海軍 (幻想)
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第1話

青い空がどこまでも続く中を海鳥が飛んでいく、潮の香りを含んだ海風は時に、強く叩きつける様に吹くが海鳥はまるでその強風さえも楽しむようにのびのびと空を飛んでいる。

海鳥の眼下には海が広がっている、どこまでも続く大海原は緩やかに波を打ち、穏やかな雰囲気を感じさせる。

しかしその穏やかさとは正反対に、今世界は激しく揺れ動いていた。

きっかけは一人の海賊の死、その男が死の直前に放った言葉は《世界》と《時代》を揺るがした。

世界中で海賊達が自らの欲望のために争いを繰り広げる時代、世は《大海賊時代》。

 

世界の大部分は海で成り立っており、《北の海》、《東の海》、《西の海》、《南の海》、《偉大なる航路》と呼称されている。

これらの海はそれぞれ違う特色を持つが、中でも《偉大なる航路》は過酷な自然環境などから他とは別格の海と人々に認識されていた。

 弱肉強食の掟が支配する海には無数の島々が存在しており、人々は其処でそれぞれの生活を日々営んでいる。

そんな雄大過ぎる海の比較的辺境に位置する海域に、ポツンと浮かぶ島があった、[ライド島]である。

そしてそのライド島は今、ひどく過酷な現状に晒されていた。

人によって人為的に起こされた災厄――海賊の襲撃という形で。

 “海賊”それは海を渡り無法を働く者達の総称であり、“大海賊時代”とまで称される現在、彼等は世界中に数え切れない程存在していた。

活動の目的はそれぞれ違うが、秩序や規律といった物とは無縁という点では共通しており、欲望のままに暴れる彼等は世界各地で甚大な被害を与えている。

そんな悪行故に、大多数の一般市民にとって海賊とは恐怖の象徴であり、彼等が頻繁に行う街や村への略奪行為は、嫌悪されると同時に人々に最も恐れられていた

 

 

 

◇◇◇ 

 

 

 

 轟々と街が燃えている、ライド島唯一の港街の彼方此方から、禍々しい紅蓮の炎が立ち昇っていた。

普段漁に出る船が並ぶ港には見慣れない巨大な帆船が停泊しており、メインマストには髑髏を象った旗が掲げられていた――海賊船である。

髑髏は海賊の証というのは周知の事実であり、そしてそれを証明するかのようにこの街では今まさに、海賊による襲撃が行われていた。

 悲鳴や怒声、下卑た笑声が響き渡り、薄汚れた格好をした男達が剣やピストルを片手に暴れ回る。

荒事を生活の術としている無法者達に、無辜の市民が抗えるはずもない、悲鳴を上げて逃げ惑う住民達に、暴力という恐るべき嵐が無慈悲に襲い掛かる。

 街中の至る所で悲鳴と絶叫が轟き、火災によって生じた黒煙が、逃走しようとする者達の視界を塞ぐ。

石畳に騒々しい足音が響いていく、入り組んだ街路の奥に二つの人影があった。

「へっへっへっ、よ~やく追い詰めたぜぇ、手間を掛けさせやがって」

ニヤニヤとした嫌らしい笑みを浮かべるのは、街を襲撃している海賊の内の一人だ。

黄ばんだ衣服に、数日洗っていないと一目でわかるベタ付いた髪、その手には反りの入った長剣を携えており、その身からは陰惨な殺意が滲み出ていた。

「ハァ……ハァ……ま……待ってくれッ、頼むッ、見逃してくれ!?」

薄暗い路地の袋小路に追い詰められているのは、見るからに荒事とは無縁そうな中年男性だ。

なけなしの財産とも云える荷物を両手一杯に抱え、住み慣れた街から逃げ出そうとした矢先に、運悪く獲物を物色していた海賊の目に留まってしまったのである。

「お、お願いだッ、持っている物は全部やるッ、だから……どうか命だけは……し、死にたくないッ……」

持っていた荷物を地面にぶち撒き、よろめくように後退るも、直ぐ後ろに聳え立つ赤茶けた固いレンガの壁が、それを阻む。

顔中を脂汗で光らせながら必死に周りを見渡すも、逃げ場など何処にもない、追い込まれてしまったという残酷な現実に、否応なく絶望感が押し寄せてくる。

「……ヘッ、云われなくても金目のモンは残らず頂くぜぇ……、テメェを殺した後でなぁ!!」

男性の恥も外聞もない命乞いに、海賊の男の口の端が邪悪につり上がる。

そして、嗜虐心と優越感に満ちた下卑た笑みを浮かべたまま一息に踏み込み、持っていた剣を躊躇なく振り下ろした。

「ヒィッ、ギ、ギィャャャャャャャ!」

男性の胴体に赤い線が斜めに走り、おぞましい絶叫と共に勢い良く吹き出した血が辺り一面を真っ赤に染めていく。

やがてゆっくりと地面に倒れ伏した男性の瞳に、光は既に無い。

絶命した男性の身体から流れ出した血液が、冷たい石畳に血溜まりを広げていった。

「チッ、ろくなモンがねぇじゃねぇかッ!」

物言わぬ骸と化したモノの傍らで、地面に散らばった荷物を物色していた男は、つまらなそうに吐き捨てた。

「……しょうがねぇ、次行くか」

全身を返り血で濡らし、悪鬼のような姿をした男がニタリと嗤う。

海賊達によって今や街全体が蹂躙の宴の場となっているのだ、新しい獲物など幾らでもいる。

奇声を上げながら走り出す男の頭には、まだ見ぬ獲物への期待と興奮に満ちていた。

 

 

 港街の中心にある大きめの広場に、燃え盛る街並みを眺める巨大な体躯を持つ男が居た。

略奪した品々を背後に山と積み上げ、悦に浸る。

「ガ~ハッハッハ!思ったより溜め込んでいたようだなぁッ、儲けたぜぇぇ!」

愉悦を堪え切れないように吼える男は、街を荒らし回っている海賊達とは明らかに別格の雰囲気を醸し出していた。

2m近い身長に丸太のように太い腕、髭に埋もれるような顔は凶悪そのもの、上等な衣服を身に纏い、髑髏をモチーフにしたシンボルが描かれた帽子が酷く特徴的だ。

男の名は[ボリック]、現在街で略奪を行っている海賊達の頭目、船長である。

世界最大の統治機構“世界政府”によって掛けられた懸賞金の額は実に7800万ベリー、【人狩りのボリック】という異名を持つ彼の名は恐怖と共に広く知られている。

「船長~、金目の物はあらかた奪い尽くしやしたぜぇ!」

想定以上の収奪結果に機嫌良く鼻歌を歌っていたボリックの下に、部下の一人が駆け込んで来る。

「ガッハッハ、良くやったぁ!……それで?例の物はどうなった?」

「そっちも問題ありやせんぜッ、既にとびっきりの上玉を幾つか確保してやす。もうそろそろこっちに届く筈ですぜぇ」

云うが早いや、突如広場への入り口が騒がしくなり始めていた。

「おっ、早速来やがった、タイミングもバッチリじゃねぇか」

ぞろぞろと連なった百人近い海賊達が広場に足を踏み入れる。

「船長ぉ、例のブツも持ってきやしたぜぇ。まぁ、散々抵抗するんでちょいと手荒になっちまいやしたがね」

そう言ってボリックの前に引き出されたのは数十人に及ぶ縄で縛られた女性達。

皆傷つき不安や焦燥を顔に浮かべる彼女達は、それぞれ衰弱が激しい、拭いがたい絶望感が、心を蝕んでいるのだ。

そんな彼女達にはとある共通点があった、皆若く美しいのである。

「ほっほ~う、なかなか上玉が揃っているじゃあねぇか、……一応聞いとくが、手を出してねぇだろうな?傷物だと価値が下がっちまう」

「勿論でさぁ、その辺りは他の奴らにも徹底させやしたんで心配ありやせん」

眼光鋭く睨み付けるボリックに、部下の取り纏めを任されている男が代表して答える。

「この女共は選りすぐりですさぁ、さぞ高く売れるでしょうよ」

「ふんッ、確かにこれ程上等なら高い値段で売れそうだ、良い拾いモンをしたようだなぁ、ガッハッハッハァ!」

容姿の優れた“商品”であればある程後々に得られる利益も跳ね上がる、懐に転がり込んでくるであろう巨額のベリーに嗤いが止まらない。

 

 広場の中央、縛られたまま座らされている女性達は、聞こえてくる海賊達の話に血の気が引いていく思いをしていた。

彼女達はボリックの異名の由来を知っていたのだ。

海賊が略奪をする際、目的とされるものは基本的には金品や食料が主であり、人間を攫うことは少ない。

その理由としては、単純に手間が掛かるというのが大きい。

攫った者達の当面の食料確保や最低限の衛生管理も必要であり、雑に扱い伝染病でも流行れば狭い船内、海賊達諸共全滅も有り得る。

直ぐに売り払って金に替えようにも、人身売買は表向き“世界政府”によって禁止されているだけに、取引できるルートは限られている上にリスクが高い。

そして人質などを取った場合往々にして海軍が本腰を入れて動き出す為、海賊として無視できない危険性が高まるという理由もある。

無論、唯殺傷した場合も追っ手は掛かるが、生きたまま捕らえられた者がいる場合、追跡する海軍の力の入れようがまるで違う。

“絶対的正義”を掲げる海軍は市民を守る事を使命の一つとしており、救出の可能性が僅かでもある限り諦める事はない。

海賊にとって海軍は天敵なのだ、徒に刺激をしないで済むならばそれに越した事はなく、犯罪の中でも一際凶悪とされる“人攫い”を率先して行う海賊は少ない。

しかし、そんな人攫いを頻繁に行うのがボリックという海賊だ。

街や村を略奪した際に容姿の優れた女性などを幾人も連れ去り、闇のルートを使って奴隷商や資産家に売り渡す。

そんな悪行を繰り返した結果付けられた異名が【人狩りのボリック】だ。

市民達の間でその悪名は恐怖と嫌悪と共に広まっていた。

 異名の由来を知っているだけに彼女達の嘆きは深く、自分達を待ち受けているだろう暗い未来に絶望感を感じずにはいられない。

一度捕まれば逃走出来る可能性は限り無く低く、そのまま何処か遠くに売り飛ばされれば、二度と故郷に戻る事はできないだろう。

彼方此方で嗚咽の声が上がり、悲しみに沈む女性達の止まることのない涙が、石畳にゆっくりと染み込んでいく。

「おい!うるせぇぞっ、静かにしやがれ!!」

「キャァッ!」

漏れ聞こえる悲しみの嗚咽に気付いた海賊の内の一人が、近くで座り込んでいる女を軽く蹴り上げる。

怪我をさせようとしたわけではなく、うるさい女達を黙らせようとして行った蛮行だが、実際には逆効果、思惑は外れますます甲高くなった悲鳴が辺りに響く。

悲鳴は悲鳴を呼び恐怖と悲しみが伝播する。

「何してやがるっ、傷付けんじゃねぇって言っただろうがぁ!!」

「す、すいやせんっ、この女共がうるさくするもんで、つい」

暴行働いた部下に怒鳴るボリックだが、彼は別に女性の身を案じているわけではない。

「売値が下がったらテメェの命で償わせるぞっ、それとも今すぐ此処で殺されてぇかぁ!!」

奴隷売買に置いて奴隷の健康状態は極めて重要だ、どんなに見目麗しい容姿をしていようとも、病気や怪我を負っていた場合、商品の価値は一気に落ちる。

特に顔などの目立つ場所に目立つ傷跡が一つでも残っていれば、買い手である奴隷商人によって半額以下の捨て値が付けられる事も珍しくはない。

激怒するボリックに周りにいた部下達が震え上がる。

一度ボリックが激高すれば、例え長年苦労を共にした部下でも容赦なく粛清する事を嫌というほど知っているからだ。

「す、すいやせんでしたお頭ぁっ、この通りですっっ、で、ですからどうか命だけはお助けをッ!!」

「船長!どうか気をお鎮め下せぇっ、もう誰にも指一本触れさせませんからっ!!」

慌てた部下達が揃って地べたに這い蹲るようにして許しを乞うていく、ボリックの怒りに巻き添えを喰っては堪らない。

囚われの女性達の悲鳴に海賊達の命乞い、大小様々な声が入り乱れた広場はさながら混沌の坩堝といったところか。

「黙れぇぇぇぇぇぇっ!!」

まるで収拾が付かなくなってきた事態は、突如響いた轟音によって一変する。

地割れのような振動音が広場中に轟く。

忍耐の限界に達したボリックが、自らの武器である極厚の大剣を広場の石畳に叩きつけたのだ。

叩きつけられた場所を中心に石畳には円形状に砕かれ、まるど蜘蛛の巣のようなひびが広範囲に渡って走っていた。

クレーター状に残った粉砕痕が、叩きつけられた一撃の威力の大きさを物語る。

 一転して水を打ったかのように静まりかえる、先程までの喧騒が嘘のように皆怯えたよいに口を閉ざす。

「てめぇら全員っ、しばらく黙ってろ!」

 怒鳴るボリックの胸中はひどく乱れていた、不甲斐ない部下や喧しい女性達への怒りは勿論あるが、それとは別に徐々に焦りを感じ初めていたのだ。

ボリックの心を追い立てる焦燥感の正体は時間である、今回標的とした港町の規模は今まで略奪してきた街々に比べて大きかったというのもあって、襲撃に想定以上の時間が掛かっていたのだ。

加えてボリック自身、潤沢な略奪品に夢中になってしまい時間への警戒を疎かにするという失態を犯してしまっている。

皮肉にも広場の騒ぎで激しい怒りを覚えたことによって、欲ぼけしていたボリックの思考は冷え、冷や水を浴びせられたかの急速に理性を取り戻していったのだ。

我に返ったボリックが慌てて時間を確認してみると、無常にも時計の針は当初の計画予定時間を大幅に超えた時刻を指し示していたのである。

本来ならばもうとっくに街を出ている筈だったのだ、気が付けば街を襲い始めてから、かなりの時間が経過していた。

その事実はボリックに云いようのない不安感を齎した、これ以上時を掛ければ恐れていた者達が現れるかもしれないのだ。

海賊にとって最大の脅威と云える天敵――海軍がやってくるかもしれない。

 そこまで思い至ったボリックの決断は早かった、直ぐにでも街から引き上げるべきだと判断したのである。

幾つもの街や村で暴虐の限りを尽くしてきた彼が此まで生き延びて来れたのは、粗暴な外見には似合わない慎重さ故だ。

今回の襲撃も事前に街の見取り図を入手し、綿密な計画を立てた上で実行したからこそ、迅速な奇襲に成功したといえる。

しかし、あまりにも上手く事が運び過ぎたせいで余計な欲が出た、此まで順調に略奪を繰り返してきた事で、海賊団全体に慢心が生まれていたのも悪目に出てしまっていた。

ボリック自身も、最近は名前を知られていい気になってたのは確かだ。

「テメェらぁっ!引き上げるぞっ、準備しろぉ!!」

撤収は迅速な行動が鍵なのだ、ボリックは己を此まで生かし続けてきた生存本能とも云うべきものが、盛んに警鐘を鳴らしているのを確かに感じていた。

 

船長であるボリックによって撤収命令が下された事により、状況は一気に動き出す。

山のように積み上げられた略奪品を船に運び込むべく、皆が慌ただしく走り回り、彼方此方で怒鳴り声が飛び交う。

そんな俄かに騒がしくなった広場に、再び甲高い悲鳴が響く。

船に運び込まれようとしている囚われた女性達の悲鳴だ、無理矢理にでも連れて行こうとする海賊達に必死に抗っている。

足や腕を掴まれ引き摺られながらも、決死の抵抗を見せる女性達。

一度船に運ばれてしまえば待っているのは絶望的な未来、それを知る彼女達が必死になるのも当然といえるだろう。

無理矢理にでも連れて行ことする海賊達であったが、上手くいかない、彼等にとって女性達は商品なのだ。

つい先程ボリックから下手に傷を付ければどうなるか、嫌というほど教えられたばかりなのだ、自然と女性達に対する扱いも慎重になる。

「ちっ!どうやら実際に痛い目に遭わないと分からないらしいなぁ!」

見かねたボリックが大剣を片手に、暴れる女性達に近付いていく。

「こっちが下手に出ていればつけ上がりやがってっ、傷つけないように扱っていたのは、オマエらが商品だからだ、カネになるからだ!!」

「ヒィッ」

叩きつけられた怒気に女性達が震え上がる。

「だがな……、一人や二人だったら別に居なくなっても問題はないんだぜぇ?」

嘘である、ベリーを何より愛するボリックにとって大金を生み出す奴隷は一人でも多いに越したことはない。

しかし、そんな本音を押し殺し、ボリックは手に持った大剣を脅すように持ち上げる。

「い……いや……やめて…」

今は一刻を争う状況なのだ、自らが生き残る為ならばボリックは迷わず女性達を殺すだろう。

この場で数人殺し、それによって抵抗を続ける女性達の心に恐怖を植え付ける事が出来れば、後の作業はスムーズに進むだろう。

完全に心が折れたなら、絶望に支配された者達は一切の抵抗を諦めてしまう、それをボリックは経験で知っていたのだ。

 ボリックは集めた女達の中でも図抜けた美しさを持つ女に目を留めると、見せしめには丁度いいとばかりに、広場の中央に引き摺り出した。

標的となってしまった哀れな生贄に、抗う術はない。

どうにか逃げようにも縛られているために思うように動けず、仮に身体の動きを封じられていなかったとしても、鋭い眼光から放たれる殺気で強張ってしまった身体では、まともに走る事すら出来ないだろう。

 

 ボリックが持つ大剣の極厚の刃は凶悪そのものであり、振り下ろされれば華奢な女性など一溜まりもないのは明らかだ。

そして現在、不幸にもその凶刃の餌食とされようとしている一人の若い女性がいた。

彼女の名は[オルドレイク・レイラ]、年齢は19歳、眼鏡を掛けた理知的な美貌に、背中まで届く長い髪が美しい美女であった。

整った顔立ちは美しく、硬質の面差しからは高い知性が感じられる、容姿が優れた者達ばかりが集められた女性達の中でもレイラの美貌は際立っており、街を歩けば道行く人々が幾人も振り返るだろう。

だが、誰もが羨むであろう飛び抜けた美貌も、その美しさ故に囚われ命の危機に立たされていることを思えば、必ずしも良いことばかりを齎すとは限らないのかもしれない。

目の前まで迫った大男が持つ、身の丈ほどもありそうな大剣を見上げながら、レイラは自身を見て泣き叫ぶ者達に思いを馳せる。

彼女達とはみんな同じ街で同じ時を生きてきた、この場にいる者達の殆どが顔見知りであり友人だ。

迫り来る死を前にしてレイラは祈る。

特に信心深いわけでもない彼女だが、今だけは友人達の為に心からの祈りを捧げる、せめて彼女達だけでも無事であれと、祈り続ける。

 恐怖と絶望が支配しつつある広場で、新たな惨劇が行われようとしていた。

振り上げられたボリックの大剣が、覚悟を決めたかのように目を閉じるレイラに、振り下ろされようしていたのだ。

その場にいた誰もが、直ぐ後に広がる無残な光景を幻視した、その瞬間、

 

突如、広場全体に凄まじい音と衝撃が轟いた。

 

「っ!ぐわぁっっ!?」

押し寄せる風圧に、ボリックは振り上げていた大剣諸共吹き飛ばされる。

「な、何だっ……何が起きたぁっ!?」

土塗れになって混乱するボリックに応える声はない、地面に座り込んでいた女性達を除き、広場にいた者は軒並み飛ばされていたからだ。

「ぐぅっ」

「く、くそがぁぁ」

「い、痛ぇよぉっ」

その事実を証明するかのように、彼方此方から海賊達の呻き声が聞こえていた。

「くそったれっ、どうなってんだ!誰でもいい、答えやがれぇっ!!」

どうにか身を起こしたボリックだが、舞い上がった粉塵の影響で視界がろくに効かない。

訳の分からない状況に焦りが募るボリックは、少し遅れて自身の身体に起きている異常にも気付いた。

身体にうまく力が入らないのだ、己の意志とは関係なく手足が震え、立ち上がることすら酷く難しい。

徐々に収まってきてはいるものの、全身を駆け巡る痛みと痺れを無視することはできない。

一際強い海風が広場に吹き抜けたのはそんな時だ、白く立ち込める粉塵が洗い流されるように運ばれていく。

「なぁっ!?」

閉ざされていた視界が晴れ、漸く周囲の様子を確認出来るようになったボリックは、目に飛び込んできた光景に息を呑んだ。

 綺麗に整えられていた広場の石畳は至る所に罅が入り下にあった土が剥き出しになっおり、強烈な衝撃か走ったことが窺える。

そして広場の彼方此方には海賊達が倒れ伏し、言葉にならない呻き声を吐き出していた、彼等もまた、何故か身体に力が入らないようであり、まともに立つことが出来ている者は皆無だった。

 一方広場の隅で纏めて囚われていた女性達は皆無傷であったが、状況を把握しているわけではないらしく、何が起きたか分からないといった困惑顔で、頻りに周囲に首を巡らせては戸惑いの声を上げていた。

 

 時は少し戻り広場中央、未だ晴れやらぬ粉塵の中、丁度レイラがいた辺りに一人、見覚えのない青年が立っていた。

180cm以上はある長身と、銀色の髪を持つ男の顔立ちは非常に整っており、歳の頃は十代後半ぐらいに見える。

青年はその両腕に一人の女性を抱えていた、レイラである。

銀髪の青年に抱き上げられながら、レイラは半ば呆然としていた。

死を覚悟して“その時”を待っていた彼女だったが、気が付けば見覚えのない青年の腕の中にいたのだ、困惑するのも無理はない。

「大丈夫か?」

「……え?……ええ、大丈夫………ありがとう」

相も変わらず状況はまるで分からないままだが、この年下に見える青年に助けられたのだけは明らかだ。

自然と、レイラの口から感謝の言葉がついて出た。

「……あ、あれッ………わ、私……どうして……?」

現状を理解するにつれて実感する生の喜び、生きている喜びが胸の内に込み上げる。

感情の高ぶりを自覚した時にはもう遅く、宝石のように美しい瞳から涙が止めどなく流れ落ちていく。

恐怖や安堵、心の内で渦を巻く様々な感情が涙という形で溢れだしたのだ。

「……大丈夫。……もう心配しなくても大丈夫だ。だから今は……ただ、泣けばいい、心のままに……」

静かに涙を流すレイラに、青年の優しげな声が届く。

その言葉に、また込み上げてくるものを感じながら、レイラはただ泣き続ける。

顔を寄せた青年の身体から伝わる暖かさに、例えようのないほどの安心感を感じながら、彼女は子供のように泣き続けたのだった。

 

それから暫く経ち、広場の粉塵が晴れつつあった頃。

「……えっと……もう大丈夫だから……その……」

泣きはらした目元を赤らめ、如何にも恥ずかしそうにしているレイラの姿があった。

自らがとった行動に今更ながら羞恥が込み上げてきたのだ。

頬を紅潮させて瞳を潤ませながら見上げてくる彼女に青年は一つ頷き、抱えていた身体をそっと地面に下ろした。

「少し離れていろ。彼女達の縄を解いてやってくれ」

視界がクリアになった事で広場の状況が明らかになる。

海賊達は未だ健在であり、危機は完全には去ってはいないのだ。

青年の声に宿る厳しさに後押しされるように、レイラが小走りに駆けていく。

「おいっ、テメェは一体何もんだっ!俺達が誰だか分かってやってんだろうなぁっ!?」

まだ反応の鈍い身体を、怒りで無理矢理引き摺るようにしてボリックが立ち上がる。

街の襲撃から略奪まで、全てが順調に行っていただけに、それを邪魔された怒りは大きい。

「テメェらっ、何時までそうやって地面で寝ているつもりだ、なさけねぇ!それでも海賊かぁぁっ!」

未だに身体に残る痺れ、それが一体どういった手段で行われたものなのかボリックには見当も付かない。

だが、突如現れた銀髪の青年が自分達にとって敵であるのは明らかな以上、何らかの対抗措置を採らなければ、破滅的な結末が待っている。

敗北した海賊の末路などロクなものではない、この場を何としてでも切り抜ける為に、一人でも多くの味方が必要だった。

船長の檄が効いたのか、一人また一人と部下の海賊達が立ち上がっていく。

彼等もまた海賊なのだ、自分達に敗北など許されないという事は嫌というほど理解している。

広場の中央で堂々と辺りを睥睨する青年を、数の利を生かしてじりじりと包囲していく。

 一方、青年の方はというと、自らを包囲しようとする海賊達の動きを見ても、まるで動揺した様子はない。

「お前達が誰かだと?知っているさ、弱い者ばかり狙っては喜ぶ、薄汚い畜生共だろう?」

其処に、先程までの優しげな雰囲気は微塵もなく、酷薄な笑みを浮かべた青年の瞳はゾッとするような冷たさを帯びている。

「っ!?………テ、テメェは一体………何者なんだ」

見る者全てを震え上がらせるような冷え切った視線に、ボリックの全身に寒気が走る。

体中の細胞が警鐘を鳴らし、盛んに危険を訴えているかのような錯覚すら覚えた。

「……わざわざ聞かずとも、本当は分かっているんじゃないか?お前等海賊を潰すのが誰か……、答えは決まっているだろう?」

「何だと……?………まさかっ、お前……っ!?」

泰然と構える青年の返答を聞いた途端、ボリックの顔色が変わる。

それなりに賢いボリックの頭脳が、最悪の答えを出してしまったのだ。

「俺の名はレオン、海兵だ」

銀髪の男――レオンが堂々と言い放った言葉に知らず海賊達の身体が竦み上がる。

“海兵”それは海賊にとって不倶戴天の天敵。

 

全く想定もしていなかった天敵の出現に、広場にいた海賊達は残らず凍り付いたかのように身体の動きを止めるのだった。



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第2話

 “海軍”とは、世界のパワーバランスを左右する程の力を持ち、世界中に基地を持つ巨大な規模を誇る勢力である。

 所属する兵士達は“海兵”と呼ばれ、軍の命令によって任務に着く。

政治的に重要なものから市民の保護まで、任務の内容は様々であるが、主としているのが、海を行く無法者達――海賊への対処だ。

力なき弱者を守るため、彼等は命を懸けて任務に励んでいた。

 

 海軍の構成は大別すると“海軍本部”と“海軍支部”の二つに分けられる。

《偉大なる航路》にて世界の中心とされている島〈マリンフォード〉に海軍本部の拠点が構えられており、正義の信念を掲げる者達の総本山となっていた。

一方、海軍支部とは、海を問わず世界中の至る所に建設された基地の事を指している、現地に駐留した軍の海兵達は、周辺海域の治安維持を担っているのだ。

軍全体の行動方針を決定するのは本部であり、送られてくる命令によって動くのが支部の基本的な役割だった。

そんな組織構造故に、海軍本部には特に優秀な海兵が集められており、本部に所属する事は多くの海兵達にとって一つの目標とされていた。

 海軍は、“軍”と呼称されるだけに非常に厳しい規律で成り立つ、世界政府直下の軍事組織だ。

軍内部は“規律”と“階級”によって厳格な秩序が形作られており、上官の命令は絶対というのが原則だ。

階級は上から順に“元帥”、“大将”、“中将”、“少将”、“准将”、“大佐”、“中佐”、“少佐”、“大尉”、“中尉”、“少尉”、“准尉”、“曹長”、“軍曹“、“伍長”、“一等兵”、“二等兵”、“三等兵”、と続いていく。

階級の上の者の命令には従う義務を持ち、規律や軍令を乱した場合は軍法会議に裁かれ、相応しい罰則と処罰が与えられる。

階級が上である者ほど権限も大きく、世界の情勢に深く関わる任務にも携わる機会も多かった。

目覚ましい功績を挙げるなどすると、昇進という形で階級が上がっていき、逆に失態を犯した場合、降格となる事も珍しくはない。

基本的に実力主義なだけに、軍上層部の者達はそれぞれが強力な戦闘力を誇っており、中でも“大将”の称号は特別な意味を持っていた。

“最高戦力”とまで賞される彼等はあらゆる者達から畏怖される存在として有名だ。

世界的な巨大勢力である海軍は“絶対的正義”の名の下に、日夜戦い続けていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

太陽が中天を過ぎ、夕暮れ時が近付く空の下、“偉大なる航路”に無数に存在する島の一つが今、黒煙に包まれていた。

島の名は“ライド島”、其処にあった港町が無残な姿を晒している、海賊の襲撃を受けたのだ。

「間に合わなかったか……」

動く者の居なくなった閑散とした港で、一人立つ青年の姿があった。

銀色の髪を持ち、整った顔立ちは美青年といってよかったが、今その表情には隠しきれない無念の想いが宿っている。

焼け焦げた街並みを、悲しげに見つめる青年の名は[クロイツ・D・レオン]といった。

黒のスーツを身に付けた180cmを超える長身は、細身ながら鍛え抜かれた体躯をしており、その眼光は17歳という年齢にはそぐわないほど鋭い。

若くして戦人特有の威圧感を纏う彼は、見るからにただ者ではなかったが、それもそのはず、レオンは海軍本部に所属する海兵であった。

階級は“大尉”、海軍本部大尉という高い階級に対し、彼は若過ぎるといって良かったが、それに相応しい功績を幾つも上げていた。

海軍本部上層部からも将来を嘱望されており、部下達からの信頼も厚い。

 そんなレオンが偉大なる航路の辺境に位置するライド島を訪れているのには理由がある。

付近の島々の街や村で、行方不明者が続出しているという噂を耳にしたからだ。

事態を重く見た彼は直ぐさま部下を各地に派遣して詳しい調査を行ったのである。

その結果解ったのは、海賊の略奪と人身売買が行方不明事件と深く関連しているという驚愕の事実だった。

奴隷商などを摘発し尋問によって聞き出した情報を元に、闇のルートを辿っていくと【人狩り】の異名を持つボリックという一人の海賊の存在が明らかになったのだ。

しかし、同時に厄介な情報もレオンの下に飛び込んできた、ボリック率いる海賊団が、新たな街を襲うというのだ。

しかも間の悪い事にその街の周辺に海軍は配置されておらず、レオンの部隊が拠点としている島からも大分距離があった。

襲撃の日時まで日がなく、間に合う確率は極めて低かったが、何もせずに見捨てるという選択肢はレオンには始めからない。

軍艦の出撃と街へ警告を入れ続けるように部下に命じたレオンは、単独で基地から飛び出したのだ。

ヤケになったわけではなく、彼には軍艦などより余程速く海の上を行く術があったのである。

その方法によって考え得る限り最速でライド島に到着する事に成功したレオンだったが、時はすでに遅かった。

街は既にボリックの海賊団の手によって散々に蹂躙されていたのだ。

 

「クソッ……」

憤懣やるかたない想いを噛み締めるレオンの眼前には、無惨な光景が広がっている。

かつては綺麗に整備されていたであろう街並みは散々に破壊され、海賊が放った業火によって黒こげになっている建物も珍しくはない。

襲撃からかなりの時間が経過しているのか、大部分の火は既に収まってはいるが、所々から

は依然としてどす黒い煙が空に立ち上っている。

戦闘音や悲鳴なども聞こえてくることはなく、不気味な程の静けさが街を覆っていた。

「なんてことを……」

整えられた石畳の上には住人と思われる死体が幾つも転がり、火に巻かれたのか黒く炭化し原型を留めていないものも多い。

己の無力さを憤りと共にレオンが噛み締めていると、瓦礫の隅で何かが動いたのを鋭敏な眼が確かに捉えた。

直ぐに駆け寄ってみると、それは建物の建材に埋もれるようにして倒れ伏す初老の男性であった。

男性は身体の上に乗った瓦礫に挟まれ動けないのか、その表情は苦痛に歪み息も絶え絶えな様子だ。

「大丈夫かッ、今助ける!」

瓦礫を退かしながら声を掛けるが、意識が朦朧としているのか男性からの返事はない。

鈍く呻き声を発する姿に表情を引き締めながら、身体に重くのし掛かっていた建材を取り払う。

「……ッ!」

その下で露わになったのは血に塗れた男性の身体だった、一目で重傷と分かる深い傷が身体に刻まれ、傷口から流れ出している血が石畳を真っ赤に濡らしている。

如何なる手当てをもってしても、既に手遅れだと分かってしまう明らかな致命傷、思わず言葉を失ってしまったレオンの目の前で、男性が微かに身じろぎをした。

「ううっ………あ、あんたは……」

身体を戒めていた重みが無くなった事に気が付いたのか、閉じていた男性の瞳が開く。

「俺はレオン、海兵だ。アンタ達を助けに来た」

刻一刻と生命の気配を薄めていく男性を前にして、レオンは敢えて安心させるように語り掛けた。

「か、海兵……来てくれたのか……ま、街を……街の皆を……お、女達が……海賊に捕まって……」

何かを探すように視点をさ迷わせる男性は、目の前にいるレオンの事さえ既に認識出来ていないのかもしれない。

それでも彼は必死に訴え続ける、か細く掠れるような声で、されど渾身の想いを込めて、囚われた女性達の救出をただひたすらに願う。

「……分かった、女性達は必ず助ける。……だから安心してゆっくり休むといい」

震えながら伸ばされた皺だらけの手をしっかりと握り締め、レオンは誓うように言葉を紡いだ。

その言葉が届いたのか、ひどく安心した表情で男性は頷くと、瞼がゆっくりと閉じていく、全身から生命の気配が失われていくのが分かる。

そうして男性は静かに眠りについた、二度と覚める事のない永遠の眠りに。

 

 力を失った男性の手を身体に戻してやりながら、傍らに落ちていた毛布を被せる。

立ち上がり、最後まで街の同胞を想って絶命した男性に、レオンは哀悼の意を捧げて黙礼した。

「………」

レオンが閉じていた瞳を開いた時、其処に宿っていたのは激烈なまでの怒りの感情だった。

事実彼は激しい怒りに打ち振る震えていた、この惨状を作り出した海賊達に、そして何よりも、事前に襲撃の情報を得ていながら、間に合わなかった自分自身に。

だが、その憤怒の念をレオンは鋼鉄の精神力で抑え込む、激情に身を任せて動いたのでは何も守れはしないと知っていたのだ。

心を落ち着かせ、改めて現在の状況を整理していく、先程の男性に約束した通り、浚われた女性達を助けるべく、レオンの鋭敏な頭脳が最善の行動を導き出す。

まず捜し出すべきは海賊達だ、女性達を殺さずに連れ去った以上、其処には何らかの理由があるのは間違いない。

海賊が集う場所に女性達もいる可能性は極めて高い。

一つ息を吐き、集中を高めたレオンは街の中の“気配”を探っていく、すると街の中央付近から確かに大勢の存在が感じられた。

直ぐさまレオンは走り出す。

街路を凄まじい速さで進むレオンには焦りがあった、気配と同時に酷く切迫した“声”も感じられたからだ。

先程目の前で絶命した男性の姿が嫌でも思い起こされる。

「間に合ってくれッ」

罪もない人々へ降りかかる理不尽な悲劇を止める為、名も知らぬ男性との約束を果たす為、レオンは祈るように街中を駆け抜けていくのだった。

 

 やがて、レオンの前方に大きめの広場が見えて来る。

目を凝らせば其処には海賊達と縄で縛られた数十人の女性達の姿がハッキリと確認できた。

女性達の無事な姿にレオンは大きく安堵した、未だに広場とはかなりの距離があったものの、レオンの卓越した視力は彼女達が目立った傷を負っていない事も確実していたのだ。

だが、その安堵も一瞬のこと、直後に心胆を寒からしめる光景がレオンの視界に飛び込んでくる。

数いる海賊の中でも一際大きな体格をした大男が、広場の中央に一人の女性を引きずり出したのだ。

手に持った見るからに凶悪な大剣を頭上に掲げ、今にも振り下ろそうとしているではないか。

危機的な状況に、レオンは迷わず己の“能力”を解放し、一気に広場に飛び込んだ。

突入と同時に力を解き放ち、大男を含めた海賊達を衝撃波と共に吹き飛ばす。

そして、地面に倒れ込もうとしていた女性の身体を優しく抱き上げた。

「大丈夫か?」

眼を白黒させて驚く女性の身体に傷がない事を確認する。

腕の中で女性が、戸惑いながらもしっかりと返事を返してきた事で、レオンは漸く一つ息を吐く。

彼の実力を持ってしても、ギリギリのタイミングだったのだ、無事に救う事が出来た事にレオンは心から安堵していた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 此処は偉大なる航路の海に浮かぶ島、“ライド島”

島にある港町は今、至る所から黒い煙が立ち上り、整然と並んでいたであろう家々は略奪によって荒らされ、打ち壊され、火を放たれた事によって街全体が酷く荒廃していた。

その街の中央広場に今、大勢の人間の姿がある。

殺されそうになっていた女性を間一髪救ったレオンは、街を襲った悲劇の元凶である海賊達と、一人広場の中央で相対していた。

 

「……ッ……てめぇのような小僧が、海兵だってのかッ?」

嘲るようにして叫ぶのは、海賊団船長であるボリックだ。

わざとらしく表情を取り繕ってはいるが、顔を流れる脂汗は隠せない。

つい先程喰らったレオンの奇襲攻撃によるダメージが、完全には抜けきっていないのだ。

本当ならば直ぐにでも地面に座り込みたい所だが、周りには大勢の部下達がいるのだ、これ以上情けない姿を晒すわけにはいかない。

「ハッ、多勢に無勢って言葉を知らねぇのかよ、一人で俺達全員を殺れるわけねぇだろうがッ」

敢えて大声で数の利を強調する、海賊にとっての天敵である海兵による突然の襲撃に、部下達も激しく動揺しており、こうでもしなければまともに戦う事も出来ないのは明らかだ。

内心で大量の冷や汗をかきながら、涙ぐましい時間稼ぎを行うボリックに対して、レオン反応は対象的だ。

「………」

銀の瞳を鋭く細め冷徹な表情で、奇襲のダメージから立ち直りつつある海賊達の様子を観察していた。

「ちっ、気に入らねぇっ、なんか言ったらどうだぁ!」

若すぎる海兵の余裕さえ感じられる姿に、ボリックの苛立ちは更に募る。

本来ならば海軍が到着する前に街から引き上げる手筈だったのだ、しかし欲に流された為に撤収の時期を逸し、遂には海軍の到着を許してしまった。

腸が煮えくり返る程の怒りと、それに倍する不安が湧き上がってくる、未知の力によって手痛いダメージを喰らった後だけに尚更だ。

到着した海兵はたった一人、殺して直ぐに逃げればまだ間に合う、そう必死に己を納得させようとするが、強い不安が拭えない。

ボリックの第六感とも云うべき何かが、盛んに警鐘を鳴らしていた。

 高まる緊張感に、ボリックのみならず広場にいた海賊達全てが呑まれている中、沈黙を貫いていたレオンが口を開いた。

「……最初に一つ聞いておく、降伏する気はあるか?大人しく跪き、頭を垂れるというなら、命乞いくらいは聞いてやる」

街を襲い無法を尽くした海賊達を、生かしたまま捕らえるつもりはレオンにはない。

だが、己の行いを悔い慈悲を乞うならば、なるべく楽に殺してやるくらい慈悲は持ち合わせていた。

「どうだ?地に額を擦りつけ、涙を流して己の罪を悔いるならば、苦痛を感じるまもなく一瞬で殺してやるぞ?クズ同然のお前らにも、その程度の慈悲を受ける権利くらいはあるだろう」

圧倒的強者の威風を纏うレオンの姿に、海賊達は罪人に裁定を下す無慈悲な死神を幻視した。

「……てめぇ、状況が分かってねぇのか?てめぇ一人で俺達全員をどうにか出来るとでも思ってんのかよ!」

眼前の若い海兵に気圧されるように数歩後退りながらも、湧き上がる恐怖によって震え出そうとする身体を無理矢理押さえ込み、ボリックは吼えた。

「……つまり、罪を悔いる気はないと、……そういう事だな?」

「あったりめぇだッ!俺たちゃ海賊だぜっ、奪うも殺すも好き放題にやって何が悪ぃっ、弱者は強者に蹂躙される、それがこの“海”の掟だろうがぁ!!」

ボリックは自身の恐怖を振り払うように叫ぶと、雄叫びを上げてレオンに切りかかっていく。

それを合図に、船長に続けとばかりに部下の海賊達も刀を取ってレオンに迫った。

四方八方から向かってくる海賊達を見ても、レオンに動揺の気配は微塵もない。

身構える事もしないその姿に、遠く広場の端で見守っていた女性達が、揃って悲鳴を上げる。

海賊達の振るう剣や斧の刃が風を切って迫り来る、そして刃が身体に届かんとしたその瞬間、レオンは自らの“能力”を解き放った。

 ほのかに紫色を帯びた雷が迸り、凄まじい雷撃の中に海賊達が呑み込まれていく。

悲鳴を上げる間もない一瞬の出来事、彼等は自身の身に一体何があったのかすら分からなかったに違いない。

莫大なエネルギーを秘めた紫紺の稲妻が、海賊達の身体を一瞬で焼き尽くし、轟音を辺りに轟かせた。

それはまさに、天災として人々に畏れられる“雷”そのものの音や威力だった。

 

 視界を奪う程の光量がどうにか落ち着きをみせた頃、広場の光景は一変していた。

石畳にはレオンを中心として放射性に焦げ跡が刻み込まれ、その上には海賊達の成れの果てとも云うべき死体が、幾つも転がっている。

強烈な雷で焼かれた死体は全員が黒く炭化しており、一撃の威力の程を物語っていた。

 雷撃の残滓がバチバチと音を立てて空中を迅る中、レオンは先程までと寸分違わぬ場所で表情一つ変えずに立っていた。

無数の稲妻をその身に纏わりつかせ、辺りを睥睨する姿は絶対的強者そのものだ。

天災にも等しい膨大なエネルギーを、レオンは完全に制御下に置いていた。

事実、骸を晒しているのは海賊達のみであり、広場外縁部に集まっていた女性達には掠り傷一つない。

 改めて守るべき女性達の無事な姿を確認したレオンは、その視線を呆然と地面に尻餅を付く男に向けた。

「……どうした?俺を殺すのではなかったのか?ボリック船長」

薄く冷笑すら浮かべているレオンだが、眼は全く笑っていない。

その眼光は鋭く、其処には明確な殺意が宿っている。

ひぃ、と小さく悲鳴を上げたボリックが、知らず座ったまま後退った。

部下の海賊達が残らず屍と化す中、ボリックが大した傷もなく生き延びていたのは、彼が特別強靭な身体を持っていたから、という訳ではない。

レオンが敢えてボリックを殺さなかったである。

街の惨状を目にした時から、元凶であるボリックにはその罪過に相応しい死をくれてやると決めていたのだ。

弱者をいたぶる趣味はレオンには無いが、この無情で広い世界には、楽に死なせるには惜しい悪党という者が確かに存在する。

海賊として略奪するだけでは飽きたらず、見目麗しい者達を攫って売り払うという、鬼畜の所行を繰り返してきたボリックは、レオンにとって決して赦すわけにはいかない存在だった。

「そ、その力……テメェ……悪魔の実の能力者だったのか……」

汗塗れの顔を盛大に引きつらせるボリックの声は滑稽なまでに震えており、悲壮感さえ感じられる。

 辺境の島々では知らない者も珍しくない“悪魔の実”だが、長年に渡って幅広く活動してきたボリックは、未だ謎の多い不思議な果実が齎す力について知っていたのだ。

果実を食した者が人智を越えた能力を振るう姿を、実際に幾度となく目にしてきているだけに、能力者への恐れは強い。

幾つもの街や村を襲い、荒事を得意としていた部下達は既に亡く、自身の命も危ぶまれている、その事実が焦燥にまみれたボリックの心を追い込んでいく。

藁にでも縋るようにして辺りを見渡すが、其処では物言わぬ骸と化した部下達が無残な姿を晒している。

黒く炭化し、原型を留めていない者も多い彼等の死体が、己の未来を暗示しているかようだ。

喉を引きつらせ、か細い悲鳴を漏らしながら、ボリックは懐から隠し持っていた代物を取り出した。

「動くなっ、動くんじゃねぇっ!其処から一歩でも動いたら撃ち殺すぞ!?」

怒鳴り散らすボリックの手に握られていたのは、黒光りするピストルであった。

それもただのピストルではない、つい最近西の海で発売された最新式の短銃だ、予め弾を込めておく事で、最大六連発の連続発射が可能という高性能を誇っている。

「……撃ちたければ、撃ってみろ。そんな物で俺を止められはしない」

脅すように自身に向けられた銃口を見ても、レオンに動じた様子はまるでない、平静その姿からは余裕さえ感じられる。

「……っ……くそったれがぁっ!死にやがれぇぇぇぇ!!」

見えない恐怖に促されるように、ボリックは引き金を引いていた。

忽ちリボルバー式の短銃の銃口から、鉛弾が高速で射出される。

鈍い銃声が広場に響き、宙を行く鉛弾は目と鼻の先にいたレオンの右肩に命中した。

白く硝煙を上げる短銃から漂う、火薬独特の匂いを心地良く感じながら、ボリックは会心の表情を浮かべていた。

自らが放った弾丸が、相手の肩に吸い込まれるように消えていったのを確かに確認したからだ。

つい先程までの焦りと恐怖の表情から一転、忌々しい敵に与えた一撃に残虐な愉悦が湧き上がってくる。

嘗てない程に追い込まれていただけに、形勢逆転の喜びも大きい。

「ハッハハハハハハハッ!ざまぁみろっ!!小僧風情がこの俺に偉そうな口を利くからだっ、へへっ…………楽には殺さねぇぞ、少しずついたぶって――」

受けた屈辱を晴らす為、舌なめずりしていたボリックだが、段々と様子がおかしいことに気が付く。

弾丸は確かにレオンの肩に命中していた、それは間違いない。

しかし、よくよく見てみれば、明らかに不可解な事象が発生していた、血が一滴も零れていないのだ。

それどころか、傷口すら残ってはいなかったのである。

何故か弾丸はレオンの身体を貫通し、遠く背後にある装飾が施された広場の柱に命中していた。

「……ば、馬鹿な……」

有り得ない光景に、ボリックの顔が引きつる。

目の前で起きている事態を否定しようにも、長年の航海生活によって鍛えられたボリックの視力は、常人よりも遥かに鮮明に、柱に刻まれた弾痕を捉えていた。

驚愕は動揺となり、硬直した身体は致命的な隙を生み出す。

 そんな絶好の好機を、目の前の若き海兵が見逃すはずもない。

「気は済んだか?……なら、そろそろ殺すが構わないな?」

瞬く間に距離を詰めたレオンは片手でボリックの首を鷲掴み、万力のような力で締め上げる。

「ぐがっ、がぁ!」

レオンから発せられているのは純然たる殺意だ、最早目に見えない圧力さえ伴っているような敵意に、ボリックは心底から竦み上がった。

拘束を解くために暴れようにも、既にまともに呼吸すらままならない状態では、抗える筈もない。

レオンは細身の身体からは信じられない程の腕力で、ボリックの巨大を持ち上げていった。

「……てめ…ぇ……は……自然……系……の……」

「正解だ、だが残念、気付くのが少し遅かったな。まぁ、気付いたからといって、お前に何かを出来たとも思えないがな」

息も絶え絶えのボリックを見る、レオンの視線は限りなく冷たい。

「……ぐッ……がぁ……ま……待て………た、頼む……命だけは……た、助けてくれ……」

迫りくる死の息吹を前にして、ボリックは面子や体裁といったもの投げ捨てた。

数限りない暴虐を振るった男とて、死への恐怖には抗えない。

緩むことのない首の締め付けによって、意識を保つ事すら難しい中、必死の形相で命乞いをする。

「………今までそうやって命乞いをした者達に、どんな仕打ちをしてきた?多くの罪なき人々を踏みにじってきたお前に、何故俺が慈悲を掛けなければならない」

懇願するような命乞いを聞いても、レオンの心には一変の憐れみも浮かんではこなかった。

寧ろ、此処に至っても尚自身の保身を図る厚顔無恥ぶりに、激しい怒りが沸き上がってくる。

「これ以上話していても時間の無駄だな、怒りが募るだけだ……。そろそろ死ね」

言葉が終わるや否や、レオンの身体から膨大な雷の力が迸った。

「ぎ、ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

雷撃の波が容赦なくボリックの身体を灼いていく。

形容し難い痛みが全身を疾り抜ける、神経が焼き切れるかのような激痛は、ボリックが未だ嘗て味わった事のない程の痛みであった。

「――――」

最早声を上げる事すらできないボリックは、永遠に続くとさえ思える痛みの中で悶え苦しむ。

己の身体が黒く炭化していくのを感じながら、ボリックの意識がゆっくりと闇に閉ざされていく。

凄絶な雷撃は、やがて彼の全てを呑み込み、灼き尽くしていくのだった。

こうして、周辺海域の住民を恐怖で震え上がらせた海賊、ボリックは苦しみの果てに惨めな死を遂げるのであった。

 

 目を灼くような雷光が収まり、静寂が取り戻されるのに伴って、広場の現状が少しずつ明らかになっていく。

暴虐を振るっていた海賊達は一人残らず倒れ伏し、武威の象徴であった悪名高い船長ボリックもまた、黒こげとなって屍を晒している。

「………………え……………私達、助かったの?」

「……そうよっ、助かったのよッ!?」

瞬く間に一変した状況に、言葉もなく暫し呆然としてしていた女性達は、広場の端で歓喜の声を上げた。

全てを諦め絶望していただけに、恐怖から解放された喜びも大きい。

互いに抱きしめ合い、涙を流しながら喜び合う彼女達の表情には確かな笑顔がある。

傷付き、多くを失った彼女達だが今だけは互いの無事を喜び、生の実感を噛み締めるのであった。

 女性達の喜びに弾んだ声が、忽ちの内に広場を埋め尽くしていくのを、微笑ましく感じながらレオンは、一方で強い自責の念に駆られていた。

名も知らぬ男性との約束を果たし、女性達を救う事が出来た、それ自体は非常に喜ばしい事であったが、街全体が被った被害の大きさを思えば、とても手放しでは喜べない。

救えう事ができた者よりも、喪われてしまった者の方が遥かに多い。

優美であった街並みも惨憺たる有様であるだけに、元の賑わいを取り戻すまでには長い時間を必要とするのは間違いない。

(もっと早く駆け付ける事ができていれば――)

どうしようもない悔しさが込み上げてくる。

任務によって既に幾度となく味わった無力感だが、決して慣れることはない。

後悔が鈍い刃となって、レオンの心を責め立てる。

「あ、あのッ」

そんな時、柔らかな声が聞こえてきた。

みれば其処には、一人の理知的な美女が立っていた。

少し前にボリックに殺され掛けていた女性――レイラであった。

 

 「先程は助けて下さって、本当にありがとうございました。あなたは私の命の恩人です」

そう言ってレイラは深く頭を下げた。

度重なる災難によって疲労の色が濃いが、声音はしっかりとしており、彼女の心の強さが窺える。

「……貴女が無事でよかった。だが、俺に礼を言われる資格はない」

しかし、応じるレオンの声は暗い。

思わずレイラが顔を上げてみれば、其処には酷く沈んだ様子をみせる青年の姿があった。

海賊との戦闘時とはまるで違う雰囲気に一瞬戸惑うが、直ぐに気付く。

レイラの目の前で、己を責めるかのように俯く青年は、強者であると同時に年相応の若者でもあるのだ。

自身よりも幾つか年下であろうレオンが悔い悩む姿は、レイラに不思議な感慨を齎した。

切ないようでどこか甘い感覚、胸の奥がギュッと締め付けられる。

気が付けばレイラは突き上げる衝動のまま、目の前にある青年の身体を強く抱き締めていた。

「そんなに自分を責めないで……」

心の内で目に見えない涙を流し続けるレオンを、レイラは感謝の想いが伝わるようにと強く抱き締める。

「貴方は大勢の人々を救ってくれた、貴方が来てくれたから、私はこうして生きていられる」

レイラの心は青年への暖かい想いで満ちていた。

喪われた者達を想い悔恨に苦しむレオンに、自分達がどれほど感謝しているのかを伝えたかった。 

 唐突に抱きつかれ、さすがに驚いたレオンも、落ち着きを取り戻しつつあった。

互いの身長差によって下から見上げてくる形となったレイラが、優しげな微笑みを送ってくる。

心からの笑顔に、彼は暗く沈んでいた己の心が少し軽くなるのを感じていた。

自身の腕の中から感じられる暖かさが、救う事ができた命の重みを伝えてくる。

後悔や無力感が完全に消え去った訳ではない、重くのし掛かっていたもの楽になったのも事実だった。

「………助けてくれて、本当にありがとう」

そういって更に強く身体を寄せてくるレイラを優しく抱きしめ返しながら、レオンは暫しその包み込むような暖かさに身を委ねるのだった。

 

 それから暫く経ち、身体を離した二人の間には、どこか気恥ずかしげな雰囲気が漂っていたた。

「コ、コホン、……改めて自己紹介させて貰うわね、私はオルドレイク・レイラ、どうぞよろしく」

「……クロイツ・D・レオンだ、此方こそよろしく頼む」

奇妙な緊張を感じていた二人は、ふと互いに顔を見合わせると、同時に小さく吹き出した。

相手の少し強張った表情と似たようなものを、自分も浮かべていると気付いたのだ。

それが妙に可笑しくて、笑いが込み上げてくる。

「フフ、私達何してるのかしらね」

「さぁな、俺にもよく分からない」

そう笑みの余韻を残しながら話す二人の間には、先程までのぎこちなさは微塵もなく、まるで旧来の友人のように親しげであった。

 少し間を置き、落ち着きを取り戻した二人は、早速事後処理に取り掛かる。

街の被害が甚大であるだけに、やらなければいけない事は幾らでもあるのだ、時間を無駄にするわけにはいかない。

二人が中心となり、無事だった女性達とも協力して、生存者の確認や怪我人の治療を進めていく。

「この辺り一帯の負傷者は粗方運び込んだぞ、後は手当てを続けよう」

「ええ、ありがとうレオン、本当に助かるわ。……それにしても、怪我人がこんなに居たなんて……」

広場を簡易の避難所として怪我人などを運び込んでみれば、改めてその被害の大きさに息を呑む。

「命がある事を喜ぶべきなのは分かっているんだけど……、どうしてもね」

それ程大きい街ではないだけに、負傷者の中にはレイラの顔見知りも多い、ついつい憂鬱になってしまっても無理はない。

「部下達には既に連絡を入れてある、周辺の基地からも応援も此方に向かっているだろう、後少しの辛抱だ」

部下達と情報交換を終えていたレオンは、既に彼らがライド島の間近に来ている事を知っていたのだ。

 

 時を待たずしてレオンの言葉は現実になる、街に複数の巨大な軍艦が近付いて来たのだ。

軍艦の帆にはカモメをイメージさせるシンボルマークが描かれており、迫り来る艦が海軍に所属しているものであると証明していた。

港に入った海軍の動きは速く、軍艦から屈強な兵士達が次々と降りてくる。

白を基調とした軍服に身を包む彼等は皆屈強であり、一糸乱れぬ隊列からは高い練度が伺えた。

「失礼しますッ、大尉殿、指示をお願い致します!」

広場にいたレオンの下にも、直ぐさま海兵がやってくる。

レオンの目の前で敬礼をするのは、それなり年齢を経た壮年の男だ、軍服に付けられた階級章から、彼が少尉の地位に就いている事が分かる。

しかし、レオンには見覚えのない顔であり、それは彼が周辺の基地から来た海兵だという事を示していた。

「負傷者の救助と治療を最優先に、他にも軽傷を負っている者が多数いる、その者達の事もよろしく頼む」

「はっ、了解しました!」

早速部下に指示を出すべく、走り去っていく海兵の姿を見送るレオンの傍らに、治療を手伝っていたレイラがやってくる。

「驚いたわ……、こんなに大勢で来てくれたのね」

「周辺の基地に、最優先で救援を要請しておいたからな、彼等も大急ぎで来てくれたようだな」

手際良く負傷者の治療を始めていく海兵達を感心したように眺めながら、レイラはふと尋ねた。

「そういえばレオン、貴方確か銃で撃たれていなかった?」

目まぐるしく変わる状況に対応する事に忙しく、つい意識の外に追いやってしまっていたが、凶弾がレオンの身体を捉える瞬間を、レイラは確かに目撃していたのだ。

「大丈夫なの?怪我を隠しているんじゃないでしょうね」

レオン本人が至って平然としている為に、気付くのが大分遅れてしまったが、普通ならば今すぐにでも適切な治療が必要な程の重傷だ。

見たところ目立った傷も無く流血もしてはいないようだが、それでも心配になってしまう。

「大丈夫、怪我はしてない」

形の良い眉を心配げに寄せて、ペタペタと此方の身体を確かめるように触れてくるレイラの手を優しく取りながら、レオンは安心させるように力強く言った。

「良かった………、でもどうして?私には弾が当たったように見えたんだけど……」

実際に怪我が無い事を確かめて、ようやく安堵したレイラだったが、今度は別の疑問が沸き上がってくる。

今更ではあるが、あれ程近距離で銃撃を受けていながら、身体に傷跡が全く見当たらないのはひどく不思議な話だ。

「俺は“能力者”だ、無事だったのは、その力のおかげだな」

「えッ、それじゃあ貴方は、あの“悪魔の実”を食べたの?」

“悪魔の実”とは未だに謎の多い不可思議な果実の呼称だ。

食した者に数々の特異な“能力”を与える果実の噂は、辺境であるレイラの下にも届いていた。

とは言っても、彼女自身“能力者”に会ったのは此が初めてであり、様々な噂話で語られる存在を実際に目の前にしてみると、それなりに感慨深いものがある。

「ああ、俺が得た能力は“自然系”と呼ばれる種類に分類されていてな、大抵の物理的な攻撃は受け流す事が出来るんだ」

悪魔の実は能力によって幾つかに分類されており、レオンが口にした実は数ある果実の中でも最強種と名高い“自然系”であった。

巷では無敵とも云われる自然系能力の共通の特徴として、通常の方法による物理的接触の無効化が挙げられる。

故に、何の変哲もない銃弾など幾ら撃ち込まれようとも、微塵も効果はないのだ。

「じゃあ、本当に大丈夫なのね、……良かったわ」

事情を聞き、レオンに怪我一つ無いのを改めて確認した事で、レイラはホッと胸を撫で下ろした。

「どうやら心配させてしまったようだな……、すまない」

レオン自身、能力者となった事でついつい忘れがちだが、悪魔の実の能力とは往々にして非常識なものなのだ。

「フフ、謝らないで、貴方が無事で安心したわ。私の命の恩人くんには、きちんと恩返しもしたいしね」

どこか悪戯っぽく微笑むレイラに、釣られるようにレオンも苦笑した。

慌ただしい広場の隅で、二人はそっと笑い合うのであった。

 さほど間をおかず、話す二人の下に一人の女性が近付いて来る。

「失礼します、只今到着致しました。お待たせして申し訳ありません、レオン様」

眩い金髪を肩の辺りで切り揃え、切れ長の瞳を持つその美女の名は[セインツ・D・クリスティナ]といった。

冷たさを感じさせる美貌は絶世と評しても過言ではなく、豊満な胸と細く括れた腰を持つ肢体は、身に纏うスーツの上から見ても分かる程グラマラスだ。

「クリス、良く来てくれた、周辺基地との連携も御苦労だったな」

クリスティナもまた中尉の階級を持つ海兵であり、レオンの部下として部隊の副官も努めていた。

自身より二つ程年上の彼女にはレオンも心から信頼を置いており、名実共に右腕といってよい存在だった。

「いえ、レオン様が予め連絡を入れておいて下さった御陰です。それに……間に合わせる事が出来ませんでした」

広場に設けられた臨時の救護所では、今も大勢の負傷者が苦しげに呻き声を上げており、時が経つに連れて増えていく犠牲者の数は、想定を超えている。

遺された住人達の事を想い、クリスティナは傷ましげに眼を細めた。

「お前のせいじゃない、全ての責任は俺にある。……だが悔いるのは後だ、今は自分達に出来る事をやろう」

己を責めて後悔に沈むのは簡単だ、しかし今はそんなことよりも遣るべき事は幾らでもある。

つい先程、レイラが身を持ってレオンにそう教えてくれたのだ。

「レオン様…………」

幼少からの長い付き合いであるクリスティナには、レオンの葛藤が手に取るように解った。

冷静に見えて本当は誰よりも優しい己の主が、今回の一件をどれほど悲しんでいるのか察するに余りある。

「クリス、本部への報告の方はどうだ?暫くの間この街には駐留する部隊が必要だ」

「既に報告済みです、周辺の基地の部隊を幾らか残留させるとの事です、それと――」

一つ息を吐き、クリスティナは思考を切り替える、己が仕えるべき主が苦悩を抱えながらも前に進もうとしているのだ、自分だけ立ち止まっている訳にはいかない。

自身に今出来る事を果たす為、クリスティナは諸処の情報を的確に報告をしていくのだった。

 

「……帰還命令?まだ後処理も完全には終わっていないのにか?」

「はい、後の事は周辺基地に引き継ぐ様にとの命令です」

クリスティナから伝えられた本部からの命令に、レオンは軽く眉を顰めた。

他の部隊に諸々の処理を引き継ぐにしても、通常ならばある程度事態を収拾する形をつけてからだ、今回は明らかに早すぎる。

「許可を頂ければ直ぐに手続きを始めますが……、如何致しますか?」

クリスティナもまた若干訝しげなのは、彼女もレオンと同様の疑問を抱いているからに他ならない。

「…………」

既に街には大勢の海兵が到着しているため、生存者達の保護の人手は十分に足りている、例えレオンの部隊が撤収したとしても支障はない。

「……分かった、早速引き継ぎを始めてくれ。それと出航の準備を、終わり次第直ちに海軍本部に帰還する」

「ハッ、了解しました」

主が決断を下した以上、可能な限り速やかに準備を整えなければならない、絵になるほど完璧な敬礼をしてレオンの前を辞したクリスティナは、与えられた命を果たすべく部下達に指示を出していくのであった。

 自身の右腕ともいっていい副官を見送り、レオンは広場に目をやった。

海兵達の手際の良い仕事ぶりによって、当初の無秩序な混乱は収まり、避難してきた市民達もどうにか平静を取り戻しつつあった。

中にはちらほらと笑顔を覗かせる者もおり、レオンは内心でほっと安堵の息を吐いた。

大きな悲劇に見舞われても尚笑いあえる強さを持つ彼等ならば、必ず街を復興を出来ると疑いなく信じる事ができたからだ。

 

「………どうやら、お別れみたいね」

レオンが振り向いてみれば、軍務の邪魔にならないようにと下がっていたレイラが、切なげな表情を浮かべていた。

「本当は街の皆で、きちんとお礼をしたかったんだけど」

命を救われたことへの感謝の気持ちは、幾ら言葉にしようとも尽きる事はない、可能であれば街を挙げて感謝の念を示したいところだが、現状ではそれも難しい。

「どうか気にしないでくれ、寧ろ此方の方こそ最後まで立ち会えなくて申し訳ない。せめて復興の手伝いだけはしていきたかったんだが……」

荒廃した街の復興支援の道筋くらいは、自分達の手で付けていきたかったというのが、レオンの本音だ。

部隊の到着も早々に、これほど早く島を離れる事になるとは流石に予想していなかった。

「フフ、既に十分すぎるほど貴方達には助けられているわ。それに正式な命令なんでしょう?」

海軍の規律がとても厳しいものであるというのは周知の事実だ、安易に背けば面倒な事態を招くのは間違いない。

レイラとしても、街を救ってくれた恩人達にそんな目に遭って欲しくはなかった。

「でも、不思議ね……、貴方とは出逢ったばかりなのに、こんなに名残惜しく感じてしまうなんて……」

青い大海原で分かたれた世界は広大であり、点在する島々を往き来するには船で渡らなければならない。 

しかし、海には危険も多く近年では海賊という脅威もある、最低限の自衛の手段がなければ島の近海に出る事すら危険が伴う。

そんな御時世であるだけに、一度離別した者同士が再び出会う確率は極めて低く、別れが永遠のものになることも珍しくはない。

「………キミはこれからどうするんだ?」

理知的な美しい瞳を伏せ、切なげに溜め息を吐くレイラを前にして、レオンは思案げに問い掛けた。

「これから?……私は小さな商店を営んでいたんだけど、お店は火で燃やされちゃったし、私には家族もいないから……、フフ、いっその事どこか別の街でやり直すのも良いかもしれないわね……」

そう言って自嘲気味に微笑むレイラの表情は暗い。

島々の間を過酷な海が遮る世界で、新たな新天地を求めるというのは云うほど簡単ではない、其処には簡単には乗り越えがたい様々な障害が存在する。

ましてやレイラの故郷であるライド島は、世界で一番過酷な海として名高い“偉大なる航路”にあるのだ。

島を出ることすら大きな危険が伴うのは間違いない。

今後の身の振り方に思い悩むレイラに、レオンは先程から考えていた“案”を打ち明ける事を決めた。

「……レイラ、俺の友人に“貿易会社”を経営している者がいるんだが……、その仕事を手伝ってみる気はないか?」

「……え?」

目にも鮮やかな茜色の空の下、忙しなく往き来する者達の喧騒が響く広場の片隅で、唐突に投げられた提案に、レイラは見事に不意を突かれた。

「……え、えっと……貿易会社?それってつまり……どこかの島や街でって事?」

「いや、少し違うな、彼女達は世界中の海の様々な島で商売や貿易をしている、今はまだそれ程規模も大きくはないが、所属している者達はみんな優秀だ」

力強く熱の入った言いように、思わず微笑みが零れる。

「フフッ、貴方がそこまで言うなんて……、その貿易会社とやらに凄く興味が沸いてきたわ」

海賊の襲撃という突然の災難に見舞われ、以前までの生活を続ける事が困難になっている彼女にとって、レオンの提案は正に渡りに船であったからだ。

「貴方の口振りじゃその“彼女達”ともかなり親しいみたいだし……、益々興味深いわ」

 “上手い話には裏がある”というのは、世知辛い世の中ではある意味常識だが、こと今回に限ってレイラは、レオンの提案を微塵も疑ってはいなかった。

つい先程命を救ってもらったばかりなのだ、疑うことなど有り得ない。

何より、目の前でどこか困ったように頬をかく青年の誠実さと優しさは、既に十分レイラに伝わってきていた。

「まぁ、とある“縁”があってな。……それで、どうする?キミが良ければ直ぐにでも連絡を付けるが……」

紹介先の貿易会社の方には、まだ話を通してすらいなかったが、社を纏める“彼女”ならば迷わず力になってくれるという確信がレオンにはあった。

「そうね……」

この時点でレイラの心は半ば決まっていた。

細々と続けていた店を失い、先行きが見通せない状況にあるというのも理由の一つだが、彼女の心を強く動かしたのは、レオンの存在であった。

誘いを受ければ、今後ともレオンとの繋がりは続いていく、それはレイラにとって何よりも嬉しいことであった。

「そ、それで、その貿易会社の名は?何ていう会社なの?」

我知らず頬に熱が上がってくるのを感じながら、レイラは慌てて平静を装う。

「ああ、貿易会社の名は《ユニオン》だ」

「《ユニオン》……良い名前ね、………フフ、いいわ、是非私も参加させて」

燃えるような夕陽が世界を朱色に染めていく中、レイラは輝くような笑顔で、新しい未来への期待に胸を膨らませるのだった。



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第3話

晴天の下には何処までも続く大海原が広がっている。

《偉大なる航路》の海、過酷な自然環境で知られるその海も今は穏やかに波打っていた。晴天に輝く太陽の陽光が青く透き通る海面に反射して波打つ度に乱舞する様に光り輝く。

その海面の直ぐ下を魚達が群となり泳いでいく、数百を超える魚達が群れた魚群は一塊となり海中を進む。しかしその魚群に海中の下から突然迫る魚影があった、一瞬のうちに魚群の真ん中に突っ込んだ魚影は、大きな鯨であった。鯨は口を開き魚群の何割かを大きく開いた口に捕らえながら勢い良く海面から飛び出す、一瞬で百を超える魚を捕食した鯨は再び海面から海中に飛び込み悠々と深く潜っていく。

海中深く陽光が届き難くなり暗さを増していく中を進む鯨に更に深い海中から襲い掛かる巨大な姿があった、それの体長は100mを優に超えていて鯨を下から一呑みにしてしまう。

その絶対的な強者の風格すら感じるさせる巨大な生き物は“海王類”と呼ばれる種族であった、自然界における食物連鎖の最上位に位置しており、様々な生物に脅威を与える存在である。

〈海王類〉姿や形は千差万別だが、共通の特徴として巨大な体長が上げられる。個体差はあるが、それぞれ数百メートル程の巨大な体長を持つ。

生息域は主に《偉大なる航路》であり、特に《凪の海》には無数の〈海王類〉が生息している。

凶暴性も兼ね備えており、海上を行く船なども襲うため、人類にとっても深刻な脅威となっていた。

 

 暗い海中深くを泳ぐ巨体がある、その姿は魚類に似た特徴を持つが、体長は200mを超える程の巨大さを誇っていた、“海王類”である。

海中を悠々と泳いでいたその巨体は、突如何かに気付いたかの様に進路を変更し、海面を目指して浮上していく、海面が近付くにつれ海上に何かが浮かんでいるのが分かる、それは一隻の巨大な船であった。

 船体には幾つもの大砲の発射口が備えてあり、戦闘を想定して作られた船だと分かる、軍艦と呼ばれる種類の船だった。

帆にはシンボルが描かれており、その軍艦が[海軍]に所属していると示している。

海王類は海中から一気に海上に飛び出し、少し距離を置いて海上に停泊している軍艦を見下ろす、海王類の巨大より大分小さい、その軍艦上では乗組員達が突然海上に現れた巨大な生物に対処しようと騒がしく動き廻っている。しかし海王類はその暇を与えない様に海上から軍艦に迫っていく、海王類の巨大が軍艦が押し潰そうとしたその時、軍艦の甲板上で蒼い稲光が瞬き、凄まじい勢いで海王類に迫り、轟音を轟かせながら、巨体を撃ち抜いていった。

光が収まり、轟音が途切れた頃、軍艦に迫っていた海王類の生命活動は既に停止していた。海上に飛び出した巨体の中心には直径数十メートルの円形状の巨大な風穴が貫通している。穴の周囲は焼け焦げた跡があり、撃ち貫いたエネルギーの膨大な熱量を物語っていた。

 

「海王類、動きを停止しました。お見事です、レオン様」

海上で停泊している軍艦の甲板中央で、軍艦前方の海王類の状況を確認していた金髪の美女、クリスティナは、冷静な表情を崩す事なく、しかし敬愛を込めて、直ぐ隣の銀髪の青年、直属の上官であるレオンへ報告する。

「よし、作業を続けろ。焦る事はない、確実に修理しろ」

周囲への警戒を行いながら、副官からの報告を受けていたレオンは部下達に指示を出す。

甲板上には大勢の海兵達は海王類を打ち倒した自分達の上官を歓声を上げて讃えていたが、指示を受けると皆それぞれの仕事に戻って行った。

《偉大なる航路》のとある海域の海上で、レオンとその部隊が乗艦している軍艦は停泊していた。【人狩りのボリック】を討伐し、街を出航してから数日。

突然の激しい嵐により傷み破損した船体の修理を開始して暫く経った頃に、海王類の襲撃を受けた。しかしその海王類をレオンが一撃で打ち倒したのであった。

二人は甲板中央に並んで立ち、吹き寄せる潮風を受けながら、部下の海兵達が仕事を再開するのを眺めていた。

  クリスティナは風の音に声が遮られない様に、隣の上官に身を寄せつつ、

「やはり、船底に“海楼石”を敷き詰めていても、長く停泊していると視覚的に気付かれてしまいますね」

「ああ、長く停まっているのは危険だな」

レオンは周辺の海を見渡し、改めて現在の状況を確認しようと、ここ数日の出来事を思い起こしていた。

 現在軍艦が停泊している海は危険海域とされている場所であった、危険とされている理由は海王類が頻繁に現れる海域であるからだ、《凪の海》程ではないが、海王類の出現率が高く、海賊や商船など多数の船が襲われ海に沈んだ。

今ではこの海域を通る船は滅多にいない、その海域にレオン達が入ってしまったのは突然の嵐に襲われたからだ、その嵐により船体が損傷し修理のため停泊している。

 周辺の海上に異変はない、しかし時間を置けばまた先程の様に襲撃されるのは確実であった。彼としてはどんな海王類が襲いかかってきたとしても、負けるつもりはない、しかし海王類が強力な種族であるのは確かであり、想定を超える数で攻められたら場合、自分はともかく部下達の身が危なくなる。

 険しい表情で海を見渡しながらレオンが若干の焦りを感じていると、身体の左側から暖かい温もりを感じた、そちらに顔を向けるとクリスティナが左腕に身体を絡める様にしながら見上げてくる、彼女の表情には優しい微笑みが浮かんでおり、焦るレオンの心を落ち着かせるように強く身体を寄せていた。

温もりと共に彼女の想いを感じて、レオンは心に落ち着きを取りもどしていく。

 感謝の想いを示すようにクリスティナの身体に片腕を回し抱き寄せると、彼女も身体から力を抜いて、身を任せるのだった。

 寄り添う二人を見守るように、青い空は何処までも澄み渡り、風が海の上を吹き抜けていく。

 身を寄せ合うレオンとクリスティナの姿を周りの部下達は離れた場所から微笑ましく見守っている、二人が互いに想い合っているのを知っているからだ。部下の海兵達は幾つもの戦場を二人の指揮の下で戦い、それによって部隊は強い信頼と絆で結ばれていた。

 晴天の下で太陽の光を浴びながら、軍艦の甲板上では修理の資材などを持った部下の海兵達が動き廻っていた。

彼等も現在いる場所が危険海域だと知っていたが、焦りを見せている者はいない、それは自分達の上官を信じているからだった。

「皆焦らず良くやってくれています、後数時間で修理は完了するでしょう。」

「しかし、本部への到着は少し遅れそうだな」

クリスティナの報告を聞きレオンは少し顔をしかめる、

「そうですね、一応先程、状況を本部に報告しておきましたが」

二人が今後の日程を確認していると声が聞こえて来る、

「若様~~!」

レオンを“若様”と呼びながら近付いて来る人物がいた。

海軍の軍服を着ている少女。

走りながら大声で叫んでいる少女の名前は[ローグ・カレン] 年齢は15歳、海軍本部に所属している海兵で、階級は《准尉》。身長は165cm程で、茶色の軽くウェーブの掛かった髪はショートカットにしている、肌は小麦色、可愛らい容姿をしており、彼女本人の快活な性格もあり、明るく活発な印象を人に与えた。

「若様!あたし、ちょっと考えた事があるんですけどっ」

二人の前で立ち止まり、勢い込むように話すカレン、

「落ち着きなさい、レオン様の前なのですよ」

落ち着かせるように静かに話し掛けるクリスティナの言葉を聞き、多少は落ち着きを取り戻したカレンは、一度深く深呼吸をすると改めて話を始める、

「あの海王類、食料として確保してみたらどうかなって思ったんですけど?」

海王類を指差しながら笑顔で言い切るカレンに、話を聞いていた二人は呆れた表情を浮かべ、

「何を言うかと思えば……………、食料ならば現在の貯蓄量でも海軍本部までなら十分足ります。補充する必要はありません」

反対意見に一瞬怯みつつ、

「時間は掛けません、あたしが責任を持ってやりますから、お願いします!」

二人に迫る様にして頼み込む。

「……………分かった。許可する。だが船体の修理作業が完了するまでに終わらせろ」

カレンの熱意に押される様に、レオンは溜息を吐きつつ許可を出す。

「ありがとうごさいます!じゃあ、早速始めますね!」

満面の笑顔を浮かべると、作業に掛かる為に走り出していく、

「よろしいのですか?海王類の解体作業となるとかなりの時間が掛かると思われますが」 

「構わない、船体の修理が完了するまでまだ時間が掛かる、部下達の息抜きにもなるだろう」

二人の視線の先ではカレンが嬉々として作業の準備を始め、他の海兵達も楽しそうにそれを手伝っている。

長期任務においての食事は重要であり、士気にも関わってくる。危険海域での修理作業は精神的な負担も大きい、食事での息抜きも必要だと考えてレオンは許可したのだった。

「了解しました」

部下達の事を考えての事だと理解しているクリスティナは微笑を浮かべ返事を返した。

そんな二人に声を掛けて近付いてくる者がいた、

「若~~!」

それは海軍の軍服を着た、ずんぐりとした体格の男であった。身長は170cm程度とジークハルトやクリスティナよりも低いが、筋骨隆々としていて横幅は二人の倍近い、所々に白髪が混じった黒髪を短く刈り上げ、巌のような顔付きに険しい表情を浮かべる様は幼子が見たら泣き出す程の迫力を出している。

男の名前は[ローグ・ギリアム]年齢は42歳、海軍本部所属の海兵で階級は《少尉》、カレンの父親でもある。

 レオンやクリスティナが戦闘を行う場合は、代わって部隊を率いる古強者で、上官二人からの信頼も厚い。

部隊員達からも“おやっさん”と呼ばれ慕われていた。

“ある出来事”で窮地に陥っていた所をレオンに救われてからは“若”と呼んで忠誠を誓っている。

「若!今此方にカレンの奴が来ませんでしたか?」

「ギリアム、まずは落ち着きなさい」

走り込んできた勢いそのままに尋ねてくるその姿は、先程同じように尋ねてきた娘とそっくりだった。

二人は同様の感想を抱いたが口に出す事はなかった。

クリスティナに諫められ、照れ臭そうに頭を掻きつつ、

「ハハッ、すいません。儂はどうにも昔からこんな調子で……」

巌のような顔に、似付かわしくない愛嬌のある笑顔を浮かべ、それがまた娘であるカレンと面差しが良く似ていて、どこか憎めない雰囲気を作り出していた。

「カレンなら、海王類を食料として切り出しに行きましたよ」

海に浮かぶ海王類の方ではカレンが楽しそうに部下に指示を出して作業を始めようとしている、

「あのバカ娘っ、まったく何をしとるんだか!」

片手で顔を押さえながら呻く、娘が何かをしようとしていると部下から聞き、慌てて追いかけて来てみれば勝手な事を始めている。大切な一人娘だからと自由に育て過ぎたと自らの親馬鹿ぶりを悔いるが、今はそれどころではなく上官への謝罪をしなければならない、

「若、申し訳ありません、直ぐに止めさせますんで」

頭を深く下げ、すぐさま娘の所に走って行こうとすると

「待て、俺が許可を出した。」

「し、しかし」

「カレンなりに皆の事を考えての事だろう、皆にも良い気分転換になっているようだ」

小舟を出し海王類に取り付いて作業をしようとしているカレンや他の者達は海王類の巨体に驚き、滅多にない新鮮な体験を楽しんでいるように見える。

「確かにここ数日の船体の修理作業で皆それぞれ精神的に疲れているでしょうし、良い息抜きになるかもしれませんね」

上官二人の意見に落ち着きを取り戻しつつ、ギリアムが改めて海王類の方を見ると娘が楽しそうに作業をしていて、周りの者達もそれを微笑ましく見守り、作業を手伝っていた。

「カレンの明るく、前向きな所は、彼女の長所ですね、不思議と周りの者達まで元気になります」

レオンやクリスティナも微かに笑みを浮かべながらカレンを眺めている、そんな上官達の姿を見てギリアムは一つ溜息を吐き気分を落ち着かせ、二人に向き直る、

「お二人にそういって頂けるなら、儂には何も言うことはありません」

完全に落ち着きを取り戻し、穏やかな表情の部下を見て上官二人は互いに顔を見合わせ軽く笑い合う。

海の潮風に吹かれながら甲板の中央で三人は並び立ち、

「通常ならは時間が掛かるが、カレンの“能力”なら作業もし易いだろう」

「そうですね、最近では“能力”にも慣れてきたようですし」

船体の修理作業が終わるまでに食料の積み込みなどを終わらせるのは通常ならば難しいが、カレンの持つ“能力”を使えばより早く作業を進める事が出来る、

「いやァ、まだまだ未熟者です」

確かに最近は大分“能力”の使い方を覚えてきたようだが、数多くの“能力者”を見てきたギリアムからしたら未熟と以外の何物でもない。

 その時三人が見守る先で海王類の解体作業を行っていた場所でざわめきが起きる、そちらに目をやるとその騒ぎの中心にいるのはカレンだった。彼女の身体は通常の数倍に巨大化し、身長は5mを軽く超えている、その姿は普通なら有り得ない現象であった。

「“悪魔の実”の“超人系”<スクスクの実>の能力者でしたね」

その光景を見ながら驚く事もなく冷静なクリスティナに同意する様に、隣にいる二人も頷く。

 

 “悪魔の実”数多くの種類を持つ果物であり、食べた者に様々な特殊能力を与える、という共通点を持つ。“色”や“形状”などは様々だが、味は不味い。

実を食べて能力を手に入れた者はカナヅチになり泳げなくなる、という共通のデメリットもある。

 一口でも食べれば能力を手に入れる事が出来る、その時点でただの不味い果実になるので残った果実を別の者が食べても能力は手には入らない。そのため同じ能力を複数人が持つ事はありえない。

 能力者が死亡した場合などに世界のどこかで、その能力を秘めた果実が誕生するとされている。

 希少価値が高く、その価値は果実が秘めている能力によって違うが、最低でも1億ベリーという高額の値が付く代物である。果実によって秘めている能力は違いがあり、その能力は大別して3系統に分かれる。

 “超人系”、“動物系”、“自然系”、の3系統である。

“超人系”は多種多様な能力が多い。

“動物系”は動物の特徴を備えた能力で、能力者の身体能力が直接強化されるため、白兵戦に最も適している系統である。

“自然系”は最も希少であり、能力者の肉体を、実体が存在しない<自然物質>などに変化させる事ができる。通常の物理攻撃を受け流し無効果する事が可能で、その能力の効果範囲の広さ、自然現象を思わせる強力な威力から、3系統の中で最強種とされている。

 

カレンの<スクスクの実>の能力は“超人系”に分類され、体格を自由に変化させる事ができた。

「変な果物を食べたと娘から聞いた時は、まさか“悪魔の実”だとは思いもしませんでしたがなァ」

あの時は驚きました、とギリアムは豪快に笑う。

自分の娘が“能力者”になるとは思ってもおらず、娘の身体が突然変化した時は度肝を抜かれた程であった、能力を使いこなすには時間が掛かり、数年前に能力者となったカレンは最近になって漸く、戦闘に使える様になったのだった。

「なかなか、強力な能力だな」

「戦闘以外にも使う事が出来る能力でもありますね」

レオンとクリスティナの視線の先では、カレンが巨大化させた身体で海王類を手際良く解体していて、通常よりも随分早く作業が終わると思われた。

「確かに良い能力ではありますが、まだまだです。あまり誉めないでやってください、あいつが調子に乗りますんで」

張り切って作業を続けている娘を見やりながら苦笑する。

「それに能力の強さでいったら、若の方が凄いでしょう、なんせ“自然系”だ」

その意見に同意する様にクリスティナが頷きつつ、

「“自然系”、<ゴロゴロの実>の能力者、レオン様は“雷”の力を自在に使う事が出来るのよ」

“自然系”悪魔の実の<ゴロゴロの実>、“雷”の能力であり“自然系”に分類される。

レオンは少し前に<ゴロゴロの実>を食べた事により“自然系”の能力者となった。

「確かに強力だが、まだ能力の制御は完全じゃないな」

レオンは前に翳した片腕から軽く、蒼い雷を迸らせつつ、制御の難しさを改めて実感する。

数ある能力の中でも“自然系”は能力の制御が難しく、完璧に操るには長い時間が必要とされている。

「いえ、レオン様は能力を手に入れて間もないというのに十分に制御なされています。実際先日の海賊による街への襲撃時には、その能力で見事に多くの者達を救いました」

 クリスティナが言っているのは、海賊【人狩りのボリック】が街を襲っている時に駆けつけた時の事だ、

あの時レオンは軍艦での通常の方法では間に合わないと判断し、能力を使う事によって自らの身体を雷に変化させ、身体の形状はそのままに、稲妻のように空を駆けていったのである。

それによって軍艦で海を行くより遥かに速く街に到着できたのであった。

「あれは能力に慣れないうちはあまりやりたくないな、空を駆けている時に何かあって海に落ちたら、とんでも無い事になるからな」

最強種と言われる“自然系”の能力者でもカナヅチであるのは変わりないのだ、海に落ちた場合は他の能力者と同じく悲惨な事になるだろう。

「御安心下さい、レオン様。その場合は私が助けます。」

クリスティナの本心であった。どんな事があろうとも彼の傍らで支え続けると決めている、その想いは深く揺るぎない。

「そうだな、お前が居てくれるなら安心だ」

レオンもまた、彼女には全幅の信頼を置いているため、心からの本心で答えたのであった。

互いに見つめ合う二人を、ギリアムは一歩引いた所から微笑ましく見守っている。親子程に年齢差がある事もあり、彼にとって二人は息子や娘同然であり、幸せを願うのは当然なのだ。

カレンが驚異的な早さで食料の積み込みを終えたのはそれから暫く経った後だった。

 空に輝いていた太陽が沈んでいき、夕日が海面を茜色に染め上げる頃に船体の修理が完了し、再び航海を開始する。

遅れを取り戻すかの様に順調な速度で軍艦は進んでいく。

 

 

 

太陽が完全に沈み、代わりに月が空に輝く頃、月明かりの下を一隻の軍艦が静かに海を行く。昼間は騒がしかった甲板には見張り役の海兵が数人いるだけだ、艦内もまた静寂を保っており、時折見回りの海兵が通る時の足音以外は何も聞こえない。

 艦内で一際立派な作りをした部屋があった。その部屋の内装は落ち着いた雰囲気を作り出し、部屋の主の嗜好が反映されている。その部屋の奥にある大きめのベッドに裸身の男女がいた。

銀髪の男の鍛え抜かれた身体に、金髪の女がその芸術的でもある優美な肉体を重ね合わせている。

“金髪の女”クリスティナは“銀髪の男”レオンの胸の上に裸身のまま自らの身体を重ね合わせ、安らいだ表情を浮かべている。

情事後の気怠い雰囲気の中、クリスティナは愛する男の胸元に顔を埋め、改めて自らの幸せを噛みしめていた。

クリスティナとレオンは幼い頃からの付き合いである。

『偉大なる航路』にある国で、武門の名家であるレオンの[クロイツ]家に古くから仕える[セインツ]家にクリスティナは生まれた。以来ずっとレオンと共に歩んできた。国を出た時も、世界各地を旅した時も、そして海軍に入隊した時も、常に傍で支え続けてきた。最初は一族の使命として仕えてきたが、今では自らの意思で絶対の忠誠を誓っている。そしてレオンの人柄に女として惹かれていき、心から愛するようになった。長年の想いが通じ、身も心も結ばれた時の歓喜の想いは今も鮮明に思い出す事が出来る。

レオンには自分も含めて複数の恋人の女性が居るがそれに異論はなかった、それ程レオンという男は様々な意味で規格外であるのだ、自分一人で独占するのは無理であると彼女は知っていたのだ。

故にクリスティナは複数の恋敵に対して比較的寛容といえる。しかし女として自分だけを見て欲しいという独占欲もあるため、逢瀬の時には愛しい恋人にひたすら甘えてしまうのであった。

薄暗い部屋の中、ランプの淡い光に照らされるベッドの上で、レオンの腕に抱かれながら、クリスティナは今だけは自分一人で恋人を独占出来る事に例えようもない程の喜びを感じている。

「レオン、起きていますか?」

普段呼ぶ時とは違い敬称を付ける事なく、囁くように恋人の名を呼ぶクリスティナは、切れ長の瞳を潤ませ、その美貌には優しい微笑みを浮かべている。

「ん?ああ、起きてる」

声に応えるようにレオンが腕の中に居るクリスティナの髪を撫でて、その細やかな髪の感触を楽しんでいると、

「何か考え事ですか?私で良ければ相談に乗らせて頂きますよ」

髪を撫でられる感触を気持ち良く感じながら、重なり合っている身体をより強く寄せ、思案顔をしているレオンを見つめる、

「ああ……、海賊の被害も増え続けている、“情報網”を強化した方が良いと思ってな」

海賊達による被害を抑えるには、より早く正確な情報が必要だった、

「了解しました、世界各地に居る“協力者”からの情報収集を強化します」

“情報”は何より重要であり、使い方によって多くの人々を守る事が出来る。

その後もレオンの私室のベッドで、他の場所では話せない極秘事項について話し合っていく、情事後の寝物語に入手した情報の整理などで話し合うのは、レオンとクリスティナの二人にとって何時もの事である、他の誰にも聞かれる心配はないため、気兼ねなく話す事ができる。

話し合いは夜が明け、空が白んでくるまでつづけられるのであった。

 

 

 

 破損した船体の修理作業が完了してからの航海は順調に進み、数日後に遂に目的地に到着した。

「少し遅れてしまったが、無事に帰って来れたな」

軍艦の甲板上に立っているレオンの視線の先には巨大な島が見えてきている、 

その名は『マリンフォード』世界のほぼ中心にあるとされる島。

 

その島には『海軍本部』が存在していた。

 

 

 



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第4話

『世界政府』世界の秩序の維持を掲げ、百を超える国々が加盟している。巨大な機構である。

その巨大機構の下には海軍も所属している。

 

 厳しい自然環境で知られる海『偉大なる航路』 その海のとある場所に島がある、

その島は〈マリンフォード〉と呼ばれた。

 

〈マリンフォード〉には峻厳な岩山や所々に森が存在している。三日月型の湾口をもち大規模な港には軍艦が数十隻は停泊できるであろう。島の中心には巨大な建造物が存在し、風光明媚を感じてさせる作りのそれは島の中央で見上げる程、天高く巨大に作られていた。

その建造物は『海軍本部』という名称で呼ばれており、世界中で活動する海軍という勢力の本拠地であった。

『海軍本部』の正面には<オリス広場>という大きな広場があり、その先に三日月型の湾口が海に面して広がっている、本部の周囲には軍の宿舎や訓練場などがあり、そのさらに先に円形状に街が広がっていた。

街には本部所属の海兵の家族や関係者などが住んでいる。街中には生活必需品を販売する商会や衣類店、飲食店、娯楽施設なども存在していた。

 

『海軍本部』のとある部屋にレオンとクリスティナはいた。

 広い部屋にある机や椅子などは地味ながらも上等の作りをしており、部屋の持ち主の階級の高さが窺える。二人は本部に帰還した後、上官に諸々の報告をしている所だった。部屋の主は椅子に座り机の上に肘を突いて手を組みながら、机の前に立つ二人から報告を受けていた。

二人の上官でもあるその人物の名前は[ツル]。老齢の小柄な女性である、白髪を後ろで一括りにしており、顔には深い皺が幾つも刻まれている、穏やかな雰囲気を感じさせる老女は海軍本部所属の女性海兵であり階級は《中将》、【大参謀】の異名を持つ歴戦の海兵でもあった。

 レオンとクリスティナの一連の任務報告が終わると、ツルは閉じていた眼を開き正面に立つ部下を眺める、任務の疲れなど一切見せずに並んで立っている二人の生真面目さに頬をゆるめる。

「まずは、お疲れ様。良くやってくれたねェ…………、海賊[ボリック]の討伐も見事じゃった。しかし、レオンお前に一つだけ聞いておきたい事があるんだよ」

穏やかな表情で二人を労いつつ、ほんの少しだけ眼を細めて問い掛ける、

「ボリックやその部下の海賊達を生かしたまま捕らえる事は出来なかったのかい?」

二人を見つめるその眼には深い知性が宿っており、心の奥底まで見通すかのような視線には無形の力が備わっているようにさえ感じられた。

「それはっ………」

「待て、俺から話す」

視線に気圧される様にして思わず声を出してしまったクリスティナをレオンが遮り、

「確かに、海賊達を生かしたまま捕らえる事は可能だったと思います。しかし、俺は自分の意志で海賊達を殲滅しました」

その気ならば、海賊達を生かしたまま捕らえる事は可能であった、懸賞金7800万ベリーという大金が掛かっているボリックさえも、レオンからすれば圧倒的な弱者であり、殺さずに確保するのは容易であった。だというのにあえて一人残らず殲滅したのは、怒り故である。街を襲い無抵抗の住人を虐殺した海賊達を許す事が出来なかったのだ。

冷静な表情のまま自分の心情を隠す事なく語るレオンの話を聞き、

――若い。

ツルは口には出さず胸中で思う。

「海賊達を殲滅したのは俺の独断です、責任は全て俺にあります」

襲撃された街の惨状を見た事で強い怒りを感じてはいた、しかし怒りに我を忘れていたわけではない、後の事を考えた上で、海賊達を殲滅する、という選択をしたのだ。

レオンは最初から責任は全て自分でとると決めていたのである。

全ての話を聞いたツルは軽く溜息を吐く。

レオンの事はクリスティナと共に、子供の頃から知っている。

冷静沈着で冷たく思われがちだが、本当は義理堅く優しい子だ。

答えは聞くまでもなく分かっていた。

問い掛けたのは海軍の上官としての責務故、最初から責めるつもりは全く無い。

海軍としても、海賊に対しては生かしたままの捕縛を基本としているが、全ての海賊達にその様な生易しい方法が通じる訳ではなく、海賊への殺傷も許可されている。

故に海賊【ボリック】の討伐は正式に認められた方法であると言える。

「分かった、もう十分じゃ。少し過激じゃが、海賊への対処としては正しい方法ではある。迅速に対応した事で救えた命もあるじゃろうしな」

話を区切るかのようにツルは吐息を吐き、

「それでじゃな、今度はこちらから話がある。実はな、お前達が是までに挙げた功績でそれぞれ昇進の話がきておる」

海軍は階級社会であり、高い功績を挙げた場合には昇進する事が出来る。

レオン達の部隊が積み上げた数々の功績からみても、昇進は必然でもあった。

「昇進ですか…………。レオン様を降格させて辺境海域に送って置きながら………、今更ですね」

クリスティナはその美貌に怒りの感情を宿し、ツルを鋭く睨みつける。

発せられた冷たい声音には明確な糾弾の響きが伴っていた。

「原因となった、“あの事件”もレオン様は非難される事は何もしていません。しかし、政府や軍上層部は責任をとらせる名目でレオン様を降格させた」

普段は滅多に崩れる事のない表情は怒りによって崩れ、それが彼女の胸中の憤りの深さを物語っている。

珍しく冷静さを失いつつあるクリスティナを落ち着かせるように、レオンは静かに声を掛けた。

「クリス、そこまでだ。“あの一件”は既に終わった事、それに処分に関しては俺自身納得している」

事実、彼は下された処分に不満などは感じていない、処分の軽減の為にツルを初めとして様々な者達が尽力してくれた事を知っているからだ。

現在も海軍に残る事が出来ていられるのは、多くの者達の助けがあったからこそだとレオンは知っていた。

「クリス、お前の言う事は尤もじゃ。レオンがした事は正しい、じゃがの今の世界の仕組みはそう単純ではないんじゃよ。悔しい事じゃがな」

「…………………言葉が過ぎました、申し訳ありません」

深く頭を下げるクリスティナは自らを責めていた、ツルがレオンの処遇について東西奔走して力を尽くしてくれたのを改めて思い出したのだ。

レオンとクリスティナにとって、ツルは恩人であり師匠である。

戦い方や他の様々な事を二人は彼女から学び、師と呼んで尊敬していた。

尊敬すべき恩人に対して、無思慮な糾弾をしてしまった事にクリスティナの胸中に後悔の念か込み上げる。

「ふふ、気にしとらんよ。………クリス、お前がどんなにレオンの事を想っているか知ってるからの」

穏やかな声のツルの表情には微笑みが讃えられており、自らの想いが見透かされている事を知ったクリスティナは、美貌を薄く赤らめた。

孫とも思っている弟子の初々しい仕草に、ツルの微笑みは深くなる。

「さぁ、任務報告ご苦労じゃった。二人共疲れたじゃろう。ゆっくり休むといい」 

「はッ、了解しました」

レオンとクリスティナは綺麗な敬礼をすると、静かに部屋を退室していった。

 

 

 二人が部屋を出たのを確認して、ツルは机の引き出しから書類を取り出し目を通すと、浅く溜息を吐いた。

その書類には“ある事件”の経緯が記載されていた。

通称“フレス島事件”海軍本部中佐、クロイツ・D・レオンが深く関わった事件である。

『偉大なる航路』の〈フレス島〉で行われた違法な奴隷売買に対しての大規模な摘発作戦に端を発した事件だった。

“奴隷売買”人などを売買する行為であり、世界政府によって強く規制されていた。しかし売買の際に生まれる利益の大きさから世界中で違法に行われており、一般市民にとっての脅威の一つでもある。“人”、”魚人、“人魚”、などの多種族を拉致などの違法手段を使い入手し売り払う、という商売である。顧客は各国の富裕層や特権階級の者達で、頻繁に行われる。

 〈フレス島〉で複数の大物奴隷商人の奴隷売買情報を海軍本部が入手し、数百人の海兵による大規模摘発作戦が立案、決行された。

 この作戦にクロイツ・D・レオン中佐も部隊と共に参加していた。

作戦開始当初は順調に進んでいたが、作戦途中である問題が発生した。

奴隷売買の顧客の中に“天竜人”が存在したのだ。

“天竜人” 世界政府という巨大機構を造り上げた“創立者”達の末裔であり、絶対的権力を有している。

天竜人が奴隷売買に関わっていると判明した時点で、海軍は介入は不可能になったのであった。

絶対的な権力を持つ、天竜人には“法”が適用されず、奴隷売買も例外ではない。

重い罪に問われる奴隷売買も天竜人が関わっていた場合は見逃すのが、暗黙の決まりとされている。

 海軍本部が世界政府直下の組織である事や、天竜人に危害が加えられた場合、海軍本部《大将》派遣の義務が海軍に課せられている事もあり、海軍もまた天竜人には手出しが出来なかった。

奴隷売買の摘発作戦に天竜人が関わっていると報告を受けた海軍本部上層部は直ちに作戦の中止、帰還命令を出して事態の収拾を図った。

しかし〈フレス島〉には奴隷売買の商品とされた多数の被害者が存在しており、作戦中止はその者達を見捨てる事を意味している。作戦の参加していた将兵からも作戦続行と被害者達の救出が軍上層部に上申されたが許可は下りず、多くの心ある海兵達は歯噛みしながら作戦中止命令を受諾するしかなかったのである。

海軍の軍艦が〈フレス島〉を離れ、本部に帰還して行く中、一隻の軍艦が命令に反して島から離れずにいた。

その軍艦の部隊の指揮官の名はクロイツ・D・レオンといった。

レオンは中止命令を無視して、被害者救出作戦を実行、自らは単騎突入し、奴隷商人の私兵や顧客の護衛兵と戦闘を行い、その間にクリスティナが指揮する部隊が被害者の救出に成功。レオンも奴隷商人とその私兵、護衛兵を全滅させて戦闘に勝利し部隊に合流、島から離脱しようとした所で想定外の事態が発生する。

天竜人が被害者を奴隷として船に連れ込んだ事が判明、レオンは単身で天竜人の船を強襲。天竜人が元から連れていた奴隷と連れ去られた被害者を救出、天竜人に直接重傷を負わせ、護衛を殲滅後、船諸共海に沈めたのである。

天竜人はレオンに強襲された際に海軍本部に大将の派遣を要請しており、海軍大将【赤犬】[サカヅキ]の派遣が決定された。

レオンは救出した者達を部下達に任せて軍艦で送り出し、自身は島に残り大将を待ち受け、派遣されてきたサカヅキと、その部隊との戦闘を開始した。

戦闘は数日間に及び最終的にレオンはサカヅキに投降、事件は収束した。

護天竜人は重傷を負ったが辛うじて生存。

解放された奴隷達と救出した被害者達はレオンの部下達が独自に保護し、それぞれの故郷に送り届ける事に成功した。

 

 レオンは命令違反、天竜人への危害などで軍法会議に掛けられた。下された処分は二階級の降格、辺境への左遷、及び数ヶ月の謹慎であった。天竜人への反抗は実質的に死刑である事を考えれば、異例とも言える軽い処分だが、その理由としては、違法奴隷売買摘発が極秘作戦であり外部には一連の事態が漏れていない事、海軍内での擁護意見が上層部に数多く上申された事、世界政府最高権力【五老星】がレオンの計り知れない将来性を鑑みて擁護に動いた事、などが挙げられる。海軍本部上層部でも《元帥》や【三大将】などがレオンの擁護に各方面に働き掛けた事も処分の軽減に大きな役割を果たしている。

 結果的に命令違反や独断専行などでレオンのみに処分が下され、クリスティナや他の部下達は処分を免れたのであった。

その後、レオンは謹慎の後に『偉大なる航路』の辺境に派遣され、クリスティナ達も全員一緒について行ったのである。

 

つるは目を通していた書類から顔を上げ、もう一度溜息を吐く。

この事件が各方面に与えた影響は大きい。天竜人や世界政府上層部の高官達は、絶対的な権威や権力を容易く打ち砕く力を持つレオンに対して、警戒と畏れを抱き、海軍内では次世代の海軍を率いる者として更に期待が高まったのである。

この一件によってレオンの名と力は事件を知る者達の間で轟いたのである。

 

今回の昇格の件でレオン達は本格的に復帰を果たしたといえる。

ツルはレオンやクリスティナを実の孫のように思っており、それ故に嬉しくもあり心配でもあるのだった。

「まあ、あの子達ならば大丈夫じゃろう」

海兵として長年多くの者達を見てきたが、子供の頃からレオンとクリスティナの二人はずば抜けて優秀だった。

特にレオンの才能は比類無いもので、教えられた事を真綿に水が染み込むように覚えていったのである。

それは一を聞いて十を知る、という程であり、まさに“天才”であった。

ツルは穏やかな表情で軽く笑いを零すと、読んでいた書類を机の引き出しに戻して、別の書類を取り出し、中断していた仕事を再開するのであった。

 

 〈マリンフォード〉には海軍本部の訓練場が幾つも存在する。訓練場は海兵であれば誰でも使用可能であり、個人訓練や部隊訓練、部隊同士の大規模な戦闘訓練も行われる。海軍本部の裏手にも大きな訓練場があった、森の傍に造られている訓練場は土でしっかりと地面が固められており、かなりの広さがあった。

その訓練場では様々な部隊の海兵達がそれぞれ訓練に勤しんでいる。

青い空の下、強い日差しの中で訓練に励む海兵達を訓練場の端で並んで見守っている者達がいる、訓練場を眺めている銀髪の青年に傍らの金髪の美女が時折話し掛け、何事かを話し合っている。レオンとクリスティナであった、二人はつるへの任務報告を終えて執務室を退出した後、訓練場に向かい部下達の訓練を見ていた。

  レオンとクリスティナの視線の先では、二人の海兵が模擬戦による対人戦闘訓練を行っている、海兵の一人は若い少女であり、ショートカットにした茶色の髪が彼女の動きに合わせて空中に踊っている、愛らしい顔立ちには焦りの表情を浮かべている、相対している海兵は少女の倍以上はある壮年の男の海兵だった、巌のような顔付きに好戦的な笑みを浮かべながら、少女の軽快な動きから繰り出される攻撃を容易く捌いている。

相対して模擬戦を行っているのはカレンとギリアムの親子である。戦闘を優勢に運んでいるのはギリアムであり、カレンの素早い連続攻撃を見切り、的確な反撃をしている。

「このッ!当たれっ」

攻撃が避けられ捌かれ続けている事に苛立ち、カレンはムキになって拳や蹴りを繰り出すが、全て捌かれ手痛い反撃を喰らい、更に苛立ちが募っていく。

「フンッ、まだまだ甘いわ!小娘がァ」

素早い攻撃見切り、確実に防御し、反撃する。揺らぐ事の無いギリアムは、その屈強な身体も相まってまるで山のようであった。

二人の模擬戦は益々勢いを増していき、それを見物する海兵達によって周囲には人集りが出来ていく。

「まったく……、あの二人は。訓練であそこまで熱くなる必要はないでしょうに」

人集りから離れた場所で、クリスティナは喧騒を増していく訓練場に目をやり溜息を吐く、

「どうします?そろそろ止めさせますか?」

二人の模擬戦を中心にして訓練場自体の喧騒が増してきている、

「いや、この程度なら大丈夫だろう、注目される中で戦うのも訓練の内だ。」

レオンの言葉に頷きで了解しながら内心で、

――これ以上騒がしくなればレオンに文句を言う者が現れるかもしれない。

と、クリスティナが危惧するのには理由がある。

 数多くの功績を挙げ、若くして高い地位を持つレオンは様々な者達から注目されている。

次代の海軍を率いる存在として期待する者がいる一方で、若年でありながら高い階級を持つ事への嫉妬心を抱く者達もいる、そのような者達は様々な妨害などを仕掛けてきたりもしていた。

 海軍は階級社会であり、上位階級は強大な権威や権力を持つ、それ故に地位や権力に強い執着を持つ者なども一定数存在しているのだった。

加えて海軍内の“派閥”同士の争いもレオンの立場を不安定にさせる一因となっている。

 

“派閥”は海軍という組織内に存在する勢力である、海軍は“正義”を理念として掲げているが、海軍に所属する海兵達はそれぞれが独自の思想の“正義”を持っている。海兵達がそれぞれ独自の“正義”を持つ、という関係上、必然的に相反する“正義”というのも存在していた。

 そしてそれ故に自らが抱く思想の“正義”との違いから海兵同士で対立するという事態が、海軍組織内で発生していた。

 相反する“正義”があれば、思想的に似通った“正義”を持つ者達も存在する。その者達は多少の違いはあれども、自らが抱く思想と方向性が同じという理由などで集い、そして複数の海兵同士が集まる事で海軍内に勢力が形成され、

その勢力は“派閥”と呼ばれる事になる。

 

 海軍内に大小含めて様々な“派閥”が存在する事態は、海軍という組織にとって利点と欠点の両方が存在していた。

利点としてはそれぞれ同じ“派閥”内での海兵達による、団結力や錬度の向上が挙げられる。

欠点は“派閥”の違う海兵同士の対立による“派閥抗争”などである。

海軍内では幾つもの“派閥抗争”が存在するが、最大規模の抗争は、海軍《大将》同士の“派閥”の争いであった。

 

現在の海軍本部には三人の《大将》が存在し、それぞれが特有の異名を持つ。

【赤犬】[サカズキ]、【青雉】[クザン]、【黄猿】[ボルサリーノ]、の三人の大将である。

三人もまた、それぞれ思想の違う“正義”を持つ。

 三人の《大将》が属する“派閥”の争いが海軍内で重大事である理由は、高位の階級というだけではなく、

海軍という組織の長である、次期海軍《元帥》の地位に誰が就くか、という事柄が関係してくるからだった。

 海軍《元帥》は海軍組織の頂点であり、その者が抱く思想は海軍の体制を大きく変える事になるため、

次期海軍“元帥”の人選は最重要視されている。

 

 特に【赤犬】サカズキ、と【青雉】クザン、の“派閥”に所属する海兵同士が、“正義”の思想の違いから深く対立しており、海軍内でも様々な場所で対立による影響が出ていた。

 

 訓練場でレオンとクリスティナが部下達の訓練を見守っていた頃、海軍本部の一室で話し合いが行われようとしていた。

 その広い部屋には太陽の光が差し込み部屋の中を明るく照らしている、しかし漂う空気は緊迫を帯びている、その原因となっているのは部屋にいる三人の人物にあった。中央のテーブルを囲むようにして三つの上等なソファーがあり、それぞれに2mを超える長身を持つ壮年の男達が座っている。

「わっしらが揃って呼ばれるとは珍しいねェ~、クザン、君はどう思う」

無精髭を生やした顔にサングラスを掛け、黄色のスーツを着た男がひょうきんな調子で声を上げ、隣のソファーに座る男に顔を向ける、

「ボルサリーノ、どう思うも何もないでしょうが、今本部じゃあの“跳ねっ返り”の噂で持ちきりだ、俺達が揃ってここにいんのはそれが理由だろ」

アイマスクを額にずらして掛け、だらけた雰囲気を感じさせながらクザンはソファーの背に深く身体を埋めながら脱力する。

「まあ、僕もおそらくはその件だと思うよォ~、センゴクさんも”彼”の事は気に入っているみたいだからねェ~、サカヅキ、君の意見は?」

「…………………………」

赤色のスーツを着て帽子を被り、厳しい表情で眼を閉じていたサカズキは、言葉を掛けられても黙したまま反応する事はなかった。部屋に沈黙が満ちる、サカズキとクザンは“派閥”関係での対立が深まり、元々気性が合わなかった事もあってか、最近では顔を合わせるだけで緊迫した空気を生み出す程であった、ボルサリーノはあえて二人から距離をとっているため、“派閥”に属する者達もそれに倣って抗争には加わっていない。

 

 そんな時、部屋の扉が開き一人の男が入ってきた、白いスーツの上にコートを羽織り、白い帽子をかぶっている男の顔には皺が幾つも刻まれており、既に老齢である事を物語っている、しかし丸い眼鏡を掛けて強い眼差しで前を見据えている姿には老いを感じさせず、厳格な雰囲気を纏っている。

老齢の男の名前は[センゴク]海軍本部《元帥》であり、現在の海軍を指揮する立場にいるものであった。

 

 センゴクは自らの執務室に入ると奥にある机に座り、正面に見えるソファーに座る三人の《大将》を眺め、緊張感漂う空気に軽く溜息を吐く。三人とは長い付き合いなだけに、それぞれの関係性なども承知しているため驚く事はなかった。

「待たせてしまったようだな。さて、早速本題に入るがお前達三人を呼んだのは、ある一人の海兵の今後について意見を聞いておきたかったからだ」

椅子に深く座り、三人を見据えるようにして、

「もう分かっているかもしれんが、今回の話はレオンについてだ。“あの事件”以来、懲罰の意味もあり辺境海域での任務を与えていたが、辺境任務でも高い功績を挙げてきた、そろそろ本格的に本部の任務に復帰させようと思っている。」

事実としてレオン率いる部隊は海賊討伐などで多くの功績を挙げ、辺境海域の治安回復に大きく貢献していた、周辺の海軍支部からもその働きを絶賛する報告が本部に届けられている。

「わっしも良いんじゃないかと思いますよォ~。海賊達の数は増える一方だ、優秀な海兵は一人でも惜しいからねェ~」

海賊の増加と共にその被害も拡大している、特に重要任務を扱う本部には優秀で信頼の置ける海兵が一人でも多く必要となっている。

「俺も賛成ですよ、あの一件の罰としちゃもう十分でしょ、それにレオンだけじゃなく、その部下達も精鋭揃い。しかも左遷同然の上官に付いて行く程の忠誠心を持っている、実質あの部隊は本部でも最精鋭だ、何時までも辺境任務じゃ勿体無いでしょうよ」

ボルサリーノとクザンの続けての賛成意見を聞きセンゴクは、まだ意見を言っていないサカズキに顔を向ける、

「サカズキ、お前はどう思う?」

声を掛けられ、サカズキは閉じていた眼をゆっくりと開く、

「……………………わしも異論はありゃせん」

センゴクは軽く頷き、

「よし、皆同じ意見だな。ではレオンは中断している“第零特務部隊”の任務に復帰させようと思う、他に意見はあるか?」

 海賊達の討伐、及び捕縛任務は、海兵それぞれの個人戦闘力によって成功率が大きく変わる。

大半の海賊は海軍の兵力で圧倒できるが、世界に名を馳せる海賊などは一騎当千の力を持つ者達が多く、海軍が如何に兵力で勝ろうと、海賊個人の力で状況が一変してしまう事がある。

そのような事態を防ぐために、海軍本部は海賊の戦闘力を大凡で測定し、海賊を圧倒できる戦闘力を持つ海兵を派遣する方法を採っている。

 元々レオンは若くして傑出した戦闘力を持っていたが、経験を積み、更に最近では“悪魔の実の能力者”となった事で力を増している。

「ん~~『新世界』はどうです?わっしとしては彼なら十分やっていけると思うんだけどねェ~」

 『新世界』“偉大なる航路”の後半の海の呼称である。

“偉大なる航路”の前半の海に比べて、更に過酷な自然環境が存在し、そして選び抜かれた海賊達が群雄割拠する海である。

 海軍もまた海兵を『新世界』各地に派遣しており、海兵の死傷率が最も高い海でもあった。

「さすがに『新世界』はまだ早過ぎんじゃねぇか、“能力”も手に入れたばっかだろ、特に“自然系”は制御が難しいからな、そういえば『覇気』は使えるんだっけか?」

 『覇気』はあらゆる人間が元から備えている力であり、資質を持つ者のみが修練によって力を引き出し、使う事が出来る。

『覇気』には、“見聞色”、“武装色”、“覇王色”、の三種類が存在する。

“見聞色”は生物の気配などを感じる事ができ、鍛える事で攻撃の気配なども読めるようになる。

“武装色”は身体に纏う事で、攻撃力や防御力を高める事が出来る。特に『覇気』を纏っての攻撃は、物理攻撃を受け流し無効化する“自然系”能力者の実体を捉え、攻撃する事が可能のため、“自然系の能力者”と戦う場合は必須とされている。

“覇王色”は限られた一部の者のみが使う事ができる。使える者は1000万人に1人と言われている程の希少な存在であり、資質の持ち主は“王の資質を持つ者”と呼ばれ、実力差がある相手に使用した場合、相手を威圧する事によって気絶させる事も出来る。

「うむ、レオンは子供の頃から『覇気』を扱う事ができておった、師匠のおつるさんによると“覇王色”にもその頃から覚醒しておったそうだ」

クザンの問いに答えながらセンゴクは、つるから話を聞いて感嘆した事を思い出した。

 つるは戦闘訓練などで『覇気』も教え込んだが、レオンはそれを子供の頃から使いこなし、更に“覇王色”にも覚醒したのである。

「おお~、それは凄いねェ~。子供の頃から『覇気』を使える者なんて聞いた事もないよォ~」

ボルサリーノが驚愕するのには理由がある、通常『覇気』は資質ある者でも長い時間を掛けて鍛錬を積み、漸く使う事が出来るものであるからだった。

「まさに天才だな。しかも“覇王色”の覚醒者とは……、おいおい、とんでもねぇな」

レオンが“覇気”を扱える事はクザンも知っていたが、“覇王色”の資質を持っている事は知らなかった。

海軍内で『覇気』を使う者はそれなりに存在する、階級が《中将》から上の者達などは皆使えると言っていい。しかし“覇王色”を使う事が出来る者はほんの一握りしか存在しない。

若くして『覇気』を使いこなし、“覇王色”さえも使う事の出来るレオンは、“天才”と呼ばれるに相応しい存在であった。

「…………どんなに高い才能を持っていようが、それだけでやっていける程あの海は甘くない、その事はお前らも分かっちょるじゃろうが、……『新世界』はまだ早い」

サカズキの言葉は正しくもある、『新世界』は強さだけではなく、あらゆる力が試される海だった。

センゴクは三人の意見を聞き、納得するように深く頷きつつ、

「儂としても、レオンでやその部下達には、まだ『新世界』は早過ぎると思う。今は経験を積ませる事が重要、特務部隊の任務ならば経験を積む事も出来るだろう」

三人の《大将》はそれぞれ頷き、センゴクの意見に賛成の意を示す。彼等三人も様々な経験を経て今の地位まで上り詰めたのだ、経験を積む事の大切さを皆が知っていた。

その後、《元帥》と《三大将》の話し合いは夜が更けるまで続けられるのであった。

 

 レオン達が海軍本部に帰還してから数日後、

「お前達の次の任務が決まったよ」

朝早く、つるの執務室に呼び出されたレオンとクリスティナは部屋に入るなり掛けられた声に戸惑いつつ、渡された命令書に目を通す。

「我々の次の任務…………、もう暫くは休暇を頂けると思っていたのですが」

クリスティナが控えめに反論するのには理由がある。海軍本部に帰還して数日しか経っておらず、部下達の疲労も完全には抜けていない、それ故、もう暫くは訓練の量も最低限に抑え、疲労の回復を優先する事にレオンと話し合って決めていたのだ。

「わしも皆をゆっくりと休ませてやりたいんじゃが、センゴクのやつが煩くての、まあ、彼奴の気持ちも分からんでもない、あいつはお前達を気にいっておるから経験を積ませたいんじゃろ」

センゴクは《元帥》として海軍の未来のために後進の育成にも力を入れている、だからこそ若く飛び抜けて優秀なレオン達に多大な期待を寄せていた。

今回の急な任務復帰命令もその辺りが理由だろうと、つるは読み切っていた。経験を積ませつつ、更なる実績を挙げさせようという事だろう。

――まったく、自分にも他人にも厳しい彼奴らしい、しかしレオンやクリスには災難かもしれんな。

レオン達に期待しているのは、つるも同じなのでセンゴクの考えは理解出来る。

「“第零特務部隊”への復隊命令。ようやくですか、中将」

渡された資料を読み終わったレオンは確認するようにつるに問い掛ける。

「うむ、お前達特務部隊は既に確固たる戦果を挙げている、復帰は当然じゃな」

レオン達にこの様な任務が与えられた理由はとしては、経験を積ませる、というのが大きい。

過酷な自然環境などを実際に経験させる事で更なる練度向上も期待されている。

 つるとしても実の孫同然の二人には焦らずにじっくりと経験を積んでいって欲しいと思っていた。 

 つるの心情はレオンやクリスティナも十分に理解しているので、二人は顔を見合わせて微笑を浮かべ、

「任務了解しました。準備が整い次第出発、任務に復帰します」

と、敬礼と共に答えたのであった。

 



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第5話

〈シャボンディ諸島〉『偉大なる航路』に存在する巨大な諸島である。

諸島は巨大な植物<ヤルキマン・マングローブ>で構成され79本存在し諸島を形成していた 、植物に寄り添う形で家や街が建てられている。

世界を縦断する巨大な大陸『赤い土の大陸』の近海に位置しており、大陸を超えて『新世界』へと向かう者達が集う場所でもあった。

『赤い土の大陸』は世界全体を縦断している巨大な大陸であり、世界の海を遮っていた。

『偉大なる航路』後半の海『新世界』に行くには二通りの方法がある。

『赤い土の大陸』の上に存在する〈聖地マリージョア〉を通る方法と、深海に存在する〈魚人島〉を通る方法であった。

 

 

 

〈シャボンディ諸島〉に<ユニオン>と書かれている巨大な建物が存在した、その建物の最上階の一室に一人の女性がいた。

 その女性の名前は[リク・ヴィオラ]年齢は19歳、身長は170cmを超えており、黒い瞳を持つその美貌は非常に美しい、軽くウェーブの掛かった黒髪を背中まで伸ばし、そしてスタイルも抜群であり、豊かな胸元から括れたウエストへの曲線は艶めかしい程である、その流麗な肢体から艶めいた色気が滲む美女であった。

部屋にある窓を開け放ち、その先に見える景色に目をやっているヴィオラに、ふと部屋の扉が叩かれる音が届く、

「入りなさい」

振り向く事なくヴィオラが発した言葉に応じるようにして、部下の女性が入ってくる、

「社長、“彼”から連絡が入りました、数日後には此方に到着するようです」

「…………そう、分かったわ、御苦労様」

報告を聞いたヴィオラは部下を部屋から下がらせると、

「ふふ、…………ようやく会えるのね、随分待たせてくれるわ」

美貌に妖艶な笑みを浮かべ甘く囁くように呟く。

「……………まったく、私をこんなに夢中にさせるなんて、本当に罪な男ね。………ふふ、あの“事件”で初めて会った時にも貴方は直ぐに私の心を奪っていった」

ヴィオラはとろけるような笑みを浮かべると、眼を閉じて愛しい恋人と出会った時の事を思い出す、

まだ自身が“王女”であった頃、自らの人生を一変させた“運命の夜”の事を。

 

 

 

〈ドレスローザ〉情熱の国と呼ばれ繁栄を謳歌しており、強国として周辺諸国に知られている。

現在の国王は[ドンキホーテ・ドフラミンゴ]、海賊であり『王下七武海』でもある男だった。

 

『王下七武海』世界政府公認の称号を持つ、七人の海賊達。

略奪品や財宝、金などを定期的に一定量政府に納める事で、政府公認での海賊行為が許可されていた。

圧倒的な強さが加入条件のため、それぞれが一騎当千の強者であり、他の海賊達に畏怖されている。

 

 海賊が一国の王の立場にいるのは極めて異例の事態であり、実質的に〈ドレスローザ〉は海賊の国となっている。

国がそのようになったのは数年前に起きた事件がきっかけである。

  

 数年前までの〈ドレスローザ〉は貧しくも平和な国であった。

数百年間戦争を行う事もなく、周辺諸国の助けを求める声には必ず応じる、などで各国からも“平和の国”としての呼び声も高く、信頼を集めていた。

 国王は[リク・ドルド3世]数百年の間〈ドレスローザ〉を平和に導いてきた王族[リク一族]である。

貧しいながらも戦争のない平和な国を国民は誇りに思い、平和を作り上げた[リク王族]へ絶大な信頼を寄せていた。 平和な国に災厄が訪れたのは突然の事であった。

災厄の元凶の名は[ドンキホーテ・ドフラミンゴ]、海賊であり、『七武海』のこの男が〈ドレスローザ〉を訪れたのだ、ドフラミンゴは現国王[リク・ドルド]にある要求を突きつけたのが悪夢の始まりであった。

ドフラミンゴの要求した物は“100億ベリー”であり、要求の理由はドフラミンゴの出生に深く関係している。

[ドンキホーテ・ドフラミンゴ]の[ドンキホーテ]一族は数百年前までドレスローザの王族であり、ドフラミンゴはその末裔であった。

ドフラミンゴは自らの“血筋”を理由に〈ドレスローザ〉に王としての帰還を望み、

その譲歩案として“100億ベリーでリク一族に国を売る”という提案を現国王であるリク王に突きつけたのであった。

 ドフラミンゴの率いる海賊団の危険度、それによる国民達の被害を危惧したリク王は要求を呑むことを決定する。

しかし平和だが貧しいが故に国庫にそれ程の資金はなく、苦渋の策として国民達へ呼び掛ける事で100億ベリーをかき集めようとしたのであった。

国民達は突然の国王からの要請に戸惑うも、映像電伝虫によって国全体に発信された映像でのリク王の嘆願を見て、自分達の資金を提供する事を決意し、リク王を信じ国民それぞれが財産を国に預けるのであった。

国民達の協力によってドフラミンゴからの要求である“100億ベリー”の目標額に目処が立った所で、ある異変が起きた。

リク王がなぜか国民達に刃を向け、街に火を放ったのである。 

軍の兵士達もまた国民達に剣を振るい、街や村を火で焼いたのであった。

国民達は信頼していたリク王や兵士達の凶行に、始めは戸惑い、悲しむも、尚も続く凶行に怒りを抱き始め、それはやがてリク王や兵士達への憎悪に変わるのであった。 

国民から絶大な信頼を寄せられていたリク王や兵士達の突然の凶行によって国の至る所で惨劇が巻き起こり、

〈ドレスローザ〉は大混乱に陥るのであった。

混乱の中、凶行を続けるリク王や兵士達を止める者達が現れた、

海賊[ドンキホーテ・ドフラミンゴ]とその部下達である。

ドフラミンゴ達は圧倒的な力でリク王と兵士達を圧倒し、瞬く間に混乱を収めてみせたのだった。

国民達は自分達を救った、ドフラミンゴ達を迎え入れ、それによって[リク一族]が治めてきた国は一夜にして崩壊、

ドフラミンゴを国王とする“海賊の治める国”が誕生したのであった。

 国民達からの財産の徴収やリク王と兵士達による凶行は、乱心したリク王の指示によるものとされる事になり、

その罪により、リク王を含めた[リク一族]は処刑により死亡した、とドフラミンゴが発表した事により、

〈ドレスローザ〉は名実共に、ドフラミンゴの手に落ちたのである。

そしてそれ以降[リク一族]は国民達の怒りと憎悪の対象となったのであった。

 

 しかし、これらは表向きの話であり真実ではなかった。

リク王や兵士達の凶行も含め、一連の事態は全て仕組まれた事であり、

真の元凶は[ドンキホーテ・ドフラミンゴ]であった。

リク王や兵士達は自らの意志で凶行に及んだのではなく、ドフラミンゴに操られていたのである。

ドフラミンゴは“超人系”『悪魔の実』“イトイトの実”の能力者であり、糸を自由に操る事が出来た。

その能力を応用する事によって、糸で他人の身体を自由に操る事も可能であった。

ドフラミンゴは、この能力をリク王や兵士達に使う事により、国民達を傷つける凶行を行わせ、窮地陥った国民達を自らが救う事で信頼を得る事に成功し、自作自演の計略によって国を手に入れたのである。

一連の事態の全ては〈ドレスローザ〉という国を手に入れる為にドフラミンゴによって仕組まれた事であった。

 

計略により国民の支持を得たドフラミンゴは早くも次の行動を起こしていた、〈ドレスローザ〉王族[リク一族]の抹殺である。

国王となり国を支配しようとするドフラミンゴにとって王族である[リク一族]は邪魔な存在であり、それ故に国全体がが混乱状態にある間に一族を根絶やしにするべく動き出していた。

事前の情報収集で[リク一族]の居場所は把握しており、信頼できる部下に殺害命令を下し送り込んでい。

 

王宮から離れた場所に辺り一面に花が咲き乱れる丘がある、その丘の上には質素な造りの一件の家が建っていた。

その家の近くに複数の人間の姿があった。

 額に傷を持ち大柄で屈強な身体の男の名前は[キュロス]、ドレスローザ軍団長であり、リク王に仕えている。

リク王からも厚く信頼されている男であった。

キュロスは遠くに見える王宮を険しい顔で見据えている。

「一体何が起こっているんだ………」

視線の先、遠くに見える王宮の周りの一部家々に火が放たれたのか、赤く燃えている。夜が近くなり暗くなってきたせいもあり、遠くからもその様子がはっきりと分かり、それが更に不安を煽っていた。

「キュロス、お父様やヴィオラは無事かしら……、心配だわ」

キュロスと呼ばれた男の隣に立ち、並んで丘の上から王宮を見ていた女性は不安そうな声を出した。

髪を背中まで伸ばし一括りにしている見目麗しい女性の名前は[リク・スカーレット]リク王の二人いる娘の長女であり王女であった。スカーレットはキュロスと結婚し娘も産まれている。

スカーレットは今美しい顔に不安の表情を浮かべ、王宮を見つめている。

「スカーレット………、リク王様、そしてヴィオラ様も、きっと御無事だ」

キュロスは隣で不安そうにしている妻を安心させるように声を掛ける。 

 彼等が王宮から離れた丘の家にいるのは理由がある、本来ならば結婚した事によってキュロスも王宮に住む事になるのだが、身分の低さや、過去に犯した罪などにより、キュロスは自ら王宮に住むのを辞退し、街から離れた丘の上に一人で住んでいた。   

スカーレットは娘と共に、王族として王宮に住んでいたが、リク王の許可を得た上で定期的に娘と一緒にキュロスの家を訪れて、家族の時間を過ごしていたのだった。

 そして何時も通り家族三人で過ごしている時に、突如街の方が騒がしくなったのである。

喧騒には次第に悲鳴などか混じる様になり遠く離れた丘の上にも届いてくる、更に街の家々に火が放たれたのか、赤く燃えているのが見てとれる。

「私は王宮に向かいリク王様とヴィオラ様の御無事を確認してくる。スカーレット、レベッカと一緒に待っていてくれ」

明らかな異常事態にキュロスはまずは国王であるリク王の安否を確かめるため、王宮に向かおうとする。

「分かったわ、気をつけてね」

キュロスが国随一の戦士なのはスカーレットが誰よりもよく知っている、しかしそれでも不安が消える事はなかった。

今後の事を話し合う二人に、後ろから声を掛ける者がいた、

「お父さまァ、お母さまァ、どうかしたの?」

キュロスとスカーレットは後ろから掛けられた声に振り返ると、そこには泣き出しそうな顔をした少女がいた。

少女の名前は[レベッカ]年齢はまだ十にも満たないが、幼いながらも容姿は整っており、薄ピンク色の髪を持っている。

キュロスとスカーレットの娘であり、リク王の孫でもあった。

「ごめんなさい、驚かせちゃったわね、大丈夫よ」

二人にとってレベッカは何よりも大切な宝であり、だからこそ何としても守るべく、キュロスとスカーレットは覚悟を決めたのであった。

「レベッカ、私は王宮の様子を見に行ってくる。スカーレットと一緒に待っていてくれ」

しゃがみ込んでレベッカの目線に合わせながら、キュロスはゆっくりと愛娘に語り掛ける。

「お父さま、どこか行っちゃうの?………………帰ってくる?」

普段とは違う緊迫した空気を、幼いながらも敏感に感じとっているレベッカは、愛らしい瞳に大粒の涙を浮かべながら、不安に満ちた声を出す。

「ああ、必ず二人の所に帰ってくる。だからそれまで待っていてくれ。」

不安の涙を零すレベッカを優しく抱き締めながら、キュロスは大切な家族を必ず守る事を己に誓っていた。

「………レベッカ。私達は一緒に、お父さんが帰ってくるのを待っていましょうね」

二人を優しげな表情で見守っていたスカーレットはレベッカを抱き寄せる様にしてキュロスの身体からそっと引き離した。

 国全体で異変が起きているからこそキュロスは二人の傍で家族を守りたいと思っていたが、リク王への恩義と忠誠心故に己の心を抑え、立ち上がり、リク王の下へ駆けつけるべく、家の中に剣を取りに行き、準備を整える。

 夜を迎え空は既に暗くなっている、しかし普段ならば皆寝静まり静寂が満ちる空気は、今は緊迫し張り詰めている。

そんな中、王宮から場所にある丘の上で、王の下へと向かうべく準備を整えたキュロスが、家族と向かい合っていた。

「では、スカーレット、レベッカを頼む。“赤い花畑”で落ち合おう」

“赤い花畑”とはあらかじめ決めておいた、有事が起きた際の合流地点である、スカーレットとレベッカも準備を整えたらその場所に向かう事になっていた。

「ええ、あなた。…………気をつけて、お父様や妹をお願い」

レベッカの手を握りながら、不安な心を押し殺し、スカーレットは強く頷く、

「お父さまッ、必ず帰ってきてね。お母さまと一緒に待ってるから!」

泣き出しそうになるのを必死に堪えながら、レベッカは震える声でキュロスに叫ぶ。

「ああ、必ず戻る。約束するよ」

愛する妻と娘を安心させるように力強く答えると、キュロスは後ろを向き、丘を降りて王宮に向かうために走り出す。

スカーレットとレベッカは、走り去っていくキュロスの後ろ姿が見えなくなるまで見送るのだった。

 強い風が丘の上を駆け抜けていく、キュロスを見送ったスカーレットは、風に吹かれる髪を片手で押さえながら、もう片方の手に握られているレベッカの手を優しく引き、

「さあ、レベッカ。私達もお家で出掛ける準備をしましょう、手伝ってくれる?」

「…ぐすッ………うん、私もお母さまのお手伝いする」

レベッカは涙を流しながら、母親を見上げると、自分から手を引いて家に向かって歩いて行く。

「フフ、いい子ね。ありがとう、レベッカ」

一生懸命に強がる娘にスカーレットは慈愛の籠もった笑みを送る。

二人は家に入ると合流地点に向かうため、食料など必需品の準備を始めるのであった。

 

 

 

 夜も更け、月明かりが辺り一面に広がる花畑を青白く照らしている。

その花畑の中を突っ切る様にして進む二つの人影があった、スカーレットとレベッカである。

家で準備を整えた二人は、キュロスとの合流地点である“赤い花畑”を目指して進んでいた。

「レベッカ、大丈夫?急がせてごめんなさい、あと少しだから頑張って」

レベッカの手を引きながら足早に進むスカーレットは、幼い娘には辛いであろう強行を娘に強いている事に自責の念が募る。

「ううん、わたしは大丈夫だよ、お母さま。」

スカーレットに手を引かれ花畑の中を進みながら、レベッカは気丈に言葉を返すが、それは明らかに強がりであり、既に疲労により息が乱れつつあった。

レベッカの健気さに感謝と申し訳なさを感じながらも、スカーレットは歩く速度を緩めることなく、娘の手を引きながら花畑を突っ切るように進んでいく。

 スカーレットが急ぐのには理由があった、必需品などの準備を済ませ家を出発し、少し経った所で複数の者達が家に向かっているのが、丘の上から確認出来たからである。

遠く離れているが夜の闇の中を松明を掲げ進んでいる者達の数は多く、その者達の目的は明らかに自分達だとスカーレットは確信していた。

〈ドレスローザ〉の国全体が混乱している中、夜更けに松明まで使って王族である自分と娘の下に来ようとしている者達に、スカーレットは強い警戒心を抱かずにはいられない。

 今現在、国で何が起きているのかスカーレットには分からない、しかし王族である[リク一族]に名を連ねる自分と娘の立場は理解している、だからこそ素性もしれない者達に易々と捕まる訳にはいかなかった。

 

「見つけたぞ」

低く、不気味でもある声が花畑に響く、

「えッ!」

花畑を急ぎ進んでいたスカーレットとレベッカは突如聞こえてきた声に足を止めてしまう、すると正面の夜の闇の中からぬるりと人影が現れる、そこに居たのは2mを超える長身の男。

その男はひょろりとした体格で、顔には嫌らしい嘲りの笑みが浮かんでおり、傲慢さが滲み出ているようであった。

男の後ろからは続々と荒事を得意としているであろう屈強な男達が、闇の中から月明かりに照らされ現れる。

「ディアマンテ様、やりやしたね。こいつらが標的ですよ」

男達の中の一人が長身の男に下卑た表情で笑い掛けると、周りからも追従するように笑い声が上がる、

「ふんッ、当然だ。俺様から逃げられるわけがねェ!ばか正直に真っ直ぐ逃げてりゃ、先回りするのは簡単だ」

ディアマンテと呼ばれた男の言葉で、スカーレットは自分

達の痕跡を辿られて先回りされたのを知り唇を噛み締めると、自らの身体を盾にするようにしてレベッカを後ろに庇う。

 母娘の様子を下卑た表情で嘲る様に嗤いながら、

「フハハ、……一応確認しとこう、[リク一族]のスカーレットとレベッカだな。リク王の長女と孫娘」

ディアマンテのいたぶるような声音に、身を震わせながらもスカーレットは気丈に睨み付ける。

「あなた達は何者です!………………私達が〈ドレスローザ〉の王族だと知っているなら道を開けなさい!」

どこか見覚えのある男の顔に不安が湧き上がってくる中、夜の闇を裂くようにしてスカーレットの鋭い声が辺りに響く、その声に後ろのレベッカは一瞬震え益々母親の身体にしがみつく。

しかし、言葉を浴びせかけられた男達は気にした風もなく、薄ら笑いを深めるだけであった。

「何者かだとォ、聞いて驚くがいいッ、俺達はこの国の新しき王[ドンキホーテ・ドフラミンゴ]の部下、ドンキホーテファミリーだァ!!」

「[ドンキホーテ一族]……!?」

驚愕すると同時にスカーレットは、現在の危機的状況を理解した。

[ドンキホーテ]一族の事は父親のリク王から聞かされている、いずれ〈ドレスローザ〉の王位を継ぐ者としてスカーレットにも教えられていたのであった。

 それ故に現在の国の状況が朧気ながら理解する事ができた、そして[リク一族]の直系の血筋を持つ自分と娘が非常に危険な立場にいる事を改めて理解した。

 

 自分達の置かれた状況を知ったスカーレットは、何気ない仕草で周囲を見渡し逃げ出す隙を窺う、

しかし既に敵の数は数十人を超えており、逃げ出す事は難しい。

夫であるキュロスは国随一の戦士だったが、スカーレット自身の戦闘力は一般人と大して変わりはない、王族として身を守れるように最低限の護身術を使える程度で、荒事に慣れているであろう目の前の男

達には通用しない事は明らかだった。

――せめてレベッカだけでも逃がす事が出来ればッ

スカーレットの焦りは募っていき、持っていた荷物を地面に捨てると、レベッカを後ろに庇いながら後退る。

 

「フハハッ!どうやら[ドンキホーテ]の帰還の意味は分かっているようだなァ、なら俺様達が何をしに来たかも分かるよなァ?」

ディアマンテの嘲笑が夜の花畑に響く中、スカーレットは自らが危惧していた事態が起こってしまった事を悟った。

[ドンキホーテ・ドフラミンゴ]が〈ドレスローザ〉の王位を狙って一連の事態を引き起こしたならば、現在の国王[リク・ドルド3世]や、その一族で王族でもある[リク一族]は真っ先に排除するべき対象であり、それ故に部下を送り込んだのだと嫌でも理解してしまう。

そして目的は王族[リク一族]のスカーレットとレベッカの抹殺である事は明白であった。

 

「お母さまァ」

「大丈夫よ、レベッカ、あなたは私が守るから」

怯えてすがりついてくるレベッカを抱きしめながら、スカーレットは娘だけは命に懸けても守ると改めて覚悟を決める。

 

「さて、別れの挨拶は済ませたか?こっちも急がねェとドフィに怒られちまうんでな、そろそろ終わらせるぜェ」

ディアマンテは薄ら笑いを浮かべながら、持っていた長剣を抜き放ち二人に近付いて行く。

それと同時に周りの部下達もそれぞれが武器を構えて戦闘態勢に入る、

周囲の空気は一気に緊迫し、殺伐とした雰囲気が満ちていく。 

「レベッカ、走って!」

向けられる殺意に身が竦みそうになるのを堪えながら、レベッカの手を引いてスカーレットは走り出す。

来た道を引き返すようにして花畑を突っ切って行くが、走り出して直ぐに逃走を断念する事になる、二人の足を止めるように、突如地面が波打ち始めたのだ。それは通常は起こり得ない異常事態であり、二人を驚愕させるには十分であった。

「キャァァッ!」

あたり一面の花畑が地面ごと激しく波打つ、まともに立っている事も難しい程の揺れに、スカーレットとレベッカはバランスを崩して地面に倒れ込む、

「フハハハハ!逃がす訳ねェだろうがァ!」

波打つ地面に周囲の部下達も立っていられなくなり、情けない悲鳴を上げ次々と倒れ込んでいく中、一人平然と立っているディアマンテは見下すように薄ら笑いを浮かべ嘲笑を響かせる。

「どうだァ?すげェだろ、これが俺様の“ヒラヒラ”の能力だァ」

 “超人系”『悪魔の実』“ヒラヒラの実”、あらゆる物を旗の様にヒラヒラとはためかせる事が出来る。

それは地面も例外ではなく、ディアマンテは能力を使う事により、立っていられない程に地面をはためかせる事で、逃走しようとするスカーレットとレベッカの足を止めたのであった。

「ッ!レ、レベッカ、大丈夫?」

「う、うん」

地面に倒れ込んだ二人は怪我こそ無かったが、足を止められてしまった事により逃走は失敗に終わってしまう。

敵は直ぐ傍に迫っており、最早逃げ出す事は不可能と言ってよかった。

「フン、手こずらせやがって、とっとと死ねェ!」

遂に二人を自らの間合いに捉えたディアマンテは、持っていた長剣を振りかぶると躊躇なく振り下ろした。

人の身の丈程もある長剣が、身体を起こそうとしている二人に迫る、勢いよく振り下ろされた長剣を防ぐ術はなく、避ける事も難しい、そんな危機的状況でスカーレットの身体はとっさに動いていた、

「レベッカ!!」

レベッカに覆い被さり、自分の身体を盾にして斬撃から娘を守ろうとする。

スカーレットはレベッカを強く抱きしめ、娘だけでも無事に逃げられるようにと心の中で祈り続けていた、

(お願いッ!この子だけでもッ、レベッカだけでも無事に逃げられますように!?)

ひたすらに愛する娘の無事を祈るスカーレットに、振り下ろされた長剣が当たる直前、

硬質な音と衝撃が辺りに響く。

目を閉じて娘を抱きしめていたスカーレットがゆっくりと瞼を開くと、そこには思い掛けない光景が広がっていた。

顔を上げたスカーレットの前には、黒いローブを纏った見知らぬ人物がいる。

少し離れた場所にはディアマンテが地面に倒れ込み、苦しそうに呻いていた。

「なッ…………、ディアマンテ様ッ!?」

月明かりに照らされた花畑にならず者達の絶叫が轟く。

しかしそれも当然の反応といえる。

[リク一族]を抹殺するためにスカーレットとレベッカを追い詰め、いざとどめを刺さんという所を突然見知らぬ襲撃者に阻まれたのだ。

吹っ飛ばされた上役がファミリーでも屈指の武闘派であるだけに、部下達の動揺は深い。

激しく狼狽し、完全に統制を欠いている。

 

 スカーレットとレベッカもまた突然の出来事に呆然として、未だ抱き合ったまま地面に座り込み、母娘揃って自分達の命を救った人物を見上げていた。

「下がっていろ」

花畑に座り込んで呆然としていたスカーレットは、不意に掛けられたら声に反射的に顔を向けると、黒いローブの人物が二人の前に立ち、視線をならず者達に向けている。

フードを被っているため表情などは見えないが、声質から目の前の人物が男性であり、かなり若いであろう事が分かる。

そしてその声音には、優しげな気遣いが含まれているように感じられた。

「えッ、………ええ、分かったわ」

何者かは分からないが、先程命を救われた事などから味方と判断したスカーレットは、レベッカの身体を抱き締めながら立ち上がり、後ろに下がっていく。

「ぐゥッ………ハァ……ハァ……やってくれたなァッ!」

一方、黒衣の男が視線を向ける先には、先程蹴り飛ばされたディアマンテが怒鳴り声と共に立ち上がっていた。

口の端から血を流し、鋭く睨め付けるさまは、正に激怒しているという表現が相応しい。

スカーレットとレベッカの二人はその怒りに怯え、小さく悲鳴を洩らす。

しかし、殺意すら籠もっている視線に、黒衣の男は小揺るぎもしない。

「ッ!!…………良い度胸だッ、どうやら、てめェが誰に向かって刃向かったのか、思い知らせる必要があるようだなァ!下らねェ正義感は命取りになるんだぜェ!?」

微塵も怯えた様子がない相手の態度に、更に怒りを募らせつつ、ディアマンテは敵の正体を探る。

[リク一族]のスカーレットとレベッカを助けた事から〈ドレスローザ〉の軍隊に所属している者、という可能性が真っ先に脳裏に浮かんだが直ぐに却下する、現在この国の軍はほぼ壊滅状態にあり、王族の救出を行う力は既に無い。

特に黒衣の男の高い戦闘力がその正体を解り難くしていた。

ディアマンテ自身幾つもの修羅場を超えて来た事により、並みの者の攻撃などは受ける事はない、しかし先程の攻撃は完全に想定を上回る速度と威力であり、更にその攻撃には“覇気”が使われていた事が黒衣の男の戦闘力の高さを物語っている。

「ディアマンテ様ッ!こんな奴、俺達に任しといて下さいよ」

「へへへ、ぶっ殺してやるよッ!」

 謎めいた男の正体についてディアマンテが思考を巡らせていると、先んじて部下達が武器を片手に男に突っ込んで行く、

「キャアッ!」

数十人を超える屈強な男達が武器を片手に怒声を上げながら迫って来る光景に、少し離れた場所にいるスカーレットとレベッカが揃って悲鳴を上げる。

「ヒャハハハ!全員死んじまえェ!」

[ドンキホーテ・ドフラミンゴ]の部下の下っ端である男達は、最高幹部であるディアマンテが遅れを取った敵、そして今回の仕事の標的である[リク一族]の二人を自分達で仕留める、という輝かしい功績を求めて我先にと突っ込んで行く、欲に目がくらんだ彼等はたった一人の敵など簡単に始末出来ると根拠も無く信じ、疑う事は無かった。

数十人の人間がたった一人の男に向かって武器を持ち突っ込んで行く、誰が見ても一人立つ男は絶体絶命に見える。

しかし、黒衣の男は慌てる事も無く向かって来る敵に視線を向けている、それを見てスカーレットは思わず声を出す、

「む、娘を、レベッカを連れて逃げて!、貴方まで殺されてしまうわ!」

男が娘と逃げれば真っ先に自分が殺されてしまう事になるのは明らかだったが、自分達の命を救ってくれた恩人を死なせたくはなかった。

だからこそスカーレットは娘を連れて逃げてくれ、と、男に向かって叫ぶ。

「大丈夫」

「えッ?」

危機が迫る状況で黒衣の男は一言呟くと数歩前に進み、迫り来るならず者達を睨み付ける、すると、

一瞬、無形のしかし強大な何かが衝撃波を伴って周囲一帯の花畑を駆け抜けていく、

「ッ!………………え!?」

 駆け抜けた衝撃波によって、花畑に咲く花々の花びらが舞い上がり、それに一瞬眼をとられたスカーレットが改めて周りを見ると、そこには驚愕の光景が広がっていた。

 迫り来ていた数十人の男達は皆地面に倒れ伏し、ピクリともしていない、そして黒衣の男は前と変わらない場所に無傷で立っていた。

「こ、これはッ………“覇王色”ッ!………て、てめェは……一体何者なんだよォォ!?」

驚愕していたのはディアマンテも同じであった、しかし、ディアマンテが狼狽しているのは黒衣の男が何をしたか理解できてしまったからである、そしてその動揺は致命的な隙を生みだしていた、

「お前如きが知る必要は無い」

「!?」

ディアマンテが気が付いた時には離れていた筈の黒衣の男が、目の前に凄まじい速さで迫っていた、咄嗟に片手に持っていた長剣を突き出すが、それを黒衣の男は紙一重で避け、被っていたフードが少し切り裂かれる、黒衣の男は更に踏み込むと、突きを避けられたせいで身体が泳ぎ、隙を晒しているディアマンテの顔面に、“武装色の覇気”を纏わせた右足を叩き込んだのだった。

“覇気”を纏った強烈な一撃はディアマンテの顔の骨を砕き、激痛と共に意識をも断ち切る、

意識を失った身体は数百mを超える距離を飛んで行き、丘の端の崖から下に落ちていくのだった。

 

 静寂を取り戻した丘の花畑に驚愕するスカーレットの姿がある、彼女は父親であるリク王から[ドンキホーテ一族]について知らされると共に、近年海で名を上げている[ドンキホーテ海賊団]または[ドンキホーテファミリー]と呼ばれる集団についての情報も得ていた。

それ故にディアマンテが最高幹部である事も知っており、だからこそ自身と娘の命を狙って現れた時の彼女の焦りは深くなったのである。

しかし、黒衣の男は、その恐ろしい男を瞬く間に倒してしまった、スカーレットが驚愕するのも当然の事ではあった。

「二人共、怪我は無いか?」

 驚きによって硬直していたスカーレットが声が掛けられた方を向くと、何時の間にか黒衣の男が直ぐ傍で、気遣うようにスカーレットとレベッカに視線を向けてきている、

「え、ええ、大丈夫よ、ありがとう」 

我に返ったスカーレットは直ぐに抱き締めていたレベッカの方を向いて、怪我などしていないかを確認する、そして無事である事を確かめると、深く安堵し改めて娘を強く抱き締めるのであった。

「無事で良かったッ。…………レベッカ、もう大丈夫よ、良く頑張ったわね」

「…………ぐすッ…………………お母さまァァァッ!」

娘を抱き締めながら安堵の涙を流すスカーレットを見て、安心感からか抱き締められるレベッカもまた母親に強く抱きつくと、今まで必死に堪えていた涙を流し、声を上げて泣き出す。

二人は互いの無事を確かめ、涙を流しながら抱き締め合う、静寂を取り戻した花畑に二人の泣き声と嗚咽が響いていく。

黒衣の男はそんな二人をどこか優しげに見守っていた。

 

 

 

 暫く経ち、ようやく落ち着いた二人は顔を傍にいる黒衣の男に向ける、

「貴方は一体誰?」

スカーレットは恩人であるからこそ、正体が知りたかった、だからこそ無礼を承知で尋ねる、すると、黒衣の男は被っていたフードを下ろし、素顔を二人に晒すと、

「俺の名前はクロイツ・D・レオン、海兵だ」

 レオンの容姿は、銀髪に銀の瞳、そして顔立ちは整っており、年の頃は十代前半の美少年であった、

整った容姿もさることながら、思っていたよりもずっと若い事にスカーレットは驚きを禁じ得ない。

「俺は〈ドレスローザ〉に着いたばかりでこの国の事情は禄に知らない、だから教えてくれ、今この国で何が起きている?貴女達は何者だ?」

事実レオンは二人が何者で、何故狙われているかも知らない、この国に着いて直ぐに尋常ではない事態を察知し、一緒に来た仲間と手分けして情報収集をしていた所、一際強力な気配を持つ者を感じ取り、追跡を開始したのだ、追い付ついてみると、母娘が殺されようとしている場面に遭遇、急いで介入したのだった。

 

 これまでの一通りの経緯を聞いたスカーレットは、改めてレオンに感謝した、もしも彼が助けに来てくれなければ、自分とレベッカは殺されていたのは明らかだろう。

「そういう事だったのね………、助けてくれて本当にありがとう。私の名前はリク・スカーレット、此方は私の娘のリク・レベッカ、この国の王族でもあるわ」

 

 それからスカーレットに一連の事態を聞いたレオンは〈ドレスローザ〉という国の現状を理解した、それと同時に王族である二人の立場の危険性にも気付く、ドフラミンゴは既に国民の支持を得て、国内の大部分を掌握している、事実上〈ドレスローザ〉の支配はほぼ完了していると言って良い。

だからこそドフラミンゴにとって、今後自身への反逆の旗頭になり得るスカーレットとレベッカは必ず排除しなければならない存在だろう。

それは詰まるところ先程撃退したディアマンテ達は刺客の第一陣でしかない事を意味していた、スカーレットとレベッカがこの国に生きている限り、際限なく刺客が送られてくる可能性は高い。

 二人の安全を考えるならば〈ドレスローザ〉国内が混乱から回復する前に、二人を国外に脱出させる事が最優先である、とレオンは結論付け、今後の行動方針を固めていく。

「事情は解った、貴方達をこの国から逃がす」

「私達を国外へ?でも、………これ以上貴方に迷惑を掛ける訳にはいかないわ」

 命の恩人であるレオンを更なる危険に巻き込む事にスカーレットは強い躊躇いを覚えていた、彼がまだ少年とである事も躊躇いの気持ちに拍車を掛けていた。

「俺は海兵だ、気にする事はない。それに事情を知った以上、見過ごす事など出来ない」

二人を助けた時から相手が誰であろうと彼女達を守ると決めていたのだ、レオンにとってそれは既に決定事項である。

「……………………………ありがとう」 

透き通るような銀の瞳で真っ直ぐに見つめてくるレオンへの、感謝の気持ちでスカーレットは思わず言葉に詰まる、すると今まで警戒心からか母親の後ろに隠れていたレベッカが、レオンに近付き顔を見上げる、

「ねェ、お兄ちゃん。私たちを助けてくれるの?」

 幼いながら敏感に緊迫した現状を感じ取っている彼女は、自身と母親を救ってくれたレオンを期待の色を込めて見つめていた、

「ああ、君達を助ける」

幼い少女の懇願にも似た視線から眼を逸らさずにレオンは決意を込めて言葉を返した。

 レオンの想いは少女にも伝わったのか、返答を聞いたレベッカは笑顔を浮かべ、年上の少年に抱き付く。

二人のやり取りを見守っていたスカーレットは、人見知りの傾向のある娘が、少年に気を許している事に驚きと喜びを感じながら、優しげな表情を浮かべるのであった。

「先ずは俺の仲間と合流する、先程連絡を入れたから、そろそろ来る筈だ。荷物などの準備は大丈夫か?」

レオンは抱き付いてくるレベッカの頭を優しく撫でながら、スカーレットに確認をとる、国を脱出したら当分は帰ってくる事は出来ない、それ故に貴重品などがあるなら一度二人の家に戻る必要があると考えていた。

「元々私達も避難するつもりだったから、必要な荷物は全部準備してあるから大丈夫よ」

 先程襲撃された時に放り出していた荷物を拾い集め、紛失した物などが無い事を確認しながら、スカーレットは返答する。

 

夜、月明かりに照らされる花畑で今後の行動を話し合う三人に近づいてくる者がいる、黒いローブを纏ったその人物はフードを被っているため顔は見えないが、ローブ上からでも分かる豊満な胸などから、女性であるのは確かだった。

 突然現れた女性にスカーレットとレベッカの二人は警戒し怯え始める、

「来たか、二人共大丈夫だ、彼女は俺の仲間だ」

しかしレオンは二人を安心させる様にローブの女性に近付いていく、それを見たスカーレットとレベッカは安堵の吐息を吐き、警戒心で強ばっていた身体から力を抜いたのだった。

 ローブの女性は三人に近付くとフードを下ろす、すると金色の髪と流麗な美貌が露わになる、切れ長の瞳は美しく、凛々しさを感じさせ、怜悧な雰囲気を感じさせた。

「レオン様、遅れてしまい、申し訳ありません」

レオンを見つめながら、彼女は涼やかな声で遅れた事を謝罪する、

「よく来てくれた。スカーレット、レベッカ、彼女はクリスティナ、俺の仲間だ」

クリスティナの美貌に見惚れるようにして固まっている二人にレオンが紹介する、

「始めまして、セインツ・D・クリスティナです。レオン様と同じく海軍本部に所属しています」

挨拶を受けて、慌てながらスカーレットとレベッカの二人も自己紹介をそれぞれ行い挨拶をするのであった。

 

 花畑で四人は暫く情報交換を行い、今後どのように行動するかを話し合う、

「そうか…………、やはり既に国内はドフラミンゴに押さえられたか」

「はい、真実を知らない国民達はドフラミンゴを新国王として歓迎しています、刺客の件もあります、直ぐにでも国外に脱出した方がいいでしょう」

クリスティナからの情報により〈ドレスローザ〉がドフラミンゴに支配された事を改めて確認したレオンは顔をしかめる、スカーレットもまた悲しげな表情で足元のレベッカを抱き寄せた。

悲しみに沈むスカーレットとレベッカを視界に入れながら、

「それと、これは未確認ですが、ドフラミンゴによって、リク王とヴィオラ王女、そしてキュロスという人物の、三人が捕らえられた様です、明日にでも公開処刑を行うと、国民に知らせたそうです」

「そんなッ!?」

 家族の現状にスカーレットは悲痛の声を上げる、キュロスならば夫ならば、父親や妹と一緒に合流してくれると、自らに言い聞かせていた彼女にとってそれは最悪の報せであった。

「お母さまァ、……お父さま、…帰って来ないの?………わたし………約束したんだよ?」

思わず泣き崩れたスカーレットに瞳に涙を一杯に溜めたレベッカがすがりつく、

訪れた最悪の状況に、スカーレットは娘を抱き締める事しかできなかった。

 

 悲しみに満ちた嗚咽が夜の花畑に響く、涙を流し続ける二人を傍で見ながら、レオンは決心と共にクリスティナを見つめる。

レオンが全幅の信頼を置く年上の女性は、静かに微笑みを浮かべるとゆっくりと頷く、自らの考えが見透かされついる事に、若干の面映ゆさを感じつつ、彼もまた笑みを浮かべるのだった。

 

「俺が行く」

「……………え?」

突然のレオンの言葉にスカーレットは混乱しつつ顔を上げた、

「俺が貴方達の家族を助けに行く」

その言葉は暗闇に満たされた状況における一縷の光であり、スカーレットの心に一瞬希望が満ちる。

しかし直ぐにそれがどれ程に危険で困難な事であるかに思い当たり、

「無茶よ!殺されに行くようなものよッ!?」

家族が危険に曝されているならばスカーレット自身、直ぐにでも助けに行きたい、しかし今の状況でそれは不可能であった。

 敵は世界に名が轟く凶悪な海賊団であり、既に国の大部分が支配されている現状、為す術がない。

だからこそ、そんな状況で更に危険な場所に命の恩人を送り出す訳にはいかなかった。

「そうかもしれない…………、だけど、俺は行く」

 〈ドレスローザ〉の国全体が敵の手に落ちてしまった現在の状況で、敵の中枢に囚われているだろう者達を救出するのは不可能と言っていい、しかし、このまま悲しみに沈むスカーレットとレベッカを見過ごし、敵に囚われている三人の家族を見捨てる事はレオンには出来なかった。

「貴方は…………………」

 レオンの決意の固さを感じ取ったスカーレットは言葉を続ける事が出来なくなってしまう、そんな彼女の肩に優しくクリスティーナの手が置かれ、

「スカーレット、レオン様ならば大丈夫です。必ず貴女達の大切な家族を救って下さいます。だから先ずは貴女とレベッカの安全を最優先に考えて下さい」

 事実クリスティナはレオンならば必ず三人を救い出すと確信していた、そして自分の役目として彼が戻るまで、スカーレットとレベッカを守り抜く事を決めていた。

「お兄ちゃんッ、お父さま達を助けてッ!」

 自身と母親を救ってくれた少年へと、レベッカは真っ直ぐに叫ぶ、幼いが故に詳しい事は理解出来なくとも、だからこそ、自らの願いを、恩人である少年に抱き付きながら涙を流して叫ぶ。

「ああ、必ず助ける。約束だ」

自身もまたレベッカを抱き締めながら、レオンは自らの心にも誓うように言葉を紡いだのだった。

傍らで娘との遣り取りの一部始終を見ていたスカーレットも心を決めたように一つ吐息を吐くと表情を引き締めながら、

「レオン殿、私達の家族をお救い下さい、どうかよろしくお願い致します」

深く頭を下げる。

娘が少年を信じて願いを託したように、彼女もまた全てを少年に委ね、自らの想いを託すのだった。

「了解した。スカーレット殿下、御家族は必ず救い出す」

 託された願いの重さを感じながら、レオンもまた厳かに答えた。

 

 

 

 月が輝く夜空の下、花畑にて国外脱出の諸々の手筈を打ち合わせると、彼等は早速それぞれに行動を開始しようとしていた、

「クリス、後を任せる」

「はい、レオン様。御武運を、御帰還をお待ちしています」

時間が無いため言葉少なくクリスティナと言葉を交わすと、レオンは走り出す。

花畑に残された女性三人は走り去る後ろ姿が見えなくなるまで見送り、脱出のために船のある港へ向けて移動を開始した。

 

 

 

 夜風吹き荒ぶ空をレオンは凄まじい速さで駆けていく、それは特殊な“体技”により可能な移動方法であった。

鍛錬により鍛え上げらた“体技”は地上だけではなく、空中を直接駆ける事を可能としていた。

 空を行く中、周囲を見渡すと国中の至る所で煙が上がっているのが確認出来る。

既にある程度事態は沈静化しているのか、少し前まで聞こえていた悲鳴や怒声は聞こえない、しかしそれは[ドンキホーテ・ドフラミンゴ]の謀略が完遂されつつある事を意味していた。

その事実に唇を噛み締めつつ、レオンは更に足を早めて速度を上げていく。

 

 丘の上の花畑で、クリスティナとスカーレットに事前に聞いていた情報では、[リク王][ヴィオラ][キュロス]の三人は現在、王宮にて囚われている可能性が高い。

その情報を元に王宮を目指しているのだが、目的地が近付くにつれて広がっている惨状が眼に入ってくる。

嘗ては荘厳な造りをしていたであろう王宮は、城門などの所々が破壊され、火を付けられた形跡すらある有り様であり、繰り広げられた戦闘の激しさを感じさせた。

 

 

 空を駆け抜けた事により、通常の方法では不可能な程の速さで王宮に迫るレオンは、“見聞色”の“覇気”により王宮内の様子を探る、すると複数の気配が固まっている存在する場所を見つけ、その中に一際強大な気配を感じたのだった。

 強大な気配はその人物が持っている突出した戦闘力を物語っており、それが[ドンキホーテ・ドフラミンゴ]だと推測するには十分である、そしてその傍に妙に弱まっている気配を複数感じ取ると、その者達こそが救出対象だとレオンは確信する。

そして突入するべく駆ける速度を更に増して、一気に王宮に迫って行くのだった。

 

 

 

 〈ドレスローザ〉の指導者である国王とその家族が暮らす場所である王宮、<王の台地>と呼ばれる高い立地に存在するその建物は、下に広がる街並みからも見上げれば見える程の巨大さであった。

しかし、現在、王宮を支配しているのは王族である[リク一族]ではなく、海賊団であった。

 海賊達の主だった者達は今、王宮内で一際広く、豪華に造られた部屋、<玉座の間>に集まっていた。

部屋の奥、中央にある玉座には2mを超える長身の男が足を組んで座っている、サングラスを掛けたその男は、表情に

嘲笑を浮かべて、部屋の中央に転がっている者達を見下ろしていた。

男の名前は[ドンキホーテ・ドフラミンゴ]、海賊団の船長であり、最近では『王下七武海』に任命される程の高い実力を持っていた。

現在〈ドレスローザ〉で起こっている事態を引き起こした張本人であり、策謀によって新国王の座を手に入れつつある男。

 玉座の周囲にはドンキホーテ海賊団の幹部達もおり、ドフラミンゴと共に部屋の中央にいる二人の男を見下すようにして眺めている。

「フフ、フッフッフッ、無様だなァ、リク王。なァ、キュロス、お前もそう思わないか?」

嘲笑と共にドフラミンゴが見下ろす先には血塗れの二人の男が地面に倒れ伏している、

「黙れッ!!貴様だけは絶対に許さん!?」

屈強な身体に数多くの傷を負いながら叫ぶ男の名はキュロス、彼は今ドフラミンゴの部下に身体を押さえ込まれ地面に倒れ伏していた。

 キュロスの隣には髪に白い物が混じり始めている壮年の男がいる、その男の名前は[リク・ドルド3世]〈ドレスローザ〉の国王であり、スカーレットの父親でもある。

国民から[リク王]と呼ばれ尊敬されていたが、ドフラミンゴの謀略によってその名声は地に墜ち、自身も満足に動く事も出来ない程の傷を負い<玉座の間>の地面に倒れ込んでいた。

「フッフッ、まさに負け犬の遠吠えだなァ、だがいいのか、キュロス?俺にそんな口を利いて………、お前が守るべき者達の命は俺の掌の上にある。………フッフッフ、生かすも殺すも俺次第」

圧倒的な優越感を味わいながら広間中央な転がっているリク王、そして壁際で鉄の鎖で拘束されている美しい少女を指で指し示す。

 

 

 <玉座の間>の壁に鉄の鎖で両腕を拘束されている少女の名前は[リク・ヴィオラ]、リク王の娘であり、スカーレットの歳の離れた妹であった。

年の頃は十代半ばを過ぎた辺りであり、軽くウェーブの掛かった黒髪を肩上で切りそろえ、切れ長の瞳の美貌は美しく、スタイルも抜群、大人びた姿には既に色気さえ感じさせていた。

 破れた黒いドレスに身を包み、壁に取り付けられた鉄の鎖に拘束されている彼女は、その美貌を悲しみに染めていた。 

 キュロスは腸が煮えくり返る程の怒りを感じながら、強い精神力で怒りを抑え込む、リク王とヴィオラの二人を人質に取られている以上、迂闊に動く事は出来なかった。 

「フッフッフッ、……ヴィオラ、そろそろ決心は付いたか?お前が俺達の仲間として[ドンキホーテファミリー]に入るのならば、お前の“家族”を何人か助けてやってもいい。…………だが、拒絶すれば全員死んでもらう」

 ドフラミンゴがヴィオラを自らの部下として勧誘するのには理由がある、それはヴィオラの“能力”が関係していた。

 ヴィオラは『悪魔の実』の能力者であり、“超人系”、“ギロギロの実”の能力者で、その能力は屋内外を問わずあらゆる場所に視線を飛ばす事が出来るという驚異的な能力であった。

 他にも様々な応用が出来るその強力な能力にドフラミンゴが目を付け、ヴィオラの“ギロギロの能力”を利用する為に部下として迎えるべく、家族の命を対価にして脅迫めいた勧誘をしているのだった。

「聞くなヴィオラッ!その男が約束を守る筈がない!?」

痛む身体を無理矢理に起こしながら血を吐くように叫ぶリク王は必死の表情で娘を見つめる。

 〈ドレスローザ〉の国王として国と国民を守る為に平和主義を貫いてきたリク王にとって、ドフラミンゴによって引き起こされた一連の惨劇は正に悪夢と言っていい、操られていたとはいえ庇護すべき民を自らの手で傷つけてしまった事に精神は疲弊し、身も心も憔悴仕切っていた。

それでも尚抗う心を保っているのは〈ドレスローザ〉国王としての矜持、ドフラミンゴへの怒りと憎しみ、そして何より家族への愛情故である、だからこそ大切な娘であるヴィオラを仇敵に渡す訳にはいかなかった。

「お父様ッ……………!」

 ヴィオラにも父親の想いは十分伝わっている、しかしそれでも彼女にとって家族を救う為ならば我が身は惜しくはなかった。

深い無力感を感じながら、ヴィオラは自らを戒めている鎖を見る。

手首にある鉄の鎖は太く頑強な造りをしており、引っ張っただけではびくともしない、しかし“海楼石”ではないため、能力自体は使用可能である。

 

 “海楼石”は特殊な鉱石であり、海のエネルギーを放っているとされており、『悪魔の実の能力者』が“海楼石”に触れると海に落ちた時と同様に、力を失ってしまう。それを利用し海軍の監獄などは“海楼石”で造られていて“能力者”も逃れる事は出来なくなっている。

 “ギロギロの能力”はヴィオラ自身の鍛錬不足もあり直接的な攻撃力には乏しく、脱出する事は難しい、ドフラミンゴ達もそれを知っている為に海楼石ではなく通常の鎖で彼女を拘束しているのだった。

「フフフ、フッフッフッ!ヴィオラお前に言い忘れていた事がある。少し前に部下をスカーレットとレベッカの所に向かわせたんだ、二人を殺すように命令しておいた…………。殺し終えたらこの“電伝虫”に連絡が入る事になっている、まだ連絡は無いが…………。そろそろ連絡が来るかもなァ?」

 

 “電伝虫”はカタツムリに似た生物であり、その特性などを利用する事で、離れた場所から連絡を取り合う事が出来る。様々な種類が存在しそれぞれ異なった特性を持っていた。

 嘲笑するドフラミンゴが近くの部下に指示を出すと、電伝虫を持った部下が広間の皆に見えるように一歩前に進み出た。

「ドフラミンゴッ!!貴様ァ!?」

叫びと共に思わず身体を起こそうとするキュロスだが、それは近くにいたドフラミンゴの部下に乱暴に地面に叩きつけられる。

「貴様が欲しいのは儂の命だろうッ、娘達を傷つけるな!」

リク王もまた身体を地面に押さえ込まれながらドフラミンゴに叫ぶ、

「フッフッフ!リク王、お前の命だけでは足りないんだよ……………。新しい〈ドレスローザ〉には[リク一族]の血は邪魔だ。その為に近日中に公開処刑を行う、国民達もそれを望んでいる。……………ヴィオラ、お前の“能力”なら見えるだろう?怒りに身を任せたまま[リク王]の死を願う国民の姿がッ!フッフッフッ!!」

ドフラミンゴの哄笑を聞きながら、ヴィオラの脳裏に少し前に目撃した狂乱に満ちた街の姿が蘇る。

 

 国王を慕い信頼していた国民達が怒りと憎悪を宿した表情で、痛めつけられるリク王を罵り、それを行った海賊を称える、その狡猾な陰謀によって生み出された狂気すら感じさせる惨状を、王宮で囚われていたヴィオラは“ギロギロの能力”により全てを視ていたのである。

未熟故に“能力”で視る事の出来る範囲は限られていたが王宮周辺の状況は容易く視る事ができた、そしてその惨状はヴィオラの心を深く傷つけたのだった。

 

「フッフッフッ、[リク一族]の処刑は国が新しく生まれ変わる為に必要な犠牲だ。しかし、ヴィオラ。お前次第でその内の何人かは救う事が出来る…………、フフフ、俺は仲間には優しい男だ。さァ、……………選べ」

壁際で鎖に繋がれながら俯き、唇を血が出る程噛み締めるヴィオラに、追い討ちを掛けるようにドフラミンゴが決断を迫る。

(家族を守る事が出来るのなら、私はッ)

 覚悟を決めたヴィオラが顔を上げたその時、異音が<玉座の間>全体に響く。

それは壁から軋むような破壊音を伴って広間に響き、一瞬の後に石造りの壁が轟音と共に外から打ち砕かれ、壁際にいたドフラミンゴの部下達を巻き込んで広間に振動が広がっていった。

 突然の壁の崩壊に広間中の者達が驚き混乱する中、崩壊した場所に視線を向けたヴィオラは、立ち込める土煙の中に人影を視る、

(銀髪の男の子?)

黒いローブを纏ったその人物を風が煽り、一瞬見えたフードの下に、銀髪の端正な顔立ちの少年の姿があったのをヴィオラの眼は確かに捉えたのだった。

 

 

 

 スカーレットとレベッカに頼まれた家族の救出を成し遂げる為、レオンは王宮に迫ると“見聞色の覇気”で気配を探り、“武装色の覇気”を纏った身体で強引に石造りの壁を破壊し、ドフラミンゴの部下達が固まっている場所に一気に突入したのだった。

 石壁を破壊し瓦礫と共に<玉座の間>に入ったレオンは、身に纏った黒いローブを土埃で汚しながら直ぐに周囲の確認をした。

広い部屋に居た者達は一人の例外も無く驚愕により動きを止めており、その中に血塗れの男二人と壁際で鎖に繋がれている少女を確認したレオンは容姿などから、三人がスカーレットから聞いていた[リク王]、[キュロス]、[ヴィオラ]だと確信すると、まだ驚愕しているドフラミンゴ達に向かって“覇王色の覇気”を叩きつけた。

 レオンが放った“覇気”は<玉座の間>を駆け抜けていき、未熟な者達は一瞬にして意識を奪われ、次々と倒れていく。

「……ッ!!………“覇王色”だとッ!?」

 壁が破壊されてから瞬く間に部下達の大半を戦闘不能に追い込まれ、ドフラミンゴもまた、驚愕し混乱に陥っていた。

直前まで圧倒的優位に立っていただけにドフラミンゴの動揺は深く、そして生来生まれ持った傲慢故、僅かな間に決定的な隙を生み出していた。

 レオンはその一瞬の隙を見逃さず、蹴り出した地面が陥没する程の爆発的な速さで踏み込み、玉座に座っているドフラミンゴに“武装色の覇気”を纏った右拳を打ち込んだ。

 倒れ伏していく部下達に気を取られ、完全に不意を突かれた形になったドフラミンゴには反応する事が出来ない。

気が付いた時にはレオンの拳が間近に迫り、顔に拳がめり込む感触と共に激痛が走る。

ドフラミンゴは殴られた勢いのまま、玉座の背後の石壁に吹き飛ばされる。

石壁が崩れる破壊音が轟音となって響き渡った。

 

 数瞬、“玉座の間”に奇妙な沈黙が満ちる、そしてレオンの覇気に耐え抜いたファミリーの幹部達は、奇襲の混乱から立ち直り始めていた動きを完全に止めた。

彼等はドフラミンゴの強さに畏怖さえ抱いていただけに、自分達の信頼するボスが殴り飛ばされた光景を直ぐには受け入れる事が出来ず、各々の思考が停止する。

 <玉座の間>に居る者達が敵味方を問わずに動きを止める中、真っ先に動いたのはレオンだった。

直ぐに身を翻すと壁際のヴィオラの下に行き、その身を戒めていた鉄の鎖を力任せに引きちぎり、その美貌に驚きの表情を浮かべている彼女を片腕で抱き上げたのだった。

「……ッ……あ、ありがとう」

 抱き上げられた事により、レオンの身体に縋りつく体勢になった事にヴィオラは思わず軽く頬を赤らめながら、自らを抱き寄せる銀髪の少年を見上げる。

黒いローブを身に纏いフードを被っている為、遠くからでは詳しい容姿などは分からなかったが、腕に抱かれている今ならばフードの下の姿がよく分かる。

年の頃は十代前半、銀髪に銀の瞳を持つ顔立ちは整っており美少年といっていい、

「貴方は一体誰?…………何故私を助けてくれるの?」

 先程までヴィオラにとって恐怖の象徴であったドフラミンゴを一瞬で殴り飛ばし、自らを救った銀髪の少年に対して、彼女は感謝の想いと共に興味が湧いてくるのを自覚していた。

「俺はクロイツ・D・レオン。スカーレットとレベッカに頼まれ、貴女達を助けに来た」

「えッ、お姉様とレベッカに?二人は今どこに………」

 驚くヴィオラは更に言葉を重ねようとするが、レオンは言葉を遮るように彼女の身体を抱き寄せる、

「詳しい話は後だ。今はここから離れるぞ」

ヴィオラを片腕で抱えるようにして抱き寄せ、敵である[ドフラミンゴファミリー]の幹部達がまだ混乱しているのを確認すると、

「走れッ!!」

幹部達と同様に驚きで動きを止めているリク王とキュロスに声を掛け、玉座の間への突入時に破壊した壁にある巨大な穴に向かって、ヴィオラを抱えたまま走り出す。

 レオンの一喝に最初に反応したのはキュロスであった、身体を拘束していた者達は“覇王色”により意識を失っている為、既に自由に動く事が出来る、傷だらけで痛む身体に無理矢理に力を込めて立ち上がり、同じように身体の拘束を解かれ倒れ込んでいるリク王に駆け寄ると、自らの肩を貸し立ち上がらせる。

「行きましょうリク王様ッ!」

「…………キ、キュロス」

 千載一遇といえる脱出の機会であり、これを逃す訳にはいかない事はリク王も理解している為、残っていた力を振り絞りキュロスの肩を借りて立ち上がると、二人は破壊された壁の穴に向けて走り出す。

「……ッ!?奴らを逃がすな!!」 

 悲鳴を上げて、吹き飛ばされたドフラミンゴに駆け寄り安否を確認していた幹部達の中の一人が、捕らえていた者達が脱出しようとしているのを見て怒声を響かせる、

その怒声に慌てて他の幹部達も脱出を阻止しようと各々が動き出していた。 

 

 動き出す敵の様子を見ながらレオンは、いち早く壁穴に飛び込み、その先に広がる夜の闇へと身を躍らせる、そして少し遅れてリク王に肩を貸すキュロスが続いて外に飛び出していった。

 王宮は<王の大地>という高台に立っている為、<玉座の間>から夜の闇満ちる外に飛び出した4人は一瞬の浮遊感の後、高空から重力に引かれ地面に向かって墜ちていく、

「キャャャャャャャャャャャャャャッ!?」

 地上から数百mの高空で吹き荒ぶ冷たい風がヴィオラの身体を包み込んで真っ逆様に墜ちていく中、我知らず口から悲鳴が迸り、夜空に甲高い悲鳴が音を引いて響いていく、

「しっかり掴まっていろ!」

 高空から落下し眼下に広がる街の姿が急速に迫ってくる中、レオンは悲鳴を上げるヴィオラを片腕にしっかりと抱え直すと、直ぐ近くで互いの身体を掴んだまま落下しているリク王とキュロスの方へ、“体技”を使用し空中を蹴って近付いていく。

 レオンが自由な方の片腕でキュロスの身体を掴むと、四人は一塊となり落下していくが、空中を駆ける“体技”により徐々に落下速度を落とす事に成功する。

 しかし本来は自らの身体だけを空で駆けさせる“体技”であり、複数人の重量は支える事は出来ず、落下速度を緩める事が精一杯であり、四人はかなり乱暴に街路へと着地するのであった。

 

 

 

 夜の街は静まり返っており人通りも少ない、街の人々は王宮前に集まっていたり、広場などの広い場所で怪我人の手当てをしている為出払っており街中は酷く寒々しい静寂に満ちている。

「此処からは走って行くぞ、港に向かう。俺の仲間が船を用意して待っている」

 街路に降りたレオンは傍の三人に声を掛けると周囲を“見聞色の覇気”で探り始める、

「君は一体何者なんだ?何故儂等を助ける?」

「直ぐに追っ手が来る、詳しい説明をしている暇はない」

荒い息を吐くリク王の問い掛けに即答しながらレオンは周囲の警戒を続ける、ドフラミンゴの謀略によってこの国のほぼ全てが敵といっても過言ではなく、[リク一族]だと知られたなら、真実を知らない国民達は怒りのままこ攻撃を仕掛けてくる可能性すらあった。

そる故に安全を確保する為にも、直ぐに港に向かい〈ドレスローザ〉を脱出する必要がある。

「お父様、信じましょう。彼は私達を救ってくれたわ」

ヴィオラの言葉を聞いて、振り向いたリク王は娘の表情にはレオンへの信頼が宿っているのを感じ、心を決めたように黙ったまま頷く。

「待ってくれ、私は行かないければならない場所があるんだ。妻と娘が待っている、置いていく訳にはいかない」

キュロスの表情は厳しく引き締まっており、言葉には強い意志が込められていた。

「スカーレットとレベッカなら既に保護した、今は港で俺達を待っている筈だ」

「なッ!それは本当か?スカーレットとレベッカは無事なのか?」

レオンの言葉にキュロスは驚愕の表情で身を乗り出す、王宮でドフラミンゴが部下をスカーレット達の下へ送ったと聞いた時からずっと心配しており、必死になるのも当然であった。

「ああ、無事だ。俺の仲間が護衛をしているから心配ない」

「そうか……、……良かった、…………本当に良かったッ」

安堵想いがキュロスの胸中に満ちる、その想いはリク王とヴィオラも同じであり、二人もそれぞれ安堵の想いを噛み締めるようにしていた。

「安心するのは港で合流してからだ。行くぞ」

家族を想う三人を見守っていたレオンはヴィオラを片腕で抱えると先頭に立って走り出し、キュロスとリク王も貸し合ってそれに続いて行く。

 

 

 

 夜の闇に波が打ち寄せる音が響く、見渡すと先には月明かりに照らされる海が広がっている、周りには大小様々な船が停泊しており大きな港である事が分かる、その船の中でも中型の大きさの船の甲板にクリスティナ達は居た。

 彼女達は港でレオン達の合流を待っている所であった、クリスティナは船の甲板にから港の入口に視線を送りつつ周囲の警戒を続けている、ヴィオラとレベッカは甲板の淵に寄りかかるようにして座り込んで、疲弊した身体を休めていた。

母親に抱きかかえられるようにして座っているレベッカには睡魔が押し寄せており、幼い表情を眠たげにしながら時折うつらうつらと身体をまどろみに揺らしている、

「レベッカ、眠いなら寝てもいいのよ?」

 眠気に囚われかける度に慌てて頭を持ち上げ、必死に起きていようとする娘を見かねて、ヴィオラが言葉を掛ける、

「……んゥ………ううん………大丈夫……、………お父さま達が帰って来るまで、私もお母さまと一緒に待ってる………」

 睡魔により瞼が落ち掛け、眠たげな表情を浮かべながらも、その小さい手で眼を擦り懸命に眠気を払おうとする姿には、幼年でありながらも強い意志を感じさせた。

「そうね、じゃあ、一緒皆が帰って来るのを待っていましょうね」

 娘の健気な態度に母親として申し訳無さを感じ、それと共に愛しさが胸に込み上げ、ヴィオラは娘をより強く抱き締める。

 寄り添う母娘を微笑みを浮かべて見守りながら、クリスティナも自らの大切な恋人であるレオンに想いを馳せ、己の心に湧き上がる不安を抑えようとしていた。

 敵は[ドンキホーテ・ドフラミンゴ]を船長とする凶悪な海賊団、様々な悪事や凶行により危険視されている者達であり、特に二人の師匠[つる]にとっては因縁のある海賊達であり、その危険性は詳細な情報と共に教えられている。

それ故にレオンに絶対の信頼を抱くクリスティナでも、恋人の身を案じる心を抑える事が出来ないのも仕方無い事であった。

 夜の港に打ち寄せる波音が静寂に響く、切れ長の瞳を切なげに細め、その美貌に不安を宿しながら港の入口を見つめていたクリスティナは、その眼に遂に待ち望んでいた恋人の姿を捉える、レオンを先頭にしてヴィオラ達が港に到着したのだった。

 

 

 

〈ドレスローザ〉の港に程近い海を一隻の船が行く、その船に歓喜の声を上げるスカーレット達の姿がある、無事に合流を果たした彼女達は追っ手を振り切る事にも成功し、改めて互いの無事な姿を確認して喜び合っていた。

互いに抱き締め合い、涙を流しながら無事を喜ぶ彼女達の声が夜の海に響いていく、

「お疲れ様でした、レオン様」

船の甲板で喜ぶ合うスカーレット達から少し距離を置いた場所で、クリスティナもまたレオンの無事を喜んでいた、

「ああ、クリス、お前もご苦労だった」

微笑みを浮かべるクリスティナにレオンも笑みを返し、二人もまた無事を喜び合う。

月明かりに照らされる中、暫くの間船の甲板には歓喜の声が響くのであった。

 

 

 

 再会の喜びもひとまず収まり、それぞれが落ち着きを取り戻していく中、

「レオンお兄ちゃんッ、ありがとう!約束守ってくれたんだねッ」

満面の笑みを浮かべたレベッカが勢いよくレオンの身体に抱き付く、

突然抱き付かれ、驚きつつレオンが頭を撫でると、レベッカは喜びの笑い声を上げて、更にきつく抱き付いた。

「ふふ、貴方のおかげでまた家族に会えたわ、本当にありがとう」

抱き付いて楽しそうに笑っている娘を見て、スカーレットの顔も綻ぶ。

二度と見れないとさえ思っていたレベッカの満面の“笑顔”、スカーレットはその笑顔を取り戻してくれたレオンに心から感謝していた。

「あらあら、貴方モテモテね、私よりレベッカに懐かれているんじゃない?ちょっと妬けちゃうわ」

「ヴィオラ」

悪戯っぽく笑う彼女は、その美貌に笑顔を浮かべ、

「私の大切な家族を守ってくれて本当にありがとう。貴方のおかげでこうしてまた会えたわ」

美しい瞳に涙を滲ませながら、ヴィオラは家族と無事に再会できた事を喜ぶ、一時は我が身を犠牲にしてでも守ろうとした家族と、再び笑い合える事が嬉しかった、だからこそ救ってくれたレオンへ感謝の気持ちが湧き上がる、そして同時にそれ以上の想いが自らの心に芽生え始めているのをヴィオラははっきりと自覚したのだった。

 

「儂からも礼を言わせてほしい、我等を救ってくれた事、心より感謝する」

 国を失い、家族さえ失い掛けたリク王は膝を突き涙を流しながら深々と頭を下げる、

それに続くようにしてキュロスも跪き、甲板に額を擦りながら頭を下げた、

「貴方がいなければ妻と娘は殺されていた、ありがとう。この恩は生涯忘れはしない」

愛する妻と娘に再び会えた事に深く感謝しながら、キュロスは頭を下げ続ける。

「礼などはいい、だからリク王、キュロスも頭を上げてくれ」

 目の前で膝を突いて頭を下げ続けるリク王達に、少し困ったようにしながらレオンは声を掛ける、

「レオン様、これからどうなさいますか?海軍本部に向かいますか?」

天賦の才を持ちながら、どこか不器用な恋人の姿に微笑みを浮かべながらクリスティナは問い掛けた。

「…………いや、海軍本部には向かわない。シャボンディ諸島に向かう」

 本来ならば海軍本部で[リク一族]の保護を行うべきであるが、それは危険であるとレオンは思っていた、今回の〈ドレスローザ〉の事件は、ドフラミンゴによる“国盗り”である、そしてその手際の良さから、かなり以前から用意周到に準備された謀略だという事が分かる。

そうだとすれば当然『海軍本部』が動く事も考慮されている筈であり、何らかの手を打っているとレオンは確信していた。

現に〈ドレスローザ〉の惨劇中に海軍は動かなかった事が、レオンの推測を裏付けている。

 

 レオンから推測を聞かされたスカーレット達は皆一様に険しい顔をしており、それが事態の深刻さを表していた、

身体を起こしたリク王とキュロスは囚われている時に見た、ドフラミンゴの悠然とした姿を思い出すと、レオンの推測は当たっていると感じていた。

「ドフラミンゴは自らの王位を安定させる為にも[リク一族]の命を狙うだろう、身を隠す必要がある。〈シャボンディ諸島〉ならは安全だろう」

〈シャボンディ諸島〉は『新世界』への入口といっていい場所であり、海賊、賞金稼ぎ、商人、旅行者、など世界中から様々な人々が集まる場所であり、身分を隠して拠点を作るには絶好の場所であった。

「お父様、行きましょう。今は身を隠し、力を蓄えるのよ。そして時が来たら必ず〈ドレスローザ〉を解放しましょう」

 皆が先の事について考える中、レオンの意見に一番に賛成したのはヴィオラだった、

彼女も他の者達と同じく、故郷を追われる事に悔しさを感じていたが、だからこそ今は雌伏の時だと自らに言い聞かせていた、時が来たら必ず“生まれ故郷”を取り戻すと心に誓いながら。

「………………そうだな、今は泥を啜ってでも生き残る事を考える時、いずれ国民達を解放するためにも、ここで死ぬ訳にはいかない。レオン殿〈シャボンディ諸島〉へ我等を運んでほしい。お願いする」

「了解した」

 〈シャボンディ諸島〉へ向かう事にヴィオラ達も賛成している事を確認すると、リク王の頼みにレオンは力強く答えると、船の進路を変える為にクリスティナと準備を始める、

「待ってッ、〈ドレスローザ〉を完全に離れる前に行ってほしい場所があるの」

「行きたい場所?何処へ向かえばいいんだ、ヴィオラ?」

「<グリーンビット>よ、そこには私達の“友達”が住んでいるわ」

レオンの問いに悪戯っぽく笑いながらヴィオラは答えたのだった。

 

 そして、それから暫く後にレオンとクリスティナの助力によって、[リク王]、[スカーレット]、[ヴィオラ]、[レベッカ]、[キュロス]、の五人は〈ドレスローザ〉からの国外脱出に成功した。

 

 

 

〈シャボンディ諸島〉に存在する貿易会社<ユニオン>本社の社長室で数年前の“事件”を思い返していたヴィオラは、閉じていた眼を開くと、窓の外に広がっているシャボン漂う幻想的な風景を見渡す、

「フフフ、………レオン、早く貴方に会いたいわ」

窓から吹き寄せる風を心地良く感じながら、愛しげに恋人の名を呟くのだった。

 



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第6話

 青く何処までも広がる大海原、波間の間には時折巨大な生物が顔を見せる、過酷な環境と雄大な生き物達が存在する海『偉大なる航路』。

数多の航海者達から恐れられるその海に、巨大な植物で構成される島があった、

〈シャボンディ諸島〉“ヤルキマン・マングローブ”という世界最大のマングローブが79本集まって形作られている諸島。

  巨大な“ヤルキマン・マングローブ”の根の上に、人々は街を作り生活している。

街の地面となっている巨大な“根”からは樹脂が滲み出ており、植物の呼吸によって空気を含む事により、膨らんでシャボンのような形状で、根から空へと漂いながら昇っていく。

一定の高度に達するとシャボンは弾けて消えてしまうが、根から絶えず生み出されるシャボン玉は、諸島全体を幻想的な雰囲気で包んでいた。

 

 

〈シャボンディ諸島〉は『赤い土の大陸』や〈魚人島〉に程近く『新世界』へ向かう者達の集う場所となっており、他の島々に比べて遥かに多い人口を誇っている。

面積も“諸島”であるだけに広く、それ故に争い事が絶えない場所なども諸島内には存在した。

79本の“ヤルキマン・マングローブ”それぞれにはGR(グローブ)という名称で区分けされていて、主に<0~29番GR>無法地帯、<30~39番GR>シャボンディパーク、ショッピングモール、<40~49番GR>観光、一般出入り口、<50~59GR>造船所、<60~69番GR>政府関係、海軍駐屯地、<70~79番GR>ホテル街、と分かれている。

 その中でも広大な面積故に諸島奥地に存在する無法地帯は海軍の目も届かず、無法者達が跋扈する危険地帯とされていて、住民達は決して近付く事はない。

 諸島に集う者達も、[商人]、[旅行者]、[傭兵]、[海賊]、[賞金稼ぎ]、など様々であり、諸島全体に明確な統治機構が存在しないため、シャボン漂う幻想的な雰囲気には似付かわしくない程に、諸島内の治安は乱れている。

 特に[海賊]は大半が『新世界』を目指す者達、『偉大なる航路』の前半の過酷な海を超えてたどり着いた強者達であり、諸島の住人にとって大きな脅威となっていた。

 他に治安低下の理由としては諸島の特色、“奴隷売買”が挙げられる。

〈シャボンディ諸島〉での“奴隷売買”は諸島の地理的要因や近海に[魚人族]、[人魚族]の住む島〈魚人島〉が存在する事などで、古くから続けられており、“奴隷売買”が『世界政府』により禁じられてからも、世界有数の“大規模な奴隷売買の可能な場所”として有名であった。

 法律によって禁じられており、犯罪行為でもある“奴隷売買”、しかし皮肉にもそれは〈シャボンディ諸島〉に繁栄を齎してもいた。

“奴隷”を求める世界各国の[富裕層]や[政府有力者]、そしてその利益を得るべく“奴隷”を捕らえて売り払おうとする、[海賊]、[攫い屋]、そのような様々な者達が世界中から諸島に集まり、それにより諸島全体が活性化し繁栄していた。

本来ならば“奴隷売買”を取り締まる側の『海軍』も、“奴隷”を求める者達の中に“世界政府加盟国の王族、有力者”などが含まれるため、政府上層部などの指示により、動く事が出来ず。

結果的に諸島全体の治安は低下し、『大海賊時代』が始まった事によって、諸島内の乱れは拡大していた。

 

 様々な思惑や欲望により混沌に満ちている〈シャボンディ諸島〉にも、治安が保たれている場所は少ないながら存在している。

 <0~29番GR>の無法地帯、以外のGRは一定の治安が保たれているが、その中でも諸島の南に位置する<60~69番GR>海軍の基地も建てられており、政府関係者が出入りするため、常に治安は高いレベルで保たれている。

 

 <30~39番GR>シャボンディパークやショッピングモール、そして一般市民の居住区画も造られており、治安も高く保たれている。

その理由としては<38番GR>に存在する[貿易会社]の影響が大きい、

貿易会社の名は《ユニオン》数年前に発足した貿易を主とした会社で、近年急成長を遂げており『偉大なる航路』の島々の各地に支店を構える程に会社の規模を拡大していた。

 《ユニオン》の本社は〈シャボンディ諸島〉の<38番GR>に建てられており、会社に所属する[警備隊]が警備を行っていた。

 [警備隊]は貿易会社《ユニオン》に所属する私兵であった、その主な仕事は貿易商品の輸送補助及び会社員の警護や、各地に存在する会社拠点の警備などの多岐に渡っている。

 『大海賊時代』の到来により世界中の海に海賊が蔓延っているため、貿易の商品を満載した商船などは海賊にとって格好の獲物でしかなく、海賊による商船襲撃事件は後を絶たない。

 『世界政府』や『海軍』も広大な大海原の全ての海域を常に警戒する事は不可能であり、必然的に海を使って商売を行う商人は、自衛のためにも独力で海賊に対処する必要があった。

 

 主な方法としては[傭兵]を雇う場合が多い。

[傭兵]とは金次第で様々な事を行う者達の事であり、荒れた時代だけあって大抵どの島にも一定数存在している。

商品を運ぶ時のみ傭兵を雇う事によって比較的安く済ませる事が出来るため、商人達は自らの商品の護衛などの目的で雇い入れ、最低限の安全を確保しながら商売を行っていた。

しかし問題点も存在する、大抵の傭兵は荒くれ者やならず者のため信頼性は皆無であり、雇われた傭兵が商品を奪って消えた、という場合も多々あるため、傭兵を使う事に忌避を抱く商人も多い。

 

 貿易会社《ユニオン》は商品や会社員などの警護に会社所属の[ユニオン警備隊]という私兵を用いている。

警備隊は戦闘訓練なども行っているため精強であり、それ故に他の商会よりも遥かに安全に貿易を行う事を可能としていた。

〈シャボンディ諸島〉の<38番GR>に存在している[ユニオン本社]は常に警備隊に警備されており、定期的に警備隊員が周辺の<GR>も巡回して警備しているため<30~39番GR>は諸島内でも一際治安が高く保たれていた。

治安が良いため人も集まり易く、[魚人]や[人魚]なども30番台のGRでは多く見られ、住居を構える者達も存在した。

 

 [魚人族]、[人魚族]、は強力な膂力や水中呼吸を可能とする身体的特徴、通常の人間とは異なる容姿の外見的特徴などから“差別”され、数百年前までは“魚類”に分類されていた。 

 『世界政府』が[魚人族]、[人魚族]、を正式に認めてからは表向きは[人間]と対等な関係となったが、

依然として魚人や人魚に対する“迫害”は続いている。

 

 特に〈シャボンディ諸島〉では[魚人族]、[人魚族]が“奴隷売買”で高額で取引される関係などから“差別”は根深く、

暗黙のルールとして、魚人や人魚が“奴隷売買”されても“法”で守られず、視て見ぬ振りをされる事すらあった。

 『海軍』も例外ではなく、“奴隷”として[魚人や][人魚]を求める[政府有力者]や[各国富裕層]への配慮を[世界政府上層部]から命令されているため動く事が出来ず、諸島内での活動に大きな制限が掛けられていた。

 

 しかし、諸島内で自由に動き、治安上昇に大きく貢献している海軍も存在している、

その海兵達は[37番GR]に拠点を構えて活動をしており、その海兵達の指揮官である海兵の名は、

[クロイツ・D・レオン]といった。

 

 レオンは直属の上官である[つる]中将から許可を得て、数年前から〈シャボンディ諸島〉の[37番GR]に自らの部隊による独自の拠点を構築し、治安維持などの任務を行っていた。

 [魚人]や[人魚]などの保護にも力を入れており、その甲斐もあって周辺GRの治安は目に見える程に向上していた。

 隣接するGRに本社が存在する《ユニオン》とは協力関係にあり、協力して治安維持活動を行っているため、[30~39番GR]は諸島内でも一際高い治安を保っている。

 

[魚人島]から近い事もあり、地上世界に興味や憧れを抱く魚人や人魚が諸島を訪れる事は多く、嘗てはそれを狙う者達。

奴それ故に奴隷売買被害が絶えなかったが、近年では[魚人]、そして[人魚]達は、諸島内随一の“安全地帯”といえる[30~39番GR]に集まる事が多い。

 

 異種族への偏見が強い[富裕層の者達]とは違い、[魚人島]に近い地理的特徴故に幼い頃から頻繁に[魚人]や[人魚]の姿を見ている諸島の住人達は、偏見も少なく、近年の治安向上の成果もあり[30~39番GR]では限定的ではあるが、[人間]、[魚人]、[人魚]による共存関係が形成されていた。

 

 

 

 太陽が中天に輝く中、海軍の軍艦が一隻〈シャボンディ諸島〉[37番GR]の港に到着しようとしていた。

[37番GR]の港区画は[ヤルキマン・マングローブ]の巨大な根が生み出す地形に、人工的に手を加えて造られており、軍艦数隻が停泊出来る程の面積を持っている。

港には海軍の象徴である青いシンボルマークと“零”と描かれた建物が幾つも存在し、この区画が海軍、[第零独立特務部隊]に属するものだと証明していた。

 

[第零独立特務部隊]、海軍本部所属の海兵[クロイツ・D・レオン]が指揮官を務める部隊である。

[つる]中将の下、高い戦闘力を持つレオンを指揮官として海軍本部に創設された。

拡大する海賊勢力に対抗するため、広大な海での海軍本部との情報伝達の遅れによる致命的事態回避を主な目的として作られた新設部隊であり、指揮官は様々な独自裁量権を有している。

既存の海軍指揮系統に捕らわれない独自行動により、海賊への迅速かつ柔軟な対応を可能とし、数々の戦果を挙げていた。

 部隊指揮官[クロイツ・D・レオン]が“フレス島事件”で謹慎、降格した事により、一時任務中断状態に陥るも、海軍本部上層部の意向によりレオンは同部隊指揮官に復隊、任務を再開した。

 

 

  港にある大小様々な建物は海兵の駐屯所や倉庫などであり、常に一定数の海兵が常駐していて、周辺の巡回警備や艦の帰港時受け入れなどを作業を主な任務としている。

 

そして今、一隻の軍艦が港に帰港しようとしている、港の海兵達はその受け入れ作業のため忙しなく動き、少し前の穏やかな空気は既に無く、喧騒に満ち始めていた。

俄にざわつき始める空気には微妙な緊張が含まれている、海兵達に漂う緊張感の原因は帰港しようとしている軍艦にあった。

 

 帰港しようとしている軍艦の帆には海軍の青いシンボルマークが存在し、別の帆には黒字で“零”と描かれている、

それはこの軍艦が海軍の[第零独立特務部隊]所属だという証であり、艦には同部隊指揮官である[クロイツ・D・レオン]が部隊幹部と共に乗艦していた。

 港の海兵達もまた特務部隊に所属しているため、軍艦に乗艦している指揮官とその直属の幹部達、部隊最精鋭の面々の久方振りの帰港に、緊張するのも当然といえる。

 港にゆっくりと軍艦が着港する、港の海兵達は手際良く鉄で補強された木製のタラップを軍艦に掛けると、軍艦に沿うようにして一列に並ぶ。

「敬礼!!」

上官の掛け声に合わせて港に並んでいた海兵達が一斉に敬礼をすると、軍艦からタラップを渡って人影が降りてくる、タラップを駆け下り、飛び出すようにして勢いよく着地したのは茶色いショートカットの髪に小麦色の肌を持つ少女、カレンだった。

 

 

「着いたッ~、久しぶりのシャボンディ諸島ッ!」

軍艦から真っ先に飛び出して諸島に降り立ったカレンは、縮こまった身体を伸ばすようにしながら、快活に笑い声を上げる。

可愛らしい顔に満面の笑みを浮かべているその姿は元気に満ち満ちており、航海の疲れなどは微塵も感じられなかった。

「こらァッ、待たんか!まだまだ仕事が残っているだろう!」

荷降ろしの仕事などには目を向けずに飛び出していったカレンに怒鳴るのは上官であり父親でもある、ギリアムであった。

彼は厳つい顔に渋面を浮かべながら娘を、低く迫力のある声で怒鳴りつける。

「分かってるよ父さんッ、今手伝う!」

怒鳴りつけられた事など全く気にした様子を見せずに父親に怒鳴り返すと、軍艦に掛けられているタラップを駆け上がり、荷を運んでいる海兵達の手伝いに飛び込んで行く。

全く反省が感じられない娘の態度に、ギリアムは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら吐息を一つ吐き、自らも仕事を行うべく、部下に指示を出していく。

「フフ、あの二人は相変わらずですね、本当に仲が良い」

クリスティナはその流麗な美貌に薄く微笑を浮かべ、今も怒鳴り合っている親子を甲板上から見下ろす、一足先に諸島へ上陸したカレンとギリアムは部下の海兵に指示を出し、互いに文句を言い合いながら作業を続けている。

しかし、二人の様子は決して険悪なものではなく、憎まれ口を叩き合いながらも息の合った様子で作業を進める姿は、むしろ互いへの厚い信頼を感じさせるものであった。

「…………そうだな」

クリスティナの隣で同じように二人を見下ろすレオンも同意するように頷く。

周りの海兵達もまた、どこか楽しそうに言い合っているカレンとギリアムを微笑ましく思いながら見守り、自分達の作業を続けていった。

 

 

 軍艦からの荷卸しなどの一連の作業を終えたレオン達は港にて今後の行動について話し合っていた。

「では、海賊から押収した財宝などは何時も通りユニオン本社に運び込みます」

「ああ、本社までの運搬は俺が担当する、ちょうど帰還の挨拶をしておきたいからな」

「フフフ、ヴィオラも喜ぶでしょう。既に到着の連絡は入れてありますから」

港に停めてある大きな台車に、木箱を幾つも積み上げた物を指差しながらのレオンの言葉に、久し振りの恋人との再会を今か今かと待ちわびているであろう彼女の心情を思い、クリスティナは微笑みを浮かべる。

「あっ、若様ッ若様ッ、あたしもユニオンに行きたい、久し振りにレベッカにも会いたいし」

「こらッ、まだ仕事があるだろうが、お前は儂と一緒に基地に荷を運ぶのが先だッ」

 歳の誓い友人に会うために身を乗り出してレオンに直訴するカレンの襟首を掴みながら、ギリアムは叱りつけると引きずるようにして連れて行こうとする、

「い~や~だ~、久し振りなんだから早くレベッカに会いたい~」

服を掴んで引きずって行こうとする父親に、カレンは近くに置いてあった木箱にしがみついて必死に抵抗する。

「我が儘を言うなッ、お前はもう海兵、しかも曹長として部下も大勢いるだろう、情け無い事を言うのはやめんか」

巨大な木箱にしがみつく娘の身体を掴み引きはがそうと、丸太程もある両腕に力を入れながら説教するギリアムは、巌のような顔に渋面を浮かべ更に全身に力を入れていく。

 巨大な木箱にスレンダーな身体全体でしがみつく十代半ばの可愛らしい少女を、筋骨逞しい壮年の男が引き剥がそうとしている奇異な光景が港に広がる中、

「止めなさいッ、情け無いですわよ、カレン!」

突如、凜とした声が響き渡る。

港で騒然としていた者達が一様に動きを止め、声の発生源に視線を向けた。

「えッ…………………うわッ!?」

「………………………ぐはぁッ!」

突然の声にカレンは驚き、木箱にしがみついていた身体から思わず身体から力を抜いてしまう、そして引き剥がそうと力を入れていたギリアム諸共、悲鳴を上げて後ろにひっくり返る。

「久し振りだな、ローズ」

 微妙な沈黙が満ちる港、その中でいち早く気を取り直したレオンは苦笑を浮かべると、港入口から近付いてく少女に声を掛ける。

 

 その少女の名前は「マクダエル・ローズ」年齢は15歳、海軍本部の海兵であり階級は[少尉]、目鼻立ちの整った顔立ちは美しく、背中まで届く鮮やかな赤い髪は丁寧に幾つもの縦ロールにされている、スタイルも年不相応な程に良く、少女の雰囲気を大人びたものにしていた。

「お久し振りです、若様。無事の御帰還、心よりお喜び申し上げますわ」

レオン達の前で立ち止まるとローズは敬礼し、その顔に笑顔を浮かべる。

 ローズもまた[第零特務部隊]に所属しており、若年ながらレオンの信頼も厚く、〈シャボンディ諸島〉に駐留する海兵達の取り纏めを任せていた。

普段は[37番GR]に存在する部隊所有の基地で任務にあたっているが、レオン達の帰還の連絡を受けて出迎えに現れたのであった。

「セインツ大尉、ギリアム中尉もお久しぶりですわね」

「ええ、久し振りね。元気そうで良かったわ」

「おお、こりゃ久し振りだなぁ、少し見ない間に立派になったもんだ」

三人も互いに握手を交わして再会を喜び合う、周囲の海兵も口々にローズに声を掛け、たちまち港は活気を取り戻していく、そんな和気藹々とした空気の中、

「ちょっと待ったァ~~」

地面に倒れ込んだまま、すっかり置いてけぼりにされていたカレンは、立ち上がると全身に怒りの気配を纏わり付かせ怒涛の勢いでローズに迫っていく、

「あたしを無視すんなッ」

「あら、カレン。居たんですのね、てっきり怪獣にでも喰われてしまったのかと思いましたわ」

すました顔で嘯くローズに、カレンの怒りは募るばかり、

「白々しいッ、さっきあたしの名前呼んでたでしょうがッ!」

叫び、怒りで小麦色の顔を赤く染め上げ、掴み掛かる。

「ッ、離しなさいッ!相変わらずあなたは野蛮ですわねッ」

身に着けている上等な作りのスーツを掴みあげられると、流石に怒りを感じたのか声を荒げ、ローズは掴みかかってきたカレンの腕を鋭く振り払う。

 互いに距離を取り、一気に険悪な雰囲気を漂わせる二人に、周囲の者達は“ああ、またか”という表情を浮かべ、それぞれ中断していた自らの仕事に戻っていった。

 ギリアムも娘の醜態にため息を一つ吐くと、レオンに一礼し、疲れた足取りで仕事に戻っていく。 

「……………相変わらずのようですね」

今にも取っ組み合いを始めそうな二人に視線を向けながら、呆れたようにクリスティナが呟く。

「フッ、あの二人は昔から互いに競い合ってきたからな、仕方無い事だ」

苦笑を浮かべるレオンの視線の先では、互いに睨み合うカレンとローズの姿がある。

 

 カレンとローズの小競り合いは今にも始まった事では無い。

共に海軍本部に所属する海兵で同じ部隊に所属し、同年齢。

更には共にレオンを師と仰ぎ心から敬愛している事、など共通点が多い。

しかし二人の持つ気質の違いや、互いへの強烈な対抗心が関係を複雑にしていた。

 

 カレンは快活な性格で誰とでも打ち解け会う明るさを持っている、その反面何事も大雑把になりがちでもあった。

  ローズは高飛車でプライドが高く、容易には他者を寄せ付けないが、真面目で誠実でもある。

二人は共に高い才能を持っており、尊敬し敬愛するレオンの力になるために努力を続ける心の強さを備えていた。

気質こそ違うが似た者同士であり、だからこそ互いに強い競争心を抱くのは必然でもある。

二人は互いを認め合っているからこそ争い合う関係、ライバルであった。

 

 

「野蛮なあなたも昇進して更に責任ある立場になったのでしょう?部下のためにも相応しい振る舞いをしなさいッ」

「はッ、言われなくてもそのくらい分かってるわよ。あんたこそ昇進して調子に乗ってんじゃないの?」

 一定の距離を取り、ゆっくりと円を描くように移動するカレンとローズ、互いの隙を探り合いながら舌戦を繰り広げる。

「なんですってッ」

「なによッ」

 睨む合う二人の怒気は更に上昇し高まっていく、共に整った容姿をしているだけあって、怒気の漲る顔付きは迫力さえ感じさせた。

しかしその膠着した状況も唐突に終わる、二人が図ったように同時に歩みを止め黙って睨み合う。

「やはりあなたに言葉は通じませんわね…………、ならば何時も通り、力で分からせて差し上げますわッ!」

一瞬の沈黙の後、ローズが叫び戦闘への構えを見せると、

「上等よッ、捻り潰してやるッ!」

応えるようにカレンも拳を握り締めて構える。

 二人は同時に最速で踏み込んで相手に向かって仕掛ける、ローズは右足を鞭のようにしならせて振り抜き、カレンは堅く握り締めた右拳をためらいなく打ち出す。

両者共に小細工無しの全力であり、直撃したなら一撃で相手の意識を刈り取るであろう事は明白、

しかし二人の攻撃が互いに届く事は無かった。

直撃の寸前に間に割って入った存在があったからである。

肩まである金色の髪を靡かせ、スタイル抜群の肢体を黒のスーツで包んだクリスティナは、冴え渡る美貌に冷たい表情を宿し、二人の腕と足を抑え込んで攻撃を受け止めていた。

「…………いい加減にしなさい、幾らなんでもやり過ぎです。………………こんな場所で本格的に戦闘を始めるつもりですか?」

 二人が認識出来ない程の速さで間に割り込み、自分達の全力の一撃を意図も容易く止めてみせた上官に畏怖を感じつつ、それぞれ脚と腕を引いて、カレンとローズは構えを解く。

「…………少しは落ち着いたようですね、なら周りを視てみなさい」

クリスティナの諭すような言葉に、二人は周囲に目を向けると、

周囲には既に荷卸などの仕事を終えた海兵達が遠巻きに見守っていた。

皆苦笑を浮かべ、カレンとローズの二人に視線を向けている、ギリアムなどは娘の失態に渋面を浮かべ、片手で顔を覆い隠し天を仰いでいた。

 

 集められた視線を受けて二人の身の内に羞恥が一気に込み上げる、互いへの対抗心で場所も忘れて喧嘩に及んでいた自分達の醜態に二人は俯き、羞恥によって耳まで赤くなる。

黙り込んだカレンとローズの様子に一つ息を吐き、クリスティナは苦笑しているレオンに視線を向けた。

「準備も完了しましたので、そろそろ移動を開始したいと思います、部隊を二つに分け、レオン様達はユニオンへ、我々は基地に荷を運び入れます」

「ああ、それで構わない。周辺の治安は保たれているが油断はするな、後で合流しよう」

「了解です、では後程」

レオンに敬礼するとクリスティナは荷を積み込んだ台車を引く者達を連れて基地に向かって移動していく、ギリアムも台車を引く部下達を叱咤しつつ続いていった。

「さて、……………俺達も移動を開始する。カレン、ローズ、お前達も準備しろ」 

クリスティナ達の部隊を見送ったレオンが残った部下達に声を掛け移動を促す。

「は、はいッ」

「り、了解ですわ」

羞恥故に俯いていたカレンとローズは、上官の声に顔を上げると移動を始めていた部隊に慌てて合流したのだった。

 

 

 

 巨大な[ヤルキマン・マングローブ]が天に向かって聳え立つ、マングローブの一本一本が数百mの高さと横幅を誇り、木々から伸びる枝の葉は空を覆い隠す程である。

そんな自然が造り上げた雄大な風景の中、荷を一杯に積み上げた大きめの台車が複数、海軍の白を基調とした軍服を着た海兵達に護衛される形で運ばれていく。

「…………無法地帯の治安が更に低下している?」

 [37番GR]から[38番GR]へと荷を輸送する部隊の先頭で、レオンが隣を歩くローズから〈シャボンディ諸島〉内の情勢の報告を受けていた。

「ええ、元々“0~29番GR”の無法地帯は治安が悪かったのですが、最近は特に酷く。その影響のせいか周辺“GR”にも治安の低下が見られますの」

報告を聞き、厳しい表情を浮かべる上官の精悍な横顔に、不謹慎と理解しつつも女心が疼くのを感じながら、ローズは努めて冷静さを保ちつつ、

最近急激に物騒な雰囲気が漂い始めている諸島内の情勢を伝えていく。

「………………原因は判明しているのか?」

「最近到着した新参者の海賊団が原因だと思われますわ」

 諸島内の治安低下を受けて、自ら部下を率いながら情報収集を行った結果、幾つかの海賊団が原因だという事が解っている。

「“ルーキー”共か……………………」

「ええ………………、中には“億超え”も何人か確認しています」

 緩やかな風が木々の間を吹き抜ける中、思案するように黙り込んだレオンの傍らを歩きながら、ローズは自らが憧れと思慕を抱く上官をさり気なく見上げた。

 短い銀髪を風に靡かせ歩くレオンは前回見た時よりも精悍さを増しているように思える、細身ながら鍛え抜かれ肉体は服の上からでも分かる程であり、己が抱く淡い想い故に、ローズは頬を赤く染め、知らず熱の籠もった視線を向けていた。

 しかし、彼女の生み出した甘い空気は突然聞こえてきた声によって霧散する事になる、

「ね~、それってどういう意味?“ルーキー”って何の事?」

 レオンを挟んで反対側を歩いていたカレンが声を掛けてきていた、

掛けられた声にローズは端正な顔を露骨に歪め、鮮やかな赤髪をかきあげる、

「そんな事も解らないんですの?相変わらずお馬鹿ですわねェ」

「な~にィッ」

気分を台無しにされた事もあり、殊更に嘲りの表情を浮かべて挑発するローズ、それに乗るようにして怒りの声を上げるカレンに、更に追い討ちを掛けようと口を開きかけた所で、急にその動きを止めた。

更なる口撃が来るものと身構えていたカレンは、突然動きを止めたライバルの姿に小首を傾げる。

「ハァ~~、………………仕方ありませんわね。お馬鹿な貴女にも解るように説明して差し上げます」

大きな溜め息を一つ吐いてのローズの言葉に、カレンは思いがけず動揺してしまう、

「ど、どうしたの、突然。あんたらしく無いじゃない」

「………………………先程の一件、もう忘れたんですの?これ以上醜態を晒せませんわよ」

「うッ」

 向けられる呆れた視線に呻き、カレンもまた沈黙する。

港での一件は快活な彼女も深く反省している事だったのだ。

      

[ルーキー]、“偉大なる航路”の前半の海を超えて〈シャボンディ諸島〉にたどり着いた海賊達の総称。

航路の関係上、幾つか存在するどの航路を辿っても必ず諸島に行き着く。

初めて諸島に到着した海賊達をルーキーと呼び、同時期に集まった海賊達は“同世代”として世間に認知される。

 

[億超え]、世界政府により掛けられた懸賞金が億を超えた海賊達。

懸賞金の額は対象の危険度によって上下し、億を超える者達はそれぞれ際立った危険度を政府に危険視されている者達である。

 

「………………つまり、最近この諸島に危険な海賊達がまとめて到着したって事?」

一通りローズから諸島内の現状説明を受けたカレンは厄介な情報に思わず顔をしかめてしまう。

「そういう事ですわ………。海賊界の強力なルーキー達が一度に集う事が稀に起きるんですの」

勉強不足なライバルに説明しながら、ローズは諸島内の現状に改めて危惧を抱く。

〈シャボンディ諸島〉は明確な統治機構が存在せず、『新世界』への入口だけに様々な人間が集う場所である、だからこそ諸島内の情勢は常に不安定で、ちょっとした刺激であっという間に諸島全域が混乱に陥る危険性を秘めていた。

 ローズはレオンに諸島内の治安維持を任されてから、様々な対策を講じてきた、それは成功し、一定の治安を保つ事が出来ているが、それは[第零特務部隊]の影響下にある[30番台のGR]のみであり、他の[GR]は相変わらず不安定なままであった。

 諸島内において治安維持最大の問題点は[海賊]、特に『新世界』を目指して諸島に到着した海賊達の存在は、

『大海賊時代』始まって以来、諸島住民にとって脅威となっている。

 そして現在〈シャボンディ諸島〉内に、幾つかの億を超える懸賞金を掛けられた者が所属する海賊団が存在していた。

 

 諸島内の現状に詳しいローズが、俯いて不安に囚われそうになっていると、

「なら、そいつ等を潰せば問題無い」

ふと、聞こえてきた声に顔を上げる彼女の前には笑顔を浮かべるレオンがいた。 

「そうだろう?ローズ」

その優しげな声と頼もしい表情に、先程までの不安が消えていくのをローズは感じていた。

「そうそう、あんた一人で戦う訳じゃないんだからしっかりしなよッ、そんな弱気な態度、あんたらしくないじゃんッ」

レオンの向こう側からはカレンが元気一杯といった様子でローズに発破を掛けた。

「フフフ………、そうですわね、私らしくありませんでしたわ」

責任感が強く、真面目であるが故に、彼女は知らず知らずの内に、自分の力のみで守らなければいけない、と気負い過ぎていたのだった。

しかし、頼もしい仲間がいた事を改めて確認し、感じていた不安や重圧が完全に消え去っていくのをローズは自覚した。

そんなローズの様子に、レオンとカレンも顔を見合わせて笑い合う、

「あたしがいるんだから、大丈夫よッ。相手がどんな奴だろうと踏み潰してやるわッ!」

「フフ………、貴女だけでは不安ですから私が手伝ってあげますわ」

レオンを間に挟んで、カレンとローズは互いに笑みを浮かべながら意地を張り、声を上げて笑い合っていた。

 

言い争いながらもどこか楽しそうな二人の様子に、レオンもまた笑みを浮かべながら、前方に視線を向ける、

「…………………目的地が見えてきたぞ。カレン、ローズ」

掛けられた声に、二人が前を見ると、そこには人工的に造られた建物が幾つも見え始めている。

レオン達の部隊は目的地である[38番GR]に到着しようとしていた。

 

 



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第7話

 海上に突き出すようにして屹立する巨大な植物“ヤルキマン・マングローブ”、

それが79本集まり構成されている島、〈シャボンディ諸島〉。

諸島故に面積は広大であり、諸島内は[GR]という呼称で区分けされていた。

 

 

 樹の根から発生したシャボンが宙に漂い幻想的な雰囲気を見せる中、様々な人や物が行き交い、賑わいを見せている場所があった。

〈シャボンディ諸島〉[38番GR]。

 自然の地形を利用して造られた大規模な港も存在しており、大小様々な船が停泊している。

港には巨大な倉庫が幾つも建てられ、屈強な身体つきの作業員達が怒鳴り声混じりに声を掛け合い、船から卸された荷を運び入れていた。

 その港から内陸へ少し向かうと、幾つもの建物が整然と建ち並ぶ大通りが見えてくる、

広く整えられた地面を挟み、両脇に並ぶ建物が連なり続くその大きな通りには、多種多様な人々が集い、盛大な賑わいを見せていた。

大通りに並ぶ建物の多くは商店であり、[食料店]、[衣服店]、[武器店]、[雑貨店]、[書店]、など数多くの店が構えられている。

 行き交う人々も、夕食の買い出しをする主婦、流行りの服を友人と買いに来た若い娘達、武器を求める強面の男、商品を満載に積んだ荷車を牽く作業員、など様々。 

 活気ある喧騒に満ちる大通りを行く人々の中には、鰓や鰭、水掻きなどの身体的特徴を持つ[魚人]や[人魚]なども多数行き交っており、人間と異種族が違和感なく共に存るその光景は、世界的に見ても非常に珍しいものであった。

 

 大通りの地面は石畳が整然と敷き詰められ、居並ぶ商店それぞれの店舗が一定の距離を保ち造られている。

それ故に人通りが多くとも猥雑さは感じられず、大通りに面する区画全体が念入りに整備されていた。

 通りに並ぶ各店舗の商品は種類も豊富で品質も高く、[番GR]に存在する商店街以上の充実さを誇っており、諸島内でも有数の賑わいを見せていた。

 各店舗には共通点があり、どの店の看板にも全く同じ“シンボルマーク”が描かれている。

 簡素化した七色の虹の絵を背景に、“UNION”と描かれたそのマークは、[貿易会社ユニオン]の象徴であり、“シンボルマーク”を持つ各店舗が、ユニオンに所属している商店である事を意味していた。

 

 

 人通り賑わう大通り、レオンを先頭にして、複数の部下が木箱を載せた荷車を牽きながら続いていく。

「此処を通るのも、すっごい久し振りな気がするなァ。建物も更に増えたようだし……、どんなお店が出来たのか気になる~ッ!」

 レオンに並んで先頭を行くカレンは、以前来た時より明らかに増えた店舗に対して興味津々の様子を隠せておらず、と好奇心で瞳を輝かせていた。

 大通りを進みながら彼方此方に忙しそうに視線をやるカレンの年相応の姿に、周りの者達が苦笑する中、

「フン、今はまだ任務中ですわ。なのに貴女ときたら……………、情けないですわねェ」

同じく先頭でレオンを挟み逆側で歩くローズは、独特の形に整えられた紅い髪を片手でかきあげると、わざとらしく溜め息を吐く。

端正な顔立ちを嘲りの表情に歪めるその姿は、お嬢様然とした彼女に妙に似合っていた。

 口の端を僅かに吊り上げて嘲りの笑みを浮かべ、横目で蔑むように向けられるローズの視線に、カレンの感情は一瞬で沸点を超えそうになるが、少し前に犯した失態を思いだし、慌てて堪える。

「うっさい!あんたに言われなくても分かってるわよ」

言葉少なに言い返すと、それきり黙り込むカレンの反応に、てっきり再び掴み掛かってくると思いみがまえていたローズは、意外そうに目を見開く。

「ま、まあ、分かっているならば良いですわ」

ライバルの反応に戸惑いを感じながらもローズは言葉を続ける、

「コ、コホン。あ、貴女の指摘通り、店舗の数は増加していますわ、ユニオンの勢力拡張と共に店舗数も上昇していますの」

ローズは諸島内での警備などで《ユニオン》と緊密な連携をとって活動していた為、その辺りの事情にも詳しく、何時しかカレンも真面目な表情で話に聞き入っていく。

 二人は気性の違いもあって互いに反発し合っている、しかしその一方で共に努力家である事などの共通点も多く、時には意見を交わし合い、夜を徹して話し合う事も珍しくはない。

 睨み合っていた筈の二人は、いつの間にか諸島内の情勢について話し合っており、その熱心な様子はカレンとローズが互いに認め合っている事を証明しているようでもあった。

 

 真剣な表情で話し合う二人の様子に苦笑しながら、邪魔をしないように黙って見ていたジレオンは彼女達がどことなく似ている事を改めて感じていた。

それぞれ持っている気質は全く違うが、根っこの部分は非常に似通っている、共に強い信念を持ち、向上心も強い。

レオンにとってカレンとローズは部下でありながら大切な弟子でもあった。

 

 

 様々な種類の店舗が建ち並ぶ大通りをレオンを先頭にした一行が進んでいくと、やがて両脇に並んであた商店の姿が消え、代わりに大きな倉庫が並び始めていく。

 通りを行く者達もユニオンに所属する作業員の姿が目立ち始め、荷を満載に積み込んだ台車が頻繁に行き交う。

通りをさらに進むと前方に巨大な建造物が見えてくる、貿易会社《ユニオン》本社であった。

  

 ユニオン本社は、左右に頑強な塔が二つずつ並び立ち、中央には一際巨大な造りの塔が天を突くように屹立している。

それはまるで城のようであり、その偉容は重厚そのものであった。

「カレン、ローズ。着いたぞ」

 話し合いに夢中であった二人は、レオンに掛けられた声に顔を上げる、すると目の前には目的地であるユニオン本社が威風堂々とその姿を現していた。

「うわ~ッ、久し振りだと一段と大きく見えるな~」

城の如き風格を持つ建造物を前にカレンは、自身が以前見た時よりも明らかに大きくなった建物に驚きと好奇心を隠せない。

「当然ですわ。ユニオンの規模拡大と共に本社も増築されていますもの」

 馬鹿にするような口調とは裏腹にローズの顔には笑顔が浮かび、自身もどこか誇らしげに建物を見上げるのであった。

 カレンとローズが揃って建物を見上げていると、本部正面の鋼鉄で造られた巨大な扉が軋みを上げて開き、建物の中から複数の者達が外に出くる。

「若様、お帰りなさいませ。既に荷の受け入れの準備は出来ております」

 茶色の髪を頭の後ろで結い上げ、眼鏡を掛けた美しい女性が先頭に立ち、深く頭を下げる、するとそれに倣うように後ろに控えた者達も一斉に頭を下げる、皆同じ作りの制服を着ている事からユニオン所属員である事が分かった。

「ああ、分かった。………カレン、ローズ。荷物の運び入れを頼む。俺は社長に帰還の挨拶をしてくる」

命令を受けた二人は敬礼すると早速部下に指示を出し、荷の運び入れを始めた。

 

 周りの者達が動き出す中、レオンと向かいに立つ女性だけが互いに見つめ合ったまま動かない。

沈黙を破るようにしてレオンがゆっくりと口を開く、

「久し振りだな、レイラ。……元気そうで良かった」

「フフフ、御陰様で。私の事、覚えていてくれたのね、レオン」

掛けられた言葉にレイラは理知的な美貌に笑顔を浮かべると嬉しそうに笑い、それによって彼女が持つ美しさが一層際立つ。

 

彼女の名前は[オルドレイク・レイラ]年齢は19歳、茶色の長い髪を結い上げ、縁なしの眼鏡を掛けている美貌は美しく、抜群のスタイルは、170cmを超える身長と相俟って颯爽とした美しさを感じさせた。

 彼女は少し前に生まれ故郷である島の街を海賊[ボリック]に襲撃され、危うく奴隷として売り払われる所をレオンに救われたのだった。

しかし命は無事であったものの、天涯孤独の身でありながらも細々と続けていた商店を海賊による略奪で破壊され、帰る場所を失っていた折りに、レオンから[ユニオン]への誘いを受け、故郷を飛び出し[ユニオン]に入社、本社に配属されたのであった。

 

 

 黒を基調としたユニオンの制服を着たレイラに案内されながら、レオンはユニオン本社内を進んでいく。

カレン、ローズなどの部下達と別れ、レイラと二人で社長室まで向かっていた。

 ユニオン本社内は広く、部屋や通路には上等の調度品が幾つも飾られており、無骨な建物の外観とは違う印象を来訪者に与えた。

「まさか貴女がユニオン本社に配属されていたとは、驚いた」

「フフッ、それは貴方の御陰でもあるのよ」

レイラは悪戯っぽく笑うと隣を歩くレオンを見上げながら眼鏡の奥の瞳を優しげに細める、

「私も最初は各地のユニオン所属の商店に配属されると思っていたわ、でも社長でる“彼女”と話した時、貴方の話題で盛り上がってしまって、同い年という事もあって気が合ったのか直ぐに親しくなってね、丁度彼女、秘書を務める人材を探していたみたいで、やってみないかって誘って貰えたの。それで“社長秘書”を任されたのよ」

レイラ自身、日に日に拡大していくユニオンの社長秘書という役職に充実感を感じていた、だからこそユニオンへ入社のきっかけとなったレオンは、命を救われた事もあり、彼女にとって様々な意味で恩人であった。

「そうか……、上手くやっていけているようで良かった」

レイラにユニオンを紹介したレオンとしても、彼女の充実した様子に安堵していた。

「貴方の御陰よ……。本当に感謝しているわ、ありがとう」

 海賊によって結果的に故郷を離れなければいかなくなったレイラではあるが、現在の境遇には何も不満はなかった、仕事に関しても大変だが、やりがいを感じているため辛くはない、むしろ以前よりもずっと毎日が充実感に満ちている。

自らの命を救い、故郷では見る事の出来なかった新しい世界へ連れ出してくれたレオンに、レイラは深い感謝の想いを抱いていた。

それは彼女の胸の奥に元から宿っていたレオンへの好意と合わさって心を満たしていく、その想いはレオンと再会した事によって更に募る。

 胸の内から溢れてしまいそうな激情が込み上げるのを感じながら、レイラは想い人へ瞳を向けた。

眼鏡の奥、切れ長の瞳はとろけるように潤み、頬を赤く染め上げたその姿は、強烈な色気を感じさせる、

「レオン、私に出来る事があったら何でも言って、貴方の力になりたいの」

「………分かった。何かあった時は頼む」

懇願するように見つめてくるレイラに少し驚きつつ、レオンも笑みを浮かべる。

「フフフ、任せて。私はユニオンの情報の扱いにも関わっているから、力になれる事もある筈よ。貴方なら話しても問題ないだろうしね、“会長”さん?」

自らを頼ってくれる事に嬉しさと幸せを感じながら、レイラはどこか悪戯っぽく微笑む。

「…………そうか、事情は既に聞いていたか。知らないなら俺の方から説明しようと思っていた。ヴィオラに信頼されているようだな」

「フフッ、ありがとう。少し前に社長から聞いたのよ、驚いたわ。貴方がユニオンの“創設者”だったのね」

丁寧に造られた階段を上りながら、少し興奮気味に話すレイラにレオンは苦笑しつつ、

「正確には“創設者達”の一人、なんだけどな」

「それでも凄い事よ、ヴィオラ社長からは貴方が中心になって“ユニオン”を作りあげたって聞いたわ」

レイラから向けられる敬意の込められた視線を、こそばゆく感じながら、

「作る必要があったんだ、“帰るべき場所”を」

通路に敷かれた上品なカーペットの上を歩きながらレオンは数年前に思いを馳せる。

 

 

 

 数年前[ドンキホーテ・ドフラミンゴ]の国盗りの凶行によって混乱に陥った〈ドレスローザ〉からヴィオラ達五人を脱出させる事に成功した後、[海軍]内部の内通者を警戒したレオンとクリスティナはヴィオラ達を連れて、[海軍本部]にも極秘で〈シャボンディ諸島〉に向かったのだった。

 

 当時の〈シャボンディ諸島〉の治安は酷く、海賊や人攫いが横行し、諸島全体が様々な危険に満ちていたため、住人は気軽に出歩く事もままならない状況であった。

 諸島全域の治安が乱れている情勢下の中、レオン達は諸島に到着したのである。

混沌とした情勢に一同閉口したが、諸島内に満ちる混乱は有利にも働いた。

〈ドレスローザ〉の王族[リク一族]という身分を隠す、という思惑を抱くレオン達にとって、様々な勢力入り交じる諸島内の混沌とした情勢は、格好の隠れ蓑になったのである。

  しかしレオン達の状況は決して良いとはいえず、海軍を頼る事が出来ない以上、諸島内に伝手はない、全てを一から始めるしかなかったのだった。

 

 最初に取り掛かったのは居場所の確保である、ドレスローザからの逃避行で疲労している身体を休める場所が必要であり、先の事を考えても拠点とする場所を作り上げる必要があった。

宿屋の利用は、長期的に利用した場合に訪れる資金難、などの理由から利用を断念するしかなく、身分を隠すために人目を避ける意図もあり、人口密集地を避け、当時無人であった諸島の北、[38番GR]を居住地と定めたのだった。

 居住地の選定理由としては当時の[38番GR]は無人で、かつ近隣の[GR]に商店などか比較的多く存在しているため、生活物質が売買し易く、諸島の主な入口であるが故に人の出入りが激しい諸島南から距離的に遠い場所にあるから、などが挙げられる。

 拠点は諸島内の<無法地帯>から廃材などを調達して造られ、ドレスローザで自家製の家を造り上げたキュロスの経験が生かされ、短時間の作業で複数人が生活する事が可能な拠点を確保する事に成功した。

 

 シャボンディ諸島内に拠点を得たレオン達だが、全てが順調という訳ではなく、重大な問題に直面してしまう、それは活動資金の乏しさである、ドレスローザから着の身着のまま脱出したヴィオラ達の手持ちの資金は、あらかじめ用意を整える事が出来たスカーレットが持ち出した分だけであった。

海軍の任務外の活動であるレオンとクリスティナも手持ちの資金は最低限しか持ち合わせていない、全ての資金を合わせた場合、当面の生活費には事足りるが、諸島内での生活は長期間に及ぶと思われ、いずれは資金難に陥る事は必定、レオン、クリスティナが海軍本部に所属する海兵であるため、いずれは諸島を離れる必要がある事、これらの理由から長期的な生活資金の確保が急務となる。

 

 ヴィオラ達が諸島内で生活していくための資金を得る手段としては“労働によって賃金を得る“、”他者から奪う”などが考えられた。

諸島内の情勢は乱れているため、働き口は少なく、暫くは身分を隠しておきたいヴィオラ達の思惑もあり、“労働によって賃金を得る”方法は断念、結果的に“他者から奪う”方法を選ぶ事になったのである。

 平和主義を貫いて生きてきたリク王がこの方法に難色を示し、論議の結果、“奪う”対象を[海賊]、[人攫い]などの犯罪者に限定する事で全員の意見が一致した。

 

 シャボンディ諸島内での方針を定めた一行は、レオンとクリスティナが中心となり行動を開始、

ヴィオラ達、女性陣はクリスティナを護衛として拠点に残り、レオン達、男性陣は拠点の安全確保も兼ねて周辺[GR]に存在する海賊や人攫いに対しての行動を開始したのだった。

 海軍本部の次世代を担う者として期待され、天賦の才能を持ち、高い戦闘力を誇るレオン、王でありながら優秀な戦士でもあったリク王、闘技場で偉業を成し遂げ、国一番の戦士となったキュロス、この三人に抗える者は存在せず、瞬く間に[38番GR]周辺の安全は確保された。

 

 奪い取った戦利品を商店街で売買する事によって資金を得る事に成功、レオン達はこの方法を繰り返す事によって十分な生活資金を確保したのである。 

 潤沢な資金を得た一行は、生活を長期に渡って安定させるため、諸島内における地盤作りに着手、戦利品などや仕入れた商品を売り出し、本格的な“商売”活動を開始した。

 

 生活が安定してきた事でレオンは改めて《会社》の設立を提案。

王として周辺諸国などでの認知度が高いため、目立つ訳にはいかないリク王、愛する娘レベッカとの家族生活を望むスカーレットとキュロス、海兵であるレオンとクリスティナ、などの事情から会社[社長]にヴィオラが就任、

貿易会社《ユニオン》が創設された。

尚、社長ヴィオラの要請で会社設立提案者レオンが極秘でユニオン最高位[会長]の座に就く事が決定する。

 

 《ユニオン》の経営は順調に進み、規模を広げていく、人員は困窮している諸島住人を中心して雇う事で補い、商売の販路は諸島内だけではなく、周辺の島々に拡大していった。

ユニオンの会社経営が軌道に乗った事を確認して、レオンとクリスティナは海軍本部へ帰還、海兵としての任務に復帰する。

 

 海軍本部へ帰還し、新たな任務を受けたレオンとクリスティナは二人で話し合い、独自にユニオンへの支援をする事を決意。

任務で討伐した海賊の財宝や武器を回収し、極秘裏にシャボンディ諸島のユニオンに運び込む、といった方法で支援を開始。

 本来、海賊などから回収した財宝などの略奪品は一旦海軍本部に集積され、改めて世界政府に運ばれる事になっており、規律として定められている。

レオンの行為は明らかに規律に違反しているため、露見したならば軍法会議は避けられない、

しかし、その事実を十分理解していながら、レオンやクリスティナはユニオンへの支援を続行、結果ユニオンは莫大な財を得て、更に規模を拡大していく。

 

 レオンとクリスティナの行動は規律に違反した行為ではあるが二人に躊躇いはない、それは世界政府の腐敗が大きく影響している。

 世界政府に集められた海賊などからの略奪品による利益は、表向きは政府の運営資金に利用されているとなっていたが、事実は違う。

 世界政府運営資金などにも利用されていたが、それは一部だけであり、その大部分は政府高官や政府と強い繋がりを持つ各国の特権階級である者達の懐に入るようになっていた。

この事実は世界政府上層部の間では暗黙の内に了承されており、世界政府直下の組織である『海軍本部』上層部も周知の事であった。

 世界政府という巨大機構の腐敗が生み出した歪みの一つであるが、略奪品の中に珍しい財宝や[悪魔の実]などの希少で価値の高い品物があった場合、権力の頂点というべき場所に君臨する[天竜人]に献上される事もあるため、腐敗を正そとする心ある者達も、黙認せざるを得ない状況であった。

 

 世界政府の腐敗や内情を、上官であり師匠でもある[つる]中将から教えられ、自分達で独自に調べた結果、

“政府中枢”の腐敗を深く理解していたレオンやクリスティナに政府への忠誠心などは皆無であり、ユニオンへの支援をする事に迷いは一切なかったのだった。

 

 海軍に所属するレオン達の強力な支援を受けた貿易会社《ユニオン》は急速に成長を続け、それは人員の補充が間に合わない程の早さだったのである。

 急激な発展による人員不足、それを解消するために、海兵でありながらユニオンの[会長]でもあるレオンが新たな人員補充方法が提言、それは未だに世界中に残る忌むべき制度、“奴隷売買”を利用するものであった。

 

 奴隷売買で売り買いされた[奴隷]は基本的に買い上げた者が、奴隷の生殺与奪全ての権利を得る事になる。

奴隷に反抗は許されず、主人となった者に従う事を強いられ、逆らう事を防ぐために爆発する首輪を着けられる事などもあった。

 

 レオンは[奴隷制度]、[奴隷売買]を嫌悪していたが、これらが未だに世界中の闇社会と深く結び付き、容易く根絶する事は出来ない事も理解していた。

――根絶は出来ない、ならば逆に利用して一人でも多くの者達を救い出し、自分達の力とする。

レオンの抱く心情はヴィオラ達にも共通する想いであり、ユニオン上層部の意見も賛成意見で統一された。

 

 《ユニオン》は方針の一つとして会社の利益、海賊からの略奪品の利益の一部を利用して[奴隷]を購入する事を決定。

買い上げた[奴隷]は解放した後、本人の自由意思の下でユニオンへの新たな人員を募る試みを開始した。

 [奴隷]として買い上げて解放された者達は“本人の意思が最優先”というユニオン上層部が定めた絶対条件の下、それぞれ自らの今後を選ぶ事を許され、故郷への帰還を望む者達は、ユニオンの援助を受けて帰郷した。

当初レオンやヴィオラ達も皆故郷への帰郷を望み、新しい人員は殆ど期待できないと見込んでいたが、実際はかなりの数の者達が解放後にユニオンへの参加を希望したのである。

その理由として、奴隷であった者達の多くが大なり小なり海賊の被害にあっており、故郷を略奪などで壊滅させられた事で、既に帰る場所が無い者達が多く、他にも様々な理由で帰る場所を失った者達が多数存在していた事が挙げられる。

 凄惨な事情や奴隷時の過酷な待遇の話に、ユニオン上層部に[幹部]として名を連ねるスカーレットなどは大いに悲しみ、滂沱の涙を流した。

奴隷であった者達の悲劇的な境遇は『大海賊時代』が如何に乱れているかを象徴していた。

他の理由としては、ユニオンへの恩を感じている者達の存在が挙げられる。

奴隷であった者達は皆自分達の未来が暗く閉ざされている事を自覚していたため、“解放”という形で救い出してくれた事に解放された者達は皆、ユニオンへの感謝の念を抱いていた。

それ故に恩を返そうとユニオン参加を希望する者達も多く存在していたのだった。

 

 《ユニオン》の[奴隷]解放による人員補充の試みは想定以上の結果を生み出し、成功した。

人員補充は定期的に繰り返し続けられる事になり、人員を定期的にで増加させる事が可能になった事で、ユニオンは飛躍的に規模を拡大させていく事になるのであった。

 

 レオンも海軍本部で次々と功績を挙げ、驚異的な早さで昇進していき、信頼できる部下を集めていく。

そして上官のつる中将に〈シャボンディ諸島〉へ自らの部隊による駐留を上申、正式に許可される。

 シャボンディ諸島内[37番GR]に基地を建設、同時に極秘で《ユニオン》との緊密な連携関係を構築したのだった。

 

 一方ヴィオラも各地に存在するユニオン所属の商店と所属員を利用して情報網の構築を開始、そこで得た情報を使ってレオンを支援する事を決意する。

 

レオン率いる《第零独立特務部隊》、ヴィオラ率いる《ユニオン》は互いに協力しながら勢力を拡大、それによってシャボンディ諸島全体の治安も向上し、諸島住民の信頼を獲得、レオンとヴィオラ達は確固とした拠点を築く事に成功したのだった。

 

 

 

 〈シャボンディ諸島〉を拠点とするまでの事を思い出していたレオンは、巨大な城を思わせるユニオン本社、その内部の通路を歩きながら感慨に耽る。

 数年前まで、この場所には草が生い茂るばかりで、とても人の住める場所ではなかった。

しかし、今では巨大なユニオン本社が建造され、周辺には倉庫やユニオン所属員の宿舎などが並び建ち、大勢の人々が仕事に精を出し、活気に満ちている。

 ユニオンの所属員の中には[魚人族]、[人魚族]、[巨人族]、[小人族]など、多種多様な種族の者達が入り交じり、互いに協力しながら仕事を続けていた。

 ユニオンに所属する異種族の多くが元は[奴隷]の身分にあった者達であり、解放後にユニオンへ参加する事を望んだのである。

当初は異種族と共に働く事に戸惑いを感じざるを得なかった一部の人間の所属員達も、奴隷という悲惨な境遇から救い出してくれた恩を返そうと必死に働く姿を見て、認識を改めでは気軽に言葉を交わし、仕事終わりには酒を酌み交わす程に打ち解け合っていた。

 通路に設けられた窓から外を見れば、そこには時折笑顔を浮かべ、楽しそうに仕事に励んでいる様々な種族の者達

の姿が見える、異種族への反感などは微塵も感じられず、共に笑い合うこの光景こそレオンやヴィオラが目指していたものであり、その光景を見る事が出来た事に感慨深い想いを抱かずにはいられない。

「ウフフ、レオン。嬉しいの?」

 窓の外に広がる光景に、無意識に口元に笑みを浮かべていたレオンを見て、レイラは胸が高鳴るのを感じる。

「ん?………ああ、嬉しい。異種族への迫害の激しい外の島々ではこんな光景は滅多に見れない、だから本当に嬉しいんだ」

 銀色の髪を持つ青年が浮かべる優しげな笑みに、思わずみとれてしまったレイラは、自身が既にレオンに心から惚れてしまっている事を改めて自覚したのだった。

 

 

 ユニオン本社上階、重厚な造りの木の扉の前にレオンとレイラは到着していた。

「この部屋が社長室よ」

上等な作りの扉をレイラは拳で数回ノックしてから、一言断り扉を開けて部屋に入っていく。

それに続いてレオンも部屋に足を踏み入れた。

 部屋は広く内部には上等のカーペットが敷かれ、一目で高級品と分かる調度品が壁際に品良く並べられ、上品で居心地の良い雰囲気を生み出していた。

 部屋内部の壁には大きな絵図が飾られ、良く見ればそれが諸島全域を詳細に描いた地図だという事が分かる。

部屋の中央には二つのソファーがテーブルを挟み向かい合うようにして設置され、その奥には黒く塗られた執務机が鎮座していた。

 執務机の奥に設えてある大きめの窓からは日が暮れつつある外の景色が見える、その窓から入る夕日が部屋を茜色で染め上げている。

 その窓の側に立ち、外の風景に眺めている一人の女性がいた。 

「ヴィオラ社長、レオン様をお連れしました」

 黒いスーツに身を包み、執務机を挟んで二人に背を向けているヴィオラは、レイラの声に応えるようにしてゆっくりと振り向く。

「レイラ、ご苦労様。貴女は下がって結構よ」

 ヴィオラの労いの言葉に、了承の返事を返し一礼すると、レオンに悪戯っぽくウィンクして、レイラは部屋を出て行くのだった。

 部屋の扉が閉じられる音が部屋に響く中、レオンとヴィオラは互いに見つめ合う。

執務机を回り込み、傍らに立ってレオンを見上げるヴィオラ、背中まである艶やかな黒髪は緩くウェーブが掛かり整った顔立ちの美貌は、恋人に会えた喜びで輝いている。

「レオン、…………お帰りなさい」

「ああ、…………ただいま、ヴィオラ」

 既に言葉は必要なく、レオンとヴィオラは見つめ合いながら自然と距離を詰めると、深く口付けを交わす。

 部屋中を照らす夕日が、互いに抱き締め合いながら、口付けを交わし続ける二人を暖かく包むのだった。

 

 

 

 太陽が完全に沈み、諸島全体に夜の闇が満ちていく。

シャボンディ諸島に存在する無法地帯、そのとある場所で闇に身を浸すようにして話し合う者達がいた。

「それで、本当なのか?“紫電”が帰還したってのは」

「へい、手下に確認させました。奴らの拠点周辺は警戒が厳しくて近付けませんでしたが、商店街の連中が話しているのを聞いたそうでさァ」

話を聞いていた者達にざわめきが走る、しかし咎める者はいない、それだけ“紫電”の異名を持つ男は恐れられていた。

「くそッ、ただでさえ“零番隊”や“ユニオン”の連中のせいでまともに出歩く事もできねェっていうのによォ」

 その場に集っている者達は口々に愚痴を吐き合い、忌々しそうな声が彼方此方で紡がれる。

「ど、どうすんだよ、奴は海賊相手には一切の容赦はしないってのは有名だ、前にこの諸島で暴れていた海賊達を皆殺しにしたって聞くぜ」

震えた声を隠せない者もいたが、それを笑う者は一人もいない。

「とにかくだ、今諸島にはかなりの数の海賊達がいる、いくら“紫電”の強さが化け物じみていても、直ぐに全ての海賊を潰す事は出来ないだろうよ、今は不用意に動かず時期を待つんだ、そして隙が出来たら諸島から逃げ出しちまえばいいんだ、焦る事はねェ」

まるで自らに言い聞かせているような言葉であったが、周りの者達も恐怖をかき消すように勢い良く次々に賛同の声を上げていった。

「しかし、何でよりによってこの諸島にあんな怪物がいるんだよ」

怯え、畏怖するように言葉を紡ぐ、

「“紫電”クロイツ・D・レオン」

 多分に畏れが籠もったその言葉は、夜の闇に染み入るように響いていくのだった。



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第8話

 日が沈み、天上に輝く月の光が波打つ海に降りそそぎ、夜の静寂が世界に満ちる。

『偉大なる海』に存在する〈シャボンディ諸島〉。

諸島にもまた夜が訪れ、“ヤルキマン・マングローブ”から生み出されるシャボンに、月の光が反射して幻想的な雰囲気を感じさせた。

 シャボンディ諸島[38番GR]に構えられている貿易会社《ユニオン》本社、その最上階に幾つも存在する部屋の一つ、上品な内装を持つ部屋に二人の男女がいる。

広い面積を持つ部屋であり、壁際には書物が整然と並べられた棚や、数多くの高級酒がしまい置かれたキャビットが絶妙に配置され、部屋中央には複数の人間が横になる事が可能な程の大きなベッドが鎮座していた。

 高級感溢れるベッドの上、レオンとヴィオラが裸身を晒している。

上半身を起こし、体重を預けるようにして寄り添う二人は、手元にある数枚の紙に目を向けていた。

「以前より、海賊の数がかなり増えているな」

 レオンの手元にある資料には諸島内に存在する海賊達の情報が記載されている。

《ユニオン》が情報を収集して作られた資料には、海賊団の規模や現在地、戦闘力や戦闘方法、など様々な情報が詳細に記載されており、ユニオンに構築されている情報網が如何に優れているかを物語っていた。

「ええ、ウチの警備隊も其方のローズ達と協力して動いてもらっていたんだけど数が多くて、特に懸賞金が億を越える奴らは、一筋縄じゃいかないし、本当に厄介だわ」

情事の後特有のけだるさを身に纏い、眉根を寄せて吐息を吐くヴィオラからは凄絶な色気が発せられていた。

「ああ、ローズも部下を指揮して良くやってくれた。しかし単独で“億越え”の賞金首を相手にするのは、あいつにはまだ荷が重い」

 既にローズから報告書を複数提出されていた為、諸島内の情勢の変化なども大体は把握できている。

[第零独立特務部隊]のレオンを始めとする主力の人員が不在の中、彼女は巧みに部下を率いて治安維持に務め、ユニオンとの緊密な連携もあり、諸島内での味方勢力圏といえる“30番台のGR”の安全は一定以上に保たれていた。

情勢が不安定な諸島で、限定的でも治安を維持する事が出来たのはローズの能力の非凡さを表しており、上官であり師でもあるレオンにとって、ローズの著しい成長は嬉しい事であった。

 若年ながら、ずば抜けた能力を示したローズではあるが、それでも“億越え”の海賊を単独で相手にするのはまだ早いとレオンは感じており、彼女から報告書と共に熱心に上申された、“億越え”海賊討伐任務を彼女一人に任せる事には、不安を感じざるを得ない。

「そうね……、諸島内の小規模な海賊討伐でローズの実力は実際に何度か見たわ、兵の指揮も見事で、彼女自身の戦闘力も高い、でも懸賞金が億を越えるような海賊達との戦いを任せるのは早過ぎると思うわ……。まァ、あの娘なら後少し経験を積めば十分にやれると思うけど」

事実、ローズは既に諸島内の海賊からその実力を警戒されている。

「ウチの警備隊で一緒に戦う事の多かった、お父様やキュロス義兄さんも誉めていたわよ」

「リク王やキュロスも?………そうか、ならば単独ではなく、カレンと組ませて“億越え”海賊団を一つ任せてみるか……」

 カレンもまた数々の実戦を経験した事で実力を高めており、レオンの見た所ローズとも決して引けを取ってはいない。

「あの娘達だけで“億越え”を?……ちょっと早過ぎないかしら、せめて貴方やクリスのどちらかが付いていった方がいいんじゃない?」

 レオンとの縁もあり、ヴィオラにとって既に二人は妹同然である、二人と同い年の姪、レベッカと重ねてしまう事もあって、ついつい過保護になってしまうのは仕方のない事であった。

「確かに早いかも知れない……、だがあの二人ならやれると俺は確信している」

 カレン、ローズ、の二人にはレオンが戦闘の基本的な事は教え込んでいた。

「フフ、貴方がそこまで言うなんて……。あの娘達が聞いたら喜ぶわね」

師弟関係にあり、二人の実力を誰よりも知っているレオンが任せられると感じているのなら、ヴィオラに不満はない。

「それで?今諸島にいる“億越え”海賊の誰を二人に任せるの?ルーキーだけど凶悪な奴らばかりよ」

 《ユニオン》の社長として会社を取り纏める身として、ヴィオラは諸島内の情勢変化には細心の注意を払っている、当然ながら現在諸島に存在する海賊達の動向も把握していた。

「これが今現在、諸島に滞在中の主だった海賊団の情報よ。数が多いから懸賞金の高い奴らを重点的に情報を集めているわ」

二人の手元にある紙には幾つかの海賊団の情報が詳細に記載されている。

 

「なかなか厄介な面子が顔を揃えているようだな………、皆最近よく名を聞く奴等だ。中でもこいつらは幾つもの事件を引き起こしている、相応に戦闘力も高い、あの二人にはまだ無理だろう」

レオンが示した者達は“ルーキー”の中でも取り分け危険度が高く、世界政府や海軍も警戒を強めている、高い実力を備えているとはいえ、経験の浅いカレンやローズには明らかに荷が重い。

「ならあの二人の相手は【溝鼠のブブルタス】?確かに“億越え”海賊の中では格下だけど強敵であるのは変わらないわよ?」

 レオンの手にある書類を、ヴィオラが裸身を寄せて覗き込む、動きに合わせて揺れる豊満な胸が艶やかな色気を醸し出す。

「ああ、だがブブルタス個人の戦闘力はそれ程高くはない、懸賞金が高額なのは引き起こしてきた事件が民間人などに多大な被害を与えているからだ。あの二人ならば討伐も十分可能だろう」

 【溝鼠のブブルタス】1億3000万ベリーの懸賞金が懸けられた賞金首であり、その特徴は狡猾さにある。

騙し討ちや海軍を装うなどの擬態戦術を駆使して、略奪を繰り返し街や民間人に甚大な被害を与えてきた。

しかし、狡猾さは臆病ともいえる、事実ブブルタスは直接的な戦闘を避ける傾向にあり、常に自身より弱小の勢力しか戦わない事で有名であった。

海軍本部の調査によると、街での略奪なども事前に入念に準備してから実行している事が明らかになっており、海軍と遭遇した場合も直ぐさま逃走する、などの行動が何度も確認されていた。

それ故に姿を補足するのは困難であり、海軍本部も幾度となく取り逃がしている。

【溝鼠】という異名はその臆病とも言える、高い危機察知能力と狡猾さから付けられた物であった。

「フフフ、なるほど……。このシャボンディ諸島は“新世界”へ向かう海賊達にとっては必ず訪れなければならない場所、しかも、船を“コーティング”するには一定の時間が掛かる、その間は諸島から脱出する事は不可能。逃げ足の速いこの男でも容易く逃げる事は出来ない、という事ね」

 “コーティング”とは船にシャボンを利用した細工を施し、海中深くを航行可能にする技術であり、《新世界》への入口である〈魚人島〉は深海に存在するため、そこを目指すのなら必須の技術であった。

 コーティングには一定の時間を要し、その間船を動かす事は不可能になる。

「ああ、幾ら逃げ足が速かろうと、この諸島内なら関係ない、船のコーティングが終わる前に叩き潰す。カレンとローズならやれる」

 経験浅い二人にとって強敵であるのは間違い無い、しかしカレンとローズとて鍛えられている、それを知るレオンに不安は無い。

「あの娘達にとっての初めての“億越え”海賊討伐任務、期待出来そうね。いつ実行するの?」

「お前達のお陰で情報は十分に集まっているからな、二人の準備が整っているなら明日にでも作戦を開始する」

  ユニオンによって収集された海賊達の情報は詳細であり、討伐任務を開始する上で必要な情報は既に得ている、直ぐにでも実行する事が可能であった。

「ウチの警備隊からも援軍を出したい所だけど、お父様やキュロス義兄さんは商船団の護衛で諸島を離れているのよね……」

「構わない、今回の海賊討伐は俺の部隊だけでやる。緩んでいる諸島内の秩序を今一度引き締めるためにも、徹底的にやるつもりだ」

 今回の海賊討伐任務は、現在諸島内で脅威となっている複数の海賊団を纏めて潰して見せしめにする、という意味合いも持つ。

「クリスに海賊達の船を今夜中に焼き払うように命じておいた、今頃奴らの船はスクラップになっているだろう」

スカーレットやレベッカと久し振りの再会を互いに喜んだ後、ヴィオラやクリスティナ、そしてカレンとローズも交えて彼女達と共に囲んだ夕食の後、レオンは密かにクリスティナに海賊達の船の破壊を命令していたのである。

「あらあら……、夕食後にクリスと何かしてると思ったら、そんな悪戯を企んでいたのね。私も混ぜて欲しかったわ」

「すまない、あの時はまだ情報が足りなかった」

「フフッ、分かってるわ。からかっただけよ」

悪戯っぽく笑うヴィオラからは怒りの感情は微塵も感じられない、むしろ上機嫌であるようにさえ見えた。

その楽しそうな様子レオンは内心で安堵の吐息を吐いた。

 《独立第零特務部隊》にとって同盟者と言うべき立場にある《ユニオン》、その女社長であるヴィオラには本来ならば真っ先に報告すべき事案であったのだが、突然入った情報の確度の低さなどから真偽を確かめる必要があり、確認の後で改めて報告しようと考えていたのである。

スカーレットやレベッカと家族団欒の時間を楽しむヴィオラを邪魔したくなかった、というレオンの個人的な思惑も多分に影響していた。

 一方ヴィオラも自身を気遣うレオンの配慮には当然気付いている。

会社の急成長に伴い、仕事に忙しく家族との時間を満足に持てない事の多い自分を気遣ってくれる想い人に怒りを抱く筈がない。

更には、忙しい中、自分との逢瀬を優先してくれたレオンには、一人の女として喜びを感じてさえいたのだった。

 そのようなヴィオラの心中をレオンが知る由はなく、あからさまに安堵した様子を見せるその姿は、任務時の高いカリスマ性を感じさせる超然としたものとは違い、恋人の事を想う年相応の青年そのものであった。

 文武に天才的な才能を持ち、他者を強く惹きつける程の大器を有する青年の、そのどこか不器用な所に自らの母性本能が疼くのを感じつつ。

甘えるようにして身体を密着させていくヴィオラは、湧き上がる愛情と共に、恋人と久し振りに会えた喜びを改めて噛み締めるのだった。 

 

 

 

 青白い月明かりが降り注ぎ、荒れ果てた建物群を照らしだす、此処は[12番GR]。

シャボンディ諸島内では“無法地帯”と呼ばれている場所の一つである。

 

 《新世界》への入口であるシャボンディ諸島には様々な者達が集っていた。

商売のために世界中の海を渡り歩く“商人”、不安定な時代であるにも関わらず、自らの好奇心を満たすために世界を旅する“冒険者”、自国の国益のため国々の間を行き来する“外交官”、事件の情報を得るために危険な場所にも踏み込む“記者”、など世界の海を行く様々な者達がこの諸島に集う。

その中には物騒な者達も含まれている。

宝のために時には法さえ犯す“トレジャーハンター”、金銭のために戦場を求める“傭兵”、懸賞金目当てに賞金首を追う“賞金稼ぎ”、日常的に争いに身を投じるこの者達は基本的に気性は激しく、些細な事で諍いを起こす。

 そんな荒くれ者達の中で、市民から最も恐れられている存在があった。

海を行き己の欲望のままに世界中で暴れ回る者達、“海賊”。

 新世界を目指す海賊達は必ずシャボンディ諸島に立ち寄る事になり、必然的に諸島内には深い混乱が生じるのだった。

諸島内に存在する“無法地帯”は海賊を筆頭にした、多くのならず者達が拠点を構えており、諸島に住む者達達は決して近付かない諸島内屈指の危険地帯だった。

 

 月明かりの下、朽ちかけた廃墟同然の建物が建ち並ぶ中、闇に足音を響かせて走る複数の人影がある。

走る人影はいずれも屈強な男達であった。

身に着けている服装は長く使用した事で傷んだのであろう色褪せた服や、染みが滲んだタオルを腰に巻いている、など様々であり、共通して不潔さを感じさせる汚い身なりをしている。

走りながら時折月の光に照らされて闇に浮かび上がる彼等の顔は総じて凶悪であり、荒事に身をおいているであろう事を伺わせた。

「ハァ、ハァ、ハァ、………クソッなんでこんな事に……」

暴力を生業にしている者には似合いそうにない声が弱々しく辺りに響く。

本来ならばそのらしからぬ弱音を吐いた同僚を揶揄する罵声が一つぐらい飛んでいてもいい所であったが、窮状に陥りつつある彼等の中でその様な事をする者はいない。

皆一様に厳しい表情で黙々と走り続ける。

 

 薄暗い闇に満ちた中を男達が走っているのには理由があった。 

彼等は皆海賊であり、船長からの命令を受けて港に停泊している自分達の海賊船の出航準備を進めていた、しかし漸く準備も整ったと思った矢先に襲撃を受けたのである。

襲撃者は港に停泊していた男達が所属している海賊団の船に火を放ち破壊してしまったのだ。

男達は皆必死に応戦した、しかし襲撃者達の力量は尋常なものではなく、船は破壊され、命からがら逃げ出す事が精一杯の有り様であった。

「……ハァ………ちくしょうッ…………船の守りを任されてたってのに…………ハァ……ハァ………お頭に殺されるかもしんねェ………くそッ…………最悪だぜッ!」

彼等を気分を暗く沈ませているのは港の船を破壊された一件の事だけではない、むしろその失態による船長の怒りもまた彼等は最も恐れていた。

船長の名はブブルタス、【溝鼠】の異名で知られ、海賊界ではルーキーながら既に世界に悪名を轟かせている凶悪な海賊である。

そしてブブルタスは自分の命令を違えられる事を何より嫌っていた、失敗した部下には情け容赦なく罰が与えられ、命を奪われる事さえ珍しい事ではない。

その恐ろしい船長に港の船の防衛と出航準備を命じられていたというのに、既に船は全て破壊され海に沈んでしまっている。

嘆くのも当然と言えた。

 彼等の海賊団において互いへの信頼などは存在しない、金銭的な欲望や物欲、などの利害関係が全てである。

仲間意識は皆無であり、だからこそ皆本音では、いっそこのまま逃げ出したいとさえ思っていた。

しかしそうせずに愚痴をこぼしながらながらも一塊になって闇の中を走り続けるのには理由がある、それは船長ブブルタスへの恐怖故に他ならない。

 【溝鼠】と言われるブブルタスは臆病で狡猾、そして執念深く、特に裏切り者には尋常ではない程の怒りを向けるのである。

裏切られた怒りよりも、それ以上に裏切り者によって自身の情報が漏れる事を何より怖れているためだった。

以前に部下の中から裏切り者が出た時は何処までも追いかけ、捕らえた後、ブブルタスは自らの手で惨殺したのである。

高い危機察知能力の所以でもある生来併せ持った臆病さが、裏切り者への病的とも言える執着を生んでいた。

そんなブブルタスの危険な気性を知る部下達は、怖れから逃げ出す事も出来ず、凶報を抱えてアジトまでの道をひた走る。

たとえその先に待っているのが暗い未来であると分かっていようとも。

 

 

 

 大きな石造りの建物が月明かりの中、闇の中に不気味に浮かび上がっている。

嘗ては立派な建物であったのであろう、その建物は至る所が崩れ落ち、石造りの壁には苔むした植物が蔦を這わせていた。

建物自体の面積は広く、場所によっては辛うじて保たれている原型から、元は富豪が建てた豪邸のようにも見える。

しかし現在は殆どその面影は無く、崩れた石壁が目立つ巨大な廃墟に過ぎない。

 その廃墟の奥、月明かりも届かぬ場所に複数のランプに照らされた部屋がある。

腐り朽ちた大きな木の扉に遮られたその部屋は広く、天井も高く造られている事から建物の大広間にあたる場所である事が分かった。

大広間の中には至る所に酒の空き瓶が転がり、汚れた毛布などが石造りの床の所々に敷かれ、複数の人間の生活した痕跡が残されている。

剣や銃なども無造作に置かれ、部屋の利用者達が普通の者達でない事を物語っていた。

 

 現在その大広間には多数の人間が集まっていた。

粗末な衣服に身を包んだその者達は皆それぞれ体格も良く、凶悪と言える顔立ちをしており、一目で荒事に身を置いてきた事が分かる程である。

 しかし広い部屋の奥に身を寄せ合うようにして固まる彼等の姿は、何かに怯えているようにさえ見える程弱々しい。

事実彼等は怯えていた、海賊である自分達を狙う海軍に、そして今、目の前で怒りに震える船長に。

 

 

「つまり、船は完全に沈んじまった。……………そういう事だな」

 大広間の最奥、罅が入った石壁を背に木箱に腰掛ける男がいた。

その男の名はブブルタス、海賊団の船長である。

痩せ形の体型に禿げ上がった頭、頬のこけたその顔は陰鬱さを醸し出していた。

 他の船員よりは多少上等な衣服を身に纏い、木箱に座るブブルタスは目の前で恐怖に震える部下達を睨みつけている。

務めて無表情を保っているが、内心では腸が煮えくり返る程の怒りを感じていた。

脱出のために数日前から用意していた海賊船が沈めれた事を部下から報告されたからである。

「へ、へいッ。海軍の奴らに火を付けられて、沈んじまいました…………。船に残っていた奴らも船ごと……………………」

船長による苛烈な叱責に怯え、必死に言い訳をする部下達の話を聞きながら、ブブルタスは自らの思考を巡らせていく。

コーティング屋に通常よりも割高の金額を払って準備を急がせ、明日には新世界に向けて出航出来る、という所まできていたのだ、だから一層落胆は深い。

しかも突然の奇襲によって船に残して置いた荷物などは全て船と共に海に沈んでしまったのだ。

報告を受けたブブルタスの怒りは尋常な物では無く、強烈な自制心で自らを抑えていなければ今頃、報告してきた部下達全員を殺していただろう。

船を守れずに逃げ帰ってきた部下達に殺意さえ抱いているブブルタスであるが、それを抑えて沈黙を保っているのには理由がある。

それは自身に迫っている大いなる危険のせいである、どのようにすれば現在の危地を凌げるかが重要なのであり、失態を犯した部下に構っている暇は無い。

端的に見て状況はそれ程切迫していたのだ。

船を焼き払った敵が迫っているのは疑いようもなく、今すぐにでも逃げ出す必要がある。

船は失われたが、不幸中の幸いで、他人を信用しないブブルタスは財宝もこのアジトに運び入れていたため、今までの航海の略奪品は無傷で残っている。

この財宝があれば新しい船を手に入れてやり直す事も十分に可能であり、焦燥に駆られるブブルタスの心に、少しの安堵感をもたらしていた。

 現状、ブブルタスは既に今後の自らの行動方針を決めていた、逃走である。

矜持などは価値のない、無用の長物、そう考え自らの保身の為ならば躊躇わず瞬時に捨てる事が出来る切り替えの早さこそ【溝鼠】の異名を持つブブルタスの真骨頂。

大切なのは己のみ、目の前で震えて船長の言葉を待つ部下達の事など歯牙にもかけていない。

 

 大広間の奥で部下達に囲まれるブブルタスは、自らの最大の取り柄だと自負する頭脳を最大に回転させて如何にして事態を乗り切るか黙考していく。

常にない船長の様子に、部下の海賊達は事態の重さを改めて自覚したのか、自然、暗く重い雰囲気が部屋を満たしていった。

 

 

 

ヤルキマン・マングローブの立ち並ぶシャボンディ諸島に朝が訪れる。

夜の闇は既に無く、太陽が海原の水平線上からゆっくりと昇り始めると、それに呼応するように白く深い霧が諸島全体に立ちこめていく。

ミルクを溶かしたような白く濃い霧の中、視界の悪さを物ともせずに素早く動く者達がいた。

 帽子を被り白を基本色とした軍服を身に付ける彼等は整然と、しかし静かに、立ち並ぶ木の下を移動していく。

身に纏う服には皆一様に青色で模様が描かれ、カモメを模したそのシンボルマークは、彼等が海軍に所属している事を示していた。

その三十人程の海兵達の先頭を駆けるのはダークレッドのスーツに身を包む、鮮やかな赤い髪の少女、ローズである。

 立ち込める霧によって視界が閉ざされる森の中、ローズは後ろに続く部下達を先導するようにして進んでいく。

そ進路には迷いが無く、彼女に明確な目的地がある事を示していた。

 

 

ヤルキマン・マングローブの立ち並ぶ中を進んで行くと、周りの情景も大分変わってくる。

崩れ落ちた建物が幾つも存在し、廃墟が並ぶその一帯にはどこか陰鬱な雰囲気が満ちていた。

人目につかぬように静かに進んでいた一行は、少し拓けた場所で足を止める。

「合流地点はこの辺りですわよね?」

ローズは事前に頭に叩き込んだ地形図の記憶を呼び起こす。 

「はい、確かにこの辺りが合流予定地点です」

部下の中の一人が地図を開くと、既に予定の場所に到着している事が確認できた。

「どうやらあのお馬鹿さんより、先に着いたようですわね」

予め合流する場所と時間を決めて行動を開始したというのに、肝心の相手の部隊が到着していない。

「…………まったく、相変わらずだらしのない。大事な作戦だというのに…………、また遅刻ですの?」

時計で時間を確認しながら苛立ちを抑えきれず、つい文句を口にしてしまう。

舌打ちさえしそうになり、慌てて抑える。

 常に優雅な振る舞いをする事を心掛ているローズは、自分が何時になく苛立っている事に気付き顔をしかめる。

心を落ち着かせるように一つ大きく息を吐き。

「………………私も情けないですわね」

気負い過ぎている事は自分で自覚している、しかし分かっていながら、それでもなお今回の任務は特別だという気持ちが強い。

自らの師であり敬愛しているレオンから任された初めての“億越え”海賊討伐任務。

世界政府によって懸けられる懸賞金はその海賊の危険度によって上下する、懸賞金が高額の海賊程危険であり、戦闘力も高い。

懸賞金が“億を越える”という事は海賊の“格”において一定の目安とされる。

海賊への対処を主な任務している海軍にとって“億越え”海賊は脅威であり、対処する場合、実力を認められている海兵が作戦などの指揮を執る事になる。     

 今回の任務ではローズが指揮官となりカレンがそれを補佐する形で“億越え”海賊【溝鼠のブブルタス】の討伐作戦の全てをレオンから一任されていた。

だからこそ今回の任務はローズにとって特別な意味を持つ。  

実質的にはカレンと共同となるが、“億越え”海賊の討伐という重要な任務の指揮を任されたのだ、ローズが気負いすぎるの当然といえた。

生来の真面目な性分故に落ち込み、自らの未熟を反省していると、 

「誰が情けないって?」

突然声が聞こえてくる。

「ッ!?」

聞こえてきた声に驚き、顔を上げたローズの視線の先には、茶色の髪をショートカットにした少女――カレンがそこにいた。

「カレンッ!あ、あなた何時の間にッ!?」

つい先程まで姿の見えなかったライバルの突然の出現にローズは動揺を隠せない。

直前まで自分の不甲斐なさを嘆いていたのだから、それも無理はなかった。

「何時の間にって、さっき着いたんだけど?部隊も一緒にね」

周りには既に合流した部隊員達が次の作戦行動のために準備を始めている。

「だ、だからといって、いきなり声を掛けなくてもいいでしょうに」

驚きによる動揺もあってローズ自身、理不尽だと自分で分かっていながら、ついきつい声を出してしまう。

「ムッ、何言ってんのよ。皆準備始めてるのに、あんた一人だけ上の空だったから、わざわざ声を掛けに来てやったんじゃん!」

ローズの物言いに、カレンは眉間に皺を寄せて、不愉快そうに顔をしかめる。

合流地点に着いてみれば既にローズは到着しており、遅れた事への小言を言われるかと、待ち構えていれば、一向に姿を現さない。

様子を伺えば、重い雰囲気を漂わせて一人佇むライバルの姿。

常に競い合ってきたライバルの落ち込んだ姿に、カレンは自分でも驚く程に動揺した。

だからこそ、あえて明るい声で話し掛けたのだ。

「ま、まぁ、今は作戦前、貴女に道理を説くのは後にしてさしあげますわ、どうせ言っても聞かないでしょうしね」

普段と違って、からかう様子もないカレンの姿に何か感じる物があったのか、訳もなく照れくさくなったローズは頬を少し赤らめると顔を背けた。

「やけにしおらしいけど、どうしたの?………………何か変な物でも食べた?」

可愛らしい顔を懐疑的な表情に歪めると、カレンはまるで胡散臭い物を見るかのように、ジッと睨み付けてくる。

「た、食べてませんわよッ!貴女という人はッ…………、何処まで私を苛立たせれば気が済みますの!」

ライバルからの気遣いに殊勝にしてみれば、返ってきたのは詐欺師でも見るような視線、ローズが直前まで感じていた感謝の気持ちが一瞬にして吹き飛ぶ。

怒りのままカレンに向かって怒鳴るローズではあるが、先程まであった作戦への不安が何時の間にか消えている事には気づかないのであった。

 

 

 売り言葉に買い言葉で何時ものように口喧嘩を続けていたカレンとローズ。

しかしあわや掴み合いになる、というより所で慌てて部下達が止めた事により、事態は漸く沈静化した。

「コ、コホン………………………。さ、さて、そろそろ作戦をはじめましょうか」

「………………………そ、そうだよね、早くしないと完全に日が昇っちゃうもんね」

無言で向けられる部下達の視線に、顔を羞恥で染めながら、二人は何もなかったようにして強引に話を変えた。

 一旦自らの気持ちを落ち着かせるようにして、二人はそれぞれ眼を閉じ、大きく息を吸うと、ゆっくりと吐き出す。

そして眼を開けた時、直前までの年相応の少女の面影は既に無く、そこにあったのは、若年ながら飛び抜けた実力を持った海兵の姿であった。

「それでは偵察兵からの地形情報などを考慮に入れて、作戦の最終確認を行いますわ。よろしいですわね?」

「若様に任されたこの作戦、必ず成功させるよッ」

指揮官であるローズが中心となりカレンがそれを補佐する。

彼女達の主導による海賊討伐作戦の最後の確認が行われていく。

 

カレンとローズによる、初の“億越え”海賊討伐任務。

作戦開始の時は刻一刻と迫ってきていた。

 

 

 

 同時刻。

霧に包まれる中、ヤルキマン・マングローブの太い枝の上に立つレオンとクリスティナの姿があった。

「そろそろ、カレンとローズが動き始める頃だな……………、こちらもそろそろ始めるとするか」

「全隊配置完了しました。いつでも御命令下さい、レオン様」

二人の立つ樹からは、カレンとローズの標的とは別の“億越え”海賊団が根城にしている拠点を確認する事ができた。

 

 

 

 シャボンディ諸島全域に立ち込める霧が薄くなりつつある早朝、海軍本部[独立第零特務部隊」による、複数の海賊団を標的にした討伐作戦が開始する。

 

 



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第9話

 《偉大なる航路》シャボンディ諸島。

立ち込めていた霧が晴れていき、爽やかな朝日が諸島を照らし始める早朝。

〈無法地帯〉に大きな建物の廃墟が存在した。

 

 その廃墟から数人の人間が出てくる、粗末な衣服を身に付けた彼等は皆一様に暗い表情を浮かべている。

その中に一人、比較的若い男がいた。

男の名前はロン、【溝鼠のブブルタス】を船長とする海賊団に所属している下っ端の構成員であり、雑用などが主な仕事。

今朝も、朝早く、上役から命じられた仕事も典型的な雑用であった。

シャボンディ諸島の無法地帯に構えられた拠点から移動するために、当面の間の食料など、生活必需品の買い出しを命令されたのだ。

「くそッ、なんで俺達が買い出しをやらされなきゃいけねェんだッ」

「ホントだぜ、こんな時だってのによォ、やってらんねェよ」

ロンと同様の雑用を命令された男達は互いに愚痴を好き勝手に言い合っていく。

彼等とて食料などの物資の重要性は百も承知ではあるが、それでも現在の危機的状況で買い出しに行かせられる事に憤りを感じずにはいられない。

「こんな諸島から早く逃げ出してェよ、海軍の奴ら俺達を完全に潰すつもりだぜ」

「“零番隊”の奴らは海賊には容赦ねェ、俺達全員、皆殺しにされちまうぞ」

“零番隊”とは海軍本部所属の“第零独立特務部隊”の事である。

[クロイツ・D・レオン]少佐によって創設された精鋭部隊であり、シャボンディ諸島37番GRに本拠地を構えて世界中で活動していた。

部隊は様々な任務で功績を積み上げ、世界の海に名を轟かせている。

 海賊に対する苛烈な対処から海賊達からは特に恐れられており、恐怖と畏怖を込めて“零番隊”の通称で呼ばれていた。

 肌寒い空気の中、未来への不安から次第に口数が減り、黙り込んでしまったロンが俯いて進んでいく中、同行している同僚達の愚痴は続いていく。

「しかもあの【紫電】が帰ってきやがったんだぜ、早く逃げねェと俺達全員殺されるぞ」

低い声で囁くような口調には誤魔化しようもない、畏れが込められている。

【紫電】とはクロイツ・D・レオンの異名。

戦闘でレオンの能力による雷が瞬く時、時折紫色に光ることがあり、それが異名の由来であった。

「くそッたれッ、なんであんな怪物がこの諸島を縄張りにしてやがるんだ」

感情の儘に吐き出される愚痴は、徐々に互いの不安を吐露し合う内容に変わっていく、普段の威張り腐った態度とはまるで違う弱々しい同僚達の姿に、ひっそりと溜め息を吐いたロンの心にも確実に強い不安が根付いている。

そんな時、何か得体のしれない感覚を覚えたロンは、顔を上げて周りを見渡す。

廃墟が並ぶ風景は今までと変わらないように見える、しかしロイの心には何かが引っ掛かっていた。

その原因を探すように、目を凝らしてもう一度周りを見渡すと、道端に並ぶ廃墟の一つの側、草木が生い茂っている所に差し込んでいる太陽の光に、一瞬何かが反射したように瞬いたのを目の端で捉えた。

「おいッ!?誰かいるぞッ!」

ロイが警告の声を上げたその瞬間、

「撃ち方始めッ!!」

厳かな号令が辺りに響くと同時に銃弾の雨が海賊達に降り注ぐ。

 

 現在、海賊達が居る場所は長く続いている一本道、道幅は広いが道の両端に並ぶ廃墟群と、其処に生い茂る緑豊かな草木が周囲の見通しを極端に悪くしている。

そして唐突に始まった銃撃は道の両端から行われた。

 ロイ達を左右から挟み込むようにして無数の弾丸が迫り来る、

「ぐァッ、て、てめぇら!?」

「くそったれッ、ふざけんじゃねぇぞ!」

「は、反撃しろッ!?」

絶え間なく襲い来る弾丸の嵐、海賊達も反撃しようとはするが、遮蔽物の無い道の真ん中にいる海賊への左右両側からの挟撃、懐のピストルを抜く間も得られない。

「ギャァァァァァァァ!」

「い、痛てェ、こ、こんな所で死んでたまるかよォ!?」

身体を銃弾に打ち抜かれ、血を吹き出しながら、一人また一人と地面に倒れ込んでいく。

何とか逃げ延びようと道の端目掛けて雄叫びを上げて突っ込んでいく者もいるが、辿り着く前に身体中を数多の銃弾で蜂の巣にされ、断末魔の声を上げる事も出来ずに地面に沈んでいった。

そんな中、ロイは死んだ同僚の死体を盾にするようにして、地面に這い蹲って進み、道の端に建ち並ぶ廃墟の物陰に転がり込んだ。

しかし廃墟となっている建物に辿り着く寸前に受けた銃撃によって、脇腹に焼けた鉄を捻り込まれたような激痛がロイを襲う。

脇腹からは激しく出血しており、着ていた服が真っ赤に染まっていく。

激痛を堪え、傷口を抑えながら必死に止血しようとするが出血は止まらない。

「ハァ………ッ…………痛てェ…………………くそッ!」

廃墟のボロボロの石壁に身を潜めるようにして寄りかかり、必死に息を殺す。

出血により薄れていきそうになる意識を何とか保ちながら、逃げ出す方法を考えていると、周囲が静まり返っている事に気付く。

脂汗を流しながら歯を食いしばり、脇腹の激痛に耐えるロイの表情からは強い焦りが感じられる。

身を縮めて草木に紛れながら周りの様子を窺うと、既に銃撃の音は無く、そして撃たれた海賊達の苦しむ声も無い。

辺り一帯に満ちる不気味な程の静寂が、却ってロイの心身を追い込んでいく。

耳に聞こえるのは自身の荒い息の生み出す音のみ。

傷口からの激痛、大量の出血により薄れていく意識、圧し潰されそうな不安、その全てがロイを苛む。

地獄のような状況から脱却すべく、物陰からゆっくりと顔を出して通りを覗き込む。 

「ハァ…………………ハァ………奴らは何処に行ったんだ」

血臭漂う、通りの石畳には海賊達の死体が幾つも転がり、辺り一面血の海だった。

つい先程まで言葉を交わしていた同僚達の物言わぬ無惨な姿に、吐き気が込み上げる。

血走った眼を忙しなく動かして周囲を確認するが、敵の姿はない。

「………くそッ……くそッ………ハァ………アイツらッ、あんだけ偉そうにしていたくせに簡単に死にやがってッ………ハァ………ふざけんなよッ………なんで俺がこんな目に遭わなけれゃいけねぇんだッ!?」

同僚達の死体を確認した事により、ロイは自分が一人になってしまった事を強く自覚した。

一度自覚してしまうと、途端に不安がロイの精神を蝕んでいく。

「くそッ、くそッ、くそッ、くそったれがァ!?」

不安は恐怖に変わり、傷口からの激痛が命の危機を明確に感じさせた。

脂汗が光るロイの顔は抑えきれない恐怖に引きつり、止まる事のない出血が、身体から活力を奪っていく。

ギリギリまで伸ばされた糸が、いずれ切れてしまうように、コップに注いだ水が溢れてしまうように、何事にも限界は訪れる、それは人間の精神も同様であり、圧倒的な恐怖によって心身共に極限まで追い詰められたロイの精神は容易く崩壊した。

「う、うァァァァァァァァァァァァァァァァッ!?」

痛む身体を引き摺るようにしながら通りに飛び出ると、悲鳴を上げながら走りだす。

敵に発見される危険性などロイの頭には既に無く、何処へ向かうのかすら分からずに、この場から逃げ出したい一心で、涙と涎で顔をグシャグシャにしながらただひたすらに走る。

しかし、そのがむしゃらな逃走も長くは続かない。

走り出して間もなく、一発の銃弾がロイの身体を貫いたのだ。

激痛に思わず立ち止まったロイの身体に続けて連続した複数の銃弾が叩き込まれる。

「………………………えッ…………………」

気が付けば、ロイは何が起こったか知ることも出来ぬまま、地面に倒れ伏していた。

身体の彼方此方から耐え難い激痛が響き、夥しい出血によって地面を赤く染めていく。

薄れていく意識の中、何者かが近付いてくるのをロイは感じた。

泥のように重い身体を動かし、残った力を振り絞り見上げた先には黒いスーツを身に着けた赤髪の美少女がいた。

そして、それがロイの見た最後の光景であった。

 

 

 

「まだ終わっていませんわよ、気を抜かないように」

海賊達を排除する事に成功したローズ達、しかし敵の拠点にはまだ大勢の海賊が居る、油断など出来ない。

 カレンとローズは今回の作戦目標である【溝鼠のブブルタス】が拠点としている場所に視界に捉え、情報を得るため監視していた。

すると監視して間もなく拠点としている石造りの廃墟から出てくる者達を発見。

複数の海賊達で構成されたその集団が、拠点から十分に離れた事を確認して、カレンとローズは部隊と共に強襲、殲滅に成功したのである。

「確かにね。こいつらはただの下っ端、結構大金のベリーを持っていた所を見ると……………、買い出し係ってとこじゃない?」

死んだ海賊達の死体を検分していた部下からベリーの詰まった袋を渡されたカレンは、血の海に横たわっている海賊達の死体に視線をやると、さも詰まらなそうに吐き捨てた。

可愛らしい顔立ちには何の感慨も浮かんでおらず、何の興味も抱いていないのが見てとれる。

彼女にとって本命は拠点にいる船長ブブルタスの命であり、下っ端海賊を何人倒した所で喜びはしない。

「下っ端海賊員、というのは同感ですわ。彼等は私達海軍に既に船を沈められていますし、狡猾で悪名高いブブルタスがそのまま動かない、というのはあり得ません。シャボンディ諸島からの脱出を図ろうとしているはず………………、差し詰めこの者達は食料などの物資調達係という所ですわね」

蓄えていた物資を船ごと焼き払われた海賊団が諸島から脱出するためには船と生活必需品は必須。

「ッてことは、いよいよ奴らが逃げ出そうとしているって事ね」

日が昇りきっていない朝早くから買い出しに出た、それは海賊団が既に脱出に向けて動き出している事を意味している。

「ええ…………、つまり奇襲を駆けるならば今が好機、一気呵成に叩き潰しますわよ」

脱出準備に気を取られているであろう海賊達、それはローズ達からすれば絶好の好機である。

敵に対する備えが疎かになっているうちに、船長ブブルタスを討ち取る。

そうすれば頭を失った海賊団の残党を一網打尽にすることは容易い。

「よし!それじゃ、あたしが突っ込んで………グェッ」

「待ちなさい」

善は急げとばかりに、今にも海賊団の拠点に突っ走って行きそうになるカレンの肩をローズが掴んで止める。

「何すんのよッ、今がチャンスってあんたが言ったんじゃない!」

肩の手を振り払いながら、カレンは不満を隠そうもせずにローズを睨みつけた。

その眼光は鋭く、生半可な説明では納得などしないと言外に語っている。

「だから貴女は、だめなのです。ただ突っ込むだけが戦いではありませんわ、貴女も一応指揮官なのですから学んだらどうですの?」

やれやれ、とばかりに首を振るローズの姿に苛立ちが募る。

腕を胸の下で組んでいるため、スーツの上からでも分かる程の豊満な胸が強調されるようになっているのが、カレンの怒りを更に煽る。

カレン自身、貧乳ではないが決して豊かではないサイズだと自覚しており、密かにコンプレックスを抱いているため、尚更怒りも募るというもの。

「じゃあ、どうすんのよ。モタモタしてたら奴らの準備終わっちゃうわよ?」

海賊達の準備が終わり、シャボンディ諸島からの脱出手段を手に入れたら、せっかく海賊船を焼き払ったというのに、それが無駄になる。

人一倍良いカレンの勘が、この好機を逃すなと告げていた。

「そのようなこと、今更貴女に言われなくとも承知していますわ、……………ただ私は今回の作戦において最重要目標である、船長【溝鼠のブブルタス】の所在だけでも、奇襲を仕掛ける前に確認しておくべきだ、と言っているだけですわ」 

カレンとローズ達が到着してからは常に少数の部下を敵拠点監視に張り付けているが、拠点である廃墟内部の情報は皆無である、当然標的の姿を確認した者は誰もいない。

可能性は低いが、船長ブブルタスが不在という事も十分にあり得た。

奇襲作戦は速さが肝要であり迅速に作戦目標を討伐する必要がある。

“敵拠点に奇襲を掛けたが、目標が見つからない”では話にならない。

その場合、作戦が根本から崩れる可能性があり、その結果ブブルタスを取り逃がす事にでもなったら、目も当てられない。

それはレオンの期待を裏切るという事でもあり、それだけはローズにとって許容出来ない事であった。

だからこそ、ローズは慎重に慎重を重ねて任務に万全を期す。

「……………………分かった。じゃあまずブブルタスの姿を確認ね。なんか良い作戦ある?」

 ローズの想いは言葉にせずともカレンにも伝わっていた。

ライバルとして長年、誰よりも近くでローズを見てきたからこそ、分かる事がある。

それにカレンもまた、想いはローズと同じであった。

“敬愛するレオンの期待に応えたい”

それが二人に共通する想い。

一見相反する気性に見える二人ではあるが、その心底にはどこか似通った物を持っていた。

「犠牲を出すことなく、敵拠点内部を調べる方法はありますわ。ただし――カレン、貴女の負担が大きくなりますけれど」

 真っ直ぐに見つめてくるカレンに応えるように、ローズも真剣な表情で見つめ返す。

「フン、聞かせてもらおうじゃない?その方法とやらを」

猛々しい笑みを口元に浮かべ、カレンは挑むように言い捨てた。

 

 

 

 昇り始めた太陽がゆっくりと朝日をシャボンディ諸島全体に降り注ぐ。

諸島内随一の危険な場所である、“無法地帯”もその例外ではなく、どこか陰鬱な雰囲気漂う一帯を、照らし出すようにして朝日が満ちていく。

崩れ落ちた建物の残骸が多数並ぶ中、一際大きな建物の廃墟が存在する。

建物は現在【溝鼠のブブルタス】を船長とした海賊一党が根城にしている場所であった。

 

 海賊達が拠点としているその廃墟に近付く人影がある。

クセの強い茶色の髪を短めに切りそろえ、可愛らしい顔立ちをしている少女――カレンである。

黒いパンツスーツ姿のカレンは、建ち並ぶ建物の残骸に身を隠しつつ、海賊達の拠点に向かって疾走していた。

一見普段と何ら変わらない様子ではあるが、カレンの現在の姿を他人が目にすれば驚きの声を上げるであろう事は間違いない。

その理由はカレンの身体の大きさにある。

現在彼女の身長は約30cm程であり、『偉大なる航路』に存在する種族“小人族”と同程度の大きさしかなかった。

これは彼女の有する“悪魔の実”の能力により引き起こされた現象である。

 様々な種類が存在し、食した者にそれぞれ特異な能力を与える“悪魔の実”。

カレンが口にした実の名は[スクスクの実]、その能力は体格を自在に変化させる事が出来る、というものであり、

“超人系”の分類される能力であった。

 

 [スクスクの実]の能力によりカレンは身体の大きさを巨大化させる事や、逆に縮小化させる事が出来るようになっていた。

能力を制御するためには鍛錬が必要であり、相応に時間が掛かる。

師匠であるレオンの指示もあり、カレンは縮小化の方を優先的に鍛錬を積んできた。

それは能力を得た直後、縮小化の際に身体の縮小に伴って身体能力の低下が見られたためである。

能力を制御できていないカレンの未熟さ故であったが、レオンは縮小化の最中に突発的な戦闘が発生した場合、

致命的な事態になりかねないと判断、縮小化の能力制御を優先的に鍛錬を積むように指示したのだった。

鍛錬によりカレンは縮小化の際にも通常と何ら変わらない身体能力を発揮する事が出来るようになり、

レオンからも縮小化による戦闘を許可されたのである。

その反面、巨大化の能力制御はまだまだ甘く、現在は5m程度に身体を巨大化させるのが限界である。

 

 懸賞金1億3000万ベリーの賞金首、“億越え”ルーキー海賊である、【溝鼠のブブルタス】とその海賊団の壊滅を目的とした今回の任務で、ローズが立案した作戦とは、カレンの能力である、縮小化を利用した敵拠点内部の偵察であった。

軍事作戦において敵勢力の情報は非常に重要な意味を持つ。

特に最重要目標であるブブルタスは【溝鼠】と異名される程の狡猾さ、高い危機察知能力による逃げ足の速さで悪名高い。

現在、既に海賊達が拠点としている廃墟の周囲にはカレンとローズがそれぞれ部隊を配置して包囲を完成させているため海賊達の退路は既に無い。

しかし海賊団船長ブブルタスの姿は未だ確認されておらず、敵拠点から既に不在の可能性もある。

 一度奇襲作戦を実行すれば、後に退くことは出来ない。

ブブルタスの逃走を許せば、それは作戦の失敗を意味していた。

 任務標的であるブブルタスの所在位置の確認は最優先事項であり、それ故のカレンによる敵拠点単独潜入作戦である。

カレンの能力である縮小化による隠密性を利用して敵拠点内部に潜入、最優先目的は船長ブブルタスの所在確認、そして拠点内部からの混乱誘発による、本隊の奇襲作戦援護である。

ローズによって立案された偵察作戦、危険を承知した上で今作戦をカレンは快諾、実行されたのだった。

そして、約30cm程度まで身体を縮小化したカレンは所々に点在する瓦礫を利用して身を隠しながら、海賊達の拠点である廃墟にゆっくりと、しかし着実に近付いていく。

 

 

 

 (ふぅ…………、何とか潜入成功ね)

現在、カレンは既に海賊団の根城である廃墟内への侵入に成功していた。

建物の正面、入口である玄関が存在する故に海賊達の警備が厳しい南側を迂回して、建物裏手側に接近。

石壁が崩れ落ち、直径約50cm程の穴が空いていた場所から、その部屋の内部へと潜入を果たしたのだった。

廃墟の北側に面したその部屋は薄暗く、大小様々な木箱が積み上げられている。

(この部屋って、もしかして…………)

床の上や木箱には埃が積もっており、この部屋が暫くの間、使われていない事が分かる。

(ッ!………これは…………火薬に弾丸。やっぱりこの部屋は海賊共の武器庫)

カレンが開いた木箱には黒色火薬や、銃の弾丸が木箱一杯に詰め込んであるのだった。

他にも幾つかの木箱を確認してみると、中身は同様の物が詰め込まれている。

(まだこれ程の量をため込んでいたなんて……。流石は【溝鼠】の異名を持つだけの事はある。非常事態に備えて最低限の準備はしてあるわけね)

部屋の埃の積もり具合から、これらの物質が運び込まれたのは大分前だという事が出来る。

ブブルタスはこの廃墟を拠点と定めた時、財宝と一緒に最低限の武器や物質を運び入れていたのだ。

(この様子じゃあ、急いだ方が良さそう)

海賊達は既に脱出のために動き出している、となれば倉庫代わりであろうこの部屋の物質も運ばれるのは必定。

直ぐにでも移動を開始する必要があった。

 

 持ち前の果断さから即座に決断を下したカレンは行動を開始、廃墟内を静かに素早く進んでいく。

彼女はその直情的な気性から、粗雑で短絡的な人間に見られがちではあるが、それが彼女の全てではなかった。

生まれ持った本能的な勘の良さ、そして常人よりも遥かに速い思考速度による決断の早さ、それによる抜群の行動力、それこそがカレンの本質と言って良い。

 

 建物内の廊下は薄暗く、寒々とした石造りの通路には湿った空気が満ちている。

換気が不十分故の独特な匂いに微かに顔をしかめつつ、廊下を疾走していくカレンの前に上へと続く階段が姿を現す。

迷う事無く、すぐさま階段を駆け上がりながら、ふと疑問に思う。

(妙ね……………、海賊の数が少ない。…………奴ら、一体何処に?)

能力によって縮小した身体で身を隠しつつ進んでいるカレンではあったが、海賊の姿は数人見掛けただけであり、明らかに数が少ない。

カレン達の想定では海賊達は脱出準備をしている筈であり、建物全体がもっと騒がしくなくてはおかしい。

湧き上がってくる疑問に若干の焦りを感じながらも、彼女の進む速度が落ちる事はない。

――例え如何なる状況であろうとも迷ってはならない、迷いは隙を生み出し、それは致命的な事態を引き起こす。

師の教えはカレンの心底に刻み込まれ、彼女自身特に意識せずとも、身体はそれに自然な動きで倣っていた。

 カレンが二階に到達しても尚、依然として人気の無い状況は続いている。

(どう考えてもおかしい………。こうも不自然に人気が無いとなると、明らかに人為的な物。………問題はその理由の方ね)

 想定する事が出来る無数の選択肢の中で最悪の状況は、既に侵入が海賊達に露見している場合。

しかし、カレンは自らの内に浮かび上がったその考えを即座に打ち消す。

(もし、侵入がバレているなら、此方が少数である事も直ぐに分かる筈………。だとすれば、寧ろ奴らは数の優位性を生かして殺到してくるに違いない。そもそも相手は海賊、組織だった行動が採れるかすら疑問だわ)

海賊とは自らの欲望の為ならば、法を犯し秩序を乱す事を厭わない者達。

全ての海賊がそうだとは言えないが、大抵の海賊達は倫理や道徳心よりも己の欲を優先する。

それは“億越え”という大物海賊団であろうとも変わる事はない。

気配を殺しながら次々に部屋を確認していくと、

(…………………んッ!?)

ふと、カレンの鋭敏な耳が微かな音を捉える、注意して聴いてみるとそれは明らかに人の声。

 声の聞こえる方に進んでいくと、そこにあったのは一階と二階を吹き抜けにした大きな広間。

其処には大勢の人間が集まっていた。

(フフ…………、漸く見つけたわよ、海賊共!)

その広間吹き抜けの二階、薄暗い手摺りの陰で身を潜めるカレンは、階下に見える海賊達の中から今回の任務に置ける最重要目標の姿を認めると、ゾッとする程に獰猛な笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 元々は豪邸といっても過言ではない程の巨大な屋敷。

建物は荒れ果て、廃墟となってはいるが敷地面積は広く、石造りの壁には優美な装飾が残っている場所も存在する。

 その建物内部に、数百人の人間が集う事も可能な程の広さを持った広間が存在した。

大広間の天井は高く、吹き抜けになっている為、広間を囲うように造られた二階の通路からは一階を見下ろす事が可能であった。

 現在、大広間には大勢の人間が集まっている。

建物を拠点としている海賊団の構成員達、屈強な身体を薄汚れた衣服に身を包む彼等の視線の先には、木箱の上に立って熱弁を奮っている一人の男の姿が確認出来る。

 他の海賊達よりは多少は上等と言える服を身に付けたその男は、禿げ上がった頭を興奮により赤らめ、血走った眼を大きく開きながら、その奇妙に甲高い声を広間に響かせる。

 男の名はブブルタス、大広間に集まった海賊達の所属する海賊団の船長。

【溝鼠】という異名を持つ男は今、危機迫って士気の下がっている部下達を叱咤するべく、声を張り上げて演説をしていたのである。

 しかし演説の内容は叱咤というよりは、脅しと言った方が正しい。

それもその筈、ブブルタス自身内心では目の前に並んでいる部下達の事など気にも懸けていない、自らの保身が最優先であり、部下はその為の道具。

そんな性根の汚さが滲み出た演説に部下達の士気が上がる筈もなかった。

 そもそも部下である海賊団の構成員達からして船長への忠誠心など持ち合わせてはいない。

彼等が海賊団の一員としてブブルタスに従ってきたのは、自分達もまた甘い汁を吸いたいが為である。

目的の為ならば手段を問わず、敵前逃亡すら平然と行うブブルタスのやり方には、海賊としての矜持など微塵もない、しかし安全であり確実性も高い狡猾さがあった。

海賊としての一定の誇りを持ち合わせている者ならば嫌悪さえ覚えるやり方、しかしそれは極力自身の身を損ねる事無く欲望を満たしたい者達には非常に魅力的に感じるのであった。

ブブルタスを船長とした海賊団はそのような者達が群れて形成されたものであり、船長への敬意や仲間同士の信頼関係など初めから持ち合わせてはいないのである。

だからこそブブルタスの演説を聴く部下達もまた、考えているのは自分達の保身の事だけであった。

海軍の精鋭部隊という脅威の迫る中、逃げ出す事無く彼等が大人しく集まっているのは、裏切り者には容赦のない船長への恐怖、そして人数が増えれば其れだけ自身の生存率が高くなるという打算の結果だった。

 様々な思惑が渦巻く中、額に汗さえ浮かべて続くブブルタスの演説は、誰の心を掴む事もなく、ただ虚しく響いていく。

海賊団の危機に対する一致団結の様子など微塵もなく、大広間には空々しい白けた空気のみが広がっていくのだった。

 

 

 大勢の海賊達が集まった大広間、その二階部分に海賊達を冷めた目で見下ろすカレンの姿があった。

彼女は既に縮小化の能力を解除しており、身体は通常の大きさに戻っている。

拠点侵入の際の隠密性を高めるために行った身体の縮小化。

既に潜入に成功し、警戒対象である海賊達が広間に集まっている現在、能力を使い続ける必要性は低いとカレンが判断した為である。

(フン、部下の士気を高めるための演説。必死になるのも分かるけど、もっと他にやるべき事があるでしょうに……。ま、此方としてはその方が助かるからいいんだけどね)

今回の任務においての最重要目標であるブブルタスの姿を確認したカレンは、即座に次の行動に移り、つい今し方全ての準備が完了したのであった。

(そろそろ仕掛けが作動する頃……。フフ、海賊共の驚く様が目に浮かぶわ)

それは予め定められていた作戦行動。

敵拠点に侵入し、標的の姿を確認後、速やかに拠点内部から何らかの方法で外の味方に合図を送る事。

合図の為の仕掛けはカレンの手で設置済みであり、後は時を待つばかり。

(…………5…………4…………3…………2…………1…………今ッ!)

声を出さずに行ったカレンのカウントダウンが終了すると同時、

轟音と共に、建物全体が震える程の大きな振動が引き起こされたのだった。

 

 

 

 海賊団が拠点としている建物を海軍の精鋭部隊が包囲している。

彼等を率いるのは鮮烈な紅い髪が印象的な少女――ローズ。

彼女はその美しい顔立ちに厳しい表情を浮かべて建物を見つめている。

部下達と共に生い茂る草花に身を紛れ込ませながら、ローズは静かに時を待つ。

 今回の作戦の目的は海賊団船長ブブルタスの捕縛、或いは抹殺。

しかしブブルタスの逃げ足は速く、それは【溝鼠】と異名される程のものであり、海軍支部、そして本部の精鋭達でさえも幾度も取り逃がしていた。

ブブルタスは臆病で猜疑心が強く、己以外を信じる事は決してない。

他人を道具のように使い捨てるその様は、冷酷そのもの。

それは部下であっても例外ではない。

手強い海賊の襲撃や、海軍の執拗な追撃などで危機に陥ると、彼は長く航海を共にした部下達でさえ躊躇わずに利用、その者達を自らの囮とする事などで幾度も逃げ延びていたのだ。

結果、部下を全て失ってもブブルタスにとっては痛手ではない。

彼は新しい街などで荒くれ者達を言葉巧みに自らの部下に引き込み、改めて海賊団を結成、この方法を繰り返す事により、巧みに海を渡ってきていた。

 海軍本部の情報を元にローズが立案した今回の作戦は、ブブルタスを逃がさない事を念頭にいれて考案されている。

敵海賊拠点の全方位を部隊で包囲、内部に潜入させたカレンが混乱を引き起こすと同時にそれを合図とした奇襲を敢行、海賊達を内外から包囲殲滅する事を目的としていた。

 現在、ローズが率いる部隊によって既に建物は包囲下にある。

少人数に分けられた小隊が巧みに配置された包囲陣形は隙が無く、しわぶきひとつ立てずに上官の命令を待つその姿は、部隊員である海兵達が高い練度を誇っている事を証明していた。

 

 微かな緊張感が漂う静寂の中、数多の者達の視線が建物に注がれている。

そして、異変は唐突に訪れた。

 突如、皆の視線の先で建物から紅く禍々しい火炎が吹き出し、一瞬の内に爆発したのだ。

爆発の勢いは強く、その衝撃によって建物の石壁は容易く吹き飛び、建物の一部は完全に崩壊していた。

 古くとも堅牢な造りであった石造りの建物には爆発によって大穴が穿たれ、見るも無惨な様相を呈している。

建物の崩れた外壁からは今も黒々とした煙が吹き抜けた大穴から外へと流れ、それが空へと昇っていく様は爆発の勢いの凄まじさを物語っていた。

 

 建物に視線を向けていた者達にとってそれは正に一瞬の出来事、皆が思わず呆気にとられたのも無理はない。

驚愕により生じた奇妙な沈黙が辺り一帯に満ちる中、いち早く我に返ったのはローズであった。

 

(まったく、あの野蛮人ッ!合図の方法は一任するとは言いましたけど、派手にやり過ぎですわ!?)

強靭な自制心でライバルへの文句を胸の内に留めつつ、彼女はその明晰な頭脳で作戦に修正を加えていく。

 敵拠点内部からの破壊工作は奇襲作戦において重要な意味を持つ。

工作によって生じた混乱が深ければ深い程、奇襲時における敵の対応は鈍り、それは作戦の成否に直結している。

だからこそローズは拠点潜入の重大な役割を、深く信頼をおける者――カレンに任せたのだ。

強い対抗心を抱くライバルであるからこそ、相手の事を知り抜いており、決して口に出す事はないが、彼女達は互いに力量を認め合い、深い信頼を抱いていた。

(色々と言いたい事はありますが……、破壊工作の結果としては上々ですわね。作戦が成功したら誉めて差し上げますわ、カレン)

先程の爆発には味方であるローズ達ですら度肝を抜かれたのだ、突然自分達の拠点を吹き飛ばされた海賊達の驚愕が以下程か、想像するに難くない。

(あの爆発の規模………、海賊達の混乱が甚大なものであるのは間違い無い。ならば、この好機、逃す訳にはいきませんわね)

爆発の余韻漂う一瞬の間に作戦続行を決めたローズは、傍らにあった電伝虫に視線を向ける。

既に敵は混乱中であるため、盗聴などを警戒する必要はない。

直ぐさま受話器を手に取り、

「敵拠点潜入中のカレン少尉からの合図を確認、事前の作戦通り建物内への奇襲を実行しますッ!」

電伝虫を通しているにも関わらず、気迫を感じさせる凛とした声が待機中であった全小隊に響き渡る。

そして、ローズは覚悟を決めるように一拍おいた後、

「全隊、突入を開始しなさい!」

決然とした様子で命令を下すのだった。



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第10話

 世界の海を区切るように存在する巨大な『赤い土の大陸』。

その程近くに存在する《シャボンディ諸島》。

諸島は見上げる程の大きさを誇る植物[ヤルキマン・マングローブ]で構成されており、広大な面積を誇っている。

人々は巨大な植物の根の上で日々の生活を送っていた。

 

 

 

 そのシャボンディ諸島に今、朝が訪れる。

太陽の柔らかい陽光がゆっくりと諸島全体を照らし出していく。

光は遍く降り注ぎ、あらゆる物に恩恵を与え、新しい一日が始まる。

それは諸島内で最も治安が悪く、人心が乱れ荒廃している“無法地帯”であっても例外ではない。

 

 

 

 朽ちかけの廃墟群が彼方此方に無秩序に建ち並ぶ〈無法地帯〉。

その一角に、広い敷地面積を持つ大きな豪邸が存在していた。

石造りの豪邸は至る所に罅が入り、崩れかけている場所も多い、とても人が住める場所とは思えず、廃墟と呼ぶに相応しい建物。

しかし、その場所を利用している者達もいる、屈強な身体を見窄らしい衣服で包み、不潔な様相を持つ男達――海賊。

建物は現在、【溝鼠】の異名で広く知られるブブルタスを頭とした、海の無法者達によって拠点として使用されていた。

 

 

 建物内でも一際大きな面積を持つ大広間。

高い天井を持ち、一階と二階が吹き抜けとなっているその場所に今、大勢の男達が集まり、異様な雰囲気を生み出していた。

その中に人一倍体格に優れた者が居た、顔の下半分が黒々とした髭に覆われた中年の男。

男の名はザンギ、筋骨隆々の身体はそれだけで周りに威圧感を与える程であり、事実、大勢の人間達が集う広間において、彼の周囲の人影は不自然な程に疎らであった。

それは海賊団の幹部というザンギの立場が大いに関係している。

 海賊団は船長ブブルタスと数人の幹部を中心に構成されているが幹部達は皆同等の立場であり、副船長などのまとめ役は存在しない。

それは猜疑心の強いブブルタスが海賊団内における自らの権威低下を懸念した為である。

彼は他人を観察する事に長けているが故に、部下達が忠誠心など抱いていない事を見抜いていた。

己が欲深い事を自覚しているからこそ、ブブルタスは人間の欲望の恐ろしさを他人よりも深く理解する事が出来たのだ。

欲深い部下に強い権力を与えれば、その者が下克上さながらの野心を抱いた時、自らの地位を狙ってくるのは自明の理、だからこそ海賊団内に同程度の地位と権限を持つ幹部を複数置き、互いに競わせる事で海賊団内に一定の均衡を生み出す事に成功していた。

 ブブルタスの思惑通り海賊団内では複数の幹部達が権力を争い合っていたが、幹部達の中でザンギだけはそういったものには一切興味を示さない。

海賊になる前は傭兵として世界各地の島々を転々としていたザンギにとって、地位や権力は魅力的に感じる物ではなく、彼にとって価値のある物は金のみであった。

海賊になって日が浅く、懸賞金こそ懸かってはいないが、傭兵業で鍛え上げられた戦闘技術は海賊団内でもずば抜けており、戦闘面においては同僚の海賊達からも信頼を勝ち得ている。

一方でその強さから恐怖されてもいるため気安く近付く者は皆無であり、他の幹部達とは違って群れる事なく常に一人で行動するその姿は、海賊団内でも浮いた存在となっていた。

 幹部に名を連ねているとはいえ、船長への忠誠心や海賊団への親愛の情など欠片も持ち合わせていないザンギにとって士気高揚の為の船長による演説など鬱陶しい以外の何物でもない。

ザンギが大広間に集まっているのは、如何に危険少なくして己が窮地を乗り切るかを思案するためであり、他の者の事など囮程度にしか思っていない。

彼にとって何よりも大事なものは己の生命のみ。

危機迫る中、既にザンギは自身が所属する海賊団を見限り始めていた。

「……………ッ……なんだァ?」

続く演説の中、逃走手段を模索して思案に暮れていると、不意に何かを感じとる。

明確なものではなく、酷く曖昧な物であったが、ザンギは確かに何らかの変化を感じていた。

それは半生を戦場で生きてきた事により鍛えられた、ザンギの危機察知能力の高さを物語っていたのかも知れない。

唐突に感じた曖昧な感覚に戸惑い、それ故にザンギは直ぐに動く事が出来なかった。

そしてそんな彼を嘲笑うかのようにして事態は急激に動き出す。

ザンギにとって、そして広間に集う海賊達にとって、最も望まない方向に。

 

 それは瞬きをする間もない一瞬の出来事、大勢の海賊達が集まる大広間の一部が轟音と共に爆発したのだ。

大広間の壁が外側から一気に爆砕し、壁を構成していた石材は砕け、人の握り拳を優に越える大きさを持つ砕けた石片が、恐るべき速度で広間内部に居た者達に襲い掛かる。

襲い来る凶器によって、ある者は頭が弾け飛び、ある者は腹に風穴をあけて倒れ伏す。

突然の凶事に満足に対応出来た者は皆無であり、流れ出る血液によって広間には忽ち血の海が広がっていく、それはさながら地獄絵図のようであった。

 

 

 「………痛ェッ………くそッ………どうなってやがるッ、何が起こった!?」

突然に鳴り響いた轟音と衝撃によって床に転がっていたザンギが唸りながら身を起こし周囲を見渡すと、其処には凄惨な光景が広がっていた。

 大広間には苦しみの悲鳴と呻き声に満ちており、床に倒れ伏す幾つもの死体から流れ出る血液が至る所に深紅の血溜まりを作っている。

広間の西側の壁は完全に崩れ落ち、積み上がった瓦礫の先には陽光美しい外の景色が見えていた。

先程の爆発によって作られたものであるのは明らかであり、それを証明するかのように、崩壊した壁の近くに居た者ほど被害が大きい。

しかし広間全体の面積が広かった為、負傷者に較べて死者の数は少なく、爆発した壁から離れた位置にいた者達に至っては殆ど無傷である。

それでも突然の緊急事態に海賊達の動揺は深く、悪態を吐いて苛立ちの声を上げるばかりで、現状を理解出来ている者は僅かであった。

「ちィッ、お前ら何してやがる!さっさと起きやがれッ、死にてぇのか!?」

長い戦闘経験を持つザンギにとって、これが敵の仕業だと理解するのにそれ程時間は必要無い。

そして様々な戦場を生き残ってきたからこそ、現在の状況の深刻さが誰よりも良くわかってしまう。

「敵がすぐ来るッ、チンタラしてんじゃねェ!」

だが、周囲の海賊達の反応は鈍く、混乱が抜けきっていないのは明らかであった。

それが今のザンギにはひどくもどかしい。

 ザンギは別に同僚の命を案じて声を張り上げている訳ではない、現状の危機的状況がそうさせているだけだ。

今回、海賊団を脅かしている敵対者は無秩序な海賊ではなく、厳格な規律の下に組織的に動く海軍、その最精鋭部隊である。

先程の爆発が推測通り海軍によるものなら、既に作戦は始まっていると考えるのが自然だ。

事は一刻を争う事態であり、直ぐにでも逃走しなければ命が危ない。

しかし拠点が既に包囲されていると仮定した場合、単独での脱出は困難を極めるだろう。

ザンギは自身が生き延びる為に、どうしても他の海賊達を必要としていたのだ。

しかし、そんなザンギの思惑を裏切るようにして状況は進んでいく。

「ぐぁッ」

「な、なんだ、ギャァッ」

複数の銃声が鳴り響き、崩れた外壁の外から幾つもの銃弾が撃ち込まれ、立ち直りつつあった海賊達が次々と打ち倒されていく。

事此処に至って漸く敵襲だと気付いた海賊達は、危機を脱するべく各々武器を構えると、雄叫びを上げながら外へ突撃していくのだった。

半壊した建物内から瓦礫を踏み越えて外へと殺到していく海賊達、そこに更に勢いを増した弾丸の雨が降り注ぐが、勢いは止まらない。

建物を包囲していた海兵達も猛烈な勢いで接近して来る海賊達に迎撃の構えをとり、迎え撃つ。

緑深い森の中で海賊と海兵は激突、忽ち敵味方入り混じった乱戦状態に突入するのだった。

「忌々しい海兵共がッ、……………だが、ありがてェ、この混乱、存分に利用させてもらうぜェ」

ザンギの居る大広間ではまだ多くの海賊達が残って海兵達に応戦しているが、戦闘による喧騒で周囲は既に混乱の渦の中、逃走するにはこれ以上ない程の好機。

「フン、海軍奴らの相手は頼んだぜィ。精々出来るだけ長く引き付けといてくれよォ」

周りで戦う同僚達に聞こえないように呟いた後、早速とばかりに次の行動に移ろうと動き始める。

「ヘッヘッヘ、お暇する前に貰える物は貰っておかないとなァ」

向かう場所はブブルタスが溜め込んでいた財宝の保管庫。

「悪く思うなよ船長ォ、あんたが大事にしていた宝は俺が上手く使ってやるよ」

抑えなければいけないと分かっていながら、いずれ訪れるだろう輝かしい未来に暗い喜びが込み上げてくる。

ザンギが湧き上がってくる欲望で口元を邪悪に歪めていると、

「残念ッ!それは無理ね!!」

突然、若い女の声が上から降ってくる。

ザンギが声につられるように見上げた先に居たのは少女であった。

短い茶髪を持つその少女は空中に身を投げ出しており、丁度ザンギの真上にあたる位置にいる。

落下してくるまでの数秒が、ザンギにはひどく長く感じられた。

喧騒に満ちていた周りの音もどこか遠くなり、落ちてくる少女を見上げる事しか出来ない。

少女の身体が空中で巨大化しても驚きはなく、どこか他人事のように感じられた。

そして彼女の巨大化した拳が己に迫り来るのを見て、

「なるほどな、此が走馬燈ってやつか………………………クソッタレ」

言葉を吐き捨てる間もなく、全身に走る激痛と共にザンギの意識は永遠に闇に閉ざされる。

それが海賊団随一の武力を持つ猛者の、呆気ない最後であった。

 

 

 

 大広間の中央付近で響く轟音、炸裂した一撃は周囲にいた海賊達を巻き込んで新たな惨状を作り出していた。

頑強な石造りの床には広範囲に渡って罅が刻まれ、砂煙が舞い上がる。

 破壊痕の中心に降り立った少女――カレンは、能力を解除すると己が捻り潰した者達を見やり、一つ息を吐く。

「いよいよ始まったわね、ローズのやつタイミングピッタリじゃない、後で誉めてやってもいいわ」

 探索中に発見したマッチと蝋燭で作った簡易の時限発火装置、それを火薬庫に仕掛ける事で爆発を引き起こし、合図とする事で奇襲作戦の決行を促す破壊工作に成功。

合図に応えるようにして開始された海軍の攻撃を支援すべく、身を潜めていた二階から拠点内の残敵に強襲を仕掛けたのだった。

巨大化により上昇したカレンの膂力から繰り出された激烈な一撃によって、広間にいた海賊達は皆無残な死体となっている。

(それにしても…………、肝心のブブルタスを見失うとは、自分が情けないわ)

 海賊団船長ブブルタスの討伐は作戦成功の絶対条件、当然カレンもそれを十分承知しており、逃がすつもりは微塵もなかった。

 だからこそ大広間全体を見渡せる二階に身を潜めつつ、強襲の絶好機を待っていたのである。

しかし己が仕掛けた破壊工作が想定していた以上の威力を発揮した為に、爆発の際に一瞬標的から目を離してしまったのだ。

そしてその一瞬の内に標的であるブブルタスは姿を消してしまう、紛れもない失態である。

自身への怒りで端正な顔を歪めながら周囲の気配を探ろうとするが上手くいかない。

カレンはライバルであるローズと同様に“覇気”の扱いを学び始めている段階にあった、拙く未熟な技量ではあるが、一応覇気を行使する事も可能である。

だが、周囲の気配を探り、生命体などを探知する事が出来る“見聞色”の覇気をカレンは苦手としていた。

覇気は、“覇王色”、“武装色”、“見聞色”、の三種類に分けられるが、人それぞれ得手不得手がある。

カレンは武装色を得意としている反面、見聞色を苦手としており、現状では満足に行使する事すら難しい。

(やっぱり私の見聞色ではブブルタスを追えないわね)

カレンの表情は如何にも悔しげで、粉塵に汚れた全身から怒りが滲み出ている。

しかしそれも一時の事、カレンは一つ大きく息を吐くと、努めて意識を切り替えた。

(先ずは作戦を成功させるッ、反省はそれからでも十分!)

依然として作戦は継続中であり、遣らねばならない事は多岐に上る、失態を悔いてばかりはいられない。

カレンは俯いていた顔を勢い良く上げると、己が成すべき事をするために、力強く走り出したのだった。

 

 

 

 鬱蒼と茂る草木の間を素早く走っていく一匹の生物がいた。

体長約15cm程で、全身を灰色の体毛によって覆われている、世界中の至る所に生息域を持ち、繁殖力の高い生き物――鼠

 

 ヤルキマン・マングローブの巨大な幹が林立する緑深い森の中を、鼠は四肢を忙しなく動かし、腐葉土や緑色の苔むした樹の根が横たわる地面の上を這いずるようにして進んでいく。

 しかしその動きは一定の規則性を帯びており、ただ闇雲に進んでいる訳では無い。

草木の下や樹の幹の陰を上手く利用し、時折その動きを止めると、頭をもたげて流れる空気に鼻を幾度も引くつかせる。

その仕切りに周りを気にするかのようなそぶりは、鼠が抱いている警戒心の強さを物語っていた。

 過剰ともいえる程の警戒感を露わにしながら、身を潜めるようにして進むその姿は、世界中の至る所に生息している一般的な鼠とは違って、どこか知性を感じさせる。

 

「見つけましたわ」

鼠が進み行く森の中に突如、女の声が響き渡る。

声が聞こえると同時に動きを止めた鼠が、声の発生源を探すように周囲に頭を巡らせた。

すると其処には、黒いスーツを身に付け、背中まである鮮烈な紅い髪を吹き寄せる風に靡かせながら立つ、一人の少女の姿があった。

「逃がしませんわよ…………、海賊ブブルタスッ」

紅い髪の少女――ローズはその瞳に燃え上がるような意志を宿し、厳然たる想いを込めて強く言い放った。

 

 

 

 太陽が空に昇り始める早朝、海軍本部[独立第零特務部隊]によって敵海賊拠点への奇襲作戦が実行に移された。

指揮官であるローズは後方で待機しつつ、前線部隊からの報告を集積、作戦状況を分析していた。

前に出て戦いたい、という自らの想いを持ち前の強い責任感で抑えつけながら、次々に入ってくる情報に思考を加速させていく。

(海賊達の掃討は順調、しかし肝心のブブルタスの姿が確認できない。どういう事?奇襲直前にはカレンがその姿を確認していた筈、まさか……………、逃げられましたの!?)

敵拠点内部に侵入していたカレンの破壊工作を合図に決行された奇襲作戦。

建物を爆破する事で合図を出したカレンは、ブブルタスの姿を確実に捉えていた筈であり、ならば突入した海兵の部隊員が見逃す訳がない。

しかし現実には未だにその姿を視認したという部下達からの報告は皆無。

実際にブブルタスの姿を確認した筈のカレンに詳しい事を聞こうにも、既に敵拠点周辺は海賊と海兵が入り混じる乱戦状態。

手軽に持ち運べる“小電伝虫”は盗聴による作戦漏洩を警戒してカレンは所持していかなかった為、連絡の取りようがない。

“電伝虫”は離れた場所からでも電波を利用して連絡を取り合う事が可能な画期的な生物ではあるが、盗聴する方法は存在する。

“電伝虫”の一種である、盗聴を専門とした“黒電伝虫”、希少性が高いその電伝虫は、電波に干渉して他の電伝虫の通話内容を読み取る事が可能であった。

通常の電伝虫とは違って非常に希少であるだけに、海賊達が所持している可能性は限りなく低かったが、ローズは作戦に万全を期す為、拠点内部に侵入を図るカレンには電伝虫を持たせなかったのである。

しかし、現状ではそれが裏目に出る形となってしまっていた。

 

 初めて“億越え”海賊討伐作戦を任された事もあって、慎重になり過ぎている事を、ローズは自分でも自覚していた。

それだけに、自らの犯した失態によって生じた状況に苛立ち感じざるを得ない。

指揮官としての責任感から、内心が如何に荒れ狂っていようとも努めて平静を保つ彼女ではあったが、部下に的確な指示を与えていく。

 ローズの堅実な指揮は海賊側の戦力を確実に削っていき、戦況は海軍有利に傾いていく。

しかし依然として作戦においての最重要目標であるブブルタスの姿は確認されなかった。

そう時を置かずして海賊側は総崩れとなり、海賊達が皆我先にと逃げ出し始め、ローズが残敵掃討を命じた事によって作戦は最終段階に移っていく。

 

 海賊達が拠点としていた建物の周囲で海賊達が次々と討ち取られていく、第零独立特務部隊は部隊指揮官であるクロイツ・D・レオンの方針によって、海賊の捕虜をとる事は滅多に無い。

海賊への対処は徹底した掃滅を基本としているため、海賊達は降伏する事も許されず、己が犯した罪に相応しい無惨な死に様を晒していった。

 

海賊達が文字通り地獄を味わっている中、ローズは独り森の中を疾風のような速度で駆けていた。

掃討作戦の行く手に広がる草木を気にもせず、一心不乱に進む彼女の表情は厳しく、焦りさえ感じられる。

ローズは今、作戦の指揮を一時的に信頼する部下に任せて、単独行動をしていた。

作戦の途中に指揮を引き継ぐ行為は指揮系統を混乱させる恐れもあり、作戦の指揮官として決して誉められた行動ではない。

しかし、ローズにはそれを承知で尚、動く理由があったのだ。

それは彼女が感じた“気配”が理由である。

作戦の途中、ブブルタスの行方を完全に見失ったローズは、その居場所を探るために最後の手段に出る事を決断した。

その方法とは自身の“覇気”を使用する事である。

“覇王色”、“武装色”、“見聞色”の三種類の覇気の内、現在の彼女が使用出来るのは“見聞色の覇気”唯一つ。

しかも鍛錬不足から見聞色の覇気も十全に使いこなす事は出来ない。

 自らの未熟さを理解しているだけに、上手く扱えない力に作戦の成否を賭けるのは、ローズとしても出来るだけ避けたい事態ではあったのだが、状況がそれを許さない。

今回の最重要作戦目標は海賊団の船長、【溝鼠】の異名で呼ばれるブブルタスの討伐。

例え部下の海賊達を全て討ち取り、海賊団を壊滅させたとしてもブブルタスを捕り逃せば作戦は失敗と言うしかない。

作戦を成功させる上でブブルタスの討伐は不可欠であり、その為には覇気の行使がどうしても必要であった。

それが喩え未熟極まりない、ひどく不安定な力であったとしても。

 

 “見聞色の覇気”は生物の気配を捉える事が可能であり、鍛錬を積む程にその精度は上がっていき、熟練者となれば気配で対象を識別し、大まかな戦闘力を測る事さえ可能となる。

 しかしローズの現在の力量では、唯一行使出来る可能性がある“見聞色”の覇気も完全に操る事は難しい。

深く意識を集中させて十回に一回成功すれば運の良い方であり、全く使えない場合もあった。

 “覇気”の扱いに関してはローズは未熟というしかない程であったが、それは才能が乏しいという意味ではない。

レオンという史上に類を見ない天才的な人物が側にいる為か、ローズは自身の才能を特別高いと感じた事はなかった。

しかし一般的には彼女も十分、天才と言っていい才能を有している。

そうでなければ例え僅かであろうとも、ローズの若さで覇気を行使出来るはずがない。

それ程までに“覇気”とは熟達に長い時間と高い戦闘センスを要求されるものであり、故にこそ広い世界においても扱える者は限られていた。

 

 “制御の不安定な覇気を行使する”という、ある意味での賭けに出たローズではあったが、結果的に賭けには勝利した。

 彼女は見聞色の覇気を使う事に成功し、周辺を探ったところ、妙な動きをする気配を察知。

不自然な程に人気を避けて戦場から離脱しようとするその気配に違和感のような物を感じたローズは、部下に指揮を任せて即座に単独での追跡を開始したのだった。

 確かな根拠は何処にもなく、それはどちらかというと直感的な閃きではあったのだが、不思議とローズには確信があった、その気配こそが捜し求めていたブブルタス当人であるという確信が、或いはそれこそがローズという少女の類い希なる才能を証明している一事であったのかもしれない。

 

 

 深い森の中を駆けずり回るようにして逃走を図る気配の持ち主、その移動速度はかなりのものであり、それを追跡する事はローズにとっても決して楽とは言えない。

行く手に立ちふさがるようにして生い茂る草木で身体に幾つも切り傷を作り、汗と土でその優美な顔を汚しながら、それでも彼女は一心不乱に追い続けた。

そして遂に気配の主を完全に捕捉する事に成功したのである。

 

 

 見上げる程に巨大なヤルキマン・マングローブの幹が立ち並ぶ森の中、周りを見渡す事が出来る程度に開けた場所にローズは立っていた。

身に着けている上等な作りの黒いスーツは所々が破れて土に汚れてしまっている。

緩く巻いたロール状の紅い髪は乱れたまま白い肌に張り付き、常に優雅な淑女であるべく、身嗜みにも気を配る普段の彼女からは考えられない程の惨憺たる有り様。

しかし、ローズから悲嘆の感情はまるで感じられず、その整った顔立ちに浮かぶのは猛々しい笑み。

追い詰めた獲物を前にした狩人の如きその姿には、溢れんばかりの戦意が漲っているのが見てとれる。

 「どうしました?…………まさか、この期に及んで私から逃げられるとは思っていませんわよね?鼠さん………。いいえ、ブブルタスッ!?」

 刃物のような鋭さを持つ瞳が睨み据える先にいるのは一匹の鼠。

よく見ると鼠はその身体に衣服のような物を身に着けている為、どこか人間臭い。

“鼠に話し掛ける美少女”という、見方によってはシュールな光景ではあったが、ローズにふざけた様子は微塵もない。

ローズには目の前の鼠がブブルタスであるという確信があった。

確固とした根拠は何処にもない、しかし彼女の本能は鼠を敵だと認識し、身体は自然に戦闘態勢に入っていた。

 鼠は最早逃げようとする素振りは見せず、ただジッと視線を注いでくる、そのまるで観察するかのような態度にローズの警戒心は益々高まり、周囲には緊張感が満ちていった。

 灰色の体毛を持つその生物は一見すると、一般的な鼠と大差ないように見える、しかし微動だにせずにローズを見返す姿は何処か異様であり、不気味でもあった。

「………………………チッ、仕方ねェ」

奇妙な沈黙が続く中、低い男の声が辺りに響く。

声は明らかに灰色の鼠から発せられており、その身体にも徐々に変化が生じ始めていた。

体長約15cm程度であった身体は瞬く間に大きくなり、鼠そのものであった四肢は徐々に人間の物の形を帯びていく。

それから数分と経たないうちにローズの目の前には一人の男が現れていた。

直前まであった鼠の姿はどこにもなく、代わりに其処に居たのは、簡素な衣服を身に着け、髪が後退し禿げ上がった頭を持つ中年の男。

 ローズは即座に突如眼前に現れた男こそがブブルタスであると確信、事前に頭に叩き込んでおいた手配書の写真と見比べ、捜していた標的であると改めて確認した。

「ブブルタス…………、ようやく会えましたわね。この時を待ち望んでいましたわ」

海軍本部の精鋭部隊でさえ、幾度も取り逃がしてきた海賊【溝鼠のブブルタス】、世界政府によって1億3000万ベリーの賞金が懸けられた大物ルーキーであり、今回決行された作戦の最重要目標。

 作戦目標を自らの手で討ち取る絶好の好機を前にして、ローズは自らの内から沸き上がってくる戦意を抑える事が出来ない。

準備を整えていた身体は、自然と何時でも飛び出せるように緩く前傾姿勢をとり、完全に戦闘態勢に入っていた。

「その紅い髪………、てめェ、“零番隊”の目障りな小娘か………」

ローズは独立第零特務部隊において、部隊の拠点が存在するシャボンディ諸島駐留部隊の指揮をレオンから任されていた事もあり、諸島内では其れなりに名が知れている。

海賊界のルーキーとして《偉大なる航路》の海を越えてきたブブルタス達は諸島に到着して日が浅い。

しかし用心深いブブルタスは諸島内の情報を集める事も怠ってはおらず、シャボンディ諸島に拠点を構えているローズ達の事も当然把握していた。    

「あら、わたしの事をご存知?光栄ですわ………、貴方のような悪名高いゴミクズにまで知られているなんて、嬉しすぎて反吐が出そう」

相手の事を知っているのはローズもまた同じ、ブブルタスの此までの悪行は調べられるだけ調べてあり、それは彼女に深い嫌悪感を抱かせるのに十分なものであった。

ローズの痛烈な言葉を受けて、ブブルタスの顔が目に見えて引きつる。

「………どうやら、礼儀を知らないらしいな。知ってるか?この海じゃそうやって粋がっている奴から死んでいくんだぜ」

「おやおや、諸島に着いて間もないルーキーが随分と偉そうな口を利くではありませんか、貴方がこの海の何を知っていると言うんですの?」

互いに一歩も引くことなく睨み合い、殺意の籠もった視線を交わしあう。

 

 ローズはブブルタスを生かして捕らえるつもりは微塵もない、彼女の心は戦意と殺意によって昂揚していたが、その一方で思考は冷静に敵の出方を窺っていた。

「それにしても貴方が“能力者”だったとは、少し驚きましたわ。………………“動物系”ですわね?」

ブブルタスが悪魔の実の能力者だという情報は海軍本部も持ってはいなかった、戦闘力も未知数であり、警戒するに越したことはない。

「……………フンッ、姿まで見られちまったんじゃあ、誤魔化すのは無理ってもんか。ああ、そうだ、てめェの言うとおり動物系の能力者、[ネズネズの実]を食った事で俺は“鼠人間”になったのさァ!」

 本来、戦闘になる場合、能力者は自らの能力を明かしたりはしない。

悪魔の実も万能ではなく、その能力の性質によって様々な弱点も存在するからだ。

だからこそ敵対者には能力の正体を極力隠す事によって戦闘を有利に運ぼうとする。

ブブルタスが呆気なく己の能力を明かしたのは、既に能力を行使した姿を見られているからであり、そして持ち前の傲慢さ故であった。

 「“鼠人間”……………。なるほど、今までその能力を使って逃げ延びてきたというわけですわね。【溝鼠のブブルタス】とは良く言ったもの、ぴったりの異名ですわね」

 動物系の能力は大体において三段階の変化を起こす事が可能であった。

人の姿そのままの“人型”、人の姿を原型としながら動物の特徴を得た“人獣型”、動物本来の姿形に最も近い姿になる“獣型”。

どの型もそれぞれの動物の能力を引き出す事で優れた身体能力などを発揮する事が可能であり、それ故“動物系”の能力は三種ある悪魔の実の中でも、白兵戦においては最も優れた適性を有していた。

 “鼠人間”であるブブルタスは鼠としての能力を発揮する事が出来る。

動物系の能力者は能力を使用した場合、その身体能力は劇的に向上し、それぞれの動物の特徴を利用した戦闘が可能であった。

それは鼠という一見戦闘には向かないように思える動物であっても例外ではなく、その能力を侮る事は出来ない。

 ローズはレオンから能力者との戦闘についても教え込まれているため、動物系能力者の戦闘力の高さは承知していた。

だからブブルタスが能力者という事実に驚きはしものの、動揺するに至ってはいない。

現在の状況は想定内の事に過ぎず、既に覚悟も決めている。

「海賊ブブルタス!世界政府直下、海軍本部の名の下に……………貴方を討伐しますわッ!」

ローズの声には裂帛の意思が宿り、辺り一帯に圧するように響き渡った。

「小娘が図に乗りやがって…………。俺様がてめェ如きにやられる筈ねェだろうがッ」

 現在の状況はブブルタスにとって想定外にも程があった。

元々シャボンディ諸島には長く滞在するつもりはなく、新世界への準備が整ったのなら直ぐに出航する筈であったのだ。

しかし諸島を拠点として活動する第零独立特務部隊の警戒は厳しく、手間取っている内に【紫電】の異名で畏れられている部隊指揮官、クロイツ・D・レオンが帰還してしまったのだ。

海軍本部で期待を集める若き海兵――レオンの情報は、ブブルタスの耳にも入ってきている。

傑出した実力と厚い人望、等々、何れも海軍と敵対する者達にとって脅威となる情報ばかりであり、ブブルタスに強い警戒感を抱かせるには十分なものであった。

特に海賊への一切容赦のないレオンの対応は、ブブルタスに警戒心を越えた恐怖を刻み込んだ。

若いながら、懸賞金が億を越える海賊を幾人も討ち取り、広く海にその名声を轟かせるレオンの実力が本物である事は、積み上げられた実績が証明している。

保身を第一とし、自らの戦闘力が高い方ではない事を自覚しているブブルタスにとって、絶対に対峙したくない相手であるのは間違いない。

故にシャボンディ諸島へのレオン帰還の報せは最大級の凶事、大金を払ってでも出航への準備を急がせていたのだが、ブブルタスの思惑を裏切るよう状況は悪化していく。

準備を完了しつつあった船と物資は焼き払われ、奇襲を受けた事によって拠点と部下を失い、挙げ句の果てには全てを捨てて図った逃走も失敗に終わり、遥かに年下の小娘に補足される始末。

嘗てない程の怒りと屈辱は、やがて憎悪となり、捌け口を求めて身体の中を荒れ狂う。

「大人しく降伏するようなら、楽に殺してあげますわよ?薄汚い、ドブネズミさん」

そして聞こえてくるローズの挑発的な言葉に、ブブルタスの理性のタガが外れる。

冷静さを保つために押し止めていた怒りの感情は殺意に昇華し、一気に吹き出す。

「ふざけてんじゃねぇぞッ!ガキがァァァァァァァァ!?」

溜め込んだ怒りの感情のままに雄叫びを上げると、ブブルタスは目の前の敵に襲い掛かった。

 

 

 

 朝露に濡れた葉が陽光に照らされ光輝く、そんな幻想的な光景が広がる森の中を、ローズは凄まじい速さで駆けていく。

「ハァ………ハァ………流石は“億越え”という所ですわねッ」

巨大な樹の幹に身を隠し、乱れていた息を整えながら、周囲を警戒する事も怠らない。

ブブルタスと戦闘を開始してから既にそれなりの時が経っていた。

(甘く見ていたつもりはありませんでしたけれど…………。まさか、あれ程の戦闘力を持っているとは…………、少しだけ想定外でしたわね)

幹に寄りかかって身体を休めながら、ローズは胸中に苦々しい想いが湧き上がってくるのを感じていた。

決して侮っていた訳ではない。

ブブルタスが今まで対峙してきた海賊達よりも格上だという事は十分に理解しているつもりであった。

しかし、常に己の保身を優先して逃走を繰り返し、半ば蔑むようにして【溝鼠】と呼ばれる男が秘めていた戦闘力はローズの想定を明らかに越えている。

(私もまだまだ未熟………、このまま取り逃がしたりでもしたら、若様に顔向けできません)

自らの考えの甘さを反省するも、彼女に諦めの気持ちは微塵もない。

“敵は確かに強い、だが戦えない程ではない”

ローズはこれまでの戦闘から相手の力量を正確に読み取っていた。

彼女自身も十分に手応えは感じており、負ける気はしない。

(若様から任された討伐作戦、絶対に失敗する訳にはいきません………)

ローズの胸に奥に宿る固い決意は決して揺らぐ事はない。

 

「……………ッ!?」

そんな時、ローズは不意に感じた気配に咄嗟にその場を飛び退く、すると背を預けていた樹の幹の一部が弾け飛んだ。

「見つけたぜェ…………。どうした、逃げ回るのはもう終わりか?えェ、嬢ちゃんよォッ!」

声に振り向くと、残虐な笑みを浮かべるブブルタスが其処に居た。

 しかしブブルタスの容姿はつい先程までとは一変している。

170cm程度であった体格は一回り大きくなっており、尖った牙が並ぶ口は耳まで裂け、両手には鋭く太い爪を伸ばし、全身に灰色の体毛を生やしたその姿は、正に鼠そのもの。

一方で、人語を解して二足歩行している様からは、ひどく人間臭さも感じられた。

“鼠人間”という表現が相応しい姿はそれが通常の鼠ではなく、人間であるという事を証明しているかのよう。

「あら、随分と遅かったですわね……………。森の中を這いずり回るのが随分と気に入ったようで、何よりですわ」

敵の追跡能力に内心脅威を感じながらも、表面的には微塵も動揺を見せずに平静を保つ。

戦闘中に弱みを見せればそれは明確な隙となり、敵につけ込まれた場合に致命的な事態を引き起こす危険性がある。

だからこそ焦りや動揺は決して表には出さない。

「粋がってんじゃねぇぞッ、小娘!?」

怒声と共に繰り出された一撃がローズに襲い掛かる。

振りかぶられた腕の先にある鋭角な爪は、人体を引き裂くには十分な威力を秘めており、急所に当たれば致命傷になるのは明らかだ。

迫り来る一撃をローズは身体を反らして避ける事に成功するが、肩の辺りが浅く切り裂かれる。

傷口から赤い血液が勢い良く流れ出るが、ローズは意にも介さない。

目標を外した事で勢いのまま流れるブブルタスの身体、その隙をローズが見逃す筈もなく、間髪入れずに強烈な右脚の蹴りを脇腹に叩き込んだ。

空気を打ち抜くような音を響かせた蹴りは、常人が受けた場合、内臓が破裂していても可笑しくない程の威力が込められている。

「がァ!?」

脇腹を打ち抜かれたブブルタスはたまらず呻く。

一方、ローズもまた顔をしかめていた。

まるで鋼鉄に蹴りを入れたような感触。

脚から伝わってくる感覚で完全に防がれた事を悟ったのだ。

動物系の能力により頑強となったブブルタスの身体は、ローズの蹴りを容易く防ぎ、肉体を破壊する程の威力を完全に殺す事に成功していた。

それを証明するように、ブブルタスは吹き飛ばされながらも、さしたる痛手を受けた様子はない。

「ちィッ!」

鋭く舌打ちしたローズはすぐさま次の攻撃を仕掛けるべく、一気に距離を詰めていく。

しかし続けざまに繰り出された攻撃はブブルタスの丸太程もある太い腕で防がれ、捌かれる。

「ハッ、軽いんだよォ!」

逆に反撃とばかりに放たれたブブルタスの前蹴りをローズは防ぎ損ね、能力によって強化された膂力からの強力な一撃が、がら空きとなった胴体に吸い込まれるように炸裂した。

「ぐゥッ!?」

悲鳴を置き去りにするようにしてローズは吹き飛んでいく。

立ちふさがるようにして植生する木々を勢いのまま薙ぎ倒し、地面を二転三転と転がる彼女の身体は数十メートルも飛ばされ、巨大なマングローブの幹に叩きつけられた所で漸く動きを止めた。

「……ぐッ……ァ……ゲホッ……ハァ……ハァ……ッ」

激痛を堪えながら、ローズは血が混じった唾を吐き捨てる。

白く端正な顔立ちは血液と土で汚れ、身体中に大小様々な傷を負ったその姿は満身創痍そのもの。

「………ッ………ハァ………ハァ………わ、私とした事が、油断しましたわ」

全身に走る痛みを意志の力で押さえ込んで、無理矢理にでも身体を起こす。

手痛い反撃を喰らったローズではあるが、その思考は自分でも驚く程落ち着いていた。

「……………フフ、なんて無様な姿。……………本当に情けないですわね」

血に濡れたまま、自らを嘲るように吐き捨てるローズではあったが、言葉とは裏腹にその表情にはどこか吹っ切れたような笑みが浮かんでいる。

決着を急ぐ焦りを突かれる形で痛い目にあった事で、却って開き直る事が出来たのだ。

「未熟な私が出し惜しみするなど………、傲慢が過ぎるというもの。これ以上無様を晒せば若様に合わせる顔がありません」

顔に流れる血を拭い、ローズは自らを落ち着かせるように深く息を吐くと、正面を睨み据える。

その視線の先にあるのは討ち取るべき敵の姿。

「へッ、生きてやがったか、随分とタフな嬢ちゃんだ。…………まあ、そろそろ終わりにするけどなァ」

鼠の特徴が色濃い顔に蔑みの表情を浮かべながらブブルタスは笑う。

此までの戦闘から己の優位性を確信しており、既に自身の勝利を微塵も疑ってはいない。

「…………………貴方には感謝していますわ。御陰で己が如何に増長していたか、自覚する事が出来ましたもの」

一見満身創痍に見えるローズではあるが、追い詰められた様子はまるでなく、それどころか口元には緩い笑みさえうかべている。

「なんだと?……………てめェ、気でも触れたのかァ」

現状に似つかわしくないローズの態度に、ブブルタスは僅かな違和感を感じとった。

それは彼が生来生まれ持った高い警戒心の賜物であったのかもしれない。

だが、ブブルタスは自らの内に生じた警戒心をすぐさま打ち消す、己の半分も生きていない小娘に一瞬でも脅威を感じた事は、彼にとって屈辱であった。

 ブブルタスは現在の状況の全てが気に入らない。

本来ならばとっくの昔に諸島を抜け出して新たな海――新世界に旅立っていた筈である。

しかし、そんなブブルタスの思惑は木っ端みじんに打ち砕かれてしまう、立ちふさがった忌々しい敵達の手によって。

「どいつも、こいつも…………、俺をコケにしやがってッ!ナメんじゃねェェェェェ!?」

打開策の見えない現状への焦燥、自らの計画を潰された屈辱、襲い来る敵への憤怒、ブブルタスの心の内に蓄積されていた負の感情が、憎悪となって噴出する。

自然と、その鉾先は眼前に悠然と立つ少女――ローズへと向けられた。

 

 鋭い牙の並ぶ口から涎を垂らし、血走った眼で声にならない雄叫びを上げながら猛進してブブルタスを見ても、最早ローズには何ら脅威には感じられない。

持ち前の責任感の強さ故に、知らず知らずのうちに気負い過ぎていたローズではあったが、既に冷静さを取り戻している。

「フフ、落ち着いて見てみれば、どうという事もありませんわね………。愚かな獣そのものですわ」

動物系の能力により急激に上昇したブブルタスの身体能力にローズは戸惑っていただけであり、冷静になって此までの戦闘を思い返してみれば、戦闘の技量自体は稚拙そのもの。

頑強となった肉体を頼りに、唯闇雲に突っ込んでくるだけの相手など、レオンから様々な戦闘技術を教え込まれているローズからすれば、何ら脅威にはならない。

だからこそ、ローズは冷静かつ冷徹にブブルタスに向かって、己の秘めていた能力を解き放った。

それから一拍置いて、地を揺るがす轟音と共に紅蓮の爆炎が森の中に花開くのだった。

 

 

 気が付けばブブルタスは地面に倒れ伏していた、湿った土の水分が衣服に染み込んでいくのが分かる。

突然の事態に困惑するブブルタスは、どうにか現状を確認しようとするが、記憶は曖昧で咄嗟には思い出すことが出来ない。

自身の置かれた状況が分からない事に苛立ちを感じ始めたブブルタスであったが、ふと己の身体から伝わって来る感覚がある事に気付いた。

徐々に強くなっていくその感覚の正体は“痛み”、時を置くごとに増していくその痛みはあっという間に激痛へと変わる。

「…………ッ………ァ………ッ!?」

襲い掛かってくる耐え難い激痛にブブルタスはたまらず悲鳴を上げた。

痛みで霞む意識を必死に保ち、無理矢理に身体を起こして己に目を遣ると、

「……ハァ………ハァ…………あ、ァァ………ッァ………な、なんだよこれはァ!お、俺の腕がァァァァァァ!?」

其処にあったのは血に塗れた己の身体。

既に獣人型ではなく、ブブルタス本来の貧相な人型に戻っているが、その身体は左肩から先が失われていた。

左肩を中心に無数の傷を負い、その傷口から流れる血で全身が真っ赤に濡れている。

特に左肩は、肩の半ばからえぐり取られたような無惨な状態を晒していた、しかし傷の深さに反して出血は少なく、その傷口は黒く炭化しているようにも見える。

「……ァ……ッ……ァァ!?」

だが、ブブルタスに其処まで思案を巡らせる余裕はない。

傷口から伝わってくる激痛に、声にならない悲鳴を上げて地面をのたうち回る。

「あら?漸く目覚めたようですわね」

余りの痛みに脂汗を流して苦しむブブルタスに突如、凛とした声が掛けられた。

声の先に居たのは、紅い髪を風に靡かせた美少女――ローズだ。

「……………ッ………て、てめェェッ!お、俺に何しやがったァ!?」

「フフフ、何をと言われましても………、ただ私が貴方の肩を吹き飛ばしただけですわ、覚えていませんの?」

言葉を聞くと同時に、曖昧だったブブルタスの記憶が鮮明に蘇っていく。

つい先程、ローズを仕留めるべく爪を振り上げて迫ったブブルタスの攻撃は完全に見切られ、代わりに想定を超える威力の一撃を喰らったのだ。

その余りの威力によってブブルタスは一時的に意識を失ったのである。

「……ハァ……ハァ……く、クソがッ、てめェ、“能力者”だったのか!」

絶え間なく続く激痛と出血で薄らいでいく意識を繋ぎ止めながら、ブブルタスは少しでも自身の生存の可能性を高めるべく、情報を集めて時間を稼ぐ。

「…ッ……ハァ……クソッタレッ……ハァ………小娘が、どこまでも馬鹿にしやがってッ、一体何の能力だァ?どうやって俺を……ぐばッ!?」

しかし、ブブルタスの命を懸けた必死の時間稼ぎも、唐突に終わる事になる、素早く接近したローズがブブルタスの頭を地面に叩きつけたのだ。

「その生き汚さは鼠顔負けですわね、ですが時間を稼ごうとしても無駄ですわよ?貴方は此処で死ぬんですから」

片手で鷲掴みにしたブブルタスの顔を地面にめり込ませながら、ローズは笑う。

それは、見た者の背筋を凍らせるような凄惨すぎる微笑み。

心胆まで一気に冷え切ったブブルタスは、残った片腕で必死にもがくが、ローズの拘束は微塵も揺るがない、それどころか腕の力はますます強まっていくばかり。

ブブルタスの頭蓋骨は軋みを上げ、地面にめり込んでいる後頭部から流れる血が、辺りを赤く染めていく。

「……ギィ……ッ………ァ………」

ブブルタスの顔は、黒い革手袋を着けたローズの手によって完全に押さえ込まれ、声を上げる事すら出来ない、その凄まじい力は顔の形を変形させる程のものであった。

傷口からの激痛と大量出血により、既にブブルタスに余力はない、脂汗を流して弱々しくもがく姿は憐れみさえ感じさせる。

「フフ、少し前までの威勢の良さは何処にいったんですの?」

「………ガッ……ァ…は…離せ……」

今のブブルタスの弱った身体では能力の行使も儘ならず脱出も困難、

「そう言えば、さっき私の能力について質問していましたわね、冥土の土産に教えて差し上げます。私は“超人系”悪魔の実【ボムボムの実】を食べた“爆弾人間”ですわ」

 ローズはボムボムの実の能力によって全身のあらゆる場所を起爆させる事が可能だった。

破壊力の強い完全な戦闘向きの能力であり、白兵戦においては殺傷力の高さから、一撃必殺にもなり得る強力な能力であった。

爆発の威力などは使用者の任意によって調整する事が出来たが、現在のローズの技量では細かな能力の制御は難しい。

強力な能力であるからこそ、不安定な能力制御は危険であり、特に敵味方入り交じる乱戦などでは味方を巻き込む事可能性もある為、能力の使用には細心の注意を必要とした。

「貴方に教える義理などないのですが、今回の戦闘では色々と勉強させて頂きましたから、特別ですわ。他人には秘密にしていますの………、光栄に思いなさい」

悪魔の実の能力は戦闘において切り札になり得る。

故に“能力者”と敵対した場合、相手の能力の特定は戦闘の行く末を左右する事になる、と言っても過言ではない。

「………さて、質問にも答えましたし、そろそろ終わりにしましょうか。……………私、こう見えても忙しいんですの」

静かな声で淡々と紡がれたローズの言葉には、ゾッとする程の冷たさが宿っている。

ブブルタスを見下ろすワインレッドの瞳に浮かぶのは明確な殺意。

「……ッ……ま、待ってくれッ……ァ……た、助け……て……」

恥も外聞も捨てた命乞い、迫り来る死の恐怖に身体の痛みさえも忘れて、ブブルタスは必死に懇願する。

「“助けてくれ”…………?貴方は同じように助けを乞う人々を何人も殺してきた筈、………そんな貴方に何故私が慈悲を掛けなければいけないんですの?」

極寒の響きを伴った声音と共に、ローズは鷲掴みにしているブブルタスの顔をギリギリと締め上げていく。

「………ぐァ……ッ……ァァ………」

革手袋に包まれた手の下で、鈍い音を立ててブブルタスの鼻がへし折れ、派手に出血し始めるが、ローズは一顧だにしない。

「あのまま気を失っていれば苦しまずに死ねましたのに…………残念でしたわね。ですが、これもまた因果応報、存分に後悔しながら死になさい。…………………………………では、さようなら」

苦痛と恐怖で歪むブブルタスの顔を見下ろしながら、ローズは一切躊躇う事なくその能力を行使する。

ブブルタスの顔を掴んでいたローズの手が眩い閃光と共に起爆し、禍々しい紅の爆炎が辺りを一帯を根こそぎ吹き飛ばすのだった。

 

 

 暫く後、爆発で舞い上がった土煙が晴れた時、其処にはローズの姿しかなかった。

周囲の黒く焼け焦げた後が生々しく、爆発の威力の高さを物語っている。

その爆発の中心地にいたブブルタスの姿など在るはずもなく、辺りに人肉と思われる焦げた肉片が散乱するのみである。

こうして、“偉大なる航路”にその悪名を轟かせた海賊、懸賞金1億3000万ベリーの“億越え”ルーキー、【溝鼠のブブルタス】は人としての原型を残す事も許されずに、死亡したのだった。

 

 

 

 「……………………終わりましたわね」

早朝の爽やかな風が吹き寄せる中、一人立つローズは呟く。

多大な疲労感を漂わせながらも、どこか気の抜けた響きも伴っている。

(いえ、まだ作戦は継続中ですわ。早く部下に指示を出さなければ…………ッ!?)

だが、歩き出そうとした途端身体が揺らぎ、バランスを崩してしまう。

身体が傾き、妙にゆっくりと地面が迫ってくるのを見ながら、咄嗟に受け身をとろうとするが、妙に重い身体は思うようには動かない。

思わず眼を瞑って落下の衝撃に備えるが、何時まで経ってもその時が訪れる事はなく、代わりに何か柔らかい物に受け止められる。

「ッたく、何やってんのよ。情けないわね」

唐突に耳に届く聞き覚えのある声、眼を開けてみると、其処にはローズの予想通りの人物が立っていた。

「……………カレン?」

困惑を隠しきれないローズを見て、カレンはまるで悪戯が成功した子供のように、楽しそうに笑うのだった。

 

 

「貴女が此処にいる理由など、問い質したい事は多々ありますが、まずは礼を言っておきますわ………、助かりました」

本来ならば無理にでも強がる所を素直に頭を下げるあたりに、ローズの疲労の深さが窺えた。

但し、羞恥を感じてはいるらしく、頬の辺りを若干赤く染めている。

「やけに素直ね、調子狂うわァ…………。まぁ、あんたがそんな酷い姿を晒している時点で大体の察しは付くわ、………………仕留めたのね?」

ローズが身嗜みにも人一倍気を配っている事をカレンは良く知っている、だからこそ現在の疲労困憊の姿から感じるものがあった。

「…………ええ、ブブルタスは討ち取りましたわ」

カレンに支えられたまま、疲れからどこか気怠そうに答えるローズではあったが、泥や血に汚れた顔には達成感に満ちた笑顔が浮かんでいる。

「そっか…………。じゃあ、さっさと皆にも教えてやらないとね、あっちも全部片付いたから心配ないわ、全員無事よ」

カレンもまた笑顔になると、ローズの身体に腕を回して肩を支えながら、ゆっくりと歩き出す。

「みんな無事なのですわね、良かった………………。でも指揮官である私が単独行動に走るなんて、上官としては失格と言われても仕方ありませんわ」

部下達の無事の知らせにローズは安堵の表情を浮かべるも、直ぐに顔を歪めて俯いてしまう。

咄嗟の判断とはいえ、作戦指揮官による単独行動は、些か問題があったのも確かである。

一応、前もって部下への指揮の引き継ぎを果たした上での判断であったのだが、作戦指揮を放棄したと非難されても仕方のない行動であった。

人一倍責任感の強いローズが自らを責めるのも無理はない。

「何言ってんのよ。敵の海賊団は壊滅、船長ブブルタスは指揮官自らが直々に討ち取ったのよ、大成功じゃない」

「カレン……………」

力強く断言するカレンの表情は真剣であり、そこにからかっている様子は微塵もない。

「教練通り指揮しても、標的を取り逃がしたら作戦は失敗よ。即座に追撃したアンタの判断は正しい」

今回の標的であるブブルタスの逃走能力の高さは、海軍では周知の事実。

一度でも見失えば追跡は困難を極めるであろう事は想像に難くない。

ローズが速やかに動いたからこそ討伐に成功したとも言える。

「グダグダ言ってないで、自信を持ちなさいよッ、この作戦でアンタは一応あたしの上官って事になってるんだから、いつまでも情けない顔してるとぶっ飛ばすわよ!」

「な、情けない顔などしていませんわッ、貴女の勘違いです!」

カレンから強烈な叱咤に、ローズは顔を赤らめて反論する。

「あ、貴女に言われずとも分かっていますわッ、私は指揮官として作戦成功の為に、必要な事をしただけですもの!」

強い声で言い切るローズに、先程までの暗く落ち込んだ様子はない。

その生き生きとした表情には、傲慢ともいえる己への確固とした自信が宿っていた。

「フン、アンタはそうやってバカみたいに自信満々な姿の方が似合ってるわね」

「なッ、バ、バカですってッ、バカの代名詞のような貴女が、この私によくそんな口を聞けたものですわね!」

揶揄するようなカレンの軽口に、ムキになって言い返すローズではあったが、言葉とは裏腹にその姿はどこか楽しげに見える。

カレンの不器用な気遣いが分からないローズではない。

だが、改めて感謝の言葉にするのは恥ずかしく、つい憎まれ口を叩いてしまう。

頬を染めたその姿から照れ隠しであるのは一目瞭然であったが、カレンは気にした様子もなく、楽しそうに言い返す。

喧々囂々と言い合う二人だが、それは気を許し合っている証、ライバルであるからこそ誰よりも互いを理解して認め合う。

喧嘩しながら、肩を貸しあってゆっくりと歩いていくカレンとロー ズ。

互いに決して認める事はないが、二人は紛れもなく親友であった。

 

 

 

 カレンとローズの二人が楽しそうに喧嘩を繰り広げている頃。

さほど離れてはいない場所で、積み上げられた瓦礫に腰掛けるレオンの姿があった

 此処はシャボンディ諸島に存在する〈無法地帯〉と呼ばれる場所の一つ。

周囲には崩れ落ちた建物の瓦礫が点在し、岸部には真っ青な海が広がっている。

風通しが良く、海に面したこの場所には、つい先日まで海賊達が滞在しており、彼等の根城が存在した。

しかし現在、既にその面影はない。

かつては巨大な船が数隻停泊していた海には、破壊された船の残骸らしき破片が浮かぶのみであり、数十人が暮らせる程の建物があった所には瓦礫が残るばかり。

そしてその周囲一帯は広範囲に渡って黒く焼け焦げた跡が刻まれている。

全身を黒く炭化させた人間の死体が幾つも転がり、凄惨な雰囲気を生み出していた。

「レオン様」

そんな中、一人静かに海を眺めていたレオンに、声が掛けられる。

振り向いた先に居たのは金色に輝く髪を持つ美女。

「クリス」

「事後処理完了致しました。押収した宝物類は手筈通り輸送を行っています、既に“ユニオン”へも連絡済みですのでご心配なく」

クリスティナの明瞭かつ簡潔な報告に、レオンは軽く頷く事で返事とした。

それはレオンとクリスティナを中心とした海賊討伐作戦が終了した事を意味している。

完璧な強襲作戦によって三つの海賊団を壊滅させる事に成功、総勢数百名の海賊達を殲滅したのだった。

「“億越え”にしては手応えがなかったな。まぁ、ルーキーならこの程度か……………」

海賊団はそれぞれが億を越える懸賞金を懸けられた期待のルーキー海賊であったのだが、レオンが指揮する精鋭部隊の手によって、ろくに抵抗できないまま全滅させられたのだ。

「偉大なる航海を越えてきたとはいえ、所詮は経験浅いルーキー達、我々の敵ではありません」

レオン率いる第零独立特務部隊は、偉大なる航海の各地に遠征を繰り返し、数多の海賊を討ち取ってきた実績を持つ。

その戦いに次ぐ戦いの経験は部隊員の練度を高め、今では海軍本部に所属する部隊の中でも、最精鋭と評価されて久しい。

「ローズ達の作戦も終了したと連絡が入りました。負傷者多数ですが死者は無し、二人も無事です」

「ああ、さっき直接報告を受けた、作戦は成功したみたいだな」

カレンとローズが競うように報告してきた時の事を思い出し、レオンは小さく笑いをこぼす。

初めはローズによる通常通りの任務報告だったのだが、途中でカレンが乱入してきたせいで一悶着起きたのだ。

電伝虫の向こう側から聞こえてくる、あまりにいつも通り過ぎる二人のやり取りに、声を上げて笑ってしまったのは記憶に新しい。

「フフ、随分と嬉しそうですね、レオン様」

レオンを見守るクリスティナの表情には限りない優しさが宿っている。

「ん?ま、まあ、弟子の成長は師としても嬉しいものだからな」

そう言ってどこか照れくさそうに視線を逸らすレオンを見て、クリスティナは更に笑顔を深めた。

歳の近い二人の弟子を、レオンが実の妹のように可愛がっている事を彼女は知っている。

常に冷静沈着なレオンの普段とは違う反応に、クリスティナの胸の奥に暖かいものが満ちていく。

「ゴ、ゴホン、……………では作戦は全て終了という事だな?」

微笑むクリスティナの表情から、形勢不利と悟ったレオンは話題の転換を試みた。

「フフフ…………。はい、全作戦の終了を確認しました」

だが、レオンの心情などクリスティナには全てお見通しである。

幼少の頃から常に寄り添ってきたのだ、レオンの事なら本人以上に詳しいと言っても過言ではない。

「…………………基地に帰還する」

「了解です。レオン様」

クリスティナの楽しそうな声に、レオンは一つ息を吐いて歩き出す。

その少し後ろをついていくクリスティナの美貌には、どこまでも優しげな笑みが浮かんでいた。

 

 

 シャボンディ諸島において独立第零特務部隊によって行われた大規模な海賊討伐作戦は、標的とされた複数の海賊団の完全壊滅という結果に終わる。

世間を騒がせていた、大物ルーキーと呼ばれる海賊達が一度にまとめて壊滅したこの一件は、すぐさま世界中に届き、[第零独立特務部隊]とそれを率いるクロイツ・D・レオンの名は世界中に轟くのだった。



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第11話

 太陽が完全に沈み、闇が満たす世界に月の光が降り注ぐ。

空に広がる満天の星の煌めきが、夜の闇を彩っている。

 

 〈シャボンディ諸島〉にも夜が訪れ、巨大な根から絶えず生み出されるシャボンに月の光が反射して、何ともいえない幻想的な雰囲気を作り出していた。

月が輝く宵の口、[38番GR]では大勢の人間が楽しげに騒いでいる。

[38番GR]には貿易会社“ユニオン”の本社が構えられていた。

堅牢な城郭を思わせる巨大な建物は威圧感に満ちており、まるでユニオンという組織が持つ強大な力を象徴しているかのよう。

 現在、建物に隣接した中庭には大勢の人間が集い、パーティーが行われていた。

男女様々な者達がパーティーに参加しているが、大半は海軍本部所属、第零独立特務部隊の隊員達と貿易会社ユニオンの社員達である。

 パーティーは数日前に行われた海賊討伐作戦の成功を祝して盛大に催されていた。

中庭の至る所に設置されたテーブルには色とりどりの料理が並べられ、参加者達は立食形式でパーティーを楽しんでいる。

「うわ~、どれも此も美味しそう!こんなに沢山あると、流石のあたしも全種類食べきる自信は無いなァ」

カレンもまた、パーティーに参加して存分に楽しんでいた。

彼方此方に忙しなく視線をやる彼女の手には肉が刺さった鉄串が握られている。

肉汁が滴るそれに豪快にかぶりつくと、丁寧に下味を付けられた上等な肉と甘辛いタレの絶妙なハーモニーが口の中に広がっていく。

頬を緩め、クセの強い茶色の短髪の下、満面の笑みを浮かべるカレンは実に幸せそうであった。

「まったく、下品な。貴女には礼儀作法も何もあったもんじゃありませんわね。私達は既に幾人もの部下を持つ身、最低限の礼儀は必要ですわよ?」

傍らで顔をしかめているのはローズである。

衣服をだらしなく着崩しているカレンとは違って、ローズは黒のパンツスーツを一部の隙もなく身に着けていた。

月明かりの下、降り注ぐ月光で紅い髪を眩く煌めかせる彼女の姿は、まるで絵画のように美しい。

自然、周囲の者達の視線が男女問わず集まるが、ローズが意に介した様子はない、彼女は己の容姿が優れている事を十分に理解しているため、この手の視線には慣れているのだ。

面白くないのはカレンである。

「うっさいわね、あんたに文句を言われる筋合いはないわ」

絶品の料理に舌鼓をうち、楽しんでいた所を邪魔されたのだ、不機嫌にもなろうと云うもの。

「そもそも、このパーティーは私達を祝ってくれているのよ、なら存分に楽しむべきでしょ」

今回行われた討伐作戦でカレンやローズが重要な役目を果たした事は皆が知っている、故にカレンの言うこともあながち間違ってはいない。

「だからこそ、私達は自らをより強く律する必要があると言っているんですわッ。我々の言動や振る舞いはそのまま若様の評価に繋がりますのよ!」

微塵も反省した様子がみられないカレンの態度に、ローズもついつい熱くなっていく。

「そんなことあたしだって分かってるッ、いちいち偉そうに言うなっていってんのよ!」

カレンもまた応じるように言葉を荒げていくことによって、一触即発の空気が流れるが、周囲にそれを気にする者はいない、其れもそのはずパーティーの出席者は皆二人と親しい者達ばかりであり、カレンとローズの喧嘩など見慣るたものである。

それ故に、多くの者達が微笑ましいものを見るかのように、二人のやり取りを暖かく見守っていた。

 一方、その当事者たるカレンとローズは周囲からの視線など気にも留めず、二人の口論の激しさはいや増すばかり。

「せっかく、この私が親切心から助言してあげていると云うのに、なんたる言い草ッ。貴女は感謝の言葉さえ、知らないんですの!」

「大きなお世話だって言ってんのよッ、それにそんな偉そうに助言する奴なんて聞いたことないわ」

互いに詰め寄り、掴み掛からんとするばかりの勢いで繰り広げられる二人の言い争いは、徐々に単純な罵声とでも云うべきものに変わっていく。

「偉そうな高慢女!」

「礼儀を知らぬ、無礼者!」

 普段ならば両者が疲れるまで喧嘩は続くが、今回は様子が違う。

新たな闖入者が二人の間に割って入ったのだ。

 

「ハッ、相変わらず喧しい奴らだ」

其処に現れたのは猛々しい雰囲気を纏う長身の女。

「えッ、セシル!なんでアンタが此処に?」

「貴女は、別の任務を遂行中ではなかったんですの?」

カレンとローズの驚きは深く、争いの途中だというのも忘れているかのように慌てている。

「フン、その任務が終わったから此処にいんだよ。………せっかくの宴だ、アタシだけ仲間外れはあんまりだろ?」

彼女の名は[ブラッド・D・セシル]年齢は15歳、170cm後半の長身に褐色の肌を持ち、肩口まである暗めの銀髪をオールバックのように後ろに流している。

切れ長の瞳の眼光は鋭く、目鼻立ちの整った美貌も相まって、その姿からはある種の威圧感が感じられた。

セシルもまた、海軍本部第零独立特務部隊所属の海兵であり[少尉]の階級を持っていた。

そして彼女もまた、レオンの弟子である。

カレンやローズとの関係は深く、ライバルであり親友ともいえる間柄だった。

 

 親友との再会による驚愕からいち早く立ち直ったのはローズである、彼女は早速とばかりにセシルに詰め寄る。

「貴女という人は………、来るのなら先に連絡の一つも入れるのが礼儀というものではなくて?」

呆れた果てたとばかりにローズは嘆息を吐くが、セシルが気にした様子はない。

「若には到着前にキチンと連絡をしたさ」

「なんですって………?私達は聞いていませんわよ?」

まるで悪びれもしない態度に、自然とローズの声に厳しさが宿る。

「オイオイ、なんでアタシがわざわざオマエ等に連絡しなくちゃいけないんだよ、馬鹿らしい」

生真面目な友人の表情が険しさを増していくのを見ながら、敢えてセシルは挑発を続けた。

目の前で早くも険悪な雰囲気を作り上げている二人の親友を見ながら、カレンは小さくため息を吐く。

(はぁ………、また始まっちゃった。こうなると面倒なのよねェ)

何事にも真剣に取り組む生真面目なローズと、傍若無人なセシルの相性は正に最悪、二人は顔を会わせる度に激しく対立していた。

 しかし、仲が悪いという訳ではない。

苛烈で容赦のない性格から、レオンの弟子の中で最も付き合い方が難しい、と言われているセシルであったが、実際には少し違う。

基本的に他者に対して冷酷に接するセシルだが、極少数ながら例外も存在し、自らが認めた相手には一定の敬意を払う。

その中でもカレンとローズの二人は、自身のライバルに相応しいと認めており、同年代であるという事もあって、特別に心を開いている。

それはカレンとローズも同様であり、セシルは二人にとって大切な友人であった。

 

 他の者達がパーティーを楽しむ中、不毛な争いを続ける三人が無意味な疲労感を覚え始めた頃、

「まぁまぁ、二人共落ち着きなって」

ローズとセシルを宥めるようにしてカレンが間に割って入った。

ローズと二人きりの時は顔を合わせれば喧嘩を繰り返すカレンだったが、そこにセシルが加わって三人一緒になると、フォロー役に回る事が多い。

カレンもローズとは決して相性が良いとは云えないが、セシル程ではない。

傍若無人なセシルの態度は、責任感の強いローズからしてみれば、許し難い事。

事ある毎に食ってかかるローズと、それに鬱陶しげに応じるセシル、二人の一連の遣り取りは顔を合わせる度に繰り返され、最早恒例のものとなりつつある。

「貴女は黙っていなさいッ、今日という今日はこの野蛮な女に礼儀を教えてやるのですわッ」

「ハッ、お前から教わる事なんかねェよ。引っ込んでろッ」

睨み合う二人は完全に意地になっており、カレンの声には耳も貸さない。

「はァ~あたしも人の事言えないけどさァ、毎回毎回飽きもせずに良くやるよね二人共」

毎度の事ではあるが、二人の喧嘩の仲裁をするのは酷く疲れる事であり、溜め息の一つもこぼれ落ちようと云うもの。

何時もならば気の済むまで続けさせる所なのだが、今はパーティーの真っ最中、せっかくの宴をぶち壊す訳にはいかない、それは師であるレオンの顔に泥を塗る事を意味しているからだ。

内心で溜め息を吐きながら、仕方なくカレンは最終手段に出ることにした。

「二人ともッ、いい加減にしないと若様呼んでくるわよッ」

それは、まるで母親が言うことを聴かない子供に言い聞かせるような口振りだが、その効果の程は抜群、激しく言い争っていたローズとセシルは、ピタリと動きを止めた。

「折角みんな楽しくやってんのに、あたし等が台無しにしてどうすんのよ?」

このパーティーは祝いの席であると同時に、危険な任務を遂行した兵士達を労う場でもあるのだ。

第零独立特務部隊は海軍本部の中でも最精鋭ではあったが、過酷な任務が続けば自然と疲労は溜まり、士気は低下する。

それを知るレオンがヴィオラに相談した結果、このパーティーが開かれたのだった。

皆が大いに楽しんでいるパーティーの邪魔をする、或いはぶち壊す、などという事態になれば、レオンに恥をかかせる事になりかねない。

それはレオンを師として、そして一人の男性として大切に想っているカレン達三人にとって、絶対に避けたい事態であった。

「………ふぅ、悔しいですけど、貴女の言うとおりですわね。セシル、一時休戦としましょう、弟子である私達が若様

の顔に泥を塗る訳にはいきませんわ」

「……………チッ、分かったよ。アタシだって若に迷惑はかけたくないしな」

不承不承と云った感じで頷くセシルだったが、想いはカレンやローズと同じだ。

レオンはセシルにとっても特別な存在であった。

「よし!そうと決まればあたし達も、思う存分パーティーを楽しんじゃおうよッ、美味しそうな物や珍しい物がたくさんあるしさ!」

パーティー会場となっている中庭は広く、幾つも設置されているテーブルの上には、世界中から仕入れた食材によって作られた様々な料理が所狭しと並べられている。

食材はどれも上等の物ばかり、中には希少な物がふんだんに使われた料理もあり、それらは主催者であるユニオンの持つ影響力の強さを物語っていた。

「貴女ときたら食べ物の事ばかり、………フフフ、まぁ、気持ちは分かりますけど」

どの料理も一流のシェフによって調理された絶品ばかり、カレンが夢中になるのも仕方ない。

「早く行かないと無くなっちゃうわッ、ローズもセシルも急ぎなさいよ!」

「こらッ、お待ちなさい。まずは前菜から順に…………って、待ちなさいと言っているでしょう!」

「ッたく、騒がしい奴らだ。………オイ!待てよッ、アタシの分もとっておけよなァ!」

何だかんだと言いながら、賑やかに騒ぐ三人は端から見れば十分に仲良く見えるのだった。

 

 

 カレン達三人がパーティーを満喫している頃。

レオンはパーティー会場の端でヴィオラと顔を寄せ合って話しをしていた。

「どうやら、パーティーは成功のようね。良かった」

「手間を掛けさせて、すまないな」

二人はパーティーのために整った服装をしており、特に上品に着飾ったヴィオラは絵にも云えぬ程、美しい。

「ふふっ、気にしないで。貴方達には何時もお世話になっているし、ウチの社員達も楽しんでいるようだしね」

「そう言ってもらえると、助かる。此処最近任務が続いていたから、部下達を労ってやりたかったんだ」

「だ~か~ら~、それが水くさいって言ってるのよ、レオン。私と貴方の仲じゃない、遠慮なんて必要ないわ。もっと私を頼って、私はその方が嬉しいんだから」

そう言って笑うヴィオラは本当に嬉しそうであり、頬を薄く染め、濡れた瞳でレオンを見上げる姿からは、仕事中の凛々しさはまるで感じられない。

其処にあったのは、新進気鋭の会社を取り仕切る辣腕の女社長ではなく、想い人の力になれた事を喜ぶ、恋する女性の姿であった。

 

 それから暫く、パーティーを楽しむ二人であったが、ふと思い付いたようにヴィオラが切り出した。

「奴隷オークション?」

「ええ、かなり規模の大きいオークションが開催されるのよ。“新入社員”を募集する為に私も参加するんだけど………、貴方も一緒にどう?」

言葉とは裏腹に、問い掛けるヴィオラの表情は真剣そのもの。

「………そうだな、久し振りに見に行くか、残酷で理不尽な世界の“現実”を」

「レオン…………」

二人とも近々開催される“オークション”が世界の闇に深く関わるものだという事は承知しており、自然と空気も重くる。

「そうだ、後何人か一緒に行けるけど、誰か連れていく?」

暗くなった空気を払拭するように、ヴィオラはあえて話題を変えた。

「…………セシルを連れて行く。前に一度見ておきたいと言っていたからな」

「ふふっ、分かったわ。あの娘の分の着替えも用意しておくわね」

オークションともなれば、それなりの格好をしなければ却って目立ってしまう、それはレオン達の本意ではない。

楽しそうに騒ぐ人々の中、二人はオークション参加に向けて必要な手筈を整える為に動き出すのであった。

 

 

 

 [5番GR]、諸島に住む者達からは無法地帯と呼ばれる事もある場所。

朽ちた建物が立ち並び、荒れ果てた所が多い無法地帯ではあるが、それなりに小綺麗な街も幾つか存在している。

[5番GR]もその一つ。

街を行く人々は皆物騒な装いをした者が多く、漂う雰囲気もどこか剣呑さを帯びている。

だが、街並みは整っており、道行く者達を相手に様々な商売が行われている。

猥雑な活気に満ちる街の外れに一際大きい建造物が建てられていた。

 広い面積を持つその建物は他にはない独特な外観をしている。

内部には巨大な空間が広がり、ドーム型に造られた天井は見上げる程に高い。

その空間の最奥には、ステージと呼ぶに相応しい物が広く場所をとって作られている。

周囲には上等な造りの客席が半円状に広がり、ステージを囲うように配置されていた。

傾斜がつけられた客席は、ステージから離れる程に徐々に高くなっていくことで、後ろの客席からでもステージ上が良く見渡せるように工夫されている。

客席の造りも上等であり、金が掛かっている。

から離れるごとに徐々に高くなっていく事で、後ろの客席からでも舞台上が良く見えるように工夫がされている。

数百人の人間が楽に入れる程の面積を持つ空間は、部屋ではなく会場と呼ぶのが相応しい。

 現在、会場内には百を越える人間が集まっていた。

その会場の片隅で銀髪の青年が会場内を見渡している。

傾斜があるため、彼が立つ場所からは、薄暗い会場内を広く見渡すことが出来た。

「チッ……………、この淀んだ空気は相変わらずだな、何度来ても気に入らない」

会場内にはざわめく人々が醸し出す独特な空気に満ちており、粘りつくような熱気さえ感じられる程であった。

「こ~ら、そんな物騒な雰囲気を作っていたら却って目立つわ。薄暗いから近くで見なければ顔は分からないでしょうけど、貴方は有名なんだから………。気を付けないと正体がバレてしまうわよ、レオン?」

不快げに顔をしかめているレオンの近くから、華やかな女性の声が上がる。

隣には艶然と微笑むヴィオラの姿があった。

「此処に集まっているのは上流階級の者達ばかりよ、揉め事を起こせば後々面倒なるわ」

客席に着いている者達は男女共に着飾った格好をしており、彼等が富裕層に属する人々である事が一目で分かる。

「大人しくしていた方がいいのは確かだな……………。それにしても、やはり俺は場違いじゃないか?」

上等な服に華美な装飾を身に着けた人々は、別世界の住人のようにも見えた。

「そんなことないわ。格好が豪華なだけの彼等より、貴方の方がずっとステキだわ。その服も本当に似合っているもの」

黒いスーツに身を包み、普段は着けないネクタイを締めたレオンの姿は周りの者達と比べても遜色ない。

むしろある種の風格すら感じられた。

「そうか?こんな高級品、俺には勿体ないと思うんだが………。わざわざ用意させてしまってすまないな。助かったよ、ヴィオラ」

「いいのよ、私が好きでやった事なんだから。貴方は派手過ぎるのは苦手だと思って、スーツにしたんだけど、気に入って貰えて良かったわ」

レオンが着ているスーツは、ヴィオラが職人に依頼してオーダーメイドで作らせた特注品だ、良く見ればそれが超高級品だということが分かるだろう。

「俺に比べて、君はやっぱりそういう格好が似合うな、綺麗だ」

黒髪を結い上げ、濃い紫色のドレスを身に纏ったヴィオラは、例えようもない程に美しい。

大胆に開いた胸元からは深い胸の谷間が覗き、ピッタリと張り付くようなドレスが、その優美な身体の曲線を強調している。

「……………ありがとう。貴方に誉められるのが一番嬉しいわ」

頬を赤く染めるヴィオラの瞳は濡れたように潤み、レオンを愛しげに見つめている。

暫くの間、言葉少なく見つめ合う二人。

だがそんな甘やかな空気は第三者の手によって終わる事になる。

「おい、アタシを無視してイチャついてんじゃねェ」

丁度レオンを挟んだ反対側から不機嫌そうな表情のセシルが顔を出したのだ。

「ッたく、人がせっかく周りの様子を見てきてやったっていうのに、礼も無しかよ」

眉に皺を寄せ、切れ長の鋭い瞳を細める様は、端から見てもかなりの威圧感を感じさせた。

元々の顔立ちが美しいだけに、セシルの怒った表情には迫力があり、彼女の周囲に居た者達は自然と距離を取り始める。

「ごめんなさい、つい話し過ぎちゃって。でもレオンも貴女を蔑ろにしている訳じゃないのよ?」

素直に謝るヴィオラだったが、顔には悪戯な笑みが浮かんでいる、現在の状況を楽しんでいるのは明らかだ。

一見、本気で怒っているように見えるセシルだが、長く付き合いがあるヴィオラには、彼女が唯拗ねているだけである事など一目瞭然である。

更に女性特有の察しの良さから自身への嫉妬を敏感に感じ取っており、素直じゃない少女に微笑ましさを覚えていた。

「わざわざ、すまなかったな、セシル」

並みの者なら目を合わせただけで怯んでも仕方ない程機嫌の悪いセシルだったが、レオンにとっては妹同然の可愛い弟子、怯む理由がある筈もない。

自然な動きでセシルの頭に手を乗せて、ゆっくりと撫でる。

「や、やめろッ、子供扱いすんなって何時も言ってるだろうがッ」

セシルは褐色の肌を赤く染め、上目遣いに睨むが、手を振り払うようなことはせず、嬉しげに緩んだ口元が彼女の内心を如実に物語っている。

「それにしても、貴女もドレスを着てくればよかったのに………。せっかくスタイル抜群なんだから勿体ないわよ、セシル?」

すらりとした長身にしなやかな体躯を持つセシルだが、胸や腰は豊満であり鍛錬によって絞られた細い腰のくびれが美しい。

身に着けている黒のパンツスーツの上からでも、スタイルの良さが見てとれる。

「冗談だろ、あんなひらひらした服、着てられるかよ」

ヴィオラの言葉に、セシルは如何にも嫌そうに顔を歪めた。

自身の身嗜みにあまり拘らない性質の彼女には、上等な生地で作られた高級ドレスすら、ただの動き難い服でしかないのだ。

「あらあら、それは残念。ふふ、でもそのスーツ姿も凛々しくてステキだと思うわよ。ねェ、レオン?」

「ああ、似合ってる。でもドレス姿も見てみたかった気もするな」

「なッ!?」

悪戯な笑みを浮かべたヴィオラとは違ってレオンの態度は至極大真面目、それが尚更セシルの羞恥を煽り立てる。

「………………き、気が向いたら見せてやる」

他者に対しては常に傍若無人な態度を崩さず、気に入らなければ例え上官であっても平然と反抗するセシルだが、レオンは例外であった。

若いながらも既に女傑の風格を感じさせる彼女も、想い人には適わない。

「………そろそろ人が増えてきたわ。二人共、これを着けて」

ヴィオラが差し出てきたのは“仮面”と呼ぶのが相応しい代物。

「仮面………、こんなものまで着けて、これ程の人間が集まるとはな」

「さっきアタシが軽く見てきた時も、何奴も此奴も似たような仮面を着けてて不気味だったぜ」

オークション参加者はそれぞれが思い思いの格好をしていたが、仮面で顔を隠しているという共通点があった。

身分を隠すためであり、参加者達には互いの素姓は詮索しないという暗黙の了解がなされている。

「オークション参加者は大金持ちや権力者ばかり、名前が出るだけで騒ぎになるような大物も参加する事も珍しくないから、身分を証したくないんでしょうね」

「くだらねェ、だったら下っ端に行かせりゃいいじゃねェか、なんでわざわざ海を越えてまで本人が来るんだよ」

吐き捨てるようなセシルの言葉からは明らかな嫌悪感が感じられた。

「そうね、実際代理の者を行かせる場合もあるみたいだけど、基本的には本人が参加する事の方が多いみたい。彼等は奴隷を買う以上に、オークションの空気を楽しんでいるのよ」

事実、気に入った奴隷を他者と争い競り落とす、そのスリルを楽しむ為だけにオークションを訪れる者もいる。

「腐っているな、売る方も買う方も、そして元凶である“奴隷売買”を許す世界政府も」

 “奴隷売買”は遥か昔から続く忌むべき物の一つ。

奴隷とされた者は“人”が元から持っているあらゆる権利を不当に奪われることになる、その末路は悲惨という言葉すら生温い。

“世界政府”は表向きには奴隷売買を禁じているが、真実は違う。

奴隷を求める政府の権力者や各国の有力者への配慮から、それらの行為にみて見ぬ振りの黙認を続けているのが現状だ。

「レオン、それ以上言ってはダメよ、何処に政府の関係者がいるか分からないんだから………。この諸島は偶に訪れる“天竜人”の関係で政府との繋がりも強い、聞き咎められたら厄介な事になるわよ」

世界最大規模の組織である世界政府は絶大な力を持つ。

レオンの所属する“海軍”でさえ世界政府という統治機構の下の一勢力でしかない。

必然、海軍に対する政府の影響力は強く、その意向を無視する事は出来ず、奴隷売買に対しても黙認する事を暗黙の内に強いられている。

それほど強大な権威を持つ政府の批判は口にするだけで、罪に問われかねない程危険な行為なのだ、ヴィオラが注意するのも当然と言えた。

「分かっている、政府の持つ力の大きさは嫌というほど知っているからな………。だが、気に入らないのも確かだ」

「ふふっ、まったく………。貴方は偶に子供っぽい所を見せるわね。でも、例え政府を嫌っていてもそれを表に出しちゃダメ、最近政府の諜報員の動きが活発になってきているんだから」

ヴィオラが代表を務めるユニオンは主に貿易商売を行う新興企業だが、既に各地の島々に支社を建てて商業版図を広げつつあり、それに比例して得られる情報も格段に増えていた。

各地のユニオン支社を介して情報収集を行っているヴィオラの下には様々な情報が集まり、中には政府中枢の極秘情報も入ってくる事もある。

「ハッ、シャボンディにいながら、政府の情報まで掴んでんのかよ。やっぱりアンタは怖い女だな、ヴィオラ」

獰猛な笑みを浮かべながら、楽しそうにセシルは笑う。

「あら、失礼な事を言わないでセシル。私は何処にでもいる唯の女よ、少し情報通なだけ」

そう言って妖艶に笑うヴィオラには妖しげな色気が漂っていた。

「諜報員というと、…………“CP”か?」

暫く黙して何事かを考え込んでいたレオンが静かに聞き返す。

その表情はひどく真剣なものであり、ヴィオラやセシルの表情も自然と引き締まる。

「ええ、“サイファーポール”。世界各地で盛んに動いているわ」

 世界政府の極秘諜報機関[サイファーポール]、通称“CP”。

“0~9”のナンバーに分かれて構成されており、それぞれが様々な特権を有していた。

主な任務は諜報活動で、場合によっては対象者の暗殺任務も遂行する闇の執行機関である。

反政府勢力の摘発も担っており、世界中の国や島々に諜報員を送り込んでいた。

「彼等の狙いは“革命軍”よ、各地で小競り合いを繰り返しているみたい」

 “革命軍”とは、今世界中の国々で巻き起こっている革命運動、民衆によるクーデターを支援する反政府勢力である。

世界政府や国々の支配者による抑圧からの“解放”を理念に掲げて世界各地で活動しており、数多の構成員が所属する巨大勢力であった。

革命軍の最高指導者【ドラゴン】は、素姓や経歴が一切不明の謎の人物とされているが、政府は“世界最悪の犯罪者”として全世界にその危険性を訴えている。

政府中枢の権力者達は彼の抱く“思想”が、世界政府の在り方自体を揺るがす可能性があるとして、特別に危険視しており、革命家ドラゴン率いる革命軍を強く警戒していた。

必然、革命軍に対する世界政府の対応は苛烈を極めるものとなる。

革命軍の関係者だけではなく、直接的には関わりがない者も疑わしければ容赦なく処罰され、粛正の対象として抹殺されるのだった。

「革命軍か、アタシも何度か耳にした事あるぜ、彼方此方の国の王政を転覆させているイカれたヤツらだろ?」

「ええ、幾つもの国がクーデターで倒れてる、政府が危険視するのも当然ね」

王族の専制政治によって国民が圧政に晒されている国は多く、革命軍は苦しむ民衆に味方する形で武装蜂起を促し、世界各地の国々で革命の炎が燃え上がっている。

「ハッ、アタシは結構気に入ってるけどな。国の腐った王族共を民が吊し上げる、ケッコウな事じゃねェか」

「笑い事じゃないわよ、セシル。確かに腐敗した権力者が支配する国では、クーデターによって大勢の国民が救われているのは事実、でも彼等の革命運動が正しい政治を行っている国々にまで影響を及ぼしてしまえば、それによって無用な争いが引き起こる可能性もある。私は到底賛同出来ないわ」

 現在は国を追われ、身分を隠してはいるが、ヴィオラはドレスローザの王族である。

代々ドレスローザを治め、平和主義を貫き民を愛してきた王家の血をヴィオラもまた引いているのだ、だからこそ彼女は革命軍の行動を完全には容認できない。

例え苦しむ国民の為であろうとも、安易に武装蜂起に走れば、より大きな悲劇を生む危険性がある事をヴィオラは知っていた。

「ヴィオラの言うとおりだ、圧政からの民衆の“解放”を革命軍は謳っているが、そう簡単にはいかないさ。革命の気運が高まるにつれて、平穏な国でさえキナ臭くなってきているしな。奴らの活動は大きな危うさを秘めている」

美貌を哀しげに曇らせるヴィオラを気遣いながら、レオンもまた顔を厳しく引き締める。

「世界政府の持つ“力”は強大だ。数百年に渡って世界の秩序を維持してきたのは伊達でじゃない、忌々しい事だかな」

「あらあら………、貴方の政府嫌いも相当なものね。まぁ、私も嫌いだけど」

数百年に及ぶ世界政府による統治は様々な歪みも生み出していた、それを知るヴィオラからすれば政府に警戒感を持たざるを得ない。

「オイ、政府のクソ共の話はそれぐらいにしとけよ。そろそろオークションが始まるみたいだぜ?」

気が付けば周囲の人影は疎らで、既に大多数の者達が席に着いている。

彼等が待ち望むのは“オークション”。

一般には出回らず、表沙汰には出来ない“特別な品物”が取り引きされる、闇の“奴隷オークション”。

自由を奪われ、人としての尊厳を踏みにじられた奴隷達が、目も眩む程の高額で競り落とされる。

参加するのは様々な国の富裕層や権力者達。

オークションの開始時間が近づき、会場内は参加者達が生み出す異様な興奮によって満ち始めていた。

「そうね、私達も席に着きましょう。仮面をするのを忘れないでね」

ヴィオラに促されるようにして三人は、比較的人が少ない会場の後方に陣取った。

それから暫く、突如中央の舞台上に眩いスポットライト当てられ、派手な身なりの男が現れる。

「紳士淑女の皆様、ようこそお越し下さいました!只今よりオークションを開始します!!」

マイク片手に挨拶をする男に、参加者は割れんばかりの歓声で応えた。

人間の欲望を体現した狂気のオークションの幕が上がる。

 

 

 

 数時間後、レオン達三人はオークションの会場から少し離れた場所にいた。

既にオークションは終わっている為、三人とも顔を覆っていた仮面は外している。

「部下の社員達が到着したわ、これから彼女達を本社まで連れて行くわね」

ヴィオラの視線の先には、粗末な衣服を着た十数人の女達がいる。

彼女達は数時間前までは奴隷であった者達。

“商品”として出品されたオークションで、ヴィオラ達が競り落としたのだ。

「彼女達の様子はどうだ?」

そう訪ねるレオンの表情は暗く声には苦々しさが込められている。

「大丈夫よ。最初は怯えてまともに話す事も出来ない娘もいたけど、事情を説明したから今はみんな落ち着いているわ」

彼女達をオークションで買い上げたのは奴隷からの解放の為であるが、ユニオンの新入社員の勧誘という意味合いも持っていた。

「………ヴィオラ、彼女達の意志を優先してくれ、無理強いはしたくない」

「ええ………、分かってる。故郷に帰りたいと望む娘達はユニオンが責任を持って送り届ける、ウチへの入社は希望者のみ行うわ。………だから安心して、レオン」

レオンが奴隷であった者達を人一倍気に掛けている事をヴィオラは知っている、そして同時に彼が彼女達に対して罪悪感を抱いている事も。

「……………解放と言えば聞こえは良いが、奴隷制度を受け入れ利用している時点で、俺も会場にいた俗物共と大差ないな」

舞台上に立たされ、買われていった奴隷達の姿が脳裏から消える事はない。

奴隷達の行く末を想う度、言いようのない無力感がレオンを襲う。

“奴隷売買”の闇は深く、自身の力ではどうする事も出来ない事を、彼はイヤと言うほど理解していたのだ。

自責の念に苛まれるレオンを案じて、ヴィオラが声を掛けようとすると、それに先んじてセシルが声を上げる。

「……………何言ってんだ、あの奴隷達の顔見て見ろよ、みんな嬉しそうに笑ってんじゃねェか。小難しい事は関係者ねェ………、レオン、アンタがあいつらを救ったんだ」

三人の視線の先には奴隷であった女性達が居る。

奴隷の証である首輪が外された事で、彼女達は皆それぞれ歓喜の表情を浮かべ、涙を流して喜ぶ。

「セシルの言うとおりよ………。例えほんの少しの人達でも救う事が出来るのなら、やる意味は在るはず。貴方は間違ってはいないわ」

力強いヴィオラの言葉にはレオンへの優しさが込められていた。

「それに、奴隷達の扱いに関しては、私やお父様も同意して、みんなで決めた事。………だから、貴方が一人で責任を感じることはないのよ、レオン」

「…………ヴィオラ」

慈しむように微笑むヴィオラに、レオンは思わず言葉を失う。

「レオン、貴方は一人じゃない。私達が側にいる事を忘れないで」

レオンの頬を愛おしむように撫でるヴィオラからは、深い想いが溢れている。

「ハァ………、その辺にしとけ。準備も終わったみてェだし、帰ろうぜ」

甘い雰囲気の中、言葉もなく見つめ合う二人に、セシルは辟易したように声を掛けた。

「…………無粋ねェ、もうちょっと恋人同士の甘いやり取りを続けさせてくれてもいいじゃない。まぁ、ヤキモチを焼く貴女の気持ちも分かるけどね」

「バ、バカなこと言ってんじゃねェ!ア、アタシは別に…………」

「あらあら、顔真っ赤になってるわよ?貴女はその素直になれない所が可愛いのよね~」

「…………ッ!?………、ヴィオラ!て、てめェ!?」

思わず食ってかかるセシルを、笑いながらあしらうヴィオラは、実に楽しそうであった。

「ヴィオラ。どうやらセシルの言うとおり、あちらの準備も終わっているようだ。そろそろ行こう」

「ふふっ………そうね。素直になれない誰かさんをからかうのは、此処までにしておきましょうか。早くあの娘達を休ませてあげたいしね」

奴隷から解放された女性達は皆それぞれ疲労が蓄積している、何時までも此処に留まるわけにはいかない。

なるべく早く然るべき場所で心身を休ませる必要がある。

「チッ………後で覚えてろよ」

セシルもそれは十分に理解している為、強く睨みはしても文句を言う事はない。

だが、本来ならば見る者を震え上がらせる程の鋭い眼光も、頬に残った赤みが台無しにしている。

「さぁ、帰りましょうか、私達の家に」

ふてくされたようにセシルは顔を背ける、その子供っぽい態度に微笑みながら、ヴィオラはレオンの腕を取って歩き出すのだった。

 

 

 

 レオン達がシャボンディ諸島に帰還してから約1ヶ月が経ち。

凶悪な海賊を次々に排除する事に成功した事によって治安は向上し、諸島は束の間の平穏に浸っていた。

そんな中、一本の通信が[37番GR]にある海軍基地に届く。

 基地最上階にある執務室で書類に目を通していたレオンを、電伝虫を持ったクリスティナが訪ねて来ていた。

「レオン様、本部のツル中将から連絡です。貴方に直接話したいとの事です」

「何?………………分かった」

海軍本部中将《ツル》は、レオンやクリスティナにとっての恩師であり、親しい間柄でもある。

何時もならばレオン、またはクリスティナの個人用電伝虫に掛けてくる筈、しかし今回受信したのは基地に備え付けてある共用電伝

であった。

意味する所はこの連絡が私的なものではなく、公的な手順によって為されたものであると云う事。

“恩師”ではなく“上官”からの連絡。

その事実に一瞬怪訝な顔をしつつ、レオンはクリスティナから受話器を受け取った。

「……………………お久しぶりです、中将」

「うむ、久し振りじゃな、クロイツ中佐」

諸島での海賊討伐によってレオンは昇進していた、世間からの注目度が高い海賊団を立て続けに壊滅させた事が評価されての事であった。

他の者は前回の昇進から間もないこともあり、特別に功のあった一部の者達を除いて階級に変化はない。

レオンの昇進は[第零独立特務部隊]を代表して、という意味合いも含まれている。

「早速じゃが、至急本部に帰還してほしい。新たな任務に着いてもらう」

「……………了解しました、近日中に本部に帰還します」

「なるべく急ぐように。任務の説明は本部で行う、以上じゃ」

最低限の事務的な遣り取りのみで通話は終了した。

「レオン…………、先生は一体どういうつもりでしょうか?あのように禄な説明せずに」

レオンが受話器を戻すと、傍らで通信を聴いていたクリスティナが、その美貌に困惑の感情を宿しながら問い掛ける。

ツルは元来世話好きな性分であり、今までは任務の詳細までしっかりと説明してくれていた。

それを知る二人にとって今回の通信は明らかに不自然なものであった。

「…………………何か考えがあるのだろう、取り敢えず準備を整えておく必要があるな」

レオンの考えに頷いたクリスティナが早速準備に掛かろうとした、その時、

甲高い音が部屋中に鳴り響く。

音の発生源は執務机の上に置かれた電伝虫。

机の電伝虫はレオンが個人的に所有しているものであり、親しい者意外で連絡して来る者はいない。

この狙い澄ましたかのようなタイミングでの電話に、レオンとクリスティナは顔を見合わせると、二人は脳裏に同様の人物を浮かべていた。

電話の相手の正体を半ば確信しつつ、レオンはゆっくりと受話器を取る。

「もしもし、……………やはり貴女でしたか、先生」

通話相手は二人の推測通りの人物――ツルであった。

 

 

「すまんのう、命令の通達は通信室でやれだの、きちんと記録を残せだの、最近はうるさい奴が多くてのう」

年相応に落ち着いた声でツルはレオンに詫びた。

「いえ、何かお考えがあるのだと思っていましたのでお気になさらず。それよりも………、改めてお久しぶりです。お元気そうで安心しました」

「久し振りじゃのう、お主も元気そうで何よりじゃ。クリスもおるのじゃろう?声を聞かせておくれ」

先程までの事務的な口調とは異なり、ツルの言葉からは暖かさが感じられる。

「ツル先生、ご無沙汰しております。また、お声を聞くことが出来て嬉しく思います」

「クリス、お主も元気そうじゃのう。まったく……、お主ら二人は用が無ければさっぱり連絡してこんくせに、無茶ばかりするからの。心配する此方の身にもなったらどうじゃ?」

「フフ………、すみません。色々と忙しくて……、以後注意致します」

「ヌケヌケと言いおって………。ふふ、相変わらずのようで安心したわい」

クリスティナと話すツルの楽しそうな様子は、電話越しからでも十分に伝わってくる。

ツルにとって二人は実の孫同然、久方振りに声を聞くことが出来て嬉しくない筈がない。

当然話は弾み、レオンを交えて簡単な近況報告などに華を咲かす。

それから暫く経ち、

「おお、もうこんな時間か………、楽しくてついつい話し過ぎてしまったのう。どれ……、そろそろ本題に入るとしようかの」

その言葉が合図であったかのようにして、ツルの声音がガラリと変わる。

孫同然の愛弟子達を可愛がる好々翁然としたものから、大海賊時代を戦い抜いてきた老練な女海兵のものへと。

 

 「近々海軍本部で大規模な作戦が決行される事になっていてな、世界中から海兵の精鋭を召集して行われる事になる」

海軍は〈マリンフォード〉にある本部と、世界各地に造られている支部によって構成されており、重要性の高い作戦が実行される場合は、世界各地から海兵の精鋭達が集められる事もあった。

「なるほど、その作戦に我々も参加しろという事ですね」

「うむ、センゴクの奴がお主を強く推薦しての」

「センゴク元帥が?確かにあの人は昔からレオン様に期待されてるようでしたが………、今回の任務はそれほど厄介なんでしょうか?」

海軍という組織の頂点、元帥という地位を持つセンゴクは、海賊時代を前線で戦ってきた古強者でもある。

既に老齢と言ってよい程に年老いてはいるが明晰な頭脳は健在であり、豊かな経験による老練な手腕も合わさって、今なお海賊達からは【智将】の異名で畏れられていた。

「厄介な任務かと問うならば、正にその通りじゃ。今回の作戦には多分に政治的要素が含んでいるからのう」

「それは…………」

ツルの苦々しそうな声音に、クリスティナは思わず言葉に詰まる。

恩師の唯ならぬ様子から、事態は自身の想像以上に難しい事になっていると理解したからだ。

「先生、それは政府の“狗”共が関わっているからでしょうか?奴らが海軍内で動き始めているのでは?」

「ふっ、相も変わらず鋭いのう、レオン。お主の推察通り、今回の一件には奴らが関わっておる」

世間一般に存在する大多数の組織同様、強力な権威と高い知名度を持つ海軍もまた、組織的なしがらみとは無縁ではいられない。

特に海軍は世界中の様々な国で活動する職務上、権力者との繋がりも自然と深くなり、政治的な任務に関わる事も多々あった。

「………………了解しました、近日中に本部に帰還します。任務の詳細はその時に伺いましょう」

「すまんな、レオン。諸島の方もまだ完全に落ち着いてはおらんじゃろう、人員についてはお主に一任する」

通信でのやり取りには限界がある。

厄介な事態が起きつつあるからこそ、可能な限り早く本部に戻り、正確な情報を集める必要があった。

「先生、御配慮いただき感謝致します」

「なんの、当然の事じゃよ。………ではな、本部で待っておるぞ」

通話が終わり、静けさを取り戻した部屋の中、受話器を置いたレオンは傍らに居るクリスティナと視線を交わした。

「レオン、ツル先生の話が確かなら海軍内の派閥抗争が激化しているのは間違いありません。後手に回れば我々も巻き込まれる可能性が高い。………慎重に動く必要があります」

「俺も同感だ。派閥同士の争いに関わるつもりは微塵もない。だが、対処するためにも情報が必要だな」

海軍内に複数ある派閥勢力からレオン達は一定の距離を保っていたが、抗争が激しくなれば意図せず争いに引きずり込まれる危険性もある。

「クリス、本部に向かうぞ」

「では、直ぐに準備を始めます、部下達はどの程度連れていきますか?」

「部隊の大半はシャボンディに留めたまま、諸島の治安維持を任せる。本部へは最低限の人員で行く」

「了解致しました」

阿吽の呼吸と云うべき手際の良さで二人は準備を整えていく。

レオンとクリスティナに不安はない、どのような困難が待ち受けていようとも、共に力を合わせれば乗り越えていけることを知っているからだ。

 

 シャボン漂う幻想的な光景が広がる穏やかな午後、レオン達は次の戦場への準備を着々と進めていくのだった。

 

 

 

 世界の中心に位置する島〈マリンフォード〉。

其処には世界の均衡を保つ巨大勢力『海軍』の本部が構えられていた。

島の中央に建てられている海軍本部の建物は、見上げる程巨大であり、重厚な偉容を誇っている。

 

 海軍本部上階、其処に設けられた窓からは、美しい島の全景を見渡すことが出来た。

その窓の一つに、一人の美女の姿がある。

濃い茶色の髪を真っ直ぐ背中まで伸ばしたその女性は、物憂げに外の景色を眺めては、ため息を繰り返している。

憂いに満ちながらも、その美貌が陰ることはなく。

鋭く美しい瞳を切なげに細め、溜め息をこぼすその姿からは強い色気さえ感じられた。

「会議中に何処に行ったのかと思えば、此処にいたのか」

ダークレッドのスーツを身に着け、窓から吹き寄せる風に髪をなびかせる美女に、背後から声が掛けられる。

「……………そっちも同じように抜け出してきたのでしょう?文句を言われる筋合いはないわ」

声の主である男の姿をチラリと確認すると、美女は如何にも興味なさげに視線を海に戻した。

「まぁ、そうなんだが、俺はともかく真面目なお前らしくないと思ってな」

真っ白な白髪を短く切り揃えた大柄の男は、葉巻をくわえながら盛大に煙を吐きだす。

「……………毎回言ってるけど、私の近くで葉巻やるのやめてくれる?ケムいのよ」

風によって流れてくる煙に、心底迷惑そうにしながら、美女は冷たい視線を原因となった男に注いだ。

「おいおい、俺に八つ当たりすんじゃねェよ。お前の恋人の到着が遅れているのは俺のせいじゃねェ」

「……………………なんの事か分からないわ」

美女の鋭い美貌が一瞬ピクリと震える。

「長い付き合いだからな、誤魔化したって無駄だ。お前の事も“アイツ”の事も良く知ってる」

「…………………」

言葉に窮するように美女は一瞬沈黙すると、短く舌打ちをして忌々しげに男を睨んだ。

その眼光は鋭く、見る者を怯ませる威圧感を伴っている。

「………………アナタって時々私を物凄く苛立たせるわ」

「フン、腐れ縁だ、諦めろ」 

「はァ、まったく………。憤慨よ、憤慨、……………ヒナ憤慨」

吐き捨てるような美女の言葉は、吹き寄せる海風の中に溶けて消えていった。

 



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第12話

 青く透き通るような空、雲一つない晴天がどこまでも続き、眼下には見渡す限りの大海原が広がっている。

だが、一見穏やかに見える世界は今、激しく揺れ動く荒波の中にあった。

 

 戦争による人心の荒廃、飢饉による餓え、権力者の搾取。

世界を混乱させる負の原因は数多あるも、最大の要因については万人の意見が一致する所だろう。

それ即ち――海賊。

富や名声、それぞれが抱く野心のために、世界中で暴れる無法者達。

彼等は世界の至る所で覇権争いを繰り返し、国や人々に甚大な被害を及ぼしていた。

その勢いは止まる事を知らず、日に日に増える被害に人々は震え上がる。

そして、激しさを増しながら荒れ狂う時代を、人々は畏れ込めて“大海賊時代”と呼称した。

 

 

 

 海賊達の全盛期といえる時代、日々強大化していく彼等に対抗すべく活動する者達がいた――海軍である。

“絶対的正義”を理念として掲げる組織であり、その規模と影響力は全世界に及ぶ。

争乱と流血に満ちた世界において海軍の担うものは大きく、虐げられる弱者にとっては最後の拠り所といえる。

正義の名の下に日夜活動する海軍は、世界の秩序を保つ上で重要な役割を担っていた。

 

 

 《偉大なる航路》にある島〈マリンフォード〉。

大きな三日月型の湾口が特徴的なこの島は、海軍の本部が存在する事で有名であり、海軍の掲げる“正義”の象徴として世界的にも重要な意味を持つ場所であった。

港には幾つもの軍艦が整然と並び、その偉容を惜しげもなく周囲に晒している。

 島の中央、湾口を見下ろすように聳え立つ巨大な建造物があった、〈海軍本部〉である。

見上げるほど大きく建てられた建物は見るからに頑強そうであり、要塞と形容するに相応しい。

頂上に掲げられている正義の旗印が、誇らしげに風にはためく。

 

 

 堅牢な石造りで建てられている海軍本部の建物には《新世界》、〈ワノ国〉の建築様式が取り入れられており、細部まで丁寧に造られた木造建築物からは、風光明媚な美しさがかんじられる。

 「………………」

海軍本部上階、外部にせり出すように作られた渡り廊下で、レオンは静かに佇んでいた。

体重を預ける手摺りから下を見下ろせば其処からは島の全景が一望出来る、だがその見事な景色を見ても鬱々とした気分が晴れることはない。

脳裏に蘇るのは、つい先程交わした己の上官とのやり取り。

つるへの帰還報告を恙無く済ませて新たな任務の詳細を聞いてみれば、それは正に厄介事と云うべき事柄に満ちていた。

己の予想よりも深刻な状況に、レオンの気分は自然と沈み込む。

「ハッ、相変わらず本部のバカどもは変わんねぇなァ。気にいらねェ」

そんな中、隣で馬鹿にするようにして声を上げたのはセシルである。

「まぁ、シャボンディに残るよりはマシか………。ククッ、カレンとローズの悔しそうな顔を拝むことも出来たしなァ」

 《赤い土の大陸》や〈魚人島〉に近い場所にあるシャボンディ諸島は、その地理的特徴から海賊などの無法者達が後を絶たない。

【聖地】と呼ばれ、政府の中枢といえる〈マリージョア〉に近く、《新世界》の玄関口という役割も持つ諸島には、人種や職種を問わず様々な人々が集まり、荒事を専門とするような日陰者達も大量に流入している。

その中で最も脅威となるのが海賊であり、新世界を目指す海賊達の定期的な滞在は、諸島の治安を常に不安定なものにしていた。

先日行われた海賊討伐作戦で、諸島内に潜伏していた大物ルーキー達はあらかた一掃され、それによって諸島には束の間の平穏が訪れたが、それはあくまでも一時的なものでしかない事を良識ある者達は理解していた。

諸島内の治安維持に深く関わる第零独立特務部隊の面々や指揮官であるレオンもまた、当然事情は承知しており、新た任務受領のため海軍本部に赴く人員は必要最低限に絞り、部隊の大半を諸島に駐留させていた。

「クックック、アイツら今頃、ギリアムのオッサンに扱かれてんだろうなァ、ザマアミロ」

愉快そうに低く笑うセシルの表情からは、此処にはいないライバル達への押さえ切れない優越感が滲み出ている。

シャボンディ諸島には副官であり部隊の次席指揮官でもあるクリスティナに指揮を一任し、その補佐を経験豊富なギリアムに任せていた。

カレンやローズの二人は当然のように強く同行を希望したが、前回の任務からあまり日も経っていない事を考慮したレオンによって、諸島残留を命じられたのだった。

「オッサンの訓練はキツイからなァ、悲鳴あげてるアイツらの顔が目に浮かぶぜ。フフッ、レオンもそう思わねェか?」

傍らから顔を覗き込むように見上げてくるセシルの表情にはからかいの色が強い。

だが、レオンは其処に、沈み込む己への確かな気遣いを感じていた。

「………フッ、そうだな。ギリアムの奴も意気込んでいたから、訓練は相当厳しくなるだろう」

愛弟子の不器用な気遣いに、自然と口の端に笑みが浮かぶ。

他人には誤解されやすいが、セシルの性根には優しさがあることをレオンは知っている。

捻くれた性格と苛烈で容赦のない彼女の性分が、それを分かり難くしているだけなのだ。

「だろッ、アタシは訓練漬けの毎日なんてゴメンだぜ」

そう言って笑うセシルは如何にも楽しげであり、釣られるようにしてレオンの顔にも苦笑が浮かぶ。

微笑を交わす二人の間からは、先程まであった暗い雰囲気は微塵も感じられなかった。

 

 「まッ、こっちはこっちで色々面倒なことが起きているみてェだけどよ、そこんとこ実際どうなんだ?レオン」

軽く笑いながら言うセシルだが、その眼は真剣そのもの。

「…………残念だがその指摘は正しい。今、海軍の中では厄介な事が起きている」

傲岸不遜かつ傍若無人な態度からは想像し難いが、セシルは鋭敏な観察眼も併せ持つ。

マリンフォードに到着して間もないにも関わらず、漏れ聞こえてくる他人の会話や本部内に漂う微妙な緊張感から、彼女は誰に何も言われずとも、問題事の気配を察していた。

弟子の鋭い考察力を内心喜びつつ、レオンは苦笑する。

「“派閥抗争”、くだらない権力争いだ」

「ハッ、やっぱりな………。んなことだろうと思ったぜ」

レオンの言葉で大方の事情を悟ったセシルは、心底から忌々しげに吐き捨てた。

 

 人は自由な意思を持つ生き物である、その主義や思想は人それぞれであり、千差万別といっていい。

そして、それ故に己とは違う他者を認めることができず、時には衝突し争い合う。

 自由であり愚かでもある生物――“人”。

そして“組織”とは複数の“人”が集まって構築される集合体であり、様々な異なりを持つ者達が一同に集えば、必然的に争い事も増える。

それは《海軍》という組織も例外ではない。

否、強大な権限と巨大な規模を持つ海軍だからこそ、その身の内で起こる争いは熾烈なものであった。

 海軍に所属する海兵達は、任務のためならば世界中のあらゆる場所で命を懸けて戦わなければならない。

過酷な戦場で頼れるものは己の力と戦友のみ、だからこそ戦場を共にした戦友の絆は深く厚いものとなる。

戦場での極限状態は時に他者との繋がりを強くするが、一方でその逆もまた然りであった。

普段どれ程見栄え良く振る舞っていても、窮地に立たされ自らの生命が危機に陥った時、人は否が応でもその本性をさらけ出す。

己を守るために躊躇なく他人を見捨てる者、己の保身の為に他者を利用する者、命懸けの戦場は人の持つ“負”の側面も容赦なく暴き立てる。

その結果、良好だと思っていた人間関係に決定的な亀裂が入る事も珍しくはない。

命を懸けて任務に励む海兵だからこそ、他者との関係には常に気を払う。

“信頼出来る者達のみで集まり、相反する者は遠ざける”、そんな“人”が生来併せ持つ本能的な行動は、正義の旗の下に集った者達も例外ではない。

 “派閥”とは数多くいる海兵の中でも、特に関係が深い者同士が集まった集合体であり、異なる派閥の争いを“派閥抗争”と呼ぶ。

 

 現在、海軍内では幾つもの派閥が、権力の主導権を握るための暗闘を繰り広げており、大きな問題となっていた。

「抗争で一番激しくやり合ってんのは、やっぱりクザンとサカズキのおっさんの所か?」

 

 海軍には多くの派閥が存在するが、その規模や目的はそれぞれ異なる。

数百人の規模で明確な目的のために活動する派閥もあれば、抗争に巻き込まれるのを避けるため、少数の信頼できる者達で集まって中立を謳う派閥など様々なものがあった。

 

 大小様々な派閥が存在する中で最大の規模を誇るのが、三人の“海軍大将”が率いる派閥である。

【赤犬】[サカヅキ]、【青雉】[クザン]、【黄猿】[ボルサリーノ]、この三人の大将はそれぞれが強力な戦闘能力を持ち、“海軍本部最高戦力”として、数多いる海兵の中でも傑出した存在であった。

 彼等は地位や権威そして戦闘力、いずれにおいても並ぶ者の少ない実力者であり、人望も厚い。

実力で大将の地位にまで上り詰めた三人を敬愛する海兵達は多く、そのような者達が集まってそれぞれの派閥を構成していた。

敵味方から畏怖を込めて“三大将”と呼ばれる彼等の派閥は、規模も大きく所属している者達の実力も高い。

そして三人の“大将”が率いる派閥間の争いは、通常とは違う意味合いを持つ。

それは彼等が“次期海軍元帥候補”という、海軍にとって重要な存在であるが故であった。

 

 厳格な階級制度で成り立つ海軍の中でも、“元帥”は特別な存在といえる。

指揮系統の頂点に位置しており、海軍の方針などを決定する立場でもあった。

その影響力は単なる一階級には留まらず、海軍の代表として世界政府との折衝を担う事も多い関係から、政治的な事情にも深い関わりを持つ。

 元帥とは、その存在が海軍の在り方そのものを決めるといっても過言ではなく、その地位に就く者によって方針や手法などで大きく違いが出てくる、それだけに次代の海軍元帥選考は世界的にも重要な意味を持っており、世間の注目度も高い。

 特に海兵達にとって、新元帥の決定は自分達の行く末に深く関わるだけに他人事ではいられない、次期海軍元帥の座を巡って争いが起きるのも必然といえた。

 

 次期海軍元帥候補の筆頭が[サカヅキ]、[クザン]、[ボルサリーノ]の三大将である事は周知の事実であり、明確な決まりこそ無いが、実質的にはこの三名の中から新たな元帥が生まれる事になるのは間違いない。

であるからこそ、彼等の派閥に所属する者達が、己の信頼する上官を頂の座に就けようと蠢動するのも仕方がない事ではあった。

 

 派閥の構成員が激しい権力闘争を繰り広げている一方で、それぞれの派閥の盟主たる三人の大将達は沈黙を続けており、そのお陰で小競り合いこそあれど、全面的な衝突に発展することは無く、軍としての最低限の秩序は維持されている。

自らの立場を十分に理解しているが故に、表面上は協力的な姿勢を保つ三人ではあったが、その人間関係は決して良好とはいえない。

 

 数多の功績を積み上げ、幾つもの戦場を越えて現在の地位に就いた彼等は、海兵としての強固な信念をそれぞれが抱いている。

海賊などの“悪”とされる物への“徹底した正義”を掲げるサカヅキ。

長い苦悩の果てに己独自の信念として“だらけきった正義”を抱くクザン。

両極端とも云える盟友の二人を、誰よりも間近で見てきたが故に至った“どっちつかずの正義”を貫くボルサリーノ。

幾多の戦場を共に駆け抜けた彼等は紛れもなく戦友であり、互いの力量を認め合ってもいたが、それぞれの信念の違い故に、時には反発し合う関係でもあった。

特にサカヅキとクザンはその傾向が強く、気質の違いもあって二人は犬猿の仲でもあり、意見が一致する事の方が珍しい。

二人の不仲は海軍内でも有名で、彼等が率いる両派閥の関係も良好とは言い難く、昨今ではサカヅキとクザンが次期海軍元帥の座を争う立場である事も手伝って、派閥間の緊張は此までに無い程に高まっていた。

 

 

 「元帥の地位は特別だ、皆がざわつくのも無理はない………。しかし、海賊達の勢いが増している現在の情勢下で、内部抗争などによって軍の動き自体が鈍ってしまっているのは、愚かと云うしかないな」

穏やかな青空をカモメがのんびりと飛んでいくのを眺めながら、レオンは一つ息を吐く。

軍内部で頻発する派閥間の抗争の影響は海軍全体に及び、任務に支障が出ることも珍しくはない。

「ハッ、何奴も此奴もハシャぎやがって鬱陶しい奴らだぜ」

呆れ果てたと云わんばかりに嘆息するレオンの隣で、セシルは怒りの声を上げる。

艶やかな褐色の肌は興奮によって僅かに赤らみ、彼女の鋭い顔立ちには明確な怒気が宿っていた。

「ガープやセンゴクの爺共は何してんだッ、何時も偉そうにふんぞり返ってやがるくせに、肝心な時に何の役にも立ちゃしねェ」

セシルが盛大に罵っているのは、現在の海軍内でもずば抜けた戦歴を持つ古強者、百戦錬磨と云うに相応しい二人までが後手に回っているように見える現状が、彼女を苛立たせる。

「まあ、少し落ち着け。ガープさんやセンゴクさんだって今の軍の状況に気付いていない訳じゃない。だが、派閥抗争にはもう一つ厄介な問題が絡んでいる」

「もう一つの問題?」

諭すように話すレオンによって、セシルは若干の落ち着きを取り戻しながら、首を傾げた。

「次期海軍元帥の人選は、今後の海軍の方針に大きく関わってくるからな。それだけに外から介入しようとする奴らも出てくる」

「それは、政府の馬鹿共の事か?“首輪付き”が抗争に関わっていると?」

低い声で吐き捨てるセシルの言葉からは、怒りの他に嫌悪感さえ感じられた。

 

 海軍は世界政府という名の巨大機構に所属しており、組織的な地位としては政府の下位に位置している為、その影響力は強く、海軍上層部もその意向を蔑ろには出来ない。

世界政府にとっても市民の信頼が厚く、知名度の高い海軍は“政府の表の顔”として貴重な存在でもあった。

それだけに海軍への影響力拡大は政府の重要な課題であり、ひと昔前から働きかけをしていたが、上手くいってはいない。

それは海軍上層部が政府の影響力の増大に危機感を抱いている事が一因である。

海軍を指揮する立場にある彼等は、半生を懸けて治安を守ってきた古強者ばかり、法と秩序を維持する立場の海軍が世界政府という権威組織と繋がりを強める事で、その中立性が揺らぐ事の危険性を皆が理解していたのだ。

世界の平和と秩序の維持という使命の下で正義の旗を掲げる海軍からすれば、組織としての最低限の自主性を保つ事は当然であったが、上位者たる世界政府としては多少の不満が残る。

しかし、かといって強引に海軍へ干渉することも得策とは云えない、海軍上層部には世界に勇名を馳せる英雄や傑物が名を連ねており、市民や海兵達から絶大な信頼を受ける彼等と敵対する事は、如何に世界政府が絶大な権威を誇ろうとも避けなければならなかった。

 

 世界政府と海軍は一枚岩などではなく、両勢力の間にある様々な軋轢は常に一定の緊張感を生み出している。

影響力を強めたい政府と最低限の自主性は保ちたい海軍、決して表に出る事のない暗闘は長年に渡って続いていたが、近年その関係性は若干変化しつつあった。

海軍内に政府の示唆を受けた海兵が増えていたのだ。

世界政府から齎される数々の利益を甘受する代わりに、政府の意向を優先して動く彼等は“首輪付き”と呼ばれ、良識ある海兵達から忌み嫌われていた。

“政府の飼い犬”、“ヒモ付き”とも呼ばれる彼等は、海兵でありなから己の欲の為に海軍の理念たる正義を売り渡した“裏切り者”として軽蔑されており、それが海軍内部の新たな火種と化してしまっている。

特に若年の海兵達は若さ故の潔癖感から拒否反応は強く、海兵同士の争いに発展する場合さえ珍しくはない。

近年、海軍内部での派閥抗争は激化の一途を辿っていることもあり、軍上層部は政府の介入を強く警戒していた。

 

「ハッ、くだらねェ!」

レオンから一通りの事情を聞いたセシルの感想はこの一言に尽きる。

「政府に尻尾を振ったイヌと遊んでいる場合じゃねぇだろッ、馬鹿共にはそんなことも分からねェのか」

激しい気性ながらも冷静な思慮深さを併せ持つセシルには、現在の海軍が如何に危うい状況にあるのかが理解出来てしまう。

そして、だからこそ怒りも募ろうと云うもの。

「軍上層部も現状の危機を理解していないわけじゃない、事態の収拾に色々と動いてもいる。だが、政府への反感は皆大なり小なり抱いている事だからな、そう簡単にはいかない。それに彼等も政府に対して思う所が無い訳じゃない、むしろ政府に対する不信は古参の海兵の方がよほど大きいだろう」

 世界貴族“天竜人”の暴虐な横暴を始めとして、政府の統治方針には大小様々か理不尽な事柄が存在しており、決して平等な治世とは云えない。

海軍に所属している以上政府との関わりは避けられず、天竜人の非道な所行の強制的な黙認、あまつさえ天竜人の為の“海軍大将の出動義務”など、海兵の本来が持つ“正義”の理念とは正反対の行為に失望と諦観を抱き、軍を辞めていく者も珍しくはなかった。

軍歴の長い古参の海兵達であればあるほど、世界政府の理不尽なやり方を目にする機会も多く、政府への不信感は強い。

幾つもの葛藤を乗り越え、苦悩しつつも己の“正義”を貫く彼等は古強者と呼ぶに相応しく、軍の中核として非常に重要な存在でもある。

強靭な精神を持つ彼等ではあったが、世界政府への不信感は強く、不満や疑念などは強烈な自制心で抑え込んでいるだけに過ぎない。

若く未熟な海兵を中心に広がっている“首輪付き”への反発に対しても思う所が無い訳ではなく、心情的に遣りづらい側面があるのも確かだった。

 

「チッ、上の奴らの動きが妙に鈍いのはそれが理由かよ、情けねェ」

セシルとて古参の者達の想いが分からない訳ではない、海軍の次代を継ぐべき若き海兵達を相手に、強硬手段を採りたくないという心情も、ある程度は理解できる。

しかし、それ故に後手に回り、結果的に海軍全体へ要らぬ危機を招いている現状に、彼女自身納得出来ないものを感じているのも確かだ。

「激しさを増す派閥同士の争い、陣営に引き込んだ海兵達を利用して、軍内部への影響力を強めようとする世界政府。色々と難しい状況だからな、対応が遅れてしまっても無理はない」

派閥間の抗争拡大で只でさえ混乱している海軍に、追い討ちを掛けるかのように強まる政府の圧力。

様々な思惑を孕んだ混沌とした現状に、レオンとて溜め息の一つも吐きたくなる。

「メンドクセェにも程があるぜ。いっそのことアンタが纏めちまったらどうだ、レオン?アンタが派閥作って抗争に乗り出せば状況は変わるんじゃねェか?」

瑞々しい唇を歪めて、物騒な笑みを浮かべるセシルの瞳が好戦的な光を帯びる。

「醜い権力闘争に俺も加われと?」

「ハハッ、今まで中立だったアンタが動けば、派閥の勢力図も一気に変わると思うぜ?」

幾つもの派閥が権力闘争を繰り広げる中、あえてその争いに加わらない者達も確かに存在していた、所謂“中立派”である。

内部抗争から一定の距離を置くことで組織の自壊を防ぐ為の抑止力となり、混乱著しい現在の海軍が最低限の秩序を維持できているのは彼等の働きがあってこそであった。

レオンは上官であるツルと同じく中立的な立場を保っており、他の派閥と距離を置くことによって抗争には一切関わってはいなかった。

若くして数々の功績を上げたレオンに期待する者は多く、抗争に乗り出せば派閥間の勢力図が一変するのは間違いない。

「……………」

自身の立場を十分に理解しているが故に、弟子の意見には一理ある事をレオンは認めざるを得ず、それが却って心に迷いを生んでいた。

そんな内心の葛藤を見透かすかのようにして笑うセシルが、今のレオンには少しばかり恨めしい。

「ふっふ~ん………おわッ」

ニヤニヤとした笑みを浮かべ、顔を覗き込んでくる意地の悪い弟子の髪を、レオンは腹立ち紛れに少し強めにかき混ぜた。

「ちょッ……何すん……やめッ……」

飄々として滅多に自分のペースを崩すことのないセシルも、レオンに掛かれば赤子のようなものだ。

抵抗するセシルだがそれは形ばかりであり、本当に嫌がっている訳ではない。

頬をほんのりと赤らめ、嬉しそうに弛んだ口元が、彼女の内心を如実に表している。

その後暫く、二人が騒がしくも楽しげにじゃれ合っていると、

「漸く見つけたぜ。こんな所に居やがったのか」

背後から低く野太い声が掛けられる。

二人が振り向いた先、渡り廊下の入口の辺りに、歳の頃は20代後半と思われる大柄な男が立っていた。

白髪の短髪に極めて目つきの悪い三白眼、180cmを超える身体は服の上からでも分厚い筋肉を纏っているのが見て取れるほど筋骨隆々としていた。

一目で堅気の者ではないと分かる男は、海軍のマークが描かれた白いジャケットを羽織っており、襟元には少佐の階級章が付けられている。

「あァ?……誰だテメェ?」

想い人との二人きりの時間を邪魔されたセシルの機嫌はあっという間に急降下、男が見知らぬ相手である事も相俟って、苛立ちを隠そうともせずに睨み付けた。

「おいおい、随分と物騒な目つきをするじゃねぇか。ん?見ねぇ顔だな、このお嬢ちゃんはお前の所の部下か?レオン」

セシルの刺すような視線にも、男はまるで動じた様子を見せず、不適な笑みを浮かべていた。

一方、無視される形になったセシルは瞳を一瞬大きく見開くと、今にも飛びかかんばかりに全身に力を込めた、額に浮かんだ青筋が彼女の怒りを表している。

「名はセシル、俺の弟子だ。暫く振りだな、スモーカー」

怒気を漲らせる弟子の頭を撫でて落ち着かせながら、レオンは久しく会っていなかった友人に苦笑した。

「弟子?そうか其奴が三人目か。クックック、じゃじゃ馬っぷりは他の二人にも負けてねぇようだな」

レオンとスモーカーの付き合いは長く、一回り程の歳の差がありながら、二人は気の置けない友人でもあった。

それ故にカレンやローズとも既に面識があるため、目の前の年若い少女が弟子だと聞かされても驚く事はない。

「チッ、……若、コイツが前に言っていた“白猟”か?」

レオンの制止によってひとまず怒気を収めるセシルであったが、警戒心まで解くことはせず、依然として鋭い眼差しをスモーカーへ注ぎ続けている。

三人居るレオンの弟子達の中で唯一、今までスモーカーと面識の無かったセシルだったが、“白猟”の異名は何度も耳にしており、彼女は独自に情報を収集していた。

「ああ、かの有名な【白猟のスモーカー】その人だ。俺の友人でもある」

“白猟”とは近年広がり始めたスモーカーの異名であり、優秀な海兵として広く知られつつあった。

「はぁ、その名はあんまり好きじゃねぇんだがな。まぁいい、改めてよろしくな、お嬢ちゃん」

最近呼ばれる事の多くなった異名に、スモーカーは軽く顔をしかめる。

海兵にとっての異名とは、ある意味実力の証明といえる為それを誇りとする者もいるが、周囲に無用な警戒心を抱かせるとして、疎ましく思う者も多い。

スモーカーはどちらかというと後者寄りで、少なくとも好き好んで呼ばれたいとは思わなかった。

「……オイ、さっきから気になってんだがよォ、その“お嬢ちゃん”はヤメロ、ブッ潰すぞ」

一旦は収まった怒りが再燃したのか、ドスの効いた低い声がセシルから零れ出る。

宝石のように美しい紫色の瞳は剣呑に細められ、大人びた硬質な美貌には明確な怒気が宿っている。

「フン、レオンお前の弟子は揃いも揃って生意気な奴ばかりのようだな……、子供扱いが嫌なら実力を示す事だ、“お嬢ちゃん”」

「……上等だ、クソ野郎」

スモーカーのあからさまな挑発に、それと知りつつセシルは乗った。

だが、彼女は感情のまま怒りに身を任せている訳ではない、その実力の程を探る絶好の機会だと判断した為だ、眼前の男がレオンの敵になった時、速やかに排除できるように。

 

「止めろセシル、スモーカーお前が此処に来たのは何か用があったからじゃないのか?」

睨み合う両者の間に割って入りながら、レオンは溜め息を吐いた。

容易に他者を信用しようとしない弟子の性分は十分に理解している為、セシルの態度に驚きはしない。

だが、その強過ぎる警戒心が、彼女を周囲から半ば孤立させてしまっている事も事実であり、レオンとしては憂慮せざる得ない。

「ああ、別に大した用じゃねぇんだが、“アイツ”が凄い勢いでお前を探してたんでな、挨拶のついでに報せておこうと思っただけだ」

「後で会いに行こうと思っていたんだがな……」

スモーカーからの唐突な知らせは、レオンに思いもよらぬ驚きを齎した。

「怒っていたか?」

「かなりな、まぁ、お前と会えるのを楽しみにしていたみてぇだし、無理はねぇだろ」

渋面を浮かべる友の様子から大方の事情を察したレオンは、一つ息を吐く。

二人が話題にしている女性は気が強く、一度怒らせるとなかなか収まらないのだ。

「面倒を掛けたな、スモーカー」

懐から出した葉巻にライターで火を付けながら、スモーカーは困り顔の友人に視線を向ける。

スモーカーがレオンと知り合って早数年、二人は友人と云っていい良好な関係を築いてきた。

それは人付き合いの悪さを自認するスモーカーにとって、驚くべき事であり、彼自身レオンの事を数少ない友人として信頼していた。

「気にすんな、慣れてるよ」

吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出すと、風に運ばれ手摺りの向こうへと消えていく。

 

「オイッ、さっきから誰の話をしてんだ?アタシにも分かるように話しやがれ」

何とも云えない空気が流れる中、会話に置いていかれる形になっていたセシルが、不満そうに唇を尖らせていた。

「ん?ああ、すまない。話していたのは友人の事だ、彼女は――」

眉根を寄せて、拗ねたように睨んでくるセシルに苦笑を返しつつ、レオンが改めてもう一人の友人について説明しようとしたその時、

「ようやく見つけたわよ、レオンッ」

ハスキーな女の声が辺りに響く。

目を向ければ、其処には広い板張りの廊下を近付いてくる美しい女性の姿があった。

170cmを超える颯爽とした長身に抜群のスタイル、切れ長の瞳は意志の強さを表すかのように鋭く、少し厚めの艶やかな唇からは女の色気が匂い立つ。

誰もが見惚れてしまうであろう美貌を持つ彼女の名は[ヒナ]、年齢はレオンより5つ上の22歳であり、若くして少佐の地位を持つ海兵でもあった。

「久し振りね」

「ああ……、そっちも元気そうで良かった」

向かい合って立つヒナとレオンの間を、海風が駆け抜ける。

「随分探したわ、もっと早く会いに来てくれてもいいんじゃない?………それとも、久し振りに会う恋人の事なんてどうでもいいのかしら?」

吹き荒ぶ風がヒナの背中まで届く髪を巻き上げるが、彼女は気にもしない。

「遅れてしまってすまない。だが俺も君に会いたかった」

何処か拗ねているようにも見えるヒナに、レオンは謝った。

互いに海兵である以上荒事からは避けられなず、危険な任務に就く事も珍しくはない、その上、任務の関係上頻繁に会う事も難しいだけに心配は募る。

ヒナが自分の身を案じてくれている事をレオンは知っていた。

「……はぁ、そんなに素直に謝られては怒れないじゃない。……………フフ、此も惚れた弱味かしら、キミは本当に罪な男ね」

ヒナとて元々本気で怒っていたわけではない、中々顔を見せない恋人の身を心配していただけなのだ、依然と変わらないレオンの姿を実際に確認すると、胸の内に燻すっていた怒りはゆっくりと霧散していくのだった。

「貴方もそう思わない?スモーカー君」

「……俺に話を振るんじゃねぇ」

距離を置き、我関せずと一人葉巻を吹かしていたスモーカーは、如何にも嫌そうに顔を歪めた。

レオンやヒナとの付き合いの長い彼は、二人の痴話喧嘩に口を出すと、大抵禄な事にならないと経験で知っていたのだ。

相も変わらず無愛想な強面の旧友にレオンと一緒に苦笑しつつ、ヒナは、先程から刺すような視線を注いでくる少女に目を向けた。

「それで?さっきからもの凄くこっちを睨んでいるこの娘は誰?レオン、もしかしてキミの新しい女かしら?フフフ、年下は初めてよね?」

挑発的なヒナの微笑みに、セシルの眼光が一層強まり、周囲に緊張が張り詰める。

「……アタシの名はセシル、若の弟子だ」

不機嫌此処に極まれり、といった様子のセシルの鋭い視線は、依然としてヒナに注がれ続けている。

「あら、そう。私はヒナ、よろしくね」

相手が比較的素直に自己紹介した事に多少の驚きを覚えつつ、ヒナは応えるように片手を前に出した。

目の前に差し出された手を見て、セシルは驚いたように瞳を瞬かせた後、一転して何かを思い付いたように唇を釣り上げる。

大人しくヒナの手を取ったセシルを見て、様子を見守っていたレオンが密かに安堵したのも束の間、

「ああ、よろしく――なッ」

手を握った瞬間、セシルは肉食獣のような笑みを浮かべると、相手の手を握り潰さんばかりに思い切り力を込めた。

「ッ!?」

此には流石に意表を突かれたのか、美麗なヒナの顔が歪む。

だが、ヒナとて幾つもの戦場で功を上げてきた女傑、この程度で怯みはしない、即座に反撃するように握り返す。

「「………ッ!!」」

無言のまま握手をし続ける二人、薄っすらと笑みを浮かべる両者の姿は端から見ればとても和やかに見える、しかし、握り合う互いの手から生じる異音がそれを否定していた。

ミシミシと骨が軋む音が辺りに響き、込められている力の程が窺える、相応に痛みもある筈なのだが、二人の表情は微塵も動かない。

 

 それから暫く、相も変わらず睨み合いを続けるヒナとセシルに、遂にスモーカーが痺れを切らす。

「はぁ……その辺にしておけよ、大人気ねェ」

苦虫を噛み潰したようにしかめられた強面は普段以上に迫力があり、彼の胸中を如実に表している。

「そうだな、この後会議もある、そろそろ止めておいた方がいいんじゃないか?」

恋人と弟子の不毛な争いを止める最大の好機に、ここぞとばかりにレオンも続く。

「………フッ、それもそうね」

困り顔を隠せていないレオンに流し目を送りつつ、ヒナは艶然と微笑んだ。

礼儀知らずな後輩への反感は依然として変わらないが、想い人をこれ以上に困らせるのは彼女の本意ではない。

「今日はただの挨拶、この続きはまた今度にしましょう」

「ハッ、逃げんのか?」

「そう焦る事ないわ、お互い長い付き合いになるんだろうし」

「………チッ」

どちらともなく身を離す二人に釣られるようにして、周囲の空気が緩む。

それに安堵したのはレオンとスモーカーである。

ヒナは勿論、セシルもまた初見であるスモーカーが警戒する程の実力の持ち主、本格的に二人が争った場合の周囲への被害が甚大なものになる事は間違いない。

「フフ、じゃあ、そろそろ移動しましょうか………、今日の会議は大広間でだったわね」

「…………」

そう言ってさっさと歩き出すヒナは何処か楽しそうであり、それに不機嫌そのものといった表情のセシルが続いていく。

置いていかれた形となったレオンとスモーカーは、呆れたように苦笑しながら、先を行く二人を足早に追い掛けるのだった。

 

 

 

 同時刻、マリンフォードの街にあるうらぶれた暗い路地で、人目を憚るように暗闇に佇む男が居た。

太陽の光も届かぬ暗がりの中、木箱の上に置かれた電伝虫から声が届く。

『フッフッフ、つまり手筈通りという訳だな?』 

「ああ、全て順調に進んでいる。詳細は何時も通りの方法で報告する」

人気の無い路地には湿ったような陰鬱な空気が満ちていたが、男が気にした様子はない。

『フフフ、フッフッ、流石だ。お前は昔から抜かりのない男だった。………それで?前の報告にあった男とは接触できのか?たしか“首輪付き”の有力者って話しだったよな?』

「ああ、正確には有力者の息子だが上手くいっている。血筋しか取り柄のない無能だよ、煽てれば簡単に乗ってくる、奴は既に俺を信頼し始めている」

男の口調には隠しきれない嘲りが含まれている。

『フッフッ、その調子で信頼を深めていくんだ、それがウチのファミリーの力になる。それと他の首輪付き共にも繋ぎを付けろ、奴らの持つ政府とのパイプは大いに利用できるだろう』

「政府に媚びを売っているとはいえ海兵だ、過度の接触は少々危険ではないか?」

『フフフフッ、心配はいらねぇさ。御大層な正義を掲げる海軍も、所詮は人間が作った組織に過ぎない。正義よりも自身の利益を優先する奴は必ず居る。フッフッフ、政府に尻尾を振った首輪付き共がそれを証明している』

人の持つ業の深さを嘲笑うような笑い声は、酷薄な響きを伴って薄暗い路地に響いていく。

『金をバラ撒き、弱みを握れ、奴らは信念よりも己の利益や保身を選ぶ。それを利用するんだ………奴らが死ぬまで一生なッ、フッフッフッフ!』

「今、海軍は派閥抗争の激化の影響で混乱している、この機に此方も手駒を増やしておくとしよう」

闇に身を浸す男もまた、電伝虫の声の主に同意するように薄く笑った。

「それと新しい報告もある。以前に話した通り次の任務はかなり大規模なものになりそうなのだが………、任務には“紫電”も参加するようだ」

『………ほう、それは興味深い。フッフッフ、ヤツには聞きたい事が腐る程ある………、ドレスローザでの借りもあるしなぁッ』

受話器越しでさえ感じられる明確な敵意、殺意さえ帯びたその声は、長年付き合いがある男でさえ、思わず心胆を寒からしめる程におぞましい。

「“紫電”――クロイツは海軍内に味方が多い。それも、センゴク、ガープ、ツル、といった実力者ばかりだ、噂によると“三大将”にも一目置かれているとか………、奴自身の戦闘力も底が知れない。迂闊に手を出すのは危険だ」

事実、若手筆頭格の海兵として海軍内でも期待を集めており、人望も厚い。

師であるツルを始めとしてセンゴクやガープなど、海軍史に名を刻む英傑に可愛がられている為、不用意に敵対すれば甚大な損害を受ける可能性があった。

『………フッフッフ、分かっている。数年前、ドレスローザでのクロイツの所業は腸が煮えくりたぎる程腹立たしいが、俺は怒りに我を忘れる程愚かじゃないさ。リク王家の件もある、ヤツに仕掛けるにはそれ相応の準備が必要だ。今の所はある程度動きを把握できればいい。………それより、例の研究者の件はどうなった?此方に引き抜けそうか?』

「秀才揃いの海軍科学班の中でも、あの男はベガパンクに次ぐ程の天才だ。しかも倫理観を始めとして良い具合に破綻した人格をしている。奴は信念など欠片も持ち合わせてはいない、望む条件を此方が満たしてやれば、引き抜く事は難しくはないだろう」

男とて、件の人物とは数回会話をしただけだが、相手のひどく歪んだ本性を知るにはそれで十分であった。

「フフフフッ、フッフフ………、そいつはとびきりの朗報だな。ウチが欲しいのは奴の知識とその卓越した科学技術だけだ、善良な人格など寧ろ邪魔になるだろう。よし、そのまま接触を続けろ、あらゆる手を使って此方に引き込め。金も望む物も全て揃えてやる、味方に出来れば俺達の今後の計画を大幅に進める事ができそうだ、フッフッフッ!』

「了解した……………………全てはファミリーの為に」

『フフフフッ、任せたぞ…………ヴェルゴ』

それを最後に路地裏に沈黙が満ちる。

 

 暗がりで行われた密談はこうして誰に知られるでもなく、静かに幕を閉じた。

この一幕が未来にどのような影響を与える事になるのか、それを知る者はどこにも居ない。

 

 

 古来より表裏一体と評される光と闇。

 

光が眩ければ眩いほど、闇もまた深まり続ける。

 

そして今、正義という眩い光の裏で、強大な闇がひっそりと蠢き始めていた。 



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第13話

 “東の海”、“西の海”、“南の海”、“北の海”、そして“偉大なる航路”。

世界の海は五つに大別されている、それぞれが独自の特色と自然環境を備えていたが、その中で最も過酷と云われる海、“偉大なる航路”。

人智を越えた数多の自然現象が巻き起こり、巨大且つ獰猛な生物達が日夜生存競争を繰り広げる、無知な旅人が不用意に足を踏み入れれば、弱肉強食の海は忽ちの内に牙を剥くだろう。

厳しい自然環境が形成されている“偉大なる航路”ではあったが、その厳しさには強弱がある。

“偉大なる航路”の入口とされている“導きの岬”から、海を進んで行けば行くほど海路の厳しさは増していき、点在する島々の特異性もより際立っていく。

特に“赤い土の大陸”を挟んだ先に広がる“偉大なる航路”後半の海は“新世界”と呼ばれ、その環境の過酷さは前半の海を遥かに上回る。

そんな“新世界“の海に峻厳な山々と緑豊かな植物に満ちた島があった。

 島の名は〈サロス〉。

中央に聳え立つ山脈の岩肌は剣山のように鋭く尖り、それが幾重にも重なっている様は、見る者に強い威圧感を与えるだろう。

山の周囲を囲むように生い茂る木々の植生は強く、島の大半を森が覆い尽くしている。

文明を感じさせる人工物は一切見られず、壮大に広がる大自然は、この島が原初の時を生きている事を示していた。

だが、本来は原住生物以外存在しない筈の島には今、大勢の人間達が滞在しており、日夜熾烈な争いを繰り広げていた。

 薄暗い密林の中を複数の人影が駆け回り、幾重にも重なる銃声が休む事なく鳴り響く。

「ヤツらを殺せェッ、皆殺しにしちまえェ!」

「臆するなッ、正義は我らと共にある!!」

森の至る所で戦闘が発生し、怒声と悲鳴が木霊する。

争い合うは二つの勢力、《海賊》と《海軍》。

長年に渡って敵対を続け、宿敵といえる間柄の両勢力の闘争の影響は、この自然豊かな島にも及んでいたのだ。

乱れた時代の荒波が、厳しくも穏やかな島を熾烈な戦場に変える。

 

 

 

 一面に広がる岩と砂、此処は〈サロス〉島、南の外縁部、粒子の細かい砂と無骨な岩場が混在する海岸線である。

海岸線には今、海軍が拠点として作り上げた野戦基地が存在していた。

基地の敷地内には大小様々な天幕が建ち並び、銃を携帯した幾人もの海兵が警戒するように道を行く。

数千人の兵士が駐屯しているだけあって規模は大きく、周囲一体に所狭しと並ぶ天幕の群の光景はある種、壮観ですらあった。

一定の規則性を持って設営された天幕群を外側から追っていくと、中央に据えられている一際大きい天幕に辿り着く。

複数の海兵が直立不動で屹立し、周囲に睨みを効かせており、不用意に近付く者は、例え味方であっても誰何するその姿は、正に門番。

厳重な警備体制は一見過剰にも思えるが、この天幕が軍の頭脳たる司令部の役割を担っている事を考えれば、それも当然であろう。

司令部内は造りこそ他の天幕とそう変わらないが、部屋の面積は数倍広く、十数人の海兵が司令部要員として詰めている。

規則正しく並べられた長机には電伝虫が幾つも置かれ、休むことなく受信音が鳴り響く。

「報告しますッ、第三、第五小隊が敵の奇襲を受けて壊滅、第八小隊が救援を求めています!

「第四大隊のトラヴァルト大佐から、被害甚大、後退するとの事です!」

「左翼壊乱!混乱が広がっています!!」

展開している部隊からの戦況報告がひっきりなしに届き、現在の戦況を報せている。

最前線から齎される情報は、大半が味方の戦局不利を伝えるものであり、対応する要員の悲鳴のような声が天幕内を幾重にも飛び交う。

「周辺の部隊を救援に回せッ、左翼を下がらせろ!」

天幕最奥、司令部内でも一際大きく豪奢な机で、怒鳴り声を上げる男が居た。

歳の頃50代半ばといった所の初老の男の胸元には、複数の勲章が誇らしげに並び、共に付けられた階級章から准将の地位地位にある事が分かる。

男の名は[マーランド・ウィリアム]、今回のサロス島攻略作戦においては、その全権を預かる総司令官でもあった。

「クソッ、トラヴァルトの愚か者めッ!同志のよしみで左翼を任せてやったというのにッ、あれだけの大口を叩いおきながら、むざむざやられるとは!このままでは私の立場がッ」

数千の海兵が投入されている今回の任務が、海軍にとって一大作戦なのは云うまでもない、本来なら作戦を指揮する司令官は中将クラスの実力者が努めてしかるべき。

実際、当初は実力と実績が確かな別の者に作戦を任せる事が決まっていたのだが、ウィリアムがその決定に待ったを掛けたのだ。

此ほど大規模な作戦の人事に一海兵が口を出すなど許される事ではなく、何らかの処罰を下されても可笑しくはない、だがウィリアムの背後にいる勢力の存在が、軍の規律を無視した横紙破りを可能にしていた。

その後ろ盾となっている勢力こそ、世界最大の巨大機構“世界政府”である。

ウィリアムは海兵でありながら政府におもねる事を良しとした、“ヒモ付き”と呼ばれている者達の一人であり、派閥の盟主でもあった。

 

「せっかく苦労して司令官の椅子を手に入れたというのに――、このままではッ」

頭をかき毟り、独り言を呟く姿からは、日頃の傲慢さはまるで感じられない。

だが、それも無理はない、彼にとって今作戦の失敗は自身のキャリアの失墜を意味しているのだから。

如何に強大な後ろ盾があろうとも、ウィリアムを始めとする“首輪付き”達は、厳格な実力主義を基本とする海軍にとって、私欲の為に信念を捨てた“裏切り者”でしかない、快く想わない者達は大勢居る。

そしてそれは、なにも敵に限った話ではなく、味方もまた同じ。

ウィリアムを盟主と仰ぐ派閥構成員達も、彼個人に忠誠を誓っている訳ではなく、政府の意向を受ける者達がより集まっているだけに過ぎない、失態を犯し醜態を晒せば、忽ち掌を返して引きずり落とそうとす事は間違いない。

その確信がウィリアムにはあった、何故ならば彼自身もまた、他者を踏みにじる事によって現在の地位を築いてきたのだから。

 信念よりも自己の保身や利益を優先する“ヒモ付き”同士の間に、信頼関係は微塵も存在しない、そこにあるのは利己的な繋がりのみ。

端から見れば盤石に思えるウィリアムの地位もその実、極めて不安定なものであった。

 

 “大海賊時代”という荒んだ時代において、海賊被害は年々増加し続けており、海軍の必要性も自ずと高まっている。

爆発的な増加をみせる海賊案件に対応するため、軍の規模拡大と兵士の能力向上は海軍の急務となり、それは実力主義を基本とした組織構成を促す結果に繋がった。

 徹底した実力主義は、年齢や性別を問わず優秀な人間がその能力に相応しい地位に就く事を可能にし、結果それは海軍全体の質を劇的に向上させる事になる。

軍の練度が上がれば、必然的に兵を指揮する立場にある者達にはより高い資質が要求される、それは御世辞にも優秀な海兵とはいえなかったウィリアムにとって、海軍内での栄達に限界がある事を意味していた。

 事実、同世代の海兵である[サカヅキ]、[クザン]、[ボルサリーノ]などが入隊後直ぐに頭角を表し、多くの功績を挙げて次々と階級を上げていく中、同期でもあるウィリアムは大した働きも出来ずに燻ぶっていたのである。

それは、彼にとってこの上なく屈辱的で残酷な現実だった。

自らの能力不足を自覚し、受け入れる事が出来るだけの謙虚さをウィリアムが持ち合わせていたのならば、正義を戴く真の海兵として、軍に貢献する道もあったかもしれない。

だが、故郷において名門の特権階級として生まれ、他者を見下しながら育ったが故の傲慢さが、それを許さなかったたのだ。

屈辱は、やがて己の能力を認めない海軍への怒りに変わり、憎悪に変化するまで然したる時間を必要とはしなかった。

ウィリアムは海兵としての信念を捨て去り、自らの利益の為に生きる事を決意する。

その手段として目を付けたのが、海軍の上位組織である世界政府への接近であった。

一方、政府側も、海賊討伐の功績で組織としての権限を強めていく海軍に危機感を抱き、手綱をとるため内部に協力者を作る必要に迫られており、ウィリアムの存在は正に渡りに船といえた。

こうして生まれたのが“ヒモ付き”と呼称される海兵達であり、以来数十年、その数は日に日に増大し、現在では海軍内部における深刻な問題となりつつあった。

 

 儘ならない現実にウィリアムが頭を抱えていた頃、

〈サロス島〉東部の深い森の中に陣を構える千人近い数の海兵達がいた。

木々が立ち並び、視界が著しく制限された状況であるにも関わらず、規律を保ち周囲を警戒し続ける姿からは、彼等の錬度の高さが窺える。

そのの中心に、レオンやヒナ、そしてスモーカーが居た。

他の者達と同様、泥や砂埃で衣服を汚した三人の姿は戦いが熾烈なものであった事を物語っている。

彼等はそれぞれが約三百人前後の隊を率いて作戦に加わっており、島の東側に配置されていた。

海軍にとって不利な戦況が続く中、緊密な連携によって三隊は損害を抑える事に成功、軍全体が混乱状態に陥りつつある現状において、突出した戦果を挙げ続けていた。

「クロイツ中佐ッ、司令部からの撤退命令です!」

特殊な鉱石の影響により、電伝虫の電波状態が極めて不安定な中、どうにか新たな命令を受け取る事に成功した通信兵が勢いよく声を上げる。

「……ようやくだな」

敗勢の強い戦場であればある程軍勢の退き際が肝心となる、その観点から見ればこの度の司令部の撤退命令は遅過ぎると云わざるを得ない。

「相変わらず判断が遅いのよ」

撤収の指示を出すレオンの傍らで、ヒナが呆れたように溜め息を吐いた。

「まぁ、あの男も焦っているんでしょうけど、無能な指揮官ほど迷惑なものはないわ」

不機嫌そうに腕を組む彼女は、高い湿度故に薄っすらと汗を掻いており、それがスーツの胸元から覗く深い谷間に流れ落ちるさまは、ひどく艶っぽい。

「フン、奴は政府の狗共の筆頭、自分の保身にしか興味がねぇのさ。クソッタレな話だがな」

如何にも忌々しげに吐き捨てたのはスモーカーだ。

「元々この作戦は、“ヒモ付き”の奴らが功績を挙げる為に仕組んだようなもんだ、手頃な海賊を討伐して首尾よく終わる筈だったんだろうよ」 

 

 世界政府という強大な後ろ盾を得た甲斐もあり、勢力を拡大させる事に成功したウィリアム達ではあるものの、所詮は裏切り者、他の海兵からの風当たりは強く、特に海軍上層部からは露骨に警戒されている。

海軍史に名を刻む歴戦の傑物達に睨まれては、如何に強力なバックアップがあろうとも、思うように動ける筈もない。

政府との関係がお互いの利益によって成り立っている以上、見返りに相応しいものを求められるのは当然といえる、今後も良好な付き合いを続けていくためにも、ウィリアム達は政府側の意向に沿うように動かなければならない。

勢力の基盤を固め、軍全体への影響力を強める、政府の要望に応えるという意味でも、ウィリアム達は明確な功績を挙げる必要に迫られていた。

 諸々の事情で焦っていたウィリアムに、〈サロス島〉の話が聞こえてきたのはそんな時だ、“新世界”の辺境海域に存在するサロス島で“複数の海賊が拠点を構えている”、という情報が海軍に齎されたのである。

その報せにウィリアムが真っ先に飛び付いたのは云うまでもない。

 過酷な環境と屈強な海賊達が支配する“新世界”での任務は海軍の中でも重要度が高く、かの地での任務は、それに相応しい戦歴を持つ海兵でなければ任される事はない。

海兵の死傷率が飛び抜けて高い海であるが故の措置だが、だからこそ任務成功時の功績は非常に大きいといえる。

辺境とはいえ新世界に属するサロス島での任務は、軍功を求めるウィリアム達にとって、まさに渡りに舟の話であった。

「で、ロクに下調べもせずに島に踏み込んだ愚か者達のせいで、私達まで要らぬ苦労をさせられていると………。まるで下手な喜劇のようだけど、残念ながら当事者であるだけに、全く笑えないわ」

そう言って自嘲するヒナの表情には疲労の色が濃い。

 

 任務を始める際の事前情報の収集は非常に重要であり、其処から得られた情報を元に作戦は遂行される。

事前に十分な準備を整えてこそ、任務を成功させる事が出来るのだ。

それらを踏まえて振り返ってみれば、今回のサロス島における作戦が、如何に準備不足な物であるかがよく分かる。

「派閥抗争で軍が混乱している間に地盤を固めたいんだろう。奴らにとって今は勢力拡大の好機だからな」

「敵の戦力を測ろうともせずにいきなり攻め掛かるんだもの、相当焦っているのは確かね。相手は海賊とはいえ島の周辺海域全てを縄張りにする大勢力、相応の準備をしなければ手こずるのは当然よ。此処は“新世界”なのだから」

太陽が沈みつつある夕暮れ時、撤収の準備で部下達が慌ただしく動き回る中、レオンとヒナの二人は揃って溜め息を吐いた。

「まぁ、この島の情報自体、元々少ねぇんだけどな、此処は“新世界”とはいっても辺境だしよ」

「何よ、スモーカー君。まさか貴方、アイツらの肩を持つ気じゃないでしょうね?」

ぶっちょう面の同僚に、横目でジロリとした視線を送りつつ、ヒナは苛立たしげに髪を掻き上げた。

「はァ……、俺は只、事実を言っているだけだ、あの馬鹿共の擁護をする気はサラサラねぇよ。オマエこそ、イラついてるからって、コッチに当たんじゃねェ」

「………なんですって?私が八つ当たりしているとでも言うつもり?」

俄に漂い始める険悪な空気。

形の良い眉を寄せ、切れ長の瞳を不愉快そうに細めるヒナと、強面の顔を更に顰めて睨み返すスモーカー、無言で対峙するその姿は、さながら美女と野獣。

尋常ではない緊迫感を醸し出す二人にあてられて、周囲の部下達が落ち着きを無くし始めた頃、

「二人共落ち着け、仲間割れしている場合じゃ無いだろう?疲れで苛立つのも分かるが、それはお互い様だ」

徐にレオンが割って入った。

「らしくないな、こういう時だからこそ指揮官は冷静で在るべし、違うか?」

太陽が沈みつつある夕暮れ時、レオンの声が静かに響く。

声自体はそれ程大きいものではなかったが、頭に血を昇らせた二人が冷静さを取り戻すには十分な効果があった。

「………ふぅ、分かったわよ。確かに貴方の言うとおり、こんな事で時間を無駄に出来ないものね。スモーカー君、そういう事だから今回は私が退いてあげるわ、感謝しなさい」

「はァ……、ッたく、どんな言い種だよ、相変わらずとんでもない女だな」

尚も小言を言い合う二人ではあるが、そこに先程までの緊張感はない。

「おい、レオン、お前よくこんな女と付き合ってられんな、或る意味尊敬するぜ」

「………それってどういう意味かしら、スモーカー君?」

「落ち着け、部下達の前だぞ」

続く軽口も気心の知れた関係だからこそ。

苦笑するレオンに怒るヒナ、面倒くさそうなスモーカー、年齢も出身地も違う彼等ではあるが、三人の間には紛れもなく、確かな絆が存在していた。

 

「す、すいませんッ、あのッ、少しよろしいでしょうか!」 

明らかに緊張気味な声に振り向けば、黒髪をショートボブにした気弱そうな少女の姿があった。

ずり落ち気味の黒縁眼鏡を、何度も手で直す仕草が尚更その印象を強くする。

「あら、タシギじゃない……、どうかした?」

「い、いえッ、そういう訳じゃなくて、その…………」

突如とした己に集まる視線に、タシギは思わずたじろいだ。

元々人前は得意な方ではないのだ。

一見、頼りなさげに見える彼女だが、若干15歳で〈軍曹〉の地位に就き、スモーカー直属の部下として日夜海兵としての職務に励んでいた。

「不都合も何も、撤収の準備なんかとっくに終わってるぜ。後はアンタら待ちだよ」

そう言って、タシギの背後からやって来るのはセシルだ。

「まったくッ、何時までやってんだ、アタシはさっさと帰ってシャワーを浴びてェんだよ」

褐色の肌に大人びた美貌、長身で引き締まっていながらも出る所は出ている抜群のスタイル、あらゆる意味でたしぎ

とは対照的な彼女もまた、レオンの副官として今回の作戦に従事していた。

「ち、ちょっと、セシルさんッ、上官に何て口の聞き方をしているんですかッ、失礼ですよ!」

上官に対するには無礼すぎるセシルの態度に、慌てたのはタシギだ。

「し、失礼しました!あ、あの、セシルさんにも悪気はないんです!この人は元々ちょっと礼儀を知らない所があって、そのッ」

生真面目なタシギと、傍若無人なセシル、正反対とも言える気質を持つ二人は、軍の所属を越えた友人でもあった。

セシルだけではなく、カレンやローズとも親しい友人関係を築いているタシギだが、破天荒な三人に比べれば常識人であるだけに、振り回される事が多い。

「タシギ、……お前アタシに喧嘩を売ってんのか?」

「セシルさんは黙っていて下さいッ、アナタが出ると毎回ややこしい事になるんですから!」

セシルの睨み付けんばかりの鋭い眼光に、負けじとタシギも睨み返す。

常識外れな所の多い友人達の中でも、特に問題を起こしがちなセシルには苦労させられているだけに、基本的に遠慮深いタシギも、彼女に対しては遠慮がない。

「ア、アタシがいつ面倒事を起こしたってだ、テ、テキトーな事言ってんじゃねェぞ」

普段物静かなタシギからの思わぬ逆撃に、セシルの声に動揺が混じる。

「この間も本部の下町で騒ぎになったばかりじゃないですかッ、アナタが医務室送りにした人達の後始末、誰がやったと思っているんですか?」

ジトっとした冷めた視線に、逃れるように顔を背ける。

「さ、さァ、何のことか分からねェなァ。さっぱり覚えがねェよ、か、勘違いだろ」

強気な言葉とは裏腹に、鈍い汗を掻き始めた彼女の目は彼方此方に泳ぎ、露骨なまでに怪しい。

自ら心当たりがあると証明しているも同然の友人に、色々とツッコミたくなるタシギではあったが、なんとか自制する。

代わりに一つ溜め息を吐き、

「言っておきますけど、あの事件や他の諸々についても、全てレオンさんに報告済みですからね」

「なッ………、聞いてねーぞ!?タシギッ、何で若に言っちまうんだよ!!」

気にくわない相手には誰であろうと噛みつき、興味の無い者にはとことん冷淡、そんな傲岸不遜を地でいくセシルにとって唯一の弱点、それがレオンであった。

「上官なんですから当たり前でしょう?しかもアナタの師匠でもあるんですから、知らせるのは当然です」

「この薄情者がッ、そういう事は上手く気を利かせるもんだろッ、ダチならよォ!」

師であると同時に想い人でもあるレオンは、セシルの中でも特別な存在となっており、他人の意見などまるで聞くことのない彼女も、彼の名を出されれば耳を傾けざるを得ない。

不器用な友人を、内心で可愛いく思いつつ、

「それはそれ、これはこれです。私、公私混同はしない主義ですから」

「チッ、頭が固い奴はこれだから………!」

喧々囂々とやり合う二人は、既に本来の要件を忘れつつあった。

 

 

「あの娘達、私達の事完全に忘れているわよね。あの生真面目なタシギまで………、スモーカー君、アナタが苦労させているせいじゃないの?」

言い争う二人を呆れたように一瞥したヒナは、少し離れた所で一人、我関せずと湿気った葉巻をくわえる同僚に目を向けた。

「俺は何もしちゃいねェ、コイツは元からこんな感じだ」

「そうかしら?私には、スモーカー君の下で働く事に対するストレスが原因としか思えないけど………、アナタって人をイラつかせる才能があるから」

「……オイ」

「そもそも、色々といい加減な貴方とタシギでは、相性が良い筈がないわ、やっぱりあの娘は私の下に来るべきよ」

何事にも真面目に取り組み、努力を続けるタシギのひたむきな所を、ヒナは大いに気に入り、自身の部隊へ転属させようと、仕切りに軍の人事に働きかけているのだが上手くいってはいない。

「アイツを俺の下に就けたのはオマエの所のバアさんだろうが、文句を付けんならソッチに言うんだな」

「うっ………」

スモーカーの反論には、流石のヒナもたじろがざるを得ない。

何故ならば、タシギの人事には軍に多大な影響力を持つ、とある人物が深く関わっているのだ。

その人物こそ“大参謀”の異名を持つ、女海兵[ツル]である。

聡明な頭脳は老いても尚微塵も衰える事はなく、年齢を積み重ねる毎に深まった見識は多くの者達の助けとなっており、人望にも厚い。

そして彼女の為した偉業は、今も色褪せる事なく燦然と輝いている。

 

 一昔前まで海兵といえば主に男が主流であり、軍の大半を男性が占める状況は、自然と女性の活躍の場をひどく限られたものにしていた。

そんな男性上位的な思想が古くから根付く海軍において、女性海兵の数は極めて少なく、功績を挙げ名を為した者といえば皆無に等しかった。

差別とはいかないまでも、男性と女性の間には明確な“格差”が存在していた海軍時代、だがそれも一人の女性の入隊によって大きく変化をし始める。

後の“大参謀”、ツルの登場である。

高い身体能力と類い希な頭脳を活かし、軍に入って早々に頭角を表した彼女は、新兵の身でありながら数々の功績を挙げていった。

その活躍は、期待の新人として既に注目を集めつつあったガープやセンゴクといった同期の面々にも決して引けを取るものではなく、当時の軍上層部を大いに驚かさせた。

ツルの活躍はその後も続き、折しも実力主義の思想が軍内部に形成されつつあった事も追い風となり、彼女は昇進への階段を駆け上がっていくことになる。

階級が上がれば注目も集まる、女の身でありながら功績を挙げ続ける彼女の活躍は、結果的に軍内部での女性の地位向上を促し、それは女性の海軍内での躍進へと繋がっていった。

後々に定着する“女海兵”という立場の確立を語る上で、ツルの存在を欠かす事は出来ない。

 

 新たしき道を切り開いた先駆者ともいえるツルを慕う者は多く、特に同性である女海兵達からは、偉大なる先達として大いに尊敬を集めている。

ヒナもまたその例外ではなく、ツルに深い敬愛の念を抱いてはいるが、彼女の場合は他の者達とは少し事情が違う。

「まぁ、先生の事だから何か考えがあるのだとは思うが………、簡単に自分の意見を変える人ではないからな、難しいだろう」

ヒナの複雑な心境を誰よりも良く知るレオンは、気遣うように悩む彼女に目をやった。

「………そうね、確かにお婆様はああ見えてかなり頑固だし、何か考えがあるんでしょう」

ふぅ、と一つ息を吐く。

自らの中にあるモヤモヤとした捉えどころのない感情、幼い頃から漠然と感じてきたそれは、成長するにつれて一層強くヒナの心を縛ってきた。

その感情がなんと呼ばれるものであるか、彼女は既に知っている。

「“お婆様”か……、その呼び方は使わないようにしているんじゃなかったのか?」

自然と俯き、悩みに沈むヒナにスモーカーの皮肉げな声が飛び込んでくる。

「ッ!?」

弾かれたように顔を上げると、其処にあったのは、どこか困ったように笑うレオンと、わざとらしく顔を逸らしたスモーカーの姿。

途端に恥ずかしさが込み上げる。

思わず発してしまった親しい“身内”への呼び名、普段から公私混同はしないようにと厳しく己を律しているだけに、動揺も大きい。

「………す、少し言い間違えただけよ」

数瞬の間を置き、咄嗟に口をついて出た自らの言葉にヒナは愕然とした。

幼子でさえもっとマシな誤魔化し方をするだろうに、と。

「………まぁ、なんだ、先生の事を君が誰よりも尊敬していることは、俺達も知っているしな……、誇らしく思うのは当然だと思うぞ、実の家族なら尚更な」

俯き、黙り込んでしまったヒナを、レオンが苦笑しながら慰める。

しかし、その気遣いも今のヒナにとっては逆効果といえた。

俯いているが故に髪に隠れて表情こそ読めないが、合間から覗く真っ赤な耳は彼女の内心を如実に物語っており、その後数分間、羞恥の余りヒナは顔を上げる事が出来なかった。

 世界に名を轟かせる“大参謀”ツルは、ヒナにとって特別な存在だ、他者との間にはない特別な縁によって二人は結ばれている。

それは“血縁”。

遠き故郷で暮らすツルの娘夫婦、その一人娘こそがヒナであり、祖母と孫としてツルとヒナは直系の血縁関係にあった。

古来より最も尊いとされている血の縁が二人を繋いでいたのだ。

 

 

 諸々の騒ぎをどうにか収めた時、日は完全に落ちていた。

夜と呼ぶには少しばかり早い曖昧な時間、太陽の残照が薄っすらと残る空に星はまだ出ていない。

 昼間に比べ一段と暗さが増した森の中を、千人近くの海兵達が足早に進んでいく。

所々に木々の根っこが露出している地面は酷く歩きにくい筈だが、彼等の足取りに迷いはなく、小隊毎に隊列を組んで隊列を揃えて歩む姿からは、彼等の錬度が如何に高いレベルにあるのかを物語っている。

その先頭に立ってレオンらと共に基地への帰還を急ぐヒナではあるが、心中を占めるのは先程話題になった自身の祖母の事。

 若き女海兵として周囲から将来を嘱望され、次代の海軍を担うべき人材として大いに期待されるヒナではあるが、彼女自身、海軍の掲げる大義にそれ程共感している訳ではない。

“正義”という信念には一定の理解を持ってはいるものの、絶対的正義という大義を為すために、罪なき者達まで殺める事もやむなし、という思想には到底賛同できず、世界政府や海軍内の一部過激派には怒りさえ抱いていた。

ヒナがこのような考えを持つに至った理由としては、幼なじみ且つ恋人であるレオンの存在が非常に大きかったが、それだけという訳でもない。

 そもそもの話、彼女が海兵を志したのは祖母への憧憬が切欠といえる。

両親から繰り返し聞かされる祖母の活躍譚、幼い頃からヒナにとってツルは英雄だった。

任務の忙しさから偶にしか会えずとも、向けられる祖母の優しい微笑みは、今もヒナの心に大切な思い出として刻まれている。

祖母を慕い憧れる孫娘が、成長するにつれてその背を追わんとするのは、ある意味で当然の成り行きかもしれない。

愛娘を心配する両親の反対を押し切り、半ば強引に祖母の下へ押し掛けたヒナは、勢いのまま海軍入隊を果たす事になるのだが、彼女はその事を微塵も後悔してはいなかった。

 ツルへの憧憬は現在のヒナを形作る想いの源泉、彼女が目指す海兵とは祖母の姿そのものだ。

そんな彼女が、正義という価値観に大した関心を持てないのも仕方のないことだった。

 

「―――ヒナ、おいヒナ」

「……え?」

唐突に聞こえた声にヒナが振り向けば、其処には心配顔をしたレオンの姿があった。

「大丈夫か?」

「あ……、ええ、大丈夫よ」

一瞬、問い掛けの意味が解らず戸惑うが、直ぐに現在の状況を思い出す。

「ごめんなさい、少し考え事をしちゃって………、今はまだ任務中、私が気を抜いていてはダメね」

既に夜の闇に沈みつつある密林の中、道なき道を進みながらヒナは自省した。如何に戦闘地域から離れているとはいえ、島全体が敵の拠点化している以上油断することは出来ない、それが部隊を率いる指揮官ならば尚更だ。

「だが、そろそろ基地にも着く頃合いだ、そう気負う必要もない。俺達も居ることだしな」

そう言ったのはヒナの横を歩くレオンだ、少し距離を置いてスモーカーも付いてきている。

「今日も一日森の中を駆け回ったんだ、疲れが溜まって当然だ。……それに、君が思い悩んでしまうのも無理はない、先生の事を考えていたんだろう?」

どこか気遣わしげなレオンの様子に、ヒナの頬が自然と緩む。

「貴方に隠し事は出来ないわね………」

正に図星を突かれる形となったヒナではあったが、湧き上がる感情は羞恥よりも嬉しさが勝る。

彼女にはそれが、自身のことを理解してくれている証のように感じられたからだ。

「………お婆様の事を考えていたの」

声音に複雑な感情が混ざるのをヒナは自覚した。軽く息を吐き、改めて祖母の事を想う。

 

 数々の功績を築き上げ、海軍史に深く刻まれるであろう偉大なる祖母、それ程の偉人の孫であるという事実は、ヒナの誇りであると同時に重荷でもあった。

偉大なる祖母の名声は孫であるヒナにもプレッシャーとして重くのし掛かり、当然のように上がる期待の声が彼女を悩ませる。

ツルの業績をよく知る世代の者ほど実の孫娘に寄せる期待も大きく、その重圧はヒナの心に祖母へのコンプレックスを芽生えさせる切欠としては十分だった。

 

「ヒナ………」

誰よりも深くツルを敬愛しながら、その偉大過ぎる祖母の存在に悩み苦しんできたヒナを、傍で見守り続けてきたのがレオンだ、恋人の心情は手に取るように分かる。

「フフッ、ありがとう、レオン………。でも大丈夫、私は……一人じゃないから、貴方が居てくれるから、だから大丈夫」

言葉にせずとも伝わってくる不器用な気遣いを愛おしく思いながら、ヒナはそっと微笑んだ。

「……さぁ、クヨクヨするのはお終い、悩むのは後でいくらでも出来るものね」

自分に渇を入れるかのようにパンッと頬を打つ。

俯いた顔を上げれば其処に先程までの憂いはない、あるのは冷厳とした女指揮官の表情だけだ、この辺りの切り替えの早さこそが、彼女を女傑たらしめている一因でもあるのだが、ヒナ自身にその自覚はなかった。

 

 延々に続くかのように思われた密林を抜ければ、その先に如何にも急増で造られた云わんばかりの人工物が並んでいる、海軍が島で拠点としている野戦基地だ。

「オイ、あそこに居るのって、クソジジィじゃねぇか?

そうスモーカーが声を上げたのは、部隊が基地の目と鼻の先に差し掛かった頃であった。

「……あれって准将よね、もしかして、ずっと私達を待っててくれたのかしら?」

基地の入口に当たる場所に、一人立つ男の姿がある。

丸太のような腕を組み、人を睨み殺さんばかりの眼光が鋭く当たりを睥睨していた。

彼こそが、今作戦においてのレオン達の上官、ダモスその人だ。

「ねぇ、あの人メチャクチャこっちを睨んでるんだけど。どうするつもり、スモーカー君?」

「……何故そこで俺を名指しする、連帯責任だろうが」

ヒナに応じるスモーカーの機嫌は、通常の数割り増しで悪い。

「まぁ、一番怒鳴られるのは間違い無くお前だろうな」

苦虫を噛み潰したように顔を歪める友に苦笑しながら、レオンは怒り心頭であろう上官の宥め方を考え始めるのだった。

 

 [ラムゼイ・ダモス]、歳は既に50を超え、髪にも白いものが幾本も混じってはいるが、その筋骨隆々とした肉体に衰えは見られない。

一兵卒の身から将校となった生粋の叩き上げであり、身体に刻まれている無数の傷跡が、准将に至るまでの道のりの過酷さを物語っている。

「遅い!!」

レオン達を出迎えた際のダモスの第一声は、明確な怒りを伴って放たれた。

“お前達はコッチにこい”と有無を云わさず歩き出した姿を眺めながら、レオン達は揃って溜め息を吐いた。

――やっぱりこうなったか、と。

 

 部隊帰還の後処理などをそれぞれの副官に任せ、ダモスに連れられるまま部隊専用の天幕にやってきたレオン達だが、現在三人はこの天幕の主ともいえる者の前で直立不動を強いられていた。

「それで、部隊の帰還が遅れた事について、何か弁明があるかの?」

少し時を置いたことで、ひとまずは落ち着きを取り戻したらしく、席に着いたダモスに怒りの気配はない。

だが、不機嫌であることには変わりはないようで、皺が幾重にも刻まれた巌の如き顔からは、言いようのない圧力が滲み出ている。

「特にありません、部隊指揮官である我々の失態です」

天幕内で徐々に高まりつつあり緊張感、だがレオンに気にした様子はまるでない。

「クロイツ中佐の仰るとおりです、三隊の連携齟齬の改善に思っていた以上に手間取り、部隊行動に遅れが生じました。弁明などある筈もありません」

と、事務的に続けたのはヒナだ。

その美貌は実に涼しげであり、彼女もまたレオン同様、少しも動じていない事が窺える。

共に並び立つスモーカーなど堂々と欠伸を噛み殺す始末だ、ダモスのこめかみに青筋が浮かぶのも無理はない。

湧き上がる怒りをダモスは堪える、伊達に長い付き合いをしてはいない、目の前に立つ三人があらゆる意味で一筋縄ではいかない者達である事は、とうの昔から承知しているのだ。

「フン!ヌケヌケとよう言いおるわ。………まぁいい、この後、司令本部で軍議が行われる、お前達も顔を出せ」

詮無いことを考えることは止め、ダモスはさっさと本題を切り出す事にした。

「軍議、――これからですか?」

ヒナが眉根を寄せるのも無理はない、まだ時間的には余裕があるとはいえ、一日の作戦行動を終えたばかりだ、どの部隊も疲労が重なっているだけに、賢明な選択とは到底思えない。

「うむ、膠着しつつある現状を打開する為の緊急軍議………だそうじゃ」

ダモスの渋そうな顔を見れば、彼も気乗りしていない事は明らかだ。

「その軍議、ねじ込んできたのはマーランドですか?」

ダモスとウィリアムの不仲は有名なだけに、彼の者と何かがあったと推測することはそう難しくはない、レオンの問いは半ば確信でもあった。

「……取り巻き共と一緒に偉そうに言いに来たわ。何様のつもりじゃッ、マーランドの戯けめがッ!」

心底から忌々しげに吐き捨てるダモスは、その時の怒りを思い出したようで語気も荒い、余程に鬱憤が溜まっているのであろう。

「ハッ、ガキの喧嘩かよ。ッたく、歳を考えろよな」

こんな時、火に油を注ぐのがスモーカーという男のひねくれた所だ。

加えて云うのならば、彼もまた疲労によって大分フラストレーションが溜まっていた。

「……なんじゃと?貴様、今何と言うた?」

案の定聞き咎めたダモスから剣呑な雰囲気が漂い始める。

「ジジィのくせに情けねェって言ったんだよ、こっちはさっさと休みてェんだ」

「…………青二才がよう言ったッ、どうやらキツイ説教が必要なようじゃのォ!」

「上等だッ、こっちもウンザリしてたんだ、相手になってやる!」

机をなぎ倒し掴み掛かってくるダモスを、スモーカーが一歩も退かずに迎え撃つ。

「仮にも司令直々の命令となれば無視する訳にはいかないわね、私としては素直に行った方がいいと思うんだけど……、レオン、貴方の意見は?」

「俺も同意見だ、他の部隊の情報を手に入れる良い機会でもある」

重い打撃音が響き、備え付けの備品が次々と破壊されていくが、それをレオンとヒナに気にした様子はまるでない。

ダモスとスモーカーによる喧嘩など日常茶飯事であり、彼等と旧知の仲であるレオン達にとっては別段珍しい事ではないのだ。

「じゃあ、決まりね、一旦帰ってシャワーでも浴びてきましょう、このまま行くわけにもいかないしね」

段々と激しさを増していく騒音を尻目に、レオンとヒナは早々に天幕を後にした。

 

 外に出てみれば其処は既に夜の世界、見上げれば煌めく星々が空一面に広がっている。

「まったく、あの二人も仲が良いわよね、毎度毎度よく飽きないと感心するわ」

未だに天幕越しに漏れ聞こえてくる怒声には、ヒナも苦笑する他ない。

「まあ、似た者師弟だからな、仕方ないだろう」

レオンやヒナの師がツルであるなら、スモーカーの師こそあのダモスだ。

本質的な気性が似通っているためか事ある毎に衝突している二人だけあって、殴ど別段珍しくもない。

「フフ、そうね……。さぁ、この後厄介な連中との軍議が待っている事だし、少しでも休んで備えましょう。面倒な事になるのは間違いないだろうし」

レオンの手に己の指を絡めながら、ヒナは悪戯っぽく微笑んだ。

「……同感だ」

絡まった指に優しく力を込めながら、レオンもまた苦笑した。

 

満天の星空の下を、レオンとヒナは互いに寄り添いながら歩いていく。

新たなるの戦いに備える為に。



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第14話

 太陽が沈み、入れ替わるように月が昇る。

漆黒の闇が広がる夜空、一面に輝く星々の光はまるで宝石のように美しい。

煌めく星空の下、月の光が世界をゆっくりと照らしていく幻想的な雰囲気の中、〈サロス島〉内でも一際明るい場所がある、海軍が拠点としている野戦基地だ。

簡易型の照明が彼方此方に設置された基地は夜でも十分な光量を保っており、闇に包まれた島の中で、ぽっかりとその存在を淡く浮かび上がらせていた。

夜の帳が落ちた基地内は、喧騒が絶えることのない昼間とは打って変わった静けさに満ちている。

しかし、基地内の全てが静寂に包まれたかと云うとそうでもない、基地の司令部に隣接するように設営された大きめの天幕からは、喧騒が漏れ出ており、其処に大勢の人間が集っている事を証明していた。

 十分な面積を確保して造られた天幕内は広く、優に数十人は楽に収容する事が可能であろう。

幾つもの椅子や机が等間隔で立ち並ぶ様は、この天幕が明確な仕様目的の下に設営された物である事を物語り、内部には大勢の者達が集まっている。

 入口から奥へ連なって並ぶ長机、其処に用意された大半の席は既に埋まっている、大半が屈強かつ厳めしい男達であるだけに、その威圧感は尋常ではない。

スーツの上に白を基調としたコートを羽織る彼等は、何れも皆海兵の中でも高位の地位を持つ者達ばかり、此処では現在、停滞する“サロス島攻略作戦”に関する軍議が開かれていた。

だが軍議は開始早々、険悪な空気が漂うことになる。

作戦進行が遅れている事に対する責任追及の声上がったのだ。

 今回の任務の目的は、“新世界”辺境部に位置する〈サロス島〉、其処を拠点に活動する海賊団の討伐にある。

しかし、それがあくまでも名目上の理由に過ぎない事は軍において周知の事実だ。

少しでも軍の内情に詳しい者ならば、この討伐作戦が軍内部の一部の派閥によって、強硬に決行されたものである事が解るだろう。

その派閥こそウィリアムを盟主とする者達であり、自勢力の更なる拡大を図るために明確な功績を挙げることを望み、近隣海域で猛威を振るうサロス島の海賊討伐を決めたのだった。

「そもそも、今回の任務は事前情報が少な過ぎたのだッ、この島にあれほど多くの海賊達が集まっているなど、聞いていない!」

「その通りだ!司令部はその辺りどう考えているのか、聴かせていただきたいッ。もしや、意図して我々に情報を伏せていたのではあるまいな!」

そう気炎を上げたのは最前線に配置された部隊を指揮した者達だ、此処数日に渡って続いた苦戦により甚大な損害を被った彼等の司令部幕僚を見る目は厳しい。

 作戦に動員された海兵は数千に及び、近年稀にみる一大作戦となったのだが、兵士全てがウィリアムの影響下に有る訳ではない。

政府と深い繋がりを持ち、その権勢を振るうウィリアム達を海軍上層部も危険視しており、その動向には常に注意を払っていた事が幸を制し、政府の権力を背景に彼等が強引に決定した今回のサロス島攻略作戦の情報もいち早く察知されていた。

上層部は、ウィリアム達“ヒモ付き”の暴走を抑える為に作戦への介入を決定し、信頼の置ける実力者を幾人かサロスに派兵したのである。

レオンやヒナ、スモーカーもその内の一人であり、同様に上層部の意向を受けたダモスの指揮下として、作戦に参加していた。

「ば、馬鹿な事を言わないで頂きたいッ、味方同士隠し事などある筈もない、責任転換は止めて頂こう!」

俄かにざわつき始める者達の姿に、幕僚の顔が青ざめる。

「ならば、全て我々のせいだと言うのかッ、見当違いな命令であれ程現場を混乱させておきながら!」

「そ、それは……、せ、戦場とは常に変化するもの、多少の行き違いは仕方がなく――」

「多少だとっ、戦場では一つの判断の遅れが生死を分ける、安全な場所から命令を出すだけの貴様等に何が分かる!」

元々、作戦を指揮する司令部の人員は主にウィリアム達“ヒモ付き”で固められており、それを知る他の部隊指揮官達の反感は大きい、其処に此処数日の失敗続きである、鬱憤が爆発するのも無理はない。

彼方此方から不満の声が上がり、軍議はあっという間に紛糾した。

 

「もう、滅茶苦茶ね……。帰りたくなってきたわ」

飛び交う怒号と罵声に、顔をしかめたのはヒナだ。

レオンと隣り合って軍議に参加していた彼女は、惨憺たる有り様を呈し始めた天幕内を眺め、呆れたように呟いた。

「戦場をろくに知らない司令部の連中はともかく、他の者達まで……」

喧騒の中には、有能と定評のある者達まで幾人か混じっており、普段は冷静で優秀な彼等が熱気に充てられたかのように騒ぐ姿は珍しい。

「大した進展もなく、膠着状態の戦局、そう簡単に納得出来ないのも当然だろう。作戦を指揮しているのが“ヒモ付き”なら尚更だ」

如何に経験豊富なベテラン海兵であろうとも、理不尽な命令を受け続ければ不満も募ろうと云うもの。

「まあ、気持ちは解らなくもないわ……。大した働きもしていない中央の奴らが偉そうにしていれば、腹も立つわよね」

 海軍は部隊を大きく三つに分け、島の南側から北上する形で侵攻しているのだが何れの戦局も芳しくなく、特に中央軍は悪戯に損害を出すばかりであった。

そして、ウィリアム達“ヒモ付き”の息が掛かった者達はその中央の軍に多く所属していたのだ。

「兵力で圧倒するつもりだったんだろうけど、肝心の海賊達があれ程の大勢だとは想定していなかったのでしょうね、付き合わされるこっちの身にもなって欲しいものだわ」

狼狽する幕僚達へ向ける視線はきつく、琥珀のように美しい瞳の奥に憤りの炎がゆらめいている。

 周辺海域の被害状況から、サロス島を根城にしている海賊団の規模は、かなりのものであると推定されてはいもののの、ウィリアムを始めとする司令部の者達はその事をさして問題にはしていなかった。

自軍が数千に及ぶ大兵力であるという過信が、敵対勢力への軽視に繋がったのだ。

しかし現実とは非情なもの、彼等の思惑は見事に裏切られる事になる。

サロスの海賊勢力の規模は、想定を遥かに超えていたのだ。

「まさか、サロスに数千人規模の海賊共が集まっていたとはな」

 “偉大なる航路”の後半の海、“新世界”ならば千人を超える海賊団も珍しくはない、しかしそれ程の海賊となると大概は世に名を知らしめている場合が殆どであり、全くの無名というのは極めて珍しい。

サロス周辺では海賊による略奪が多発してはいたものの、一つ一つの被害は小さく、海軍との争いも小競り合いがせいぜいであった。

戦闘でも不利とみれば直ぐさま逃げ出す有り様であり、ウィリアム達がそれを弱腰とみて侮ってしまうのも無理はない。

だが、実際に彼等の本拠地たるサロスに踏み込んでみれば、其処には予想を遥かに上回る規模の海賊が待ち構えていた。

「私達討伐軍に匹敵する程の大勢力、しかも、幾つもの海賊団が集まって出来ていたなんてね」

総数数千人に及ぶサロスの海賊勢力は、複数の海賊団が寄り集まって構成されている連合体であった事が確認されている。

海賊は髑髏をモチーフにした海賊旗を掲げるのが常であり、如何に弱小の海賊団であろうとも海賊であれば必ず特有の海賊旗を持つ。

誇りの象徴とされているだけに旗印のデザインは千差万別、海賊の数だけ存在するといっても過言ではない。

時は大海賊時代、海の至る所に居る海賊達はそれぞれを識別することすら困難な数だが、海軍は彼等が掲げる旗印を上手く利用し、海賊の識別を簡略化していた。

此処数日の作戦行動で彼等がそれぞれ独自のシンボルを身に付けている姿が確認されており、複数の海賊団からなる連合体が形成されている事が確定情報となったのだ。

「無名であったのも或る意味当然だ、別々の海賊団が好き勝手に辺りを荒ら回っていたんだからな」

これが他の海域であればもっと早く真相も明らかになったであろうが、如何せんサロスは辺境だ。

周辺に海軍基地は数える程しか存在せず、海兵自体の数も足りていないのが現状だ、海域全体への対応が遅れてしまうのも仕方がない。

其処を上手く突いて好き放題していたのが海賊であり、海軍にとってそれはこの上ない屈辱だった。

「“新世界”は私達にとっても危険な海、その辺境海域ともなれば人員が薄くなるのも無理はないけれど……、そんなものは実際に被害にあった人達には何の慰めにもならないわ」

物言わずとも、ひどく苦々しいヒナの表情が、その内心を物語っている。

「人が万能ではない以上、出来る事には限りがある。……だが、俺達でも救うことが、守ることが出来る者達が居る。それもまた、紛れもない事実だ」

銀の瞳に揺るぎない意志を宿し、迷いなく未来を見据えるレオンの姿が、今のヒナには少しばかり眩しい。

「フフ……そうね、その為に私達が居るんだものね……。後手に回って市民に迷惑を掛けている分、一刻も早く海賊共を一掃して安全を取り戻さないと、情けなさ過ぎるわ」

何事であろうとも、事を為すには強い意志が求められる、そんな祖母の教えを胸に、ヒナは改めて覚悟を決めた。

力強い彼女の眼差しに最早迷いはない。

「それには俺達海軍の足並みを揃える必要があるんだが………この有様ではな」

調子を取り戻しつつあるヒナの様子に微笑しつつ、レオンは早急に何とかしなくてはならない問題に目を向けた。

 軍議を開始してからそれなりの時間が経過していたが、言い争いは未だに続いており、収束する気配は微塵もない。 

むしろ争いはより一層激しさを増し、それまで我関せずと平静を保っていた者達も、熱気に宛てられたのか率先して争いに加わる始末だ。

口汚い罵り声が飛び交う天幕内は、既にまともな話し合いが出来る状況ではない、特にウィリアムを筆頭とした司令部幕僚と前線指揮官達との間の空気は剣呑極まりなく、睨み合う両者の視線からは明確な敵意さえ感じられた。

「……作戦を主導する連中がこれだものね、ホントうんざりするわ」

思うように進まぬ作戦に苛立つ気持ちは解るが、それを他者にぶつけた所で一体何の意味があると云うのか、唯感情のままに好き勝手に振る舞う様はまるでわがままな子供のようだ。

醜く罵り合い醜態を晒し続ける者達を見て、ヒナは怒るのを通り越して呆れ果てた。

「それだけ鬱憤が溜まっていたという事だろうが……、この光景を見てしまうと擁護する気も失せるな」

作戦には実戦経験豊富で優秀な人材も多数投入されていたのだが、難航する戦局とウィリアム達司令部への不信から、完全に冷静さを失っている、彼等をレオンやヒナが不甲斐なく思ってしまうのも無理はない。

さりとて、二人の立場上この騒ぎを何時までも放っておく訳にもいかない、一定の均衡状態を保っているとはいえども、全体的に劣勢を強いられている海軍に無駄な事をしている余裕はないのだ。

顔を寄せ合い、どうしたものかとレオンとヒナが頭を悩ませていると、

「いい加減にせんかァッッ!!」

突如、耳をつんざくばかりの大喝が天幕内に轟く。

その迫力は尋常ではなく、喚き散らしていた者達は一様に身を竦ませた。

一転して水を打ったかのように静まり返る天幕内、彫像の如く動きを止めた者達の視線の先には鬼の形相をした壮年の男の姿があった、ダモスその人である。

「此処の場に居る者はそれぞれが大勢の兵を率いる身で在るはずッ、本来ならば率先して規律を遵守しなければならないと云うのに……なんじゃこの醜態はッ、海兵として恥ずかしくはないのかァ!」

人を睨み殺さんばかりの眼光で、辺りを睥睨するダモスの顔には幾本青筋が立ち、激怒している事が一目でわかる。

丸太のような腕を組み、大人しく椅子に座ってはいるものの、全身から漏れ出す怒気に周囲の者達が露骨に身を引いていく。

「黙って聴いておれば何奴も此奴も勝手な事ばかり言いおって……、此では纏まるもんも纏まらんわッ」

鋭い叱責に、在る者は恥いるように俯き、また在る者は屈辱に身を震わせた、受ける反応は人それぞれであったが、反論の声を上げる者は一人もいない。

それはダモスがこの場における最高階級である事実が大きく影響した結果だが、其れだけが理由という訳でもなかった。

ダモスが積み上げた数々の実績が物言わぬ威圧感を生み出し、騒ぎの中心となっていた者達の口を閉ざしていたのだ。

感情のまま他者に八つ当たりする程度の者達が、ダモスという百戦錬磨の軍人に意見出来るはずもない。

「今夜此処に儂等が集まったのは、難航している作戦を今一度見直すためじゃろうが、だというのに揃いも揃って馬鹿をやりおって……、これ以上くだらん喧嘩を続けるなら、全員外に叩き出すぞ!」

裂帛の気迫が篭もったダモスの一喝に、司令部幕僚を始めとした騒ぎの中心メンバーは揃って顔を青ざめさせた。

やると言ったらどんな無茶でも必ずやるというのがダモスという男だ、良くも悪くも打ち立てた数々の武勇伝がそれ証明しているだけに、睨まれた者達が震え上がるのも無理はない。

「……もうそのぐらいでいいだろう、ラムゼイ准将」

怒る狂うダモスに怯えたように沈黙が続く中、不機嫌そうな声を上げる者がいた、ウィリアムである。

最奥の席からダモスに向けられる視線には、ハッキリとした敵愾心が宿っている。

「暴力による脅しとは……相も変わらず、君には上に立つ者としての自覚が足りないようだな」

やれやれと呆れたように首を振るウィリアムだが、その仕草は如何にもわざとらしく、口元には嫌らしい笑みがある。

「マーランド、貴様が儂に偉そうに説教を垂れるなど百年早いわ、さえずる事しか出来ぬ能無しは引っ込んでおるがいいッ」

対するダモスの対応も、負けず劣らず容赦がない。

礼節を重んじるダモスには珍しく嫌悪感が丸出しであり、強い敵愾心さえ感じられた。

睨み合う両者によって、先程までとは違う緊張感が漂い始める、二人が犬猿の仲であるというのは周知の事実だけに声を掛ける者は誰も居ない。

海軍の同期でもある二人の因縁は、それぞれの海兵としての生き方に起因する程、根深いものなのだ。

 

 海軍きっての猛者として世に名を知られてはいるダモスだが、別段才能に恵まれているというわけではない。

実力主義を基本的な方針とする海軍において、才能の差というものは残酷なほど明確に表れる、個人の戦闘能力や部隊指揮から用兵の手腕まで、海軍の将に求められる資質は多岐にわたり、否応なく才能という素養が必要となるのだ。

そして、その才能が傑出している者達がダモスの世代にも数人居た[サカヅキ]、[クザン]、[ボルサリーノ]の三人である。

瞬く間に昇進していく彼等に出世競争で大きく後れをとる形となったダモスだが、彼自身特に気にしていなかった、自らの信念を貫く事こそ海兵として何よりも重要であると彼は信じていたからだ。

この点が、同じく同期であったウィリアムとの違いであり、それが二人の海兵として在り方を決定付けた。

 海軍の実務優先の実力主義は、才能が豊かとは言えないダモスやウィリアムに過酷な道を強いる事になったが、両者の選んだ道はまるで違う。

自らの弱さを受け入れる事が出来ずに世界政府への接近を図り、その権威を利用する形で出世を果たしたウィリアムに対して、ダモスは愚直なまでに努力を続けた。

数え切れない程の戦場を経験し、幾たびも死の淵に立ちながら、己の職務をひたすらに遂行していったのだ。

己が凡人であると理解した上で、尚も戦場に立ち続ける事の出来る心の強さ、それこそダモスが他者に勝る得る一番の素養だったのかもしれない。

愚かしいまでにひたむきな姿勢は、やがて海軍上層部の目に留まる。

長年長年海賊との激しい抗争を続けてきた彼等はダモスが示した心の強さこそが、海兵にとって最も肝心であることを知っていたのだ。

歩む速度は遅いながらも、軍内部で確実に頭角を表していくダモスを強烈に意識したのがウィリアムである。

歳の近い同世代の海兵、お世辞にも恵まれているとは云えない才能、それらの共通点は軍隊という広いようで狭い世界で、二人が互いに対抗心を抱く理由としては十分だった。

海軍において同僚の海兵は志を同じくする同志であると共に出世競争のライバルでもある、信念や目的こそ異なる二人ではあったが、上を目指す強い向上心という点では一致していた。

或いはだからこそウィリアムはダモスを認める事が出来ないのかもしれない。

権謀術数を繰り広げ、漸く現在の地位を手に入れた彼からすれば、自身とは真逆とも云える道を辿りながら、同階級になる程まで昇り詰めたダモスは目障り以外の何者でもなく、強い憎しみさえ抱いていた。

ダモスもまた、政治的な手段を利用するウィリアムを苦々しく思っており、事ある毎に有為無形の妨害や嫌がらせを仕掛けられてきた過去の経験も相まって、心の底から嫌っていた。

 

「………我々司令部は流動する戦局に置いて常に適切な判断を下してきた、責任を問うと云うならば前線指揮官達にこそが相応しいだろう、彼等の怠慢こそが作戦停滞の最大の原因なのだからな。無論、その愚鈍な者達の中には君も含まれているのは云うまでもないぞ、ラムゼイ准将」

沈黙を破り、そう傲然と言ってのけたのはウィリアムだ。

口調こそ落ち着いた物であったが、内に秘めた毒々しさは隠しようもなく、嫌らしくつり上がった口元が陰湿な蛇の様相を思わせた。

「よくも其処までヌケヌケと言ったものよ……、呆れて言葉も無いとは正にこの事。司令部に籠もり戦場を知らぬ貴様如きが、命を掛けて戦っている勇士達に何たる言い様、厚顔無恥にも程があるッ、恥を知れいッッ!!」

その形相は鬼の如し、全身から発せられる激情が天幕内の空気を揺らす。

「ヒィッッ」

あまりの迫力に、視線の先に居た幕僚達が揃って腰を抜かしていく、中心に座るウィリアムは姿勢こそ崩していないものの、額からタラリと流れ落ちる幾筋もの冷や汗までは隠せない。

ろくに戦場の経験がない彼が形だけでも耐えてみせているのはひとえに意地故だ、高過ぎるプライドが憎むべきダモスに屈する事を良しとしないのである、負けじと一歩も引かずに睨み返す。

 

 

「……不味いな」

一触即発の雰囲気の中、そう小さく呟いたのはレオンだ。

ヒナと共に荒れる軍議の様子を窺って、介入するタイミングを図っていたのだが、事態は急展開を迎え

つつある。

「ええ、あの人完全に頭に血が上っているわね。気持ちは分からなくもないけど……、此処で暴れたらそれこそ作戦を続ける事なんて出来なくなるわ」

如何に海軍内部で派閥同士の対立が深まっていようとも、敵地で作戦を継続する上で最低限の協同は必要不可欠だ、此処で安易に乱闘でも起こせば深刻な内部分裂に発展しかねない。

ダモスとウィリアムの二派に分かれての武力衝突など、作戦に従軍している者達全てにとって悪夢そのものだ。

「どうにかして止めないと、取り返しの付かない事態になるわよ」

唯でさえサロス島全域を庭のように知り尽くした海賊達によるゲリラ戦法に悩まされているのだ、身内同士で争って自滅など、ヒナからすれば冗談ではない。

「手段を選んではいられないか……、場合によっては力ずくでも准将を押さえ込もう。……そういえば、スモーカーは何処だ?」

「えっと、スモーカー君は……、あっ、彼処よ、准将の近くに居るわ」

目を向けてみれば、激怒するダモスの近くにスモーカーの姿があった。

「フフッ、あの顔を見てレオン、彼ったら不機嫌なのが丸分かりだわ」

苦虫を百匹は噛み潰したかのような表情のスモーカーは、傍目から見てもひどく苛立っていると解る。

「どうやら考えている事は同じようだな」

面倒事を嫌うスモーカーがわざわざその渦中に現れたという事は、レオンやヒナ同様強引にでも事態の収拾に動き出したということだ。

元々義理堅い気質なだけに、師であるダモスを放って置くことが出来なかったのである、但し、強い怒りを感じているのは確かなようであり、迫力のある強面には青筋が幾本も浮かんでいた。

「スモーカーの奴が動いたら、俺達も動こう」

「そうね、いい加減この馬鹿騒ぎにもウンザリしていたところよ。良いわ、やりましょう」

二人の知るスモーカーの性格上、回りくどい真似をするとは考えて辛く、寧ろより直接的な方法で事を運ぶのは間違い無いだろう。

そうなれば少なからず混乱が生じる事は必定であり、それに乗じる形で速やかに事態の収拾を図るのが得策、そんな思惑を元に、一連の騒ぎ終息に向けて備えていたレオンとヒナであったが、一人の男の思わぬ提案によって、事態はは斜め上の方向に転がり出す事になる。

 

それは、突然の事だった。

「失礼!不躾ではありますが、作戦について意見具申をさせて頂きたい!!」

ダモスとウィリアムという、討伐軍に置いて重鎮中の重鎮である両者が無言で睨み合って暫く、緊迫した沈黙が続く中、一人の若い男が勢い良く立ち上がったのだ。  

「失礼を承知の上でこの僕、マーランド・フィリップからこの軍議の場に居る皆さんに、是非とも提案したい方策があります!」

癖の強い茶色の髪をわざとらしく掻き揚げ、何処か気障ったらしい口調で語るフィリップだが、その眼は天幕内のある一点に向けられていた。

まるで相手を射るような視線を辿っていった先には、隣合って座る二人の男女が居た――レオンとヒナである。

端から見れば美男美女の似合いの二人だが、フィリップにとって根深い因縁の相手でもあった。

 

 フィリップは高い格式を持つ名家の嫡男としてこの世に生を受け、幼き頃より何不自由なく育ってきた。

父親であるウィリアムが、世界政府と強い繋がりを持っている事も相俟って、望めば大抵の物を手に入れる事が出来たのだ。

時が経ち成長したフィリップは、父親のコネで海軍入隊を果たすことになるのだが、それは自身の名誉と栄光を求めての事であり、軍が掲げる“正義”という信念など欠片も持ち合わせてはいなかった。

世界的な巨大組織である海軍の海兵ともなれば、世に名を轟かせる事も難しくはなく、ウィリアムの持つ力を利用すれば将来は約束されたも同然といえる、当時のフィリップは、自身の未来が輝かしいものであると信じて疑わなかった。

そんな順風満帆を絵に描いたような人生を送っていたフィリップが初めての挫折を味わう事になったのは、海軍へ入隊してそれなりの時が経った頃の事である。

 フィリップは一人の女性と出会った、それは正に電撃的な恋。

優美な姿を一目見ただけで身体が強張り、心臓が高鳴る、生まれて初めて経験する恋――初恋だった。

相手は五つ年下の女性、ヒナという名の女海兵であった。

 我慢をするという事を知らずに育ったフィリップは、早速とばかりにアプローチを開始したのだが結果は惨敗、全く相手にされなかったのだ。

この時既に父親であるウィリアムは軍内部で大きな影響力を持っており、息子であるフィリップの名も当然のように軍関係者の間で知れ渡っており、親の七光りのおこぼれが齎す富と栄光を求め、大勢の人間が周囲に群がっていたのだが、ヒナはまるで一顧だにせず、逆にしつこく食い下がるフィリップに強烈な蹴りをお見舞いする始末だ。

激痛と共に鼻をへし折られ、想い人から物理的に明確な拒絶は受けたフィリップは、人生で初めてとも云える強い屈辱感を味わう事になった。

 人間とは学習する生き物だ、痛い目を見れば自然とその経験を教訓として次に活かそうとする、それはフィリップも例外ではなく、怪我から回復した後、新しく得た人脈を使い情報収集から始める事にしたのである。

軍の重鎮を父親に持つ一人息子からの関心を買う為、周りに侍る者達が我先にと情報を集めた結果明らかになったのは、驚きに満ちた事実であった。

ヒナには極めて親しい関係にある男性、俗に云う恋人が存在したのだ。

それは正に青天の霹靂にも等しい事実であり、ショックの余りフィリップは数日間寝込むことになる。

どうにか立ち直った後、失恋の悲しみに沈むフィリップに沸々と込み上げてきたのは怒りと妬みだ。

通常であれば理性がそれらを抑制し、改めて前に進んでいくものだが、大抵のものが望んだだけで手には入るという恵まれ過ぎた環境で育ったが故にフィリップには、我慢や忍耐といった人に必要とされるものが決定的に足りていなかった。

胸の内で膨れ上がる感情は、ヒナの恋人が自身より一回りも年下の若者であると知った事によって頂点に達し、相手へ決闘を申し込むという形で爆発することになる。

 今時珍しい決闘によって真剣勝負を挑まれたのは、ヒナの年下の恋人であるレオンだ。

レオンからすれば相手にする必要などなかったのだが、迷惑を掛けたと心底申し訳なさそうにするヒナを見て申し出を受諾、海兵同士による一騎打ちが行われる運びとなった。

 決闘の舞台は海軍本部正面“オシリス広場”。

どこからか噂を聞きつけた観衆が大勢集まって見守る中、決闘は開始された。

 開始早々、立会人を務めたヒナの合図を待たず、フライング気味に飛び出したフィリップであったが、自信満々に繰り出した先制攻撃は虚しく空を切る。

まさか避けられるとは思わず、慌ててたたらを踏むフィリップだが、勢いの付いた身体はそう簡単には止まらない。

結果、無様に崩れた体勢は、一瞬の判断が勝負を決める高速戦闘において致命的な隙を晒す事になる。

その隙をレオンが見逃す筈もなく、身を翻し即座に放たれた強烈な蹴りは意図も容易くフィリップの身体を捉え、まるで地を這う虫を踏みつけるかのように、石畳に叩き付けた。

響く轟音と舞い上がる砂埃、一瞬白く閉ざされた視界が吹き寄せる海風によって回復してみれば、驚愕の光景が広がっていた。

綺麗に整えられていた分厚い石畳は無残にひび割れ、下にあった地面が所々露出しており、一撃の威力の程を物言わずとも物語る。

広場の頑強な石畳に作られた放射状のクレーターの中心にはフィリップが力無く倒れ伏し、俯せになって頭から地面にのめり込むんでいる身体はピクリとも動かない。

顔を中心に広がる血溜まりを見る間でもなく、意識がないのは明らかだ。

こうして、一方的な逆恨みから始まった決闘劇は、フィリップの完膚なきまでの敗北で幕を閉じる事になった。

 予想以上の注目を集めた決闘ではあったが、終わってみれば結果は順当な形に落ち着いたといえるだろう、若年ながら既に幾つもの戦場を経験しているレオンに、親の七光りで成り上がったフィリップが太刀打ち出来るはずがないのだ。

両者の経歴を知る者から見れば勝負の結果は当然とも言えたのだが、敗北した当人であるフィリップからすれば受け入れがたい事実である事は間違い無い。

とは言え、顔の形が変わりかねない程の傷を負わされれば、如何にフィリップが強がろうとも無理がある。

ましてや勝負の決着は大勢がその場で目にしていたのだ、否が応でも無情な現実を直視せざるを得ない。

この屈辱的な敗北はフィリップの高い自尊心を粉々に砕き、自身の身の程を嫌と云うほど思い知らされる結果となった。

そして、決闘をするに至った直接の原因であるフィリップの一方的な恋心もまた、同様に無残に砕け散る事になる。

元々フィリップのことなど眼中にも無かったヒナからすればこの決闘自体が迷惑以外の何物でもなく、大切な恋人を要らぬ騒動に巻き込んだ事に対して、強い怒りを感じていた。

身勝手な理由で、自身のみならずレオンにまで迷惑を掛けた事実をヒナが許すことはなく、これ以来フィリップに対する彼女の視線は、まるで路傍の小石を見るかのような冷たさを帯びるようになる。

 こうして人生で初ともいえる電撃的な恋は悲惨な結末を迎える事になり、拭いがたい汚点としてフィリップの心に深く刻まれる事になった。

 因縁の相手の姿が当時の屈辱的な記憶を掘り起こす、思い出したくもない忌まわしい過去、順風満帆に思えた人生はあの時確かに変わり、敗北というものが如何に苦いもので在るかをフィリップは思い知らされた。

自然と歪みそうになる表情を慌てて取り繕う、今は演説の最中なのだ、内容に説得力を持たせる為にも無様を晒す訳にはいかない。

難航する作戦の打開策を考案してくれた友人の為にも、フィリップは改めて気を入れ直すのだった。

 

 

 

「驚いた……、あの馬鹿、意外にまともな事を言うじゃない」

驚きを隠そうともしないヒナの視線の先には、一人席を立ち大演説を行っているフィリップの姿がある。

大袈裟な身振り手振りで話す気取った仕草に若干の苛立ちが込み上げてくるものの、話の内容自体は至極まともなモノだ、普段のどうしようもなく間の抜けた言動を知っているだけに、眼前の光景がヒナにはとても信じがたい。

「……戦力を分散させる大胆な戦術だが、悪くないな」

 フィリップが提言している作戦とは、要約すれば軍を大きく三つに分けると云うものだ。

これまではそれぞれ担当する戦域こそ分かれてはいたが、最終的な命令は司令本部が下していた。

しかし、肝心の司令部幕僚の能力不足や派閥間の対立が各戦線との摩擦を生み、それぞれの認識の違いもあって足並みを揃える事が出来なかったのである。

結果、海賊達のゲリラ戦法に云いようにやられてきたわけだが、新たな作戦案ではその辺りの問題点の改善策が提示されていた。

「要するに、三つに分けた軍団それぞれに独自の指揮権を与える事で余分な手間を省こうって訳ね、……確かにこれなら無能な司令部の命令をいちいち待つ必要も無くなるわ。戦力を分散させてしまうから各個撃破の危険性も高まってしまうけど……」

「いや、相手は寄せ集めの海賊達だ、明確な命令系統があるわけじゃない、リスクは最低限に抑えられる」

本格的な指揮系統が整っている軍隊を相手にするならともかく、複数の海賊団が寄り集まっただけの海賊勢力に緊密な連携を必要とする包囲攻撃などが実行出来るとは考え難い。

「……少なくとも、やってみる価値はあるって事ね」

「不満か?」

「作戦案自体に文句はないわ、戦場にリスクは付きものだし……、ただコレを考えたのがあの“馬鹿”だっていう事実が気に入らないだけよ」

拗ねたように唇を尖らせるヒナの子供っぽい仕草に、レオンは思わず苦笑してしまう。

レオンとしては、別段過去の決闘に対して思う事はないのだが、ヒナは違う。

あの一件への怒りは未だ醒めやらず、ヒナは騒動の元凶となったフィリップを徹底的に嫌っているのだ。

「まぁ、確かに単純なアイツらしくはない。もしかすると……考えたのは別の奴かもしれないな」

「別の?あんな奴と親しく付き合う物好きな奴なんて居るの?」

入隊当初こそ、政府とも関わり深い海軍のお偉方の息子として注目を集めていたフィリップだったが、それは今はもう昔の話。

身に合わぬ大言壮語を吐いては失態を繰り返し、その度に父親に尻拭いをされる有り様を見て、多くの者が見切りをつけて離れていった。

そんな事情もあり自分から好んで近付こうとする者は滅多にいないのが現状だ。

「最近よく一緒に行動している男が居るらしい、確か……ヴェルゴとか言ったか」

「ヴェルゴ?……ああ、私も名前だけなら聞いたことあるわ、何時もサングラスを掛けている妙な男だっていう話だけど……、あっ、あの彼じゃない?」

ヒナが小さく指差す先、演説を続けるフィリップの傍らに黒いサングラスを掛けた男の姿がある。

「みたいだな、俺が聞いた人物の特徴とも一致している」

話題のキノコのような髪型が特徴的な男――ヴェルゴ、彼は今、フィリップとは別の意味で注目を集めていた。

本人はただ黙して座っているだけなのだが、とある理由から周囲の者達の視線は不自然な程に彼の下に集中している。

「……ねぇ、さっきから気になっていたんだけど……、彼はなんであんなモノを顔にくっ付けているのかしら?」

隣に座るレオンの袖を引きながら、ヒナが不審がるのも無理はない。

二人が注視するヴェルゴの頬には、何故かハンバーグの切り身らしき物がこれ見よがしに張り付いていたのだ。

「気付いていないんじゃないか?…………食べ残しに」

応じるレオンの言葉にも若干力が無い、あれ程あからさまなモノに気付いていないなど、俄かには信じがたいのだ。  

「誰かが言ってあげてもいいものだけど……、あんなに堂々と張り付けられちゃうと、逆に言い辛いのかもね」

単に気付いていないだけならば良い、しかし万に一つアレが故意にやっている事であった場合、適切な返答をする自信がヒナにはなかった。

「ま、まぁ、それはとりあえず置いておくとして……、奴の評判自体はそれなりに高いぞ、既に幾つかの海賊団を潰している」

「へぇ、確か階級は少佐よね、年の頃はスモーカ君と同じくらいに見えるけど」

巨大組織である海軍には膨大な数の海兵が所属しているわけだが、優秀な者の噂というものは自然と耳に入ってくるものだ。

特にヴェルゴは海軍本部所属という事もあり、比較的情報は入手しやすい。

「フィリップとも同世代だ。一兵卒からの叩き上げで、以前ツル先生と一緒の作戦にも参加した事があるらしい」

「お婆様と?」

「ああ、ドフラミンゴファミリーが絡んだ闇取引の現場に踏み込んだと聞いている」

巨額の利益を生み出す“悪魔の実”売買を切欠とした秘密作戦。

センゴク元帥も深く関わっていたとされる大規模な作戦であったが、諸々の事情もあり詳細は伏せられている。

「ということは、そこそこ優秀なのね。じゃあ、やっぱり今回の作戦は彼の案じゃない?あの“馬鹿息子”が考えたっていうより、よっぽど信憑性があるわ」

“馬鹿息子”とはフィリップの軍内部での異名だ。

レオンやヒナとも因縁深い過去の決闘騒ぎ以来、フィリップの傲慢さはある程度収まったものの、生来併せ持った自尊心の高さは変わらず、彼方此方で大小様々な問題を引き起こしていた。

そんな時、尻拭いをするのは決まって父親のウィリアムであり、その姿を揶揄したのが“馬鹿息子”という呼び名の由縁なのだ。

「確証も何もないがな。それに、考えたのが誰であれ実際に提言したのはフィリップだ。重要なのはその点だろう」

 作戦自体は特に珍しいものではなく、戦術について多少かじった者であれば思い付く事が出来るだろう。

多くの者達が驚き戸惑っているのは、内容ではなく提案者の名前の方だ。

政府との癒着が噂される派閥盟主ウィリアムの息子が、派閥間のしがらみを超えて有益な作戦を提言したという事実そのものが重要なのである。

 意外な人物の発言に、皆大なり小なり驚いているが、中でもウィリアムの動揺は一際激しい。

元々今回の討伐作戦は派閥の影響力を高めることを目的としてウィリアム達が主導したものだ、想定を大きく上回る海賊の数に思わぬ苦戦を強いられてはいるものの、方針自体に変更はない。

例え作戦が成功しても、それが自分達の派閥の功績とならねば意味はないのだ。

軍を分散させて他の派閥の者に指揮権を与えてしまえば、自然と功績も分配される事になり、それはウィリアム達の望むことではない。

だというのに、それを寄りにもよって自身の息子が提言したのだ、ウィリアムが激しく動揺するのも無理はないだろう。

「それにしても、なんか一気に空気変わっちゃったわね。准将も大人しくなったみたいだし」

ザワザワと、ざわめく者達の戸惑いが広い天幕内にゆっくりと伝わっていく。

先程まで漂っていた一触即発の空気は既になく、困惑の気配が室内を埋め尽くす。

それはダモスも例外ではなく、爆発寸前であった怒りは収まり、ある程度の落ち着きを取り戻した理性が提言された作戦案の実行性を吟味していく。

意図したものではなく、彼の海兵としての性がそうさせるのだ。

「スモーカー君も拍子抜けしちゃったみたい」

師の暴走を力ずくでも止めようと構えていたスモーカーは、急に変化した雰囲気に顔をしかめながら、仏頂面で元の席に戻っていた。

「……まぁ、二人が暴れるような事態にならなかったのは幸いだな」

「フフ、確かに。何時もの調子で喧嘩されたら軍議どころじゃなかったもの。……そういう意味では、アイツも珍しく役に立ったじゃない」

ホントに珍しく、と続けたヒナはどこか面白くなさそうだ、余程フィリップの手柄だと認めたくないらしい。

それを見て、思わず軽く噴き出してしまったレオンを誰が責められようか。

途端に顔を赤らめて睨んでくるヒナをよそに、彼の笑いはその後暫くの間続くのであった。

 それから少し経ち、完全にへそを曲げてしまったヒナをレオンがどうにか宥めすかしていた頃、

「しっかし、あの馬鹿に自分から近づいていくなんて、彼もかなり変わっているわよね」

断定するかのようなヒナの物言いには一切の容赦が感じられなかったが、あながち間違っていると云うわけではい。

数々のトラブルを引き起こすフィリップと進んで関わろうとする者は少なく、プライベートの友人となると数える程しかいなかった。

「物好き……か」

一方、レオンは自身の言葉に言いようのない引っ掛かりを感じていた。

「レオン?」

急に黙り込んだレオンにヒナが首を傾げる。

「いや……、なんでもない」

根拠も何もない漠然とした違和感、本来ならば気にする必要もない些細なズレが、妙に心に残る。

レオンは、理屈ではなく第六感とも云うべき何かが、自身の心に警鐘を鳴らしているように思えてならなかった。

 

 

 

「ふぅ……」

「流石の君でも緊張したようだね」

粗方の説明を終え、席に着いたフィリップにヴェルゴが労いの言葉を掛ける。

「ば、馬鹿な事を言わないでくれ、我が友ヴェルゴ。こ、この僕が緊張など、するわけないだろう」

気障ったらしく髪を掻きあげるフィリップだが、強気な言葉とは裏腹に疲弊しているのは明らかだ。

作戦指揮官の息子という自身の立場もあって歴戦の先達たちの視線は鋭く、如何に楽天的かつ自分本位な精神構造をしているフィリップであっても、精神的疲労は免れない。

「ふっ、そうだな、すまない。この程度、君にとっては造作もないか」

「ふ、ふはははは!そ、その通りだとも!」

あからさまな虚勢も、此処までくると逆に清々しいものだ。

「しかし、自分で薦めておいて何だが、結果的に君の父君の意向に逆らう形となってしまったな」

「ふんっ、あまり見損なわないでくれたまえ、父上の思惑がどうであろうとも今の僕は海兵だ、ならば状況によって最善の方法を選択するのは当然の事だろう?」

返答にはまるで気負いが無い、フィリップとしてはごく当たり前の事を言っているに過ぎないのだ。 

「そんな事よりも、せっかくキミが考えた作戦案を僕の口から言ってしまって本当に良かったのかい?確かに僕だって功績は挙げたいが………」

「ふっ、それは気にしなくてもいいと前にも言っただろう?君と違って私は大して出世に興味はないんだ、だから君の役に立てたのなら十分だ」

「……キミがそういうのなら仕方ないが、しかし、この借りは必ず返させともらうよ、僕の誇りに掛けてね!」

誇り高く、宣言するようにフィリップは言ってのける。

こういう所が、境遇の似ている父親と決定的に違う部分であり、時に馬鹿にされ邪険にされながらも、心からフィリップを嫌う者が少ない理由でもあった。

 

「ええぃっ、それにしてもスモーカーめっ、あのように不躾な視線をこの僕に送るとは……、相も変わらず礼儀を知らないとみえる!」

苛立たしげに叫ぶフィリップの視線の先には、獣の如き眼光を向けてくるスモーカーの姿があった。

レオンやヒナとはまた別の深い確執が、フィリップとスモーカーの間にはあるのだ。

 ヒナを切欠としたレオンとの決闘騒ぎの後、重傷を負わされた事もあって暫くの間大人しくしていたフィリップだったが、改めて二人をライバル視した彼は、事ある毎に突っかかるようになった。

当然、友人として二人と親交の深いスモーカーとも顔を合わせるようになったのだが、フィリップとの相性は最悪であった。

一匹狼の気質が強く同僚や上官とも上手く馴染めなかったスモーカーにとって、レオンやヒナは貴重な友人であり、彼自身決して口にはしないものの、二人との絆を大事に思っていたのだ。

強面な外見と粗暴な口調に反して、義理堅く人情深くもあるスモーカーだけに、友を煩わせるフィリップは極めて目障りな存在だった。

それはフィリップにとっても同様であり、頻繁に自らの邪魔をするスモーカーを疎ましく思うようになるまで、そう時間は掛からなかった。

加えて彼等の間には他者にはない事情が存在していた、共に親しい人物に深い因縁があったのだ。

スモーカーが師事しているダモスは、フィリップの父ウィリアムと犬猿の仲で有名であり、その事実は彼等に確実に影響を与えていた。

「まったく……、ヤツが僕のライバルなどと、皆見る目がない」

特にフィリップはその高い自尊心からか、殊更にスモーカーに対抗意識を燃やしていたのだが、皮肉にもそれが二人がライバル関係と噂され始める切欠となったのである。

スモーカーとフィリップの関係は、若かりし頃のダモスとウィリアムのそれと非常に良く似通っており、それが噂の信憑性を高めていたのだ。

「まぁ、彼が優秀なのは間違い無い、“白猟”の名は伊達ではないという事だろうな」

「ふんっ、あのような見窄らしい呼び名、大した事ないさっ、いずれもっと素晴らしい異名が僕にも付けられるだろう」

過去の決闘による敗北以来、心を入れ替えたフィリップもまた実際に幾つかの戦場を経験してはいるものの、それでもまだ、豊富な経験と高い戦闘センスを持つスモーカーには及ばない。

「……そうだろうな、君は特別なのだから」

ヴェルゴはそれを承知の上で一々指摘したりはしない、何故ならばその方が彼にとって諸々の都合が良いからだ。

真の“ボス”からの命令を受けているヴェルゴにとって、フィリップは軍内部に深く潜り込む為の道具でしかない、使い物にならなくなったのならば捨てる、その程度の存在でしかない。

「ところでヴェルゴ、昼食であるハンバーグは美味しかったかい?」

「何故それを?確かにハンバーグは私の好物で、昼に食べたばかりだが」

「……頬に食べ残しが付いているぞ」

フィリップのジト~とした視線にも軽く笑ってみせる、ヴェルゴにとってこのような何気ない会話もまた“任務”なのだ。

己の内心を微塵も悟らせず、ヴェルゴは今日もまた“馬鹿息子”の気のいい友人を演じ続ける、彼が守るべき本物の“同士達”の為に。

全ては己の本来の居場所である“ファミリー”の為に。

 

だが、ヴェルゴは知らない。

 

己を隠し、周囲を欺く能力に長けた彼ですら気付かぬ程静かに、だが明確な鋭さを持って、自身を観察する一対の視線がある事を――。

若年でありながら、海軍史上最高の天才と謡われる男の稲妻のように峻烈な眼差しが、既に己を捉え始めている事を――。

 

 

[クロイツ・D・レオン]という稀代の傑物に、疑念を抱かれ始めているという事実を――。

 

 

醜い本性を正義の仮面で隠す男は――まだ知らない。



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第15話

 水平線からゆっくりと太陽が顔を出し、暖かな陽光が世界を照らし始める頃。

ミルクが溶けたかのように濃い朝靄が漂うサロス島に、銃声と怒号が木霊する。

島を拠点に活動する海賊達を討伐する為、海軍が行動を開始したのだ。

 討伐作戦自体は幾日も前から実行されていたのだが、軍内部の派閥間不和による足の引っ張り合いもあってか、全く上手くいってはいなかった。

其処で昨日緊急の軍議が行われた結果、紆余曲折の話し合いの末に立案された作戦を元に全面攻勢が決定したのだ。

討伐軍を指揮する首脳陣としても、連日の失敗続きで既に後がない状況に追い込まれているだけに、この日の作戦に掛ける意気込みは相当なものだ。

その影響は開始軍全体にも早々に表れているらしく、攻勢の勢いは此処数日の中で最も激しい。

海軍は討伐軍を左軍、中央軍、右軍の大きく三つに分ける作戦を採っており、司令部は拠点でもある野戦基地に置かれていた。

島の南端とも云うべき場所に構えられた基地から出撃した討伐軍は、北側にあるとされている敵海賊拠点を目指して北上していく事になる。

 

 

 

 島の東側を担当するのは右軍、その軍を率いるのは猛将と名高いダモスだ。

レオンやヒナ、そしてスモーカーもダモスの旗下として従軍しており、彼等が指揮する三隊は軍の先鋒に立って進軍していた。

前日とは異なり合流することなく北上する三隊の勢いは凄まじく、後ろに続く本隊もそれに引っ張られるように進軍速度を上げていた。

三隊は、中央を行くレオンを挟むようにして左右にスモーカーとヒナの部隊が並び、海賊達を追い込むように進んでいる。

海賊達の拠点は島の中央から北にかけて広がる山脈付近だと推測されており、其処を制圧するのが海軍全体の作戦目標だ。

そして今、中央を行く部隊を指揮する立場にあるはずのレオンは、一人隊列から離れて大幅に先行していた。

 

 森を行く者の視界を遮るかのように林立する木々の間を、レオンが縫うように駆け抜ける、足場などない筈の空中を蹴りつけながら空を飛ぶように疾る。

紫色を帯びた稲光を身体に纏わせるその姿はまさに稲妻が如し、常人であれば眼で追うことすら叶うまい。

銀色の瞳が見据える先には算を乱して逃げ回る者達の姿があった、海賊だ。

「くそったれがぁ!撃てぇ、撃ち殺せぇ!!」

海賊達は半ば恐慌に陥りながら、散発的にピストルを撃ち込むも、放たれた鉛弾は悉く空を切る。

「当たれっ、当たれっ、当たれぇ!!」

「は、速すぎる!こんなの追えねぇよ!?」

空中を縦横無尽に疾るレオンに、録に狙いも定まっていない銃弾など当たる筈もない。

そもそも“自然系”悪魔の実[ゴロゴロの実]の能力者であるレオンに通常の物理攻撃は通用しない、雷そのものといえるその能力は物理的な攻撃に対して圧倒的な防御力を誇っているのだ。

本来ならば何の変哲もない鉛弾など避ける必要すらない、にも関わらず銃撃を律儀に避けるレオンの行動は、一見無意味に思える。

しかし、其処には明確な理由があった。

 数ある悪魔の実の中でも“自然系”は極めて高い攻撃力と防御力を誇る。

特に物理的な攻撃を無効化する防御能力は、戦場で相対する者達にとって恐るべき脅威であり、“悪魔の実”最強種の呼び名も決して過大なものではなかった。

たが、絶大な能力を有する自然系も無敵というわけでもない。

身体そのものを様々なエネルギー体に変換させる能力の性質上弱点も多く、能力同士の相関関係などで受ける影響も大きかった。

そして悪魔の実を食した者に共通する弱点として、“カナヅチ化”というものがある。

能力者は皆すべからく“海”に嫌われ、海中では満足に身体を動かすことすら出来なくなってしまうのだ。

これに例外はなく、如何に強大な能力を持つ者であろうとも、海に落ちてしまえば致命的な状況に陥ってしまうのは免れない。

それと同様に、“海のエネルギー”を発すると云われる稀少鉱石“海楼石”もまた、能力者にとっての共通の弱点であり、鉱石に直接触れれば能力は完全に封じられてしまう。

 この海楼石こそが、レオンが戦場で最も警戒しているものだ。

どれほど戦闘を有利に運ぼうとも海楼石と接触すれば弱体化は免れず、ともすれば致命的な状況を招く恐れすらある。

 海楼石は極めて稀少な鉱石な為に全体の流通数こそ少ないものの、その需要は極めて大きく、特に海賊討伐や治安維持を使命とする海軍は能力者と相対する機会も多いため、捕縛や拘束の際に無くてはならない物となっている。

能力者に対して絶大な効果を発揮するが故に、ブラックマーケットで超高額で取引される事も珍しくはない。

鉱石の加工には、難しく特殊な技術を必要とするだけに大量生産は困難だが、海軍は能力者の力を封じる目的で海楼石製の手錠や牢獄といった物を多数使用していた。

原海楼石は武器に利用される事もあり、加工されても効果を遺憾なく発揮するそれらの品は、能力者にとって恐るべきものであった。

過去に海楼石製の武器で負傷した経験を持つレオンは、強力無比な“自然系”と云えど決して無敵などではない事を身を持って知っていたのだ。

故に、戦闘においてレオンが自然系の防御能力を頼みとすることは少なく、示威行為として敢えて攻撃を受ける時も、事前に相手の武装を確認した上で行う徹底ぶりである。

この辺りの心得は、ツルや武の方面で師事したもう一人の師に徹底的に叩き込まれているだけに、レオンが油断や慢心をすることは決してない。

「チ、チクショウッ!こんだけ撃ってんのになんで当たらねぇんだよぉ!!」

嵐のようにのように降り注ぐ銃弾の雨の中を疾る身体には掠り傷一つ無く、ずば抜けた身体能力で弾丸を見切り、“見聞色”さえ発動したレオンに死角はない。

「は、はは、こんな化け物に付き合ってられるかよっ、おれぁ逃げるぜ!邪魔すんならてめぇらも殺すぞ!!…………ッガァ!?」

ピストルを振り回しながら逃走を図る男を、蒼い雷撃が貫く。

ゆっくりと膝を突き恐怖に引きつった顔のまま地面に倒れ伏した男には、自分の身に何が起きたのかすら解らなかったに違いない。

身体の中央には握り拳程の風穴が開いており、黒く炭化した傷口からは焼けた人体特有の臭気が漂う。

「ヒィィッ!?」

「い、嫌だぁぁっ、た、助けてくれぇっ!…………ッアギャ!?」

バチバチと、迸る稲妻を束ねて放つレオンの一撃は正に必殺。

攻撃範囲こそ狭まるものの、貫通力を上昇させた雷撃は強靭な海王類さえ撃ち抜く威力を誇るのだ、脆弱な人の体など一溜まりもない。

雷光が瞬く度、くぐもった悲鳴と共にバタバタと倒れていく仲間達、そんな惨状を間近で見せ付けられる恐怖とは一体、どれほどのものだろう。

彼等は海賊連合といえば聞こえは良いが、元々は別々の海賊団で好き勝手やっていた連中だ、“新世界”という過酷な環境を生き抜くために寄り集まっただけに過ぎない。

連合への忠誠心など在るはずもなく仲間意識など皆無と云って良い、危機が迫った時真っ先に優先するのは己自身だ。

だからこそ、レオンという規格外の脅威に晒された彼等が採る選択肢は一つ。

「に、逃げろォォォォォッ!?」

誰が言ったか、今にも泣き出しそうな震え声を引き金にして、数百と居た海賊達が雪崩を打って潰走を始めた。

「馬鹿がっ、バラバラになれば消されるぞ!死にたくなかったら撃てぇっ、撃ち続けろぉぉ!!」

中には未だに冷静な判断力を残している者も居たが、怒号と罵声が飛び交う喧騒にあっという間に呑み込まれていく。

「邪魔なんだよっ!、どけっ、どきやがれぇっ!?」

「てめぇがどけやっ、殺すぞボケが!!」

彼方此方で小競り合いが沸き起こり、果ては味方同士で殺し合いを始める始末。

死の恐怖を目前にして平静を保つことは誰であっても難しい、生命の危機に瀕した人間の本能は容易く理性を奪い去る。

ましてや、サロスの海賊達を繋ぐものは酷く利己的な欲求のみなのだ、例え見知った相手だろうとも自身の保身の為に踏みにじる事に躊躇う者はいないだろう。

唾を飛ばしながら仲間であった者を口汚く罵り、血走った眼で殴り倒し踏みつける、人の持つ醜悪な本能を剥き出しにした惨状は、さながら阿鼻叫喚の地獄のようだ。

そして、そんな好機をレオンが見逃す筈もなく、これ幸いと混乱に乗じて海賊達を次々に葬っていく。

稲光が空中を焦がし、地面を這うように伝う電撃が、逃げ惑う海賊達に絡みつき焼き尽くす。

レオンが腕を振り下ろせば、それを追うようにして天より落ちた雷が辺り一帯を轟音と共に薙ぎ払う。

樹齢数百年に及ぼうかと云う巨大な木々を地面ごと抉りとり、真っ黒に焼け焦げた巨大なクレーターが大地に刻まれる、其処にいた者達がどうなってしまったかなど論じる迄もない。

青白い稲妻が森の中を乱舞する蹂躙は、動く者が居なくなるまで続くのだった。

 

 

 

「若ッ、応援に来たぜ!………って、終わってんじゃねェかッ!」

セシルが部隊を引き連れて現れた時、既に戦闘は終了していた。

レオン以外に立つ者はなく、辺り一帯に転がる数百に及ぶ海賊達の死体が、物言わずとも勝敗の結果を物語る。

「オイオイ、漸く追い付いたと思ったらこれかよ。奇襲を掛けて数を減らすたって限度があんだろ、少しは残しといてくれよ」

如何に敵の数を減らすためとはいえ、部隊を導くべき指揮官が率先して戦場に飛び込み、あまつさえ敵部隊を一人で壊滅させてしまっては、副官である彼女の立つ瀬がない。

「ハァ……、まぁ、アンタにも怪我は無いようだし、良しとするか……、コレで終わりって訳でもないしな」

確認するようにレオンの全身を見回しながら、セシルは密かに安堵の息を吐いた。

部隊云々の文句は建前であり、本当は身を案じていただけなのだ。

「………すまない、心配を掛けた」

「わ、分かってんなら良いんだよ……、だけど、こっからはアタシも一緒に行くからな」

気恥ずかしげに顔を逸らすセシルの頬は傍目に見ても赤く、照れているのが一目瞭然だ。

「で、これからどうする?この辺りにはもう海賊共は居ないみてェだし……、“黒檻”か“白猟”の援護に行くか?」

右軍先鋒を任された三隊は並んで前進しているので、中央を進むレオン達ならば左右どちらの部隊にも援護する事は容易い。

周辺に敵が居ない以上合流し、戦力を一カ所に集中して運用するのも戦術的には有りといえる、ダモスは事前に先鋒三隊の総責任者としてレオンに独自の軍事裁量権を与えており、作戦の変更自体に支障はない。

実戦に想定外の出来事は付き物であり、指揮官はその都度臨機応変な対応を求められる、百戦錬磨のダモスはそれを良く理解していたのだ。

「いや、作戦通りこのまま北上する、敵の体勢が整う前に拠点の入口を確保しておきたい」 

海賊達の最大の強みは島の地形を完全に把握している点であり、島の中央に聳える山から北に連なる山脈に掛けて、大規模な要塞が存在していると考えられていた。

拠点制圧を迅速に行う為にも、その入口を出来るだけ速やかに発見しなければならない。

地下に存在すると思われる要塞の通路の入口は幾つも存在しているだろうというのが、レオンやヒナを始めとした者達の共通の見解だ。

その秘密の通路を利用した海賊達のゲリラ戦法こそが、海軍の苦戦の原因である。

「ハッ、了解だ、若。それと、今度はアタシも行くからな」  

パンッと両手を打ち付け、肉食獣のような笑みを浮かべるセシルは見るからに気合い十分。

「…………」

レオンとしてはこのまま単独での追撃もありだと思っていた。

自然系の能力は攻撃範囲が広いため味方を巻き込みかねない乱戦には基本的に向いていない。 

レオンの“ゴロゴロの実”の能力は雷、殺傷力は極めて高く攻撃範囲も広いため、加減を間違えれば味方ごと殲滅してしまいかねない。

そういう意味では、単独戦闘の方が気楽といえる。

「一緒に行くからなッ」

押し黙ったレオンの態度に何かを感じたのか、セシルは身を乗り出して強く繰り返した。

「…………」

置いてけぼりは御免とばかりに言い縋ってくる愛弟子を見て、レオンは一つ溜め息を吐く。

一度決めたら簡単には意志を曲げないセシルの頑固さは、嫌と云うほど知っていたのだ。

 

 

 

「このクソアマがぁ……」

暗く湿った地面に、呻き声を上げる男が幾人も倒れていた。

憎々しげな彼等の視線を一身に集めるは、刃のような鋭さ纏う美女――ヒナだ。

際立った美貌に服の上からでも分かるグラマラスな肢体、戦場に置いても尚漂う色香は、敵対する海賊達の劣情を否応無く掻き立てる。

本来ならば我先にと本能のまま襲い掛かっても可笑しくはなかったが、行動を起こす者は誰も居ない、何故ならば彼等は皆残らず体の自由を失っていたのだ。

鋼鉄を思わせる黒く無骨な錠が、胴体や手足を封じるように掛けられている、まるで体格に合わせたかのように隙間なく海賊達を封じる拘束具は、一般的な物とは明らかに違っていた。

それもその筈、錠はヒナの持つ“悪魔の実”の能力によって生み出されていたのだ。

ヒナの食した実の名称は“オリオリの実”、頑強な檻を作り出す事が出来るその能力は、ヒナの異名“黒檻”の由来でもあった。

能力の特性上、直接的な攻撃力こそ低いものの捕縛能力は高く、無用な傷を負わせる事なく対象を捕縛することが可能な為、対人制圧戦では特に力を発揮する。

「ふぅ……、私の覇気もまだまだね」

忙しなく動き回る部下を尻目に、一人集中していたヒナは吐息を吐いた。

彼女は今、“見聞色”の覇気を用いて周囲の警戒をしていた所だったのだ。

 “覇気”の向上には長い年月を必要とし、それには個人の適正や才能が大きく影響する。

現在のヒナの覇気はレオンやクリスに比べれば劣っていると言わざるを得ないが、それは彼女に才能がないと云うわけではない。

レオン達の才能が傑出しているだけであり、一般的な観点から見ればヒナも十分に天才といえるだろう。

人によって得手不得手があるのが覇気の特徴の一つだが、ヒナはどちらかというと見聞色の方に強い適性を持っていた。

“見聞色”は人が持つ知覚感覚をより研ぎ澄ますことが可能であり、それによって生物の気配などを感じる事が出来る。

生きとし活ける者は例外なく常に大小様々な“声”を発しており、通常ならば感じ取れないそれを捉える術こそが、見聞色の覇気だ。

「少佐、付近一帯の制圧が終了しました。捕らえた者達の処遇は如何いたしましょうか」

気が付けば周囲に敵影はなく、拘束された海賊達が為す術もなく呻き声を上げていた。

「彼等に一々構ってはいられないわ、手足を拘束してその辺に転がして置きなさい、後から来る本隊が拾ってくれるでしょう」

ヒナ達は先鋒として先んじて進んでいるだけであり、後方にはダモス率いる本隊が控えているのだ、逃走防止の為に最低限の拘束を施しておけば、捕虜達はやがて来る本隊が勝手に回収してくれるだろう。

(まぁ、レオンなら捕虜など取らずに殺すんでしょうけど……、偶には“手土産”も必要よね)

一礼をして去っていく部下の背中を見送りながら、先程は敢えて口にはしなかった本音を胸中で零す。

ヒナとて普段ならば捕虜など取らない、全員殺してさっさと先に進んでいるだろう、進軍速度が重要な作戦にも関わらず、わざわざ手間を割いたのには相応の理由がある。

(ただでさえ“私達”は目立っているんだもの、功績は多いに越した事はないわ)

 海軍の海賊への対処は“捕縛”を原則としており、その場の状況によっては“殺害”も許可されてはいるものの、基本的には生きたまま捕らえる方針であるのは間違い無い。

これには上位機構である《世界政府》の意向が強く働いており、政府は世間への“見せしめ”として捕らえた海賊達の公開処刑を推進していたのだ。

故に海賊の捕縛は海兵としてこれ以上ないほど分かりやすい功績として、評価される傾向が強い。

レオンを初めとしてヒナ達は、次世代の海軍を担う人材として多方面から注目を集めているだけに、それなりの成果を求められる。

だが、光が強ければ強いほど闇もまた濃くなるもの、それはレオンも例外ではなく、大勢の味方を得ると同時にそれに比する敵も作っていた。

若年ながら轟く名声への妬みや嫉み、自らの地位が脅かされる事への恐怖、己の保身を図る者達がレオンを敵視するのも、ある意味自然の成り行きといえるだろう、出る杭は打たれるのが世の常なのだ。

だからこそ、功績は一つでも多く挙げておくに越したことはない、ヒナ自身似たような立場であるだけにそういった処世術の大切さを知っていた。

(まぁ、お婆様や元帥を始めとして上層部の大半はまともだから考え過ぎだとは思うけど……)

 実力主義を基本方針とする海軍だけに、軍上層部に名を連ねる者は皆、百戦錬磨の猛者達だ。

確かな実力と豊富な経験を元に軍を主導する彼等の存在は大きく、海軍が世界に冠する巨大組織となった今でもそれは変わらない。

そこまで考えて、ヒナは気分を入れ換えるようにゆっくりと息を吐いた、ふと周りを見渡せば鬱蒼とした森の様相が目に留まる。

樹齢何百年と思われる巨木が幾本も林立し、人の胴ほどもある太い根が地面に折り重なるように伸びている、大自然の雄大さを物言わずとも語る景色は正に圧巻。

既に日が昇っているにも関わらず薄っすらと暗いのは、頭上を覆うかのように幾重にも広がる木々の枝葉のせいだ。

地上から優に百メートルは超えた所で展開されているのは大自然が生み出した緑のカーテン、所々から降り注ぐ木漏れ日は酷く幻想的でもあった。

(でも、最近は鬱陶しい奴らが増えたのよね……、あのヒモ付き連中とか)

 深く息を吸えば濃密な緑の匂いが感じられる、新鮮な空気を身体の内に取り込みながらも、ヒナの思考は止まらない。

一見、万事順調に見える海軍も内部に幾つかの問題を抱えている。

近年、海軍内では軍閥化が進み、幾つもの派閥が鎬を削る抗争が勃発していたのだ。

そして、その激化する派閥抗争に乗じるようにして急速に頭角を表してきたのが“ヒモ付き”と呼ばれる者達だ。

世界政府と強い繋がりを持つ彼等は、新たな火種となって軍内部の混乱を助長していた。

レオンやヒナは如何なる派閥とも距離をとっており、比較的自由に動ける立場であったが、今や軍全体で派閥争いという名の嵐が吹き荒れているのだ、海兵である以上無関係ではいられない。

(“中立派”の数も増えてきたけど、それでも抗争への抑止力になるには程遠いわ)

 “中立派”と云えば聞こえが良いが、それ自体が派閥を形成している訳ではなく、軍内部に乱立する派閥から一定の距離を置いている者達がそう呼ばれているだけだ。

彼等の内の多くが軍の力を弱体化させかねない抗争に強い懸念を示しており、そのような意見は日を追う毎に増えていた。

(派閥問題も放って置くわけにはいかないけど、レオンの場合は“天竜人”との一件もあるし、出来るだけ付け入る隙は与えない方が懸命ね)

数多の国々が加盟する巨大機構“世界政府”は、数百年前に二十人の王達によって創設されたものだ。

世界に法と秩序を齎す政府の影響力は絶大であり、場合によっては各国の内政にさえ深く関わる事もあった。

“天竜人”とは世界政府の創造主たる二十人の王の末裔であり、“世界貴族”という特権階級でもあった。

絶大な権力を初めとするあらゆる権限をもつ彼等は、自らを“神”と自称し、選ばれ者として他者を悉く見下していた。

レオンは過去に彼等と揉め事を起こした事があるのだ。

改めて当時の事を思いだしてみれば、蒸し暑い森の中だというのに今でも寒気が走る。

 海軍本部に所属する海兵が、天竜人と問題を起こしたとの一報が入ったのは、丁度ヒナが海軍本部にいた時だ。 

報を受けた時の驚愕と焦燥は未だに忘れられない、血の気が引くという表現がどういったものであるのか、彼女は嫌というほど思い知らされた。

だがそれも無理はないだろう、なにせ彼女の想い人が世界の創造主たる天竜人に喧嘩を売ったというのだ、世界貴族の権勢を知る者ならば蒼白になってしまうのも仕方のないことだ。

(レオンが奴らを嫌っていたのは知っていたけど……) 

弱者を理不尽に虐げる者や権力におもねる者を、レオンが心底から嫌っている事はヒナも知っていた。

悪辣な圧政者の体現ともいえる天竜人をレオンが嫌悪するのは当然の成り行きと云える。

しかし、だからといっていきなり天竜人に正面から喧嘩を売るとは、ヒナも流石に想定外であった。

天竜人に敵対した者の末路は途中の経過こそ違うものの、最終的には死の一択だ。

レオンが比較的軽い処分で済んだのは、完全に特例措置であるといえるだろう。

(困っている者を見捨てられないレオンの優しさは分かるけど、無茶をし過ぎなのよ)

ヒナにとってレオンは年下の恋人であると同時に幼なじみでもある。

幼い頃から一緒に居るという意味では、常にレオンの傍らに侍るクリスティナも同じだが、彼女の場合は主従関係の色が濃い。

自身の身を省みずに他者を助けようとするレオンの気質を、ヒナは愛おしむと同時に危惧してもいた。

だからこそ戦功は多ければ多い程良いのだ、名声が高め地位を固めていけば、それが結果的にレオン自身の身を守る事に繋がるのだから。

捕虜をとる彼女の指示は、海賊達に慈悲を掛けた訳では決してない、そこにあるのは冷徹な計算だ。

功績を積み上げ海軍に無くてはならない人材となれば、それは間接的に自分達の身を守る事になる。

「海賊達の捕縛、全て完了しましたッ。少佐、次のご指示をッ」

思案に耽るヒナを現実に呼び戻したのは、勢いのある部下の声だ。

辺りを見渡せば、既に海賊達は手足を厳重に拘束されて地面に転がされている。

苔むした地面に這いつくばらされた彼等に出来ることといえば、せいぜいが唸るように呪詛を吐き出すことぐらいだ。

「作戦自体に変更はないわッ、我々はこのまま北上して敵拠点を叩く!」

海軍が誇る若き女傑の号令が、朝日が降り注ぐ森の中に轟いていくのだった。

 

 

 

「ッ!……レオンの奴も派手にやってやがるなッ」

植生の強い密林の中、絶えず銃声が鳴り止まぬ戦場でスモーカーもまた、激しい戦闘の最中にいた。

折り重なるように林立する木々によって視界が効かない為に直接見る事こそ適わないものの、遠方から響く轟音はしっかりと届いていた。

ゴロゴロと唸るように空気を震わす遠雷は、友がその強大な能力を解放したという証だ。

「スモーカーさんッ!敵の攻勢が勢いを増していますッ、一旦退いて態勢を立て直しましょう!?」

巨木の陰に身を隠しながら叫ぶのはタシギだ。

彼女の言葉を証明するかのように高速で飛来した鉛玉が幹を削り、間断なく続く銃撃が嵐の如く周囲に降り注ぐ。

「ダメだッ、ここで退くわけにはいかねェ!」

「しかし!完全に此方の位置を特定されていますッ、このままでは………ッ!?」

見通しの悪い深い森の真っ只中、敵の奇襲を許したスモーカー達は完全に足を止められてしまっていた。

自分達からは決して接近してくることはなく、ピストルによる遠距離射撃に徹する海賊達の存在は極めて厄介だと言わざるを得ず、接近戦に持ち込む為には銃弾の雨をかいくぐるしかないのだ。

地形を上手く利用した戦い方はフレス島を根城にする海賊達の得意戦法、如何に海軍の精鋭部隊であっても容易く突破できるものではない。

「ちッ、メンドクセェ、ドブネズミ共が一端の戦術を使うとはなァ!」

部隊が釘付けにされる中、唯一その姿を堂々と晒したスモーカーは如何にも忌々しげに吐き捨てる。

当然のように瞬く間に幾つもの銃弾が身体に突き刺さるが、まるで気にした様子はない。

それもその筈、スモーカーの“モクモクの実”の能力は自然系であり、通常の物理的な攻撃は受け流す事が可能なのだ。

自然系能力者という強力な存在であるスモーカーだが、能力自体の攻撃力はそれ程高くはない。

モクモクの実の能力とは“煙り”であり、身体を煙りそのものに変化させる事が出来るが、能力の特性上直接的な攻撃力には乏しいのだ。

その反面、捕縛能力には優れており、敵対者に無用な傷を負わせずに拘束する事が出来る為、多人数相手の制圧戦では特に、真価を発揮する。

「スモーカーさんッ」

タシギとて上官の持つ能力の特性は把握しているが、無防備に撃たれる姿を見ればついつい叫んでしまう。

心配などする必要は無いと分かってはいても、常人ならば致命傷と成り得る攻撃を無防備に受け続ける光景には、早々慣れるものではない。

「後退はしねェッ、何としても此処を突破する!」

妨害の少ない短波通信で緊密に連絡を取り合い、並んで進軍する三隊であったが、個々の部隊速度にはどうしたって差が出来てしまう。

スモーカーの部隊は三隊の中で最も進軍に手間取っており、これ以上の遅れは他の二隊の足を引っ張りかねない、海賊達を島の北側に追い込んで締め上げる為にも、部隊間の連携を崩すわけにはいかないのだ。

「俺が先行してヤツらの陣形を崩す!タシギッ、オマエらは後から付いて来い!!」

「え?ちょッ……!スモーカーさん!?」

言うが早いか飛び出したスモーカーが、白煙に変えた下半身で空中を滑るように進んでいく。

あっという間に生い茂る木々の合間に消えた背中を呆然と見送ったタシギ達の下に、一拍遅れて海賊達の悲鳴と怒声が届いてきた。

「ああ、もうッ、あの人はまた無茶を!」

敵陣を覆う白煙によって状況は分かりづらいが、海賊達が酷く混乱しているのは明らかだ。

タシギとしては強引かつ無鉄砲な上官に言いたい事が山ほどあったのだが、敵の攻勢が弱まっている今が膠着した戦局を変える絶好の機会なのも事実、部隊の副官を任された身として、この好機を逃す訳にはいかない。

「この機に乗じて一気に前進しますッ、私に続いてください!!」

勇ましく叫び、先頭に立って走り出すタシギだが、目にヤケッパチ気味の涙がちょっぴり浮かんでいるのは本人だけの秘密であった。

 

 

 

 ジメジメとした湿った空気が漂う森の中は昼間だというのに薄暗い、植生の濃すぎる木々の葉が、降り注ぐ陽光を遮ってしまうのだ。

光さえ満足に届かぬ密林は気温、湿度ともに高く、森を行く者達の体力を削り取る。

水分が多量に染み込んだ地面はぬかるみ、そこら中に木の根が這い回っているせいで酷く歩きづらい。

そんな暗く湿った森の中を走り抜ける、複数の人影があった。

「……ハァ……ハァッ……」

「……ク、クソッ……ハァ……なんで俺がこんな目にッ!?」

「……ハァッ……ゲ、ゲホッ……も、もう無理だッ、走れねぇ!!」

苔むした樹木の間を息を切らして進む彼等は、御世辞にも上等とは言えない衣服を汗で濡らし、怯えたように顔を引きつらせていた。

 この日は、彼等にとって全てが想定外だった。

海賊稼業で生きている彼等にとって正義を掲げる海軍は天敵だ。

その海軍が拠点としているサロス島に攻め寄せてきて数日、激しい戦闘が続いていた。

彼等は寄せ集めとはいえ元はそれぞれが“新世界”で活動していた者達だ、過酷な海で生き抜く為に迎合することにしたものの、実力はそこらの海賊よりよっぽど高い。

増してや此処は本拠地に定めた場所なのだ、地形を含めて島を知り尽くしている彼等には、海軍がどれほどの大軍でやって来ようとも叩き潰す自信があった。

事実、それを証明するかのように侵攻してきた海軍を数日に渡って徹底的に跳ね返している。

ゲリラ戦法によって海軍に与えた損害も大きく、このまま行けばいずれ根を上げ、大人しく引き返すだろうと誰もが思っていたのだ。

しかし、そんな海賊達の思惑を裏切るように事態は進み。

海軍が島に攻め寄せて来て八日目。

未だ朝靄漂う早朝から始まった海軍の攻勢は、此処数日のものとは明らかに違っていた。

怒涛の勢いで攻め寄せる海兵達は何度痛撃を与えても引く気配はなく、その勢いに押されるようにして海賊達は次第に島の北側に追い込まれ始めていた。

三つに別れた軍団の中でも、特に島の東側を北上して来る部隊の勢いは凄まじく、他とは比べものにならないほど高い練度で海賊達は悉く撃破されていた。

そして、島に居た海賊達にとって最も不幸だったのは、その部隊の中に本物の“怪物”が混じっていたことだろう。

“クロイツ・D・レオン”という若くして世に名を轟かす傑物が部隊を率いて攻め込んで来ていたのだ。

「オ、オイッ……ヤツは来てるか!?」

「……ハッ……知るかよッ……ゲホッ……てめぇで確認しろ!」 

男達は互いに口汚く罵り合ってはいたが、走る速度を落とす者は誰一人として居なかった。

何かに追い立てられるように全速疾走を続ける彼等だったが、何事にも限界というものは存在する、各々の肉体的限界と共に徐々に速力は落ちていき、やがて一人また一人と足を止めてしまう。

「……ッ……ハァッ……ゲホッ……もう……走れねぇ」

「……ゲホッ……ゲホッ……オェェッ」

「……ハァ……ハァ……静かにしやがれッ、死にてぇのかッ!?」

誰が指示する訳でもなく自然と一つ所に集まっていた男達の怯えようは尋常ではなく、息をするのがやっとの有り様の者が多い中、落ち着きなく周囲をキョロキョロと見渡している。

「「………………………」」

耳を澄ませば、ザワザワと揺らぐ木々のざわめきが聞こえてくる、枝から枝へと上空を飛び交う大小様々な鳥達の鳴き声が、言いようのない不安を掻き立てていく。

百を超える厳つい男達が揃って身を潜める様はある意味滑稽ではあったが、それを笑う者は此処にはいない。

彼等は、皆滝のような汗を流し必死の形相を浮かべて辺りを警戒していた。

「………こ、来ねぇな、諦めたんじゃねぇか?」

それから暫く、一向に変化の無い状況に痺れを切らす者が現れ始める。

「そ、そうだ……ハハハ……き、きっとそうに違いねぇッ!相手は紛れもない“怪物”だ、ヤツが本当に追って来ているんなら俺達ゃとっくに殺されてる筈だぜ!?」

血走った眼球をギョロギョロと忙しなく周囲に散らしながら、震える声を絞り出す。

「だ、だよなッ、やったぞッ、俺達は逃げ切れたんだッ!」

「ああ、そうだッ、逃げ切ったんだァ!!」

次々と上がる歓喜の声が辺りに響く、生きる喜びを噛み締める彼等の中で、この後に自分達を待ち受ける過酷な運命を知る者はいない。

「よしッ、ならさっさとアジトに戻ろうぜ、こんな所一秒だって長いしたくねぇ!」

追い詰められた状況における集団心理ほど危ういものはない。

一人でも安易な結論に飛び付けば、例えそれが何の確証もないものだったとしても、皆縋り付きたくなってしまう。

長時間に渡って死の恐怖に晒された精神は疲弊し、既に正常な判断力を失いつつある彼等にとって、身の安全を図る事が出来る魅力的な提案を拒絶出来る者は居なかった。

すぐさま我先にとアジトへの道を向かい始める。

だが、彼等は知らない。

其処から大分距離を置き、常人ならば完全に目の届かない場所で、一部始終を見届けていた者が存在していた事を。

彼等には知る由もなかった。

 

 

 

「……ハァ……ハァ……ハァ……よ、ようやく着いた」

「…ハハ……ハハハ……た、助かったァ、もう俺達は安全だァッ」

此処は峻厳に鎮座する山嶺の麓、強敵に敗北し、戦場からの逃走を図った海賊達はようやく目的地にとうちゃくしていた。

前方に広がるのは幾重にも折り重なる剣山の如き山肌、半ば森に飲み込まれるような周囲の景色は、一見何の変哲もないように見える。

「よし、扉を開くぞっ、おまえらも手伝え!」

泥や落ち葉にまみれた地面に屈み込み、巧妙に隠されていた鎖を引っ張り出す。

見るからに頑丈そうな造りの鎖は、自然環境に同化するように偽装されており、そうと知らなければ気付く事は難しい。

「ハッハァ!ようやく帰れるぜ。海軍のクソッタレ共っ、今に見てやがれ、一休みしたら残らず皆殺しにしてやるからなァ!ギャハハハハ!!」

アジトへの入口を実際に目にした事で、張り詰めていた緊張の糸が一斉に緩む。

絶対的ともいうべき力量差のある格上の強敵から襲撃されてこっち、生命の危機に晒され続けてきた男達の精神は破綻寸前まで疲弊していたのだ、恐怖から解放された彼等のテンションは異様なほど高い。

つい先ほどまでの悄然とした様子とは打って変わって、皆口々に仇敵への罵声で盛り上がる。

未だ戦場に居る事さえ忘れたかのように雄叫びを上げる男達だが、彼等の馬鹿騒ぎは長くは続かなかった。

 

「残念だが、それは無理だ」

突如水を差すかのように、冷ややかな声が聞こえてきたからだ。

「…………お前達の役目は、たった今終わった」

聞いた者に寒気を感じさせる冷徹な声音は、声量自体はさほど大きい訳ではなかったが、不思議とその場の隅々まで響き渡った。

「あァ?………………オイ、何だよアレ…………?」

思わず顔を上げた海賊達の視線の先を、仄かな紫色を帯びた猛々しい光が埋め尽くす。

それはある意味神秘的な光景であっただろう、声につられるように視線を上げた男達は、夕闇を背後に置いて迸る巨大な雷光に皆一様に目を奪われた。

「―――――死ね」

夕闇の帳が落ちつつある森の中、上空から美しくも残酷な一撃が解き放たれる。

振り下ろされた紫色の雷はその場に集まった男達を丸ごと飲み込むと、莫大な光が大地に存在するあらゆる物を灼いていく。

ゴロゴロといった轟音が、深い森の中に幾重にも木霊していった。

 

 

 

 破壊的な光が収まった時、周囲の光景は一変していた。

林立していた木々は根こそぎ薙ぎ倒され、地面を抉るように直径百メートルはあろうかという程の巨大なクレーターが出来ていたのだ。

真っ黒に焼け焦げたかのように地面に刻まれた傷跡は、解放された破壊エネルギーが如何に莫大であったのかを物語る。

「ああ、見つけた。間違い無い、奴らの拠点への入口だ」

百を超える海賊達が文字通り消し飛んだ場所に、一人立つ者がいる――レオンだ。

彼は今、ユラユラとそよぐ生暖かい風に白銀の髪を靡かせながら、携帯型の電伝虫で通信を行っていた。

視線の先には、つい先程海賊達が利用しようとしていた隠し扉だ。

大きめの扉は、周りの地面同様黒く焼け焦げてかなりひしゃげてはいるものの、最低限の役目は果たしていた。

捻くれた鋼鉄の扉を強引に引き剥がして見れば、地面にぽっかりと空いた穴が顔を出す。

人が数人は楽に通れるような大きめの穴は明らかに人工的なものであり、それを証明するかのように暗い闇の中に階段が続いている。

「秘密の地下通路といった所か……」

これこそが、此処数日海軍が血眼になって探していた海賊拠点への入口であるのは間違い無い。

複数あると推察されていた物の一つを、レオンは発見したのだ。 

「随分と手間取らされたが、ようやくだな」

このまま直ぐにでも突入したい所だが、敵拠点全体の規模が掴めていない以上、安易に踏み込むわけにもいかない、海賊達をまとめて一網打尽にするためにも、味方の部隊との合流を待った方が懸命だ。

ヒナやスモーカーとも合流して、敵に反撃させる暇を与えず一気呵成に制圧するのである、今頃は通信を受けた味方が急いで駆けつけて来ようとしている事だろう。

本隊にも現在の状況は既に報告済みだ、突入作戦の指揮は全てレオンに一任されている。

後はただ味方がやって来るのを待つだけだ。

事前の情報収集の甘さもあって想定以上に長引いた討伐作戦であったが、それも終わりが近い。

尻に火の付いた海軍の勢いに押されるようにして海賊達はジリジリと後退を続けており、戦局は一方的なものになりつつある。

そんな状況下での海賊拠点入口の特定成功だ、レオンはこの一手が今回の戦いの勝敗を決定付けるものになると確信していた。

故にレオンは、来るべき決着の時に向けてゆっくりと精神を研ぎ澄ましていくのだった



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