一色いろは詰め合わせ。 (あきさん)
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一色いろはのお断りをお断りするとどうなるか。

  ×  ×  ×

 

 俺には一色いろはという後輩がいるのだが、こいつはときどき言葉を歪曲して、告白したわけでもないのに振ってくることがある。いつもは適当に聞き流してまともに取り合わずに済ませてきたのだが、ある時心に一つの疑問が生まれた。

 

 ――それは、一色いろはのお断りをお断りし続けるとどうなるか。

 

 しかし、それを実行する機会はなかなか訪れず、半ば諦めていた日のことである。待ちに待っていたチャンスがようやくやってきた。

「せんぱーい」

 奉仕部へと向かう途中、俺の姿を見つけた一色がぱたぱた駆け寄ってくる。

「……なんか用か」

「相変わらずリアクション薄すぎませんかね……」

 ため息を吐きながらも、一色が続ける。

「まぁいいです。で、先輩。ちょっとお願いしたいことが……」

 そして、これが本題とばかりにキラキラとした瞳でいつものようにぐいっと袖を掴んでくる。だからお前のそれ、あざっといっつーの……。

「生徒会の仕事なら手伝わんぞ」

 先読みして言うと、一色が不満げにぷくっと頬を膨らませる。いや、だって仕事なんかしたくないし……。ていうか、手伝ってもらうことを前提にするのそろそろやめなさいよ、ほんと……。

「いいじゃないですかー。先輩、どうせ暇ですよね?」

 どうやら俺に予定があるという考え自体がないらしく、首を傾げたままきょとんとして尋ねてくる。相変わらずだな、こいつ……。まぁそれはさておき、ここからどう誘導するかだが……。

「お前、もうすぐ二年になるんだろ?」

「……はぁ、それが何か?」

 一色が「いきなり何言ってんだこいつ……」というように胡乱げな表情をした。ムカつく顔だが、今は我慢だ我慢……。

「だから、俺に頼らなくても何とかできるようになりなさいよ」

「う……」

 その言葉に、居心地悪そうに目を逸らして一色が身を捩った。

「お前なら出来ると思うぞ。しっかりやれよ、生徒会長」

 自分の中で精一杯の微笑みを浮かべる。よし、これで後はこいつが食いついてくれれば完璧だ。

「い、いきなりなんですか口説いてるんですかでもそんなありきたりな言葉じゃちょっとしかときめかないですごめんなさい」

 距離をとってわたわたと大げさに両手を振る仕草に、見事引っかかってくれたなと内心でほくそ笑む。っつーか、よくよく聞くともう断ってねぇなこいつ……。まぁ、今はそのことはとりあえず置いておこう。

「こっちこそお断りだけどな……」

「えっ……」

 聞こえるか聞こえないか程度の声量で呟くと、一色の顔が歪んだ。え、なにその反応……。

「あ、あの……」

「いや、なんでもない」

 つい本音がとばかりにあたふたとしつつ顔を背ける。本来ならこれが演技だと見抜けるレベルではあると思うのだが、動揺しているのか、一色はただおろおろとするだけだった。

 あまりのうろたえっぷりに思わず意地の悪い笑みがこぼれそうになるのを我慢していると、一色がしょんぼりとしながら、今度は袖をちょこんとつまんできた。……あ、あの、一色さん? なんでそんなに落ち込んでるのん?

「先輩、もしかして、怒ってますか……?」

「別に怒ってねぇよ。だから、離せ」

 つっけんどんな俺の態度に、一色が肩をびくつかせる。う、うーん、なんかもう可哀想になってきた……。雑に扱いすぎてるかな……。しかし、ここまできたらもう後には引けないと自分に言い聞かせ、つまんでいる手を振りほどく。

「じゃあな」

 そう言って場を離れようとすると、一色は縋りつくように再度手を伸ばそうとしてきた。だがそれは届くことはなく宙を切って、力なくだらりと垂れ下がる。

 そんな一色のどこか寂しげな視線を背中に受けながら、俺は止めていた足を動かして奉仕部へと向かった。ご、ごめんないろはす……。でも、出来心には勝てなかったよ……。

 

 まず、一回目の結論としては。

 一色いろはのお断りをお断りすると、彼女はしょんぼりとしてしまう。

 とりあえずは、こんなところだろうか。

 

  ×  ×  ×

 

 翌日の昼休みのこと。

 廊下ですれ違った一色が、顔色を伺うようにちらちらと見てきた。その視線を無視してベストプレイスに向かっていると、背後から足音が近づいてくる。

「せ、先輩、待ってください」

 一色の慌てたような声に足を止め、首だけ振り返る。

「なんだ」

「あ、あの、昨日は失礼なこと言って、ごめんなさい……。謝りますから、その、手伝ってもらえませんか……?」

 俯いて声を震わせながら、一色が先日の謝罪を口にした。

 実際、一色は普段通り接してきただけでそういう意味では彼女に何も非はない。きっと、俺のためにあれから散々考えて、自分の何がいけなかったのか、どうして俺が怒ったのかを振り返っていろいろと反省していたのだろう。少なくとも、表情にはそんな色がある。

「気にするな、お前が悪いわけじゃない」

 そう、これは俺の興味本位だ。ただ単に俺の好奇心を満たす行為でしかない。それだけのために振り回され、しおらしくなってしまった姿に罪悪感を覚えなくはないが、俺もこいつには散々振り回されているし、まぁ、おあいこってことでいいよね? むしろおあいこにしないとさすがに心がですね……。

「じゃ、じゃあ……」

 一転して、一色の表情が明るくなる。そして、期待に満ちた色を瞳に滲ませてこちらを見つめてくる彼女にうむと頷き、口を開く。許して、いろはす……。

「いや、手伝うつもりはない」

「えっ……」

 予想外だったらしく、一色がぽかんとした顔をする。その後、ようやく状況が飲み込めると瞳を揺らしながら、「えっと、えっと……」と繰り返し呟き始めた。なんだそれ可愛いなお前。

 ついつい庇護欲がかき立てられ手を差し伸べてしまいそうになるが、なんとか抑え込み、どうしたらお断りを引き出せるか考えを巡らせているとふと気づく。

 もし、俺の仮説が正しければきっと。そう思い、混乱している一色に口元を緩めてかっこつけながら言葉を放つ。

「昨日も言ったが、今のままじゃお前のためにならないんだよ」

 聞くなり、一色がぴくっと肩を震わせた後、くわっと目を剥いた。

「なんですか口説いてるんですかそうやってまたわたしのためとかいってポイント稼ぎですかでもさすがに露骨すぎるのでできればいい雰囲気の時にお願いしますごめんなさい」

 ……もしかしてこいつ、複雑なようで案外単純なのでは。しかもやっぱり断ってねぇし。

「だから、こっちだってお断りだっての……」

「……あう」

 昨日と同様にかすかに聞こえるくらいの声で呟くと、くしゃりと顔を歪め、一色が泣くような声を漏らす。……そ、そろそろやめたほうがいいのかな? なんか本気でへこんでるっぽいんだけど……。

「じ、時間なくなるし、もう行くわ」

「あっ……」

 口を開けては閉じてを繰り返す一色をその場に残したまま、俺はベストプレイスで昼食をとることにした。……フッ、比企谷八幡はへたれて去るぜ。

 

 ニ回目の結論としては。

 一色いろはのお断りをお断りした後にもう一度お断りすると、彼女はどうしたらいいかわからなくなるようだ。

 

  ×  ×  ×

 

 その日の放課後、奉仕部で本を読み耽っている最中、こんこんとノックの音がした。タイミング的に一色だろうなぁ……。むしろあいつ以外ありえないまである。

「どうぞ」

 雪ノ下の声に、やや遠慮がちに扉が開かれ、一色いろはが姿を現した。……やっぱりなぁ。

「こ、こんにちはですー……」

 いつもの馴れ馴れしさはどこへやら、そわそわと落ち着かないご様子。こいつも普段からこのくらい控えめなら可愛い後輩って認識なんだけどな。や、まぁなんだかんだ面倒見ちゃう俺も俺だけど。

「こんにちは、一色さん」

「いろはちゃん、やっはろー!」

 雪ノ下と由比ヶ浜が挨拶を済ませるのを見届けると、手元のラノベに視線を戻す。一色は何も言わない俺にちらちらと視線を送ってきてはいるが、全て無視する。……気まずい。

「あ、あの、今日は、先輩に用があって……」

「断る」

 声のするほうに瞳の先を合わせることなく、淡々と短く返す。

「ヒッキー、どしたの? なんかいろはちゃんに冷たくない?」

「いや、別になんもないぞ」

 不穏な空気を感じ取ったのか、由比ヶ浜が不思議そうに尋ねてきた。そう言われても、俺は別に一色のことが嫌いなわけではない。俺はただ、お断りをお断りし続けているだけなんだ。……もう心臓が持たなくなってきてるけど。

「……部長命令よ。行ってあげなさい」

 本のページを繰る手を止め、雪ノ下が目を伏せながらそんなことを言ってきた。

「ゆ、雪ノ下先輩……」

 思いがけない援護射撃に、一色が瞳をうるうるとさせる。

「もし、それを断ったらどうなる」

「平塚先生に報告するわ」

 勝気な笑みをこちらに向け、雪ノ下が言う。平塚先生を引き合いに出されると強制力が働いてどうしようもない。なぜなら、俺が物理的に死んでしまいかねないからだ。

「ちっ、わかったよ……」

 しぶしぶ承諾し、鞄を手にして席を立つ。

「いってらっしゃーい」

 お菓子をぽりぽりと食べている由比ヶ浜に見送られる中、部室を後にする。

「あ、あの、生徒会室に……」

「わかった」

 身体をふるふると震わせて一色が口を開いたので頷き、生徒会室へ向かうことにする。そ、そこまで怯えなくてもいいんじゃないかな……。や、俺のせいだけどさ……。

 とぼとぼ歩く一色の姿に胸のあたりをちくちくと刺されるような錯覚に陥りながらも、歩調を合わせて昇降口へと続く廊下を歩いているうちに生徒会室に着いた。

 促されるまま中に入ってみれば他の役員の姿はなく、毎度のように俺と一色の二人だけ。いやだからなんでいつも他の役員いねぇんだよとため息を吐く。

「……先輩」

 一色が後ろ手で扉を閉め、弱々しく俺を呼んだ。その直後、不意にぽとりと床に滴が落ちる音がした。なーんか、嫌な予感がする。嫌な予感しかしなくてやばい。

「わたしと一緒にいるの、そんなに嫌、なんですか、うぇっ……」

 ……今こいつうぇって言った? なんだかやけに幼すぎる声音に手遅れな感じがしつつも目を向ければ、一色が顔をひくひくとさせながら大粒の涙をこぼしていた。俺、もしかしなくてもやらかしたよねこれ……。

「ひっ……」

「お、おい、一色……?」

「せ、せんぱいに、ひぐっ、わたし、嫌われ、っ、……うぁぁぁぁん!」

 こらえきれなくなったのか、一際大きな声をあげて一色が泣き出した。ねぇ待ってガチ泣きするとか聞いてないんだけど……。

 さすがにこれはまずいと思い、なんとかなだめようと彼女の頭に手を乗せる。

「お、俺が悪かった。だから、泣き止んでくれ……」

 よしよしと小町にするように優しく頭を撫でさすると、一色が力いっぱい抱きついてきた。瞳を潤ませたまま顔を上げた彼女には、いつものあざとさは見えなかった。

「せ、せん、ぱい、わ、わたしの、こと、嫌い、じゃないん、ですか……?」

「ああ、嫌いじゃないぞ」

 ぽふぽふと頭を軽く叩くように最後に一撫でしたところで、一色はようやく泣きやんでくれた。よ、よかった……。こいつが泣いているのを誰かに見られてたら、問答無用で俺が悪者になっていたところだった……。いや、まぁ、どっちにしろ俺が悪いことには変わりないんだけど……。

「なんですかそうやってまたわたしの傷心につけこんで口説こうとしてきて一体なんなんですかなにがしたいんですか嬉しいですけどごめんなさい」

「いやそれは絶対ないから安心してくださいごめんなさい」

 涙を流しているにもかかわらずなおもお断りしてくる生意気な後輩に、ついもっといじめたくなり彼女の真似をしてお断りのセリフを吐く。……ふっ、俺のターンはまだ終了してないぜ!

「………………な、な」

 な?

「な、なんで口説いてくれないんですかわたしの何が気に入らないんですか」

 肩をわなわなと震わせ、俯きつつも一色が尋ねてくる。いや、そもそもなんで最初から俺が口説く前提なのん?

「なに? お前は俺に口説いて欲しいの?」

「えっ、あ、いや、別にそういうわけじゃないというか、そういうわけというか……」

 なんだかよくわからないことを言いながら、そしてもじもじと身を捩りながら一色が俺をちらちらと見てくる。仕草はあざといくせに、今のこいつなんか素っぽいんだけど……。

「どっちなんだよ……」

 本当、こいつはよくわからない。思わず呆れたような顔をしてしまった。

「や、やっぱり、先輩、わたしの、こと……」

 そんな表情をしている俺を見て、一色が小さな嗚咽を漏らし始めまた目を潤ませる。……あーもう、これ以上こいつを泣かせてもしょうがないし、俺の負けだな。ていうか、これ以上は俺がもう無理。マジ無理。

「だから、別に嫌いじゃねぇよ」

「じゃ、じゃあ、どうして、どうしてわたしじゃだめなんですかー!」

 俺の言葉に駄々っ子のようにぽろぽろと涙を流して逆ギレしながら、一色が俺の胸元に顔を埋めてぽかぽか叩いてくる。なんだそれやっぱり可愛いなお前。

 すんすんと鼻をすすっている一色を見て、明らかにやりすぎたなと反省しつつ彼女の頭にもう一度手を触れさせる。

「本当にお前が嫌いだったら、こんなことしてねぇから」

「ぁ……。ぐすっ……、はい……」

 普段のあざとさがすっかり抜けてしおらしくなってしまった一色の姿に、今度こそ手を差し伸べる。こんなこと言うのはらしくないが、俺の勝手で泣かせてしまった可愛い後輩へのせめてもの罪滅ぼしとするか……。

「責任、とってやる」

「ふぇ?」

 涙を目じりに残したまま気の抜けた顔をする一色に、ふっと微笑みかける。

「責任、とって欲しいんだろ」

「……はいっ!」

 それを聞いた一色は、満面の笑みを浮かべて抱きつく力を強めてきた。俺もそれに応えようと彼女の背中にそっと手を回し、優しく包む。……こいつの身体、華奢なくせにやわらけぇな。

 

 この後、めちゃくちゃご奉仕した。

 

 最後の結論。

 お断りを重ねられてどうしたらいいかわからなくなってしまった一色いろはは、余裕がなくなったのか、すぐに泣き出してしまうようだ。

 

 そして、罪悪感からうっかり白状してしまった俺に一色が更に責任追及してきたことで、彼女と正式に付き合い始めるようになったのはまた別の話である――。

 

 

 

 

 




それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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一色いろはは先輩に可愛いと言ってもらいたい。

※いろは視点です。


  ☆  ☆  ☆

 

 ――俺は、本物が欲しい。

 

 涙声の、かすれた情けない先輩の声。それでいて、どこか胸の内に秘めていたものを吐き出したような声。奉仕部で起きた、わたしを変える原因になった出来事。

 その時から、もやもやとした気持ち抱くようになって。

 葉山先輩が好きなはずなのに、その頃からなぜか先輩ばかり目で追うようになっていた。理由を作っては、または隙を見つけては、先輩に近づいていく自分がいる。

 わからないから、知りたくなった。知ろうとして葉山先輩に告白してみたものの、やっぱり振られちゃったわけで。

 その事実は悲しくて辛いはずなのに、間違いようのない失恋のはずなのに。心のどこかでほっとしている自分に気付いてしまった。

 先輩にはいつもいつも「あざとい」と言われ、最初はそれが癪だった。でも、いつの間にか「可愛い」と言って欲しいと思うようになってしまっていて。

 一色いろは、一生の不覚だった。

 今のわたしは、完全に恋する乙女。最初は、腐った目をしたどうでもいい人だったはずなのに。海浜総合高校との合同クリスマスパーティーの時から、ちょーっとだけ、ほんのちょこーっとだけ興味が湧いていたのは認めるけどさ、うん……。

 と、そうやって否定しようとしても、心が許してくれなかった。……はぁ、ここまできたらもう認めるしかないよね。

 ……よしっ! だったらぜったい、ぜーったいわたしのことを「可愛い」って先輩に言わせてやる!

 

 一人、そんな決意をした夜だった。

 

  ☆  ☆  ☆

 

 次の日。

 奉仕部へ向かおうとする先輩を掴まえて、強引に生徒会室に連れ込む。他の役員は大した仕事もなかったために、是非ともお休みしてもらうことにした。ふふっ、邪魔者もいない今度こそ可愛いって言ってもらいますよ。

「で、何すりゃいいの」

 もはや定位置となった椅子に腰掛けて、やれやれとため息交じりに先輩が声をかけてきた。んーまぁ、ぶっちゃけ今日は手伝ってもらうほどの仕事じゃないんだけど。

「じゃあ、これをお願いしますー」

 めんどくさそうに書類を受け取った姿を横目に見つつ、考える。

 ……わたし、なんでこんな人好きになっちゃったんだろ。あーでも、葉山先輩みたいにキラキラしたさわやかなスマイルで「いろは、手伝うぞ」なんて言われても、それはそれで引くかも。や、でもでも先輩に名前で呼んでもらえるのは嬉しい、かな? ……っていやいやそうじゃなくて!

「なにお前、どしたの?」

 脱線した思考のレールを戻すために首をふるふる振っているわたしを見て、まるで奇妙なものを見るような目をしながら先輩が眉をひくつかせていた。

「なんですかその顔……」

「いやだってお前、突然首振り出したら何かと思うだろ」

 うん、それは否定できない。でもいろいろ妄想していたなんて正直に言えるわけない。

「一色?」

「あ、や、な、なんでもないですからっ! ……それよりわたし、先輩に聞きたかったことがあるんですよー」

 はっとしたわたしは咳払いで誤魔化しつつ、本題に入ることにする。そんなわたしに先輩が何だよと言いたげな視線を送ってきたので、頷きを返す。さぁさぁ、作戦開始ですよ!

「前に葉山先輩に好きな女の子のタイプを聞いてみたことがあったんですけど、答えてくれなかったんですよー」

 もちろん嘘だけど。

「……………まぁ、そりゃそうだろ」

「なんですか今の間……。あ、もしかして何か知ってるんですかー?」

 もう葉山先輩のことはどうでもいいんだけど、これはある意味チャンスだ。そう思ったわたしは先輩の腕を両手で掴み、ゆさゆさと揺さぶる。

「知らん知らん、だからやめろ離せ」

「ほんとのこと言ってくださいよー。ねぇ、せんぱーい!」

 ここぞとばかりに出来る限りの甘ったるい猫なで声を出し、先輩の身体を揺すり続ける。

「だから知らんっての……。っつーか、もし知ってたとしても、それは俺が勝手に言っていいことじゃねぇだろ。あとあざとい」

 あ、また言われた。くそー……。

「むー」

 その言葉に、ついつい頬をぷくっと膨らませてしまう。不満なのはもちろん葉山先輩のことじゃなくて、あざといと言われたことだけど。

 不満は残るが、大事なのはここからなので今は話を進めることにして。

「まぁ、しょうがないのでそこは自分で考えます」

「協力できなくて悪いが、そうしてくれ」

 わたしのおねだり攻撃に疲れたのか、先輩は長々とした息を吐く。でも残念ながらここで終わりじゃないんですよ!

「じゃあ参考にするので、先輩の好きな女の子のタイプを教えてください」

「……は?」

 返しがあまりに予想外だったらしく、素っ頓狂な声をあげて先輩が固まってしまった。

「……先輩?」

「あ、ああ悪い。ていうか、近いんだが」

 ずいっと顔を近づけると、先輩が居心地悪そうに身をのけ反らせる。……あっ、先輩のほっぺが赤い! ってことは、女の子として少しは意識してくれてるってことでいいんだよ、ね?

 ……まぁ、わたしも顔が熱い、気がする、けど。

「一色、とりあえず離れてくれ……」

 身体を傾けたまま、ぽしょりと先輩が呟く。……うん、とりあえずこのままだと話が進まなそうだし、一回離れたほうがよさそうだ。わたしも恥ずかしくて限界だし、そうしよう。

「で、一応聞くがなんで俺の好みを知る必要があんの?」

「それはですねー……」

 意味ありげに言葉を区切り、こほんと二回目の咳払い。そして、ぴっと人差し指を立てつつ説明する。

「いいですか? 前に雪ノ下先輩も言ってたように葉山先輩と先輩は正反対なんですよ。つまり、先輩の好みがわかれば必然的に葉山先輩の好みもわかるということですよ」

 自分でも無茶苦茶な、単なるこじつけだと思う。まぁそれがわたしだし、似たような前例もあったし、先輩に対しては無理を貫いてきたし、大丈夫、大丈夫ー。

「あぁ、そういうこと……」

 納得がいったように、先輩が小さく頷く。

「はい! ……というわけで、どんな女の子がいいですかー?」

「小町だな」

 改めて同じ質問をすると、ふっと笑いながら先輩が即答する。

「あの、そういう意味じゃないんですけど」

「それでも、答えは変わらん」

 じとっとした視線で睨みつけてみても、口をへの字にされただけだった。

「はぁ、先輩がシスコンなのはわかってましたけど……」

 予測していた通りのまったくブレることがない回答に、呆れたため息を吐きながら肩を落としてしまう。あーもうほんとこの人はー……。

「もういいです、先輩のばか」

「何拗ねてんだよ……」

「拗ねてません!」

 目をつぶり、んべーっと舌を出してから止めていた仕事を再開させる。つーんとしているわたしを見て、なんなんだこいつと言いたげな表情を浮かべた後、先輩もしぶしぶ手を動かし始めた。

 

 ……はぁ。

 うまくかわされちゃったし、作戦考え直さないとだめだなぁ。

 

  ☆  ☆  ☆

 

 次の日の朝、いつもより少しだけ早起きして先輩が来るのを待つ。

 多少いじったりはするものの、基本的にわたしは髪の毛はおろしたままのナチュラルな感じにしている。

 でも、今日は違う。

 両サイドの後ろ髪をまとめ、長さが足りない分はわたしなりにアレンジした、いわゆる二つ結びのような髪型にしている。

 いつもなら小悪魔的なイメージがあるわたしだけど、清純なイメージにしたらどうなるかという実験も兼ねて、この作戦をとることにした。

 先輩はわずかな変化に気付くタイプだし、何かしら言ってくれるんじゃないかと思っている。

 も、もしかしたら今度こそ可愛いって言ってくれるかも……?

 わくわくという期待、そしてどきどきとした緊張を胸に抱えながらきょろきょろしだした時、待ち人の姿が視界に飛び込んでくる。

「せんぱーい!」

 ぶんぶんと大げさに手を振って存在を主張すると、先輩は自転車を降りてゆっくりとこちらに歩いてきた。……なんでそんなに嫌そうな顔するんですかね。さすがに傷つくんですけど。

「……こんなとこで何してんのお前」

「やだなー、先輩を待ってたに決まってるじゃないですかー」

 覗き込むように顔を見上げながら、はにかんでみる。けど、あぁそうと言われただけで全然効果がなさそうだった。

「それで何の用だ」

 えっ。

「あ、あの……」

 なんと言おうか迷っているわたしに、ちらと目を向けながら先輩が言葉の続きを待つ。が、その時に予鈴のチャイムが鳴り響いてしまう。

「あぁ俺もう行くわ。ほれ、お前も急げ」

 そう告げて、自転車をとめた先輩は校舎の中に歩いていく。ぽかんと口を開けたままでいるわたしを気にして、何度か足を止めてくれている。

 そのことは嬉しいけど、けど。

 ま、まさかの無反応とか……。

 

 その日の昼休み。

 やっぱりあのくらいじゃインパクトが弱かったかなーと思ったわたしは、二つ結びでついてしまったクセを必死に直し、サイドアップに髪型を変えてみる。たぶん、これなら先輩も反応してくれるよね?

 一人心の中で意気込みながら二年F組を目指し歩いていくと、その途中で先輩とばったり出くわした。

「あ、先輩」

「よう、一色」

 挨拶はしてくれたものの、わたしの髪型に対しての反応はいつも通り。……さすがにへこみそう。

「じゃあな」

 そして、早々にこの場を離れようとする先輩。

「ちょちょ、ちょっと待ってください!」

 がしっと腕を掴んで引き止めると、先輩は困ったような表情を浮かべてしまう。……あれ? もしかして本気で嫌がってる?

「悪い、平塚先生に呼ばれててもう行かなくちゃいけねぇんだ」

 あ、そういうこと……。内心嫌われてなくてよかったとほっとしつつも、わたしにまったく興味を示してくれないことに、しょんぼりとしつつも。

「じゃ、じゃあ放課後、生徒会室に来てくれませんか?」

「また手伝いか? はぁ、しょうがねぇな……」

 んじゃまた後でと言い残して、先輩が職員室がある方向へ歩いていく。

 結局、髪型については何一つ触れてくれなかった。

 

 そして放課後。

 もはや女の子としてのプライドというか、意地というか、半分やけくそ気味に後ろ髪をあげて、ちらりとうなじが見えるガーリーハーフアップに髪型を変えてみる。

 いい加減、反応して欲しい。

 そして、来るのが遅い。

 遅くなるなら連絡くらいくれたっていいのにと考えたところで、連絡先を聞いていなかったことを思い出した。でも、聞いたところで教えてくれなさそうな気がするのは否定できなくて。

 まぁ、今までを考えれば自業自得かなーとも思いつつ。

 ……ほんともう、なんだかなぁ。

 もんもんやら、むかむかやらがいろいろ混じったため息を何度か吐きながら待っていると、生徒会室の扉ががらっと音を立てて開かれた。

「先輩、おっそーい!」

「すまん、ホームルームが長引いた。ってそんな遅くねぇだろ」

 実際には授業が終わってから数十分も経っていない。わたしの頭の中に流れている時間が、時計が示す時間と違うだけ。

「それでも女の子を待たせるのはポイント低いですよー?」

「いや、ホームルームはしょうがないだろ」

「まぁそうですけど……」

 むむむと唸るわたしに先輩は呆れたような顔をする。ただ髪型についてはやっぱり何も言ってくれないし、すっとぼけてるんじゃ? ってくらい、そのことに触れようとしない。

 ……よくよく考えたら、充分に有り得る。よしっ、聞いてみよう。

「先輩、気付いてないフリですよね?」

 ……あっ、目を逸らした。ふふん、ならここからはわたしのターンですよ!

「そうなんですね?」

 にやりとしながらじりじり詰め寄ると、先輩がうぐっとくぐもった声をあげて後ずさる。それを繰り返して壁際まで追い詰めた時、観念したように視線を逸らしながら先輩が口を開く。

「わ、悪かったって。でもほら、わざわざ言うもんじゃあないと思ってたからよ……」

 顔を真っ赤にしながら、先輩がぽしょりと言い訳をした。

 ……うーん、あともう一押し、必要かな。

「なら答えてください。こんなわたし、どうですか?」

「あ、ああ、悪くないんじゃねぇの。つかマジで近い、近いから」

 その言葉を聞き、胸元に手を添えすーはーと深呼吸してから、わたしは身体をより近づける。そのまま先輩の腰に腕を回し、手先にある制服の裾をきゅっと掴む。

「……じゃあ、わたしは、……可愛い、ですか?」

 密着した状態で、熱っぽく、切れ切れに囁く。

 わくわく。

 どきどき。

 いくらかの間の後、すぅと先輩が息を吸った音。その瞬間、こんこんとノックの音が響く。

 ………………あともうちょっとだったのに。

「ちっ、どーぞー」

「はぁ……」

 舌打ちをしつつも離れたわたしに、先輩がほっとして肩の力を抜いていた。その様子に、なーんかなーと不満を漏らしつつも、開かれた扉に視線を移す。

「こんにちは」

「やっはろー!」

 そこから現れたのは、雪ノ下先輩と、結衣先輩だった。

 ……あーもう、なんでこうタイミング悪いかなー。そう心の中で愚痴を言いつつも、思考のスイッチを切り替える。

「お二人とも、こんにちはですー」

 いつも通りに挨拶を返したところで、もう一つ見落としていたことに気付いてしまう。けど、もう遅かった。

「……二人は何をしていたのかしら」

「あ、あはは……」

 お互いに顔を真っ赤にしたままのわたしと先輩に、冷ややかな視線と気まずそうな表情がそれぞれ飛んでくる。

 やばっ、めんどくさいことになる前になんとかしないと……。

「な、なななんでもないですよ?」

「うんなんでもないからほんとなんでもないから」

 そして口から出ていったのは、明らかに焦りを滲ませている、まくし立てるような言葉だった。

 ……あ、いつもの癖でつい。ていうか、なんで先輩まで。

 

 結局、わたしと先輩が二人仲良く動揺してしまったのが原因で、それ以降は雪ノ下先輩と結衣先輩に問い詰められるはめになった。

 濁したり、誤魔化したりしてなんとかかわしていたものの、最終的に生徒会の手伝いという名目の監視体制を敷かれてしまったせいで、あれっきり何も進展させることはできなかった。

 いいところを邪魔され、さらには寸止めを食らわせられ、ただでさえもやもやしていた気持ちが一気に膨れ上がっていく。

 あー、もう。

 なんでいっつもこうなるの。

 雪ノ下先輩のばか。

 結衣先輩のばか。

 ついでに先輩のばか。

 ………………うがーっ!

 

 その日の夜は、あまり眠れなかった。

 

  ☆  ☆  ☆

 

 またまた翌日の放課後。

 睡眠不足のせいで普段より少しだけ寝坊してしまい、今日は先輩を待ち伏せすることができなかった。さらには急ぎ足で準備を済ませたため、普段どおりのナチュラルヘアのまま。

 どうしてこううまくいかないんだろう。

 もやもや、むかむかがどんどん増していく。

 一人でうーうー唸っていると、生徒会室の扉が開かれ先輩がやってきた。……まぁ、わたしが呼び出したんだけど。 

「よう……ってお前、すげぇ眠そうだな。何かあったのか?」

 やや虚ろ気味なわたしの表情を見て、心配そうに声をかけてくる。

「まぁ、いろいろありまして……」

 恋煩いのせいでまともに寝れなかった、なんて素直に言えるわけもなく。

 でも、すっとぼけられたり邪魔されたりして、心の距離をなかなか縮めることができないことに焦りを感じているのも、また事実で。

 だから、もう我慢できなくなりつつもあって。

「先輩」

「ん?」

 立ったままの先輩の胸元に、おでこをこつんとぶつけた。

「ちょっ、何を……」

「昨日の続き、聞かせてもらえませんか」

 逃げないように、逃がさないように、先輩の制服の裾をぎゅっと掴み、弱々しく呟く。

「……なぁ、どうしてそんなに知りたがるんだ?」

「じゃあ、どうしたらわたしのこと、可愛いって言ってくれるんですか?」

 先輩の問いかけを無視して心の中の思いを紡ぎ、吐き出した。

 しばらくの間、空白が流れる。その静けさにどんどんいたたまれなくなり、早まったかなとため息を吐きかけた時だった。

「その、なんだ」

 緊張が混じったような先輩の声音に、思わず顔を上げる。

「何を考えていろいろ試してたのか知らんが、まぁ、そのままのお前の方が可愛いと思うぞ、うん」

 頭をがしがしと掻きながら、ふいと顔を逸らしつつも。

 不器用な言い方でも、やっと可愛いと言ってもらえた。

 その報われたような言葉に、心の底から涙と喜びがじわじわこみ上げてきて。

「なんですかそれ口説いてるんですかあまりに嬉しくて幸せなのでよかったらわたしと付き合ってくださいお願いします」

 …………ついつい告白しちゃった。

 あー。

 どうしよう。

 何か言って欲しい。

 沈黙が、辛い。

「……本気か、それ。第一葉山はどうしたんだ」

 しばらくしてから、困ったような、疑っているような眼差しをわたしに向けてきた。

 ……ここまで来たら、後には引けない。

 大きく息を吸い込み、吐き出して覚悟を決める。

「言ったじゃないですか、わたしも本物が欲しくなったって」

 そう告げて、ちょっとだけ背伸びして。

 わたしの唇を、そっと、先輩の唇に触れ合わせて。

「これが、わたしの気持ち、です」

 ずっと大切にとっておいたわたしのファーストキスを、先輩に捧げた。

 後悔なんて、するわけない。

 だって――。

「お、お、お前……」

 記憶の中から一つ一つの出来事を引っ張り出して、繋ぎ合わせ、噛みしめながら。

「好きです、先輩。大好きです」

 顔を赤くしながらも、真剣に、はっきりと気持ちを伝える。

「……お前なら、もっといいやつがいると思うんだが」

 そんな人なんて、いない。

 あの言葉を聞いてしまった時から、何度思い返しても、いつだって頭に浮かんでくるのは。

 爽やかな笑顔や、何でもそつなくこなす、かっこいい葉山先輩の姿なんかじゃなくて。

 超めんどくさそうな顔をしつつも、なんだかんだわたしのわがままを聞いてくれる、捻くれた先輩の姿だから。

「わたしは、先輩がいいです。先輩じゃなきゃ、だめなんです」

 この思いだけは絶対に譲れない。そんな言葉なんかに負けたくない。

「………………はぁ、わかった。俺の負けだ」

 諦めたように一つ息を吐き、先輩が言葉を続ける。

「こういう時なんつったらいいのかわからんが……まぁ、よろしく頼むわ」

 その答えを聞いて、わたしは言葉を返さずに。

 もう一度、先輩の唇に自身の唇を寄せて、心からの気持ちを返した――。

 

  ☆  ☆  ☆

 

 その日からわたしと先輩は付き合い始めるようになり、今は楽しい日々を過ごしている。

 わざわざお願いしなくても生徒会の仕事を手伝ってくれたりするし、毎日下校する時に寄り道デートをしたり、お休みの日は先輩の家にお泊りなんかしちゃったりして。

 あ、あと、その、いろいろあんなことやこんなこととか……。

 ……えへへ。

 らぶらぶなわたしと先輩を見て、奉仕部の二人はとても悔しそうな顔をしていたけど。

 

 恋は戦争なんですから、うかうかしてるほうが悪いんですよ?

 ねっ? せーんぱいっ!

 

 

 

 

 




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わたしの、先輩。

※いろは視点です。


  ☆  ☆  ☆

 

 冬の名残ともいえる肌寒さを感じる、三月の初めのこと。二年連続で生徒会長へ就任したわたしは今、生徒会室で一人うーんうーんと頭を抱えていた。その原因は、もうじき迎える卒業式の送辞原稿について。

 去年はせんぱ、奉仕部の手助けもあって無難に終わらせたものの、今年はわたし一人でなんとかするしかない。そのため、こうしてインターネットで見本を漁りつつペンを握ってはいるのだが、とある超個人的な理由のせいで未だ空白のまま。

 もどかしさからくる苛立ちに、原稿の白紙部分をペンの先で一定のリズムでとんとんと叩く。ただそうしたところで文字が浮かび上がってくれるはずもなく、無機質な音が虚しく響いただけだった。

「はー、駄目だー……」

 もう無理マジ無理と机に突っ伏し、ぐでーっとしながら置時計を確認する。すると、数分後には一日の学校生活が終わることを知らせるチャイムが鳴ってしまうことがわかった。

 ……結局、今日も全然進まなかったなぁ。はーっと大きく息を吐き、諦めてパソコンの電源を落とす。

 と、その時ちょうど生徒会室の扉ががらっと勢いよく開かれた。

「失礼するぞ」

 進捗確認ついでに様子を見に来たらしく、平塚先生が白衣をはためかせながら中へ入ってくる。

「……先生、ノックくらいしてくださいよー」

「おや、ついに一色まで雪ノ下みたいなことを言うようになってしまったか」

「なんですかそれー……」

 からかいの色の含ませた声で言われ、むーっと唇をとがらせた。だが、こちらの不満具合など気にもせずに平塚先生は続ける。

「で、どうだね調子は? いい加減そろそろ提出してもらわんと困るのだが」

 腕を組み、平塚先生がじーっと見つめてきた。問いただす瞳に耐え切れず、わたしはおどおどきょろきょろと目が泳いでしまう。

「……あ、え、えーっと、……あはっ」

 実質悪あがきに他ならない時間稼ぎの末にきゃぴるんっと笑って誤魔化すと、平塚先生が盛大にため息を吐いた。や、だってわたしにもいろいろと私じょ、事情がありましてですね……。

「最近はしっかりやっているなと感心していたんだがなぁ……」

「す、すいませーん……」

 書きたくないとか、やる気がないとかそういうわけじゃないんだけど。でも、結果的に時間の余裕をなくしてしまっているのはわたしだ。

「というより、何をそんなに手間取っている? 去年使った添削済みの原稿だって君は持っているはずだし、書き方や見本だってネットを探せばいくらでも転がっているだろう?」

 はい、仰るとおりです。返す言葉もないです。ていうかさっきまで見てました。

「も、もうちょっとだけ待ってください! 絶対なんとかしますから!」

「一色、先週も今とまったく同じことを言っていたな?」

「………………それは、まぁそうなんですけど」

 参ったなー、見逃してくれないかなー、でもだめだろうなー。顔をぷいと逸らし、ばつが悪そうに口の中だけでもにょもにょ呟く。

 あ、平塚先生に事情を説明して……や、だめだ、それじゃここまで悩んだ意味がない。でも正直手詰まり感は否めないしー……うーん、どうしたらいいんだ……。

「うすうす気づいてはいたが、何か理由があるようだな」

 ああでもないこうでもないと考えていたのが顔に出てしまっていたらしく、平塚先生はふーむと顎に手を当て納得したように頷いた。

「仕方ない、そういうことならもう少しだけ待とう」

 その言葉を聞き、わたしは一転してほくほく笑顔になる。やったー! また締め切り延びたー!

「ありがとうございますー!」

「ただし!」

 ほわぁと心が軽くなったわたしを叩き落すかのように、平塚先生がぴしゃりと言って続ける。

「どうして詰まっているかを私に説明してみたまえ。それが条件だ」

「……へ?」

「随分と悩んでいるみたいだからな。なに、教師らしくアドバイスの一つくらいしてやれればと思っただけさ。まぁ、単なる私のお節介だよ」

 あぁ、なるほど。思い悩む生徒のために一肌脱ごう的なやつですか。うーんでもなー、話してみろって言われると逆に話したくなくなるというか、なんというか……。

 別の意味で頭を唸らせていると、平塚先生は一度くすりと笑ってそのまま言葉の先を繋げる。

「もちろん断ってくれてもいい。その場合、締め切りの延長はなかったことになるがな」

 ……ずるくないですかね、それ。がっくりと肩を落とすわたしに平塚先生は今度はしたり顔で微笑み、「さてどうする?」と視線で尋ねてきた。

「わかりましたよ……。言えばいいんですよね、言えば……」

「そう拗ねるな、悪いようにはしないさ」

 ぶっすーとほっぺたに空気を溜め込んだわたしを見て、平塚先生がやれやれと苦笑する。ただ、その表情は子供を見守る母親のように優しいせいで、これ以上反抗する気をなくしてしまう。

 実質命令、あるいは脅迫以外の何物でもない提案をしぶしぶ受け入れた矢先、すっかり耳に馴染んだチャイムの音が学校中に響き渡った。

「……話は明日だな。今日はもう帰りたまえ」

 フェードアウトしていく鐘の音を背景に、平塚先生はすっと手を差し出してきた。どうやら代わりに戸締りを済ませてくれるらしい。

 わたしはお礼を添えて鍵を預け、鞄を手に生徒会室を後にする。そうして平塚先生と別れた後、昇降口へ続く廊下を歩いている途中なんとなく足を止め、窓の外へ目を移す。

「卒業、か……」

 赤と青の二つの色が溶けるように入り混じった空を見上げたまま、一人ぽつりと呟いた。だが、わたしの言葉は吐き出した息と共に、ただただ、静かに消えていくだけだった。

 

  ☆  ☆  ☆

 

 翌日の放課後、普段より速度が落ちた足取りながらも職員室へ運ぶ。ノックの後そろりと扉を開けると、わたしの姿に気づいた平塚先生がひらひらと手を振ってきた。

「お、来たか」

「だって先生、ほとんど強制だったじゃないですか……」

「君の場合、そうでもしないと意地を張り続けるだろう?」

 じと目で言ってみたものの、図星を突く綺麗なカウンターを貰ってしまった。いつも思うけど、間違いなくわたしよりもわたしのことわかってるよなーこの人……。

 反論できずぐぬぬと歯噛みしていると、平塚先生はおかしそうにくすっと笑う。しかしその後、他愛のないお喋りはこれでおしまいと言いたげにちらりと目配せをした。

「すまないが、先にあっちで待っていてくれ」

 何か急ぎの仕事でもあるのか、平塚先生はそう告げて職員室を出て行ってしまった。一瞬呆気にとられぽかんとしてしまったが、ここで立ち往生していても仕方ないので従うことにする。

 平塚先生の視線の先にあったのは、職員室の一角にある応接スペース。今は誰も使っていないらしく、革張りの黒いソファが寂しげに佇んでいる。そこに腰を下ろすと、思っていたより身体が深く沈み込んだ。

 ……なんだかんだ結構疲れたまってんのかな、わたし。

 ふいーっと息を吐き、ぼーっと天井を眺める。そのまましばらくの間過ごしているうちに、かつかつとヒールが床を鳴らす音が近づいてきた。

「待たせたな」

 戻ってきた平塚先生の手にはミルクティーの缶。わざわざ買いに行ってくれたようで、熱いくらいに温かい。受け取った両手から、じんわりとした温かさが広がっていく。

「……ありがとうございます」

「気にするな」

 わたしの頭をぽんと叩くようにして撫でた後、平塚先生は対面のソファに腰掛ける。こちらから話し始めるのを待っているのだろうか、穏やかで優しく、温かみのある眼差しでわたしを見つめている。

 その瞳を見て、どうしてあの捻くれ者がこの先生を信じていたか改めてわかった気がした。きっとどんな些細な変化も見逃さず、気遣いも忘れず、こうして見守ってきたのだろう。

「……あの、それじゃあ、相談、お願いします」

 だからこそ、途切れ途切れながらも素直な気持ちがすんなりと口から出ていった。

「うむ、話してみたまえ」

「はい……。うまく言えるか、わかんないですけど……」

 すーはーと深呼吸して、これはいる、これはいらないと頭の中で思考や記憶を整理する。そうして残ったものを一つにまとめ、一つの思い、あるいは願いとして。

「……えっと、わたしらしい送辞を書きたいんです。……その、お世話になった先輩、……たちのために」

 意外だったのか、平塚先生がぱちくりと目を丸くする。

 だが、言葉を挟むことはない。なら、言い切ってしまおうとわたしはさらに独白を重ねていく。

「でも、わたしの言葉が見つからないというか……うまく形にできないんです。だから、全然書けなくて……」

 平塚先生の言うとおり、ただ書くことや言葉を飾り立てること自体はわたしにもできる。けど、そこに特別な思いを込めるとなると話は別だ。

 ――自分の思いを、自分なりに、自分の言葉で。

 それをどう書けば自分がちゃんと納得できるのか、どう言えば相手にちゃんと伝わるのか。未だにわからないその問いかけの答えが、わたしは知りたい。

「まぁ、そんな感じです」

「……ふむ。自分の言葉、か」

 洗いざらい胸中を吐き出すと、平塚先生はソファの背もたれに身体を預けていた。ぎしっと革の軋んだ悲鳴じみた音が、小さなスペース内に響く。

「どうやら君は難しく考えすぎているようだな」

「難しく、ですか」

「ああ」

 そこで平塚先生は白衣のポケットから煙草を取り出し、「いいかね?」と尋ねるようにそれを見せてきた。頷きを返すと、火打石のかちりとした音の後に白い煙がもわもわと立ち込めていく。

 すぱーっと煙を吐き出し、平塚先生がもう一度わたしの方へ向き直る。

「……たとえば、そうだな。君が先輩たちに助けてもらった時、添える言葉は時々で変わっても基本的に言うことは同じだろう?」

「まぁ、はい」

「それと同じことだよ」

「はぁ……」

 掴めているようで掴めていない、そんなわたしの様子を見た平塚先生は柔らかな笑みを口元にたたえる。

「君は毎回いちいち難しく考えながらお礼を言っているのかね?」

「……あ」

 そっか。そういうことなのか。

 まだ全部が見えたわけじゃないけど、なんとなくわかった。

 簡単でよかったんだ。綺麗な飾りとか、そういうのはいらないんだ。

 たとえ支離滅裂でも、拙くても、それでいいんだ。

「……後は君の仕事だ。頑張りたまえ」

 わたしの心情が顔色に表れたのを見て、平塚先生は安心したようにもう一度煙草の煙を吐く。白煙の中に浮かぶその表情はどこかの捻くれ者と同じで、底抜けに優しい、温かいものだった。

 

  ☆  ☆  ☆

 

 卒業式の当日。

 順調に予定通り進行していく式を、ここでぶち壊すことになるなんて誰が思うだろうか。罪悪感や緊張感を覚えながら、一段、また一段と、床を鳴らして壇上へと上がる。

 視界の端から端までずらりと並んでいる人のかたまりの中には、静かに時間が過ぎていくのを待っている人、しみじみと物思いに耽っている様子の人、口元を手で押さえ既に泣いてしまっている人と様々だ。

 いろいろな感情が込められた生徒や先生の視線を一身に浴びながら、マイクのスイッチを入れる。もちろん手には原稿なんて野暮なもの、存在しない。

「――厳しい冬の寒さの中にも、春の暖かさを感じることのできる季節となりました。本日、晴れてこの総武高校を卒業なさる三年生の皆様、本当におめでとうございます。在校生を代表し、心よりお祝い申し上げます」

 あたりさわりない送辞の冒頭部分を読み上げると、ただでさえ厳かだった空気がより厳粛さを増していく。

 最初のくだりを継ぐのは、学校生活についてから始まり、やれ夢だの希望だの将来だの、といったものが大半だろう。また、それが普通で無難な送辞だ。

 けど、わたしは。

 顎を引いて目を閉じ、胸に手を添えて一呼吸する。そしてスイッチを切り替えるように、ゆっくりと瞼を開けながら、確かな意志を込めて顔を上げた。

「……さて、ここからは個人的な話を含みますがご容赦下さい」

 総武高校の生徒会長としてじゃなく、在校生の代表や模範生としてでもなく。

 ただの後輩として。

 ――また、一人の女の子として。

「最初にわたしが生徒会長になった時は、仕方なくでした。ぶっちゃけ嫌々でした」

 場にそぐわない、くだけた声と口調がマイクという媒体を通して体育館中に響く。送辞としてはふさわしくない雰囲気に、周りからはざわざわと戸惑いの声が上がる。

「だから適当でいいやって。めんどくさくなったら押し付けちゃえ、助けてもらっちゃえ、どうせ来年になったら辞めるんだし、それでいいやって」

 自業自得とはいえ、勝手な悪意を押し付けられて。けど、まさか利用されて乗せられるはめになるとは思わなかった。もしかしたら、この時にはもうわたしは変わり始めていたのかもしれない。

「でも、ある日気づくことができたんです。このままじゃだめだ、嫌だ……って。ちゃんとぶつかんなきゃわかんないこともあるって、教えてもらえたから……」

 決定打になったのは、心に波紋を呼んだ一昨年の冬の出来事。忘れない、忘れたことがない、忘れられないあの時間。

 だから欲しくなって追いかけたんだ。わたしでも手が届くかな、手に入れられるかなって。

「それを教えてくれたのは……他でもない、先輩、方でした」

 いつだって頭の中に浮かぶのは、三人の先輩の姿だ。いつだって頭の中に残っているのは、時間さえあれば足繁く通っていた、あの空き教室の風景だ。

「特に……一番お世話になった先輩は、どよーんって死んだ目をしてて。わたしの扱いも、ほんと雑で、酷くて……」

 いつだって心の中に焼きついているのは、一人の先輩の姿だ。いつだって心の中から離れなかったのは、理由をかこつけて出来る限り一緒に過ごしてきた、先輩との時間だ。

「なのに、わたしが困ってたらめんどくせぇだのやりたくねぇだの言うくせに、しっかり最後まで手伝ってくれて……いつも助けてもらいました。いつも、最後まで……」

 初めて奉仕部へ依頼をした時も、その年のクリスマスイベントも。

 翌年のバレンタインイベントも、城廻先輩の卒業式や小町ちゃんの入学式も。

 おまけに文化祭や体育祭と、数え切れないくらい、たくさん。

「だからいつも甘えちゃって、頼っちゃいましたけど……。でも、そんな先輩方は、先輩は、今日……卒業、していっちゃうんです……よね……」

 口にした瞬間、これまでの出来事が短い間の中で鮮明に再生されて。がらがらと、何かが音を立てて崩れ落ちていった。

「……先輩」

 歯止めが利かなくなったせいで、心の隙間が大きく広がって、我慢できなくなった。

「せん、ぱい……」

 熱い気持ちが胸の奥からこみ上げてきて、そのまま瞳に浮かんだ。

「わたし、……ちゃんと、生徒会長、できてましたか? いい学校に、できましたか……? これでも、頑張って、きたつもり、なんですよ……。今は、やっててよかったって、思ってるんですよ……」

 こぼれ落ちないよう、こらえながら、拙くても、繋いで。

「できるなら、もっと、そばで、見ててほしかった、です……。いつもみたいに、失敗したら、怒ってもらいたかった、です……」

 綺麗な飾りなんか捨てて、支離滅裂でも、感情のままに、紡いで。

「卒業なんか、して欲しくない……。ずっと、一緒に、いたい……。でも、どうしようも……ないし、わたしも、このままじゃ、だめなのは、わかって……るから……」

 けど、あっけなく伝って、こぼれ落ちていった。

 ぽたっ、ぽたっと、わたしの気持ちを表すように、ただただ、そこに滴って。

「……卒業、おめでとう、……ございます」

 マイクのスイッチを切り、袖口でぐしぐしと目元を拭いながら壇上を降りる。

 すると、しーんと静まり返っていた空間を裂く拍手の音が、一つ。

 卒業生の列のほうからだろうか、ぱち、ぱちと遠慮がちに、弱々しく、目立たないように、ただただ、らしく。

 その後、すぐに近くからもう一つ、また一つ、少し離れた位置からさらに一つ、また一つと増えていった。

 最後に、教員席の方からも、一つ。

 

 温かい、紅茶の香りは。

 優しく、明るい賑やかな声は。

 そして、わたしにとって『特別な先輩』の姿は。

 ――あの部屋にはもう、存在しない。

 

 でも。

 だからこそ、わたしも、先輩たちから『卒業』しなくちゃ。

 

 そうですよね?

 ――『   』先輩。

 

 

 

 

 




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一色いろはは、お砂糖とスパイスと歪な何かでできている。

他の書き手さんからのリクエスト作品です。
キャラ崩壊注意。


  ×  ×  ×

 

 一色いろは。

 彼女は俺の後輩だ。同時に、最近になってようやくできた初めての恋人でもある。関係の変化が訪れたのは、今から一ヶ月ほど前の出来事。

 ――先輩、好きです。大好きなんです。

 てっきり葉山を諦めずに追いかけているもんだとばかり確信していたので、思いを告げられた時はあまりに予想外すぎて数分ほどフリーズした。しばらくして理解が追いつきいろいろ尋ねてみると、彼女いわく、あの時心が動かされてからは俺が本命だったそうな。

 だが、そう言われたもののどうにも現実味が湧かなかった俺は告白を断った。けれど、持ち前の諦めない姿勢や更に増した強引さに押し負けていき、最終的にはいろはの気持ちを受け入れたのだった。

 とまぁ、ここまでなら平和な話だ。微笑ましい惚気話で済む。リア充爆発しろで片付く。だが、彼女には裏の部分があった。葉山に恋心を抱いていた時も、自身の好意を俺に打ち明けた時も、まったく見せなかった別の顔。微塵も感じられなかった暗い内面。素と呼ぶには歪すぎる本質。

 それは――。

「……先輩」

 最早、これで何度目だろうか。

 鍵がかけられ、密室となった放課後の生徒会室。その壁際で、俺は彼女に問い詰められていた。正確には、物理的にも精神的にも追い詰められていた。

「今日の昼休み……雪ノ下先輩と何話してたんですか? あと結衣先輩とも二人で話してましたよね? 超仲よさげでしたよね? ……わたしといる時よりも、全然、楽しそうに」

 このように、いろはは自分以外の異性が絡むと途端におかしくなるのだ。

 嫉妬、羨望といった感情ならまだ可愛げがあり許容できるのだが、文字通り桁もレベルも違う。俺が最後まできちんと答えるまで延々と詰問を繰り返し、言い訳をしたり濁したりすれば、凄まじい速さで目の輝きが失われていく。しまいには「浮気されるくらいならいっそ……」などと、恐ろしいことまでぼそぼそ呟き出す。

 こうなってしまったら、言葉だけではいろはの心には届かない。彼女の闇を鎮めるには、行動でも示さないとちっとも信じてくれなくなる。

「……はぁ。いろは、ほら」

 腕を広げ迎え入れる体勢をとると、すぐさまいろはが飛び込んできた。

「俺たちはもうじき受験だし、雪ノ下には部活の有無を聞いただけだ。由比ヶ浜とも部活についてちょっと話しただけだ」

「……えへへぇ、そうですよね~。先輩はわたしがいるのに浮気なんかしませんよね~。できませんよね~」

 胸元にすっぽりと収まったいろはは、うにうにと頬をすりつけながらにこぱーっと幸福感たっぷりに表情をとろけさせた。……闇落ちさえしなければただの可愛い彼女で終わるんだけどなぁ。

「……ん?」

 そこでふといろはは俺の制服を口元に手繰り寄せ、くんくんすんすんと鼻を鳴らしてにおいを嗅ぎ始めた。

 ああ、いろはの背後にドス黒いオーラがまた……。俺、そのうち勘違いで刺されちゃうんじゃないかしら……?

「なんか雌のにおいがします。……あぁ、このにおいははるさん先輩ですね」

 怖ぇよ……なんでわかんだよ……。嗅覚一体どうなってんの……。

「……昨日お前を送ってった後な、駅前でばったり会ってな」

「ほう、それで?」

「相変わらずめんどくさい絡まれ方をした」

「具体的には?」

「腕にくっつかれた」

「……なんでブチ殺さないんですか?」

 だから怖いっつーの……。第一、女の子がそんな物騒なこと言うんじゃありません。

「あーでも、先輩からしたら確かにちょっとやり辛いかもですね。一応、顔見知りのお姉さんなわけですし。……よしっ、じゃあわたしが代わりに今すぐ始末してきま……」

「待ってねぇお願い待って。全然よしっじゃないから」

「……えー、なんでですかー」

 至極まっとうな判断をしたつもりなのだが、いろははえらく不満げな様子でぷっくり頬を膨らませる。そして目が一切笑っていないマジな目だった。マジで怖い。

 仕方ない。いろはの怒りを収めるにはまたやるしかないか……。

「……いろは」

「ふぇっ……?」

 羞恥心を我慢して力いっぱい抱きしめ、いろはの頭をくしゃくしゃと撫でる。

「お、俺はお前だけが……」

 言葉が最後まで辿り着こうとした瞬間、ポケットに入れっぱなしだった俺の携帯がぶるぶると震えた。死亡フラグをお知らせしまぁす!

「…………」

「…………」

 いろはがぐぐっと手で胸を押し返し、離れた。直後、しゅばっと俺の携帯を衣嚢から抜き取って画面を確認する。速い! いろはす速い! 怖い!

「……結衣先輩ですね」

 ばっかお前タイミング悪すぎだろ。いろはの目がまた死んじゃっただろ。といっても、由比ヶ浜に罪はないので困る。

「……内容は?」

「一緒に帰ろうってお誘いみたいですー。……先輩、どうします? わたし的にはとりあえず処すべきかなーって思うんですけど」

 だからそういうこと平然と言うのやめなさいって……。

「……なんでだよ。とりあえず貸せ。ほら、ちゃんと断るから」

 しかしいろはは心底納得いかないご様子。ぶすーっとむくれながらしぶしぶ携帯を渡してくる。……あの、一応それ俺のだからね?

 受け取った携帯に、つったかつったか断りの旨を打ち込む。そうして、本文入力済みの最終確認画面をいろはにほいと見せる。

「これでいいか?」

「…………」

 けれど、無情にも姫はふるふるとかぶりを振る。まったく光沢のない瞳で。……どうやらまだ言葉が足りないらしい。

 やむを得ず、書いた文章を全消ししてぽちぽち文字を打ち直す。先程の内容を少しばかり修正し、いろはへの思いを色濃く脚色しまくった羅列を数行加えてみる。こうして、新たにまた一つ俺の黒歴史が積み重なっていくわけですね。何それ辛い。

「……これでもだめか」

「んーん」

 今度はお気に召したらしい。いろははこくこくと頷き、これで送れ今すぐ送れと表情で訴えかけてきた。仕草は可愛いのだが、相変わらず瞳に光沢がないのは怖い。

 のたうち回りたくなる気持ちを隠し、送信ボタンを押す。すると、ようやくいろはの目に輝きが戻った。おかえりハイライト!

「もう~、先輩ったらわたしにぞっこんなんですからぁ~」

 きゃはっと赤く染めた頬を両手で覆い、くねくねうりんうりんといろはが恥ずかしそうに身体を捩る。うんうん、ご機嫌そうで何よりです。ちなみに俺は恥ずかしさで死にたい気分です。

 ……由比ヶ浜、マジですまん。今度何か埋め合わせするわ。機会があればだけど。機会があればだけど。大事なことなので二回言いました。

 俺の心境はさておき。とりあえず嵐は去ったかと胸を撫で下ろしつつ、携帯をしまおうとした時。

「…………」

「…………」

 一難去ってまた一難、手に掴んでいた携帯がまたも震えた。俺は逃げたくて逃げたくて震えた。

 ばっか今度は何だよだからタイミング最悪なんだっつの。いろはの目がまた死んじゃったじゃねぇか。

「先輩?」

「……はい」

「ん」

 鋭く冷たい声音で呼び、いろはが自身の胸元で手をくいくいとさせる。寄越せ、ということらしい。やだなぁ……怖いなぁ……。

 先程の返信だろうか。おそるおそる携帯を差し出すと、いろはが自分の携帯を扱うかの如くするすると慣れた手つきで画面を操作し始める。……おかしいなぁ、それ一応俺の所有物なんだけどなぁ。

 彼女の琴線に触れる内容だったらどうしようと死を覚悟したが、いろははすんなりと返却してくれた。機嫌を損ねた様子もなく、それどころか瞳の光度も何故か戻っている。

 不思議に思い、画面を見てみると。

「……戸塚だったか」

「はい」

 いろはにとって戸塚はセーフラインなのである。由比ヶ浜も無事空気読みスキルを発揮して、返信は控えてくれたようだ。由比ヶ浜は仕方ないとしても、戸塚までNGだったら本当に夢もキボーもありゃしない……。

 内心ひそかに感傷に浸っていると、いろはがちょいちょいと裾を引いてきた。

「ところで、先輩……」

「ん?」

「この間のことなんですけど……」

 はて、なんだったかしら。何か約束したっけか……。うーんと首を傾げる俺に、いろはが濡れた瞳をこちらに向けてきた。

「……覚えてないんですか?」

 まずい。いかん。早くなんとかしないと……。

「あ、ああいや、覚えてるぞ? ほら、その、アレしてアレする的な……」

「……は?」

 ハイライトオフ入りまーす。……いっけねぇ、つい誤魔化す時の口癖が出ちまった。

 ええと、なんだ。

 確か3.1415……違う、それは円周率だ。今は全然関係ない。

 どれだどれだと記憶の隅々まで該当部分を探そうとしたものの、続く空白は一つの真実を物語っていく。

「……忘れたんですね。先輩……ひどいです……」

 どうやらここでタイムアップのようです。残念! 比企谷八幡の人生はここで終わってしまった!

「……あんなに、一生懸命、二人で、決めたのに」

 いろはの目から完全に明るさが失われ、感情のない黒い瞳へ移り変わる。そして、彼女の背後からかつてないほど黒く禍々しいオーラが漂う。

「先輩。…………おしおきです」

「ま、待ていろは……っ。落ち着け、大丈夫だから、ちゃんと覚えてるから……!」

 しかし、俺の縋りつくような言葉はいろはに届かず。

 

 ――この後、めちゃくちゃおしおきされた。

 

  ×  ×  ×

 

 目が覚めると、見覚えのある天井が視界一面に広がっていた。

 どうやら、ここは保健室のようだ。そして、俺の隣ではいろはがすやすやと穏やかな寝息を立てている。

「いてて……」

 身体中が軋み、鈍い痛みが走る。全身が気だるさに悲鳴をあげている。そのことから、無事おしおきは完遂されたらしい。確認のため腕をまくってみると、赤い斑点が大量にびっしりついていた。

「今回も派手にやったなぁ……」

 視認こそしていないが、きっと俺の胸元や下腹部にも彼女が俺を愛した証が散見されているのだろう。

 いろはは感情が抑えられなくなると暴走して、手段や方法を問わずやたらとマーキングをしたがる。それは、さも自分のものだと周囲に主張するように。見える位置から見えない位置まで、頭のてっぺんからつま先まで、言葉通りに。その形や致し方は逐一ズレているどころか相当歪んでいたり、特殊すぎたりもしていろいろと難はあるのだが……。

「……別に、俺はどこにもいかねぇよ」

 すぐ近くにあった亜麻色の髪を優しく撫でると、くすぐったいのか、いろはがかすかに身じろいだ。ただ俺の体温は伝わっているらしく、彼女の口元がにへらと綻ぶ。

 なんだかんだ、俺自身もこのズレて歪んだ愛情に対しては思うところがあって。だからこそ、散々酷い目に合わされても離れていったりしないわけで。

 

 まぁ、あれだ。

 彼女のそういう危ない一面は怖いけれど、いろははやっぱり可愛らしい笑顔が一番似合うから。また、満開に花咲くような彼女の笑顔が一番好きだから。

 

 差し当たっては、あまりいろはを刺激しないように、これからも付き合っていくとしますかね――。

 

 

 

 

 




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結局、いつまで経っても一色いろはは彼の後輩である。

『わたしの、先輩。』の後日談的なものです。
※いろは視点です。


  ☆  ☆  ☆

 

 人は、出会いと別れを繰り返す。

 環境が変わるたび、また一つ、出会いが増えて。やがていろいろな要因がもたらす転換を分かれ道として、別々の違った道を歩いていく。

 形やきっかけはどうあれ、必ず、等しく訪れるもの。

 そんな循環を繰り返しなぞるように、たたただ、人は繰り返す。

 最初こそお互いにエールを送り合ったり、別れの辛さに涙したりする。また、結びつきが強ければ強いほど、残酷な刃として自分に返ってくる。

 しかし、いずれその温かさや痛みも、時間は思い出の彼方へと流していってしまう。

 けど、それは仕方のないことで。

 誰もが受け止め、飲み下し、きちんと消化していかなきゃいけない苦さだ。

 だから、負けずにこれまで頑張ってきた。

 だから、くじけずに貫き通した。

 やる気の起きなかった授業も。

 不純な動機で入部した部活も。

 華のなくなってしまった学校の恒例行事も。

 どこか虚しくなってしまった生徒会の仕事も。

 

 全部、全部、一人で。

 ずっと、ずっと、一人で。

 いつか、色褪せくすんでしまった写真を見ても、懐かしめるように。

 いつか、セピア色となってしまった風景でも、笑顔で眺められるように。

 そのために、本当に最後となる今日の日まで、精一杯務め上げた。

 

 ねぇ、先輩。

 わたし、一生懸命頑張りましたよ?

 前任の城廻先輩に負けないくらい、頑張りましたよ?

 だから、今度はちゃんと褒めてほしいです。

 

 ……馬鹿みたい。

 毎日毎日、こんなことばかり考えて。

 風化していく景色に今も変わらず囚われ、縛られ続けている。

 

 先輩……どこにいるんですか。

 今……何してるんですか。

 わたし、前みたいにお喋りしたいです。

 最初にデートした時みたいな感じで、楽しく遊んだりしたいです。

 あ、先輩のこと、久しぶりにからかいたいです。

 久しぶりに、顔、見たいです。

 ……まぁ、顔はついでですけど。

 だから――。

 

 ……ほんと、馬鹿みたい。

 無意味だってわかっているくせに、追想と理想を求めてばかりで。

 暦上の日や月だけが進んで、心の中にいるわたしは未だに幼いまま。

 その時間軸から抜け出せずに、わたしは同じ場所で立ち止まったまま。

 

 情けない。

 たった一言が、何度も、何度も頭の中でループする。

 そのたび、幾度も、幾度も、空っぽになってしまった胸がずきずきと痛む。

 

 でも。

 

 あの日々を。

 あの空間を。

 あの安心を。

 

 うわ言でしかないそんな一言は、もう、数え切れないほど呟いた。

 それは、たとえ叶わない願いだとしても。

 たとえ、どうしようもなく一方的な自己満足だとしても。

 

 わたしは、それでも。

 あの人たちに。

 先輩に。

 

 ――会いたい。

 

  ☆  ☆  ☆

 

 三月だというのに、まだまだ冬の名残が感じられるほどに気温の低い日が続いている。肌を刺すような寒風にわたしはぶるりと肩を震わせつつ、ロータリー沿いに進む。

 マリンピアを筆頭に、行き交う人々で賑わう駅前は去年から変わっていないように見える。

 けど、改めてよくよく見てみると、些細な部分では確かな変化が起こっていて。新しい看板が立てられていたり、緑が増えていたり、大きなビルが改修工事を始めていたり。

 そういった変化は、どこにでも起きる。人でも、人と人との関係でも、きっと同じ。

 だからこそ、日常の輪から切り離された時に寂しさを感じてしまうのだろうか。ぽつりと一人だけ置いていかれたからこそ、余計に背中を追いかけたくなってしまうのだろうか。 

 

 もし、もしも――。

 そう仮定した途端、空虚な胸の奥が温もりで満たされていくような感覚。

 すっかりくすんでしまった視界が、再び彩られていく錯覚。

 都合よく脚色した未来を想像すれば、徐々に口元が笑みの形になっていく。

 あれだけ振りまいていた愛想が失われた表情に、ゆっくりと喜色が浮かび上がっていく。

 

 ……あーもう、また。

 まがいものでしかない逃避に性懲りもなく縋りついた自分にたまらず軽蔑の吐息を漏らし、ローファーの足音を通学路に響かせていく。

 そうして駅から二十分くらい歩いたところで、ようやく学校が見えてきた。

 この制服を着て門をくぐるのも、あと一回で終わりだ。違った形でまた訪れることはあるかもしれないけど、在校生という立場としては、本当に最後。

 他の生徒と同じように上履きに履き替え自分の教室に向かうと、クラスメイトの一部が既にフライングで泣いていた。もちろん普段と様子が変わらない人もいるけど、それでも多少は込み上げてくるものがあるらしい。高校生活を振り返っていたり、物思いに耽っていたりと様々で。

 巣立ち前の何ともいえない空気にあてられながら、わたしは自分の席で頬杖をつく。

 開式までは二時間を切っている。そのうちホームルームが始まり、予定どおりに進行していくのだろう。

 つつがなく、何事もなく。

 でも、わたしにとってはそうじゃなくて。

 だって、わたしがいなくなってしまったら。

 

 温かい紅茶の残り香も。

 優しくて明るい賑やかな残響も。

 捻くれたことばかり言う先輩の残像も。

 

 全部、全部、一つ残らず消えてしまうから。

 後は、なごり雪のような切なさだけが漂う、ただの空き教室となってしまうから。

 

  ☆  ☆  ☆

 

 式が終わった後、わたしは誰と話すわけでもなく一人、元奉仕部の部室で佇む。

 眼下に広がるグラウンドには、それぞれ別れを惜しんでいるらしき光景が散見されている。先輩と後輩、あるいは卒業生同士が身を寄せ合いながら泣いていたりして。逆に、普段と変わらないノリでふざけ合っている人たちもいるしで、本当に様々だ。

 廊下からも、誰かのすすり泣く声が聞こえてくる。かと思えば、楽しげにお喋りしている雰囲気の笑い声も届いたり。

 という具合に、わたしの視覚や聴覚だけでなく、学校全体をさよならの手前独特の空気が包んでいた。

 でも、もうすぐそれも終わりで。

 そこに個人の感情は関係なく、終わってしまうわけで。

 だから、見納めなんだ。

 いい加減、腹をくくらなきゃいけないんだ。

 

 ……でも、もう一度だけ。

 最後の最後を噛みしめるために、わたしはゆっくりと目を伏せていく。すると、瞼の裏側でいろいろな思い出がすぐに蘇っていく。足繁く通ったからこそ、鮮明に焼き付いたままの風景がある。

 

 いつだって、そこには二人の先輩がいて――。

 いつだって、そこには特別だった先輩がいて――。

 

 けど、約一年前の今日を境に。

 その空間は、わたしにとって青春の形見となってしまって。

 

 三つの椅子と一つの長机、食器類がまとまって置かれていた場所も。

 使われなくなってからだいぶ月日が流れていると即座にわかるくらい、今はもう、ほこりをかぶってしまっていて。

 

 ねぇ、先輩。

 三年連続生徒会長って、わたしが初めてらしいです。

 それで任期満了ってすごくないですか? どう見ても頑張りましたよね?

 だから……今の今まで、そばで見ててほしかったです。

 

 先輩……会いたいです。

 今……どこにいるんですか。

 顔、見せてほしいです。

 それで、わたしのこと、ちゃんと褒めてほしいです。

 前みたいに……モノレールの時みたいに……。

 ……すごいな、お前って。

 だから――。

 

 甘言でしかないそんな一言に、ずっと、数え切れないほど縋り続けていた。

 決して叶わない願いなのだとわかってはいても、唱えずにはいられなかった。

 たとえ、どうしようもなく一方的な願望の押し付けで、理想の押し付けだとしても。

 

 わたしは閉じていた瞼を開き、目の前にある長机にそっと指を触れさせた。

 そのままつつりとなぞった部分からは、ほこりが綺麗に取り払われていく。

 

 書き記した三人分の名前を今一度見つめながら、わたしは自嘲気味に笑う。

 今ははっきりとわかるくらいに形どられた文字も、いずれ時間と共にまた埋もれていってしまうのだろう。

 つつがなく、何事もなかったかのように。

 元どおりに、ほこりは積もっていく。

 

 ……これで、本当に。

 そして、本当のさよなら……なんですよね。

 口の中だけでそんな確認を呟いた時、不意に、誰かの足音が耳へ入り込んできた。明らかに上履きが立てる音ではない複数の響きが、どんどん大きくなっていく。

 

 一つは、凛としたような。

 一つは、元気よく弾んだような。

 一つは、とても気だるそうな。

 

 足音は何故か、妙に心が惹きつけられて。

 懐かしくて、温かくて。

 思わず、扉の方へ視線を移してしまう。

 でも、同時に。

 もしかしたら、という期待が押し寄せてきて。

 けど、同時に。

 そんなわけない、という失望が否定してきて。

 二つの感情がせめぎ合っているせいで、わたしの時間はそこで止まってしまって。

 

 やがて、足音が鳴り止み。

 答え合わせとばかりに、扉は静かに開かれていく。

 

「…………」

 わたしは、頭の中が真っ白になった。

 指先から、力が完全に抜けた。

 すると、卒業証書の入った丸筒が手からこぼれ落ちていった。

 かららと寂しげな音だけが、空間を支配していく。

 扉のほうへ転がっていった丸筒を、来客の一人が拾い上げる。

「……何やってんだ、ほれ」

 巡り合った時から、全然変わっていない無愛想な言葉。

 後輩だった頃から、ちっとも変わっていないぶっきらぼうな声。

「んで、卒業おめでとさん」

 ずっと、聞きたかった声。

 ずっと、見たかった顔。

 ずっと、会いたかった人。

 

 その人が目の前にいるのに。

 

 いっぱい、話したかったことがあったはずなのに。

 たくさん、伝えたかったことがあったはずなのに。

 何も、何も、言葉が出てこなくて。

 口が、身体が、動いてくれなくて。

 

 代わりに、時間差で。

 声や言葉では表しきれない感情の詰まったかたまりが。

 音もなく、わたしの瞳にじわりと浮かんで。

 こらえようとしても、声や言葉では表しきれない気持ちが、とめどなく溢れ出してきて。

 そして、そのまま――。

 

「……ちょっ、おい、何で泣くんだよ」

「だってっ……だって……っ」

 

 ――喜びに、ただただ、頬を伝って。

 ――感動に、ただただ、床へ滴って。

 

 

 

 

 




それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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わたしだけが知ってる、先輩の恥ずかしくて情けなくて痛々しいとこ。でも大好きなとこ。

  ☆  ☆  ☆

 

 ふと目が覚めた。温もり不足による肌寂しさからだろうか。

 軽く目元をこすってみると、カーテンの向こう側がぼんやりと明るい。真夜中にしては珍しい明るさだった。そしてそこには見慣れた猫背のシルエットが、今日も。

 もー……控えるようにするって言ってたのにー……。

 煙ったいし鼻につくし身体に悪いしおまけに煙ったいしで、わたしはちっとも好きじゃない。ただ、ソレを吸っている姿だけは、懐かしい白衣姿を思い出すしの重なるしで、そこそこ好きだったりする。つまり結果としてあんまり強く言えてな、あれもしかしなくてもわたしってダメ男製造機の要素あるんじゃ……? 

 甘やかしてるつもりはないんだけどなぁ、なんて問わず語りをしつつベランダに近づくと、物音と足音に気づいた彼の影が振り向いた。

 それを合図にして、わたしは遠慮がちにかららとガラス戸を開く。

「こら。吸いすぎ注意ですよー」

「まだ一本目だ。っつーか、いつもわざわざ付き合ってくれんでも……」

「や、先輩が隣にいないと勝手に目が覚めちゃうだけっていうか」

「なにお前、高性能な人感センサーでもついてんの?」

「みたいですー。先輩にしか反応しない残念な性能っぽいですけど」

 わたしは先輩の腕に自身の腕をしゅるりと絡ませ、満足げにむふーと息を吐く。あくまで表面上は、だけど。

 最初は、先輩もたまたま目が覚めちゃったのかなって思ってた。でも、こんな感じで外を眺めている日がどんどん増えてった。で、今じゃほとんど毎日。

 先輩がなんでこんなことしてるのかは、とっくにわかってる。……むしろわかってなかったら恋人として失格っていうかいろいろ終わってるまである。

 だから、わたしも。先輩の真似をするように、わかってないふりをして。

 今日も今日とて、こうやって、夜の空を一緒に眺めるのだ。

「それにしても珍しいですよねー、こんなに星が見える日。めっちゃ綺麗です」

「だな」

「いや一言だけとか……もうちょっと気の利いたこと言ってくれてもいいのではー」

「棒読みなんだよなぁ」

「あ、バレました?」

「むしろなぜバレないと思ったのか……」

 相変わらずのローテンションな突っ込みにくすくす笑えば、呆れ交じりにふっと口元を緩める先輩。一体何がそんなおかしいのやらとでもいうように。

 楽しいですよ、そりゃ。そのいつもどおりがたまらなく楽しくて……何よりも好きで愛おしいんですから、わたしは。

 ……だからこそ、先輩にも同じことを思っていてほしいなーって。

 今は、流れ星なんて落ちてきていないのに。人並みの月並みな願いをそっと三回、笑顔で隠してバレないように。

「そういうところは変わらないな、お前は」

 と、願い事を唱え終わったタイミングで、なにやら意味深な呟きが。

「そういうところって?」

「今の無駄にあざとい笑顔とか」

「今のは別に狙ってやったわけじゃないんだよなぁ~」

「なんて嘘くせぇ言い方なんだ……」

 鬱陶しげな目でわたしを一瞥した後、先輩は煙草のフィルターを口に含み、遠い彼方へ向かってふっと煙を吐く。

「ほんと、昔から変わらねぇ……」

 そして今度は、お互いの腕同士が絡まるあたりをじっと見つめながら、妙に優しい声でぽつり。

「……なんですか胸の話ですか同情してるんですか怒りますよ」

「違うから……なんでそうなる……」

「そんな顔してそんなとこ見てそんなこと言う先輩が悪いんですよーだ」

「ええ……」

 わたしは頬を膨らませ唇をとがらせ、つーんとそっぽを向く。

 そりゃまぁ先輩的にはわたしのサイズじゃいろいろ物足りないかもだけど、これでも昔よりちょっとはおっきく……と手で確かめかけて、やめた。余計虚しくなる気しかしない。……くっ!

 そんなふうに一人で勝手に拗ねたり打ちひしがれたりと暴走していたら、先輩はまだ吸えるはずの煙草を灰皿で揉み消した。

「……なぁ」

 次いで届いたのは、焦げくさいにおいと改まったような声音。

「はい、なんでしょ」

「これは俺の知人の話なんだが」

「あ、そういうのいいんで。先輩の話だってわかってますから」

「……これはあくまで俺の知人の話なんだが」

「めげないなぁ」

 はーやれやれと困り眉で笑いつつも瞳で先を促すと、先輩はんんんっと大げさな咳払いをして、二本目の煙草に火をつける。

「まぁ聞け。そいつにはその、あれだ、いわゆる内縁の妻的な相手がいてな……」

 もうなんか既に展開が読めちゃったけど、いい子のわたしはふむふむ頷いておく。

「そんな関係なもんだから、家族からも周りからもいい加減プロポーズしろと言われてるらしいんだ。でもそいつはいまさら気にしなくていいことごちゃごちゃ考えちまって、結局ずるずると言えないまま毎日悶々としているそうだ」

 もうなんかただの自白を聞かされてる気分なんだけど、いい子のわたしは以下略。

「情けねぇよな、そいつ。機会やお膳立てなんていくらでもあっただろうに……」

「まぁ、そうですね。男としても彼氏としてもダメダメのムリムリです」

「……だよなぁ」

 自嘲気味に吐き出された煙が、二人の間をたゆたって、景色をさまよって、やがては染み溶けるように消えていく。いくつもの分岐とその最後みたいに。

「でも」

 わたしはその一つを追ったまま、小さく息を吐く。

「そんなダメダメのムリムリな人でも……ほんとにほんとに好きになっちゃったら、なんだかんだ待てちゃうんですよね。だって、やっぱり好きだから」

「いろは……」

 他の子がどうなのかは知らない。昔のわたしがどうだったかもとっくに忘れた。けど、ほんとの恋を教えてもらって、ほんとの恋をしてからは……ずっとこうだった。

 この人じゃなきゃダメ。この人じゃないとムリ。そんなことは決してないのに、この人に言われたいなーと、ほんと律義にバカみたいに。

 模範解答なんて求めてない。着飾っただけの口説き文句なんていらない。みっともなくていいから。惨めで泥くさくてもいいから。

 ――あなたにしか言えない、わたしだけが独り占めしていい言葉を。

 ダメダメのムリムリな人の勇気を待てる理由なんて、どこまでいっても、きっとそれだけ。

「………………なーんて」

「……おん?」

「そんなわけないじゃないですか。大抵は相手を待たせすぎて逃げられるか他の男に横から取られるかしておしまいです」

「お、おう……え、なに、もしかしてそういう経験させたことあんの?」

「ナチュラルに失礼なこと言いますね……はー、まったくもー……」

 ほんと昔からいつもわたしのことマジでなんだと思ってるんだ……。あのねぇ、そういう経験させてたら今ここにいないでしょーが! ずっと一緒だったでしょーが!

 まぁ、不安を煽るようなこと言ったわたしが悪いのはわかってますとも。先輩は昔も昔のろくでもないわたしを知っているわけだし、なおさら。

 ……ただ、ほら、なんかちょっと、うん、……ね? あんなこと言っちゃうし思っちゃうし、おしまいになんてしないしさせないしで、わたしったら先輩のこと好きすぎでしょーって感じでいまさら恥ずかしく平たく言えばただの照れ隠しですはい。

 でも好きなものは好きなんだよなぁと先輩をちらり見たら、なにやら複雑そうにわたしを見つめる視線とぶつかった。目と目が逢う~……あ。

「先輩、たばこたばこ。灰がすごいことになってます」

「……おおっと、って、こりゃもう手遅れだな……」

「どれだけ忘れてたんですか……」

「まぁ、その、なに、ちょっと」

 証拠を隠滅するように慌てて吸いがらを放り込んだかと思えば、必要以上に灰皿をにぎにぎし始める先輩。ははーん……これは何か隠してるにおいがしますねー……?

「……で、一体何を考えてたんですかー?」

「あぁ、いや……お前の言ったようになる前にマジで腹くくらねぇとって思ってよ」

「ん~? さっきの話は先輩じゃなくてお知り合いの話ですよね~?」

「お前ほんといい性格してるよな……」

 小首を傾げて一発きゃる~んとかましたら、くしゃっと髪を撫でられた。ふふん。

「もっと撫でてくれてもいいんですよ。むしろ推奨しますです」

「最初あんだけ嫌がってたやつとは思えん変わりっぷりだな……」

 ちくりと刺さるような言葉の後、二度目のくしゃりとした感触。

 その心地よさと嬉しさに閉じた瞼の裏で、付き合いたての頃をふと思い返す。あの頃は妹扱いするなーってふてくされてばっかりだったっけ。小町ちゃんに妬いたりもしてたっけ。

 

『……はぁ。……だからなんでそうなるんですか』

『んなこと言われてもこれが今の俺にできる精一杯なんだよ……』

『愛情表現なんて他にいくらでもあるでしょ……よりによってなんで……』

『……小町は小町だ。お前とは違う』

『は? どうしてそこで小町ちゃんが出て……』

『違うけど……近いのに違うから余計にわかんねぇんだよ。接し方とか応え方とか』

『……ぁ……』

『それでも……わからないなりに応えてやりたかった。その結果がこれだが……』

『先輩……』

『っつーわけで……悪い。逆に嫌な思いさせちまった』

『……んーん。わたしこそ意地張ってごめんなさい。……あと……』

『ん?』

『……もっかい。頭、撫でて』

『…………嫌だったら言ってくれ』

『ん……』

 

 なんてことない、お互いの経験不足によるすれ違いと解釈違い。同じ扱いなように思えて、実際は、ちゃんと別枠の特別。

 それがわかってからだったなぁ……頭撫でられるのが平気になったの。

 

「――おい、どした」

 と、意識の外から先輩の声。

「……ほぁ?」

「なんだよその気の抜けた声……。いや、結構な時間されるがままだったから」

「あー、先輩があんなこと言ったせいですよ。で、懐かしくてついしみじみと……みたいな」

「やめてくれ、恥ずかしいし情けないしで思わず死にたくなる」

「わたしは結構好きですけどね、あの思い出エピソード」

「お前にとってはそうでも、俺にとってはあの話も掘り返されたくない話の一つなんだよ……」

「でしょうねー」

「でしょうねってお前……」

 うんざりげんなり青息吐息な先輩に、わたしはぴっと立てた指を唇に当てつつ。

「けど、それってつまり、わたしだけがその価値を知ってるってことです」

「……お前の言う価値って、つまり言質とか人質とかそういうジョーカー的な」

「むっ」

「はいごめんなさいなんでもないですだから腕つねんのやめて?」

 あんまりな物言いは本日二回目なので、さすがに指先で抗議した。……まったく、先輩は一体全体ほんとにマジでわたしのことなんだと思ってるんだ。いつか絶対問い詰めてやる。

 といった具合にぷんすかぷんすかとしつつも、それとは別に、わたしは。

「……ここはやっぱり楽でいいなぁ……」

 昔から、ずっと。いつまで経っても、きっと。

 改めて込み上げてくる実感に、思わずたまらずの吐息を漏らした。

「……ああ、そいや昔も似たようなこと言ってたよなお前」

「さー? そうでしたっけ?」

「ねぇちょっとさっきから露骨すぎない?」

 や、だって蒸し返されたら恥ずかしいし痛々しいしで思わず死にたくなるし……。なので、忘れたふりをすることにしました。ここまでくると清々しいですね!

 きゃるるる~んとわたしが盛大にすっとぼけたことで、不満が行き場をなくしたらしい。先輩が三本目の煙草に手をつける。……そろそろレッドカード出すべきか。

 ほんのちょっぴりうーんと悩むも、物憂げに紫煙をくゆらす姿はやっぱり悪くなくて、ふとした瞬間にあの先生の横顔を思い出すしで、結局わたしは言わずじまい。どうもダメ男製造機です。

 なんて自虐をしながらも、脳内のスクリーンに思い出を映し出す。冬の母校、その屋上でのワンシーンを。さくらんぼみたいにくっついて並んだ、甘酸っぱいあの時間を。

 

『たとえば世界中の人にわたしの本性がバレちゃってても』

『きっとわたしは、バレてることに気づいてないふりして本性を隠そうとします』

『でも……先輩は違うんです』

『先輩にだけは、全部見せてもいいかなって。むしろもっと知ってほしいかもって』

『なぜか不思議とそう思えるんです。……ふふっ、なんででしょうね?』

 

 ぽわぽわきゃぴきゃぴとした振る舞いも、わざと甘ったるく間延びさせた声も、あの頃からそう変わっていない。ただ、もう先輩の前でしか見せなくなったってだけ。

 だって、普通に考えたら、こんなの。大人になった世界じゃ薄ら寒くて、恥ずかしくて痛々しくて、白い目を向けられて排他されるだけのものでしかないから。

 でも……先輩は、あの頃からそうじゃなくて。

 薄ら寒くて恥ずかしくて痛々しいわたしも、そうじゃないわたしも、本性まる出しのわたしも、全部まるごとひっくるめて。

 認めてくれる。受け止めてくれる。受け入れてくれる。包み込んでくれる。

 だから――わたしはわたしのままでいられる。

「ねぇ、先輩」

「なんだ」

「さっきわたしのこと、昔からほんと変わらないって言いましたよね」

「……言ったけど」

 そして――そこだけは変わんないでほしいって。変わってなくてよかったって。

 これからも、ずっと。いつまで経っても、きっと。そう思えるままがいい。

「先輩も大概ですー。人のこと言えませんー」

 そんなめんどくささをたっぷり込めた眼差しに、先輩はがしがし頭を掻きながら。

「……まぁ、そうな。変わってたら今こうなってねぇし」

「ほんとですよー。どれだけ待たせてると思ってるんですかー」

「……すまん」

「謝らなくていいですよ。先輩のそういうとこ、よーく知ってますから」

 そう、わたしはもう知ってる。とっくに引き返せないとこまで、引き返したくないとこまで、先輩のことを知っちゃってる。わかっちゃってる。

 答えなんて単純明快で一つしかないのに、律義にバカみたいにそれを疑って真剣に悩んで、体面とか責任とか余計なことばっか考えて不安に怯えて、恥ずかしくて情けなくて痛々しいことはなかなか言えないまま……先輩のことだから、たぶん、そんなとこ。 

「ほんと……めんどくさくてどうしようもない人だなぁ……」

「めんどくさくてどうしようもなくて悪かったな……」

 けど、そんなあなただから。

 そんなあなただったから、わたしは――。

「ね」

「ん……?」

「後ろからでいいので、ぎゅーってしてくれませんか?」

「……あいよ」

 絡ませていた腕を名残惜しくも一旦ほどいて、半歩、距離を横に詰める。

 やや遅れて、優しい温もり。煙ったさと鼻につくにおい。

「……たばこくさい……」

「こ、これからは控える……」

「えぇ~、ほんとにござるかぁ?」

「ほんとだっつーの……」

「まことにほんとにござるかぁ~?」

「あの、俺ってそんなに信用ない……?」

「や、だってそれ、この前もその前も聞きましたもん」

「……本当にすまん」

「そう思うなら……ちゃんと約束、守ってくださいね」

 指きりげんまんの代わりに、そっと、先輩の両手を上から包むように抱いた。

 わたしの持ってる答えなんて、それだけ。どこまでいっても、いつまで経っても。

「……ああ」

 両手の下で、先輩の手が動く。何かをぎゅっと握りしめるような動き。

 そしてそれは、やがて――。

「……俺は幸せ者だな」

「お?」

「ただの独り言だよ。……なぁ、いろは」

「はい。……なんでしょ、先輩」

 

  ☆  ☆  ☆

 

 わかってた。どうせろくでもないこと言い出すって。

 わかってた。こんなろくでもないプロポーズを聞かされることになるって。

 

 なのに。

 わかってたのに。

 

「……っ、ほんと、めんどくさくて、どうしようもない、……人、だなぁ……っ」 

 

 小町ちゃんの名前出すし、噛むしとちるし、繋ぎ言葉だらけだし。

 ほんとにほんとにプロポーズとして最悪。ていうか論外。

 

 でも。

 ――それでも。

 

 やっぱり、涙は止まってくれなかった。

 恥ずかしくて、情けなくて、痛々しいのに、涙が止まってくれなかった。

 いつもみたいに、悪態の一つでもつきたかった。

 でも、言葉がまとまってくれなかった。我慢しようとしてもできなかった。

 

 だって、ずっと、呆れるくらい待たされてたから。

 だって、ずっと、律義にバカみたいに、呆れるくらい待ってたから。

 

 あなたの、あなたにしか言えない。

 わたしが、わたしだけが独り占めできる言葉を。

 

「まぁ……責任だって、……っ、まだ、取ってもらってない、ことですし……」

 

 わたしは、今日のこの日を絶対に忘れない。忘れられるわけがない。

 だから、モノレールのあの時みたいに。今また一歩を踏み出すみたいに。

 泣きっぱなしのまま、振り返って。

 そのまま、嬉しさでぐちゃぐちゃになった顔を隠すように――唇をくっつけて。

 

 そして、寂しさを引きずりつつ、唇を離していくと。

 これ以上ないくらい照れくさそうな顔で、先輩はがしがし頭を掻く。

 

 だから、わたしも。

 

 いつもどおりの感じに頑張って近づけた、ちょっぴり呆れたような顔で。

 でも、ただの後輩だったあの頃じゃ絶対できない、幸せ全開の満開笑顔で。

 

 全部まるごとひっくるめるように、先輩をぎゅっと抱きしめながら。

 耳元で、優しく甘く、そっと囁く。

 

 ――仕方ないので、先輩にもらわれてあげます。

 

 わたしの、わたしにしか言えない。

 あなたが、あなただけが独り占めしていい言葉を――。

 

 

 

 

 




それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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いろはすと同棲を始めたら、この子ちょっと意味わかんないくらいあざと可愛くて無理ですごめんなさい。

・めぐりん編を先に読んだほうがいいかもしれない。
・最初から最後までいちゃいちゃは同じ。
・シチュは同じ。でも中身は違います。喘ぎもあるよ!
・前回以上にやりたい放題。八幡にはいろいろと諦めてもらいました。



  ×  ×  ×

 

「あ、先輩おかえりでーす。わたしにします? それともわたしにします? ……それともぉ~、わ・た・し?」

 と、帰宅した俺を迎えた、無駄にあざとく甘ったるい声。俺の元後輩かつ現恋人のいろはすこと一色いろはである。

「はいはいただいま」

「リアクション薄……もうちょっとノッてくださいよー」

 ぷりぷり怒りながらも両腕を広げたいろはを抱き寄せると、彼女はんふーと満足げな吐息を漏らす。はいはいあざとい可愛い。

「で、どうしますか? とりあえず先お風呂にしますか? それともコンビニまでひとっぱしりしてきますか?」

「選択肢変わってるし減ってるし夢もキボーもなくなっちゃってんだよなぁ」

「お醤油ギリ切れかけたので。あとアイス食べたいので」

「せめて本音のほうは隠せよ……」

 しかもよく聞いたら醤油のほうもギリ間に合ってんじゃねぇか……。ひくひく顔を引きつらせていると、てへっと笑ってウインクするいろは。

 ……この子ったらまーたそうやって! そうやって一体何人の野郎共をだましてきたの! 怒らないから正直に言ってみなさい! やっぱり可愛いんだよなぁ……。

 けどまぁ、いろはが家事全般をやってくれるのは本当にありがたい。しかも文句の一つもなしに……いや結構言ってんなこいつ。ごろごろしてると「邪魔です」って脚でげしげしされたりもするし。つらいです……ごろごろが好きだから……。だが、その白く綺麗なおみ脚で蹴られるのは悪くない(キリッ)。

 と、そこでいろはの目が瞬間冷却したみたいに冷たくなり。

「先輩。なんか気持ち悪いこと考えてますよね」

 なにこいつ、エスパー? あくタイプぶつけんぞ。

「か、考えてない」

「えぇ~、ほんとにござるかぁ?」

「ほ、ほんとにござる……。猿じゃないんだから……」

「どの口が言いやがりますかそれ。昨日だってあんなにわたしの」

「悪かった、俺が悪かった。だから言わんでいい言わんで」

 ふぅ……あっぶねー、全世界に性癖晒されるところだった。特定とかシャレにならんし。性癖晒されて特定……うっ、頭が……。

 などとネットの怖さに一人ガタガタ震えていると、いろはは何事か、俺の背中を優しく叩く。ぽっふぽっふ、ぽっふぽっふ。

「まぁ、先輩も男の子ですもんねー」

「……んぐ」

 変態! スケベ! 八幡! と罵られたほうがまだマシだった。

「まぁ、わたし可愛いですもんねー」

「自分で言うなよ……」

「でも否定はしないんだよなぁ」

 俺の肩口でもぞついたいろはは、挑発的な横顔で、ついと視線を合わせてくる。

 わかった上で言っていて、わかった上でやっている。そんな振る舞いが相変わらずムカつくけれど――その相変わらずがたまらない。

 お返しとばかりにいろはの頭をぐっしゃぐっしゃと撫でる。すると、ぎゃーセットがーなんて叫んだ後、彼女は俺の手を取りラジコンのようにして。

「雑ですやりなおし。ほら、撫でるならこんな感じで……」

「あーはいはい、ごめんねこうだね」

「ちょっ、変わってない! 雑! だからざっつい! やりなおし!」

 

  ×  ×  ×

   

 で、じゃれあった末に、結局ひとっぱしりさせられた後。

 湯の張られた浴槽以下略。同じだと芸がないので今回はカットで……。

 また(しかも行まで同じ)メタとはたまげたなぁ……と今回も自重せずにメタメタしつつ、湯の張られた浴槽に浸かりながら、ふーっと大きく長い息を吐く。いや書いてんじゃねぇか。カットするとは一体なんだっ――。

「――お邪魔しまーす」

「え、ちょっ、早、はやぁ……」

 前回の導入をまるごと全部蹴っ飛ばして、めっちゃ軽いノリで言いながら、バスタオルを身体に巻いたいろはすインザバスルーム。別の意味で心臓に悪いわ……がっつりガードでエロくないし……。

 ただ、本作は一応、前作のいろはすバージョンという体なので……。

「……きゅ、急になに、どしたの」

「は? いや、急にもなにも、毎日一緒に入ってるじゃないですか」

 俺のフォローが無に帰した瞬間がこちらです。い、いろはすぅ〜……もうちょっと空気とか展開とか読んでほしいなぁ……。

 だが、渋い顔になる俺などどこ吹く風、いろははいつものように(たぶん)ちゃぽんと向かい合う形で身を浸からせる。

「ふー……きもちー……」

「う、ううむ……」

 消化不良感もあって、つい材木座みたいな唸り方をしてしまった。

 そんな俺の反応を見て、いろはがじとり目を細めて訝しむ。

「もしかしてまたなんかよからぬことを……」

「い、いや、違うぞ? そうじゃなくて、なんつーの? ……あいったぁ……」

 なんとか軌道修正しようと試みたら、無言でげしっと蹴られたのでもうダメです。

「イラッとくるんでその喋り方金輪際禁止です」

「アッハイ」

「よろしい」

 す、隙がない……全然、まったく、これっぽっちも……!

 これは……万策尽きたー! 

 

 ――はい、というわけでね。

 ごっしごっし……とめぐりさんの時のように背中を流してもらうわけでもなく、俺が身体を洗ってあげるわけでもなく、リラックスタイム(とは彼女の言)に付き合う形で再び湯船へ。端的に言わなくても混浴ですね! でも前回との温度差ェ……。

 なのでせめて何かR要素をと、いろはが身体を洗っている時にふにふにのお胸やら魅惑の三角地帯やらを目が血走るほどガン見してたら、「気持ち悪……」とゴミを見るような眼差しで吐き捨てられたことをここにご報告しておきますね! 正直ゾクゾクしました。うわ気持ち悪……。

「男の子ですねぇ」

 と、俺の身体を足先でつんつんしてくるいろは。問題なのはつんつんしている箇所である。暴発しちゃうからやめてほしい。まずいですよ!

 しかしそこはさすがの一色いろは、引き際は弁えているかの如く、モノローグの途中でくすり笑って、脚をすすすと三角座りに戻すと。

「あとでまたしてあげますかねー。気が向いたらですけど」

 などとご機嫌でのたまう。

 っべー……。セーフ、セーフ。コキじゃないからイッてない。

 俺は天を仰ぎ、ほうっ……と震えた息で余韻と欲を逃がしてから。

「いろは、お前なぁ」

「こういうのも好きなくせに」

「アッハイ」

「よろしい」

 何か言う前に秒で封殺されてしまった。悔しい……! でも……感じちゃう! と世のいろはスキーの方々は喜ぶのかもしれないが、あいにく俺はそんな嗜好持っちゃいない。……え? PCで冒頭のセリフから二十一行目? 十六行前? ははは一体なんのことやらハチマンワカンナイ。

 なんて俺が一人メタリンピックを開催している間に。

「……よいしょ」

「ちょっ、なに、なんでこっち来たの……」

 湯船の中で器用にくるりんと身体を反転させたいろはが、くっつきもたれかかってきた。今はお互い裸と裸、となると必然、当ててんのよではなく当たってんのよ状態になってしまうわけである。俺の名誉のために何がどう当たってんのかは省略させていただくが、熱気と緊張と興奮で頭も心も股間もフットーしそうだよぉ……いや全部言ってんじゃねぇか。自重しなさい。

 なんて具合にガッチガチ(他意のない表現)となっている俺の様子に、いろはは首だけで振り返り、くすっと微笑む。

「ふふ……いつものことじゃないですか。それにいまさらですし。いい加減慣れてもらわないとわたしも困っちゃいます」

「困るって……慣れたら、それはそれで、ちょっとアレなのでは」

「あー、まぁ、それはそうなんですけど……」

 そこでいろはは「でもですよ」と意味深に区切った後、やり場をなくしてさまよう俺の両手を自身の手で掴み添えて、ぎゅっとするように動かしながら。

 

「――それでも、これはわたしのです。だから、慣れてもらわないと困ります」

 

 直後――左頬に、濡れた髪の感触。本当にかすかな接触音。やわらかなタッチ。ふわり漂うシャンプーの匂い。女の子特有の甘くていい香り。

 不意打ちに唇をぱくぱくさせつつそちらを見れば、ぷいといろはが顔を逸らす。頬や耳が先程よりも赤く見えたのは、この態度からして、俺の錯覚というわけではないのだろう。

 ほーんと素直じゃねぇなぁこいつ……。

「……まぁ、善処できるよう前向きに検討する方向で」

「でたー……、全然する気がないやつ……。まぁ、先輩らしいですけど」

 俺も大概だった。でもねいろはす、やれやれって感じのオーラ出してるけど、君は人のこと言えないからね。まったく誰に似たのかしら……。

 けれど、やはり、そんなところが何よりも可愛くて。なんとなく、本当になんとなく、彼女のお腹を優しく撫でるように、抱きしめる力を入れた。

「ん……ふふっ、先輩、どうしたんですか〜……?」

「なんかな、うん……なーんかなぁ……」

「……あはっ。じゃあ、そんな素直じゃない先輩のためにぃ〜……」

 曖昧な俺の言葉にそんなことを囁いたいろはは、ゆっくりと、瞳に瞼のカーテンを下ろしていく。差し出された唇はぷるりと瑞々しく、やたらと蠱惑的で、扇情的で。

 俺は、ふらふらと花の蜜を求める蝶のように。

 いろはのそこへ唇ごと誘われて、そのまま――そっと吸い込まれた。

「んっ……ん……」

 禁断の果物かと思えるほどに。彼女の吐息が、彼女の唾液が、彼女の匂いが、何もかもが甘くて、甘くて、甘い。

 もう、この子のこと以外何も考えられない。考えたくない。

 いろはから離れたくない。いろはを離したくない。

「……んぅ〜……」

 と、俺の手をにぎにぎしながら、わざとらしく声を上げるいろは。そこはかとない微笑と挑発のニュアンス。言葉に起こすなら『先輩はまったくもう』だろうか。

 …………。

 手玉に取られっぱなしは癪なので、試しに舌を伸ばしてみる。

「ん……っ?! ……ふっ、はっ……」

 拒まれなかったので、少し激しくしてみる。

「……ぁ……っはぁ、んっ……んっ、んん……っ」

 拒まれない。

 なら、もう少し、もっと。

「ん、ぁ、はっ……ぁん、んふぅ、んっ……はぁっ、あっ、はっ……」

 舌を絡ませ合って、お互いの口内をまさぐって、掻き回して、まぐわって。

 ぴちゃぴちゃと唾液を交換して、ぬちゃぬちゃと糸を引かせまくって。

 ただただ、二人で卑猥な水音を響かせて。

「いろは……」

 やがて、俺は、最愛の女の子の名を呼んで。

 ゆっくり、ゆっくり、彼女のお腹に添えたままの手を。

 上へ、上へ――。

 

「………………あいったぁ」

 が、そこへ辿り着いてハッピーになる前に、手の甲をつねられてしまった。

「もう……先輩、すぐ調子乗るんですから……」

「こ、ここまできて、おあずけ……?」

「はい♡」

 残念、えろはすタイムはここで終了のようです。まぁこれ以上はRタグ必要になっちゃうからね、仕方ないね。当作品は全年齢対象のKENZENな作品です。にしてもこいつ悪魔かよ。こんなん半殺しみてぇなもんじゃねぇか……。

 なので、悪あがきではあるが、全力で恨みがましく見つめていると。

「……あ、あの……そんなに……?」

「当たり前だろ。超したい。できれば口と下で、両方」

「うっわ欲望ダダ漏れ……」

 先っぽだけでもいいじゃないか、だって男の子だもの、はちを。いや何言ってんだ俺。どうやら待てを食らいすぎて性的欲求がブレーキをかける力を上回ってしまったらしい。理性の化け物とは一体なんだったのか。あれそういう意味じゃないけど。

「はー……もう、仕方ない人だなぁ」

 ふすーふすーと理性で欲望をなんとか必死に抑えつけている俺に、いろはは楽しげにくすり笑って、俺の手の甲をさわさわと優しく撫でさすりつつ。

「まぁ、さすがにちょっと可哀想になってきましたし……」

 お? お? どすけべオッケーくる? クルー?

「全部済ませてから、寝るときにまた、……ね?」

 ヨッシャキタァァァァァ! ウワヤッタァァァァァ!

 

 とまぁ、おいまたこのパターンかよRシーンもちゃんと書けよと言いたくもなるだろうが、今回はキスシーンを喘ぎ多めのアウトラインギリギリまで描写したので、読者諸兄姉のみなさま方におかれましては以下略。

 

  ×  ×  ×

 

 いろはす、ごちそうさまでした。とてもおいしゅうございました。

 ふぅ……ん? ご飯の話だろって? 今回は事後だよ! 残念だったね! とメタメタの実で本作もしっかり七行前を回収しつつ、場面はふぅ……なピロートークよろしく普通のベッドシーンへと飛びまして。

 時刻は日付をまたいで少し。俺の胸に顔を埋め、いろはがもぞもぞもふもふ。

「先輩はほんとーにけだものですねー……」

「んなことは……」

「ありますー。わたしがどれだけイッたと思ってんですか」

 直接的な描写はないからセーフ。

「……ちなみに」

「いや、そんなの言えるわけないですけど……ていうか、女の子にそういうこと聞かないでください。マナー違反ですよ?」

「だって、本当は俺だけとか、……嫌だろ、そんなん」

 こんだけ盛っといてあれだが、相手の気持ちを無視してする行為なんざ自慰と変わらない。相手あってのセックスなんだから、そんなことできるはずがない。もし自分だけがというなら「オナニーでもしてろバーカ!」である。そんなものにひとかけらも愛などなく、ただの可哀想なお猿さんである。アルファベットが示す並びのようにHとIは隣どおしあなたとわたしさくらんぼ、愛がなければエッチはできねーんだよわかってんのか? お? ともはや濁す気も伏せる気もゼロだが、前と言ってること同じだし前以上に目が滑るだろうし大丈夫でしょ、っつーか手抜きがバレるんでお願いします目よ滑ってください(震え声)。

「ほんとマジでアホですねー、この人はー……」

 と、いろはが思いっきり呆れた顔で。

「わたしがあんなふうになるの、先輩だからに決まってるじゃないですか。先輩だから……あーもー、なんでわたしがこんなこと……。察し悪い先輩とかもうただのゴミですよゴミ、あーもー、ほんとにもー……いちいち言わせないでほしい……」

「ひでぇ言われよう……」

「このばか、あほ、ぼけなす、とーへんぼく、けだもの」

 素直な本音だったのか、俺の胸元で真っ赤になった顔を隠しながら、いろはがぶつ切りにしたワードをぽっしょぽっしょと呟いた。

「……このばか、あほ、ぼけなす、とーへんぼく、けだもの」

 まさかの二周目突入。しかしあれだな、こいつほんとめんどくせぇな……俺も大概だけども。

 ああ、そうか――そうだったな。

「……いろは」

 理由も理屈もいらない。残すのは感情だけでいい。

「はい? ……ふふっ、またそんな物欲しそうな顔してどうしたんですか〜……?」

 

 ――めんどくさくない女の子なんていませんよ。

 そうだな、超めんどくせぇよ。勝手に勘違いしてキレるし、かと思えば、勝手にへこんでいきなり泣き出すし、めんどくさいったらありゃしない。ただでさえ人間自体がめんどくさいってのに。

 ――ちょっとくらいずるいほうが女の子らしいじゃないですか。

 ちょっとなんてもんじゃない。その勝手な勘違いも、理不尽な泣き落としも、傍若無人でしかない振る舞いも。

 それらのめんどくさい素顔が、俺一人に向けられているというだけで――こんなにも可愛い。こんなにも愛しい。たまらない。ずっと独り占めしていたくなる。

 

 だから、世界で一番めんどくさくて仕方ない女の子に。誰よりも一番ずるくて、可愛くて、愛しくなった女の子に。

 俺の腕の中で、眠るように目を閉じた、最愛の女の子に――そっと。

 

 ……と、やはりここで、前作同様のフィニッシュですけれども。

 ほら、誰だって、最愛の人や推しとの時間は他人に奪われたくないでしょう? 幸せの余韻を噛みしめながら眠りたいでしょう?

 そんなわけで、おあとがよろしいようでということで、どうか一つ。

 

 

 

 

 




Pixivからの転載です。めぐりん・はるのんバージョンは下記リンクに。
【https://syosetu.org/novel/57775/】

ではでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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わたしとお米ちゃんの、ちょっとした非日常バトル。

  ☆  ☆  ☆

  

 今後の行事関係についての書類をまとめたり、判子を押したりと頑張っているわたしの横で、書記ちゃんといちゃこらばかりしてまるで使い物にならない副会長に、副会長といちゃこらばかりしてまるで役に立たない書記ちゃん。

 という感じで、年度のスタートから既に雲行きが怪しい。この色ボケどもが……。

 そんな状況の中、貴重な息抜きの場、つまりオアシスとも呼べる奉仕部に救いを求めてやってきたものの。

「おつかれでーす。……あれ? お米ちゃんだけ?」

 部室には、暇そうにスマホをいじいじしているお米ちゃん一人だけ。

「今日はそうですねぇ。兄も雪乃さんも結衣さんも、諸事情によりおやすみです」

「ほう。して、その諸事情とは」

「結衣先輩はお友達と外せない約束があるそうで。兄と雪乃さんは……まぁ、お察しください」

 ほーん……。結衣先輩のほうはたぶん三浦先輩絡みだろうからともかく、後者のほうは雪乃先輩のおうち絡みか。いや、最近の雪乃先輩を見るに、ただの……。

「これだから色ボケしてる連中は……。ほんとつかえねー……」

 雪乃先輩も、結衣先輩も、ついでに先輩も来ない。じゃあもう用はねーな……と生徒会室へUターンしようとして、わたしは思いとどまる。

 なので、わたしは普通にいつもみたいに、お米ちゃんと先輩の間、つまり奉仕部内におけるわたしの椅子をがたたと引く。

 すると、お米ちゃんが露骨にうげっと嫌そうな顔をした。

「あの、いろは先輩? 繰り返しになりますが、今日は他に誰も来ませんよ?」

「いやわかってるから。さっき聞いたから」

「ではなぜお帰りになられないのでしょう? 正直、小町にはいろは先輩の暇つぶしに付き合う必要も義理も持ち合わせてはいないのですが……」

「はぁ、つまり、お米ちゃんはわたしに帰れと」

「あ、はい、端的に言えばそうです」

「お米ちゃん、お客様は神様ですって言葉、知らないの?」

「うわなんだこのひと自分で自分を神様扱いとかすごいなー」

 女二人の間に、ばちばちばちっと火花が散った。無駄に無意味に不毛に不必要に。

 けど、わたしももう高校二年生。みんなの後輩としてではなく、彼ら彼女らの先輩としても振る舞わなくてはいけない時期だ。

 だから、このクソ生意気な後輩に立場をわからせるためにも、いちいち目くじら立てて反撃するよりも、先輩の余裕ってやつを示しておくべきだろう。

「ていうか、先輩たち来ないならお米ちゃんももう帰ればよくない?」

「いやー、そういうわけにも。これでも小町、部長という責任ある立場ですから」

「あー、そうだね。一応は部長だもんね」

「そういういろは先輩こそ、こんなところで油売ってて大丈夫なんですか? 一応は生徒会長ですよね?」

「わたし、これでもやることはちゃんとやってるから」

「えー、でも、毎日ここ来てません?」

「……まぁ、わたしにもいろいろあるというか」

 そう、いろいろあるのだ。わたしが抜け出すことによって副会長と書記ちゃんが思う存分いちゃつけるっていうはははそれじゃダメじゃねーかとにかく仕事しろなめんな働け。

 だが、そんなの知るかとばかりに、盛大なため息を吐くお米ちゃん。

「こんな人が生徒会長やってて大丈夫かなー、この学校……」

「ははっ、まるで信用されてねー」

 や、まぁ、お米ちゃんから信用されなくたって痛くも痒くもないけど。なぜならわたしが生徒会長で、つまりはわたしが権力者で、わたしが支配者で……あれ? これ権力持たせたら一番まずいタイプでは?

「お米ちゃんの言うこんな人を生徒会長にしたのって先輩なんだけどなー」

 というわけで、もろもろまるっとぶん投げることにしました。

「……んん? 兄が? いろは先輩を?」

 けど、なんか思ってた反応と違う反応が返ってきた。お米ちゃんはなにやら引っかかっているらしく、しきりに「一色、いろは……? 生徒会長……?」と小声でぶつくさ繰り返すばかり。

「……あっ!」

「うるさっ……なにいきなり」

 と思いきや、今度はクソでかい声で叫び、ぽんと手を打つお米ちゃん。

「なるほどなるほど、全てが繋がりました! 兄が前に言ってたのはいろは先輩のことだったんですね!」

 そしたら、そのままなんか聞き捨てならないことを言い出した。

「なにそれどういうこと詳しく一字一句間違えずに」

「お、おう……。お気持ちはわかりますがそれにしてもがっつきすぎでは……」

 だってそんなの気になるでしょ普通。どういう悪口言ってたのかなー、みたいな。いや悪口なのかよ。悪口なら負ける気しねー。

 わたしの食い気味な反応にドン引きしていた小町ちゃんだったが、仕切り直すようにけふけふ咳払いすると。

「いろは先輩がご存知かどうかはわかりませんが、お兄ちゃんたちに一悶着と言いますか……まぁ、そういう感じのことがありまして」

「あー、確かになんかめっちゃギスギスしてたなー、一時期」

 なんでかまでは今でもわからないけど、空気が最悪だったことは覚えてる。そして察するに、その出来事があの出来事に繋がっているのだろう。

 わたしがうんうん頷いていると、お米ちゃんもなぜかうんうん頷く。

「その時に、いろは先輩の名前がちらっと出ましてですね。いやー、なるほど。その時にクズ同士っていう選択肢が発生したわけなんですねぇ……」

「は? なにいってんだこいつ……。あの、前も言ったけど、わたし、さすがにあそこまでじゃないから……。ていうか別に、先輩のことなんて、どうでもっていうか」

「兄も兄でいろは先輩のことはどうでもいいって言ってましたよ」

「……は? え? あ? お米ちゃん今なんつった? もっかい言ってみ?」

「いや、そこは小町のせいにされても。そう言ってたのは事実ですし……ねぇ?」

 なん……だと……?

「……え、待って? ほ、ほんとに? 嘘だよね? わたし、今、心折れちゃいそうになってるんだけど……」

「いろは先輩……残念ながら……」

 よよよ……とお米ちゃんがわざとらしく鬱陶しい泣き真似をする。いつもならそろそろ「ははっ、おめーいい加減にしねーとぶっ殺すぞ」って煽り返してるところなんだけど、今はそれどころじゃなかった。

 このままではわたしのメンタルが危ない。

 わたしはブレザーのポケットからスマホを取り出すと、ぷるぷると震えまくる指でライーンなトークアプリを開く。おまけに声もぷるぷるで、ついでに唇もぷるぷるつやつや。

「……じ、事実確認、しなきゃ……」

「あれ? いろは先輩ってお兄ちゃんの連絡先知らないんじゃ?」

「うるさいお米ちゃんうるさい」

 なんでそんなひどいこと言うの……? このタイミングでそんな残酷な現実を突きつけなくてもよくない……?

 藁にもすがるように、慈悲を求めるように、うるっと瞳を潤ませながらわたしはお米ちゃんの顔をじっと見つめた。

「もちろん教えませんよ?」

 がーん! 

 ……でも、まぁ、しょうがないよね。プライバシーは大事だもんね。

「こいつほんとつかえねー……」

「いろは先輩、おそらく本音と建前が逆です。……あの、というか、それは当時の話で、今もそうかと聞かれると……あー、うーん、どうでしょうねぇ?」

「ははっ、おめーいい加減にしねーとぶっ殺すぞ」

 

  ☆  ☆  ☆

  

「で、先輩ってば、コース考えてこいっつったのに、いきなりわたし任せでー。ありえなくない?」

「出ました、ゴミいちゃんムーブ。で、どうせあの兄のことですから、俺は後からついていくスタイルだとかなんとか言い訳したんじゃないですか?」

「そうそれ、ほんとそれ。さすがアレの妹、さっすがー!」

 再びばちばちばちっと火花を散らしていたはずが、わたしとお米ちゃんのどろどろキャットファイトは、いつの間にかなんでかどうしてか、すっかり先輩の悪口大会へと変わっていた。うーん、女の子って不思議! そして怖い!

「ふっふーん。だてに何年もダメダメのゴミでクズでカスなアレの妹兼お世話係やってませんよ、小町は!」

「だからなんでそんな嬉しそうなの……。お米ちゃん、ほんと歪んでるなぁ……」

 なぜかどや顔でふんすと胸を張るお米ちゃんに、わたしはちょっぴり同情めいたため息をふっと漏らす。や、ダメダメのゴミでクズでカスなアレっていうところは全面的に同意だけど。

 なんて思っていたら、小町ちゃんがふと、どこか寂しげな顔で微笑む。

「……まぁ、そんな感じでろくでもなさを極めていた愚兄が、最近は少しずつまともになっていってるみたいで小町は嬉しい限りです」

「え、そう?」

 そりゃ、まぁ、多少は言動もろもろ見れるレベルにはなったかもだけど、でも、まともからはまだほど遠いような……。と、首を傾げていると、お米ちゃんはなんだかバカにしくさるようにふすっと笑う。

「あー、やっぱいろは先輩にはわっかんないかぁ。わっかんねーだろうなぁ……」

「いや別にわかんなくても全然いいけど……」

 なんだこいつ……。いやほんとなんなの? この子、定期的にわたしを煽らないと死ぬの? なめんな? いつか泣かす。

「……ていうか、わかろうとしてわかるもんじゃないでしょ、アレは」

 思わず、微苦笑がため息交じりに漏れた。

 そう、腐るに腐ったあのド腐れに限っては、話せばわかるとか、そういった綺麗事は一切通じない。また、見ていればわかるような単純なものでもないのだ。

 だから、ほんとに、めんどくさい。わたしだってそれなりにめんどくさいけど、先輩はそれ以上にめんどくさい。そして、雪乃先輩も結衣先輩も、同じくらいめんどくさい。

 たまらず二回目の微苦笑とため息を漏らすと、なぜかお米ちゃんはうるうるした目でじーっと見つめてきた。

「……お姉ちゃん」

「やめてウザい。ていうかやめろ」

「ウ、ウザッ!? ウザくないもん! せっかくいろは先輩の味方してもいいかなってちょっと思えたのに! 前言撤回です! 小町、いろは先輩の味方だけは絶対しませんからね!」

「だから頼んでねーっつーのいらねーっつーの」

 そもそも誰かに味方してもらって手にするものじゃないでしょ。張り合いないし、つまんないし。そうやって手に入れたって、なんの価値もないでしょ。

 ――そういうのって、そういうもんでしょ。

 

 でも、まぁ……。

 たまになら、そんな悪くないかな、こうやってお米ちゃんの相手するのも。

 一応……ほんとに一応、せっかくできた後輩だし。

 

「ちょっといろは先輩! 聞いてますかー! 聞いてるんですかー!」

「あーはいはい聞いてる聞いてるうるさいお米ちゃんうるさい」

「嫌い! いろは先輩なんて嫌い!」

「あーはいはいお好きにどうぞ」

 

 ……でも、まぁ、本人には死んでも言いたくないけど。

 そんなことを思った、とある春の日の、ちょっとした非日常の出来事だった。

 

 

 

 

 




ではでは、ここまでお読みくださりありがとうございましたー!


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