち合わせていない彼では、どうあがいても精霊二体の戦闘に介入する事は不可能である。

 

「け、喧嘩はダメ……です……!」

 

 一触即発のその時、2人の間に四糸乃が割って入った。

 

「2人とも、おち、落ち着いて……ください」

 

『あ゛~や゛め゛な゛さ゛い゛』

 

 今にも零れ落ちそうな涙を必死にせき止めながら四糸乃とよしのんが言う。

 少女の健気な姿を見て、怒り心頭だった野獣も冷静さを取り戻した。

 

「俺もそんなにさぁ……殺すほどの悪魔じゃねぇんだよ」

 

 ボリボリと頭をかきながら、野獣は困ったような表情を浮かべる。

 

「それじゃあ勘弁していただけるんですか?」

 

「何勘弁するぅ~? 勘弁はしたことねぇなぁ~?」

 

 頭が冷えたとはいえ、チンピラのような声色で話す野獣はまだ士道との一件を根に持っているようだ。

 そう簡単に許してもらえるわけがな~い!

 その時、困り果てた士道の姿を見かねたよしのんが投げやりな感じで呟いた。

 

『あのさぁ……もう喧嘩はいいから、ゲームやってもらってさ、終わりで良いんじゃない?』

 

 今4人がいるのはゲームセンター。どうやらこ↑こ↓のゲームで勝負して、遺恨を流そうと言っているようだ。

 

「ああ、いいっすねえ~」

 

 無理無理無理無理、ダメ絶対、と最初からあきらめていた士道だが、野獣は以外にもあっさりとこの提案を飲み込んだ。

 

「そんなことでいいんですか?」

 

 士道も驚いて問い返す。

 

「そん変わり負けたらあとでお前らに罰を与えっからなぁ、わかったかぁ」

 

 野獣はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

 

「お前には、正義の鉄槌でその腐った心を矯正してやる……こっちへ来い!」

 

 十香もノリノリだ。先陣を切ってゲーム筐体の前に歩いていく。

 

「何をしているのだ、皆も早くクォーイ!」

 

 野獣たちもゾロゾロと十香の下へ集まる。

 

「このゲェムで勝負をつけるぞ!」

 

 腕組みをし、フンスと鼻息を荒くした仁王立ちの十香の隣にある筐体にはゲームのタイトル画面が表示されており、そこには『迫真空手部 正義の裏技』という文字が大きく光っていた。

 最近流行っている対戦型の格闘ゲームで、通常は1vs1で行われる戦闘を最大で4人が同時に対戦できるという代物だ。

 

「十香、お前格ゲーなんてあんまりやったことないだろ。大丈夫なのか?」

 

 士道が耳打ちする。

 

「大丈夫だって安心しろよ~。きなこパンを取る事ができた私とシドーのコンビネェションがあればヘーキヘーキ」

 

 以前、十香が士道と初めてデートをした日、2人はクレーンゲームで協力してヌイグルミを取った事があった。

 それと今回のゲームに関連性は全くないのだが、なぜか十香はその時の経験から強気の姿勢である。

 四糸乃に関しては日中ドラマを見る以外にも、独りでゲームをして暇つぶしをしていた事もあったようでそれなりに自信がある様子だ。

 

「準備はいいみたいだな。それじゃ、ほらいくど~」

 

 野獣の声を合図にゲームは始まった。

 対角線上に配置されていたそれぞれのプレイキャラクターであったが、試合開始と共に野獣のキャラが士道のキャラの下へと一直線に向かって行った。加速コマンドを使った早業である。

 

「ホラ手ェ!」

 

 野獣が吼えた。画面上では野獣のキャラが、拳の連打を士道のキャラへとはなっている。

 

「ホラ、足ィ!」

 

 次は蹴りだ。見る見るうちに士道のライフゲージが減少していく。

 

「ハイ、足、手! ホラ!」

 

 流れるような野獣の猛攻に対し士道は反撃することも防御することもできず、あっという間にゲームオーバーで敗退してしまった。

 

「うっそだろお前! 笑っちゃうぜ」

 

「あ、あ、はい」

 

 野獣は余りの手応えの無さに、士道も自分の情けなさに素に戻った。

 3vs1という圧倒的戦力差を開幕早々くつがえした野獣。どうやら格闘ゲームはかなりやり込んでいたことがうかがえる。

 

「おのれ、シドーの仇だ! いくぞ四糸乃!」

 

「は、はい……!」

 

 十香と四糸乃が野獣に向けてキャラクターを走らせる。

 挟み込んで挟撃するつもりのようだが、それをわかっていながら野獣は棒立ちのまま静観していた。

 

「おう打ってこい打ってこい」

 

 そう野獣が発した時、十香たちのキャラが野獣への攻撃範囲内に入った。

 両者は共に必殺技のコマンドを入力する。

 攻撃が放たれた瞬間、野獣は自らのキャラをジャンプさせ2人の放った技を回避した。

 そのまま十香と四糸乃は、お互いの技をお互いがくらう羽目になった。

 このゲームは協力対戦ではないため、全てのキャラクターが均等にダメージを受ける仕様となっているせいだ。

 強い攻撃によるダメージによって動きが固まった瞬間を見逃さず、野獣は両者に連続攻撃を見舞う。

 

「くぅッ……!」

 

 ダメージから復帰した十香と四糸乃は何とか野獣と距離を開ける。

 

「こんなんじゃ勝負になんないよ~」

 

 野獣は2人を挑発するように棒読みで言った。

 

「四糸乃、もう一度やるぞ!」

 

「わ、わかりました……!」

 

 2人は再び同時攻撃を試みる。

 

「次は上かなぁ」

 

 野獣が洩らす。

 

「……と見せかけて~……下だな!」

 

 野獣は今度はしゃがんで2人の攻撃を回避する。

 

「最後の一発くれてやるよオラ!」

 

 十香たちはふたたび互いの攻撃がヒットするが、今度は動きが固まるまではいかなかった。

 追撃を加えようとする野獣から逃れようと、慌てて回避行動を取ろうとする。

 その時士道が叫んだ。

 

「よけるな! 近づいて攻撃しろ!」

 

 咄嗟に反応した四糸乃が、士道の言葉通り野獣のキャラに近づき攻撃コマンドを入力した。

 すると接近状態で発動する特殊技によって、四糸乃が野獣のキャラを掴み、十香のキャラクターの方へと投げ飛ばした。これには野獣も虚を突かれる。

 

「十香! 今だ!!」

 

「かしこまりっ!」

 

 地面に完全に落下してしまう前の滞空状態を狙って、十香がパンチキックの連続攻撃を見舞う。

 落ちるたびに上空へ打ち上げられる野獣のキャラは、回避する事もままならずライフゲージを減らしていく。

 なすがままの野獣であったがそこは熟練者の実力か、どうにか攻撃の隙をぬい二弾ジャンプで十香の元から飛び去っていった。

 しまった、と十香が叫ぶ。

 

「まだだ!」

 

 士道も叫んだ。

 

「お前たちのキャラクターはすでにライフが残りわずかだ。だが、だからこそ最強の超必殺技が使える状態になっている。野獣さんはまだ落下途中だ。着地する前に攻撃を決めれば勝てる!」

 

 勝利を信じ諦めていない士道の声色が、十香と四糸乃と、3人の心をより強く結びつける。

 

「「「3人に勝てるわけないだろ!!」」」

 

「馬鹿野郎お前俺は勝つぞお前!」

 

 十香と四糸乃の2人が放った超必殺技が真っ直ぐに野獣の下へと向っていく。

 未だ空に浮いている野獣は防御する事は出来ない。

 苦し紛れに2人に向けて放った必殺コマンドも、ライフゲージにまだ余裕のあるため通常の物であり力が足りなかった。

 2体ぶんの超必殺技に押され、ついに野獣のキャラクターがダウンした。画面上には敗北の2文字が浮かび上がる。

 

「やったぜ。」

 

 迫真の決闘の末、十香と四糸乃、そして士道の勝利がここに決定した。

 3人は手をとりあい喜びを共有する。

 野獣はしばし『Your lose』の文字が光る画面を見つめ、ひとつ溜め息を漏らして士道たちの前に立った。

 

「やりますねぇ! ハァ~……これって……勲章ですよ」

 

 小さな拍手と共に3人に賞賛を送る。

 

「野獣さん、俺」

 

 士道の言葉を野獣は手をかざし止めた。

 

「いいんだよ。もう終わったことだ」

 

 そう言うと両手をポケットに突っ込み、天井の向こうにある空を見上げる。

 野獣の瞳は何かを諦めたような哀しげなものだった。

 

「俺もさ、もうちょっと上手くやってれば、お前らみたいな関係を築けたかもしれなかったんだよなぁ……」

 

 過ぎ去りし遠い夏の日の思い出がよぎる。楽しかったと同時に苦々しい記憶が。いつまでも大切にとっておきたいと同時に忘れ去ってしまいたい記憶だ。

 

「今からでも遅くないですよ」

 

 士道が励ますように言う。野獣はゆっくりと顔を左右に振った。時はやり直せない。

 

「俺がここにいるのも、なんかの間違いかもしれねえなぁ」

 

 それは自分で自分に罰を与えるような言い方だった。

 士道は、そんな風に全てを諦めきってしまったような野獣の姿に我慢ならなかった。

 しかし記憶を共有した士道だからこそ、今の野獣を立ち直らせるような劇的な言葉を紡げないでもいる。

 救いの手を拒み、むしろ救われない事を望んでいる節がある野獣の態度に、十香と四糸乃もかける言葉が無かった。

 水底の泥のような重い沈黙が流れる。

 ふと士道は気付いた。静かすぎる。ゲームセンターだというのに周囲には人々のざわめきが聞こえないのだ。辺りを見回しても人っ子一人存在しない。士道たち4人だけがポツンと空間に取り残されていた。

 いきなり視界が暗闇に閉ざされた。センター内の電気が全て消えたためだ。

 

「停電か……?」

 

 士道が呟いた。瞬間、野獣たち精霊にただならぬ悪寒が走る。

 野獣が何事か叫ぼうとした時、それを遮るように一瞬の閃光が店内を強烈に照らした。

 直後、彼らがいたゲームセンターは大爆発を起こし、跡形も無く吹き飛んだのだった。




次回 『田所ドリーム』


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最終話 田所ドリーム

MTISKTN「さようなら野獣先輩。さようならひと夏の夢。さようなら、永遠に……」


 バ ァ ン !!

 

 空気を揺るがす大音響が天宮市の一角に轟く。

 盛大な大破音と共に煙が花火のように膨れ上がり、天高く舞い上げられた瓦礫片が雨のように辺りに降り注いだ。

 野獣たちのいたゲームセンターは何の前触れも無く、一瞬にして跡形も無く消し飛んでしまった。

 巻き上げられた爆煙が溜息のように周囲に広がっていく。

 その煙が揺らいだ。奥の方から数人の人影がこちらに向かって歩いてくる。士道を抱えた野獣と、同じく四糸乃を抱えた十香であった。

 

「ゲホゲホ……! みんな、大丈夫か? 大丈夫か?」

 

 一様に咳き込む中で、士道が何とか言葉を絞り出す。

 

「煙いだけで誰も怪我とかしてないから、ヘーキヘーキ」

 

 野獣が顔の前の土埃を手で払いながら言った。十香と四糸乃も相槌を打つ。

 

「一体なにが起きたんだ……。おい、琴理。聞こえるか? おーい!?」

 

 インカム越しにフラクシナスへと呼びかけるが返事は帰ってこない。ただザーザーというノイズ音のみが流れてくるだけである。インカムを指で叩いてみるが、故障しているという訳では無い様だった。

 

「ったくよぉ……。人がいるとは思わなかったのか?」

 

 野獣が誰かに語りかけるように呟く。

 その声に士道が視線を向けると、野獣はゲームセンターの跡地とは対面する向かいの空を見上げていた。

 野獣の視線の先を追うと、夕暮れの赤く染まった空に浮かぶ一つの影を見つける。

 沈みかかる夕陽を背にしたそれは、厳めしい機械の翼を備えた1人の人間であった。

 風になびくブロンドの長髪や豊かな胸のふくらみから女性である事は分かるが、顔の前面はバイザー状のゴーグルで覆われており素性は判明しない。

 さらに右手には、これ以上は世界中探しても見つから無いだろうと思えるほどの長大なキャノン砲を構えていた。

 焼け上がった砲身からはシュウシュウと熱気が噴出し、その大砲による狙撃がゲームセンター崩壊の原因であることがうかがえる。

 

「まさか……『AST』か!?」

 

 士道が叫ぶ。ASTとは空間震を引き起こす精霊を排除するために、極秘裏に設立させた対精霊専門部隊である。

 現在フラクシナスとの通信が繋がらないのも、ジャミングによる通信妨害が行われているせいであろう。

 特殊な戦闘用ユニットを装備する彼女は確かにASTの魔術師(ウィザード)にしか思えなかったが、それに対して十香が異を唱えた。

 

「いや、あいつ……メカメカ団よりもっと嫌な感じだ……」

 

 四糸乃も怯えたように十香に縋り付いている。

 

「士道、十香、四糸乃。お前ら、急いでここから離れろ」

 

 野獣が宙に浮かぶ女性から視線を外さず言った。

 バイザー越しだが、彼女から放たれる強い殺気とでも呼ぶべき気配を野獣は感じている。

 

「どうやらあいつの狙いは俺だけみたいだからな」

 

「だからって、野獣さんを見捨てるわけにはいかないだろ!」

 

 士道は声を荒げるが、野獣は冷静な声色で返す。

 

「安心しろよ~、俺だって精霊の端くれなんだからさ。あんな女一人くらいパパパっとやって、終わりっ」

 

 確かに、今まで十香たち精霊がASTに襲われた事は多々あったが、数十人の戦力をもってしても精霊に対しては一切歯が立たずに撃退されてきた。

 おまけに今の霊力が封印された状態の十香と四糸乃では戦力になるどころか、帰って足を引っ張ってしまうだろう。

 

「わかった。死ぬなよ、野獣さん」

 

 士道は断腸の思いで十香たちを連れると、急いでその場を後にした。

 

「止まるんじゃない! 犬の様に縦横に駆け巡るんだ!」

 

 野獣が士道の背中に向けて声をかける。

 女性魔術師は走り去る士道たちを悠々と見送ると、空からゆっくりと地上に降り立った。

 

「あいつらを見逃してくれるなんて、ずいぶん優しいじゃんアゼルバイジャン」

 

「私の狙いは貴方だけですので、こちらとしても邪魔な彼らにはいなくなってもらった方が都合がいいんですよ」

 

 初めて魔術師が口を開いた。凛とした鋭さを持った声色だ。

 

「反転した精霊が現れたと報告を受け急いで来てみれば、まさかイレギュラーの貴方とは……。ですがせっかくですので、貴方の霊結晶(セフィラ)を頂かせてもらいます」

 

 野獣には彼女の言っている事がさっぱり理解できなかったが、丁寧な口調とは裏腹に物騒な内容であろうことは感覚で分かった。

 

「俺の命を奪おうとしてるってことでOK? OK牧場? でもそう簡単にくれてやるわけにはいかねぇんだよなぁ」

 

 自身の体内奥深くに沈殿していた力を表出させる。

 野獣の体が目も眩まんばかりに輝きを帯び始めた。

 魔術師はその眩しさも意に介さず野獣を見つめている。

 やがて閃光が野獣の衣服を消し飛ばし、眩い銀色の体表を持つ全身を露わにした。

 頭部には黒い単眼ゴーグルを装着し、それ以外は一切なにも身に着けていない。股間も丸出しだ。

 

「ヴォエッ!」

 

 あまりの汚さに吐き気をもよおした魔術師が餌付いた。

 これこそが野獣の持つ異様な霊装、神威霊装・(エックス)番『サイクロップス』だ。

 

「『邪剣──夜──(ンニャピエル)』……逝きましょうね」

 

 野獣が自らの天使の名を呟くと、その手に一振りの刀が現れる。何の変哲もないただの日本刀の外観だ。

 鞘に収まったそれを抜刀の体制で構えると、野獣の全身から闘気が目に見えて発される。

 

「ほう、それなりに楽しめそうですね」

 

 魔術師がゴーグルの奥で笑った。

 巨砲を捨て、背部から刀身がレーザーで出来た剣を取り出し構える。

 

「アデプタス1、これよりビーストと戦闘を開始します」

 

 睨み合う二人の影。

 お互いがお互いの出方を伺っていた。

 数秒の静寂。

 先に仕掛けたのは野獣の方だった。

 

「突然行って、びっくりさせたる!」

 

 豹変したような野獣の叫び。

 その言葉通り、野獣は真正面から魔術師に向かって一足で飛び掛かる。

 弾丸よりも早い速度で接近し、勢いもそのままに鞘から刀を抜き放った。

 

 ガギィン!

 

 金属同士がぶつかりあう音が響く。

 野獣の刀は危なげもなく、魔術師のレーザーブレードで受け止められていた。

 チッと舌打ちし、野獣は次いで刀を上空から振り下ろすが、またしてもレーザーブレードで防がれる。

 2激3激と撃ち込まれる邪険──夜──はすべからく魔術師の剣によって受け止められていた。

 

「そんなんじゃ虫も殺せませんよ?」

 

 魔術師が挑発するように言った。

 

「まだ小手調べだって、それ一番言われてるから」

 

 野獣も負けじと返す。

 

「エンジン全開!」

 

 その言葉と共に、野獣の刀を振る速度が何倍にも早くなった。

 これには魔術師も驚いたようで、徐々に野獣の剣さばきに追いつけなくなっていく。

 

「オルルァ! オルルァ! オルルァ!」

 

 次々と放たれる天使の剣戟が、魔術師のブレードをかわし魔術師自身に振り下ろされる。

 しかし邪険──夜──の斬撃は、魔術師の使用する随意領域(テリトリー)と呼ばれるバリア空間によって寸での所で防がれていた。

 

「なかなかやりますね。私も少し本気を出しましょうか」

 

 魔術師は背部に装備されていたもう一本のレーザーブレードに手をかけた。

 同時にダイナモ感覚によって殺気を感じた野獣は、瞬時にその場から離れる。

 と、さきほどまで野獣の首があった位置を、魔術師が手にかけたレーザーブレードが通り過ぎて行った。

 コンマ1秒判断が遅れていれば、野獣は首を切り飛ばされていただろう。

 魔術師から距離をとり離れる野獣。

 先ほどの魔術師の剣を振り抜く速度は、今までの戦闘時以上の物だった。

 その上に両手でもって繰り出される剣撃は、単純に戦闘力の倍加以上のものをもたらすだろう。

 厄介な相手だと野獣は嘆息する。

 

「どうしました? 手を動かしなさい、私を楽しませるんでしょう?」

 

 魔術師が笑う。

 

「お前精神状態おかしいよ……」

 

 戦闘を、命のやり取りを楽しんでいる様なその笑みに、野獣はわずかに戦慄した。

 

「お前みたいなロクでもない奴は、何としても倒しましょうね~」

 

 使命感を胸に、野獣は精神を集中する。ゴーグルに紅い光が灯った。

 

「YOUR FIRST TARGET…… CAPTURED…… BODY SENSOR…… EMURATED、EMURATED、EMURATED……」

 

 野獣が機械的な音声を紡いだ。

 

「何をするつもりか知りませんが、貴方では私に傷一つ負わせる事はできません」

 

 魔術師が2本のレーザーブレードを構え野獣に切りかかる。

 同時に野獣もまた魔術師に向かって突進していった。

 空中で2人の剣がぶつかり合う。激しい閃光が走った。

 魔術師が目にもとまらぬ速度で、ブレードを連続的に野獣に打ち込む。

 それに対し、野獣も全く同じように天使を打ち合せていく。まるで鏡写しのように。

 先ほどまでの戦闘と比べて不自然なまでに互角の打ち合いに、魔術師は野獣の力の本質に気づいた。

 

「まさか……私の動きをトレースしているのですか……!?」

 

 相手の動きを読み取り、それと完全に同調する。これこそが野獣の持つ真の能力であった。

 

「お~いい表情だぜぇ!」

 

 動揺を見せる魔術師にご満悦の野獣。

 

「なるほど、貴方もそれなりに厄介な相手のようですね」

 

「諦めて帰ってくれるんですか?」

 

「まさか、あの人の期待を裏切る訳にはいきませんから。それに、もう勝ち目は見えました」

 

 魔術師は余裕たっぷりに笑みを浮かべる。

 不敵な態度を野獣は不審に思い警戒を強めた。

 

「へぇ……何をするつもりなんですかねぇ?」

 

「こうします」

 

 突然、野獣の胸が爆発した。

 

「おっぶぇ!?」

 

 驚愕の声を上げる野獣。ガクリと膝をついた。

 銀色の体表が真っ赤に染まっている。

 胸に手をやると、穴は開いていないようだが筋肉は爆ぜ胸骨が覗いているのが分かった。

 深刻なダメージによる大量の出血で、足元には見る見るうちに水たまりのような血だまりが広がっていく。

 

「ああイッタイ、イッタイ、痛いいいぃぃぃぃぃ!」

 

 野獣は苦悶の表情で叫ぶ。

 爆発は正面から起きた。しかし魔術師に不審な動きは見られなかった。

 野獣は魔術師の背後の空間に視線を向ける。

 見ると、視線の先には地面にうち捨てられたキャノン砲が、こちらに砲身を向けたまま転がっている。遠隔操作で射線上にいた野獣を狙撃したのだ。

 

「そのダメージではまともに動く事は出来ませんね。いくら私の動きをコピーしようと、身動きが取れなければどうという事もありません」

 

 野獣は自らの迂闊さを呪った。ただでさえ戦闘能力は相手の方が上だったというのに、この深手では逃げる事もままならない。

 

「さようならビースト。あなたの霊結晶(セフィラ)は我々が有効に活用させてもらいます」

 

 魔術師がレーザーブレードを頭上に掲げ、野獣の前に立つ。

 

「お姉さんやめちくり~」

 

 野獣は何とかその場から逃げようと、もがくように地を這いずる。

 

「何だお前根性無しだな」

 

 その姿を見た魔術師は落胆したような、軽蔑したような声色で言った。

 しかし魔術師は気づかなかった。野獣の逃げようとする先が不自然な方向へ向いている事を。

 逃げる野獣に構わず、魔術師は背後から切りかかろうとブレードを構え、迷いなく振り下ろした。

 

「どっかっせぇ~!!」

 

 気合の雄叫びと共に、野獣は勢いよくブレードをかわした。

 そのまま渾身の力を込めて、邪険──夜──を魔術師に向かって振り上げる。

 死力を振り絞った天使の一撃は魔術師の随意領域(テリトリー)を粉砕し、そのまま魔術師の胸部装甲を破壊していった。

 思わぬ反撃に驚く魔術師だが、さらに背後からの衝撃が彼女を襲う。

 何かがぶつかり砕ける音と共に、液体が魔術師の体に降りかかった。

 甘い果物や、アルコールの強い発酵臭がない交ぜになった匂いが彼女の鼻をつく。

 魔術師が後ろを振り返ると、視線の先には逃げたはずの士道たち3人が舞い戻って来ていた。

 士道と四糸乃は両手に瓶のジュースを、十香にいたってはビール瓶をケースごと振りかぶるように持ち上げている。

 さきほどの魔術師に向かってブツケられた物の正体がこれだ。

 魔術師は濡れた前髪をかき上げながら言う。

 

「援護のつもりですか? 無意味なことを……」

 

 ブッチッパ!

 

 突然奇妙な音が響いた。

 魔術師は頭に疑問符を浮かべているが、周囲から見ていた野獣たちにはその音の発生源が何であるかすぐに理解できた。

 魔術師が背部に装備している巨大な武装ユニットだ。

 ユニットから煙が立ち上り、バチバチと電気まで走っている。

 先ほど士道たちが投げつけた飲料水が武装の隙間から内側に浸透し、内部機構をショートさせたのだ。

 魔術師も、バイザー内に投影されるシステムエラーの警告文の表示を見て事態を理解したようだ。

 

「まったく、やはり試作品は使えませんね」

 

 舌打ちと共に吐き捨てる。

 

「やりますねぇ」

 

 フラフラと立ち上がった野獣は士道たちに向けて親指を立てた。

 そして、自らの天使を構え、野獣は魔術師に対面する。

 

「最後の一騎打ち、ほらいくどー」

 

 その言葉に応えるように、魔術師もブレードを構えた。

 張りつめた空気が一帯に漂う。

 士道たちは固唾を飲んで野獣たちの動向を見守っている。

 数秒間、時間が止まったように睨み合っていた野獣と魔術師だが、崩れる瓦礫の音を切っ掛けに両者は同時に駆けだした。

 

「愛のパワーをください!!」

 

 雄叫びと共に野獣は最期の一振りにすべてを賭けた。

 音速を超えた速度で両者はすれ違う。

 その一瞬、ぶつかり合った刀身から閃光のような火花が散った。

 お互い背を向けたまま制止する両者。

 勝負は決した。

 魔術師のレーザーブレードに無数のヒビが入り、そのまま霧散するように砕け散った。

 これで魔術師の持つ武器は何一つなくなったわけである。

 野獣は振り返り、邪険──夜──を軽く肩に担ぎながら言う。

 

「まだやるかい?」

 

 魔術師はゆっくりと首を左右に振った。

 

「残念ですが、これでは任務の続行は不可能の様です。ここは撤退させてもらいましょう」

 

 そう言うと魔術師はふわりと空中に浮かびあがる。

 

「なかなか楽しめましたよ。ですが、次に会う時はこうはいきません。再戦の時を楽しみにしていますよ、『ビースト』」

 

 魔術師はそう言い残すと、あとはもう振り返ることも無く一っ飛びに野獣たちの前から去って行った。

 

「野獣さん!」

 

「やじう! 大丈夫か!?」

 

 決着を見届けた士道たちが野獣の下へ駆け寄ってきた。

 その姿を見た野獣は頬を緩ませる。

 同時に、死力を振り絞った戦闘を終えた安堵感からか、野獣の体から一気に力が抜け地面に向かって落下を始めた。

 士道と十香はなんとか野獣が地に倒れ伏す前にその体を抱きとめることに成功する。

 2人はゆっくりと野獣の体を地面に横たえてやる。

 野獣の姿は銀色の体表は元の肌色に戻り、弾け飛んだはずのズボンも元に戻っていた。

 しかし上半身の衣服は元に戻らず、やはり怪我を負った胸部からは出血が止まらず続いていた。

 

「琴理! 聞こえるか!? 野獣さんが……!」

 

 士道はインカム越しにフラクシナスへと呼びかける。

 

『ええ、事態は把握しているわ。今、治療部隊を向かわせているから、あと少しだけ待ってなさい』

 

 魔術師が去ったことで通信も回復したようで、ノイズ交じりに琴理の声が聞こえてくる。

 琴理の言葉に士道は安堵の溜息をもらす。

 その間にも四糸乃がハンカチで必死に野獣の胸を押さえ、出血を止めようとしていた。

 

「野獣さん、もうちょっとだけ我慢してくれ。すぐに治療班がやって来るから」

 

 野獣に語りかける士道。

 野獣は虚ろな瞳で士道たちを見上げる。

 

「逃げろっつったのによぉ……何で戻ってくるんですかねぇ……。けど、おかげで助かったぞ……。ありがとナス……」

 

 見るからに生気の無い顔色で呟く野獣の言葉は、まるで遺言のように士道たちの耳に届いた。

 精霊といえども肉体を持っていればその性質は人間に準ずる。

 野獣の命は出血と共に失われつつあった。

 士道も上着を脱いで、四糸乃と同じように野獣の胸を圧迫し、少しでも出血を抑えようとする。

 

「これは……ダメみたいですね」

 

 自身の命が助かる見込みは無いと悟った野獣は、諦観を込めて言う。

 

「諦めんな……! 諦めんなよッ!!」

 

 死にゆく野獣の運命など認めないといった風に士道が叫ぶ。

 

「俺たちのデートは、まだ終わっちゃいないんだ!!」

 

 野獣の手を強く握り締める。士道の瞳からは涙があふれ、こぼれた雫が野獣の拳を濡らした。

 

「あっ、そっかぁ……。生きてぇなぁ……」

 

 力無く笑う野獣の言葉、それは届かぬ願いであった。

 だんだんと野獣の呼吸が弱まっていく。

 十香と四糸乃も、とめどなくあふれる涙を止めようとはしなかった。

 野獣に残された時間はあと数分も無いであろう。

 士道は覚悟を決め、野獣に最期の言葉を伝える。

 

「野獣さん、あんたは自分の過去を悔いて、自分の事を嫌っていた。生まれてくるべきじゃなかったって思ってた。でも、あんたが生まれてきたこと……、そして俺たちとの出会いは……、絶対に間違い(ミステイク)なんかじゃなかった!!」

 

 それは、野獣が何よりも待ち望んでいた許しの言葉だった。

 砂漠に水が吸い込まれていくように、士道の言葉は野獣の心の隅々にまで浸み渡っていった。

 

「まるで、夢みたいだなぁ……」

 

 野獣は両目に涙を浮かべてそうつぶやいた。

 そして、野獣の体が輪部から粒子と化しはじめる。

 別れの時が訪れた。

 十香と四糸乃も、握られた士道と野獣の拳に掌を重ねる。

 見る見るうちに野獣の下半身が消滅していく。

 

「そうだ……、最期に思い出した俺の本当の名前、覚えておいてくれよな~……。俺の名前は、田所……」

 

 野獣は自身の真名を3人に伝えた。

 

「あ、やっと……夏が終わったんやな……」

 

 その声を残して、野獣の体は光の粒子となり、空中へと溶け込んでいった。

 残された士道たちはしばらくその場にうなだれていたが、やがて立ち上がった。

 いつまでも悲しんではいられない。それを野獣は望んでいないから。

 沈みかかる空から、夕日の残光が士道たちを照らす。

 3人はそこに野獣の温もりを感じた。

 涙をぬぐい、士道は空に向かって野獣の名を呟いた。

 

「夢じゃないよ、浩二」




最後まで読んでくれてありがとナス!


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