IS-イカの・スメル- (織田竹和)
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2

運のいい人のそばにいるとその人の運がもらえる
                 ────辻成晃


中学での遭遇。それは王道である。

主人公が原作を知らないっていう設定にしたら動かしにくいことこの上ない。


とある中学校の教室。HR終了直後。

 

解放感と喧騒に包まれる教室の中、担任と思しき若い女性が、一人の女子生徒を呼び寄せた。

 

「委員長だからって、雑用を押し付けるようで悪いけど……」

 

そう言って若い女性は、自身の受け持つ生徒へと薄い紙の束を手渡した。紙の大きさはバラバラ。どうやら掲示用のプリントのようだ。

 

委員長と呼ばれた女子生徒は、完成された美術品の様に整った、それでいて嫌味の無い笑顔を浮かべた。

 

「いえいえ、ぜんぜん大丈夫です」

 

軽く首を振ると、癖の無い、女子生徒の腰まである艶やかな黒髪がさらさらと揺れる。教室に残った数人の男子生徒は、無意識のうちに彼女に見惚れ、女子生徒からは憧憬と羨望の視線が集う。

 

「なぁ、やっぱ八神さんって可愛いよな」

 

「可愛くて尚且つ綺麗だよな」

 

「委員長って彼氏とかいるのかな?」

 

「実は彼女がいたりして」

 

「確かに女でも惚れそうだわ……」

 

「俺も掘られたいぜ」

 

ひそひそと恣意的に囁き合う生徒達。話題の中心は件の女子生徒。だが誰一人として彼女を悪く言う者はいなかった。それだけ、彼女はひたすら美しかった。

 

黒い長髪、ルビーの様な双眸、雪の様な肌。全てが計算し尽くされた、さながら神が作り上げた一つの作品のように完成された美しさがそこにあった。

 

「それじゃあ八神さん、お願いね」

 

何か重要な用事でもあるのだろうか。告げるや否や、担任教師は弾かれるように教室を飛び出した。廊下からパタパタという間の抜けた音が喧騒にまみれて響く。それを皮切りに、部活動がある生徒などが教室を後にしていく。

 

「いいんちょー。よかったら手伝おうか?」

 

数人の女子生徒が彼女へ近づく。委員長という肩書はもはやニックネームの様な物らしい。

 

──余談だが、普段、あまり彼女の仕事を手伝おうという人間はいない。抜け駆け禁止という、ある種の紳士協定によるものが主だが、理由は他にも存在する。

 

「ううん、これくらいなら一人でも大丈夫」

 

委員長と呼ばれた生徒は、先程と同じように笑顔で応対する。

 

このように、申し出たところであっさりと断られてしまうからだ。別に彼女の手際が特別良く、下手に手を出しても足手まといにしかならない──というわけではない。しかし、彼女に笑顔で言われると、余程の確固たる意志が無ければ一切の反論ができなくなるのだ。最早呪いの域である。

 

しかし例外というものはどこにでも存在する。

 

「たしか吹奏楽部だったよね。定期演奏会も近いし、早く行かないとまずいんじゃない?」

 

軽く小首を傾げる委員長。対する女子生徒達は、少しばつが悪そうに笑みを引きつらせた。

 

「あー、まぁそうなんだけど……」

 

「むしろ『だからこそ』っていうか……」

 

── 以前、ちょっとした偶然から一人の生徒が彼女の仕事を手伝った事があった。するとそれ以降、その生徒は妙に幸運に恵まれ、様々なことが上手くいくようになった。そしてその生徒は「これは委員長のご利益ではないか」と冗談交じりに吹聴した。それが全校へと広がり、元々その美貌から有名だった彼女は陰で『幸運の女神』として祭り上げられることとなった。今では部活動などでは大会やイベントの直前に、彼女と同じクラスの人間が彼女と接触し、ご利益を賜ることが 1つの慣習と化していた。

 

これこそが、前述した一部の例外である。つまり女子生徒達は、所属する部活動から与えられた使命を遂行しようとしているのだ。

 

しかし実際のところ、先程の女子生徒達にとってそれは紳士協定から逃れる名目程度でしかなく、命令されたのでやるというより、神聖視しているアイドルとの握手会に参加するような感覚に近い。この学級の人間にとって彼女の力になれるということは、それそのものがご褒美の様な物なのだ。

 

無論、委員長はこのことを知らない。

 

「あっ……」

 

不意に、手元のプリントを見ていた委員長の口から小さく声が漏れた。

 

「どうしたの?」

 

「いや、実は他のクラスの分が紛れちゃってて……」

 

その時、女子生徒達に電流が走る。ここぞとばかりに一人の女子生徒が声を上げた。

 

「じゃ、じゃあさ、それうちらが持ってくよ!」

 

「そ、そうそう! どうせ部活行くついでだし!」

 

鬼気迫る勢いで委員長の手から慎重かつソフトにそっとプリントをぶんどる。なんとも器用な芸当である。

 

「えと……それじゃあお願いしようかな」

 

女子生徒達の様子に何かを感じ取ったのか、若干引き気味になる委員長。

 

「うん! それじゃあまた明日ね!」

 

委員長に見えないように狂喜乱舞しながら、女子生徒達は教室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

「やっと静かになったか」

 

数分後、誰も居ない教室で一人つぶやく女子生徒。先程まで委員長と呼ばれていた生徒である。

 

「はぁ。クソ、面倒くさいな」

 

片手に持った紙束に視線を落とし、もう一方の手で頭をがしがしと無造作に掻く。傾き始めた陽光を揺れる髪が反射し、どこか神秘的とも言える様相を醸し出していた。

 

見た目こそ同じだが、目つきは心なしかキツくなり、言動から漂う雰囲気はとても同一人物とは思えない。

 

(まぁいつまでも不平不満を言っていたところでどうにもならないか……。さくっとやってさっさと帰るとしよう)

 

素早く切り替え、作業に集中し始める。不満に思うくらいなら初めから断るか、誰かに手伝いを頼めばいいのだが、彼女は先程の様に人前では徹底して優等生を演じており、周囲のイメージを崩さないようにしている。他人に仕事を押し付けるというのは、彼女の作ったキャラクター性に反するのだろう。

 

数枚のプリントを画鋲で留めたところで、委員長は作業を中断し、紙面の文字を追っていた。

 

それは後期のクラス内での役員を決めたプリントだった。美化委員や図書委員のさらに上。そこに書かれている名前を眺める。

 

【1年1組 後期学級委員長:八神 優(やがみゆう)

 

それを見て委員長――優は、さらに溜め息を一つこぼす。

 

(委員長……か。なぜ()がこんなことを……)

 

無論原因は優のキャラ作りにある。自業自得である。余談だが、彼女が演技をするのには理由がある。それには彼女の男性の様な内面が関わっているのだが、大した事情ではないので割愛する。

 

(しかしまさか生まれ変わったら女になるとは予想外だった。まあたしかに神様には幸運値と顔面偏差値を上げてくれとしか言ってない。本来ならそういうことも特典の一つとして決められたのだろう。いや、だが逆に下手にあれこれと具体的に指定しなくて正解だったかもしれない。『ケンシロウみたいに渋くて屈強なマッスルにしてくれ』とか言って女に生まれようもんなら人生ハードモードとかそんなレベルじゃねぇ。それはそうと、両親や周囲に違和感を持たれないようにするためとはいえ、俺の人格が存在しない状態──つまり、『今の環境で育った八神優本来の人格』をシミュレートした性格を演じたらこんなことになるとは……)

 

────割愛する。

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

数分が経ち、作業も終わりを迎えようとしていた。

 

「ん、これが最後か」

 

残ったのは少し大きめの厚紙。壁に目を向け、空いているスペースを探す。すると、上の方がぽっかりと虫食いの様になっていた。

 

優はそれほど長身ではない。簡単に手が届く範囲にばかり掲示物を張り付けていたためそうなったのだろう。

 

(背伸びをすればギリギリいけそうだな)

 

根拠ゼロの目算を立て、つま先に力を込める。腕をピンと伸ばし、紙を壁に押さえつけるが、彼女の身長では紙の上部を抑えられず、上手く固定できないでいた。

 

(ちくしょー! 昔の身長があればこんな紙ごときに後れをとることは……ッ!)

 

ちょっと泣きそうな形相で紙を睨みつける優。滑稽である。

 

妙な執念を燃やし、鬼神のごとき集中力を発揮していた優は気付かなかった。椅子を使えば簡単に解決したことに。

 

いや、もしかしたら気付いたところで彼女の──プロの委員長としてのプライドがそれを許さなかったのかもしれない。そう、どんな仕事にも妥協や手抜きは一切しない。それがプロフェッショナルなのだ。

 

限界まで手足を張りつめているせいか、彼女の手足はぷるぷると震えていた。マジウケる。

 

しかし彼女は運が良い。比喩皮肉一切抜きにして、文字通り八神優という少女はLuck値が高いのである。どのくらい高いのかというと、道を歩いているとブラックカードの入った財布を拾った事がある程だ。普通そのレベルの金持ちならばわざわざ歩いて移動したりはしない。普通は起こり得ないことなのだ。それだけでも豪運と呼んで差し支えないが、さらにそれを交番に届けると、ちょうど財布を落としたことに気付いて交番にやって来ていた持ち主と遭遇し、なんやかんやで財布の持ち主である大手企業の社長とコネクションが出来てしまったのである。

 

つまり運がとてつもなく良い。

 

そして集中していたが故に気付かなかった事がもう一つだけあった。それは、たった一人の来訪者の存在。

 

すっ──と、優が届かなかった場所へと、彼女の背後から、これまた文字通り救いの手が伸びる。

 

そう、困っている所に何処からともなく助けが現れる程、彼女は運が良い。

 

「八神、大丈夫か?」

 

「えっ」

 

不意に背後に現れた気配に、優は驚いて振り返る。そこまでは良かった。

 

今の彼女は、限界まで背伸びをしているという非常にバランスを崩しやすい状態だ。

 

「あ゛……」

 

そんなところで動揺すれば、ただでさえおぼつかない足元が8ビートでステップを刻み、どんがらがっしゃーんするのは当然の結果だった。

 

「上の方は俺がやっておくから──ってうおっ!?」

 

要するに背後に居る男子生徒へと抱きつくようにして倒れ込んだのである。少し見方を変えれば、彼女が男子生徒を押し倒しているようにも見える。ソレナンテ・エ・ロゲ氏(1664年没)もびっくりである。

 

「いった……って、えっ!? あっ、ご、ごめんなさい! 大丈夫!?」

 

自分以外に生徒がいる。それが分かるや否や、瞬時に『八神優』に切り替え、立ち上がろうと膝に力を込める。対して、彼女の下敷きになった生徒は呻きながら、その端整な相貌を苦悶に歪めていた。

 

「ど、どこか打ったの?」

 

「ちが……そ……じゃなくて……」

 

男子生徒は声を絞り出し、女子生徒の膝を指さした。

いや、正確には──

 

 

 

 

「踏ん……でる……」

 

 

 

 

──彼女の膝に潰されている彼の【TNP】を指さした。

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

「えっと、その、ホントにごめんね? 織斑くん」

 

「いや、気にしないでくれ。むしろ忘れてくれ」

 

「う、うん……」

 

気まずい沈黙が横たわる。話題を変えたかったのか、半ば強引に、織斑と呼ばれた男子生徒は絡みつく沈黙を振り払った。

 

「そういえば、まだこれを張り付けてなかったな。俺がやっとくよ」

 

「えっ、あ、いや、さすがにそれは悪いよ。もともと私の仕事だったし……」

 

「でもさっき届いてなかっただろ?」

 

「うっ……まぁ、そうだけど……」

 

 

 

結局、最終的には彼が黙々と、先程中断してしまった作業の手を進めていた。

 

再び教室を沈黙が支配する。

 

彼は優と同じクラスに在籍する生徒の一人だ。特に彼女と親しいわけではなく、せいぜい稀に二言三言交わす程度だ。しかも色恋だの何だのに疎いため、優を崇拝しているわけでもない。ある意味稀有な人材だった。

 

そんな彼が、ちょっと忘れ物を取りに教室に戻ったばかりに、ちょっと困っていそうな彼女を助けようとしたばかりにとんでもない不運に見舞われたのである。もう痛みやら羞恥心やらでとんでもないことになっているのである。ご愁傷さまである。

 

(それにしても、素の俺に気付かれていないのは良かったが、まさか【ごしそく!】を踏ん付けてしまうとは……いや、マジごめん)

 

一方で、優の方には対して精神的ダメージは無かった。普通の女子ならばまた違ったのだろうが、そこはそれ、彼女は元男であるからして。むしろ痛みが理解できてしまう分、彼に対して本当に申し訳ないと思っていた。

 

「──なぁ、八神」

 

最後の角を画鋲で留めた彼は振り返り、落ち着いた声色で沈黙を破った。

 

「お前っていつもこんな感じなのか?」

 

「えっ……こんな感じって……?」

 

彼の言った言葉の意味を飲み込めず、クエスチョンマークを浮かべる。少しして、ハッと何かに気付き、やや不服そうに眉をひそめた。

 

「別にいつも男子にのしかかったりしてるわけじゃないよ?」

 

「そっちじゃない!」

 

ちなみに優は素で勘違いしている。それが見て取れたのか、織斑と呼ばれた男子生徒は溜め息を一つ付き、言葉を続けた。

 

「なんていうか、さっきみたいにすぐに遠慮したり、一人で無理しようとしたりさ……。帰り際に話してるのが聞こえたけど、別に手伝ってくれるやつが居ないってわけじゃないんだろ?」

 

(む、なんなんだコイツ。どうしようと俺の勝手だろう。お前にどうこう言われる筋合いは無いぞ)

 

一瞬、優の表情がピクリと歪む。しかしその一瞬後には再び『いつもの八神優』がいた。

 

「確かに基本的に委員長の仕事は一人でやってるかな。だってやっぱり申し訳ないし。私の仕事なのに、他の人にさせるのはちょっと……」

 

優の言葉を聞くや否や、男子生徒の整った顔には露骨なまでに不満が押し出されていた。

 

「でも一人だとやっぱり限界はあるだろ。もっと誰かを頼っても罰は当たらないと思うぜ?」

 

「(なんだコイツ面倒くさい……)いや、本当に大丈夫だから。私なんかのために誰かの手を煩わせるのも気が引けるし」

 

内心で辟易する優。一体どうすればこの面倒な男から解放されるのか、何か上手い言葉は無いのか、と、この場を切り抜ける最善の選択肢を模索し始める。彼は優のためを思って言っているのだが、当の本人がこれではあまりにあんまりである。

 

と、ここで優よりも先に、男子生徒が何かを思いついたかのように手を打った。

 

「じゃあさ、俺が勝手に八神を手伝う分には構わないだろ?」

 

(……は? なんで? こいつがそこまでする理由が分からんのですが)

 

優は彼の事をごく普通の生徒だと思っていた。だからこそ思い至らなかったのだ。彼の言葉が単純な親切心からでたものである可能性に。

 

(しかしここで了承してしまうと何だか面倒なことになりそうだ。というかコイツめんどくさすぎだろ。思わず素に戻るところだったわ)

 

「いや、でもそれだと織斑くんに迷惑がかかっちゃうし……」

 

何とかしてやりすごそうと必死に言葉を探す優。しかし彼女の選んだ言葉はまさしく逆効果だった。

 

「なぁ、やっぱり八神って他人に対してすごく遠慮してるよな。なんかこう、壁があるっていうか、他人行儀だよな。そういうのって疲れないか?」

 

「えっ……(えっ、なにコイツ。なんで説教モードなの?)」

 

「別に遠慮なんてしなくていいんだよ。クラスメイトだろ?」

 

優の首筋に、一筋の冷や汗が伝う。

 

(まずい……このままだと相手のペースに乗せられる……!)

 

そう、彼女は所詮運と顔が良いだけ。こうした話術やコミュニケーション能力に関しては、上記二つの良さに胡坐をかいて一切磨いてこなかったのだ。前世ではどうだったかは分からないが、如何なる物でも十年以上も放置すれば劣化しないわけが無い。

 

「別に遠慮してるわけじゃないよ? ただ織斑くんに仕事を押し付けちゃってるみたいで気が引けるってだけで、その……(まずい。どんな言葉を使えばいい? どうすれば話をはぐらかせる!?)」

 

しかし、

 

「だから俺が勝手にやるだけだから気にすんなって。うーん、それにしてもその『織斑くん』ってのが既に他人行儀だなぁ」

 

仮にそれを差し引いたとしても、

 

「よし、ここらで改めて自己紹介しておくか。俺は八神の名前を知ってるけど、そっちは俺の名前知らないだろ?」

 

 

 

やはり────

 

 

 

「織斑一夏だ。気軽に一夏って呼んでくれ」

 

 

 

────主人公のコミュ力は別格である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして少女と少年は出会った。この時はまだ、

 

(それでも幸運さんなら……幸運さんならきっと何とかしてくれる……!)

 

この出会いが後に、少年の運命に少女を巻き込むことになるとは、知る由も無かったのである。




Suaraの星座を久しぶりに聞いた。やっぱええ曲や。

ところで非公開にしてたのにUAが加算されてたんですけどこれ如何に。


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3

原作キャラとお近づきになれるってとっても幸運だよね。

主人公のISどうしようかな。オリジナルにするか、ナイトブレイザーとか強化外骨格零みたいな感じにするか。アカメのインクルシオとかグランシャリオ辺りもいいかもしれない。あと武装神姫。

ところで前回主人公が一夏に倒れ込むシーンがありました。あれを読み返した時、何かが違う、何かが足りないと思いました。そう、ラッキースケベです。


「IS学園か……」

 

俺は自室の椅子に腰掛け、手元のパンフレットを眺めながら呟いた。

 

何となく窓の外へ視線を向ける。木々は紅くしわがれ、遠く澄んだ秋空がどこか寒々しい。

 

織斑一夏との出会いから一年が経った。中学二年生のこの時期になると、進路希望調査なるものが行われ始める。中学卒業後の進路を決めるためのパンフレットが配布されたり、懇談会が増えて下校が早まったりするのだ。

 

俺は何となく、アイツが受けなさそうな学校を探していた。そんな時に目にとまったのが、このIS学園だった。

 

 

 

 

 

 

 

インフィニットストラトス────通称IS。俺が居た世界とこの世界の決定的な差異。

 

本来は宇宙空間での活動を想定して作られたマルチフォーム・スーツだ。しかし実際には、名目とは裏腹に『兵器』としての性能が高すぎた。俺は正直覚えていないが、聞くところによるとミサイルを2000発程撃ち落としたらしい。それもたった一機で。そしてこの一件を発端に各国の思想思惑が入り乱れ、『アラスカ条約』なるものが結ばれ、最終的にスポーツ的な何かとして落ち着いたそうだ。

 

ちなみに競技としてのISはそれなりに人気が高い。もともと兵器としてのポテンシャルが高く、様々な国が躍起になって開発を進めているというのもあるが、何より衝撃的な事件と共に現れ、各国のお偉いさんが大注目な代物をメディアがほうっておくはずが無く、散々採り上げられた結果、大衆の目に大きく触れた。そして各国はメディアへの露出と自国の技術アピールを考慮し、より支持を得やすいよう見目麗しいパイロットを広告塔として押し出した。

 

要は綺麗なお姉さんがびゅんびゅん動き回っているのが人気につながったのである。

 

なぜ今お姉さんに限定したのか。それはIS最大の特異性にある。そしてこれがあるからこそ、俺は織斑一夏がIS学園を受験することは無いと踏んだのだ。

 

「女性にしか動かせない、か……。兵器だろうとそうじゃなかろうと、致命的過ぎる欠点だな」

 

そう、このISなる兵器は男性には扱えない。しかも理由は不明。なぜならISにはコアというものが存在し、そのコアが女性にしか反応しないということまでは分かっているが、そのコアの解析が一向に進まないからだ。このコアを製造できるのはISの生みの親であるしののののののという女性だけだそうだ。故にISそのものの量産化の目途など遥か彼方のお話なのである。そして兵器とは戦場に立つ者の命を預けるものである以上、そこには信頼と確実性が求められる。完全にブラックボックス化しているISのコアはその点に関して達成し得ない。仮に何かしらのエラーが起きたとしてもどうすることもできないのである。そうした諸々の問題が、様々な国による正式な軍事転用を躊躇わせた理由の一つではないかと言われている。

 

まぁとにかく、女性にしか扱えない以上、当然そのISについて専門的な事を学びたいと考える者の殆どを女が占めている。そうした事情からIS学園は実質女子校となっている。

 

しかし操縦者は無理でも、開発や整備といった裏方ならば男性でもできるのではないだろうか。そう考えると、純粋に技術やデータを得るために男の入学者が少しくらいは居ても良いと思う。が、前年度入学者データを見てみるとやはり100%女子生徒となっている。不思議だ。

 

「……まぁ、候補の一つってところか」

 

俺はパンフレットをベッドに放り投げ、椅子から立ち上がった。

 

「とりあえず昼飯だな」

 

くうくうお腹がなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、最近になって教室の空気が少し変わった気がする。いや、気がするというより、確実に変わった。受験を意識しだして浮足立ったりピリピリしだしたりといったものとは別の変化だ。

 

進路の話が出てくると、この時期から自分の進む学校についてめちゃくちゃ調べ始める意識の高い(笑)生徒が居る。

 

そして、このクラスにも件の『IS学園』を志望する生徒が居る。

 

「ねぇ知ってる?」

 

「なに?」

 

「あたしIS学園受けようと思ってISについて詳しく調べたんだけどさ」

 

そしてそういう意識の高い()IS学園受験生は──

 

 

 

「今の男と女が戦争したら3日で女が勝っちゃうんだって」

 

 

 

──こういうことを言っちゃう。

 

ちなみに3日という数字に一切の根拠も無く、どこぞの女性政治家が勢いで口走った言葉がコピペ化され、ネットやその他メディアを通して拡散されていっただけだ。

 

恐らく先程の女子生徒に「なんで3日で勝てるの? 根拠は?」と聞けば[へんじがない]というメッセージが表示されることだろう。

 

ちなみにこのクラスはまだマシな方だ。よそのクラスでh「ISも乗れない『男』がエラソーなこと言ってんじゃねぇよ!」……たった今聞こえた様な言葉がシャウトされることがしばしばあるそうだ。

 

このように、ISなどという鉄塊のせいで、各所の男子と女子の間に──クラス毎に程度の差はあれども──溝が生じ始めた。

 

「なぁ、ユウってもう進路とか決めたのか?」

 

まぁ、この織斑一夏という男にそんなものは無かった。

 

「うーん、まだ候補止まりかな。そういう一夏くんは?」

 

「まだ決めてないけど、とりあえず就職に強いところだな」

 

呼び方に関しては妥協の結果である。俺としては「この男と距離が近くなると面倒なことになりそうだ」と第6感がビブラート効かせて低音ボイスで囁いてるから、出来ればお近づきにはなりたくなくなかったのだが、こうなってしまっては仕方が無い。

 

ちなみにこの男が俺に頻繁に絡むようになった直後から、周囲から謎のオーラを感じたが、どこからか聞こえた「まぁ織斑だし……」という呟きの後に謎のオーラは消え去った。よく分からなかったが、やはり俺の第6感は当てになると実感した瞬間だった。

 

そしてもう一つ。俺はこの織斑一夏のせいで、幸運さんが息してないのレベルの面倒な男と遭遇する羽目になった。

 

「おいおいどうしたんだお前ら、元気ねぇな。仕方ない、ここは俺様が萌え萌えキュンな猫耳メイドとなってご奉仕するしかないな」

 

意味不明なテンションの男、五反田弾である。ちなみにこの男、先程のセリフを真顔でのたまった。

 

「別に元気が無いわけじゃないし至っていつも通りだよ。五反田くんはすっごく元気そうだね」

 

正直この男をファーストネームで呼ぶのはあまりに抵抗がある。

 

「一夏くん鈴ちゃんときて五反田くん、か……ハッ! Oh...なんということだ。まさかユウ、お前そんなに俺様の事が……」

 

「いや、どういう発想だよ!」

 

「あん? 一夏よ。そんなことも分からないのか? 俺だけ呼び方が違う→俺は特別→天に愛されし俺=主人公→フラグ立つこと林の如く!」

 

などと意味の分からない供述をしている。ちなみに先程この男の口から名前が出たが、ここには本来もう一人いるはずだった。だった、というのは、その生徒が居たのは少し前までのことで、今はもう海外に居るからだ。

 

「だがユウ、俺はお前を危険にさらしたくない。俺に惚れるってのは()()()()()(※何もない)に巻き込まれるということなんだ。いつ()()()(※いません)に狙われるか分かったもんじゃないからな……」

 

哀愁漂う表情で額に手を中てる五反田氏。彼は一体どこへ向かっているのか。

 

と、ここで例の謎のオーラが発生。例えるならばそう──殺意の様な、どす黒く鋭利なオーラ。そのオーラはある一点────五反田弾という男に集約していた。というかあまりにも濃すぎて目視可能なレベルである。

 

しかしやはり、彼は彼だった。

 

「おいおいお前ら、そんなに見つめちゃ照れるぜ/// まぁ、俺のperfect muscleの前では仕方のない事だが。まったく、俺も罪な男だぜ」

 

そう言って何故か脱ぎ始めるこの男。数多の死線(誤字に非ず)がさっと逸れる。もはや真面目に相手をするのが馬鹿らしくなったのだろうか。というか発音上手いな。

 

「俺ってばマジ愛されすぎだろ。……ハッ! まさかこれは、モテカワスリムで恋愛体質の愛されボーイという新ジャンルの確立……! なんということだ……俺は今、一つの歴史が生まれる瞬間に立ち会ってしまったのか……!」

 

「モテカワスリムの定義が乱れるからちょっと黙ってろ。というか弾、さっさと席に着かないと先生来るぞ?」

 

「ふむ……たしかに、俺様の美しさをお前らだけに見せるってのは不公平だったな」

 

お前は本当にどこへ行こうとしているんだ……。

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんね? いつも手伝わせちゃって……」

 

「だから気にすんなって。俺が好きでやってることなんだからさ」

 

放課後。

 

今日も今日とて雑用を押し付けられる委員長こと俺。そして毎度毎度手伝ってくれる天然ホスト織斑一夏。普通に友達としては良いヤツなはずなのに、何故この男と居ると拭えない不安が付きまとうのか。

 

ちなみにこの男はあの五反田弾にも手伝うよう声をかけていたが、

 

『一夏、すまないが俺は行かなければならない。言っても分からないだろうが、男には避けてはならない闘い(※ボス戦)があるんだ。俺を信頼してくれている仲間達(※ネトゲユーザー)のためにもな。ああ、安心してくれ、お前らが笑って過ごせる明日を、俺は守ってみせるさ(※そんなものを勝手に背負うな)。そしてこれだけは信じてくれ。俺は必ず、生きて、お前らともう一度、あの日交わした約束(※そんなものは無い)を守ってみせる!』

 

などと意味の分からないことを言っていた。一体何の話をしていたのやら……(※ネトゲの話)

 

さて、俺達が居るのは薄暗い資料室。様々な物が雑多に散乱しているこの部屋は、資料室というより物置に近い。細々とした頼りない光源の中、この部屋から明日の授業で使う備品を発掘するのが今日のミッションだ。

 

「とりあえず、俺は棚の上の方を探すから、ユウは下の方を頼む」

 

なぜお前が仕切る。べつにいいけどさ。

 

あいつが脚立を準備している間に、先に作業を始める俺。脚立の煩わしい金属音を聞きながら、その辺の段ボールを開き、中身を漁る。

 

「なぁ、ユウ」

 

頭上から響く聞き慣れた声。俺は作業の手を止めず、視線も向けず、口だけで返事をした。

 

「なに?」

 

うわ、【自主規制】発見しちゃったよ……見なかった事にしよう。

 

「変な事聞くけどさ、ユウってこれから引っ越したりする予定ってないよな?」

 

げっ、今度は【見せられないよ!】まで……この学校どうなってんだ……。

 

「ないけど……それがどうかしたの?」

 

む、この形状……もしかして【天牙】か? しかも未使用。一体誰が……。

 

「……昔さ、幼馴染が居たんだよ。家も近くてさ、結構仲も良かったと思う」

 

おっ、諭吉じゃん。奇遇だな。こんなところで何してんだ?

 

「ただ、いろいろあって気付いたら居なくなってて……今でこそ普通に話せるけど、昔は本当に寂しくてさ、すっげぇ落ち込んでた」

 

今度は何だ? 本? タイトルは……『Liber AL vel Legis,sub figura CCXX』? なんだこりゃ。

 

「そんな時に鈴が転校してきてさ、衝突することもあったけど仲良くなって……まるで箒──幼馴染が居た頃に戻ったみたいだった」

 

しっかし喉渇いたな。ドクペ飲みたい。

 

「けどその鈴も突然中国に帰っちゃっただろ? 俺、その時箒が突然居なくなった時のことを思い出して、なんだか怖くなったんだよ。こうやってみんな、突然俺の前から居なくなっていくんじゃないかって。……ユウもいつか、突然居なくなるんじゃないか、ってさ」

 

俺は作業の手を止め、上を見上げた。暗い室内では、彼の表情はよく見えなかった。

 

「一夏くん……」

 

やっべぇよ何この展開。え? 何? そんなことを言われた俺はどうすればいいの? 知らんがなで一蹴しちゃっていいの? オメーのトラウマなんて知らねぇよ。でも確かにコイツ息を吐くように女を口説きにかかるし知り合いも割と多いくせに、深い付き合いの友達となると結構少ないな。そら不安にもなるわな。

 

張りつめた糸の様な緊張感と鉛の様な沈黙が俺達の口を塞いだ。まぁ、緊張感に関しては俺が一方的に感じているだけだ。

 

さてどうしよう。

 

1、適当に流す→しかし適当なこと言うとコイツの抱えた地雷にルパンダイブかましそうで怖い。

2、ファイアトルネード療法→室内だよバカ。

3、天才美少女ユウちゃんは起死回生のミラコォな一手を思いつく!→私にいい考えがある。

 

冗談はさておき、とりあえず一度落ち着かせるべきか? というか何で急にこんなことを言い出したんだ? 最近何か、『別れ』をイメージさせるようなことって……あっ、進路か!

 

恐らくあのチャイナ娘が居なくなったすぐ後に、進路とかいうまたしても別れを連想させるワードを耳にしてちょっとアレになっているのだろう。よし、ここは俺に任せとけ。まずは俺の溢れ出る母性でだな……あ、俺元男じゃん。母性ってか父性じゃん。まぁどっちでもいいか。とにかくここは慎重に言葉を選ぼう。

 

「──大丈夫だよ」

 

あやす様に、諭す様に、一言一言を丁寧に紡ぐ。

 

「私は突然居なくなったりしない。……一夏くんを、一人にはしない。約束する」

 

互いの表情は見えない。ただ、声だけがやけに透き通って響いた。

 

「卒業しても、みんなでまた集まろうよ。2年後も3年後も。その時は鈴ちゃんも呼んで、またみんなで一緒に」

 

「──あぁ、そうだな。悪い、なんかネガティブになってたみたいだ」

 

よっしセーフ! 俺の選択は正しかった! こっそりギャルゲーやってて良かった!

 

「別にいいんじゃない? 私と居る時くらいなら、好きなだけ弱音を吐いたって」

 

「おっと、これ以上情けないところを見せるつもりはないぜ?」

 

「それはどうだろうね。泣きたくなったら胸くらい貸してあげるよ?」

 

軽口をたたき合う。気付くと、俺達は互いに笑みを浮かべていた。どうやら暗さに目が慣れてきたようだ。

 

「……あっ」

 

棚の上段、視界の端。視力を取り戻した俺の目が捉えた。探していた備品だ。

 

「あった!」

 

思いの外あっさり見つかったという幸運が俺を急かす。俺は思わず脚立に足を掛けた。

 

「お、おいユウ!」

 

手近な物に自分の体重を預け、ぐっと腕を伸ばす。

ところで関係無いけど、なぜ人は同じ過ちを繰り返すのだろうか。

 

「もう、ちょっと……」

 

呟き、さらに背伸びをする。

 

────よし届いた!

 

「すまん、もう無理だ」

 

「えっ?」

 

間の抜けた声が響く。そして数瞬の後に気付いた。俺が体重を掛けていた物の正体に。

 

「一夏くん? なんで私に寄りかかられてるの?」

 

「それって俺が質問される事か?」

 

覆いかぶさるように寄りかかった俺の体重を支えていたワンサマーだったが、どうやらそろそろ限界が来ているらしい。

 

脚立の倒れる音と、人間二人が床に落ちる音が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

背中に感じる床の冷たさ。どうやら仰向けに落ちたらしい。

 

「痛たた……」

 

痛いとは言ったものの、幸運にもどこかを強く打ったわけではないようだ。怪我らしい怪我も無い。

 

しかし起き上がろうとすると、なかなか上手くいかない。何かが上に乗っかっているようだ。

 

よく目を凝らす間もなく視界に飛び込んでくる、俺の胸部にある黒い頭頂部。お前かい。

 

どうやら俺の上に乗っかっていたのはこの男らしい。ちょうどコイツが顔を俺の胸にうずめているような状態だ。いや、胸を貸すとは言ったけどさ。

 

「うっ……ん? なんだこれ。柔らかい」

 

言いながら、ヤツは俺の胸にその手を置いた。うん? まさか……

 

もみもみ、もみもみ

 

「んっ、ちょっ、くすぐったいよ」

 

「えっ」

 

俺の声が届くや否や、勢いよくその端整な顔が上がる。

 

「「…………」」

 

目と目が合う。互いの呼吸すら聞こえる距離。密着しているせいか、次第にコイツの鼓動が加速するのが分かった。熱が伝わり、早鐘を打つ音がやけにうるさく響く。やがて、目の前の顔が赤く染まった。

 

「わわっ、す、すまん! すぐどくから!」

 

 

 

 

────その時だった。

 

 

 

 

「おい、なんかすごい音がしたけど誰か……」

 

乾いた音と共に開かれる扉。逆光で表情は見えないが、多分クラスメイトだったはず。

 

一瞬にして氷の様に張りつめる空気。

 

 

 

………………ゑっ、もしかして今結構まずい状況?

 

俺の上には未だに織斑一夏が居座っている。傍から見るとどう見えるんでしょうねハハハ。

 

「いや、これは誤解d「ものどもおおおおおおッ! 戦じゃああああああああああぁぁぁッ!」

 

「よくも我らが委員長をおおおおおおおッ!!」

 

「ヒャッハァァァァァァ!」

 

「俺のゲイ♂ボルグが火を吹くぜ!」

 

「フッ、やれやれ、私の出番の様ね……」

 

「ククク、我は四天王の中でも最弱……」

 

「弾、行きまーす! 俺がガンダムだ!」

 

どこからともなく現れる数多の生徒達。今ここにいるはずのない赤髪が見えた気がするけど気のせいか。

 

 

 

 

 

 

結局、乱闘騒ぎが収まり、誤解を解く頃にはすっかり日が傾いていた。

 

そういえば普通の女ってなんで咄嗟にあんな甲高い叫び声出せるんだろう。俺には無理だった。




どうしてみんなラッキースケベが書けるんだろう。私には無理でした。

ところでこの魔改造した五反田君はどうするべきか。むしろいっそのこと各要所要所に放りこんでみましょうか。


§


「大体、文化的にも後進国であるこんな辺境の島国で暮らさなければならないこと自体耐えがたい苦痛ですわ!」

「イギリスだって島国だし、大したお国自慢なんてないだろ? 料理もまずいし」

「あ、あなた! わたくしの祖国を侮辱するおつもりですの!?」

売り言葉に買い言葉。もはや当初の論点を忘れ、ただ思いつくままに怒鳴り合う。

その時、一人の男が立ち上がった。

「やめろ! 俺のために争うのは、もうやめてくれ……」

悲痛に歪んだ表情で訴える赤髪の男。

「二人の俺への愛はよくわかっている。だからこそ俺h「「うるさい!」」


§


あれ、結構いけるんとちゃいます?


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4

今回はご都合主義製造機こと幸運さんが大暴れします。そして2話辺りで存在をほのめかしていたアイツがついに登場します。


???「いつものリズムだ! リズムを忘れるな!」




やまや>束>箒>千冬>優←new!>セシリア>シャル>鈴>ラウラ



【某日・ドイツ 某所】

 

 

 

虫食いだらけの天井。乱雑に横たわるガラクタ達。錆ついた空間で息づく二つの影は、あまりにもこの場には不相応に見えた。

 

(ここはどこなんだ? ユウは無事なのか?)

 

そのうちの一人──東洋系の顔立ちをした黒髪の少年は、地面に座り込んだ姿勢のまま、自身の背後に視線を向けた。少年の目に映ったのは鈍い煌めき。後ろに回された自身の腕と無骨な柱を繋ぎとめる銀の手錠だった。

 

(意外と簡単に外せたり……んなわけないか)

 

何度か軽く引っ張ってみるものの、一向に外れる気配は無い。

 

(そう、簡単には外れない。なのに……)

 

少年はこの場にいるもう一人──自身と同じような恰好をした赤髪の少年を睨み付けた。

 

「どうした一夏。そんなに見つめられても俺が照れるだけだぜ?」

 

「なんでお前は早々に手錠ぶっ壊して1人UNOなんてやってんだよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

【3週間前・日本 八神宅】

 

 

 

「ん? メールか。誰から……って、あの時の社長さんか」

 

長く艶やかな黒髪を手櫛で弄びながら、少女は携帯電話を緩慢な指の動きで操作した。自室のベッドに身を沈め、メールを開く。

 

『やあ優ちゃん。元気にしてたかい?』

 

そんなありきたりだが、それでいて妙にしっくりくる恒例の文句から始まるメッセージを、少女はザクザクと読み飛ばしていく。

 

(ふんふん、どうやら何か大会があるらしいな。そしてそれの招待券が数人分余っていると。なるほど)

 

何かのイベントに招待するといった旨の内容らしい。少女──優は一人頷きながら、適当な文章を打ち込み、承諾の返事を送信した。

 

 

 

 

 

 

【その翌日・日本 某学校】

 

 

 

「ユウ、お前モンド・グロッソに行くのか?」

 

少年は驚きを含んだ声色で訊ねた。対する優は、少年の反応に内心首をかしげながらも肯く。

 

モンド・グロッソ──今や世界にその名を轟かせている兵器、IS<インフィニット・ストラトス>。そのISを使用した競技の世界大会で、各国の軍事力や技術力といった外交カードを探り合うための場でもある。

 

「(もんどぐろっそ? あー、たしかそんな名前だったかな)うん、そうだけど……それがどうかしたの?」

 

「あー、いや、その……」

 

優の問いかけに、少年は逡巡するように言い淀む。少しして、少年はどこか気恥ずかしそうに口を開いた。

 

「……それなんだけど、俺も連れてってくれないか?」

 

直後、優の脳内が疑問符で溢れた。良い悪いよりも、『なぜ?』という素朴な疑問が真っ先に浮き上がったのだ。

 

しかしその疑問も、少年の抱える事情を聞くことで消えうせていた。

 

 

 

少年には一人の姉がいる。その姉は優秀なIS操縦者で、前回の世界大会で優勝し、今年もまた参加するのだという。

 

弟の彼としては、たった一人の家族であり、自分の生活を支えてくれている姉の活躍を応援したいのだが、何故かその姉は彼がISに関わる事を良しとしなかった。当然大会を見に行きたいと言ったところで許可が下りるとは到底思えない。

 

先程の言葉は、こうした事情から出た言葉だった。

 

 

 

「シスコンみたいって思われるかもしれないけど、やっぱり一度は見ておきたくてさ」

 

「(シスコン……8歳差……おねショタ……なるほど)いいんじゃない? シスコンでも。家族を大事に思うのは良い事だと思うよ?」

 

聖母の様に柔らかな笑みを浮かべる優。少年は照れくさそうに視線を逸らした。

 

「茶化さないでくれ。……それで、どうなんだ?」

 

(そういえば俺以外も行って大丈夫なのか?)

 

訊ねられ、優は昨日届いたメールの文面を思い出そうとするが、結局断念した。そもそも所々読み飛ばしていたのに思い出そうなど無理な話である。

 

「多分大丈夫だと思うけど、一応確認してみるね」

 

 

 

────この時、少年と優はもっと深く考えるべきだった。

 

 

 

「そろそろ授業が始まるな」

 

「うん、それじゃあまた後でね」

 

 

 

少年の姉が、彼をISから遠ざけようとしていた理由を────。

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

【再び某日・ドイツ モンド・グロッソ会場】

 

 

モンド・グロッソ決勝戦。その1時間前。出場選手である日本人女性の控室は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。

 

「うわあああああああああああ一夏あああああああああああああああああ! 何処に行ったんだ一夏あああああああああああああああああ!」

 

正確には、その出場者である女性一人がセルフ阿鼻叫喚状態だった。後ろで束ねた黒髪を振り乱しながら喚き散らす。美しく整った相貌も、涙や鼻水を始めとする各種体液でぐちゃぐちゃである。

 

「お、落ち着いてください! ミス・オリムラ!」

 

現地人のスタッフが流暢な日本語で呼びかけるが、オリムラと呼ばれた女性には届いていなかった。

 

「一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏いぃぃぃちぃぃぃかぁぁぁぁぁ……」

 

呪詛の様に誰かの名前をひたすら呟くオリムラと呼ばれた女性。一体彼女の身に何が起きたというのか。

 

「ミス・オリムラ! 誘拐された弟さんが心配なのは分かりますが、そろそろ決勝戦の準備をしなくてh「知るかバカ! そんなことより一夏だ! というか貴様なんぞに何が分かる! 私はアイツがまだオムツを履いていた頃からだなぁ……でゅふふ」

 

あまりに気が動転しまくって軽くトリップしているようだ。思い出し笑いが気持ち悪い。

 

(アカン)

 

もはやスタッフも匙を全力投擲していた。

 

そんな中、か細く、それでいて凛とした少女の声が響いた。

 

「あ、あの、ごめんなさい! 私が一夏くんを連れてきたせいで……」

 

少女──八神優が頭を下げる。黒く艶やかな長髪がさらさらと揺れ、ルビーの様な双眸は悲しげに伏せられていた。

 

この状況下で、今のオリムラ氏にそのような事を言えば、デストロイされることは確実である。にもかかわらず、優は告げたのだ。

 

しかし運良くというかなんというか、

 

「こら一夏、私達は姉弟で……ああっ、そんなことをされたら……」

 

オリムラと呼ばれた女性は恍惚とした表情を浮かべながら妄想世界にバーストリンクしていた。優の言葉は彼女に届いていなかった。

 

(しっかし、どうしてこうなった……)

 

優は先程、決勝会場へ向かう道中の出来事を思い出していた。

 

 

 

 

 

【少し前・ドイツ 会場付近】

 

「千冬さんだったっけ? すごいね、一夏くんのお姉さん。全試合圧勝で決勝まで来ちゃったし(なんか知らんけど物凄い気迫だったな。しかも視線はほぼこちらへ向いていた。そんな状況で圧勝とか馬鹿じゃねぇの)」

 

外の喫茶店で軽い食事を済ませた後、優と織斑一夏、そして五反田弾の3人は決勝会場まで歩いて向かっていた。

 

天候にも恵まれ、抜けるような青空の下、談笑しながら歩を進める。

 

その時だった。

 

タイヤとアスファルトの摩擦音が甲高く響く。目の前で黒塗りの車が急停止したのだ。突然の出来事に思わず足を止める三人。

 

すると間髪いれずに車内からぞろぞろと現れる黒服の人間達。彼らは織斑一夏を強引に捕えると、そのまま車内へと運びこんだ。

 

「ふっ、しょうがねぇな」

 

ニヒルに口角を吊り上げ、五反田弾もゆっくりと車内へと乗り込んだ。意味が分からない。何が彼にそうさせたのかは未だに不明である。

 

こうした一連の誘拐作業にかかった時間はわずか数秒。圧倒的早業である。

 

優は目の前で繰り広げられた刹那の出来事に、為す術も無く呆然と立ち尽くしていた。

 

 

 

 

【現在・ドイツ 控室】

 

(赤髪電波が着いて来たのも予想外だったが、まさかワンサマーと二人して誘拐されるとは……)

 

内心で現状の整理をすると同時に、優は自身が常日頃感じていた不安が的中していたことを実感していた。

 

(それにしても、優秀なIS操縦者の弟、か。そりゃあこのレベルの選手なら弟の利用価値も高いだろうな。今回みたいにちょっと攫うだけでもかなりのリターンがある。最強クラスのIS操縦者を敵に回すというリスクもあるが、上手くやれば織斑千冬本人を、弟を餌にして思うように操作することも可能だ。これだけトラブルに巻き込まれる要素満載なら、姉である織斑千冬がアイツをIS関連のことから遠ざけようとしていたのも納得だ)

 

狙われやすい位置にいるということは、それだけ犯人の特定が困難であるということだ。それもあり、誘拐された彼らの捜索は難航していた。

 

しばらくして、織斑千冬がオーバーヒートし始めた頃、大きめのノックが響く。控室を訪れたのは一人の軍人だった。

 

「織斑千冬の控室で相違ないか」

 

扉を開けて入ってきたのは屈強な男だった。軍服の上からでも伺える鍛え上げられた筋肉が激しく自己主張を繰り広げている。

 

男は明瞭簡潔に、ここを訪れた理由を口にした。

 

「ドイツ軍の諜報機関により、誘拐された二名の居場所が判明した。既に救助のために部隊を派遣している」

 

その言葉を聞くや否や、先程まで意識がフライアウェイしていた織斑千冬が立ち上がり、男へと掴みかかった。

 

「それは本当か! 私の一夏はどこだ! 何処に居る! さっさと私を連れて行け!」

 

対する軍人の男は一切動じることなく、冷静に言葉を発した。

 

「落ち着け。既に部隊を派遣したと言ったはずだ。大人しく待て」

 

その直後だった。

 

「む?」

 

男は顔をしかめ、無線から聞こえる報告に耳を傾けた。

 

「……なんだと?」

 

次第に男の表情が歪んでいく。やがて男は織斑千冬に向き直り、改めて口を開いた。

 

「事情が変わった。悪いが協力してもらう必要がある」

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

「────というわけだ」

 

男の語ったことは単純なことだった。『犯人グループに属するISによって軍の部隊が壊滅した』といったものだ。

 

ISに対抗できるのはISのみ。故に、織斑千冬本人に救助へ向かってほしいとの要請だった。

 

「本件が公になれば我々の沽券に関わる。すまないが外部への援助要請は不可能だ」

 

これに対し、非難の声を上げる者がいた。

 

「なんですかその理由は。被害者の安全よりも面子を優先するんですか? それに今救助に向かっては決勝戦に間に合いません。まさか棄権しろ、と仰るのですか?」

 

優だった。彼女にしては珍しく、その声は静かな怒りを帯びている。対する男は苦々しく「……そうだ」と呟いた。

 

彼女がここまで敵意を露わにするのには理由があった。

 

(今回の事件、コイツらが仕組んだ可能性が高いな……)

 

優は犯人グループとドイツ側が繋がっていると睨んでいたのだ。

 

(恐らく今回の目的は『織斑千冬の優勝阻止』。ISが軍事力の象徴であることを踏まえれば、この世界大会の成績が国家間ヒエラルキーに影響を与えないはずがない。優勝候補を一人下ろすだけでも十分意味はある。誘拐されたタイミングの突発性から考えて、発案は次の対戦国だろう)

 

優は織斑千冬へと視線を向けた。当の本人は「ガルルルルルルキシャァァァァァ!」と唸り声を上げている。どうやら獣へと退化しているようだ。

 

(誘拐した人間がドイツ側の人間なら、アイツらを隠す場所の心当たりくらいいくらでもあるだろうし、今回のように『今から向かうと決勝に間に合わない』という絶妙なタイミングでの発見も容易だ。それに先程の他国に協力要請はできないと言った時の理由もおかしい。この事件は恐らく真っ当な危機感と真っ当な諜報機関を持つ国なら既に知っている、半ば公然の事実となっているだろう。というか軍が動いているというのに見つからずに隠し通そうという方が無理だ。協力できないというよりは、コイツらにとっては他国の介入は寧ろ不都合なのだろう。織斑一夏の救出に協力したという恩を一方的に売りつけることが出来なくなるからな)

 

「だがそれでも足りない。命令では織斑千冬についてしか言及されていなかったが、安全に彼らを救出するためにはせめてもう一人欲しい。出来ればIS操縦者が好ましいが……」

 

表情を引き締め、周囲を見回す軍服の男。対して、優は男の言葉から、犯人グループと繋がっているのはドイツ上層部のみではないかと推測していた。ここで不用意な介入を招くのはマッチポンプを仕組む側からすればあまりにも美味くないからだ。

 

(もう一人、か。一人を陽動に当て、その隙にもう一人が救出するのか? シンプル極まりないが、陽動に織斑千冬を当てれば成功率は格段に上がるな。相手の戦力がどれ程かは分からないが、仮に2機以上のISが向こうにあったとしても、世界最強クラスとなれば単独で足止めをするとは考え難い。織斑千冬に戦力を割けば割く程、人質の救助が容易になる。万が一、戦力を温存された場合を考えれば、確かに救助係もISを使用している方が良い)

 

しかしながら、この部屋にいるIS操縦者は織斑千冬ただ一人だ。分かり切っている事実を確認し、優は男の持つ無線へと視線を向けた。

 

(まぁそれも、この一件が自作自演であるという前提を除けば、って話だけどな)

 

そう、もし今回の一件がマッチポンプであるのならば、言わば完全に茶番である。仮にそうでなくとも、犯人の目的が織斑千冬の妨害であれば、彼女が現場に向かう時点で目的が達成される。故に人質に害を加える必要がない。むしろ下手に手を出せば織斑千冬を余計に刺激することになる。そのような愚を犯すとは考え難いと優は踏んだ。どちらにせよ、人質本人に対して動機があるというケースではない限り、彼らの安否は保障されているも同然なのだ。

 

(このままぼーっと突っ立ってるだけで、誰も死なずにこの事件は解決する。そこのケダモノ姉ちゃんが優勝を逃すことになるが、言ってしまえばそれだけだ。本来ならそうするのが一番楽で確実だ。だが……)

 

一歩踏み出す。その瞳の奥では静かな憤りが渦巻いている。優の視線は軍の男を真っ直ぐに捉えた。

 

(このまま向こうの思い通りになるのは気に食わない──!)

 

そしてそれは、彼女の不気味なまでの美貌と相俟って、息が止まるほどのプレッシャーを放っていた。

 

「その『もう一人』、私にやらせて貰えませんか?」

 

「駄目だ」

 

「えっ」

 

「現場に居合わせただけの一般市民に任せるわけにはいかない。それに先程も言ったが、確実に彼らを救出するためにはIS操縦者であった方が良い」

 

(……なにこれ恥ずかしい)

 

当然の結果である。

 

さらに言えば、少なくとも軍人の男にとっては、今回の件は未だ危険な事件であるという認識に変わりはない。マッチポンプ云々は所詮彼女の推測でしかないのだ。もし外れていたら爆笑ものである。

 

 

 

 

 

本来ならこのまま彼女が居たたまれなくなったまま終わっていた。しかしそこで終わらない、終わらせないのが八神優である。

 

そう、彼女は運が良いのだ。

 

 

 

 

 

「話は全て聞かせてもらったってわけじゃないけどとにかく事情は把握した!」

 

 

 

 

 

声とともに扉が開く。現れたのは、風が一切ない室内であるにもかかわらず何故かはためいている銀色のコートを羽織り、日本人のような顔立ちにキャベツのような緑色の頭をしたアンバランスな人間(CV.緑川光)だった。

 

「しゃ、社長さん!?」

 

素っ頓狂な優の声。社長と呼ばれたキャベツ頭の男は、爽やかな笑みを優に向けた。

 

「やあ優ちゃん。遅くなってすまない。ちょっと取引先との会談が長引いてしまってね」

 

キャベツの発する爽やかオーラとは裏腹に、軍の男はその表情、声共に強張っていた。

 

「何者だ」

 

「うん? ああ、そういえば自己紹介がまだだったね」

 

言いながら、キャベツのような髪をファッサァと掻き上げるキャベツ。キラキラとした微粒子が舞った。

 

「海馬瀬人。海馬コーポレーションの社長をやっているんだ。よろしく頼むよ」

 

『説明しよう! 海馬コーポレーションとはッ!

元はゲーム産業と軍需産業を中心に展開していた大企業だ! 現在はIS産業でその名を轟かせており、世界第二位のシェアを誇るぞ!』

 

社長キャベツの言葉に、男の表情は余計に固くなる。男は気づかれないように、腰についた拳銃を確認するように視線を落とした。

 

「IS企業の人間が何の用だ。それにここは関係者以外立ち入り禁止だ。見張りの者がいたはずだが」

 

対するキャベジンは相変わらず爽やかに飄々としていた。

 

「見張り? ああ、居たね確かに。ただ邪魔だったからちょっと【決闘!】して【粉砕☆玉砕☆大喝采】しちゃったよ」

 

「き、貴様……ッ!」

 

仲間を【ふぅん】された怒りからか、筋肉質な相貌を歪ませ、男は銃を突きつけた。

 

「我々に対する敵対行為と見做す! 何が目的だ!」

 

しかしやはり、キャベツが態度を変えることは無かった。むしろこの状況を限りなく楽観しているかのように軽薄な笑みを浮かべていた。

 

「目的? そんなの『事件解決への協力』に決まっているじゃないか」

 

ピタリ、と空間が制止する。優は展開についていけずに唖然としており、男はなんだかおもしろい顔をしている。織斑千冬は壁を殴り始めた。

 

「協力……だと? 一体何を……いや、そもそも何故事件のことを……」

 

男はわけがわからずにうわ言のように呟く。対するキャベツは凡骨を見るような目で男を見つめ、大げさな手振りで呆れて見せた。

 

「おいおい、ここが何なのか忘れたのかい? 現代版核兵器とも言うべき代物が大量に集まり、国家や企業の重鎮達による取引が裏表問わず繰り広げられ、様々な思惑が入り乱れる混沌とした外交ステージ。それもアウェーだ。何か起きても後手に回ってしまうし、はっきり言って暗殺の一つや二つくらい起きても何ら不思議ではない。身を守るための情報収集くらいやって当然だと思うけどね」

 

どうやら優の推測はある程度当たっていたらしい。言われてみればごもっともである。

 

キャベツは固まったままの男を放置し、優へと向き直った。

 

「ところで優ちゃん、さっき少し聞こえたんだけど、今この場にはISが不足しているらしいね」

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

【同時刻・ドイツ 某所】

 

「それにしても、ここはどこなんだ?」

 

「急に冷静になるなよ。っていうか弾、俺の手錠も外してくれ」

 

UNOを片付けながら、赤髪の少年──五反田弾が呟いた。周囲を見回す。辺りに散乱する、錆びた工具や稼働を止めた大型の機械のような何か。

 

「どこかの廃工場だな……」

 

「スルーですか」

 

出入り口はどうなっているのか。弾はそう考え、視線を巡らす。

 

「あった、が──」

 

扉はあるにはあった。と言っても、あったのは太い鎖と大きめの錠前で固く閉ざされた扉だった。他にも、窓は全て板で塞がれており、人間が通れそうな穴は皆無だった。

 

「うーん、いっそのことぶち破って──ってのも可能だが……」

 

「あ、ちょうちょ」

 

弾はそこまで考え、首を振った。恐らく強引に脱出しようとすれば外にいる人間に気づかれると考えたのだ。外の様子は分からないが、万が一のリスクを、彼の鋭い洞察力は見逃さなかった。どこぞの運頼み女とは大違いである。

 

「今ここにいるのは俺と一夏の二人きり……完全に閉じ込められたな。……ハッ! まさか────ッ!」

 

「やっぱり、ユウはここには居ないのか……せめて無事かどうかだけでも分かればいいんだけどな……」

 

その瞬間、弾の頭に電撃が走った。

 

(二人っきりで閉じ込められる

 ↓

閉じた世界に二人きり

 ↓

アダムとイブ

 ↓

パラダイスロスト……!)

 

「オウ、ジーザス……! なんという神の悪戯……! まさか一夏、お前俺の身体が目当てだったのか……!」

 

「ねーよクソふざけんな」

 

悲痛な表情を隠すように、手で顔面を覆う弾。一体どこの電波を受信したのだろうか。

 

「いや、待てよ?」

 

「そうだ待て。一度落ち着こう。というかもう座ってろ」

 

ふと何かを思いついたのか、顎に手を当て制止する弾。虚空を見つめるその眼差しは、何を捉えているのだろうか。

 

(閉じ込められた

 ↓

密閉された空間

 ↓

密室

 ↓

連続殺人事件。つまり……)

 

「犯人は、この中にいる──!」

 

「犯人候補2人っていきなりクライマックスじゃねーか。探偵の仕事残ってねぇだろ」

 

「とまぁ冗談はこの辺にしておいて、一夏、お前の手錠だけどな、多分壊せねーわ」

 

「今の流れで言っちゃう? 君ホント斬新なことするよね……ん? 今なんて……?」

 

「だから、お前の手錠は壊せないって言ったんだよ」

 

「じゃあなんで弾の手錠は壊せたんだ?」

 

「フッ、そりゃあおめぇ、俺は黒の古文書にも記されている肉体強化法『キントーレ』を実践しているからな」

 

「ネーミングもうちょっと捻ろうぜ」

 

「まぁ真面目な話、まだ確定してるってわけじゃねーんだけどな」

 

言いながら弾は煩わしそうに頭をガシガシと掻いた。もう片方の手でそのまま手錠を怠そうに指さす。

 

「見たところ、破壊するのが物理的に不可能ってわけじゃねー。ねーけど、もっと別の問題がそいつにはある。どうも俺のとお前のは別物らしくてな。小さくて気づきにくいが、お前の手錠の接合部にはセンサーみたいなのがくっついてやがる」

 

「センサー……?」

 

一夏と呼ばれた少年は自身の背後──銀色の手錠へと視線を向けた。しかしよく見えていないようだ。

 

「恐らく無理に外そうとすれば向こうにバレるんだろ。或いは爆発──は、サイズ的に考えてさすがに有り得ねーか。まぁとにかくそいつから推測される可能性として、一番有り得そうなのは、織斑千冬の弟じゃなくて────」

 

 

 

 

 

 

 

────織斑一夏の誘拐が目的だったりして、な。

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

【現在・ドイツ 某所】

 

青空を切り裂くように、一筋の白が描かれる。その白は空気抵抗をものともせず、音にも迫る速さで移動していた。

 

「一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏一夏……」

 

超高速で移動するIS、暮桜を駆る女性──織斑千冬は、自身の唯一の肉親である織斑一夏の名を呪詛のように繰り返していた。

 

余談だが、本来の暮桜ではこれほどのスピードを出すことはできない。彼女の弟を思う心が、本来のスペックをはるかに凌駕する動きを可能にしていたのだ。

 

(今すぐお姉ちゃんがprprしに行くからな!)

 

 

 

 

【数秒後】

 

「あれか……」

 

千冬の視線の先には、今はもう使われなくなって久しい廃工場がひっそりと佇んでいた。

 

そして屋根の上から千冬を見上げる視線が一つ。それはごく普通の少女だった。ただ一つ特異な点を挙げるとすれば、その容姿は、まさしく織斑千冬と瓜二つであるという点だろうか。

 

「ふふっ、来てくれると思ってたよ。お姉ちゃん」

 

「黙れ小娘。私をお姉ちゃんと呼んでいいのは一夏だけだ(もし呼ばれたら萌え死ぬけどな)」

 

『お姉ちゃん』というワードに、一瞬で修羅の如く険しい表情になる千冬。周囲の空気が呼応するようにびりびりと震える。

 

対する少女もまた、不服そうに眉をひそめていた。

 

「やっぱりアイツのことばっかり……でもいいよ。これからアイツは、織斑千冬から優勝の座を奪って男として、そしてわたしのおもちゃとして生きていくんだから」

 

少女の言葉に、千冬がピクリと反応した。

 

「おもちゃ、だと?」

 

「ふふっ、安心して? お姉ちゃんもわたしg「なんてうらやまけしからん響きなんだああああああああああああああああ! させん、させんぞおおおおおおおおお! 一夏にエッチないたずらをするのはこの私だああああああああああああああ!」

 

 

 

 

直後、二つの影が交差した。

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

「うあっ、なんだ!?」

 

突如響き渡った轟音と共に地面が揺れる。織斑一夏は突然の出来事に驚きつつ、周囲を確認した。

 

「どうやら外で何かが起きているらしいな」

 

そう言って五反田弾は立ち上がり、壁に空いた小さな穴から外を眺めた。

 

「誰かが……戦っているのか?」

 

弾の呟きに、一夏が身を乗り出す。

 

「なんだって!? 一体誰が戦っているんだ!?」

 

「さあ、一体誰冬さんなんだろうな」

 

「本当に何斑千冬なんだ。まったく見当もつかないぜ。少なくとも俺達の知っている人間であってほしくないな」

 

余談だが、先程の織斑千冬による雄叫びはばっちり周囲に聞こえており、もちろん二人にも聞こえていた。ただ内容があまりにもあんまりなのである。あとは察してほしい。

 

「しっかしマジな話、この状況は結構やばいな」

 

上からぱらぱらと降ってくる破片を睨みながら、弾が苦々しげに吐き捨てる。剣戟と轟音はひっきりなしに続いており、その度にこの廃工場はその身を揺らし悲鳴を上げていた。

 

そう、はっきり言っていつ崩れてもおかしくないのである。しかも織斑一夏は動けない。これをヤバいと言わずなんと言うのか。

 

その直後だった。

 

「うわっ、またか!」

 

一際大きな剣戟と振動が起こる。その拍子に、何かが一夏の頭上付近に、細長い形状の影を落とした。

 

「一夏、まずい!」

 

弾が叫ぶが、時すでに遅し。上空から降り注いだのは身の丈を優に超える鉄骨だった。

 

悲鳴を上げる間もなく、一夏の頭上へと鉄骨が落下する。

 

土埃が巻き起こり、金属のぶつかり合う音が鼓膜を殴打した。

 

「い、一夏! 死んだのか!? 死んだのなら死んだと言えー!」

 

「生きてて悪かったなコンチクショー!」

 

結論から言うと、奇跡的に一夏は助かっていた。

 

しかし、立ち上がり、服に付着した土を払い落としたところで、

 

「……あれ?」

 

違和感に気づいた。

 

「……あっれー?」

 

一夏は自身の腕を目の前に掲げた。その腕にぶら下がっていたのは、強引に分断された鈍い銀の残骸。

 

そう、あの鉄骨はピンポイントで一夏の手錠を破壊したのだ。

 

「あの、弾さん?」

 

「なんだい一夏さん」

 

「たしかワタクシの手錠を壊すとよろしくないことが起こるのでは?」

 

「ふふっ、そうでしたっけ」

 

 

 

 

その直後だった。

 

 

 

 

乾いた音と共に継ぎ接ぎだらけの壁が吹き飛んだ。現れたのは、ふわりとした髪をなびかせる、ISを纏った女性だった。

 

そのISの背部には触角の様な物が生えており、さながら蜘蛛の脚の様であった。

 

 

 

「この混乱に乗じて脱走を図るなんざ、ガキのくせに小賢しいことを考えるじゃねぇか」

 

 

 

((なにいってんだこいつ))

 

逆光で表情は見えなかったが、女性から漂う雰囲気は猛禽類のそれだった。女性は一歩踏み出し、その手にサブマシンガンを取り出した。

 

「──ッ! 下がれ一夏!」

 

「ぐえっ」

 

弾が一夏の襟を掴み、強引に後ろへ引いた。直後、マズルフラッシュが瞬く。

 

鼓膜を突き刺す土砂降りの雨音のような銃声と共に、先程まで一夏がいたコンクリートの床が爆ぜ飛んだ。

 

「悪いが逃がすわけにはいかないんでね。大人しくして貰おうか」

 

「……逃がす気は無い、ね。今、一夏の脚を狙ったってことは、殺す気も無いみたいだな。──或いは、殺さないように命令されている。違うか?」

 

弾と謎の女性、互いの視線が交錯する。やがて、女性は面倒くさそうに溜め息をついた。

 

「ったく、銃を見ても物怖じしないどころか、そこまで考えられるとはね。これだから頭の回るガキは面倒なんだ」

 

「褒め言葉として受取っておこうか。職業柄(※ジョブ:賢者)、考えることが癖になってしまってね」

 

「なぁ弾。なんでお前そんな歴戦のオーラ醸してんの? お前の職業って中学生だろ? なぁ弾ってば」

 

「そういえば聞いたことがある。狙撃や白兵能力もさることながら、その独創的な知略によって数々の局面を制してきた、戦場を渡り歩く腕利きの傭兵。その髪は敵の返り血で真紅に染め上げられているという、通称『紅い死神』──!」

 

「……フッ、なんのことやら(卍†紅い死神†卍? 俺のメイン垢のユーザーネームじゃん。これがリアル割れか)」

 

「えっ、スルー? ちょっと弾さん、ニヒルに笑ってないで何がどうなっているのか解説してくださいよ」

 

弾は女性から注意を逸らさずに、一夏を庇える位置へと少しずつ移動していた。

 

「……一夏」

 

「なんだよ」

 

床に転がる手頃な大きさの鉄パイプを足で蹴り上げ、それをキャッチする弾。そのまま得物を目の前の敵に向け、諭すように一夏に語りかけた。

 

「お前は逃げろ。どうやらこれは俺の闘いでもあるらしい(何としても晒されるのは阻止しなければ……)」

 

「な、何言ってんだよ!」

 

「安心しろ。誰かを守って落ちてる武器で謎の敵と戦う。こんなシチュエーション、中学二年生にとってはご褒美以外の何物でもないぜ!」

 

「たしかにそうだけど……」

 

弾はクールな笑みを浮かべ、「フッ、やはり俺は天に見初められし過酷なる運命を歩む者(主人公)らしいな。まったく世界ってやつは俺を放っておいてはくれないのか。やれやれだぜ……」などとぶつぶつ呟いている。

 

しかしこのような時にも敵は待ってくれない。

 

 

 

「逃がさないって言っただろ?」

 

 

 

獰猛な視線が突き刺さる。女性はもう片方の手にもサブマシンガンを取り出していた。

 

「いくら歴戦の傭兵とはいえ、生身でISに勝てると思うなよ!」

 

「フッ、御託はいい。さっさと来い」

 

「待って来ないで! 俺まだ逃走のとの字にすら至ってないから! っていうか弾! お前も逃げろよおおおおお!」

 

引き金にかかる指に力がこもる。殺す気は無いとのことだったが、それでも織斑一夏の内心は死への恐怖で埋め尽くされ、軽いパニック状態に陥っていた。涙目で叫ぶ一夏をよそに、五反田弾の内心はいかにカッコ良く舞うかということで埋め尽くされていた。

 

文字通りの危機的状況。しかし────

 

 

 

「────なっ、敵性反応!? そんな、さっきまでは何も……!」

 

女性が叫んだ直後、彼女の背後に影が差した。

 

 

 

────幸運の女神というものは案外どこにでもいるらしい。

 

 

 

「くっ……そ……!」

 

絞り出すような声と共に体を捻り、強引な動きで背後からの刃を回避する。しかしその刃は女性の背中から生えた脚のうち一つを捉えていた。

 

崩れた姿勢を、残った脚を使い整えながら距離を取る。さながら蜘蛛が巣を移動するかの如く、流れるようにスムーズな動きで退避するが、その巣を引き裂かんと、またしても刃は追随する。

 

「生身じゃ無理でも──」

 

甲高い金属音と共に、女性の駆るISが斬り抉られていく。

 

「──同じISなら、どうですか?」

 

瞬間、襲撃者の姿が消えた。いや、物理的に消えたわけではない。()()()()()()()()()()のだ。

 

「ど、どこだッ!?」

 

「後ろですけど」

 

言葉と共に、背後に刃の影が現れる。迎撃しようと勢いよく振り返り──

 

 

「は……?」

 

 

──間抜けな表情で固まった。そこにあったのは、宙から落下する刃のみ。襲撃者の姿は無かった。

 

「だから後ろですよ」

 

直後、背中に強い衝撃が走る。蹴り飛ばされたのだと、吹き飛ばされながら認識する女性。思わず襲撃者を睨みつける。黒い髪、赤い目、黒い装甲。それだけを記憶に収め、機材の山へと突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふー、運良く間に合って良かった」

 

そう言ってISの展開を解除する襲撃者。そこにいたのは、一夏や弾と同じ年頃の少女だった。

 

「ユウ!? ユウなのか!?」

 

叫び、駆け寄る一夏の両目には、大粒の涙が溜まっていた。恐怖やら安堵やらで大変なことになっているのだろう。一夏はそのままの勢いで優へと抱き着いた。

 

「えっ、ちょっ、一夏くん⁉」

 

狼狽する優をよそに、一夏は胸のつかえが取れたかのように、嗚咽交じりにぽつりぽつりと言葉を零した。

 

「良かった……無事で、ホントに良かった……手錠はセンサーだし千冬姉は変態だし変なヤツに殺されかけるし弾は話聞かねぇし、俺のせいで、ユウまで危険な目にあってるんじゃないかって……心配で……」

 

「うん、言ってることに清々しいほど一貫性が無いね」

 

ちなみに弾は「戦わずして勝つ。これぞ戦闘の極意なりコロ助ナリ」などとドヤ顔で呟いている。結局何がしたかったのか。

 

未だぐちぐちと言葉を吐き出している一夏を慰めるように、優は彼の頭をそっと撫でた。

 

「ごめんね、もっと早く来てあげられなくて。でも安心して。もう大丈夫。さっきの敵もやっつけたし、また何かあっても、私が絶対に守るから」

 

「ユウ……」

 

逆である。何がとは言わないが、逆である。一夏もそれに気づいたのか、赤面しつつ弾かれるように優から離れた。

 

「さ、さすがにこれ以上守られてるだけってわけにはいかねぇよ。っていうかユウ! なんでこんなところに来たんだよ! 危ないだろ!」

 

照れ隠しのためか、わたわたとしながら大げさに怒鳴る一夏。対する優は、自身の髪を片手で軽く梳きながら、何でもないようなことの様に告げた。

 

「なんでって言われても……(ドイツ軍が気に入らんかったってのは『八神優』の理由としてはちょっとアレだな……)ほら、前に約束したでしょ?」

 

「約束……?」

 

「うん。『一夏くんを一人にはしない』って。友達を助ける理由なんて、それだけで十分すぎるくらいじゃない?」

 

優は弾を見ながら、「今回は五反田君もいたみたいだけどね」と付け加えた。

 

「まぁ、今こうして生きていられるのは俺がいたからと言っても過言じゃないからな。あの場面で俺が、前世から引き継いだ魔王の力に覚醒しなければ今頃どうなっていたことか……」

 

やれやれといった風に語る弾。一方でそんな優の言葉に、一夏は唖然としていた。思わず目を見開き、彼女を凝視する。

 

(約束だから? 友達だから? たったそれだけで、ここまで……)

 

そこまで至ると、一夏は無意識に自問自答していた。果たして自分は『誰かのために命を賭けることができるのか』と。少なくとも先程の危機に直面した時、自分は焦り、混乱し、ただ喚くだけだった。相手を想い、自らの危険を顧みなかった優の行動に、一夏は遥か遠く届かなかったのだ。

 

(俺には……できなかった……)

 

それを自覚した時、一夏は自身の無力さと同時に、目の前の少女が持つ聖母のような優しさと気高い強さを垣間見た気がした。そして改めて、優は一夏の目に強烈な存在感を以って映った。それは憧憬の象徴。さながらヒーローの如く、眩い輝きを放つ存在として。まったく勘違いも甚だしいものである。

 

実際のところは、一度死ぬという経験をしており、尚且つ十数年間も幸福に支えられて危険とは無縁だったため、死への恐怖といったものが薄れているだけなのだが、それを一夏が知る由は無い。

 

「そういやユウの持ってるカードみたいなの、それISか? だとしたら制作は海馬コーポレーションじゃないか?」

 

優の手元を指さしながら訊ねる弾。確かに優の手には、薄いカードのようなものが握られていた。

 

「うん。そうだけど、よくわかったね」

 

ISは常に鎧の形状を保つのではなく、使用していないときは待機形態として持ち歩くことが可能となるのだ。

その中でもカードというのは珍しく、パッと見ただけではISだとは思われない。

 

「海馬コーポレーションの作るISは、待機形態が全てカードなんだ。なんでも、社長が直々にデザインしているらしい」

 

「へぇ、結構詳しいな、弾」

 

「まぁ、()()()()()()に詳しいやつもいるってことさ。今のはそいつの受け売りだ」

 

もったいぶった言い方をしているが、要はチャットでミリオタが語ったのを何となく覚えていただけである。

 

「それにしても、なんでユウがISなんて……」

 

一夏のつぶやきに対し、困ったような笑顔を浮かべる優。

 

「うーん、何から話したらいいのかな……。このISを持ってる……っていうか持たされた理由なら、第三世代型用新機能の非公式なデータ収集のためなんだけど……」

 

優はたどたどしく論点を整理しながら一連の流れを二人に説明した。

 

事件が非公式に扱われることを始め、自身のISがフォーマットすらしていない次世代量産機の試作機であることや、今回の作戦の内容まで、優が知りうる限り事細かに話した。

 

 

 

 

「────と、まぁそういうわけだから、千冬さんの戦闘が終わり次第、合流してここから離れることになるね」

 

優が語り終えたとき、一夏の表情には悔しさや悲しさが入り混じって滲み出ていた。

 

「じゃあ、やっぱりさっきの声は千冬姉だったのか。くそっ、俺のせいで、千冬姉……」

 

ぐっと奥歯を食いしばる一夏。「二重の意味で嘘であってほしかった……」などと呟いた気がするが気のせいだ。

 

その時、再び轟音が鳴り響き、廃工場が大きく揺れた。

 

「とにかく一旦外へ出よう」

 

優がそう言った、その直後だった。

 

 

 

「──させるかあああああああ!」

 

 

 

怒号と共に、一筋の鋭い銃声が走る。

 

「えっ……」

 

誰の声かはわからない。ただ、3人の視界には同じものが映っていた。

 

それは弧を描き飛び散る真紅の液体。銃弾は寸分の狂いなく、優の腕を貫いていた。

 

「あぁっ……ぐっ…………っ!」

 

腕を抑え、痛みで叫びだしそうになるのを必死に堪える優。その拍子に、手に持ったカードを落としてしまう。

優は辛うじて視線だけを銃声の発信源へと向けた。

 

そこにいたのは、肩で息をしながらボロボロのISを纏った、先程優に吹き飛ばされた女性だった。ISはシールドエネルギーが切れるまで強制解除されることはない。ISの武装ならともかく、ただの蹴りでは致命打になり得なかったのだ。

 

「さっきのタネ、ようやく分かったぜ。そのISの能力は言わばステルス機能。『ハイパーセンサーをジャミングする能力』だろ? まぁ、今となっちゃ別に関係ないけどな」

 

そう言って再び優に向けて銃を構える女性。引き金に指をかけ、照準を合わせる。

 

「さっきは外しちまったが、次はもう外さねぇ。てめぇを生かすようには言われてないんでね。恨みたきゃ勝手に恨みな」

 

 

 

 

 

──それじゃあ、死ね

 

 

 

 

 

 

女性の言葉が、一夏の脳内でぐるぐる回った。また自分は何もできないのか。自分はどこまで無力なのか。自分のせいで、彼女が死ぬのか。

 

手は小刻みに震え、足は地面に張り付き、血の気がさっと引いていく。

 

(なんで……なんでユウが死ななきゃならないんだよ……!)

 

その時、視界の端で、先程優が落したカードが煌めいた。

 

(あれは……)

 

先程自身が口にした言葉が一夏の脳裏を掠めた。

 

 

 

「……そうだ」

 

呟き、鉛のような足を無理やり地面から引きはがす。

 

「これ以上守られてるだけってわけには──」

 

「い、ちか……くん?」

 

「てめぇ、何を──ッ⁉」

 

恐怖という名の鎖を強引に引きちぎる。

 

「──いかねぇんだよ!」

 

 

 

 

少年は手を伸ばした。自身の運命を斬り拓く一振りの刃へと────。

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

結局あの一件は、謎の組織による誘拐事件として処理された。結果として公表せざるを得なかったものの、事件自体は然程大きく取り上げられることは無かった。何故なら誘拐事件が些細なことと思えるほどの事実が発覚したからである。

 

「はぁ、なんでこうなった」

 

織斑一夏は、心ここに非ずといった調子でため息を吐くと、新聞を放り投げた。

 

「あの時はユウとカードを回収して、そのまま物陰に飛び込もうとしただけなんだけどな。まさかISが起動するとは」

 

新聞の一面にはこう書かれていた。

 

 

『世界初! ISを動かした男!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、このことが発覚したその日、某ドイツがこの事実を独占し、尚且つ実験台にしようと考え、織斑一夏を匿おうとした。しかしそれに怒った最強の姉が大暴れしてひと悶着あり、それが原因で一連の事件が明るみに出てしまうのだが、それはまた別のお話。




15000文字オーバーとかふざけんな。ちなみに言っておきますが、本作は1話当たり5000文字前後で書いております。今回はたまたまです。次はもっと減らしますが、「あれれ~? いつもより少ないぞ~?」などと思わないでください。



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番外編だから本編に関係ないし何やったっていいだろ!異論は認めねぇ!俺は悪くねぇ!

結構長いのでめんどくさくなったら飛ばしてええどす


1 短編『うぬと夏の始まり 将来の夢 大きな野望忘れぬ』

 

 

痛いほどの日差しと、今にも落ちてきそうな真っ青な空の下。灼けるアスファルトを踏みつけ、熱気をかき分けて歩く。

 

「夏祭り?」

 

遠くから聞こえる蝉の声と俺達の足音に交じり、凛とした少女の声が鼓膜を心地よくくすぐる。声の主──八神優は、きょとんと小首を傾げ、上目遣いに俺を見つめた。

 

「ああ、この近くの神社で毎年やってるんだけど、もしかして行ったことないのか?」

 

俺の問いかけに対し、ユウはこくりと頷いた。どうやら祭りの存在はおろか、この辺に神社があることすら初耳らしい。

 

「初詣とかどうしてたんだよ……」

 

「毎年いろんなところに行ってるよ?」

 

終業式も終わり、明日から夏休みということで、俺達は早速遊びの予定を立てていた。そこで俺が提案したのが、この町にある神社で毎年開催される夏祭りだった。

 

「そのお祭り、一夏くんは毎年参加してるの?」

 

「まあな。結構でかい祭りだし、地元のやつらは大体来てるな」

 

よかったら一緒に行かないか? そんな俺の言葉に賛同するように、溌剌とした声が後に続いた。

 

「そうよ。この辺に住んでるのに夏祭りに出ないなんてもったいないじゃない」

 

そう言ってユウに視線を向けたのは凰鈴音。小柄で、長い茶髪をツインテールにして纏めている。俺の小学校時代からの友人だ。

 

「鈴ちゃんも参加してるの?」

 

「うーん、まぁあたしの場合はずっと遊んでるわけじゃなくて、ウチからも出店するからその手伝いをしなくちゃいけないのよ」

 

鈴の家はこの町にある中華料理屋で、俺も度々お世話になっている。俺は姉と二人暮らしをしているのだが、その姉は家を空けることが多く、一人の食事というのも味気ないので割と頻繁に通っている。

 

とにかくそうした事情から、鈴もここに引っ越してきてからは毎年参加している。

 

「弾はどうだ? 何か都合が悪かったりするのか?」

 

「たしか来週だったな……ふむ、アカシックレコードには何も記されていないようだ」

 

「そっか暇か」

 

とりあえず参加の方向でいいだろう。と、そこでふと思い出す。そういえば弾には妹がいたはずだ。

 

「お前の妹……蘭だったか? あいつも来るのか?」

 

五反田蘭。年齢は俺達の一つ下で、大学までの一貫校となっている有名私立女子中学校に通っている。なんでも、一年生にもかかわらずファンクラブが存在しているそうだ。

 

「まぁ誘えば来るだろうな」

 

「じゃあ当日は5人で回るか」

 

ちなみに、俺は正直蘭のことが苦手だったりする。いや、俺がというより、向こうが俺に対して苦手意識を持っているようだ。俺に対するリアクションがいちいち余所余所しく、俺が名前で呼ぶことについても渋々といった様子で承諾していた。特に嫌われるようなことをしたつもりはないけどなぁ。

 

「そう、あの子も来るのね……」

 

そう呟いたのは鈴だった。その表情は強敵を前にした武士(もののふ)のように険しいものとなっている。鈴は蘭と名前が似ているからか、結構仲が良い。いつもお互い怖いくらいの笑顔で話している。きっと今も嬉しさのあまり内心で大歓喜しているのを隠そうとしているのだろう。ハハッ、この照れ屋さんめ。

 

「五反田君って妹さんいたの?」

 

「ああ、俺なんかよりよっぽど優秀な妹がな。ただアイツは……」

 

「物憂げな顔してもったいぶってるけど特に何もないからな。鈴と仲のいい普通の女の子だ」

 

「!? そ、そうそう! あたしらすっごくなかよし! 悪そうな奴は大体友達! Yeah!」

 

とりとめのないことを話しながら歩を進める。熱を浚うように、俺達の間を強い風が吹き抜けた。

 

 

 

夏休みが、始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【祭り当日・神社前】

 

昼間の勢いはどこへ行ったのか、太陽は姿を消し、街灯とビルの明かりが街を照らし出す。それを見下ろし、俺は鳥居のすぐ前、石造りの階段の最上段に腰を下ろした。祭りの賑やかな喧噪を、はるか遠くのことのようにに感じながら一息つく。ひんやりとした静けさが心地良い。

 

「俺が一番乗りか」

 

呟いた直後、階段を上る足音が聞こえてきた。──否、それは『上る』というより『疾走する』といった方が正しかった。

 

忍者のように短い間隔の足音が徐々に迫り来る。そしてついに、足音の主が姿を現した。

 

「はぁ……はぁ……一夏! 無事だったか! ふぅ、どうやら間に合ったみたいだな……」

 

肩で息をする赤髪の男──五反田弾は、俺を見るなり安心したようにため息をついた。お前は何と戦っているんだ。

 

いつものように適当に流そうとした時、弾がいつになく真剣な眼差しで俺を見据え、俺の肩を力強く掴んだ。ちょっと痛い。

 

「いいか一夏。今日血の雨を振らせたくなければ絶対に不用意なことを言うな。分かったら返事をしろ。よくなくても返事をしろ。とにかくはいと言え」

 

「は、はい」

 

普段とは打って変わって様子の異なる弾の言葉に、思わず首を縦に振る。こいつはギャグからシリアスへの切り替えをノータイムで行うから困る。というか一体何が起きるっていうんだ……?

 

困惑する俺をよそに、足音が2つ、こちらへ向かってきた。

 

「お兄! なんで先に走って……って一夏さん⁉ どどどどっどうもこ今晩はお招きいただきまして誠に」

 

先に姿を現したのは弾と同じ色の髪に同じようなヘアバンドをした女の子──五反田蘭だった。なにやら顔を赤くしてどもりながら堅苦しい挨拶をしている。相変わらずなぜか俺には他人行儀だ。もうちょっと打ち解けたいものである。

 

「二人とももう来てたのね。珍しく早いじゃない」

 

そう言って蘭の後ろから現れたのは鈴だった。彼女の溌剌さを象徴するようなツインテールが軽く揺れる。

 

と、ここで俺はあることに気づいた。

 

「あれ? 二人とも浴衣にしたのか」

 

鈴は水色にピンク色の花が大きく描かれているものを、蘭は黒地に花弁が描かれているものをそれぞれ着用していた。花の種類は知らない。

 

俺がなんとなく二人の姿を眺めた、次の瞬間、

 

(……少し寒くなってきたか?)

 

俺の背筋を、何かぞわりとしたものが駆け抜けた。いわゆる悪寒というやつだろうか。

 

ふと見ると、弾が胸の前で十字を切っていた。無心といった様子の表情で、「アーメン……」と呟く。マジで何が起きるっていうんだ。

 

「ねぇ一夏」

 

鈴の声が聞こえる。それはどこか冷たさを感じさせた。

 

「なんだ?」

 

得体のしれない恐怖にも似た何かを感じつつ、俺は視線を向けた。

 

「一つ聞きたいことがあるんですけど」

 

次に口を開いたのは蘭だった。その言葉は、鋭利な刀を彷彿とさせた。

 

「……なんだ?」

 

二人はにっこりとほほ笑んだ。

 

「私と鈴さん」

 

「どっちの浴衣が似合ってる?」

 

 

 

 

……? そんなことを聞いてどうするつもりだ?

 

俺は予想外のセリフに拍子抜けしながらも、思ったことをそのまま伝えようと口を開いた。

 

「そりゃあどっちも似合っt「「どっちの方が、似合ってる???????」」

 

拍子抜けとか言ってごめんなさい怖いです。『?』の連打が特に。

 

っていうか俺何かした? なんでこんなに追い詰められてんの? どっちも同じくらいに合ってると思うんだけど。あっ、さてはこいつら俺をからかうためにグルになってるんだな~? まったく、どんだ困ったちゃんたちだぜ☆

 

「なぁボブ、お前もそう思わないか?」

 

俺は顔だけをボブの方へ向け、ばちこーんとウィンクをかましながら肩をすくめてみせた。

 

「誰がボブだ。俺の真名は……っと、危ない。もう少しで『言霊』が発動してこの世界を『原初の混沌』と呼ばれていた頃の姿に『崩壊』させるところだったぜ。まぁ、俺をはめようとしたってそうはいかねぇってことだ」

 

「ヒューッ! 相変わらずボブのチューニ=ジョークはわっけわかんねぇぜ!」

 

「おいおい、そりゃないぜ!」

 

HAHAHAHAHA! 二人して笑いあう。あぁ、世界は今日も平和だ。笑いは世界を救うんだなぁとつくづく思うよ。ほんとに。そうだ、お笑い芸人になろう。歌で世界は変えられないし救えないらしいけど笑いでならきっと「「それで、どっち???ねぇ、ねぇ」」現実逃避して誤魔化すぜ大作戦、失敗の模様。

 

というかこいつらホント仲いいな。二人して同じ目つきしてやがる。笑ってるのに睨んでるよ。俺のことを。なんて器用な連中だ。

 

っていうかどっちが似合ってるかなんて知らねぇよ。なんで俺に聞くんだよ。俺に衣類に関する知識なんてねぇよ。いいじゃんどっちもでいいじゃん。似合う似合わないの基準なんて知らねぇよ。

 

しかしどうにも、俺の両方案は受け入れてもらえないらしい。とりあえず助けを求めよう。弾に視線を向ける。目と目があう。頬を赤らめる。なんでだよ。

 

どうこの場を凌ごうかと答えあぐねいていると、ついに最後の一人がやってきた。そう、我らが救世主、八神優である。

 

「あれ? みんなもう来てたの? ごめんね、なんだか待たせちゃったみたいで……」

 

「いやいや、全然大丈夫だ! さて、これで全員そろったな!」

 

俺はこの話からの脱出口を見つけた喜びを抑えながらもユウの方へと視線を向けた。うん、待ったよ。別にお前は遅刻したわけじゃねぇけどすっげぇ待ったよ。だがナイスだユウ。これで話の流れを変えられると思ったけどもしユウも浴衣着てきて感想とか求められたらどうしよううああああああああ浴衣じゃありませんよおおおおおに!

 

「わぁ~、二人ともその浴衣可愛いね!」

 

「え、あ、そ、そう、ですか?」

 

「あ、ありが、と……」

 

ユウは普通の洋服で、二人の浴衣を超ピュアな笑顔で褒めていた。あまりにもピュアすぎて、褒められた二人は顔を真っ赤にして照れていた。俺の時と反応違いすぎねぇ?

 

でも良かった。浴衣じゃなくて良かった。軽く浴衣恐怖症になりそうだぜまったく。

 

ほっと胸を撫で下ろす俺の横で、弾が「これが救世主(メシア)能力(ちから)か……」と静かな笑みを浮かべた。今回ばかりは激しく同意だ。

 

そんな俺達の反応をよそに、ユウは自身の清楚な感じのワンピースを見下ろし、呟いた。

 

「私も浴衣の方が良かったかな?」

 

いいえ、今のままのあなたでいてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと、それじゃあ適当に見てまわろうぜ」

 

なんやかんやで、ぞろぞろと纏まって、煌びやかな祭りの雰囲気の中を駄弁りながら練り歩く俺達。主にユウへと集まる視線をスルーし、やきとりやりんご飴などの、祭りのお約束とでも言うべきものを、これまたお約束とでも言うべき割高な値段で購入する。まぁ、雰囲気代とでも思って納得しておこう。

 

「いいか? 今日は委員長の記念すべき初の夏祭りだ。障害となり得るものはあらゆる手段を使い、抹消しろ」

 

「Sir! Yes,sir!」

 

どうやらうちの学校の連中も来ているようだ。見慣れたやつを何人か見かけた。あいつら何やってんだろ。

 

「あっ、ねぇねぇ一夏!」

 

そんな中、まだ幼さの残る鈴の声が喧騒を掻き分けて響く。鈴は俺の腕をぐいぐいと引っ張り、あるものを指差した。

 

「あれやりましょうよ!」

 

鈴が指差したのは、超A級スナイパーのような渋い顔をしたねじり鉢巻のおっさん……ではなく、おっさんがやっている射的屋だった。

 

基本的にああいったものの景品は、取れそうで取れないという配置になっているのだが、だからこそ熱中してしまうのだ。

 

「わ、わー! お、おもしろそー! ねねねねぇ一夏さん! わわわた私あれとって欲しいなー!」

 

顔を赤くしてどもりながら、蘭が鈴とは反対側の俺の腕を掴んだ。なんか恥ずかしさを誤魔化すためにヤケ気味に叫んでいるように聞こえたな。俺といるのが恥ずかしいのかな……。

 

「ああ、いいぜ。って、お前らそんなに引っ張るなよってててててていた痛い痛い痛い」

 

二人に引かれて屋台の前まで移動したのだが、二人の手が腕に食い込んでやばい。そして二人の目もやばい。なんか二人の間に火花散ってる。怖い。

 

「……1人、500円6発だ」

 

おっさんが渋いフェイスによく似合う渋いヴォイスで厳かに告げる。なんだか後ろに立つと殺されそうだ。

 

「じゃ、じゃあ、とりあえず1人分……」

 

おっさんと両隣の二人の雰囲気に気圧されつつ、俺は500円玉をおっさんに渡した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっそぉぉぉっ!」

 

10分後、俺、鈴、蘭の3人の挑戦も虚しく、取れた景品は未だに0のままだった。ちなみに俺は2回挑戦した。

 

「うーん、毎回惜しい感じにはなるんだけどね」

 

ユウはそう言って、棚に鎮座する景品を眺めた。一応銃弾は当たるのだ。そしてぐらぐらと揺れる。しかし落ない。

 

あれ? これいけるんちゃう? ワンチャンあるんちゃう? なーんて思った結果がこれだよちくしょう。

 

「ふっ、どうやらここは俺の出番のようだな……」

 

そう言って一歩踏み出したのは、ニヒルな笑みを浮かべた弾だった。

 

弾は無駄のない動作で500円玉を財布から取り出し、親指で強く弾いた。ぴんっ、という情けない音と共に、500円玉は放物線を描き、おっさんの頭にこつんと当たった。500円玉は床に落ち、ちゃりーんという音が響く。おっさんは鋭い眼光で落ちた500円玉を捉え、拾い上げた。

 

「おっと、銃なら要らねぇ。自前のがあるからな」

 

そう言って弾が取り出したのは、黒い、2丁の拳銃だった。弾はそれを形容し難い独特な持ち方で両手に構えた。

 

「文句を言いたいのは分かるが、俺は臆病でね。他人の武器で戦えるほど、自信家でも楽天家でもないのさ」

 

まだ何も言ってねぇよ。そう言いたげな表情のまま、おっさんは黙って木製のコルクのような銃弾を6発、机の隅においてある木箱から取り出した。

 

っていうかなんでこいつは射的用の銃を持ち歩いてるんだろう。そんな疑問が湧き上がるが、同時に、(まぁ、弾だし)とも思ってしまう。

 

そんな俺の内心をよそに、弾は腕を十字にクロスさせ、規定の位置で目を閉じて何やら呟き始めた。

 

 

 

暗黒を暗躍する魔弾を装填(COUNT A NUMBER OF DEATH)

 

 

 

その直後、ぞわりとした気色の悪い感覚が俺を襲うと同時に、周囲の空気が明らかに変わった。

 

その様相はパンドラの箱を開けたが如く、まさしく阿鼻叫喚だった。

 

さっと顔を背ける者から、ヤメロー!ヤメロー!とのたうち回る者まで、反応は千差万別だったが、中でも最も異質な反応を示したのは、他でもない、射的屋のおっさんだった。

 

「……! エクセレント・ハウンド(黒鋼(くろがね)された猟犬)……だと……⁉」

 

おっさんはわなわなと震えながら、「バカな……黒歴史(あれ)は封印したはず……」などと渋い声でぶつぶつ呟いている。

 

「知っているのかおっさん!」

 

俺は訊ねずにはいられなかった。俺の問いに対し、おっさんは苦痛に耐えるように顔を歪めながらも口を開いた。

 

「……ある魔術師が所有していた、漆黒の二丁拳銃だ。装填される弾丸は「餓死させられた犬の霊」であり、目標に命中するまで疾走をやめない。 発射中はとある呪文を唱える必要がある」

 

「結構饒舌に喋るんだなおっさん。っていうか弾丸はアンタが出した木のやつだろ」

 

俺がおっさんのやけに詳しい解説を聞いている間にも、弾の呪文?は続いた。

 

我が身を以って鉛となし(COLLECT A NUMBER OF BODY)

 

文法があってるんだかよく分からない英文を口にする弾。多分意味もよくわかってないんだろうなぁ。

 

我が血を以って火薬となす(CURSE A NUMBER OF ALL)

 

だが、弾を覆う雰囲気は、いつものそれとは違っていた。

 

妖獣よ(now)

 

弾の両目がゆっくりと開かれる。今の弾なら、何かを起こす。

 

 

 

汝の疾走を(let'S)──」

 

 

 

そんな気がした。

 

 

 

「――歓迎する(start)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、さっきのボム兵すくいは焦ったぜ」

 

「ホントにね。もうちょっとで爆発するところだったし」

 

額をぬぐう俺に、ユウが嫌味っぽく言う。その絵画のように整った顔には笑みが浮かんでいた。自然と、俺の口元も綻んだのが分かった。どうやら楽しんでいただけたようでなによりです。

 

ユウにしては()()()、いつもの作り物めいた笑顔ではないことに、心底ほっとしている自分がいることに気づく。

 

彼女と話すようになってから、毎日のように同じような笑顔を見てきた。その笑みに付きまとって見えたのは途轍もない違和感。

 

例えるならば、それは仮面だった。1つの作品として計算されつくした、嘘くさい聖母のような笑顔を見る度に、俺は彼女が分からなくなった。

 

その仮面を剥がした時、そこにいるのは俺の知る八神優なのだろうか。いや、そもそも俺の知る八神優など最初から居なかったのではないか。ふとした瞬間、彼女が消えてしまうような、そんな不安がじわじわと俺の心を蝕む。

 

だが、

 

時折仮面の隙間から零す言葉に嘘は無い。正確には、彼女は自身の言葉に嘘をつかない。普段の会話の中でも、委員長としての職務を行う時にも、彼女は、自身がやると言ったことは必ずやってのける。その潔さに、淡い憧憬にも似た感情が首をもたげる。

 

時折仮面の隙間から覗かせる自然な笑みを目にする度、もう一度今の笑顔を見たい、どうすればあの笑顔を引き出せるのか、そんな欲求が湧き起こる。

 

周囲に頼られ、正しく優等生として在る彼女と、その裏に潜むまだ見ぬ彼女。どちらが本物なのか。もしかすると、優等生として振る舞うための仮面なのではないか。本当はそのレッテルを重荷に感じていて、でもそれを誰かに見せたくなくて、それを隠すために仮面を着けるのではないか。優等生という重圧から、彼女自身を守るための仮面。俺では彼女を守ることができないのだろうか。

 

思考を巡らせながら、気が付くと俺は、いつも彼女を目で追っていた。思えば、随分とユウのことを考える時間が増えたのではなかろうか。

 

気が付くと、俺はどうやら無意識のうちにじっとユウを見つめていたようで、「どうかした?」と、小さく首を傾げながら()()()()笑顔でユウが訊ねた。

 

「いや、なんでもない」

 

────彼女は今、何を考えているのだろうか。

 

 

 

 

射的の後、しばらくして、鈴は父親の店へと手伝いに行った。それから程なくして、明日も学校で補習があるという蘭と、その蘭に連れ立って弾が帰宅。無論、おバカが受ける方の補習ではなく、進学校特有のアレである。

 

とまぁそういうわけで、今ここには俺とユウの2人しかいない。ちなみに弾は景品を1つも取れなかった。

 

「さて、そろそろ祭りも終盤だな。鈴のとこには1回顔見せに行ったし、他にどっか行きたい場所とかってあるか?」

 

俺の問いに対し、ユウは周囲をきょろきょろと見回した。

 

「とは言っても、もう結構回っちゃったし……」

 

そうだな、と俺は頷き、ユウに倣って周囲の屋台を眺める。

 

『おい、お前今委員長をナンパしようとしただろ』

 

『ウェイ!? ウェーイウェ『問答など要らん。消せ』

 

なんだかうちの学校の生徒っぽいやつらが、髪をギンギラギンにさりげなくしてるチンピラ風のやつらを物陰に引きずって行くのが見えた気がした。なるほど、これが世に言う気のせいってやつだな。

 

「ねぇ一夏くん、あれ何かな?」

 

ユウの声に引かれるように、身体ごと振り返る。ユウの視線を追うと、そこにあったのは屋台とは別の、もっと大掛かりなもの。付近には列もついている。

 

「よし、とりあえず行ってみるか」

 

俺は特に深く考えずに、ユウと共にその列の最後尾を探した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後悔。

 

例えば、テストの解答でネタに走ったものの、周囲は思いのほか真面目に解いていた時。例えば、教室を掃除した後、ごみ箱の中身をゴミ捨て場に持っていく人間をじゃんけんで決めようと自分が言ってしまった時。後悔とは得てして遅れてやってくる。後悔先に立たずというやつである。そもそも後悔とは『後に悔いる』と書くのだから、行為前にしてしまってはそれは後悔とは呼べな「はい次の方ー」

 

女性スタッフのやる気のない声が俺を現実へと引き戻す。どうやら今この瞬間、俺達が列の先頭となっているようだ。

 

「2名様でよろしいですかー?」

 

「はい」

 

間延びしたスタッフの声に、ユウが頷く。俺はちらりと、脇にある看板に視線を向けた。

 

 

『お化け屋敷』

 

 

そう、これが俺たちがホイホイと並んじゃった列の正体だったのだ。好奇心を利用した心理トラップ……なんて巧妙な手口なんだ……!

 

「えと、一夏くん、大丈夫?」

 

ユウが俺を心配そうに見つめる。はははこいつぅ~、さては俺をバカにしてるなぁ~?

 

「だだだだだいじょぶぅにきまてるじゃーんおいおいまさか俺がびびびびびる大木ってるとでも言いたいのかい!」

 

おっと、あまりの余裕っぷりについ呼吸を忘れる勢いで早口になってしまった。俺ってば余裕過ぎ。

 

「いや、でもさっきから顔色悪いし、足がっくがくだよ?」

 

「おおおおいおいおいこいつぁタップダンスと仰ってだな別にここっここここここわがってるとかそういうんとちゃいまっせ」

 

顔色についてはあれだ。俺あれだから。最近流行りのゾンビ系男子目指してるから。だからアレだから。

 

「でも……」

 

「あ、すいませんけど後がつかえてるんでー」

 

何か言いかけたユウの口を、気だるげなスタッフの言葉が閉ざす。

 

いいぜ、お化けなんてこの俺が成仏させてやんよ! 寺に生まれたかったと後悔するぜ! 俺が!

 

俺達は押し出されるように、目の前で大きく咢を開けた深く暗い深淵(OBAKE YASHIKI)へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこは黒だった。ただひたすらに広がる黒。視界を塗りつぶし、輪郭を奪い去り、あらゆるものがそこに沈む。手元すらおぼつかない暗闇の中、俺自身、どこにいるかすら分からなかった。

 

「一夏くん、まだ何も出てきてないし、薄暗いけど一応道くらいは見えるから。だから目を開けても大丈夫だよ」

 

呆れ気味のユウの声。すぐ近くから聞こえるということは……すぐ近くにいるということだ。

 

「いや、これはあれだ。俺が目を閉じているのはだな、心頭滅却すればおばけもまた怖くなしという教えを実践するべく精神統一をだな」

 

「あ、やっぱり怖いの?」

 

(しまった────ッ!)

 

ユウの素朴な呟きに、俺は自身の失言を悟った。いや、だがまだセーフだ。ここからどう切り返すかが重要!

 

ふぅー、落ち着け、俺はやればできる子。やればできる子なのだ。

 

「べっべべ別にっここここここわjrふぁkんろいあんfヴぃあみれ」

 

「あー、うん、わかった。わかったから一旦落ち着こう? ね?」

 

ユウが宥めるような声音で俺を宥める。そのまんまだな。

 

だがどうやら誤解は解けたようだ。まったく、俺がびびびびビッドレッドでオペレーションだなんて勘違いにもほどがあるぜ。

 

と、ここでユウが俺のすぐ近くで立ち止まった。気配で分かるぜ。

 

「……目を開けるつもりはさらさら無いみたいだね」

 

ユウの口から呆れたようなため息が1つ漏れる。な、なにをしようってんだ! まま、まさか俺を置いていくつもりじゃないだろうな⁉ 泣くぞ! 恥も外聞もなく泣くぞ!

 

 

 

ぎゅっ

 

 

 

そんな効果音とともに、俺の手を温かい何かが包んだ。人の手だ。そう認識するのに自分でも驚くほど時間がかかった。

 

っていうかすべすべしとるで。めっちゃすべすべしとるで。しかもめっちゃ柔らかいぜよ。あったかやわらかですっべすべだぎゃー。

 

なんか気持ち良すぎて、「おふぅ」とかいう気持ち悪いため息が零れた。誰のだ? 俺のか。

 

「目を瞑ったまま歩いてたら危ないでしょ?」

 

そう言って、ユウは微笑んだ……気がした。気配で分かる……気がする。それはそうと温かいナリー。

 

ユウの体温を感じながら、俺は心臓が高鳴ると同時に、不思議と落ち着いていくのが分かった。例えるなら食後にお茶を飲んだような感覚だ。

 

まぁ、別に全然びびってなどいないが、ここは礼を言っておくべきだろう。

 

「ああ、ありがt「ウバッシャアアアアアアアアアア!」

 

突然鼓膜に叩き付けられた奇声に、思わず驚いて目を開ける。

 

 

開けて、しまった──。

 

 

俺の目の前には、天井からぶら下がるプレデターのような謎の異形。

 

目が合った。そりゃあもうばっちりと。

 

「あ、あああ、あばばばばっばばっばばばばば」

 

「一夏くん⁉ しっかりして一夏くん!」

 

「キシャアアアアア!」

 

「ひぎぃっ⁉ ひぃぃぁあぁぁぁぁ!」

 

「ちょっ、一夏くん、そんな強く抱き着かれると苦しい……!」

 

「1枚、2枚、3枚……ダーッ!」

 

「うああああああああああああああああああ! もうやだああああ!」

 

「う、うるさ……」

 

「ウホッ」

 

「あああああああああああああああああアッー!」

 

 

 

 

 

「────うるせぇッ!」

 

 

 

 

首筋に鋭い衝撃を受け、俺は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『目を覚ますだよ』

『……?』

『おらさおめぇを召喚(そーかん)した神だっぺ』

『かみ……』

『おめえさ、力が欲しか──?』

『────んだ。欲すい』

 

 

 

「………………はっ」

 

深く埋没していた意識が急速に覚醒する。どうやら眠っていたらしい。濃紺の空で、星々がまばらに輝いている。

 

「うーん……俺は今まで何を……」

 

とりあえず状況を把握しようと、意識が飛んだ前後のことを思い出そうとした時だった。

 

「あ、目が覚めた?」

 

ふっ、と俺の顔の上に影が差す。そこにはユウの顔があった。覗き込むようにしてこちらを見るユウと目が合う。え、なんでユウの顔が俺の上にあるんです?

 

なんとなく、視線を横へ逸らしてみる。視界いっぱいに広がるユウの着ていたワンピース。というか枕が妙にあったかいんだが? あとなんかいい匂いがするんだが? だんだん状況が見えてきたんだが?

 

これはそう、俗にいうHIZA-MAKURAというやつではなかろうか。

 

周囲を見回す。祭りの喧騒は遥か後方。どうやらベンチなどが置いてある休憩スペース的な場所らしい。というか俺達が今いる場所こそがまさにベンチだ。

 

「…………………………………………」

 

熟考することしばし。俺は完全に現状を把握した。

 

「ごごごごっごごめん! すぐどく!」

 

叫びながら、俺は半身を電光石火と呼んでも差し支えないとまでは言えないまでもとにかく出しうる全速力で起こした。

 

「っていった⁉」

 

その拍子に首筋に走る激痛。一体何があったんだ?

 

俺が首筋を抑えていると、ユウの手がやんわりと俺の身体に添えられた。そのままそっと再び俺を寝かせるユウ。柔らかいユウの太ももの感触がわっしょいわっしょい。

 

「駄目だよ、安静にしてなきゃ」

 

そう言ってやわらかく微笑むユウ。

 

「なぁ、俺はなんで寝てたんだ?」

 

俺の問いに、ユウはやや思案顔になり、やがて饒舌に説明しだした。

 

「一夏くんはね、転んじゃったんだよ。誰かが捨てたバナナの皮でね。その時にどうも打ちどころが悪かったらしくてそのまま意識を失ったみたいだったから、ここまで運んで寝かせてたってわけ。ホントだよ?」

 

「な、なるほど」

 

よくわからんがそうらしい。きっと嘘ではない。そうに違いない。

 

その時、どこからか間の抜けた音がしたかと思うと、今度は心臓に響く大きな音と共に夜空が明るく照らされた。

 

「花火……」

 

どちらともなく小さく呟く。俺達の視線は、遠く空へと伸びていた。

 

1発、2発と、大輪が咲き誇る度に、俺達の姿が暗闇から切り取られる。

 

「なぁ、ユウ」

 

なんとなく、特に意識したわけでもなく、口から言葉が零れ落ちる。

 

「来年も、再来年も、また、一緒に見られるといいな」

 

すぐ近くにユウの温度を感じながら、力を抜き、身を委ねる。

 

生温い風が吹いた。撫でられた俺の髪が軽く目にかかる。ユウは繊細な手つきで、乱れた俺の髪を梳いていく。誰かに手櫛で髪を梳かれるという、慣れない事に妙なくすぐったさを感じながら、ちらりとユウを見た。

 

ユウはその瞳に優しげな色を湛えていた。その表情に、思わず見入ってしまう。

 

「うん、そうだね」

 

そう口にしたユウの表情は、花火なんて霞んでしまうほど、綺麗な笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2 短編『ある晴れた日のこと、魔法以上の愉快が降り注いじゃって俺にはもうどうすることもできない』

 

【※皆さんの一夏のイメージを木端微塵に吹き飛ばします。ご注意ください。あとこの話は中学1年生の春頃だと思ってください。とにかく幼い一夏を想像してください。】

 

 

俺、織斑一夏はとある飲食店でバイトをしている。年齢? そんなものは誤魔化した。特別発育が良いというわけではない俺でも誤魔化せてしまうあたり、これからの日本が心配になる。なんて、ちょっと大人ぶった心配をしてみる。

 

「よっ、おつかれ!」

 

帰り支度をしていると、不意に背後から軽い調子で声がかかる。

 

「あっ、お疲れ様です。先輩」

 

振り返ると、そこにいたのはバイト先の先輩だった。そういえばシフト被ってたな……。

 

シフト表を思い出しつつ、茶色に染められ、整髪料でくちゃくちゃしている見るからにチャラそうな先輩の髪を見ながら次の言葉を待つ。呼び止めたからには何かしら用事があるのだろう。

 

先輩は薄っぺらい笑みを浮かべ、くちゃくちゃな茶髪をくるくると指で弄んだ。

 

「いやぁ、実はちょっと聞きたいことがあるんだけどぉ、一夏くんさぁ、中学生だよね」

 

……Oh,really?

 

バレてました。疑問形じゃないあたり、とっくの昔にバレてたのだろう。

 

ふぅ、やれやれ。俺の土下座の出番ってわけかい。

 

とりあえず他言しないようにお願いするべく、俺は土下座のモーションに入った。

 

DOGEZA────それは日本に古来より伝わr「あー、いや、別に誰かに言いふらそうっつぅわけじゃねぇんだわ」

 

あ、マジすか。

 

「……まぁたしかに俺は中学生ですけど、それがどうかしたんですか?」

 

もはや開き直りである。言いふらされないんだろ? もうなにも怖くない。

 

先輩の薄っぺらい笑顔をじとっと見つめていると、なにやら「声も低いわけじゃないし、体格もどっちかっていうと細め……うん、いけるな」などとぶつぶつ呟いている。なんだこいつ、ホモか。

 

ホモ先輩はケータイを見つめ、何やら確認すると、そこでようやく口を開いた。

 

「一夏くんさぁ、ちょっと俺の知り合いの店にヘルプで入ってくれない? 今度の土曜、1回だけでいいからさぁ」

 

……うん? それだけ?

 

俺はやや拍子抜けしつつも、まぁその程度なら、と、とりあえず頷いておいた。

 

「それくらいなら全然大丈夫ですけど……。そのお店ってなんのお店なんですか?」

 

「あぁ、それは────────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バイト先からの帰路。

 

煌々と光を放つ街灯とは裏腹に、細々とした光で控えめに自己主張する星空の下。俺は今日言われたことを思い出しながらのんびりと歩いていた。

 

「はぁ……ちょっとめんどくさいことになったなぁ」

 

思い出していたのは、当然先輩から頼まれたヘルプの件だ。なんだかんだ引き受けることにはなったのだが……。

 

「ま、うだうだ言ってても仕方ないな」

 

少しして、ようやく我が家が見えてきた。だが、いつもと様子が違う。俺は自分の家を見て、何か違和感を覚えていた。といっても、その違和感の正体に気づくのにそう時間はかからなかった。

 

「……あ、明り」

 

そう、家の中から明りが漏れていたのだ。普段俺が家に帰るころには誰も居ない。まぁ、だからこそバイトをしていてもバレないという利点があるのも確かだ。

 

「帰ってきてるのか。連絡くらい寄こしてくれればいいのに」

 

あまり中にいる人物を待たせるのも悪いと思い、俺は目の前の扉を開けた。

 

「ただいま」

 

ガチャっという妙な重さを感じさせる音と共に玄関へ足を踏み入れる。直後、何やら刺激的で不思議な香りが鼻孔を殴打した。……何だろう、もしかして気のせいかな。

 

「一夏か、遅かったな」

 

リビングの方から、ドア越しにくぐもった声が聞こえる。ああ、この声は間違いない。

 

俺は一抹の嬉しさと、『やっべこの時間に帰った言い訳どーすっかな、バイトについてもバレるとまずいなー』という僅かな不安を抱えながらリビングへと入った。

 

「やっぱり千冬姉か。珍しいな、帰ってきてるなんて」

 

「まぁ、今日は珍しく暇を貰えたからな。とはいえ、明日はまた朝から出かけることになっているが」

 

織斑千冬。俺の姉であり、世界一のIS操縦者でもある。今の職業は知らない。もしかして無職? いや、ないか。

 

千冬姉は仕事が早く終わって嬉しいのか、いつもより機嫌が良さそうだ。

 

「さて、こんな時間まで何をしていたと聞きたいところだが、これは私の監督不行き届きでもある。それに時間も頃合いだ。まずは食事にしよう」

 

ほらきた! 勝った! 俺の読みに間違いはなかった!……って食事?

 

「えっ、食事って……まさか千冬姉が作ったのか⁉」

 

俺は叫びにも近い声を上げていた。

 

あの千冬姉が、料理? その辺の脳筋よりもよっぽど脳筋な千冬姉が、料理?

 

今思えば、料理は基本俺の担当だったし、千冬姉が料理を作ったことなど一度も無かった。一体どんな料理が出てくるんだ……!

 

やがて、千冬姉がキッチンから姿を現す。瞬間、玄関で感じた匂いがひときわ強くその存在を主張し始める。まるでリビングが瘴気で覆われたかのように、目を開けているのも辛くなる。辛うじて目を凝らすと、こちらへゆっくりと歩いてくる千冬姉の手には、大皿に乗った、玉虫色をした蠢く未確認物体が堂々と居座っていた。

 

「ふむ、調理してもなお動き続けるとは、今回は奮発して新鮮な食材を買ってみただけのことはある。何せ『産地直送』と書いてあったからな」

 

違う! それ違う! 読み方一緒だけどそれ多分違う! SAN値の間違いじゃないかな!

 

「今思えば、料理など中学の調理実習以来か。美味くできたかどうかは分からないが……いつも一夏には家のことを任せっきりだからな。たまには、その……」

 

クソがッ! そんなこと言われたら男として食べないわけにはいかねぇだろ……!

 

俺は意を決して、改めて千冬姉の作ったソレと対峙する。ぐっと目を開き、まずは敵状視察から始める。

 

「ところで千冬姉、味見はした?」

 

そう、これね。これ重要。だいたい世のメシマズキャラってのは味見してない連中が多すぎる。そして被害にあうのは大体男なんだ。まったくこれだから味見の重要性が分からないやつは「したぞ」

 

「うーん、そっか。ところで千冬姉、味見はした?」

 

「おい」

 

そう、これね。これ重要。だいたい世のメシマズキャラってのは味見してない連中が「だからしたと言っているだろう」

 

うそやん! 絶対うそやん! っていうかこんなん喰ってその口が無事なわけねーだろ! ふざけんな!

 

と、ここでふと考える。

 

ちょっと待て。味見はしたと。そして千冬姉は生きてると。つまりこれって、見た目はゲテいけど味は美味いフラグじゃね?

 

改めて、物体Xを観察する。

 

んー、しかし味を確かめながら調理をして、果たしてこの見た目に辿り着くのか……?

 

念のため臭いを少し嗅いでみる。

 

くんくん、ふむふむ、なるほどなるほど。

 

「これが料理? ハハッワロス

 

と、飛び出しかけた言葉をぐっと飲み込む。

 

俺は黙っておくことにした。言わぬが花、というやつだろう。見え見えどころか『ここですよ!』と叫んでいるかのような地雷にルパンダイブをかますほど、俺はバカではないのだ」

 

「さて、全て口から出ているわけだが? ものの見事に華麗なルパンダイブをかましたわけだが?」

 

「いやぁ、これはやってしまいましたね一夏選手。なんとか無かったことにはならないのでしょうか。解説の千冬さん?」

 

「無理でしょうね」

 

数分後、バツとして千冬姉の作った料理(などと決して呼びたくはないがこれ以上余計なことを言うと俺が物理的に産地直送されるのでこれは料理)を全て食べさせられてお花畑へフライアウェイすることとなる。

 

結論:世界王者は腕っ節だけではなく味覚もいろんな意味ですごい。あと理不尽。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【土曜日】

 

 

予定より少し早い時間。俺は先輩に指定された店の前に辿り着いた。

 

レンガ作りっぽい壁などの西洋チックな外観、本日の日替わりメニューなどが書いてある、入り口付近に置いてある小さい黒板的な何か。

 

いたって普通の喫茶店だが、それでもどこかアングラっぽい雰囲気を醸し出していた。いや、初めて来た所だから俺が勝手に感じているだけかもしれない。

 

「よし、入るか」

 

俺は意を決して、一歩踏み出し、扉に手をかける。気のせいか、その扉はやたらと重く感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「「おかえりなさいませ! ご主人様☆」」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

くぅ~やられましたwこれは脅迫です。実は、年齢詐称したらそれがばれたのが始まりでした。本当は今日来たくなど無かったのですが←

 

はい、というわけでね、やってきましたメイド喫茶。

 

そう、何を隠そう今日の俺の職場である。

 

途中で気づけば良かったのだが、頷いてしまったが最後、断れば年齢詐称バラすよってね。もうね、ホント何なんだよ……。

 

現状を嘆くのもそこそこに、俺はきょろきょろと周囲を見渡した。とりあえず責任者的な人に話を聞かねばどうにもならない。

 

しかし店内を見れば見るほど自分がひどく場違いに思えて、一層居心地が悪くなる。なんか知らんけど料理をあーんしていたり、なんか知らんけどおいしくなるおまじないをキンキンした声で言っていたり、なんか知らんけどオムライスにケチャップでお絵かきしていたり、なんか知らんけど本当に俺がこの店にいていいのか?

 

「……帰ろうかな」

 

ぼそっと、そう呟いたその時。

 

「おや? もしかして君が一夏くんかい?」

 

そう言いながら店の奥から出てきたのは、浅黒く焼かれた肌に、張り詰めた筋肉、短くつんつんとした黒髪という、絵に描いたようなスポーツマンといった風貌の男性だった。1つ特異な点を挙げるとすれば、フリフリしたメイド服を着ている点だろう。筋肉に押し上げられたメイド服が張り裂けそうだ。パッツンパッツンだ。

 

「それじゃあ、ちょっと奥まで来てくれ。君の仕事について説明するから」

 

ニカっと笑いながら、筋肉メイドは店の奥を親指で指し示す。俺は一抹どころか今世紀最大の不安を覚えながらも、こくこくと頷き、ホイホイとついていってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インフィニットストラトスの登場により、女尊男卑の傾向が強まる昨今。メイド喫茶というビジネスの需要拡大は留まるところを知らず、まさに黄金期と言っても過言ではない。一見すると、現代の女尊男卑社会の中で、このような事業が成功するとは考え難い。当然今の女性にとって男をたてて云々などという考えは有り得ないし、このての店に通う男を軽蔑する女性だって数多くいる。しかし現にこうして、メイド喫茶ビジネスが成功しているのにはちゃんとした理由がある。

 

職場や家庭をはじめ、交通機関や公共の場でも女性の発言力は増している。といっても、大半の女性は心の中で無意識的(ナチュラル)に見下す程度で、実際に男性に対して目に見えて横柄な態度をとったりするのは凡そ3~4割といったところ。

 

ではなぜ『女尊男卑の社会』とまで言われるほどになったのか。それは、その『3~4割』に中てられた世の男達が次第に卑屈になっていったからだ。特にIS世界大会の初代世界王者が日本から出たと知れたときの彼女らの狂喜乱舞っぷりはニュースにも取り上げられたほどで、まるで優勝が自分たちの手柄であるかのように騒ぎ立て、最終的には「やはり今の世界の主役は女性で今後の日本社会は女性が中心となって云々」とかいう『女性地位向上デモ』にまで発展した。

 

ちなみにこのデモ、件の世界王者による「別にお前らがISに乗れるってわけじゃねーのに偉そうなこと言ってんじゃねぇカス共(要約)」という演説によって一瞬で鎮火。傍から見ればこのデモの参加者は、世界王者の功績にたかるハイエナ、虎の威を借る狐状態の醜い性根を全国に見せつけただけに終わった。しかしその後もこびりついた思想は拭いきれず、なりを潜めてはいるが未だステレオタイプな女性至上主義者は後を絶たない。

 

ただまぁ、他人のふり見てわがふり直せとはよく言ったもので、このデモの経緯を見て多くの女性はドン引き。ああはなるまいと、結果として男性をむやみやたらに貶める女性は少数派に落ち着いたものの、その時には既に多くの男性達のプライドはズタズタにされていた。中には女性不信、女性恐怖症に陥ったケースもあったという。

 

そんな状況で一際注目を集めたのは、他ならぬこの『メイド喫茶』だった。家では妻に遠慮し、職場では女性の同僚や上司に怯え、いびられ、心身ともに卑屈になり疲弊した男性達にとって、『女の子が首を垂れ、奉仕する』というサービスの存在は、まさしく青天の霹靂だった。

 

こうして全国規模の需要を獲得し、今や莫大な富が動く巨大な市場と化したのだった。

 

 

 

「それで、俺は何をしたらいいんですか?」

 

事務室のような部屋の中。簡素なデスクやパソコンなど、店内とは打って変わって無駄のない内装に囲まれながら、俺と店長(?)は向かい合っていた。

 

まぁわざわざ訊ねておいて何だが、俺の業務内容についてはある程度察しがついている。ここはメイド喫茶だ。従業員はほぼ女性。しかしそれでは男手が必要な作業ではどうしても人材が不足する。恐らく今日はその貴重な男性従業員が休んでしまったのか、あるいは辞めてしまったため、俺がこうして手伝いとして入っているのだろう。

 

つまり、何かしらの力仕事、あるいは食器洗いなどの雑務が俺の今日の仕事だ。

 

「とりあえず一夏くん、君には今日これから夕方まで入ってもらう。休憩のタイミングやその他詳細はそこのシフト表を見てくれ」

 

そう言って店長(?)は壁にかかったシフト表を指さした。そして先程のようにニカっと眩しい笑顔を浮かべ、今度は自分自身の上半身へと、太くごつごつとした親指を向けた。

 

 

 

 

 

 

「というわけで、一夏くんにもこいつを着てもらおうか」

 

 

 

 

 

 

「ちょっと何言ってるかわかんないです」

 

「ハハッ、もしかして最近流行りの難聴系男子かい? そんなことばっかりやってると女の子に怒られちゃうぞ?」

 

「そういう忠告いらないです。っていうかそうじゃなくて」

 

「あっ、もしかして照れてるのかい? そいつぁいけないな。男は度胸。Don't be shy.」

 

「うるせえよ」

 

なんかすっげぇいい笑顔でDon't be shyとか言われたんだけど。ちょっとイラッと来るんだけど。

 

「というかちょっと待ってください。そもそも俺男なんですよ?」

 

店長(?)は「ふむ……」とあごに手をやり、何やら考え始める。やがて、何かしらの結論に至ったのか、真剣味を帯びた目で俺を見据えた。

 

「だが、俺も男だ」

 

「知ってるよ。だから困惑しまくった挙句今回はあえてノータッチでいこうっていう結論に達したんだよ」

 

しかしこの男、良い目をしているな……いや、あんまりそういう目で見られても困るんですけど。マジで。っていうかそんなキラキラに満ち溢れた目で俺を見るな。

 

俺が本気で帰ろうかと考えていると、店長は指を3つ、ピシッと上に向けた。

 

「ちなみに時給は3割増なんだが?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お帰りなさいませ! ご主人様☆」※一夏です

 

まぁ釣られたよね。ものの見事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【同日・16:00】

 

(だいぶ客足も落ち着いてきたな……)

 

カツラ(エクステとかいうらしい)を被り化粧を施し「はい、あーん♪」とか、「おいしくなぁれ☆」とか言ってるうちに、ようやくピークを過ぎたころ。徐々に仕事にも慣れ始め、精神的にも余裕が出てきたためか、俺はある程度自分の状況を冷静に考え始めていた。

 

(もしかしなくても、この状況で知り合いと会うと非常にまずい……!)

 

フリルのスカートをつまみながら、ふと考える。知り合い(♂)が、メイド服を着て、おかえりなさいませ☆、である。

 

万が一家族や友人に見られようものならば秒速340mで豆腐の角にぶつかりに行くことも辞さないレベルである。

 

だがまぁ、単純に考えてその可能性は限りなく低いと言える。

 

まず家族。

 

俺の家族は千冬姉ただ1人。そして今日、千冬姉は朝から家にいなかった。恐らく仕事だろう。何の仕事かは知らないけど。というかあの人がこういう系統の店に来るとは思えない。よって遭遇確率はほぼゼロ。

 

次に友人。

 

忘れてはならないのが、俺がまだ中学生だということ。俺の同級生や学校関係の知り合いがこの手の店に来るわけがない。余程の変態じゃない限り、中学生からメイド喫茶に客として来ることなどそうそうない、はず。

 

まぁあとはバイト関連の知り合いが来るかもしれないが、それに関しては既に先輩を通して何人かは(俺の年齢以外についての)粗方の事情を知っている。恥ずかしいことには変わりはないが、変に誤解されて妙な噂になったりするよりはマシだ。

 

というわけで、誰かに見られるという点に関してはあまり心配は要らない、はず。

 

しかしなぜか、俺の胸中には正体不明の不安が渦巻いていた。

 

(……いやいや、大丈夫。大丈夫なはず。とりあえず今は仕事に集中しよう)

 

ピークは過ぎたとは言え、疎らではあるがチラホラと客の姿が見える。今はぐだぐだ悩むべき時間ではない。金を貰う以上はきちんと働かなければ。思考を切り替える俺の耳に、高いベルの音が響く。入り口のドアが開いた、つまり客が来たのだ。

 

俺は入り口付近へ移動し、さっと頭を下げた。

 

「おかえりなさいませ、ごしゅ、じん……さ……」

 

顔を上げると同時に、俺は自身の声が尻すぼみになっていくのが分かった。

 

(うそやん……?)

 

真っ先に視界に飛び込んできたのは、長めの赤い髪と黒いヘアバンド。もうここまで言えば分かるだろう。しかし俺は目の前の現実を認めなくなかったのか、頭の上からつま先までマジマジとその男を観察してしまった。おお、なんだか見続けているうちに別人のような気がしてきたぞ? 別人じゃね? 別人だわこれ。

 

俺の熱い視線に気づいたのか、目の前の客はニヒルな笑いを浮かべた。

 

「ふっ、見惚れているのかい? まぁ、俺のあまりの美しさには仕方のないことだ。俺の美しさはまさしく神が与えし大罪」

 

あっ、これは無理。一気に現実に引き戻されたわ。逃避しきれねぇわ。

 

この男は紛うこと無き俺の友人。五反田弾であった。

 

(そうだった。こいつは『余程の変態』だった)

 

俺は自身の想定の甘さを反省しつつ、必死に営業スマイルを作る。とにかく今はバレる前にこいつをやり過ごそう。

 

「それではこちらへ──」

 

今日何度も口にした定型句と共に、弾を座席へと連れていく。

 

何事もなく弾を座らせ、俺の正体がばれる前に他のスタッフに押し付けようとした、その時だった。

 

「そういえば、一夏たんはいつからここで働いてるんだ? 今日初めて見たんだが」

 

アッカアアアアアアアアアアン! バレとるがな! 名前バレとるがな!

 

一瞬にして俺の脳内から冷静の2文字がフライアウェイする。やばいよやばいよ~マジやばいよ~。

 

というかそもそもなぜバレた?

 

「えっと、なんで、名前……」

 

そう思った直後、気づいたら口に出していた。対する弾は、徐に俺の胸元へ手を伸ばす。え、ちょ、こいついきなり何を……っ!?

 

思わず胸元を手でかばうような仕草をする俺に、弾は何でもないように言い放った。

 

「ネームプレートに書いてあるだろ」

 

弾は俺の胸元についたネームプレートを指していた。

 

(……うあああああああああああああ! なにこれすっげぇ恥ずかしいいいいいいいいいいいい!)

 

「それにしても奇遇だな一夏たん。実は俺のマブダチの真名も一夏っていうんだぜ」

 

何やら昭和と邪気眼が共存するおかしな言い回しをしていたりナチュラルにたん付けされたりしていた気がするが、あまりの恥ずかしさにまったく頭に入ってこなかった。

 

え、なに、ちょっと待って何今の勘違い俺何やってんの何胸触られんの避けようとしてんのヤバい今のは恥ずかしすぎるマジ消え去りたいんですけど。

 

顔が熱い。耳まで羞恥に染まったのが自分でもよく分かる。

 

よし、落ち着こう。そうだ、俺は今、メイドなのだ。女性という設定なのだ。ならば女性的な仕草をしたとしても何ら不思議ではない。そうだ、ちょっと役に入り込みすぎたな。まあプロフェッショナルたるもの常に手を抜かないもんだ。

 

徐々に冷静さを取り戻す俺の脳。とりあえず正体がバレたというわけではなさそうだということは分かった。一方で、俺の目の前の男は何やら「ふむふむ、なるほど、これがフラグか……」などと呟いている。

 

……? 俺がトリップしている間に何があった?

 

何が何やら分からないまま、弾はきりっと俺を見つめ、ぱちんと指を鳴らし、その指を真っ直ぐ俺へと向けた。

 

子猫ちゃん(キャッツ)、さては俺に惚れたな?」

 

「は?」

 

反射的に口をついて出た。接客としてはアウトだが、我ながらこの場に最も即したリアクションだったと思う。というか何言ってんだコイツ。

 

「皆まで言わなくても、俺には分かるぜ子猫ちゃん(キャッツ)。朱く染まったその頬が全てをものがつ……物語っているぜ?」

 

ふっ、と、何やら少女漫画チックな笑みを浮かべる弾。キャッツって何。というか噛んでんじゃねえよ。

 

しっかしどうしてくれようかこの男。とりあえずさっきの妄言は断固として否定しておかねば。

 

「あー、いや、これは惚れたとかそういうんじゃな「照れるな照れるな。俺に惹かれるのは仕方のないことだ。なにせ俺だからな。だから隠さなくたっていいんだぜ?」

 

おおっとこれは予想外。否認すらさせてもらえないとは。

 

(……なんかもうめんどくさくなってきたな。さっさと注文聞いて適当にリリースしよう)

 

そう考えた俺が行動に移す間もなく、

 

「───ハッ、まさか!」

 

目の前の男は何かに気付いたらしく、カッと目を見開いた。もしや勘違いに気づいたか?

 

しかし俺のそんな期待はあっけなく吹き飛ばされる。

 

「そうか、俺と一夏たんは主人とメイド。すなわち決して結ばれてはならない禁断の恋……! だから一夏たんはあの時……」

 

おい、俺がなんか伏線を張ってたみたいな言い方やめろ。俺が何したってんだ。あの時っていつだよ。

 

弾の脳内シナリオに完全に置いてきぼりな俺。弾はそんな俺を気に留めず「オウ、ジーザス! 神は俺に試練を与えたもうた……」などと呟きながらポーズを決めている。

 

そして続けざまに俺の方へ向き直り、ぎゅっと俺の肩を両手で掴んだ。

 

「だが安心してくれ一夏たん。たとえ神が俺達を引き裂こうとも、俺は君を離さない」

 

いや離せ。まずは俺の肩から手を離せ。

 

俺の願いが届いたのかどうかは知らないが、弾は俺の返事を待たずに席を立つと、「マスター! 頼みがある!」と叫びながら店の奥へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「というわけで、俺もメイドになるぜ!」

 

そう言って朗らかに笑う弾は、なぜかメイド服を着ていた。後ろの方で店長がとてもいい笑顔でサムズアップしている。駄目だ、理解が追い付かん。

 

「あの、それは一体……」

 

なんとか営業スマイルを作り、訊ねる。しかしもはや表情筋は限界を迎えており、引きつった笑みになっているのが分かる。俺の弱弱しい問いに対し、弾はこれでもかと言うほどのドヤ顔を浮かべた。

 

「ふっ、身分の差が俺達の間に立ちふさがるというのなら、そのふざけた幻想をぶち殺せばいいのさ。しかしさすがは俺様。まさかメイド服すらも完璧に着こなしてしまうとは。我ながら末恐ろしいぜ……」

 

「は、はぁ……」

 

末とかじゃなくて現在進行形で俺はお前が恐ろしい。ちなみに弾は化粧等の細工を一切施しておらず、店長同様男臭さ全開である。

 

「さあ! これで問題は無くなった! 一夏たん、俺と共にいざ無限の彼方へ──」

 

弾が叫び、飛び込んでおいで!とでも言わんばかりにその両腕を広げた、その時だった。

 

 

 

 

「おい、そこの貴様」

 

 

 

 

凛々しさと鋭さを兼ね備えたような声と共に、ガシッと、弾の頭が鷲掴みにされる。突如として現れた介入者に一瞬驚いた表情を見せる弾だったが、すぐさまいつもの調子を取り戻し────

 

「おいおい、俺と一夏たんの恋路を邪魔するものはたとえ神であろうと容赦しなっ────」

 

────そのまま姿が掻き消えた。そして刹那の後に響く「ぎっぷりゅ!」とかいう気色悪い悲鳴と轟く破壊音。少し離れたところにある壁に、大穴がぽっかりとその口を開けていた。少し傾きかけた日の光が眩しいぜ。

 

(──ああ、ぶん投げられたのか)

 

恐らく弾の頭を掴んだまま投げ飛ばしたのだろう。そこまで理解するのに数秒かかった。というかこんな芸当できるなんてただもんじゃねぇ。

 

一体だれがこんなことをしたのかと、視線を先程まで弾がいたところへ向ける。そこに居たのは、本日2度目の『想定外』だった。

 

「ふん、私の一夏に手を出そうなど、それこそたとえ神であろうと容赦できんな」

 

弾が飛んだと思われる方向を睨み付け、呟く黒髪の女性。

 

「おいいちk……こほん、そこのメイド。怪我は無いか?」

 

「……千冬姉?」

 

そう、我が実の姉、織斑千冬である。その武人のような佇まいは見間違いようもない。

 

しかし当の千冬姉は柔らかい笑みを浮かべ、ゆっくりと首を振った。

 

「ふっ、なんのことだ? 今の私はただの客だ」

 

(……! まさか千冬姉、俺のために気付かないふりをしてくれているのか! でもそんなことされても恥ずかしいもんは恥ずかしいぜ!)

 

姉の気遣いに嬉しさと恥ずかしさを覚える俺。というかそもそもなんで千冬姉がこんなところに……。

 

なんて思ったその時だった。

 

 

 

 

 

ガシッ!!!!

 

 

 

 

 

……おや?

 

何かと思えば、千冬姉の手が俺の腰に回されているというか、最早がっちり掴んでいるではないか。

 

「さて、ここはメイド喫茶で、貴様はメイドだろう? ならばとことんご奉仕してもらおうじゃないか」

 

そう言って鼻息を荒げる千冬お姉さま。おっとこれは? もしやピンチ? というかこの店に来たのはまさかこのため? っていうか店長助けろ! なんで何もしねえんだよ!

 

疑問が浮上する。その瞬間、連鎖的に次々と俺の脳内を不審点が埋め尽くす。

 

(ちょっと待て! そもそも千冬姉は()()()()()()()()()!?)

 

この店のドアにはベルが取り付けられており、客が入店した時にはすぐに分かるようになっている。しかし先程千冬姉が現れた時にはベルが鳴った様子は無かった。俺が動揺して気付かなかっただけという可能性もあるが……。

 

(いや、気付かれずに入ったのではなく、初めから店にいたとしたら……!)

 

予め店内にいれば今挙げた疑問はクリアできる。また先程のように狙いすましたかのようなタイミングでの登場も可能だ。

 

(だが、それだと俺が気付かないはずがない! 仮に変装してその辺の客に紛れていたとしても、そもそも女性客なんて他にいないし何より千冬姉ほどの存在感を見逃すはずは……)

 

と、そこで自身の思考の違和感に気づく。

 

(『客』? ちょっと待て。なぜ客として入ったことを前提に考える? 俺の姿を見ることができて、尚且つ初めから店内にいたとなれば、もう一つ可能性があるじゃねぇか)

 

そう、それは店の奥。裏方。スタッフ用のスペース。その中でも……

 

(監視室! 千冬姉はずっとそこに居たんだ!)

 

そしてそれはもう一つの可能性を示唆していて──

 

(謀ったな店長ォォォォォォッ!)

 

──そう、この説は店内部、それもある程度の権限を持った人間の協力が必要不可欠。要は嵌められたのだ。

 

先程まで店長がいたところへ視線を向ける。なんか「てへぺろ(。・ ω<)ゞ」ってツラしてやがる。ちくしょう。

 

このことが意味するところは一つ。それは、この場での誰かからの助けは期待できないということ。絶体絶命である。

 

(くっ……なんとかして千冬姉を言いくるめるしかない!)

 

俺はなるべく千冬姉を刺激しないよう、慎重に説得を試みる。

 

「いや、えっと、この店はそういう店じゃないっていうか……」

 

「ほう? ご主人様の命令が聞けないのか。いけないメイドだ」

 

言うや否や、ぐいっ、と強引に俺を抱き寄せる。そしてそのまま俺の耳元へ顔を近づけ、囁いた。

 

「これはお仕置きが必要だな」

 

「ひっ! ちょっ、どこ触って……! っていうか俺達姉弟なんd」

 

「姉弟? 何を言っているのか分からんなぁ。私の家族にメイド喫茶で働く者はいない。つまり私たちは姉弟じゃない。姉弟じゃないから大丈夫。そう大丈夫なんだ。何も後ろめたいことはない。はぁはぁはぁはぁ……」

 

「ま、待って千冬姉ぇんっ……あっ……!」

 

「でゅふふ、そんな嬉しそうな声で鳴くとはな。まったくはしたないメイドだ。じゅるり」

 

「ひゃっ! やっ、ぁん……そ、そこは、だめぇ……」

 

 

 

 

 

【同時刻・店の外】

 

「もしもし警察ですか? なんかメイドが痴女に襲われてるんですけど」

 

 

 

 

 

その日、俺の唯一の家族が逮捕された。

 

余談だが、通報したのは、死んだ目で血涙を流しながら修羅の如く千冬姉を睨みつけていたツインテールで下田声の女の子だったそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3 IF-もしも中身が別ならば- 略してもしらば

 

【キャラクター設定】

・なんかなよっとしてる

・声が超かわいい

・小動物系

・守りたい

・すぐ泣く

 

 

 

Take1 「D.C.~どこだよ・ここ~」

 

 

ふわっとした風に、桜の花びらと共に長く伸ばした髪が舞う。春の香りに包まれながら、僕はこれからの学校生活へと思いを馳せた。

 

今日は中学の入学式。経験するのはこれで2度目だ。といっても、この体に生まれてからは初めてなんだけどね。

 

単刀直入に言うと、僕は転生した。記憶と人格を持って。まぁ前世では男だったのに生まれ変わったら女の子になってたり、あいえす? なんていうすごい兵器があったりして、僕が前世で培ってきた経験の半分ほどは無意味なものになっちゃったけど。

 

「えーっと、体育館はどっちかな……」

 

案内用に事前配布されたプリントに描かれた地図を頼りに歩く。うーん、それにしても分かりづらいなぁ、この地図。

 

ちなみに僕の両親は諸事情でちょっと遅れてくる。なので、僕は今1人で校舎内をうろついている。どうしよう、すっごく心細い。なんとかなるでしょ! なんて言って考えなしに乗り込むんじゃなかった……。

 

小学校からの友達も同じ中学に何人かは来ているはずだけど、どうやらこの辺にはいないみたいだ。まぁ僕が率先してみんなから離れたっていう見方もできるんだけどね。

 

「うぅ……これは本格的に迷子っぽい……」

 

まさか学校で迷子になるとは。半べそ気味に呟いた、その時だった。

 

「おーい!」

 

不意に廊下に響き渡る声。声の主と思われる男子生徒は、真新しい上履きをきゅっきゅと鳴らしながらこちらへ駆けてくる。おお! 人だ! やった、これで助かった!

 

「こんなところで何してんだ? もうすぐ入学式が始まるぞ?」

 

短めの黒髪に、幼さが残るものの整ったきれいな顔立ちをしている男子生徒は、こちらへ来るや否や僕のことを訝しげに見つめる。まぁそりゃあさっきまでの僕はあからさまに挙動不審だったから仕方ないけどね。

 

「えっと、実は体育館がどこなのか分からなくて……って、そういう君はどうしてここに?」

 

僕の問いに対し、男子生徒は廊下の奥を指さした。

 

「ちょっとトイレに行ってただけだ。それにしてもお前迷子だったのか。案内用プリントを見てそれってなると、もしかしなくても相当方向音痴なんだな」

 

そう言ってからから笑う彼。うぅ、改めて言われるとちょっと恥ずかしい。かあっと、頬に熱が宿る。っていうか普通の人はあのプリントで分かるもんなの? 分かるんだろうなぁ。もしかして僕って地図も読めないバカなの? バカなんだろうなぁ。

 

軽い羞恥と自己嫌悪に陥る僕を見て、彼は何を思ったのか、少しばつの悪そうな笑みを浮かべた。

 

「あー、ごめんごめん。ほら、そんな泣きそうな顔すんなよ」

 

そう言って彼は僕の頭をぽんぽんと撫でる。

 

「こ、こども扱いしないでよ! っていうか泣いてないよっ!」

 

ううっ、僕の方がホントは年上なのに……っていうか年下に頭を撫でられることがこんなに恥ずかしいなんて……。

 

顔を真っ赤にした僕の抗議に、飄々とした態度で笑う彼。彼は笑顔のまま、先程彼が来た方向を指さした。

 

「よし、道がわかんねぇなら一緒に行こうぜ? あんまり時間もないし」

 

「あ、うん。えっと……」

 

と、ここまで来て言葉が詰まったことに、あることを思い出す。そうだ、そういえばまだ……。

 

彼も同じことに気付いたのか、「そういえば……」と前置きして、

 

「まだ自己紹介もしてなかったな」

 

そう言って僕の目を真っ直ぐと見据え、すっと手を差し伸べた。

 

「俺は織斑一夏。気軽に一夏って呼んでくれ。これからよろしく」

 

おりむら? どこかで聞いたような……。

 

何か引っかかりを覚えながら、差し出された手をそっと握り返す。思ったよりもごつごつとした感触に、『きれいな顔してるけどやっぱり男の子なんだなぁ』などと意味の分からない感慨に浸りつつ、自信が女であることを改めて認識させられる。

 

「私は八神優。よろしくね、一夏くん」

 

そして僕の言葉が終わるや否や、一夏くんは僕の手を強く握り直した。……うん?

 

きょとんとする僕に、彼は笑顔で告げた。

 

「よしユウ、走るぞ!」

 

「え、ちょ────」

 

「もうあんまり時間が無いんだ! 急ぐぞ!」

 

そう叫ぶように言い放ち、僕の手を握ったまま走り出した。

 

 

 

これが彼──織斑一夏との出会いだった。

 

この出会いが後々、彼を中心とした世界的大事件に僕を巻き込むことになるだなんて予想できるわけないじゃん……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Take2 「空へ飛び立つ男女(おとめ)の作法」

 

 

物心がついたとき、僕が見つめていたのは姉の背中だった。

 

両親は居ない。他には双子の妹が1人。初めは、それが僕の世界のすべてだった。

 

時間を経るに連れ、僕たち家族の面倒を見てくれていた篠ノ之のおじさんやおばさん、その娘さんの箒ちゃん、箒ちゃんのお姉さんで、姉の親友でもある束さん、と、少しずつ世界は広がっていった。

 

 

 

妹は病弱だった。何度も病院へ通う妹を見て、幼心に、僕が守ってあげないと、なんて思ったのを覚えてる。

 

真逆とも言えるほど、姉は強かった。僕の姉は誰よりも強かった。いつしか僕は、姉のようになりたいと、強い憧憬を抱いた。

 

姉のように強くなって、僕が妹を守るんだと、まるでそれが、自分に課せられた使命であるかのように信じて疑わなかった。

 

 

 

ある日のこと、僕は姉がおじさんから剣術を教わっていることを知った。そして次の瞬間には、僕も習わないと、なんて思っていた。まるでそれが当然のことであるかのように。

 

しかしそのことを姉に告げると、姉は渋い顔をした。どうやら僕が軽い気持ちで剣を握ろうとしていると思われているようだった。

 

それは違う。僕は千冬姉のようになりたいんだ。僕が強くなって、円夏(まどか)を守らなくちゃいけないんだ。

 

僕は僕の思いを、まるで何かに強迫されたかのように、必死になって伝えた。

 

先に折れたのはおじさんだった。

 

「まぁまぁ千冬ちゃん、一夏くんもこう言ってるんだ。ちょうど箒の練習相手も欲しかったところだし、せっかく本人もやる気なんだ。無理に止めることもないだろう」

 

人の好い笑顔を千冬姉に向けるおじさん。千冬姉はため息をひとつ、観念したように部屋を出ていった。

 

少しして戻ってきた千冬姉の手には、1本の刀が握られていた。

 

「一夏、持ってみろ」

 

言われて、僕は慌てて両手を差し出した。ゆっくりとした動作で、僕の腕にじわじわと重みがのしかかる。

 

「重いか?」

 

問われ、こくり、と頷く。

 

重い。刀というものはこんなに重いのか。こんなに重いのなら、侍がぶんぶん振り回しているのはきっと嘘なんだな。

 

なんて馬鹿なことを考えている僕に、千冬姉は凛とした声音で語りかけた。

 

「いいか一夏。これが剣だ。そして剣とは兵器、何かを守ることもできるが、壊すこともできる」

 

僕は無意識のうちに、ぎゅっと剣を小さな手で握りしめていた。

 

「それは目に見えるものかもしれないし、目には見えないものかもしれん。金や資産であることもあれば、矜持や誇りであることもあるだろう。或いは、生命(いのち)ということもある」

 

姉はそこで一旦区切り、僕の目をじっと見て言った。

 

「これが、守る(壊す)ことの重さだ」

 

「……うん」

 

何がうんなのかは分からない。僕は多分、千冬姉の言いたかった本質をちゃんと理解していない。そこに至るには、きっと僕には積み重ねてきた時間も経験も圧倒的に足りていないのだろう。

 

それでも、僕は頷いた。これは約束だ。いずれこの言葉の意味を理解してみせると、それまで、今の言葉を違わずにいようという、僕と千冬姉の約束だ。

 

「ふっ、そうか……」

 

口元を緩める千冬姉の目は、とても穏やかだった。

 

「よし、一夏。来週から早速稽古をつけるぞ。なに、才については心配するな」

 

うん、それについては心配してないよ。何せ────

 

「────何せ、お前は私の弟だからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして、幼馴染の箒ちゃんと共に、剣術に打ち込む日々が始まった。まるで千冬姉と同じ舞台に立てたような気がして、とても気分が高揚した。

 

よし、千冬姉も期待してくれているんだ! 頑張って強くなるぞ!

 

「重要人物保護プログラムが発動してしばらくお別れになりそうなんだ。すまないね一夏くん」

 

「一夏、私はしばらくお前の面倒を見れそうにない。ISの扱いが決まるまでは忙しくなりそうだ」

 

 

 

剣術に打ち込む日々 終了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、かっこいいなぁ~」

 

パソコンの画面を見つめ、ため息をつく。ディスプレイに表示されているのは、科学者"篠ノ之束"によって開発された、宇宙空間での活動を想定して作られたマルチフォーム・スーツ──インフィニットストラトス。通称IS。

 

ISが発表されてから数年が経過した。僕は中学へ進学し、妹の身体もすっかり良くなっていた。

 

発表当初こそ、篠ノ之家をバラバラに引き裂き、僕から千冬姉と剣を学ぶ環境を取り上げていったISを憎みもしたものだが、よその学校でも箒ちゃんが剣道を続けていることを風の便りで聞き、こうしちゃいられないと僕も自主トレを始め、さらに箒ちゃんと入れ替わるように鈴ちゃんという女の子が転入して来たりと、慌ただしく過ぎる日常の中で僕が抱いた恨みは薄れていった。

 

さらに、千冬姉がISの世界大会で優勝したこともあり、むしろ僕はISにのめり込んでいた。千冬姉のようになりたいと常日頃思っていた僕が、もっとISについて知りたい、僕もISに乗りたい、そう思い始めるのに時間はかからなかった。

 

しかし、調べれば調べるほど、ISは僕から遠ざかって行った。

 

曰く、ISとは地上最強の兵器である。既存の兵器はISの前にはおもちゃも同然で、その力は、2000発以上のミサイルを単独で全て撃破するほどである。

曰く、ISの全体数は限られており、量産は有り得ない。ISにはコアと呼ばれるものがあり、そのコアの製造法は篠ノ之博士しか知らず、当の本人がこれ以上コアをばらまくつもりはないと宣言しているのだ。

 

曰く────

 

 

 

────ISは、女性にしか扱えない。

 

 

 

「……はぁ」

 

もう一度、今度は落胆色のため息をひとつ。

 

うーむ、どうしたものか。男の僕では動かせないっていうのはどうしようもない事実なんだけど、それでも諦め切れていない自分がいるのもまた事実。

 

「技術開発とかなら男でも関わることはできるんだろうけど……」

 

最早自分がISを使おうなどとは思っていなかった。確かに千冬姉のようになりたいとは思うが、初心を忘れてはならない。僕が欲しいのは、誰かを守るための力だ。しかし何も、ただ剣を振るうことだけが守る手段ではない。何かを守るための物を作る、というのも、守るということの一つの形だと思う。

 

しかしそれには1つ難点がある。というか、男でISに携わろうと思う者ならば誰しもが一度はぶつかる壁だ。

 

それは、『ISについての専門知識を学ぶ』こと。

 

この世界には、ISについて学ぶことのできる学校は1つしかない。といっても場所自体は日本にあるため、距離や経済的な問題があるわけではない。問題はもっと根本的なところにある。

 

その専門学校──IS学園は、生徒教員全てが女性。まぁ、女性にしか動かせない物について学ぶのだから女性ばかりになるのは仕方ない。

 

一応男女平等云々とやらで共学という体ではある。まぁルール上の規定と現場の実質的な状況とがちぐはぐになるなんてよくあることだ。

 

そう、I()S()()()()()()()()()()()()()男だろうと入学することは可能だ。

 

「いっそ女の子になりたい……」

 

「なっちゃえばいいのでは?」

 

不意に背後から聞こえた無機質な声。思わずビクッとして振り返る。そこに居たのは、千冬姉によく似た顔をつまらなそうにして僕を見つめる双子の妹──円夏だった。

 

双子と言っても、昔の円夏は病弱だったため、僕がずっと世話を焼いてきたこともあり、僕の中ではやっぱり妹という印象が強い。円夏も同様に、僕のことを兄として慕ってくれている。年は同じだけど、それでも僕らは互いに兄妹という共通認識を持っていた。

 

「なっちゃうって……どういうこと?」

 

困惑する僕に、円夏は平然と、わけのわからないことを言ってのけた。

 

「簡単なことです。そんなにISが好きなら、いち兄が女装してIS学園に入学したらいいんです」

 

ははは、おかしいなぁ。今のどこに簡単な要素があったんだろう。間違って単語を覚えてるのかな? 先生たちは一体何を教えていたんだ。これだから昨今の教育機関はゆとりだのなんだのとバカにされるんだ。

 

「円夏、今度ちゃんとした辞書を買おうね」

 

「話を逸らさないでください」

 

ぴしゃりと言われ、思わずしゅんとなる僕。まるで怒られたみたいだけど、僕は間違ったことは言ってないぞ。

 

などと心中で抗議していると、じろりと睨まれ、思わず椅子の上で正座する僕。

 

「実行難易度は置いておいて、話自体は非常に単純です」

 

そう前置きして、円夏は語りだした。

 

「まず、いち兄が女装します。幸いなことに、顔は双子であるまどかや千冬姉に似て女顔です。きゃわわです。体格は華奢で、その上腰回りやおしりなんて艶めかしさすら感じるレベルです。ぶっちゃけエロいです。まどかが男なら即ハボです。声もその辺の声優なんかよりぶっちぎりで可愛いです」

 

ふぇぇ……円夏がなんか怖いよぉ……。

 

「以上の点から、女装についてのハードルはクリアです。次に受験の段取りですが、諸々の書類については千冬姉に協力してもらいましょう」

 

「えっ、千冬姉に?」

 

千冬姉にバレるのはなんとなくいやだなぁ。こんなことをしてるなんて知られたらすごく怒られそうというか軽蔑されそう。何より恥ずかしい。

 

そんな僕の懸念を払いのけるように、円夏は淡々と告げた。

 

「千冬姉なら恐らく喜び勇んで協力してくれるでしょう。まどかも他人のことを言えませんが、あの人も大概ブラコンですからね」

 

「いや、でもやっぱりはずかs「諦めるんですか?」

 

僕の言葉を遮り、円夏は僕を真っ直ぐに見つめてきた。すごく言ってることは頭悪いのに、なぜか張り詰めた空気が我が家のリビングを支配していた。

 

「恥ずかしさなどというものを言い訳にして、諦めるんですか?」

 

なぜか進路の先生に説教されてるみたいな気分になる。うぅっ……僕悪くないのに……。

 

「で、でも、IS学園の入試にはISの起動テストがあるんでしょ? だったらやっぱりそこでバレちゃうんじゃない?」

 

「大丈夫です」

 

ビシッ、と言い切る円夏。一体何が大丈夫だと言うのか。ちなみに僕の妹の頭は恐らくだいじょばない。

 

やがて円夏は精一杯のキメ顔で、しかし口調は相変わらず平坦のまま、その策を語った。

 

「そのためにまどかがいるんです」

 

円夏の策を要約すると、ISを起動する時だけ僕と円夏が入れ替わるというもの。基本的にISの数は限られているため、いくつも並行して起動試験を行うわけではない。非効率だが仕方のないことだそうだ。しかしだからこそ僕と円夏が同時に試験を受ける可能性は低く、この作戦の成功率も必然高くなる。

 

「でも、でもさ、仮に入学に成功したとして、そのあとはどうするの? 実技授業だってあるだろうし、何よりIS学園は寮なんだよ? 同じ部屋で生活してたらいつかバレちゃうよ」

 

「問題ないです。まどかがネットで拾った情報によると、先程同様、ISの数がかなりネックになっているようで、1クラスが授業で使える訓練機はせいぜい3~4つ程度。1クラスを3、40人とすると、およそ10人で1つの機体をシェアすることになります。そうなると、どうしても授業時間内にISに触れられない人が出てきても不思議ではないですよね?」

 

「あ、そっか。そうやって授業時間を無為に過ごしていけば……」

 

「ええ、起動云々でバレることは無いです」

 

なるほど。それにしても円夏はいろんなことを知っているんだなぁ。兄として鼻が高いよ。せめてそういう博識なところをもっとマシな方面で活かしてほしかったなぁ。

 

「でも、結局寮生活については解決してないよ?」

 

「それについても問題ないです。千冬姉に言って、まどかと同じ部屋にしてもらえばいいんです」

 

「なるほど。たしかに円夏と一緒なら僕も安心だよ。それか千冬姉の部屋に居させてもらうのも「それは駄目です」

 

あれ? なんか怒らせちゃったかな……。

 

むっとして僕の言葉を遮った後、何やら「言われてみればそうでした。なぜこの問題に気づかなかったのでしょう。千冬姉だっていち兄と同じ部屋がいいと言い出すに決まっている……これは戦争ですね」などと、物騒なことをぶつぶつ呟いている。もういっそ3人同じ部屋にできないのかなぁ。

 

考え事が終わったのか、円夏は顔を上げ、いつもより比較的明るい表情で口を開いた。

 

「まぁ、概ねの問題点はクリアです。これで一緒にIS学園へ行けますね」

 

……?

 

何か、今の言葉が少し引っかかった。って、そういえば……

 

僕はあることに気づき、円夏に訊ねた。

 

「ねえ円夏」

 

「なんですか?」

 

「円夏って別に僕みたいにISが好きってわけじゃなかったよね? 本当にIS学園に行きたいの?」

 

円夏の話は、円夏自身がIS学園に行くことが前提となっている。もし僕のために円夏が無理してIS学園に通おうとしているのなら、それだけは絶対にだめだ。

 

「いいえ、そうではありません」

 

ああ、やっぱり。

 

僕が「今回の話は無かったことにしよう」と言う前に、円夏は言葉を続けた。

 

「あ、IS学園に行きたくない、という話ではありませんよ? 『正確には』IS学園に行きたいというわけではないというだけのことです」

 

え……? それはどういうことなんだろうか。

 

困惑する僕に、円夏は再び精一杯のキメ顔を作った。

 

「まどかが行きたいのは、いち兄と同じ学校です。いち兄さえいれば、どこだろうとまどかは構わないのです」

 

「そ、そっか」

 

…………なんだろう。なぜか円夏に恐怖を感じた。おかしいな。こんなに想ってもらえるのは幸せなことなんだろうけど。

 

「あれ? ひょっとして好感度ダウンですか? おかしいですね、ネットで見たセリフをアレンジしたのに……って、そういえばあのヒロインは巷でヤンデレと評判でしたっけ。まどかとしたことがうっかりです」

 

ふぇぇ……円夏がなに言ってるのかわかんないよぉ……。

 

「ともあれ、このまどかのまったく隙のない策があれば完璧です。大船に乗ったつもりでいてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜、僕の部屋決めで円夏と千冬姉が激しい攻防を繰り広げ、円夏の言った大船が早速座礁しかけたのはまた別のお話。




ここまでお読みになった方々、お疲れ様でした。
一夏による優に対する考察は概ね大間違いです。
さて今後の展開ですが、感想ページをご覧になった方はもうご存知でしょう。我らがアイドルこと五反田弾くんがIS学園に乗り込んでいきます。ええ、彼は選ばれし者なので。
それから主人公のISの名前はアマテラスでほぼ内定ですかね。これも感想ページをご覧になった方はご存知かと。あっ、今いい名前思いついた。

トムキャット・レッド・ビートルなんてどうですかね(ゲス顔)


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今回の話は説明回的な要素が強いので、ざくざくと読み飛ばしてもらっても構いません。

それはそうとセシリアとかラウラ辺りが弾に惚れる展開しか浮かばない。


 

 

 

 

『あなたを、犯人です』

 

『お前らは馬鹿すぐる。俺がどうやって犯人だって証拠だよ』

 

 

 

「……なんだこれ」

 

俺は煎餅をばりぼりと貪りながら、リビングのソファーに寝そべっていた。大型のテレビに映るのは、ハードディスクに録画しておいた最近流行りらしい刑事ドラマ。しかも探偵が犯人を崖から突き落とそうとするクライマックスシーンだ。

 

腹をぽりぽりと掻きながら、ソファーのすぐ前にある背の低いテーブルに乗ったテレビのリモコンへと足を置き、そのままチャンネルを適当に切り替える。恐らく面白かったのだろうが、俺の語彙がアレだからか終始何を言っているのか理解できなかったため、これ以上見ても無駄だと判断した。

 

「あー、やっべ、すっげーひま……」

 

夏休みの真昼間。なんだかんだ3年生に進級し、周囲もそこそこ忙しそうに問題集やら参考書やらを買い始めていた。そんな時期であることもあり、外で誰かと遊ぶというのも気が引ける。ちなみに俺はIS学園への推薦が決まっているので受験勉強とは無縁である。ふわははは、せいぜい頑張ってくれたまえ受験生諸君。

 

現在両親は旅行へ出かけており、家には俺一人。もちろん俺は辞退した。推薦で決まったからといって勉学を疎かにするわけにはいかないからね、しょうがないね。一人の時間って素敵。結果として暇を持て余してしまったのだが、まぁそれもまた良しとしよう。それに、たまには夫婦水入らずで過ごすのも有りだろう。

 

余談だが、誰も家に居らず、また訪ねてくる心配も無いことをいいことに、俺は今全裸で過ごしている。一糸纏っていない。俺実は前世では裸族だったんだよね。女の身体というか、普段の八神優としてのキャラだとなかなかこうはできないからな。ああ、素晴らしき解放感。

 

「……夫婦水入らずと言えば、あの時も状況だけ見ればそうだったのか」

 

2年生の頃、ドイツで起きたとある誘拐事件。その時俺は友人達と共にドイツへ、両親は日本に残っていた。今とは逆だな。

 

あの事件がきっかけで、その時のメンバーとはもう随分と会っていない。それどころかメールなどのやりとりすらしていない。

 

織斑一夏はあの日、世界初の男性IS操縦者として全世界にその存在が知れ渡った。現場だったドイツとの間にいろいろとあったらしいが、詳しい事はよく分からない。とりあえず分かっているのは、あいつの姉が暴れまくったということと、最終的に日本に強制帰国となり、重要人物保護プログラムに則ってどこかへ隔離されているということ。場所は分からない。

ちなみにISを動かしたことが世間にバレた理由についてだが、動かしたはいいものの解除方法が分からなかったため、そのまま現場を後にした際に民間人に目撃されたのが原因というのも、何ともアホな話である。

 

俺は事件当時に即興で試作機を運用してみせたことにより高い適性を見込まれ、社長さんの計らいで適性検査を受けることになった。結果はA+。プラスって書いてあるしAだしきっと割と高めなんだろう、なんて思っていたらトントン拍子に企業のテストパイロットとして契約することに。そして国籍保持だの何だのと何やら国のお偉いさんとやらからのひっきりなしのアプローチの末、なんか知らんけどいろいろと特典を貰えることになった。詳しくは知らん。その辺は両親が対応してくれた。どうせ税金免除とかそんなんだろ。そして特典というか、企業側と国側の両方のプッシュでなんやかんやIS学園に入学することが決まった。いろいろデータ取りたいんだってさ。よく分からん。とりあえずIS乗り回してびゅんびゅん飛び回るだけの簡単なお仕事らしいです。まぁともあれ、受験勉強の必要が無くなったのはラッキーだ。

というかマジで幸運様様だぜ。あんな事件に巻き込まれて死ななかったどころかこんな棚ぼた展開までご用意してくださるとは。ただまぁ、IS学園についてはどうも父と母としてはいささか不満というか不安らしい。まぁ、あんな事件に巻き込まれて、尚且つその事件にISが絡んでいるとなればそりゃあ不安にもなるだろう。しかし実際のところ、IS学園ほど安全な場所もそうそう存在しない。高いIS適性を持つ者はどの国も欲しがっているらしく、中にはなかなか強引な手段に出る国もあるらしい。企業あるいは国の庇護下に入り、尚且つIS学園に隔離するというのが現状取れる最善の安全策なのだそうだ。

 

しかしただ一人、俺達のどちらとも異なる道を選んだ男がいた。

 

五反田弾。あの時現場に居たもう一人の人間。

件の誘拐事件は、犯人こそ謎のグループとして処理されていたが、それでもなお現場であるドイツの不手際という指摘も避けられなかった。まぁその点について騒いでたのは日本だけなんだけどな。とまぁそういうわけで、ドイツ側から俺達に何らかの形で補償が支払われることとなった。俺の場合は両親に聞いてみないと分からないが、ワンサマーの野郎に関しては日本への帰国、及び帰国するまでの身柄の保護だったはずだ。そうだった気がする。いや、どうだったかな……まぁどうでもいい。ともかく、各々が望む形で補償が支払われたのだ。

 

さて、ではあの男、五反田弾は何を望んだのか。

 

簡潔に言うと『保留』である。あの男は何を思ったのか、単身ドイツに残ったのだ。本当に何を考えていたのか全く分からない。別れ際、「ふっ、俺と離ればなれになるのがそんなに寂しいのか? だが案ずるな。いずれまた、約束の地で会おう」と口元をニヒルに歪めてほざいていたが、全くもって意味不明だ。ドイツ軍からすると途方もなく不要な、それもある意味危険物取扱注意な大荷物を押し付けられたに等しい。なんと傍迷惑な男か。

 

このような事情から、俺達は今に至るまで一切連絡を取り合っていない。お互いの近況などまったく分からない状態なのだ。

 

『次のニュ────ヒルナンデ────界初の男性────見てくださいこの贅沢なウニ────』

 

……んん?

 

次々と切り替わっていくテレビのチャンネル。その中で、一瞬だがものすごぉく見覚えのあるツラがディスプレイに表示された気がした。やや躊躇いながらも、半身を起し、リモコンを手に取って操作する。放送されているのは、教授とかを招いて喋らせる感じの、情報系のバラエティ番組だった。やがて現れる見知った顔の写真と、その下に表示されるこれまた見知った名前。何やら何度かテレビで見たことのある女子アナが喋っている。どうやら、アラスカ条約を締結している国々のお偉いさん方がいろいろと話し合っていたらしい。そしてまぁ、その結論が最近出たと。なるほどね。

 

大雑把にニュースの内容を咀嚼し終えた頃、画面の向こうの女子アナが淡々と言い放った。

 

 

 

『──以上の経緯から、こちらの写真の……織斑一夏くんがIS学園に通うことが決定された、ということですね』

 

 

 

うっそ。早速近況わかっちゃったよ。

 

俺の驚きを余所に、大学教授らしきおっさんと女子アナが何やら話し始めた。女子アナが今までの流れを纏めたフリップのようなものを眺め、大学教授に訊ねる。

 

『しかしこれは人権上問題視されるのではないでしょうか?』

 

『たしかにそうですね。しかしこれは彼の身を守る上である意味最善の選択と言えるのです。それに、確かに各国からの圧力はあったものの最終的には彼自身の判断によって入学を決めたそうです』

 

『なるほど。ですが女子校と化した所に男の子が1人というのは、いささか彼にとってもきついものがありそうですね』

 

『ええ、それについては政府も同様に考えたようですね。そこで、彼と親しい男子生徒をカウンセラーという名目で入学させるそうです』

 

『それがこの2つ目の写真の……五反田弾くん、というわけですね』

 

 

 

 

……うん? なんだって?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月。仄かな冬の残り香に軽く身震いしつつも、咲き誇るのを今か今かと待ちわびるかのような蕾を目にする度、季節の移ろいを感じさせられる。

 

肌をちくちくと刺すような冷たい風が吹き付ける。特に意味もなく無駄に伸ばした髪を整えつつ、俺は校舎へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

「うぅっ、委員長の御尊顔を拝めるのも今日で最後か……」

 

「委員長の存在は未来永劫、我が校の伝説として語り継いでいきます!」

 

「委員長IS学園行くの? さすが委員長! あんなレベル高いとこに行くなんて!」

 

「あ、あのっ! 実は私もIS学園に行くことになってて! そ、それであのっ! よかったら一緒に課題を」

 

「最後の最後に抜け駆けでござるか」

 

「許せないでござるな」

 

「アイエエエエ!? ニンジャ!? ニンジャナンデ!?」

 

 

 

 

こいつらうるせぇな。なんか平常運転すぎて感慨とか吹っ飛んだわ。

 

今日は卒業式。3年間の最後を締め括る一大イベントだ。ある者はむせび泣き、またある者はむせび泣き、ある者に至ってはむせび泣いている。このクラス泣いてるやつ多いな。

 

彼らのように振り返って涙するような眩い青春など、俺の3年間には無かった。代わりにあったのは、妙に恭しく絡んでくる周囲の鬱陶しさと、これまた妙に懐っこく絡んでくるとある男とその周辺がもたらした何の変哲もない日常だった。

 

気が付くと、俺は何となく周囲に視線を巡らせていた。まるで何かを探すように。何をと問われれば、自分でもよく分かならいが、どうやらお目当てのものは見つからなかったらしい。

 

中心から俺が抜けると、クラスメイト達は皆各々好き勝手に喧しく思いを馳せ始めた。2~3人だったりもっと大勢だったりと、それぞれのいつもの居場所で、全くバラバラな思い出を語る。

 

方向性の無い喧噪に包まれる教室の中、ぽっかりと空いた空間へと足を運ぶ。そこにあったのはやたらと真新しい机が2つ。結局この1年間、本来の使用者に触れられることのなかったためか、いつしか教室の隅へと追いやられていた。

 

主を待ち続けたそれの輪郭にそっと指を這わせる。特に理由があったわけではない。何か思うところがあったわけでもない。そう、何も、無いはずだ。

 

1つ分かったのは、あの2人は結局、最後まで姿を見せなかったということだけだ。

 

まぁどうせ来月には否が応でも会うことになるんだろうけどな。

 

だから別に、今会えないからといってどうということは無いのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

卒業式が終われば、次に来るのは一体何か。

 

そう、在校生よりも長めに貰える春休みである!

 

しかし学力低下が叫ばれる昨今、どこの学校も『入学前課題』とやらを出しているものだ。当然俺が入学することになるIS学園も例外ではない。もうこれ鈍器なんじゃねーのと言いながら振り回したくなるほど分厚い参考書を全部読んでおけというのが俺に課せられたミッションだった。

 

まぁ早々に読破したんですけどね。何せわたくし優等生であるからして。キャラ作りもここまで来ると立派な自己研鑽だよなー。などと考えながら件の参考書を枕にして無為に過ごしていると、机の上にあるスマートフォンががくぶる震えだした。

 

……ふむ。

 

『な、何よあんた。こ、こっちに来ないでよ!』バイブレーションON

 

『ククク……いくら強がったって、そんなに震えてちゃあ世話ねぇなぁ』

 

『や、やめて! 私に何かするつもりでしょ! 工口同人誌みたいに! 工口同人誌みたいに!』

 

『うるせぇ!』

 

『ひっ……』バイブレーションOFF

 

『そうやって大人しくしてるんだな。さぁて、早速見せてもらおうか』

 

『いや、だめっ! そんなとこ見ないでぇ!』

 

『ハハハハッ! そんなこと言って、誰にでもこうやってひらいてんだろ?』ロック解除

 

『そんなこと……』

 

『まぁ、そんなことどうでもいいんだがな』

 

『らめぇぇぇ! 見られちゃううううううぅぅぅぅ! 今来たメール見られちゃうのおおおぉぉぉ!』

 

 

 

我ながらくだらねぇ。まあ春だからね。こういうくだらない妄想しちゃうのも仕方ないね。謎の言い訳をしつつ、ディスプレイの上で指を滑らせ、メールアプリを開く。

 

差出人はあの時の社長さんだった。内容をざっくり要約すると、どうやら俺の専用機なるものが完成したらしい。そして今迎えを寄こしているから本社まで来てほしいとのことだった。

 

「……って今? マジかよやっべ! 全然準備も何もしてねぇ!」

 

急いで部屋着を脱ぎ捨て、クローゼットを漁る。今は母が居るため裸ではないのだ。その時、窓越しに車のブレーキ音が聞こえてきた。

 

お前に足りない物、それはゆとりと配慮と事前連絡あと何かいろいろ! そして何よりも遅さが足りない! っていうかやばいはやいはやいはやい! もう来たのかよもうちょっと待てよ!

 

ほぼ下着のみでわたわたと慌てふためく。そんな俺にさらなる追い討ちをかけるかのように、インターホンの無機質な呼び出し音が無慈悲に鳴り響いた。

 

まじかまじかまじかまじかよおおおお! ってそうだ。今我が家には母上がいるではないか! まだ慌てるような時間じゃない! 母上なら、母上ならきっと何とかしてくれる!

 

と、俺の祈りが通じたのか、1階から愛しのマイマザーの声が響いた。

 

「優~。今ちょっと手が離せないの~。悪いけど代わりに出てくれる~?」

 

「ちょ、ちょっと待ってー!」

 

おいふざけんな俺今下着なんだけど今出たらHENTAIなんだけど通報待ったなしなんだけどそれでも良ければ出るんだけど!?

 

焦燥と羞恥が加速し、急激に混乱する思考。そこにさらなる打撃を与えんが如く、インターホンから2度目のラブコールが鳴り響く。

 

「優~?」

 

そして俺がまだ対応していないことに気づいた母からのさらなる催促。わかったよチクショウ! 出りゃあいいんだろ出りゃあよぉ! とりあえず音声で対応させていただきます!

 

我が家のインターホンのアレは1階と2階にそれぞれ1つずつ取り付けられている。そして俺の部屋は2階だ。俺は下着のままバタバタと部屋を飛び出し、通話のボタンを押した。

 

「はい、どちら様ですか?」

 

分かってるけど一応聞く。様式美ってやつだろ。え?違う?そっか違うか。

 

カメラに映っているのは、まるで筋肉が服を着て歩いているかのような屈強な黒服のハゲだった。サングラスをかけているので表情までは分からない。男は咳払いを1つ、直後、唇まで筋肉なのではないかと思うほど重苦しい印象の口を開いた。

 

『海馬コーポレーションの者です。八神優様を迎えに上がりました』

 

ほーらやっぱりあいつらじゃん! どうせこんなことだろうと思ってたよ! 俺は詳しいんだ! クソッ、どうすりゃいいんだ! 神は俺を見捨てたのか!……いや、あの神ならむしろ見捨ててもらった方がマシだわ。

 

悲観もそこそこに、今一度現状を顧みる。とりあえず何か言わねばなるまい。このまま沈黙というのはちょっとアレだ。

 

しかしどうする? なんて言えばいい?

 

ただただ焦りが積もっていく。焦燥にかられた俺の脳内会議場は阿鼻叫喚と化していた。そして正常に動かない思考回路が、思わぬ結論をはじき出した。

 

────そうだ、とりあえず今の状況をそのまんま言えばいいんじゃね?

 

俺は息を吸い込んで、一言一言はっきりと告げた。

 

 

 

 

「すいません、今服着てないんでちょっと待ってください!」

 

 

 

 

俺がご近所様へ向けて堂々と痴女宣言をしていたことに気づいたのは、俺の裸を想像した黒服の人が鼻血を吹き出し、インターホンの画面が真っ赤に染まった後だった。

 

尚、幸運にもこの時、周囲に人は居なかったそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい、見苦しいところをお見せ、というかお聞かせしました。

 

というわけで、微妙な雰囲気の中、車で移動すること十数分。俺の目の前にはなんかすごくでかいビルが聳え立っていた。春の暖かい陽光がガラス張りのビルに反射してなんかもうキラキラどころかギラッギラだ。超まぶしい。

 

ビルの中へ通され、エレベーターで地下へ潜っていく。

 

エレベーターから出ると、今度は床も壁も白を基調とした廊下を歩く。やがてメタリックな扉の前で立ち止まると、その扉が空気の抜けた様な音を立てて斜めに開いた。おお、近未来っぽいぞ。

 

少し浮かれながら足を踏み入れる。そこに広がっていたのは実験場のような空間。青白い光がぼんやりと室内を照らしている。まるで天井や壁そのものが発光しているようだった。向かって右側の壁には幅の広い窓のようなものがあり、その向こうには研究者のような人達が数人。中には社長の姿もあった。

 

そして何よりも俺の視線を引き付けたのは、この実験場の中央に鎮座する物体。優美なようで荒々しく、武骨さを漂わせながらも煌びやかな光沢を放ち、中世の鎧を彷彿とさせつつも最先端のテクノロジーを感じさせる。そんな異様な存在感を放っていた。

 

『さて優ちゃん、聞こえているかい? まぁウチの技術に不備があるわけないからね。聞こえないはずがないから勝手に話を進めるよ』

 

社長の声が天井に取り付けられたスピーカーから響く。普段なら内心で毒づいているところだが、今の俺に社長の話なんかを気にする余裕など無かった。ただひたすらに目の前の存在に意識を吸い寄せられる。やがて俺の沈黙を肯定と取ったのか、社長が再び口を開いた。

 

『随分と待たせてしまったね。それが君の専用機──第三世代型IS、アマテラスだ』

 

熱に浮かされたように、スピーカーから垂れ流された言葉が脳内をぐるぐる回る。

 

「アマテラス……」

 

それが、こいつの名前なのか。

 

俺は自身の理解を遥かに超越した存在にすっかり見入っていた。一歩、二歩と、覚束ない足取りでゆっくりそれへと近づく。そして指先がそれに触れた時、耳鳴りのような音が室内に響き渡った。

 

その直後、直接脳内に何かが入り込んだような感覚と共に、視界の悉くを呼吸すら躊躇うほどの数多の情報が埋め尽くす。

 

「あ…………ぁ……っ!」

 

数の暴力とも言うべき程のデータの濁流が俺の頭を内側から何度も殴りつける。痛みのあまり、絞り出したようなかすれた悲鳴を漏らすので精一杯だった。

 

脳髄が割れる。網膜が灼ける。それから放たれた光と熱の奔流が、万雷が如き轟音を響かせ縦横無尽に空間を走る。視界は埋め尽くされているはずなのに、なぜか周囲の状況全てを把握できる。そんな自身の認識に俺の意識は追い付いていなかった。

 

光速で駆け抜ける情報の軍勢が過ぎ去ると、今度は徐々に視界と認識が同化し始める。目に映る世界が見慣れたものに変わっていくにつれ、幾分か落ち着きを取り戻していった。気が付くと俺は、呼吸を荒げ、額に大粒の汗を浮かべていた。

 

『おおっ……!』

 

『ふつくしい……』

 

『女神や……女神がおるでぇ……』

 

『即ハボ……』

 

恍惚を孕んだため息や呟きがスピーカーから降り注ぐ。見れば、誰一人としてマイクなどの類を持っていない。どうやら部屋自体に集音機能があるらしい。

 

だが、今の俺にはそんなことどうでも良かった。正確には、いちいち関心を示している余裕など無かった。

 

「はぁ……はぁ……っ、な、何なんですか、今のは……」

 

息も絶え絶えに、何とかキャラを崩さないよう努めながら訊ねる。

 

そんな俺の健気な努力なんてどうでもいいとでも言うように、社長はとても軽い声でとんでもないことを言ってのけた。

 

『いやあ、実はそのアマテラス、なんていうかデータを詰め込み過ぎてしまってね。並の適性だとあまりの情報量にパンクしちゃうんだけど、さすがは優ちゃん! 君なら大丈夫だって信じてたよ!』

 

おうこら待てや。さらっと何言ってんだあんた。

 

窓越しに、髪をファッサァファッサァと掻き上げる社長を睨みつけるが、そんなことには気付かず社長は続ける。

 

『Aでギリギリ許容できる量だったんだけど、優ちゃんは何と言ってもA+だからね! 確実に成功する見込みはあったってワケさ! でもまぁ、装着してしまえばあとはこっちのものだよ。さっきは辛かったかも知れないけど、今は大分楽になったんじゃないかい?』

 

「言われてみれば……」

 

先程とは打って変わり、汗は止まり、呼吸も落ち着いてきたようだ。そういえばISには操縦者の健康状態を維持する機能があるとか何とか。……って装着?

 

ふと見れば、目の前にあったはずのISが見当たらない。そして俺の視点がいつもよりちょっと高い。っていうか浮いてね?

 

視線を下方向へスライドさせる。足の下に見える影のようなもの。やっぱ浮いてるわ。そしていつもなら視界の端に映る俺の手足は、指先から肘までとつま先から膝まで、それぞれ手袋とブーツのように細く薄い白金色の装甲に覆われていた。

 

……ISってこんなんだっけ? もっとこう、ゴテゴテしてて、メカメカしい感じじゃねーの?

 

恐らくこの手足の装甲らしきものが意味するのは、俺が先程のIS──アマテラスを装着しているということなのだろう。しかし今現在目にしているものとテレビやネットで見たものとのギャップに、思わず眉をひそめる。まだ全貌を把握したわけではないが、ロボ的なものは期待しない方が良さそうなのだろうか。

 

するとその時、突然俺の目の前にゲームのステータス画面のようなパネルが現れた。パネルの右側には、ISの全体像らしきものが映し出されている。どうやら俺の疑念をISが読み取ったらしい。こんなこともできるのか。かがくのちからってすげー!

 

とりあえず装備品というか、搭載されている武装一覧などは置いておき、まずは外装をチェックする。何事においても見た目は大事だぞ。いや本当に。

 

真っ先に目についたのは大きな翼だった。ウィングスラスターとかいうやつだろうか。六枚の羽根のようなものが背中から切り離された状態でふわふわ浮いている。確か『非固定浮遊部位』と呼ばれるものだ。IS学園の課題に出てた。というかでかい。本体──つまり俺の身体と比較して結構でかい。図を見る限り恐らく、羽根一つ分で俺の身長の7割ほどだろうか。

 

どうやら外装はその6枚羽根がメインのようで、他には背面から上半身を包み込むような形状のものと、腰付近から脹脛辺りまで伸びるスカートのような形状のものが左右と後ろを守るように、それぞれ申し訳程度についていた。当然というか、またしてもどちらもISの装甲としてはかなり薄い。さらに先程の手袋っぽいのにしろ何にしろ、デザインがあまりメカらしくない。直線的というか、凹凸や部品の見える部分が少なく、これが兵器であるということを忘れてしまいそうだ。

 

『ふふふ、気に入ってくれたかな? 今回はウチの広告塔としての役割を兼ねているからね。デザインはかなり力を入れているんだ。あ、当然デザインだけじゃなくて武装の方も────』

 

社長が何やらドヤ顔で解説を始めた。近くにいる社員らしき人達は「あー、始まったよ……」とでも言いたげな顔をしている。こういう風に得意気に語りだすのはよくあることなのだろうか。ならば別に聞き流しても問題は無さそうだ。あの人解説するの好きそうだし、あとで必要になったらまた教えてくれるだろ。

 

まぁ、デザインについてはスマートだのスタイリッシュだのと言えば聞こえは良いが、正直な感想を問われれば不安の一言に尽きる。だってこんな薄っぺらい装甲じゃ防御力なんてあってないようなもんだろ。多分殴られただけで死ぬぜこれ。紙耐久もいいとこだぜこれ。

 

『さらにこの機体には第3世代型兵器が2つ搭載されているんだ! 英国のティア―ズも2つ積んでるらしいけど、優ちゃんの演算次第では汎用性精密性破壊力全てでこちらが凌駕することも可能なのさ! 1つはこないだの機体にもあったハイパーセンサーのジャミング。これは正直、大して脳のキャパを割かなくても大丈夫。多分常時発動しながら戦闘できるくらいの余裕はあるんじゃないかな? 問題はもう1つの──ブツン』

 

ワンパンKOされる未来の自分を思い描いていると、何かが切れるような音と共に社長の饒舌な演説が止まった。何事かと窓ガラスの向こうへ目を向けるが、社長は相変わらず自分に酔いまくった状態で髪をファッサファッサ靡かせながら何か喋っている。生憎口を動かすので精一杯なようで、こちらの様子にはまったく気づいていない。傍から見れば口パクで歌っているようにも見えて、なんだか滑稽だった。

 

そして間を置かずして、今度は別の声がスピーカーから鳴り響いた。

 

『あー、八神さん。何事かと思われたことでしょうけど、単に部屋そのものの集音機能を解除しただけですのでご安心ください』

 

「は、はぁ……」

 

見れば、白衣を着た男性が備え付けのマイクの前に立っている。どうやらあの人が声の主らしい。

 

白衣の男はチラと俺を一瞥し、『フヒッ』という笑いを漏らす。そしてメガネをくいっと押し上げ、言葉を続けた。

 

『とりあえず設備をそちらの部屋に用意いたしますので、この後はフォーマットとフィッティングを行います』

 

言い終えるや否や、他の職員達に声をかける男。その男に連れ立って、白衣を着た人達はどこかへ移動していく。

 

窓ガラスの向こうには、物言わぬ機器達と、誰もいなくなったことに気付かずに未だパクパクと口を動かし続けている社長だけが残されていた。




ノリと勢いとガッツで採用
→五反田弾のIS学園入学

採用しようかどうか検討中
→シャルル♂デュノア「ホモ以外は帰ってくれないか」
→シャルル・ジ・ブリタニア「一夏のえっち……」

没初期設定
→本来八神夫妻に子供ができなかった理由は、夫妻ではなく同性だったため

誰か書いてくれ
→ IS/UC -可能性のケダモノ-
一夏「なぁ、この一本角を見てくれ」
弾「すげぇ割れてる……。はっきりわかんだね」

冗談はさておき、シャルルちゃんのオス化については割と本気で悩んでます。というのも、常識的に考えて男装が入学時にバレないわけないじゃないですか。男装が無理なら初めから男にしちゃえばいいんじゃね、と。


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リハビリ投稿ということで連投です。


一人の少女がいた。

 

どこにでもいる普通の少女。尊敬する姉と両親がいて、大好きな男の子がいる。少し男勝りで、剣道が好きな、どこにでもいる普通の少女だった。

 

しかしただ一つ、とびきり特別なことがあった。

 

それは少女の姉の存在。少女の姉は天才だった。それはちょっと勉強が得意だとか、ちょっと知識が豊富だとか、決してそんなレベルではない。文字通り、天災が如き天才だった。

 

天才と呼ばれた姉により、世界中は大混乱に陥り、少女の家族も皆散り散りになってしまう。当然、大好きだった男の子とも離れ離れになってしまった。

 

少女は悲しんだ。悲しみ、そして憎んだ。

 

無限の彼方。遠く碧い成層圏へと続く空を見上げ、呟く。

 

なぜ────と。

 

少女にはまだ分からなかった。自分は何も悪いことをしていないのに、なぜ家族とすら共に居られないのか、と。

少女からすれば、ある日突然今までの日常を取り壊され、自分一人だけがぽつんと放り出されたようなものだった。ただ一つ分かったのは、その原因が姉であったことだけ。

 

少女は姉への怒りと憎しみを吐き出すかのように、再び剣道に打ち込んだ。────否、憎しみの捌け口というより、もしかすると、彼女は剣道に縋っていたのかもしれない。

 

あの頃から変わらなかったのは剣道(これ)だけだったのだ。続けていれば、いずれあの頃に戻れるかもしれない。家族と、大好きな男の子のいた、あの頃に。

 

しかしいつしか、少女はそれすらも見失い、感情の赴くままに剣を振るった。やがて、怒りと憎しみを込めた太刀筋は、凶剣とも呼ぶべき暴力となって相手を襲った。

 

そんなことを続けていれば、当然周囲からは良く思われない。いつしか彼女は孤立し、目の敵にされるようになった。顧問が窘めるも、しかし彼女は依然として周囲を顧みることはなかった。

 

お前らに何が分かる。自分の抱いた怒りや憎しみは、お前らには分からないだろう。そもそもお前らが弱いのがいけないのだ。などと本気で思っていた。後の黒歴史である。

 

ある日、剣道の大会が開催された。出場した少女は着々と勝ち上がっていく。そして決勝戦。少女が力任せに叩き付けた竹刀が、汗を弾き、炸裂音を響かせた。少女の勝利だった。

 

しかし、そこで少女は対戦相手に怪我を負わせてしまう。結果は少女の優勝となったが、誰一人として讃える者など居なかった。それどころか、ほれ見たことかと、一斉に少女を責めたてたのだ。

 

白けた目で贈られる乾いた拍手。労いはおろか、糾弾すらされる勝利。決して飾られることのなかったトロフィー。対戦相手の見せた、悲壮にまみれた涙。

 

少女の目には、全てが敵に見えた。

 

そして、一人の少女の心がひび割れてしまうのに、然程時間はかからなかった。

 

しかし同時に、そこまで至ってようやく少女は気づく。己が姉と同じになっていたことに。

 

出る杭が打たれるのには理由がある。正の方向にしろ負の方向にしろ、周囲から逸脱する者というのは、得てして悪影響を振りまく場合が多い。無論功罪共にあるのだが、罪のみというケースはあっても、功のみというケースは稀である。

 

ましてや、他人のためではなく、己の感情に身を任せてその逸脱した力を振るう者など、周囲にとっては毒でしかない。少女の羅刹が如き暴力的な凶剣も、姉の苛烈なまでに聡明な頭脳も、どちらも等しく、周囲を傷つける害悪でしかない。

 

これでは合わせる顔がない。少女は幼馴染の顔を思い浮かべ、静かに胸を痛めた。きっと変わってしまった自分を、彼もまた責めるのではないか。僅かに恐怖が滲む。

 

少女はそっと、リボンを外した。

 

活発で男勝りだった少女は、姉への怒りと憎しみから、抜身の刀のような、触れたものを傷つける、攻撃的で孤独な少女となった。そして攻撃的で孤独だった少女は、姉と同じだと自覚することによって────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおおおおお! 一夏ああああああああ! 会いたかったぞおおおおおおおおおおお! 保護プログラムだかなんだかのせいで全然会えなかったからお姉ちゃん寂しかったんだぞおおおおおおおおおお!」

 

「千冬姉、少し黙ろう。 っていうか結構な頻度で隔離施設に無理やり侵入してたくせに何言ってんだ」

 

 

 

 

春。

 

誰もが浮足立つ季節。麗らかな陽気にあてられたのか、はたまたこれからの新生活へと思いを馳せているのか。

 

そんな中、物珍しげ……というより、もはや不審者と見紛う程に周囲をきょろきょろとしながら、とある学園の廊下を歩く一人の少年がいた。

 

「な、なんだあのホログラム的なやつ。やっぱIS学園ってすげぇ。最先端どころか未来に生きてんな」

 

近未来的な設備に次々と目を奪われていく少年。男の子だもの。仕方ないね。しかしそこではたと気付く。彼が先程から、周囲の注目を集めていたことに。

 

(えっ? いつの間にこんなに人が……っていうか女子しかいねぇ!)

 

女女女女女。あちらもこちらも女子生徒一色の光景に軽く衝撃を受ける少年だったが、今自身がいる場所を思い出し、それもそうかと思い直す。

 

(うーん、話には聞いてたけど実際目の当たりにするとやっぱ違うな。これがIS学園か。それはそうと視線が痛い……)

 

周囲にいる全ての生徒が女子生徒なのだ。健全な男子高校生にとってはなかなかにきつい状況と言えよう。それに加え、そこにいるほぼ全ての生徒の無遠慮な視線が少年に突き刺さっている。しかし誰一人として少年に声をかけようとする者はいない。あまりにも特異な状況に居心地が悪くなったのか、少年はそそくさと長い廊下を歩き出した。

 

「ねぇ、あれが例の……」

 

「織斑一夏くんだっけ」

 

「織斑ってことはやっぱり千冬様と……」

 

「ん? 近親相姦? ふっ、やはり分かってしまうか。そう、私と一夏は禁断の……」

 

「んなこと言ってないしさらっと混ざらないでください」

 

長すぎない程度の黒髪に、さっぱりと整った容姿。道行く女子生徒は一人の例外もなく、ちらちらと彼へ視線を向けながらすれ違っていく。その視線によって少年の居心地がさらに悪くなったのは言うまでもない。

 

(始業までまだ時間はあるな……弾と合流したかったけど見当たらないし、しばらく散策でもするか)

 

少年は踵を返し、背中につきまとう姦しいほどの視線から、逃げるようにして校舎を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

軽く息をつき、木陰のベンチにもたれかかる。そして顔を上げ、少年────織斑一夏は、これから自分が駆け抜けるであろう、どこまでも青く続く空へと思いを馳せた。

 

「さて、迷った。どこだここ」

 

一夏の小さな呟きは、そよ風にかき消され、流れていく。

 

IS学園は世界各国から数多の生徒が集う。故に、その敷地も相応に広い。広いどころか、人工島一つを使い潰しているのだから、はっきり言って頭がおかしいレベルである。初めて足を踏み入れたような人間があてもなくふらふらと歩いていれば、当然のごとく迷う。

 

(まぁ落ち着け織斑一夏。こういう時は焦るのが一番だめなパターンだ。とりあえずタイムマシーンを探さないと。そして10分前の俺を殴ってでも止めないと。散策なんてするんじゃなかったちくしょう)

 

涼しげな表情で虚空を見つめる一夏は、どこか飄々と掴み所がなく、それでいて神秘的とも言える雰囲気を醸し出していた。端正な相貌も相まって、彼の周辺は侵し難い聖域であるかのように、決して近づいてはならないものとして周囲の目には映っていた。所謂『絵になる光景』というやつだろう。そんな一夏を、上級生と思われる女子生徒達が呆けた表情で見つめていく。その頬は淡く熱を帯びていた。

 

(……あれは上級生か。たしか2年生以降は専攻科目ごとに別棟になるんだったか。同級生なら着いていけば問題解決だったんだけどな。くそ、こっち見んな。俺は珍百景じゃねえんだからさっさとどっかいけ)

 

再び緩やかな風が吹き抜ける。風に紛れて、足音が一つ、ゆっくりと一夏へ近づいていく。周囲の息を呑む音が聞こえた。しかしそれは、聖域へ踏み入っていく咎人への指弾ではなく、むしろ────。

 

「────誰だ?」

 

振り向かず、背後へ歩み寄る人物に訊ねる。この一年間で、すっかり他人の気配に過敏になってしまった。自分に向けられる視線も嫌というほど浴びてきた。内心を見せないようにポーカーフェイスも得意になった。重要人物保護プログラムによって齎された一年間の軟禁生活は、織斑一夏という少年に様々なものを与えた。当然、彼が望む望まざるにかかわらず。

 

「えっと、一夏くん……だよね?」

 

控えめな、しかしそれでいて芯の通った凛とした声。遠く離れてから、何度となく懐かしみ、聞き焦がれた声。一夏は立ち上がり、勢いよく振り返った。

 

先程までの一夏を『絵になる』と評するならば、彼女はまさしく一枚の絵画。近づくことはおろか、その美しさに呑まれ、呼吸すら躊躇うほどの完成された芸術だった。

 

艶やかな長い黒髪が風に揺れる。深い紅の双眸が一夏の姿を映す。桜色の唇が彼の名を紡ぐ。

 

一夏はゆっくりと、一歩一歩、彼女へと歩み寄った。

 

 

 

 

思えば、あの事件の日を過ぎてからは初めてかもしれない。

 

「────ああっ、久しぶりだな。ユウ」

 

震える声で、彼は笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とある教室の窓際最前列。まだ人影のまばらな教室の中で、彼女はただ一人、静かに本を読んでいた。

 

耳にはイヤホンを挿しているが、音楽プレーヤーは起動していない。ただの『話しかけないでください』アピールである。そもそも最近の曲など知らないのだ。

 

イヤホンをしてはいるが、無論、ちゃんと周囲の会話には耳を立てている。なぜなら自分の陰口が怖いからだ。単純な理由である。

 

彼女はただ、目立たずにひっそりと過ごすつもりだった。恐らく最も不人気であろう座席をいち早く確保し、彼女は自身の安寧が約束されたと確信した。

 

そっと自身の髪に触れる少女。目立たないようにしようと決めた日以来、ずっと使っていなかったリボンを引っ張り出し、再び一つに束ねた髪。かつて『彼』がくれたリボン。そのリボンで昔と同じ髪型にしていれば、もしかしたら鈍い『彼』も気づいてくれるかもしれない。見たことがあるなと思ってくれるかもしれない。それは、過去の経験から今一歩踏み出すことができなくなってしまった彼女が、ただ一つ抱いたささやかな願いだった。

 

そのささやかな願いの結果、悪目立ちしてしまうであろうことは容易に想像できた。しかし、それでもと、彼女がリボンに手を伸ばしたのは、ひとえに思い出への強い未練があったからだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……? 会話が、止まった?)

 

少女は違和感に気付き、静かに顔を上げた。中途半端に集った、今後クラスメイトとなるであろう生徒達が繰り広げていたしょうもない会話が止まり、今度は波紋のようにざわめきが広がりだした。

 

嫌な予感がする。少女は首を動かさないまま、じっと耳を澄ました。

 

どうやら誰かが新たに入ってきたようだ。クラスメイト達がざわざわと囁いているのは恐らくその誰かだろう。少女はそうあたりを付け、神経を研ぎ澄ました。

 

ざわめきの中心は、ゆっくりと彼女がいる場所へ近づいていた。その数は二つ。

 

(な、なんだ? おいちょっと待て。今の私はイヤホン+読書という鉄壁のコミュ障スタイルのはず。普通そんなやつに話しかけようとするのか? いやしない。しかしならばなぜこちらへ近づいて来るんだ!)

 

本で顔を隠すように俯く少女。少女の表情は狼狽の二文字で占められていた。

 

普通であれば、音楽を聴きながら読書をしているように見える相手に率先して話しかけたりはしない。そう、普通なら。

 

(来るな来るな来るな来るな来るな! 私は静かに過ごしたいんだ! いや待ておちけつ! まだ私に用があると決まったわけではない! 確かにこちらへ近づいてはいるが、恐らく私以外の誰かに用があるのだろう! 私の隣も後ろも空席だけどな!)

 

しかしまぁ、何事にも例外というものは存在するのである。

 

不意に、ざわめきの中心が止まった。少女の真横だった。

 

誰かが横に立っている。気づきながらも、気づかないふりをする。それがコミュ障スタイルの真髄である。少女はメロディも歌詞もない音楽へ耳を傾け、もはや内容が頭に入らなくて何が書いてあるのか分からなくなった文庫本の世界へと入り込んだ。心臓が早鐘を打ち、手のひらに嫌な汗が滲む。しかし少女は平静を装う。全ては安寧のために。

 

(……む? どうした? もしかして近くに来ただけか? ああ、なるほど。空いている座席を探していたのか。ははは、やはり用があったのは私ではなかったようd)

 

────とんとん。

 

(やはり私かああああああああ!)

 

肩を叩かれる。ここまでされては気づかぬふりをすることはできない。チェックメイトだ。王手だ。船越に追い詰められた崖の上の犯人だ。寝ているふりにすればよかったと後悔しつつ、少女はイヤホンを外した。

 

「なぁ、俺のこと覚えてるか?」

 

イヤホンを外した途端、耳にすうっと入ってくる声。それは少女にとって強烈とも言える懐かしさを孕み、同時に、少女に壮絶な違和感をもたらした。

 

(男……だと……? この学園にいるのは女子生徒のみのはず……)

 

だが、すぐさま彼女は思い直す。そう、この学園には二人の男子生徒が入学してくるのだ。そしてそのうちの一人は、彼女がずっと恋焦がれ、思いを募らせてきた少年。声変わりこそ始まっているが、それでもなお懐かしいと感じたこの声の正体は────。

 

(だが、しかし……)

 

ここで彼女の予想が的中していれば、もう目立たず静かに過ごすことなど叶いようもない。否、もはやこのクラスの注目を浴びてしまっている以上、後戻りはできそうもない。

 

(結局、私は『出る杭』のまま、か。‥‥‥‥‥‥いや、今は私だけではない。私は、一人ではない)

 

 

 

天秤が一つ。片方には、現在の傷と未来への恐怖。そしてもう片方には、過去の暖かい思い出。

 

 

 

少女はゆっくりと顔を上げ、彼の名を、恐る恐る呟いた。

 

「一夏……なのか?」

 

 

 

彼女が選んだのは、思い出だった。

 

 

 

少女の視線の先──真新しい制服に身を包んだ少年は、向日葵のような満遍の笑みを浮かべた。

 

「やっぱり箒だったのか! 久しぶり! 6年ぶりだな!」

 

一夏と呼ばれた少年はにこにこと笑みを絶やさず、嬉しくてしょうがないといった様子だ。まるで子犬のようにはしゃぐ彼の姿に、箒と呼ばれた少女は柔らかく口元を緩める。

 

「ふふっ、ああ、そうだな(やっべ鼻血出そう。守りたいこの笑顔)。それにしても6年ぶりだというのに、よく私だと気づいたものだな」

 

一夏は相変わらず嬉しさを隠そうともせず、ひとつに束ねられた箒の髪を指差した。

 

「だってほら、昔と同じ髪型だし。それにそのリボン、俺が昔あげたやつだろ? 流石に自分で渡したもんは忘れねぇって」

 

「そ、そうか。覚えていてくれたのか……(リボンつけてきてよかったぁあああああああああああッ!)」

 

箒は赤くなった顔を隠すようにやや俯き、長く伸ばした髪に触れた。陽に照らされた髪が揺れる。

 

ああ、この学園に来てよかった、と、そう思ったのも束の間。

 

思い出話に花を咲かせようと、再び顔を上げた、その時だった。

 

「弾だけじゃなくて、ユウにも会えたし箒にも会えたなんて! 本当にIS学園に来てよかったぜ!」

 

そう言って、今度は後ろへ視線を投げかけた。その時になってようやく、箒はハッと思い出した。そういえば近づいてきた気配は二人分だった、と。

 

「紹介するよ。こいつは篠ノ之箒。俺の幼馴染だ。前にチラっと話した気がするけど」

 

釣られて、一夏の視線を追う。そしてそれが目に入った瞬間、彼女は言葉を失った。

 

「えっと、初めまして。一夏くんの友達の、八神優です。よろしくね」

 

半ば放心している箒に対し、小首をかしげ、暖かい笑みを浮かべる少女。ただそれだけならば何事もなかった。しかし、その少女は明らかに普通ではない。

 

雪のように透き通った白い肌。きめ細やかに艶やかな光沢を放つ黒い髪。上品に通った鼻。長い睫毛。挙げればキリがない。まるで計算され尽くしたかのような、神に愛されたと言っても過言ではない美しさ。

 

しかし不思議と、嫉妬などの醜い感情が沸き起こることはなかった。

 

普通であれば、出る杭は打たれるのが世の常である。それは箒自らが体験し、学んだことだ。突出した能力を持つ者は淘汰される。何故なら周囲にとっては毒にもなり得るからだ。

 

しかし同時に、彼女が先程体験したように、何事にも例外は存在する。

 

目の前の少女────八神優の場合、美しすぎるが故に、敵わないと理解できてしまうが故に、誰しもが負の感情を抱くことすら烏滸がましいと感じてしまう。

 

出る杭は打たれる。しかし、手が届かないほどに大きく突出した杭を、一体誰が打てようか。

 

かつて一度折れてしまった箒にとって、彼女の経験則を真っ向からぶち壊す優の有り様は、あまりにも眩しすぎた。

 

(だが、まだ終わりではない────ッ!)

 

崩れかける箒の精神を、彼の存在が支え留める。そう、たしかに自分は彼女に敵わないかもしれない。しかし、先ほどの言葉から察するに、八神優という少女は織斑一夏のことをただの友人としか見ていない。

 

(即ち、この八神優という女は障害にはなり得ない!)

 

ちなみに、どこぞの中華娘も同じ局面に遭遇し、同じ思考の末同じ結論に至ったのだが、それはまた別のお話である。

 

平静を取り戻した箒は、放心した表情を締め直し、ぎこちないながらも必死に笑を作った。

 

消極的というか引っ込み思案というか、過去の経験から、周囲に関わらないようにしようとすっかりコミュ障となってしまった箒。本来彼女は、優のような──すっきりと垢抜けていて、周囲の中心になるような手合いは苦手なのだ。しかし、恋敵ではなかったり、グイグイ系ではなかったり、というかむしろ敵に回す方がやばそうだったり、そういった諸々の条件が、箒のコミュニケーション能力を人並みにまで引き上げていた。

 

「し、篠ノ之箒だ。よろしく頼む(こいつが敵じゃなくてホントよかった)」

 

それでも若干どもる箒。しかも微妙に目を見て話していない。むしろなんだか心配になるレベルだ。

 

「しののの……? えーっと、うーん……どこかで聞いたような……。あっ、絶対に答え言わないでね? もうちょっと待って。たしか聞いたことあるはずだから……」

 

真紅の瞳を伏し目がちに、顎に手を当て、首をかしげる優。相変わらず、妙なところで負けず嫌いである。

 

しかしそんな優のシンキングタイムは、唐突に終了を迎える。

 

破裂音にも似た大きな音と共に、勢いよく扉が開かれる。そして扉の音にも劣らぬ程の溌剌とした声が教室に響き渡った。

 

「ユウ! 一夏!」

 

ぴょこぴょこと跳ねるツインテール。意志の強そうな瞳。彼女の快活さを象徴するかのような改造された制服。見て取れる情報全てが、彼女という人間を物語っていた。

 

そして同時に────

 

(こ、こいつは……!)

 

────彼女が、箒にとっての天敵であることも。

 

戦慄する箒をよそに、一夏は歩み寄るツインテールの小柄な少女に笑みを向ける。

 

「鈴も来てたのか! いやぁ、こうも再会が続くとは俺も思わなかったなぁ」

 

にこにこと無邪気な笑顔の一日に、鈴と呼ばれた少女はやや照れ笑い気味に、自身の指をもじもじと絡めた。

 

「えへへ、まぁあたしがIS学園を受けたのは一夏がいるって聞いたからなんだけどね」

 

「えっ、俺が?」

 

瞬間、箒は確信する。ああ、やはり敵か、と。

 

対する鈴は、まるで箒など眼中にないかのように話を続けた。

 

「うん。だって一夏に会いたかったし。向こうにいる間ずっと会える日を待ってたんだもの。一夏がISを動かしたって聞いてあたしもすぐにIS操縦者になることを決めたわ。代表候補生になればIS学園への留学とかもできるって聞いたし。そういえば誘拐されたんだって? 怪我とかない? 大丈夫だった? 何もされなかった? 一夏に何かあったらって思うとあたし怖くて……怖くて……」

 

そう言って俯く鈴。その小さな肩は僅かに震えていた。

 

「怖くて……怖すぎて誘拐犯共を血祭りにあげたくて仕方が無いわ」

 

余程一夏の事が心配だったのだろう。瞳からは光が消え、拳はきつく握りしめられていた。

 

「でもこうしてまた会えて嬉しいわ! 一夏もあたしに会えて嬉しいでしょ? ねぇそうよね?」

 

「え、あ、いや……お、おう。そうだな」

 

仲睦まじく会話に花を咲かせる二人。和やかな雰囲気を醸し出す一夏と鈴とは裏腹に、箒は今の話を聞いてはっと我に返った。

 

(ゆ、誘拐!?)

 

「ユウも久しぶり。相変わらず呆れるくらい美人ね」

 

「あはは、ありがと」

 

今度は優と話し始める鈴。思い出話や、ここ最近のことまで、話題はなかなか尽きそうもない。それを見計らい、箒は一夏へと向き直る。

 

「い、一夏、今誘拐って……」

 

一夏は目線を逸らし、気まずげに頭を掻いた。

 

「あー、それはなんというか、ちょっとドイツでいろいろあってさ」

 

「そ、そうか……」

 

まぁ、今無事なのだから……と、無理やり自身を諌める箒。恐らく昔の彼女であれば、ここで激しく追求したことだろうが、言ったところで詮無きことである。ちなみに一夏がうやむやな感じではぐらかしたのは、終わった事件のことで箒に余計な心配をさせたくなかっただけなのだが、彼女がそれを知る由は無い。

 

「それにしてもアンタら二人は目立つわね。遠目でもすぐ分かったわ」

 

鈴が一夏と優の二人を交互に見る。対して、苦笑いを浮かべる優と、きょとんとする一夏。一瞬自身が目立つ理由が思い当たらなかったようだったが、すぐに何かを思いついたかのように納得顔になる。

 

「あー、やっぱ男ってだけで相当珍しいみたいだな。……ってちょっと待った。それなら弾を見なかったか? あいつも同じ状況なら結構目立ってるはずなんだけど……」

 

だが、鈴は肩をすくめ、あっさりと言い放つ。

 

「さぁ? 見てないわ。あ、そういえばさっきから聞きたかったんだけど────」

 

言いつつ、すっと細めた目を箒へ向ける。まるで品定めでもするかのような、敵意と興味が入り交じった鋭い眼光に、思わず逃げるように目を逸らし、身を引く箒。完全に蛇と蛙状態である。

 

無表情のまま箒をじっと睨みつけ、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「────一夏、この女、だれ?」

 

(ひぃっ……! やばい、このツインテールはやばい!)

 

感情のない、底冷えするような声。箒は悪寒にも似た何かを感じながら、一夏へと救いを求める視線を向ける。

 

しかしそんなものが現実で通用するはずも無く、一夏は何事もなかったかのように箒のことを紹介していた。

 

「ふぅん、幼馴染……ねぇ」

 

箒とは久しく会っていなかったことを一夏が話すと、鈴は勝ち誇ったように箒を見下ろした。しかしやはり、そんな些細な女心の機微を意に介する一夏ではない。

 

「箒、こいつは凰鈴音。俺は鈴って呼んでる。名前から分かる通り、出身は中国だ。箒とは時期的に丁度入れ替わる感じだな」

 

言われ、改めて目の前の少女──鈴を観察する箒。箒の目には、見た目も性格も、何もかもが狙いすましたかのように正反対に映った。ただ一つ共通項を挙げるとするならば、それは一夏への想いのみ。そしてさらに言えばそれこそが、彼女ら二人の関係が厄介かつ面倒なものとなる最大の要因だった。

 

「凰鈴音よ。一夏とはつい一昨年までずっと一緒にいたわ。今は中国の代表候補やってるの。よろしくね」

 

にっこりと、どこか陰と狂気を感じさせる笑みを作る鈴。対する箒はすっかり萎縮した様子で、さっと目を逸した。

 

「し、篠ノ之、箒だ。よ、よろしく……」

 

ぎゅっと手を握り締める。俯きがちに、震える声を絞り出すようにして、なんとかといった調子で言葉を返す箒。

 

一人の少年を巡って、正反対の少女達が対峙する一方で、当の少年は自身の幼馴染二人が交友を深めていく姿を思い浮かべており──

 

「あっ、思い出した! しのののって確か……」

 

──もう一人の少女は、歯に詰まったものが取れたようなホクホクした表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はじめまして。このクラスの副担任となりました、山田真耶です。上から読んでも下から読んでもやまだまやです」

 

黒板の前で、その女性は柔く微笑んだ。低い身長、肩まで伸びた髪、大きめのメガネ、微妙にサイズの大きなひらひらとした服。彼女を構成する全ての要素が、彼女を実年齢より幼く見せていた。

 

「え、えーと……」

 

その少女のような女性────山田真耶の言葉に、何一つリアクションを返さず、そわそわと落ち着かない様子の生徒達。無論例外というか、落ち着き払っている生徒もいるにはいるが、そういった生徒も大人しくしているだけで、結局真耶の言葉に反応する者は誰一人として居なかった。

 

「そ、それじゃあ、出席番号1番の方……えっと、相川さん? から、自己紹介、してくれたら嬉しいなぁ……なんて……」

 

折れかかる心を必死に支え、恐る恐るといった様子で口を開く。名指しされた生徒は立ち上がり、溌剌と自己紹介をしているが、やはりどこか落ち着かないようだ。

 

このクラスの関心が集中しているのは一人の男子生徒。彼は周囲の注目を集めていることを自覚しながらも、特に取り乱すこともなく、平静を保っていた。

 

「えっと、じゃあ次は……織斑くんですね」

 

真耶の言葉に、徐に立ち上がる少年。同時に、クラス中の視線が彼へと集まった。それは興味であり、関心であり、好奇心であり、値踏みであり、実弟への劣情であった。色とりどりの視線に晒されながら、窓際二列目に座っていた彼はぐるりと教室を見回し、爽やかな笑みを浮かべた。

 

「織斑一夏です。一応世界初の男性IS操縦者、なんて呼ばれてますけど、気兼ねせずに接してくれると嬉しいです。よろしくお願いします」

 

直後、拍手もなにもなく、しんと静まり返る教室。否、静まり返るというより、一部を除くクラスメイト達はさらなる言葉を待ち望んでいた。ギラついた肉食獣のような目が、集団で一夏を捉える。

 

当然一夏もその空気をなんとなく察していたが、特に言うべきことが降って湧いてくるわけでもない。

 

(うーん、これ以上何を言えっていうんだ? あれか? 一発ギャグでもかませばいいのか? でも俺のギャグセンスって結構不評なんだよなぁ。狙ったギャグでウケたこと一回もないし……)

 

少しずれた懸念を抱く一夏。当然クラスメイト達はそんなものが欲しいわけではない。例えば趣味だとか好きな食べ物だとか彼女はいないとか、彼女らが求めているのはそういったパーソナルな話であろう。

 

しかしそんな彼女たちの目論見を分かっていて潰すかのように、一人の女性が扉の影から姿を現した。

 

「あ、あと俺の姉は「今の自己紹介で不満だというのならば私が代わりに続けよう。そいつは私の弟だ」

 

黒いスーツを纏い、同色の髪を後ろで束ねた女性が、腕を組みながら教団付近へつかつかと歩いていく。

 

「お、織斑先生!」

 

救世主でも見るかのようなきらきらした視線を送る真耶。その言葉に反応し、女生徒達にざわめきが広がっていく。

 

「SHRを押し付けてすまなかったな」

 

真耶にそう言って、今度は教室全体を見渡す。まっすぐ伸びた背筋、気高い意志を湛えた瞳、凛々しい佇まい。教室にいる誰もが、彼女に見惚れていた。

 

「私がこのクラスの担任となった、織斑千冬だ」

 

直後、鼓膜を突き破るのではないかというほどの黄色い歓声が、教室を飛び越えて轟いた。

 

「千冬様よ! 本物の千冬様よぉ!」

 

「やばい! アタシ今千冬様と同じ空気吸ってる! ぬほぉんひっフォカヌポゥ」

 

「私、千冬様に憧れてIS学園に来たんです! 北九州(修羅の国)から!」

 

「ยินดีที่ได้รู้จัก ค่ะ」

 

口々に千冬を崇める女子生徒たち。まるでアイドルでも見ているかのような反応に、一夏や優は面食らっていた。

 

対する千冬は、一瞬心底嫌そうな顔をしたかと思うと、それを隠そうともせずに盛大なため息をついた。

 

「またこの類の連中か。あー、おいお前ら、うるさい黙れ」

 

どうやらこうしたリアクションには慣れているらしい。千冬の声に、瞬時に静まり返る教室。千冬はそれを見計らい、咳払いを一つした後、教卓に手をついて口を開いた。

 

「話を続けるぞ。そいつは私の弟だ。手を出すやつは例え誰であろうと許さん。一夏に手を出していいのは私だけだ。どうしてもと言うのであれば、この私の屍を越えてみせろ。いいな? いいなら返事をしろ。良くなくても返事をしろ。私の言葉に返事をしろ。わかったか?」

 

「え、いや……」

 

「えっと、あの……」

 

「お、おう」

 

「返事はどうした?」

 

『イエス! ユアハイネス!』

 

千冬の言葉に、はきはきと答える生徒たち。教師としての威厳を放つ千冬の言葉。そして教師への尊敬と信頼を湛えた表情の生徒達。そこには凡そ理想的ともいえる教育の姿があった。

 

「さて、まだ時間はあるな。山田先生、途中で止めてしまって申し訳ない。続きを頼む」

 

「は、はい! えーっと次は……」

 

千冬に促され、あたふたした様子で出席簿をめくる真耶。その時だった。

 

 

 

「まさか初日から遅刻してしまうとはな。ふぅ、やれやれ。俺はあまり目立ちたくないんだが」

 

 

 

ドアがスムーズにスライドする。現れたのは、皮肉るように口元を歪めた赤髪の男だった。

 

無駄のない動きで教室へと足を踏み入れる男。その一方で、教室にいた大半の人間は思わぬ侵入者に硬直していた。『え、誰こいつ。こいつ呼んだの誰?』とでも言いたげな雰囲気が教室中に充満する。

 

しかしそんな空気を切り裂くように、千冬が男へと視線を向けた。

 

「五反田だな。既にホームルームは始まっている。今回は手続きの都合上仕方ないが、次回以降の遅刻は罰則対象だ」

 

男──五反田弾は、「ふふっ、やれやれ。相変わらず手厳しいな」などと苦笑交じりにほざきながら、教室の後方へと向かう。

 

弾の歩く先には一つの空席。右隣にはカールしたブロンドを煌めかせる少女が座っていた。

 

不信感あふれる視線を弾に向ける、金髪の少女の隣に着席しようとする弾に、唐突に千冬が呼びかけた。

 

「五反田、今ちょうど自己紹介をしていたところだ。着席する前にお前の分を済ませてしまえ」

 

弾は一瞬、あざとさすら感じるほどのきょとん顔を晒したかと思うと、今度はわざとらしさ全開のめんどくさいオーラを放ちながら、下ろしかけた腰を上げた。

 

「ふぅ、やれやれ。俺の名は五反田弾。どこにでもいる普通の高校生だ。少し違うところがあるとすると、実はカイザーオブダークネスルシフェルの転生体であり、普段はそれを隠しながら生きているってことか。俺のことはそうだな……仮に紅い死神とでも呼んでくれ。親しいものは皆こう呼んでいる。……否、呼ばれていた、というのが正しいな。それはそうと、俺はただの人間には興味がない。このなかに宇宙人、未来人、異世界人がいたら後で俺のところへ来てくれ」

 

沈黙。ただひたすらに沈黙だった。ある者は目が点となり、ある者は羨望と憧憬の眼差しを送り、ある者はうつむき、ある者は頭を抱えていた。

 

この沈黙の中心にいる男は、周囲に視線を向けると、額を手で覆い、天を仰いだ。

 

「クッ、やれやれ……! やってしまったか……! そうだ、俺が本気を出してしまえばこのクラスの全ての人間が俺に惚れてしまうことは必至……! クッ、わかりきっていたことなのに……!」

 

内容自体は突っ込みどころ満載というかむしろ突っ込みどころの塊で至極意味不明なものであったが、彼がどういった類の人間なのかは伝わったはずだ。そう、彼もまた意味不明で突っ込みどころの塊なのだ。自信の人間性を周囲に知らしめるという意味合いにおいてはむしろ模範的な自己紹介であったといえる。

 

形容しがたい混沌とした雰囲気の中、HR終了を告げるチャイムだけが静かに鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 

のどかな陽射しと、対照的に未だ冷たさを仄かに残すそよ風。

 

「よう一夏! ユウ! 久しぶりだな!」

 

屋上にて、爽やかに眩い笑顔を浮かべる弾。対する二人は他人のふりをしてしまいたくなる衝動を抑えこみ、なんとか弾へと視線を向ける。

 

「おう。それはいいけどさ、さっきの自己紹介……って言ってもいいのかはわかんないけど、とにかくあれはなんだ?」

 

本気で理解が追い付かないといった風というか実際そうなのだろう。一夏が困惑した様子で訊ねた。対する弾はと言うと、『やれやれだぜ……』とでも言いたげに口元を歪め、肩をすくめた。

 

「ふっ、やれやれだぜ……」

 

「なに? もしかしてそのセリフ流行ってんの?」

 

「やれやれ……まぁ落ち着け一夏。ユウも困ってんだろ?」

 

「困ってるとしたら間違いなく五反田君のせいなんだけどなぁ」

 

「まぁ落ち着け二人とも。なぜ俺の秘められし真実を暴露したかって話だったな。まぁ簡単に言うと人払いだ」

 

人払いという単語に、二人は首をかしげる。今一つ話が見えてこない様子の二人に、弾は再び口を開いた。

 

「一夏の置かれている状況は、はっきり言って前代未聞、かつてないほどに混沌とした状況だ。何せそもそも前例どころか一切想定していなかったことが起きたんだからな。そんな状況で、一夏を狙わないやつらが出てこないはずがない。どういった形であれ、な」

 

「狙われる?」

 

ユウが一瞬きょとんとするが、一夏はすぐにその意味を理解したようだ。一旦区切り、弾は話を続けた。

 

「ああ。例えば男の復権のために一夏をとっ捕まえて、身体を調べて男でもISが使えるようにしようだとか、逆に女性優位を保つために一夏を殺して、男にISを使わせないようだとかな。他にも一夏を自国の代表にしようと交渉を持ちかけてくるやつもいるかもしれない。まぁ、命にしろ身柄にしろ、外部から狙うっつーのなら、まだ対処のしようがある。セキュリティ面もそうだし、ヤンデレ中華やブラコン超人もいる。何より『外部からの侵入』って時点で討伐対象をある程度絞り込めるというのが大きい。IS学園に侵入しようとするやつなんてそれだけで殲滅の大義名分成立だからな」

 

ただ……

 

そう前置きして弾は面倒くさそうにため息をついた。

 

「内部に関しちゃそれが難しい。女だけしかいない環境における唯一の男。興味を持たれない方が有り得ない。そうなると、一夏に興味を示した無数の女どもが群がってくるわけだ。当然その中にはいろんな国や政府の思惑で動くやつら、俗に言うエージェントやスパイなんてのもいるだろう。が、逆にそうでないやつもいる。単純に一夏に一目ぼれしました。なんてやつとかな」

 

「あ、そっか。明らかに怪しい侵入者ならそのまま倒しちゃえばいいけど、スパイと一般人の区別もつかない上に生徒っていう立場だとそうもいかないんだね」

 

優が顎に手を添え、得心がしたように頷いた。

 

「そうだ。怪しいやつが一人侵入してくるのとはわけが違う。誰がどことどう繋がっているのかという100%の確証を得られない以上、この学園にいるほぼ全ての生徒を疑わなければならない。かといって、先手を打って……ってのも難しい。もしスパイでも何でもないただの生徒なら、下手すりゃ国際問題だ」

 

このIS学園は場所こそ日本だが、その実多くの国からの生徒が集まっている。ISの軍事利用が禁止されている現行制度下において、どうどうと演習し、情報を収集できる数少ない場所だからだ。当然グレーだと言い張って軍にISを持ちだす国もあるにはあるのだが、ここでは置いておく。

 

「暗殺者、ハニトラ。何にせよ、まずは一夏に近づくことが必須だ。つまり近づかせなきゃいいわけなんだが、だからといって、表立ってそれを規制するための大義名分がない。下手にその辺に学園が介入して他国の生徒との接触を断てば、それはそれで問題になってくるしな。学園側にできるのは、せいぜい不純異性交遊はやめましょうつって呼びかける程度だ。だが生徒一人一人の行動にいちいち注意を向けていられないし、人間の感情に蓋をすることもできない」

 

と、ここで弾の言わんとするところを理解したのか、一夏が小さく呟いた。

 

「……なるほどな。近付けさせないっていう目的を達成するためなら、あの自己紹介はある意味うってつけだ」

 

一夏の言葉を受け、優もまた「あっ、なるほど」と呟いた。二人の反応を見るや否や、にやりとドヤ顔を浮かべる弾。

 

That's right(ご明察).普通あんなことを言うやつに好き好んで近づこうだなんて輩はいない。そして俺は一夏と同じ男で、カウンセラーだ。当然一夏と行動を共にするだろう。部屋も同室のはずだ。つまり俺がいることにより、一夏の平穏は守られるって寸法さ。それと、織斑先生のあの唐突なブラコンアピールも、恐らく俺と同じような目的だろうな」

 

「ドヤ顔もうざいし微妙に発音いいのもうざいしなんで英語入れてきたのか一切わかんねぇけど流石弾だぜ! まさかそこまで考えていたなんて!」

 

「うん、すごいよ五反田君! ただの邪気眼電波ナルシストじゃなかったんだね!」

 

「やれやれ、まぁ褒めるな褒めるな。照れるだろ?(そう、常人ならば、俺のような危険な男には近づこうとしないだろう。脆弱な人間では俺の力に耐えきれないからな。近づいてくるとするとそれは、俺と同じ魔の眷属か……)」

 

会話にもひと段落ついた、その時だった。

 

金属の擦れる音と共に、屋上の入り口がゆっくりと開いた。3人の視線が一斉に侵入者へと向けられる。

 

 

 

「失礼します。少しよろしいでしょうか」

 

 

 

陽射しを受けた煌びやかなブロンドが、そよ風にふわふわと揺れた。




最近アイマスにはまっているのですが、はるるんって全てのキャラクターの中で最も「えへへ……」っていう笑い方が似合うキャラだと思うんですよね。

それはそうとモバマスの蘭子と幸子に言いようのない既視感を覚えるのは私だけでしょうか。

追記
よくよく思い返してみると、1期特別編で一夏たちが行ったスーパーでもホログラム的なやつ普通に出てましたね。まぁいいか。細かいことは置いておきましょう。


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セシリアは変態じゃないんだ。ごめんね
結局上手くまとまらなかったからとりあえず書きかけのやつをそのまんま投入


彼女は両親が好きだった。

 

由緒ある家柄に生を受け、本人もまた政治家としての道を歩んできた母。家格は劣るものの、夫として様々な面において母を支えた父。

 

そんな二人の関係がきっと理想なのだろうと、そう彼女の目には映っていた。

 

そんな思いがあったからだろうか。

 

社会が女性優遇へと動き始め、肥大化していく優越感と劣等感を目の当たりにしても。

両親の死後、家を守るために奮闘する自分にすり寄ってくることしかできない浅ましい者達をどれほど目にしても。

侮られまいと、一人で立って歩むと誓い、いつしか他者を見下すことしかできなくなっていても。

 

 

 

それでも尚、彼女は希望を捨てきれなかった。

この世界が俗物だらけだとしても、それでも誰かを認めたい。かつてそこにあった理想を、理想のままで終わらせないために。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

ゆっくりとした開閉音が、来訪者の存在を告げる。

 

俺、織斑一夏、五反田弾が顔を向けたと同時に、気品の漂う声が無骨な屋上に響く。

 

「失礼します。少しよろしいでしょうか」

 

宝石のように眩い金色を靡かせながら、優雅な足取りでこちらへと歩く女子生徒。白いスカートがふわふわと揺れる。あの女は確か……いかん。五反田弾のインパクトが強すぎてまったく思い出せん。確か同じクラスにいたと思うんだけどなぁ。でも先輩だったら怖いし、一応敬語使っとこう。

 

と、ここでごく普通に対応しようとして、ふと考える。

 

(こいつ、何しに来たんだ?)

 

この女子生徒が入ってきた時にわざわざ断りを入れたということは、俺たちの誰かに用事があると考えるのが妥当だ。或いは全員か? ただ俺に関してはこんな女との接点はない。男二人に関しては、男だからという理由から興味本位で話しかけられても不思議ではない、が、先ほどの話を鵜呑みにするなら、織斑一夏に近づきたいからと言って五反田弾がいるにも関わらずわざわざ屋上にまで来るというのはいささか合理性に欠ける。

 

(怪しい……が、かといって下手に突くのもなぁ……)

 

隣を見れば、織斑一夏も俺と同じようなことを思ったのか、侵入者に対して懐疑の目を全力で向けていた。

 

しかしまぁ、とりあえずこのまま放置というわけにもいくまい。

 

「はーい、どうぞー。なにかご用事ですかー?」

 

なるべく柔らかい笑顔で、穏やかに見せるよう意識する。ひとまず相手の出方を伺うとしよう。

 

この時、俺達は失念していた。いや、そもそも気づけという方が無理だ。

 

ブロンドの女は俺達────俺と一夏を無視して、もう一人の男へと歩み寄った。

 

「五反田弾さん、ですわね?」

 

視線が隣で呆けている赤髪の男へと集まる。

 

そう、まさかこの男目当てでやってくる輩がいるなどと、誰が予想できようか。

 

しかも────

 

「先程のご挨拶、わたくし感動いたしましたわ!」

 

────こんなわけのわからん理由で寄ってくるなどと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は少し流れ、場所は教室。

 

あの後ちょっとしたオリエンテーション的なものがあり、今は再び休憩時間だ。

 

「改めて自己紹介いたしますわ。わたくし、セシリア・オルコットと申します。オルコット家の当主にして、イギリスの代表候補生ですわ」

 

優雅にスカートをつまみ上げ、首を垂れる金髪の女。頭の動きにつられ、ふわりと煌めく髪が肩からこぼれおちる。なんだこの凄まじいお嬢オーラ。しかもドリル髪だしですわ口調だし。まあ実際貴族らしいし、実際お嬢様なのだろう。自称、莫大な資産と政治的地位を持つ由緒正しい貴族なんだそうだ。執事とかリアルに居そう。

 

しかも、どうやらこの女はイギリスの代表候補生らしい。さらにいろいろ聞いたところによると専用機を既に持っているそうだ。いや、俺だって持ってるし。

 

「それで、五反田君に用事があったんだよね?」

 

俺の問いかけに、セシリアと名乗った女は目を輝かせ、風を切る勢いでこちらに首を回した。

 

「はいっ! わたくし、あのような方を初めて見ましたの!」

 

そりゃあアイツみたいなのがホイホイいてたまるか。

 

俺の冷めた内心とは裏腹に、胸の前で手を合わせ、熱を帯びた瞳で虚空を見つめるセシリア・オルコット。

 

「あんなふうに真っ直ぐ自分を表現できる方なんてそうそういらっしゃいませんわ」

 

ここまで聞くと、まるで純粋に弾を慕っているかのように聞こえる。

 

しかし次の言葉で、そんな考えは覆されることとなる。

 

 

「ええ、本当に……

 

 なんの力もない、()()()()()にしては、とても素晴らしい方ですわ!」

 

 

(──ああ、なるほど)

 

俺は内心で静かに頷いた。セシリアの置かれていた境遇と、弾に惹かれた理由に何となく察しがついたからだ。

 

貴族と言うからには、それなりに『らしい』振る舞いというものが求められる。彼女の立場上、周囲の顔色を窺いながら自分を殺さざるを得なかったのだろう。自分らしさなんて皆無の世界だ。

 

そしてそれは当然、彼女を取り巻いていた周囲の人間もまた同様なはずだ。なんだかんだ現首相・大統領などは男性の方が多数派だし、恐らく貴族社会においてもそれは同様だろう。セシリアの立場を考えれば、様々な貴族の当主、乃至政治的地位のある人間が彼女に気に入られようと、或いは取り込もうと擦り寄ってきたことは想像に難くない。彼女の顔色を窺い、時に媚を売り、時に諂い、或いは怯え、プライドなど放り捨てていたのだろう。もしかしたら、彼女にすり寄ってきた男だけではなく、もっと身近にそういう人間がいたのかもしれない。

 

女性の発言力の高さだけではなく、彼女個人がISというこの世界における核兵器を所持しているのだ。下手に機嫌を損ねればどうなるか分かったものではない。周囲の人間がそういった対応になっても不思議ではない。むしろ妥当だ。

 

そうなれば、セシリア・オルコットという女の中で、男という存在への評価が急降下していくのも無理は無い。或いはそもそも女尊男卑の風潮にかぶれていたのかもしれない。

 

ここまで来れば、先程の発言にも納得できる。要するに、セシリア・オルコットにとって五反田弾は、今まで出会った男共よりも遥かにマシだった。ただそれだけのことだ。

 

まあつまるところセシリアが言った言葉の通りなのだろう。あんな風に真っ直ぐ自分と言う物を確立させている男など初めてで、愛想笑いを張り付けながら自分に媚び諂って来る『男』という生き物にしては素晴らしいヤツだったと。

 

結局男のことをナチュラルに見下していることには変わりないな。

 

ただもしかすると……単純に羨ましかったのかもしれない。いや、羨ましいというより、憧れたのかもしれない。

 

愛想笑いを張り付け、顔色を窺いながら過ごしたのは彼女も同じなのだ。そんな彼女にはできなかったことを平然とやってのける男がいた。ただそれだけのことなのかもしれない。

 

まあ、どちらにせよ所詮は推理ですらないお粗末な想像だ。本人に聞いたところで明確な回答など返ってくるかも分からない。人の感情など、理屈をこねくり回したところで説明しきる事なんて出来る筈が無いのだ。しかしとりあえず俺の中での納得は得られた。今はそれで十分だ。

 

「ふっ、俺は唯一無二にして絶対の存在だからな。どうやら俺の唯一無二AURAが子猫ちゃんを引き寄せてしまったらしい。ふっ、俺も罪な男よ……」

 

この男に憧れるのかー。やっぱりちょっと無理があるなー。

 

セシリアは謎のポーズをとる五反田弾を放置し、今度はもう一人の男子生徒────織斑一夏へと向き直る。

 

「それから……織斑一夏さん、でしたわね?」

 

急に話しかけられた一夏は一瞬驚きながらも、すぐに表情を引き締める。

 

「ああ、なんだ?」

 

ほぼ無表情且つ平淡な調子で返した一夏に対し、セシリアは薄い笑いを浮かべた。

 

「わたくし、貴方にも期待していますのよ? 男性の身でありながら、どこまでISを扱いきれるのか」

 

「……そうか」

 

物言いたげに、一夏の視線がセシリアへと向けられる。セシリアはそれを受け止め、僅かな落胆を含んだ溜め息をついた。

 

「まぁ、本音も言えないようでしたらそれでも構いませんわ」

 

ただ……と前置きをして、セシリアは再び微笑んだ。

 

「それでも、貴方の目は、今まで出会ったどの男性とも違う。わたくし、人を見る目には自信がありますの。貴方が多少はマシであることを期待しますわ」

 

やはり何だかんだ、セシリアの言葉はどこか上から目線だ。当然一夏もそう感じているはず。ただあの上から目線は多分無意識と言うか、悪意があって言っているわけではなさそうだ。つまり彼女自身、何が悪いのかがわかっていない。一夏もそこに気付いたからこそ、さっきは口をつぐんだのかもしれない。

 

というか俺なんか空気じゃね?

 

と、ここで俺の思考を読んだかのように、今度は俺へと視線を移すセシリア。

 

「それから貴女、八神優さんでしたわね?」

 

「え、あ、はい」

 

思わずきょどる俺。いやだって考え事してる時にパツキンのガイジンさんに突然話振られたらそりゃあきょどるよ。

 

まあ俺の些細なきょどりなどどうでもいいようで、セシリアは俺を半ば無視して話を進めた。

 

「貴女が専用機持ちであることは既に聞いています。恐らく、このあと選出されるクラス代表には、貴女かわたくしが選ばれるでしょう。その時には、貴女とわたくし、どちらが上かはっきりさせて差し上げますわ」

 

セシリアの言葉に、なぜか色めき立つ周囲の生徒たち。

 

『きっききききキマシタワァァァァァァァァァッ!!!!!』

 

『どちらが上かって、つまりそういうことよね。わかるわ』

 

『成績優秀な高飛車金髪お嬢×天然清楚系黒髪美少女……なるほど、そういうのもあるのか』

 

何を言っているのかわからないが、とりあえず放置。っていうかクラス代表って何ぞ。まぁ多分学級代表とか委員長的なアレだろう。とりあえずそんなことはさておき、今はこの女のことが先だ。

 

俺は無駄に自身に満ち溢れているセシリアにかける言葉を探し、探し……

 

「あ、その、えっと……はい」

 

それだけ言うと、セシリアは満足そうに自分の座席へと戻っていった。

 

そして一夏や弾を含め、一部始終を見ていた生徒たちから『ええー……』『あの返しはちょっと……』的な視線を向けられる俺。

 

いやだってあの感じだと『はい』としか言えないでしょ! 他になんて言えば良かったんだよ! そりゃあ正直我ながらあの宣戦布告に対して『はい』は無かったと思うよ! でも咄嗟にカッコイイ切り返しなんて出てこねぇよ!

 

俺の心のシャウトなど露知らず、授業の開始を告げるチャイムが鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん、さすがに誰もいないか……はぁ、疲れた」

 

校舎の外、中庭の隅にある自販機の前で、俺は盛大にため息をついた。

 

ISについての初授業が終わり、逃げるようにして教室を出てきたのだ。そりゃあ疲れるに決まっている。

 

(くそ、セシリア・オルコットとかいったな、あの女)

 

そもそも俺が教室から逃げる羽目になったのはあのセシリアとかいう洋物のせいだ。あいつが専用機云々クラス代表云々とか言いだしたせいで、それを聞きつけたやつらから質問攻めにあったのだ。正確にはあいそうになった。ピークになる前に何とか抜け出すことができたからな。

 

セシリアに言われたことを思い出す。

 

『クラス代表には、貴女かわたくしが選ばれるでしょう』

 

いやまぁ、言わんとすることは分かる。

 

ISにはコアと呼ばれるパーツが必要不可欠だ。そしてそのコアには数に限りがある。故に、専用機を与えられる人間も当然限られる。ISに携わる人間にとって、専用機保持とは即ち選ばれしエリートの証と言っても過言ではない。

 

つまり専用機を持っているという時点で、他の生徒たちにはない長時間のIS稼働というアドバンテージと、専用機持ち(超エリート)という肩書があるというわけだ。代表に相応しいといえば相応しいと思わなくもない。

 

……まぁ、クラス代表なんて誰がなっても一緒だろ。最悪何かあっても幸運先生が何とかしてくれる。

 

そして付け加えるならば、他の生徒たちの大半は当然ながら、まだまだISに触れる機会は少ないし、稼働経験も浅い。既に専用機を持っている人間に興味が集中するのもある種当然の成り行きだったというわけだ。

 

というかなんでセシリアの方には行かなかったんだ? あ、そういえばあいつは一般入試組だからもうみんな知ってたのか。

 

疑問を解消した所で、俺はジュースでも買おうと、目の前の自動販売機に小銭を入れた。この世界では既に全ての自販機が電子マネーに対応しており、今の若い世代には、ちょっとしたスーパーなどでの買い物もICカードや携帯電話を使用した電子マネーでの支払いが広く浸透している。

 

しかし前世での価値観が残っている俺にとって、現金支払いの方がなんだかんだ馴染んでいるというか、安心感があるというか。そういう理由から、俺は割と頻繁に現金を利用している。やっぱこっちの方が買物した感があるし。

 

ペットボトルがぶつかる音と、小銭が1枚、落ちてくる音が静かに響く。……ん? お釣りだと? おかしい。俺は150円丁度で払ったはず。

 

腰を落として見てみると、そこには10円玉が1枚。そして視線を上に向けて、気づいた。

 

「あ、140円……」

 

うん、たまにあるよね。大学のキャンパスとか、高校の購買の自販機とか。そういう学校の自販機ってたまにちょっとやすいよね。130円とか140円とか。でもさ、そういう微妙な値下げって結構財布を小銭でパンパンにしちゃうから俺はあんまり好きじゃないな。いや、安さを否定するわけじゃなくて、そもそも安さを追求するならドラッグストアとかスーパーで買った方が圧倒的に安いし。いや、別に今気づけなかったからこうして文句を言っているわけではなくてね?

 

「……はぁ、戻ろ」

 

俺は一抹の悔しさを覚えつつ、10円玉をポケットに突っ込み、その場を後にした。

 

 

 

 

 

「あ、ジュース取るの忘れた」

 

駆け足で戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「というわけで、今からクラス代表を決める。自薦他薦は問わない。意見がある者は手を挙げろ」

 

織斑先生の鋭い声に、あちこちから手が伸びる。

 

クラス代表とは、近々行われるクラス対抗戦に参加する代表者のことだ。選出されるのは一人で、選ばれた生徒は1年間クラス代表を務めることになる。対抗戦以外にも、生徒会や委員会が開く集会への参加などの事務的な仕事も任される。らしい。

 

さて、先程の金髪ドリルの言う事を鵜呑みにすれば、俺かあの女が選ばれるとのことだ。『女性の方が強い』という前提を踏まえ、『代表選に勝てる人選』という基準で考えるならば、その予想は限りなく合理的だ。

 

しかし意外というか、ある意味妥当と言うか、セシリア・オルコットの予想は大きく外れることとなる。

 

「はいっ! 織斑くんが良いと思います!」

 

「私も! 私もそれがいいと思います!」

 

次々と挙がる熱い織斑プッシュ。いやまあ気持ちは分からんでもないけどな。せっかく世にも珍しいというかただ一人の男性IS操縦者をゲット出来たんだから、他のクラスに自慢したいだとかこうした方が盛り上がりそうだとか、そういう気持ち自体は分からなくもない。

 

当の本人は若干の焦りを見せながらきょろきょろと首を動かしている。まぁこいつもさっきのセシリアの話聞いてたしな。自分が選ばれるとは思わなかったんだろう。というかさっきの話聞いてたヤツらも織斑プッシュしてんのか。お前らセシリアのこと実は嫌いだろ。

 

そしてやはりというか何というか。当然納得のいかない人間もいるわけで。

 

ちらりと後ろを振り返る。そこには、ものすごく何か言いたげな金髪碧眼の女子生徒と、その隣で険しい表情の中に焦りを滲ませている赤髪の男子生徒。どうやらあの男は俺と同じ考えに至ったようだ。

 

弾が何か言おうと口を開きかけた、その時だった。

 

「ちょ、ちょっとお待ちください!」

 

大きな音を立てて机に白い両手が叩きつけられる。声を荒げて立ち上がったのは、当然、既に弄られ噛ませキャラの片鱗を見せつつあるセシリア嬢。顔が赤いのは怒りのせいか、はたまた羞恥か。

 

「どうした、オルコット」

 

織斑先生の冷静な声がセシリアへと向けられる。

 

と、ここで今の自分が貴族としてなかなかにあるまじき状態だということに気付いたのか、一瞬固まったのちにゴホンとわざとらしく咳払いをするセシリア。そうそう、常に優雅たれってどこぞのおっさんも言ってたし。

 

やがて落ち着きを取り戻したセシリアは、背筋を伸ばし、ゆっくりと口を開いた。

 

「その、何の考えもなしに織斑さんへと代表の責務を押し付けるのは、聊か早計ではないかと思いまして。この度選ばれるクラス代表とは、クラス対抗戦に参加し、この学級の顔となる人物なのでしょう? でしたら、やはりある程度の実力が伴っている方を選ぶべきですわ」

 

セシリアの主張に、一部の『何の考えも無かった人達』がぎくりと肩をすくめる。まあ確かに、入試の段階で実力を示しているセシリアに対し、織斑一夏という人間は他の生徒達にとってあまりにも未知数。一度も戦闘しているところを見たことが無い上に、ことIS分野において『男性』という要素はそれだけでマイナス要因となり得る。恐らく他の生徒達にとっては、一夏に実力が伴っているとは考え難いのだろう。

 

セシリアの言っていることは今のIS分野で言えばとても正しいが、正直あまり空気の読めた発言とは言えない。

 

しかし今回に関してはよくやったと言っておこう。ついさっきまで、俺はクラス代表なんて誰でも良いと思っていた。しかし内容を知った今では違う。

 

 

 

織斑一夏はクラス代表になるべきではない。

 

 

 

セシリアの思わぬファインプレーに俺と弾は胸をなでおろした。が、当のワンサマー殿は何やら微妙に不服そうでいらっしゃる。表情こそ無表情だが、そこそこ長い付き合いだから分かる。てめぇふざけんなこのやろう。

 

俺達の思惑をよそに、セシリアの主張は続く。

 

「報道によると既に専用機はお持ちの様ですが……仮に彼の推薦を認めたとしても、それなら尚のこと、一度織斑一夏さんの実力を知っておくべきだと思いますわ」

 

いや、そこは認めないでください。

 

まぁ主張自体は妥当であると判断されたのか、織斑先生は顎に手を中てて何やら思案しているようだった。

 

「オルコットの言う事にも一理あるな。では、オルコットと織斑の両名による模擬戦を行う。そこで勝利した者がクラス代表となることとする」

 

ハリのある鋭い声が、反論を許さない、既に決定事項だといった論調で告げる。

 

(まずい……このまま話が流れるのはちょっとまずいぞ……)

 

気付けば、俺は少し焦っていた。微妙に不服そうな一夏は放置するとして、弾の表情も若干ではあるが苦々しいものとなっている。

 

このままセシリアと一夏が戦うとして、この男に事情を説明して『わざと負けろ』と伝えたところで、はいわかりましたと頷くだろうか。この表情を見れば答えなんて明白だ。ずばり、ノーである。なんだかんだ頑固と言うか、負けず嫌いと言うか。さんざん見下されている空気をビシビシ感じておきながらわざと負けるなんて選択肢を選ぶなんて多分こいつには無理だ。

 

というか今回の俺達の『心配事』に気付いてないようですらある。いや、その『心配事』そのものが杞憂であるのなら、こいつが勝とうが負けようがクラス代表になろうが生徒会長になろうが何だっていい。

 

この状況──織斑一夏をクラス代表から降ろす方法……方向性としては1つしかない。即ち、『セシリア・オルコット以外のクラス代表候補を推薦する』。そしてそいつに一夏が負ければ万事解決だ。

 

結局のところ、恐らく一夏が気に入らない点があるとすれば、それはセシリア・オルコットにわざと負けるという点だろう。セシリア以外が相手なら、俺達の要求を飲んでくれる可能性はまだそちらの方が高い。

 

だがしかし、ここで俺は致命的なミスに気付く。

 

(しまった……! このクラスのヤツらの名前なんて碌に知らねぇ……!)

 

いや、俺のコミュ力の問題ではなく。ほら、まだ入学初日だし。そもそも初日からこんなにガッツリ授業やってる方がおかしいし。まぁそれは関係ないとして。

 

(とりあえずちゃんと名前を知っていて、一夏が負けても問題なさそうなやつというと……あ、しののの)

 

ちらり、と窓際最前列へと目を向ける。そこには、自分など全く関係ないとでも言いたげに窓の外をぼへーっと眺めているポニーテールの女子生徒。

 

(いやちょっと待て。さすがに今俺があの女を推薦するのはちょっと無理がある。碌に接点など無いし、何より理由がない。いや、あるにはあるんだけど……)

 

そう、あるにはある。彼女は篠ノ之束……だったはず。の関係者である可能性が高い。珍しい名前だし、さすがに偶然の一致ではないと思う。思うのだが……

 

(開発者の親戚とかっていうならそれを理由にゴリ押しできなくはない。ただ、そんなに親しくもない他人のプライバシーにそこまで土足でづかづかと踏み込むのは流石に人としてどうなんだろう……)

 

俺の人としての良心が、しのののをスケープゴートにする案を押しとどめていた。

 

残る案は実質1つのみ。他人に頼れないなら自分で何とかするしかない。要するに俺も一夏の対戦相手として立候補するのだ。

 

(俺相手にわざと負けてくれるかどうかは恐らくアイツの中での俺の好感度次第。そんなに低くは無いと思うけど、確実性はちょっと微妙だな。しかし仮に八百長を演じてもらえなかったとしても、セシリアだけではなく俺とも闘う事になる。当然一夏がクラス代表になる確率はぐっと下がる。が、どちらにせよ確実とは言えないな)

 

保護プログラムによって隔離されていた間に、IS関連の訓練を行っていたかもしれない。ヤツの実力は本当に未知数だ。

 

それにそもそも、俺が介入することによって好転するばかりではないだろう。織斑一夏と一緒に居ると何が起こるか分かったものではない。ある程度のデメリットも考慮しておくべきだ。

 

俺が参戦することによって良くなるかどうかは分からない。しないことによって悪くなるかどうかも分からない。

 

ならば話は簡単だ。こういう時は幸運先生に相談してみれば良い。

 

俺はポケットの中の10円玉をそっと握りしめた。

 

この10円玉は、今どちらの面が上を向いているのか分からない状態だ。これを握りしめたままもう片方の手の甲に乗せ、その時鳳凰堂が上ならのんびり観戦。数字が上ならレッツパーリィ。

 

中身が見えないよう、しっかりと握ってポケットから手を引き抜く。そのままもう片方の手の甲に10円玉をそっと乗せた。

 

と、ここに来てはたと気づく。

 

(そもそも俺はなんでアイツを守る事に躍起になってんだ?)

 

そう、よくよく考えてみれば俺がアイツを守ったところで然したるメリットは無い。今回の事だって、客観的に見てみれば面倒なクラス代表とやらを回避できてむしろラッキーぐらいの勢いだ。別に気に食わないやつの思惑が絡んでいるわけでもない。そもそも今回に関しては具体的な問題が起きているわけではなく、起きるかもしれないという程度だ。

 

にもかかわらず、俺があの男を守ってやらなきゃならない理由って何だ?

 

その時、一瞬、刹那にも満たない時間。とある光景がフラッシュバックした。

 

寂れた廃工場。瓦礫の山。腕から滴り落ちる鮮血。そして、俺を守る様にして立っている、ISを纏った後ろ姿。

 

(────まぁ、友達だしな)

 

それに、所謂『乗りかかった船』というやつだ。俺は『友達』にとって最良の結果に繋がる事を祈りつつ、静かに手のひらをどけた。すかさず視界に現れる1と0。どうやら俺のやる事は決まったようだ。俺は10円玉を机の上に置いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それではそろそろ次の──」

 

「すいません、ちょっといいですか?」

 

織斑先生の言葉を遮り、手を挙げる。ただそれだけの動作に、クラス中の視線が集まるのを感じた。

 

「なんだ、八神。私の言葉を遮る程重要な意見なのか?」

 

無駄に圧をかけてくる先生。いや、ちょっと待って。こわい。

 

なんとかプレッシャーを耐え抜き、針の筵の様な空気の中、俺ははっきりと告げた。

 

 

 

「私も、織斑くんの実力試しに参加してもいいですか?」

 

 

 

瞬間、ざわりと教室の空気が揺れる。セシリアは『当然ですわ』とでも言いたげに何故かうんうんと頷き、隣の弾は『なるほどな』と納得するような笑みを浮かべている。

 

そして──

 

「ユウ……? なんで……」

 

俺の左隣で、捨てられた子犬の様なか細い声を上げる一夏。うるせえてめぇのためだろうが少し黙ってろ。

 

そしてワンテンポ遅れて、教室のあちこちから声が聞こえてくる。

 

『なるほど、八神さんも居たわね』

 

『たしかに。八神さんも専用機持ってるらしいし』

 

『あとかわいい』

 

『ちょっと抜けてる天然っぽいところもかわいい。さっきね……』

 

おい、そこのお前、聞こえてんぞコラ。誰が抜けてるって?

 

騒ぎ始めた生徒達。それを止めたのは、何一つ予想外でもなんでもない織斑先生だった。

 

「黙れ。口を閉じろ」

 

それほど声を張り上げた様子も無かったのだが、生徒達は皆、訓練された軍隊の様に口をつぐんだ。それほどの気迫と、殺気にも似た何かが織斑先生の言葉にはあった。おーこわい。

 

教室が静まりかえったのを確認して、織斑先生は再び口を開いた。

 

「では改めて。明日、織斑一夏、セシリア・オルコット、八神優の3名による模擬戦を行う」

 

そう言って、何やら手元の端末を操作する織斑先生。そして操作が終わると、俺、一夏、セシリアへと視線を向けた。

 

「場所は第3アリーナ。まず最初に織斑とオルコットによる第一試合。その後エネルギー補給をはさみ、織斑と八神による第二試合を行う」

 

そこまで言った時、どこかからか抗議の声が上がった。まぁどこかっていうか俺の隣っていうか。

 

「ちょっと待った! なんで俺だけ2連戦なんだ!?」

 

うん、それは俺もちょっと思ったよ一夏くん。あとさり気無く明日に変更されてるね。

 

しかし返ってきたのは質問に対する応答ではなく、黒い出席簿による打撃だった。

 

「敬語を使え。敬語を」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

ほお、ちょっと意外だな。あのマジキチレベルのブラコンが弟に攻撃を加えるとは。あー、でもなんか、弟にお仕置きしていいのは私だけだーとか、わけわからんことを考えてそうだな。或いはそういうプレイと捉えているか。あ、ちょっとニヤけて涎出てる。どうやら後者の様だ。

 

「織斑の質問に答えよう。なに、別に大した理由ではない。オルコットの場合、自身が代表になりたいという明確な意思が見て取れた。故に、オルコットが勝った時にはオルコットがクラス代表となる。その場合、第二試合は行われないものとする。何故なら、八神が今名乗出た理由が、織斑の実力への疑問視によるものだからだ。八神に立候補の意思は見られないし、本人も意図的に明言は避けたようだからな。いわばこれは、八神から織斑への不信任投票ということになる」

 

そう言って、俺を一瞥する織斑先生。うーん、すごい。ちゃんと建前だと分かった上でそれを前面に押してくれてる。考えてることってここまで読みとられるもんなのか。こいつエスパーじゃね?

 

俺の疑問を放置し、織斑先生は言葉を続ける。

 

「八神に立候補の意思がなく、そもそもお前の実力を試したいという理由である以上、八神とオルコットが戦う理由が無い。アリーナの使用時間にも制限があるからな。さて────」

 

と、ここで再び俺へとその鋭い眼光を向ける織斑先生。せやから怖いて。

 

「八神、仮に第二試合が行われて、そこでお前が勝利した場合はどうする?」

 

訊ねられ、若干萎縮する俺。やっぱこの人こわい。視線で人殺せるわ。っていうか絶対分かってんだろこの女。だからわざわざ日時を明日にしたんだろ? そりゃあクラス代表候補すらいない状態はなるべく短い方が何かと良いだろうし。

 

俺は呼吸を一つおき、ゆっくりと、織斑先生を見つめ返した。

 

「代表選出をやり直してください。勿論候補はいち……織斑くん以外で」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、なんでさっきあんな事を言ったんだ?」

 

昼休み。食堂にて。俺は一夏の問いに対し、気付くと不機嫌さを隠すことなく眉をひそめていた。

 

あの後、何か言いたそうな一夏を弾と共に回収し、とりあえず食堂にまで連れてきた。いつの間にか鈴も一緒に居たが、まぁ鈴だし。気にしないでおこう。

 

俺はあんかけチャーハンを口に運ぶ手を止め、スプーンを置いた。やっぱりこいつ気付いてなかったのか。

 

「そんなの、一夏くんをクラス代表にさせないために決まってるでしょ?」

 

俺の言葉に、ぽかんと呆ける一夏。くそ、いちいち腹の立つ野郎だ。続けるように、今度は弾が口を開いた。

 

「クラス代表になると、それだけでまず関わる人間が激増する。委員会、生徒会、教師。誰がどこと繋がっているかも分からん以上、下手にコミュニティを広げるのはあまりにも下策すぎる。さらに言えば、戦闘の機会もなるべく減らした方がいい。今回はあくまで模擬戦だからいいが、対抗戦となるとそれだけでギャラリーは比べ物にならない程になる。そうなると、不審人物が紛れ込んでいた時に対処し難い。戦闘中に乱入、或いは最初から相手と組んでフィールド内に潜んで……ってパターンもあるかもしれない。今回に限って言えば別に明確な危険があるってわけではないが、まぁ、可能性は摘んでおくに越したことは無い」

 

弾の言葉に、ふんふんと頷く一夏。とりあえず理解はしてくれたらしい。というか対戦相手とグルになるケースは考えてなかったな。そうなるとあの時不用意に他の生徒を推薦しなかったのはむしろ正解だったのか。

 

「ちなみに聞くけど、オルコットさんにわざと負けてって言ったら負けてくれる?」

 

「嫌だ」

 

即答である。負けた方が何かと得だということはコイツも分かっているはずなのだが、恐らく理解はしたが納得はしていないといった状態なのだろう。

 

「アンタ達んとこは何かと大変そうね~」

 

呑気な口調で言うのは、いつの間にかくっ付いて来ていた凰鈴音。松崎しげるのような醤油ラーメンをズルズルと啜っている。塩分過多で早死にしそうだ。

 

「あ、ちなみに2組のクラス代表はあたしよ」

 

思わず再び動かし始めていた食事の手が止まる。今コイツ結構大事なことをさらっと言い放ったぞ。

 

「へぇ、鈴もクラス代表なのか。ますます負けてられないな!」

 

そして箸を片手になんだか嫌なことを言いだすワンサマー氏。聞こえなかったことにしよう。なんか音が歪んで聞こえてたからさ。手話を通してください。

 

「おいおい一夏。俺の話を聞いてたのか?」

 

片手を額に添えながら、呆れっぷりを前面に押し出して一夏を詰る弾。今回ばかりはこの男に全面同意だ。

 

「そうだよ。というか仮にオルコットさんに勝ったとしても、今度は私に負けてもらわないと」

 

なんか嫌な予感がするんだよなー。こいつを代表にするというか、クラス対抗戦に出すと面倒事が起きそうな予感が。

 

余談だが、俺の嫌な予感は割と当たる。現にこいつと会った時に感じたやつも、誘拐事件に巻き込まれたり世界規模の問題の中心人物になるって形で見事証明された。

 

そして次の言葉で、俺の嫌な予感はさらに加速することとなる。

 

「…………いや、俺は……ユウにも負けたくない、かな」

 

「「「ッ!?」」」

 

思わず3人で一夏を凝視する。そういえばいつの間にか、俺の中では一夏が今回の話を理解してくれていることが前提となっていた。それならばと、てっきり負けてくれるものだとばかり思っていたが、どうやらそうではなかったようだ。

 

或いは理解した上で断ったのかもしれない。そうなるとますます訳が分からないが、そもそも人の感情などそう簡単には理屈で御することなどできやしないのだ。俺にはよく分からんメカニズムが働いているのかもしれない。

 

それに俺自身もさっき考えていたじゃないか。こいつが俺との八百長を引き受けるかどうかは俺の好感度次第。どうやら好感度が足りなかったようだ。

 

スプーンの上に乗った、あんかけチャーハンが皿の上に落ちる野暮ったい音がぼとりと響く。数秒の沈黙の後、最初に口を開いたのは、この沈黙の引き金でもある一夏だった。

 

「あ、いや、別にユウを傷つけたいとかそういうわけじゃなくてだな……」

 

誰もそんなことは危惧していない。

 

「ただ、助けて貰って、守って貰って、そうやっておんぶに抱っこばかりじゃだめなんだ」

 

そう言う一夏の表情は、何か、強迫観念のようなものに追い込まれているかの如く険しかった。

 

「俺は強くならなくちゃいけない。強く在らなくちゃいけない。俺が弱かったから、弾が巻き込まれて、ユウが怪我をして、千冬姉が勝てなかった……!」

 

あぁん? 何言ってんだこいつ。

 

俺は面食らいつつも、とりあえず黙って聞くことにした。だって突っ込めそうな空気じゃないし。

 

「それなのに、そうやっていつまでも負けてたら、いつまでも守られてたら、俺はずっと弱いままだ」

 

影を落とす一夏の横顔を、鈴が恍惚とした表情で見つめる。あ、鈴のラーメン伸びてる。しーらね。ちなみに弾は一夏の話など一切聞いていないかのようにせっせと牛丼をかき込んでいる。俺も冷めないうちに食べよう。

 

「俺は強くなりたい。守られてばかりじゃなくて……誰かを守れるくらい、強く」

 

結構減ってきたな。よし、あと一口。

 

「ユウには、それを近くで見ていて欲しいんだ。ユウのことだって守れるくらい、俺は強くなってみせるから」

 

「え……うん(あとひとくち……)」

 

清々しく微笑む一夏を前に、渋々、口に運びかけていたスプーンを再び置く。こいつわざとやってんじゃねぇだろうな。

 

「でもさ、もしそれで一夏くんが襲われて怪我でもしたら……ううん、最悪死んじゃったりしたら本末転倒だよ?」

 

わざと最悪の事態を口に出して危機感を煽る。確かに一夏自身が自衛の力をつけること自体は大いに結構だ。だが強くなる方法なんていくらでもある。わざわざ自分から戦闘エンカウントの多い道を進む必要があるのか。やはり今一度一夏のおかれている状況がいかに危険かという事を自覚させた方がいい。

 

そんな俺の考えを鼻で笑うように、一夏は爽やかな笑顔のまま、自信たっぷりに言い放った。

 

「だったら、その襲ってきたやつを返り討ちに出来るくらい強くなれば問題ないだろ?」

 

本日二度目の、何言ってんだこいつ状態である。

 

「ふっ、お前らしいぜ。一夏」

 

おいそこのニヒル笑いしてる赤毛ロング。お前ちょっとかっこよさげな雰囲気があったらすぐに流されるその癖直せ。

 

「さすが一夏ね! でも安心して? 一夏を傷つけるヤツはあたしがぼこぼこにしてミンチにしてやるから。あ、それからハニートラップには気をつけなさいよ? も ち ろ ん 引っ掛からないとは思ってるけど、もし見つけたらちゃんと報告してね? あたしの一夏に手を出そうだなんて分不相応なことをしでかすドブネズミはちゃんと処理しないといけないし。もし見つけたらこの世に生まれてきたことを一生後悔させてやるんだから。あっ、でもでも、もしあたしに何かあったら、その時はちゃんとあたしのことを守ってくれる? 守ってくれるよね。うふふ、ごめんね、当たり前の事聞いちゃって。でm」

 

チャイナツインテールが何か言っていたが俺には聞こえなかった。本当です。天地神明に誓って。あと1夏が何か困ってたけど気のせいだろ。仮に困ってたとしても自業自得だ。俺は知らん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 

温かみのあるオレンジの光と、平たく伸びた深く濃い影が景色を染め上げる。

 

放課後、俺は鈴と共に寮へと向かっていた。学生寮は通常2人1部屋で、同室の相手については部屋に着くまで分からないらしい。

 

ちなみにこの寮に隣接するようにもう一つ建物がある。つい最近完成した男子寮だ。ちょっとそっちに遊びに行ったら遅くなってしまった。まぁ遊びに行ったというか何というか……。ともかく、恐らく俺達が最後だろう。

 

「では1025室になります。こちらがカードキーですね。万が一紛失した場合はすぐにお知らせください」

 

寮の入り口で警備員?のような人に学生証を提示し、カギを受け取る。

 

寮の内装はまるでちょっとお高いビジネスホテルの様な雰囲気で、あちこちから聞こえる姦しい喧騒がやけに不似合いだった。

 

鈴とは部屋がバラバラだったらしく、寮に入って早々別れた。女子のみという状況が醸し出す、男にとっては不思議な空気の中、そそくさと部屋を目指す。

 

(1025……1025……あ、ここか)

 

扉に打ち込まれた金属のプレートには1025の数字。ドアノブの傍にある謎の機械にカードキーをかざす。

 

解錠を示す独特な音を合図に、何度かノックをして扉を開ける。

 

「失礼しま~す」

 

自分の部屋に入るだけなのに俺は何を言っているのだろうか。自分の言葉に些細な違和感を覚えつつ、部屋へと足を踏み入れる。

 

部屋の作りもやはりというか、高級ビジネスホテルさながらだった。シングルベッドが2つ、その間にスライド式の仕切り。キッチンもあるらしい。そして先程から聞こえるシャワー音。どうやら風呂まで完備されているようだ。これで個室だったら引き籠り化待ったなしだな。

 

奥のベッドを見てみると、傍らにルームメイトの物と思わしき荷物がある。袋に入った、長い棒状の様な物が立てかけられていた。あれは……剣道部のやつがよく持っているやつだろうか。竹刀か何かか?

 

とりあえず手前のベッドが空いているようだったので、そこに荷物を放り投げ、身を投げるようにして仰向けに倒れ込んだ。シーツがクシャリと歪み、すぐ横の荷物が揺れる。ふかふかのベッドに疲れが溶けていくようだ。なぜこんなに疲れているのかというと、それは男子寮で起きたちょっとした事件が原因だったりする。

 

(しっかし、男子寮からあんなに盗聴器が見つかるとは……)

 

最初に気付いたのは鈴だった。テーブルタップをいきなり分解し始めたかと思うと、そこから小型盗聴器が発見されたのだ。まるで自分も仕掛けたことがあるのではと思うほどの迅速な対応だったが、それは一旦置いておく。

 

それからはもう部屋中をひっくり返す勢いで大捜索が始まった。そうするともう出るわ出るわ大量の盗聴器と小型カメラ。結局あらかたたたき壊したところで、これ以上はもうキリがないということで、最終的にはブラコンお姉様を召喚するに至った。

 

一体そのうち、何割の物が悪意を持って仕掛けられたのかは分からない。もしかしたら単なる好奇心によるものかもしれない。

 

「まさかとは思うけどこの部屋には無いよな……?」

 

自分の言葉を、内心で即座に否定する。そもそも仕掛ける理由など無いだろう。全く、何を言っているのか。

 

しばし何も考えずに天井を見つめていると、不意にシャワー音が止んだ。どうやらルームメイトの顔がようやく判明するらしい。

 

ガチャリと開く扉。ほのかに香る石鹸の香りと僅かな熱気。俺は上体を起こし、軽く髪を整えた。

 

(多分初対面だろうし、あんまりフランクすぎる挨拶もあれだな。とりあえず、長すぎず短すぎず、硬すぎず馴れ馴れし過ぎず……んー、なかなか面倒だ。クラスぐらいは言っておいた方がよさそうだな……)

 

あれこれ考えつつ身構える俺の前に、ついにルームメイトが姿を現した。

 

「あれ? しのののさん?」

 

「や、八神!?」

 

どうやら俺のルームメイトは巨乳らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

篠ノ之箒。黒い長髪をポニーテールで纏めている。一夏が10才になる頃、一夏の前から姿を消した。あとでかい。

 

俺が知る篠ノ之箒の情報はそんなところだ。ただ、二つ程気になる点がある。

 

『篠ノ之』という名、そして失踪の時期。ちなみに失踪時期に関しては一夏が鈴と出会ったタイミングからの推測だ。ただこの推測が正しいのだとしたら一体なぜ一夏の前から姿を消したのか。ISの発表自体は10年前だ。保護プログラムがその時には適用されなかったのだろうか。だとすると当時は特に問題が起きていなかった事になる。つまりその3~4年後に何かが起きたのだろうか。そして俺の記憶が正しければ、この時期の少し前に篠ノ之束が姿を消しているはずだ。恐らく何か関係があるのだろう。

 

あまり遠まわしにしたところで時間の無駄だ。この際単刀直入に行こう。

 

「そういえばしのののさん」

 

「な、なんだ?」

 

俺の言葉に目を泳がせる篠ノ之。何に狼狽しているのかは知らんが、もしこれで必要な情報を引き出せなくなった方が困る。俺はあまり刺激しないよう、柔和な表情を作ってゆっくりと話しかけた。

 

「今朝から気になってたんだけど、しのののさんってISを開発したっていう人の親戚か何かかな? 名前一緒だし」

 

瞬間、篠ノ之箒の表情が凍りついた。どうやら必要な情報=地雷そのものだったらしい。

 

だが地雷を踏んだからと言って立ち止まるわけにもいかない。ISの開発者、篠ノ之束と言えば、世界で唯一ISのコアを製造できる人間であり、現在は行方知れず。世界各国がその存在を追っていると言っても過言ではない。らしい。俺も最近知ったので詳しくは分からないが、とにかく重要人物なのだ。それこそ織斑一夏に匹敵するレベル、或いはそれ以上だろう。

 

その重要人物の関係者とあらば、こいつ自身にもいつ危機が迫るか分かったものではない。同じクラス同じ部屋となれば、こいつの問題に俺が巻き込まれる可能性だって十分あるのだ。

 

俯きがちに焦点の定まらない目でどこかを見つめる篠ノ之箒。彼女の顎先に一滴の雫が伝う。

 

やがて、彼女の中での葛藤が終わったのか、口を開き、震える声でたどたどしく答えた。

 

「いい、妹だ」

 

「妹?」

 

「私は……あの人の妹だ……」

 

うわーお、マジでか。

 

姉妹だとはちょっと予想外だ。実際会った事無いから知らないけど、ISなんてものを10年も前に作ってんだから多分今はもう結構なおばさんだろ? 何歳差だよ。

 

しかし姉妹か。さすがにそこまで近しい関係だと狙われない方がむしろ不自然だ。篠ノ之束をおびき出す為に妹を人質に……なんてことも十分あり得る。いや、むしろ既に一度あったのか? もしかしたらこいつが失踪した原因はそれか? まぁ、推測に推測を重ねたところで意味など無い。この問題は一旦置いておこう。

 

「へぇー、そっかぁ」

 

とりあえず適当に相槌を打つ。さて、何をどう切り出そうか。

 

などと考えていると、まるで俺の思考を読んでいるかのように、篠ノ之はか細く早口で語りだした。

 

「私はあの人がどこにいるかなんて知らない私はISについての特別な情報なんて知らない私は別に特別扱いなんてされてない」

 

「へ?」

 

お、おう? どうした?

 

俺が間抜けな声を上げると同時に、篠ノ之もバッと顔を上げた。

 

「まさかあの人のせいで家族に何かあったのか!? だったらすまない! 謝るっ、謝るから……!」

 

「ちょっ、ちょっと落ち着いて!」

 

疲労と憔悴、そして僅かな恐怖が滲むその眼に、俺の姿は映っていなかった。

 

「本当に、本当に知らないんだ! 私は何も……」

 

「わ、わかったから。ね? とにかく座って。今お茶か何か持ってくるから」

 

こちらに掴みかかってくる勢いで捲くし立てる箒を無理やりベッドに押し戻し、キッチンへと向かう。たしかポットとちょっとしたティーバッグぐらいはあったはず。

 

と、ここで俺の中で警鐘が喚き出す。

 

(もし篠ノ之がこの部屋になることを知られていたら、この部屋にも何か仕掛けられているんじゃないのか? だったらこの部屋の備品はなるべく使わない方が……いや、考えすぎか?)

 

俺はティーバッグを元の位置に戻し、財布とカギを持って部屋を出た。たしか寮内のラウンジに自動販売機があったはずだ。とりあえずそこで適当に買おう。緑茶でいいだろ。余談だが、ああいう風に興奮していたり疑心暗鬼になっていたりする相手にはペットボトルではなく缶の飲み物を渡した方がいいらしい。なんかの漫画で見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、さっきはどうしたの?」

 

俺は篠ノ之の向かいに腰掛け、缶のお茶を手渡した。ちなみに思ったよりラウンジが近かったのもあり、然程時間をかけずに戻ってこれた。

 

「いや、その……すまない」

 

緑の缶を両手で握り、俯く。手冷たくないのかな。あったか~いにしておけば良かったか。

 

くだらないことを考えつつ、俺は炭酸ジュースの缶を開けた。プシュッと勢いよく空気が抜ける音がやけに響く。

 

俺が2、3口煽ると、篠ノ之はようやくポツリポツリと言葉をこぼした。

 

「今日の事だ……」

 

「今日?」

 

「ああ。相手は先輩だったと思うのだが、よく覚えていない。私の姉、篠ノ之束がISを開発したせいで、家族が滅茶苦茶になった。あの人の居場所を教えろ、こっそり匿っているんじゃないか、と」

 

家族が滅茶苦茶? よく分からないな。

 

IS絡みの事件と言うと白騎士事件ぐらいしか知らないが、たしかその事件での死傷者はゼロだ。家族がめちゃくちゃになるような要因は無かったと思う。

 

なんて考えているのが顔に出ていたのか、俺の顔をちらりと見ると、篠ノ之は再び口を開いた。

 

「研究職や軍事関連の人間からは、あの人はかなり疎まれている。ISが既存軍事を塗り替えてしまった事もそうだが、そもそもあの人は科学者だ。それも分野は多岐にわたる。ISもそもそも軍事利用が本来の目的ではない。宇宙開発のために作られたのだ。当然、その分野でもあの人の発言力は高まった。ただでさえ、一人で10人20人以上の成果を出すような人だ。あの人が台頭してきた結果、蹴落とされた研究者も数多くいると聞いている」

 

恐らく、その先輩もそうした人の家族だったのだろう。

 

そう言って篠ノ之は、まるで嫌な記憶を思い出しているかのように、苦々しく顔を歪めた。缶の表面を滑り落ちる水滴が、ぽたりと染みを作った。

 

「まぁ、こんなことは今日に限ったことではない。今までも何人もの人間に同じことを訊ねられた。私は知らないのに、何も、知らないのに……っ」

 

缶を握る力が強くなる。何かに耐えるように、篠ノ之は静かに肩を震わせた。

 

「時には陰湿な嫌がらせにもあった。時には殺されかけたこともあった。それが原因で保護プログラムとやらが施行され、家族は散り散りになった。私が……私達が何をしたというんだ?」

 

「しのののさん……」

 

何もしていない。ただ、そう。強いて言うのならば、彼女達は運が悪かったのだ。ついでに言うと俺もこんな地雷人物とお近づきになれて本当に幸運さんが息してんのかどうか今すっごく不安。

 

「転校して、八つ当たりをして、そんな自分があの人と重なって嫌気がさして、それもやっと終わったと思ったのに……」

 

中学卒業間近になり、IS学園への入学が決まったそうだ。当初は渋っていたそうだが、一夏も居ることを知り、入学を決めたのだという。

 

本人はそう言っているが、恐らくもう限界だったのだろう。僅か15、6年程度しか生きていない目の前の少女が、その短い人生でどれだけの悪意に晒され、どれだけの苦悩を抱えて生きてきたのか。俺にはとても想像できないが、目じりにうっすらと涙を溜めている少女の歩んできた道のりが、過酷では無かったなどとは誰も言えないだろう。

 

そんな苦痛でしかなかった過去から離れたい一心で、このIS学園に逃げてきたのではないだろうか。

 

「やっと何かが変わると思った! 変われると、思った……! なのに……ここに来ても誰もが束束束束……私が何も知らないと分かれば、糾弾されるか、まるで価値の無いゴミを見るような視線を向けられる。結局ここに来てもあの人の影は消えなかった。もう、たくさんだ……」

 

まぁ、そうなることは簡単に予想できたと思うんだけどな。一夏の名前に釣られたか、或いはもともとちょっと頭の弱い子だったのか。しかしまぁ、仮に予想できていたとしてもどっちみち強制的にIS学園(ここ)に入れられたんだろうけどな。

 

俺はすっかり炭酸の抜けたジュースの残りを喉の奥に流し込み、空いた缶をゴミ箱へ入れた。勿論ベッドから投げるだなんてはしたない真似はしていませんわようふふ。

 

さて、情報収集はもう無理っぽいな。姉妹ってことは一夏も篠ノ之束についてある程度知っているはずだ。残りの情報はあいつに確認すればいい。

 

そう、『情報収集』は終わりだ。

 

「ねぇ、しのののさん。とりあえず下の名前で呼んでいいかな?」

 

「えっ、いや……え?」

 

「あー、うん。突然ごめんね。でもなんだか苗字で呼ばれるの嫌そうだし。それに正直『しののの』って言いにくいんだよね」

 

嫌そうっていうのはただの勘。ただこいつ姉のこと嫌いらしいし、ずっと『あの人』呼ばわりだし、あんまり姉と同じ名前で呼ばれるってのは良い気分じゃないんだろ、多分。あとその名前のせいでいろいろ苦労してきたらしいしな。こいつ絶対自分の苗字嫌ってる。

 

ちなみに言いにくいってのはただの本音。

 

俺の言葉に何やらあたふたしつつも、何故か頬を赤らめて頷く箒。そんな妙に初々しい反応に、俺は苦笑交じりに続けた。

 

「あはは、ありがと。それで箒ちゃ「その呼び方は止めてくれ!」

 

血相を変えて叫ぶ箒。おいおい、今何時だと思ってんの。俺は箒を宥めつつ、理由を訊ねた。

 

「……あの人も同じように私を呼んでいた」

 

「ははは……そっか、それはごめん」

 

憎々しげというかもはや怨念がこもっているかのような声音に、俺は笑顔が引きつっていくのを感じた。こいつマジ姉のこと嫌いすぎだろ。

 

しかし、姉妹という血の繋がりはそう簡単に切れはしない。

 

「んー、じゃあ箒。ざっくり確認するけど、箒はお姉さんの事が嫌いで、一夏くんの事は好きなんだよね?」

 

「なっ、なにを……!」

 

再び顔を真っ赤にする箒。彼女の手の中で缶がひしゃげる音が聞こえる。っていうかそういうリアクションいらねーから。逆にあの流れで気付かない方がどうかしてるから。

 

「でも……それでもね、お姉さんの力は必要になってくると思うよ。一夏くんを守るために」

 

「っ!!」

 

俺がこれからやろうとしている事は至極単純だ。今までもいろんな人間がやろうとしてきた事らしいからな。

 

篠ノ之束という人間は、どうやらこの世界における最強のカードらしい。いろんな人間に恨まれているらしいが、それでもそいつらから完全に姿を隠すことができているのだから、彼女にとっては大した脅威ではないのだろう。

 

つまり、そうした敵対勢力に対抗できるだけの何かを持っているということだ。それが何なのかは分からないが、何とかして篠ノ之束とコンタクトを取ることができれば、織斑一夏の安全は保障されたも同然だ。

 

最初はこの巨乳女がトラブルの種になるようなら何とかして遠ざけようとも思った。だが今となっては、はっきりいって、篠ノ之束を手に入れるメリットの方がデメリットよりも遥かにデカイ。

 

ではその最強のカードを手に入れるためにはどうすれば良いのか。ハッキリ言えば分からない。だが分からないなりに、少しでも可能性のあるものを利用する。少しでも繋がりのある人間をこちら側に引き込む。

 

そう、例えば『たった一人の妹』とかな。

 

「ねえ、単刀直入に言うよ。協力してくれないかな? 一夏くんを守るために」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。

 

放課後になり、例の決戦が近づいてきた。俺の試合は後半であり、且つ公平性を保つためにということでセシリアと一夏の試合を観戦することもできず、手持無沙汰な状態でアリーナをぶらついていた。

 

まだ試合まで時間はあるものの、一夏はすでにピットへ入っている。なんか精神統一したいんだとさ。何という気合の入り様。

 

明るい色調の通路を歩く。観客席への入り口が近づいてきたせいか、どこかくぐもった調子の喧騒が聞こえる。どうやら既にギャラリーまで来ているらしい。ちょっと覗いてみるか。

 

俺は入り口に立っていた山田先生に軽く会釈し、扉の向こうへと顔を出した。

 

(思ったよりも多いな……)

 

軽く見渡すと、客席の3割は埋まっている。まあ逆に言えば所詮は3割程度だ。しかし告知も一切していないような一年生の模擬戦にしては随分と多いような気がするのは俺だけだろうか。

 

さらに少し目を凝らしてみると、どうやら他クラスだけではなく他学年からも見学者が来ているらしい。

 

(いや、仮にこの中に敵がいたとしても、さすがにいきなり乱入とかいきなり射撃とかは無いと思う。思いたい。いやほら、よく言うじゃん。最初は様子見って)

 

実際一夏の実力が予想よりも上だった場合、舐めてかかれば返り討ちに合うことになる。捕獲にしろ暗殺にしろ、対象の実力を知っておくに越したことは無い。その辺はさすがに弁えているだろう。よほど一夏の運が悪くない限り大丈夫。こういう時くらい仕事しろよ幸運。いや、ごめん嘘。いつもお世話になっております。今回もよろしくお願いいたします。

 

扉を閉め、再び散策を開始。すると通路の角の向こう側から、女子生徒のものと思われる声が聞こえてきた。

 

「あら、敵情視察ですか? 五反田弾さん」

 

……んん?

 

角に身を寄せ、こっそりと向こう側を伺う。そこに居たのは、今回の騒動の中心人物であるセシリア・オルコットと────

 

「ふっ……さぁ? どうだろうな」

 

────無駄に『出来るキャラ』オーラを出している五反田弾だった。

 

「ところでセシリア・オルコット。貴様、随分と余裕そうだな」

 

弾の言葉に何やら含みを感じたのか、むっと眉を顰めるセシリア。っていうかあいつはマジで何のポジションだよ。

 

「……どういう意味です?」

 

問いかけに対し、ニヒルに口元を歪める弾。そのままポケットに手を突っ込み、壁に背を向けて寄りかかった。

 

「質問に質問で返すと0点になるそうだが、ここはあえて答えてやる。何せ俺だからな」

 

相変わらずセシリアは不機嫌さを顕わにしている。対する弾は無駄に上から目線でのたまい、無駄に流し目でセシリアを見据えた。

 

「敵を知り、己を知れば百戦危うからず……」

 

そしてまさかのまったく答えになっていない答えである。答えてやった結果それかよ。あと微妙に間違ってるし。

 

何を言っているのか分からない、ある意味いつも通りの弾の様子に呆れる俺。しかし……

 

「っ! ま、まさか……っ!」

 

どうやらセシリアには何かが伝わったようだ。何か、隠し事がばれたように、薄い狼狽と強い憤りのようなものを見せるセシリア。

 

「そう、つまりそういうこと」

 

指パッチンと共に言い残し、弾は壁から離れてこちらへと踏み出した。ってこっち来んの? マジかよちょっと待って。

 

俺はさっと離れ、さも今偶然ここを通り掛かった感を演出するために歩幅を調節した。しかしまだ話は終わっていなかったようで、俺の渾身の歩幅調整は空振りに終わる。

 

「お待ちください!」

 

曲がり角の向こうから甲高い声が響く。弾を呼び止めるセシリアの声には、いつもの……といってもまだ会って2日目だが、余裕がなかった。

 

「確かにわたくしには欠点があります! ですがそれを知られたからと言ってISを動かして日の浅い……それも極東の男性なんかに負けませんわ!」

 

え、あいつ欠点あんの? うそやん。めっちゃ一夏を倒してもらう気満々だったんだけど。まぁ知られたってところに関しては間違いなく勘違いだから多分大丈夫だと思うけど。

 

「ふっ、そうか。それじゃ、期待してるぜ?」

 

角の向こうのアイツの表情が手に取るようにわかる。またニヒルに笑ってウィンクでもかましてるんじゃなかろうか。

 

と、ここで弾の足音が再開する。

 

……よく考えたら別に俺が聞いていたところで何も問題ないんだから隠す必要なくね?

 

「ん? ユウか。こんなところでどうした?」

 

「試合まで暇だし、ちょっと散歩でもしようかと思って」

 

「そんなことよりユウ。オルコットのやつ、なにか欠点があるらしいぞ。なんかいきなり『欠点があります!』とかって叫びだしてちょっと怖かったんだが」

 

「あー、そう……」

 

やっぱり適当ぶっこいてただけか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、結論から言うとセシリアは負けた。敗因は知らない。恐らく試合前に言っていた欠点とやらが足を引っ張ったのだろう。

 

適当に結論付けつつ、俺は更衣室でISスーツと格闘していた。スクール水着のようなデザインなのだが、これがなかなか着づらい。

 

本当ならここで箒や弾あたりから一夏戦の情報を得られれば良かったのだが、その辺は先生方も考慮されているようで、がっつり山田先生にマークされていた。あんた会場警備とかじゃねぇのかよ。

 

まぁいい。情報があろうとなかろうと、とりあえず勝てばいいのだ。勝利に必要なのは実力だ。そして運も実力のうち。つまり俺は実力で勝てる。

 

とにかく慌てる必要はない。なんとかなる。

 

(そういえば一夏もISスーツを着てるんだよな…………いや、よそう。俺の勝手な想像でみんなを混乱させたくない)

 

俺はスク水を着た一夏を脳内から追い出し、更衣室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

通路を進み、ピットへと通じる扉の前でボタンを押す。空気が抜けるような音と共に、メタリックな扉が斜めにスライドした。作ったやつの趣味なのかは知らないが、随分とSFチックだ。まったく、どいつもこいつも似たような物を作るものだ。

 

中に入ると、そこに居たのは黒いスーツに黒い髪、そして侍のような眼光を携えた女性。

 

「あれ、織斑先生。弟さんのところにいなくてもいいんですか?」

 

そう、我らが担任教師である織斑千冬先生だ。

 

織斑先生は出席簿で自身の肩を気怠げにとんとんと叩いた。

 

「私は教師だからな。あまり一人の生徒ばかりを贔屓するわけにもいかん」

 

なるほどね、一応両方への鼓舞やらなんやらをしているのか。一人納得する俺に、織斑先生はいつもの威圧感のある視線を向けた。

 

「ISのメンテナンスは万全か? 模擬戦とはいえ、ISのエラーによって負傷するということも有り得るからな」

 

「はい、大丈夫です」

 

「そうか、では健闘を祈る」

 

社交辞令的というか事務的というか、ものすごく定型文だけでやり取りしているような気分だ。さて、ここで立ち止まっていても仕方がない。さっさと行こう。

 

一応義務は果たしたと言わんばかりに、織斑先生は肩をこきこきと鳴らしながら、ふと思い出したように俺を呼び止めた。

 

「おい、八神」

 

俺は搬入口へと伸ばした足を止め、振り返った。

 

「なんです…………ひぃっ!」

 

思わず悲鳴を上げる俺。先程の教師然とした様子はどこへ行ったのか、そこにいたのは一体の鬼神だった。ぎりぎりと歯を軋ませ、血涙を流さんばかりの禍々しい眼光が俺を射抜く。

 

「そういえば貴様……一夏に何をした?」

 

「なななな何もしてmせん!」

 

恐怖のあまり呂律の回らない俺の言葉に、さらに表情を凶悪化させていく千冬お姉さま。

 

「嘘をつくな! あいつの視線の先くらい見れば分かる。あと貴様に姉呼ばわりされる覚えはないわぁっ!」

 

「ごごごっごごめんなさい! もうしわkけございません!」

 

こういう時は平謝りに限る。下手に反論すれば余計に神経を逆なでするだけだ。大人という生き物はただ怒りたいから怒るのだ。そこに論理的な解答や合理的な説明を求めているわけではない。要求されているのは形式上の謝罪と反省。ただそれだけだ。

 

だから俺はひたすら謝る。別にびびったわけではない。

 

俺の渾身の謝罪が通じたのか、織斑先生はフンと鼻を鳴らして背を向けた。

 

「一夏のためにいろいろと動いていることには感謝しよう。だが覚えておけ。古今東西、弟のものは姉のものだ。たとえファーストキスや童【ピー】や処【ピー】であってもな」

 

人類史に刻まれるレベルの汚い捨て台詞を吐き捨て、今度こそスーパーブラコン女教師織斑千冬はピットを後にした。

 

結局何がしたかったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲートから出た俺を出迎えたのは、透き通るような青空と客席の小さなざわめき。そしてフィールド中央で浮遊する白いIS。

 

──操縦者 織斑一夏。ISネーム『白式』。戦闘タイプ近距離近接型──

 

コアネットワークによってアマテラスが白い機体の情報を読み取る。なるほど。あれがワンサマーの機体か。やろう、ぶっころしてやる。

 

同様にこちらの情報を読み取ったのだろう。一夏の表情が真剣みをを帯びる。

 

「ユウ、お互い手加減は無しだからな」

 

「あはは……まぁ、期待に添えるかは分からないけど頑張るよ……」

 

乾いた笑いが漏れる。なんでこいつこんなにやる気なんだよ。ふざけんな。

 

しかしハイパーセンサーというのはすごい。360度全ての角度において死角がないというのもそうだが、ここからそれなりに距離のある客席にいる生徒の目線まではっきり見える。ざっと見たところ妙な動きをしている生徒はいなさそうだ。まぁ、男子寮の件があったばかりだ。さすがに昨日の今日で行動を起こすバカはいないか。ギャラリーの数も多いというわけではないしな。

 

軽い安全確認も済んだところで、目の前の相手を真っ直ぐ見据える。

 

視界に割り込んでくる機体情報を流し読み、呼吸を整えた。

 

 

 

悠久にも感じられる沈黙の末、

 

 

『それではこれより、織斑、八神による模擬試合を開始する!』

 

 

会場に響き渡る鋭い声と共に、けたたましいブザー音が空気を切り裂いた。

 

 

 




ハーメルンのパス忘れた時はマジで頭真っ白になった。
真っ白になりすぎてなろうで書き始めるくらいやばかった。


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幸子と蘭子を足して男にすると本作主人公の五反田弾になるのではという説が浮上してくる。


ブザー音が響いた、その直後だった。

 

『──ッ!? 八神! 織斑! 退避しろッ!』

 

千冬の鋭く逼迫した怒声が優と一夏の鼓膜に叩き付けられる。

 

「えっ、あ、はい!」

 

戸惑いながらも、威勢よく返事を返す優。しかしその命令が遂行されることは無かった。

 

「……? この音は────」

 

移動しようとした優が小さく呟く。かすかにではあるが、どこからか、まるで飛行機のような大気を切り裂く飛空音が聞こえる。些細な音ですら拾い上げるISの性能に一瞬驚く優だったが、それはさらに大きな驚愕へと進化する。

 

「ッ! 来る!」

 

一夏が上空を見上げ、短く叫んだ次の瞬間、硝子が砕け散るような甲高い破壊が会場を揺らす。会場を覆っていたシールドが破られたのだ。そしてそのシールドに大穴を開けた張本人は、ドゴッと低く大きな音を立て、土煙を巻き上げながら地面に突き刺さった。

 

「な、なにが……」

 

呆然といった様子の優。真紅の目を大きく見開いている。一夏もまた土煙の向こう側から視線を背けることができずにいた。

 

『何をしている! 退避しろ! 聞こえないのか!』

 

再度、切羽詰まったか様子の千冬の叫びが二人の耳元で炸裂した。何が何だか分からないまま、優が後方へ滑るように移動した、その時だった。

 

 

 

土煙の向こう側が、僅かに煌めいた。

 

 

 

「ユウ!」

 

一夏が動きだすよりも早く、轟音が大地を駆け抜ける。それは光と衝撃を振りまきながら、一直線に進んでいく。

 

驚愕に目を見開いている八神優へと。

 

「やばっ! 八咫鏡(ヤタカガミ)!」

 

左手を目の前にかざす。叫ぶや否や、優の手の先に、大きな円盤型の輝く幾何学模様が出現する。まるで優を守護するかのように現れたそれを食い破らんと、光の束がうねりと爆発的な速度、衝撃を以って激突する。

 

「うっ……くっ……!」

 

真正面から受け止めた優が衝撃に押されじりじりと後方に追いやられる。

 

「この程度……! あ、そういえば」

 

優はその円盤を光の束に対して傾けた。するとまるで光が鏡に反射されるかのように、その傾けた方向に向かって光線が逸れていく。

 

「そうそう、こうやって使うんだった」

 

優の斜め後ろで爆音が響く。目の前の難が去り、ほっと一息つく優。しかしまだ終わらない。光線が効いていないことに気付いた()は、ゆっくりと一歩ずつ歩を進め、その姿を現した。

 

「あれは……IS?」

 

全身を漆黒の装甲で覆い、頭部には赤い目のような物が一つ。両腕に銃口が付いており、背丈は3m程だろうか。随分と大きい。その巨体とゆっくりとした歩調からは人間味が感じられず、どこか無機質だ。

 

一夏と優はそれぞれ目の前のISの正体を掴もうとするが……

 

「UNKNOWN……?」

 

一夏の呆然とした呟きが全てを物語っていた。

 

情報0。

本来ISは全てのコアが制御下にあり、このように登録の無いコアという存在は有り得ない。

 

『二人とも聞け。何者かに学園のシステムが乗っ取られた』

 

淡々としながらも、芯の通った声で告げる千冬。そんな千冬の様子に、なにかぞっとするものを感じつつも、一夏と優は続きを促すように無言で耳を傾けた。

 

『今アリーナへの道は塞がれている。復旧の指揮を私がとることになった。しかし救援を派遣するまで時間がかかりそうだ。それまで持ちこたえてくれ』

 

小さく、「すまない」と続ける千冬。

 

そんな姉の言葉に、どう返したものかと一瞬考えた一夏。しかし現実として、目の前に危機が迫っている。

 

一夏は思考を切り替え、ユウを守るべく、競技場を回り込むようにして移動した。

 

「■■■──!」

 

錆びついた金属が軋むような不快音を上げ、黒い巨人が一夏を捉える。そして先程よりも遥かに威力の低い光線を銃弾のように小出しに撃ち出した。

 

「チィッ!」

 

丁度一夏の進路を妨げるように着弾したそれに、一夏も敵の意図を察し、苦々しく舌打ちした。どうやら敵は自分を今殺すつもりはないらしい。

 

何とか突破できないかと隙を伺っている間にも、敵はゆっくりと優のいる方向へ進み始めている。対する優は先程から退避を試みているものの、一夏同様、黒い巨人の砲撃に晒され、応戦を余儀なくされていた。いや、むしろ優に対する攻撃は一夏のそれなど及ばない程に苛烈だった。

 

「ちょっ、うわっ!?」

 

さらに優の駆るアマテラスは装甲が極端に薄く、一撃一撃が致命傷になりかねない。故に下手に逃走や迎撃に走れず、回避による現状維持を強いられていた。

 

「ユウっ!」

 

今はまだ大丈夫だろう。しかしこの膠着状態を何とかしなければ勝機が無い。歯痒さを感じる一夏。しかし一方で、もしかして、これは自分が招いたものではないのか。そんな懸念が一瞬よぎる。今彼女が危険な目に合っているのは自分のせいではないのかと。

 

 

 

『でもさ、もしそれで一夏くんが襲われて怪我でもしたら……ううん、最悪死んじゃったりしたら本末転倒だよ?』

 

 

 

昼の会話が一夏の脳裏で再生される。

彼女の問いに、自分は何と返しただろうか。

 

一夏の思考を打ち切るように、巨人の銃口が再び優に向けられる。銃口に強い光が収束していく。先程とは比べ物にならない輝きに、

 

「クソッ! 間に合え!」

 

形振り構わず、瞬時加速を発動する。目にも止まらぬスピードで巨人へと疾駆する一夏。巨人の目が機械音と共に一夏を捉える。しかし大技の隙をつく形で飛び出した一夏に、一瞬ではあるが対処が遅れたようだった。優に向けている反対側の腕を一夏に向け、あからさまに威力の低い砲撃を何発か撃ち出す。しかし──

 

「そんな攻撃で当たるかよ!」

 

前方から迫りくる光の銃弾を、躱し、斬り捨て、難なく突破していく。急激な加速と無茶な動作。身体が軋むような悲鳴を上げるのを感じながら、歯を食いしばり、強引に推し込める。

 

「まだまだァッ!」

 

再度、瞬時加速を使用し爆発的に加速する一夏。瞬間、間合いへの肉薄。ぐっと柄を握る手に力が篭る。斬撃を警戒し、巨人は半身を逸らし、回避行動を取った。が──

 

「うおおおおおッ!!!!!」

 

──3度目の瞬時加速。一夏の軌道が急速に折れ曲がり、巨人へと吸い込まれていく。

 

勢いそのままに巨体へと体当たりをする一夏。激突による衝撃と破砕音が轟く。吹き飛ばされまいと踏みとどまる巨人の足元で地面が陥没し、ひび割れていた。

 

「はあッ!」

 

一夏はさらに、文字通り密着した状態から、体制を変え、巨人の胴体を蹴りつけると同時に、逆袈裟に太刀を振るう。

 

「■■──!」

 

繰り出される高速の斬撃。刃と鎧が悲鳴を上げる。強引に振り抜き、蹴った勢いを利用して瞬時に離脱。

 

「はあっ、はあっ……!」

 

荒れる呼吸を整える。見ると、巨人はゆっくりと後ろに倒れていく。

 

「よし、隙あり!」

 

バランスを崩す巨人に向け、優が高速で飛翔する。装甲が極端に薄い分、アマテラスの加速は白式のそれと比して尚迅い。

 

空を駆けながら、その手に長剣を出現させる。形状は刀の様だが、どこかメカメカしい。

 

「もらった……!」

 

あと少しで間合いというところで、長刀を振りかざす。その刹那──

 

「へ?」

 

──巨人の単眼が、優を捉えた。

 

ぐるんという機動音と共に、バランスを崩した状態で首だけをこちらに回した巨人に、一瞬虚をつかれる優。そして流れるような動作で、右腕を優に向けて翳した。

 

「何その動き気持ち悪い!」

 

倒れながら首と腕だけを一切の淀みもなく動かす。人間離れした動作。優の悲鳴も尤もであった。しかしそうも言っていられない。

 

巨人の右腕に装備された銃口。そこには先程から貯め続けた高密度のエネルギーがひしめき合っている。

 

「あ、やば」

 

優がとっさに空いている手を構えると同時に、カッと閃光が迸る。瞬息の後、万雷が如き咆哮を上げる熱線が優の視界を埋め尽くした。

 

 

 

 

「ユウ……?」

 

荒れ狂う光の奔流が収まっていく。周辺の大地は焼け焦げ、抉れ、破壊の痕跡としてこびりついている。

 

しかしそこに、

 

「そ、んな……」

 

彼女の姿は無かった。

 

ハイパーセンサーによって一夏は全方位全角度の景色を視認することができる。しかしそれでも見当たらない。忽然と、跡形もなく消えてしまったのだ。

 

「まさか……死ん……っ」

 

ぐっと言葉を飲み込む。それを口にしてしまえば、目の前の現実を認めてしまうことになる。しかしそれでも、優が敵の攻撃によって消えてしまった事実は変わらない。血の気が引いた真っ青な顔と、焦点の合わない瞳。そんな状態の一夏に、もはや戦意は残されていなかった。手から愛刀が滑り落ちる。がしゃん、と重たい音を立てた。

 

「俺は……守れなかったのか……」

 

呆然自失とする一夏の視界の端で、解放回線の通知が躍った。

 

『一夏! しっかりしろ!』

 

聞き慣れた親友の声。鼓膜を殴打する激励の言葉に、思わず耳に手を当てる。しかし手で耳を塞いだところで、ISが受信し続ける限り弾の声は響く。

 

『ユウなら多分生きてる! アイツがそう簡単に死ぬわけないだろ!』

 

「けど、どこにも反応が……」

 

『ISには絶対防御がある! 何よりあの能力をお前も見たことあるだろ! それより救援がそっちに向かっている! まだ完全復旧とまではいかないが、お前らの戦闘で空いた穴があるからな。そこから突入する手はずになっている。だから一夏、何としても持ちこたえろ!』

 

「……わかった」

 

恐慌状態に陥りかけた頭を振って、気を引き締める。そうだ。まだ戦いは終わっていない。

 

「ん? そういえばなんで今攻撃されなかったんだ?」

 

今の一夏は無防備極まりない。しかもその状態で会話までしていたのだ。隙以外の何物でもない。

 

一体どうなっているのかと、物言わぬ巨人を見る。

 

先程まで一夏は気付かなかったが、一夏の放った斬撃は巨人の左肩を大きく切り裂いており、傷口からはパチパチと小さな火花が上がっている。そこから伸びる左腕はだらりと力なく垂れていた。

 

「……って、なんだ、あれ」

 

傷口の中に見えるのは断線したコードや金属。どこにも人肌が見当たらない。さらにあそこまで装甲が損傷するのも本来ならば有り得ない。何故ならISには搭乗者の身体を保護するためのシールドが存在するからだ。

 

しかし前提が違うのだとするとこの結果も頷ける。

 

「そりゃ、そもそも守るべき人体が無けりゃこうなるか」

 

即ち、無人機。

 

それならばと、手加減する必要はないとばかりに、一夏は愛刀を拾い上げた。

 

巨人は未だに動きを止めている。しかし気のせいか、どこか困惑の色が感じられた。まるで一夏同様、優を見失っているかのようだ。

 

絶好のチャンス。刀を構え、脚部に力を込める。今まさに、巨人に向けて加速しようという、その時だった。

 

 

ピピッ!

 

 

短い電信音と共に、優の存在が知覚される。それも──

 

「よし、今度こそ隙ありぃ!」

 

「なっ!?」

 

──巨人の真上。

 

思わず目を疑う。いつの間にか優は巨人の真上を陣取り、手には長剣を構えていた。

 

気付いた巨人が瞬時に残った銃口を上に向けるが、もう遅い。すでに剣は振り下ろされていた。

 

「■■■■──!」

 

ザクッという音が聞こえてきそうなほど長剣が深々と食い込む。一夏が作った傷口に向けて振り下ろしたのだから当然である。パチパチという火花が飛び散るが巨人も優も気に留める様子は無い。

 

銃口に光が収束していく。しかし優は離脱しようとはしない。

 

「ユウ! 早く逃げろ!」

 

至近距離で攻撃を受ければひとたまりもない。一夏の叫びに、優は静かにほほ笑んだ。

 

「大丈夫だよ。多分」

 

優の剣が紅く煌めく。次の瞬間、

 

 

 

「……『皇焔』」

 

 

 

轟────!

 

空気を飲み込み、蛇の様にうねり、強大で強烈な光と熱を以って目の前の景色を塗りつぶしていく。

 

「炎……?」

 

一夏の小さな呟きすらもかき消す勢いで燃え盛る炎。優の持つ長剣から放たれたそれは、巨人の中も外も悉くを燃やし尽くさんとばかりに激しく蠢いている。

 

 

 

────第三世代型IS「アマテラス」

 

第三世代型兵器2種を搭載し、スピードと近距離攻撃力と耐熱性に極端に特化した機体。

非常に分かりやすい性能のこの機体は、こと物理防御能力値以外における話であれば、間違いなく第三世代最強のカタログスペックを誇る。

 

アマテラスの間合いに入った時点で、黒い巨人には既に逆転の目は皆無だった。

 

 

 

 

十分だと判断したのか、優は剣を引き抜き、空中を滑るように巨人だった物から距離を取った。

 

未だ燃え続ける巨人の骸。装甲が変形し、熱で回路が焼き切られたそれは、もはや原型を留めていなかった。

 

改めて優を見る。エネルギーは大分消耗しているようだが、目立った損傷はない。自然と溢れ出てくる言葉に身を任せるように、一夏はゆっくりと口を開いた。

 

「……ユウ、やりすぎじゃね?」

 

「大丈夫大丈夫! 対人戦ではここまでやらないから!」

 

引きつった表情の一夏に、朗らかに笑う優。差異はあれど、互いに緊張が弛緩していくのを自覚していた。戦いは終わったのだと、そう思っていた。

 

「いやでも威力高すぎだって。俺あれ食らったら多分死ぬって」

 

「大丈夫大丈夫! ほら、本当なら絶対防御あるし!」

 

「いや無理だって。いくらなんでも無理だって」

 

「大丈夫大丈夫! ISって宇宙開発のために作ったんでしょ? 宇宙に行ったら太陽にぶつかることだってあるよ! ぶつかりまくりだよ! かの天才しののの博士がこんなことを想定してないはずないよ!」

 

「いや想定外だって」

 

呑気に会話を続ける二人。もはや非日常は去った。我々は日常を取り戻したのだ。

 

 

 

 

などと油断していたからだろうか。

 

「■■──!」

 

二人はその瞬間まで気付かなかった。

 

「ッ!」

 

「え、うそ」

 

もはや悲鳴に近い機械音。ばっと二人が振り返る。未だ闘志の宿る赤い一つの目。向けられた銃口には強い光が収束している。

 

「一夏くん後ろに隠れて!」

「優! 俺の後ろに!」

 

二人同時に同じ行動を取る。普段ならただのお間抜けで済むが、こと戦闘時においては致命的な隙となる。

 

「しまっ──!」

 

それはどちらの呟きだったか。既に迎撃は間に合わない。今にも必殺の光線が撃ち出されんという、その時だった。

 

「目標確認」

 

気品の漂う声。視界の端で、風を受けて揺らぐブロンドが光る。侵入者の存在に、錆びついた鉄屑が擦れ合う音を立てながら巨人の首がぎこちなく動く。

 

しかし、既に遅い。

 

「──狙撃します」

 

瞬間、一条の青い光線が走る。音をも置き去りにするそれは巨人の胸を貫き、射線上にあった巨人の右腕を吹き飛ばした。

 

「■■──■──……」

 

ズシン、と音を響かせ、巨人の身体が膝から崩れ落ちる。単眼は光を失い、やがてゆくりとフィールドに倒れ伏した。

 

 

しばしの沈黙。

 

 

やがて張り詰めていた空気が静かに霧散していくのを感じ、優が口を開いた。

 

「なんていうか、すごかったね。アレ」

 

安心しきったようにため息をつく。そんな優に釣られるように一夏も武器を収納した。

 

「ああ。セシリアが助けてくれなかったらどうなっていたことか」

 

「ほんとほんと。アマテラスの盾はさっき至近距離でビーム受けた時に駄目になっちゃったからさ、正直打つ手なしって感じだったんだよね」

 

そう言って、先程の戦闘で穴の開いたシールド付近に佇む青い機体に視線を向けた。

 

一夏との模擬戦を終えたセシリアは、ブルーティアーズの消耗を回復するため、ピットに機体を置いたままだった。エネルギーをチャージし直し、軽いメンテナンスが終わるのを待っていた彼女だったが、幸運にもアリーナの外ではなく内部で待機していたため、こうして間一髪救援が間に合ったのだった。

 

「本当に間に合ってよかったですわ。というかアナタ方はもう少し連携という物をですね……」

 

回線越しにくどくどと説教を垂れるセシリア。確かにセシリアが駆けつける直前のミスは、二人の息が悪い意味でぴったりであったため発生したものだ。それを自覚しているからか、一夏も優も大人しく耳を傾けていた。

 

「ですからあの場では両者が反対の方向に『ビーッ! ビーッ!』──もう、なんですの!?」

 

セシリアの説教を遮るようにして、それぞれのISが警告を発する。

 

「ッ! あのデカブツまだ生きてるのか!?」

 

一夏が驚愕に目を見開く。先程倒れ伏した巨人の残骸から発せられるエネルギーが急速に増大している。それをセンサーが感知したのだ。

 

セシリアがライフルを構え、一夏もまた愛刀を顕現させる。しかし優は、二人とは全く別の懸念を抱いていた。

 

(生きてる……? 仮にあの状態で動いたとして何ができるんだ? 両腕は使えない。あとはもう頭突きか迎撃覚悟のバンザイ・アタックしか……まさか!)

 

優の端正な相貌が一瞬にして強張る。

 

「まずい! 自爆だ! 離れろ!」

 

形振りなど構っていられない。優にしては珍しく切羽詰まった様子で、語気も荒く叫ぶ。セシリアは必死な優の声色に意図を察したのか、シールドの外側へ離脱する。しかし一方で一夏は……

 

「ゆ、ユウ?」

 

豹変とも取れる優の様子に面喰い、動けないでいた。そんな一夏の様子に小さく舌打ちをしたかと思うと、すぐさま一夏の元へ飛翔した。

 

その間にも巨人が放つエネルギーは膨れ上がっていく。今一つ状況を掴めていない一夏に、優が抱き締める形で覆い被さった。

 

直後、

 

『ビーッ! ビーッ!』

 

もはや間の抜けた印象すら感じる警告音ごと何もかもを焼き尽くすかのように、アリーナ全体を爆風と爆音が支配した。

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

「アハハハハハハハっ! これであの雌も大人しくなったかなあ」

 

暗い部屋の中。数多のモニターと様々なボタン、キーボードが女を囲むようにずらりと張り巡らされていた。青い光を点滅させ、静かに佇むそれらを愛しそうに撫でる女。その光に、女の穏やかな微笑みが照らし出される。

 

「あの子を作った甲斐があったよ。壊されちゃったのは予想外だったけど」

 

「結構頑丈に作った子なんだけどなあ」と呟く横顔は、まるで玩具が壊れた子供のように無垢で無邪気で残忍だった。

 

「それにしてもハイパーセンサーのジャミングかー。まさか完成してたとはねー」

 

どうやら女には何かしらの誤算があったらしい。しかしそこに悔しさの色は無い。あっけらかんとした様子で、手近なキーボードを操作し始めた。

 

「まあいいや。とりあえずこれで箒ちゃんに近付く悪い虫は排除できただろうし」

 

女の手も口も止まらない。まるでそこに誰かがいるかのように──或いは実際にいるのかもしれない──楽しげに語りかける。しかしモニターに照らされた表情は、先程とは打って変わって能面のように冷たかった。

 

「まさか箒ちゃんを騙すためにいっくんを利用するとはね。何を考えてるのかは興味ないけど、いっくんや箒ちゃんには近付けないようにしないとね。ちーちゃんもそいつに騙されてるみたいだし、私が何とかしないと」

 

無機質な相貌がぼそりと呟く。

 

 

 

「3人共私のものなんだから。私だけの……」

 

女はモニターに映し出された、黒髪の少女を睨み付けた。

気を失っているようだが、それでも尚人並外れた美貌であることが伺える。

 

ぶつん。と、糸が切れるような音と共に、モニターの電源が落とされた。

 

「あの子達には私がいればいい。私にはあの子達がいればいい」

 

 

 

 

 

────お前は、要らない。




謎の天才美少女発明家を敵に回してしまった八神優!
持ち前の美貌と幸運で果たしてこの危機を乗り越えることが出来るのか!
大丈夫!幸運さんがいる限り死にはしない!なんとかなる!

次回「八神、死す」
デュエルスタンバイ!


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9

投稿ボタンポチーワイ「わぁい更新 あかり更新大好き」
感想閲覧中ワイ「わぁい感想 あかり感想大好き」
次話作成中ワイ「俺が遅い……? 俺がスロウリィ……?(遅筆並感)」
書き終わらないワイ「オデノカラダハボドボドダ……」

とりあえず今月中に更新しておきたかったのでまだ短いけど投稿します。
「まるで」を抜くだけで文の意味が変わってくるんですね。


前回のイカのスメル!

わたし八神優、15才! ちょっと可愛くて運が良い、どこにでもいる普通の女の子。……だったんだけど、なぜかIS操縦者になっちゃった!? しかもIS学園に入学!? もうイミワカですよ、イミワカ! 入学して早々いろいろトラブルに巻き込まれちゃうし、こうなったらもう開き直って思いっきり首突っ込んじゃえ☆ 私の学園青春ラブコメの明日はどっちだ!?

 

 

 

 

§

 

 

 

 

爆風に焼かれ、飛来する金属片に殴られ、壁やシールドに衝突。ガンガンと脳を揺らす衝撃が俺の意識を刈り取っていく。

 

暗転する世界。重く沈んだ意識の中、淡々と俺の声が響く。

 

『今回ばかりは死にかけた』

 

そうだな。

 

『せっかくの二度目の人生まで僅か十数年で終わるところだった』

 

そうだな。

 

『あいつに関わらなければこうはならなかった』

 

そうだな。

 

『あいつへの義理は果たした。俺はあいつの命を守った』

 

……そうだな。

 

『もういいんじゃないのか』

 

…………。

 

語りかける声に耳を傾ける。これは俺の本心なのか。分からない。俺は、一体────。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

「……」

 

薄く開いた視界が白く染まる。つんとした痛みを目の奥に感じながら、少しずつ景色が輪郭を帯びていくのを待つ。鉛のように気怠い腕で軽く目をこすり、覚束ない頭で現状を把握する。

 

見覚えのない天上。薬臭く白い部屋。腕から伸びるチューブ。これは点滴だろうか。

どうやら俺は入院しているらしい。まあ入院というか、多分保健室とか医務室的なあれだろう。

 

どうしてこうなったのか。ゆっくりと半身を起こし、少し思いだしてみる。

 

あいつを守ろうと思って、首を突っ込んで、そして巻き込まれた。最後、敵が自爆したところまでは覚えている。恐らくその衝撃で俺は気絶したのだろう。

 

『今回ばかりは死にかけた』

 

実際のところ、死に至ることは無かったはずだ。ISには絶対防御と呼ばれるシステムがあり、搭乗者の生命は何よりも優先して守られる。まあそれが発動するレベルだと生命維持にISの影響を受けすぎて、ISが回復するまで搭乗者も動けなくなるのだが、恐らく今回はまさしくそのケースだろう。

 

或いはそれとは関係無く脳にダメージがあって気を失っていたのかもしれない。ただその場合、最悪寝たきりになっていたかもしれないから死にかけたというのもあながち間違いではない。

 

『あいつに関わらなければこうはならなかった』

 

俺は織斑一夏を守ろうとして、結果こうしてベッドの上にいる。しかしそれは自己決定の結果だ。自業自得だ。こうなることは分かっていたはずだ。

 

『もういいんじゃないのか』

 

たしかにこの状況で逃げだすのはある意味自然な流れだと思う。少なくとも俺ならそいつを責めない。とはいえ褒められたことではないというのも理解している。

 

あのロボットは恐らく織斑一夏を狙ったものだろう。少なくともあの時点で他の要因は思い当たらない。そして今後もこういったことは起こり得るだろう。あの男と共に居る限り。

 

つまり、俺がここで織斑一夏から離れれば、今後俺が危機に晒されることは無くなるということになる。

 

身勝手だ。人として終わっている。こんな考え方、吐き気がする。

 

(でも……)

 

痛々しく繋がれた点滴が目に入った。爆発の瞬間がフラッシュバックする。360度全方位を埋め尽くす眩い光。二度目の生を受けて初めて感じた、死。一度経験し、しかも結果救われてしまったがために眠ってしまっていた感覚。死の恐怖。

 

正直舐めてた。高を括っていた。一夏が狙われる。どこか物語の中の出来事であるかのように捉えていた節があった。

 

例えば心臓や脳に攻撃を受けたら死ぬというルールだったとして、人間が撃つ銃弾なら目を瞑っていても躱せる自信がある。運だけはいいからな。ISによる精密射撃でも、こちらもISに乗っていれば躱せる自身がある。適性A+の反応速度は伊達じゃない。それに多少の訓練だって受けている。しかしフィールド全てを埋め尽くす攻撃はどうしろと言うのか。次同じ状況に陥った時、次同じ攻撃を受けた時、果たして俺は生きているのか?

 

……いや、生きているのだろう。命は助かるのかもしれない。今だってこうして生きている。俺は運が良いからな。もしかしたら俺のISの能力が通用したり、変に観客がパニックになって攻撃に巻き込まれたりしなかったのも幸運のおかげかもしれない。セシリアが駆けつけてくれたのも。しかしこの幸運が通用するのはいつまでだ? 幸運ではどうしようもない決定的な死がいつかやって来るんじゃないか? いや、もしかしたら『死』という結果だけはいつまでも避けられるのかもしれない。では後遺症は? 手や足や目や耳が使えなくなることはあるかもしれない。

 

たしかに俺には幸運がある。しかしだからといって、俺自らが問題の中心に首を突っ込んでいるようでは、運勢のみで捌くには限界がある。このまま幸運とIS適性の高さに胡坐をかいていていいのか? 俺はこの先も織斑一夏を中心とする問題に関わっていていいのか?

 

俺は……

 

「俺は人間火力発電所だ!」

 

「うおぉんっ!?」

 

突如として現れた、俺の思考を叩き斬るかのような大声。思わず間抜けな悲鳴を上げてベッドの上で仰け反る。声の主を探そうときょろきょろと視線を動かして、気付いた。

 

ベッドの脇。二人の男が椅子に座って眠りこけている。一人は俺が寝ているベッドに突っ伏すようにして後頭部を向けている黒髪の男。もう一人は壁にもたれ掛かるようにしてアホ面を晒しながら寝ている赤髪の男。そしてその対面にはもう一人、ツインテールが俺の枕元にある机に頭を乗せて幸せそうな寝顔を見せている。3人。よく見知った顔だった。

 

「んぁ……なんだ? なにかあったのか?」

 

そのうちの一人、織斑一夏がこれまた間の抜けた声と間の抜けたツラで目を覚ました。恐らく今の騒ぎで目を覚ましたのだろう。となるとさっきのはもしかしてもう一人の男の寝言だろうか。

 

眠気眼をこする一夏と目が合う。お互いに硬直。そしてしばしの沈黙。

 

「ユうごっ!?」

 

やがて沈黙を破ったのは、弾かれる様に立ち上がろうとした一夏が膝をベッドにぶつけた音だった。がこんとベッドに振動が走ったかと思うと、

 

「いっ、ぬわあっ!?」

 

一夏は痛みで足を縺れさせ、座っていたパイプ椅子を巻き込みながらどんがらがっしゃーんと音を立てて倒れていった。痛そう。

やがて震える手がベッドの下から伸びてきて、シーツを掴んだ。そして続いて一夏の首から上が生えてくる。ホラーかよ。

 

「いてて……ってユウ! 目が覚めたのか!?」

 

「えっ、あ、はい」

 

見れば分かる。なんと馬鹿らしく間抜けなやり取りだろうか。しかしこんなやり取りですらなんだか懐かしい。

 

俺の姿を認めるや否や、一夏の表情が弛緩していく。

 

「そっ、か。よ、よかった。夢じゃ、夢なんかじゃないよな?」

 

何度も言葉を詰まらせ、俺の手の甲に、自身のうっすらと骨張った手を重ねてくる。まるで確かにそこに在ることを確認するかのように。まるで遠く離れていく者に縋り付くかのように。

 

そんな一夏の鬼気迫る勢いに困惑する俺を余所に、やがて一夏の目にじんわりと涙が滲む。鼻をすすり、泣き笑いのような表情で俺の手をぎゅっと握った。

 

「本当によかった……。もう3日も目を覚まさなかったから……このまま起きないんじゃないかって……」

 

「そっか。大変だったね。分かるよ。分かる分かる」

 

握られた手でそのままよしよしと頭を撫でる。俺の精神年齢がそろそろいい年だからか、こいつを見ていると年の離れた出来の悪い弟がいる気分になる。前世でも現世でも一人っ子だし。まあこんなこと言うとブラコン姐さんに殺されそうだから口が裂けても言わないけど。というかこいつの髪の毛ふわふわしてて面白い。ハマりそう。

 

……ん? 3日?

 

「ちょっと待った。3日? 今3日って言った?」

 

ずいっと身を乗り出して訊ねる俺に、一夏は顔を赤らめ、目を泳がせながらコクコクと頷いた。

 

「あ、ああ。あの爆発、シールドを貫通するレベルの衝撃だったらしくてさ。そのせいで重度の意識障害? になったって言われて……」

 

「えっ、じゃあ何? あれから3日間眠りっぱなし? もしかしてここって本物の病院? 今入院中?」

 

「い、いや、ここはIS学園の医務棟だ。下手に動かすのも危険だし、その辺の病院よりも設備も揃ってるからな」

 

はいはい。なるほどね。なるほどなるほど。

 

未だ顔の赤らめたまま目を合わせようとしないそこの男を放置し、俺は内心で頷いていた。とりあえず現状は分かった。よく生きてたな俺。結構マジで危なかったらしい。

 

「ふわぁ……んぅ……」

 

どうやら騒ぎすぎたのか、寝ているやつをもう一人起こしてしまったらしい。小さな欠伸の主は間接をほぐす様にぐっと腕を伸ばし、何かに気付いたかのようにハッとし、そして何故か悔しそうに顔を歪めた。

 

「くっ、しまったぜ。俺としたことが眠ってしまうとは。これが機関のやり方か……!」

 

そして今度は俺たちの姿を認識したかと思うと、また何かに気付いたかのように目を見開いた。こいつ気付きすぎじゃね?

 

「ま、まさかお前ら……!」

 

わなわなと震える赤髪の男。そういえばいつの間にか一夏の顔がすぐ近くにある。いや、俺が寄せたのか。指一本程度の距離。息遣いや涙の跡すらもはっきりと分かる。うーんこの。

 

すぐ近くにある一夏の顔が『しまった!』と言わんばかりに強張った。別にしまってない。

 

「弾! これは誤解で「俺が寝てる間に俺の身体を弄んだんだろ! 工口同人誌みたいに! 工口同人誌みたいに!」

 

叫びながら、自分の身体を掻き抱く様にして後ずさる。しかし後ろは壁。逃げ場は無かった。絶望を孕んだ表情で唇をかむ。

 

「(そんな……ここまでだっていうのか……!このまま犯されるくらいならいっそ……くっ、殺せ!」

 

「心の声まで口に出してもらったところ申し訳ないけど別に五反田君を襲う予定は無いよ?」

 

「それはつまりもうやっちまった後で今賢者タイムってことか!? ひどい! 終わった途端冷たくなるのね! そういえばもう随分と月のモノが来てない……もしかして……っ!」

 

「もしかしねえよ」

 

くだらない会話。中身のない日常。とりとめのない、ぬるま湯の様なこの空間が、今はありがたい。自然と顔が綻ぶのが何となく分かる。

 

どっちつかずのぬるま湯の中、ここならそれが許されるような気がして、

 

「そういえばユウ、起きてたのか」

 

「今更!?」

 

俺は答えを出さなかった。

 

 

ちなみに鈴は結局目を覚ますことなく、『デュフフ、猿轡越しでも分かるわ一夏。私も愛してるわよ』などと結構でかい寝言を漏らしていたのだが、喧騒に紛れ、想い人へは届かなかったようだ。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

「遅くなったけど……ごめん、ユウ。俺を庇ったせいで、こんなことに……」

 

俺の目の前には全力で頭を下げる世界初の男性IS操縦者。俺は苦笑し、手のひらを振った。

 

「いや、まあ、私が自分から首を突っ込んで勝手にやられただけだから気にしなくていいよ」

 

そう、そもそも俺が変にこの男をクラス代表にしないように画策しなければこうはならなかった。

 

時は流れ、昼。この部屋に居た3人は一度授業のためにここを出たが、昼休みになり、こうして戻ってきている。鈴は昼食の買いだしを買って出たそうだ。じきに来るだろう。

 

「そういえばクラス代表は誰がなったの?」

 

俺の問いに答えたのは未だ頭を下げたままの織斑一夏ではなく、その傍らで無駄にシリアス顔をしている五反田弾だった。

 

「最終的にはセシリアがクラス代表を務めることになった。一夏もあの時の余波で多少ではあるが怪我を負ったからな。一応大事を取ってってことだ」

 

そういえばよく見ると、一夏の袖から白い包帯が一部見えている。一夏は徐に顔を上げ、その腕を軽くさすった。

 

「まあ、俺の怪我は明日には治ってるだろうから大したことは無いんだ。むしろ怪我(こいつ)のせいで千冬姉の機嫌がすこぶる悪くて他の人達が可哀想なんだよなあ」

 

「あー、うん。でしょうね」

 

荒ぶるブラコンを想像し、頷く。あの人ならこの事件を引き起こした犯人を今すぐ八つ裂きにしてくると言って飛び出しかねない。

 

などと考えていると、ガラッと扉が開く音。噂をすれば影ってやつかとも思ったが、どうやら違うらしい。ぴょこぴょこと元気にツインテールが揺れている。

 

「ユウ、調子はどう? お見舞いって言うとちょっと変な感じもするけど、果物買ってきたわよ」

 

「ありがと。もう普通に元気だよ。後遺症も特に無さそうだし」

 

入ってくるや否や、手に持った手提げバッグから真っ赤なりんごを取りだして見せる鈴。うーん、こいつは分かってる。お見舞いというとリンゴかメロンだよな。バッグの大きさ的にメロンも入っているに違いない。後で金払った方がいいかな。

 

リンゴを机に置くと、今度は男二人の方へと向かっていく。

 

「はい、弾の分はこれね。とりあえず買って来たけど、本当にそのジュースだけでいいの?」

 

「おう。このデロドロンドリンクを舐めると痛い目を見るぜ?」

 

「まあアンタがそれでいいなら別にいいけど……。あ、一夏の分は特に指定が無かったからあたしが作ってきたわ! 酢豚好きでしょ? 腕によりをかけて作ってきたからいっぱい食べてね!」

 

「えっ……えっ? これ俺の分?」

 

いやー、ほんとあの子はええ子や。ええ嫁になるであの子。気も利くし家事もできるし一途だし。欠点があるとしたら、あの一夏の前に置かれた弁当が5段に及ぶ重箱だっていうところくらいかなー。それ以外は完璧なんじゃね? あんな子に好かれるなんて一夏くんは幸せ者だなー。

 

 

この後なんやかんや過ごしていると何故か箒までやってきて『あれは姉の仕業かもしれない』とか言い出して土下座も辞さない勢いで謝罪してきたが多分それは無いだろう。だってあの場には一夏も居たわけだし。いくらなんでも妹の幼馴染を狙うことは無いだろう。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

あれから1週間が経った。

 

クラス対抗戦も目前に迫っており、入学後初のイベントということもあって、クラスの雰囲気も浮き足立っているような気がする。

 

 

 

 

「ねぇねぇ、うちのクラスってもしかして優勝候補だったりするのかな?」

 

「たしかに! なんたって代表候補生、それも専用機持ちだもんね!」

 

廊下を歩いているとそんな声が聞こえてくる。すっかり春も深まり、暖かい日が続いている。教室を目指してのんびりと歩く俺の脇を、何人もの生徒が通り過ぎていった。

 

確かにうちのクラスは優勝候補かもしれない。なんたって専用機持ちだ。たしかクラス対抗戦で優勝すると何かしらの特典があったはずだ。忘れたけど。

 

となると今話していた生徒達は1組の生徒だろうか。何となく彼女達の行く先を目で追ってみる。

 

するとその生徒達は1組の扉には目もくれず、さらに歩みを続けた。

 

「……ん?」

 

あれ? うちのクラスのやつじゃないの? 思わず後ろ姿をじっと見つめる。

 

そもそも俺は入学してすぐに3日も休んだせいでまだクラスのやつらをちゃんと把握しきれていない。そう、3日も休んだせいで。決して俺がコミュ障だとかそういう話ではない。

 

そういえば2組の代表は鈴だったか。あいつも確か代表候補だと言っていた気がする。ここに捻じ込んでもらうために候補生を目指したとかなんとか。

 

などと考えていると、気が付いた頃には既に2組の扉もスル―していた。未だ彼女達に歩みを止める気配は無い。どういうことだ?

 

歩みを止めてやつらの後ろ姿を見つめている俺に、すれ違う生徒達がチラチラと遠慮のない視線を向けていく。それでもお構いなしに観察を続けた結果、やがて彼女達は足を止めた。その扉の上部に半透明のホログラムが躍る。

 

「5組か……」

 

どうやら5組にもいるらしい。専用機を持つ代表候補生が。

 

「お、おい。何をしているんだ? 早く入らないのか?」

 

ちょっと吃っている固い声が後ろから聞こえる。どうやら日課の朝練とやらが終わって追い付いて来たようだ。振り替えると、黒い髪をポニーテールに纏めているジャパニーズサムライガール。

 

「あ、うん。ちょっとぼーっとしちゃってて。行こっか」

 

俺は箒と共に1組の扉を開いた。

まあ、正直クラス対抗戦などどうだっていい。というか俺にとってのこのイベントは一夏の参戦を阻止した時点で終わっているようなものだ。俺が出るわけでも無いし。

 

 

 

 

「なんと! このクラスの代表は閣下ではないのですか!?」

 

「ああ。不用意な『介入』は俺の意図するところではない……。ラウラよ、貴様の相手は我が軍の誇る刺客……『魔弾の射手』の異名を持つセシリア・オルコットが務めよう。多少ちょろいが、相手にとって不足は無いはずだ。ククク……」

 

「ちょろいって何ですの!? あとそれだとわたくしが貴方の部下のようではありませんか! まあ、弾さんがオペラにも深い造詣を持っているのは素晴らしいと思いますが」

 

「貴様ァ! 閣下の部下では不満だとでも言うのか!」

 

眼帯をした小さい子と、異名とやらについては割りと満更でもなさそうなセシリアと、「おぺら……?」とでも言いたげな弾。

 

これは、その……何だ。




せっかく1話消えたし、話自体をバッドエンドにして最後エピローグ的なやつに一夏逆行エンドをぶち込んでそれを第1話っていうサブタイトルにしたらくそオサレじゃねwwやっべwwwwとかって思ったけどめんどくさいしやめた。

あと上のやつの派生で、いっそ優が神様転生したっていう記述を全部無かったことにして、でもタグに神様転生は残したままで、最後に一夏が神様転生で逆行して、本当に神様転生したのは実は一夏でしたエンドをちょっと考えたけどやめた。


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10

おかしい。この作品を書き始めたころはもっと一夏と優がイチャイチャして弾がハレグゥのグゥみたいな感じになって鈴はヤンデレで千冬は頭の悪いブラコンになるはずだったのに。誰のせいでこうなったのか。
投稿してから気付いたけど話進んでなくてワロタ


切欠は些細なことだった。

 

「なあ、千冬姉」

 

「どうした一夏。ははあん分かったぞ? さては寂しくて眠れないんだな? よしよし、お姉ちゃんが一緒に寝てやろう」

 

ただ、彼の目が──

 

「そんなわけないだろ! 俺はただ──」

 

 

 

──強くなりたいんだ。

 

 

彼の目が、かつての誰かと同じだったという、

 

 

 

「一夏……?」

 

 

 

ただそれだけ。

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

【1週間前】

 

無数のデータの奔流が上から下へと流れていく。まるでイルミネーションのように薄暗い室内を照らしていたそれは、やがてピタリと大人しくなった。

 

「コアの解析、完了しました」

 

織斑千冬は報告を受け、モニターの近くへと歩み寄っていく。

 

「それで、どうだった?」

 

「はい、調べたところ、所属なし。未登録のコアでした」

 

「……そうか」

 

未登録のコア。本来ならば有り得ない無人機。これらを可能にする人物に、千冬は心当たりがあった。

 

(だが……)

 

先日の戦闘を思い出す。映像データは何者かによって消去されてしまったが、千冬自身がしっかりと覚えている。

 

(あれは、下手をすれば殺しかねないレベルだった)

 

千冬は先日の戦闘で酷使された、自身の弟の機体を思い浮かべた。

 

(()()ならば確かに、コア自身が持つ治癒能力で一夏が死ぬことは無かったかもしれないが……)

 

しかしだからといって千冬には、自身の幼馴染である人物が、自身の弟を傷つけるとは思えなかった。

 

(とはいえ奴なら、傷ついた一夏を自分が看病するためだとか、師匠っぽいことをやってみたかっただとか、そんなことも言いそうではあるが……)

 

そこでふと、今度は別のことが頭をよぎった。

 

(そういえば八神はまだ目覚めていなかったな)

 

千冬の弟を庇い、その弟よりも遥かに重症となった少女。弟を狙ったものではないとすると、まさかかの少女を……。

 

(いや、そもそも奴と八神との間に接点はない。何を狙うというんだ)

 

しかし一度火がついた思考回路はぐるぐると回り始める。

 

(そういえばオルコットとの試合では何も起こらなかったな。八神と一夏の戦闘も八神が土壇場で進言したから実施したのであって……いや待て。何を考えている)

 

青白い光に照らされた千冬の横顔を、山田麻耶は何が何だかよく分からないといった表情で見つめていた。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

「ドイツ軍特殊部隊《シュヴァルツェ・ハーゼ》隊長、ラウラ・ボーデヴィッヒだ。気軽に少佐と呼ぶといい」

 

優よりも尚小さい背丈。銀色の髪。病的なまでに白い肌。そして妖精のような容姿を持ちながらも、その中で一際異彩を放つ無骨な眼帯。ラウラと名乗った少女は、軍人然とした態度で背筋を伸ばしていた。

 

一方名乗られた側はと言うと、

 

「あ、はあ。えと、八神優です。よろしく」

 

なぜ名乗られたのかすらよく分かっていない様子で、曖昧に頷いた。どうしたものかと、助けを求めるように共に教室に入ってきた篠ノ之箒の姿を探すも、彼女はどうやら必殺人見知りを発動してしまったらしい。いつの間にか座席で本を読んでいた。

 

しかし何が何だか分からないなりに、優にも一つ分かっていた事があった。

 

(あの眼帯は絶対そこの男の影響だな)

口にこそ出さないが、優の視線はラウラの眼帯と、その隣に立つ赤髪の男子生徒の間を行ったり来たりしていた。

優が眼帯を見ていたことに気付いたのか、ハッとした顔で眼帯を抑え、苦しそうに呻きながら後ずさるラウラ。

 

「くっ、危うく私の左目に宿りし力が暴走するところだった。危ないから私の左目は見ない方がいい」

 

「違うぞラウラ。同じような文意ならそこは『貴様、あまりこの左眼を直視()ない方がいい。危うく我が左眼に宿りし魔眼の力が暴走するところだった。命拾いしたな』の方がいい。目ではなく眼だ。『宿りし』という表現は良く使えていたな。『~し』という表現は今後も多用するように」

 

「はっ! 閣下の慧眼、御見それいたしました!」

 

鷹揚に頷く五反田弾。背筋を伸ばしたまま、これまた軍人然とした洗練された動きで敬礼をしてみせるラウラ・ボーデヴィッヒ。師弟間の微笑ましいやり取りに、優の整った顔にも引きつった笑みが浮かぶ。

 

「えーっと、オルコットさん?」

 

「セシリアで構いませんわ。ユウさん」

 

「あー、そう。じゃあセシリア、これってどういう状況?」

 

優の問いに対し、セシリアはどこか困ったような表情になるも、何とか頭の中で整理しながら言葉を選んでいく。

 

「もうクラス対抗戦が近いということで、5組のクラス代表であるラウラさんがご挨拶に来たんですの。ただ、なぜかこのクラスの代表が弾さんだと誤解していて、そしてなぜか弾さんのことを『閣下』と呼んでいるんです」

 

「あー、うーん。なるほどなー」

 

セシリアの説明に満足したのか、何かを諦めたような面持ちの優。そんな優に、件の少女、ラウラが向き直った。キリッとしていながらも、どこか可愛らしさを残した瞳が優を射抜く。

 

「八神優と言ったな。貴様のことは知っているぞ。我が右腕のクラリッサがよく使っていた、日本のインターネット掲示板とやらで見かけたことがある」

 

そう言ってラウラは制服の中から小型の正方形の物体と、黒く細い棒のような物をを取りだした。

 

「サインをくれ。『クラリッサちゃんへ』と書いてくれればいい。アルファベットで書くときはClarissaだ」

 

小さな色紙とペンだった。

 

ISの国家代表候補生という存在は、例えるならば野球で言うところのドラフト1位選手。さらに拡大するならオリンピック選手候補。その国民にとってはスター選手である。

そして注目される選手は国内にとどまらず、海外にも熱狂的なファンを生み出す。クラリッサという者にとって、優とはそういった存在だった。

 

「さ、サイン? まあ、別にいいけど……」

 

おずおずと色紙とペンを受け取り、キャップを取り外す。

 

「クラリッサは日本好きでな。何を言っているのかよく分からなかったが本人曰く『可愛いは正義(Gerechtigkeit)! 2次も3次もどっちもいけます! めざせ5次元マスター!』とのことだ」

 

「あー、そう……」

 

終始達観した様子の優。さらさらと、ペンと紙が機械的に擦れる。

 

「んっ、こほん」

 

そんな二人のやり取りに割って入る者がいた。セシリアである。ブロンドの髪をかき上げ、チラチラとラウラに視線を向ける。

 

「ん? どうした?」

 

きょとんとした様子のラウラ。あどけない少女のような姿に一瞬言葉を詰まらせるセシリアだったが、目的を思い出したのか、再度咳払いをした。

 

「え、えー、その方は、わたくしのことは何と?」

 

どこか期待を込めた視線。しかしそれをばっさりと切り捨てるように、ラウラは可愛らしく小首を傾げた。

 

「確か貴様はイギリス代表候補だったな。はて、何か言っていたか……」

 

「よかったらわたくしのサインも「あっ!」

 

言いかけるセシリアを遮るように、ラウラはぽんと手を叩いた。

 

「そういえば以前言っていたな。ソクオチ……? が似合うとかなんとか」

 

「な、なんですのそれは」

 

怪訝そうに眉を顰めるセシリアと、まるで「意味を訊ねられてはかなわない」と言わんばかりにセシリアからさっと視線を背ける弾と優、そして数名のクラスメイト。彼女らの行動が、一体何を知っいて行われたものなのかは分からない。

 

そんな周囲の様子など意に介さず、ラウラは朗々と続ける。

 

「それからこうも言っていた」

 

ラウラが二の句を継ぐ前に、先程セシリアから顔を背けた者達の額に嫌な汗が浮かぶ。優は何かを察したのか。足早に教室を後にした。弾もいつの間にか姿を消している。一部の人間に妙な緊張感が走る中、ラウラははっきりと口を開いた。

 

 

 

 

「『イギリス代表候補は「絶対にお【珍】なんかに負けたりしない!」って言いそうですね!』と。そういえばお【珍】とはどういう意味なんだ? 閣下は何か……あれ? 閣下?」

 

 

 

 

空気が、凍った。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

「ドイツの方々はほんっとうに品性に欠けますわね!」

 

昼休みの食堂にて。ぷんすかと肩をいからせながら、目の前にいる者たちに声を荒らげるセシリア。フォークを片手に顔を真っ赤にして怒りを表している。

 

「ラウラにも悪気は無い。許してやってくれ。全てはあのクラリッサという女の仕業なんだ……」

 

事のあらましを恐らく誰よりも把握しているであろう弾は、頭が痛いと言わんばかりにこめかみを抑えた。弾が言うには、クラリッサという少女はラウラが所属する部隊の副隊長に当たるらしい。彼がドイツ軍に顔を出す以前からの日本好きであり、また偏った知識を持っていたという。余談だが、五反田弾の登場により、クラリッサの偏り度合いにさらに拍車がかかったのは言うまでもない。

 

「なんか、俺が居ない時にいろいろあったみたいだな……」

 

そして「セシリアお【珍々】事件」が起きた時、唯一その場に居合わせなかった男、織斑一夏は、焼き魚を箸で丁寧に解しながら口へ運んだ。

 

「そ、そういえば一夏、今朝は遅かったようだが、何をしていたんだ?」

 

そう言葉をつっかえさせながら言ったのは、同じテーブルの中、隅の方で一夏と同じ焼き魚定食をこそこそ食べていた箒だった。一応着いて来てみたものの、まだセシリアや弾と打ち解けるまではいかないらしい。

 

訊ねられた一夏はというと、「ああ、ちょっと特訓してた」と事も無さげにさらっと返す。ここで『へぇー、特訓してたんだ。頑張ってるね! 一人で? それとも誰かと一緒だったの?』くらいの返答が可能であれば、会話続行、そして想い人に悪い虫が付いていないかどうかの確認という一石二鳥の結果が得られたのだが、悲しいかな、彼女にはコミュ力が無かった。

 

「……そうか。とっく「なにぃ!? 特訓だとぉっ!?」

 

さらに間の悪いことに、箒の言葉にかぶせるようにして、珍しく大人しくしていた男が凄まじい勢いで食いついてしまった。テーブルに身を乗り出す勢いで、今にも一夏に飛び掛かりそうだ。

 

「そうだけど……それが何か「何かじゃねえだろうが! なあ一夏、俺達は親友だろ? ならばなぜ俺を呼ばない! 特訓の申し子と呼ばれたこの俺を!」

 

誰も申していない。

 

さらに言うと親友であることと特訓に呼ぶ呼ばないという点については何ら因果関係など存在しないのだが、誰にもそんな疑問を挟む余地を与えない勢いと情熱が、この男にはあった。

 

「まあでも、確かにこっそり特訓っていうのもあんまり今まで無かったわね」

 

そう言ってしれっと紛れ込んでいたのは、2組代表であるはずの凰鈴音。いつの間にか一夏の隣に座っている。

 

「もちろんあたしは一夏が誰と何をしてたのか、ちゃーんと把握してるからね!」

 

にっこりと満面の笑み。薄く朱の差した彼女の表情は、それを見る多くの男を虜にするだろうと思わせるほど綺麗なものだった。その笑顔を向けられた当事者である一夏もやはりそう思っているのか、薄く汗を滲ませながら乾いた笑いを浮かべた。

 

ほのぼのとした幼馴染同士の会話に疎外感を感じたのか、セシリアは今日何度目になるか分からない咳払い。一瞬静まり返った隙を狙って口を開く。

 

「それで、特訓というのは一体何をしていたんですの? それとアナタ、たしか2組代表の凰鈴音さんですわね? これから戦おうという者と食事を同席するとはどういう神経です?」

 

眉をひそめながら鈴を見るセシリア。流れるように放たれた言葉は至極ご尤もである。しかし当の鈴はというと、

 

「あ゛?」

 

「ひっ」

 

喧嘩腰丸出しで凄んでいた。小さく悲鳴を上げるセシリアに対し、さも今気付きましたといった風にまくし立てる。

 

「ああ、いたの? ごめんなさい全っっ然気付かなかったわ。ていうかなんでアンタにそんなこと言われなきゃいけないわけ? そもそもあたしは一夏と一緒にご飯を食べていたのであってアンタとご一緒してるわけじゃないわ。ていうかアンタ誰?」

 

「なっ、なっ、なにをっ……!」

 

ここまで言われて黙っているわけにはいかない。セシリア個人のプライドと国を背負う立場であるというエリートとしての自意識がセシリアのなかでむくむくと膨れ上がる。先程同様怒りに震えるセシリア。

 

しかしそこである人物から待ったがかかる。

 

「お、おい、二人とも、急にどうしたんだよ?」

 

待った、というには弱々しい。おろおろと状況を飲み込めていない様子の一夏。

 

「その……よく分からないけど、喧嘩はやめろって。な?」

 

どうしたらいいか分からないなりに、おっかなびっくり仲裁を買って出る様子の一夏に、鈴のとった行動は迅速だった。ツインテールを揺らしながら凄まじい勢いで一夏に向き直る。

 

「違うのよ一夏! これは演出よ。え・ん・しゅ・つ。これぐらい煽った方がお互い戦いやすいし、盛り上がるでしょ? だから一夏は何も心配しなくていいのよ? ね? 1組代表さんもそう思うわよね?」

 

今度はセシリアへとその笑顔を向ける。否、笑顔ではない。目が1ミリたりとも笑っていなかった。余計なことを言うとコロス。その目は語っていた。

 

しかしセシリアは気付かない。鈴の意図するところなど欠片も。ああ、なんと愚かなセシリア・オルコット。彼女は純粋すぎたのだ。常に他人に期待をかけ、美点を探す。なんと健気で愚かなことか。

 

「ま、まあ、そうでしたの……こほん。ええ、その通りですわ。こんなところではしたなく喧嘩などするはずありませんわ」

 

言葉を額面通りに受け取るセシリアは、鈴の言葉が口から出まかせであるとことも気付かない。そしてセシリアはプライドが高かった。故に自分だけが本気で怒っていたなどと思われたくない。結果、鈴の思惑通りに事が進んでいた。なんと愚かなセシリア・オルコット。人を見る目に自信があるとは何だったのか。

 

そしてもう一人、まったく気付いていない男がここに。

 

「ああ、なんだそうだったのか。迫真の演技ってやつか? まったく気づかなかったよ」

 

呑気に微笑む織斑一夏。その一夏とセシリアを横目に、いつか詐欺に遭うんじゃないかこいつら、という言葉を、箒は味噌汁と共に飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

喫煙室。

 

昨今の禁煙ブームの流れに逆らうように割とどこにでも存在するその部屋は、ここIS学園の片隅にも例外無くひっそりと存在していた。

 

織斑千冬は特にタバコを吸うわけても無く、筒型の灰皿に手をつき、とんとんと人差し指でその銀の淵を叩いた。

 

「すまないな。突然呼び出してしまって」

 

ため息混じりに口にする千冬。そんな彼女に対して、少女はぶんぶんと横に首を振った。先程から部屋の入口で所在なさげに立ったまま髪を指先で弄んでいたのだ。この謎の時間から開放される糸口を与えられた少女はここぞとばかりに口を開く。

 

「あ、いえ! 全然大丈夫です!」

 

八神優は言いながら、にこりと笑みを浮かべる。その完成された美術品のような表情から、さっと視線を背ける千冬。

 

(ありゃ? 俺さん何かミスりました?)

 

内心で自身の言葉を省みるも、特に問題は無さそうだ。では一体どうしたというのか。優の中で静かに疑念が広がる。

 

しばしの沈黙。千冬は何かを考え込むように顔を伏せていたが、やがて優を徐に見据えた。

 

「すまない。私も何から話せばいいのかよく分かっていなくてな。ひとまずお前自身の問題から触れていこう」

 

「問題、ですか?」

 

僅かに表情が曇る。優自身、思い当たる節があるのだろう。千冬はゆっくりと口を開いた。

 

「八神、お前、恐くなったのか?」

 

何が、とは言わなかった。

 

しかし当の本人にはしっかりと伝わっているようだ。赤い瞳は見開かれ、美術品のような相貌には驚愕の色が滲んでいる。

 

「あの一件以来、ISを起動していないらしいな。特に一夏とは、IS関連の話題を避けている節がある」

 

淡々と言葉が続く。優の視線はあからさまに泳いでいる。どうやら事実らしい。

 

「それは、機会が無かっただけで」

 

「だったら今日の午後、実習訓練の時間がある。その時に模擬戦をして見せろと言って、できるか?」

 

優は答えない。答えられなかった。ただ俯き、千冬の言葉に肯定を示す。

 

張り詰めた空気の中、再び千冬の言葉が優をじわじわと締め付ける。

 

「……初めは、ただのお節介で、危険を顧みない無鉄砲なやつだと、ただそれだけだと思っていた」

 

そう言って千冬は、タブレットのような物からホログラムを浮かび上がらせた。いくつかの写真と、数多の文字列。それは優にとって非常に見覚えのあるものだった。

 

「その評価は当たっていたと思う。悪いが少しお前のことを調べさせてもらった。実際、特にどこかの組織とつながりがあるわけでもなかった」

 

ホログラムが消える。千冬の言葉は止まらない。

 

「多少危ういとは思っていたが、特に気にしてもいなかった。その結果が先日のアレだ。これは私の落ち度でもある」

 

「そ、そんな」

 

「しかしだ八神。そこで今のお前の状態が、私からしてみれば疑問なのだ」

 

千冬の目に力が篭る。

 

「お前は思い出したかのように恐怖というものを感じ始めた。だが何故だ? 危険という意味では、2年前の事件だって十分危険だった。あの時は腕を撃たれたそうだな」

 

「あ、あのときは、その……」

 

「あの時はなんだ? 『死なない自信』でもあったというのか? そしてお前の中のその自信とやらが、先日の一件で揺らぎ始めた。違うか?」

 

優が一歩後ずさる。口を開けたり閉じたりしながら、言葉を探すも、何も出てこない。

 

「八神、もしかしたら私はこれから教師として、人間として最低なことを言うかもしれない。ただの八つ当たりに等しいことは理解している。それでも言わせてくれ」

 

空いた距離を、千冬の一歩が詰める。揺れる優の瞳を、千冬の鋭い眼光が貫いた。

 

「なあ八神。お前は何だ?」

 

千冬の言葉がゆっくりと優の中に沈んでいく。自分は、何なのか。

 

「一夏がお前と出会ってから、いろんなことが変わってしまった。まるでお前を中心に何か大きな力が働いているように」

 

「私は、ただ……」

 

「ああ、お前に非がないことは理解している。身勝手で、馬鹿みたいで、妄想にも等しい言い掛かりだ。しかしこの醜く膨れた疑念を私の中ではもう抑えきれない」

 

例えば──。そう前置きして千冬は語る。

 

「そう、例えばだ。この前の一件だってそうだ。あの時お前が一夏と戦っている時に起きた。その前の試合では何も起こらなかったのにだ。もしかしたら八神が一夏と戦うように進言しなければ、あの襲撃は無かったかもしれない。それに恐らくだが、私はあの無人機を作った人間に心当たりがある。しかし奴は、一夏を傷つけるような真似はしない」

 

目を見開く。言葉の刃が、少しずつ優を刻む。

 

「そしてもう一つ。一夏がISを動かした切欠、2年前の誘拐事件。あれも一夏がお前と出会わなければ起こらなかったかもしれない。一夏があそこにいたのは八神、お前がチケットを用意したからだと聞いている」

 

心なしか、千冬の声は震えている。

 

「一夏が危機に陥る時、八神、なぜかお前がそばにいる。しかもその原因となる部分に関わる形で」

 

「ちがっ、私は……っ!」

 

「お前が一夏を守ろうとしているのは知っている。実際お前が関わった一夏の危機は、お前が一夏を守ることによって収束している。それは紛れもない事実だし、感謝もしている。しかしお前のそんな意思とは別に、何か大きな力が働いているようにしか思えない」

 

「力って……」

 

「一夏は、お前と出会ってから、少しずつ変わってしまった。今朝、一夏がなんて言ったか、知っているか?」

 

小さい声で「いえ……」と呟き、首を横に振る。そんな優を見て、千冬は自嘲気味に笑った。

 

「『守りたい人がいる。だから強くならなきゃいけない』と、そう言っていた」

 

優は答えない。一夏の言葉に対する答えを、優は持ち合わせていない。

 

「一夏はもともと弱い。身体的な意味ではなく、精神的に。昔の経験からか、何かを失うことに対してトラウマに近いものを抱くようになってしまってな。それ以降、あいつは常に、誰かに依存するようになった。その誰かを失わないように、日々を過ごすようになった。恐らく、今の一夏はお前に依存している。守りたいというのは、依存の裏返しだろう。それだけならまだ良かった。だが、今朝そう言ったあいつの目は……」

 

「昔の、私と同じだった」そう言って、どこか遠い目をする千冬。

 

「あそこまで、何かに強く依存する一夏は見たことが無かった。もはや『守る』ということに執着しているといってもいい。そんなあいつの目は、我武者羅に力を求め、悪魔に魂を売り払うことも厭わないような、そんな目だった」

 

「悪魔……」

 

「実際私は売ってしまったからな。強力な力を持った兵器をチラつかされ、安易に手を伸ばしてしまった。そもそもの原因というなら、私がISなんぞに手を出さなければ、一夏が危険な目に遭うことも無かったのかもしれない」

 

「そんな……それとこれとは、話が……」

 

「確かに直接の因果関係は無いかもしれないな。だが、なんというか……」

 

千冬はしばし考え込むように沈黙し、やがて「似ているのだ」と呟いた。

 

「似ている……ですか?」

 

「ああ。状況、それから……その悪魔とお前がな」

 

「あ、悪魔、ですか? あはは……」

 

言われて、もしかしたら彼女なりのジョークかもしれないと、愛想笑いを浮かべる優。千冬の表情はしかし、裏腹に厳しいものだった。

 

「冗談ではない。周囲の、何もかもを変えてしまいそうな、そんな大きな力の中心。あの女もそういうやつだった」

 

千冬の眼光に、優は思わず息をのんだ。彼女には類稀なる幸運がある。恐らく千冬の言う力とはこのことだろうと優は考えていた。しかし、自分と同じような『何か』を持つとなると、その悪魔がいかに凄まじい人物かということを嫌でも想像してしまう。

 

「私は……一夏も何か大きな力の流れに巻き込まれて、いずれ巡り巡って、自身の選択を後悔するのではないかと思ってしまう」

 

やけに実感のこもった言葉に、優は何も言うことができなかった。

 

「……八神、私は一夏のためになら、悪魔に魂を売っても構わない。だから……」

 

優をまっすぐと見つめる。千冬はやがて意を決したように、その言葉を紡いだ。

 

「……これだけははっきりさせておきたい。八神、お前は……一夏の味方なのか?」

 

もはや懇願に近い言葉。千冬の表情はどこか悲痛で、それでいて真剣そのものだった。対する優は、震える目で千冬を見つめる。やがてその真紅の瞳を伏し目がちに床へと向け、

 

「……敵ではない、つもりです」

 

絞り出すように答えた。

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

放課後のアリーナの観客席で、ぽつんと座る少女が一人。視線の先では、少女よりも一つ二つほど年上と見られる女子生徒たちが、機械の装甲を纏い、縦横無尽に飛び回っていた。

 

「あいつの問題に関わって、戦っていく自信が無くなったと思ったら、案外俺が離れれば全部解決するかも、だなんてな」

 

八神優は儚げに笑う。

 

「俺がそもそもの元凶か。考えたことも無かったな……」

 

10年前に一度、ある人物を中心に世界は姿を変えた。マルチフォーム・パワードスーツ、今優の目の前で飛んでいるISを伴って。

そして2年前、再度世界は変わった。世界最強が姿を消し、今度はそのISを、織斑一夏という一人の男が動かしたことによって。

 

2年前に起きた変革は、織斑一夏を中心として起こっている。少なくとも世間はそう認識していたし、優もまた同様だった。

それが、なんと世界の中心にいたのは彼ではなく、自分なのかもしれない。或いは彼を中心に追いやったのは自分なのかもしれない。そう言われてしまえば、混乱するのも仕方がなかった。

 

「そんなこと言われたって、どうしろっていうんだ……。俺の力は幸運じゃなかったのか……?」

 

或いは、この世界は誰にとっての幸福なのか。

 

考え事をしていたからだろうか。優は背後からやってくる人物に気付くことができなかった。

 

「あれ? 貴女は……」

 

急に聞こえた声に、反射的に振り返る。今の自分を見られていたのだろうかと、そんな懸念が一瞬優の頭を過った。

 

「ああ、やっぱり。八神さんでしたか」

 

ゆっくりと歩み寄るその人物は、その銀色の髪を陽光に煌めかせ、穏やかに微笑んだ。

 

「えーっと、少佐ちゃん、だっけ?」

 

「ふふっ、そちらの方を覚えて頂いたんですね」

 

困ったように笑う少女。妖精のようなその立ち姿と、今朝優が初めて彼女を見たときとのギャップに、優は目の前の光景を一瞬疑った。傾きかけた日の光を受け、少女の眼帯が武骨に光る。

 

「はい、ラウラ・ボーデヴィッヒ少佐です。今朝、お会いして以来ですね」

 

銀色の妖精は優の隣に歩み寄ると、ちょこんとそこに腰掛けた。倣って、優もまた座り直す。

 

「こんなところで何を?」

 

「何って……いや、別に……」

 

ラウラの問いに、優はただアリーナの床を見つめた。自分は何をしているのか。分からない。とりあえず一人で考え事をしたかった。ふらふらと彷徨い、たまたま辿り着いたのがここだった。

 

しばし考え込んでいた優だったが、やがて徐にその重い口を開いた。

 

「ねえ、ラウラちゃん、だったかな」

 

「ラウラで構いませんよ」

 

ラウラは言いながら、はにかむように、頬を少し染めてくすぐったそうにして笑った。

 

「ちゃん付け、っていうんですよね? そういうの、慣れてなくて……」

 

「じゃあラウラ。これから言うことは冗談か何かだと思ってほしいんだけど」

 

そう前置きして、優は視線を動かさず、抑えきれない不安を溢れさせる様に言葉を零した。

 

「もし自分が、他人や自分の運命を捻じ曲げられるほどの力を持っていたとしたら、どうする?」

 

「運命を……曲げる、ですか?」

 

「うん、例えば……」

 

アリーナの中心で、剣戟が響き渡る。どうやらまだ決着は着いていないらしい。

片方は打鉄という日本の量産機。甲冑を彷彿とさせるデザインで、近接戦闘主体の安定した性能を持つ機体だ。

もう片方はラファール・リヴァイヴというフランスの量産機。汎用性と豊富な後付武装が特徴の機体だ。

 

「ラウラ。賭けをしようか」

 

「賭けですか。賭博は禁じられているのですが、具体的には何を」

 

「簡単だよ。今戦ってる人達のどっちが勝つかを当てるだけ」

 

「なるほど。それくらいなら構いません」

 

了承を得たところで、優は飛び回っている二機をじっと見つめた。現在は互角の様だが、遠距離武装が豊富な分、いざ遠距離戦に持ち込まれてしまうと打鉄の方が不利であるかのように思える。

 

「そうだなぁ……」

 

優の口から小さな呟きが零れる。

 

「打鉄が勝つ」

 

「では私はラファールに賭けます」

 

その直後だった。

 

一度距離を取って遠距離戦に持ち込もうとしたのか、ラファールが軌道を変え、打鉄から離れるように旋回した。しかし──

 

「これはっ……!」

 

──カッと閃光が迸る。咄嗟のことにラウラと優は目を庇うようにして手を翳した。飛行姿勢を変えた直後で不安定になっているところに、打鉄からスタングレネードが放たれたのだ。影響をもろに受け、動きが著しく鈍くなるラファール。そしてその隙を逃すはずもなく、互角の戦いを繰り広げていた二機による模擬戦は、打鉄の渾身の一太刀によって幕を下ろした。

 

「本当に打鉄が勝ちましたね。スペック的にはラファールの方が勝っていると思っていたのですが……」

 

そう言って驚きの表情を浮かべるラウラをちらりと横目に見やり、優は再び床に目を向けた。

 

「今、私が賭けをしようと言わなければそうなっていたかもしれない」

 

もし仮にラファールが勝負を焦らなければ、結果はどうなっていたかは分からない。近接戦で打鉄を弾き飛ばすようにして、相手のバランスを崩しながら距離を置くことができれば、そこからはラファールの一方的な遠距離攻撃が始まったことだろう。

 

「それか……」ぽつりぽつりと言葉が続く。

 

「それか、どちらかが私と一緒に長くいれば、そっちが勝ってたかもしれない。そうなると多分、心のどこかで勝ってほしいって思っちゃうだろうから」

 

沈黙が横たわる。アリーナの中央では、先程訓練機を使用していた生徒達が撤収作業を始めている。

しばらく見守っていた二人だったが、やがて沈黙を破るようにラウラが言った。

 

「つまり、優さんが望めばその結果を得られる、ということですか?」

 

「そんな融通の効くものじゃないよ。ただ、方向性の定まらない幸運を持ってるってだけ。力が強い分、使い勝手の悪い粗悪品だよ。これのせいで困ったこともあるし」

 

自嘲気味に顔を伏せる優。しかし、

 

「でもっ!」

 

「っ!?」

 

対照的に、キラキラした表情で興奮冷めやらぬといった様子のラウラ。今朝とは対照的な、年相応よりも幼く見える彼女から、思わず目を逸らせない優。

 

「でもでもっ! それでもすごいじゃないですかっ! 何にも持ってない人からすれば、きっとすごく羨ましいですっ!」

 

「お、おう」

 

余りの勢いに若干ではあるが腰が引けている優。しかしラウラは止まらない。

 

「超高校級っていうんですよね!? クラリッサが言ってました! Japan(ヤーパン)の『フツーノコーコーセー』は全員特殊な力を持った超高校級の者達だと!」

 

「それは違うよ……」

 

「違うんですか!?」

 

なぜか凄まじいショックを受けたようなラウラ。しかし優の様子から己の情報の瑕疵を悟ったのだろう。「違うんですか……クラリッサにはなんと伝えるべきでしょうか……」そう呟きながら、どこかしょんぼりとしている。

 

そんなラウラの様子に罪悪感が芽生えたのか、優はあたふたしながら話題を切り替えた。

 

「そ、そういえばさ、今朝とは随分その、なんていうか、キャラが違うけど……」

 

言ってから、しまったと言わんばかりに口を押える優。咄嗟の判断とはいえ、なぜこうも面倒くさそうな事情が見え隠れしているところに向かっていくのか。

 

しかし当のラウラはというと、「別に大したことじゃないんです」と照れ笑いのような表情を浮かべている。あまり気負っている様子も無さそうだ。優の勘違いだったらしい。

 

「ただ、閣下みたいになりたくて。閣下の前では、閣下のまねをしているんです」

 

「……ほ?」

 

思わず間の抜けた声が出る。しかし優には信じられなかった。閣下というのは優のクラスメイトである五反田弾のことだろう。その男のようになりたいと、目の前の少女が言った。ただそれだけの事実を、優の頭は処理しきれなかった。

 

「それに、学校にいる間は、一応軍人として振る舞おうと決めてますので。閣下みたいにしていた方が軍人らしいですし」

 

「えっと、そうなると、今が素の状態ってこと?」

 

「えへへ、そうなります……って、ごめんなさい。あんまり、軍人らしくないですよね。私達、ISが出たころから日本語を学ばされてて、軍の施設でも日本語を使うことが多かったんですけど、周りは大人が多くて、自然と敬語が染み着いてしまって……」

 

「あ、あー、うん。なるほどなー」

 

10年前、あるいはそれ以上前から軍に所属しているというこれまた面倒くさそうな事情を耳にしてしまい、早速後悔の念に浸る優。あまりその辺の事情に触れずにおこうと、再度軌道修正を図る。

 

「そういえばさっき、五反田君みたいになりたいって言ってたけど、あれってどういうこと?」

 

「えっ、あっ、それは、その……」

 

優の質問に、急に歯切れが悪くなるラウラ。先程とは打って変わった様子の少女に、優の中で一つの予想が首を擡げる。己の予想に目眩を覚え、優は軽く頭を振った。ラウラはそんな優のことなど気に留める余裕など無さそうだ。

 

「閣下には言わないでくださいね? ……その、閣下は私の憧れなんです」

 

再度、優に衝撃が走る。目の前の妖精のような少女は今、自分に向けて何と言ったのか。

 

「AKOGARE……?」

 

「はい、憧れ、です」

 

聞き間違いでは無いようだ。この少女はたしかに、五反田弾に憧れているのだ。優は納得はできないものの、辛うじて理解する。

 

「憧れねぇ……それはまたなんで?」

 

優の問いに対し、ラウラはどこか、昔を懐かしむように空を見上げた。

 

「閣下って、いつも自信たっぷりじゃないですか」

 

「自信っていうか……まあ、うん」

 

風が吹く。昼間の熱を浚うように、ひんやりと頬を撫でる。いつの間にか、空は赤く染まっていた。

 

「私、昔いろいろあって自分に自信が持てなかったんです。そんな時に閣下と出会って……」

 

優の額にうっすらと妙な汗が浮かぶ。再度これまた妙な予想がむくむくと自己主張を開始する。優の内心を知ってか知らずか、ラウラは言葉を続ける。

 

「閣下は仰ったんです。『貴様は自尊心によって歪んだ自己効力感に支配されている』って」

 

「……え? 自尊心の自己こう……何?」

 

「私も意味はよく分かりませんでした。ただ、閣下は、私が嫌いだった私を、誰よりも認めて、信じて、肯定してくれました。こんな眼になって、訓練も上手くいかなくて、みんなが私を見下す中、閣下だけは褒めてくれたんです。おかげで、私もこの眼が好きになれたし、ちゃんと使いこなそうって思うようになれて、嫌になっていた訓練も好きになって……。それから教官の助けもあって、ようやく軍人として立ち直ることができたんです」

 

ラウラの口元には笑みが浮かんでいる。温かい笑みだった。

 

「閣下の言動を、いろんな人は『チューニビョー』や『勘違い』と捉えているようですが、結局根本にあるのは、自信を持つことだと思うんです。多分閣下は私と同じで、自分に自信が持てなくて、だからこそ、常に自信にあふれた自分を、無条件に肯定できる自分の姿を探してるんじゃないかって、思うんです。『チューニビョー』などは、ある種そのための処世術ではないでしょうか。何が閣下をそうさせているかまでは存じませんが」

 

夕日がラウラの髪に反射してきらきらと輝く。優はその様をじっと見ている。そんなわけないだろ、と、静かにそう思った。

 

「劣等感の塊だった私には、そんな閣下が眩しくて。閣下と一緒にいるだけで、なんだか何でもできそうな気がしてきて……」

 

そっと、ラウラの白い手が眼帯に触れた。

 

「閣下と一緒にいれば、閣下みたいにしていれば、いつか……」

 

小さく息を吐くと、ラウラは淀みない動作で立ち上がり、優を見降ろした。その顔つきは先程までのラウラという少女ではなく、優が初めて彼女を見た時のそれ。ドイツ軍シュヴァルツェ・ハーゼ隊長、ラウラ・ボーデヴィッヒ。

 

「今の自分を認めろ! 八神優!」

 

呆けている優に、ラウラは一気にまくし立てる。

 

「手に余る幸運? 素晴らしいではないか! 貴様がその力を全力で振るえば、世界だって手に取れる! 制御できないというのであれば制御できるようになればいい! 粗悪品と掃いて捨てるには過ぎたる力だ!」

 

ようやく優は、目の前の少女が自分のことを認めてくれようとしているのだと、励ましてくれているのだと理解する。

 

「貴様は『方向性の定まらない幸運』と言ったな。それもそのはずだ。幸福の定義など人それぞれ、時と場合と立場で大きく異なる。それでも尚、貴様にとっての幸運が訪れないというのであれば、貴様自身が明確な目的を持っていないのだろう」

 

「目的……」

 

「何が何でもこうしたいという、強き思いだ。明確な目的とは即ち、幸福の物差しでもある。それが無ければ幸福という大雑把な言葉から数多の結果が導き出されるのも無理はない。貴様が例えば世界を支配したいと何よりも強く願えば、全ては貴様の意思に従い、そのための運が巡るだろう!」

 

「そ、そんなこと思ってないよ! 私はただ……」

 

言葉が詰まる。自分がそれを言う資格があるのかと。彼に巻き込まれたのではなく、彼を巻き込んだのかもしれないのに。罪悪感が渦巻く。彼の味方でいていいのか。しかし、それでも……

 

「……ただ、他の人を不幸にしたくないだけだよ」

 

俯いて言う優に対し、ラウラは唸りながら顎に手を当てた。

 

「ふむ、そうなると難しいな……」

 

「難しい、って?」

 

「言っただろう。幸福の定義など人それぞれだと。誰かの幸福が、お前からしてみればそうは見えないという事も有り得るはずだ」

 

「たしかに……」

 

「逆に、お前が誰かの幸福のためにとった行動が、その者にとってはそうでなかったり、といった事もあるだろうがな」

 

言われて、しばし考える。そういえばそもそも、彼にとって今の状況は不幸なのだろうか。

 

「ああ、そういえば」

 

そう呟き、ラウラはぽんと手を叩いた。思考の海から現実へ引き戻される。

 

「私の部下に何人か占い好きがいるのだが、そいつらが言うには『運』というのは伝染するらしい」

 

「伝染……?」

 

「ああ。例えば自身が不幸な人間の近くに長くいれば自身もまた不幸になる。逆に幸運な人間の近くに長くいれば、幸運になれる」

 

ラウラはそう言って、優に微笑みかけた。

 

「そうやって、他人を幸せにしていくこともできるかもしれないな」

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

「ご苦労だったな、ラウラ」

 

廊下の曲がり角。身を隠すようにして壁に背を預けている男は、すれ違った少女に小さく呟いた。

 

「いえ、閣下の御命令とあらば」

 

「別に命令って程じゃないさ。一夏のやつがやけに心配しててうるさかったからな。それに、ダチが困ってんだ。何もしないわけにもいかないだろ?」

 

「閣下の御寛大なお心には感服いたす限りです」

 

そう言って、お互い軽くほほ笑む。「しかし──」と、ラウラが再度口を開いた。

 

「しかし何故、私に?」

 

対する男は、髪を片手で掻き上げ、深く息を吐いた。

 

「深い間柄にこそ話し辛いこともあるだろうと思ってな。そもそも大したことじゃないなら誰かしらに話が行くはずだ」

 

「なるほど。そうではなかったため、私に白羽の矢が立ったというわけですね」

 

「ああ。すまんな。使い走りのような真似をさせて」

 

「いえ、お気になさらず。私はただ言われた通り、激励を贈っただけです。それに興味深い話もできましたので」

 

「ではこれで──」そう言いながら、踵を返すラウラ。遠ざかっていく背中に、弾はぽつりと問いかけた。

 

「そういえば、結局何を話していたんだ?」

 

問いかけに対し、立ち止まり、振り返る。夕日に照らされたニヒルな笑みが弾の視界に映った。

 

「組織に所属する以上、私は──」

 

「くくっ、守秘義務か。相変わらずお堅いな……」

 

弾もまた、ニヒルに口元を歪める。終わりかと思われた問答だが、ここでラウラの口元が小さく動いた。

 

「ただ、強いて言うのであれば───」

 

夕日が落ちる。一際強く煌めくオレンジに、世界が一気に染め上げられた。幻想的な光景。まるで昼間とは別の世界にいるようだった。切り取られた世界で、悪戯っぽい少女の微笑みが照らし出される。

 

「───冗談か何か、です」

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

すっかり日も落ちた中、優は緩慢な足取りで食堂へ向かっていた。夜の帳に溶け込むような漆黒の髪が、優の歩調に合わせてゆらゆら揺れる。

 

「あれ? ユウ、もしかして今から夕飯か?」

 

ふと声がかかる。彼女にとって聞き慣れた声だ。間違えようもない。振り返ると、やはりそこには、丁度優が今日ずっと考えていた少年の姿があった。

 

「うん、ちょっといろいろあって遅くなっちゃって」

 

見れば、食堂の入り口からは既に食事を終えた生徒たちが出てきている。そろそろ品切れになっているメニューもあるかもしれない、と、何となく考えながら再び歩き始める。優の歩みに合わせて一夏が小走りで隣に追いついた。

 

「なんだそっか。実は俺もなんだよな。一緒に食おうぜ。そういやさっきまで弾を探してたんだけど、どっかで見かけなかったか?」

 

「うーん、見てないなあ」

 

答えながら、つま先に視線を落とす。五反田弾の名前を聞いた時、優は先程交わした、銀髪の少女との会話を思い出していた。

 

(運は伝染する、か)

 

ちらりと隣に並ぶ少年を見る。まるで風邪か何かの様に、彼に自分の幸運が染ったというのか。優の頭に、銀髪の少女とのやり取りが再度過る。

 

「ねえ一夏くん」

 

ピタリと立ち止まる。優の視線の先は食堂の入り口へと向けられていた。

 

「ん? どうしたんだ?」

 

突然歩みを止めた優を、怪訝そうに見つめる一夏。そんな彼に、優はにこりと微笑みかける。

 

「ちょっとさ、賭けをしようよ」

 

「賭け?」

 

「うん。ルールは簡単。次に出てくる人達が何人グループかをあてる。数字が近い方の勝ち」

 

「ふーん、なんかユウがそういうこと言い出すのって珍しいな」

 

「そう?」

 

「ああ。まあいいぜ。やろう。報酬は?」

 

「おかず一品」

 

「オッケー。了解だ」

 

廊下の端へと移動する二人。両者の視線は、再度食堂の入り口へと注がれる。やがてじっと観察するように見ていた二人だったが、ほぼ同じタイミングで口を開いた。

 

「「3人」」

 

狙いすましたかのように、食堂の入り口に人影が現れる。一人が後ろ向きに出てきた。そしてその一人と歓談を交わしながら、別の二人が現れる。後続はいない。果たして三人という数字を見事的中させた優と一夏は、結果を見るや否や、同時に吹き出した。

 

「引き分けだな」

 

「……そうだね」

 

頷きながら、優は何かを思案するように、指先で髪を弄んでいる。視線は伏せられ、何かを決めかねているようだ。やがて顔を上げ、一夏に向き直った。

 

「ねえ一夏くん」

 

先程とは違い、どこか真剣味を帯びた優の声に、思わず笑いを引っ込める一夏。

 

「一夏くんは今、自分が幸せだと思う?」

 

優の問いに一瞬面喰ったようにぱちぱちと瞬き。そしてようやく優の言葉を咀嚼したのか、今度は笑みを湛えて頷いた。

 

「ああ。もちろん」

 

「なんで? 二年前やこの前みたいな事件があっても、それでも幸運だって言える?」

 

「ああ。言えるね」

 

一夏の言葉に、今度は優が面喰う番だった。思わずといった調子で問い質す。

 

「それはまた、なんで……」

 

「二年前。あの場所に居たから、俺はISを動かすことができた。ISを動かせたから、今こうしてユウやみんなと一緒にいられるんだ。それにISっていう、誰かを守るための力を手に入れることだってできた」

 

目を見開く。目の前の少年の「幸福の物差し」が、予想外だったのだ。

 

「この前の事件だって……まあ、あの時は結局またユウに守られちゃったし、こんなことを言うのは不謹慎かもしれないけど、あの事件のおかげで、俺はまだ強くならなきゃいけないって思うことができたんだ。みんなを守るためには、もっともっと強くならなきゃって。正直な話、ユウも無事目覚めてくれた今となっては、力不足を気付かせてくれてむしろ感謝しているくらいだ」

 

絶句。優には彼にかける言葉が見つからなかった。あまりにも価値観が違いすぎる。どこのバトルジャンキーだ。ふと、昼休みに目の前の少年の姉が言っていたことを思い出した。

 

────『守る』ということに執着している。

 

優の目には、今の少年の姿がまさしくそう映っていた。

 

「もっと強くなって、今度こそ、ユウのことだってきっと守ってみせる!」

 

そう言う一夏を前に、優の中で静かに、嫌な予想が浮かび上がった。

 

(一夏には今、俺の幸運が伝染している。そして今の話と織斑千冬の話を合わせると、一夏には『俺を守る』という明確な目的がある。そしてそのために何が必要なのか。即ち────)

 

思考を掻き消す。やめろ、考えるな。そう自身に言い聞かせ、優は曖昧な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

守れなかった。

 

『……ちふゆ、ねえ…………いちかは……?』

 

『一夏は……もう……っ』

 

 

彼の手から、いつもするりとすり抜けていく。

 

『箒! 学校行こうぜ!』

 

『……やあ、一夏くん』

 

『あれ? おじさんだけ? 箒は? 束さんもいないの?』

 

 

彼は失うことを恐れていた。

 

『鈴……』

 

『大丈夫よ。またきっと日本に帰って来られるわ。あ、もし新しい女友達が出来たら逐一報告してね?』

 

『……そ、そうだな! うん、また会おうぜ! 約束だからな!』

 

 

一つ一つ。彼の手から離れていく。

 

そしてついに見つけた。途切れなかった繋がりを。

 

『約束したでしょ?』

 

『約束……?』

 

『うん。『一夏くんを一人にはしない』って』

 

彼は今度こそ、失くさないと誓う。

 

(俺も……彼女の様に……強く……)

 

失いたくないと、勝手に願うだけでは誰も叶えてなどくれない。

ならば己の手で守るしかない。失わないために、彼は守り続ける。

それは一人の少女が見せてくれた理想の在り方。一人の少年が見つけてしまった都合の良い道標。

 

 

「守りたい人がいる。だから俺は──」

 

 

守れなかった織斑一夏は、もう要らない。




まあ待って。まずは言い訳からさせてほしい。別に千冬姉のヘイトを稼ぎたいわけではないということを最初に確認していただきたい。
千冬姉についてなんですけどね、まず自分の弟がISに関わり始めた時点で気が気じゃない訳です。誘拐されたり、世間からめちゃんこ注目浴びて隔離されちゃったり。そこにさらに、曲がりなりにも親友だと思っていた相手からの弟への襲撃事件です。しかも結構危険でした。相当ショックです。そして都合の良いことに微妙に怪しいやつが目の前にいたわけです。そしてことの中心である弟君を千冬姉は病的なまでに溺愛しているのです。じゃあさ、ああなっちゃうのも仕方ない。

ラウラの言ってる弾についてのことは大体間違ってる

真のヤンデレはワンサマ感isある


5/21 修正「円夏」→「一夏」


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11

ああ、なんと愚かなラウラ・ボーデヴィッヒ。ラウラは知らない。あの日の弾はただ単に覚えたての自己効力という言葉を使ってみたかっただけだということを。ラウラは気付かない。故にその時の言葉を元に行った、ラウラによる五反田弾の分析が概ね大間違いであることに。ああ、なんと愚かなラウラ・ボーデヴィッヒ。彼女は自分が勝手に勘違いして作り上げた妄想上の五反田弾という男を敬い、信仰しているのである。
分かる? この罪の重さ(哲学)


落ちこぼれ。

 

皆が揃って口にする。

 

遺伝子強化試験体として生み出されたにもかかわらず、周りと比べても体躯が小さく、周囲は落胆の色を隠さなかった。

しかし彼女には才能があった。天性の戦闘センスだ。

周囲の落胆の視線の中、才能を開花させた彼女は成果を出した。そして期待された。さらに成果を出した。心地よかった。そしてそれを、ある兵器が破壊した。

 

兵器の登場により、その兵器への適性を高める手術が行われた。誰もが期待していた。彼女もまた、期待に応えようとした。

 

結果は、失敗。

 

再度張り付けられた落ちこぼれのレッテル。

まるで自分のパーツ一つ一つがそのレッテルを作り上げているような気がした。鏡を見る度に切り刻みたくなる。

変色した左目が彼女を嗤った。失敗を隠すかのような眼帯が彼女を見下した。

 

落ちこぼれ。

 

皆が揃って口にするこの言葉は、彼女を蝕む呪いだ。

 

 

否、

 

 

「そ、それは厨二にとって三種の神器に数えられる眼帯! イカすじゃねえかオイ!」

 

 

呪い()()()

 

落ちこぼれだったのは過去のこと。既に過ぎ去り、克服し、彼女は前を向いている。

 

 

 

 

 

 

『ホントウニ?』

 

左目が嗤った。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

「……っ、ハアっ、ハアっ……!」

 

最悪の寝覚めだった。心臓がうるさい。呼吸は乱れ、額には汗が浮かぶ。細い腕で汗をぬぐうと、冷えた感触がべたりと腕に伸びた。

 

「…………今更、昔の夢なんて……」

 

つい先ほど見た夢のことを嫌でも考えてしまう。落ちこぼれと蔑まれ、劣等感の塊だった頃の自分を思い出す。胃が痛み、胸が張り裂けそうなほどの不安に押しつぶされる錯覚。何故今になって昔のことを思い出してしまったのか。

 

「あんな話、したからでしょうか……」

 

ふと、先日とある女子生徒と交わした会話の中で、かつての自分自身の話をしたことが思い起こされた。

 

『私、昔いろいろあって自分に自信が持てなかったんです』

 

そんな言葉から始まった、落丁と暈しだらけの昔話。しかし例えどんなに暈されていようとも、一度話し出してしまえば、彼女はいとも容易く鮮明に記憶を呼び起こせてしまう。切欠と言えばそれくらいしか思い当たらない。

 

仕切りの向こうから規則的な寝息が聞こえる。備え付けの壁掛け時計を見ると、時刻は午前4時。学生にしては些か早起き過ぎる。

 

締め切ったカーテンから僅かに漏れる日差しを見て、白く細い脚をベッドから下ろした。ずり落ちたシーツを踏みつけ、立ち上がる。

 

空調の効いた室内を足音を立てないように歩く。洗面所の扉を開くと、着けっ放しにしていた換気扇の音が耳についた。放り投げてあるタオルを洗濯籠に入れ直しながら、ルームメイトの大雑把な性格に思わずため息が出る。

 

蛇口から水を出して顔を洗う。肌に触れる冷たい感触。鏡に映った自分は、どこか疲れた顔をしていた。黄色く変色した左目がラウラを見つめる。

 

「……いつまで寝ぼけている。いい加減目を覚ませ。ラウラ・ボーデヴィッヒ」

 

自分に言い聞かせるように、鏡に向かって呟いた。

 

 

 

 

 

顔を拭きながらベッドへ戻ると、軍から支給された携帯端末のランプが点滅していた。どうやら昨晩送ったメールの返事が寝ている間に来ていたらしい。

 

指紋認証を終え、メール画面を開く。昨晩、部下とのやり取りを記録したログが表示された。

 

『クラリッサ。日本の『フツーノコーコーセー』は皆が特殊な能力を持っているのかと聞いたところ、それは違うと言われてしまいました……』

 

『隊長、それは日本人の『ケンソン』というものです。彼らはいかに優れた能力を持っていたとしても、得てしてそれを隠したがるのです。何故なら日本人はSHINOBI、NINJAとしての隠密教育を受けているため、能力を知られることを良しとしないのです。ご安心ください。特殊能力を持った『フツーノコーコーセー』はどこにでもいるはずです』

 

ラウラの目が驚愕に見開かれる。まるで高揚する気持ちを抑えきれないかのように、その小さい口を開いた。

 

「お、おおーっ! ではあれが噂に聞くJAPANISCHER-NINJAというやつだったんですね! さすがクラリッサです!」

 

早朝に響き渡るキラキラとした声に、彼女の隣人は未だ開ききらない瞼を眠そうに擦った。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

嫌な予感というものは得てして当たるもので、俺がかつて、織斑一夏という男と会って間もない頃は、いつものように面倒事の予感を感じていた。今にして思えば当たっていたように思う。現に今、俺は非常に面倒なことに巻き込まれている。ただ今回というか一連のゴタゴタについては、俺がむしろ巻き込んだんじゃないかという説が挙がっているところがこれまた面倒ポイントだ。故にこのまま放っておくと手痛い被害を被る可能性がある。

 

「前に話したこと、覚えてる?」

 

「前、というと……」

 

「お姉さんの話だよ」

 

昼休みの喧騒を避けるように、俺は篠ノ之箒を屋上へ呼び出した。随分と過ごしやすくなった気候に思わず欠伸が出る。

 

「一夏くんを守るのに、お姉さんの力が必要かもねって話」

 

「ああ、もちろん覚えている。ただ……」

 

言いよどみ、俯く箒。俺は柵に寄り掛かって空を見上げた。良い天気だ。よく会話の始まりとして、今日はいい天気ですね、なんて言ったりするけど、あの後どう続けるんだろうか。じゃあ猫は顔を洗ってないんですね、不潔です。なんて言ったりして。

 

「……姉さんの足取りが全く掴めない。親戚や家族にも連絡してみたのだが、誰も……」

 

「そっか……」

 

「……な、なあ、八神。ふと思ったのだが、本当に姉さんの力が必要になる事態は来るのか?」

 

「と言うと?」

 

震える声で箒は言う。

 

「たしかに、この前のようなことを危惧しているのは分かる。私だって一夏が心配だ。しかしあの時、姉さんが居れば何かしてくれたかと言われると……」

 

「そうではない?」

 

「あ、ああ。それに、あの人自身、そもそも厄介事を引き連れて来る質だ」

 

「なるほどね……」

 

箒を見る。その目はどこか不安そうだ。そういえば箒は姉が苦手だった。もしかしたらこうしてコンタクトを取ろうとすることもあまり良く思ってないのかもしれない。まあ自分が嫌いな相手との橋渡しになってくれと言われれば俺だって多分嫌だ。気持ちは何となく分かる。実際しのののののの~地上最強のハカセ~の力なんて借りなくても済むならそれに越したことは無い。篠ノ之束の力を借りなければならないということは、俺なんかの手に負えないような状態ということだ。

 

ただこればっかりは楽観視していると俺まで痛い目を見ることになりかねない。

 

「多分、来るんじゃないかな」

 

篠ノ之束の力が必要な程の事態が。

 

昨晩ずっと考えていたことがある。どうしても頭にこびりついて離れなかった嫌な考えだ。何かと言われれば簡単な話。俺よりもはっきりとした強い目的を持った男がいて、そいつには俺の幸運が染っていて、そいつの目的を達成するためにはいくつか必要な物があって、そいつを用意されると困るという話だ。確信こそまだ持てないが、用心はしておいた方がいい。

 

それに現段階ではあくまで可能性の話だが、俺が原因を作っているのだとすれば、自分の尻拭いくらい自分でやらなければならない。正直、いつ俺の幸運を上回る何かが来るのかと気が気でないし、戦闘はできるだけ減らしたいのだが、何か起きてからこうして文句を言っても遅い。だから起きる前に準備をする。俺はまだ死にたくない。

 

「その時の戦力として、仮にお姉さん本人を使えなくても──」

 

箒の目をじっと見つめる。なぜか顔を赤くして目を逸らされた。

 

「──せめて箒には協力できる状態でいてほしい」

 

俺の嫌な予感が当たっているのであれば、戦力は多い方がいい。

 

「そのために、箒の専用機があればと思ってね」

 

もっと正直に言えば、俺が戦いたくないから代わりに戦ってくれる戦力が欲しい、という所が無いかと言われると嘘になる。くそみたいな考えだ。本当に最低だ。俺は目の前の少女を、自分の命惜しさに、恋心を利用して巻き込もうとしているのだ。

 

とはいえ、これは箒のためでもある。あの男の近くにいるということは、あの男を中心に巻き起こる騒動に巻き込まれる可能性が高いということなのだから。

 

今にして思えば、こんな風に見たことも無い人間を当てに戦力を確保しようなどと思う時点で、俺は相当追い込まれていて、且つこの予感に確信めいたものを抱いていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

客席の最後列。黄色い歓声の中で、一際異彩を放つ者達。

 

「なぁ一夏」

 

一面の女子生徒の中に花咲く紅一点ならぬ黒二点。

 

「俺は気付いたんだ」

 

「どうしたんだ?」

 

「俺はガンダムじゃない」

 

「はぁ」

 

「ならば俺はガンダムになれ」

 

「はぁ?」

 

「そう思わないか?」

 

「はぁ?」

 

五反田弾と織斑一夏は、他愛もない雑談をしながら今回の試合を観戦していた。

 

「お、あれがこの前言ってたラウラって子か?」

 

一夏の指差す先には、黒い装甲を纏い、空中で腕を組みながら佇む銀髪の少女。

 

「ああ。本当に何故かは分からんが懐かれてな」

 

「へえー、良い子じゃないか」

 

「まあ影響されやすいところもあるが、基本的に怖いくらい素直でいい子だぞ。閣下って呼べって言ったら本当に呼んでくれるし」

 

「サラッと流しそうになったけどどんな呼ばせ方してんだよ……」

 

「騙されやすそうという点ではセシリアやお前に似ているかもな」

 

「え、俺?」

 

次いでもう一人がピットから飛び出す。

 

銀髪の少女、ラウラの対戦相手は紫と黒を基調とした頑強な機体。肩付近には大型の非固定浮遊部位が静かに浮いている。

 

「相手は鈴か。そういえば弾、鈴が戦ってる所を見るのって初めてじゃないか?」

 

「くっ、なんて組み合わせだ! 運命感じちゃうぜ!」

 

「知り合い同士が戦うってのにテンション高いな」

 

「俺は一体どっちを応援したらいいんだ! どっちかだけを応援することなんて出来ない! 俺はみんなの俺でいたい!」

 

戦いの火蓋が切って落とされる。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

第三アリーナを揺らす歓声。今年入学した1年生全員と、ルーキーの実力を見ようと足を運んだ2年生や3年生がアリーナのフィールドに視線を集中させている。

 

「当然の勝利ですわ!」

 

我らが1組クラス代表、セシリア・オルコットは、クラス対抗戦を無事勝ち進んでいた。

 

 

 

 

「おかえり、セシリア」

 

「あらユウさん、お出迎えありがとうございます」

 

ピットにてセシリアを迎える。今日俺は基本的にセシリアの近くをうろついていた。出来るだけ近くで今回のイベントを見届けるためだ。

 

「快勝だね。準決勝も終わったし、次で決勝かー」

 

「フフッ、なんだか負ける気がしませんわ! このまま優勝まで頂きますわよ!」

 

実際、今日のセシリアは調子がいい。俺が近くにいるから、というのは自惚れか。途中で4組の専用機持ちと当たるも、これを難なく撃破。まあ、向こうは第二世代でこちらは第三世代なのだから、むしろ作ったイギリスさんとしては負けてもらっては困るだろう。

 

(しっかし、不気味なほど何もない……)

 

何かが起きた時のため……というより、何かが起きて戦闘騒ぎに発展する前に防ぐために観客席よりもこのイベントに近い位置にいたのだが、今のところは安全だ。さらに代表候補生でもあるセシリアと行動を共にすることにより、織斑一夏に、自分がいなくても大丈夫だと思わせることができるかもしれない。ちなみにそれとなく一夏の動向にも気を配っているのだが、これといって動きはない。

 

「向こうの試合が終わったようですわね」

 

セシリアが壁にかかったモニターを見ながら言った。釣られてみてみると、鈴とラウラという、これまた専用機持ち同士の試合。勝ったのは──

 

「随分とお早い決着で……あら、少し意外ですわね」

 

──ラウラ・ボーデヴィッヒ。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

「幸福の物差し、ねえ……」

 

決勝戦。セシリアは鈴を下したというラウラと思いの外いい勝負を繰り広げている。機体相性もあるのだろうか。

 

プラズマ刀やワイヤーを駆使し、なんとか距離を詰めようと動くラウラに対し、ビットで牽制しながら距離を保つセシリア。

 

「俺の目的、か……」

 

要するに願い事だとそういうのに近いのか。少なくとも今俺の頭の中にある願い事らしきものと言えば、死にたくないという、ただそれくらいだ。モニターの向こうで戦っているあの少女の言うことが正しければ、そう思っているうちは俺は死なない。そして俺が死ぬような危険イベントは回避……できるのだろうか。

 

「ていうかセシリア結構強くね?」

 

外からの歓声が聞こえる。戦況が動いた。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

その日、セシリアはいつになく調子が良かった。青空を背景に、その空よりも尚深い青が縦横無尽に飛び回る。

 

「くっ、やはり手強いですわね!」

 

しかしそのセシリアを以ってしても尚、ラウラという少女は強い。

 

「ふっ、そうは言いながらも、シュバルツェア・レーゲンを前にここまで耐えるとはな。褒めてやろう」

 

伸縮自在。まるで意思を持つかのように跳ね回るワイヤーがセシリアに迫る。上下左右から襲い掛かる4本のワイヤーを、4機のブルーティアーズを使い迎撃。

 

「遅い! それが貴様の弱点だ!」

 

「しまっ──!」

 

ビットの操作に集中していたためだろう。硬直するセシリアに向かって伸びる2本のワイヤー。一瞬遅れてライフルを構えようとするセシリアだが、それよりも早くワイヤーがセシリアの動きを封じる。

 

「ワイヤーが4本だと言った覚えは無いぞ! これで終わりだ!」

 

シュバルツェア・レーゲンの肩に装着されているレールカノンに一瞬紫電が迸り、弾丸を弾き出す。疾走する弾丸を前に、しかしセシリアの表情に諦観の色は無い。

 

「わたくしも──」

 

セシリアの腰に装着された装甲が動きを見せる。

 

「──ブルーティアーズが4機などと言った覚えはありませんわ」

 

瞬間、放たれるミサイル。レールカノンの弾丸と激突し、セシリアの目の前で爆発が起こる。

 

「くっ……!」

 

爆風に顔をしかめるセシリア。爆発の煽りか、セシリアのブルーティアーズだけではなく、先程までこちらへ向けられていたワイヤーも吹き飛ばされたようだ。イメージインターフェースで生き残っているビットを操作し、自身の周辺へと集める。遮られた視界の向こうに注意を向けながら、手に持つ巨大ライフル、スターライトmkⅢを構えようとして、気づいた。後から放たれた2本のワイヤー。そのうちの1本がスターライトの銃身に絡みついているのだ。そう思ったのもつかの間、

 

「きゃあっ!?」

 

まるで強力な磁石に引き寄せられる鉄塊のように、セシリアは凄まじい勢いで目の前の煙幕へと落下していく。しかし一瞬で冷静さを取り戻し、ラウラによって引っ張られているのだと気付くや否や、再度ライフルを構えた。このワイヤーの先にはラウラがいるのだ。姿が見えた瞬間に引き金を引けるように、指に力を込める。

 

ワイヤーに身を任せ、煙幕へと突入する。やがて視界が晴れると、そこには────

 

「なっ!?」

 

────ラウラ・ボーデヴィッヒが、もう目と鼻の先まで迫っていた。

セシリアを引き寄せると同時に自身もまたセシリアに向けて飛び出したのだ。その手には光輝くプラズマ刀が握られている。

 

「はあっ!」

 

横薙ぎに一閃。何とか身を捻るセシリアだったが、反応が遅れたせいか躱しきれず、左肩にダメージを受ける。

 

「くっ、まだ、終わりませんわ……っ!」

 

弾かれながらも、生き残ったビットを操作し、ラウラへと向かわせる。

 

「残念だったな」

 

無駄に威圧的に、無駄に不敵に笑うラウラ。迫りくる3機のビットに向けて片手を構える。

 

「これぞ我が奥義! 停止結界!」

 

ラウラが叫ぶと、ラウラを守るようにしてエネルギーの膜のような物が広がっていく。ゆらゆらと揺らめくそれに触れると、ビットの動きがピタリと止まった。

 

「そ、それはまさかAIC!?」

 

アクティブ・イナーシャル・キャンセラー。

全てのISにはPICと呼ばれる慣性制御のための装置が標準搭載されている。AICは言わばそれを戦闘に転用したもので、対象の運動を停止させることができる。

 

(驚いている場合じゃない。切り替え、切り替えなさいセシリア!)

 

ブルーティアーズの制御を意識から外し、スターライトを構えるが……

 

「だから遅いと言っただろう! 全く同じミスだ!」

 

AICを解除したラウラがもうそこまで迫っていた。

 

「インターセプター!」

 

取りだしたナイフで応戦。構えながらワイヤーを切断する。しかし熟練度はラウラに遥か及ばない。プラズマ刀がセシリアのそれよりも速く、重く、鋭く振るわれる。

 

「くうっ……」

 

プラズマ刀の特性だろうか。セシリアの手に一瞬痺れが走り、ナイフが弾かれる。しかしセシリアは落ちていくナイフなど気にも留めない。一撃は防いだ。それで十分だった。

 

「この距離なら……っ!」

 

瞬間、二門の砲口がラウラに向けられる。火を噴き、砲身を揺らし、ミサイルが放たれた。至近距離だ。外しようがない。直後、セシリアをも巻き込むように起こる爆発。爆風と熱が吹き荒れる。

 

「さ、さすがにちょっときついですわ……」

 

爆風に身を任せるようにしてラウラがいるであろう場所から距離を取る。

 

「さすがに今のを受ければ……」

 

「受ければ、何だというのだ」

 

煙が晴れる。そこには、先程と変わらぬ姿のラウラ。恐らくミサイルはAICに阻まれてしまったのだろう。

 

「……っ!」

 

息を呑み、言葉を失うセシリア。まるで信じられない物を見るかのような目に、ラウラはニヤリと笑った。

 

「これで終わりか? 思ったよりも大したことは無いな」

 

その言葉に、セシリアのプライドに火がついた。

 

「……ふふふ、まだまだこれからですわ!」

 

ブルーティアーズを操作し、エネルギー弾を撃ち放つ。しかしそれらを難なく旋回しながら回避するラウラ。

 

「そこっ!」

 

ラウラの動きを観察し、予測軌道上に銃口を向ける。スターライトに切り替え、ビットに気を取られているラウラに向けてライフルが火を噴く。同じエネルギー弾が音をも超える速度で疾駆する。

 

「ははは! 遅い遅い!」

 

しかしやはり切り替えにラグがある。ラウラはその隙を突くように下方へ急降下。遥かな空へ向けてエネルギー弾は駆けていく。そこにラウラは居ない。

 

「だめ……もっと、もっと速くしないと」

 

セシリアの集中が研ぎ澄まされる。

 

再度ビットがラウラを追う。ラウラは逃げながらも、何とかセシリアとの距離を詰めようと上下左右へと駆け巡る。時折レールカノンから銃弾を放つも、ミサイルによって迎撃される。尋常ではない集中力だった。

 

「もっと早く」

 

再びスターライトに切り替え。しかしまたしても回避される。

 

「もっと迅く!」

 

追い立てるビットと予測軌道上のライフルによる連携攻撃。次第にラウラの表情に疲れと焦りが見え始める。

何とか距離を測りながら回避を続ける。ライフルを構えるのが見えた。ラウラは上空に身を捻るようにして──

 

「なっ──!」

 

ラウラのすぐ下。ほんの指一つ分を掠めるようにして青い光が駆け抜けた。確実に一歩一歩ラウラを追い詰めるように、切り替えスピードが上がっている。

 

「まだ遅い。もっとはやく……」

 

「チイッ!」

 

舌打ちし、今までよりも強引に距離を詰めようと動く。ラウラを追うビット。一気に至近距離まで持っていくかのように思われたが、セシリアまであと少しというところで、ラウラは自らビットにぶつかるように移動する。

 

「停止結界!」

 

目の前を走る3機のビットから動きを奪う。そしてすぐさま解除し、セシリアへと向き直る。謂わばこの時間は空白の時間。セシリアはビットに集中していたが、動きを止められた時点でコントロールを手放すだろう。そしてライフルを使おうと考えた瞬間、再度ビットの拘束が解ける。どちらでも使えるようになったと、セシリアの脳は嫌でも気付き、認識してしまう。一瞬であれど、どちらを使おうかと考えてしまう。しかもセシリアはただでさえこの切り替えにタイムラグがある。故に致命的な隙となる。ラウラはそう考え、セシリアへ向かって飛び出した。

 

しかしラウラは見誤っていた。

 

セシリアの集中力は今、極限の状態にある。少しずつタイムラグを縮め、それはラウラの動きにも迫る程だ。そしてこの瞬間、

 

「ハヤく──」

 

セシリアのラグはゼロに至る。切り替えにラグが無くなった時、そこからさらに進めばどうなるか。

 

「──ッ!」

 

光の弾丸がラウラを穿つ。弾かれるラウラ。しかしまだ終わらない。ラウラの背後からビットが火を噴く。さらに挟み込むように、2発のミサイルと青い光弾がラウラに向けて放たれる。着弾し、再度弾かれるラウラをビットが追い立てる。

 

もはや切り替えなど必要なかった。ラグの消失を成し遂げたセシリアは、一つの極致に至った。ビットとライフルが()()に襲い掛かる。

 

「調子にっ、乗るなああっ!」

 

迫りくるビットに向け、ライフルの一撃を躱しながらプラズマ刀を振るう。セシリアもまたその一撃を躱すように操作するが、それはラウラも予測していた。

 

「まずは一機!」

 

瞬間、ワイヤーが2本射出され、ビットを2つ絡め取る。そしてそのうちの一つのビットを、残ったビットに向けて叩き付けた。

 

「もう一機!」

 

ワイヤーに絡め取ったもう一機を、今度はセシリアに向けて叩き付けるようにして放つ。そしてすぐさまワイヤーのコントロールを手放す。慣性に身を任せ、ワイヤーはビットと共にセシリアを殴打せんと向かっていく。そして意識をレールカノンへとシフトし、弾丸を撃ち出した。しかしセシリアはそれを冷静に見やり、弾丸を迎撃する。そしてそのままセシリアへと伸ばされたワイヤーを、

 

「何!?」

 

掴み取った。瞬間、先程とは逆に、ラウラの身体が引っ張られる。視線の先にはスターライトmkⅢを構えるセシリア。そして既に放たれたミサイル。もはや遮蔽物や切り替えの隙をを利用して近接戦に持ち込むような余地は無い。さらには逃げようにもワイヤーのせいで自分自身の動きも制限してしまっている。確かにラウラは強かった。しかしそれ以上に、

 

セシリアは今日、いつになく調子が良かった。

 

「ぐあああっ!」

 

ライフルの光弾とミサイルが同時に襲い掛かる。AICは動きを止める対象に集中しなければならないため、エネルギー攻撃や複数相手からの攻撃に弱いという弱点を持っていた。故にこのエネルギー弾とミサイルの同時攻撃に対し、AICは効果を発揮できない。ミサイルを止めてもエネルギー弾が襲い掛かり、集中力が切れたところにミサイルが再度打ち込まれる。

 

(負けるのか……)

 

エネルギーが削られていく。

 

(私は、負けるのか……)

 

視界に見知った顔が映った。観客席の後方。己が師と仰ぐ人物。

 

(嫌だ。負けたくない。負けたら私は……)

 

負けたら何だというのか。一瞬自問しかけるも、すぐさま思考を打ち切る。

 

(駄目だ! 考えちゃ駄目だ!)

 

しかし一度回りだした思考は止まらない。

 

夢を思い出す。そこにいる自分は、成果を出せない落ちこぼれ。

 

(違う! 私は!)

 

周囲の落胆と嘲笑。「なんだ、負けたのか」そのうちの一人が言う。思い出してしまった物がこびりついて離れない。あの頃の胸の痛みが蘇る。

 

(嫌だ! もう戻りたくない!)

 

エネルギーが僅かになる。ISが警告を放つ。

 

(私はもう変わった! 劣等感など捨てた! あの頃とは違う!)

 

ふと、かつて自分を蔑んだ者と、観客席から見つめる男の姿が重なった。

 

『ホントウニ?』

 

左目が嗤った。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

(あれは……まさか……)

 

織斑千冬は厳しい視線をモニターに向けている。眉間に皺がより、手に持ったカップが僅かに揺れる。ただそれだけで、同室にいた者達がびくりと肩をすくめた。

 

「VTシステム……まさかこんな遺物が残っているとはな」

 

千冬の呟きに反応したのは、メガネをかけたショートヘアの女性。山田麻耶だった。

 

「ヴァルキリー・トレースシステム……たしかモンドグロッソの部門優勝者の動きをデータ化してトレースするものですよね。でもあれは禁止されているはずじゃ……」

 

「守れと言われて全ての人間が全てのルールを守るわけではない。あれが現実だ」

 

そう言って千冬はカップを置いた。

 

「レベルDの警戒態勢を発令する! 総員、直ちに配置につけ!」

 

各々が慌ただしく動き回る。

アナウンスと共にシェルターが次々と閉じられ、教師陣の一部が訓練用ISを装着した。

 

「お、織斑先生!」

 

パソコンに向かっていた者の一人が声を上げた。

 

「どうした」

 

「何者かにセキュリティが乗っ取られました! 教師部隊の突入経路が塞がれています!」

 

「…………そうか」

 

前回と同じ手口。世界でもトップクラスのセキュリティを誇るIS学園を手玉に取れる人物となると、当然候補は限られる。千冬の頭を一人の悪魔の顔が過った。

 

(束……一体何を考えているんだ)

 

頭を振り、思考を中断する。

 

「すぐに動ける者はいないのか」

 

「少なくとも教師部隊は……」

 

「あっ!」

 

沈痛な呟きを、真耶の声が遮る。何かに気付いたかのように施設内のカメラ映像を見ている。

 

「どうした、山田先生」

 

「その、ピットに、八神さんが……」

 

「何……?」

 

真耶と同じように、千冬も映像を食い入るように見つめる。そこには、呆然とした表情でモニターを見つめる黒髪の少女が一人。

 

(八神……)

 

先日のやり取りを思い出す。随分と無茶苦茶なことを言った自覚はある。しかし弟のことを思うと、千冬には耐えられなかった。

 

(また、お前なのか……)

 

敵ではないと言った少女は、今なおモニターを見つめている。千冬もまたフィールドを映すモニターへと目を向けた。先程までの攻勢が一転、システムに取り込まれたラウラ・ボーデヴィッヒにより、セシリア・オルコットは窮地に立たされていた。

 

(早く、決断しろ。織斑千冬!)

 

唇を噛む。自分は彼女を信じていいのか。信じることを彼女は許すのか。信じた結果、何が起こるのか。

 

「先生……?」

 

真耶の小さな声が千冬を現実に引き戻す。

 

(そうだ。私情は捨てろ。今の私は教師であり、今は生徒の危機だ)

 

千冬はモニターから離れ、

 

「……八神、聞こえるか」

 

マイクを取った。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

「な、なんだ、あれ」

 

呟く。思わず目が釘づけになる。俺はモニターの向こう側で蠢く黒い物体をただただ呆然と見つめた。

 

黒い物体はやがて何かを形作る。一本の刀を持った、剣士のような出で立ち。無機質な威圧がひどく嫌悪感を誘う。

 

異形の黒い剣士がセシリアへと襲い掛かる。ラウラも十分に強かったが、今のあの姿はそれ以上。烈火のごとく繰り出される剣閃がセシリアを襲う。あれはそう、見たことがある。たしか2年前……

 

『……八神、聞こえるか』

 

織斑千冬の声がスピーカーから聞こえる。どこかいつもより頼りないその声に耳を傾ける。

 

『事態の鎮圧に、これより教師部隊を送り込む、はずだったのだが……』

 

なんだか身に覚えがある展開だ。

 

『またしてもセキュリティがやられた。部隊到着まで時間がかかる』

 

まるで何かに仕組まれたような展開。

 

『今即座に動けるのはお前だけだ。少しでいい、時間を稼いでほしい』

 

遅かった。箒はまだ戦力として使えない。鈴も途中敗退でもう戻っているだろう。

 

『勝手なことを言っているのは分かっている。だが……』

 

気にするな。あんたの気持ちも分からなくはない。

 

『……頼めるか』

 

本当は戦いたくない。ISという兵器が恐ろしい。あんなのと戦って勝てるわけがない。しかしそれ以上に、俺の中に後悔の念が渦巻く。

もし俺があの時変に一夏の邪魔をしなければ、一体どうなっていたんだろうか。クラス代表は一夏となり、この結果は変わったのだろうか。もし俺がセシリアと一緒にいなければ、一体どうなっていたんだろうか。セシリアは決勝まで勝ち上がらず、結果は変わったのだろうか。

 

つばを飲み込む。渇いた喉がべたつく。このままではセシリアが死にかねない。ラウラもどうなってしまうのか。

 

「なんで、こうなるんだよ……」

 

 

 

 

俺はカメラに向かって、小さく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日からずっと考えていたことがある。

 

(いつもより、ISが重い……? 気のせいか)

 

例えばヒーローがヒロインを悪役から救う物語があったとして。

 

「セシリア! しっかり!」

 

「ハアッ……ハアッ……ユウさん、ふふっ、最後の最後に不甲斐無いところをお見せしましたわね」

 

何故ヒーローはヒーローで居られるのか。

 

「私が注意を引くから、その隙に離れて」

 

「……わかりました」

 

物語に登場するのは3人。守るヒーローと守られるヒロイン、そして──

 

「……ッ!? なん、動かな……」

 

──悪役という、ヒロインを脅かす脅威。

 

 

 

「ユウさん!!」

 

剣が振るわれる。なぜかISは動かない。このままではやられる。まずい。どうにかしないと。どうすればいい。

 

死が、迫りくる。

 

「強制解除!」

 

ISが弾け、光の粒子となる。地面に落とされ、尻餅をついた。動けないなら捨てればいい。我ながら血迷った判断だが、今回ばかりは正解だったらしい。

 

「はあっ、はあっ、」

 

刀の切っ先が俺に向けられ、黒い剣士は動きを止めた。目と鼻の先。ほんの数センチ。呼吸が荒れ、額を汗が伝う。心臓がどくんどくんと跳ね回る。手足が震え、立っていられない。あの黒い剣士の気まぐれ次第で、俺は殺される。

 

だがまだ死んでない。これも幸運の力なんだろうか。

 

「このっ、離れなさい!」

 

セシリアが青い光弾を放つ。しかしそれをあっさりと切り払う剣士。全く効いていない。やはり敵わない。セシリアは既に瀕死。教師部隊はまだなのか。絶体絶命だ。

 

 

 

 

しかしここで事態は動きだす。

 

 

 

 

「うおおおおおおおおっ!」

 

雄叫びと共に、何かが盛大に割れる音。ガラス片のような物を煌めかせながら飛び出してきたのは、

 

「ユウ! 大丈夫か!」

 

白い剣士だった。

 

 

 

さて、ここで今回のケースを当てはめてみよう。

『俺は強くなりたい。守られてばかりじゃなくて……誰かを守れるくらい、強く』

織斑一夏はこの学園に来てから、守るということに執着を見せ始める。

 

 

 

「千冬姉を馬鹿にするだけじゃなく……優まで傷つけやがって……ッ!」

 

「大丈夫! 怪我してないから! ホントに!」

 

 

 

誰かを守るということを願うのは勝手だが、それだけでは『守る』という状態を達成することはできない。

誰かを守るということに必要なものとして、まず第一に行動主体である守る人間。これは織斑一夏本人だ。

次に守られる人間。今回の場合、それは俺だ。

 

 

 

「大丈夫だ。俺が───」

 

剣が開く。現れたのは青く輝く刃。目にも止まらぬ速さで振り下ろされたそれが、黒い剣士を切り裂く。

 

「───守ってみせる!」

 

 

 

守る人間と守られる人間。しかしまだ足りない。これでは守れない。一体何から守るというのか。

それはすなわち、守られる人間を脅かす脅威。敵の存在。

 

 

 

「ラウラ!」

 

シールドの向こうで弾が叫ぶ。黒い剣士の中から、銀髪の小さな女の子がずるりと吐き出された。

 

 

 

織斑一夏は運が良い。何故なら────

 

 

 

(やっぱり、そういうことなのか……)

 

俺は一夏を睨み付けるようにして見つめた。本当に、嫌な予感ほど良く当たる。

どうやら俺がトラブルを起こしているというこいつの姉の予想は半分ほど当たっていたらしい。

 

(もう半分はお前のせいだよ……織斑一夏!)

 

 

 

 

────彼の目的のために、こうして守られる人間とそれを脅かす脅威が存在してくれるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

あるところにお姉ちゃんが居ました。

 

「うーん、どうやら大事な妹ちゃんを利用しようとしている悪い奴がいるらしいぞー?」

 

お姉ちゃんはそいつを懲らしめてやろうと思いました。

 

「行けー!僕らの鉄人28号!」

 

なんとかその悪い奴を懲らしめたお姉ちゃん。しかし鉄人は壊されてしまいました。

 

「あちゃー壊されちゃったかー。まあでも、痛い目見せたしこれで懲りたよねー。もーまんたいもーまんたい。悪は滅びたのだー」

 

しかし予想に反して、そいつはまたしてもお姉ちゃんの妹にちょっかいを掛けたのです。こうなったらもう許しておけません。お姉ちゃんは怒りました。

 

「激おこだよー!」

 

しかしお姉ちゃんは考えます。お姉ちゃんは天才だったのです。何も考えずに動くのは馬鹿のやることなのです。

 

「でもまたゴーレム作って壊されちゃうのもやだなあ。出来ればここぞって時に使いたいし……ていうか今作ってるやつはまだ未完成だし……」

 

しかしお姉ちゃんは妙案を思い付きます。何故ならお姉ちゃんは、特別なお姉ちゃんだからです。

 

「ハッキングをしよう! ISのハッキングなんてやったことないけど、束さんは天才だから大丈夫! コアネットワークにアクセスしてくれればここからでも辿ることは可能!」

 

さすがお姉ちゃんです。

こうしてお姉ちゃんは虎視眈々とその時を狙っていました。

 

「まずは状況を用意しないとねー。ちゃんとISを起動してもらえるような状況を」

 

お姉ちゃんは手始めに、IS学園にハッキングを仕掛けました。どうやら今日はたくさん試合をする日のようです。しばらく見ていると、何やら事件の匂いがしてきました。

 

「はいセキュリティどーん」

 

さすがはお姉ちゃんです。見事な手際でした。

 

「おやおや?」

 

お姉ちゃんは眉を顰めました。

 

「ISとのリンクが弱まってる? もしかしてチャンス?」

 

ISのコアには意思のような物があります。使用者はISを受け入れ、コアは使用者を理解しようとします。そうしたことで成り立つはずの関係が、どうやら上手くいっていないようです。きっと使用者のガワだけ女がISという存在を拒みつつあるのでしょう。このような状況では、尚更コントロールを奪いやすくなってしまいます。お姉ちゃんは喜びました。

 

「よーし、いっくよー!」

 

カタカタと、キーボードの音が鳴り続けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても……専用機、ねえ」

 

ニヤリと笑う横顔を、モニターが静かに照らす。

 

「いいよ。作ろう。とっておきのを」

 

舞台の楔は既に打った。




優「オレ ツヨイ オレ カワイイ オマエラ シヌ」
ヒロインズ「グワーーーーッ!」
一夏「素敵!抱いて!」
優「男にも穴はあるんだよな~気持ちいいし男でもいっか~」
一夏「アオオオオオオオオオッ!」
二人は幸せなキスをして終了

どうしてこうならなかった!どうしてこうならなかった!
もし今後何かを書く機会があれば日常ギャグコメディと割り切ろう。そうすればヒロインが主人公をスパンキングする展開に持っていきやすくなる。


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12

「そうだ!!! これが本当の私!! シャルロット・デュノア! 設定性別メス! (デュノア社とは縁を切ったかのように見えたが)フランス代表候補生!」

今回の話はあれです。汚いです。


「はぁっ……はぁっ……」

 

二人分。まるで周囲の喧騒から隠れるように、じっとりと汗ばむ荒い息遣いが響く。

 

思考が淀む。考えるよりも先に身体が動く。上気した頬。髪を雫が伝う。心臓が早鐘を打つ。

 

「んっ……ぁっ……はあっ……」

 

ふと動きが止まる。目の前の光景から目が離せない。ごくりとつばを飲み込む音が聞こえた。

 

 

 

「いたわ! 織斑君とデュノア君よ!」

 

「絶対に捕まえる!」

 

「ウウウオアアー!!」

 

 

 

 

歴戦の猛者達による肉壁を前に、一夏は叫ぶ。

 

 

「回り込まれてたあああ!」

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

くぐもったシャワー音が響く。

 

「あ、あれ……下がってる……?」

 

何かの書類を見つめながらわなわなと震える少女。ベッドに腰掛け、引きつった表情を浮かべている。カーテン越しに差し込む麗らかな朝日も、一日の始まりを告げるような鳥のさえずりも、今の少女には届かない。

 

ふとシャワー音が止まったかと思うと、ふわりと熱気が室内に零れる。豊満な肢体を隠すようにバスタオルを巻いた少女が、しっとりと濡れそぼった髪を拭きながらやってきた。熱を帯び、上気した頬や鎖骨を滴る雫が無自覚な艶めかしさを感じさせる。しかし驚愕に目を見開きながら紙束と睨めっこしている少女は気付かない。

 

「八神? どうかしたのか?」

 

「ほわああっ!?」

 

急に声をかけられたからか、八神と呼ばれた少女はビクッと肩をすくめ、手に持った紙の束をガサガサと強引に丸めて後ろに隠しながら勢いよく振り返った。

 

「い、いや! なんでもないよ! なんでも! ホントだよ!」

 

「お、おお。そうか……」

 

どこか引き気味に頷く。別に何も疑ってなどいないのだが、ああまで必死さを隠そうともせずに叫ばれてはどうにも追求し難い。結局のところ、篠ノ之箒はルームメイトの事情には触れず、熱を冷ますようにパタパタと顔を仰いだ。

 

そんな箒から視線を逸らし、八神優は何かを考え込むようにその顔を渋く歪めた。

 

(IS適性が下がってる……だと?)

 

優にしてみればテストの成績が悪くなったと言われたような気がして、なんとも気分のよいものではない。「A」と表示された紙がくしゃりと音を立てた。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

「今日は皆さんに嬉しいお知らせがあります!」

 

教壇に立つ小柄で童顔な女性が朗らかな笑顔を浮かべている。女性──山田真耶の言葉に、教室内がにわかにざわめいた。その反応を嬉しそうに見つめていた麻耶だったが、黒板の脇に立つ織斑千冬の咳払いにハッとし、扉の向こうへと呼びかけた。

 

「では、転校生の紹介です!」

 

扉がスライドする。ゆっくりと足を踏み入れた生徒を見て、クラス内に激震が走る。何割かが息を呑み、何割かは驚愕に間の抜けた表情を浮かべ、何割かは眉を顰めた。

 

一歩、二歩と、ゆっくり進むたびに深い金色が煌めく。

 

注目の的である当の本人は、爽やかな微笑みと共に教室内を見渡す。洗練された動作、表情、それはまるで、絵本の中の王子様さながらだった。

 

教室内の全ての視線が注がれる。誰もが神経を研ぎ澄まし、()の言葉を待つ。

 

「初めまして。フランスから来ました。シャルル・デュノアです」

 

『美……』

 

どこか少女のような面影を残すその生徒は、紛れもなく男子生徒用の制服を着用していた。

 

「どうぞよろしく」

 

『───美形だっ!!!』

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

「ねえねえ、デュノア君もISを使えるの!?」

 

「二人目の男性IS操縦者! うちのクラスは神か!」

 

「しかも華奢で織斑君より小柄で守ってあげたい系! むしろ織斑君が守ってあげてるところを見たい系!」

 

「おちんちんランドはっじまっるよ~」

 

「わ ぁ い」

 

ハイエナが草食動物に群がるかのように、クラスの大半が一か所に押し寄せた。見ると、教室の外からも大量の視線が向けられている。群れと視線の中心、質問攻めにされているシャルル・デュノアは、引きつった笑みを浮かべながらもなんとか対応していた。男子高校生としては確かに華奢な体躯で、顔つきもどちらかというと童顔。声変わりもしていないようだ。

 

そんな漫画のような展開を外から眺めながら、どこかぼーっとした少女が一人。

 

(男性操縦者、か。まあ、実際前例はあるし居てもおかしくは無いのか……?)

 

八神優は彼女らの群れには加わらず机に頬杖をついていた。どうやらそれ以上の興味は湧かなかったらしい。

 

「あれ、ユウはあっちに行かないのか?」

 

そう言いながら優へと近づいてきたのは、もう一人の男子生徒。織斑一夏だった。そんな彼を見ながら、優は内心でげんなりする。

 

(そりゃあ、今は転校生より他のことでいっぱいいっぱいだからな。お前のこととか)

 

優は気付いてしまったのだ。何かを守ることそのものを目的とする織斑一夏にとって都合の良い状況が整っていることに。そしてそれに自分が巻き込まれていることに。

 

一夏は優を守ることを願い、優を脅かす脅威が発生し、一夏がその脅威を撃退する。これらを止めるには織斑一夏の不幸を心の底から願えば良い。しかし……

 

(結構毎日祈ってるけど全然効いて無さそう……)

 

優は密かにわら人形を作ってみたりしているのだが、一夏はこうしてピンピンしている。

 

(何か他の手を考えないと。これ以上俺の幸運で好き勝手されてたまるか)

 

そしてそんな内心などおくびにも出さない。

 

「うん、ちょっと考え事してて。そういう一夏くんは? 同じような境遇みたいだし、せっかくだから話して来たら?」

 

にこにこと笑みを絶やさない優。しかしどこか突き放すような言動になってしまうのも仕方なかった。

 

そして丁度そんな会話をしていたからだろうか。

 

「ねえ、織斑一夏クン、だよね?」

 

気が付くと、一体どうやってあのハイエナの群れから抜け出してきたのか。件のシャルル・デュノアが、彼女らの目の前に立っていた。

 

「キミも確か、ボクと同じで男性IS操縦者だって聞いたんだけど」

 

「ああ、ちょっといろいろあって偶然動かしちゃってな。あ、俺のことは一夏でいいぜ」

 

「ボクのこともシャルルでいいよ。よろしくね、一夏」

 

そんな二人の会話に一部の者達が薄い本を厚くしている一方で、間近で見ていた八神優は全く別の感想を抱いていた。

 

(近くで見ると、なんというかあれだ。女にしか見えん)

 

実はこの金髪美少年は男装した女子生徒なのではないか。そんな妄想に等しい考えが優の頭を過る。

 

(いや、ないな。いくら立て続けにセキュリティを乗っ取られてるIS学園でもさすがにそこまでガバガバな審査はしてないだろ。こいつは多分、ただのリアル男の娘…………待て。そう考えるとなかなか熱いな)

 

同じ穴の狢だった。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

放課後を告げるチャイム。それを皮切りに解放感が教室に充満する。

 

「ねえねえ一夏。ボク、この学校のことまだ全然わからないからさ、良かったらいろいろ教えてほしいな」

 

柔和な表情と謎のキラキラ粒子を放ちながらそう言うのは、プリティでキュアキュアな可愛い系美少年っぷりで転校早々多くの女子生徒たちのハートをキャッチしてみせたシャルル・デュノアだった。

 

「ああ、分かった。弾、お前も来いよ。せっかく男子が増えたんだし、今日は男同士の付き合いといこうぜ」

 

「えぁっ、あ、い、一夏? 五反田クンにも用事があるんじゃないかな? 二人でいいんじゃないかな? ね?」

 

まるで狙ったかのような一夏の言動。一部の女子生徒が「突き合う?」「3P?」などという奇特な聞き間違いをしてしまうのも仕方なかった。

 

そして当の五反田弾は、相変わらずニヒルに口元を歪め、自身の赤い髪をふぁっさあと掻き上げた。

 

「フッ、やはり俺の力が必要らしい。だが一夏、今日はちょいと野暮用でな。実は今世界の命運は俺の……いや、俺たちの手に握られている。俺は仲間と共に世界を救って来なきゃならねえ。悪いな」

 

五反田弾は光の戦士となったのだ。光の戦士である彼に、休息など許されない。

自らの仕事(ジョブ)に一切の妥協を見せない弾の姿に、一夏は心を打たれたのか、「そういえば新しいネトゲ始めたんだっけ。いい加減ゲーム以外の趣味見つけろよな」そう言って弾を静かに見送った。弾の背中を見つめる一夏。真の男は背中で語る。彼の後ろ姿は愚直で武骨で、それでいて何物にも侵されぬ鋼ような、まさしくプロフェッショナルの背中だった。

 

「さて、邪魔m……五反田クンも行っちゃったし、ボクたちも行こっか」

 

そう言って一夏に微笑みかけるシャルル。その微笑みはまさしく天使のそれだった。一切の含みを感じさせないそれは、シャルルの裏表のない素直な性格を如実に表していた。

 

「そうだな。と言っても、俺もまだ入学して1か月だからなあ。案内するとなると、とりあえず食堂と寮は必須として……」

 

頭の中で虫食いだらけの地図を広げる。しかし一夏が利用する場所など、精々教室とアリーナと食堂くらいだ。やはり無駄に島一つを使い潰しているIS学園という広大なダンジョンを案内するというのは些か荷が重かったのだろう。一夏の眉間に皺が寄る。

 

うんうんと悩む一夏に、シャルルが何かを閃いたかのようにぽんと手を打った。一夏はそんなシャルルに目を向ける。きっと助け船を出してくれるのだろうと期待して。

 

しかし一夏は気付かなかった。

 

「そういえばさ───」

 

この言葉が後に、ちょっとした事件を引き起こすことを。

 

 

 

「───ここって学校でしょ? クラブとか無いの?」

 

「クラブ? ああ、部活のことか。さあ? 俺は入ってないから何とも」

 

ざわりと空気が脈打つ。

 

「男同士でとは言ってみたけど、やっぱ俺一人だと無理か。よく考えたらこの学園のこと全然知らないし。あ、そうだ。ユウはどっかに入ってたりするのか?」

 

「え、あっ、私? いや、入ってないけど……」

 

「じゃあせっかくだしユウも一緒に部活見に行こうぜ」

 

「え゛っ、いや、私は別に……」

 

「ね?? 八神サンもこう言ってるしやっぱり二人で、って一夏!? 今度はどこ行くの!?」

 

ひそひそと人波が揺れる。

 

「なあ箒、箒ってたしか剣道部だったよな?」

 

「うぇっ!? あっ、ま、まあ、名前だけ、だが……」

 

「部活って今からでも入れるのか?」

 

じりじりと緊張が走る。

 

「多分、大丈夫だ。……そっ、そうだ一夏! よ、よよ良かったらまたい、一緒に剣道を……」

 

 

 

ぶつりと、糸が切れた。

 

 

 

「ねえ良かったらテニス部で「ラクロスとか興味な「料理部とか「ぜひうちのジャーマネに」吹奏楽で青春を「演劇部もよろし「園芸とかどうかな」ESS!ESS!」忍道部で森羅万象を「今夜星を見に行こう「文芸部もあるよ!」麻雀で全国大会を「美術部でヌードモデルに「バスケットはお好きですか?」おい、デュエルしろよ」サッカーやろうぜ!「篤志(ギャング)部「弁論部どうですか「かへたんていぶは「軽音部部員募「新聞部でーす! 写真一枚いいですかー!?」

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

走る。走る。走る。ただひたすら我武者羅に、脚を動かし、腕を振り、歯を食いしばる。景色が後ろへと流れていく。しかしそんなものは気にも留めない。ただ前を見て、前へ進む。立ち止まるわけにはいかない。停滞は即ち、死を意味する。

 

「ど、どこまで追いかけてくるんだ……!」

 

一夏はシャルルと共に学園内を走り回っていた。理由はただ一つ。一夏はちらりと背後に視線を投げる。

 

「お願い話を聞いてー!」

 

「大丈夫! 先っちょだけ! 先っちょだけだからー!」

 

「せめて名刺だけでもー!」

 

「磯野ォッ! YAKYUしようぜェェッ!」

 

学園の有名人がまさかの帰宅部という事実が判明。何とかして確保しようと、ほぼ全ての団体が我先にと動きだした結果が、この学園の敷地を贅沢に使用した大規模鬼ごっこだった。

 

「はあっ、はあっ、人気者だね、一夏……!」

 

「冗談言ってる場合じゃなあああい! いいから今は逃げるんだよオオオッ!」

 

肺がきりきりと悲鳴を上げる。どうしてこんなことになっているのか。自分が一体何をしたというのか。理不尽な状況に対する文句が一夏の脳裏に浮かんでは消え、再度浮かび、消える。

 

しかしこうして走っていたところでジリ貧だ。いずれ追い付かれてしまうだろう。

 

「そこを曲がってすぐの部屋に入るぞ!」

 

「分かったよ、一夏!」

 

曲がり角を折れる。ぐっと踏み込み、ブレーキをかけながら、目の前の扉を勢いよく開いた。

 

「えっ?」

 

「な、何ですか!?」

 

中にいた者達のざわめきが聞こえるが、一夏もシャルルもそれどころではない。扉を閉ざし、膝をついて肩で息をする。

 

「はぁ、はぁ、ここなら、もう、安全だろ……」

 

息も絶え絶えにそう言う一夏は、教室よりも尚広い室内を見渡し、呟いた。

 

 

 

「織斑にデュノアか。どうした、こんなところで」

 

そう言ってやってきたのは、彼らのクラスの担任である織斑千冬。そう、ここは───

 

 

 

「それよりお前達、職員室に入る時にはノックをしろ」

 

──《職員室 総務》。ホログラムがふわりと躍った。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

教室のような姦しさとはまた違った、ほのかな緊張感と若干の忙しなさが支配する部屋の中。織斑千冬は自身のデスクの前でイスに深く腰掛け、静かに足を組んだ。マグカップを手に取り、ブラックコーヒーに軽く口をつける。ほんの少し、撫でる程度に啜り、盛大に眉を顰めた。砂糖に手を伸ばしかけるが、すぐさま目の前にいる弟の存在を思い出し、その手を引っ込める。砂糖の代わりにデスク上のクッキーを一瞬で口に放り込んで目にも止まらぬ速さで咀嚼する千冬。もはやコンマ1秒の領域に至る早業。ブリュンヒルデの名は伊達ではない。

 

「ふう……それで、部活動についてだったな」

 

「千冬姉。ブラック飲めないのは知ってるから。変なところでカッコつけないで砂糖入れなって。それともミルク出そうか? 多分冷蔵庫にあるよな?」

 

「(一夏のミルク……?)……部活動についてだったな。それと織斑先生だ」

 

教師として、そして何よりも姉としての威厳にかけて、決して譲れない一線というものが存在するのだ。千冬は再度ブラックコーヒーに口をつけ、軽く啜る。あまりの苦味にきゅっと目を閉じる千冬。しかし負けてはいられない。弟が見ているのだ。ここで諦めては、世界最強ブリュンヒルデの名が廃る。黒々とおぞましいこの世のありとあらゆる苦痛を濃縮したかのような液体をぐっと飲み込んだ。

 

「教師としては、特に何もゲッホゲッホォァ言うことは無いな。好きゲホッな所へ入るといい」

 

「いや、そういうことじゃなくて、行き過ぎた勧誘を規制したりとかさ」

 

「学業に支障が出るならともかく、今のところ表立って動くだけの理由が無い。というのが正直なところだ」

 

千冬個人としては思うところがあるのだろう。しかし男子生徒の出現によってこうも勧誘が激化するなど、今まで想定していなかった。その事態を収拾するための規則などあるはずもない。教師が動くための建前が存在していないのだ。精々廊下を走るなというのが関の山だろう。

 

余談だが、IS学園は部活動全般に関する規則が全体的に曖昧である。というのも、IS学園は海外からの入学生も多く、日本と海外における部活動文化の捉え方は大きく異なる。

 

文化的差異が存在し、またそもそもIS学園はISに関する修学こそが本分である以上、部活動に関する規則が後回しにされ、曖昧なまま放置されていたのも仕方のないことだった。

 

実際現状の制度で今までは特に問題など起きていなかったのだ。様々な国籍の生徒が集まるとはいえ、立地が日本であることからやはり日本人の生徒が数多く在籍し、部活動の雰囲気や内実も日本のそれに近い。その結果海外からの生徒達が面白がって積極的に参加していったため、わざわざ積極的な勧誘期間を設けることも無かった。

 

「織斑先生でも駄目か……。でもそうなると、最悪捕まっちゃったら今追いかけてきてる全部の部に入れさせられたりしそうだよね……」

 

ひとたび捕えられてしまえば、そのまま雪崩れ込んできた他の部の者も、「自分たちの部にも是非!」と言いながら入部届を押し付けてくるだろう。シャルルの言葉を受け、その光景を想像した一夏は分かりやすく顔をしかめた。

 

「断ったら断ったで、暴動が起きそうだしなあ」

 

仮に全てを断るのではなく、どこか一つに入ると言ったところで、あそこまで膨張してしまった熱が簡単に収まるとは思えない。恐らく彼女らの行動が鬼ごっこから争奪戦へと変わるだけだろう。

 

八方塞がり。万策尽きたとはこのことか。

 

しかしここで終わらないのが織斑千冬という女である。

 

「聞け。私にいい考えがある」

 

「何だって!? それは本当か!?」

 

一夏とシャルルの瞳に希望が灯る。千冬はそんな二人を見ながらニヤリと笑った。

 

「ああ。表立って動くのが無理なら、暗にお前達が私の庇護下にあると思わせればいい。そうすればやつらの動きも収まるだろう」

 

「つまり、俺達はどうしたら……」

 

「簡単だ。私が顧問を務める部に入るといい。とはいえまだ設立したばかりでな。部ではなく研究会という位置づけになっている」

 

IS学園においては、設立年数や部員数、活動実績などから、研究会、同好会、部といったようにランクアップしていく。

 

「会員もまだ2人。しかしそういった環境の方がかえって気が楽だろう。それに2人共他団体との掛け持ちだ。お前達も何か他にやりたいことが見つかれば掛け持ちするといい」

 

「それで、なんていう部活なんだ?」

 

急かすような一日の声に、千冬は表情を引き締めて、徐に、はっきりと芯の通った声で告げた。

 

「お姉ちゃん研究会だ」

 

「なるほど! 今のは聞かなかったことにしてやるよ千冬姉! それじゃ!」

 

「わっ、ちょっ、一夏?」

 

ビシッと片手を挙げ、さわやかな笑顔と共にシャルルの手を取って職員室の出口へと踵を返す。一刻も早くこの場を立ち去らなければならない。一夏の防衛本能がそう告げていた。

 

「まあ待て」

 

回り込まれる。一夏は知らなかった。お姉ちゃんからは逃げられない。

 

「一夏、お前は何か誤解している。たしかに一見部活動には見えない名称だが、活動内容はしっかりしているぞ。まず姉属性というものがどういった層に受け、またどこにその魅力があるのかということを客観的に分析しつつ今度は弟妹属性を持つ者たちの攻略方法について」

 

「そこに誤解はねえよ! むしろ誤解であって欲しかったわ! というかなんで逆に二人も入部したんだよ! 何者だよそいつら!」

 

「そいつらもまた、ただの姉だ。私と同じな。ちなみにそいつらが掛け持ちしているのは生徒会だ」

 

「この学校もう駄目だ!」

 

一夏が叫んだ、その時だった。

 

「お、織斑先生」

 

何処からともなく差し伸べられる救いの手。

 

「そろそろ職員会議の時間ですので、準備を……」

 

おっかなびっくりといった様子で千冬に進言したのは、彼らの副担任。他ならぬ山田真耶その人であった。

 

「もうそんな時間か……」

 

そう言って千冬は真耶に向き直る。そしてその隙を逃す一夏ではない。

 

「今だ! 逃げるぞシャルル!」

 

「う、うんっ!」

 

「出たら二手に分かれよう! 俺が囮になる!」

 

脱兎の如く駆け出す2人。ハッと気付き振り返るも一歩出遅れた千冬。

 

「あっ、待て二人共! まだ話は終わって……」

 

「先生、先日の案件のデータ、どこにありましたっけ?」

 

そんな千冬に追い討ちをかけるように、山田真耶の言葉が再度千冬を呼び止める。そして扉の開く音。既に2人の影はない。

 

「………………………………」

 

「えっ、ちょっ、ど、どうして無言でこっちを見てくるんですか? そ、そんなに見つめられると照れちゃいますよぉ……」

 

この女どうしてくれようか。千冬は静かに怒りを滾らせた。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

シャルルと別れた一夏は、わざと女子生徒達の目につくようにして校舎内を移動し続けた。

 

「俺はッ、逃げ切ってッ、みせるぅぅぅッ!」

 

腕を振り、脚を持ち上げる。それだけの動作がひどく重い。汗を流しながら、背後に迫るハンター達から目を背けながら、一夏はひたすら走る。

 

一人分の足音に続く、もはや足音とは呼べない地響き。通りがかった職員が注意を促そうとするも、凄まじい気迫に蹴散らされ、思わず逃げ出す始末。

 

シャルルは逃げられただろうかと一瞬考えるも、そんなことより今は走れと本能が命令する。

 

「一夏! 大変なことになってるわね!」

 

ふと隣を見ると、いつの間にいたのだろうか。中国代表候補生である凰鈴音が一夏にぴったり寄り添うように並走していた。

 

「鈴! 助けに来てくれたのか!」

 

「当たり前じゃない! それにこのシチュエーション、なんだか愛の逃避行みたいで燃えるじゃない!」

 

「弾みたいなこと言ってないで何か手を考えてくれ!」

 

振り返らずとも分かる、否、分かってしまうほどの地響きが背後から迫りくる。それは先程よりも大きくなっており、ハンターの数が増えたことを嫌でも一夏に悟らせた。

 

「とりあえず外に行きましょう! いつまでも校内にいたらそのうち追い込まれるわ!」

 

「なるほど! 一理ある!」

 

「それとはぐれないように手を繋ぎましょう! 今から隠れ場所に案内するわ!」

 

「なるほど! ところでその手にある手錠は何だ!」

 

「手を繋ぐアイテムよ! 他意は無いわ!」

 

「なるほど! 隠れ場所ってどこだ!」

 

「あたしの部屋よ! 安心して! 一夏用の着替えもあるから数日はいけるわ! サイズもピッタリなはずよ!」

 

「なるほど! それじゃ、俺はこれで!」

 

「ええ! 了解!……え、あれ? 一夏?」

 

鈴が気付いた頃には、一夏は忽然と姿を消していた。ニンジャめいたそのワザマエに、思わず舌を巻く鈴。そのバストは平坦であった。

 

「一夏の匂いは……こっちか!」

 

ハンターが一人、増えた。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

「行ったか……」

 

八神優は静かに呟き、掃除用具入れの扉をそっと開いた。

 

あの時、大勢の生徒達が一斉に群がってきたその刹那、どさくさにまぎれて包囲網をかいくぐり、一夏とシャルルが注目を集めている隙に掃除用具入れに飛び込んだのだ。多くの生徒は男子2人が逃げ出した方向へと誘導され、結果として彼らを囮にした優は、こうして平然と寮へ帰ろうとしていた。

 

(あいつらと一緒にいたら俺まで巻き込まれるところだった……)

 

ハンター達をやり過ごしたというより、一夏とシャルルに見つからないようにという目的があったようだ。実際優の目論見は成功したと言って良い。

 

(ま、俺一人でいる分には逃げ回る必要もなさそうだな)

 

結局のところ、彼女達の興味関心は織斑一夏とシャルル・デュノアに集中している。優の存在は蚊帳の外だ。

 

鞄に荷物を詰め込み、悠々と教室を後にする。

 

「さて、早く帰って「あーーっ!! 八神さん発見!」

 

廊下に響き渡る甲高い叫び声。びくりと肩をすくめ、今まで見たこともないような顔で固まる優。

 

「いやー、織斑くん達と一緒じゃないと思ったら」

 

「まさか教室とはね。完全に盲点だったよ」

 

馬鹿な。おかしい。何がどうなっている。優の錆び付いた思考回路がギチギチと回る。

そうこうしているうちにわらわらと増え始める生徒(ハンター)達。優の額に冷や汗が滲む。何だか分からないが追い詰められている。また面倒事に巻き込まれるのか。優はそう理解するや否や、たまらず声を上げた。

 

「ちょ、待って! 話せば分かる! 私は別にいいでしょ!? というか男子が欲しいんじゃないの!?」

 

命乞いである。

 

しかしそんな醜く矮小で情けない願いが聞き届けられることはない。

 

「いや、うちはむしろ八神さんが本命だし」

 

「是非ヌードモデルに!」

 

「八神さんが来てくれれば織斑くんも入ってくれるし一石二鳥」

 

「織斑くんが来たらデュノアくんも誘ってもらって一石三鳥だね!」

 

「美少女がいるだけでテンション上がるだろ。常識的に考えて」

 

「第一印象から決めてました! お姉様と呼ばせてください!」

 

それぞれがそれぞれの理由を胸に、一歩ずつ前へと踏み出す。

 

「家が遠いから部活はちょっと……」

 

「いや、ここ全寮制だし」

 

「うぐぅっ……」

 

彼女らしからぬ呻き声。誤魔化しにすらなっていないバレバレの嘘に正論が突き刺さる。もうどこかに入ってしまおうかと、諦めかけたその時だった。

 

 

 

「うおおおお! 部活くらい静かに選ばせてくれええええ!」

 

穏やかではない叫び声。そして廊下を伝う地響き。優にとって非常に聞き覚えのあるその声の主は、丁度優を狙う者達とは反対側からやってきた。

 

(オウフ……マジか……)

 

どこぞのゴルゴもびっくりするほど渋面になる優。それもそのはずだった。声の主、織斑一夏は、その背後に夥しい数の追手を引き連れて優のいる方向へと走ってきているのだから。

 

「ユウ! ここにいたのか! って挟み撃ちィッ!?」

 

教室の前まで駆けてきたと思いきや、優の背後にいるこれまた大勢のハンター達を目の当たりにして急ブレーキをかける一夏。

 

教室前の廊下は一本道。そして教室を中心として、優と一夏を挟み込むように生徒達が集い始める。

 

「ハアッ……ハアッ……もうっ……ここまでなのか……っ!」

 

息を荒げ、汗をぬぐう一夏。その目は既に諦念に染まっている。万事休す。絶体絶命。もはや逃げることは叶わない。

 

「いや───」

 

しかしまだ諦めない者がいた。

 

「───まだ、終わりじゃない」

 

「ユウ……?」

 

八神優は毅然とした態度で言い放つ。

 

「今、いいこと思いついた。むしろなんで今まで……いや、なんでもない。とにかく行こう」

 

告げるや否や、優は満身創痍に等しい一夏の手を取って教室へと駆け出した。

 

「一夏くん! ISの部分展開は出来る!?」

 

走りながら訊ねる。机を避け、窓際に辿り着くや否や、目の前の窓を開け放つ。

 

「あ、ああ。できるけど……ってうおあっ!?」

 

疲れと絶望からか、いつもよりも遥かに弱々しい一夏の声。しかし優はそんなもの知ったことかと言わんばかりに、一夏の腕を取り、ぐっと引き寄せた。そうこうしている間にもハンター達は迫ってきている。

 

「降りるよ!」

 

「えっ、ちょっ、ひいっ!?」

 

状況に追いつかない一夏を強引に抱きかかえる優。そしてそのまま……

 

「せーのっ」

 

「えっ」

 

優は窓から飛び降りた。

突如一夏と優を浮遊感が包む。目の前には青い空。まるで何物にも縛られない鳥のような、自由に満ちた全能感。

 

「とん、で──」

 

そしてそれは一瞬にして奪われる。

 

「ってうおわああああああっ!?」

 

落下。風が頬を切り、地面が急速に近づいてくる。自由の剥奪。本能的な恐怖が一夏を襲う。思わず優の身体にしがみつく一夏。優の柔らかなそれが一夏を包み込んだ。

 

「一夏くん! どこでもいいからIS起動して!」

 

「え、あ、お、おう!」

 

急かされ、咄嗟に片手を地面に向ける。流れ込む情報。門が開くように展開されていくイメージ。

 

「白式───っ!」

 

一夏の腕が輝き、光の粒子に包まれる。そしてそれが弾けたかと思うと、その腕を起点にしてピタリと落下が止まった。見れば、一夏の腕は白い装甲で覆われている。

 

余談だが、アリーナ等以外におけるISの完全展開及び武装展開は原則禁止されている。理由は単純明快。危険であるためだ。

 

「ふう。着地完了っと。もう離しても大丈夫だよ」

 

「えっ、うわああっ! す、すまん!」

 

ISを解除する一夏。再び一夏の腕から光の粒子が舞った。

 

「今離れ、うわっととっ」

 

優から離れようとするも、たたらを踏み、バランスを崩して尻餅をつく。

 

「えっ、どうしたの!?」

 

突然倒れてしまった一夏に、何事かと優が訊ねる。当の一夏はというと、力無く困ったように笑い、ぽりぽりと頭を掻いた。

 

「あ、あはは。どうもさっきので腰が抜けたっぽい……」

 

「oh...」

 

ピンチである。逃走中に腰を抜かすなどあってはならない。この男は一体何なのか。逃走者の風上にも置けない。

 

(どうする? どうすればいい?)

 

周囲を見渡す。目の前には校庭。自分達の他には誰もいない。

 

上を見上げる優。先程まで自分達がいた教室の窓から、覗き込むようにしてこちらへと向けられるいくつかの視線。やがて視線が引っ込み、くぐもった叫び声は遠ざかっていった。恐らくここまで降りてくるのだろう。追い付かれるのも時間の問題だ。

 

ちらりと一夏を見下ろす。このままではこの男は逃げられない。しかし直に追手はやってくる。

 

(ああーっもう! くそっ!)

 

優はへたり込んでいる一夏の腕を取り、肩を貸すようにして立ち上がった。

 

「ゆ、ユウ? そんな、俺のことは置いて……」

 

「いいからとにかく移動しないと! あそこに隠れよう!」

 

優が指さしたのは、校庭の隅にひっそりと佇む倉庫だった。恐らく授業や部活に使用する用具を収納するための物だろう。優よりも少し背の高いそれにゆっくりとした速度で辿り着き、がらがらと古臭い音を立てながら扉を開く。埃と泥が混じったような臭いに一瞬顔を顰めるも、一夏を支えながら一歩一歩踏み込んでいく。

 

(思ったより物が多いな……)

 

堆く押し込められたそれらを見て、内心で呟く優。倉庫内は用具がスペースを圧迫しており、隅の方に辛うじて空間が残されている程度だった。

 

『──!─────!』

 

『───。──────!』

 

人の気配。今にも校舎の外に出ようとしているのかもしれない。

 

「やばっ……!」

 

優は背後を確認する間も惜しんで扉を閉めた。音がやけに大きく響く。隙間から漏れる僅かな光を残し、倉庫内が黒く染め上げられる。

 

サッカーボールの詰まった金属の籠を押しのけ、何とか通路を作り出し、奥へ奥へと移動する二人。何とか扉から見て右側手前の角に辿り着き、ゆっくりと腰を下ろした。優によって強引に押しのけられたせいか、元々沢山詰め込まれていた用具達が微妙に傾きかけたりしつつも、絶妙なバランスを保っていた。

 

「ちょっと暑いね……」

 

「えっ! あっ、そっ、そうだな!」

 

パタパタと手で扇ぐ優。そんな優を見ながら、一夏は身体をなるべく動かさないようにして、目線を盛大に逸らした。

 

至近距離。スペースの関係上ほぼ密着している。清々しく晴れた5月の空の下。高校生二人が密着していれば暑くもなるというものだ。

 

仄かにざらついた床の感触も、細い光に照らされちらちらと舞う埃も、今の一夏は気にも留めない。彼にとってはそんなことよりも、隣から漂う華やかな香りや、小さな息遣いと共に僅かに動く唇や、ぱたぱたと扇ぎながら少しずつ緩められる彼女の制服の方が遥かに重要だった。

 

そしてそんな桃色の内心などお構いなしに、脅威はやってくる。

 

『もしかしてこの中にいたりして』

 

薄い壁越しに響く声。どきりと背筋が伸びる。

 

『うーん、そうかな? たしかここって要らなくなったのを詰め込んだんだよね?』

 

どちらともなく目を見開き、呼吸を止める。鼓動がばくばくと激しく主張する。

 

『まっさかー! ないない! さすがに無いよー! そもそもこん中ろくにスペース無いじゃーん!』

 

まずい。優がそう思った時には既に遅かった。

明るく溌剌とした声で言いながら、女子生徒は目の前にある倉庫の壁を勢いよく叩いた。バンバンとそれなりに大きな音が響く。

 

倉庫に振動が走る。そしてそれは絶妙なバランスを保っていた体育用具達をぐらぐらと揺らす。

 

(やばい! このままだと倒れ────)

 

優が咄嗟に手を伸ばすと同時に、積み上げられた用具の城が、轟音と共に崩れ出した。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

「え、ちょっ、何、今の音」

 

先程までの明るさはどこへ行ったのか。自身が叩いた倉庫を見て固まる女子生徒。

 

「もしかして……やっちゃった?」

 

「あー、そういえばかなりいろいろ適当に放り込んであったしなー。むしろ今までよく崩れなかったなって感じ」

 

「どこの部も物置みたいに使ってたし、いらない物とかどんどん入れちゃってたよね」

 

「物置っていうか、もはやでっかいゴミ箱みたいな扱いだったわ」

 

「……とりあえずどうしよっか」

 

 

 

 

 

 

引きつった雰囲気が漂う倉庫周辺。倉庫内にいる八神優は、そんな外の様子に耳を欹てながら息をひそめていた。

 

(くっそあいつらふざけんじゃねえぞ……)

 

苛立つ内心を落ち着けるように、深いため息をつく優。

 

「ふう……」

 

「ひあっ!?」

 

優の吐息が耳に当たり、彼女の下敷きになっている一夏はたまらず声を上げた。

 

「ちょっ、一夏くん静かに!」

 

「んっ、そ、そんなこと言われたって……ぁっ……!」

 

くすぐったそうに小さく身を捩る一夏。

 

用具が崩れ出した瞬間、優は咄嗟に一夏に覆い被さった。傍から見れば一夏を押し倒しているような格好だ。

そしてその上にガラガラと土砂崩れかのように荷物が降り注ぐも、ボールの入った籠が横転する途中で、その縁が壁に当たり、偶然にもそのまま停止。斜めになった籠がうまい具合に盾の役割を果たし、尚且つ横から見ると、床と壁と籠を辺とする三角形のようなスペースに、一夏と優がちょうど収まる形となった。

 

そしてスペースと姿勢の関係上、優の顔は一夏の顔のすぐ近く、ほんの1センチ程度の距離にある。さらさらとした髪がしな垂れかかる。ふわりと漂う香りやちょっとした身じろぎや吐息も全てが近くに感じられる。スペースと姿勢の関係上仕方のないことだった。そして一夏の胸の上には、丁度同じように優の胸が乗っている。スペースと姿勢の関係上仕方がないのだ。柔らかな双丘がぐにゃりと形を変えて一夏に押し付けられる。緩められた制服の隙間から谷間が覗き、目の前の少女の温度が伝わる。あまりの生々しさに、どくんと心臓が跳ねた。

 

しかし当の八神優はというと、外の様子ばかりに気を配っており、そんな一夏のある意味危機的状況に全く気付いていない。緊迫した状況の中、沈黙とむわっとした熱が支配する倉庫の中で、一夏は孤独な戦いを強いられていた。

 

『とりあえずあれだ! 私達は何も見なかったし何も聞かなかった。いいね?』

 

『そうだね! そもそも倉庫に近づいたかどうかも疑わしいよね!』

 

『どちらかというとここには居なかった! うん!』

 

薄い壁を隔てて、勝手なことを抜かす声が倉庫内に響く。そして遠ざかっていく声と足音。優は神経を研ぎ澄まし、じっと動きを止める。手の平にじわじわと汗が滲んだ。

 

(……大丈夫そうだな)

 

足音が完全に聞こえなくなったところで、緊張を解くように、優は再び大きく息を吐いた。

 

「はあぁ……もう行ったみたいだね」

 

「ぁんっ……そ、そうだな……」

 

優が口を開く度、生温い吐息が一夏の耳元をしっとりと舐め上げる。一夏は背筋に走るぞくぞくとした何かを感じながら、同時に危機の一つが去ったことに確かな安堵を覚えていた。

 

そして安堵は思考に冷静さを取り戻させる。

 

ふと優と一夏の目が合った。改めてその距離の近さを認識する。文字通り密着状態。鼻と鼻が触れあいそうな距離。黒く艶やかな髪、白い肌、真紅の瞳。一夏の視界全てを八神優という少女が埋め尽くす。一夏の顔が朱に染まる。せっかく取り戻した冷静さを速攻で奪われてしまったことすら、認識が追い付かない。

 

そしてふと冷静になってしまったのは優も同様だった。とはいえ彼女の場合、思ったより距離が近くて多少驚いている、という程度だ。

 

「ああ、ごめんね。今どくから……」

 

そう言って背中で上にある用具類を押しのけようとするも、彼女は所詮一人の女子高生。持ち上がるはずなどなかった。

 

「くっ……はぁ……駄目だ。全然動かない……」

 

「んんっ……! だ、だったら俺がやるよ。さっきみたいに部分展開すれば行けると思う」

 

そう言って一夏は優の顔の横を通るようにして腕を上に伸ばした。肘が伸び切る前に自分達がいる空間の天井に届く。

 

「白式」

 

小さく呟き、先程落下中に展開した装甲よりも尚限定された部分のみを纏う。しかしそれでも、人間の力などとは比べ物にならない。少しずつ天井が上がっていく。スペースが出来たからか、優は腕立ての要領で、身体を天井に合わせて一夏から離れるように上げた。優の顔が丁度一夏の真上に来る。再度目と目が合う。ふと、夕焼けに染まる教室の中で、初めて彼女と会話した日のことを思い出した。

 

(あの時も俺の上にユウが居たんだっけ。それで……)

 

余計なことまで思い出し、思わず籠を押す手に力が篭る。その時、ギシッと、何かが軋む音が響いた。

 

「ん?」

 

上を見ていたからだろうか。或いは籠に触れていたからだろうか。気付いたのは一夏だった。恐らく用具を押し退けようと持ち上げた際、他の物のバランスを崩してしまったのだろう。何かがバウンドするような感覚がボールの籠越しに伝わってくる。そしてそれは徐々に大きくなり……

 

(あれは……野球ボール?)

 

ついにその姿を捉えた。

正確には、野球ボールよりも一回りほど大きいソフトボール用のボールだった。それが土砂の上流から、ポンポンと跳ねてこちらへ降りてくる。

 

一夏の目の前にあるのはサッカーボールが入った籠だ。当然網目は荒い。それが悪かったのだろう。一夏が何かを言う隙も無く、降りてきたボールは目の前の金属の籠の網目をすり抜け、そして吸い込まれるように八神優の後頭部へと激突した。

 

「っ────────」

 

ぽかんとした表情の優。痛い、と、優がそう口にすることは出来なかった。

 

後頭部への不意の衝撃により、優の頭はかくんと下にずれた。そして数センチ下あるのは一夏の顔であり、即ち──。

 

「ッ!!!?!??!???!?!!???!?!!??!?」

 

驚愕に表情をころころ変えながら目を見開く一夏。一部で思考回路がショートしながらも、しっとりと柔らかい優の唇の感触を確かめている下心も存在し、また同時に「そういえば今唇かさついてるかも」、「ちょっと歯当たった?」などという心配をし始める理性も僅かながらに残っている。そんな内心で大忙しな一夏を余所に、優は若干のショックを受けながらも、状況を理解するや否や、そっと唇を離した。

 

「…………」

 

「…………」

 

無言。しばし見つめあう二人。互いのぎこちない息遣いだけがこだまする中、先に沈黙を破ったのは優だった。

 

「……えっと、なんか、ごめん」

 

口元を隠すように手を当て、目を逸らす優。同時に一夏もふいと目を逸らし、一方で「何か言わなければ……!」と焦燥に駆られ、つい勢いに任せて口を開く。

 

「あ、いや、俺の方こそ、その……あ、ありがとうございます?」

 

倉庫という密室の中、どこか気まずい雰囲気が流れる。赤い熱が冷めない唇を、一夏は無意識のうちに指先でそっと触れていた。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

慌ただしい喧騒に包まれる校舎。放課後だというのに人の気配が無くなる様子は無い。ばたばたと足音が廊下に響く。そんな生徒達の動きに待ったをかけるように、バサッと、まるで扇子か何かを広げたような音が、突如として校内の全スピーカーから同時に響き渡った。

 

『あー、てすてす。よし、聞こえてるわね!』

 

最新にして高性能なマイクが、ふんすという鼻息まで拾う。

 

『せーとかいよりお知らせよ! 今日から部活動についての規則が改正されたわ! くわしくは正面玄関前、および職員室前の掲示板を確認すること!』

 

威勢のいい声が校内全域を支配する。呆けた表情でスピーカーを見つめている生徒達。やがて『いじょう!』と一際大きく言い放ったかと思うと、放送者当人はこれで終わりとでも言わんばかりにガタッと音を立てて立ち上がった。

 

『あー終わった終わった! ふふん、これくらいの仕事、せーとかいちょーたるわたしにかかれば楽勝ね!』

 

『会長、スイッチ切り忘れてますよ。丸聞こえです』

 

『え、うそ!? スイッチ!? どれ!? これ!? えいっ!』

 

『今ので校舎内だけではなくアリーナや校庭にまで拡大しましたね』

 

『ええっ!?』

 

学園の敷地内全域に、とある女子生徒の叫び声が響き渡った。




現1話目で運を貰える話をしてて、現2話目で「優がいなくなるんじゃないか、離れたくない」と一夏が不安に思っていることを言ってて、そこから一夏がISを手にしたりIS学園に一緒に行くことになったり今まで離れ離れになってしまったやつらと再会できたり云々は全部優から貰った幸運によるものであってさらに誘拐事件を切欠として離れたくない→守ればいいじゃないという発想が生まれさらにそれを後押しするように現7話目にて優が一夏にとって最良の結果に繋がるようになんていう祈り方をしてしまったために優は自分の首を絞めるはめになったという脳内設定。

あと自分の運を信じて直観とフィーリングで何となく生きてた方が優は基本強くて逆に幸運を信じ切ることなくあれこれ自分の力で考えて行動した結果は割と裏目に出てる。

これらは全て仕様であって緻密な計算の下に成り立っており別に深く考えずに書いていたら結果こうなっていたからどうにかこじつけて理屈っぽくまとめようとしたわけではない。


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13

工口(こうぐち)だから! 工口(こうぐち)

一夏の更生は次回以降に持ち越し。シャルルの設定はなんか怒られそうだけど二次創作だからってことで許して。

5/21 修正 10話末「円夏」→「一夏」
17/06/02 修正 シャルパパの正式名が原作にて公開されたため、準拠


風と日差しを受け、ゆらゆらと揺れる白いカーテン。窓の向こう側にある青い空を、ベッドの上の女はじっと見つめている。

 

「シャルリーヌ! 大丈夫か!」

 

扉が勢いよく開かれる。肩で息をしながら、ワイシャツを汗でぐっしょりと濡らした男は、慣れない全力疾走による疲労のせいか、覚束ない足取りで一歩踏み出した。

 

「病院ではお静かにお願いします」

「あっ、ああ。すまない」

 

ひげを生やした医者らしき男性に窘められ、乱れた呼吸を整える。額から滑り落ちる汗をハンカチで拭い、男は一人の女性が横たわるベッドへと歩み寄った。

 

「シャルリーヌ、さっき電話で容体が急変したって……え、あ……」

「ふふっ、アルベールったら。面白い顔してどうしたの?」

 

ベッドの上で悪戯っぽく笑うシャルリーヌ。アルベールと呼ばれた男の視線は、彼女の腕の中で眠る小さな命に注がれていた。

 

「お喜びのところ申し訳ありませんが……」

 

思わず叫びだしそうだった内心を抑えつけ、医者の言葉を待つ。

 

「今のままでは、お子さんはあまり長く生きられないかもしれません。早急に手術を行うことをお勧めします」

 

 

 

 

 

 

 

「ならん。殺せ」

 

静かな声音とは裏腹に、そう言った老人の瞳には轟々と怒りの色が滲んでいた。あまりの迫力に、思わず息を呑むアルベール。暗い部屋の中、アンティーク調のランプがぼんやりとその表情を照らす。

 

「し、しかし、私は彼女を──」

「どこぞの田舎娘を勝手に孕ませた挙句、生まれた赤子もあの状態だ。貴様の齎した結果がどれほど愚かなものか、理解しているのか?」

 

言われて、言葉に詰まる。自分の行動がいかに身勝手だったことか。それはアルベール自身が最もよく分かっている。自分の愛した女性は、この老人のような者達にとっては到底同族として受け入れられない。それが分かっていたからこそ今まで隠れるように交際を続けていた。しかし子供が産まれてしまった以上、隠し続けるのにも限界がある。

 

いっそのこと逃げ出すか、説得して受け入れてもらうか。アルベールは後者を選んだ。選んでしまった。逃げ出した先に待つであろう後ろ盾のない生活への不安、許してもらえるならそれに越したことは無いという甘い願望。蓋を開けてみれば説得どころか取り付く島もない。

 

「貴様には、このデュノア家を継ぐという使命がある。デュノアの血統にあれは要らん。その阿婆擦れ共々殺せ。妙な噂が立つ前にな」

 

きつく拳を握りしめる。アルベールの手の平に爪が食い込み、じわりと痛みが滲んだ。

 

「安心しろ。代わりの女なら用意してやる」

「私は──ッ!」

 

愛する女性と我が子を侮辱され、ついに我慢できずに言葉を吐き出した。ランプの明かりが揺れる。

 

「私はっ! 彼女以外を妻とするつもりはない! 子供だって殺させない!」

 

一度口を開いてしまえば、堰を切ったように言葉があふれ出す。アルベールは感情に任せて目の前の老人に言葉をぶつけた。

 

「いい加減にしろよ! いつまでも古臭い選民思想に取り付かれた老害め! シャルリーヌもシャルロットもお前らなんかに触れさせるものか! この命に代えてでもあの二人だけは絶対に守ってみせる!」

 

アルベールの言葉を静かに聞き流していた老人は、やがて徐に懐へと手を伸ばした。

 

「そうか。それが貴様の意思か」

 

そっと引き抜かれた老人の手。その手の中で、黒く武骨なデザインの物が、重く光を反射する。

 

「残念だったな。アルベール」

 

直後、響き渡る渇いた発砲音。むせ返るような硝煙の匂い。一瞬何が起きたのか分からなかったアルベールだったが、自身の脚に鋭い痛みが走るや否や、たまらず声を上げた。

 

「ぐっ、あああああっ!」

 

太ももから血が流れ出す。上質な絨毯が赤く汚れていく。膝をつき、痛みをこらえるように唇をかみしめるアルベール。

 

「おい、誰かアルベールを地下室へ連れていけ」

 

扉の外に向けて老人が声をかけると、数人の黒いスーツを纏った男達がするりと室内へと現れ、脂汗を浮かべるアルベールを両脇から持ち上げた。

 

 

 

 

 

 

あの女を殺す。子供を殺す。殺す。殺す。

 

何度その言葉をかけられたか分からない。アルベールは頭にこびりついた老人の声を振り払うように、がしがしと頭を掻いた。

 

深い金色の髪は乱れ、表情は陰鬱なものとなり、日に日にやせ細っていく。

 

「アルベール」

 

老人のしわがれた声が地下室にこだまする。格子越しにアルベールを見下ろす老人は、あの日と変わらぬ表情で告げた。

 

「いい加減、儂の言うことを聞いてくれんか」

「……………………」

「儂としても、貴様をここに閉じ込めておくのは本望ではない」

 

しかしあの日とは打って変わって、まるでアルベールを慮るようなことを言う老人。俯いたままのクロードの視線が、わずかに上を向く。

 

「……おね……い……す」

 

掠れたアルベールの声が地を転がるようにこぼれ出す。

 

「お願い、します。二人の、命だけは……」

 

アルベールの言葉に、老人の口元がにやりと歪む。

 

「アルベール」

 

重く、しわがれた言葉がアルベールの耳を不快に撫でる。

 

「例の女と子供は既に捕えてある」

「っ! そ、そんな!」

「だが──」

 

ばっと顔を上げるアルベールの目に、老人の醜悪な笑みが映った。

 

「貴様がこれから先、何があっても儂の指示に従うのであれば、命だけは見逃してやろう」

 

心が、折れる音がした。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

「────はい、はい。すみません、まだ大きな情報は得られていません」

「────はい。分かりました。引き続き監視を続けます」

「────では、また明日報告します。父さ……社長」

 

 

 

朝。網膜に突き刺さりそうな、白く真っ直ぐな日差し。仄かに夏の気配を感じさせる。

 

「フランスは、今頃日付が変わってるころかな……」

 

シャルルは携帯電話を放り投げ、ベッドにその華奢な身体を預けた。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

「なるほどねえ。つまり今IS学園にいるガキは、デュノア社長の愛人の息子ってわけかい」

 

そう言って軍服のような物を着た女性は、写真を1枚、テーブルに放る。深い金髪の華奢な少年が映ったそれを、今度はテーブルを挟んで向かい側に座っていた女性が拾い上げ、スールの胸ポケットにしまった。

 

「ええ。さらに言えば、男性操縦者という肩書も、嘘である可能性が高いでしょう」

 

淡々と言う眼鏡をかけた女。軍服を着た女性は、今の言葉にぴくりと眉を動かした。

 

「ほう、そいつはどういうことだい?」

 

身を乗り出し、猛禽のような笑みを浮かべる。対して眼鏡の女は、冷静な表情を崩さない。

 

「写真の人物が本当に男性操縦者であれば、もっと大々的に宣伝するはずです」

 

デュノア社の御曹司がIS学園に編入したという話は、フランス本国においても有名な話()()()()

情報規制がなされているのか、殆どマスメディア等で取り上げられず、学園入学後に至っては一切音沙汰が無い。最初の男性操縦者が見つかった時と比べるとあまりにもその差は歴然としている。

学園に入学してしまった以上、一介のマスコミには情報を入手する術がないというのもあるのかもしれないが、デュノア社がそれを利用して今まで全く何もアピールしていなかった点についての違和感はたしかにあると、軍服の女性も頷いた。

というのも、IS企業としてのデュノア社の経営状況は現在芳しくない。第三世代型の研究に行き詰っているのが原因だとされている。故にわざわざ情報を規制してまで自分達の広告塔を手放す理由が見当たらない。

 

「そうは言っても、実際学園側の審査を通って男子生徒として入学できたのは事実じゃないか」

「ええ。ですから、恐らく何か裏があるのです。デュノア社にとって知られたくない裏が」

「いや、そう言いたくなる気持ちは分かるけどねえ、さすがにそれだけを根拠に動くのは無理がないかい?」

「では決定的な根拠があればいいのですね?」

 

眼鏡の女は、手元の端末を操作し、何らかのデータを呼びだした。そしてそれを見せつけるように、画面を女に向けながらテーブルに置く。

 

「記録上デュノア夫人が16年前に男児を出産したことになっていましたが、病院に残されていたログが最近になって偽造されていたことが判明しました。こちらも念入りに調査したのですが、結論として、デュノア夫妻の間に男児など一人も生まれていません。もちろん、愛人女性との間にも」

 

そこまで言われて、軍服の女性は得心がいったとでも言わんばかりにニヤリと笑った。

 

「なるほどねえ。にもかかわらず、IS学園には男として入学している。そりゃあ裏があるって思いたくもなるわけだ」

「それともう一つ」

「あん?」

 

眼鏡の女は勿体つける様に言葉を区切り、眼鏡を押し上げた。

 

「詳細までは分かりませんが、上手く行けば───」

 

眼鏡の女が呟いた言葉に、軍服の女性は目を見開いた。

 

「へえ、そいつはまた、気前のいい情報をどうも」

 

女性はそう言って立ち上がった。シャツの内側から鍛え抜かれた筋肉が隆々と自己主張する。大柄な女性は、眼鏡の女を見下ろして言った。

 

「今回の件、私達(アンネイムド)も一枚噛ませてもらおうじゃないか。亡国機業さん?」

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

人生とは往々にして、選択肢の連続である。

 

(俺の名は五反田弾。将来プリキュアになることが運命づけられているどこにでもいる普通の高校生……だったんだが、今俺は選択を迫られている)

 

日課である脳内モノローグに、いつもとは違う一節が組み込まれる。PCモニターを凝視しながら、弾は深いため息をついた。

 

その日、五反田弾は悩んでいた。一体どうすればいいのかと。彼の目の前には選択肢が二つ。そして彼が選ぶことができるのは、どちらか一方のみ。

 

「嗚呼、神は俺に試練を与えたもうた……」

 

額に手を当て、苦悶にその顔を歪める。

朝のホームルームが始まる前には結論を出したい。悶々と思考をめぐらせている弾を、扉をノックする音が現実に引き戻す。

 

 

 

 

 

「なあ弾、さっきから難しい顔してどうしたんだ?」

 

(コイツの名は織斑一夏。中学からの親友で将来の夢はプリキュア。イケメンでモテるが鈍感な部分がありラノベ主人公のような男だ。小中の間の9年間で、やつの周りには入れ替わるように女が集う。最初の一人については知らないが、二人目の幼馴染については三人目の女と共に中学時代の俺の友人でもある。両親は不明。厳格な姉と二人暮らしをしていたせいか、本人も多少の影響を受けている。主に悪い方向に。具体的には、ギャグセンスが壊滅している。本人曰く「狙ったギャグでウケたことがない」とのこと。同年代女子3人と美人な姉、さらに学園入学後に早速対立していた英国からの留学生も含めて5人。さらにフランス産の男の娘も含めて6人。こうしてみると、存在そのものがギャグのような男だ。随分俺もやきもきさせられたが、最近は三人目の女とよく一緒にいるところを見かける。ようやく進展が見えたと喜ぶべきか、ハーレム崩壊の兆しと取るべきか)

 

同じテーブルで朝食をとっている一夏に訊ねられ、弾は思わずハッとした。どうやら目の前の親友に心配をかけてしまっていたらしい。弾らしくない失態だった。

 

(これは俺の問題……一夏を巻き込むわけにはいかねえってのに悟られちまうとは……俺もまだまだだぜ)

 

日頃からポーカーフェイスを心掛けている弾は、すぐさま表情をいつものように修正し、一夏に向き直った。

 

「あー、いや、気にするな。大した問題じゃない」

「そうか? 早く食べないと時間なくなるぞ?」

 

弾の考えなど何も知らない一夏は、呑気に箸を動かしている。それを見て静かに苦笑する弾。その目は優しかった。

 

「なあ一夏、そういえばデュノアのお坊ちゃんはどうした?」

「お坊ちゃん?」

「なんだ一夏。知らなかったのか? デュノアって言えばフランスで有名なISメーカーだぜ?」

 

弾の言葉に、目を丸くして箸を止める一夏。

デュノア社とは、フランスに本社を置く企業であり、近年IS関連事業において目覚ましい業績を上げている。ここIS学園でもラファール・リヴァイヴという量産機が一部採用されており、同機のシェアは世界第三位を誇る。少なくともIS界隈に身を置く人間にとって、その名を知らぬ者はモグリやにわかと謗られても仕方ない程度には有名企業である。

 

「へえー。そりゃ初耳だ」

「リアクション薄いな。もっと驚けよ。せめて服が弾け飛ぶくらいの気概を見せろよ」

「驚く度に裸になってたまるかよ。ナニ立てジャパンや食ナニのソーマみたいな期待を俺にかけるな」

「仕方ねえな。手本を見せてやんよ。この俺が」

「やめろ! マジで出来そうだからやめろ!」

 

いつもの会話。変わり映えの無い日常。こんな日々がいつまでも続くと、五反田弾は、そう思っていた。否、願っていた。

 

「それで、シャルル王子はどうしたんだよ」

「シャルルなら朝は弱いから後で来るんだとさ。というか王子って何だよ」

「女子たちの間で出回ってるシャルル・デュノアの呼び名だ」

「マジかよ。王子なんていうクソダサいあだ名つけるやつってマジでいるのか。あと朝っぱらから一度にたくさんの新情報が入ってきて混乱しそう」

 

雑談を交えながら、朝食を咀嚼していく。弾はオムレツを口に放り込み、あまりの甘みの無さに思わずむっと表情を顰めた。五反田弾は甘い玉子焼きを好むのだ。なぜそれが分からないのか。仮にオムレツだとしても、それは変わらない。甘みがあれば許すのだ。寛大な処置だというのに、なぜそれが分からないのか。弾には不思議で仕方なかった。

 

「よっしゃ! じゃあそんな脳内キャパが新OSを使えない老害レベルなワンサマー氏にさらなる新情報だ! 混乱の渦にたたき込んでやるぜ!」

「おいやめろ」

 

弾はやれやれと言ったように手を広げ、首を横に振った。その顔は凄まじくドヤ顔だった。

 

「やめ

 

 

 なーい」

 

「おう弾てめえいつになく腹立つじゃねえかおい」

「まあ落ち着け一夏。とりあえずこれだけは忘れるな。デュノア社とか激ダサニックネームis王子については忘れてもいいがこれだけは忘れるな」

 

弾はチキンライスに刺さっている旗を抜き、どこか様になっている動作で一夏に向けた。

 

「あいつは何かを隠している可能性が高い。気を付けろ」

 

重圧感すら感じさせる弾の視線が真っ直ぐに一夏を射抜く。突然の忠告にぽかんと呆ける一夏。

 

「気を付けろって……どういうことだ?」

 

未だ状況を飲み込めていない一夏に対し、弾は顔を寄せ、周囲に聞かれないように声量を落とした。

 

「あくまで噂だが、シャルル・デュノアが二人目の男性操縦者だと判明した際、報道機関に圧力が掛かったらしい。そのせいか、実はフランスではあいつの存在自体、そこまでメジャーじゃねえんだ」

「……その噂って、どれくらい信用できるんだ?」

「分からん。が、実際今フランスにいる俺の仲間(ギルメン)のエージェントに聞いたところによると、シャルルについては初耳だと言っていた。念のため現地にいる他の人間にも確認を取ってもらったんだが、ネットでそういう話がチラホラ出てるって程度で、テレビも新聞も何も言っていないらしい」

 

弾の言葉に、表情をこわばらせる一夏。ごくりと喉仏が上下した。

 

さらに件のエージェントことコードネーム〈god_rope_prpr〉によると、ここ最近デュノア社の株は少しずつ下落しているとのこと。他社と比べて第三世代型の開発が遅れていることが原因だとされているが、それはともかくとして、現状を鑑みるに、男性操縦者というビッグニュースを使って何もアピールしないというのは不自然だという。

 

「──というわけだ」

「なるほどな……」

 

弾は仲間から得た情報を矢継ぎ早に一夏に伝えた。弾の気迫に釣られたのか、一夏もまた神妙な表情で頷いている。

 

「それで弾」

「なんだ?」

 

互いに真剣そのもの。声を顰め、周囲を伺う。やがて一夏は意を決したように口を開いた。

 

「……その話が事実だったら、何がどうなるんだ?」

 

弾は考えた。ここでどの程度一夏に話して良いのだろうかと。あまり多くを話すと、一夏に本格的に危険が及んでしまうのではないか。目の前の親友を見つめる。果たして自分はどのような選択をすべきなのか。

 

「……もし事実だったら」

 

ごくりと唾をのむ一夏。氷の入ったグラスが涼しげな音を立てる。

 

「事実だったら……?」

 

手に持った旗を徐にトレイに置く。肘をつき、顔の前で両手を組んだ。

 

「事実だったら……」

 

周囲の雑音が遠ざかる。弾の言葉に集中する一夏。やがて弾は一度目を伏せ、ゆっくりとその瞼を開いた。

 

「───ヤバイことになる。これだけはたしかだ」

 

親友に嘘をつきたくない。何より一夏の目を見ればわかる。これは覚悟をした者の目だ。戦士の眼光だ。嘘で誤魔化すことなど許されない。自分の考えを全て伝えよう。その上で親友の判断を尊重、リスペクトしよう。これが五反田弾の選択だった。

 

「ヤバイ、こと……!?」

 

弾から告げられたあまりにも衝撃的な事実に、一夏は思わず目を見開いた。

 

「ヤバイことって……ヤバいことって何だよ! なあ弾! 答えてくれよ!」

 

一夏の悲鳴にも似た悲痛な叫び。絞り出すように吐き出されたそれに、弾は苦悶の表情を浮かべ、トレイに置いた旗を見た。その先端にはチキンライスの色が付いていた。

 

「ヤバいことは……ヤバいことだろ……! 何かを隠してるんだぞ!? それって……ヤバいだろ……っ!」

「そんな……っ、なんで、そんなヤバいことが……!」

 

思わず頭を抱え、テーブルに突っ伏す一夏。そんな一夏の肩に、弾は徐に手を置いた。

 

「一夏、たしかにヤバいことにはなるが……」

 

ニヤリと笑う弾。ニヒルに歪められた口元から八重歯が覗く。

 

「まだ、どれくらいヤバイかは決まってないぜ?」

「だ、弾! それって……!」

「ああ。もしかしたら、多少ヤバイで済むかもしれねえ」

 

一夏の目に希望の光がともる。たしかに弾の言う通り、未だどれくらいヤバくなるかは分かっていない。しかしそうはいっても、本当に『多少ヤバイ』で済むかは分からない。割とヤバイかもしれないし、結構ヤバイかもしれない。所詮は希望的観測だった。

 

そしてそれが分からぬ一夏ではない。一夏は、きっと目の前の親友は自分を励まそうとしているのだと思った。単純に都合の良い可能性を述べて、少しでも前向きに事を見つめようと言いたいのだと、そう思った。

 

しかし五反田弾は、一夏の予想を軽々と裏切ってみせる。

 

「だからお前が何とかするんだ一夏。数多の選択肢を乗り越えて、多少ヤバかったで終わるハッピーエンドまでの道を、お前の力で切り拓くんだ!」

 

弾の力強い言葉に、思わずハッとする一夏。そうだ、何を弱気になっている。未来がどうなるのか分からないのであれば、望む未来のために力を尽くせばいい。

 

「弾……ああっ! 俺、やるよ! 多少ヤバかったなって、みんなで笑いあえるように!」

 

互いに微笑み合う二人。いつしか二人の手はしっかりと繋がれていた。

 

「さて弾、そろそろ冗談は終わりにするとして」

「おう」

「結局よく分かってないんだな?」

「おう」

「しかしシャルルが何かを隠しているのは事実だと」

「おう」

「一体何を隠してるんだろうな……」

「おう?」

「ああ、分かってる。何か起きてからじゃ遅いからな。なるべく注意するよ」

「おう!」

 

トレイに置いた旗を手に取り、くるくると弄ぶ弾。くるくると安っぽい紙が風を切る。

 

(ふっ、成長したな、一夏)

 

頼もしく頷く一夏に、弾は安心したように息をついた。かつてのヒヨッコだった一夏は、いつの間にか自分の手元を離れようとしている。師匠としては嬉しく思うべきなのかもしれないが、どこか一抹の寂しさに似たものを感じるのもまた事実だった。

 

(今のお前になら、話せるかもしれねえな)

 

今朝、弾を悩ませた二つの選択肢。二者択一。どちらを取るべきか。弾は答えを出せないでいた。

 

「なあ一夏。話は変わるが、ちょいと相談があってな」

 

今の親友なら、答えに至るための何かをくれるかもれない。

 

「お前の目の前に二つの選択肢があったとする。片方はかつて通った道。もう片方は未知の道だ」

「未知の道って言いたかっただけじゃ」

「黙れ。選べるのはどちらか一方のみ。お前ならどっちを選ぶ?」

 

うんうんと悩む素振りなど一切見せず、一夏は間の抜けた面でこれまた危機感ゼロの回答を口にした。

 

「詳しくは分かんないけど、そんなの、未知の道だろ。だって一度通ったんならどんな結果になるかも分かってるんだし」

 

一夏のあまりにも事態を軽く見た回答に、思わず舌打ちしたくなる気持ちを抑えつける弾。やはり一夏にはまだ早かったかという考えが浮かぶが、同時に自身の言葉を顧みて、些か説明が不足していたかもしれないと思い直す。

 

「すまん。言葉が足りなかったな。正確には、『かつて同じような道を通った』って感じだ。つまりどんな結果になるかはある程度は予測できるが、僅かながらに裏切られる可能性も秘めている」

「なるほどな。俺としては一生秘めたままでいてもらって構わな」

「黙れ。それで、お前ならどっちを選ぶ?」

 

今度はきちんとうんうんと悩む、などということもなく、再度あからさまに浅慮な回答を口にした。

 

「まあ、俺ならやっぱ未知の道かなあ」

「浅はかアアアッ! 浅はかだぞオオオ一夏アアアアアッ! お前、この選択がどれほど重要なものか……」

「なあ弾」

 

旗をぶんぶん振りながら激昂する弾を諌めるように、冷静な一夏の声が弾の言葉の熱に水を差す。

 

「な、なんだよ?」

「男はさ……」

 

一夏は弾に向けて微笑んだ。その微笑は適当さにあふれていた。

 

「男は度胸。何でも試してみるもんだろ?」

 

その言葉に、思わずハッとする弾。目を見開く弾の手から安っぽい旗が滑り落ちる。

 

(俺は、恐れていたのか?)

 

未知の領域。今まで踏み入れたことの無い道に、自分は恐れていたのかもしれない。そして目の前の親友は、そんな自分の内心を見透かしていたのかもしれない。今足りない物は度胸だと。何でも試してみるフロンティアスピリッツだと。

そしてこの恐怖という感情に気付かせてくれた。一夏に話して良かった。やはり己の目に狂いは無かった。弾はそう思うと、とうとう笑いをこらえきれなかった。

 

「クククク……ハハハハハッ! あー、なるほど。なるほどなあ。いや、さすが一夏だぜ。まさかお前にそんな基本的なことを気付かされるとはなあ」

「度胸で即決が基本って相当ヤバい世界だけどな」

「サンキューな一夏。お前のおかげで俺の選ぶべき道が見えてきた気がするぜ。お前は俺に天啓をくれた。まさしく神に等しい」

 

ニカッと眩い笑顔の弾。引き気味に冷や汗な一夏。

 

「お、おおう。なんかそんな清々しく突き抜けた笑顔で言われるとちょっと不安になってくるな。とりあえず他の人の意見も聞いてくれ」

「わかったぜ! 一夏神が言うなら間違いないぜ! さすが俺と将来(プリキュアになること)を誓い合っただけのことはあるぜ!」

「待って」

「いいや待たないね!」

 

弾の瞳は少年のようにキラキラ輝いている。一夏の瞳は狂気を感じさせる親友に動揺している。

 

「さっそく神の言うこと無視してんじゃ」

「お黙れ。ヒャッホオウ! 俺は他の人の意見を聞くぜぇ! 待っててくれよな、みんな!」

 

言葉の頭に『お』をつけることは相手への敬意を表す。神への敬意を忘れない、五反田弾は信心深い男だった。

既に空になった皿が乗ったトレイを返却カウンターにぶん投げてシュート。せずに、落ち着いた動作でトレイを置く。五反田弾は礼儀正しい男なのだ。そして軽い足取りで校舎へと向かった。

 

 

「初日以降妙に大人しい(シリアスが多い)と思ったら……ついに発作が来たか」

「あれって絶対周りが困ってるのを見て楽しんでるだけよね。あ、一夏。口元にソース着いてる。動かないでね」

「んっ……悪いな。まあ、退屈しないし俺は結構好きだけどな」

「あんたのそのメンタル何なのよ。仏? それはそうと最近ユウと何かあった?」

「さーて、俺もそろそろ教室に」

「一夏? あたしも仏メンタルなつもりだけど仏の顔も三度までよ? もう一度聞くわ。ユウと何かあった?」

 

 

もしかしたらあの男は、ただ単にこの危機を察知して適当に理由をつけて逃げただけなのかもしれない。薄れゆく平穏の中で一夏はそう思った。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

時に、「朝に弱い」という言葉の対義語は何だろうか。「夜に強い」だろうか。それは何とも卑猥だ。

五反田弾はそんなことを一人静かに考えながら校舎の入り口に辿り着いた。

IS学園。本来ならば女子生徒しかいないはずのこの学園に、しかし今は3人の男子生徒が在籍している。そして何を隠そう、五反田弾もまたその選ばれし三傑の一人なのだ。

 

「今日もいい校舎だ。特にこの自動ドアの灰色のボタン的シールが何ともセクシーで」

「閣下? どうなされたのですか?」

 

じっとドアを観察していた弾の背後から、堅苦しい口調が飛んでくる。振り返らずとも弾には分かった。五反田弾は多少付き合いの長い相手なら、わざわざ振り返らずとも声と話し方だけで大体誰か分かるのだ。その的中率は6割5分を誇る。

 

「ラウラか。いや、ちょっと自動ドアの灰色のやつをな……」

 

弾は振り返らずに、灰色のやつの周辺ををゆっくりと撫でまわした。扉そのものにシールか何かを張り付けただけにも見えるそれは、扉との境界を一切感じさせない。まるでどこぞの中華娘のようなフラット感。灰色の部分に触れてしまうと扉が開いてしまう。

しかし五反田弾はそんじょそこらの灰色のやつ撫でシストではない。凸凹が無いせいでほんの数センチ指先がずれると扉が開いてしまうのだが、弾のテクニシャンな指先はそれを許さない。絶妙な縁撫(ふちなで)力を発揮する。

 

一通り堪能したのか、或いは弾の周囲を迷惑そうに避けていく生徒達に慈悲の心を示したのか、弾はついに振り返った。

 

(こいつはラウラ・ボーデヴィッヒ。銀髪で、眼帯の下にオッドアイの魔眼を持つ。ドイツ軍の重鎮にして、近接遠距離なんでもござれな凄腕の戦士だ。しかし一方で、生来の素直な性根のせいか、非常に騙されやすいところもある。ラウラの部下であるクラリッサという女は、よくラウラに日本の間違った文化を吹き込んでいた。そのせいかラウラは未だに、サンタクロースは実在しており、その正体はニンジャだという話を信じている。誰か訂正してやれ。そしてなぜか俺のことを閣下と呼ぶ。一体なぜなんだ? 俺が指示したからか? 一体なぜ俺は閣下と呼ばれているんだ……分からない……。俺が指示したからなのか? プリキュアではない)

 

弾の視線の先には、小柄な体躯に武骨な眼帯。そして雪のような白い肌によく映える銀髪が煌めいていた。

目と目が合う。そして互いに爽やかに微笑み合った。

 

「煩わしい太陽ですね、閣下」

「ふっ、蒼い空の下で咲く一輪の花の調べ(こんにちは。いいお天気ですね)」

 

軽い挨拶を交わし、ゆったりとした足取りで校内へと進む。

 

「体調はどうだ?」

「もう大丈夫です。VTシステムの後遺症も特にありません」

 

朝の校舎。独特の喧騒と空気感。日差しが窓から差し込み、慌ただしく歩む生徒達を白く照らす。こうしてのんびりと廊下を歩いている間にも数多の生徒達が弾とラウラを通り過ぎていく。

 

「その……先日は申し訳ありませんでした。閣下にお見苦しいものをお見せしただけではなく、閣下のご友人にも刃を向けてしまって……」

 

俯くラウラ。いつにもましてどこか小さく見える少女に、弾はアメリカのホームドラマに登場する人物のように、大げさに肩をすくめた。そして片目を閉じ、鼻からため息をつく。口の端がドヤっと吊り上がっている。

 

「気にするな。誰もお前を責めちゃいない。むしろユウなんて、なぜか一夏のことを睨んでたからなあ」

 

五反田弾の観察眼は鋭い。卓越した洞察力で全てを見抜くのだ。

 

「そういえばラウラ、ちょっと相談があるんだが」

「相談、ですか?…………ん?」

 

きょとんと小首を傾げ、弾を見上げるラウラだったが、しばらく静止したかと思うと、今度はみるみるその表情が驚愕に染まっていく。

 

「閣下が……私に……相談……? 命令などではなく、相談!?」

 

小首を傾げたまま口をあんぐりと開け、目を大きく見開くラウラ。背景で雷がゴロゴロピシャーとなるほどの衝撃だった。

 

「そうなんだ。相談だ」

「わ、私で良ければお聞きします! 閣下の御信頼に全身全霊で応えて見せます!」

 

何気に韻を踏んだことをスルーされ、弾は深い悲しみに包まれた。しかしそれは一旦さておき、ぴょんぴょこ元気に跳ねるラウラを見て、弾は何と声をかけようか逡巡する。静かに目を閉じ、内なる己に語りかけた。一体この少女に何と言って伝えようかと。

 

「ラウラ、人は皆、何か困難に立ち向かっていく。それを打倒せんと、知恵を絞り、力を尽くす。しかしそれでも敵わない時もあるだろう。乗り越えられなかった困難。その先に待つのは屈辱だ」

 

ゆっくりと目を開き、無駄に流し目でラウラを見つめる。

 

「ラウラ。お前はそれを良しとするか?」

 

弾の問いに、ラウラは真剣な表情で唸った。そこに適当さは無い。ただ己が敬愛する師の問いかけに誠実に向き合う。清廉とした精神がなせる業である。

 

「そうならないために全力を尽くすのは当然ですが、万が一目標達成に至らなかった場合、そのこと自体を責めても仕方ありません。むしろ、そこからどうするかを考えます。結果の是非を問うのは全てが終わった後です」

「なるほど。起きちまったことは仕方ねえ。だからさっさと切り替えるってことか」

「端的に言うとそういうことです。お役に立てましたか?」

「いや別に」

「それならよか……えっ、あ、そ、そうで、すか……」

 

それはそうである。良し悪しを問うているにもかかわらず、良し悪しなど考えないと返されれば、お役に立てるはずがない。

 

目に見えて落ち込むラウラ。しょぼくれたあまり、先程と比して尚、よりその姿は小さく見える。

どんよりと力のない足取りで自分の教室を目指すラウラを、弾は敬礼しながら見送った。その表情は、まるで殉職した軍人を見送る上官のようであった。

 

「強く生きろ。ラウラ……!」

 

『お前が言うな!』

 

同じ廊下にいた生徒達の心が一つになった瞬間だった。

 

「ハハハ。こりゃ参ったね」

 

こつんと額に拳を当てる動作と共に、廊下は再び怒りで支配された。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

教室に入った弾は、ちらりと時計を見た。まだHRまで幾ばくかの余裕がある。

 

「セシリアアアアアッ!」

「はいいいいいいいっ!?」

 

(こいつはセシリア・オルコット。パツキンのチャンネーでガイジンサンだ。割と良いヤツでスーパーブルジョワジーだが根はちょろくて騙されやすい。そしてちょろいくせにプライドが高くて目立ちたがり屋。入学早々一夏と対立し、対立は惚れるフラグなので恐らく既に一夏ハーレムの一員。このクラスの代表であり、実は対抗戦の実質的優勝者でもある。いろいろあって対抗戦自体は有耶無耶になってしまったが。物語後半から第三のプリキュアとして覚醒。俺たちと共に戦う)

 

バンッと音を立て、教室にあるとある机に勢い良く手を突く弾。その机の主は、金の髪をカールさせたお嬢様ドリルヘアーだった。あまりの剣幕にあからさまに怯えるセシリアを見て、弾は今自分がやってしまったことを思い知った。そして今度は、目の前で怯えているセシリアを落ち着かせるために、弾はどうするべきかと考えた。

 

考えただけだった。

 

「さてセシリア」

「な、なんでしょう……?」

 

びくびくとしながらも、弾の目を見てきちんと対応する辺り、さすがは英国貴族だ。若干涙目になったセシリアの目を弾もまたじっと見つめる。

 

「セシリア……俺の言いたいこと、もう分かってるよな?」

「えっ、それって……」

 

真剣な眼差しの弾に、セシリアはどきりと胸を弾ませた。頬が赤く染まり、もじもじと手を組みかえる。

 

「も、もうっ! からかわないでくださいまし!」

「セシリア、俺本気なんだ……」

「ふぇっ!? お、お気持ちは嬉しいのですが、まだ心の準備が」

「本気で相談があるんだ!」

「ひぅっ!?」

 

再度バンバンと机を叩く弾。どうやら気に入ったらしい。机を叩く度、セシリアがびくりと震え、セシリアのカールしたドリルヘアーもまたびくびく揺れる。

 

「そ、相談? わたくしに、ですか?」

「そうなんだ。相談だ」

「えっと、それだけ……でしょうか?」

「…………それだけ、だ」

「あ、あはは……その、どういった、ご相談ですか?」

 

微妙に噛み合っているようで噛み合っていない会話。

 

なんだかんだ夢見る乙女なセシリアは肩透かしをくらったような気分になりながらも、何とか会話を繋ぐ。ただの相談だけ。一瞬妙な期待感にそわそわしていた自分が恥ずかしく、そして虚しい。その背中は僅かに煤けていた。

 

一方で弾は再び押韻をスルーされ、またしても深い悲しみに包まれていた。それどころか、何気なくかました一撃に対し、急所を抉り取るような壮絶なカウンターを返され、弾は失意の中、自分の髪が真っ白になって行くような錯覚に陥っていた。想像してほしい。ほんの思い付きで口にしたジョークを、「え、それだけ?」で一蹴されてしまった時の気持ちを。しかもその後、「あ、あはは。まあ、それはさておき……」的な感じで、まるで慰めるかのような渇いた笑いと共に軽く流された時の気持ちを。

 

「……? 弾さん、今泣いて……」

「な、泣いてなんかないやい!」

 

男の子は泣かない。何故なら男の子だから。

 

居たたまれない空気を払拭するかのように、弾は一度深呼吸をしてから再び本題を切り出した。

 

「セシリア。仮に、仮にだ。お前に愛した女がいたとしよう。そいつは全く異なる文化の下で、全く異なる価値観を持って生活してきた。食べるものも、髪や肌の色だって違う。ルーツだって違う。お前なら……そいつを理解し、受け入れることができるか?」

 

セシリアは一瞬、弾が何を言っているのか掴み損ねていたが、ややあって、その白い肌は茹蛸の様に紅く染まっていった。今にも湯気が上がりそうなセシリアを前に、弾は依然として真剣な眼差しを送っている。妙な緊迫感が支配する二人の間に、ぽつりと言葉が零れた。

 

「わたくしなら……」

 

ゆっくりと、丁寧に、取り落とさないように言葉を紡ぐ。

 

「わたくしなら、それでも受け入れ、理解しようとしますわ」

 

セシリアの言葉に、弾は一瞬驚いたように目を丸くした。

 

「ほう。何故だ? 価値観はおろか、ろくにコミュニケーションが成り立つかもわからないのに」

「そうですわね。例えば、欧州の島国と、極東の島国。同じ島国なのに、言葉も文化も料理も髪も肌も、何もかも異なります」

「それって……」

「それでも!」

 

弾の言葉を遮るように、セシリアは弾む声で言った。ふわりと、柔らかい笑みを浮かべて。

 

「それでも、今こうして、わたくし達は同じ場所、同じ時を過ごしています。自分と違う、異なる存在だからといって切り捨てなければならないほど、この世界は意地悪ではありませんわ」

 

弾は静かに俯き、佇んでいる。セシリアの言葉を噛み締めるように、何かを考え込むように。やがて顔を上げセシリアを真っ直ぐと見据えた。何かを決意した漢の顔が、そこにはあった。

 

「ありがとう。セシリア。お前のおかげで、決心が着いたよ」

 

ずっと弾を縛り付けてきた難問。

 

「俺は答えを得た」

 

弾は踵を返し、出口へと向かう。

 

「ちょ、ちょっと弾さん!? もうすぐHRが」

「俺、決めたんだ」

 

振り向く弾。憑き物が落ちたような、清々しい笑顔。

 

「セシリアのおかげだ。まさかお前があんなに……」

「弾さん……」

「あんなに、人外属性を推しているとは思わなかった」

「わたくしも……え、じ、人外?」

 

弾は自嘲気味に口の端を吊り上げ、ぽつりぽつりと語りだした。

 

「ずっと購入ボタンが押せなかった」

「こ、購入?」

「なかなか、新しい扉を開く勇気が無くて。でも俺、買うよ。セシリアが背中を押してくれた……モンスター娘とイチャラブちゅっちゅするゲーム」

 

弾は当初、既にアニメ化や漫画化といったメディアミックスが展開されている作品を買おうとしていた。しかしネトゲ仲間からの勧めで、とある作品も購入候補に入れていたのだ。しかしその作品は今までやったことの無いジャンル。そして財布の都合上、選べるのはどちらか一方のみ。

 

だが弾は決めたのだ。未知なる道を進むと。モンスター娘に逆【ピー】プされると!

 

 

「だから一緒にやろうな! もんむすクエスト!」

 

 

飛び切りのサムズアップ。親指を立て、ばちこーんとウインク。コミカルな仕草を呆然とするセシリアに見せつけ、弾は教室を飛び出した。

 

 

 

 

 

結局、弾がただ単にゲームを買おうとしていただけだと気付くのに数分。セシリアの背中は今度こそ煤けていた。

ちなみに弾からの質問がそもそもの前提からしてずれていたことと、弾が買おうと言ったのが所謂工口ゲーだということに、セシリアは最後まで気づかなかった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

「あ、山田先生」

「おはようございます、五反田君。そろそろHR始まりますよ?」

「すいません、今日はちょっと……」

「ど、どうしたんですか? 何か具合でも……」

「はい。男の子の日なので」

「お、男の子の日?」

「そうなんです。もう3日目なんで辛くて辛くて」

「わ、分かりました! 織斑先生には私から伝えておきます!」

 

余談だが、この後山田真耶は織斑千冬を最も困惑させた女として、IS学園史にその名を刻むことになる。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

寮に戻り、ネットでの購入手続きを済ませた弾は、特にすることも無く、学園内を散策していた。

 

「欠席ではなく遅刻にしておくべきだったか……」

 

途中で副担任である山田真耶とすれ違った際、とっさに欠席だと言ってしまったことを、弾は今更になって僅かに後悔していた。とはいえ想像していた以上に暇を持て余した弾だったが、一方でみんなが授業を受けている瞬間に、自分は同じ学園内にいながらもその輪から逸脱しているという、ある種特別な時間を満喫していた。

 

「お、あそこにいるのは……」

 

どうやらこの特別な瞬間を享受していたのは自分だけではなかったようだ。

弾は見覚えのある後ろ姿に向かって声を投げかけた。

 

「ユウ。こんなところで何してんだ?」

「……五反田くんこそ、どうしたの?」

 

黒髪が揺れる。弾の目線の先にいる女子生徒はゆっくりと振り返った。何かめんどくさいものを見つけてしまったような声色と、何かめんどくさいものを見つけてしまったような表情で。しかしそれも一瞬のこと。ふと見れば、いつもの優等生で優しそうな少女がそこにいた。

 

(八神優。黒髪赤目でスタイルも悪くない美少女という、ヒロインも主人公もこなせそうな外見スペックと「委員長()()()」「()()優等生」「()()に抜けた部分()ある」というなかなか煮え切らない中途半端なキャラを持つ。言動や口調に特徴が無い。キャラが薄いとか立っていないというより、微妙に立ち切っていない。ゲームで例えるならば、メインでもなければサブにもなり切れず、かといって見た目は間違いなくメイン級なのでモブにしておくこともできず、扱いに困った結果そもそも登場しない又はレジェンド的な扱いになるキャラ。もっとガツガツお節介を焼いたり、プライドが高いトップといった方向に突き抜けるか、あるいは何かしらのデカいギャップが欲しいところ。実は一夏というビッグニュースの陰に隠れがちだが、ユウの見た目や戦う姿を見た者、あるいは少し抜けた部分が顕わになったせいか、中学時代同様、既に一定数のシンパがいる。しかし中学時代同様、本人は何も知らないのでユウのキャラ構築に何も寄与していない。いずれ俺と一夏に変身アイテムを授ける役目を持つイケメンマスコットポジション)

 

「俺の方は野暮用でな。そっちは?」

「うーん、じゃあ私の方も野暮用かな」

 

そう言ってにこにこと微笑む優。しかし弾には分かってしまう。日頃からポーカーフェイスを嗜む弾は分かってしまうのだ。その笑顔の裏に何かがあることが。

 

「……野暮用ってのは、対抗戦の件に何か関係あるのか?」

「…………………」

 

一瞬、優の目元がぴくりと動く。当てたとまでは行かずとも、かすりはしたようだ。

 

「そういえばあの時……ユウの動き、おかしかったな」

「……よく見てるね」

 

今度こそ引き当てたようだ。優の笑みに観念したような色が差す。隠し事がバレたとでも言わんばかりに、優はため息をついた。

 

「まあ、ちょっとISを検査に出しただけだよ。何か不調っぽかったし。業者の人がこの時間帯に来るっていうから、先生に言って遅刻させてもらったってわけ」

「……そうか」

 

そう口にする優の表情は、やはりどこか陰がある。まだ何かあるんじゃないのかとも思う弾だったが、さすがにそこまで野暮にはなれなかった。彼女の抱えている物を引っ張りだすのは自分の役目ではない。それよりも弾には確かめなければならないことがあるのだ。

 

「なあユウ、最近一夏とはどうなんだ?」

「え゛っ……いや、ど、どうって何が?」

「そのまんまの意味だ」

「いやいや、だからどうって聞かれても……特に変わったことは無いよ。いつも通り」

 

唐突な質問に一瞬ぎょっとする優だったが、二言目には平静を装い、いつもの朗らかな彼女に戻る。

 

弾は、自分の親友が目の前の女子生徒に懐いているのを知っていた。否、それは懐くというより、依存と執着と憧憬がごちゃ混ぜになった、歪な何かであることを知っていた。

弾が内心で密かに「微妙にキャラが立ち切ってない」と評するこの少女にこそ、織斑一夏は特別な感情を向けている。命の恩人であるこの少女に。

 

そして彼女はその歪さに、何となくではあるものの気付き始めているのではないか。

 

「なあ、ユウ」

 

だからだろうか。

 

「一夏のこと……」

 

前を向いたまま、隣の少女には目を向けず、

 

「……いや、すまん。やめとく。ただ、アイツは悪いヤツじゃない」

 

柄にもなく、そんなことを言ってしまったのは。

 

 

 

 

「……分かってるよ。そんなこと」

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

 

「ラファールはこれで全てですね?」

「はい。ありがとうございました」

「いえいえ、これが私達の仕事ですから」

「では駅までお見送りさせていただきます」

「あー、いえ、送るのは他のメンバーだけで結構です。私にはまだやる事が残っていますので」

「やる事、ですか?」

「はい。弊社のテストパイロットであり、我が国の代表候補生であるシャルル様の専用機のメンテナンスも指示されておりまして」

「あ、でしたら今放送を……」

「あー、いえ、本人と直接連絡を取りますので結構です」

「……? はあ、そうですか?」

 

学園内にあるデュノア社製の機体を全て整備し終えたメンテナンスチームは、一人を除き、IS学園の職員と数名の警備員によって外へ連れ出された。警備上の都合か、基本的にIS学園の出入りについてはこのように監視が付けられる。本人たちはあくまで『見送り』と言い張るのだろうが、疚しいところのある者からすれば監視以外の何物でもなかった。

 

(メンテナンスチーム、ねえ。本物は今頃、海の底だろうさ)

 

そしてその疚しいところのあるオータムからしてみれば、いつ自分がボロを出さないか不安で不安で仕方なかった。変装用の眼鏡を、中指で小さく持ち上げる。

 

「とりあえず移動すっか」

 

オータムは校舎の中へと、まるで馴染みの喫茶店の扉を開く常連客のように、淀みの無い足取りで侵入した。周囲に全く違和感を抱かせない身のこなし。まるで彼女がそこに居るのが当たり前であるかのような錯覚すら覚える。

 

「さーて、下見下見っと」

 

気怠げな声でそう言う彼女の姿は、先程までの理知的なキャリアウーマンの面影など欠片も無い。まるで休日に散歩でもしているかのように、気負わず、適当で、されどその眼光は、塵一つ見逃さないと言わんばかりに鋭く尖っていた。

 

(しっかし授業中とはいえ、不用心すぎだろ)

 

校舎からは人の気配はしているというのに、廊下には一向に人影が見当たらない。監視カメラの類は確かに作動しているが、変装しているオータムには怖くもなんともなかった。

 

「こりゃ、思ったより早く終わりそうだ」

 

などと呟いた、その時だった。

 

「そういえばセシリアのやつ、あれで案外人外属性もいけるみたいだぞ」

「人外!? あ、いや、えーっと、まあ意味は良く分からないけど、それは何と言うか、すごいね」

 

曲がり角の先から人の気配。男子生徒と女子生徒が一人ずつ。どこかで聞き覚えのあるような気がするその声に、オータムは僅かに眉を顰めるも、それよりも先に今どうするべきかを考えるべく頭を回転させた。オータムは一瞬迷いながら、今の自分の姿と肩書を思い出し、敢えて隠れずにやり過ごすことを選ぶ。ポケットから小さな鏡を取り出し、軽く確認。

 

(よし。どっからどう見てもただの会社員だ)

 

特に歩調は変えず、早すぎず、遅すぎず、あくまで自然体で廊下を進む。曲がり角まであと15秒。14秒。13秒。

 

そしてついに、声の主達が姿を現した。

 

(……ん?)

 

淀みなく前後していた足が動かなくなる。思わず立ち止まり、凝視する。

 

「そういえばユウ、お前マジで最近一夏と何かあっただろ。多分昨日かそれくらいに」

「いやー……何も、無いよ?」

 

二人はまだオータムに気付いていない。しかしオータムは二人に気付いていた。

 

(───ああああああああああああああああっ!!!!)

 

二人の正体に、気付いていた。

 

「お前らに何かあったことくらい、一夏と鈴を見ていれば分かる」

「あはは。そこは私じゃないんだね」

「まあユウの一夏への対応も最近なんか棘があると思わなくも……お?」

 

二人を凝視しながら立ち竦むオータムに、ついに当の二人が気付いた。それはそうだろう。見慣れない女性が自分達を睨み付けるようにして目の前に立っていたら、誰だって訝しむ。

 

(ってしまった! なんでサクッとやり過ごさねえんだよ私!)

 

内心で小さく舌打ち。しかし時既に遅し。弾も優も、二人そろって見慣れない侵入者へと視線を向けている。侵入者は自身の任務失敗を悟った。

 

「あの、何かご用ですか?」

 

女子生徒の方がおずおずと口を開く。オータムは知っている。この女がISの操縦者であることを。かつて自分の前に立ちふさがり、盛大にコケにしてくれたことを。

 

(落ち着け。まだバレたとは限らねえ)

 

オータムは今変装している。もし仮にオータムの正体に気付いたのだとしたら、わざわざこんな問答などせずにすぐさまISを展開すればいい。正体がバレてしまったと決めつけるには些か早いのではないか。

 

オータムは思考を切り替えると、まるでオフィスの受付嬢の様な満面の営業スマイルを浮かべた。

 

「ああ、いえ。すみません。あまりにもお美しい方でしたので、思わず見惚れてしまっていたのです」

 

嘘は言っていなかった。実際オータムの美的感覚に言わせれば、目の前の女子生徒は相当美人な部類に入る。同性愛趣味を持ち合わせいるオータムにとっては、2年前の出来事さえなければ十分すぎるほどにストライクゾーンだった。

 

「ほう。貴様なかなか見る目があるな。俺の美しさに気付くとは」

 

だが何故かレスポンスは別方向から返ってくる。投げたボールが同じ方向から返ってくるとは限らないのだ。営業スマイルで塗り固められた顔面を、ぎこちなくもう一人の男子生徒へと向ける。その男子生徒は、なぜか不敵な笑みを浮かべていた。

 

「そ、そういえばIS学園に男子生徒がいるとは聞いていましたが……」

「あー、皆まで言うな皆まで言うな。分かってる。ま、俺にとっては日常?みたいな感じだから」

 

突然何を言いだすのかこの男は。脳内が疑問符で埋め尽くされるオータムに、弾は精一杯のキメ顔を向ける。

 

「分かる分かる。目と目が合う瞬間好きだと気付いちまったんだろ? 俺の溢れ出るキケンな香りに抗いきれなかったんだろ? 目を見れば分かるぜ? ま、俺にとっては日常?みたいな感じだから」

 

何を言っているのか理解できなかったオータム。しかし、

 

(ま、まさか──っ!)

 

目の前の男のバカにしたようなキメ顔を見て、脳裏に電撃が走ったような錯覚を覚えた。

 

(目が合う、気づく、危険、分かる……まさかこいつ……!)

 

断片的な単語が繋がり、オータムの残念な脳細胞が一つの答えを描く。

 

(気付いてる! 私の正体に気付いてやがる!)

 

愕然と固まるオータム。目の前の男は全て分かっている。それを暗に示され、もはやどうしたらいいのか分からなかった。

 

「五反田くん、この人は五反田くん慣れしてないんだから、もう少し手加減を」

「うるさ~い! 黙れ~~! 今もそしてこれからも俺のターンだ!」

 

オータムの様子を見て困惑していると思ったのか、弾を諌めるように、弾とオータムの間に立つ優。しかしそんな優をまるで軟体動物のような動きで躱すと再度オータムの目の前に現れる。

 

「ところで、お名前を伺ってもよろしいかな? お嬢さん(フロイライン)?」

 

(こ、こいつ……!)

 

オータムは確信した。もはやこの男には自分の素性も、全てがバレている。バレた上でバカにされているのだと。

 

オータム(autumn)は秋を意味する。そして秋を意味する単語はもう一つ、fall。この二つはイギリスとアメリカ、そして使用される場面という違いがある。そしてもう一つ、ルーツが異なるのだ。オータムはラテン語。そしてフォールはゲルマン。つまりドイツ語。そしてフロイラインとは、ドイツの未婚女性に対する敬称。そしてルーツとは即ち過去。自分達の因縁が生まれた2年前(過去)のことも気付いている。全部お見通しだと、その上でこの態度だと、そういうことなのだろう。考え過ぎである。

 

しかしどういうわけか、この男はここで事を荒立てるつもりは無いらしい。

 

「はあ……ま、いいや。私もう行くね? さすがにそろそろ行かないと怒られそうだし」

「あ、待て待て。俺も行くわ……っと、敢えて別れは言わないぜ、子猫ちゃん? 俺達は運命で結ばれている。またいずれ会うことになるだろう」

 

意味深なようで恐らく大した意味など無いセリフを残し、八神優と五反田弾は立ち去った。まるで嵐にでも遭遇したような面持ちで、オータムはため息をついた。

 

(何とかやり過ごした、のか?)

 

否、そうではないだろう。あの男はいずれまた会うと、そう言っていた。恐らく自分達がIS学園に奇襲を仕掛けようとしていることもお見通しなのだろう。もちろん勘違いである。

 

(となるとまさか……増援か!)

 

かの紅い死神はありとあらゆる策を弄すると聞く。きっと今までの振る舞いも策の内。自分はあの男に怯え、後手に回り、まんまと取り逃がしてしまった。既に策に嵌っていたのだ。

 

(今ここで引いて何をするつもりなのか、なんて決まっている。ここにはかの世界最強がいるんだからな……)

 

痛恨のミス。オータムの胸中にじわじわと暗い炎が広がる。かの死神への憎悪が、オータムの手をきつく握らせる。

 

(ここでビビって引けばあの男の思う壺だ。しかし後で攻めればブリュンヒルデも交えた万全の体制で迎え撃たれることになる。クソっ、紅い死神は健在ってわけか!)

 

引いてもダメ。しかしこの後では遅い。下見はまだ終わっていない。もしかしたら事前データに無い情報が現地にはあるかもしれない。隠し通路の類や、思わぬ死角など。慎重派なオータムの上司は、それを見越してオータムを派遣したのだが、

 

 

 

(だったら──!)

 

 

 

どうやら上司の考えは甘かったらしい。

 

 

 

「──今しかねえだろ!」

 

 

 

 

その日、IS学園は2つのテログループによって未曾有の危機に晒されることになる。




本作を何か勘違いしている方がいるかもしれないので言っておきますがね、この作品はたしかにまだ13話目ですけど、IDは4桁台です。
でも1話=5000文字として、各話平均があれだから、実質39話分書いたってことにはならないねそうだね。

5/21 修正 10話末「円夏」→「一夏」

いや、本当は修正するつもりなんて無かったんですけどね。キャラ増えちゃうし。でもやっぱ円夏をキーにするより遥かにそれっぽいんですよね。穴だらけには違いないんですけど、それでも多少はこっちの方がいいかなと。何の話かというと、一夏がISを動かせる理由です。

17/06/02 修正 シャルパパの正式名が原作にて公開されたため、準拠


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14前編

8月中ということは31でも2でも可能ということ。
今回は結構長い上になんかややこしくなってきたので、簡単に内容を要約します。
「問題が起きて、解決した」
以上です。


「何か欲しいものはあるかい?」

「何でも言ってね。お母さんもお父さんも、あなたのためなら何でもしてあげるから」

 

 

「……おそと、いきたい」

 

 

 

 

§

 

 

 

 

【09:25】

 

意味が分からなかった。

 

『緊急事態です。生徒の皆さんは落ち着いて教員の指示に従ってください。繰り返します──』

 

一瞬で日常が崩壊する感覚。俺はただ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

 

「こいつは……本格的にやべえんじゃねえか?」

 

すぐ隣で、俺と同じように窓の外を眺めていた赤髪の男が呟く。外には数機のIS。遠目には分かりづらいが、どれも見覚えがない。今、二つ隣の棟から火の手が上がった。ISの襲撃によるものだ。

 

「おいっ! とにかく移動するぞ! ユウ!」

 

隣から切羽詰まった声が聞こえる。すぐ近くに入るはずなのに、その声はどこか遠く、俺の中を通り抜けていく。

 

「ユウ!」

「──え、あ、うん。ごめん……」

 

未だ目の前の光景を処理しきれていない俺の脳が、がくがくと揺さぶられて強引に現実へと浮上する。重たい音を立てて、窓が真っ暗になった。バリケードかシャッターか分からないけど、とにかく俺達が今いる場所も防衛機能が発動したようだ。

 

「教室に寄ってる暇は無いな……直接地下に行くぞ」

「地下?」

「詳しくは知らないが、学園には地下シェルターがあると聞いたことがある。多分他の連中もそこに避難してるはずだ」

 

なんでそんなこと知ってるんだとか、もしかしたらみんな俺達を待っていてまだ非難してないかもとか、本当に地下なら安全なのかとか、そんな自分でも本当に思っているのかどうか分からない言葉が一斉に飛び出しそうになって頭がぐるぐるする。

 

結局俺は何も言えず、ただ黙って五反田弾の後を追った。妙に浮ついた非現実感に、形容しがたい座りの悪さを感じながら。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

「あれ、デュノア君じゃない?」

 

俺の指さした先。そこにいたのは深い金髪の美少年、シャルル・デュノア。デュノアは何やらおろおろとしながら、今にも泣きだしそうな表情で携帯端末を操作している。

 

「────んな──聞い──い───!」

 

時折響く轟音のせいで上手く聞き取れないが、とりあえず焦っているのは遠目に見ても分かった。

 

「あいつ……あんなところで何を……」

 

隣から険しい声が聞こえる。しかし今はそんなことを気にしている場合ではないだろう。

 

「デュノア君!」

 

叫びながら、デュノアへと駆け寄る。俺の声に驚いたのか、デュノアは変な声を上げながらあたふたと携帯端末をポケットにしまった。

 

「あ、え、えっと、二人ともどうしたの?」

「それはこっちのセリフなんだが、今はとりあえず置いておく。それよりも早く逃げるぞ!」

 

再び轟音。校舎が小さく揺れる。証明が点滅したかと思うと、ぶつりと消えた。

 

「停電……?」

 

俺の小さな呟きに、今度は焦った声が重なる。

 

「まずいな。電気系統がやられたのかもしれねえ。自動扉は全部アウト。防衛システムも粗方死んだようなもんだ」

 

示されたのはあくまで可能性。とはいえ、万が一現実だった場合、俺達は避難経路を丸ごと失うことになる。そして防衛、セキュリティシステムがパーになったということは、アリーナに張られているようなシールドもアウトになったということだ。恐らくこの窓の外には同じタイプのシールドが張られているはず。だからこそこうしてISによる攻撃にも耐えているのだろう。

 

ぱちぱちと瞬きをするように、証明が再び点滅する。予備電源か何かに切り替わろうとしているのだろうか。しかしそれを遮るように、再度大きく振動する。揺れに合わせるように点滅する証明。そしてひび割れるバリケード。どうやらシールドが途切れた隙を突かれる形で攻撃を受けたようだ。

 

「走れ!」

 

ひび割れたバリケードとは反対の方向へ走る。未だ俺の頭は事態に追いついていない。こんな規模の危機に直面するのは、もしかしたら初めてかもしれない。俺の中の冷静な部分がそんなことを考え始める。ひっきりなしに響く轟音に耳を抑えながらも、何とか脚を動かす。曲がり角を折れたところで、再度大きな揺れが俺達を襲った。

 

「うぁっ……!」

 

か細い声を上げ、すぐ後ろで何かが転がる。

 

「王子!」

「デュノアく……え、王子?」

 

先程の揺れで転倒したシャルルへと、弾と二人して駆け寄る。そしてそれは致命的なタイムロスとなる。

 

「……見つけた」

 

俺達が通った曲がり角。その向こうから、ゆっくりと何かが姿を現す。黒い外套を纏ったその人物は、薄暗くなった証明の下でも、その容貌を俺達の目に鮮烈に焼き付けた。

 

「織斑、先生……?」

 

否、違う。自分で口にした言葉を脳が即座に否定した。顔立ちこそそっくりだが、俺の知る織斑千冬よりもはるかに若い。というより幼い。俺よりも尚小さい背丈の少女は、俺達……というより、シャルル・デュノアへと視線を向けた。

 

「シャルル・デュノア。大人しく私達と共に来い」

 

ぞっとするほど冷たい声、視線、表情。蛇に睨まれた蛙のように、シャルルは喉の奥で小さく悲鳴を漏らした。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

【08:29】

 

「今日はユウも弾も遅いな」

 

教室に入った俺は、見知った顔ぶれがいつもより少ないことに、なんだか肩透かしを食らったような寂しさを感じていた。箒はいつも通り音楽を聴きながら読書。セシリアはなぜか背中が妙に煤けている。一体何があったんだろうか。

 

教室の壁にかけられている時計を見ると、もう予鈴まで1分を切っていた。今日は食堂で鈴に捕まってしまったからか、随分とギリギリになっていたようだ。

 

「あ、一夏。おはよう」

 

ふと後ろを振り返ると、俺以上にぎりぎりで到着したシャルル。同時に予鈴が鳴り響く。もうあと5分で遅刻だってのに、全く慌てた様子がないのは不思議だ。これがフランス紳士か。

 

「よおシャルル。結構ぎりぎりだな」

「あはは。ボク血圧低くて。朝はちょっと弱いんだよね」

 

俺とシャルルが会話をする度に、周囲の女子の雰囲気が少しざわつく。今俺、変なこと言ったか?

きょろきょろと周囲を見ると、見計らったように視線が逸れていく。マジで何なんだ。

 

「そういや弾とユウのこと見なかったか? 弾はともかく、ユウが遅刻なんて珍しくて」

 

俺はなんとなくユウの姿を思い浮かべる。

黒い髪が俺の首にかかり、息が掛かりそうなほどに密着したユウの肢体。そして柔らかく湿った唇。視界一杯に広がったユウの────。

 

「いや、見てな……一夏? 顔赤いよ? 大丈夫?」

 

ふと気が付くと、目の前にシャルルの顔があった。覗き込むようにして近付けられたその顔は、近くで見れば見るほど綺麗で整っている。

 

「って近ッ!? あ、いや、何でもない! 何でも! はははは……」

 

いつの間にか至近距離に迫っていたシャルルの顔。思わず目を背けるようにばっと顔を上げる。なんで他人の顔が近くにあるだけでこんなにもドキドキするんだろう。しかも相手はシャルル、男だ。それもこれも全部昨日の────。

 

「一夏、ホントに大丈夫? ルビーみたいに……あー、日本だとユデダコって言うんだっけ?」

「大丈夫! マジで! めっちゃ大丈夫だから!」

 

なんでこうなっているのか。そんなもの分かり切っている。どうしても昨日のことが脳裏をチラついて離れない。光景が、香りが、感触が、全てがフラッシュバックする。……今日、ユウがいなくて良かったかもしれない。もしいたら絶対逃げ出してた。

 

「さてと、そろそろ行かないと」

 

荷物を置いたシャルルは、そのまま手ぶらで教室を出ていこうとする。

 

「……っておい、シャルル! もうすぐHR始まるぞ!」

 

あまりにも自然な動作に、思わず声をかけ損なうところだった。しかし俺に呼び止められたシャルルはというと、やはり教室に残る気は無いようで、既に扉から半分外に踏み出したところで振り返った。

 

「ああ、大丈夫だよ。別にサボりとかそういうわけじゃないって。もうすぐうちの会社の人達がこっちに来るから、その時にボクの専用機も調整してもらう予定なんだ。あ、もちろん織斑先生には伝えてあるよ?」

「お、おお。そ、そうか……」

 

矢継ぎ早に繰り出される言葉に、一気に威勢を削がれる。というか『うちの会社』ってすげえな。俺も一回言ってみたい。たしか弾に聞いた話だと、IS企業の御曹司なんだったか。ガチ貴族のセシリアに御曹司のシャルル。このクラスすげえ。

 

「しかし入学したばっかだってのに、もうどこか不備があったのか?」

 

俺の問いに、シャルルはかぶりを振った。そして次の言葉に、俺は心底驚かされることになる。

 

「不備どころか、そもそもボク、まだ碌にISに乗ってないんだ」

「……もしかして調整って」

「うん。初期化と最適化」

「マジかよ……」

 

初期化と最適化がなされていないということは、一次移行がまだ済んでいないということだ。そんな状態の専用機を持たせて単身IS学園に放り込まなければならないほど、シャルルの存在はデュノア社に取って想定外だったのだろう。

 

 

去年の夏頃だったか。俺が男性操縦者であると発覚したことを受けて、世界各国で男性を対象とした適性検査が盛んに行われた。しかし成果は芳しくなかったようで、入試が終わった時点では俺意外に結局見つからなかったと聞いていた。

 

となると恐らくシャルルの適性が判明したのはそれ以降。そんなタイミングで発覚したのだとすれば、そりゃあ準備する暇なんて無いし、入学が遅れるのも当然か。

 

「何をしている。早く席につけ」

 

鋭い声と共に教室内の喧騒が一気に吹き飛ぶ。確認しなくても声の主なんて分かり切っている。俺はそそくさと自分の席に向かった。全員が着席したのを見届け、出席簿を開く千冬姉。

 

「ではHRを……ん? 五反田はどうした」

 

ぽつぽつと空いた席に一瞬視線を向け、千冬姉がそう言ったその時だった。

 

「あの、織斑先生。五反田君なんですが……」

 

自信なさげに進言したのは、我らが副担任にしてIS学園きってのトランジスタグラマーこと山田真耶先生。弾が以前深刻な表情で「あれは恐ろしい……まさしく兵器だぜ……」と語っていたのを覚えている。

 

「何か聞いているのか?」

「はい。その……月の……男の子の日、だそうです」

「ふむ…………は?」

「結構その……重いらしくて、今3日目で相当辛いみたいで、その……」

「…………は?」

 

もじもじとか細い声の山田先生。対して形容しがたい何とも言えない表情の千冬姉。時間が止まったかのような空間で、ようやくチャイムが鳴り響いた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

【09:25】

 

1限目もそろそろ眠気の峠を越えたころ。異変は起こった。

 

「あれは……」

 

真っ先に気付いたのは他でもない千冬姉。黒板から目を逸らし、窓の向こう側を睨み付ける。俺も倣って窓の外を見てみると、何やら空に浮かぶ黒い点のような物がいくつか。

 

「……授業は中止だ。総員、ただちに避難マニュアルに従って行動しろ! 山田先生、先導を頼む」

「わ、分かりました!」

 

千冬姉はそう言って、今日室を飛び出した。ざわめく教室。山田先生が小さい体を精一杯使って、みんなを落ち着かせようと身振り手振りで何かを指示している。しかし俺に耳には、教室の騒がしさも山田先生の声も聞こえていなかった。嫌な予感がする。胸騒ぎというか、何か良くないことが起きているのに、何かを見落としている感じ。

 

その直後だった。

 

「キャアアッ!」

「なに!? なにが起きてるの!?」

「今すごい揺れたよね!?」

 

校舎が大きく揺れる。地震というにはあまりにも局所的で、それでいて人の気配を感じさせる揺れ。そして同時に響く爆発音。

 

金属が擦れる重たい音を立てながら、シャッターのような物が窓を覆う。アリーナで敵が現れたときに似ている。千冬姉はさっき、避難がどうのこうのと言っていた。恐らく何か緊急事態が起きているのだろう。それも、こうして防衛システムが発動するくらい、危険な事態が。

 

『緊急事態です。生徒の皆さんは落ち着いて教員の指示に従ってください。繰り返します──』

 

地震、爆発音、そしてこの放送。誰もが口々に不安をぶつけ合う。ここにきて俺はようやく認識した。

 

──今、IS学園は襲撃されている。

 

「っ! ユウ……!」

 

そうだ。見落としていると言えば、今この場にいないやつらがいる。ユウだけじゃない。弾やシャルルも。呆けている場合じゃない。助けに行かないと。

俺が立ちあがると同時に、先程どこかへ移動していた千冬姉が戻ってきた。その表情はいつも以上に険しい。

 

「騒ぐな! 落ち着いてマニュアル通りに行動しろ! 列を乱すな!」

 

千冬姉の鋭い声に、ぴたりとざわめきが収まる。相変わらず凄まじいカリスマと威圧感だ。千冬姉の指揮の下、ぞろぞろとクラスのやつらが列をなして廊下へと出ていく。先頭は山田先生。しかしこの集団に混じって俺まで後に付いていくわけにはいかない。廊下に出た直後、俺は列を飛び出した。早く探さないと。

 

「一夏、どこへ行く?」

 

静かに芯の通った声が、飛び交う喧騒を切り裂いて重くのしかかった。俺の行動などお見通しだとでも言わんばかりに、あっという間に腕をつかまれる。振り返れば、先程同様険しい表情の千冬姉。掴まれた腕はびくともしない。さすがは世界最強と言ったところか。しかし千冬姉の指示と言えど、今回ばかりははいそうですかと従うわけにはいかない。

 

「ユウがまだ避難できてないかもしれない! それに弾やシャルルだって! 早く助けに行かないと!」

「お前が行ってどうする? 何ができる? 敵の規模も不明、その上3人の居場所も分からないときた。そんな状況で闇雲に動いてみろ。ただ自分を危険に晒すだけだ」

「じっとしていたって何も変わらないだろ! それに……もしここで俺が逃げて、その間に誰かが傷ついていたら……」

「……っ! 思い上がるのもいい加減にしろ!」

 

一際強く、絞り出すような叫び声。どこか、今にも泣きだしそうな千冬姉の言葉と共に、俺の頬に鋭い痛みが走った。

 

「あ……」

 

それはどちらの呟きだったか。熱を持った頬を、俺は空いている手で押さえるように触れた。

 

「……アリーナの時とは状況が違う。一夏、お前が行く必要はない。お前が行かなくても、お前じゃない誰かが解決する。それは大人の役目だ。もう一度言うぞ。お前が行く必要はない」

 

俯いた千冬姉。言いたいことは分かる。大人達が動いている以上、俺がここで逃げても誰かがユウ達を守ってくれるかもしれない。間違ってはいない。正論かもしれない。

 

でも……

 

「千冬姉……」

 

それでも……!

 

「それでも……それでも誰かがやらなきゃならないんだろ? 誰かがあいつらを守るって言うんなら、その『誰か』に俺はなりたい。あいつを、あいつらを守れる『誰か』には、俺がなりたいんだ! そのために……」

 

そう、俺はあの時、あの廃工場で誓った。

 

「そのために俺はIS学園(ここ)に来たんだ!」

 

ISという力を手に入れた。その力を誰かを守るために使いたいと思った。その力を使いこなすためにここに来た。

守られてばかりではない。誰かを守る、そのために俺はここにいる。

 

「そのために、強くなったんだ……!」

 

かつて、俺を守ってくれた女の子がいた。

彼女のおかげで、俺は今こうして生きている。彼女のおかげで、俺は戦える。だから、今度は俺が彼女を守る。

 

──一夏くんを、一人にはしない。約束する。

 

そう言ってくれた女の子がいた。彼女は知らないかもしれないけど、俺は間違いなくその言葉に救われた。だから今度は俺の番だ。彼女を一人にしないために、俺は行かなきゃならない。

 

「しかし、お前一人で行かせるわけには……」

「殿方がそこまで仰ったんですもの。その意思を汲み取るのも、淑女の務めではありませんか、織斑先生?」

「珍しく意見が合うわね。男がやるって言うんなら、それを邪魔しちゃ女が廃るわ」

 

言い淀む千冬姉の言葉に被せるように、思わぬところから援護射撃が入る。千冬姉は口を閉ざし、目を丸くして二人を見つめていた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

「走れ! 狭い廊下でISは使えねえ!」

 

走る。走る。走る。

 

無機質で薄暗い廊下を、俺達は全力疾走していた。

 

織斑先生モドキと出会った直後、俺達は五反田弾の指示で走りだした。言葉を交わしている余裕など無い。とにかく地下をめざし、ひたすら遠くへ。

 

「よしっ! もう少しで──」

 

しかし現実はそう甘くない。

 

「ッ! また停電!?」

 

バチッと何かが弾けたかと思うと、ふと目の前の影が濃くなる。周囲一帯のぼんやりとした明りが根こそぎ消失していた。予備電源に切り替わったはずなのだが、どうしたことか。俺の叫びに、弾が冷静に切り返す。

 

「コードぶった切られたか、電源装置そのものがやられたパターンかもな。最悪だ」

 

硬直する俺とデュノア。セキュリティの類が機能しない。つまり、今この学園に安全地帯は無い。

 

 

その直後だった。

 

 

「ッ!?」

 

轟音を上げ、目の前の壁が破裂する。

 

瓦礫を押しのけるようにして現れたのは、蝶のようなIS。

 

「さ、サイレント・ゼフィルス……!」

 

デュノアが呟くと、そのISは光の粒子となって消滅した。やがて剥がれた装甲から一人の少女が現れる。

 

「そういえば名乗りが遅れたな」

 

どこか億劫そうに少女が告げる。

 

「我々は『反IS団体』だ。目的はISの排斥。ISも、その操縦者も、この世には不要なのだ」

 

まるで台本でも読み上げるかのように白々しく響く声。瓦礫に降り立つ少女は、IS排斥を謳いながらISを使用するという矛盾を隠そうともしていない。

 

「さて、逃げても無駄だ。大人しく私達と共に来い。シャルル・デュノア」

 

言うべきことは言ったと、目の前にいる織斑千冬のそっくりさんはため息をついた。

 

(反IS団体……向こうの様子からして明らかに嘘臭い……けど、今はそんなことの真偽なんて気にしてる場合じゃないか)

 

こちらにはシャルル・デュノアと五反田弾。向こうは恐らくここを襲っているやつらの仲間だろう。そして先程見えたIS。サイレント・ゼフィルスと言ったか。敵はIS持ち。対して、今俺にはISが無い。隣の男は言わずもがな。となるとこちらの戦力は、この二人目の男性操縦者ことデュノアしかいない。

 

しかし向こうの狙いはそのデュノア本人だ。果たしてここであの女にデュノアをぶつけるのは正しいのだろうか。

デュノアを見る。どうやら怯えて硬直してしまっているらしい。

 

改めて目の前の先生モドキを見る。見れば見るほどそっくりだ。生き別れた姉妹だとかクローンと言われれば信じてしまいそうなほど。見た目だけで邪推するならば、この一件も一夏絡みで起きたのだろうか。今回はデュノアが狙いだと言っていたが、あの少女自身、一夏とも何らかの因縁がありそうだ。

 

「早くしろ。お前がこちらへ来れば、()()()攻撃を中止しよう。お前次第で多くの命が救われる」

 

先生モドキの甘言に、デュノアの肩がびくりと大きく震えた。

 

「……ボクのせいなの?」

「デュノア君?」

 

デュノアがわなわなと呟く。消え入りそうな声で、虚ろな目で、蒼白な顔で。

 

「さあ、どうだろうな」

 

淡々と告げる先生モドキ。冷たい目でデュノアをじっと見つめる。デュノアの自責が加速していく。

 

(デュノアの身柄、か。そりゃあもう理由は分かり切ってるよな)

 

即ち、男性操縦者であるという一点。男性にもかかわらず何故ISを動かすことができたのか。これについては未だに解明が進んでいない。数少ないサンプルが二人揃って学園という擬似治外法権な所に突っ込まれたんだから当然と言えば当然だけど。

 

華奢な肩が震えている。やがて唐突に渦中へ放り込まれた────否、お前こそがこの騒乱の元なのだと告げられた少年が、小さく一歩踏み出した、その時だった。

 

「待て」

 

不意に声が響く。隣を見ると、弾が鋭い視線を先生モドキへ向けてた。

 

「シャルルを狙う理由は何だ?」

 

時間稼ぎのつもりだろうか。何故こいつはこんなに分かり切った質問をしているのか。

俺と同じ疑問を抱いたのか、二人の視線も隣の男へと突き刺さる。

 

「ISを動かせる理由を探るためとかじゃないの?」

 

俺の言葉に、弾は首を横に振る。他に何か理由があるのか? 分からない。

しかし次の言葉で、俺は気付かされる。

 

「男性操縦者だのなんだのって理由なら一夏も狙われるはずだ。しかしロリ冬さんの言ったことから考えると、どうも狙いはシャルルだけらしい。つまりシャルルにしかない何かがあるということだ。フランスでの報道規制と何か関係があるんじゃないのか?」

 

先生モドキがどこか驚いたように弾を見つめ、デュノアが視線を床に向けた。

 

確かにそうだ。報道規制とやらについては初耳だけど、単純に男性操縦者だからというわけではなさそうだ。

さらに言えば、デュノア社に身代金でも請求するつもりというわけでもないだろう。この学園には世界中から生徒が集まっている。政府関係者やセシリアみたいな金持ちだっている。他にも候補が居る中で、何故デュノアを狙ったのか。 

 

「答える義理は無い」

 

思考を分断するように、冷たい声が廊下にこだまする。

 

「少しおしゃべりが過ぎたな」

 

光の粒子が収束し、弾ける。一瞬の後、先生モドキの手に銃のような物が顕現していた。

 

「先にお前から始末しよう」

 

冷たい視線が俺の真横を通り抜ける。

 

殺気。瞬間、ようやく俺の脳が警鐘を鳴らし始めた。この期に至ってようやく俺の脳はこの状況を危機と判断した。というより、この急展開と絶望的なまでの窮地に対する理解を、俺は今まで拒んでいたのだろう。

 

だってどうしようもないじゃないか。俺だけが危機に陥るのとはわけが違う。みんなが巻き込まれた。今まで立っていた場所が、一瞬で壊れたんだ。しかも今、頼みのISは無い。さっきあいつはデュノアが目的だと言った。しかし多分今回も一夏……いや、本を正せば俺のせいだ。俺のせいで学園が襲われた。そして俺のせいで、今ここで人が死ぬ。

 

誰かがごくりとつばを飲み込む。

手足の先が凍り付いたようだ。

身体がすくんで動かない。

どくんと鼓動が跳ねる。

どうにかしないと。

どうする。

駄目だ。

 

引き金に指が掛けられ──

 

 

 

「伏せてください!」

 

 

 

咄嗟に頭を押さえて伏せる。直後、先生モドキの視線が揺れたかと思うと、頭上を何かが飛翔し、雷鳴のような音が鳴り響いた。

 

「くっ、お前は……っ!」

 

先生モドキの声。見れば、咄嗟に何かを躱したかのように、大きく真横へ飛び退いていた。

 

そして先程まで先生モドキが立っていた場所。壁に開いた大穴の向こう側には、見覚えのある黒い機体が巨大なレールカノンを構えていた。

 

「ラウラ! ナイスだ!」

 

弾が叫ぶ。返事をする間も惜しいと言うように、そのまま先生モドキへ向けて再度レールガンを放つラウラ。雷鳴を轟かせ、極光が走る。

 

「チッ……!」

 

先生モドキは再度大きく跳ね、壁を蹴って射線から離脱。続けて2本のワイヤーが後を追うも、瞬時に展開されたビットがこれを迎撃する。

 

一瞬の攻防。奇襲はあえなく失敗した。しかし今、戦況が大きく変わったのも事実だ。

 

ラウラは表情を引き締めたまま、ISを解除して廊下へと降り立った。しかし左腕は装甲を纏ったままだ。右腕には武骨なデザインのナイフを握っている。

 

「閣下、ここはお任せください」

 

言うや否や、瓦礫をものともせずに走りだすラウラ。放たれる銃弾を停止結界で危なげもなく止める。そしてナイフを投擲。凄まじい速度で飛来するナイフを、先生モドキも腕部装甲を展開し、甲高い金属音を響かせて弾く。

 

「チッ、出来損ないの遺伝子強化試験体(アドヴァンスド)め」

「フッ、そんな古臭い情報をひけらかすとは。亡国企業の情報網も大したことは無いな。うちの副官一人の方が遥かに優秀だ」

「……何?」

「知らないのならば教えてやろう。日本では出来損ないが最強になる。つまり私が勝つ」

 

PICを駆使し、狭い廊下を上下左右に立ち回り、マズルフラッシュと刃の煌めきが交差する。壁や天井に傷が走り、パラパラと弾かれる破片と共に、白い何かがこちらへ転がり落ちた。

 

「ぼ、ボクだって……」

 

震える声で、デュノアがペンダントのような物を握りしめた。ふわりと光の粒子が舞い、オレンジ色の装甲が展開される。

 

 

──第二世代型 ラファール・リヴァイヴ

 

 

この学園でもよく目にするタイプの量産機だ。しかし所々デザインが異なる気がする。カスタム機だろうか。などとぼけっと分析していた時だった。

 

「馬鹿野郎! さっさと逃げなきゃって時に廊下でフル展開なんてしたら身動きとれねえだろ!」

 

ご尤も。

 

「ご、ごめん! でもボク、まだ部分展開なんて出来なくて……」

 

何やら泣き言をほざくデュノア。見れば、展開したサブマシンガンの銃身がガッタガタに震えている。決死の高速戦闘が繰り広げられている横で俺達は何をしているのか。

 

しかし、世の中何がどう転がるかなんて分からない。例えば仲間の一人が絶望的に戦力にならないことが判明するという凄まじい不運。これが思わぬ幸運を呼び込むことだってある。

 

「ね、狙いが定まらな……えっ、一夏?」

 

間の抜けた声でシャルルが呟く。聞き覚えの有りすぎる名前に、俺と弾は顔を見合わせた。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

「一夏! あいつらがどこにいるか分かってんの!?」

 

走りながら首を横に振る。場所は分からないが、とにかく闇雲に探すしかない。しかしそんな俺の頭の悪い考えに待ったをかけるように、セシリアが声を張り上げる。

 

「プライベートチャネルはどうですか!? どなたかに繋がれば……」

「ユウもシャルルも反応が無い! 理由は分からん!」

「電話は!?」

「さっきかけた! 同じく理由は分からないけど圏外だ! もしかしたら回線がジャックされてるのかも!」

「くっ、こんなことならユウと弾にも発信機を付けておけばよかったわ……」

 

連絡が取れないということは、外部に助けを求めることも出来ないということ。そもそもここが襲われているという情報自体、流れていないのだろう。

 

ひたすら走り続ける。薄暗い廊下に足音と荒い息遣いだけがこだまする。外ではひっきりなしに轟音が響いている。加速する不安。汗が視界を濡らした。

 

そしてその直後、俺の中の不安にさらなる追い風が吹き付ける。

 

「きゃっ! な、何? 停電?」

 

何かが弾けるような音と共に、全ての明かりが消えた。思わず立ち止まる俺達。予備電源すら作動していない。何があったのかは分からないが、少なくとも事態が悪い方に向かっていることだけは確かだ。

 

「停電……まずいですわね。電力系統が動いていなければ、恐らく外のシールドも機能しません。早くお三方を見つけないと……」

 

血の気が引く。大丈夫だ。落ち着け。ユウもシャルルも専用機持ちだ。弾だって何だかんだしぶとい。けど早く探さないと。いっそ危険を承知で手分けして探すか?

 

俺が二人にそう提案しようとした時、俺の言葉を遮るかのように一際大きな音が響き、校舎に振動が走った。

 

「ッ! 一夏危ない!」

 

鈴の叫びに、咄嗟にその場を転がるようにして前方へ飛び出す。すると俺が居た場所の壁に大きなひびが入り、盛大な音を上げて爆ぜた。渇いた壁の残骸がばらばらと廊下に飛び散る。

 

粉塵と瓦礫を掻き分け、薄暗い廊下を切り取るかのような光に照らされながら現れた一機のIS。全身装甲型(フルスキン)というやつだろうか。フルフェイスのヘルメットを被っているみたいだ。その体躯で以って、俺達の退路を完全に塞いでいる。

 

「クソッ、急いでるって時に……!」

 

思わず悪態が口を突いて出る。一先ず迎撃しようと白式に触れた、その時だった。

 

「そんなに死に急がなくたっていいだろ?」

 

俺達の進行方向から一人の女性が現れた。ゆっくりと、そのふわりとした髪をなびかせながら。女性は俺達の進路を阻むようにして立ちはだかり、フルスキンはその反対側に佇んでいる。

 

しまった、挟み撃ち──!

 

「ちょっと遊んで行こうぜ? クソガキ共」

 

狂った三日月の様に紅い口が裂ける。俺が息を呑んだのと、女性が銃を構えたのはほぼ同時だった。

 

「白式!」

 

部分展開した腕を咄嗟に構える。直後、マズルフラッシュが瞬き、金属がひしゃげる音。腕の装甲に振動が走ったかと思うと、すぐ横を潰れた銃弾が転がっていく。

 

「こちらはわたくしが」

 

ビットを浮遊させたセシリアが、背後で敵機と向かい合う。

 

「一夏!」

「おう! ……う?」

 

そして傍らにいた鈴が、強靭で無機質な手で俺を鷲掴みにした。

 

「て、てめえら正気か!?」

 

敵の女性が叫ぶ。それは俺が一番聞きたい。が、どうやらこちらの頼れるツインテール娘は聞く耳を持たないらしい。そのまま大きく振りかぶって──

 

「着地は自分でお願い、ねっ!」

「ぬわあああああッ!」

 

──ぶん投げた。景色が一瞬でぶれる。凄まじい速度で飛ぶ俺。当然敵さんは避ける。そして俺は突き当りまで真っ直ぐ進む。

 

「うおおおおとまれええええ!」

 

腕を翳してPICを制御し、何とか壁際でピタリと止まる。窓から飛び降りた時も思ったけど、さすがに8割近く生身の状態でこれをやると疲れるし怖い。マニュアル式のジェットコースターみたいだ。

 

振り返ると、ぽかんとした表情の敵さん。そしてぐっとサムズアップする鈴。良い笑顔だ。

 

「先に行きなさい、一夏!」

 

叫びながら、目の前の女性へと攻撃を開始する。腕部装甲と空気砲を駆使し、校舎の犠牲を一切顧みずに。対する女性もまた、どうやらISを所持しているらしい。背中から蜘蛛の足のような物を生やし、壁や天井を滑るように移動している。

 

「でも、お前達を置いていくなんて……」

「いいから行って! 代表候補ってのはね、当代最強の一角なのよ! こんなテロリストなんかに負けるわけないでしょ!」

 

立ち止まる俺を突き飛ばすような言葉。目の前では鈴が、その向こうではセシリアが戦っている。俺は……。

 

「絶対、ユウ達を助けなさいよ」

 

鈴の言葉に、俺は背を向けて走りだした。

 

「──クソッ! 頼んだぞ、二人とも!」

 

何度もシャルルとユウの反応を確認しながら、ひたすら足を動かした。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

「あの、五反田くん。それ何?」

「これか? 良く分からんが、さっきラウラとの戦闘中にロリ冬さんの服の中から落ちたんだ。とりあえず拾った」

 

五反田弾はそう言って、手の中で白い立方体のオブジェを弄んだ。ルービックキューブより少し小さい程度のそれ。どうやらこの場の誰も見覚えが無いらしい。爆弾とかじゃないだろうな。

 

「女の子の中から出てきたんだぜ?」

「ああ、そう」

「ちょっと温もりを感じるんだぜ?」

「ああ、うん」

 

そりゃあれだけ重火器使ってりゃ多少熱くもなる。

 

 

 

 

 

さて、激化の一途を辿る先生モドキとラウラの戦闘。そこから避難するべく、俺達は再び移動していた。

 

「とにかく、みんな無事で良かった」

 

そう言ってため息を吐きだす一夏。

 

途中で一夏と合流した俺達は、他の生徒達が避難している場所へ向かっていた。行き先は学園の地下。そこはちょっとしたシェルターのようなものらしく、学園内では最も安全な場所なのだそうだ。

 

しかし現在、セキュリティ関連は軒並み動きを止めている。向こうがISを所持している以上、簡単に破られてしまうかもしれない。故に現状、戦力として機能する一夏をここで遊ばせておくわけにはいかない。

 

「和むのは後だぜ一夏。さっさと移動しよう」

 

弾の言葉に従い、俺達は走りだした。

 

 

 

 

 

薄暗い地下通路は、学校の廊下と比べると相当広い。これならISを展開しても十分動くことができるだろう。

 

「そういえば、ここからどこに行けばいいの?」

 

地下に下りた俺達は、予想外に広大且つ複雑な造りの地下施設に面喰い、思わず立ち止まっていた。

そして俺の問いにぴくりと肩を震わせ、そのまま固まる一夏。

 

「おい待て一夏。お前まさか」

「……すまん、道分かんねえ」

 

弾の指摘に、一夏は冷や汗を流して渇いた笑いを浮かべた。おいふざけんな。

どうやら一夏が他の生徒達と別れたのは地下へ潜る前らしい。じとっとした視線が一夏に集まった、その時。

 

「……ん? ちょっとごめん。静かに」

 

俺の耳が何かの音を捉えた。周囲を黙らせ、耳を澄ます。

 

「……こっちかな」

 

音源に向けて少しずつ近づいていく。何が出てくるか分からない。もしかしたら敵かもしれない。

 

通路の突き当り。曲がり角が近づいてくると、同時に件の音も強く響く。

 

「────!」

「──、────っ!」

 

複数の叫び声と、銃声や爆発音がこだまする。どうやら近くで戦闘が起きているらしい。

 

「この声、山田先生か?」

 

一夏が呟く。となると、やはり危惧していたことが起きてしまったのだろう。身を隠しつつ、曲がり角の向こうへと視線を投げる。

 

通路の奥では、3機のISが戦闘を繰り広げていた。そのうちの2機のラファールは恐らくこの学園の物だ。ここからでは分かりづらいが、片方が山田先生だろう。

 

そしてもう1機はアメリカのファング・クエイクだ。あれが敵だとすると、あの先生モドキの仲間だろうか。イギリス機の次はアメリカ機。バックにある国を誤魔化すためなのか、或いはそもそも複数の国による組織なのか。

 

2対1という状況ではさすがに敵わなかったのか、やがてファング・クエイクは動きを止めた。

 

 

 

 

 

「無人機のコア……?」

 

俺の言葉に、山田先生は小さく頷いた。

 

「はい。恐らく今回の目的はそれです」

 

戦闘終了後、山田先生と合流した俺たちに告げられたのは、これまた予想外のものだった。

 

どうやら生徒が避難している場所はこことは反対側らしい。反対と言われても、そもそも自分達の現在位置が良く分からない。

 

それはさておき、この奥にはさらに地下へと続く通路があるらしい。そこには以前アリーナを襲撃した無人機のコアが保存されているそうだ。というかこの学園、あの時のコアをこっそり隠してたのか。

 

そして恐らくこの状況でいろいろとテンパって麻痺しているのだろう。山田先生、あなたが今言ったことは恐らく重要機密ですよ。

 

「みなさん、ついて来て下さい。避難場所へ案内します」

 

コアの見張りをもう一人の教員に任せ、俺達を先導する山田先生。傍らにはワイヤーで拘束されたテロリストが抱えられている。どうやら先程の戦闘で気絶しているようだ。

 

山田先生によると、避難場所はホールのような空間らしい。非常食などが蓄えられており、現在は織斑千冬がついているとのこと。どんなセキュリティよりも安心感がある。

 

 

 

薄暗い地下通路に、5人分の足跡が疎らに響く。

 

(それにしても変だ。いろいろと噛み合わない)

 

内心で独り言ちる。シャルル・デュノアの身柄が目的かと思えば、IS排斥運動だとのたまい、今度は無人機のコアときた。どれが本当の目的なんだ? 或いは全部か? 二つ目に関しては口ぶりからは嘘っぽさが感じられたが、確証が無い。

 

どうにも情報不足感が否めない。こんな状況で考え込んでも仕方ないか。

そう切って捨てる冷静な部分とは裏腹に、俺の中では今回の件に対する疑念が膨れ上がっていく。

 

何の前触れもなく起きた今回の事件。学園側としては完全に虚をつかれた形となる。しかし奇襲を成功させたという割にはあまりにもやることが杜撰だ。

 

例えばデュノアの身柄。

聞くところによると、こいつが襲撃時に教室にいなかったのは、デュノア社のISメンテナンスチームと会う約束があったかららしい。それを利用してメンテナンスチームとすり替わってしまえば、デュノアの誘拐など容易に達成できただろう。デュノアとの接触前にすべきことがあったのか、或いは何らかのアクシデントに見舞われたのか。そしてそもそも何故デュノアを狙うのか。

 

次に無人機のコア。

これについても、地下にあるという事実に気付いているというのであれば、もっと敵機が殺到していても不思議では無い。しかし実際には地上での破壊活動や戦闘行為ばかり。この目的を隠すための意図的なミスリードなのかもしれないが、それにしたって地下への侵攻が少なすぎる。この事件が始まって以降、頻繁に襲撃されているのであれば、見張り一人を残して移動などしないだろう。

 

そしてISの排斥。

上二つを成し遂げさえすれば、学園の各所に爆弾を設置して吹き飛ばしてしまえばいい。何が言いたいのかというと、これは上二つにも共通して言えることだが、要するに"襲撃"という分かりやすい形を取る必要はないわけだ。電波を遮断している点も不可解だ。こうした運動は世間に知られなければ意味がない。何よりISを使っているということは、今回の敵は女ばかり。反ISを掲げるのは、基本的にISによって立ち位置を奪われた者達だ。軍の関係者などが典型的な例だろう。それを踏まえると、やはりIS排斥云々という話は嘘くさい。となると、上二つの目的を隠すための設定だろう。或いは反IS団体にダメージを与えるために罪を擦り付けようとしているのか。

 

ともあれ。上手く言えないが、今回の事件は違和感がある。

余裕が無いというか何というか、準備不足の状態で強行しているかのようだ。

 

「先生、他のみんなは無事なんですか?」

 

デュノアの問いに、山田先生は首肯した。

 

「ええ。今のところ死傷者は確認されていません。ただ、なぜかうちのクラスのオルコットさんと、それから2組と5組のクラス代表の生徒が見当たらないんです。途中で見かけませんでしたか?」

 

死傷者ゼロ。良かった。心底ほっとする一方で、たった今話題に上がった彼女たちのことを思い浮かべる。

2組と5組のクラス代表……鈴とラウラ。あいつらは今戦闘中だ。これを山田先生に伝えるべきか否か。

 

「今、上で交戦中です」

 

悩む俺を余所に、一夏がさらりと情報を投げる。そして案の定顔を青くしてわたわたとし始める山田先生。

 

「そ、そんなっ! もし3人にもしものことがあったら……」

 

もしともしもが重複していることにも気付かないほど狼狽する先生。そんな山田先生の様子を横目に、一夏は何かを考え込むようにしてしばし沈黙する。やがて通路の分岐点に到着すると、一夏は一人立ち止まった。

 

「……俺は上に戻る。3人を助けに行く。山田先生はみんなを頼みます」

 

突然の申し出に、一夏へと視線が集う。ちょっと待て。それだとお前が──。

 

「待てよ一夏」

 

弾が一歩前に出る。

 

「お前はもう十分やった。これ以上あまり動かない方がいい。ミイラ取りがミイラになったらどうする? たしかに上の連中は心配だが、ここからは教師部隊に任せよう」

「そうですよ織斑君! 3人が戦闘中だと思われる場所を教えてください。今地上に居る他の先生方に連絡を取ります!」

 

ああ、そうだ。正論だ。全くもってその通りだ。一夏がここで動くのは得策じゃない。今回の件は妙な違和感がある。それに規模も今まで起きた危機の比じゃない。

 

そもそも一夏が今から上に向かうより、今既に上にいる人間が現場に向かった方が早い。それにデュノアが狙われている以上、同じ男性操縦者である一夏が狙われない保証などどこにもない。

 

俺も加勢しようと口を開き────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────見つけた」

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

通路に響く冷たい声。淀みの無い足音が暗闇の奥から迫り来る。

 

「……誰だ」

 

俺は一歩踏み出し、ユウ達を庇えるように移動した。空気が張り詰めていく。

 

通路の脇にある階段。そこからゆっくりと姿を現したのは……

 

「……千冬、姉?」

 

思わず呟く。脳をガンガンと殴りつけるような強烈な既視感。ぐらりと足元が覚束なくなる。

 

暗がりにぼんやりと浮かぶ千冬姉と瓜二つの相貌。しかしよく見ると、体格も服装も、そして何より目が違う。無機質な視線に射抜かれ、となりで山田先生が息を呑んだ。

 

ああ、そうだ。こいつは千冬姉じゃない。似てるだけだ。この既視感の正体だってきっと。

 

「おい、ラウラはどうした?」

 

こころなしか震えている声。弾の言葉に対し、そいつは小さく息を吐いた。

 

「ラウラ……ああ、アレか。さて、どうだろうな。始末は外の連中に任せてある。アレは今回、どうでもいい」

 

生きていれば這い出てくるんじゃないか、などと興味の欠片も無いといった風に口にする。

 

たしかラウラと言えば、クラス対抗戦で鈴に勝利し、セシリアを追いつめた程の実力者だ。そのラウラが敗北した。見たところ大した疲労も無さそうだ。ほぼ無傷で勝利したということか。こいつは一体何者なんだ? 何故千冬姉と同じ顔をしている? 何故こんなにも、懐かしいとさえ思うんだ?

 

頭の中で疑問がぐるぐると回る。こいつのことが気になって仕方がない。何故だ?

 

「お、おい、お前……」

 

しかし裏腹に、俺の言葉は揺れていた。その先が出てこない。

 

何故。

何故。

俺とこいつは初めて会うはずだ。

この異常なまでの既視感は何だ。

俺はこいつの正体が知りたいのか。

言葉が出てこないのは一体何故だ。

俺はこいつのことを知っているのか。

こいつのことを思い出したくな──。

 

分からない。

 

 

目と目が合う。

 

「ああ、お前は私が分からないのか」

 

微動だにしない俺に対して向けられた視線は、鋭く、冷たく、それでいてどろどろと煮えたぎるような怒りを孕んでいた。

 

「私は、一夏(お前)だ」

 




もうちょっとだけ続きます。ごちゃごちゃしててすみません。


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14後編

えー、間に合いませんでした。もう終わりまで大筋は決まってるんで年内に完結目指せるかなと思ってましたけど、駄目でした。申し訳ございません。



「ラウラ……ああ、アレか。さて、どうだろうな。始末は外の連中に任せてある。アレは今回、どうでもいい」

 

生きていれば這い出てくるんじゃないか、などと興味の欠片も無いといった風に口にする。

 

ラウラは敗北した。死んだと明言されなかったとはいえ、上にはまだ数多くの敵が跋扈している。生存は絶望的だろう。

 

(俺のせいだ……)

 

きつく唇をかみしめる優。顔から血の気が引いていく。現実を拒絶しようと思考が鈍る。自分が幸運なんて願ったせいで。後悔の叫びが胸の奥で折り重なり、燻り、腐り、膿となる。そもそもの元凶たる彼女に、泣きわめく暇も権利も無い。

 

しかし今の彼女には戦うための力も無い。彼女では、この状況を打破することができない。

 

(結局他人任せか。本当、嫌になるな)

 

客観的に見れば、織斑一夏と山田真耶、そして使えるかどうかはさておきシャルル・デュノアがいる。3対1。数の上では有利だ。ここは3人に任せて、せめて足手纏いにならないようにさっさと逃げるのが得策だろう。

 

などと自己嫌悪に塗れながら考えていると、ふと声が響いた。

 

「お、おい、お前……」

 

一夏だった。狼狽、動揺。或いは──例えるならそう、恐怖だろうか。絞り出すような声から滲み出た感情を読み取ったのか、彼の姉のような少女は、睨み付けるような視線を一夏へ向けた。

 

「私は、一夏(お前)だ」

 

まるで機械のような印象を抱かせていた少女が、初めて見せた感情だった。

 

 

「──ッ!」

 

次の瞬間、少女の表情が強ばったかと思うと、優達の視界の端で何かが煌めいた。咄嗟に頭を伏せる。

 

ちらりと見えた武骨な深緑の装甲。フランスの第二世代型IS『ラファール・リヴァイヴ』。いつの間にかISを展開していた真耶が、上空から銃弾をばら撒いた。

 

銃声が優の鼓膜を殴打する。掃射によって土煙が上がり、周囲に破片が飛び散る。完全に不意を取った。これではあの少女も無事では済まないだろう。

 

しかしそんな優の予想を踏みつぶすかのように、小さく足音がこだました。

土煙を切り裂いて現れたのは一機のIS。蝶のような姿のそれは、手の中で小さな端末を操作した。

 

その直後、

 

「な、何が……っ!」

 

絞り出すような真耶の声。ラファールが不自然な軌道を描き、壁や天井にその身を打ち付け始める。下手くそな喝采のような激突音の末、やがて動作が緩慢になったかと思うと、徐々にその身を折りたたむようにして地にひれ伏した。

 

物言わぬ鉄塊と化したラファール・リヴァイヴ。呆然とする面々。何が起きたのか分からない。正しくあっという間の出来事だった。混乱のさなか、真耶の呻くような言葉がこだまする。

 

「ぅ、っく、そんな、なんで動かな……」

「蜘蛛の毒だ。あれも少しは役に立つ」

 

傍らに立つ冷たい視線が真耶を見下ろす。

ほんのワンアクション。戦闘が始まってから数秒。介入する間も無い僅かな時間。たったそれだけで簡単に戦力が削がれてしまった。

 

「山田先生! クソッ、だったら俺が!」

 

光が瞬き、弾ける。現れたのは白い剣士。右手に一振りの剣を携え、ぐっと足に力を込める。

 

しかし──

 

(ぁ、れ……?)

 

身体が動かない。装甲が重く軋む。最初の一歩に届かない。その一歩がひどく遠い。何かが雁字搦めにのしかかる。何故だ。何故動かない。白式に何も問題は無い。ならば何故。あの少女と戦うことを忌避しているのか。あの少女に刃を向けることを恐れているのか。

 

「──っぉおおおおおおおお!」

 

否、そんなことは有り得ない。あの少女のことなど知らない。知りもしない相手を恐れる道理などありはしない。

 

刹那にも満たない僅かな時間。逡巡の後、何かを振り切るように叫ぶ一夏。青白い軌跡を描き、一直線に飛翔する。閃光が如き速度。しかし一歩の遅れは、かの少女に取って致命的なまでに好機となる。

 

「きゃっ!」

 

短い悲鳴と共に、一夏の動線上に突如として深緑の影が現れる。少女が真耶を蹴り上げたのだ。反射的に剣を放り捨て、一夏は真耶を抱き留めた。

 

抱き留めてしまった。

 

「甘いな」

 

小さく、されど鋭利な呟き。いつの間にか一夏のすぐ傍まで移動していた少女が、横から蹴りつける様にして一夏を吹き飛ばす。

 

「がはッ!」

 

真耶を庇っていたためか、受け身も碌に取れずに壁に激突する一夏。放射線状に亀裂が走る壁から、その身を引き剥がそうと小さくもがく。しかし真耶のラファールが邪魔になっているようだ。

 

「甘い。そして弱い」

 

そしてそこへさらに追い打ちをかけるように、少女が一夏に向けて腕を伸ばした。光の粒子が爆ぜ、その手の中に巨大なライフルが現れる。

 

「まずい! 逃げろ一夏!」

 

弾が今にも飛び出しそうな勢いで叫ぶ。絶体絶命の危機。息を呑む優。

 

このままでは一夏がやられる。どうにかしないと。どうすればいい。何ができる。

 

「実のところ、上からはお前を殺すなと言われている」

 

淡々と降り注ぐ言葉。一夏の視線の先では、姉と瓜二つの少女の手に大型のライフルが握られていた。

 

「しかし、どうにも抑えられそうにない」

 

白式が警告を発する。武骨な銃身の奥に、エネルギーが犇めいている。この距離では躱せない。

 

「私は思った以上に、お前に腹を立てているらしい」

 

きゅっと口元を引き締める一夏。ゆっくりと引き金が絞られる。今にも一夏と真耶を射殺さんと、バイザーの奥でどろりと殺意が渦巻く。

 

「私から奪ったお前が、『織斑一夏』であることが気に入らない──ッ!」

 

 

 

 

「もうやめて!」

 

張り裂けるような叫び。悲痛なそれが、ぴたりと戦場に沈黙を齎す。

 

「ボクが行けばいいんでしょ?」

 

シャルルはきつく手を握りしめた。眼尻には涙が浮かび、その顔は蒼白に震えている。

 

「なっ、シャルル! やめろ!」

「一夏は黙ってて!」

 

声を荒げるシャルル。一歩踏み出す時、シャルルの口が小さく動いた。

 

「キミが居なければ、こんな……」

 

優がそれを聴きとることができたのは、たまたま近くに居たからだろう。他の者は気付いていないようだ。

 

シャルルは呼吸を整えながら、ライフルを持ったままの少女をゆっくりと見据えた。

 

「ボクを捕まえて、ISを動かせる理由を調べるつもりなんでしょ?」

「さあ、どうだろうな」

 

淡々と機械的に返す少女。平坦なそれに、シャルルの震えた声が続く。

 

「悪いけど、調べたって無駄だよ。大したタネなんて無いんだから。何だったら今ここでタネ明かしをしてもいい」

 

薄く浮かんだ笑み。どこか自棄になったようなシャルルの言葉。周囲の視線が集中する。

 

シャルル・デュノアは、言わば被害者である。

織斑一夏のIS適性が発覚しなければ、世界中で男性操縦者の捜索が行われることなど無かっただろう。

織斑一夏が居なければ、その流れに乗じて彼がシャルルとなることも無かっただろう。

 

そのもしもが彼にとって幸福であったかは分からない。しかし少なくとも、今ここで命の危機に直面することが無かったであろうことは間違いない。

 

故に、シャルル・デュノアは被害者である。

織斑一夏、そして八神優によって運命を狂わされた被害者である。

 

「半陰陽だろう? 知っているとも。シャルロット・デュノア」

 

じろりと、少女の殺意がシャルルを射抜く。

短い言葉ではあったが、周囲の面々を凍り付かせるには十分だった。

 

デュノア社の社長が愛人との間に儲けた半陰陽の子供。存在を秘匿され、織斑一夏の出現によって思い出したかのように男にされ、この学園へと送り込まれた産業スパイ。それがシャルル・デュノアという存在だった。

 

「上のやつらは公になっていない男性操縦者を欲しがっていた。故に2年前は……あの人の妨害という名目でその男を浚い、今回はIS排斥、そしてあの野蛮なアメリカ人共の言う『無人機のコア』とやらを隠れ蓑にお前を狙った」

 

さらにはシャルルの存在を盾に、デュノア社、及びシャルルの件を国家ぐるみで隠蔽したフランスを傀儡化し、国一つの後ろ盾を得ると同時に、ISを横流しさせる腹づもりだったのだと言う。

そして織斑一夏には今後も注目の的で居続けてもらった方が都合がいい。故に少女の上司は殺すなと言ったのだと。

 

少女も自棄になっているのか。地上にいた時とは打って変わって、殆ど謀反にも等しいことを饒舌に語る。

 

「私がやつらに協力していたのは、その男を殺すためだ。今ここで達成できるならもう何も関係ない。邪魔をするのであればお前も殺す」

 

瞬間、浮遊していたビットからレーザーが放たれ、シャルルの足元を穿った。どろりと床が溶け、喉の奥で小さく悲鳴を上げるシャルル。

 

少女が行っているのは立派な命令違反。事が終われば、少女もまた殺される。電波が遮断され、監視役のオータムもいない今、この好機を逃すまいと、銃を持つ手に力が篭る。

 

焼け爛れた金属片が異臭を放ち、駆動音が緊張を煽る。シャルルは自責の念にとらわれながらも、ただ立ち尽くすことしかできないでいた。

 

 

 

(なんで、ボクばっかり……)

 

俯くシャルル。今まさに剥き出しの殺意に晒されている一夏から目を逸らし、じっと爪先を見つめる。まるで凍り付いたように動かない足。その数センチ先には、爛れ、抉れた破壊の痕跡が冷たく自己主張している。

 

シャルル・デュノアは被害者だ。本来ならばこんな場所にいるはずのない人間だ。事の発端は全て織斑一夏にある。一夏さえ居なければと、何度思ったことか知れない。一夏さえいなければ何も問題は起こらなかったのだ。そのはずだ。一夏さえいなければ、こんな状況に陥ることも──

 

(なんでボクのせいで、キミが傷つくんだ……っ)

 

──こんな後悔に苛まれることも無かった。

 

いっそのこと、全て一夏が悪いと思うことができれば、どれだけ楽だろう。

 

 

「さて」

 

少女の声に、シャルルの意識が瞬時に浮上する。

 

「終わりを前に、私も高揚しているのか。少し喋りすぎたな」

 

どこか自嘲気味な言葉。どこかコミカルさを伴って滲む人間臭さに、一瞬ではあるが空気が緩みかける。しかし引き金にかけられた指先が、再度その空間を緊張と圧迫感で支配した。

 

どうする。どうすればいい。揺れ動く視線が周囲の状況を嫌でも認識させる。ISを持たない八神優と五反田弾。戦闘不能となった山田真耶。そして真耶を庇い、動きを封じられた織斑一夏。今ここで戦う力を持っているのは自分だけだ。汗が一滴、シャルルの青白い頬を伝う。

待っていたところで事態は好転しない。今動かなければみんなが死ぬ。

 

ごくりと、小さく上下する喉。

 

(一か八か、やるしかない──!)

 

胸元のペンダントが、静かに揺れた。

 

 

 

「これで全て────ッ!?」

 

言葉が途切れる。勢いよく振り返る少女。視線の先、そこには閃光を放つ橙色のペンダントがきつく握られていた。

 

「いくよ、ラファール……!」

 

シャルルの身体が光に包まれ、一瞬で装甲を纏う。フランス製第二世代型『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』。まだ一次移行も済んでいない初期状態のそれを展開し、サイレント・ゼフィルスへと直進する。

 

「えっ!?」

「なっ!」

 

驚愕し、目を見開く優と弾。それもそうだろう。もはや戦意を喪失したと思われた人間が、一夏やラウラですら敵わなかった相手へと立ち向かったのだ。さらに相手は第三世代。第二世代の──それも、まだ一次移行も済んでいない初期状態のISで、果たして太刀打ちできるというのか。

 

(っく、思うように、動かない……!)

 

今のラファール・リヴァイヴはシャルルに最適化された状態ではない。そしてシャルルは、本来専用機持ちが受けるような訓練を受けていない。それでも尚、がむしゃらに、不格好に向かっていく。

 

(怖い。嫌だ。逃げたい)

 

きつく唇をかみしめる。

 

(けど──!)

 

恐怖を振り払うように腕を振りかざした。

 

「これは、ボクが招いたことだ……だからっ!」

 

シャルルの手に現れたのは武骨な杭──盾殺し(シールド・ピアース)

 

「くっ、させるか!」

 

焦りが浮かぶ少女の声。予想外の展開に対応が遅れ、接近を許してしまったものの、咄嗟にビットへと命令を飛ばす少女。4機のビットが同時に攻撃を放つ。この近距離では躱し様が無い。しかし集中砲火を受け、装甲が弾き飛ばされながらも尚ラファールは止まらない。

 

レーザーの雨を押しのけるようにして飛翔するシャルル。時間にして僅か数秒の交錯。やがて盾殺しが、その切先で少女を捉えた。

 

「ボクがやらなきゃいけないんだあああああッ!」

 

激昂と共に、重く鋭い轟音が地下通路を揺らす。杭の先端がサイレント・ゼフィルスの装甲を砕き、シールドを突き刺した。トリガーを引くようにして、地下通路に盾殺しの轟音が重なる。少女の表情に苦悶と焦りが滲んでいく。

 

「っ、が……ッ! くそっ、舐めるなァッ!」

 

片手に持った大型ライフル『星を砕く者(スターブレイカー)』。その銃口の奥が静かに煌めく。急速にエネルギーを削られながらも、武骨な音と共に銃身を持ち上げる。そして今にもその銃弾がラファールを撃ち抜こうとした、その時。

 

 

 

────ゴトリ。

 

 

 

どこか間の抜けた音を響かせ、銃身がずれ落ちた。

一瞬何が起きたのか分からず、互いに呆けた表情を晒すシャルルと少女。しかし少女は一瞬で我に返ったかと思うと、大きくシャルルを飛び越えるように跳躍した。

 

「ぇ、うわっ!」

 

跳躍の勢いに押され、後ろへ倒れるシャルル。その隙間を縫うように、青白い軌跡が少女を追う。

 

「俺はまだ、やれる!」

「くっ、貴様ァ……ッ!」

 

少女の注意がシャルルに向かっている間に真耶の下敷きから抜け出したのか、そこには青白い剣を構える白い剣士が佇んでいた。どこか鬼気迫る視線を少女へと向ける。ちなみに真耶はやはり動けないようで、あられもない姿勢で床に転がされていた。

 

「ぼ、ボクだって!」

 

盾殺しを収納し、今度はサブマシンガンを両手に展開するシャルル。そして何の躊躇いもなく引き金を引いた。

 

ところで、先程から何度も言っているように、シャルルは碌に訓練を受けていない。そこにはシャルルに力を持たせないようにしようという彼の祖父の思惑が絡んでいるのだが、今回は割愛する。それはそれとして、握り方も構え方も碌に知らない素人が、両手でマシンガンを乱射すればどうなるか。

 

即ち──

 

「ぁぁぅわっわわわわわわわわわわわあわわわわわわわっわ」

「ちょっ、うおおっ!? シャルル! 俺を撃ってどうする!」

「ごごめんいちかかかか」

「うわああ! だからなんで俺を狙うんだ!」

 

がたがたと手元を揺らしながら手当たり次第に銃弾を叩きつける。壁や天井に銃痕が刻まれていく。ぱらぱらと破片が降り注ぐ中、少女は回避行動を取りつつ、さらに奥へと飛翔した。

 

「えっ」

「っ! しまった!」

 

そう、戦闘の余波を受けないようにと下がっていた、優と弾の元へ。気付いた頃にはもう遅い。少女は優と弾の背後に降り立ち、

 

「動くな。攻撃を中止しろ」

 

そう告げて、乱暴に二人を抱き寄せた。

 

強く引っ張られたからか、体勢を崩す弾と優。

その時、弾の懐から白い箱のような物が零れ落ちた。

 

「騒げば二人とも殺す。今すぐISを解除しろ」

 

眉間に皺を寄せながら、努めて機械的に告げる少女。

それ自体にPIC制御能力があるのか、ゆっくりと下降を続ける箱。

 

「駄目だよ! 私達のことは良いから!」

「ピッコローッ!早くしろーッ! 俺ごと撃てぇーッ!」

「黙れ。貴様から先に殺すぞ」

 

足手纏いになるまいと、必死に声を上げる優と弾。手が出せず、歯がゆい思いをしながらも武装を解除するシャルルと一夏。

誰一人として白い箱には気づかない。緩慢な落下。緊迫した状況。白い箱がくるくる回る。

そして遂に、箱の角が、サイレント・ゼフィルスの一端に触れた。

 

 

 

『IS反応確認 剥離剤(リムーバー) 起動』

 

 

 

次の瞬間、謎の駆動音が高速で響く。音の発信元は、先程まで宙を舞っていた箱のような物だ。否、既に半分ほど原型を残していない。瞬く間にその姿を変えていく箱だった物。そして元六面立方体は、やがて正六角形の盤のような物へと変形した。大きさは40cm程。色は純白。そして最大の特徴は、中央から伸びる数本の『足』。

 

それは誰かが言葉を発するよりも早く、最も手近に佇む獲物へと絡みついた。

 

「ぇ……」

 

小さくこだまする少女の声。どうやら状況が掴めていないらしい。

 

「今だ! 何だか分からねえが逃げるぞ!」

「う、うん!」

 

一瞬の隙をつき、転がるように少女の腕の中から抜け出す弾と優。しかし少女はそんなことすら気づかない程、目に見えて動揺していた。

 

「な、なぜこれが……っ、ぐああああああああああああッ!!」

 

サイレント・ゼフィルスを捕食するかのように蠢く白い物体。触手のように絡みつく足からは電流が流れ、少女の動きを完全に封じている。苦し気な叫び声を上げる少女だったが、やがて声を上げる気力も失ったのか、ふと四肢が力無くだらりと垂れ下がった。そして装甲がパーツ毎に光の粒子となって弾け、消えていく。最後には物言わぬ白い物体と、装甲を剥がれ、床にへたり込んだ少女が残されていた。

 

「クッ、一体なぜ剥離剤がここに……」

 

ぼそぼそと呟く少女。まさしく不運としか言い様の無い状況。しかしどうやら彼女は幸運の女神に悉くそっぽを向かれてしまっているらしい。

先程シャルルが銃弾をばらまいたせいか、壁や天井はどこもかしこも傷だらけで、大きくひび割れている場所もある。先程から彼らの頭上には、小さな破片がいくらか降り注いでいた。

 

そして当然、その中にはそれなりの大きさの物も混じることはあるわけで。

 

「だが、ISが無くなったところで、ここで終わるわけには……ッ!」

 

腰にある銃へと手を伸ばす少女。しかしその銃が抜かれるよりも早く、頭上からくぐもった音が響いた。

 

「あ」

 

それは誰の声だったか。もはや少女へ向けられた視線などありはしない。皆一様に、少女の真上に振り下ろされようとしている死神の鎌を呆けた表情で見つめていた。

そして鋭い視線と共に銃口が向けられたことにも、誰一人として気付いていなかった。

 

「私は──お前をころがふっ!」

 

拳よりも一回り大きい程度の石塊。物言わぬ灰色の乱入者によって、地下通路の戦いは幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

あれから、集団襲撃事件は学園側の勝利に終わった。

 

シャルル・デュノアの確保に失敗したと判断したオータムは戦闘を中断。エムと呼ばれる少女を捜索後、発見不可と分かるや否や、少女ごと学園を爆破しようとするも、セシリア・オルコット、凰 鈴音の両名の防衛により失敗。逃走を図るが、校舎外にてラウラ・ボーデヴィッヒと交戦。後に捕縛される。

 

米軍部隊と思わしき者達については、情報収集が不十分だったのだろう。教師部隊、及び生徒会長更識 楯無による防衛もあり、目的を達成することが困難だと悟り、撤退した模様。一部を捕えたものの、指揮官を取り逃してしまう。

 

誰がどのような目的を持って起こした事件なのか。詳細は生徒達には語られず、学園内にはそこはかとない不安と不完全燃焼感が漂っていた。そして同時に、本件の対処に当たった者達は、どこか己を責める者達が数多く見られた。

 

学園は生徒達が避難した棟を除き、5割以上が倒壊。避難先の棟もまた、盛大に大穴が空いてしまっている。曲がりなりにもエリートとして度重なる訓練と操縦経験を積んできた彼女たちが、こうもしてやられたのだ。『もっと上手くやれたのではないか』、『なぜここまで被害が出てしまったのか』と。

 

誰もが己を責める中、一際強い後悔と自責の念に囚われる少女が一人。

 

(ああっ、クソッ! なんでもっと早く気付かなかったんだ! こうなることを予測できなかったんだ! 一夏のせいとかISが怖いとかほざいてる場合じゃねえだろ! みんなを巻き込んだのは俺だ! 俺が動かないでどうする!)

 

どこか憔悴した表情で廊下を歩く黒髪の女子生徒。荒れた足取りが雑に床を踏みしめる。

 

(そうだよ……俺が動くべきだったんだ……)

 

戦うべきは真耶でもなければシャルルでもなければ一夏でもない。他ならぬ優自身だ。シャルルが飛びだした時、無理やりにでもシャルルからISを奪って自分が戦うべきだったのだ。

 

終始役立たずだったことを何度も思い出し、ひたすら自己嫌悪に陥る優。

 

(いや、腐ってる場合じゃない。今度こそ俺がどうにかしないと)

 

今回の件において、シャルル・デュノアや無人機コアという原因が挙げられたらしいが、優はそう思っていなかった。どちらもやはり、織斑一夏にも原因があるのではないか。ちなみに当の一夏は戦闘終了後、よほど精神的に負担がかかっていたのか、気を失うようにして倒れてしまった。

 

さて、本を正せばそもそもの原因は優にあるのだが、そちらに関しては現状手立てがない。

しかし人為的なものならどうにかなる見込みはある。一夏の『誰かを守りたい』という思想の根本。なにかそこに至った理由があるはずだ。それを解決する。そしてその理由を知っていそうな人物といえば、やはりあの人物しかいない。

 

「出来ることからやっていかないとな。自分で蒔いた種なんだから」

 

 

 

§

 

 

 

「先生。今、お時間大丈夫ですか?」

「……八神か。入れ」

 

一言告げ、地下にある一室の扉を開いた。ふと、クスリの匂いに混じってコーヒーの香りが漂ってきた。どうやらこの部屋にる誰かが飲んでいるらしい。

 

地下施設内に用意されている緊急時用の仮設医務室。そこで優を待ち受けていたのは、本日の数少ない負傷者であるラウラ。頭に包帯を巻きつけ、ベッドに拘束された少女。戦闘後に倒れた一夏。

 

そして泥のように眠っている3人を見守るように、傍らに腰掛ける1人の女性。

 

「やはり一夏は、お前と出会って変わったよ。八神」

「……織斑先生」

 

ため息がてら、そんなことをぼやく千冬。白い指先が、ゆっくりと一夏の頬を撫でる。

 

「っ、あの」

 

千冬の行動を遮るかのように、優が乗り出し気味に声を上げた。世間話をしに来たわけではない。次の事件が起きる前に問題を解決しなければならないのだ。

 

と、口を開きかけて固まる。聞きたいことがあるのは事実だが、一体何をどう訊ねれば良いのだろうか。

 

「……とりあえず、今回の事件は何だったんですか? 無人機のコアとか、デュノア君が狙われたり。それから、その子も……」

 

そう言ってベッドに拘束された少女を見る優。見れば見るほど織斑千冬と瓜二つだった。

 

(聞いておいて何だけど、ちょっと本題から遠すぎたか……)

 

しかし今回の事件に不可解な点が散見されたのも事実だ。情報を得ておいて損は無いだろう。またこの少女は明らかに織斑家の関係者だ。もしかしたら一夏の思想に迫ることができるかもしれない。

 

そしてどうやら優の質問は、あながち的外れというわけでもなかったようだ。

 

「後半の質問については少し説明に時間がかかる。先に今回の件について教えておこう」

「えっ、いいんですか?」

 

予想外の好感触に、思わず驚きの声を上げる優。そんな優に対し、千冬はどこか悟ったような笑みを浮かべた。

 

「ああ。学園が最も秘匿しておきたかった情報は、既に掴まれているようだからな」

 

恐らくコアのことを言っているのだろう。これが山田真耶のうっかりミスによる情報漏洩だと知ったらどのような顔をするのだろうか。優は少し考えて、やはり口を噤んだ。

 

「それに、今回は男性操縦者であるデュノアも狙われたと聞いている。一夏の近くにいればそうしたことに巻き込まれることも増えるだろう。恐らく今、最も一夏に近い場所にいるのは八神、お前だ。用心もかねて、情報を持っておくに越したことは無い」

「はあ、まあ」

「そして今回の件で気付かされた。どうやら私にも弟離れの時がやってきたようだ。正直に言うと悔しくて憎たらしくて今すぐお前をぶん殴りたい気分だが、まあそれは一旦置いておこう」

「えっ、えっ、……えっ」

 

ちなみにこの時、一夏のことを任せ、頼る相手として千冬が優を認めたのだということに、優自身が気付く日は永遠に来ない。

 

 

 

 

 

 

ことの発端は、一夏が男性操縦者として世間に知られたその日。亡国企業が一夏を取り逃したことから始まった。どうやら亡国企業は何らかの方法で、一夏が男性操縦者として覚醒することを知っていたらしい。

ISは女性にしか扱えないという神話が出来上がっている現代において、公になっていない男性操縦者という存在は、犯罪組織にとって喉から手が出る程欲しい人材だった。

 

一夏を取り逃した後、今度はシャルル・デュノアの存在が亡国企業の情報網に引っかかった。公になっていない男性操縦者は軍事的価値が高い。今いる人員を性転換したところで足がつきかねない。その点シャルルは15年以上前から存在を秘匿され、今や国家ぐるみの隠ぺい工作によって生まれたときから男だということになっている。ここまで都合の良い人材もそういない。

 

しかしようやく得られた情報は、シャルル・デュノアがIS学園へ向かうという物。このまま学園へ向かわれては、外来客を招くイベントの際に大勢の目についてしまう。

そこで提案されたのが、IS学園襲撃だった。学園が隠蔽した無人機のコアについての情報を米軍特殊部隊アンネイムドへと流し、万が一の時の囮として学園を襲わせる。そしてその襲撃に混ざり、シャルルを回収しようという寸法だ。そして最後には関係者もろとも情報隠蔽のために吹き飛ばす腹づもりだったようだ。

 

本来の予定では、襲撃に乗じてシャルルを浚い、一夏を取り押さえた後に学園を爆破。その後国連に紛れ込ませた工作員の手引きによって一夏を国連の研究施設に引渡し、その情報を流出させることによってメディアの注目を一夏に集中させる。その間にフランス政府と交渉し、手続き上はシャルルはフランスへ送還されたことにして、亡国企業の駒としてシャルルを手にいれる。と、そうなるはずだった。

 

しかしここで何らかの誤算が起こり、学園内の情報を入手することができず、コアの場所が分からないまま作戦が開始されてしまった。またエムと呼ばれる少女による命令違反もあったのだろう。その結果中途半端な襲撃となり、辛くも学園側に軍配が上がったのだった。

 

 

 

 

 

 

「──と、いうわけだ」

 

千冬から聞かされた事件の概要は、まだ裏付けが取れておらず、所々に千冬の推論が混じっていたものだった。情報を得られたのは良いが、しかしここに来て新たな疑問が浮上してしまった。

 

「えーっと、その子、エムって名前なんですね」

 

やんわりと指を指す優。その先では、エムが静かに眠っている。本当に生きているのか分からないほど、微動だにしていない。

 

「それでその、またいくつか聞きたいことがあるんですけど」

 

結局エムと一夏はどういった関係なのか。そして亡国企業は何故一夏のことを知っていたのか。続けざまに口を開こうとする優を制するように、千冬が手で待ったをかけた。

 

「いや、皆まで言うな。それを今から説明する…………とはいえ、どこから話したものか」

 

机の上に淹れてあったインスタントコーヒーを一口煽り、渋い顔で何やら考え込む千冬。やがてちらりとエムと一夏を見ると、優を伴って廊下へ出た。廊下の壁を背もたれに、コーヒーの入ったマグカップを片手に思案し、ややあってその重い口をゆっくりと開いた。

 

 

 

 

 

 

「誤解しないで聞いてくれ。実は織斑一夏は、私の妹だ」

 

 

 

 

 

 

時が、止まった。

 

静まり返った空間に、コーヒーの香りがゆらゆらと漂う。

 

(待て。つまり何だ。どういうことだ)

 

唐突なカミングアウトについて行けていない優。必死に情報をかき集め、脳内で整理していく。

 

(一夏はそこで寝てるヤツで、妹というのはつまり英語で言うとsisterとなる。ここから導き出される結論は1つ……)

 

ごくりとつばを飲み込む。静かに息を吐きだし、結論を出した。

 

「つまり一夏くんは妹だった……?」

「だから誤解するなと言ったのだ。馬鹿者」

 

再度コーヒーで口を潤す千冬。ちなみにそのインスタントコーヒーには砂糖が大量に投入されている。

 

「一つ聞きたいんだが……八神、お前は夏と聞いて何月を思い浮かべる?」

「えっと、ぱっと思いついたのは8月、ですかね……?」

 

優の回答に、小さく鼻を鳴らして笑う千冬。一体何がおかしかったのかと、自身の答えを思い返す。

 

「えーっと、7月とか? あ、もしかして旧暦の話ですか?」

 

思いつくものを挙げてみるが、千冬の笑いは深くなるばかりだ。やがて満足したのか、千冬は再度言葉を続けた。

 

「まあ、そんなところだろうな。夏至があるのは6月。それ以降は8月までが世間一般で言う夏だ。9月の半ばまでは暑さは残るかもしれんがな。だがまあ、少なくとも9月の終わりを夏と呼ぶ人間はそういない」

 

要領を得ない千冬の言葉。

 

「あの、つまり何が言いたいんですか?」

「まあ聞け。ところで一夏の誕生日を知っているか?」

 

不意に訊ねられ、虚をつかれたようにきょとんとする優。そういえばいつだったか。脳内の記憶を探る。確かそう、中学のころに一度聞いたことがあるような、ないような。そんな朧げな記憶捜索を待たずして、千冬が口を開いた。

 

「ふっ、まだまだだな。そんなことでは一夏はやれんぞ?」

「……結局いつなんですか?」

 

業を煮やした優の言葉に、千冬はどこかおどけた様子で答えた。

 

「9月27日だ」

「……9月?」

 

優の様子に、我が意を得たりと言わんばかりに腕を組む千冬。

 

「まあ、そういうことだ。あの日のことは今でも覚えている。そろそろ神無月に入ろうという頃だ。ついひと月前まで35度以上が当たり前の毎日だったのが、気づけば猛暑はすっかりなりを潜めて、あんなにうるさかった蝉の声もみんなどこかへ消えてしまったかのように静まり返っていた」

 

無意識のうちに情景をイメージする優。どこか涼し気な風が頬を撫でる。それは夏の風のような熱気を孕んだそれではない。

 

「お前はそんな日に生まれた子供に、『一夏』などと名付けるか?」

 

 

 

(……駄目だ。何か余計分かんなくなってきた)

 

与えられた情報に、ただただ混乱する優。何とかさらなる情報を探ろうと、懸命に言葉を探す。

 

「えっと、なんでそんなややこしいことに……?」

 

優の言葉に、千冬はどこか遠い目をして答えた。

 

「あれは、そうだな。一夏も私も、まだ幼かった頃の──私達の両親がいた頃の話だ」

 

ここに来てようやく本題が始まるのかと、優は密かにほっと息をついた。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

一夏と千冬、そして■■の両親は科学者だった。

 

一夏は病弱で、ずっと病院で入院生活を強いられていた。もう自力では手足を動かすことすら困難で、なんとか会話が出来るといった状態だった。

 

 

 

『一夏、何か欲しいものはあるかい?』

『何でも言ってね。お母さんもお父さんも、あなたのためなら何でもしてあげるから』

 

 

『……おそと、いきたい』

 

 

 

しだいに衰弱していく一夏のために、両親はある物を作り上げようと決意する。

 

操縦者の生活を補助するパワードスーツの様な物で、微弱な脳波を感知し、それを学習。また操縦者の成長にも合わせられるように、前述にある学習したことを基に自己進化を続けるAIを搭載するというものだ。

 

もはや一夏の病を完治することは不可能だった。ならばせめて普通の生活を送れるようにしてやりたい。仮にそれで、死への歩みが止まらなくとも。

 

しかしそのAIの部分が問題だった。どうしても机上の空論の域を出ないのだ。通常のスーツでは衰弱しきった一夏には扱えない。スーツそのものが一夏を動かせなくては駄目だ。そしてそのためには今までの物を凌駕する学習能力と脳とのリンク、そしてそれを反映することのできる自己進化能力を持つ必要がある。

 

 

 

『あれ? ちふゆねえ、とーさんとかーさんは?』

『二人とも一夏のためにずっと研究してるよ』

『ふーん、そっか。おれもさ、いつかとーさんたちみたいに、いちかをまもってやるんだ! なんたってにーちゃんだからね!』

 

 

 

しばらく研究室に籠りきりの生活が続いた。その間、■■と千冬の二人のことは篠ノ之家の母親が食事時などに顔を出して面倒を見ていた。ある時両親の事を心配した千冬が当時友人だった束にその事を相談した。最近両親が何かを作ろうとしている、そのせいでずっと研究室から出てこない、と。

 

束の提案により、研究室を訪れることにした二人。そこで束は千冬の両親が開発しているパワードスーツのデータを見てしまう。そして言った。自分ならばコレを完成させられる、だからしばらくこの施設を貸してほしい、と。

 

そして数日後、確かに理論は完成していた。あとはコレを現物にするだけだ。

 

しかし、ここでいくつか問題が発生していた。

 

一つ目に、二人がそのパワードスーツを作った理由を、束は理解していなかったこと。するとどういう事が起こったか。

束が作成したパワードスーツは、その性能、見込まれる用途、何もかもが二人の想定していたものとは大きくかけ離れていたのだ。共通していたのは、AIが受信する脳波の基準として使われていたのが一夏の脳波だったという程度だ。

 

二つ目に、束はパワードスーツを完成させることに集中しすぎて、他の事に目を向けていなかった。すると何が起きたのか。

簡単に言えば、情報の漏洩である。束が作成したパワードスーツは、その性能の高さ故に、大量破壊兵器と見なされた。その情報をとある組織が察知したのだ。幸いだったのは、AI――後にコアと呼ばれるソレの情報が流れなかったことだろう。

 

その組織は研究室の主である二人に、自分達に協力するように要求した。しかし二人は当然の如くそれを断った。するとその組織の矛先は思いもよらぬ方向へと向いた。

 

数日後、■■が事故に遭ったという連絡を受けた直後、再度例の組織からアプローチがあった。そこで二人は、今回の事故がその組織の仕組んだものだと気付く。

 

二人が病院にたどり着いた頃には、既に■■の容体は猶予などと言っている場合では無かった。どうも脳に大きな損傷があるらしく、このままでは脳死状態、或いは処置を施したとしても後遺症は避けられないとのこと。助かるにはどこかのドナーから脳を移植する必要があるのだが、都合よく近くにそんな存在がいるはずもない。

 

しかしここで一人、ドナー候補として名乗りを上げた者がいた。

 

 

 

『ねえ、わたしなら、おにいちゃんをたすけれるよね?』

 

 

 

一夏である。

 

一夏は医師と両親に懇願した。どうせ自分の命はもう長くない、だからこそ、最後は誰かのためにこの命を使いたい、と。

 

 

 

『……ちふゆ、ねえ…………いちかは……?』

『一夏は……もう……っ』

 

 

 

こうして移植手術が行われ、■■はなんとか一命を取り留めた。通常脳移植では、意識や記憶に関わる部位は移植しないことになっている。ドナーの人格が移植された人間に出てしまうからだ。しかし一夏の大脳皮質には軽微ではあるもののダメージが残っていたためか、手術後しばらくは軽い記憶喪失に陥っていた。

 

そしてそれだけではない。

 

 

 

『うそ、だ……おれのせいで、いちかが……だって、おれはにーちゃんで、いちかをまもらなきゃいけなくて……うそだ、うそだ、やだ、おれの、ちが、おれのせいで、まもれな……』

 

 

 

あまりの苦痛に耐えきれなかったのか、彼の脳は妹である一夏を犠牲にしたという事実を消そうとした。そして精神の防衛本能なのか、或いは所謂記憶転移なのかは分からない。しかし結果だけ言ってしまえば、一夏がいたという記憶とそれを消し去りたいという意識、そして一夏と■■という彼自身の人格が混濁し──。

 

 

 

『目が覚めたか?』

『……ちふゆ、ねえ?』

『ああ、おはよう。()()

 

 

 

長い昏睡状態から目覚めた彼は、自身を一夏と認識し、それまで持っていた殆どの記憶を喪失した。

 

こうして■■は一夏となった。

 

だが問題は終わらない。まだ組織の目は■■と千冬の両親へと向いている。このまま自分たちがここにいれば、恐らくまた他の人間に危害を加えられる。

そう考えた二人は、■■と千冬を残して姿を消した。当然事情は話していない。下手に情報を与えて巻き込んでしまう事を恐れたからだ。そうして残された二人は篠ノ之家へと預けられることとなる。

 

両親が失踪したのには■■や一夏。そして両親が開発し、束が完成させようとしているパワードスーツが関わっていると何となく察した千冬は、自身の無力さを恨んだ。結局自分は何も出来なかった、もっと自分に力があれば一夏は死なずに済んだのかもしれない、両親が姿を消すことも無かったかもしれない、そんな罪悪感と後悔の念が千冬の頭を廻った。

 

その時から千冬は強さを求めるようになると同時に、■■との間では家族の話題をタブーとした。彼は両親の事も一夏の事も覚えていない、ならばそのままにしておこう、苦しむのは自分だけで十分なのだから、と。

 

同時期、束も同様に自分の作り上げた物が原因で一夏の事故が起き、彼らの両親が失踪したのだと感知していた。一夏達の両親は束にも事情は話していなかったが、彼女は独力でデータが漏れていたことを突き止めたのだ。

 

やがて束は当時関係の深かった千冬とその弟である■■、そして実の妹である箒以外との接触を極力避けるようになる。研究について話していたのは、それこそ千冬くらいだったという。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

織斑千冬の話を聞き終えた優は、どこか放心したように立ち尽くしていた。

 

「一夏がISを使用できるのは、恐らくISを起動するオリジナルのキーである妹の脳を移植したからだろう」

「…………」

「亡国企業は初期ISの設計データを盗み見ていた。やつらも一夏の存在に感づいていたに違いない」

「…………」

「病院内にやつらのスパイがいたならば、妹から髪の毛や皮膚を得るくらい造作もない。あのエムという子供は、恐らく妹のクローンだろう。それならば他の生徒より適性が高く、IS戦でラウラが敵わないのも納得だ」

「…………」

「どうせクローン生成の際に、遺伝子情報を弄ったんだろう。でなければ、あんなに激しく動き回れるはずが無い」

 

優はちらりとエムを見た。微動だにしない寝顔に、優の視線が固定される。

 

(つまり本来織斑一夏として生きるはずだったのはこいつで、けどこいつはクローンで、だったらこいつの居場所はどこに、この状況はまさか、俺が、全部……)

 

「あ、あの……」

 

矢継ぎ早に繰り出す千冬に対し、優は絞り出すような声で訊ねた。その表情はどこか血の気が引いていた。

 

「そうなると一応、あのエムという子は先生の妹さんということですよ、ね?」

 

恐る恐るといった様子の優。しかし千冬はというと、ため息を一つついたかと思えば、首を横に振った。

 

「あれは私の妹ではない」

「えっ、でも……」

「私の妹は死んだ。私に残された家族は一夏()だけだ。あんなもの、妹への冒瀆以外の何物でもない」

「じ、じゃあ、あの子はどうなるんですか?」

 

優の問いに対し、千冬はすっと細めた視線を床に落とした。

 

 

 

「私の知るところではない」

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

(クソッ、ふざけんじゃねえよ)

 

内心で吐き捨てる。医務室を出た後、優は校舎の外へ出ていた。誰にも会いたくなかった。何も考えたくなかった。しかし否が応にも思考は回転を始め、先程医務室で眠っていた少年の顔を思い起こさせる。

 

織斑千冬の言うことは理解できなくもない。むしろ問題なのは、エムと呼ばれる少女を救いのない状況に追い込んだのが自分かもしれないということだった。

 

(明らかに出来過ぎてる)

 

織斑一夏の両親が科学者で、偶然篠ノ之束がISを兵器に仕立て上げ、そして情報を漏洩させる。エムという少女は言わば一連の事件による不幸の産物だ。

 

『私は、お前だ』

『私から奪ったお前が、『織斑一夏』であることが気に入らない──ッ!』

 

亡国企業によって歪曲した情報を吹き込まれ、一夏への憎悪を駆り立てるように操作されていたのだろう。

 

そしてこのあまりにも出来過ぎな『流れ』。まるで何者かの意思のような物を感じずにはいられない。

 

『私は……一夏も何か大きな力の流れに巻き込まれて、いずれ巡り巡って、自身の選択を後悔するのではないかと思ってしまう』

 

いつか千冬の言った言葉が脳内に反響する。もしかしたら、既に巻き込んでいるのかもしれない。もはや全てが自分の能力によって仕組まれた壮大なカラクリであるかのような気がしてならなかった。

 

(一夏は誰かを守りたいと、守る対象に依存したいと思っていた)

 

しかしそのためには守るための力と対象、そして脅威が必要だ。

 

(普通の人生を送って、やつが満足できるような環境が揃うとも思えない)

 

どれだけ幸運だろうとも、金を持っていなければ無人のパチンコ店に入ったところで何も起こらない。一夏の運がどれだけ良くなろうとも、そもそも原因が無ければ結果は生まれない。つまり優によってISに触れる機会に恵まれようとも、ISを動かすための原因である妹の死が無ければどうにもならない。優の持つ幸運とは、その原因まで用意してしまうのではないか。

 

 

そして何より、妹の死が無ければ、エムという脅威は生まれない。

 

 

(あああああッ、クソッ!)

 

 

学園が襲撃されたことも、ラウラが敗北したことも、無理矢理学園に連れてこられた挙句、殺されそうになったシャルルのことも、そして一夏とエムのことも。元はと言えば自分が蒔いた種だ。自分が被害にあうのはもう構わない。しかし──

 

(もうこれ以上、誰かに不幸を押し付けるのは嫌だ……ッ!)

 

全ては自分が悪い。故に戦うのは自分一人であるべきだ。全ての事件が優の幸運に起因しているとすれば、もはやこれは幸運などでは無い。他者に不幸を強いるだけの疫病神だ。

 

(頼むから、もう誰も巻き込まないでくれ!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつて、とある少女は言った。

 

『幸福の定義など人それぞれ、時と場合と立場で大きく異なる。それでも尚、貴様にとっての幸運が訪れないというのであれば、貴様自身が明確な目的を持っていないのだろう』

 

かくして、八神優は幸運を定義した。彼女にとってのそれとは即ち、「彼女自身の能力に他者を巻き込まないこと」。

 

八神優を中心に据え、歯車が音を立てて回り始めた。




つまり一夏の絶対守るマンの原点は死なせてしまった妹だったんだよ!

ちなみにこの話について言い訳させていただきますと、本当はシャルルが死ぬはずだったんですけど、やっぱり生きろそなたは美しいって思って書き直してたらこんなんなりました。
本当はマジでシャルルのISを奪ってユウちゃんが戦う話書いてました。そのためにシャルルのISは初期設定ということにしてました。

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15

今回は短いです。


戦国の世において、銃が刀を駆逐したように。

大戦の世において、戦車が銃を蹂躙し、戦車を核が粉砕したように。

 

その時代において

その世界において

戦う上で

勝つ上で

 

──否、そもそも戦場に立つための必須条件として、常に先端の『最強』を手にしなければならない。

 

そうでなければ、物語の舞台に上がることすら許されない。背景の一部として、手も足も出せず、戦火の端で無力感と共に佇むばかり。

 

 

故に彼女は欲した。

 

故に彼女は与えた。

 

 

 

現代の戦において、核をねじ伏せた『最強』を。

 

その並び立つ『最強』すら切り伏せることのできる真の『最強』を。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

「八神、聞いてくれ! さっき姉さんから連絡があったぞ!」

 

寮の一室。箒の言葉に、俺は徐に顔を上げた。

 

現在は授業が全て中断され、校舎の安全確認と修復作業が行われている。

原因は先の一件。原因不明のテロ。否、原因不明というのはあくまで表向きの話だ。

 

実行したのは無人機のコアを狙った米軍特殊部隊と、そいつらを囮として使った亡国企業。シャルルの誘拐を目的としていながら、実行部隊に所属するある人物は一夏殺害を目論んでいた。

 

その人物の名はエム。

織斑一夏の妹、そのクローン。

『織斑一夏』という名の本来の持ち主でもある。

一夏によって名を奪われたその少女は、今どこでどうなっているのか。

 

俺の幸運に呑まれてしまったがために、結果として訪れた不幸。その被害者たち。

 

一夏は何かを守りたいと願っていた。故にその力と、相対する脅威を与えられた。一夏の願いを叶える『幸運』が訪れる度にあいつは傷ついていく。

 

(その願いの果てが、これか……)

 

ふと先日の戦闘が脳裏を過る。かつて家族だった相手に命を狙われ、戦い、憔悴し、そのまま意識を失うようにして眠りについた一夏。

 

高潔だった願望。その結果として叶えられた狂い切った幸福。

守る力と脅威。そして、誰かを守りたいという意思。そのどれもこれも、かつて一夏が守ると誓った(エム)の死によって齎されたものだった。

 

そしてそれらが全て俺の幸運に巻き込まれたが故に起きたのだとすれば、10年以上前にエムを殺し、一夏を『今の一夏』にしてしまったのは、この俺に他ならない。

 

 

──もし、俺が居なければ、二人は普通の兄妹として過ごすことが出来たのだろうか。

 

 

「お姉さんは、何て?」

 

俺の声は想像以上に疲れ切っていた。いや、疲れている場合じゃない。この後も何かが起こるかもしれない。みんなを巻き込む前に、俺が何とかしないと。幸い一夏はまだ目を覚ましていない。あいつを関わらせなければ、変に事態が拡大することも無いだろう。

 

内心で喝を入れ、改めて箒に向き直る。箒は俺のくたくたな言葉とは裏腹に、どこか喜色を滲ませた表情だった。例えるなら、救済を宣告された信徒のような、喜びと期待感が入り混じった表情。

 

ぞわりと走る悪寒。

なんだか嫌な予感がする。

鼓動が妙に近く聞こえる。

汗が一滴、俺の顎へ伝い、ぽたりと落ちた。

 

「ついに、ついに私のISが完成したんだ!」

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

(ここに来て箒のISか。駄目だ。不穏な気配しかしない)

 

気を紛らわすべく、学園内をうろつく。悶々と思考が回り続け、いつまでも結論の出ないまま時間だけが過ぎていく。

 

「……はぁ」

 

嘆息。目の前には無機質な扉が、俺の行く手を阻むべく佇んでいる。扉の向こうでは、一夏とエムが眠っているはずだ。

 

「何回目だよ。クソっ」

 

襲撃事件から2日。俺はその間、気が付けばここへ──一夏達が運び込まれた仮設医務室へと来てしまっていた。

 

「…………」

 

扉は固く閉ざされている。俺は何度もここへ足を運びながらも、一夏達の眠る部屋の中へ入ることができないでいた。

 

……帰るか。

 

俺は踵を返し、ゆっくりと歩きだした。

 

後ろ髪を引かれながら、一歩一歩ゆっくりと歩く。廊下を曲がろうとしたところで、ふと後方から扉の開く音が聞こえた。それと同時に誰かの話し声。俺は何故か、咄嗟に廊下の角に身を隠した。背を冷たい壁に押し当て、じっと耳をすます。

 

()()は2200だ。それまで尋問室へ入れておけ』

 

どきりと心臓が高鳴る。開口一番に物騒なことを口走ったその声は、紛れも無く織斑千冬のものだった。

下手に動くと気付かれる。俺はゆっくりと浅い呼吸を繰り返し、必死に鼓動を抑えつけた。

 

『そういえば、沖縄へは高知での燃料補給を挟んで太平洋上を通って行くんですよね? 今回の件って結構極秘情報だと思うんですけど、どこまで通達されてるんですか? うっかり撃ち落とされたりしませんよね?』

 

曲がり角の向こう側から、さらにもう一人の声が重なる。今度は山田真耶だ。

 

『安心しろ。問題無い』

『良かったぁー。それにしても、リヨンまで複数ポイントを経由して運ぶなんて、インターポールも面倒な注文出してきますね』

『万全を期すためだ。文句を言うな』

『はあ。うちにもドイツで開発されてるっていう輸送用のISがあれば……』

 

は? リヨン? インターポール?

 

唐突に聞こえた単語に、俺は思わず角の向こうへ視線を向けた。

 

そこには、非常に幸いなことに俺のいる場所とは反対側を向いていた織斑先生と山田先生、そして山田先生が押しているストレッチャーの上には、目を閉じたまま静かに横たわるエムの姿があった。

 

(っ! やばっ!)

 

俺の視線に気付いたのか、織斑先生がこちらを向くような素振りを見せた。その瞬間、俺は再度首を引っ込める。

 

『…………』

『? どうしたんですか? 織斑先生』

 

足音とストレッチャーの車輪が止まる。俺は壁に貼り付いたまま、何故か少しずつ姿勢を低くした。どくんどくんと鼓動が五月蠅い。今にも心臓が飛びだしそうだ。

 

背中が床に着きかけるころ、ようやく二人は歩きだした。ストレッチャーの軋んだ音が、ゆっくりと遠ざかっていく。

 

(たすかったぁ……)

 

俺は深く息を吐きだしながら、しばし壁に寄り掛かっていた。

 

(尋問室……沖縄……リヨン……インターポール……。多分これも機密だよな。山田先生ってホントに……)

 

会話に登場した単語を脳内で繰り返す。内容から察するに、あのエムという少女は今日の夜にここを出発し、沖縄を含めた複数の場所を経てインターポール本部へ引き渡されるのだろう。

 

国際犯罪者として捕縛され、今後一生、一夏とは離れ離れに暮らすのだろう。

 

「…………っ」

 

胸の奥がちくりと疼く。罪悪感めいた何かが、ちらりと顔をのぞかせた。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

校舎を出て、俺はISの試運転のためにアリーナへ来ていた。機体検査が終了し、俺の専用機『アマテラス』は俺の手元に戻ってきていた。

 

先の一件で痛感した。確かに出生こそ特異かもしれないが、この世界において、ISを持たない俺などただの小娘に過ぎない。特にこの先、闘う為の力を手放してはならない。

 

もはや周囲の全てが疑わしくなっている。何がいつどのように敵になるのか。分からない以上、頼れるのは俺の力だけだ。

 

そして今、事件の兆しがさっそく現れた。

 

────『ついに私のISが完成したんだ!』

 

ここに来る途中、つい先程まで、しののの博士とやらがこの学園に来ていたと何人かの生徒達が話していた。何でも、箒の専用機を持って飛んで来たんだそうだ。そしてそのまま機体の調整を行い始めたらしい。

 

元々一夏を守るための戦力として数えていたはずなのに、今となってはやつを戦場に駆り立てる舞台装置にしか見えない。何だか漫画や小説の展開をメタ読みしている気分だ。

 

どうせ件の箒の専用機が暴走したりするんだろう。故に一夏にこの情報を与えてはならない。やつの思想は、一朝一夕でどうにかするにはあまりにも根が深すぎる。根本的解決が難しい以上、常に一夏の一歩先を行く対症療法しかない。極端な話、箒の専用機が到着したその瞬間、そいつを事が起こる前にぶっ壊すってのも視野に入れておく必要がある。

 

本当は俺がアイツの前から消えてしまうのが一番手っ取り早いのかもしれないが、それは今じゃない。次の事態は既に進行し始めている。ここで俺が消えれば、今度ばかりは死人が出るかもしれない。今まで誰も死ななかったのは、案外俺の幸運によるものって可能性もある。

 

それに依存対象を失った一夏が、迫る脅威を前に何をしでかすか分かったもんじゃない。

 

(だけど今回の事件が終わってひと段落ついたら、それこそここから消えるって選択肢もありか)

 

ともあれ、一夏の目が覚める前にやれるだけのことをやらないとな。

 

「ユウさん!」

 

その時、アリーナのピットに人影が見えた。風にたなびく品のある金糸。ハイパーセンサーによって強化された視力がその人物を捉える。あれはセシリアか。一体どうしてあんなところに──

 

「一夏さんが目を覚まされましたわ!」

 

嘘だろ。

 

もはや漫画めいた予定調和すら感じさせる展開に、俺は全身の力が抜けていくのを感じていた。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

機械的で無機質な鋼鉄色のドアが、空気の抜けるような音と共にスライドする。仮設医務室として使われている地下施設の一室は、そこはかとなく薬の匂いが漂っている。

 

デジタル表記の時計がぼんやりと光っている。たった今、丁度日付を跨いだ。

 

室内にはパイプベッドがいくつか並んでいるが、そのうち使用されているのは一つだけだ。既にあのエムという少女は居ない。

 

残された一人、ベッドに横たわっている男子生徒は、俺の存在に気付くや否や、ゆっくりと上体を起こした。

 

「ユウ。来てくれたのか。情けない恰好見せちゃったな」

 

そう言って笑う一夏。どこか力のないその笑顔から、俺は思わず目を逸らした。

 

「……そんなこと、ないよ」

 

ぱっと目についたのは、机の上に置いてある見舞い品の入った紙袋。そしてベッドの近くにあるゴミ箱。飲み物などのゴミがちらりと見える。どうやら他のやつらは既に一度来て、今はもう帰ってしまったようだ。

 

「みんな、先に来てたんだね」

「ああ。千冬姉も鈴も弾も、みんな大袈裟に騒ぎ過ぎなんだよ。とりあえず無理矢理追い返したけど、明日また来るって言って聞かないんだ」

 

一夏の言葉に、俺は安堵していた。

俺がみんなと一緒に一夏の回復を祝うというのは、なんだか違う気がした。

 

それにみんなと会うのは、なんだか気まずかった。

 

「箒も来たの?」

 

直球な問いかけ。もはや駆け引きなど存在しない。あれこれ考えることが煩わしい。とにかく今は迅速に、問題の芽を摘みに行く。

 

「ああ。みんなと同じ頃に来てたな」

「……そう。何か言ってた?」

「いや、別に大したことは話してないけど。それがどうかしたか?」

「ううん、別に。なんでもない。ありがとう」

 

どうやら箒の専用機に関する情報を、まだ一夏は知らないようだ。

このやりとりにおいて、俺の言葉は明らかに不自然だったと思う。まあ、不審に思われたら思われたで、やつが情報を掴む前に事件を処理できればそれでいい。

 

突っ込まれたら適当にはぐらかそうという考えていた俺とは裏腹に、しかし一夏は追求してこない。

 

「なあ、ユウ」

 

代わりに飛んできたのは、一つの質問だった。

 

「あの、千冬姉とそっくりな子、どうしたんだ?」

 

素朴な疑問が、俺の心を静かにつつく。罪悪感のような何かがざわめく。

知らないと切って捨ててしまえば良い。しかしその一言が出てこない。

まるで脳に氷柱が突き刺さったように思考が動かない。

 

俺は何も言えず、視線を逸らすことも許されず、ただじっと立ち尽くした。

 

「俺さ、あの子のこと知ってるような気がするんだよな」

 

罪が暴かれていく。

 

「思い出そうとすると、また気絶しそうになるくらい頭が痛むんだけど」

 

薄皮を剥くように、ゆっくりと。

 

「夢で見たんだ。俺とあの子が一緒にいる夢。あれは千冬姉じゃない。何となく、分かるんだ」

 

ああそうだ。そうだろうとも。知っているだろうよ。織斑千冬とも別人だ。そいつはお前のもう一人の家族だ。

お前とそのもう一人の家族を引き離し、戦わせた原因が俺にあると知ったら、お前はどんな顔をするんだろうな。

 

「なあ、ユウ」

 

ふと現実に引き戻される。一夏はもはや俺など見ていない。

 

「俺、なんで思い出せないんだろう」

 

そしてそこに至ってようやく気付く。

 

「大切なことだった」

 

絞り出すような声は頼りなく震え、

 

「絶対に、忘れちゃいけないことだった」

 

目の前にある一夏の顔は、

 

「そんな気が、するのに……っ」

 

今にも泣き出してしまいそうだった。

 

「…………」

 

今の一夏にかける言葉など、俺は持ち合わせていなかった。

ただ時間が過ぎることだけを願った。時間がすべてを解決して、俺の罪が過去に消えていくことだけを願っていた、

 

しかしそんな俺を許さないとでも言わんばかりに、目の前の男は純粋で残酷な言葉を俺に叩き付けた。

 

「俺、あの子に会わなきゃ」

「えっ……」

「会って、もう一度ちゃんと話さなきゃ」

 

うわ言のような、それでいて確信をもった言葉。

 

「そうしないと、きっと後悔する」

 

そしてやつは俺を見た。悲壮と苦痛にその端正な顔を歪め、強迫観念めいた何かに追い立てられるように口を開いた。

 

「ユウ」

 

やめろ。言うな。そんな目で俺を見るな。

一夏の骨ばった手が俺の腕をつかむ。予測される展開に、俺の体は強張っていく。

 

「あの子はどこに居るんだ?」

 

やめろ。もうあいつの話はしないでくれ。

他ならぬ一夏の言葉からあの少女の姿がチラつく度に、むくむくと居心地の悪さが膨れ上がっていく。

 

「知ってるなら教えてくれ」

 

やめろ。もういいだろ。あいつのことは全部忘れろ。

一夏と目が合う。一夏の強い意志が込められた視線と、必死に逃げ場を探す俺の視線が絡み合う。

 

「頼む」

 

やめてくれ。頼むから。

 

俺の腕を掴む一夏の力が強くなる。ぐっと身を乗り出し、こちらへ身体を寄せる一夏。

 

「お願いだから」

 

一夏の気迫に気圧され、俺の中で何かがぐらぐらと揺らぐ。俺の中の罪の意識が、一夏の手を振り払うことを許さない。ここから逃げ出したいという気持ちと、贖罪を迫る強迫観念が急速に俺の心中を染め上げていく。

 

もう、限界だった。

 

 

「俺は……っ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……わかった」

 

その瞬間、俺は自身を襲う感覚に抗えなかった。俺の中の何かが、ぽっきりと折れる音がした。




王ドロボウJINGとダンまちってクロス対象として割と親和性高いんじゃねと思う今日この頃。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今年中に完結させると誓ったあの日から9ヶ月が経とうとしています。私は今日もイカの・スメルを書いています。

さて、福音編突入です。福音編が終わったらその次が最終章です。


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16

亡国企業とは、戦後の世界秩序を影から脅かし続けた国際犯罪組織である。

 

構成員の情報は一切不明。また明確な目的も不明。しかし彼らは、いかなる国、時代においても、戦乱と共に現れる。そうした中で、このISという超兵器が開発されたこの世界に彼らが現れたのは、ある種の必然である。

 

その存在を秘匿しつつも、世界各国の警察組織が追い続けた亡国企業。今その構成員の一人が、国際警察の手に引き渡されようとしていた。

 

「時間です」

 

日の落ちたヘリポートに、堅苦しい声が響く。警視庁特別捜査官である男は、車椅子に座る少女をちらりと見た。

 

(こんな子供が亡国企業の一員だというのか……)

 

意識を失ったまま車椅子に拘束されている少女を、メガネをかけた童顔の女性教師がヘリの中へ押していく。

 

ヘリポートには現在、エンジンのかかっていない静かなヘリコプターが3機と、事件現場であるIS学園の教師が数名。そして男と同じ警視庁特別捜査官が12名。うち半数は女性であり、そのうち4名がISを所持している。2機のヘリは護衛用だろう。

 

本来海外での犯罪歴があったとしても、国家主権上の問題から現場となった国が犯罪者の身柄を拘束する。しかし今回は組織の危険性があまりにも未知数であることと、現場がIS学園という名目上は特異な治外法権状態であったこと、また情報共有及び安全性の観点から、一度襲撃を受けた日本ではなくICPOの本部が存在するフランス、リヨンへ身柄を護送することとなった。

 

(それにしてもこの子供……)

 

男は少女と、学園教師の一人を気付かれないように何度か見比べた。

 

(あの世界最強(ブリュンヒルデ)とそっくりじゃないか)

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

ヘリが飛び立ったであろう方角を、一人の女子生徒が見つめていた。彼女は何かを考え込むように立ち尽くしている。その相貌は芸術品のように整っており、その場の雰囲気も相まって、見ている者がいれば思わずため息をついただろう。

 

30分ほどそうしていただろうか。やがて彼女は、夜に溶け込むような黒い髪をなびかせ、何かを決心したような面持で呟く。

 

「……行こう」

 

直後、少女の体を光の粒子が包み込み、弾けた。

 

そして──

 

 

 

 

 

 

【ERROR】

 

 

 

 

 

【ERROR】【ERROR】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】【ERROR】

 

 

 

彼女の視界が警戒色のポップアップで埋め尽くされていく。突然のことに面食らう女子生徒だったが、その直後、頭の内側を殴りつけるような衝撃が彼女を襲った。

 

「ぁ、あぁっ……! ぐっ……何だよ、これ……ぁっ!」

 

激しい頭痛。脳内をミキサーにかけられたかのようなそれに、彼女の防衛本能が彼女自身の意識を手放させようとする。やがて言葉を発する余裕もなくなり、奇妙なうめき声が彼女の唇から流れ落ちた。

 

(もう、ダメだ……)

 

目の前の景色がぼやけていく。意識を失いかけた女子生徒だったが、その赤い瞳を閉じようとした直前、

 

『やあやあ。調子に乗ったメス豚君。悪いけど君には踏み台になってもらうよ』

 

警告ウィンドウの隙間から、陽気な声とともに紫色の兎が姿を覗かせた。

 

 

 

いつかの楔が牙をむいた。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

「暴走したIS?」

 

報告を受けた千冬は、怪訝な表情で尋ね返した。

 

現在職員室にいるのは、政府への報告書をまとめている千冬と、学園のサーバーを調整していた数名の教員たちだ。

 

「予期していた事態ではあるが……」

 

ようやく重要人物を送り出したと思ったらこれかと、深くため息をつく。どうやら先ほど、政府宛に匿名の情報提供があったらしい。その内容というのは即ち、暴走した機体が例のヘリに向けて高速で移動しているというものだった。

 

時計を見る千冬。今頃ヘリは燃料補給のために寄った高知を出発しているはずだ。あと3時間半ほどで、ヘリは目的地に到着するだろう。

 

「その機体の情報は?」

「は、はい。あります。ありますが、その……」

 

煮え切らない様子の真耶。もういいと言わんばかりに、千冬はずかずかと真耶の操作していたパソコンの前へ歩み寄った。

 

「これは……」

 

モニターに映るのは、いつかとある少女が身に纏っていた装甲だった。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

「──というわけで、お前たちには暴走した『アマテラス』を破壊してもらう」

 

深夜のIS学園にて。集められたのは、現在動くことのできる全ての専用機所持者たち。

 

「ちょっと待って! 破壊ってどういうこと!?」

 

千冬に詰め寄りながら、小柄な少女が叫んだ。彼女の名は凰鈴音。今まさに暴走しているISに乗る少女の友人だった。

 

「敬語を使え。そして落ち着け、凰。これは政府からの指示だ」

 

冷たく言い放つ千冬。しかし鈴は止まらない。

 

「それじゃあユウは? ユウはどうなるっていうの!?」

 

鈴の言葉に同調するように、セシリア・オルコットも頷く。肩身を狭そうにしながら、シャルル・デュノアも千冬を見た。ラウラ・ボーデヴィッヒもまた、何か他に手はないかと考え込んでいる。そして──

 

 

 

「ちーちゃん、不満がある子は帰ってもらっていいんじゃないかな。というか……」

 

──一人の女性が現れた。陽気な声と共にに、一人の少女を連れ立って、暗闇からゆっくりと。

 

そして彼女は連れて来た少女へ振り向き、言った。

 

「箒ちゃん以外、みんな要らないから帰ってもらおうよ」

 

箒と呼ばれた少女は、己の手を引く陽気な女性をちらりと見た後、今度は千冬へと視線を向けた。

 

「……織斑先生。八神のISが暴走したというのは本当ですか?」

 

どこか震えがちな声。箒の問いに頷こうとする千冬だったが、それを遮って陽気な女性が箒の目の前で笑った。

 

「箒ちゃん箒ちゃん。相手が何だろうと関係ないよ。世界でただ1機の第4世代『紅椿』なら、どんな相手でも楽勝だよ。だから気にせずぶちのめしちゃおうよ」

「し、しかし、姉さん……んむっ」

 

自身を姉と呼ぶ少女の唇に、そっと指を押し当てる女性。紫の髪がふわりと舞う。

 

「大丈夫だよ箒ちゃん。箒ちゃんは何も心配しなくていいの」

 

女性の微笑みに、少女は何も言えずに立ち尽くした。

 

(これからは私が与えた(紅椿)が箒ちゃんを守る。もうあんなのが寄り付かないように)

 

女性の口元が三日月のように吊り上がった。

 

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

 

「ユウ、どこ行ったんだ?」

 

その少年はボロボロだった。いや、実際外傷があったわけではないが、恐らく傷を負っているのは内面だろうと想像できる。きつい頭痛に頭を抑え、息も絶え絶えといった様子の少年。彼の名は織斑一夏。一夏はどうやら仮設医務室を抜け出し、学園内を彷徨い歩いているようだった。

 

実は彼、遡ること三十と数分程前。友人である女子生徒にある相談をしていたのだが、その女子生徒は相談を受けるや否や、夢遊病のような足取りで姿を消してしまったのだ。その少女を心配しつつ捜索していると、どうやらそういうことらしかった。

 

しかしこれに関しては一夏に問題があるだろう。何せその相談の内容というのは他の女のことだからだ。女の相談を女にするなど一体何を考えているのかと、赤い髪をした彼の親友ならば呆れかえっただろう。

 

『こ──先──政府から──』

「ん? この声、千冬姉……?」

 

しかし恐らく、それほどまでに切羽詰まっていたのだろう。或いは、きっと相談の中に登場した女に対する自身の感情が()()()()類のそれではないと、一夏は無意識のうちに薄々気付いていたのかもしれない。ともあれ、一夏は八神優にある少女のことを話してしまった。縋ってしまった。追い詰められ、どうしたらいいか分からなくなった一夏は、己が密かに憧憬の眼差しで見ていたヒーローに助けを求めてしまった。

 

『八神優の専用機、『アマテラス』が暴走した』

 

それが結果として、そのヒーローを崖から突き落とすことになるとは、誰が予想できただろうか。

 

『──お前たちには暴走した『アマテラス』を破壊してもらう』

 

 

 

 

さて、千冬と専用機保持者たちとの会話をこっそり聞いていた一夏だったが、居ても立っても居られないとばかりに走りだした。

 

「まずい。このままだとユウが……」

 

千冬からは『動くことのできる専用機保持者』としてカウントされていなかった一夏だったが、案の定、足がふらついて上手く走れないようだ。2~3日程眠っていたのだから当然である。

 

「はあっ、はあっ、っ、くっそ……!」

 

壁に手をつき、もう片方の手で、頭痛を鎮めるように額を抑える。しかし大した意味など無い。それは一夏にも分かっていただろう。

 

彼が意識を失っていたのは精神への負担によるものであり、実際彼の怪我は元々大した物ではない。既にISの操縦には何の支障も無かった。少なくとも外傷という観点で見れば。しかし動かしていなかった状態の身体を突然走らせればこうなることは必然だったし、一夏は現在ひどい頭痛に襲われている。良し悪しで言えば、コンディションは悪い。

 

「ユウ……っ!」

 

しかし織斑一夏は諦めが悪い。暴走の原因までは分からないが、きっとあの場に駆り立てた一因は自分にある。ならば立ち止まってなどいられない。一夏の瞳はそう語っていた。

 

「他のやつらが動く前に俺が行かないと」

 

そう呟いたところで、ふと立ち止まる。

 

自分が行って何をするのだろう。彼女と戦うのか。自分をかつて救ってくれた彼女と。そうすることで何が変わるのだろう。他の者と自分とで、結末は変わるのだろうか。ユウを傷つけないでくれと箒に頼み込めば解決するのではないだろうか。

 

きっと一夏の頭の中ではそんな言葉が踊っているのだろう。

 

「違う。そうじゃない。そうじゃないだろ……っ!」

 

彼女をあの場へ駆り立てたのは自分だ。ならばここで行かないでどうする。彼女を守りたい。彼女を守るのは己の役目だ。

 

「そうだ。俺がユウを守って見せる」

 

──などと考えているのだろうか。自分は本当はどうしたいのか。なぜ彼女を戦場へ追い込んでしまったのか。なぜこんなにも彼女を守りたいと思っているのか。己の心を整理しきれず、曖昧な認識のまま戦いに赴こうとする今の一夏は、傍から見ていて非常に危なっかしかった。

 

しかし一夏は今、気付きつつある。今まで無条件に彼女を守りたいと思っていた蒙昧な己から脱却しようとしている。たった今、あの立ち止まった数秒に、その兆しが見えた。

 

ならばこそ、彼に手を差し伸べようとする人間もいる。

 

「待てよ一夏」

「……弾。俺を止めに来たのか?」

「ふっ」

 

会話がやけにこだまする。IS学園の地下施設は、しんと静まり返っていた。ここにいるのは一夏と、一夏の目の前に立つもう一人しかいない。

 

「止める? まさか。馬鹿言ってんじゃねえよ」

 

己を知らず、敵も知らず、策も無しに愚直に突っ込むような、見ているだけでハラハラドキドキの絶叫マシーンが如き男と、そんな男にわざわざこうして手を差し伸べるお人好ししかいない。

 

「男が一皮むけようってのに、邪魔するなんざヤボってもんだ」

 

そういうわけだから、一夏の親友であるところの俺、戦場を駆ける紅い死神こと五反田弾は一夏の前に立ちふさがった。

 

「どうせろくに作戦も立ててないんだろ? 俺にも一枚噛ませろよ、一夏」

 

ぽかんとする一夏。きっと内心では喜びに打ち震えているのだろう。そして俺に見惚れるのは勝手だし自然の摂理ではあるが、俺はみんなの俺でいたい。それに残念ながら時間もそう残っていない。サクサクと進めさせてもらうぜ。

 

「俺にいい考えがある」




お前が福音になるんだよ!
というわけで、福音の代わりにゴスペることになった主人公。
まあ結果としてナターシャは巻き込まずに済んだんだから良かったんじゃないかな!


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17

適性が下がった話をようやく活用します。
というか弾が活躍しすぎですね。もっと一夏か主人公を有能キャラにすれば弾の活躍を減らせたのでしょうか。具体的にはあまりにもやることなすこと完璧すぎて「さすいち!」って言われるくらい。


「──これでよし、と」

 

弾は何やらコピー用紙に書き込んだ。そして折り畳んだそれを、職員室の入り口に向かって放り投げる。

 

「さて、期待してくれているところ非常に申し訳ないが、今回はおふざけ抜きで行くぜ」

「あ、別に期待してない」

 

織斑千冬が招集した専用機所持者、それに加えて篠ノ之束がいる職員室から離れるように移動しつつ、弾と一夏は静かに作戦会議を始める。

 

「分かっていることをまとめるぞ。

【1、『アマテラス』はヘリに追いついていない】

【2、今すぐ使える味方はいない】

【3、推測だが『アマテラス』は何故かフルスペックを発揮していない】。以上だな」

「お、おう」

「一夏、ここからはスピード勝負だ。何としても他の連中……というより、篠ノ之束よりも先に手を打たなきゃならん」

 

いろいろと聞きたいことはあるが、一先ず頷く一夏。束の名を出され、先程の様子を思い出した。

 

──『相手が何だろうと関係ないよ。世界でただ1機の第4世代『紅椿』なら、どんな相手でも楽勝だよ。だから気にせずぶちのめしちゃおうよ』

 

そう口にする束から、一夏は狂気じみた何かを感じ取っていた。今の束は何をしでかすか分からない。箒や鈴がユウを傷つけることは無いだろうが、そこに束が関わるとなると、あまり楽観もしていられなかった。

 

「で、良い考えって?」

 

一夏の問いに対し、弾はどこから取りだしたのか、IS学園のフロアマップを広げて説明を始めた。

 

「とりあえずパッと思いついたのは3つだ。1つ目は、外部への射出用カタパルトを使う」

「カタパルト?」

「ああ。第三アリーナの試合で使っただろ。あれの外向けのやつがある」

 

そもそもIS学園とは、現代における最強の兵器が、世界中で最も数多く存在する施設である。有事の際にIS学園にある機体を派遣できるようにするため、当然アリーナ以外にも射出機が存在する。

 

「なあ弾、そのカタパルトを使ったところで追いつけるのか? 結局初速が変わるだけだろ?」

「それでも結構変わるもんだぜ? お前が出発した後に細工してカタパルトを使えないようにすれば、ほかの連中の足止めにもなる。それと追いつけるかどうかについては問題ない。絶対に追いつける。断言できるな」

「どういうことだ?」

「ユウの専用機『アマテラス』は、速度と火力にステータスを極振りした機体だ。先に動いたアマテラスを捉えることができる機体なんていない。それを連中は今から追いかけるってんだろ? つまり後追いでも十分追いつけるような策か、もしくは【情報】があると見た」

「あ、そうか。その【情報】っていうのが……」

「そう、俺の上げた3つ目の推測だ。『アマテラス』がフルスペック状態なら、悠長に人集めして会議なんて開いてる場合じゃない。政府から連絡が回ってきたってことは、政府はアマテラスの位置を補足できていることになる。恐らくその位置情報から移動速度を見て、追い付けると判断したんだろう」

 

少なくとも話を盗み聞きした情報によると、学園側、および政府はこれからことの解決にあたろうとしている。逆に言えば、今から動いても十分間に合う算段があるということになる。

 

「つまり今のアマテラスは、並の速度で追いつける状態ってことだ。ま、それでも飛行機なんかと比べりゃ全然速いんだけどな」

 

そういえば、と前置きして、弾は一夏へ向き直った。いつの間にか二人は校舎の外に出ていたらしい。鮮やかな光を湛える月が、夜を静かに照らしていた。

 

「すっかり忘れてたけど、今のうちに返しとくわ」

 

そう言って弾は、一夏に右手をビシッと差し出した。

 

「お前の部屋の鍵」

 

弾の手に握られていたのは、なんと一夏の部屋の鍵だった。

 

「……なんで? いつ? どうやって?」

「お前が寝てる間にちょちょいと」

「えっ、俺の部屋に何したんだよ」

「変なことはしてないぞ。ちゃんと洗ったし」

「マジで何したんだお前」

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

現在IS学園はテロ事件の影響で、いくらかの機能が停止している。電源装置に対する攻撃を受け、物理的に断線している部分もあった。

 

そして停止している機能の中には、学園のいたるところに設置されている防犯カメラも含まれていた。トラップ等はまだ作動しているが、それが仮に発動したとしても確かめる術が無い。

 

そう、つまり今、仮に何かが起こってしまった時、何が起きたのかを調べるには、現場へ直接赴かなければならないのだ。

 

 

 

「では、篠ノ之の『紅椿』を中心として──」

 

職員室兼臨時会議室にて。織斑千冬が話を纏め始めた時だった。

 

「織斑先生! 大変です!」

 

扉を勢いよく開けた山田真耶が職員室に飛び込んできた。その手には折れ目のついた紙片が握られている。

 

「どうした?」

「実は今、職員室前にこんな紙が……」

 

千冬の目の前でがさがさと紙片を広げる。覗き込む千冬。直後、千冬の表情が凍り付いた。周囲の代表候補生たちが何事かと紙片を覗き込もうとするも、千冬がその紙片をくしゃりと握りつぶしてしまう。やがて静かにため息をつき、小さくぼやいた。

 

「たしか教員用のラファールは全滅だったな……束、すまないが篠ノ之と共に来てくれ」

「ん? どったのちーちゃん」

 

その紙には角ばったカタカナで、シンプルな文章が記されていた。

 

 

 

──ムジンキ ノ コア ハ イタダイタ

 

 

 

そう、つまり今、仮に何かが起こってしまった時、何が起きたのかを調べるには、現場へ直接赴かなければならないのだ。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

「さっき弾が職員室に投げた紙って何なんだ?」

「あれは俺の作戦パート2だ」

 

射出機にセットされた『白式』を前に、そんなことを話しながら弾は着々と作業を進める。

 

「というわけで、これが俺の作戦パート3だ」

「こんな小型のIPカメラなんてよく持ってたな」

「まあ俺のじゃないけどな」

 

一夏が展開した『白式』に取り付けられた複数のIPカメラ。まるで隠しカメラの様なサイズのそれは、丁度一夏の死角を映すように配置されている。

 

余談だが、IPカメラとはネットワークを経由して、映像をパソコンなどにリアルタイムで転送することができるカメラである。そしてこの超小型IPカメラ『見守るくん~大事なお宝から愛するあの人まで~』は、メーカー希望小売価格7,800円である。

 

全く関係の無いことだが、弾は『見守るくん』を取りつけながら、心の中で鈴に感謝すると共に謝罪した。またしても全く関係の無いことだが、鈴が設置したものを、一夏の部屋から勝手に持ち出したことに罪悪感を感じていたのだ。

 

「取り付け完了だ」

「おう、ありがとな。これで『アマテラス』対策は万全ってわけか」

「そういうことだな。ヘッドセットの着け心地はどうだ?」

「大丈夫だ。ちゃんと通話もできてる」

「そういや携帯の充電は大丈夫か? 土壇場でバッテリー切れなんて起こされるとさすがに困るぞ?」

「寝てる間に充電してたし大丈夫だって。初期型のポンコツじゃないんだからそう簡単にバッテリー切れなんて起きないだろ」

 

呑気な会話を繰り広げながら、一夏は『白式』の調子を確かめるように、左拳を握って開いてと動かした。問題はない。やるべきことは分かっている。

 

一夏は小さく、されど力強く呟いた。

 

「ユウ、今行くからな」

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

「…………」

 

ヘリの内部を沈黙が支配する。IS学園を発ち、もう随分と経過した。じきに沖縄へと到着するだろう。しかし男を含む4人は、捜査官としての勘とでも言うべきか、皆一様に落ち着きのない表情をしていた。ある者はしきりに窓の外を気にしている。ある者は手を組み足を組み、そわそわとしている。

 

いつもなら二人の女性からヘリの操縦が下手だのなんだのと文句が飛んでくるのだが、今日はそれも無い。

 

一体どうしたことか。我々は厳しい訓練を積んできた。数々の国際犯罪に対処してきたのだ。この程度の任務に怯えているというのか。

 

男は心を落ち着けるべく、自身らの現状を再度頭に書き起こした。

 

特別捜査官が4人。そのうち2人はISを所持している。2人とも適正はB+。稼働経験も積んでいる。実力は確かだ。さらにこのヘリには、劣化版ではあるものの、ISのハイパーセンサーが持つレーダー機能と同様のものが搭載されている。敵の機体が近付けばすぐにアラートが鳴り響き、距離がヘリの射程範囲内に入ると音が変化する。さらに、同様の装備を持つヘリがあと2機もいる。時間差をつけて出発したため離れた位置にいるが、その分囮としての役割を十分こなしてくれるはずだ。

 

何度も確認するが、しかし一向に安心感を得られない。何かが自分たちの認識の埒外からやってくるのではないか。そんな気がしてならない。

 

(たしかに今回は大物だが、それにしたってこの異様な感覚は何だ……)

 

気が付くと、ヘリを操縦する手の平にはべったりと汗が滲んでいた。

 

早くこんな任務終わってくれ。そう願いながら小さく舌打ちした時だった。

 

「っ! 敵性反応!?」

 

突如として鳴り響くアラート。それもただのアラートではない。その音は、敵が既に射程範囲内にまで潜り込んだことを声高に叫んでいた。

ヘリ内に緊張が走る。女性2人はヘリの扉を開け放ち、外へ飛び出すと同時にISを展開した。

何の前触れもなく近付いてきた敵対者。一体どこにいるのかと、男たちは広がる夜空へと視線を巡らせた。

 

「いない?」

 

レーダーを見る。反応はすぐ近く。否、もはや重なり合おうとしていた。そして気付く。

 

「──しまった! 下か!」

 

急遽回避しようと機体を右へ傾ける。その直後、男はたしかに見た。白金色を基調とした機体。否、機体というにはあまりに優美で、無骨さに欠けたデザイン。背面のウィングスラスターさえも気品を感じさせる。そして片手に握られた長刀が、先程までヘリがあった場所を切り裂いた。

 

(あれは確か第三世代、『アマテラス』……!)

 

見覚えがある。自国の最新機だ。その『アマテラス』が、ヘリの真下から飛びだすように現れた。それも明確な敵意を持って。目の前で起きている事態を、男は一瞬、上手く呑み込めなかった。

 

男だけでは無い。ヘリの外、ISを展開していた女性二人も動揺している。

 

「何がどうなって……」

「考えるのは後! 一先ずあれを抑えるわよ!」

 

両名共に打鉄を纏い、『アマテラス』へと斬りかかる。しかし両者ともあっさりと躱され、次の瞬間、『アマテラス』はその姿を跡形もなく消していた。

 

「さっきもこのステルス性能で近づいたってわけね」

 

ハイパーセンサーのジャミング。『アマテラス』に搭載されている第三世代型兵器の一つだ。しかし『シュヴァルツェア・レーゲン』の停止結界や『甲龍』の衝撃砲などにも言われるように、第三世代型兵器には一つ、致命的な欠点がある。

 

「でも消えてる間は攻撃できないんでしょ?」

「ええ、攻撃の瞬間は必ず姿を見せる。そこを叩くわ」

 

某イギリス代表候補生を除き、基本的に第三世代型兵器はイメージインタフェースの制御に思考を割かなければならず、他の攻撃行動と同時使用することは不可能だ。

 

「っ! 危ないっ!」

「えっ?」

 

それは直感だった。一瞬だけ感じた空気の流れのようなもの。それに反射的に反応し、隣にいた相方を押しのけ、咄嗟に刃を振り抜く。やがて何かが激突する感覚と、炸裂する剣戟。甲高い悲鳴を上げる刃に、そこに敵が居ることを確信する。

 

空間が揺らぎ、ヴェールが剥がれるようにして姿を現したのは、やはり『アマテラス』だった。『アマテラス』の操縦者はまるで眠っているかのように静かで、何も語らない。

 

「このぉ……っ!」

 

つばぜり合い。ぎりぎりと刃をかみ合わせる両者。そこに先程突き飛ばされた女性が後ろから回り込む。

 

「貰った!」

 

風切り音を震わせ、『アマテラス』の背面めがけて剣を振り下ろす。閃いた刃はしかし、瞬時に展開された何かによって弾かれた。光り輝く幾何学模様。魔法陣のような、はたまた薄い円盤のようなそれは、『アマテラス』の持つ堅牢な盾だった。

 

そしてそのまま、『アマテラス』は能力を発動させる。

 

「……? 何か熱く──!?」

「まずい! 離れて!」

 

周囲の温度が急激に上昇する。揺らめく陽炎。『アマテラス』の持つ長刀から、火柱がうねりを上げた。赤く煌めき、夜の海を照らしていく。

 

『打鉄』を纏った女性警官2人は、その場から強引に方向転換を図る。対する『アマテラス』は無言のまま、うねる火柱を横薙ぎに振るった。逃がさないとでも言わんばかりに、意志を持ったかのような炎が2人へと迫る。

 

灼熱の刃が『打鉄』の装甲に触れようとした──その時。

 

 

 

「──やめろおおおおッ!」

 

 

 

青白い刃が、灼熱を切り裂いた。

 

「えっ!?」

「今度は何!?」

 

炎が分散していく。直後、『アマテラス』と2機の『打鉄』との間に白い影が割り込んだ。

助かった。否、目の前の存在に助けられたのだと気付いた2人の女性警官は呆けた顔で呟く。

 

「織斑、一夏……?」

 

顔くらいは知っていた。名前くらいは知っていた。しかしこんなところに何故彼が? めくるめく状況の変化に思考が止まる。

 

「──っ」

 

ここに来て、仄かに感情の動きを見せる『アマテラス』。炎を手元に手繰り寄せ、目の前の敵と相対する。

 

「……ユウ」

 

彼方より飛来した白い剣士は小さく呟いた。今度こそ彼女を守るのだと。決意を新たに刃を向ける。

 

「助けに来た。一緒に帰ろう」




名前:凰鈴音
性別:メス
年齢:16
誕生日:不明
スタイル:理由(ワケ)あって貧乳
容姿:小柄茶髪ツインテール。腋と八重歯がよい。
専用機:神龍じゃない方のシェンロン
初登場:番外編

・原作ヒロインズが一人。セカンド幼馴染の称号を持つ。通称《2組のリン》。
・下田ボイスがチャームポイント。
・一夏のことを愛しているが、素直になれないお茶目さん。
・優ととっても仲良しだよ。
・弾のことはそれなりに異常だと認識している。
・作れる中華料理は酢豚だけ。
・原作とは異なり、部活動をせず、基本的に趣味に時間を費やす。
・趣味でつけている日記『一夏観察日記』は現在Vol.97。
・実は特に理由も無くヤンデレとなった。(ゴルゴムのしわざ)
・ヤンデレとしてのバックボーンが無さすぎて完全にファッションヤンデレと化す。
・隠しカメラや盗聴器の扱いに関しては学生のレベルを超えている。超高校級のカメラマン。
・原作で誕生日が祝われた描写も無く、本人が主張した様子も無い。
→自身の誕生日を忘れているという主人公系女子にありがちな現象?
→或いは自身の出生について何も知らない。家庭環境に激しく難有りという可能性が微粒子レベルで存在している。


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18

名前:セシリア・オルコット
性別:メス
年齢:16
誕生日:不明
スタイル:おしりが良いと思います。
容姿:品のある豊かなブロンドに白い肌。青い眼。いかにもな欧州キャラ。
専用機:セシリア・オルコットとワルツを奏でるブルー・ティアーズ
初登場:6話目(学園編)

・原作ヒロインズが一人。アニメ版では一夏に惚れた理由がよく分からず、負けた瞬間音速で手の平を返したように見える。通称《チョロインのセシリア》。
・あまりキャラ崩壊していないどころかもしかして原作よりまともになったんじゃないかという数少ないキャラクター。
・恐らく原作より淑女成分が増幅している。
・他人の欠点よりも先に美点を探すタイプ。
・疑うことを知らないとってもいい子。
・常識人だが、多分弾に惚れている。
・金髪は最高なんだなあ。みつを
・本当はもっと壊れる予定だった。
・1時間ごとに紅茶を摂取しないと死ぬキャラになるはずだった。
・弾にガチ惚れしてなりふり構わずアプローチする話も少し考えていた。
・こんな格言をご存知? イギリス人は恋愛と戦争では手段を選びませんの。
・ビット兵器を使用している間は何もできなくなる、ビット操作と通常行動の切り替えのタイムラグが大きい、BT兵器の効果を発揮しきれていない、などの弱点があったが、前二つは解決。
・作中で唯一、第三世代兵器の使用と他の攻撃行動を同時に行うことができる。実は結構強いのでは。


白い月が浮かぶ暗い海。穏やかな波の間を、魚が一匹小さく跳ねる。

 

ゆったりとした海面だがしかし、似つかわしくない武骨な物体がきらりと光る。かと思えば、目にも止まらぬ速度で駆け抜ける。静かな空と海の間で、その2つは互いにぶつかり合いながら、さながらダンスのように、縦横無尽に飛翔していた。

 

「ぅおおおッ!」

「……!」

 

青白い刃と烈火の剣が、夜空のキャンバスに軌跡を描く。螺旋を辿りながら、互いの獲物を振りかざす。しかし互いに一歩も譲らず、一太刀も届かない。

 

縦、横、斜め、立体的な軌道で、切り上げ、振り下ろし、いなし、旋回し、永劫とも錯覚するほどの果てしない剣戟を演じ続けた。

 

そしてその2つから逃げるように、1機の黒いヘリが、両脇に2機の『打鉄』を携えて飛んでいた。『打鉄』を駆るうちの片方が、プロペラの音に負けじと大声で叫んだ。

 

「ほんっとにもう! 何がどうなってんのよぉ!」

「もう、騒がないでよ! いいから今は逃げないと……きゃあっ!?」

 

ヘリの脇を火の弾丸が掠める。当然2人にとってもすぐ傍だ。

 

「っ、おい! あんたたち大丈夫か!」

「だ、大丈夫よ! バカにしないで!」

 

一夏の問いに険しい語調で返す女性。そして一夏が気を取られた隙をつくように、真紅のラインがヘリに向かって真っすぐと伸びていく。

 

「させるかよッ!」

 

追い縋ろうとする一夏の視界を爆炎が埋め尽くす。すぐさま切り払うも、視界が晴れた先には『打鉄』とヘリが浮かぶのみ。一瞬の間に、『アマテラス』の姿は完全に消え失せていた。

 

『一夏! 後ろだ! 上からくるぞ!』

 

ヘッドセットからの声に、咄嗟に振り向く一夏。その振り向いた勢いのまま、『雪片弐型』を斬り上げるようにして振り抜く。視線の先には、今にも長剣を振り下ろそうとしていた『アマテラス』を捉えていた。相手の剣速が乗る前に、『雪片弐型』の刃がアマテラスの剣を大きく弾く。甲高い金属音が夜空に響いた。

 

「……っ」

「くそッ、武器を奪えなかったか……!」

 

長剣を手放すことこそ無かったものの、衝撃でバランスを崩す『アマテラス』。何とか『白式』から逃れようと、『アマテラス』は再度爆炎を巻き起こした。そしてそのままステルス──ハイパーセンサーのジャミングを起動する。

 

『今お前の下を通ってヘリの方へ向かった! 急げ!』

「了解!」

 

再び一夏が振り向く。一夏の視界には、やはり『アマテラス』の姿が映っていた。

 

(弾の作戦が思ったよりはまってるな)

 

一夏は出発前に施した弾の細工により、『アマテラス』の持つジャミング能力を完全に無力化することに成功していた。

 

『アマテラス』のステルス機能は、あくまでハイパーセンサーのジャミングである。つまりハイパーセンサーに頼らない肉眼、及びごく普通のカメラであれば、『アマテラス』のジャミングなど関係ない。

 

そう、現在一夏は、『白式』のハイパーセンサーを切っている(・・・・・)

 

一夏が対処可能であれば肉眼で捉え、死角は弾がカメラとヘッドセットを通してカバーする。

 

たったそれだけのことではあるが、今この状況に置いては間違いなく有効な策だった。

 

「ユウ! 止まれぇッ!」

「私達だって!」

「いるんだからね!」

 

ヘリに迫ろうとする『アマテラス』。その『アマテラス』に背後から追いすがろうとする『白式』。そして『アマテラス』の行く手を阻むように立ち塞がる2機の『打鉄』。上手く挟み撃ちする形だ。

 

しかし策が有効であることと、それが相手を打倒し得るものであるかは全くの別問題だ。

 

「上手く翼を落とせば……ッ!」

 

一夏は白い刀を振り上げ、『アマテラス』の背面に浮いているウィングスラスターめがけて一気に振り下ろした。しかし『アマテラス』はそれを読んでいたのか、くるりと身体を翻すようにして、長刀で一夏の攻撃を受け流した。そしてそのまま流れるように、

 

「……えっ?」

 

『白式』ごと前方の『打鉄』へと弾いた。

 

「うわあああ! どいてくれえええ!」

「ちょっ、きゃああっ!」

「げふっ!」

 

『打鉄』が並んでいたところに、白式がそのまま突っ込んでいく。激しい音を立てて衝突事故を起こす3機だが、次の瞬間、彼らの視界に赤い何かが煌めいた。それは小さな煌めきから巨大な球体へと変化し、凄まじい熱量と死の気配を放っている。そして──

 

「あ、まず──」

 

──放たれる。アマテラスの手元から射出された火球は、揉みくちゃになっている一夏達へと一直線に迫る。一夏は一瞬だが、たしかに走馬燈を見たような気がした。

 

「って呆けてる場合じゃねえ!」

 

すぐさま『打鉄』を蹴り飛ばし、『零落白夜』を発動する一夏。「うぎゃっ」だの「痛い!」だのと聞こえた気がするが聞こえないふりをして刃を振るった。

 

「ぐっ、あああッ!」

 

しかしやはりタイミングが遅かったのか、上手く切り裂けずに爆発に巻き込まれる一夏。そのまま大きく吹き飛ばされながら何とか体制を整えていく。

 

(くそっ、今ので半分近く持ってかれた。次は無いな)

 

追撃に備え、剣を構える一夏だが、ここでふと気づく。

 

「あれ? そういえばユウはどこに……!」

 

見れば、『アマテラス』は一夏など気にもとめず、一直線にヘリへ向かっていた。

 

「くっそおおお!」

 

瞬時加速を使い、一気に距離を詰める。しかし先んじて動いていた『アマテラス』の方が、やはり1歩早かった。

 

「…………」

 

無言のまま、ヘリに向けて拳大の火球を放つ。一夏は必死に刃を伸ばすが全く届かない。火球は何事も無く、弾丸の様に夜空を駆ける。

 

「来たぞ!」

 

ヘリ内部から後方を確認していた男が叫ぶ。仲間の警官の声を聴き、操縦者の男は手元の操縦桿を操作すると、ヘリはその機体を大きく傾けた。

 

「そんな見え見えな攻撃が当たるか……!」

 

男達とて何もせずにただ飛んでいるわけではない。火球の弾道を予測し、機体を傾けながら高度を下げる。火球はヘリのシルエットを照らしながら、機体すれすれを飛んでいった。

 

何とか躱すことが出来たと、操縦席の男も安心していた。しかしそう簡単に事態は好転しない。次の瞬間、パッと、花火でも上がったかのように、夜空が明るく煌めいた。

 

「──なっ、何だあの数は!?」

 

ただの追撃である。一度で仕留められなかったのだから、より多くの攻撃を重ねていく。当然の行動だ。しかしそんな当たり前も、今この時は凄まじい脅威となって襲いかかる。

 

『アマテラス』は先程よりも大きな火球を10数発放った後、今度は炎の剣を作り出し、振り向きざまに、背面から迫る『白式』へと叩きつけた。

 

「うおっ!?」

 

咄嗟に受け止める一夏だが、この時まんまと足止めされてしまったことに気づく。

 

そしてヘリへ迫る巨大な火球達。操縦席の男は必死にヘリを操縦する。

 

「右だ! 今度は上!」

「クッ、流石にきついか……ッ!」

 

1発、2発、3発と、何とか回避していくヘリ。しかしいくら小回りが利くとはいえ、ヘリの機動力には限界がある。男の汗が手の甲へ落ちた、その時。

 

「っ、ぐっ、うおおおあああッ!」

 

突如としてヘリがバランスを崩した。がくがくと揺れる機内。男は思わず叫びをあげた。どうやら火球の1つがヘリのプロペラを掠ったらしい。しかし掠っただけとはいえ、プロペラを変形させてしまうには十分な熱を持っていたようだ。

 

そしてそのまま回避が取れないヘリの側面に、火球が直撃した。爆発と熱風がヘリから上がる。同時に、被弾の影響か、焼け焦げたヘリの扉が宙を舞った。

 

ヘリはバランスを崩しており、空の上で扉を開け放てばどうなるか。空いた穴から何かの機材や備品がごちゃごちゃと掻き出されていく。そしてそれらに混じり、ふわりと浮かぶように、何かがヘリから飛び出した。

 

「────ッ!!!」

 

誰かの、声にならない叫び。飛びだしたのは一台の車椅子。正確には、一人の少女が縛り付けられた車椅子だ。『アマテラス』の攻撃による衝撃のせいか、投げ出されると同時に、少女を車椅子に縛り付けていた拘束具が外れた。

 

「…………んっ……ぇ……?」

 

少女の口からか細い呟きが漏れる。どうやら一連の騒ぎによって少女の目が覚めたようだ。黒髪の少女は自身が置かれている状況──目が覚めたら唐突に夜空に投げ出されていたことを、上手く認識できないでいた。

 

そしてそのまま自由落下を始める少女。制御を失い、墜落を始めるヘリ。『アマテラス』とつばぜり合いをしながら、両者を見つめる一夏の思考は加速していく。どうする、どうすればいい。エムを助けるのか、ヘリを助けるのか、このまま『アマテラス』を抑えるのか。

 

しかし次の瞬間、一夏の目の前で、『アマテラス』の炎剣が爆ぜた。爆風に吹き飛ばされる一夏が目にしたのは、身をひるがえし、エムに向けて火球を放とうとしている『アマテラス』だった。

 

(まずい! こうなりゃイチかバチか──!)

 

大きく膨張した火球が『アマテラス』の手から放たれた。火球はその熱をエムへと一直線に向けている。一夏は瞬時加速によって強引に火球とエムの射線上に割り込むと、火球に背を向けた。

 

 

──瞬時加速(イグニッションブースト)とは、IS操縦技術の中でも比較的扱いづらい部類の技術である。簡単に言うと、翼部から吐きだしたエネルギーを再度吸引し、その際に圧縮して再び放つことで瞬間的に加速する。ほぼ一直線にしか移動できない加速方法だが、この技術にはちょっとした裏技がある。それは、翼部のエネルギーさえ吐きだしていれば、そこに再び取り込むエネルギーは他人の物であっても代用可能ということ。失敗すれば大ダメージを負いかねないが、成功すれば攻撃を無効化し、推進力に変換することができる。ハイリスクハイリターンなテクニックだ。

 

 

火球は『白式』の背面に命中したかと思うと、そのエネルギーは『白式』に吸収されるように消えてしまう。火の粉一つに至るまで吸収しきると、今度は『白式』のウィングスラスターが赤い輝きを放ち始めた。

 

「ユウの力、借りるぜ」

 

一夏が呟いた直後、『白式』の背面で爆発にも似たエネルギーの放出が起こる。そして『白式』は文字通り、一瞬でトップスピードまで加速した。風切り音をかき鳴らしながら、『白式』は赤い軌跡を描いて夜空を疾走する。

 

「今度こそ、助ける!」

 

落下するエムの元へ一瞬で辿り着き、徐々に速度を合わせながら、一夏はその手でエムを抱き留めた。姉と瓜二つな外見の少女を見て、一夏はどこか安堵にも似た不思議な感覚に陥った。助けることができたという事実に安心したのだ。さらに咄嗟に出た「今度こそ」という己の言葉に、一夏は小さく首を傾げる。完全に停止してから、そういえばヘリはどうなったかと、一夏は視線を巡らせた。そこに居たのは、ヘリを支えながら何とか陸地へ移動させようとしている2機の『打鉄』だった。

 

「……えっ、あっ、き、貴様! 織斑一夏! 離れろ!」

 

そして抱き留められたエムはというと、目の前にある一夏の顔を見てあたふたと狼狽し、いやいやと子供が駄々をこねるように、一夏を押しのけ始めた。もがき抜け出そうとするエムを、一夏はなんとか抑えつけようと腕に力を込める。

 

「ちょっ、暴れんなよ!」

「黙れ! 貴様に助けられるなんぞお断りだ! この手を放せ!」

「やめろ! 白式を殴るな! 白式は悪くねえ!」

「ふはははは! これ以上ISを殴られたくなかったら私を解放するんだな! さもなくばそろそろ殴っている私の手が痛いのでその辺で一緒に空から落ちてきた金属片で白式に傷をつけていくことになるぞ!」

「俺は脅しには屈しない! でもこんなことでISに傷をつけたと千冬姉に知られたら何を言われるか分かんないからホントやめてください!」

「む、お姉ちゃんに迷惑をかけるわけにはいかないな。安心しろ。一定以上のダメージならばシールドで防御される。目立つような傷はつかん」

「あ、そうなのか。良かった。傷の修理も事務室に逐一報告しなきゃいけないから……あっ」

 

ようやく無駄話をしている事実に気付いたのだろう。二人は揃って口を噤み、ある一方向へ視線を向けた。

 

「……やっべ。とにかく逃げるぞ!」

 

一夏とエムの視線の先には、こぶし大の火球を立て続けに放つ『アマテラス』。視界が完全に埋め尽くされる前に、一夏は一度、高度をぐんと上げて火球を躱し、急旋回して地上を目指し始めた。

 

「あれは確か八神優だったか? 何故学園の生徒が……」

「暴走中だ! 詳しい理由は分からねえ!」

 

叫ぶようにして言いながら、1発2発と火球を躱していく。やがて最後の1つと思しき火球を、大きく右に逸れて回避した時、今度はエムが叫んだ。

 

「──待て、罠だ! 止まれ!」

 

反射的にぴたりと停止する一夏。その直後、真上から振り下ろされた長刀が、丁度一夏の一歩先を通り抜けた。見れば、一夏が通るルートを予測していたかのように、『アマテラス』がそこににた。連続して放たれた火球により、一夏は己の行動が誘導されていたのだと気付くや否や、咄嗟に距離を取ろうと後方へ翻した。しかし至近距離で構えていた『アマテラス』は、一瞬で距離を詰めると、そのまま長刀を『白式』に叩き付けた。

 

「ぐぁっ!」

 

何とかエムを庇うも、背面に強い衝撃を受け、バランスを崩したまま弾き飛ばされる。そして無論、このような好機を『アマテラス』が逃すはずも無い。

 

「…………」

 

相も変わらず無言のまま、『アマテラス』は追撃をかけようと長刀を構えた。

 

しかしその時、

 

「……?」

 

『アマテラス』のレーダーが何かを捉え、アラートを鳴らした。直後、『アマテラス』へ向けて一条の光の矢が飛来する。

 

それは寸分違わず『アマテラス』を捉えていたが、『アマテラス』は幾何学模様の盾を展開し、あっさりと防いで見せた。

 

 

「……やはり強いな」

 

 

盾を展開する『アマテラス』にゆっくりと近づいてくる一機のIS。真紅の装甲からは桜色のエネルギーが刃を形成するようにして放出されている。

 

「ちょっと! 勝手に先行かないでよね!」

「いくら第四世代とはいえ、まさかここまで加速に差があるとは……」

 

遅れて、鳳鈴音やセシリア・オルコットをはじめとした専用機所持者たちの第一陣が到着した。

 

本来ならば頼もしい援軍が来たと、高揚感すら覚えてもいい展開だ。しかし一夏にとって、むしろ緊張の高まる展開だった。

 

「弾、今箒たちが到着した」

『────……』

 

友からの応答は無い。沈黙を遮るように、一人の少女が口を開いた。

 

「一夏。聞こえるか」

「箒……」

 

箒は『アマテラス』から視線を逸らさずに告げる。

 

「お前はその女を連れて下がるんだ。後は私達が何とかする」

「束さんの指示通り、『アマテラス』を破壊するのか?」

「……それ以外に手立ては無い。報告によると、向こうは競技用のリミッターを解除しているようだ。以前アリーナで見た『アマテラス』とは比べものにならないスペックだろう。むしろよくここまで一人で持ち堪えたな」

 

 

 

ISは兵器としてのポテンシャルを持っているが、表向きにはスポーツとして扱われている。その建前を守るために、ISには競技用リミッターというものが設定されている。

 

これはスペックに制限をかけるだけではなく、操縦者の身体を超過ダメージから守る役割も持っている。シールドエネルギーがゼロになれば敗北として判定されるが、このゼロとなる基準が異なる。

 

スポーツ基準の場合、敗北判定──即ち「エネルギーがゼロ」となる状態というのは、「これ以上は操縦者を守る上で意味を成さない」というラインに至る()の状態を指す。そして操縦者に負担がかかる前に動きが止まる。つまり僅かではあるが、エネルギーを余分に残した状態となる。

 

リミッターが解除されると、ISの稼働に必要なエネルギーが完全に無くなった時、初めてその動きを止める。例え操縦者に後遺症が残ろうが何だろうが、IS自体が動けなくなるその瞬間まで、稼働を止めることはない。つまり危険度が増す分、稼働に使用できるエネルギーもまた増えることになる。

 

 

 

「リミッターが……」

「そういうことだ。一夏、お前は下がるんだ」

「箒は戦えるのか?」

「……私だって、戦える!」

 

箒はそのまま『アマテラス』へ向けて飛翔した。刀を二本取りだし、震えを抑えるようにぐっと握りしめる。そして中距離から二種類の斬撃を飛ばした。

 

しかし『アマテラス』はまたしても盾で防御して見せる。かと思えば、巨大な火球を作りだし、箒やセシリア、鈴に向けて飛ばしていく。

 

「ちょっ、思ったより容赦ないわね。ユウ! しっかりしなさいよ! 暴走だか何だか知らないけど、そんなの気合でうひゃあっ! 危ないじゃない! 当たったらどうすんの!」

「各員散開! 波状攻撃を仕掛けて動きを誘導する!」

 

箒が指示を飛ばす。一夏は自身も動き回りながら、箒との会話用チャネルを繋いだ。

 

「箒、武装だけを破壊することはできないのか? それかエネルギー切れまで待つとか」

『……そうだな。私達が暴走状態の八神よりも圧倒的な技量を持っていれば可能だったかもしれん。しかしエネルギー切れを待つ間に、私達が負ける可能性だってあるのだ』

 

器用に会話を続けながら飛び回る。そして『アマテラス』が箒たちに気を取られている隙に、一夏はゆっくりと遠ざかり、近くの小島に着陸した。浜辺には先程のヘリと2機の『打鉄』がいる。

 

「お互い、何とか助かりそうね」

 

一夏へ向けて能天気に口にする女性警官。彼女はそのまま武装を解除した。光の粒子となって『打鉄』が消失する。彼女に倣って、彼女の相方もまた、『打鉄』を消した。

 

まるで戦いは終わったと言わんばかりの態度に、一夏は苛立ちに似た何かが、内側から湧き上がってくるのを感じていた。

 

「……この子をお願いします」

「お、おい、織斑一夏。貴様何を……」

 

一夏はそっとエムを下ろすと、再びふわりと浮き上がった。

 

「あなたまだ戦う気なの?」

 

信じられないと言外に口にしながら、女性警官はため息をついた。

 

「俺はあの子を助けに行きます」

 

一夏の視線の先にいたのは、白金の装甲を煌めかせる『アマテラス』。そしてそこに閉じ込められているであろう黒髪の少女の姿があった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

箒は焦っていた。

 

「…………」

 

無言で佇む『アマテラス』。何度となく攻撃を仕掛けるも、その一切が通用しない。箒自身が、第4世代である『紅椿』の性能を引き出しきれていないというのもある。しかし何より、『アマテラス』は暴走状態であるが故に、戦闘への躊躇が欠片も存在しない。

 

さらに言えば、一体どこを狙っているのか、次にどう行動するかといった「読み」が非常に難しい。無機質な戦闘行動がこれほど脅威だとは思わなかった。これまで剣道で生きた人間を相手にしてきたことも、読み辛さを後押ししていた。

 

もしかしたら、IS操縦者としての訓練を長く積んできた者達にとっては、さして苦でもないのかもしれない。しかし箒はこれまで碌にISに触れてこなかった。むしろISを避けてすらいた。足を引っ張りたくない。無力でいたくない。そんな思いから手にしたこの『紅椿』を、箒は完全に持て余していた。

 

ハイパーセンサーのジャミングについては、束の作ったアップデートパッチによって対策済みだが、その程度では焼け石に水だった。

 

「これだけの人数でも仕留められないなんて。さすがに予想外ですわね」

「さっきまで一夏は一人で戦ってたのよね。とてもじゃないけど信じられないわ」

「……ヘリには護衛として2機の打鉄がついていた。さらにヘリと『白式』という行動原理の全く異なるターゲットがいた状態で、意図せずとも『アマテラス』を攪乱できていたのだろう」

 

そんな予想を立てたところで、自分達にとっては無意味だ。『アマテラス』の圧倒的な速度と火力を前に、手をこまねいていることしかできない。

 

(『アマテラス』は不調だと姉さんから聞いていたが、どういうことだ。本当に勝てるのか?)

 

実際のところ、何故彼女たちは『アマテラス』を仕留められていないのか。

 

そもそも一夏とて『アマテラス』に有効打を与えられていない。さらに言えば、箒は未だ実践に対する覚悟ができていない。明らかに一人、動きが悪い者がいる。性能を引き出す以前の問題として、『アマテラス』からすれば箒は完全に穴となっていた。そんな箒をフォーメーションの中心に据えているのだから、勝てるはずが無かった。

 

「箒! そっち行った!」

「え……?」

 

考え事をしていたからだろうか。目と鼻の先に『アマテラス』が迫っていたというのに、箒は気付くことができなかった。

 

しかし箒とて伊達に10年近く剣道を続けてきたわけではない。『アマテラス』の長刀が迫るが、咄嗟に両手に刀を取りだし、片方の刀で受け止めた。そしてもう片方の刀を振りかざし──

 

「…………」

 

──静止。無言の『アマテラス』、その中にいる八神優に、刃を振り下ろすことが出来なかった。IS学園に来てからできた最初の友人を、箒は斬ることができなかった。そんな箒を、『アマテラス』は強引に押しのけ、長刀を消し、その手に火球を作りだした。

 

「あ……」

 

さながら小さな太陽だった。一瞬で夜空を照らし、箒の姿を浮かび上がらせる。無様に体勢を崩し、今にも焼き尽くされんとする姿を。

 

終わった。そう確信した箒だったが、直後、『アマテラス』の姿が掻き消えた。

 

「一夏!」

 

鳳鈴音が叫ぶ。見れば、そこには『アマテラス』にしがみつくようにして、海面へ真っ直ぐと高速で落ちていく『白式』。

 

もはや誰も止めることはできなかった。巨大な火球を携えたまま、『アマテラス』と『白式』は夜の海に激突する。直後、質量すら感じるほどの爆発音を轟かせ、海が爆ぜた。

 

「一夏、八神、そ、そんな……」

 

箒の弱々しい呟きは、巨大な水しぶきにかき消された。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

ふと気づくと、周囲の空間全てが黒く染まっていた。何一つ存在しない。ひたすら漆黒の無が広がっている。そんな中を、一夏と優は一糸纏わぬ姿で漂っていた。

 

「一夏、俺を斬れ」

「……え?」

 

呆然とする一夏。優の口調や自分達の恰好については何も気にならなかった。しかし今の言葉を聞き捨てることはできない。

 

「斬れって……それは」

「本気だ。文字通りの意味だ。俺を……『アマテラス』を斬れ」

「っ、できるかよ! そんなこと!」

「いいからやれ。殺す気で来い。このままだと誰も守れないぞ」

 

漂いながら口論を続ける二人。口論というより、優の一方的な言葉に対し、一夏が一方的に激昂している。しかしそれも終わりを迎えることとなる。黒い空間の果てに、白い光が煌めいた。その光は黒を塗りつぶすように広がり、一夏と優の視界を埋め尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ……ここは……?」

 

思わず呟く一夏。光が消えると、そこには先程までとは全く異なる景色が広がっていた。

青い空、白い雲。そして青い海と白い砂浜。海の中で遊ぶ幼い少女と、その少女を眺めながら、浜辺で横向きに寝転がる優。まるでテレビを見ているような姿勢だ。

 

「白髪ロリか……こういう時ロリコンじゃない自分が非常に勿体なく思う今日この頃」

 

凛とした、良く通る声。優の声だ。一夏は優の言葉に、浅瀬で水と戯れる少女を見た。

そして一夏は気付く。白いワンピースに白いつばの大きな帽子をかぶった少女は、その帽子の下から長い白髪を靡かせていた。そして改めて、自分が見ていた対象が女の子であることに気付く。

 

「あれ? 俺、あの子が女の子だって知ってたのか? ユウに言われて気付いたのに、言われる前から女の子だと思ってたし。俺はあの子を知ってるのか?」

 

疑問が口をついて出る。普段なら胸のうちに留めておくような言葉も。しかしそのことに対して違和感などありはしない。いつの間にか自分と優がIS学園の制服を着ていたことにも驚かなかった。

 

改めて周囲を確認する一夏。海辺であるということと、枯れ木が何本か立っていること以外には何も情報を得られそうにない。やがて一夏は寝そべっている優の元へ歩み寄った。

 

「なあ、ユウ」

「なんだ?」

「ごめんな。俺があんなこと頼んだせいで、『アマテラス』が暴走したんだろ?」

「ああそうだ。お前のせいだな。だがこれは俺の責任でもある。気にするな。いや嘘。ちょっとは気にしろ。でも気負い過ぎるな」

「何だよそれ」

 

普段以上に饒舌な優。一夏は苦笑を零しつつ、優の隣に腰を下ろした。すると優は少女を眺めたまま、躊躇いもなく口を開いた。

 

「エムって娘、お前の妹らしいぞ。正確にはそのクローンだったか」

「そうなのか?」

「何なら『一夏』って名前も、元々はあの娘の物らしい」

「そっか。なんか納得したよ」

「あ? 納得?」

「ああ。ずっと引っかかってたんだ。俺はあの子のことを知ってるんじゃないかって。学園の地下の時も、あの子と戦うことを無意識のうちに拒絶してたみたいでさ」

「そうか」

 

優は小さく呟いて、徐に上半身を起こす。そしてそのまま正座しつつ、一夏を正面に捉えた。

 

「本当にすまなかった。申し訳ない。ごめんなさい」

 

頭を下げる。土下座のような姿勢だ。黒い髪が白い砂浜にばさりと垂れる。冗談のような光景に一瞬面食らう一夏だが、すぐさま疑問が湧き起こる。

 

「なんで謝るんだ?」

「お前らの状況、俺のせいかもしれない」

「そんなわけないだろ」

 

すぐさま断言する一夏。優は静かに顔を上げ、再び一夏にその相貌を覗かせた。その表情は不安と罪悪感、そして未知の未来への恐怖に歪んでいた。

 

「でももしそうなら俺は、これ以上お前と一緒にいたら、お前をもっと不幸にするかもしれない」

「俺が不幸だなんて決めつけるなよ。俺は俺の選択でここにいる」

「その選択すら、俺の力が影響を与えているとしたら?」

「それでも俺は後悔しない。不幸だなんて思わない。今俺がいる状況に対して俺が抱えている感情は間違いなく俺のものだ。だからユウが気にする必要はない。ユウのせいじゃない」

「まあ、分かった。お前だけならまだ良いだろう。けどな、お前が不幸な目……いや、お前にとっての幸運にめぐり逢う度に、他の誰かが傷つくかもしれないんだ」

「だったら、俺はその人達を守ってみせる。そのための力もある」

 

一夏は優の手を取り、その目をじっと見つめた。

 

「そしてユウ、今俺は、お前を守るためにここにいる」

 

そして優は一瞬何かを堪えるような素振りを見せる。口元をきゅっと結び、小さく俯き、わなわなと震えた。そして──

 

「──誰が頼んだんだよ」

 

──言い放った。

 

「誰かが、お前に、一度でも、守ってほしいと頼んだのか?」

「ゆ、ユウ?」

「答えろよ」

「いや、それは……。でも俺は」

「ああ、知ってるよ。誰かを守りたいんだろ? ご立派ご立派。いい言葉だな。だけどな、そいつはお前のエゴだ。誰かのために守るんじゃない。自分のためにやってんだよ」

「そ、そんなことは」

「無いってか? いいやあるね」

 

一夏の手を振りほどく優。その目には確かな怒りが浮かんでいた。

 

「お前は守るという行為に依存しているだけだ。そうしないと自分の世界を保てないから。大切な誰かを失うことの恐怖に抗えないから」

「や、やめろ……っ」

「やめない。よく聞け。お前のその願いはな、はっきり言って迷惑なんだよ」

「なんで、だって俺は、ただユウやみんなを守りたくて、誰も失いたくなくて、俺もユウみたいになりたくて」

「黙れ。お前の言う『みんな』が、お前の願いと、そして俺のせいで傷つくんだ。俺のいない所ならどんな思想や理念を持ったって構わない。けどな、俺は運がめちゃくちゃ、そりゃあもう神懸かり的に良いからな。叶える、いや、叶えてしまうんだよ。そういうのを」

 

一夏の言葉を待たずに、優は長々と吐きだし続ける。

一夏の願いによって、『誰かを守る』ために必要な物──守るための力、守られる存在、そしてそれを脅かす存在までもが用意されてしまう、と。

 

「だから俺は誰も巻き込むなと願った。俺の幸運のせいで誰かが不幸になるのが嫌だった。なのにお前はここにいる。お前の願いと俺の願いが競合した結果、俺の運が競り負けたのか、運以外の要素が絡んだのか。あるいは俺の願いとお前の願いを可能な限り両立させようとした結果なのかもしれないな」

「あ、あの」

 

一夏が小さく手を上げる。優は若干の苛立ちを感じながらも、顎でしゃくって一夏に続きを促した。

 

「えっと、ユウは、俺が不幸になるのも嫌だったのか?」

「? ああ。そうだよ」

「そっか……そっか」

「あ? 何だよ」

「いや、なんか嬉しくて」

「は?」

 

怪訝な表情の優。しかしどうでもいいと思ったのか、ため息を1つついてさらりと流した。

 

「まあいい。とにかくお前の言う『誰かを守りたい』ってのはただの傍迷惑な自己満足に過ぎない。今すぐそれを捨てるか、それが無理なら俺がお前の前から消える」

「なっ……! ま、待ってくれユウ! 俺はユウと一緒にいたいんだ! だから助けに来たのに!」

「……お前が俺を守りたいと思うと、俺に脅威が迫る。それはまだいい。だけど俺に向くはずだった脅威が他人を傷つけるのは駄目だ」

「だから、他の人達だって俺が守るから!」

「巻き込まれる側にもなってみろ。いい加減独り善がりを振りかざすな」

 

平行線。互いに譲らず、結論は未だ見えない。声を荒げる一夏に対して、比較的平静に話すことを努めていた優。しかしついに痺れを切らし、一歩踏み込んだ。

 

「はぁ……。分かんねえやつだなお前」

 

砂浜を優の足が踏みつける。そして一夏に近づき、その襟元を掴んでぐっと引き寄せ、叫んだ。

 

「お前のイカくせえオナニーに他人巻き込んでんじゃねえって言ってんだよ! いい加減にしろ! 独り善がりで自己満足で、結局みんなを危険に晒して! お前一人が気持ち良くなってそれで終わりじゃねえか! 誰のためでもない、お前がお前のために他人を傷つけてるってことを自覚しろ!」

 

非常に珍しい優の怒声に、一夏の思考は一瞬空白に支配された。しかしそんな一夏の都合など知ったことでは無いと、優はさらに言葉を重ねた。

 

「……なあ一夏。俺とお前が一緒にいると、俺やその周囲だけじゃない。お前だって傷つくかもしれないんだぞ? この前のエムみたいに、いつかお前の大切な人と戦うような時も来るかもしれない。お前が守りたいと思った相手を、お前の手で傷つけるかもしれない。その時に辛い思いをするのはお前だ。それでもいいのか?」

 

問われ、一夏はふと気付く。今がまさにその状況ではないかと。

 

「もしそうなりたくなければ、今すぐ学園に戻るか──」

 

一夏が言葉を挟むよりも早く、優は口を開いた。

 

「──俺を斬れ」

 

 

そう言った直後、強烈な潮風が砂浜を駆け抜けた。紙が風に揺れる。咄嗟に目を閉じ、腕で顔を庇う一夏。やがて風が収まる。一夏が目を開くと、そこに優の姿は無かった。

 

「ユウ……? ユウ、どこに……」

 

一夏が一歩踏み出した時、潮騒が一夏の足元を濡らした。ふと見れば、優のいた痕跡を波が静かに攫っていく。

 

「……嫌だ。ユウがいなくなるなんて、そんな……」

 

優が自分の前から消えてしまう。それを避けるためにはどうすれば良いのか。

 

「……ユウの言葉に従うわけにはいかない。学園には戻れないし、ユウを傷つけるわけにもいかない。そもそも俺はユウを助けに来たんだ。ただ戦って勝っても意味がない。ユウの安全を確保した上で勝たないと」

 

「でも俺がユウを守ろうとすればするほど、ユウに危険が迫る。だからユウは、俺に誰も守るなって言ったけど、でも、だったら今の状況から、一体誰がユウを守るっていうんだ?」

 

やはり誰かが彼女を守らなければならない。そしてその誰かは己でありたい。他の誰かに任せたくない。

 

「ん? あれ?」

 

待て、何かがおかしい。思考が立ち止まる。

 

「──あ、そっか」

 

そしてはたと気付く。自身が大きな勘違いをしていたことに。

 

「俺は別に、誰かを守りたいわけじゃない」

 

そう、守ることそのものが願いだと、いつしか勘違いしていた。

 

「大切な人達と一緒にいたかった。なのにいつの間にか、誰かを守ることが目的になっていた」

 

手段と目的の逆転。守るという行為は、本来手段でしかないというのに。どうしてこんなにも簡単なことを履き違えていたのだろうか。

 

「そうだ。ユウやみんなと一緒にいたい。それが一番の願いだった。そのために、俺は誰かを守れるようになりたいと思ったんだ」

 

一夏が口にすると、先程まで浅瀬で遊んでいた少女が、いつの間にかじっとこちらを見つめていたことに気付く。

そして小さく微笑んだかと思うと、少女を中心にして景色が塗り変わっていった。果てのない青天が広がっていたはずだが、まるで紙についた火が燃え広がっていくように、瞬く間に周囲が夕焼け色に染まっていく。

 

景色が完全に夕方になると、先程までこちらを見ていた少女も、優のように消え失せていた。そしてその代わりに同じ場所に立っていたのは、ISのようなものを纏った黒髪の女性。

 

女性は静かに訊ねる。

 

「──力を、欲しますか?」

 

唐突な質問。しかし対する一夏は疑問を挟むことなく、ゆっくりと、力強く頷いた。

 

「──何のために?」

「ユウと一緒にいるために。だから俺は、彼女を守り、助ける力が欲しい」

 

 

「じゃあ、行かなきゃね」

 

ふと声のした方を向くと、そこには白髪の少女が佇んでいた。周囲は青空に染まっている。一夏は少女に向けて手を伸ばした。

 

「ああ、行こう」




名前:五反田弾
性別:♂
年齢:自称666万と16
誕生日:どうせ5月とかその辺
スタイル:かけられそうな胸をしている。いいよこいよ。
容姿:赤い髪に謎のヘアバンド。設定的にはイケメンらしい
初登場:2話目(中学編 中学2年生)

・真の主人公。真の保村。一夏の親友。こんな男に誰がした。
・どこにでもいる普通の高校生……だったんだけど、ええーっ!? わたしが魔王の生まれ変わりー!?
・前世は魔王だったりカイザーオブダークネスルシフェルだったりと大忙し。
・趣味はネトゲ。最近エロゲにも手を出した。
・自身の肉体美に絶対の自信を持っているし、世界の財産だと思っている。
・全宇宙で最もメイド服を着こなせる存在であると専らの噂を流している。
・ラウラに邪気眼を仕込んだ師匠的存在。
・発言は謎に包まれており、ミステリアスな雰囲気が素敵と思っている。
・なぜIS学園に入学しているのかは未だに良く分からない。
・クトゥルフ神話的にはどちらかというと神話生物の類。
・邪気眼系厨二発言と外宇宙的電波発言によって相手はSANチェック。
・シドニー・マンソン(初登場38話目 激闘!ユーチューバー編)とはかつて拳で語った間柄。
・作中トップクラスの灰色のやつ撫でシスト。
・おおきくなったらぷいきゅあになりゅ。
・みんなが放っておかないゆるふわ愛されボーイ。
・全ての存在を愛している博愛主義者。
・多分オータムは弾に惚れているが、弾自身はみんなのものなので。
・常識人になれと言われれば常識人になれるタイプのキチ。
・毎晩寝る前に世界を救っているぞ!



次回では優と一夏が激アツなラブコメを繰り広げます。
そして次回で「お前が福音になるんだよ!編」は終わります。その次が最終章です。完結が見えてきました。おでんちくわ、頑張ります。


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19

いやあ……福音は強敵でしたね。


太陽は沈み、また昇る。

 

時刻は午前4時40分。ゆっくりと水平線から太陽が顔をのぞかせる。それに呼応するように、海から1機のISが姿を現した。

 

6枚だった翼は12に増え、全てのウィングスラスターからは光の刃が伸びている。そして神々しく煌めく白金の装甲と、その周囲を細長い龍のように渦巻く青い炎が2つ。

 

二次移行(セカンドシフト)……!」

 

誰ともなく口にする。

 

ISには、自己進化とも呼ぶべき機能が備わっている。戦闘経験を経て、それをアウトプットする。その際に形態移行と呼ばれる現象が発生する。そしてこの二次移行は、IS操縦者たちが目指す一つの極致だった。

 

「う、狼狽えるな。いくら二次移行したとはいえ、もう碌にエネルギーなんて……」

 

そこまで箒が言った時だった。

 

『アマテラス』が片手を上空に翳すと、そこから青い炎が生まれる。それは流動しながらベールのように『アマテラス』を包み込み、やがて球体を象っていく。

 

「何が、起きてんの?」

「分かりませんが、迂闊に手を出すわけにもいきませんわね。カウンター用のアビリティかもしれません」

 

青い炎の球体はまるで地球儀のようにも見える。そして秒毎に炎の密度が大きくなり、『アマテラス』の姿が完全に見えなくなった頃、一瞬炎の球体が脈動したかと思うと──

 

「ッ! 逃げろ!」

 

 

 

────閃光。爆音。爆風。

 

 

 

地球儀のような青い炎は、海水を巻き込みながら大爆発を起こした。一瞬で周囲から音を奪い去り、全てを炎が埋め尽くす。

 

大きく抉れた大海には巨大なクレーターが生まれ、炎が風に流されるように消滅した後も、沸騰した海面から大量の湯気が上がっていた。蜃気楼のように揺らぐ景色の中、『アマテラス』の青い炎が、湯気の隙間で煌めいていた。

 

「何だ今の威力は……」

「もしかするとあれが、『アマテラス』の単一仕様能力(ワンオフアビリティ)かもね」

 

広範囲にわたる熱風と炎と衝撃。一発ずつ炎を撃ち出しても躱される。ならばそう簡単に躱されないように辺り一帯を吹き飛ばしてしまえばいい。どうやらそれが、『アマテラス』のAIが出した結論らしい。

 

単純な力技だが、それ故に小細工が効かない。奇しくもこれは、この世界で八神優に死の恐怖を目覚めさせた一撃に酷似していた。

 

箒たちは咄嗟に飛び去ったからか、熱の奔流と爆風に揉まれながらも、何とか全員生きてはいるようだ。全くの無傷というわけにはいかなかったようだが。

 

「にしてもヤバいわね。ほぼ満タンだったのに今ので8割以上飛んだわ」

「回避行動をとってこれですもの。単一仕様能力……恐ろしいですわ」

「てかそれより一夏どうなったの一夏。一夏の姿が見えなくて禁断症状出そうなんだけど一夏」

 

鈴とセシリアは爆発の中心──無傷で佇む『アマテラス』へと視線を向けた。さすがに自分の技で自滅するような都合の良い話は無いようだ。

 

「爆発前に近づいて攻撃を仕掛けるのはどうだ?」

 

箒の提案に、セシリアは首を横に振った。

 

「先程も言いましたが、迂闊に近づけばカウンターが発動し、あの球体の炎がそのままこちらへ向けられる可能性もあります」

「攻防一体の技というわけか」

 

箒たちが『アマテラス』の単一仕様能力を前に攻めあぐねいていた時だった。

 

「……?」

 

『アマテラス』が何かに困惑するような仕草を見せたかと思うと、その真下の海面がゆらゆらと蠢き始めた。そこに「何か」の存在を認めるや否や、瞬時にその場を離脱する『アマテラス』。滑るように空中を移動し、一瞬で機体の周囲にいくつもの火球を作りだす。そしてそれらを海面へ飛ばした。

 

弾丸のように飛翔し、海面へと着弾。水しぶきを上げながらいくつもの火球が爆発する。海面付近は白い湯気で覆われ、爆発の衝撃で周囲には波が立っている。

 

一体何が起きているのかと、箒たちは固唾を飲んで沈黙する。すると大きな音を立て、白い湯気を突き破りながら「何か」が姿を現した。

 

白い装甲。分厚いウィングスラスター。片手には一振りの刀が握られており、もう片方の手は装甲が強化され、一回り大きくなっている。姿形は多少変化しているものの、それは紛れも無く──

 

「……無事だったのか」

「ま、あたしは信じてたけどね」

「これはまた、心強いですわね」

 

「ああ。待たせてすまない」

 

──織斑一夏だった。

 

 

 

 

「みんな。突然で悪いけど、協力してほしい」

 

会話用のチャネルを繋いだ一夏の言葉に、集まった専用機所持者達は口々に疑問を表した。

 

『協力……何か作戦でもあるのか?』

 

周囲を代表して箒が訊ねると一夏は小さく頷いた。

 

「『白式』も『アマテラス』も、海に突っ込んだ時の攻防でかなりのエネルギーを消耗した。というか『白式』はあの爆発でゼロまで持ってかれたけど、リミッターを外して無理矢理動かしてるってのが現状だ」

 

『アマテラス』はさすがに持ち堪えたみたいだけどな、と締め括る。一夏の、ある意味衝撃発言にどよめく箒たち。しかしそんな箒たちのリアクションを尻目に、一夏は言葉を続ける。

 

「とはいえ『アマテラス』だってもう虫の息なはず。これ以上の戦闘はユウがもたないかもしれない。だから短期決戦を仕掛けたい。そのために『アマテラス』の動きを特定地点まで誘導してほしいんだ」

 

そう言って一夏は、警官たちがいる浜辺の反対側。小島をぐるっと半周した地点を指した。

 

一夏は火球によってものの見事に移動ルートを制限されたことを思い出していた。

あの時に受けた戦術をそのままやり返してやろうと考えたのだ。

 

『あたしたちがやるよりも、一夏は自分がとどめを刺したほうがいいと思ったわけ?』

「ああ」

 

確信に満ちた一夏の言葉。何か理由があるのだろう。しかし誰一人として、それを追求することは無かった。興味がないのか、はたまた信頼の表れか。

 

『接近戦を挑むのは難しいですが、射撃による誘導ならおまかせくださいな。このセシリア・オルコットとブルー・ティアーズの奏でる円舞曲で、見事に踊らせてご覧に入れますわ!』

『あたしも空気砲で何とかやってみるわ。未来の夫(一夏)の頼みですもの。暁の水平線に勝利を刻むわ!』

『わ、私だってその、お前を信じるぞ。一夏』

 

その後、簡単に情報共有を行い、一夏は表情を引き締めた。

 

「──さあ、勝ってみんなで帰るぞ!」

 

決意を新たに、一夏達は勝利へ向けて動き出した。

余談だが、「二人のセリフは弾が好みそうな言い回しだ」と一夏は思うのだった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

『アマテラス』は無言で彼らを捉えていた。

 

自身から距離を取り、周囲を等間隔にばらけて囲んでいる。どこから切り崩したものかと、『アマテラス』のAIが演算を始めたときだった。

 

「狙い打ちますわ!」

 

静かな海に女子生徒の声が響く。直後、青い閃光が走る。軌道は『アマテラス』の足元へ伸びているようだ。そう判断した『アマテラス』は、瞬時に最適解──真上への飛翔を選択した。重力をまるで感じさせない軽やかな飛行。しかしその動きを読んでいたかのように、今度は不可視の弾丸が迫る。

 

「油断したわね!」

 

ハイパーセンサーで大気の乱れを感知し、右へ左へと回避する。しかし狙撃手の癖なのか、やや右側の弾幕の方が厚い。『アマテラス』はその判断に従い、今度は左側へ大きく舵を取る。

 

そうして『アマテラス』は幾重もの攻撃を回避していった。時には刃のついたウィングスラスターがビット兵器のように弾丸を叩き切った。ただの一度も被弾することなく、『アマテラス』は華麗に空を駆け抜ける。

 

『アマテラス』に残されたシールドエネルギーは少ない。元々装甲は薄く、他のISと比べて圧倒的に耐久力が無い。そのためたった一度のミスが命取りになる。それが分かっているからこそ、『アマテラス』のAIは回路を全力で働かせ、確実に躱していく。

 

当然元々のターゲットの存在を忘れたわけではない。エムと呼ばれる少女を補足するや否や、全力で浜辺へ向かう。

 

しかし、

 

「行かせん!」

 

桜色のレーザーが行く手を阻む。盾の展開は間に合わない。回避しようと、急旋回をかける。それに便乗するかのように、数多の弾丸が『アマテラス』を撃墜せんと放たれた。

 

『アマテラス』は常に最適解を選択する。ここは一度ターゲットから離れるのが正解だ。しかし離れすぎてもいけない。ターゲットのいる小島に沿うように回避しよう。

 

そう考えた『アマテラス』は浜辺の輪郭をなぞるように、少しずつエムがいる場所から離れていく。誰も二次形態の『アマテラス』に追いつくことが出来ない。苦し紛れに光線を放つも、圧倒的な速度で次々と回避していく。

 

スペック上、もはや彼女たちは脅威になり得ない。『アマテラス』がそう判断した直後だった。

 

 

 

「俺を忘れてもらっちゃ困るな!」

 

 

 

白い飛沫が上がる。海中から勢い良く飛びだした『白式』が、『アマテラス』の真下から奇襲をかけた。

 

牽制がてら雪片を振るうも、『アマテラス』の周囲に浮かぶ刃付きのウィングスラスターに阻まれる。しかし一夏はむしろ好都合と言わんばかりに、雪片に込める力を強めた。

 

「そんな付け焼き刃のビット剣術に負けるかよ!」

 

二度三度と振るえば、あっという間に数枚の翼を切り伏せてしまった。一手一手、着実に『アマテラス』の戦力を削ぎ落していく。『アマテラス』が逃げようとすれば、今度は周囲に控えた他のISからの遠距離攻撃が道を塞ぐ。もはやジリ貧だ。

 

やがて残りの翼が3枚を切った時、『アマテラス』が勝負に出た。

 

「うおっ!?」

 

『アマテラス』の翼と雪片が激突したその瞬間、青い炎が一瞬走ったかと思うと、音を立てて弾けた。目くらまし程度の小さな爆発ではあるが、一夏から視界を奪うことには確かに成功していた。時間にして1秒にも満たない僅かな隙。しかし煙を切り払うと、そこには『アマテラス』の姿が無い。

 

上か、下か、後ろか、斜めか。一瞬の硬直が致命傷となると思われた、その時。

 

 

 

『──後ろだぜ』

 

 

 

ヘッドセットから聞こえる親友の声に、身を捻りながら振り返る。そこにはベールを纏うようにして、青い炎でその身を包んだ『アマテラス』。例の爆発の予兆だ。

 

「そいつを待ってたんだ!」

 

叫ぶや否や、一夏は二次移行によって変化した左手を、炎のベールに向けて叩き付けた。装甲が強化され、肥大化した左手──『雪羅』は、そのまま炎のベールを切り裂き、さらにその炎を吸収し始めた。

 

「……!」

 

『アマテラス』の炎を吸収しきると、今度は『雪羅』の周囲を覆うように青白い光が渦巻き、エネルギー爪となって像を結ぶ。その光は紛れも無く、一撃必殺の光──『零落白夜』そのものだった。

 

 

 

形態移行とは、ISの持つ自己進化機能である。ISは戦闘経験をコアへ蓄積し、それをもとにより最適なフォルムへと進化する。その際に新たな能力(アビリティ)が発現することがあり、それは基本的に他の機体には無い単一仕様の能力として表れる。

 

そしてその能力もまた、ISのポテンシャルだけではなく、どのような戦闘経験を積むことができたのかという要素に大きく影響される。例えば射撃経験が強く印象に残っていれば、射撃武装を持たない機体でも射撃能力を開花させることもある。

 

相手のエネルギーを吸収し、『零落白夜』のエネルギーへと変換して出力する。それがこの戦いで得た経験を元に生み出された、『白式』の新たな力だった。

 

 

 

 

『──俺を斬れ』

 

ふと、一夏の脳裏に優の言葉がリフレインする。優を斬らなければこの騒動にけりがつかない。みんなを守れない。この言葉を口にした時、優はどのような表情をしていただろうか。

 

「これで終わりだ」

「…………」

「そしてこれが、俺の出した答えだ」

 

翼を折られ、炎も奪われた『アマテラス』。もはや為す術は無い。一夏は死の光を宿した『雪羅』を、全てを失った彼女へ向けて──

 

「これなら、お前を傷つけないだろ?」

 

──そっと、その手を握った。

 

 

 

「……っふふ。なるほど。やられたよ」

 

聞き覚えのある声。次の瞬間、『アマテラス』の装甲が弾け、八神優がその身を曝け出した。同時に『零落白夜』の発動にエネルギーを使い果たした『白式』も、役目を終えたと言わんばかりに光の粒子となって消え失せる。

 

空と海の狭間で、朝日に照らされながら、一夏と優は互いの姿を見つめ合っていた。

互いに制服姿で、手を繋ぎ、まるで映画のワンシーンのようにしばしの沈黙が流れる。

 

 

 

「……なあ一夏、これって落ちるタイプのやつ? 不思議なパゥワーでどうにかならない?」

「えっと、どうだろう」

 

間の抜けた会話の後、二人の生徒は仲良く手を繋ぎながら、スカイダイビングと海水浴を満喫することとなった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

「げっほ! げっほ! あ゙ー。死ぬかと思ったー」

 

優は浜辺に仰向けに寝転がりながら、現役女子高生が出してはいけない感じの声を出す。男の夢を木端微塵にする『あ゙ー』だ。鼻からは海水が垂れている。完全に打ち上げられた水死体だが、しっかりとたわわな胸は上下していた。

 

『白式』と『アマテラス』の決着がついた場所が、浜辺からほど近い場所だったこともあり、二人は何とか陸に上がることができていた。地を這うようにして必死に浜辺にしがみつき、地上のありがたみを全身で享受していた。

 

一夏もまた、優の隣で口から海水を吐きだしている。戦いを共にしていたカメラやヘッドセットは、どうやら波に流されてしまったようだ。

 

「けほっ。お互い、よく無事だったな」

「ほんとそれな。いやマジで」

 

もはや優に取り繕った口調は見受けられず、一夏もそれを当然のものとして受け入れている。しばらくして呼吸を整える二人だったが、徐に優が上半身を起こした。

 

「制服重いな。脱ぐか」

「ちょっ、ユウ! やめろ!」

「いやでも風邪ひくだろ。お前も脱いどけよ」

「いやその、理解はできるけど……」

「恥ずかしがってる場合かよ。死ぬぞ。もしかして動けないのか?」

「まあ、実はそれもある」

「どんだけ消耗してんだ。ほら、脱がせてやるから体起こせ」

「うわちょっ……!」

 

一夏の背後に回り、背中を抑えながら上着をはぎ取っていく優。優自身は既に半裸だ。

優の冷え切った指先や豊満な胸が肌に触れる度、一夏は恥ずかし気に身じろぐ。

 

「お前思ったより鍛えてんのな。なんか悔しい」

「ひゃっ! お、おい! くすぐったいだろ! ややめひぃっ!」

「女みたいな声出すな」

「んなこと言われてもんぁッ!??!?」 

 

ひとしきり一夏で遊んだ後、

 

「……そういえばさ」

 

一夏の耳元で、優が囁いた。

 

「なんで私を斬らなかったんだ?」

「えっ……?」

「結果として全員助かったから良かったものの、あんな都合の良い能力が発動するとも限らなかっただろ。普通に零落白夜ぶち込まれるだろうと思って、後遺症か、最悪命の危機も覚悟してたってのに」

 

一瞬言葉に詰まる。少し考え込むようにして、一夏は無理矢理言葉を捻りだした。

 

「咄嗟に出るのは"俺"じゃなくて"私"なんだな」

「うるせえよばか。仕方ねえだろ。10年以上これで過ごしてんだから。というか茶化すな。ちゃんと答えろ」

 

食って掛かる優に、おかしそうに笑う一夏。そんな一夏の頬を、優が後ろから手を回して引っ張った。

 

「いひゃいいひゃい……っと、いてて。まあ何ていうかさ、見捨てるって選択肢は最初から無かったんだ」

 

一夏は未だ海上で自分達の姿を探している仲間たちを見ながら呟いた。

 

「だって多分俺、ユウのことが────」

 

 

 

「あああああああああッ! 居たあああああああああッ! 一夏ああああああああああああッ!」

 

 

 

早朝の海に、きんきんと少女の声が響き渡る。一夏が何事かと海へ視線を送ると、こちらを指さしている一機のISが見える。恐らく鳳鈴音だろう。

 

一夏の言葉は鈴の叫びによって掻き消されてしまった。聞こえていたとすればそれは、彼のすぐ傍にいた者だけだろう。

 

彼女は小さく鼻で笑うと、その表情を隠すように、彼の背中に頭を預けた。潮騒が二人の会話を隠すようにさざめく。

 

「……うるせえよばか」

「ははっ。ごめん」

「……まあ、けどその、なんだ」

 

 

 

「……ありがとう」




名前:織斑一夏(PN)
性別:♂
年齢:16
誕生日:9月27日
スタイル:Perfect Muscle Body
容姿:内山ボイスで黒髪短髪のさっぱりとしたイケメン
専用機:白式(すっげえ白くなってる)
初登場:1話目(中学編 中学1年生)

・本作ヒロイン。頭が弱い。ちょろい。弾の親友。
・クトゥルフ神話的にはINTが8とか9。
・仏メンタルで弾を受け入れている。
・絶対守るマン。
・優に対して憧憬と依存心を抱く。
・優の近くにずっといたせいか、最も幸運の感染を受けている。
・何かを守りたいという願望が危機を呼び寄せる。
・なかなか重い過去の持ち主。
・実は『一夏』という名前ではない。
・本当の一夏(妹)に脳の一部を移植してもらった。
・一夏の兄と一夏(妹)の意識が混濁した存在。
・ISを使用できるのはオリジナルのキー(妹)のおかげ。
・本当はもっとヒロインさせたかった。
・一夏の手作り弁当エピソードとかやりたかった。
・中学生の頃に金に釣られて女装コスプレを経験した変態糞野郎。


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20

これは、ある少女と少年が朝焼けに照らされ激闘を繰り広げる最中、日の当たらぬ戦場で孤独な戦いを生き抜いた、一人の男の英雄譚である。

 

 

 

(俺の名は五反田弾。どこにでもいる光属性の高校一年生だ)

 

最近闇属性も覚えたため最強だと浮かれていた弾だが、彼は今焦っていた。着々と迫るリミットに、汗を一筋流しながらぐっと歯を噛み締める。

 

(今俺は暴虐邪知な天災、篠ノ之束に対抗すべく、親友と共にある作戦行動に出た。しかしそこで究極の試練が待ち受けているとは、あの時の俺は知る由もなかった)

 

邪知暴虐である。

 

とはいえ事実として、とある少年が天才科学者の計画に太刀打ちするにあたり、弾は少年に助力を差し伸べていた。そして現在、弾はある決断を強いられていた。

 

「……っ!」

 

思わず声が出そうになるも、咄嗟に手で口をふさぎ、事なきを得る。しかしもはや限界なのだろう。膝をつき、脂汗を浮かべながら、必死の形相で戦場を見守る。

 

カメラから送られてくる映像では、親友が暴走する少女を相手に何とか戦闘を継続していた。しかし互いに決定打にかけるのか、決着がつかない。特に少年に関しては少女を極力傷つけないよう、遠慮がちな太刀筋になっている。親友に心配は掛けたくない。

 

(くっ、すまん、一夏。俺はもう……!)

 

弾は駆け出した。親友と矜持。天秤にかけられたそれは、極限にまで親友に傾いた後、最後には矜持が採られた。しかしそれも仕方の無いことだった。誰が彼を責められようか。

 

(俺は信じている。お前なら必ず、かの暴虐邪知な天災に勝てると!)

 

邪知暴虐である。

そう、弾は信じていた。決して一夏を見捨てたわけではない。彼らはズッ友だ。

 

弾は己の戦いに身を投じることとなるだろう。孤独な闘いだ。弾がその戦いを選ぶことができたのは、ひとえに親友への絶大な信頼ゆえ。

 

「一夏が気張ってんだ。俺だって負けねえ……!」

 

激痛に表情を歪めながら、必死に校舎を目指し走る弾。些細な段差や扉が、弾の心を逸らせる。廊下の途中で数人の生徒、及び教員とすれ違うが、もはや弾の視界には入らなかった。

 

「間に合えッ!」

 

盛大な音を立て、弾はトイレの扉を開け放ち、そして己の中に渦巻く全てを解き放った。

 

「ぉぉぉぅ、おぅふ、ぉぁぁぁああ……」

 

全てが昇華していく。快感すら覚えるひと時。弾の口から思わず声が漏れる。それほどまでに逼迫した状況だったのだろう。しかしこれで全て終わりだ。

 

そんな弾の戦いを見守り、戦い抜いた彼をそっと祝福する者がいる。彼女の名は音姫という。

 

こうして一人の男が挑んだ孤独な戦いは終息した。しかしいずれまた、弾は戦いに身を投じることとなるだろう。人類という種が続く限り、闘争は終わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぉぅ」

 

 

 

 

§

 

 

 

 

「えっ、それが箒の専用機なの? 第四世代? すごいね! かわいい!」

「あ、ああ。一応その、さ最新であの、多分一応唯一の第四世代というか」

「ユウ、あんた思ったより元気ね」

 

照れながら吃りつつ、それでいて俯きがちに早口な箒。周囲にはセシリアや鈴もいる。少し離れたところでは一夏とエムが何やら会話していた。あ、鈴がそっちに向かった。

 

俺達はまだ名も知らぬ孤島にいる。既に日は上り、徹夜明けの辛さが俺を襲った。

この後専用機所持者の第2陣が到着次第、俺達は学園へ帰還することとなる。そしてエムや警察の人達は、予定とは少しルートを変更した上で本来の目的地へ向かうそうだ。山田先生がうっかり漏らした情報によると、たしかフランスだったか。

 

他のやつらと合流した直後、俺はすぐさま猫を被った。再び八神優を演じた。

この後俺には何らかの処分が下される。その時に何とかしてISの暴走である主張、つまり今回の警察や学園の作戦行動を妨害する意志など俺には無いということを証言しなければならない。印象的に不利にならないために、俺は猫でも犬でも被るつもりだ。

 

一夏は何か言いたげにこちらを見るが、まあ無視だな。

 

ちなみに俺の一応の目的は達成された。つまり一夏とエムはある程度和解に近い状態となったわけだ。

二人がどんなやり取りを交わしたのかは分からないし聞く気もない。

 

しかし──

 

「ねえ一夏。この子とは結局どういう関係なの? さっきまで仲良さそうにお話してたみたいじゃない」

「えーっと、兄妹みたいなものというか」

「ふん。貴様と兄妹になった覚えはない。私の家族は千冬お姉ちゃんだけだ」

「兄妹じゃない女をお姫様だっこしてたの? ていうか千冬さんが姉? もしかして義姉(あね)?」

「いや、あの時は不可抗力というか何と言いますか」

「ふん。頼んだ覚えはない。この男が勝手にやったのだ」

「ねえ一夏。やましい気持ちは無いのよね? あたしというものがありながらこの女を」

 

──しかし、一夏とエムが鈴と共に仲睦まじく会話に花を咲かせている姿を見て思う。

もう心配は要らない。微笑ましさすら感じる光景だ。

 

一夏がこちらへ何度も視線を向けて何かを伝えようとして来る。

分かっている。お前らの邪魔などしない。

 

あのエムという少女が今後織斑一夏という男とどう向き合っていくのかは分からないが、姉である織斑先生も交えて相談していくのだろう。課題は多いが、あいつらは家族だ。きっと乗り越えられる。というか一夏とエムが和解した以上、織斑先生が一夏の決定に異を唱えることはないだろう。

 

姉と言えば、今回の件には例のしののの博士が絡んでいるんだったな。

 

「この『紅椿』ってしののの博士謹製なんだよね。すごいなあ」

 

適当に持ち上げてみると、箒はさらりととんでもないことを教えてくれた。

 

「あ、ああ。一応その、いわゆる、なんだ。ワンオフアビリティが既に発現している」

「えっ、本当に!?」

「箒さん、本当なんですの!?」

 

セシリアも食いつくビッグニュース。それもそのはず。単一仕様能力(ワンオフアビリティ)は、IS操縦者にとって目指すべき頂なのだ。俺もどうやら使えるらしいのだが、自分の意志で発動したわけじゃないから今一つ実感が無い。

 

そして何より、『白式』と同様、二次移行が済んでいないにもかかわらず単一仕様能力が発現しているという点に、俺とセシリアは驚いていた。

 

詳しく聞いてみると、どうやら『紅椿』にはそもそも、形態移行の段階という概念が無いようだ。無段階移行(シームレス・シフト)というらしい。状況や経験に応じてスペック更新が随時行われるようだ。すごい。

 

単一仕様能力は『絢爛舞踏』。効果はエネルギーの回復。なんじゃそりゃ。ずるくない?

なんでも、エネルギーを消滅させる『白式』の『零落白夜』と対になるアビリティとして作られたらしい。聞けば触れるだけでエネルギーが回復されるとか。それって反則じゃないですかね。というか『絢爛舞踏』を使うためのエネルギーはどっからきてんの? 『絢爛舞踏』発動で消費したエネルギーも回復できるんだったら永久機関じゃん。ずーっと回復し続ければ相手が勝手にガス欠になるじゃん。いや、ずるくない? まあそれはそれとして一回見てみたいよね。

 

「ねえねえ、ちょっとやってみてよ。『アマテラス』は今待機状態なんだけど回復できるのかな」

「あっ、ずるいですわ! 後ほど私の『ブルー・ティアーズ』もお願い致しますわ!」

「や、ややってみる」

 

恐る恐るといった様子で待機状態の『アマテラス』を受け取る箒。すると……

 

「ふぬうううぅ……っ!」

 

箒は待機状態の『アマテラス』を片手に、必死に力んで唸り始めた。

 

その時、箒が必死に力んで唸ったからだろうか、明け方の海に箒の唸り声が弱々しく響いた。しかしそれも、大きな波音にかき消されてしまう。箒がただ力んだという結果だけが残った。

 

「何も起きないね」

「そうですわね。何か足りない要素があるのでしょうか」

 

足りない要素、ね。

 

箒は『アマテラス』を見つめ……否、もはや睨み付けながら、エネルギーを注入しようと唸っているが、何も起こらない。さて、どうしたものか。

 

「あ、わかったかも」

「なんですの? ユウさん」

 

ふふん。これは正解いっちゃうパターンか?

 

「あれだよ。やっぱりエネルギー注入のためのセリフやポーズがあるんだよ」

「セリフとポーズ、ですか?」

「そうそう。愛情注入☆萌え萌えきゅーんみたいな」

 

俺は自信たっぷりに答えた。魔法の言葉の有無が全てを握っている。やはり分かってしまうんだよな。

 

「や、八神! ふざけてないで真面目に……」

「ふざけてないし大真面目。というわけで箒、やってみてよ」

「……え?」

 

頬を染めてあたふたと抗議を垂れる箒に、にっこりと微笑みかけながら詰め寄っていく。俺が至極真面目に言っているのが伝わったのか、箒の口元が引きつりだした。

 

「大丈夫。きっと上手くいくよ」

「へ、ほ、本気か? 本気で言っているのか?」

「私を信じて。トラストミー」

「わわ、わかった! わかったから無駄に良い笑顔で徐々に近付いてくるな! 怖い!」

 

根拠はない。だけどトラストミー。

そんな俺の満点スマイルが効いたのか、箒は快く俺の提案を受け入れてくれた。やはり笑顔は重要だと思った。

 

「さあ、そうと決まれば早速呪文を唱えよう!」

「え、あ、ま、まだ心のじ準備がその……」

「怖じ気づいちゃ駄目だよ。それとも恥ずかしいの? 萌え萌えきゅーんじゃなくてもいいよ? リリカルトカレフキルゼムオールにする?」

「わ、わかったから近付いてくるのをやめろ!」

 

俺が再び詰め寄り始めると、箒は意を決したのか、赤かった頬にさらに熱を湛えて叫んだ。

 

「ぅ……ぁ……ら、ラミパスラミパスルルルルルーーー!!!!」

 

浜辺に箒の声が響く。何事かと、一夏達まで会話を止めてこちらを見ている。静まり返った朝の海に、波の音がさざめいた。

 

「ぁ……うぅ……」

 

周囲からの視線と沈黙を感じ取ったのだろうか。小さな声を絞り出すようにして俯く箒。顔を真っ赤にして、若干涙目になりながら縮こまっている。

 

俺は一つ頷き、口を開いた。

 

「かわいい」

「いや、「かわいい」じゃありませんわ! 何も起きないではありませんか!」

「え? ああ、そういえば単一仕様能力の話だったね」

 

また考え直しだな。

少し考え込んだ後、またしても俺は閃いてしまった。

 

「あ、また分かったかも」

「……八神、今度はまともなやつで頼む」

 

じとっとした視線を寄越す箒。

俺の考えはいつだってまともでしか無いんだよなあ。

俺はエムや鈴と戯れている一夏へ視線を向けた。

 

「『白式』の対になるってことは、もしかしたら一夏くんがいないと使えないんじゃない?」

「なるほど。二機並び立つことで初めて使用可能なアビリティということですわね」

「な、わ、私と一夏が、並んで……!?」

 

箒の顔が一瞬で真っ赤になったかと思うと、それに連動するように『紅椿』が黄金の光を放ち始めた。そしてぼふんという音共に箒の頭から湯気が上がり、『紅椿』からは金色の粒子が溢れ出る。何だこれ。何だこれ。

 

「うわっ、何か急に金色のキラキラ粒子が出たと思ったら『アマテラス』がすごい勢いで回復してる!?」

「これが『絢爛舞踏』ですわね……!」

 

その後、セシリアのエネルギーも回復させた。しかし一体何が発動のキーになったのか。今一つ分からずじまいだった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

「そういえばユウ、アンタなんで暴走なんかしちゃったわけ? 何か心当たりでもあるの?」

 

唐突に鈴に訊ねられた。暴走の心当たりか。いや、十中八九しののの博士じゃないかと俺の勘が囁いている。久しぶりに俺の第六感がビブラートを効かせて囁いている。というかアレだ。そもそも他人のISに暴走ウィルス仕込むとかしののの博士じゃないと無理でしょ。

 

もしかしたらテロの直前、あの時の整備中に亡国企業とやらに仕込まれたのかもしれないけど、それなら無理矢理にでもテロ開始に間に合わせて整備を終わらせるはずだ。テロ中に暴走した方が、やつらにとっては都合が良かったはず。

 

そしてあのテロの直前では、今のようにエムが警察に護送されるという状況までは読めなかったはず。わざわざウィルスを潜伏させておく理由が無い。そんなまどろっこしいことをせずに、ウィルスを仕込めるような場所に居たのならそのまま強引に『アマテラス』を奪えばいい。そうしなかったということは、あの時点で亡国企業は『アマテラス』に触れられるような立ち位置には居なかったのだろう。

 

容疑者は亡国企業ではない。ウィルスが仕込まれたタイミングがテロ直前の整備ではないとしたら、それ以前と見るのが濃厚だ。そうなると整備士にも気付かれないようウィルスは隠蔽されていたことになる。それができるとしたら、真っ先に容疑者として上がるのはやはりしののの博士だろう。

 

「なんかいつの間にかウィルスが仕掛けられてたみたい。いつ入り込んだのかは分からないんだけどね」

 

嘘だ。何となくだけど分かる。恐らく『アマテラス』にウィルスが仕掛けられたのは、『シュヴァルツェア・レーゲン』の暴走事故の時だ。あの時、敵が目の前にいるというのに、急に『アマテラス』が言うことを聞かなくなった。てっきり適性が下がったせいでスペック的に処理できなかったのかとも思ったが、そもそも『アマテラス』は適性Aでもギリギリ動くらしいからな。

 

以前読んだ教本では、「適性は身体的な特徴や能力だけではなく、精神的な面にも依存する」と書かれていた。その本によると、例えば最初は低ランクの適性だったとしても、稼働経験を積み、ISという存在が自分の一部となることを受け入れるという方向に意識改革が進めば、ある日を境に高ランク適性となることもある。

極端な話、測定時点では入学基準ギリギリのランクCだったとしても、意識次第でランクSになったりもする。俺に起きたのはその逆だ。

 

俺はあの時、間違いなくISという存在を恐れていたし、疎んでいた。だから適性は下がり、そこにつけ込まれるようにウィルスを仕込まれた。まあ、適性が下がったおかげで『アマテラス』は十全に力を発揮できず、ヘリを落とす前に追いつかれ、こうして見事に負けて事件解決に繋がったわけなんだけど。そうやって考えると、やっぱり俺って運に恵まれてるな。

 

というかむしろ、俺としては暴走してくれて助かったのか? 今回は暴走事故のおかげで、ヘリを襲ったのも、あの状況で作戦行動外にもかかわらず学園を飛び出そうとしたことも全部暴走のせいにできる。

 

機体の暴走が無ければ、俺はエムを一夏に引き合わせるためにエムを誘拐しただろう。素面で。そうなるとしっかり責任追及されまくったはずだ。

あの時の俺は追い詰められて精神的に暴走状態だったからな。危なかった。

 

「みんながここに来たのって、私を捕まえるため、でいいんだよね?」

 

俺の問いかけに、鈴やセシリアが補足しながら答えてくれた。

 

どうやら俺の暴走については政府から情報が齎されたようだ。そしてその情報は匿名のタレ込みだったそうだ。一般市民があんな深夜に高速で海を飛ぶISを撮影できるのか? 機体の詳細が分かるような精度で? まず無理だろう。ますますしののの博士犯人説が濃厚になってきた。

 

さらに聞けば、指揮を執ったのは一応織斑先生だが、その場にはしののの博士も同席していたらしく、『アマテラス』の破壊についてかなり強引に推し進めようとしていたようだ。そして『紅椿』だけで十分だとも言い放った。何となく見えてきたぞ。

 

話を聞いて考えるに、しののの博士は凄まじい天才であり、凄まじいサイコパスであり、凄まじいシスコンだ。一夏の部屋に仕掛けられていた大量の盗聴器やカメラを発見したことがあった。IS学園とはつまりそういう場所だ。様々な国、派閥の思惑が絡み合う情報収集の場なんだ。そこに紛れてしののの博士は自身の妹に関する情報を集めていた。監視していたというより、本人としては見守っていたつもりなのかもしれない。

 

そんな妹の周辺をちょろちょろし始めたのが俺だ。しかも今にして思えば、しののの博士の力を利用しようとする連中と同じようなことを口にしていた。しののの博士は俺に嫌悪感を抱いたのだろう。そこで俺を排除すると同時に、妹の踏み台にしてやろうと思った。そのための今回の暴走事故であり、それを解決するための『紅椿』だったというわけだ。

 

出動前にちょっとしたトラブルがあったようだが、妹の晴れ舞台を邪魔しないようにと、しののの博士が率先して問題解決に当たったらしい。とはいえそれにより多少出遅れたようで、結果として一夏を追いかける形で合流した、と。何故一夏だけがみんなより早くここへ辿り着いたのか、それは本人に聞いても適当にはぐらかされてしまった。

 

「なあ。そういえばみんな、学園を出る時に弾と会わなかったか?」

 

俺が考え事に耽っていると、一夏からピントのずれた質問が飛んできた。どういうことだ?

 

「弾? ああ、普通に廊下ですれ違ったわよ。すごい深刻そうな顔でお腹抑えながらトイレに入っていったけど」

 

大きい方ではないかと、鈴が明け透けに答える。その答えに一夏は納得したようで、「だから途中から連絡が無かったのか」などと呟いている。

 

さて、ある程度現状は把握した。どうも俺はしののの博士に嫌われている。あるいはどうなっても構わないという無関心か。まあ、ウィルスが作動した時に聞こえた『調子に乗ったメス豚くん』というメッセージから察するに、やっぱり嫌われてんだろうな。

 

平和的解決は難しそうだ。

 

そう思って何となく空を見上げた時だった。

 

 

 

「ん? 何かこっちに来てるね」

「学園の人達じゃないのか?」

 

朝焼けに燃える空に、きらりと何かが煌めいた。陽光を反射したそれは、徐々にこちらへ近づいているようで…。

 

「違いますわ! 敵襲です!」

 

セシリアが叫ぶと同時に、ISを展開できる連中はすぐさま展開し、俺や一夏、エムを抱えて飛び退いた。俺を抱えているのは箒だ。

 

やがてそれは、凄まじい速度と衝撃をもって俺達の前に落ちてきた。流星の如く現れたそれは、どこかで見たような、のっぺりとした無機質さを纏っていた。

 

「これは、IS……?」

 

俺の言葉に誰も答えない。誰もが固唾を飲んでそれを見つめている。それはむくりと立ち上がり、俺達に全貌を見せつけた。

 

黒く針金のように細い体躯。いわゆるフルスキンタイプというか、操縦者の肌は一切見えない。顔の部分には2つの赤いランプが眼光のように点滅している。

 

遠目には間違いなく人型に見える。しかし何だろう。この無機質感は激しい既視感を伴っている。

 

「あ、そうだ。前に来た無人機に似てるよね」

「……言われてみれば確かにそうだ」

 

俺の言葉に、今度は一夏が頷いてくれた。無視は悲しいもんな。

忘れもしない。俺と一夏の模擬戦に割り込んできた不届き者だ。結局どこの誰が送り込んだのかは知らされていない。

 

無人機と思しき襲撃者は、俺の存在を認めるや否や、その赤い二つの視線を俺に固定した。

 

熱い視線を感じる。モテるってつらいね。

 

無人機はそのまま、こちらへ向かって飛び出した。武器を使わず、力任せに打撃を繰り出してくる。さすがに一切のからめ手のない攻撃を躱すことなど造作もないらしく、箒は危なげなく回避していく。しかし俺を抱えながらであり、しかも明らかに俺を狙った攻撃しかない。完全にお荷物だ。

 

セシリアや鈴が攻撃を仕掛けるも、無人機特有の人体構造を無視した気色の悪い動きで次々と躱され、時に無茶な体制から反撃を受けてしまう。

 

さて、俺もそろそろ動かねばなるまい。

 

「箒、箒、ちょっと下ろして」

「な、何を言っている!? しし死ぬ気か!?」

「いいから。どうも私が狙いみたいだし。みんなは離れててね」

 

何とか『紅椿』から降りると、無人機はすぐさまこちらへ銃口を向けてきた。手の甲が盛り上がっており、そこに穴が開いている。あそこからビームやら何やらを出すのだろう。

 

一瞬銃口の奥がきらりと光ったかと思うと、凄まじい勢いでエネルギーが収束していく。それは間違いなく殺意をもって俺に向けられている。

 

「でも遅い」

 

軽く右腕を振ると、俺の右腕に白金色のドレスグローブのような装甲が絡みつく。それを無人機へ向けると、青い炎が1本、吸い込まれるようにして、無人機が構える銃口へと入り込んだ。犇めくエネルギーに、青い炎が触れ──

 

「爆ぜろ」

 

──その直後、こちらへ向けられていた無人機の右腕が爆発した。

 

破片がこちらへ飛び散るが、炎のベールを展開して悉くを燃やし溶かす。

 

「エネルギーが満タンだからか、それとも二次移行の恩恵かな。操作精度がかなり高いね。うん、良い感じ」

 

思った以上の成果に、俺はうんうんと頷く。周囲はちょっと引いている。まあ引くよな。仕方ない。

とはいえかなり細かい制御が利くようになったし、火力も爆発的に向上した。

 

 

 

恐らくだが、ここで俺が出しゃばる必要は無い。俺が何もしなくても、ここにいるメンバーなら負けはしないだろう。しかしこれは俺が売られた喧嘩らしい。そして何より、自分で動くということに意味がある。

 

俺は今まで、何だかんだずっと受け身だった。それは心のどこかで、何が起きても何とかなるという楽観を少なからず抱いており、同時に『幸運』が齎す運命にはどうあがいても何ともならないという諦観を持っていたからだ。これは総括して自信と言い換えてもいい。少なくともテロ事件までは、俺は俺に植え付けられた幸運に良くも悪くも自信を持っていた。神様仏様から貰ったものを見てほくそえみ、そんな俺は特別なのだと奢っていた。

 

しかし一夏は己の意志を貫き通した。俺の願いを踏み越え、俺たちみんなが一緒にいられる都合の良い未来を掴み取った。

 

待っているだけでは駄目だ。降って湧く幸運を当てにするから振り回される。運命を切り開くのは、いつだって人間自身だ。

 

極限にまで人事を尽しきったその先で、ようやく運がものを言う。故に待つのはもうやめた。与えられた困難に不平を零すのもやめる。全ては俺が俺の手で掴み取った未来なのだから。

 

「この年になって、こんな当たり前のことに気付くなんてね」

 

 

 

さて、戦闘と並行して『アマテラス』が暴走していた時の戦闘ログを軽く流しているが、やはりAIは所詮AIだ。大味な指示しか出せていない。いや、俺がそもそも大味な経験しか積ませていないからか? まあ今後いろいろ学習してもらえばいいか。

 

右腕を丸ごと失い、今度は左手からエネルギー爪を繰り出した無人機。何とか立ちあがり、砂塵を巻き上げ、なかなかの速度でこちらへ接近してきた。

 

無人機が左手を振りかぶった時、『アマテラス』の新武装である翼刃を無人機の関節に向けて飛ばした。翼刃は青い炎を纏い、超高熱の剣となって、無人機の腕を溶かしながら切断した。振りかぶられていた左腕からエネルギー爪が消滅し、明後日の方向へ落ちていく。

 

左右の腕を失いながらも、そこはやはり無人機であるからだろう。何とかバランスを失うことなく、俺から一歩二歩と後ずさった。かと思えば、胸のハッチが開き、そこから銃口が顔をのぞかせた。

 

「そーれ」

 

適当な掛け声で、青い炎を操る。今度は2本。炎は一瞬で胸の銃口に辿り着くと、滑らかな動きで銃口に絡みつく。俺がぐっと手を握ると、熱で強引に銃口が歪んだ。

なぜこうも簡単に相手の装甲や武器を溶かしたり歪めたりできるのかというと、そもそも『アマテラス』の発火能力は電子レンジの延長線というか、ナノマシンによって周囲の分子の動きや振動をある程度操作できるからだ。

 

今までは若干持て余していた感のあるこの発火能力だが、『アマテラス』本体のスペック向上によってかなり使いこなせるようになった。範囲も精度も桁違いだ。

 

相手は無人機であるが故に絶対防御もシールドも発動しない。どちらも操縦者を守るためのシステムだからだ。恐らくコアのある部分くらいは発動するだろうが、ならばそれ以外を削ぎ落していけばいい。進化した『アマテラス』の試運転には丁度良かった。

 

 

 

さて、もう勝負ありって感じだな。十分だろ。向こうはこれ以上、まともに戦闘を続けることはできない。何が来ても対処して見せる。ここからは情報収集の時間だ。

 

「『アマテラス』のエネルギーが回復していたのは計算外でしたか? しののの博士」

 

俺の言葉に、無人機は一瞬硬直するも、どこかについているのであろうスピーカーから、主の声を垂れ流し始めた。

 

『ふーん。気付いてたんだ』

 

平坦なアニメ声。だが、隠しきれない俺への苛立ちの様な物を感じる。こいつがしののの博士か。

 

「冷静に考えれば現代で無人機を作れるのは博士くらいですからね。いや、何とも強靭で素晴らしい機体です。危うく負けてしまうところでしたよ」

『黙れよ。気色悪い』

 

取り付く島もない。やはり平和的解決は無理だな。何かもう面倒くさいし。

恐らく第三アリーナを襲撃した無人機も、しののの博士が作った無人機だろう。

俺はあれに殺されかけた。確かに俺にも原因の一端はあるが、だからといってこの傍迷惑女に慈悲をかける義理は無い。

 

「何やら不興を買ってしまったようですね。恐らく私が妹さんに近づいたのが気に入らなかったのでしょう。しかし博士、あなたの用いたその無人機やこの度の騒動によって、私だけではなく、他の方々にまで危険が及んだのもまた事実」

 

長刀を取りだし、その刃に炎を走らせる。一瞬で眩い陽炎を見せる刀。無人機が動く前に横一線に振るう。

金属同士が擦れ合うような甲高い音を軋ませ、無人機の腰から上がぐらりと傾き、落ちた。

 

「次にまた何かあれば容赦はしません。私の周囲に被害が及ぶのであれば貴方ごと燃やし尽くします。これでも、友人達の幸せを願っておりますので」

 

返事など要らない。自爆する暇など与えない。エネルギーを限界まで刃につぎ込み、無人機のコアを内包しているであろう上半身に向けて、爆炎を叩き付けた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

紫の髪から兎の耳が飛びだしている。水色のエプロンドレスのような服を着用し、まるで童話から飛び出してきたかのような出で立ちだ。

 

「……なにあの女」

 

IS学園の屋上にて。束は一人、朝の空を睨み付けていた。その視線の先にあるのは虚空だが、このとき篠ノ之束は確かに、ある人物へ強い感情を向けていた。人間らしい感情を家族以外の者へ向けたのは、束にとって非常に稀有なケースだ。

しかしその感情は、憎悪という表現では生温いほどに暗く陰鬱であり、それでいて燃え盛る火山が如く苛烈で攻撃的な感情だ。

 

誰も居ない屋上にて、束は目の前に半透明のウィンドウをいくつも展開した。そして目にも止まらぬ早さで何かを入力していく。

 

「ムカつく、ムカつく、ムカつく、ムカつく、ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく」

 

ある少女から受けた警告、もとい宣戦布告に、篠ノ之束は激しく憤っていた。次に何かあれば容赦はしない、自分は友の幸福を願っている、と。

 

束は少女の言葉を聞いた時、まるで「お前は妹の幸せを考えられていない」と責め立てられた気がした。

ふざけるな。お前に私達の何が分かる。赤の他人が私の身内に近寄るな。

束は八神優の言葉を、決して受け入れることが出来なかった。

 

「あのメス豚、叩きつぶしてやる。今いるゴーレムたちを全て送り込んで、それから──」

 

あれこれと計画を練り込んでいた時、屋上の扉が大きな音を立てて開かれた。

 

「束、ここにいたのか」

「ちーちゃん……」

 

束が振り返ると、そこに居たのは黒髪を後ろで括り、鋭利な眼光をこちらへ向ける美女が一人。

 

──織斑千冬。束の親友であり、世界最強のIS操縦者。

 

そして唯一、生身で束と渡り合える怪物。

 

千冬はいつもの黒いレディーススーツ姿ではない。甲冑を意識したようなデザインの、タイトな戦闘用スーツを纏っている。そしてその手に握られているのは巨大な刀。本来はIS用の武装ではあるが、それを生身で扱えるからこそ、織斑千冬は地上最強のブリュンヒルデと呼ばれている。

 

「一応お前の親友を自負しているからな。止めるだけ止めに来た。聞く気はないかもしれんが、これ以上はやめておけ」

 

諭すような千冬の言葉。自然体でゆっくりと束へ近づいていく。

ああ、そうか、己の親友はあの女の味方をするのかと、束の瞳に黒い感情が渦巻く。

 

「先程八神から連絡があってな、何かあれば束を止めてほしいなどと言うから探してみれば、案の定というやつだ」

「ちーちゃんはあいつの言うことを聞くんだね」

「ああ。ちなみにお前の妹からも頼まれている」

 

何故。何故。何故。

 

束の中で苛立ちや孤独感が燻っていく。しかしそれはやがて大きな炎となり、目の前の親友に向けられた。

 

「なんで……なんでなんでなんで!? なんであの女の味方なんてするの!?」

「一夏と、一夏が大切にしているものを守るためだ」

「別にあの女なんて要らないでしょ!? いっくんも箒ちゃんもちーちゃんも、なんであんな女に構うの!? なんで私の邪魔するの!?」

「お前がやつらに危害を加えるからだ」

 

淡々と口にする千冬。感情のままにかみつく束。

束の豹変に驚いた様子もない。元々束は感情の起伏が他人とは少し異なっていた。古い付き合いである千冬は、彼女のことを理解はしていないが、この世界の誰よりも知っている。

 

「……いっくんや箒ちゃんはちゃんと死なないように気を付けてるよ? それでも駄目なの?」

「無論だ。身内以外ならどうなっても構わないという考え方はやめろと、昔も言った気がするな」

「ISのデータを集めるためには仕方ないでしょ? いっぱいデータを集めて、研究して、『白騎士』を超えるくらいすっごいのを作るから。だからまたISを着てくれる?」

「……はあ」

 

二人の間を、そよ風が通り抜ける。明け方の屋上は、少しずつ熱を帯び始めていた。子供のように表情をころころ帰る束と、終始無表情の千冬。千冬は何かを思いだすように彼方を見つめ、呟いた。

 

「束、もういいんだ」

 

親友の言葉の意味が、天才である彼女には分からなかった。ぽかんと呆けている束に、千冬はさらに言葉を重ねる。

 

「すまなかったな。私のせいで、お前の人生を狂わせてしまった。そこまでISに囚われていたとは」

「な、何言って……」

「正直な話、私は後悔している。あの日お前を父と母の研究室へ連れていったことを。あの時お前が差し出したISに手を伸ばしてしまったことを。だから今日、過去の後悔を清算しようと思う」

 

独白に近い言葉。千冬は束に視線を合わせた。束の瞳は困惑と悲痛に歪んでいる。

千冬は一度深呼吸した。これから告げる言葉は、自分には言う資格など無いのかもしれないが、自分が言わなければならない言葉だ。やがて小さく、それでいてはっきりと通る声で、千冬は言った。

 

「もうISの研究はやめろ」

 

束の中で、何かがひび割れた。

 

「待ってよ……ちーちゃんが言ったんだよ!? 力が欲しいって! だから私は……」

 

千冬が家族を失った時、その原因の一端が自分にあると分かった時、束の中の歯車は、どこかが食い違ってしまった。

弟を守りたいたいという強い意志が彼女をすり減らしていく、そんな千冬を見るのが悲しかった。親友に辛い顔をさせたくなかった。彼女はもっと輝くべきだ。羽ばたくべきだ。力を欲するのであれば、私が与えよう。だから笑ってほしい。彼女の輝きは自分が取り戻す。そんな思いが、ある一つの事件につながる。

 

「ああ。言った。そしてお前はISを作った。女である私でも、あらゆる敵を跳ね除けられると言いながらな。完成した『白騎士』を渡された日のことを、今でも覚えている。懐かしい。ミサイル2000発か。忘れろという方が無理な話だ」

 

白騎士事件。そして世界は一変した。女性は優遇され、織斑千冬は国の英雄となった。一夏を守ることができるようになった。

 

「ISのおかげで一夏を守ることが出来る。あの時はそう思っていた。今後ISがさらに普及・発展すれば、私の立場はより強固なものになると」

「じゃあなんで止めるの!? 全部全部、いっくんと箒ちゃんとちーちゃんのためなのに!」

「私は、女である私でも一夏を守れるようにと願った。私が欲したのは一夏と、やつの大切なものを守るための力だ。しかしISでは守れなかった。そしてお前は一夏と一夏が大切にしているものを危険に晒した。ISを使ってな」

 

そして何よりと前置きして、一呼吸置いた後、千冬は改めて束を見据えた。

 

「やつらは生徒で、私は教師だ」

 

生徒を守るのが教師の役目であり、たとえ相手が親友であろうともそれは変わらない。

 

「さて、話を戻そう。纏めると、お前の一連の動機は個人的怨恨とISの研究か。それを踏まえた上で言わせてもらうが、これ以上うちの生徒にちょっかいを出すのはやめてくれ。大人げないとは思わないか。研究の過程でうちの生徒に危害を加えるというのであれば、研究そのものをやめてほしい」

「…………」

「ISはお前にとって今の世界の象徴だ。ISが否定されるというのは、お前が作り上げた世界が否定されたも同じ。全て理解できるなどと口にするつもりはないが、それでも多少の辛さは分かってやれるつもりだ。どの口がと思われるかもしれない。お前がどうしてもIS研究を続けたいというのであれば、せめて誰も傷つけずに進めてほしい」

「…………」

「ISを特権化させ、より高みへと進化させる。それが一夏や箒を守ることに繋がり、私への贖罪となると考えたのだろう。ISの成長には実戦を積ませるのが一番だ。その結果やつらに闘争を強いることになった。しかし、やつらにはやつらの世界と価値観がある。ISが齎す世界を押し付けて囲うのではなく、やつらが何かを得て歩んでいく様を見守るのも、私達の役目だろう。違うか?」

「……ちーちゃん、なんだかお説教が上手になったね」

「教師とは意味もなく説教をしたがる生物だからな」

「……ねえ、ちーちゃん。今の世界は、楽しい?」

「楽しくないと言えば嘘になる。しかし今の世界が一夏達の安寧を脅かすのであれば、否定せざるを得んだろう」

「……そっか。要らないんだ。ちーちゃんは私を……私の作った世界を否定するんだ」

 

束は俯き、蚊の鳴くような声で呟いた。

 

 

 

「もういいや」

 

 

 

次の瞬間、千冬は束の目の前で刃を振りぬいていた。何かが束の手元から弾かれ、宙を舞う。それは天使の羽根のようなものがあしらわれた可愛らしいオブジェ。例えるなら、魔法少女のステッキの先端部分のような何かだった。

 

そして束の左手には棒状の何かが握られている。何の変哲もない棒だが、先端は何かで切断されたような跡がある。

 

「あはははっ、さすがだね。ちーちゃん。まさか『王座の謁見』が一瞬で使い物にならなくなるなんて」

 

束の言葉に、千冬は沈黙したまま何も返さない。

 

束が顕現させようとしたのは『王座の謁見』と呼ばれる発明品だ。魔法少女のステッキを模したデザインのそれは、周囲の重力を操ることが出来る。しかしそれが力を発揮することはなかった。量子化されていた『王座の謁見』が顕現したその瞬間、千冬が一瞬にして斬り捨てたのだ。

 

「でもざーんねん。本命はこっち」

 

そう言って束は右手を掲げて見せた。そこには何かのスイッチが握られており、既にボタンは押されている。

 

その直後、軽い地響きと共に屋上の床に亀裂が走った。

 

「くッ、お前まさか!」

 

千冬が咄嗟に飛び退くと、校舎を食い破るようにして、床の下からニンジン型のロケットが姿を現した。

そして束がロケットに飛び移ると、ロケットはそのまま空へと飛んでいく。

崩壊する校舎。千冬は瓦礫から瓦礫へ飛び移り、何とか地上へ着地した。

 

「いっくんも箒ちゃんもちーちゃんも認めてくれないんだったら、もうこんな世界要らない! すぐにでも全部壊しちゃおう! あははははははははっ!」

 

朝の青空に笑い声がこだまする。千冬は空を睨み付け、奥歯を噛み締めた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

『すまない。説得に失敗した』

 

箒のスマホに織斑先生から電話がかかってきたかと思うと開口一番それだった。やめてくれよ。

 

「ちなみに博士はなんて言ってました?」

『世界を壊す、と』

「おおう」

 

俺の問いかけに、織斑先生は憎々しげに言った。いや、マジで出来そうじゃんあの博士なら。

 

しかししののの博士もやることがぶっ飛んでるな。まあ、世界中を巻き込む大きな流れをほぼ一人で作り出すなんてもはや神の所業だ。人間の身でそんなことが出来てしまう束は、人格も神様レベルでぶっ飛んでるということか。

 

「ちょっとみんな、これ見て」

 

鈴が何やらスマホを手招きしている。どうやらニュースサイトを見ているようだ。

 

促されるままに画面を覗き込むと、そこには全世界の首脳陣へ向けて、匿名のメッセージが送られたと書かれていた。その内容は全ての国家で共通している。曰く「もうこの世界は要らないので、滅ぼします」とのこと。どうしよう。

 

「ヤバいわね。相当マッドだわ」

 

その通りだ。頭おかしい。箒は姉のしでかしたことだからと、何度も頭を下げている。気苦労が絶えないな。

 

「そういえば束さんってそもそもどんな人? 私知らないんだけど」

 

教本の写真なら見たことはあるが、その写真はたしか今から10年前の写真だ。当てにならんだろう。

 

俺の言葉に、今度は全員の視線が俺へ向いた。その視線は一様に「えっ、今更?」という意思が込められていた。

 

「あんたってたまにド天然かますわよね。ほらこれ。この写真」

 

そう言って鈴がスマホに表示させたのは、紫の髪にウサ耳カチューシャの24歳だった。服装は大きく胸の開いた水色のエプロンドレス。全体的にメルヘン8割SF2割みたいな見た目だ。え、24歳? 織斑先生と同い年? 本気で言ってる? この格好で?

 

「あ、ありがとう。結構その、個性的? な人なんだね。とりあえず博士を止めないと」

「ああ。にしても、どうすればいいんだ? 向こうの出方が分からないから全く手が浮かばない。そもそも束さんって今どこにいるんだろう」

 

一夏がそう言うと、箒はようやく謝罪をやめ、恐る恐るといった様子で小さく顔を上げた。

 

「その、詳しくは知らないが、以前移動式のラボを使っていると言っていた、気が、する……します……すみません……」

 

箒の発言に全員の視線が向いたからか、すっかり恐縮して言葉が尻すぼみなってしまった。

しかし移動式か。これはまた場所の特定が難しそうだ。

 

「ラボの名前は?」

 

訊ねると、今度は織斑先生が答えてくれた。

 

『吾輩は猫である、名前はまだない、だ』

「……え?」

『吾輩は猫である、名前はまだない、だ。これがやつのラボの正式名称だ』

「な、なるほど」

『ちなみに束のラボは世界中が躍起になって探しているが、未だに見つかっていない。地球上のどこにあるのか、どこを移動しているのかも未だ不明だ』

 

うーん、そうか。

 

そうか。

 

ラボの名前から何か手がかりがあればと思ったが、何だよ猫って。兎だったり猫だったりはっきりしろよ。全然分からない。

 

……ん? あれ? 本当に共通点は無いのか?

 

 

世界中を探しても見つからない。

ウサギ耳のカチューシャ。

吾輩は猫である。

移動している。

夏目漱石。

兎。

 

 

……ん?

え、いや、まさか。

だがしかし、俺の想像が正しければ……。

 

「……わかったかも。ラボの正体」

 

本日3度目のわかったかもに、再び周囲の視線が俺に集中する。俺がこれから口にする回答は少々荒唐無稽だ。しかし不思議と的中しているのではないかという確信にも似た感覚が、俺の口を開かせる。それにISの名目上の用途を考えれば、あながち不自然な答えでもない。

 

それに仮にこの答えが正解であれば、しののの博士が用いる世界滅亡の手段も何となく見えてくる。

 

 

俺は空を見上げ、今は見えなくなったそれの名を告げた。

 

 

 

 

 

 

「月、じゃないですか?」




名前:八神 優(やがみゆう)
性別:見た目は女。中身は男。
年齢:16
誕生日:1月1日
転生特典:顔面偏差値+40、幸運EX
スタイル:セシリア以上千冬以下
容姿:黒髪ロングと赤い目のスーパー美少女
専用機:アマテラス

・本作主人公。原作『IS<インフィニットストラトス>』を知らないTS転生者
・前世はスーパー高学歴ボーイだった。趣味はエクストリームベルマーク収集。明るく友達に恵まれた童貞。
・死んだとき「そのツラが気に食わない」「不幸な事故だと思って」などと神に言われ、気に入られる顔と幸運を願った。
・クトゥルフ神話TRPGで言えばAPPとPOWが天元突破している。
・周囲から違和感を持たれないように、本来の『八神優』に備わったであろうキャラクターを演じている。
・美少女キャラに関しては完全に死に設定と化してしまった。
・幸運と美貌に胡坐をかいていたという設定のせいで若干のコミュ障を患っている。
・勉強はできるが頭が弱い。あれこれ考えたことは大体間違っており、それに則った行動は凡そ裏目に出てしまう哀れな女。
・何も考えずに運に身を任せれば最強。
・思い込んだら結構ノンストップ。
・なかなかめげない豆腐メンタルという謎の精神性を持っており、自責傾向が強く、傍から見ていると苛立ちを覚える。
・良く言えば「感受性が高く、切り替えが早い不屈の精神」の持ち主。主人公っぽい。いいぞ。
・前半部では『死』に対する恐怖が麻痺していたが、それ以外は比較的まともな倫理観を持つ。
・初期構想から最も乖離したキャラクター。
・優のキャラが思ったものと異なるものになったせいで作品の雰囲気も変わった。
・本当は決め台詞とか言わせたかったしもっと一夏とちゃんとラブコメさせたかった。
・というか決め台詞も無いしスーパーチート能力も無いし原作主人公との絡みも若干淡白で何より芯の通った思想が無いから存在感が薄い。
・設定とキャラの薄さと動かし辛さに関しては二次創作界隈全体で見てもかなりの実力。



最終章です。


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21

オリジナル設定タグを発動!
フィールド上にオリジナル設定が展開される!

本作も次の回で終わるんですかね。




「さて、どうするか」

 

フランクリン・トルーマンは葉巻を灰皿にあてた。ゆらぐ紫煙の向こうには、空中に浮かぶ中高年の男女たち。彼らは一様に渋い表情をしている。深刻な眼差しでこの世の行く末を思案しているのだ。

 

トルーマンの目の前にはいくつもの半透明なウィンドウが宙に展開されていた。そこに映る中高年たちは、各国の首脳陣だ。トルーマンもまた、アメリカ合衆国という大国にて、大統領という任に就く傑物だった。

 

『こんな突拍子もないメッセージ、どうせタバネに違いない』

 

そう言ったのは英国大統領だ。

 

秘匿回線で行われるこの会議に参加している誰しもが、決して悪戯やジョークの類であるとは考えていなかった。

 

どこから送られてきたのか全く分からないメッセージ。

 

さらにこのメッセージが送られたという情報が、既に各国メディアに流れている。この情報流出の内容も問題だった。

 

『同様の文章が各メディアにも届いた』のではなく、『各国首脳陣にテロ宣言まがいのメッセージが届いたという事実』が流れ出たのだ。無論、今会議に参加している誰一人として情報を漏らしていない。

 

証拠を一切残さない一連の犯行が、相手の格を物語っている。

 

そしてこのメッセージの内容が正真正銘真実を語っているのだとすれば、そんなことが出来るのはこの世でただ一人。

 

『篠ノ之束、ですか。しかし一体何を仕掛けてくるのやら』

 

束を生んだ国、日本の内閣総理大臣は汗をハンカチで拭きながら口にした。現在各国があらゆるテロ行為に対して警戒を強めている。10年前のようにミサイル基地がハッキングされているといった様子もない。

 

しかし篠ノ之束は世界を滅ぼすと言った。どのような手段を用いるのか。誰しもが困惑していた。束はISの創造者なのだから、大量のISで攻めてくると考える者がいれば、逆にISをも凌駕する新兵器を投入してくる可能性があると指摘する者もいる。

 

そんな中、ある国の首相がこんなことを呟いた。

 

『それにしても静かな夜ね。それになんて美しい月。これから世界規模のテロが起こるなんて信じられない』

 

その首相の背後には窓があった。その窓の向こうに広がっているのは満点の星空。そしてその星空の中央には、大きな月が浮かんでいる。不思議と魅入ってしまう美麗で狂気的な月だ。心なしか普段よりも鮮明に、大きく見える。

 

会議中に何を呆けたことを。そう思い、軽く皮肉るつもりで声をかけた。

 

「ほう、今日がスーパームーンだとは知らな…………いや待て」

 

トルーマンは自分で口にしながら、何か悪寒の様な物が背筋に走るのを感じた。

 

『スーパームーン?』

『聞いてないな』

『うちはもう朝だ』

『ああ、本当だ。月がいつもより大きく見える』

 

 

「大変です! 大統領!」

 

ドアを開けて飛び込んできたのは、一人の黒いスーツの男。男は彼の部下だった。自身の部下の慌てように、アメリカ大統領は嫌な予感を自覚しつつも訊ねた。

 

「どうした?」

 

男は息を整えながら、叫ぶようにして言った。

 

「たった今報告がありました。月が……月が地球に迫っています!」

 

 

 

 

 

月が地球に落ちてくる。前代未聞の大事件。

まるでSF映画や神話の世界のような話だ。

 

しかしこの日、文字通り事実として、人類は間違いなく滅亡の危機に瀕していた。

 

この事件は人類史上最大最悪のテロリズムとして語り継がれることとなる。

 

そしてこの事件について語られる時、人々は必ずある少女の名前も口にする。

 

後に【月落とし】、【終末(ハルマゲドン)】と呼ばれる大事件と、人類を救った【救世の少女】の英雄譚が、慌ただしく幕を開けた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

さて、ところ変わってIS学園。

あの後専用機持ちの第2陣が到着。回収された俺達は皆IS学園へ帰還していた。

 

「あれ? 何よこのタイマー」

 

現在俺達は、何とかほぼ無傷だった学生寮のラウンジに集合している。ちなみに弾もいる。そして何か面白いことでも起こるのかと、どこからともなく野次馬生徒達がわらわらと湧いてきた。

 

とはいえ事態は一刻を争う。野次馬を無視して今後の動きについて相談しようとした矢先、鈴がスマホ片手に首をひねっていた。

 

軽く覗き込んでみると、どうやら先程同様ニュースサイトなどを通して情報を集めようとしていたようだ。するとそのニュースサイトの右上に、突然謎のカウントダウンタイマーが表示されていた。

 

【46:12:43】と表示されており、右端の43が42、41と減っている。察するに、残り時間は46時間と少しということか。

 

ラウンジにある巨大なテレビの電源を入れてみる。ワイドショーでは、各国政府に世界を滅ぼすといった旨のメッセージが、差出人不明の状態で送られていたと報じている。そしてその右上では、例のカウントが進んでいた。

 

「恐らくそれが、束による世界滅亡までの時間だ」

 

織斑先生曰く、およそ二日で世界は滅びるとのこと。先生がそう言った少し後、鈴が見ていたニュースサイトが、急に更新された。そこには、『月が落下! 急接近による異常気象も』と題された新しい記事が表示されている。やはりそう来たか。

 

「月が、落ちてくる……?」

 

一夏が呆然と呟く。ややあって、ようやく今起きている事実を咀嚼し始めたのか、周囲に混乱と困惑が広がっていく。

 

「どういうこと?」

「本当に世界が滅んじゃうってことじゃない?」

「うそ。じゃあ私達みんな死んじゃうの?」

「やだやだやだ! 死にたくない! なんで!? 何も悪いことしてないのに!」

 

月が完全にしののの博士の手中にあるというのであれば、これは十分予想された事態だ。ある程度予想がついていた俺とは違い、ほかの連中はこれでもかと言うほどに狼狽えている。

平静を保っているのは織斑先生と五反田弾くらいだ。やつは何故冷静なんだ。

 

「多分これが、しののの博士が世界を滅ぼすために用意した手段なんだと思います。これで『ラボ=月』説はかなり濃厚になりましたね」

 

そして俺への処分は有耶無耶になりましたね。暴走事故なんて構ってる場合じゃないですもんね。

 

内心ほくほく顔の俺を余所に、織斑先生は何やら考え込んでいる。

 

「八神、お前は何を考えている?」

 

おーっとこれは織斑選手、ストレートに打ち込んできましたね。やめていただきたい。

織斑先生は日本刀のように鋭く凛とした視線をこちらへ向けてくる。まるで俺の考えを読み取ったかのようだ。

 

先生の言葉に周囲のざわめきがしんと収まる。

 

「え、えと、その、えへ、何のことです?」

 

俺のパーフェクトお愛想スマイルは、野次馬たちの視線を集めることには成功していた。こっちみんな。しかし織斑先生には効果が無いのか、剣呑な視線は変わらない。

 

「とぼけるな。お前は束のいる月へ向かおうと考えているのだろう」

 

あ、そっちか。俺は安堵するとともに、暴走の件について気付かれていないのであればそのままにしておこうと決意した。

 

しかしまあ、あれだ。月へ向かうとかね。そりゃあもう、

 

「ええ。勿論」

 

当然の如く行きますけど。

 

 

 

その時だった。

 

『現在、このテロ声明への対応を講じるため、国連加盟国首脳陣──に、よる──……ザザッ──』

 

ワイドショーの映像が突如乱れ、ノイズが入り、画面が青一色となる。やがて今度はその画面に小さな兎が一匹現れ、増殖し、画面を埋め尽くす。そして端から徐々に兎が消えていくと、映像は切り替わり、そこには事の発端、しののの博士の姿があった。

 

『やっはろー! IS学園の諸君! 私がぁぁ……キターーー!!』

 

うざい。

 

画面の中の博士は、点に拳を突き上げ、紫がかった長髪を振り乱している。と思いきや、急にテンションをがくんと落とし、フラットな声音で口にした。

 

『まあ、用があるのは4人だけなんですけど』

 

しののの博士はそう言って、織斑先生を見た……気がした。

 

『ちーちゃん。気は変わった?』

 

織斑先生はその言葉を、鼻で笑い飛ばした。

 

「愚問だ。答えるまでもない」

『そっかぁ! 考え直してくれてんだねちーちゃん! ちーちゃんは私の見方をしてくれると思ってたよぉ! ありがとー!』

「違うわ! 察しろ!」

 

そして今度はその弟、織斑一夏へ。

 

『ちーちゃんったらあんなこと言ってる……。いっくんは私の味方だよね?』

 

一夏は静かに首を振った。

 

「いや、俺は俺の守りたいものを守る。だから束さんとは敵対すると思う」

 

次に博士自身の妹、箒へ。

 

『ほうきちゃ』

「姉さん。馬鹿なことはやめてくれ」

 

もう碌に最後まで喋らせてくれなかった。しののの博士はこの世の終わりのような顔をしている。

 

ひとしきり絶望した後、そして最後に俺の方を向いた……気がした。

 

『みんなお前の味方だってさ。このドロボウ』

 

逆恨みもいいところだと言いたいが、俺も博士の立場だと同じように思ってしまうのだろうか。

 

「ドンマイです」

『黙れ』

 

俺の慰めは届かなかった。悲しい。

しののの博士は大きくため息を吐きだすと、俺を睨み付けるようにして言った。

 

『とにかく、この世界はもう要らない。あと二日も経たないうちに月が衝突する。そうすれば全部おしまい』

 

野次馬の生徒達から小さく悲鳴が上がる。

しののの博士はそれを意に介そうともしない。

 

だが──

 

「待てよ」

 

そう、ここで口を挟むのが五反田弾という男だ。

 

『……誰?』

 

でしょうね。

きょとんとするしののの博士に、弾はやれやれとかぶりを振った。

 

「フゥゥ~。俺を知らないとは。所詮篠ノ之束の諜報力もこの程度か」

 

バカやめろ。あまり刺激するな。

向こうは超巨大な爆弾を持っているようなもんだぞ。

 

『……結局何が言いたいわけ? 邪魔だからどっか行っててよ』

 

いいぞ。しののの博士。あなたの対応は比較的正解だ。

 

そう、普通のキチガイ相手ならば。

 

「おい、お前」

 

そう、やつは普通のキチガイではない。

弾はビシッとポージングを決め、謎の体幹の良さを見せつけつつ、ズバリ言い放った。

 

 

「お前、それでいいのか?」

『……何のこと?』

「それはお前自身が知っているはずだ」

 

弾の真剣な眼差しに、しののの博士は一瞬たじろぐも、何とか気を持ち直した。パンパンと自身の頬を叩き、改めて弾と対峙する。

 

『……何言ってるか全然わかんない。知った風な口きかないでくれる?』

 

多分そいつ何も知らないです。

 

「フッ、お前がいいなら、それでいいんじゃないか?」

『う、うるさいうるさいうるさーーい!! 君に何が分かるっていうんだよ!』

 

思ったより効いてるな。適当ぶっこいてるだけのくせに。

いちいちこんな通話をしてくる辺り、どうも博士自身も今回のことは思うところがあるのだろうか。

 

しののの博士は強引に会話を打ち切り、改めて俺へ視線を向けた。

 

『ふんっ。次は容赦しない、だっけ? やってみなよ。できるものなら』

 

そう言い残して、ブツンと画面がブラックアウトする。数秒後には、再びテレビの電源が入り、騒がしいワイドショーを映し出した。

 

「先生」

「何だ?」

「地球からしののの博士を止める方法はありますか?」

「……無いだろうな」

「となると、博士を止めるには、直接月に乗り込まないといけませんよね」

 

淡々と、白々しいやりとりを繰り広げる。

互いに分かっているのだ。俺も、先生も、他のみんなも。

 

今、俺は喧嘩を売られた。成層圏の彼方へ招待された。

地球を救うには、月へ行って博士を殴ってでも止めなければならない。

 

 

 

だがそれに待ったをかける者がいる。

 

「お待ちください。たしかにISを使用すれば、7.75時間程度で月の軌道上まで到達可能です。しかし月面にて篠ノ之博士、乃至は博士の有する無人機と戦闘になった場合、エネルギーがもちませんわ。それに我々は宇宙空間での実地訓練を積んでいません。不測の事態が起こる可能性があります」

 

セシリアだった。金髪お嬢様はいつものようにですわですわと口にする。おいおいセシリアさんよ。俺がその程度、気付いていないとでも思ったのか? そんな考えなしに見えるのか?

 

「訓練不足については……うん、ごめん。考えてなかった」

 

考えなしなんだよな。

なるようになるでしょ、くらいに思ってたわ。

 

でもISが動き続ける限り、搭乗者の生命維持という点に関しては基本的に大丈夫だと思う。というか肝心の宇宙で思うように動けなかったら詐欺だろ。

 

「まあでも、多分それも解決できると思う。物理的なエラーについてはここで整備していくとして、仮にエネルギー不足によって宇宙空間での活動に支障をきたす可能性があるなら、エネルギーを補充できる環境を丸ごと持っていけばいい」

 

そしてこの方法なら、月までの移動にもエネルギーを使わずに済む。

 

「というわけで織斑先生、ちょっといいですか?」

 

 

 

§

 

 

 

ISの定義とは?

 

マルチフォームパワードスーツだの、元々は便利な宇宙服として開発されただの、とにかく人間サイズの近未来甲冑というイメージが強すぎる。が、別にISは必ずしも人間サイズである必要はない。

 

要するに、コアがあって、量子領域に本体を保存することができて、宇宙で活動するための人体のバイタルサポートと慣性制御ができればそれはISなのだ。

 

「……ははは。これはちょっと予想外かも」

 

自分で提案しておきながら、俺は思わず呟いていた。

 

それは正しく巨大な船だった。大きな帆こそ張られていないが、鋼鉄で覆われたダークグレーのそれは、少年たちのロマンの結晶。海原だけではない。雲海を掻き分け、遥か成層圏の彼方まで翔けるそれは、まさしく船だった。

 

その船は現在、IS学園近くに浮遊し、極太のコードを何本もその巨体に差し込まれている。エネルギーを充填しているのだろう。

 

「これがドイツの輸送用ISか。実物を見たのは初めてだな」

 

織斑先生はその巨体を見上げて言った。さすがに見たことはなかったようだ。先生に提案した時、結構普通に対処されたから、何なら乗ったこともあるのかと思ってた。

 

 

 

というわけで、これが俺の考えた月までの移動手段。山田先生がさらっと漏らした『ドイツにある輸送用のIS』という言葉を思い出し、織斑先生のコネクションで呼び寄せた。

 

そう、たとえ装甲が人間サイズを遥かに凌駕し、パッと見は宇宙船にしか見えなくても、これはISなのだ。巨大ロボだって言ってしまえば鎧の延長線なのだ。巨大な宇宙船だって、人間が中心にいて、これを装着するという(てい)をとりつづける限り、これはISなのだ。

 

ちなみにカラーリング的には完全にヤマトだが、俺はハーロックが好きなので内心で勝手にアルカディア号と呼ぶことにする。正式名称は知らん。

 

「そういえばよくこんなに早く来てくれましたね」

 

現在時刻は午前9時。先生が電話してくれてから小一時間で日本のIS学園まで到着している。

 

「この船は、厳密にはまだどこにも所属していないからな。所有権も曖昧だ。そもそも存在そのものが秘匿されている。軍上層の連中にお伺いを立てる必要は、理屈の上では存在しない。私の信者に命令すればすぐ持ってきてくれたよ。それにIS学園の敷地は治外法権に近い状態だ。口出しはさせん」

 

まあまあブラックな事情が、そこにはあった。

 

「……八神」

 

今度は先生からの質問があるようだ。先生から質問されるたびに胃がチクチクするから正直やめてほしい。

 

そんな俺の心情を知ってか知らずか、織斑先生はアルカディア号を見つめたまま、静かに訊ねた。

 

「なぜ、お前自らが行こうとする? 政府や軍に任せようとは思わないのか?」

 

今更?

……うーん。説明しなきゃならないのは分かるんだけど、面倒くさい。

 

「先生も似たようなこと言ってたじゃないですか」

「……というと?」

「どこにも所属してないからすぐに動かせたって」

 

現在、恐らく世界各国の政府は大荒れだろう。トップがてんてこ舞いでは、その下にいる者達も自由に動けない。

 

「政府や軍に所属する人間が勝手に作戦行動に出るわけにはいきませんが、事態は今なお進行しています」

 

故に誰かが早急に解決しなければならない。

 

「そして、今一番早く行動できるのは私達です。だから行きます」

 

こんな時に規律だなんだと言ってる場合か、とも思うが、大勢の人間が好き勝手に動くと統制が取れず、そんな状態でしののの博士に敵うはずもない。逆にこういう時だからこそ、規律が重要となる……のだろう。多分。

 

「…………」

 

しかし俺の説明が悪かったのか、ちょっと納得がいってない感じの先生。むっとした表情で何やら黙り込んでいる。というかIS学園の教員用ラファールは亡国企業のせいで全滅してるんだから、ささっと行って解決できるのは俺達だけじゃん。今はまだ40時間以上残ってるけど、そんなのしののの博士の気分次第だ。もしかしたら30分後に急にタイマーが加速するかもしれない。早期解決に越したことはないんだ。

 

それに先生だって、結局俺達が動くのが一番早いって分かっているはずだ。じゃないとアルカディア号だって呼んでくれなかっただろうし。

 

しかし言わなければならないのだろう。

大人として、教師として、生徒が手を挙げたから「じゃあどうぞ」とはいかない。

しかし現実として、俺達が動くのが一番手っ取り早いし、何気に成功確率だってそこそこ高いと思う。

 

確かに俺達は学生だが、ここIS学園には各国の技術の粋が詰まった最新鋭の機体が揃っている。カタログスペックで言えば、戦力的には相当優秀な上に無所属の集団だ。だからセシリアも、俺達が行くということを前提に話を進めていた。「そもそも行くな」ではなく、「行った場合どうするのか」という論調だった。

 

「安心してくださいよ。ここはIS学園、全世界でもトップクラスに優秀な生徒達が集まってる場所ですよ? 国家代表候補生だってたくさんいるんですから。私達の学年だけでも代表候補を含めた専用機所持者が8人も──」

 

 

 

「一夏、もうすぐ世界が終わるのね……」

「そうならないために俺達がいるんだろ?」

「……そうね。でも万が一って可能性もあるし、後悔しないためにもどうしても聞いて欲しいことが」

「ああ。後悔しないために、全力で解決しような!」

「聞いて、一夏。私、言わずに終わってしまったら、死んでも死に切れな」

「大丈夫さ! 俺達ならきっとやれる!」

「世界が終わる前にどうしても聞いて欲しいの。私、一夏のことが」

「すまん、鈴。俺他に好きな人がいるんだ」

「……あいやー?」

 

 

 

「──7人もいるんですよ! きっと大丈夫ですよ!」

 

青空の下、愛する男に振られた中華少女は、一足先に世界の終わりを体験したような顔をしている。

鈴と一夏から見ると、俺たちの姿は船の陰に隠れているから、向こうが気付いていたかは分からない。しかしすごい光景を目撃してしまった。

 

というか一夏のスルーからのお断りコンボがストロングすぎたせいか、早速戦力が一人減ってしまった。あいやーになった鈴。もう使い物にならないだろう。何してくれてんだ。

 

「八神、脱落者が出たわけだが…」

「先生」

 

もうやめだ。やめ。この話は終わりだ。面倒くさい。

織斑先生の言葉を遮り、冗談交じりに言った。

 

「そんなに心配なら、先生が引率します?」

 

 

 

§

 

 

 

現在時刻、午後14時。

世界の終わりまで残り40時間。

 

そろそろアルカディア号のエネルギー補給も終わるだろう。

 

月へ行くメンバーも決まった。立候補制にしたところ、3年生の代表候補が2人と、生徒会長、鈴以外の1年生専用機所持者が参加することになった。

 

手持ち無沙汰になり、壊れたIS学園をしばし散策する。

校舎には大穴が開き、博士のニンジン型ロケットによって瓦礫と化した建物もある。

 

しかし思ったより緊張しないな。不安もない。

まあ、仮に俺達が行って失敗したところで、どうせ俺達が行かなければ、多分誰もしののの博士を止められないし、結果は同じだ。俺達が成功する以外に、結末は変わらない。なぜか確信できる。

 

「あ……」

 

懐かしいものを発見した。所々がへこみ、横に倒れているが間違いない。

入学初日、俺が金額を間違えた自動販売機だ。クソッ、嫌なことを思い出した。

 

八つ当たりに蹴り飛ばしてみる。

ぼこんと鈍い音を響かせ、俺の足が痛くなった。

 

「痛ててて……。くっそ、なんて頑丈な野郎だ……お?」

 

俺がじんじんと痛む足をさすりながら片足立ちしていると、自販機がピロピロ言いだし、何やらボタンが光り始めた。と、認識するや否や、ガコンガコンと怪しい音を立て、何かが自販機から転がり落ちた。

 

それはペットボトルだった。赤いラベルで、毒々しい色合いのジュースが入っている。

 

「……ドクペか。分かってんじゃん」

 

俺は自販機を許した。ズッ友だ。

 

しかもよく見れば、ドクペは2本出てきているようだ。あざーす。

 

もう世界が滅びる瀬戸際だし、それを差し引いてもこの状況で金なんて払っても仕方ないとは思うが、何となく良心が咎めるので小銭を自販機の上に置いた。こういうのを心の贅肉というんだろうか。

 

「ユウ、何してんだ?」

 

振り向けばワンサマー。

ぽけっとした顔でこちらを見ている。

ちょっと恥ずかしいところを見られた気分になった。

 

「別に。一夏くんも飲む?」

 

そう言ってドクペを一本差し出す。

 

「いや俺、ドクターペッパーって苦手なんだ」

「あ、そ、そう……」

「それと俺の前ではキャラ作んなくていいぞ」

「あ、うん……それもそうだな……はぁ……」

「ユウ、どうした?」

「……別に。一人で2本飲むから何も問題ねえし」

 

好きなものを否定された時、人は最も深く傷つくのだ。

そして否定されると、好きであることを表現することが怖くなるのだ。

 

……ドクぺ、結構俺は好きなんだけどな。

たしかに美味しくはないけど癖になるっていうか。

 

少し気落ちしながらペットボトルの蓋を開ける。

プシュッと空気の抜ける音と、泡のせり上がる感覚が何とも夏を感じさせる。

 

表層の茶色い泡を軽く啜り、液体が見えたら、一気に口に向けて傾ける。

ぱちぱち、チクチクと炭酸の刺激が口と喉を暴れまわり、言いたくても言えないことや、燻っていた何かが、一気に押し流されていく。そしてねばっこい甘さが、口内を塗りつぶす。

 

「──ぷはっ。炭酸飲むとさ、気分がリセットする気がするんだよな」

 

俺の何気ない言葉に、一夏は「そういうもんか」と呟く。

こいつ何も分かってねぇな?

 

「なぁ、やっぱり俺も貰っていいか?」

「はぁ? さっき要らないっつったじゃん」

「いや、なんかユウが飲んでるの見たら俺も何か飲みたくなって」

 

なるほどね。隣の芝生は青く見えるもんな。分かる分かる。

 

「えー、どーしよっかなー。ドクペ嫌いなんだろー?」

「嫌いじゃないって。ちょっと苦手なだけだ」

「調子いいこと言いやがってこのヤロー。今回だけだぞ? ほら、施してやる。ありがたく受け取れ」

「おう、サンキュー」

 

一夏にドクペを渡し、二人で適当な瓦礫に腰掛ける。

 

 

空は晴れ渡り、鳥が二羽、優雅に羽ばたいている。

 

時は静かに流れ、遠くからは、風に乗って潮騒が聞こえる。

夏がもう、そこまで来ている。

 

この光景を見て、これから世界が終わろうとしているなどと、誰が信じるのか。

 

 

蒼い空を見ながら、一夏がぽつりと言った。

 

「……たまにはいいもんだな」

「何が?」

「ドクターペッパー」

「なるほど。お前もドクペの良さに気付いたか」

「ああ。それもあるけど、ユウから貰ったから美味しく感じるのかも」

「何だそれ。キモいな」

 

他愛のない会話。

お互い何も考えずに、ただ時の流れに身を任せる。

 

「ユウは……良かったのか?」

「何が?」

「ご両親、心配するんじゃないのか?」

「いやー、あれはあれで放任主義臭いところあるし、仮にここで行かずに世界が終わったらどっちにしろ駄目だろ?」

「そういうもんか」

「そういうもんだ」

 

ドクペをもう一口煽る。甘さがべたつく。

しかしそれも、やがて喉の奥に消えていく。

 

一夏も倣うようにしてドクペを口に含む。

やはり味自体は苦手なようで、若干眉根をしかめつつ、ごくりと嚥下している。

 

妙に子供っぽいと感じるが、そもそも一夏は、精神年齢で言えば俺よりも子供だ。

なのに一夏の子供っぽさが不思議に思える。

それが何だかおかしくて、思わず口元がにやけてしまった。

 

「……俺はさ」

「ん?」

「……誰かを守ることが、目標で、生きる目的だった」

「ん」

「だから俺はいいんだ。けどユウは違うだろ?」

「ん?」

「力があるから誰かを守らなきゃ、なんて考えてないか? そうやって責任を背負おうとしてないか? もしそうなら──」

「あー、うるさいうるさい」

 

姉弟揃ってめんどくさい連中だ。

俺はドクペをぐいっと飲み干し、立ち上がった。

 

「私は幸せになりたいし、できれば他の人もそうであってほしい。そうなるための選択をした。それだけだ」

 

誰かを助ける理由とか、何かを成し遂げる動機とか、他の手段でもいいんじゃないかとか、あほらしい。それが可能な人間がその場にいて、かつ利害が相反していないなら使えばいい。そしてその場に自分がいて、望んだ結末があるなら自分で動けばいい。自分で動かない者に望み通りのものが手に入るわけがないのだから。

 

「自己満にならないように気を付けないといけないけど、根本はお前に近いかもな。守りたい人達だから守る。お前も含めてな」

 

そう言って、一夏の頭をくしゃっと撫でる。

一夏は日向の猫のような顔を一瞬見せるも、即座に引き締め、何とか誤魔化そうとしていた。

こういうところが子供っぽいんだよな。

 

「そういえば一夏、お前こんなとこに何しに来たんだ?」

「ユウを探してた。今朝の返事を聞こうと思って」

「……あいやー」

 

 

 

§

 

 

 

「──点呼完了。総員、準備はいいか」

 

織斑先生と山田先生が、整備課の生と共に、実動部隊の生徒達の備品やISをチェックし、ようやく全てが整った。

 

いつの間にか復帰していた鈴も含め、立候補した全員がアルカディア号に乗り込んでいる。

 

「改めて作戦概要について説明する」

 

織斑先生の声が響く。

一本の刀のように、よく通る声だ。

 

「目的地は地球唯一の衛星、『月』。及び月に存在すると思われる『篠ノ之束の研究施設』」

 

全員が静かに聞き入っている。硬い表情の者もいれば、飄々としている者もいる。テンションが低い者も……あれは鈴か。

 

「最終目的は『月と地球の衝突回避』。そして必要であれば『篠ノ之束の排除』。これより8.5時間後、本艦は月面に到着する。激しい戦闘が予想される。各自、準備と覚悟を怠らぬように」

 

一夏を見る。一夏もこちらを見た。緊張している様子はない。

やはりここぞという時、こいつの胆力は見事だと思う。

 

「只今を以って、作戦名『月面上陸作戦(オペレーション・オーバーロード)』を開始する!」

 

人類を救うための戦いが、始まった。

 




オペレーション・オーバーロードとは
ノルマンディー上陸作戦とも呼ばれる。
多分第二次世界大戦では最大規模の上陸作戦。

ちなみに私はヤマト派でもなければハーロック派でもないし、そもそもそんな派閥多分ないです。
ドクペは好きでも嫌いでもありません。


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