比企谷八幡の消失。 (にが次郎)
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彼は彼女の嘘を嘘で取り繕う。




どーも、にが次郎です。


今作品は現実逃避の為に製作されたものです。
駄文注意。


 

 

 

 

果たして、俺の守りたかったものはいったい、なんだったのだろうか。

 

 

俺はまちがえはしなかっただろうかと、再三問い続けた。

 

 

もうそんなものに意味はない。

そうだ。後悔はない。正しく言うのならこの人生すべてに後悔している。

 

 

あれだけ策を弄し、手に入れたものはなんだ。

 

 

俺の欲しかったものはなんだ。

 

 

俺の欲しかったもの。それは確かにあった。けれど、それは決して手に入れることはできない。

わかっている。そんなことはわかりきっている。

 

 

あの場所はもう以前とは違う。

一見、同じに見えても中身はまるで違う。

 

 

もうあの場所には紅茶の香りはしない。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

12月も半ばに入り、俺の通う通学路に吹きすさぶ風は一層冷たくなった。

そんな風にも負けず、今日も気怠げに自転車で登校中である。マフラーに顔をすっぽり埋めて、手袋をはめ、防寒対策は万全。だが、寒いものは寒い。

12月でこれだ。年が明けたらさらに気温は下がる。これ以上、寒くなったら八幡もう自転車漕げないよ!なんて戯言を頭に浮かべながら、学校を目指す。

 

 

学校付近までやってくると、見覚えのある茶色いコートを着た男子生徒の後ろ姿を見つけた。見つかると面倒なので無視しよう。そうしよう。

 

 

そう思い立ったと同時に、見覚えのある男子生徒はこちらに振り返る。その男子生徒はいつものキャラを忘れて、今までに見たことのないほどに活発に動いて俺に近寄ってくる。

 

 

「おっはよー!はっちまーん!!」

 

「おお、おはよ……」

 

 

材木座の醸し出す雰囲気に気圧されながら、なんとか挨拶を返す。なんだこいつ。気持ち悪い。なんかいいことあったのかな?

材木座は上機嫌で俺の隣を歩こうとする。が、しかし、俺は挨拶を交わした後、自転車から降りことはしない。だってめんどくさいんだもん。なぜこいつがこんなにも上機嫌なのかは知らないが、どうせ自分で書いている小説云々に関してだろう。朝からそんな話聞きたくない。

 

 

そのまま立ち去ろうとするの俺の前に材木座は両手を広げて道を塞ぐ。

 

 

「ちょっ!待ってよー、はちまーん!」

 

「おまっ!危ねえだろ!」

 

 

危うく轢きそうになったが、すんでのところで自転車を停止させる。しまった。一層の事、轢いてやればよかったか。しかし、この巨漢を相手に俺の自転車ではおそらく勝てまい。というか、自転車壊れたら困るからやらなくてよかった。材木座?どうでもいいよ。

 

 

前に立ち塞がる巨漢を恨めしく睨んでいると、材木座はえっへんとばかりに手を組んで仁王立ちする。

 

 

「ここを通りたければ……」

 

「それ以上言ったらぶっ殺すぞ」

 

「ひぇえ」

 

 

材木座は情けない声を出して、道を開ける。自分で言っておいてなんだが、その姿がなんとも可哀想になって自転車から降りることにした。

その姿を見た材木座は一瞬、ホッとした表情作る。

 

 

「八幡。なんだか当たり強くない?」

 

「そうか?いつもだろ」

 

「まぁそうなのだが……」

 

 

納得すんなよ。まぁ俺を呼び止めてまで話したいことがあるというなら聞いてやらないでもない。こいつには1つ借りがある。生徒会選挙の一件だ。話だけなら聞いてやる。

 

 

「んで、なんでお前朝からそんなに元気なの?」

 

 

材木座は一気に元気を取り戻し、よくぞ聞いてくれた!と右手で自分の胸を打つ。強く叩き過ぎたのか、ゲホゲホと咳き込んだ後に気を取り直して話し出す。

 

 

「八幡よ。今日は何日だ?」

 

「なんだよ。12月の17日だろ」

 

「そうだ。もう少しであの待ちわびたあれがやってくるではないか!」

 

 

こいつの言っている”あれ”とはおそらく冬休みのことだろう。まぁ確かに待ちわびてはいたが、朝からそんなに元気になる話題でもなかろう。

 

 

「それがどうしたんだ?」

 

「我は今までこの17年間、ずっとそれを憎んでいた。しかし、今年は違ああう!!」

 

 

材木座は右手の拳を高く突き上げて、握り締める。意味もなくいい声出すなよ。

こいつの口から出た”憎んでいた”というワードからこいつの待ち望んでいるものがなんなのかを正確に把握する。

 

 

「なんで急にそんなこと言い出したんだ?あれはリア充御用達のイベントだろ?あんなものにお前が縁があるわけないだろ。寝ぼけてんのか?」

 

 

俺の言葉を聞いて、材木座はキリッとした顔つきになる。うぜえ。

 

 

「まぁーまぁー八幡。気持ちはわかる」

 

 

そう言って俺の肩を叩く。

 

 

「いや、全然話見えないんだけど」

 

 

材木座の顔に目線を送ると、それに答えるようにニヤリと笑う。まさか。いや、嘘だよね!嘘って言って!

 

 

「八幡よ。我はついに……」

 

「あー、俺先行くわ〜」

 

 

もう聞きたくない。そんな話は聞きたくない!

サドルに跨って、ペダルを漕ぎ出そうとすると、材木座は自転車の荷台をガッリチ力強く掴む。なんでこいつのこんなに力あんだよ。全然、前に進まねえ。

 

 

「八幡!聞いてくれぇ!!ふおぉ!」

 

「いやだぁー!離せー!」

 

 

必死にペダルを踏み込むも全く前に進んでいかない。すぐさま今自分のしている行動の意味の無さを実感し、すぐに諦める。うん、諦めるって大事。漕いでダメなら諦めろ。

 

 

「やっと聞いてくれる気になったか!」

 

「いや、なってねえよ」

 

 

なってない。全然なってない。

しかし、こんなところで今日1日分の体力を消耗するわけにはいかない。ここでバテたら今日の授業という名の重労働をこなせなくなる。なんならここから一目散に家に帰っちゃうまである。

 

 

悪態を吐くも、材木座は諦めようとはしない。

 

 

「聞いてよ。はちえもーん」

 

「はぁ、うぜ。わかったよ。聞けばいいんだろ。てか、なんの話か大体わかってるけどな」

 

「ほお、さすがだな。察しが良くて助かる」

 

 

さっきからキャラがブレすぎなんだっての。もう誰だか文面だけじゃわからないよ。

 

 

材木座は少し間を空けてからかけているメガネをクイっと上げ、再びニヤリと笑う。いちいちうぜえな。

 

 

「聞いて驚け!我こと材木座義輝!クリスマスに女の子とデートに行くことになりましたー!」

 

「ああ、そう……」

 

 

材木座は自分でパチパチと拍手をする。だから朝からそんなに元気だったのね。俺はお前のおかげでどんよりだよ。材木座は余程、嬉しいのか、どんよりしている俺などまったく気にしている様子はない。

 

 

しかし、世の中には物好きもいるものだ。こんなめんどくさい男と遊びに行くなんてよっぽど暇か、何か他の目的があるに違いない。そうに違いない!

 

 

そう自分に言い聞かせ、平静を装う。

しかし、こんなときに限ってそれを見抜いてくるのが材木座という男である。

 

 

「八幡。良からぬことを考えているな。そのようなことは絶対ない!」

 

「どうしてわかる」

 

「それは彼女もオタクだからだ!」

 

「ああ、なるほど」

 

 

妙に納得してしまった。だが、こいつの趣味に合わせられるとはかなりの強者だ。

認めたくない。下手したら、材木座に彼女ができてしまうかもしれない。俺に並ぶボッチであったはずの材木座にだ。認めたくない。だが、しかし。ボッチの門出を祝わないほど捻くれてはいない。

 

 

俺は材木座の肩に手をやり言う。

 

 

「よかったな材木座。これでお前もリア充の仲間入りだな」

 

「ありがとう八幡!それでだな」

 

「それはダメだ。自分でなんとかしろ」

 

 

”話が違うではないかー”と叫ぶ材木座を置いて俺は自転車に乗ってその場を離れる。何が違うのだ。誰もそんなことを言った覚えはない。

材木座は最初からクリスマスのデートに関して俺たちに依頼するつもりだったのだろう。由比ヶ浜あたりは喜んで協力しようとするかもしれないが、もう懲りた。他人の色恋沙汰に首を突っ込むとロクなことにならない。もう体験済みだ。

 

 

少し前の苦い思い出も思い出しながら、俺は校門をくぐった。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

教室に辿り着いてから、リア充とは、彼女とは、なんていかにも高校生らしいことを柄にもなく考えてしまった。

 

 

すべては材木座が原因だ。

 

 

あいつの言う彼女とやらが実在するのかどうかはわからない。そこまで重症ではないか。

女子と目も合わせることもできなかったあの男がそこまでこぎつけることができるとはにわかには信じ難い。

しかし、あいつがあそこまで堂々と公言したのだ。嘘ということはないだろう。それに俺たちに依頼までしようしていたのだ。

 

 

これは決して悪いことではない。あいつがどのようにその女子と知り合ってそこまで行ったのかはわからない。しかし、あいつが勇気を振り絞ったことには違いない。それは賞賛すべき点だ。今の俺には絶対にできないことだから。

 

 

今の俺にあいつの幸せを嫉妬する資格などない。

材木座義輝の努力を蔑む資格など何1つ持ち合わせていない。

 

 

俺はなんの努力もしていないのだから。

 

 

 

いつものように机に突っ伏して、朝のHRまでの時間を潰す。

教室の後ろの方からは、ガヤガヤとリア充どもの雑談が聞こえてくる。その中でも一際目立つ声を発しているグループがある。このクラスのトップカースト。学年でも上位に入る葉山たちだ。

いつもの如く、戸部が馬鹿な話をして、それに誰かがツッコミを入れ、大きな声で笑っている。

 

 

その姿を見ていると、なんとも複雑な気分になってくる。理由はわかっている。しかし、記述する気はない。

 

 

戸部はより大きな声を出して皆の注目を集めるように”クリスマスだべー”、”やっばいべー”と訳のわからないことを言ってチャラけている。それに大岡と大和が反応し、3人揃って、やばいべーと謎の共鳴をする。揃いも揃ってべーべーうるせえな。

 

その話題に由比ヶ浜が反応し、他のメンバーに問いかける。

 

 

「みんなはクリスマス予定あるの?」

 

 

海老名さんは我関せずを貫くように笑みを浮かべている。その隣にいる三浦が口を開く。

 

 

「海老名はあれだから。そうだ。隼人はなんか予定あんの?」

 

 

若干、控えめの問いかけに葉山はいつもの笑顔で答える。

 

 

「俺は家の用事があってね」

 

「ふーん」

 

 

彼らの間に微妙な雰囲気が流れる。それを敏感に感じ取った由比ヶ浜と戸部がさらりと話題を変える。苦労してんな、あいつら。

 

 

ああ、ちなみにだが、俺には予定がある。もちろん小町と過ごすというのものだ。今年、小町は受験生だ。今までの頑張りを労うために例年よりも盛大に行う。鳥ドーン!牛ドーン!と盛大に。そのためには金が必要だ。親父に言って金を出してもらおう。小町のためだと言えば喜んで財布を取り出すはず。

 

 

そんなことを考えていると、チャイムが鳴る。それと同時に担任の厚木が教室へと入ってくる。

 

 

はぁ、また今日も始まるのか。

と、心中でぼやきつつ、厚木の話に耳を傾けた。

 

 

 

×××

 

 

 

始まってしまえば早いものであっという間に放課後だ。放課後ティータイムだ。もう紅茶出てこねぇけど。などと自虐満載のネタを脳内で垂れ流す。

 

 

席を立ち、いつものように部室へ向かう。その足取りは日に日に重くなっていっている気がした。

 

 

どうしてこうなってしまったのかと、再三自分に問いた質問を再び問いかける。

 

 

そんなことを考えながら、寒々しい廊下を歩いていると、後ろからパタパタと駆けてくる音が聞こえる。その足音は俺の後ろで止まり、足音の主が俺に言う。

 

 

「なんで先行くし!」

 

 

足を止め、振り返るとコートを手に下げた由比ヶ浜の姿があった。

 

 

「今日、一緒にって言われてない」

 

「えー、ちゃんと言ったし」

 

 

それはいつだと問いたかったがやめておくことにする。なんだか最近、同じようなやり取りを繰り返している気がしたからだ。大体は俺が原因。そう言われたことを忘れて教室を出てしまう。ほぼ毎日言われてんだから待ってればいいだろなんてツッコミはやめてくれ。それは俺に効く。

 

 

俺は適当に謝って、再び歩を進める。

由比ヶ浜もそれに連なって歩く。

 

 

特に言葉を交わすことなく、部室へと辿り着き、由比ヶ浜が戸を開く。中にはあの日から変わらぬ微笑を浮かべる雪ノ下がいつもの場所に座っていた。由比ヶ浜はいつもの挨拶を元気良くしてをして中へと入っていく。俺も後に続いて定位置に座る。

 

 

席に着くと、俺は鞄から読みかけのライトノベルを取り出し、由比ヶ浜は携帯を手に取る。

 

 

あの日から何も変わらぬ日常。

必死に取り繕い続けている。

 

 

慣れて、馴れ合った、なれの果て。

 

 

読んでもいない本を広げまま、そんなことを考えてしまう。

 

 

すると、由比ヶ浜が思い出したかのように雪ノ下に話を振る。

 

 

「あれさー、もうすぐクリスマスじゃん?最近、戸部っちがうるさくて」

 

「あら、戸部くんがうるさいのはいつものことではなくて?」

 

「あははー、それはそうなんだけど」

 

 

困ったように笑う由比ヶ浜。それを見て微笑を浮かべる雪ノ下。

俺は耳を傾けてはいても彼女らの会話に入ることはできなかった。

 

 

その間に由比ヶ浜がさらりと話題を変える。

 

 

「ゆきのんさ、クリスマスは予定あるの?」

 

「特にはないけれど、決定ではないわ。家の方がどうなるか」

 

 

数日前にも同じような会話をしていたような気がする。そして、俺に話が振られる。

 

 

「ヒッキーは小町ちゃんとパーティだっけ?」

 

「ああ、クリスマスじゃなくて、イブだけどな。鳥ドーン、牛ドーンで盛大にやるつもりだ」

 

 

由比ヶ浜はパァと笑顔になる。

 

 

「小町ちゃん受験生だもんね。クリスマスくらいは盛大にやらないとね!」

 

「いや、あいつイベントあると結構遊んでるけどな」

 

 

先々月の終わりにハロウィンパーティだ!とかなんとか言って仮装してたし。俺はやってないよ?ほら、仮装なんかしなくてももともとゾンビみたいな目だし。俺がお菓子を貰いに街に繰り出してもきっと何にも貰えないんだろうな。それどころかやさぐれた新米警官に撃ち殺されるまである。

 

 

由比ヶ浜は俺の返答を聞いて、またも困ったような笑顔を見せる。その後に雪ノ下が俺に尋ねてくる。

 

 

「小町さん。成績の方は大丈夫なのかしら?」

 

「まぁなんだかんだ言っても、俺の妹だからな。なんとかなるだろ」

 

「何その自信!?」

 

 

そんなたわいもない会話を繰り返し、時間は過ぎてゆく。いつもと変わらない。変わらないはずなのにどこか違う。どこか無理をしているような、このままいけば崩壊してしまうような危うさを感じる。

 

 

会話のなくなった部室には静寂が流れる。響くのは時計の針の音だけ。

 

 

前よりも随分と時間の流れが遅い。

それはなぜなのだろう。

 

 

そんなことを考えていると、雪ノ下がパタンと呼んでいた本を閉じる。部活終了の合図だ。しかし、時計を見ると、いつもより時間が早い気がする。

 

 

「ごめんなさい。まだ少し早いけれど今日は少し用事があって」

 

「ううん、大丈夫だよ」

 

 

雪ノ下の申し出に優しく由比ヶ浜が答える。俺もそれに頷く。

 

 

帰り支度を終え、3人揃って部室を出る。

 

 

「私は鍵を返しに行くから」

 

「うん、バイバイ、ゆきのん!」

 

 

由比ヶ浜が手を振り、雪ノ下はそれに微笑みで答える。

 

 

雪ノ下と別れ、また由比ヶ浜と2人連なって昇降口を目指す。

 

 

「あのさ……」

 

 

そう問いかけてきた由比ヶ浜の足が止まる。俺も足を止め、振り返ってどうしたと尋ねる。

 

 

由比ヶ浜は背負っているリュックのストラップを握りしめ、目線を下に落とす。しかし、すぐに顔を上げ、”なんでもない”と言って歩き出した。

俺は何を言いかけたのかを尋ねることもできず、先を歩く彼女の後を追った。

 

 

昇降口に辿り着いて、コートのポケットを弄る。しまった。携帯を忘れた。部室にいた時はまだあったはず。帰り支度をしているときに置き忘れたのだろう。普段から暇潰し機能付目覚まし時計としか使っていない携帯だ。無くても困るわけではないのだが、どうも気持ちが悪い。それに何か緊急自体が起きた時、連絡に困る。いつもなら面倒臭がってしまう俺だが、取りに戻ることにした。その旨を由比ヶ浜に伝える。

 

 

「じゃあ私待ってるよ」

 

「いや、お前バスだろ?それにもう雪ノ下は鍵を返したはずだ。それを取りに行くと考えると結構時間がかかる」

 

「いいの。待ってる」

 

 

彼女がなぜ意地を張っているのかはわからない。が、その表情見て断り切ることができなかった。

 

 

「わかった。すぐ戻る」

 

「うん!」

 

 

その言葉を交わして、足早に職員室へと向かった。

 

 

 

 

×××

 

 

 

職員室に鍵を借りに行くと、部室の鍵はまだ返却されていなかった。

平塚先生に尋ねてみても、まだ雪ノ下は来ていないとのことだった。もしかして持って帰った?

優等生である雪ノ下がそんなことをするとは思えないが、そうなると携帯を取りに行くことは不可能になる。おそらくマスターキーがあるはずだが、生徒に貸して出してもらえるとは思えない。理由をちゃんと伝えれば、マスターキーを持って一緒に部室に行ってくれるかもしれない。しかし、そこまでするのは面倒だ。どうせ、明日になれば取りに行ける。仕方ない、今日は諦めるか。

 

 

帰ろうとする俺を平塚先生が呼び止める。

 

 

「比企谷。まだおそらく雪ノ下は部室にいるぞ。先ほど、様子を見に行った時、彼女はまだ1人で読書をしていた」

 

 

平塚先生の話が本当なら俺の知っている情報と少し食い違う。あいつは帰り際に鍵を返しに行くと言った。それに用事があるとも。もしかして、その用事とやらで部室に残っているのか?俺たちに嘘をついてまで。

 

 

もし本当にそうなら、やはり諦めて帰るべきだ。雪ノ下の真意はわからないが、嘘までついたのだ。俺たちには知られたくない何かがあるのだろう。

 

 

そう思い立ち、平塚先生に別れの挨拶をする。しかし、またも呼び止められる。今度はなんだよ。

 

 

「比企谷。悪いが、雪ノ下にもう帰るようにと伝えてきてもらえないか?もう下校時刻を過ぎている」

 

「いや、そのアレでして、ちょっと急いでまして」

 

 

毎度お馴染みの言い訳をかますも、それを聞いた平塚先生は手の骨をポキポキと鳴らす。やめて、久しくやられてないのだからやめて!

 

 

俺の恐れ戦く顔を見て、平塚先生は冗談だよと告げる。その後になんとも言えない表情を作る。

 

 

「そのな、最近の雪ノ下のことなんだが」

 

 

急に降られた話題に対応できない。後ろめたさがないと言えば嘘になる。俺は何も言うことができない。

 

 

「君らの年だ。いろんなことがあるだろう。しかしだな、最近の雪ノ下はなんというか」

 

 

言いたいことはわかる。平塚先生も気づいていたんだな。よく見ている。

何かを言いあぐねている平塚先生に俺は言う。

 

 

「わかりました。行きます」

 

「そうか。助かる」

 

 

平塚先生の安堵した表情を見て、職員室を出る。

あの人が何を言おうとしていたのかはなんとなく予想がつく。だが、それを聞いたところで俺に何かができるわけではない。

 

 

俺は部室へと向かう。

 

 

雪ノ下と鉢合わせた場合になんと取り繕うか考えながら部室の前までやって来た。最悪、まだいるようなら帰るようにと伝えたことにして帰ってしまえばいい。

 

 

そっと扉に忍び寄り、中に人の気配がないかを確認する。すると、中から聞いた覚えのある声がした。

 

 

「君の状況はわかっている。それは俺のせいでもある。本当に申し訳ないことをした。でも今やらなければ全てが無駄になる」

 

 

この声は葉山か?

悪いとわかっているのだが、聞き耳を立てずにはいられなかった。

 

 

「わかっているわ。でも……」

 

「雪乃ちゃん……」

 

 

聞こえてくる声は真剣そのもの。一体、なんの話をしているのだ。しかしその後、会話が再開することなかった。wawawa忘れ物〜なんて歌いながら入っていける状況じゃねえ。諦めて帰るか。

 

 

雪ノ下と葉山は昔からの付き合いだと聞いている。家同士の繋がりもあるはず。その件について話しているのかもしれない。その内容を俺が知る権利などありはしない。

 

 

由比ヶ浜も待たせてしまっている。体感ではもう10分以上過ぎている。俺はすぐにその場から離れ、昇降口に戻った。

 

 

戻っている最中も雪ノ下のことが頭から離れなかった。別に変な意味ではない。雪ノ下がついた嘘に関してだ。虚言は吐かないと自分で公言したにもかかわらず、俺たちに嘘をついた。春先の事故の件とは少し違う。今回、あいつがついた嘘は明確に俺たちを騙すもの。騙されたと言えば大袈裟かもしれない。雪ノ下だって年頃の女の子だ。知られたくないことだってたくさんある。

 

 

そう自分に言い聞かせて誤魔化す。しかし、そんなことをしても心のもやもやを膨らませてしまうだけだった。

 

 

昇降口に戻ると、暇そうに携帯を弄る由比ヶ浜の姿があった。すぐに俺に気がついてトテトテと近寄ってくる。

 

 

「携帯あったの?」

 

「いや、見つからなかった」

 

 

嘘をついてしまった。探してなどいない。俺も雪ノ下と変わらない。雪ノ下の嘘を隠すために俺が嘘をつく。これ以上にないくらいの負のスパイラル。ダメだ。これではダメなんだ。こんなことを続ければ、いつか破綻してしまう。俺が守ろうとしたものが本当に壊れてしまう。

 

 

わかっている。身に染みて感じている。どんなに頭でわかっていても今の俺ではどうすることもできなかった。

 

 

自分の不甲斐なさ、情けなさに落胆しつつも、それを由比ヶ浜に悟られないように振る舞う。

下駄箱で口に履き替え、外に出る。

すでに日が暮れていた。

 

 

自転車を取りに行き、由比ヶ浜と2人並んで校門を出た。

 

 

会話が紡ぎ出されることもなく、ただ2人で通学路を歩く。

 

 

俺の頭の中にはさっきの雪ノ下のことがグルグルと回っている。しかし、突然発せられた由比ヶ浜の声で我に帰る。

 

 

「は、陽乃さん」

 

「ひゃ、ひゃっはろー」

 

 

突然現れた陽乃さんは息を切らして大層慌てた様子。この人が息を切らすほどのこと。一体どうしたのか。

 

 

「雪ノ下さん。どうしたんですか?」

 

「ちょ、ちょっと急いでてね。雪乃ちゃん、どこにいるか知っている?」

 

 

そう尋ねられて一瞬、迷ってしまう。

本当のことを言うべきか、しかし、それでは由比ヶ浜に嘘がバレてしまう。別に俺の嘘なんかどうだっていい。雪ノ下に嘘をつかれたことを知った由比ヶ浜がどうなってしまうか、考えたくもない。だが、こんなにも慌てた陽乃さんに嘘をつく訳にもいかない。おそらくただ事ではない何かが起こったのだろう。

 

 

悩んだ挙句に選んだ方法。

嘘を嘘で隠す。

 

 

まただ。嘘を嘘で塗り固め、その嘘を隠すためにさらに嘘をつく。

 

 

悪循環もいいところだ。ついさっき自分にダメだと言い聞かせたばかりなのにまた同じことをしている。

 

 

しかしもうこれ以外手段がない。

取り繕うことなどいくらだってできる。今までだってできていたのだから。

 

 

俺は意を決して口を開く。

 

 

「雪ノ下なら、まだ学校にいますよ」

 

「そっか、ありがと」

 

 

息を整えた陽乃さんは笑顔で言った。

しかし、つかさず由比ヶ浜が突っ込んでくる。

 

 

「え?ゆきのんは用事があるって帰ったんじゃ」

 

 

これに対しての返答はもう用意してある。

 

 

「いや、さっき携帯を探しに行った時に職員室で姿を見た。用事ってのは先生となにか話すことだったんだろ」

 

「そっか」

 

 

短くそう言った由比ヶ浜の表情は曇っていく。

雪ノ下は帰るとは口にしていない。職員室に用事があったことにすれば由比ヶ浜にバレずにすむ。強引なのはわかっている。しかしこの方法なら全てがうまくいく。

陽乃さんが職員室へ行けば平塚先生が対応するだろう。そこで雪ノ下の居所がわかる。既に部室を後にしていたとしても、まだ学校の中にいることは間違いない。

陽乃さんが雪ノ下に俺から聞いたと言われてしまった場合、雪ノ下に俺の嘘がバレてしまう可能性があるが、それはもうしょうがない。

 

 

陽乃さんがこれほどに慌てて雪ノ下を探している。それとさっきの雪ノ下と葉山の会話。やはり家のことだったのだろうか。全く別の事柄かもしれないが、そう思っているのが精神衛生上1番いい気がする。

 

 

すべての事柄を自分の中で自己完結させる。

 

 

不意に視線を感じて、その先を見る。

そこには申し訳ないさとどこか嬉しそうな感じを含んだ複雑な表情を浮かべた陽乃さんがいた。

後から襲い来る全てを見透かされているような感覚。それに耐えられなくなって俺は問いかける。

 

 

「雪ノ下さん?」

 

「あっ、ごめんね。なんでもない。じゃあ私、行くね!」

 

 

そう言って身を翻す。

 

 

 

”こんなものがなければ”

 

 

 

何か呟いたように聞こえたが、彼女はもう走り去ってしまっている。

 

 

「何かあったのかな?」

 

 

そう言う由比ヶ浜の顔には先ほどの表情は浮かんでいない。それよりも雪ノ下を心配する感情の方が色濃く出ている。

 

 

「家族のことで何かあったのかもな」

 

「大丈夫かな?」

 

 

心配する気持ちはわかる。だが、俺たちには何もできることはない。

 

 

「何かあればあっちから言ってくるだろう」

 

 

その言葉を口にした瞬間、由比ヶ浜の表情が変わる。なぜかムッとした表情しているように感じた。

しかし、それ以上は何も言わず、そのまま歩き出した。

なぜそんな表情をしたのか、わからないわけではない。

今の俺たちにそんなことができるはずがないとわかっていた。

 

 

そこから別れる地点まで一緒に行った。道中、会話することもなく、どこか不機嫌さを醸し出す彼女にその原因を尋ねることもできず、帰路に着いた。

 

 

 

 

 

さて、プロローグにしては、長すぎたな。だが、ここまでの話は本当に単なるプロローグにしか過ぎない。本題はここから、翌日から始まる。いや、既にこの時点で始まっていたのかもしれない。そんなことはどうだっていい。

次の日、全てが凍りつくような12月18日。俺を絶望という名の奈落に突き落とすようなことが起きる。

 

 

先に告げておく。

 

 

 

それは俺にはちっとも笑えないことだった。

 

 

 

 

 



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驚愕の中に彼は1人、取り残される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地球をアイスピックでつついたら、綺麗に真っ二つにカチ割れるんじゃないかと思うくらいに冷え切った朝だった。

 

 

徐々に意識が覚醒していく。カーテンの隙間から見える窓には霜が降りていた。それを見て、昨日よりも気温が低いことを確信し、布団を頭まで被る。あー、布団から出たくない。

 

 

昨日の材木座の話を聞いたおかげで、寝る前にいろんな妄想に耽ってしまった。先に言っておくが、いやらしいことではない。断じてない。

 

 

考えていたこと。それはリア充についてだ。

 

 

それは常に俺の憎悪を対象だった。しかし、彼らの内情に触れ、心情を理解し、そして彼らも俺と同じ人間なのだと確信した。別の生物だと思っていたわけではないが、俺とは違うものだと思っていた。

なぜそう確信したのか。それは少なからず現在の俺は彼らと同じことをしているから。

全く同じなわけではないが、人間関係に悩み、苦しみ、もがいている。

 

 

自分がこんなふうになるなんて毛ほどにも思わなかった。

別にリア充になったわけではないが、これほどに他人のことを考えているのはたぶん人生で初めてだ。

 

 

というわけで、現実逃避の意味も込め、現状の俺がリア充になったらなんて妄想に耽ってしまった。誰でもやったことあるだろう。あれだ、中学校のときにテロリストに学校を占拠された妄想みたいな感じ。

 

 

で、だ。

考えているうちにどんどん道を外れていき、深夜のテンションということも重なり、ここでは到底書き出すことのできない内容になった。俺と誰かの甘々な青春。例えば、文学少女との純愛。例えば、他校の生徒との明るく楽しい恋愛。リア充になった俺は……あぁぁああ!!

 

 

自分の恥ずかしい妄想を思い出して布団の中で身を捩る。

この作品はそういう作品ではない。

それは得意な方たちに任せよう。

 

 

 

ゴロゴロと身を捩っていると、足にモフモフした何かに触れた。

そのモフモフは俺に蹴られたことに腹を立てたのか、布団の中から這い出てくる。

 

 

そのモフモフ。正体はうちの飼い猫のカマクラだ。なぜ俺のベッドに潜り込んでいたのかはわからない。いつもは小町と寝ているはずなのだが。

 

まぁ理由はどうだっていい。間違って入り込んできたのだろう。それにしてもどうやって部屋のドアを開けたのかしら。ドアの方に目をやると、きっちり閉まっている。ということはカマクラは自分で開けて閉めたのか?カマクラよ。お前はいつの間にそんなに賢くなったのだ。

 

 

ベットから這い出たカマクラを一瞥すると、不機嫌そうにふすんと鼻を鳴らしている。ごめんね、蹴っちゃって。

 

カマクラはそのままドアの方にのしのし歩いて行き、腰を下ろす。そしてドアを爪でカリカリし始める。ここから出せという意味だろう。お前、自分で開けられるんじゃないのかよ。

 

 

そんな飼い猫の姿を見ていると、部屋の外をパタパタと軽快に駆ける足音が聞こえてくる。愛しのマイスイートシスターの登場だ。

 

その足音は俺の部屋の前で止まる。

ここから出せというカマクラの願いを聞き届けるようにドアが開け放たれる。

 

 

ガチャリと音を立てて開かれたドアの先にいたのは俺の知っている妹とは少し違うものだった。

 

 

「兄貴、そろそろ起きないと遅刻するよ」

 

「お、おう」

 

 

あ、兄貴?

そう俺を呼んだ小町の姿は俺の知っているものではない。着ている制服は少し着崩され、目つきはややキツめになったように見える。え?なに?どうしちゃったの、小町ちゃん?

朝で機嫌が悪いのかもしれない。それにしたって俺を兄貴なんて呼んだことはない。もしかして不良化した?いや、そんなわけない。昨日はいつもと変わらなかった。

 

 

しばらく小町の姿を見つめる。

あ!そうか。あれか。あれなんだな。

あれだよ、あれ。毎月大変だのう。画面の前のみなさんはもうわかりましたよね?

 

 

そんなことを思いながら、ボーッと小町の姿を見つめる。そんな俺に小町は訝しむ視線を返してくる。

 

 

「兄貴、髪染めたの?」

 

「髪?」

 

「いつの間にやったの?まぁそっちもいいと思うけど。あ、今の私的にポイント高い」

 

 

そう言った小町が浮かべた笑顔にはいつものあざとさなど微塵も感じられず、それよりもお姉さん感が強く出ていた。どうしたの小町さん?一人称まで変わってるってばよ。

 

 

「こ、小町……?」

 

 

ベットから半身を起こして、名を呼ぶも、小町は足にまとわりつくカマクラを抱き上げて、身を翻す。

 

 

「私はもう行くから。マジで早く起きないと遅刻するかんね!」

 

 

そう言い残して去っていく。

一体、なにが起きた。なにが小町を変えてしまったんだ!その原因を突き止めようとしてももう家の中には小町の姿はなかった。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

なんとも言えない気分になりながらも、学校へ行く支度を始める。

 

 

洗面所で顔を洗い、何気なく自分の髪を見る。いつもと変わらぬ黒々とした髪についた寝癖を手櫛で治しながら、先ほど言われたことを思い出す。

小町は髪を染めたのかと聞いてきた。なぜそんなことを言い出したのか、まったく見当がつかない。

これまでの人生で髪を染めたことなど一度たりともない。まだ俺の髪はバージンヘアだ。

 

 

小町の言動や行動を寝ぼけているなんて理由では片付けるのは少々無理がある。

 

 

リビングに行くと、いつものように朝食が用意されていた。朝起こしに来て、朝食の段取りをしておいてくれるほどに世話親いてくれているのだ。グレてしまったわけではないのだろう。それに小町が漂わせていた謎のお姉さん感。あれは一体なんだったのだろうか。

姿形は小町でも、中身はまるで別人。いや、しかしいつものポイント高い云々の発言はあった。全てがまるっきり違うということではないのか。

 

 

いつもと違う妹の言動や姿にやや頭を悩ませる。

 

 

こんなに深く考えるべき事柄ではないのかもしれない。小町はまだ中学生。何かをきっかけにイメチェンでもしたくなったのかもしれない。ほら、そのくらいの年頃って意味もなくそういうことしなくなるじゃん。突然、影のある主人公を演じてみたくなったり。もしや小町の奴、厨二病を発病したのか?ちょっと遅くないですかね?

 

 

受験生の癖になにやってんだかなんてことを思いながら、制服に袖を通す。

 

 

今日帰ってきたら、それとなく聞いてみるか。

 

 

手早く朝食を済ませ、家を出る準備を完了させる。

戸締りを確認し、自転車に跨って学校へと向かう。

 

 

今日も今日とて自転車を走らせる。

なぜ俺はこんなにも苦行を強いられているのだ。マジで寒い。

どんなに辛いことでもやり続けていれば次第に慣れていくなんて聞いたことがあるが、この寒さにまったく慣れる気がしない。なんなら慣れるのに諦めてもう家から出なくなるまである。

毎年やってくるシベリア寒気団の連中もまたにはルートを変えたらいいのに。

 

 

日本の四季に不満を抱きつつ、自転車を漕いでいるどうも俺です。

 

 

キコキコと気怠げにペダルを漕いでいると、いつの間にか学校付近までやってきていた。

俺の通っている道の先には我が校の生徒たちの姿がたくさん見える。その中にまたあの茶色いコートの後ろ姿を見つけてしまう。やばい。何がやばいってまじやばい!

 

またあいつに捕まれば、どうせデートする彼女の話をされるに違いない。またあの惚気話にも似たものを聞かされることになる。それは避けねばならない。なぜかって?そんな話を聞けばまた夜な夜な現実逃避に走ってしまいかねない。

 

 

俺は自転車から降りて、先に歩く材木座に追いつかないように押して歩く。しかし、次第に材木座との距離は縮んでいく。その理由。それは材木座の足取りがとても緩やかなものだったから。なぜそんなにゆっくり歩いているのかはわからない。が、材木座は時より立ち止まり、咳き込むような仕草を取っている。もしや、風邪を引いたのか?

 

 

そんなことを思いながら、自転車を押していると、とうとう材木座に追いついてしまった。そうなってしまった以上、一応は知った顔である材木座を無視するのはなんだが気が引けた。

俺はらしくもなく、こちらから声をかける。

 

 

「よう」

 

「……」

 

 

材木座はこちらを一瞥しただけで、挨拶が返してくることはなかった。

材木座はマスクを着用している。やはり風邪を引いたのか。あの材木座が声も出せないほどに消沈している。ということは結構重病なのだろう。そんな状態で学校に来るとはなかなか気合が入っている。逆に考えればいい迷惑だが。

さらに言えば、こいつの右に出る者はいないというほどにヘタレで通っているはずの材木座。今のこいつの姿からは普段の様子からは少しかけ離れる印象を受けた。

 

 

俺は言葉を発しない材木座にさらに問いかける。

 

 

「風邪か?」

 

「……」

 

 

またも無視。少々苛立ちを覚えるも、この程度で憤慨する俺ではない。声を出せないほど落ち込んでいる。もしや、あの彼女とのデートがご破算になったのではあるまいな。

少しばかりデリカシーに欠ける発言だが、それよりもその件が気になり、口に出てしまった。

 

 

「なんでそんなに元気ないんだ?もしかしてデートの件、ダメになったのか?」

 

 

材木座はそう尋ねた俺の顔を少しばかり睨みつける。そしてようやく口を開いた。

 

 

「君は何を言っている?デートとはなんの話だ?」

 

 

そう言った後、ゲホゲホと咳き込む。中々に重症だ。この分だとデートがご破算になったのも当たりのようだな。風邪とダブルパンチをくらった感じか。ああ、可哀想に。

あれだけ威勢良く公言していた手前、俺と顔を合わせるのは心苦しかろう。いつものキャラも消え失せてるし。

 

 

「そうか。まぁ気を落とすな」

 

 

励ましのつもりで言った言葉に余計腹が立ったのか、材木座は歩くスピードを早めて先に行ってしまった。

 

 

そうか。余程、ショックだったのか。しかし、材木座には少し申し訳ないことしたか。次、顔を合わせたときに謝るか。まぁその頃にはあいつも普通に戻ってるか。

 

 

少しばかり罪悪感を覚えつつ、学校に到着した。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

いつも通り、下駄箱で上履きに履き替え、教室へと向かう。

 

 

その道中、なぜか多数の視線を感じた。が、気にしない。こんなものは過剰な自意識からくる勘違い。というか昨日、あんなことを考えたせいだ。

 

 

少し足取りを早めて教室へと辿り着く。既に大半の生徒が登校している。

まただ。なんというか、これまでの異物を見るような視線とは違う。何と言い表せばいいのか。こんなものを向けられたことがない。

 

 

俺は出来るだけ平静を装って自分の席に向かう。

机の上に鞄を置いて、椅子を引き、席に着こうとする。だが、すぐに声をかけられた。声のする方へと目を向けるとそこにはこのクラスに所属している男子生徒の姿があった。

 

 

「えっと、そこ、俺の席なんだけど」

 

「は?」

 

 

何とも間抜けな声で返答してしまった。喋ったことのない人間に話しかけられたからではない。

この男子生徒は何を言っているのか、それが理解できなかったからだ。俺の知っている限りで昨日の時点で席替えなどは行われていない。では、なぜこんなことを言ってきたのか。ああ、あれか。お前の席ねぇから!的な感じか。しかし、俺の前に立っている男子生徒は一見大人しそうでそういったいじめの類を行うようには見えない。だが、見た目で判断するのは良くない。人は見かけによらないって言うしな。

 

 

俺はその理由を尋ねる。

すると、その男子生徒は少しだけ引き気味に答える。

 

 

「いや、ここはずっと俺の席だよ。比企谷くんの席はあっち」

 

 

そう言って教室の後ろの角の方に指を指す。何を言っている。そっちは葉山たちの席だろ。それに何だってそんなに怯えるような顔をする。その顔はカースト下位の人間が上位の人間に向けるようなそんな顔。一体なぜ?それにだ。俺の名前を間違えずに呼べる人間がこのクラスにいなかったはず。

 

 

それなのにこいつは正しく俺の名前を呼んでいる。

名前を正しく覚えてもらえることは本来なら嬉しいことだ。なのに今の俺には異質にしか感じられない。

 

 

おかしい。何かがおかしい。

 

 

朝からそうだ。小町や材木座の変調。

それにこの男子生徒や俺の知らない席替え。それに皆から向けられる謎の視線。なんなのだ、この状況は。

 

 

理解し難い現状に俺の思考は停止する。

 

 

なぜこんな状況に至っているのか。思いつく限りの様々な要因が頭を過る。俺は困惑のあまりその場に立ち尽くすことしかできない。すると、俺に後ろから声がかかる。

 

 

「比企谷くん。おはよー」

 

 

聞き間違えることなど絶対にない。だが、俺の知っているその声の主は俺をその名では呼ばない。俺は今、持ち合わせているすべての勇気を振り絞り、振り返る。

そこには想像を絶する光景があった。

 

 

「ん?どうしたの?あ、髪黒くしたんだ!」

 

 

彼、いや彼女と呼ぶべきなのだろうか。彼女の口から発せられた言葉は俺には届いていない。

彼がそれをふざけて着用しているならば大いに似合っているし、天使を超えてもう女神様と言っても過言ではない。しかし、俺の知ってる彼ならばそんなおふざけはしないだろうし、おそらく嫌がる。だが、彼はそれを平然とやってのけている。それがあたかも当たり前のように。

 

 

彼の登場は今、現在、俺の身に何か異変が起きていることを決定付けることになった。

 

 

「比企谷くん?なんか顔色悪いけど、大丈夫?」

 

 

そう言って一歩近づき、心配そうな顔つきで手を伸ばしてくる。

俺はその手を後ずさるように避ける。俺の行動を見て、さらに心配そうな顔をする。やめろ。そんな顔をしないでくれ。お前は男の子だろ?お前は女の子じゃない!

 

 

そう。俺の目の前にいる人物。

それは女子生徒の制服を着た戸塚彩加。

 

 

俺が知っている戸塚よりも幾分、髪が伸びている。身長や体格にそれほど変化はない。しかし、なにより彼が女の子になっているのを決定付けた点。それは彼の胸部だ。本来あるはずのないその控えめな膨らみが彼の変貌を決定的なものにした。

 

 

どういうことだ。一体何が起きている。なんで戸塚が女になっている。意味わかんねえ!

もしこれが壮大なドッキリなら納得がいく。しかし、この男子生徒と俺に接点など何1つない。戸塚だってこんな趣味の悪いドッキリを仕掛けたりはしない。

 

 

ただ呆然と立ち尽くす俺に後方からさらに声をかけられる。

 

 

「八幡?なんでそんなことに突っ立ってんだし」

 

「うっす!八幡!」

 

「ハロハロ〜。ハチハチー」

 

 

俺の目の前に現れた3人。右から三浦、戸部、海老名さん。風貌は全く変わらない。しかし、以前の決定的に違う点がある。なぜ、彼女らはこんなにも俺に親しげに話しかけてきている。これではまるで友達のようではないか。俺とお前らはこんなにも仲良く朝の挨拶を交わせる間がらではないはずだ。

 

 

誰1人として、俺の名前を間違って呼んだりはしない。そのことが堪らなく気持ちが悪い。

 

 

やめろ。なんなんだ。お前ら。

ドッキリだと言うのなら、もうネタばらしの時間だろう。既に最高のリアクションが取れているはず。もう取れ高は出た。

 

 

気が付けば、近くの机にぶつかってしまうほど後ずさっていた。その間にも彼ら彼女らは俺に言葉を投げかけてくる。

なぜそんな視線を送ってくる。どうしてそんなことを言う。それでは友達の急変に心配しているようではないか。

次第に教室全体の視線がこちらに向く。どうしてだ。昨日までチリほどにも気にしていなかった人間になぜそんな温かい眼差しを送っている。

 

 

俺にそんな資格はない。あるわけないのだ。

文化祭での事件で俺は学年全体からそういう目で見られていた。なのに、その当事者である相模でさえも、心配するような眼差しを送っている。おい、忘れたのか?俺はお前に最低なことをしたんだぞ?

 

 

違う。そうじゃないんだ。やめろ。

俺にそんな権利はない!

 

 

そうだ。俺ではない。こんな視線を送ってもらえる権利を持つ人間は別にいる。葉山だ。このクラスの中心人物であるあいつなら納得できる。あいつなら皆に心配され、声をかけてもらえる。

 

 

俺はふと、あることに気がつく。

 

 

葉山がいない。

 

 

なぜ葉山がいない?

 

 

黒板の上にある時計に目をやる。

いつもならもう登校していてもいい時間だ。だが、奴の姿は教室内にはない。

 

 

俺は掠れる声を捻り出して、彼らに尋ねる。

 

 

「は、葉山はどうした?」

 

 

ようやく発せられた言葉に皆一様にキョトンとした顔を作る。おいおい、嘘だろ。お前らが大好きな葉山隼人だぞ?

 

 

「葉山?戸部、知ってる?」

 

「うーん、海老名さんは?」

 

「まぁこのクラスの人ではないよね。えーと、何組の人?」

 

 

嘘だろ。あの葉山を忘れたってのか。しかし、こいつらが演技しているようには見えない。それにここにもう1人いない奴がいる。

彼らの困った顔や仕草にとうとう耐えきれなくなってやや強い口調で問い質す。

 

 

「おい、嘘だろ?それに由比ヶ浜はどうした?」

 

「由比ヶ浜?」

 

 

またも一様に首を傾げる。

は?もう意味わかんねえよ。由比ヶ浜もいない?もしこれがドッキリだとしてもうその趣旨がわからない。戸塚だけだって計り知れないインパクトがあったのに、なんであいつら2人の存在を消す必要がある。カースト最上位のこいつらが俺にドッキリを仕掛けるなんてことが最初から理解できない。1つ可能性があるとするなら由比ヶ浜だ。あいつが皆に頼んで俺をドッキリに嵌めようとした。あいつがそんなことをするとは到底思えない。かなり強引な解釈だということはわかっている。しかし、その可能性である由比ヶ浜までもいない。

 

 

この状況はなんだ。確かに昨日の夜、自分がリア充になる妄想はした。それが現実になったとでも言うのか?いや、こんな妄想はしていない。俺と誰が恋に落ちるような妄想はした。でもあいつらの存在を消すようなことはなにも考えていない!

 

 

俺はそれきり言葉を失ってしまった。

理解の範囲を超える事態に完全に機能が停止してしまったのだ。

 

 

そして、今、俺の目の前で起きていることがすべて現実だと知らしめる人物が登場する。

 

 

その人物は短いスカートを翻し、皆に挨拶を交わしながら、俺の前にやってくる。

 

 

「あっれー?みんななにやってんのー?」

 

 

その女子生徒は三浦たちにも挨拶を交わす。そして俺を一瞥。

 

 

「え?なに?どうしたの比企谷。大丈夫?」

 

 

勝手に口から言葉が出ていた。

 

 

「お、折本……」

 

「よっす」

 

 

現れた折本は笑顔で軽く手を挙げ、そう言った。

彼女はうちの高校の制服を着用している。なぜだ。頭で考えるよりも先に口が動く。

 

 

「な、なんでお前がここにいる……?」

 

「え?なんでって言われても。あ、もしかしてあれ?新しいネタ?」

 

「ネタでもなんでもねえよ!答えろ!なんでここにいる!」

 

 

突然、憤慨する俺にもう周りはドン引き状態。比企谷くんどうしたのー?なんて声がちらほら聞こえてくる。もうそんなもんどうだっていい。

 

 

問い質された折本は困ったように答える。

 

 

「マジでどうしたちゃったの?頭打ったとか?」

 

「俺は真面目に聞いている!お前は海浜総合の生徒だろ!」

 

 

そう。今、俺の目の前に立っている折本かおりは本来、海浜総合高校の生徒。別の高校の生徒であるお前がどうして!

 

 

「比企谷ー、なに言ってんの?あたしはずっとここの生徒だし。1年の頃も同じクラスだったじゃん。それにあたしじゃあんな頭のいい学校行けるわけないし。同中なんだからあたしの学力ぐらい知ってるでしょ?」

 

 

折本は、”でも中学の時はあんまり関わりなかったから仕方ないかー”と続けた。

 

 

マジでなに言ってんだこいつ。

頭イかれたのか?偏差値で言うならうちの高校の方が上のはずだ。

 

 

もうダメだ。頭が痛い。勝手に息が上がっていく。

 

 

 

俺は自分の周りにいる人間たちを掻き分けて教室を飛び出した。

 

 

 

×××

 

 

 

教室を飛び出して、一目散に走って、俺が向かった場所。それはJ組だ。そこには雪ノ下がいる。

 

 

こんなに悪質なイタズラにあいつが加担するわけがない。

 

 

必死にそう自分に言い聞かせ、足を動かす。

 

 

葉山や由比ヶ浜がいなくなるわけがない。ましてや、俺がリア充の仲間入りなんてするはずがない。

 

 

あいつが、雪ノ下雪乃がすべてを証明してくれる。

 

 

今の俺にとってはあいつが最後の砦だった。どこまでも正しかったあの雪ノ下ならすべてを正してくれるとそう信じた。

 

 

 

しかし、そんな希望はすぐに打ち砕かれることになる。

 

 

 

廊下で駄弁る生徒たちの喧騒の中を走り抜け、ようやく辿り着く。

 

 

俺は自分の目を疑った。

 

 

 

俺の辿り着いた先に雪ノ下はおろか、国際教養課であるJ組そのものが消失していた。

 

 

 

「うそ…だろ……?」

 

 

 

教室自体はある。しかし、その中には人っ子1人いない。それどころか、机すら並んでいない有様。

 

 

本来並んでいるはずの机は教室の後ろに積み上げられ、教室名を記すプレートには何も書かれていない。

 

 

ここから確認できる限り、ここが昨日まで使用されていたようには思えない。すべてが綺麗に片付けられ、ここで生徒たちが授業を受けていた痕跡が何1つない。

この教室はJ組ではなくなっている。完全にただの空き教室だ。

 

 

俺の頭の中を困惑と恐怖が支配する。頬には冷や汗が流れていた。

 

 

なんなんだ。マジで意味わかんねえ。

J組の奴らは何処へ消えた。クラス丸ごとなくなってるなんてありえない。

 

 

もうドッキリなんて規模じゃない。

俺の身に起きている事態が本当に現実なんだと知らしめられた。

 

 

いや、理解などできていない。できるわけがない。

 

 

放心してと立ち尽くしていることしかできない。

 

 

一体、何が起きたというのだ。

 

 

俺は一瞬にして深い奈落の底へと突き落とされた。

 

 

 

 

 

 

 



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辿り着いた先で、




どーも、にが次郎です。



申し訳ない、連投するつもりが1日空いてしまいました。
ここからはオリジナル要素が強くなっていきます。


では、どうぞ。






 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。気がつけば、廊下には生徒の姿は見えなくなっていた。

 

 

ははっと、乾いた笑いが出る。

なんてこった。マジで何がどうなってんだっての。

 

 

その後、突然飛び出していった俺を心配した三浦たちが探しに来た。

三浦は俺に葉山に送っていたような眼差しを向け、戸部は体調を心配するようなことを言い、海老名さんは優しく慰めるようにどうしたのかと尋ねてきた。

 

 

俺はただ大丈夫と返すので精一杯だった。

 

 

教室に連れ戻され、俺の席だという場所に座らされた。

隣には三浦。前には戸部。その隣に海老名さん。そして、後ろに折本。

 

 

今の俺にとっては最悪の構図だ。

皆で俺を取り囲み、大丈夫か?どうしたの?と取り調べかと思うほどに質問された。

 

 

彼らは俺を心配してくれている。心の底からそう思っての行動だと、裏などないと皆の表情からそう読み取ることができた。

しかし、俺は自分にそういう感情が向けられていることが恐ろしくて堪らなかった。本当に気が狂うかと思うほどに。

 

 

だってそうだろ?

本来、向けられるはずのないものが自分に向けられる。

彼らの言葉や態度は葉山に向けられていたものと変わらない。

昨日まで自分に見向きもしなかった人間たちが一夜にして一変し、葉山に向けていたものを自分に向ける。そしてその理由は不明。本来いるはずの人間が消え、いないはずの人間が当然のように居座っている。

 

 

これで気が狂わない方がおかしい。

 

 

最終的にその場は三浦が収めてくれた。

今の俺を見て、何かを察してくれたのかもしれない。

その後、俺を保健室に連れて行こうとしていた。最悪、そのまま病院へと連行される。それは避けたかった。

しかし、もう一度、先ほどのように取り乱せば、本当に精神病院に連れて行かれる。

俺は今できる限りの平静を装い、なんとかその場を切り抜けた。が、結局、放心したまま授業を受けることになった。

 

 

 

 

 

 

 

気がつくと、昼休みになっていた。

皆で机を並べ、弁当を広げる。当然、その輪に俺も加わっている。しかし、俺は弁当を持ってきていない。

 

 

俺は1人になりたかった。

購買に行くと告げ、俺はその場を後にする。三浦は一緒に行くと言ったが、それをなんとか宥めて、席を立つ。

俺が言った言葉に三浦はやや頬を染めていた。その顔を見て、なんだか申し訳なくなって足早に教室を出た。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

フラフラとした足取りで購買へと向かう。

 

 

その途中、見覚えのある女子生徒の姿を見つけた。俺はすぐに後を追い、声をかける。

 

 

「一色!」

 

 

名を呼ばれて振り返った彼女はパァと明るい笑顔を俺に向け、パタパタと駆け寄ってきた。

 

 

「どうしたんですかぁ?」

 

 

変わらない。そのきゃるるんとした声は何1つ変わらない。その声に涙が出るほどに安堵する。一色。お前の声に感動する時が来るとは思いもしなかったぜ。

 

 

俺は一歩踏み出して、一色に現状を説明する。

 

 

「一色、聞いてくれ。葉山がいなくなった。それと雪ノ下と由比ヶ浜も!」

 

「ふえ?」

 

 

あざとさ全開に首を傾げて一色はそう声を上げる。そうだよな。突然こんなこと言われてもそうなるよな。

 

 

「葉山だよ。葉山隼人!お前の好きだった葉山!今日、朝来たら忽然と姿を消しやがって。雪ノ下と由比ヶ浜も一緒だ!」

 

 

一色の表情はどんどん曇っていく。そして終いには何言ってんのこいつ?みたいな顔になる。そう、それだ。お前は俺の知っている一色いろはだよな?

 

 

しかし、彼女が次に発した言葉でまたも俺の希望は打ち砕かれる。

 

 

「”比企谷先輩”?何言ってるんですか?誰ですかその人たち?」

 

「そ、そんな……」

 

 

俺の知っている一色いろはは俺のことを比企谷先輩とは呼ばない。

一色、お前もなのか。

 

 

くそ!どうしたらいい!

頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。

 

 

頭を抱えながらも、苦し紛れに言葉を捻り出す。

 

 

「一色、お前は生徒会長だよな……?」

 

「もう何言ってるんですかぁ?私が生徒会長なんてやるわけないじゃないですか」

 

 

なんの悪びれもなく彼女は俺にそう告げた。

もうなんだってんだよ。人が消えただけじゃない。出来事さえも改変されている。

 

 

もうダメだ。お手上げ。降参。だからお願いだ。もうやめてくれ。

 

 

俺の様子を見て、一色は心配そうに声をかけてくる。それもあざとさ全開に。これはきっと葉山に向けられていたもの同じ。

 

 

「ああ、大丈夫だ。変なこと言って悪かったな。もう行っていいぞ」

 

「なんですかそれ。らしくないですね?本当に大丈夫ですか?」

 

 

今度は本当に心配そうに俺の顔を見つめてくる。一色は何も悪くない。わかっている。しかし、俺は苛立ちを抑えることができなかった。

 

 

「大丈夫だと言っているだろ!」

 

「……!」

 

 

俺の大きな声に一色は体をビクつかさる。それを見て、我に帰った。

 

 

「わ、悪い……」

 

「い、いえ、もう行きますね」

 

 

彼女は怯えたように去っていった。

 

 

 

そろそろ本当にやばいな。

もうどうなってんだよ。俺が狂ったのか?それとも世界がおかしくなったのか?

 

 

俺は購買に辿り着くとこはできず、またフラフラと教室へと戻った。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

教室へ戻ると、俺に向けられる視線に少々変化があった。先程までとは違う、どこか疑うような視線。

 

おそらく先ほどの一色とのやりとりを見ていた人間が居たのだろう。

 

 

そして今日の俺の一連の奇行。

いくら葉山と同等の地位があったとしても、こんなことを繰り返せば、そうなるのも当然のこと。

 

 

まぁもうそんなことはどうだっていいのだ。

 

 

時間を確認すると、もう間もなく昼休みが終わる。はぁ、昼飯食い損ねたな。腹減ってねぇから別にいいけど。

 

 

教室へと帰還した俺を三浦が出迎えてくれる。

 

 

「パン買えたん?」

 

「いや、売り切れてたよ」

 

 

そう伝えると、自分の鞄が置いてある机に一旦戻る。ガサゴソと鞄を漁って中から何かが入ったビニール袋を取り出し、また俺の元へと舞い戻ってくる。

三浦はビニール袋の中から菓子パンを取り出し、俺に差し出してくる。

 

 

「そんならこれ。八幡、好きでしょ?」

 

「え?」

 

 

三浦が俺にくれるという菓子パンを俺は確かに知っている。コンビニとかによく売っているパンだ。一時期、コンビニ行くたびに買っていたこともある。しかし、このパンを俺が好きだと言うことは小町くらいしか知らないはずだ。このパンにハマっていたのは一年の頃。

その頃の俺は誰かと喋ることもなければ、関わることもなかった。今のような中途半端ではなく、真性のボッチだった。

このパンを俺が好きなことを三浦が知っているわけはない。

どういうことなのだ。すべてがまるっきり違うということはなく、どこかで繋がっている。もう意味わかんねえよ。

 

 

若干、照れ臭そうにパンを差し出す三浦の顔はまた少しだけ朱色に染まっていた。

 

 

「あ、いや、その、いらないなら……」

 

「いや、もらう。ありがとな」

 

 

そう言ってパンを受ける。

認めたわけではない。今の現状を受け入れたということじゃない。

しかし、今の三浦やその周りの人物からは俺をなんとかして元気つげようと奮闘する意思が見える。そのなんというのか。これが優しさというものなのだろう。普段から他人の優しさに気づいてはいる。なのに、受け入れることができない。自分に向けられる優しさが怖かったんだ。

 

 

何か裏があるのではないかと、絶対に勘繰ってしまう自分がいる。

 

 

こんな状況に堕ち入らなければ、他人からの優しさを素直に受けることができないとは、俺はよっぽど捻くれているな。って今更か。

 

 

席に戻って、受け取った菓子パンの袋を開け、中身を取り出して、かぶりつく。

 

 

今の俺に食欲などありはしない。だが、口にしないわけにはいかなかった。

俺の好物であったその菓子パンはどちらかというと乾燥系。口の中の水分を一気に持ってかれる。しかし、そんなことは気にもならない。

 

 

息をするのも忘れて、一心不乱に口の中に押し込めた。そして、ほんの数十秒で平らげる。

 

 

突然、がっついて菓子パンを食した俺を心配そうな目で見つめていた三浦に感謝の意を述べる。

 

 

「サンキュー、三浦。助かったわ。ごちそうさん」

 

「こ、これぐらいどってことないし」

 

「そうか」

 

 

そんな言葉を交わす。すると、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。

三浦はどこかモジモジしたような態度を見せた。

 

 

「どうした?」

 

 

そう尋ねても、なかなか返事が返ってこない。

ほんの少しだけ間を置いた後、三浦は意を決したように俺の名を呼んだ。

 

 

「は、八幡」

 

 

三浦にそう呼ばれると、なんだか背中のあたりがむず痒くなってくる。

少しばかりの変調を見せる三浦をしばらく見つめていると、思いもよらない言葉を投げかけられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その、いつもみたいに”優美子”って呼んでよ」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

そのまま午後の授業を受けることになった。当然、内容など何1つ頭には入ってこない。

 

 

俺はいくらか思考を巡らせられるほどに落ち着いた。

なぜそんなにも落ち着けるのか。まぁなんというか一周回った感じ。午前中一杯という長い時間、ずっと放心したままだったのだ。否が応でもそうなる。よくあるだろ。通り越して笑いが出てくるみたいなあれだ。しかし、今の俺はそこまで悲観的ではない。

 

 

理由はもう1つある。

 

 

三浦の存在だ。

 

 

彼女の存在は今の俺にとってすごく大きい物になっている。別にあんなことを言われたからだけじゃない。彼女が俺に与えてくれはものがある。

彼女が近くにいてくれなければ、俺はとうの昔に発狂し、カウンセラーを求めて走り回っていたことだろう。

 

 

彼女が俺に向けてくれた大きな優しさ。きっとその中には愛情なんかも含まれている。

だが、俺もそこまで勘違い野郎ではない。彼女が俺に向けてくれた優しさのすべては今の俺はではなく、なんらかの理由によって書き換えられた彼女の中の記憶の俺に向けられている。それは本来、俺ではなく、葉山。

 

 

そのことについては正しく認識している。

 

 

わかっているのだ。ちゃんとわかっている。

なのにだ。俺はそれを嬉しく感じてしまった。気持ち悪い男だよな。本当に。

 

 

先ほど、そういう感情を向けられるのが怖いと言った。落ち着いた今でもまだ恐ろしいと感じている。

 

 

しかしだ。彼女はそれすらも大きく包み込むほどの優しさで俺を包んでくれた。

これまで他人にこんなことをされた記憶がない。その優しさは母親が子に向ける愛情に似ているような気がした。

 

 

 

これは偽物だ。本物なんかじゃない。

いや、違うな。俺が偽物なんだ。

彼女の感情は本物。

 

 

その本物の感情が俺は嬉しかった。

形はどうあれ、それは俺が心のどこかで欲していたもの。絶対、手に入らないと諦めていたのもの。

 

 

それを無償で与えてくれた彼女にはもう感謝してもしきれない。下手すりゃ惚れてる。

 

 

そこでだ。俺の辿り着いた結論。

こうなった原因を突き止めなければならない。

今の俺は三浦やその他のメンバーが求めている俺ではない。悪く言えば、今の俺は彼女らからすれば偽物なのだ。騙していると言ってもいい。

これ以上、彼女らを嘘をつくわけにはいかない。

 

 

なにより、そう言った感情を送ってくれる彼女らに申し訳なくて、罪悪感に押しつぶされそうになったからだ。

 

 

一刻も早く、原因を突き止め、雪ノ下や由比ヶ浜、葉山を見つけ出し、三浦たちを元に戻す。

 

 

これが俺の出した結論。

 

 

頭ではそう力強く考えるものの、どこかの主人公のように行動力があるわけではない。現状での俺はただ目の前で起きていることに頭を悩ませていることしかできない。だが、これでいいのだ。

 

 

起きている現象について考えることはなにより大事なこと。放心し、ただ呆然としていることしかできなかった午前中よりは随分と進歩した。

 

 

ここで授業2時間分を潰して考えついたものに関して、記述する。

 

 

1つ目は世界がおかしくなった説。

これに関しては少々飛躍しすぎていることは自覚している。

残念ながら、俺の生きている世界には、世界を丸ごと改変させることのできるSFメルヘンパワーは存在しない。仮にしたとしてもそれが一般市民でなんの変哲もないただボッチである俺に関わってくるはずがない。

いや、百歩譲ってそれが俺なんかに関わってくる物好きだったとしよう。

今の現状は一体、なんだ。

未知の存在であるそれが昨日の俺の頭の中を覗き見て、今の状況を作ったとしよう。なんの説明もつかない。そもそも俺が昨日妄想していたものとは大きく異なる。

なにより俺をリア充にしてなんのメリットがある。

 

 

それから消えた人間たちについて。

雪ノ下や由比ヶ浜、葉山の存在を消してなんの意味がある。

 

 

これが俺への精神攻撃だとするならば、大いに大成功と言えよう。

しかし、これについても何かメリットがあるとは考えにくい。

 

 

俺が誰かに恨まれていたとして、学校規模のドッキリ。今朝の小町の様子も少しおかしかった。下手をすれば学外に広がるまでの大規模なイタズラなんてあるはずがない。

 

 

一介の高校生である俺にこんなことをする意図が理解できない。

 

 

 

2つ目に移ろう。

 

 

これについてはあまり考えたくないのだが、本当に俺の頭がおかしくなったという可能性。残念ながらこれも現状では捨てきることはできない。

本当は雪ノ下や由比ヶ浜なんて人物は最初から存在しない。

彼女らの存在は俺の頭の中だけであって、現実には存在しない。所謂、統合失調症というやつだ。

正確にはわからないが、”まさかとは思いますが、それはあなたの想像上の”云々のコピペを見たことがある。

 

 

今の俺が当てはまるのかどうかは定かではない。が、俺の思考はまだまともだ。いや、こう思う自体がもうそれに近いことなのかもしれない。自分を自分でおかしいと思うやつはこの世にはいないだろう。

 

 

もうこれ以上、これについて考えたくない。そろそろ結論を出そう。

今の俺の持っている記憶自体がすべて妄想。俺はボッチではなく、リア充。俺は自分がボッチだと思い込んでいる。被害妄想というやつだ。

雪ノ下や由比ヶ浜なんて人物は俺の想像上の存在でしかない。

 

 

もしこれが本当だとするともうお手上げだ。自分自身でどうにかすることはできない。

 

 

しかしながら、1つだけ疑問がある。

リア充が統合失調症になどなるものなのか?

こればかりはリア充ではない俺にはわからない。だが、リア充の彼らであっても人間関係に悩み、苦しむことを知っている。残念だが、この可能性を完全に否定するほどの材料にはならない。

 

 

以上のことから、現実主義な俺からすれば悲しいことに2つ目の方が現実じみている。

 

 

悲しいにも程がある。自分が哀れにされ思えてくる。

 

 

これまでの俺の人生はすべて自分で捏造したもの。

 

 

マジかよ。原作で言うなら8巻分。アニメで言うなら一期と二期を合わせたDVD12巻分の俺の活躍を書き換えられたようなもの。

 

 

例えるなら、銀〇んが金〇んにDVD60巻分の活躍を乗っ取られたような感じ。そのまんまだな、おい。

 

 

 

まだ大丈夫。俺はまだ大丈夫だ。

こんなくだらないことを思いつけるほどにはまだ大丈夫だと思う。いや、そう思いたいだけか。

 

 

おそらくこの先、誰かからの協力を得ることはできないだろう。

 

 

それでもだ。俺は原因を突き止める。

 

 

 

俺はバチが当たったのかもしれない。

散々、逃げ続けたから。今だからそこ思うことがある。

 

 

俺にはやらなきゃいけないことがあるんだ。

 

 

あの部室をそのまま放っておくわけにはいかない。

 

 

 

最後にもう1つだけ。

俺の中で何かが引っかかっている。

 

 

しかし、どんなに頭を捻ってもそれがなんなのかを突き止めることはできなかった。

 

 

 

×××

 

 

 

終業のチャイムが鳴っていることにさえ気がつかないほどに考え込んでいた。既に帰りのHRは終了しており、教壇の上には担任教師の姿はない。クラス内の生徒たちも皆、一様に帰り支度を始めている。

 

 

まだ彼らからは心配や疑いの眼差しは向けられている。しかし、それ以上は何かしてくることはなくなった。たぶん三浦のおかげだ。特に何かしているところを見たわけではないが、そんな気がした。

 

 

ただ何もせずに自分の席に座っている。すると、隣から声をかけられた。

 

 

「八幡、帰んないの?」

 

「ええ?ああ、帰るよ」

 

 

三浦からかけられた言葉になんとか反応した。

いつもなら俺はあの部室に行く。だが、雪ノ下のいないこの学校に奉仕部があるとは思えない。

おそらくあの部室はただの空き教室になっている。

 

 

 

いくら落ち着きを取り戻したと言ってもそれはほんの少しだけ。こんな状況に追い込まれている俺の精神的疲労は極限にまで到達していた。

なかなか席を立とうとしない俺の周りにこのクラスのトップカーストの面々が集まっていた。

 

 

その中から戸部が一歩踏み出て、俺の肩に手を置く。

 

 

「何があったのかわかんねえけど、元気出せよ!」

 

 

そう元気付けてくれた戸部に続いて、大和、大岡が声をかけてくる。

 

 

「なんかあったらすぐに言えよ!」

 

「俺たちにできることがあれば協力するぞ」

 

 

なんだよ。やめろっての。もう優しくすんなって。泣いちゃいそうになるだろ。

そして、最後に戸部が言う。

 

 

「じゃあ俺ら、部活行くからさ!じゃあな八幡!」

 

 

俺を励ましてくれた男子3人は軽く手を挙げ、部活へと向かっていった。

残されたのは三浦、折本、海老名さんの女子3人。

 

 

「比企谷、マジで大丈夫?いつもと全然違うし」

 

 

俺の顔を覗き込んで、そう言った折本の肩に海老名さんが手を置く。手を置かれた折本は振り返って海老名さんの顔を見る。そしてなぜか頷き合った。なんらかの意思の疎通があったようだ。

 

 

「ごめんね、ハチハチ。今日はちょっと用事があってすぐに帰らなきゃいけないんだ」

 

「あ、私も他の高校の友達と約束あったんだっけ」

 

 

突然の申し出に三浦も驚く表情を作っている。

 

 

「ちょ、あんたらいきなり何言ってんだ……」

 

 

三浦が最後まで言い切る前に海老名さんの耳打ちする。

そして、彼女らは俺と三浦を残して、この場を去っていく。

 

 

「じゃ、ハチハチのことよろしくねー」

 

「優美子、比企谷、じゃあね」

 

 

彼女らが最後に見せた含みのある表情はなんだったのだろうか。そう思うも、そんなことを考える余裕は俺にはなかった。

三浦はというと、少し顔を赤らめて憤慨していた。

 

 

「余計なことすんなし……」

 

 

その言葉を最後に少しの沈黙。

その後に三浦が口を開く。

 

 

「八幡、帰ろ?」

 

「お、おう」

 

 

ようやく重い腰を上げた俺は、三浦とともに教室を後にした。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

先ほど、落ち着きを取り戻したと言ったが、俺の精神状態は自分が思っているよりも酷い状態にあるらしい。それを知らしめる出来事が起きた。

 

 

自転車を学校に忘れた。

 

 

絶対にありえない。毎日自転車に乗って登校しているというのに忘れるなんてことがあり得るわけがない。

しかし、一緒に下校している三浦に指摘されるまでまったく気がつかなかった。

幸い、指摘されたのは校門の前。なんとか取り繕ってすぐに取りに戻ったが、三浦の怪訝そうな視線をさけることはできなかった。

 

 

そろそろやばい。本当にやばい。

そのことにとてつもないくらいに途方にくれる。しかし、これ以上三浦に心配をかけたくないという気持ちから俺は気丈に振る舞う。

 

 

でもそれは完全に見抜かれていた。

 

 

三浦は電車に乗って帰宅するらしい。俺はそれに付き合って、駅へと向かっていた。

 

 

道中、大した会話はなかったが、駅を目の前にした時、彼女は意を決して問いかけてきた。

 

 

「八幡さ……」

 

 

立ち止まった彼女に合わせて、自転車を押す手を止める。

三浦は目線を下に落とし、言いづらそうに言う。

 

 

「なにがあったの?」

 

「いや……」

 

 

答えることができない。

そもそもどう説明したらいいのか、どこから話せばいいのか、なにより、今の俺は三浦の知っている俺ではないなんて言いえば確実に精神病院に担ぎ込まれる。

 

 

結局、そのままなにも言うことができなかった。

そんな俺を見て、耐えられなくなったのか、彼女の方から彼女らの名が出る。

 

 

「今日の八幡、いつもと全然違う。それに雪ノ下さん?と由比ヶ浜さん?って誰なの?」

 

「それは……」

 

 

たじろぐ俺に三浦はグイグイと詰め寄ってくる。

 

 

「ねえ!あーしは心配してんだよ?それにみんなも!急にどうしたん?髪も黒くしたし、なにがあったんだし」

 

「三浦……」

 

 

もう勘付かれつつある。当たり前だ。これだけの悪態を披露してしまっているのだ。気づかれないわけない。もうバレるのも時間の問題か。

一層の事、すべてを告げてしまうべきか?これは賭けに近い。

失敗すれば、頭のおかしいやつだと思われる。成功すれば、協力を得ることができるかもしれない。しかし、彼女を巻き込んでしまっていいのか?

もしかしたら、俺はとんでもない事件に巻き込まれている可能性も十分にある。

ダメだ。やはりそうすべきではない。

 

 

彼女はただの高校生。実はピュアで見た目がちょっとだけ派手目な今時の女子高生なのだ。

 

それに今が1番楽しい時期でもある。巻き込めば、人生でたった一度しかない高校生活を潰してしまうかもしれない。

そんなことは絶対にあってはならない。偽物である俺に彼女の青春を奪いことなど許されない。

 

 

それに俺はまだなにもしていない。なんの行動も起こしていない。

 

 

まだ俺にはやれることがたくさんある。

 

 

そう決意を新たにしたのだが、三浦は口をへの字に曲げ、大変不機嫌そうな様子。

 

 

「また言ったし」

 

「な、何をですか?」

 

 

三浦は強い眼差しで俺を睨む。おお、怖い。あと怖い。女王さまはご健在なのですね。

なぜ突然睨みつけてきたのか。大体、見当はついている。

 

 

「さっき名前で呼んでって言ったし」

 

 

やっぱりか。さっきはどこか照れくさそうに言っていた気がしたのだが、今回は違う。彼女の目は”2度目はねぇぞ?ああん?”と言っているような気がした。そんなこと言われても。

 

 

そのまま蛇に睨まれたごとく固まる俺。やばい。何がやばいってまじやばい!

 

このまま笑ってごまかすか、それとも謝って素直に名前を呼ぶか。

というか、三浦は葉山にこんなこと絶対に言わないし、やらないだろ。この世界においての俺と葉山の扱いは完全に同じというわけではないか?

いや、こんなこと考えている場合じゃない。この状況を切り抜ける策を考えなければ。

 

 

俺たちの間に沈黙が流れる。

 

 

 

 

そしてなぜか三浦から笑みがこぼれた。

 

 

 

「ふふ、マジウケる。八幡、何本気でキョドってんだし」

 

「な、なんだよ」

 

 

いや、俺がこうなってるのあなたのせいだからね?

恨めしそうな顔をする俺を見て、三浦はさらに声を上げて笑う。

 

 

「マジウケる!マジでどうしたんだし」

 

「ウケねえよ」

 

 

何回マジって言ってんだよ。しかし、こんなに楽しそうに笑う三浦を初めて見た気がする。

なぜだかはわからない。たぶん釣られたんだろ。気づけば俺も一緒に笑っていた。

 

 

一通り笑ったあと、俺は三浦に声をかける。

 

 

「三浦」

 

「また言ったし」

 

 

なかなかに食い下がってくるんですね。まじでやばいし、優美子なんて呼べるわけないし。

 

 

「まぁもういいけど」

 

「いいのかよ」

 

「うん。もうなんとなくわかったから」

 

 

一体何がわかったのだろう。

それについて尋ねることはできなかった。

 

 

「じゃああーし行くね」

 

「お、おう」

 

 

三浦は軽く手を振り、身を翻す。

三浦は本当に優しい女の子だ。

今日、俺は何度彼女に救われたことか。

彼女は何かに勘付き、一度は尋ねて来たものの、結局、最後までそれを聞き出そうとせず、グッと堪えてくれた。

 

 

そして今の俺を笑わせるなんて至難の技をいとも簡単にやってのけた。

面倒見もいい上に顔も可愛い。俺なんかにはもったいない。

 

 

去っていく彼女の後ろ姿を見つめながらそんなことを思った。

 

 

すると、クルッと振り返って三浦は言う。

 

 

「なんかあったらすぐ電話ね!絶対だかんね!」

 

「お、おう」

 

 

声が届いたかどうか不安だった。代わりに右手を挙げて見せる。

それを見て、はにかんだ笑顔を見せた三浦はまたクルッと振り返って駅へと歩いて行った。

 

 

電話ってお前の電話番号知らないし。

 

 

そんなことを思いながら、あることを思い出す。

 

 

 

 

電話……。携帯……?

 

 

携帯!?

 

 

完全に忘れていた。昨日、部室に携帯を忘れたままになっていた。

 

あの携帯には、由比ヶ浜の番号が登録されている。

もし、あの携帯がまだあの部室に残っていればこの状況を打開する手がかりになるかもしれない。

 

 

俺は急いで自転車をUターンさせ、学校へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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彼はあの物語を思い出す。





どーも、にが次郎です。



今回はちょっと短いです。
まぁそのちょっと超展開?です。
そう来たか、何て思ってもらえると嬉しいです。笑



では、どーぞ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全速力で学校に舞い戻った俺は、階段を駆け上がっていた。

急いだところでなんの意味もないことはわかっている。だが、そうせずにはいられなかった。

消えてしまったあいつらにようやく近づける手立てを見つけたのだ。焦るなという方が無理な話だ。

 

 

雪ノ下のいないこの学校には、奉仕部は存在していない。よってあの部室は空き教室になっているはず。おそらく鍵は開いていない。

しかし、歓喜にも似たその感情が俺を焦らせたおかげでそんなことは完全に頭から抜け落ちていた。

残念ながら、思い出したのは部室の前に辿り着いた頃。廊下の壁にもたれかかり、上がった息を整える。

 

 

しくったな。また職員室のある階まで戻らなればならない。もうダメだ。こんなに走ったのはいつぶりだろう。

膝に手を置いて、前傾姿勢を取り、大きく深呼吸。仕方ない、もうゆっくり行こう。焦って走って、階段から転げ落ちて頭でも打ったら致命的だ。

 

 

姿勢を戻して、ふと、部室の扉に目をやる。その扉はほんの少しだけ開いていた。気のせいじゃない。それによく見れば教室内は明かりが付いている。

 

 

中に誰かいる。

 

 

俺の中にある歓喜する感情と新たに生まれた困惑の感情がぐるぐると渦を巻いて行く。

放課後という時間から察するにこの教室は何かの部活動で使用されているのか?その可能性は十分にある。

 

 

俺たちが慣れ親しんだこの部室を俺の知らない誰かが使用しているかもしれない不安が俺を包み込む。

 

 

嘘だろ。もしかしたらこの世界にもちゃんと奉仕部が存在していて、俺たちではない別の誰かが活動しているとしたら。

 

 

なんだろうか。この感覚は。

自分のものを誰かに奪われたような。

いや、そもそも俺のものではない。あの空間を私物化する気など毛頭ない。

しかし、己の内側から滲み出してくる悔しさを押し留めることができなかった。

 

 

くそったれめ!なんだよ!

ずっと誤魔化して、取り繕い続けて、終いには嘘までついて。

 

 

それで、突然それが目の前から掻っ攫われたらもうダメだなんて嘆いて。

俺はバカだ。近年稀に見る大バカ野郎だ。

できることなら自分を思いっきりぶん殴ってやりたい。

 

 

そうだ。俺はまだ何1つやっちゃいない。できないできないと嘆いてばかりで何もしていない。

 

もうそんなのはやめだ。

もう逃げない。必ず取り戻すんだ。

 

 

そう己に固く誓い、扉に一歩ずつ歩み寄る。

 

 

そして扉に手をかける。その手が若干、震えていたが、そんなことはもう気にしない。これは武者震いだ。そうに違いない。

 

 

俺は意を決して扉を開け放った。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

開け放ったその先にあった光景を俺は知っている。いや、そこが奉仕部の部室だからとかそういうことではない。

 

 

俺は見たことがあったのだ。

 

 

教室中央に置かれた長テーブルの隣に置いてある椅子に腰掛け、読書に耽る少女の姿を。

 

 

確かに俺は今年の春先に今と同じようなものを目にしている。しかし、その少女の姿は雪ノ下のように気高くはない。そこに腰掛け、読書に耽っている少女は雪ノ下雪乃ではない。

 

 

俺は目の前に広がる光景を雪ノ下と出会う前に確かに見ている。

 

 

その光景はあの映画のワンシーンに酷似していた。名作と名高きあの作品のワンシーンをそのまま再現したかのような、そんな光景だった。

 

 

そこにかける少女は驚愕と困惑を合わせたように目を見開き、ほんの少し口を開けている。なんでお前がそんな顔をしているんだ。

 

 

黒い髪は肩にかからないほどの長さで切り揃えられ、眼鏡をかけている。制服もこれでもかというくらいに正しく着用されている。

 

 

まさに文学少女といったところだ。

 

 

俺はそれを見て、驚きというよりもやるせなさを感じた。

 

 

俺の置かれている状況。

目の前にいる少女の姿。

 

 

俺はここにきて、より正確に正しく現状を理解した。

 

 

そういうことかよ。畜生めが。

 

 

 

そこに居たのは、変わり果てた由比ヶ浜結衣だった。

 

 

 

髪は染められておらず、生まれたままの黒髪。控えだったメイクもまったく施されていない。その代わりにあるのは銀縁の眼鏡。正しく着用された制服。膝に届くほど長いスカート。

 

 

俺の知っている由比ヶ浜とはまったくかけ離れた姿。

 

 

 

なんでお前がその役を買って出ている。誰だ!誰がなんのためにこんなことをした!?

 

 

ようやく会えたというのに、俺の中に湧き上がる感情はそれに似つかわしくないものだった。

 

 

しかし、このまま呆然としているわけにもいかない。だからといって問い質すこともできない。一色の件でもう懲りた。俺は平静を装い、声をかけた。

 

 

「由比ヶ浜か?」

 

「あ、はい……」

 

 

我に帰った由比ヶ浜は恥ずかしそうに目線を下に落とす。

 

 

「突然、悪いな」

 

「だ、大丈夫」

 

 

どうしてそんなにもどもって、恥ずかしそうにしているんだ。それではまるで全然知らない男子が突然飛び込んできて、それに驚き、困惑する文芸部員のようではないか。

もうお前は俺の知っている由比ヶ浜ではないのか?

 

 

落胆しつつも、なんとか言葉を捻り出す。

 

 

「実は昨日、ここに忘れ物をしてな。ちょっと探させてもらってもいいか?」

 

「う、うん」

 

 

そう言って由比ヶ浜は席を立つ。そして、俺を遠ざけるように教室の隅へと移動する。

 

 

俺は少々胸にチクチクとした痛みを感じつつも、本来の目的を実行する。しかし、携帯が見つかることはなかった。

 

 

「ないみたいだ。邪魔したな」

 

「あ、はい……」

 

 

口ではそう言ったものの、なかなか教室の外へと出ることができなかった。なんと言えばいいか、大きなヒントは得ることができた。しかし、名残惜しいというか、今の由比ヶ浜を見て、居ても立っても居られなかったんだと思う。

 

 

なかなか立ち去ろうとしない俺を不審に思ったのか、由比ヶ浜の方から声をかけてきた。

 

 

「あの、すいません」

 

「なんだ?」

 

 

できるだけ優しく返答したつもりだったのだが、由比ヶ浜の口は閉じ、また俯いてしまう。

 

 

少しの間のあと、彼女は勇気を振り絞ったような表情で尋ねてくる。

 

 

「あの、忘れ物ってなんですか?」

 

「ああ、携帯だよ」

 

「それは、昨日、の、いつ……?」

 

 

辿々しく出た声はどんどん尻窄みになっていく。聞き取らず辛かったが、まぁ意味は伝わった。

 

 

「昨日の放課後だ」

 

「放課後?」

 

 

口にしてから失敗したことに気がつく。

おそらく昨日の放課後も由比ヶ浜はここで読書をしていたのだろう。彼女はなんらかの部活動でこの教室を利用している。本を読んでるあたり、きっと文芸部。

彼女は訝しむ顔をしている。そりゃそうだ。自分が昨日、ここで部活動を行っていた時に俺は姿を見せていない。なのに、俺は放課後に携帯を忘れたと言った。これでは矛盾が生じてしまう。これに続けて、もし俺の今日の一連のおかしな行動が彼女の耳に入っていたとしたら、完全に変質者だと思われる。

 

 

このままではまずい。できることならもう彼女に嘘はつきたくなかった。しかし、ここで選択肢を間違えれば確実に真相から遠退く。ダメだ、全然いい案が浮かんでこない。

 

 

頭を悩ます俺を見て、由比ヶ浜は困ったような表情になる。どうすればいい。

 

 

言葉に詰まっていると、意外にも彼女の方から尋ねてきた。

 

 

「放課後って、私が帰った後?」

 

 

そうか、その手があった。しかし、それではまだ疑問が残ってしまう。

彼女がどの時間帯までここにいたのかはわからないが、部活動を行っていたのだ。下校時刻まではここにいたはず。現に今日も下校時刻の少し前までここで読書していた。

彼女が帰った後となると、下校時刻を過ぎていることになる。

現在の彼女となんの関わりもない俺がそんな時間に1人でここを訪れるなんてことがあるはずがない。

 

 

考えうる限りのマイナス要素で頭がいっぱいになる。

 

 

教室の隅に立つ彼女が俺と同じ思考回路を辿っているかどうかはわからない。が、彼女は悩むような素振りを見せた後、もしかしてと小さく呟いて、教室内に置かれている本棚へと向かう。

 

 

その本棚の上に置いてある藁半紙を一枚手に取って、ゆっくりと俺に近づいてくる。

 

 

そして俺の前に立ち、恥ずかしそうに、且つ懇願するような目で俺を見ながら掠れる声で言った。

 

 

 

 

「よかったら……」

 

 

 

差し出されたのは白紙の入部届けだった。

 

 

 

やはり俺はその光景を知っていた。

 

 

 

×××

 

 

 

 

由比ヶ浜から入部届けを受け取った後、ちょうど下校時刻を知らせるチャイムが鳴った。

俺はなんとも言えない複雑な思いを抱えたまま、部室を後にし、由比ヶ浜と別れた。

 

 

 

俺は現在の自分の置かれている状況をさらに良く理解した。

俺はこの物語を知っている。

今の俺の現状はその物語に酷似しているいる。

 

 

俺は大きなヒントを得ることができた。俺の中に引っかかていたものはこれだ。

 

 

いや、ヒントというよりもう答えに近いな。正確な答えが出ないのはこれを”誰がやったのか”という点だけである。

 

 

そろそろそのヒントがなんなのかをお披露目しよう。

今、俺の置かれている状況によく似た小説を知っている。

かつて一世を風靡したと言ってもいいほどの作品。一時は爆発的な人気を誇り、アニメ化映画化までされた作品。

 

 

何を隠そう、その作品の名は

 

 

 

涼宮ハルヒの憂鬱。

 

 

 

おそらく大多数の人が知っていると思う。だからあらすじなどは省くが、俺がよく似ていると言っているのはその作品の続編にあたる、涼宮ハルヒの消失。

 

 

 

その作品に俺が置かれている状況は非常に酷似している。

 

 

いるはずの人間が消失し、いないはずの人間が存在する。

周りの人間たちの記憶や出来事、人物像までもが書き換えられ、俺だけがそのまま取り残される。

 

 

 

もう本当に意味がわからない。

こんなことが現実にありえていいわけがないのだ。

 

 

この世界にはSOS団もないし、涼宮ハルヒも、SFヘンテコパワーも、小泉の所属する機関も、朝比奈さんのような未来人も、長門のような宇宙人も、ましてや情報統合思念体など存在するわけがないのだ。

 

 

小学生の頃はまだウルトラマンや仮面ライダーが本当に実在すると信じていた時期もあった。中学生の頃には世界を征服しようと目論む組織やそれに対抗し、裏で暗躍するヒーローが俺の知らないどこかで存在しているのではないか。何かのきっかけで自分もその仲間に入れるのではないか。そんな妄想に駆られた。

 

しかし、時間とは残酷なもので成長とともにそんなものは存在しない、すべてが想像上の産物、フィクションなのだと気がつかされた。

まだ17年という短い人生だが、それくらいのことはちゃんと理解しているつもりだ。

 

 

そこでだ。今のこの状況はなんだ。

俺が昔、夢にまで見た非日常が目の前にあるではないか。

 

 

こんなことが起きるはずがない。

だが、実際に起きてしまっている。

 

 

今起きている現象を理解することはできた。俺はなんらかの事件、ないし現象に巻き込まれた。

俺の頭がオシャカになった可能性も捨てきれないが、今は置いておこう。

 

 

で、だ。

俺は理解はしたが、認めてはいない。

これだけの事態に見舞われながらも心のどこかでまだ否定している。

認めたくないのだ。認めてしまえばそこで完結してしまいそうな気がして。

 

 

もちろんこのまま終わらせる気はない。が、どうしても雪ノ下や俺の知っている由比ヶ浜が消えてしまったことを認めることができなかったのだ。

 

 

それはなぜか。

わかっている。わかりきっている。

そんなことはここに書き出さなくても、十分にわかっている。

 

 

ここから先に進むには大きな勇気が必要になる。現実を受け止め、原因を解明し、世界を元に戻すために突き進む勇気だ。

 

 

そんなものが俺にあるのか?

そんなものはない。俺はあの物語の主人公のように非日常に見舞われたこともなければ、上記にあるヘンテコな知り合いもいない。それどころか友達と呼べる人間すらいない。

 

 

それでもだ。俺はやらなければならない。いや、違うな。俺がやらなければいけないのだ。

 

 

俺になんらかの罰が当たったとしよう。それで俺はこんな状況に追い込まれている。

 

 

罰が下された原因はこれでもかというくらいにわかっている。ならば俺がやるべきだ。

 

 

もうこれを自分に問うのは最後にしよう。

 

 

 

これでいいのか?

 

 

 

もちろん、答えは”NO”だ。

 

 

 

 

 

 



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どう足掻いても絶望。

 

 

 

 

 

 

 

そうと決めたからにはあの小説をもう一度、読破する必要がある。

もう何年も前に読んだものだ。好きな作品の1つではあったが、何度も読み返したりはしていない。大まかなあらすじは覚えているが、記憶が曖昧になっている。

あの小説には映画版もある。あの映画は原作に忠実で非常によくできていた。しかし、都合上、カットされたシーンも存在する。その部分がどのくらい大事なものになってくるかはわからないが、やはり原作をもう一度読み返した方がいい。

 

 

一刻も早くそうしたかった。今はスマホでもライトノベルを読むことができる。しかし、現在、俺は自分の携帯を紛失してしまっている。まぁ焦ることはないのだ。

家に帰れば、原作のライトノベルがある。俺の部屋の本棚の隅に忘れられたように置かれているはず。

 

 

俺は帰路を急いだ。

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ない……」」

 

 

 

思わず口に出てしまった。

 

家に帰って、出迎えてくれた小町とカマクラを適当にあしらって来たというのにない。部屋中ひっくり返して探したが、一向に見つからない。

それどころか、俺の部屋の本棚が大幅に変更されている。なにこれ?どういうこと!?

 

 

本棚にあった大量の小説、ライトノベルの類が姿を消し、漫画や雑誌にすげ変わっている。マジかよ。俺の大事なラノベちゃんたちが……。

 

 

たぶんだが、なくなった理由。それは俺がリア充になったからではないかと思う。これは俺の勝手な見解だ。リア充で友達もいて、彼女もいるような人間でもライトノベルを好んで読むような奴もいるだろう。いろんな人から愛され続けるライトノベルってすごい!!

 

 

話が逸れた。

 

 

不思議なことにすべてがなくなったというわけではなかった。それは本棚の隅に申し訳程度に保管されていた。その作品たちは俺が中学の頃に好んで読んでいたもの。これはどういうことだろう。これについては後で考察しよう。

 

 

ないものは、しょうがない。

もうこうなったら映画版でも構わない。

自室のパソコンをすぐさま起動し、我らがGoogle先生に聞いてみることにした。今の時代、ネットで調べれば動画の1つや2つすぐに見つかる。違法視聴はよくないよ!!

そんなことは百も承知だ。しかし今は緊急事態なのだ。許せ、著作権。

 

 

俺は検索欄に”涼宮ハルヒの消失”と打ち込み、Enterキーを叩いた。

 

 

 

 

結果報告。

 

 

 

涼宮ハルヒに関する情報は何一つヒットすることはなかった。

表示されているのはまったく関係のない記事ばかり。画像1つ映し出されることはない。

 

諦めずに検索を続ける。

消失を憂鬱に変えてみたり、退屈に変えてみたり、驚愕、動揺、溜息……。

 

 

結局、涼宮ハルヒに関連する情報は何一つヒットすることはなかった。

 

 

これは一体どういうことだ?

 

 

なぜ、この作品自体の存在までもが消失しているのだ。

もしこれがこの現象を引き起こした奴の仕業ならかなり厄介だ。俺がここまで辿り着くかもしれないと予想していたことになる。まったくどこの馬鹿だ。あの名作を消しやがって。

 

 

しかし、原作者の名前を調べてみると原作者さんは存在していた。涼宮ハルヒ以外の作品はちゃんと存在している。やはり意図的に消された可能性が高いな。

 

 

ここに来て、またも振り出し。

きっと今頃、こんなことを仕出かした奴は俺の落胆ぶりを想像してほくそ笑んでいることだろう。そんなことを思うと、なんだか腹が立つ。

 

 

1人、自室で頭を抱えていると、後ろから声をかけられる。

 

 

「兄貴?」

 

「うおっお!?びっくりしたな」

 

 

振り返ると、心配そうに俺を見つめる小町の姿があった。

 

 

「なんかあったの?」

 

「ああ、いやなんでも」

 

「もしかしてお気に入りの動画が消えちゃったとか?」

 

 

いやいや、なぜそれの存在を知っている。てか、消えてない。

もしかして小町の奴、また俺のパソコンを勝手に使ったのか?しかし、俺に抜かりはない。絶対に見つからないところにパスワードをかけて隠してあるのだから。

 

 

「あんな単純なパスワードじゃすぐにわかっちゃうよ?」

 

 

ぬかった!!

なぜだ。なぜわかった!?というかもうお約束だよね。

 

 

あれを見られたのか……。

俺の性癖が小町に知られてしまったというのか。べ、別にそんなやばいやつじゃないから!普通だよ、普通!ちょっとアニ……。じゃなくて、もうお兄ちゃん泣いちゃいそう!!

 

 

「まぁなんでもいいけど、ご飯だよ?早くしないと兄貴の為に作った好物のハンバーグが冷めちゃう。あ、今の私的ポイント高い」

 

 

なんでもよくはないだろう。しかし、いつの間に俺の好物はハンバーグになったのだ。まぁ嫌いじゃないけど。

小町はそう言って俺の部屋を出て行った。

 

 

小町が去った後すぐに隠してフォルダを確認したところ、俺の趣味とは異なるものが保存されていた。

 

 

 

×××

 

 

 

 

リビングで夕食を食べながら、小町にこの件について聞いてみることにした。さすがにど直球に聞くわけにもいかない。いくら小町であってもすべてを正直に話せば、俺の頭がおかしくなったと疑うだろう。それに今の小町は俺の知っている小町ではない。最悪、親父か母ちゃんに通報される。

 

 

何から聞くか。まずは俺の髪のことについて聞いてみるか。

俺はそれとなく小町に尋ねる。

 

 

「小町」

 

「ん?」

 

「この髪、どう思う?」

 

「……」

 

 

小町は箸を止め、半目で俺を睨む。おお、この小町がやるとなかなかに怖い。

しかし、俺はこいつの兄貴だ。兄としての威厳を保つためにもここで退くわけにはいかない。

 

 

「どう?」

 

「どうって?」

 

「その色とか」

 

「朝も同じこと言ったじゃん」

 

「……」

 

 

小町の威圧的な態度に押し黙るどうも俺です。もう威厳も何もあったもんじゃねえな。元からねえか。

しかし、小町は世界がおかしくなったとしても小町は小町なわけで。

押し黙る俺を見て、やれやれといった感じで答えてくれる。

 

 

「まぁいいんじゃない?黒いのも」

 

「そうか?」

 

「金髪よりはいいんじゃない?あれやり続けると髪も痛むし」

 

「き、金髪?」

 

 

あまりの衝撃に意味もなく復唱してしまった。金髪て、おい。

金髪になった自分を想像することができない。目の濁った奴が金髪になんかしたらただのグレた非行少年だろ。

 

 

そんなことを思っていると、小町はじっと俺の顔を見つめる。

 

 

「ど、どした?」

 

「いや、兄貴さ、なんか目が……」

 

「目がどうした?」

 

「前みたいに濁ってきてるよ?」

 

 

な、なんだと……。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

夕食を済ませ、自室へと戻ってきた。

 

 

小町から聞き出せた情報をまとめよう。

 

 

小町によると、この世界の俺は中学時代までは今の俺とそんなに変わらなかったらしい。中学生までは目を濁らせてしまうほどのボッチだったとのこと。おそらく俺の部屋に残されていた数冊のライトノベルはボッチだった頃の遺品。

高校に入ってしばらくして髪を染め、次第に変わっていったらしい。所謂、高校デビューというやつだ。しかし、高校デビューとは、入学に合わせて行うものであるはず。入学してからしばらくしてということはこの世界の俺には何かがあったのだろう。何かが弾けてしまったのか。

1つ思うことがある。入学してからしばらくしてそんなことをやり始める奴は大抵痛い奴だ。1年の頃に同じクラスだった奴にそんなのがいた記憶がある。

しかしだ。今の俺の立場はどうだ。皆から慕われ、羨望の眼差しを向けられている。まるであの葉山隼人のように。

 

 

これには何か原因があるはず。俺が金髪にしたのも、何かきっかけがあったはずなのだ。

まぁこれについてはこれ以外考えても仕方がない。追々探っていくとしよう。

 

 

さて、本題に入ろう。

 

 

 

まずはここまでの情報をまとめる。

 

 

昨日、12月17日までは今までと変わらない普通の世界だった。その証拠に寝る前の小町は何も変わっていたなかった。

そして今日、12月18日の朝から異変が起き始めた。本来いるはずのないカマクラが布団に潜り込んでいたり、小町がお姉さん感を出し始めたのも今日の朝だ。

ということは俺が変な妄想に耽っていた昨日の未明から今日の早朝にかけて何らかの事象、あるいは改変があった。そう考えていい。

 

 

学校に行くと、風邪を引いた材木座に遭遇した。昨日会ったときは、風邪などまったく引いていなかった。それどころかどっかの空を飛べるあんぱんかと思うくらいに元気100倍だった。

あのときの材木座の様子は今思うと、少しおかしかった。風邪だけではない。話しかけた俺への返答があまりに他人行儀だった。この世界の材木座がどう変化しているかはわからないが、リア充へと変貌を遂げた俺と関わりがあるようには思えない。だから材木座は俺にあんな態度を取った。あいつからすればリア充が自分をおちょくりに来たと思ったのかもしれない。

 

 

で、教室に向かうと、戸塚が女の子になっていた。女の子に。

やっと俺の夢を実現できる。戸塚に毎日味噌汁を作って貰えるぅ!!!!

じゃなくてだ。戸塚は戸塚だから戸塚なのだ。もう意味わかんねえな。

しかし、現実的に考えると、戸塚は男の子だから魅力があるのだ。全然、現実的に考えてねえな。でも実際に戸塚が女の子になってしまったと考えると俺なんかではもう無理だ。まさに高嶺の花。もう手の届かない存在になってしまう。それは嫌だ。だから戸塚は男の子に戻ってもらう。真顔。

 

 

まぁ最初にそれに驚愕したわけだが、それに続いて、三浦、戸部、海老名さん。そして折本。

彼女らはとても親しげに話しかけてきた。それだけでもビックリ仰天するレベルだと言うのに、別の高校の生徒であるはずの折本まで登場する始末。たぶん折本の立ち位置は”朝倉”。やべえ、俺、折本に刺されるやん。

 

 

まぁ物騒なことを考えるのは後にしよう。だが、警戒しておくに越したことはない。

 

 

彼女らを含め、学校全体と言っていいほどの規模で俺の扱いは葉山と同等のものになっている。改めてそう考えるとやばいな。この世界の俺は何をしたんだろうか。

 

 

こういう考え方はどうだろう。

 

 

あの小説の主人公は涼宮ハルヒが引き起こす様々な事件にうんざりしていた。

俺は取り繕い続ける日々に嫌気が指していた。そして現実逃避した。

 

 

過程は違えど、どこか似てはいないだろうか。

 

 

あの主人公は最終的にその日々が楽しかったと認めた。面白くないわけがないと強く制定した。

俺も同じだ。失ってから楽しかったと、大切なものなのだと、心からそう確信した。

 

 

俺も馬鹿な男だな。まったく。

 

 

このことから物語自体は違えど、話の核は同じだと言うことがわかる。

こんなことを仕出かした奴は俺に知らしめたかったのだろうか。本当にお節介なやつだ。

 

 

そして消えた3人について。

由比ヶ浜は見つけ出すことができた。まったく別の姿になっていたが。

彼女の立ち位置は”長門”になるのだろう。なぜ彼女が選ばれた?あまりにキャラがかけ離れ過ぎている。本来ならこの役は雪ノ下はずだ。そっちの方がしっくりくるだろう。あの毒舌が消え失せた大人しい眼鏡をかけた雪ノ下の方がキュンとくる。何言ってんだ俺は。

しかし、由比ヶ浜ではただ呆然とするだけ。由比ヶ浜本人かどうかもわからなかった可能性だってある。

 

 

もうこれに関してはこれ以上文句を言ってもしょうがない。

 

 

あとは消えた雪ノ下と葉山だ。立ち位置は”ハルヒ”と”小泉”。

おそらくだが、あいつらは別の高校にいる。たぶん海浜総合高校あたりに。折本は”あんな頭のいい高校”と評していた。あの小説でもお嬢様学校が進学校に改変されていた。このことからあいつらは間違くそちらの高校にいる。

 

 

大体の立ち位置や改変はこのくらいだろうか。

 

 

最後に残されている点。

 

 

それはこの現象を”誰が”引き起こしたのかである。

大本命は長門と同じ立ち位置の由比ヶ浜。あの小説では、蓄積されたエラーデータがバクのトリガーとなって長門の異常動作を引き起こし、ハルヒのSFヘンテコパワーを掠め取った。

仮に由比ヶ浜が犯人だったとしよう。まず最初に由比ヶ浜はたぶん宇宙人しゃない。のっけから全否定だな。

気を取り直して、由比ヶ浜が何らかの方法でSFヘンテコパワーを掠め取ったとしよう。それは一体誰からだ。これで行くと、他の誰かがその力を有していたことになる。1番の謎はそれだ。

由比ヶ浜自身が最初からその力を有していた可能性もある。

しかし、由比ヶ浜がこんなことを願うか?

 

 

俺をリア充にしたのは……まぁいいとしよう。良くない。

問題は由比ヶ浜自身だ。

明るく元気で皆から人気だった由比ヶ浜が自分からあんな風になりたいと願うものか?いや、それはないだろう。

しかしだ。逆に彼女は疲れていたのかもしれない。空気を読み、皆に合わせて場を取り繕う。あいつの特技でもあった。あの部室でもずっと続けていたことだ。

由比ヶ浜はそんな日常にうんざりしていたのか?わからない。彼女の心の奥底まではわかりかねる。

 

 

しかし、昨日の帰りに見せたあの顔はなんだったのだろう。今思えば、伏線になっていたようにも思える。

 

 

残念ながら、犯人が由比ヶ浜だと絞り込むにはまだ判断材料が足りないな。

 

 

さて、次点での可能性がある人物。

 

 

それは雪ノ下だ。

以前、出会ったばかりの頃に”世界を人ごと変える”なんて野望を聞いたことがある。

これは由比ヶ浜にも言えることだが、なぜ俺をそのままにした?

あの小説では、どちらがいいか選べと選択肢を委ねられていた。俺もそうなのか?どちらにせよ、そんなものはもう決まってる。

そして、彼女が犯人に浮上したもう1つの理由。それは昨日の葉山との会話だ。

彼女らの会話からは切羽詰まっていた様子が窺い知れた。雪ノ下は葉山と何らかの協力関係にあり、世界を改変した。

しかしながら、この説で行くと、彼女はSFヘンテコパワーを有していないことになる。元々持っているなら、俺に宣言するまでもなく実行すればいいだけのことである。

そうならなかったということは、雪ノ下も誰かからその力を掠め取った可能性が高い。

 

 

 

 

 

そして、1番のダークホース。

陽乃さんだ。

 

 

なんとなくだが、SFヘンテコパワーを有している人物としては彼女が1番しっくりくる気がするのは気のせいか。

陽乃さんが俺を残して世界を改変するとは思えない。イタズラにも程がある。

陽乃さんに関しては違う説が考えられる。

 

 

陽乃さんはその力を元々持っていた。自覚があったかどうかはわからない。

あの慌てた様子から察するに、雪ノ下が世界を改変しようとしていることに気がつき、それを止めようとしていた。

しかし、それは叶わず世界は改変されてしまった。少し強引だが、その時に何らかの事件が起き、それが原因で俺だけが取り残された。

 

 

長らく考察したものの、どれも仮説の域を出ない。

この現象はおそらくあの小説を基づいて起こされたものであるはず。そうとは言い切れないが考え方は間違ってないはずなのだ。

 

 

だが、凝り固まるのはよくない。

 

 

別の観点から見てみよう。

 

 

俺が世界線を飛び越えた説。

あの小説の中にも同じような説が出ていた。

 

 

よく似ているがどこか違う。パラレルワールド的なアレだ。

 

 

この世界には確かにリア充になった俺がいた形跡がある。皆の記憶だけじゃない。今いる俺の部屋がそれを物語っている。

 

 

大量にあった小説の代わりにすげ変わったものの中にはファッション雑誌なんかもある。クローゼットの中には今流行りの洋服なんかもあった。それに俺の趣味とは明らかに違う動画の数々。アニメは1つもなかった。どちらかというと、、、やめておこう。

考察とは少し外れるが、リア充になろうと努力した跡が見られる。頑張ったんだな俺。俺じゃねえけど。

 

 

リア充になった俺が存在したのは確かだ。それで俺が世界線を飛び越えてきたとしよう。リア充になった俺はどこへ消えた?

まさかボッチの俺と入れ替わって俺の元いた世界には行ってしまったわけではあるまいな。

 

 

それだと、少し罪悪感が湧く。

必死に努力して、リア充になり得たというのに、一夜にしてそれが一変。

昔の自分の立ち位置に逆戻り。なんとも残酷な話だ。気が狂うまである。

しかしだ。その説が正しければ、あちらには雪ノ下と由比ヶ浜がいる。まぁ驚きはするだろうが、なんとかなるだろう。投げやり。

 

 

 

犯人の考察はここまで。

ここからはどうやって元に戻すか、または戻るか、だ。

 

 

うーん。これに関してはマジでなんも浮かばない。

あの小説のように3年前にタイムスリップしても何かがあるとは思えない。

俺の人生を照らし合わせても、3年前には学校の校庭に落書きする少女や未来から来た教師風未来人との思い出はない。さて、どうしたものか。

 

 

犯人が誰だかわかったとしても、改変されたこの世界でまだSFヘンテコパワーが残っている可能性は低い。これはあの小説基準だが。

 

 

これって結構やばい?

いや、マジでやばいな。あの小説をヒントにいくら考察しようとも、この現象を解決する手段が何1つ見つからない。

 

 

俺には頼れる宇宙人も未来人もいない。

 

 

さすがに手詰まりだ。

マジでどうしよう。

 

 

これってどう足掻いても絶望じゃねえ……?

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

なんとも言えない絶望感に苛まれながら、ベットへと倒れこんだ。

 

 

「やべえ……」

 

 

もうこの一言に尽きる。

打開策が全く見えてこない。

 

 

この現象を解決するための攻略本である小説の自体が消失してしまっている。

もう記憶が薄れているせいで、ここから先の内容がよく思い出せない。

 

 

確か、またあの部室に行って、その後、長門の家に行ったんだっけか?

となると、明日、俺は由比ヶ浜の家に行かねばならなくなる。さすがにそれは無理じゃね?

 

由比ヶ浜は団地育ちだと聞いている。まだその団地、もしくはマンションに住んでいるかどうかはわからないが、おそらく両親までは消失してはいまい。

この点から考えると、やはり雪ノ下の方がしっくりくる。あいつ、マンションに1人暮らしだし。かと言って、1人で雪ノ下のマンションに乗り込む勇気もないが。

 

 

さて、どうするか。

 

 

とうとう行き詰まり、同じような考えるがグルグルと頭の中を回っている。

あー、だめだ。考えれば考えるほど、マイナスな方へと突き進んでいく。

 

 

もう俺は戻れないんじゃないか?

 

 

頭に過るマイナスな要素を吹っ切るように体を起こす。

このままだと本当に気が狂いそうだ。

コーヒーでも飲んで気分転換でもするか。

 

 

自室を出て、リビングへと向かう。

すると、そこには疲れ果てた母親の姿があった。

 

 

「おかえり」

 

「あんた、起きてたんだ」

 

「ああ、眠れなくてな」

 

 

うん、普通だ。何も変わっていない。

この分だと親父も変わっていないだろう。そのことにどこか安心感を覚える。やっぱ家族って大事!

 

 

そんなことを思っていると、母ちゃんは俺の頭を見て、目を見開く。

 

 

「あんた、黒に戻したの?」

 

「ああ、なんとなくな」

 

「また昔みたいに戻ったの?目もなんか濁ってるわよ?」

 

 

なんでしょうね。この気分は。

安心感はあるのだが、どこか落胆させるような要素を含んでいる。

まぁ逆に言えば、これが俺の母親なのだ。どうせなら優しい母ちゃんになって欲しかったぜ。

 

 

その後、少しだけ会話をして母ちゃんは風呂に入ると言ってリビングから出て行った。その間に作ったコーヒーを持って自室に戻る。

その途中、小町の部屋の前を通ると、扉から光が漏れていた。そういや受験生だったっけな、小町。

 

 

心中で頑張れとエールを送って自室に入った。

 

 

熱いコーヒーをちびちび飲みながら、再び、思考を巡らせる。

 

 

1つ、まだ考察していないことがある。自分から掘り返したいものではないのだが、仕方ない。

 

 

それは俺の頭がおかしくなった説。

すべてが俺の妄想で、現実ではない。

 

 

先ほどとは別のベクトルで落ち込んでゆく。

しかしだ。この説を完全ではないが、由比ヶ浜の存在で否定することができる。

 

 

この世界の由比ヶ浜は大人しくて本が好きな普通の女子高生。

この世界の俺はかけ離れた存在。そんな彼女をわざわざリア充のトップカーストまで押し上げるか?

そんなことをするなら、他にめぼしい女子がいるだろう。戸塚とか。

 

 

冗談はさておき、そんな面倒なことをするとは考え難い。この説を完全なものにするにはやはり雪ノ下を見つけ出すしかない。理由は由比ヶ浜と同じ。別の高校から引っ張ってきてまでそんなことをするはずがない。あいつの存在を確かめることができれば、俺がまだ正気であることを証明できる。

 

 

しかし、海浜総合高校に乗り込んでも今の俺ではきっと相手にされない。

あいつとお近づきになるには、何か伝を作らなければならないな。

 

 

 

気づけば、時計の針はてっぺんを通り越している。

 

 

そろそろ寝るか。明日も学校だ。

明日はもう少し頑張るか。三浦にもう心配をかけさせたくない。

 

 

そんなことを思いつつ、ベットに潜り込んで布団を被った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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辿る道は、必ずしも同じとは限らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの悪夢のような12月18日が明けて、12月19日。

 

 

すべてが夢だったのではないか、なんて淡い期待をしていたが、残念ながらそんなことはなく、カマクラが布団の中に潜り込んでいた。暖かいなこいつ。

 

 

布団の中を覗き込んで、そのモフモフした毛並みを足でうりうりしてやると、また不機嫌そうに鼻をふすんと鳴らす。寝床を提供してやってるんだ。少しくらいモフモフしたっていいだろ。

 

 

俺の想いが伝わったのかどうかはわからないが、カマクラはそのまま少しだけされるがままにしていた。しかし、構われるのに飽きたのか、布団から這い出て扉へと向かう。

 

 

なんとなくだが、カマクラに話しかけてみることにした。わかっている。あの三毛猫のように哲学ネタを披露することはない。

 

名を呼ぶと、首だけ動かしてこちらを向く。自分の名前は把握しているようだ。

 

 

「おはよう」

 

「……」

 

 

当たり前だ。猫から挨拶が返ってくるわけがない。

そんなことを思っていると、カマクラは部屋の扉を爪でカリカリし始める。だからどうやって入ってきたんだよ。

 

 

ベットから半身を起こすと、キィッと音を立てて扉が開いた。ん?カマクラがやったのか?超能力?

 

 

残念ながらカマクラにそんなものは備わっていなかった。扉の向こうから姿を現したのは昨日と寸分変わらぬ姿の小町だった。

 

 

「兄貴、また寝坊?」

 

「ああ、悪い」

 

 

そう言われて時計を見ると、いつも起きる時間よりもだいぶ過ぎている。またやっちゃったな。

ああ、そうか。目覚まし代わりの携帯がないからか。やっぱり携帯ないと困るな。

 

 

小町は不機嫌そうな視線を俺に向け、カマクラを抱き上げてそのまま行ってしまった。

 

 

「起きるか」

 

 

グッと背伸びをして、ベットから立ち上がる。

窓を見ると、また霜が降りていた。

今日もまた一段と寒そうだ。やれやれだぜ。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

起きるや否や、小町に昨日に続いて寝坊したことを注意された。その姿は母親が子を叱るのに似ていた。小町にも母性が芽生えてきたのか。

いや、違うな。ダメな弟を叱る姉のような感じの方が近い。

 

 

いやいや、そんなことはどうでもいい。

 

 

 

素早く身支度を整えて、家を出る。

昨日は晴天だったのだが、今日は打って変わって曇天。それも相まって一層寒々しく感じる。めっちゃ北風吹いてるし。

 

 

ヒューヒューと吹きすさぶ風にも負けずに今日も自転車を漕ぐ。

 

改めて自分の状態を確認する。

一晩明けたからか、昨日に比べてだいぶ落ち着いた。もう昨日のような失態は繰り返さない。もう一度、あんなことをすれば本格的に精神に異常を来したのではないかと疑われる。

リア充になった自分を演じる気はない。だが、出来るだけ平静を心がける。普通にするのだ。まず普通にあいつらと接するのが難しいのだが。

しかし、昨日も言ったが三浦たちにこれ以上心配をかけさせたくない。今の俺が正気を保てているのはすべて三浦のおかげだ。

なにより彼女を巻き込むわけにはいかない。

 

 

そんなことを考えつつ、学校へと辿り着く。自転車を駐輪場に止め、下駄箱へと向かう。

 

 

その途中、俺を呼び止める声が聞こえた。

 

 

「はちまーん!」

 

 

その声は材木座でも戸塚でもなく、彼女のものだった。

 

 

息を切らして俺の元へと駆け寄ってきた彼女は俺を睨みつける。

 

 

「なんで昨日シカトしたし!」

 

「な、なんのことでしゅ……」

 

「LINEもしたし、電話もしたし!」

 

 

俺に詰め寄り、気迫満点でそう言ったのは三浦。

 

 

「わ、悪い」

 

「昨日はいつもと少し違かったから……」

 

 

三浦は言葉はどんどん尻窄みになっていく。最後に”心配させんなし”と呟くように言った。

 

 

その言葉は俺の心を撃ち抜いた。

 

 

恋に落ちたとかそういうことじゃない。

俺は軽率だった。俺が彼女と関わっている以上、俺がどんな些細な変調だろうと、それを見せてしまえば彼女に心配をかけてしまう。俺は今の彼女にとってそういう存在になってしまっている。

俺は彼女を感謝するだけで、彼女の感情を何1つ考えてはいなかった。

 

 

感情を理解しない。俺の悪い癖だ。

 

 

今の俺が偽物でも、彼女にとって本物ではなくとも。

 

 

もっとちゃんとしなければいけない。

 

 

 

俺は今出せる最高の明るい声音で優しく言う。

 

 

「悪かった。昨日の帰りに携帯なくしちゃってな。連絡する手段がなくて」

 

「そ、そっか」

 

 

三浦はそうポツリと呟いた。彼女の顔には少しだけ安堵の色が見える。

 

 

「その、三浦」

 

「優美子!」

 

「ゆっ、ゆみこ……」

 

 

あまりの気迫に思わず三浦の名を呼んでしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっと呼んでくれたし……」

 

 

 

 

また俺の心はまた見事に撃ち抜かれた。

彼女の見せた最高に嬉しそうな笑顔に。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

教室に着くと、いつもの面々であろう人物たちが出迎えてくれた。

 

 

「うす、八幡!」

 

「ハロハロ〜」

 

「あ、おはよー」

 

 

俺は三浦とともに挨拶を返す。

話の中に入り、彼らの談笑に混じる。

誰も昨日の俺の変調に関して尋ねてくることはなかった。彼らなりに気を使っているのだろう。

俺は平静を心がけた。言い方を変えれば取り繕っていた。彼ら彼女らを傷つけないために。

それは俺の心に酷く突き刺さった。

俺は元いた世界で同じことをして失敗した。なのに、また同じことをしている。

 

 

このままでは、いつか崩壊する。必ず俺が偽物だとバレる時が来るのだ。

一刻も早く何とかしなければいけない。

 

 

もうこれ以上、嘘をつきたくない。

 

 

三浦を、彼女らを傷つけないために。

 

 

 

 

 

そこから何とか凌ぎ続けたのだが、休み時間の度に成される会話の中で、所謂内輪ノリ的なものに対応するのに非常に苦労した。

俺が何か発言する度に生まれる少しの間。彼らの会話に熱心に耳を傾け続けたのだが、”っべー”とか”それな”とか言ってるだけじゃ対応しきれなかった。その間が生まれる度に三浦がフォローしてくれた。俺、全然取り繕えてねえ……。

一昨日までボッチだった俺がカースト上位の会話に混ざるのはさすがに無理があったか。

しかし、諦めるわけにもいかない。昼休みまでで彼らの”リズム”と言うのだろうか、それは大体把握できた。もう少しレッスンが必要な気がするが、そんな時間もない。頭をフル回転させて会話に参加すれば何とかなるか。リア充の会話ってこんなに大変なんだな。これならボッチのが楽だわ。

ちなみに俺は葉山の立ち位置に押し上げられたわけだが、キャラは全然違うらしい。葉山がいいそうなことを言ってみたのだが、皆にポカンとした顔された。勇気を振り絞って発言してみたのだが、皆の反応は俺の精神に大打撃を与えることになった。やっぱ本物のイケメンは違うわ。何言っても許される。但しイケメンに限るってこういうこと言うんだろうな。

 

 

そんなこんなで現在、昼休みなわけでいつも通り俺は昼食を用意してはいない。という訳で購買に向かっているわけなのだが、今日は三浦もついてきた。彼女も昼食を用意していなかったらしい。

 

 

購買で適当に惣菜パンを2つほど見繕って三浦と教室に戻る道中、由比ヶ浜の姿を見かけた。彼女は1人ではなく、3人の女子とともにいた。なんだ、友達いるんじゃないか。って何の心配をしているのだ。あの部室で1人読書に耽っていたからといって俺と同じボッチというわけでないだろう。

 

 

そのことに何故だか安堵してしまう。なんでこんなことを思ったのか自分でもよくわからん。

 

 

何気なく離れていく由比ヶ浜の姿を見送っていた。すると、三浦がそれに反応する。

 

 

「あの子……」

 

「し、知ってるのか?」

 

「どれを?」

 

 

えーと、なんでそんなに睨みを利かせているんですかねえ。

どれをと聞かれてもどう答えればいいのか。三浦の問いに答えかねていると

彼女は視線を緩め、口を開く。

 

 

「一年の頃、あの子らがいじめやってんの見たことがあって」

 

「いじめ?」

 

「気が弱い子見つけて金せびったりしてた。あーし、そういうのマジで嫌いだからすぐに辞めさせたんだけど」

 

 

さすが三浦さん。学年カーストでもトップに君臨しているだけはある。

三浦の言う通り、今の由比ヶ浜は確かに気が弱そうで大人しそうだ。いじめのターゲットにされている可能性もある。彼女は今の光景を見てそれを察したのであろう。しかしそうでない可能性もある。だが、それを聞いてしまった以上、確かめないわけにはいかない。

 

 

「なら……」

 

「それはダメ」

 

「まだ何も言ってないんだけど」

 

 

俺の言葉を制した三浦は複雑そうな表情を浮かべる。

 

 

「女子同士のいざこざに無闇に男子が絡むとろくなことにならないし。それにその男子が八幡ってなったら余計に面倒だし」

 

「そ、そうか」

 

「だから前の時も八幡には言わなかったんだし」

 

 

なるほど。女子同士の揉め事は面倒だと聞いたことがあるしな。

しかしこのまま放っておくわけにもいかない。

 

 

「あーしが見てくる。先教室戻ってて」

 

「そういうわけには」

 

 

そう口にすると、三浦は強い眼差しを俺に向けてくる。”言うことを聞け”ということだろう。三浦には悪いがそうはいかない。あの小説にこんな出来事はなかった。何かのきっかけになるかもしれないのだ。見逃すわけにはいかない。

 

 

「いや、俺も行く」

 

「だから……」

 

「直接何かするってわけじゃない。少し遠目から見てるだけだ。それに何かあったとき、止める役が必要だろ?」

 

「あーしは喧嘩したりしないし!」

 

 

そんなことをどの口が言うんですかね?夏休みの合宿のとき雪ノ下に思いっきり突っ掛かって行って反撃されて泣いたくせにと喉ものまで出かかったのを飲み込む。

三浦はそんなことを思っていた俺から何かを感じ取ったのか、訝しむ顔をする。

 

 

「何?」

 

「なんでもない」

 

 

俺の心中をさらっと読み取るのは世界が改変されても共通なんですね。わかります。

三浦は落胆するようなため息をついて少し笑みを浮かべる。

 

 

「まぁ、こうなんのはわかってたし」

 

「何がだよ」

 

 

言っとくけど、普段の俺なら絶対にこんなことしないからね!いじめっ子からか弱い女の子を救うなんて絶対ない!別に由比ヶ浜だからってわけでもないんだからね!(言ってない)

 

 

「んじゃ、さっさと行くし」

 

 

軽く返事をして、三浦とともに由比ヶ浜を追う。

 

 

女子トイレの中に入られたらまずいなとか考えていたのだが、彼女らが向かったのは屋上。相変わらず鍵が壊れているあの屋上だ。確か、女子同士の間ではそこそこ有名だとか聞いたことがあるな。それにしても屋上って。

 

 

見つからないように後を追う。

なんだか探偵になった気分だ。まぁ俺が探偵になるわけはないんだが。意味深。

 

 

そんなことを思いつつ、屋上へと到着する。彼女らは既に屋上に出ている。とりあえず俺と三浦は屋上の外へ出るドアをの前で待機。そろりとドアを少しだけ開き、彼女らの会話を盗み聞く。

 

 

「由比ヶ浜さんさ、昨日のアレなに?」

 

「あ、あれは、あの、忘れ物をして」

 

「の割には嬉しそうだったじゃん」

 

 

由比ヶ浜は何かを問い詰められているようだった。これだけではまだ判断しきれないな。

 

 

三浦とともに耳を澄ましていると、驚愕の言葉を耳にする。

 

 

「由比ヶ浜さんさー、〇〇が比企谷くんのこと”好き”だって知ってるじゃん。なのに、なんで?」

 

 

 

 

 

 

 

 

はああぁぁぁああ!!??

 

 

 

思わず声をあげそうになり、慌てて口を塞ぐ。

え?なんで?俺のこと好き?まじで!?

 

 

慌てふためく俺を三浦は、何驚いてんの?みたいな顔で見る。いやいや、なんでそんなに冷静なんですかね?

 

 

「い、今の聞いたか?」

 

「いや、今更何驚いてんだし。八幡のこと好きな女なんかこの学校に1人や2人いるっしょ」

 

 

そうか。今の俺、葉山なんだっけ。錯乱。

いや、違う。葉山みたいな立ち位置だ。

確かに葉山のことを好きな女子は1人や2人くらいいるだろう。てか、それだけでは済むまい。

 

 

俺が混乱している間にも彼女らの会話は進んで行く。

 

 

「〇〇が好きなの知ってるくせに、昨日、部室で何してたの?」

 

「だから、あれは……」

 

「由比ヶ浜さん。私らがあんたと仲良くしてる理由ってなんだかわかってる?」

 

「そ、それは……」

 

 

由比ヶ浜の声はどんどん弱々しくなっていく。一方、問い詰める彼女らの声はさらに大きく強いものになっていく。

 

 

「いっつも1人の由比ヶ浜さんがいじめられないように私らが仲良くしてあげてるんじゃん。なのにさー」

 

「まぁ気持ちはわかるよ?比企谷くんカッコいいし。でもさー、その人を好きだって言ってる子が友達にいるのに1人で抜け駆けしてそれはないよねー?」

 

「あの、その……」

 

「じゃあ何してたん?」

 

 

そう強く問い質された由比ヶ浜は蚊の鳴くような声で返答する。

 

 

「あの、その、ひ、比企、谷くんがあの部室に、忘れ物をしたって……」

 

「あんな誰も寄り付かない文芸部室に比企谷くんが来るわけないじゃん」

 

「け、携帯を忘れたって……」

 

「もう嘘つかなくていいよー」

 

「んで、本当は何したん?ほら、言ってみなよ」

 

 

自分にもたれた好意に混乱する気持ちは既にどこかへ消えていた。今、俺の中に噴き上がるのは怒り。俺のせいで、俺が昨日、あの部室に行ったから由比ヶ浜はこんなにも責め立てられている。そのことに堪らなく腹が立つ。由比ヶ浜は何も悪くない。責められる理由など何1つない。

 

 

拳をぐっと握りしめる。もう我慢できない。らしくないのはわかっている。それでも!!

 

そう思い立ってドアに手をかけようとした時、三浦が俺の手を掴む。俺は彼女に抗議の眼差しを送る。なぜ止める?もうこれは歴としたいじめだろ?

 

 

それでも三浦は顔を横に振った。

 

 

三浦にも思うところがあるのだろう。今、俺が出て行ってもどうにもならないことはわかっている。

 

 

俺はやり場のない感情を握り締める。

 

 

外からは変わらず由比ヶ浜を問い質さす声が聞こえる。少しの間の後に、諦めたような声がした。

 

 

 

 

「入部、届けを…渡しました……」

 

 

 

その言葉に胸が痛くなる。

昔似たようなことを自分も体験したことを思い出す。

何1つとして悪いことはしていない。それなのにそれがあたかも悪行の如く扱われ、白状させられる。

高校生になったからといって大人になったわけじゃない。大人になったからと言ってもたぶん変わらない。

 

 

本当にクソッタレだ。

 

 

こんなことに腹を立てても意味はない。他人を変えることなどできないのだから。

 

 

「マジかよ。ちょーウケる!!」

 

「あーなに?あれだっけ?文芸部って廃部の危機なんだっけ?だから?」

 

「あ、いや、その……」

 

「えーはっきりしてよー?」

 

 

彼女らは笑いながら問い詰め続ける。

由比ヶ浜の声には涙篭っているように聞こえる。

 

 

「ね、なんで?」

 

「その、お礼がしたくて……」

 

「お礼?なんのお礼?」

 

「その、あ、いち…ね……」

 

 

俺はもう我慢できなくなっていた。その我慢の限界を振り切るほどの言葉が由比ヶ浜に向けて発せられる。

 

 

「はっ、バッカじゃないの?どうせ全部嘘でしょ?比企谷くんと仲良くなりたくてそんなことしたんでしょ?」

 

「ち、違う」

 

「あんたみたいな根暗ボッチが比企谷くんと仲良くなれるわけないじゃん。身の程を知れっての」

 

 

その言葉を聞いて、俺は外へと飛び出そうとした。しかし、それよりも早く三浦が俺を制して外へと出た。

 

 

バンッと大きな音を立てて扉が開き、それに外にいた全員が不意打ちを食らったような顔をする。その中の1人が取り繕ったように口を開く。

 

 

「どうしたの三浦さん?」

 

「どうしたじゃないし」

 

「え?」

 

「ここで何やってたんだし」

 

「な、何って……」

 

 

三浦の醸し出す圧倒的な威圧感に焦りを隠せない女子3人。由比ヶ浜は目にたまる涙も忘れ、ポケッと口を開けて何が起きたのかよくわかっていない様子。

 

 

 

「「何してたのかって聞いてんだよ!!」」

 

 

 

 

うわっ、怖え。

三浦の一喝で場の空気は静まり返る。俺の怒りもどこかへと身を潜めてしまった。

 

 

何も答えず、気まずそうに目線を泳がす女子3人。それに三浦が追撃する。

 

 

「あーしさ、昔やめろって言ったよね?」

 

「え?なんのこと?私ら何もしてないよ?」

 

「じゃあ何でこの子泣いてんだし」

 

「え、いや、その……」

 

「ちゃんと説明しろし!」

 

 

三浦の気迫迫る追及に女子3人は恐れ戦く。その中の1人が扉の向こうにいる俺に気がつく。

 

 

「あ、比企谷くん……」

 

「え、うそ……」

 

 

俺を発見するなり、その中の1人の顔がみるみる赤くなっていく。おそらく俺を好きだと言った女子なのだろう。

その女子は口を押さえて、涙を浮かべる。

 

 

「何泣いてんだし」

 

「え、あ、その……」

 

 

泣き出した女子を見て、三浦の怒りひさらに火がつく。追い打ちをかけようとする三浦を宥めるように俺は屋上の外へと出る。

 

 

「もうその辺にしとけ」

 

「こいつらまだ謝ってないし!」

 

「もういいだろ。これ以上こんなのと関わっても良いことねえぞ?」

 

 

俺に”こんなの”と評された女子たちは、落胆、困惑、いろんな感情を含んだ表情をする。

俺の登場でとうとう耐えきれなくなったのか、泣き出した女子は俺の横を走り抜けて屋上を去っていく。それに連なって女子2人も後を追う。

 

 

「あ、逃げんなし!」

 

「やめとけって」

 

 

後を追おうとする三浦を何とか引き止める。三浦は不服そうな顔で俺を見る。その後、大きくため息をついてから言う。

 

 

「八幡は優しすぎるんだっての」

 

「今はそれよりこっちだろ」

 

 

身を翻して、由比ヶ浜のほうに体を向け、ただ呆然と立ち尽くす彼女に声をかける。

 

 

「大丈夫か?」

 

「う、うん」

 

 

由比ヶ浜は俺も視線を合わせることはなく、俯いて目に溜まった涙を拭う。

そんな彼女に三浦は近づいて肩に手を置き、優しく声をかける。

 

 

「元気出しなって」

 

「ありがと……」

 

 

由比ヶ浜は顔が見えないほどに俯いてしまう。感動しているというわけではなさそうだ。どちらかというと三浦にビビってる感じ。

三浦もそんなに空気の読めない奴ではない。肩から手を離して、一歩引いて距離を取る。

 

 

冷静になってから気がつく。だいぶやらかしてしまった。これでは由比ヶ浜は教室に戻りずらかろうに。というかそもそも同じクラスなのか?それを由比ヶ浜に尋ねる。

 

 

由比ヶ浜は俺の質問に辿々しく答える。

 

 

 

「〇〇さん達は、同じクラスで…ちょっと前から、声をかけてくれるようになって…それで……」」

 

 

彼女は言葉に詰まり、下唇を噛んで悔しそうな顔をしたままそれ以上は何も答えなかった。

彼女が悔しそうな顔をした理由。おそらくあの女子3人との関係が切れてしまったからではないだろう。

これは俺の勝手な推測だが、彼女はあの女子たちに利用されていたのではないだろうか。1人でいた彼女と仲良くするのを条件にいいように使っていたのではないか。

 

 

何とも胸糞悪い話だ。

上辺だけ仲良くして、何か気に入らないことがあればすぐに切り捨てる。

 

 

彼女はそのことに悔しそうな顔をしたではないのだろうか。

 

 

しかし、やってしまったものはもうしょうがない。彼女が失って後悔しているのか、それとも他に思うことがあるのかどうかは分からない。

 

 

何とも言えない気分になっていると、三浦が力強く、勇気づけるように由比ヶ浜に言う。

 

 

「あんなやつらもう忘れな!もしなんかあったらすぐにあーしに言って!」

 

「え……?」

 

「あーし、ああいうの大っ嫌いだから。本当、あいつらまじムカつく」

 

 

三浦はまだ怒りが収まらないようで眉間にしわを寄せる。

この世界の三浦は俺の知ってる三浦よりもずっといいやつなのかもしれない。いや、俺が知らなかっただけかもしれないが。

 

 

プンスカ怒る三浦から由比ヶ浜に目線を戻す。

彼女の目からは一粒涙から溢れていた。なぜ涙が流れたのか、理由はすぐにわかった。

 

 

また涙を流す由比ヶ浜に三浦は慌てて声をかける。

 

 

「あれ、どうしたん?まだなんかあんの?」

 

「いや、そうじゃなくて」

 

 

由比ヶ浜はここにきて初めて笑顔を見せ、こう告げた。

 

 

 

 

「こういうの初めてで、その、嬉しくて……」

 

 

 

由比ヶ浜はまた涙を拭う。

三浦の言葉に嘘はない。嘘偽りのない本気の言葉に心打たれたのかもしれない。

眼鏡を取り、涙を拭ってから見せた笑顔は俺の知っている由比ヶ浜の笑顔そのままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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彼女は思いを告げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北風の強く吹く屋上は酷く寒く、昼食が済んでいなかった俺と三浦は由比ヶ浜を連れて俺のベストプレイスに向かった。あそこも寒いっちゃ寒いが屋上よりはマシだ。

 

 

昼休みも残すところ後10分ほど。

昼食を済ませた俺たちに由比ヶ浜が控えめに尋ねてきた。

 

 

「あの…なぜ、あなたたちはあそこに?」

 

 

俺と三浦は顔を見合わせる。何で睨んでくるんだよ。お前が出ってんだんだろ。

 

 

「あー、そのー、またまただし。ね、八幡?」

 

 

 

焦って取り繕う三浦を初めて見た。これは結構レアだな。てか、はぐらかすの下手すぎやしませんかね?

仕方ないので、三浦に付き合って適当にはぐらかす。

 

 

「ああ、またまたな。またまただ」

 

 

俺の返答を聞いて、由比ヶ浜は困ったような笑顔をする。そして、予期せぬ質問を投げかけてくる。

 

 

 

「2人は付き合ってる……の?」

 

 

 

俺は飲んでいたマッカンを吹き出しそうになり、三浦は頬を赤く染める。頬染めんな、頬。

 

 

まぁあれだ。付き合ってないです。

今の俺は葉山だから……いや、だから違うって。これ以上深く考えると、ドツボにはまってしまいそうなのでやめておくことにする。

 

 

何も答えずにいると、三浦は呟くように答える。

 

 

「”まだ”付き合ってない、けど」

 

「まだ?」

 

 

由比ヶ浜はキョトンとした顔でそう言った。

なかなかに突っ込んでくるな由比ヶ浜よ。あんまり弄ると、怒られるぞ?

三浦は不貞腐れたようにプイッと顔を背けてしまった。なんだよ。本当、そういうのやめてね?

 

 

由比ヶ浜は”そっか”と安心したように言った。なんでそんな顔してんの?この世界の俺、モテモテだな、おい。

 

 

この世界の自分に強い嫉妬を抱いていると、今度は三浦が由比ヶ浜に尋ねる。

 

 

「ちょっといい?」

 

「なんでしょう?」

 

「由比ヶ浜さんって何組?」

 

「B組だけど……」

 

 

由比ヶ浜は控えめにそう答えた。

この世界では、彼女はB組に移動しているのか。

合同で行われる体育でもうちのクラスとは絡むことはない。皆が知らないも無理はない。まぁ選択科目で授業が一緒になることもあるかもしれないが、

この地味さだ。ほとんど目立つことはないだろう。

 

 

三浦は由比ヶ浜に近づき顔を覗き込む。

 

 

「ど、どうしたの?」

 

 

もじもじながら目線をそらす由比ヶ浜に構うことなく三浦はじっと彼女の顔を見つめる。

 

 

むーっと悩むように首を傾げ、さらに顔を近づける。おいおい、突然の百合展開は勘弁しろって。

 

 

「由比ヶ浜さんって目悪いん?」

 

「そこまでは……でも席が後ろの方なので黒板が見えにくくて、それで、かけてます」

 

「んじゃさ、取ってみてよ」

 

 

由比ヶ浜はどうしてそんなことを言い始めたのかと困惑した表情になる。

三浦は”いいから取ってみ?”と強引に眼鏡を外させる。

仕方なく由比ヶ浜は眼鏡を外す。すると、三浦は納得したように手を打つ。

 

 

「そっちの方が可愛いし」

 

「か、かわいい……?」

 

 

面を食らったように驚く由比ヶ浜。次第に顔が赤くなっていく。顔を覗き込まれているのに耐えきれなくなったのか、さっと眼鏡をかけ直して、そっぽを向く。

 

 

「なんでまたかけるんだし!ほら、よっと」

 

「あー、やめて〜」

 

 

三浦は由比ヶ浜から眼鏡を無理やり外す。なす術もなく眼鏡を取り上げられた由比ヶ浜は両手で顔を隠す。

三浦さん?それ端から見たら、いじめだからね?

 

 

彼女らのやりとりを見かねた俺は三浦を注意する。

 

 

「三浦。嫌がってんだろ。やめてやれよ」

 

 

三浦はさっと振り返って俺を睨み、”優美子!”と強く言う。はぁ、マジめんどくせえ……。

 

 

由比ヶ浜を見ると、俺たちが喧嘩しているように見えたのか、顔を覆っている両手の目の部分だけ開いて、”あわわ〜”と声を上げている。可愛いからやめろ。いや、マジで。

 

 

三浦はまた由比ヶ浜の向き直り、尋ねる。

 

 

「由比ヶ浜さんさ、下の名前ってなんて言うの?」

 

「結衣……です」

 

「じゃあ結衣。今からあーしら、”友達”ね」

 

「え!?」

 

 

おお、恐ろしいほどに強引だ。

由比ヶ浜はどうしていいかわからず、俺に視線を送ってくる。いや、俺を見られても。

 

 

「いくらなんでも急すぎるだろ。ほら、由比ヶ浜困ってるし」

 

「えー?なんでだし。可愛い子と仲良くなりたいって思ったらダメなのかし」

 

 

いくらなんでも直球過ぎるだろ。その言葉、160kmぐらい出てるからね?

真芯で捉えたはずなのに、バットが粉々に砕け散るレベル。

 

 

困る俺を気にすることなく、三浦はご機嫌で由比ヶ浜に話しかける。しかし、彼女からは反応がない。

 

 

 

「とも…だち……」

 

 

恥ずかしそうに、且つ嬉しそうに由比ヶ浜はそう呟いた。

 

 

「おい、急に変なこと言うから、由比ヶ浜がE.Tみたいになってんぞ」

 

「変なことじゃないし。てか、E.Tってなに?」

 

 

E.T知らねえのかよ。あの名作を知らないなんてもったいない。

そんなどうでもいいことを思っていると、由比ヶ浜は両手の人差し指を立てて、突き合わせている。も、もしかしてこの由比ヶ浜は宇宙人……?

 

 

な訳ないか。

たぶんただもじもじしているだけだろう。本当に宇宙人ならそれはそれで嬉しいが、たぶん違う。うん、違う。

 

 

「じゃあ今日から一緒に帰るし」

 

「え?」

 

 

三浦の提案に我に返って困惑する由比ヶ浜。

それに助け舟を出すように俺が言う。

 

 

「由比ヶ浜は放課後、部活があるんだよ」

 

「あー、なんかそんなことさっき言ってたっけ。何部?」

 

「ぶ、文芸部です」

 

 

それを聞いて、三浦はうーんと頭を悩ませる。なんか困ることでもあるのか?

 

 

「今日、あーし、バイトだし」

 

 

ほう、三浦はバイトをしていたのか。これを知らないことがバレるとまずいので、口に出さないことにする。

 

 

「ご、ごめんなさい」

 

「全然いいし、じゃあ明日からね」

 

「だから部活があるって」

 

「じゃああーしも部活行くし」

 

「はあ!?」

 

 

三浦がこんなにも横暴なやつだったとは知らなかった。

 

 

「部員、いないんでしょ?」

 

「そ、そうだけど……」

 

「なら、あーしと八幡で入るし」

 

「ちょちょちょっと待て」

 

 

三浦は”何か問題でも?”みたいな視線を向けてくる。なんとなくだが、この横暴さは”ハルヒ”に通ずるところがあるな。それは置いておいて。

 

 

「だって八幡、入部届け貰ったんでしょ?」

 

「それはそうだけど」

 

「ならいいじゃん」

 

 

このままでは押し切られる。三浦には悪いが、俺は今、置かれる状況から一刻も早く脱出しなければならない。そのためには由比ヶ浜にもっと接触を図って情報を手に入れる必要がある。その過程に三浦がいると、色々困る。散々、助けて貰っておきながらこんなことを思うのは自分勝手だというのはわかっている。しかしながら、他に手段がない。

 

 

だが、由比ヶ浜を目の前に入部を拒否するわけにもいかない。

 

 

どう切り抜けるかと頭を悩ましていると、校舎の方から俺の名を呼びながらパタパタとかけてくる女子生徒の姿が見えた。まためんどくせえのが増えやがった。なんでこんなときにくるかなー。

 

 

その女子生徒は俺の前で立ち止まり、ふぅーと息をついて汗を拭う仕草をする。いや、お前大した距離走ってねえだろ。

 

突然、現れた一色いろはは俺を見上げ、あざとさ満点に言う。

 

 

「先輩たち、ここで何してるんですかぁ〜?」

 

 

この言葉に最初に反応したのは三浦。

少しばかりきつい視線を送りながら言う。

 

 

「あんたこそ何の用だし」

 

「私はただ比企谷先輩を見かけたので、大丈夫かなー?と声をかけようと思って」

 

「大丈夫?」

 

 

三浦の疑問を含んだ言葉を最後に少しの沈黙。

一色よ、なんてことをしてくれる。この世界でも彼女こういうところは変わっていないらしい。

 

 

この空気はまずい。

それを払拭すべく、俺は一色の名を呼ぶ。

 

 

「一色」

 

「は?」

 

 

一色は言葉通りに口を開けて、ジト目で俺を見る。なんだよ、そのムカつく顔は。

 

 

「どうした?」

 

「いや、急に苗字で呼ばれたので」

 

 

しまった。俺は三浦同様、一色のことも名前で呼んでいたのか。失敗した。しかし、ここで口ごもればさらに怪しまれ、昨日のことを掘り返される。

 

 

彼女のことを名前で呼んだことなど一度もないが、というか女子の名前を自ら進んで呼んだことなどないが、やるしかない。腹を決めろ俺。

 

 

意を決して名を呼ぶ。

 

 

「いろは……す」

 

 

一色はさらに訝しむような顔をする。

何逃げてんだ俺は。

 

 

「比企谷先輩?」

 

 

やばい。何かやばいってマジやばい!

もうこうりゃやけだ。戸部風に行くか、葉山風に行くか、悩んだ末に葉山風に決断する。

 

 

「悪い、いろは」

 

 

勇気を振り絞ったというのに、一色の表情に全く変化はない。

 

 

「比企谷先輩。どうしたんですか?爽やか風にイメチェンでもしたんですか?」

 

 

一色は小馬鹿にしたようにそう言った。なぜだろうか。この心を抉られた気分は。

しかし、落胆している暇を与えてくれるほど、彼女は優しくなかった。

 

 

「八幡」

 

「な、なんだ?」

 

 

返答してすぐに三浦の方に向き直ると、すこぶる不機嫌な様子。どうやら女王さまの機嫌を損ねてしまったようだ。原因はわかっている。

 

 

「なんでいろはのことはすんなり呼んだし」

 

「いや、ハハッ」

 

「何笑ってんだし」

 

 

何この状況。女子2人に詰め寄られて問い詰められている。これなんてエロゲ?

 

 

柄にもなく、苦笑いを浮かべて後ずさる俺。もう嫌だ。リア充ってこんなに大変なの?

 

 

由比ヶ浜に助けを求める目線を送るも、彼女はどうしていいのかわからず、立ち尽くしている。この由比ヶ浜ではさすがに無理か……。

 

 

しかしここで昼休みの終了を告げるチャイムが俺を救った。

 

 

「あ!もう行かなきゃ。これから移動教室で授業なんですよ」

 

 

一色は思い出したようにそう言った。

 

 

「じゃあ比企谷先輩。また後で詳しくお話し聞かせてくださいね?」

 

 

またしてもあざとさ満点にそう告げて、身を翻し、颯爽と去っていった。

なんなんだよ、さながら台風のようなやつだったな。まぁすぐに引いてくれたことには助かったが。

 

 

三浦の方に目をやると、彼女も諦めたようにため息をついていた。

 

 

「もういいし。早く戻ろ。結衣も早く」

 

 

急に話しかけられた由比ヶ浜はどもりながらも精一杯答える。

 

 

「ご、ごめん。私、これから体育だから。急いで戻らないと……」

 

「そっか。じゃあまた後でね」

 

 

足早に去る彼女の視線に俺は手を挙げて答える。彼女の顔には少しだけ笑みが浮かんでいたような気がした。

 

 

「さて、俺らも戻るか」

 

「うん」

 

 

そう言葉を交わして教室に戻る。

 

 

 

その道中、三浦からあの話題が出る。

 

 

「八幡さ、お礼ってなんだと思う」

 

 

屋上であの女子3人に問い詰められていたとき、由比ヶ浜はお礼がしたかったと言っていた。俺が由比ヶ浜にお礼をされること。全く見当がつかないわけではない。入学式の事故の件だ。だが、この世界でも同じことが起きているかどうかわからない。三浦にそのことを尋ねるにもまた怪しまれるのではないかと思い、口に出せない。

 

 

「心当たりがないな」

 

「そか」

 

「さっき聞けばよかったか」

 

「そんな野暮なことできないっしょ」

 

「なんで?」

 

「女にはいろいろあんの」

 

 

三浦は由比ヶ浜の気持ちを汲み取ったのだろう。由比ヶ浜は優しい女の子だ。三浦も彼女と同じくらいに優しい女の子なのだ。

 

 

三浦は手に持っていたものを俺に差し出してくる。

 

 

「今日あーし、バイトだからこれ放課後に部室行って返してきてよ」

 

 

彼女が手に持っているのは、由比ヶ浜がかけていた眼鏡。このやろ、返しそびれたな。

 

 

「俺1人でか?」

 

「当たり前だし。そんときにお礼のこと聞きなよ」

 

「マジか」

 

「マジだし」

 

 

まさかこいつそこまで計算していたわけではあるまいな。

そんなことを思っていると、三浦は真面目なトーンで話し始める。

 

 

「八幡。内容はわかんないけど、ちゃんとしなよ」

 

「なにを?」

 

「女の子がお礼したいって言ってんだからそれを邪険にするのはよくないって言ってんの!」

 

「お、おう」

 

 

なんでちょっと怒ってんだよ。

しかし、まだ会って間もない由比ヶ浜のためにこんなことが言えるとは、三浦マジおかん。

 

 

「ん」

 

 

立ち止まり俺の目の前に眼鏡を差し出してくる三浦。わかったよ。行くよ。

 

仕方なく眼鏡を受け取る。

 

 

すると、三浦は怪訝そうな視線を送ってくる。

 

 

「なんだよ」

 

「女の子と2人きりになったからって変なことしないでよ?」

 

「ばっか。この学校に俺以上に紳士な奴いないくらい紳士な俺がそんなことするわけないだろ」

 

「へー」

 

 

適当に返事するならそういうこと振るんじゃないよ。しかしまたなんでこんなことを急に言ってきたのだ。

 

 

「だって八幡、前みたいに目が濁ってきてるし」

 

「さいですか……」

 

 

そんな会話をしながら教室へと辿り着いた。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

午後の授業を受けながら由比ヶ浜と今の自分に関して考え込んでしまった。

 

 

昨日、俺があの部室に行かなければ彼女はあんな目に遭うことはなかった。だが、結果的にはあの女子たちから解放することができた。すべて三浦のおかげだ。あれだけの剣幕でどやされたんだ。あの女子たちもそう易々とは何もできまい。

 

 

俺はあることに気がついた。

この世界での俺と由比ヶ浜の立場は逆転している。

 

 

方やトップカーストに属し、もう一方はボッチ。

なんとも言えない気分だ。

 

 

もう1つわかったことがある。

それは過去に由比ヶ浜が俺に抱いていた感情だ。

 

 

彼女は入学式の事故で俺がボッチになったと思って俺に優しくしてくれた。

正確なことはわからないが、彼女はボッチになった俺を放っておけなかった。

 

 

今の俺も一緒だ。

俺のせいで変わってしまったかもしれない由比ヶ浜を放っておけなかった。

 

 

彼女はあの時、こんな感情を抱いていたのか。もう居ても立っても居られない。そんな感じ。

 

 

そう思うと、俺はあの時、由比ヶ浜に非常に申し訳ないことをした。彼女の感情を理解することなく、ただ自分の考えを押し付けて断ち切ろうとした。

経験則からくるものもあったし、彼女を思ってのことだったなんて言い訳をする気はもうない。

 

 

 

ここに来て、いろんなことを知った。

あのままの俺では、絶対に気付けないことに気がついた。

 

 

 

畜生。誰だ。こんなお節介をやいた奴は。

 

 

何にしても、放課後にまたあの部室に行かなければならない。

彼女の言っていたお礼の件も気になる。

 

 

この現象を解決する”鍵”を見つけ出さねばならない。

 

 

その後の時間は、解決するために考え得る可能性について考察を続けた。

 

 

しかし、昨日とは打って変わって時間が経つのがやけに遅く感じた。

最後の授業の終わりを意味するチャイムが鳴ると、どっと疲れが出た。

 

 

しかし、うだうだ言っている暇もない。

帰りのHRの終了とともに三浦に言われた通りあの部室に向かう。

 

 

こんな気持ちを抱いて部室に向かうことになるとは、夢にも思わなかった。

逸る気持ちを抑えつつ、早足で歩き慣れた廊下を歩く。

 

 

部室の前までやってくる。中には既に明かりが灯っている。早いな、由比ヶ浜。雪ノ下並みだ。

 

 

ガラガラと音を立てて戸を開けると、昨日と変わらず、由比ヶ浜が読書をしていた。

 

 

「よう」

 

「あ、こんにちわ」

 

「悪い、来てよかったか?」

 

「う、うん」

 

 

由比ヶ浜は恥ずかしそうにそう答えた。三浦との約束を果たすために俺は彼女の座っているところまで近づいていく。近づいていくにつれて由比ヶ浜の表情が曇り、困惑、そして最後には怯えたような顔をした。

 

 

俺は両手を上げ、弁解する。

 

 

「大丈夫、狼藉を働くつもりはない」

 

「え、いや、その」

 

 

何とか取り繕おうとする彼女に俺は鞄から眼鏡を取り出す。

 

 

「これ」

 

「あ!あ、ありがとう」

 

 

驚いたように立ち上がり、眼鏡を受け取る。

 

 

「三浦はバイトで来れないから代わりに返しに来た」

 

「そ、そっか」

 

 

由比ヶ浜は受け取った眼鏡に視線を落とし、見つめていた。その眼鏡をかけることなく、隣に置いてあった鞄からケースを取り出してその中にしまった。なぜかけなかったのだろう。まぁなんでもいい。俺に眼鏡属性はない。

 

 

彼女は立ち上がったまま、再度お礼を述べてきた。

 

 

「いや、さっき聞いたよ。そこまでのことじゃない」

 

「あ、そ、そうだよね」

 

 

取り繕うように笑う由比ヶ浜はまた俯く。その姿を見つめていると、俺の視線に耐えかねたのか、モジモジしながら頬を染めた。な、なんだこれ。可愛いじゃねえか。

 

 

彼女は苦し紛れに絞り出すように言う。

 

 

「す、座ったら?」

 

 

そう言われて教室の奥に積み上げられている椅子を手に取って由比ヶ浜の座っている長テーブルの反対側に椅子を置いて腰を下ろす。ここがいつもの俺の定位置。たった1日座らなかっただけだというのにかなり久しく感じる。

これはあの部室を取り戻したいと俺の願望が現れているのだろうか。

 

 

席について、いつものように鞄から読み差しのライトノベルを取り出そうとするも、鞄の中にはそれは入っていない。というか今日の朝まで気がつかなかったのだが、鞄の中身が変わっていた。俺の持ち物とは思えない品々が入っている。整髪料などなど。

 

 

手持ち無沙汰をどうしたものかと考えていると、由比ヶ浜がまた立ち上がった。そして勢いよく頭を下げる。

 

 

「あ、あの、ありがとうございました!」

 

「いや、何回お礼してんだよ」

 

 

口に出してから気がつく。

これは俺の知っている由比ヶ浜へのツッコミだ。少々強い口調で言ってしまったことを後悔する。

案の定、彼女は頭を下げたまま固まってしまった。やばい。どうしよう。

 

 

なんとか場を和ませるようと言葉を繋ぐ。

 

 

「ああ、悪い。いつも友達に言うみたいになった。気を悪くしないでくれ」

 

 

よくもまぁこんな虚言が出たもんだと自分で感心する。だが、由比ヶ浜からは反応がない。ああ、どうしよう。

停止したロボットよろしく固まる由比ヶ浜。

 

 

少しの間をあけてようやく再起動する。

 

 

「その、ごめんなさい!」

 

 

おう、今度は謝られたぜ。

まぁ謝られたおかげでようやくなぜ彼女にお礼を言われているのかを理解した。

 

 

「に、入学式の時、私の飼い犬のサブレを助けてくて……」

 

 

やはりこの世界でもあの事故は起きていたようだ。

 

 

「なんで謝るんだ?」

 

 

俺がそう尋ねると、由比ヶ浜は申し訳なさそうに身を捩りながら、言葉を捻り出す。

 

 

「すぐにお礼が言えなくて……」

 

 

あの時の”お礼がしたくて”という言葉はやっぱりこのことについてだったようだ。

由比ヶ浜は両手を胸の辺りで合わせて握りしめる。

 

 

「比企谷くんが入院してた病院にお見舞いに行こうと思ったんだけど、勇気が出なくて、それで、学校に復帰したらお礼を言おうと思ったんだけど……」

 

 

そこで言葉に詰まってしまった。

俺は臆せずに続きを尋ねる。

 

 

「えっと、その、三浦さんとか折本さんとかと一緒に居て、声をかける勇気が……うぅ」

 

 

再び言葉に詰まる由比ヶ浜。目には涙が浮かんでいる。

 

 

「な、泣くことないぞ?俺こそ悪かった」

 

 

出来るだけ優しい声音で言う。

彼女は顔を横に振る。

 

 

「ううん、私が、私がダメな人だから……」

 

「そんなことはない」

 

 

とうとう彼女の瞳からは涙が溢れた。

胸がキュッと締め付けられる感覚がする。

 

 

「でも昨日、比企谷くんがここに来てくれて、それで今度こそと思ったんだけど、やっぱり勇気が出なくて……」

 

 

だから次に繋ぐために入部届けを渡したのか。

 

 

「また来てくれるかなんてわかんないのにバカだよね、私」

 

 

なんと言えばいいかわからず、返答を返せない。

 

 

「そんなことウジウジ悩んでたら、また助けられちゃって……」

 

 

由比ヶ浜はそう言って涙を拭い、笑顔を浮かべるものの、その奥には複雑な感情が隠されているように見えた。

 

彼女の話から察するに俺は入学当初になんかがあってリア充に成り得たようだった。だが、それは今はどうでもいい。

 

 

「だからありがとう。そして遅くなってごめんなさい」

 

 

彼女はもう一度頭を下げた。

なんて答えるか迷った。以前と同じように答えるか。この世界の俺として答えるか。それとも今の俺として答えるか。

 

 

答えはすぐに出た。

 

 

 

 

「まぁ無事でよかったよ。俺も大したことなかったし、だからもう手打ちにしよう。こんなこと言うとあれだが、あんまり気にされると、こっちもやりづらい」

 

「ありがとう」

 

 

由比ヶ浜は最後にそう言った。

ずっと心につっかえていたものが取れ、憑き物が落ち、スッキリした顔で優しい笑顔を浮かべて。

 

 

 

 

 



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彼は理由を知る。






どーも、にが次郎です。
だいぶ間が空いてしまいました。申し訳ない。


では、どーぞ。


 

 

 

 

 

 

その後、残念ながら会話が続くことはなく、お互い、距離感を掴めずにいた。

 

 

何気なく、部室を見回す。

この教室は本当に文芸部室らしくない。それはなぜか。教室の隅に置いてある小さな本棚以外に文芸に通ずるものが何1つない。

そんな光景を見て、俺はあることを思いついた。

文学少女となった由比ヶ浜がどんな本を読んでいるのが興味が湧いたのだ。俺はその本棚に近づいてみることにした。すると、彼女は小さく”あ”と声を上げて立ち上がり、俺の行く手を阻んだ。

 

 

「どうした?」

 

「比企谷くんこそ、どうしたの?」

 

 

由比ヶ浜はまだ潤みが取りきれていない瞳で俺を見上げてきた。

全然、関係ないことなのだが、初めて会った時よりはだいぶ喋ってくれるようになったし、どもらなくもなったな。少しは気を許してくれているのだろうか。

 

 

それはいいとして、由比ヶ浜は俺の前から退く気はないようだった。

 

 

「いや、俺も本が好きでな。由比ヶ浜がどんな本を読んでるのかと思って」

 

「ああ、そっか」

 

 

思っていたことを素直に伝えたのだが、彼女はどこか思い悩んだような素振りを見せた。何か見られたくないものでもあるのか?

 

 

「で、どうした?」

 

「あの、えーと」

 

 

怪訝そうな目線を送っていると、由比ヶ浜の頬がほんのり染まった気がした。何をお照れになっているですかね?

 

 

「ば、バカにしない?」

 

「ああ、大丈夫だ。普段からずっと罵倒されてきたからな」

 

 

そうだ。俺はその痛みを知っている。昔から母ちゃんに教えられてきたんだ。自分がやられて嫌なことは人にやったらダメだって。だから俺はやり返したりしない。本当だよ?ハチマンウソツカナイ。

 

 

そんなことを思っていると、由比ヶ浜は尽かさず”誰に?”と尋ねてきた。

不意にまた”友達”という言葉を発してしまいそうになった。いや、正確には友達ではない。2回断られてるし。

結局、その問いは適当に濁して、本棚の話に戻す。

 

 

「なんか恥ずかしいものがあるのか?」

 

「は、恥ずかしいというか、こういうのが好きな女子が、その、どう思われるのかと思って」

 

「心配するな。これでも相当な修羅場は潜ってきたつもりだ。大抵のことなら驚かない」

 

 

”ほおー”と感心したような声を上げる。やっぱり由比ヶ浜は由比ヶ浜なんだな。垣根の部分は変わっていない。なんというかすぐに騙されちゃうところとか。

 

 

由比ヶ浜は意を決したように俺を本棚へと導く。そして本棚の中を拝見する。

 

 

 

「マジか!」

 

「驚いてるじゃん!」

 

 

思わず声を上げてしまった。

いや、だってまさかライトノベルがずらりと並んでるなんて思ってもみなかったんだもん!!てか、今、普通にツッコんだよね?八幡、そこ見逃さないよ?

 

 

由比ヶ浜の方に顔を向けると、自分で気がついたのか、恥ずかしそうにプイと顔を背けた。

それ以上追求するのはなんだか可哀想なのでやめておく。

 

 

ずらりと並ぶライトノベルたちは俺の知っているものばかり。やべえ、なんかテンション上がってきた。

偏見かもしれないが、こういうライトノベルを由比ヶ浜のような女子が好き好んで読んでいるなんて思ってもみなかった。これはあくまで俺の知っている由比ヶ浜のイメージだが。

しかし、俺は知っている。ここでやけにハイテンションで話すと、ドン引きされるパターンだ。ソースは中学時代の俺。

 

 

高ぶる気持ちを抑えつつ、その中から1冊手に取る。

 

 

「こういうのが好きなのか」

 

「女子がこういうの好きなのって変、かな?」

 

「いや、全然。寧ろ嬉しい。なんなら嬉しくて小躍りするまである」

 

「え?」

 

 

やべ。全然、抑えられてなかった。

仕方ないだろ。こんな可愛い女の子がラノベ大好きなんて嬉しいに決まってるだろ。

だが、由比ヶ浜の訝しむ視線が痛すぎて我に帰る。

 

 

「妄言だ。忘れてくれ」

 

「ええ、あ、うん」

 

 

由比ヶ浜は不思議そうに俺を見る。

待てよ。ということはだ。ラノベが好きならおそらくアニメも好きだ。

なら、そういうネタぶっ込んだら反応してくれるかな?

いや、やめよう。またドン引きされたら心にヒビが入っちゃう。

 

 

別に取り入ろうとかそういうことではなくだ。自分もこういうライトノベルの類が好きなことを告げる。

 

 

「え、嘘だよね?」

 

「本当だ。なんならここにあるラノベは大体読破してる。アニメ化されているものは全部視聴してる」

 

 

俺の言葉を聞いて、由比ヶ浜の顔がパァっと明るくなる。

 

 

「じゃ、じゃあこれは?」

 

 

彼女は鞄から1冊のライトノベルを取り出してブックカバーを外し、見せてくる。

 

 

「おお、それも読んだぞ。去年アニメ化されたよな」

 

「さ、最終回!凄かったよね!」

 

 

すこぶる興奮している由比ヶ浜は目を輝かせて、グイッと詰め寄ってくる。

ああ、中学生の頃の俺ってこんな風に見えてたのか。由比ヶ浜は顔がいいからまだ許せるが、これを俺がやっていたと思うと、マジでしばらく落ち込むわ。

というか、さっき俺がやろうとしてたことそのままやられてる。てか、近い。あと近い。

 

 

そのラノベについて熱弁を始めようと拳をギュッと握り締める由比ヶ浜だったが、すぐに我に帰り、一歩後ずさる。

 

 

「ご、ごめんなさい」

 

「いや、大丈夫だ」

 

 

これは予想外過ぎた。まさかこの由比ヶ浜にこういう趣味があったとは。

途切れてしまった会話を取り繕うように手に取ったライトノベルのページをパラパラとめくる。

 

 

すると、中からはらりと一枚の栞が落ちた。

 

 

栞……?

 

 

俺の頭の中にあのシーンが蘇る。

 

 

あの小説では、ハードカバーから現れた栞に脱出の”鍵”となるメッセージが書かれていた。

 

 

確か、”プログラム起動条件、鍵をそろえろ。”だっけか?あれには期限が付いていた。

この栞に同じようなことが記載されているかどうかはわからない。

そもそも俺をこんな目に遭わせている奴が、こんなものを用意するとは思えない。だが、もし誰かからの助け舟が出されていたとしたら。

 

 

期待と不安が合わさり、心拍数が一気に跳ね上がる。

俺は片膝をつき、床に落ちた栞に手を伸ばす。

 

 

手を伸ばし、栞を拾い上げる。

表面には何も書かれていない。

手が微かに震えていた。怖い。恐ろしいのだ。俺はこの後に及んで、一体何に恐れを抱いているのか。

もしこの栞の裏側に何も書かれていなかったら。あの小説と繋がる点をようやく見つけ出したというのに。

 

 

栞を持つ手にはいつの間にか力が入っていて、栞にはシワが寄ってしまっていた。

 

 

「ど、どうしたの?」

 

 

俺の突然の変調を心配して声をかけてくる由比ヶ浜。

情けないことに声を出して返事をすることもできなかった。

 

 

「その栞……」

 

 

彼女がそう呟いたと同時に、俺は意を決して持っている手を返して、裏面を見る。

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ……」

 

 

 

悔しそうに呟いた俺のを手は力無く降ろされた。

御察しの通り、裏面には何も記載されていなかった。

 

 

「その栞がどうかしたの?」

 

「いや、なんでもない」

 

 

心配する由比ヶ浜を宥めるようになんとか取り繕った。

この栞にこの状況を脱出する鍵となる情報は何もなかった。しかしだ。俺は何よりも重要なことを思い出した。

 

 

それは”鍵”。

 

 

ここまで状況が酷似しているのだ。

きっと解決方法を同じ。もしくは似通っているはず。ならば、鍵をそろえればいい。

 

 

あの小説で”鍵”となっていたのは、SOS団のメンバーをすべてあの文芸部室に集めること。ということは、俺もこの部室に奉仕部のメンバーをそろえればいいのか?

既に由比ヶ浜と俺はそろっている。あとは雪ノ下を見つけ出して、ここに連れて来ればいい。

だが、何処か引っかかる。これではあまりに簡単過ぎやしないか?

いや、雪ノ下をここまで引っ張ってくるにはかなりの徒労を要するに違いないが、それだって頑張ればなんとかならないこともない。

 

 

どうすればいい?

どれが解決方法なんだ?

どれを信用すればいい?

 

 

俺は考えることに夢中で、その場に固まってしまっていた。

どのくらいそうしていたかはわからない。が、不意に聞こえた戸が開く音でようやく我に帰る。

 

 

由比ヶ浜とともに戸の方へと顔を向ける。そこには思いも寄らない人物が立っていた。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

「よっす」

 

 

笑顔を見せながら手を挙げ、軽い挨拶をしてきたのは折本かおり。

なぜ彼女がここに?

 

 

「姫菜に聞いたら優美子にここいるって聞いたって言ってたから」

 

「そ、そうか」

 

 

折本の口ぶりから察するに俺に用があるということなのか?

 

 

「何キョトンとしてんの?」

 

「え?あ、いや」

 

「まさか忘れてたの?今日委員会の集まりだったじゃん」

 

 

委員会?まずい。これは俺の知りえない情報だ。

この世界の俺は折本と同じ委員会に所属していたのか。しかし、委員会とは何の委員会だ?

 

 

「悪い、ちょっと用があってな」

 

 

折本は俺の言葉を聞いて”ふーん”と言いながら少しだけ笑みを浮かべた。

 

 

「用って結衣ちゃんに?」

 

「ああ、そうだ……」

 

 

なぜそんなにも親しげに由比ヶ浜の名前を呼べる。もしかして知り合いなのか?

突然の折本の出現により頭がこんがらがる。

折本は後ろに手を組んで、意味深そうな笑みを浮かべたままこちらに近づいてくる。おい、まさかだよな。その後ろに組んだ手から物騒なもの出てきたりしないよな?まだその展開には早い。

 

 

彼女のこの世界のおいての立ち位置から勝手に体を硬くしてしまう。

折本はそのまま俺たちの前までやってきて立ち止まる。しかし、立ち止まったのは俺の前ではなく、由比ヶ浜の方だった。

 

 

「久しぶりだね。結衣ちゃん」

 

「うん、久しぶり。折本さん」

 

 

折本はそう笑いかけ、由比ヶ浜もそれに応えるように笑みを作る。その笑みは無理をしているようには見えなかった。

 

 

「知り合いなのか?」

 

 

そう尋ねると、由比ヶ浜は頷いた。

折本は体をこちらに向け、俺の問いに答える。

 

 

「うん、比企谷の入学式の事故の件で知り合ったんだ」

 

「そ、そうか」

 

 

ということはかなり前からの知り合いということになる。ならなぜ昨日の朝、俺が教室で半狂乱になりながら由比ヶ浜のことを皆に尋ねたときに答えなかったんだった。

 

 

その時の記憶を遡る。

確か、折本が登場したのは1番最後だった。あれ、待てよ?

俺が皆に問い質した後に折本が来たんだっけか?ということは折本は由比ヶ浜や雪ノ下、葉山の名前を聞いていないことになる。

 

 

しかしだ。他の奴らから聞いていてもおかしくないはずだ。知っていて言わなかったのか?

確かに折本との会話は他の奴らに比べて少なかったように思える。ダメだ。”朝倉”と立ち位置がダブっているせいかどうしても疑ってしまう。

 

 

考え込む俺を見て、不審に思ったのか怪訝そうな顔をして俺のことを見る。

 

 

「どうしたの、比企谷?そんな怖い顔して」

 

「いや、なんでもない」

 

「そか」

 

 

まずいな。精神に乱れが生じている。すごく心が重くなった気分だ。このままここに居てもいいことはなさそうだ。

 

 

俺は帰ることを由比ヶ浜と折本に告げ、教室の戸に向かって歩き出す。

一瞬、由比ヶ浜が悲しそうな顔をしたように見えた。悪いな。でも大丈夫だ。どうせまた明日も来る。

 

 

心中でそう告げて、戸に手をかける。

すると、折本が声を発する。

 

 

「あ、私も帰るよ」

 

 

マジかよ。やめてよ。確かに出身中学が同じだから家は割りかし近いのだが。えー、マジかよ。女子と一緒帰るとか初めてで緊張しちゃうだろ。疑ってた俺はどこに行ったんだよ。

 

冗談は抜きにしても、本当に嬉しいわけではない。何というか苦手なのだ。少し前の葉山と出かけた時の一軒のおかげでちょっと気まずい。この出来事は俺しか知らないことであって、この折本は知らない。よって気まずさを感じているのは俺だけ。まぁ折本なら知っていても気まずさなど感じそうにないが。

 

 

俺は嫌そうな顔を見られたくなかったので、振り向かず、戸を開けた状態でその場で待つ。

折本は由比ヶ浜と少しだけ何かを話していた。が、すぐに終えてこちらに歩いてくる。

 

 

2人で部室を出て、俺は由比ヶ浜にさよならの挨拶を告げる。

 

 

「また明日な」

 

 

俺の言ったその一言で憂鬱そうだった由比ヶ浜の表情は少しだけ明るくなったように思えた。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

帰り道、折本と2人並んで自転車を漕ぐ。

まさか俺の人生でこんな青春染みたことが起こるなんて思いもしなかった。

 

 

折本の漕ぐスピードはとても緩やかで、俺もそれに合わせてペダルを踏み込む。

 

 

「比企谷さー」

 

「なんだ?」

 

「よかったね」

 

 

いや、何がだよ。主語を言え。主語を。

 

 

そう言った折本の顔を見ると、なぜだか嬉しそうにはにかんでいた。何笑ってんの、この子。

俺の訝しむ視線でようやく主語が抜けていたことに気がついたのか、”ごめん、ごめん”と手刀を切って謝ってくる。

 

 

「お礼、言われたんでしょ?」

 

「ああ、何で知ってんだ?」

 

「さっきも言ったけど私が結衣ちゃんと知り合ったのは比企谷の事故の時でさ」

 

 

折本はそこで一旦言葉を切って、前を向く。

 

 

「あの時の事故で比企谷が優美子に目つけられたじゃん?」

 

「随分な言い方だな」

 

「あ、ごめん。でも本当のことじゃん?偶然、あの事故見てた子はすごくかっこよかったって言ってたよ?」

 

 

彼女の発言は俺の記憶とは、少し食い違う。あの時、俺は本来登校すべき時間よりも早く家を出て、事故に遭遇した。事故が起きた現場の周囲にどれだけ人間がいたか記憶が曖昧だが、目撃者はそう多くなかったはずだ。

しかし、俺の記憶もどこまで正確なものか確かめる術がない。

それに三浦本人が目撃していないのならなぜ俺などに目をつけた。中学までの俺はボッチだったんだ。いくら俺の行いに心打たれたとしても少し雑な気がする。

 

 

そんな疑問を抱いていると、折本が懐かしむように口を開く。

 

 

「私と優美子でお見舞いに行ったじゃん?」

 

「お見舞い?」

 

 

俺が入院していた期間にお見舞いに来たのは親族以外では1年のときの担任の教師だけだった。これも俺の記憶とは食い違う。

俺の疑問符のついた返答に折本は困ったような笑みを浮かべる。

 

 

「え?忘れちゃったの?行ったじゃん。お見舞いの色紙を渡しに優美子と一緒に」

 

 

そういえば折本は1年の時、同じクラスだったと言っていたな。この世界のクラスメイトたちは優しい奴らだったんだな。八幡、涙が出そう。

しかし、そんな気持ちは折本の言った”あれ、先生とか皆に同じ中学出身って理由で押し付けられちゃったんだけどね”という言葉にぶち壊された。返して!俺の感動返して!!

 

 

まだ疑問は残る。なぜ三浦が一緒来たのか、だ。

俺は遠回しに聞き出すための探りを入れる。

 

 

「ああ、そういえば、ゆ、優美子も一緒だったんだっけか」

 

 

慣れない名前に少しだけ噛みそうになったが、たぶん大丈夫だ。

 

 

「そうだよ!優美子も同じクラスで私、仲良くなったばっかりだったんだけど、比企谷の話したらなんか興味出たみたいで来るって言うから一緒に行ったんじゃん」

 

「そ、そうだったけな」

 

 

なるほど。そういうことか。

三浦は交通事故から犬を救った奴の噂を聞いて、それが仲良くなった友達の知り合い。話を聞いてどんな奴なのか気になり、俺の病室を訪れた。確かに辻褄は合う。

 

 

「でも優美子連れてってよかったよね」

 

 

彼女の発言の意図がよく理解できない。

折本は再度、こちらを向いて言う。

 

 

「だってあそこで優美子と仲良くなってなかったら比企谷、ずっとボッチだったんじゃない?」

 

「お、おう」

 

 

同じ中学だった折本には俺の黒歴史をすべて知られていることになる。というか俺、こいつに告白してるやん。残念ながらそのことは改変されていないようで。

 

 

「中学の頃に告られた時に比べたら月とスッポンぐらい違うよ」

 

 

以前、ドーナツ屋で再開した時よりは心を抉られなかった。刺さりはしたけどね、心に。

まぁあの時も思ったとこだが、よく告白されて振った相手と普通に喋れるよなこいつ。

 

 

「でもあの時、比企谷マジうけた。お見舞い行ったのに全然喋んないんだもん」

 

「しょうがねえだろ」

 

「でも優美子も凄かったよね。キョドリまくってる比企谷にいきなり”アドレス教えろし”だもんね。あれはウケたわ。比企谷も教えちゃうし」

 

 

まぁなんとなくだが、逆らえなかったんだろうな俺。

ここまででの話で推測するにおそらくそこで三浦との関わりを持ったことで俺はリア充として成り上がっていったようだ。すべては三浦のおかげ。三浦さん、マジパネェっス。

真性のボッチだった俺をそこまで更生させるとは。奉仕部なんかよりも三浦と仲良くなったようが俺の更生が早かったんじゃないんですか、平塚先生。

 

冗談はさておき、そういえば病室で美少女がお見舞いに来て云々なんて妄想をよくしてたな俺。思い出すだけで身震いするほど恥ずかしい。

 

 

俺がリア充へと変貌を遂げた理由はわかった。あと残っているのは由比ヶ浜の件だ。このことについては臆することなく聞ける。

 

 

「そういえばなんで由比ヶ浜のこと知ってんだ?」

 

 

折本は”ああ、そうだった”と思い出したように話しだす。

 

 

「比企谷が学校に戻ってきて結構経った頃かな。なんか比企谷の周りウロウロしてる子がいて、声かけようと思ったんだけど逃げられちゃって」

 

 

由比ヶ浜は三浦と折本が居て近づけなかったと言っていたな。

 

 

「なんか用かなーとか思ってたんだけど、そのまましちゃってね。またしばらく経った時に選択科目の授業が一緒なのに気がついて」

 

「それまで気がつかなかったのかよ」

 

「だってあの子、地味だし」

 

 

折本に悪気がないのはわかっている。彼女の言う通り、今の由比ヶ浜は俺と同レベルに存在が薄い。

 

 

「で、どうしたんだ?」

 

「そうそう、それでね。思い切って聞いてみたんだ。そしたらあの事故で助けてもらった子だってわかって」

 

「ほう」

 

「お礼がしたかったって言われたんだ。だから手伝ってあげる言っていったんだけど、それはなんか嫌だったみたいで自分で頑張るって一点張りでね。だから関係ない私が勝手になんかするのも変かなーと思って。その後は会うたびにどう?って聞いてたんだけど、なかなかできなかったみたいでここまでズルズルきちゃったみたい」

 

 

なぜそんなにも頑固になっていたのかはわからない。何か思うことがあったのか。

しかし、折本は三浦とは違う考え方なんだな、とそんなことを思った。

 

 

「まぁでもやっと言えたみたいだし。よかったよかった」

 

「まぁそうだな」

 

「なにそれ。他人事みたいじゃん」

 

「そういうんじゃねえよ」

 

 

口ではそう否定したものの、本来、お礼を言われる相手は俺じゃない。正確に言うのなら俺は既にお礼を言われている。

 

 

その後はたわいもない会話をしたながらペダルを漕いだ。

俺よりも少しだけ先を行く折本がブレーキを踏む。止まったのは自販機の前。

 

 

「なに飲む?」

 

「マッカンで」

 

 

冗談で答えたつもりだったのだが、彼女は自転車から降りて、自販機に小銭を入れボタンを押す。

 

 

「はい、マッカン」

 

「マジで買ってくれたのか。悪いから金返す」

 

「なに言ってんの?いつものことじゃん」

 

 

え、なにそれ。俺いつも奢られてるのん?

差し出されたマッカンを受け取ることを躊躇しまう。養ってもらうことが将来の夢ではあるが、今現在でヒモになるつもりはない。とかなんとかよくわからない理念を掲げていると、折本は”お互い様”と笑った。そういうことね。奢り、奢られる仲なのね、俺たち。なにこの青春ラブコメ。まちがってるよ!?

 

 

俺も自転車から降りて折本の隣に立ってマッカンを受け取る。

 

 

「サンキュー」

 

「うん」

 

 

返事をしながら自分に買ったペットボトルの紅茶に口をつける。

俺もそれに習ってマッカンを煽る。

 

 

しばしの沈黙。

そのあと、また折本は懐かしむような顔をする。

 

 

「さっきの話じゃないけど、本当比企谷変わったよね」

 

「そうか」

 

「だってこんな風に話しながら帰るようになるなんて思いもしなかったもん」

 

「まぁそうだな」

 

 

確かに折本の言うようにこんな風に話す時が来るとは思いもしなかった。少し前に再開した時や葉山とともに出かけたときには微塵にも思わなかった。

まぁすべてはこの現象のせいなのだが。

中学の頃の俺を知っているからこそ折本には思うことがあるのだろう。

今の俺とこの世界の俺がダブっている部分を知っているからこそ折本は何かを感じているのかもしれない。

 

 

この時の俺は安易過ぎた。完全に油断してしまっていたのだ。なぜか安心していた。何に安心したのだろう。きっと自分の知っている情報と同じ記憶を持つ折本に気を許してしまったのだ。

そんなことをしていいはずがないのに。

 

 

少しの間のあと、折本は不意に尋ねてくる。

 

 

「ね、比企谷」

 

「どうした」

 

「なんで髪黒くしたの?」

 

 

油断し切っていた俺はその言葉に心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚える。

 

 

「と、特に理由はないが……」

 

 

そう答えると、折本はどこか遠くを見ながら”ふーん”と持っていたペットボトルのキャップを閉める。見ると、中はいつの間にかに空になっていた。

気づけば俺の持っている缶も既に冷め、温くなっている。

 

 

折本は身を翻して、自販機の隣にあるゴミ箱にペットボトルを入れ、俺を一瞥。そしてこう告げた。

 

 

 

 

 

「なんかさ、比企谷。”昔に戻ったみたい”だね」

 

 

 

その言葉は俺の心をギュッと締め付けた。

 

 

 

 

 

 



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願いは知らぬうちに染まっていく。

 

 

 

 

折本と別れた後、俺は言い知れぬ不安と焦りを感じながら帰宅した。

何故、俺はあんなにも安心し切っていたのか。

折本は、1番警戒しなければいけなかった人物。なのにも関わらず、俺はどうして?

 

 

確かに折本の記憶と俺の記憶が一致する部分はあった。だが、それだけではない。ここは潔く認めるべきだな。

 

 

そうだ。俺の心境に変化が起きつつある。

 

 

かつて忌み嫌っていた欺瞞。

その欺瞞に満ちた関係の彼女らに深く触れ合い、気がついてしまったから。

いや、これはもう既にわかっていたのもだ。あの修学旅行で葉山が、皆が守ろうとした関係性に欺瞞だけではない何かが見えたから。

これに付け加えて、現在、見舞われている現象によって俺自らがその輪の中に入り、体験してしまっている。

そして気がついてしまった。わかってしまったのだ。

彼女らの関係性には上辺だけではない、欺瞞などではない、”本物”の何かが確かにあることに。

 

 

 

本当に笑えてくる。それこそ涙が出るくらいに。

かつて欺瞞だなんだと切り捨てたものの方がよっぽど本物だったなんてな。

 

 

欺瞞に満ちていたのは俺の方だ。

 

 

だからこそ俺は間違えてしまったのかもしれない。

 

 

世界を元に戻すことができたとしてももうその間違いを消すことはできない。しかしだ。その間違えに対して反省することはいくらだってできる。

 

 

俺は再三、自分に問いかけた。

間違えなかったか?大丈夫だったのか?、と。

それでも答えが出なかったのは俺に原因がある。そう、俺は反省すべき点を間違えていた。

何故、間違えたのか。その原因もわかっている。

 

理性の化け物と言われたことがある。

理性とは感情の対義。

感情を理解しない、しようとしない。人に劣る存在。人を人として見ない、己の意識に囚われ続ける、人未満の存在。

 

 

なぜこんなものが俺の中に巣食っているのか。それは俺の今までの人生に問題がある。

自分の気持ちや感情を理解してもらえないのに、なぜ他人のそれを理解しなければいけないのか。そこに辿り着いてしまったからだ。別に悟りを開いているわけではない。実際にそうだった。幼少期からの経験が俺にそうさせている。

 

 

己に巣食っているこいつをなんとかしない限り、俺はこの先も間違い続けるだろう。いや、間違いは悪いことではない。感情を完全に読み取り、理解できる人間など存在しない。そんなことが可能ならとっくに電脳化されている。

 

 

それでもだ。自分と正面から向き合い、見つめ直し、答えを出さなければならない。

 

 

俺が欲しいかったものはなんだ?

それはすぐ近くにあって、とても遠いもの。

 

 

俺の幸福とはなんだ?

 

 

この世界の彼女らが持っていて、俺にないもの。

 

 

俺はそれを見つけ出したい。

そのためには、何をすればいい?

少しでもいい。ヒントが欲しいんだ。

 

 

たぶんそのヒントは彼女らの中にある。俺はもう何度も目にしているはずなんだ。

 

 

もう一度、彼女らに会って確かめたい。もっと深く知りたい。

 

 

 

そう思い立った瞬間、ズキッと頭に痛みが走った。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

12月20日。

外は雨が降っていた。

その冷たい雨は部屋の窓をしとしとと濡らしている。

昨日、見舞われた原因不明の頭痛は治まっていた。このタイミングで風邪とかマジでシャレにならん。

 

 

この日は自転車ではなく、電車とバスを使って登校した。

 

 

なんとか授業をやり過ごして、放課後。俺は部室に向かうことにした。

皆に別れの挨拶を告げようとすると、三浦と折本が俺を引き止めた。

 

 

「八幡、あーしも行く」

 

「暇だからあたしも行こーかなー?」

 

 

忘れてた。昨日、三浦は部室に行くと言っていたのだった。ぬかったぜ。バレないように姿をくらますべきだった。いや、そんなことしても部室にいるのだから無駄か。

折本にしても、昨日の一件から一緒には来てほしくなかった。

しかし、情けないことに彼女らの強引な押しに負け、結局、一緒に来てしまった次第である。何やってんだよ俺。

 

 

部室の前までやってきた俺たちは、戸を2度叩いて、中から返答を聞いてから戸を開ける。

 

 

由比ヶ浜はまた昨日の寸分変わらぬ場所で読書をしていた。

 

 

「よう」

 

「こ、こんにちわ」

 

 

こちらを向いて薄い笑顔を見せた彼女だったのだが、俺の後ろにいる女子たちの顔を見て、その笑顔に困惑を混ぜた。

 

 

「へえー、こんなんなんだ」

 

「結衣ちゃん、よっす」

 

 

三浦は部室に入るなり、挨拶も交わさずに部室を見回す。

折本は由比ヶ浜に挨拶をした後に近寄って行き、何か話しかけている。なんかこいつらと一緒に部室にいるのは変な感覚だ。

 

 

俺はその光景をしばらく眺めた後に、いつもの席に着く。

由比ヶ浜と折本はお喋りに夢中のようだ。前からの知り合いとだけあってなかなかに親しげに話しているように見える。由比ヶ浜もあんな風に話せるんだな。

そんな姿を見ていると、不意に由比ヶ浜の視線が三浦へと向かう。その三浦はというと、部室内を歩き回っている。由比ヶ浜の視線に気がついたのか、立ち止まり、こう問い掛ける。

 

 

「結衣ー、ここ本当に文芸部かし。本とか全然なくなーい?」

 

「え、ああ、そうだね」

 

 

由比ヶ浜は誤魔化すように笑う。

確かに三浦の言う通り、この部室にはそういったものは少ない。あるのは教室の隅に置いてある小さな本棚だけだ。しかし、その本棚には中が見えないようにカーテンのようなものがかけられている。昨日はなかったものだ。由比ヶ浜は自分にそういう趣味があることを恥ずかしがっていた。

もしかして由比ヶ浜は今日、この部室に三浦が来ることを予期して、自分の趣味がバレないようにするためにあんなものを用意したのか?

なかなかに有能だ。あちらの由比ヶ浜も見習ってもらいたい。

 

 

そんなことを思っていると、三浦の発言に反応した折本が部室を見回し、目線を本棚で止める。

それを見ていた由比ヶ浜の表情がどんどん強張っていく。

 

 

「あれは?本棚ぽくない?」

 

「あー、それは……」

 

 

由比ヶ浜が立ち上がり、誤魔化そうと努めるも、三浦がその本棚に向かって歩き出す。

 

 

「あー、言われてみれば」

 

「あのー、三浦さん、折本さん。それは……」

 

 

なんとか止めようと、必死に言葉を吐く由比ヶ浜だったが、三浦も折本もまるで聞いていない。

困った表情を浮かべてこちらに視線を送ってくる由比ヶ浜。許せ、由比ヶ浜。押しに弱いと定評のある俺ではどうすることもできん。特にこいつらはな。逆に言えば、変に隠してもいいことはないと思うのだが。

 

 

由比ヶ浜の抵抗も虚しく、三浦の手によって本棚のカーテンが払われる。

その瞬間、”あぁ”と悲しそうな声が聞こえた。

 

 

中を確認した2人は動きを止めた。

そして折本だけが振り返り、由比ヶ浜に尋ねる。

 

 

「これ、結衣ちゃんの?」

 

「う、うん……」

 

 

小さく呟くそうに返事をした由比ヶ浜は俯いてしまっている。彼女には折本の表情が見えていない。

由比ヶ浜よ、そんなに落ち込むことはないぞ?

 

 

三浦は本棚からライトノベルを1冊、手にとってパラパラと捲る。

 

 

「結衣ー、こういうのが好きなん?」

 

「は、はい……」

 

 

由比ヶ浜の声はさらに小さくなる。

きっと彼女はこう思っている。

女子なのにこういう趣味があるのは変だ。ドン引きされてしまう。嫌われてしまうかもしれない。

 

 

違うぞ、由比ヶ浜。そんなことはないのだ。前を見てみろ。三浦も折本もそんな態度は取っていない。ドン引きもバカにもしていない。

 

 

まったく顔を上げようとしない由比ヶ浜を見かねた俺は彼女のもとへと向かう。

 

 

「由比ヶ浜」

 

「何?」

 

「三浦も折本もお前が思ってるような奴じゃない」

 

 

お前が彼女らの何を知っているのだと問われればきっと俺は大したことを答えることはできない。しかし、この数日間で俺は今まで見ようとしなかった彼女らの一面を知った。だからお前も勇気を出して前を見てみろ。少しは楽になる。

 

 

三浦は別のライトノベルを手に取る。

 

 

「あ、これ海老名が言ってたやつだ」

 

「えー、どれ?」

 

 

三浦が折本にライトノベルの表紙を見せた後にページを捲ってみせる。

 

 

「あー、それ姫菜がめっちゃ面白いって言ってたやつじゃん」

 

 

彼女らの会話を聞いた由比ヶ浜はようやく顔を上げる。

そこに三浦が歩み寄ってくる。

 

 

「この本さ、あーしの友達の海老名って子が超面白いって言ってだけど、どんな話なん?」

 

「え?あ、えっと……」

 

 

由比ヶ浜は突然の出来事に戸惑いを隠せないようだった。

辿々しくなりながらも必死に説明する由比ヶ浜。それをうんうんと真面目に聞いている三浦と折本。

 

 

「へえー、この表紙の絵柄からは全然想像つかない話だし」

 

「それある。でも面白そうじゃん」

 

 

三浦の言う通り、そのライトノベルの表紙には可愛い女の子の絵が描かれている。その作品のヒロインだ。

その作品は確かに面白い。しかし、絵柄からか一般の人からは少しとっつきにくい部分もあるかもしれない。

だが、その作品がアニメ化された際には爆発的な人気が出た。それもニュース番組に取り上げられるほどに。円盤の売り上げもそのクールでは一位だった。この作品の面白さをこの手の女子に伝えるにはもう見てもらうしかない。

 

 

そろそろフォローを入れるべきかと、思い立った時、由比ヶ浜が拳を握り締めるのが見えた。

 

 

「その作品はね、絵でちょっと敬遠されちゃうだけど、内容は凄くいいんだよ。その、なんというか、変にご都合主義でもないし、登場人物の一人一人のキャラが凄くいいの。ストーリーもね……」

 

 

由比ヶ浜の熱弁をポカンとした表情で聞く2人。

熱弁を終えた由比ヶ浜は少しだけ落ち込んだような顔をする。

 

 

「ご、ごめん、こんな話されても困るよね……」

 

 

由比ヶ浜、この2人がそんな表情をしたのは多分違う理由だ。

由比ヶ浜を見て、折本がプッと吹き出したように笑う。

 

 

「ごめん、バカにしてるわけじゃないよ?」

 

「え?」

 

「結衣ちゃんがそんなにハキハキ喋ってるの初めて見たからさ。よっぽど好きなんだね」

 

 

その会話に三浦も加わる。

 

 

「マジ結衣、熱く語りすぎだし」

 

「あ、はは、ごめん」

 

「いいじゃん。本当に好きってことだよ」

 

「別に隠すことなかったし」

 

 

三浦の言葉に由比ヶ浜はやや首を傾げる。

 

 

「こういう趣味があってもバカにしたりしないし。てか、海老名より全然健全だし」

 

「健全?」

 

 

由比ヶ浜の疑問に三浦はどう答えるか悩んでいる。

 

 

「なんていうの、その、海老名って子は”BL”ってのが好きでさ。その子は全然隠したりしてないし」

 

 

そこに折本が思いついたように手を打つ。

 

 

「今度、姫菜連れて来ようよ。結衣ちゃんと話し合うって」

 

 

あのワードを聞いて、一瞬、由比ヶ浜の目が輝いたように思えたが、たぶん気のせいだ。そういうことにしよう。

それに海老名さんを連れてくること自体は悪いことじゃない。三浦が言うように海老名さんが本当にその作品を好きなら、折本の言う通り、きっと由比ヶ浜とは話が合う。てか、海老名さんBL以外にも精通してたのか。てか、海老名さんに感謝だな。

 

 

三浦は手を持っていたライトノベルの本棚に戻し、また別のライトノベルを手にとって折本と”これも海老名の言ってたやつじゃない?”とかなんとか楽しそうに会話していた。

 

 

その姿を見て、由比ヶ浜は嬉しそうな笑みを浮かべる。

 

 

「な、言ったろ」

 

「うん、ありがとう」

 

 

そう言いながら彼女は俺を見上げた。その笑顔にちょっとだけキュンときたのは内緒だ。

 

 

そんなことを思っていると、不意に三浦から話を振られる。

 

 

「八幡も昔こんなの読んでなかったっけ?」

 

「ああ、そうだな。てか、今でも読んでる」

 

「そうなん?でも八幡が読んでたのはエロいヤツだったけどね」

 

「なっ!」

 

 

挿絵でちょっとパンツが見えたくらいでエロいって認定するのはおかしいと思います。

てか、最後のオチで俺を貶めるのは世界が変わっても共通なんですね。わかります。

 

 

折本のジト目で送られてくる視線に耐えかねて、由比ヶ浜を見ると、彼女までも俺を半眼で睨んでいた。おい、ちょっと待て。お前はこっち側の人間だろ?

 

 

 

×××

 

 

 

皆、それぞれに席に着き、思い思いに談笑をする。

当然のように俺はその輪に加わっていない。

由比ヶ浜は三浦と折本は先ほどからずっと質問攻めにあっている。由比ヶ浜はそれに困りながらも嬉しそうに答えている。

そんな女子たちを尻目に俺はというと、由比ヶ浜のライトノベルシリーズの一冊を手に取り、読書に耽っている。やっぱ変わらないのね、俺の立場って。

 

 

しかし、同じ部室でも人が違うだけでこんなにも雰囲気が変わるものなのか。

彼女らが時より発する楽しそうな笑い声は俺の胸をざわつかせた。

俺の居た元の世界でも、何か違うきっかけがあれば、こんな風に変わっていたかもしれない。

 

 

 

こんなにも暖かい雰囲気に包まれた部室。嘘偽りのない、欺瞞のない世界。紅茶の香りがしなくとも、この空間が………、俺は……。

 

 

 

俺は……。

 

 

 

 

 

 

 

次の瞬間、頭痛とともに頭の中にノイズが走るような感覚に襲われた。

 

 

(……………?)

 

 

 

 

なんだ?今のはいったい……?

何が聞こえたような……。

 

 

 

その痛みは俺を現実へと引き戻した。

今、俺は何を考えていた。

それだけは何があっても絶対に考えちゃいけないことだったはずだ。

 

 

なんで俺はこんなことを……!

 

 

とてつもない罪悪感に苛まれる。

 

 

 

気がつけば、頭を抱えていた。

そこに俺の変調に気がついた三浦が声をかけてくる。

 

 

「八幡、どうしたん?」

 

「な、なんでもない」

 

 

なんとか返答するも、それは由比ヶ浜や折本にも気づかれてしまう。

 

 

「比企谷、顔色悪っ!」

 

「だ、大丈夫?」

 

 

彼女らから向けられる心配の眼差しに居た堪れなくなり、俺は立ち上がる。

 

 

「なんでもないんだ。ただ最近、少し寝不足でな。飲み物買いに行くついでに顔洗ってくるわ」

 

 

どうにかはぐらかそうと口を動かす。

しかし、彼女らの顔が晴れることはない。

 

 

「私も一緒に行こっか?」

 

 

折本の提案も適当な理由をつけてやんわりと断る。

自分の体調に問題がないことを主張するために俺は彼女らに言う。

 

 

「ついでだから、なんか飲むか?買ってくるぞ?」

 

「そ?じゃああーし、レモンティー」

 

「私はミルクティー」

 

 

2人からの注文を聞き、由比ヶ浜にどうするのかと言う目線を送る。

彼女はとても心配そうな顔をして俺を見つめていた。その表情がいつか見た俺の知っている由比ヶ浜の表情とダブって見えて、それ以上言葉を発することができなかった。

 

 

「結衣はどうするん?」

 

「あ、私は大丈夫」

 

「遠慮しなくても大丈夫だって。比企谷の奢りだから」

 

 

そう折本に笑いかけられて、ようやく飲み物の名を告げる。

 

 

「じゃあMAXコーヒーで……」

 

 

それを聞いて、俺は足早に部室を出た。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

部室を出て、しばらく歩くと頭痛はすぐに治まった。

この謎の頭痛は単なる風邪の類のもではないことがはっきりとわかった。

これの原因はきっと______だ。

 

 

畜生め。俺はなんて情けない男なんだ。不甲斐ないにもほどがある。

 

 

己の中に大きく渦を巻く複雑な感情たちを一掃するために俺はトイレの洗面台で勢いよく水で顔を洗った。

身震いするほどに酷く冷たい水ですべてを洗い流す。しかし、すべてを綺麗に流し切ることはできなかった。

 

 

残った感情を胸に俺は自販機を目指す。

 

 

ズボンのポケットから財布を取り出し、必要な分の小銭を自販機に投入する。

暖かな飲み物で冷え切った手を温めながら来た道を戻る。すると、後ろから声をかけられた。

 

 

「せんぱーい!!」

 

 

振り返ると、小走りで駆けてくる一色いろはの姿があった。

いろはは俺の前で立ち止まり、頬をぷくっと膨らまして拗ねたように言う。

 

 

「比企谷先輩、酷いですよぉ!!なんで無視するんですか?」

 

「え、ああ、悪い。考え事しててな」

 

「ふーん、そうですか」

 

 

未だに頬を膨らましているいろはになぜまだ校内に残っているのかを問う。

 

 

「いろは、なんでまだいんの?」

 

「あー、あれですよ。先生に呼び出されちゃって」

 

 

なるほど。もう放課後になってから1時間は経つ。てか、1時間も先生と話してたんだよ。

そんなことを思っていると、今度は彼女の方から尋ねてくる。

 

 

「比企谷先輩はどうしたんですか?もしかしてパシリですか?」

 

 

いろははバカにしたように言う。

まぁあながち間違ってないから困る。

 

 

「ああ、そうだよ。優美子たちにお使い頼まれてな」

 

 

あれ?なんだこれ?

 

 

「そうなんですか。で、今からどこ行くんですか?」

 

「文芸部室」

 

「あー、もしかして昨日一緒にいた人ですか?」

 

「ああ、そうだ」

 

「ふふん、あの人可愛かったですもんね。また比企谷ハーレムの一員が増えちゃいましたね」

 

「なんだよそれ。そんなもんねえよ」

 

 

なんだこれ。なんで俺は普通に喋ってんだ?

 

 

「お前も来るか?」

 

「そのお誘いは有り難いですけど、今日は遠慮しときます。この後、用事があるので」

 

「そうか、じゃあな。いろっ……!」

 

 

その時、また頭に痛みが走った。

下を見ると、手に持っていたはずの飲み物たちが転がっている。

 

 

「あーあー、なにやってんですか」

 

「す、すまん」

 

 

俺は急いで足元に転がった飲み物を拾い集める。その中の1つが一色の足元に転がっていき、彼女はそれを拾い上げてくれる。

 

 

「はい」

 

「さ、サンキュー」

 

 

一色は拾い上げた飲み物を手渡すと、あざとさ満点の笑顔でさよならの挨拶を告げ、去っていた。

 

 

彼女を見送った後も俺はしばらくその場を動けなかった。

一体、なにがどうなってんだ。なぜ、俺はあんなにも容易く彼女らの名前を口に出せていたんだ。

 

 

あれ?なにやってたんだっけ俺?

 

 

俺は何をしようとしていたのだったか。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

自分の意識の外側から自分を見ているような感覚。あれはなんだったのか。

部室に戻った後もその感覚に度々、襲われた。

フワフワとした現実味のない感覚に_____を抱きながらも、あの暖かな部室で俺は____しんだ。

 

 

 

染まって行く。この世界の色に。

内側の叫びを無視して。

 

 

 

最終下校時刻を告げるチャイムとともに俺は彼女らと別れ、帰路に着いた。

 

 

家に着いて、中に入るなり、とてつもない疲労感に襲われた。もう玄関先で倒れてしまうのではないかと思うほどに足元がおぼつかない。

 

 

小町に”もう寝る”とだけ告げて、自室に入る。

 

 

制服のままベッドに倒れ込む。

もうめんどうだ。このまま寝てしまおう。

 

 

目を閉じると同時に俺の意識は消失した。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

目を開けると、閉まっているカーテンの隙間から日差しが差していた。あれ?寝る前に閉めたのだったか?昨日、部屋に入った時には開いていたような。記憶が曖昧だ。

なんだろうか。何か夢を見ていたような、思い出せない。

ぼんやりとしたイメージだけが頭の中に残っている。

ベットから半身を起こす。

ほんのりと頭に痛みを感じる。この感覚は二日酔いに似ているな。酒飲んだことねえけど。

 

 

意識が徐々に覚醒していく。

そして、俺は驚愕する。

俺は確かに昨日は制服のまま、寝に入ったはず。それなのに、今、俺は寝間着を着用している。

 

 

なにが起きた。また何か……。

あれ?なにが起きていたのだったか。

 

 

何故か心臓の鼓動が大きく、早くなっているを感じる。

ダメだ。気分が悪い。これ以上、思考を巡らせるのはやめておこう。

そうだ。風呂に入らなければならない。

そう思い立ち、ベットから立ち上がる。それと、同時に部屋の扉が開かれた。

 

 

「なんだ、起きてたのか」

 

「おう」

 

 

小町はそう言うと、俺のベットから這い出てきたカマクラを抱き上げる。

 

 

「最近、寝坊してばっかりだから早めに起こしに来たのに」

 

「ああ、ありがとう」

 

 

部屋から出ようと、扉に近づいていくと小町は何かに気がついたように目を丸くした。

 

 

「兄貴、またやったの?それはないと思うよ?」

 

「なんの話だ?」

 

「頭だよ」

 

 

小町はそう言って自分の頭の右側を指差す。

小町がなにを言っているのかわからず、自分の髪を触る。

 

 

「そんなにコロコロ染めると髪痛むよ?ハゲるよ?」

 

 

俺は動揺のあまり、ツッコミを入れることすら忘れていた。俺の、髪……?

染めた?俺の髪の色は何色……?

 

 

 

 

そう考えた瞬間にすべてがフラッシュバックした。

 

 

 

 

 

 

 

なんで、なんで俺は忘れていたんだ。

意味がわからない。なぜだ。こんな現象に巻き込まれていたというのに。

 

 

俺は頭を抑えたまま、その場に崩れ落ちた。

 

 

「あ、兄貴!」

 

 

抱いていたカマクラを床に降ろして、俺の側に駆け寄ってくる。

 

 

「どうしたの!?大丈夫?」

 

「ああ、いや、大丈夫だ。ちょっとめまいがしてな」

 

「今のはちょっとやばい感じだったよ?本当に大丈夫?」

 

 

心配そうに俺の顔を覗き込む小町。

俺はすぐに立ち上がる。

 

 

「ちょっと寝不足なだけだ。あと低血圧」

 

 

咄嗟に思いついた言い訳にしては上出来だった。その後もしきりに”大丈夫?”と問いかけてきた小町になんとか宥める。

 

 

「まぁそう言うんなら良いけどさ。昨日も遅くまで起きてたみたいだし」

 

 

小町が言ったその言葉に背筋がゾクっとした。俺にそんな記憶はない。

その場をどうにか取り繕って、俺は洗面所にやってきた。

 

 

「マジかよ……」

 

 

つい、そんな言葉が口から漏れた。

洗面台の鏡に映る俺の髪は右側の一部だけが”金髪”に染まっていた。

 

 

 

 

 

 



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繋ぎ止めたのは彼女の名前。





どーも、にが次郎です。


今回で連投終了です。
3月中に完成させるつもりだったのですが、間に合いませんでした。
次の更新で完結まで行く予定なので、宜しければお付き合い願います。


では、どーぞ。


 

 

 

 

染まったその部分を見て、俺はしばらく放心していた。

なんでこんなことが起きているのか。

このことにとてつもない危機感を覚える。

 

 

一連のおかしな出来事は俺の頭の中で既に繋がっている。

原因はすべて___にある。

この世界の俺の立ち位置に依存して、あの空間を楽しいと感じてしまっていたからだ。

これは絶対にやってはいけなかったこと。この世界の俺と___を重ね、自分のものにしようとしていた。

 

 

本当にクソッタレだ!自分の醜さにヘドが出る。なんで俺は……。

 

 

(わかっているんだろう?)

 

 

このまま行けば、俺はこの世界の色に染まってしまう。

思い出せ。この現象に見舞われた当初の決意はどこへ行った?そんなに簡単に消えてしまうものだったのか?その程度のものだったのか?

 

 

自分を戒めるべく、自らに問いかける。

 

 

それから小町に声をかけられて俺は風呂に入ってから身支度をして学校へと向かった。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

登校中、コンビニに寄って黒髪戻しの缶スプレーを購入した。それを使い、金色に染まってしまった部分を黒く染める。

なんでこんなことをしたのか。

見た目に悪いというのもあるが、1番の要因はこのまますべての髪が金色に染まってしまうのではないかという恐怖があったからだ。髪の毛が勝手に染まっていくなど、あり得るわけがない。現実味をまるで帯びていない。

 

 

これまでに想像を絶する現象、変化に巻き込まれてきたわけだが、とうとう俺自身にまで変化が現れ始めた。

 

この世界でたった1人取り残された俺を世界は異物だと判断したのか?

急がなければならない。おそらく時間はもうほとんど残されていない。それに今日は金曜日だ。今日は20日で土日を挟めば、月曜日は終業式だ。下手すればそのまま冬休みに突入してしまう。

今日は何かしらの行動を起こしておかなければならない。

 

 

まだぼんやりとした頭痛は消えていない。もしこれが警告だとするなら、この痛みが消える前になんとかしなければいけないということだ。

 

 

 

黒髪戻しの缶スプレーを制服のポケットに突っ込んで、焦る気持ちを足に込めて強くペダルを漕いだ。

 

 

学校に着くと、いつもよりざわざわとしているような印象を受けた。たぶん今日が最後の授業となるからだろう。

冬休みを目前とした生徒たちが騒つくのも頷ける。本来なら、俺もそっち側にいたはずなのだが、今の俺は冬休みなど来るなとそう強く思っていた。

 

 

いつも通り自転車を駐輪時に止め、下駄箱で上履きに履き替えて、教室に向かう。教室に着くと、いつもの面々は既に登校していた。

 

 

「八幡、おはよー」

 

 

皆それぞれに挨拶をする。

 

 

「おう、おはよ!」

 

 

俺の挨拶にその場にいる面々は驚いたように目を丸くした。俺も皆と同じように驚いた。何に驚いたかって自分のした挨拶にだ。なぜ、俺はこんなにも元気に挨拶をしたのだ。今までの人生で一番元気よく挨拶したのではないかというレベル。

 

 

皆が驚いている中で戸部がいち早く再起動する。

 

 

「八幡、今日マジ元気よくね?」

 

「おお……」

 

 

自分で元気に挨拶をしておきながら戸部の溢れんばかりの力のこもった勢いに気圧される。

 

 

「八幡、やっと元気になったのかし」

 

「ようやくいつものハチハチに戻ったねえ〜」

 

 

自分の席に座っている三浦と海老名さんも笑顔を俺に向ける。それに俺も笑顔で答えて、自分の席に座る。それからいつも通り朝のHRが始まるまでの時間、皆とたわいもない談笑をした。それと同時にあのぼんやりととした頭痛は次第に弱くなっていた。

 

 

授業が始まって、授業間に挟まれる休み時間でも俺は自分を見失わないように努力した。しかし、そんな努力も虚しく、俺の意思とは違う行動、言動を繰り返した。

 

 

消えてゆく。___が___じゃなくなっていく。

 

 

3時間目の授業を終え、尿意を催した俺はトイレに向かう。

さっと済ませ、手を洗う。

 

ふと、見上げた洗面台な鏡を見て、俺はまたも驚愕する。

 

 

「何やってんだ俺は……」

 

 

鏡に映る俺の前髪は金色に染まっていた。

 

 

心中で自分に暴言を吐きながら、制服のポケットから黒髪戻しの缶スプレーを取り出し、頭に振りかける。

 

 

もう頭痛などほとんど感じない。

今はまだ辛うじで自分を保てている。

しかし、いつ俺の意識が消失してしまうかわからない。

自分が自分でなくなっていく恐怖。

もう発狂していてもおかしくはない。そうなっていないのはたぶん_____だからだ。

 

 

もう一体なんなんだ。何がしたい。

何か望みだ?___はどうしたいんだ?

 

 

教室に戻って、授業が始まってからも俺は机に突っ伏し続けた。

 

 

 

思い出せ。___は何をしようとしていたんだ。何かを取り戻したかったんじゃないのか?

 

 

(もういいんじゃねえの?)

 

 

ダメだ。大事なことなのに。忘れてはいけないことなのに。思い出そうとすればするほどに激しい痛みが頭に走る。なんだよ、これまでとは逆になってるじゃねえかよ。

 

 

(もういい加減諦めろよ)

 

 

なんでだ。なぜ思い出せない。

あんなに大切だと思っていたのに。もう顔すらも思い出せない。

記憶が欠落していく。掌から溢れる砂のようにサラサラと頭から抜けていく。

 

 

 

彼女らの名前はなんだ?

 

________と________。

 

 

(心配するなって。あいつらだってお前がいなくても楽しくやってるよ)

 

 

もううるせぇ!!黙れ!!

自分の頭の中に響く言葉に激昂する。

 

 

さっきからなんなんだよ。

お前は誰だ。

 

 

(俺はお前だよ)

 

 

背筋に悪寒を感じ、突っ伏していた顔を上げる。そこには”俺”が立っていた。

 

 

 

×××

 

 

 

 

これは幻覚だ。

とうとう俺の頭はオシャカになったらしい。

 

 

(そうじゃない。俺はお前自身だ)

 

 

こんなことが現実にあり得るわけがない。

 

 

(さっきからそればっかりだな。いい加減に認めろよ?楽しかったんだろ?嬉しかったんだろ?)

 

 

やめろ。そんなことを言って俺を貶めようとしても無駄だ。

 

 

(どの口がそんなこと言う。俺は全部知ってるんだぜ?)

 

 

もううるせぇ。消えろ。俺をこんな目に遭わせている奴の差し金だろ?

 

 

(マジでめんどくせえな、俺。てか、俺はお前だから消えねえよ)

 

 

お前はなんなんだ。何がしたい?

 

 

(俺はお前の心。まぁ簡単に言えば”本音”、”本心”みたいなもんだ)

 

 

なら、お前は俺の本心を知っているのか?

 

 

(もちろん。というか自分でわかってんだろ?)

 

 

…………。

 

 

(お前はどうしたい?)

 

 

…………。

 

 

(このままこの世界でこの生活を続けるか?)

 

 

…………。

 

 

(それともあいつらとの日々を取り戻したのか?)

 

 

今の俺にそんなことができるのか?

もう顔も名前も思い出せないのに。

 

 

(知りたいか?なら、教えてやるよ。あいつらの名前はな………)

 

 

 

目の前に現れた俺は名前を言いかけた瞬間に少しだけ笑って俺の前から姿を消した。

 

 

その代わりに俺の前に立っていたのは折本かおりだった。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

「比企谷、どうしたの?」

 

 

その声で我に帰る。

 

 

「いや、なんでも」

 

 

既に授業は終わり、昼休みになっていた。

 

 

「比企谷さ、この間皆に……下?とか…山はどこだ?って聞いてたじゃん?」

 

 

折本は何気なく世間話でもするかのように話す。くそ、とうとう耳までイカれたのか。重要な部分が聞き取れない。

 

 

俺は立ち上がって問い質す。

 

 

「なんだ!?もう一回言ってくれ!」

 

「え?なに?どうしたの?急に?」

 

「いいから早く!」

 

 

俺は食ってかかるくらいの勢いで言う。折本は若干引き気味にその名を口にした。

 

 

 

 

 

「”雪ノ下”と”葉山”だけど」

 

 

 

知らぬうちに笑みが溢れていた。

ようやく思い出せた。俺の記憶が、欠落した部分が、頭の中で綺麗に復元されていく。

 

 

俺は折本に問いかける。

 

 

「どこだ?」

 

「え?」

 

「雪ノ下はどこにいる?」

 

「そうそれね。この間、他校の友達と遊んだ時に聞いたの。そしたら海浜総合高校の生徒だって聞いたからさ。比企谷に言おうと思ってたんだけど、忘れてて」

 

 

まったく、このお茶目さんめ。

しかし、このタイミングはこれ以上にないくらいに最高だ。

俺にはまだやらなきゃいけないことがある。唯一、この世界から脱却する方法。それは”鍵を揃えること”。

 

 

気づけば頭痛も消えていた。

 

 

「折本、厚木に訊かれたら俺はペストと赤痢と腸チフスを発病して死にそうだったと伝えてくれ」

 

「え?ああ、うん」

 

 

俺の慌てた様子を見て、怪訝そうな眼差しを向けてくる。だが、それを答える間もなく俺の足は動き出していた。

コートをひっつかんで、走り出す。

ただ急いでいてもお礼は言っておかないと。

 

 

 

「サンキュー、愛してるぜ折本!」

 

 

 

走り出してから自分の声がやや大きかったことを後悔する。

教室を出る瞬間、騒ついたのがわかった。またやったな俺。しかし、かつての黒歴史を掘り返して身悶える暇もないくらいに俺は全力で走っていた。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

昼休みの生徒たちの喧騒の中を俺は駆け抜けていた。

下駄箱まで辿り着き、靴に履き替える。

外に出て、駐輪場に向かおうとしたが、校門のところに平塚先生の姿が見えた。平塚先生は缶コーヒーを片手にタバコを吹かしている。

くそ、なんでこんな時に限ってそんなところで一服してんだよ。

 

 

これで校門からは学校の外に出れない。よって自転車は使えない。

事情を説明している時間さえも今は惜しい。俺は校舎の裏に回ってフェンスを乗り越えて学校の外へと出た。

 

 

俺にしてはかなりの行動力だ。

それだけ今はあいつに逢いたかった。

 

 

ちくしょう。こんなにも雪ノ下に逢いたいと思う時が来るとは思いもしなかったぜ。あいつの罵倒が恋しく思える。

 

 

俺はがむしゃらに足を動かした。

海浜総合高校の場所は大体だが把握している。

 

 

どのくらい走っただろう。

もう気分的には42.195キロを完走している。どんだけ遠いんだよ。

しかし俺って本気を出せばこのくらい走れるんだな。普段の自転車通学に感謝だ。

 

 

そんなことを思いつつ、海浜総合高校の前に到着した。

おそらくまだ授業中。校内は静まり返っている。

 

 

切れたい息を整えつつ、俺は大事なことに気がつく。

急いで走ってきたのはいいが、まだ放課後ではない。まだ授業は終わっていないのだ。

 

 

焦りや不安、いろんな感情が俺を急かしたせいで色々見誤ってしまった。

こんなに急いで来ても授業が終わってないんじゃ雪ノ下が出てくることはない。

 

 

そのことに気がついて、思わず乾いた笑いが出た。

 

 

焦るな俺。ここが一番重要なんだ。この世界の雪ノ下がどう変化しているかわからない以上、下手に動いても失敗するだけ。

 

 

自分にそう言い聞かせ、吹きすさぶ冷たい風に耐えていると、ぐぅー腹の虫が鳴いた。

そういえば昼飯を食い損ねていた。なんなら朝飯も食っていない。確かすぐそこにコンビニがあったはず。

 

 

「腹が減っては戦はできぬって言うしな」

 

 

1人そう呟いて、コンビニに向かう。

来店すると、暖かい空気が俺を包んだ。弁当コーナーや菓子パン、惣菜パンの並ぶ商品棚の前で何を食べようかと1人思い悩んでいると、かつて俺が好んで食べていたあの菓子パンを発見した。この菓子パンの俺の中のイメージが完全に三浦になってしまった。

 

 

結局、俺はその菓子パンとおにぎりを2つ、それから飲み物を購入することにした。

それらが入った買い物カゴを手にレジに並ぶ。しかし、なかなか順番が回ってこない。レジの方を見ると、胸にトレーニング中と書かれたプレートを付けたアルバイトの店員がカゴいっぱいに入った商品に悪戦苦闘している。

そのカゴいっぱいに商品を購入しようとしているのは既に還暦を過ぎているであろうご婦人。

どうでもいいことなのだが、なんでおばあちゃんってコンビニでこんなに爆買いするのだろうか。近所のスーパーに行った方が安いと八幡思うな。

 

 

俺が今並んでいるのは、入り口から見て、奥のレジ。

もう1つのレジの方が早いのではないかと何気なく出口側の方に目を向けると、1人の女性が雑誌コーナーから歩いてきて出て行くのが見えた。俺はその横顔を知っていた。

 

 

なんでこんなところにいるかはわからない。その女性は雪ノ下陽乃。

俺の知っている姿と寸分変わらぬ彼女に吸い寄せられるように俺の足は出口へと動いていた。

 

 

出口の前までやってきて、店員に呼び止められる。俺は買い物カゴを持ったままだ。

俺はすいませんと謝罪を入れてから買い物カゴを店内に置いて外に出る。

 

 

ここで陽乃さんに会ったのは偶然か、それとも必然か。

会って話したところでこの世界では俺と面識はない。相手にしてもらえない可能性だってある。

しかし、俺は彼女を追いかけてしまった。何かに繋がる気がしてしまったから。

 

 

彼女を追って外に出たものの、既に陽乃さんの姿はなかった。マジかよ。瞬間移動でもしたってのか。時間が限られている今、深追いもできない。

俺は諦めて店内に戻り、買い物を済ませた。

 

 

 

コンビニの外で手早く昼食を食べ、海浜総合高校まで戻る。

現在、校内では今年度の最後の授業が行われている。うちの高校と時間割はそう変わらないだろう。放課後になるまで、あと半刻ほど。

 

 

俺はできるだけ平静を保てるように努力した。落ち着け俺。焦ってはダメだ。

どれだけそう自分に言い聞かせても、逸る気持ちを抑えきることができなかった。

 

 

雪ノ下が授業が終わってすぐに下校するとは限らない。下手をすれば、何かしらの部活動に所属している可能性もある。そうなると、この寒空の下で待ち惚けることになる。それこそ本当に風邪を引いてしまう。

いくらコートを着ているとはいえ、寒いものは寒い。それに加えて、かなりの距離を走ったおかげでかいた汗が乾き切っていない。

 

考え得るマイナスの要素で頭がいっぱいになっていく。

 

 

もしかしたら、雪ノ下はこの高校でも奉仕部を設立して、活動しているかもしれない。

いや、これに関しては別に問題があるわけではない。しかし、なんだろうか。言葉に言い表し辛い感情が俺の中に湧き上がってくる。

 

 

人を待つことに慣れていない俺にはこの時間はかなり長く感じた。

両手をポケットに突っ込んで、肩をすくめていると、ようやく終業のチャイムがなった。

 

 

ようやくだ。とうとうこの時が来た。

焦るな俺。落ち着け俺。

 

 

校門からはどんどん生徒たちが吐き出されていく。

目を凝らし、その1人1人の顔を確認していく。

 

 

そして、その時は来た。

 

 

 

校門から吐き出された生徒の群れの中におそらく死ぬまで忘れることのない女の顔が混じっている。

 

驚いたことに長かった髪は短くなっており、肩のあたりで切り揃えられていた。その姿にしばらく見惚れてから俺はその女子が彼女だと確信する。

 

青いブレザーに身を包み、首には俺の知っている柄と同じマフラーを巻き、変わらずニーハイを履いている。

 

 

少しずつ、距離が詰まっていく。近づけば近づくほど、表情がよく見えてくる。

 

 

その表情を見て、俺は胸がギュッと締め付けられるような感覚を感じる。

俺のすぐ目の前をこちらに向かって歩いてくる彼女の表情はあの部室で浮かべていたものによく似ていたからだ。

 

 

ようやく会えたってのに、なんでそんな顔をしてやがる。

 

 

海浜総合高校の生徒たちは立ち尽くす俺を邪魔そうに左右に避けていく。

彼ら彼女らの訝しむ視線など気にもならない。

 

 

俺は立ち尽くしたまま、近づいてくる彼女を見つめていた。

 

 

逢いたかったぜ、雪ノ下。

 

 

 

不覚にも笑みが溢れていた。

発見したのは雪ノ下雪乃だけではない。

彼女の隣を歩きながら何やら話しかけている男子生徒。それはあの見飽きた爽やかな笑みを浮かべる葉山隼人に相違ない。予想はしていたが、こいつの顔を見て嬉しくなる時が来るとは思わなかったぜ。

 

 

感慨にふけるのはあとにしよう。2人の姿がだんだん近づいてくる。

情けないことに俺の鼓動はどうしよもないくらいにアップテンポを刻んでいる。このクソ寒いのに一度引いたはずの汗がまた滲み始めた。

 

 

 

2人は俺の3メートル前までやってきた。そこで雪ノ下が俺を一瞥。おいおい、そんな不審者を見るような目で見てくれるな。懐かしくなるだろうが。

もちろん彼女は足を止めない。すぐに下に視線を落として、俺の横を素通りする。

 

 

「おい!」

 

 

なんとか声を発する。なに緊張してんだ。これじゃまるで本物の不審者じゃねえか。

まだ彼女の足は止まらない。

 

 

俺は思いを握りしめて、彼女の名を呼ぶ。

 

すると、ようやく雪ノ下は足を止める。それに習って葉山の歩みも止まる。

そして振り返って俺を再び一瞥。その睨みの効いた眼光は彼女の不機嫌さを表していた。

 

 

「突然悪い、ちょっといいか?」

 

「………」

 

 

沈黙。

葉山も困ったような笑みを浮かべる。

雪ノ下は俺から視線を外し、葉山へあなたの知り合い?という視線を送る。それに葉山は首を振る。そのあとに葉山は柔らかい表情を浮かべて尋ねてくる。

 

 

「何の用かな?」

 

「あ、えーとだな」

 

 

なにイケメンオーラに気圧されてんだ。しっかりしろ俺。

ここに来る道中で考えたこいつらを引き止める理由を素直に口に出せばいいだけだろうが。

残念ながらあの小説のように過去に強い接点があるわけではない。しかしないわけでもない。今はこいつらを引き止めるのが最優先事項なのだ。

 

 

「雪ノ下、昔のことを蒸し返すようで悪いが高校の入学式の日、お前は事故にあってるよな?」

 

 

雪ノ下は俺の問いを聞いてさらに強く俺を睨む。そしてようやく口を開いた。

 

 

「あなたのような礼儀も礼節を弁えない輩に答える必要はないわ。さ、葉山くん行きましょう」

 

「ま、待ってって!」

 

「なにかしら?これ以上付きまとうなら先生を呼ぶわよ?それとも警察に通報したほうがいい?」

 

「雪乃ちゃん、落ち着いて」

 

 

手に持っていた鞄から携帯電話を取り出す雪ノ下。それをなんとか葉山が宥めてくれる。

変わらず、睨みを利かす雪ノ下。俺は意を決して言う。

 

 

「あの事故の相手。自転車に乗った高校生だったろ?あれは俺なんだ」

 

 

それを聞いて雪ノ下は少しだけ反応したように見てたが睨む目つきを緩めることはない。

 

 

「それがどうした言うの?あの事故は示談で片付いたでしょう?もしかして報復に来たの?」

 

「違う」

 

「それともストーカーの類?なお悪いわね。警察に通報するわ」

 

 

なぜ彼女はこんなにも荒ぶっているのだ。俺の知っている雪ノ下よりもかなり高圧的だ。

 

 

「雪乃ちゃんに用があるなら俺が聞くよ。なにかな?」

 

 

険悪なムードに包まれる俺と雪ノ下の間に葉山が割って入る。相変わらずの性格だ。この葉山にはそれほど変化はないように見える。

葉山の申し出は有難いものだ。しかし、雪ノ下がそれを阻止する。

 

 

「葉山くん。こんな男に付き合う必要はないわ。それにあなた、総武校の生徒ね。警察に捕まりたくないのなら今すぐに私たちの前から消えてちょうだい」

 

 

まずい。周囲の生徒たちが騒つき始めている。雪ノ下に話を聞いてもらうためにいくつか手段を考えてきたつもりだったが、1つずつ試している暇はなさそうだ。

 

 

こんなことを考えている間にも雪ノ下は身を翻してしまっている。

俺はなんとか引き止めようと手を伸ばした。その瞬間、俺の手は強い力で掴まれた。

 

 

「そういうのはよくないよ。これ以上彼女の機嫌を損ねるつもりなら本当に先生を呼ぶ」

 

 

葉山の口調はとても強いものだった。

掴んでいる手も簡単には振り解けないほどに力が込められている。なにより俺を見る葉山の目には俺に対する敵意が見える。前言撤回だ。この世界の葉山は俺の知っているみんなに優しい男ではない。

 

 

「葉山……」

 

「俺も大事にはしなくない。大した用じゃないなら帰ってくれないか?」

 

「大した用だからこんなことしてんだよ」

 

 

俺は強い口調で葉山を睨みつけた。

考えろ。こいつらを止める方法はなんだ?はっきり言ってもう失敗していると言ってもいい。なにやってんだ俺!

焦る気持ちが強くなっていく。考えてきた方法も既に頭から飛んでしまっている。

そもそも最初の発言から間違っていた。なんでもっと冷静に言葉を選べなかったんだ。突然現れた知らない男にこんなことを言われたら腹が立つに決まってるじゃないか。

らしくない。本当に俺らしくない。なんでこんな方法を選んだ。

いろんなことがあり過ぎて切羽詰まっていたなんて言い訳をしたところでなんの意味もない。

 

 

バカだな俺。

俺の前からどんどん遠ざかっていく雪ノ下は俺の知っている雪ノ下とはさほど変わりはないじゃないか。

あんなことを言えば雪ノ下がこういう反応をするのはわかりきっていたことだろう。

 

 

ダメか。ここで終わりなのか。

 

 

そう行き着いて、目を閉じた瞬間、頭に閃きが走った。

俺とこいつらとの繋がりはない。

俺とこいつらの間に繋がりがある人物。先ほどのコンビニで見かけた女性だ。

 

俺はその人の名をはっきりと口にしたことはない。しかし考えるよりも先に口に出ていた。

 

 

「陽乃さん……」

 

「何か言ったかい?」

 

 

葉山は怪訝そうな顔で俺を見る。

もうこうなったら嘘でもハッタリでもなんでもいい。

俺の口にした名前が雪ノ下に届いたのだろうか。彼女の遠ざかる足は止まっている。

 

 

俺は腹の底から声を出す。

 

 

「俺は陽乃さんの知り合いなんだ」

 

 

口に出してしまってから後悔する。

さっき俺が言っていたこととどう辻褄を付けるかをだ。陽乃さんはあの事故とはなんの関わりもない。この世界での雪ノ下姉妹がどういう関係なのかわからないが、知り合いだと嘘をついて、雪ノ下に確認を取られてはすぐに嘘がバレてしまう。

ああ、もうダメだ。投げやりになってしまってはもうお終いだ。

 

 

俺は諦めたようなため息をついた。

 

 

「それは本当かい?」

 

 

葉山の声に俺は顔を上げる。

すると、顔を赤らめて、微かに涙を目に浮かべた雪ノ下が俺の目の前に立っていた。

 

 

「それは、本当かしら?」

 

「お、おう」

 

「はっきり答えなさい!!」

 

 

怒鳴るようにそう言う雪ノ下は葉山を払いのけて俺のワイシャツの襟を掴み、グッと引き寄せる。

 

 

「おわっ!」

 

「答えなさい!!」

 

「ほ、本当だ……。てか、苦しい……」

 

 

雪ノ下はその大きな瞳に涙を溜めながら俺を睨みつけた。しばらくそうしていたが、我に返ったのか、手を離してさっと距離を取る。

 

 

「どうしたんだ急に」

 

 

俺が咳き込みながらそう尋ねるも、雪ノ下は自分を抱くように手を組んで、何も答えなかった。

俺の問いには葉山が答える。

 

 

「そうか、手荒な真似をしてすまなかった」

 

「いや、いい。突然だしな。俺も悪い」

 

 

葉山は俺の言葉を聞いて、雪ノ下に確認を取るような目線を送る。その視線に雪ノ下は諦めたように頷いて答えた。

 

 

「君、名前は?」

 

「比企谷だ。比企谷八幡」

 

「俺は葉山。ってもう知ってるのかな?」

 

「ああ」

 

 

俺は短くそう言って答える。

なんだ。なぜこんなにも陽乃さんの名前に過敏に反応している。それに葉山は何かを察したようだ。どちらにせよ、今は好都合だ。

 

 

「ここじゃなんだ。場所を移さないか?」

 

 

俺は再び頷いて答える。

葉山は雪ノ下に近づいて一言告げる。

 

 

「ええ、わかったわ」

 

「じゃあ行こうか。この近くに喫茶店がある」

 

 

そう言った葉山の顔はどこか試すような感じを受ける。

俺は黙って頷いて彼らの後をついていく。

 

 

 

 

 

 



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彼は突き進む。




どーも、にが次郎です。

久々の更新。かなり間が空いてしまって申し訳ない。




 

 

 

 

 

 

 

葉山に連れられてやってきた店は如何にもリア充が好みのそうなオサレな喫茶店だった。

賑わっていそうな時間帯なのだが、なぜか謀られたように店内は閑散としていた。

 

 

中に入ると、ウエイトレス姿の店員が出迎えてくれる。中へと案内され、席に着くと同時に葉山が慣れたように注文をする。

 

 

「いつものコーヒーと紅茶を1つずつ。君はどうする?」

 

「じゃあ俺もコーヒーで」

 

 

注文を聞いた店員は行儀よくお辞儀をしてからごゆっくりと告げてその場を去る。

言葉の頭にあった”いつもの”とという言葉や慣れた様子から察するに葉山はこの喫茶店をよく利用しているようだ。付け加えて雪ノ下の飲み物も一緒に注文したということは2人でよく来ているということか。

この世界ではこの2人はそこそこ仲良くやっているようだな。

なにより葉山の呼び方だ。確か、雪ノ下さんと呼んでいたような気がしたのだが、この葉山は”雪乃ちゃん”と呼んでいる。雪ノ下は変わらず、葉山くんと呼んでいるが俺には2人がかなり良好な関係を築いているように思えた。別にだからと言って何か思うことがあるわけではない。本当だって。ハチマンウソツカナイ。

 

こうしてなんとか2人との接触に成功し、ここまで漕ぎ着けたわけだが、残念ながら俺はまだ落ち着きを取り戻せたわけではなかった。寧ろ、かなり焦ってる。

陽乃さんの名前を使ってここまで来たが、はっきり言ってノープランだ。ここまでの道中、必死に作戦を考えてみたのだが、どれも実行するに値しない。それに中途半端なものではこの2人には通じないだろう。雪ノ下のことだ。そんな俺の穴だらけの作戦ではほじくり返された挙げ句、完璧に論破されるに違いない。やべぇ、どうしよう。

 

 

1つだけ道があるとするなら陽乃さんについてだ。

この2人は陽乃さんの名前に異常なまでに反応した。この世界の彼女に何かあったのか?

第一、なぜすぐに陽乃さんに連絡を取らないのだ。電話1本ですぐにわかるだろうに。まぁ取られてしまうと俺としても困るのだが。

考察するならば、陽乃さんに何かがあって連絡が取れない状況にある。

それにしたって俺みたいな何処の馬の骨かもわからない奴の話に耳を傾けるほどの状況になっているのか?

わからない。この2人がそこまで切羽詰まるほどの何か。

どちらにせよ、これを上手く利用する他ない。

 

 

まったくまとまらない考えを強引に取りまとめているとここまでの道中も一言も言葉を発しなかった雪ノ下が口を開いた。

 

 

「あなたは姉さんとどういう知り合いなの?」

 

 

そう尋ねてきた雪ノ下の表情は真剣そのもの。その瞳には憂いが見える。

嘘をついている罪悪感からか、いや、正確には嘘ではないのだが、なんともやりずらい。

しかしここを突破せねば、鍵を揃えることはできないのだ。

最初の受け答えが一番重要。

アドリブが苦手な俺だが、そんなことを言っている場合ではない。

俺は一番且つ、正確な答えを回答する。

 

 

「俺は雪ノ下さんの後輩なんだ」

 

 

これは俺の勝手な推測だが、この世界に置いての分岐点は入学式の事故、もしくはその辺りだ。それより以前のことは改変されていない。ソースは俺。

中学時代の俺は変わらずボッチだった。証拠にしては不十分かもしれないが、細かいことを言い出せばキリがない。

つまりだ。あの事故より前が改変されていないとすれば、陽乃さんは総武高生だったはず。

しかしまだ穴はある。俺が総武高校に入学したときには既に陽乃さんは卒業していた。これについてどう辻褄を合わせるか。既に思いついてはいる。しかし、いささか強引過ぎる。

思い出せ。今、俺の目の前にいるのは俺の知っている雪ノ下や葉山ではない。同じ姿、同じような思考回路でも、2人からすれば俺はまったくの他人なのだ。しっかりしろ。もう一度、失敗すれば、終わりだ。

 

 

自分にそう言い聞かせ、できるだけ冷静にゆっくりと言葉を繋いでいく。

 

 

「俺の高校受験のときに知り合ってな。いろいろ面倒を見てもらったんだ」

 

 

あえて、陽乃さんが総武高生だったということは口に出さない。もし違った場合面倒なことになる。

それにこういう言い回しをすれば、卒業、入学に関してのすれ違いもクリアできる。

1つだけ難付けをするなら、俺みたいなのに陽乃さんはたぶん声をかけないだろう。彼女と知り合ったのは雪ノ下がいたからこそだ。だが、こんなところまでは突っ込んでこないだろう。

 

 

と、高を括っていたのだが、雪ノ下は当然のようにそれを口にする。

 

 

「あなたに?姉さんが?」

 

 

雪ノ下は訝しむ顔をする。

全てを言葉にしていないものの、言いたいことは完全に俺に伝わっている。

一方、葉山はというといつものイケメンスマイルを崩して、苦笑い。

俺としてみてもいろいろ思うところはある。が、今の優先事項はそれではない。

 

 

胸に突き刺さる視線をなんかとポーカーフェイスで乗り切る。

 

 

「いや、声をかけてきたのは雪ノ下さんだ。俺に言われても困る」

 

 

そう弁解すると、雪ノ下は顎に手をやり考えるポーズ。

久しく見たその姿に感慨に耽っていると、彼女はボソッと呟く。

 

 

「姉さんも物好きね」

 

 

いや、聞こえているからね?

こういうところは変わっていないようだ。

それはいいとして、もう少しで俺と陽乃さんの関係性をはっきりさせることができる。しかし、問題はその先にある。陽乃さんに何があったのかを聞き出さねばならない。

どう切り出すか考えていると、雪ノ下が先に口を開いた。

 

 

「比企谷くんと言ったかしら」

 

「ああ」

 

 

彼女の口から久しぶりに自分の名を聞いた。感覚的には10年越しに再会した友人に名前を呼ばれたレベル。友達いねえだろ、俺。

てか、名前呼ばれただけで何喜んでんだよ、気持ち悪い。

 

そんなどうでもいいことを頭に浮かべていると、そんなことが吹き飛ぶような質問が雪ノ下から投げかけられる。

 

 

「姉さんと知り合ったのはいつ?」

 

「え?」

 

「いつ?」

 

「いや、だから高校受験のときに……」

 

「もっと正確な時期よ」

 

 

彼女の突然のまくし立てるような言い方に気圧されてしまう。

問い質すとまでは行かなくとも、彼女の問いには完全に疑いが含まれている。気を緩めていたつもりはない。

どこにおかしなところがあった。完璧とは行かなくとも、それほどに目立ったツッコミどころはなかったはずだ。

何か俺の知らない別の情報があって、それが俺の言っていることと矛盾しているのか?

もしそうならばもうどうしよもない。

まさかこんなところを追及されるとは思っていなかった。

ちくしょうめ。ダメだ。上手い言い訳が思いつかない。俺が考えていたのはもっと先のことだ。今となってはそれすらも頭から抜け落ちそうになっている。まずい。冷静さを失うな。

 

 

「えーと、だな」

 

 

誤魔化すように時間を稼ぐ。

待てよ。改変があったのはおそらく入学式の事故かその辺りだ。

もしかしたらその時期に陽乃さんに何かあったのか?

この世界においての改変はその分岐点に集中していると考えるならば、陽乃さんに何かあったならその辺りが一番怪しい。

失敗した。もし何があって俺と知り合えない状況になっていたとするならば、俺の言っていることは矛盾している。

雪ノ下も明確に言ってこないあたり、俺にカマをかけているのかもしれない。

 

 

落ち着け。まだ手は残されている。

冷静になれ。

高校受験の時と明言してしまっている以上、その時期からはもうズラすことはできない。

しかしまだ1つ残されているものがある。またかなり強引な手だが仕方ない。

高校受験には2種類ある。一般入試と推薦入試だ。高校受験を経験したものなら誰しもが知っていることだろう。

一般入試は大体、2月の終わりから3月の中旬まで。

しかし推薦入試はそれよりも前だ。目指したことがないから具体的な時期はわからないが、おそらく1月。

これなら改変時期から逃れることができる。どこまでが改変時期なのかわからないという不安が残されている。というか俺の推測がまったく外れている可能性も否めないが、雪ノ下があんな風に言ってきたということはまだ可能性はある。

 

 

俺と2人の間には微妙な雰囲気が流れてしまっている。

これ以上長引かせてしまえば、この沈黙を打ち破ることができなくなる。

いくぞ。やるしかねえんだ。今更ビビってんじゃねえよ、俺。

 

 

心中で自分に叱咤激励し、意を決して口を開く。

 

 

「えーとな、確か、推薦入試のときだったな」

 

「推薦入試?」

 

「ああ、そんときに困ってた俺を助けてくれんだ」

 

 

まったくのデタラメである。

雪ノ下はまた少し考えるような間を取ってから尋ねてくる。

 

 

「推薦入試のときは在校生は休みのはずでは?」

 

 

はっきり言おう。くどい。

なんでこんなにも深く追求してくる。

雪ノ下からはどこか俺を試すような感じが見受けられる。いったい何がしたい?

 

 

この問いにはきっちりと答える必要はあるまい。逆に言えば、何から何まで正確に答えていても怪しい。

 

 

「なんであの時雪ノ下さんがあそこにいたのかまでは知らない」

 

「そう」

 

 

雪ノ下は目を細めて小さく呟くようにそう言った。

またも沈黙。すぐにここまで黙って葉山がそれを破った。

 

 

「もうその辺でいいんじゃないかい?」

 

 

いきなり何言ってんだこいつ。

葉山の言い振りからするにやはり俺を試していたのか?何のために?

そんな疑問を胸に抱く。

 

葉山は雪ノ下に笑いかけてから、種明しとばかりに語りだす。

 

 

「すまない。問い質すような真似をして。でもこれには少し訳があってね」

 

「訳?」

 

「ああ、陽乃さんがいなくなってから雪乃ちゃんにちょっかいをかけてくる輩が増えてね」

 

「は?」

 

「ん?」

 

「もう一回言ってくれ」

 

「いや、だから雪乃ちゃんに……」

 

「その前!」

 

「え?陽乃さんがいなくなって……」

 

 

いつの間にか口調が強くなっていた。

 

 

「そりゃどういう意味だ?」

 

 

イケメンスマイルを浮かべていた葉山の表情が険しくなる。

 

 

「知らないのか?」

 

 

2人の様子から陽乃さんに何かあったとは思っていたが、まさかそんなことになってるなんて。

 

 

「そうか。知らなかったのか。君が陽乃さんの知り合いなのは間違いなさそうだから教えておくけど」

 

 

葉山は一旦、言葉を切って押し黙ってしまった俺をまっすぐ見据えてこう告げた。

 

 

 

 

「陽乃さんは1年と9ヶ月前から行方がわからなくなったままなんだ」

 

 

 

×××

 

 

 

 

そこから葉山に事情を説明された。

葉山曰く、陽乃さんは今から1年と9ヶ月前になんの前触れもなく、突然、行方不明になったらしい。

 

 

2人はずっと陽乃さんの行方を探しているとのこと。

 

 

なぜ2人が俺を試すようなことをしたのかについてはこう説明した。

陽乃さんがいなくなってから彼女の名前を使って雪ノ下に近づこうとする輩が増えたそうだ。陽乃さんに関する情報が喉から手が出るほど欲しかった当時の雪ノ下はどんな相手だろうと親身に話を聞いた。しかし、当然何の情報を得られることはなく、見えたのは男の汚い下心だけ。

そんな日々に嫌気が指した雪ノ下は陽乃さんの名前を出してくる輩には警戒心を強く抱くようになった。

しかし、中には本当に陽乃さんと本当に関わりがある人もいるかもしれない。だからこうして本当に関わりがあるのかを確かめるようになった。マジでいい迷惑だ。いやマジで。

 

 

まぁそんなこんなで様々な男どもが雪ノ下に下心全開で近寄ってきた訳だが、時が経つにつれてそれは徐々になくなっていった。

そしてそれが完全になくなった頃に俺が現れた。

なんで掴みかかるような真似をしたのかはわからない。

これは完全に俺の推測だが、それが自分に悪害がしか及ぼさないとしても、それがなくなってしまうということは周りの人間に陽乃さんが存在が忘れられてしまっているような錯覚に陥っていたのかもしれない。だからあんな表情をしていた。

 

 

雪ノ下は焦っていたのかもしれない。

だからあんなにも昂った姿を見せた。

 

 

しかしながら、やはり繋がっていた。

今から1年と9ヶ月前ということは一昨年の3月に陽乃さんは行方不明になったことになる。だから雪ノ下はあんなにも正確に時期を問いてきたのか。あのまま3月と答えていたら失踪時期と被ってしまっていた。俺の言っていることと矛盾が発生してしまう。危ないところだった。やはり雪ノ下は雪ノ下と言ったところか。

 

しかしまぁ、なかなかややこしくなってきやがったぜ。陽乃さんの失踪には何か意味があるのか?

というか本当に行方不明なのだろうか。家出にしては大事になり過ぎている。あのコンビニで見かけた人物は他人の空似だったのだろうか。やはり俺の見間違いか。

1年以上も行方が分からない人間があんなところをのこのこと歩いていたりはしないだろう。というか誰かに発見されている。

考えていても仕方がない。それからこのことは雪ノ下には悪いが口に出さない方いいな。何の確証もない。

ついさっき見かけたなんて言ったら彼女は今すぐにでもここから飛び出して行ってしまいかねない。

 

 

葉山の説明を聞いた後、俺はしばらく黙りこんでしまっていた。思案に没頭していると、雪ノ下が俺を現実へと引き戻す。

 

 

「ちょっと、大丈夫?」

 

「ああ、悪い。大丈夫だ」

 

 

口ではそう言ったが、まったくもって大丈夫じゃない。もう頭の中は完全にこんがらがっている。

結局、考えがまとまることはなく、説明を聞いてから言葉を発さなくなった俺にしびれを切らした葉山が核心をつくように尋ねてくる。

 

 

「そろそろ君がなぜ俺たちに会いに来たのかを教えてくれないか」

 

 

葉山の言葉はより俺を混乱させる。

いや、忘れてたわけじゃないよ?あまりに衝撃的で忘れてただけ。忘れてたんじゃねえかよ。

しかし、2人に言おうと思っていた言葉たちは本当に頭から抜け落ちていた。マジで全然思い出せない。

 

 

この状況はなかなかにやばいな。

まさか行方不明になってるとは思ってもみなかった。

こんなにも引っ張ってしまったのだ。陽乃さんに関する情報に飢えていると言ってもいい葉山と雪ノ下の俺への期待値はかなり上がってしまっているだろう。

 

 

俺の焦りを知ってか知らぬか、雪ノ下は追い打ちをかけるように言う。

 

 

「ここまでのあなたの様子を見ると、下衆な考えで私に近づいてきたようではないようだし。それに……」

 

 

雪ノ下の目には疑問の色が強く出ている。

言葉を切った彼女の代わりに葉山が続きを述べる。

 

 

「君は俺たちを知っていると言ったね。それはなぜだい?君の俺たちを見る目は何というか」

 

 

昔から知っている人物を見るような目とでも言いたいのか。ああ、その通りだ。よくは知らないが、そこそこ知ってる。

くそったれが!マジで何やってんだ俺!

 

こんな状況に追い込まれてもハルヒやあの主人公なら何とか切り抜けてしまうのだろう。だが、俺にそんな力も能力もない。

マジでどうなってんだよ。なんでいなくなってんだよ。行方不明ってどういうこと?これじゃ”雪ノ下陽乃の消失”じゃねえかよ!

 

先ほどよりもさらに頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。ダメだ。このままじゃ自爆するだけだ。

冷静になれ。落ち着いて考えろ。

今、目前にある問題はなんだ?

 

 

落ち着け。投げ出すな。今、この現象に見舞われていているのはこの俺だ。

こんなことを考えるのはとてつもなく馬鹿らしいし、はっきり言って恥ずかしい。中二病にもほどがある。

世界が自分中心に回っているなんて考えたこともないし、なんなら世界から外れていると言ってもいい。

 

 

それでもだ。

 

この物語の主人公は間違いなく俺だ。

 

 

俺が。

比企谷八幡がなんとかしなきゃならないのだ。

 

 

考えろ。思考を研ぎ澄ませ。

 

 

俺がここに来た理由。

 

 

元の世界に帰るためだ。

 

それにはどうしたらいい。

 

雪ノ下をあの部室に連れて行く。

 

なら、彼女をどう説得する。

 

なんらかの方法で陽乃さんに関連させ、説得するが一番いい方法だろう。

 

しかしながら、先ほどもあったように安易な方法では、また矛盾を指摘される。

 

陽乃さんのことは雪ノ下の方が圧倒的に知っている。

 

ダメだ。俺はそれほど多く陽乃さんのことを知らない。

 

それに俺の知っている情報は陽乃さんが大学生になってからのものだ。

 

この世界の陽乃さんは失踪時期から見て大学には進学していない。

 

高校卒業間近に行方不明になったのだろう。

 

どうしたらいい?

 

思い出せ。ここまでの情報を整理しろ。

 

主人公が俺。

 

由比ヶ浜は長門。

 

葉山は小泉。

 

折本は朝倉。

 

あの小説の登場人物に当てはめるならこのくらいだろう。

 

足りないのは誰だ。

朝比奈さんは誰だ。一色か?三浦か?いや、重要なのは彼女じゃない。

 

ここで一番重要なのは”涼宮ハルヒ”だ。

 

ハルヒは雪ノ下なのか?

 

確かに小泉役の葉山とともにいた。

 

しかし、前に考察した通り、あの部室での会話。彼女も誰かから力を掠め取った可能性が高い。

 

ならば誰が、ハルヒ役なのだ。

 

あの小説のタイトルはなんだ。

 

涼宮ハルヒの”消失”だ。

 

この世界で消失しているのは誰だ。

 

 

 

 

雪ノ下陽乃だ。

 

 

 

 

このことから導き出される答えはなんだ。

 

もしもだ。もしも俺の考察が当たっていたとしよう。

 

雪ノ下陽乃がSFヘンテコパワーを持っていたとするなら。

 

馬鹿らしい。実に馬鹿らしい。

 

それでもだ。

 

雪ノ下陽乃から誰がその力を掠め取ったとして。

 

その誰かは雪ノ下陽乃が邪魔だった。

 

だからこの世界には雪ノ下陽乃はいない。

 

いや、犯人探しがしたいわけじゃない。

 

重要なのはそれじゃない。そんなのは後だ。

 

今、最優先事項は雪ノ下雪乃をあの部室に連れて行くこと。

 

それが今、最も俺がやるべきことだ。

 

今、俺の切れる手札はこれしか残っていない。

 

2人に俺の置かれている状況をすべて説明する。

 

雪ノ下のことだ。それだけなら頭のおかしい人だとひと蹴りにされてしまうだろう。

 

どうにかして陽乃さんのことを関連付けなければならない。

 

そうするためには雪ノ下から陽乃さんについて聞き出す必要がある。

 

姉妹である彼女たちはずっと一緒に生きてきた。

 

ならば、陽乃さんが何か特別な力を有していたことを知っているかもしれない。

 

些細なことでもいい。

 

それを聞くことができれば可能性はある。

 

落ち着け、冷静になれ。

 

もうこれは賭けだ。

 

失敗の許されない賭けってのはこんなにも怖いものなのか。

 

言葉を選べ。選び尽くすんだ。

 

俺の人生において一世一代の大勝負。

 

 

長いこと沈黙を守ってしまったおかげで2人にはいささか苛立ちが見え始めていた。

ビビるな俺。何も今から怪物と戦おうって訳じゃないんだ。

俺と同じ人間。俺と同い年の女の子と勝負するだけ。

 

 

俺は意を決して口を開く。

 

 

「雪ノ下、葉山。俺はお前らの疑問に答えることはできる」

 

 

ようやく口を開いたと思いきや、俺の回りくどい言い方に雪ノ下は眉間にしわを寄せる。

 

 

「なら今すぐに答えてちょうだい。これだけ待たせておいてその言い回しはなんなのかしら?」

 

 

彼女の口調はとても強い。

葉山もこればかりは擁護できないと口を挟んでくることはない。

俺は大きく深呼吸をしてから頭の中で作り上げた台詞を吐き出す。

 

 

「答えることはできるんだ。でもその前に1つ聞きたいことがある」

 

「先に質問しているのは私たちよ?こんなに引っ張っておいて、あなたは一体なんなのかしら?私たちをからかっているの?」

 

 

雪ノ下は間髪入れずに席から立ち、俺を見下ろすようにして激昂した。

まぁそうだよな。たぶん俺でもそうなる。

でもここで退くことは許されない。

俺は雪ノ下に負けじと声を張る。

 

 

「それはわかっている。悪いとも思っている。けど俺はお前らの欲しい情報を持っているかもしれない。でもそれを話すには雪ノ下、お前に1つ教えてもらいたいことがあるんだ」

 

「あなた、さっきから誰に許可を取って私をお前呼ばわりしているのかしら?もういいわ。あなたみたいな人を少しでも信用した私が馬鹿だったわ」

 

 

いつもの罵倒とは全く違う。本当に心の底からの罵倒。

なかなかに来るものがあるな。

そんなことを思っていると、雪ノ下はその場から立ち去ろうとする。

 

 

「さ、葉山くん、行きましょう。これ以上は時間の無駄だわ」

 

 

やはりダメかと思った瞬間、身を翻そうとする雪ノ下の手を葉山が掴む。

 

 

「待って、雪乃ちゃん」

 

「なに?あなたもこの男に感化されたの?もういいわ。好きにやってなさい」

 

 

雪ノ下がそう捨て台詞を吐くも、葉山は手を離そうとはしない。

葉山は先ほどまでの苛立った表情を崩して、少しだけ笑みを浮かべる。

 

 

「比企谷。君が雪乃ちゃんに聞きたいのは陽乃さんのことだろ?」

 

「ああ」

 

 

思ってもみない助け舟が葉山から出された。こいつの表情からはなにも読み取ることができない。

しかし、そんなことを考えている暇はない。これがラストチャンスだ。

俺は再び、大きく深呼吸をしてから真っ直ぐ前を見て、言葉を口にする。

 

 

「落ち着いて聞いてくれ。俺は今からとてつもなくアホらしいことを聞く」

 

「アホらしい?」

 

 

葉山は俺の言葉を聞いて少しだけ首を傾げる。雪ノ下は依然として俺を睨めつけたまま。

よし、行くぞ。もうなるようにしかならねんだ。

 

 

 

 

「雪ノ下さんは何か特別な力を持っていなかったか?」

 

 

 

 

その言葉を口にしてからとてつもない後悔の念に駆られた。

葉山は呆気にとられたようにポカンと口を開けているし、雪ノ下はさらに怒りが増したように歯を食いしばっているように見える。

 

 

ダメか。やっぱり俺には無理だったか。

 

 

そんな考えに行き着いて、俺は俯いた。

 

 

が、次の瞬間、俺の首元に手が伸びてきてまたもワイシャツを引っ掴んでグイッと引き寄せられる。

 

 

「なんで!?なんであなたがそのこと知ってるの!?ねぇ答えて!!」

 

 

目の前にはそう叫びながらも悲しそうに顔を歪めた雪ノ下の顔があった。

 

俺はこの状況に見合わぬ表情を浮かべてしまっていた。

そんな表情を浮かべていることをつかさず雪ノ下に突っ込まれる。

 

 

「なにを笑っているの!?気持ち悪い!」

 

「わ、悪い。ただ嬉しくてな」

 

「2人とも落ち着いて」

 

 

すぐに俺と雪ノ下の間に葉山が割って入ってくる。

少々、騒いでしまったが、俺たちの他に客がいかなかったこともあり、店員に注意されることもなかった。

自分が賭けに勝った喜びやようやく解決の糸口が見出せた嬉しさから勝手に笑みが溢れてしまっていたのは反省している。それにしたって気持ち悪いって。

 

女子にマジで気持ち悪がられたことに少しばかり傷ついたが、もうそれはどうでもいい。

 

 

それよりも喜びが勝っている。

だが、まだ解決したわけじゃない。

賭けには勝ったが、本当の勝負はここから。

本当に喜ぶのはすべてを取り戻してからだ。

 

 

 

バツの悪そうな顔で雪ノ下は自分の席に座り直す。

そこに図ったようなタイミングで注文した飲み物が到着する。クールダウンには丁度いい。ホットコーヒーだけど。

 

それぞれに飲み物を受け取る。

俺は当たり前のようにテーブルの隅に置かれている角砂糖の容れ物を自分のように引き寄せて、喫茶店のマスターがブチ切れそうなくらいに角砂糖をコーヒーにぶち込む。あー、うまい。マッカンには負けるけど、喉乾いてたから超うまい。

 

 

ふと、視線を感じて前を見ると、2人が軽蔑するような目線を俺に向けてきた。

極限の緊張から解放されたからか、言葉は思っていたよりも滑らかに出てきた。

 

 

「なんだ?」

 

「いや、なんでもない」

 

「なんでこんなヘンテコな人が、まぁいいわ」

 

 

葉山は苦笑い。先ほどの怒りは既に治ったようで雪ノ下はこめかみに手を当てていつものポーズ。

いいじゃねえか。頭使ったから糖分が必要なんだよ。

 

 

雪ノ下は諦めたようにため息をついて、紅茶に口をつけてから尋ねてくる。

 

 

「なんであなたがそのことを知っているのかしら?という質問には答えてもらえるのかしら?」

 

「ちょっと待ってくれ。順を追って説明する」

 

 

そう告げて、頭の中を整理する。

雪ノ下のさっきの反応からして俺の考察は当たっている。

しかし、ここまで来たものの、どう説明すべきか。

そう思い悩んでいると、雪ノ下が釘を刺してくる。

 

 

「また黙りはナシよ?」

 

「わかってる」

 

 

えーと、あれがこれでこうだから。

よし、これで行こう。

 

 

「雪ノ下。お前の姉が特別な力を持っていたのは間違いなんだよな?」

 

「ええ、葉山くんも一緒に見ているわ」

 

「ああ、俺もこの目で目撃している」

 

 

葉山も知っているのか。まぁそれはそれで話しやすい。

 

 

「えっとだな。俺は雪ノ下さんが持っていた力の詳細を知っているわけじゃないんだ。そのなんというかだな」

 

 

俺のはっきりしない物言いに雪ノ下はまた眉を潜める。このゆきのんは結構短気なのね。

 

 

たぶんこれ以上、こちらからの質問は許されないだろう。それに陽乃さんがその力を有していたことさえわかれば、2人も俺の話を真面目に取り合ってくれるかもしれない。そろそろ俺に関する情報を明かそう。

 

 

「そのなんというか、俺がここに来たのは陽乃さんの力が関係しているかもしれないんだ」

 

「それはもうわかっているわ」

 

 

当たり前でしょ?と言わんばかりの雪ノ下。わかったよ。そんなに急かすな。

 

 

「またアホらしいことを言うんだが」

 

「もういいから早く言いなさい」

 

「そのだな。冷静に聞いて欲しいんだが」

 

 

俺は一旦言葉を切る。

2人は俺を食い入るように見つめながら続きを待つ。

 

 

これを言うのが一番恥ずかしいんだよなー。

しかしこれ以上、雪ノ下を怒らせたくない。

よし、腹を決めろ。いくぞ。

 

 

俺は噛まないようにどもらないようにゆっくりとその言葉を口にした。

 

 

 

 

「俺はこの世界の人間じゃない」

 

 

 

 

「はい?」

 

 

 

 

 

 



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彼らは協力する。

 

雪ノ下と葉山の反応を見て、自分で口にした電波発言に激しく後悔する。

雪ノ下は俺を哀れむような目で、葉山は同情するような目で俺を見る。

まぁ仕方ない。2人はここまでで俺の言ったことと陽乃さんに関してはまったく繋がりが見いだせていないはずだ。

 

ここから繋げていくにはやはり俺のすべてを話すしかない。

 

俺は2人に話を聞く気があるのかを問う。

 

 

「姉さんの名前を出して、ここまでトンチンカンなことを言ったのはあなたが初めてよ。逆に興味が出たわ」

 

「そうだね。こんなのは初めてだ。それに陽乃さんのあの力に何かついて知っているようだし」

 

 

2人ともまだ完全に疑いが晴れたようではなさそうだった。それから雪ノ下さん?いい加減その可哀想な人を見るような目をやめていただけませんかねぇ?

 

 

「ということはあなたは異世界人ということなの?どういうことか説明しなさい」

 

「もしかしてSF好きだったか?」

 

「ふざけているのなら帰るわよ」

 

「はい」

 

 

雪ノ下は鋭い眼差しで俺を睨め付ける。怖いからやめて!

 

俺はそこから長々と語った。

俺と雪ノ下の出会いや由比ヶ浜とのいろいろな話。それだけではただの妄想話になってしまうので、この世界の俺が知りえないであろう雪ノ下や葉山の情報も付け加えておいた。その際、雪ノ下が携帯電話を取り出して、どこかへ通報しようとしたのは葉山が止めてくれた。

 

 

「驚いたわね。一見、作り話にも思えるけれど、私のことや葉山くんのこと。それに姉さんのあの仮面に気がついているなんて。これがすべてあなたの妄想話と片付けるのは少々無理があるわね」

 

 

雪ノ下は顎に手をやり、考える人のポーズ。葉山も思案顔だ。

 

 

「最初から話してくれればよかったのに」

 

「いや、絶対信じなかったろ」

 

「ええ、今でもすべて信じているわけではないもの」

 

 

そういうものの雪ノ下もここに来て初めての笑みを浮かべている。ようやく警戒心を解いてくれたようだ。

葉山はコーヒーを一口啜ってから尋ねてくる。

 

 

「比企谷、君は一昨日この世界に来たということでいいのかい」

 

「ああ」

 

「何かきっかけというか、前兆みたいなものはなかったのかい?」

 

 

知り合いの女の子たちとの甘々な恋愛妄想をしたら、なんてことは口が裂けても言えないのであの日、部室で聞いた雪ノ下と葉山の会話と慌てた陽乃さんについて話す。

 

 

「あなたの世界の私たちは何をしていたのかしらね」

 

「さすがに思いつかないな」

 

 

だよね。わかるなから今すぐ解決してるっての。

 

さぁ、今度は俺が聞く番だ。

 

 

「お前らの知っている雪ノ下さんについて教えてもらってもいいか?」

 

 

俺の言葉を聞いて、2人は顔を見合わせ、頷き合う。

少しだけ視線を下に落として、雪ノ下は語り出した。

 

 

「姉さんのあの力を知ったのは今から10年ほど前。その頃から私と姉さん、葉山くんは親の仕事の関係でよく3人で遊んでいたの」

 

 

それを聞いて葉山は懐かしそうな、けれどもう1つ何か含むような顔をしている。

 

 

「私たちは家の近くの公園でよく遊んでいたの。その日もかくれんぼをしたり、鬼ごっこをしたりしていた。夕方になって姉さんが突然、猫の声がするって言い出して」

 

「あれは雪乃ちゃんが言い出したんじゃなかったかい?」

 

「いいえ、姉さんよ」

 

 

葉山がそう思い出したように言ったが、なぜか雪ノ下は強く否定した。

 

 

「しばらく探していると、ダンボールに入れられた捨て猫を見つけたの」

 

 

心なしか雪ノ下の表情が緩くなったように見える。もしかして雪ノ下の猫好きはこの出来事が原因だったりするのか?

そんなことを思いながらも、俺は黙って続きを待つ。

 

 

「まだ幼かった私たちはその猫に名前をつけて世話をすることにしたの」

 

 

飼うと言わなかったところから見て、2人の家はおそらくペット禁止だったのだろう。

 

 

「私たちの家は動物を飼うことは禁じられていたの。だから隙を見て家を抜け出し、その猫に食べ物をあげに行ったりしていた」

 

 

ここまで聞く限りでは、その力とやらに繋がっていくようには思えない。

そんなことを思っていると、雪ノ下は表情を暗くした。

 

 

「そんなことが数日続いたある日、事件が起きたの」

 

「事件?」

 

 

そう言いながら俺は首を傾げてしまう。事件ってなんだよ。捨て猫からどう事件が起きるんだよ。

雪ノ下の表情はどんどん辛そうになっていく。なに?そんなにやばいことが起きたの?

一方、葉山はなぜかやれやれとした顔している。

この件は2人とも知っていると言った。なのになぜこんなにも2人には温度差がある。

雪ノ下は少しだけ間を空けてから続きを話す。

 

 

「いつものように私たちは3人でその公園に行った。でも猫の姿はどこにもなかった」

 

 

ああ、そういうことね。猫大好きフリスキーな雪ノ下さんからしたら猫がいなくなってしまったことは大事件なんですね。わかります。

こんなことを考えていたことを顔に出したつもりはなかったのだが、雪ノ下は目付きを鋭くして俺を見てくる。

 

 

「真面目に聞いているかしら?」

 

「ああ、聞いてるよ。超真面目に聞いてる」

 

「そう」

 

 

やっぱり彼女は雪ノ下だ。こんだけ猫が好きならこっちの雪ノ下もパンさん好きなのかな?

まずいな、どんどん脱線して行っている。彼女の言う通り、真面目に聞こう。

 

 

「私たち3人は死に物狂いで猫を探した」

 

 

死に物狂いって。

葉山を見ると、やんわりと首を振っていた。オーケー、わかった。雪ノ下、お前が一番真面目にやれ。

まだ脱線していくようならマジで言わないといけなくなるな。

 

 

「しばらく探し回って、猫を見つけ出すことはできたのだけれど……」

 

「だけれど?」

 

 

そのまま口を閉じてしまった雪ノ下に変わって葉山が口を開く。

 

 

「その猫はかなり弱ってしまっていてね。たぶん何かの病気だったんだと思う」

 

 

なるほど。まぁ雪ノ下からすれば大事件だな。

 

 

「俺たちはまだ幼くて、知識がなかったというのもあるが、猫のことを両親に知られたくなくてね。たぶん怒られると思ってたんだ。今考えればそんなことにはならなかったような気がするけど」

 

「いいえ、母さんは絶対に許さなかったわ」

 

「お、おう」

 

 

なんでそんなに強く否定するんだってばよ。まぁ雪ノ下の母親が怖いってのは聞いたことがあるが。

雪ノ下が割って入ったことにより、話の主導権がまた彼女に戻る。

 

 

「結局、動物病院に連れて行くこともできず、ただ弱っていく猫を私たちは見守ることしかできなかった」

 

 

まぁそんな経験は誰にでもあるだろう。

 

 

「その日、陽が暮れるまでその猫に付き添った。でも猫は回復することなくそのまま息を引き取った。3人でワンワン泣いたわ。自分たちの無力さを痛感しながらね」

 

 

幼い頃の切ない思い出。

ここからどう繋がる。

 

 

「私たちは猫を埋葬してあげることにした。でもどうしても埋めてあげることができなくて、私が愚図ったの。姉さんはそんな私を優しく宥めてくれた。そして私が一番年上だからと言って姉さんが猫を埋葬することになったの。掘った穴に猫を入れて、砂をかける前に姉さんが猫を撫でたの。そうしたら……」

 

 

俺は息を飲んで続きを待つ。

雪ノ下は真っ直ぐ俺を見据えてこう告げた。

 

 

 

「死んでいたはずの猫が生き返ったの」

 

 

 

おいおい、マジかよ。大当たりじゃねえかよ。

やはり陽乃さんはハルヒに近い力を持っていたのか。

俺は確かめるように尋ねる。

 

 

「その猫は本当に死んでいたのか?」

 

「ええ、間違いなくね」

 

「間違いないよ。あれは間違いなく生き返った。猫は死ぬ前、自力で動くこともできなかったのに陽乃さんが撫でた後、嘘のように元気に走り回っていたからね」

 

 

葉山もこう言っている。嘘を言っているようには思えない。

 

 

「その猫はその後どうなったんだ?」

 

 

俺の問いには雪ノ下が答える。

 

 

「姉さんの知り合いに里親を見つけて引き取ってもらったわ」

 

「そうか」

 

 

もしかしたら喋るかもとか思ったが、いまさらその猫に会っても意味がないな。

俺はさらに深く質問をする。

 

 

「その後のことは?その力を見たのは他にもあるのか?」

 

「いいえ、それが最初で最後よ。姉さん自身も驚いていたし、どれだけ尋ねても何も教えてはくれなかったわ」

 

 

雪ノ下は言葉の最後に”でも”と付け加える。

 

 

「姉さんがあの仮面をかぶるようになったのはその頃からよ」

 

 

あの強化外骨格の秘密はそんなところに隠されていたのか。

陽乃さんはそこで自分の力に気がついたのだろう。

しばらく考え込んでいると、葉山が訪ねてくる。

 

 

「このことは俺たち3人しか知らないはずなんだ。陽乃さんが他言するとは思えないし。なんであの力のことを知っていたんだい?これが君とどう関係する」

 

 

ここから述べるべき言葉をまとめていこう。

陽乃さんの力が発現した幼少の頃。完全に改変前だ。ということは俺のいた世界でも陽乃さんはその力を持っていたはず。

 

 

「実はな、知っていたわけじゃないんだ。カマをかけるようなことをしたのは謝る」

 

「謝罪は結構よ。カマをかけたということはある程度推測していたということでしょう?どうやってそんなことを?」

 

 

まだまだ話さねばならないことがたくさんある。

俺はあの小説の内容と今、自分が置かれている状況を事細かに説明していく。

俺のことを受け入れてくれているのかはわからないが、2人は親身に聞いてくれた。

 

 

「なるほど。その小説もそうだけれど、この話自体が小説のようね」

 

「突拍子もないことを言っていることは重々承知だ。俺の頭がおかしくなった可能性も捨て切れない」

 

「でも妄想にしては辻褄が合いすぎているね」

 

 

2人は疑いながらも、そこそこ信用してくれている。

 

 

「その小説の登場人物と俺の知っている人間を当てはめて、いろんな推測をした結果、俺はここに辿り着いた」

 

 

雪ノ下は笑みを浮かべながら言う。

 

 

「あなたの想像力には本当に驚かされるわ。何か別の分野に生かした方がいいのではないかしら、という茶々を入れるのはやめておきましようか」

 

「いや、入れてるからね、それ」

 

 

俺の言葉を聞いて、雪ノ下はふふっと声を上げて笑った。葉山はそれを見てなぜか嬉しそうな顔をしている。

 

 

何か特別なものを含んだその表情を見ていると、葉山が俺の語った情報をもとに仮説を立てていく。

 

 

「考察するなら説は2つだね。1つ目は君がこの世界に来たというのと、2つ目は世界自体が改変された。こんな感じかな?」

 

 

さすが葉山と言ったところである。

雪ノ下も葉山の言った説にうんうんと頷いている。彼女も彼女なりの仮説を立てているのだろう。

そんなことを思っていると、不意に尋ねてくる。

 

 

「あなたはどっちだと思う?」

 

「正直なんとも言えん」

 

 

それ以上、答えることができない。

1つ目なら俺が元の世界に帰ればいい話だが、2つ目となると、今の2人を否定することになる。

 

俺は気がついてしまう。

 

こんなにも親身に話を聞いてもらっておきながら俺は彼女らを利用しているだけなのだと。

1つ目にしても2つ目にしても、彼女らの問題を解決することはできない。

世界線を飛び越えてきたとしたなら、俺は彼女らの問題を放り投げることになる。

世界が改変されたとしたなら、元に戻すことになるだろう。結果的に陽乃さんを見つけ出すことはできる。でも今の雪ノ下と葉山は消えてしまうことになる。

それは解決したと言えるのか?

今の彼女らの気持ちを無視することになるのではないか?

偽物だとか、本物だとかなんてのはもういい。

今、目の前にいる2人を救うにはどうしたらいい。

なぜだかはわからない。でも自分だけが救われるというのはどうも収まりが悪い。

 

 

自分の考察を述べるべきか。

いや、述べるべきだ。ちゃんとすべてを語って、自分がやろうとしていること。彼女らの願いを果たせないかもしれないということ。

それらをすべて説明した上で納得してもらう。それで協力を仰ぐ。

そうでなければ対等ではない。

 

 

そう自分の中で決着させるも、なかなか言葉を出せない。

そんな俺を見た雪ノ下が尋ねてくる。

 

 

「まだ何かあるのよね?それにまだあなたの目的を聞いていないわ」

 

「ある。けど、な」

 

「けど?」

 

 

俺は頭を下げながら言う。

 

 

「こんな話に付き合ってもらって、自分勝手なのはわかっている。俺のやろうとしていることは雪ノ下さんに繋がるかもしれない。だが、2人の願いを叶えることができないかもしれない」

 

 

彼女らがどんな表情をしているだろう。

また怒っているかもしれない。

落胆しているかもしれない。

しかし、聞こえてきた声音はどちらでもない優しいものだった。

 

「頭を上げてちょうだい」

 

 

言われた通り、面を上げる。

 

 

「聞かせて。これからあなたはどうするつもりなの?なぜ私たちに会いに来たの?」

 

「俺は元の世界に帰りたい。そのためには鍵を揃えなきゃならない。その鍵は雪ノ下と由比ヶ浜。それとたぶん俺だ」

 

「何か確証は?」

 

「ない。ただ状況があの小説と酷似している。きっと何かが起きるはずなんだ」

 

 

確証などどこにもない。

あるのは俺の願望だけだ。

俺の言葉を聞いた雪ノ下は瞑目し、しばらく考え込んでいる。

そしてゆっくりと目を開いた彼女は言う。

 

 

「あなたの言いたいことはわかったわ。あなたは元の世界に帰りたい。そのためには私の協力が必要。でも姉さんを見つけ出すことには繋がらないかもしれない」

 

 

俺は頷く。

 

 

「そうね。姉さんが持っていた力が原因であなたがここに来たのなら、その責任は私が負うべきだわ」

 

「いや、そんなつもりは」

 

「いいのよ。私がそうしたいの。それに少しでも姉さんに繋がる可能性が少しでもあるならあなたに付き合うわ」

 

 

雪ノ下の声には優しく強い何かが込められていた。

 

 

「ありがとう。助かる」

 

 

素直にそう告げた。

 

その後、雪ノ下は何かを思いついたようで企むような顔をする。

 

 

「あなたの居た世界には姉さんはいたのよね?」

 

「ああ」

 

「協力するための条件というわけではないけれど、もし何か起きて、あなたが元の世界に帰れたならその時はその世界に連れて行きなさい」

 

 

それはちょっと横暴すぎやしませんかねぇ?なんでそんな発想になるんだ。どんな愉快な頭してんだ。頭ん中がハレ晴れユカイになっちゃってるよ。

 

 

葉山は小さく笑い声を上げて、雪ノ下の案に同意する。

 

 

「それはいい案だね。違う世界があるなら俺も行ってみたいし」

 

「待て待て、1つ目の仮説で行くなら、あっちの世界にもお前らはいるぞ?」

 

 

俺の説得も虚しく、雪ノ下はどんどん話を進めていく。

 

彼女は立ち上がり、俺たちを促す。

 

 

「さぁ、行きましょう」

 

「行くってどこに?」

 

「総武高校よ。鍵を揃えるのでしょう?由比ヶ浜さんという方にも会ってみたいわ」

 

 

雪ノ下はいい笑顔でそう言った。

まだ由比ヶ浜が部室に残ってくれてるのいいが。

これで鍵を揃えることができた。一時はどうなるかと思ったが、上手くいった。

俺の中に不安と期待が渦巻いていく。

まったくこの期に及んでまだビビってんのか俺は。しゃきっとしろ。やるしかねえんだ。

 

 

俺は残っていたコーヒーをグイッと飲み干した。

 

 

3人で席を立つ。

雪ノ下が先に外に出て、タクシーを捕まえに行く。タクシーで行くのかよ。リッチだな。

 

ということで会計を済ませるために俺と葉山はレジへ。

レジで金額を聞いて、財布を取り出そうとすると、それを葉山が制する。

 

 

「いいよ。ここは出す」

 

「なんだよ。俺に奢っても何もでねえぞ」

 

「いや、お礼だよ」

 

 

結局、会計は葉山がすべて払ってしまった。店を出る葉山を追って外に出る。そこで俺は葉山の言った言葉の意味を尋ねる。

 

 

「おい、お礼ってどういう意味だ?」

 

「ん?雪乃ちゃんのことだよ」

 

「雪ノ下?」

 

 

怪訝な眼差しを送っていると、葉山は少しだけ憂いた顔をした。

 

 

「雪乃ちゃんがあんなに楽しそうに会話しているのを久しぶりに見たよ。君のおかげだ」

 

「いや、俺は」

 

 

葉山は憂いた顔を笑顔で隠す。

 

 

「最初、君が声をかけてきたときは驚いたけどね」

 

「わ、悪い」

 

「陽乃さんがいなくなってからはあんなに楽しそうに笑うことなんてなかったんだ」

 

 

確かに一番最初に見た雪ノ下の表情はとても暗いものだった。

 

 

「彼女がまた笑顔で話してくれることは俺にはとても嬉しいことなんだ」

 

 

葉山は本当に心から喜ぶようにそう言った。俺はその言葉を聞いて、ある可能性が頭に浮かんだ。それを口に出すべきではないとわかっていたのだが、勝手に口が動いていた。

 

 

「お前、雪ノ下のこと」

 

「それを聞くのは野暮じゃないかい?」

 

 

そう返されて、俺は自分の間違いに気がつく。

 

 

「そうだな。悪い」

 

「いいよ。さ、行こう。雪乃ちゃんが待ってる」

 

 

俺たちは雪ノ下が捕まえたタクシーに乗り込んで我が総武高校に向かった。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

というわけで、我が総武高校に到着したわけなのだが、またもや1つ問題が発生した。

その問題というのは、雪ノ下たちをどうやって学校の中に連れて行くかだ。

2人とも見てくれはかなりいい。他校の制服で学校の中を闊歩すれば目立つことは間違いないし、すぐさま教員たちに見つかるだろう。

 

 

あの小説ではどうしたのだったかと考えていると、雪ノ下が案を出してくる。

 

 

「比企谷くん。あなたの着ているコートを私に貸してくれるかしら」

 

「ああ、その手があったか」

 

 

彼女の案を聞いて、あの小説で取った手段を思い出す。確か、体操服を着て、運動部員のフリをして潜入したんだった。彼女は俺の着ているコートを変装に使おうと考えたようだ。

俺はコートを脱いで、雪ノ下に手渡す。彼女は俺から受け取ったコートに袖を通す。

 

 

「うん。問題ないわ」

 

 

総武高校では、防寒着は学校指定の物を着用することが義務付けられている。その校則を無視している輩も少数いるようだが、大半の生徒がその校則を守っている。よって俺も例外ではない。

この学校指定のコートを着ていれば総武高校の生徒に扮することができる。雪ノ下はそう考えた。それに今、彼女が着用しているのは男性用のコート。細身の彼女が着用すれば、すっぽりと身を隠すことができる。若干、スカートの裾が見え隠れしているが、問題ないだろう。わざわざ中を覗いてくる輩もいまい。中ってスカートの中じゃないからね!

 

 

そんなどうでいいことを考えていると、冷たい視線が突き刺さる。

 

 

「比企谷くん。今、何か下卑たことを考えなかったかしら?」

 

 

怖い怖い。コートを脱いでしまって、ただでさえクッソ寒いってのにその凍てつくような笑顔でこっちを見ないで!もう凍っちゃうから!この世界でも氷の女王は健在なんですね。あとその鋭さも。

 

これで雪ノ下の変装が完了したわけだが、問題は葉山だ。

 

 

「葉山はどうする?」

 

「比企谷くん、制服を脱ぎなさい」

 

「マジですか」

 

「マジよ」

 

 

雪ノ下は依然としていい笑顔を浮かべている。

確かに俺は制服のズボンの下に学校指定のハーフパンツを履いている。上も一応、無地のTシャツを着ているから運動部員に見えなくもないけど。

だが、しかし今さっき会ったばかりの男子に制服を脱げって、ちょっと変なこと考えちゃうだろ!そういうのやめて!

 

 

「比企谷くん」

 

「は、はい!」

 

「ふざけてないで早くしてちょうだい」

 

 

何も言ってないのになんでふざけてるってわかったんですかねぇ。

 

 

「いや、葉山に制服を貸すってのはわかったが、この寒さで半袖半ズボンになんかなったら風邪引いて死ぬ」

 

「ワイシャツが残ってるじゃない」

 

「いやいや、ワイシャツにハーフパンツって追剝ぎにあったんじゃねえんだから」

 

「いいじゃない。ボンタン狩りに遭ったみたいで箔がつくわよ?」

 

 

お前、何歳だよ。ビーバップでも見たの?とツッコミみたくなったがやめておく。

葉山の方に目線を変えると、申し訳なさそうに笑っている顔があった。

 

 

「雪乃ちゃん。もしあれなら俺はここで待ってるよ。さすがに悪いからね」

 

「ダメよ。もしこの男が嘘をついていて何かあったらどうするの?」

 

 

相変わらずの雪ノ下である。

知らぬうちに口元が緩んでいた。

俺の知っている雪ノ下とほとんど変わりのない彼女に安心感を感じていたからだ。あの喫茶店で話していたときから。自分がこの世界の人間ではないと暴露した時点から彼女らの対応を見て、気持ちに緩みが出てしまっている。

 

 

同じ轍を踏むわけにはいかない。

もうこれがラストチャンスだと言っていい。

踏ん張れ俺。この世界から絶対に抜け出すんだ。

 

 

そう強く自分に言い聞かせる。

 

 

そんな強い決意はつゆ知らず、雪ノ下は口を動かす。

 

 

「ほら、見てみなさい。下卑た笑みを浮かべているわ」

 

 

雪ノ下は自分を抱くようにして、一歩引く。たっく、ならなんでついてきたんだよ。

しかし何も言わない俺を見て、自分の発言が行き過ぎていたことに気がついたのか、彼女は謝罪を述べる。

 

 

「ご、ごめんなさい。つい……」

 

 

呟くようにそう言って俯く。いや、そんなに怒ってないんだけど。

それを見た葉山も黙っていられず。

 

 

「気を悪くしないでくれ。その……」

 

 

葉山も同じく俯いてしまう。

2人の様子を見て、なんとなくわかってしまった。

たぶん雪ノ下は人との距離感を計り兼ねているのだろう。ここからは完全な推測に過ぎないが、この世界でも雪ノ下はボッチなのだろう。まぁ葉山がいる時点でそうではないのかもしれないが、葉山以外にそう言った人間がいない。それに陽乃さんがいなくなってからは笑顔すら見せなくなっていた。

この世界には由比ヶ浜のような心を溶かしていく人物が現れなかったのだろう。

そんな中、俺は異世界人だとかぬかす完全なる異端が現れ、陽乃さんのことも知っている。

つまり、何が言いたいかというと、雪ノ下は少しだけ俺に心を許してくれていたのではないか。

自分で言っていて物凄く恥ずかしい。はっきり言って自意識過剰だ。だが、こんなことが思えるのはもう1人の雪ノ下のことを知っているからである。

彼女の繊細さや不器用さ。出会った頃の雪ノ下やあの日から変わらぬ微笑を浮かべ続ける雪ノ下。

それらを知っているからこそ、彼女の心理を読み取ることができる。

心理を読み取ることはできても、感情を理解することはできない。

それは今までの俺だ。今の俺は違う。

断言したが、実行できているかはわからない。でも、それでもそうするべきだと、そう思う。

この世界で彼ら彼女らが俺に教えてくれたことはちゃんと俺の心に残ってる。

 

 

彼女らの感情を汲み取る。

これが100%正解ではないだろう。

それでもいい。完全無欠になるつもりはない。ただ少しだけわかる男になりたいだけだ。

 

だから発するべき言葉は決まってる。

 

 

 

「その、なんつーか、怒ってないから気にすんなよ」

 

 

俺の言葉を聞いた雪ノ下はやっと顔を上げる。

 

 

「え?」

 

「俺もボッチだし」

 

 

雪ノ下は少しだけ笑みを浮かべる。

 

 

「それはフォローしてくれているのかしら?」

 

 

それは恥ずかしいから言わないで頂きたい。

なんとなく照れくさくなって頭をガジガジ聞いていると、雪ノ下はこう告げる。

 

 

「比企谷くん。ありがとう」

 

「ど、どういたしゅまして」

 

 

どもった。しかも噛んだ。

やはり上手く決まらないのが俺である。

 

話を戻そう。

 

 

「葉山、ちょっと来い」

 

 

俺は葉山を連れて人目のつかない場所へと移動する。

素早く制服を脱いで、葉山に渡す。

早々と済ませ、葉山は総武高生に変身する。”少し小さいな”なんて聞こえた気がしたが、気にしない。

 

脱いだ制服を畳んでいる葉山を見て、俺はあることを思いついた。

海浜総合高校の制服は紺色。うちの高校とは似ても似つかない色だが、俺は正規の総武高生。つまりだ。正規の在校生である俺が多少色の違うズボンを履いていてもバレないんじゃね?って話だ。いや、バレるな。

しかしだ。いくらボッチの俺とて、ワイシャツに短パンという格好で学内を闊歩するのはさすがに抵抗がある。何より寒い。

それに雪ノ下や葉山の見てくれはかなりいい。一緒に歩いていればきっと俺なんかには目もくれないだろう。なんとも悲しい話だが、存在感の無さに定評のある俺にはバレない自信があった。

 

俺はすぐに葉山に提案する。

 

 

「俺の制服を?別に構わないけど」

 

「おう、悪いな」

 

 

葉山から制服の下だけを受け取ってすぐに履いて、ベルトを締める。おう、ズボンの裾が長いぜ……。イケメンは足まで長いのかよ。

 

 

制服の交換を完了し、雪ノ下の元に戻る。

 

 

「なぜうちの制服を履いているのかしら?」

 

「大丈夫だ。バレない」

 

「あなたがそういうのならいいけれど」

 

 

雪ノ下はやや納得がいかないようだが、それ以上はなにも言ってこなかった。

 

 

「よし、行くか」

 

 

俺がそう告げると、ともに俺たち3人は校内へと踏み入れる。

グラウンドからは部活動を行なっている生徒たちの声が響く。校内からは吹奏楽部が奏でる音が聞こえる。

まだ下校時刻にはなっていない。まだ由比ヶ浜が部室にいることを願って一歩一歩進んでいく。

 

 

下駄箱に辿り着き、また1つ問題が発生する。上履きだ。

たぶん優等生であろう2人に知らない誰かの上履きを拝借させるわけにはいかない。さて、どうするか。

 

 

そんなことを考えていると、恐れていた事態が起きてしまう。

下駄箱の向こうから教員が姿を見てたのだ。名前なんだっけな。

その教員はこちらへと向かってくる。

姿を隠す間もなく教員は俺たちに気がつく。やばい、バレた……。

 

 

 

 

 

 

 

 



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その時は突然にやってくる。

 

 

 

 

と思ったのだが、雪ノ下と葉山はサッと俺の前に出て、俺の格好を不審に思って尋ねてきた教師に臆することなく、でっち上げた理由を堂々と述べた。

よくよく聞くとおかしなことを言っているのだが、理由を聞いた教師はなぜか納得したようですぐにその場を去っていった。イケメンと美少女が言うとデタラメでも説得力があるように聞こえてしまうのはなぜだろう。ちなみにこの雪ノ下は普通に嘘を吐くようです。

 

 

上履きの件だが、やはり他人のものは拝借させるわけには行かず、教員玄関にあった来客用のスリッパを借りた。

 

 

部室までの道中、雪ノ下が尋ねてくる。

 

 

「そういえばまだ聞いていなかったことがあるのだけれど」

 

「なんだ?」

 

「あなたの話を聞く限りでは、誰かが姉さんの力を利用してあなたをこんな目に合わせている。そういう解釈でいいのよね?」

 

 

雪ノ下をここに連れてくるために後回しにしたが、それは必ず解決しなければならない問題。

 

 

「君の言う小説では”長門”というキャラクターがそれを行ったことになっていたんだろ?」

 

「ああ」

 

「なら、君が見舞われている現象を引き起こした犯人は長門役の由比ヶ浜さんという子でいいのかい?」

 

「いや、可能性はあるが、断言できない」

 

 

ここまでで絞れている犯人は由比ヶ浜。と雪ノ下、葉山だ。

由比ヶ浜はあくまで役柄的に可能性があるだけで、他に要素がない。

あの部室でのやり取り。陽乃さんの力を知っている。この2つからあとの2人は十分に可能性がある。

 

だが、それを口に出すことができなかった。

雪ノ下と葉山は陽乃さんを必死に探している。それなのにこの改変を行ったのは2人かもしれないなんて言えるわけがない。こんなにも探し求めている人物を消したのはお前らだと言うのはあまりに残酷過ぎる。

 

 

気がつけば足が止まっていた。

そんな俺を見て雪ノ下は少し表情を曇らせて言う。

 

 

「候補は他にもいるのよね?」

 

「いや……」

 

「あなたの言いたいことはわかっているわ」

 

 

まぁそうだろうな。俺がわざわざ言わなくてもすべて語ってしまっているのだ。こいつの頭があればそこに辿り着くのは簡単だろう。

 

 

「そんなに黙り込むことはないわ。それはもう承知している」

 

「そうか……」

 

「もし私たちがやったことだったとしたら1つお願いがあるのだけど……」

 

 

雪ノ下は曇らせていた表情をやめ、葉山を一瞥してから、俺を見据える。

 

 

「あなたが元の世界に帰れたなら、もしくはこの世界を元に戻せたなら、私たちを叱ってやってちょうだい」

 

「は?」

 

「お願いできるかしら?」

 

 

彼女の瞳には強い意志が秘められている。

 

 

「できることなら、自分でやりたいのだけれどね。あなたにしか頼めない」

 

「わかった」

 

 

了承したものの、俺が雪ノ下を叱れるかどうか不安だ。まぁ雪ノ下本人からの頼みだ。やるしかない。

そんなことを思っていると、雪ノ下は茶化すように微笑む。

 

 

「な、なんだよ」

 

「容疑者は3人。でももう1つ見落としてないかしら」

 

 

雪ノ下にそう言われて頭を回す。

見落としとはなんだ?

彼女が犯人について言っているのは間違いない。

誰だ?他にあげられる人物がいるのか?

頭を悩ませていると、雪ノ下は言う。

 

 

「あなたよ」

 

「は?俺?」

 

 

いやいや、ちょっと待て。いくらなんでもそれはない。なんで俺がこんなことをしなきゃならない。自分で自分を困らせてどうするってんだよ。

 

俺は雪ノ下の発言の真意を問う。

 

 

「どういう意味だ?」

 

「まぁ言ってみればただの勘ね」

 

「勘?」

 

「ええ、あなたの話を聞いた第三者からの客観的に見て浮かんだただの勘」

 

「小説の読みすぎなんじゃないのか?」

 

「あなたに言われたくないわ」

 

 

俺の言葉に雪ノ下はややムッとした表情をする。なんで怒ってんだよ。

そんな彼女の顔を見て、俺はあることに気がつく。

もしかして雪ノ下はやや重くなってしまった空気を和ませようと冗談を言ったのか?

だが、時すでに遅し。

余計、重くなった空気を葉山が取り持ってくれる。

 

 

「ほら、時間もないんだろう?早く行こう」

 

「そうだな」

 

 

葉山にそう言われて俺たち3人は部室への廊下を歩く。

冗談だとしても雪ノ下の言ったことを完全に否定する術を俺は持たない。確かにそんな要素も含まれている。でもそんなオチは認めたくない。

 

 

 

そんなことを考えながら、俺たちは部室の前に到着した。

 

 

 

 

×××

 

 

 

既に陽は傾きかけていて、窓から差し込む陽の光は弱くなっている。

そのおかげで、部室内に明かりが灯っていることがよくわかった。

 

とうとうこの時が来た。

 

俺の中にいろんな感情が渦巻く。

期待、不安。俺の動きを止めるそれらの感情を振り払うように両手で自分の頬を叩く。

 

 

「行くぞ」

 

「ええ」

 

「ああ」

 

 

2人の力強い返答を聞いて、俺は戸に手をかける。

 

 

ガラガラと音立てて開けた先にはいつもと変わらぬ場所で読書に耽っている由比ヶ浜の姿があった。

彼女はすぐに俺に気がついて驚いた表情をした。それを見て、自分がノックし忘れたことを気がつく。

 

 

「突然、悪い」

 

「ううん。今日は来ないのかと」

 

「1人か?」

 

「さっきまで折本さんがいたんだけど……あっ!」

 

 

そこまで言って何かを思い出したように立ち上がる。なぜか目線を泳がせ、心なしか頬が染まって見える。そして何よりどこか不機嫌なような気がする。

 

 

「ど、どうかしたか?」

 

「折本さん……」

 

 

由比ヶ浜は折本の名前を呟くように言った。それを見て、なぜ彼女がそんな表情をしていたのかすぐにわかった。

数時間前に自分がやらかしたことを思い出す。そうだよね。あんなに大きな声で言えばそりゃみんな知ってるよね。

 

 

今は俺が見舞われている現象とは、まったく関係のない焦りが俺を包見込んでいく。やばいな。なんでこんな焦ってんの俺。

 

 

「いやー、あれはな。その」

 

「べ、別に比企谷くんがその折本さんのこと……」

 

 

ほら、やっばり誤解してる。

いや、あれを実際に見てたやつなら冗談だとわかるかもしれないが、人から聞いたならたぶんそうではない。それにこの由比ヶ浜はかなり純粋そうな感じだ。

こんな誤解を解く必要はないのではないかと思いもするが、この後の話を進める際に厄介そうなので解いておくことにする。

 

どう言い訳をするかと考えていると、後ろから背中を突かれる。振り向くと、困ったように笑う葉山と訝しむ顔の雪ノ下がいた。

 

 

「なんの話をしているの?早く中に入れてくれないかしら?」

 

「ええ?あー」

 

 

そんなことを言っている間に雪ノ下は俺を押しのけて部室内に入っていく。

彼女は部室内を見渡すようにしながら一言。

 

 

「ここが”奉仕部”の部室ね」

 

「ほうしぶ?」

 

 

由比ヶ浜は突然現れた雪ノ下に困惑しながら言う。

そんな由比ヶ浜に雪ノ下はゆっくりと近づいていき、一礼してから口を開く。

 

 

「突然、訪問してしまってごめんなさい。私は海浜総合高校、2年の雪ノ下雪乃です」

 

 

雪ノ下の自己紹介を聞いて、葉山も教室内に入り、彼女の隣に並んで自己紹介をする。

 

 

「俺は葉山隼人。雪乃ちゃんと同じ海浜総合高校の2年だ」

 

「ゆ、由比ヶ浜、結衣です」

 

 

2人の登場にやや気圧されながら引き気味に自己紹介を返す由比ヶ浜。突然こんな2人が現れたらそうなるよね。ごめんね。

 

由比ヶ浜は俺になんで?という視線で尋ねてくる。

 

 

「あ、えーと、この人たちは?」

 

「あー、そのだな」

 

 

なんと説明すればいいか言いあぐねていると、雪ノ下が中途半端な回答をした俺を切り捨てるように言う。

 

 

「ここには比企谷くんのお願いで来たわ」

 

「お願い?」

 

 

雪ノ下の言葉を聞いて、由比ヶ浜の視線が訝しむものに変わる。

ちょっと待って。雪ノ下さん、変な言い方やめてね?確かにお願いしたけど。

由比ヶ浜の視線には”お前、折本さんに愛してるぜ!なんて言っておきながらまた違う女の子連れてきやがって”みたいなことが含まれているな、たぶん。

 

 

いろいろあったが、ようやく揃えることができた。

違う制服を着ていても、見た目が物凄く真面目になっていても。

 

 

 

 

ここには”雪ノ下雪乃”と”由比ヶ浜結衣”がいる。

 

 

 

 

今、こうして奉仕部の面々が揃ったわけだが、今のところ何も起こる気配がない。

この部室でこの2人を前に心臓の音が大きくなっていくのがわかる。

 

そのまま黙り込んだ俺に由比ヶ浜が尋ねてくる。

 

 

「ど、どういうことかな?」

 

「彼女にはまだ話していないの?」

 

 

俺が答える前に雪ノ下がそう言う。

 

不思議なことに心臓の鼓動は高鳴っていても、冷静さを失ったわけではなかった。

なんだろうか、この感覚は。

 

そうだ。固まっているわけにはいかない。由比ヶ浜にも経緯を説明しなければならない。

 

どこから話すべきか。

そんなことを考えていると、その時は突然やってきた。

 

 

「比企谷くん?」

 

「ああ、ちょっと待っ……」

 

 

口に出そうとした言葉は消えてしまう。

その瞬間に頭の中にノイズが走る。それとともに頭に激しい痛みが襲う。

 

 

悲鳴にも似た情けない声が聞こえた。たぶん俺の声だろう。先ほどよりも床が近く見える。俺はいつの間にか片膝をついていた。

 

 

激しい痛みを感じているというのに、なぜ冷静でいられるのだ。訳がわからない。

身体と意識が分離されたような感覚。いったいこれはなんだ?

 

 

マジかよ。またかよ。

ここまで激しい痛みが走ったのは初めてだ。

この痛みが”緊急脱出プログラム”なのか?ここからどこかにタイムスリップでもするのか?

だからってなんでこんなに痛みを伴う必要がある。俺は失敗したのか?

もしかしてタイムリミットが来てしまったとか?

 

 

どうすればいい?

この状況から抜け出すには何をしたらいい?

 

 

声が聞こえる。

 

 

たぶん、由比ヶ浜や雪ノ下が俺の突然の変調を心配しているのだろう。

何やってんだ俺。ここまで来てこれかよ。情けねえ。

 

 

『…………か?』

 

 

誰の声だ?

 

 

『…………かって聞いんだよ』

 

 

男の声だな。でも葉山のものではなさそうだ。

 

 

じゃあ誰だ?

 

 

『早くしろよ、間に合わなくなるぞ?』

 

 

誰のものかわからない声に耳を傾けているうちに分離した意識が身体に戻っていく。

 

 

頭を掻き毟りたくなるような痛み。

俺はその耐え難い痛みに頭を抱えて蹲っていた。

 

 

声はまだ聞こえている。

 

 

『早くしろっての。ほら、こっちだ』

 

「お前は誰だ?!」

 

『いいから早く来い』

 

 

必死に頭を上げて、部室内を見回す。

そこには心配そうに見つめてくる雪ノ下と涙を浮かべて口を押さえる由比ヶ浜。何が起きたか理解できない顔をしている葉山。

 

 

それだけしかいなかった。

 

 

「比企谷くん、あなた一体何を言っているの?」

 

 

どうやらこの声は彼女らには聞こえていないようだ。

俺の予測が正しければこの声の主はおそらく。

 

 

俺をこんな目に遭わせた奴だ。

 

 

ギリギリ思考は保てているものの、痛みはどんどん増していく。

その痛みに俺はとうとう耐えかねて声を上げる。

 

 

「畜生!!痛えんだよ!!くそったれ!!」

 

 

行かなきゃならない。

俺をこんな目に遭わせたど畜生が俺を待ってる。

なぜか行くべき場所はわかっていた。

 

 

なんとか立ち上がる。

頬に何が流れたのがわかった。

あまりに痛すぎて涙が出たのかとも思ったが、流れたはそれは涙ではなく、汗だった。

俺は気付けば髪が濡れるほど汗をかいていた。

手を見ると、黒く染まっている。あの黒毛戻しのスプレーの塗料が汗により溶け出しているのだろう。ということは俺の髪のあの部分がさらけ出されてしまっている。

 

 

「あなた、その髪……」

 

 

誰に問われたのかもはっきりと認識できない。

もうそんなことはどうでもいい。

 

 

俺は必死に言葉を捻り出し、彼女らに伝える。

 

 

「悪い、ちょっと……行かなきゃいけない。ここで……待って…くれ」

 

「そんな状態でどこに行くと言うんだ!?」

 

 

この声は葉山か?

 

 

誰かが俺の手を掴んだ。

 

 

「大丈夫だ。必ず戻ってくる」

 

「ダメよ!行かせられない。何かあったらどうするの!?」

 

 

俺の手を掴んだ主の方に目をやる。

掴んだのは雪ノ下だった。

俺を見る彼女の瞳は潤んでいる。

俺の手は強く掴まれていた。が、俺の視線から何かを読み取ってくれたのだろう。次第に掴む力は弱くなっていった。

 

 

「悪い」

 

 

俺はそう告げて、雪ノ下を手を優しく振りほどき、部室を出た。

 

 

 

×××

 

 

 

そこから俺は必死に足を動かした。

あの部室からは誰も追ってくることはない。

 

 

ふらふらと小走りで、あの場所へと向かう。

 

 

頭痛のせいか、息が切れている。

苦しい。まだまだあの場所へは距離がある。

挫けて今にも倒れ伏してしまいそうだ。

 

 

ダメだ。ここまで来たんだ。

雪ノ下や葉山には悪いことをした。

由比ヶ浜にも。

 

俺の我が儘に付き合ってもらったというのに何も告げずに飛び出してきたんだ。

 

必ず、辿り着いて、達成しなければならない。

 

あの場所へ行けば、すべてがわかるんだ。

 

 

まだまだ距離がある。

なんでこんなに遠く感じる。

まずい。視界が霞み始めている。

辛い。なんで俺はこんな辛いことをしているんだ。もうやめたい。逃げたい。

 

強く持っていた気持ちがどんどん揺らいでいく。

 

足が重い。

 

もう歩くことすらままならない。

 

端から見れば、酔っ払っているかのような千鳥足。

 

とうとう俺の足は止まった。

 

そのまま前のめりに俺の身体は倒れる。

 

視界は暗転。

 

だが、床に叩きつけられる衝撃を感じることはなかった。

 

その代わりに受けたのは柔らかい衝撃。

 

目を開けると、柔らかい綺麗な金色の髪があった。心なしかいい匂いがする気がする。

 

どうやら誰かが俺の身体を受け止めてくれたらしい。

 

全体重を預けてしまったせいで、受け止めてくれた誰かは、俺を支えきることができず、そのまま崩れるように膝をつく。

 

まだ身体に力が入らない。

 

少しだけ間を置いてから、その誰かは俺の両肩を掴んで、俺の身体を自分から離す。

 

 

そこでようやく誰かの声が俺に届いた。

 

 

「ちょっと八幡、大丈夫!?」

 

 

目の前にいる女性。

俺を受け止めてくれたの三浦優美子だった。

 

 

 

 

 

 



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彼女に伝えるべき言葉は。




どーも、にが次郎です。


佳境に入ってまいりました。
さて、更新途切れることなく最後まで走れるかどうか……。


では、どーぞ。



 

 

 

 

 

 

 

落ちかけた弱々しい陽が差す寒々しい廊下に向かい合うように座り込む。

 

服越しから伝わる冷え切った床の温度が少しだけ俺の思考を復活させる。

 

 

俺の目の前にはほんのり頬を朱色に染めた三浦がいる。

なぜここに三浦が?

その疑問を口に出す前に三浦が口を開く。

 

 

「八幡どうしたん?大丈夫!?」

 

「ああ」

 

 

俺の消え入りそうな掠れた声が彼女の心配を加速させてしまう。

 

 

「なに?何があったん?」

 

「大丈夫だ……」

 

「全然大丈夫じゃない!!」

 

 

声を荒げた彼女の瞳は潤み始めている。

場を取り繕うようにたいして意味の込められていない言葉を吐く。

 

 

「なんでここに?」

 

「戸部が八幡が戻ってきたって連絡くれたから」

 

 

戸部か。おそらく部活中に雪ノ下たちと校内を歩いている俺を目撃していたのだろう。

そんなことを考えていると、三浦は目線を下に落とし、呟くように言う。

 

 

「八幡、いきなりいなくなるし、それにかおりにあんなこと言って……」

 

 

三浦は掴んでいた肩から手を離し、俺の右手を強く握る。

 

 

「悪い」

 

 

そんなことしか言えない自分が嫌になる。

俺は自分のことしか考えていなかった。彼女がこんなにも心配をしてくれているというのに。まただ。また彼女の感情を無碍にしてしまった。すべてを汲み取ることができないことはわかっている。でも。

これまでの俺の行動はすべて自分のためだ。人の気持ちを無碍にしないように装ってきただけ。

逆に言うなら、皆が俺の気持ちを汲み取ってくれていたのだ。

 

 

彼女もその1人。

 

 

三浦は俯いたまま尋ねてくる。

 

 

「かおりのことはいい。冗談だってわかってるし。でもさ、八幡……」

 

 

言葉はそこで切られてしまった。

俺の手を握る力は弱くなっている。

情けないことに俺は何も言うことができない。

手に一粒の雫が落ちてくる。続けて一粒、二粒。彼女の肩は微かに揺れていた。

 

三浦は静かに涙を流していた。

それを目にして、言い表すことのできない罪悪感を感じた。

慰めるようなことも、その涙の意味も問うことはできない。

あんなにも激しかった頭痛は少しだけ収まりつつあるが、身体はまだ言うことを聞かず、彼女が流す涙を拭ってやることすらできない。

身体が動かないから。それだけが理由ではない。

慣れていないから。初めてだから。

そんな理由でもない。

 

 

こんな最低な自分にそんな資格はない。そう思ってしまったからだ。

俺は彼女らを欺き、嘘を吐いた。

 

仕方がない。しょうがない。

そんなもので自分を騙すことができなかった。

どんな理由があろうと、彼女は俺と同じ人間なのだ。俺と同じように心がある。

 

 

本当に今更だ。今更になってその心を傷つけた自分が許せなかった。

 

 

三浦はふーと大きく息を吐き出し、制服の袖で流れる涙を拭う。

そして何かを決意したように顔を上げて、俺を見据える。

 

 

「もう我慢できないから言う」

 

 

三浦はグイッと俺の方に詰め寄ってくる。

 

 

「何があったん?」

 

 

その言葉の真意をわかっていながら、俺はまたはぐらかすようなことを言ってしまう。

 

 

「大丈夫だ。ちょっと……」

 

「違う。今のことじゃない。全部!」

 

 

遮るように言われた言葉に気圧される。

三浦はゆっくりと、途切れそうになりながら言う。

 

 

「八幡、なんか変だし。なんていうか、全然違う!……わかんない。こんなこと言うのおかしいのわかってる。頭がおかしくなったんじゃないかと思われるかもしれないし。でも……」

 

 

彼女が何を言おうとしているのかわかってる。ずっと自分の中に押し込めてきた”疑問”をぶつけようとしているのだ。

もう取り繕うことも誤魔化すことも許されない。

瞳からは大粒の涙が零れ落ちている。拭っても拭っても止まることない涙が俺に訴えかける。

 

 

それでいいのか?と。

 

 

三浦は流れる涙に構うことなく、真っ直ぐに俺を見据え、思いの丈を述べた。

 

 

「今の八幡は八幡じゃない。あの日から全然違う!八幡だけど……あーしの知ってる八幡じゃない!!ねぇ、あーしの知ってる八幡はどこに行っちゃったの?今の八幡は誰なの?」

 

「それは……」

 

 

 

「ねぇ、答えてよ!あーしの……あーしの”好きな八幡”はどこ行っちゃったの!?」

 

 

 

胸を貫く言葉で俺は理解した。

俺はこれまで皆から向けられている感情は葉山に向けられていたものだと思っていた。そう思い込もうとしていた。

でもそうじゃなかった。三浦が抱いてくれている好意は葉山からすげ替えられたものでも、ましてや誰かに作られたものでもない。

 

これは他の誰でもない比企谷八幡に向けられた好意だ。

 

この世界にも確かに俺はいたんだ。

必死にもがき苦しんで、たくさん傷ついて、もう1人の俺がようやく手に入れた”本物”だ。

 

それを掻っ攫うような真似をして、ぐちゃぐちゃに引っ掻き回して、彼女に涙を流させた。

 

今の俺に”好き”なんて言葉を言ってもらえる資格はない。それは俺に向けられていい言葉じゃない。

この世界の俺が言われるべき言葉だ。

 

だからって逃げる気はない。

 

三浦が決死の思いで告げた言葉を踏み躙ることは絶対に許されない。

 

彼女にこんな思いをさせたのは全部俺のせいだ。

 

すべて俺に責任がある。

 

責任は取るべきだ。

 

だからちゃんと伝える。

 

 

大きく深呼吸をして、彼女の手をギュッと強く握る。

 

 

「三浦」

 

「優美子!」

 

「いや、三浦。俺にお前を名前で呼ぶ資格はないんだ」

 

 

三浦はしゃくりを上げる。それを必死に押し込めようと、口を噤み、歯を食いしばっている。

俺は言葉を選び、今、出せる限りの優しい声音で話す。

 

 

「悪い。お前に謝らなきゃならない。落ち着いて聞いてくれ。三浦の言う通り、俺は三浦の知ってる俺じゃない。まったくの別人だ」

 

 

俺の言葉を聞いて、閉じている口から声が漏れる。

 

 

「俺はお前を騙していた。俺は今、信じられない現象に巻き込まれていて、それを解決するために動いていた。俺は自分のことしか考えてなかった。自分が助かるためにみんなを利用してた。本当にすまない」

 

 

胸の奥が痛む。

許しを請う気はない。

それでも心を込めたつもりだ。

彼女を傷つけた、泣かせてしまった罪悪感が俺の言葉を遮ろうとする。

でもそんなものに負けるわけにはいかない。責任を取るとはそういう意味だ。

彼女が求めているものを取り戻す。

 

それが今できる最大の償いだ。

 

 

「それでな、三浦……」

 

「ダメ!!」

 

 

三浦は俯いていた顔を上げ、強く手を握り返してくる。

どうやら俺の言おうとしたことが先にわかってしまったようだった。

 

 

「ダメ!行かせない!絶対に行かせないし!」

 

「三浦……」

 

「意味わかんないっ!全然わかんない!でも絶対に行かせない!」

 

 

駄々をこねる子供のように彼女は言う。

 

 

「もうやだ!八幡が八幡じゃないとか意味わかんないし!でももういいの!八幡が八幡じゃなくてもここにいてくれればいいの!」

 

 

叫ぶようにそう言った三浦はまた俯いてしまう。

 

 

「三浦、ごめんな。でも俺は行かなきゃならないんだ」

 

「やだって言ってんじゃん……」

 

「俺はこの世界の人間じゃない」

 

「意味わかんない」

 

「悪い。でも帰らなきゃならないんだ」

 

 

三浦は愚図る子供のように首を横に振る。

その姿を見て鼻の奥がツーンと痛み出す。

ダメだ。俺が泣いていい場面じゃない。

込み上げてくるものを堪えるために口を噤む。それのせいでそれきり言葉が出てこなくなってしまった。

 

少しの沈黙。

 

それのおかげか三浦は少しだけ落ち着いたようだった。

顔を上げた彼女の瞳はまだ涙で濡れていた。目を赤くして、声は鼻声になっている。

三浦はため息をついてから諦めたように呟く。

 

 

「わかってたし」

 

「え?」

 

「最初からわかってた。でも八幡が何も言わないからあーしも何も言わなかった」

 

「悪い」

 

 

最初からと言うのは一緒に帰った日のことだろう。あの時も三浦は堪えてくれていた。

ちゃんと伝えよう。俺がやろうとしていることを。

 

 

「三浦。聞いてほしい」

 

「ん?」

 

「これは俺の推測だが、この世界の俺はちゃんといる」

 

「当たり前だし」

 

「その、なんというかだな」

 

「わかった」

 

「え?」

 

「八幡の言いたいこと。ちゃんとわかった」

 

 

彼女に伝えるべき言葉は言っていない。具体的なことは何1つ言っていない。

それなのに彼女はそれを理解したと言った。

三浦は少しだけ笑みを浮かべる。

 

 

「2年近く一緒にいるし。そんなの当たり前だし」

 

 

何も言わなくても伝わる関係。分かり合える関係。そんなものは幻想だと思っていた。でも今、実際に体現してしまった。

なぜかはわからない。その言葉は俺の心を温めてくれているような気がした。

三浦は握っていた俺の手を離す。

 

 

「行っていいし。その代わり」

 

「その代わり?」

 

「絶対戻ってくること。いい?」

 

「お、おう」

 

 

言葉は後に彼女は精一杯の笑顔を見せてくれた。わかっている。この笑顔は無理をしている。

彼女はちゃんと理解した上でそうしてくれているのが俺にはわかった。

また助けられてしまったな。本当、あーしさんには敵わない。

 

 

「ありがとな、三浦」

 

 

約束は必ず守る。

ここに戻ってくるのは俺ではなく、この世界の俺。

それが約束を守るということだ。

 

 

ここにいていいのは俺じゃない。

 

 

行かなきゃならない。

約束は守るためにはあの場所に行かなければならない。

 

いつの間にか身体は自由に動くようになっていた。

 

ふと、我に帰る。

すぐ目の前に三浦がいる。

こういう言い方をすると、いやらしく感じるが、今現在、三浦とはいろんな部分が触れ合ってしまっている。

なぜかそのことが急に恥ずかしくなり、立ち上がる。

 

そんな俺を見た三浦は尋ねてくる。

 

 

「急にどうしたん?」

 

「いや、なんでも」

 

 

ふふっと笑みを溢れる。

 

 

「やっぱ八幡は八幡だし」

 

 

それはどういう意味ですかね?

女の子と生で触れ合うのは刺激が強いんです。

 

 

 

そんなことを考えていると、後ろから声をかけられる。

 

 

「ようやく見つけたわ」

 

 

振り向くと、そこには雪ノ下、葉山、由比ヶ浜と折本の姿があった。

まさか見られてたのん?

 

頭が沸騰するほどに恥ずかしくなる。

 

 

そんなことは御構い無しに折本が三浦に駆け寄っていく。

 

 

「優美子、どうしたのー?」

 

「八幡にやられたし」

 

 

座り込む三浦の隣にしゃがみ込んだ折本が俺を睨めつけてくる。いや、確かに泣かしたのは俺だけと。折本の目にはいろんな意味が含まれている気がした。

 

 

気まずい雰囲気に包まれていると、雪ノ下が尋ねてくる。

 

 

「行かなきゃいけない場所とはここのことなのかしら?」

 

「いや、ここじゃない」

 

 

そう告げた後に葉山が驚いたように言う。

 

 

「君は本当に超常現象の類に巻き込まれていたんだね」

 

「どういう意味だ?」

 

 

この場において葉山の言う超常現象について証明できるものは何もない。

何について言っているのか疑問に思っていると、その答えを雪ノ下が答える。

 

 

「髪の毛よ」

 

「髪の毛?」

 

「さっきあなたが部室で倒れた時、あなたの髪は半分ほど金色に染まっていたわ。でも今は」

 

 

そう言われて自分の髪を触る。

 

 

「真っ黒よ」

 

 

マジか。マジで危ないところだったんだな。

どうして髪が元の色に戻ったのか。

たぶん俺の決意が関係しているのだろう。

 

そんなことを思っていると、葉山が笑みを浮かべる。

 

 

「君の髪が金に染まっていった時は何かに覚醒したのかと思ったよ」

 

「悪いな。残念ながら俺はサイヤ人の末裔じゃない」

 

「そんなのは後にしてちょうだい」

 

 

雪ノ下は男同士にしかわからないネタに遺憾の様子。葉山とこんな冗談を言い合うことになるとは思わなかった。まぁどうでもいいな。

 

俺は雪ノ下たちに先ほどのことを謝る。

 

 

「さっきは悪かった。なんの説明もせずに」

 

「それはもういいわ」

 

 

雪ノ下は複雑そうな顔をする。

 

 

「話を戻すけれど、ここではないということはまだ行かなければならないのでしょう?」

 

「ああ」

 

「そこに行けば何かにわかるの?」

 

「断言はできない。でも……」

 

 

言葉に詰まる。

断言はできない。その場所に行けば何か起こるというのか俺の勝手な希望だ。

もしかしたら罠かもしれない。今よりも酷い目に遭うかもしれない。

 

それでも俺は。

 

 

言葉に詰まった俺を見て、葉山が言う。

 

 

「そこに一緒に行くことはできないのか?」

 

「それはダメよ。これは彼の問題だもの」

 

 

そうだ。雪ノ下の言う通り、これは俺の問題だ。俺が解決すべき問題。

こんなにも迷惑をかけてしまったのだ。ちゃんと礼くらいは言っておこう。

 

 

「雪ノ下、葉山。ありがとな。お前らには本当に助けられた」

 

「私は何も」

 

「いや、助けられたんだ。ありがとう」

 

「そう。そう言ってもらえるなら協力した甲斐があるわ」

 

 

雪ノ下はそう言いながら微笑んだ。

結局、陽乃さんの情報を提供することができなかった。それが本当に心残りだ。

顔に出したつもりはなかったが、雪ノ下は俺の心情を読み取ったようで。

 

 

「姉さんのことは気にしなくていいわ。あなたが戻ってきたらたっぷりと恩返ししてもらうつもりだから安心して」

 

「そうか、悪い」

 

 

その言葉を交わした後、ここにいる皆に1人1人に目線を配る。

 

 

折本は何がなんだかわからない様子。まぁ後で説明してもらってくれ。

 

三浦は知らない顔がいることに少々驚いていたが、柔らかな笑みを浮かべている。

 

雪ノ下と葉山は納得したような顔をしていた。

 

そしてもう1人。

 

ちゃんと決着をつけておかなければいけない人がいる。

 

それは由比ヶ浜結衣。

由比ヶ浜はここに自分がいるのが場違いなのではという顔をしている。

そんなことはないのだ。

お前にも助けられた。

ちゃんと礼言わなくてはいけない。

 

 

俺は雪ノ下と葉山の後ろに隠れるように立っている由比ヶ浜の元へ向かう。

 

 

「由比ヶ浜」

 

「は、はい」

 

「お前にも助けられた。ありがとう」

 

「う、うん」

 

「話は聞いたのか?」

 

「雪ノ下さんからちょっとだけ……」

 

 

由比ヶ浜はやや俯き気味になりながら目線を泳がせている。

 

 

「悪い。俺はお前を助けた俺じゃないんだ」

 

「うん」

 

「だからお前にお礼をされるのは俺じゃないんだ」

 

 

由比ヶ浜の瞳には涙が見える。

 

 

「騙すようなことをして悪かった」

 

「ううん、そんなことない」

 

 

涙が零れないように必死に堪えているのがわかる。

由比ヶ浜は辿々しくなりながらも、思いの丈を告げる。

 

 

「お礼を言うのは…私の方。比企谷くんがいなかったら……友達もできなかったし。あの時、比企谷くんが部室に来てくれなかったら。……だからありがとう」

 

「おう」

 

 

由比ヶ浜の言った”部室”という言葉でやっておかなければいけないことを思い出す。

 

 

「雪ノ下、俺のコートの右ポケットから”入部届”を取ってくれないか?」

 

 

俺にそう言われた雪ノ下は貸しているコートのポケットに手を入れて、紙を一枚取り出し、俺に手渡してくる。

あの日、由比ヶ浜から受け取ってポケットにしまいこんでしまったせいで少ししわがよってしまっていた。それを受け取ってから言うべき言葉を告げる。

 

 

「由比ヶ浜、これは返すよ」

 

「あ、う、うん」

 

 

俺は由比ヶ浜に入部届けを差し出す。

彼女はとうとう耐えきれなくなったのか、顔には涙が一筋流れる。

きっと由比ヶ浜は思い違いをしている。これは入部を拒否しているわけじゃない。やり直すんだ。

 

 

「さっきも言ったけど、事故のお礼を言われるのは俺じゃない。だから本来言われるべき俺にこれを渡してやってくれ」

 

「わ、わかった」

 

 

由比ヶ浜は力なく入部届けを受け取る。ちゃんと意味が伝わらなかったかもしれない。

でも、それでもいい。俺が解決することができれば、きっと本物の俺が帰ってくるんだ。その時になれば、わかるはず。

 

 

よし。これでもう心残りはない。

後はこんなことをやらかした奴のところへ行って取っちめてやるだけだ。

 

 

 

もう一度、皆に目線を配る。

 

 

「行ってくるわ」

 

「ええ」

 

「ああ」

 

「う、うん」

 

「うん!」

 

「うん?」

 

 

皆、それぞれに笑みを浮かべ、頷き、返事を返してくれる。

1人だけよくわかっていないような感じを受けるが、まぁ許してくれ。

 

 

俺はその場から身を翻して、あの場所へと向かう。

いつか間にか頭の痛みは綺麗さっぱり消えている。

逸る気持ちは俺の足を急かし、気づけば俺は走り出していた。

 

 

今からラスボスに会いに行くというのに気持ちが随分と軽い。

全部あいつらのおかげだ。

今まで人との繋がりを大事にしてこなかった俺だが、初めてこんなにも人に素直に感謝したかもしれない。

 

 

ああ、悪くない。

なんでも1人でやってきた俺だ。

でも今日、初めて皆でやるのも悪くないと思えた。

 

 

今までの自分を否定する気はない。

ただ新しいやり方を覚えただけだ。

 

 

そんなことを思いながら、廊下を走る。

 

 

あの場所へと続く廊下を曲がろうとした瞬間、曲がり角の向こうに人影が見える。間一髪のところで避けるも、相手の女子生徒は突然走ってきた俺に驚いて転んでしまう。

 

 

女子生徒は持っていた段ボールを床に落として、尻餅をつき、”イタタ〜”と腰をさすっている。

 

 

「悪い、大丈夫か?」

 

「あ〜、大丈夫ですよ〜」

 

 

その女子生徒は甘ったるい猫なで声で首を傾げながら言う。

 

 

「って比企谷先輩じゃないですかー」

 

「一色だったのか」

 

 

俺に名を呼ばれた一色は口をへの字に曲げている。ごめんて、いろはす。

 

 

「なんで苗字で呼ぶんですかぁ?」

 

「いや、今それどころじゃないんだ。悪いな。それじゃ」

 

「ちょっと待ってくださいよー」

 

 

一色はそう言いながら、俺の足を掴んでくる。

 

 

「いや、マジで急いんでるんだっての」

 

 

一色は俺の足を離す気は全くないようだ。訝しむ顔で不満たっぷりな視線で俺を見ている。

 

 

「急いでるってどこに行くんですかぁ?」

 

「どこでもいいだろ。離してくれ」

 

「てか、あれ?比企谷先輩、なんでここにいるんですかぁ?」

 

「ここにいちゃ悪いのかよ」

 

「だってついさっきう……あっ!」

 

 

一色が言い終える前に彼女の手をどうにか振りほどいてまた走り出す。

 

 

「ちょっとー!比企谷先輩ー!」

 

「悪い。またあとでなー」

 

 

その他にもいろいろ叫んでいたように聞こえたが、それに構うことなく俺は階段を駆け上がっていた。

 

 

 

×××

 

 

 

 

階段を2段飛ばしで駆け上がり、ようやくあの場所へと辿り着いた。

 

相変わらず鍵は壊れたまま。

 

そう、俺が向かっていた場所は屋上だ。

 

まぁラスボスと対峙するには絶好の場所。

 

両膝に手をついて、上がった息を整える。

 

 

もう体に異常はどこにもない。

頭痛も倦怠感も綺麗さっぱりとなくなっている。

だからと言って体調が万全というわけではない。寧ろ、満身創痍だ。今日、どんだけ走ってんだよ、俺。

 

あの声が聞こえてからもうだいぶ経ってしまった。

 

あの声の主が、俺をここに呼んだ奴はまだここにいるのだろうか。

 

そんな不安が過る。

 

ダメだ。弱気になるな。

もう引き返しようがないんだ。ビビったってしょうがない。

 

あいつらにあれだけ強く背中を押してもらったんだ。

 

絶対に取り戻す。

 

 

俺は屋上の外へと繋がる扉にゆっくりと近づいていく。

 

 

そして静かに手をかける。

 

 

よし、行くぞ。

 

 

そう意気込んで勢いよく扉を開けて外に出る。

 

 

と同時に肌に突き刺さるような冷たい風が俺を出迎える。

真っ赤に染まった夕陽が屋上のコンクリートの床を朱色に染めている。

 

 

朱色に染められている床には1本の長い影。

 

その先には1人の男が立っている。

 

 

その男は総武高校の制服を着ていて、金色に輝く髪を風になびかせていた。

 

 

夕陽に向かい立つように立っていた男は扉を開けた音で俺が到着したことを気がついたようだった。

 

 

ゆっくりとこちらに振り向く。

 

 

 

 

その男の顔を目にして、俺は体の機能がすべて停止するほどの衝撃を受ける。

 

 

望んでいたことだ。

この男の存在を切望したのはこの俺だ。

しかし驚かずにはいられなかった。

あまりの衝撃に開いた口が塞がらない。

 

 

思考が正常に機能しない。

なぜここにいる?

俺をここへ呼んだのはこいつなのか?

 

 

予想外過ぎる。

もう俺の口は言葉を忘れてしまっていた。

 

 

自分の”影”に驚くとはこのことか。

まさに”ドッペルゲンガー”に出会ってしまったような衝撃。

 

いや、ようなという表現は間違っているな。

 

 

今、俺の目の前に立っている男は紛れもなく”俺”。

 

 

金色の髪。

濁りのない瞳。

 

 

この世界で聞いた”俺”の情報と合致する。

 

 

 

何1つ言葉を発することもできず、さながら石のように固まる俺。

そんな俺を見て、”俺”はニヤリと口元を歪ませた。

 

 

そして告げる。

 

 

 

 

 

 

「”やっはろー”俺」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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彼は彼と対峙する。




ごめんなさい。ミスりました。
全然関係ない奴投稿しちゃいました。

こっちが本物です。ごめんなさい。

更新は今日で止まりそうです。
間が開かぬように努力します。

納得してもらえるオチになっているか不安ではありますが、どーぞ。





 

 

 

 

自分と同じ顔をした人間が突然目の前に現れたら、人はどんな反応をするだろうか。驚愕、困惑、恐怖。

 

実際にそれを体現した俺はそんな陳腐な言葉では表現できないほどに衝撃を受けていた。

 

 

冷たい風が吹き荒ぶ屋上。

現在の俺は上着はワイシャツだけという軽装。雪ノ下にコートを返してもらうべきだったと今更になって思う。

本来なら身を捩って、思わず鼻水が出ちゃうんじゃないかと思うほど極寒という言葉がぴったりの環境に置かれているというのに何も感じない。肌は鳥肌を立てることすら忘れてしまっている。

 

 

まさか自分自身と対峙することになるとは思いもしなかった。

しかし、目の前にいる”俺”が本当にこの世界の比企谷八幡という可能性は100%じゃない。俺を貶めた奴がまた何か仕掛けようとしているのではないか?この状況下ならそう考えたほうが良い。

もしそうなら、”俺”が発した言葉にも何か意味があるのか?

 

 

そんな思考を巡らせているうちにいつの間にか身構えてしまっていた。

そんな俺を見て、”俺”は言う。

 

 

「そんなに固くなるなよ。別に俺は」

 

 

そこで言葉は切られる。

なんだ。その言い回しにはなんの意図がある。

俺は今最も問うべき言葉を喉の奥から引きずり出す。

 

 

「お前は誰だ?」

 

 

吹き荒れる風音にかき消されないように強く問う。

問われた”俺”は俺の顔に似合わない柔らかい笑顔を浮かべて答える。

 

 

「俺は比企谷八幡。この世界のな」

 

 

確かにこの世界の比企谷八幡との情報や見た目と合致する。

なぜだかはわからない。だが、”俺”の浮かべている笑顔がどこか自分を小馬鹿にしているように感じて怒りが湧く。

ダメだ。冷静さを失うな。

なぜ”俺”がここに現れたのか。

それらを尋ねていく。

 

 

「本当か?」

 

「嘘じゃねえよ」

 

「今までどこにいた?」

 

「たぶんお前のいた世界だな」

 

 

あっけらかんと答えられ、苛立ちが募る。

”俺”が言っていることが本当なら目の前にいる”俺”と俺が世界線でも飛び越えて入れ替わったってことか?

こんなようなことは前に考察した。でもあちらに行った”俺”がこちらに戻ってきたということは俺の知らないところで事件は解決したということか?ならなぜ俺はもとの世界に戻らない?

 

 

なんだこの状況は。

まったく理解できない。

”俺”が最初に発したあの挨拶は俺の知っている由比ヶ浜に会わなければ知ることはできない。こいつがあちらの世界に行ったというのは本当なのか?

しかし、こいつは自分と同一人物である俺を見てもまったく動揺する様子もなく、もはや余裕な様子を伺わせる笑みまで浮かべている。

 

 

あの部室で聞こえた声の主はこいつなのか?

 

畜生めが。ここに来れば解決策が見つけ出せると思っていたのに。

もう1人の”俺”の存在を渇望したのはこの俺自身。しかし、いざ対峙してなんの活路も見出せず。

確かに三浦の希望は叶えることができた。

 

でも俺はどうしたらいい?

”俺”が戻ってきても、俺は戻れていない。

現状、この世界に俺が2人いることになる。

共存など不可能だ。それこそ頭がおかしくなる。

 

 

ここに来て、まだ自分のことばかり。

いや、無理もないか。こんな目に遭わされて他のことを考えれる方が異常か。

ここ数日で鍛えられた鉄のハートを持つ俺でも不可能だ。

 

 

もし帰ることができなかったら。

そんなことが頭を過る。

これからの自分の行く末を想像し、不安と焦燥に駆られる。

 

 

俺は恨み言を唱えるようにぼそりと呟く。

 

 

「どうしてここにいる?」

 

 

”俺”はまたしてもあっけらかんとした表情で答える。

 

 

 

「どうしてって、お前に呼ばれたからだよ」

 

 

「は?」

 

 

あまりに意味不明な言葉に思わず、声に出る。

何を言っている?俺が呼んだ?

 

 

 

「あーね、そういうこと。だからか」

 

 

”俺”は面倒くさそうに言いながら頭をガシガシと掻く。

 

 

「俺ってのはつくづく面倒クセェな」

 

「ど、どういう意味だ?」

 

 

頭から手を離し、やれやれとした顔で俺を見据えてくる。

 

 

「いきなり訳わからん世界に飛ばされたと思ったら、今度は突然呼び戻されて解説役を押し付けられるとかマジ面倒くさすぎて今すぐ投げ出して帰っちゃうまである。どうせ飛ばされんなら異世界がよかったぜ」

 

 

如何にも俺が言いそうな言葉たちを吐きながら、半顔で俺を睨む。

 

 

「ああ、そんな顔すんな。大丈夫だ、本当に帰ったりしねえっての。まぁ心配すんな。なんだかよくわかんねえけど全部わかった」

 

「な、何がわかった?」

 

「全部だよ。お前の知りたいこと、全部。たぶんこれもお前の願いだろ?お前が願ったから全部わかった」

 

 

願い?

 

 

「そうだ。お前の知りたいことはこんなことをやらかした犯人。それともとの世界に戻れるかどうかだろ?」

 

 

俺は頷くこともできず、そのまま言葉の続きを待つ。

 

 

「大丈夫。お前はもとの世界に戻れる。なんなら今すぐにだ。だが、それはあとだ。それよりも犯人についてだ。だからお前の願いを叶えて、教えてやる」

 

 

心臓の音がよく聞こえる。

もともと早かった鼓動はさらに早く、そして大きく。

 

激しく吹いていた風は、今から告げられるであろう名を聞き逃さぬようにと、荒れ狂うのやめた。

 

放課後の喧騒、近くを走る車の音。

本来聞こえるはずの音たちは何1つ俺には届いていない。

 

聞こえるのは自分の心が乱れていくのを示す心臓の音だけ。

 

ドクン、ドクンと跳ねる心臓。

それは壊れた時計のように、少し遅れて間違った時間を指し示す時計のように正しい時間に追いつくべく、慌ただしく時計の針を動かすように。

 

 

俺を追い詰めた。

 

 

「こんなことをやらかしたのは……」

 

 

永遠の時をも感じさせた前置きをあと、その名は告げられる。

 

 

 

 

 

「比企谷八幡。お前だよ」

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

告げられたのは紛れもなく、俺の名。

 

 

思考が混濁していく。

身体に火をつけられたのではないかと思うほどに体温が上昇していく。

 

そんな馬鹿な話があるか。

そんなことがあってたまるか。

俺じゃない。俺がこんなことするわけ。

 

 

奈落の底に突き落とされた気分だった。だが、突き落とした張本人は奈落の底で項垂れることを許してはくれない。

 

 

「何驚いた顔してんだよ。心当たりあんだろ?」

 

「心当たり……?」

 

 

勝手に復唱するように出た弱々しい言葉。心の中でもう一度復唱する。

 

 

”心当たり”。

 

 

確かに、確かにある。

でも俺にはそれを実現できるような力はない。

心当たりという言葉を発した後、まったく動かなくなった俺に”俺”はいささか苛立ちを感じているようだった。

 

 

「うやむやなのはよくねえから、ちゃんと言葉してやるよ。その心当たりってのは、お前があの日にした妄想だ」

 

 

そんなことは言われなくてもわかっている。わかっているんだ。

 

 

「じゃあしょうがねえから一から全部教えてやるよ。お前の知りたいこと全部な」

 

 

”俺”はゆっくりと話し始める。

 

 

「この世界はお前が”創った世界”だ」

 

「そんなわけ……」

 

「あるんだよ。俺は認めねえけどな。それは後だ。お前はあの人から掠め取ったいや、正確には移動してしまった”力”を使って創り上げたもんだ」

 

「移動……?」

 

「それはあの人に聞いてくれ」

 

 

聞かなくてもわかる。あの人とはたぶんあの人のことだ。

 

 

「この世界はお前がした妄想を基に創り上げられた世界。お前の願いを叶えた世界。そうだったろ?」

 

 

何も答えることができない。

この世界は俺が望んだ世界?

そんなわけが、あるわけが。

 

 

「そうなんだよ。お前がそう思わなくてもな。この世界はお前の心の奥底で願った世界だ。今までのものをすべて捨てて新たな自分を創り上げ、そこに自分を投じた」

 

「やめろ。そんなことあるわけ……」

 

「いい加減認めろ。お前がどんなに否定しようと俺が言うんだから間違いない」

 

 

俺の中に渦巻いていた感情たちは、何の根拠も示さずに言う”俺”へ苛立ちに変わっていた。

 

 

「意味わかんねんだよ。だいたい何の根拠があって……」

 

 

俺の言葉は”俺”の突き刺さる視線で遮られる。

 

 

「いいか?よく聞けよ?この世界に置いてお前は神様だ。GODだ。この世界はお前の思ったように、思いのままに変えられるんだ。お前はこの世界の”俺”の存在を願ったろ?だから俺は戻ってきた。それだけじゃない。この世界でここまでお前歩んできた道はお前の都合のいいようになっていたはずだ」

 

 

いや、そんなことはない。

頭に激痛が走ったり、記憶が飛んだり、それだけじゃない。

俺はこの世界に来た日からあった出来事を思い出していく。

思い通りに行かないことなんていくらでもあった。

 

 

「いい加減わかれっての。たっく、じゃあ噛み砕いて説明してやる。お前はこの世界を何のために創った?」

 

「何のためにって……」

 

「忘れたのかアホ。現実逃避のためだろ?でもこの世界に来てからのお前はどうだった?もとの世界に帰るために必死だったろ?でもいつの間にかこの世界はお前にとって居心地の良いものになっていなかったか?」

 

 

まさに核心を突かれた。

 

 

「わかったか?心と行動が反してきたんだよ。戻りたいという気持ち。このままこの世界に身を委ねてしまいたいという気持ち。その2つがお前に周りにいろんな影響を及ぼした。頭が金髪になったのはお前が俺になり変わろうとした結果だ」

 

 

否定することができない。

俺は戻りたかった。でも三浦が由比ヶ浜が皆が俺へ向けてくれている感情を理解するたび、俺の心は揺れ動いていた。

見つけ出せるかもしれないと思ったからだ。”本物”を。

 

 

それがあればもとの世界に戻った時、間違いのない正確な答えを導き出せると思ったから。

 

 

「ようやくわかったか。この世界はお前が妄想を現実に変えた世界。無意識のうちにな」

 

「俺が……やった…のか…?」

 

「そう、全部お前の仕業だ。よく考えてみろ、何が楽しいくてお前みたいなボッチをリア充になんかするかっての。お前はずっと独り相撲してたってことだ」

 

「じゃああの声は……?」

 

 

俺は思い出したように呟く。

そうだ。俺をここへ導いたあの声はいったい何だったというのだ。

俺の問いに”俺”はいとも簡単に答える。

 

 

「さぁな。誰かのせいにしたいというお前の願いが生み出した幻聴だろうよ」

 

「誰かのせいだと?」

 

「そうだよ。それがお前の内側の叫びだ。何が起きても誰のせいにもしてこなかったお前の心の叫びだ」

 

 

俺の心の叫び?

 

 

「そうだ。何があっても己の感情に無視を決め込んで、その化け物じみた理性で抑制してきたお前の感情だ」

 

 

そう言いながら”俺”はゆっくりと近づいてくる。

 

 

「もうやめろ。わかったろ?自分の弱さが。お前はお前が思ってるほどそんなに強くない」

 

 

そんなことは重々承知だ。

お前なんかに言われなくても……。

 

 

「無理しすぎなんだよ。お前は弱い。現実逃避してこんな世界に逃げ込んじまうほどお前は弱い。こんな世界を創った。それこそがお前の弱さだ。認めろ。弱さを認めることが前に進むことなんだ」

 

弱さを認める。

その言葉はやけに俺の中に響いた。

 

 

”俺”は俺の前に立ち、ゆっくりと尋ねてくる。

 

 

「このことについちゃ誰もお前を責めちゃいない。事故みたいなもんだ。なぁ、俺。お前はこの世界で何を見た?何を得た?」

 

 

この世界で俺が見たもの。

それはもう……。

 

 

「あったろ?本物がよ?」

 

 

その言葉に胸を打たれる。

ああ、あったさ。どんなに手を伸ばしても届かなくて、諦めていたものが確かにあった。

 

 

”俺”はニヤリと笑う。

 

 

「でもな、それは俺のもんだ。俺が必死こいて手に入れたもんだ。お前にはやらねえ。帰って自分で手に入れろ。ここで見たもの、得たものがありゃなんとかなるだろ?」

 

「そんなに簡単に……」

 

「ああ、簡単じゃねえよ。はっきり言って無理ゲーだ。でも俺はできたぞ?」

 

 

”俺”は腕を組み得意げに言った。

 

 

「お前にできたからって……」

 

「できる。俺はお前だ。俺にできたんだだからできる。俺からすりゃマジでお前何やってんの?あんなに綺麗で可愛い子が2人もいてくれてるってのにお前何してんの?って感じ。何弱気になってんだよ。屋上に来た時の決意はどうした?」

 

 

”俺”はチャラけたように言う。

しかしその表情をすぐに引っ込めて真剣に問いてくる。

 

 

「じゃあなにか?俺のお下がりでいいなら俺の立場をくれてやるよ。お前が願ってくれれば俺はまたあっちに行ける。俺があの2人と、お前の大事な”雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣”とよろしくやったっていいだぜ?」

 

「それは駄目だ!」

 

 

いつの間にかそう強く言葉にしていた。

 

 

「ならさっさと帰れよ。そんで上手くやれ。もう捻くれんのはやめろよ?」

 

 

畜生。なんだってんだ、こんなオチありかよ。

なんで自分に説教された挙句に励まされなきゃいけねんだよ。これも全部俺の願いってやつなのか。

不意に笑いがこみ上げてきた。たぶんバカらしくなったのだ。自分が。

 

 

そんな俺を見た”俺”は大きくため息をつく。

 

 

「ようやくやる気になったか。あーまじでしんどかった。朝起きたら、なんかロリな小町に”お前はお兄ちゃんじゃない!”とか言われるし、優美子には”はぁ!?マジでキモイんですけど!”でマジ顔で言われるし、いけ好かない葉山とかいうイケメンがいるし、雪ノ下と由比ヶ浜は心配そうに頻りに大丈夫かとか言ってくるし。俺からすりゃ誰だよお前らって感じなのによ。さすがに疲れたわ。戻って来れたと思ったら全く成長してない自分に会うわ、解説させられるわ、説教させられるわで、マジ疲れた。今すぐバタンキューしちゃうまである」

 

「わ、悪い」

 

「別に礼も謝罪も要らねよ。そんなに罪悪感を感じることもねえ。妄想なんて男子高校生の特権みたいなもんだ。いや、男の特権みたいなもんだ。それに俺もなんだかんだ楽しかったしな」

 

「楽しかったのかよ」

 

 

そんな会話をしながら俺たちは笑った。まったく同じ顔をした男2人が笑いあっているのだ。まぁ変な絵だな。

 

 

少しだけ笑った後、俺は尋ねる。

 

 

「どうやったら帰れる?」

 

「ん?そりゃ帰りたいって願えば帰れんだろ?」

 

 

そう聞いて目を閉じようとしたが、ある1つの疑問が浮かんだ。

”俺”はこの世界を創ったのは俺だと言った。ならば俺がいなくなったこの世界はどうなるのだろうか。

 

 

そう思い、再び尋ねようとすると、”俺”は尋ねてくることを知っていたかのように言う。

 

 

「この世界のことは心配すんな。お前がいなくなろうとどうにもならん。それにな」

 

「それに?」

 

 

「この世界はお前が創ったもんだって言ったが、俺は認めない。俺にはちゃんと17年間の記憶がある。優美子や折本、いろはや戸部。俺の大切な人たちが全部お前の妄想で創られたものだなんて俺は信じない。俺は、俺たちはお前があんな妄想をする前からちゃんといた。この世界は存在していた。絶対にだ」

 

 

”俺”は真っ直ぐな瞳でそう言った。

俺にはそれが眩しく見えた。俺にはまだできないから。

 

 

「はぁ、だいぶ引っ掻き回してくれたみたいだな」

 

「ああ、そこそこな」

 

「まぁそれは俺も一緒か」

 

 

なんかいただけない発言が聞こえたように思えたが、”俺”は誤魔化すように笑いながら拳を突き出し、ドンと俺の胸を叩いた。

 

 

「まぁ後のことは気にすんな。こっちのことは俺がなんとかする。だから」

 

「わかった」

 

 

すべて言い切られる前にそう告げる。

言われなくたってもうわかってるんだ。

 

この世界でいろんなものを手に入れた。与えてもらった。

それでちゃんとわかったつもりだ。

今まで見落としていた自分のことも。

 

 

最後に俺がやらかしたことで迷惑をかけた皆に謝れないことが少し心残りだが、それはもう”俺”に任せよう。

 

あの場所に戻るべきなのは”俺”だ。

 

 

「そうか。じゃあまぁもう会うことねえと思うけど」

 

「ああ」

 

 

 

 

そう告げて、俺は目を閉じようとすると、”俺”が思い出したようにポケットを弄り、何かを取り出す。

 

 

「これ、忘れもんだ。返しとく」

 

 

”俺”が差し出してきたのは俺の携帯電話。

手を伸ばし、それを受け取る。今更だが、これを持っていたということは本当にあちらの世界に行っていたんだな。そんなことを思っていると、”俺”が取り繕うように言う。

 

 

「別に中身見たりしてねえぞ」

 

「そんなことかよ。俺ならわかんだろ?別に見られて困るものねえよ」

 

「そ、そうか」

 

 

ここまで余裕な感じを見せていたのだが、なぜか焦った様子でそう言う。

なんだろうか。携帯に見られてまずいものでもできたのか?ああ、メールか?三浦とかとのメールか。

そんなに恥ずかしいものなのだろうか。俺の目の前にいるあ”俺”はまったく俺と同じということではないということか。まぁこれまでの対話がそれを証明しているな。

 

”俺”がどんな恥ずかしいメールのやり取りをしているのかと想像してプッと笑いが出る。

それを見た”俺”はすこぶる不機嫌そうだった。

 

 

「何笑ってんだよ」

 

「なんでもねえよ」

 

 

すぐに笑いを引っ込めて、再度別れを告げる。

 

 

「んじゃな」

 

「おう」

 

 

俺は目を閉じた。

 

 

 

×××

 

 

 

目を閉じて、俺は考えた。

 

 

由比ヶ浜が大人しい文芸少女になっていたのは、文学少女との純愛を妄想したから。

 

雪ノ下が別の高校にいたのは、他校の女子生徒と明るく楽しい恋愛を想い描いたから。

 

三浦や折本、一色。戸部とかその辺が仲良くしてくれていたのはリア充になった自分を想像したからだ。

 

小町が姉貴肌になっていたのは不明だ。いや、マジで。

 

 

材木座がまったくの他人になっていたのはたぶん普段から煙たがっていたからだな。ごめんね、材木座。

 

 

まぁ戸塚はあれだ、あれ。

みんなの夢だ。そういうことにしてくれ。

 

 

ともあれ、オチにしてはどうなのかと思うところだが、まぁ許してくれ。

俺が一番驚いているんだ。

普段から現実逃避ばかりしている俺だか、まさかここまで末期になっているとは思っても見たかった。

 

 

俺のもといた世界から本当に消失していたのは俺だったってわけか。マジで笑えねえ。

俺の代わりをやってた”俺”が何をやらかしているのか少々不安だが、俺も人のことは言えない。

 

 

でもやはり罪悪感は消えない。

こんなことをやらかしてしまった罪悪感は。

でもこれでいいのだ。俺はあの世界でたくさんのものをもらった。だからこの罪悪感も一緒に抱えていくべきだ。

忘れないために。

 

 

 

さぁ帰ろう。

 

 

 

 



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