砕蜂のお兄ちゃんに転生したから、ほのぼのと生き残る。 (ぽよぽよ太郎)
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序章 6度目の任務
第1話


 

 

 

         +++

 

 

 「あのお方が見えるか、列缺(レツケツ)。我々(フォン)家は、あのお方に全てを捧げることになるのだ」

 

 少年は、父親に連れられてその少女と出会った。

 ”天賜兵装番(てんしへいそうばん)”四楓院家の22代目当主、四楓院(しほういん)夜一(よるいち)。近いうちに隠密機動総司令官、及び同第一分隊「刑軍」総括軍団長という職務も譲り受けると言われている才媛で、少年が生まれながらにして仕えることが決まっていた相手だった。

 

 「今日からお前は、龍蜂(ロンフォン)と名を変えろ。そして、あのお方のためにのみ生きるのだ」

 

 少年は父親になにも返さず、ただゆっくりと頷いた。そんな少年を見て、父親は満足そうに頬を緩める。

 

 少年の生まれた(フォン)家は、代々処刑と暗殺を生業としてきた下級貴族。強さこそが全てで、刑軍にすら入れぬ者は一族を追放された。

 

 少年の兄4人はすでにこの世にはいない。皆がそれぞれ優秀だったが、任務の遂行中に殉職していったのだ。だからこそ、父親は残った末の少年に家の繁栄を願った。

 

 そして、幼いながらも少年はその期待に応えてきた。幼い頃から大器の片鱗が見え、それゆえに課される厳しい修行にも耐え抜いた。少年の才は四人の兄をも凌ぐほどで、父親はこれで家の繁栄が約束されると、そう確信していたのだ。だからこそ、万感の思いを込めて少年に言い聞かせた。

 

 ――あの方に仕え、あの方に命を捧げる。それがお前の運命なのだ。と。

 

 だが、少年は知っていた。これから訪れる、己の運命を。

 

 明確に訪れる、自身の死を。

 

 「――はい、父様」

 

 そう答えた少年の目には、決意の炎が灯っていた。

 

 

 

 

 

 

         +++

 

 

 

 俺は死んだ。いや、死んだはずだった。

 代わり映えのない毎日を怠惰に過ごし、自堕落な生活を送り、ある時ぽっくりと命を落とした。死の間際には不安や恐怖などなく、ただただその現実を受け止めるだけだった。

 後悔することだってなかった。そもそもこの世界に執着なんてないのだから。

 

 ――でもせめて、できることなら、生まれ変わったら楽しい人生を。

 

 そんなことを願いつつ、暗闇に飲まれていった。

 

 そのはずなのに――

 

 「――おお、また男児か! これで(フォン)家も盤石だ……!」

 

 次に目が覚めた時は、赤ん坊になっていたのだ。

 突然のことすぎて、冷静に物事を考えることなどできなかった。だが、それでも時間だけは過ぎていく。そして、だんだんと状況が理解できた俺は、自分の生まれに絶望することになった。

 

 尸魂界(ソウルソサエティ)の下級貴族、(フォン)家。代々処刑と暗殺を生業としてきた貴族で、なにより、俺はこれを知っていた。

 

 BLEACH。

 漫画の世界に、転生したのだ。

 

 ただ、百歩譲ってそれは良い。可愛い女の子も多いし、これから巻き起こる騒動を当事者の目線で楽しめるなんて最高だ。

 

 だが、(フォン)家のキャラクターといえば砕蜂(ソイフォン)しかいない。そして彼女の五人いた兄は、例外なく全員が死亡しているのだ。

 

 原作にはいなかったキャラかもしれないと期待もしたが、俺の上には兄が四人いた。ご丁寧にも全員隠密機動に所属していて、俺が修行を始める頃にはすでに他界していた。面識がなかったために彼らについては思うところはなかったが、俺は気が気じゃなかった。

 

 俺は砕蜂の五番目の兄。このままだと、俺は死んでしまう。

 

 死についての嫌悪感はなかった。それでも、渇望していた楽しみを奪われたくはない。努力した結果死ぬのならそれで良いし、それもまた面白いだろう。だが、なにもせずに簡単に死ぬのだけは許せなかった。

 

 この世界で生き抜いて、放縦不羈(ほうしょうふき)な日々を送る。そのために自身の避けられぬ死の運命に抗うことを決め、俺は一層修行に励んだ。

 

 

 

 

 

 龍蜂(ロンフォン)。それが今の俺の名前だ。

 幼少期の修行の日々はキツかったが、死亡フラグを折るために必要なこと。俺は懸命に取り組んで、隠密機動へと入隊した。

 なお、隠密機動に入隊したと同時に(フォン)家の八代目も襲名した。原作通りだとこのまま俺が死んで、砕蜂――今はまだ梢綾(シャオリン)という名前だが――に九代目が受け継がれるのだろう。

 

 俺の現在の役職は隠密機動第一分隊”刑軍”の隊士だ。護廷十三隊の序列で言えば、ギリギリ席官くらいの強さはある……と思う。そんな刑軍の隊長はみなさんご存知夜一さんで、彼女は二番隊隊長も兼任している。

 ……これもうわけわかんねえな。このあたりはややこしすぎて、面倒になってくる。

 

 砕蜂は俺が隠密機動に入隊する前には生まれていた。まだ修行中の身だが、なかなかに筋が良い。そしてなにより、めっちゃ可愛い。夜一の追放が起こる前だからか性格も大人しめだし、あのおどおどした感じがたまらない。やはり(フォン)家のものとして死んだ兄たちのことは情けなく思っているらしく、刑軍に入って実力もある俺のことは尊敬してくれている。たぶん、死んだら失望されそうだけど。

 

 砕蜂については原作のように夜一と百合百合しくなるのも良いが、俺的には妹としても愛でたい。砕蜂の隠密機動時の服はとても魅力的だしな。なんといっても、あの貧乳横乳と横開きズボンから見える紐パンだ。それらを身近で見られるとか、死亡フラグさえなければ最高な気もする。

 

 そうこうと砕蜂(愛しの妹)のことを考えていると、知らず知らずのうちにニヤけてしまう。我ながらシスコン甚だしい。

 

 「……おや、龍蜂サンじゃないですか?」

 

 そんなことを考えながら隊舎内を歩いていると、不意に声をかけられた。声のした方を向くと、ボサボサの髪に眠そうな目の男が立っている。

 

 「――おう、喜助か」

 

 浦原喜助。将来の二番隊の第三席であり、第三分隊監理隊隊長も務めることになる男だ。俺よりも後輩で、今は第三分隊監理隊の一般隊士。お互い夜一と仲が良いこともあり、こうして頻繁に話すようになった。

 

 飄々とした態度で自身の底を見せない点は、個人的に気に入っている。なにより、初めて会った時はものすごくテンションが上がった。なんせ原作でも重要なキャラなのだ。それを生で見ることになるなんて、前世では考えもしなかったからな。

 

 「まーた妹さんのこと考えていたんスか?」

 

 どうやらにやけていたところを見られていたらしい。

 

 「龍蜂サンがニヤニヤしてる時は、基本女の子のこと考えてる時っスからねえ」

 

 「うっせー。それより、夜一さんってどこにいるかわかるか?」

 

 四楓院夜一。俺たち二番隊士の上司なのだが、原作通りに奔放な人だった。なにより、あの健康的なエロさがたまらない。本人がそういうことに頓着しないせいか、胸チラなんぞは日常茶飯事だ。眼福眼福。

 

 隠密機動に入ってすぐ「自分のことは名前で呼ぶように」と厳命され、当初は一応「夜一様」と敬称をつけて呼んでいた。だが、長く過ごすうちに様付けするのがバカバカしくなったのだ。毎度毎度振り回され、尊敬という感情はほぼなくなった。なんというか、動物を見ているみたいな気分にすらなる。

 

 「いや、知りませんねえ。またどっか出歩いてるんじゃないっスか」

 

 夜一さんは、突然いなくなることがある。一応護衛隊なんていうものもあるくせに、連れ立って歩くとこなんて滅多に見たことがなかった。

 

 「そっか。……まあいいや、適当に探してみるよ」

 

 どうせまた、流魂街でもウロウロしているんだろう。人のことを呼び出しておいてどういうつもりなんだ、まったく。まあかく言う俺も、仕事をサボりつつ流魂街に入り浸っていることが多い。

 西流魂街1地区”潤林安”をはじめとした治安の良い場所には、多種多様な店が存在する。甘味処だったり大小様々な飲み屋、料亭。果ては見世物小屋から遊郭まで。

 尸魂界(ソウルソサエティ)にも飲み屋や甘味処もあるけど、雰囲気が違うんだよなあ。

 

 ……よし、俺も行こう。

 

 喜助にひらひらと手を振り、俺は流魂街へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 




主人公スペック

名前:龍蜂(ロンフォン)
身長:185cm
容姿:黒い長髪で普段はポニーテール

評価、批評、感想などお待ちしています。


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第2話

現時点の砕蜂(ソイフォン)はまだ梢綾(シャオリン)という名前ですが、地の文では砕蜂(ソイフォン)で統一してあります。


 

 

         +++

 

 

 

 翌日。痛む腰を押さえつつ、俺は夜一さんの元へと向かった。今日はちゃんと隊長室にいるらしい。

 昨日は結局、夜一さん探しに飽きて行きつけの店へと向かってしまったのだ。俺は悪くない。淫らな格好の客引きが悪いのだ。

 

 「それにしても、頑張りすぎたかな……?」

 

 午後には治るだろうが、腰がしんどかった。右手で腰を叩きつつ、隊長室の前までたどり着く。

 

 「よーるいーちさーん。開ーけまーすよー」

 

 そう声をかけると共に、部屋の扉を開く。あわよくば着替え中であってくれ、と邪な願いを込めつつ。

 

 「お、なんじゃ龍蜂(ロンフォン)か。どうしたんじゃ?」

 

 だが、もちろんそんなことはなかった。いつも通りのだらけた様子で座布団に座り、煎餅を齧っている。……ちくしょう。いつもいる護衛隊の気配がなかったからちょっと期待したんだけどな。

 

 「はあ……なんじゃもなにも、俺のこと呼び出したの夜一さんでしょ」

 

 「……おお、忘れておった!」

 

 本当に忘れていたようで、ぽんぽんと手を打って驚いている様子だ。それでいいのか刑軍団長。

 

 「――最近、夜間の(ホロウ)の出現情報が増えておる」

 

 だが、ほんわかとした空気から一変、夜一さんは真面目な雰囲気になって口を開いた。

 なんでも流魂街の各所で(ホロウ)が出現したという情報が出てきているようだ。それ自体はどうということはないが、それらの(ホロウ)は一点を中心に出現しているようだった。

 

 「昨日はおぬしにそれの調査を任せようと思ったんじゃが、隊舎に戻ったらどこにもおらんからな。昨夜は別の隊士たちにその場所を調査させたんじゃが……」

 

 その隊士たちが戻ってこないらしい。刑軍内でもそれなりに腕の立つ者たちだったようで、このことが少々問題になっているみたいだ。だが、その程度でも夜一さんが動くには理由が弱い。夜一さんは上級貴族ということもあって、こういう時の身動きは取りにくいようだった。

 

 「……それって、もともと俺が行くはずだったってこと……だよな?」

 

 夜一さんは頷く。

 俺は今まで刑軍の業務以外にも、こうして個人の任務もこなしていた。俺は今までで計5回。危険なことも多かったが、特に問題なくやれてきた。

 だが、今回ばかりは違う。4人の兄のうち2人が1度目、残りの2人が2度目の任務時に命を落とした。これは原作でも言及されていたはずだ。そして、砕蜂(ソイフォン)にとって5人目の兄である俺は、この6度目の任務で命を落とす。

 

 「今夜、(ホロウ)が出現したと同時におぬしにその調査を頼みたい。危険かもしれぬが、おぬし以外に適任はおらぬのじゃ」

 

 俺にとっての鬼門。ここを超えないことには、真の意味でこの世界での俺の人生は始まらない。そんな気がした。

 

 「……わかりました」

 

 「なんじゃ、その不景気な顔は。わしはおぬしを信頼してるんじゃぞ? ほれほれ、もっと喜べ」

 

 だが、夜一さんは相変わらずの調子だ。俺の悲壮な覚悟なんぞ知らないから仕方ない部分はあるのだが、どうにもイラッとした。俺はまだあんまり強くないんだぞ? 決め技だって未完成だし。死活問題なんだちくしょう!

 

 「おぬしも刑軍の一員。それに、わし自らが鍛えたりもしたのじゃ。この程度の任務、こなしてみせい」

 

 「うっせー。無事に帰って来たら乳見せろ、この駄猫」

 

 売り言葉に買い言葉。俺は思わず本心を喋ってしまう。まあここで恥ずかしがったりするなら女としても魅力的に見えるんだが、そこは残念夜一さん。きょとんとした顔で、首を傾げている。「なんで乳なんぞ気にするんじゃ?」ってな感じで。

 おそらく頼めば普通に揉ませてくれる気がする。だが、触るとしたら恥ずかしがってくれないと意味がないのだ。チラ見えは無頓着な女の子のものでも興奮するけど、無頓着な女の子の乳を揉むなんて興奮しない! むしろそれは哀れなことですらある。

 

 「はあ……。まあ、適当に頑張りますわ。俺もまだ死にたくないんでね」

 

 いろいろ言ったが、俺としてもこれから逃げるつもりはなかった。ここで逃げては、俺は先に進めない。いつかはこの時が来ると思い、準備はしてきたのだ。それで命を落としたのなら、しょうがないと笑うしかなかった。

 

 「――頼んだ」

 

 夜一さんも、再び真剣な顔に戻ってそう言ってくれた。うん、キリッとしている夜一さんも良いな。

 

 いつも通りの調子ではいるが、昨夜行方不明になった隊士たちのことも心配なはずだ。そして、そこに新たに隊士を送り込まないといけない。力ある自分が行けず、誰かに任せるしかないというこの状況。相当に歯がゆいはずだ。

 それでも、夜一さんはそれを見せまいと気丈に振る舞っている。これに答えられなきゃ、男じゃないな。

 

 「美味しいお酒でも用意して待っていてください。サクッと終わらせて帰ってきますから」

 

 俺の言葉に、夜一さんは少し間を空け笑顔を浮かべた。

 

 「うむ、わしのとっておきを用意しておいてやろう」

 

 その言葉に頷いて、俺は部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 隊長室から出た俺は、夜までどう時間を潰そうかと考えていた。まだ日は高く、今まで通りなら(ホロウ)の出現は夜のはずだ。それまではぶっちゃけ、暇である。

 

 書類仕事もあるっちゃあるんだが、別に今日中にやらなくてはいけないわけじゃない。ダメ男の発想かもしれないが、どうせ死ぬなら仕事なんてやっていたくないしな。なにより夜一さんが隊長ということもあって、意外とこういう部分は緩かったりする。大前田副長に見つかると始末書書かされるけど、ようは見つからなければいいのだ。

 

 というわけで、一旦家へ戻ることにした。出勤直後に帰宅とかふざけてるよなぁとか思ってしまうが、今日ばかりはいいだろう。俺の未来を知らない人たちからしたら確実に殴られるな、これ。まあでも、アンニュイな気持ちになった時は、家族の顔を見たいものだ。

 

 俺は得意の隠形で密かに隊舎を抜け出し、家へと向かう。

 

 俺の家は下級貴族とはいえ貴族の末席である。そのため、小さいながらも屋敷も持っていた。一般の死神は隊舎で生活しているのだが、貴族の中にはこうして家から通う者も多い。朽木家とか大前田家とか。夜一さんもそうだった気がするな。

 

 そして、俺んちの敷地には屋敷自体よりも大きい修練場がある。ここで幼い頃から父親にしごかれたのだ。小さな森だってあるし、本格的な訓練もできるようになっている。

 

 ぶっちゃけ、父さんとは親子としての付き合いはない。当主と前当主であり、師匠と弟子。ただそれだけの関係といってもいい。同じ屋敷内で生活しているが、俺が隠密機動に入隊してからは関わることはなくなった。

 逆に母さんとは結構仲が良かったが、彼女は砕蜂を生んだ時に亡くなってしまった。砕蜂はそのことを気に病んでいるようで、父さんに苦手意識を持っているみたいだ。父さんと母さん、仲が良かったからな。

 

 閑話休題。

 

 修練場に着くと、砕蜂が一人で鍛錬していた。まだ十歳を超えたあたりなのだが、白打に関してはだいぶ強くなった。鬼道や斬術は苦手みたいだが、十歳にしては良い方だろう。

 

 それでも、父さんは(フォン)家の六人兄妹では一番才能がないと言っていた。それも、砕蜂の目の前で。あん時は思わず殴りかかりそうになったが、砕蜂はそれでもめげずに努力を続けているのだ。

 

 まあそのことで、死んだ四人の兄にコンプレックスのようなものを抱いてしまったみたいだけど。死んだ兄よりも、生き残っている私のほうが強いんだ、みたいな。俺も死んだらそうやって嫌われちゃうんだろうか。そのことがとても不安だ。

 

 「梢綾(シャオリン)。お疲れ様」

 

 「――あ、兄様」

 

 俺が遠目から声をかけると、砕蜂はとてとてと走ってきた。結構懐いてくれているので、花のような笑顔を浮かべてくれている。鍛錬中の眉間に皺が寄ったキツめの顔もいいけど、やっぱり笑顔が一番だな。近くまで走ってきた砕蜂の頭を撫でつつ、そんなことを考える。

 

 「兄様、お仕事はどうされたのですか?」

 

 砕蜂はくすぐったそうにしながら、そんなことを聞いてくる。まあ普通はこの時間には隊の業務があるしな。

 

 「ああ、夜にちょっと任務があってな。それまでは休憩って感じかな」

 

 そして俺は、とっさに嘘をつく。

 本当は仕事をしていないといけないんだけどね。

 まだ夜一が追放される前だが、それでも砕蜂は規律に厳しいのだ。元の性格が真面目っていうのもあるけど、もし俺がサボったなんてバレたら嫌われてしまう。

 

 「任務ですか! さすが兄様ですね!」

 

 うん、砕蜂の純粋な言葉が辛い。

 だが一応、任務をこなす人間というのは言ってしまえばエリートだ。弱い奴には斥候や暗殺、処刑なんて任せられないしな。だから俺もエリートの一員ではあるのかもしれないけど、正直実感はない。

 そして、砕蜂はそんなエリート(笑)である俺のことを尊敬してくれているのだ。胃が痛い。

 

 「でも、任務というのは危険なものなのではないですか? もし兄様になにかあったら……」

 

 「大丈夫。俺はいつでも帰ってきただろ? 梢綾(シャオリン)を置いてどこかに行ったりはしないって」

 

 本当はわからない。今日俺は、死ぬかもしれないのだ。だけども、この可愛い妹には弱気なところを見せたくなかった。だから俺は、自身満々にそう言う。

 

 「はい! 気をつけてくださいね、兄様!」

 

 俺の言葉に砕蜂は安心したように笑顔を浮かべる。この笑顔をまた見るために、なんとしても生き残らないとな。

 

 改めて決意を固め、時間は過ぎていった。

 

 

 

 

 

 




死亡フラグを立ててOSR値を貯めるテクニックです。


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第3話

 

 

 

         +++

 

 

 砕蜂(ソイフォン)とともに少し修練をしていると、いつの間にか日が落ちてしまっていた。砕蜂がせっせこ攻撃してくるのをあしらいつつ拙い部分をその都度指摘していたのだが、やはり物覚えは良かった。白打に関しては本当に良いものを持っていると思う。なにより、汗に濡れる姿は本当に可愛かった。

 

 その後は屋敷の縁側でぐうたらしていると、裏廷隊伝令部の者がやってきた。

 

 「――龍蜂(ロンフォン)様、軍団長閣下からの伝令です。例の(ホロウ)が出現。至急、現場に向かわれるように、と」

 

 一応俺も貴族で、隠密機動の中でも席官クラス。だから敬語を使われているんだけど、正直むず痒いものがある。

 俺は彼の言葉に頷いて、現場へと向かった。もちろん、すでに装備は整えている。隠密機動の真っ黒な装束を身にまとい、斬魄刀を腰に刺した状態だ。頭巾は被っていない。あれを被るとモブ臭が半端じゃないんだよな。いや、俺なんてモブみたいなもんなんだけどさ。

 

 ……どうやら俺は、自身の死亡フラグを前にしても緊張はしていないみたいだ。

 

 そのことに安堵しつつも、瞬歩で現場へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 「――ここ……だよな」

 

 夜一さんから聞いた場所に着き、俺は隠形で隠れる。周囲は木々に囲まれていて、ここだけぽっかりと空き地になっていた。この場所から等間隔の位置で複数の霊圧を感じることから、今夜も各地で(ホロウ)が出現しているようだ。

 

 こうしてその中心部に来たのはいいが、隊士たちが消息を絶つような原因は見当たらない。もしくは、まだ出現していないのだろう。

 仕方なく隠形を解いて、周囲の警戒を強める。消息を絶ったということは、なにかしら敵性を持つものにやられたと見て間違いない。そしてそれは、おそらく――(ホロウ)だ。

 

 だが、見た限りでは(ホロウ)の気配はなかった。手練れの隊士たちがやられたのなら、不意打ち、もしくは純粋に強い(ホロウ)が現れたと見て間違いないだろう。さて、今回のはどっちだ。

 

 改めて周囲を見ようとした瞬間――

 

 「……ッ!!!」

 

 ゾクリ、と何かを感じ、俺は後方へと飛び退いた。そして、先ほどまで俺の立っていた場所が轟音とともに土煙に包まれる。

 この気配は(ホロウ)だ。それも、かなり強力な。

 

 土煙がはれると、そこにはやはり(ホロウ)が立っていた。頭から黒い外套のようなものを被っていて、仮面は鼻の部分が尖っている。それは、霊術院の教科書にすら載っている有名な(ホロウ)だ。

 

 「大虚(メノスグランデ)……だと……?」

 

 見た目は大虚(メノスグランデ)最下級大虚(ギリアン)に類似していた。だが、その(ホロウ)は人と同じくらいの大きさしかなく、身体つきも人間っぽい。不自然じゃない長さの手足が生えていて、まるで人間が黒い外套を着て仮面をかぶっているようにも見えた。

 

 どうやら、俺の知っている(ホロウ)とはいろいろと違うみたいだ。

 

 「……くそ、なんだこの霊圧は!?」

 

 こいつからは、最下級大虚(ギリアン)の霊圧を小さく凝縮されたような迫力を感じた。

 隊務として(ホロウ)へと斥候、戦闘などは何度もこなしてきた。だが、ここまで強大な霊圧を感じたことはなかった。否、強大な霊圧は感じるが、意識しないとそれが霧散してしまうような、不思議な感覚があるのだ。これでは、離れている場合は霊圧すらも感じることはできないだろう。

 

 それにそもそも、攻撃されるまで霊圧どころか気配すら感じなかったのだ。

 

 「――気配を……()()()()()()……?」

 

 これじゃあまるで、後に現世の魂葬実習で出てきたあの(ホロウ)のような……。

 

 「――まさか……っ!」

 

 ――これは、藍染の実験体なのか……!?

 

 藍染とは数度だけ会ったことがあった。すでに5番隊の副隊長になっていて、人柄は極めて温厚。人望が厚く、護廷十三隊の死神からはよく信頼されている。俺だって、原作知識がなければその姿を信じてしまっただろう。

 

 だが、藍染だけは信用してはいけない。尸魂界(ソウルソサエティ)への謀反、破面(アランカル)での攻勢。百歩譲ってそれはまだ良い。いや、よくはないけど。ただ、将来的に雛森を始めとした女性たちを傷つけるのは頂けない。女の敵は俺の敵なのだ。

 

 ましてや、こうして俺の死亡フラグが藍染に関係しているっぽい。もし生き残れたら、今後はさらに警戒を強めるべきだろう。

 

 ……これが藍染の実験ならば、切り抜けたとしても命が危うい気がするけどな。

 

 「……だが、そんなことも言ってらんねえか」

 

 何もせずに死ぬのだけは勘弁だった。

 まだ出会っていない原作キャラだってたくさんいるし、なにより物語の続きも知りたかった。俺が知っているのは破面(アランカル)編まで。それ以降も、物語は続いていくはずだ。だからこそ、こんなとこで死んでたまるか。

 

 腰から斬魄刀を抜いて構える。あの(ホロウ)――ブラックとでも呼ぶか。ブラックはじっと俺を見たままで、動く気配はない。なら、こちらから仕掛けるまでだ……!

 

 「――破道の三十三”蒼火墜(そうかつい)”」

 

 詠唱破棄で唱えた蒼い炎が、ブラックへと放たれる。これで弱い(ホロウ)なら一撃で倒せる。そうじゃなくても、少しくらいの手傷は加えられるはず。

 

 そう思って放ったのだが……

 

 「おいおい、無傷かよ……」

 

 蒼火墜(そうかつい)を食らったブラックは無傷だった。文字通り、火傷すらもしていない。今の俺の技量では、最下級大虚(ギリアン)相手に鬼道ではダメージを与えられないみたいだな。だが、それも想定済み。

 それに、こいつだって(ホロウ)だ。仮面さえ破壊すりゃなんとかなるだろう。

 

 「おらぁッ!」

 

 そのまま瞬歩で距離を詰めて、斬魄刀で切りつける。斬術は得意というわけじゃないが、(ホロウ)相手には十分すぎるほど鍛えている。

 だが、ブラックは両手を顔の前で交差させ斬撃を防ぎ、同時に斬魄刀を振り払った。腕ごと両断する気で切りつけたのだが、予想以上に固く簡単に弾かれてしまったのだ。

 

 それでも、俺は弾かれた衝撃はそのままに後方宙返りの要領で回転し、左足でブラックの腕を蹴り上げる。そしてそのまま空中で身体を捻り、右足の踵でブラックを蹴り飛ばした。

 ブラックは吹き飛ばされ、数本の木をなぎ倒して止まった。

 

 仮面を狙って霊力を込めた蹴りを繰り出したのだが、それにしては手応えがなかった。

 

 「……くそ、やっぱり効いてねえか」

 

 案の定、ブラックは無傷で立ちあがった。やはり、ただの白打ではダメージを与えるのは難しいのかもしれない。

 ブラックは立ち上がると同時に、こちらへと向かってきた。俺もそれを迎え撃つ。ブラックは無手で攻撃を繰り出してくるが、その一撃一撃が重い。基本的にはその攻撃を避けつつも、避けきれないものは斬魄刀で防ぐ。だが、斬魄刀で防ぐ度に火花が散って、悲鳴を上げているようだった。

 

 俺も白打で応戦し何度も打ち合うが、お互いに決定打は出ない。否、俺がもし一撃でもブラックの攻撃を食らったら、それだけで勝負は決まってしまうだろう。それほどまでに、一撃の破壊力が違いすぎた。

 

 このままでは、ジリ貧だ。

 

 「散在する獣の骨――」

 

 俺はブラックと打ち合いつつ、詠唱を始める。

 

 「――尖塔・紅晶・鋼鉄の車輪 動けば風 止まれば空 槍打つ音色が虚城に満ちる」

 

 そして、詠唱が終わると同時にブラックに手をかざす。

 

 「――破道の六十三”雷吼炮”!」

 

 俺の言葉とともに、巨大な雷がブラックを襲う。雷吼炮は俺の使える鬼道で一番威力の高いものだ。だが、これでも倒すことはできないだろう。

 近距離でそれを食らったブラックは、咆哮をあげつつ後退した。やはり、それほどダメージは通っていないようだ。それがわかっていたため、俺もブラックと同時に後退して距離をとった。

 

 「見せてやるぜ、俺の切り札……!」

 

 そして、斬魄刀(かのじょ)へと意識を向けた。刀身に左手を添えて、柄から刃先までをゆっくりなぞる。

 

 「紫電一閃(しでんいっせん)――」

 

 解号を、小さく呟く。

 

 「――”鳴神(なるかみ)”!!」

 

 

 

 




隠していた能力を出すことで、OSR値を上昇させました。
なお、敵にカウンターOSRをされた場合は著しくOSR値が減少します。


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第4話

 

 

 

         +++

 

 

 隠密機動第一分隊“刑軍”。

 隠密機動の中でもエリートとされるそこは、実力が全てだ。護廷十三隊では家の格である程度の融通が利く場合はある。だが、隠密機動はそうはいかない。死神の処刑から(ホロウ)への斥候など、実力がなければ務まらない隊務ばかり。

 その中でも、上位席官クラスになるには始解の習得が必須だった。そしてもちろん、(フォン)家の8代目当主を引き継いだ俺にはそれが求められた。

 

 知識として生まれた時から始解については知っていた。だが、知っているのと実践するのでは雲泥の差がある。

 隠密機動に入隊してから、修練時には毎回斬魄刀の名前を聞こうと努力してきた。だが、なかなか上手くいかずに半ば諦めてすらいたのだ。

 

 そんなある日、いつも通り斥候任務を受け現地に向かい、(ホロウ)に奇襲を受けた。隠密機動に入隊して、少ししてからのことだ。

 油断していたんだと思う。入隊当初から同期の誰よりも強く、白打に関してはその時点で父さんをも凌いでいた。そのこともあって、どこか本気じゃなかった気がする。

 

 そして、そんな俺をあざ笑うかのように、その(ホロウ)には白打が全く通用しなかった。にわか仕込みの斬術、鬼道も通用せず。なすすべなく追い詰められ、足に怪我を負うことで逃げることすらできなくなった。

 

 ――ああ、俺はここで死ぬのか。

 

 漠然と、そう感じた。

 死亡フラグとはなんの関係もないところで、あっけなく。死の間際になって慢心に気がつくとはな。生まれたばかりの時の覚悟を忘れた報いなのかもしれない。

 

 ――だが、最後まで諦めてたまるか!

 

 動かない足を引きづりつつ、覚悟を決めて攻勢に出ようとする。せめて一太刀、傷跡を残してやる、と。

 

 その時――

 

 ――全く、情けないわね。

 

 そんな声とともに、視界が暗転した。

 

 

 

 

 次に目を覚ますと、見知らぬ場所に立っていた。暗闇に包まれた真っ暗な世界。遠くには稲光が見え、腹の底に響く雷の音が聞こえる。

 

 そして、俺の少し先には建物が見える。宮殿のような、城のような。なんというか、場違いな雰囲気だ。

 

 ――ここはいったい、どこなんだ?

 

 「ここは、アンタの精神世界よ」

 

 俺がぼんやりと考えていると、不意に声が聞こえた。前を向くと、いつの間にか少女が立っていた。少女は黄色いぴっちりとしたドレスを着ていて、頭部には角が生えている。身長はだいたい160センチくらいか。髪は黄色くサイドテールになっていて、肩に掛かる程度の長さがある。胸は……うん、ギリギリある。

 

 「――ってことは、キミは俺の斬魄刀……でいいのかな?」

 

 「……不本意ながら、そうね」

 

 少女はつっけんどんな態度で答える。その声音には怒気が含まれていて、キツめに吊り上がった瞳も俺を睨んでいる。

 確かに、今までの俺を見てきたのなら怒るのも無理はないだろう。今まで斬魄刀の名前を聞こうとはしてきたが、こうして精神世界に入れたことはなかった。その理由は、今ならわかる。

 

 「……で、目は覚めたのかしら?」

 

 「……ああ」

 

 今での俺には、覚悟が足りなかった。いずれ来る死に対して、中途半端に構えていた。生まれた当初に抱いた覚悟を蔑ろにして。

 そんな状態で、斬魄刀が力を貸してくれるわけがない。むしろ、斬魄刀の意思を踏みにじっているとも言えるだろう。

 

 「今まで……済まなかったな。もう、大丈夫だ」

 

 だが、彼女のおかげで気が付くことができた。本当に死ぬんだ。このままだと、あっけなく。それを許容なんて、できるわけがない。

 俺はこの世界でやりたいことが、たくさんある。そして、そのためには強くならなければならない。今よりも、ずっと。

 

 彼女は俺を暫く睨むと、ふぅと小さくため息をついた。

 

 「――全く。アタシがここまでしてあげたんだから、死んだら許さないわよ」

 

 そう言って彼女は薄く笑う。その笑顔は、とても魅力的だった。

 

 「アタシの名前は――」

 

 その後、彼女の力もありその任務は切り抜けられた。威力不足により白打が無効化されたが、彼女の前で意味をなさなかったのだ。

 

 そしてそれ以後、俺は今まで以上に修練に明け暮れた。白打はもちろん、鬼道、歩法、斬術もとことん突き詰め、来るべき時に備えた。

 

 

 

         +++

 

 

 

 ――それが、その来るべき時は、今だ!

 

 「――“鳴神(なるかみ)”!!」

 

 俺の言葉とともに、斬魄刀の形状が変化した。左手を添えた部分から黒く細い刀身に変わり、蒼い電気を纏う。刀身は90センチ。柄を含めると1メートルを超える。

 

 斬魄刀“鳴神”。雷を纏った、俺の斬魄刀だ。鳴神はパチパチと電気を散らし、その存在を主張する。

 

 俺は鳴神を構えて、ブラックを睨みつける。雷吼炮は少し効いたのか、ブラックは人間らしく腕をさすっていた。咄嗟に腕でガードしたのだろう。

 

 だが――

 

 「これは、防げるかな……!」

 

 俺は鳴神を振りかぶり、ブラックに突っ込んだ。確かにブラックの身体は硬い。白打や鬼道、封印状態の斬魄刀でも傷すらもつけられなかった。だからこそ、この一撃も防ごうとするだろう。

 

 それが、()()()

 

 今までよりも鋭く、そして強く踏み込んで、一閃。

 

 ブラックは右腕を眼前に構え、防御の形をとった。左手は握り締められていて、カウンターを狙っていることがわかる。だが、俺はそれを気にせず鳴神を振り切った。

 

 「――ギィィィィッッッ!!!」

 

 ブラックの叫び声から一瞬遅れて、ボトリとブラックの右腕が地面に落ちる。ギリギリ仮面に当たらないように避けたようだが、戦闘が始まって初めてこいつの焦った様子が見れた。

 

 「――俺の鳴神の能力は単純さ」

 

 俺はそう言いつつ、再びブラックに斬りかかった。数度の打ち合いでブラックには数多の傷が付くが、それでも致命傷までには至らない。防戦一方ではあるが、ブラックの(ホロウ)らしからぬ技量に俺は内心驚く。

 

 ジリ貧になると判断したのか、ブラックは大きく下がろうとした。だが、今の俺は()()()()()()()()

 

 「雷を纏った刀身は、すべてを切り裂く」

 

 ブラックの背後へ瞬歩で移動し、全力で霊力を注いだ鳴神を縦に振り抜いた。ブラックは振り向き反撃しようとするが、遅すぎる。

 

 「ギィ……ィ……ッ!」

 

 鳴神の一刀で仮面ごとブラックを両断し、ブラックは苦しげなうめき声を残して消え去った。驚くほど、あっけなく。

 

 「――これで終わり、か……」

 

 途端に、身体から力が抜けた。鳴神は燃費が悪い。未だに使いこなせていないからなのだが、どうしても霊力を多く消費する。あの鳴神(ツンデレ娘)を従順にするのは、まだしばらくかかりそうだった。

 

 だがそれでも、乗り越えたのだ。自身の死という、大きすぎる壁を。

 

 「はあ……女の子に膝枕されたい……」

 

 疲れでだるくなった身体を地面に横たえ、俺は呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 「――面白い……」

 

 先ほどまでの戦闘を見て、藍染は薄く笑った。視線に映るのは、自身の造った(ホロウ)を倒した、隠密機動の青年。彼はモニターの向こうで、地面に横たわっている。

 

 「彼は一体……?」

 

 東仙は自身が忠誠を誓う相手である藍染に問う。大虚(メノスグランデ)を改造した(ホロウ)。それが先ほどまで龍蜂(ロンフォン)が戦っていた相手だ。もちろんそう単純なものではない。素体には死神だって使っていた。だからこそ、実験には結構な時間がかかっていて、ノウハウが溜まるまでは相当な労力と根気が必要だった。

 

 そんな(ホロウ)を、隊長、副隊長でもない一隊士が撃破したのだ。気にならないほうがおかしいだろう。

 

 「ああ、彼の家は特別なんだよ」

 

 藍染は部下である東仙にそう言い、説明を始める。

 

 「下級貴族(フォン)家。彼はそこの8代目当主なんだ」

 

 藍染の話では、蜂家は護廷十三隊が発足した当初に二番隊隊長を務めた男の家だとのこと。彼は相当な猛者だったようで、“総隊長”山本元柳斎重國の盟友でもあった。

 そして彼の死後、彼の家系では稀に濃い血を継いだ者が現れ、才覚を発揮するのだそうだ。

 

 「それが、彼だと……?」

 

 東仙の言葉に、藍染は頷く。

 

 「少なくとも、彼の四人の兄や幼い妹よりは才能があると思うよ」

 

 「ならば、排除を……」

 

 「いや、それはいい」

 

 脅威は事前に排除するべきだと考えた東仙。だが、部屋を出て行こうとした東仙を藍染が止める。

 

 「彼らにも出てもらおう。もしそれで生き残ったのなら――」

 

 藍染は再び笑みを浮かべた。

 

 ――それもまた、面白いかもしれないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し休んだことで、だいぶ身体は楽になった。霊力の回復が早いのが俺の特徴でもあるのだが、それにしても鳴神の燃費の悪さはどうにかしたかった。

 

 ……鳴神とは今度じっくり話し合おう。色々な意味で。彼女の扱いが未熟なままでは、これ以上の相手と戦った時に厳しい。

 

 まあとにかく、藍染は出てこないみたいなのは助かった。彼が出てきたら、その時点で詰んでいただろう。

 

 「……さて、そろそろ――」

 

 帰ろうか、と身体を起こしたが、その瞬間、嫌な予感がよぎった。

 

 「……っ!」

 

 すぐさま立ち上がり、周囲を見渡す。先ほど倒したブラックのような、嫌な圧力を感じたのだ。それも、複数……っ!

 

 俺の予感通り、周囲一帯から空間が割れるような音がした。

 そしてそこから、5体の(ホロウ)が出てくる。奇しくもそれは、昨夜ここに送られた先遣隊の数の同等だ。だが、それだけならまだ良い。通常の(ホロウ)なら5体程度は問題ですらないのだ。

 

 問題だったのは、そいつらの姿だ。

 

 「――何……だと……?」

 

 新たに現れたのは、あれだけ手こずったブラックと同形態の(ホロウ)が5体。

 

 

 

 明確な死の足音が、近付いてきた。

 

 

 

 

 

 




 
OSR値上昇行動
「過去回想」「背後を取る」
「能力の説明」「敵の撃破」
「第三者視点から下される高評価」

カウンターOSRがなかったことで、始解先行発動によるOSR上昇値に変動はなし。
だが、補充したOSR値を、
「――何……だと……?」
で台無しにするという痛恨のミス。
状況は一気に不利に。


〜〜以下、予告〜〜

お願い、死なないで龍蜂(ロンフォン)
アンタが今ここで倒れたら、夜一さんや砕蜂(ソイフォン)との約束はどうなっちゃうの?
OSR値はまだ残ってる。ここを耐えれば、ブラックに勝てるんだから!

次回「龍蜂(ロンフォン) 死す」

デュエルスタンバイ!

※この予告は、本編とは一切関係がございません。
 


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第5話

 

 

 

         +++

 

 

 先の実験体と同形態の(ホロウ)が五体。消耗した今の龍蜂(ロンフォン)には荷が重いだろう。逃げようにも、先ほどと同じ力を持っているのならば逃げ切れるわけはなかった。

 

 「――それでは……」

 

 ――彼は死ぬだろう。

 

 藍染から龍蜂(ロンフォン)の現状を聞かされ、東仙は戸惑う。藍染の口ぶりから彼に生き残って欲しそうにも感じたのだ。

 

 そうにも関わらず、藍染は昨夜の死神を利用し作った(ホロウ)を五体も(けしか)けている。満身創痍の龍蜂をさらに追い詰めるかのように。

 

 もちろん、龍蜂を殺さないことに東仙は反対だった。今回のことで何かに気がついたかもしれないし、これからさらに成長するならば脅威になりかねない。龍蜂がこの危機を脱することで生じる不都合が多々あるのだ。そして、このまま行けば、その懸念はなくなるだろう。

 

 だが、東仙は主である藍染の考えが読めないことが、不安だった。

 

 「……彼はまだ、力を隠している」

 

 不意に、藍染が呟く。視線はモニターから外していないが、東仙の戸惑いを感じたようだ。

 

 龍蜂は五体の実験体と渡り合っているが、ぶつかるたびに傷が増えて行っているようだ。藍染の言葉を聞くかぎり、東仙には力を隠しているようにはとても見えなかった。

 

 「迷っているようだね、彼は。おそらく何者かが観察していることに気がついているんだろう」

 

 「……っ! そんなっ……!?」

 

 藍染の言葉に東仙は驚く。万全を期して実験を行っているため、自分たちの暗躍は誰にも気取られていないはず。藍染の斬魄刀の能力も相まり、露呈することはないはずなのだ。

 

 「いや、誰かはまではわかってないんだろうね。ただ、観察している者に手の内を晒したくないようだ」

 

 藍染はそう言うと、興味深そうに顎に手を当てた。

 

 おそらく、今回の実験は始めから彼が目的だったのだろう。藍染は事前に四十六室に手を回して隊長、副隊長格の出動を制限し、その他実力者も軒並み動けないようにしていた。そして、(ホロウ)への斥候は二番隊の仕事。龍蜂が出てくるのも時間の問題だったといえる。

 

 いくら実験体が強いとはいえ、卍解を始め隊長格には敵わない。逆に言えば、東仙はただの隊士になら実験体が負けるとは思っていなかった。

 

 だからこそ東仙には四十六室への手回しの意図がわからなかったが、それが今理解できた。そして認めたくなかったが、この実験を通して藍染は龍蜂のことを相応に評価しているようでもあった。

 

 「――でも、これで奥の手も出さざるを得ない」

 

 モニターでは、ボロボロになった龍蜂が実験体の腕で貫かれたところだった。彼は全力で実験体を蹴り飛ばすが、脇腹からは血が漏れ苦悶の表情を浮かべている。

 

 それを見た藍染は、満足そうにそう言った。

 

 東仙は藍染の表情を伺うことはできない。だが、その背中からは言いようのない悪寒を感じた。

 

 

         +++

 

 

 深夜。夜一は隊長室の中を、落ち着かない様子でウロウロしていた。

 脳裏に浮かぶのは、(フォン)家の8代目当主である龍蜂。生意気な部下であり、気のおけない友人でもあった。

 現在は何かと戦っているんだろう。先ほどから彼の霊圧の高まりを感じていた。

 

 夜一と龍蜂の出会いは、龍蜂の隠密機動入隊後すぐのことだ。やけに白打の強い新人隊士がいると聞いて、その稽古中ちょっかいを出したことが始まりだった。

 どれが龍蜂かわからなかった夜一は次々に新人たちを薙ぎ倒していって、最後に残ったのが龍蜂だった。当時からすでに白打最強と言われていたこともあり、手加減はしていたとはいえそんな自分に肉薄した龍蜂に興味を抱いたのだ。

 

 元々(フォン)家のことは知っていた。優秀な血統も()()()()()()()であり、隠密機動を本家分家問わずに代々支えてきた一族だ。衰退や不幸が重なり現在は本家も分家もなくなってしまったが、一族の実力は確かだった。

 

 そういうこともあり、龍蜂の出自を聞いた時は納得したものだ。同時に、(フォン)家の血を濃く継承したのが彼だということもわかった。

 

 そこからは、後に隠密機動へと入隊した喜助も巻き込んでよく行動をともにした。ともに遊び、ともに実力を高めあい、ともに過ごした。

 

 そして今では刑軍の中でもトップクラスの実力を持つに至り、このまま成長したのならば大前田副隊長の跡目にとの声もあるくらいだ。

 

 今までの日々を思い出し、夜一は小さく笑った。彼の言った通りに、机にはとっておきの酒が用意してある。

 

 「だから早う、帰ってこい」

 

 その酒を一瞥し、小さく呟く。

 

 「――っ……!?」

 

 だが、突如彼の霊圧が乱れ、薄くなる。何かがあったと考えるのが妥当だろう。致命的な傷を負った、などと。

 

 夜一は思わず、隊長室の扉を開いた。待機命令が出ているとはいえ、このままでは彼が死ぬだろう。咄嗟の行動であり、考える前に身体が動いた。

 

 だが、飛び出そうとした夜一の腕を掴む者がいた。

 

 「――離すのじゃ、喜助……」

 

 浦原喜助。夜一の幼馴染であり、弟のような存在だった。

 

 「だめっスよ、夜一サン。待機命令が出てるんスから」

 

 「じゃが……っ!」

 

 四十六室の決定は絶対。それに、隠密機動がこういう状況で私情を挟むのは御法度だ。それでも、それがわかっていても、喜助を睨んでしまう。

 

 「なので、ボクが行きます」

 

 だが、喜助は眠そうな顔で小さく笑った。

 

 「任せてください。これでもお二人に負けないくらい、強くなってるつもりなんスから」

 

 

 

 

         +++

 

 

 ――クソッ……!

 

 俺は血の吹き出す脇腹を抑えつつ、膝をついた。一瞬の隙を突かれ、背後から一撃。本当に、情けない。

 

 おそらくこの戦闘は藍染に見られているのだろう。こいつらが実験体なんだとしたら、どこかでモニターしているはずだ。だからこそ、できる限り手の内は見せたくなかった。

 

 だが――

 

 「――出し惜しみして致命傷とか、笑えねえな……」

 

 込み上げてくる血を無理やり飲み込み、自嘲気味に笑う。口の中に鉄の味が広がり、ツンと鼻にきた。

 このままだとジリ貧。というよりも、血を流しすぎてろくに動けなくなるだろう。

 

 五体のブラックは油断なく俺を囲むように位置を取っている。どうやら、逃がしてくれる気はないようだ。

 

 ここを切り抜ける策は、もう一つしか残っていない。藍染に通用するとは思えないが、できるだけ手札は残しておきたかった。だが、それももう諦めるしかない。

 

 俺は懐から小さな紙包みを取り出す。それを開くと、中には親指の先ほどの黒い丸薬が一つ。俺はそれを口に放り込み、噛み砕いた。薬品特有の嫌な味がするが、気にせず咀嚼し飲み込む。

 俺と喜助で開発した霊力回復薬。結局はこれ以上の開発を断念したが、一定の効果があったため試作品をもらっておいたのだ。

 

 それにより消費した霊力を回復し、俺は無詠唱の赤火砲(しゃっかほう)で傷口を強引に焼く。手荒だが、こうしてでも血を止めないと動けそうになかった。

 

 肉の焦げた嫌な臭いを嗅ぎながら、俺は精神を集中させた。自身の身体に霊力を練り込み、背と両肩に高濃度に圧縮した鬼道を纏う、白打と鬼道を練り合わせた戦闘術。まだ未完成ながら俺の切り札であり、夜一さんとの修行の成果だ。

 

 「――”瞬閧(しゅんこう)”!」

 

 発動とともに上半身を包んでいた装束が弾け飛ぶ。一応鍛えてはいるため見栄えは悪くないと思うが、男の上半身の裸など需要はないだろう。瞬閧用に刑戦装束というものはあるのだが、着るのが恥ずかしかったのだ。あれは女の子が着てなんぼのもんだからな。

 

 身体の周囲で視覚化した霊力で、身体のあちこちから血が滲む。未だに制御ができないため、鬼道を炸裂させられるのは両掌のみ。しかもこうして肉体にダメージを与える諸刃の剣なのだ。

 

 瞬閧で戦える時間は少ない。だが、俺の持ち札では一番の破壊力を誇る技だ。だからこそ、短時間でこいつらを殲滅する――!

 

 俺を囲むブラックのうちの一体に、瞬歩で近付く。今までとは一線を画す速さに、ブラックはそれに反応できない。俺を見失ったブラックの後頭部に掌底を打ち、鬼道を炸裂させる。

 

 「――まずは一体ッ!」

 

 バラバラに消し飛んだブラックを一瞥し、次の標的へ。俺との距離を詰めてきた二体に、瞬歩で近付く。

 

 「――二体ッ、三体……ッ!」

 

 闇雲に腕を振り回すそいつらの攻撃を潜り抜け、両手で仮面部分に掌底を叩き込む。爆音とともにその二体も吹き飛び、その後ろからもう一体が近づいてくる。先ほどの二体との時間差での攻撃。それをしゃがんで避けて、左手で地面をつき右足で蹴り上げる。

 

 「――四体目ぇッ!」

 

 そして、落ちてきたそいつに掌底をぶつけ、鬼道を炸裂。仮面が消し飛び、そいつも消滅する。残された一体はまるで人間のように唖然とし動きを止めていた。俺を恐れるように、少しずつ後ずさっていく。

 

 「これで――」

 

 俺は最後の一体へと距離を詰める。そいつは俺を遠ざけようと腕を振るが、すでにそこからは攻撃の意思は感じられなかった。俺はその苦し紛れの攻撃を避けると、容赦なく顔面に掌底を叩き込む。

 

 「――最後だあぁぁぁっ……!!!」

 

 鬼道の炸裂とともに周囲に風が吹き荒れる。最後の一体は、背後の木々も巻き込んで跡形もなく消し飛んだ。

 

 ……どうやらこれで、すべての実験体を倒したみたいだ。

 

 警戒は解かないが、後続が出てくる予兆はない。

 

 「……ぐぁっ……!」

 

 不意に、身体中に激痛が走った。瞬閧の、なにより霊力回復薬の副作用だろう。霊力を無理矢理回復させることで、負荷のかかった体内の器官が甚大なダメージを負う。そのことも、開発を中止した要因なのだ。

 

 身体のうちが焼けるような痛みに、俺は思わず膝をついてしまう。流れる血に比例するように、少しづつ意識が薄れていく。倒れそうになる身体を支えるだけで精一杯だった。

 

 「くそ……。酒だけじゃ、割に合わねえって……」

 

 やはり、夜一さんの乳を揉ませてもらおう。そう決意を固めたところが、限界だった。俺はそのまま倒れこみ、意識を手放そうとした。

 

 だが、そこで何者かの気配を感じる。圧倒的な、それでいて冷たい気配。これは――()()()だ!

 

 「紫電一閃、”鳴神”――ッ!!!」

 

 痛む身体に鞭打って立ち上がり、鳴神を抜いて構える。睨みつけた先には予想通りの人物が立っていた。そして彼は、その手を斬魄刀の柄にかけている。

 

 「砕けろ――」

 

 聞こえるのは、斬魄刀の解号。俺は咄嗟に鳴神の能力を発動させた。

 

 「――”鏡花水月”」

 

 俺の意識は、そこで途絶えた。

 

 

 

 




致命傷を受けて追い詰められることでOSR値が上昇。
夜一の危機察知によりOSR値が上昇。
露出(男)によりOSR値が減少。
追い詰められてから真の切り札を出すことで、OSR値が大幅に上昇。

OSR値が足りないため、ヨン様とは戦闘に突入できず。


-選手コメント-

龍蜂「すまぬ」



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第6話

 

 

 

         +++

 

 

 倒れこんだ龍蜂(ロンフォン)を見て、藍染は眉を潜めた。東仙はそんな藍染に疑問を感じ、声をかけようとする。

 

 だがその瞬間、何者かの霊圧が近付いてくるのがわかった。

 

 「……!? 何者かが近付いてきます!」

 

 「おそらく、浦原喜助……だろうね」

 

 藍染は霊圧を感じる方向を見つつ、東仙に言った。隠密機動第三分隊に所属する隊士。名前だけでいうなら、龍蜂のほうが有名だろう。よって、同じく未だただの隊士である東仙には、浦原という死神が誰のことだかわからなかった。

 

 「――戻ろうか」

 

 彼はこのままでいいのか?

 

 そう疑問に思った東仙だったが、藍染が鏡花水月を使ったのだ。万が一はありえない。そう考え直し、静かに首肯する。そして、すぐさま瞬歩で離脱した。

 

 後に残ったのは、全身から血を流す隠密機動の隊士が一人。本来ここで死ぬはずだった青年(イレギュラー)

 

 こうして、連日世間を賑わせた(ホロウ)発生事件は幕を閉じたのだった。

 

 

 

 

 

         +++

 

 

 「んん……?」

 

 膝に感じる圧力で俺は目を覚ました。

 

 「……知らない天井だ」

 

 うん、一度言ってみたかったんだよな。事実、本当に知らない天井だったし。見たことがないから、屋敷の自室じゃないことは確かだ。

 

 身体中が痛むが、動けないほどじゃない。

 

 上半身を起こして視線を下げると、そこには見知った顔がいた。愛しき我が妹、砕蜂(ソイフォン)だ。俺の寝るベッドの横にある椅子に腰掛け、上半身をベッドへと倒している。どうやら眠っているようだった。もしかしたら、ずっと看病してくれていたのかもしれない。

 

 彼女の艶やかなおかっぱ頭に、そっと手を添える。

 

 「――んっ……」

 

 砕蜂は小さく声をもらすが、起きてはいないみたいだ。それを確認して、ゆっくりと撫でる。今日も良い手触りだ。

 

 「んふふ、兄様ぁ〜……」

 

 撫でられていることを無意識で感じているのか、砕蜂はものすごくデレっとした笑みを浮かべ、俺の足に頬を擦り付ける。……おい妹よ。よだれが出てるぞ、よだれ。

 

 砕蜂の頭を撫でながら、俺も笑みを浮かべた。

 周囲を見ると、ここは病室のようだった。おそらく、四番隊舎内にある病室だろう。隠密機動が任務中に負傷した場合は二番隊内の救護室を使われるはずなのだが……。回道の使い手である四番隊を頼らねばならないほど、重傷だったということのようだ。

 

 「ともあれ、生き残れた、か……」

 

 そう。とうとう俺は、自分の運命を変えることができたのだ。本来俺が死んでいたはずの、6度目の任務。無事……とは言い難いが、こうして死は回避できたのだ。

 このために何年も準備してきたということもあり、妙に感慨深かった。

 

 だが――

 

 「――藍染が関わっていたのか……」

 

 そう、藍染が出てくるのは予想外だった。実験体だけならまだしも、ああして俺の前に直接現れるとは……。

 確か鏡花水月の能力は、”この世界のあらゆる事象を使用者の意のままに誤認させる”というものだったはずだ。もし俺が鏡花水月の術中にいるのならば、藍染があそこに現れたという認識がそのまま残っているはずがないのだ。あの時あそこには誰もいなかったのだと誤認させたりしないと、藍染が鏡花水月を使う意味がないからな。

 

 よって、俺は鏡花水月にはかかっていないと見て間違いない。なにより、俺は始解を見ていないはずだ。

 

 鳴神の能力の本質は、電気の操作にある。鳴神のあの切れ味も、電気を流して刃を超振動させているからだ。だからこそ、藍染が現れた直前に俺は鳴神を抜いて鏡花水月に備えた。自身に電気を流して視覚を狂わせる。そうすることで、鏡花水月の始解を見なくて済むようにしたのだ。本当言うと、酷く消耗した後だったから視覚に流しただけで失神してしまったんだけどな。目が見えなくなったと同時に、意識も失った感じだ。

 

 これについてはまだ誰にも言ったことはなかった。対外的には鳴神の”良く斬れる”という部分しか広めていない。あえてフェイクの噂を流すことで、本当の能力を悟られないようにしたのだ。おかげで、こうして鏡花水月から逃れることができた。

 

 「それにしても、よく連れ去られなかったよな、俺……」

 

 藍染の前で意識を失うということは博打だった。下手したら連れて行かれて実験動物ルートだってありえたのだ。虚化の研究だってすでに始まっているだろうし。

 

 「――龍蜂(ロンフォン)……?」

 

 俺が思考の渦に身を任せていると、唐突に声が聞こえた。声のしたほうを見ると、この部屋の扉から夜一さんがひょっこりと顔を出していた。その顔には驚いているような、それでいてホッとしているような、ごちゃまぜな表情が浮かんでいる。自惚れじゃなければだけどな。

 

 「あ〜……ただいま?」

 

 なんとなく照れ臭くなった俺は、そっぽを向きながらそう言った。すると、夜一さんが瞬歩で俺の前まで移動してきた。まさか抱擁か!?と思い身構える。だがその瞬間、頭部にとんでもない衝撃が――

 

 「――痛ぁ……っ!」

 

 「心配させおって! この軟弱者が!」

 

 ……こんなことで瞬歩使うなよ、瞬神。

 

 そんなことを思いつつ、殴られた頭を抑えながら前を向く。そこでは、夜一さんの大きな乳がブルンブルンと揺れていた。張りのあるたわわな果実は、服越しでも相当な破壊力だ。しかも夜一さん、刑戦装束に羽織りを着ているだけだから横乳も見える。うむ、眼福眼福。揉んでみようかなぁとか考えていると、ふと視線を感じた。

 そのままなに食わぬ顔で視線を上げると、顔を真っ赤にして怒っている夜一さんがいる。

 

 「あはははは……」

 

 思わず苦笑い。乳を凝視してるの気がつかれてますね。これ、照れてるわけじゃないよね? 怒ってるだけだよね?

 

 「――っつぅ……。あ、そういやお酒、ちゃんと用意してくれてます?」

 

 もう一度殴られてから、夜一さんに尋ねる。頭が痛い。普段は無頓着なくせに、なんでこういう時だけ……。

 

 「ああ、もちろんじゃ。さっさと治して一緒に飲むぞ!」

 

 俺を殴って気が晴れたのか、夜一さんはいつもの笑顔を浮かべてくれている。うん、こっちのほうが夜一さんらしいな。それから俺は、夜一さんから意識のなかった間のことを教えられた。

 あの夜から、(ホロウ)の多数同時出現はなくなったらしい。なにが目的だったのかは知らないが、しばらくは藍染も大人しくするだろう。それと、倒れた俺を運んだのは喜助のようだ。あとで礼を言っとかないとな。

 

 「――んぅ……兄様……?」

 

 俺と夜一さんの問答で、砕蜂が起きてしまったみたいだ。ベッドから顔を上げて、きょとんと俺を見ていた。

 

 「おはよう、梢綾(シャオリン)

 

 俺を見て、砕蜂はだんだんと涙を浮かべる。

 

 「……兄様ぁっ!」

 

 そして、そのまま俺へと飛び付いてきた。俺はその小柄な身体をがっちりと受け止める。身体から嫌な音がした気がするが、きっと気のせいだろう。

 

 「兄様! 心配したんですよ! もうお怪我は大丈夫なんですか!?」

 

 たった今怪我が増えた気もするが、砕蜂の慌てようは嬉しくもある。原作では兄妹の仲は良くなかった。というよりも、関係は希薄だったようだ。それが、こうして俺が怪我を負った時に心配してくれるようになったのだ。今までの触れ合いは、無駄じゃなかった。

 

 「ああ、もう痛みはない。動けるようになったら、すぐに屋敷へ戻るよ」

 

 「お、お待ちしてます! 修練も、また一緒にやりましょうね!」

 

 砕蜂は俺に抱きつきつつ笑顔でそう言うと、いそいそとベッドから降りる。そして、そこでやっと夜一さんのことに気が付いたようだった。

 

 「ぐぐぐぐ、軍団長閣下っ!?」

 

 砕蜂もすでに夜一さんのことは知っているようで、すぐさま地面に片膝をついて頭を下げた。そう、これが本来の隠密機動での上司と部下のあり方なのだ。俺と喜助くらいだもんな、夜一さんにタメ語とか使えるの。

 

 「おお、可愛いやつじゃのう。龍蜂の妹か?」

 

 「ああ、自慢の妹だ」

 

 夜一さんの言葉に、間髪入れず答える。そうかそうかと言いつつ夜一さんはしゃがみ込むと、砕蜂の頭を優しく撫で始めた。しゃがむことで乳がいい感じに膝で潰れて、横乳がさらにはみ出てくる。……いやあ良い乳だ。

 砕蜂は砕蜂で夜一に撫でられてうっとりとしているようで、なんとなく動物のようだった。

 

 しばらくそうして満足したのか、夜一さんはうむと頷いてこちらを向いた。

 

 「それじゃあの。怪我が治ったらじっくり酒でも飲もうぞ」

 

 そう言って、病室から出て行く。うん、楽しみにしておこう。

 

 「……はっ! あ、兄様! 軍団長閣下とはどういったご関係なのですか!?」

 

 「あー……上司?」

 

 「それは知っています!」

 

 砕蜂をからかいながら、窓の外に目をやった。

 

 今日も空は青く、明日もきっと青いのだろう。

 

 自身がこの世界で生きていることを実感し、今日という日も過ぎて行く。

 

 

 

 こうして、本当の意味で俺の人生が始まった。

 BLEACHという世界での、第一歩が。

 

 

 

 



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第1章 原作開始前
第7話


 

 

 

         +++

 

 

 

 「いやぁ〜それにしても、後遺症とかなさそうでよかったっスね。あの霊力回復薬、ボク使ったことなかったっすから」

 

 「ああ、そうだな……って、え? あれって副作用の確認、してなかったのか?」

 

 「あはははは……」

 

 無事退院した俺は、隊務終わりに喜助と歩いていた。隠密機動に復帰して数日。変わらぬ日常が戻ってきたのだ。

 

 ……ていうか、あの霊力回復薬ってそんな曖昧なものだったのか。よく大丈夫だったな、俺。

 

 「あ、そういえばあの時、龍蜂(ロンフォン)サン以外に誰かいませんでしたか?」

 

 喜助が現場についた時、その場にいたのは俺だけだったらしい。周囲には瞬閧により破壊された木々があるのみ。だが、喜助はそれに納得していないようだった。

 

 「……いや、俺も最後の(ホロウ)を倒したところで意識がプッツリと途切れててな」

 

 入院中に書いたあの任務の報告書にも、そのように記載しておいた。鏡花水月云々は一旦置いておくにしても、証拠もないのに真実なんかかけるわけがない。藍染の裏の顔には未だに誰も勘付いていないのだ。

 

 なにより、現段階で藍染を刺激したくなかった。

 

 俺は――いや、俺以外の死神でも藍染に勝てない。おそらく、藍染を倒せるのは原作通り黒崎一護だけだろう。そして、黒崎一護が藍染に勝てたのは運の要素も大きい。俺が変に行動することで原作から逸れたとしたらそれこそ終わりだ。手の打ちようがなくなる。

 

 だからこそ、俺も改めて覚悟をしないといけなかった。誰かが不幸になることがわかっていても、傍観に徹するという覚悟を。

 

 時系列から考えて、喜助や夜一さんが虚化事件に巻き込まれ、瀞霊廷を追放されるのも近いだろう。そして俺はそれを知っている。だが、それでも――

 

 「――龍蜂(ロンフォン)さん? どうしたんスか?」

 

 「あ? ああ、なんでもない……」

 

 「……まあ、それならいいんスけど。あっ! そういえば今日、夜一サンが機嫌良かったんスよ。何か知ってます?」

 

 「ああ、それなら今日、夜一さんと一緒に高〜い酒飲むことになってるからな。喜助も来るか?」

 

 せっかくの四楓院家の当主が用意した高い酒。できることなら少数で飲みたいというのが俺と夜一さんの希望だ。それに喜助の話だと、夜一さんも酒を相当に楽しみにしているみたいだしな。

 

 だが、喜助ならいいだろう。夜一さんとも幼馴染で仲が良いわけだし、許してくれるはずだ。

 

 「ハハハ……さすがのボクも、それは遠慮しておきますよ」

 

 「え? なんでだ?」

 

 「……たぶん今日僕も行っちゃうと、夜一サンに殴られますからね」

 

 ふむ。よくわからないが、幼馴染という関係ゆえにいろいろあるんだろう。夜一さんと幼馴染……少し羨ましいな。

 でもまあ、喜助が来ないってことは、夜一さんと二人きりになれるチャンスだ。残念ではあるが、こういったチャンスはモノにしないとな。そして酔った雰囲気であわよくば乳を……ぐへへへへ。

 

 「――っと、そろそろ向かわないとまずい」

 

 ニヤけた顔を元に戻しつつ周囲を見ると、いつの間にか日が暮れ始めていた。

 

 「じゃあまたな、喜助!」

 

 「気をつけてくださいね〜」

 

 喜助の声を背中に聞きながら、俺は走り始めた。

 

 

 

 

 

 四楓院家の屋敷、その敷地内にある夜一さん専用の離れ。俺は夜一さんと酒を飲むためにそこを訪れていた。

 夜一や喜助、同僚たちとは退院してすぐ快気祝いに全員で飲みに行ったが、今回は二人だけだ。別にやましいことをするわけじゃない。任務前に約束した高い酒を飲むだけだ。いや、もしやましいことできるならしたいけどさ。

 

 離れとはいっても、四楓院家の名に相応しく荘厳な造りになっている。というかぶっちゃけ、(フォン)家の屋敷よりも豪華だ。まあ瀞霊廷有数の貴族である四楓院家と、廃れた下級貴族の(フォン)家を比べることが間違っているんだけどな。

 

 「――それじゃあ、乾杯といこうかの」

 

 離れの一室。俺と夜一さんは小さなテーブルを挟んで向かい合わせに座っている。テーブルの上にはえらい高そうな酒が置いてあり、その横にはそれが注がれたグラスが二つ。なんとなく、瀞霊廷にも洋風な飲み物とかあったのかと感心してしまう。

 

 夜一さんはその片方を手にとって言った。たかが退院祝いにしてはやけに厳かな口調、態度に思える。

 

 「妙に改まって言いますね」

 

 どこか畏まった様子の夜一さんがおかしくて、苦笑しながらそう返した。そして、グラスを取ろうとテーブルに手を伸ばす。

 

 「……そういえば、渡すのを忘れておったな」

 

 だが、夜一さんの言葉でその手が止まる。夜一さんは本当に何かを忘れていたようで、「少々待っておれ」とだけ言い残して部屋を出て行ってしまった。

 

 ……どういうことだ?

 退院祝いとかそういうんじゃないのか?

 

 そんな俺の疑問をよそに、夜一さんはすごいスピードで戻ってきた。さすがは瞬神だ。手にはなにやら書状のようなものも持っていて、嬉々としてそれを俺に差し出してきた。

 とんでもなく嫌な予感がするが、俺には受け取る以外の選択肢がない。

 

 「ほれ、早く読んでみぃ」

 

 「あ、ああ……」

 

 夜一さんの言葉に頷き、俺はその書状を開く。そして、あまりの衝撃に書状を凝視したまま動けなかった。

 

 そこに書かれていたのは、ごく短い文章。

 

 

 

 

 -任命状-

 

 龍蜂

 

 かの者を

 護廷十三隊二番隊副隊長に任ずる

 

 

 

 

 「……え?」

 

 「ふふん、儂が推薦しておいたのじゃ。副隊長の任命権は隊長が有しておるしな」

 

 夜一さんは多少ドヤ顔気味でそう言う。

 それは知っていた。隊長が副隊長の任命権を持っていることも、推薦された者が任命拒否権を持っていることも。

 だが気になるのは、現在の二番隊の副隊長大前田希ノ進さんのことだ。彼は原作での二番隊副隊長である大前田希千代の実父であり、護廷屈指の鬼道の達人。まだまだ現役で戦えるはずだ。

 

 「大前田のことが気になるかの?」

 

 「……ええ、まあ。あの人になにかあったんすか?」

 

 俺の疑問を感じたのか、夜一さんは苦笑している。

 

 「大前田のやつ、そろそろ後進に任せて家業に専念したいらしくての。本当はあやつも自分の息子に継がせたかったようなのじゃが、おぬしが伸びた。おぬし、瞬閧も使えるようになったんじゃろう?」

 

 「……まあ、未完成っすけどね」

 

 確かに瞬閧は夜一さんとの修行の成果だ。だが、使えるようになったことは伝えていなかった。否、完成させてから伝えようと思っていた。夜一さんに負けたくなかったという、俺の男としてなけなしの意地だ。

 

 「あの現場を見て、大前田もそのことを知ってのう。それなら、副隊長を任せられるだろうと言い出しおってな」

 

 あの現場は、瞬閧の余波が丸わかりだ。見る者が見ればすぐにわかるだろう。だからこそ、大前田副隊長も気がついた。

 

 だが、俺に副隊長が務まるのだろうか?

 

 俺は原作を知っていて、これから訪れる犠牲すらも知っている。そして、知っていてなお、それを見過ごそうとしているのだ。原作通り、確実に世界が救われるように。

 

 そんな人間に、資格なんか――

 

 「――おぬしがなにかを抱えておるのはわかっておる」

 

 不意に夜一さんが口を開いた。

 

 「これでも長い間、ともに過ごしてきたからのう」

 

 俺は顔を上げ、彼女の顔を見る。

 

 「だから儂は、おぬしを信じる」

 

 彼女はいつも通りの、快活で魅力的な笑顔を俺に向けてきた。彼女のその真っ直ぐな信頼がどうしようもなくむず痒くて、照れ臭かった。

 

 「――儂を、支えてくれぬか?」

 

 こんな俺を評価してくれて、ここまで言ってくれる夜一さん。彼女の期待に応えないのは、男が廃る。

 

 「……わかりました。この話、お受けします」

 

 俺は夜一さんを真っ直ぐに見つめ、そう言った。

 

 同時に俺は、覚悟を決める。原作の知識を持ちながらも、傍観に徹するという覚悟を。もちろん、大筋を逸らさないように注意しつつ、できるだけ犠牲は少なくするつもりだ。それが偽善だと罵られようと、俺にはそうすることしかできない。

 

 贖罪は、全てが終わってからだ。それまでは、信じた道を全力で歩もう。

 

 「うむ。それじゃあ、乾杯しようかの」

 

 夜一さんの言葉に頷き、俺はグラスを手に取った。

 

 「――乾杯!」

 

 「――乾杯っす」

 

 

 

 

 



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第8話

 

 

 

         +++

 

 

 翌朝。窓からの日差しで俺は目を覚ました。俺の知らない天井――というか、おそらく四楓院家の離れだろう。どうにも昨夜の記憶が曖昧だが、屋敷に帰った覚えはなかった。

 

 「あー……頭が痛え……」

 

 酒でここまで酔ったことなど、過去に一度もなかった。

 ガンガン痛む頭を押さえ、とりあえず俺はベッドから身体を起こした。それで掛け布団がめくれ、俺の右隣で何かが身じろぎをした。嫌な予感がして、ゆっくりとそちらを向く。

 

 「――んぬぅ……」

 

 そこでは、俺の上司が気持ちよさそうに眠っていた。なんとなく、猫っぽい。

 はだけた布団から見える彼女の身体は、うん、素っ裸だわこれ。何も着ていない。俺のほうを向いて横に寝転んでいて、腕で挟まれたおっぱいがさらに破壊力を増している。ご馳走様です。

 

 「……」

 

 いやいやいやいや、ちょっと待て! おおお落ち着け、俺。落ち着くんだ。記憶がないままにヤっちまったのか!? なんて勿体ないことを!

 

 ……いや待て、そうじゃない。

 

 落ち着いて考えろ。もしそうなら、なぜ俺は寝巻きを着ているんだ?

 そもそも寝巻きがなぜ用意されているのかとか、いつの間に寝巻きに着替えたのかとか疑問は残るが、俺は事後は服を着ないで眠る派だ。着ていたということはまだ何もしていないということになる。

 

 大丈夫か、この理論。我ながらとんでもない暴論だな。

 

 よし、とりあえずもう1度夜一さんの裸を見よう。せっかくだしな。うん、見ながら考えよう。

 

 そう思って再び夜一さんに視線を向けると、ニヤニヤとした悪い笑顔が俺を見ていた。その瞳には興味深そうな、それでいてどこか楽しむような色が浮かんでいた。当然、俺は言葉を失った。

 

 「……」

 

 「……なんじゃ、一人芝居はもう終わりかの?」

 

 「いやいや、なんでそんな冷静なんすか?」

 

 俺の言葉を聞いて、夜一さんは声を上げて笑い始める。清々しいくらい楽しそうに。

 

 「――はあぁ……おかしな奴じゃの。なんじゃ、儂がおぬしに身体を許したとでも思うたか?」

 

 「え、やっぱ違うの?」

 

 とりあえず、ホッとした。もしヤってたのならどういう顔をすればいいのかわからなかったからな。いやでも、せっかくのチャンスを……ちくしょう!

 

 「……な、なんで残念そうな顔をするんじゃ?」

 

 うんうん唸る俺を見て、夜一さんは若干引いている。少しだけ頬が赤いのは気のせいだろうか? 気持ち悪く思われてるだけなら立ち直れないかもしれない。でも、そんな彼女はとんでもなく可愛かった。

 

 「いやだって、夜一さんみたいな美人と一緒に寝たくせに手を出していないとか……なんて勿体ないことを!」

 

 頬を染める夜一さんに感化され、思わず思いの丈を叫んでしまう。少し恥ずかしい。

 

 「――ぬぅ……」

 

 夜一さんも恥ずかしくなったのか、布団を被って丸くなってしまった。

 

 「さ、昨夜のおぬしは相当酔っ払っておっての。儂がここまで運んだら、その場で着替えてすぐに寝てしまったのじゃ」

 

 布団を被り亀のようにそこから顔だけを出して、夜一さんは昨夜のことを話してくれる。

 

 「それでおぬしがあんまりにも気持ちよさそうに眠るもんじゃから、儂も眠たくなっての。お、思わず一緒に寝てしまったというわけじゃ……」

 

 夜一さんのいう通り、昨日は気持ち良く飲めたことだけは覚えている。改めて前を向けたということもあり、ハメを外しすぎたのかもしれない。

 

 「ていうか「というわけじゃ……」じゃないっすよ。なんでそれで服脱いじゃうんすか。いや、俺としてはありがたいんすけどね」

 

 「そんなこと言われても、いつも寝る時は脱いでおるからのう。癖じゃ」

 

 いたずらっぽく笑う夜一さん。この人は本当、よくわからないな。

 

 「まあ、とりあえず服着てくださいよ。俺後ろ向いてるんで」

 

 俺は夜一さんに背を向け、プラプラと手を振って促す。夜一さんにそういった類いの羞恥心があるのかはわからないが、俺が見ていては着替えにくいだろう。

 

 「なんじゃ、襲わんのか?」

 

 「早くしないと襲っちゃうかもっす」

 

 「……まったく、意気地のないやつめ」

 

 夜一さんの軽口に笑いながら、俺は背中で衣擦れの音を聞いていた。なんかこう、音だけっていうのもいいなあとか考えながら。

 

 ていうかこのムラムラ、どうしようか……。

 

 

 

 

 

         +++

 

 

 

 無事に任官式が終わり、俺の副隊長としての日々が始まった。書状をもらってからすでにある程度の月日が経っている。

 

 希ノ進さんから仕事の引き継ぎなどは終えたが、未だに慣れてはいない。それに俺のことを良く思っていない隊士だって多い。まあ上位の席官を差し置いてだいたい6席くらいの地位だった俺が抜擢されたんだ。しょうがないといえばしょうがないんだけどな。

 

 ベテランや新人とはものすごく良好な関係なのだが、下位の席官やある程度経験を積んだ新人もどきからは敵視されている状態だ。彼らは俺の実力を知らないし、俺も彼らの実力を知らない。逆にいうと、ベテランとは何度も訓練してきたし、新人には教導目的で指導したりしていたからな。その違いだろう。

 

 なにより、やはり組織というものでは相互理解が必須のようだ。

 

 まあ、これからの姿勢でそのあたりの認識を変えていかなくちゃいけない。責任のある立場になったわけだからサボることだって中々できなさそうだしな。真面目に仕事をしていれば、反発する者たちの意識も変わってくれるだろう。

 

 そんなこんなで真面目に働いている俺は、夜一さんに書類を届けるため執務室へと向かう。こうして歩いてみて思ったが、二番隊の隊舎は他所の隊舎に比べても相当に豪奢だ。大前田家の財力にものを言わせカスタマイズされているから、細かいところも色々と手が加えられている。ぶっちゃけ、質実剛健を地で行く一番隊隊舎とかとは比べものにならない。

 

 そんな隊舎の廊下を歩き、執務室へとたどり着いた。希ノ進さんから引き継ぎの際、こうして定期的に夜一さんへと仕事を持っていくように言われているのだ。

 

 「あ、副隊長、おはようございます」

 

 「おはようございます」

 

 夜一さんの執務室前には常に数人の護衛隊士が付いている。警護が主な任務なのだが、その実態は夜一さんの見張り役だ。希ノ進さんが強権を発動して任務に組み込んだらしい。

 俺も隠密機動入隊後しばらくして護衛軍へ誘われたが、これが嫌で入隊はしなかった。

 

 「ああ、おはよう。夜一さん、執務室から逃げてない?」

 

 「ええ、たぶん……。今朝執務室に入ってからかれこれ二時間くらい、ずっと出てきてないですよ」

 

 「龍蜂さんが副隊長になったから、意識が変わったんじゃないですか?」

 

 護衛(見張り)の二人は茶化すようにそう言ってくる。彼らは俺が副隊長になった後、初めての夜一さんの護衛(見張り)役なんだろう。彼らは以前の夜一さんは知っていても、最近の夜一さんを知らないのだ。

 

 そう。彼らの言うとおりであってくれると嬉しかったんだけど、彼らの証言はおかしい。希ノ進さんの話や経験を元にすると、30分に1回は逃亡を図ろうとするという結論が出る。そんな夜一さんの習性ともいえる行動が今更変わるわけがない。なのに、彼らは嘘を言っているようには見えない。

 

 これはつまり……。

 

 「夜一さーん、仕事してますかー?」

 

 一応扉の前で声をかける。執務室内からは返事はない。半ば諦めつつ、俺はその扉を開く。

 

 「……」

 

 そして案の定、執務室はもぬけの殻だった。書類の束が載ったままの執務机には誰も座っておらず、大きく開かれた窓があるのみ。時折吹き込む風で未処理の書類が花びらのように宙で踊っている。

 

 もともと希ノ進さんは窓にも鉄格子を嵌めようとしていたみたいなんだけど、それだけは夜一さんが断固反対したらしい。「儂は刑軍の長じゃ! 窓から逃げるようなことはせん!」と真摯に訴え、事実希ノ進さんが引退するまではそこからの逃走はなかった。そう、引退するまでは。

 

 「――よし、あの窓に鉄格子を嵌めろ。今後一切、執務室からの逃走は許すな」

 

 「は、はいっ……!」

 

 平静を装えているか不安だが、俺は絞り出すようにそう言った。護衛(見張り)の二人は声を震わせつつ返事をし、頷いて走っていく。

 

 希ノ進さんのいた時は、夜一さんの逃亡方法は護衛を懐柔しての正面突破が主だった。だからこそ希ノ進さんも定期的に様子を見に行くだけで済ませていたのだ。護衛に何度か止められれば最低限の仕事はするし、そういう信頼関係もあったのだろう。

 

 だが、俺が副隊長になった途端に窓からの逃走を解禁しやがった。毎度毎度俺が追いかけるのだが、最悪なことに夜一さんはそれを楽しんでいる嫌いもあるし。

 

 「――何度目だと思ってるんだあの駄猫おぉぉぉぉッ!!!!」

 

 俺が副隊長になってから一月ほど。

 夜一さんの逃亡回数16回、逃亡未遂は331回。

 

 まぁいいだろう。彼女がこうして手段を厭わないというのなら、俺にだって考えがある。

 

 とりあえず執務室を執務室(監禁部屋)に改造することを決め、俺は隊舎を飛び出した。

 

 

 



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第9話

 

 

 

         +++

 

 

 隠密機動への入隊式を終え数日。

 砕蜂(ソイフォン)は合同訓練のために、二番隊隊舎の訓練場へと来ていた。

 

 本来は別の組織である隠密機動と二番隊。だが、隠密機動総司令である四楓院夜一が二番隊の隊長を兼任するようになってからは、二つの組織はより密接な関係になった。そして、こうした合同訓練なども行われるようになったのだ。

 

 砕蜂は、自身が仕える相手に想いを馳せる。

 

 四楓院夜一。彼女との出会いは、神との対峙に近かった。代々隠密機動へと仕えてきた(フォン)家に生まれた砕蜂は、生まれた時から彼女に仕えることが決まっていた。

 そのために、幼い頃から修行を重ねて隠密機動としての心得を教わってきた。彼女に仕え、彼女を支えるのだ、と。梢綾(シャオリン)から砕蜂へと名を改めたことで、その意思はより強固になった。

 

 だが、こうして早期に隠密機動に入隊できたのは彼女の兄の力が大きかった。もちろん砕蜂も努力したが、彼女一人だったらここまで早く入隊することはできなかっただろう。本来の入隊予定時期よりも数年早くなったのだ。兄の存在は、それだけ大きかった。

 

 砕蜂の周囲には同期の隠密機動隊士や二番隊隊士が多数いる。隠密機動には女性がほぼいないが、二番隊隊士のほうには少数いるようだ。彼女たちは少し離れたところで複数に固まり、なにやら話しているようだった。

 

 「――龍蜂副隊長って素敵よねえ」

 

 「うんうん。霊術院の講義でも話しやすかったし」

 

 「そういえば少し前、ファンクラブができたみたいよ!」

 

 「あ、それ知ってる! 黒猫様って人が創ったらしいわ」

 

 「うーん……私は大前田元副隊長のほうが好きかなぁ〜」

 

 「「「「……え?」」」」

 

 隠密機動所属の隊士は皆静かだが、二番隊所属の隊士は男女問わず話し声が聞こえる。

 

 (まったく、これだから護廷の死神たちは……)

 

 砕蜂は聞こえてくる声に辟易し、ため息をつく。少なくとも隠密機動隊士に限っては砕蜂と同じように思っている者が多いようで、話している者たちを苛立たしげに睨む者までいた。

 

 その中でなによりも砕蜂を苛立たせるのは、自らの兄についての話し声だった。彼が副隊長になってからこういう輩が増えたため、あまり良い気分ではなかった。

 

 砕蜂は兄の瀞霊廷通信の連載はすべて保存しているし、もちろんファンクラブだって加入しNo.2会員の称号を持っている。入学していないが、自身の能力を駆使して霊術院の講義だって密かに覗いてもいた。生粋の龍蜂ファンなのだ。妹なのに。

 

 (ふん、私は貴様らミーハーとは違うのだ!)

 

 密かに胸を張りつつ、優越感に浸る砕蜂。敬愛する兄に関しては誰にも負けるつもりはなかった。

 

 元々(フォン)家では代々肉親の情が薄かった。隠密機動に関わる家系ということもあり、誰がいつ命を落とすのかわからないからだ。だが、砕蜂の兄である龍蜂は違っていた。砕蜂が幼い頃から細かく指導してくれたり、毎日の会話などを欠かさずに肉親としての愛情も注いでくれた。そんな兄であり師匠でもある龍蜂を、砕蜂は心から尊敬しているのだ。

 

 だからこそ、最近は兄を取られたようにも思えて複雑な気持ちを抱えていた。

 

 それからしばらくすると、訓練場前方に用意された壇上に二つの人影が現れた。二番隊隊長にして隠密機動総司令官、四楓院夜一。そして、二番隊副隊長にして隠密機動第二分隊警邏隊隊長、龍蜂。自身の憧憬する主と敬愛する兄の登場に、砕蜂の心が躍った。

 

 「面倒じゃのう……。龍蜂、代わりにやってくれてもいいんじゃぞ?」

 

 「誰がやるか! 夜一さん昨日ちゃんとやるって言ってたじゃないすか」

 

 「ぬう……ならご褒美じゃ! ご褒美を所望するぞ!」

 

 「はあ……。じゃあ例の甘味処付き合いますよ」

 

 だが、壇上で仲良さそうに話す二人を見て砕蜂の心がざわついた。会話の内容までは聞き取れないが、砕蜂には二人が気のおけない間柄なのだということはわかった。

 

 砕蜂の仕えるべき相手である夜一は式典で見たような神聖な雰囲気ではなく、一人の人間として龍蜂と話している。その顔には、砕蜂がいつも浮かべているであろう愛情の欠片が垣間見えた。対する龍蜂はそれに気がついてはいないようだが、砕蜂に見せるのとはまた違った笑顔を浮かべて夜一と相対していた。

 

 砕蜂の胸が不意に、ズキリと痛んだ。

 

 その痛みがなにを意味するのかは、砕蜂にはまだ理解できなかった。そして近々この痛みの意味を知るということも、またこの時の砕蜂にはわからなかった。

 

 

 

 

         +++

 

 

 

 事件だ。事件が起こった。副隊長になってからの日々をぶち壊して余りあるほどの、大きな事件だ。毎日起こる夜一さん脱走未遂なんかとは比べものにならないほど、俺にとっては意味のある事件。

 

 「――最近妹が冷たい……」

 

 そう、砕蜂が冷たいのだ。俺が副隊長になってから約三年が経った。その間に砕蜂はどんどんと俺から技術を吸収して、隠密機動に無事入隊。そこまではいいのだ。だが、そこからが問題だった。

 

 「なんじゃ、そんなことか」

 

 俺の絶望に対して、夜一さんは呆れたような口調でつぶやく。

 

 「そんなこととはなんだ! いつでも”龍蜂副隊長”としか呼ばれなくなっちゃったんだぞ!? どうしてくれんだ!?」

 

 「むぅ、やはり副隊長は嫌だったのか……?」

 

 「あ、いや、そういうわけじゃないんだけど……」

 

 なぜか夜一さんは俺が副隊長に就任した件ではナイーブな反応するんだよな。よくわからないけど。

 

 俺と夜一さんは現在、同じ部屋で仕事をしている。

 

 元は普通の隊長専用執務室だったんだが、度重なる夜一さんの逃走を受けてこれをリフォーム。今では鉄格子付きの窓に厳重な鍵のかかった鋼鉄製の防音扉、執務机が夜一さんのものと俺のものの計二つ。部屋の中央付近には大きめのテーブルに二人がけソファが二つあり、急な来客にも対応できるような設計だ。もちろんトイレだってある。

 

 部屋自体での逃亡防止と俺の目視による逃亡防止、この二つで完全に夜一さんの逃亡の可能性を潰しているのだ。事実、この部屋に改造してからは夜一さんは一度も逃げることができていない。大前田元副隊長と俺の渾身の力作だと胸を張って言える。

 

 この部屋が完成した時は少し嬉しそうに見えたのだが、おそらく気のせいだったみたいだ。新しいものが嬉しかっただけだろう。今では毎日ぐうたら言いながら仕事をこなしていた。

 

 「おぬしの妹といえば、砕蜂じゃったかの?」

 

 「そうっすよ。どこに出しても恥ずかしくない、最高の妹です」

 

 「もしや、先日の合同訓練のあの女子か? 白打使いの小さな」

 

 「そうそう! ただあのときはどこか動きがぎこちなかったんで心配なんすよねえ」

 

 実際、昨日の砕蜂はなにか考え事をしていたのか難しい顔をしたまま訓練をしていた。心ここに在らず、といった感じでだ。気にはなったのだが、屋敷でもなぜか他人行儀に副隊長呼ばわり。それがショックで結局聞くことができなかったのだ。

 

 なんだろう、尊敬していた夜一さんがポンコツそうだったからふてくされてるのかな? そうだったらしょーがない妹だと笑っていられるんだけど。

 

 ……いや、なんとなくだけどそれだけじゃない気がするな。まあ、砕蜂から話してくれるのを待つしかないか。

 

 自分の中でそう結論づけて、俺は作業に戻った。夜一さんはなにかを考えているようで、黙って首を傾けている。

 

 それにしても、さばいてもさばいても書類が減らない。本当、なんでこんなに面倒なんだ。一般隊士よりも仕事量が多いとかふざけんな。

 

 休憩がてらにお茶でも入れようかと席を立ったところで、鋼鉄の扉がノックされた。ガィンガィンという重厚なノック音……手が痛そうだよな。

 

 俺はそんなことを思いつつ、扉についた長方形の小窓を開く。腰の位置にはこれまた横長な穴があり、そこを開くとでお茶などを載せたお盆などや書類などを入れることができる。

 こちらから窓を開かない限り、この部屋では外からの音がほぼ聞こえないのだ。我ながらとんでもない構造だと思う。

 

 「ほいほ〜い、誰かな〜?」

 

 「あ、どーも龍蜂サン。浦原です」

 

 扉の前にいたのは浦原喜助だった。彼は現在二番隊第三席にまで出世していて、仕事の傍らいろいろと趣味の開発に勤しんでいる。かくいう俺も、あるものを頼んでいたりする。

 

 「龍蜂サン。()()()()、とうとう完成したんスよ」

 

 

 

 

 




今話は前話から約三年経過(作中内時間)しています。
なお、第三者からの龍蜂(ロンフォン)評は過大評価です。


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第10話

 

 

 

 

         +++

 

 

 

 鋼鉄の扉を開けて、喜助を部屋へと招き入れる。来賓用に設置した向かい合わせのソファに座り、夜一さんには執務を続けさせた。あの人に関しては、仕事が溜まりすぎていて本当にやばいのだ。ちなみに俺は順調に仕事を片付けているため、夜一さんの仕事も手伝っていた。

 

 別段急ぐ話でもなかったため、俺と喜助は休憩がてらに軽く世間話をする。扉にノッカーをつけてくれだの、新しい研究のアイデア出しだの。

 

 「――それで、なんなのじゃ? ()()()()とは?」

 

 だが少しすると、夜一さんが俺の背からのそっと顔を出し喜助に尋ねた。夜一さんは執務机で書類を片付けているはず……なのにだ。

 

 「あ〜なんて言えばいいんスかねえ?」

 

 喜助は困ったように笑みを浮かべながら俺を見る。いや、俺も困っているんだけど。この人仕事してたはずだよな? 元からそのことについては教えるつもりではあったけど、今は今日の分の仕事をしてほしかった。

 

 「はぁ〜……。あー、これは転神体っていう、卍解習得を補助する霊具だ」

 

 だが、俺はそれを諦めて用途を夜一さんに説明することにした。多少は我慢したということは、少しは仕事を片付けたということだろう。夜一さんの仕事ぶりに関して、その点だけは信頼している。

 

 開発者である喜助が所々補足しつつも、その効果が効果だけに慎重に話をした。向き不向きがあるとはいえ、三日間で卍解を習得できるという可能性は魅力的だろう。原作でも最重要特殊霊具という扱いになっていたし、夜一さん――もとい、四楓院家の助力で機密にするのが最善だ。

 

 「――ということで、”具象化”できるのは一回こっきり。期間は三日間っスね。リスクに関してはさっき言った通りっス」

 

 いつの間にか俺から説明役をぶんどり、喜助は心底楽しそうにして説明を終えた。当初の考えや研究過程なども詳しく解説しながら。

 

 喜助の研究者っぷりは正直ヤバい。俺や夜一さんに何も言わず色々とやっているようだし、すでに崩玉に関してもある程度研究を終えているのかもしれない。それとなく尋ねてみたりもしたがはぐらかされるので、その点は諦めてもいた。

 

 ただ、こうして原作にも出てくるような霊具だったりは喜助に提案して研究、活用するようにしている。地力を上げておいて損はないからな。これからのことを考えると、卍解の有無は重要だった。卍解を持たない副隊長格なんてろくな活躍もできずに退場してしまう。いや、持っててもダメな奴だっているんけどさ。正直、ああはなりたくなかった。

 

 とまあそういうこともあり、俺と喜助はこの霊具を使って卍解の習得をすることを決めたのだ。

 

 「――ふむ、面白そうじゃな。儂も手伝うぞ!」

 

 一通りの説明を聴き終わった夜一さんは、心底楽しそうにそう言った。まあ予想通りだ。説明を聞いてる時からうずうずとしてたから、ある程度夜一さんのことを知っているなら予想できない方がおかしい。

 

 「まあボクはどっちでもいいんスけどねえ」

 

 喜助はそう言って俺を見る。確かに転神体を扱うには誰かが常に霊力を流していなくてはならない。その役目を夜一さんに任せようということだろう。

 

 「いや、俺も別にいいんだけど……」

 

 俺はそう言って、チラリと視線を向ける。夜一さんの執務机にある、大量の書類の山へと。

 

 「う……っ」

 

 夜一さんも俺の視線に気がつき、嫌そうに顔をしかめる。そう、夜一さんには大きな問題がある。書類仕事という問題が。

 この人はやろうと思えばサクサクと片づけられるのだ。だが、いつまで経っても真面目にやらずにこうしてどんどん仕事を溜めてしまう。まあそこも可愛いんだけどな。

 

 夜一さんは泣きそうな目で俺を見てくる。まるで捨て猫のような、無性に保護欲を掻き立てられる潤んだ瞳で。

 

 「はぁ……」

 

 ため息をひとつ。

 まあ、ここは妥協するしかないな。

 

 「……わかった」

 

 「なら――」

 

 「――でも!」

 

 喜ぶ夜一さんを手で制する。

 

 「喜助のほうは俺がやりますから、その間に仕事を片づけておいてください。それで、仕事が終わり次第俺の修行を手伝ってもらうって感じで」

 

 喜助の卍解習得を先に行い、俺はそれを手伝う。その間に夜一さんは溜まった仕事を消化してもらい、終わり次第俺の卍解習得を手伝って貰えばいいだろう。

 

 俺は喜助へと視線を向けると、苦笑しながらも頷いてくれた。

 

 「ぬぅ……」

 

 夜一さんは恨めしそうに俺を見てくるが、これだけは譲れない。この前なんて四楓院家のほうからも苦情がきたのだ。もっと仕事をさせろって。いろいろと滞っている書類が多いらしかった。

 ……これは大前田副長にも修行をつけてもらったほうが良いのだろうか? 擬似重唱とか覚えれば逃すこともなくなるだろうし。いや、でも捕まえても仕事をしなければ意味がないんだよな……。

 

 「……それじゃ、ボクもそろそろ仕事に戻りますよ」

 

 考え込む俺を尻目に、喜助はそう言って立ち上がった。転神体は休憩時間中に完成させたらしく、そのままの足でここに持ってきたのだとか。

 

 ……休憩ってなんだっけ?

 

 「あ、喜助。明日から三日間は非番にできるから、その間に喜助の修行をやろう」

 

 今溜まっている書類を片付ければ手が空くため、明日から時間は取れるのだ。休暇後はその間に溜まった結構な量の書類と戦うことになりそうだけど。

 喜助については休暇はいつでも取って大丈夫らしい。要領良く仕事をしていて、三日間抜けても問題ないとのことだ。

 

 「了解っス。よろしくお願いしますね」

 

 喜助は俺の言葉にそう言って、ひらひらと手を振りながら部屋を出て行った。扉の閉まる重苦しい音が響き、部屋に再び静寂が訪れる。

 

 「さて、それじゃあさっさと片付けますか」

 

 自分にというよりも、いじけた夜一さんを元気付けるためにそう声を出す。たぶんこの人の場合、修行の件を仕事をサボる口実にしようとか考えてたんだろうけど。

 

 「うむ、悪くないの……」

 

 だが、横目で見た夜一さんはなにやら思案顔で頷きつつも、どこか嬉しそうにしている気がする。さっきまでは恨めしそうにしていたのにだ。本当、猫みたいに機嫌がコロコロと変わるんだよな、この人。

 

 「夜一さん、ニヤけてないで仕事早くやっちゃってください。決済待ちの書類いくつもあるんすから」

 

 苦笑しつつも、夜一さんにそう言う。

 

 俺のその言葉で、夜一さんは先ほどとは一転、げんなりとした表情に変わって嫌々書類を見始めた。

 

 砕蜂(ソイフォン)との仲直り(?)など考えることもまだまだたくさんあるのだが、こうして夜一さんと仕事をしているとなぜか落ち着ける自分がいる。夜一さんを弄りながら仕事をこなし、軽口を言い合う。たったそれだけだけど、それが良いのだ。夜一さんが、近くにいれば。

 

 ……これって、もしかして――

 

 「のう、龍蜂。そろそろ休憩にせんか?」

 

 口をヘの字に曲げてそう言う夜一さんを見て、自然と笑みが浮かぶ。そう、至極簡単なことだったのだ

 

 「な、なんじゃ、急に笑顔になって! そそそ、そんなことしてもダメじゃぞ! 儂は休憩したいんじゃ!」

 

 ――うん、あれだ。たぶん自分より下の人を見て気持ちが楽になるのと同じ感じだ。夜一さん、俺の上司のはずなんだけど。

 

 なにやらわたわたと慌てる夜一さんを見ながら、そんなことを考える。

 

 「今日中に三割終わらせれば、帰りになんか奢りますよ」

 

 いや、それだけじゃないのかもしれないけど。

 

 「む……いいじゃろう!」

 

 まあでも、なにはともあれ、こうした平和な毎日を今は楽しもう。

 

 

 

 なお、夜一さんの仕事の三割が終わったのは真夜中のことだった。

 今日中とはいかなかったが、夜一さんが拗ねそうになっていたので帰りは一杯だけお酒を奢った。機嫌が直っていたから、まあよしとしよう。

 

 



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第11話

         +++

 

 

 

 「――いやあ……まさか本当に成功するとは……」

 

 「……おい、一応理論的には大丈夫って言ってなかったか?」

 

 まったくこいつは……。霊力回復薬の件といい、俺をモルモットかなんかと勘違いしている気がするぞ。まあ今回は俺というよりは喜助のほうがモルモットだといえるんだろうが。

 

 喜助は無事三日間で卍解を習得し、とりあえずはその期間中の安全性の確認もできた。三日間を過ぎればどうなるのかはわからないのだが、これで原作通り一護の時も使うことができるだろう。あとは夜一さんに使い方を教えるだけだ。

 

 喜助の卍解や具象化した斬魄刀も見てみたかったが、俺が転神体に霊力を込めたらそれを持ったまま見えないところまで消えちゃったんだよな。大規模な戦闘の余波とかも感じなかったし、どういった試練だったんだろうか。気にはなるが、そう安易に尋ねるのもどうかと思うから聞けずにいた。喜助がそうするということは、なにかしらの考えがあるってことだろうし。

 

 とまあそんなこんな三日が過ぎ、俺は今、喜助との修行を終えて一息ついていた。

 

 この秘密の修行場内にある温泉で、だ。

 

 「野郎二人で温泉とか、誰得だよ……」

 

 「イヤイヤ、ボクも同じこと考えてたんスよねえ」

 

 いやホント、なんでこうなった? こういうのは夜一さんとのイベントだろ、普通。

 

 だがまあ、俺の時にはなんとかして夜一さんと一緒に入ろう。偶然を装うとかさりげなく誘ってみるとか、やりようによっては可能かもしれん。失敗したら死ぬかもしれないけど、それだけは譲れん。

 

 「それよりも、この温泉どうっスか? ある人の作った温泉の効能を真似してみたんスけど、だいぶ劣化しちゃってて……」

 

 「ある人? こんなバリバリ傷が治るのにこれで劣化してるとか、その人ってすげえんだな……」

 

 ヘラヘラと笑っている喜助だが、身体には細かい傷がたくさんついていた。それがこうして温泉に浸かっているだけでジュウジュウと音を立てて治っていくのだ。

 

 原作の知識として知ってはいたが、実際に見てみるとよりすごく感じる。オリジナルを作った人は相当な技量を持っているんだろう。というかこれよりも効果が強いとか溶けるんじゃねえのか?

 

 結局、この後は喜助からこの温泉開発までの道を延々と聞かされ続けた。

 

 うん、わかりにくいけど、たぶん卍解を習得できて嬉しかったんだろうなあ。

 

 

 

 

 

 

         +++

 

 

 

 「――てことがあったんですよ」

 

 「ふーむ、喜助らしいのう」

 

 俺の言葉に、夜一さんはカラカラと笑った。

 

 所は変わらず秘密の修行場。夜一さんと俺の二人は、それぞれ装束をまとって向き合っていた。かの特殊霊具”転神体”を使って、とうとう俺の卍解習得を行うのだ。

 

 「じゃが確かに、この霊具は封印したほうが良いの。快く思わぬ者もおるじゃろうしな」

 

 確かにそうだな。喜助が実際にこれで卍解を習得できたという前例もできてしまった。瀞霊廷内では旧態依然とした考え方が主流だし、総隊長を筆頭に護廷十三隊の面々も忌避感を持つかもしれない。

 

 「ま、そういうことだから夜一さんとこの家に封印してもらおうかと思って頼んだんすよ」

 

 「任せい。しかしのう……実体験を聞かされるまでは半信半疑じゃったが……」

 

 夜一さんはそこまで言うと、手元の霊具を凝視する。気になって仕方がないみたいだ。

 

 「とりあえず、霊力を込めれば良いじゃったか?」

 

 「そうですね、それで斬魄刀を刺してっと――」

 

 俺は斬魄刀を抜いて、夜一さんの近くに立ててある転神体にその切っ先を向け突き刺した。

 

 刹那――

 

 「――っ!?」

 

 「――うぉっ!?」

 

 空間が振動し、バチバチバチ!と電気の弾ける音とともに俺と夜一さんの周囲が光で満たされる。やけに電気が俺を目掛けて飛んできている気がするな。あ、若干腕が痺れてきた……。

 

 そしてその光がおさまると、そこには俺の相棒(彼女)の姿があった。

 

 「……」

 

 むすっとした表情で、上下に黄色いジャージを着込んだ鳴神(なるかみ)。腕を組んで仁王立ちしているが、ジャージの胸部に膨らみがないため、持ち上げるものがない組んだ腕はどこか寂しそうにも思える。

 

 そんな彼女は黄色い髪と小さな角からはパチパチと火花を散らし、口を真一文字に結んで俺を睨んでいた。というか、なぜか角が三本に増えている。心なしか先ほどよりも機嫌が悪そうだ。一体なぜだ……?

 

 どこのキ◯ビルだとか色々と突っ込みたいとこがあるけど、とりあえず――

 

 「なあ鳴神、お前、もしかして怒ってる……?」

 

 「ふん、なんでアタシが怒らなきゃいけないのかしら?」

 

 鳴神は吐き捨てるようにそう言うと、ぷいとそっぽを向いてしまう。うん、可愛い。

 

 「だけど、全然思い当たる節がないな……」

 

 「ああそう? 別にこのクソ猫やあのヤンデレ娘ばかりにかまって私を放っておいたこととかを怒ってるわけじゃないわ。自惚れて勘違いしないことね!」

 

 ツーンとそっぽを向いたままだが、これは怒っているというよりも拗ねているみたいだ。胸を隠すように身を(よじ)っているのは気のせいだろう。

 

 クソ猫は夜一さんのことだとして、ヤンデレ娘って誰だ? 俺の近くにいる娘って言ったら砕蜂(ソイフォン)くらいだけど……。いやまあとにかく、確かに最近は鳴神と対話していなかったのは確かだ。相棒を蔑ろにしたのはどう考えても俺が悪いな。

 

 俺は素直に頭を下げることにする。

 

 「すまん、鳴神。俺が悪かった。今日お前を呼び出せるようにするためいろいろと動いていたんだが、蔑ろにしたと思われても仕方がない」

 

 「……」

 

 俺の言葉に、鳴神はなにも答えない。そう簡単に機嫌は直してくれないのだろう。

 

 だが、これから三日間は鳴神とみっちりと過ごすことになる。卍解習得のためというのもあるが、相棒である鳴神をもっと理解したいという気持ちも強かった。こんな美少女が俺の斬魄刀であり、生涯を添い遂げる相棒でもあるのだ。彼女を理解し、もっともっと仲良くなりたいと思うのはおかしいだろうか。いいや、そんなことはない!(反語)

 

 「……ぅ、わわ、も、もういいわ!」

 

 瀞霊廷でもここまでの美少女はそういないと言える。確かに胸こそ貧こn……慎ましやかだが、そんなのは些細なことだ。女性(レディー)の魅力は胸だけじゃない。鳴神の魅力も多々あるが、中でもあの適度に筋肉のついたお尻から御御足のラインだ。

 

 「ちょ、わかったから、もういいから!」

 

 今でこそジャージに隠されてしまっているが、それでもジャージ越しにもわかるあの肉付きはやばい。エロい。むしゃぶりつきたい。俺の両手で覆えそうなほど小ぶりで、だけどしっかりとジャージを押し上げている魅惑的なお尻に、少しダボついている脚の部分とかもう――

 

 「――のう、龍蜂。よくわからぬが、もう許してやったらどうじゃ……?」

 

 不意に、夜一さんがため息を吐いてそう言った。その言葉で我に返ると、夜一さんはなぜか唇を尖らせて拗ねているようにも見える。そして、バリバリに拗ねていたはずの鳴神は、なぜか頭を抱えてしゃがみこんでしまっていた。顔こそ見えないが、耳は真っ赤になっている。……なんでだ?

 

 

 

 

 「……じゃ、じゃあ、そろそろ始めるわよ!」

 

 それからしばらく(30分くらい)して復活した鳴神は、尊大な態度でそう言った。角は一本に戻っている。

 

 夜一さんはそんな彼女をふしゃーっと威嚇し、鳴神もムッとした表情で視線をやっていた。復活するまでに少し二人で話していたみたいだが、そこで何かがあったのだろう。よくわからないが、女の諍いには口を出さないほうが身のためだ。

 

 ていうか、この時間中も夜一さんの霊力を使ってるんだよな。なんとも贅沢な時間の使い方をしている気がする。

 

 「とりあえず、よろしく頼む」

 

 「――ふん……」

 

 俺の言葉に鳴神は鼻を鳴らすが、次の瞬間、その雰囲気は一変していた。ピリピリとした刺すような空気に変わり、うっすらと冷や汗すらもかいてきた。夜一さんも雰囲気の変化を感じ、少し離れた場所まで移動する。

 

 俺の少し前に立つ彼女からは、強敵と対峙するような、雰囲気を感じる。そう、まるでブラックと……いや、あの時に見た藍染レベルの威圧感だ。

 

 「アタシがアンタを認める条件は簡単よ」

 

 鳴神はぶっきらぼうな様子でそう言う。だが、その口調からは僅かに喜色を感じた。

 

 「”お互いを理解し、認め合うこと”」

 

 認め合う、か。どうすれば彼女に認めてもらえるのだろうか。見たところ、彼女は斬魄刀を所持していない。原作では大量の斬月もどきの中から本物の斬月を探すという試練だったが……。

 

 「つまり、俺はなにをすればいいんだ……?」

 

 鳴神は、ニヤリと嗤う。

 

 「拳で……語るわよ――ッ!」

 

 

 ……俺の斬魄刀が実は脳筋だったと、否応なく理解させられた瞬間だった。

 

 

 

 




鳴神ちゃんは龍蜂の大雑把な感情を感じることができます。
好意は好意、悪意は悪意、疑問は疑問などなど。
唯一、胸に関することだけは相手が誰であってもほぼ正確に読み取れます。


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第12話

 

 

 

 

         +++

 

 

 「――君、少しいいかな?」

 

 ついこの前二番隊第三分隊監理隊所属の席官になった浦原喜助は、そう声を掛けられて立ち止まった。いつものように出舎するため、瀞霊廷内を歩いているところだった。

 

 寝不足だからか、気だるげな声音で返事をして振り向く。

 

 「どうしまし、た……?」

 

 だが、そこにいる人物を見て一瞬言葉を詰まらせ、すぐに態度を改める。

 

 「ス、スイマセン、藍染副隊長……」

 

 護廷十三隊五番隊副隊長、藍染惣右介。慌てる喜助の前には、護廷十三隊でも屈指の人気と人望を誇る副隊長が立っていたのだ。どこか不思議な雰囲気を持つ男でもあり、龍蜂が彼のことを注視しているのを喜助も感じていた。卍解こそ覚えたものの、まだ権限その他は一般隊士と大差ない喜助にとっては、全く面識のない相手だ。

 

 「いや、慌てなくて大丈夫だよ。それより、龍蜂副隊長がどこにいるか知らないかい?」

 

 「龍蜂副隊長……っスか?」

 

 現在龍蜂は夜一とともに修行中だ。転神体のことも含めて機密事項にあたり、三日間籠りきりになるとのことを喜助は夜一から説明を受けていた。喜助と龍蜂の二人で修行した時は毎夜家に帰っていたが、今回は泊まり込むらしい。

 

 (龍蜂サン、たぶん泊り込みってこと聞かされてないっぽいっスよねえ……)

 

 ウキウキとした夜一のことを思い出し、喜助は苦笑い。さっさとくっつけと思わなくもないが、現在のあの二人の関係も見ていて面白いものがある。それを近くで見ているのも良いかもな、と喜助は思った。

 

 「確か夜一隊長とどこかで修行をするとか言ってましたね。三日後には戻ってくるとか」

 

 喜助はとりあえず、当たり障りのないようにそのことだけを伝えた。藍染はそれを聞いてなにやら考え込む。

 

 龍蜂は隊士たちに毎日夜には顔を出すと言っていたが、その後に夜一が三日間戻らないと訂正して回っていたのを思い出しながら。夜一がそう言ったからには、本当に龍蜂を帰す気はないんだろう。そのせいで隊内では早くも新婚旅行かと話題になったりもしていた。

 

 (そういえば龍蜂サンの妹さん、すごく機嫌が悪かったっスねえ……)

 

 喜助が砕蜂(ソイフォン)の様子を思い出しながら龍蜂を気の毒に思っていると、藍染が口を開いた。

 

 「まあ、いないのならしょうがないかな。一応、僕の始解の説明をしておこうと思ったんだけどね……」

 

 (確か藍染副隊長の斬魄刀は流水系。”霧と水流の乱反射により敵を撹乱させ同士討ちにさせる能力を持つ”でしたっけ)

 

 喜助が聞いた限りだと、定期的に藍染の斬魄刀の能力説明会は行われていた。もっとも、藍染目当てなだけの女性隊士もたくさん訪れたりするらしいが。

 

 「では、三日後くらいにまた来るとするよ。龍蜂副隊長によろしく言っておいてくれ」

 

 そして、結局藍染はそれだけ言って去っていった。

 

 特におかしなところはない。喜助は藍染に対して、()()()()()()()()()()()。そして、そのことに違和感を覚えた。喜助は人を見ることに長けている。だからこそ、人を見てなにも感じなかった自分に少し驚いていたのだ。

 

 「――疲れてるんでしょうかねえ……」

 

 サボりの常習犯のくせに、そんなことを呟く。

 

 喜助は去っていく藍染の後ろ姿から、言いようのない不安を掻き立てられていた。

 

 

 

 

 

         +++

 

 

 靄の中、修行の一日目を終えた俺は例の温泉へと浸かっていた。全身からジュウジュウと音がして、傷が治っていくのを感じる。鳴神との修行は壮絶なものになった。喜助の時は静かだったということもあり、どこか甘く考えていたのかもしれない。

 

 雷を纏って突っ込んでくる鳴神に対し、ひたすら白打や瞬歩を使って応戦。そこまでは別に良い。だが、鳴神に触れるごとに身体や脳のどこかに電気が流れ、例えば五感のうち一つが閉ざされたりするのだ。攻撃しようとした瞬間に目や耳が使えなくなったり、はたまたいきなり足が動かなくなったりとか。

 

 そんな状態で応戦するのは骨が折れた。いや、物理的にも折れそうになったりしたけど。とにかく、夜一さんのストップ……というかタイムリミットが来なかったらやばかったかもしれない。正直鳴神のジャージ姿を視姦する暇さえなかった。

 

 肝心の卍解習得の条件については、詳しいことは聞いていない。鳴神が打ち合うといったら、そうするしかないのだ。それに拳を交えていくうちに、なんとなくだが鳴神のことをさらに身近に感じることができてきた。これを残りの二日間続けることで、例え卍解を習得できなかったとしても俺は後悔しないだろう。

 

 問題はここからだ。

 

 俺は事前に隊士たちに毎夜隊舎に顔を出す、と言っておいた。愛しの我が妹、砕蜂の顔も見たかったしな。まだ副隊長呼びを撤回してくれないが、それでも顔を見るだけでやる気が出るのだ。

 

 なのにだ! 一日目を終えて帰ろうと思っていると、夜一さんが三日間缶詰だ!とか言い出した。しかも俺たちが不在中の仕事の段取りなどは全て整えてあるらしい。実際にそれらの段取りの書かれた書類を見せられ確認してみたが、想像以上に完璧な段取りだった。むしろ、今俺が顔を出したら逆に面倒になるだろう、という程度には完璧に。

 

 「くそ、あの人真面目にしてればあんだけハイスペックなのに……。いや、まあそこが良いんだけどさ。でも普段の俺の苦労って一体……」

 

 夜一さんの普段の業務態度が頭にちらつき、温泉の水面に顔をつけてうなだれる。

 

 「……なにをしてるんじゃ、龍蜂?」

 

 しばらくぶくぶくとして遊んでいると、夜一さんからそう声がかかった。少し気恥ずかしいが、男の裸なんぞは見られたところで減るもんじゃない。夜一さんに恨み言を言ってやろうと、何の気無しに顔を上げる。

 

 「――oh……」

 

 そこには、見事なプロポーションを惜しげもなく晒した夜一さんがいた。いや、身体にタオルは巻いているみたいだが、それでもあのナイスバディを隠しきれるわけがない。艶やかな褐色の肌に、揉み応えのありそうな双丘。扇情的な腰のくびれとムッチリとしたお尻のラインは、どうしようもなく雌を感じさせる。

 

 いや、てっきり服を着ているもんだと……。

 

 「そ、そんなに見るでない。儂とて羞恥心くらいはあるんじゃぞ……」

 

 夜一さんのその言葉で、俺は我に返った。

 

 「いやいやいやいや、なんで一緒に入ろうとしてるんすか!?」

 

 「ぬ、なんじゃ? 嫌なのか?」

 

 「いやむしろ大歓迎――って言わせんな恥ずかしい!」

 

 「まあ細かいことは気にせんことじゃ。ほれ、そっちに詰めろ」

 

 夜一さんはそう言うとわざわざ俺の右隣に腰を下ろし、俺に背を向けて座った。右肩には夜一さんの背中が触れていて、彼女の体温を感じる。タオルは付けたままだが、そこに突っ込む余裕は俺にはなかった。

 

 「ふぅ〜……やはり風呂というのは気持ちが良いのぉ」

 

 なんでもないように息を吐く夜一さん。後ろから見える彼女の耳は、恥ずかしさからかすでに真っ赤になっていた。

 

 ……恥ずかしいならするなよと思わなくもないが、俺も同じように顔を赤くしているはずなのでなにも言えなかった。商売女が相手なら躊躇せずにむしゃぶりつくだろうが、相手は夜一さんだ。跳びかからないようにするので精一杯だ。

 

 「のう、龍蜂。おぬしは卍解を覚えたとしたら、どうするんじゃ?」

 

 不意に、夜一さんがそんなことを聞いてきた。

 

 「どうするって、随分アバウトな質問なんすね」

 

 「いや、まあ喜助にも言えることじゃが、隊長になるには卍解習得は必須じゃ。そして、この修行がうまくいけば、おぬしは隊長になるための資格を有することになるじゃろう」

 

 確かにそうだ。他の隊長などが立会のもと厳格な試験も行われるが、副隊長経験があり卍解も使用できるとなれば、隊長への推薦はほぼ100%通るだろう。もっとも現在は隊長格に空きはないが、もし空いたらファーストチョイスということになる。

 

 取らぬ狸のなんとやらというが、なんとなく、夜一さんの聞きたいことがわかった気がした。

 

 「おぬしが卍解を覚えたら、儂から推薦することだってできる」

 

 俺のほうを見ようとせず、背中を向けたまま話す夜一さん。その声音には、いつもの彼女らしくない弱音が混じっているような気がした。

 

 「じゃから、もしおぬしがそれを望むなら――」

 

 「――夜一さん」

 

 俺は、夜一さんの言葉を遮る。俺の答えなんて最初から決まっているのだ。隊長と副隊長という、それ以上の関係になれないとしても。この先起こることを知っていたとしても、俺の答えは変わらない。

 

 「俺はずっと、貴女の副隊長でいます。貴女を一番近くで見ていたいし、支えていたい」

 

 「――っ……」

 

 背中を向けたままの夜一さんに、そう真っ直ぐに声をかける。告白のような物言いになってしまったが、偽りない俺の本心だった。

 

 俺の声に反応してか、夜一さんの肩がかすかに揺れる。そしてその揺れはだんだんと大きくなっていき、小さな嗚咽も混じるようになっていった。後ろから抱きしめたくなる衝動を抑え、俺は夜一さんが落ち着くのを待った。

 

 

 

 

 そのままどれくらい経っただろう。夜一さんはゆっくりとこちらへ振り返った。目元が少し赤くなっていて、恥ずかしそうに俺と目を合わせようとしない。

 

 「……す、すまぬな。変なことを聞いて」

 

 「い、いえ……」

 

 そんなしどろもどろな会話をしてしまい、二人で小さく苦笑した。そしてそのまま何も言わず、隣同士で座り直す。肩が触れるくらい距離で、お互いを感じられるように。

 

 会話もなくそうして座っていると、夜一さんが俺の肩へとコテンと頭を乗せた。思わずそちらを見ると、夜一さんが悪戯が成功した時のような笑顔を浮かべている。

 

 羞恥か熱か。理由はともあれ、頬を染めた夜一さんの笑顔はどうしようもなく魅力的で、蠱惑的だった。正直、そろそろ理性の限界だ。

 

 「……あ〜、夜一さん。いまさらなんですけど、俺だって一応男なんすよ?」

 

 俺は理性を総動員してそう言った。言外に、そろそろ限界だと伝えるように。とりあえず間違いが起こらないよう先に出ようと、腰を浮かせる。否、浮かせようとした。だがそこで、夜一さんに肩を抑えられた。

 

 そんなことをさせると思わなかったため、俺は少し慌ててしまう。うむ、恥ずかしい。夜一さんはそんな俺の様子を見て楽しそうな笑みを浮かべている。その顔は依然として真っ赤なのだが、どこか覚悟を決めた表情をしていた。そして身体にタオルを巻いたままゆっくりと立ち上がると、口を開く。

 

 「――儂がなんとも思っておらん奴相手に、こんなことをすると思うか?」

 

 「いや、それって……」

 

 隊長と副隊長というだけの関係。喜助も含めて、ただの腐れ縁のようなものだと思っていた。そう、思い込もうとしていた。こんな魅力的な女性に、俺は釣り合わないと。本来死んでいたはずの存在は、彼女の枷になるかもしれない、と。

 

 それなのに――

 

 

 

 

 

 

 

 「龍蜂。わ、儂はおぬしを好いておる。儂の隣で、儂のことを支えてほしい……っ」

 

 

 

 

 

 



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第13話

 

 

 

         +++

 

 

 

 

 「龍蜂。わ、儂はおぬしを好いておる……。儂の隣で、儂のことを支えてほしい」

 

 

 

 

 理性の箍の外れた音が、聞こえた。俺は一歩前に進むと、目の前に立つ夜一さんを抱きしめる。

 

 「ぬっ! ちょ、ろろろ、龍蜂!?」

 

 俺の胸に顔を埋めた夜一さんは、慌てたようにジタバタと慌てる。こうして抱きしめると、夜一さんは俺の身体にすっぽりと覆われてしまう。普段は頼り甲斐のある女性だが、こんなにも小さいのだ。女性らしい柔らかな感触が、さらに俺の頭を熱くした。

 

 「ろ、龍蜂! ううう、嬉しいのじゃが、もう少し落ち着いた場所でじゃな――」

 

 「――夜一さん」

 

 恥ずかしさからか俺から逃れようとする夜一さんだったが、俺は一段と力を込めて彼女を抱きしめ、口を開いた。

 

 「俺も、貴女のことが好きです」

 

 「はぅぁ……っ!?」

 

 夜一さんは一度大きく身体を震わせると、朱に染まった頬をさらに赤くしうっとりとした表情で俺を見上げた。なにかを期待するかのように、口から甘い吐息を漏らして。二人でしばらく無言で見つめ合っていると、夜一さんは静かに目を閉じた。

 

 「――ん……」

 

 そして、二人の唇がゆっくりと触れる。唇が触れた途端、不意に漏れた夜一さんの嬌声に俺の中の雄を掻き立てられた。媚薬のような甘い香りが脳髄へと浸透し、得も言われぬ酩酊感が俺を襲った。舌を入れてもいない、唇が触れるだけの口付け。たったそれだけのはずなのに、どうしようもなく彼女を愛おしく思えた。

 

 「――んはぁ……」

 

 どれくらいそうしていただろうか。どちらともなく、自然と俺たちは唇を離す。夜一さんはしばらくうっとりとした表情でぽけ〜としていたが、俺がそれを見て笑っていることに気が付くとハッと元に戻った。

 

 「ぬぬぬ……やはりお主、手慣れておるな……。(わ、儂は初めてじゃったのに……)」

 

 そして、どことなく悔しそうにしながら夜一さんが呟いた。最後のあたりはよく聞こえなかったが、キスをした時の様子から見るにこういう経験はほぼなかったみたいだ。こんな素敵な女性のファーストキスをもらえたのだと思うと、更にこらえようのない愛おしさが湧き上がってくる。男っていうのは単純なんだ。

 

 俺の顔の下で未だにあわあわしている夜一さんを見ると、微笑ましさと同時に征服欲すらも出てきた。我慢ができず、もう一度そっと触れるようなキスをする。そしてそのままそっと唇を離すと、夜一さんが名残惜しそうに目を開けた。先ほどよりもさらに顔が赤くなっているが、その表情はどこか不満そうだ。

 

 「も、もう一度じゃ……」

 

 彼女の要望に応えてもう一度そっと口付けを交わし、顔を離す。

 

 「もも、もっとじゃ……」

 

 さらにもう一度。

 

 「も、もっとぉ……」

 

 そして、夜一さんは再び呟く。その顔はこれでもかと真っ赤に染まっていて、とろんとした瞳はこれでもかと扇情的に輝いていた。

 

 ――もう我慢ならん。

 

 俺は左手を彼女の後頭部に添えると、もう一度唇を重ねた。もっちりとした彼女の唇を感触を感じると、俺はその唇に沿って舌を這わせる。

 

 「――っ……!?」

 

 夜一さんは驚いたのか一瞬身体をびくりと震わせるが、徐々に唇を開いて俺に舌をチロチロと当ててくる。まだ恥ずかしいのかぎこちない動きだったが、それがより俺を昂ぶらせた。

 

 「んちゅ、れろ、んふぅ、ちゅっ、あむ、ちゅぱ……」

 

 夜一さんはだんだんと慣れてきたのか、積極的に俺の舌へと自らの舌を絡めてくる。夜一さんは口内を行き来する唾液を愛おしそうに口で転がすと、時折ごくりと飲み込んでいく。ぴちゃぴちゃと唾液の混じる音が響き、それをBGMに俺たちはさらにお互いの舌を貪る。溶け合ってしまうんじゃないかというほどキツく抱きしめ合い、いつの間にか夜一さんも俺の首へと腕を回して積極的に口に吸い付いてきていた。

 

 「はむ、ちゅぶ、ちゅぷ、れろ、んむぅ、ちゅる……ん……ぷはっ……ぬ、あぅぅ……」

 

 数分か、数時間か。時間の感覚がなくなるほどお互いの唇を求め合い、ぷはっと顔を離す。夜一さんはしばらくうっとりとした表情で物足りなさそうに俺を見つめていたが、ふと我に返ったのか酔ったかのように頭をふらふらと揺らし始める。俺の右腕はいつの間にかムッチリとした夜一さんの尻を揉んでいるし、そのことにも気がついたみたいだ。そして、自らの下腹部に感じる硬い感触にも。

 

 ご覧の通り、正直言って俺の理性は限界を超えている。ここで止まれそうになかった。

 

 「夜一さん、俺――」

 

 だが、俺が夜一さんへと話しかけると――

 

 「――きゅう……」

 

 「うぉ!? 夜一さん!?」

 

 ボフンと音を立てて夜一さんの鼻から血が漏れ、そのまま俺のほうへと倒れ込んでくる。俺は少し慌てたが、どうやら意識を失っているだけのようだった。

 

 「あー……良かった……」

 

 こんなことで大事になったら修行どころじゃないからな。まあ、これで良かったんだろう。

 

 結局その後、このまま目覚めそうになかった夜一さんを寝床に運んで、俺も昂った気を鎮めてから眠りにつくことにした。夜一さんの持って来た二人用テント(←ここ重要)で寝てしまうと我慢ができなくなりそうだったので、わざわざ外に寝袋を持って来て外で寝たんだけどな。

 

 一応、昂りを鎮めるために少し離れた場所でソロプレイを敢行した。お供はもちろん先ほどの夜一さんの艶かしい肢体と痴態だ。うん、久しぶりのソロプレイだったが、お供が良かったのかとんでもなく気持ちが良かったな。

 

 

 

 

 

 

         +++

 

 

 その後、修行は一応ギリギリ三日間で終わった。

 

 一日目とは違い二日目、三日目の鳴神は異様に攻撃的で容赦がなかったため、何度も瀕死の重傷を負うことになった。念のために、と持たされた”()()()()()・喜助印の特殊丸薬Ver.3”をバリボリと咀嚼することで無理やり動けるようにして、なんとか乗り切ったという感じだ。

 

 正直もう無理か、と何度も思った。

 

 しかし、最終的には鳴神とわかりあうために思ったことを伝えながら拳を交わしたのだが、何故だかそのあたりから徐々に鳴神が顔を赤くし動きが鈍っていったのだ。そしてその結果、なんやかんやあって鳴神が渋々俺のことを認めてくれたというわけだ。夜一さんがやけに拗ねていたのが気になったが、可愛かったので良しとしよう。

 

 なお、肝心の副作用だが精力の増強という意味のわからないものだった。喜助は面白がってそんな感じにしたんだろうが、俺としては最悪の副作用である。特に二日目なんかは。

 

 一日目にお互いの気持ちを伝えあい、しかも最後まで行く前に夜一さんの失神でお預け状態だったわけだが、その夜一さんが恥ずかしがって俺と目を合わせてくれなかったのだ。修行が終わってからもあうあうと言って俺を避けていたため、仕方なく俺は一人で温泉に入って疲れを癒していた。そしてそこで、例の丸薬の副作用が現れてしまった。ギンギンに昂った俺の逸物はそれはもう立派な自己主張をしていて、しかも間の悪いことにそこで夜一さんが入ってきてしまった。

 

 それからはもう、あっという間だった。なぜだか夜一さんのほうから好きにして良いと言い出したため、散々彼女を貪ってしまったのだ。まさかとは思ったが予想通り夜一さんは初めてだったので、最初はなけなしの理性を総動員してなるべく痛みを感じないよう丁寧に事を運んだ。ある程度夜一さんが慣れてからは……まあ、言わずもがなだ。お互いぐしょぐしょになるほど乱れ合い、夜一さんに至っては何度も気をやってしまうほどだった。

 

 三日目の修行は案の定さらに厳しいものになったが、そこはもう丸薬ドーピングと気合で乗り切った。結局最後のほうは鳴神が拗ねてしまったため、今度斬魄刀の中で埋め合わせをすると言ったら修行が終わったのだ。気が付いたら卍解を使えるようになっていた。なにを言っているのかわかr(中略)。うむ、不思議なこともあるものだ。

 

 

 

 

 

 とまあそんなこんなあって、俺は今洞窟内から出て瀞霊廷内を歩いていた。ニヤニヤとした笑みを浮かべて眠る夜一さんを背負いながら。

 

 なんでこうなったかといえば、一言。

 

 「……ヤリすぎた」

 

 そう、三日目の修行を終えてから俺と夜一さんはそのまま翌日まで交じり合い、お互いを求めあっていたのだ。そのまま朝方にはベトベトのぐしょぐしょになってしまっていたため、汗やら体液やらを流そうと温泉へ。それでそのまま気分が盛り上がり、最後にもう一戦。そこで夜一さんに限界が来て、幸せそうな表情のまま眠りについてしまったというわけだ。

 

 ピロートークで知ったことなのだが、夜一さんは丸薬の副作用を知っていたみたいだ。喜助から教わっていたらしい。全く、喜助め……よくやった!

 

 いやーしかし、ここまで欲望のままに求め合うことになるとは……。我ながら恥ずかしかった。あれじゃあまるで獣じゃないか。いや、夜一さんがエロくて良かったんだけどさ。

 

 背中に感じる愛おしい存在に想いを馳せ、俺は自然と笑みを浮かべる。

 

 動乱の気配は、着実に近付いてきていた。そして、いずれ起こる悲劇も。だがそれでも、こうして笑っていられる日々を精一杯楽しもう。

 

 覚悟を新たに、俺は前を向いて歩き始めた。

 

 ――ていうか、通り過ぎる人たちがみんな、微笑ましいものを見るような笑顔を向けてくるのは一体なんなんだ……? なんというか、出歯亀根性を感じるというか……。

 

 とにかく居た堪れない気持ちになった俺は、足早に夜一さんの家へと向かうことにする。背中で眠る夜一さんが、小さく笑った気がした。

 

 

 

 

 

 





 


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第14話

 

 

 

         +++

 

 

 護廷十三隊二番隊第一分隊、刑軍。そこに所属する隊士砕蜂(ソイフォン)は、隊内で知らぬ者はいないほどの有名人であった。そう、なんせあの龍蜂(ロンフォン)を兄に持つ女傑なのだ。

 

 隊内での龍蜂の評価はもちろん高かった。気まぐれな隊長を唯一御すことのできる常識人。女好きという噂もあるが、実際は紳士的な男性。鬼道、歩法に優れ、”(フォン)家の鬼”の再来とも言われる死神。人当たりも良く、面倒見の良い上司。瀞霊廷通信で上位連載を継続させている文化人――などなど。

 

 本人が聞けば卒倒するような過大評価のオンパレードなのだが、そんな評価を受ける人物の妹ということもあり、砕蜂は入隊当初から期待されていた。そして砕蜂は、入隊後ずっとその期待に応え続けていた。

 

 兄に失望されないように、と。

 

 そのかいもあり、今では二番隊最年少で席官候補となっていた。

 

 そんなある意味注目の的である砕蜂は、不機嫌な様子で隊舎内を歩いていた。道行く隊士たちはぎょっとした顔で道を開けていく。砕蜂の怒気が凄まじいものというのもあるが、小さな身体を生かした彼女の戦闘術は色々と恐れられていたのだ。それを怒りに任せて振るわれたら、と思い、誰もが目をそらしているという状況だった。

 

 「まったく、兄様は……。連絡もなしに何日も帰って来ないとは、どういうことですか……っ!」

 

 未だに龍蜂のことを副隊長と呼んでいる砕蜂だったが、一人の時は前と同じように兄様と呼んでいた。最初はちょっとした”拗ねているぞ”というアピールのためだったのだが、いつしか元に戻すタイミングを失っていたのだ。

 

 だが、龍蜂はそれでも砕蜂を構ってくれていた。帰りが遅くなったり、泊まりになる時なども事前に一報入れてくれるし、不意の泊まりなどでも翌日にキチンと謝ってくれる。

 

 それなのに、だ。この二日間、龍蜂は帰ってくるどころか連絡もなかった。

 

 理由はわかっている。おそらく、事前に龍蜂が言っていた”修行”が原因なのだろう。隊長である夜一とともに三日間の修行を行うとのことだったが、龍蜂は毎日夜に帰ってくると言っていた。それがなんらかの要因――というよりも、夜一によって困難な状況になった。

 

 龍蜂が夜一に関することで振り回されるのはこれが初めてではない。だからこそ砕蜂はそう考え、そしてその予測は大方正しかった。

 

 だが、一抹の不安もあった。

 

 (兄様は、わがままな私をお嫌いになったのでしょうか……)

 

 もちろん、龍蜂が自身に向けてくる愛情を疑ったことなどない。そして自分の龍蜂に対する敬意も薄れたことなどなかった。だがそれでも、先の合同訓練で見た龍蜂と夜一の仲睦まじい様子を見てから、砕蜂の胸に微かな痛みが残っていた。

 

 (いつまでも拗ねている私を見て、呆れられてしまったとか……)

 

 そう考えれば考えるほど、砕蜂は足元がグラグラと揺れていく気がした。

 

 「あれ、砕蜂サンじゃないスか。そんなに怒ってどうしたんスか?」

 

 そんな怒りと不安に苛まれている砕蜂に、声をかける者がいた。よれよれの装束にボサボサ頭、どことなく三下口調の死神。

 

 「――! 貴様は……っ!」

 

 浦原喜助。砕蜂にとっては、自身の兄と敬愛する主を誑かす男だ。もちろん、喜助にそんな考えはない。先入観のなせる業である。

 

 「もしかして、龍蜂サンのことスか?」

 

 「――っ!?」

 

 「砕蜂サンがこうも怒るのって、龍蜂サンのことくらいっスからねえ〜」

 

 嫌いな相手にこうも己を見透かされたことで、砕蜂はさらに腹が立ってきた。だが、それも続く言葉で掻き消える。

 

 「龍蜂サンと同じっスね」

 

 「に、兄様と……? 一体どういうことだ、それは!?」

 

 先ほどまでの怒り半分、龍蜂と同じだと言われた嬉しさ半分で砕蜂は尋ねた。本人はそれを隠して冷静に尋ねているつもりだったが、端から見ればバレバレである。

 

 喜助はそれを微笑ましく思いながらも、彼なりに真摯に答えた。

 

 砕蜂のことになるとやけに感情を表に出してしまう、普段の龍蜂の様子を。

 

 「――ということで、今は砕蜂サンに副隊長って呼ばれてるからだいぶ凹んでるっスよ」

 

 「〜〜〜っ!」

 

 日頃どれだけ砕蜂の話をされるのかや、最近の龍蜂の様子をも聞かされた砕蜂は、頬を赤く染めニヤニヤとした笑みを浮かべてしまう。

 

 龍蜂が自分のことをこれほど想っていてくれたのかと知ることができて、どうしようもなく嬉しかったのだ。もちろん、本人はその喜色溢れる顔を隠しているつもりだった。

 

 そんな砕蜂の顔を見て、喜助は安堵の息を吐いていた。夜一に脅されたとはいえ、龍蜂に三日間泊まり込みのことを黙っていたのだ。これ以上兄妹の仲が悪くなると龍蜂が本気で泣きかねないので、こうして喜助は関係改善のために独自で動いていた。

 

 なお、先ほど話した龍蜂の様子は三割り増しくらいの脚色したものだ。万が一を考え大げさに言ったのだが、砕蜂は喜助の予想以上に機嫌が良くなってしまっていた。

 

 「ま、まったく。兄様はやはり私が付いていないとダメなんですね!」

 

 「……え? あ、いや、そういうことじゃなくてっスね――」

 

 なにやら嫌な予感がした喜助。少し盛って話したことを白状しようと口を開くが、砕蜂には聞こえていないようだった。ぶつぶつと嬉しそうに呟きながら、

 

 「ふふん、どうせ私に副隊長と呼ばれていることも楽しんでいるに違いありません!」

 

 「いやいや、そこは本気で凹んでて――」

 

 「でもなんで私という妹がありながら、夜一様に近寄ろうとするんでしょうか?」

 

 「え、ちょ、それは副隊長なんスから当然じゃ――」

 

 「まあいいです。帰ってきたら、精々甘えさせてあげましょう!」

 

 「――そ、そうっスね。それがいいっスよ……」

 

 喜助は説得を諦めた。

 

 

 その後、冷静になった砕蜂は喜助に先ほどの記憶を消すように命令すると、仕事に戻ることにした。

 

 

 なお、先ほどの言葉とは裏腹に、砕蜂はこれ以降仕事外では再び龍蜂のことを兄様と呼ぶようになる。修行を終え帰宅してきた龍蜂を副隊長と呼んでしまい、本気で泣かれたことが原因だった。

 

 

 

 

 

         +++

 

 

 あの後、夜一さんの屋敷まで彼女を背負って帰った俺は、そのまま夜一さんの家で仕事をしていた。身体についた匂いは消せたのだが、夜一さんが腰を酷使したせいか動けそうになかったからだ。

 

 そういうわけで、部下に連絡して仕事を持ってきてもらい、それを夜一さんの家の離れでこなすことになった。珍しく夜一さんも逃げようとはせず、嬉しそうに仕事をしている。いや、自惚れでなければ俺と一緒なのが嬉しいのだろう。たまに猫みたいに身体を擦り付けてきたりしてるし。

 

 「のう、龍蜂。知っておるか?」

 

 「ん? なにがです?」

 

 何度目の休憩かはわからないが、夜一さんが膝枕されながらこんなことを聞いてきた。

 

 「曳舟隊長のことじゃ」

 

 曳舟(ひきふね)桐生(きりお)。現護廷十三隊の十二番隊隊長で、ナイスバディな気の良い女性だ。同じ副隊長であるひよ里は、彼女を母親のように慕っている。俺も母性を感じさせる彼女に、どことなく母親の面影を見ていた。

 

 なんでも彼女は現在、”義魂”という概念について研究をしているらしく、しかもそれが完成する目処もついているとか。原作ではこれから王族特務”零番隊”に昇進していくはずなので、その義魂技術が評価されて昇進という形になるのかな?

 

 いやはや、開発といえば喜助やマユリさんばかり頭にあったのだが、曳舟隊長もとんでもない人だった。彼女の研究成果を下に、喜助は義骸を作ることになるのだろう。

 

 「……奴は今やっておる研究を完成させると、昇進するみたいじゃ」

 

 「昇進……っすか?」

 

 さも初めて聞いたことのように、俺は呟いた。

 

 「うむ。王族特務、零番隊にじゃ」

 

 「噂では聞いたことあったんすけど、まさか本当にあるとは」

 

 「ぬ、やはり少しは知っておったのか」

 

 「ええ、まあ少しだけ……」

 

 ははは、と俺が笑っていると、夜一さんは真剣な表情になり俺を見つめてきた。

 

 「それでおそらく、隊長の椅子が空く。三番隊の時は間に合わなかったが、今度はおぬしも資格があるのじゃ」

 

 やはり、罪悪感というものはどうしても消えにくい。夜一さんは自分が俺の枷になっているのではないかと心配しているが、前にも言った通りそんなことはないのだ。あれだけ愛し合っても、まだ足りないらしい。

 

 「推薦は儂がするから、もし――」

 

 そんな風に言ってきた夜一さんに、俺はそっと顔を近付ける。そして、自らの唇で彼女の唇を塞いだ。夜一さんは真面目な話に水を差されたと思ったのかジタバタするが、俺の真剣な目を見て静かになった。

 

 「夜一さん。あの時も言いましたが、俺は貴女の下でいい……いや、貴女の下がいいんです」

 

 再びこのことを口にしないように、再度言い聞かせる。

 

 そして、彼女の耳にそっと顔を近付け――

 

 「今度またそれを聞いてきたら、喋れなくなるまでめちゃめちゃにしちゃいます」

 

 「――っ!?」

 

 想像したのか、夜一さんの顔が赤くなる。そんな初々しい彼女の反応を楽しみながら、時間は過ぎていった。

 

 

 

 

 

 その後屋敷に帰った俺は、砕蜂に「お帰りなさい、副隊長」と言われ、本気で泣いてしまった。慌てて謝ってきた砕蜂によると、喜助になにかを吹き込まれたとかなんとか。よし、妹を誑かした喜助にはお仕置きだな。例の丸薬のことも含めて。

 

 「くんくん……そういえば兄様、装束から夜一様の匂いがするのですが?」

 

 「え、あ、それはだな――」

 

 「瀞霊廷の方々が今朝、仲睦まじい夜一様と兄様を見たとかなんとか……」

 

 ものすごい形相でそう言ってくる砕蜂は怖かったが、俺はなんとかごまかしその場を凌いだ。……のだが、後日夜一さんと話した砕蜂は全てを悟り、俺は妹に全力で叱られた。

 

 「私たちの仕えるべき人に手を出すなど……っ! な、なんてことをしてるんですか!?」

 

 そう言って斬魄刀を抜いた砕蜂は、本当に怖かった。

 

 

 

 



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第15話

 

 

 

         +++

 

 

 早朝。未だに日が昇りきっておらず、周囲が薄暗く感じるほどの時間帯。二番隊の隊舎で二人の声が木霊していた。

 

 「――夜一さん、準備できました?」

 

 「ぬ、まだじゃ。なんとなく気に入らぬ」

 

 「いやいや、息子の入学式に行く母親じゃないんすから……」

 

 隊首執務室の前で、俺は先ほどからこの調子で声をかけ続けていた。こんな時間からこんなことをしているのは、本日とある式典があるからだ。

 

 新任の儀。新しい隊長を任官するための式典であり、浦原喜助が今日新たにその隊長へと就任することになる。

 

 喜助は俺たちの弟分とも言える間柄だ。夜一さんに至っては幼馴染である。気合を入れるのは仕方ないのだが――

 

 「――せめて俺を中に入れてもらえないっすかねぇ……」

 

 朝が早いため、隊舎内はまだ肌寒い。そんな中、俺はすでに一時間ほどもこうして外で待たされていた。本来もう少し遅い時間でも大丈夫なのだが、夜一さんが張り切っているためこの時間から準備を始めてしまったのだ。

 

 百歩譲ってそこまでは良いが、問題はその理由だ。夜一さん曰く”乙女の支度を見るとはどういうことだ”ということらしい。すでにお互いの身体で知らないところはないという関係なので、今更感があるのだが……。まあ、それを言うと血を見ることになりそうで、こうして俺は何も言えずに佇んでいるわけだ。

 

 どれくらい経ったのだろうか。時折来る警備の隊士になぜか優しい笑みを向けられながら待ち続けていると、やっと扉が開いた。

 

 「――どうじゃ!?」

 

 そして、そう言って夜一さんが出てきた。腰に手を当て、大きな胸をこれでもかと張っている。ぶっちゃけ、いつも通りの夜一さんだった。というか、久しぶりに羽織り着ている夜一さんを見た気がする。

 

 「なにか思ってた反応と違うんじゃが……?」

 

 「あ、いや、いつも通り綺麗だなぁと」

 

 「ふふん、そうであろう?」

 

 うん、夜一さんの機嫌はすこぶる良いみたいだ。昨夜は少し元気がなかったから気にしていたのだが、大丈夫そうだな。

 

 夜一さんの支度が終わったこともあり、俺たちは式典会場である一番隊隊舎へと向かう。

 

 「楽しみだのう、今日の喜助就任のお祭りは!」

 

 「いや、お祭りじゃなく式典っすから」

 

 道中に何度目かわからないやりとりをしながら、俺たちは瀞霊廷を歩く。すでに日は昇っていた。

 

 

 

 

 

 

 俺たちはしばらく歩いて、式典の場でもある一番隊隊舎へと到着した。入り口付近にいた一番隊の隊士に部屋を教えられ、俺と夜一さんは荘厳な雰囲気のある隊舎内を歩いてそこへ向かう。

 

 ……夜一さん、頼むからキョロキョロとしないでくれ。俺もあまりここに来ないから珍しくは思っているけど、あんたももう良い大人なんだからもう少し落ち着きを持って欲しい。すれ違う一番隊の人たちが子供を見るような目で微笑ましくこっちを見てるし。

 

 そんな風に生温い視線を浴びながら、教えられた部屋までたどり着いた。部屋の前では一番隊副隊長の雀部(ささきべ)長次郎(ちょうじろう)さんが待っていて、彼の案内で部屋の中へと入ることに。

 

 雀部さんと定型文での挨拶を交わし、扉をくぐる。

 

 「そういえば龍蜂殿。茶葉の件、本当に助かりましたぞ」

 

 「雀部さん、どうもです。お力になれたのなら良かったです」

 

 俺と雀部さんの交流は意外と長い。過去に雀部さんの相談に乗って紅茶の茶葉栽培を手伝ったことから、今でも交流が続いている。時折収集した茶葉を分けてくれるので、それを職務の休憩時などに飲んだりしていた。

 

 そんな話をしつつ、廊下の先の部屋へと入る。室内には未だ誰もいないが、もう少しすれば次々にやってくるだろうとのこと。雀部さんはそれだけ言って再び部屋の外へと戻って行ってしまう。

 

 その言葉通り、夜一さんとしばらく世間話をしていると次々に各隊の隊長、副隊長が入室して来た。

 

 まだ全隊の者が集まっていないということもあり、特に並ぶでもなく来た者から集まって談笑する形になっていく。総隊長と新任の隊長がきてからが本番なので、今から気を張っていてもしょうがないということみたいだ。

 

 そうして自然と夜一さんたち隊長格がまとまって話し始めたことで、俺たち副隊長組もいる者たちは自然と集まった。

 

 「なあ龍蜂、次の隊長が誰か知っとるんか?」

 

 八重歯とそばかすが特徴的な女の子――猿柿ひよ里が、くすんだ金髪ツインテールを揺らして近付いてくる。うん、相も変わらず小柄な寸胴体型だ。やはりこれ以上は成長しないらしい。

 

 彼女は十二番隊の副隊長であり、前任の曳舟隊長を母親のように慕っていた。だからこそ、新しい隊長が就任することには抵抗があるようだ。その口調、表情にはありありと不満の色が見て取れる。

 

 「いや、まあ知ってるっちゃ知ってるけど……」

 

 「なんや、教えろや!」

 

 「まあまあ、落ち着けって。ひよ里の知らない奴なんだから、今教えても仕方ないだろ?」

 

 「うぐ……せやけど!」

 

 こうして声を荒らげる彼女を見ていると、気性の荒い猫を見ているみたいだ。胸の中の不安を押し殺そうと、こうして虚勢を張っているんだろう、

 

 まあでも、ひよ里の憤りも納得できる。詳しくは聞いていないが、職務上の機密とやらでろくに話もしないうちにいなくなってしまったらしい。そんなわけで、こうして情緒不安定気味になっているようだった。せめて別れの挨拶くらいさせてあげればいいのにな。

 

 そんな落ち着かない様子のひよ里を宥めていると、不意に部屋の外から大声が響く。

 

 「もしもォ〜〜し!!! 五番隊隊長の平子真子ですけどォ〜〜!!!」

 

 「……! やっと来おったな、ハゲシンジ!」

 

 その声を聞いたひよ里は、先ほどまでの不安が垣間見える表情から一変。喜色の浮かぶ顔で部屋の外へと走って行ってしまう。そしてドタドタと走っていくひよ里を、七番隊隊長の愛川(あいかわ)羅武(らぶ)が呆れた様子で追いかけていく。

 

 「――猿柿さん、元気になったみたいだね」

 

 ひよ里がいなくなり手持ち無沙汰になった俺に声をかけてきたのは、六番隊副隊長の朽木蒼純さんだ。身体が弱く病弱なのだが、その実力は計り知れない。現隊長の朽木銀嶺さんの息子で、彼の退位後にそのまま隊長へと昇進するだろうと言われているくらいだ。今回も隊長への打診があったようなのだが、銀嶺さんの後を継ぐためかそれを断ったらしい

 

 各隊の副隊長の中でも古参であり、副隊長になったばかりの俺にいろいろと教えてくれたりと面倒見が良いのだ。その人柄から、隊の内外問わず色々な死神から慕われている人だ。

 

 「まあ、平子隊長とは特別仲が良いですからね。たぶん、ひよ里が一番気を許せるのが平子さんなんだと思います」

 

 「ふむ、じゃあ龍蜂くんは猿柿さんに振られちゃった感じかな」

 

 「いや、そういうのはやめてくださいよ。ウチの隊長が面倒なので……」

 

 俺のげんなりとした様子を見て、蒼純さんが苦笑する。こちらを凝視する夜一さんに気がついたのだろう。夜一さんはこういった話題に敏感に反応するのだ。

 

 嫉妬なのだとしたら嬉しくもあるが、実の妹である砕蜂(ソイフォン)にも対抗心を発揮するのはやめてほしかった。一度はごまかしたものの、夜一さんが自分から自慢したもんだから砕蜂にはすでに俺と夜一さんの関係はバレてしまっているのだ。うん、あの時の砕蜂は本当に怖かった。

 

 そうして蒼純さんと少し話していると、平子隊長たちも部屋へと入ってくる。京楽さんや浮竹さんも一緒のようだ。

 

 「――来たみたいだぜ、新入り。並んで待ってろってよ、総隊長(ジイさん)が」

 

 そして最後に九番隊隊長の六車(むぐるま)拳西(けんせい)が入ってきて、そう言った。

 

 彼の言葉で、俺たちは各隊長とともに所定の位置で立つ。真ん中に道を開け、それを挟んだ左右に偶数隊の隊長、奇数隊の隊長という形だ。俺たち副隊長は各隊長の後ろに佇んでいる。

 

 先ほどまでとは打って変わって部屋の中は静寂で満ちていた。そのせいか、ここに近付いてくる足音と装束の擦れる音も聞こえて来る。

 

 その音は扉の前で一旦止まる。そして、ギィィィという乾いた音とともに、扉が開かれた。

 

 「――ありゃ?」

 

 扉を開いて姿を見せたのは、くたびれた装束にかっちりと型のついた羽織を着た一人の死神。

 

 「え〜〜〜と、もしかして……」

 

 ぼさぼさの頭を気まずそうに掻きつつ、彼は苦笑する。そのいつもと変わらない様子を見て、俺はなぜか肩の荷が降りたかのような安堵を覚えた。たぶん、夜一さんもそうだろう。

 

 「ボク、一番最後っスか?」

 

 浦原喜助。十二番隊隊長に新しく就任することになった、この式典の主役である。

 

 

 

 

 

 

 



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第16話

 

 

 

         +++

 

 

 「――ボクが隊長に?」

 

 「そうじゃ。やってくれるな?」

 

 曳舟隊長の研究成果”義魂”が発表され、少しした後。二番隊の隊首執務室にて、喜助は夜一と龍蜂から相談を受けていた。相談というよりは、要請に近いのかもしれない。

 

 曳舟隊長が"義魂"の研究という功績を持って零番隊へと昇進することになるため、その後釜――空位になる十二番隊隊長への就任についての要請だ。

 

 零番隊というのも聞いたことがなかったが、なにより喜助は自分が隊長になるなど想像もしていなかったことなので戸惑っていた。

 

 「いやぁ……でも、ボクなんかよりも龍蜂さんのほうが向いてるんじゃないっスかね?」

 

 喜助は現在二番隊の第三席。いくら卍解を覚えてるとはいえ、それなら同じく卍解を習得済み、且つ副隊長経験のある龍蜂のほうが適任だろう。

 

 喜助は夜一にそれを説明するが、同時に無理だろうな、とも思っていた。

 

 こうして喜助へと話を持ってきたということは、龍蜂がすでに断っているということだ。

 

 二人をくっつけるために奔走したのは喜助であり、くっついた今では夜一は龍蜂を手放さないだろうし、龍蜂も夜一から離れることはないだろう。

 

 端から見ていて胸焼けしそうなくらいお似合いの二人だ。そんな二人がそれぞれ別の隊になるなど、喜助じゃなくとも想像ができない。

 

 もっとも、龍蜂の妹である砕蜂はそのことが酷く不満――というよりそれぞれに対して少し妬いているようで、ことあるごとに二人の間へ入ろうとしているようだが。

 

 「喜助、俺は夜一さんの下がいいんだ。だから他の隊の隊長になるつもりはない」

 

 予想通りの答えが龍蜂から返ってくる。

 

 「まあ、龍蜂サンはそうっすよねえ……」

 

 龍蜂の言葉に恥ずかしそうにしている夜一を見て、喜助は思わず渋いお茶を飲みたくなってしまう。

 

 ともかく、喜助としては隊長になることの魅力を感じることができなかった。仕事はもちろん増えるはずだし、面倒なだけだろう。

 

 (色々と研究したいこともあるんで、断るしかないっすかね)

 

 心苦しかったが、喜助にとってメリットはないに等しい。だから、きっぱりと断ろうとした。

 

 「隊長になれば、色々と面白い奴とも出会えるぞ。監理隊は閉鎖的な環境じゃし、これを機にもっと交遊関係を広げるべきじゃ」

 

 しかしそこで、夜一が再度口を開いた。まるで自身の弟に言い聞かすような口調で、喜助はなぜだか叱られているような気分になってしまう。

 

 確かに彼女の言っていることは一理あるかもしれない。人との出会いは閃きの種だ。喜助も龍蜂からさまざまな閃きを貰っている。誰でもそうだとは思わないが、隊長格ならば龍蜂のように興味深い者が多そうだ。

 

 元来面倒臭がりな喜助は、よっほどのことがない限り交遊関係を広げるのことはない。だが、隊長になるというのはそのよっほどのことに該当するだろう。

 

 そこで、喜助の天秤は少しだけ傾いた。

 

 「それに、隊長になればその権限で研究だって捗るぞ。マユリさんたちに協力を要請して、あそこから出すことだってできるし」

 

 そして、龍蜂のこの言葉で完全に喜助の考えは決まった。

 

 涅マユリを始めとして、蛆虫の巣には性格に多少の難がある優秀な研究者が多くいる。喜助としても彼らとともに研究をしてみたいという気持ちがあったし、事実そうなればその進捗は飛躍的に延びるだろう。

 

 こういった時折見せる龍蜂の閃きは興味深かった。

 

 「……わかりました。とりあえず、隊首試験は受けてみますよ」

 

 この研究馬鹿め。そんな目をした二人の苦笑に、喜助は恥ずかしそうに笑みを返した。

 

 

 

 

 

         +++

 

 

 「どうじゃ、やっていけそうかの?」

 

 「まぁ夜一サンや龍蜂サンの言うとおり、楽しそうだとは思いますね」

 

 式典が無事に終了し、場所は変わって瀞霊廷内にあるとある居酒屋。喜助の就任式典を終えた夜一さん、喜助、俺の三人は、行きつけの居酒屋でささやかな就任祝いを挙げていた。居酒屋の奥、二つの四人がけテーブル席を貸し切っての催しだ。

 

 式典があったため本日の隊長、副隊長の業務は少なく、俺も夜一さんも比較的夜が早いうちからこうして居酒屋に来れたのだ。

 

 本来は夜一さんと二人で喜助(息子)の成長を喜ぶ親のような感覚でしんみりと飲もうとしていたのだが、1人でフラフラとしていた喜助を発見し予定を変更。こうして俺と夜一さんで祝っているのだ。

 

 なんでも十二番隊での就任祝いは用意されていなかったらしく(十中八九ひよ里がごねたからだろう)、やることもなくなったため暇をもて余していたのだとか。

 

 こうなったら楽しく飲もうということで、後から鉄裁さんや砕蜂も来る予定だ。うん、砕蜂にはお酒はまだ早いかもしれないから、そこは気を付けないとな。あんなスーパー美少女が酔って前後不覚になるとか、いくら治安の良い瀞霊廷内だとしても危険極まりない。砕蜂って真面目だけど変なところで抜けてるから、リアルにそういう危険性があるんだよな。

 

 「正直、あの反応は少し傷付いたっスけどねぇ。ひよ里さんの気持ちもわからなくもないっスけど……」

 

 喜助も少し酔いが回ってきたのか、珍しく愚痴というか弱音を吐き始めた。ひよ里以外の隊士はそれほど拒否感を持っている訳じゃないようだが、やはりひよ里がネックになっているみたいだった。

 

 「ふーむ。儂は特に隊長であることを意識したことはないからのう……。良いアドバイスが思い付かん」

 

 「いや、夜一さんにはもう少し隊長であることの自覚を持ってほしいんですけど」

 

 ドヤ顔でそんなことを言う夜一さんに、俺は急かさず突っ込む。……ていうかなんでそんな嬉しそうにしてるんでしょうかねぇ、夜一さんは。漫才をやってるわけじゃないんだが。

 

 そんないつも通りな俺たちを見て、喜助は苦笑を浮かべている。珍しく真面目な雰囲気になったと思ったのになぁ……。ちくしょう、台無しだ。

 

 「まあ俺は隊長っていう役職のことはよく知らないけど、夜一さんを見てみろよ。お世辞にも良い見本だとは言えないけど、隊長ってのはこんな感じで先頭に立って堂々としてりゃあいいんじゃないのか?」

 

 弛緩してしまった空気を変えるため、俺は咳払いをしてからそう言った。他の隊長たちを思い返してもそういう人が多い気がするしな。

 

 「少なくとも、いちいち部下の顔色を伺うような隊長(夜一さん)には、俺は付いていきたくないな」

 

 うん、そんな夜一さんは夜一さんじゃない。俺が好きになった夜一さんは、天真爛漫でわがままな女性なのだ。

 

 「……平子サンにも似たようなこと言われたっスね。”部下の気持ちは汲んでも、顔色を伺ってはいけない”って感じで」

 

 俺の言葉を聞いた喜助は、少し驚いたようにそう言う。

 

 「平子か。あやつも隊長になってからもう長いからのう。良い手本になるじゃろう」

 

 喜助は夜一さんの言葉に頷き、なにかを決心した様子で話し始めた。

 

 「そういうわけなんで、ボクはやりたいようにやることにしました」

 

 「やりたいこと?」

 

 大体の予想は付く。隊長就任が決まってから二人で話したことを、実行しようということだろう。

 

 「――技術開発局。十二番隊を改革して、さまざまなものを開発したり、聖霊挺内の情報管理をする機関を作りたいんです」

 

 そう言った喜助の目は真剣そのもので、だがその瞳の奥には狂気が渦巻いているように思えた。

 

 崩玉。

 

 おそらく、技術開発局を立ち上げる理由の一つにそれも入っているんだろう。喜助が、そして藍染が求める、全ての元凶が。

 

 「ふむ、面白そうじゃな!儂は良いと思うぞ!」

 

 夜一さんも酔っ払ってきたのか妙にテンションが高い。喜助を見るその表情は弟の成長を祝う姉のような、はたまた優しく見守る母親のような、不思議な表情だった。

 

 「なら、マユリさんとかにも協力を頼んだりするってことだよな?」

 

 「もちろんっスよ。他にもあそこには阿近さんとかもいますし、対価を用意すればみなさん同意してくれると思うんスよ」

 

 そう言ってこれからの展望を語る喜助は子供のようで、自然と俺も笑みを浮かべていた。

 

 そのまましばらくは、和やかな雰囲気のまま杯を進めた。3人とも酒には強いのだが、気持ち良く飲めているためか程よく酔いが回ってきたみたいだ。

 

 「夜一様、兄様! お待たせしてしまい申し訳ありません!」

 

 そんな風にまどろんで来たところで、砕蜂が慌てて飛び込んできた。敬愛する夜一を待たせてなるものかと、急いでやってきたのだろう。静かな店内に砕蜂の声はよく響き、カウンターに座る客は驚いて砕蜂を凝視していた。そんな視線を浴びて恥ずかしそうに頬を染め、俯いてしまう砕蜂。……やっぱり可愛いなぁ。

 

 「おう、砕蜂! こっちじゃこっち!」

 

 「っ! はい! 夜一様!」

 

 そんな砕蜂を夜一さんがこちらへ呼ぶと、すぐさま嬉しそうな顔をしてこちらへ走ってくる。うん、ブンブンと振られる尻尾が見える気がするぞ。というか、危ないから店内で走るのは止めなさい。

 

 俺たちの座るテーブルまで来た砕蜂は、俺と夜一さんに挨拶して席に着いた。

 

 ……一応これ、喜助のお祝いの催しなんだけどな。砕蜂は喜助のことを快く思ってはいないからか、ツーンと顔を背けて喜助に挨拶をしようとしない。

 

 喜助はそんな砕蜂に慣れているからか、特に不快に思った様子はなさそうだ。むしろそんな砕蜂を見て楽しんでいるみたいだな。砕蜂はやらんぞ。

 

 「ほれ、駆けつけ一杯じゃ!」

 

 「ちょ、夜一さん。砕蜂にはまだ……」

 

 「むむ、兄様! 私はもう大人です!」

 

 「いや、でもなぁ……」

 

 大人は自分のことを大人とは言わないんだよな。……ん? いや、夜一さんはよく自分で言ってるな。

 

 砕蜂は夜一さんの言葉を遮った俺を、潤んだ瞳で見上げてくる。可愛い。

 

 まぁ確かに近くにいたせいで気が付かなかったが、砕蜂も少し身長が伸び、顔も何処と無く大人びてきているように見える。いや、少しだけだけど。それでも、俺だってあれこれお世話を焼こうとするのは卒業しなきゃいけないのかもしれないな。

 

 砕蜂は未だにお酒を飲んだことがないが、それもそろそろ経験させても良いのかもしれない。どこの馬の骨ともわからん奴らがいるところよりも、俺が近くにいるほうが安全でもあるだろうし。

 

 「……わかった。だが、あんまり飲み過ぎるなよ?」

 

 「はい! 兄様!」

 

 砕蜂は嬉しそうに笑うと、お猪口を両手で持って夜一さんからお酒を注いでもらっている。「注いでもらうなど、ふ、不敬では……っ!?」とか言いながら。うん、ガチガチに緊張してるな。

 

 俺も喜助と自分のお猪口に酒を注いで、右手で小さくお猪口を掲げる。

 

 「それでは、砕蜂も来たことだし改めてじゃな」

 

 夜一さんはそう言うと、そのまま音頭を取って再び乾杯する。砕蜂もボソボソとだが喜助へと賛辞を送ったようで、それを聞いた喜助はどことなく嬉しそうにしていた。

 

 そんなこんなで、そのまま俺達は夜遅くまで飲み明かした。砕蜂にはそんなに飲ませないつもりだったのに、酔って甘えてくる砕蜂が可愛すぎたため俺はあっさりと陥落。砕蜂をべろんべろんに酔わせちゃいました。

 

 途中で鉄裁さんも合流し、店を替えてまた飲み直して――

 

 

 

 

 

 

 

 

 「う……んん……?」

 

 朝日を感じて、俺は目を覚ました。どうやら自室の布団で寝ているようだ。

 

 昨夜の記憶が曖昧で、酔いが残っているのかどうにも頭がすっきりとしない。身体もべとべとするが、今はとにかく眠たかった。

 

 「……もう少し寝るか」

 

 欠伸をしながらそう呟く。もぞもぞと身体を動かし、少し肌寒さを感じたので同じ布団に入っている熱源に抱き付いた。

 

 「んうぅ……」

 

 「むぎゅぅ……」

 

 「……ん?」

 

 ――聞こえるはずのない声が、聞こえた気がした。

 

 寝惚けた頭を覚醒させ、ぼやける目を凝らす。眼前には、俺の腕枕で幸せそうに眠る裸の夜一さん。何の気なしにその頭を撫でると、彼女の表情がにへらっと緩んだ。

 

 うん、彼女はまだ良い。酔っ払ったまま色々とヤってしまったんだろう。

 

 だが問題はそこじゃない。そのままゆっくりと視線を下に下ろしていくと――

 

 「うぇへへぇ……兄しゃまぁ~、夜一しゃまぁ~……」

 

 俺と夜一さんの間に、なぜだか俺の妹が挟まっていた。砕蜂は俺の胸板に頬を擦り付けながら、幸せそうに寝言を呟いている。……真っ裸で。

 

 俺の視線の位置からは、小ぶり……というよりもほぼ平坦な胸や、半分ほどが埋まってしまった乳首がよく見える。なんとなく、これ以上の発育は望めなさそうだった。興奮しすぎたのか鼻からは少量の鼻血が垂れていて、酷く間抜けな絵面になっていた。

 

 ――いや、今はそれどころじゃない。

 

 人は本気で驚いた時は声も上げられないんだなと、一周回って冷静になってしまった俺はそんなことを考えながら、静かに布団から抜け出した。夜一さんから腕を抜くのは申し訳なかったが、今はそれどころじゃないのだ。

 

 有り得ないとはわかっているが、念のため掛け布団を捲ってみる。恐る恐る、ゆっくりと。

 

 「oh……」

 

 俺は小さく呟く。

 

 うむ、敷き布団にはべったりと血が染み付いているな。

 

 これは……あれだ。たぶん俺と夜一さんがチョメチョメしているのを見てしまい、砕蜂が全力で鼻血を噴き出したんだ。きっとそれだけだ。

 

 俺はしばらくの間、自身の見事な推理の余韻に浸った。

 

 「……寝よう」

 

 どれくらいそうしていただろうか。不意に眠気を感じた俺は、再度布団に潜り込む。決して現実逃避ではない。

 

 ――そういえば喜助と鉄裁はどうしたんだろうか?

 

 瞼の重みを感じつつ、そんな疑問が沸き上がってきた。この部屋には見当たらないからな。とりあえず、半分眠っている脳に検索をかけてみる。

 

 「あ……」

 

 そして、曖昧ではあるが、二人と別れた時のことを思い出した。

 

 俺の最後の記憶では、喜助と鉄斎さんは二人で夜の流魂街へと消えていったようだ。……いや、気のせいだな、きっと。うん、きっとそうだ。

 

 心の中でそう唱えながら、俺は再び眠りについた。

 

 

 

 なお、その日の朝、何かを忘れるかのように一心不乱に隊舎を改造する喜助の姿があったとかなかったとか。

 

 

 

 

 

 





 


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第17話

 

 

         +++

 

 

 (フォン)家の屋敷。その中にある俺の部屋で、俺は座布団の上で正座をする砕蜂と向き合っていた。

 

 「――つまり、俺の記憶がないのは……」

 

 「は、はい……私が、その……」

 

 俺の視線から逃れるように、砕蜂は身体を縮こませながら口をもごもごと動かした。夜一さんは別室にて待機しており、現在はこうして二人だけでの家族会議を行っているところだ。

 

 

 

 喜助のお祝いとしての飲み会を終えた翌日。忘ようとした惨状は、結局俺が再び目を覚ましても何も変わらなかった。裸の夜一さんと砕蜂に挟まれ、血の付いたベッドで横になっている自分。二度寝のおかげか冷静になった俺は、そんな状況をやっと理解して飛び起きたのだ。

 

 そして、俺はすぐさま二人を起こした。昨夜の事情を聞くためである。俺は今まで酒を飲んで記憶を飛ばしたことなどなかったということもあり、この記憶がないという感覚に酷い違和感があった。

 

 そういうわけで、一刻も早くその欠落を埋めたいのと、なによりも自身が妹を襲ってしまったのかもしれないという罪悪感から事情を聞こうと思ったのだ。

 

 夜一さんは結構な量の酒を飲んだためよく覚えていないと言ったが、砕蜂は違った。目が覚めて現状を認識した砕蜂は、俺の顔を見てすぐに謝ってきたのだ。そして、昨夜起こったことを素直に白状した。罪悪感からなのか、泣き出しそうな顔をして。

 

 その結果わかったことは、正直、俺の予想の斜め上のものだった。

 

 なんでも、俺の記憶が混濁しているのは砕蜂がとある薬を盛ったからだとか。

 

 俺の記憶が確かなのは二軒目に行ったところまでで、鉄斎さんが合流した後くらいからは曖昧になり、家に帰る頃のことはほとんど覚えていないのだ。砕蜂の言では、薬の副作用で冷静ではいられなくなったからだろう、と。

 

 その薬というのが――

 

 「媚薬、ねぇ……」

 

 媚薬。それも、卯ノ花さんが特別に調合したらしいものみたいだ。それを服用したせいで、俺は極度の興奮状態になったそうだ。そして夜一さんと砕蜂を担いで帰宅し、そのまま明け方まで連戦。

 

 なぜ砕蜂が兄である俺に媚薬を、とか、なぜ卯ノ花さんが協力したのか、とか色々と聞きたいことはあったが、俺が一番気にしていたのは別のことだった。

 

 いくら薬で冷静ではなかったとはいえ、俺は実の妹に手を出したのかもしれないのだ。

 

 「結局、俺は砕蜂に――」

 

 「い、いえ! 兄様は私には手を出しておりません!」

 

 罪悪感で押しつぶされそうな俺の声に、砕蜂は慌てたように顔を上げた。

 

 「だが、布団には血があんなにも……」

 

 「あ、あれはその……は、恥ずかしながら、間近で行われたお二人の情事に、その、興奮してしまって……」

 

 鼻血を吹き出してしまったのだと、砕蜂は顔を真っ赤にしてそう言う。俺は最後まで砕蜂に手を出そうとはせず、夜一さんと二人でくんずほぐれずしていたようだ。砕蜂の言葉が正しいならば、だが。

 

 もちろん俺は砕蜂が俺をかばっているだけなのではないかとも思ったが、砕蜂のその必死さから嘘をついているようには見えなかった。

 

 そういうわけで、俺は一先ず砕蜂の言葉を信じることにした。俺自身については信用なんぞできないが、妹を信用せずして何が兄だろうか。

 

 「でも、どうしてこんなことをしたんだ?」

 

 「そ、それは……」

 

 砕蜂は俯く。否、こう聞いてはいるが、今回の砕蜂の行動の意味なんぞひとつしかない。それは俺にもわかっていた。

 

 砕蜂は俯いてこそいるが、それは真っ赤に染まった己の顔を隠すためなのだろう。赤くなった耳は隠せていないが。

 

 「――砕蜂。俺はお前が好きだ」

 

 「……っ!?」

 

 俺の言葉で、砕蜂は俯いていた顔をがばっと上げた。その赤い顔には、堪えきれない喜色が浮かんでいる。

 

 「だが、あくまでそれは”兄妹”としての感情だ」

 

 しかし、続く俺の言葉でしぼんでいってしまう。

 

 やはり、俺と砕蜂の愛情は違うものなのだ。砕蜂のこの反応で、俺はそれを確信した。

 

 砕蜂は俺に、兄として以上の情を抱いているようだった。もちろん、それ自体は男として嬉しいに決まっている。こんなにも可愛らしい少女から愛情を向けられるなど、男冥利に尽きるだろう。

 

 だが、今の俺にとって砕蜂はあくまで”妹”なのだ。砕蜂が生まれた時からずっと、俺は彼女の兄としてともに成長してきた。そして、今の俺には夜一さんという最高のパートナーだっている。

 

 砕蜂の想いを受け取るのは至極簡単なことだ。だがそれは、一方通行でしかないだろう。その齟齬はきっと、お互いの幸せを破壊し、不幸にする。だからこそ、俺は砕蜂を拒絶しなければならない。自身がどう思っていようと、それだけは正さなければならないのだ。

 

 「だから砕蜂。お前の――」

 

 俺は砕蜂を諦めさせるため、言葉を続けようとした。だがそこで、俺の言葉を遮るように砕蜂が口を開く。

 

 「に、兄様――!」

 

 想いのほか強いその口調に俺は驚き、言葉を詰まらせる。砕蜂は照れながらも、何かを覚悟したように真剣な目をしていた。

 

 「――私は、兄様をお慕いしております!」

 

 「……っ!」

 

 「もちろん、妹としてではなく、一人の女としてです!」

 

 俺が砕蜂の想いを断るのは、わかっているのだろう。涙をこらえるようにしながらも、砕蜂はそう言って俺を見つめてくる。そして、懺悔するかのように続けた。

 

 「兄様は私を妹として愛してくれていることはわかっていました。私が乞うても、応えてくれないだろうと。だからこそ、せめて一晩……一時でも良いから、そう、思って……」

 

 砕蜂は感情が昂ぶったのか、嗚咽を漏らして泣き出してしまう。溢れてくる涙を何度も拭いながら、幼子のように泣きじゃくった。

 

 正直、砕蜂の行動は褒められたものじゃない。媚薬を使って既成事実を作ろうとしたのだ。その罪悪感もあって、こうして泣き出してしまったのだろう。

 

 だが不覚にも、俺は砕蜂の姿に心を揺さぶられてもいた。真剣に俺へと想いを伝えてきた砕蜂の、懸命な姿に。普段見たことのない、女性としての砕蜂の姿に。

 

 「――砕蜂」

 

 俺が名前を呼ぶと、砕蜂はビクリと肩を震わせた。それに構わず、俺は言葉を続ける。

 

 「俺は砕蜂のことを、妹として好きなんだ」

 

 真剣に想いを伝えられたのだ。俺も、真剣に返事をするべきだろう。

 

 「だから今は、その想いに応えることはできない」

 

 俺は未だ涙を流す砕蜂に、きっぱりとそう告げた。その言葉を聞いて、砕蜂は静かにコクリと頷く。俺の答えがわかっていたという風に、ただ静かに、感情を押し隠すようにして。そして、次から次へと溢れる涙を懸命に拭い続けていた。

 

 砕蜂が落ち着くまでに、しばらくかかった。その間、二人ともなにも話すことはなく時間だけが過ぎていた。

 

 だが、重苦しい空気になるかと思いきや、俺も砕蜂もどこか晴れやかな気持ちになっていた。あの涙で、それらが全て流されていってしまったかのようにだ。

 

 「――ふふふ……」

 

 不意に、砕蜂が笑った。未だに目元は赤いが、いつもの砕蜂だ。……いや、いつもよりももっと自然体でいるような気がする。……これが素顔の砕蜂なのかもしれないな。

 

 「……?」

 

 そんな彼女の屈託のない笑顔を見て、俺は首をかしげる。

 

 「――”()()”ということは、可能性はあるということですね!」

 

 「……!?」

 

 砕蜂はからかうようにそう言った。先ほどの砕蜂への返事は、半ば無意識に発していたものだ。胸に浮かんだ感情そのままに、ただただ真剣に自分の想いを紡いだもの。ということはつまり、砕蜂の言うとおりなのかもしれないが……。それは認めてはいけないだろう。

 

 「いや、でもそれは――」

 

 慌てる俺を見て、砕蜂はいたずらっぽく口角を上げる。

 

 「いつか絶対に、振り向かせてみせます!」

 

 そう言って笑った砕蜂は、ドキリとするほど魅力的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 家族会議の後、別室にいた夜一も呼んでお茶をすることになった。龍蜂はとりあえず茶や茶菓子を用意するためここを離れており、部屋にいるのは砕蜂と夜一の二人だけだ。

 

 夜一にも龍蜂が昨夜の件を全て話しており、砕蜂はどうしようもなく気まずい思いを抱えていた。

 

 見ようによっては――いや、実際に砕蜂は龍蜂と夜一の間に割り込もうとしていたのだ。責められるのは当然ことだと、砕蜂は覚悟を決めていた。

 

 「のう、砕蜂」

 

 「は、はい! なんでしょうか、よ、夜一様……」

 

 戦々恐々としていた砕蜂は、横に座る夜一に声をかけられ冷や汗をかきつつも返事をする。いくら覚悟を決めたとはいえ、怖いものは怖いのだ。砕蜂のその震えた声音に苦笑いをしながら、夜一は口を開いた。

 

 「そんなに畏まらなくて良いと言っておるじゃろうが。おぬしは儂の未来の義妹(いもうと)になるんじゃからのぅ」

 

 「う、ぐぬぬ……」

 

 あからさまな夜一の挑発に、砕蜂は複雑そうな顔をする。もちろん、夜一は砕蜂を貶めるつもりなどなく、単純に面白そうだからとからかっているだけだ。砕蜂もそれがわかっているのだが、如何せん感情がそれを許さない。

 

 そんな悔しそうに呻く砕蜂を眺めつつ、夜一は尋ねる。

 

 「あやつは――龍蜂は、良い男じゃろう?」

 

 しみじみと、なにかを思い出すようにしながら夜一はそう言葉を紡いだ。

 

 そんな夜一の親愛のこもった言葉を受け、砕蜂は首肯して答える。小さな手をお腹に当てて、ゆっくりと撫でながら。

 

 「まぁ、なんじゃ。正直儂はおぬしと龍蜂を取り合おうなんぞ思ってなかったんじゃが――」

 

 夜一はそう言うと、獰猛な獣のような目で砕蜂を射抜く。

 

 「――おぬしがその気なら、負けるわけにはいかんのう」

 

 ふざけたような調子は変わらず、だがその中に本気が垣間見える夜一の声に、砕蜂は小さく息を呑んだ。

 

 同時に、砕蜂はそれが少し嬉しくも感じた。自身を対等な恋敵として認識してくれたこともそうだが、なによりも、至上の存在だと思っていた夜一とこうして他愛もなく話せているということに、だ。

 

 彼女も同じ"人"なのだと感じられたことで、今までの自分の盲信ぶりを改めて突き付けられた形になり恥ずかしくもあった。それでも、こうした時間はなにものにも変えがたいといえるだろう。

 

 「あの、夜一様……」

 

 「うん、なんじゃ?」

 

 砕蜂は恥ずかしそうにもじもじと身体を揺するが、

 

 「私は、夜一様のことも敬愛しております!」

 

 砕蜂の言葉を聞き、夜一は驚きつつもニヤリと笑みを浮かべた。

 

 「全く、可愛いやつじゃのう」

 

 夜一はそう言って、乱暴に砕蜂の頭を撫でる。龍蜂のものとはまた違ったその感触に目を細めながら、砕蜂は心地良さを胸一杯に感じていた。

 

 「――お待たせでーす……っと夜一さん。俺の妹、盗らないでくださいよ」

 

 「ぬふふ……嫉妬しておるのか?」

 

 「はいはいそうですねー」

 

 「ぬ、なんじゃその適当な対応は!?」

 

 戻ってきた龍蜂と夜一のやり取りを見ながら、砕蜂は幸せを噛み締める。

 

 そして、その幸せがこれからもずっと続いていくのだと、なんの疑いも持たずにそう思っていた。

 

 

 

 

 




 
龍蜂「あ、卯ノ花隊長!砕蜂に渡した媚薬の件なんですけど――」

卯ノ花「なんのことでしょうか?」

龍蜂「あ、いや、だから媚薬の――」

卯ノ花「なんのことでしょうか?」

龍蜂「え、あ、あの――」

卯ノ花「なんのことでしょうか?」

龍蜂「だから――」

卯ノ花「なんのことでしょうか?」

龍蜂「……な、なんでもないです」

卯ノ花「そうですか。では、失礼しますね(にっこり)」

龍蜂「」



 


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第18話

この九年にあったことはささっと飛ばします。
回想としておいおい書くかも(書かないフラグ)


 

 

 

         +++

 

 

 喜助の隊長就任から九年が経った。その間あったことといえば、まあ、いろいろだ。

 

 中でも個人的に一番嬉しかったことが砕蜂が第五席の席官に就任したことだ。俺や夜一さんとよく修行するようになってから、砕蜂はすごい速度で成長していた。水を吸うスポンジのようとはこのことかと、妹の成長を嬉しく思っていた矢先のことだった。「砕蜂を席官に推薦しておいた」と夜一さんに言われたのは。

 

 二番隊――もとい隠密機動は実力主義だ。危険な任務が多く、それに比例して死者も多い。そのため、隊士を纏める部隊長は強くなければならないのだ。そういうことで、席官の就任にはある条件があった。志望する席官と対決し、勝利すること。志望する席官よりも上位の者から推薦を受けること。この二つだ。つまりは前任者よりも強くなければならない、ということだ。

 

 副隊長、隊長の二つの役職に関しては二番隊だけの問題ではないため別だが、席官になった者は誰しもが通ってきた道だ。しかし……しかしだ! いざ妹である砕蜂がそれを行うとなると、酷く不安になってしまったものだ。

 

 とまぁくだくだと言ったが、結果は圧勝。砕蜂は前任の第五席を軽く倒して、そのまま就任と相成った。……正直もう忘れかけているのだが、この時期の砕蜂は別に席官だったとかは明記されていなかった気がする。それなのにこうして席官になれたということは、おそらくこの世界線の砕蜂のほうが早いペースで強くなっているのだろう。身内びいきかもしれないが、そう思いたい。これから厳しい戦いが待っているのだ。少しでも腕を上げて、安全に立ち回ってもらいたいものだ。

 

 そうこうと考えながら、俺は日の沈んだ瀞霊廷を歩いていた。仕事の合間の散歩のようなものだ。普段滅多に仕事を中断したりなどしなくなっていたのだが、今日だけは別だった。気になることもあり、イマイチ仕事が手につかなかったのだ。

 

 そんな俺を近くで見ていたからか、夜一さんも「気分転換にでも行ってくると良い」と快く送り出してくれた。……いや、実際は一緒に散歩に出ようとしていたのを椅子に縛り付け、書類の山をこなすよう厳命した形だな。ただでさえ()()()()の影響で二番隊の処理する書類が多いのに、夜一さんは限界までサボろうとするのだ。口で言っても聞いてくれなさそうだったので、今回は腰が抜けるまで激しく責めて――もとい説得して、どうにか置いてきたのだ。

 

 うん、たまには一人でぼんやりと歩くというのも良いな。実に良い気分転換になる。

 

 そうこうしているうちに、人の気配を感じた。職業病なのか一瞬だけ身構えそうになるが、それが見知った人物のものであることに気が付き、静かに警戒を解く。この九年で索敵の技術も相当に上達したのだが、同時に警戒心も首をもたげてしまっていた。

 

 「――おや? 龍蜂くんじゃないか。珍しいねえ、一人だなんて」

 

 そうして近付く気配を感じつつふらふらとしていると、少し驚いたようにそう声をかけられた。振り向くと、そこにいたのは八番隊隊長の京楽春水。京楽さんはいつものように女物の羽織を着て、どこか気だるげな様子だ。口調こそ驚いているものの、俺と同じく気配には気付いていたのだろう。彼の後ろには同隊の副隊長であるメガネの少女、矢胴丸リサも立っている。不思議そうに辺りを見回す様子を見ると、彼女も夜一さんがいないことに驚いているみたいだな。

 

 「どうもです、京楽さん。リサも久しぶり。ただまあ、別にいつも夜一さんと一緒なわけじゃないっすよ」

 

 俺はそう言って苦笑する。

 

 「いやまあ、それはわかってるんだけどさ。なんとなく、二人セットなイメージがあったんだよね」

 

 「せやせや、ウチもそんなイメージ持ってたわ。アンタと夜一隊長、なんや爛れた関係やっちゅうしなあ」

 

 おいリサ。否定はしないけど、爛れた関係っていうのはやめろ、頼むから。からかうような声音でそう言う京楽さんたちに、俺は曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。

 

 つうか、本当に爛れた関係って周知されているわけじゃないよな……?

 

 「――それで、例の事件に関して進捗は聞いてるかい?」

 

 内心ドキドキしながらしばらく雑談をした後、京楽さんは真剣な表情へと切り替えてそう聞いてくる。

 

 例の事件――現在六車拳西率いる九番隊が調査に当たっている、流魂街での変死事件のことだ。流魂街の住民が服だけを残して跡形もなく消えてしまうという事件で、その原因は一切不明。まるで生きたまま人の形を保てなくなって消滅したかのようなそれは、尸魂界(ソウルソサエティ)に衝撃をもたらした。

 

 ――俺は、その犯人を知っている。これから起こる悲劇も知っている。だが、だからこそ、軽はずみには動けなかった。

 

 その理由は至極単純。俺が藍染に警戒されているからだ。おそらく藍染は、俺が鏡花水月の術中にいないことも理解しているだろう。それなのに俺に接触してこない理由は謎だが、こちらも警戒するに越したことはない。

 

 「事件に関しては、特にまだ報告がないっすね。一応総隊長から隠密機動は動かないように命令がきているので、せいぜいが見回りの強化だったり、裏廷隊を十全に配備することくらいしかできないんすよ」

 

 考えてみれば、これも不自然といえば不自然なのだ。なぜ隠密機動ではなく、九番隊を調査に行かせるのか。隠密機動はその道のエキスパートだ。普段から危険の伴う任務を遂行し、事件を未然に防ぐこともしている。セオリー通りやるのなら、まず隠密機動を調査に行かせ、その上で適切な規模の増援として各隊を送り込むのが最善といえるだろう。

 

 だが今回は、それを差し置いての九番隊の派遣。総隊長は理由を述べなかったが、長次郎さんもどこか釈然としない様子だった。となると、考えられることといえば一つしかない。総隊長ですら考慮さざるを得ない、そんな組織。四十六室の命令だけだ。

 

 藍染がどの段階で四十六室にまで手を伸ばしたのかはわからないが、すでに四十六室はある程度藍染の影響下にいるとみて間違いないだろう。

 

 「正直、気になってることがあってねえ。少しでも情報が欲しかったんだけど――」

 

 京楽さんはそこで言葉を区切ると、俺の目を見据えた。

 

 「――本当になにも、知らないのかい?」

 

 「――っ……!?」

 

 彼の目を見た瞬間、俺の背中がぞくりと震え、冷たいものが走った。普段のおちゃらけた態度とは全く別の、その怜悧な目が俺の双眸を射抜く。それは俺の中のなにかを見透かすようで、それを受けた俺は内心では酷く動揺してしまう。京楽さんの後ろに立つリサはこのプレッシャーを感じてはいないようだし、京楽さんの疑念の対象は俺で間違いないだろう。

 

 だが、俺は生まれてからずっと隠密機動として成長してきた。だからこそ、内心はどうあれ、外面を取り繕うことなど容易い。俺はなに食わぬ顔で京楽さんへと答える。

 

 「――やめてくださいよ、京楽さん。知ってることがあるんなら、こうしてやきもきしてないっすよ」

 

 「そっか。いやあ、ごめんねえ。ついつい先走っちゃってさ」

 

 苦笑しつつ笑う俺を見て、京楽さんも普段通りの態度に戻る。

 

 「ま、なにかわかったことがあったら連絡でも――」

 

 京楽さんがそう言ってリサとともに立ち去ろうとしたところで、けたたましい鐘の音が鳴った。

 

 『――緊急招集! 緊急招集!』

 

 「「「――っ!!」」」

 

 その切羽詰まったような声音に驚きつつも、俺たち三人は顔を見合わせる。

 

 『各隊隊長は即時一番隊舎に集合願います!』

 

 「とりあえずボクは、一番隊舎に向かうとするよ。なにやら尋常じゃないみたいだからねえ」

 

 京楽さんはそう言うと、俺たちの返事を待たずに瞬歩でその場を離れていった。

 

 「うちらはどうする?」

 

 リサがそう尋ねてくる。言葉こそ疑問系ではあるが、実際彼女はこの後の行動をすでに決めているようだ。

 

 「リサは一番隊隊舎、行く気だろう?」

 

 「バレとったか。まあ、当たり前やな。隠れとるもんほど見たくなるのが人の(さが)ってやつや!」

 

 ドヤ顔でそんなことを言いながら、リサは俺に意見を促してくる。一応、聞くだけ聞いてくれるみたいだ。

 

 「はぁ……、俺も行くよ。この事件のことは気になってたし、動きがあったんならそれを知っておきたいからな」

 

 「なら決まりや。ほな行くで」

 

 隊長格のみが招集されるということはそれだけの異常事態だということだ。このタイミングということは、九番隊が壊滅したという報告や援軍の選抜などをするための会議なのだろう。原作に比べなにか変化がないか、それらを一応聞いて確かめておきたかった。

 

 そういうことで俺はリサについて行くことを決め、二人で一番隊舎へと向かうことになった。

 

 

 

 

 

 

 



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第19話

大変お待たせしました。
第19話です。

面倒だという意見が多かったので、評価の最低文字数を0に変更しました。
50に設定中はいろいろと厳しいご意見も多かったですが、大変参考になりました。
今後評価してくださる方々も、簡単な感想でも良いので書いて頂けると嬉しいです。


         +++

 

 

 「――火急である!」

 

 隊長たちが集まった一番隊隊舎の会議場に、総隊長の一喝が響いた。その一喝は会議室の外に隠れている俺やリサさえも身が竦むほどであり、総隊長の憤りにも似た感情がこれでもかとぶつけられてきた。

 

 護廷十三隊という組織に誇りを持っている総隊長からしてみれば、今回の事件でその一角を崩されたことは想定外であり、またその誇りを汚したこの事件はなんとしてでも解決しなければならないものになったようだ。総隊長は続く言葉で九番隊の現状や待機陣営からの報告などを話し、対策までもを言い切った。

 

 ――隊長格を五名選抜し、直ちに現地へと向かわせる。

 

 総隊長の判断は、原作と変わらなかった。確かに単なる一事件であるのならば、隊長格五人というのは過剰戦力とも言える陣容といえるだろう。だが、事件の真実を知る俺としては心許なく思える。というよりも、この場合はいくら戦力を掻き集めてもどうにもならないのだ。術中に嵌っていないとしても、(ホロウ)化を防ぐすべがない限りは。

 

 「席官だけやなく、(ましろ)拳西(けんせい)もやられたんか……?」

 

 俺の傍らでは、リサが信じられないといった様子で呟いている。彼女の気持ちもわからなくもない。拳西や白を擁する九番隊は席官の面々も実力者が揃っているし、隊長副隊長である拳西や白も相当に手強いのだ。それが一夜で壊滅したというのは、信じがたいことだろう。

 

 その後は原作通りに進んだ。遅れてきた喜助が志願するが一蹴され、反論しようとした喜助を夜一さんが一喝。その後、鬼道衆もそれに加わるよう言われたところで、京楽さんがリサをメンバーに加えるように言った形だ。

 

 「――頼める?」

 

 「当たり前!」

 

 「じゃ、よろしく」

 

 立ち上がってそう力強く返したリサは、俺のほうを見る。その視線は、アンタはどうするのかと聞いてきていた。その視線に言葉を返そうとしたところで、鋭い声がそれを遮る。

 

 「――龍蜂(ロンフォン)、いるのはわかっておる。お主は四楓院夜一同様、別命があるまで待機せよ」

 

 「あ、あはは……ばれてたんすね」

 

 総隊長のその言葉に苦笑いをしつつ、俺も立ち上がる。リサはそんな俺を見て仕方ないといった風に肩をすくめると、準備のためかすぐに走り去っていった。

 

 「全く……矢胴丸リサといいお主といい、気が付かぬわけがないであろうが」

 

 呆れた様子で総隊長はそう言うと、続けて俺への指令を口にした。

 

 「お主を除いた警邏隊には瀞霊廷内の警邏を強化させよ。賊の侵入を絶対に許してはならぬ」

 

 「……了解っす」

 

 俺はとりあえずそう返し、夜一さんのほうを見る。夜一さんも先ほどの喜助の様子を見ていたからか、この人選にどこか釈然としないような、憮然とした表情をしていた。もちろん、喜助も同様だ。

 

 だが、それを気にする総隊長ではない。

 

 「それでは鳳橋楼十郎、平子真子、愛川羅武、有昭田鉢玄、矢胴丸リサ、以上の五名を以て、魂魄消失案件の始末特務部隊とする!」

 

 有無を言わせぬ総隊長のその言葉で、緊急会議は解散となった。

 

 

 

 

 

         +++

 

 

 「それでのう、龍蜂。なにか言いたいことはあるかのぅ?」

 

 会議が終わった後、俺は夜一さんから隊舎の一室で詰問を受けていた。縛ったまま放置してきたこともそうだが、リサとともに会議を盗み聞きしにきていたことをだ。道中は気難しい顔をしていたのだが、今は少し元気になったみたいだ。

 

 なお、日が暮れるまで方々に指示を出していて夜一さんを放置していたため、少し機嫌も悪そうだった。仕事をしただけのはずなのに、理不尽だ。

 

 「全く、少し目を離したらどこぞの女をひっかけてきおって……」

 

 「いや、どこぞの女もなにもリサは俺と同じで護廷の副隊長じゃないっすか……。ていうか、面識もあるはずだし……」

 

 そんな感じにぷんすかといった風に唇を尖らせる夜一さんだが、それが空元気であることくらいはすぐにわかった。口調こそ明るいものの、その目にはどこか険があるのだ。いや、会議後の喜助の様子を見ていれば、それは仕方のないことなのかもしれない。憔悴した様子の喜助は、正直見ていられなかった。

 

 「――気になりますか、喜助のこと?」

 

 俺は思わず、そう口にしていた。

 

 俺のその問いに、夜一さんはなにも答えない。だが、彼女の様子を見ていれば答えはすぐにわかる。空元気の笑顔はなりを潜め、滅多にしないような難しい顔になっていた。

 

 「まあ、そうじゃな。……喜助の奴、先走らなければ良いがのう」

 

 「なんやかんや言って、喜助は身内のためなら突っ走っちゃいますからね」

 

 俺の言葉に、夜一さんは苦笑しつつも頷く。

 

 隊長就任当初はどうなることかと思っていたのだが、この数年間でひよ里ともだいぶ打ち解けていたようだし、すでに身内といっても過言ではないだろう。そんなひよ里たちが危機に陥っている今、喜助がなんとしてでも動こうとするのは当然のことだ。

 

 「――ともあれ、今の俺たちにできることは待つことだけっすね。朝になれば平子隊長たちも帰ってきますよ」

 

 俺は何食わぬ顔でそう言うが、内心は自己嫌悪で押し潰されそうだった。原作の流れを大幅に変えないようにする。ただそれだけのために、数々の犠牲を黙認しているのだ。そんな内心を悟られないように、俺は努めて明るくそう口にした。そして、彼女から目を逸らしつつ続ける。

 

 「それじゃあ、交代で仮眠でも取りますか。もう日も沈みますし、俺たちは朝までこのまま待機することになりそうっすからね」

 

 「……そうじゃな」

 

 とは言っても、俺たちの待機命令を始めとした残留組の行動は万が一への備えでしかなく、総隊長はあの特務部隊でこの事件を終わらせるつもりなのだ。それがわかっているからこそ、夜一さんもこうしてある程度の余裕を持てているんだろう。

 

 「おぬしが先に寝ると良い。残念なことに、儂には書類が溜まっておるのでな」

 

 夜一さんは仕方ないという風に笑うと、机に積まれた書類の山を指差す。その顔にはいつも通りの本気で嫌そうな表情が浮かんでいて、そんないつもの様子を見たことで、俺もいつもの調子に戻ることができた。

 

 「それに関しては仕事を溜めてた夜一さんが悪いんすから、諦めてください」

 

 「むぅ、おぬしが椅子なんぞに縛り付けるからじゃろうが」

 

 いつものような他愛のない会話。それが今は、どうしようもなく愛おしく感じる。

 

 「――やっぱ寝るのは勿体無い気がするんで、夜一さんの仕事が終わるまで待ってますよ」

 

 「なんじゃ? 変な奴じゃの」

 

 夜一さんはなんでもない風にそういうが、顔は嬉しそうににやけていた。そしてそのまま、意気揚々と書類に取り掛かる。

 

 俺はそんな彼女の姿を見ながら、ただただ時間が過ぎるのを待った。

 

 

 

 

 

 

 「――き、緊急連絡です!」

 

 「「――っ!!」」

 

 早朝、穏やかな時間は慌てたようなその声で崩れ去った。

 重厚な鉄の扉の上部、そこにある緊急連絡用の小窓から聞こえた砕蜂のその声に、夜一さんは静かな声で尋ねた。

 

 「……どうしたんじゃ、砕蜂?」

 

 夜一さんのその口調からは、今回の事件の終わりを知らせるものであってくれと願うような、そんな雰囲気を感じた。本来ならば簡単に決着のつく事件だったのだが、夜一さんはなにかが起こるという予感を持っていたのかもしれない。

 

 「魂魄消失案件に、し、進展が……」

 

 そして夜一さんの懸念通り、返ってきた砕蜂の声には動揺のようなものが混じっていた。それに気が付いた夜一さんは、一気に表情を険しくする。やはり藍染は、(ホロウ)化の実験計画を実行したようだ。

 

 何も返さない夜一さんの態度を続きを促すものだと思ったのか、砕蜂は扉越しにそのまま言葉を続けようとした。だが、詳しい話を聞く前に場を整えるべきだろう。

 

 「砕蜂。とりあえず、中に入ってくれ。報告はそれからだ」

 

 俺はそう言いつつ立ち上がり、扉を開く。扉の向こうでは、砕蜂が片膝をついたままの状態で頭を伏せていた。

 

 「ほら、報告は中で聞く」

 

 俺の言葉に砕蜂は「はっ!」と元気良く返事をすると、急いで部屋の中へと入っていく。砕蜂とは隊務中は常にこうして上司と部下というふうに接しているのだが、その背伸びしているような様子はやはり微笑ましく思えた。

 

 兎にも角にも、砕蜂の報告を聞くために俺も扉を閉めて部屋へと戻る。中では夜一さんは執務机に座ったままで、砕蜂がその机の前で先ほどのように片膝をつき夜一さんへと報告をしていた。

 

 「――ということで、今回の事件の下手人は十二番隊隊長の浦原喜助と断定。並びに、大鬼道長の握菱(つかびし)鉄裁(てっさい)も禁術使用の形跡を確認したため、浦原喜助共々四十六室にて尋問後、刑が執行されるとのことです」

 

 「……」

 

 「また、一番隊隊舎内の会議場にて残存の隊長のみで隊首会を行うとのこと。その際も一応、隠密機動には厳戒体制を敷かせたままでいるように、とのお言葉です」

 

 「……」

 

 砕蜂のその報告に、夜一さんはなにも返さない。執務机で腕を組んだまま、じっと目を瞑っていた。砕蜂も自分で報告している内容が信じられないのか、なにも言わずに片膝をついたままだ。

 

 俺は事前に予想はしていたため、彼女たちほど動揺はなかった。だがやはり、この報告を聞いたことでどうしても頭に浮かんでしまうことがある。

 

 ――別れ。

 

 事件がどう着地しようと、今までのような日々は当分戻ってこないだろう。砕蜂の報告により事件の終わりが見えたことで、そのことを嫌でも確信させられた。三者がそれぞれ黙り込んでしまい、室内には重苦しい空気が漂う。そして、そのまま誰も口を開かずに時間が過ぎていった。

 

 とりあえず俺は、そんな陰鬱とした気分を変えるためにお茶を淹れ、夜一さんの机へと置く。夜一さんは目で俺にお礼を言うと、ゆっくりとお茶を口に含んだ。喉を潤すことで、少しは頭の混乱も収まるだろう。

 

 砕蜂にもお茶を出し、俺も自分で入れたお茶を飲む。砕蜂は緊張で相当喉が渇いていたのか、一息にお茶を飲み干して俺の持つお盆へと湯呑みを置いた。飲みやすいようぬるめに淹れたそれは、気持ちを切り替えるのには十分だったみたいだ。砕蜂も夜一さんも、頭を整理できたように見える。砕蜂は少し噎せてもいるが。

 

 俺はお盆を応接用の机に置くと、そのままソファへと腰を下ろした。そして執務机に座る夜一さんを横目で見ながら、彼女が口を開くのを待つ。

 

 夜一さんはしばらく無言でお茶を飲むと、ゆっくりと口を開いた。

 

 「――砕蜂、報告は本当なんじゃな?」

 

 夜一さんのその言葉に、砕蜂は静かに頷いた。そんな砕蜂を見て、夜一さんは再び目を瞑る。

 

 「……わかった。すぐに隊首会に行く準備をせねばな。砕蜂は部屋の外でしばらく待っておれ」

 

 そして目を開けると、夜一さんは砕蜂にそう指示を出して立ち上がった。砕蜂も同じく立ち上がると、一礼して扉へと足早に歩いていく。俺はそのまま砕蜂を見送り、彼女が外に出たのを確認して、夜一さんへと声をかけた。

 

 「夜一さん、喜助のことっすけど――」

 

 「――儂は大丈夫じゃ」

 

 俺の言葉を遮るように答えた夜一さんは、普段通りにしか見えなかった。だが、それが逆に不自然に思える。喜助が犯人ということで決着がつこうとしている現状を、夜一さんが看過できるわけがないのだ。

 

 「とりあえず、着替えるから後ろを向いておれ、龍蜂。隊首会に草臥(くたび)れた装束で出るわけにはいかんからの」

 

 夜一さんはそう言って装束を脱ごうと手をかけたので、俺は慌てて後ろを向いた。裸を見せ合った仲だとしても、こういった恥じらいというのは重要なことなのだ。そもそも俺も外に出ればいいのだが、そのことには触れないでおこう。

 

 「――龍蜂。おぬしはこの事件、どう思っておるのじゃ?」

 

 後ろを向いた俺に、夜一さんがそう尋ねてくる。咄嗟のことに俺が答えられないでいると、さらに質問が重なった。

 

 「本当に喜助がやったと、そう思っておるか?」

 

 なにか確信を持ったような、そんな声音にも聞こえるその言葉に、俺は言葉に詰まる。夜一さんのことだ。喜助がやったことなどあるわけないと確信しているはずだ。そして、俺の態度からも察したんだろう。俺が何かを知っている、と。

 

 俺の考えを夜一さんに話すなら、今しかない。そう思った俺は、一息ついて口を開いた。

 

 「……あいつは――」

 

 否、口を開こうとしたところで、俺は背後に殺気を感じた。同時に、首を狙って繰り出された攻撃も感知する。確信に触れたその問いに、油断をしていたのかもしれない。それらを認識することこそできたが、防ぐ前に自分に到達するだろうということもわかった。

 

 「――済まぬな、龍蜂」

 

 凛と鳴る鈴のような声が、耳に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第20話

評価や誤字報告をしてくださった方々、本当にありがとうございます。
大変励みになります。


 

 

 

         +++

 

 

 「――済まぬな、龍蜂(ロンフォン)

 

 その言葉が聞こえた瞬間、俺は襲い来るだろう衝撃へ対応するべく微かに身体を反応させ動こうとした。もっとも、そんなことをしたところで、万全の夜一さんならばミスすることなく俺を昏倒させられるだろうが。

 

 そう、万全ならば、だ。

 

 一縷の望みが届いたのか、俺にその攻撃は届かなかった。

 

 「ぅ……っ!?」

 

 そしてそれを認識すると同時に、背中のほうから声にならない呻き声が聞こえた。俺はそれを聞いて、冷や汗をかきつつも振り返る。

 

 「――俺のほうこそ済みません、夜一さん」

 

 振り返った俺の視界には、片膝をついた夜一さんがいた。攻撃のためか、右腕だけが中途半端な位置に挙げられたままだ。彼女は自身の身体に起こった異変に驚いているようで、膝をついたまま荒い息を吐いていた。

 

 「……ぐ……なんじゃ、これは……っ? 儂に、なにをしおった……!?」

 

 「これですよ」

 

 上手く筋肉が動かないのか、夜一さんは区切るように言葉を発し、絶え絶えに紡いでいる。俺はそれに答えるように、懐から紙包みを取り出して続けた。

 

 「喜助開発、無味無臭の痺れ薬です。効果が出るまですこしラグがあるのが面倒なんすけどね」

 

 本当はプレイ用に作ってもらったものであり、解毒剤を服用しないと結構な時間痺れが取れることはないという、なかなかに悪質な薬である。夜一さんの逃亡を防ぐためにも使えるかと思い持ち歩いていたものでもあり、今回はこれに救われた形だ。

 

 「……! まさか、おぬしの淹れた……あのお茶か……っ」

 

 そう。夜一さんのいう通り、俺は夜一さんの分のお茶にだけ痺れ薬を入れていた。砕蜂のものに入れなかったのは、あらゆる毒物の知識を持つ(フォン)家の人間であるため無味無臭といえど気付かれる可能性があったからだ。幸いにして部屋は完全防音、効果が出るまでにはある程度の時間が必要ということもあり、誰にも気がつかれることなく夜一さんを無力化させることに成功した。夜一さんが想像以上に焦っていたことだけが、想定外ではあったのだが。

 

 「まあ、そうでもしないと夜一さんは俺の話を聞いてくれない気がしたんすよ。実際、そうでしたしね」

 

 俺の言葉に夜一さんはバツが悪そうに顔を歪めた。事実、お茶に痺れ薬を盛っていなかったらあの場で昏倒させられていただろう。そして夜一さんはそのまま、喜助たちの救出に動いていたはずだ。原作の通り、全てを捨てて。

 

 ……いや、俺という恋人がいるのだ。自惚れじゃなければ、おそらく置き手紙くらいは用意しているかもしれない。彼女の性格からして、短く謝罪を書いただけの、簡素なものを。

 

 「くっ……龍蜂! おぬしは、良いのかっ……!? 喜助や握菱の奴が……無実の罪で、裁かれるんじゃぞ……!?」

 

 夜一さんは痺れる身体に鞭打って叫んだ。俺にだってその気持ちはわかる。彼女にとって喜助は家族同然であり、俺にとっての砕蜂に価するといえるかもしれない。それを踏まえて、仮に砕蜂が冤罪で裁かれるとなれば俺は死力を尽くして助けに向かうだろう。

 

 その事実にほんの少しだけ嫉妬しつつも、俺は何も答えずそっと夜一さんの側にしゃがみこんだ。そして、そっと彼女の髪を撫で付ける。愛おしいこの感触を刻み込むよう、ゆっくりと、丁寧に。

 

 今生の別れになるかもしれないのだ。少なくとも、相当に長い決別となることだろう。その間に、この感触を忘れてしまわないように。

 

 「――っ! まさ、か……おぬし……!?」

 

 夜一さんは俺の考えに気が付いたのか、慌てた様子で声をあげた。それに珍しく、本気で怒ったような口調で。

 

 「おぬしには、砕蜂が、おるじゃろうが……!」

 

 「――だからっすよ」

 

 俺は彼女の目を見てそう答える。

 

 「俺がここに残っても、この事件の黒幕に対してどうすることもできない。いや、下手したら砕蜂を人質にされることだってあるかもしれないんです」

 

 藍染がなぜ俺を泳がせているのかはわからない。取るに足らない存在だと思われているのか、何かの計画に使われているのか、それともすでに鏡花水月の術中に嵌っているのか。俺にはなにも、わからなかった。

 

 「それに、(フォン)家には敵が多い。貴族たちの監視も担ってきたので、後ろ暗いものを持つ貴族たちは常々俺たちを煩わしく思ってきたはずっす。もし夜一さんが喜助たちを助けて護廷を抜ければ、そいつらは嬉々として蜂家を潰しにかかるでしょう」

 

 隊長の裏切りを未然に防げなかった副隊長にして、碌な力を持たない没落寸前の小貴族。奴らからしたら、そのレッテルは目障りな存在を消す大義名分を手にしたと同義だ。今まで蜂家が報復されなかったのは単に護廷十三隊という支持者がいたからであり、その支持者からの信頼を失えば、潰されようとも見て見ぬ振りをされるだけだ。仮に大前田家のような財力でもあれば違ったのかもしれないが、無い物ねだりをしても仕方がない。

 

 夜一さんが抜け、もし奴らが俺たちを潰そうとしてきたら、俺の力だけでは砕蜂を守れない。いくら俺が強くなろうとも、奴らの振るう力はその肥大した”権力”だ。権力の前には中途半端な個人の力なぞ意味をなさないのは、今回の喜助の件でも明らかだろう。

 

 普段はふざけているが、夜一さんは四楓院家の当主だ。貴族たちの陰湿さは、誰よりも知っている。そのため、彼女は俺の示す言葉の意味するところがわかっているようだった。

 

 「だからこそ、夜一さんに砕蜂のことを頼みたいんです。四楓院の名前があれば、少なくとも砕蜂だけは守ることはできる。それになにより、貴女は砕蜂を見捨てないでしょう?」

 

 そんな打算だらけの言葉に、夜一さんはなにも言わない。長い間彼女のそばにいて、彼女の性格は理解していた。彼女は彼女を慕う者への理不尽を、許しはしないだろう。だから俺は、砕蜂のことを安心して託せるのだ。

 

 俺はそのまま、小さく呟いた。懺悔するかのように、ただ虚空を見ながら。

 

 「――俺はずっと、貴女を裏切っていたんです」

 

 これは、俺の弱さだ。

 その呟きの意味することは、彼女にはわからないかもしれない。だが、勘付いてはいるはずだ。俺が何かを知っていることや、今回の事件を防がなかったことを。

 

 何も告げなかった俺を、果たしてこの人はどう思うのだろうか。

 

 「……もう、行きます。勝手なことして、本当にすみません」

 

 弱音をかき消すようにそう言い、俺はゆっくりと彼女に一歩近付いた。今はまだしびれ薬が効いているが、万が一ということもある。これ以上時間を使うのはよくないだろうという判断だ。

 

 「――縛道の三十二、”流雷(りゅうらい)”」

 

 その言葉とともに右手から肘までを紫色の電気が纏う。スタンガンのような、触れた相手を気絶させる鬼道だ。殺傷能力こそないが、捕縛時などには重宝されている。それを纏った右手で、俺は夜一さんの首元へと手を近付けた。

 

 「――龍蜂」

 

 直前、夜一さんは無理やりに顔を上げる。筋肉が痺れているはずなのに、その顔にはいつもの笑みが浮かんでいた。いたずらっぽい、少女のような快活な笑みが。

 

 「――それでも儂は、お主を信じておる」

 

 俺の知っていること、この事件のこと、喜助たちのこと。俺から聞き出したいことは数多にあるだろう。それなのに、彼女はこうして笑ってくれる。言葉通り、俺のことを信じて。そして俺は、自分の矮小さが嫌になる。俺にそんな資格なんかないんだと、叫び出したかった。本当に、情けない。

 

 彼女の頬を伝う一筋の光に心を穿たれながら、それでも俺は手を止めることはなかった。

 

 右手が首筋に触れた途端、パチン、という軽い音とともに、夜一さんの身体から力が抜ける。そのまま倒れこむ彼女を抱きとめて、首と膝の裏に手を入れ持ち上げると、ゆっくりとソファへと向かった。

 

 持ち上げた夜一さんの寝顔が普段のそれと同じで、無性に俺の心をざわつかせる。その事実から目を逸らして、俺は彼女をソファにゆっくりと寝かした。そのままソファの側に膝をついて、倒れたことで乱れた彼女の髪を丁寧に撫でつけ、整える。この数年間で何度もやった、手慣れた行為だ。

 

 俺の手が触れる度にニヤける彼女を見ていると、今までのことが頭に浮かんでくる。そのことで決心が鈍りそうになるのを感じて、俺はその場を去ろうと立ち上がった。

 

 そのまま振り返ろうとすると、不意に装束に突っ掛かりを覚える。視線を下に向けると、夜一さんの細い指が俺の装束の端を摘んでいた。一体いつの間にと驚きつつもその指を外そうとするが、なかなかに外れない。それが彼女が甘えたがる時とそっくりで、俺は一人苦笑しつつもいつもと同じように彼女に顔を近付け、その額に口付けする。

 

 そうすることでするするとほどけていく指を感じながら、俺は改めて扉へと歩き出した。重厚な扉の前で一度立ち止まり、取っ手に手をかけて静かに開く。

 

 扉の外では砕蜂ともう一人の護衛隊の隊士が向かい合って立っており、今回の事件についてを話しているようだった。護衛部隊に所属する者たちは相応の年数をここで過ごしているため、喜助のことを知っている者ばかりだ。だからこそ、どうやら今回のことで衝撃を受けているみたいだった。

 

 「あ、副隊……長……?」

 

 「ど、どうされたのですか、兄さ――じゃなくて、副隊長!」

 

 扉が開いたことで俺が出てきたことに気が付いたようだが、なにやら二人の様子がおかしかった。だが、それはとりあえず置いておこう。

 

 「君は至急一番隊舎へと向かい、夜一さんが少し遅れるということを託けてくれ。砕蜂は少し残るように」

 

 俺がそう言うと、伝令役に任命した隊士は「はっ」と短く返事をしてすぐに走って行った。

 

 それを見送ると、砕蜂が恐る恐る話しかけてくる。

 

 「あの……どうかされたのですか?」

 

 「……? なんの話だ、砕蜂?」

 

 「その、涙が……」

 

 「……!」

 

 砕蜂が俺の頬を指差してそう言う。それでやっと、俺は自分が涙を流していることに気が付いた。俺は慌てて右手でそれを拭いながら、不安そうな砕蜂の頭を左手で撫でる。

 

 「あー……いや、ちょっと目にゴミがな」

 

 「……ま、まさか夜一様となにかが、いや、浦原喜助のことですか!?」

 

 いつもならこれで猫のように目を細めて落ち着いてくれるのだが、今日はダメみたいだ。だからこそ俺は、そんな砕蜂をぎゅっと抱きしめた。咄嗟のことで驚いたのか砕蜂はじたばたと暴れるが、やがて観念したように静かになる。すんすんと匂いを嗅ぐかのように鼻を鳴らしているのは、俺の気のせいに違いない。

 

 しばらく抱きしめていると、砕蜂は俺の様子を伺うようにゆっくりと顔を上げた。喜びと安堵と不安とが入り混じったようなその変な表情に、自然と頬が緩むのを感じた。そして同時に、自分の臆病な部分が喚きだす。

 

 「――済まないな」

 

 「……本当に今日の兄様は、変です」

 

 俺の謝罪に、砕蜂は照れたように笑った。その純粋な笑顔に、心が曇る。それを振り払うように、俺は言葉を絞り出した。

 

 「――お別れだ」

 

 「……え?」

 

 「達者でな、砕蜂。――縛道の三十二、”流雷(りゅうらい)”」

 

 いきなりのことで反応できなかった砕蜂には、流雷を避ける術はなかった。パチンという音とともに身体から力が抜け、俺にもたれかかってくる。

 

 愛する家族にしたこの仕打ちを心に刻み、俺は機械的に砕蜂を壁へともたれ掛けさせると再び立ち上がった。

 

 

 そして、早朝の人気のない廊下を、逃げるように歩いて行った。

 

 

 

 



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第21話

 

 

 

         +++

 

 

 中央地下議事堂。尸魂界(ソウルソサエティ)の最高司法機関、四十六室が存在するその施設へ続く入り口は、一番隊の面々が守護していた。

 

 「――これより先は審議中のため何人も立ち入りを禁じられている」

 

 「誰だか知らぬが、お引き取り願おう」

 

 俺の前に立つ二人の隊士は、入り口を塞ぐように細長い特殊警棒を交差させてそう言った。今の俺は布を巻いて顔も髪も隠していて、死覇装(しはくしょう)の上には外套も纏っている。怪しいことこの上ないだろう。

 

 彼らの声は緊張と警戒心からか少し震えており、警棒を持たない手は斬魄刀を探すかのように腰の位置に置いてある。だが、ここでの斬魄刀の使用は第一級禁則事項であり、守護する隊士たちは帯刀してすらいない。否、させてもらえないのだ。四十六室の猜疑心がなせる業である。

 

 なにより彼らが警戒しているのは、俺がここまで来てしまっている事実だろう。この施設の周囲は一番隊の護衛部隊が守護を()()()()。それをこんな怪しい奴が無傷で掻い潜って来た。それが意味することなど、たったひとつだ。

 

 「悪いがその先に用がある。通らせてもらうぞ――ッ!」

 

 俺の歩みは、止められない。

 

 

 

 

 

 「――判決を言い渡ぁす!!!」

 

 俺が地下議事堂の扉へと辿り着くと、丁度喜助と鉄裁さんへの判決が下されるところだった。扉ごしにも聞こえるその(しわが)れた声は、権力しか寄る辺のない哀れな老人のそれだ。皮肉なことに、彼らの命令で何度も粛清してきた腐った貴族たちと同類であった。

 

 「尚、邪悪なる実験の犠牲となった哀れなる五番隊隊長以下八名の隊長格は、”(ホロウ)”として厳正に処分される!」

 

 原作通り、四十六室の沙汰は酷いものだ。碌に情報も精査せず、権力に物を言わせての断行。これ以上こんなことを聞いていても仕方がないため、俺は勢い良く扉を開け放つ。

 

 その途端、議事堂内に静寂が訪れる。賢者たちは部外者が乱入してきたという事実を信じられないといった様子で、ただただ唖然としていた。

 

 「――何者だ! 審議中の議事堂入室の許可など誰が与えた!? 立ち去れ、下種(げす)めが!」

 

 慌てて賢者の一人がそう叫ぶが、俺の耳には届かない。瞬歩で喜助と鉄裁さんの側まで行くと、驚く二人を担いで霊具を使う。霊力を込めることで空を飛ぶことができるという、四楓院家の所有するあれだ。

 

 以前夜一さんに借りたのをそのまま持ってきたのだが、この際仕方ないだろう。喜助だけならまだしも、大柄な鉄裁さんも担いだらさすがに瞬歩を使うことができないのだ。夜一さんには今度――いや、また会えた時に怒ってもらうとしよう。

 

 賢者たちの罵声を背に受けながら、俺たちはその霊具で来た道を高速で戻って双極の丘へと向かう。その地下にある、秘密の訓練場へだ。

 

 尚、道中は男三人という見るに堪えないむさ苦しい状態のためか、俺を含めて誰も言葉を発さなかった。そのおかげか誰にも見つかることなく、俺たちは無事に施設を抜け出して訓練場へと辿り着いたのだった。

 

 

 

 

 

 「――あ……ありがとっス、龍蜂サン」

 

 訓練場へと着いた俺たちは、道中の惨状が終わったことで息を吐いた。そして気持ちを落ち着かせてから、喜助は俺にそう声をかけてきた。

 

 「いや、礼はいい。それよりも――」

 

 俺は視線を別の方向へと向ける。訓練場の奥、事前に喜助とともに作っていた簡易的な研究室へだ。

 

 「向こうにあの八人は運んである。喜助の研究資料と例の義骸もな」

 

 俺の言葉に、喜助は無言で頷く。その目に一瞬だけ、疑問の色を走らせながら。俺を敵だと見ているというわけじゃなく、純粋な疑問なのだろう。

 

 「――これを切り抜けたら話す。今は平子さんたちの処置が先決だ」

 

 「……そっスね」

 

 あの研究所はほぼ俺の一存で作ったものだ。喜助からしたら、俺がこうなることを予見していたように見えるはずだ。事実予見していたのだが、さすがにそれを明かすことはできなかった。だからこそ、こうして怪しまれるのも仕方がない。

 

 その後、テキパキと鉄裁さんに指示を出す喜助が提示した時間は十時間。原作よりも半分以上早い時間だ。ここにある研究所の存在と、俺とともに進めていた義骸の研究の成果だといえるだろう。

 

 「問題は、ここの存在を知っている夜一さんなんスけど……」

 

 喜助はそう言って俺を見る。

 

 「夜一さんに関しては大丈夫だ。当分動けないだろうし、そもそも彼女がここを教えるとも思えない」

 

 「……すみません、龍蜂サン」

 

 そう返した俺の表情で悟ったのか、喜助は小さく謝ってくる。だが、そんな時間も今は勿体ないのだ。

 

 「私たちがここで作業をしている間、龍蜂さんは一体どうするのですかな?」

 

 「とりあえず俺は瀞霊廷内で陽動をかけます。夜一さんでもない限り、瞬歩で追いつかれることはないですしね」

 

 鉄裁さんにそう返して、俺は喜助へと向き直る。

 

 「このままボクたちは現世に身を潜め、時間をかけて解き明かします。必ず、この”(ホロウ)化”を解除する方法を――」

 

 喜助の言葉に、俺も鉄裁さんも頷いた。

 

 「――じゃあ、現世でな」

 

 「はい。龍蜂サンも、気をつけて」

 

 喜助のその言葉を聞いて、俺は訓練場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、俺は至る所で霊圧を解放しながら瀞霊廷を抜け、流魂街まで駆けていた。護廷十三隊に発見されていない穿界門(せんかいもん)はいくつかあるため、頃合いを見てその一つを使用して現世へと向かうつもりだ。尸魂界(ソウルソサエティ)から現世への一方通行で一度使うと消滅する使い捨てだが、だからこそ追っ手を撒くことができる。

 

 もっとも、どれか一つでも使えば技術開発局に同じ型の簡易穿界門全てを暴かれてしまうだろうが。喜助様様である。喜助は現世への脱出方法は別に用意してあると言っていたので、この穿界門は俺が好きなタイミングで使っていいということみたいだ。

 

 それに総隊長の考え方なら、唯一の懸念材料である隊長格の出撃はないはずだ。(ホロウ)化という未知の現象で八名の隊長格を失った今、これ以上の戦力低下の危険は冒せないだろうしな。

 

 そんなことを考えながら穿界門の設置場所の一つに向かっていると、不意に見知った霊圧を感じた。そして次に、何故という疑問が浮かんでくる。夜一さん以外で俺の瞬歩に追いつけるのは、確かに彼を置いて他にいないだろう。だがこの人は――

 

 

 「――縛道の八十一、”断空”!」

 

 

 その声が聞こえると同時に、俺のいる場所を中心に立方体の結界が形成された。八十九番以下の破道を完全に防ぐ、特殊な壁を生み出す縛道、”断空”。本来のそれは一面を防御するだけの壁のはずだが、これは違う。ただでさえ扱いの難しい八十番台の鬼道を、己の霊圧を複雑に編み込むことで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そうすることで、その壁を六枚生み出して立体的な封印結界を作り上げたのだ。

 

 この裏技的な技術――擬似重唱を扱える者など、龍蜂は一人しか知らなかった。

 

 「――お久しぶりです、希ノ進さん」

 

 「おうおう、龍蜂よお! おめえこりゃあどういうことだ?」

 

 俺の挨拶に怒気を孕ませた声音で答えるのは、大前田希ノ進。茶色いパーマをリーゼント風にセットした、『ならず者』という言葉がぴったりの元二番隊副隊長だ。俺の前任者である彼は、引退したことで少し贅肉が増えたようにも見える。だが、その鬼道の冴えに衰えはないようだった。

 

 「俺はお前さんを買って副隊長を譲ったんだぜ? それがおい、一体なにしてやがる、ああ?」

 

 家業に専念したいとは言っても、希ノ進さんは現役をまだまだ続けられたはずだ。それでも、俺という後進を信じて引退した。今の俺は、そんな希ノ進さんの信頼を裏切ったのだ。

 

 この人が来たのは、おそらく総隊長の仕業だ。希ノ進さんなら俺の行動に憤りを覚えるはずだし、斬魄刀を返却していようとも鬼道の腕には変わりがない。夜一さんを何度も捕まえている経験から、これ以上ない追っ手だと判断したのだろう。

 

 「事情はいずれ、説明に上がります。だからここは――」

 

 「――見逃すわけがねえだろうが」

 

 「……ですよねぇ」

 

 俺の言葉を遮って、希ノ進さんは呆れた様子でそう返す。ただその様子からは、少しの安堵が見て取れた。

 

 「……まあ、このまま牢屋にぶち込んで、そこで事情だけは聞いてやる。お前が何の考えもなしに馬鹿やるとは思えねえからな」

 

 この結界が形成されてしまえば、外に出ることは非常に難しい。何の対抗手段もなしに閉じ込められてしまえば、それこそなす術がないだろう。そう、対抗手段がなければ。

 

 「――紫電一閃、”鳴神”!」

 

 「――ッ! ちぃッ!」

 

 だが、俺の斬魄刀は()()()()()()()

 

 開放した鳴神の黒い刀身を下部の断空に当て、そっと押し込む。それだけで鳴神の刃は断空を斬り裂き、歪みを生じさせた。それを見た希ノ進さんが急いで追加の縛道を放とうとするが、俺はそれを待たずに結界から飛び出す。

 

 「くそっ、夜一さんを閉じ込めた時は逃げられたことなんかなかったんだがなあ、おい」

 

 「まぁ、頼りになる鳴神(彼女)のおかげっすよ――痛ッ!」

 

 希ノ進さんの悪態に俺が得意げな顔でそう返すと、鳴神を握る手に電気が走った。思わぬ追っ手に動揺して初撃を避けられなかった俺への、鳴神なりの叱責みたいだ。なんとか斬魄刀を落とすことはなかったが、これ以上の油断を彼女は許さないだろうし、俺もする気は無い。

 

 「ったく、大人しく捕まってくれねえっつーんなら、手荒に行くぜ」

 

 希ノ進さんがそう言うとともに、爆発的に霊圧が高まる。

 

 「――破道の七十三、”双蓮蒼火墜(そうれんそうかつい)”!」

 

 「……ッ!」

 

 その名の通り、スタンダードな破道”蒼火墜(そうかつい)”の上位互換だ。普遍的ゆえに対処は比較的楽ではあるのだが、この人が使うとわけが違う。詠唱破棄での擬似重唱を用い、詠唱が終わると同時に五つの”双蓮蒼火墜(そうれんそうかつい)”が顕現して俺に襲い掛かってきた。それらは絶妙にタイミングを擦らされており、瞬歩を使用しても全てを完全に避けることは難しい。

 

 それでも、鳴神で上昇した俺のスピードならギリギリ抜けられる。そして希ノ進さんは、それすらも計算に入れて鬼道を放ってきたのだろう。だが、ここで避けなければどちらにしろ戦闘不能で捕まるのだ。俺に選択肢はなかった。

 

 瞬歩を駆使して一つずつ躱していくが、躱すごとに肌が焼けていく。下手に鳴神で斬っても後続にまで手が回らず、紙一重で避けなければ直撃、避けてもダメージを喰らう。希ノ進さんの技術の高さが際立つ、陰湿な攻撃だった。

 

 それでも俺は、ギリギリで全てを躱して”双蓮蒼火墜(そうれんそうかつい)”の爆風から逃れる。

 

 「――っし、抜けたぁッ!」

 

 だが、それらを抜けてボロボロになった俺の目の前で、希ノ進さんは印を組んで待っていた。

 

 「――そうだよなあ! 抜けるのはここしかねえ! 縛道の九十九、”禁”!」

 

 「なっ!? 九十番台の詠唱破棄!?」

 

 鬼道衆でも一握りの者しか扱えないそれを、希ノ進さんはニヤリと笑いながらやってのけた。抜けたところで待ち構えているのは予想していたが、これは想定外だ。驚く俺の周囲に黒いベルトが現れ、次々と身体を拘束していく。完全に身動きが取れなくなったところで、トドメとばかりに地面とベルトの接する部分を鋲が縫い止めた。

 

 「――ふん、ぶっつけ本番だったがなんとかなったぜ!」

 

 そんな俺を見て希ノ進さんは得意げにそう言う。事実、彼の額に流れる汗から見ても、上手くいくかどうかは賭けという部分はあったのだろう。心持ちホッとしているようにも見えた。

 

 「だが、これでお前さんももう動くことなんか――」

 

 「――喰らっていれば、っすけどね」

 

 そんな希ノ進さんの後ろに、()()()姿()の俺は回り込む。そしてそのまま、彼の首元に斬魄刀を突き付けた。

 

 「――なん……だと……ッ!?」

 

 驚いた様子で身体を固める希ノ進さんは、首だけを動かして”禁”を喰らったはずの俺がいた場所へ視線を向けた。そこにあるのは、ベルトで拘束された俺の外套のみ。

 

 「空蝉(うつせみ)か……? いや、だが直前まで俺はあそこにお前さんの霊圧を感じてたはず……!?」

 

 希ノ進さんがいう空蝉とは、正式名称を隠密歩法”四楓”の参「空蝉」という特殊な歩法だ。独自のステップを踏んだ瞬歩で残像を見せ、服を一枚残した状態で敵を欺く技である。もちろん、ただの残像に霊圧を感じることはないため、霊覚――霊圧知覚とも言われる霊圧を感じる力ですぐに残像だとバレてしまうという欠点があるのだ。それでも、単純な欠点ゆえに意識していないと案外見破られることも少ない。

 

 だが、夜一さんも得意とする空蝉は、希ノ進さんにとっては見慣れたものだったはずだ。だからこそ、それに対処するため鬼道を発動した後も霊覚で俺を見続け、空蝉を使っていないかどうかを確認していたのだろう。

 

 ――俺の予想通りに。

 

 「その警戒心を逆手に取ったんすよ」

 

 そう、俺のしたことも単純だ。戦闘中、基本的に霊圧を用いる者は視覚と霊覚を使用して相手を見ている。そして、集中すればするほど無意識のうちに霊覚にその比重が傾いていくのだ。希ノ進さんも霊覚で空蝉を使われていないことを確認し続けたことで、その比重が極端に傾いていた。

 

 「だからこそ、そこに霊圧を凝縮して置いてくることで、希ノ進さんはそこに俺がいると思い込んでしまったんです」

 

 「ッ!? おいおい、そんなこと隊長格でも碌に使える奴なんかいねえぞ……!」

 

 それでも空蝉をベースに改良を重ねなんとか使えるようになっただけで、一度手札として知られてしまえば簡単に見破られてしまう。そんなまだまだ完成度の低い技なのだ。とてもじゃないが、使いこなせるとは言い難い。

 

 ただそれでも、この戦闘を切り抜けることはできた。それで良しとしよう。

 

 「――ちっ、ここまで腕を上げてやがるとはな……」

 

 希ノ進さんは単純に悔しそうにそう言うと、身体から力を抜いた。戦闘の意思はないということみたいだ。かつての上司にそう言われるのは、想像していた以上に嬉しかった。だが、それでも俺は警戒を解くことはない。

 

 「――そういうわけで、希ノ進さん。俺や喜助たちは訳あって現世に潜みます」

 

 「……護廷を退いた俺には詳しいことはわからねえが、今回の騒動、お前さんたちが真犯人ってわけじゃねえんだろう?」

 

 希ノ進さんはもう抵抗を諦めたようで、首だけを横に向けて俺に尋ねてくる。口調こそいつも通りぶっきらぼうだが、その声音はどこまでも真剣だった。

 

 「……はい」

 

 「ふん、それならもう良い。冤罪くらいすぐに晴らせって言ってやりてえが、お前さんや浦原の小僧がいてどうにもならねえってんなら、それも難しいんだろうよ」

 

 希ノ進さんはそこまで言うと、不意に笑みを浮かべた。俺の上司だった時によく見た、面倒見の良さそうな快活な笑みだ。

 

 「ったく、仕方ねえな。夜一さんはともかく、お前さんの妹のことは任せろ。四楓院ほどの力はねえが、大前田(うち)も結構な家になってるからよ。中央の馬鹿どもだって、大事な金の無心先がなくなるのは嫌だろうしな」

 

 「――ッ! ……ありがとう……ございますっ!」

 

 この世界の父さんとの関係は、お世辞にも良いとは言えない。修行以外で碌に話すことはなかったし、父さんは砕蜂が隠密機動に入った後、隠居と称してどこかへ行ったっきりだ。毎年母さんの墓に花は手向けられるので、生きてはいるんだろう。だが、もう何年も顔すら見ていない。

 

 そんな俺にとって、彼はもう一人の父親のような存在だといえるのかもしれない。というより、彼が副隊長だった時の新人は、みんながそう思っていることだろう。

 

 俺は希ノ進さんに震えた声でお礼を言い、何かを堪えるように、少しの間気持ちを落ち着かせた。

 

 そして――

 

 

 「――縛道の三十二、”流雷(りゅうらい)”」

 

 

 パチン、という音と同時に、希ノ進さんが崩れ落ちる。その身体を木の根元に横たえ、俺は急いでそこを離れた。戦闘音や霊圧を聞き付け、複数の隊士がこちらへ向かっていたからだ。

 

 俺は彼らに感知されないように迂回しつつ、穿界門の場所へと向かった。

 

 「――よりにもよって、ここなんだよなぁ」

 

 その穿界門の設置場所は、俺が例の謎の(ホロウ)、ブラックと戦闘した場所だった。森の中の開けた空間。戦闘の跡が残っているため、もともとの広さよりもさらに広くなってしまっていた。あれ以来立ち入りが禁止されている場所なのだが、こんな所を訪れる者もいないため警備は緩い。というか、事件から相当時間が経っているため警備はもういなかった。

 

 ここから始まって、ここで一旦終わる。皮肉なことだと苦笑しつつも、俺は地獄蝶を取り出して穿界門を開いた。

 

 そして最後に、空を見上げる。いつも通りの清々しい青空、見慣れたはずのそれが、やけに恋しかった。

 

 「――また、会う日まで」

 

 そう呟いて、俺は一歩を踏み出した。

 

 

 




 
これにて過去編は終了です。

今話の龍蜂が希ノ進さんを騙した技は、71巻で京楽さんがリジェとの戦闘で使った技とほぼ同じです。一応隠密機動の技も取り入れたオリジナルになっているので、完璧に使えるようになったら名前を出すつもりでいます。

なお、現在は次章の構想を練っている最中です。
乞う御期待!


ではでは。

 


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第2章 尸魂界動乱編
第22話


 
あけましておめでとうございます。
更新が大幅に遅れたことについては、本当に申し訳ありません。
まったり更新な本作ですが、どうか今年もよろしくお願いします。

新章のプロローグです。

*注意*
本日は2話更新しています。ご注意下さい。
こちらは1話目です。





 

         +++

 

 

 

 

 瀞霊廷にある霊術院の屋上。真央霊術院一年一組の生徒たちは、魂葬実習のためにこれから現世へ向かうところだった。特進学級として将来を期待される生徒たちだったが、初めての実習、初めての現世ということもあり、この時ばかりは学生らしく浮かれていた。

 

 「まずは簡単に自己紹介しとくぞ」

 

 今回の引率、真央霊術院の六回生である檜佐木修兵が自己紹介を始めると、一部の者を除き生徒たちの間にどよめきが走った。その名は非常に有名なものだからだ。霊術院の卒業前に護廷十三隊への入隊が決定している六回生で、将来的には席官入りも確実と言われている麒麟児。それが、彼らの引率を行う檜佐木修兵だった。

 

 彼の後ろに控えるのは蟹沢と青鹿という六回生で、それぞれが鬼道と斬術を得意としていた。檜佐木と比べれば劣る部分はあるものの、彼らも六回生の中では有数の実力者である。これ以上ないというほど恵まれた環境だといえるだろう。

 

 「それじゃ、ここからは三人一組で行動してもらうわ」

 

 蟹沢の言葉で、生徒たちはそれぞれが持つ紙を見た。そんな生徒の1人、雛森桃の持つ紙には、デフォルメされた黒い髑髏が書いてある。

 

 「誰と一緒なんだろう……?」

 

 雛森は若干不安そうにしながらも周囲を見る。すると、同じマークを持つ二人が目についた。阿散井恋次と吉良イヅルの二人だ。

 

 「……あの……」

 

 顔見知りではあるものの、雛森は彼らと特別頻繁に話すわけではない。そのため、少し自信なさげに問いかける。

 

 「よ、よろしく……」

 

 「何だ、雛森か。よろしくな」

 

 「……!」

 

 雛森に気がついた恋次は返事を返すが、イヅルは何かに驚いた様子で固まってしまう。雛森はそんな様子を不思議に思うが、そこで檜佐木の声が響く。

 

 「各自、地獄蝶は持ったな?」

 

 その声に、三人は慌てて地獄蝶を取り出した。

 

 「――行くぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

 「……なんつーか、思ってたより全然ラクだったな。魂葬ってなもっと面倒なもんだと思ってたぜ」

 

 「そ、そうだね……」

 

 所変わって現世のとある街。一組の面々はとあるビルの屋上にて魂葬実習を行っていた。魂葬とは、斬魄刀の柄尻の部分を死者の額に押し付け判を押し、その魂を尸魂界(ソウルソサエティ)へと送る儀式である。死神の基本的な業務であるため、霊術院の生徒は在学中にこうして現世で実習を行うことになっていた。

 

 初めてということもあり力みすぎて魂魄に痛みを与えてしまう生徒もいるが、実習自体は概ね順調に進んでいた。雛森、恋次、イヅルの三人も、すでにノルマである二回の魂葬を終えて残った班が魂葬を終えるのを待っているところだ。

 

 班を組んでからどこか落ち着かない様子のイヅルは、待っている間斬魄刀を出したり仕舞ったりしてカチャカチャと音を立てていた。貧乏揺すりに似たようなものだろう。

 

 きっと自分と同じように、緊張しているのかもしれない。雛森はそんな彼の様子からそんなことを思い、密かに親近感のようなものを覚えていた。もちろん、ただの勘違いである。

 

 そうこうしていると、最後の生徒が魂葬を終えた。これで実習が終了というわけだ。

 

 後は檜佐木らの指示で穿界門を開き、尸魂界(ソウルソサエティ)へと帰るだけである。終わりが見えたからか、雛森はどっと疲れがやってきたような気がした。実習中、良くも悪くも個性的なこの二人に色々と振り回されたせいかもしれない。

 

 それは雛森だけじゃなく、一組の生徒たち全員も同じようだった。大小の疲労を抱えているようで、彼らの間には来た時ほどの喧騒はなかった。

 

 「よし、集合! 以上で本日の実習を――」

 

 全員が尸魂界(ソウルソサエティ)へ帰った後のことを考えながら、檜佐木の指示に従い集まろうとした時、それは起こった。

 

 「……ひ、檜佐木く……きゃあ――ッ!」 

 

 引率役の一人、蟹沢の悲鳴。そして、轟音。

 

 雛森は思わず、悲鳴の聞こえたほうへと目をやる。そこにいたのは、両手に大きな二本の爪を持つ巨大虚(ヒュージ・ホロウ)――大半の生徒たちにとっては、初めて目にする本物の(ホロウ)だった。

 

 先ほどまでそこに立っていた蟹沢の姿が見えないことから、雛森は最悪の想像をしてしまう。虚と対した死神に等しく訪れる可能性を。他の生徒たちも、あっという間の出来事に反応できずにただ顔を青くしていくだけだった。檜佐木や青鹿も同じで、突然の事態に動くことが出来ないでいる。

 

 だがそこで、彼らは(ホロウ)の前に立つ一人の死神に気が付く。彼は黒い長髪を白い布で後ろに一本でまとめていて、垂れた部分が風に吹かれて尻尾のように揺れている。身長は高く、線は細い。だが、見習いの彼らから見ても実力者だということがわかる佇まいをしていた。

 

 「――あ、あれは……?」

 

 彼の脇には目をぱちくりさせたまま固まる蟹沢が後ろ向きに担がれていて、緊迫した状況に酷い違和感を投じていた。

 

 この死神は、一体誰なのだろうか? 雛森はもちろん、生徒たちの間にも疑問が広がっていく。

 

 魂葬実習は頻繁に行われる行事であり、それに一々死神の護衛が就くことはありえない。だからこそ、この死神がなんなのか検討もつかなかったのだ。

 

 「――おい、檜佐木修兵」

 

 左肩に蟹沢を担ぐ彼は右側から顔だけこちらへ向けて、檜佐木へと声をかける。右耳付近の髪も編み込んで後ろに流しているため、鋭利な瞳がはっきりと見えた。彼は落ち着いついた低めの声で、それを聞いた雛森たちは次第に冷静さを取り戻していった。

 

 「()()()()の相手は俺がする。お前は生徒たちを連れてさっさと逃げろ」

 

 彼はそう言うと、抱き抱えていた蟹沢を地面に下ろす。蟹沢は腰が抜けているのか、下ろされたと同時に地面に座り込んでしまう。降ろされた後も蟹沢は事態が理解できていないのか、戸惑った表情のままその死神を見ている。

 

 そこに慌てて檜佐木と青鹿が駆け寄り、蟹沢の無事を確かめた。幸いにも怪我がないようで、彼女はただ困惑の表情を浮かべているだけだった。檜佐木はそれを確認すると、その死神へと向き直る。

 

 「蟹沢を助けてくれたことは感謝する。だが――」

 

 それを受けて、生徒たちはやはり彼は檜佐木の知り合いであるのだろうと思い、安堵の息を吐いた。

 

 護挺入りが確実視されている檜佐木なら、死神の知り合いくらいはいるだろう。大方、護廷十三隊入りする檜佐木の普段の様子を見るためにどこからか見守っていて――

 

 「――一体誰なんだ、あんたは?」

 

 ――知らねぇのかよッ!!!

 

 だが、そんな生徒たちの現実逃避気味の考えも檜佐木の叫びで潰える。この瞬間、生徒たちの心の叫びは一つになっていただろう。

 

 「この実習に死神が来ることは聞いていないし、あんたはこの街の担当者でもない――」

 

 ――はずだ。檜佐木がそう言おうとした所で、謎の死神を警戒していた(ホロウ)が動き出した。雛森にはそれが見えていて、思わず悲鳴を上げてしまう。ちょうど、その死神が檜佐木のほうへと振り向こうとしていたところでもあったからだ。

 

 だが――

 

 『ギィヤァァァ――!!!!』

 

 その(ホロウ)は腕を振りかぶったところで、悲鳴を上げた。そして、ズルリと顔が、身体がズレていく。縦に真っ直ぐ、綺麗な真っ二つになって。

 

 叫び声とともに消滅し、辺りに静けさが戻った。檜佐木もその光景に驚いているようで、何も言えずに固まっている。

 

 先に動いたのは、謎の死神だった。

 

 「――(ホロウ)はこいつだけじゃない。さっさと生徒たちを穿界門へ」

 

 「――あ、あぁ……」

 

 檜佐木は未だ呆然としながらも、尸魂界(ソウルソサエティ)への連絡を済ませると青鹿に指示を出す。実習中に(ホロウ)に襲われ、たまたま付近にいた死神とともに撃退した、と。そして、まだ(ホロウ)が存在する可能性があるため、援軍を求めるということも。

 

 一方の青鹿は、立ち上がれるようになった蟹沢に穿界門の解錠を任せ、自身は雛森ら生徒たちのほうへと走った。自分たちを含め、一刻も早く避難しなくてはならない。先程のレベルの(ホロウ)には、未だに未熟な自分たちでは全く太刀打ちができないからだ。

 

 「……せ、穿界門が開いたらすぐに尸魂界(ソウルソサエティ)へと戻る。こっちに集まって、じっとしているんだ」

 

 謎の死神に当てられ冷静さを取り戻していた生徒たちは、特に混乱することもなく指示に従う。もちろん、雛森や恋次、イヅルもそれに従っていた。だが、恋次は少し不満そうにしている。

 

 「俺らだって死神見習いなんだ。それなのによくわかんねぇ死神に全部任せっきりで、(ホロウ)から逃げちまっていいのかよ……」

 

 その言葉はもっともだ。雛森も、口には出さないが憤りは感じていた。それでも、今はわがままを言って迷惑を掛けるわけにはいかず、渋々青鹿の指示に従って穿界門のほうへと小走りで駆け出した。

 

 そうこうしているうちに穿界門が開き、生徒たちが続々とそれをくぐっていく。

 

 だが、不意に雛森は先程まで感じなかった霊圧の高まりを感じた。丁度、穿界門へと向かっている()()()()()()()()。他の生徒たちも一瞬遅れて気が付いたようで、慌てて雛森たちの上を見上げる。そこでは新たな巨大虚(ヒュージ・ホロウ)が現れていて、不気味な顔で雛森たち三人を見ながら落ちてきた。

 

 「「「う、うわぁぁぁ―!」」」

 

 他の生徒たちも、叫び声を上げながら穿界門に駆け込んでいく。次は自分たちが襲われるかもしれないのだ。慌てないほうがおかしいだろう。

 

 (――そんな! 霊圧を感じなかった!)

 

 その事実に愕然としつつ、雛森も恋次やイヅルとともに穿界門へと走り出した。立ち止まっていたら、いや、今走り出したところで間に合わないだろう。雛森は恐怖に身が竦み、身体が崩れ落ちそうになる。恋次やイヅルも同様だった。

 

 だが、そんな彼女たちの頭上で轟音が響く。驚いて見上げると、白打で巨大虚(ヒュージ・ホロウ)を殴り飛ばした死神の姿があった。彼の力は圧倒的で、その一撃で巨大虚(ヒュージ・ホロウ)はボロボロと崩れて消滅していっている。

 

 (――すごい。これが、本物の死神の力……!)

 

 雛森は安堵とともにそんなことを思い、尊敬の目で死神を見上げた。恋次やイヅルも、同じように死神を見上げて立ち止まっている。

 

 だが、その時、不意に死神へと何かが巻き付いた。白い蛇のような、霊力の塊が。そして、雛森にはそれがなんなのかを理解できた。鬼道を得意とする雛森だからこそかもしれない。

 

 (――鬼道!? 一体、誰が……!?)

 

 そして、それが巻き付いた死神の周囲に複数の巨大虚(ヒュージ・ホロウ)が現れる。その数、十体。

 

 「――危ない!」

 

 雛森はたまらず叫んだが、現実は無情だった。身動きが取れなくなっているその死神を、巨大虚(ヒュージ・ホロウ)の攻撃が襲う。ゴウッという鈍い音とともに、死神の身体は棒きれのように吹き飛んでいった。

 

 「そ、そんな……」

 

 唯一の希望が呆気なく退場したことに、三人を始めとした残った生徒たちに動揺が走る。

 

 「呆けてないで、さっさと穿界門へ急げ! ここは俺が食い止める!」

 

 死神が吹き飛ばされた様子を見た檜佐木は、咄嗟に斬魄刀を抜いて残った生徒たちにそう言った。構える武器はただの浅打ちだが、ないよりはマシだ。そう自分に言い聞かせながら、檜佐木は決死の覚悟で宙にいる(ホロウ)たちを睨んだ。

 

 だが、多勢に無勢なのは火を見るよりも明らか。どう考えても、檜佐木に勝ち目はなかった。

 

 そんな檜佐木を見て、雛森は駆け出そうとした足を止めた。

 

 「何をしてるんだ、雛森君! 止まっちゃダメだ!」

 

 イヅルは立ち止まった雛森を見て慌てた様子で叫ぶ。

 

 「どうして……あたし達みんな逃げてるの……?」

 

 その言葉に、恋次も驚いて立ち止まる。 

 

 「何言ってるんだ! 逃げろって言われたじゃないか!?」

 

 「助けようなんて思うなよ! オメーも見たろ!? 先輩だけじゃなく、正規の死神だってやられたんだぞ! 俺ら一回生が何人かかっても――」

 

 だが、イヅルや恋次の制止も聞かずに雛森は静かに浅打を抜くと、一息に駆け出した。

 

 「あ! 雛森君!」

 

 イヅルは雛森を止めようと手を伸ばすが、その手は敢え無く空を切る。そのまま二人は遠ざかっていく小さな背中を見送り、その一瞬後で我に返った。

 

 「「くそっ!」」

 

 そして、二人も毒づきながら雛森を追って走り出す。

 

 

 



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第23話

 
あけましておめでとうございます。
更新が大幅に遅れたことについては、本当に申し訳ありません。
まったり更新な本作ですが、どうか今年もよろしくお願いします。

新章のプロローグです。

*注意*
本日は2話更新しています。ご注意下さい。
こちらは2話目です。
 


 

 

         +++

 

 

 

 

 一方の檜佐木は、迫りくる(ホロウ)への対処で精一杯だった。なんとか浅打ちで攻撃を逸らしてはいるが、一対一だからこそできていることでもある。空中にいた十体の(ホロウ)のうち九体は未だに空中に浮かんでいて、檜佐木と(ホロウ)の戦いを面白がって眺めている。

 

 だが、どうやら時間切れのようだった。痺れを切らしたのかもう一体の(ホロウ)も動き出し、檜佐木を葬るために唸り声を上げながら迫ってきた。

 

 ここまでかと、(ホロウ)の攻撃をなんとか防いでいた檜佐木は、己の最期を予感していた。一体の攻撃を防いでいる檜佐木には、もう一体の攻撃を防ぐ(すべ)がないのだ。

 

 「――舐めんじゃ、ねえッ!!!」

 

 それでも、諦めることはできなかった。檜佐木は全力で(ホロウ)の爪を弾くと、完全に崩れた体勢のまま吠えた。見習いとはいえ、死神の矜持を示すために。

 

 ――ガキィィィィン!!!

 

 だが、そこに飛び込んでくる影。(ホロウ)の攻撃に為す術のなかった檜佐木を庇うように、雛森、恋次、イヅルの三人が立ちふさがり、もう一体の(ホロウ)の攻撃を浅打ちで受け止めた。

 

 「お前ら……!!」

 

 驚いた様子の檜佐木。

 

 「申し訳ありません! 命令違反です!」

 

 「助けに来たんだから見逃せよな、センパイ!」

 

 恋次とイヅルの二人は恐怖を紛らわすかのように檜佐木へ叫ぶ。半ばヤケクソだったが、なんとか攻撃を防げたことに安堵する。一方の雛森は、謝罪の(いとま)も惜しんで自身の覚えている最高火力の鬼道を詠唱を始めた。一刻も早く、この状況を打破するために。

 

 「――”君臨者よ 血肉の仮面・万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ”! ”焦熱と争乱 海隔て逆巻き南へと歩を進めよ”!」

 

 標的とする(ホロウ)を睨み、雛森は叫んだ。

 

 「――破道の三十一”赤火砲”!!!」

 

 その言葉と共に、灼熱の玉が(ホロウ)へと撃ち出される。それは轟音と共に(ホロウ)の顔面を捉えて、その顔から黒煙を上げる。

 

 「「「よし!!!」」」

 

 完全に決まったことで笑みを浮かべる三人。

 

 「……いや――」

 

 しかし、檜佐木が掠れた声で呟く。

 

 「――ダメだ……!」 

 

 煙が晴れると、そこには鬼道の直撃を受けても尚無傷の(ホロウ)。他の九体ももちろん顕在だ。

 

 「嘘だろ……?」

 

 誰が口にした言葉だったか。全員が共通して感じたその言葉が、絶望の空間に虚しく響く。

 

 自分たちはここで死ぬ。為す術無く、この(ホロウ)たちに殺される。四人はその事実を肌で感じ、手足が震えた。既に他の生徒の姿はなく、取り残された四人。彼らは震えを止める努力もできず、恐慌状態に陥りかけた。

 

 こんなの嘘だ。嫌だ。死にたくない。

 

 そう叫び出す寸前、それは起こった。

 

 「――ッ!?」

 

 四人を襲おうとしていた十体の(ホロウ)のうち、半分が爆散したのだ。

 

 「な、なんだァ!?」 

 

 そして、困惑する四人の前に先程の死神が降り立った。死覇装(しはくしょう)(ホロウ)の攻撃を受けたせいかボロボロになっているが、肉体に傷は見当たらない。

 

 「あーくそ……、そろそろ出てこいっての……」

 

 彼はなにかをぶつくさ言いながらも、四人を守るようにして(ホロウ)たちの前に立ちふさがる。四人はその光景に唖然としながらも、どこか安堵もしていた。彼の背中は、それほど大きく見えたのだ。

 

 そこからは一方的だった。彼は腰に差した斬魄刀を使うことなく、白打のみで次々に(ホロウ)をなぎ倒していく。

 

 (ホロウ)も反撃するが、彼は先程攻撃を受けたのが嘘のように、その全てを難なく避けていく。そして、攻撃しようとした(ホロウ)は同時に白打をぶつけられ消滅していった。

 

 体躯の違いなど意味を成さないほど、決定的な力の差。

 

 そんな殲滅戦の様を成した戦闘もすぐに終わり、死神は息を吐いて四人の元へと向かってくる。その顔は戦闘中とは違いどこか飄々としていて、気の抜けた雰囲気を感じさせた。

 

 「「「「……」」」」

 

 その雰囲気に当てられて、身構えていた四人は身体から力が抜けていく。先程まで死地にいたのだ。それがいきなり脅威を取り除かれ、置いてけぼりにされた感覚を拭えなかった。

 

 ともあれ、彼にお礼を言わねばならないだろう。持ち前の真面目さでいち早く再起動した雛森は、単純にそう思って口を開く。

 

 「あの……」

 

 だがそこで、不意に彼女は身体が硬直するのを感じた。蛇に睨まれた蛙のように、背中に嫌な汗が滲む。()()()()()()()()()()

 

 「……射殺せ――」

 

 囁きを感じて、雛森は思わず振り返えろうとした。

 

 「――きゃっ……!」

 

 それと同時に、雛森は誰かに抱きかかえられ強引に身体を持ち上げられた。突然の衝撃に雛森は悲鳴を上げながら目を瞑り、自分を抱き上げた人物にしがみ付く。そうでもしなければ振り落とされそうな気がしたのだ。

 

 ぐんぐんと身体にぶつかる風を感じながら、雛森は次第に離れていく悪寒を認識した。あのままあの場にいたら、きっと良くないことが起こっていた。なんとなくだが、雛森はそんなことを思った。

 

 どれくらいそれが続いただろうか。次に雛森が気が付いた時には、衝撃は既に止んでいた。恐る恐る目を開けると、そこにはこちらを覗き込んでいる死神の姿がある。

 

 彼は抱えていた雛森を地面に降ろしながら、気遣うように穏やかな口調で尋ねてくる。

 

 「大丈夫か?」

 

 「え? は、はい、大丈夫……です……」

 

 その張りのある低い声が耳朶に響き、雛森は急に恥ずかしさが込み上げてきた。目鼻立ちのはっきりとした綺麗な顔で覗き込まれていることも、恥ずかしさの一因かもしれない。

 

 なんとなくこの死神は自分を助けてくれたのだということを理解できていた雛森だったが、すぐにここにはいない三人のことが頭を過る。残された、恋次、イヅル、檜佐木の三人のことが。(ホロウ)はいなくなったとはいえ、あの場にまた現れる可能性だってあるのだ。それに、悪寒の正体が彼らになにか害を成すかもしれない。

 

 「……ッ! み、みんながまだ――!」

 

 だが、慌てる雛森とは対象的に、死神は苦笑いを浮かべていた。

 

 「彼らは大丈夫だ。今頃はもう、五番隊の隊長さんたちが来ているはずだからね」 

 

 「五番隊……藍染隊長が!?」

 

 藍染惣右介。真央霊術院にも講師として頻繁に訪れている隊長で、雛森たち生徒の間でも人気の高い人物だ。彼の名前が出たことで、雛森はほっと安堵の息を吐いた。人格、実力ともに護廷十三隊でも指折りとされている藍染が一緒なら、あの三人に危険はないはずだからだ。

 

 そこでふと、雛森は目の前の死神の表情が改めて目に入った。彼は相変わらず飄々とした雰囲気を崩していないのだが、そこ顔はどこか苦しそうに見える。うっすらとだが、汗も滲んでいるようだ。そう、まるで怪我をしているかのように。

 

 雛森がはっとして彼の身体を見回すと、その脇腹に血が滲んでいるのが見えた。(ホロウ)の攻撃というよりも、刀を突き刺されたような小さく深い傷だ。

 

 「あ、怪我を……!」

 

 驚いた雛森は思わず叫びそうになるが、怪我をしている本人の死神は苦笑いを浮かべたままなんともないように立ち上がった。

 

 「大丈夫だ、この傷は大したことない。……全く、油断して一撃もらうなんて、夜一さんに知られたら――」

 

 「夜一さん……?」

 

 最後の部分は聞き取れなかったが、”夜一”という言葉だけは聞こえた。知っている名前が彼の口から出てきたことに、雛森は少なからず驚いた。その名前がというよりは、その名前を彼が親しげに呼んだことにだ。

 

 四楓院夜一。護廷十三隊でも古参の一人である二番隊の隊長で、少し前に再編された隠密機動の総司令でもある一廉(ひとかど)の人物だ。尸魂界(ソウルソサエティ)の人間ならば、誰もが聞いたことのある名前だろう。大貴族であり隊長でもあるため、普通の死神ならば面識を持つことさえ難しいはずだ。そんな女性と親しい素振りをする彼は、一体何者なのだろうか。

 

 (も、もしかしたら、高位の貴族だったりするのかも……)

 

 流魂街出身の雛森は、それほど貴族のことを知っているわけではない。だが、霊術院で生活している間に感じた貴族に対するイメージは良いものではなかった。何かと傲慢でプライドの高い人々。そんなイメージだ。例外といえば、気安いことで知られる四楓院夜一くらいだろう。

 

 そんな貴族を怒らせてしまったことなど、雛森は想像もしたくなかった。

 

 だからこそ、目の前の死神が貴族だった場合のことを考えると途端に冷や汗が出てきた。何か無礼なことをしてしまったのではないか。粗相をしたのではないか。

 

 混乱した雛森は、とにかくお礼と謝罪を言うべく慌てて顔を上げた。

 

 「――縛道の三十二、”流雷(りゅうらい)”」

 

 だが、言葉を発する直前、パチンという音がした。同時に雛森は自分の身体から力が抜けていくのを感じた。踏み込むこともできず前に倒れる身体。ぽすりと自分の身体が彼の胸に抱きとめられたのを感じ、同時に視界が黒く染まったことに気が付いた。

 

 (あ、ま、また抱きしめられてる……)

 

 顔は赤くなっていないだろうか。そんなことを思いながら、段々と意識が遠くなっていく。

 

 「――ごめん……」

 

 そして、泣き出しそうな声を最後に、雛森の意識は消失した。

 

 

 

 

 

 

 

 次に雛森が目を覚ましたのは、四番隊の病室だった。小さな個室で、ベッドの横には小さな椅子とテーブルが備え付けられている。

 

 「――あ、目が覚めましたか」

 

 雛森がベッドから身体を起こしてぼけーとしていると、部屋に入ってきた女性隊士から声がかかる。四番隊の救護員だろう。彼女は雛森が目覚めたのを見て、誰かを呼びに足早に部屋を立ち去った。

 

 手持ち無沙汰な雛森だったが、すぐにそれは解消されることになった。部屋を去った女性隊士が連れて来たのは、厳格な雰囲気を放つ壮年の男だった。

 

 彼は自分を一番隊の者だと話し、(ホロウ)の襲撃事件についての事情聴取に来たと言った。

 

 「事情聴取……ですか?」

 

 「そうだ。(ホロウ)の襲撃時に現れた死神について、知っていることを話してもらう」

 

 「あの人の?」

 

 雛森たちにとって、命の恩人ともいえる死神。死神を目指す生徒たちからすれば、憧れていた死神そのものといえる強さを持っていた。だが、男から告げられたのはそんなイメージを覆すものだった。

 

 「――あの人が、犯罪者……?」

 

 「ああ、そうだ。奴は凶悪な事件を起こした重罪人の逃亡幇助を行い、護廷十三隊から指名手配されている」

 

 「そんな……」

 

 その後のことは曖昧だった。雛森も年頃の娘だ。窮地を助けられたことで、彼に対して多少なりとも憧れを持っていた。そんな相手が、指名手配されるような犯罪者だったのだ。自分の見た彼の姿と、目の前の男が言う彼の本性。その乖離に驚き戸惑っているうちに、事情聴取は終わったようだった。

 

 元々ただの死神見習いから重要な情報を聞けるとは思っていなかったのか、男は雛森から有用な情報が出てこないと判断すると、すぐに部屋を出て行った。

 

 恋次やイヅル、檜佐木にも同じように事情聴取をしたようなのだが、彼らからも情報は出てこなかったらしい。

 

 混乱する雛森だったが、どうしても自分を助けてくれた彼が悪人には思えなかった。雛森が意識を失う間際の表情なんかは、特に――

 

 「――あっ……!」

 

 そこで、雛森は彼が最後に呟いた名前を思い出す。四楓院夜一の名前を。 

 

 「あの人に聞いてみれば……」

 

 彼と夜一の関係は、雛森にはわからない。そのことがなんとなくひっかかる雛森だったが、やるべきことは決まった。死神見習いでしかない自分が彼女に会えるとは思えないが、彼について聞いてみたいという思いは変わらなかった。

 

 夜一とコンタクトを取る方法について、雛森は思考を巡らす。先程まで感じていた疲れは、もうなくなったいた。

 

 「――あの、だから事情聴取はもう終わったんです! もう休ませてあげて下さい」

 

 「だから、事情聴取なぞはせんと言っておろうが! 儂は聞きたいことがあって来たんじゃ!」

 

 そんな雛森の耳に、病室の外から喧騒が聞こえてきた。誰かが言い争っているようだ。

 

 「彼女は一応、今日一杯は安静にしていなくちゃダメなんです! 精神的な疲れでトラウマになったらどうするんですか!」

 

 「ええーい、こうなったら力づくで――!」

 

 「――夜一隊長。隊舎内ではお静かに」

 

 「あ、隊長!」

 

 「げっ……う、卯ノ花……」

 

 そして、その会話に驚愕する。

 

 「夜一隊長が、外にいる……?」

 

 雛森は慌ててベッドから立ち上がり、病室の扉を開いた。彼について、聞くために。

 

 「あ、あの――!!!」

 

 

 

 

 

 




次回から原作一巻の時系列に突入します。
龍蜂がどうなっているのか、ぜひお楽しみに!

今後はある程度定期的に更新できると思いますので、これからもよろしくお願いします。


 


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